西村京太郎
急行もがみ殺人事件
目 次
第一章 鳴子《なるご》一泊
第二章 最上川下り
第三章 防風林
第四章 女レポーター
第五章 十字路
第六章 尾 行
第七章 再び「急行もがみ」
第八章 共犯者
第九章 アリバイ崩し
おことわり=昭和61年11月の国鉄時刻大改正により、陸羽東線、陸羽西線、奥羽本線の『急行もがみ号』はなくなりました。本小説は、それ以前の時刻表によるものです。編集部
第一章 鳴子《なるご》一泊
1
清水刑事は、見合いで、結婚した。
最近は、刑事も、恋愛結婚が多くなってきたが、清水が、見合いで、結婚することになりましたというと、上司の十津川も、亀井も、何となく、納得したものである。
清水は、二十七歳になる。
飛び抜けて優秀というのではないが、とにかく、生まじめな男だった。刑事としては、生まじめは一つの資格だが、それでも、時には、もう少し、融通が利《き》いたらと思うことが、十津川にはある。特に、人を見る眼についてである。
どうしても、清水は、一本調子で、人間を、一面的に見てしまう。事件では、それが、事実を見る眼を狂わせてしまうことがあったからである。
結婚すれば、少しは、人間が柔らかくなるだろうと思い、十津川は、賛成した。
仲人は、捜査一課長の本多夫妻に頼むことになった。
「新婦というのは、どういう人なんだ?」
と、本多が、十津川に、きいた。
「両親が、まだ健在で、父親は、M電気の課長さんです。きょうだいは兄一人、妹一人の三人で、兄は、父親と同じM電気に勤めています」
「健全な家庭の娘さんということだな」
本多は、それが一番という顔で、いった。
「そうですね。普通の家庭です」
「名前は、堀場征子か。感じのいい名前だね」
「亡くなった祖父がつけた名前だそうです」
「なるほどね。身長百六十五センチ。体重五十六キロで、健康か」
「短大では、バレーボールをやっていたそうです」
と、十津川は、いった。
十津川は、彼女に、一度、会っている。その印象は、物おじしない娘だというものだった。しっかりと、相手を見つめて、はっきりと、自分の意見をいう。
十津川の個人的な好みからいえば、もう少し、控え目な女性が好きなのだが、これからの夫婦は、奥さんが、活発な方が、上手《うま》くいくかも知れないとも、思った。清水は、どちらかといえば、口数が少なくて、そのせいで誤解されることもあるから、奥さんが、明るく、多弁なのも、いいだろう。
結婚式でも、清水の方は、終始、あがってしまって、やや、蒼《あお》ざめた顔をしていたが、新妻の方は、落ち着き払っていて、清水の同僚たちは、この分では、もう、この夫婦の将来はわかったみたいなことをいっていたのである。
十津川も、出席していて、同じように思ったが、黙っていた。考えてみると、彼自身も、四十歳で結婚した時、式の間、ずっと、あがりっ放しだったからである。そして、今、どちらかというと、十津川家の主導権は、妻の直子が、持っているといっていいだろう。
清水夫婦は、二泊三日の国内旅行に出かけた。
2
一日目の泊りは、宮城県の鳴子《なるご》温泉である。
清水は、征子と、一二時|丁度《ちようど》の「やまびこ53号」に乗ることにした。
本多課長と、十津川は、会議があって、上野《うえの》駅までは、送ってくれなかったが、亀井と西本の二人の刑事が、送りに来てくれた。
四月十四日。ウイークデイだが、春の観光シーズンを、やっと迎えたこともあって、上野駅の地下ホームは、混雑していた。
「おう、グリーン車か」
と、ベテランの亀井が、感心したように、いった。
「一生に一度のことですからね」
清水は、照れて、口の中で、もごもごいった。
東北新幹線は、7号車が、グリーン車だが、他にも、新婚と思われるカップルがいた。向うも、清水たちを、同じ新婚と思ったらしく、ホームで、祝福を受けながら、ちらちらと、こちらを見ている。
(席が近かったら、いやだな)
と、思っていたが、幸い、かなり離れていた。
一両だけのグリーン車は、ほぼ、満席だった。
清水と、征子を乗せた「やまびこ53号」は、定刻の一二時ジャストに、上野駅の21番ホームから、出発した。
征子も、もう一組のカップルのことは気になっていたらしく、列車が、トンネルを抜けて、話がしやすくなると、
「向うの二人も、きっと、私たちと同じハネムーンね」
と、小声で、いった。
「まさか、同じところへ行くんじゃないだろうね」
「ひょっとすると、一緒かも知れないわ」
「いやだな。お互いに、意識するだろう」
清水は、顔をしかめて、いった。
「私は、別に、構わないけど」
と、征子は、平気な顔で、いった。
「それなら、まあ、いいんだが――」
「天気がよくなって、よかったわ」
征子は、眼を細めて、窓の外に、眼をやった。
昨日の午後から、雨が降り始めた。今朝まで、残っていて、やきもきしていたのである。
天気予報では、今日一杯、雨ということだったのだが、それが外れて、快晴になった。
大宮《おおみや》を過ぎると、窓の外は、緑が多くなってくる。
清水は、東北地方の地図を広げた。
征子が、のぞき込むようにすると、自然に、彼女の身体が、もたれてくる。その感触が、これからは、独りではなくなるのだということを、改めて、清水に、思い出させた。
「まだ、鳴子には、雪があるかしら?」
と、征子が、きく。
征子は、東京の生れである。清水は、南の四国の生れなので、四月中旬の今、宮城の鳴子あたりに、雪が残っているのかどうか、わからなかった。
清水が、首をひねっていると、征子は、雪が見たいと、いった。
東京に住んでいると、なかなか、雪が見られないからだろう。たまに、降って、交通渋滞を起こすことがあるが、すぐ、消えてしまう。
郡山《こおりやま》、福島と、停車していく。車内に、その度《たび》に、民謡の調べが流れる。
「疲れてるのなら、眠っていいよ。古川《ふるかわ》までは、まだ、しばらくあるから」
と、清水は、征子に、いった。
式場の都合で、今日は、午前中の結婚式になった。清水もだが、征子は、朝早く起きなければ、ならなかった筈《はず》である。
「大丈夫」
と、いったが、征子は、清水の肩に、もたれるようにして、眼を閉じてしまった。
それでも、仙台《せんだい》に着くと、はっと眼をさました。窓の外を見て、
「古川は、次ね」
「ああ。あと、十六分あるよ」
「顔を直してくるわ」
征子は、立って、洗面所へ行ったが、しばらくして戻って来ると、大発見でもしたように、
「向うのカップルも、次の古川で降りるみたい」
と、いった。
「どうして、わかったの?」
「横を通った時、次で降りるって、いってたわ」
「古川で降りると、古川には、ハネムーンの対象になるようなものはないから、僕たちと同じコースを行く気かも知れないな」
「鳴子温泉へ行って、それから、最上川《もがみがわ》下りというコース?」
「ああ。このコースは、東北に詳しい亀井刑事が、考えてくれたものなんだ。一般的なコースとしてね。だから、向うの新婚さんも、同じコースとなることは、十分、考えられるよ」
「もし、そうなら、仲良くなれるかも知れないわ」
征子は、笑顔を見せた。
「僕は、そういうのは、しんどいね。ハネムーンなんだから、純粋に、君だけといたいよ」
と、清水は、いった。
古川が近づくと、征子のいった通り、向うのカップルも、降りる支度を始めた。
古川着は、一四時二〇分。
向うのカップルの後に続いて、清水たちも、列車から降りた。
ここからは、陸羽《りくう》東線に乗りかえである。
ホームを、乗換口の方に歩いて行くと、こけしの形をした大きな看板が立っていて、それに、「ようこそ鳴子へ」と、書いてあった。
頭上には、陸羽東線の発車時刻の表示板があった。次の下り鳴子行の普通列車は、一四時二八分となっていた。
先を行くカップルの女の方が、その表示板を指さして、何かいっているところをみると、やはり、同じ方向に行くらしい。
「あと八分しかないわ」
征子が、いい、二人は、乗換口を抜け、陸羽東線のホームに向って、階段をおりて行った。
鳴子行の普通列車は、もう、ホームに入っていた。
三両連結の気動車である。だいだい色と赤のツートンカラーの急行用と、赤い色の普通用客車が、連結されているのは、国鉄の赤字対策のためだろうか。
清水たちの他にも、新幹線から、この鳴子行に乗りかえる乗客が、何人かいたが、それでも、三両の客車の中は、悲しいほど、すいている。
二人は、最後尾の客車に乗り込み、四人がけのボックスシートに、向い合って、腰を下ろした。
もう一組の新婚カップルは、他の車両に行ったらしく、姿が見えなかった。
「あら、古川商業だわ」
と、征子が、急に、大きな声をあげた。
ホームの横が、学校のグラウンドになっていて、そこに、「古川商業高等学校」の文字が読めた。
「聞いたことのある名前だな」
と、清水が、いうと、征子は、眼を輝かせて、
「男女とも、バレーボールの強い学校よ」
「そういえば、君も、バレーボールの選手だったね」
と、清水は、納得した。
征子が、学生時代の話をしているうちに、三両編成の列車は、ディーゼルエンジン特有のぶーんという音をたてて、動き出した。
陸羽《りくう》東線は、東北地方の太平洋側から、横に横断して、日本海に抜ける。途中の新庄《しんじよう》から先は、陸羽西線と呼ばれるが、一本の線と見ていいだろう。
陽差《ひざ》しが強いので、窓を開けたが、入ってくる風は、さすがに、東北の風で、ひんやりと、冷たかった。
清水は、バッグからカメラを取り出して、向い合っている征子を、何枚か、撮《と》った。風にゆれる彼女の髪が、きらきら光っているのが、美しかったのだが、そのうちに、寒くなって、窓を閉めてしまった。閉めると、少し暑い。東北も、今は、中途半端な季節なのだろうか。
列車は、ゆっくりと、平野部を走っていたが、次第に、周囲に、山脈が、見えてきた。奥羽《おうう》山脈である。
「あッ、雪が残ってるわ」
と、征子が、感嘆の声をあげた。
山脈にだけでなく、線路わきの家の裏にも、ひとかたまりの残雪が、溶けずに、残っている。気温が低いので、なかなか、溶けないのだろう。
この辺《あた》りの人たちにとっては、四月中旬の残雪など、珍しいものではないのだろうが、東京人の清水や征子にとって、ひどく、新鮮に、映るのである。
清水も、征子につられて、興奮して、何枚も、残雪の写真を撮っていたが、そのうちに、心配になってきた。
間もなく、鳴子に着く。このぶんなら、鳴子は、残雪はあっても、眼を楽しませてくれるぐらいだろうが、心配なのは、その先だった。
亀井刑事の作ってくれたコースは、鳴子に一泊したあと、船で最上川下りをしたあと、羽黒山《はぐろさん》に行き、前途を祈願、次に、日本海に出て、湯野浜《ゆのはま》温泉というものだった。
羽黒山は、ひょっとすると、まだ雪が深くて、行けないのではないか。その心配だった。
東鳴子駅に着くと、この辺りから、「鳴子温泉郷」の看板が、眼についてくる。ホームの看板を、よく見ると、「なるご」と、仮名が、ふってあった。
「なるこじゃなくて、なるごなんだ」
と、清水は、大発見でもしたみたいに、征子に、いった。
「本当だわ。なるごって、書いてある」
征子も、眼を大きくして、喜んでいるのは、二人が、若いからだろう。
通路を歩いて来た車掌が、何を、つまらないことで騒いでいるのかという顔をした。地元の人たちや、陸羽東線勤務の車掌にとって、鳴子は、いつだって、「なるご」だからに違いない。
一五時二五分に、鳴子に着いた。
一つ手前の東鳴子から、ここまで、二キロ近くあるから、その間に、温泉が、点々と、続いているのだろう。
二人の乗った列車は、この鳴子が終点なので、ゆっくりと、降りることにした。
古川から、小さな駅が続いていたが、鳴子駅は、ホームが二つあり、かなり大きな駅である。
ホームには、造花の桜が飾ってあった。まだ、この辺りでは、本物の桜の開花になっていないらしい。
征子が、ホームを歩きながら、清水のわき腹を突っついた。
「やっぱりだわ」
「そうらしいな」
と、清水も、いった。
もう一組の新婚カップルが、改札口を出て行くのが見えたからである。
向うも、多分、やっぱりと思ったらしく、女の方が、改札口を出てから、ちらりと、こちらを振り返った。清水は、そしらぬ顔をしたが、征子は軽く、黙礼している。
「きれいな人ね」
と、征子は、小声でいった。
3
改札口を出ると、眼の前に、鉄筋の旅館やホテルが、折り重なっていた。
駅前の狭い土地に、ひしめいている。山が、近くまで迫っていて、そこに、ホテル、旅館を建てようとするから、自然に、鉄筋の高層ビルになってしまい、それが、坂に沿って重なっているから、嫌でも眼の前にそびえている感じを受ける。
十階建ぐらいのビルが、階段状に林立している。
道路は、そのビルの谷間を通っている。
「何だか、熱海《あたみ》を小型にしたみたいだな」
と、清水は、溜息《ためいき》をついた。
鳴子温泉という言葉に、清水は、ひなびた温泉のたたずまいを、勝手に想像していたのである。それは多分、鳴子こけしの連想だったのだと思う。
こけしの素朴なイメージのせいだろう。
新しいホテルが建造中で、コンクリートミキサー車が走り回っているのも、清水の想像を、裏切ってしまった。
しかし、征子の方は、別に、溜息もつかず、
「私たちの泊るホテルは、どこかしら?」
と見回している。
「ますや」というホテルで、駅の近くということだった。
「あったわ」
と、征子が、指さす方に、「ますや」の文字が見えた。
二人は、ビルの谷間の細いコンクリートの階段を、上がって行った。やや、広い通路に出ると、そこは、この鳴子の中心街らしく、狭い場所に、銀行や、ホテルや、土産《みやげ》物屋が、ひしめいている。こけしが、圧倒的に多い。
それと同時に、強烈な硫黄《いおう》の匂《にお》いが、鼻をついた。
ここは、硫黄泉なのだろう。
「ますや」は、坂の中ほどにあるホテルである。ロビーにある土産物コーナーには、やはり、こけしが、ずらりと並んでいた。
支配人や、従業員達が、並んで迎えてくれた。
宿泊カードに書き込んでから、エレベーターで、七階の部屋に案内された。
最上階の八階が、大浴場で、外は露天風呂《ろてんぶろ》になっているということだった。
七階の和室に落ち着くと、清水は、征子にキスしながら、
「これから、どうする? 夕食までには、まだ、たっぷり時間があるけど」
「さっき、フロントで聞いたら、この辺では、お湯の噴き出るかんけつ泉が有名なんですって。それを、見に行きたいわ」
と、征子は、フロントがくれたパンフレットを見ながら、いった。
それには、鳴子ダムや、こけし館などと一緒に、日本一のかんけつ泉のことも、出ていた。
「疲れてないか?」
「平気、平気。あなたと一緒に、いろいろな所を見て歩きたいわ」
と、征子は、いった。
清水は、フロントに電話して、タクシーを、呼んで貰《もら》った。
二人は、着がえをして、靴も、スニーカーにはきかえて、タクシーで、鬼首《おにこうべ》かんけつ泉に向った。
鳴子駅の反対側に出て、江合川《えあいがわ》を渡ると、周囲には、畠が広がり、硫黄《いおう》の匂いもしなくなる。
「硫黄の匂いがするのは、鳴子駅の近くだけですよ」
と、タクシーの運転手が、説明してくれた。鳴子温泉郷の他の地区は、硫黄泉ではないらしい。
車は、国道108号線を、江合川に沿って、走って行く。
五、六分で、鳴子ダムに着いた。これから、雪どけが始まるので、水量が増えるという。車を停《と》めてから、ダムをバックに、清水は、何枚も、写真を撮《と》った。
ダムの先は、堰止《せきと》められて出来た細長いダム湖が、国道沿いに広がっている。
この辺りは、栗駒《くりこま》国定公園になっていて、山肌が迫り、残雪が、あちこちに見える。
冬は、どこでもスキーが出来そうな感じだった。
途中で、国道108号線を右に折れると、目的のかんけつ泉に着く。ホテルから、約三十分の距離である。
入口で、入場料を払って、中に入った。世話好きのタクシーの運転手も、一緒について来た。
見学者のための歩道でもついているのかと思ったのだが、ただのだだっ広いところに、コンクリートで囲った井戸みたいなものが、あるだけである。その上、なぜか、にわとりが、走り回っていたりする。
運転手が、事務所へ行って、聞いて来てくれたところでは、あと、十五、六分しないと、噴出しないのだという。
清水と征子は、その間に、露天風呂と書かれた立札の方に、足を運んでみた。
谷川の方向に、ゆるい坂道をおりて行くのだが、行ってみると、コンクリート造りの小さなプールだった。水面には、枯葉や、ごみが浮んでいて、今は、使われていないのが、わかった。
がっかりしていると、運転手が、間もなく始まるといって呼びに来た。
さっきの井戸のところに戻ると、ぶくぶくと、音を立てて、湯が出て来ている。
突然、猛烈な勢いで、摂氏百度の湯が、噴出した。
湯柱が、二十メートル近くまで、立ち昇った。
「こりゃあ、凄《すご》いな」
と、思わず、清水は、感嘆の声をあげた。
「写真、撮《と》りましょうか?」
タクシーの運転手が、いった。清水と征子は、カメラを渡して、かんけつ泉の前で、ポーズをとった。
清水たちの他《ほか》には、三人ほどの男が、遠くから、噴出を続けるかんけつ泉の写真を撮っていた。
五、六分で噴出が止んだ。
「向うの男の人ね」
と、征子が、小声で、清水に、ささやいた。
「どの人?」
「白いブルゾンを着て、写真を撮ってる男の人」
「あの男が、どうかしたの?」
「あの新婚さんのご主人の方よ」
「そうかな」
「服装は違ってるけど、間違いなく、あのカップルのご主人だわ」
「しかし、奥さんが、いないよ」
「それが、変なんだけど」
「本当に、あの新婚かい?」
清水は、自信がなかった。清水も、照れ臭かったし、多分、向うも、同じ新婚ということで、照れ臭かったのだろう。男同士は、お互いに、はっきり見ていなかった。少なくとも、清水は、面と向って、相手を見ていないので、征子が、あの男の方だといっても、そうかなという感じなのである。
問題の男は、清水と征子が、じろじろと見つめるので、事務所の方へ、立ち去ってしまった。
「あの人、絶対に、あのご主人よ」
と、征子は、まだ、いっている。
「じゃあ、奥さんの方は、疲れて、ホテルで寝てるのかな」
「そういうのって、嫌だわ」
征子は、肩を寄せて、本当に、嫌だという顔をした。
「そういうのって、ホテルで寝ていることかい?」
「違うわ。奥さんが疲れて寝てたら、一緒に、傍《そば》にいてあげるべきだわ。それなのに、ひとりで、かんけつ泉を見に来るなんて、嫌だわ。絶対に、いや」
「僕は、君の傍で、看病するよ」
清水は、あわてて、いった。
事務所へ行くと、さっきの男は、もう、外に出て、停《と》めてあったタクシーに乗るところだった。女と一緒である。
清水は、なぜかほっとしながら、
「やっぱり、奥さんと一緒だったよ」
と、征子に、いった。
「そうでしょう。そうじゃなければ、おかしいわ」
と、征子は安心したように、いった。
4
ホテルに帰ってから、八階の温泉に入りに行った。
残念ながら、男女別々である。清水は、展望風呂《てんぼうぶろ》「湯元」という方に、入った。女湯の方は、姫の湯「花山」と、名付けられている。
前面がガラスになっているので、確かに、展望は良かった。隣りに、露天風呂があるというので、外へ出てみたが、こちらは、八階の屋上に、風呂があるというわけで、鉄柵《てつさく》があるといっても、何となく、怖《こわ》くて、すぐ、展望風呂の方へ、戻ってしまった。
風呂を出たあと、夕食になった。
若いだけに、多少、疲れていても、二人とも、食欲は、旺盛《おうせい》だった。温泉ホテルの食事というのは、どこでも、そうだが、統一なく、ただ、数多く並べてある。カニの横に、ステーキがついていたり、山菜と、ピーマンが、並んでいたりするのだが、二人は、そんなことには無頓着《むとんちやく》に、食べた。結婚式の間、ほとんど食べていなかったからかも知れない。
「おいしかった」
と、征子は、満足した顔で、いってから、急に思い出した様に、
「あの新婚さんのことだけど」
「このホテルには、泊っていないみたいだよ」
「かんけつ泉で見たとき、女の人が、違っていなかった?」
「え?」
「私たちが、事務所に戻った時、向うは、タクシーに乗って、帰るところだったでしょう?」
「ああ。そうだった」
「私も、ちらっとだけ見たの。それで、今になって、思い出してみると、あの女の人、違うんじゃないかと、思うのよ」
「違うって、何が?」
「新幹線の中で見た女の人と、違うんじゃないかと思うの」
「そんなこと、ないと思うがね。君は、かんけつ泉でも、ちょっとしか見なかったんだろう?」
「ええ。後姿《うしろすがた》を、ちらっとだけ」
「じゃあ、わからないんじゃないの? 僕は同じ人だと思ったけどね」
「今から思うと、髪の形が、違っていたような気がするの」
征子は、急に、熱心になって、ボールペンを取り出すと、紙の上に、二つの髪型を描いて見せた。うしろから見た髪型である。
「ね、違うでしょう?」
と、征子が、いう。
「今日、ホテルに着いて、自分で、髪を直したということも、考えられる」
「それはないと思うわ」
「なぜ?」
「私たちは、このホテルに着いてすぐ、タクシーを呼んで貰《もら》って、あのかんけつ泉に出かけたわ。あの二人も、私たちのすぐあとから来た筈《はず》だわ。そうだとすると、髪を直す時間は、なかったと思うのよ」
「しかし、あの二人は、どう見ても、新婚カップルだったんだ。それが、他の女と一緒に、かんけつ泉を見物しに行くなんて、考えられないよ」
「だから、おかしいんだわ」
「まさか、君は、婦人警官になりたいわけじゃないだろうね?」
清水が、笑いながらいうと、征子も笑って、
「私は、刑事の奥さんで、満足しているわ」
「それを聞いて、安心した」
「でも、おかしいものは、おかしいわ」
「こうは考えられないかな。あの二人は、ホテルに着いてすぐ、奥さんの方に急用が出来てしまった。だから、一緒に見に行く筈だったかんけつ泉に、二人で行けなくなった。それで、ホテルの女子従業員が、ご主人の方を、案内して行った――」
「急用って、どんなこと?」
「そうだな。この鳴子が、奥さんの郷里だとするよ。二人で着いてすぐ、親戚《しんせき》の誰かが、病気になって、奥さんは、その見舞いに行かなければならなくなった、というのは、どうだい?」
「そんな時は、ご主人だって、一緒に、行ってあげるべきじゃない? あなたの親戚に何かあったら、私は、一緒に、お見舞いに行くわ。ひとりで名所見物なんか、行かないわ」
「僕だって、同じだよ」
「だから、おかしいわ」
征子は、あくまでも、拘《こだわ》っている。
清水は、少しばかり、じれてきて、
「今日は、新婚第一日目だよ。他人のことなんか、心配するのは、止めなよ」
と、征子に、いった。
征子も、「ごめんなさい」と、いった。
「そうね。他人のことを心配することはないわね」
「そうさ。僕たちのハネムーンなんだぜ」
清水は、力をこめて、いった。
5
翌朝、清水は、満足して、眼をさました。
カーテンの隙間《すきま》から、明るい朝の光が、差し込んでいる。
清水は、布団《ふとん》に寝たまま、大きく伸びをし、それから、腕時計に、眼をやった。
午前七時半を廻《まわ》ったところである。今日は、八時頃に、朝食を運んでくれるように、頼んである。
(もう少し、寝ていたいな)
と、思った。
うつ伏せになって、枕《まくら》を抱《かか》えこむような恰好《かつこう》をして、昨夜のことを思い出し、何となく、ニヤニヤした。
(奥さんは、まだお休みかな?)
と、思って、隣りを見ると彼女の姿はなくて、枕元に、メモが置いてあった。
〈昨日は、素敵な夜をありがとう。ちょっと、散歩に行って来ます。
征子
寝顔の可愛いあなた〉
(誘ってくれればいいのに)
と、思ったが、多分、清水が、よほど、気持良さそうに、眠っていたのだろう。
清水は、起きあがると、顔を洗い、服を着て、部屋を出た。
エレベーターで、一階ロビーにおりると、青い顔のフロント係が、
「清水様でしたね?」
と、声をかけてきた。
「そうだけど」
「奥さんが、大変です」
「ええっ」
「今、救急車を呼んでいます」
フロント係も、おろおろした声でいう。
「何があったんです?」
「大丈夫です。すぐ、救急車が来ます」
「だから、何があったか、きいてるんじゃないか!」
かっとして、思わず、大声をあげた時、救急車のサイレンが、聞こえて来た。
清水は、フロント係と一緒に、ホテルを飛び出した。
ホテルの近くに、温泉神社がある。救急車は、その石段の前に停《とま》っていた。
清水が、駆《か》けつけた時、石段の上から、征子が、両脇《りようわき》を救急隊員にささえられて、おりて来るところだった。
頭から、血を流していた。それを見て、清水は、すうっと、血の気が引いていくのを覚えながら、
「大丈夫か?」
と、声をかけた。
征子が、清水を見て、大丈夫というように、笑って見せた。
救急車には、清水も乗り込んで、近くの療養センターに向った。
温泉を、病気の治療に生かすためのセンターで、そこなら、医者がいるというのである。
結果的に、征子の頭の怪我《けが》は、縫うほどのものではなく、消毒し、包帯を巻いて貰《もら》うだけで、すんだ。
「今日一日は、動かない方がいいですね」
と、医者は、たいしたことはないという顔で、いった。
「本当に、それだけで、大丈夫なんですか?」
心配で、清水は、きいた。
「大丈夫ですよ。血が出たんで、かえって、いいんです。頭蓋骨《ずがいこつ》の陥没もないし、血も止まっていますからね」
「もう、大丈夫よ」
と、征子も、いった。
「何があったんだ?」
「散歩に出て、温泉神社というのがあったの。興味があって、石段を、登って行ったの。そしたら、突然、うしろから殴られたのよ」
「犯人は、見たのか?」
「気を失ってしまったから――」
「畜生。見つけたら、ぶん殴ってやる!」
と、清水は、怒鳴った。
もう、頭は痛くないという征子を、清水は、車で、ホテルまで連れ戻った。
部屋に、布団《ふとん》を敷いて貰い、征子を寝かせた。
ホテルの支配人が、心配して、見舞いに顔を出し、そのあと、警察官が、やって来た。
征子は、寝たまま、事情を説明した。
四十歳くらいの警察官は、あっさりと、
「どうやら、物盗《ものと》りの犯行のようですな」
といった。
「朝の散歩に出かけただけですから、お金は持っていませんでしたわ」
と、征子が、いった。
「しかし、犯人には、そんなことは、わからんでしょう? それとも、誰かに恨《うら》まれているんですか?」
「そんなことは、ありませんわ」
「じゃあ、物盗りですよ。一週間前にも、観光客が、引ったくりにあいましてね。怪我をしたうえ、五万円を奪われました」
「その犯人は、もう捕ったんですか?」
清水が、きいた。
「いや、残念ながら、まだ、捕っていません」
「じゃあ、同じ犯人という可能性もあるわけですか?」
「そうですな」
警察官は、呑気《のんき》な顔で、いった。
清水は、腕時計に、眼をやった。もう、八時五十分になっている。
今日は、九時二五分鳴子発の急行「もがみ1号」で、古口《ふるくち》まで行き、そこから、最上川下りの船に乗ることになっていた。切符も買ってあった。
その急行「もがみ1号」には、もう、間に合いそうもない。
「ちょっと、電話してくるよ」
と、清水は、征子にいい、ロビーまでおりて、東京に、電話をかけた。
十津川に、今朝の事件のことを話した。
「彼女、大丈夫かね?」
と、十津川が、心配そうにきいた。
「幸い、軽傷ですので、明日は、出発できると思います。ただ今日は、出発できませんので、一日、伸びてしまいますが」
「そんなこと、心配することないさ。ゆっくり、ハネムーンを楽しみなさい」
と、十津川は、いってくれた。
清水は、次に、征子の両親に、電話をかけ、彼女が軽い怪我をしたが、大丈夫であることを伝えた。彼女の両親には、知らせないでおこうとも思ったのだが、もし、新聞に出たりした時、こちらが、連絡しておかないと、要らぬ心配をかけると、思ったからである。
部屋に戻ると、中年の警官は、まだ、のんびりと、調書をとっていた。
清水は、いらいらしながら警官が、帰るのを待った。
警官が、帰ったのは、一時間近くたってからである。
「ご両親には、心配しないようにと、電話しておいたよ」
と、清水は、征子に、いった。
「すみません」
「頭はどう?」
「もう、痛くないわ。すぐにでも、出発できるけど」
征子は、微笑して、清水を見た。
「いや、休暇を一日伸ばしていいと、十津川警部が、いってくれたから、一日ずつ、ずらして、旅行を続ければいいさ。それから、お腹《なか》がすかないか? まだ、朝食をとってないんだ」
「ほんと、お腹がすいたわ」
「すぐ、運んで貰《もら》うよ」
清水は、ルーム係に電話をかけ、おそい朝食をとった。
昼を過ぎると、征子は、もう、大丈夫といって、起き上がり、ロビーにある土産《みやげ》物品のコーナーを、見て歩くまでになった。
その日の夕食の時、支配人が、わざわざ、バラの花束を部屋へ持って来てくれたが、
「今日、急行『もがみ1号』に、お乗りにならなくて、良かったですよ」
と、清水と征子に、いった。
「なぜです?」
「さっき、テレビのニュースでやっていましたが、急行『もがみ1号』の中で、若い女の方が、殺されたそうなんですよ」
「本当ですか?」
びっくりして、清水がきいた。
「本当ですよ。乗っていらっしゃったら、いろいろと、質問なんかされて、大変だったと思いますよ」
と、支配人が、いった。
七時になったので、清水は、テレビをつけてみた。
円高のニュースのあとで、画面に、「急行列車の中で殺人」の文字が出た。
「本当だわ」
征子が、緊張した声で、いった。
〈今日、急行「もがみ1号」の車内で、若い女性が、くびをしめられて殺されているのが見つかりました。この女性は、所持していた運転免許証から、東京都世田谷区|代田《だいた》の木下ゆう子さん(二六歳)と、わかりました〉
アナウンサーが、いい、その女性の顔写真が出た。
なかなか、美人だが、免許証からとったものらしく、引き伸したので、あまり、鮮明ではなくなっていた。
「この女の人、見たわ」
と、征子が、大きな眼で、いった。
第二章 最上川下り
1
「どっちの女だ?」
と、清水は、きいた。
「かんけつ泉で見た女の人よ。新婚のご主人と一緒に、車に乗ろうとしていた」
征子は、眼を大きくして、いう。
「しかし、君も、僕も、彼女の後姿《うしろすがた》しか見ていないんだよ。それなのに、どうして、あの写真の女だと、決められるんだ?」
清水は、当然の質問をした。
「直感よ」
「直感といってもねえ。君」
「髪の形なの。そういうと、あなたは、またかというと思ったから、直感といったんだけど、あの髪型は、今じゃ、古めかしくて、普通の若い女性は、やらないわ。それを頑固にやっている人って、少ないと思うのよ」
「髪の形が、同じだということねえ」
「ええ、それも今いったように、古いスタイルの髪型なのよ。ずっと、それを変えないというのは、性格も、頑固だと思うわ」
「性格分析はいいが、日本で、たった一人、その髪の形をしているわけじゃないだろう? 何人かは、いる筈《はず》だよ」
「それは、そうだけど――」
「とすれば、同じ女だと断定するのは、危険だよ」
と、清水は、いった。
征子は、まだ、何かいいたげだったが、黙っていた。
そのせいかどうかわからないが、夜に入ると、征子は、また、頭が、痛み出したと、訴えた。
ホテルが、医者を呼んできてくれたりして、朝までには、何とか、痛みは、消えて、元気になったが、また、急行「もがみ1号」には、乗れなくなってしまう。
「ごめんなさい」
と、征子は、清水に、いった。
「そんなことないさ。頭は、大事だからね。無理はしない方が、いいんだ」
「でも、もう大丈夫。本当よ、予定どおりのハネムーンに行きたいわ」
「しかし、もう、『もがみ1号』は、出ちゃったよ。あとは、普通列車に、なってしまう。『もがみ3号』は、午後七時過ぎだからね」
清水が、いった。
「じゃあ、車で行きましょうよ」
「車?」
「ええ。ホテルに頼んで、車を呼んで貰《もら》って。車なら安心だわ」
と、征子がいった。
急行「もがみ1号」で、古口まで行き、そこから、最上川下りの舟に乗ることになっていたのだが、国道47号線が平行して走っているから、車で行けないことはない。
清水は、ホテルに頼んで車を、呼んで貰った。
鳴子《なるご》周辺のタクシーは、小型だが、それでは、疲れると思い、大型のハイヤーを、呼んで、貰った。
二人は、そのハイヤーで、鳴子温泉を、出発した。
陸羽《りくう》東線に沿って走る国道47号線を、西に向った。
話好きの運転手で、清水と征子が、最上川下りをするのだというと、
「これからは、川下りにいい季節ですよ。一番いいのは、秋の紅葉の季節ですがね」
「本当は、鳴子から、急行『もがみ』で行くつもりだったんだけど、乗りおくれてしまったのよ」
と、征子がいった。
「車の方が、いいですよ」
「どうして?」
「鉄道だと、古口で降りて、乗船口まで三百メートルは、歩かなきゃなりません。車なら乗船口まで、お送りしますから」
「昨日は、『もがみ1号』の中で、人が殺されたそうだね」
と、清水がいうと、運転手は、バックミラーの中の清水に向って、
「それなんですがね。私の知っているタクシーの運転手が、殺された女の人を、一昨日《おととい》、乗せたって、いうんですよ」
と、いった。
清水は、つい、刑事の気分になって、顔を運転手に近づけると、
「それ、本当かい?」
「本当ですよ。間違いないって、いってましたよ」
「その運転手は、彼女をどこまで、乗せたと、いってるの?」
「ホテルから、かんけつ泉まで、乗せて行って、また、戻ったといっていましたね。帰りは、男が一緒だったそうです」
「やっぱりだわ」
征子が、大きな声を出した。
「その男と女は、どんなことを話していたのかな?」
「そこまでは、知りませんが、その女に間違いないと、いってますよ」
「それなら、警察に連絡した方がいいな」
「そうですかね」
「そうさ、連絡した方がいい」
「じゃあ、そういっときます」
と、運転手は、肯《うなず》いた。
2
最上川下りの船着場は、国道に面していて、運転手のいった通り、国鉄の古口駅からは、かなり離れている。
舟着場は、凝《こ》った造りで、奉行《ぶぎよう》所の門のようになっていた。
戸沢藩《とざわはん》船番所と書かれた大きな立看板が、立っている。
乗船切符も、「乗船手形」と名付けて、凝っているのだが、その横に、「歓迎、舟乗り場」と、書いてあったり、コカ・コーラの看板があったりして、ちぐはぐな感じでもあった。
清水と、征子は、車からおりて、乗船場の建物に、入って行った。
次の舟が出るまでに、三十分ほどあるということで、客の姿は、他《ほか》になかった。
建物の中は、土産《みやげ》物店がほとんどで、その奥で、お茶を、ご馳走《ちそう》してくれた。
「紅葉の頃が、一番いいそうですね」
と、清水は、お茶をいれてくれた男の職員に、話しかけた。
「そうですね。その頃が、一番、混みますが、冬の雪見舟も、いいですよ」
と、相手はいった。
その頃は、舟の中に、火鉢《ひばち》を入れて、暖をとるのだという。
間もなく、雪溶けで、水量が増えるらしい。
「今頃《いまごろ》は、両岸の山の中で、熊《くま》が出たりしますよ」
「熊ですか」
「昨日も、熊が出たっていうんで、私も、猟銃を持って、追っかけたんですが、逃げられました」
と、男は、楽しそうに、いった。
ぽつん、ぽつんと、舟に乗る客が、やって来た。
急に、征子が、清水の脇腹《わきばら》を突ついた。
「え?」
「あの二人が、来たわ」
と、征子が、小声で、いった。
気がつくと、土産物店の向うで、話しこんでいるカップルは、例の新婚組だった。
「へえ」
と、清水は、思わず、声を出した。
向うも、こっちに気がついたとみえて、男の方が、あっという眼になった。
「あの男の人、警察の訊問《じんもん》を受けなかったのかしら?」
征子が、不思議そうな顔をした。
「殺された女性と、かんけつ泉に、一緒にいたからかい?」
「そうよ。一番、疑われる人間だわ」
「しかし、ああしているところをみると、事件には、関係なかったんじゃないかな」
「関係ないなんてこと、あるかしら」
征子の声が、大きくなりそうなので、清水は、あわてて、口に指を当てて、見せた。
「間もなく、舟が出ますから、トイレをすませておいて下さい。舟には、トイレがついておりませんから」
と、いわれた。
清水は、建物の脇にあるトイレに行った。
大きなトイレで、便器が、ずらりと並んでいるのは、壮観だった。混んでいる際など、一斉《いつせい》に、トイレに行くからだろう。
一人千五百円の切符を買い、清水と、征子は、建物を出て、舟着場へ、歩いて行った。
途中に、小形の舟が、飾ってあって、「おしんの舟」と書いてある。どうやら、テレビドラマの撮影が、ここで、あったらしい。
その先に、グラスファイバーの舟が、客を待っていた。
ビニールの屋根を張った細長い舟である。
あの新婚カップルは、清水たちより先に、舟に乗り込んでいた。
乗客は、全部で、八人だった。
冬の名残りのように、舟の中には、火鉢《ひばち》が、まだ置いてあった。が、もう、火は、入っていなかった。
六十二、三歳の船頭と、案内役の四十歳くらいの男が、一緒だった。
エンジンの音を立てて、舟は、動き出した。
最上川の川下りの始まりである。
川幅は、かなり広い。国道を走る車が見える。
水は、まだ冷たかった。
清水は、急流下りのようなものを想像していたのだが、実際の最上川下りは、舟もゆれず、のんびりしたものだった。
もともと、この辺りは、昔、舟を使って、物資の輸送をしていたというから、急流下りのように、危険なものではないのだろう。
最初のうちは、左右の景色を眺めたり、案内人の説明や、最上川音頭などを聞いていたが、清水は案内人の持っている新聞を借りて、眼を通し始めた。
鳴子のホテルで、朝刊を読むのを忘れていたからである。
昨日の事件がどう進展したのか、気になっていた。
山形県版のページに、事件のことが、くわしく、のっている。
急行「もがみ1号」の写真も、出ていた。
被害者、木下ゆう子が死んでいるとわかったのは、列車が、酒田《さかた》駅に近づいた時であることも、書かれている。
青木車掌の談話は、次のようなものだった。
〈あのお客さんは、一人で、鳴子から乗っていらっしゃったようです。新庄を過ぎて、時々、窓の外の景色を、カメラにおさめていらっしゃいました。私も古口の辺で写されました。酒田が近づいたのに、座席で寝ていらっしゃるので、お起こししようとして、初めて、亡くなっているのに気がつきました。いつ頃、亡くなったのかは、わかりません〉
この事件は、山形県警が、酒田警察署に、捜査本部を置いて、調べているということだった。
その警察当局の談話というものも、のっていた。
それによると、被害者のハンドバッグや車掌のいってるカメラは、盗《と》られていない。ただ、乗車券が見あたらない。ハンドバッグの中には、十二万円入りの財布が入ったままだったことから考えて、物盗りの犯行とは、思われないので、個人的|怨恨《えんこん》が、原因であろう。
現在、カメラに入っていたフィルムを現像して、事件の解明に役立つかどうか、検討中だとも、書いてあった。
鮮明な被害者の顔写真がついているところを見ると、会社の人か家族が駆《か》けつけて、写真を、持参したのだろうか。
その写真でも、髪型は同じだった。征子が、古めかしいといった髪型である。
清水は、新聞を置くと、改めて、舟首の方に腰を下ろしているカップルに眼をやった。
男は、うすいサングラスをかけている。
女は、男の向う側にいるので、顔は、よく見えない。
男は、二十七、八歳といったところだろう。鼻が高く、なかなかの美男子である。
時々、笑っているのは、新妻との会話が、はずんでいるのだろうか? 一昨日《おととい》、かんけつ泉で見たのは、間違いなく、あの男だった。
そこで、一緒だった女は、新妻ではなくて、昨日、急行「もがみ1号」で殺された被害者である。
(あの男が、殺したのだろうか?)
しかし、ハネムーンの途中で、そんなことが出来るだろうかという疑問もある。
「あッ。人が、手を振ってる!」
という征子の声に、清水は、眼を、対岸に向けた。
川の傍《そば》に、ぽつんと、小さな小屋が立っていて、老人が、こちらに、手を振っているのが見えた。
「あの人は、ひとりで、あそこに住んでるんですよ」
案内人が、説明してくれた。
国道や、陸羽《りくう》西線の走っている側とは、反対側の岸で、電線も見えず、小屋の背後は、山肌が迫っている。
「どうやって、暮らしているんですか?」
と、近くにいた初老の観光客が、きいた。
「電気もない、もちろん、テレビもない生活ですよ。地元の人たちは、病気にでもなったら大変だからって、忠告してるんですが、あの爺《じい》さんは、気楽だからといって、戻って来ないんですよ」
「その気持、わかるなあ」
初老の観光客は、実感の籠《こも》ったいい方をした。
3
約十二キロの舟下りは、あっという間に終って、舟は、岸に着けられた。
古口の乗り場の方は、ひどく凝《こ》った造りになっていたのだが、この終点の方は、鉄筋コンクリートの大きなビルになっていた。
「終点、最上川観光センター」と書かれた建物である。
典型的な観光センターで、広い大食堂や、土産《みやげ》物店が、並んでいた。が、今は、まだ、観光シーズンではなくて、どちらも、がらんとしている。
ビルの前には、国道47号線が走っていて、大型トラックが、びゅんびゅん、飛ばしていた。
観光センターの前は、バス停になっているから、バスが、通っているのだろう。
清水と、征子は、大食堂に入って、昼食をとることにした。
ラーメンを注文して待っていると、あの新婚カップルが、食堂に入って来た。
征子は、彼等に、ちらりと、眼をやって、
「どうも、あのご主人が、怪しいと思うわ」
と、小声で、清水に、いった。
「怪しいって、何が?」
「わかってるじゃない。急行『もがみ1号』で、女の人が殺された事件のことだわ」
「あの男が、殺したというのか?」
「いかにも、プレイボーイって感じの顔つきだわ。きっと、昔の女と、手を切れないうちに、結婚しちゃったのよ」
「それで、昔の女が、ハネムーンを、追いかけて来たというのかい?」
「そうよ。切羽つまって、列車の中で、首をしめて、殺しちゃったんだわ」
「衆人環視の中でかい?」
「私たちが、古川から乗った列車だって、ガラガラだったわ」
「しかし、奥さんが、傍《そば》にいたろうからね。それに――」
と、いいかけて、清水が、急に、口をつぐんでしまったのは、問題の男が、立ち上がって、こちらへ近づいて来たからだった。
(じろじろ見たので、何か、文句をいいに来たのか)
と、思ったが、男は、傍に来て、微笑した。
「すみませんが、カメラのシャッターを押してくれませんか。他《ほか》に、頼む人が、いないので」
「いいですよ」
と、清水は、ほっとした顔で、いった。
食堂を出て、舟着場のところへ行き、最上川の流れをバックにして、彼等の写真を撮《と》った。
「あなた方の写真も、撮りましょう」
と、男は、いった。
征子も、食堂を出て来ていて、
「撮って貰《もら》いましょうよ」
と、清水に、いった。
まるで、儀式みたいに、お互いに、シャッターを押し合ってから、食堂に戻った。
「一緒に、食べません?」
と、征子が、誘った。
断わるかなと、清水は、思ったが、意外なことに、相手の二人は、笑顔で、同じテーブルに、移って来た。
名刺もくれた。
男の名前は、大山茂。新妻は、アキだという。
「売れないシナリオライターです」
と、男は、いった。
清水も、名刺を渡したが、大山は、別に、驚きの色も見せず、
「ほう、警視庁の方ですか」
と、いい、その名刺を、連れのアキに、渡している。彼女の方は、
「大変な仕事を、なさってるんですね」
と、いった。
征子は、興味|津々《しんしん》の顔で、大山夫婦を見ていたが、
「ねえ。一昨日《おととい》、上野駅で、一緒だったでしょう? 一二時|丁度《ちようど》の新幹線で」
「やっぱり」
と、アキが、嬉《うれ》しそうに、肯《うなず》いてから、
「私たちも、舟の中で、上野駅で一緒だった方じゃないかって、話していたんですわ」
「昨日は、どこに、お泊りになったんですか?」
征子が、きいた。清水は、黙って、聞き役に、廻《まわ》っていた。
「新庄です」
と、大山が、いった。
「新庄で、親戚《しんせき》が、旅館をやっていて、どうしても、寄れというもんですから」
これは、アキが、いった。
「一昨日《おととい》は、鳴子で、お泊りだったんでしょう?」
「ええ」
「私たちも、鳴子へ泊ったんですよ」
「そうだったんですか」
「鬼首《おにこうべ》のかんけつ泉は、ご覧になりました?」
「いいえ」
と、アキが、首を横に振った。
「でも、ご主人の方は、ご覧になったんじゃありません?」
征子が、思い切って、きいた。
大山は、わからないという顔で、
「いや、僕も、そのかんけつ泉というのは、見に行っていませんよ」
と、いった。
4
(嘘《うそ》をついてる)
と、思ったが、相手は、何も知らないらしい奥さんと、一緒である。
それも、結婚式をすませて、ハネムーンにやって来た新妻なのだ。さすが、彼女の前で、嘘つきだというわけにもいかなかった。
「おかしいな、あなたたち、鬼首のかんけつ泉で、見たと、思ったんだが」
と、だけ、清水は、いった。
大山は、肩をすくめるようにして、
「僕の顔は、平凡で、よくいるタイプですからね。きっと、よく似た男がいたんでしょう」
「いや、あなたは、なかなかの美男子ですよ」
「照れますよ。そんな風にいわれると」
大山は、頭に手をやった。
妻のアキの方は、ニコニコ笑っている。
「これから、どちらへ行かれるんですか?」
と、征子が、アキに、きいた。
「鶴岡《つるおか》の先の湯野浜《ゆのはま》温泉へ行くことにしていますわ」
「私たちも、これから、羽黒山に行って、そのあと、湯野浜へ行くことにしているんですよ」
「じゃあ、向うで、一緒になれますね」
と、大山が、いった。
「羽黒山へは、行かないんですか?」
清水が、きいた。
「ちょっと、彼女が、疲れていますのでね」
と、大山が、いった。
大山の頼んでおいたというタクシーが、先に来て、乗って行った。
清水は、二人を見送ってから、
「参ったね。湯野浜でも、一緒か」
「彼女、病気には、見えなかったけどな」
「え?」
「今、いってたじゃないの。奥さんが、ちょっと疲れているんで、羽黒山には行かないで、直接、湯野浜温泉へ行くって」
「ああ、いってたね」
「でも、昨日は、新庄の奥さんの親戚《しんせき》の家で、ゆっくり、休んだでしょうにね。だから、病気かなと思ったのよ。それにしては、顔色が悪くなかったわ」
「まあ、いいじゃないか」
と、清水は、いった。
他に、理由があって、まっすぐ、湯野浜温泉に行くのかも知れないのだ。疲れているといったのは、表向きということかも知れない。
五、六分して、頼んでおいたタクシーが、着いた。
乗ってから、清水が、羽黒山に行きたいというと、運転手が、
「雪で、行けるかどうか、わからないね」
と、いう。
とにかく、無線で聞いて貰《もら》うと、ここから最短距離の、狩川《かりかわ》から入る道路は、まだ、雪で、交通止めになっているので、鶴岡近くまで出て、羽黒街道《はぐろかいどう》に入るほかないと、いうことだった。
とにかく、その道を行って貰うことにした。
国道47号線は、しばらく、最上川沿いに走ってから、左に折れる。
まっすぐ、行けば、鶴岡市である。途中で、今度は、国道112号線に入った。
幸い、晴れているので、周囲の景色が、よく見えた。
左手に、標高四百十九メートルの羽黒山を見て走り、左に折れて、羽黒街道に入る。
急に、前方に、大きな朱塗りの鳥居が見えてきた。道路をまたぐ恰好《かつこう》で、天にそびえている。どうやら、ここから、羽黒山の神域に入るということらしい。
道路は、どんどん、登りになっていく。
道路の両側に、残雪が、見える。それが溶けて、道路が、ところどころ、水たまりを作っていた。
有名な五重塔の前で、運転手は、車をとめて、
「ここから、歩いても行かれますよ」
と、清水たちにいった。
つられて、清水と、征子は、車から降りて、山門を入ってみたが、五重塔まで行く道が、雪に蔽《おお》われていて、たちまち、靴が、ずぶ濡《ぬ》れになってしまった。
更に、羽黒山の山頂にある霊祭殿には、杉木立ちの間を、二十分近く歩かなければいけないといわれて、二人は、タクシーに戻ってしまった。
タクシーで、山頂まで行って貰うことにした。
杉や、ぶなの古木の曲りくねった道を、更に、進むと、月山《がつさん》へ行く月山高原ラインにぶつかったが、この道路は、残雪が深くて、閉鎖されていた。
幸い、羽黒山の山頂へ行く有料道路の方は、除雪が終っていた。
しかし、道路の両側は、三メートル近く残雪が積まれて、壁になっている。
征子は、それが珍しいといって、窓を開けて、眺めていた。
山頂には、バスの停留場が作られ、土産《みやげ》物店が、何軒か、店を開いていたが、この時期には、まだ、観光客も少ないとみえて、閑散としていた。
清水と、征子の他には、観光客の姿はなかった。
車から降りると、空気の冷たさを、まず、感じた。
バス停の周囲だけが、ぽっかりと空地《あきち》になっているが、その周囲は、樹齢二百年、三百年という杉の古木の林である。
陽《ひ》かげになっている場所の雪は、まだ、消えずに、残っていた。
清水と、征子は、冷たい水で、口をすすぎ、本殿に向って歩いて行った。細い道の両側も、除雪した雪を、三メートル近く、積みあげてあった。
本殿(三神合祭殿)に着く。額が三つ掲げられているのが、眼に入った。
羽黒山神社、月山神社、湯殿山《ゆどのさん》神社の三つの額である。ここは、羽黒山だが、それでも、月山神社の額が、中央で、一番大きいのは、羽黒三山では、月山が一番、高いからか。それとも、本山という意味なのだろうか。
絵馬が、沢山、奉納されていた。
清水と征子も、絵馬を一枚買い、それに連名で、願い事を書いた。
清水は、「いつまでも、仲良く出来ますように」と、書き、征子は、「可愛い赤ちゃんが、授かりますように」と、書いた。
「あの二人も、羽黒山へ来ればよかったのに」
と、征子がいう。
「どうも、わからないな」
清水が、呟《つぶや》いた。
「そうでしょう。この辺にハネムーンに来たのなら、羽黒山には、当然、来るべきだわ」
「そのことより、僕が、わからないと思うのは、大山という男の態度さ。あの男は、間違いなく、かんけつ泉のところにいたんだ」
「殺された女の人もよ」
「それなのに、どうして、僕たちに、話しかけて来たりしたんだろう?」
「カメラのシャッターを押してくれって、いってたわ」
「それなら、あそこの店の人に頼めばいいんだよ」
「じゃあ、殺人に関係がないからかしら?」
「無実だから、平気で、声をかけてきたということ?」
「ええ」
「それとも、僕や君が、どこまで知っているか、それを知りたくてか」
「じゃあ、私が、かんけつ泉で見たって、いったのは、いけなかったかしら?」
「構わないさ。君がいわなければ、僕が、いっていたと思うよ。相手の本心を、知りたくてね」
「ぜんぜん、平気だったわ」
「平気といえば、僕が名刺を渡したときも、別に、驚いていなかったな。大変な仕事をなさっているんですね、と、いっただけだ」
「そうね。平気な顔をしていたわね」
と、征子も、いった。
「とにかく、湯野浜へ行こう。少し、寒いよ」
と、清水はいった。
5
再び、タクシーに乗った。
タクシーは、羽黒街道を、まっすぐ、鶴岡の町へ入った。
鶴岡は、酒井十四万石の城下町である。鳴子という小さな町から来ると、ずいぶん、大きな町に来たような気がした。
タクシーは、その鶴岡の町を抜けて、ひたすら、日本海に向って走る。
突然、目の前に、海が見えた。
「海だわ」
と、征子が嬉《うれ》しそうに、叫んだ。
しかし、まだ、冬の日本海の感じで、空はどんよりと曇り、海には、白波が立っていた。
加茂《かも》漁港を、左に見て、タクシーは、日本海に沿って、北上する。
夏になれば、この辺りは、恰好《かつこう》の海水浴場になるらしいが、今は、まだ、ひっそりと、静かである。
湯野浜は、文字通り、海辺に広がる温泉である。
海沿いに、高層ホテルが、ニョキニョキ建っているのは、壮観だった。
今日泊る「ホテルニュー湯の浜リゾート」に着いたのは、午後五時を過ぎて、周囲は、もう、薄暗くなっていた。冬に逆もどりしたように雪が降り出した。
十階建ての大きなホテルで、東京都心のホテルを、海辺に持って来た感じがした。
前庭が、広くて、フロントで、それを賞《ほ》めると、お客の中に、あの前庭に、ヘリコプターでおりて来た方がいましたと、いった。そういわれてみると、ヘリコプターが発着できる広さである。
ハネムーンといっておいたので、海に面した十階の部屋に、案内された。一枚ガラスの広い窓の向うに、日本海が、広がっている。
海は、もう、暗く、なっているが、ホテルと、海岸までの間には、防風林が広がっていて、そのきれいな松林を、ホテルの屋上に取りつけたサーチライトが、雪の降る松林を照らし出していた。
松林は、海岸に沿って、横に、長く、続いている。
「きれいな松林ね」
と、征子が、お茶をいれに来てくれたお手伝いさんにいうと、
「上から見ると、箱庭みたいですけどね。実際に、中に入ってみると、大きな松林で、道がないもんだから、出られなくなる人もいるんです」
と、教えてくれた。
そういわれて、よく見ると、松は、隙間《すきま》がないくらいびっしりと、密生している。
あの中に入ってしまうと、陽《ひ》が射し込まず、うす暗いのだろう。
「富士の樹海みたいなものかしら?」
征子が、窓から、サーチライトに照らし出されている松林を見下ろしながら、いった。
「あんなに広くはないが、うっそうとした感じはするね」
「中で迷ったら、海に向って歩けば、出られるんじゃないの」
「そうだね。潮騒《しおさい》のする方へ歩けばいいんだ」
と、清水もいった。
五階にある展望風呂に入ってから、夕食をとった。
そのあと、清水は、東京に電話を入れた。
亀井刑事が、まだ、警視庁に残っていた。
「湯野浜温泉に、着きました」
「奥さんは、大丈夫かね?」
「もう、完全に大丈夫です。元気そのものですよ」
「そりゃあ、よかった」
「ただ、急行『もがみ1号』の中で殺された女性のことが、気になって仕方がないんです」
清水がいうと、亀井は、呆《あき》れたように、
「おい、おい、君は、新婚旅行中なんだよ。事件なんか、忘れるんだ」
「しかし、彼女を、僕たちは見ているんです。酒田警察署で、捜査中だそうですが、どんな具合なんですか?」
「忘れろよ」
「気になって、仕方がないんです」
「困った男だな。被害者が、東京の人間だということで、山形県警から、捜査協力の依頼があってね。こちらで、調べ始めているんだ」
「何か、わかりましたか?」
「二十六歳のOLで、独身ということぐらいしか、まだ、わからんよ」
「どうも、途中で出会ったカップルが、関係しているような気がして、仕方がないんです」
清水は、大山夫婦のことや、鬼首《おにこうべ》かんけつ泉のことを、話した。
今度は、亀井も、急に、真剣な声の調子になった。
「それ、間違いないんだろうね? 人違いということは、ないんだろうね?」
と、念を押した。
「間違いなく、大山という男でした。それに、征子は、そこで見た女性が殺された人だと、いっているんです。だから、あの男が、重要容疑者ですよ」
「今、大山は、どこにいる?」
「僕たちと同じ湯野浜温泉に、来ているということですが、どこのホテルか、わかりません」
「彼が犯人だとして、動機は何か、わかるかね?」
「多分、結婚するんで、被害者が、邪魔になったんだと思いますが」
「とにかく、君の言葉は、山形県警に、伝えておくよ」
「僕たちは、どうしたら、いいですか?」
「大山という男の顔写真は、ないかね?」
「今日、お互いに、写真を撮《と》りましたから、現像すれば、出来あがりますが」
「それなら、山形県警に、そちらへ、フィルムを取りに行くように、いっておくよ」
と、亀井は、いった。
電話を終ると清水は、征子に向って、
「どうやら、あの大山という男を、調べることになりそうだよ」
「そりゃあ、調べるべきだわ。どう考えても、彼は、怪しいわ」
「殺された女性は、かんけつ泉で、大山と一緒にいた女だと、君はいったが、間違いないだろうね? もし、間違っていたら、大変なことだからね」
清水は、念を押した。
征子は、微笑して、
「大丈夫よ、間違いないわ」
「それにしても、妙なハネムーンになっちゃったもんだ」
清水は、溜息《ためいき》をついた。
「私は、結構、楽しいわ」
「それなら、いいんだが」
「ねえ。私が、鳴子で、頭を殴られたでしょう?」
「ああ。温泉神社でね」
「それも、大山という人が、やったんじゃないかしら?」
「まさか」
「可能性はあるわ。あの二人も、あの日は、鳴子に、泊っていたんですもの」
「しかし、理由は、何だ。なぜ、君まで、殺そうとしたんだ?」
「動機は、わからないし、果して、殺そうとしたのかどうかもわからないけど、どうも、あの大山という人が、やったような気がして仕方がないの。そうだわ、鬼首《おにこうべ》のかんけつ泉で、私が、彼と殺された女の人を見たからかも知れないわ」
「なるほどね」
と、清水は肯《うなず》いたが、
「しかし、君が殴られた時、まだ、今度の殺人事件は、起きてなかったんだよ」
「そうだわ」
「見られたから、前もって、君をやっておいて、そのあとで、殺人をやったということなのかな?」
「経過を考えると、そうなるわ」
「しかし、ちょっと、不自然だな。僕が犯人なら、別の機会に、殺すことにするね」
「普通は、そうするわ。でも、切羽つまっていたのかも知れないわ。それに、私たちとは、また、どこで一緒になるかわからないから、肝心《かんじん》の殺人の前に、私を、やっつけておこうと、思ったのかも知れないわ」
と、征子はいった。
「そうかなあ」
清水は、首をかしげてしまった。
征子を殴った犯人が、まだ、見つかってないことは、事実である。
だが、あの大山が、犯人だという証拠もない。
夜、十時を過ぎてから、山形県警の奥田という若い刑事が車で、ホテルにやって来た。
酒田警察署に、捜査本部を置いて、事件を捜査している捜査官の一人である。
清水は、大山夫婦の写っているフィルムを、奥田に渡してから、
「捜査は、今、どんな具合なんですか?」
と、きいてみた。
「何しろ、被害者が、東京の人間なんで、捜査は難航していますし、東京の警視庁に、協力を求めています」
奥田は、訛《なま》りのある調子で、律儀《りちぎ》に答えた。
「それは、亀井刑事から、聞きました」
「ただ、被害者は、カメラを持っていまして、殺される寸前まで、写真を撮《と》っていたんです」
「そのフィルムは、もう、現像したんですか?」
「ええ。してあります」
「殺される寸前まで、彼女が写していたというのは、間違いないんですか?」
「間違いありません。急行『もがみ1号』の車内でも、撮っていますから、どの辺《あた》りまで、生きていたのかも、わかるんですよ」
「それは、被害者本人が、撮ったということは、間違いないんですか? 犯人が、撮っておいて、被害者の傍《そば》に、カメラを置いておいたということは、考えられませんか?」
と、清水はきいた。犯人は、そのくらいの小細工は、すると思ったからである。
奥田は、相変らず、生まじめな顔で、
「その点も、よく調べました。車内の風景の中に、車掌が写っていたので、会って、話を聞きました。間違いなく事件当日の急行『もがみ1号』に乗務していた青木という車掌でした」
「それで、撮られたことは、覚えていたんですか?」
「覚えていました。撮ったのは、間違いなく被害者だと証言しました。デッキで会った時、撮っていいですかと、声をかけられたと、いっています」
「どの辺かもわかったわけですか?」
「古口の近くだったと証言しています」
「古口というと、新庄の先ですね?」
「そうです。彼女が、死体で発見されたのは、古口を過ぎてからでした」
「じゃあ、新庄でも、まだ、生きていたわけですね?」
「そうなります。フィルムには鳴子から古口までの窓外の景色も何枚か写っていました。従って、彼女は鳴子で乗ってから、ずっと、写真を撮っていたわけです。古口までです」
「そうですか」
清水は、考え込んだ。
大山夫婦は、事件の日、新庄に泊ったといっていた。
妻のアキの親戚《しんせき》が、新庄で旅館をやっているので、泊ったのだと、いった。
そんなことで、嘘《うそ》はつかないだろう。あとで調べれば、わかることだからである。
清水は、次のように考えていたのだ。
四月十四日に、大山夫婦は、鳴子に、泊った。
翌十五日、鳴子午前九時二五分発の急行「もがみ1号」に乗った。被害者も、同じように、この列車に乗った。
大山は、車内で、被害者を絞殺し、何くわぬ顔で、新庄で降りた――
だが、この推理は、違っていたらしい。
急行「もがみ1号」は、新庄を出て、陸羽西線に入る。次の停車駅は、古口である。その間に、小さな駅が、三つあるが、停車しない。
青木という車掌の証言だと、古口の近くで、被害者に写真を撮《と》られているのだから、被害者は、その時、まだ、生きていたことになる。
(大山が新庄で降りてしまっていれば、事件に無関係だが……)
本当は、新庄で降りずに、ずっと、「もがみ1号」に、乗って行ったのではないのか。
そして、車内で、殺してから、新庄に、引き返したのではないだろうか?
6
翌、四月十七日は、幸い、晴れてくれた。
帰りは、タクシーで、鶴岡に出て、鶴岡からは、羽越本線の特急で、新潟に廻《まわ》ることになっていた。
新潟からは、上越新幹線である。
鶴岡発、午前一一時二八分の特急「いなほ6号」に乗るので、朝は、ゆっくり出来た。
朝食をすませたあと、清水は、もう一度、東京の亀井刑事に、電話を入れ、昨夜、山形県警の若い刑事が、フィルムを取りに来たことを、話した。
「ああ、今朝早く、向うから、お礼の電話があったよ」
と、亀井が、いった。
「それで、被害者のことは、何か、わかりましたか。OLだということ以外に」
と、清水は、きいた。
「名前が、木下ゆう子ということは、知っているだろう?」
「ニュースで、見ました」
「小田急線の下北沢《しもきたざわ》近くにあるマンションの1DKの部屋に住んでいた。勤務先は、大手町に本社のある中央興業の会計課だ」
「大手の商事会社ですね」
「そうだよ。そこに、短大を出てから、五年勤めている。四月十四日から十八日まで、休暇願を出していたよ」
「大山夫婦のハネムーンに合わせたんじゃありませんか」
「マンションを調べてみたんだがね。大山という男からの手紙は、なかったよ」
「男の方が、用心深く、手紙を出さなかったのかも知れません。二十六歳ということですから、男がいたんじゃありませんか?」
「今、それを、調べているところだよ」
「彼女の家庭は、どうしています?」
「両親は、名古屋にいる。今日、酒田警察署へ、行く筈《はず》だよ。兄さんが、東京にいて、昨日、山形へ向った筈なんだが、今、酒田警察署へ電話したら、着いていないんだよ」
「兄さんがですか?」
「名前は、木下剛で、二十八歳。独身だ」
「山形県警から、知らせを受けて、飛んで行ったわけですか?」
「いや、そうじゃないんだ。木下剛は、四谷《よつや》三丁目に住んでいるんだが、マンションの管理人の話だと、昨日、急に、山形へ行って来るといって、出て行ったというんだ。だから、ニュースで、妹の死んだことを知って、出かけたんだと思うね」
「すると、今ごろ、酒田警察署に着いていなければ、おかしいですね?」
「そうなんだ。おかしいんだよ」
「酒田警察署が、わからないんですかね?」
「それはないと思うんだが。急行『もがみ1号』の車内で、殺されてたんだ。国鉄に問い合わせれば、遺体が、今、酒田警察署にあることは、わかるからね」
「そうですね。すると、その兄さんは、どこへ行ったんでしょうかね?」
「それが、わからないんだ」
と、亀井は、いった。
午前十時過ぎに、タクシーに来て貰《もら》い、清水と、征子は、それに乗って、鶴岡駅に向った。
十一時前に、鶴岡駅に着いた。
駅前では、盛んに、工事をやっていた。新しいビルでも、建つのだろう。
まだ、時間があるので、二人で、お土産《みやげ》を買い込むことにした。考えてみると、事件があったり、征子が殴られたりして、ほとんど、お土産を買ってなかったのである。
駅前の土産物店で、二人は、土産物を買って、大きなものは、届けてくれるように頼んだ。
その間は、事件のことも、忘れていた。
親戚《しんせき》や知人に、土産物を送るようにしたあと、二人とも、両手に、一杯に抱《かか》えて、鶴岡駅に戻った。
ひょっとすると、あの大山たちも、同じ列車に乗るのでは、ないかと思ったが、特急「いなほ6号」の改札が始まっても、彼等は、姿を見せなかった。
一三時三六分、新潟発で、上越新幹線に乗りかえると、急に、疲れが出て、清水も、征子も、ぐっすり眠ってしまった。
上野に着いたのは、午後四時近くである。
「東京って、久しぶりに見ると、ずいぶん、大きな町ね」
と、征子は眠むそうな声で、いった。
新居のマンションに帰って二人とも、また、すぐ、眠ってしまった。
翌日、警視庁に出勤すると、同僚に、あれこれ、からかわれた。
昨夜は、ぐっすり寝た筈《はず》なのだが、それでも、はれぼったい眼をしていたらしい。
十津川に、あいさつに行くと、
「妙な事件に、ぶつかったそうだね」
と、いわれた。
「そうなんです。山形県警に渡したフィルムは、役に立ったんでしょうか?」
気になって、清水は、きいてみた。
「ああ、それなら、さっき、連絡があったよ。湯野浜温泉の『朝日ホテル』に、大山夫婦が、泊っていることがわかったので、了解を得て、酒田警察署へ来て貰《もら》って、事情を聞くことになったそうだよ」
「そうですか。役に立って、よかったと思います。それから、被害者の兄という人が、行方不明ということだそうですが、どうなりました?」
「それだがね。いぜんとして、酒田警察署に着いてないんだよ」
「おかしいですね」
「二十八歳の立派な大人だからね。酒田警察署に、着いてなければ、おかしいんだがね」
これは、亀井が、いった。
亀井は、木下剛の顔写真を、清水に、見せてくれた。
「兄妹だから、似ていますね」
と、清水は、いってから、
「何をしているんですか?」
「翻訳の仕事をしているということだよ」
「インテリですか」
どうも、苦手だなという顔で、清水は、写真を見ていた。
木下剛の行方も、気になったが、それ以上に、気になるのは、大山夫婦のことだった。
酒田警察署での訊問《じんもん》の具合は、どうなのだろうか?
午後三時になって、山形県警の白石という警部から、十津川に、電話が、入った。
「ついさっき、大山夫婦に、帰って貰いました」
と、白石は、いった。
「というと、シロということになったわけですか?」
十津川は、電話しながら、ちらりと、清水の方を見た。
清水は、「え?」という顔で、こちらを見ている。
「アリバイが成立しましてね。それで、釈放したわけです」
「アリバイって、どんなアリバイなんですか?」
「殺された木下ゆう子は、急行『もがみ1号』の車内で、何枚も、写真を撮《と》っていたんです」
「それは、聞いています」
「その中に、新庄駅を撮ったのが、三枚、入っていましてね。彼女は、座席に腰を下ろして、窓を開けて、撮っているんです。列車は、すでに動き出していて、ホームは、少しずつ遠ざかって、写っていますが、駅の改札口を出て行く大山夫婦が、ちゃんと、入っているんです。つまり、新庄駅で降りて、改札口を出て行く大山夫婦を動き出した列車の中から、被害者が写しているんですよ」
「本当ですか?」
「間違いありません。その中の一枚では、大山が手を振っています」
「手を振ってるんですか?」
「大山に、理由をききました。たまたま、列車の中で、話をした。名前を聞かなかったが、酒田まで行くといっていた。新庄で、改札を出ようとしたら、自分たちに、カメラを向けているのに気がついたので、手を振ったんだと」
「三枚の写真を撮ったのは、本当に、被害者なんですか?」
「間違いありませんよ。連続した写真の中の三枚ですからね」
「しかし――」
「それにですね。三枚の中の一枚に、窓ガラスの一部が、入っているんですが、そのガラスに、彼女の横顔が、映っているんです。ですから、間違いありません。被害者は、新庄から先も、急行『もがみ1号』に乗って行ったが、大山夫婦は、新庄で、降りてしまったわけです。これでは、大山に、被害者は、殺せません」
「その三枚の写真は見せてもらえますか?」
「被害者の撮《と》った写真は、全部、お送りしますよ」
と、白石は、いってくれた。
「話は変りますが、被害者の兄さんの木下剛は、まだ、そちらに着きませんか?」
と、十津川はきいた。
「まだです。ご両親がもう着いているので、待っているんですがね」
「酒田警察署の近くで、交通事故といったものは、なかったですか?」
「事故はありましたが、全部身元はわかっています」
「木下剛が着いたら、知らせて下さい。どうも、気になるんですよ」
と、十津川は、いった。
翌日。
被害者木下ゆう子の撮った写真が、送られて来た。
十津川たちが、特に注目したのは、彼女が、急行「もがみ1号」の車内で撮った写真である。
まず、鳴子のホームで、入って来る「もがみ1号」を撮った写真がある。三両編成の列車だ。
次に、車内の写真。がらがらに、空《す》いているのが、わかる。
窓を開けて、車窓の景色を何枚も、撮っている。
そして、新庄駅の三枚の写真。
動き出した列車から撮っていることは、三枚の写真が、示している。ホームの改札口あたりを撮っているのだが、だんだん、小さくなっているからだ。
なるほど、改札口を出ようとしている大山夫婦が、写っている。
一枚目は、妻のアキが、駅員に切符を渡していて、大山は、そのうしろで、カメラを向けている被害者の方に、手をあげている。
二枚目は、大山が、改札口で、切符を渡している。アキの方は、もう、外に出てしまったとみえて、姿は、見えない。
三枚目は、二人の姿は、改札口にはない。
その三枚目の写真には、窓ガラスの一部が入っていて、それに、被害者木下ゆう子の横顔が、映っていた。
このあとは、また、車窓の景色になる。
「どう思うかね?」
十津川は、写真を見ている亀井と、清水に、きいた。
「参りましたね」
亀井が、溜息《ためいき》をついた。
「大山が、新庄で降りずに、ずっと、急行『もがみ1号』に乗って行って、木下ゆう子を殺したと、思っていたんですがねえ」
清水は、口惜しそうに、いった。
「しかし、この三枚の写真がある限り、逮捕は、出来ないよ。アリバイがあるわけだからね」
と、十津川は、いった。
「それでは、大山夫婦について、調べるのはやめますか?」
亀井が、きく。
清水は、身体を乗り出すようにして、
「私は、どうしても、あの夫婦、というより、大山という男が、うさん臭くて、仕方がないんです。続けて、あの男の周辺を、調べさせて貰《もら》えませんか。必ず、木下ゆう子との関係が浮んでくると思います」
「どうするかね? カメさん」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「そうですね、今度の事件は、あくまでも、山形県警の事件ですから、われわれが、勝手に動くことは、出来ませんが……」
と、亀井は、語尾を濁《にご》した。
清水も、黙って、口をへの字に曲げている。
大山について調べるのを止めるのは、亀井も、清水も、不服なのだ。
十津川は、苦笑した。
「とにかく、山形県警が、中止をいってくるまで、大山夫婦の周辺を、調べてみようか」
山形から秋田の日本海側に今年最後と思われる雪が降った。
海岸線では、風が強く、吹雪になった。
順調に、春になっていくと思われていたのに、いっぺんに、冬に逆戻りした感じだ。
翌二十日には、降り続いた雪も止み、陽《ひ》が射した。
積雪は、二十センチ近く、新聞には「時ならぬ大雪に戸惑う温泉客」といった写真がのった。
湯野浜温泉でも、事情は、同じだった。
観光客は、戸惑い、あるいは、はしゃいで、雪景色に見とれていた。
山形営林局の職員二人が、大雪のあとの防風林の状況を調べに、松林の中に入って行ったのは、二十日の昼過ぎである。
歩くにつれて、ばさっ、ばさっと、枝に積った雪が、落ちてくる。
防風林の中は、うす暗く、寒かった。
昨日の大雪で、枝が折れてしまった松もあった。
そうした、病んだ松の木を、一本一本、チェックしていくのが、彼等の仕事である。
防風林は、海岸に沿い、幅二百メートルくらいで、何キロも続いている。
三十分近く歩いた時、二人は、雪に埋もれるようにして倒れている男を見つけた。
埋もれて見えたのは、倒れたあとで、枝に積った雪が、落下したのだろう。
年長の職員が、雪の中に屈《かが》み込んで、倒れている男の脈をみた。
「止まっているよ」
と、彼は、蒼《あお》い顔で、同僚に、いった。
一人が、その場に残り、もう一人が、防風林を抜けると、近くにあるホテルに駆《か》け込んだ。
救急車が、来たが、もちろん、防風林の中には入れないので、救急隊員が、営林局の職員と、松林の中に入って行き倒れている男を、担《かつ》ぎ出した。
若い男だった。すでに、全身が、冷たく、硬直していた。
「こりゃあ、もう駄目だな」
と、救急隊員は、いったが、それでも、病院まで、運んで行った。
やはり、駄目だった。
男は、すでに、死後、何日かたっていたのである。
疲労と、寒さで、死んだものと思われた。
医者は、一応、警察に連絡した。
警官が、やって来て、死んだ男の所持品を調べた。
ジーンズに、セーター、その上に、うす地のブルゾンを着ていたが、そのポケットに、手帳が入っていた。
手帳のメモ欄に、持主の名前が、書いてあった。
木下剛という名前と、東京の住所が、書いてある。
手帳を見た警官は、その名前に記憶があった。
今、酒田警察署に捜査本部を置いて捜査中の殺人事件の被害者が、木下ゆう子で、その兄の木下剛が、こちらに来た筈《はず》なのに、行方不明になっているということである。
警官はすぐ、酒田警察署の捜査本部に、電話した。
事件を担当している白石警部が、部下の刑事一人を連れて、駆《か》けつけて来た。
白石は、木下剛の写真と遺体を比べてみた。
(同一人だな)
と、白石は思った。
「死因は、何ですか?」
と、白石は、医者に、きいてみた。
「多分、疲労と、寒さのためでしょうね」
と、医者はいった。
白石の胸に、疑問が、わいた。
なぜ、この男が、防風林の中で、死んでいたかということだった。
なぜ、酒田警察署へ来なかったのか? それに、なぜ、防風林の外へ出られなかったのか?
それが、白石には、わからなかった。
第三章 防風林
1
冬の日本海からの激しい風を防ぐための防風林は、強靱《きようじん》な赤松である。
海岸線から、百メートルほど引っ込んだところに、数キロにわたって、伸びている。
空から見たら、緑の細長い帯が、海岸線に沿って伸びている感じがするだろう。ホテルや、旅館は、その防風林の背後に、建てられている。
防風林の幅は、狭いところで二百メートル、広いところでも、三百メートルくらいのものである。
上空から見れば、可愛らしくさえ見える防風林だが、実際に、松林の中に入ってしまうと、昼なお暗い感じがする。
陽《ひ》が落ちれば、なおさらである。
また、ホテルや旅館が、防風林の背後に建っているといっても、今のところは、ところどころに、点在しているだけである。
夜、松林の中から、ホテルなどの灯《あかり》を見て、抜け出すというのは、場所によっては難しいだろうし、木下剛が死んでいた場所から、近くのホテルなどの灯は、見えなかった。
木下剛の死体は、すぐ、解剖のために、病院に運ばれた。
その結果が出たのは、同日の午後七時過ぎだった。
死因は、やはり、疲労と寒さによる衰弱死だという。死亡推定時刻は、十七日の午前一時から三時頃にかけてだろうというが、その範囲が、二時間以内にしぼれないのは、雪と風で、昨日から今日にかけて、気温が低下していたからである。
胃の中は、空《から》になっていた。とすると、十二時間以上、防風林の中を、彷徨《ほうこう》していたことになるのか。
白石警部が、注目したのは、死体の後頭部と、右肩に、打撲傷があったという報告だった。
それが、致命傷とは考えられないが、かなり強いものだったろうという。
「木下剛は、ただ単に、あの防風林の中に迷い込んで、死んだんじゃないようだ」
白石は、黒板に貼《は》られた防風林の写真を見ながら、奥田刑事に、いった。
「防風林の中で、何者かに殴られたということですか?」
奥田は、生真面目《きまじめ》な男である。きき方も、律儀《りちぎ》である。
「あるいは、防風林の外で、殴られて、逃げ込んだのかも知れないな」
「逃げ込んだとしても、なぜ、防風林の中で、死んでしまったんでしょうか? 早く、外へ出て助けを求めればよかったじゃないかと思いますが」
「おれも、それが、わからんのだ。木下は空腹を抱《かか》え、寒さにふるえながら、防風林の中を、さ迷っていた。何時間、いや、もっと長くかも知れん。あの防風林が、生れて初めてだったとしても、幅は、二、三百メートルしかないんだ。じっと、耳をすませば、いつだって、波の音が聞こえる筈《はず》だ。そうだろう?」
「その通りです」
「それなのに、なぜ、防風林の中で、死んだのかね? あそこは、富士山の樹海と違うんだ」
「私も、不思議で仕方がありません」
奥田は、相変らず、堅い表情で、白石に、いった。
「他《ほか》にも、不可解なことがある。この男が山形へ来たということは、妹の遺体を引き取るのが、目的だったんだろう。それなのに、なぜ、警察に来ないで、防風林で、うろちょろしていたのかね?」
白石は、不満気に、いった。
「木下剛という兄には、連絡しておりませんでした。家族のことが、まだ、わかっておりませんでしたので」
「すると、ニュースで知って、やって来たんだな」
「そう思います」
「なぜ、警察に、まっすぐに、来てくれなかったのかね?」
白石は、不満気に、繰り返した。
2
木下剛の死は、すぐ、東京に知らされた。
「この防風林なら、知っています」
清水は、酒田警察署から電送されて来た防風林の写真を見て、大きな声をあげた。
ホテルの十階の窓から見た、防風林の美しさや、ホテルの従業員と話したことを、思い出し、それを、十津川に、告げた。
「上から見るときれいだが、中に入ってしまうと、迷うことがあると、従業員は、いっていましたが、幅は、せいぜい二、三百メートルですからね。抜け出す気なら、抜け出せたと思うんですが」
「すると、殴られたのが、原因だと、思うのかね?」
十津川が、きいた。
「それは、わかりませんが、私は、殴った人間に、興味があります。木下剛が、酒田警察署には行かずに、湯野浜に行ったのは、大山夫婦が、そこにいるのを知っていたからじゃないかと思うのです」
「そうか。十六日には、君たちも、大山夫婦も、湯野浜に、泊っていたんだったね」
「そうなんです。木下剛は、妹のゆう子が殺されたと、ニュースで知った時、反射的に、大山のことを思い出したんじゃないでしょうか?」
「妹から、大山夫婦ハネムーンのことを聞いていたとすれば、湯野浜に直行して、大山に会ったとしても不思議はないな」
と、十津川も、肯《うなず》いた。
「木下は、妹を殺したのは、大山だと考えたんだと思います」
「そして、湯野浜で会って、追及したということか。大山は、木下を殴りつけた。危険を感じた木下は、防風林の中に逃げ込んだが、出られなくなって、疲労と寒さのために、死亡してしまったということかね」
「出られなくなったというのが、どうも、私には解せません」
「それは、山形県警の白石警部も、いっていたよ。いくら、あの防風林が生れて初めてでも、何時間も、出られなかったのは、理解できないと、いっているよ」
「その点も、理由を知りたいですね。私は、大山が、木下剛も、殺したのではないかという気がして仕方がないんです」
「それなら、君と、西本君で、引き続き、大山の周辺を調べてみてくれ」
と、十津川は、清水にいった。
清水が、西本刑事と、出かけて行ったあと、十津川は、亀井を誘って、死んだ木下剛のマンションに、行ってみることにした。
四谷三丁目近くに、お岩さんをまつるお稲荷《いなり》さんがある。その周辺は、小さなマンションや、アパートが、ひしめいているのだが、木下が住んでいたマンションは、そこにあった。
五階建の中古マンションの三階の角部屋に、「木下翻訳工房」の看板が、かかっていた。
「翻訳の仕事をやっていたのか」
十津川が、呟《つぶや》くと、亀井が、
「私が、聞いたところでは、前に、商社勤めをしていたんですが、語学を生かして、自分で、翻訳の仕事を始めたんだそうです」
「一種の脱サラかね」
二人は、管理人に立ち合って貰《もら》って、ドアを開けて、部屋に入った。
1LDKの部屋である。
大きな机の上には、英文タイプライターやワープロが置かれ、丁度《ちようど》、翻訳をしていたらしいアメリカの小説が、ページを開いて、置いてあった。
アメリカの出版社や、原作者からのエア・メールも何通か、眼についた。
「妙だな」
と、十津川は、呟《つぶや》いてから、もう一度、部屋の中を、見回して、
「電話がないね」
「私も、それが気になっていたんです。翻訳の仕事では、海外との連絡なんか多いでしょうから、普通の人以上に、電話が必要だと、思うんですが、なぜか、ありませんね」
「なぜ、木下さんは、電話を持っていなかったんですか?」
十津川は、振り向いて、管理人に、きいた。
六十歳ぐらいに見える管理人は、好奇心一杯の眼で、十津川たちを見ていたが、
「木下さんは、耳が、ご不自由だったみたいでしたよ。会社をお辞《や》めになったのも、それが理由だったみたいで」
「最初から、耳が不自由だったわけじゃないでしょ?」
「私も、よく知らないんですが、何か事故にあって、それからだと聞きましたが」
とだけ、管理人は、いった。
「それで、わかりましたよ」
亀井が、小声で、十津川にいった。
「電話が置いてない理由かね?」
「木下剛が、湯野浜の防風林から、抜け出られなかった理由です。清水刑事は、波の音のする方へ歩いて行けば、海岸に出られた筈《はず》だといっていましたが、木下には、その音が、聞こえなかったんでしょう。それで、数キロもあるタテの方向に、歩いてしまったんじゃないですか? それで、自信がなくなって、行ったり、来たりしているうちに、疲労と、寒さで、死んでしまったのかも知れません」
と、亀井はいった。
「もし、大山が、耳の不自由なことを知っていて、あの防風林に、木下を追い込み、警察や、消防に連絡しなかったとすれば、殺人の意志があったと考えても、いいな」
「そうですよ。殺された木下ゆう子が、大山と親しかったとすれば、彼女の兄のことだって、大山は、よく知っていた筈です」
「それを、証明するような手紙か、写真を、見つけようじゃないか」
と、十津川は、いった。
二人は、状差し、机の引出しなどを、調べてみた。
殺された妹のゆう子からの手紙が見つかった。一か月前の手紙である。
〈お兄さん。
Oは、とうとう先輩のすすめる女と結婚することになったわ。でも、Oは、これは、強引な上役にすすめられて、仕方なく、式をあげることになったもので、一応、ハネムーンには出かけるが、帰ったら、なるべく早く、理由をつけて、離婚して、私と一緒になるといっているの。
それが、嘘《うそ》でない証拠にといって、ハネムーンの予定を教えてくれました。
四月十四日に、上野を出発して、鳴子《なるご》、新庄《しんじよう》、湯野浜《ゆのはま》に泊って、東京に帰って来るそうです。海外にせず、国内旅行にしたのは、新庄で、彼女の親戚《しんせき》が、旅館をやっているからですって。
Oは、私に、このハネムーンの間、つかず離れず、一緒にいてくれないかと、いっています。そうでないと、気持が沈んでしまうと、いっているけど、それが、果して、本当かどうか、わからない。私に、過去のことをばらされるのが怖《こわ》くて、何とか、私をなだめようとしているのかも知れないから。
でも、私は、Oの言葉を信じたい。この気持は、お兄さんは、わかってくれるでしょう?
好きでもない女との旅行は、地獄だと、Oは、いっているわ。その言葉を信じたいの。
幸運を祈ってね〉
手紙の最後には、上野から、鳴子、新庄、そして、湯野浜と廻《まわ》るルートの地図が、描いてあった。
「だから、木下は、妹のゆう子が殺されたと聞いて、すぐ、湯野浜へ、飛んで行ったんですね」
と、亀井が、肯《うなず》くようにして、いった。
手紙の中のOは、当然、大山のことだろう。
次は、写真だった。
木下が、妹のゆう子を撮《と》った写真は、何枚もあった。うまい写真ではないが、妹に対する愛情がわかるような写し方だった。
大山の写真は、なかなか、見つからなかった。
それが、やっと、一枚だけ、出て来た。
どこかの海岸で、夏に撮ったものらしい。水着姿のゆう子と、大山が、肩を並べていた。
十津川も、亀井も、大山に会ったことはないが、写真では見ている。
清水が撮った写真の中に、大山は、新妻のアキと一緒に写っていたし、大山夫婦のアリバイの証明だという新庄駅での写真にも、写っていたからである。
「二、三年前の夏といった感じですね」
と、亀井は、その写真を見て、いった。
二人は、いったん、マンションを出ると、近くの喫茶店で、簡単な食事をとりながら、見つけた木下ゆう子の手紙と、写真を、見直した。
「これで大山が、殺された木下ゆう子を知っていたことだけは、証明されたね」
と、十津川は、コーヒーを飲みながら、亀井に、いった。
「それに、木下ゆう子の兄を知っていたとみていいんじゃありませんか。この写真の方は、多分、兄の木下が撮ったんだと思いますが」
亀井が、いった。
「そうだな」
「清水に見せたら、すぐ、大山を逮捕しましょうといいますよ」
「動機は、あるようだね」
「しかし、大山のアリバイは、山形県警が証明しています。新妻のアキのアリバイもです」
「問題は、そこだな。その手紙と写真を、山形県警に送っても、向うとしては、逮捕状は出せないだろう」
「どうしますか?」
「大山本人に会って、この手紙と写真のことを、聞いてみるかね。どう弁明するか、ちょっと、楽しみでもあるんだ」
と、十津川は、いった。
3
大山は、田園調布《でんえんちようふ》の新築マンションに、新居を構えていた。
分譲マンションで、3LDKと広い。
大山は、清水に向って、売れないシナリオライターだといっていたようだから、この豪華マンションは、新婦の方が、金を出したのかもしれない。
大山は、家にいた。
新妻のアキが、戸惑いの色を見せながら、十津川と亀井を大きなシャンデリアの輝く、リビングルームに招き入れた。
じゅうたんも、カーテンも、ソファも、すべてが、真新しい。いかにも、新婚の家の感じだった。
十津川が、ご主人と内密の話があるというと、アキはコーヒーをいれてから、買物に出かけて行った。
大山は、大島の着物姿で、パイプを、手でもてあそびながら、
「家内に内緒にしなければならないようなことは、僕には、無いつもりですが」
と、十津川にいった。
「急行『もがみ1号』の車内で殺された木下ゆう子さんのことで、伺ったんですよ」
十津川が、切り出すと、大山は、肩をすくめて、
「それなら、山形県警の刑事さんに、くわしく話しましたよ。アリバイも成立したんで、釈放されました。それは、家内もよく知っています」
「しかし、木下ゆう子という女性は、知らないと、向うでは、いったんじゃありませんか?」
「ええ」
「これを見て下さい」
十津川は、大山が木下ゆう子と写っている写真を、彼の前に置いた。
「そこに、あなたと写っているのは、木下ゆう子さんですよ。それに、彼女が、兄の木下剛さんに出した手紙もあります」
十津川は、例の手紙を、写真の横に置いた。
大山は、パイプをくわえて、手紙に、眼を通している。別に、動揺したような気配はなかった。
「その手紙の中に、Oと書かれているのは、あなたじゃありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「Oで始まる名前は、いくらでも、ありますよ。太田、岡島、大宮、小田とね」
「しかし、四月十四日に上野を出発して、鳴子――新庄――湯野浜というハネムーンに出かけたとなりと、あなたのこととしか考えられないんですがね。それに、新庄で、奥さんの親戚《しんせき》が、旅館をやっているとなると、確実でしょう? 違いますか?」
十津川が、追及すると、大山は、急に、笑い出して、
「わかりました。認めましょう。確かに、このOというのは、僕のことでしょうね」
「なぜ、木下ゆう子さんを、知らないと、いったんですか」
「今、ハネムーンから帰ったばかりなんですよ。そんな時に、昔つき合っていた女のことを、あれこれきかれるのは、嫌だったからですよ」
「昔といわれたが、この手紙は、一か月前に書かれたものですよ」
「僕は、とっくに、切れたと思っていたんですがね。彼女の方は、そう思っていなかったということじゃありませんか」
大山は、こともなげに、いった。
亀井が、さすがに、腹を立てたらしく、
「あなたは、切れた女に、ハネムーンの日程を、教えたりするんですか?」
と、大山を睨《にら》んだ。
「そんなことを、関係のなくなった女に、教える筈《はず》がないでしょう。木下ゆう子は、しつこい女で、勝手に、調べまくったんだと思いますよ。僕は、別に、ハネムーンの日程を内緒にしていませんでしたし、友人や、家族には、教えていましたからね。彼女は、調べて知ったんだと思いますね」
「じゃあ、あなたが教えたんじゃないんですか?」
「ハネムーンのコースを、なぜ、切れた女に教えるんですか」
大山は、また、肩をすくめて見せた。
「湯野浜で、木下剛さんにも会っていませんか?」
「会っていませんよ」
「木下剛さんは、湯野浜の海岸に広がる防風林の中で死んでいたんですが、なぜ、そんなことになったのかも、知りませんか?」
「知りませんね。ねえ、刑事さん、何度もいいますが、木下ゆう子とは、もう、とうに切れていたんです。そんな女を、なぜ、僕が殺すんですか」
「彼女とは、いつからのつき合いですか?」
と、十津川が、きいた。
「そうですねえ。知り合ったのは、二年前ですかね」
「どこで、知り合ったんですか?」
「はっきり覚えていませんが、新宿《しんじゆく》によく行くバーがありましてね。若者が集って、わあわあいってるような、小さくて、安い店です。最初は、そこで知り合ったんだと思いますね。こっちは、最初から、ただの遊びの積りだったんですよ。当然、結婚話なんかしませんでしたね。彼女だって、その気だったと、思っていたんですがねえ」
「じゃあ、この手紙は、嘘《うそ》ばかり書いてあるというわけですか?」
改めて、十津川は、きいた。
「嘘というより、彼女の思い込みだと思うんですよ。僕が、アキと結婚することになってから、彼女は、少し、おかしくなっていましたからね」
「しかし、現実に、木下ゆう子さんは、殺されているんです。あなたが乗ったと同じ急行『もがみ1号』の車内でですよ」
「それに、つけ加えて欲しいですね。僕たちが降りてから、殺されたんです」
「そうでしたね。とにかく、犯人は、いるわけです。物盗《ものと》りの犯行とも思えない。とすると、誰が、木下ゆう子さんを殺したのか。大山さんに、見当がつきませんか?」
「僕に関係のないことですからねえ」
と、大山は、軽い溜息《ためいき》をついてから、
「彼女は、気の強いところがありましたからね。列車の中で、他の乗客と何かのことで、ケンカしたんじゃありませんか」
「車内で、ケンカですか?」
「よくあるじゃありませんか。足を踏んだというだけのことで、持っていたナイフで、相手を刺したっていう事件も、ありましたからね」
「なるほど」
「もう一つ、考えられるのは、彼女の男関係ですよ」
「あなた以外にも、好きな男性が、いたということですか?」
「僕とは、ただの遊びだったんですよ。親しくしていた男は、何人もいたんじゃないですかね。彼女は、なかなか、魅力的だし、それに、遊び好きでもありましたからね。彼女に、夢中になっている男だって、いたと思うんです。そんな男の一人が、彼女を追いかけて来て、列車の中で殺したってことだって、十分に、考えられますよ」
「彼女と親しかった男性の名前を、知っていますか?」
「いや、知りませんね。何度も繰り返しますが、僕と、彼女の関係は、もう終っていたんですよ。だから、最近、僕と彼女と一緒に撮《と》った写真は、ない筈《はず》ですよ」
「もう一つ、伺わせて下さい。木下剛さんが、耳が不自由だったことは、知っていましたか?」
「いや、初耳ですね。僕は、彼女のお兄さんには、一度か二度しか、会っていないんですよ」
「湯野浜では、何というホテルに、泊られましたか?」
「それも、山形県警に、いいましたが、『朝日ホテル』です」
「そのホテルの近くに、防風林が、ありましたか?」
「さあ、覚えていませんね。きれいな松林は見ましたが、それが、警部さんのいわれる防風林かどうか、わかりませんから」
4
十津川と、亀井が、警視庁に戻ると、清水と西本の二人は、すでに、帰っていた。
「どうだったね?」
十津川が、きくと、清水は、疲れた顔で、
「木下ゆう子のマンションを二人で丹念《たんねん》に調べてみたんですが、大山との深い関係を証明するようなものは、見つかりませんでした」
「私が、前に調べた時も、見つからなかったんだ」
と、亀井が、なぐさめるように、いった。
「大山は、用心深く、結婚を約束するような手紙は、出さなかったんだろう」
十津川が、いった。
「私は、木下ゆう子が勤めていた中央興業に行って来ました」
と、西本は、いってから、
「会計課の同僚は、彼女から、つき合っている男の話を、聞いたことがあると、いっていました。なんでも、その男は、芸術家の卵で、現在は不遇だが、将来性はあるということだったそうです。ただ、名前は、いわなかったそうです」
「大山だな」
「と、思います。結婚の約束もしていると、木下ゆう子は、いっていたそうです」
「しかし、大山は、木下ゆう子が、勝手に、結婚する気でいたんだと、いうだろうね。彼は、それで、押し通す気だな」
と、十津川が、いった。
傍《そば》から、亀井が、西本に向って、
「木下ゆう子に、他《ほか》に男はいなかったのかね?」
「それなんですが……」
「いないのか?」
「それが、中央興業の中に、二人見つかりました」
「二人もいるのか」
亀井は、意外な気がした。
「そうなんです。もっとも、その二人は、最近は、つき合っていないとはいっていましたが」
「その二人と、木下ゆう子とは、肉体関係もあったのかね?」
「一人は、現在、ロス支店へ行っていて、会えませんでしたが、もう一人には、会って、話を聞きました。この男は、三十歳で、係長になり、現在、結婚もしています。最初に、木下ゆう子に声をかけたのは、四年半前、彼女が、入社してすぐの頃だったそうです」
「それで?」
「美人で、男好きのする顔なので、声をかけたら、意外に、あっさりと、つき合ってくれたと、いっています。一時は、結婚する気になったこともあるが、何となく、うまくいかなくて、他の女性と結婚したんだと、いっていましたね。彼は、四月十四日から十七日まで、会社を休んでいませんので、アリバイはあります」
「大山の他に、つき合った男がいても、別に不思議はないんだよ。普通の女性なら、そんなものだろう」
と、十津川がいった。
「そうですね」
と、亀井は、肯《うなず》いてから、
「おかしなもので、何となく、殺された木下ゆう子が、ただ一筋に、大山を愛していて、殺されてしまったような気がしていましてね」
「大山と結婚したアキという女のことも、くわしく知りたいね」
と、十津川が、いい、清水が、西本刑事と一緒に、もう一度、飛び出して行った。
5
二人が出かけてしまったあと、亀井が、十津川に、コーヒーをいれてくれた。
一緒に、そのコーヒーを飲みながら、十津川は、首をかしげていた。
「カメさんは、大山という男を、どう思うね?」
「ある意味では、よくあるタイプだと思いますね。自分のトクになることは、一生懸命にやるが、逆なことは、嫌だというタイプでしょう。そんな感じがしますが」
「もし、大山が犯人だとすると、ずいぶん、ヘマをやったものだね」
「人を殺したことですか?」
「と、いうより、女性問題を、こじらせてしまったことさ。大山は、カメさんのいう通りの性格だと思うし、頭だって、悪くなさそうだ。それに、冷酷にもなれそうだ。それなのに、木下ゆう子に、しがみつかれて、ハネムーンにまで、ついて来られてしまっている。そこが、よくわからないんだがね」
「われわれに対しても、盛んに、遊びで、つき合っていたことを強調していましたね」
「本当は、遊びで、相手にも、それを理解させていたのなら、こんなことには、ならなかったんじゃないかね?」
「私も、そう思います」
「現に、彼女と同じ会社の男が、うまくやっているわけだよ」
「西本君が、そういっていましたね」
「それを考えると、木下ゆう子という女は、物わかりが悪いとは、思えない。大山だって、今度、アキという女と結婚する時、木下ゆう子に、まともに話せばよかったんだと思う。ごたごたはするだろうが、こんな殺人事件には、ならなかったんじゃないかね」
「そうなんです。それなのに、木下ゆう子が、兄に出した手紙が、正しければ、大山は、本当は、アキと結婚なんかしたくない。お前の方が好きなんだと、木下ゆう子に、バカなことを、いっています」
「なぜなのかな? 大山は、本当に、そう思っていたのかね?」
「それは、信じられませんね。もし、大山が、アキとの結婚には気が進まなくて、本当は、木下ゆう子が好きだったなら、その彼女が死んだんですから、もっと、悲しみに暮れていなければ、おかしいですよ。彼は、平然としています」
「同感だね。大山は、ぜんぜん悲しんでいないね」
十津川は、大山の表情を思い出しながら、亀井に、いった。
今度の事件には、わからないことが、多すぎると、十津川は思う。
いや、最初は、簡単な事件に見えたのだ。
一言でいえば、三角関係のもつれである。十津川は、そう思った。
だが、一番怪しい大山には、アリバイがあった。それも、殺された木下ゆう子が作ったアリバイである。
それに、大山と木下ゆう子の関係も、よくわからなくなって来た。
夜になって、清水と西本の二人が、戻って来た。
「大山アキのことは、簡単にわかりました」
と、清水は、手帳のメモを見ながら、十津川に、報告した。
独身の時の名前は、梅木アキである。年齢は、二十四歳。
父親の梅木は、現在六十歳で、戦後、行商から身を起こし、スーパーを全国に、十五店経営する梅木物産の社長で、いわば、立志伝的な人間だった。
アキは、三人きょうだいの末娘である。兄と、姉がいて、姉は、すでに、嫁いでいる。
「梅木アキは、一時、テレビに出ていたことがあります。ほとんど無名でドラマの端役に出るくらいなものでした」
「その時に、新進のシナリオライターの大山と、知り合ったというわけか?」
十津川が、きくと、清水は、肯《うなず》いて、
「その通りです。大山が、猛烈に、アタックして、陥落させたみたいですね」
「彼女の両親は、二人の結婚に、賛成だったのかね?」
「最初は、大山が、無名に近いということで、反対していましたが、そのうちに、娘に説得されたのは、彼女が、女優をやめて、家庭に落ち着いてくれた方がいいと思って、賛成したようです」
「すると、あの高級マンションは、両親が、娘のために、買い与えたものというわけだね?」
「値段は、八千万円です」
西本が、いい、亀井が、ふうっと、溜息《ためいき》をついた。
「外国製のスポーツ・カー。これは、大山に、アキの両親が、プレゼントしています。一千万円近い車です」
と、これは、清水が、いった。
「それで、大山は、金のない木下ゆう子から、梅木アキに、乗りかえたということか?」
亀井が、いった。
「そう思いますね。木下ゆう子の両親は、平凡なサラリーマン夫婦で、財産は、ありません。兄の剛も、当時は、サラリーマンで、エリートコースにいたわけではありません。それに比べて、梅木アキの両親は、年商二百億を越す実業家です。乗りかえる気になったとしても、おかしくはありませんね」
「まるで、私が、昔見たアメリカ映画に、そっくりですよ」
と、西本が、いった。
「それは『陽の当たる場所』かね?」
十津川が、きく。
「そうです。映画館じゃなくて、深夜テレビで見たんです。貧乏人の青年が、大金持の娘と結婚したくて、工員時代の恋人を、湖で、殺してしまうというストーリイでした」
「その映画なら、私も見たよ。確か、妊娠した昔の恋人を、湖のボートに乗せて、水死させてしまうんだ」
「そうです」
「また、簡単な図式になってしまったな」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
それで、正しいのだろうか。
6
二十三日の夜になって、東京都内で、一つの殺人事件が、発生した。
十津川たちが、殺人現場である新宿西口の中央公園に向かったのは、急行「もがみ1号」の車内での殺人事件と、関係があると思ったからではなかった。
あの事件が、容疑者大山茂にアリバイがあって、壁にぶつかり、十津川たちが、結果的に、手が空《す》いていたからに過ぎない。
中央公園で殺されていたのは、三十歳前後の女性だった。
木のかげに、うずくまるような恰好《かつこう》で倒れていたのと、気候がよくなって、夜になってもアベックの姿が多いので、誰も、彼女が、死んでいるとは、思っていなかったらしい。
たまたま、そのアベックの一組が、屈《かが》むようにして倒れている女を、のぞきと勘違いして、男の方が、怒って、つかみかかって、死んでいるのに、気がついたのである。
「くびを締められていますね」
と、亀井が、十津川に、いった。
どうやら、背後から、絞殺されたらしい。
ハンドバッグが、五メートルほど離れた場所で見つかった。
ふたはあけられ、中身が散乱している。
化粧品やハンカチは、あったが、財布はなくなっていた。
ただ、運転免許証は、残っていたので、身元の確認は簡単だった。
名前は、小田切弘子。住所は、六本木《ろつぽんぎ》のマンションになっている。
「彼女、どこかで見たことがありますよ」
と、若い西本刑事が、いった。
六本木のマンションに行ってみて、西本の言葉が、証明された。
1LDKの部屋の壁に、彼女自身のパネル写真が、二枚、貼《は》ってあるのを見たからである。
朝のテレビ番組のレポーターをしている写真だった。十津川も、非番の時に、二、三回見たことがあったのである。ただ、名前は知らなかった。
「カメさんは、物盗《ものと》りの犯行だと思うかね?」
十津川は、華《はな》やかな感じの部屋の中を見廻《みまわ》しながら、亀井に、声をかけた。
「わかりませんが、問題は、彼女が、何のために、夜の中央公園にいたかということでしょうね」
「そうだな。他《ほか》に、連《つ》れがいたとすれば、物盗りの犯行じゃない可能性が出てくるね」
もし、そうだとすると、その人間が、物盗りに見せかけて、殺したのか。
パネル写真を見ると、なかなかの美人レポーターである。
そのせいか、写真は、沢山あった。それが、すべて、アルバムに貼ってあった。
「ほう。昔は、歌手だったんですね」
アルバムを見ていた亀井が、いった。
古い写真で、若い小田切弘子が、派手な着物姿で、唄《うた》っている。
その後《あと》、十津川と、亀井の二人で、何冊もあるアルバムを見ていたが、急に、亀井が、
「ちょっと、これを見て下さい!」
と、興奮した声で、十津川を呼んだ。
十二、三人が、一緒に写っている大きな写真だった。
〈新番組「午前九時のあなた」打ち合わせ〉
と、書き込んである。
どうやら、そのスタッフや、出演者の記念写真のようだった。
レポーターの小田切弘子も、当然、その中に入っている。
「これ、大山茂じゃありませんか」
と、亀井が、その一人を指さした。
前列に、司会の有名タレントや、小田切弘子のようなレポーターたちが並び、後列には、ディレクターなどのスタッフが並んでいる。
そのスタッフの中に、まぎれもなく、大山が、写っているのだ。
「あの男が、スタッフとして、参加しているのか」
と、十津川も眼を大きくして、その写真を見つめた。
得意気な顔をしているのは、初めての大きな仕事だからだろうか。
「小田切弘子と、大山は、顔見知りだったということになりますね」
と、亀井がいう。
「しかし、だからといって、小田切弘子が殺されたことに、大山が関係していると考えるのは、早計だな」
十津川は、慎重にいった。
「それは、わかっていますが、一応、調べてみる必要はあるんじゃありませんか。木下ゆう子殺しについては、大山には、アリバイがあったことになっていますが、警部はまだ彼に疑いを持っておられるんでしょう?」
「持っているよ。木下剛の死についてもね」
と、十津川は、いってから、
「ただ、この小田切弘子については、大山に、動機があるのかどうか、それが問題だね」
「最近の小田切弘子の行動を調べてみましょう。その中に、大山が、関係してくれば、彼の犯行の可能性も、出てくるわけですから」
亀井は、張り切って、いった。
捜査本部が、新宿署に設けられた。
(小田切弘子の死と、大山茂が結びつけば、山形での事件にも、新しい展望が開かれるかもしれないな)
と、十津川は思った。
第四章 女レポーター
1
十津川と、亀井は、被害者小田切弘子が所属していたKIプロダクションを訪ねた。
この世界では、中堅のプロダクションといっていいだろう。事務所は、新橋《しんばし》のビルの中にあった。
小田切弘子は、マネージャーをつけず、ひとりで、仕事に行っていたという。
十津川たちは、このプロダクションの副社長の久保という男に会って、彼女のことを聞くことにした。
久保は、四十八歳、歌手で出発し、そのあと、二十年近くマネージャーをやってから、現在の地位についた男で、それだけに、所属タレントのことには、詳しかった。
「彼女は、他人《ひと》から恨《うら》まれるような性格じゃないんですがねえ」
と、久保は、残念そうに、いった。
「小田切さんは、独身だったようですね?」
「二年前に別れましてね。最近は、仕事に専念していたんです。レポーターの仕事の他《ほか》に、ドラマ出演の話なんかも、ぽつぽつ来るようになって、張り切っていたんですがねえ」
「しかし、なかなか、魅力的な女性だから、ボーイフレンドは、いたんじゃありませんか?」
「そうですね。親しくしていた男性はいましたが、もう結婚は、こりごりだと、いっていましたよ。だから、結婚するほどの相手は、いなかったと思いますね」
「じゃあ、大山茂さんも、親しくしていた男性の中に入りますか?」
十津川が、きくと、久保は「え?」と、きき返した。
「大山って、誰ですか?」
「シナリオライターの大山さんですよ。『午前九時のあなた』の構成をやっている筈《はず》なんですがね」
「ああ、それなら知っています。ただし、あの番組の構成は、塚原という有名なライターで、大山という新人は、その下で働いている筈ですよ」
「会ったことは、ありませんか?」
「あの番組が始まる時と、一周年記念のパーティには、私も出ていますから、その時に、会っている筈ですが、印象に残っていませんね」
と、久保は、いった。
十津川が、大山の写真を見せると、久保はじっと見ていたが、
「ああ、この人ですか。新しい人は、どうも名前と顔が結びつかないんですよ。申しわけありません」
「どうですかね、この大山さんと、小田切さんが親しかったということは、ありませんか?」
十津川が、重ねてきくと、久保は、言下に、
「それは、ありませんね」
と、否定した。
「しかし、あなたの知らないところで、二人が、親しくしていたということは、あり得るんじゃありませんか?」
「いや、ありませんね。私は、彼女のこともよく知っていたし、一緒に食事をしたり、飲みに行ったりもしました。今後のことについて、相談も受けていました。しかし、彼女の口から、大山という名前は、一度も聞いたことがなかったし、一緒に飲んでいるのを、見たこともありませんね」
「彼女が、一番親しくしていた人を教えてくれませんか」
と、十津川は、頼んだ。
久保が教えてくれたのは、中堅の女優でドラマの脇役《わきやく》で活躍している林久美子だった。
十津川と亀井は、赤坂《あかさか》にあるテレビ局で、林久美子に会った。
「弘子とは、一緒に、芸能界に入ったんですよ」
と、林久美子は、局内のティールームで、十津川に話してくれた。
それ以来のつき合いだからもう十二年になるという。それだけに、彼女が死んだというショックは大きかったそうである。
「小田切さんが、つき合っていた男の人を、教えてほしいんですがね」
と、十津川は、久保にしたのと、同じ質問をした。
「知ってますよ。俳優の原田収さんが一番仲が良かったんじゃないかしら」
「その人と、再婚するというような話は、なかったんですか?」
「それは、ありませんでしたよ。彼女が、私に、よくいってたんですけど、好きな男の人はいるが、もう結婚は、こりごりだから、したくないって」
「シナリオライターの大山茂さんを、知っていますか?」
「ええ。まだ、名前は知られていないけど、将来、有望な人だと思っていますわ」
「大山さんと、小田切さんが親しかったということは、ありませんか?」
十津川がきくと、久美子は、笑って、
「それは、ありませんわ」
「しかし、あなたの知らないところで、ということはありませんか?」
「彼女は、私には、何でも話してくれていましたわ。原田さんとのことだって、ちゃんと話してくれましたしね。大山さんの名前は、ぜんぜん、聞いていませんわ」
と、久美子はいった。
どうやら、小田切弘子と、大山茂との間には、男女の関係は、なかったと考えざるを得なくなった。
もう一つ、わかったのは、小田切弘子が、仕事熱心で、明るく、お酒も飲み、お喋《しやべ》りもして、誰からも好かれていたということだった。
久美子は、そんな小田切弘子のエピソードを、いくつか教えてくれた。レポーターというのは、時として、その対象になった事件の渦中の人間に、恨《うら》まれたりするものだが、小田切弘子の場合は、明るい人柄のせいで、それもなかったという。
「それでは、小田切さんは、なぜ、殺されたと、思いますか?」
と、亀井が、久美子に、きいた。
「わかりませんわ。ニュースで聞いた限りでは、物盗《ものと》りに、殺されたような気がしていますけど」
「しかし、なぜ、夜おそく、彼女は、新宿の中央公園に、行っていたんですかねえ。あなたと、あそこで会う約束になっていましたか?」
「いいえ」
と、久美子は、いった。
次に、十津川たちは、久美子が教えてくれた、原田収にも、会ってみた。
2
原田は四十歳だった。
最近、人気の出て来た俳優である。細面で、あごがとがった、特異な風貌《ふうぼう》で、ニヒルな悪役をやると、絶品だった。
原田も、離婚の経験者である。
「小田切さんと、親しくしていたことは、認めますよ」
と、原田は、照れたような表情で、十津川に、いった。
「どの程度、親しくされていたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「困ったな。そんなことも必要なんですか?」
「殺人事件ですからね」
「僕のマンションに、泊って行ったこともありましたよ。それで、わかって頂けると、思いますが」
と、原田は、いった。
「小田切さんが、中央公園に行ったのは、あなたとのデイトのためですか?」
亀井がきいた。
「いや、僕は、全く知りませんでした」
「誰と会う約束だったか、わかりませんか?」
「それも、わかりません」
「大山茂というシナリオライターをご存知ですか?」
「名前は知っていますが、お会いしたことは、ありませんね。大山さんが、どうかしたんですか?」
「小田切さんから、大山茂の名前を聞いたことは、ありませんか?」
「なかったですね」
「間違いありませんか?」
「ええ。彼女が、話していれば覚えていますよ」
と、原田は、はっきりと、いった。
「二十三日の午後九時から十時までの間、どこにおられたか、教えて下さい」
「アリバイですか?」
「まあ、そうです」
「昨日のその時間だと、Wテレビで、連続ドラマの録画撮《ろくがど》りをやっていましたね。『妻の財布』という、ホームドラマです。Wテレビで確かめて下さい」
と、原田は、いった。
十津川たちは、Wテレビに電話をかけ、原田の仕事があったことを、確認した。
十津川にとって、意外だったのは、殺された小田切弘子と、大山茂の関係だった。
恐らく、男と女の関係が、二人の間にあり、大山は、今度の結婚に際して、過去の女を清算するために、まず、木下ゆう子を殺し、続いて小田切弘子を殺したのではないかと、十津川は考えていたのである。
木下ゆう子の方は、大山と関係があったことがわかったから、十津川の推理に、当てはまる。大山自身、「昔の話だ」と、いいながらも、木下ゆう子との関係を認めている。
だが、小田切弘子の方は、違っていたらしい。
誰もが、二人の関係を否定している。
全員が、嘘《うそ》をついているとは思われないし、全員の眼をかすめて、二人が、ひそかに関係していたとも、思えない。
「結論は、二つだね」
と、十津川は亀井にいった。
「小田切弘子と大山は、関係がなかったというのが、一つの結論だ」
「もう一つは、何ですか?」
「殺したのは、やはり、大山だが、関係があったから殺したんじゃない。他の理由で、殺したことになる」
と、十津川は、いった。
「その理由を見つけるのは、大変ですよ」
亀井は、じっと、十津川を見つめた。
「カメさんは、どんな理由が考えられると思うね?」
「大山と、小田切弘子は、関係はなかったが、お互いに、顔は知っていた。彼女が殺された理由は、そんなところにあるんじゃないかと思うんですが」
「大山が、どこかで、小田切弘子に、顔を見られたかな?」
「ただ、単に、顔を見られても、別に殺す必要はないと思います。木下ゆう子を殺すところを見られたんでしょうか?」
と、亀井がいう。
十津川は、「そうだね」と呟《つぶや》いて、考え込んでいたが、
「それなら、その場で殺しているだろう。違うかね?」
「そうですね、命取りですからね。それに、大山は、新庄で、急行『もがみ1号』を降りているんでしたね。木下ゆう子が車内で殺されたのは、その後です」
「しかし、念のために、四月十四日から十八日にかけて、小田切弘子がどこで、何をしていたのか、調べてみようじゃないか」
と、十津川は、いった。
二人は、もう一度、KIプロダクションの久保に会った。
「小田切弘子のスケジュールですか」
と、久保は、キャビネットから、各タレントのスケジュール表を、取り出した。
「亡くなったばかりなので、彼女のスケジュール表も、残っていましたが、四月十三日から十六日まで、休みをとっていますね」
「十三日から十六日ですか」
十津川は、亀井と、顔を見合わせた。丁度《ちようど》、大山夫婦の動きと、ダブっている。
「その四日間、彼女は、何をしていたんですかね?」
と、亀井が、きいた。
「温泉が好きだったから、温泉めぐりをやっていたんじゃ、ないですか」
「温泉ですか。それじゃあ、四月十四日は、鳴子温泉に行っていたんじゃありませんか?」
と、十津川が、きいた。
「それは、わかりませんが、うちの社員で、旅先からハガキを貰《もら》ったというのがいましたよ」
久保は、そういって、その社員から、問題のハガキを借りて来てくれた。
小田切弘子が、女優だった頃、マネージャーだった羽田秀史という社員|宛《あて》に、彼女が出したハガキだった。
作並《さくなみ》温泉の絵ハガキである。
文面は、簡単だった。
〈昨日の夜、作並に着きました。作並こけしで有名なところです。もう一泊して、次へ行きます。
四月十四日
弘子〉
「このハガキを、お借りして、いいですか?」
と、十津川は、きいた。
「羽田君は、いいと、いっていましたがね」
「その羽田さんに、会わせて貰えませんか?」
十津川が、頼むと、久保は、すぐ、呼んでくれた。
三十七、八歳の優《やさ》しい感じの男だった。
羽田は、照れ臭そうな顔で、
「彼女が帰ってきてから、作並こけしを、お土産《みやげ》に貰いましたよ」
と、いった。
「この絵ハガキだと、十四日も、作並に泊ったと思うんですが、翌日、どこへ行ったかわかりませんか?」
十津川が、きいた。
「さあ、東北の温泉めぐりをするようなことを、行く前に、いってましたがね」
「十五日に、どこへ行ったか、どうしても、知りたいんですがね」
十津川は、諦《あきら》めずに、羽田に、いった。
「そういわれても、知らないんですよ。ききもしませんでしたからね」
「最上川《もがみがわ》下りをしたようなことをいっていませんでしたか?」
「舟でですか?」
「そうです」
「それも、ないと思いますね。彼女は、泳げないんで、舟は、怖《こわ》がっていましたから」
と、羽田はいう。
これでは、最上川の舟下りをしたという推理は、成立しそうにない。
十津川と亀井は、絵ハガキを持って、捜査本部の置かれた新宿署に帰った。
十津川は、すぐ東北地方の地図を、広げてみた。
作並温泉の場所と鳴子、新庄などとの距離を、調べるためだった。
「作並と、鳴子は、近いですね」
と亀井が、のぞき込んで、いった。
「距離的には近いが、国鉄で行こうとすると、二回も乗りかえなければならないよ」
「作並で、小田切弘子が泊ったホテルか旅館を探してみましょう」
と、亀井はいった。
これは、作並温泉のある宮城県警の助けを借りることにした。
作並は、仙台の奥座敷と呼ばれている。
県警は、さっそく当ってくれた。幸いだったのは、小田切弘子が、本名で、泊っていたことである。
松野旅館だという。その電話番号を聞いてから、今度は、十津川が、その旅館に、かけた。
電話には、おかみさんが、出てくれた。
十津川の質問に、おかみさんは、はきはきと、
「確かに、小田切さんは、十三日の夜、いらっしゃって、十三、十四と二日間、お泊りになりました」
「十五日は、何時頃出発したんですか?」
「朝食をすませて、すぐ、お発《た》ちになりました。午前八時頃だったと思いますわ」
「次に、何処《どこ》に行くか、いっていませんでしたか?」
「別に。でも、秋田の方にも行ってみたいとは、おっしゃっていました」
「秋田にですか?」
「はい」
「八時に、そちらを出る時ですが、何時の列車に乗るといったことは、どうですか?」
「それも、ききませんでした。あまり、おききすると、かえって失礼に当ると思いまして」
「それはわかります。おたくから、国鉄の作並駅までは遠いんですか?」
「車で、五分ほどかかります」
「小田切さんは、車で発ったんですね?」
「お客様は、全員、車で駅までお送りすることになっているんです。歩いて行くには、距離がありますので」
「すると、小田切さんは、八時に出て、車で作並駅に送られたわけですから、八時五、六分には着いていますね?」
「はい」
「普通、作並のあとは、どこに行くものですかね?」
十津川がきくと、おかみさんは、困ってしまったらしく、
「それは、お客様によって、いろいろでございますが」
と、いっただけだった。
それが、当り前のことだろう。十津川も、それ以上、質問のしようがなくて、礼をいって、電話を切った。
小田切弘子は、四月十五日の朝、八時に旅館を出た。
国鉄作並駅には、八時五、六分には、着いている。問題は、そのあとである。
十津川は、亀井と二人で時刻表を調べてみた。
仙台に出て、東北新幹線で帰京したとは考えられない。休暇は、まだあるし、温泉めぐりが好きだったというからである。
折角、休暇をとって、東北へ行ったのに、作並温泉だけで、帰京するのは、不自然である。
二人は、仙山《せんざん》線のページを見て、小田切弘子の行動を、推理してみた。
仙山線は、仙台――山形間を、奥羽《おうう》山脈を貫いて結ぶので、その名がつけられている。
最初から、電化されていたが、単線のため、列車の本数は、多くない。それに、山形の二つ手前の羽前千歳《うぜんちとせ》――山形間は、奥羽本線になっているので、実質的には、仙台――羽前千歳間と、いってもいいだろう。
午前八時近くの列車というと、次の二本が作並駅を発車する。
仙台行の快速「仙山」。八時〇六分発
山形行の快速「仙山」。八時三六分発
多分、小田切弘子は、このどちらかに乗ったに違いない。
「私は、山形行に、乗ったと思いますね」
と、亀井が、いった。
「理由は?」
と、十津川が、きく。
「彼女は、午前八時に、旅館を出ています。車で、作並駅まで五分。八時〇六分発の列車に乗るのに、こんなに、ギリギリに出発するのは、おかしいですよ。切符を買い、改札を通るのにでも、二、三分は、かかってしまいます」
「なるほどね。すると、山形行の快速『仙山』に乗った可能性が強くなるね」
「私は、この列車に、小田切弘子は、乗ったと思います」
「そうだとして、どこへ行ったかだね」
と、十津川は、いった。
作並を、八時三六分に出た快速「仙山」は、次の三つの駅に停車する。
山寺 九時〇四分
北山形 九時一六分
山形 九時一九分
十津川は、「山寺駅」から考えてみた。
奇妙な駅名は、近くに、立石寺《りつしやくじ》があるから、つけられた。立石寺は、岩山を切り開いて作られた寺で、芭蕉《ばしよう》の「閑《しず》かさや岩にしみいる蝉《せみ》の声」の句で有名である。
小田切弘子が芭蕉に関心があったとすると、この「山寺駅」で降りた可能性があるが、彼女は、温泉が好きだったというし、今までの捜査で、芭蕉が好きだったという話は、聞いていない。
次は、「北山形」である。
ここには、これといった観光名所はない。
近くに、温泉があるわけでもない。
もし、彼女が、ここで降りたとすれば、奥羽本線への乗りかえのためだろう。
奥羽本線に乗りかえて、北へ向えば、天童《てんどう》、湯沢《ゆざわ》、といった温泉に行けるし、終点の秋田は、彼女が、行きたいと、いっていた町である。
「山形駅」で、もし、彼女が降りたとすると、山形の町に、興味があったか、奥羽本線に乗りかえて、南へ向ったかのいずれかだろう。
北へ行くのなら、手前の北山形で乗りかえた方が、早いからである。
山形は、県庁所在地で、城下町らしく、史跡や、寺院が多い。ここから、観光バスで、蔵王《ざおう》や、蔵王温泉にも行くことが出来る。
また、山形駅で、奥羽本線に乗りかえて、南へ向えば、上《かみ》の山《やま》温泉、赤湯《あかゆ》温泉などがある。
「わからないな」
と、十津川は、溜息《ためいき》をついた。
東北には、温泉が多い。そのどれに行ったかを推理するのは、難しかった。
「もう一度、彼女の部屋を、調べてみませんか」
と、亀井がいった。
「そうだな。旅行先の土産《みやげ》物や、パンフレットなんかが、あるかも知れないな」
と、十津川も、いった。
3
二人は、もう一度、六本木にある小田切弘子のマンションに出向いた。
新宿の中央公園で、彼女の死体が発見されたその日に行き、「午前九時のあなた」の写真を見つけ、それに、大山茂が一緒に写っているのを発見した。それ以来である。
1LDKの部屋である。
今度は、見つけたいものが、決っていた。
机の引出し、洋ダンスの引出し、マガジンラックの中、ショルダーバッグ、ボストンバッグも、調べた。
頭でっかちの作並こけしは、すぐ見つかったが、肝心《かんじん》のものが、なかなか、見つからないのである。
十五、六分たってから、やっと、亀井が、絵ハガキを見つけ出した。
作並温泉の絵ハガキ。この方は、同じプロダクションの社員に出したものの残りだった。
もう一つは、別の温泉のものだった。「温海《あつみ》温泉」の文字が見える。
十枚一組の絵ハガキで、旅館の写真の他《ほか》に、熊野《くまの》神社、バラ園、冬のスキー場、朝市などの写真が入っていた。
十津川は、持って来た東北地方の地図を広げてみた。
羽越本線に、「あつみ温泉駅」というのがある。
日本海沿いで、新潟と酒田の間である。
「ここか」
十津川は、首をかしげてしまった。
作並温泉の次は、天童か、鳴子あたりに行ったのではないかと、考えていたからである。
「ずいぶん、離れたところへ行ったものですね」
亀井も、不思議そうな顔をしている。
作並は、仙台に近い。いわば、太平洋側の温泉といっていいだろう。
それなのに、次に行った温海温泉は、日本海側である。
「とにかく、本当に、小田切弘子が、温海温泉に行ったかどうか、調べてみよう」
と、十津川はいった。
作並温泉の時と、同じ手続きがとられた。今度は、温海温泉のある山形県警に依頼した。
急行「もがみ1号」の事件で、向うの依頼で、木下ゆう子のことを捜査したことがあるので、山形県警は、すぐ、調べてくれた。
小田切弘子は、間違いなく、十五日に、温海温泉の「黒木旅館」に泊っていることがわかった。
この旅館にも、十津川は、電話をかけた。
旅館の事務長が、答えてくれた。
「小田切様は、午後一時四十分頃、当旅館に、おいでになりました」
と、事務長は、丁寧《ていねい》な口調で、いった。
「十五日ですか」
「はい」
「国鉄の『あつみ温泉』駅から、何分ぐらいで行けるんですか?」
「車なら、十分ぐらいです」
「小田切さんは、十五日に、一人で来たんですか」
「はい。お一人で、お見えになりました」
「その時の様子は、どうでした? 暗かったですか? それとも、明るかったですか?」
「明るいお客様でした」
「翌日の十六日に、彼女は、出発したんですね?」
「はい。休暇が十六日までだと、おっしゃっていました」
「帰りは、羽越《うえつ》本線で、新潟に出て、新潟からは、上越新幹線で帰ったということでしょうね?」
「そう思いますが、あのお客様に、確かめたわけじゃありませんので」
「十六日は、何時頃、旅館を出ましたか?」
「午前九時過ぎでした」
「その時も、別に、変った様子は、ありませんでしたか?」
「はい。楽しかったといって、ニコニコされていました」
「彼女が泊っている時、電話が、かかって来たことは、なかったですか?」
「ありませんでしたね」
「そこにいて、どこかへ観光に、行きましたか?」
「夕食のまえに、散歩にお出かけになりました。一時間半ぐらいで、戻って来られて、海を見て来たと、おっしゃっていましたね」
と、事務長が、いった。
その散歩の時、大山茂に、会ったのだろうか?
いや、それは、あまりにも、偶然すぎるし、大山は、湯野浜温泉から、新妻のアキと一緒に、真っすぐ、東京に、帰った筈《はず》である。
電話を切ると、十津川は、亀井に、向って、
「どう思うね?」
と、きいた。
「そうですね。やっぱり、引っかかりますよ。大山夫婦は、十四日から十八日、小田切弘子の方は、十三日から十六日と、少ししかずれていません。それに、同じ東北地方に、旅行しています。ただ、場所は、鳴子《なるご》―新庄《しんじよう》―湯野浜《ゆのはま》に対して、作並《さくなみ》―温海《あつみ》温泉と、違いますが」
「私が、気になっているのは、小田切弘子が作並から、温海温泉へ行ったルートなんだ。彼女は、どうやって、温海温泉へ行ったんだろうかと、考えていたんだ」
「まさか、上野へ戻って、上越新幹線で新潟へ行き、新潟から、羽越《うえつ》本線で、温海温泉というルートを取ったとは、思えません。となると、やはり、仙山《せんざん》線―奥羽《おうう》本線を、利用したんだと、思いますが」
「その点は、同感だね」
と、十津川は、肯《うなず》いてから、じっと時刻表の地図を見つめた。
「なかなか、面白いね」
と、急に十津川が、いった。
「何がですか?」
「小田切弘子が、仙山線―奥羽本線を使って、温海温泉へ行ったとする。くわしく、そのルートを考えると、仙山線で、北山形へ出て、そこで、奥羽本線に乗りかえる。奥羽本線で、秋田まで行ってから羽越本線に乗りかえて戻るのでは、大廻りになってしまう。だから、奥羽本線で新庄まで行き、そこから、陸羽《りくう》西線に乗りかえる。余目《あまるめ》へ行き、そこで、羽越本線に乗りかえた方が、早いだろう。私が、彼女なら、そうするね。このルートにすると、どうしても、気になるのが一つの駅だ」
「新庄駅ですね」
亀井も、新庄に眼を向けた。
「そうだ。奥羽本線と、陸羽東(西)線とがぶつかる新庄だよ。大山茂と、小田切弘子との接点があるとすれば、多分、この新庄だね」
「すると、こういうことになるんでしょうか。四月十四日に、大山は、新妻と、鳴子温泉に一泊し、翌十五日、『もがみ1号』に、乗った。殺された木下ゆう子もです。一方、十三日から作並温泉に泊っていた小田切弘子も、十五日の朝、温海温泉へ行こうとして、旅館を出発した。仙山線―奥羽本線と、乗りついで、新庄駅で、余目へ行く列車を待った。その列車が、たまたま、大山たちの乗った『もがみ1号』だったという――」
「可能性は、あるわけだよ」
「それは、あり得ますが、大山と新妻は、新庄で、降りているんです。新庄で、『もがみ1号』を待っていた小田切弘子が、大山を目撃したとします。顔を知っているから、ああ、大山だと思い、あとで、彼に、新庄で見たわと、いったことは、考えられますね。しかし、警部、この推理が当っていたとしても、小田切弘子が殺される理由には、なりませんよ。彼女も、大山が、『もがみ1号』から降りるのを目撃したに違いないわけですから、彼女の証言は、大山にとって、有利な筈《はず》だからです」
「確かに、そうだな」
「小田切弘子が、もし、『もがみ1号』の車内で、大山が、木下ゆう子を殺す現場を見たとでもいうのなら、すぐ、警察に、電話した筈です。それをしなかったのは、彼女の見た大山が、全く怪しく見えなかったからだと思います。ということは、大山が、小田切弘子を殺す理由はなかったことになります」
「そうだな、大山は、新庄で『もがみ1号』を降りてしまっていたんだな」
と、十津川は、肩をすくめるようにしていった。
大山が新庄で「もがみ1号」を降りて、改札口を出てしまったことは、被害者の木下ゆう子が撮《と》った写真で、はっきりしている。
その写真がある限り、大山は、木下ゆう子殺しについて、シロなのだ。
そして、それは同時に、小田切弘子殺しについても、シロの証明になるのか。
小田切弘子が、大山と、特別な関係だったという証拠はなかった。従って、彼女が大山に殺されたとすれば、第一の殺人事件に関係したとしか考えられないのである。
その接点は、新庄駅。
しかし、大山にとって、不利な証言がある筈がないのである。彼は、新庄で、「もがみ1号」を降りたのだし、その時は、まだ、木下ゆう子は、生きて、列車に乗っていたのだから。
「参ったね。カメさん」
十津川は、亀井に向って、溜息《ためいき》をついた。
「警部、私には、どうもわからないことがあるんですが」
と、亀井が眉《まゆ》を寄せて、いった。
「何だい?」
「小田切弘子は、なぜ、温海《あつみ》温泉なんかに、行ったんでしょうか?」
「いやに、根本的な疑問を、ぶつけて来たね」
十津川は、笑った。が、亀井は難しい顔を崩《くず》さなかった。
「警部、考えてもみて下さい。彼女は、折角、十三日から十六日まで、休暇を取ったんです。温泉好きで、東北へ行った。そして、まず、作並温泉へ泊った。ここまでは、よく、わかります。だが、次に遠い温海温泉に行ったというのが、よく、わからんのです。近くに、いくらでも、温泉はありますからね。鳴子でも、天童でも、赤倉でもです。それなのに、ぐるっと大きく廻《まわ》って日本海側の温海温泉になんかなぜ行ったんでしょうか?」
「大山夫婦だって、鳴子の次に、日本海側の湯野浜温泉に、行っているよ。清水刑事もだ」
「しかし、この二組は、その途中で、最上川下りをやっています。清水君は、羽黒山にも、寄っているんです。その先の湯野浜に行っても、不思議は、ありません。だが、小田切弘子は、最上川の舟下りもしていないんです。舟は、嫌いだということですから」
「なにか、温海温泉に、特別な思い出があったりしたのかな? それで、行く気になったのかも知れないが」
十津川は、あまり、自信がない感じで、いった。
もし、温海温泉に、特別の思い出があったとすれば、作並温泉に、二泊もせず、最初から、上越新幹線で新潟に出て、温海温泉に向ったに違いない。
当の小田切弘子が、殺されてしまった今となっては、なぜ、彼女が、作並――温海と廻ったのか、なかなか、つかみにくい。
「もう一度、小田切弘子のことを、調べてみる必要があるかな」
十津川は、ひとり言みたいに、いった。
亀井の疑問は、確かに、もっともなのだ。
しかし、その疑問が解ければ、事件の解決に近づくのかどうか。
「警部、一度、作並温泉に行って、小田切弘子が旅行したルートを、廻ってみませんか」
と、亀井が、いった。
「作並から温海温泉に、廻ってみるかね」
「何か、東京にいては気付かないことが、わかるかも知れません。私は、それに期待しているんですが」
「そうだね、明日にでも、行ってみよう。ついでに、山形県警にも、あいさつに行って来ようじゃないか」
と、十津川も、いった。
翌日の午後、十津川と、亀井は、東北新幹線に乗って、仙台に向った。
上野から仙台まで、約二時間の旅である。
その間、十津川は、東北の温泉旅行案内に、眼を通していた。
今、温泉ブームである。女性の間にも、温泉旅行が、流行だそうだから、小田切弘子が、休暇をとってひとりで、東北の温泉旅行に出かけた気持も、理解できる。
〈東北は、温泉の宝庫である。特に、山間部には、野趣《やしゆ》のある露天風呂《ろてんぶろ》が多い〉
と、観光案内には、書いてある。
その露天風呂のある温泉地の名称が、並べて書いてあるのだが、その中に、作並の名前はあるが、温海《あつみ》の名前は、なかった。
四季を通じて入れる露天風呂は、山形県に多いとも、書いてある。
だから、小田切弘子は、観光案内を見て、温海温泉がいいと思って、作並から、廻《まわ》ったのではないらしい。
何か、特別の感慨《かんがい》を、彼女が、温海温泉に対して持っていて、それで、作並から廻ったのだとしたら、十津川には、推理のしようがない。
午後三時過ぎに、仙台に着いた。
仙台から、仙山線に、乗りかえる。
ここから、仙山線は、西へ向って、奥羽山脈を貫いて走るわけだが、なぜか、仙山線は、一番東の端にあるホームから、出発するのである。
こんな発見も、十津川には、楽しかった。
実際に、行ってみて、気がつくことなのだ。
(作並から、温海温泉に実際廻ってみて、今度の事件について、新しい発見があればいいのだが)
と、十津川は、思いながら、一五時二〇分発の普通電車に乗った。
「あの『愛子』という駅は、仙山線だったんですね」
と、亀井が、新しい発見でもしたみたいに、いった。
面白い名前なので、一時、週刊誌などが、取りあげたことがあったのを、十津川は、思い出した。読み方は、「あやし」である。
一五時五七分。作並着。
作並こけしで、有名なところだけに、駅には、大きなこけしが、飾られていた。
小さな駅で、外から見ると、何となく、プレハブ住宅の感じがする。
無人駅だが、それでも、仙台の奥座敷といわれる温泉地だけに、駅前には、タクシーが待っていた。
十津川と亀井は、そのタクシーに乗って、作並温泉に向った。新しい発見を期待して。
第五章 十字路
1
作並では、小田切弘子が泊った松野旅館で一泊することにした。
作並こけしで有名だが、来てみると、ホテルが一つに、旅館が数軒という小さな温泉街だった。
おかみさんに、電話で問い合わせたことへの礼をいってから、十津川と亀井は、部屋に入った。
夕食の時、わざわざ、給仕に来てくれたおかみさんに、改めて小田切弘子のことを、聞いてみた。
「気さくで、話好きの、感じのいい方でしたよ」
と、おかみさんは、ビールを注《つ》いでくれながら、いった。
「どんな話をしたんですか?」
「あの方は、テレビのレポーターをしていらっしゃるとかで、その裏話なんかを、して下さったんです。とても面白い話でした」
「次に、温海《あつみ》温泉へ行くということは、いってなかったんですか?」
十津川は、電話できいてはいたが、改めて、きいてみた。
「おっしゃっていませんでした。この前、お電話で、お答えした通りですわ」
「彼女は、今度の旅行で、何が楽しみだと、いっていましたか? もちろん、温泉を楽しみにして、この作並にも、来たんでしょうが」
「そうですねえ。夕食の時でしたかしら。あの方は、ちょっと面白い列車があるの。それに乗るのを楽しみにしてるんですって、おっしゃってましたけど」
「ちょっと面白い列車ですか?」
「ええ」
「何という列車のことか、わかりますか?」
十津川がきくと、おかみさんは、笑って、
「私は、鉄道のことは、よくわかりませんから」
と、いった。
その日は、ぐっすりと眠り、翌朝小田切弘子と同じ時刻に朝食をすませ、同じ時刻に車で、作並駅まで、送って貰《もら》った。
駅に着いたのは、午前八時六分である。
仙台行の快速「仙山」は、丁度《ちようど》、出てしまったところだった。
「これで、いよいよ、小田切弘子が、山形行の快速『仙山』に乗った可能性が、強くなりましたね」
と、亀井が嬉《うれ》しそうにいった。自分の推理が、当ったことが、嬉しかったのだろう。
午前八時三六分、作並発の快速「仙山」に、乗った。
相変らず、車内は、すいている。
十津川は、車内で、車掌をつかまえ、羽越本線の「あつみ温泉駅」へ行く方法を、きいてみた。
四十五、六歳の車掌は、時計に眼をやってから、
「この時間ですと、北山形で、奥羽本線の『もがみ1号』に、乗りかえるのが、一番早いですね。『もがみ1号』で、余目《あまるめ》まで行って、そこで、羽越本線に乗りかえるんです」
「ちょっと待って下さい。『もがみ1号』というのは、仙台から、陸羽東線を走っている列車じゃないんですか?」
と、十津川は、きいた。
大山夫婦が陸羽東線の鳴子から、乗った列車が、「もがみ1号」だった筈《はず》である。しかも、その列車の中で、木下ゆう子が、殺されている。
車掌は、笑って、
「この『もがみ1号』は、仙台発の列車と、米沢《よねざわ》発の列車とがあるんです。仙台発の方は、お客様のいわれるように、陸羽東線を走り、米沢発の方は、奥羽本線を走り、新庄で、合流して、陸羽西線を、走るわけです」
「それは、面白い」
と、十津川は、思わず、声をあげた。
作並の旅館で聞いたおかみさんの言葉を思い出したからである。
小田切弘子は、「ちょっと面白い列車がある。それに乗るのを楽しみにしている」といったという。
今、車掌のいった急行「もがみ1号」なら、ぴったりではないか。
十津川は、ニッコリして、亀井と、顔を見合わせた。
2
快速「仙山」は、仙山線と、奥羽本線の分岐点である羽前千歳《うぜんちとせ》には、停《と》まらないので、一つ先の北山形での乗りかえになる。
北山形に着いたのは、九時一六分である。
次の終着山形が、三分しか違わない九時一九分だから、山形で、乗りかえてもいいのだが、十津川は北山形で、おりることにした。
二人は、いったん、改札口を出てから、改めて、駅の時刻表で、急行「もがみ1号」が、この奥羽本線を走っていることを確かめた。
北山形発は、九時三三分である。
余目までの切符を買って、ホームに入った。
「急行『もがみ1号』が、陸羽東線と、奥羽本線の両方を走っているのには、びっくりしましたね」
亀井は、その「もがみ1号」を待ちながら、十津川に、いった。
やがて、三両編成の「もがみ1号」が、入ってきた。
58形といわれる、ディーゼル急行である。
いかにも、東北を走る急行の感じだった。
四月十五日、小田切弘子は、この北山形から、急行「もがみ1号」に、乗ったに違いない。彼女のいう「ちょっと面白い列車」だからである。
二人は、「もがみ1号」に、乗った。
列車は、北に向って、走り出した。
空《す》いている車内で、十津川と亀井は、向い合って、ボックス席に腰を下ろし、窓を開けた。
ちょっと冷たい風が、車内に入ってくる。
「問題は、陸羽東線と合流する新庄駅ですね」
と、亀井が、興奮した口調で、いった。
十津川も、同感だった。
容疑者の大山は、四月十五日に、鳴子から、急行「もがみ1号」に、乗った。殺された木下ゆう子もである。
そして、大山は、新妻のアキと、新庄でおり、木下ゆう子は、そのまま乗って行って、殺された。
カギは、新庄駅に、あるはずである。
急行「もがみ1号」は、天童《てんどう》、東根《ひがしね》、楯岡《たておか》と、停車して行く。
天童は、将棋と温泉、東根は、サクランボと温泉、楯岡は、城下町の駅で、特急も停まる。
大石田《おおいしだ》に停車したあとは、問題の新庄である。
新庄は、十字路の駅といわれる。
仙台からの陸羽東線が、この新庄で、陸羽西線になって、日本海側まで伸びて行く。
そこへ、東北の中央部を、縦貫する奥羽本線が、交わるからである。
一〇時三一分。十津川と亀井の乗った急行「もがみ1号」は、新庄駅に着いた。
五分停車なのは、その間に、仙台から来た「もがみ1号」と、連結するからだろう。
十津川たちの乗った「もがみ1号」は、2番線の先端まで行って、停車した。
二、三分して、陸羽《りくう》東線を走って来た、これも、三両編成の「もがみ1号」が、鈍《にぶ》い衝撃を残して、連結された。
これで、六両編成になったわけである。
一〇時三六分。定刻に、長くなった「もがみ1号」は、西に向って、発車した。
走り出した車内では、十津川と亀井が、ぶぜんとして、顔を見合わせていた。
もっと、何か、事件解決のヒントになりそうな、劇的なものを、十津川は、期待していたからである。亀井も、同じだったろう。
これでは、奥羽《おうう》本線の「もがみ1号」が、先に着いて待っていて、あとから来た陸羽東線の「もがみ1号」が、連結された。それだけの話ではないか。
「ただ一つだけ、発見がありますよ」
と、亀井がいった。
「何だい? カメさん」
「二つの『もがみ1号』が、一緒になりましたからね。六両の車両を引いて行けるわけです」
「そうだが……」
「新庄で三両ずつの列車が、六両編成になった。レポーターの小田切弘子にしてみれば、面白かったと思います。それで、新庄で連結された後の三両の方にも、歩いて行ってみたんじゃないでしょうか?」
「そこで、殺された木下ゆう子に会ったか」
「そうです」
「そうかもしれないが、あまり意味がないな」
と、十津川は、いった。
「なぜです。木下ゆう子は、殺された女ですが」
「しかしね、カメさん。木下ゆう子は、一般人で、芸能人じゃない。小田切弘子が会ったとしても、記憶しているわけがないよ。殺されるところを見たのなら、すぐ、車掌に届けているはずだ。それに、大山が、新庄で降りたという事実は、消えないんだ。どうも、事件解決のヒントには、なりそうもないよ」
「それでは、なぜ、小田切弘子は、殺されたんでしょうか」
と、亀井がきいた。
十津川は、考え込んだ。
大山茂が、小田切弘子を殺したのだとしたら、弘子は、大山に関して、何かを見たに違いない。
新庄駅で、大山が、改札口を出て行くのを見たのだろうか?
それなら、大山にとって、自分の無実を証明する大事な証人になるわけだから、殺す筈《はず》がない。
(木下ゆう子を殺したのは、大山茂ではなかったのか?)
とも、十津川は、考えてみた。
その犯人が、たまたま、小田切弘子の知り合いだったとする。
その人間は、「もがみ1号」の車内で、弘子に、顔を見られてしまって、木下ゆう子を殺す時には、気がつかなかったが、あとになって、弘子から、十五日に、「もがみ1号」の車内で、あなたを見たと、いわれた。
弘子は、まさか、相手が、殺人犯とは思わないので、簡単に、車内で見たと、話をした。
相手にとっては、そんな弘子の存在は、恐怖以外の何ものでもない。弘子の証言によって、有罪になってしまうからである。
そこで、東京で、弘子を殺した。
あり得ないことではない。と、十津川は、思う。
しかし、気に入らなかった。
十津川は、大山が、犯人だと思っている。
それなのに、小田切弘子殺しについてだけ、全く新しい犯人を作ることには、どうしても、抵抗があるのだ。
(大山は、本当は、新庄で降りずに、新庄以西も、「もがみ1号」に、乗っていたのだろうか?)
それで、山形方面から来た「もがみ1号」に乗っていた小田切弘子に、見られてしまい、そのため、弘子まで、殺さなければならなくなってしまった。
これなら、納得がいく。
しかし、この推理には、致命的な欠陥がある。
強力な反証があるといった方が、いいかも知れない。被害者が、列車の窓から撮《と》った写真だった。
被害者は、窓から、改札口を出て行く大山を写した。
しかも、新庄の駅から、遠ざかって行く列車の窓からである。
つまり、あの写真によって、大山が新庄で降りた時間に、被害者は、まだ、生きていたことになってしまうのである。
いいかえれば、新庄以西「もがみ1号」の車内に、大山は、いなかったことになってしまう。
作並からやって来た小田切弘子が、「もがみ1号」の車内で、大山を見る筈はないということである。
「うまくないね」
と、十津川は、亀井にいった。
「もがみ1号」は、最上川にかかる鉄橋を渡った。
間もなく、古口《ふるくち》である。
新婚旅行に行った清水たちは、最初、「もがみ1号」に、鳴子から乗り、この古口で降りて、最上川の舟下りを楽しむ筈だったと、いっていた。
それが、突然、新妻の征子が、何者かに頭を殴られたために、一日おくれた上、車で、この古口まで、来ることになってしまったのである。
十津川が、そんなことを考えているうちに、「もがみ1号」は、古口に、着いた。
いかにも、古びた駅舎である。その駅舎に、「最上川舟下り」という、大きな看板が、かかっていた。
観光客らしい五、六人の男女が降りて行ったのは、ここから、最上川の舟下りを、楽しむのだろうか。
古口から先は、最上川に沿って走る。
やたらに、小さなトンネルが、いくつも続く。
最上川が、見えかくれする。鉄道と、最上川の間には、国道47号線が走り、トラックの往来が激しい。
十津川も、亀井も、口数が少なくなって、黙って、窓から、最上川の川面を眺めていた。
「もがみ1号」が、奥羽本線と、陸羽東線の両方から出ていることを発見した時には、これで、事件解決のヒントがつかめたと思ったのに、結局、無駄になってしまった。
それで、自然に、二人とも寡黙《かもく》になってしまったのである。
狩川《かりかわ》に着いた。
この辺《あた》りは、最上川とも離れて、庄内米で有名な庄内平野の真ん中である。
一一時二一分に、余目《あまるめ》に着いた。
3
十津川と、亀井は、元気のない顔で、余目のホームに降りた。
「とにかく、温海《あつみ》温泉へ行ってみよう」
と、十津川は、自分を励ますように、いった。
一二時一五分発の普通列車に乗った。
羽越本線といっても、奥羽本線と同じで、列車の本数は少ない。
しばらくの間、列車は、庄内平野を走り続け、そのあと、海沿いを走る。
「あつみ温泉」に着いたのは、一三時一二分である。
熱海《あたみ》などと違って、温泉の駅といっても、ひっそりと、静かだった。
十津川と、亀井は、タクシーを拾って、温海温泉に向った。
温泉町が、たいてい、そうであるように、この温海も、川をはさんで、旅館が、並んでいる。
旅館の数は、約二十軒。静かな温泉街である。
十津川と亀井は、小田切弘子が泊った「黒木旅館」を探して、入って、行った。
横田という事務長に、会った。
十津川は、電話の礼をいってから、
「小田切弘子さんの様子を、話してくれませんか」
と、頼んだ。
小柄で、働き者という感じの横田は、
「元気なお客様でしたよ。丁度《ちようど》、今頃《いまごろ》お着きになったんですが、夕食までに、いろいろと見てくるといわれて、すぐ、お出かけになりましたから」
と、ニコニコ笑いながら、いった。
「ここから、どこかへ電話を、かけませんでしたか?」
亀井が、きいた。
「いえ。おかけになりませんでしたね。テレビの仕事をされているんで、いろいろと、お忙しいのかと思ったんですが、旅に出た時ぐらいは、完全に、ひとりになっていたいと、おっしゃっていましたね」
と、横田が、いう。
小田切弘子が、「もがみ1号」の車内で、何か見たとしても、この旅館に来た時は、そのことを、別に、大変なことだと思っていなかったことがわかる。
夕食の時に、給仕に来た女子従業員にも、十津川は、弘子のことを、きいてみた。
しかし、彼女も、小田切弘子が、事件に関するようなことは、何も、いわなかったと、いった。
「旅行のお好きな方みたいでしたね。海外旅行をした時のことも、いろいろと、話して下さいましたよ」
「ここの前に、作並温泉に泊ったんですが、そのことは、話していなかったかね?」
と、亀井が、きいた。
「作並に、お泊りになったことは、話して、いらっしゃいましたよ」
「では、急行『もがみ1号』のことは、どうかね? 彼女は、その列車に乗った筈《はず》なんだが」
「ああ、その列車のことも、話して下さいましたよ。なんでも、三両ずつの列車が、新庄で、一緒になるんですって。面白い列車だわって、おっしゃってましたけど、私には、よくわからなくて」
「その列車に、自分の知っている人間が、乗っていたとは、いっていなかったかね?」
力をこめて、亀井は、きいたのだが、相手は、あっさりと、
「聞いていませんわ。私が、汽車の話がわからないので、すぐ、別の話になってしまいました」
「あとは、どんな話をしたの?」
と、十津川が、きいた。
「学校時代に一度、いらっしゃったことがあるということでしたわ。それで、とても懐しいと。それから、地酒のお話なんかもしましたわ」
「彼女、お酒は、飲んだの?」
「ええ。かなり、お強い方でしたよ」
「あなたも、つき合ったのかな?」
十津川は、微笑しながら、きいた。
「少しですけど、おつき合いさせて頂きました。お客様が、ひとりで飲むのは、つまらないと、おっしゃったものですから」
「酔ったの?」
「いいえ。酔う前に、やめました。あのお客様も、そんなに、お飲みになりませんでしたし――」
「彼女は、タレントの話なんかしたんじゃないの? テレビタレントの」
「はい。いろいろと、話して下さいましたわ。有名なタレントや、歌手のことなんか」
「その中に、大山茂という男の話も出なかったかね? 大山というのは、シナリオライターなんだが」
「大山さんですか?」
「そうだ。大山茂というんだがね」
「覚えていませんわ。有名なタレントさんの話は、覚えていますけど」
と、相手はいい、何人かの有名タレントの名前をいった。
小田切弘子は、本当に、大山茂の名前を口にしなかったのかも知れない。彼女が口にしたのだが、相手が覚えていないことも考えられる。
こんなものだろうと思っていたから、十津川は、別に、失望もしなかったが、それでも、いらだちは残ってしまう。
夕食のあと十津川と亀井は、少し、近くを散歩することにした。
散歩しながら、二人で考えをまとめてみたかったからである。
少しばかり肌寒いが、頭を冷やすには丁度《ちようど》いいだろう。
「私は、来てみて、大きな収穫があったと思います」
と、歩きながら、亀井が、いった。
「急行『もがみ1号』のことかね?」
「そうです。彼女が、あの列車に乗ったことは、まず、間違いないと思うのです。さっき、ここの旅館の人に、彼女が着いた時間をきいてみたんですが、われわれと、ほぼ同じ時刻に着いたそうです。つまり、作並からここに着くのに、われわれと、同じ列車に乗って、やって来たんだと思いますね」
亀井は、熱っぽく、いった。
「彼女も、今日のわれわれと同じように、快速『仙山』―急行『もがみ1号』と乗りついで、この温海《あつみ》温泉にやって来たということだろう?」
「そうです。そして、やはり、大山茂との接点は、『もがみ1号』であり、十字路の駅といわれる新庄だと思います」
と、亀井は、いった。
「しかし、ねえ、カメさん。今のところ、大山と、小田切弘子は、十字路の新庄で、すれ違っただけになってしまっているんだがね」
十津川は、口惜しそうに、いった。
ただ、すれ違っただけでは、大山にとって、何の痛みも感じないだろう。大山が、小田切弘子を、殺さなければならない理由には、ほど遠いのだ。
木下ゆう子が、殺されたのが、新庄を出たあとの急行「もがみ1号」の中だからである。この事実は、曲げようがないのだ。
「警部。大山は、新庄の先も『もがみ1号』に、乗っていたんじゃないですかね? そうだとすれば新庄で、二つの『もがみ1号』は、併合していますから、車内で、小田切弘子が、大山を目撃する可能性は、出てくるんです。彼女にしてみれば、偶然、車内で、大山を見ただけのことですから、まさか、殺人事件に関係があるとは思えない。それで、しばらく、誰にもいわずにいたが、たまたま、大山に会った時、先日、『もがみ1号』の中で、あなたを見ましたよ。新庄を過ぎてから、といったんじゃありませんかね。大山にとっては、彼女の証言は、アリバイ崩壊につながるので、あわてて、口封じに、中央公園に呼び出して、殺してしまったんだと、思います。彼女にしてみれば、まさか、たまたま、車内で大山を目撃したことが命を狙《ねら》われる理由になるとは、思っていなかったでしょうから、無警戒で、中央公園に行ったんではないでしょうか」
「私だって、そうであれば、理屈が合うし、大山が、犯人だと思うんだがね。しかし、カメさん」
「わかっています。例の写真が、ある限りというわけでしょう?」
「そうなんだ。被害者の撮《と》ったあの写真がある限り、問題の日に、大山は『もがみ1号』を、新庄で降りてしまい、新庄以西には、乗って行かなかったことになるんだよ」
「新庄駅で、降りたと見せて、また、乗って来たんじゃないでしょうか?」
と、亀井が、いった。
「改札口を出たと見せかけて、また、ホームに入って来たということかい?」
「そうです。あの写真を見る限り、大山は、改札を出てしまっています。新妻のアキと一緒にです。しかし、駅の外に出たところで、大山は、アキに対して、忘れものをしてしまった。取ってくるから、君は、先に、親戚《しんせき》の旅館に行っていてくれという。彼女が肯《うなず》いて、先に行ったあと、大山は、急いで、引き返したんじゃないでしょうか?」
亀井は、立ち止まり、熱っぽく、十津川に向って、話した。
「大山が、犯人だとすれば、そうする以外に、木下ゆう子を、『もがみ1号』の車内で、殺すことは、出来ないだろうね。カメさん、君だって、あの写真を見ただろ。大山が、いったん、改札口を出たと見せて、引き返したとしても、その間に、被害者を乗せた『もがみ1号』は、どんどん、新庄駅から、遠ざかってしまっているんだ。大山は、もう、列車に乗れないんだ。それに、陸羽西線には、特急列車は走ってないんだ。陸羽東線も同じだがね。従って急行『もがみ1号』で、先に行ってしまっている木下ゆう子を、特急列車で、追いかけて、途中で追いついてというわけにはいかないんだよ」
と、十津川は、いった。
立ち止まっていた二人は、また、歩き出した。
「そうでしたね。被害者のあの写真がある限り、大山には木下ゆう子を殺せないわけでしたね」
亀井は、小さな溜息《ためいき》をついた。
4
しばらく、黙って歩いた。
「あれは、本当に、新庄駅の写真だったんでしょうか?」
突然、亀井が、小声で、いった。
十津川は、じろりと、亀井を見て、
「どういうことだい? カメさん」
「われわれは新庄駅で、被害者が写したものだと思い込んでいますが、ひょっとすると、別の駅じゃないんでしょうか?」
「どこの駅だと思うんだね?」
「大山も、木下ゆう子も、前日、鳴子に一泊しています。前日、『もがみ1号』で、鳴子に着き、大山が降りるのを、木下ゆう子が、面白がって、車内から写してたんじゃないでしょうか?」
「木下ゆう子は、次の駅でおりて、鳴子へ引き返したか?」
「そうです。彼女は大山と関係があった女です。大山が新妻と一緒に、鳴子へ降りて行くのに、一緒に、降りるのは、嫌だったでしょう」
「残念だが、その推理は無理だね」
と、十津川は、いった。
「そうですかね」
「清水刑事は十四日に、上野を発《た》って、新幹線で古川まで行き、古川から普通列車で、鳴子へ行ってるんだ。大山夫婦も、上野駅では、同じ新幹線に、乗っている。それに、カメさんも、知ってるだろう。一二時|丁度《ちようど》の上野発の『やまびこ53号』に、彼等は、乗ったんだ。古川着は、午後二時過ぎだ。一方、古川発の急行『もがみ1号』は、午前中に出てしまっている。大山は、十四日には、『もがみ1号』には、乗れないんだよ」
「ああ、そうでしたね」
亀井は、がっかりした顔になった。
やはり、被害者の写した三枚の写真は、厚い壁になっているのだ。
亀井が、あまりにも、沈んでしまったので、十津川は、なぐさめるように、
「もう一度、あの写真を、検討し直すことには、私も、賛成だよ。大山茂が犯人なら、あの写真には、どこか、われわれが考えているのと違うところがあるわけなんだ」
と、いった。
十津川と亀井は、旅館に戻ると、問題の写真を取り出した。
実際に、新庄周辺を動いてみて、問題の写真と比べてみるつもりで、持って来てあったのである。
二人は、テーブルの上に、三枚の写真を並べた。
被害者の木下ゆう子が、急行「もがみ1号」の窓から、新庄駅で、降りた大山を撮《と》ったものである。
被害者の乗った「もがみ1号」は、新庄を発車しているので、三枚の写真では、だんだん、新庄を離れて行くのがわかる。
三枚目の写真に、ホームのかなりの部分が、写っているのは、それだけ、列車が、新庄駅を、離れたということだろう。
「やっぱりこれは、新庄駅だよ。駅名が、見えるよ」
と、十津川は、いった。
ホームに書かれた駅名が、はっきり、写っているのだ。
「そうですね。新庄ですね」
と、亀井も、肯《うなず》いた。
今日、実際に、「もがみ1号」に、十津川と亀井も、乗った。
新庄に着いた時には、この写真のことがあるので、窓ガラスを開けて、ホームを、見つめたのである。
写真に、駅名が写ってなくても、新庄駅に間違いないことは、わかっていたのだ。
「しかし、被害者は、なぜ、こんな写真を撮ったんですかねえ」
亀井は、いまいましげに、指先で、写真をはじいた。
十津川は、笑って、
「そりゃあ、まだ、大山に未練が、あったからだろう」
「しかし、大山は、新妻と一緒に、のこのこと、新庄で降りて行ったんですよ。そんなところを撮ったって、仕方がないじゃないですかねえ」
「それは、考え方によるだろう。大山が、木下ゆう子に対して、今度の自分の結婚は、本当は、気が進まないんだ。すぐ別れて、君と一緒になると、約束していたとすれば、彼女は、平気で、写真を撮れたんじゃないかね」
「大山は、この写真を、木下ゆう子が撮ることを、知っていたんでしょうか?」
と、亀井が、きいた。
「一枚目の写真では、大山は、こっちを見ている。カメラを持っている木下ゆう子の方をだ。だから、撮ったのは、知っていたと思うがね」
「もし、この写真がなかったらと、考えてみたんです」
「なかったら?」
「そうです。もし、この写真がなかったら、大山は、アリバイを証明できなかったんじゃないですか? 今頃《いまごろ》、殺人容疑で、逮捕されていたんじゃありませんか?」
「そうだね。彼の新妻が、きっと、一緒にいたと、証言するだろうがね」
「奥さんの証言は、法廷では、力がありませんよ」
「うん」
「だから、この写真だけが、大山にとって、唯一《ゆいいつ》の味方なんです。強力な味方です。そうするとですね。大山が、ハネムーンの中で、木下ゆう子を殺す計画を立てたとすれば、その中には、この写真を、被害者に撮《と》らせることが入っていたに、違いありません」
「すると、カメさんは、この写真は、大山が、被害者に撮らせたと、思うわけだね?」
「はい」
「しかし、どうやって、撮らせたんだろう? ただ、簡単に、おれが、改札口を出て行くところを、写真に撮ってくれといったんだろうか?」
と、十津川は、きいた。
「かも知れませんが、ひょっとして、木下ゆう子が、気が変って、撮らないかも知れません」
亀井が、眼を光らせて、いった。
「そうか。大山は、木下ゆう子が、必ず、この写真を撮ると、確信していたと、カメさんは、いいたいわけだね?」
「そうです。確信があったからこそ、大山は、木下ゆう子を、急行『もがみ1号』の車内で、絞殺したんですよ。もちろん、大山が、犯人としてですが」
「どうして、彼は、確信が持てたのかということが、問題になってくるな」
「そうです。それがわかれば、今度の事件の謎《なぞ》が解けるんじゃないかと、思っているんです」
「大山が、何かを約束したんじゃないかね?」
「と、いいますと?」
「木下ゆう子に、この写真を撮ってくれたら、例えば、結婚すると、約束する。彼女は、大山に未練があって、結婚したいと思っていたようだから、この約束は、有効だったんじゃないかね」
「なるほど」
「しかし、どうも、スマートじゃないね」
と、十津川は、自分で、いっておいて、自分で、苦笑した。
「殺人事件ですから、スマートな必要はないと、思いますが。殺人そのものが、どろどろしたものですがね」
と、亀井は、いう。
「しかしねえ。大山は、シナリオライターなんだ。殺人を計画したら、職業柄、すっきりしたトリックを、考えるんじゃないかね。その計画の中には、もちろん、この写真を、被害者が、撮ることも入っていたに違いない。それも、結婚をエサにして、写真を撮れというような、泥臭《どろくさ》いプランじゃないような気がするんだよ」
「しかし、絶対に、写真を撮らせなければいけないわけです。もし、被害者が、撮らなければ、彼の殺人計画は、挫折《ざせつ》してしまうわけです。それを考えれば、泥臭いも、すっきりも、ないんじゃありませんか?」
「そりゃあ、そうなんだが……」
十津川は、あいまいな表情になった。
殺人の美学という言葉がある。
行きあたりばったりの、無計画な殺人なら別だが、頭のいい犯人が、計画を立てて、殺す場合は、妙に、殺人の方法や、トリックに、拘《こだ》わるものなのだ。
スマートにやりたいと思う。
犯人が、シナリオライターなら、尚更《なおさら》だろう。
ドラマを構成するように、殺人計画を立てたのではないか。
それなのに、結婚をエサにして、この写真を、撮らせるだろうか。これでは、いかにもダサイ方法ではないか。
5
翌日、十津川と、亀井は、胸に、もやもやを残したまま、温海《あつみ》温泉を後にして、東京に戻った。
捜査本部のある新宿署に帰ると、十津川は、残って、その後の大山夫婦のことを、調べていた西本に、
「あの二人は、どうしている?」
と、きいた。
「仲良くやっています。新妻の父親が、若夫婦のために、買ってやった例の田園調布の豪華マンションで二人仲良く暮しています」
「大山は、そのマンションで、シナリオを書いているのか?」
「そのようですね。近所の人たちは、時々、夫婦|揃《そろ》って、散歩するのを、見ています。評判も、なかなか、いいです。廊下で会えば、必ずあいさつするし、いつも、ニコニコしているそうですからね」
「そのマンションは、確か八千万円だったな」
「大山は野心家のようですからね。資産家の娘のアキの方をとったんだと思います」
と、西本は、いった。
「大山に、会ってくるかね?」
十津川は、亀井を見た。
二人は、大山夫婦が、愛の巣を構えた、田園調布の新築マンションに、出かけて行った。
若夫婦の住居にふさわしい真っ白なマンションである。
十津川たちが、ここを訪ねるのは二度目だった。まず、新妻のアキが顔を出した。
十津川が、警察手帳を見せ、大山さんに会いたいと告げると、奥から、当人が、不機嫌な顔で、出て来た。
「もう、警察に話すことは、ありませんよ」
大山は、十津川と亀井の顔を睨《にら》むようにして、いった。
「とにかく、あなたと、話がしたいんですよ」
と、十津川がいうと、大山は、肩をすくめながら、居間に招き入れた。
部屋も新しいが、応接セットも、調度品も、じゅうたんも、何もかも新しい。
「実は、私たちも、東北に行って来ましてね。急行『もがみ1号』に、乗って来たんです」
十津川がいうと、大山は、ぶぜんとした顔で、
「まだ、何か、僕を疑っているんですか?」
「現場検証というやつです。新庄駅も、見て来ました」
「何のためです?」
「この写真は、ご存知ですね?」
十津川は、木下ゆう子が撮《と》った三枚の写真を、テーブルの上に並べた。
大山は、ちらりと見ただけで、
「見ましたよ。向うの警察で、見せられましたからね」
「殺された木下ゆう子さんが、撮ったものですがね。彼女が、撮ったことは、知っていましたか?」
「とんでもない。僕が知ってる筈《はず》がないじゃありませんか」
「本当に、知らなかったんですか?」
「まるで、僕が、知ってた筈だというようないい方ですね?」
「この写真がなかったら、失礼だが、あなたは、アリバイがなくて、殺人容疑で、逮捕されていたに、違いないんですよ。違いますか?」
十津川が、いうと、大山は、煙草をくわえ、ゆっくりと、火をつけてから、
「そんなことを考えたことも、ありませんね。僕は、殺していないんですから」
「しかし、よく考えてみてくださいよ。木下ゆう子さんは、急行『もがみ1号』の中で、殺されたんですよ。あなたが、同じ列車を、新庄で降りていなければ、容疑者として、逮捕されていますよ。あなたは、動機がありますからね。しかし、この写真のおかげで、あなたのアリバイが証明されたんです。だから、この写真がなければ、あなたは、逮捕されていた。死んだ木下ゆう子さんが、あなたを助けたわけです」
と、十津川は、わざと、くどく、いった。
第六章 尾 行
1
進展のないままに、二日、三日と、過ぎていった。
その間、大山が、犯人だという確信が、ゆらいだわけではなかった。
木下兄妹を殺し、小田切弘子を殺したのは、大山以外には、考えられない。
だが、三つの事件の根幹は、急行「もがみ1号」の車内での木下ゆう子殺しなのである。
他の二件は、それに関連して、起きたといっていい。木下剛は、妹の死に疑問を持ち、大山が殺したに違いないと考えて、湯野浜に訪ねて行き、殺されたのだ。
小田切弘子も、同じだと、十津川は、思っている。
彼女は、作並《さくなみ》から、温海《あつみ》に行く途中で、急行「もがみ1号」に乗ったために、殺されたに違いないのだ。
だが、この二件について、大山が犯人だと断定するためには、木下ゆう子を殺したのが、大山であることを証明しなければならないのである。
もし、大山が、木下ゆう子を殺してなければ、彼女の兄が、やって来ても、平気で、応対したろうし、小田切弘子を殺さなければならない理由も、消えてしまうのだ。
五月一日の新聞のテレビ欄に、「特報!」として、次の記事が、のった。
〈中央テレビの朝の連ドラに、新人脚本家を起用〉
六月から始まる新しい朝の連続ドラマに、中央テレビでは、新人のシナリオライター、大山茂を起用したというのである。
中央テレビのプロデューサーの談話も、のっていた。
〈これは、一つの冒険だが、停滞気味のテレビドラマに、若い大山君が、活力を与えてくれることを期待している〉
大山の勢い込んだ抱負も、のっていた。
〈私に、こんな大きなチャンスを与えて下さったプロデューサーの中尾さんに感謝しています。幸い、前から、あたためていた題材で、書くことが承認されたので、全力をつくすつもりです。六月一日から始まる「春浅く」は、最上川《もがみがわ》と共に育った一人の女の成長の記録です〉
十津川が、午後三時の中央テレビをつけると、この連ドラ開始についての共同記者会見が、映し出された。
十津川は、亀井と一緒に、テレビを見ていた。
主役のヒロインには、最近、急激に売れてきた二十歳の秋野ひとみが、当てられている。
大山は、プロデューサーの中尾と並んで、得意気だった。
大山が、マイクに向って喋《しやべ》った言葉は、新聞にのっていたのと、同じである。
「最上川と共に育った一人の女ですか」
亀井が、ぶぜんとした顔で、いった。
十津川は、前に一度、事件のことで世話になった芸能記者の田口に、電話をかけた。
「中央テレビで、六月一日から始まる朝の連ドラのことですがね」
と、十津川は、いい、続けて、
「新人のシナリオライターの大山が、起用されていますね。あれは、プロデューサーが、大山の才能を、買ったわけですか?」
と、きいた。
田口は、電話の向うで、笑った。
「あれは、スポンサーの強力な後押しなんですよ。大事なスポンサーには、かないませんからね」
「スポンサーというと?」
「最近、急激に売り上げを伸ばして来た梅木物産という会社が、宣伝のために、朝の連ドラのスポンサーになったんですよ」
「梅木物産というと、ひょっとして、大山茂の義父が、社長をやっている会社じゃありませんか?」
「そうですよ。可愛い娘のために、朝の連ドラのスポンサーになり、婿の大山に、脚本《ほん》を書かせたというところでしょうね」
「大山のシナリオライターとしての才能は、どんなものですか」
「そうですね。今まで、あまり書いていませんでしたからね。私の聞いている範囲では、まあ、ほどほどの才能で、一時代を画するような脚本は、書けないだろうというものでしたよ」
「今度の連ドラのストーリイは、知っていますか?」
「最上川と共に育った女の歴史ということですよ」
「それは、私も、三時の共同記者会見で、聞きましたがね。もっと詳しいことは、わかりませんか?」
「私にも、わかりません。というより、くわしい脚本は、これから書いていくみたいですよ。大山自身、最上川周辺を、取材のために歩いてみると、いっていましたからね」
2
十津川は、大山が、中央テレビの朝の連ドラの脚本《ほん》を書くことに、さほど、驚きを、感じていなかった。
芸能界は、何よりも、コネが物をいうと、十津川は、聞いたことがある。だから、義父のおかげで、連ドラの脚本を書くことになったからといって、別に、驚くことではない。
ただ、十津川が、注目したのは、その物語の舞台が、最上川周辺だということだった。
「このストーリイは、誰が、発案したんですかね? プロデューサー? それとも、演出家ですか?」
と、十津川は、田口に、きいた。
「脚本家の大山ですよ。彼が、あたためていた案を出して、それが、了承されたと聞いています。最上川なら、芭蕉《ばしよう》も出てくるし、舟下りのスペクタクルもある。それで、合格ということになったんでしょう。それに、何といっても……」
「スポンサーの意向ですか?」
「そうですよ。これで、うまく視聴率が稼《かせ》げたら、大山は、一躍、人気作家の仲間入りですね」
と、田口は、いった。
五月三日の新聞の芸能欄には、
〈大山茂、車を駆《か》って、取材旅行に出発〉
と、出た。
彼は、わざわざ、西ドイツのバンを買い、それに、寝具や、食料品、ビデオカメラなどを積み込んで、一週間の取材旅行に出発したというのである。
外国製のバンの運転席で、Vサインをしている大山の写真も、のっている。「この車、一千万円」という文句も、あった。
どうせ、この車も、義父が、出してくれたのだろう。
「今度は、車で、最上川周辺の旅行というわけですか」
亀井は、東北の地図を見ながら、呟《つぶや》いた。
東北の地図は、今度の事件が起きてから、ずっと、捜査本部の壁に、かかっているのだ。
「一週間、大山一人で旅行するんだ」
と、十津川も、地図に、眼をやった。
「仕事熱心といえばいえますね」
「今度の仕事に、賭《か》けているだろうからね」
「しかし、何となく、気になりますよ。一週間、どこを走る気なんでしょう?」
「そうだな。最上川の舟下りもするだろうし、鳴子も行くかも知れない」
「それに、湯野浜もとなったら、事件のあった場所を、すべて、行くことになりますね。どうも気になりますね」
亀井は、同じ言葉を、繰り返した。
「同感だね」
と、十津川も、いった。
「本当に、取材旅行なんですかね?」
「テレビで、共同記者会見もやってるし、最上川と共に育った女の話というテーマも、決っている。となると、取材じゃないだろうとは、いえないよ」
「それは、そうなんですが――」
「取材じゃないということは、ないと思うよ。大山にとって、有名になれるかどうかの境だからね。問題は、取材にかこつけて、彼が何か企《たくら》んでいるんじゃないかということだな」
と、十津川は、いった。
「そうなんです」
「もし、大山が、何か企んでいるとすると、それは、何だと思うね?」
「そうですね。彼は、最上川周辺で、木下ゆう子と、兄の木下剛を殺したと、私は、信じています。彼は、計画通り、上手《うま》くやって、われわれは、どうすることも出来ないわけです。してやったと、大山は、思っているに違いありません。しかし、殺人ですからね。上手くやったと思いながらも、大山は、どこか不安でいると思うのです。どこかで、ミスを犯しているのではないかとです。彼は、車で、一週間、現場周辺を走り回って、自分が、ミスを犯してないか、検討する気じゃないでしょうか」
と、亀井が、いう。
「なるほどね。大いに、考えられるね」
「どうしますか? 彼の車のあとを、追いかけてみますか?」
「尾行か?」
「そうです」
「しかし、彼は、もう出発してしまっているよ」
「車のナンバーは、わかりますから、向うの県警に頼めば、どこかで、見つけ出せると思いますが」
「そうだな」
十津川には、迷いがあった。
大山が、取材にかこつけて、何かやりそうだという亀井の考えには、十津川も、賛成である。
それが、新しい殺人でもあるのなら、どんなことをしても、防がなければならない。
だが、何か、ミスを助長するようなことだったらむしろ、やらせた方がいいだろう。尾行か、監視することで、用心深い大山が、やる筈《はず》のミスを、やってくれなかったら、と思うと、慎重にならざるを得ない。
大山が、勝手に転んでくれるのを待った方がいい。
ただ、前者だったら、尾行はやらなかったことを、生涯、後悔することになるだろう。
「すぐ、車のナンバーを調べて、宮城と、山形の県警に、連絡しておいてくれ」
と、十津川は、亀井に、いった。
3
大山の車のナンバーは、宮城と山形の県警に、連絡された。
あとは、向うが、見つけてくれるのを待つより仕方がなかった。
四日は、何の連絡もなかった。
十津川と、亀井は、最上川周辺の地図を睨《にら》んで、丸一日を過ごした。
五日、子供の日の午前十時を回った時刻に、やっと、山形県警から、連絡が入った。
最上川舟下りの乗り場近くで、問題のバンを発見し、尾行に入ったという連絡だった。
どうやら、大山は、古口からの舟下りを、国道から車で、追ってみる気になったらしい。
というのは、彼のバンが、国道を最上川に沿って、下流に向って、走っているということだからである。
山形県警は、覆面パトカーで、尾行しているということだった。
この尾行は、やさしそうで、難しいかも知れないと、十津川は、同情した。
大山が乗っているのは、外国製のバンで、写真を見ても、大きく、目立つ車体である。
だから、尾行者は、楽だろう。
問題は、尾行の心構えと、対処の仕方である。
大山は、新しい事件を起こす積りなのか、それとも、前の事件の何かを、後始末するために、走っているのか、わからない。そのどちらかによって、尾行する刑事の心構えも、当然、違ってくる筈《はず》である。
大山が、第四の殺人を計画しているのなら、ちょっとした動きを示しても、ぶつかって行って、制止する必要があるだろう。
だが、後者なら、ある程度、やらせておいて、証拠を押さえた方がいい。
また、山形県警の連絡が、途絶えてしまった。
十津川と、亀井は、焦燥《しようそう》に包まれた。東京で、パトカーと連絡し合っているようにいかないことは、当然なのだが、それでも、直接、大山のバンを尾行している山形県警のパトカーに、連絡できないことが、いらだたしい。
三時間ほどして、やっと、二度目の連絡が、山形県警から、入った。
大山のバンが、鶴岡市内に入ったという連絡だった。
それだけである。古口からここまで、大山のバンは、特別な動きは、示さなかったらしい。
「湯野浜へ行く気ですかね?」
と、亀井が、きいた。
「このままなら、湯野浜へ行くだろうね」
「どうも、大山が、何を考えているのか、わかりません」
「自分では、あくまで、朝の連ドラのための取材だと、主張するだろうね」
「しかし、取材なら、もう、終っている筈ですよ。彼は、同じルートを、新婚旅行しているんですから」
「見落としたところを、見て歩くというんだろう。車を、自ら運転してね」
「殺人のときに、見落とした何かかも知れませんよ」
と、亀井は、いった。
二時間後に、山形県警から連絡が入った。
やはり、大山のバンは、湯野浜温泉に向ったと、いう。
例の防風林の近くに、車をとめて、今夜は、車内で、泊る模様という連絡だった。
「防風林に、何かあるんですかね?」
亀井は、首をかしげた。
十津川はちょっと考えてから、
「防風林で、木下剛が、死んでいる。飢えと寒さで死んだんだが、実際には、殺されたんだ。大山が、木下剛を、防風林の中に放り込んで、殺したのさ。その時に、大山は、何か防風林の中に、落としたんじゃないかね。例えば、ライターとか、名刺とか、ネクタイピンといった小物をだよ。大山の使いなれたものだったりすれば、命取りになる。まだ、警察が見つけてなければ、先に、見つけたいと思うんじゃないかね」
「それ、大いに、考えられますよ」
亀井は、急に、顔を輝かせた。
「しかし、今のは、誰でも考えることだからね」
「だから、あり得ると思うんですよ。すぐ、山形県警に連絡して、この点に、注意してくれるように、いいましょう」
亀井が、いい、十津川も、山形県警に、連絡してみた。
誰でも、考えることは同じだとみえて、山形県警でも、大山が、防風林に入るのではないかと、警戒しているということだった。
「これで、上手《うま》くいけば、大山の尻尾《しつぽ》をつかまえられるかも知れませんよ」
亀井は、嬉《うれ》しそうに、いった。
十津川の方は、あくまで、冷静に、
「あまり、期待しない方が、いいんじゃないかね」
と、いったが、もちろん、これで、大山の首根っこを押さえられれば、申し分ないと、思ってはいた。
4
夜が、深くなっていった。
長く続く防風林は、黒々とした、一条の帯のように見える。
大山のバンも、まるで、その黒い帯の中に、呑《の》み込まれてしまいそうだ。
さっきまで、車内に灯《あかり》がついていたのだが、それも、消えてしまっている。
二十メートルほど離れた場所に、とめてある覆面パトカーの中では、山形県警の安田と岡部の二人の刑事が、じっと、バンを見つめていた。
車についている無線電話で、大山が、バンから出て、防風林の中へ入って行くようなら注意しろといわれていた。
「大山が、何かを探しに、防風林に入るとしたら、当然、懐中電灯を使うだろうな」
と、安田が、いった。
「そうさ。この暗さじゃ、明りがなけりゃ、あの松林の中で、探しものは出来んさ」
岡部が、肯《うなず》きながら、いった。
「ということは、松林の中で、明りが、ちらちらしたら、大山が、探しものをしているとみて、いいんだな」
「そういえば、この近くの防風林の中で、木下剛が、死んでいたんだよ」
「大山の名前を彫り込んだライターでも、彼が、拾いあげているところを捕えれば、それが、決め手になるかも知れんな」
二人の刑事は、会話を続けながらも、眼だけは、前方のバンに向けていた。
車内の灯は、いぜんとして、消えたままである。後部の小さな車幅灯《しやふくとう》だけが、点《つ》いている。
「奴《やつ》は、車の中で何をしてるんだろう?」
安田が、呟《つぶや》いた。
「防風林へ入る準備をしているのかも知れないな」
と、岡部が、いう。
だが、二人の期待している懐中電灯の明りは、いっこうに、見えて来なかった。
まさか、夜の防風林の中に、懐中電灯一つ持たずに、入って行くとは、思えなかった。それでは、何も見えないからである。
安田が、腕時計に眼をやった。
すでに、午前一時を回ってしまっている。
「動かんなあ」
安田が、溜息《ためいき》をついた。
「まさか、おれたちの尾行に気付いたんじゃあるまいね」
「それは、ないと思うが、用心深く動いていることは、間違いない。夜は長いんだ。大山は、絶対安全と、見定めない限り、松林の中には、入って行かないんじゃないかね」
「じゃあ、いつまで待てばいいんだ?」
「あと一分かも知れないし、あと、丸一日かも知れん。相手の出方しだいだからな」
二人の刑事が、そんな話をしている間にも、時間だけは、経《た》っていく。
交代で、少しずつ、眠ることにした。大山が、いつ、防風林の中に入って行くか、わからなかったからである。
午前三時、四時と過ぎていった。
五時を過ぎた。が、大山が、バンを降りて、防風林に入った気配はない。
「夜が、明けたぞ」
と、安田が、仮眠している岡部に、いった。
黒々としていた防風林は、朝の太陽が当り、一本一本の松が、はっきり見えるように、なって来た。
黒いかたまりだった大山のバンも、シルバーメタリックの車体が、朝陽《あさひ》に光っている。
「奴は、とうとう、防風林に入らなかったのか?」
岡部が、眼をこすりながら、安田に、きいた。
「入ったかも知れないが、懐中電灯の明りは見えなかったよ。明りなしに、あの松林の中に入ったって、何も見えん」
「大山は、ゆっくり、あのバンの中で眠ってたのかね。そうだとしたら、馬鹿馬鹿しいな」
岡部が、いった時、無線電話が、鳴った。
安田が、受話器を取った。
「大山は、バンに乗っているか?」
と、いきなり、白石にきかれた。
「乗っています」
「実際に、確かめて来い!」
相手が、怒鳴った。
「何かあったんですか?」
「羽黒山で、男が一人殺された。新庄駅の駅員だ。大山が、本当に、バンに乗ってるかどうか、調べて来い!」
また、白石が怒鳴った。
安田は、電話が切れると、岡部と一緒に、覆面パトカーから降りて、二十メートル先にとめてあるバンに向って、走って行った。
バンの運転席のドアを、拳《こぶし》で、叩《たた》いた。
すぐには、応答がない。
安田の顔に、狼狽《ろうばい》の色が、走った。大山が、抜け出すのに、気付かなかったのだろうか?
そうだとすると、何のために、尾行し、監視していたのか、わからなくなってしまう。
安田は、腹が立って、バンの車体を蹴飛《けと》ばした。
いきなり、ドアが開いた。
サングラスをかけた大山が、顔を突き出すようにして、
「何をするんだ?」
「大山さんだね?」
安田は、ほっとしながら、相手を見上げるようにして、きいた。
大山は、運転席から、見下ろして、
「そうだよ。新車なんだ。傷つけないでくれ」
「ここに、車をとめてから、ずっと、中にいたのかね?」
「ああ、昨日一日、取材で走り回っていて、疲れたから、奥のベッドで、ゆっくり眠ったよ。それが、どうかした? 第一、あんたたちは、何者なんだ?」
大山は、うさん臭そうに、安田を見、岡部を見た。
安田が、警察手帳を見せた。
「警察か」
と、大山は、呟《つぶや》いてから、
「おれは、六月一日から始まる連ドラの取材で、来てるんだ。警察に調べられるような真似《まね》はしてないよ。嘘《うそ》だと思うんなら、東京の中央テレビに、問い合わせてくれ」
「車の中を、見せてくれませんか?」
と、岡部が、きいた。
「おれが、何か違反したのか? ここに、駐車するのは、違反かね?」
大山は、眉《まゆ》を寄せて、岡部を睨《にら》んだ。
岡部は、むっとしながらも、
「いや、そんなことは、ありませんがね。あなたは、四月十五日に、急行『もがみ1号』の車内で起きた殺人事件、それに、防風林の中で死んだ木下剛という男のことで、取調べを受けている。そして、羽黒山で、男が一人、殺されていたんですよ」
「参ったな。確かに、あんたのいう事件のことで、取調べは、受けたよ。しかし、おれのシロは、証明されたんだ。羽黒山で、何があろうと、おれには、関係ない。ずっと、この車の中に、いたんだからね」
「それで、車の中を見せて貰《もら》えませんか?」
岡部は、もう一度、同じことを、大山に向って、いった。
「見せないといったら、また、おれを、疑うのか?」
「かも知れない。とにかく、見せて貰えませんかね」
「いいよ」
大山は、意外に、あっさりと、いった。
二人の刑事は、車内に入った。
簡易ベッドがあり、小さいが、トイレ、キッチンもついていた。テレビもである。
安田と、岡部は、仔細《しさい》に、ベッドを点検した。
毛布は、よじれ、枕元《まくらもと》の灰皿には、吸殻《すいがら》が、山になっている。
岡部は、その吸殻を、いくつか、そっと、ポケットに入れた。
「よく出来ていますね」
岡部は、感心したように、大山に、いった。
「このくらい大きくないと、長旅には、使えないよ」
と、大山は、得意そうに、いった。
「テレビもついているんだな」
安田は、手を伸ばして、小型テレビのスイッチを入れた。
丁度《ちようど》、朝七時のニュースが始まっていた。
簡単にだが、羽黒山で発見された死体のことを報じていた。
警部が、いったように、国鉄新庄駅の柴田俊二という二十八歳の駅員だという。
「羽黒山で死んでいたのは、新庄駅の駅員だそうだよ」
と、安田は、大山にいって、その反応を見ようとした。
「ああ、テレビは、見えてるよ」
と、大山は、いった。
「あんたは、たしか、四月十五日に、急行『もがみ1号』に乗っていて、新庄で降りたんだったね?」
「そうだ。家内の親戚《しんせき》が、新庄で、旅館をやっているんでね」
「そこの駅員が、羽黒山で、殺された」
「それで?」
大山は、じろりと、安田を見た。
「偶然の一致にしては、面白いと思ってね」
「おれには、関係ないよ」
と、大山は、いい、続けて、
「これから、海岸を歩いて来たいんだけど、いいかね」
「防風林じゃないのか?」
「海岸だよ。日本海の荒れた海が、おれのドラマのテーマの一つなんだ。最上川と共にね」
と、大山は、いった。
二人の刑事が、車から出ると、大山は、カギをかけ、海岸に向って、歩いて行った。
5
羽黒山《はぐろさん》の山頂近くで、新庄《しんじよう》駅の駅員が、殺されていたという知らせは、十津川には、二重の意味で、ショックだった。
一つは、防風林で、大山が何か遺留品を探すのだろうと考えていたのが、間違っていたというショックである。
もう一つは、新庄の駅員が、殺されたこと自体のショックだった。
「やはり、あの新庄駅に何かあったんだよ」
と、十津川は、亀井にいって、舌打ちした。
「その駅員が、何か見たので、大山に、殺されたんでしょうか?」
亀井も、当惑した表情になっている。
「恐らく、そうだろう。そして、駅員は、その疑問を、電話か何かで、直接、大山にぶつけて来たんじゃないかね」
「そうだ。大山は、今度のテレビの連ドラのことで、記者会見しましたからね。あのテレビを、殺された駅員が見て、電話したのかも知れませんよ」
「多分ね。それで、大山は、山形へ行って、説明するとでも、いったんだろう。ただ、ひとりで、出かけたのでは、われわれに疑われる。そこで、連ドラの取材ということで、外国製のバンを買い込み、出かけたんだ。取材そのものより、問題の駅員の口封じが、目的だったんだ」
と、十津川は、口惜しそうに、いった。
「それで、山形県警では、どういっているんですか?」
と、亀井が、きいた。
「今のところ、大山には、アリバイがあるといっている。彼の乗ったバンは、警察の車が尾行していたからね。大山の車は、羽黒山には、行ってないんだ」
「防風林にとめて、抜け出したということは、どうなんですか?」
「監視していた県警の刑事は、抜け出さなかったと、いっているようだがね」
「しかし、私は、大山が殺したと思いますよ」
と、亀井は、いった。
「同感だね。これから先は、向うの捜査の進展を待つより仕方がないんだがね」
「大山は、なぜ、思わせぶりに、防風林の傍《そば》に、バンをとめたんですかね?」
と、亀井がきくと、十津川は、苦笑して、
「防風林の傍にとめれば、警察は、大山が防風林の中に入って、前の事件の遺留品を探すと考える。奴《やつ》は、そこまで読んでいたんだと思うね。そうしておいて、羽黒山で、殺人をやったんだ。向うのほうが、役者が一枚上だったということだろう」
「今のところは、でしょう」
と、亀井は、いった。
「そうだ。今のところは、大山に、出し抜かれたな」
と、十津川も、いった。
確かに、今度の大山の行動は、予測しかねたし、十津川たちの予測は、間違っていた。
大山は、今、してやったりと思っているかも知れない。
だが、彼は、新しい殺人をやってしまったのである。いいかえれば、新しい殺人をせざるを得なかったのだ。そのこと自体、大山にとって、マイナスだった筈《はず》である。
「とにかく、山形県警の捜査待ちだな」
と、十津川は、いった。
山形県警では、当然、殺された駅員の遺体を、解剖するだろう。
死亡時刻が、わかったところで、徹底的に、大山のアリバイが、調べられることになる。
その結果を、待つしかなかった。
翌、七日になって、殺された駅員、柴田俊二の解剖が終り、死因と、死亡推定時刻が、判明した。
死因は、後頭部の陥没である。ハンマーかスパナといった鈍器《どんき》で、被害者は、後頭部を、何回か強打され、それが、致命傷になっていた。
死亡推定時刻は、五日の午後六時から七時の間。
死体が発見されたのは、羽黒山の山頂、神社の近くである。
山頂には、広い駐車場があり、土産《みやげ》物店が並んでいる。
その裏手だった。
柴田俊二の車が、駐車場で、発見された。
白い八〇年型のカローラである。車内には、争った痕《あと》はなかったから、柴田は、カローラで、羽黒山へ登って来て、駐車場で降り、現場まで、歩いて行ったらしい。
この解剖結果は、山形県警にとっては、有難くない宣告だった。
なぜなら、五日の午後六時から七時までの頃、山形県警の二人の刑事が、大山の運転するバンを尾行していたからである。
大山のバンは、羽黒山には、行かなかった。
最上川《もがみがわ》の舟下りの出発点、古口で、大山のバンを見つけてから、安田と岡部という二人の山形県警の刑事は、覆面パトカーで、尾行した。
彼らは、一度も、大山のバンを、見失っていない。
バンは、国道を、最上川沿いに入り、鶴岡に着き、そこから、まっすぐ、日本海側の湯野浜温泉に向った。
つまり、県警の二人の刑事が、大山のアリバイを証明してしまったことになる。
県警は、羽黒山の山頂にある駐車場でも、聞き込みを行った。
五月五日の子供の日だったので、駐車場は、遠方から来た車なども集って、混雑していたという。
普通車だけではなくて、ライトバンも、トレイラーも、駐車していた。だが、シルバーメタリックで、外国製の大きなバンは、とめてあれば、目立つ筈《はず》である。
土産物店の店員たちも、駐車場の管理人も、そんな車は、見なかったと、証言した。
駐車場には、観光バスも来るのだが、その運転手たちも、大山のバンは、見ていなかった。
こうした証言と、尾行した刑事たちの眼を信じるなら、大山のバンは、殺人現場である羽黒山の山頂に、行っていなかったことになる。
山形県警では、だからといって、大山が、シロとは、簡単には、考えなかった。
大山は、もう一台、車を用意しておいて、それに乗って、羽黒山に行き、駅員の柴田俊二を、殺したのではないかと、考えたのである。
従って、その間、シルバーメタリックのバンは、大山以外の人間が、運転していたことになる。
この推理が、正しいかどうか、県警では、必死に、捜査をした。
もし、駅員殺しが、大山となれば、四月十五日の急行「もがみ1号」の車内での殺人事件と、湯野浜の防風林の中での木下剛の死も、解決できるかも知れないと、期待したからである。
岡部刑事が、バンの中の吸殻《すいがら》を、ひそかに持ち返ったのも、大山以外の人間が、車内にいたことを証明できるかも知れないと、思ったからである。
しかし、結果は、思わしくなかった。吸殻は、すべて、同じマイルドセブンで、吸口についていた唾液《だえき》から分析した血液型は、大山と同じB型だった。
もう一つは、レンタカーの営業所を、しらみつぶしに、調べていくことだった。
大山が、もう一台、車を使ったとすれば、その車は、レンタカーに違いないと、思ったのである。
山形県内は、もちろん、宮城県警にも、協力を求めての捜査だったが、大山が、レンタカーを借りたという証拠は、見つからなかった。
もちろん、だからといって、大山が、もう一台の車を、利用したという疑いは、消えなかった。
宮城、山形以外で、レンタカーを、借りたかも知れないし、他の人間に、借りさせたかも知れないからである。しかし、そこまで調べるのは、大変な作業になってしまう。
6
「山形県警は、苦労しているようですね」
亀井は、同情する顔で、十津川に、いった。
「大山も、ただの鼠《ねずみ》じゃないからね」
と、十津川は、いってから、
「羽黒山で殺された駅員のことが、報告されて来たよ」
と、ファクシミリで、送られて来たメモを、机の上に置いた。
〈柴田俊二、二十八歳。身長百七十センチ。体重六十二キロ。
独身。山形県鶴岡に生まれ、地元の高校を卒業したあと、国鉄に入り、新庄駅の勤務になったのは、五年前からである。
五月五日は、非番だったため、この日の行動は、不明である。アパートの管理人の話では、午後三時頃、車に乗って出かけるのを見たという。
四月十五日は、改札勤務で、急行「もがみ1号」が、到着した時も、改札掛をやっていた筈である。
性格は、内向的で、借金はないが、車と旅行が好きで、スポーツ・カーを欲しいが、口癖だった〉
柴田の顔写真も、電送されて来た。
「カメさんは、大山が、殺したと思うかね?」
と、十津川が、きいた。
「他《ほか》には、考えられませんよ。この柴田という駅員は、四月十五日に、新庄駅で、改札掛をやっていたんでしょう。彼は何か、見たに違いないんです。大山の記者会見を見ていて、それを、思い出したんじゃありませんか」
「そして、大山を、脅したか?」
「共同記者会見をやるほどの有名人なら、スポーツ・カーを買うぐらいの金は、出すんじゃないかと、考えたとしても、おかしくはないと、思いますね」
「大山の方は、口封じを考えたということだね」
「せっかく、六月一日からの連ドラで、出世の糸口をつかんだわけですからね。邪魔されて、たまるものかと、考えたんでしょう。一番いいのは、殺して、口を封じることだと、思ったんですよ、きっと」
亀井は、吐き捨てるように、いった。
「それで、取材に見せて、殺しに出かけたということだね」
「五月五日を指定したのは、柴田という駅員の方だと思いますね。その日が、非番だったわけですから」
「取引きの場所は、羽黒山頂の駐車場か」
「そうです」
「やはり、大山は、バンの他に、もう一台、車を使ったと思うかね?」
十津川が、きくと、亀井は、肯《うなず》いて、
「清水刑事に聞いたんですが、羽黒山頂までは、車でも、かなりかかります。バスで帰ったのでは、運転手に、顔を覚えられてしまう危険があります。タクシーも、同様です。となれば、もう一台、車を、使ったとしか思えませんね」
「その間、バンを運転していたのは、別の人間ということになるね?」
「そうです。連ドラの取材に行くんだから、手伝ってくれといえば、喜んで、協力する人間は、いくらでも、いると、思いますよ。その人間に、レンタカーを、借りさせれば、大山の名前は、出て来ませんからね」
「そして、夜、防風林の傍《そば》にとめたバンに、大山が、ひそかに、乗り込んで、すり代ったということかね?」
「暗いし、防風林の中を歩いて近づけば、わかりませんよ」
と、亀井は、いった。
第七章 再び「急行もがみ」
1
「大山は、多分、われわれに、勝ったと思っているだろうね」
十津川は、煙草をくわえて、亀井に、いった。
「そうでしょうね。向うの県警は、まんまと、裏をかかれたわけですから」
「しかし、大山も、ある意味で、ヘマをやったんだ」
「柴田という駅員を殺したことですか?」
「そうだよ。大山は、二つのヘマをやった。一つは、柴田という駅員が、事件のカギを握っていることを、明らかにしてしまったことさ」
「しかし、警部。その柴田は、死んでしまったんです。死人は、証言できませんよ。大山だって、そう考えて、柴田を殺したんだと思いますが」
「その通りだよ。だがね、大山が、新庄駅の駅員を殺したということは、われわれが考えたように、あの駅が、事件解決の場だということを、はっきりさせたのと、同じなんだ。新庄駅と、急行『もがみ1号』が、事件のすべてなんだよ」
と、十津川は、いった。
「二つ目のヘマは、何ですか?」
亀井が、きく。
「柴田を殺すのに、共犯者を、使ったことだよ」
「やはり、共犯を使ったと思いますか?」
「他《ほか》に、考えられないよ。大山自身が、五月三日に新車のバンを運転して、取材に出たのは、間違いない。新聞に、彼が、運転している写真が、のっているからだ。二日たって、山形県警のパトカーが、大山のバンを発見して、尾行を開始した。その後、県警のパトカーは、一度も、大山のバンを見失っていない。だが、その間に、羽黒山の山頂で、駅員は、殺された。大山本人が殺したか、共犯者が殺したに違いない。だが、私は、大山が、殺したと思う」
「最近は、殺し屋を、金で傭《やと》える時代ですが」
と、亀井が、いった。
十津川は、笑って、
「そうかも知れないが、そんなことをすれば、自分で墓穴を掘るようなものだよ。殺し屋から、今後、いくら金をむしり取られるかわからないし、いつ、警察に通報されるかわからないからだ。それに、大山が、簡単に、殺し屋を見つけ出せたとも思えないからね。それで、私は、大山自身が、柴田という駅員を殺したと思うんだ。大山本人が、羽黒山に出向いたからこそ、柴田も、安心したんだろうと、思うしね」
「すると、共犯者は、問題のバンを、運転していただけということになりますか?」
「その通り。五月五日に、山形県警のパトカーが、バンを見つけた時は、すでに、別の人間が、運転していたんだよ。大山に頼まれてね。県警の覆面パトカーは、それを知らずに、バンを尾行する。大山の方は、その間に、別の車で、羽黒山へ行き、柴田に会って、殺したんだ」
「大山が、羽黒山に行くのに使った車は、入れかわって、バンを運転していた人間の車ということになりますか?」
「そう思うね。仮りに、その人間を、Aとすると、Aは、自分が、人殺しのアリバイ作りに利用されているとは気付かずに、大山の手助けをしていたんだと思うね」
「しかし、共犯には、違いありませんよ」
「そうさ。だから、私は、第二のヘマだと、いってるんだ。人殺しをさせたわけじゃないし、相手は、真相も知っていないと、大山は、タカをくくっているだろうがね。われわれが、その人間を見つけ出して、五月五日には、大山に頼まれて、あのバンを運転していたことを証言させれば、柴田殺しについて、大山のアリバイは、無くなるんだ」
「そのAという人物ですが、警部は、どんな人間だと、思われますか?」
亀井に、きかれて、十津川は、「そうだねえ」と、考え込んだ。
「男であることは、間違いないと思うね。山形県警の覆面パトカーは、慎重に尾行したので、わざわざ、前に廻《まわ》って、運転している人間が、大山であることを、確認してはいないらしい。しかし、ちらりとは、見ている。その時、女が運転していれば、勘でわかるだろう。だから、男で、年齢や、身体つきが、大山に似ている人間だとも思うね」
「大山との関係は、どう考えますか?」
「二つ考え方があるね。現在の大山の近くにいる男か、逆に、遠いところにいる人間かということだ」
「なるほど」
「カメさんが、もし、大山だったら、どっちの男を使うね?」
「そうですね。身近な人間なら、頼みやすいですが、警察に調べられた時、見つかりやすい。その点、最近、たまたま会った学校時代の友人とか、バーで会った男とかなら、警察に調べられても、なかなか、見つからずに、すみますが」
「それなら、自分から遠いところにいる男を使うかね?」
十津川が、きくと、亀井は、ニヤッと笑って、
「いや、逆に、身近な男を、使いますね」
「なぜだい?」
「確かに、警察が、調べれば、すぐ、捜査線上に、浮んでしまうという欠点はあります。しかし、遠い人間は、いつ裏切るか、不安です。その点、身近なら、いつも、監視していられます。私が、大山なら、思い切って、身近な人間を、利用しますね」
「それも、理屈だね」
「すぐ、私が、大山の周辺を、調べてみましょう」
と、亀井が、いった。
十津川は、首を横に振って、
「それは、他の者に委《まか》せて、カメさんは、私と一緒に、出かけて欲しいんだよ」
「どこへですか?」
「もちろん、あの新庄駅だ」
2
亀井がやるといった捜査は、西本と清水の二人の刑事に委せて、十津川は、亀井と、もう一度、新庄駅へ行くことにした。
新庄駅へ行くということは、急行「もがみ1号」に、乗るということである。
その日のうちに、二人は、上野から、東北新幹線に乗った。
四月十五日、大山は、新妻と一緒に、鳴子から、急行「もがみ1号」に、乗っている。
急行「もがみ1号」の鳴子発は、午前九時二五分と、早い。どうしても、十津川は、鳴子から乗りたかったので、その日のうちに、東北新幹線に、乗ったのである。
古川で、乗りかえ、鳴子に着いたのは、午後十時を廻《まわ》っていた。
駅近くの旅館に、泊った。
宮城県警にも、山形県警にも、黙っていたのは、何か新しい発見があるかどうか、自信がなかったからである。
翌日、旅館で、朝食を早めにすませてから、十津川と、亀井は、旅館を出て、鳴子の駅に向った。
すでに、五月に入っているのに、この辺《あた》りの朝は、肌寒い。
ただ、ところどころに咲いている桜は、やはり、春の感じだった。
「四月十五日も、大山夫婦は、こうして、歩いて、鳴子駅に向ったんですかね?」
歩きながら、亀井が、十津川に、話しかけた。
「そうだろうね。旅館の車で、送って貰《もら》ったのかも知れないが、とにかく、九時二五分発の急行『もがみ1号』に、乗ったことだけは、間違いないよ」
と、十津川は、いった。
旅館の前の急な坂道をおりると、そこが、もう、鳴子の駅である。
こけし風の公衆電話ボックスを、横眼に見て、駅に入り、一応、新庄までの切符を買った。
小さな待合室には、八人が、列車の来るのを待っていた。
時間が来て、改札が始まり、十津川と亀井は、ホームに入った。
すぐ、三両編成の急行「もがみ1号」が、姿を見せた。
十津川は、改めて、小さな急行列車だなと思った。可愛らしいと、いってもいい。
車内に入ると、ウイークデイなのと、ゴールデン・ウイークが終ったのとが重なったせいか、がらがらである。
二人は、四人掛けのボックスシートの窓際に、腰を下ろした。
十津川は、捜査本部から持ち出して来たカメラに、フィルムを入れた。木下ゆう子の撮《と》った同じ写真が、撮れるかどうか、試してみたかったからである。
五分停車で、急行「もがみ1号」は、鳴子駅を発車した。
亀井は、腕時計に、眼をやって、
「今頃《いまごろ》、奥羽本線の『もがみ1号』も、新庄に向けて、走っているわけですね」
と、十津川に、いった。
十津川は、奥羽本線の「もがみ1号」に、乗った時のことを、思い出した。
あの時は、北山形から、奥羽本線の「もがみ1号」に、乗ったのである。確か、北山形発、九時三三分だった。
この時間なら、山形の手前あたりだろう。
「奥羽本線にも、急行『もがみ1号』が、走っていて、新庄で一緒になると知った時は、これで、事件は、解決したと、思ったんですがねえ」
と、亀井は、思い出しながら、いった。
「その点は、私も同じだったよ」
十津川が、笑った。
「四月十五日は、こちらの『もがみ1号』に、大山夫婦と、木下ゆう子が、乗っていたことになりますね」
亀井は、窓の外の景色を見ながら、いった。
「清水刑事たちも、乗る筈《はず》だったんだ。同じ列車にね」
十津川は、窓を開けた。心地よい風が、入ってくるが、しばらくすると、寒くなって来て、あわてて、閉めた。
まだ、東北では、風は冷たいのだ。
「清水君の奥さんが、殴られて、『もがみ1号』に乗れなくなったんですが、それは、やはり、大山の仕業だと思われますか?」
「むろんね。四月十五日に、大山は、清水夫婦に、一緒に、『もがみ1号』に、乗って貰《もら》いたくなかったんだろうね」
「トリックに、気付かれるのが、怖《こわ》かったんでしょうか?」
と、亀井が、きいた。
「それもあるかも知れないが、大山が犯人なら、彼は、新庄以西も、『もがみ1号』に、乗っていたことになる。それを知られるのが怖かったんじゃないかね。清水君も、奥さんも、大山の顔は知っていたし、同じハネムーンということで、関心を持っていたからね」
「考えてみれば、清水夫婦は、四月十五日には、『もがみ1号』に乗れませんでしたが、彼女の頭の痛みがとれれば、翌日の同じ列車に乗れたわけですね」
「そうだよ。現実は、清水君は、翌十六日の『もがみ1号』に乗って、古口まで行くつもりだったと、いっていた。たまたま、奥さんの頭の痛みが残っていて、列車をやめて、車で、最上川舟下りに出かけているがね」
「すると、大山は、清水刑事が、翌日の『もがみ1号』に乗っても、トリックは、見破れないと、思っていたんですかね」
亀井は、ぶぜんとした顔で、いった。
そうなら、今日、こうして、「もがみ1号」に乗ったことは、意味がなくなってしまうのではないか。
二人の乗った急行「もがみ1号」は、羽前赤倉《うぜんあかくら》、羽前向町《うぜんむかいまち》と、停車して行く。
瀬見《せみ》、一〇時〇一分。
次は、問題の新庄である。
清水が、四月十四日からのハネムーンに出かけた頃は、残雪が、あちこちにあって、改めて、東北の寒さを実感したといっていたが、さすがに、五月になると、残雪は少なく緑が多くなっている。
それに、いたるところに、桜が満開を迎えていた。
十津川は、寒いのを我慢して、もう一度、窓を開けた。近づいてくる新庄の駅を、しっかりと、見ていたかったからである。
単線で、非電化の陸羽東線の線路に、左側から、これも、単線、電化の奥羽本線の線路が、近づいてくるのが、見えた。
間もなく、新庄である。
一〇時二二分。新庄着。
右側に、ホームがあるので、逆の窓際に腰を下ろしていた十津川と亀井は、立ち上がって、反対側の席に移って、窓を開けた。
新庄で降りる人たちが、十二、三人、ホームに降りて行くのが見えた。
四月十五日、大山夫婦も、ああして、ここで降りて行ったのだろうと思いながら、十津川は、彼等の姿を眼で追っていた。
新庄駅は、島式ではなく、二つのホームになっている。
急行「もがみ1号」が着いたホームには、改札口がないので、ここで降りる客は、跨線橋《こせんきよう》を渡って、反対側のホームに行かなければならない。
列車から降りた人たちは、跨線橋の階段を、上がって行く。
ホームには、売店もあるので、亀井が、「何か、飲みものでも買って来ましょう」と、いって、降りて行った。
車掌が、新庄での停車時間は、十四分といっていたから、ゆっくり買い物が出来るだろう。
ホームに降りた亀井が、窓を開けた十津川に向って、
「何がいいですか? コーヒーにしますか? オレンジジュースにしますか?」
と、きいた。
「コーヒーがいいね」
と、十津川が、答えた時、急に、ドアが閉まってしまった。
3番線の列車は、これから、いったん、バックして、2番線に入るというアナウンスがあった。
改札口のある反対側のホームに入るという。
「私は、向うのホームで、待っていますよ」
と、亀井が、いった。
十津川の乗っている急行「もがみ1号」は、アナウンスがあってからも、なかなか動き出さない。
その間に、缶コーヒーを二つ買った亀井は、それを両手に下げて、跨線橋を、大股《おおまた》に、上がって行った。
十津川は急にあることを思いついて、反対側の元の座席に、急いで、戻った。
腰を下ろして、窓を開けた。
改札口のある反対側のホームが、よく見える。
改札口もである。
跨線橋を渡って、亀井が、向うのホームに、駆《か》け降りて来た。両手に、缶コーヒーをぶらさげたユーモラスな恰好《かつこう》だ。
十津川の乗っている急行「もがみ1号」が、急に、バックを始めた。
亀井の立っているホームが、ゆっくり、遠ざかって行く。
十津川は、カメラを構えると、亀井に向けて、続けて、シャッターを切った。
列車は、どんどん、バックして行く。新庄駅のホームが見えなくなったところまで、バックして、停車した。
(初めて、この列車で、新庄に来た人間は、びっくりするだろうな)
と、十津川は、思った。
この急行「もがみ1号」が、新庄で、陸羽東線から、陸羽西線に入るのは、知っていても、こんな手順を踏むとは、思っていないだろう。
アナウンスがあるが、必ずしも、しっかり聞いているとは、限らない。停車したホームで、買い物をしていて、突然、ドアが閉まり、今まで乗って来た列車が、逆方向に走り出したら、びっくりするのではないか。
急行「もがみ1号」は、二百メートルほど、バックしたところで、しばらく、停車したままである。
奥羽本線を走って来る急行「もがみ1号」を、待っているのだ。
二、三分して、隣りの線路に、同じ三両編成の、もう一つの急行「もがみ1号」が、入って来た。
先日、十津川と亀井が、乗った列車である。
あの時、二人とも、反対側の窓際に腰を下ろしていたので、こちら側に、もう一つの急行「もがみ1号」が、停車していたのに、気がつかなかったのだ。
もちろん、二つの急行「もがみ1号」が、新庄で、併合することは知っていたが、こんな形で、併合するとは、思っていなかったのである。
陸羽東線でやって来た「もがみ1号」が、いったん、新庄駅に着き、乗客を降ろしてから、また、二百メートルもバックして、待機するというような面倒な方法を、とるとはである。
奥羽本線を走って来た「もがみ1号」は、スピードを落として、十津川の眼の前を走り過ぎて行き、2番線ホームに入って行った。
そのあと、やっと、十津川の乗った「もがみ1号」が、動き出した。
転轍《てんてつ》機が、切りかえられていて、「もがみ1号」は、身体をくねらせるようにしながら、隣りの線に入って行く。
2番線のホームの前方には、奥羽本線から入って来た「もがみ1号」が、停車している。
十津川の乗った「もがみ1号」は、スピードを落とし、ゆっくりと、連結された。
六両編成の急行「もがみ1号」に、なったのだ。
ドアが開いて、缶コーヒーを持った亀井が、乗って来た。
その亀井に向って、十津川は、眼を光らせて、
「大山のトリックが、わかったよ」
と、いった。
3
十四分間、新庄に停車した急行「もがみ1号」は、やっと、西に向って、発車した。
亀井は、売店で買った缶コーヒーを、十津川と一緒に、飲みながら、
「本当ですか?」
と、きいた。
「大山のアリバイは、被害者木下ゆう子の撮《と》った三枚の写真だ。大山が、新庄駅の改札口を出て行くのを、彼女が、急行『もがみ1号』の車内から撮ったね。その時、列車は、走り出していたから、大山は、もう、『もがみ1号』には、乗れないと、考えた。ところが、さっきの列車の動きで、『もがみ1号』は、二度、新庄駅に停車することが、わかったじゃないか」
「確かに、そうでしたね。新庄駅の3番線ホームにまず、停車し、次に、バックしてから、今度は、2番線ホームに着いたんです」
「その間が、十四分だよ。いったん、改札口を出た大山が、何か、理屈をつけて、もう一度、ホームに入って来て、併合された急行『もがみ1号』に、乗り込むには、十分な時間じゃないか」
「なるほど。私も、3番線ホームに降りて、缶コーヒーを買って、跨線橋《こせんきよう》を渡り、反対側のホームに行って、この列車を、待っていましたからね。大山が、新妻のアキと、改札口を出てから、彼女をタクシーに乗せて、先に、親戚《しんせき》の家にやり、また、ホームに戻っても、まだ、時間は、十分に、余っていたと思いますよ。問題は、木下ゆう子が撮った写真ですが」
「同じものを、私も、さっき撮ったよ。ただし、モデルは、大山じゃなくて、カメさんだがね」
と、十津川は、楽しそうに、いった。
「これから、どうしますか?」
「私は、羽黒山へ行ってみたいと、思っているんだよ」
「大山が、逃げてしまう恐れは、ありませんか?」
と、亀井が、きいた。
十津川は、笑って、
「彼が、逃げるものかね。大山は、うまく木下ゆう子と、木下剛を殺し、柴田という駅員の口も封じてしまったので、もう大丈夫だと思っているよ。それに、現在、奥さんのおかげで、大きな仕事をつかんでいる。こんな時に、逃げたりはしないよ」
と、いった。
大山は、今、成功への道を登っていると、感じているに違いないのである。
今度の朝の連ドラが、成功し、高視聴率を得られれば、大山は、一躍、有名作家の仲間入りなのだ。
そのチャンスを、つかみかけている。
そして、チャンスをつかむためにも、木下ゆう子は、邪魔な存在だったのだ。だから、殺した。
列車が、余目《あまるめ》に着いたのは、一一時二一分である。
ここで、「もがみ1号」を降りて、羽越本線の上りに、乗りかえた。
先日も、温海《あつみ》温泉へ行くために、同じコースをとったのだが、あの時は、新庄で、事件解決の手掛りが得られず、重い気持で、乗りかえたのだが、今日は、違っていた。
十津川は、大山のトリックは、解明できたと、思っていたから、自然に、気分が、軽い。
鶴岡に着いたのは、十二時半を廻《まわ》っていた。
山形県警に、連絡しなければ、ならないのだが、十津川は、その前に、駅前のDPE屋に飛び込み、新庄駅で撮った写真の現像と、引き伸しを、明日までに、やってくれるように、頼んだ。
そのあとで、酒田署の捜査本部に、電話を入れた。
山形県警の白石警部が、すぐ、行きますと、いってくれた。
一時間ほどして、白石は、車で迎えに来てくれた。
十津川は、新庄駅での発見のことは、伏せておいて、羽黒山へ行ってみたい旨を、告げた。
「柴田という駅員が、殺されていた現場を、見てみたいんですよ」
と、十津川は、白石に、いった。
白石は、自分で、車を運転して、二人を、羽黒山に案内してくれた。
「だいぶ、雪が少なくなりました」
と、白石は、運転しながら十津川に、いった。
「大山が、利用したと思われるもう一台の車のことで、何か、わかりましたか?」
十津川が、きく。
「残念ながら、全く収穫なしですよ。どうも、山形県内で、車を借りるとか、盗んだとかしたんじゃないようですね」
「柴田という駅員については、どうですか? 友人に、大山という名前を、いっていたということは、なかったんですか?」
「それが、あまり、友人のなかった男なんですよ。ただ、彼のアパートから、手帳が見つかりましてね。いや、大山という名前は、書いてありませんでしたが、殺された日のところに、百万の数字が、書いてありました」
「大山に、百万円を要求したということですかね?」
「そうだと思うんですが、証拠は、ありません」
と、白石は、残念そうに、いった。
羽黒山の頂上にある駐車場に、車を入れると、白石は、十津川と亀井を、柴田が、殺されていた場所に、連れて行った。
駐車場からも、土産《みやげ》物店からも、死角になっている場所で、周囲は、樹齢何百年という巨大な杉に囲まれていた。
「残念ながら、柴田が殺されるのを見ていた人も、見つかっていません」
と、白石が、いった。
「彼も、ここに、自分の車で来たわけですね?」
亀井が、きいた。
「向うの駐車場に、駐《と》めてありましたよ。ここには、車でしか、来られませんからね」
「大山から、百万円|貰《もら》えるつもりで、ここにやって来て、殺されてしまったというわけですか」
十津川は、周囲を見廻《みまわ》した。
「問題は、何と交換に、百万円だったかということですがね」
と、白石が、いう。
十津川は、微笑して、
「それは、明日になれば、何とか、わかると思っていますが」
「本当ですか?」
白石が、びっくりした顔で、十津川を見た。
「期待していて下さい」
十津川は、彼にしては珍しく、胸を叩《たた》くような表情で、白石に、いった。
十津川たちは、白石に、酒田に戻って貰《もら》い、亀井と、小さな旅館に入った。
十津川は、自分でもおかしいほど、気分が浮き浮きしているのを感じていた。
亀井と二人で、実際に、大山と同じルートで、急行「もがみ1号」に乗ってみて、彼の考えたトリックを見破ったという思いが、あったからだろう。
鶴岡で一泊して、朝になると、十津川は、自分で、昨日頼んだDPE屋に、出かけて行った。
現像、引き伸しも出来ていた。
自分が欲しい三枚の写真が、しっかり写っているのを確かめてから、十津川は、旅館に戻った。
亀井の眼の前で、その三枚の写真を、テーブルの上に、並べた。
新庄の駅で、バックして行く「もがみ1号」の窓から、ホームに立っている亀井を撮った写真である。
「どうだい? カメさん。木下ゆう子が、新庄で降りた大山を撮ったのと、同じ写真だよ」
と、十津川は、楽しそうに、いった。
「なるほど。同じですね」
亀井も、声をはずませて、三枚の写真を、見ていった。
「君は、ホームに立っているが、あの時、改札口を出て行く姿でも同じなんだよ。とにかく、十四分という長い余裕があったんだ。そこが、ミソだったのさ」
と、十津川は、いった。
「私たちのということは、四月十五日には、大山夫婦と木下ゆう子が乗ったということになるんだが、急行『もがみ1号』は、この図の下から、入って来て、3番線ホームに停車した。新庄で降りることになっていた大山は、新妻と一緒に、3番線ホームで降りて、ゆっくり、跨線橋《こせんきよう》を渡り、反対側のホームに行く。こちらに改札口があるからね。一方、降りなかった木下ゆう子の乗っている『もがみ1号』は、バックを始める。その時、彼女は、列車の窓から、改札口を出て行く大山夫婦を、カメラで撮った。あの三枚の写真だよ。列車が動いているから、さも、新庄駅を出発した『もがみ1号』から、撮ったように見える」
「大山は、何といって、木下ゆう子に、写真を撮らせたんでしょうか?」
「多分、こういったんだろう。新庄駅での列車は、面白い動きをするから、写真に撮ってごらんとね。初めて、急行『もがみ1号』で来た人は、びっくりすると、いったのかも知れない。その上、おれは、いったん、新庄駅で降りる恰好《かつこう》をしてから、また、『もがみ1号』に乗って来て、お前と一緒に、酒田へ行くとでもいえば、木下ゆう子は、喜んで、これと同じ写真を撮ったと思うね」
と、十津川は、いった。
「これで、大山も、アリバイがなくなって、逮捕できますね」
亀井が、嬉《うれ》しそうにいった。
「アリバイは崩れたが、もう一度、『もがみ1号』に乗ったという証拠はないがね」
と、十津川は、慎重にいった。
大山は、多分、陸羽東線の「もがみ1号」にも、奥羽本線の「もがみ1号」にも、何回か、乗ったことがあったに違いない。
そして、新庄駅を利用したトリックを、考えついたに、違いないと、十津川は、思う。
たまたま、新庄に、結婚相手のアキの親戚《しんせき》が、住んでいた。そのことも、トリックに、利用したのだろう。
あるいは、アキの親戚が、新庄で、旅館をやっていて、何回か、遊びに行った。急行「もがみ1号」に、乗って行ったこともあるだろう。それで、木下ゆう子の殺人計画を、立てたということも、考えられる。
その経緯は、わからないが、大山が、何回か、「もがみ1号」に乗って、新庄駅の十四分停車や、複雑な併合のシステムを、経験したことだけは、間違いないだろう。
問題は、証拠である。
大山は、恐らく、十津川の推理した方法で、被害者に、アリバイを作らせ、彼女を、車内で、殺したのだ。
しかし、大山は、否定するだろう。
その時に、必要なのが、証拠である。
新庄駅の改札口に、いったん出た大山が、再び、急行「もがみ1号」に、戻ったという証拠である。
その時、「もがみ1号」は、2番線で、併合されていた筈《はず》である。
大山が、その列車に乗ったことを、証言できる人間は、何人かいる筈なのだ。
大山の妻のアキも、その一人だろう。
あの日、大山は、改札口を出たあと、アキに、何か理由をいって、先に行かせ、自分は、駅に戻ったに、決っているからである。
しかし、大山と正式に結婚してしまっている今、彼に、不利な証言はしないだろう。
レポーターの小田切弘子も、証言できる一人だったに違いない。
彼女は、奥羽本線の「もがみ1号」に乗って来て、新庄を過ぎたあと、車内で、大山を見かけたのだ。
それが、殺人事件に関係していることとは知らずに、大山に会った時、ちらりと、いったのだろう。
大山にとって、彼女の一言は、命取りになる。それで、口封じに、殺したに違いない。
「もう一人が、柴田という新庄駅の駅員だよ」
と、十津川は、亀井に、いった。
「四月十五日に、柴田は、新庄駅で、改札をやっていたということですから、大山が、いったん、外に出たあと、また、戻って来たのを、覚えていたということですかね」
「そんなことは、別に、珍しいことじゃないと思うんだよ。途中下車する人間は、多いだろうし、停車時間が、長い時は、ちょっと外に出て、お土産《みやげ》を買う乗客もいるだろうからね。だから、柴田も、大山の行動を、別に、不審に思わなかったに違いない。ところが、大山のテレビでの記者会見を見たんだ。そして、『もがみ1号』の車内で起きた事件と、結びつけて考えたんだろうね」
「大山に電話をかけたわけですね」
「そうだ。あわてた大山は、取材にかこつけて、車で、やって来て、羽黒山で、柴田を殺したのさ」
と、十津川は、いった。
「県警の白石警部に、すぐ、連絡しましょう。白石さんも、きっと、喜ばれますよ」
亀井が、声をはずませていい、今にも、受話器に、手を伸ばしかけた。
「そうだな。白石さんに、連絡して、この写真を見せて、喜んで貰《もら》うかな」
十津川も、いった。
だが、次の瞬間、十津川の顔色が、変った。
「ちょっと、待ってくれ」
と、十津川は、亀井に向って、あわてて、声をかけた。
4
電話に、手をかけていた亀井が、「え?」という顔で、振り向いた。
「どうされたんですか?」
「駄目なんだ! カメさん」
十津川は、呻《うめ》くような声を出した。
「何が、駄目なんですか?」
「何がって、この写真さ。私の撮ったこの三枚の写真は、よく考えてみれば、何の役にも立たないんだ」
「何のことか、私には、わかりませんが――」
亀井が、戸惑いを見せて、十津川を見ている。
十津川は、自分の頭を、自分で、小突いた。
「なんで、こんな間違いに、気付かなかったんだろう」
と、これは、口の中で、呟《つぶや》いた。
「まだ、私には、何のことかわからないので、説明して下さい」
と、亀井が、いった。
「この写真を、よく見たまえ」
十津川は、机の上に並べた三枚の写真を、いまいましげに指で叩《たた》いた。
「この写真は、大山のトリックを崩《くず》す立派な写真だと思いますが」
亀井が、首をかしげながら、いった。
「私も、そう思って、得意になっていたんだがね。駄目なんだよ。カメさん、何の足しにもならない写真だよ」
十津川は、自分を責めるようないい方をした。
「大山が、木下ゆう子に撮《と》らせた写真と、同じものでしょう? それなら、彼のトリックを、打ち破る武器になりますよ」
「それが、違うんだ」
十津川は、ポケットから、問題の三枚の写真を取り出して、自分が写した三枚の横に並べた。
「よく見てごらん。カメさん」
と、十津川が、いう。
亀井は一枚ずつ、丁寧《ていねい》に見ていった。
一見、同じように見える写真である。
改札口のあるホームを、ゆっくりと、走る列車の窓から撮った写真なのだ。
だが、亀井の顔も、途中で、ゆがんできた。
「これは――」
と、絶句してから、
「逆ですね」
「そうだよ。逆なんだ。私の撮った写真はホームが、いつも、進行方向の左側に見えている。しかし、木下ゆう子が撮った写真は常に、進行方向の右側に、ホームが、見えている。これは、決定的な違いだよ。ホームや、そのホームの改札口までの遠近感は、レンズによって、どうにでも細工できるが、この左右の違いは、どうにもならない。私が撮ったものは、列車が、仙台方向に動いている時に撮ったことがわかる。それに反して、木下ゆう子が、撮ったものは、列車が、余目《あまるめ》方向に動いている時に、シャッターを、押しているんだよ」
十津川は、小さな溜息《ためいき》をついた。
「ネガを裏返しにして、焼き付けたということは、考えられませんか?」
亀井が、いった。
十津川が、首を小さく横に振って、
「それもないよ。駅名が逆になってないし、ネガも提出してあるんだ」
「すると、木下ゆう子は『もがみ1号』が、バックした時に撮ったのではなく、実際に列車が、新庄を出発した時に、撮ったことになってしまいますね」
「そうなんだよ。カメさん」
「すると、やはり、この木下ゆう子の写真は、大山のアリバイ証明になってしまいますね」
「ああ、そうだ」
「参りましたね」
「参ったよ」
「そういえば、清水刑事の奥さんの件がありましたね」
亀井が、思い出したように、いった。
「清水刑事の奥さんの件?」
「大山が、彼女を殴って、十五日の『もがみ1号』に、清水君が乗れないようにした件です。大山は翌日、清水刑事や、奥さんが乗ることは構わなかったと思われます。そのことです」
「ああ、その疑問か」
「そうです。たまたま、翌十六日、まだ、清水君の奥さんの気分がすぐれなくて、車で、古口に行きましたが、一日おくれて、『もがみ1号』に乗る可能性は、十分に、あったわけです。乗れば、私たちが体験した、新庄駅の列車の動きにも、気づいたはずです。清水刑事も、私たちと同じように、バックする車窓から、写真を撮ったに違いないと思います。大山は、それでも構わないと思ったからこそ、清水君の奥さんを、殴っただけで、出発したんです。自信があったんですよ。『もがみ1号』の動きがわかっても、大丈夫だという自信がです」
「カメさんのいう通りだよ」
と、十津川は、いった。
自分のバカさ加減に腹が立っていたのだが、今は、少しばかり笑いたくなっていた。
「山形県警には、どうしますか?」
と、亀井が、きいた。
「電話をかけて、謝るより仕方がないだろう。期待を持たせてしまったんだからね」
十津川は、肩をすくめた。
第八章 共犯者
1
十津川にとって、屈辱《くつじよく》的な一日だった。
山形県警の方に、明日は、面白い写真を見せますと、勢い込んでいっていたのに、それが駄目になってしまった。
黙って、東京へ逃げるわけにはいかない。
十津川は、山形県警に電話をかけて、謝った。思い違いだったことを、いってである。
相手には、何のことかわからなかったに違いない。
くわしく説明すればいいのだが、それをするのが、嫌だったのだ。自分のことを、反芻《はんすう》するような気分になるからである。
「これから、どうされるんですか?」
と、白石警部が、きいた。
「とにかく、東京に戻って、他の面から、大山に迫ってみます」
と、十津川は、いった。
電話をすませると、十津川は、すぐ、東京に、戻ることにした。
新潟に出て、新潟から、上越新幹線で、東京に帰った。
「他の面からというのは、どういうことですか?」
と、新幹線の車内で、亀井が、きいた。
「大山の共犯の線だよ」
「彼の代りに、バンを運転した男のことですね」
「そうだよ、そいつを見つけ出さないと、腹の虫が、おさまらないよ」
と、十津川は、この男には、珍しく、焦《あせ》りの色を見せて、いった。
「どんな男だと、思われているんですか?」
「カメさんもいったように、大山の身近にいる人間だと思うね。だから、探し易《やす》いと、私は、思っているんだ」
「ただ、この男だという決め手が、ありませんよ。顔も、背恰好《せかつこう》も、全く、わかっていないんですから」
と、亀井が、いう。
「わかっていることも、少しはあるさ」
「ありますか?」
「その男は、今もいったように、大山の身近にいる人間だということ。自動車免許を持っていること。それに多分、大山に、顔が似ていることだよ。この三つは、わかっているんだ」
「その三条件は、見方によっては、何もわかっていないのと、同じじゃありませんか」
亀井が、いうと、十津川は、笑って、
「確かに、その通りなんだよ、カメさん」
「だから、見つけ出すのは、大変だと思いますよ」
「わかってるよ」
「東京に戻ったら、すぐ、始めましょう」
と、亀井は、いってくれた。
捜査本部に戻ると、十津川は、部下の刑事たちを集めた。
「今から、全員で、人探しをやって貰《もら》う。人相も、背恰好も、年齢も、わからない男だ。わかっているのは、大山の身近にいて、車の免許を持っていて、大山に似た顔をしていることだ。すぐ、かかってくれ」
十津川は、そういって、すぐ、捜査に出かけさせた。
上手《うま》くいくかどうか、十津川にも、わからない。
まさか、大山が、口封じに、その男を、消してしまったとは、思わないが、どこかへ、隠してしまっているかも、知れないのだ。それとも、金を与えて、旅にやってしまったかも知れない。海外へでも、行ってしまっていたら、手のほどこしようがないだろう。
大山が、警察を甘く見て、共犯の男を、放っておいてくれれば、有難いのだが。
十津川は、亀井と、吉報が来るのを待った。
西本刑事や、清水たちは、必死に、聞き込みをやっているのだが、なかなか、これはという男を見つけ出せなかった。
それでも、翌日になると、何人かの名前が、浮びあがって来た。
いずれも、大山の周辺にいる男で、車の運転免許を持っていた。
大学時代の友人、最近、大山の弟子になった男、無名のタレントなど、さまざまである。
名前は、全部で、七人になった。
十津川は、その七人の一人一人を、洗っていくことにした。
あとは、消去法で、消していくより、仕方がない。
消す条件の一つは、大山が、取材と称して、鳴子―新庄―湯野浜と、動いた時に、東京にいた人間は、関係ないことである。
その条件で、七人の中、五人が、消えた。
残るのは、二人である。
石井 信夫 二十六歳
駒田 聡 二十八歳
この二人だった。
石井は、最近、大山の弟子になった男である。
駒田の方は、大山と同じく、売れないシナリオライターだが、大山が、何とか陽《ひ》の目を見るようになったのに、駒田の方は、いぜんとして、無名のままである。
この二人は、大山の身近にいるし、旅好きでもある。
大山が、取材に出かけた時、この二人も、東京にいなかった。
「カメさんは、この二人のどちらだと思うね?」
と、十津川は、きいた。
亀井は、二人の顔写真や、経歴を書いたメモを、見ていたが、
「大山のために、何でもやりそうなのは、石井の方でしょうね。駒田の方は、大山は、ライバルの筈《はず》ですから、果して、彼のために、危険を犯すかどうか」
と、いった。
「じゃあ、クロの可能性のある石井信夫にまず、会ってみようじゃないか」
十津川が、亀井を、促した。
大山は、新しく、赤坂に、事務所を開いていた。
貸ビルの五階の一室で、「大山シナリオ研究室」と書いた大きな看板が、掲げられていた。
「大したもんですね」
亀井が、眼を大きくして、その看板を見た。
「自信満々なんだろう」
と、十津川は、いった。
大山は、テレビ局に行っていて、留守《るす》だったが、問題の石井は、中で、資料を、整理していた。
セーターに、「OHYAMA」と、字が入っていた。
痩《や》せた身体つきで、どこか、大山に似た顔をしている。
「先生は、いませんよ」
と、石井は、いった。
(先生か)
と、十津川は、苦笑しながら、
「今日は、あなたに、話を聞きに来たんですよ」
「僕にですか? しかし、警察というのは、どうもね。これが、テレビ局なんかからの仕事の話なら、いいんですがねえ」
「その点は、申しわけありません」
と、十津川は、笑ってから、
「なぜ、大山さんの弟子になったんですか?」
と、きいた。
石井は、まじめな顔で、考えてから、
「そうですね。先生は、急に売れ出したでしょう。この世界は、売れるか売れないかだと思うんですよ。いろいろ、いってもね。それで、先生のように、早く売れたくて、弟子にして貰《もら》ったんですよ。僕も、もう、二十六ですからね」
「コネを利用して、売れるということでも、いいんですか?」
「今、コネなしで、有名になる人なんていませんよ。特に、芸能界じゃあ」
と、石井は、肩をすくめた。
十津川は、そんなものかなと、思いながら、
「先日、大山さんは、取材で、鳴子から、新庄方面へ行って来ましたね?」
「ええ。自分で、バンを運転して、取材に行って来られたんです」
「なぜ、あなたは、一緒に行かなかったんですか? それとも、行っていたのかな?」
「行きたかったんですが、先生は、どうしても、独りで行って来たいと、おっしゃったものですからね」
「その間、あなたは、どこにいたんですか?」
「なぜですか? 僕が、どこにいたかなんてことが、問題になるんですか?」
「東京に、いなかったことだけは、わかっているんですよ」
と、十津川が、いうと、石井は、
「旅行に出ていたんです」
「どこへですか?」
「先生が、一週間ぐらいの予定で取材に行ってくるから、その間、君も、旅行して来なさい。旅行が、一番、作家にとって、役に立つといわれたんで、僕も、その間、旅行に出ていたんです」
「どこへ行ったんですか?」
「京都から、奈良へ出て、そのあと、紀伊へ廻《まわ》って来ましたよ」
「泊った旅館なり、ホテルなんか、わかりますか?」
と、十津川が、いうと、石井は、笑って、
「そんな金のかかることはしませんよ。全く売れてないんですから。中古のライトバンに、寝袋なんかを積み込んで、出かけたんです。なかなか、快適でしたよ」
「そのライトバンを、見せてもらえますか?」
「いいですが、ひどいボロ車ですよ」
と、石井はいった。
赤坂には、駐車場がないので、自宅附近の駐車場に、入れてあるという。
あとで、見せてもらうことにして、十津川は、場所と、車のナンバーを、聞いておいた。
事務所を出て、パトカーに戻ったところで、十津川が、
「どう思うね」
と、亀井に、きいた。
「わかりませんね。本当のことを、いっているようにも見えるし、嘘《うそ》をついてるようにも見えます。とにかく、有名になりたいというのは、本音だと思いましたね。眼が、光っていましたから。となると、大山に、恩を売るために、何でも、するでしょうね」
「人殺しの手伝いでもするかな」
「そうですね」
2
次は駒田だった。
自宅は、府中《ふちゆう》のアパートだが、彼は、テレビ局にいた。
中央テレビの中にある喫茶室である。
よく、売れないシナリオライターや、タレントが、たむろしている場所である。プロデューサーや、ディレクターに、声をかけてもらうのを、辛抱強く待っているのだと、十津川は、聞いたことがある。
そこで、駒田は、コーヒーを飲んでいた。
「誰かを、待っているんですか?」
と、十津川は、声をかけた。
駒田は、うさん臭そうに、十津川を見、亀井を見た。
「彼を待っているんです」
「彼って、大山さんのことですか?」
と、亀井が、きいた。
「そうですよ」
と、駒田が、肯《うなず》く。
亀井は、彼の前に置かれた灰皿が、吸殻《すいがら》で一杯になっているのを見て、待たされている時間の長さを考えながら、
「会って、どうするんですか?」
「そんなこと、大きなお世話でしょう」
駒田は、とがった声を出した。
入口がざわついて、五、六人の男女が、入って来た。
その中に、大山がいて、駒田の傍《そば》に近づいてくると、
「ああ、待たせてごめんよ。とにかく、眼の廻《まわ》るような忙しさでね」
「いいんだよ。いくらでも待ってるよ」
と、駒田は、卑屈《ひくつ》な表情をした。
「悪いね。あと、三十分くらいで終るんだ」
大山は、そういってから、改めて、十津川たちの存在に気づいたように、
「刑事さんは、今日は、何の用です?」
「今日は、こちらの駒田さんに、用があってね」
と、亀井が、いった。
「おーい。大山クン」
喫茶室の入口で、四十五、六歳の太った男が、大声で、呼んだ。
大山は、それに、手をあげてから、
「プロデューサーが、呼んでるんで、失礼しますよ」
と、十津川と亀井にいい、駒田には、
「あとで、有賀さんに紹介するよ」
と、いい残して、あわただしく、出て行った。
「有賀さんって、誰です?」
亀井が、駒田に、きいた。
「今、彼を呼びに来たプロデューサーですよ」
「紹介されると、いいことがあるんですか?」
亀井は、無遠慮なきき方をした。
駒田は、むっとした顔になって、
「さあ、わかりませんね」
「ところで、四、五日、どこかへ行っておられたことがありましたね。アパートを訪ねたが、留守《るす》だったし――」
「僕だって、ふっと、いなくなることがありますよ。行きたい場所は、いくらでもありますからね。出来れば、アフリカに、一か月くらい行って来たいですよ」
「しかし、四、五日では、アフリカには行けないでしょう? どこに、行っていたんですか?」
「それが、何か、いけないことなんですか?」
「いや、ぜんぜん。しかし、殺人に関係があれば別ですよ」
「殺人て、何ですか? それは」
「車を、持っていますか?」
「前に、中古のカローラを持っていましたがね。今は、持っていませんよ」
「バンを運転したことが、ありますか?」
「さあ。あったかな」
「西ドイツのバンです。中で、人が寝泊りできる奴《やつ》です。あなたは、いなくなった時、そんなバンを運転して、東北に行ったんじゃないんですか? 宮城県の鳴子から、山形県の方へ」
亀井が、きくと、駒田は、首を横に振って、
「そんなところへは、行っていませんよ。車も、最近は、ぜんぜん、運転していないな」
「おかしいですね。大山さんのバンを調べたところ、ハンドルに、あなたの指紋がついていたんですがねえ」
亀井が、カマをかけた。
十津川は、駒田の顔色を見ていた。
ここまでは、否定ばかりしていた駒田が、今度は、すぐには、否定せず、ちょっと、考える様子をしてから、
「知りませんね」
と、いった。
3
十津川と亀井は、中央テレビを出ると、近くの食堂で、少し早めの夕食をとった。
亀井が、ラーメンの大盛りを頼み、十津川は、チャーハンを注文した。
「ちょっと意外でしたね」
と、亀井が、煙草に火をつけてから、いった。
「何がだい?」
「私は、大山を手伝ったのは、石井だとばかり思っていたんですがね。駒田が、妙な反応を示したんで、驚いてしまったんです」
「カメさんが、指紋のことを、いった時だろう?」
「そうなんです。一瞬、返事が、戻って来ませんでしたからね」
「彼が、本ボシで、あの時、手袋をしていたかどうか、思い出していたのかね?」
「私は、そう見たんですが」
「すると、大山を助けたのは、石井でなく、駒田ということになるのか」
「駒田は、何とかして、仕事が欲しくて、大山に対して、卑屈《ひくつ》になっていますからね。大山が、エサをぶら下げて頼めば、一も二もなく、引き受けるんじゃありませんか」
と、亀井が、いった。
注文していたラーメンと、チャーハンが来たので、それを食べていると、四、五人の若者が、どやどやと、入って来た。
全員が、ラーメンを注文してから、大声で、最近のテレビドラマのことを、話し始めた。
十津川が、聞き耳を立てたのは、彼らの話の中に、大山とか、駒田という名前が、出て来たからだった。
十津川と亀井は、顔を見合わせたが、亀井が立ち上がって、彼等の傍《そば》へ行った。
男三人に、女一人のグループだった。
亀井は、彼等に、警察手帳を見せながら、
「駒田というのは、シナリオライターの駒田さんのことかな?」
「ああ、駒田聡のことだよ」
と、一人が、いった。
「彼のことを、少し話してくれないかな」
「警察の厄介になるようなことをしたの?」
別の青年が、きいた。心配している顔ではなかった。面白がっている表情に見えた。
「いや、参考までに、知りたいんでね。彼と大山さんの関係が、知りたいんだ」
亀井がいうと、三人目の小柄な男が、妙な笑い方をして、
「二人の関係ねえ」
「昔はライバル、今は、王様と家来かな」
「いや、もっとひどいぜ、ありゃあ。主人と奴隷《どれい》だよ」
と、彼らは、勝手に、喋《しやべ》り始めた。
亀井は、その一人一人に、肯《うなず》いてから、
「昔は、ライバルだったわけだね?」
「というより、駒田の方が、上だったんじゃないかな。彼の方が、才能があるからね」
「それが、今は、逆転したわけかね?」
「逆転どころか、今は、大山の腰巾着《こしぎんちやく》だよ。ああまでして、仕事が貰《もら》いたいのかね」
一人が、吐き捨てるように、いった。
ただ一人の女性が、初めて、口を開いて、
「でも、仕事がないのは、辛《つら》いわよ」
「大山さんについていると、仕事が貰えるの?」
と、亀井が、きいた。
「貰えると思ってるんじゃないかな。大山が、今度の連ドラで、高視聴率をとれば、一躍、有名作家だからね。この間なんか、駒田の奴、大山の車の運転をしてるんだ。リア・シートには、大山が、ふんぞり返っているんだぜ」
「まるで、自家用運転手ね」
と、女が、眉《まゆ》をひそめた。
「それ、本当なのかね?」
と、亀井が、きいた。
「本当だよ。だから、今日、会ったとき、皮肉をいってやったんだ。いつから、大山家の運転手になったんだってね」
「彼は、何といったね?」
「怒ると思ったら、笑ってたよ。どうしようもないな。ああなると」
「駒田さんというのは、自分のトクになることなら、どんなことでもするタイプかな?」
「今の駒田はね」
「昔は、違ってた?」
「昔は、もっと、骨があったよ。売れなくても、いい脚本《ほん》を書くんだって、いってたんだけどね。今は、どんなことをしてでも、売れるようになりたいんだろうな」
「さっき会ったら、彼は、大山さんに、有賀というプロデューサーを、紹介して貰うらしかったがね」
亀井が、いうと、とたんに、彼等の眼の色が変った。
「有賀さんを?」
「そりゃあ、すごいや」
「あたしも、紹介して貰いたいわ」
と、口々に、いう。
「有賀というプロデューサーは、そんなに、有名なのかね?」
知らないので、亀井が、きいた。
「有賀さんは、神様だよ」
と、彼等は、口々に、有賀がプロデュースしている番組の名前を、あげていった。
なるほど、高視聴率をとっている番組ばかりである。
「あの人に認められたら、もう、大丈夫だよ」
「あたしなんか、何回もアタックしてるんだけど、一度も、会って話が出来ずにいるわ」
と、いう。
何だか、有賀というプロデューサーに会える駒田が、今度は、うらやましくて、仕方がない感じだった。
4
「どうやら、駒田の線が、強くなって来たね」
と、食堂を出たところで、十津川が、いった。
「そうですね。駒田は、有名になるためなら、何でもする気でいるようですから。大山の方も、敏感に、それを感じ取っていると思います」
「かつてのライバルを、自分の殺人計画に利用することは、大山の方も、快感を覚えているということも、あるかも知れないね」
「石井でない証拠を、まず、見つけます」
と、亀井は、いった。
石井のいった場所に、確かに、中古のライトバンが、置かれていて、中には、寝袋や、洗面道具などが、放り込まれていた。
問題は、そのライトバンで、京都、奈良、新宮《しんぐう》と、廻《まわ》ったかどうかということである。
翌日、石井が、ライトバンに乗って、十津川たちのところに、やって来た。
「旅行に行った証拠といってましたね」
と、石井は、十津川たちに会うなり、ニコニコしながら、いった。
「証拠があったんですか?」
「あったんです。五日間、ライトバンで、旅行したんですが、一日だけ、ゆっくり、温泉に入りたくなって、旅館に泊ったのを思い出したんですよ。奈良から、新宮に出る途中の温泉です」
と、いい、その旅館で貰《もら》ったという手拭《てぬぐい》を見せた。「いろは旅館」の文字と、電話番号が、染めてあった。
亀井が、すぐ、この旅館に、電話をかけた。
電話には、若い声のおかみさんが出て、
「その人のことなら、覚えていますよ。いろいろと、テレビタレントのことなんか、話してくれましたから」
と、いった。
「石井信夫という名前を、宿帳に書いているんですね?」
「ええ。住所は、東京になっていますけど」
「泊ったのは、この日に間違いありませんか?」
「ええ。間違いありませんよ」
「どんな顔か、いってみてくれませんか」
と、亀井は、いった。
おかみさんは、笑いながら、石井の顔立ちや、背恰好《せかつこう》を、説明した。ぴったり、一致していた。
「彼は、バスか何かで、来たんですか?」
「いえ。白いライトバンで、いらっしゃいましたよ。ちょっと、汚い車でしたけどね」
「そちらに、ファクシミリがありますか?」
「いえ。うちにはありませんわ。でも、兄がやっているホテルには、ありますけど」
「それでは、彼が書いた宿帳の文字を、そのファクシミリで、送ってくれませんか」
と、亀井は、頼んだ。
三十分ほどして、ファクシミリで、宿帳のそのページが、送られてきた。
その文字と、石井に書いて貰ったものとを比べてみた。
素人《しろうと》眼にも、同一人の筆跡に見えたが、念のために、専門家の鑑定を、仰ぐことにした。
鑑定の結果も、同一人の筆跡というものだった。
石井が、その旅館に泊ったのは、大山が、取材と称して、鳴子《なるご》―新庄《しんじよう》―湯野浜《ゆのはま》と、車を走らせた、湯野浜に行った日である。
「これで、駒田が、本命ということになりましたね」
と、亀井は、十津川に、いった。
しかし、駒田は、自分の車を、持っていない。
とすると、羽黒山で、駅員の柴田を殺すときに利用された車は、どこかで、調達されたものに違いないのである。
どこかで、盗むか、あるいは、レンタカーを使うかだろう。
普通、殺人などには、犯人は、盗難車を使うものだが、大山は、使わなかったろうと、十津川は、思った。
東京都内の殺人なら、盗難車を使った筈《はず》である。
しかし、東北での殺人である。それに、彼には、芸術家としての自負みたいなものがあったのではないか。
とすると、盗難車より、レンタカーを使った公算が、強い。
もちろん、大山自身が、借りる筈がない。借りたのは、駒田だろう。
「借りた場所は、現地ではなく、東京だと思いますね」
と、亀井が、いった。
「現地では、あとで、調べられたとき、簡単に、見つかってしまうからかね?」
と、十津川が、きいた。
「それもありますが、現地で借りた場合、そこへ行かなかったという弁解が、出来ません。東京で借りたのなら、他《ほか》へ行ったという弁解が、出来ますからね」
「じゃあ、東京周辺のレンタカー営業所に、当ってみてくれ」
と、十津川は、いった。
亀井は、他の刑事と一緒に、東京周辺のレンタカー営業所に、片っ端から、電話してみた。
何軒目かの営業所で、手応《てごた》えがあった。
五月二日に、駒田聡が、白いカローラを借りていると、いう。
二日から、六日までである。
免許証にあった住所からみて、十津川たちが、マークした駒田と、同一人物と見て、いいようだった。
十津川と、亀井は、もう一度、駒田に会った。
会ったのは、やはり、中央テレビの喫茶室である。
今日の駒田は、眼が輝いていた。
「何か、いいことがあるようですね?」
と、十津川が、いうと、駒田は、
「有賀さんに、シナリオを見て貰《もら》うんですよ」
と、嬉《うれ》しそうにいった。
「すると、大山さんに、紹介して貰ったことが、役に立ったということですか?」
十津川が、きくと、駒田は、急に、眉《まゆ》をひそめて、
「まあね」
と、いった。
「ところで、五月二日に、レンタカーを、借りていますね。六日までです。どうですか?」
亀井が、横から、きいた。
駒田は、「レンタカー?」と、呟《つぶや》いてから、
「それが、どうかしたんですか? 借りちゃいけないんですか?」
「レンタカーで、どこへ行かれたのか、話してくれませんか」
「どこへ行こうと、僕の勝手じゃありませんか」
「殺人事件なのでね。あなたの勝手というわけにはいかないんですよ」
「僕は、関係ありませんよ」
「それを、証明して貰わないと困るんですがね。車を借りて、どこへ行ったんですか? 東北ですか?」
「いや、家のまわりを、走ってましたよ」
「わざわざ、車を借りて、家のまわりをですか?」
「いいじゃないですか。どこを走ろうと」
駒田は、怒りを見せて、いった。
(嘘《うそ》に決っている)
と、十津川は、思った。
しかし、借りた車で、鳴子へ行き、そのあと、大山の運転していた大型バンと、交代したことを証明するのは、難しいだろう。
「大山さんはね、あなたが借りた車を使って、山形県の羽黒山で、人を殺した。これは、間違いない。このままでは、あなたは、殺人の共犯だ。それでも、いいんですか?」
と、十津川が、きいた。
駒田は、黙って、横を向いてしまった。
5
「もう一度、鳴子から、新庄、羽黒山、それに、湯野浜に、行ってみたいね」
「駒田が、白いカローラを運転して、向うへ行ったことを、証明するためですか?」
「それもあるし、もう一度、急行『もがみ1号』に、乗ってみたいんだよ。大山のアリバイを崩すためにね」
十津川は、かたい表情で、いった。
急行「もがみ1号」のアリバイトリックは、解明したつもりだったのに、失敗してしまった。
だが、四月十五日に、鳴子から、急行「もがみ1号」に乗った大山が、同じ車中で、木下ゆう子を殺したことは、間違いないのである。
それなら、あの列車を利用したアリバイトリックは、必ず、解明できる筈《はず》なのだ。
「駒田のことは、どうやって、調べますか? やみくもに、あの辺を、走ってみても、わからないと思いますが」
「大山にしても、駒田にしても、一日で、東京から、鳴子、新庄、湯野浜と、行ったわけじゃない。何日か、かけている。大山の方は、西ドイツ製の大型バンで、車内で、寝泊りできるようになっているが、カローラでは、そうはいかない筈だ」
「なるほど、駒田は、旅館に泊った筈ですね」
「そうなんだ。どこかへ泊っている」
「宮城県警と、山形県警に、協力を要請しましょう」
と、亀井は、いった。
本多一課長から、この要請はして貰《もら》い、両県警には、駒田の顔写真を、電送した。
その答えが来る間、十津川は、時刻表を見たり、先日|撮《と》った新庄駅の写真を見たりしていた。
急行「もがみ1号」のアリバイトリックは、どうしても、解明しなければならないのである。
宮城県警から、最初の回答が、来た。
「吹上《ふきあげ》温泉の旅館に、駒田聡と思われる男が、五月三日から四日にかけて、泊っています」
と、教えてくれた。
「吹上温泉というのは、どこにあるんですか?」
「鳴子温泉の近くです。小さな温泉で、旅館が四軒と、国民宿舎しかありません。駒田と思われる男が泊ったのは、その中の『竹山旅館』です」
と、いった。
地図で見ると、同じ鳴子町にある温泉である。
清水夫婦が、鳴子に泊ったとき、出かけたかんけつ泉の近くである。
「あの辺は、あまり人家もなくて、人に見られずに、車を代えるには、絶好ですよ」
と、当の清水刑事が、いった。
「とにかく、行ってみよう」
と、十津川は、亀井に、いった。
6
これで、何度、鳴子に行くことになるだろうと、思いながら、十津川は、亀井と、上野から、東北新幹線に、乗った。
古川で降りると、宮城県警のパトカーが、迎えに来てくれていた。
その車で、一路、鳴子へ向った。
周囲の景色が、来る度《たび》に、変っているのを感じる。
この前、来た時は、桜が満開だったが、今日は、桜が、散ってしまっている。
国道47号線を走り、鳴子温泉に入る寸前で、右に折れる。
鳴子ダムを左に見て走ると、やがて、吹上温泉である。
鳴子に比べると、小さく、可愛らしい温泉である。
十津川と、亀井は、その中の「竹山旅館」に、今日は、泊ることにした。
「明日、何時頃、迎えに来ましょうか?」
と、送ってくれた宮城県警の刑事が、きいた。
「もう一度、急行『もがみ1号』に乗りたいと、思っているんですよ」
と、十津川が、いった。
「それなら、それに間に合うように、お迎えに来ましょう」
と、いってくれた。
十津川は、彼等が、帰ってしまったあと、旅館のおかみさんに、駒田の写真を、改めて見て貰《もら》った。
「五月三日に泊ったのは、この男に、間違いありませんか?」
「ええ。この人ですよ」
と、おかみさんは、いった。
宿帳を見せて貰うと、「土井修」と、書いてあった。
住所は、東京だが、駒田の本当の住所とは違っていた。
十津川は、その男の背恰好《せかつこう》などを聞いてみた。やはり、駒田と見ていいようだった。
「車で、来たんですか?」
と、亀井が、きいた。
「ええ。東京から、車で、いらっしゃったそうですよ。白い車でしたわ」
「ここへ来てから、どこかへ電話しましたか?」
と、亀井は、きいた。
「いいえ。でも、外から、あのお客さんに、電話がありましたよ」
「それは、男ですか? 女ですか?」
「男の方でしたよ。土井さんを呼んでくれというので、お呼びしたんですが」
「それは、三日ですか? それとも、翌日ですか?」
「お着きになった日の夜でしたよ。十時頃だったと思いますわ」
「翌日、その男は、出発したんですね?」
「ええ」
「どんな様子でした?」
「時間を、とても、気にしていらっしゃいましたよ。七時には、朝食にして欲しいとか、出発までの間、腕時計ばかり、ごらんになっていて」
と、おかみさんは、いう。
恐らく、大山と、落ち合う時刻が決っていたので、それを、気にしていたのだろう。
「この旅館を出たのは、何時頃ですか?」
「確か、八時ちょっと過ぎだったと思いますよ」
と、おかみさんは、いった。
すると、五月四日の午前中に、駒田と大山は、どこかで落ち合い、車を交換したのだ。
大山の大型バンに乗った駒田は、大山になりすまして、新庄方面に向って、走らせて行ったのだろう。
翌日の五月五日の夜、湯野浜で、もう一度、すり代ることを、約束してである。
一方、大山の方も、白いカローラで、新庄方面に向った。
そして、翌日、羽黒山頂へあがって行き、そこで会った駅員の柴田を、口封じのために、殺してしまったのだ。
一日、余裕をとって、車を取り代えたのは、いつ、大型バンが、警察に発見されて、尾行されるか、わからなかったからだろう。
大山は、大型バンで、鳴子、最上川と、取材に行くと、発表した時から、警察が、この取材旅行に、疑惑の眼を向けることを、予期していたと思われる。
それは、当然だろう。
そうして、警察が、自分のバンを見つけて、尾行することも、予期していたのだ。
多分、大山は、警察の監視の中で、柴田という駅員を殺すことに、スリルを感じていたに違いない。
大山には、そういうところがある。性格的なものかも知れない。
木下ゆう子を殺すのに、わざわざ、列車を舞台にした。
しかも、被害者の木下ゆう子に、写真を撮《と》らせ、それを、自分のアリバイに利用するという離れ業を演じてみせた。
それが成功した時、大山は、恐らく、快感で、ぞくぞくしたのではないのか。
十津川は、そんな大山の顔を、思い浮べた。
その得意の鼻を、へし折ってやらなければならない。
明日、急行「もがみ1号」に、もう一度乗って、上手《うま》くいくだろうか。
夕食のあと、十津川は、一人になって、考えてみた。
一時間近く考えてから、十津川は、急に、宮城県警に電話して、明日、迎えに、来てくれなくてもいいと、いった。
次に、亀井を呼ぶと、
「明日は、奥羽本線の『もがみ1号』に乗ることにするよ」
と、いった。
第九章 アリバイ崩し
1
「どこから、奥羽《おうう》本線の『もがみ1号』に乗りますか?」
亀井が、きいた。
十津川は、時刻表の地図を拡げた。
「被害者の木下ゆう子は、『もがみ1号』に乗っていて、新庄で、大山夫婦を、撮《と》っている。だが、鳴子から乗る陸羽《りくう》東線の『もがみ1号』に乗ったのでは、例の写真は、撮れない。とすれば、もう一つの『もがみ1号』に、乗ったとしか考えられないよ」
と、十津川は、いった。
「すると、四月十四日に、木下ゆう子は、鳴子に、泊らなかったということになりますか?」
「あるいは、泊って、早朝に、車で移動したかだ。奥羽本線のどこかの駅にね」
奥羽本線|廻《まわ》りの急行「もがみ1号」は、米沢が始発である。
米 沢発 八時三九分
糠ノ目発 八時五二分
赤 湯発 八時五八分
上ノ山発 九時一五分
山 形発 九時二九分
北山形発 九時三三分
天 童発 九時四三分
東 根発 九時五三分
楯 岡発 九時五六分
大石田発 一〇時一〇分
この次が、新庄である。
この十の駅のどこかで、乗ったに違いないと、十津川は、思う。
四月十五日の朝に、鳴子の旅館を出たとしても、タクシーを飛ばせば、間に合うだろう。
新庄に近い駅なら、なおさらである。
前日に、移動していたとすれば、タクシーより、列車を使った可能性の方が、強い。
「米沢から、乗ってみよう」
と、十津川は、いった。
二人は、宮城県警に、予定を変更する旨を伝えてから、その日のうちに、列車を使って、米沢に、移動することにした。
鳴子から、古川に戻り、東北新幹線で、福島へ行き、福島から、奥羽本線で米沢へのルートを選んだ。
木下ゆう子が、果して、このルートを選んだか、どうかは、わからないが、彼女は、大山を愛していたようだから、大山が、彼女を意のままに、動かすのは、容易だった、と思われる。
(僕は、アキなんか、全く愛していない。だから、二人して、彼女を、からかってやろうじゃないか)
大山が、そういえば、木下ゆう子は、喜んで、奥羽本線廻りの「もがみ1号」に、乗ったのではないのか。
十津川と亀井は、米沢で一泊した。
翌朝、米沢発八時三九分の「もがみ1号」に乗った。
「先頭車に行こう」
と、十津川は、先に立って、通路を歩いて行った。
先頭車の、一番前の座席に腰を下ろした。
相変らず、車内は、すいていた。
「これで、大丈夫なんですか?」
亀井は、車窓に現れる景色に、眼をやりながら、十津川にきいた。
「多分、大丈夫だと思うよ」
と、十津川は、いった。
赤湯、山形と、停車していくが、乗客は、ほとんど、増えない。
もっとも、乗客が少ないから、たった三両編成の急行なのだろう。
大石田を、定刻の一〇時一〇分に、発車する。
「次ですね」
と、亀井が、緊張した顔で、いった。
十津川は、じっと、腕時計を見ていた。
一〇時二二分。
「陸羽東線の『もがみ1号』が、今、新庄に着いたところだ」
と、十津川は、いった。
向うの「もがみ1号」は、ホームに乗客を降ろしたあと、ゆっくりバックし始める筈《はず》である。
こちらの「もがみ1号」は、あと九分しないと、新庄に、着かない。
「今頃《いまごろ》、向うの列車から降りた乗客は、跨線橋《こせんきよう》を渡って、改札口に向っていますね」
と、亀井が、いった。
「四月十五日、大山は、新妻のアキと、ホームに降りたあと、時間をはかりながら、跨線橋を渡ったと、思うね。こちらの『もがみ1号』が、新庄に着く時間は、わかっている。それに合わせ、ゆっくり動いた筈だよ」
「つまり、九分かけて、というわけですか?」
「そうさ。降りた3番線ホームに、売店があるので、そこで、何か買ったりして、時間を調整することも、出来たと思うよ」
と、十津川は、いった。
新庄駅が近づいてくる。
バックして、こちらの列車が入るのを待っている、陸羽東線の「もがみ1号」が、右手に見えた。
「用意しよう」
と、十津川は、いい、2番線ホームの見える左側の座席に腰を下ろし、カメラを構えた。
スピードを落とした「もがみ1号」は、2番線に入って行った。
改札口が、見えた。
十津川は、シャッターを押した。電動なので、どんどん、フィルムを巻き上げていく。
十津川は、二回、三回と、シャッターを切った。
2
十津川と亀井の乗った「もがみ1号」は、うしろに、陸羽東線経由の「もがみ1号」を併合するので、ホームの先端近くまで、進んで、停車した。
しかも、十津川たちは、先頭車の一番前の席にいるので、停車した時は、改札口が、見えなくなっていた。
「多分、四月十五日に、木下ゆう子は、こうして、改札口を出て行く大山夫婦を撮《と》ったんだと、思うね」
と、十津川は、いった。
「これなら、方向の問題は、解決しますが」
亀井は、言葉を濁《にご》した。
「それに、先頭車にいれば、改札口を通過してから、三枚は、写真を撮れるよ」
「それも、わかりますが」
「カメさんとしては、不満が、あるようだね?」
と、十津川は、きいた。
「いろいろと、疑問が、わいて来ます」
「わかってるよ。それを、これから、一つ一つ、検討して行こうじゃないか」
と、十津川は、いった。
そうしている間に、バックして待機していた陸羽東線の「もがみ1号」が、ゆっくりと、2番線に進入して来た。
軽い衝撃があって、二つの「もがみ1号」が、連結された。
「われわれも、移動しよう」
と、十津川は、いい、席を立って、うしろの車両に向って、歩いて行った。
鳴子方向から来た車両に入ると、二人は、空《あ》いている座席を見つけて、腰を下ろした。
六両編成になった「もがみ1号」は、新庄駅を発車した。
一〇時三六分。
「あの日、木下ゆう子は、こうして、改札を出る大山夫婦を、写真に撮ったんだと思う。そのあと、彼女は、うしろの車両に、移動した。そこには、当然、大山も、乗り込んで来たわけだ」
「彼女は、古口の近くで、青木という車掌の写真を、撮っていますね。その写真のせいで、彼女は、新庄を過ぎてからも、生きていたことが、証明されたわけですから」
「その通りさ。前の三両で、車掌を撮ったのでは、奥羽本線の『もがみ1号』に、乗っていたのではないかと、疑われる。そこで、うしろの車両に移動してから、青木車掌長の写真を撮ったんだ」
「デッキで、撮ったということでしたね?」
「すべて、大山の指示だったと思うね。たとえば、記念に、あの車掌の写真を撮って来たらどうだと、大山が、いったんじゃないかね」
「それで、木下ゆう子は、デッキで、車掌を撮ったわけですか?」
「大山は、新庄で、新妻のアキを、ひとりで降ろしてしまって、また、『もがみ1号』に乗って来たんだ。木下ゆう子は、まさか、自分を殺すために、戻ったとは思わない。てっきり、自分を愛しているからだと思ったに違いないよ。恋をしていると、自分に都合よく考えるものだからね。そんな木下ゆう子なら、大山のすすめるままに、デッキへ行って、車掌の写真を撮ったと思うね。大山にしてみれば、古口近くで、木下ゆう子に、車掌の写真を撮らせることで、自分のアリバイを作っていたんだよ」
「その二つは、解決しましたが――」
と、亀井は、いった。
「まだ、疑問が、あるかね?」
「木下ゆう子は、『もがみ1号』の車内で、何枚か、写真を撮っています。問題は、それを、どうやって、撮ったかということになるんですが」
と、亀井は、いった。
「ああ、それがあるね」
十津川は、難しい顔になり、窓の外に、眼をやった。
列車は、問題の古口に近づいていた。
死体が発見された時、カメラは、傍《そば》にあって、中には、フィルムが入っていた。警察は、さっそく、そのフィルムを現像し、引き伸ばした。
結果、そのフィルムが、大山のアリバイを成立させたのだが、このフィルムは、一本のカラーフィルムで、カメラの中に、入っていたのである。
細工された形跡はない。
そして、フィルムには、鳴子から古口までの「もがみ1号」の車内の風景や、車窓の景色が、写っていた。
その途中の三枚に、新庄で、降りて行く大山夫妻が、写っていたわけである。
木下ゆう子が、陸羽東線の「もがみ1号」に乗っていれば、その三枚の写真は、撮れることは、わかった。
しかし、彼女は、陸羽東線の「もがみ1号」には、乗っていなかったのだから、そこの列車の車内風景や、車窓の景色は、同じカメラで、撮れなくなってしまうのだ。
「問題は、そこですね」
と、亀井が、いう。
「陸羽東線の『もがみ1号』の車内や、車窓の景色は、大山が、撮ったんだよ。木下ゆう子が、奥羽本線に乗っていれば、彼女に、撮れる筈《はず》がないからね」
「じゃあ、カメラは、二つあったということですか?」
「二つ?」
「そうです。同じカメラが二つなければ、大山にも、鳴子から乗って、車内写真などは、撮《と》れませんからね」
「もう一つのカメラで、木下ゆう子が、新庄で降りて行く大山夫婦を撮ったということかね?」
「そうです」
「しかし、それじゃあ、フィルムは、二本いることになってしまうじゃないか。何日も余裕があれば、二本のフィルムを、何とか一本につなげるかも知れないが、大山と、木下ゆう子は、新庄で一緒になって、古口駅まで、十八分しかなかったんだ。その間に、フィルムを、わからないように、つなげることなんか、出来やしないだろう」
「そうすると、どんな方法で、写真を撮ったんでしょうか?」
「だから、カメラは、一つさ」
と、十津川は、いった。
「しかし、警部。それじゃあ、無理ですよ。鳴子から新庄まで、陸羽東線の『もがみ1号』の車内で写真を撮ったのは、大山以外には、考えられません。警部の推理では、その間、木下ゆう子は、奥羽本線の『もがみ1号』に乗っているわけですから、彼女には、撮れません」
「そうだよ」
「大山は、車内や、車窓の景色をカメラで撮って、新庄に着きます。奥羽本線の方の木下ゆう子は、まだ、着いていません。大山はカメラを持って、新庄に降ります。そのカメラを、木下ゆう子に渡さなければならないわけですが、奥羽本線経由の『もがみ1号』が、新庄に着いてから渡したのでは、今日実験した写真は、撮れません」
「その通りだよ」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
「とすると、やはり、無理じゃありませんか。カメラが二つでは、フィルムが、つながらないし、一つでは、車内風景と、新庄で、改札口を出る大山夫婦とも、撮ることは不可能です。ですから、新庄で、実際に降りた大山が、直ぐ、『もがみ1号』を追いかけて来て、古口で乗り込んで木下ゆう子を殺したとしか考えられません。それなら、写真のことは、うまく説明できるんじゃありませんか?」
「それも無理だよ」
と、十津川は、いった。
「無理ですかね?」
「君の推理だと、木下ゆう子は、六両になった『もがみ1号』が、新庄を出発してから、改札口を出る大山夫婦を、撮ったことになる。列車は、その十八分後に、古口に着いている。約十七、八キロある。新庄で、タクシーを拾い、古口まで走らせ、改札口に入って、先行していた『もがみ1号』に、乗り込むのは、大変だと思うよ。それに、新庄駅附近で、営業しているタクシーを調べても、大山と思われる男を、四月十五日に、乗せたという運転手は、見つからないんだ」
「しかし、他《ほか》に、方法は、考えられませんよ」
と、亀井は、首をかしげた。
「だが、木下ゆう子は、大山に指示されて、あの日、奥羽本線の『もがみ1号』に、乗ったんだよ」
と、十津川は、いった。
3
「ちょっと、待っていてくれ」
急に、十津川がいって、立ち上がった。
「どこへ行かれるんですか?」
「車掌に、会ってくるんだ」
十津川は、通路を、最後尾の車両に向って歩いて行った。
三十五、六歳の車掌がいた。
十津川は、警察手帳を見せて、
「四月十五日のことで、おききしたいんですが」
と、声をかけた。
車掌は、びっくりした顔で、十津川を見ていたが、
「ああ、この列車で、若い女の人が、殺された時ですね」
「そうです」
「私は、残念ですが、その日は、乗務していませんでした」
「その日、『もがみ1号』で、何かありませんでしたかね? どこかで、臨時停車したといったことですが、聞いていませんか?」
「そうですね。小さな列車妨害が一つありましたが、別に、何の損害もなかったということです」
と、車掌は、いった。
十津川の眼が、光った。
「それは、どんな事故だったんですか?」
「事故には、ならなかったんです。奥羽本線の『もがみ1号』が、新庄駅に入ろうとして、線路上に、煙があがっているのを発見して、急停車したんです。誰かが、花火を、投げたらしいんです。車掌が降りて行って、花火を始末して、すぐ、発車しました。五分ほどしか、おくれませんでした。多分、子供のいたずらだと思いますよ」
車掌は、笑いながら、いった。
「奥羽本線の『もがみ1号』ですね?」
と、十津川は、確認するように、きいた。
「そうです。奥羽本線の『もがみ1号』です」
「停車したのは、新庄駅へ入る直前だと、いいましたね?」
「そうです」
「駅へ入る直前に、鉄橋がかかっていますね。下を道路が走っている」
「ええ」
「あの辺《あた》りですか?」
「そうです。あの少し手前で、停車したと、聞いていますよ」
「あなたは、今日、陸羽東線の『もがみ1号』に、乗務して来られましたか?」
「ええ。そうですが?」
「新庄で、いったん、バックして、奥羽本線の『もがみ1号』が、入線するのを待ちますね。待つ場所は、この鉄橋のあたりじゃないですか? 前に乗った時は、鉄橋のあたりまで、バックしましたが」
「そうですね。バックする地点は、決まっています。それが、どうかしましたか?」
「四月十五日ですがね。奥羽本線の『もがみ1号』が、線路上で、煙をあげている花火を見つけて、急停車した。車掌が降りて行って、それを取り除き、五分ほどおくれて、新庄駅に入って行った。その停車した位置は、その鉄橋の手前だったんでしょう? とすると、陸羽東線で来た『もがみ1号』は、並ぶ格好になったんじゃありませんか? 停車した位置が、ほとんど、同じだから」
十津川が、いうと、相手は、肯《うなず》いて、
「そういえば、そうですね。確かに、あの位置なら、二つの列車が、丁度《ちようど》、並んだ形になったかも知れません。しかし、それが、何か四月十五日に起きた殺人事件と、関係があるんですか?」
「それは、まだ、わかりません」
と、十津川は、いった。
列車は、古口に着いた。
十津川は、亀井のところへ戻った。
「何か、わかりましたか?」
と、亀井が、きいた。
「何とか、解決のヒントがつかめたよ」
と、十津川は、ほっとした顔でいい、煙草に、火をつけた。
相変らず、古口の駅舎には、「最上川舟下り」の大きな看板が、出ている。
「問題は、カメラなんだ」
と、十津川は、いった。
「そうです。カメラと、何が、写されていたかということです」
「鳴子から、『もがみ1号』に乗った、大山は、持っていたカメラで、車内や、車窓の風景を撮《と》った。あとで、アリバイ工作に使うためにだよ。その頃、木下ゆう子の方は、大山の指示で、奥羽本線の『もがみ1号』に、乗っていた。カメラは、持っていない。二つのカメラでは、アリバイが成立しないからだ。しかし、新庄駅でのアリバイトリックのためには、新庄駅に着くまでに、大山は、カメラを、奥羽本線の『もがみ1号』に乗っている木下ゆう子に、渡さなければならないんだ」
「渡せないんじゃありませんか?」
と、亀井が、きく。
「それに関してだが、今、車掌から、面白い話をきいたんだよ」
十津川は、車掌からきいたことを、亀井に、話した。
亀井の顔が、赤くなった。
「面白いですね。その話は」
「陸羽東線も、奥羽本線も、共に、単線だ。それが、新庄近くで、ぐっと近寄り、平行になる。そうなった地点で、二つの『もがみ1号』が、並んで停車した状況が、出来たんだ。新庄駅の手前に、短い鉄橋があったろう。あの近くだそうだ」
「花火を投げたのは、大山でしょうね」
「と、思うね。急行『もがみ1号』は、窓が開くし、乗客は少ない。投げても、気がつかないさ」
「平行に、停車させておいて、大山は、窓を開け、向うの『もがみ1号』に乗っている木下ゆう子に、カメラを渡したわけですね?」
「列車と、列車の間隔は、せいぜい、三メートルぐらいのものだろう。お互いに、窓から手を伸ばせば、届いたと思う。もし、届かないとしても、例えば、今、問題になっている伸び縮みする警棒を使えば、楽に、届くと思うね」
十津川は、微笑した。
「それで、一つのカメラが、大山と、木下ゆう子の二人によって、使用できたことになりますね」
「そうなんだ。大事なのは、奥羽本線の『もがみ1号』が、新庄駅に着く前に、そのカメラが、大山から、木下ゆう子の手に渡らなければならないということなんだよ。それを考えると、両方の列車を、新庄駅の手前で、平行して停車させるしか、方法がないんだ」
「大山は、それに、成功したわけですね?」
「恐らく、大山は、何回か、『もがみ1号』に乗って、どうすればいいか、考えたんだと思うね」
と、十津川は、いった。
二人は、「もがみ1号」で、酒田まで行った。
酒田警察署におかれた捜査本部に、二人は、あいさつに行き、県警の白石警部に会った。
十津川が、新庄駅のトリックについて話をすると、白石は、
「そういえば、前にも、新庄駅の手前で、妨害事件がありましたよ」
と、いった。
十津川も、眼を輝かせた。
「狙《ねら》ったのは、奥羽本線の『もがみ1号』ですか?」
「確か、そうでした。確認してみましょう」
白石は、その時の調書を取り出して来て、十津川に見せてくれた。
三月十九日に、起きた事件だった。
まだ、新庄附近には、積雪が深かった頃である。
奥羽本線経由の「もがみ1号」が、新庄駅に近づいた時、前方の線路上で煙があがっているのを、運転手が見つけて、急停車した。
車掌が降りて、調べたところ、市販の花火だった。
犯人は、まだ、見つかっていないが、子供のいたずらと思われると書いてある。
「まさか、大人が、こんなつまらないことをするとは思いませんでしたので、犯人は、子供だろうと、思ったわけです」
と、白石警部は、いった。
確かに、そうだろう。花火では、列車を破壊することなど出来ないし、犯人が、そんなことをした理由がわからない。だから、子供のいたずらと、考えたのは、当然なのだ。
今から考えれば、明らかに、大山による予行演習だったと、見ることが出来る。
バックする「もがみ1号」の窓から、平行して走っている奥羽本線の線路に向って、花火を投げたのだ。
導火線の長さを調整すれば、発火の時間も加減できるだろう。
三月十九日に、大山は、どの辺《あた》りで、花火に発火させれば、どの地点で、奥羽本線の「もがみ1号」が、停車するか、見ていたのだろう。
「これで、フィルムの謎《なぞ》は、解けましたね」
と、白石は、嬉《うれ》しそうにいった。
「そう願っています」
十津川は、あくまで、慎重ないい方をした。
「わからないのは、木下ゆう子の心理ですね」
と、白石が、いう。
「なぜ自分の首を締めるようなことをしたのか、ということですか?」
「そうです。彼女は、大山の意のままに動いて、結局、殺されたわけでしょう? 自分を殺す人間のアリバイまで、作ってやってです。この心理は、どうも不可解ですね」
と、白石は、いう。
「こういうことがあると、思うんです」
と、十津川が、いった。
「男は、愛し合っていても、どこかに、冷静な部分があります。それだけ、男の方が、ずるいのかも知れません。そこへいくと、女性は、純粋で、利害を考えずに、愛してしまうことが多いんじゃないですか。オール・オア・ナッシングみたいなところがあって、好きな男のためなら、すべて許すし、どんなことも辞さないみたいなことがあると、思うんですよ」
「つまり、木下ゆう子は、大山に、惚《ほ》れていたということですか?」
「そう思います」
「しかし、大山は、アキという女性と、ハネムーンに出かけていたわけですよ」
「そうです。大山は、よほど上手《うま》く、木下ゆう子に、話したんだと、思いますね。本当に愛しているのは、お前なんだ。成り行きで仕方なく、アキと結婚式をあげてしまったが、すぐ別れて、お前と一緒になる。そんなことを、繰り返し、彼女に、いっていたんだと思いますね。そして、そのために、必要なんだといって、木下ゆう子を、奥羽本線の『もがみ1号』に、乗せたり、写真を撮《と》らせたりしたんだと思います。彼女の方が、大山の言葉を信じ込んでいたに、違いありません」
「可哀そうに」
と、白石が、呟《つぶや》いた。
翌日、十津川と、亀井は、東京に戻った。
新潟に出て、新潟から、上越新幹線で帰る車中で、亀井は、
「わかりませんね、女の気持は」
と、いった。
「木下ゆう子の気持がかい? それなら、昨日、白石警部と、話し合ったじゃないか」
「いや、私が、わからないのは、大山と一緒になったアキの気持です」
「ああ、奥さんの方ね」
「私は、彼女が、大山の行動を、ぜんぜん疑わなかったとは、考えられないんです。木下ゆう子という女がいたことだって、うすうす気付いていたんじゃありませんかね」
「そうだなあ」
十津川は、腕を組んで、考え込んだ。
アキは、父親に頼んで、自分と大山のために、高級マンションを買って貰《もら》い、彼のために、朝の連ドラまで、企画した。
その行為だけ見れば、夫のことを、疑っていないように見える。
だが、果して、そうなのだろうか?
彼女には、一度しか会っていないが、聡明《そうめい》な感じの女である。
第一、新婚旅行中、大山は、木下ゆう子を殺すために、いろいろと、動き廻《まわ》っている。新妻のアキから見れば、ずいぶん、怪しい行動だった筈《はず》である。
鳴子では、一人で、かんけつ泉に行き、木下ゆう子に会っているし、新庄駅では、アキを、一人で、親戚《しんせき》の旅館に行かせ、自分は、もう一度、「もがみ1号」に乗り込んでいる。
アキに、どう説明したのかは、わからないが、全く、疑問を持たなかったとは、信じられない。
「東京に帰ったら、彼女から、直接、聞いてみようじゃないか。もちろん、その前に、大山を逮捕しなければならないがね」
と、十津川は、いった。
4
帰京すると、十津川は、自分の推理と、四月十五日に、奥羽本線の「もがみ1号」が、新庄駅の手前で、停車したことなどを説明し、大山の逮捕状を請求した。
逮捕状が、出たのは、その日の午後五時である。
十津川と、亀井は、中央テレビ局に、出向いた。
大山は、連ドラの第一回目の脚本を書きあげ、それを、他のスタッフと、検討しているところだった。
大山にしてみれば、得意の絶頂にあるところだったに違いない。
それに、自分のやった犯罪についても、自信満々だったようである。
その証拠に、十津川と、亀井が、スタジオに入っていっても、大山は、平然とした顔で迎えた。
「話は、あとにしてくれませんかね。今、大事な打ち合わせをしているところなんですよ」
と、いった。
「あなたを、逮捕する」
十津川は、まっすぐに、大山を見つめて、いった。
「逮捕?」
信じられないという顔で、大山が、きいた。
十津川は、そんな大山の眼の前に、逮捕状を、突きつけた。
大山の顔が、ゆがんだ。
「証拠はあるのか?」
「とにかく、君を逮捕する」
と、十津川が、いい、亀井が、大山に手錠をかけた。
「証拠もないくせに、後悔するぞ!」
と、大山が、怒鳴った。
十津川は、同時に、西本と日下《くさか》の二人の刑事に、駒田を、逮捕させておいた。
十津川は、まず、駒田の方から、訊問《じんもん》することにした。
「大山を、逮捕した」
と、十津川は、いきなり、いった。
「なぜ?」
「殺人だよ。大山は、四人の人間を、殺している。死刑は、まぬがれんな」
十津川がいうと、駒田は、青い顔で、
「おれとは、関係ないよ」
「いや、君は、共犯だ」
「共犯? 冗談じゃない」
「君は、大山に頼まれて、車を借りた。その車で、鳴子へ行き、大山のバンと、交換した。これは、全部、調べがついているんだ。君が泊った吹上温泉の旅館のおかみさんの証言もあるんだ」
「車を借りるのも、旅行するのも、自由だと思いますがね」
「もちろんだ。しかし、君が借りた車で、大山が、殺人をやったとなると、話は、別だよ。君は、明らかに、殺人の共犯なんだ」
「くそ!」
と、急に、駒田は、大声を出した。
「共犯を認めるんだな?」
「奴《やつ》は、嘘《うそ》をついたんだ。ただ、車を借りてくればいいと、いったんだよ。それに、途中で、車を交換してくれともね。まさか、殺人に、あの車を使うとは、思っていなかったんだ。嘘じゃない」
「何もかも話せば、君の言葉を、信用してもいい」
「何を話せばいいんだ?」
「吹上温泉の近くで、五月四日に、大山と、車を交換し、君は、湯野浜温泉に向った。大山のバンを運転して行った。そして、湯野浜では、防風林の傍《そば》に車を停《と》め、翌日の夜に、また、大山と、交代した。違うかね?」
「その通りさ。おれは、何も知らずに、大山に、いわれる通りに、やっただけなんだ。大山が人を殺すなんて、考えてもみなかったよ」
駒田は、吐き出すように、いった。
十津川は、彼の自供を、調書にした。
5
十津川は、次に、大山を、取調室に入れた。
「駒田が、五月四日に、君のバンを運転して、鳴子から、湯野浜へ行ったことを、自供したよ。それに、君の命令で、白いカローラをレンタカーで借り、君に、貸したこともだ」
と、十津川は、いった。
「駒田は、勝手に車を借りて、遊び歩いていたのさ。僕とは、関係ないね」
大山は、顔をしかめた。
「五月五日の駅員殺しについて、君のアリバイは、無くなったんだよ」
「だが、僕が、何とかいう駅員を殺した証拠があるのか?」
「君以外に、あの駅員を殺す人間はいないよ」
と、十津川がいうと、大山は、笑って、
「そんな貧弱な論理で、殺人犯人にされるんじゃ、かなわないね」
「四月十五日の木下ゆう子殺しについても、君のアリバイは、崩《くず》れたんだよ」
と、横から、亀井が、いった。
「そんな筈《はず》はない。木下ゆう子の撮《と》った写真が、僕の無実を証明している筈だ」
「それが、もう、駄目になったんだよ。二つの『もがみ1号』を使ったアリバイトリックは、もう、解明されてしまったんだ」
亀井が、いうと、大山は、急に、考え込んでしまった。
カマをかけているのだろうかと、考えているようだった。
「僕は、あの日、新庄で、『もがみ1号』を降りてるんだ。木下ゆう子が撮った写真にちゃんと、僕が改札口を出て行くところが、写っている。それを、どう説明するんだ?」
と、大山は、挑戦《ちようせん》するように、いった。
十津川は、そんな大山の顔を、見すえるようにして、
「君は、降りると見せて、また、『もがみ1号』に、乗ったんだ、六両になった『もがみ1号』にね。君は、いろいろと細工をした。例えば花火を使って、奥羽本線の『もがみ1号』を、新庄の直前で、停車させて、カメラを、木下ゆう子に、渡した。ここが肝心《かんじん》なところだ。彼女は、そのカメラで、どうやって、君や奥さんを写したか。君の乗った三両が、あとからホームに着き、君は、さきに降りて改札口|辺《あた》りで待たせておいた奥さんと出て行く。その君たち夫婦を写したのだ。彼女は、あたかも酒田方面に出発する列車から写したように、みせかけるため、改札口に一番近い車両から、順次、前方の車両に移り、三コマの写真を撮った。改札を出た君は、再び発車間際の列車に飛び乗り、木下ゆう子と落ち合った。そして古口を過ぎたところで木下ゆう子を殺した。そのすべてを、われわれは、解明したんだ。君は、もう、逃げ場はないんだ」
「花火とか、何とか、わけが、わからないね」
大山は、青ざめた顔で、いった。
少しずつ、彼の自信が、崩れていくのが、わかるような気がした。
「君が、わからなければ、君の奥さんに、同じ話をしてみよう。彼女は、どういうかな?」
十津川がいうと、大山の顔色が変った。はっきりと、動揺の色を見せて、
「家内とは、関係がないんだ」
「いや、そうは、思わないね。木下ゆう子殺しでは、明らかに、共犯だ」
十津川は、断定的に、いった。
「やめてくれ」
と、大山が、いった。
「なぜ? 共犯なら、仕方がないだろう」
「彼女は、関係ないんだ」
「どう関係ないんだ? 君が、ひとりでやったと、自供するなら、関係ないと、こちらも、考えるがね」
「――――」
「仕方がない。これから、奥さんに会ってくる。その成り行きでは、共犯で、逮捕することも、考えてるよ」
十津川が、脅かすようにいうと、大山は、じっと考え込んでいたが、
「わかったよ、木下ゆう子を殺したことを認めるよ。それで、いいだろう?」
「兄の木下剛も、殺したね?」
「ああ」
「理由は?」
「僕が、妹のゆう子を殺した筈だと、いって、つきまとって、離れないからだよ」
「小田切弘子を殺したのは、新庄を過ぎても、『もがみ1号』に、乗っていたのを、見られたからだな?」
「突然、電話が、かかって来たんだよ。四月十五日に、『もがみ1号』に、乗っていらっしゃいましたわねと、いってね」
「それで、殺したのか?」
「新庄を過ぎてから、車内で、見かけたと、いいやがった。向うは、何気なくいってるんだが、こっちにとっては、致命傷だ。だから、仕方なく殺したのさ」
「清水刑事の奥さんを殴ったのも、君だな?」
「あの二人には、どうしても、一緒に、『もがみ1号』に、乗って貰《もら》いたくなかったんだ。それだけで、殺そうとは、頭から、考えていなかったよ」
と、大山は、いった。
6
大山が、全面自供したあと、十津川は、亀井と二人で、大山アキに、会いに行った。
アキは、覚悟していたらしく、十津川が、大山は、すべてを自供したといっても、別に、驚いた表情を見せなかった。
「そうですか」
と、いっただけである。
「あなたは、うすうす、ご主人の大山さんが、何をしたか、気付いていたんですね?」
と、十津川は、きいた。
「ええ。気付いていましたわ。四月十四日から、十五日にかけての主人の行動は、誰の眼にも、おかしく見えたに違いありませんものね」
「彼が、殺人をやっていると、わかっていても、平気でしたか?」
十津川が、きくと、アキは、微笑した。
「私は、彼を、愛しているんです」
「しかし、彼は、殺人犯ですよ」
「だから、警察へ突き出したら、よかったんですか?」
「そうは、いっていませんが――」
「私は、自分の愛している人が、もし、人を殺したら、あくまで、かくまい続ける。それが、愛だと信じているんです。それが、いけないというのなら、私を逮捕して下さい。喜んで、逮捕されますわ」
アキは、激しい口調で、いった。
その気迫に、圧倒された感じで、十津川は、
「わかりました。あなたの気持を、大山に伝えましょう。きっと、喜びますよ」
と、いった。
角川文庫『急行もがみ殺人事件』平成2年4月25日初版刊行