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ワイドビュー南紀殺人事件
西村京太郎
目 次
第一章 接点の駅
第二章 旅行好きの男
第三章 三月二十四日夜
第四章 失 踪
第五章 草津雪景色
第六章 再検討への旅
第七章 真犯人
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第一章 接点の駅
警視庁捜査一課の三田村《みたむら》刑事が、恋をした。
若い、独身の刑事だから、恋をしても、不思議はないのだが、ちょっと問題なのは、恋人の本橋久美《もとはしくみ》の父親が、現在、刑務所に入っていることだった。それも、殺人罪で、八年の刑を受けてである。
結婚ということになると、それが、問題になるかも知れない。
最初から、そのことを知って、久美とつき合ったわけではなかった。
三田村は、近くのスーパーに、アルバイトで来ていた女子大生に、恋をした。それが、久美だったのである。
知り合って、八ヶ月ほどして、三田村は、結婚を、申し込んだ。
その時、久美が、父親が、今、府中《ふちゆう》刑務所にいると、うちあけたのである。
三田村は、その瞬間、上司の十津川や、本多《ほんだ》一課長や、三上《みかみ》刑事部長の顔が、浮んでは消えた。
彼等は、多分、この結婚に反対するだろう。
三田村が、黙ってしまったのを見て、久美は、
「もう、この話は止めましょう。あなたのプロポーズは、なかったことにするわ」
と、落ち着いた声で、いった。
「僕としては、君のお父さんが、どんな人だろうと、構わないんだが、警察というところは、封建的で――」
三田村が、いいわけがましくいうのを、久美は、手でおさえるようにして、
「もういいの。それより、二人で、旅行に行きたいわ。二、三日、休暇は、とれない?」
と、いった。
「とれないことはないけど、何処へ行きたい?」
三田村は、どこかで、ほっとしながら、きいた。
「南紀《なんき》を旅行したいの。鳥羽《とば》から、新宮《しんぐう》へ行って、それから、紀伊勝浦《きいかつうら》」
「そういえば、君は、南紀の生れだったね」
「ええ、もう、誰も住んでないけど、行ってみたい」
「いいよ。すぐ、休暇願を出してみる」
と、三田村は、約束した。
十一月二十四日から二十六日までの三日間、休暇がとれて、二人は、南紀へ向かった。
三田村は、奮発して、今回の旅行では、列車は全て、グリーン車にしようと、決めた。
三田村は、これからも、久美と、つき合っていく気でいるのだが、彼女の方は、この旅行を最後に、別れる気でいるような気がして仕方がなかったからだった。三田村のためらいを見て、そう決めたのではないのか。
二人は、名古屋《なごや》まで、新幹線で行き、名古屋からは、近鉄|志摩《しま》線に乗りかえて、賢島《かしこじま》に向かった。
一〇時二五分近鉄名古屋発の特急である。全席指定で、グリーン車というものはない。
中央部が、二階建車両になっているので、三田村は、そこを予約したかったのだが、どうしてもとれなくて、最後尾の車両になった。
前日まで、小雨だったのが、二十四日は、よく晴れて、三田村は、ほっとした。
久美は、いつもより、はしゃいでいるように思えた。
それが、三田村には、気になった。二人で、旅行できるから、はしゃいでいるのではなくて、これを最後に、別れるつもりなので、妙に、はしゃいでいるように、思えて、仕方がなかったからである。
名古屋を出たあと、特急は、宇治山田《うじやまだ》、鳥羽、鵜方《うがた》と、停車して、終点の賢島に着く。
名古屋を出るときは、ほとんど満席だったが、宇治山田と、鳥羽で、どっと、降りてしまい、終点の賢島に着いたときは、がらがらだった。
一二時二六分着。
改札口を出たあと、駅の二階にあるレストランで、昼食をとることにした。
窓際のテーブルに腰を下ろすと、リアス式の深い入江が、眼の前に見えた。きれいな海だった。
ラーメンセットという、ラーメンと、ご飯がセットになっているのを注文して、食べていると、急に、久美が、
「私たちのことを、見ている人がいるわ」
と、小声で、いった。
「どこで?」
「入口の近くのテーブルにいる男の人」
「別に、見てないよ。気のせいさ」
と、三田村は、笑った。
「そんならいいんだけど」
「見ていたとしても、それは、君が美人だからだよ」
と、三田村は、いった。
昼食をすませてから、三田村は、タクシーを拾い、
「景色のいいところを走って、鳥羽のS旅館に行って貰《もら》いたいんだ」
と、運転手に、いった。
中年の運転手が、ニヤニヤしているところをみると、どうやら、三田村たちを、新婚とでも、思ったのかも知れない。
まず、賢島近くにある志摩マリンランドに行く。
ここでは、ペンギンを見、回遊式の巨大な水槽のある水族館で、鮫《さめ》や、熱帯魚や、マンボウなどを、見た。
次に、運転手が案内したのは、志摩民俗資料館である。
ここは、あまり人気がないとみえて、水族館の方は、客がいたのに、こちらは、客の姿はなく、がらんとしていた。今の若者たちは、昔の漁船や、農機具などには関心が向かないのだろう。
久美も、面白くなかったとみえて、口数が、少なかった。
「とにかく、海が見たいね」
と、三田村は、運転手に、いった。
「じゃあ、パールロードを走りましょう。有料道路だから、料金が要りますが、いいですか?」
と、運転手が、きく。
「いいよ。きれいな景色が、見られるんなら」
と、三田村は、いった。
運転手は、スピードを速めた。五百十円の通行料を払って、パールロードに入ると、すぐ、的矢湾《まとやわん》にかかるアーチ型の的矢湾大橋を渡った。
朱色の美しい橋である。眼下に、リアス式の的矢湾が広がり、吹きあげてくる風が強い。橋の袂《たもと》に、吹流しがあるのは、風力を知らせるためだろう。
橋を渡ったところに、大きなホテルが建っていた。伊勢志摩ロイヤルホテルである。
眼の下の的矢湾には、カキの養殖イカダが、並んでいる。
「このホテルで食べさせるカキ料理は、うまいですよ」
と、運転手が、いう。
「ここに、泊ってもいいよ」
と、三田村がいうと、久美は、笑って、
「それは、今度にしましょう。今日は、鳥羽にしたい」
と、いった。
的矢湾大橋を過ぎると、道の両側に、来年の四月に出来るという志摩スペイン村が、広がっていた。まだ、工事中だが、着々と、スペイン的な建物が、建っている。
三田村は、日本は、奇妙な国だなと思う。オランダ村を造り、ドイツ共和国を造り、今度は、スペイン村である。
「あッ、いたち!」
と、久美が、突然、叫んだ。
運転手が、あわてて、ブレーキを踏んだ。急停止したタクシーの前を、小さないたちが、素早く、走り過ぎていった。
「いたちがいるんだね」
と、三田村がいうと、運転手は、
「たぬきも、鹿もいますよ」
と、いった。なるほど、道路の端に、「たぬきに注意」と書いた立札があった。
展望台に建てられたレストランで、三田村は、休むことにした。
季節外れのせいか、広い室内に、五、六人の客しかいなかった。
二人は、半円形に広がる窓の傍のテーブルに、ついた。三田村が、コーヒーを頼み、久美は、ミックスジュースを、注文した。
窓ガラスから射し込んでくる陽は、強く、暖かい。じっとしていると、汗ばむほどだった。
三田村は、煙草に、火をつけてから、
「楽しい?」
と、きいた。
「ええ。なぜ、そんなことを聞くの?」
と、久美が、きき返す。
「君が、何となく、落ち着かないみたいだから」
「ちょっと、照れてるの」
と、久美は、いった。
パールロードは、更に、海沿いに走っている。
生浦湾《おうのうらわん》にかかる白色の麻生《あそう》の浦《うら》大橋を渡って、今浦に着くと、そこが、パールロードの出口である。
「ここの料金所に、歌手の鳥羽一郎《とばいちろう》のおやじさんが、勤めているんですよ」
と、運転手が、自慢げに、いった。
このあと、二十分ほどして、鳥羽市内に、入った。
予約しておいたS旅館に入ったのは、午後三時半だった。
高台にあるS旅館からは、鳥羽の街が一望できて、その向うに、穏やかな海が、広がっていた。
六時半に、夕食をすませたあと、三田村が、部屋の中のバスルームに入っていると、ガラス戸が開いて、久美が入ってきた。
三田村が、シャワーを出し、立ちのぼる湯けむりの中で、二人は、裸で、抱き合った。
「きれいだよ」
と、三田村は、小声で、囁《ささや》いた。
久美が、微笑する。
彼女は、抱かれたまま、ひざまずき、ふいに、三田村のものを、口に含んだ。
三田村は、黙って、彼女の肩に、手を置き、シャワーが、彼女の髪をぬらし、顔をぬらし、肩にはねかえるのを、見下ろしていた。
二人は、バスルームを出ると、裸のまま、布団に入った。
(この女と、結婚するために、警察を辞めることになってもいい)
と、三田村は、久美の身体を抱いたまま、思った。
彼女は、三田村の胸に、顔をうずめていて、何を考えているのか、わからなかった。
翌朝も、よく晴れた。
朝、顔を合わせた時、三田村は、昨夜のことを、何といっていいかわからず、
「君を好きなんだ」
と、いった。
久美は、嬉《うれ》しそうに笑った。が、何もいわなかった。
朝食のあと、二人は、旅館のマイクロバスで、鳥羽駅に向かった。
JR鳥羽駅は、洒落《しやれ》たレストランの感じで、外見は、駅のように見えない。
構内に入ると、ひどく、がらんとしている。
ここから、一〇時一一分発の参宮《さんぐう》線の快速「みえ8号」に乗ることになっていた。
快速といっても、二両編成の可愛らしい気動車《デイーゼルカー》である。それでも、乗ってみると、ちゃんと、電話がついていた。
名古屋まで走っているのだが、車内は、すいていた。名古屋へ行く人は、近鉄に乗ってしまうのだろうか。
快速「みえ8号」は、二見浦《ふたみがうら》、伊勢《いせ》市に停車し、次の多気《たき》に、一〇時四一分に着いた。
ここで、紀勢《きせい》本線の特急に、乗りかえである。
三田村たちと、一緒に、七、八人の乗客が降りた。みんな、紀伊勝浦行の「ワイドビュー南紀5号」に乗りかえるらしい。
多気は、乗りかえ駅で、ホームも、1番から4番まであるのだが、ホームには、小さな待合室が一つあるだけで、売店はない。自動販売機が、待合室の横に、ぽつんと、一つ置いてあるだけである。
三田村が、駅員に、
「『南紀5号』が来るまで、五十分もあるから、お茶でも飲みたいんだが、喫茶店はないですか?」
と、きくと、
「そういうものは、ありません」
と、いう答が、返ってきた。
「駅の外にもないの?」
「ありません」
と、駅員は、そっけなくいった。
三田村たちと一緒に降りた乗客たちは、仕方なく、待合室に入ったり、ホームに、しゃがみ込んでしまった。
「外へ行ってみよう」
と、三田村は、久美に、いった。
「でも、何にもないんでしょう?」
「これだけの大きな駅なんだから、外に出れば、何かあるよ」
と、三田村は、いった。
二人は、跨線《こせん》橋をわたり、改札口を出てみた。
そこで、「へえ」と、三田村が、声を出したのは、駅前に、バス停もなければ、タクシーのりばもなかったからである。
駅員が、何もありませんと、いった筈《はず》だと、感心した。
それでも、小さなコンビニエンス・ストアがあり、そこで、雑誌や、新聞も、売っているのが、わかった。しかし、お茶は、飲めそうもない。
「ホームに戻りましょうよ」
と、久美が、いった。
「五十分も、吹きっさらしのホームで待つのは、ごめんだよ」
と、三田村は、道路に出てみた。
とにかく、がらんとした駅前である。そんな中に、食堂らしきものを見つけた。
しかし、やっているのかどうかわからない。それほど、ひっそりとしているのだ。
閉まっているドアに手をかけると、開くのがわかった。どうやら、営業はしているらしい。
久美と中に入ると、客は一人もいなかった。
石油ストーブがおかれ、安物のテーブルが並んでいる。壁には、大きな字で、メニューが、貼りつけてある。
「コーヒー、あるの?」
と、三田村が、奥に声をかけると、
「紅茶しかありませんよ」
という中年の女の声が、戻ってきた。
「じゃあ、紅茶二つ」
と、三田村は、注文してから、久美と、石油ストーブの傍のテーブルに、腰を下ろした。
「本当に、田舎の食堂って感じ」
と、久美が、小声でいって、笑った。
しばらくして、おばさんという感じの女が、紅茶を、運んできた。
一一時三〇分近くまで、その食堂にいてから、二人は、駅に戻った。
ホームでは、一緒に降りた七、八人の乗客たちが、退屈そうに、「南紀5号」を待っていた。
一一時三一分に、やっと、「南紀5号」が、到着した。
待ちくたびれた感じで、ホームの七、八人が、乗り込む。
三田村も、乗った。が、久美が、
「あらッ」
と、声をあげた。
「どうしたの?」
「一人、待合室に、残ってるわ。どうしたのかしら」
「一人、残ってる?」
三田村は、窓から、ホームを見た。
なるほど、小さな待合室に、一人、三十五、六の男が、残っている。中のベンチに腰を下ろしているのだ。
次の特急「南紀7号」が、来るのは、三時間後である。
(待ちくたびれて、眠ってしまったんだろうか?)
と、思ったが、三田村たちの乗った「南紀5号」は、スピードをあげ、ホームも、待合室も、たちまち見えなくなった。
「南紀」のグリーン車は、座席の間隔が広く、快適だった。
紀勢本線の中で、一番長いトンネルを抜けたあと、新宮に、一三時三六分に着いた。
ここでも、タクシーに乗り、海岸線の美しさを楽しんだり、急な石段を、おりて、百三十三メートルも落下する那智滝《なちのたき》を見、熊野那智大社《くまのなちたいしや》で、おみくじを引いたりしてから、勝浦に入った。
勝浦湾の周囲には、大きなホテルが、並んでいるが、今日、泊ることにしたのは、湾の中にある中の島のホテルである。
桟橋から、このホテル行の船が、出ている。その船が、桟橋と、ホテルの間を、往復しているのだ。
三田村たちの他に、五、六人が、乗り込むと、船は、すぐ、出発した。
ホテルまで、約七百メートルである。エンジンの音をひびかせ、海風を受けながら、かなりのスピードで、走った。
連絡船は、午後一一時頃まであるのだが、それがなくなれば、完全に、孤立してしまう。
二人を部屋に案内してくれた仲居さんが、
「海の密室ですよ」
と、笑った。
部屋は、島を取りまく岩礁の上にあって、窓から、魚が釣れそうな感じだった。
午後六時が、夕食というので、二人は、足を伸ばし、テレビをつけた。
仲居さんのいれていったお茶に手を伸ばしかけて、三田村は、急に、手を止め、テレビの画面に、釘付《くぎづ》けになった。
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〈紀勢本線の多気駅で、今日、乗客が、殺されているのが、見つかりました〉
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と、アナウンサーがいい、見覚えのあるホームが、映し出されたのだ。
〈今日の午前一一時四〇分頃、JR多気駅で、特急『南紀5号』が出たあとのホームを、駅員の西川さん五十歳が、見廻《みまわ》ると、待合室のベンチに三十歳ぐらいの男性が座って、じっと、動かないのを見つけました。西川さんは、『南紀5号』が、出てしまったのに、おかしいなと思って、待合室に入ってみると、その男性が、背中を刺されて死んでいるのが、わかりました。今、警察で調べていますが、運転免許証から、この人は、東京都|世田谷《せたがや》区に住む土屋悟《つちやさとる》さん、三十一歳とわかりました。ポケットに、紀勢本線の特急『南紀5号』の切符が入っていたので、この列車を待っていて、刺されたものと、警察では、見ています――〉
「あの人だわ!」
と、久美が、甲高い声をあげた。
「ああ、待合室に、残っていた人だ。眠ってしまったんだろうと、思っていたんだが、あの時、もう、死んでいたんだ」
と、三田村は、いった。そういいながら、三田村は、背筋を戦慄《せんりつ》が走るのを、覚えていた。
自分が、死んだ人間を見ていたのだという思いからだった。しかも、それは、殺人《ころし》なのだ。
刑事である三田村には、死に対して、普通の人間とは、別の思いがある。殺人なら、なおさらだった。
ここが、東京なら、殺人現場の多気駅に、すっ飛んでいたろう。
だが、ここは、南紀である。それに、三田村は、休暇旅行中だった。
三田村は、ボストンバッグの中から、南紀の地図を取り出した。
多気駅が、何県だか調べた。三重県だから、当然、三重県警の所管である。
久美が、三田村を見ている。三田村は、彼女に向かって、
「大丈夫だよ。ただ、電話で、協力するだけだ」
と、安心させるように、いった。彼女が、この事件で、折角の旅行を邪魔されるのではないかと、心配していると、思ったからである。
「多気駅で、一緒だったことを、知らせるの?」
と、久美が、きく。
「市民の義務だからね」
「本当は、刑事の義務だと、思っているんでしょう?」
「僕は、休暇中で、刑事じゃないよ」
と、三田村は、いった。
電話で聞くと、三重県警は、松阪《まつさか》警察署に、捜査本部を置いたという。
松阪署にかけると、長谷部《はせべ》という警部が、電話口に出てきた。
「何か、事件について、知っておられるそうですが」
と、長谷部が、いう。
「事件のあった時、多気駅にいたんです」
と三田村は、くわしく、事情を説明した。
参宮線の快速「みえ8号」で、多気駅に降り、紀勢本線の特急「南紀5号」を、待っていたこと、その時、おなじ「みえ8号」から、自分の他に、七、八人の乗客が降りて、ホームで待っていたが、その中に、殺された男もいたこと。「南紀5号」が着いて、他の乗客が乗ったが、その男だけが、待合室に残っているので、眠ってしまったのかと思ったこと、などである。
「会って、いろいろと、伺いたいのですが、今何処にいらっしゃるんですか?」
と、長谷部が、きく。
三田村は、ちらりと、久美に、眼をやってから、
「紀伊勝浦の中の島にあるホテルに、来ています」
と、教えた。
「そのホテルなら、よく知っています。何時まで、そこにいらっしゃるんですか?」
と、長谷部は、きいてくる。
「明日の十時が、チェック・アウトです」
「では、今日中に、そちらに、伺います。八時までには、伺えると思います」
と、長谷部はいい、電話を切ってしまった。
三田村は、受話器を置くと、久美に向かって、
「長谷部という警部が、ここに来るって。君には、悪いと思ったけど、断われなくてね」
と、謝った。
久美は、微笑して、
「私が、嫌だといっても、協力なさるんでしょう?」
「多分ね」
「それなら、私も、協力する」
と、久美は、いった。
「協力するって?」
「女の私の方が、多気駅にいた乗客の顔を、よく覚えていると思うわ」
と、久美は、いった。
三田村は、彼女を見直す眼になって、
「本当に、覚えてるの?」
「そんなにくわしくじゃないけど」
「助かるよ。僕は、あの時、君をホームに置いとけないと思って、喫茶店探しの方に一生懸命で、多気にいた乗客の顔なんか、覚えてないんだ」
と、三田村は、いった。
夕食をすませて、五、六分したところで、三重県警の長谷部警部が、若い刑事を連れて、ホテルに着いた。
電話の声は、四十代ぐらいに聞こえたが、会ってみると、三十代の若い男だった。
三田村は、久美を連れて、ロビーで、会った。
三田村が、警視庁捜査一課の名刺を渡すと、長谷部は、驚いた顔で、
「警察の方ですか」
「今は、休暇中です」
と、三田村は、いい、久美のことを、フィアンセだと、紹介した。
「多気駅で、お二人と一緒に、『南紀5号』を待っていた乗客のことを、知りたいのです。人数は、何人で、どんな人たちだったかです」
と、長谷部が、当然の質問をした。
「何しろ、殺人が起きるなどとは、考えてもいなかったし、待ち時間が、五十分もあるので、駅の外にお茶を飲みに行ったりしていましたからね。くわしいことは、この人の方がよく覚えていると、思います」
と、三田村は、久美を、指さした。
久美は、長谷部に向かって、
「多気にいた乗客は、私たちの他に、八人でしたわ」
と、いった。そのきっぱりしたいい方に、三田村は、びっくりした。
「どんな八人だったか、覚えていますか?」
と、長谷部が、きく。それに対しても、久美は、はきはきと、
「中年の夫婦と、五歳ぐらいの子供が、いましたわ。女の子で、クマの小さなぬいぐるみを、持っていました。それから、二十代と思われる若いカップル。二人とも、ジーパンをはき、男の方は、黒の革ジャンを着ていました。女の方は、ざっくりした白のセーター、手に、コートを丸めて持っていました。あとの三人は、三十代から四十代の男性で、その中に、殺された方も一緒でしたわ」
「殺された男と、あとの二人の男とは、知り合いのように見えましたか?」
「三人で、おしゃべりしているところは見ましたけど、仲間といっていいかは、わかりません。旅行中に、知り合ったのかも知れませんから」
と、久美は、いった。
「その二人の男のことを、くわしく話してくれませんかね」
と、長谷部が、手帳に、メモしながら、いった。
「二人とも、背広姿で、一人は、うす茶のコートを持っていました。四十代に見える男の方です。四十代の方は、背が、一八〇センチくらいで、ショルダーを、下げていましたわ。あれは、ハンティングワールドのショルダーバッグだと思います。三十代の男は、背は、一六五、六センチで、小太りでした。地味なボストンバッグを持っていて、車内で、写真を撮っていました」
「よく、いろいろと、覚えていますねえ」
と、長谷部が、感心すると、久美は、ニッコリして、
「私って、旅のとき、同じ列車に乗っていたり、途中で出会った人たちを、観察するのが好きなんです」
と、いった。
「その二人の男で、他に、何か覚えていることは、ありませんか」
と、長谷部が、いった。
「『南紀5号』に乗り込むとき、四十代の男の人が、『おい、乗るぞ』と、若い方に、声をかけていました」
「そんな風に、年長の方がいったとすると、若い方が、もたもたしていたんですか?」
「ええ。私が、乗らないのかなと、思ったくらいですわ」
「なぜ、若い方は、もたもたしていたんですかね?」
「わかりませんけど、待合室の方を、彼が見ていたのは、覚えているんです。それで、私も、待合室を見たんですけど、男の人が、一人残っているんで、あれッと、思いましたわ。あの男の人は、どうして、乗らないんだろうと思って」
「二人の男の顔は、はっきり覚えていますか? もし、覚えていたら、似顔絵作りに、協力して頂きたいんですよ」
「協力しますわ。もちろん」
と、久美は、いった。
長谷部は、嬉《うれ》しそうに、松阪署に、電話をかけた。
「驚いたね。よく覚えてるね」
と、三田村は、小声で、久美にいった。
「記憶力は、私の乏しい才能の一つなの」
と、久美は、笑った。
三重県警の絵の上手《うま》い刑事が、駈《か》けつけてきて、久美の証言をもとに、二人の男の似顔絵が、作成された。
久美の記憶は、三田村から見ても、素晴らしいものだった。
似顔絵を作る途中、頬がもう少しこけているとか、眼が、もっと細いとか、髪に、白髪《しらが》が混じっているとか、指摘していくのである。
三田村は、改めて、久美の記憶力と、集中力に、驚嘆した。
普通でも、これほど、鮮明には、覚えられないだろう。しかも、多気駅で、久美は、三田村と、駅の外に出て、お茶を飲んでいるのだ。
「南紀5号」を待つ間、他の乗客たちは、何もないホームにいた。そこに、一緒にいたのなら、三田村も、彼等のことを、かなり記憶していられたろう。
だが、彼等とは、別の場所で、紅茶を飲んでいたのだし、列車が、来る頃には、ホームに戻り、他の乗客と一緒になったとはいっても、せいぜい、四、五分のものである。
三田村が、そのことをいうと、県警の刑事たちは、一様に驚いて、
「奥さんは、大変な記憶力ですねえ」
と、感心した。
他の刑事も、久美のことを、奥さん扱いしたが、三田村は、面倒くさいので、訂正しなかった。
そのせいで、翌日の朝刊には、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈本庁の刑事の奥さん、捜査に協力
さすがの記憶力〉
[#ここで字下げ終わり]
と、書かれてしまった。
三田村と、久美の写真ものった。
「ひどい誤解だわ。奥さんでもないのに」
と、久美は、いったが、三田村は、笑って、
「僕は、これで、いいと思っているよ」
と、いった。
多分、このニュースは、東京の新聞にも、のるだろう。そうすれば、久美とのことが、既成事実になってしまう。上司は、反対しにくくなるのではないかと、考えたからだった。
松阪署では、久美の証言に従って、被害者と一緒にいた二人の男を、手配したということだった。
朝刊には、殺された土屋悟(三十一歳)のくわしい経歴も、のっていた。
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○土屋悟さん。岡山県内に生れ、地元の高校を卒業したあと、上京し、R大に入り、卒業後、K電機に就職した。三十歳で、販売三課の係長になる。その時、上司に見合いをすすめられたが、結婚しなかった。
独身。趣味は、旅行。年に三、四回、ひとり、あるいは、少人数の友人との旅行を楽しむ。内向的な性格だが、非妥協的ということではなく、何人かの友人もいる。大学時代に、空手を習い、二段。
[#ここで字下げ終わり]
「まだ、若いのに、可哀そうだわ」
と、久美は、新聞にのっている土屋悟の顔写真を見ながら、小さな溜息《ためいき》をついた。
「三十一歳だからねえ」
「なぜ、殺されたのかしら?」
「それは、県警が調べるだろうがね。今は、肩がぶつかったといった些細《ささい》なことでも、相手を、刺したりするからねえ」
と、三田村は、いった。
「今度も、背中を刺されているんでしょう。怖いわ。ナイフを持って歩いている人がいるんだから」
と、久美は、いった。
確かに、最近、護身用とかいって、ナイフを持ち歩く人が、多くなっている。
今度の犯人も、護身用にと思って、ナイフを、持ち歩いていたのだろうか。それとも、最初から、被害者の土屋悟を殺す気で、ナイフを、持っていたのだろうか。
「休暇は、今日で終りなんだ。事件のことは忘れて、残りの時間を、楽しもうよ」
と、三田村は、久美にいった。
久美も、肯《うなず》いて、
「そうね。事件のことは、忘れましょう」
と、応じた。
朝食のあと、支払いをすませ、二人は、ホテルから出る連絡船に乗って、向う岸に向かった。
船での出発が珍しいのか、二人と一緒に、ホテルを出た観光客たちは、遠ざかるホテルに向かって、しきりに、カメラのシャッターを、切っている。
三田村も、船の中で、ホテルを入れて、久美の写真を、何枚か撮った。
勝浦の岸壁に着くと、ホテルで、頼んでおいたタクシーが、待っていた。
二人は、そのタクシーで、紀伊勝浦駅に向かった。
久美が、どうしても、白浜《しらはま》を見たいというので、勝浦から、一一時一七分発の特急「くろしお12号」に乗った。
白浜に着いたのは、一二時四四分である。
白浜温泉は、駅と離れているので、白浜駅の周囲は、閑散としている。
駅前から、タクシーに乗り、砂浜が美しい白良浜《しららはま》に行き、ここで、昼食をとった。
夏の季節なら、海水浴客で賑《にぎわ》うのだろうが、今は、観光客の姿も少なく、地元の人たちが、砂浜の手入れをしていた。
「夏になったら、来たいわ」
と、レストランの窓越しに、砂浜を見つめて、久美が、いう。
「来られるよ。ちゃんと、休暇がとれるようにしておく」
と、三田村は、いった。
白浜から、東京へ戻る飛行機の時間が決っているので、白浜観光は、忙しかった。
また、タクシーを拾って、有名な千畳敷《せんじようじき》と、三段壁《さんだんべき》を見に行った。
千畳敷は、波に浸食された岩盤が、幾重にも重なるようにして、広がり、それが、千畳もあるといわれる海岸である。
白良浜には、観光客が少なかったが、こちらは観光バスも着いていて、かなりの観光客の姿が見えた。
二人で、千畳敷の向うに広がる海を眺めていた三田村は、ふと、自分たちに向けられている眼に気がついた。
眼というより、カメラだった。
ほとんどの観光客が、海に向かって、記念写真を撮っているのに、その男だけは逆に、カメラを構え、その延長線上に、三田村と、久美がいる恰好《かつこう》になっていた。
かなり離れているので、男の顔は、はっきりしないが、茶色っぽい、革のジャンパーのようなものを着ている。
三田村が、逆に、カメラで撮ろうとすると、男は、ひょいと、重なる岩盤の、下の方に飛び降りて、姿を消してしまった。
「変な奴だな」
と、三田村が、呟《つぶや》くと、久美も、
「茶色い革ジャンパーの男でしょう?」
と、いった。
「気がついていたの?」
「ええ。白良浜でも、私たちを見ていたから」
「それは、気がつかなかったなあ。白良浜の何処にいたの?」
「昼食をとったレストランにいたわ」
と、久美は、いう。
「なぜ、僕たちを追ったりするんだろう?」
「理由は、私にもわからないけど、あの男の人は、前に、見たことがあるような気がする」
と、久美は、いった。
「何処で?」
「それを、今、考えてるんだけど――」
と、久美は、呟いていたが、「ああ」と、声をあげ、
「あの男の人に、よく似てるんだわ」
「どの男?」
「多気の駅で、殺された人がいたでしょう?」
「ああ、土屋という東京のサラリーマンだ」
「その人と一緒に、二人の男の人がいて――」
「君の証言で、三重県警が、似顔絵を作った男だ」
「その片方に似ているの」
と、久美は、いった。
「しかし、多気の二人は、ジャンパーなんか、着ていなかったろう?」
「ええ。多気駅では、背広を着ていたけど、間違いないわ。二人の中《うち》の年上の男の人によく似ているの」
と、久美は、いう。
「じゃあ、着がえたのか」
「そう思うわ」
と、久美は、いった。
三田村は、重なっている平らな岩盤の上を、海に向かって、飛んで行き、男の立っていた岩盤のところまで行ってみたが、男の姿は、どこにも、見当らなかった。
仕方なく、久美のいるところへ戻ったが、三田村は、まだ、半信半疑だった。
久美の記憶力の良さは、昨日でわかったが、今の男が、果して、彼女のいうように、多気駅にいた男と同一人物かどうか、判断がつかない。
こちらに向けて、カメラを構えていたが、三田村たちを撮ろうとしていたのか、それとも、背後の山の景色を撮ろうとしていたのかわからない。
三田村が、逆に、カメラを向けたら、逃げてしまったが、それも、偶然かも知れないのだ。
しかし、次の三段壁に廻《まわ》ったとき、また、あの男の姿を見かけた。
三段壁は、千畳敷の近くで、高さ五十メートルの切り立った絶壁で、有名である。北陸の東尋坊《とうじんぼう》に似た景色である。
投身自殺を防止するために、断崖《だんがい》の上には、自殺者を慰霊する観音像が立ち、自殺したくなったときに、電話して下さいという、電話ボックスも、置かれている。
崖下《がけした》まで、エレベーターで、行かれるのだが、二人は、時間がないので、上から、見下ろして、景色を楽しんだ。
崖下では、釣りをしている人もいて、のんびりした景色だったが、その崖下から、あの男が、三田村たちを、見上げていたのだ。
茶色の革ジャンパーで、カメラを、こちらに、向けている。
「また、いやがる」
と、三田村は、舌打ちした。
崖下までおりて行って、なぜ、カメラを向けるのか、その理由を、聞いてやりたかったが、三田村が、崖下へ行くまでに、きっと、姿を消してしまうだろう。
時間がないので、三田村は、久美と、タクシーで、南紀白浜空港に向かった。
空港は、背後の高原の上に作られている。滑走路を延長する工事が行われていたが、今は、まだ、プロペラ機のYS11しか、飛んでいない。
なんとか、一五時五〇分発東京行の便に、間に合った。
シートに腰を下ろして、窓の外を見ていた久美が、
「また、あの男の人」
と、いった。
三田村は、あわてて、窓に顔を寄せた。
なるほど、送迎デッキに、茶色のジャンパー姿の男が、立って、こちらを見ていた。今度は、カメラは構えず、サングラスをかけて、じっと、飛行機を見ているのだ。
東京行の便は、三田村たちのJAS386便で終りだし、あと、白浜からは、名古屋行があるが、これは、今欠航中である。としたら、あの男は、白浜から、どこかへ行こうというのではないのだ。三田村たちを、見送るために、空港へ来たとしか、思えない。
(何のために、そんなことをしているのだろう?)
と、三田村が、考えている中に、二人を乗せたYS11は、離陸のために、動き出していた。
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第二章 旅行好きの男
東京に帰った三田村は、上司の十津川の指示で、三重県警への捜査協力のため、多気で殺された男のことを、調べることになった。
コンビを組むのは、田中《たなか》という刑事である。
三田村より、二歳年上だが、同期で、警察に入っている。
殺された土屋悟の勤めていたK電機に向かう途中、車の中で、
「君が、結婚していたとは、知らなかったよ」
と、田中に、からかわれた。
「あれは、フィアンセと紹介したのに、新聞が、勝手に、奥さんと書いたんだ」
と、三田村は、いった。
「記憶力が、いいそうじゃないか」
「ああ、あれには、びっくりしたよ」
「そんな奥さんだと、浮気は、出来ないぞ」
と、田中は、笑った。
K電機は、新宿西口に、本社がある。
二人は、そこで、土屋の上司の高橋《たかはし》という販売三課の課長に会った。
眼鏡をかけた、三十七、八歳の小柄な男だった。
「昨日も、電話で、三重県警の刑事さんに聞かれたんですが、びっくりしているんです。旅先で、あんなことになるなんて、全く、信じられませんからねえ」
と、高橋は、いった。
「休暇をとって、旅行に出かけていたんですか?」
と、三田村が、確認するように、きいた。
「そうなんです。いつもは、一ヶ月ぐらい前に、旅行に行きたいので、休ませて欲しいというんですが、今回は、前日に、急に休暇願を持って来ましてね。とにかく、明日から三日間、休みたいというんですよ。急にいわれると、仕事に支障を来すんですがねえ。それが、あんなことになってしまって」
と、高橋は、首をすくめるようにして、いった。
「土屋さんは、旅行が好きだったようですね」
「ええ。趣味が、旅行というくらいの男でしたから」
「他に、土屋さんと一緒に行った人はいないんですか? どうも土屋さんは、仲間二人と、南紀を旅行していたと、思われるんですが」
と、三田村は、きいた。
「それは、三重の刑事さんに聞きました。しかし、うちの社員じゃありませんね。同じ時に、休暇をとった社員はいませんから」
と、高橋は、いう。
「土屋さんが、殺されたことで、何か、思い当ることは、ありませんか?」
と、田中が、きいた。
「全くありませんね。ただ、おかしいと思ったことが、一つあるんですよ」
高橋は、思わせぶりに、いった。
「どんなことですか?」
と、三田村が、きいた。
「今年の春に、彼は、一週間の休暇をとって、南紀へ行ってるんですよ。それなのに、なぜ、また、南紀へ行ったのかと、思いましてね」
と、高橋が、いう。
三田村は、眉《まゆ》を寄せて、
「それは、本当なんですか?」
「ええ。私は、鳥羽名物のお菓子を、土屋に貰《もら》ったし、勝浦の温泉まんじゅうを貰った人間もいますよ」
「今年の春ですか?」
「ええ。確か三月下旬でしたね。調べてみましょう」
と、高橋は、いい、休暇願の綴《つづ》りを見てくれた。
確かに、三月二十三日から一週間の休暇願が、土屋悟の名前で、出ていた。
「この時も、ひとりで、出かけたんですか?」
と、田中が、きいた。
「うちの社員で、一緒に行ったのはいないようですが、土屋君は、社の外に、旅行仲間を持っているようで、その人たちと、一緒に行ったんじゃないかと、思いますね」
と、高橋は、いった。
三田村と、田中は、土屋の自宅に廻《まわ》ってみることにした。
土屋の自宅は、世田谷区|深沢《ふかさわ》のマンションだった。
1DKの小さな部屋だが、旅行好きらしく、カメラが三台あり、そのカメラで撮ったと思われる北海道などの大きな写真が、パネルにして、壁にかかっていた。
厚いアルバムも、二冊、本棚に入っていた。
三田村と、田中は、そのアルバムを、調べてみた。その中に、土屋の旅仲間が、写っているかも知れなかったからである。
三田村が、見つけ出したいのは、多気駅で一緒だった二人である。
久美の証言で作った二人の似顔絵のコピーは、三重県警から、FAXで、送られてきていたから、それを傍において、アルバムを見ていった。
「見つからないね」
と、先に、田中が、いった。
「剥《は》がしてるんだよ」
と、三田村は、いった。
ところどころ、アルバムが、空白になっているページがあったからだった。
「それに、今年の三月に、南紀へ行った時の写真が、一枚もない」
と、三田村は、いった。
一週間も、旅行したのだから、少なくとも、二、三本のフイルムは、使っている筈《はず》なのだ。それなのに、全く、南紀の写真が、なかった。
「土屋を殺した犯人が、この部屋へ忍び込んで、具合の悪い写真を、全部、剥がして、持ち去ったんじゃないのかね」
と、田中が、いった。
「それは、考えにくいね」
と、三田村は、いった。
「なぜだ?」
「それなら、この二冊のアルバムを、そっくり持ち出して、燃やしてしまえば、いいんだ。その方が、楽だよ。一枚ずつ、見ていって、都合の悪い写真だけ剥がすのは、時間がかかるし、見落す危険もある」
と、三田村は、いった。
「じゃあ、土屋本人が、剥がして、処分してしまったということか?」
「おれは、そう思うよ」
「しかし、なぜ、そんなことを、したんだ?」
と、田中がきく。
「そこまでは、わからないが、とにかく、今年三月の南紀旅行で、何かあったんだ」
「それなのに、なぜ、また、南紀へ行ったんだろう?」
「それも、わからん。だが、二度目の南紀旅行で、土屋が殺されたのは、厳然たる事実だからね」
と、三田村は、いった。
土屋の部屋では、何の収穫もなかった。理由はわからないが、三月の南紀旅行の痕跡《こんせき》も、多気駅で一緒にいた二人の男の痕跡も、消えてしまっているのだ。土屋が、自分で、消してしまったのだろうか。
ただ、部屋にあった手紙の中に、山口《やまぐち》アキ子という名前があり、手紙の内容から、土屋と親しかったと考えられ、彼女に会ってみることにした。
山口アキ子の家は、JR目黒《めぐろ》駅近くの美容院だった。
母親が、やっている美容院だった。
アキ子は、二十五、六歳で、眼の大きな、明るい感じの女だった。
「土屋さんとは、彼の上司の課長さんの紹介で、見合いをしたんです」
と、アキ子は、いった。
「確か、見合いは、うまくいかなかったとか」
と、三田村は、いった。
「ええ」
「あなたの方から、断わったんでしょう?」
と、三田村が、きくと、アキ子が、小さく笑って、
「土屋さんの方が、断わって来たんですよ」
と、いった。
「信じられませんね。これは、嘘じゃありません。あなたは、明るくて、美人だし、土屋さんの方は、死んだ人を悪くいうのは気がひけますが、それほど魅力のある男には、見えない。向うが、断わってきたというのは、全く、信じられませんね。本当なんですか?」
と、三田村は、きいた。
同行した田中も、
「私も、同じですよ。てっきり、あなたの方が、断わったんだと思っていました。土屋さんは、いったい、何が、気に入らなかったんですかね?」
と、いった。
「それを、いってくれなくて。母が怒って、直接、会いに行って聞いたら、いろいろ事情があったみたいなことで、本当の理由を、いわなかったそうですわ」
「土屋さんのところに、あなたの手紙がありました。あたり障りのない手紙でしたが、あれは、間違いなく、あなたが出されたものですか?」
と、三田村は、きいた。
アキ子は、小さく肩をすくめた。
「確かに、私が出したものですわ」
「なぜ、出されたんですか? お見合いが、うまくいかなかったし、相手から、断わられたのに」
と、田中が、きくと、アキ子は、黙って、奥から、手紙の束を持って来て、二人の前に置いた。
十通は、あった。どれも、差出人の名前は、土屋悟になっている。
三田村は、呆《あき》れて、
「どういうことなんですか? これは」
「土屋さんて、おかしな人で、向うから断わったくせに、それから、こんなに、手紙を、送って来たんですよ。もちろん、私の方は、ずっと、無視していたんですが、どうしても、返事が欲しいといわれて、仕方なく、あの手紙だけ、出したんですよ」
と、アキ子は、いった。
「見ていいですか?」
「ええ」
と、アキ子が、肯《うなず》く。三田村と、田中は、その十通の手紙を、来た順番に、読んでいった。
妙な手紙だった。お見合いは、断わったが、本当は、あなたが気に入っていた。いろいろ、事情があって、断わるより仕方がなかったが、あなたが好きだ。改めて、つき合って欲しい。そんなことが、めんめんとして、書きつけてあるのである。
最後の方になると、「あなたに、聞いて貰《もら》いたいことがあるので、ぜひ、会って欲しい」と、書かれていた。
「それで、土屋さんに会われたんですか?」
と、三田村は、きいた。
「本当は、会いたくありませんでしたわ。私にとって、もう、関係のなくなった人ですもの。でも、その手紙が来たあと、電話して来て、どうしても、相談にのって欲しい。あなたは、頭のいい人だから、どうしたらいいか、教えて貰いたい。このままだと、死ぬかもしれない、といわれて、四月の初めだったと思います。土屋さんのいった新宿東口のプチドールという喫茶店に、行きましたわ」
と、アキ子は、いう。
「それで、会って、どんな話をしたんですか?」
田中が、きくと、アキ子は、
「それが、午後六時の、約束の時間を、過ぎても、土屋さんは、来ませんでした。三十分は、待ちましたかしら。自分の方から、会いたいといっておきながら、と腹が立って、帰りましたわ」
と、いった。
「そのあと、土屋さんから、詫《わ》びの電話がありましたか?」
「いいえ。それっきりですわ。私には、土屋さんという人が、わかりません。お見合いを、自分の方から断わっておきながら、あれは、事情があったんだから、つき合ってくれと、手紙をくれたり、相談にのってくれと、会う場所や時間を指定しながら、来なかったりですから」
と、アキ子は、いった。
「新宿の件が、四月の初めだったというのは、間違いありませんか?」
と、三田村は、きいた。
「ええ、確か、一日か、二日でした」
「土屋が、南紀で死んだことに、びっくりされたんじゃありませんか?」
と、三田村は、きいた。
「びっくりはしましたけど、もう、私には、関係のない人ですから」
と、アキ子は、いった。
三田村と、田中は、帰りのパトカーの中で、顔を見合せ、
「どうも、わからない」
と、いい合った。
わからないのは、土屋という男の行動なのだ。今年の春、南紀に行っているのに、なぜか、また、出かけている。
前に、南紀へ行った時の写真が、一枚もなくなっていて、それが、どうやら、土屋自身が、捨ててしまっていると思われるのだ。
見合いの相手、山口アキ子に対する態度も、奇妙である。アキ子が、呆れていたが、無理もないと、思った。
三田村は、そのことを、十津川に、報告したあと、
「土屋という男が、もともと、変だというのではなく、何かがあって、そのあと、妙な行動をとったと、考えられます」
と、いった。
「なぜ、そう思うんだ?」
「例えば、山口アキ子に対する態度ですが、事情があって、断わった相手に、未練があって、手紙を出し、交際したいというのは、それほど、不思議ではありません。不思議なのは、四月の初めに、デートを自分の方からいい出しておきながら、来なかったことと、その後のフォローがなかったことです。あの十通にも及ぶ、手紙での呼びかけは、いったい何なのかということになって来ます」
と、三田村は、いった。
「四月というと、彼が、前に南紀に行った時期だろう?」
と、十津川は、きいた。
「そうなんです。考えられるのは、前の南紀旅行で、何かがあったのではないかということです」
と、三田村は、いった。
「それを、突き止められるかね?」
「やってみます」
と、三田村は、いった。
三月二十三日から一週間、南紀に旅行したことは、わかっている。
その間の休暇願が出ているからである。
ただ、肝心の写真が、一枚もないのだから、誰と、どんなルートで、旅行したのかが、わからないのだ。
この日付に、山口アキ子の証言を、加えると、こういうことになる。
土屋は、この一週間の旅行から帰ったあと、山口アキ子に電話をかけ、相談したいことがあるので、ぜひ、会って欲しいと頼む。アキ子も、しぶしぶ承知して、四月一日か、二日に、新宿の喫茶店で、午後六時に会う約束をした。
午後六時というのは、多分、土屋が、会社の帰りに会うつもりだったのだろう。
山口アキ子は、約束の時間より、五、六分早く、プチドールという、新宿の喫茶店に着き、土屋を待った。だが、六時半になっても、土屋は、現われず、アキ子は、怒って、帰宅してしまったが、その後、彼から、詫びの電話も、手紙も、来なかった。
問題は、四つである。
第一は、三月二十三日に、誰と、南紀に行ったのか?
第二は、その南紀で、何があったのか?
第三は、アキ子に、何を相談しようとしたのか? なぜ、会いに来なかったのか?
第四は、なぜ、また南紀に行き、なぜ、彼が殺されたのか?
これは、実際に、南紀で、調べるより仕方がない。
三田村は、土屋悟の顔写真を何枚も作り、和歌山と三重の二つの県警に送付し、三月二十三日から三十日まで、土屋が、南紀のどこにいたかを、調べて貰うことにした。
三重県警の方は、今度の殺人事件は、自分のところが、所管だから、喜んで調べるだろう。
和歌山県警の方へは、三上刑事部長から、捜査協力が、要請された。
両県警の捜査で、少しずつ、三月の土屋の足どりが、わかって来た。
三重県警と、和歌山県警の両方から届く報告を、三田村が、照合して、一つのスケジュールを作りあげた。
三月二十三日から三十日までに、土屋が泊った地点は、次のようになった。
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三月二十三日 鳥羽Kホテル
二十四日 勝浦中の島ホテル
二十五日 白浜Sホテル
二十六日 同
二十七日 御坊《ごぼう》M旅館
二十八日 高野山《こうやさん》(龍神《りゆうじん》温泉)N旅館
二十九日 京都Rホテル
三十日  帰京
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どのホテル、旅館でも、土屋悟他二人で、泊っている。男ばかりの三人の旅だったらしい。
両県警が、調べたところ、土屋に同行した二人の男は、今回、多気駅で、土屋と一緒にいた男二人に、顔立ちが、よく似ていることが、わかった。
当然、両県警も、三田村と同じことを、考えたらしい。
つまり、三月の旅行中に、何かがあり、八ヶ月たった十一月になって、それが、爆発して、二人の男が、多気駅で、土屋悟を、殺したのではないかということだった。
名前はわからない、中年のこの男二人が、殺人容疑者ということになる。
殺人事件の捜査本部を、松阪警察署においた三重県警は、この二人を、容疑者として、手配することに決め、警視庁と、和歌山県警に、協力を要請して来た。
特に、警視庁には、この二人の男が、土屋悟と同じ東京の人間と思われることから、強い要請が、行われた。
それに対して、十津川は、
「土屋の交友関係を、徹底的に、洗ってみてくれ。その中に、この二人の男が、いると、思われるからね」
と、部下の刑事たちに、いった。
一見、簡単に見えるこの捜査が、実際には、ひどく、難しかった。
土屋悟の勤めていたK電機の社員の中に、この二人が、いなかったからである。
次に、三田村たちが調べたのは、R大の同窓生である。
R大に行って、土屋と同期の学生たちの名簿を借りて、その中の何人かに、二人の男の似顔絵を見せた。
「こういう顔の男は、同窓にはいませんねえ」
と、彼等は、異口同音に、いった。
他に探すとなると、第一に、考えたのが、同じマンションの住人ではないかということだった。
しかし、これも簡単に、違うことが、わかった。管理人は、一言のもとに、住人ではないと、断言したからである。
「どういう仲間なんだ?」
と、西本《にしもと》刑事が、疲れた顔で、文句をいい、日下《くさか》刑事は、
「土屋は、内向的な性格なんだろう? そんな男が、いったい、何処で、二人も、旅仲間を作れたんだ?」
と、舌打ちをした。
しかし、三月に続いて、十一月の今回、同じ三人で、旅行しているのだから、よほど、親しい仲間と、思わざるを得ない。
「特別に、旅行だけの仲間というのは、考えられないかな?」
と、三田村は、いった。
「どういうことなんだ?」
と、西本が、きく。
「土屋の部屋を調べたら、旅行の雑誌が、本棚に沢山積んであった。ああいう雑誌の読者欄には、一緒に旅行する仲間を募るみたいな投書がのるんじゃないかな? 例えば、三月のとき、二十三日から一週間の予定で、南紀を旅行するが、同行の士を求むみたいな投書をしていて、それに、他の二人が、電話して来て、一緒に行くことになった。そういうケースならば、それまで、全く知らなかった三人が、一緒に、南紀旅行をすることになるんじゃないかな」
と、三田村は、いった。
「よし、それを調べてみようじゃないか」
と、西本が、応じ、刑事たちは、土屋のマンションに、もう一度、足を運んだ。
本棚に積まれていたのは、『旅のフレンド』という雑誌である。
試しに、その一冊を手に取り、末尾の方にある「読者のページ」を見ると、三田村のいったような呼びかけが、いくつか、のっていた。
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〈来年の三月頃、沖縄へ行きたいと思っている二十三歳のOLです。同年齢の女性の方、一緒に行きませんか?
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
東京都世田谷区弦巻×丁目二―五―六〇二  葉山けい子〉
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈みんなで、冬の白馬《はくば》にスキーに行こう。予定は、二月下旬。同行の士を募る。僕は高校二年です。
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
横浜市西区  竹内一也〉
[#ここで字下げ終わり]
と、いった具合である。
土屋も、こんな呼びかけを、三月の南紀旅行の時に、したのではあるまいか。十分に考えられることだった。
三月号は、二月に出るから、恐らく、三月号までに、のせたのだろう。
或《ある》いは、他の二人の呼びかけに、土屋が、応じたのかも知れない。
三田村たちは、去年の十二月号から、今年の三月号までを、調べてみることにした。だが、今年の三月号が、いくら探しても、見つからなかった。
「おかしいな」
と、西本が、いった。去年の一月号から、ずっと持っているのに、今年の三月号だけが、見つからないのである。
仕方がないので、三田村が、西本と、この雑誌の出版社へ行き、今年の三月号を売って貰《もら》うことにした。
その時、念のために、定期購読者の名簿を見せて貰うと、やはり、土屋の名前が、のっていた。
三月号は、持ち帰って、全員で、読者のページを調べた。
「あるよ」
と、西本が、ニッコリした。
土屋悟が、旅行の仲間を、求めているのだ。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈私は、三十一歳、K電機に勤める独身のサラリーマンで、旅行好きです。三月下旬に、一週間の予定で、南紀を旅行したいと思っています。同年齢くらいで、旅好きの方、二、三人で、南紀へ行きませんか?
手紙か、電話して下さい。夜は、たいてい在宅しています。
[#ここから改行天付き、折り返して4字下げ]
東京都世田谷区深沢×丁目××―××
コーポ深沢305号
TEL03―3704―××××
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]土屋 悟〉
この呼びかけに、問題の二人が応じて、三人で、南紀を旅行したのか。
「しかし、結局、問題の二人は、どこの誰かわからないよ。旅行の打ち合せをする手紙も、残っていないからね」
と、西本は、いった。
その通りだった。土屋のマンションに、手紙も、名刺も、写真もないのだから、旅行雑誌で、仲間を集めたらしいとわかっていても、どうしようもないのだ。
「待てよ」
と、三田村が、呟《つぶや》いてから、
「例の二人が、この呼びかけに、応じて、三人で南紀旅行をしたとすると、彼等も、同じ雑誌の定期購読者だったんじゃないだろうか?」
と、いった。
「もう一度、あの出版社へ行こう」
と、西本が、もう、立ち上がっていた。
二人で、神田の出版社に押しかけると、相手は呆《あき》れた顔で、
「もう、お見せするものは、ありませんがねえ」
と、いった。
「定期購読者の名簿を見たいんです」
「さっき、お見せしましたよ」
「今度は、全員の分を、見たいんですよ」
と、三田村は、いった。
定期購読者は、全部で、一〇〇六人だった。
名前、住所の他に、年齢なども、書き込んであった。
「誌面作りの参考のために、年齢や、職業、学生なら、大学名などを、書いて貰っているんですが、女性の年齢は、正確かどうか、わかりませんよ」
と、編集長は、笑った。
「女性の読者は、必要ないんです」
と、三田村は、いった。
とにかく、名簿を、コピーして貰って、三田村と、西本は、持ち帰った。
名簿の中から、女性をのぞき、二十歳以下をのぞいた。
読者は、圧倒的に、若者が多く、中には、中学生もいる。
残った読者は、結局、百人以下になってしまった。正確にいえば、八十六人である。
更に、その中《うち》、東京が、一番多くて、五十三人で、あとは、北海道から、九州まで、広がっていた。
十津川は、まず、東京の五十三人から、調べて行けと、三田村たちに、いった。
刑事たちは、例の二人の似顔絵を持って、この五十三人に、当ることにした。
五十三人の住所を訪ね、似顔絵に似ていなければ、次に当るので、早く作業は、進んだ。
三田村と、西本の二人も、五人、六人と、進めていった。
十二人目は、四谷《よつや》三丁目のマンションに住む、小寺信成という男だった。
名簿には、年齢三十五歳。職業は、フリーライターと、書かれている。
一階に並んでいる郵便受には、502号室が、小寺になっていた。
しかし、五階にエレベーターであがり、502号室のインターホンを鳴らしたが、返事はなかった。
一階に戻り、管理人に、二人の似顔絵を見せると、じっと見てから、
「この人に、よく似てますよ」
と、小柄の男の方を、指さした。
久美の証言で作った似顔絵には、身長なども書かれているのだが、管理人が、似ているといったのは、身長一六五、六センチくらいの男の方だった。
「小寺さんは、留守のようですね」
と、三田村が、いうと、管理人は、
「旅行へ行ったんじゃないかなあ」
「旅行?」
「ええ。旅行好きで、よく出かけていますからね」
と、管理人は、いった。
「何をしている人ですか?」
と、西本が、きいた。
「それが、よくわからないんですよ。昼間でも、ぶらぶらしてたかと思うと、徹夜で仕事をしたと、眠そうな顔をしていることもあるんです。何だか、カタカナの職業だって、いっていましたがねえ」
「フリーライター?」
「ええ。そんな名前でした」
「小寺さんは、最近、南紀へ行って来たと、思うんですが」
と、三田村が、きくと、管理人は、
「ええ。旅行から帰って来て、お土産を貰いましたよ。確か、紀州《きしゆう》みかんで作ったというお菓子でした」
と、いった。
どうやら、小寺信成は、間違いなく、ホンボシのようである。
管理人は、旅行に出たんじゃないかというが、いつ帰って来ても、応じられるように、マンションに、刑事が、交代で、張り込むことにした。
その間も、名簿による聞き込みは、続行された。
東京の五十三人は、全て、調べ終ったが、もう一人の男に該当する人物には、ぶつからなかった。
もう一人は、東京以外の人間かも知れないし、『旅のフレンド』の定期購読者ではないのかも知れない。
だが、小寺信成さえ捕えることが出来れば、もう一人の名前などは、自然に、わかってくるだろう。
三重県警の長谷部警部が、刑事を一人連れて、上京して来て、十津川に会った。
「容疑者の二人の中の一人が、見つかったと聞いて、飛んで来ました」
と、長谷部は、嬉《うれ》しそうにいった。もう、逮捕したような、いい方だった。
「名前は、小寺信成で、今、二人の刑事が、彼のマンションを、監視しています。管理人の話では、どうやら、旅行に出かけているようなのです」
と、十津川は、いった。
「そのマンションを見たいですね」
「案内させましょう」
と、十津川はいい、日下刑事に、一緒に、四谷三丁目に、行かせた。
「若いだけに、張り切っていますね」
と、亀井《かめい》が、長谷部を見送ってから、十津川に、いった。
「羨《うらや》ましいよ」
と、十津川は、いった。
三重県警の長谷部警部が、見に来て、三田村は、少しずつ、不安になってきた。
管理人は、旅行にでも行っているんでしょうといったが、果して、そうなのだろうかと、思い始めたのだ。
こちらの推理が正しければ、小寺と、もう一人の男が、多気駅で、土屋を殺したことになる。殺人犯である。
そんな男が、呑気《のんき》に、旅行に出かけるだろうか?
(逃げたのではないか?)
と、三田村は、思い始めたのだ。
三田村は、十津川に電話をかけ、自分の不安を伝えた。
「室内を調べたいので、家宅捜索の令状をとって貰《もら》えませんか」
「わかった。すぐとる」
と、十津川は、いった。
令状がとれたのは、午後六時を、廻《まわ》ってからで、周囲は、すでに暗くなっている。
三田村と、西本は、管理人に、ドアを開けさせて、502号室に入った。
電気をつける。
1LDKの狭い部屋である。
「失敗《しま》った!」
と、西本が、声をあげた。
八畳ほどのリビングルームのじゅうたんの上に、パジャマ姿の男が、俯《うつぶ》せに、倒れていたからである。
「くそ!」
と、三田村も、叫んだ。
背中を刺されているとみえて、白っぽいパジャマの背中が、血で、染まっているが、その血は、すでに、乾いて、変色していた。
それでも、三田村は、未練がましく、屈《かが》み込んで、調べた。
三重県警の長谷部も、呆然《ぼうぜん》として、見守っている。
三田村は、男の身体を、仰向《あおむ》けにした。
間違いなく、似顔絵の片方に、そっくりの顔が、現われた。
男の顔は、青いというより、もう、白くなっている。
西本が、パトカーに戻り、鑑識を呼び、十津川に、小寺信成の死を、伝えた。
「先を越されました」
と、西本は、いった。
「背中を刺されていると、いったね?」
「はい」
「土屋悟も、確か、背中を刺されて、殺されたんだったね」
「そうです。同一犯人の可能性があります」
と、西本は、いった。
鑑識と、検視官が、到着した。
「死後三日は、たっているね」
と、検視官は、いった。
「三日というと、何日ですか?」
と、三田村は、きいた。
「十二月七日の夜だろうね」
「ここに来る前日か」
と、三田村は、呟《つぶや》き、改めて、口惜《くや》しさが、こみあげてくるのを感じた。一日早く、このマンションに来ていたら、生きている小寺信成を、捕えられたかも知れないのだ。
死体が、司法解剖のために、運ばれて行ったあと、三田村たちは、室内を、調べた。何とか、犯人につながるものが見つからないかと、思ったからである。
がらんとした部屋だが、フリーライターというだけに、真新しいワープロがあり、携帯電話も、眼についた。
しかし、肝心の手紙や、写真となると、ほとんど、見つからなかった。特に奇妙だったのは、土屋の場合と同様、三月に行った筈《はず》の南紀の写真は、一枚もなかった。今回の南紀旅行の写真もである。
今回の分は、多気駅で、殺人が行われているので、写真を、撮らなかったのか、捨ててしまったのだろうが、三月の分が、一枚もないのは、なぜだろうか?
捜査本部が、置かれ、十津川が、捜査を担当することになった。
容疑者は、多気駅にいたもう一人の男である。
三重県警の長谷部も、その点で、賛成した。
十津川が、最初にやったことは、この男を、似顔絵つきで、殺人容疑で、指名手配することだった。
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第三章 三月二十四日夜
三田村は、十津川の指示で、同僚の西本刑事と、殺された小寺信成について、調べることになった。
小寺は、本籍・栃木県|宇都宮《うつのみや》市である。地元の高校を卒業後、都内のS大に入ったが、二年で中退している。
当時の友人の話では、
「勉強することに、疑問を感じたといっていたけど、要は、なまけものなんだ」と、いう。
中退のあと、バーテンをやったり、パチンコ店に勤めたりしたらしいが、生来の器用さで、旅行雑誌などに、旅行記を書いたり、写真を、売ったりし始めた。いってみれば、フリーライターである。
その他、パチンコとか、水商売の業界誌にも、寄稿をしていたらしい。
「見方が、いっぷう変っていて、面白かったですよ」
と、ある業界誌の編集者が、いった。
現代は、そんなことでも、何とか、暮していけるのだろう。
従って、旅行には、よく行っていたらしい。
数少ない友人の一人は、
「彼は、気難しいところがあるから、よほど、気の合った奴とでないと、旅行には、行かなかったんじゃないかな」
と、いっている。
土屋悟と、もう一人の男は、その「気の合う仲間」だったのかも知れない。
それが、なぜ、殺人にまで、発展してしまったのだろうか?
「そのカギは、土屋と、小寺が、今年の三月に行った南紀旅行だね」
と、西本が、三田村に、いった。
「おれも、そう思っているんだ。なぜか、二人とも、その時の写真を、一枚も、残していないんだからね。他の旅行の写真は、きちんと、アルバムに、おさめているのにだよ。つまり、この旅行には、何か、彼等にとって、嫌なことがあったんだと思う」
と、三田村も、いった。
「それなのに、彼等は、また、南紀へ行っている。おかしいよ」
と、西本。
「その通りさ。嫌な思い出のある場所には、普通なら、二度と、行くまいと、思うだろうに、八ヶ月後に、また、出かけている。確かに、おかしいんだ」
「その上、今度は、殺人が、起きている」
と、西本は、いった。
二人は、彼等の三月の南紀旅行のスケジュールを、改めて、調べてみることにした。
三月二十三日から、三十日にかけての一週間のスケジュールである。
土屋悟他二人で、鳥羽、勝浦、白浜、御坊、高野山、京都と、泊って、帰京している。この三人は、殺された土屋、小寺と、もう一人、十一月の南紀旅行でも一緒だった男だろう。
まず、三田村と、西本は、三月に、彼等が泊ったホテル、旅館に電話をかけ、彼等が、泊っている時、何か事件が、起きなかったかと、聞いてみた。
答は、全て、ノーだった。
それでも、三田村たちは、諦めなかった。
ホテル、旅館内で、その時、事件が起きていなくても、外で、起きているかも知れないと、考えたのだ。
二人は、三月の新聞の縮刷版を、借りて来て、調べてみることにした。
三月二十三日から、三十日までに、南紀で、何か事件が、起きていないかである。
結果は、吉と出た。
三月二十四日に、勝浦で、殺人事件が、起きていたのである。
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〈二十五日午前七時半頃、勝浦海岸で、男性の水死体が、発見された。この人は、S信用金庫副理事長の松田重太郎《まつだしげたろう》さん(五十三歳)で、顔や、手足に、殴られた痕《あと》があり、出血もしていて、警察は、二十四日夜に、何者かに殴られて、死亡したものと考え、捜査を始めている〉
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これが、事件を伝えた最初の記事だった。二十五日の夕刊に、報道されているのだが、翌二十六日の朝刊は、この事件を、もう少し詳しく、伝えていた。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈松田重太郎さんは、その後の調べで、二十四日の午後九時頃、海岸通りのスナック「はるみ」に、飲みに行っていることがわかった。ママの話によると、店で、知り合いのMさん(五十三歳)と、口論になり、Mさんが、松田さんを、殴ったという。ママが、二人をなだめて、一応、ケンカはおさまったが、店を出たあと、また、ケンカになったのではないかと考えられ、警察は、Mさんから、詳しい事情を、聞いている〉
[#ここで字下げ終わり]
更に、二十七日になると、夕刊が、次のように、報じることになった。
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〈二十四日夜に起きた勝浦の殺人事件を調べていた勝浦署は、松田重太郎さん殺しの容疑者として、本橋吾一《もとはしごいち》(五十三歳)を、逮捕した。調べによると、クリーニング店をやっている本橋容疑者は、経営が思わしくないため、店を改装することを考えて、中学時代の友人で、S信用金庫副理事長の松田さんに、融資を頼んだが、断わられ、腹を立てていた。二十四日の夜、たまたま、スナック「はるみ」で、出会い、ここでも、本橋容疑者は、松田さんに対して、融資を頼んだが、手ひどく断わられ、かっとして、殴りつけた。そのあと、ママの仲裁で、いったん、仲直りしたのだが、十時になって、松田さんが、店を出ると、本橋容疑者は、また怒りにかられ、追いかけて、海岸で、更に、松田さんを殴りつけ、死に至らしめたものである。また、松田さんは、財布を失くしていたが、これも、本橋容疑者が、腹立ちまぎれに奪ったものではないかと、警察は、見ている〉
[#ここで字下げ終わり]
「どうしたんだ?」
と、西本が、不審そうに、三田村を見た。
「何が?」
「何がって、ぼんやりした顔をしてるじゃないか。やっと、事件解決のヒントをつかみかけてるのに、どうしたんだ?」
と、西本が、きく。
「何でもないよ」
と、三田村は、いった。
「しっかりしてくれよ。今度の事件の捜査では、君が、主役なんだからな。何しろ、君は、被害者、加害者と、一緒に、旅行しているんだから」
と、西本は、励ますように、いった。
「わかってるよ」
と、三田村は、いった。
「もし、身体の調子が悪いのなら、いってくれよ」
「うるさいな。大丈夫だ」
と、三田村は、甲高い声をだした。
「大丈夫なら、いいんだ。さて、この他にも、南紀で、三月三十日までに、事件が起きていないかどうか、調べてみよう」
と、西本は、いった。
三田村も、惰性で、縮刷版のページをめくっていった。
西本の方は、威勢よく、見ていったが、
「ないな」
と、大きな声で、いった。
「ああ」
「となると、三月二十四日に、勝浦で起きた殺人事件だけということになるが、これは、容疑者が、逮捕されているから、問題外か」
と、西本は、いった。
「ああ」
と、三田村は、生返事をする。
「この容疑者が、どうなったか、念のために、聞いてみよう」
と、西本は、いい、勝浦署に、電話をかけた。
三田村は、それを、ぼんやりと、見ていた。
西本は、二、三分して、受話器を置くと、小さく肩をすくめて、
「駄目だね。逮捕された本橋という男は、懲役八年の判決を受けて、今、刑務所だ。となると、勝浦の事件は、今回の事件と、関係は、なさそうだな」
と、三田村に、いった。
「そうか――」
「本当に、大丈夫なのか?」
と、西本が、また心配そうに、きいた。
「大丈夫だと、いってるだろう」
「それなら、安心だ。とにかく、もう一度、調べ直さなければ駄目だな。土屋や、小寺が、勝浦の殺人事件に関係していれば、面白いと思ったんだが、それは、無くなったからね」
と、西本は、残念そうにいった。
その日の午後になって、三田村は、十津川に呼ばれた。
「君のことを、西本刑事が、心配していた」
と、十津川は、いった。
「申しわけありません。少し、頭痛がしただけで、もう、何ともありません」
と、三田村は、いった。
「顔色が悪いぞ。今日は、早く帰って、医者に診て貰え」
と、十津川は、命令するように、いった。
三田村は、その言葉に、甘えることにした。すぐ、久美に会って、確かめたいことが、あったからである。
彼女に電話して、新宿の喫茶店で、会った。
久美は、いつものように、明るい笑顔で、店に入って来たが、三田村の表情を見て、その笑顔を、引っ込めてしまった。
「何かあったのね?」
と、三田村の顔を、窺《うかが》うように、見た。
三田村は、ウエイトレスに、コーヒーを二つ注文した。そんなところも、いつもの彼らしくなかった。いつもなら、久美に、何がいいと聞くのに、それを、忘れてしまっているのだ。
コーヒーが、運ばれてきて、三田村は、それを、かき回しながら、
「殺された土屋悟と、小寺信成が、今年の三月に、南紀に行っているので、そのことを、調べたんだ」
「三月に?」
「ああ。今回も、同じ南紀に行っている。おかしいと思って、三月に、南紀で、何かなかったかを調べてみた」
「――」
「そうしたら、三月二十四日に、勝浦で、殺人事件があったことが、わかった」
「――」
「殺されたのは、勝浦に住む、信用金庫の副理事長で、容疑者として、逮捕されたのは、クリーニング店をやっている本橋吾一という五十三歳の男で、現在、八年の刑で、服役している。君のお父さんだな?」
と、三田村は、きいた。
久美は、少し、青白い顔になって、
「ええ。私の父さん」
と、肯《うなず》いた。
「僕は、君のお父さんが、殺人犯でも、別に、構わない。それは、君にも、いっている筈《はず》だ。だが、騙《だま》されるのは嫌なんだ」
三田村は、低い声で、いった。
「私は、あなたを、騙してなんかいないわ」
と、久美は、いった。
「君は、僕と、南紀を旅行したいと、いった。だが、その時、勝浦の事件のことを、何もいわなかった。その殺人事件の容疑者として、君のお父さんが逮捕されたこともだ」
「そんなこと、話す必要はないと思ったからだわ。恥かしいだけのことだから」
と、久美は、いう。
「それは、嘘だ」
と、三田村は、いった。
「なぜ、嘘だというの? 嘘なんかついてないわ」
「いや、君は、嘘をついている。恥かしいことなら、なぜ、南紀へ行きたいと、いったんだ? 伊豆《いず》でも、東北でも、沖縄でも良かったのにだよ。君となら、僕は、何処へでも行くつもりだった。それなのに、君は、南紀へ行きたいと、いった」
「南紀が、私の育ったところだったから」
「それも、違うね。君は、今度の事件が起きるのを予期して、僕と、南紀へ行くことにしたんじゃないか? 僕は、そう思わざるを得ないんだ」
と、三田村は、いった。
「私に、今度のことが、予期できる筈がないわ」
と、久美は、いった。
「多気駅で、殺人が起きることまでは、予期できなかったかも知れないが、何か起きるとは、思っていたんだ。それに、僕を、利用したんじゃないのか?」
「違うわ」
「僕には、そうは思えない」
「私、帰ります」
と、久美は、いい、急に、立ち上がった。
一瞬、三田村は、止めようかと思ったが、その言葉が、口から出なかった。
久美は、黙って、店を出て行き、三田村は、それを、見送った。
翌日、三田村は、捜査本部に出ると、
「私を、勝浦に、行かせて下さい」
と、十津川に、いった。
「理由があれば、構わないが、なぜ、行きたいんだ?」
と、十津川が、きく。
三田村は、久美のことや、久美の父親のことは、いえなくて、
「今、逃げている男ですが、彼が、勝浦に、逃げているような気がするからです」
と、いった。
「それなら、向うの県警に、電話すればいい。奴の似顔絵は、あるんだから」
「それは、そうかも知れませんが――」
「何を考えてるんだ?」
と、十津川が、三田村の顔をのぞき込むようにして、きいた。
「ただ、犯人を捕えたいだけです」
と、三田村は、いった。
十津川は、しばらく、考えていたが、
「行きたまえ」
と、急に、いった。
「ありがとうございます」
「ただし、ひとりでは、駄目だ。西本刑事と、一緒に行くのなら、許可する」
と、十津川は、いった。
「ひとりでは、いけませんか?」
「西本刑事が一緒では、まずいのか?」
「そうじゃありませんが――」
「それなら、一緒に、行きたまえ」
と、十津川は、いった。
三田村は、仕方なく、西本と、一緒に、勝浦に行くことにした。
新幹線で、名古屋へ出て、名古屋からは、特急「南紀」に、乗りかえる。
一〇時二〇分名古屋発の「南紀5号」に、乗った。
「君の気持が、わからんよ」
と、列車の中で、西本が、いった。
「何が?」
と、三田村は、きいた。
「昨日は、勝浦の話を嫌ってたじゃないか。それなのに、今日は、自分から、勝浦に、行きたがっている。なぜなんだ?」
と、西本が、きく。
「僕が、刑事だからだよ」
「妙な答だな」
「三月二十四日の事件に、興味を持ったんだ。それでいいだろう?」
「怒りなさんなよ」
と、西本は、苦笑した。
「別に、怒ってないよ。ただ、向うに着いたら、僕のやりたいように、調べさせて貰《もら》いたいんだ」
と、三田村は、いった。
「それは構わないさ。君は、前に、勝浦に行って、いろいろ知っているし、僕は、勝浦は、初めてだからね」
西本は、肩をすくめるようにして、いった。
「それから、いろいろと、僕のやり方に、質問はしないで貰いたい」
「わかったよ。今回の勝浦行では、君が、主役だ」
と、西本は、いった。
紀伊勝浦に着いたのは、一三時五七分である。
(久美と来たときも、この「南紀5号」に乗ったんだった)
と、思いながら、三田村は、列車から降りた。
二人は、その足で、勝浦署に向かった。
まず、署長にあいさつしてから、三田村が、三月二十四日の事件について、お聞きしたいというと、その事件の捜査に当った三浦《みうら》という刑事を、紹介してくれた。
三浦は、変な顔をして、
「あの事件は、もう、完全に、終っていますが、なぜ、本庁の刑事さんが、興味を、持たれるんですか?」
と、きいた。
「多気駅で殺された男も、今度、東京で殺された男も、実は、三月にも、南紀旅行をしているんです。しかも、三月二十四日に、この勝浦に、一泊しています。それで、三月の事件に、興味を持ったんです」
と、三田村は、いった。
「よくわかりませんが、ご希望なら、いくらでも、お話ししますよ」
と、三浦は、いってくれた。
「あの事件は、スナックで、信用金庫の副理事長と、クリーニング店の店主が、ケンカしたのが、発端でしたね?」
と、三田村は、きいた。
「そうです。副理事長の方は、松田といって、容疑者のクリーニング店主、本橋とは、中学校の同窓生でした。本橋にしてみれば、同窓生の気安さで、融資を頼んだんでしょうが、今は、バブルがはじけて、銀行だって、信用金庫だって、簡単に、金は、貸しませんよ。それで、断わったら、本橋は、かッとしてしまったわけです」
と、三浦は、いった。
「スナックは、まだ、あるんですか?」
「ありますよ。あとで、ご案内しましょう」
と、三浦は、いった。
「スナックで、本橋は、松田を、殴ったんでしたね?」
と、三田村は、いった。
「たまたま、その店で出会って、本橋は、もう一度、融資を頼んだが、断わられて、かッとしたんでしょうな。ママの話では、バカヤロウと叫びながら、殴ったそうです」
と、三浦は、たんたんと、喋《しやべ》った。すでに、過去の事件になってしまっているからだろう。
「そのあと、一度、仲直りをしたが、二人は店を出て、本橋が、相手を、海岸で、殴り殺したということですね?」
と、三田村は、きいた。
「その通りです」
「本橋は、自供したんですか?」
「それが、強情な男でしてね。自供はしませんでしたが、裁判で、有罪となりました。まあ、仕方がありませんね。あの男以外に、犯人は、考えられんのですから」
と、三浦は、いった。
「本橋というのは、どんな男なんですか?」
と、三田村は、きいてみた。
「一口でいえば、頑固で、身勝手な男ですよ。彼のことを知っている人間は、みんな、そういいますね」
「頑固で身勝手ですか」
三田村は、いいながら、久美の顔を、思い出していた。彼女にも、そんなところがあるのだろうか?
「S信用金庫の副理事長が、中学時代の友だちだから、融資してくれるだろうと、勝手に思い込んで、断わられると、怒って、相手を殴るというのは、完全に、身勝手じゃありませんかね。抵当もなしに、貸せないということが、わからない」
と、三浦は、いった。
「なるほど。確かに、身勝手ですね」
と、三田村は、苦笑してから、
「彼にいいところは、ないんですか?」
と、きいた。
「そうですねえ。義理がたいという人がいましたね。身勝手ということと、矛盾するようですが、彼は、自分の気に入った人間に対しては、一生懸命につくすんですよ。あの副理事長が、もし、融資していたら、多分、本橋は、彼のために、死んでもいいくらいのことは、いったんじゃありませんか」
と、三浦は、いった。
「三月二十四日の夜、殺された松田副理事長は、九時頃、スナックに行ったそうですが、この時間は、間違いないんですか?」
「ママは、そう証言しています」
「本橋は、もう、店に来ていた?」
「そうです。もう、かなり飲んでいて、絡んでいったわけです。松田さんに向かって、金を貸せといい、断わられると、いきなり、殴ったんです」
「そのあと、ママの仲裁で、一応、おさまった?」
「ええ」
「だが、そのあと、外で、またケンカになったんですね?」
「そうです」
「松田が、スナックを出たのは、午後十時ですか?」
「ママの証言では、十時頃です。五、六分、過ぎていたかも知れないとは、いっています」
「本橋も、それを、追うように、店を出て行ったんですね?」
と、三田村は、きいた。
「そこのところですが、ママの仲裁で、いったん仲直りしたみたいに見えたんですが、また、本橋が、絡み出したので、松田さんが、逃げ出したんですよ。それを、本橋が、追いかけたというのが、真相です」
「間を置かずに、本橋は、追いかけて行ったんですか?」
「五、六分は、間があったと、ママは、いっています。すぐ追いかけようとしたので、彼女が、止めたんだそうです。だから、五、六分、間が、あいたわけです。それで、ママは、安心していたんだがと、いっていましたね」
と、三浦は、いった。
「松田さんの死亡推定時刻は、何時ですか?」
「解剖の結果では、十時から、十一時の間です」
「それ以上の、結論は、出ないんですか?」
「それは、無理ですね。しかし、死んでいた海岸まで、スナックから、歩いて、十二、三分ですから、十時半頃には、もう殺されていたんじゃないかと、思いますよ」
と、三浦は、いった。
「十時半ですか?」
「そうです。十時半には、もう殺されていたと、思っています」
と、三浦は、いった。
「財布も、盗まれていたと、新聞に出ていましたが、あれは、事実ですか?」
と、三田村は、きいた。
「財布が、失くなっていたのは、事実です。松田さんの奥さんの話では、十二、三万円は、入っていた筈《はず》だということですが、本橋が、盗ったという確証はなく、裁判では、この件は、問題になりませんでした」
と、三浦は、いった。
午後三時過ぎに、三浦が、松田の死んでいた海岸に、案内してくれた。
船着場から、二百メートルほど離れた場所だった。
久美と泊ったホテルが、五百メートルほど、沖に見えた。船着場から、連絡のための船が、ホテルに向かって、走って行くのが見える。
「このあたりは、夜になると、暗いから、二人が殴り合いしていても、誰も、気がつかなかったと、思いますね」
と、三浦は、いった。
そのあと、彼は、スナック「はるみ」に、案内した。
船着場のあたりが、勝浦の中心街だが、その近くにあった。
八坪ほどの店で、ママの晴美は、小柄で、愛想がよかった。年齢は、四十二、三歳だろうか。
「あの日のことは、あまり、思い出したくないんですよ」
と、晴美は、三田村に、いった。
「二人は、よく来ていたんですか?」
と、三田村は、きいた。
「そうねえ。本橋さんは、よく来てたけど、副理事長の松田さんは、一ヶ月に、二回ぐらいかしら」
晴美は、指で数えながら、いった。
「二人が、ここで出会うということは?」
「会っても、仲良く飲んでましたよ。二人とも、子供の時からの知り合いなんだから、当り前でしょうけどね。だから、思うの。お金って、怖いわ。お金が、絡むと、あんなになっちゃうんだから」
と、晴美は、小さく肩をすくめて見せた。
「ママさんは、本橋が、殺したと、思いますか?」
と、三田村は、きいた。
晴美は、びっくりした顔になって、
「警察が、本橋さんが犯人と、決めたんでしょう?」
「そうなんですが、ママさんの考えを聞きたいと思ってね。何しろ、眼の前で、二人がケンカするのを、見てたんだから」
と、三田村は、いった。
「あたしは、二人ともよく知ってるから、本橋さんが、松田さんを殺したなんて、考えたくはありませんよ。でも、あの時の本橋さんの血相を考えるとねえ」
と、晴美は、溜息《ためいき》をついた。
「そんな様子だったんですか?」
と、西本が、口を挟んだ。
「ええ。本橋さんて、酒癖が、よくないんですよ。一度、仲直りしたんだけど、そのあと、飲んでいる中《うち》に、また、腹が立って来たんじゃないかしら。なぜ、貸さないんだとか、絡み出したんですよ。それで、松田さんが怒って、店を出て行ったんです」
「それで、本橋の方は?」
「逃げるのかって、怒鳴って、すぐ、追いかけようとするから、これは、危いと思って、必死で、止めたんですよ」
「それでも、店を飛び出して行った?」
「五、六分は、止めたんですけどね。あたしとしては、もう大丈夫だと、思ったんですけど」
と、いい、晴美は、また、溜息をついた。
それ以上、聞くこともなくて、三田村は、ママに礼をいって、店を出た。
「他に、何か見られるところがありますか?」
と、三浦が、きく。
「いや、もう、結構です。署長に、お礼をいっておいて下さい」
と、三田村は、いった。
「お泊りの場所は、決っているんですか?」
「向うの、中の島のホテルに、泊ろうと思っています」
と、三田村は、湾内にあるホテルを、指さした。
「それなら、電話しておきますよ」
と、三浦は、いってくれた。
三田村と、西本は、三浦と別れて、船着場に、歩いて行った。
湾内に突き出した桟橋には、中の島のホテルの名前を書いた船が、客を待っていた。
二人は、すぐには、船には乗らず、桟橋に置かれたベンチに、腰を下ろした。
湾内は、波もなく、十二月とは思えない暖かさだった。さすがに、南紀である。
「なぜ、君は、三月の事件に、こんなに、拘泥《こだわ》るんだ?」
と、西本が、きいた。
「何となく、気になってるんだ。前にもいったが、連中が、三月二十四日に、この勝浦に来ているんでね」
とだけ、三田村は、いった。
「何か、悩んでいることがあるのなら、いってくれよ。力になる」
と、西本は、いった。
「ありがとう。今、考えているのは、事件のことだけだよ」
と、三田村は、いった。
しばらく、湾内の景色を眺めてから、二人は船に乗って、島にあるホテルに向かった。
三月二十四日から二十五日にかけて、あの三人も、このホテルに、泊っている。
部屋に通されたあと、西本が、風呂に入りに行こうと誘うのを断わって、三田村は、部屋に残った。
ひとりになると、部屋の電話を使って、三田村は、久美にかけた。新宿の喫茶店で、ケンカ別れみたいになってしまった。そのことが、心配だったのだ。
だが、向うは、留守番電話になっていて、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈しばらく留守に致しますので、何かご用のある方は――〉
[#ここで字下げ終わり]
と、久美の声が、いった。
(しばらく、留守にするというのは、どういうことなのだろうか――)
三田村は、急に、不安になってきた。
久美は、恐らく、父親は、無実だと、信じているのだろう。
だが、父親は、すでに、刑務所に入ってしまっている。無実を訴えても、どうすることも出来ない。
そこで、刑事である三田村を、利用することにしたのではないのか。
どんな風に、利用したのかは、だいたい、想像がつく。
久美は、父親を無実と信じ、他に真犯人がいると、考えたのではないか。
そこで、久美は、刑事の三田村と、南紀に旅行すると、いいふらした。もちろん、その中には、殺人事件があった紀伊勝浦も、含まれている。
真犯人が、それを知ったら、きっと、なぜ、刑事を連れて、犯人の娘が、南紀に行くのかと、不安になってくるだろう。
あわてて、何か、ヘマをするかも知れない。
それが、久美の狙いだったに違いないのだ。彼女にしてみれば、必死だったのだろうが、まんまと、利用されたと感じて、三田村は、腹を立ててしまったのだ。
(なぜ、最初から、正直に、全てを打ち明けてくれなかったのだ?)
と、思ってしまう。
愛し合って、結婚の約束までした仲ではないのか。それなのに、なぜ、正直にいってくれなかったのか。
三田村にしてみれば、何か裏切られたような気がしたのだ。だから、喫茶店に呼び出して、怒った。
久美としてみれば、突き放されたような気がしたのかも知れない。
そうでなくても、父親が、刑務所に入っているという悲しさが、もっと、強くなって、姿を消してしまったのではないか。
何しに、何処へいったのか、三田村には、見当がつかない。
三田村が、冷たいので、自分ひとりで、父親の無実を証明しようとするのか。それならまだ、いいのだが、三田村が、力になってくれないと思い、絶望してしまったのだとすると、危険なことになってくる。
(どうしたらいいのだろうか?)
三田村は、取りあえず、もう一度、久美に電話をかけ、留守番電話に、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈何でも、君の力になるから、帰り次第、すぐ連絡してくれ。頼む〉
[#ここで字下げ終わり]
と、伝言を入れた。
西本が、風呂から戻って来たので、三田村は、代って、一階の大浴場に、入りに行った。
海を見下ろす大きな風呂に、二人の客しか、入っていなかった。
三田村は、ゆっくりと、浸りながら、考えをめぐらせた。
先日、久美と、南紀を旅行した時は、三田村は、何も知らなかった。勝浦で、三月二十四日夜に、殺人があったことも、久美の思惑もである。
だから、途中の多気駅で、殺人があっても、自分たちとは、全く関係なく起きたものだと、思い込んでいたのである。
東京での殺人も、だった。
だが、今は、違っている。
多気駅での殺人は、刑事の三田村と、殺人犯の娘の久美が、動いた結果かも知れないのだ。次に起きた殺人もである。
三田村は、浴槽の縁に顎《あご》を当て、夜の海に眼を向けた。対岸の灯が、チカチカまたたいている。
三月二十四日夜、向う岸で、五十三歳の男が殴り殺されたのだ。
その時、三人の男が、この中の島のホテルに泊っていた。
彼等は、殺人に関係していたのだろうか?
船着場と、このホテルのある島の間に、連絡船が、通っているが、夜の十一時五分が、最終である。
つまり、それ以後、このホテルから、対岸へは行けないし、対岸から、戻っても来られないのである。
もちろん、五、六百メートルの海を、泳ぐことは、出来るだろうが、たちまち、怪しまれてしまうに、決っている。
もし、三月二十四日夜の事件が、十一時五分以後に起きたのなら、ここに泊っていた三人は、無関係である。
しかし、十時三十分に、被害者は、死んでいるから、三人は、殺してから、このホテルに、帰ることが出来るのだ。
(三人が、犯人だとしたら、動機は、何だろう?)
と、三田村は、考える。
三人は、観光客だ。行きずりの観光客が、地元の信用金庫の副理事長を殺す動機とは、いったい、何であるのか。
三人が、対岸に飲みに行って、被害者とケンカになったのだろうか?
しかし、船着場近くのスナック「はるみ」で、被害者松田と、ケンカをしたのは、久美の父親であって、三人ではない。もし、三人が、同じ店で飲んでいて、ケンカをしたのなら、店のママの晴美が、覚えている筈《はず》だし、公判で、問題になっている筈なのだ。
(わからないな)
と、三田村は、思った。
大浴場を出ると、自室には、すぐ戻らず、ロビーに出ると、フロントで、三月二十四日に泊った三人の男のことを聞いた。
ここでも、宿泊カードには、「土屋悟他二人」と、書かれている。
本名だし、住所も、間違いない。ということは、ここにチェック・インした時は、三人は、事件を予見していなかったことになる。もし、予見していれば、偽名を書き、住所も、でたらめを書いたに、違いないからである。
問題は、この三人が、二十四日の夜、外出したかであり、外出したのなら、何時頃、戻って来たかだった。
三田村は、三月二十四日、この三人の部屋のルームサービスをした仲居さんを、呼んで貰《もら》った。
帯のところに、「よう子」という名札をつけた、三十五、六歳の仲居さんだった。
三田村は、このよう子という仲居から、ロビーで、話を聞いた。
「その方たちなら、覚えていますよ」
と、よう子は、はっきりと、いった。
「夕食は、何時に、とったんですか? この三人は」
と、三田村は、きいた。
「確か、六時でした」
「そのあと、外出しましたか?」
「さあ、それは、私には、わかりませんけど」
「男ばかり三人というと、普通は、芸者や、コンパニオンを呼ぶものなんだが、この三人は、どうでした?」
と、三田村は、きいた。
「確か、コンパさんを、二人呼んだと思いますわ。午後六時には、来てくれていました」
「何時まで、いたんだろう?」
「ちょっと、聞いて来ますわ。記録が残っている筈ですから」
と、よう子はいい、フロントに、聞きに行き、戻ってくると、
「コンパさんは、八時に、帰っていました」
と、教えてくれた。
「八時というと、中途半端だけど、そのあと、どうしたのかな? 普通は、どうするものですか? 午後八時に寝てしまうお客というのは、少ないんじゃありませんか?」
と、三田村は、きいた。
「男同士のお客様ですと、すぐ、寝るという方は、まず、いらっしゃいませんねえ。ホテルの中のバーとか、カラオケ・クラブに、行くか、或《ある》いは、島の外に、飲みに行かれますわ」
と、よう子は、いった。
「三人は、どうしたのかな? ホテルの中で、飲んだんだろうか? それとも、島の外に、飲みに出かけたんだろうか?」
「さあ、それは、ちょっと、わかりかねますけど」
「何とか、わかりませんかね」
「コンパさんに、聞いてみましょうか?」
「しかし、コンパニオンは、八時には、帰ってしまったんでしょう?」
「ええ。でも、お客さんが、コンパさんに、何か、話しているかも知れませんから」
と、よう子はいい、コンパニオンのクラブに、電話をかけてくれてから、
「三人のお客様は、コンパさんに、この町で、飲みに行くとしたら、どの辺に行ったらいいのかと、聞いていたそうですよ。ホテルの中のクラブでは、つまらないといって」
と、教えてくれた。
「じゃあ、外へ飲みに行った可能性が、強いわけですね?」
「と、思いますけどねえ。実際に、行ったかどうかは、わかりませんわね」
と、よう子は、いった。
「コンパニオンは、三人に、どの店がいいと、教えたんだろう? それは、わかりませんか?」
「『小雪』という店を、すすめたと、いっていましたよ」
「場所は?」
「船着場の近くです。向うへ行けば、わかりますよ」
と、よう子は、いった。
三田村は、ちょっと迷ってから、西本に黙って、ホテルを出ると、玄関前から、対岸に行く、連絡船に、乗った。
対岸に着くと、人に聞いて、「小雪」という店を探した。
実際に行ってみると、例のスナック「はるみ」の近くだった。
ホステスが、七、八人の店である。問題は、何ヶ月も前のことを、ママや、ホステスが、覚えてくれているかということだった。
三田村は、最初から、警察手帳を示して、ママや、ホステスに、聞くことにした。
「三月二十四日の夜なんだ。この先の海岸で、信用金庫の副理事長が、殺された日だがね」
と、三田村は、いった。
「ああ、あの夜ねえ」
と、ママは、肯《うなず》いた。ホステスたちも、肯いている。
「あの夜、この店に、中の島のホテルから、男三人の客が、飲みに来なかったかね?」
と、三田村は、きいた。
「どんな人たち?」
と、ホステスの一人が、きく。
三田村は、用意して来た、土屋悟と、小寺信成の顔写真と、もう一人のモンタージュを、女たちに、見せた。
「三人とも、東京の人?」
と、ホステスが、きく。
「ああ、みんな東京だ。一人は、電機会社のサラリーマンで、一人は、フリーライター、もう一人は、わからない」
と、三田村は、いった。
「この人は、見覚えがあるわ」
ホステスの一人が、小寺の写真を、指さした。
「本当か?」
と三田村が、そのホステスに、きいた。
「覚えているのは、この人、やたらに、質問するのよ。この土地生れのホステスは、どのくらいいるのかとか、景気はどうだとか、何か事件はないかとか、質問ばかり。うんざりしたんで、覚えているの」
と、そのホステスは、いった。
他のホステスからも、思い出したという声が、出てきた。
ママも、急に、大きな声で、
「三人の中で、一人の方が、悪酔いしたんじゃなかったかしらん。トイレで、吐いて、青い顔で、他の二人と、帰って行ったのを、思い出したわ」
と、いった。
「三人が帰ったのは、何時頃?」
と、三田村は、きいた。
「確か、十時頃だった。中の島のホテルに泊っていて、船が、十一時頃までしかないからって、帰って行ったのよ」
と、ママは、いった。
(間違いないな)
と、三田村は、思った。
どうやら、三人は、三月二十四日の夜、ホテルから外に出て、飲んだのだ。
三人の中の一人が、悪酔いしたというのも、嘘ではないだろう。
そして、十時頃に、店を出たという。
時間的にも、十時半に、海岸で、殺せるが、だからといって、三人が、松田という被害者を殺したとは、断定は出来ない。
三田村は、店を出ると、船着場まで歩いて行き、ホテルに戻る連絡船に乗った。
ホテルまで、七、八分である。その間を利用して、三田村は、船を動かしている男に、
「三月二十四日の夜のことを覚えている? 海岸で、信金の副理事長が殺された日なんだ」
と、話しかけた。
男は、ハンドルを、小きざみに動かしながら、
「あの日ねえ。覚えてるよ」
と、いった。
「中の島のホテルの客で、男ばかりの三人連れが、十時過ぎに、酔って、この船で、帰ったと思うんだが、覚えてないかな?」
「そういわれてもねえ。お客の顔をいちいち見てないからねえ」
と、相手は、いった。
「そうか」
三田村は、少しばかり、がっかりした。が、これは、仕方が、ないだろう。
フロントにも、三人の男のことを聞いてみたが、夜の十時を過ぎると、フロントは、一人になってしまい、その上、このホテルでは、キーは、持って外出するので、フロントを通さずに、自分の部屋に戻ってしまう。だから、遅く帰った客のことは、いちいち、覚えていないということだった。
三田村が、部屋に戻ると、布団が敷かれ、西本は、すでに、寝てしまっている。
三田村が、黙って、布団に横になると、眠っていると思った西本が、
「何を調べに行ってたんだ?」
と、ふいに、きいた。
「起きてたのか」
「起きてたさ」
と、いって、西本は、布団の上に、腹這《はらば》いになると、灰皿を、引き寄せて、煙草に火をつけた。
「寝タバコは、禁止だぞ」
「そんなことはいいから、何を調べたか、話してくれ」
と、西本は、いう。
「三月二十四日の夜、例の三人は、対岸に渡って、バーで飲んでいることがわかった」
と、三田村は、いった。
「何時まで?」
「十時頃だと、そのバーのママは、いっていたよ」
「時間的には、合うんだな」
「ああ。三人が、海岸で、副理事長とケンカをしたとしても、おかしくはないんだ」
「時間的にはだろう?」
「そうだ」
「三人は、『はるみ』というあのスナックで、飲んだのか?」
「いや、別の店だ」
と、三田村がいうと、西本は、
「弱いなあ、それじゃあ」
「わかってるよ。第一、観光客の三人が、地元の信金副理事長を、殴り殺す理由がわからないんだ」
と、三田村は、いった。
「ところで、また、同じ疑問が、わいて来たぞ」
西本が、三田村を見て、いった。
「何だ?」
「どうして、そんなに、三月二十四日に、ここで起きた殺人事件に、拘泥《こだわ》るんだ? 熱心すぎるぞ」
と、西本は、いった。
三田村は、あわてて、
「そりゃあ、三人の中《うち》、二人が殺されてる。その理由が、ひょっとして、三月二十四日の殺人事件かも知れないと、思ってるからだよ。だからこそ、ここへ来たんじゃないか」
と、いった。
「それならいいんだがね」
「他の理由はないよ」
と、三田村は、いった。
「それならいいんだが、ひょっとして、個人的な理由で、熱心なんじゃないかと思ってね」
「――」
「もし、そうなら、止めるんだ。変な方向に行ってしまうからな」
と、西本は、いった。
「わかってる」
と、三田村は、いった。
「わかってれば、いいんだ」
と、西本は、いったあと、
「どうだ。もう一度、一緒に、風呂に入りに行かないか。ゆっくり眠れるぞ」
と、布団の上に、起き上がった。
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第四章 失 踪
三田村が、断わると、西本は、ひとりで、風呂に入りに行った。
彼は、わざと、三田村を、ひとりにしてくれたのかも知れない。それは、好意でもあるだろうし、ひとりで、冷静に考えてみろという忠告かも知れなかった。
三田村にも、それは、肌でわかった。
だが、まだ、久美のことを、話す気にはなれなかった。
彼女に対するわだかまりが、まだ、胸のどこかに残っているからである。
三田村は、布団の上に腹這いになって、もう一度、今回のことを、反芻《はんすう》してみた。
三月に、この勝浦で、殺人事件があり、本橋というクリーニング店の主人が、容疑者として逮捕され、有罪判決を受け、刑務所に入れられた。
本橋には、娘が一人いた。その娘、久美は、父親の無実を信じていた。彼女は、恋人の三田村が、本庁の刑事なのを利用して、今回事件のあった紀伊勝浦への旅行を、計画した。
本庁の刑事と、本橋の娘が、勝浦へ行けば、きっと、真犯人が不安になって、行動を起こすと、彼女は、読んだに違いない。
彼女の思惑どおり、事件のあった夜、勝浦に来ていた三人の男たちが、二人について、勝浦へやって来た。
しかも、その中の二人が、続けて、殺された。
久美の思惑が、当ったのだ。
とすると、この三人が、真犯人なのだろうか?
(事件は、意外に簡単なのかも知れないな)
と、三田村は、思った。
三月二十四日の夜、何かの拍子に、三人が、松田という信用金庫の副理事長と、ケンカになり、殴り殺してしまった。
たまたま、酔って、松田とケンカをした本橋という地元の人間が、容疑者として逮捕されたので、三人は、これ幸いと、何食わぬ顔で、勝浦を、去ってしまった。
ところが、今回、刑事と、犯人とされた男の娘が、その勝浦に行くと知った。
ひょっとして、警察が、もう一度、三月の事件を、調べ直すことになったのではないか?
三人の男たちには、そんな不安が、よぎったに違いない。
そこで、様子を見るために、刑事と娘の二人を、監視しながら、三人は、もう一度、南紀へ出かけた。
その途中、三人の中の一人、土屋悟は、多分、一番、気が弱い男だったのだろう。自分たちのことが、ばれるに決っている。ばれたからこそ、警視庁の刑事が、本橋の娘を連れて、殺人現場の勝浦に行くのに違いない。もう駄目だ。自首しようといい出した。
他の二人は、あわてた。そんな真似をされたら困る。止めさせようとしたが、土屋は、完全に弱気になって、自首するといって、きかない。或《ある》いは、三田村か、本橋の娘の久美に、本当のことを話すと、いったのかも知れない。
このままでは危いと思った他の二人は、多気駅で、長い時間待ちがあったのを利用して、ホームの待合室で、土屋を殺してしまった。
東京に帰ったあと、今度は、二人の中のもう一人、フリーライターの小寺信成が、精神的に、参ってしまった。
土屋を殺した容疑者として、自分たちが、疑われ出したからである。
全てを、警察に話そうといったのか、或いは、逃げ出そうとしたのかどうかは、わからない。三人目の男は、それを知って、小寺の自宅マンションに行き、彼を刺し殺して、口を封じてしまった。
これが、真相なのではないのか?
こう考えると、久美の行動の細かいことも、納得できてくるのだ。
今度の事件で、三田村が、一番驚いたのは、彼女の記憶力のすごさだった。
特に、初めて、多気駅で一緒になった三人組の男たちのことを、顔立ちから、駅での行動まで、詳細に覚えていて、警察に証言したことである。
しかし、久美が、本橋の娘で、今度の南紀旅行の目的が、父親の無実を証明したいためだったとわかれば、記憶力の謎も、納得できてくるのだ。
久美は、三月二十四日の夜、自分の父が、松田副理事長を殺したといわれる前後のことを、一生懸命に、調べたに違いない。
そして、この日、中の島のホテルに、三人の男が泊っていたこと、そして彼らが事件の夜、現場の海岸に、いたらしいことを、突き止めたのだろう。
多気駅で、何人かの旅行者たちと一緒になったが、その中に、三人の男のグループがいるのを見つけて、久美は、この三人が気になったに違いない。
だから、彼女は、必死になって、彼等の顔立ちや、特徴を、頭に叩《たた》き込んだ。
従って、久美が、この三人のことを、驚くほど、よく、覚えていたのも、当然だったのだ。
あの時、三田村は、久美の記憶力の良さに、びっくりし、敬服してしまったのだが、なぜ、行きずりに会った人間三人のことを、こんなによく覚えているのかと、不審に思うべきだったのである。
三田村は、じっと、考え続けた。
(久美の直感は、正しかったのだ)
と、思う。
恐らく、この三人が、三月二十四日の夜、この勝浦で、松田を殺したに違いない。
だからこそ、ここへ来て、三人は、仲間割れを生じ、二人が、殺されてしまった。
まずいのは、殺された二人の名前や、職業などはわかったが、肝心の三人目の男が、わからないことだ。
久美の証言によって、三人目の男の顔立ちなどはわかっていて、モンタージュも、出来ている。
だが、名前も、住所もわからない。
(それにしても、なぜ、久美は、最初から、全てを話してくれなかったのだ)
と、いう不満が、どうしても、頭をもたげてしまうのだ。
話してくれていたら、三田村も、そのつもりで、今度の旅行に出かけていた。あの三人組についてだって、じっくり観察した筈《はず》である。
(多気駅で、「南紀5号」を待つ間だって、じっと、ホームにいて、彼等を、観察していたのに)
と、三田村は、思う。
何も知らなかったので、駅の外へ出て、のんびりと、紅茶を飲んでいた。その間にホームの待合室で、土屋が殺されてしまったのだ。
(久美は、心から、おれを信頼できずにいたのか?)
と、三田村は、疑ってしまう。
だから、刑事の彼を、利用することは考えたが、本当のことは、話してくれなかったのか。
(なぜ、信頼してくれなかったのだ?)
腹が立つ。無性に腹が立ってくる。
だが、その一方で、自省の念も、わいてくる。
久美が好きだ。愛している。そのくせ、彼女の父親が、刑務所に入っていることが、心のどこかで、引っかかっていたのは、否定できないからだった。
警察は、警察官の結婚にうるさい。久美の父親が、服役中だということが、多分、障害になるだろう。
その時、警察を辞めてでも、久美と結婚するという決心は、つきかねていたのだ。
久美は、敏感に、そんな三田村の気持のゆらぎを、感じ取っていたのではないか。だから、本当のことを、打ち明けなかったのではなかったのか?
ドアが開いて、西本が、戻って来た。
「まだ、寝なかったのか?」
と、西本が、いった。
「おれは、旅行に出ると、眠れなくなるんだ」
と、三田村は、いった。
西本は、ぬれた手拭《てぬぐ》いを、バスルームに、干して来てから、
「何を怒ってるんだ?」
と、きいた。
「別に、怒ってなんかいないよ」
「それならいいんだが――」
「ただ、自分に腹が立ってるんだ」
「なぜ?」
「おれは、殺された土屋悟と、小寺信成、それに、もう一人の男と、この間、南紀に旅行した。たまたま、途中で、一緒になっただけだが、刑事のくせに、土屋が殺されるのを防げなかったし、犯人と思われる三人目の男を、逮捕することも出来なかったんだ」
と、三田村は、いった。
「君は、非番だったんだ。仕方がないよ」
と、西本は、なぐさめるように、いった。
「駄目だよ。おれは、刑事失格だよ」
と、三田村は、いった。
西本は、笑って、
「おい、おい。やたらに、自分をいじめなさんなよ。おれなんか、自殺しなきゃならなくなるぜ」
と、いってから、
「ここへ来て、一応、事件の裏みたいなものが、見えて来たじゃないか。そうだろう?」
「まあね」
「三人組の二人が、相ついで殺された原因は、三月二十四日の事件にある。君も、そう読んだんだろう?」
と、西本が、きく。
「ああ、そうだ」
「三月二十四日の夜、ここで、松田という信金の副理事長が殺され、本橋というクリーニング屋の店主が、容疑者として、逮捕された。しかし、真犯人は、他にいたらしい。それで、三人組の二人が、続けて殺された。こんなところじゃないのかね」
「同感だ」
「それが、証明できればいいわけだ」
「ああ」
「ただ、何しろ、三月の事件だし、夜に起きているから、今、真相を明らかにするのは、難しいな。もう判決は出てしまっているからな」
「――」
「ところで、犯人として、刑務所に入っているクリーニング屋だが、家族はいないのかね?」
と、突然、西本が、いった。
三田村は、ぎょっとして、視線をそらせてしまった。
「明日、それを調べに行こうじゃないか」
と、西本が、いう。
「それは、君が、調べてくれ。おれは、もう一度、現場を見て来たい」
と、三田村は、いった。
「どうかしたのか?」
と、西本が、きいた。
「何でもない。おれは、もう一度、三月二十四日の現場を見たいだけだ]
と、三田村は、怒ったような声を出した。
西本は、小さく手を振って、
「わかった、わかった。もう寝よう」
と、いい、電気を消して、布団にもぐり込んだ。
翌日、朝食をすませると、二人は、ホテルの船で、対岸に渡り、西本は、本橋クリーニング店のことを調べに行き、三田村は、三月二十四日の殺人現場である海岸に、足を向けた。
本当は、もう、見る必要は、なかったのだ。
ただ、西本と一緒に、本橋の家族について、調べに行くのが、辛かっただけである。それは、自分の、久美に対する気持に、自信がないためだった。
三田村は、途中の公衆電話で、東京の久美の自宅に、電話をしてみた。留守番電話のままだった。
(どうしたのだろうか?)
不安になった。
今日は、大学の授業はない筈である。
(おれが、頼りにならないと思い、ひとりで、三人組の最後の一人を、探しているのではあるまいか)
と、思った。
三田村の考えでは、この男は、他の二人を殺して、口を封じているのだ。若い女が、そんな男に近づくのは、危険ではないか。
だが、どうしようもない。
海岸に出て、三田村は、気持を、落ち着けようと、煙草に、火をつけた。
岸壁に立って、水面をのぞくと、小魚が群れているのが、見えた。
三田村は、釣りはやらないが、海や川で、魚が群れているのを見るのは、好きだった。多分、幼い時の気持に戻れるからだろう。
だが、今は、頭の中が、久美のことで、一杯になってしまっている。愛で一杯になっているのなら、悩むことはないのだが、違うのだ。
愛、不安、怒り、など、さまざまな感情が、入り乱れている。
十二時になったので、船着場に、行くと、西本が、先に来ていた。
二人で、昼食をとりに、近くのレストランに行くと、観光客らしい人たちで、一杯だった。
二人は、それぞれ、好きなものを注文してから、西本が、
「本橋の家族のことが、わかったよ。本人が、刑務所に入ってしまったので、店は閉まっていた。奥さんはいないが、娘が一人いて、名前は、久美だ。東京で、大学に通っている」
と、話した。
「そうか」
「メモしなくていいのか?」
「そのくらいは、覚えられるよ」
と、三田村は、いった。
「ひょっとして、知ってたんじゃないのか?」
西本が、三田村の顔を、のぞき込むようにして、きいた。
三田村は、狼狽《ろうばい》して、
「何をだ?」
「本橋の家族のことさ」
「知ってる筈《はず》がないだろう」
「そうだろうな。東京に帰ったら、この久美という娘に会って、話を聞いてみたいね。父親のことや事件のことをどう思っているかだ」
「ああ」
「これは、君に頼もう」
「なぜ、おれに?」
「おれより、女子大生に、関心がありそうだからだよ」
「何をいってるんだ」
「冗談だよ。どうも、おかしいぞ。今度の事件のことでは」
と、西本は、いった。
「そんなことはないよ」
「まあ、いい。ちょっと、十津川警部に連絡してくる」
と、いって、西本は、立ち上がり、レジの近くにある公衆電話のところへ、歩いて行った。
三田村は、その方向に、眼をやっていた。
(十津川警部に、おれの様子がおかしいと、報告するつもりだろうか?)
そんなことまで考えてしまうのだ。
五、六分して、西本は、テーブルに戻って来ると、
「例の三人目の男については、依然として、何もつかめないと、警部は、いっていたよ」
と、いったあと、
「これは、何だい?」
「何が?」
「これさ」
と、西本は、焼魚の皿の下から、一枚の紙を引き抜いて見せた。
「おれは知らないよ」
「だが、さっきまで、無かったんだ」
と、いいながら、西本は、二つに折られた紙を広げてから、突然、
「畜生!」
と、叫んで、立ち上がった。
三田村は、手を伸ばして、その紙片を取った。
サインペンで、字が、書かれてあった。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈おれのことを、探し廻《まわ》ったりするな。
さもないと、痛い目にあわせるぞ。
特に、三田村刑事は、自分に、いい聞かせておけ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]三人目の男〉
三田村も、思わず、立ち上がって、店の中を見廻した。
相変らず、観光客と見える人たちが、騒々しく、お喋《しやべ》りをしながら、食事を続けているだけだった。
「本当に、これを、置いていった人間を、見ていなかったのか?」
と、西本が、怒鳴るように、きく。
「見てなかったんだ」
「何処を見てたんだ?」
と、西本がきく。彼は、明らかに、怒っていた。三田村は、青ざめた顔で、
「何となく、入口の方を見ていたんだ」
「ここに来てから、どうかしてるぞ」
「申しわけない」
「おれたちが、犯人を追いかけている気でいたんだが、向うが、おれたちを、監視してやがったんだ」
と、西本は、腹立たしげに、いった。
「しかし、三人目の男は、見かけなかったんだが――」
三田村が、いいわけがましくいうと、西本は、
「変装していれば、気がつかんさ」
と、いった。
三田村は、もう一度、紙片に、眼をやった。
「これは、本当に、おれたちが探している男が、書いたんだろうか?」
「他に、誰が書くんだ?」
「そういえば、そうなんだが――」
「それに、メモには、君の名前が、書いてある。三田村と。なぜ、犯人は、君の名前を、知ってるんだ?」
と、西本は、きいた。
「そんなことは、おれは、知らないよ」
と、三田村は、いった。
二人は、ウエイターや、近くのテーブルの人たちに、メモを置いていった人間について、気がつかなかったかどうか、聞いてみた。
だが、気がついた者は、誰もいなかった。昼どきで、店は、混んでいたし、誰もが、食事に夢中になっていたようだから、気がつかなくても、不思議ではなかったのだ。
二人は、レストランを出ると、船で、中の島ホテルに戻った。
メモを書いた男は、或《ある》いは、このホテルにも、昨日、泊って、自分たちを、監視していたのではないかと、思い、フロントで、聞いてみた。
だが、それらしい男が、泊っていた形跡は、なかった。
今のところ、他に調べることもなくて、二人は、チェック・アウトして、東京に戻ることにした。
夕方、東京に着くと、二人は、その足で、捜査本部に、顔を出した。
十津川が、何よりも興味を示したのは、やはりメモのことだった。
三田村は、頭を下げて、
「申しわけありません。つい、うっかりして、このメモを置いていった人間を、見ていなかったんです」
と、十津川に、詫《わ》びた。
「それはいいさ。まさか、こんなメモを、置いていく奴がいるとは、思えないからね」
と、十津川は、笑ってから、
「ただ、向うが、君を名指ししていることは、気になるね」
「私も、それが、気になったんです」
と、西本が、いった。
「どうなんだ? 思い当ることはないのか? 三人目の男は、前から、君の知り合いじゃないのか?」
と、十津川が、三田村に、きいた。
「とんでもありません。全く知りません。知っていれば、事件が起きた時に、逮捕しています」
三田村は、顔色を変えて、いった。
「わかったよ。別に、君を疑っているわけじゃないんだ」
と、十津川は、苦笑した。
「だが、メモの人間が、君たちを監視していたことは、確かだよ」
亀井が、横から、三田村と、西本の二人に、いった。
「それは、そうなんですが――」
三田村は、当惑した表情になった。
「君たちは、第三の男の顔は、ちゃんと、記憶していたんだろう?」
と、亀井は、容赦のない勢いで、二人を睨《にら》んだ。
「モンタージュは、頭に叩《たた》き込んで、南紀に行ったんですが――」
と、西本も、元気のない声でいう。
「それなのに、全く、気がつかなかったのかね? その第三の男が、君たちの周囲を、うろついてたのに」
「気がつきませんでした」
「どうしようもないな。いったい、何を見てたんだ?」
と、亀井が、怒る。
「そんなに、叱りなさんな」
と、十津川は、亀井を、制してから、
「第三の男だがね。二人の周囲をうろついていたら、気がついていると思うよ。若いが、二人とも、刑事なんだ。それが、全く気がついていなかったところを見ると、二人を監視していたのは、別人なんじゃないかね」
と、いった。
「しかし、他に、誰がいますか?」
「そうなんだが、第三の男に頼まれた人間かも知れない」
「しかし、三月二十四日の殺人事件で、怪しいと思われるのは、この三人連れでしょう。その中《うち》、二人が殺されているんです。犯人は、残りの男としか考えられません」
と、亀井は、いった。
「二人とも、よく考えてみてくれ」
と、十津川は、三田村と、西本を見た。
「いくら考えても、モンタージュの男は、見かけませんでした。勝浦でも、その途中の列車の中でもです」
と、三田村は、いった。
「私も、同じです。中の島のホテルにも、泊っていませんでした」
と、西本も、いった。
「男でなく、女はどうだ? 同じ女が、君たちの周囲に、何度も、現われたことは、ないかね?」
と、十津川は、きいた。
「わかりません。頭に、第三の男のことしかありませんでしたから」
と、三田村は、いう。
「男なら、すぐ、気がついたと思いますが」
と、西本も、いった。
「まあ、いい」
と、十津川が、いった。
西本と、三田村は、退《さが》って行ったが、すぐ、西本だけが、戻って来た。
「何か思い出したのか?」
と、十津川が、きくと、西本は、
「これは、三田村には、黙っていて欲しいんですが――」
「彼の様子が、おかしいということか?」
と、十津川が、きくと、西本は、眼を大きくして、
「知っていらっしゃったんですか?」
「何となく、おかしいとは、感じていたよ」
十津川は、微笑して、いった。
「それなら、話し易《やす》いんです。三田村は、何か隠しています。私が聞いても、いいませんし――」
と、西本は、いった。
「何を隠していると、思うんだ? 第三の男のことを、知っていると、思うのか?」
と、亀井が、きいた。
「いや、それは、ないと思います。三田村は、多気駅で、殺された土屋悟を見ていますが、そのこととなにか関係が――」
「うん。南紀の新聞にも、のったんだ。彼は、女性と一緒だった。確か、可愛らしい人だったよ」
と、十津川は、いった。
「なぜ、そのことを、あのあと、全く話さなくなったのか、私も、おかしいと思っていました」
と、亀井が、いった。
「そうなんです」
と、西本は、肯《うなず》いた。
「十一月の南紀旅行のことは、全く無かったみたいな顔をしているんです。どういうことなんですかね?」
と、西本が、首をかしげた。
「田中刑事も、同じことをいっていたよ。彼も、三田村が、南紀に連れて行った女性のことを聞いたら、怖い顔で、そんなことは、忘れたといわれたらしい」
と、十津川は、いった。
「何か、拘泥《こだわ》っていることがあるらしくて、必死なんです」
と、西本は、いった。
「わかった。それは、私が調べるから、君は、今まで通りに、三田村に、接していろ」
と、十津川は、いった。
西本が、いなくなってから、十津川は、松阪警察署に、電話をかけ、長谷部警部を、呼んで貰った。
十津川が、名乗ると、長谷部は、
「ああ、今回の事件では、お宅の三田村刑事に、お世話になっています」
と、明るい声で、いった。
「その時、三田村刑事と、若い女性が、一緒だった筈《はず》なんですが」
と、十津川は、いった。
「ええ。記憶力のいい娘さんで、助かりました。殺された土屋悟と一緒にいた二人の男のモンタージュが、作れたのは、彼女のおかげなんです」
「その女性の名前は、何といいましたかね?」
「それは、三田村さんが、よくご存知の筈ですが――」
「そうなんですが、聞き込みに出かけているもので――」
「ああ。ちょっと待って下さい。ええと、本橋久美さんです。三田村刑事の恋人じゃありませんかね」
と、長谷部は、いった。
「本橋久美」
と、呟《つぶや》いてから、十津川は、礼をいって、電話を切った。
そのあと、十津川は、「モトハシ、モトハシ」と、口の中で、繰り返していたが、
「カメさん、三月二十四日に、勝浦で起きた殺人事件だが、犯人は、何といったかな?」
と、亀井に、きいた。
「確か、殺されたのは、信金の副理事長で、名前は、松田。犯人は、クリーニング店の主人で、モト――」
「本橋か」
「そうです。確か、本橋という男です」
「なるほどねえ」
と、十津川は、肯いた。
「何ですか?」
「三田村刑事のつき合ってる女の名前が、本橋久美だ」
「じゃあ、もしかして、本橋の関係者?」
「多分、娘だろう」
と、十津川は、いった。
「それで、三田村の奴、何もいわなくなったんですか」
「殺人犯の娘とつき合っている上に、彼女と旅行中に、殺人事件に、巻き込まれた。しかも、その事件は、三月の事件と関係がある」
「なるほど、口が重くなる筈ですね」
と、亀井は、いった。
「どうしたらいいかね? カメさん」
「三田村を呼んで、聞きますか?」
「それは止めておこう。彼を、萎縮《いしゆく》させたくない」
と、十津川は、いった。
「しかし、放ってもおけませんよ。マスコミが、気付けば、いろいろと、勘ぐって書くかも知れません」
「本橋久美の気持を聞いてみたいね」
と、十津川は、いった。
「そうですね。彼女が、三田村刑事を利用しようとして、彼に近づいたのだとしたら、危険ですから」
と、亀井は、いった。
亀井が、勝浦警察署に電話して、本橋久美が、今、府中刑務所に入っている本橋の娘かどうか聞いてみた。
そのあと、彼女について、わかっていることを、教えて欲しいと、頼んだ。
「現在、彼女は、東京のR大の四年生です。住所は、世田谷区|代田《だいた》×丁目のマンションです」
と、いい、電話番号も、教えてくれた。
「彼女に会ってみよう」
と、十津川は、亀井に、いった。
まず、電話をかけてみたが、応答がなかった。留守番電話の声が、聞こえただけである。
とにかく、行ってみることにして、二人は、パトカーで、出かけた。
彼女のマンションは、甲州《こうしゆう》街道沿いにあった。中古のマンションである。
彼女の部屋は、そこの502号室の筈だったが、すでに、午後八時を廻《まわ》っているのに、部屋に、明かりはついてなかった。
新聞も、溜《たま》ったままになっている。
管理人は、すでに、帰ってしまっていた。十津川と、亀井は、両隣の住人に、本橋久美について、聞いてみることにした。
「お留守のようですよ」
と、右隣の、OL風の女は、いった。
左隣は、男の大学生で、
「留守ですか? 気がつかなかったなあ」
と、いった。
「警部」
と、亀井が、小声で、呼んで、
「カギが、かかっていませんよ」
「カギ?」
「ええ。本橋久美の部屋のカギが、かかっていません」
「本当か」
と、十津川は、502号室のドアのノブを、回してみた。
なるほど、回して、引っ張ると、ドアが、開いた。
二人は、中に入ってみた。電気を灯《つ》ける。
1Kの狭い部屋である。
若い女の部屋らしく、きちんと、片付いている。あまり、物がない。テレビも、机も、中古だった。
ただ、洋ダンスの中には、コートや、ジーンズなどが、並んでいた。
二人は、狭い部屋の中で、手紙の類《たぐい》を、探してみた。見つかったのは、三田村が出した何通かのラブレターだった。
「やはり、恋人だったんですねえ」
と、亀井が、いった。
「しかし、彼女は、何処へ行ったんだろう?」
「カギをかけずに、外出するというのも、妙ですね」
「そうなんだ。若い女なんだ。きちんと、カギをかけて、出かける筈だ」
と、十津川は、いってから、電話のところに行き、留守番電話にかかっている声を、聞いてみることにした。
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〈みやこよ。電話して。相談したいことがあるの〉
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これは、若い声だから、多分、大学のクラスメイトだろう。
そして、三田村からの伝言もあった。
留守番電話に入っている声は、もう一つだけだった。
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〈前にも言ったように、おやじのことで、うろうろするな。本庁の刑事に頼んだって、おやじは、釈放されないよ。もう刑務所に入ってるんだ。八年後に、出所するのを待て。さもないと、怪我するぞ〉
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これは、くぐもった男の声だった。
十津川は、電話機から、テープを取り出した。
「誰の声だと思われますか?」
と、亀井が、きいた。
「多分、例の第三の男じゃないかね」
「私も、そんなところだと思います。本橋の娘の久美が、三田村刑事を、利用したのかどうかはわかりませんが、三月二十四日の事件を、掘り返そうとした。それで、真犯人の三人が、あわてて、仲間割れをし、二人が、殺されました。殺したのは、第三の男でしょう。彼にしてみれば、本橋久美が、眼の上のタンコブなんですよ。だから、電話で、脅したんじゃありませんか?」
と、亀井は、いった。
「多分ね。問題は、彼女が、何処へ行ってしまったかだよ」
と、十津川は、いった。
「第三の男を探しに、出かけたんでしょうか?」
と、亀井が、いう。
「ドアに、カギもかけずにかね?」
「そうですねえ。ひょっとして、彼女が、警告に従わないので、第三の男が、連れ去ったんでしょうか?」
と、亀井は、いった。
「そうだと、困ったことだな。今回のことで、もう犠牲者を、出したくないからね」
と、十津川が、いったとき、突然、電話が、鳴った。
二人は、顔を見合せていたが、十津川が、手を伸ばして、受話器を取った。
「もし、もし」
という若い男の声が、聞こえた。
その声に、聞き覚えがあった。十津川は、笑いながら、
「私だ。十津川だよ」
と、いった。
「え?」
という三田村の驚きの声に向かって、
「カメさんも一緒だ。すぐ、こちらへ来たまえ。場所は、わかってるね?」
「彼女、どうかしたんでしょうか?」
「行方不明だ」
「本当ですか?」
「だから、すぐ、来たまえ」
と、十津川は、いい、電話を切った。
四十分ほどして、三田村が、あわただしく、駈《か》けつけて来た。
三田村は、部屋に入るなり、
「申しわけありませんでした」
と、十津川に向かって、頭を下げた。
「何がだね? 彼女のことを、報告しなかったことかね?」
「それもありますし、十一月の南紀旅行を、私は、ただの旅行と、思っていたんですが、彼女は、明らかに、刑事である私を利用したんだと思っています。そう思いたくないので、そのことを、黙っていました。それが、今回の事件の解決を、少しでも、遅らせたとしたら、申しわけありません」
と、三田村は、いった。
「利用されたと、思っているのか?」
と、十津川は、きいた。
「思っています。ただ、彼女は、母親がいませんし、きょうだいもいません。父親のことで、誰にも、助けを求められなかったわけです。それを考えると、刑事の私を利用しようとしたとしても、無理もないと、思うのです」
と、三田村は、いった。
「そうだな」
と、十津川は、肯《うなず》いた。が、亀井は、三田村に向かって、
「だが、腹が立ったんだろう?」
「そうです。なぜ、最初から、全てを、打ち明けてくれなかったのかと、思いまして。何も、相談してくれなかったことに、腹が立ったんです」
「まず、彼女を見つけてから、文句をいった方がいいな」
と、十津川は、いった。
「本当に、失踪《しつそう》したんですか?」
「ああ。行方不明だ。ドアには、カギもかけてなかったし、留守番電話に、脅しの声が、入っていた」
と、十津川は、いい、テープを、電話機に戻して、再生して、三田村に、聞かせた。
三田村は、聞き終ると、かたい表情になって、
「この男が、彼女を、連れ去ったんでしょうか?」
と、十津川に、きいた。
「それが、よくわからないんだ。われわれが、ここへ来た時、ドアのカギは、かかってなかった。しかし、部屋の中は、乱れてなかったんだ。もし、乱れていて、その上、カギが、かかってなければ、何者かに、彼女は、連れ去られたと、私も、考えるんだがね」
「と、すると、彼女は、自分から、姿を消したということになるんでしょうか?」
「それも、断定できないんだよ。君は、われわれより、彼女のことを、よく知ってるんだ。君は、どう思うんだ?」
と、十津川が、逆に、きいた。
三田村は、困惑の表情に変った。
「わかりません」
と、三田村は、いった。
「わからないというのは、どういうことなんだ?」
と、亀井が、きいた。
「言葉のとおりです。連れ去られたのか、自分で何処かへ行ったのか、わからないのです」
三田村は、当惑の表情のまま、いった。
「行先に、心当りは、ないのか?」
と、十津川が、きいた。
「府中刑務所に、父親に会いに行ったのか、それとも、また、南紀へ行ったのか。それぐらいしか、考えられません」
「府中刑務所なら、日帰りの筈《はず》だよ」
と、十津川は、いった。
「そうですね。とすると、やはり、南紀かも知れません」
「君に連絡はないのか?」
「はい。ただ、私も、西本刑事と一緒に、南紀へ行っていましたから」
「勝浦で、彼女を見なかったのか?」
「はい。見ていません」
「なぜ、彼女は、君に連絡して来ないんだろう? 君が、紀伊勝浦へ行っていたとしても、君に、言伝《ことづ》ては、出来る筈だ」
と、十津川が、いうと、三田村は、
「私が、怒っていると、思っているからかも知れません」
と、いった。
「部屋に、一つだけ、キーがあったんだが、君も、持っているのか?」
と、亀井が、きいた。
「はい。一つ、持っています」
「全部で、キーは、いくつあるのかね?」
「わかりませんが、二つじゃないかと思います」
と、三田村は、いった。
「とすると、彼女は、キーを持たずに、外出していることになる。自分の意志で、外出したとするとだが」
と、十津川は、いった。
「では、警部は、連れ去られたと、思われるんですか?」
と、三田村が、きいた。
「平凡に考えれば、ドアのカギが、かかってなかったことから、何者かに、連れ去られたということになるんだろうがね。しかし、君は、彼女が、自分を利用して、父親の無実を証明しようとしたと、思っているんだろう?」
「そうです」
「そうなると、今度も、また、彼女が、一芝居打ったかも知れない」
と、十津川は、いった。
「一芝居ですか?」
「その可能性もあるということだよ。それだけ、父親を助けたいという気持が、強いということだ」
と、十津川は、いった。
結局、本橋久美が、自分の意志で、姿を消したのか、連れ去られたのか、誰にも、判断がつかないのだ。
十津川は、どちらと決めずに、彼女を探すことを、決めた。
捜査本部は、二つの捜査を、進めることになった。
一つは、第三の男を見つけ出すことである。
第二は、本橋久美を、探し出すことだった。
第三の男についていえば、今、十津川たちは、完全に、受け身になってしまっている。まだ、この男の名前も、住所もわからない。職業もである。
わかっているのは、彼が、旅好きということだけだった。
それに、顔もわかっている。が、それなのに、彼は、何処かに、消えてしまったのだ。
そのくせ、彼の方は、勝浦で、警告のメモを、隙を突いて、刑事に渡したり、本橋久美を、電話で、脅したりしているのである。
一言でいえば、今のところ、第三の男に、こちらが、翻弄《ほんろう》されているのだ。
「この男について、われわれが、主導権を取りたいね」
と、十津川は、部下の刑事たちに、いった。
本橋久美のことでは、十津川は、府中刑務所に連絡し、ここ四、五日以内に、彼女が、父親に面会に来なかったかどうかを、聞いてみた。
もし、四、五日以内に、面会に来ていれば、彼女は、連れ去られた可能性は少なく、自分で、姿を消したことになってくるのだ。
しかし、彼女は、最近、父親に、面会には来ていないという返事だった。結局、自分から姿を消したのか、誘拐されたのか、わからなかった。
刑事たちは、もう一度、殺された土屋と、小寺の周辺を、調べることにした。
第三の男の正体を知るには、やはり、土屋と、小寺から、辿《たど》っていくより仕方がないと、思ったからである。
土屋と、小寺の友人に会い、もう一度、二人のマンションを調べ、家族にも、会った。
二人の口から、三人目の男について、何か、語られているに違いないと、思ったのである。何しろ、三月に、三人で一緒に、南紀旅行をしているし、十一月には、再び、南紀を訪ねているのだ。
雑誌を通じてではあっても、三人は、気が合ったのだろう。大事な友人だった筈である。それなら、土屋と、小寺の二人が、第三の男について、何か喋《しやべ》っているのではないか。
聞き込みは、根気よく、続けられた。
その結果、やっと、十津川の期待していた答が、見つかった。
K電機に勤めていた土屋悟が、同じ課の友人に、第三の男について、いろいろと、話していたことが、わかったのである。
その友人は、浜口勇《はまぐちいさむ》という男だったが、今まで、その証言が、聞けなかったのは、彼が、今年の五月に、札幌支社に、転勤になってしまっていたからである。
今回、彼が、たまたま、東京本社に、社用で来たところを、つかまえて、聞くことが出来たのである。
浜口は、西本の質問に対して、
「実は、土屋に、僕も、一緒に、南紀へ行こうと、誘われたんです。都合があって、行けないといったら、彼は、それなら、旅行雑誌で、募集するといっていました。それで、どうだって、聞いたことがあるんですよ。一ヶ月くらいあとでね。そうしたら、自慢そうに、二人、見つかったといってましたよ」
と、答えた。
「その二人について、話して下さい」
と、西本は、いった。
「一人は、確か、フリーライターだと、いってましたね」
「もう一人は?」
と、西本は、期待を込めて、きいた。
「名前がね。確か、星野勇紀《ほしのゆうき》といってました。なんだか、タレントみたいな名前だなっていったら、売れないタレントなんだって、笑ってましたよ。古いんだが、売れないんで、アルバイトに、バーテンなんかもやっている。話してると、楽しい男だって、いってました。ただ、バクチ好きだから、それがちょっと困るともいってましたよ」
と、浜口は、話してくれた
その知らせを受けて、捜査本部は、色めき立った。
名前と、職業が、一挙に、わかったからである。
すぐ、十津川は、タレントのいろいろな団体に、星野勇紀という名前の男について、問い合せてみた
結果は、すぐ、出た。
JAGという団体に、星野勇紀という男優が、いるというのである。
十津川は、亀井と、四谷にあるJAGの事務所に、急行した。
そこで、所属タレントの名鑑を見せて貰《もら》った。確かに、その中に、星野勇紀という名前があり、顔写真が、のっていた。
モンタージュに、よく似ていた。
「古い人で、いいキャラクターの持主なんですがねえ。ごらんのように、平凡な感じで、売りにくいんですよ。それに、本人も、欲がなくてね」
と、事務所の人は、肩をすくめた。
「旅は好きな人ですか?」
と、十津川は、きいた。
「ええ。好きですよ。酒と、旅行がね」
「住所を、教えてくれませんか」
「いいですが、今、いませんよ」
と、いう。
「じゃあ、今、何処にいるんですか?」
「確か、一昨日《おととい》から、また、旅に出かけている筈《はず》です。ちょっと、おいしい仕事が入ったっていうのに、困ったものです」
「行先は、わかりませんか」
と、亀井が、いった。
「わかりませんね。何もいわずに、出かけちゃうから」
と、事務所の人は、また、肩をすくめた。
「十一月二十四日から、二十六日にかけても、星野さんは、旅行に出かけているんじゃありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「そうですねえ。確かに、その頃、彼は、旅行に出ています。それが、何か?」
と、相手が、きく。
「いや、最近の星野さんの様子に、何か変った点は、なかったですか?」
「そうですね。もともと、ちょっと、変っていますのでねえ」
と、相手は、いった。
「いつ、帰ってくると、彼は、いっていましたか?」
と、亀井が、きいた。
「一週間くらいの予定だと、いっていましたがね。彼は、気まぐれですから」
と、事務所の人間は、笑った。
結局、行先は、わからなかった。
十津川の表情は、険しくなった。ひょっとして、星野が、本橋久美と一緒ではないかと思ったからである。
もし、そうだとすれと、彼女が危ない。
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第五章 草津雪景色
夜おそく、三田村の自宅マンションの電話が、鳴った。
三田村は、ベッドから手を伸ばして、電話を取った。
「もし、もし」
という、若い女の遠慮がちな声が、聞こえた。
三田村は、思わず、起き直って、
「久美さんだね? 久美さんなんだろう?」
と、大声を出した。
相手は、ええとは、いわず、
「私のこと、怒ってるんでしょう? 父のことをいわずに、南紀へ行ったから」
と、か細い声で、きく。
「そんなことはないよ。君は、お父さんを助けようとして、必死だったんだ。それより、今、何処にいるんだ?」
と、三田村は、きいた。
「ごめんなさい」
「いいんだよ。会いたいんだよ。何処にいるか、教えてくれ」
「本当に怒っていない?」
「怒ってないよ。それより、君のことが、心配なんだ」
「――」
「お願いだから、今、何処にいるのか、教えてくれ」
と、三田村は、嘆願する調子で、いった。
「草津《くさつ》です」
「草津? なぜ、そんなところにいるんだ? 誰かに、連れて行かれたのか?」
「もう、三田村さんには、迷惑は、かけません」
「そんなことは、どうだって、いいんだ。草津のどこにいるのか、教えてくれ。どこに泊っているのか、教えてくれ。お願いだ!」
と、三田村は、最後は、怒鳴っていた。
だが、返事はない。電話は、切れてしまっているのだ。
「畜生!」
と、三田村は、叫んだ。
翌朝早く、三田村は、上野駅から、午前七時一〇分発の特急「草津1号」に、乗り込んだ。
この列車は、新前橋まで、「谷川1号」と連結されて、上越線を走るが、ここから別れて、吾妻《あがつま》線に入る。
三田村は、九時三九分に、長野原草津口で降り、そこから、バスで、草津に向かった。
まだ、雪は、降っていない。
三十分ほどで、草津温泉のバスターミナルに着いた。
町役場や、観光協会が並ぶ場所である。
三田村は、他の観光客と一緒に、バスから降りた。
旅館、ホテルの数は、二百軒と多いのだが、それでも、第一印象は、何となく、昔風な、古びた温泉町という感じだった。
バスターミナルから、五、六分歩いたところに、有名な、湯畑があった。
温泉街の真ん中の、広場のようなところに、この草津温泉の源泉があり、噴き出る熱湯を、幾条もの木の樋《とい》に流し、その樋につく湯の花を、採取しているのである。
硫黄《いおう》泉なので、近づくと、強烈な匂いが、鼻につく。
危険なので、周囲は、コンクリートで囲ってあって、観光客は、その上から、のぞき込んでいた。
この湯畑を中心として、新旧いり乱れた旅館、ホテルが、建ち並んでいる。スーパーのような、大きな土産物店もあれば、ゲームセンターもあったりする。
久美は、このどこに、泊っているのだろうか?
それとも、草津といったのは、でたらめだったのだろうか?
三田村は、今、久美の言葉に対して、半信半疑の状態になっている。
ひとりで、二百軒もの旅館、ホテルを聞き廻《まわ》るのは、大変だし、時間が、かかってしまう。
三田村が恐れたのは、彼が、一軒、一軒、調べている中《うち》に、久美が、他へ動いてしまうことだった。
そこで、草津温泉の中にある派出所を訪ね、警察手帳を示して、協力を要請した。
持参した久美の何枚かの写真を、そこにいた警官に見せて、
「この女性は、殺人事件の重要参考人なんです。この草津に来ているという情報があって、探しに来たんですが、本名で、泊っているかどうかわかりません。それで、協力して、探して貰《もら》いたいのです」
と、いった。
彼女は、犯人を目撃しているので、危険であるとも、つけ加えた。
派出所にいた警官たちも、本庁の刑事の要請ということで、協力してくれることになった。二人の警官が自転車で、飛び出して行った。
三田村は、派出所で、待った。
四十分ほどして、一人の警官から、派出所に、電話が入った。
ニュー草津ホテルに、それらしい泊り客がいるというのだ。
三田村は、そのホテルに向かって、走った。
息を切らして、そのホテルに、駈《か》け込んだ。
ロビーに入って行くと、警官の一人が、寄って来て、
「ここに、青木久子《あおきひさこ》という名前で、一昨日《おととい》から泊っている女性が、どうやら、お探しの人らしく思えます」
と、小声で、いった。
改めて、フロントに、久美の写真を見せると、間違いないと、いう。
「何号室ですか?」
と、三田村がきくと、
「今、外出していらっしゃいます」
「外出って、ひとりでですか?」
「はい」
「行先は?」
「西《さい》の河原《かわら》を、見たいといわれていましたが――」
と、フロント係は、いった。
そういう名所があるらしい。
派出所の警官は、ここで待っていれば、彼女は帰って来ますよといったが、三田村は、じっとしていられなかった。
警官に、もし、彼女が帰って来たら、力ずくででも、おさえておいてくれるように頼んでから、フロントで教えられた西の河原に、向かった。
旅館街の外れまで行くと、土産物店、特に、山芋などを売る店が並び、道路沿いに流れる水路からは、熱湯が、注ぎ込むのか、湯煙があがっていた。
更に、登り道をあがっていくと、河原が、現われた。
そのところどころから、硫黄泉が噴き出し、荒涼《こうりよう》とした風景を、現出していた。
(なるほど、これが、西の河原か)
と、三田村は、思いながら、集まっている観光客の中に、久美を、探した。
なかなか、見つからない。
西の河原には、小さな池の形に作った露天風呂も出来ていたが、昼間の今は、さすがに、誰一人、入っていなかった。
ふいに、三田村の眼が止まった。
久美を見つけたからではなかった。
今度の事件の容疑者として、マークしている星野勇紀の顔を、見つけたからである。
星野は、コートの襟を立て、首に巻いたマフラーに、首を埋めるようにして、西ノ河原を、見つめていた。
彼が、三人の男の一人で、他の二人を、消したのではないかと、推測している。ただ、証拠がない。
(とにかく、事情を聞いてみよう)
と、星野に向かって、三田村が歩き出したとき、視線の先に、久美を発見して、反射的に、足を止めてしまった。
久美は、まだ、こちらに気付いていないようだった。
彼女の視線の先を辿《たど》って行くと、星野にぶつかった。
(星野を追って、彼女、ここまで来たのか?)
と、思った。
星野は、脇役として、何本ものテレビドラマに出ている。
きっと、久美は、家で、テレビドラマを見ていて、画面の中に、あの三人の中の一人の顔を見つけたのだろう。そして、テレビ局に問い合せて、それが、星野勇紀というタレントだと知り、見張ることにした。旅行好きの星野が、今度、草津へ来たので、彼女も、尾行して、ここまで、やって来たのか。
星野のことを、三田村にいわなかったのは、南紀旅行で、彼を裏切ったと思い、いえなかったからに違いない。
「久美さん」
と、三田村は、声をかけた。
彼女は、初めて、彼に気付いた表情で、戸惑いと、嬉《うれ》しさと、混り合ったような眼になった。
三田村は、近づいて、
「ずいぶん探したんだ。君が、誘拐されたんじゃないかと、心配もしたよ」
と、いった。
彼女は、急に、泣き笑いの表情になった。
「心配してくれてたんですか?」
「ああ。当り前だろう」
「ふふふ」
と、久美は、小さな笑い声を立てた。
「どうしたんだ?」
「心配して、損しちゃった」
と、久美は、いたずらっぽい顔になった。
「何を心配してたの?」
「三田村さんに、完全に、嫌われちゃったと思って――」
「そんな筈《はず》はないじゃないか」
「よかったァ」
「あッ」
「どうしたの?」
「あいつが、消えた」
「大丈夫。私と同じホテルに、泊ってるわ」
と、久美は、いった。
二人は、ゆっくりと、歩き出した。
「彼は、まっすぐ、この草津にやって来たの?」
と、三田村は、歩きながら、きいた。
「最初に行ったところは、志賀《しが》高原だったわ。一日、そこにいて、次に、この草津にやって来たのよ」
「志賀高原で、彼は、誰かに会った?」
「いえ。私の知ってる限りは、誰にも、会ってないわ。この草津に来てからもね」
と、久美は、いった。もう、いつもの彼女の話し方になっている。
「あの男が、例の三人組の最後の一人だと、思ってるんだね?」
と、三田村は、きいた。
「ええ。間違いないわ。テレビドラマで見た時、思わず、この男って、ひとりで、叫んじゃった」
「彼が、他の二人を、殺したと、思っているんだね?」
「ええ。思っている」
「そして、三月二十四日に、紀伊勝浦で、信金の副理事長を殺したのも、あの三人じゃないかと、思っているんだね?」
と、三田村は、きいた。
「そう思いたかったの」
と、久美は、いった。
「あの男を、捕まえて、白状させてやるかな」
と、三田村が、いうと、久美は、
「そんなことをしても、本当のことを喋《しやべ》るかどうかわからないわ。だから、何とか、彼の尻尾《しつぽ》をつかみたくて、今度も、志賀高原から、この草津まで、追いかけて来たんだけど」
と、いった。
ニュー草津ホテルに戻ると、フロントに頼んで、二人で、ツインルームに、泊ることにして貰《もら》った。
夕食の前に、三田村は、部屋の電話で、東京の十津川に、報告することにした。
電話に出たのは、亀井で、いきなり、
「こら! 何してるんだ!」
と、怒鳴られた。
「そんな大きな声を出さなくても、聞こえますよ」
と、三田村は、文句をいった。
「大きな声でいわなきゃ、わからん奴だからだよ。お前さんまで、誘拐されたんじゃないかって、心配してるんだ」
「私は、刑事ですよ」
「半端《はんぱ》なな」
「その半端な刑事は、今、草津にいます。草津温泉です」
「なぜ、そんなところにいるんだ?」
「同じホテルに、星野が、泊っているんです。星野勇紀ですよ」
と、三田村は、いった。
「本当か?」
「本当です。坂口という名前を使っていますが、間違いなく、あの男です」
「星野は、なぜ、そこにいるんだ?」
「わかりません。が、彼は、誰にも会わないまま、一昨日《おととい》、志賀高原に行き、昨日、草津温泉にやって来ました」
「そうか。草津は、志賀高原に近いんだな」
「そうですよ」
「まるで、旅行を楽しんでいるみたいだな」
「そうですね」
「本当に、彼は、誰にも、会っていないのか?」
「会っていません」
「しかし、一昨日のことが、どうして、わかるんだ? お前さんは、こっちにいたじゃないか」
と、亀井は、いった。
「一昨日は、志賀高原で、彼を監視していた人間がいるんです」
と、三田村は、いった。
「監視していた人間は、誰なんだ?」
「――」
「そうか。彼女も、そこにいるのか」
と、亀井は、いい、
「そうか、そうか。そうだったか」
「変ないい方はしないで下さい」
と、三田村は、文句を、いった。
「彼女は、なぜ、星野を、監視していたんだね?」
と、急に、声が変った。
「ああ、警部ですか」
「カメさんは、若い君に、ヤキモチをやいてるのさ」
と、十津川は、電話の向うで、笑ってから、
「彼女は、なぜ、星野を?」
「テレビドラマに出ている彼を見て、三人目の男だと直感して、テレビ局に、問い合せたようです。それで、星野というタレントだとわかり、見張っていたと、いっていました」
「そして、志賀高原から、草津まで、尾行して来て、君を呼んだんだな?」
「ひとりでは、やはり、心細くなったんだと思います」
と、三田村は、いった。
「それで、星野は、草津で、君の眼から見て、怪しい行動を見せているのかね?」
と、十津川が、きく。
「今のところ、何もありませんね。草津の名所といわれる西ノ河原を見物したり、ホテルの売店を見たりしているだけです。誰も訪ねて来ませんし、ここで、誰かに会った形跡もありません」
と、三田村は、いった。
「志賀高原でも、同じだったんだな?」
「それは、本橋久美の証言ですが、志賀高原でも、星野は、貸スキーを楽しんだり、発哺《ほつぽ》温泉に泊って、温泉に入ったりしただけで、誰にも、会っていないそうです」
「おかしいな」
と、十津川は、いった。
「誰にも、会わずにいるということがですか?」
と、三田村は、きいた。
「いいかね。星野は、他の二人、土屋と、小寺の二人を殺したのではないかという疑問が持たれている男だよ。そんな男が、証拠隠滅に走り廻《まわ》っているというのなら、よくわかるんだが、のんびりと冬の温泉めぐりというのは、どうも、納得できないがねえ」
「同感です」
「高飛びする気配は、ないのか?」
「私の見る限り、のんびりと、構えているように見えます」
と、三田村は、いった。
「おかしいと、思わないか?」
と、十津川が、きく。
「思います。無実だから、落ち着いているのか、或いは、度胸がいいのか、それとも、ふてくされているのか、どれかは、わかりませんが」
と、三田村は、いった。
「逃げる気配は?」
「今のところ、見られません」
「そうか。だが、安心は出来ないぞ」
「わかっています。引き続き、星野の監視に当りたいのですが、構いませんか?」
「いいだろう。その代り、こちらとは、ちゃんと、連絡をとれよ」
と、十津川が、いった。
三田村は、夕食のあと、久美と、温泉に入った。
男湯と女湯に、別々に入ったのだが、女湯の久美が、急に、
「雪だわ」
と、叫ぶように、いった。
その声で、三田村は、窓の外に、眼をやった。
風呂の外は、日本庭園になっていて、灯籠《とうろう》に、灯《ひ》がついている。その明かりの中に、白いものが、舞っているのが見えた。
夕食のあと、急に、冷え込んできたので、温泉に入ったのだが、やはり、雪になったのかという感じだった。
風呂場のガラス戸が開いて、男が、一人、入って来た。何気なく、眼をやると、星野だった。
他に、客の姿はなかった。
星野は、湯舟に、身体を沈めて、
「寒いですねえ。雪のようですよ」
と、三田村に、声をかけてきた。
三田村は、緊張した。相手は、南紀で、こちらの顔を見ているはずだ。
「あなたも、観光ですか?」
「ええ。旅行が、好きでね。冬は、温泉めぐりを、楽しんでいます」
「そうですねえ。温泉は、いいですね」
「あなたも、東京の人?」
と、星野が、きく。
「ええ」
と、三田村が、肯《うなず》いた時、隣の女風呂から、久美が、
「先に出てますよォ」
と、大きな声をかけてきた。
「ああ。わかったよ」
と、三田村は、いった。
星野が、微笑して、
「いいですねえ。彼女と一緒ですか」
「ええ。まあ」
「元気の良さそうな彼女ですね」
「元気が良すぎて、困るんです」
「女は、おとなしい方が、いいですか」
「多少はね」
と、三田村は、わざと、小声で、いってから、
「いつまで、草津におられるんですか?」
と、きいた。
「そうですねえ。仕事もしないと、食べていけないんで、明後日《あさつて》ぐらいには、軽井沢を抜けて、帰ろうかなと、思っているんですがね」
と、星野は、いった。
「軽井沢を抜けてですか」
「ええ。レンタカーでね。前に一度、走ったことがあるんですよ。いいですよ」
「軽井沢からは?」
「あとは、列車にします。横川《よこかわ》で、例の駅弁を買って、帰りたいんです」
「ああ、峠の釜《かま》めし?」
「そうですよ」
「僕も、同じルートを、辿《たど》ってみようかな?」
「そうしなさい。よければ、私の車に乗りませんか。いや、そちらは、カップルだったんだ。それなら、お誘いしない方がいいな」
と、星野は、笑った。
「年中、旅行なさってるんですか?」
と、三田村は、きいた。
「他に、楽しみは、ありませんからねえ」
「羨《うらや》ましいなあ。いつも、ひとりでですか?」
「ひとりの時も、友人と一緒にという時もありますよ」
「結婚は、なさってないんですか?」
「ひとりの方が、気楽ですからねえ。いや、あなたには、失礼ないい方かな」
「旅行中に、なにか、怖い目におあいになったことは、ありませんか?」
と、三田村は、何気ない調子で、きいてみた。
「怖い目って、どんなことですか?」
「死ぬような目にあったとか」
「そういうことは、ありませんね」
と、星野は、いった。
(嘘だ)
と、思った。先日の南紀旅行では、この男の連れの土屋悟が、旅行の途中の多気駅で、殺されているではないか。
(やはり、この男が、犯人なんだ)
と、三田村が、思ったとき、星野は、湯舟から、出て行った。
六階の部屋に戻ると、先に、布団に入っていた久美に向かって、
「今、風呂で、星野と一緒になったよ」
と、興奮のさめぬ顔で、いった。
久美は、布団の上に起きあがって、
「じゃあ、あたしが、声をかけたとき、彼がいたの?」
「ああ、一緒に、湯舟に入っていたんだ」
「変なことをいわないで、良かった」
と、久美は、いった。
「ああ。刑事さんなんて呼ばれたら、どうしようかと思ったよ」
「それで、彼は、どんなことを、いってたの?」
久美は、強い眼で、三田村を見た。
「明日か、明後日、レンタカーで、軽井沢に出たいと、いってたよ。軽井沢から、列車に乗り、東京に帰るつもりだって」
「『あさま』に乗る気なのかしら」
「横川で、峠の釜めしを、買いたいんだと、いってた」
「あの駅弁ね」
「旅行好きな、普通の人間に見えるんだが、ただ、旅の途中で、怖い目にあったことは、一度もないと嘘をいったね」
「南紀の多気駅で、あんな事件があったのにね」
「そうなんだ」
「私たちも、レンタカーで、軽井沢へ出ましょうか?」
「そうだな。彼の後を、尾行してみたいと、思っている」
と、三田村は、いった。
「雪は、まだ、降ってる?」
「ああ、降ってるよ」
「あんまり積もったら、車で、軽井沢へ出るのは、難しいかも知れないわね」
と、久美は、いった。
翌朝、眼を覚まして、窓に眼をやると、白く、眩《まぶ》しかった。
彼の胸に、顔を埋めるようにして眠っている久美を起こさないように、三田村は、そっと、布団から、抜け出した。
カーテンを開けると、ホテルの前の道路も、とめてある車も、向いの旅館の屋根も、全て、見事に、白一色に変ってしまっている。それに、朝の陽が反射して、やたらに、眩しいのだ。
窓際の椅子に腰を下ろし、三田村は、煙草に火をつけて、白一色の道路を、見下ろした。
チェーンを巻いた車が、雪煙をあげながら、走ってきた。
かなりの積雪だという気がした。
ホテルの前に、従業員が、三人ほど現われて、雪かきを始めた。
道路から、ホテルの玄関に通じる場所の雪かきなのだ。
その中に、丹前姿の泊り客が一人出て、雪かきを、手伝い始めた。
よく見ると、星野なのだ。
何か、楽しそうに、従業員と話しながらの、雪かきだった。
(いい光景だな)
と、思いながら、三田村は、眺めていた。
ホテルの入口の除雪が、あらかた終ったとき、中年の男が出て来て、星野に、しきりに、頭を下げている。
このホテルの支配人か何からしい。
客に、除雪作業を手伝わせたことに、恐縮している感じだった。
やがて、彼等は、ロビーに、引き揚げていった。
八時半になって、朝食をとりに、一階の食堂へ下りて行くと、星野が、いた。
和食のバイキングである。
三田村は、星野の傍に座って、
「お早うございます」
と、声をかけた。
久美も、緊張した顔で、三田村の横に腰を下ろし、星野を見ている。
「朝、雪かきを、手伝ってましたね」
と、三田村が、いうと、星野は笑って、
「朝、風呂に入ったあとで、ここの従業員が、雪かきをしているのを見て、急に、自分も、やりたくなったんですよ」
と、いった。
「でも、寒かったでしょう?」
「いや、汗が出るくらいです。勝手にやったのに、副社長さんが、しきりに、恐縮して、お礼だといって、テレホンカードをくれましたよ」
と、星野は、いった。
「あの人、副社長さんですか」
「私も、知らなかったんですがね。副社長さんだそうですよ」
「へえ。副社長さんですか。社長さんは、どういう人なんだろう?」
「多分、ここのおかみさんじゃないですか」
と、星野は、いった。
「ところで、今日、レンタカーで、軽井沢に、抜けるんですか?」
と、三田村は、きいた。
「明日にしました。今日は、これだけ雪が降りましたからね。途中の道も、積雪があるでしょうから。今日一日、のんびりと、ここで、お湯につかって、過ごします」
と、星野は、いい、
「お先に」
と、いって、食堂を、出て行った。
久美は、小さな溜息《ためいき》をついてから、
「私のことを無視していたわ。わざとみたいに」
と、いった。
「でも、ちらちら、君の顔を見ていたよ」
と、三田村は、いった。
「あの人が、犯人なのかしら?」
久美が、不安気に、いった。
「僕たちのことを、知っているはずなのに、平気な顔をしている。犯人だとしたら、よほど自信があるんだろうね。しかし、こちらも平気でいればいいんだ。怯《おび》えなければならないのは、向うなんだから」
と、三田村は、いった。
星野が、今日は、出発しないというので、三田村と、久美は、長靴をホテルで借りて、積雪の中を、散歩に出かけた。
温泉街の主な通りは、除雪されていたが、ところどころに、まだ、十五、六センチの雪が残っていて、観光客が、それに足をとられて、苦しんでいた。
湯畑の周囲の道路は、ゆるい坂になっているので、滑って転んでしまう人が、多かった。
明日、星野が、レンタカーで、出発したときに備えて、三田村たちも、車を借りておくことにした。
バスターミナルの近くにある営業所へ行き、三田村が、運転免許証を示して、ブルーバードを借りたのだが、ちょっと、台帳を見せて貰《もら》うと、星野勇紀の名前が、のっていた。
(芸名では、なかったのか)
と、思いながら、三田村は、
「星野さんは、何時頃、借りて行ったの?」
と、きいてみた。
「お知り合いですか?」
と、営業所の係が、きく。
「ああ、同じホテルに泊っていて、仲良くなったんだ。明日、軽井沢に抜けると、いっていた」
「そうみたいですね。あの辺りの道路地図はないかといわれてましたから。一時間前に、借りて行かれました」
「車種は?」
「同じブルーバードです」
と、係は、いった。
三田村たちは、料金を払い、車に乗って、ホテルに戻った。
除雪された広い駐車場には、星野の借りた同じ白のブルーバードが、とめてあった。
三田村は、わざと、反対側の隅に、車をとめておいた。
翌日、朝食のあと、二人は、ロビーの隅で、星野が、チェック・アウトするのを、見張った。
ホテルのチェック・アウトの時間は、午前十時である。
九時四十分になって、星野が、エレベーターで、降りて来た。
ロビーの隅にいる三田村たちには、気付かない様子で、従業員に手を振り、ボストンバッグを下げて、ホテルを出て行った。
三田村と、久美も、立ち上がった。
駐車場から、星野のブルーバードが、出て行くのを見送ってから、自分たちの借りた車のところに走り、乗り込む。
最初は、三田村が、運転した。
まず、長野原に、向かう。
国道292号線である。草津を出発したときは、星野のブルーバードを、見失っていたが、292号線を、走っている中《うち》に、前方に、見えてきた。
長野原からは、国道146号線を、軽井沢に向かう。
松や、くぬぎの林が、道路の両側に、広がり、広い別荘風の建物が、点在する地区に入った。
この辺りに来ると、林の中には、まだ、白々と、除雪されない雪が残っている。
有名人の別荘の入口があると、星野は、車をとめて、林の奥を、のぞき込んだりしている。
その度に、三田村も、車をとめた。
「意外に、あの男は、ミーハーみたいね」
と、助手席で、久美が、いった。
「警察に追われて、怯えているようには、見えないね」
と、三田村が、いった。
向うが、なかなか、動かないので、三田村は、煙草に、火をつけた。
五分、十分と過ぎても、星野の車は、動こうとしない。
三田村の表情が、険しくなった。
「ちょっと、おかしいぞ」
と、三田村が、いった。
「何が?」
と、久美が、きく。
三田村は、黙って、運転席のドアを開けると、降りて、前方にとまっている星野のブルーバードのところまで、歩いて行った。
星野の姿が、見えない。
だが、降りては、いないはずである。
運転席をのぞき込むと、星野は、座席に、横倒しになっていた。
眼をむき、ぎゅっと結んだ唇から、血が、噴き出していた。
三田村は、運転席のドアを開けようとしたが、開かない。内側から、ロックされているのだ。
久美も、心配して、降りて来て、
「どうかしたの?」
と、背後から、のぞき込み、声にならない悲鳴をあげた。
「一一〇番してくれ」
と、三田村は、いった。
「死んでるの?」
「ああ。死んでいる」
と、三田村は、いった。
けたたましいサイレンをひびかせて、一台、二台と、パトカーが、駈《か》けつけた。
降りて来た県警の警官に、三田村は、警察手帳を見せた。
警官の一人が、拳銃《けんじゆう》の台尻《だいじり》で、運転席の窓を叩《たた》きこわし、ドアを開けた。
「多分、毒物死ですよ」
と、三田村が、いった。
また、一台、パトカーが、鑑識の車と一緒に、到着した。
今度は、刑事たちが、降りて来た。その一人が、三田村に向かって、
「事情を、説明して下さい」
と、いった。
三田村は、南紀の多気駅で起きた殺人事件のことから、簡単に説明していった。
「すると、この男を、ご存知なんですね?」
と、県警の刑事が、きく。
「名前は、星野勇紀で、今いった、三人目の男です」
と、三田村は、答えた。
「つまり、殺人の容疑者だったわけですね?」
「そうです。だから、草津から、尾行して来たわけです」
「ここまで来たところで、突然、死亡した?」
「ええ」
と、三田村は、肯《うなず》く。
その間に、車の外に出された星野の死体を、検視官が、調べていたが、
「青酸中毒だよ。席に、ウイスキー・ボンボンが、散乱しているから、多分、それを食べて、死んだんだろう」
と、教えてくれた。
「三田村さんでしたね?」
と、県警の刑事が、確認するように、いってから、
「三田村さんは、自殺だと、思いますか? それとも、殺人《ころし》だと?」
「今は、どちらの可能性もあると、思いますね」
と、三田村は、いった。
「なぜですか?」
「われわれは、彼をマークしていました。殺人容疑者としてです。それで、追いつめられたと感じ、車をとめて、毒死したのかも知れませんし、誰かが、毒入りのウイスキー・ボンボンを渡したのかも知れません」
と、三田村は、いった。
この事件は、軽井沢署で、調べることになった。
三田村と、久美は、参考人ということで、その日は、軽井沢署に、とめられた。
三田村は、電話を借りて、東京の十津川に、連絡した。
「意外な展開になって、呆然《ぼうぜん》としています」
と、三田村は、正直に、いった。
「君から、考えて、星野は自殺かね? それとも、他殺かね?」
と、十津川が、きいた。
「自殺とは、ちょっと考えにくいんです。車ごと、どこかに激突したとか、崖《がけ》から転落したとでもいうのなら、自殺とも考えますが、毒入りのウイスキー・ボンボンを食べて死ぬという自殺の仕方は、不自然な気がするんです」
と、三田村は、いった。
「県警は、どう考えているようかね?」
「捜査本部を設けましたから、やはり、他殺の線が強いと、思っているんだと考えます。今、ウイスキー・ボンボンを、調べています」
「しかし、星野が、殺されたんだとすると、犯人は、誰になるのかね? 今まで、彼が、他の二人を、殺したということになっていたんだろう」
と、十津川は、いう。
「そうです。変ないい方ですが、犯人が、消えてしまった感じです」
と、三田村は、いった。
午後六時に、三田村と、久美は、軽井沢署近くのレストランで、夕食をとった。
久美は、元気を失っていた。
「あの男まで死んでしまったら、父の無実を証明することが、出来ないわ。私は、あの三人が、本当は、勝浦で、信金の副理事長さんを殺したと思っていたから」
と、久美は、いい、箸《はし》を、途中で、おいてしまった。
「まだ、諦めるのは、早いよ。あの星野を殺した奴がいる筈《はず》なんだ。そいつが、君のお父さんの無実を証言してくれるかも知れないからね」
三田村は、励ますように、いった。
七時すぎになって、星野の司法解剖の結果がわかり、三田村にも知らされた。
やはり、死因は、青酸中毒死だった。それから、問題のウイスキー・ボンボンの分析結果も出た。
箱の中には、十二個のウイスキー・ボンボンが入っていて、その一つを、星野は、食べていた。そして、残りの十一個を調べたところ、全てのウイスキー・ボンボンに、致死量の青酸液が、混入されていたというのである。
ウイスキー・ボンボンの美しい箱からは、星野の指紋しか、検出されなかったという。つまり、これを、星野に渡した人間は、手袋をしていたのだ。
ウイスキー・ボンボンには、多分、注射器を使って、青酸液を、注入したのだろう。
県警で、この事件を担当したのは、加東《かとう》という警部だった。
加東が、問題にしたのは、当然だが、このウイスキー・ボンボンを、星野に渡した人間のことである。
三田村と、久美は、加東に、そのことを、聞かれた。
「特に、本橋久美さんには、しっかりと、思い出して欲しいですね。あなたは、被害者を、ずっと、尾行されていたんでしたね?」
と、加東は、久美に、きいた。
「ええ」
と、久美が、肯く。
「東京の彼のマンションからですか?」
「ええ」
「車には、ボストンバッグが、ありましたが、東京を出発するときも、被害者は、あのボストンバッグを、持っていましたか?」
「ええ。同じボストンバッグでしたわ」
と、久美は、いった。
「被害者は、最初に、何処へ行ったんですか?」
「志賀高原です。高原荘という旅館に、泊りました」
「あなたも、同じ旅館に、泊ったんですか?」
「ええ。無理にお願いして、泊めて貰《もら》いました」
「志賀高原で、被害者は、誰かに、会っていますか?」
「私の知る限りでは、誰にも、会っていませんわ」
と、久美は、いった。
「あのウイスキー・ボンボンは、志賀高原で貰ったと、思いますか?」
「いいえ」
「なぜです?」
「彼は、志賀高原から、草津温泉に、行ったんです。私も、同じバスや列車に乗りました。乗物の中で、彼は、ウイスキーのポケットびんを、ちびちび飲んでいましたわ。もし、ウイスキー・ボンボンを貰っていたら、食べていたと思うんです」
と、久美は、いった。
「次は、草津ですが、ここからは、三田村さんも、一緒になったんですね?」
「そうです」
と、三田村が、答える。
「では、お二人に、聞きますが、草津で、被害者は、誰かに会いましたか? 誰か、旅館に、訪ねて来た人がいましたか?」
と、加東が、きいた。
「いませんね。私の知る限りですが」
と、三田村は、いった。
「じゃあ、青酸入りのウイスキー・ボンボンは、何処で、誰が、被害者に、渡したんでしょうね?」
「それを、ずっと考えているんですが、全く、わからないんです」
と、三田村は、いった。
そのあと、三田村は、星野の所持品を、見せて貰った。
三田村が、興味を持ったのは、ボストンバッグの中に、着がえの下着や、電気カミソリ、胃ぐすり、などに混って、銀行の封筒に、二百万の札束が、入っていたことだった。
M銀行の封筒である。
二百万円は、ピン札ではなく、使い古しの一万円札だった。
恐らく、キャッシュカードを使って、銀行の払戻機から、引き出したものだろう。
背広のポケットには、財布があり、それには、七万三千円が、入っていた。
星野が、東京で、二百万をおろし、今度の旅行に、持って来たのだろうか? それとも、志賀高原か、草津で、誰かに、貰ったものだろうか?
三田村は、すぐ、そのことを、十津川に、知らせた。
「わかった。すぐ、星野の預金口座を、調べてみよう」
と、十津川は、いった。
翌日、三田村と、久美は、まだ、軽井沢のホテルにいた。
午後になって、十津川から、電話が、掛った。
「星野の預金を調べたがね。彼は、M銀行には、預金がないよ。他の銀行だ。それに、預金残高は、七十二万円だ。最近、おろした形跡もないな。だから、今回の旅行で、誰かに貰ったんじゃないかね」
と、十津川は、いうのだ。
三田村は、いよいよ、困惑してしまった。
ウイスキー・ボンボンを貰った相手も、見当がつかないのに、今度は、二百万円の相手である。
もし、星野が、志賀高原か、草津温泉で、二百万を、手に入れたのだとしたら、今度の旅行は、ただ、旅を楽しむだけではなく、一種の集金旅行だったことになるのではないか。
「ちょっと、聞いてくれ」
と、三田村は、久美を、呼んだ。
「なに?」
と、彼女が、聞くのへ、三田村は、二百万のことと、集金旅行という考えを、話した。
「どうだ? 興味が、あるだろう?」
「どこが?」
「いいか。星野は、脇役タレントだ。それも、売れないタレントだよ。それが、ポンと、誰かに、二百万貰ったんだ」
「ええ」
「つまり、金蔓《かねづる》を、つかんだんじゃないかと、思うんだよ」
「そうかも知れないけど、それが、事件と、どんな関係があるの?」
「よく考えてみろよ。今までは、星野を含めた三人が、三月の勝浦の殺人の真犯人じゃないかと、思っていた。だから、一人、二人と、消されていったんじゃないかとね」
「ええ」
「違うかも知れない」
「違うって?」
「勝浦で、信金の副理事長を殺した犯人がいた。もちろん、君のお父さんじゃない。あの三人でもない。あの三人は、たまたま、殺人を、目撃したんだ。犯人は、三人を買収した。ところが、三人の中の二人は、良心の呵責《かしやく》に耐えられなくなって、真相を喋《しやべ》りそうになった。それで、殺された。残った星野は、金を出せと真犯人を脅し、この旅行のどこかで、犯人から、二百万を貰った。犯人は、二百万と一緒に、青酸入りのウイスキー・ボンボンを渡した。二百万で、安心した星野は、貰ったウイスキー・ボンボンを、途中で食べて、死んだ――」
と、三田村は、いった。
久美は、急に、真顔になって、
「そうだわ。犯人がいなくなったと思って、がっかりしてたんだけど、まだ、いたんだわ」
と、大きな声を出した。
「そうさ。この推理は、多分、当っていると、思うよ」
と、三田村は、いった。
久美は、ニコニコして、聞いていたが、急に、眼を曇らせて、
「でも、それが誰なのか、ぜんぜん、わからないんでしょう?」
と、三田村に、きいた。
「今は、わからないよ。でも、調べていけば、わかってくるさ。われわれも調べるし、軽井沢署だって、調べるんだ」
「でも、犯人が、勝浦の事件の真犯人だとしたら、なぜ、南紀じゃなくて、志賀高原や、草津温泉で、星野に、二百万円を渡したのかしら?」
と、久美は、いう。
「それは、南紀で、渡したら、関係がわかっちゃうからじゃないかな。だから、わざと、遠い、この辺に、星野を、呼びつけて、二百万円を渡したんだと、僕は思うよ」
と、三田村は、いった。
「そうかも知れないけど、よく考えると、星野が、犯人だといいと思っていた時より、解決は、ずっと、遠くなってしまったような気がするわ」
と、久美は、いう。
「元気を出してくれよ。必ず、僕が、真犯人を、見つけ出してやる。肝心の君が、元気を失くしてしまったら、僕も、気力が、なくなってしまうじゃないか」
「ごめんなさい」
「正直にいおうか」
「ええ」
「今までは、勝浦の事件の真犯人が、あの三人ということに、あまり、自信が持てなかったんだよ。しかし、星野が、二百万円を、貰《もら》ったとわかって、自信を持ったよ。紀伊勝浦の殺人事件の犯人は、君のお父さんじゃなくて、他にいるとね」
「ありがとう」
「僕も、自信が持てて、うれしいんだ。半信半疑で、動き廻《まわ》るのは、辛いからね」
と、三田村は、いった。
「二百万なんだけど」
と、久美が、遠慮がちに、いった。
「何だい?」
「犯人を見逃す代償としては、少ないんじゃないかと思うの。それに、他の二人は、貰っていなかったのかしら?」
と、久美は、きいた。
「いや、貰っている筈《はず》だよ。勝浦の事件は、三月に起きてるんだ。今までに、何ヶ月もたっている。その間に、三人とも、かなり金を貰っていると、僕は、思うね」
「それは、何処にあるのかしら?」
「調べれば、わかってくるさ。今までは、金にまつわる犯罪と考えていなかったから、彼等のふところ具合を、調べてなかったんだ。これからは、別の方法で、捜査されることになってくると、思うよ」
と、三田村は、いった。
「三人が、大金を貰っていることがわかれば、三月二十四日の殺人事件は、父が犯人ではなく、別に真犯人がいる可能性が、ますます、高くなってくるわね」
と、久美は、いう。
「その通りだよ」
「また、希望が、出て来たわ」
「よかった。君は、悲しそうな顔よりも、笑顔の方が、似合うんだよ」
と、三田村は、いった。
「私ね。もう一度、草津と、志賀高原に、戻ってみようと思うの」
久美が、急に、いった。
「なぜ?」
「星野は、志賀高原か、草津で、誰かに二百万円を貰い、青酸入りのウイスキー・ボンボンを、渡されたんだわ。私は、それを、見てないと思ったけど、どこかで、見過しているのかも知れないわ。だから――」
「それはいいけど、僕は、いったん、東京に帰らなければならないんだ。十津川警部に、報告に戻れと、命令されていてね」
「私一人で、大丈夫よ」
「無茶はしないと、約束してくれるね?」
「ええ。約束するわ」
「それから、必ず、連絡してくること」
「はい、はい」
「本気で、心配してるんだよ」
「わかってるわ」
と、久美は、いい、そっと、三田村に、キスした。
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第六章 再検討への旅
三田村が、帰京するのを待って、東京の捜査本部で、会議が開かれた。
十津川は、改めて、三田村に、星野が死んだ前後の報告をさせた。それを、刑事たちに聞かせ、意見を求めたかったからである。
三田村は、自分が、目撃したままを、説明した。
「星野は、志賀高原で、スキーをし、そのあと、草津で、温泉を楽しみました。その間に、彼が、二百万円を誰かから貰い、青酸入りのウイスキー・ボンボンを貰ったことも、間違いありません」
「誰から貰ったかは、わからないんだな?」
と、十津川は、念を押すように、きいた。
「わかりません」
「志賀高原では、星野は、スキーをやったんだな?」
「そうです。私は、見ていませんが、本橋久美が、見ています」
と、三田村は、正直に、いった。
「私は、若い時、スキー場で、よく、チョコレートを食べたものだ。ウイスキー・ボンボンもね。疲れて、寒い時は、丁度いいんだよ。だから、志賀高原で、持っていたとすれば、スキー場で、食べていい筈だ。とすると、草津温泉に着いてからか、志賀高原から、草津へ行く途中で、誰かに貰ったと考えるのが、自然だろうね」
と、十津川は、いった。
「私も、そう思っています」
と、三田村は、肯《うなず》いてから、
「今度の旅行で、星野は、何者かに、二百万円を貰っています。恐らく、同じ人間が、青酸入りのウイスキー・ボンボンを、星野に、渡したんだと、思います。その人間なら、星野も、油断して、貰うと、思いますから」
「二百万円の札束と、ウイスキー・ボンボンの箱から、犯人の指紋は、検出されなかったのか?」
と、亀井が、きいた。
「県警が、やりましたが、両方に共通した指紋は、被害者の星野のものだけでした。もう、寒いですから、犯人が、手袋をしたまま、二百万と、ウイスキー・ボンボンを、星野に渡したとしても、星野は、怪しまなかったと思います。従って、犯人が、手袋をしていた可能性が、強いんです」
と、三田村は、いった。
「君は、草津では、ずっと、星野を、見張っていたんだったな?」
念を押すように、亀井が、きいた。
三田村は、小さく、首を横に振って、
「ずっとではありません。本橋久美から、前日の夜、電話があり、翌日、草津へ行きました。向うに着いたのは、午前十時過ぎです。そのあとからです」
「本橋久美は、ずっと、星野を、尾行していたのか?」
「そうです」
「それで、彼女は、旅行中に、星野に近づいて来た人間を、チェックできたのかね?」
「彼女は、それらしい人間を見ていません。草津での私も、同じです。私としては、全力をつくして、監視していたつもりですが、怪しい人物が、星野に近づいたのは、見ていません。もっとも、ホテルの、星野の部屋の中までは、監視できませんから、犯人が、夜にでも、彼の部屋に入ったとしたら、チェックの方法がありませんが」
と、三田村は、いった。
「しかし、どこかで、犯人は、星野に、二百万円と、青酸入りのウイスキー・ボンボンを渡したんだ」
「そうです」
「つまり、星野は、二百万円を貰《もら》うために、志賀、草津の旅に出かけたということだな?」
「はい、そう思います」
「なぜ、志賀、草津だったんだろう?」
と、西本刑事が、きいた。
「それは、犯人が、指定したんだと思うよ。星野は、例の三人の一人とわかって、マークされ始めていた。犯人は、東京で会うのは、危険だと思ったに違いない。それに、星野は、旅行好きだ。誘い出しても、別に、怪しまずに、やって来るだろうと、犯人は、読んだんだと思うね」
と、三田村は、いった。
「星野が、殺された理由は、三月二十四日の、紀伊勝浦の殺人事件と思いますか?」
と、北条早苗《ほうじようさなえ》が、きいた。
「もちろん、他には、考えられない。最初は、星野を始めとして、他の二人と、勝浦で、殺人を犯していて、そのために、星野が、仲間割れで、土屋と小寺の二人を殺したのかと、考えていたんだが、星野まで殺されたとなると、三人は、犯人を目撃しただけだったのではないか。それをネタに、真犯人を、ゆすっていたんじゃないかと、考えるようになったよ」
と、三田村は、いった。
「すると、三月二十四日の事件では、本橋は、真犯人ではないということになってくるんですか?」
と、早苗が、更に、きいた。
その質問に対して、三田村が答えるより先に、十津川が、
「その問題については、今は、断定的な考えは、持たない方が、いいと思う。和歌山県警は、三月二十四日の事件で、本橋を犯人として逮捕し、判決が下され、すでに、刑務所に入っているからね。それを、真犯人は、別にいるということは、県警が、誤認逮捕したということだからね。軽々しく、いうことは、慎んだ方がいい」
と、慎重に、釘《くぎ》を刺した。
十津川のいったのは、もちろん、公式の見解としては、慎むということで、捜査方針としては、三月二十四日の殺人事件が、今も尾を引いていて、それが、三人の男が、次々に死ぬ原因になっていることを、認めていた。
従って、三月二十四日の夜、勝浦で殺人事件が起きたが、真犯人が、別にいるための連続殺人であることは、疑いないと、十津川は、見ているのだ。
ただ、それを、表立っていい、捜査を進めることは、いたずらに、和歌山県警との間に、確執を深めることになってしまう。
捜査会議では、あくまでも、今回起きている連続殺人の捜査ということで、進めることを、決めた。
日下が、土屋、小寺、それに、星野の三人の財産状況について、報告した。
「三人とも、資産家ではなく、賃貸マンションに住み、三月二十四日以前の預金高は、一番多い小寺で、二百万足らずでしたが、三月下旬になって、全員が、一千万ほどの入金をしていることが、わかりました。それぞれの銀行の窓口で確かめたところ、三人とも、三月三十日と、三十一日にかけて、現金で、一千万ほどを持って来て、入金したというのです。土屋が九百万、小寺が一千万、そして、星野が八百万です。恐らく、一千万円から、土屋と星野が、百万、二百万を引いて預金し、小寺は、全額を、預金したのではないかと、思います」
「そのあとの入金は?」
と、亀井が、きいた。
「十一月下旬になって、再び、小寺と、星野が、一千万ほどを、預金しています。土屋は、死亡してしまっているので、入金は、ありません」
と、日下は、手帳を見ながら、いう。小寺は八百万、星野は、七百五十万を、十一月二十九日と、三十日に、預金している。
「念のために、いいますと、三人とも、この入金は、全て、偽名で行われていますから、本名の預金の方は、いぜんとして、少額のままです」
と、日下が、付け加えた。
「この預金が、後ろ暗いものだということを、物語っているようなものだな」
と、十津川が、いった。
「十一月下旬に、小寺と、星野の二人に与えられた金は、土屋の口封じに対する礼金でしょうか?」
西本が、十津川を見て、きいた。
「多分、そうだろう」
と、十津川は、いった。
「すると、土屋を、多気駅で殺したのは、小寺と、星野の二人だと思われますか?」
と、三田村が、十津川に、きいた。
「君は、どう思うんだ? 君は、多気駅に実際にいたわけだから、一番、よくわかる筈《はず》だよ」
「それが、私と、本橋久美は、待ち時間が長いので、駅の外に出て、お茶を飲んでいて、肝心の、ホームの様子は、わからないのです」
三田村は、口惜しそうに、いった。
「『南紀5号』が着いた時は、土屋は、すでに、殺されていたんだろう?」
「そうです。待合室に、土屋が一人でいて、動きませんでしたから、その時、すでに、殺されていたんだと思います」
「ホームで、『南紀5号』を待っていた人間の中に、犯人がいると思うかね?」
と、亀井が、きいた。
「正直にいって、確信はないんですが、あの時、ホームには、この列車を待つ乗客しかいなかったと思います」
「多気駅から、乗って来た人間は?」
「それも、いなかったと、思います」
「すると、全員が、君たちと同じく、鳥羽から、『みえ8号』に乗って来たと思っていいのかね?」
と、十津川は、きいた。
「いえ。『みえ8号』は、鳥羽発ですが、多気駅までの間に、二見浦、伊勢市の二駅に停車しますから、必ずしも、全員が、鳥羽から乗ってきたとは、限りません。しかし、多気で一緒に降りた何人かの乗客は、全て、『南紀5号』に乗りかえるためだった人たちです。多気で降りた乗客は、一人も、多気の町に出て行きませんでしたから」
と、三田村は、いった。
「やはり、土屋を殺したのは、小寺と、星野じゃありませんか」
亀井が、十津川を見て、いった。
「土屋が、何か喋《しやべ》りそうな気配があったので、二人が、彼を、多気駅の待合室で、殺したのかも知れないな」
「その報酬として、二人は、一千万円ずつを、貰ったんじゃありませんかね」
「その可能性は、大いにあり得るね。しかし、二人目の小寺のケースは、どうなるんだろう? 今度は、小寺が、何か喋りそうになったので、星野が、殺したということになるのかね?」
と、今度は、十津川が、逆に、亀井にきいた。
「そうですねえ」
と、亀井は、考えていたが、
「私は、星野という男が、続けて、二人も殺すとは、思えないんです。それも、一緒に、旅行を楽しむ仲間ですからね。土屋の場合は、多気駅で、急に、彼が、三月二十四日の事件の真相を喋りそうになったので、星野と、小寺が、あわてて、彼を殺してしまったのではないかと、思うのです。小寺のケースは、ちょっと、違うと思います」
「それを、説明してみてくれよ。カメさん」
「多気駅で、二人が、土屋を殺したとすると、二人とも、殺人犯です。そうなってから、小寺が、警察に、事件の真相を話すということは、ちょっと、考えにくいんですよ。従って、小寺が、何か喋りそうになったので、彼を、星野が、口封じに殺したとは、思えない。恐らく、三月二十四日の事件の真犯人が、土屋の件があるので、あとの二人も、信用できなくなり、東京で、小寺を殺し、続いて、旅行先で、星野を、殺したのではないかと、私は、考えますが」
と、亀井は、いった。
「それなら、なぜ、その犯人は、小寺と星野の二人に、あらたに、一千万ずつ、支払ったんでしょうか?」
と、日下が、きいた。
「それは、二人を安心させるためだろう。一千万ずつ払って、安心させておいて、まず、小寺を殺したんだ。そのあと、更に、二百万払っておいて、星野も、殺している」
と、亀井は、いった。
「二人が、欲張ったからじゃないでしょうか?」
と、いったのは、早苗だった。
十津川が、彼女に向かって、
「それは、どういうことかね?」
「犯人は、あらたに、二人に、一千万ずつやって、安心していた。今、亀井刑事のいわれたように、二人が、殺人の犯人になったんだとすると、そのことにも、犯人は、安心していたと思いますわ。それなのに、犯人が、二人を殺さなければならなかったのには、それだけの理由があったと思います。それは、多分、小寺が、図にのって、もっと多額の金を、相手に対して、要求したんじゃないでしょうか。それも、一千万、二千万ではなく、億単位の大金をですわ」
「それで、犯人は、小寺を、殺す決心をしたということかね?」
「はい」
と、早苗が、肯《うなず》いた。
「もし、君のいう通りだとすると、犯人は、かなりの金持ということになってくるんじゃないかね?」
と、十津川は、いった。
「そうですわ。すでに、三人の男に、五千二百万も払っているんですから」
と、早苗は、肯いた。
この会議で、十津川は、差し当っての二つの捜査方針を、決めた。
第一は、自宅マンションで殺された小寺についての捜査である。
これは、警視庁の所管だから、十津川たちが、好きなように、捜査ができる。十津川は、聞き込みを続けて、小寺が殺された時間に、怪しい人物を、見た者がいないかどうかを、明らかにすることにした。
第二は、多気と、紀伊と、軽井沢で起きた殺人のことである。
こちらは、あくまでも、三重県警、和歌山県警、それに、長野県警の所管である。合同捜査でも、主導権は、向うにある。
中でも、一番難しいのは、和歌山県警との関係だった。
三月二十四日の殺人事件は、和歌山県警では、すでに、完結してしまっている。だが、十津川たちは、それは、まだ、続いていると、考えているし、そう考えなければ、続いて起きた三人の死は、解決できないと思っている。
だから、三月二十四日の事件を、もう一度、ほじくり返したいのだ。
だが、もし、それを、表立ってやれば、向うの県警は、自分たちが、侮辱されたと、考えてしまうだろう。
「カメさんは、どうしたらいいと思うね? 和歌山県警に、前もって、了解をとって、三月二十四日の事件を、調べ直すわけにもいかんだろう?」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「三田村刑事と、西本刑事が、先日、勝浦まで行って、調べましたが、あのことで、和歌山県警から、苦情は、来なかったんですか?」
「あれは、多気駅で、殺された土屋悟のことを調べていて、偶然、勝浦に行ったということになっていたからね。それでも、三上刑事部長のところに、県警から、やんわりとだが、抗議があったらしい。三月二十四日の事件について、何か、疑問を持っているのですか、という質問の形でね。三上部長は、そんなことは、全く、ありませんと、返事をしたといっていたよ」
と、十津川は、いった。
「今度は、三月二十四日の事件を、もう一度、掘り返すわけですから、知ったら、向うさんは、不快感を隠さんでしょうね」
と、亀井は、いった。
「だから、あくまでも、土屋、小寺、星野の三人の行動を追うことにするんだが、われわれが知りたいのは、何といっても、三月二十四日の殺人事件との関係だからね」
と、十津川も、当惑した表情で、いった。
「警部」
「何だ、カメさん」
「このままでは、どうしようもありません。二人で、一日、休暇をとって、紀伊へ旅行しませんか。温泉に入って、リラックスすれば、いい考えが浮ぶかもしれませんよ」
と、亀井が、いった。
芝居がかっているのを承知で、十津川と、亀井は、一泊分だけ休暇をとり、紀伊勝浦へ、出かけることになった。
役所は、どうしても、形式主義である。同じことをしても、休暇中なら許されるところがあるし、和歌山県警も、面目を潰《つぶ》さずに、見逃すことが出来るだろう。
二人は、南紀白浜空港まで、JASで飛び、白浜から、列車で、紀伊勝浦に向かった。
「スーパーくろしお1号」で、紀伊勝浦に着いたのは、一一時四一分である。
駅から、海岸へ出て、海の見えるレストランで、昼食を、とることにした。
沖というより、湾内に見える島は、三月二十四日に、例の三人が泊った中の島ホテルのある場所である。
「三月二十四日の夜、海辺で殺されたのは、この町の信用金庫の副理事長です」
と、亀井は、窓の外に眼をやりながら、小声で、いった。
「ああ。逮捕されたのは、この町で、クリーニング店をやっている本橋吾一だ」
十津川も、小声で、話す。
「動機は、融資話のもつれです。それが、例の三人組が、犯人だとすると、偶然、海岸で出会って、詰らないことからケンカになって、三人組が、相手を殺してしまったのではないかということになりました」
「しかし、今は、犯人は、本橋でも、三人組でもないのではないかということになっている」
「当然、動機も、変ってきますよ」
と、亀井。
「そうだな。それに、犯人が、この町の人間か、観光客か、ということもある」
と、十津川は、いった。
食事が運ばれて来たので、二人は、口を閉ざし、しばらく、黙って、箸《はし》を動かしていた。
丁度、昼食時なので、観光客が、どっと、入って来ては、また、どっと、出て行く。
二人も、昼食をすませて、外に出た。さすがに、東京に比べると、この紀伊勝浦は、暖かい。
二人は、連絡船が出発する桟橋まで行き、中の島ホテル行の船に乗った。
電話で、中の島ホテルに、予約を入れてある。もちろん、警視庁の刑事などとはいわず、会社員と、いってあった。
ホテルに着くと、ひとまず、フロントで、チェック・インの手続きをすませ、仲居さんに、部屋に案内して貰《もら》うことにした。
お茶をいれてくれた仲居さんに、十津川は、心付けを手渡してから、
「実は、前に、この勝浦に、しばらくいたことがあってね。その時、S信用金庫の松田さんという人と、おつき合いして頂いたんだ。久しぶりに、来たので、松田さんに、もう一度、お会いしたいと思っているんだが、元気かな?」
と、きいた。
この町の生れだという仲居は、
「ご存知ないんですか?」
「何が?」
「三月に、お亡くなりになったんですよ」
「死んだ? あんなに、元気だったのに」
「それが、殺されたんですよ」
「殺されたって、誰に? なぜ?」
「同じこの町の本橋という男の人ですよ、クリーニング店をやっている」
「その人が、なぜ、松田さんを?」
十津川は、とぼけて、きいていった。
「警察の発表じゃあ、融資話のもつれだとか――」
「なるほどねえ。金が、原因か。しかし、私の知ってる松田さんは、そんな冷たい人間には見えなかったがねえ」
と、十津川は、いった。
「そうですか――」
仲居は、ちょっと、不満げな表情を作った。十津川は、あわてて、
「もっとも、私がつき合ったのは、短かったし、仕事上のつき合いじゃなかったからね」
「そうでしょうね」
「松田さんって、本当は、どういう人なの? 教えてくれないか」
と、十津川は、いった。
「亡くなった人の悪口は、あまり、いいたくないんですけど――」
と、仲居は、いった。そういいながら、話したくて、仕方がないという様子に、十津川は、内心、しめたと思いながら、
「私は、何を聞いても、それを、他に喋《しやべ》ったりはしないよ」
「私も、興味があるねえ。あなたの知ってることがあったら、ぜひ、話してくれないか。大いに、人生勉強になるからね」
と、亀井も、傍から、いった。
「松田さんて、いろいろと、問題のあった人なんですよ」
と、仲居は、声をひそめて、いった。
「そうなの。知らなかったな。そういえば、時々、ちょっと、怖い眼をする時があったなあ」
と、十津川は、いった。
「そうでしょう?」
と、仲居は、肯《うなず》いて、
「S信用金庫には、理事長がいたんですけど、この人は、飾りみたいなもんで、副理事長の松田さんが、実権を握ってたんですよ」
「ああ。それで、いつも、自信満々に、見えたんだ。なるほどねえ」
十津川は、精一杯、相槌《あいづち》を打ってみせた。
仲居は、それに、あおられた感じで、ひと膝《ひざ》のり出すと、
「それだけに、一存で、何十億という金を、一つの企業に、それも、担保もとらずに、融資して、それが、問題になったことが、あるんですよ。それなのに、本当に、お金を貸して貰いたいクリーニング店なんかには、貸さなかったんで、本橋という人が、怒ってしまったんじゃないかしら」
「何十億も、担保もとらずに貸した企業は、結局、全額、返済したんだろうか?」
と、十津川は、きいてみた。
「さあ、あたしも、詳しいことは、知らないんですよ。とにかく、いろいろと、噂のあった人だということは、間違いないんですけどね」
仲居は、そんないい方をした。やはり、どこかに、遠慮があるのだろう。
十津川は、その遠慮を取り除いて、殺された松田の本当の姿を、聞き出したいと、思った。
十津川は、わざと、小さく溜息《ためいき》をついて、
「松田さんが殺されたのは、本当に、ショックだなあ。そういえば、どことなく、他人を傷つけるようなことを、平気で、口にすることがあったよ。注意してあげれば、よかったと、今になると、思うねえ。敵を作る人だったんだなあ」
と、いい、仲居の顔を見た。
「本当に、松田さんは、敵ばかり作る人でしたよ」
と、仲居は、いう。
「それでも、S信用金庫では、松田さんは、重きをなしていたんだろう?」
「ええ。今もいったように、理事長さんに力がなくて、松田さんが、理事長みたいなものだったし、政治家の先生とも親しかったからですよ」
と、仲居は、笑った。
「松田さんが、よく行っていたという海岸近くのスナックのことなんだがね」
「ああ『はるみ』という店でしょう? 松田さんが殺された夜、松田さんも、犯人の本橋さんも、その店で、飲んでいたんですよ」
と、仲居は、いった。
十津川は、初めて聞いたような顔で、
「なるほど。そこで、二人はケンカをしたということかな。それなら、酒の上で、ケンカをして、かっとして、殺したことになる。夜にでも、その店に行ってみようかな」
「もう、お店は、ありませんよ」
と、仲居が、いう。
「どうして? 潰《つぶ》れちゃったの?」
と、亀井が、きいた。
「一昨日《おととい》で、店を閉めて、あそこのママは、鳥羽で、新しいお店を持ったそうですよ」
「鳥羽で?」
「ええ」
「でも、鳥羽の方が、大きな街だから、お金が、かかるんじゃないのかな。お金を、持っていたのかね?」
「それは、わかりませんけど、なんでも、大きなクラブですって」
「店の名前を、知ってる?」
「前と、同じ名前で、『はるみ』ですって」
と、仲居は、いった。
夕食のあと、亀井が、
「鳥羽へ行って、調べて来ます」
と、いって、ホテルを出て行った。
十津川は、問題の店の跡が、どうなっているかを見に、勝浦の町に、ひとりで、出かけてみた。
仲居のいったように、その店は、扉を閉め、
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〈テナント募集〉
[#ここで字下げ終わり]
の貼札がしてあった。
十津川は、その隣のバーに入ってみた。
細長い、小さな店で、五十歳くらいの女が、娘らしい、顔のよく似た若い女と、一緒に、やっていた。
十津川は、カウンターに腰を下ろし、ビールを注文してから、
「隣の店は、どうなっちゃったの? 前に来た時、あそこで飲んだんで、懐かしかったんだが、閉まっていた」
と、ママに、聞いた。
「晴美さんのこと?」
「ああ、そういう名前だった」
「いいスポンサーが見つかったらしくて、鳥羽に、大きな店を出したそうよ」
と、ママは、いった。
十津川は、初めて聞くといった顔で、
「バブルがはじけたのに、そんなスポンサーが、よく見つかったねえ。どんな人なんだろう?」
「わからないけど、お金持なことは、確かね。わたしも、そんなスポンサーを見つけたいけど」
「あのママさん、そんなに魅力的だったかなあ」
「美人じゃないけど、愛想のいい人よ」
と、ママがいうと、近くにいた娘が、
「頭がいいの」
「どんな風に?」
と、十津川は、娘の方に、きいた。
「頭の回転が速いっていったらいいのかな。自分にプラスになる人を見つけるのが、うまいんだと思うわ。今度も、きっと、そういう人を見つけたんだと思うわね」
「でも、そんなお金持の客が来るようには、見えないがね。小さい店だし――」
と、十津川は、いった。
「でも、S信金の松田さんは、よく来てたわ」
と、娘は、いう。
「そういえば、その人、あの店に来ていて、殺されたんだそうだね」
「そうなのよ。松田さん、彼女に惚《ほ》れて、よく、来てたみたい。わたしは、そう思ってる」
と、ママが、いった。
「彼女の方は、どうだったのかな?」
「そうねえ。スポンサーがついて、鳥羽に、お店を持ったところをみると、そっちの方が、好きだったんじゃないかなあ」
と、ママは、いった。
「ママさんは、どう思うね?」
「何が?」
「ここで起きた殺人事件のことさ。びっくりしたんじゃないの?」
と、十津川は、きいた。
「そりゃあ、びっくりしたわ。この町で、人殺しなんて、めったにないことだもの」
「なんでも、クリーニング屋が、犯人だそうだけど、ママは、そのクリーニング屋も、知ってるの?」
「うちにも、飲みに来たことがあるから、知ってるわ。何しろ、小さい町だから」
「どんな人だったの?」
「そうねえ。うちには、たまにしか来なかったから、よくわからないんだけど、気の小さな、それだけに、かっとしやすいような感じがしてたけど――」
と、ママは、いった。
どうやら、娘の方も、クリーニング屋の本橋吾一が、犯人だと、思っているようだった。と、いうより、警察が、そういい、判決も下りたのだから、そうなのだろうと思っているということらしい。世間一般の考えというのは、そんなものだろう。
翌日の朝早く、亀井が、鳥羽から、帰って来た。
「見て来ましたよ。クラブ『はるみ』を」
「どんな店だったね?」
と、十津川は、興味を持って、きいた。
「多分、鳥羽では、一番大きなクラブじゃありませんかねえ」
と、亀井は、いった。
「そんなに大きな店なのかね?」
「その上、店内の飾りにも、金をかけていますよ。ホステスも、若くて、美人揃いです。なんでも、今年の五月頃から、改装を始めて、二週間前に終ったそうです。改装だけでも、一億円は、かかっているということでした」
「前は、何だったんだ?」
「前も、クラブだったそうですが、うまくいかなくなって、それを、買い取り、改装し、新しく、『はるみ』の名前で、オープンしたというわけです」
「その買い主は?」
「一応、ママの晴美になっているようです」
「一応というのは?」
「時間がなかったので、詳しくは、調べられなかったんですが、マネージャーや、ホステスの話では、ママは、お金持で、全部、自前だということでしたから」
「だが、ちょっと、信じられない話だねえ」
と、十津川は、いった。
「同感です。ホステスの中には、お金持のパトロンがいるに違いないと、いっている者もいますから」
「ママの晴美に、会えたかね?」
「話はしませんでしたが、見て来ました」
「カメさんから見て、どんな女だね?」
「年齢は、四十五、六歳というところでしょうね。小柄で、愛想がいいように見えましたが、男が惚れ込んで、何億もの金を注ぎ込む女には、見えませんでしたが」
と、亀井は、いった。
「三月二十四日の殺人事件をネタにして、誰かから、大金を出させたかな?」
と、十津川は、いった。
「私も、それを考えました。多分、真犯人のために、警察に、有利な証言をしたんじゃありませんか。それが、鳥羽のクラブに、化けたのかも知れません」
と、亀井は、いった。
「彼女が、どんな証言をしたのか、知りたいね」
「しかし、当人は、本当のことは、いわんでしょうし、和歌山県警も、教えてくれませんよ。何しろ、県警は、事件は、終ったと、考えていますから」
と、亀井は、いった。
十津川は、考えてから、
「公判で、本橋吾一の弁護をした弁護士なら、話してくれるかも知れないな」
「それも、うまくありませんよ。警察が、弁護士に助けを求めるみたいですし、すぐ、県警に、知られてしまいます」
と、亀井は、いった。
「確かに、そうだな」
「本橋の娘にやらせたらどうでしょう。彼女、父親の公判を、聞いていると、思いますよ」
と、亀井は、いった。
その日、東京に戻ると、十津川は、すぐ三田村に、
「本橋久美に、連絡が、とれるかね?」
と、きいた。
「何とか、とれると、思いますが」
「とれたら、彼女に、父親の裁判の時の弁護士の名前を聞いて貰《もら》いたいんだ」
「その弁護士が、何か?」
「いや、問題は、勝浦の、『はるみ』というスナックのママの証言なんだよ」
「彼女なら、私は、先日、会って、話を聞きました」
「事件のことを、どういっていたね?」
「被害者の松田と、本橋が、酔って、大ゲンカをし、松田が出て行くと、そのあとを、血相を変えて、追いかけて行ったと、話していました。嘘をついているようには、見えませんでしたが」
と、三田村は、いった。
「彼女は、今度、勝浦のスナックを閉め、鳥羽に、大きなクラブを、開いているんだよ。億単位の金を使ってだよ」
「よく、そんな金がありましたね」
「だから、問題だといってるんだよ。ひょっとすると、三月二十四日の事件で、彼女は、真犯人を知っていて、その人間から、大金を引き出したのかも知れないんだ」
「なるほど」
「だから、彼女が、公判で、どんな証言をしたのか、知りたいんだよ。といって、われわれが、弁護士に話を聞くわけにはいかないし、裁判のことを調べているとわかれば、和歌山県警が、抗議してくるだろう」
「わかりました。彼女に、それとなく、調べさせます」
と、三田村は、声をはずませて、いった。
三田村は、すぐ、自宅へ電話をかけて、留守電に、久美からの伝言が入ってないかを、調べてみた。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈――久美です。今、草津のあのニュー草津ホテルに、戻って来ています。部屋は、812号室です。何とかして、毒入りのウイスキー・ボンボンを、星野に渡した人間を見つけたいからです。その人間が、勝浦でも、松田副理事長を殺した真犯人に、違いないと、思うからですわ。何かわかったら、また、電話します〉
[#ここで字下げ終わり]
という、彼女の声が、入っていた。
三田村は、ホテルに、電話した。久美が、電話口に出ると、
「よく聞いて欲しい。お父さんの事件に、どうやら、『はるみ』というスナックのママが、一枚、噛《か》んでいるようなんだ」
と、三田村は、わざと、ゆっくり、いった。
「『はるみ』って、お父さんと、松田さんが、事件の日に、飲んでいたお店ね?」
「そうだ」
「あの店のママが、犯人なの?」
「いや、犯人を知っている可能性があるんだ。そして、犯人に有利な証言をしたと、思われるんだよ」
「じゃあ、これから会って、彼女に、話を聞いてみるわ」
と、久美が、勢い込んで、いった。
「だめだよ。こちらの推理が当っていたら、まともに当っても、本当のことは、喋《しやべ》らないからね」
「警察が調べても、駄目?」
「ああ、駄目だ。公判で、君のお父さんの弁護をした弁護士を覚えている?」
「ええ。山岸さんだけど」
「それなら、山岸弁護士に会って、『はるみ』のママが、警察に、どんな証言をしたか、調べて貰うんだ。いいかい。あくまでも、君が、君の意志で、弁護士に聞くんだ。もし、警察が、『はるみ』のママを疑っているとわかったら、彼女まで、消される危険が出てくるからね」
「わかったわ。でも、なぜ、彼女を、怪しいと思ったの?」
と、久美が、きく。
三田村は、送話口を手でおさえて、十津川を見た。
十津川は、いいよというように、肯《うなず》いた。
三田村は、おさえていた手を離し、晴美が、事件のあと、鳥羽に、大きなクラブを持ったことを告げた。
「すぐ、勝浦に帰って、山岸弁護士に、会ってみるわ」
と、久美は、声をはずませて、いった。
その翌日、久美は、急遽《きゆうきよ》、紀伊勝浦に戻り、新宮駅近くにある山岸法律事務所を、訪ねた。
父の国選弁護人をしてくれた山岸は、五十代の弁護士である。小さな事務所に、受付の女性が一人いるだけで、誠実な人柄だが、久美も、どこか、頼りない感じがしたのを覚えている。
山岸は、久美の顔を見ると、
「お父さんのことは、申しわけなかった。私の力が足りなくて」
と、彼女に、詫《わ》びた。こんなところが、小心なのか、誠実というべきなのだろう。
「今日は、お聞きしたいことがあって、来たんです」
と、久美は、いった。
「何でも聞いて下さい。お父さんのことだね」
「ええ。『はるみ』というスナックのママのことなんです」
「ああ。問題の店だね。事件の夜、お父さんと、被害者の松田さんが、飲んでいて、口論になっている。だが、あの店のママが、犯人ということは、あり得ないよ。あの夜、店にいた客が、彼女は、ずっと店にいたと、証言しているからね」
「彼女自身の証言は、どうでしょうか? 何か喋っているんじゃないかと、思うんですけど」
と、久美は、きいた。
「彼女は、公判の時、検察側の証人として、出廷している。あなたも、傍聴していたから、彼女が、どんな証言をしたかは、覚えている筈《はず》だよ」
「ええ。覚えていますけど――」
「ちょっと、待っていなさい。確認してみる」
と、山岸は、いい、引出しから、公判記録を取り出した。
そのページを繰って、眼を通していたが、
「彼女は、検事の質問に答えて、店の中での君のお父さんと、松田さんの様子を、証言している。融資のことで、君のお父さんが、松田さんに食ってかかり、それに対して、松田さんが、担保なしに、金は貸せないと突っぱね、口論になった。そのあと、ママの仲裁で、いったん、仲直りしたが、また、口論になり、松田さんが、怒って、帰ってしまった。その直後に、君のお父さんが、松田さんのあとを追うように、店を出て行っている。お父さんの話では、松田さんを怒らせてしまって、融資が、絶望になってはまずいので、謝ろうとして、あわてて、あとを、追いかけたのだと、いうことだった」
「ええ。父は、嘘は、いってないと、思いますわ」
「『はるみ』のママの証言に対して、私は、反対|訊問《じんもん》はしなかった。と、いうのは、お父さんが、ママは、嘘は、いっていない、その通りだと、いっていたからだよ」
と、山岸は、いった。
「ええ。でも、私が、知りたいのは、彼女が、警察で、どんなことを話したかなんです。事件のあと、刑事さんは、当然、彼女にいろいろと質問し、それに、彼女が、答えていると思うんです」
「しかし、それは、公判で、証言したことと、同じことなんじゃないかね」
と、山岸は、いった。
「でも、何とかして、知りたいと、思いますわ」
と、久美は、いった。
「それなら、何とかして、この事件の警察の調書を借りて来よう。『はるみ』のママの訊問調書だけでいいんだね?」
「ええ」
「確か、私は、弁護準備の時に、見せて貰《もら》っているが、公判で出てきた証言以上のものは、なかったような気がするがねえ」
と、山岸は、いった。
それでも、山岸は、一日待ってくれといい、「はるみ」のママに対する警察の訊問調書の写しを、手に入れて、久美に、見せてくれた。
久美は、それを、更にコピーして、東京に戻った。
すぐ、三田村に会って、彼に渡した。
「新幹線の中で、眼を通してみたんだけど、びっくりするようなことは、出てなかったわ。私が、公判の時に聞いたことと、同じことを、彼女は、警察でも、答えているわ。もちろん、もう少し、詳しくだけど」
「とにかく、読ませてくれ」
と、三田村は、いった。
「これで、本当に、真犯人が、見つかるの?」
と、久美は、きいた。
「何とか見つけたいと、思っているんだ。君のお父さんのためにもだが、連続殺人事件を、解決するためにもね」
と、三田村は、いった。
三田村は、捜査本部に、訊問調書のコピーを持って行き、十津川に、見せた。
十津川は、それを、刑事全員に、回覧させて、意見を求めた。
若い西本と、日下は、肩をすくめるようにして、
「何も、出ていませんね。真犯人の名前が、ちらりとでも、出ているのかと、思ったら、何もありませんし、店での松田と、本橋の動きを、証言しているだけです」
と、いった。
三田村も、読んでみて、そう思った。新しい発見は、ないとしか思えなかった。
もっとも、本橋吾一の弁護士も、この訊問調書には、眼を通しているということだったから、少しでも、被告人に有利なことが、出てきていたら、それを、問題にしていただろう。
だが、亀井は、十津川に対して、
「この訊問調書には、一つだけ、妙なところがありますよ」
と、いった。
「そんなところがありましたかね?」
と、三田村は、きいた。
十津川は、亀井を見て、
「カメさんの意見を聞かせてくれ」
「この調書の中で、警察は、当然、しなければならない質問を、『はるみ』のママにしていません。それが、不思議です」
と、亀井は、いった。
「それは、どんな質問かね?」
「事件の時、店にいた客のことです。どんな客がいたか、質問していないし、答えてもいません」
と、亀井は、いった。
それに対して、西本が、
「一応、質問していますよ」
と、いい、その箇所を、指さした。
「その時、店は、何人の客がいたのか?」
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――五、六人だったと思います
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「その中に、殺された松田副理事長と、本橋吾一がいたんだね?」
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――はい。お二人とも、時々、来られる方で、この日も、いらっしゃいました
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「店での二人の様子を、話して貰いたい」
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――先に来ていらっしゃったのは、本橋さんで、松田さんが来た時は、もう、酔っていましたわ。松田さんの顔を見ると、融資のことで、急に、絡んで、口ゲンカになりました。私が、間に入って、何とか、仲直りさせたんですが、また、本橋さんが、怒り出しました
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「そのあとは?」
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――松田さんが、帰るといって、店を出て行きました。そのあと、本橋さんが、急に、店を飛び出して行ったんです。何かなければいいがと、心配していたんですけど
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「松田さんが、殺されたと知ったのは、いつなのか?」
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――翌日です
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「その時、どう思ったか?」
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――大変なことになったと思いましたわ
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「本橋吾一が、殺したと思ったか?」
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――ひょっとするととは思いましたけど、それだけですわ
[#ここで字下げ終わり]
「確かに、最初に聞いているが、すぐ、松田と、本橋の二人に絞って、質問をしてしまっている」
と、亀井は、いった。
「それは、被害者と、一番の容疑者だから、当然じゃありませんか?」
と、西本は、いった。
「だが、その時、どんな客が他にいたか、彼女は、答えていないし、警察も、聞いていない」
「それは、他に容疑者はいないと、県警は考えて、本橋吾一ひとりに、焦点を絞っていったからだと思いますよ」
と、日下は、いった。
「確かに、その通りだ。県警は、本橋犯人で、突っ走り、公判でも、本橋は、有罪判決を受けたから、何も、問題にならなかった。だが、今、本橋以外に、真犯人がいる可能性が出てくると、話は、変ってくるんだよ。三月二十四日の夜、『はるみ』に、他に、何人の客がいて、その客は、誰だったかが、問題になってくるじゃないか。それを、きちんと、質問しておかなかったのは、明らかに、ミスだと、私は、思うね」
と、亀井は、強い調子で、いった。
「カメさん」
と、十津川が、亀井に、声をかけて、
「県警が、その質問をしなかったとは、考えられないよ」
と、いった。
「しかし、この訊問調書には、出ていませんが」
「質問はしたんだろうが、彼女の答で、全く、無視していいと、訊問した刑事は、考えたから、のせなかったと思うね。多分、このスナックは、地元の客が多いだろうから、ママは、当然、来ていた客の名前は、全部、知っていたんじゃないかね。その名前を、警察に答えたが、被害者松田と、関係のある人間は、本橋だけだった。それで、この調書には、書いてないんじゃないかね」
「しかし、警部。真犯人が――」
「だから、カメさん。ママは、嘘をついて、松田と関係のない客の名前しか、答えなかったんだと思うよ。もし、関係のある人間の名前を、ママが、答えていたら、県警は、調書にのせた筈《はず》だし、その客について、調べていると、思うね」
と、十津川は、いった。
「すると、ママは、その時、店にいた客の一人について、嘘をいい、恩を売ったということですか?」
「そうじゃないかと、思うんだよ。もし、その客が、いたことがわかれば、当然、県警が調べたであろう人間だよ」
と、十津川は、いった。
「その人間を、本橋が、覚えていませんかね?」
と、三田村が、口を挟んだ。
「本橋久美が、府中刑務所に、父親に会いに行き、そのことを、聞いて来てくれると、ありがたいがね。彼が飲んでいた時、松田の他に、誰が客として、店にいたかだ」
「本橋は、酔っていたわけですから、全員は、覚えていないと思いますが――」
「一人でも、覚えていれば、十分だよ。その客に当れば、別の一人が、また、わかってくる可能性があるからね」
と、十津川は、いった。
「今日中に、私が、彼女と一緒に、府中へ行って来ます。もちろん、刑事としてではなく、彼女の友人としてです」
と、三田村は、いった。
三田村は、すぐ、久美と連絡を取り、新宿で落ち合って、一緒に、府中刑務所に出かけた。
刑務所では、三田村は、家族ではないので、面会は、出来ず、外で、待っているより仕方がなかった。
父親に、面会した久美は、二人の名前を聞いて、三田村に、教えた。
「覚えているのは、土産物店の岩本さんと、タクシー運転手の林さんの二人だけだって。他にも、あと、二、三人いたけど、覚えてないって、いっていたわ」
と、久美は、いった。
「それでは、この二人に会って、店にいた全員の名前を、聞き出そう」
と、三田村は、いった。
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第七章 真犯人
十津川は、二つの疑問を、持っていた。
一つは、星野が、なぜ、志賀高原から、草津へ出かけたかということである。
もちろん、目的はわかっている。犯人から、金を貰《もら》いに行ったのだ。その結果、星野は、二百万円を、受け取っている。
十津川が、疑問にしているのは、なぜ、その場所が、志賀高原、草津かということだった。
星野が、希望したのだろうか?
そうは、思えない。彼は、旅行好きではあったが、ただ、金を貰うだけなら、自分の銀行口座に、振り込ませればいいのだし、前の一千万円は、振り込ませているのだ。
と、すれば、犯人が、志賀高原、草津に、星野を、呼び寄せたと、考えるのが、自然だろう。
犯人は、金を渡すから、来てくれ、向うで会いたいと、星野に、いったに違いない。もともと、旅行好きの星野は、旅行を兼ねた集金に、出かけたということだろう。
犯人は、なぜ、志賀高原、草津を、指定したのか?
第二の疑問は、犯人は、どうやって、星野に、青酸入りのウイスキー・ボンボンを、渡したかということだった。
星野の行動を、三田村刑事と、彼の恋人の本橋久美が、監視していたが、犯人らしき人物を、見ていないからである。
だが、犯人が、ウイスキー・ボンボンを渡したことは、事実なのだ。
「私も、それが、不思議で、仕方がないのです」
と、三田村が、いった。
「犯人らしき人物を、見ていないことがかね?」
と、十津川が、きいた。
「そうです。志賀高原から、草津まで、本橋久美が、星野を、監視しています。彼女は、細かい観察の出来る女性ですから、彼女が、犯人を、見逃す筈がありません。草津からは、私も、星野を監視していますから、余計、怪しい人物がいれば、気付く筈なのです」
と、三田村は、強い調子で、いった。
「渡したとすれば、志賀高原ではなく、草津だな?」
「そう思います」
「なぜ、志賀高原で、渡さなかったんだろう?」
これは、三田村にではなく、全員に向かって、十津川は、質問した。
「それを、私も、ずっと、疑問に思っていたんです」
と、亀井が、いった。
「カメさんは、どう思っているんだ?」
「答は見つかりません。星野は、志賀高原で、スキーを、楽しんでいます。ゲレンデには、スキー客が多かったと思いますし、派手なスキーウェアに、ゴーグルをつけていれば、素顔は、隠せますから、星野に、何か渡すには、草津より、やり易かった筈《はず》なのです。それなのに、犯人は、草津へ来てから、二百万円と、青酸入りのウイスキー・ボンボンを、渡したと思えるのです。なぜ、草津だったのか。もし、犯人が、最初から、草津で、渡す気だったのなら、なぜ、志賀高原に、星野が、行ったのか。どうも、わかりません」
と、亀井が、いう。
「志賀高原は、多分、カムフラージュだよ」
と、十津川は、いった。
「と、いいますと?」
「星野は、最初から、草津で、犯人から、金を受け取るつもりだったんだと思うよ。犯人もだ。だが、星野は、自分が、警察にマークされていることを知っていたし、犯人もだ。だから、すぐ草津には行かず、まず、志賀高原に行って、スキーを楽しんだ。ただの旅行に見せかけるためだ」
「なるほど、それで、カムフラージュですか」
「しかし、なぜ、草津なのかという謎は、残るね。なぜ、犯人は、星野を、草津に呼んだかだ」
と、十津川は、いった。
「犯人が、草津の人間だからじゃありませんか」
と、西本が、いった。
「それは、違うな」
と、亀井が、いって、
「第一に、犯人は、紀伊勝浦で、殺人を犯した人間の筈なんだ。恐らく、勝浦に関係のある人間だよ」
「郷里が、草津かも知れませんよ」
「だがな、殺人をするのに、わざわざ、自分に関係のある土地を選ぶか? そんなものは、自殺行為だよ」
「ちょっと待て」
と、十津川は、いい、三田村に向かって、
「星野は、草津で、ニュー草津ホテルに、泊ったんだったな?」
「そうです」
と、三田村が、答える。
「彼は、なぜ、そのホテルに、泊ったんだろう?」
「それは、犯人が、あのホテルを指定したからじゃありませんか。犯人も、このホテルに泊っていたんだと思います」
「果して、そうかな」
「他には、考えようがありませんよ」
と、三田村は、いった。
「誰もが、多分、そう考えるだろう。それなら、当日の泊り客を、全員、調べていけば、犯人に、突き当る筈だ」
「県警は、そう考えて、当日の泊り客を、調べているみたいですよ」
と、亀井が、いった。
「犯人が、果して、そんな危険を冒すかね。私が、犯人で、もし、ニュー草津ホテルに泊っていたら、わざと、他の温泉地で、星野に会うことにするね。彼を、同じホテルに、泊らせたりはしない」
と、十津川は、いった。
「それなら、ニュー草津ホテルは、何の意味もなくなりますよ」
と、亀井が、いった。
「だが、気になるんだよ」
「よくわかりませんが」
亀井は、戸惑いの表情で、十津川を見た。
「私にもわからないよ。だが、引っかかる」
と、十津川は、繰り返した。
「どうされますか?」
「草津へ行く。カメさんも、同行してくれ」
と、十津川は、いった。
二人は、その日の中《うち》に、草津に向かった。到着すると、ニュー草津ホテルに入った。
十津川自身にも、何を調べたらいいか、よくわかっていなかった。
わかっているのは、星野が、このホテルに泊り、ここで、二百万円と、青酸入りのウイスキー・ボンボンを、渡されたことだけである。
温泉に入り、ホテルの中を、歩いてみたが、何も、見つからなかった。もともと、何を見つければいいのかわからないのだから、仕方がない。
一階ロビーの横にある喫茶店に入って、二人はコーヒーを、頼んだ。
「参ったな。何を探せばいいのか。わからないんだからね」
と、十津川は、自分で苦笑した。
「このホテルが、事件と関係していると、お考えですか?」
と、亀井が、きく。
「と、思っているんだが、確信があるわけじゃないんだ」
と、十津川は、いい、煙草に、火をつけた。
その時、カウンターで、コーヒーを飲んでいた泊り客が、店のママに向かって、
「このホテルのパンフレットが、変っちゃったんだねえ」
と、いっているのが、聞こえた。
「そうでしたか――?」
「ああ。前の方が、良かったと思うがねえ」
「それは、私には、わかりませんわ。ホテルの上の方が、決めることですから」
「まあ、そうだろうけどさ」
と、男の泊り客が、いい、しばらくして、店を出て行った。
「カメさんは、ここにいてくれ」
と、十津川は、いって、その男を、追いかけて、店を出た。
エレベーターの前で、追いついて、
「今、パンフレットのことを、おっしゃっていましたが――」
と、話しかけた。
「失礼だけど、このホテルの方ですか?」
男は、警戒するような眼になった。
「いや、私も、泊り客です」
「そうでしょうね。このホテルのゆかたを着てるから」
「前のパンフレットの方がよかったというのは、どういうことなのか、教えて頂きたいんですが」
「あなたも、そう思うんですか?」
「私は、前のパンフレットを、知らないんですよ。あなたのいわれるパンフレットというのは、部屋に備えつけてある、このホテルの案内のことでしょう?」
「ええ。そうですよ」
「どこが、今のと、違いますか?」
と、十津川は、きいた。
「いや、ほとんど、前のパンフレットと同じなんだけど、前のものには、同じ系列のホテルが、のっていたんですよ。ひょっとすると、そっちは、潰《つぶ》れちゃったのかな。もし、それで、新しいパンフレットに、のっていないんだとしたら、さっきは、悪いことをいっちゃったなあ」
と、男は、ひとりで、肯《うなず》いている。
「そのホテルというのは、何処に、あるんですか?」
と、十津川は、きいた。
「紀伊勝浦ですよ。名前は、ニュー勝浦ホテルでね。私は、そちらにも、行ったことがあるんです。ここのパンフレットに、勝浦のがのっていたんで、行ってみたくなりましてね。なかなかいいホテルなんだから、のせておけばいいのにね」
「社長は、同じ人が、やっているんですか?」
「そうの筈ですよ。おかみさんは、確か、勝浦が、奥さんで、こちらは、社長の妹さんが、なっていると、聞いたことがあります」
と、男は、いった。
十津川は、眼を光らせた。見つけたいと思っていたものが、見つかったような気がしたからである。
十津川は、相手に礼をいってから、喫茶店に、引き返した。待っていた亀井に、
「カメさん、いいことを聞いたよ」
と、小声で、いった。
「どんなことですか?」
「とにかく、明日、勝浦へ行こう。向うへ行って、確かめたいんだ」
と、十津川は、いった。
翌日、二人は、朝食もとらずに、チェック・アウトし、勝浦に、向かった。
高崎《たかさき》から、上越新幹線で、東京に戻り、東京から、名古屋へ出て、更に、特急「南紀」に乗りかえてということで、二人が、紀伊勝浦駅に着いた時は、午後二時を過ぎていた。
さっそく、駅前の観光案内所で、十津川は、ニュー勝浦ホテルのことを、聞いた。
潰れてはいなかった。
海岸にある、この勝浦では、中堅のホテルだという。
「社長さんの名前は、わかりますか?」
と、十津川は、きいた。
「寺岡保太郎《てらおかやすたろう》さんですが、それが、何か?」
と、案内所の係が、きき返してくる。
「実は、草津で、ニュー草津ホテルに、泊ったんですが、その時、こちらのニュー勝浦ホテルをすすめられましてね。なんでも、社長さんが、同じだといって」
と、十津川は、いった。
「その通りですよ。同じ方ですよ」
「今でもですか?」
「ええ。もちろん」
と、相手は、いった。
十津川は、微笑して、亀井と、顔を見合わせた。
二人は、案内所を出た。
「見つかりましたね、探していたものが」
と、亀井が、いった。
商店街を抜けて、海岸に出ると、入江を囲むように、土産物店や、ホテルが、並んでいる。
湾内にホテルが見えるのは、中の島ホテルと、ホテル浦島で、桟橋から、この二つのホテルに行く連絡船が、出ていた。
問題のニュー勝浦ホテルは、海岸のはずれにあった。
外観や、雰囲気が、何となく、草津温泉のニュー草津ホテルに似ているのは、経営者が、同じだからだろう。
十津川たちは、すぐ、このホテルには入らず、近くの喫茶店に入り、そこのママに、寺岡保太郎のことを聞いてみた。
寺岡は、四十五歳。もと、プロ野球選手だっただけに、長身の大きな男だという。
「いい人なんですが、女好きでね」
と、ママは、笑った。
「結婚しているんでしょう?」
と、十津川が、いうと、
「奥さんがいたって、女好きは、変りませんよ」
と、ママは、また、笑った。
「すると、外に、いろいろと、女を作っていたんですか?」
「ええ。お盛んでしたよ」
「ひょっとして、スナック『はるみ』のママも、その一人じゃなかったんですか?」
と、十津川が、きくと、
「なんだ。お客さんは、よくご存知じゃないんですか」
「いや、そんな噂を聞いたものですからね」
「あのママは、今度、鳥羽に、大きなクラブを出したんですってねえ」
「寺岡さんが、資金を出したんですかね?」
と、十津川は、きいた。
「そんな噂もあるんだけど、あたしは、不思議で、仕方がないんですよ」
「なぜですか?」
「寺岡さんて、ケチで有名な人ですからねえ。女好きで、浮気をするくせに、女には、お金を出さないということを、聞いていますからねえ」
「よほど、『はるみ』のママに、惚《ほ》れていたということですかね?」
「あのママに?」
「ええ」
「それは、ないと思ってますよ。年齢《とし》も、いってるし、そんなに美人でもないしね。寺岡さんにしたら、手軽に遊べる相手と思ってたんじゃないですかねえ。そんな女に、あの寺岡さんが、大金を出して、お店を持たせるなんて、ちょっと、考えられないんですけどねえ」
「『はるみ』といえば、確か、今年の三月に、あの店に飲みに来ていたS信用金庫の偉い人が、殺されてますね」
と、十津川が、いうと、喫茶店のママは、
「ええ。そうなんですよ」
と、大きく、肯いた。
「その偉いさんも、あのママに関係があったんじゃないかという話を聞いたんですがね」
と、十津川は、いった。
「お客さんは、週刊誌の人?」
「まあ、そんなところでね」
と、亀井が、いった。
喫茶店のママは、亀井の嘘を信じたのか、急に、声を落して、秘密めかした口調になり、
「これは、噂なんですけどねえ。三月二十四日の事件の夜、寺岡さんが、あのスナックにいたらしいという話があるんですよ」
「スナック『はるみ』にですか?」
「ええ。あの店に、二階があって、そこに、ママは、泊ったりすることがあったみたいなんですけどね。大事なお客を、二階にあげたりもしていたみたいで、あの夜、寺岡さんが、そこにいたんじゃないかという噂なんですよ」
と、喫茶店のママは、いう。
「寺岡さんと、死んだ松田さんとは、当然、知り合いだったんでしょうね? 同じ勝浦で、信金の副理事長と、ホテルの社長なんだから」
と、亀井が、きいた。
「ええ。もちろん、お知り合いだった筈《はず》ですよ」
「仲は、どうだったんだろう? 良かったんだろうか? それとも、悪かったんだろうか?」
と、十津川は、きいた。
ママは、急に笑い出して、
「そういうことは、あたしには、いえませんよ」
と、はぐらかされてしまった。
しかし、もし、仲が良ければ、彼女は、その通り、いうだろうから、二人は、仲が悪かったとみていいのではないか。
「ママさんは、S信用金庫から、お金を借りてるんですか?」
十津川は、話題を変えて、きいてみた。
「ええ。このお店を改装する時にね。でも、もう、全部、返済してますよ」
「気持よく、貸してくれるの?」
「あそこは、松田さんが実力者で、だから、松田さんに、よく思われないと、貸して貰《もら》えませんでしたよ。あたしは、憎まれていなかったから、借りられたんですけどね」
「寺岡さんは、松田副理事長に、憎まれていたのかな?」
「さあ、そういうことは、よく知りませんけど、あのホテル、今、表からは見えませんけど、奥で、改装をやってるんですよ。その資金を、S信金に借りたんだから、うまくいってたんじゃないんですか?」
と、ママは、いった。ちょっと、投げやりないい方だった。
十津川と、亀井は、ともかく、ニュー勝浦ホテルに入り、問題の改装部分を、見てみることにした。
二人は、偽名で、泊ることにした。幸い、部屋が空いていた。
部屋に案内されてから、十津川と、亀井は、改装部分を見に出た。
ホテルの背後に、小さな山がある。それが、ホテル拡張のネックになっていて、その山を、今、削り取っているところだった。
山の一部を削り取り、その向うの国道へ出る道も、作ろうという工事だった。
十津川は、ブルドーザーが、走り廻《まわ》っている現場に行き、そこに立っている看板に眼をやった。
工事許可の年月日、工事開始の年月日、完成予定日などが書かれている看板である。
「カメさん。見ろよ。工事開始が、四月二十五日になっている」
と、十津川は、いった。
「例の事件のほら、一ヶ月後ですね」
「何となく、暗示的だな」
と、十津川は、いった。
二人は、部屋に戻った。お茶をいれに来た仲居に、
「ずいぶん、大規模な工事をやっているんだねえ」
と、十津川が、話しかけた。
「昔から、うちの社長さんの、悲願でしたからね。背後《うしろ》の山を削ると、国道に出られて、勝浦の外れにあるうちが、逆に、一番、国道に近くなるんですよ」
と、仲居は、いう。
「それなら、なぜ、もっと早く、工事にかからなかったの?」
と、亀井が、きくと、仲居は、笑って、
「そりゃあ、お金ですよ。沢山かかりますもの。社長さんも、ずいぶん、資金繰りに走り廻ったらしいんですけどねえ。バブルがはじけて、銀行は、貸してくれないんで、こぼしていらっしゃいましたからねえ」
「それが、何とか工面がついて、やっと、工事が始まったというわけですね」
と、十津川。
「ええ。やっとねえ。みんな、ほっとしているんですよ」
「資金は、S信用金庫からの融資ですね?」
「ええ。そう聞いていますわ」
と、仲居は、肯《うなず》いた。
やはり、という顔で、十津川と、亀井は、顔を見合わせた。
仲居が、いなくなると、亀井が、
「状況証拠は、揃ってきましたね」
「そうだな」
「どうしますか?」
「カメさんは、鳥羽に行って、晴美を押さえてくれ。東京から、三田村刑事を呼んだらいい。われわれの推理が正しければ、寺岡という男のアキレス腱《けん》は、晴美だと思うからね」
と、十津川は、いった。
亀井が、電話で、三田村に連絡を取ってから、鳥羽に向かって、ホテルを出て行った。
夜になって、亀井から、電話が入り、今、三田村と合流して、これからクラブ「はるみ」に出かけると、いった。
「五、六分したら、クラブに入り、晴美に話を聞くことにします」
「では、私も、これから、寺岡に会ってみるよ。多分、彼は、あわてて、晴美に電話して、釘《くぎ》を刺す筈だ」
「それを、楽しみにしていますよ」
と、亀井は、いった。
十津川は、部屋を出ると、フロントに行き、初めて、警察手帳を見せ、寺岡社長に会いたい旨を告げた。
フロント係の顔が青ざめ、五階の社長室に連絡し、七、八分、待たされてから、五階に、案内された。
広い社長室の窓からは、月明かりの海が見えた。
社長の寺岡は、大柄な男で、眉を寄せて、十津川を迎えた。
「寺岡ですが、警察の方が、何のご用ですか? 何か、大事なことだということですが」
と、寺岡が、いう。
背後の壁には、工事が完成した時の様子が、大きな絵として、掛けられていた。
「確か、草津温泉のニュー草津ホテルも、あなたが、社長をなさっていますね?」
と、十津川は、まず、きいた。
寺岡は、直接、その質問には、答えず、
「それが、どうかしましたか?」
「東京の四谷には、事務所がありますね?」
「そりゃあ、東京は、千二百万都市ですからね。たいていのホテルが、東京に営業所を、持っていますよ」
「最近、草津と、東京に、行かれましたか?」
「私の仕事ですからね。行きますよ」
「土屋悟という男を、ご存知ですか?」
「知りません」
「小寺信成という男は、どうですか?」
「知りませんね」
「星野勇紀という俳優は、どうですか?」
「ちょっと待って下さい。刑事さんは、いったい、何をいいたいんですか?」
寺岡は、顔を朱《あか》くして、質問した。
「何をって、殺人ですよ。今の三人は、最近、立て続けに殺された被害者です」
「それが、どう私に関係があるというんですか?」
「三月二十四日に、この勝浦で、S信用金庫の松田副理事長が、殺されました。これは、もちろん、ご存知ですね?」
「ええ。知っていますよ。しかし、あの事件は、犯人も捕まって、すでに解決しているんですよ」
「そうです。だが、本当には、終っていなかったんですよ」
「何をバカな。県警は、もう終ったと発表している。東京の刑事が、口出しすることじゃないでしょう?」
「ところが、東京で殺人事件が起きましてね。それが、三月二十四日の勝浦の事件と関係があるとわかったので、こうして、伺ったわけですよ」
「私と何の関係があるんですか?」
「ざっくばらんに、申しあげましょう。三月二十四日の事件で、逮捕された本橋吾一は、真犯人ではないと、思っているのです。真犯人は、他にいたために、その後、三人の男が、殺されたのです」
と、十津川は、いった。
「どういうことか、よくわかりませんが」
「よく、おわかりの筈《はず》ですよ。なぜなら、真犯人は、あなただからです」
十津川は、まっすぐ、寺岡を見すえて、いった。寺岡の顔色が、変った。
「弁護士に相談して、あなたを、告訴しますよ」
「構いませんよ。そうなれば、大っぴらに、あなたのことを、調べることが出来る」
「何か、私のことを、誤解なさっているようだが」
と、寺岡は、いった。
「いや。私は、真実を見つめているつもりですよ。あの夜、あなたは、スナック『はるみ』にいた。多分、二階にいたんだと思う。そして、一階の店で、松田副理事長と、クリーニング店の店主の本橋吾一が、激しく口論しているのを知った。今夜、松田を殺せば、きっと、疑いは、本橋にいくだろう。あなたは、そう思って、海岸で、松田を襲い、殴り殺したのです。あなたの予想した通り、疑いは、本橋吾一にいき、彼は、逮捕され、有罪になり、今、刑務所にいます」
「それは、彼が、犯人だからでしょう。私とは関係がない」
「ところが、あなたが、海岸で、松田を殺したとき、たまたま、通りかかった三人の男に、目撃されてしまった。それが、勝浦に旅行に来ていた東京の三人の男です。あなたは、彼等を、金で買収し、一人に、一千万円ずつ、振り込んだんですよ。それに、もう一人、あなたの犯行だと確信した人間がいた。スナック『はるみ』のママです。彼女は、警察に訊問《じんもん》された時、当夜、店にいた客の中に、あなたがいたことは、話さなかった。その報酬として、彼女は、今、鳥羽に、豪華なクラブを与えられ、そこのママになっています」
と、十津川は、いった。
「それだけですか?」
「これで、すんだと、あなたも、考えていたと思いますよ。だから、三月から十一月まで、何の事件も起きなかったんです。ところが、本橋の娘の久美が、恋人で、警視庁捜査一課の三田村という刑事と、十一月に、南紀に旅行に出かけました。本橋の無実を信じている一人娘が、現職の刑事を連れて、勝浦に行くというので、あなたや、あなたに買収された三人の男たちは、疑心暗鬼に、陥ってしまったのです。多分、事件の真相を調べに行くと、思ったんでしょう。もともと、金で買収されただけで、殺人とは、関係のない三人の男の中《うち》、土屋悟が、動揺して、全てを、打ちあけそうになりました。それで、口を塞《ふさ》ぐために、彼は、多気駅で殺されてしまいました。殺したのは、恐らく、三人の中の他の二人の片方でしょう」
「私には、関係ない」
「そうです。この殺人は、あなたには、関係ないと、思いますよ。しかし、あなたは、このことに、怯《おび》えてしまった。他の二人が、いつ、真相を、警察に、喋《しやべ》ってしまうかも知れない。それに、本橋久美と、三田村刑事の動きも、気になったんだと思いますね。そこで、あなたは、まず、四谷の営業所に、仕事で出かけた時、同じ四谷に住んでいる小寺信成を、刺殺して、口を封じたのです。なぜ、小寺を殺したかといえば、もう一人の星野より、真相を話しそうだと思ったからでしょうね? 違いますか?」
と、十津川は、きいた。
寺岡は、顔をしかめて、
「何のことか、わかりませんな」
「よくおわかりの筈《はず》ですよ」
と、十津川は、続けた。
「あなたは、三人目の星野の口も封じなければ、安心できないと思った。そんな時、彼が、また、金を要求してきた。丁度、あなたは、草津のニュー草津ホテルに行くことになっていたので、そこに、星野を呼びつけたのです。旅行好きの星野は、何の疑いも持たず、まず、志賀高原でスキーを楽しみ、そのあと、草津へ行き、ニュー草津ホテルに泊りました。三田村刑事と、本橋久美は、星野を尾行し、監視していましたが、星野が、誰から、どうやって、二百万円と、青酸入りのウイスキー・ボンボンを渡されたか、わからなかった。わからないのが、当り前だったんですよ。星野の泊ったホテルの社長が、犯人だったわけですからね。いつでも、怪しまれずに、渡せた筈なんです。星野は、そのウイスキー・ボンボンを食べて死にました」
「いいかげんにしてくれませんか」
と、寺岡は、いった。
「つまり、あなたは、三人の人間を、殺したんです。三月二十四日に、勝浦で、S信金の松田副理事長を、殺したために、他の二人も、殺すことになってしまったわけです。いや、土屋悟だって、あなたが殺したようなものです」
十津川は、決めつけるように、いった。
「私が、なぜ、松田さんを、殺さなければならないんです? 私は、あの人を、尊敬していましたよ」
と、寺岡は、主張した。
「果して、そうですかねえ? あなたは、今の裏山の工事を、前から、念願していた。ところが、バブルがはじけて、銀行が、融資してくれない。頼みは、S信金だったが、ずっと、融資を受けられずにいたんでしょう? ところが、松田副理事長が死んだあと、すぐ、急に、融資を受けて、念願の工事が、始まっていますね」
と、十津川は、いった。
「それは、偶然ですよ」
「そうですかねえ。私は、こう考えたのですよ。松田副理事長は、実力者で、大きな融資は、彼の許可がなければ、行われない。あなたと、この松田副理事長とは、仲がよくないので、今まで、S信金の融資が受けられなかった。彼さえいなければと、思っていたとき、三月二十四日の夜、あなたは、松田副理事長を殺すチャンスを、つかんだんです。そこで、彼を殺し、罪を、クリーニング店の本橋吾一に、かぶせることに成功した。S信金の方も、松田副理事長がいなくなって、あなたへの融資が行われ、念願の工事が始まった。そうじゃありませんか?」
「証拠は、あるんですか?」
と、寺岡が、きく。
「直接の証拠は、まだ、見つかりません。しかし、証人は、いますよ。スナック『はるみ』のママで、今は、高級クラブのママになっている晴美ですよ。彼女も、あの三人と同じように、殺人を犯したわけじゃないから、われわれが説得すれば、きっと、真相を話してくれるものと、期待しているのですよ」
「――」
寺岡は、急に、黙ってしまった。
多分、彼の頭の中で、晴美のことが、考えられているに違いないと、十津川は、思った。
「とにかく、帰って頂きたい。こう見えても、私は、忙しいのですよ」
と、いって、寺岡は、立ち上がった。
「また、伺いますよ。必ず」
と、いって、十津川も、立ち上がった。
十津川は、腕時計を見ながら、社長室を出た。
自分の部屋に戻ってすぐ、電話が鳴った。十津川が、受話器を取ると、
「亀井です。今、クラブ『はるみ』から、かけています」
と、亀井が、いった。
「『はるみ』に、今、電話が、かかったと、思うんだが」
「その通りです。カウンターで、ママの晴美と、私と、三田村刑事と、事件について話をしている最中に、電話だと、マネージャーがいってきて、彼女は、あわてて、奥へ引っ込んで行きましたよ。あれが、寺岡からの電話でしょう」
「多分、間違いないと思うね」
「寺岡を脅したんですか?」
と、亀井が、きく。
「圧力をかけてやったよ。寺岡の唯一のアキレス腱《けん》は、晴美だともいった」
「だから、寺岡は、すぐ、彼女に、電話してきたんでしょう」
「彼女の方も、寺岡に、カメさんたちのことを、報告したと思うよ。それを聞いて、寺岡が、どう思うかだな」
と、十津川は、いった。
「待って下さい。今、晴美が、戻って来ました。もう一度、話をして来ます」
と、亀井は、いった。
十津川は、電話を切り、煙草に火をつけた。
寺岡と、実際に会ってみて、彼が、真犯人だという確信は、強くなった。問題は、それを、証明できるかどうかである。
そのための聞き込みが、必要だが、これについては、県警の協力は、望めない。県警としては、三月二十四日の事件は、すでに、解決ずみだからだ。
従って、十津川としては、あくまでも、東京・四谷のマンションで殺された小寺信成の捜査ということで、自分たちだけで、やらなければならない。
十津川は、東京にいる西本に電話をかけ、明日、こちらに来るように、伝えた。
そのあとで、鳥羽から、亀井が、二度目の電話をかけてきた。
十津川の部屋に、このホテルの交換が回すわけだから、当然、このことは、社長の寺岡に、伝わるだろう。
十津川は、そのことも、寺岡に対する圧力となる筈だと、計算していた。
「晴美の様子は、どうだ?」
と、十津川は、きいた。
「怯《おび》えていますが、同時に、強気でもありますね。特に、電話のあとは、強気になっています」
と、亀井は、いった。
「寺岡が、何かいったのかな?」
「恐らく、また、金をやるとでも、いったんじゃありませんかね。眼が、輝いていましたよ」
と、亀井は、いう。
「そうだろうね。彼女にしてみれば、せいぜい、偽証罪に問われるくらいで、いくらでも、寺岡から、金が取れると、思っているのかも知れないな」
「しかし、寺岡としてみれば、晴美は、いつ爆発するかわからない爆弾みたいなものだと思いますから、口を封じなければ、安心して、眠れないんじゃありませんか」
「その恐れがあるから、カメさんは、三田村と二人で、彼女を、見張っていてくれ。いつ、寺岡が殺そうとするかわからないからね」
「わかっています」
と、亀井は、いった。
翌日、西本と日下の二人が、勝浦に、到着した。
十津川は、二人に、勝浦の街で、寺岡のことを、聞いて廻《まわ》るように、指示した。
「特に、S信金の殺された松田との関係だ」
「内密に、調べますか?」
と、西本が、きいた。
「いや、大っぴらにやってくれていい。寺岡が、調べられていることを知った方が、いいんだ」
「県警の方は、大丈夫ですか?」
「三月二十四日の事件の捜査で、寺岡の名前は、出ていないから、県警も、文句はいわないだろう」
と、十津川は、いって、西本と日下の二人を、ホテルから、送り出した。
十津川自身は、ホテルの裏手に廻って、工事を、しばらくの間、眺めていた。社長の寺岡が、自分の動きを、気にしているのを、承知の上でである。
夕方になって、西本と日下が、聞き込みから、戻ってきた。
「松田副理事長と、寺岡は、犬猿の仲だったようです」
と、西本が、いった。
「理由は、何なんだ?」
「それが、はっきりしないんですが、わかっているのは、三年前の町長選挙の時、松田が、現町長を担ぎ、寺岡が、反対候補を担いだ。その頃から、二人の仲が、険悪になっていったようです」
と、日下が、いった。
「なるほど、政治がらみか」
「松田は、寺岡以外にも、その時、反対候補を担いだ人たちを、毛嫌いして、おれの眼の黒い中《うち》は、連中には、絶対に、融資はしないと、いっていたそうです」
と、西本が、いう。
「松田が殺されたあとは、S信金は、どうなったんだ?」
「今の理事長は、政治に関心のない人のようで、誰にでも、条件さえ整えば、融資しているようです」
「なるほどね。それで、寺岡も、融資を受けられたわけだ」
「ニュー勝浦ホテルが、S信金から、受けた融資額は、三十億近いだろうという噂です」
と、日下が、いった。
「それなら、十分に、殺人の動機になり得るね」
と、十津川は、微笑した。
夜に入ると、鳥羽では、亀井と、三田村の二人が、クラブ「はるみ」に再び出かけて行った。
晴美から、自供をとれるという自信があってではなく、彼女に、圧力をかけるためである。
次の日も、勝浦では、西本と日下の二人が、聞き込みに動き、鳥羽では、夜になって、またクラブ「はるみ」に、押しかけた。
東京では、残った清水刑事たちが、四谷にあるニュー勝浦ホテルの営業所を調べ、その結果、小寺信成が、殺された日に、寺岡が、営業所に来ていたことを、突き止めた。
もちろん、それで、寺岡が、小寺を殺したという証明にはならないが、アリバイは、なくなったのだ。
三年前の勝浦町長選についても、詳しいことが、わかってきた。
この時の選挙は、接戦で、それだけに、両派の応援団の意気込みも、盛んなものがあったらしい。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈那智勝浦町を二分した選挙〉
[#ここで字下げ終わり]
と、いわれたし、
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
〈親兄弟も、二派に分れて、戦った〉
[#ここで字下げ終わり]
とも、いわれた。
その結果、選挙のあと、それまでの友人が憎み合うようになってしまったりもしたという。
松田と、寺岡の間も、その典型といえるのではないか。
「この他にも、二人とも女好きで、同じ女を取り合うようなことも、あったようです。それも、二人の関係を、険悪にしていたんじゃないかと思います」
と、西本は、報告した。
晴美も、その中の一人の女だったのだろう。
三日目の夜、鳥羽の亀井から、少しあわてた調子の電話が入った。
「クラブ『はるみ』が、今日から三日間、店内改装のため、臨時休業しています」
と、亀井は、いった。
「店内改装?」
「そんな気配は、全くありませんから、これは、嘘だと思います」
「逃げ出したかな?」
と、十津川は、きいた。
「せっかく手に入れた大事なクラブを放り出して、逃げ出すとは思えません。彼女が、人を殺したわけじゃありませんから」
「すると、寺岡と会うために、一時的に、店を閉めたかな?」
「そう思います。寺岡の方は、どうですか?」
「ホテルにいるよ。それで、晴美の行先は、わからないのか?」
「三田村刑事が、彼女の自宅マンションを、見に行ってくれましたが、留守だった、といっています」
「どこかで、寺岡と、会うつもりかも知れないな」
「そう思います。多分、寺岡の指示でしょう。問題は、何処でということですが、まさか、そちらへは、行かんでしょう」
「勝浦には、私たちがいるから、来ないだろう」
「東京は、どうですか?」
「東京は、晴美が、不案内だろうし、われわれが、小寺信成の殺しを調べているからね」
と、十津川は、いった。
「すると、残るのは――」
「草津か」
「そうです。寺岡が、晴美を呼び出すとしたら、恰好《かつこう》の場所かも知れません」
と、亀井は、いった。
「カメさんは、鳥羽に残って、引き続き、晴美を、探してくれ。鳥羽にいるかも知れないからね」
「三田村刑事を、草津にやりますか?」
「そうしてくれ。彼は、前に、草津へ行っているからね。ただし、草津に着いても、ニュー草津ホテルには、泊っては駄目だ。警戒されるからだ」
「その点は、よくいい聞かせておきます」
と、亀井は、いった。
それだけの指示をすませると、十津川は、西本と日下に向かって、
「鳥羽で、晴美が動き出したから、当然、寺岡も、動き出す筈《はず》だ。それを、見逃したくない」
と、いった。
同じホテルに、三人が、泊っていたのでは、全員が、寺岡の動きを、見逃してしまう心配があった。向うも、こちらの動きを、把握しやすいだろう。
そこで、十津川一人が、ホテルに残り、西本と、日下は、ホテルを出て、近くのペンションに入り、見張ることにし、連絡は、持参した携帯電話で行うことにした。
草津から、三田村が、到着したという連絡が、入った。
鳥羽の亀井は、依然として、晴美が行方不明だと伝えてきた。
そして、寺岡が、突然、勝浦のホテルから、姿を消した。彼の車は、ホテルの駐車場に置かれたままになっているし、彼を乗せたというタクシーは、見当らなかった。
ただ、工事用のダンプが一台、消えていることが、わかった。工事を請けおっているN建設の責任者の話では、そのダンプの運転手は、三十歳の男で、昨夜から、行方不明だという。
「ダンプに乗って、勝浦を出たんだ」
と、十津川は、西本たちに、いった。
「行先は?」
「恐らく、草津だろう。そこなら、寺岡にとって、土地勘があるし、ホテルという拠点があるからね」
と、十津川は、いってから、
「イチか、バチか、われわれも、草津へ行こうじゃないか」
「もし、間違っていたら、どうしますか?」
「これは、賭《か》けだよ」
と、十津川は、いった。
彼は、鳥羽にいる亀井にも、連絡をとり、草津へ向かうように、指示を与えた。
草津周辺には、粉雪が舞っていた。
十津川は、失踪《しつそう》したダンプのナンバーや、車体の色、運転手の人相などを、群馬県警に電話し、発見したら、連絡してくれるように、頼んでおいた。
まだニュー草津ホテルに、晴美が、入った形跡はないし、寺岡も、来ていない。
寺岡は、必ず、晴美を殺すだろうと、十津川は確信していた。目撃者の三人の男は、全て殺されてしまっている。寺岡が、三月二十四日夜の犯人であることを証明できるのは、晴美一人になったのだ。彼女さえ殺してしまえば、あとは、状況証拠しか残っていない。
晴美の方は、そのことを、危険とは思わず、自分を、より高く売れることになったと計算したのだろう。危険で、バカな計算だ。
二人の消息がつかめないまま、丸一日が、経過した。
翌日、晴美が、高崎駅前で、レンタカーを借りたという知らせが、入った。彼女が借りた車は、白のトヨタソアラ。
十津川は、自分たちも、車で、動き廻《まわ》ることにした。東京から、覆面パトカーを持ってくる時間がないので、群馬県警から二台借り受け、それに、西本や、三田村たちを乗せ、十津川自身は、レンタカーで、亀井と、動き廻ることにした。
「もし、晴美が、寺岡の指示で、レンタカーを借りたのだとすると、自動車事故に見せかけて、殺す気かも知れない」
と、十津川は、いった。
「それなら、場所は、草津温泉じゃありませんね。ここから、何処かへ抜ける道でしょう。渋川へ行く道かもわからないし、軽井沢方面へ行く道かもわかりません」
「全員で、各道路を、探すことにしよう」
と、十津川は、いった。
十津川と、亀井は、軽井沢へ抜ける道を選んだ。星野が、青酸入りのウイスキー・ボンボンを食べて死んだ道である。
雪は、降ったり、止んだりしている。
晴美が借りたトヨタソアラらしい車を見たという報告が、入ってくる。
十津川と、亀井は、その場所に向かって、車のスピードをあげた。
前方に、白いソアラが見えてきた。ナンバーを確認する。間違いなく、問題のレンタカーだ。
十津川は、わざと、ソアラを追い越してから、スピードを落とした。
ソアラが、急に、停車した。
十津川たちに気付いて、とめたのではないらしい。恐らく、そこが、寺岡に指示された場所なのだろう。
十津川も、車をとめて、様子を窺《うかが》うことにした。
粉雪が、また舞い始めて、視界が、悪くなってきた。
十津川と、亀井は、車の中から、七十メートルほど離れた場所にとまっているソアラを、見つめた。
通過する車は、まばらだった。
突然、白一色の中に、黒っぽい、巨大なダンプカーが、見えた。
それが、猛スピードで、近づいてくる。
「カメさん。例のダンプかも知れないぞ!」
と、十津川が、叫んだ。
二人は、車から、飛び出した。
ダンプカーは、とまっているソアラに向かって、突っ込んでくる。
十津川と、亀井は、走った。
走りながら、亀井が、
「止まれ! そのダンプ止まれ!」
と、叫んだ。
が、ダンプカーは、容赦なく、ソアラに迫ってくる。車の中の晴美も、異常事態に気付いて、あわてて、ドアを開けて、外に出ようとしている。が、狼狽《ろうばい》しているためか、がちゃがちゃと、ドアをいじるだけで、ドアが、開かない。
十津川は、走りながら、拳銃《けんじゆう》を取り出し、安全装置を外した。
立ち止まって、警告するために、ダンプカーに向かって、一発、撃った。
それでも、ダンプは、止まらない。
「カメさん、撃て!」
と、十津川は、叫んだ。
二人は、ダンプカーの運転席めがけて、一発、二発と、撃った。
運転席の窓ガラスに弾丸が命中して、砕けるのが見えた。
ふいに、ダンプカーが、急ブレーキがかかったみたいに、悲鳴をあげて、横転した。
「カメさん。女を頼む!」
と、十津川は、いっておいて、ダンプカーに、近づき、よじ登って、運転席を、のぞき込んだ。
寺岡が、顔から血を流して、倒れているのが、見えた。
だが、呻《うめ》き声をあげているところをみれば、死んではいないのだ。ドアをこじ開けると、粉雪が、運転席に、舞い落ちて行った。
救急車を呼び、負傷した寺岡を、病院に、運んだ。
助けられた晴美は、しばらく、ショックに、打ちのめされていたが、そのあと、三月二十四日の夜、店に、寺岡がいたことを、証言した。
殺された松田が、店を出て行ったあと、寺岡が、すぐ、そのあとを追って、飛び出して行ったこともである。
寺岡自身は、ベッドの上で、犯行を、自供した。
小寺信成と、星野を殺したことも認めたが、土屋悟は、殺してないと、いった。これは、本当だろうと、十津川は、思った。土屋を殺したのは、多分、小寺か、星野なのだ。
もう一つ、勝浦で、西本と三田村に、警告のメモを渡したり、本橋久美を脅したのも、寺岡がやったことであった。
三田村と、本橋久美がどうなるか、これは、十津川にも、わからなかった。
本書は、一九九六年八月、中公文庫より刊行されました。
角川文庫『ワイドビュー南紀殺人事件』平成14年5月25日初版発行