西村京太郎
ミニ急行「ノサップ」殺人事件
目 次
第一章 根《こん》 釧《せん》 原《げん》 野《や》
第二章 焼身自殺の周囲
第三章 一枚の写真
第四章 過去の事件
第五章 人 間 狩 り
第六章 サイレンサー
第七章 仙 台 へ
第八章 終局への疾走
第一章 根《こん》 釧《せん》 原《げん》 野《や》
根室本線は、北海道の中央部に近い滝川から、釧路を経て、道東の端の根室まで、四四七キロの幹線である。
従って国鉄では、函館や札幌から、北海道の代表的な特急列車である「おおぞら」や夜行急行の「まりも」を投入している。
しかし、いずれも釧路までで、釧路から先には行かないのだ。
釧路から終着の根室までの一三五・四キロは、列車本数が極端に少くなり、根室本線という名称が、悲しくなるほどのローカル線になってしまっている。
わずかに急行「ノサップ」が、上り下り二本ずつ走って気を吐いているが、この列車にしても、二両編成のミニ急行である。
夏休みの間は、根釧原野《こんせんげんや》や北海道最東端にある納沙布《のさつぷ》岬への観光客で、列車も賑《にぎ》わうのだが、秋風が立ち始めると、とたんに車内は閑散としてしまう。
九月十日も同じだった。
雑誌の注文で納沙布岬の写真を撮《と》りに行くため、カメラマンの田原が急行「ノサップ1号」に乗った時も、車内はがらがらだった。
前日、これも注文の写真を釧路で撮って一泊し、今朝は早く起きた。
午前六時二二分、釧路発の急行「ノサップ1号」に乗るためである。
早朝でも駅で駅弁を売っていると聞いていたので、田原はホテルで朝食をとらずに出発した。
ホテルのフロントが教えてくれた通り、釧路駅では朝が早いのに、駅弁を売っていた。
本当は少しばかり心配だったのだ。下手をすると、根室に着く八時四〇分まで、腹をすかしていなければならないからである。
早速六百円のかにめしとみそ汁を買い込んで、3番線に入っている急行「ノサップ1号」に乗り込んだ。
急行「ノサップ」が二両編成であることは知っていたが、札幌から釧路まで乗って来た特急「おおぞら」に比べると、いかにも見すぼらしい列車である。
田原の乗って来た、特急「おおぞら」は七両編成で、最新型の183系気動車特急だった。
いかにも北海道の広大な原野を走るにふさわしい、角張った顔を持った強力な気動車である。
それに比べると、この急行「ノサップ」は古びた二十年前の車体で、それも急行用気動車ではなく、普通用車両の二両連結である。
田原はうしろの車両に乗ったが、十四、五人の乗客しかいなかった。
この急行「ノサップ1号」は、札幌から来る夜行急行「まりも」に接続している。
寝台客車のついている「まりも」は、若い観光客に人気のある列車で、六時一〇分に釧路に着く。
その乗客がどっと乗って来るのではないかと思ったが、田原のいる車両に乗って来たのは、若い二人連れのカップルだけだった。
定刻の六時二二分に、急行「ノサップ1号」は釧路を発車した。
田原は弁当を広げ、窓の外の景色を見ながら朝食をとった。
釧路の街を出ると、もう根釧原野だった。
釧路から根室まで広がる、広大な原野である。
窓を開けると寒いので、田原は窓ガラス越しにカメラを構えて、何枚かシャッターを押した。
荒涼とした同じ景色がえんえんと続く。人の姿もなく、家も見えない。
(さすがに、北海道だな)
と、田原は感心して、見とれていたが、地元の乗客には見あきた景色なのだろう。眼を閉じて、眠っている乗客が多い。
小さな無人駅と次の無人駅までの区間も長い。それが一層、周囲の景色を荒涼としたものに見せているのかも知れない。
別保《べつぽ》という駅を通過したあと、いくら走っても次の駅が現われない。
時刻表によれば、次の上尾幌《かみおぼろ》まで距離が一四・七キロもあるのだから、無理はなかった。
急行「ノサップ1号」は単線のレールをひたすら走り続ける。
東京で私鉄の沿線に住んでいる田原にとっては、考えられない駅間の距離である。彼がいつも乗っている私鉄は、駅間の距離は、長くて一キロ、短い場合は〇・六キロというのもある。
時刻表を見ていくと、この線区では、他にも、駅間が一〇キロを越えるところが、三カ所もあることがわかった。
突然、列車に急ブレーキがかかった。
何もない原野の真ん中である。
田原はてっきり故障だと思った。まさかこんなところで、車が踏切りで立往生したということもないだろう。
乗客の大半は呑気《のんき》に眠り続けている。夜行列車の「まりも」から乗りかえて来たカップルは、さすがに若いだけに、好奇心が強く、窓を開けて首を突き出して前方を見つめている。
そのため冷気が車内に流れ込んできた。
「何だか、変だわ!」
と、女の方が甲高い声をあげた。
田原はその言葉で職業意識をかき立てられ、カメラを手に前の車両に歩いて行った。
とたんに異様な空気を感じた。
通路に立ちはだかっている覆面姿の男たちが眼に入った。
反射的に引き返そうとした時、男の一人が拳銃を片手に、猛烈な勢いで駈け寄って来た。
「抵抗すると、殺すぞ!」
と、男は押し殺したような声を出し、拳銃の銃口を田原の背中に押しつけた。
そのまま男は田原の身体を押すようにして、うしろの車両へ入って来た。
「何をするんですか?」
五十歳ぐらいの車掌が精一杯肩をそびやかすようにして、男に抵抗した。
男は覆面の中の眼だけで、車掌を睨《にら》んで、
「怪我をしたくなかったら、黙っていろ!」
といい、拳銃を天井に向けて引金をひいた。
乾いた爆発音がして、弾丸が天井をえぐった。
乗客の顔色が変った。
田原も背筋に冷たいものが走るのを覚えた。男の持っている拳銃が本物とわかったからである。
男たちは全部で三人だった。
彼等は冷静に動いていた。
乗客は全部で三十七、八人。運転士と車掌を合わせても、せいぜい四十人である。拳銃が三丁あれば楽にコントロール出来るだろう。
男たちはまず全員を、前の車両に押し込めた。
次に、乗客を一人ずつ空《から》になった後の車両の方に呼び出し、有金を没収していった。
田原も何人目かに呼び出され、五万五千円の財布の中身を奪い取られた。商売物のカメラは許してくれたが、その代わりフィルムは未使用のものまで、全て感光させられてしまった。
乗客の中には、反抗する者もいたが、拳銃の台尻で手ひどく殴《なぐ》られ、血を流しながら他の乗客のところに這《は》うようにして、戻った。
彼等はその間ほとんど喋《しやべ》らなかった。そして、乗客がお互いに喋ったり、彼等の様子を窺《うかが》うのを嫌い、その命令を守らないと、容赦《ようしや》なく殴った。
かっきり三十分後、三人の男は乗客や運転士たちの前から姿を消した。
三人は車で逃げたと思われたが、それもはっきりしない。五分間眼を閉じて、床にしゃがんでいろと、彼等はいい、さもないと射殺すると脅していたからである。
ただ、眼を閉じていても、車の発進するエンジンの音は、何人かが耳にした。
荒野の真ん中に、二両編成の急行「ノサップ1号」は取り残された感じで、しばらく停車していた。
運転士の横井も乗客を守ろうとして、男たちの一人に抵抗し、一時的に耳が聞こえなくなるほど殴られていたからである。車掌の鈴木の方は、幸い怪我はしていなかったが、何しろ周囲には人家がないところである。
すぐ警察にと思っても、連絡の方法がなかった。
鈴木車掌は、「大丈夫か?」と横井に声をかけた。
「次の上尾幌まで行けば、何とか警察に知らせることが出来るんじゃないか」
「そうだな」
横井は痛む耳をおさえながら、運転席に戻った。
やっと急行「ノサップ1号」は動き出した。
五分ほどで上尾幌に着いた。
急行は停車しない駅だが、何よりも警察に連絡しなければならないし、負傷者の傷の手当ての必要もあった。
本来なら、もっと先の駅ですれ違う上りの普通列車が上尾幌で待っていた。タブレットが交換されると、上りの列車はすぐ発車して行った。
上尾幌は二百戸ほどの家がある小さな町である。別保と同じように、昔は石炭の町だったが、今は石炭の代わりに、椎茸《しいたけ》の栽培が行われていた。
鈴木車掌が駅から釧路に電話で連絡した。
釧路警察署では最初半信半疑だった。
列車強盗というのが、いかにも時代離れして見えたからである。
本当だとなって、パトカー三台と鑑識の車が上尾幌駅に急行した。救急車も同行した。
小さな、一日の乗降客の数が百五十人にも足りない上尾幌の駅は、刑事たちや鑑識課員で一杯になった。
リーダーの三浦警部は急行「ノサップ1号」の車内で、乗務員や乗客から事件のことを聞くことにした。その方が事実がわかり易いと思ったからである。
横井運転士の話によると、別保を通過して十二、三分走った頃、前方の線路上に火が燃えているのを発見した。
あとでわかったのだが、犯人たちが木の枝を集めて燃やしていたのである。
古典的な方法だが、荒野の中では効果があって、運転士はあわてて列車を停《と》めた。
運転席から降りて、どけようとした時、突然三人の覆面をした男たちが現われて拳銃を突きつけ、車内に押し戻したのである。
根釧原野といっても、あのあたりは山間《やまあい》である。三人は恐らくその山の中に身をかくしていたのだろう。
次に鈴木車掌に事情を聞いた。
その間に救急隊員が、犯人たちに殴られ、血を出している乗客の傷の手当てをしている。
鈴木車掌の話は、横井運転士の話に、付け加えるものはなかった。
乗客たちはただ動転していただけのようだった。
乗客は1号車、2号車合わせて三十八名。その中《うち》三十人が、地元根室周辺の人たちである。
観光客はたった八名に過ぎない。
大阪から来たという若いカップル。
東京から納沙布の取材に来たカメラマン。
名古屋から北海道周遊旅行に来ていて、最後に納沙布に行こうとしていた初老の夫婦。
あとの三人は、東京から来た男の観光客である。
予備校生で気晴らしにやって来たという十八歳の少年。三日間の休暇を貰《もら》って北海道へ来た二十六歳のサラリーマン、最後の一人は旅が趣味の大学生である。
一人一人から、事情を聞いている中に、三浦警部は次第に首をかしげてしまった。
三人組の犯人の考えがわからなくなってきたのである。
線路上で火を燃やして列車を停め、乗客の金を奪うというのからして、時代がかっているが、それはそれで、納得できないことはない。とにかく成功しているのだ。
だが問題はその中身である。
わずか二両編成の急行「ノサップ1号」である。
大金が積み込まれていたというのならわかる。
しかし、そんなことはなかった。
次は乗客のふところである。乗客の大半、三十人は地元の人間で、一番金を持っていた人間でも、二万六千円で、二千円しか持っていなかったという男もいる。
この三十人が奪われた金額は、合計で二十九万三千六百円である。
残り八人の観光客にしても、大同小異だった。
一番ふところの豊かな初老の夫婦にしても、北海道をフルムーンして来て、最後に、納沙布ということなので、財布には二人で六万八千円しか残っていなかった。
気晴らしに北海道にやって来た予備校生は、切符を全て買っていて、現金はわずか一万円しか持っていなかった。
三浦は奪われた金額を合計してみた。
乗客は三十八人。金額は四十五万四千六百円である。
犯人たちは一応、三人と見られるから、これを三人で分けたとして、一人十五万円でしかない。
三丁の拳銃を用意し、列車強盗までやって、わずか十五万円にしかならないのでは、バカバカしいのではあるまいか。
もちろん、こうした事情聴取が行われている一方で、近くを走る国道272号線と44号線を中心に、非常線が張られた。
犯人たちは車で逃げたと思われたからである。
しかし、時間的に遅れたこともあって、三浦たちが釧路警察署に戻った時も、犯人が非常線に引っ掛ったという知らせは、聞けなかった。
警察署に捜査本部が設けられた。「急行『ノサップ』強奪事件捜査本部」である。
午後一時に記者会見が行われた時、記者の一人が、
「要するに、列車強盗ですな」
といった。
その時、他の記者たちが笑ったのは、三浦が感じた「時代おくれの──」という感想を持ったからだろう。
三浦が、奪われた金額をいうと、記者たちの苦笑は更に広がっていった。
誰にだって、今度の事件が「不経済」に見えるのだ。
「こんな割りに合わない事件を起こした男たちを、どう思われるんですか?」
と、記者の一人が三浦にきいた。
「おれにもわからないよ。正直いってね」
と、三浦はいった。
「警察は、何か隠してるんじゃないですか?」
「何をだい?」
「例えば、問題の急行『ノサップ1号』で、大金を根室に運んでいたとか、金塊を運んでいたとかですよ。三人の犯人は、それを知っていて、襲ったんじゃないんですか?」
「そんなことがあれば、ちゃんというよ。何も隠さなければならない理由なんかないからね」
三浦は、記者たちに肩をすくめて見せた。
「その話、信じていいんですね?」
「ああ、いいよ。三人の犯人が手に入れたのは、後にも先にも四十五万四千六百円なんだ」
「殴られて怪我した人は何人ですか?」
と、他の記者がきいた。
「七人だ。拳銃の台尻で殴られたのが、殆《ほとん》どだね」
「重傷者もいるんですか?」
「全治一週間というのが二人いて、全部で四人が今釧路市内のK病院に入っている。あとの三人は、応急処置だけですんでいる。入院した二人も生命《いのち》には別状ないよ」
「乗客は全員金を取られたんでしょう?」
「そうだ」
「地元の人間は家に帰ればいいでしょうが、八人の観光客はどうなったんですか?」
「CDカードを持っている人は、釧路市内で現金を下したが、ない人は国鉄が五万円までのお金を貸すことにしたということだよ」
「犯人三人のモンタージュは、すぐ出来ますか?」
「運転士と車掌を入れて、四十人の目撃者がいるんだからね。モンタージュは出来るが、何しろ覆面をして眼だけ出していた男たちだからね。それで犯人を絞っていけるかどうか、わからんよ」
三浦は苦い顔でいった。
その日の北海道の夕刊各紙に、この事件が大きく取りあげられた。
東京の新聞までが、紙面をこの事件のために大きく割《さ》いたのは、列車強盗というのが面白かったからだろう。
どの新聞記事も、どこかユーモラスな書き方をしていたのは、次のような理由によったと思われる。
第一は、列車強盗そのものが、時代離れしていたためである。
第二は、三人の男が拳銃を振り廻しながら、死者が一人も出なかったことである。
第三に、大げさな事件の割りに、被害金額が少かったことである。
〈拳銃三丁を用意し、覆面までして襲撃したのに、一人当り十五万円の収入では、ぜんぜん儲からなかったのではあるまいか〉
と、書いた新聞もある。
被害者たちの証言によれば、犯人は三人とも身長百七十五、六センチで、がっしりした身体《からだ》つきをしており、若く見えたという。
そのことから、次のように推理した新聞もあった。
〈ひょっとすると三人の犯人は、金を奪うことよりも、「列車強盗」という劇画調の行動そのものに、興味があったのかも知れない。そうでなければたった二両編成の列車で、この時期には乗客も少いとわかっている急行「ノサップ」を襲う筈《はず》がない〉
翌九月十一日の午前中に、三人の犯人のモンタージュが出来あがった。
だが、これが犯人の割り出しに役立つとは、三浦にはとうてい考えられなかった。
人間は眼に特徴があるといっても、それは顔全体が見えている時である。眼だけではどこの誰と限定できるだろうか?
午後二時に、釧路市内で白い八四年型のニッサンスカイラインが発見された。
盗難届が出されていた車だったが、車内に犯人たちが使ったと思われる覆面三つが落ちていたことで、がぜん注目された。その車は犯人が前日に盗んでおいて、九月十日の列車強盗に使ったものに間違いないようだった。
三浦はすぐ鑑識に頼んで、車の中の指紋を調べて貰った。
だが、ハンドルやシフトレバーには、指紋はなかった。乗客の証言でも、犯人たちは三人とも手袋をしていたというから、自動車の中でもはずさなかったのだろう。
三つの覆面は、黒い厚手の布地で出来ており、市販されているものではなかった。犯人たちが自分で作ったものらしい。それだけに販売ルートから犯人を割り出していくことは、無理のようだった。
もう一つ、わかったことがある。
犯人の一人が威嚇《いかく》のために射った弾丸のことである。
弾丸は2号車の屋根を貫通せず、鑑識が取り出し、東京の科研に送った。その答えが釧路署に報告されてきたのである。
しかし、その回答も、調査の足しになりそうになかった。
前科がなかったのだ。犯人の一人が射った拳銃は、過去に事件を起こしていなかったということである。
事件のあった別保─上尾幌間の聞き込みもはかばかしくなかった。
根室本線は釧路を出るとすぐ、根釧原野である。圧倒されるような雄大な原野の広がりに、初めて来た人は感動する。
別保は、釧路に通うサラリーマンが住むようになって、ベッドタウン化して来たが、それでも小さな町だし、更にここを出ると一四・七キロ先の上尾幌に着くまで、人家は見えず、荒涼とした原野が続く。別保の少し先まで、線路に沿って走っていた国道も、上下に分れて線路から離れてしまうのだ。
列車を襲撃するには絶好の場所といえる。が、それだけに事件を目撃した証人となると悲観的にならざるを得なかった。
事件当日の九月十日、翌日の十一日と二日間、刑事たちは聞き込みに動いたが、収穫はゼロであった。
こんな警察の苦労をよそに、新聞や週刊誌、それにテレビが勝手に犯人の推測を始めた。それも面白おかしくである。
本物の拳銃を持っていたから、暴力団員に違いないという安易な推理もあれば、国鉄に恨みを持っている人間説もある。
最近、若者の間ではやっているサバイバルゲームが高《こう》じたのではないかと書いた週刊誌もある。
国鉄が何かを隠しているのではないかという説は、根強く残った。三人の犯人たちが、五十万足らずの金を奪うためにわざわざ急行「ノサップ1号」を停める筈がないというわけである。
根室の銀行に送る二億円が、あの列車に積まれていて、三人組はそれを狙《ねら》ったのだとか、金塊が奪われたとか、どう考えても非現実的な話が週刊誌を賑わしたりした。
しかし、そんな週刊誌の記事やテレビの放送が、忘れられていくのと一緒に、事件そのものも忘れられていった。
釧路のK病院に入院していた乗客も、一人二人と退院して行った。
最後まで残ったのは、東京・世田谷に住む二十六歳のサラリーマンだった。
名前は、河野浩である。
一週間で医者は全治したと診断したのだが、本人は殴られたショックで、右眼が見えなくなってしまったといった。
それでもK病院の医者は信頼できないといい、八日目に退院すると、東京へ帰ってしまった。
列車強盗にぶつかった地元の人間三十人は、それぞれ普段の生活に戻り、八人の観光客の消息も聞かなくなった。いや、その消息にもう、マスコミは興味を示さなくなってしまったのである。
今の日本では次々に面白い事件が起きる。
保険金目当ての殺人事件は、相変らず起きているし、日本を代表するようなエリートサラリーマンが、突然、妻を殺してしまったりする。
そのたびに、マスコミは事件の周囲にむらがるのだ。時代おくれの「列車強盗」は、もうお呼びでないのである。
釧路署に捜査本部を置いた三浦たちだけが、黙々とこの事件を追い統けた。
何件かの情報も寄せられた。
しかし、三浦たちの間でも焦燥《しようそう》だけが深くなっていった。
三人の犯人は、どこかに消えてしまい、手掛りがつかめぬままに、日数だけが容赦なくたっていった。
民間からの情報も来なくなった。
事件から二週間目の九月二十四日を迎えて、三浦は完全に捜査が壁にぶつかってしまったのを感じた。
捜査本部の壁には、三人の犯人のモンタージュが貼りつけてあるのだが、それが全く役に立たなかったのである。
犯人たちの遺留品として、三枚の布製の覆面があるが、この線からの捜査も行き詰ってしまった。
迷宮入りも覚悟せざるを得ない事態になってきているのを、三浦は感じていた。
その九月二十四日の夜である。
三浦は夕刊を広げて次の記事にぶつかった。
〈事件の後遺症か
サラリーマン焼身自殺!〉
記事の内容は、こうだった。
〈二十四日の午前四時頃、世田谷区成城の「ガーデン成城」の305号室から出火し、1LDKの部屋を全焼してようやく鎮火した。焼け跡から、305号室に住む河野浩さん(二十六)の死体が見つかった。河野さんは去る十日、北海道に旅行した際、列車強盗に会い、その時、犯人の一人に殴られてから右眼が見えなくなったとなげいており、それを苦にしての焼身自殺と思われる〉
三浦はこの河野という男を覚えていた。
釧路市内のK病院に入院中に訪ねて行ったことがあるからである。
その時も、しきりに右眼が見えなくなったことをなげき、医者を罵倒していた。
東京に帰ってからも、結局、治らず、それを苦にして自殺したということなのだろう。
あの事件を、もう世間もマスコミも忘れてしまっているのだが、事件の当事者には、こんな悲劇も生れるのだ。
「この河野さんのためにも、犯人たちを捕えなきゃいかんな」
と、本部長の署長が三浦にいった。
河野浩という男の死は自殺だが、死なせたのは、あの三人の犯人である。
「この記事を励みにっていうのは、おかしいかも知れませんが、もう一度、事件を洗い直してみるつもりです」
三浦は、署長にいった。
第二章 焼身自殺の周囲
七階建のマンションの白い壁が305号室の周辺だけ無残に黒く焦げていた。
十津川《とつがわ》は亀井と二人で、焼けた305号室の辺りを見上げた。
新聞は、焼身自殺と書いた。事実、焼け跡の近くにいても灯油の匂いが鼻を打つ。
河野浩は、身体に灯油をかぶって火をつけたらしい。
しかし、自殺ではなく、他殺ではないのかという疑いが残ってもいた。
警視庁捜査一課の十津川が、部下でベテラン刑事の亀井と足を運んだのもそのせいだった。
二人とも、ここに来る前に、自殺の引金になったという根室本線の事件を調べてみた。
「カメさんは、片方の眼が見えなくなったら自殺するかね?」
と、十津川は亀井にきいてみた。
「私は、自殺しませんね。しかし、人間の性格はさまざまです。ちょっとしたことで自殺しますから、何ともいえません。この河野という青年にとって、右眼が見えなくなったことが死ぬほどの苦痛だったんでしょう。或いは、両眼失明の恐怖があったのかも知れません」
「どんな男だったのか、調べてみるか」
十津川は亀井とマンションの中に入って行った。
まず、管理人に会った。
五十五、六歳で、小柄な男である。
「市ヶ谷の不動産会社に勤めているというのを聞いたことがありますよ」
と、管理人はいった。
「結婚はしてなかったんだね?」
亀井がきいた。
「安月給じゃ結婚も出来ないと、笑っていらっしゃいましたがねえ」
「北海道へ旅行していたのは、知っていたかね?」
「北海道は知りませんでしたが、旅行に出かけたのは知っていましたよ。九月八日だったと思いますが、朝、会ったら、これから旅行に行くんだと笑っていらっしゃいましたからね」
「北海道で怪我をして、帰って来てからの様子はどうだったね?」
「前からあまり愛想のいい方じゃありませんでしたが、あの事件のあとは、いつも黒いサングラスをかけて、ほとんど誰とも喋らなくなっていましたね。会社もずっと休んでたみたいですよ。その気持はわかりますね。右眼が見えなくなってしまったわけでしょう。その上、左眼も駄目になるのではないかという心配もあったみたいですからねえ」
「自殺をほのめかすようなことは?」
「私はわからないんですが、隣室の方なんかに聞くと、一日中、部屋に閉じ籠《こも》っていたそうで、前から心配していたみたいですよ。しかし、火をつけなくてもねえ。隣室の方も迷惑ですよ」
管理人はちらっと本音を口にした。
迷惑を受けた隣室の人というのは、若い新婚のカップルだった。
夜明け前の事件で、あわてて逃げたのと消防が放水したために彼等の部屋も水びたしになってしまった。
夫の方は会社を休んでしまったという。
「ひどいもんですよ。自殺するのは勝手ですけど、他人《ひと》の迷惑も考えて貰いたいですよ」
と、彼は十津川に向って口をとがらせた。
若い二十一歳の妻は五カ月の身重なので、共働きをやめて家にいたために、河野の日常については夫よりよく知っていた。
「私は、ひょっとすると河野さんが自殺するんじゃないかと、思っていましたわ」
と、彼女は十津川たちにいった。
「なぜです?」
と、十津川はきいた。
「北海道から帰って来てから様子が変でしたもの。声をかけても返事をしないし、何も食べないで部屋に閉じ籠っているし、会社の人が心配して様子を見に来ても会おうとしないんです。眼が見えなくなることって、あんなにショックなことだったんですねえ」
彼女は、夫と違って死んだ河野に同情する口振りだった。
十津川と亀井は、河野が勤めていた不動産会社の人間にも会った。
社員二十五人の小さな会社である。河野の上司である課長は、死者に対する礼儀からか、悪口こそいわなかったが、その表情で、どちらかといえば、歓迎できない社員だったことが想像できた。
「優秀な社員でしたよ」
と、いいながら、その一方で、
「まあ、ちょっとやり過ぎるところはありましたが、この業界ではそのくらいでないといけません」
と、つけ加えたりした。
明らかにやり過ぎる方に重点があるのだ。
この不動産会社に勤めている、若い社員を探し出したが、こちらの方はもっと無遠慮だった。
「僕は、きっとこんなことになると思っていたんですよ」
と、井辺という二十五歳のその男は口をゆがめていった。
「それはなぜですか?」
十津川がきいた。
「一口でいえば、わがままな男でしたからね。勝手なんですよ。それに喜怒哀楽が激しかったですね。強気な男でしたが、案外、弱いところがあって、ぽっきり折れてしまうんじゃないかと思っていましたよ」
「それは、自殺ということですか?」
「右眼を失明したわけでしょう。普通はそのくらいでは自殺はしませんよ。それなのに彼は参ってしまって焼身自殺した。あの男らしいと思いましたね」
「彼の家族のことを、ご存知ですか?」
「両親は、もう亡くなっていた筈ですよ。おれは天涯孤独《てんがいこどく》なんだって、いってましたからね。だからおれは強いんだって、僕なんかにはいっていましたが、それはただの強がりで、本当は弱かったんじゃないですかね」
「恋人はどうですか? 知りませんか?」
「彼はなかなかハンサムですからね。ガールフレンドは出来るんだけど、深いつき合いにはならなかったんじゃありませんかね」
「それも、彼の性格のせいですか?」
「と、思いますね。感情の起伏が激しいんで、今どきの女の子はついて来なくなるんですよ。今の若い女の子は、第一に求めるのは男の優しさですからね」
と、井辺はいった。
少しずつ、死んだ河野浩という男が、十津川にわかって来たような気がする。
小さな不動産会社で働いていた二十六歳の青年。
仕事はやる方だが、感情の動きが激しくわがままで、同僚の人気はなかった。
そんな青年がたまたま休暇をとって、北海道旅行に出かけ、「列車強盗」にあって右眼を失明した。
河野は、そのことで意気消沈し、錯乱《さくらん》状態になってマンションの自室に灯油をまき、火を放って自殺してしまった。
これが全てだろうか。
死体は、もちろん解剖に廻された。
その診断書にも、十津川は眼を通した。
直接の死因は窒息である。火傷《やけど》もひどかったが、その前に煙にまかれて窒息していたのだ。
左手首を切っていることもわかった。恐らく、河野は自殺をしようとして部屋に灯油をまき、左手首を切ってから火をつけたのだろう。
ひょっとして、別人ではないかということもあったので、隣室の若夫婦や管理人に身元の確認をして貰った他、指紋の照合も行われた。
結果は、河野浩本人に間違いないというものだった。
「カメさんの意見を聞きたいな」
と、十津川が亀井にいった。
「それは、河野浩の死が自殺か他殺かということですか?」
「そうだ」
「どう見ても、これは自殺ですね。マスコミはとっくに、自殺の線で記事を書いていますよ」
「自殺を考える理由は何だい?」
「いくつかあります。まず、動機です。九月十日、河野はミニ急行『ノサップ1号』に乗っていて、強盗に襲われ、殴られて右眼が失明してしまいました。両眼が見えなくなるのではないかという不安が、絶えず、彼を怯《おび》えさせていました。その恐怖が高じての自殺です」
「なるほどね、他には?」
「彼の死は自殺か、さもなければ他殺ですが、河野には殺される理由がありません。彼が莫大な財産の持主というのなら、それを狙っての殺人ということが考えられますが、さして財産もなく、平凡なサラリーマンでしかありません。それに、これまで調べたところでは、河野にはこれといった敵はいません」
「北海道で、列車強盗を働いた三人の男がいたね。河野はひょっとして、彼等の中の一人を知っていたんじゃないか。カメさんはそうは思わないかね?」
「知られたから、彼等が河野を消したということですか?」
「あり得るだろう?」
「考えられなくはありませんね」
「河野は、彼等に片眼を失明するほど手ひどく殴られた。その時、三人のうちの一人が誰か、わかったのかも知れないね。前から知っていた男だったのかもわからない。もし河野に気付かれたとすれば、彼等は自分の安全を守るために、彼を殺すことをためらわなかったと思うね。秘密を守るために河野を殺したんだ」
「なるほど。どちらにしろ、河野の死には根室本線の事件が関係しているということになりますね」
「その点で河野という男は、不運だったといえるんじゃないかね。旅行好きだったのが災厄《さいやく》になった。その日、北海道に行ってなければ、根室本線の急行『ノサップ』に乗ってさえいなければ、死ななくてすんだわけだからね。彼の死が自殺であるにしろ、他殺にしろだ」
と、十津川はいった。
十津川は、自殺、他殺、どちらにも半々ぐらいの可能性があると思っていたのだが、大勢は自殺説に傾いていた。
マスコミは最初から自殺と書き立てていたし、警察全体の空気も自殺だった。
十津川たちに一応調べさせたのも、万全を期すためで、刑事部長や捜査一課長が他殺の疑いを持っていたからではない。
十津川の報告を受けた警察としても、河野の死を自殺と断定することになった。
十津川は別に反対はしなかった。彼も自殺の可能性を否定していなかったからである。
釧路警察署の三浦警部は、相変らず煙のように手応えのない犯人を追いかけていた。
いや、この喩《たと》えは適切ではないだろう。
三人の犯人は列車強盗という荒っぽい仕事をやってのけたのだから、煙のような存在ではない
三人の持っていた拳銃のうち、少くとも一丁は本物だったのである。
煙のようなどころか、ごつい相手なのである。ただ、いくら捜査を進めても、手応えが返って来なかった。
奪った金額は少いが、やったこと自体は大事件である。
三浦は恐らく、前科のある男たちと考えた。素人《しろうと》に出来ることではないと思ったのだ。
前にも同じような事件を起こしているのではないか。そう考えて、過去五、六年の間に起きた類似の事件を調べてみたのだが、列車強盗は皆無であった。
九月二十八日。
すでにこの地方では、朝夕の気温が十度を割って寒い。
午前九時頃、三浦は厚岸湖《あつけしこ》の湖岸で男の死体が発見されたという報告を受けた。
後頭部を鈍器で殴られたらしいというので、三浦はパトカーで現場へ急行した。
根室本線の厚岸駅の近くだった。
この辺りは一面の湿原で、葦《あし》が生い茂っている。
湿原の広さは十キロ近く続き、観光客を魅きつける秘境だった。
厚岸湖は深さ一メートルという浅い湖で、海水と淡水が入り混り、冬には白鳥が飛来することで有名である。
今は白鳥の姿もなく、観光客の姿もなく、晩秋の、というより、初冬の感じの冷たい風に枯れた葦が音を立てていた。
男の死体は根室本線のレールの近く、枯れた葦の上に横たわっていた。
厚岸の駐在所の警官が、緊張した顔で発見された経過を三浦に説明した。
下りの急行「ノサップ1号」が厚岸駅を発車するのは、午前七時○九分である。
次に厚岸に来るのは、上りの普通列車264D列車である。
この列車は根室発釧路行で、厚岸は七時五五分発だが、車掌が線路脇に倒れている男を見つけた。厚岸駅で駅員に知らせたのだという。
三浦は、途中からそんな報告を聞き流していた。
死んでいる男の顔に見覚えがあるような気がして、そのことの方に神経がいってしまったからである。
(どこかで見た顔なんだが──)
と、三浦は眉を寄せた。
なかなか思い出せないのだ。
「カメラが落ちていました」
と、現場周辺を調べていた部下の一人が大きな声をあげた。
その声で、三浦は突然思い出した。
(あの男だ)
と思った。
名前の方はまだ思い出せないが、九月十日の事件の被害者の一人なのだ。
確か写真家で納沙布岬の写真を撮りに行くので急行「ノサップ1号」に乗っていた男である。
三浦は屈み込み、死体の後頭部の傷を丁寧に調べた。
後頭部が陥没《かんぼつ》するほど強く殴られている。それも、何度もである。
恐らく、それが致命傷だろう。
ジーンズに革のジャンパー姿である。三浦はそのジャンパーのポケットを調べてみた。
八万円近く入った財布が見つかった。
太い金のブレスレットをしている。それも、盗《と》られていないのだ。
運転免許証も見つかった。
〈田原恒夫〉
という名前で、住所は東京だった。
(そうだ。田原か)
と、三浦は立ち上った。カメラを持って来た刑事に、
「中にフィルムは入っているか?」
と、きいた。
「いえ。入っていません」
と、刑事がいう。
カメラは使いなれた感じのニコンだった。
(フィルムは抜き取られたな)
と、三浦は思った。
田原はプロのカメラマンである。フィルムの入っていないカメラを持って、この湿原を歩いていたとは考えられないからだった。
死体を釧路警察署に運ばせたあと、三浦は厚岸駅に行ってみた。
田原は、この厚岸湖まで根室本線で来たか車で来たかだろう。
列車で来たのなら、厚岸で降りた筈である。
三浦の勘は当っていて、駅員が田原を覚えていた。
急行「ノサップ1号」でやって来て、厚岸で降りたという。この日、「ノサップ1号」から降りた客は二人しかいなくて、一人は地元の人間だったから、駅員は田原を覚えていたのである。
たった一人で急行「ノサップ1号」から降りたとなると、彼を殺した犯人は同じ列車で来たわけではないことになる。
三浦は釧路警察署の捜査本部に戻った。
彼は興奮していた。
壁に突き当った感じでどうしようもなかった捜査に、新しい展開が見られるかも知れないと思ったからである。
もちろん田原が殺されたことが、九月十日の事件と関係があるという証拠はなかった。
全く別の事件という可能性もある。
田原自身、九月十日の事件など忘れてしまって、北海道の納沙布岬の写真を改めて撮りに来たのかも知れない。
そして、厚岸で同じく東京からでも来ている人間と出会って、何かの理由でケンカになり殺されてしまったことだって考えられなくはないのだ。
最近、カメラマンは無遠慮に写真を撮り過ぎるきらいがある。
田原も現場近くでそんな写真を撮ったのではないのか。相手が怒ってしまい、ケンカになり後頭部を殴られて殺された。
それなら当然、犯人はカメラのフィルムを抜き取って逃げるだろう。
しかし、三浦は九月十日の事件に関係していると思っていた。
理屈ではなく、願望に近かった。
もし、田原が、九月十日の事件に関係したことで殺されたならば、行き詰っている捜査に希望が持てるかも知れないのだ。
三浦はすぐ、東京警視庁の十津川に電話をかけて、田原の死を伝えた。
「面白いですね」
それが、十津川の言葉だった。
十津川は亀井と二人で警視庁を出ると、石神井公園近くにある田原恒夫のマンションに向った。
「釧路署では九月十日の事件に関係があると思っているようだ」
と、十津川は車の中でいった。
「警部はどう思われるんですか?」
覆面パトカーを運転しながら、亀井がきく。
「正直にいってわからないが、面白いことになったという気がするね。殺された人には気の毒なんだが──」
「これで、二人目ですね。九月十日の事件の関係者が死んだのは」
「そうだな」
「まさか、次々に死んでいくんじゃないでしょうね」
亀井が冗談口調でいった。そんな小説があったような気がしたのだ。
十津川は笑って、
「その点は大丈夫だよ。九月十日にそういう目にあった乗客は、誰も犯人たちの顔を見てないんだ。覆面のわずかな隙間からのぞく眼しか見ていない。とすれば、犯人たちが、その時の乗客を殺さなければならない理由はないんだ」
と、いった。
石神井公園に着くと、二人は田原のマンションの前で車を停め、七階建の建物の中に入って行った。
管理人に、503号室を開けて貰った。
中年の管理人は田原が死んだことを知らなくて、十津川に聞いてびっくりしていた。
1LDKの部屋である。
田原が撮った風景写真のパネルが、壁に飾ってあった。
バスルームが暗室に改造されている。
自分は銭湯に行っていたのだろうか。
プロの写真家だから、ポジや写真はいくらでもあった。
十津川がその中から見つけ出したかったのは、九月十日の事件に関した写真だった。
もちろんあの時、三人の犯人たちは乗客の持っているカメラから全てのフィルムを抜き取ったということだから、事件そのものの写真はある筈がない。
その前後の写真でも、よかった。
「ありましたよ」
と、亀井が大声を出した。
「事件のあとの写真です。さすがにプロですね。フィルムを手に入れて撮ったんでしょう」
亀井が見つけたのは、三十六枚撮りのカラーフィルムで、五本分ぐらいのポジだった。
すかすようにして見てみると、事件のあとで入院した乗客や、他の乗客たちを撮っていたのである。
釧路署の中でお喋りをしている乗客たちも写っている。
入院した乗客の中には包帯をぐるぐる巻きにした、自殺した河野の顔もあった。
急行「ノサップ1号」の運転士や、車掌の顔を撮ってあった。
事情聴取に当った三浦警部も被写体の一つだった。
十津川はそれらの写真を持ち帰ることにした。
「田原さんは、なぜ殺されたんですか?」
と、管理人がきいた。
「それをこれから調べるんですが、最近田原さんの様子や話すことに、何かありませんでしたか?」
十津川は逆にきいた。
「何かって、どんなことですか?」
「田原さんが九月十日に北海道で列車強盗にあったことは、知っていますね?」
「そりゃあ、ニュースにもなったし、田原さんからも聞いたから知っていますよ」
「あの事件に関して、田原さんは何かいっていませんでしたか?」
「最近はぜんぜん話していませんでしたね。私も忘れてしまって、あのことは聞いたりしませんでしたが」
と、管理人はいった。
「田原さんの家族は、今どこに住んでいるんですか?」
「父親は亡くなって、母親が名古屋に住んでいると聞いています。それから大学へ行っている妹が母親と一緒だそうですよ」
と、管理人は教えてくれた。
警視庁に戻ってから、十津川は、名古屋にいる家族に連絡をとった。
電話に出た田原の妹の由美は、
「釧路警察署からも、ついさっき連絡がありました」
と、いった。
「すぐ、向うへ行かれますか?」
と、十津川はきいた。
「母が身体が悪いので、私がひとりで明日、釧路へ行きます」
「こんな時に申しわけないんですが、最近、お兄さんと電話で話されたことはありますか?」
「四、五日前に話しましたけど」
「どんなことですか?」
「今、いわなければいけませんの? 母がちょっと悪いものですから」
と、由美はいった。
「いや、またお聞きします」
といって、十津川は電話を切った。
十津川はそのあとしばらく考えていたが、
「どうだい? カメさん。われわれも、釧路に行ってみないか」
と、亀井に声をかけた。
「何かありましたか?」
「田原が殺されたのは、どうも九月十日の事件の続きのような気がするんだ」
「私もそんな気がします」
「もしそうだとすると、河野浩も自殺ではなく、殺されたのかも知れなくなる」
「しかし警部、あの方は他殺の証拠がありません」
「わかってる。だからひょっとすると、ということさ。どうだい? カメさん」
「部長が許可してくれますかね? 道警の事件ですから」
「こっちの事件でもあるさ」
と、十津川はいった。
十津川は何とか刑事部長を説得して、翌日、亀井と二人、釧路行の飛行機にのることにした。
第三章 一枚の写真
十津川と亀井は、午前九時三〇分発、釧路行の全日空741便に乗った。
夏の間は連日満席だったが、九月も末の今は、六十パーセントほどの乗客だった。
途中で少しゆれて、定刻の一一時○五分より八分ほどおくれて釧路空港に着いた。
タラップを降りると、さすがにひんやりした冷気を十津川は感じた。
空港には三浦警部が迎えに来てくれていた。
初対面のあいさつを交してから、三浦は待たせてある車に、十津川たちを案内した。
「田原恒夫は九月十日の事件に関連して殺されたと思いますか?」
車に乗ってから、三浦が十津川の意見を求めるようにきいた。
「そうだと面白いなと思っています」
と、十津川はいった。
亀井が、田原のマンションから持って来たポジフィルムを三浦に渡した。
「彼はそんなに写していたんですか」
と三浦は驚いていた。
「あなたも写っていますよ」
十津川が、笑いながらいった。
「この写真のために、田原が殺されたということは考えられませんかね?」
三浦が十津川にきいた。
「しかし犯人は写っていないんです」
と、十津川がいった。
「そうですね」
「それに彼のマンションの部屋は、荒らされていませんでした。もし、その写真のために殺されたのなら、犯人は持ち去ったんじゃありませんかね」
「持ち帰りたかったが、その余裕がなかったのかも知れませんよ」
「その可能性は、ありますね」
十津川は、逆らわずにいった。
田原は、急にまた、釧路を訪ねている。そして、同じ急行「ノサップ1号」に乗った。
何のために、そんなことをしたのか、肝心の田原自身が、殺されてしまった今となっては推理するより仕方がない。
単なる気まぐれだったのかも知れないし、事件のことで、何か気になって、出かけたということも考えられる。
三人の犯人の立場になって、考えてみたらどうだろうか?
自分たちが痛めつけた乗客の一人が、突然東京から釧路に飛び、事件の列車「ノサップ1号」に乗ろうとしたらどう考えるだろう?
平静に見過ごすことはできないに決っている。
彼等は、顔を見られないように覆面をし、手早く強盗を働いた。
使用した車も盗んだもので、指紋も残していない。
上手《うま》くやったのだ。
しかし、いくら上手く立ち廻った積りでも、不安なものに違いない。
そんな状態でいる時、田原が突然、釧路へ飛んだら、不安にならない方がおかしいのだ。
田原が何かをつかんだのではないかと、疑心暗鬼に襲われたのではあるまいか。
だから、追いかけて行って厚岸で田原を殺したのではないのか?
とすると、殺したあと、田原のマンションを調べる余裕が犯人たちにはなかったという三浦の推理が、正しいかも知れないのである。
十津川と亀井は、三浦の車で釧路警察署に着いた。
まず、捜査本部長の署長に、あいさつした。
「東京から、大変でしたでしょう」
と、三十代後半の若い署長は、十津川にいった。
「いや、飛行機で来ましたから。それにしても、列車強盗の次は、殺人では大変ですね」
「そうです。てんてこ舞いですよ。何とか突破口が見つかればいいんですが」
と、署長はいった。
夕方になって、田原の妹の由美が到着した。
二十一歳の長身の娘だった。
彼女が兄の遺体を確認したあとで、十津川は彼女がチェック・インしたホテルのロビーで会った。
由美は、十津川たちに会うなり、
「兄は、なぜ今頃、釧路へ来たんでしょうか?」
と、きいた。
「そのことなんですがね。お兄さんはここへ来る前に何か、あなたに連絡していきませんでしたか? 電話があったとは、聞きましたが」
「ええ。四、五日前に、電話があったんです」
「どんな内容の電話でした?」
「とりとめのない話をしてました。何か大事なことを話そうとして、電話したのに、途中で気持が変ったみたいな感じでした」
「釧路へ行くことも、話さなかったんですか?」
「ぜんぜん。その代わり、手紙が来ましたわ」
「それ、今、持っていますか?」
「ええ。持って来ました」
と、由美はいい、ハンドバッグから一通の封筒を取り出して、十津川に見せた。
「中を拝見して、構いませんか?」
十津川が、きいた。
「ええ。どうぞ」
と、由美はあっさりいう。
十津川は、中の便箋を取り出して、眼を通した。
生《き》まじめな性格がそのまま字となったような筆跡だった。角張った活字みたいな字である。これを書いた田原が死んでいなければ、自然に微笑が浮んでしまう感じの字なのだ。
だが、そこに書いてあるのは、シビアなことだった。
〈僕が北海道の根室本線で出会った事件を覚えているだろう。
あの事件のことで、ここのところ悩んでいることがある。疑問がわいて来て、消えてくれないんだよ。
ただ、その疑問はとっぴなので、他人《ひと》に話したら、笑われてしまいそうだ。由美なら聞いてくれるかな。これからそれを確認しに行ってくる。帰ったら、由美に話すから、聞いて欲しい。
同封の写真は由美が持っていてくれ。同じものが僕の部屋にもあるが、ひょっとすると盗まれるかも知れないんだ〉
封筒の中に一緒に入っていた写真は、釧路の病院で写したものだった。
三人の犯人に殴られて怪我をして、病院に運ばれた七人が写っていた。
ポジは田原のマンションにあって、これはそれを引き伸ばしたものである。
七人が写っているのだが、その中の河野浩の顔のところに、赤い丸がついていた。
十津川は、その写真を手に取って、じっと見つめた。
写真そのものは東京の田原のマンションで、ポジを見ているのだが、問題はなぜ、田原がこの写真だけを妹に送ったかである。
田原は手紙の中で、この一枚の写真が盗まれるかも知れないと書いている。
彼がなぜ、そんな風に思ったのか、十津川はその理由を知りたかった。
十津川は、手紙と写真を亀井に見せた。
「警部は、どういうことだと思いますか?」
亀井が十津川にきいた。
十津川は自分の考えをいう前に、由美に向って、
「お兄さんはなぜ、この写真をあなたに預けたと思いますか?」
と、きいてみた。
由美は、当惑した顔で、
「ここに来る飛行機の中でも、ずっと考えていたんですけど、結局わからないんです。その写真も、初めて見るものでしたし──」
「手紙の中に、この写真が盗《と》られるかも知れないと書いてありますが、お兄さんは誰が盗ると思っていたんですかね?」
「それも、わかりませんわ」
「お兄さんが誰かに狙われていると、あなたにいったことはありませんか?」
「いいえ」
「そうですか」
十津川は溜息をついた。
これだけでは、死んだ田原が何を考えていたのかわからない。
十津川は由美に礼をいい、部屋に引き取って貰ってから、預かった手紙と写真に改めて亀井と眼を通した。
「問題は、この写真だねえ」
と、十津川は亀井にいった。
「しかし、警部。ここに写っているのは、事件の被害者ばかりで、三人の犯人は写っていません。発表されても、犯人たちが困るというものじゃありません」
「そうなんだ。河野に赤丸がついているのは、彼がこの七人の中で死亡しているからだろうね。カメさんのいう通り、ここには犯人は写ってない。しかし、それならなぜ、田原カメラマンはこの写真をわざわざ妹に、意味ありげな手紙と一緒に預けたのだろうか?」
「この七人の中に、犯人の関係者がいるというようなことは、考えられませんか?」
と、亀井がいう。
「この中にかね?」
「そうです。仲間でなくても、三人の犯人の知り合いが、たまたま写っていたということかも知れません。田原はカメラマンですから、一般人より他人《ひと》の顔色を見るのが上手いというか、鋭かったんじゃありませんか。それで、この七人の中の一人が、覆面をした三人の犯人を見ていて、はっとした表情になった。それで思い出したんじゃないですかね」
「なるほどね」
「だが、自信がない。そこで、確かめにもう一度、釧路にやって来たんじゃないかと考えたんですが」
「その考えは面白いよ」
と、十津川はいった。
十津川は、釧路署に手紙と写真を持ち帰り、三浦警部に見せた。
三浦も興味|津々《しんしん》の顔で手紙を見、写真を見た。
「どう思われますか? 亀井刑事の考えは?」
十津川がきいた。
「調べてみましょう」
と、三浦は応じた。
七人の中《うち》、四人は地元の人間だった。釧路市内が一人、根室市内が二人、そして途中の厚岸の人間が一人である。
名前も住所も調べてあった。
田原が釧路に調べに来たとすると、この地元の四人に会いに来たと考えていいだろう。
三浦は根室警察署にも協力を求めて、この四人に当ってみることにした。
しかし、結果は思わしくなかった。
釧路市内に住む自動車修理工が、その一人なのだが、四十二歳のこの男は根っからの釧路っ子で、彼の過去をいくら調べても、犯罪と結びついて来ないのである。
田原がこの男と連絡をとった形跡もないし、調べた様子もなかった。
根室市内の二人も同様だった。
二人とも漁師である。根室署が二人にいろいろと質問したのだが、あの三人の犯人に、全く心当りがないという返事だった。
更に、この二人の漁師の友人、知人を洗ってみたが、その中に犯人と思われる人間は存在しなかった。
厚岸の一人は、六十二歳の女性である。
厚岸生れの厚岸育ちで、農業をやっている。
彼女の周辺にも、犯人と思われる人間は存在しなかったし、田原が連絡した形跡もなかった。
四人について、こうした結果が出たのは、翌日になってからである。
十津川と亀井は、釧路のホテルで一泊したあと、この結果を三浦から聞かされた。
「残りは三人で、三人とも東京から来た観光客です」
と、三浦はいった。
「その中の一人、河野は死んでしまっていますね」
「東京の人間のことを調べるために、わざわざ釧路には来ないんじゃありませんか?」
首をかしげて、三浦が十津川を見た。
「その通りです。あとの東京の二人ですが、昨夜電話して調べて貰ったんです。やはり田原から電話もなかったし、事件のあとで訪ねて来たこともないということでした」
と、十津川はいった。
「そうなると、田原は何のために釧路に来たんですかね?」
三浦がわからないという顔できいた。
十津川はちょっと考えていたが、
「この写真の人たちに、会いに来たのではないとすると、残る可能性は一つしかありませんね。もう一度急行『ノサップ1号』に乗るためです。そして現に乗っています」
「乗って、田原は何か発見したんでしょうか?」
「発見したから、殺されたのかも知れません」
と、十津川はいった。
だが、いったい、何を発見したのだろう?
「急行『ノサップ1号』の釧路発は六時二二分でしたね?」
十津川は確かめるように、三浦にきいた。
「そうです。早朝ですよ」
「今日一日、ホテルに泊って、明日乗ってみることにします」
十津川がいうと、三浦も同行するといった。
「出来たらあの日、『ノサップ1号』に乗務していた車掌にも同行して欲しいですね。一番よく当日の状況を知っていると思いますからね」
「国鉄に話してみましょう」
と、三浦はいった。
翌朝、十津川と亀井は五時半には眼を覚ました。
まだ、外は暗い。
「どんどん、陽が短くなりますね」
と、亀井がホテルの窓から外を見ていった。
六時に、三浦がホテルまで迎えに来てくれた。
「話がついて、鈴木車掌が一緒に行ってくれることになりましたよ」
と、三浦はいった。
釧路駅に着くと、その鈴木車掌が背広姿で待っていた。
五十歳ぐらいの小柄な男である。今日は非番だという。
「申しわけありませんね」
と、十津川がいうと、鈴木は手を振って、
「私も当事者の一人ですからね。一刻も早く犯人を逮捕して貰いたいと思っているんです。そのお役に立てば」
といった。
二両編成の急行「ノサップ1号」は、すでに3番線ホームに入っていた。
四人はうしろの車両に向い合って腰を下した。
「あの日も車内はすいていました」
と、鈴木車掌はいった。
「何か、事件を予感させるようなものはありましたか?」
十津川がきいた。
「何のことです?」
「妙な男が、ホームに立っていたり、出発時刻をきく電話があったりといったことですが」
十津川がいうと、鈴木は笑って、
「何もありませんでしたよ。今日もすいているなと思ったのを覚えているだけです」
といった。
急行「ノサップ1号」が発車した。
今日は曇り空である。肌寒い一日になりそうだった。
「あの日はよく晴れていましたよ」
と、鈴木はいった。
釧路の駅も、霧に蔽《おお》われていたが、列車が駅を離れても、霧はなかなか晴れない。
その霧がやっと晴れたと思うと、いつの間にか釧路の市街は消えて、窓の外は広大な釧路湿原である。
「素晴らしい!」
と、思わず十津川は声をあげていた。
東釧路、別保と過ぎる。どちらも小さな駅なので、急行「ノサップ1号」は停車しない。
「次の上尾幌まで、一四・七キロの間、駅がありません」
と、鈴木車掌がいった。
「つまり、列車を襲うには最適な場所ということです」
三浦が、横からいった。
しかも窓の外を見ると、人の気配のない原野が続いている。
このあたりは、風が強いのだろう。樹々もねじれて、背が低い。
七分、八分と走り続けても、鈴木車掌のいうように次の駅には着かず、人家も見えない。
(確かに、列車を襲うには絶好の場所だな)
と、十津川は思った。
しかも、車内はガラガラで、大部分の乗客は朝が早いので眠っている。
(だが、なぜこんな小さな急行を襲ったのだろうか?)
その疑問はどうしてもついて廻る。
利口な猟師なら獲物が少いとわかっていて、襲ったりはしないだろう。
三人の男が拳銃片手に、列車を襲撃して手に入れた金は、全部で五十万円にもならなかったのだ。
こんな割りの合わない犯罪はない。
列車に重要人物が乗っていて、その人間を殺すのが目的だったというのならわかるが、それもなかった。
現に、乗客は一人も殺されていないのである。
「間もなく、襲われた場所です」
鈴木が、窓の外を見ながらいった。
亀井が、持って来たカメラで写真を撮りまくっている。
「次は、上尾幌でしたね?」
と、十津川が鈴木にきいた。
「そうです。急行は停まりません」
「しかし、あの日は停まったんでしょう?」
「怪我人が出ていたし、一刻も早く警察に通報しなければなりませんでしたからね」
「今日も、何とか臨時停車して貰えませんかね。上尾幌で降りてみたいんです」
と、十津川は頼んだ。
鈴木はすぐ運転席に話しに行った。
三浦警部も頼みに行って、臨時停車してくれることになった。ローカル線ならではのことだろうし、事件解決のためという錦の御旗が、役に立ったらしい。
上尾幌に停車して、四人はホームにおりた。
四人は、原野の中を走る線路に沿って、別保の方に戻って行った。
改めて、人間の気配のないのを十津川は感じた。
広大な原野の中を、単線のレールが延々と走っているのを見ると、いかにも大自然の中にいるという感じがする。何しろ、一四・七キロの間、駅がないのだ。
「ああ、ここです」
と、しばらく歩いてから、鈴木車掌が立ち止まった。
枕木に、まだ焦げた痕が見えた。
「犯人たちは、ここで火を燃やして列車を停めたんです」
と、鈴木がいう。
「この近くに国道が走っていますか?」
「国道44号線が走っていますよ。犯人たちは盗難車で国道に逃げ、釧路市内でその車を捨てています」
と、三浦がいった。
十津川はレールの傍に佇《たたず》んで、煙草に火をつけた。
(犯人は十分に計画し、実行したのだ)
と、改めて思った。
それにしては情報収集に欠けるところがあったように思える。
四十五万円余りしか、手に入れられなかったからである。
「犯人たちの目的は、本当は何だったんですかね?」
亀井が、十津川の疑問を代弁するように声に出していった。
「やっぱり、金が目的じゃなかったんですか?」
と、鈴木車掌が反問するようないい方で亀井を見た。
「しかし、奪われた金は五十万円にもたらなかったんでしょう?」
「そうですがね。犯人たちは金を奪う以外、何もしていないんですよ。反抗して殴られた人はいましたが」
「確か全員を前の車両に押し込めて、一人ずつ後の車両に呼び出して、金を出させたんでしたね?」
十津川が、鈴木にきいた。
「そうです」
「手際はどうでした? よかったですか? それとも、もたもたしていましたか?」
「素早くやっていましたよ。乗客の方がもたついたり、反抗したりすると、いきなり拳銃で殴られましたがね」
「すると最初から金を奪う目的だったのかな?」
十津川は腕を組んで考え込んだ。
何か別の目的があって急行「ノサップ1号」を停めたのではないかと、十津川は考えていた。
ある特定の人物が乗っていると思い込んで、強制的に列車を停めた。
しかし乗り込んでみると、その人物はいなかった。
そこで目的を隠すために、列車強盗に変身したのではないのか、とである。
しかし、鈴木車掌の話では、最初から強盗が目的だったようにも思えてくる。
四人はまた、上尾幌へ戻ることにした。
上尾幌から上りの普通列車に乗って、釧路に帰った。
実際に急行「ノサップ1号」に乗ってみて、十津川はかえって疑問が大きくなってしまったのを感じた。
由美は解剖のすんだ兄の遺体を、釧路で荼毘《だび》に附し、遺骨を抱いて名古屋に帰って行った。
十津川と亀井は、あと一日釧路に残ることに決めた。
何とかして、田原が釧路へ来た理由を知りたかったからである。それは、妹への手紙に、なぜ、負傷者の写真を入れておいたのかという理由の解明でもある。
ホテルにいても答えが見つからないと、十津川と亀井は釧路の町を歩いた。
釧路はロマンチックな霧の町という別名がある。
しかし、十津川と亀井はそんなロマンチックな心境にはなれなかった。
「田原は何かに気付いたんだ」
と、十津川は歩きながら、事件を整理するようにいった。
「だから、釧路に来て、急行『ノサップ1号』に乗ったんでしょうし、殺されたんだと思いますね」
亀井がいった。
二人は、旧釧路川にかかる幣舞橋《ぬさまいばし》を渡って歩き続けた。
「田原が気付いて、われわれが気付かないのはなぜだろう?」
十津川が首をかしげながらいった。
「彼は事件の中にいました。被害者の一人です」
「だが、他の被害者は気付いていないようだよ。鈴木という車掌も含めてね」
「そうですね」
「田原が雑誌カメラマンで事件の直後に乗客たちの写真を撮っていたからかな」
「それはありそうですね」
「そして、あの写真にぶつかる」
「田原は、河野の死に疑問を持っていたんじゃないでしょうか」
「自殺じゃないと考えていたということかい?」
十津川がきき返した。
幣舞公園に来ていた。
花時計がきれいだ。だが、それも二人の眼に入らない。
二人は今来た道をホテルに引き返すことにした。
「違いますかね?」
と、亀井がきく。
「すると、あの写真の河野のところに、赤丸がついているのは、七人の中で彼が死んだからではなく、その死に疑問があったからということになるね」
「ええ」
「しかし、カメさん。河野の死の疑問について調べるのに、なぜ釧路へやって来るんだ。河野は東京の人間で、東京で死んでるんだ。死因に不審を持ったとしても、東京で調べられると思うんだがね」
「そうなんです。しかし、田原は釧路へやって来て、急行『ノサップ1号』に乗ったんです」
「雑誌社へ電話してみよう」
と、十津川はいった。
ホテルの部屋に入ってから、十津川は前に納沙布岬の写真を田原に頼んだ東京のR社に電話をかけた。
編集長の今村という男が、電話口に出てくれた。
「例の事件の時、納沙布岬の写真を頼んだのは、確かにうちです」
と、今村はいった。
「あんな事件にぶつかったのに、ちゃんと写真を撮って来てくれましたよ」
「今度、また釧路へ行ったことは知っていましたか?」
と、十津川はきいた。
「いや、ぜんぜん知りませんでしたね。うちで頼んだわけじゃないし──」
「事件のあと田原さんと、話をしたことがありましたか?」
「例の事件のことで?」
「ええ」
「話をしましたよ。最初は何とまあ、古色蒼然とした事件だろうかということでね。笑い話みたいに話していたんですがね」
「それが違って来ていたんですか?」
十津川は興味を持ってきいた。
「それなんですがね。私はいくら考えても、子供っぽい事件としか思えないんですよ。被害者の乗客の皆さんは、さぞ、怖かったろうと思いますがねえ。ところが、最近、田原さんに会ったら、様子が変なんですよ」
「どう変だったんですか?」
「一言でいえば、深刻に考え込んでいましたね」
「具体的に話してくれませんか」
と、十津川はいった。
「会ったのは三日前でしたかね。浮かない顔をしているんで、どうしたんだときいてみたんです。そしたらいきなり怖くなったというんですよ。わけがわからないから誰かに脅迫でもされているのかと思いました。写真家というのは、時々|他人《ひと》の秘密に踏み込むような写真を撮ることがありますからね。その相手がヤーさんだったりすると怖いことがあるんです。田原さんは例の事件のことだというんです。しかし、被害者の君が怖いというのは、どういうことなんだとききました」
「何という返事がありました?」
「今ははっきりしたことはいえないが、怖くなっているんだというわけです」
「よくわかりませんが──」
「私だって、わかりませんよ。ひょっとすると犯人に心当りがあるので、怖いといっているのかなと思いました」
「私もそう思いますが、違うんですか?」
「犯人の心当りは、全くないといっていましたね」
「じゃあ、田原さんは何を怖がっていたんですか?」
「それをきいたんですがねえ。まだはっきりしないし、今いえば笑われるからいえないといっていました。釧路へ行ったのも、疑問を解きにじゃないかと思いますがね」
「田原さんは事件の直後に、乗客の写真を撮っているんですよ。犯人に殴られて、怪我をして入院した乗客のものです。その写真は見たことがありますか?」
「いや、見ていません。見せてくれることになっていたんですがね。なぜか、急に見せてくれなくなりましたね」
「それで理由を聞いたことはありましたか?」
「いや。私の方であの事件そのものに関心がなくなりましたからね」
と、今村はいった。
今村が知っているのはそれだけだった。
「どうもはっきりしないねえ」
十津川はいらいらする気持をおさえて、亀井にいった。
「問題は田原が何を調べに釧路へ来て、急行『ノサップ1号』に乗ったかですね」
「そうだな。事件の日のことを思い出そうとしたんだろうが」
十津川は今日乗った「ノサップ1号」のことを思い出していた。
たった二両だけで編成された急行である。
北海道の原野をことこと走って行く小さな急行列車。
あの列車そのものに、秘密があるわけではないだろう。
三人の犯人に襲われた事件に、問題があるに決っている。
「田原を殺したのは、その犯人たちだろうか?」
十津川が呟《つぶや》いた。
「他に考えられませんが」
と亀井がいう。
「じゃあ田原が一度犯人たちに近づいたということになるのかね。だから殺したと」
「常識的に考えれば、そうなりますが」
「なぜ、田原が近づけたのかねえ? われわれ警察はいまだに一度も犯人たちに近づいていないんだ」
「それはやはり、例の写真ということになるんでしょうが──」
亀井がいう。
十津川は何か堂々めぐりをしているようないらだたしさを覚えた。
この写真が、問題なのはわかっているのだ。
田原がわざわざこの写真だけを妹の由美に預けていたからである。だがどこに問題があるのか。
十津川はもう一度由美から預かった写真を取り出して、テーブルの上に置いた。
どう見ても、問題のありそうな写真には見えない。
七人の男女が写っている。
頭や手に包帯を巻いている。あの日、犯人たちに手ひどい目にあった証拠だ。
七人の中、右眼が失明した河野浩は、絶望から自殺したが、あとの六人は生存している。
六人の全員に当ってみたが、怪しいところはないし、彼等が犯人を知っている様子もなかった。
「これから、どうされますか?」
と、亀井がきいた。
「わからないよ。この写真のどこに秘密があるのか、わかればいいんだがね」
十津川は小さな溜息をついた。
翌日、十津川と亀井は東京に帰った。事件解明の手掛りをつかむ気で、釧路に出かけたのだが、かえって疑問が増えてしまった感じだった。
帰ってすぐ、十津川に電話が入った。
「北島です」
と、男の声がいったが、とっさにどこの誰か思い出せなくて、
「失礼ですが、北島さんというと──?」
「不動産会社の北島です。河野君のことでいつかおいでになったでしょう?」
「ああ、あの時の」
自殺した河野が勤めていた不動産会社の彼の上司だった。
「それで、何の御用ですか?」
と、十津川はきいた。
「電話で質問されたことなんですが──」
「ちょっと待って下さい。そちらにお訪ねしましたが、そのあと電話で質問したことはありませんよ」
「おかしいな。田原さんというのは、そちらの刑事さんじゃないんですか?」
と、相手がきく。
(あの田原が)
と、十津川は思い、
「どんなことを電話で、きいたんですか?」
「やはり、おたくの刑事さんだったんですね?」
「まあ、そうです。それで、彼はどんなことを電話できいたんですか?」
「河野君のことです。前に何か事件を起こしたことはないかという質問でした。すぐには返事ができないので、あとでお返事するといっておいたんですが」
「それで河野さんは、前に事件を起こしているんですか?」
「いや、調べたんですが何もありませんでした。それをお知らせしようと思いましてね」
「田原が質問したのはそれだけですか?」
「そうです」
と、北島はいった。
十津川はまた考え込んでしまった。
(田原は死んだ河野浩に関心を持っていたのだ)
と思った。
死因に疑問を持っていたのか?
それなら、自殺と断定した警察に問い合わせてくるのではあるまいか? それに河野の遺体を解剖した医者にである。
河野の遺体はK大病院で解剖されていた。
十津川は念のためにK大病院に電話をかけてみた。しかし、田原から問い合わせの電話はかかっていなかった。
田原は死因に疑問を持ったわけではなかったらしい。
(いったい、何に疑問を持ったのだろう?)
それがわからないのだ。
十津川が新しい疑問にぶつかって、当惑している時に、三上刑事部長から呼ばれた。
部長室に行くと、本多捜査一課長も一緒だった。
もう一人、四十五、六歳の男がいた。
「仙台から来られた仙台地検の小野検事だ」
と、三上がその男を十津川に紹介した。
痩身《そうしん》で、穏和な顔付きの男で、あまり検事らしくなかった。
「十津川です」
とあいさつしてから、十津川は本多一課長に眼をやった。
「河野のことだがね」
本多がいった。
「焼身自殺した河野浩のことですか?」
「そうだよ。その男のことでその後何かわかったことがあるかね?」
「自殺ということで、河野自身のことは調べていませんが、彼が原因ではないかという殺人が一件、北海道で起きています」
「それは間違いありませんか?」
小野検事が急に眼を光らせて、十津川にきいた。
「確信はありませんが」
「ぜひ、その話を聞きたいですね」
と、小野がいった。
「なぜですか? まず、その理由から聞かせて貰えませんか」
十津川が小野を見ていった。
第四章 過去の事件
小野検事はゆっくりお茶を飲んでから、
「現在、仙台地検で、一つの裁判が進行中です。県会議長も務めたことのある、宮城では有名人ですが、園田祐一郎という男がいましてね。この男が個人秘書の二十八歳の女性を殺した容疑で裁判にかけられているのです」
「そのことと河野浩と、何か関係があるんですか?」
「園田以外に犯人はいないと思われるのですが、証拠の弱い事件でしてね。われわれ、検事側としては、苦しい立場に立たされているわけです」
小野の話はなかなか核心に近づかない感じだった。
十津川は、辛抱強く、小野の話が先に進むのを待った。
「事件は、宮城県の鳴子温泉で起きています。園田は、新しい女を連れて鳴子に遊びに行ったんですが、それを知って、殺された女、本橋ゆう子という名前ですが、彼女が追いかけて行ったわけです」
「なるほど」
「園田と、本橋ゆう子がSというホテルで、大ゲンカをやったことは、何人かの証言があります。その翌日、本橋ゆう子が近くの河原で、死体で発見されました。背後から絞殺されてです。警察は殺人容疑で園田を逮捕しました」
「彼は否認しているわけですね?」
「終始否認しつづけています。しかし、園田以外に、本橋ゆう子を殺す人間はいないのですよ。彼女に対する園田の愛情が最近さめて、よくケンカをしていたこともわかりましたし、現場に園田のものと思われるライターが落ちていました。彼は知らないといっていますが、彼の指紋が検出されているんですよ。それを指摘すると、ライターは盗まれたといっていますがね」
と、小野はいった。
「それだけでは、公判の維持が難しいんですか?」
と、十津川がきいた。
「何しろ相手は宮城県の名士ですからね。前科もない。いろいろと悪い噂のあった人物でもありますが、よほど強力な証拠なり、証人が必要です。このままでは起訴したことが、失敗だということになりかねません」
小野は正直ないい方をした。そのいい方に、十津川は好感を持った。
「それで、われわれに何か援助が出来るわけですか?」
「実は公判が始まってからも、必死になって、証人を探していたんです」
「どんな証人ですか?」
「鳴子で園田が女を殺すところを見た目撃証人です」
「そんな証人がいるわけですか?」
「いるんです」
「それなら、その証人を裁判で起用すれば勝てるでしょう?」
「勝てます」
と、小野はいってから、
「園田が逮捕されたあと、電話がありましてね。自分は園田と思われる男が、河原で女を絞殺するのを見た。裁判になったら証人として出て、証言してもいいという男の声があったんです。いろいろ質問してみたんですが、実際に見ていなければわからないことを知っている。それで目撃したことは、間違いないと感じたわけです」
「名前や住所はわかっているんですか?」
「名前は横山修二、東京の人間で観光に来ているといいましたが、それだけいって電話を切ってしまったんですよ」
「それで鳴子のホテルや旅館を探したわけですね?」
「探しましたが、横山修二という名前は、どこのホテルや旅館にもなかったんですよ」
「なるほどね。でたらめな名前をいったわけですね」
「住所もです。しかし、電話の主が犯人を目撃したことは、間違いないのです。それに喋り方は、いわゆる標準語でした。ということは地元の人間ではなく、事件当日、鳴子のホテル、旅館に泊っていた観光客だろうということはわかりました。それで一人一人調べていったわけです。そしてやっと、これはという男を見つけ出したんですが──」
小野は言葉を切って、三上部長を見た。
三上は相手の言葉を引き取るような恰好で、
「それが死んでいたんだよ。十津川君」
「死んで? というと自殺した河野浩ですか?」
「そうなんです」
と、小野は肯《うなず》いて
「不動産会社に勤める河野浩です。やっと見つけて、さっそく証人として出廷するように頼みに行ったんですが、焼身自殺をしたことを知りました。ショックでしたよ」
「横山修二という名前は何だったんですか?」
「彼の友人の名前でした。私が名前をきいた時、とっさに友人の名前をいったんだと思いますね」
「河野浩はいったん証人になると電話しておいて、なぜ逃げたんですかね?」
「多分、園田の評判を聞いて、怖くなったんでしょう。今もいったように、名士ですが、同時に暴力団にも顔がきく男でしてね。その面では危険な人間なんです。それだけになおさら、何としてでも彼を有罪に持ち込みたいんですよ」
小野は熱っぽくいった。
十津川は考えていたが、
「小野さんは何か隠していますね」
「何をですか?」
「現場に落ちていた指紋つきのライターと、出廷してくれるかどうかわからない男の二つだけで、起訴したとは思えませんね。他にも何か有力な証拠があったんじゃありませんか?」
と、十津川はきいた。
小野は笑って、
「参りましたね。正直にいうと、もう一人目撃者がいたんです。地元の人間で、小学校の教師です。夜釣りに来て、河原で犯人を目撃したのですが、最初は正義感に燃えて、公判では証言すると約束してくれていたんですがね」
「急に怖くなったというわけですか?」
「それだけならいいんですが、われわれの気がつかない中に、海外へ出てしまった。そして目下行方不明です」
「旅行費用なんかは、園田側の人間が出したということですか?」
「そうです」
「それで、第二の証人の河野浩を探したということですね?」
「そうです。見つけたと思ったら、死んでいました。あれは本当に自殺だったんでしょうか?」
今度は小野がきいた。
「右眼を失明し、左眼も見えなくなるのではないかという恐怖と絶望から、自殺したということで解決している事件です。右眼が見えなくなってから、河野は会社を休み、自棄《やけ》気味な言動が多くなっていたことは、マンションの住人が証言しています」
「殺されたということは、考えられませんか?」
「ちょっと考えられませんね。殺されたとなると、どうなるわけですか?」
十津川がきき返した。
「殺したとすれば、園田側の人間が犯人ということが考えられます。園田が親しくしていた暴力団員がやったのではないかと思うんですよ。それが証明されれば、裁判が有利に進められます。犯人が園田の指示で、証人を殺したことになればです」
「どうだね? 十津川君。殺しの可能性はないのかね?」
三上部長もきいた。
「そうですね。もう一度調べ直してみましょう。河野浩が殺人事件の目撃者だということは、知らずに調べましたから」
と、十津川はいった。小野は更に付け加えるように、
「園田も小学校の教師の他に、もう一人目撃証人がいることは、うすうす感づいていたと思われるんです。自分の命取りになることですから、部下に命じて必死で探していたと思われます。われわれより、ある意味では自由に動ける組織を持っているんですよ。今まで河野浩を見逃していたとは、考えられないのです。だから死んだとわかったとき、私はてっきり園田の部下が、口を封じたと思いました」
と、いった。
「期限がありますか?」
と、十津川は小野にきいた。
「一週間後に公判が再開されます。それ以上は引き延せません。もし、それまでに新しい証拠か証人か、或いは証人を殺した人間を見つけ出さないと、この裁判はこちらの敗けになるでしょうね」
「一週間ですか」
「何とかなるかね?」
本多捜査一課長が、心配そうに十津川を見た。
「何ともいえません。ただ、河野浩の自殺を、殺人事件の裁判との関連で見たことはありませんでしたからね。何か新しい発見があるかも知れません」
と、十津川はいった。
「それを期待していますよ」
小野検事がいう。
十津川は違うというように首を振って、
「新しい発見が、必ずしも小野さんの期待するものになるかどうか、わかりませんよ」
と、いった。
十津川は自分の部屋に戻ると、亀井に今の話を伝えた。
「あの河野浩が殺人事件の証人だったんですか?」
亀井も興味を感じたという顔になった。
十津川は小野検事がくれた「園田祐一郎」の略歴と解説を書いたメモを亀井に見せた。
〈園田祐一郎。六十歳。高等小学校を出ただけで、戦後土建業を手がけて財産を作り、県議会選挙に打って出る。
猛烈な買収作戦で逮捕者を出しながらも当選。
以後当選を重ね、議長に就任。議長時代、東北新幹線の土地買収に介入して、巨万の利益を得たといわれる。
暴力団との黒い交際を噂されて辞任したが、いぜんとして宮城県の政、財界に大きな力を持っている。
県下で一、二の組織を持つN組の組長、小笠原利夫とは親しい友人関係にあり、目撃証人が海外に逃亡した件には、この小笠原が動いたと見られている〉
「なかなかの人物らしいですな」
と、亀井はいった。
現在、公判中の園田祐一郎とN組の組長、小笠原の写真も、小野から渡されていた。
「もう一度、河野浩のことを調べてみよう」
と、十津川はいった。
改めて二人は河野が住んでいたマンションに足を運んだ。
河野の部屋はすでにきれいに壁などが塗りかえられ、「空室あり」の札が出ていた。
十津川たちは管理人や、隣室の人に怪しい人間が河野のことを調べに来ていなかったかをきいてみた。
「特に、自殺する直前ですが」
と、十津川がいうと、誰もが首を横に振った。
「そんな人はぜんぜん見ませんでしたよ」
と、一様に否定した。
誰かに脅かされているという感じではなかった。
河野が働いていた不動産会社でも、同じだった。
死ぬ直前、誰かが河野を訪ねて来たことはないというのである。
十津川は前にざっくばらんに河野のことを話してくれた同僚の井辺にも会った。
「もう、話すことはありませんよ」
と、井辺はいった。
「河野さんは鳴子温泉に行ったことがある筈なんですが、覚えていますか?」
十津川がきいた。
「よく旅行する男でしたからね。それ、いつのことです?」
「今年の三月上旬です。八日前後ですが、覚えていませんか?」
「そういえば、お土産にこけしを貰ったことがありますよ。男の僕が貰っても仕方がないんですがね」
「その時、旅行から帰ったあと、河野さんの様子がおかしくはありませんでしたか?」
「さあ。もともとちょっとおかしなところのある奴でしたからね」
と、井辺は笑った。
十津川の方はニコリともしないで、
「河野さんは鳴子で殺人事件を目撃しているんですよ」
「へえー」
「それで、宮城県警に電話を入れて、自分が証人になってもいいといっているんです。東京に帰ってから電話したんだと思いますがね」
「しかし、目撃してすぐ警察にいわなかったんですか?」
「それはわかりません。多分、関わり合いになるのが、嫌だったんでしょう。だが一方で良心がうずくので、あとになってから偽名で電話したというわけですよ」
「そんな話は聞いたことがなかったですね。奴は秘密主義で、大事なことほど他人《ひと》に話しませんでしたがね」
「北海道であんな事件があって、怪我をして帰ってからはどうですか?」
と、十津川がきくと、井辺は笑って、
「あのあとはずっと欠勤で、自殺するまで会社へ来ませんでしたから、わかりませんね」
「では河野さんのことを、誰かがしつこくききに来たことはありませんでしたか?」
「河野のことをですか?」
井辺はおうむ返しにいってから、しばらく考えていた。
「そういえば、一度三十歳くらいの男に、会社の帰りにつかまって、河野のことをいろいろと聞かれたことがありましたよ」
「いつ頃のことですか?」
「奴が北海道へ行く一週間くらい前だったと思うんだけど──」
「どんな男でした?」
「背広姿の普通の男ですよ。ただちょっと眼つきが鋭かったかな。だから刑事かと思ったんですがね」
「どんなことを聞いたんですか?」
「そうだ。河野が鳴子へ行ったことはないかともきかれましたね。あとは年齢とか性格とか住所とかです」
「それで何と答えたんですか?」
「正直に話しましたよ。あの男は妙なこともいってましたね」
「どんなことですか?」
「河野が横山何とかという名前を使ったことはないかってきくんですよ。そんなことはないって、いってやりましたがね。あれは何だったんですかね」
「さあ」
と、十津川はあいまいにいってから、
「その三十歳くらいの男の顔は、覚えていますか?」
「ええ。一時間近く、いろいろ聞かれましたからね。覚えていますよ」
と、井辺はいった。
十津川は彼に協力して貰って、その男のモンタージュを作ることにした。
どうやら一つだけわかった。
河野が北海道へ旅行する前、三十歳くらいの男が彼のことをあれこれ調べていたことである。
恐らく園田に関係ある人間だろう。N組の人間かも知れない。
河野は危険が迫っているのを知っていたのだろうか?
北海道へ旅行したのは、逃げる気もあったのか?
「気になるのは、例の強盗事件と田原が殺された件ですね」
と、亀井がいう。
「私もそれが気になるんだ。この二つの事件は仙台地検で進行中の裁判と関係があるかどうかということがね」
「田原が河野の死に疑問を持っていたことは間違いありません。彼は河野が殺人事件の証人であることを、知っていたんでしょうか?」
「妹さんに聞いてみよう」
十津川は、すぐ田原の妹の由美に、電話をかけてみた。
だが、由美は兄がそんな話をしたことはないといった。
十津川と亀井は田原のマンションにもう一度足を運んだ。
今年の三月に起きた鳴子での殺人事件のことを書いた新聞記事なり、週刊誌なりを田原が集めていたことはなかったか、それを知りたかったからである。
しかし、いくら部屋の隅まで調べても、そんなものは見つからなかった。
「どうもわからないね」
十津川は田原のマンションを出たところで、思わず溜息をついた。
「田原は河野が殺人事件を目撃していたことを、知らなかったんじゃないですかね」
と、亀井がいう。
「しかし、それならなぜ田原は河野浩の死に、関心を持ったんだ? 自殺に疑問を持った気配もある。その理由がわからなくなってくるよ」
「それはそうなんですが──」
「もう一つは、例の三人組の列車強盗か」
「鳴子の殺人事件と関係があったかどうかですが」
「関係があるかも知れんよ」
急に十津川が眼を光らせた。
「どんな風にですか?」
「今まで犯人たちの目的が何だったのか、わからなかったんじゃないか。奪われた金が五十万円にもならないんだからね。こんな不経済な強盗はないよ。しかし、乗客の一人、河野浩が目当てだったらこんな小さな急行を狙った理由がよくわかる。金を奪ったのは本当の目的を隠す行為だったんだよ」
「しかし警部、犯人たちは河野を殴って怪我させましたが、殺してはいません」
「脅しなんだよ。三人組は一人ずつ、呼びつけたといわれている。河野も一人で三人組の前に行った。その時三人組が三月の鳴子の事件について、何か喋ったら殺すぞと脅したんじゃないかな。右眼が見えなくなるほど殴ってもいる。河野はすっかり怯えてしまったんだよ」
「なるほど。そういう解釈も成立しますね」
「帰京した河野は、すっかり怯えてしまって、会社へも出なくなった。恐怖と両眼が見えなくなるのではないかという恐れから、ノイローゼ状態になって火をつけて自殺してしまった」
「なるほど。筋は通りますが」
「どこか不満かね?」
「脅してもその脅しが果して有効だったかどうか、犯人たちは知りたかったと思うんですよ」
「そうだろうね」
「そこで不思議なんですが、列車強盗のあと犯人たちは河野の周囲に現われていません。マンションの連中も怪しい人間を見ていないといっています」
「確かにそうだったね」
「そこがわからないんですよ。もし三人組が証人としての河野を目当てに急行『ノサップ1号』を停めたのだとしたら、なぜ殺さなかったんですかね?」
「殺したら、警察が必死になって捜査する。河野が、大事な目撃証人だったとなれば、殺したのは園田の仲間だと子供だって見当がつく。それが嫌だったんじゃないかね」
「脅かしただけで、大丈夫だと、思ったんですかね?」
「そうだろう。現に、河野浩はそのあと自殺してしまっている。自室に火をつけてね」
「しかし、警部。脅かされて逆に開き直る人間もいますよ。彼等が脅したあと河野の動きを監視してなかったというのが、どうにもわからないんですが」
「わからないように、監視していたのかも知れないが──」
と、十津川はいってから、
「そういえば、あの列車強盗自体、少し不自然だな」
「と、いいますと?」
「河野を脅すのが目的だったわけだろう? それなら、別にこんな大芝居を打たなくても、河野が一人になるのを待って、どこかに連れて行き、脅かせばいいんだ。その方が河野は怖がったんじゃないかね」
「そういえば、そうですね」
「それに、田原みたいな人間が出てくることもなかった筈だよ。列車強盗みたいなことをやるから、被害者が何人も生れて、その中の一人が不審を持ってしまうんだ」
「そうですね」
「少し、歩こうか」
十津川は亀井にいい、二人はゆっくりと歩き出した。
少し肌寒いのが、気持がいい。
しばらく黙って歩いていたが、突然、十津川が立ち止まった。
「これは、突拍子もない考えなんだがね」
と、十津川は亀井を見た。
「どんな考えですか?」
亀井も立ち止まって十津川を見た。
「河野浩は、すり代わってたんじゃないかね」
「別人だったというんですか?」
亀井が眼を丸くしてきいた。
「そうさ。すり代えるために、列車強盗という大芝居が必要だったんだ」
と、十津川がいう。
「しかし──」
「いいかね。園田たちの立場に立って、考えてみよう。必死になって目撃証人を探して、やっと河野浩を見つけた。だが、殺したのでは、今いったように警察が動き出す。その結果、園田の部下が殺したことがわかれば、かえって裁判に不利に働く。一番いいのは河野が自殺してくれることだ」
「そうですね。警察は動きませんからね」
「河野が北海道へ行くと知って、園田側の人間は計画を立てた。旅先なら、河野の顔を知っている人間はいない。すり代えるには絶好だよ。そこで、彼によく似た人間を用意する」
「そして、急行『ノサップ』ですか」
「彼等はチャンスを狙っていた。そして、河野が、急行『ノサップ1号』に乗るとわかった。たった二両編成のミニ急行の上、九月に入っているから、乗客も少い。乗客の中に、河野を知っている人間はまずいないだろう。チャンスだよ。ただ、問題はどうやって、すり代えるかだ」
十津川は、熱っぽく喋った。
亀井は黙って聞いている。
「ただ、本物の河野を旅行先で誘拐し、ニセの河野を帰京させたのでは、うまくいかないんだ」
と、十津川はいった。
「そうですね。よく似た顔をしていても、ちょっとした違いを気付かれる心配がありますからね」
「そうだよ。顔がそっくりだって、わずかな動作でばれてしまうことがある」
「それで、列車強盗ですか?」
「そうだよ。あの大芝居が、必要だったんだ。犯人は『ノサップ1号』を停め、片方の車両に乗客や乗務員を押し込め、一人ずつもう一両の車両に呼び出して金を奪った。もちろん、金なんかが目的じゃない。狙いは河野だ。河野の番になると、犯人たちは、彼を殴るか、薬を嗅がせるかして、気絶させ、車の中に待機していたニセ者とすり代えた。ニセ者は顔を殴られ、血を流して乗客たちのところへ戻る。他の乗客は、河野とは無関係の人間ばかりだから、ニセ者があまり似ていなくても、別に怪しまないし、血を流しているから、顔が多少変っていてもおかしいとは思わなかった筈だ」
「そうですね。乗客の大部分は、地元の人間だったようですからね」
「河野は釧路の病院に運ばれ、傷の手当てを受けた。顔にはぐるぐる包帯を巻かれた。それで、ますます顔がわからなくなった」
「病院や警察には、河野浩と申告したわけですね?」
「そうだよ。幸い、河野には身内もいなかったし、親しい友人もいなかった。病院では、ニセ者は右眼が見えなくなってしまったと、主張した」
「その件ですが、医者は嘘だと見破れなかったんですかね?」
「眼というのは、難しいらしいよ。いくら、医者が視神経はやられていないといっても、本人が見えないといえば、そんな筈はないとはいえないそうだよ」
「そういえば車にはねられて眼が見えなくなったといって、労災保険を貰った男がいましたね。医者は、見える筈だといっていたのに」
と、亀井がいった。
「東京のマンションに戻ったニセ者は、会社には出勤しなくなる。会社の方でも強盗にあって殴られ、右眼が失明したのだから、会社を休んでも不思議に思わない。マンションの管理人や住人にしても同じだ。痛々しく包帯を巻いて部屋に閉じ籠っている人間を、ニセ者などとは誰も考えない。そんな目にあって少しばかりおかしくなっているんだと思う。ニセ者も顔を合わせると両眼が見えなくなりそうだとか、死にたいとかいう。自殺のための用意だよ。そうしておいてある夜、手首を切り、灯油をまいて火をつけた」
「その際、本ものの河野と、またすり代わったわけですね?」
「そうだよ。どこかに監禁しておいた本ものの河野を、深夜にあのマンションに運び込み、手首を切って弱らせておいて、灯油をまいて火をつけたんだ。監禁で弱っている上に、手首を切られていては、逃げられやしない。たちまち煙にまかれて死亡したと思うね。河野になりすましたニセ者が、死にたいとか、両眼が見えなくなりそうだとかいっていたから、それで自殺したんだと誰もが思う。疑う人間はいなかった。いや、いない筈だったんだが、一人だけいたんだ」
「それが田原ですね」
「そうだ。カメラマンの田原なんだ」
「しかし彼がなぜ自殺に疑問を持ったんでしょうか?」
と、亀井がきいた。
「いや、自殺に疑問を持ったとは思わないよ」
と、十津川はいった。
亀井は、わからないという顔になって、
「じゃあ、田原は、何に疑問を持ったんでしょうか」
と、十津川にきいた。
「田原は鳴子で起きた殺人事件も知らなかったし、河野がその目撃証人であることも知らなかったと思われる。だから、自殺そのものに疑いを持ったんじゃないね。彼が疑いを持ったのは、河野が別人じゃないかという疑いなんだと思う」
「しかし、田原は河野のことを、よく知らないと思うんですが」
「多分、急行『ノサップ1号』で初めて、会ったんだろうね」
「それでも、ニセ者とわかりますかね?」
亀井が首をかしげた。
「普通の人間なら、わからなかったろうね。だが、田原はカメラマンだった。彼は、事件の直後にフィルムを手に入れ、乗客たちの写真を撮っている。それに、入院した七人の写真もだよ。あれには、真ん中に包帯を巻いた河野が写っている。いや、河野のニセ者がね。田原は、じっとそれを見て、疑問を感じたんだ。河野の顔のところに赤い丸がついていたのは、彼が死んでいるからじゃなくて、疑問を持ったからだろう」
「すり代わったことまで、考えたんでしょうか?」
亀井がきく。
「それを考えたからこそもう一度、急行『ノサップ1号』に乗るために釧路へ行ったんだと思うよ。私は、こう考えるんだ。田原と河野は、急行『ノサップ1号』の車内で、近くに座っていたんじゃないか。四人がけのボックスシートだから、ひょっとすると釧路で乗った時、向いの席に腰かけたのかも知れない。田原は車内の写真を撮った。それには、河野が写っていたんじゃないかな」
「しかし、その写真は犯人たちが取りあげてしまったんじゃありませんか」
と、亀井がきく。
「そうだよ。犯人たちにしてみると、すり代わる前の河野本人を撮った写真を乗客の一人が持っていたら困るからね。当然、取りあげるよ。だがね、写した田原はよく覚えていたんじゃないかね」
「それで、おかしいと思ったわけですか?」
「包帯の巻かれたニセ者の写真を見ている時に、小さなことを思い出したんじゃないかな。例えば、ホクロとか、眉の太さとか、手の細さなんかだよ。釧路から乗ったとき、河野の顔の眼の下にホクロがあったのに、入院してからの河野には、それが無くなっているといったことだ。カメラマンだけに、それが気になって仕方がない。考え込んでいる中に、あの強盗さわぎの時にすり代わったのではないかと、考えるようになった」
「それで、もう一度急行『ノサップ1号』に乗りに行ったわけですね?」
「そうだよ。多分あの時に、人間が一人、すり代わることが出来るかどうか、調べに行ったんだ。だから、また釧路から急行『ノサップ1号』に乗っている。彼は車両を見に行ったんだ」
「行く前に、妹にその写真を送っていたのは、危険を予感していたからですかね?」
「そうだと思うね。田原は犯罪の匂いを嗅いでいたんじゃないかな。だから万一に備えて、あの写真を妹の由美に残して行ったんだよ」
警視庁に戻ると、十津川は自分の推理が正しいかどうか、確認する作業にかかった。
推理としては面白くても、事実だという証拠がなくては絵に描いた餅でしかないからである。
幸い、ニセ者と思える男の写真は田原が撮っている。
だから、本ものの河野の写真を手に入れればいいのである。
河野の勤めていた不動産会社で、どうにか何人かと一緒に撮った写真を手に入れることが出来た。
一番沢山写真を持っているのは、本人の筈だが、その本人のマンションの部屋は焼けてしまった。手紙も写真も一枚も残っていないのだ。
十津川は、二枚の写真を可能な限り引き伸ばして、小野検事たちにも見て貰った。
片方は、田原が撮った包帯を巻いた写真。
もう一枚は仲間二人と一緒に撮ったものである。
「よく似てるね」
と、本多一課長がまず感想をいった。
「眼がちょっと違うように見えますね。包帯を巻いた方が細いようですが」
と、小野がいった。
「そういえば、そうだね」
本多もいった。が、十津川は、
「もっと、決定的な違いを見つける必要がありますよ。眼が細く見えるのは、包帯のせいだといわれたらおわりですからね」
と、慎重ないい方をした。
「左眼の眼尻のところに、小さな傷がありますよ」
亀井がいった。
「頭を殴られた時の傷じゃないのかね?」
本多がいうのへ、亀井は、
「大丈夫です。傷があるのはもう一枚の写真の方です」
と、いった。
十津川はじっと見つめた。なるほど、三人で写っている方の河野には、左眼の眼尻に、小さな傷跡がある。子供の頃にでも、刃物で切ったのだろう。
それが包帯を巻いた方の顔にはなかった。こういう傷跡は簡単にはなくならないものである。
「カメさん、お手柄だよ。これでこの二つの写真は別人であることに間違いないね」
と、十津川はいった。
小野検事が嬉しそうに、
「すると、河野になりすましていたニセ者が、まだ、どこかで生きているわけですね?」
と、十津川にきいた。
「そうです。ニセ者の方は生きている筈です」
「その男は、なぜ、すり代わったかも、本ものの河野が殺されたことも、知っているわけですね?」
「そう思いますよ。もし見つけて、法廷で証言させることが出来れば、裁判は勝てるんじゃありませんか」
「見つけられますか? 一週間以内に」
小野がきいた。
十津川は、亀井と顔を見合わせてから、
「一週間以内に、見つけなければ困るんでしょう? それなら見つけますよ」
と、約束した。
第五章 人 間 狩 り
田原が撮ったニセの河野浩の写真を引き伸ばして、十津川は黒板にピンで止めた。
この男は、まだ生きているし、逮捕できれば園田の指示で河野を殺したことを証言する可能性もある。
もう一枚は、河野の同僚井辺の証言をもとにして作ったモンタージュである。
三十歳ぐらいの男のモンタージュである。これも十津川は、ピンで止めた。
この男は河野のことを調べていた。急行「ノサップ1号」を襲った三人の犯人の一人の可能性もある。
十津川は部下の刑事たちに、この二枚の写真を見せた。
「一週間以内に、この二人の男を捕えなければならないんだ」
と、十津川はいった。
二枚の写真はコピーを取り、十津川は宮城県警にも送った。
園田の直接の部下か、或いはN組の組員の可能性があったからである。
宮城県警からすぐ、返事があった。
モンタージュの方が、園田の経営している建設会社「園田建設」の社員の一人に、よく似ているというのである。
「名前は、伊東謙、三十一歳。園田建設では、業務課長をやっていましたが、半月ほど前から、姿を消しています」
と、宮城県警の警部はいった。
「他に何人か、最近姿を見なくなった社員はいませんか?」
十津川はきいてみた。
「調べてみたんですが、いませんね」
「では、N組の組員かも知れません」
「そちらの方も調べて、すぐご返事します」
「伊東謙という男ですが、東京に親戚か友人か、いませんかね?」
「確か兄が東京で結婚している筈です。名前は伊東肇で、W電気で働いていると聞いています」
と、県警の警部はいった。
伊東謙の顔写真も電送されて来た。
二時間後に、また宮城県警から電話が入った。
N組で、三人の若い組員が最近姿を消しているという。
「かたぎになって、組をやめていったといっていますが、信じ難いですね」
と、県警の警部は笑った。
その三人の顔写真も電送されて来た。いずれも二十代の若者で、傷害の前科があった。
十津川はその三人の顔写真のコピーを部下の刑事たちに配った。
「恐らくこの三人と伊東謙が、根室本線で急行『ノサップ1号』を停めたんだと思う。一人は、車に残っていて、あとの三人が、列車に、乗り込んだんだ。その前に東京に来て、伊東謙と一緒に河野を探していたんだと思う。他に河野のニセ者がいる。東京ではホテルか旅館に泊った筈だから、当ってみてくれ」
と、十津川はいった。
刑事たちが出かけて行ったあと、十津川は亀井とW電気に伊東の兄を訪ねてみることにした。
W電気の本社は新宿の超高層ビルの中である。
伊東肇は三鷹の工場の方だというので、十津川と亀井はそちらに廻った。
国鉄三鷹駅からバスで十二、三分の場所である。
伊東肇はここで製品の検査を担当していた。
眼鏡をかけた、いかにも技術畑の人間という感じだった。
「私たちはあなたの弟さんを探しています。現在どこにいるか知りませんか?」
と、十津川は単刀直入にきいた。
「弟は仙台にいる筈ですよ」
「いや最近、東京に来ている筈です。あなたのところに、顔を出しませんでしたか?」
十津川はじっと相手の顔を見つめてきいた。
伊東肇の顔に、狼狽《ろうばい》の色の走るのがわかった。
「来たんですね?」
十津川は強い調子でいった。
「来ましたが、もういませんよ」
と、相手はいう。
「今、どこにいますか?」
「知りませんよ。本当です」
「弟さんは殺人事件に関係しているんです」
「殺人?」
伊東肇の顔が、青くなった。
「ですから、協力して下さることが弟さんのためでもあるんですよ。今、どこにいるか、本当に知りませんか?」
十津川は努めておだやかにいった。
「知りません」
「では、ここへ来た時のことを、話してくれませんか」
「弟は何かやったんですか? 人を殺したんですか?」
「直接人を殺したとは思っていませんが、その手助けをしたのではないかという疑いが強いのです」
「殺人|幇助《ほうじよ》ですか?」
と、肇が心配そうにきいた。
「そうですね。しかし今ならそこで止められます。下手をすると新しい殺人の主犯になってしまう恐れもあるんですよ」
「なぜ、そんなことに──」
「ここへ来たのはいつですか?」
十津川は辛抱強く、同じ質問をした。
「九月三日だったと思います」
やっと伊東肇はいった。
「突然、顔を出したんですか?」
「ええ。そうです」
「それで用件は何だったんですか?」
「弟は仙台の建設会社に勤めているんですが、東京に出張して来たんで、四、五日泊めてくれということでした」
「それで泊めたんですね」
「弟ですからね」
「泊っている時、弟さんは何をしていました?」
「私は昼間は工場へ行ってますからね。家内の話では、朝出て行って、夜疲れた顔で帰って来ていたみたいです」
「その間、あなたには何も話しませんでしたか? 東京で何をしているのかといったことをです」
「いや、別に。私は、仕事で出張して来ていると思い込んでいましたから、別に何をしているのか聞きもしませんでした」
「仙台へ帰ったのは、九月の何日ですか?」
「九月の八日か九日だったと思いますが、どっちだったか、覚えていませんね」
と、伊東肇はいった。
根室本線で急行「ノサップ1号」が襲われたのは、九月十日である。
九月八日か九日に帰って行ったというのは、符節が合うのだ。
伊東謙はN組の三人と、北海道に飛んだのだろう。
実行犯は、N組の三人だったのかも知れない。伊東は車を運転していたのか?
「その後の弟さんは、どこで何をしているか、わかりませんか?」
と、十津川はきいた。
「仙台に帰っていますが」
「いや、帰っていないんです。それで、あなたは知っているんじゃないかと、思いましてね」
「本当に仙台に帰っていないんですか?」
伊東肇は眼をむいた。その表情に嘘はなさそうだった。
「では、電話したことはないんですね?」
「ええ。向うからもありません。そういえば、こちらに何日も泊ったのに、礼をいって来ないのは、おかしいと思っていたんです」
「奥さんにお会いしたいんですが」
「え?」
「奥さんは何か知っているかも知れない。お会いしたいんですが」
「いいですよ。電話しておきます」
と、伊東肇はいった。
五時にならなければ、伊東肇は帰れないというので、十津川と亀井は自宅近くの喫茶店に、彼の妻に出て来て貰《もら》って会った。
名前は啓子である。
ちょっときつい顔立ちだった。口元をゆがめて話す癖がある。
「やっぱりあの人は、何か悪いことをしていたんですか」
と、啓子は口元をゆがめていった。どうやら義弟に対していい印象を持っていなかったらしい。
(その方が本当のことを聞けるかな)
と、十津川は思いながら、
「やっぱりというと、奥さんもおかしいと思っていたんですか?」
と、きいた。
「ええ。仕事で東京に来てるんだといってましたけど、ちょっとおかしかったんですよ」
「しかし、朝出勤して行って、夜になると帰って来たんでしょう?」
「そりゃあ、そうですけど、毎日疲れ切って帰って来ると、靴が埃《ほこり》だらけなんですよ。あれは変だと思ってましたね」
「九月何日まで、お宅に泊っていたんですか?」
「九月八日でしたわ」
「仙台へ帰るといったんですね?」
「ええ」
「ところが義弟《おとうと》さんは、仙台に帰ってないんですよ。今どこにいるか、知りませんか?」
「本当に帰ってないんですか?」
「そうです」
「じゃあ、やっぱりあれは謙さんだったんだわ」
「どこかで彼を見たんですか?」
「ええ。今日、買物に新宿へ行ったんですよ。そうしたら歌舞伎町の雑踏の中で、謙さんを見たんです。主人に電話で話したら、そんな筈はない、仙台へ帰っているといって、叱られましたけど」
「今日? 彼は一人で歩いていたんですか?」
「いえ。若い女と一緒でしたわ」
「どんな女です?」
「どう見ても、水商売の女にしか見えませんでしたわ」
「今日の何時頃です?」
「午後三時頃だったと思いますけど」
「声はかけなかったんですか?」
「ええ。かければよかったのかしら?」
「いや、いいですが、その時の義弟さんの様子をくわしく話してくれませんか」
と、十津川はいった。
「くわしくといっても──」
どう返事をしていいかわからないという顔を啓子はした。
「服装はどうでした?」
と、十津川は具体的にきいた。
「うす茶のコートを羽織ってましたよ。雨が降りそうだったこともありますけど」
「手に何か持っていましたか?」
「何か持っていたかしら──」
と、啓子は考えてから、
「そうだわ。黒いアタッシェケースを持っていましたよ」
「お宅に泊っている時に、持っていたものですか?」
「いいえ。うちにいる時は何も持っていませんでしたよ。何も持たずに泊りに来たから、それもおかしいと思っていたんです」
「女はホステス風だといいましたね?」
「ええ。派手な服装をしていましたもの」
「義弟さんは独身でしたか?」
「ええ。遊び人なんですよ」
啓子は、眉をひそめていった。
「一緒の女はいくつぐらいでした?」
「二十五、六歳といったところかしら」
「女は何か持っていましたか?」
「ええ。何か持っていましたわね。ああ、白いスーツケース。あんまり大きくない──」
「スーツケースをね。二人は楽しそうでしたか?」
「女はニコニコしてましたよ。謙さんの腕にぶら下るような恰好で」
「義弟さんの方はどうでした? ニコニコしていましたか?」
「サングラスをしていたから、表情はよくわかりませんでしたけど」
「二人を見た場所は歌舞伎町ということですが、バスの通っている大通りがありますね。そちらへ向って歩いていたんですか? それとも、逆の方向へ歩いていたんですか?」
「大通りへ出て、タクシーに乗りましたよ」
啓子は、あっさりいった。
「じゃあ、そこまであとをつけたんですか?」
十津川がきくと、啓子は肯《うなず》いて、
「ちょっと気になりましたからね」
「タクシーでどこへ行ったかは、わからないでしょうね?」
「ええ。そこまでは知りませんわ」
「タクシーの色は覚えていますか?」
「ええ。空色の車で、オリンピックみたいな輪が描いてありましたよ」
「五輪タクシーかな?」
「名前は知りませんけどね」
「お宅に義弟さんが泊っている間ですが、何か妙なことをあなたに話したということはありませんか?」
「妙なことですか?」
「そうです。怖いとか、今何をしているんだとか、或いは逆に、お金になる話があるんだとか、そんなことですがね」
「いえ。私と顔が合っても、変に黙りこくっていましたよ。仕事の話を一つもしないから、かえっておかしいなと思っていたんです」
十津川と亀井は新宿に出ると、新宿西口に営業所のある五輪タクシーを訪ねた。
運転手たちに伊東謙の顔写真を見せて、今日の午後三時頃、歌舞伎町附近で女と一緒に乗せなかったかどうか、きいて廻った。
七人目にきいた運転手が覚えていた。
「黒いアタッシェケースを持った男でしょう。女と一緒に乗せましたよ」
と、白石という運転手は十津川にいった。
「どこまで乗せたのかね?」
亀井がきいた。
「東京駅です。着いたのは四時少し前だったと思いますね」
と、白石がいった。
十津川は自分の腕時計を見た。もう午後七時に近い。
「東京駅からどこへ行ったかは、わからないだろうね?」
と、十津川はあまり期待しないできいたのだが、白石はニッコリ笑って、
「わかりますよ。九州の長崎です」
「なぜ、わかるんです?」
「車の中で二人で話をしてましたからね。女の郷里が長崎で、そこへ行くといってました」
「東京駅から長崎へというと、飛行機を使うわけじゃないんだな」
「寝台特急に乗るんだといって、それに間に合うように急がされましたよ。なんでも四時半頃に東京駅を出る列車だそうで」
「多分、ブルートレインの『さくら』だと思いますね」
と、亀井が小声で十津川にいった。
寝台特急「さくら」は、午後四時三五分発で、長崎と佐世保に行く。
「他に車の中で、二人は何か話していなかったかね?」
と、亀井が白石にきいた。
「あの男には何か後暗いところがあるね。女はどこかのクラブのホステスですよ」
「女の名前はわからないかな?」
「男は女のことを『ゆかり』と呼んでいたな。どういう字を書くのかは、わかりませんがね」
と、白石はいった。
一つの収穫があったと、十津川は思う。
伊東謙が女と一緒に今日の「さくら」に乗ったなら、今から追いつけるだろう。
十津川はもう一度腕時計を見た。
正確には午後六時五十二分。
「カメさん。とにかく東京駅に行こう」
と、十津川はいった。
飛行機でも追いかけられるが、十津川は新幹線で追いかけることにした。
道路は渋滞がひどいので、十津川たちは中央線で新宿から東京駅に向った。
快速に乗って東京駅に着いたのは、午後七時半である。
十津川は売店で時刻表を買った。
二〇時〇〇分発の「ひかり305号」に乗れば、京都に二二時五一分に着く。
伊東謙が乗ったと思われるブルートレイン「さくら」が京都に着くのは、二三時一二分である。間に合うのだ。
十津川は新幹線ホームにあがってから、本多捜査一課長に電話で連絡した。
「戻っていたのでは間に合わないので、このまま伊東を追いかけます」
「了解した。西本刑事たちはN組の三人を追いかけているよ」
「何かわかったようですか?」
「三人が東京で泊っていた旅館がわかったそうだ。その線をずっと追いかけているよ」
「何かわかったら、電話して下さい。『ひかり305号』に乗っています」
「注意しろよ」
と、本多はいった。
「相手は殺人を犯しているんだからね」
「わかっています」
と、十津川はいった。
十津川と亀井は17番線から出る「ひかり305号」に乗り込んだ。
二〇時〇〇分に発車。あとはこちらの列車のスピードに頼るより仕方がない。
京都までは追いつくことは出来ないからである。
夕食をとっていなかったので、出発するとすぐ、二人は食堂車へ行った。
窓際に腰を下して、遅い夕食をとりながら、亀井が、
「伊東は逃げ出したんですかね?」
と、きいた。
「多分そうだろう。女と一緒に逃げ出したんだよ。まさか二人も殺すようなことになるとは思っていなかったんじゃないかね」
「すると、アタッシェケースの中身は金ですか?」
「カメさんはどう思う?」
「逃亡というと、だいたい金を抱えて、女を連れてということになりますが」
「もし、その想像が当っているとすると、伊東も彼等にとって危険な存在になったことになる」
「今までのことを考えると、伊東も消される可能性がありますね」
と、亀井がいった。
「といって、どうすることも出来ないか」
と、十津川は呟《つぶや》いてから、
「今、『さくら』は、どの辺を走っているのかね」
「今は八時四十分ですから」
と、亀井は時刻表を広げた。
「豊橋を出て、十分ほど走ったところです。次は、二一時二三分に名古屋に着きます」
「名古屋で向うの警察に乗り込んで貰って、伊東と女がいたらおさえて貰うかね。京都までが心配になって来たよ」
と、十津川はいった。
食事の途中だったが、十津川だけが席を立って9号車に行き、本多一課長に電話を入れた。
「すぐ愛知県警に連絡しておこう。名古屋駅から四、五人で乗り込んで貰えばいいだろう」
と、本多はいった。
「伊東謙の顔写真ですが──」
「それはこちらから、愛知県警に電送しておくよ」
と、本多はいった。
十津川は食堂車に戻った。が、急に不安になって来て、もう食べる気になれなかった。
コーヒーを飲んだ。
「名古屋からは大丈夫だろうが、名古屋までが心配になって来たよ」
と、十津川は、いった。
西本刑事たちは、上野駅に近い「旭旅館」にいた。
小さな旅館である。
九月三日から八日まで、N組の組員三人が、偽名でここに泊っていたことがわかったからである。
三人は毎朝旅館を出て行き、夜おそく帰って来ていたという。
明らかに、この東京の中で、河野浩を探していたのだ。
そのあと三人は北海道へ飛び、九月十日、根室本線の急行「ノサップ1号」を襲ったに違いない。
問題はそのあと三人がどうしたかである。
旅館の外に駐《と》めてあるパトカーに、無線電話が入った。
伊東謙と女が、ブルートレイン「さくら」に乗ったことがわかったので、十津川と亀井が追いかけているという、本多一課長からの連絡だった。
「N組の三人も、追いかけるかも知れないな」
西本が同僚の日下にいった。
二人の他に、清水刑事もここに来ていた。相手は屈強なN組の組員三人だからである。
「三人の動きを知りたいね」
日下がいう。
「この旅館を出たあと、三人がどこへ行ったかわからないかね?」
と、清水が旭旅館のおかみさんにきいた。
上野駅に近いので、東北から上京して来た人たちがよく泊る旅館である。
今もそれらしいグループが、じろじろ西本たちを見て階段をあがっていった。
「わかりませんわねえ」
と、おかみさんがいう。
「あの三人はなぜ、この旅館に泊ったのかね?」
「さあ、私が仙台の人間で、親しみが持てたからじゃないんですか」
「それは泊ってからのことだよ。おかみさんはN組の組長と親しいということはないのかね?」
「そんな恐ろしい人とは、つき合いはありませんよ」
「じゃあ、建設会社の社長で、宮城県議会の議長もつとめた園田祐一郎とは親しいんじゃないの? 正直にいって欲しいね」
日下が強い調子でいうと、おかみさんは、
「ええ。園田さんなら親しくして貰っていますよ。今は変なことになってしまっていますけど、東京に来たときは、時々寄って下さいました」
と、いった。
「やっぱりね」
と、日下は西本や清水と、顔を見合わせてから、
「ここの他に、仙台出身で園田祐一郎と親しく、東京で旅館なりホテルをやっている人間を知らないかね?」
「よくは知りませんけど」
おかみさんは急にあいまいないい方になった。関わり合いになるのが怖いのだろう。
清水刑事が脅かすように、
「あの三人は東京と北海道で殺人をやった形跡があるんだ。あんたはその三人をかくまったんだよ」
「そんなことしてませんよ」
おかみさんは青い顔になった。
「どう判断するかは、これからあんたがわれわれに協力してくれるかどうかにかかってる。わかるだろう?」
「どうすればいいんですか?」
「園田祐一郎をよく知っている人間が、ここ以外で旅館をやっているなら、それを教えて貰いたいんだよ」
「旅館は私のところだけですよ」
「じゃあ、三人の人間が泊れるところでもいい」
「貸ビルを持っている人がいますよ」
「誰で、どこのビルだね?」
「林という人で、渋谷にあるビルですよ」
おかみさんは林という男の名刺を探してきて、三人の刑事に見せてくれた。
場所は渋谷の道玄坂である。
西本たちはパトカーに戻ると、サイレンを鳴らして渋谷に向った。
問題のビルは、七階建の雑居ビルである。
どの階にもネオンが輝いている。食堂やクラブ、それに麻雀の看板が出ていた。
ビルのオーナーの林卓也は、最上階の七階に事務所があって、そこにいた。
最初、林はN組の三人の写真を見せられても、知らないと主張した。
西本が怒って、
「彼等が三人目を殺したら、あんたを共犯で逮捕するよ」
と、脅かした。
その言葉が効果があったらしい。五十六歳だという林は、急に笑顔を作って、
「そんなに怒らんでくれませんかねえ。ただ、何日か泊めてやっただけで、私は何も知らんのですから」
「じゃあ、このビルに三人は泊っていたんだな?」
「五階のバーが、今、空《あ》いてるんで、そこに泊めてましたよ」
「いつから?」
「確か九月十一日からですよ。十一日の夜、いきなりやって来て、泊めてくれというんで」
「今は?」
「もう出て行きましたよ。そんな怖い連中とは知らなかったんですよ。園田さんの知り合いだというので泊めたんです。あの方には、いろいろとお世話になっていますからねえ」
「その園田祐一郎が、今、殺人容疑で裁判中というのは知っているんだろう?」
「知っていますが、あれは何かの間違いですよ。あの園田さんがそんなバカなことをする筈がないんだ」
と、林はいった。
本気でそう信じている様子だった。それだけ、郷土の名士の園田との結びつきが強いのだろう。
「N組の三人だけど、いつここを出て行ったんだね?」
と、清水がきいた。
「今日ですよ」
「今日? 今日の何時頃だ?」
「三人とも外出していたんですがね、四時頃だったかな、一人から電話がありましてね、急に用事が出来たので、もう戻らない。世話になったといってね、それきりです」
「今日の四時頃というのは間違いないんだね?」
「ええ、間違いありませんよ」
「どこから電話をかけて来たのか、わからないかね?」
「そんなこと、わかる筈がないじゃありませんか。向うもどこでかけてるって、いってないんだから」
林が馬鹿にしたようないい方をした。
清水は、そんな林を睨《にら》みつけて、
「いいか。奴等はあと一人や二人は殺すかも知れないんだ。その彼等に、あんたは隠れ家を提供した。今だって犯人蔵匿罪で逮捕できるんだ」
「私は何も知らなかったんだ」
「そんないいわけは通用しないよ」
「しかし──」
「逮捕されたくなかったらよく考えるんだ」
「何を考えればいいんですか?」
「今日の四時頃、三人組の一人から電話があった。そうだね?」
「でも、どこからかけてるか、いいませんでしたよ」
「音は聞こえなかったのか?」
「音って、何です?」
「バックの音だよ。救急車のサイレンとか人の話し声とか、靴音とかだよ」
「急に、そういわれても──」
「しっかり考えるんだ。逮捕されたくなかったらな」
と、清水がいった。
林は、青い顔でじっと考えていたが、
「そういえば、ずいぶんやかましくて向うの声が聞き取りにくかったですよ。だから、大声で喋《しやべ》ってたのを覚えてますよ」
「その他には?」
「他にといわれてもねえ」
と、林は顔をこすっていたが急にニッコリして、
「ベルが聞こえましたよ」
「ベル?」
「そうです。あれはベルの音ですよ。それで向うが電話を切ったんだから」
「あわてて切ったのか?」
「おれたちのことは誰にもいうなよって、最後にいって切りましたね。あわてているようにも思えましたね」
「四時頃といったが、正確には四時何分頃なんだ?」
「それはわかりませんよ。四時を廻っていたことは確かですが」
「四時半頃じゃなかったのか?」
「かも知れません。私は逮捕されないんでしょうね?」
「それは、あんたのいったことが正しいかどうかにかかってるよ」
と、清水はいった。
三人の若い刑事たちは、一様に顔を青くしていた。
林の証言から、あることが想像されたからである。
三人の組員の一人が林に電話して来たのは、東京駅のホームからではないかと想像したからだった。
ベルが鳴って、あわてて捨てゼリフを残して切ったという。
あれはブルートレインの発車のベルではないのか。
午後四時半頃に出るブルートレインというと、「さくら」である。
もちろん、東京駅ではなく、上野駅からかけていたのかも知れない。いや、駅以外の場所だって考えられる。盛り場の映画館の近くの公衆電話ということもあり得るのだ。ベルは映画の開始を知らせるベルだということも。
しかし、伊東謙が女を連れて今日、寝台特急「さくら」に乗ったと考えられるのだ。
N組の三人は、伊東が逃げるのを察知して、尾行したのではないのか?
もしそうだとすると、N組の三人は今度は伊東を殺すかも知れない。
現在、午後九時十八分。二十一時十八分である。
二一時二三分になればブルートレイン「さくら」は名古屋に着く。愛知県警の刑事が乗り込んでくれる。
それが間に合うだろうか?
第六章 サイレンサー
東京警視庁からの要請を受けて、愛知県警では、中村警察署から、吉田警部と三人の刑事がブルートレイン「さくら」に、名古屋から乗り込むことになった。
伊東謙の顔写真も電送されて来た。連れの女についてはよくわからないが、それで十分だろう。何しろ相手は列車の中にいるのである。
午後九時を少し過ぎたときには、吉田たちは名古屋駅の東海道線ホームにいた。
「この男は殺人犯ですか?」
ホームで列車を待ちながら、部下の鈴木刑事が吉田にきいた。
「いや、この男自身は協力者といったところらしい。しかし、大事な証人になる男だから、絶対に逃がさないでくれといって来ているよ」
と、吉田はいった。
「女を連れて、九州行ですか」
「逃避行かも知れないそうだ」
「というと、追手の存在も考えられるわけですね」
「だから、用心が必要だ」
吉田は自分にいい聞かせる調子でいい、内ポケットに拳銃が入っているのを確認した。
ホームにアナウンスが流れて、ブルートレイン「さくら」が近づいて来るのが見えた。
十四両編成の長い車体は、速度を落としてホームに入って来た。
「さくら」は名古屋に二分間停車する。
停車すると吉田たちは2号車に乗り込んだ。
「さくら」は2号車がA寝台、3号車がB個室寝台(カルテット)、他は全部二段式B寝台である。
そして、2号車と9号車に車掌がいる。
吉田はすぐ安井という車掌長に会った。国鉄に入って二十三年というベテランだった。
吉田が伊東謙の写真を見せ、若い女と一緒だというと、安井車掌長はあっさりと、
「そのお二人なら、B個室寝台の5号室にいらっしゃいますよ」
「乗っているんですね?」
「ええ。乗っていらっしゃいます。長崎までの切符をお持ちです」
と、車掌長がいう。
そんな話をしている間に、名古屋を発車した「さくら」は、スピードをあげて行った。
B個室寝台(カルテット)は、一室に大人四人が入れるコンパートメントで、通路にそって八室が用意されている。
大人四人用だが、一人や二人で占有することも出来る。ただし一人で占有する場合も、四人分の特急料金と寝台料金が必要になってくる。
「3号車の5号室ですね?」
と、吉田が確認した。
「そうです。5号室です」
「鍵は内側から下りるようになっているんですか?」
「ええ。コンパートメントですから」
「では、われわれと一緒に行って、あなたが開けさせて下さい」
と、吉田は車掌長に頼んだ。
安井車掌長が先に立って、3号車に入った。
狭い通路を歩き、5号室の前に来ると、安井がドアをノックした。
「車掌ですが、ちょっと開けて下さいませんか」
といったが、中から返事はなかった。
「トイレにでも行かれているのかも知れませんね」
と、安井車掌長がいった。
だが、吉田は急に不安を感じ、相手を押しのけるようにして、ドアに手をかけて開けてみた。
向い合って寝台があり、四人が腰かけられるようになっているコンパートメントである。
かなりゆったりした造りだった。が、吉田はそれを楽しんでいる余裕はなかった。
男と女が折り重なるような恰好で、床に倒れているのが眼に入ったからである。
部下の刑事たちが屈み込んで、二人を抱き起こした。
床は血の海だった。
男も女も、胸を銃で射たれている。
「死んでいますね」
と、鈴木刑事が青白い顔でいった。
寝台の上には黒いアタッシェケースと、女物の白いスーツケースが置いてあった。
黒いアタッシェケースの方は、ふたが開けられていた。
中身はなくなっている。
「殺されたのは、どのくらい前かな?」
と、吉田は死体を見下しながら呟いた。
「血は乾いて変色しているし、死後硬直も始まっているから、一時間以上前だと思いますね」
と、鈴木刑事がいう。
「名古屋の前は、豊橋に停車でしたね?」
吉田は車掌長にきいた。
安井車掌長は、血の気を失った顔で、二つの死体を見つめていたが、吉田にきかれて、
「そうです。豊橋です」
と、かすれた声でいった。
「豊橋に着く時間は?」
「二〇時二八分で、一分停車です」
「すると、殺しておいて豊橋でおりた可能性もあるか」
と、吉田は呟いた。
「どうしたらいいんですか?」
車掌長がきいた。
「次は京都でしたね?」
「そうです。京都まで停まりません」
「京都で東京の捜査官が乗って来ます。その連中と相談して、どうするか決めます」
「この遺体はどうするんですか?」
「多分京都駅でおろすことになると思いますね」
「殺した犯人はまだこの列車に乗っているんでしょうか?」
「わかりませんね。豊橋を出てから殺したのなら、名古屋でおりたか、まだ乗っているかでしょうが、犯人の心理として、なるべく早くおりてしまうものですよ」
と、吉田はいった。
京都駅では人の気配のほとんどない6番線ホームで、十津川と亀井がブルートレイン「さくら」の到着を待っていた。
「さくら」の京都着は、二三時一二分で一分停車である。
そんな時間に京都から乗る人もいないだろうと思っていたのだが、それでも五、六人が肌寒いホームで待っていた。
京都は夏は暑く冬は寒いが、寒さの一番わかるのが、吹きさらしのホームかも知れない。
闇の中に蛇の眼のような小さな光が見えて、それが蛇行しながら近づいてくる。
やがてブルートレイン「さくら」になって、6番線に入って来た。
乗務員室の窓が開いていて、そこから男が顔を突き出すようにして、
「十津川さん! 十津川さんはいませんか?」
と、叫んだ。
十津川と亀井は2号車に向って駈けて行った。
列車が停止すると、その男がホームに飛び降りてきて、
「十津川さんですね?」
「そうです。十津川です」
「愛知県警の吉田ですが、問題の男女は残念ながら殺されていました」
「本当ですか?」
「とにかく見て下さい」
と、吉田がいった。
十津川と亀井は、3号車のB個室寝台(カルテット)で、二つの死体と対面した。
(先を越されたな)
と思い、十津川は唇を噛んだ。
予期したからこそ、愛知県警にも応援を頼んだのだが、遅かったらしい。多分、犯人は東京駅から乗ったのだろう。
二人の死体は毛布に包まれて、京都駅のホームにおろされた。
B個室寝台の5号室は、封印して、誰も入らせないようにして貰った。
犯人は、十中八九、N組の三人の組員に違いない。
すでに、「さくら」からおりてしまっているだろうが、念のためである。十津川は、吉田警部たちに三人の組員の写真のコピーを渡し、列車が九州へ着くまでの間に、乗客に当って貰うことにした。
亀井も同行させることにして、十津川だけが死体と一緒に京都駅に残った。
「さくら」は、八分おくれて京都駅を出て行った。
十津川は、京都府警に電話をかけて、応援を頼んだ。
府警本部からは、三沢という警部が部下の刑事を連れて駈けつけてくれた。
十津川は、三沢に簡単に事情を説明した。
「情けないことに、後手、後手です」
と、十津川は三沢にいった。
二つの死体は府警の車で解剖のため大学病院に運ばれ、十津川は府警本部に三沢と一緒にパトカーで向った。
本部長にあいさつしてから、電話を借りて、本多一課長に報告した。
「残念です」
と、十津川がいうと本多は、
「実は、こちらで三人の組員が東京駅に行ったらしいというので、危惧《きぐ》していたんだよ。やはり、連中は伊東と女を尾行して東京駅へ行ったんだ」
「殺されたところを見ると、伊東は裏切って逃げ出そうとしていたんだと思いますね」
「大金を持ち、女を連れて逃げたか」
「アタッシェケースは、空《から》になっていましたから、犯人が持って行ったんだと思います」
「どんな金だったのかね?」
「園田祐一郎が危いんで、伊東謙やN組の組員が目撃証人を探して、消すことになった。恐らく、その資金でしょう。とにかく、園田が刑務所へ入れられるかどうかの瀬戸際なんです。いくらでも、金は出たと思いますよ」
「伊東はその金を持って、女と逃げようとして殺されたか」
「そう思います」
「犯人はまず証人を消し、それに疑問を持った田原を殺し、今度は仲間の伊東を消したか」
「園田という男は知りませんが、どうせ碌《ろく》でもない男でしょう。そんな男のために、四人も死んでいるんです。嫌になりますね」
十津川は、ぶぜんとした顔でいった。
京都を発車した「さくら」の車内では、吉田警部たちが車掌と一緒に乗客の一人一人を調べていった。
何しろ夜の十一時過ぎである。
まだ寝ていなかったとしても、横になっている乗客も多く、文句をいう人もいた。
どうにか全員を調べ終ったのは、大阪を出てかなりたってからである。
N組の組員は乗客の中にいなかった。
彼等が犯人とすれば、名古屋に着くまでに二人を殺し、「さくら」から降りてしまっていたのだ。
十津川は京都に残って、二人の遺体の解剖が終るのを待った。
翌日の昼前には解剖が終って、その結果を三沢警部から教えられた。
男も女も心臓に二発命中している。
弾丸は摘出した。
問題の死亡推定時刻は、昨夜の午後六時から七時までの間だという。
十津川は、その時刻を、「さくら」の時刻表と比べてみた。
一七時〇〇分 横浜(発)
一八時一八分 沼津(〃)
一八時三三分 富士(〃)
一九時〇三分 静岡(〃)
二〇時二九分 豊橋(〃)
二一時二三分 名古屋(着)
だいたい、沼津の手前から静岡の間で、二人は殺されたとみていいだろう。
二人を殺したあと、犯人はどこで降りたのか?
京都以降でないことは確かである。亀井たちが乗客の一人一人を調べているからだ。
沼津、富士、静岡、豊橋、或いは名古屋のどこかで降りたのだ。
十津川は、すぐ東京に戻った。
伊東と一緒に殺された女の身元も、彼女の指紋から判明した。
本名、小早川よし子。二十五歳。伊東と一緒に郷里の長崎に向った時は、新宿のクラブ「紫」でホステスをやっていた。
二十歳の時、傷害で逮捕されたことがあり、そのため前科者カードで身元がわかったのである。
この傷害事件は、高校を卒業後デパートで働いていたが、その時三角関係を持ち、ライバルの女をナイフで刺したのである。
それだけに、激しい気性だったらしい。
同僚のホステスの話によると、伊東は、店に二、三回来ただけだという。その伊東と小早川よし子がなぜくっついたのか、今のところよくわからなかった。
よし子自身、前科があったことで、どこか暗さのある伊東に魅かれたのか、それとも伊東の持っている金に魅かれたのか、或いはその両方だったかも知れない。
宮城県警では、十津川からの連絡を受けて、伊東の勤めていた建設会社の幹部に当ってみることにした。
突然上京した伊東の役目の解明である。
亀井も、東京に戻って来た。
ブルートレイン「さくら」に乗って、博多まで行ってしまったが、福岡から飛行機で帰京したのである。
伊東と小早川よし子殺害に使われた弾丸は、すぐ急行「ノサップ1号」の列車強盗で脅しに射たれた弾丸と比較された。
科研で調査した結果、同一の拳銃で射たれたものだと結論された。
十津川は事件が新しい動きを見せているのを感じながら、一方で、激しい焦燥《しようそう》を感じていた。
小野検事と約束した一週間の期限のせいである。
しかも、伊東謙が射殺されてしまった。
まだ伊東が今度の事件でどんな役割を受け持っていたのか、わかってはいない。が、河野浩を自殺に見せかけて殺したり、田原を根釧原野で殺した事件について、くわしく知っていたことだけは間違いない。
それに伊東は暴力団関係者ではなくて、一応、建設会社の社員である。逮捕して訊問《じんもん》すれば、事件について喋ってくれる可能性が強かったのだ。
その伊東謙を殺させてしまったのは、十津川の責任である。
十津川は、東京にとどまっている小野検事に会って、その点を詫びた。
小野は、残念だったとはいったが、
「これは、十津川さんの責任じゃありませんよ」
ともいった。
「あとは三人の組員と、河野浩になりすましていたニセ者の男です。この四人を何とかして、逮捕したいと思っています」
と、十津川はいった。
「見つかりますか?」
「見つけますよ」
「そうだ。さっき仙台へ電話したんですが、伊東謙は三日前に会社を辞めたことになっていると園田建設ではいっているそうですよ」
「そんなのは信じられませんね。都合が悪くなったんで、会社とは関係のない人間ということにしたわけですよ」
十津川がいうと、小野は肯いて、
「まあ、そうでしょうね。ただ、宮城県警が調べたところ、九月二日に使途不明の一億円が園田建設では支出されているそうです。どうやら、この金が東京での河野浩探しに使われたらしい」
「その一億円は、多分、伊東謙が預かっていたんだと思いますよ。N組の組員三人を使ったが、芯《しん》から信用は出来ないので、資金の一億円は社員の伊東に持たせておいたんじゃないですかね。ところが肝心の伊東が、東京で女を作って金を持って逃げてしまったというわけでしょう」
「私もそう思いますね」
「拘置されている園田は、もう今度の事件を知っていますか?」
と、十津川はきいてみた。
小野は笑って、
「弁護士が会いに行っていますからね。目撃者の河野浩が死んだことは、もう知っている筈ですよ。今頃拘置所の中でほくそ笑んでいるんじゃないですか」
「それを口惜しがらせてやりたいものですね」
と、十津川はいった。
N組の三人は、どこへ消えてしまったのか?
東京からブルートレイン「さくら」に乗ったことは、まず間違いないだろう。
そしてB個室寝台(カルテット)の中で、伊東謙と小早川よし子の二人を射殺した。
同じ3号車の他のコンパートメントにいた乗客は、銃声を聞いていない。列車の音がやかましいといっても、夜である。恐らく犯人は、サイレンサーをつけて射ったのだろう。
二人を殺したあと、三人はどこで「さくら」を降りたのか。
十津川は、静岡、愛知の各県警に応援を求め、沼津、富士、静岡、豊橋、名古屋の各駅に、三人が降りなかったかどうか、調べて貰うことにした。
十津川としては、その結果を待って動くより仕方がなかった。
「もう一人、河野浩のニセ者になった男だがね」
と、十津川は亀井にいった。
「こちらの方を早く見つけ出したいですね」
亀井がいった。
「カメさんは、どんな人間だと思うね?」
「私の勝手な想像ですが、その男は、N組の組員でも、園田建設の人間でもないと思うんです」
「というと?」
「伊東謙と、N組の三人が東京にやって来た時は、まだ河野の顔をはっきりとは知らなかったんじゃないかと思うんです。わかっていたのは、鳴子で殺人事件があった時、鳴子のホテルか旅館に泊っていた男で横山修二という名前を使った、東京の男だということだけだったと思うのです。泊った旅館で、だいたいの顔立ちは聞いたでしょうが」
「それは同感だね」
「東京へやって来て、四人は河野浩を見つけました。しかし、殺しては警察がうるさいし、捜査が仙台まで伸びてくる恐れがある。そこでニセ者を使って、自殺に見せかけて殺すことを考えたんです。すり代えるには河野が北海道へ行き、根室本線の列車に乗った時が一番いい。それから、急遽《きゆうきよ》、河野のニセ者を探したろうと思うのです。偶然、園田建設の社員や、N組の組員の中によく似た男がいたということは、ちょっと考えられません」
「四人は東京で見つけたかな?」
「そう思います。そして、金と脅しで、ニセ者を演じさせたんだと思いますね。だから、ニセ者は東京の人間だったに違いないと思うんです」
「東京でどうやって見つけたのかな?」
と、十津川は呟いた。それがわかれば、こちらがその男に近づけるのだが。
「四人が東京に来たのは、九月三日です。少くとも伊東が兄の三鷹の家に泊るようになったのは、九月三日からです。そして、根室本線の急行『ノサップ1号』の事件が起きたのは、九月十日です。その間に、河野浩を見つけ、ニセ者を用意しています。そうなると、二つの方法が考えられます」
「その二つというのは、どういうことかね?」
十津川は興味を持って、亀井にきいた。
「一つは全く偶然に、河野浩によく似た男が見つかったというものです。全くあり得ないとは思いませんが、私は無視したいと思います」
「なぜだい?」
「ニセ者を演じるには、ある程度の芝居ッ気が必要だと思うのです」
「うん。それはカメさんのいう通りだよ」
「だから、偶然似た顔の人間がいて、それに飛びついたとは考えられません。彼等は見つけようとして、積極的に探して歩いたに違いないと思うのです」
「うん」
「多分彼等が求めたのは、若い売れない俳優だったんじゃないでしょうか? そういう連中なら、金で動くし、急にいなくなっても怪しまれないから、いざとなれば、口を塞《ふさ》いでしまえばいいと考えたと思います」
「その中から、河野に似た男を探したかな」
「そう思います」
「行ってみるかね? カメさん」
「行ってみましょう」
と、亀井もいった。
二人は東京の中で、若い俳優やタレントたちが、たむろしている場所を探して、歩いてみた。
新宿や六本木の劇場の近くの飲み屋や喫茶店、アングラ劇場のある場所などである。
彼等に伊東謙や三人の組員の写真を見せて、ここへ来なかったかどうかと、聞いて廻るのである。
なかなか、期待する反応がなかった。
新宿西口の飲み屋へ来て、売れない若いタレントたちの溜り場になっている小さな飲み屋に入って、初めて反応があった。
五坪ほどの小さな飲み屋が並んでいるのだが、十津川と亀井が入った店は、ひどくうす汚れて、椅子なんかもこわれかけているのだが、若いタレントが集っていて妙な活気があった。
芸術論を交わしている者もいれば、上半身裸になって、わけのわからない踊りをやっている者もいる。
カウンターの中にいる店の主人も、タレント崩れの感じで、青白い顔をしていた。
十津川たちが入って行くと、店の主人が、眉をひそめて見たのは、二人が場違いな人間に見えたからだろう。
十津川は店の主人に、伊東たちの写真を見せた。
「この連中がここへ来なかったかね?」
ときくと、相手は煙草に火をつけてから、
「あんたたちは警察の人間だろ?」
「ああ、そうだ」
「おれは警察が嫌いでね。協力する気はないよ」
といった。
「それは君の勝手だが、私たちが心配しているのは、この四人に連れて行かれた男が、殺されてしまうかも知れないことなんだ。だから、早く見つけ出したい」
十津川は落着いた声でいった。
「信じられないね」
と、店の主人はいう。
亀井が、むっとした顔で、
「なぜ、信じられないんだ? 殺されてもいいのか?」
「芝居をするだけで、なぜ殺されなければならないんだ?」
「彼等は、何といってここに来たんだね?」
と、十津川がきいた。
「芝居に出てくれる人を探しているといっていたがね」
「じゃあ、ここに、来たんだね?」
「さあねえ」
「彼等が何といったかわからないが、選んで連れて行った人間は、犯人の片棒をかつがされるんだよ。それだけじゃない。秘密を知っているわけだから、口封じに、消されてしまう恐れがある。一刻も早く見つけ出さなければ、危いんだよ」
「信じられないね。国家権力を批判するドラマに出たから、追い廻しているんじゃないのかね?」
店の主人が口をゆがめて十津川を見た。
十津川の顔に、微笑が浮んだ。
「なるほどね。そういって彼等は、ここにやって来たのか。うまいいい方だね。われわれ刑事がやってくれば、当然、あんた方は身構えてしまう。ある男が、反権力的な芝居に出たために、刑事が探しに来たんだと思ってね」
「そうなんだろう?」
「違うといっても信じないだろうが、彼等が連れて行った男が、今どこにどうしているのか、ちゃんと生きていれば、私たちは失敬するよ。それだけでも教えてくれないかね?」
と、十津川はいった。
店の主人は少しばかり、自信がなくなったと見えて、
「ちょっと待ってくれ」
といって、カウンターの奥の電話機をとって、どこかへかけた。
「ずっといないのか? いない? どこへ行ったんだ? わからないだって?」
そんな言葉が十津川の耳に聞こえた。
電話を終えた時、店の主人の顔は、不安気になっていた。
「あの連中はユウジを危険な目にあわせているのかね?」
と、十津川にきいた。
「彼等は四人で来たのかね?」
「ああ。その中の一人が劇団Rのリーダーだといってね。セックスを通して警察権力と戦う芝居をしたい。警察を嘲笑するような内容なので、警察から嫌がらせがあるかも知れない。それを承知で出てくれる男のタレントが欲しいといってね。うちに飲みに来ていたユウジに声をかけていたんだよ」
「そのユウジというのは、この人かね?」
十津川は急行「ノサップ1号」の事件で、頭に包帯を巻かれた男の写真を相手に見せた。
田原が撮った写真である。
「ああ、これユウジだよ。怪我をしているのか?」
店の主人が大声を出すと、飲んでいた若者が三人ほど、カウンターに寄って来て、写真をのぞきこんだ。
「なんだ、ユウジじゃないか」
「入院しちゃったのか」
「まだ入院してるのか」
口々に勝手なことをいった。
「ユウジのフルネームは?」
と、十津川がきいた。
「岡本勇次だよ」
若者の一人が、カウンターの上に指で字を書いて見せた。
「四人の男がその岡本勇次を連れて行ったんだね?」
「主役の柄にぴったり合ってるといってたな」
「連れていった場所は、どこか知らないかね?」
「知らないな。とにかく、主役だっていうんで、勇次は張り切っていたのは確かだよ」
「それに、一ケ月間の拘束料として、百万円といってたじゃないか。悪くない話だったんだ」
「その四人と一緒に出かけたのは、いつだね?」
「九月七日か八日だったよ」
「七日だ」
と、一人が断定するようにいった。
「岡本さんの住所は?」
亀井がきいた。
「おれと一緒のアパートだよ」
背のひょろりと高い若者がいった。
「九月七日に出て行ってから、連絡は?」
「ぜんぜんないよ」
「心配じゃないのか?」
と、亀井がきいた。
「一カ月拘束される芝居だっていってたからね。一カ月以上たっても連絡がなければ、心配したかも知れないが、まだたっていないからね」
「彼の方から、何か連絡はないのかね?」
「今のところはないよ。でも、おれたちの仲間はふつうは半月でも一カ月でも、旅に行ってしまうからね。何の連絡もなしにさ」
と、背の高い青年は笑った。
「岡本さんの家族は?」
「東京にはいないんじゃないか。新潟から出て来たっていってたからね」
と、相手はいった。
「彼の荷物を調べさせてくれないか」
十津川は、その青年にいった。
「本当に、彼が危いのか?」
「四人のうち三人は、宮城県下の暴力団員でね。殺人事件の片棒を担がせる気で、適当な俳優を探してたんだ」
「しかしなぜ、岡本の奴が選ばれたんだ?」
「ある男に顔が似ていたからだよ。それ以上は今はくわしくいえないが、その男は殺されている」
「ふーん」
と、青年はまだ半信半疑の顔で十津川を見ていたが、
「案内するよ」
と、いった。
新宿の次の新大久保駅の近くの木造モルタルのアパートだった。
六畳一間の部屋を、この青年と岡本勇次の二人が、使っているらしい。
一目で、貧乏暮しとわかる部屋だが、それでもテレビ、ステレオ、本箱、洋ダンスなどが揃《そろ》っている。
「みんな拾って来たのさ。いくらでも捨ててあるからね」
と、久保田という名前の青年は、笑いながら十津川にいった。
「なかなかいいものが、捨ててあるんだねえ」
と、亀井が感心したように机を撫《な》でてみている。
「岡本勇次の品物は?」
十津川がきいた。
久保田が洋ダンスと机と答えた。
二人はそれを調べてみた。机の引出しを開け、洋ダンスの中をのぞく。
受験写真みたいな岡本本人の写真が、十枚ほど出て来た。
何かのオーディションがあったとき、その写真を送るのだという。
手紙の類は、あまりなかったが、新潟の母親からのハガキが見つかった。
身体《からだ》に気をつけるようにといった簡単な文面だが、母親の住所はわかった。
管理人室で電話を借りて、新潟の電話局にかけ、住所をいって向うの電話番号を調べて貰った。
わかったナンバーにかけた。
岡本の母親が電話に出た。
驚かせて悪いとは思ったが、十津川はこちらが警察であることを告げた。
「九月七日以後、息子さんの消息がつかめないのです。そちらに、七日以後に息子さんから、手紙なり、電話なりはありませんでしたか?」
十津川がきくと、母親はもうおろおろしてしまって、
「あの子の身に、何かあったんでしょうか?」
と、質問が先になってしまう。
十津川は辛抱強く、
「大丈夫です。われわれが探し出す積りですが、そのためには、協力して頂かなければなりません。九月七日以後、息子さんからの連絡は、ありませんでしたか?」
「九月七日ですか?」
「いや、八日からあとです」
「ちょっと待って下さい」
「いいですよ」
「九日に、電話がありました」
「それ、間違いありませんか?」
「ええ。ありません。九月九日の夕方でした」
「どこから電話しているか、いいませんでしたか?」
「それは何にも。私は、東京のアパートから掛けているものとばかり、思っていたんですけれど、違ったんですか?」
「九日の夕方ですね?」
「ええ。六時頃です」
「その時、息子さんは嬉しそうでしたか? それとも、何か怖がっているようでしたか?」
と、十津川はきいた。
「嬉しいのなら、あんなに気ぜわしく電話を切ったりしませんよ」
「するとその時、息子さんはあまり嬉しそうじゃなかったわけですね?」
「ええ。そう思いました。だから心配していたんです」
と、母親はいった。
九日といえば、急行「ノサップ1号」が、襲われた日の前日である。
九日にはすでに、北海道に移っていたのかも知れない。
もうこの時点では、何をやるか、伊東たちにいわれていたろう。
母親に電話したのは、そうさせてくれなければ、いうことをきかないと、伊東たちに抵抗したのではないか。
そうだとすると何か、母親に告げている筈だ。
「よく思い出して下さい。九日に電話して来た時の息子さんの言葉です。最初からいきましょう。息子さんの方から、電話して来たんでしょう?」
十津川は、最初からきき直すことにした。
「ええ。あの子が電話して来たんです」
「あなたが、電話をとった?」
「ええ」
「そうしたら、息子さんだった?」
「ええ。そうなんです」
「息子さんは、電話でどういうんです? 僕だって、いうんですか? それともおれだと?」
「おれだっていうんですよ。あの子は」
「そうですか。すると九月九日も、おれだよって、いったわけですね?」
「ええ」
「そのあと、息子さんは何といいました?」
「いい役がついて、少し、お金が入るようになったといいました」
「お母さんは、何といったんですか?」
「それはよかったね、といいましたよ。いつもいい役がつけばいいと、いっていましたからね」
「それから、息子さんは何といったんですか?」
「お金が入ったら送るからと、いいましたよ」
「どうやって送ると、いったんですか?」
「どうやってって?」
「方法ですよ。現金書留で送るとか、小切手を送るとか、いろいろと方法があるでしょう? 息子さんはそのどれで送るといっていたんですか?」
「何て、いったのかしら」
母親はしばらく考えているようだったが、
「郵便で送るといっていたと思いますね」
「すると、現金書留ということですね」
十津川は、それに拘泥《こだわ》った。しつこくである。
「ええ。そうだと思います」
「そのあと、息子さんは何といいました?」
「じゃあ──といって、電話を切ったんです」
「それで終りですか?」
「ええ」
「ひどく短いですね」
「ええ。だから私も不安な気がしたんですよ」
と、母親はいう。
十津川は、考え込んだ。
岡本は伊東たちに脅されていたとする。
そんな中で、母親に電話をかけた。見張られながらだったと思う。
岡本は母親に、何かを訴えたかった筈だと、十津川は思うのである。自分が今、どこにいるかかも知れないし、何をしようとしているかでもいい。
何もいわなかったというのは、解《げ》せなかった。それならなぜ、母親に電話したのか?
「もう一度、考えてみて下さい。何か息子さんがいったことで、忘れていることはありませんか」
と、十津川はいった。
「何も──」
と、母親はいってから、急に思い出したように、
「符号みたいなことをいってましたわ。あれは、何だったのかしら」
「それを、教えて下さい」
「お陽さまを、おがんでるかって、いいましたよ」
「お陽さま?」
「ええ。今もお陽さまをおがんでるかって」
「お母さんは朝、お陽さまをおがむんですか?」
と、十津川はきいた。
「いいえ、そんなことしたことはありません」
「それなのに、息子さんは今でもお陽さまをおがんでいるかって、きいたんですね?」
「ええ」
「それで?」
「何だい? ってきいたんです。わけがわからないから」
「そうしたら?」
「あの子は勝手に、ずっと続けてくれ、おれの芝居が、上手《うま》く行くようにって」
「それで、お母さんは、何といったんですか?」
「わけがわからないから、ああ、いいよっていいましたけど」
「その他には?」
「それで全部ですよ。他には何もいってません」
「お陽さま云々というのは、突然いったんですか?」
「ええ。わけがわからないから、刑事さんにも最初は、いわなかったんですよ。いわなかった方がよかったですか?」
「いや、全部話して下さった方がいいんです」
と、十津川はいった。
岡本は何か、母親に知らせたかったに違いないからである。
しかし、お陽さまをおがむというのは、どういうことなのだろうか?
十津川は、考え込んだ。
第七章 仙 台 へ
岡本はなぜ、あんなことを母親にいったのだろうか?
母親は、太陽をおがんだことはないという。
考えてみれば、岡本の母親といっても、まだ五十四歳である。
それに新潟で、美容院をやっているという。
太陽と共に起きて働くといった農家ではないのだ。いや最近の農家は、太陽とか星とかに対する畏敬とか、信仰はあまりないだろう。
息子のいう「お陽さまをおがむ」という言葉が、母親には全くわからなかったらしい。
岡本自身にだって、それはわかっているのに、大事な電話の時にくり返したのは、何かを母親に伝えたかったのだ。
「納沙布岬は日本で、一番早く太陽が昇る所という宣伝文句を、聞いたことがありますよ」
と、亀井がいった。
「それを頭において、急行『ノサップ』のことを、知らせたかったというわけかい?」
十津川は、首をかしげた。
確かに、その可能性はある。
新潟の母親に、岡本が電話したのは九月九日である。
翌日、急行「ノサップ1号」を襲撃することは、もう計画されていた筈だった。
岡本は、何とかしてそれを母親に伝えたかったのか?
「可能性はあるね。しかし、お陽さまをおがむということから、根室本線の急行『ノサップ』を連想させるのは、無理じゃないかね」
と、十津川はいった。
「確かに、そうですね」
と、亀井はあっさりいった。
「われわれは、あの事件のことを知ってるから、急行『ノサップ』を連想したんだが、岡本の母親には、その列車は思い浮べられないだろうね」
と、十津川は結論づけるようにいった。
二人は、岡本のアパートを出た。
十津川は、警視庁に戻るともう一度、岡本の母親に電話をしてみた。
「お母さんは、北海道に行ったことがありますか?」
と、十津川がきくと、
「いいえ。私は新潟から出たことがないんです」
という返事だった。
「じゃあ、『ノサップ』という急行のことも知りませんね?」
「ええ。ぜんぜん」
「ノサップという言葉は、どうです?」
「その名前は知ってますけど、どこにあるのか知りませんわ。北海道の北の方でしょう?」
「いや、東の端です。北はノシャップです。よく似ていますが」
「そうですか。私は北海道って、行ったことがありませんから」
「息子さんは前に、北海道へ行ったことがありますか?」
「さあ、ないと思いますけど。あの子は今、北海道にいるんですか?」
「いや、わかりません。東京かも知れないし、静岡あたりかも知れない。或いは、仙台かもです。失礼ですが、ご主人は何をしていらっしゃるんですか?」
と、十津川はきいた。
「五年前に亡くなりました」
「それは、どうも──」
「それから、美容院をやっているんですよ」
と、岡本の母親はいった。
「何か、宗教にこっていらっしゃるということは、ありませんか? 朝、太陽をおがむといった宗教にですが」
「私って、変な新興宗教は嫌いなんです」
「そうですか」
十津川は、次第に当惑の色を浮べていった。
「もう一度、失礼なことをお聞きしますが、お母さんは、どこの学校を卒業なさったんですか?」
と、きいた。
「新潟市内の高校を出ましたけれど」
と、彼女はいった。
すでに、夜が更けている。
十津川は窓の外を眺めた。夜の官庁街は、暗く静かである。
小野検事は、今日の夕方、いったん仙台へ帰ってしまった。
(三日、たってしまったな)
と、十津川は改めて思った。
あと、タイムリミットまで四日である。
その間に、殺人事件の公判を維持できるだけの証拠なり、証人を見つけ出さなければならないのだ。
「岡本という青年のことを、もう一度考えてみたいと思いますね」
亀井が、疲れた顔でいった。
「いいよ。やってみよう」
「年齢二十七歳。売れない俳優で、有名になるために、金を欲しかった青年です」
「それで伊東たちの話に、すぐ飛びついたか」
「そうでしょうね。最初は金も貰えるし、いい仕事だとも思っていたんじゃありませんか」
「ところが、違っていた」
「どこかに監禁して、伊東たちは金と脅しの両面から、岡本を説得したんだと思います」
「岡本も、やることに同意したか?」
「私は、彼が脅かされて、怖いだけで同意したとは思っていないんです。彼の役目は、本物の河野浩とすり代わって、ちょっと芝居をするだけですからね。それに大金をちらつかされもしたと思うんですよ。だから、半分は恐怖からで、半分は、金欲しさだったと思いますね」
「そういえば、釧路で入院した時、逃げようと思えば逃げられたのに、芝居を続けているねえ」
「そうなんです。しかし怖くもあったんだと思います。誰にも知られないで、殺されてしまってはかなわない。そこで母親に電話したんです」
「監視されながらね」
「そうです。前日ですから、前にもいいましたが、母親に連絡させてくれないのなら、協力しないとでもいったんだと思いますね」
「問題はその時、岡本が何を母親に伝えたかったかだね」
と、十津川はいった。
「何でしょうね」
「翌日に、急行『ノサップ1号』を襲うことかな? いや、これはいえないね。そんなことをいったら、伊東たちが聞き耳を立てていたんですから、たちまち殺されてしまう」
「あとは、自分がいる場所だと思うんです」
「北海道の場所じゃないね。彼等は北海道へ行っていたと思うが、そのあとまた、東京へでも戻ることになっていたんだと思うよ。一時的にいる北海道を教えても仕方がない」
「それに関係してると思うんですが、伊東謙は、九月八日に兄の家を引き払っています。N組の三人も同じ日に旅館を出ているんです。全員がどこかに集ったんだと思います」
「岡本もそこへ連れて行ったか?」
「そう思います」
「その場所を岡本は母親に知らせたかったのかね?」
「あとで自分に何かあった時、そこを調べてくれればと、思ったのかも知れません」
「しかし、それがお陽さまをおがむかい?」
「場所の名前は、いえなかったんだと思います」
「まるで新興宗教だが、母親はそういうものには無縁だというからね」
「今、ふっと頭に浮んだんですが、太陽をおがむというのは、日の出をおがむわけでしょう?」
と、亀井がいった。
「そうだね、日没はおがまないだろう」
「日の出は、サンライズです。新宿にサンライズビルというのがあります」
「サンライズか」
と、十津川は呟いてから、
「しかしそれが、岡本の母親にもわからなければ、仕方がないんだよ」
「もう一度彼女に電話して、聞いてみて下さい。サンライズという言葉に記憶があるかどうか」
「よし、聞いてみよう」
十津川はもう一度、新潟に電話を入れた。
すでに午前一時を廻っているのだが、母親は眠れなかったと見えて、すぐ電話に出た。
「サンライズとか、サンライズビルというのを、お母さんはご存知ですか?」
と、十津川がきくと、彼女は、
「サンライズビルなら、近くにありますけど」
といって、十津川を驚かせた。
「確かですか? あなたの店の近くにですね?」
「ええ。二年前に出来たんです。なんでも東京に本社のある、大きな会社のビルということでした」
「そのビルのことを、息子さんは知っていますか?」
「丁度出来た時に、あの子は帰って来たことがあるんですよ。だからよく知っていますわ。こんなビルの持主になりたいといっていましたから」
「ありがとう」
と、十津川は礼をいった。
十津川は疲れが吹っ飛んでゆくのを感じた。
「どうやらカメさんの推理が、当っていたようだよ。岡本が母親にいいたかったのは、サンライズビルのことらしい」
「あのビルは貸ビルで、確かサンライズ興業のものです」
「貸ビルをいくつも持っている会社だったね?」
「そうです。仙台にも、サンライズビルがあったんじゃないですか?」
「伊東たちはそのビルのどこかに岡本を監禁して、計画を練っていたのかも知れないね」
「伊東がクラブのホステスとねんごろになった理由も、わかって来ますよ。サンライズビルは歌舞伎町の近くにありますからね。殺されたホステスがいた『紫』というクラブに近くて、伊東は時々、遊びに行っていたんだと思いますね」
「すると、北海道から帰ってからも、彼等はサンライズビルにいたんだろうね」
十津川は腕時計を見た。
午前一時四十分。
「とにかく行ってみよう」
と、十津川はいって立ち上った。
深夜の街を新宿に向って、パトカーを飛ばした。
十一分で、新宿に着いた。
まだ歌舞伎町には人の姿があった。が、条例ができてからは、若者たちが十二時以後行く先がなくなったらしく、ところどころに、不気味にかたまっている。
サンライズビルは、特徴のある円型をしている。
十一階建の貸ビルで、さまざまな店が入っていた。
どの店も、もう灯を消してしまっていたが、その中で二つ、三つ、まだ灯がついている店があった。
最上階の社長室にも灯がついていた。
十津川と亀井はエレベーターで、十一階にあがって行った。
〈サンライズ興業〉
という金文字の看板が出ている。
十津川が、ベルを鳴らした。
「誰だ?」
という中年の男の声が返ってきた。
「警視庁の十津川という者です」
というと、「警察?」と呟く声が聞こえてから、ドアが開いた。
五十歳くらいの太った男だった。大きな男である。
十津川が警察手帳を見せた。
「夜分、申しわけありませんが、急用なもので」
「どんなことですか?」
「サンライズ興業の社長さんですか?」
「いや、社長は旅行中で、私は営業部長の管野です」
と、男はいい、名刺をくれた。
亀井が伊東謙や、N組の三人の顔写真を見せた。
「この連中がこのビルの中にいたんじゃないかと思いますが」
「この四人ですか」
管野は大きな手で写真をつかみ、見つめていた。
「この連中が、何かしたんですか?」
と、十津川と亀井を見た。
眉が寄っている。当惑している表情だった。
「殺人です」
と、十津川がいった。
「うちは貸ビル業ですのでね。正式に手続きをしてお金さえ払ってくれれば、どなたにも部屋を貸しますが」
と、管野はいう。
「じゃあ、この男たちにこのビルの何階かを貸したんですね?」
「この人にお貸ししましたよ」
と、管野は伊東謙の写真を指さした。
「パスポートも見せてくれたし、お金も払って貰いましたのでね。なんでも、郷土料理の小さな店ということなので、地下の部屋をお貸ししたんですが」
「その部屋へ案内して下さい」
と、十津川はいった。
管野の案内でエレベーターで地下におりた。
喫茶店やバーなどが看板を出しているが、どの店ももう閉っている。
一番奥に「郷土料理みやぎ」の小さな看板が出ていたが、その店もドアが閉っていた。
管野がカギの束を取り出してドアを開け、灯りをつけた。
がらんとした十二坪ほどの部屋である。
「おかしいな。改造しているといっていたんですがねえ。何もしていませんね」
管野は首をかしげている。
部屋の隅には貸ぶとんが積んであり、吸殻で一杯になった灰皿や、ビールの空缶が散乱していた。
何人かの人間が、ここで寝起きしていたのだ。
「権利金なんかは、この男が払ったんですか?」
と、十津川は伊東の写真をみせた。
「いや、振り込んで来ました。仙台の建設会社でしたね。千五百万円です」
「園田建設?」
「そうです。この伊東さんの話では、その建設会社が副業に、郷土料理のチェーン店をやるんだということでした。しかし、これはどういうことなんですかねえ」
「やる気はなかったということですよ」
と、十津川はいった。
亀井がレミーマルタンの空のびんを手に取って眺めながら、
「ここに寝泊りしていた男たちを、覚えていますか?」
と、管野にきいた。
「いや、ぜんぜん知りませんよ。お貸しした以上、どう使おうと勝手ですからね」
「しかし、ここに寝泊りしているとは、知らなかったんでしょう?」
「ええ」
「ここからどこへ行ったのかな?」
「権利金は当方で預かっていますから、帰って来られると思いますが」
と、管野がいう。
「いや、帰って来ませんよ」
と、亀井はいった。
十津川と亀井は部屋の中を調べてみた。
岡本も多分、ここにいたのだろう。とすれば助からないと思い、何か書き残していったのではないかと、考えたのである。
壁には、いくつかの引っかき傷があった。が、意味のあるものはなかった。
おもちゃの手錠が見つかった。おもちゃといっても鋼鉄製で、拘束する力は、十分にありそうである。
「これで岡本を縛っておいたのかも知れませんね」
と、亀井がいった。
「早く見つけないと、殺されてしまう恐れがあるな」
と、十津川はいった。
「しかしなぜ、殺さなかったんでしょう?」
亀井が、十津川にいった。
「なぜかな?」
と、十津川も考え込んだ。
岡本は、河野浩を自殺に見せかけて殺した時でもう、必要がなくなった筈である。
だが、まだ岡本の死体は見つかっていないし、この部屋で拘束されていた気配がある。
「岡本が、河野浩に似ていたせいかも知れませんね」
と、亀井がいった。
「そうか。岡本の死体が見つかると、折角苦労して河野を自殺に見せかけて殺したのに、そのトリックがばれると思ったのかな」
「実際にはばれやしませんよ。しかし、すり代えをやった彼等は、自分たちがやったので、すぐばれてしまうのではないかと、心配したかも知れません」
「しかし、いずれ岡本は殺されるな」
と、十津川はいった。
十津川は鑑識を呼び、室内の指紋を検出して貰った。
それによって、何人の人間がいたかわかるだろうし、岡本がいたかどうかもわかると考えたからである。
岡本の指紋は、彼の仲間と二人で住んでいたアパートの部屋から、採取してあった。
時間が意外にかかって、十津川をいらだたせた。
「早くしてくれ!」
と、十津川は何回か鑑識を督促《とくそく》したくらいである。
翌日の昼頃になって、やっと全ての指紋の検出に成功して、その結果が十津川に報告された。
はっきりした指紋が、検出されたのが五種類である。
その中に、岡本のものと、ブルートレイン「さくら」のコンパートメントで殺された伊東謙のものも含まれていた。
十津川や亀井の想像した通り、サンライズビルの地階の部屋には、この二人とN組の三人が出入りしていたのである。
地階に店を出している喫茶店やバーのオーナーや従業員にも、十津川は当ってみた。
その結果、二日前まで四人の男が問題の部屋にいたことが判明した。
N組の三人は、「さくら」の車内で、伊東謙とホステスを殺したあとにも、この部屋にいったん戻って来たらしい。
だが、その後どこへ消えたのだろうか?
東京都内のどこかへ、住居を移したのだろうか?
それとも、東京以外のところへ、移動しようとしているのか。
移動する場合には、岡本は足手まといになるだろう。その結果、殺されてしまう恐れがあった
いや、すでに殺されていることも考えられるのだ。
仙台に帰った小野検事から電話が入った。
「園田の弁護士が、急に園田に会いに来ています」
と、小野はいった。
「毎日会いに来てるんじゃないんですか?」
と、十津川はきいた。
「いや、定期的に会ってはいますが、来るのは午後です。それが、突然午前中に会いに来ることがある。その時には何か緊急なことで、園田の指示を仰ぐ場合なんですよ。統計をとったので、わかって来ました。北海道で、急行『ノサップ1号』が襲われた時も、河野浩が焼身自殺に見せかけて殺された時も、田原の時も、今から考えると、弁護士が午前中に急に園田に面会を求めてるんです」
「すると、今度も何かの指示を仰ぐために面会したということになりますね?」
「そう思います。何か考えられますか?」
と、小野がきいた。
「一つだけ考えられるのは、河野のニセ者を演じた岡本という男の処置です。口封じのために、殺す指示を仰いだのかも知れません」
「どこにいるか、わからないんですか?」
「今、探しているところなんですが」
と、十津川はいった。
電話を切ると、十津川は亀井と顔を見合せた。
「いよいよ岡本が殺されるよ」
と、十津川はいった。
「しかし、どこにいるかわからないのでは、手の打ちようがありませんね」
亀井は、溜息をついた。
「難しい殺し方を考えてくれていると、少しは時間が稼げるんだがね」
と、十津川がいった時、電話が鳴った。
「捜査一課です」
と、十津川がいうと、
「十津川警部さんは」
と、若い女の声がいった。
「私ですが」
「由美です」
「ユミさん?」
「田原の妹です」
「ああ、元気ですか?」
「あの人を見つけたんです」
と、由美がいった。
「あの人?」
「兄が、写真に撮った男の人です」
「岡本だ。彼を見たんですか?」
「ええ。これからどこへ行くかつけてみます」
「つける? 今、どこです?」
「上野です。もう行きます。みんなが列車に乗ってしまいますから」
由美の声が、気ぜわしくなった。
「列車って、どの列車ですか?」
「東北新幹線。また連絡しますわ」
突然、由美は電話を切ってしまった。
十津川の顔が赤くなった。
「カメさん、東北新幹線だ」
「連中は、岡本を仙台まで連れて行く気なんですか?」
「そうらしい」
「なぜそんなことをするんですか?」
「わからんね。簡単に殺せなくなってしまった理由があるのかも知れない」
「今、午後一時ですから、一時丁度発の『やまびこ』に乗ったのかも知れません」
「相手が新幹線じゃあ、先廻り出来ないな」
と、十津川は舌打ちしてから、宮城県警に電話をかけた。
一三時〇〇分上野発の「やまびこ57号」で、N組の三人と岡本が、仙台に向ったと思われるので、そちらに着き次第おさえてくれという電話だった。
それがすむと、今度は小野検事に電話して、同じことを伝えた。
「しかし、なぜ彼等は岡本をあっさり殺してしまわないんですかね?」
と、小野検事は電話で不思議そうにいった。
「私もそれが不思議なんですが、こちらにとっては有難いことですよ。まだ岡本が生きているようですからね。それに、岡本はすり代わった事情をよく知っていますから裁判の強力な証人になれます」
「それは私も期待しているんですがね」
「仙台へ連れて行って、どう処置するか決めるんでしょうね」
「園田が、弁護士に岡本の処置について、指示したんだと思いますね」
と、小野検事はいった。
「どんな指示だったか、わかりませんか?」
「拘置所では、面会人の盗聴はしていないのでね」
と、小野はいった。
十津川は、この電話がすむと亀井を連れて仙台へ行くことにした。
どうやっても、彼等は田原由美の乗った「やまびこ57号」には追いつけないが、それでも、東京でいらだっているよりはいいと思ったのである。
パトカーで上野駅まで行き、一時間おくれた一四時〇〇分発の「やまびこ61号」に乗り込んだ。
部下の西本刑事たちには、何かわかり次第列車に電話してくれるように頼んだ。
「あと一時間ちょっとで、彼等の乗った『やまびこ57号』が仙台に着きますね」
亀井が車窓に流れる景色に眼をやりながら十津川にいった。
「大人しく仙台でおりてくれればいいんだがね」
と、十津川はいった。
岡本を連れた彼等が、仙台へおりたところを宮城県警の刑事に逮捕されれば、万々歳だが、果してそう簡単にいくだろうか。
「途中で降りることも考えられますね」
と、亀井がいう。
「福島あたりでかね?」
「そうです」
「しかし、全ての指示は拘置所の園田から出ているらしい。となると途中の福島でおりても、結局岡本を仙台へ連れて行くだろう」
と、十津川はいった。
「いつもは早く思える新幹線ですが、今日はいやに遅く感じますね」
亀井が、苦笑しながら十津川にいった。
「私は、田原由美さんもちょっと心配なんだがね」
と、十津川がいった。
「何かすると思われるんですか?」
「下手に兄さんの仇を討とうなんて考えないでくれるといいんだが、相手はすでに四人も殺している連中だからね」
「そうですね」
「向うの『やまびこ57号』に電話をかけて彼女を呼び出して、注意するわけにもいかんしね。そんなことしたら、連中を警戒させてしまう」
「田原由美という名前を、連中は覚えているでしょうか?」
「覚えていると考えた方が、無難だろうね。彼女を危険な目にあわせたくはないんだよ」
と、十津川がいったとき、車内アナウンスが彼の名前を呼んだ。
第八章 終局への疾走
十津川はビュフェに行って、電話機を取った。
「西本です」
と、電話の向うで部下の刑事がいった。
「何かあったのか?」
「今、田原由美という女性から電話がありました。警部に伝えて欲しいと」
「何といっていたんだ?」
十津川の声が思わず強くなった。
「連中は福島でおりた。今、福島駅の構内にいる。一人が電話し、何かを待っている様子ということです」
「それだけか?」
「はい」
「すぐ福島県警に協力要請して、連中を逮捕して貰うんだ。急げ!」
十津川はそれだけいうと、すぐ亀井のところに引き返した。
「われわれも福島でおりることにしよう」
と、十津川は亀井にいった。
「連中も福島でおりたんですね?」
「そうだ。田原由美の連絡だと、連中は福島駅で、何かを待っているらしい」
「何をですかね?」
「わからんね。迎えの車を待っているのかも知れん」
「しかし、仙台からだと、車でもかなりかかりますよ。八〇キロはありますからね」
と、亀井がいった。
「連中が長い時間待ってくれていると、助かるんだがね。前もって打ち合わせてあるとすると、迎えの車はすぐ着いてしまうよ」
と、十津川がいった。
福島まで二人は、わきあがってくる焦燥を必死でおさえていた。
三十何分かがたって、二人の乗った「やまびこ61号」は福島駅に着いた。
ドアが開くと同時に、十津川たちはホームに飛び出した。
(もう、連中がいる筈はない)
と、思いながらも、十津川と亀井は改札口に向って駈けた。
改札口を出る。
やはり、連中の姿も、田原由美も見当らなかった。
二人の男が、十津川たちのところへ歩いて来た。
「福島県警の者ですが、十津川警部じゃありませんか?」
と、声をかけてきた。
東京から電話での協力要請があったので、すぐ福島駅に駈けつけたのだという。
「しかし、該当するような人たちはいませんでした」
と、藤田という部長刑事がいった。
「ここへ着かれたのは何時ですか?」
十津川がきいた。
「十四時五十五分です」
「すると、『やまびこ57号』が着いてから、十八分後ですね」
「そうなりますね」
「その間に迎えの車でも来て、連れて行ったということかな」
「今、聞き込みをやっているので、何かわかるかも知れません」
と、藤田がいった。
若い県警の刑事たちが集って来た。その中の一人が、藤田に小声で何か報告している。
「面白いことがわかりました。救急車がやって来て、構内にいた男を一人乗せて行ったそうです。その男には、連れが三人いたといいます」
「連中かな?」
「時間から見て、大いに可能性がありますね。ちょっと待って下さい」
藤田は構内の電話で、どこかにかけていたが、戻って来ると、
「今日、福島駅に出動した救急車は、一台もないそうですよ」
と、いった。
「すると、ニセの救急車ですね」
「そうなります」
「行先は仙台ですよ」
と、亀井がいった。
そう決めて、追いかけることにした。
福島県警のパトカーを一台借り、それを藤田が運転してくれることになった。
東北自動車道に出て、北に向った。
「田原由美は、どうしましたかね?」
走るパトカーの中で、亀井が心配そうにいった。
「きっとタクシーを拾って、追いかけていると思うね」
「危険ですよ」
「ああ、危険だ」
と、十津川はいった。
パトカーは時速百キロで東北自動車道を飛ばしていく。
前方に駐《と》まっているタクシーが見えた。運転手が頭を片手でおさえて、こちらに向って手を振っている。
「停まってくれ!」
と、十津川が叫んだ。
パトカーが停まると、十津川はその運転手に向って、
「どうしたんだ?」
と、大声できいた。
「お客をさらわれたんです」
と、運転手がいう。頭に血がこびりついている。
「そのお客は、若い女性じゃないのか?」
「そう。若い女だよ」
「じゃあ、こっちへ乗れ!」
十津川は怒鳴った。
再び走り出したパトカーの中で、十津川はその中年の運転手から事情を聞いた。
「福島駅で客待ちをしていたら、突然若い女が乗って来て、あの救急車を追いかけてくれといったんだ」
運転手は助手席から身体をねじ曲げるようにして話した。
「それで、つけたんだね?」
「わけがわからなかったが、余分に払ってくれるっていうんでね。あそこまで来たら、急に救急車が停車したんだ。こっちも停まって、様子を見ていたら、向うには連れがいたんだよ。白い車が後から近づいて来て、二、三人の男がおりて来た。やばいなと思っていたら、いきなり引きずり出されて、スパナみたいなもので頭を殴《なぐ》られたんだ。気絶しちまってさ。気がついたら、お客が消えちまっていたよ」
「連れて行ったんだ」
「そう思うよ」
「救急車のナンバーを覚えているかね?」
亀井がきいた。
「それがおかしいんだ。ナンバープレートがかくれているんだ。布《きれ》でもかぶせてあったんじゃないかな」
「大丈夫か?」
「ああ、少し頭が痛いだけだよ。あの連中は、いったい何なんだ?」
「君の乗せた女性は、何かいっていたかね?」
「救急車には人殺しが乗ってるといってたよ。本当なのかい?」
「ああ、本当だ」
と、十津川がいった。
仙台が近づいてくる。東北自動車道を出て、仙台市内に向った。
問題の救急車が、どこかに停車していないかと思い、十津川たちはパトカーのスピードを落として、必死に見廻したが、どこにも見えなかった。
仙台駅に着いてしまった。
「宮城県警に頼んで、市内をしらみつぶしに探して貰いますか?」
と、亀井がいう。
「それもいいが、ちょっと待っていてくれ」
十津川はそういって、パトカーをおりると、駅の構内に入って行き、電話を小野検事にかけた。
十津川はここへ来た経過を説明した。
「派手な救急車ですからね。普通の家の前に停まれば目立ちます。ですから、行先は病院だと思うんです。園田は病院に関係していませんでしたか?」
「いや、病院には関係していませんがね。そうだ。友人が病院を経営していますよ。園田が県議会で睨みをきかしている頃、その友人が病院を建てたのに、便宜を図ったというので、問題になったことがあるんですよ。その病院は、県の所有地をゆずられて建ったんですが、その時に園田がいろいろ動き廻ったんでね」
「その病院はどこですか?」
「どこというより、私が一緒に行きますよ」
「その病院の家宅捜索の令状がとれますか?」
「理由は?」
「証人の監禁です」
「その可能性があると思うんですか?」
「十分にありますね」
「すぐ、貰うことにしますよ」
と、小野はいった。
四十分ほどして、小野検事が令状を持って現われた。
十津川は近くにあった病院にタクシーの運転手を行かせてから、小野に問題の病院へ案内して貰った。
青葉城跡の近くの高台にある、大きな病院である。
カラマツの林の中に、白い二階建の病院が建ち、後方には療養施設も見える。
「いい場所ですね」
思わず十津川がいった。
「元は県の所有地だったところです」
と、小野がいった。
小野検事と十津川と亀井が、病院の中に入って行った。パトカーを運転して来た福島県警の藤田は車に残った。
小柄な事務長が応対に出て来た。
「病院の中を見せて貰うよ」
と、小野検事がいった。
「理由は何ですか?」
事務長は甲高い声できいた。
「殺人犯人が、ここに隠れている疑いがあるんでね」
「そんなのはいいがかりですよ。入院患者もいるんです。困りますよ」
「別に、患者には何もしないよ」
「令状があるんですか?」
「あるよ」
小野検事が令状を事務長の鼻先に突きつけた。
事務長の顔が青くなった。あわてて事務長室に駈け込んだ。誰かに相談するのだろう。
小野検事と十津川たちは、病院内を調べて行った。
「問題の救急車が見えませんね」
亀井が中庭にずらりと駐車している車を見て、小声でいった。
「見える場所に駐《と》めておく筈はないよ。それに、他へ持って行ったのかも知れん」
と、十津川はいった。
病室を一つずつ見ていった。が、岡本や田原由美は見つからない。
その中《うち》に、この病院のオーナーの畑山が、血相を変えて駈けつけて来た。
小柄な事務長に比べると、はるかに大きな男である。
その大きな男が、十津川たちの前に立ちはだかるようにして、
「私は抗議するぞ。こんなことが許されるのかね」
「そこをどいてくれませんか」
と、小野検事がいった。
「殺人犯をかくまってるみたいなことをいうが、そんな証拠はどこにあるんだ?」
「それをこれから調べるんですよ」
「いなかったら、責任をとるのかね? 腹でも切るかね?」
「いいですよ。切りましょう」
と、小野検事は笑顔でいった。
しかし、その笑顔が、だんだん重苦しく変って来た。
いくら探しても、岡本や田原由美が見つからないのだ。
あとは古びた建物が一つ、残っているだけだった。
その建物に近づいた時、ふいに二階から何かが、十津川の足元に落ちて来た。
拾いあげると、キーホルダーだった。
「この建物は何ですか?」
小野検事が案内して来た事務長にきいた。
「備品の倉庫ですよ。こわれたベッドなんかを、押し込んであります」
「見せて貰いますよ」
と、小野検事がいった。
一階は事務長のいう通り、備品の山だった。
鉄製の階段を二階にあがった。
がたぴしする扉を開けると、眼の前に古いベッドや医療器具が立ちふさがっている。
「誰もいないようですね」
と、小野がいったが、十津川は落ちてきたキーホルダーが引っかかった。
十津川は、眼の前にある古いベッドを蹴飛《けと》ばした。
二回、三回と蹴っているうちに、ベッドの山が崩れて大きな音を立てた。
その瞬間、奥で人の叫び声が聞こえた。
「奥に誰かいるぞ!」
十津川が叫び、亀井が拳銃を引き抜いて、ベッドが崩れて出来た隙間から、中に飛び込んだ。
十津川も、その後に続いた。
二人の視野に拳銃を構えた二人の若い男が飛び込んだ。
その一人が射った。が、あわてているので弾丸は十津川たちの頭の上を飛んでいった。
「射つぞ!」
と、十津川が怒鳴った。
亀井が、一人を拳銃で殴りつけると、もう一人も戦意を喪失した顔になって、拳銃を捨てた。
二人のうしろで、もう一人の男が、若い女をおさえつけていた。
田原由美だった。
「手を放すんだ」
と、亀井が拳銃を突きつけると、その男も両手をあげた。
由美が、よろよろと立ち上った。
「大丈夫ですか?」
と、十津川が声をかけた。
「ええ」
「岡本は、どこにいます?」
「奥で寝かされていますわ」
由美は、乱れた髪を手でなでつけながらいった。
十津川は、奥に入ってみた。
床の上に、岡本が寝かされていた。異様に青い顔で正体がないのは、何か薬でも射たれたらしい。
「警察を呼んで下さい」
と、十津川は小野検事にいった。
小野は、病院長の畑山に向って、
「どうやら、腹を切るのはあなたのようですね。殺人犯と、重要な証人を隠したんですからね」
と、いってから階段をおりて行った。
岡本は、他の病院に運ばれた。
モルヒネを何本も注射されていたのである。
岡本の身体は神経が正常に戻るのに、三日間かかった。
その代わり、回復してからの岡本は、十津川たちの訊問に対して、よく喋ってくれた。
小野検事が調書をとった。
岡本が話してくれたことは、ほぼ十津川が想像した通りのものだった。
岡本は演劇を志して、新潟から上京した。高校を出て、二年後である。
東京では、ある劇団の研究生になった。三年かかって卒業したが、いっこうに売れない日が続いた。
映画やテレビの端役をやったことはあるが、それだけである。仲間の一人とアパートを借り、アルバイトで生活をしていた。
新宿の飲み屋街に行き、酒を飲みながら、同じように売れずにいる仲間と、おだをあげるのが唯一の楽しみだった。
九月七日に男が四人やって来た。
その一人(伊東謙)が彼に向って、今一つの芝居の上演を考えている。難しい芝居でその主役にぴったりはまる人間を探していたのだが、君が適役のような気がする。出て見る気はないかと誘った。
条件もいい。
岡本は一も二もなくOKした。
しかし、連れて行かれたのは新宿のサンライズビルの地下の部屋だった。
そこで本当の仕事を教えられた。
ある男とすり代わる仕事である。OKすれば、二百万円くれるといわれた。拒否すれば殺すとも脅かされた。
承知するより仕方がなかった。それに二百万円も魅力だったのだ。
岡本は北海道に連れて行かれた。殺人事件に関係しているとは思わなかった。
ある人間にすり代わって、ちょっとした芝居をすればいいといわれただけである。
しかし、ひょっとして仕事のあとで、消されるかも知れないという恐怖があった。そこで、母親へだけ電話をかけさせてくれ、さもないと仕事をしないといった。
その結果、新潟の母親に電話させてくれたが、N組の男たちが、耳をそばだてているので、何もいえなかった。
監禁されていた場所だけでもいっておこうと思い、「お陽さまをおがむ」そんなことをいった。母親が果して、「サンライズビル」を思い出してくれるかどうか、自信がなかった。
急行「ノサップ1号」をN組の三人が襲撃している間、岡本は近くに駐めた車の中にいた。運転していたのは伊東である。
そのあと河野浩とすり代わり、病院で右眼が見えないと芝居をした。
東京に帰り、河野になりすまして、マンションで、自殺しそうな男を演じた。
再度すり代わってまたサンライズビルの地下に押しこめられた。
二百万円もくれなかった。これは殺されそうだと思い、N組の三人に向って、嘘をついた。河野のマンションにいた間に、全てを書いた手紙を友人宛に送った。もしおれを殺したら、その手紙が公けになるぞとである。
その言葉を信じたかどうかわからないが、殺されずに何日かが過ぎた。
そしてモルヒネを何本も注射された。
そして東北新幹線に乗せられた。
病人と同じだった。福島でおろされたことや、救急車に乗せられたことは、おぼろげに覚えているが、いずれも夢の中のような感じだった。
これが岡本の話したことだった。
田原由美も小野検事に次のように話した。
兄が殺されてから犯人を見つけたいと思い続けていた。そのために名古屋の実家を離れ、東京の死んだ兄のマンションにとどまっていた。唯一の手掛りは、兄の写した写真である。だから、岡本の写っている写真をいつも持ち歩いていた。
あの日、東北新幹線で仙台に帰るという友だちを上野に見送りに行ったのだが、その時、三人の男に両脇を抱えられるようにして歩いている岡本とばったり出会った。
夢中で追いかけた。
岡本と三人の男は、東北新幹線に乗るらしいとわかり、十津川に電話しておいてから、同じ「やまびこ57号」に乗り込んだ。
岡本は、グリーン車で病人のように眠っていた。その時はただの病気だと思った。
上野を出てすぐ、三人の男の一人がビュフェに行った。ついて行くと男はどこかへ電話していた。これはあとで考えると、仙台の病院へ電話して、福島へ救急車で迎えに来てくれと、頼んだのだろう。
福島で、連中がおりたので、彼女もおりた。
改札口を出たところで、彼等は待合室に入り、誰かを待っているようだった。一人が電話をかけた。これも、後になって考えると、迎えに来てくれるかどうか、確かめたのだろう。
待合室でも、岡本は病人のようだった。
しばらくして、救急車がやって来て、白衣の男二人が、岡本を担架にのせ、救急車に運び込んだ。
そのまま出発してしまったので、あわてて彼女は、タクシーを拾って、救急車を追いかけた。
怖いとは思わなかった。福島でもおりてから警視庁に電話したので、何かあれば捜査してくれるだろうと思ったからである。
東北自動車道に入って間もなく、突然前を行く救急車が停まった。
故障かなと思い、こちらもタクシーを停めて様子を見ていたのだが、相手がもう一台の自動車に分乗しているのに気がつかなかった。
岡本を連れて来たN組の男がやはり迎えに来た白い車で少しおくれて走っていたのである。救急車とは無線で連絡を取っていたのかも知れない。
突然タクシーの後に停まった車から三人の男がおりて来ると、物もいわずに運転手と彼女をタクシーから引きずり出した。
運転手が頭を殴られて血を流して倒れるのを見た。彼女も抵抗しようとして男たちの一人に殴られ車に乗せられた。
そのあと、東北自動車道を走り仙台の西にある病院に入った。
病院の備品が収納されている古い二階建の建物の二階に押し込められた。岡本は注射を射たれて寝ていた。何の注射をされたのかはわからなかった。
話し声が聞こえた。警察が助けに来てくれたのだと思い、二階にいるのを知らせなければと考えた。
マンションのキーがあったので夢中でそれを投げた。警察の人が果して拾ってくれるかどうか自信がなかった。
やがて二階に警察の人があがって来て救出された。
病院の院長の畑山、事務長、それにN組の三人の組員がまず逮捕された。
続いてニセの救急車を運転していた病院の職員たちも逮捕された。
畑山は、最初自分は何も知らないと主張し不当だと息巻いた。
事務長の青山の方が簡単に自供した。
院長に命じられてニセの救急車を用意したこと、職員に岡本には強いモルヒネを注射することを指示したことなどを喋った。
他の職員も同じだった。
救急車を運転していた職員、白衣を着て救急隊員に化け、岡本を福島駅から病院まで運んだ職員たちも、事務長が自供したと告げると揃って喋り始めた。
N組の三人の組員は、さすがに選ばれて今度の事件を起こしただけに口はかたかった。
しかし、東京のサンライズビルの地下で彼等の指紋が検出されたし、岡本を東京から仙台の病院へ運んだこと、それに岡本を伊東謙と一緒に見つけて利用したことなどははっきりしている。岡本の証言もある。
宮城県警は当然この三人を殺人や誘拐などの罪で起訴することになるだろう。
再開された園田祐一郎の裁判では、岡本と田原由美が検事側の証人として出廷したが、十津川も同じく検事側の証人として出廷し証言した。
十津川が話したのは、主として河野浩の死と岡本の誘拐に関してだった。
十津川は出廷してみて、法廷内の空気が急速に被告の園田に不利に傾いていくのを感じた。
十津川は法廷で初めて園田という男の顔を見たのである。
県会議長までやった男、宮城県内のボス的存在だっただけに眼つきの鋭い傲慢《ごうまん》な感じだった。
金に委《まか》せて何人もの有能な弁護士を傭《やと》っているともいわれた。
確かに優秀な弁護士に見える人たちが園田にはついていると思った。
もし、目撃証人の河野浩が死亡しただけだったら、この裁判で小野検事が負け、園田側が勝ったかも知れない。
「要するに彼等はやり過ぎたんだよ」
と、十津川は証人としての証言をすませて法廷の外に出てから、待ってくれていた亀井にいった。
「証人の河野浩を殺す方法に凝《こ》り過ぎたということですか?」
「そうだよ。自殺に見せかけて殺すというのは、まあ、当然すぎる考え方なんだが、その方法が問題だったんだ。一応うまく行ったが無理があったんだよ。一人の口を封じるために、もう一人口を封じなければならない人間を作ってしまったんだ。いや、それだけじゃない。田原というカメラマンに疑問を抱かせてしまった。その田原を殺すと、今度は殺人だから警察が乗り出してきた」
「田原の妹も出て来たわけですね」
「そうだ。最後に彼女の眼が連中の命取りになったわけだよ」
と、十津川は笑顔でいった。
仙台に一泊して、十津川と亀井は東北新幹線で東京に帰ることにした。
仙台駅に小野検事が送りに来てくれた。
「おかげで裁判に勝つ自信が持てるようになりましたよ」
と、小野は笑顔で十津川にいった。
「岡本はどうなるんですか?」
亀井がきいた。
岡本は被害者であると同時に、河野浩殺しに加担した犯人の一人でもある。現在、岡本は宮城県警に逮捕されている。
「そうですねえ」
と、小野は考えてから、
「岡本は検事側の証人として証言してくれましたからね。河野浩殺しについては東京で裁判にかけられるでしょうが、私は今度のことを書き送るつもりですよ。園田の裁判でよく働いてくれたとね」
と、いった。
「それを聞いてほっとしましたよ」
と、十津川はいった。
彼は電話で話をした岡本の母親のことを考えていた。
「田原由美さんはどうしているのかな?」
十津川がいうと、小野は、
「彼女は仙台に来たのを機会に松島を見物して帰りたいといっていましたよ。それから、十津川さんや亀井さんによろしくといっていましたよ」
と、いった。
「それはよかった」
と、十津川はいった。
彼女に今一番必要なのは、気分をまぎらわせることだと思っていたからである。
発車が近づいた。
「また仙台に来て下さい」
と、小野検事がいった。
単行本
昭和六十二年七月文藝春秋刊
ミニ急行「ノサップ」殺人事件
二〇〇二年十一月二十日 第一版
著 者 西村京太郎
発行人 笹本弘一
発行所 株式会社文藝春秋
東京都千代田区紀尾井町三─二三
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(C) Kyoutarou Nishimura 2002
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