[#表紙(表紙.jpg)]
21世紀のブルース
西村京太郎
目 次
|こんにちは《ハロー》21世紀
美容体操
オールド・パワー
地震カミナリ
国際公害
プロポーズ
氷山運搬作戦
ああ21世紀
[#改ページ]
|こんにちは《ハロー》21世紀
「あと一時間足らずで、月から新年のごあいさつを申し上げます。地球で、この放送をご覧の日本のみなさま、あと五十七分で、新しい世紀、二一世紀が始まるのです」
胸に小さな日の丸をつけたアナウンサーが、『静かの海』にあるアメリカの月基地のロビーで、カメラに向かってしゃべっている。
「この放送は、わがNNCテレビが、総力をあげて、日本のテレビ局としてはじめて月からお送りする番組で、新しい世紀を迎えるにふさわしい宇宙からのごあいさつです。なお、この放送は、立体放送なので、立体テレビでご覧のかたは、調整装置をプラス4のところにセットしてください」
とたんに、視聴者の欲望を刺激するように、カラー画面に、『ステレオ』の文字がチラチラしはじめた。
小学生のアキラが、
「これも立体放送かア」
と、大きな声を出した。
「うちでも、そろそろ立体テレビを買ったら? ただのカラー・テレビじゃ時代おくれになっちゃうよ」
「あんなものは、まだぜいたく品ですよ」
母親の文子《ふみこ》が、ぴしゃりという。父親の松崎《まつざき》 昇《しよう》 平《へい》のほうは、どっちつかずの顔で、パイプをもてあそびながら、
「立体テレビというのは、まだズレがあって、長く見ていると、目が疲れるそうじゃないか」
と、当たりさわりのないいい方をしてから、
「そうなんだろう? 朋子《ともこ》?」
と、娘の顔を見た。
大学生の朋子は、ソファーに寝ころんで、テープ音楽を聞いていたが、「え?」と、起き上がって、
「そうねえ。田島クンの話だと、完全な立体テレビができ上がるのは、あと一年ぐらい先のことらしいわ」
と、恋人の名まえを口に出した。
田島は、NNCテレビで働いていた。平凡なサラリーマンである。
昇平は、フンフンとうなずいてから、
「立体テレビを買うのは、それからだな。問題は、テレビの内容だよ。月からの新年のあいさつだなんて、子どもでも考えそうな陳腐なアイデアだ」
と、放送のほうに文句をつけた。
アキラも生意気に小鼻もふくらませて、
「もう火星の時代だもんね」
と、父親に同調した。
朋子は、なんとなくおかしくなって、クスクス笑ってしまった。ことしも、わが家は平穏無事かもしれない。
「この月基地には、日本からの旅行者も何人か来ていらっしゃいます。このかたたちに、月で新年を迎えられる感想をうかがってみましょう」
アナウンサーがいい、画面に何人かの日本人の顔が並んだ。
「あれッ」
それを見て、アキラがすっとんきょうな声をあげた。
「にいさんたちがいるよ」
アキラは、画面の端にいる若い夫婦を指さした。
朋子も、テレビに目をやった。たしかに、兄夫婦だった。
「正月を月で送るなんて聞いてなかったわ」
「あきれたものだ」
と、昇平は、得意そうに笑っている画面の若夫婦をにらんだ。
「月までは、ひとり一万ドルもかかるんだろう。ふたりなら二万ドルだ。安サラリーマンのくせに、バカなことに金をつかうやつだ」
「お金は、ミドリさんが出したのよ、きっと」
と、朋子が父にいった。
「ミドリさんは、システム・エンジニアで高給取りだもの」
「ボクも、結婚するなら、働きのいい女の人にしたいな」
と、アキラがいった。
「火星に連れてってもらえるかもしれないもの」
「男は、もっとしっかりした考えを持たなきゃいかん」
昇平は、むすこの頭をコツンとたたいた。
「男のくせに、そんな依頼心の強いことじゃ、先が思いやられる」
「でも、そのほうが楽だもん」
「あきれたものだ」
昇平は、小さなためいきをついた。
「このぶんだと、二一世紀は、ますます女がのさばりそうだな」
「男がだらしがないからだわ」
朋子が、笑いながらいった。母の文子は、黙ってクスクス笑っている。
テレビの画面では、アナウンサーに指名されて、兄夫婦が、腕を組んだかっこうで、カメラの前に立ち、
「おとうさん、おかあさん。このテレビを見ていますか?」
と、ニコニコ笑いながら話しかけている。
「来年は、いっしょに月に来ませんか。地球のながめは、すばらしいですよ」
「来年は、ほんとうに月に行きましょうか」
文子が、昇平の顔を見る。昇平は、まゆをしかめて、
「わたしは、地球のほうがいい」
と、いい、チャンネルを変えてしまった。
だが、画面に現われたのは、やっぱり、灰色の月のけしきだった。
「こちらは、『豊かの海』にあるソビエトの月基地から、JJC放送が総力をあげて日本のみなさまにお送りする――」
昇平は、やれやれというように、肩をすくめて、またチャンネルを変えた。が、画面には、いぜんとして、月のけしきしか映っていない。
「こちらは、『雲の海』にある国際月基地から、AAC放送が総力をあげて日本のみなさまに――」
アナウンサーのセリフまでが同じだった。
「今夜の放送は、どこの局も、月からの宇宙中継よ」
と、朋子は、新聞のテレビ案内を見ていった。
昇平は、しかたなしに、最初のチャンネルにもどした。
兄夫婦は、有名なコメディアンの司会で、クイズをやらされている。
「月に行ってまでクイズか」
と、昇平は、また文句をいった。五十歳を過ぎてから、昇平は、腹をたてることが多くなっている。老人の域に、一歩足を踏み入れた証拠かもしれない。もっとも、本人は、まだまだ若いつもりなのだ。だから、いろいろなことに腹がたつのだと思っている。
「月でクイズをやることはないだろうにな」
「ここんとこ、ほんとうに、テレビがおもしろくなくなりましたねえ。あたしたちが、朋子やアキラぐらいのころは、おおみそかといえば、紅白歌合戦をテレビで見て、それから新年を迎えたものでしたけどねえ」
文子が同調するようにいった。
「なんだい? そのなんとか合戦て?」
アキラが、大きく目をむいて、母親の顔を見た。
「サムライが出てくるドラマ?」
「バカね」
朋子は、笑った。
彼女には、母のいった番組を、昔の箱型のカラー・テレビで見た記憶がある。たしか、五歳くらいまでやっていたはずだ。
「テレビ全盛時代の番組で、いろんな歌手が出てきて、四時間か五時間、歌が続くのよ」
朋子が説明すると、アキラは、「へえ」と、バカにしたような声を出した。
「たったそれだけ?」
「そうよ」
「よくみんなが、たいくつしないで見てたなあ。昔の人は、のんびりしてたんだね」
「いや。今の人間のほうが、のんびりしていて、だらしがない」
と、昇平はいった。
「わたしが大学を出た一九七〇年ごろは、若者はみんな戦うことを考えていたものだ」
「何と?」
アキラは、今度は、父親の顔を見た。
「あらゆるものとだよ」
と、昇平はいった。
「それが、若者らしさというものだ。嫁さんに金を出してもらって、ノホホンと月へ行って喜んでいるような今の若いやつとは違っていた」
「フフフ――」
と、朋子は笑ってしまう。父の口ぐせがはじまったと思うからである。父は、一九七〇年代のことを話すとき、興奮して、若々しい顔になる。そして、今の若者は――ということになってくる。
「どうも、今の若者は、若者らしくないな。妙にさとりすましていたり、ものわかりがよすぎる。ものわかりがいいというのは、本来、老人のものだよ。それが反対になっている」
「だって、今は、戦わなければならないものがないもの」
と、朋子が笑いながらいった。
「成熟の時代なのよ。だから、今は、ものわかりのよさが、若者の特権」
「変な時代だ。今の若者には、わたしが若いころみたいに、ゲバ棒を振り回して、社会悪と戦うような元気のいい者は、ひとりもおらんのかねえ」
「ゲバ棒って、なんのこと?」
アキラが、また、大きな目で父親を見上げた。
「棒の先から、レーザ光線でも出るの?」
「バカな。ただの棒だ。それに、ヘルメットで、当時の若者は、社会の変革を志したのだ」
「棒にヘルメットなんて、知恵がないなア。でも、パパたちがあばれた気持ちはわかるよ」
「わかる?」
「うん」
アキラは、鼻をこすった。
「このあいだ、初等心理学で習ったのさ。二十歳くらいになって、急にあばれるのは、赤ん坊のときに、母親の愛情が足りなかったんだって。パパの生まれたころは、終戦のゴタゴタで、食べものもなくて、母親がじゅうぶんに愛情を子どもに注げなかったんだよ。だから、棒なんか振り回したのさ。その点、ボクやねえさんは、パパやママの愛情にドップリつかっているから、おとなしいもんだよ」
「生意気なことをいうな」
昇平は、苦笑して、
「今の小学校は、そんなことを教えるのか?」
「うん。なんでもちゃんと説明してくれるんだ」
「そんな、妙にものわかりのいい人間を育てる教育は、考えものだな」
昇平が、顔をしかめたとき、テレビの画面では、アナウンサーが、
「いよいよ、あと一分で、新しい年が始まります。二一世紀のとびらが開かれるのです」
と、まるで、かれが二一世紀の旗手みたいな顔つきで叫んだ。
「あと五十九秒、五十八秒、五十七秒、――あと二秒、一秒、今、新しい年にはいりました。二一世紀に足を踏み入れたのです。わたくしたちは、二一世紀になったのです。ハロー、二一世紀」
「新年おめでとう」
昇平が、改まった口調で、家族にいった。
アキラは、キョロキョロと、へやの中を見回して、
「二一世紀になったら、何か変わったことでもあるのかと思ったら、なんにも変わらないんだなア」
「あたりまえじゃないの」
と、朋子は笑った。
「二一世紀になったからって、世の中がミドリ色に変わるわけじゃないわよ。きのうと同じだし、おとといとも同じよ。だいいち、時代とか世紀とかいったって、人間がかってにつけたものだもの」
「そりゃあそうだけどさ。何か、パッと変わったっていいと思うんだがなア」
アキラは、不服そうにいう。十二歳のかれには、未来というものが、常にキラキラと光り輝いているように思え、そう見えないことが不満なのだろう。
昇平は、妻のいれてくれた紅茶を一口のんでから、
「二一世紀は、どんな時代になるのかねえ?」
「いつの時代だって、たいして違いありませんよ。人間のすることなんて、たかがしれてますもの」
文子は、四十九歳の母親らしく、現実的ないい方をした。
「便利になったら便利になったで、心配ごとはありますもの。これからだって、朋子の結婚のことで心配しなきゃならないし、アキラが大きくなれば、またいろいろと心配だし、そんなことで、一生終わるような気がしますよ」
「おまえさんは、なんと夢がないのかねえ」
昇平が舌打ちをした。
朋子は、なんとなくおかしくなる。舌打ちをした父にしても、案外、平凡な生き方しかできなかったようだし、これからも同じことだろう。
「これから、テレビで、二〇世紀回顧って番組があるわよ。きっと、紅白歌合戦もやるわ」
朋子は、母に教えてやった。「そうかい」と、文子がうれしそうな顔をしたとき、朋子の電話が鳴った。
朋子には、二〇世紀を回顧したい気持ちはない。電話が来たのを幸い、自分のへやに引きあげた。
TV電話のスイッチをオンにすると、四・五インチのスクリーンに、田島の角張った顔が映った。
「新年おめでとう」
田島は、白い歯を見せて、朋子に笑いかけた。
「ぼくが、どこから電話しているかわかるかい?」
「その大きな顔を、横へどけてくれなきゃわからないわ」
「O・K」
田島の顔が消えると、夜の海が映った。月の光で、海面がキラキラ輝いている。
「どこの海?」
「伊豆《いず》だよ。海底公園の近くだ。きみも来ないか?」
朋子は、カラー・ドレスに着替えて、駐車場におりていった。
磁気印刷されたロード・マップの伊豆の地点に、電子チョークでマークをつけ、車についている小型のコンピューターに挿入した。
(不便でしかたがないわ)
と、朋子は、この中古車に乗るたびに腹がたってくる。今の新車は、完全オートで、『伊豆』と、行き先をマイクに告げるだけでいいのだ。
スタート・ボタンを押すと、車はゆっくりと走りだし、帯電ハイウェイにはいると一〇〇キロの規定スピードになった。
東海メガロポリスの光の海が、ゆっくりと後ろに流れていく。
朋子は、シートに横になり、近ごろ若者の間でベスト・セラーになっている『一七世紀の恋』という本を取りあげた。
副題は、『恋さえも冒険であった時代の物語』となっている。このキャッチ・フレーズのせいで、ベスト・セラーになったのだ。
愛し合いながら、さまざまな制約のために結ばれずに心中に走る男女の話が、いくつも並んでいる。
朋子は、読みながら、田島のことを考えていた。
田島との間には、なんの制約もない。結婚しようと思えば、いつでもできる。だが、そのことがなんとなく不満に思えることもある。どうも、ドラマチックな感じがしないのだ。
朋子は、別の本を取りあげた。ダイレクト・メールで送ってきた本である。
『都市における愛の論理』という長い題がついている。
現代人は、都市に生まれ、都市で死ぬ運命にある。いわば、抽象化された一生をおくる。したがって、愛もまた抽象化され、実体を失う危険がある――終わりまで読んでいくと、ヌーディスト・クラブの入会案内になっていた。今はやりのCMブックかと思ったとたんに眠くなった。
目をさますと、車はすでに伊豆半島の突端に止まっていた。
田島が、上から、笑いながらのぞき込んでいる。
朋子は、ちょっとあかい顔になって、車から降りた。
田島が、軽くキスした。
「二一世紀おめでとう」
「おめでとう」
と、朋子もいった。
ふたりは、海底公園の中にあるレストランに降りていった。
「すいているのね」
と、朋子は、ガランとした店内を見回していった。ちょっと意外だ。
強化ガラスの向こうを、よく訓練された何頭ものイルカが、客にあいきょうをふりまきながら泳ぎ回っている。
田島は、おどけた顔で、イルカに笑いかけてから、
「ことしは、月で新年を迎えるのが流行だからね。日本人は、三百人以上、月で新年を迎えたそうだ。アメリカ人についで多い数らしい」
「その三百人のなかに、あたしの兄夫婦もはいっているのよ。それで、おやじは、安サラリーマンのくせにぜいたくだってカンカン」
「女房を質に入れても初ガツオの精神が、今でも生きているのさ。もっとも、月へ行ったのは女のほうが多かったそうだから、亭主を質に入れてもかな」
若い田島が、女房を質に入れても初ガツオなどという古めかしいことばを口にしたのが、なんとなくおかしくて、朋子は笑ってしまった。
「初ガツオじゃなかったかな?」
田島は、ちょっと頭に手をやってから、
「ここは、手作りの料理をくわせるんだ」
と、メニューを朋子に見せた。
「道理で、店の中がスカッとしてると思ったわ。あたし、あの自動販売機ってのがあまり好きじゃないの。あれが並んでなかったのね。でも、ちょっとぜいたくな店ね」
「まあね。ぼくは雑煮にするが、きみは何にする?」
「あたしはフランス料理。雑煮なんて、ずいぶんクラシックね」
「ああ。ぼくはクラシックな人間でね。正月は雑煮を食うし、ひっこしそばを食べるし、うれしいときは赤飯を食べる人間だよ。だから、ぼくと結婚したら、正月には雑煮を作ってもらうよ」
「インスタントでいいんでしょう?」
「いや。手製で願いたいね。せめて食事ぐらいは、手作りのものがほしいからね」
「今の時代に、手作りなんてすごいぜいたく!」
「ぼくは、ぜいたくな人間ですよ」
田島は、おどけた表情を作った。
「こんなぜいたくで扱いにくい男でも、結婚していただけますか?」
「あたしだって、ぜいたくな女よ。花はほんものじゃなくちゃいやだし、ロボットの犬なんかきらいだから」
「そのくらいのことなら、ぼくでもしてやれそうだ。安心したよ。来年には結婚してほしいね」
朋子は黙っていた。田島なら結婚してもいいし、きっと幸福になれるだろう。だが、朋子は、ふと、車の中で考えたことを思い出した。ふたりの間が、もっとドラマチックであってほしいのだが。
「テレビっていえば――」
と、朋子は、わざと話題を変えた。
「どこのチャンネルを回しても、月からのごあいさつでたいくつだったわ」
「そのことばを、おやじに聞かせてやりたいな」
田島は、自分がテレビ会社の社員のくせに、ニヤニヤ笑った。朋子は、田島の父が、同じNNCテレビの重役だったのを思い出した。
「どうも、最近のテレビは、だらしがないからね」
田島は、タバコに火をつけた。
「おやじにしてから、ことしじゅうに電波の自由化が行なわれるというので、青い顔をしているんだ」
「自由化をいちばん強く要求しているのは、アメリカなんでしょう?」
朋子は、新聞の記事を思い出しながらきいた。最近は、電波の自由化に関するニュースが多い。
「ああ。日本と同じように、向こうさんも民間放送が主力だからね」
「うちの弟なんか、電波が自由化されれば、世界じゅうのテレビが見られるって、単純に喜んでるわ」
「たしかに、そういう面もあるし、世界じゅうの人間が、どこのテレビでも見られれば、国家間の意志の疎通にもなるし、平和にも役だつだろうね。アメリカは、それを錦の御旗にして、押してきているんだ。だが、自由化したら、確実に日本のテレビ局は、ぶっつぶれるね」
「そんなに競争力がないの?」
「アメリカのビッグ3に比べたら、資本力が問題にならないからね。だが、いちばんの問題は、当事者の考えの甘さなんだ」
父親がテレビ局の重役だというのに、田島はかってなことをいう。それだけ、現在のテレビ局の仕事に不満があるのかもしれない。サラリーマンは、二一世紀になっても、自分の仕事に不満を持つものらしい。
「一九六九年に、アメリカの宇宙船が月に到着したとき、世界じゅうの人間が、同じテレビを見たんだ。もちろん、ぼくの生まれるまえだから、どんなぐあいだったか知らないが、六億人が見たと文献に書いてある。そのとき、すでに、電波の自由化の芽が出ていたのさ。それなのに、テレビ関係者は、電波の自由化なんてことはありえないと、タカをくくっていたんだなあ」
「でも、あのころは、自動車の自由化問題で、日本じゅうがキリキリしてたんじゃないの?」
「そうなんだが、テレビ関係者は、ひとごとだと思っていたのさ。だから、国内で、ほかの局に勝てばいいというんで、ちょっと有名になったタレントを甘やかしてばかりいたわけなんだ」
「そういえば、このあいだ、大学の資料室で、三十年まえの新聞のマイクロ・フィルムを見てたら、おもしろいものを見つけたわ。当時のテレビ番組で」
「紅白歌合戦かい?」
「あれも、今から考えると不思議な番組だけど、あのころ、コント66ってふたり組みのタレントがいたらしいんだけど、どの局のゴールデン・アワーにも出ているのよ、レギュラーで」
「きょうの月からの中継と同じことさ」
田島は、肩をすくめて見せた。
「企画の貧困と、タレントの甘やかしだよ。これじゃあ、アメリカの優秀なテレビ・タレントにかないっこない。電波が自由化されたら、日本人、特に若者は、きっと、アメリカの放送を見るようになるね。逆に、アメリカ人のほうは、日本の放送を見てくれる可能性は少ない。そうなれば、どこの企業だって、宣伝はアメリカのテレビに頼むよりしかたがなくなる」
「それで、日本のテレビ局がつぶれるってわけ?」
「ああ。それから、安く視聴率を上げるために、クイズ番組をふやしてるけど、あれだって、アメリカのビッグ3が、資本力にものいわせて、賞金のバカ高い番組を放送したら、みんなそっちへ行ってしまう」
「アメリカには、一等賞金が一〇〇万ドルというクイズ番組もあるそうね」
「ああ。それから、もう一つ、番組をピンク化するのも、ほとんど役にたたないんだ。今、はやりだがね。なぜなら、向こうは、金に任せて世界じゅうの美人を集めるだろうからね」
「ずいぶん悲観的なのね」
「悲観的というより、腹をたててるのさ。だいじなときだというのに、どこの局も月からの新年のあいさつだからね。今、アメリカじゃあ、火星から新年の中継をしているんだ。これじゃあ、勝てっこないよ」
「でも、ことばの障害が救いになるんじゃないの? 向こうの放送がおもしろくても、ことばがわからなければ見ないだろうし――」
「おやじなんかも、そのことに、はかない希望を持ってるらしいんだが、これは年寄りの気休めだよ。今の若い連中は、英語に強いからね。それに、コンピューターによる翻訳技術がここまで発達していれば、ほとんど障害にならないんだな」
「そうなると、田島クンみたいな若いテレビ関係者のがんばりが、ますます必要になってくるじゃないの」
朋子が、おだてると、田島は、困ったような顔になって、あごのあたりをなぜた。一八〇センチを越す大男がてれているのは、なんとなくユーモラスだった。
「忘れていた」
と、田島は、てれかくしのように、急に話題を変えて、
「きみに会わせたい人が、ここに来ることになっているんだ」
「だれ?」
「きみは、いつだったか、海洋学の沢木|保男《やすお》に会いたいといったろう?」
「ええ」
と、朋子はうなずいた。
朋子は、現在、大学の海洋学部に籍を置いているのだが、教授にめぐまれていなかった。
今、どこの大学でも、学生による完全な学校管理が行なわれている。
学生による、学生のための、学生の大学というわけだが、困ったのは、教授の獲得だった。
昔は、優秀な教授のいる大学を、学生が選んだらしいが、今は、学生が、教授を自分の学校に呼ばなければならない。教授の数が多ければ問題はないのだが、今は、数が少ない。だから、学生がちょっとでもさわぐと、絶対といっていいほど、優秀な教授が来てくれなくなる。
教授のほうで、大学と学生を選ぶ時代なのである。
「沢木さんみたいな若い優秀な人に、うちへ来てもらいたいんだけど、田島クンも知ってるように、うちは学生があんまり勉強しないから、自信がないのよ」
「学生もたいへんだな」
田島は、三年まえまで同じ大学生だったのを忘れたみたいに、気楽ないい方をした。
「このあいだなんか、哲学のK博士を奪い合って、二つの大学の学生たちが、新宿《しんじゆく》で乱闘を演じたそうよ」
と、朋子はいった。
「知ってる。ケガ人もだいぶ出たそうじゃないか」
「今、うちの海洋学部じゃ、しかたなしにコンピューターを使って授業してるんだけど、あじけなくて。サボるにはいいけど、身がはいらないのよ。だから、ぜひ、沢木さんに来てもらいたいの」
「ここに来たら頼んでみるさ。一つだけ注意しておくけど、かれは、男性解放運動の会長だよ」
「男性解放運動?」
朋子は、目を大きくして田島を見た。
「何よ、それ?」
「女性の圧力から、かよわき男性を解放する運動らしい。まだ、会員は六十人くらいだそうだけどね」
「じゃあ、沢木さんは、女ぎらいなの? そうだと困るわ。うちの海洋学部は、全員女性だもの」
「どうかな。三十一歳で独身なことは確かだけどね」
「まさか、田島クンもその会員なんじゃないんでしょうね?」
「まだね」
「まだ?」
「きみがいばりだしたら、会にはいろうかと思っているんだ」
田島が笑いながらいったとき、その沢木保男が、姿を見せた。
がっしりしたからだつきで、学者というよりスポーツマンの感じがする。男性解放運動の会長らしくないと、朋子は思った。
田島は、沢木に、
「これが、頼まれていた例の資料です」
と、ポケットから取り出したマイクロ・フィルムを渡してから、朋子を、
「海洋学者の卵です」
と、紹介してくれた。
沢木は、「ほう」といった。朋子は、あかくなった。
田島は、そのあと、これからテレビ局に行かなければならないと、席を立ったが、そのとき、朋子の耳に口を寄せて、
「沢木さんをくどいて、主任教授になってもらえよ」
と、けしかけるようにいった。
朋子は、沢木と肩を並べて、海底公園の中にある回廊を散歩した。
そこも人影は少なかった。
「うちの大学へ、沢木さんに来ていただきたいんですけど」
歩きながら朋子が切り出すと、沢木は、「え?」というように、彼女を見て、
「ぼくに?」
「ええ。うちは、熱心な生徒ばかりだから、教えがいがあると思うんです。それに、海洋学部には、特別に政府の援助があるので、じゅうぶんな給料をお払いできますわ」
「なかなかおもしろいPRだね」
「一〇〇パーセントほんとうですわ」
「残念ながら、今は、教室にはいる気がないんだ」
「だめですか?」
「あなたや、あなたの大学が気に入らないんじゃないんだが、やりかけた研究があるんでね」
「残念ですわ。沢木さんに断わられてしまうと、またコンピューター相手に勉強しなければならないんです」
朋子は、小さくためいきをついた。
ガラス窓の向こうを、無数の小ざかなが、黒いかたまりを作って泳いでいる。
彼女が、目をそのさかなたちに向けたとき、
「ぼくのほうから、あなたに頼みたいことがあるんだが」
と、沢木がいった。
朋子は、めんくらって、
「あたしに?」
「そう。アルバイトに、ぼくの助手をやってくれないかな?」
「でも、きょうはじめてお会いしたのに――」
「しかし、あなたは大学で海洋学を専攻してるんだし、田島君の友だちなら、信用できる。今は、アルバイトをしてくれる人がいなくって困っているんでね」
「引き受けたら、うちの大学へ来てくれます?」
「交換条件か」
沢木は、苦笑し、立ち止まって、海底のけしきに目をやった。顔に軽い当惑の色が浮かんでいたが、それは深刻なものではなかった。むしろ、朋子の申し出を、おもしろがっているような感じもあった。
「さっきもいったように、研究したいことがあってね。それは、ことし一年は、どうしてもかかるんだ。ただ、来年になったら、あらためてあなたの申し出を考えるというのでは、どうだろうか?」
「確約はなしですか?」
「そう」
「いいですわ」
と、朋子は、うなずいた。
沢木の助手になれば、大学でコンピューター相手に、あじけない勉強をしているより、ましにちがいない。
〈カイヨウカイハツノポイントハナニカコタエヨ〉
というコンピューターの相手をしているよりはいい。
「でも、ほんとうにあたしでいいんですか?」
「なぜ?」
「あたしは女だから」
「そんなことは関係ない」
「でも、沢木さんは、男性解放運動の会長さんなんでしょう? それが、女の助手を使うというのは、ちょっと――」
「ちょっと変かな?」
「ええ」
「だれに男性解放運動のことを聞いたの? 田島君か?」
「ええ」
「会長といっても、ぼくの場合は、名誉会長でね。それに、もともと、会そのものが、それほど深刻なものじゃないんだ」
「少しは深刻なんでしょう?」
「会員の中には、しんけんに、男性の解放を唱えてる者もいるね。二〇世紀の後半は、女性上位時代だったが、このままで行くと、二一世紀には、男は女の奴隷に成り下がるというんだ。現に、『ぼくはあなたの奴隷』というレコードがヒットしているのが、その証拠だというんだよ」
「その人、よっぽど奥さんがこわいんじゃないかしら」
「いや、その男は、まだ独身でね。女性に支配されるのが恐ろしくて、結婚しないのだそうだ」
「沢木さんも、同じ理由で独身?」
「いや」
沢木は、苦笑した。
「ぼくは、なんとなくめんどうくさくて、ひとりでいるんだが、それを誤解されて、会長にされてしまったというわけだが、違うというのもめんどうくさくて、そのままにしてあるんだ」
「それを聞いて、安心しました」
「なぜ?」
「女性恐怖症のかたの助手にはなれませんもの」
「その点は、今いったようなわけだから、安心していいよ。今度は、ぼくのほうから質問していいかな?」
「どんなことを?」
「田島君とは、いつ結婚するの?」
「あと一年したらということになってるんですけど、ただ――」
「ただ、なに?」
「なんとなく、すッと結婚してしまうのが惜しいような気がして」
「ほう」
「うまくいえないんですけど、もっとドラマチックで、すばらしい冒険的な恋であるべきだという気がして」
「ぜいたくなんだね」
沢木は、微笑した。
「そうでしょうか?」
朋子は、首をかしげた。
「二一世紀に、恋を冒険と考えるのは、ぜいたくでしょうか?」
「今は、恋にかぎらず、すべてのことが、冒険になりにくい時代だからね。昔、ひとりの青年が、ヨットで太平洋を横断したのが、冒険の典型だったらしいが、今は、無数の衛星が地球上を飛び回っているから、どんな小さな舟だって、発見されてしまう。発見されたが最後、監視つきになってしまうから、もう冒険じゃない。これからは、それがもっと激しくなるね」
「――――」
「少し悲観的ないい方をしすぎたかな」
「いいえ。それで、助手になるのは、いつからですか?」
「正月休みが終わったら一日でも早く。いいかな?」
「ええ」
朋子は、うなずいた。
ふたりは、回廊の出口に来ていた。
別れるとき、沢木が思い出したように、
「あなたにいうのを忘れていた」
「何をですの?」
「二一世紀おめでとう」
テレビ局というのは、どうしていつもこう雑然としていて、ガヤガヤと騒がしいのだろう。
田島は、その雑然とした空気をかきわけるようにして、廊下の奥にある重役室のドアをあけた。
テレビをながめていた父の悌三《ていぞう》が、疲れた顔を向けるのへ、田島は、
「新年おめでとう」
と、大きな声をかけ、そばのイスに腰をおろした。
テレビ画面は、あいかわらず月からの中継の続きだった。
コメディアンふたりに宇宙服を着せて、月面でボクシングのまねをさせている。カンガルーのように飛びはねるおもしろさをねらったらしいが、なんとなくアカ抜けしない。
「知恵のない番組だなあ」
と、田島は、自分が社員のくせに、無遠慮ないい方をした。
「アメリカのテレビは、火星から中継しているというのに」
「うちが火星に取材班を送ったら、その費用だけで破産だ。そうかといって、以前のように、アメリカのテレビ放送に便乗させてもらえば、それを理由に、自由化を急がされてしまう。痛しかゆしさ」
「それはわかるけど、だからといって、どこのチャンネルを回しても月からの中継じゃあ、大衆がそっぽを向いちまうなあ。アメリカのビッグ3には、とうていたち打ちできませんよ。上層部の人間は、その認識があるのかなあ」
相手が父親だけに、田島は、いいたいことをいった。
悌三は苦笑して、
「おまえも、NNCテレビの社員だということを忘れるなよ。文句ばかりいわずに、もし、いい案があったら、どんどんいったらどうだ? 宇宙中継がつまらんというのなら、ほかに何がある?」
「何よりもまず、新しい時代のタレントを育てあげることが急務だと思うんだがな。立体テレビ時代のスターをね」
「そんなことを、われわれが考えずにいると思うのかね」
悌三は、パイプを取り出して、ゆっくりと口に持っていった。
「うちのタレント養成機関で、二年まえから育てているよ」
「それは知ってるけど、ほんとうに新鮮なタレントじゃなければだめですよ。テレビ局というのは、よくまにあわせのタレントを使うからね」
「立体テレビ時代に、古いタレントを使う気はない」
と、悌三は、きっぱりといった。
「ただ、どんなタレントが、立体テレビ時代のスターになるのか、それがわからなくて迷っているのだ」
悌三は、イスから立ち上がると、「そうだ」と、小さくうなずいて、むすこの顔をふり返った。
「おまえにもわたしが掘り出したタレントを紹介しておこう。彼女について、おまえの感想を聞きたいんだ」
「美人ですか?」
「ああ、美人だ。それに、不思議な魅力がある」
「中年の男にとってじゃないんですか?」
と、田島はまぜっ返した。
田島は、ときどき、五十歳の父をからかうことがある。こんな癖がつきはじめたのは、どうやら、三年まえに母がなくなってからである。
母が常にそばにいたときは、父をひとりの男として意識することは少なかった。母がなくなった今は、いっしょに飲みに行くことが多くなったせいか、男として意識することが自然に多くなったし、父をからかったりするのも、それだけ、男としての親しさを感じるようになったということかもしれない。
「バカをいうな」
悌三は、苦笑した。
「今のわたしは、それどころじゃない。つまらんことをいってないで、いっしょに来たらどうだ」
悌三は、田島を、地下三階にあるティー・ルームに連れていった。田島がコーヒーを飲んでいるうちに、悌三はインターホーンで、「原田ロミ君に、ティー・ルームに来るように伝えてくれ」といった。
父の紹介してくれるタレントというのは、原田ロミという名まえらしい。
「混血《ハーフ》ですか?」
「日本、アメリカ、ギリシャの血が少しずつはいっている」
「二一世紀も混血ブームですかねえ? 女性タレントは」
「どうしても、スタイルがいいからね。立体テレビは、いっそうスタイルの良さが要求される。平面的な顔は向かんな。それだけ、日本人タレントには不利だよ」
「そうかなあ。立体というものを、あんまり簡単に考えてるような気がするな」
「テレビの視聴者なんてものは、ごく単純な気持ちでテレビを見ているんだ。普通のカラー・テレビを、立体カラー・テレビに買い替える動機は、いったいなんだと思う?」
「立体的に見たいからでしょう」
「そうさ。だから、タレントも立体感を持っている必要があるんだ。せっかく立体テレビを買ったのに、そのスクリーンに、ペシャンコの顔やからだが現われたら、がっかりするにきまっている。特に、若い女性タレントの場合はしかりだ」
「ずいぶん単純な割り切り理論だな」
「単純だからこそ真理なのさ」
悌三は、ひどく熱っぽい調子でいった。
「胸のペシャンコな女性タレントは、どんなに演技がうまくても、立体テレビ時代には、絶対にだめだ。平面テレビなら、なるたけ前向きのアングルで演技させればいいんだが、立体テレビになると、前を向いていても、胸のペシャンコなのがわかってしまうからね。そうなれば、若い男の視聴者はそっぽを向く」
「まるで、バスト何センチ以上でなければ、タレントに向かないっていってるみたいだなあ」
田島が笑ったが、父の悌三は、ニコリともしないで、
「冗談でなく、それをしんけんに考えているんだ。これからの若い女性タレントは、バストが八八センチ以上なければ失格ということになるかもしれん」
「その八八センチというのは、どこから出た数字なんです?」
「このあいだ、若い男女百人ばかりを集めて、調査をしてみたのさ。立体画面に、下着や水着で出てくる女性タレントを見せて、バスト何センチから『豊かな胸』と感じるかをアンケートしたんだ」
「そうしたら、八八センチという数字が出たというわけですか?」
「そうだ。今の不完全な立体テレビでも、若者たちは、胸のペシャンコな女性タレントが出てくるとがっかりするといってるんだ。完全な立体テレビになったら、なおさらだよ。うちでは、この数字を重視して、既成のタレントとの契約をしなおしている。男も、平面的な顔つきや、立体感のないタレントは、もうだめだ。女性では、有賀ユミ子とも契約しないことにした」
「あんな優秀なタレントをクビにするんですか? 歌ができて、演技がうまくて、ユーモアの精神もあって、たいへんなタレントですよ」
「だが、立体テレビ時代には向かん。胸がペシャンコだ。やせすぎている。立体テレビでは、からだの欠点を演技でカバーするわけにはいかないんだ。ベッド・シーンができなかったり、水着になれない女性タレントは、使いものにならないよ」
「ひどいことになったものだ」
「タレントにとって、きびしい時代になったのさ。映画が、無声からトーキーに変わったとき、多くのスターが消えていったように、立体テレビ時代が来て、多くのタレントが消えていくだろうな」
「しかし、有賀ユミ子は、とうさんも、いいタレントだといってたじゃありませんか?」
「個人的感情は別だよ」
「なるほどね。となると、ぼくに紹介してくれる原田ロミという娘《こ》も、バスト八八センチ以上というわけですね」
「もちろん、そうだ」
悌三は、ポケットから手帳を取り出した。
「プロポーションは、93・58・90だよ」
「どうやら、その九三センチが来たようですよ」
と、田島は、ティー・ルームの入り口に目をやっていた。
セーター姿の若い女が、入り口のところで、キョロキョロとへやの中を見回している。悌三が手を上げると、女はニヤッと笑ってから、ゆっくり近づいてきた。
たしかに、セーターの胸のあたりが豊かに盛りあがっている。
混血らしく、顔全体が丸みをおびていながら陰影がある。若い顔だった。朋子より若そうだ。
原田ロミは、悌三に向かって、ピョコンと頭を下げてから、田島に目をやって、
「こちら、新しい宣伝担当のかた?」
「そうじゃないが」
と、悌三はいってから、急に、ニヤッと笑った。
「それも悪くない考えだな」
「いやですよ、女の子のおもりなんか」
田島は、あわてて手を横にふってみせたが、悌三は、もう決めたという顔で、
「おまえに、ロミ君の売り出しをやってもらおう。おまえのいっていた二一世紀のタレントに育てるんだ」
「ぼくには、ほかに仕事が――」
「だが、NNCの社員だろう。これは重役としてのわたしの命令だ」
「すまじきものは宮仕えか」
「何をブツブツいってるんだ?」
「二一世紀になっても、サラリーマンは浮かばれないということですよ」
「美人といっしょなんだから、悪くない仕事だぞ」
「よろしくお願いしまーす」
ロミは、田島に向かって、歌うようにいってから、思い出したように、
「これから行かなければならないところがあるんだけど、車が故障しちゃって」
「おまえが送ってやってくれ」
と、悌三は田島にいった。
「それが最初の仕事だ」
田島は、肩をすくめてから、彼女を車のところへ連れていった。歩くとき彼女の胸がゆれるのは、ブラジャーをつけていないかららしい。たしかに、みごとなながめだが、これだけで、新しい時代のタレントになれるのだろうか。
「どこへ行くの?」
田島がきいた。
「P・Sクラブ」
「なんだい? そりゃあ」
「新しい美容体操のクラブなの」
「正月そうそうから、美容体操をやりに行くのかい?」
あきれて、田島がきくと、ロミは肩をすくめて、
「あたしだって、きょうは遊びたいワ。二一世紀の第一日なんだもの」
「じゃあ、なぜ、遊びに行かないんだ?」
「つらいのヨ」
ロミは、また肩をすくめてみせた。
「あたしね、養成機関を出て、NNCと今度仮契約したんだけど、その契約の中に、93・58・90ってサイズをくずさないって条項があるの。きのう、自分で測ったら、ヒップが二センチ大きくなっちゃってるの。たいへんよ。だから、どうしても美容体操しに行かなくちゃあ」
「へえ」
「ほんとうにつらいワ。まるで、数字にしばられてるみたいだもん」
「アハハハハ」
と、田島は、思わず笑ってしまった。ロミは、顔をしかめて、
「笑いごとじゃないワ」
「いや、ごめん。たしかに、笑いごとじゃないな」
「そうよ」
「笑ったのは、なんとなく愉快だったからなんだ。実は、ティー・ルームで会ったとき、きみにあんまりいい感じを受けなかった。からだはりっぱだが、頭はからっぽじゃないかと思ってね」
「あたしって、頭はからっぽ。自分でも、ときどき、バカな女の子だなあって思うことがあるもの」
「バカじゃないよ。ユーモアの精神があるもの。巧《たく》まざるユーモアの精神が」
「ほんとう?」
「ああ、ほんとうだ。きみが好きになれそうだ」
「ありがとう。でも、あたしと話してるとたいくつでしょう? あたしって、子どもだから」
「いくつだい?」
「十八」
と、短くいってから、ロミは、ペロリと舌を出した。その顔が、年相応に幼く見えた。
田島は、車をスタートさせた。
田島が、シートに横になって、まだ明けきっていない夜空を見上げると、ロミも同じような姿勢を作った。
「あたし、有名になれるかしら?」
ロミは、遠い星に目をやりながら、変にきまじめな声できいた。
「有名になりたいのかい?」
「そりゃあ、なりたいワ。有名になりたくない人なんているかしら?」
「さあねえ」
「あんただって、有名になりたいでしょう?」
「どうかな。そんなことを考えたことはなかったな」
「あたしね、二一世紀って、有名な人と、有名でない人との差が、とても大きくなると思ってるの」
「ふーん」
「電波の自由化って、アメリカやフランス人まで、日本のテレビを見るってことなんでしょう?」
「まあね。その逆のいい方もできるけどね」
「そうなれば、今までみたいに、日本だけで有名になるんじゃなくて、世界じゅうで有名になるわけよ」
「うん」
「だから、二一世紀じゃ、有名人にならなきゃうそよ」
「それが、きみの人生哲学かい?」
「哲学なんて、そんなおおげさなものじゃないけど、あんただって、そう思うでしょう? 有名にならなきゃうそだと思うでしょう?」
そうにきまっているといいたげな、ロミのいい方だった。
田島は、苦笑した。
「有名になりたい人間はなればいいさ」
「ひとごとみたい」
「ぼくは、べつに有名にならなくてもいいね。平凡なサラリーマンでけっこうさ」
といってから、ふと、朋子はどう考えているのだろうかと考えた。かれが平凡なサラリーマンで満足だろうか。それを聞いてみたことは、まだなかった。
「有名になりたいワ」
と、ロミは、まだいっている。
車がとまった。
丸いドーム状の建物に、P・Sクラブのネオンが点滅している。
「ここは、年じゅう無休なの」
ロミは、車から降りて、カラッとした声でいった。さっきは、つらいワといっていたが、美容体操もけっこう楽しいのかもしれない。
「これからよろしくね」
ロミは、握手してから、小さな声でいい、ちょっと歩いたあと、ふいに振り向いて、今度は大きな声で、
「ハッピー・ニュー・イヤー」
と、叫んだ。
田島は、微笑しながら、クラブの中に消えていく彼女の後ろ姿を見送った。
彼女にとって、二一世紀は、有名人と有名でない人間とが、はっきり分かれる時代らしい。
そして、彼女は、有名人の世界にはいるつもりらしい。
(有名にならなきゃうそか)
田島は、また思い出して、クスクス笑った。
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美容体操
朋子の大学は、一月二十日から新しい学期が始まる。
五年まえから、大学の卒業年限は何年と限定されないことになった。
一年でじゅうぶんだと考えた学生は、一年で学校を出ていけばいいのだし、ふじゅうぶんだと思えば、いつまで大学にいてもいいわけである。ただし、卒業証書は発行されないから、社会に出てからは実力だけということになる。
朋子は、ことしいっぱいで卒業するつもりだったが、沢木保男と会ったことで、少し考えを変えた。
沢木は、確約はしなかったが、来年になったら、教室にはいることを考えてもいいといった。
もし、来年、かれが主任教授として来てくれるのなら、卒業をもう一年延ばしてもいいと思ったからである。
(いっそのこと、ことしいっぱいは、沢木の助手として働いて、来年、かれが主任教授になったところで、再入学しようか)
とも考えたりした。
そのほうが、能率的なような気がしたし、なによりも、コンピューター授業にいやきがさしていた。
富士|山麓《さんろく》にある大学に行くと、新しい学期の始まりの日だというのに、海洋学部の出席は、三人しかいなかった。
「出席率が悪いなあ」
と、朋子は、あとのふたりと顔を見合わせた。
「この調子だと、そのうちに、ゼロになっちゃうんじゃないかな」
「コンピューター相手じゃ、あじけないもの」
ユキベエが、小さな舌を出していう。ユキベエの本名は、本間雪子だが、朋子は、ユキベエとしか呼んだことがない。
「それに、女ばかりってことも、原因してると思うよ」
と、ポニーがいう。べつに混血ではないのだが、坂口あき子という小がらなこの娘には、ポニーのあだ名がついてしまった。
「年ごろの娘ばかりが十六人もいて、男っけが全然ないんだもの」
「じゃあ、本気になって、男子学生を勧誘しようか?」
朋子がいうと、ユキベエは、あっさりと、
「だめよ」
と、いった。
「今の男の子はチャッカリしてるから、じみで、お金のもうからない海洋学部には来やしないわよ。二年まえに、勧誘して結論が出てるじゃない?」
「それに、海底生活は、女のほうが向いてるものだから、コンプレックスを感じてるのかもしれないな」
ポニーがニヤッと笑った。
「ほんとうに、今の男の子ってたよりにならないわ。みえっぱりで、嫉妬《しつと》ぶかくて、チャッカリしてて」
ポニーのことばで、朋子は、沢木のことと、沢木が男性解放運動の会長だということを思い出した。沢木がポニーのことばを聞いたら、きっと苦笑するだろう。
時間になると、一分一秒と違わぬ正確さで、コンピューターが、
〈タダイマヨリ、カイヨウキショウガクノコウギヲハジメマス〉
と、例のかわいた声で、ロビーでだべっていた三人に告げた。
「あの声を聞くと、胸が痛くなるわ」
ユキベエが、おおげさに胸に手を当ててみせた。
朋子は笑って、
「でも、テレビ・タレントのテープに代えたら、勉強する意欲がなくなったといったじゃないの」
「あれは、イメージが合わなかったから」
「とにかく、早く独房にはいらないと、コンピューター先生は、どんどん授業を進めちゃうわよ。待つことを知らないんだから」
と、朋子は、ソファーから腰を上げた。
コンピューター授業では、生徒のひとりひとりが、コンピューターと接続した個室にはいらなければならない。そのへやを、朋子たちは、独房と呼んでいた。
朋子は、個室にはいると、シートに寝ころんでからスイッチを入れた。この独房で唯一のとりえといえば、どんな姿勢をとってもかまわないということぐらいのものだった。
〈キョウハ、カイヨウキショウガクノハッテンノレキシニツイテデス〉
かわいた声が、ゆっくり聞こえてくる。
朋子は、スクリーンを寝ころんで見える位置に直した。
コンピューターの声に同調して、カラー・スクリーンに、海の四季が映し出される。
〈カイヨウキショウガクガ、セカイデ、サイショニ、ガクモントシテミトメラレタノハ、ドコノクニカワカリマスカ?〉
コンピューターがしゃべりつづける。
朋子は、沢木のことを、ぼんやりと考えていた。かれの助手というのは、どんな仕事なのだろう。
〈コタエテクダサイ。ミス・トモコ〉
〈ワカラナイノデスカ? ミス・トモコ〉
朋子は、うるさくなって、スイッチを切って、独房から出てしまった。
コンピューター授業のいいところといえば、なんの気がねもなしに、逃げ出せることだろう。
朋子は、しばらくキャンパスの中の遊歩道を歩いていたが、たいくつしてきて、田島に会いたくなった。
NNCテレビに電話すると、きょうは休暇をとっているという。朋子は、高層アパートの最上階にある田島のへやをたずねてみることにした。
田島は、窓ぎわに、変な機械を持ち出して、動かしていた。
「何なの?」
と、朋子が機械にさわりながらきくと、田島は笑って、
「アルバイトをしてるとこさ。テレビ局のサラリーは安いんでね」
「アルバイト?」
「ああ。わりと金になるんだ」
「指向性アンテナがついてるけど、何をする機械なの?」
「衛星の受信装置だよ。手作りでカッコは悪いが、性能はいいんだ。今、地球の周囲を回っている衛星のほとんどは受信可能だね」
「でも、波長のわからない秘密衛星もあるんじゃない?」
「あるね。それに、暗号電波を送ってくるやつもある。だが、そういうやつは、少しずつ波長を変えていってつかまえるんだ。根気はいるが、パズルを解くみたいなおもしろさがあるよ」
田島は、得意そうにいった。
「それに、NNCテレビに行けば、優秀なコンピューターがあって、フルに利用できる。もちろん、ないしょで使わせてもらってるんだけどね」
「でも、どうして、それがお金になるの?」
「まず、気象衛星からの通信は、分析してから、漁業組合や農業組合に売るのさ。いってみれば、私設気象台ってとこだね」
「当たるの?」
「それが当たるんだな」
田島は、愉快そうに笑ってから、タバコに火をつけた。朋子も、一本もらって口にくわえてから、
「ほんものの気象台より当たるなんて、信じられないな」
と、疑わしそうにいった。
「ところが、こっちのほうがよく当たるんだ。理由は簡単さ。気象台というのは、広い範囲の気象を予報しなければならない。だから、ある地方に限っていうと、あまり当たらないわけさ。そこへいくと、こちらは、頼まれた地区だけを綿密に調べればいいんだから、気象台より当たることになるんだ。ただ、最近、ライバルが現われてねえ」
「へえ」
「高校生の間に、受信装置を作るのが流行なんだ。今の子どもはチャッカリしてるから、そのデータを売るんだよ。ぼくより安く。これには参ってるんだ」
「営業妨害ってわけね?」
朋子は、クスクス笑った。
「それで、気象衛星以外の場合は、どう利用するの?」
「通信衛星を使って、アメリカのテレビ局が、他の国へ番組を送ることがある。日本の放送局がその番組を買ってるときは、どうしようもないが、たとえば、正月に、アメリカは火星中継をやったけど、これは買ってないんだ。そういうとき、その番組をテープにとっておくんだ」
「それをテレビ局に売るわけ?」
「まあね」
「でも、田島クンはNNCの社員なんだから、NNCからお金は取れないんじゃない?」
「いや、ちゃんといただくよ。もっとも、割り引きはするけどね」
「おとうさんは、何もいわないの?」
「いうね。文句ばかりいわれてる。今の若者には、愛社精神がないというのさ」
「それで、田島クンは、愛社精神なしを肯定してるわけ?」
「いや。おやじには合理的な愛社精神はあるといってやった」
「合理的愛社精神?」
「ほかより二割引で売るのが、つまり合理的愛社精神だってね」
アハハハハと、田島は、大きな声で笑った。
「あきれたサラリーマン精神ね」
と、朋子も笑った。
「ところで、沢木保男とは、どうなったんだい? 主任教授を引き受けてくれたかい?」
田島が、小さな伸びをしてからきいた。
「あと一年したら、考えてみましょうといわれたわ」
「ふーん」
「それから、アルバイトに助手をやってくれないかといわれたわ」
「ほう。きみのほうもアルバイトの話か」
「田島クンの友だちなら信用できるんですって」
「へえ」
田島は、目をパチパチさせた。
「それで、助手の話は引き受けたのかい?」
「ええ。考えてみると、沢木さんの助手をしていれば、自然に勉強になると思うのよ。たいくつなコンピューターの授業を受けているよりはいいし――」
「まあそうだな。いつから、そのアルバイトをやるんだい?」
「きょうから」
と、朋子はいった。
「これから、沢木さんの海洋研究所へ行ってみるつもりでいるのよ」
「ひょっとすると、こき使われることになるかもしれないな。覚悟していたほうがいいよ」
「なぜ?」
「ぼくが正月に、伊豆の海底レストランで、沢木さんにマイクロ・フィルムを渡したろう?」
「ええ」
「あれは、沢木さんの頼みでぼくが調べたんだけど、その結果では、たいへんな事件が起きるかもしれないからさ」
「どんな事件?」
「それは、沢木さんに聞いたほうがいいな。ぼくにもはっきりしたことはわからないんだ」
と、田島はいった。
海洋研究所は、東海メガロポリスの管制センターの近くの海上に浮かぶドームの形で作られていた。
窓のないドームは、入り口をはいると、青い人工光線の光に満たされていて、海底の感じであった。
朋子は、カラー・ドレスを着てきてよかったと思った。カラー・ドレスなら、どんな照明にも合ってくれるからである。
沢木は、研究所の中心部にあるコンピューター・センターで、仕事をしていた。
朋子を見ると、顔をほころばせて、
「来てくれましたね」
と、いった。
「さっそく、仕事をやってもらいますよ」
「覚悟はしてきました。田島クンに、研究所ではこき使われるからっていわれましたから」
「田島君が、そんなことをいったとはね」
沢木は、苦笑して、
「こき使いはしないつもりだから、安心しなさい」
「でも、田島クンの渡したマイクロ・フィルムが、重大な事件につながってるかもしれないんでしょう?」
「それを聞いているんなら、説明がしやすいな」
沢木は、朋子を隣の小さな映写室に連れていき、田島から渡されたマイクロ・フィルムを映してみせた。
最初から最後まで、気象衛星から撮った地球上の大気の写真だった。
「田島君は、北海道の農業組合に頼まれて、この写真を撮ったんだがね」
「その話は、田島クンから聞きました」
「かれは、非常に克明に撮ってくれたんだが、毎日、北海道付近の気象図を見ていて、気になることが出てきたというんだ。かれがはじめて、この仕事をやりだしたのが、まだ学生だった四年まえなんだが、この年は、あなたも知ってるように、北海道にほとんど雨がなかった」
「北海道サバクといわれたのを覚えていますわ」
「そうなんだ。あの年は、夏にはいって急に大雨があって助かったんだが、それがなかったら、ほんとうにサバクになってしまったかもしれない」
「それで?」
「その年の気象図と似ていると、田島君はいうのだ。だが、気象のことはしろうとなので、ぼくに調べてくれというわけだ。ぼくは、海洋気象のほうもやっているし、北海道周辺の海流の動きも異常なところがあって、まえまえから心配していた。それで、調べてみる気になったんだ」
「海流の動きが異常というのは、ほんとうなんですか?」
朋子は、興味を感じてきいた。海流の向きを変えて、陸地の気温をコントロールするのが、彼女の大学での研究テーマの一つだったからである。
「去年の秋から十二月にかけて、この研究所が持っている潜水艦で北太平洋を調べてみたんだが、いつもなら流れていない暖流が、意外なところまで流れ込んでいた。特に、北海道の周辺で、その勢いが強い。もちろん、海水の温度も高かった。ことしにはいっても、それが続いているらしい」
「旱魃《かんばつ》と高温が重なったら、ほんとうのサバクになってしまうかもしれませんわね」
「現に、去年の秋から、北海道には雨らしい雨が降っていないんだ。今のところは、海水から真水を作る装置がフル運転して、どうにか飲料水の心配はないらしいが、これ以上雨が降らなければ、今の状態ではまにあわなくなってしまう」
「原因は、ソビエトが北極圏の気象を変えようとして、自然改造の実験を始めたことにあるという話ですけど?」
「それも原因の一つかもしれないが、ほんとうのところはわからないのが現状なんだ」
「どうすればいいんです?」
「まず、この気象図を四年まえのものと比べてみたい。類似点も知りたいし、相違点もね。コンピューターにかけるのに、この気象図を数式に変える仕事をてつだってもらいたいのだ」
それから、朋子は沢木をてつだって、その仕事を始めた。
単調だが、根気のいる仕事だった。コンピューターにも、手仕事の段階のあるのが難である。
二時間近くかかって、何十枚もの気象図を数式化することができた。
それをコンピューターが分析している間、沢木は彼女に、軽いカクテルを作ってくれた。
「今夜は、お礼に、あなたを食事に誘いたいな」
「でも、これは仕事なんでしょう? お礼なんて変です」
「じゃあ、あなたがきょうからこの研究所で働いてくれる、そのお祝いでもいい。どうです?」
「それなら、お誘いをお受けしますわ」
朋子は、微笑していった。
コンピューターが導き出した結論は、次のようなものだった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈コノホカニ、イクツカノファクター[#「ファクター」に傍点]ガ問題ニナルガ、ソレニモカカワラズ、一九九七年トノ類似点ハ顕著デアル。
今後ノ二、三カ月間ニ、イクツカノファクター[#「ファクター」に傍点]ニ最悪ノ数字ガ出タ場合、一九九七年ヲ上回ル旱魃ガ、北海道一帯ヲ襲ウコトハ必至デアル〉
[#ここで字下げ終わり]
沢木は、一二〇階ビルの一一九階にある『デイモス(火星の衛星)』というナイト・クラブに朋子を案内した。
「コンピューターがあんな結論を出したのに、こんなところでのんびりしていていいんですの?」
朋子は、おちつきはらっている沢木にきいた。
沢木は、肩をすくめて、シャンパンを口に運んだ。
「コンピューターも指摘していたように、実際の結論を下すには、まだほかにいろいろなファクターが必要なんだよ。そのいくつかは、現地の北海道や、北極圏へ行って調べてみなければわからないことだ。ここでやきもきしてもはじまらないんだ。だから、ゆっくり楽しみたい」
「でも、行く必要があるのなら、これからすぐ、北海道や北極圏に行ったほうがいいんじゃないんですか?」
「あなたは、若いくせに、いやに仕事をしたがるんだね」
沢木は、おもしろそうにニコニコ笑った。
「あたし、冒険がしたいんです」
朋子は、沢木の顔をまっすぐに見つめていった。
「冒険?」
「ええ。沢木さんは、このあいだ、二一世紀には冒険がありえないといったでしょう」
「いや、断定はしなかったつもりだけどな。冒険になりにくい時代だといったはずだよ」
「どちらにしろ、冒険の少ない時代でしょう。あたし、それでたいくつしてたんです。もし、コンピューターの予想どおりになって、北海道に激しい旱魃が来たら、望んでいた冒険ができるような気がするんです」
「どんな冒険?」
「沢木さんは、それを防ぐために戦うんでしょう?」
「それが、あの研究所にいるぼくの役目だからね」
「戦いなんて、いちばん純粋な冒険だと思うんです」
朋子は、目を輝かせた。
「あたし、その戦いに参加して、ほんとうの冒険がどんなものか味わいたいんです。だから、北海道にも、北極圏にも連れていってください」
「しかし、ご両親が心配するんじゃないかな。それに、学校はどうするの?」
「父も母も、あたしの行動には干渉しませんわ。学校は、たいくつで、一年ばかりいちじ退学しようと考えていたところだから、ちょうどいいんです」
「驚いた人だな」
沢木は、苦笑した。
「しかし、ぼくの仕事が、あなたの望むような冒険かどうかわからないと思うんだが」
「今の時代では、すばらしい冒険ですわ。何かと戦うんですもの」
「まだ、戦いになると決まったわけじゃない。それに、ご両親と学校のほかにも、まだ、あなたが許可を求めるところがあるはずだが」
「何のことかしら?」
「その人が、ちょうどみえたようだ」
沢木は、グラスを持った手で、クラブの入り口を指さした。
朋子が「え?」と目をやると、田島が、若い女をエスコートしてはいってきたところだった。
「北極圏まで出かけるには、田島君の許可が必要なんじゃないの?」
「なぜですの?」
「一年後に結婚するんだから、当然じゃないかな?」
「でも、あたしと田島クンは、結婚まえも、結婚してからも、お互いの行動の自由は束縛しないという約束をしてあるんです。今は、それが当然ですもの」
「なるほどね」
沢木がうなずいたとき、田島のほうでも、朋子たちを見つけて、テーブルに近づいてきた。
田島は、いっしょに連れてきた娘を、朋子と沢木に、
「新しいタレント候補の原田ロミさん」
と、紹介した。
ロミは、大きな目で、朋子と沢木の顔を見つめてから、ピョコンと頭を下げた。
朋子は、彼女を、きれいな女の子だと思ったが、それだけの感じだった。
朋子は、「冒険」のことで、頭がいっぱいになっていたからである。
(二一世紀に、冒険ができるかもしれないのだ)
朋子の頭の中には、ひどくロマンチックな、感動的な光景が浮かんでいた。
焼けるような太陽。
ひび割れした大地。
乾燥のために、北海道全土に広がる山火事。
水を求めてさまよい歩く人々。
その中で、朋子は、沢木や、ほかの科学者といっしょに、汗を流しながら、自然と戦うのだ。
そして、最後には、水が供給され、朋子たちの見守るなかで、割れた大地に流れ込んでいくのだ。
(これこそ、二一世紀の人間が忘れてしまった、すばらしい戦いと冒険じゃないかしら)
「あの女の人」
と、ナイト・クラブ『デイモス』を出てから、原田ロミが大きな目をクリクリ動かしながら、田島にいった。
「きれいな人だけど、頭がちょっと変なんじゃないかしら」
「なぜ?」
「だって、あたしたちの話に全然のってこなかったし、変にぼんやりしてたもの。きっと、頭がおかしいのよ」
「彼女が聞いたらおこるぞ」
田島は、笑いながらいった。
「今度会ったときに、いってやるかな。どんな顔をしておこるか見ものだね」
「あの人と、田島さんと、どんな関係なの?」
「来年あたり結婚するつもりでいる人さ」
「ほんとう?」
「ああ。ほんとうだよ」
「変なこといっちゃって、ごめんなさい」
ロミは、またペロリと舌を出し、小さく肩をすくめてみせた。
「田島さんが結婚する人なら、頭が変なはずがないわね」
「ただ、彼女は、冒険をしたがっている。あこがれているといったほうがいいかな。きみが、やたらに有名になりたがっているのと同じさ」
「冒険って、どんな冒険をしたがってるの?」
「それがよくわからないんだが、二一世紀には、冒険やスリルがないという考えに反発しているらしいんだ。昔は、恋さえも一つの冒険だった。そんな生き方にあこがれているらしい」
ふと、この男には珍しく、当惑の色が浮かんだ。
朋子のことはよくわかっているつもりだったのが、その自信が少しくずれてきたからである。
恋さえも冒険だった時代に、朋子はあこがれている。だが、そのうちに、けっきょくは、人生は平凡なのだというものわかりのいい彼女にもどるだろう。田島は、そうタカをくくっていたのだが、きょう、ナイト・クラブでの朋子を見て、ちょっと、その自信がぐらついた。
ロミは、頭が変なんじゃないかといったが、そんな疑いを持たれるほど、朋子の様子はおかしかったからである。
(なにか、一つのことに精神が集中しちゃっているみたいだったな)
と思う。
沢木保男のところで、いったい、何を彼女は見つけたのだろう。
「田島さん」
と、ロミに肩をつっつかれて、田島は、現実に引きもどされた。
「田島さんまで、頭が変になっちゃったんじゃないかと思ったワ」
「ちょっと考えごとをしていたんだ」
「彼女のことでしょう?」
「どうして、そう思うんだ?」
「だって、きょう、彼女といっしょにいた男の人、なかなか魅力があるもの」
「それは考えなかったな」
田島は、苦笑した。
「沢木さんは、女性にとって魅力があるかねえ?」
「ちょっとセクシーね。でも、あたしには、若い田島さんのほうが魅力があるワ」
ロミは、屈託のない声で、クスクス笑った。そのかげりのない笑い声は、やはり十代のものだった。
「沢木さんは、男性解放運動の会長なんだ」
田島がいうと、ロミは、大きな目をクルクルさせて、
「ダンセイカイホウってなんのこと?」
「簡単にいえば、世の中の男は女にいじめられているから、助け出そうという運動だよ」
「へえ。田島さんも会員なの?」
「ぼくはまだ、女の子をこわいと思ったことはないからね」
「フフフ――」
と、ロミは、変な笑い方をした。そんな笑い方をすると、急におとなびて見えた。
ふたりは、田島の車に乗った。
「きょうも、P・Sクラブに美容体操に行くんだろう。送るよ」
「もう、あそこには行ってないの」
「もう、あきちゃったのか?」
「そうじゃないワ。あたしって、そんなに意志が弱くないもの。ただ、毎日毎日あのクラブに通うのは時間のむだだと思ったの。それで、あのクラブのワンコースをモニター・テレビで撮ってきて、きょうから自宅でやることにしたのよ」
「でも、機械が必要なんだろう? 美容体操というやつは」
「もちろん、それもそろえたワ。だから、うちへ送ってくださらない?」
「O・K」
と、田島は、車をスタートさせた。
ロミのアパートは、二年まえに造られたKニュー・タウンの中にあった。
車がニュー・タウンに近づくと、地下道に導かれる。ニュー・タウンの中では、車道はすべて地下をはいまわっていた。
地下駐車場は、センター暖房がききすぎているのか、いくらか暑い感じだった。
ロミのへやは、林立する三〇階アパートの最上階にあった。
「あたしって、なんでもいちばん上が好きなの」
と、ロミは、へやに田島を招じ入れながらいった。
「下の階に住んで、他人から見おろされるのがいやなのネ」
「ごりっぱな心がけだね」
田島は、笑いながら、ソファーに腰をおろした。
奥から、かすかな機械音が聞こえてくるのが気になって、
「なんだい?」
ときくと、ロミは、
「パートライドよ」
と、得意そうな顔をした。
パートライドは、最近、T電機で売り出された家事用のロボットだった。六本の腕を持ち、タイマーをセットしておけば、その時間内に、プログラミングされた家事をやってくれる機械だった。
ただ、問題は、開発されたばかりで高価なことと、まだ不完全な個所があることだった。
「豪勢なものだな」
と、田島は、奥をのぞくような姿勢で、彼女にいった。
「高いのに、よく買ったね」
「貯金は全部使っちゃったし、ママからもお金を借りたワ。あたしね、必死なの。どうしても有名になりたいの。せっかく、新しい時代に生まれてるのに、有名にならないんなら、死んだほうがましだもん」
「それとパートライドと、どんな関係があるんだい?」
「テレビに全力を集中したいの。だから、無理してパートライドも買ったし、窓ガラスもちょっと見てよ、ハロゲン加工をしたガラスにしたの。これなら、明るさによって透明度が変わるでしょう」
「それが、全力集中とどんな関係があるんだい?」
「だって、このガラスにすれば、カーテンがいらないでしょう?」
「それはそうだな」
「カーテンがなければ、開いたり締めたりする必要がないでしょう? それだけ、全力集中ができるじゃない」
「これはいい」
と、思わず田島が笑ってしまうと、ロミは顔をしかめて、
「どうしておかしいの? あたしは、必死なのよ」
「そうだな。笑っちゃいけなかったな」
「そうよ」
ロミは、きげんを直して、ニッコリした。
リノリュームを敷いた奥のへやには、美容体操の機械が置いてあった。
田島が、珍しそうにながめていると、ロミはその場でクルクルとドレスを脱ぎ捨てて、全裸になってしまった。
田島のほうが、あわててしまって、
「おい――」
と、当惑した声を出すと、ロミは平気な顔で、まっしろい胸を突き出すようにした。
「どう? あたしって、プロポーションがいいでしょう?」
たしかに、みごとな乳ぶさの張りだった。くびれた胴や、ゆったりとした腰も、混血特有の丸みをおびたきれいな線を見せている。
だが、意外にセックスのにおいが感じられなかった。
おそらく、裸になりながら、彼女自身それを意識していないせいだろう。
田島も当惑が消えて、まっすぐ彼女のからだを見ることができた。
乳ぶさも、腰回りも、完全なおとなだ。だが、におってくるものは、なんとなく子どもくさい。このアンバランスが、テレビに生きれば、彼女が望むように「有名」になれるかもしれない。
「いいからだをしているね」
と、田島がいった。
「美容体操ってのは、いつも裸になってやるのかい?」
「たいていの人は、水着みたいのを着てやるんだけど、あたしはいつも裸。そのほうが気持ちがいいし、自分のからだの線がよくわかるでしょう。ね?」
ロミは、同意を求めるように、田島の顔をのぞき込んだ。
自分が全裸になっていることなど忘れてしまっているような顔をしている。
(野心のかたまりみたいだが、まだ子どもなんだな)
田島は、彼女の子どもっぽさに好意を感じはじめていた。
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オールド・パワー
朋子が家に帰ると、月旅行に行っていた兄夫婦が遊びに来ていた。
「テレビで、にいさんたちを見たわよ」
と、朋子がいうと、子どものころから甘えん坊のところのあった兄は、
「今、そのことで、おやじからお説教されていたところさ」
と、くびをすくめて見せた。
「安月給のくせに、月に夫婦で行くなんてぜいたくだってね」
「そのことだけに、腹をたててるんじゃない」
父の昇平は、むずかしい顔をして、むすこをにらんだ。
「おまえの生活態度が気にくわんのだ」
「生活態度なんて、ばくぜんとしたいい方をされたら返事に困るな」
「おまえは、まだ二十八だろう?」
「そうですよ」
「どうも、若さが足りん」
「そうかなあ。ぼくは、きちんと会社へ行ってるし、適当に生活をエンジョイしているし、自分では若いつもりでいるんだけど」
「人生は戦いだ。若者は、その戦場でもっとも勇敢な兵士でなければいかんのだ。それなのに、おまえたちときたら、ものごとをなんでもわかったような顔をして、戦う姿勢なんかひとかけらもありゃせんじゃないか?」
「戦うっていったって、いったい、何と戦うんです?」
兄は、また、くびをすくめた。
「月給が安いのは難だけど、べつに食べられないわけじゃない。住む家も、車もある。社会保障が完備しているから老後の心配もない。戦争のけはいもない。いったい、何と戦ったらいいんですか?」
「戦う相手は、自分で捜すんだ。今の若者は、依頼心が強すぎていかん。おまえがやたらにわたしに相談に来るのも気にくわんのだ。わたしが若いころは、父親をふくめて、おとなを乗り越えるものだと考えていたものだ」
「たいへんなことになったな」
兄は、頭をかいた。
「ぼくがとうさんにいろいろと話しにくるのは、とうさんを信頼しているからだし、親孝行のつもりでもあるんですよ。それに、親と子がいがみ合ったってしかたがないでしょう」
兄が、説得口調でいう。
朋子は、聞いていておかしくなった。これでは、まるでアベコベみたいだ。
父の昇平がだだっ子みたいなしゃべり方をして、兄のほうがそれをなだめているかっこうだ。
「おまえさんは、わたしとの間に、精神の断絶を感じないのかね?」
「べつに」
兄は、また、当惑した表情になった。
「どうして、そんなものを感じなきゃいけないんですか?」
「どうしてって」
昇平は絶句して、顔をしかめた。
「おまえさんが若者で、わたしが老人だからだ。若者とおとなとの間には、必然的に断絶があるべきだ」
「古いなあ。今は二一世紀ですよ。無理にそんなものを作る必要はないじゃないですか? 仲よくやりましょうよ」
「気味の悪い声を出すな。今の若いやつは、どうかしてるんじゃないのか。大昔の大家族主義にあこがれているバカな若者もいるそうじゃないか」
「意外に多いですよ」
兄は、ニコニコ笑いながらいった。
「ぼくの友だちにもいますね。大家族主義というのは、考えてみると、案外合理的だというわけですよ。それに、大家族の中にはいっていると、とても安心感があるというんです」
「あきれたものだ」
昇平は、舌打ちをした。
「若者に必要な反逆精神は、いったい、どこへ消えてしまったんだ? これは、時代の責任だな。教育が悪いのかもしれん。ものわかりのいい若者ばかり作りあげる教育が悪い。わたしたち老人が、ハッパをかけてやらなければいかんかもしれん」
昇平のことばは、ひとりごとみたいになっていた。
兄は、やれやれ、弱ったな、という顔になっている。
兄嫁のミドリは、ニコニコ笑って、父と子のやりとりを聞いている。
朋子は、ミドリの背中をつっついて、自分のへやに誘った。
「パパのは、自分が若いころゲバ棒を振り回していたことへの郷愁みたいなものよ」
と、朋子はミドリに、片目をつぶってみせた。
「だから、二一世紀でも、若者たちが昔の自分たちと同じようにゲバ棒を振り回していないと、なんとなく不安になるんだと思うの」
「わかるような気がするわ」
と、ミドリもすぐ同調した。
「あたしが働いているところで、現代の老人意識というのを調査したことがあるのよ。そうしたら、老人がいちばんいやなのは、時代が変わってしまったと感じることだというの」
「それで、昔と同じように、今の若者も反逆したり、ゲバ棒を振り回したりしてもらいたいわけね」
「そんなところじゃないかしら」
ミドリは、クスクス笑ってから、マニキュアした細い指先でタバコを取り出した。
朋子は、この明るい屈託のない兄嫁が好きだった。
「ミドリさんは、いま幸福?」
朋子がきくと、ミドリは、
「さあ、どうかしら。自分じゃあ、けっこう幸福だと思ってるけど」
「それは、現在の生活に不満はないというわけ?」
「まあ、そうね」
「もっとドラマチックな生き方がしてみたいと思ったことはない?」
「ドラマチックといっても、人間の生き方なんて、たかがしれてるんじゃないかしら。簡単にいえば、生まれて、食べて、セックスして、やがて死ぬわけでしょう。それを考えれば、ドラマチックな人生といっても、たいしたことはないと思っているのよ」
「パパが聞いたら、おこるわよ」
「かもしれないわね」
ミドリは、微笑した。
朋子は、窓の外に目をやってから、
「あたしね、冒険がしたくてしかたがないの」
と、ミドリにいった。
「冒険?」
「ええ。弟のアキラは、元日に、二一世紀になったら、何か変わったことが起きるかと思ったら、なんにも起きなかったって、不満をいったんだけど、あたしは、二一世紀に生きたという感じが持てるような、なにかとてもドラマチックなことをしてみたいの」
「なんだか、もう、そのチャンスをつかんだみたいな口ぶりね」
「わかる?」
「なんとなくね」
「ほんとうのことをいうと、すばらしい冒険になるかもしれないのよ」
朋子は、沢木保男のことや、北海道や北極圏に行くことを、ミドリに話した。
ミドリは、黙って聞いていたが、
「朋子さんは、その沢木さんが好きなんじゃないの?」
と、いきなりきいた。
朋子は、考えてもいなかったことをいわれて、あっけにとられた顔になった。
「そんなことはないわ」
と、朋子はミドリにいい、自分に向かって口の中でつぶやいた。
(だいいち、沢木保男は、男性解放運動の会長なんだから)
翌日、朋子は、沢木と北海道へ飛んだ。
飛行機の中では、いやおうなしに、ミドリのことばが思い出されて、なんとなく沢木を意識してしまったが、北海道に着くと、そんな感情は消えてしまった。
空港には、冬の日がいっぱいに降り注いでいた。
あの暗い、陰気な北国の冬ではなかった。
「やはり、異常高温だな」
と、沢木は、まぶしい目になって、雲一つない空を見上げた。
「いつもなら、今ごろは零度以下の気温のはずなのに、きょうは七度を越している」
「オホーツク沿岸も、こんな高温なんでしょうか?」
朋子も、まぶしそうに、晴れわたった冬空を見上げて、沢木にきいた。
「行ってみよう」
と、沢木がいった。
空港から北端のノサップ岬《みさき》までまっすぐに伸びるハイウェイを、ふたりはレンタカーを飛ばした。
高い山の頂をのぞいて、ハイウェイの両側にほとんど雪が見られないのも、冬の北海道にしては、異様な光景だった。
沢木は、車の中で、北太平洋の海流の調査資料を調べていたが、ときどき、不安そうに空を見上げた。
空は、どこまで行っても晴れわたっている。
「なんとなく、ゴビ・サバクの空を思い出すな」
と、沢木は、不吉なことをいった。
ノサップ岬に着いたのは、昼近くだった。
空港から三〇〇キロ近くも北に来たのに、気温はほとんど同じだった。
ノサップ岬には、海洋研究所の支所があり、若い二十代の所長が、ふたりを迎えてくれた。
所長は、まず、灯台に沢木たちを案内した。
灯台にのぼると、右にオホーツク海、左に日本海を見渡すことができた。
「一見して、異常なことがおわかりになるでしょう?」
と、所長がいう。
沢木は、双眼鏡でキラキラ輝く海を見回してから、
「流氷がぜんぜん見えないね」
「そうなんです。日本海側は、もともと流氷の来ないところですが、オホーツク海側に流氷が来ないのは、生まれてはじめての経験です。普通、今ごろになると、この灯台の下あたりは、厚い流氷がビッシリなんですがねえ」
「四年まえの一九九七年も、流氷がなかったんじゃないかね?」
「四年まえというと、旱魃のあった年ですね?」
「そうだ」
「いや、あの年は、ちゃんと流氷がありましたよ」
「そうか」
沢木はうなずいたが、その顔は、いっそうむずかしいものになっていた。
「そうだとすると、四年まえ以上の旱魃になる恐れもあるわけだ」
「その心配があるんですか?」
所長も、心配そうな顔になってきいた。
沢木は、海をながめている朋子の顔に、ちらッと視線をやってから、
「それを調べたくて来たんだ」
と、いった。
沢木と朋子は、研究室にはいって、さまざまなデータを見せてもらった。それらの資料は、東海メガロポリスに持ち帰って、コンピューターで分析してみなければならない。
所長に資料の電送を頼んでから、沢木は朋子と車に乗り、ノサップ岬から知床岬《しれとこみさき》にかけての、オホーツク沿岸の調査に出発した。
紋別《もんべつ》、網走《あばしり》と南下していったが、どこにも流氷の姿は見られなかった。
いつもなら、このあたりの海は白一色に凍りつき、漁船は岸に引き上げられているのだが、海は青黒く波打ち、漁船の出ていく姿が見えた。
車はオープンにしたが、べつに寒さを感じなかった。
「これで、雨が適当に降ってくれれば、北海道は天国になるんじゃないかしら」
と、朋子は、さわやかな海風をほおに受けながら、沢木にいった。
「たしかにそうだが、雨がなければ、サバクになる」
沢木は、ニコリともしないでいう。
朋子は、ちょっとあかい顔になった。のんきなことを言いすぎたと思ったからである。
「ごめんなさい」
と、朋子が小声でいうと、沢木は、はじめて、ニコリとして、
「じつは、ぼくも、あなたと同じことを考えていたんだ」
といった。
「冬の北海道が、流氷から解放されたのは、すばらしいことだと思うんだ。ただ、今はそれが、不吉な前兆かもしれないんでね」
途中、ふたりは車を降りて、沿岸の漁民に様子を聞いた。
漁民たちの答えは、みな同じだった。一月に流氷を見なかったのは、生まれてはじめてだといい、真冬に漁ができることを喜びながら、一方では、今後異常な事態が起きるのではないかという不安も感じているといった。
とれる、さかなの種類も今までとは違っているともいった。
明らかに、暖流(黒潮)が、ここまで流れ込んできているのだ。
「おそらく、ソビエトが、寒流が南下するのをどこかでせき止めてしまったのだ」
と、車にもどってから、沢木が朋子にいった。
「それ以外には、理由が考えつかないからね」
「そういえば、何年かまえに、ソビエトの学術会議が、数年以内にベーリング海峡や間宮海峡をせき止めて、寒流の南下するのを防ぎ、そこへ暖流を北上させて、シベリアを暖めて自然改造すると発表したのを覚えてますけど、いよいよそれを実行に移したんじゃないでしょうか?」
「かもしれないな。ソビエトという国は、完成してから発表する癖があるから、断定はできないが」
沢木は、話しながら、北極圏の地図を頭に描いていた。
ベーリング海峡をせき止めるという話は、朋子が話したように、何十年もまえからある。
だが、あの海峡は、アメリカ、ソビエト両国の合意がなければ、せき止めることはできないし、合意が成立したというニュースも聞いていない。
その点、間宮海峡のほうはソビエト領内の海峡だから、ソビエトの独断でできる。
せき止めたとすれば、おそらく、間宮海峡のほうだろうと、沢木は思った。
東海メガロポリスにもどったのは、翌日だったが、その日の国際ニュースが、沢木の推測の正しかったことを証明してくれた。
モスクワが、次のような発表を行なったからである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈ソビエト科学陣は、タタール海峡(間宮海峡)をせき止めることに成功した。サハリン(樺太《からふと》)と母なるシベリアの大地が、ここにしっかりと結びつけられたのである。
また、ソビエト科学陣は、ベーリング海峡において、興味ある実験を行なっている。それは、デンネフ岬から『鉄の岬』を、一二カイリの長さで突き出すという作業である。これは領海内の行為であって、少しも他国の主権を侵すものではない。
この『鉄の岬』は、今、恐るべき効果を発揮しはじめたことが確認された。
それは、北極圏からベーリング海峡を通過して流れ込んでくる寒流が、大きく流れの方向を変えたことである。
この二つの作戦の結果、カムチャッカ半島から沿海州にかけての広大な地域が、寒流の脅威から解放され、暖流に洗われることによって、耕作可能な沃野《よくや》に変わることが予想されている。また、このソビエト科学陣の勝利は、隣接諸国にも、多大の恩恵をもたらそうとしている。
たとえば、日本の北海道では、平均気温が五度以上も上昇し、オホーツク沿岸は流氷の脅威がなくなり、日本漁民たちは冬期も漁が可能になったことで、ソビエトに対して感謝している〉
[#ここで字下げ終わり]
「最後の一行は、いかにもソビエトらしいね」
と、沢木は朋子に向かって、笑ってみせた。
「感謝しているものと、頭からきめこんでいる」
「大国特有の独断というんでしょう? こういうの」
「まあ、そうだね。アメリカもよくやる」
「でも、北海道の漁民が喜んでいるのは事実ですわ。漁民だけでなく、内陸の人たちも雪害から解放されたし――」
「たしかにね。だが、はたして、いい結果だけがもたらされるのかどうか、それが心配なんだよ。現に、四年まえに似た気象状態が出てきているし、もし、北海道が猛烈な旱魃に襲われたら、それこそ国際公害ということになる」
「今はやりのですわね」
「そう。しかし、国際公害ということばは、最近使われだしたんだが、害そのものは、昔からあったんだ。ぼくが生まれるまえに、アメリカが太平洋で水爆実験をして、日本の漁民がひとり死亡したという事件があったけれど、今なら明らかに国際公害で、国連が調査に乗り出すとこだったんだ」
「あたしの友だちに詩人がいるんですけど、人間を月や火星に送って、詩的幻想を失わせるのは、一種の国際公害じゃないかって」
「なるほどねえ」
と、沢木は笑ってから、
「幻想がこわされるぐらいならまだいいが、北海道がサバクになるようなことになったらたいへんだからね」
「これから、どうするんですか?」
「北極圏の調査のまえに、まず、『鉄の岬』というのを見てみたいね。さっそく、見学許可を申請するつもりだが、ソビエトのことだから、許可されるまでには時間がかかりそうだ」
沢木の予感が当たって、『鉄の岬』の見学許可は、なかなか届かなかった。
沢木が、ソビエト大使館に文句をいうと、許可がおくれているのは、『世界各国から見学希望が殺到しているため』という答えがもどってきた。
「事実なんだろうが、イライラするね」
と、沢木は朋子に話してから、苦笑してみせた。
『鉄の岬』を実際に見てみなければ、研究の進めようがない。
沢木と朋子との仕事も、いちじストップの形になった。
朋子も、やはり、おちつかない気持ちになっていたが、家では、父の昇平が、妙に張りきりはじめた。
一月三十日に、『一九七〇年をしのぶ会』が、メガロポリス・センターで開かれることになったからである。
「三十一周年記念だ」
と、昇平は、子どもたちに向かって、まるで宣言するみたいにいった。
「あの年に、ゲバ棒を持って戦った連中が、全国から集まってくるんだ」
「昔の若者たちね」
と、朋子がからかうと、昇平は、
「あの年に戦った友人たちは、今でもみんな若いぞ」
と、いった。
「戦うことを忘れた今の若者たちとは違うんだ」
「でも、一九七〇年の記念日は、六月じゃなかった?」
「ほんとうの記念集会は、もちろん六月にやるんだが、今の若者にカツを入れてやろうと思って、一月三十日にも集まろうという話が持ち上がったのだ」
「ゲバ棒持って集まるの?」
「持ってくる者もいるだろうね。あのころの若者には、あれが青春のシンボルだったんだから」
「ママはどうするの?」
と、朋子が母の文子に視線を向けると、
「あたしは、あのころノンポリだったから、記念集会に参加する資格がありませんよ」
と、笑った。
小学六年のアキラには、父の張りきりぶりが、どうしてもピンとこないらしくて、
「要するに、年寄りの会なんだろう」
と、昇平をがっかりさせるようなことをいった。
朋子が沢木と会ったときに、その話をすると、沢木も、
「ぼくのところでもさ」
と、笑った。
「ぼくの両親は、今、北九州メガロポリスに住んでいるんだけど、きのう、TV電話で話したら、一月三十日にはふたりそろって上京するんだと、猛烈な張りきりぶりだったね」
「おふたりとも?」
「そうなんだ。父も母も、あのころの学生運動の闘士でね、学生結婚だった。そのうえ、一九七〇年の騒ぎの中でぼくが生まれたんで、安保の保をとって、保男《やすお》と名まえをつけたんだそうだ。あのころは、そんな名まえのつけ方がはやったらしい。あなたの名まえも、そんな感じだな」
「そうなんです」
と、朋子は笑った。
「あたしが生まれた年に、アメリカとソビエトの二つの月基地ができたんですって」
「それで、月が二つで朋《とも》か」
「知恵がないと思うんです」
「ぼくの保男よりいいな。なんとなく理屈に合っているもの。安保の保なんていうのは、感傷的すぎるからねえ」
沢木が、肩をすくめた。
朋子は、ふと、田島の名まえは、なんといったっけと考えた。
たしか、田島自由という名まえだった。自由なんて、おおげさでいやだと、田島はいつもこぼしているが、あれはどんな理由でつけたのだろうか。
(今度会ったときに、きいてみよう)
と、朋子は思った。考えてみると、田島のことで知らないことが多すぎる感じがしてきた。
「とうさんも、一月三十日の集まりに参加するんですか」
田島は、笑いながら、父親の顔を見た。
悌三は、調整室でモニター・テレビに目をやりながら、
「もちろん参加する。わたしだって、一九七〇年には、ゲバ棒を振り回していたひとりなんだから」
「へえ」
「ナンセンスだというのか? 三十一年も昔のことで集まるのは――」
「そんなことはいっていませんよ。ご老人には、ちょうどいいレクリエーションでしょうからね。とうさんが参加するのは、ぼくも大賛成ですよ。ときには、電波の自由化でむしゃくしゃした頭を、そんなことで休めるのもいいですからねえ」
「どうも張り合いのないやつだなあ」
「何がです?」
「ものわかりがよすぎるというのだ。わたしたちが集まるのは、三十一年まえを思い出すということもあるが、そのほかに、無気力な現代の若者にハッパをかける意味もあるんだ。老人の集まりなど、ナンセンスと一言のもとに否定するような気持ちはないのかね?」
「ぜんぜん。ご老人が楽しんでいるのを、バカバカしいという気なんかぜんぜんありませんよ」
「おもしろみのないやつだ」
「おもしろみがないんじゃなくて、理論的なだけですよ。無気力じゃなくて、科学的なだけです」
「へりくつをいうんじゃない。それから、一月三十日の集まりはテレビ放送するが、その放送をおまえと原田ロミにやってもらうからな」
「ぼくと彼女に?」
「そうだ。おまえと彼女に、現代の若者の代表という形で、集会の感想を話し合ってもらう」
「驚いたな」
「べつに驚くことはないだろう。おまえには、彼女を売り出してもらわなくちゃならないんだから。今度の仕事が、その手はじめだ」
「悪口をいうかもしれませんよ」
「そのほうがいい」
「え?」
「さっきもいったように、わたしたちが集まるのは、現代の若者にハッパをかける意味もあるんだ。だから、妙にものわかりがいいよりも、反抗してくれたほうがいいんだ。そのほうが、番組もおもしろくなる」
「しかし、視聴率も上げるんだったら、老人に受けるようにしたほうがいいんじゃないんですか? とにかく、今は、人口構成からいったら、老人が多いんだから」
「だから、おまえや彼女に、遠慮なくやってもらいたいんだ。今の五十代、六十代は、現代の若者が老人に反抗するぐらいの元気を持ってもらいたいと思ってる。だから、悪口をいわれたほうがうれしいのさ。今の若者も、昔と同じで、なかなか反抗的だわいと、安心するわけだ」
「つまり、ぼくたちが、あんまりものわかりがいいと、とうさんぐらいの世代はよけいに世代の断絶を感じてしまうというわけか」
「まあ、そうだ。とにかく、一月三十日は頼むぞ」
「O・K」
と、田島はうなずいてみせた。
調整室を出て、鈍く光る廊下を歩きながら、
(どうも、近ごろの老人は扱いにくいな)
と、苦笑した。
(若者がものわかりがいいと不満をいうし、もっと反抗的になれとけしかける。オールド・パワーだな)
地下のティー・ルームにはいってから、原田ロミを呼び出して、一月三十日のテレビのことを伝えると、彼女はパッと顔を明るくした。
「その放送は、アメリカにも中継されるの?」
「いや。外国には放送されないはずだ」
「そうなの」
ロミは、ちょっとがっかりした表情になったが、
「でも、うれしいワ。あたしが、はじめて主役でテレビに出られるんだから」
「いや、主役は、あくまでもご老人たちさ。ぼくときみは、現代の若者の代表という形で、感想をしゃべればいいんだ」
「でも、あたしの顔はうつるわネ?」
「もちろん、うつるさ」
「安心した」
ロミは、胸を抱くようなかっこうをしてみせた。
「安心したはよかったね」
「まえにもいったでしょう。あたし、有名になりたいの」
「裸の美容体操は、あいかわらず続けてるの?」
「モチ、続けてるワ。93・58・90の線は、ぜんぜんくずれてないワ」
「それを聞いたら、おやじが喜ぶよ。ところで、放送の打ち合わせをしておきたいんだ」
「どんな服装をすればいいかしら? 水着がいい?」
「なぜ、水着なんか考えるんだい?」
「あたしのからだの線がよく見えるから。ヌードがいちばんいいんだけど」
「今度は、普通のカラー・ドレスでいいよ。きみの曲線を隠すのは惜しいけど、老人の集まりだからね。きみは、安保の年というのを知ってるかい?」
「アンポ? 知らないワ」
「一九七〇年の前後に事件があってね」
「一九七〇年じゃ、あたしはまだ生まれてないワ」
「ぼくもさ。その事件を記念して、当時の若者が集まるんだ」
「ずいぶん昔のことねえ」
「ああ、昔のことだ。集まる理由は、昔の思い出にふけるということもあるし、現代の若者にハッパをかける意味もあるそうだ」
「へえ。元気がいいのネ」
「それを中継しながら、ぼくときみとで、遠慮なくやっつけるんだ。三十一年まえをなつかしむなんて、ナンセンスだとか――」
「いやだワ」
「どうして?」
「今は、テレビを見てる人の十人に六人から七人は老人なのよ。最近は、若い人がますますテレビを見なくなっちゃってるから、もっと比率は上がってるかもしれないワ」
「それはわかってるよ」
「じゃあ、どうして、あたしに老人の悪口をいえなんていうの? 老人にきらわれたら、てきめんに視聴率は下がっちゃうワ。だから、いやよ」
「老人は、悪口をいわれたがってるんだよ」
「なぜ?」
「ものわかりのいい若者にあきあきしてるかららしい。だから、適当に、自分たちに反抗してもらいたいんだ」
「よくわからないワ」
「二一世紀の老人の変な悲しみさ。二〇世紀には、老人は若者に反抗ばかりされて困っていたらしいがね」
「ほんとうに、老人の悪口いってだいじょうぶなんでしょうネ? チャンネル権を持ってる老人をおこらせたら困るワ」
「だいじょうぶだよ。おやじもそういってるんだから、安心して、老人をやっつけていい」
「わかったワ」
と、ロミはうなずいたが、まだ心配そうな表情を残していた。
テレビが、若者のものから老人のものに変わってから、タレントがやたらに老人の意向を気にするようになった。いい傾向なのか、悪い傾向なのか、田島にもわからなかった。
一月三十日は、朝がたほんの少し雨が降ったが、すぐやんで、冬らしい澄んだ天気になった。
去年の十二月に、最後の工場が東海メガロポリスから中部工業地帯へ移動を終わったので、空は完全に青さを取りもどしている。
二一世紀が始まるまでに、メガロポリスに完全な青空をという掛け声はどうやら実ったわけだが、最後の工場の移転のときには、期日をまにあわせるために、だいぶ無理をしたらしいといううわさがあった。
〈何がなんでも、二〇世紀の終わりまでにといった考え方は、日本人の昔からの悪癖である〉
と、批判した社会評論家もいたくらいである。
それはとにかく、いい天気で、二十万人を収容できるメガロポリス・センターは、全国から集まった老人たちで、たちまちふくれあがった。
ものすごい人いきれで、暖房を冷房にあわてて切り替えたが、それでも、センターの中は、老人たちの熱気でムンムンしていた。
「すごいオールド・パワーだな」
と、放送室から会場をながめながら、田島はロミに苦笑してみせた。
「これを見ると、老人が多くなったのがわかるなあ」
「ほんとうに、悪口をいわなきゃいけないの?」
と、また、ロミは不安そうな声を出した。
「悪口をいうのがいやなら、批評すればいいんだ。感じたままをいえばいい。悪口のほうは、ぼくが引き受けるから」
田島がそういうと、ロミはやっと安心した顔になって、
「棒を持った人が多いのネ」
と、からだをのりだした。
「昔、ゲバ棒といったんだ。うちのおやじなんか、きのう、押し入れからゲバ棒とヘルメットを取り出して、いっしょうけんめいみがいていたよ」
「あの棒を振り回したのネ」
「そうだよ。あれで戦ったんだ」
「いったい、なんと戦ったの?」
「いろいろなものとね。ときには、自分自身とも戦ったらしい」
「ふーん」
と、ロミは鼻を鳴らしたが、わけがわからないという顔をしている。正直にいって、田島にもよくわからなかった。三十一年という年月は、やはり長すぎるのである。
棒を振り上げて、ワッショイ、ワッショイと叫んでいる老人たちの姿が、田島には子どもにかえってしまったように見えてならなかった。ひどくほほえましい。
ロミも、同じように感じたとみえて、
「かわいいワ」
と、大きな目でいった。
「みんな、童心にかえってるみたいネ」
「逆にいえば、ぼくたちが童心を忘れちまったのかもしれないな。今のぼくには、あんなゲバ棒を振り回すだけの童心はないよ」
田島がいったとき、老人たちの間から、急に歌声が起きた。
三十一年まえに流行した歌らしい。
「あら、歌いながら泣いてる人がいる」
と、ロミがすっとんきょうな声を出した。
たしかに、五、六人の老人が、歌いながら顔をゆがめている。そのなかに父の悌三がはいっているのに、田島はびっくりしてしまった。
(おやじも感激家なんだな)
と思うと同時に、
(おやじも、やっぱり年だな)
とも思った。
歌声が終わると、大会決議になった。そのなかに、
〈今は、成熟の時代といわれて、理解ある若者ばかりが世にあふれている。一九七〇年代に、輝かしい反抗の青春を送ったわれわれから見て、ものわかりのいい現代の若者との間に、深い断絶感をおぼえずにはいられない。若者よ、もっと反抗的になれ〉
ということばが、特に強調された。
老人たちのいうことがそのまま文章になったみたいで、田島にはおもしろかった。
「なんだか、よくわからないワ」
と、ロミは、くびをかしげた。
「あたしは、老人って好きだし、だいじにしたいと思ってるんだけど、そんなことをしちゃいけないといってるみたい」
「老人ってのは、いつでも、不満だらけなものなんだよ」
と、田島は、あっさり、かれ流にかたづけてしまった。
大会が終わると、二十万人の老人たちは、ヘルメットにゲバ棒というかっこうで、街頭デモに移った。
メガロポリス・ハイウェイは、車がとめられ、ものわかりのいい若い警官が、金モールに白手袋という礼装で、警備に当たっている。
「ぼくたちも、後ろについていこうじゃないか」
と、田島は、ロミをうながした。
老人たちは、ジグザグ・デモをはじめ、ワッショイ・ワッショイと、礼服の若い警官にぶつかっていく。
そのたびに、警官は、笑いながら逃げる。
変な光景だった。
「おいッ。逃げないで向かってこいッ」
老人のひとりが、不満そうに叫んだ。まじめな声で叫んだのだが、見物していた人たちの間から、笑い声が起きた。
田島とロミは、見物人の間にはいって、マイクを向け、特に若者の意見を聞いた。
「なかなかおもしろいな」
「これ何なの? 集団仮装行列?」
「老人もあばれたいときがあるんだとわかったよ」
「女性上位だって騒いでるけど、ほんとうは老人上位時代なんじゃないかなあ、二一世紀は――」
「でも、ちょっとかわいらしいじゃない?」
若者のだれもが、老人たちのデモをおもしろがっていた。おもしろがってはいるが、ピンとこないらしい。
田島は、父の悌三が、あとでこの放送を聞いたら、がっかりするだろうなと思った。
今の若者には、田島も含めてだが、三十一年は長すぎる時間なのだ。
田島は、見物人の中に朋子の姿を発見して近寄っていった。
「やあ」
と、田島がマイクをロミに渡してから朋子に声をかけると、朋子は小さい肩をすくめて、
「うちのパパも、参加してるのよ」
と、いった。
「ぼくのおやじもさ。ものすごく張りきっている。きょうは、老人たちのお祭りだな」
「現代の若者にハッパをかけるというもくろみは、成功したのかしら?」
「だめだね。今、ちょっとばかりインタビューしてみたんだが、あいかわらず、ものわかりのいい若者ばかりさ。おやじたちにはきのどくだがね」
田島は、ニヤッと笑ってから、
「このごろ、大学へ行ってないってことだけど?」
と、朋子の顔を見た。
朋子は、目を輝かせて、
「ソビエトから、ベーリング海峡に作った鉄の岬の見学許可が降りたのよ。それで、いろいろと忙しくて」
「ほう」
と、田島は、目を大きくした。
「いつ、行くんだい?」
「二月五日。六日あとよ」
「もちろん、沢木さんもいっしょなんだろう?」
「そうよ。少しは気になる?」
朋子が、いたずらっぽい目になった。田島は苦笑して、
「きみを信じているよ。それより、きみは、いやに張りきっているんだね?」
「だって、これから冒険が始まるような気がするんだもの」
「冒険か」
田島は、また、小さく肩をすくめた。
「きみは、まだ二一世紀に冒険が可能だと思っているのかい?」
「思ってるわ。賭《か》けてもいいわよ」
朋子は、ニッコリ笑った。
田島は、その笑顔に軽い不安を感じた。
(おれは、沢木保男に嫉妬してるのかな?)
と、田島が考えたとき、ロミが大声で呼んだ。
「早く来てよ。田島さーん」
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地震カミナリ
夕食のあとで、新聞を読んでいた父の昇平が、ソビエト語の会話テープを聞いていた朋子をふり返って、
「おまえがソビエトに出発するのは、いつだったかな?」
と、きいた。
昇平は、一月三十日の集会以来、きげんがいい。ハイウェイをデモ行進して、ワアッといろいろなものを発散したからかもしれない。
「二月五日よ」
と、朋子は、テープを止めて答えた。
「それがどうかしたの?」
「その日に地震だ」
「ほんとう?」
「ほんとうだ。気象台が予報している」
昇平は、新聞を投げてよこした。
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〈地震予報。
二月五日(火)午前十時二十三分から約五分間、東海メガロポリスを中心に、東北地方南部まで、マグニチュード7・9程度の地震に襲われる。震源の深さは、約二〇〇キロである。
当該地区に住む人々は、万全の注意をされたい。
当該地区にある官庁、民間会社、学校などは、当日は休みとする。
倒壊の恐れのある家屋に住む人は、二月五日までに疎開すること〉
[#ここで字下げ終わり]
「マグニチュード7・9というと、関東大震災並みね」
と、朋子は、緊張した顔でいった。
朋子は、二月五日の午前十時に、北国際空港から出発することになっていた。地震の始まる二十分前だが、飛行機は出るだろうか。
「地震ですって?」
と、テレビを見ていた母の文子と、弟のアキラも、話の中にはいってきた。
「二月五日の午前十時二十三分ですって」
と、朋子は母に新聞を渡した。
アキラは、単純に喜んで、
「じゃあ、二月五日は、学校は休みだね」
「あたしは、地震は大きらいだから、二月五日には、北海道の別荘へ行ってますよ」
と、文子は、青い顔でいった。
「ここでだいじょうぶだよ」
と、昇平がいった。
「このニュー・タウンの建物は、耐震建築になっていて、関東大震災の二倍の地震にも耐えられるんだから」
「でも、ゆれるでしょう? あたしは、それがいやなんですよ」
母は、絶対に北海道の別荘に行くといってきかなかった。
母は、昔から地震とカミナリがきらいだった。
震度4ぐらいの地震でも、予報が出ると、北海道や九州へ逃げ出してしまう。
「逃げるんなら、九州の親戚《しんせき》のほうがいいわよ。北海道は寒いから」
と、朋子は母にいってから、
「パパはどうするの?」
と、昇平の顔を見た。
「わたしは男だ。ここで、マグニチュード7・9の地震がどんなものか、観察する」
「ぼくもさ」
と、アキラが小鼻をうごめかした。
「ぼくも、大地震を観察するんだ」
「あんたは、あたしといっしょに、ここを離れているんです」
母の文子がしかるようにいったとき、沢木から、朋子にTV電話がかかってきた。
「地震予報のこと知っているかい?」
と、沢木はスクリーンに新聞のその記事を見せるようにして、きいた。
「知っています。それで、今、うちでは北海道へ逃げるかどうかで大騒ぎ」
朋子は、笑ってみせた。
「ところで、ぼくたちの出発のことなんだが、ちょうど二月五日なんでね」
「ええ。それで、今、沢木さんに電話してお聞きしようと思っていたんです」
「ぼくも心配になって、今、国際空港に電話してみたんだ」
「それで?」
「二月五日の午前中の便は、全部欠航にするらしい。午後には再開するといってるんだが、万一、地震のために、滑走路に亀裂《きれつ》がはいると、二日ぐらいは使えないからね。もちろん大阪の空港を使えばいいんだが、めんどうくさいから、一日繰り上げて、二月四日の便にしてもらった。向こうに着いてから、一日待てばいいからね。時間は、同じ十時だ」
「わかりましたわ」
「それから、きみのおかあさんにいってあげるといい。疎開するなら、北海道より九州のほうが暖かくていいってね」
「あたしも、それをいってあげたところなんです」
朋子は、クスクス笑って、電話のスイッチを切った。
二月四日の北国際空港は、乗客であふれていた。
混雑しているのは国内線で、そのほとんどが、あすの地震を避けて、東海メガロポリスから外へ出ていこうとする人たちだった。
四百人乗りのジャンボ・ジェット機が絶え間なく発進して乗客を運んでいるが、それでも、ロビーの人数はいっこう減るけはいがない。
おそらく、ハイウェイも満員だろうし、高速列車も満員のことだろう。
ただ、ロビーで待つ人々の顔には、ほとんど不安らしい陰がなかった。あすの午前十時二十三分という時刻が、正確にわかっているからだろう。
マグニチュード7・9という大地震の予報は、さまざまな悲喜劇を巻き起こした。
老朽家屋をこわして、家を改築しようと考えていた人たちは、家をこわすのをやめてしまった。
大地震がくれば、簡単にぶちこわしてくれるからである。今は、人件費が高いので、地震は大歓迎だった。
いちばん痛手を受けたのは、レジャー産業といえるだろう。
たいていの建物が、耐震建築にはなっていたが、万一を考えて、二月五日は臨時休業ということになったからである。
二月五日は大安吉日だったので、この日に結婚式をあげる予定だった男女も多かったが、もちろん、これも日延べになった。なかには、北海道や九州に行って、二月五日にはどうしても挙式するのだというカップルもあったが。
朋子は、沢木と、国際線のロビーで、ハバロフスク行きのSSTを待っていた。
国際線のロビーも、いつもより込んでいた。金と暇のある連中が、二月五日を海外に避けるために、空港に集まったからである。
「あの予報が一日まちがっていたら、大混乱だな」
と、沢木は、混雑しているロビーを見回して、朋子にいった。その顔が笑っているのは、気象台の予報を信頼しているからだろう。
「ところで、きみの家では、九州へ避けることにしたの? それとも、北海道?」
「いろいろもめたんですけど、けっきょく、九州の親戚のところへ行くことに決まりました。母と弟といっしょに」
「おとうさんは?」
「東海メガロポリスに残るそうです。この機会に、男性のりっぱさを証明して見せるんですって」
朋子は、沢木が男性解放運動の会長だったのを思い出して、クスッと笑った。
沢木のほうは、朋子の笑った意味がわからないらしく、きょとんとした顔で、
「東海メガロポリスに半分が残ったとしても、一千万人以上が移動するんだから、ちょっとした民族の大移動だな」
「でも、大部分が、うちの母と同じで、地震がきらいだから、安全とわかっていて、メガロポリスから逃げ出すんだと思うんです」
「まあ、そうだろうね」
「だとすると、なんだか、地震の予報というのも、良し悪しみたいな気がしてくるんですけど」
「なぜ?」
「完全に安全な都市が完成したら、どんな地震が来ても平気なわけでしょう。それでも、大地震があるという予報が出れば、気味が悪いとか、なんとなくいやだといって、やっぱり半分くらいは、その日にはどこかへ疎開すると思うんです。ものすごいエネルギーの浪費ですわ」
「予報しないで、二〇世紀までみたいに、とつぜん地震にぶつかったほうがいいというわけ?」
「そのほうが、民族の大移動みたいなむだなことは起きませんわ」
「そりゃあそうだろうが――」
沢木は苦笑して、
「だが、確実に、地震予報官は、全国民からつるし上げを食うね、予報できるのに予報しなかったということで。それに、一日だけの民族の大移動も、けっこう楽しいんじゃないかな」
沢木がいったとき、
「トモちゃん」
と、朋子は、背後から呼ばれた。ふり返ると、兄夫婦が、スーツ・ケースをさげて、立っていた。
兄嫁のミドリが、朋子と沢木の顔を見比べるようにして、
「あなたたちも、地震よけに海外へ?」
と、きいた。
「違うわ。仕事。ねえさんたちは?」
「ちょっとハワイへ。ついでだから、休暇を三日ほどとって、からだを焼いてこようと思っているの」
「おやじにはないしょだぞ」
と、兄が横からいった。
「あのおやじは、男なら東海メガロポリスに残れっていうからな」
ふたりは、それだけいって、ハワイ行きのゲートへ消えていった。
「あのふたりも、沢木さんのいう地震を楽しんでるくちですわ」
と、朋子は、沢木にいった。
ハバロフスク経由モスクワ行きのSSTが滑走路に姿を見せ、朋子は、沢木と肩を並べてゲートをはいっていった。
ソビエト製のSST144は、鈍い銀色の機体に乗客をのみこむと、むぞうさに二月の空に飛び上がった。
朋子は、丸窓から、しだいに低くなっていく東海メガロポリスの広がりを見おろした。
あすの午前十時二十三分に、東海メガロポリスは、大地震に襲われる。地震を上空からながめたら、いったい、どんなふうに見えるだろうか。
SSTは、日本海を三十分足らずで飛び越え、沿海州の陸地が見えたと思うと、もう降下姿勢にはいっていた。
ハバロフスクは、緯度からいえば北海道最北端よりさらに北にある町である。二月という時期から考えて、当然、雪と氷に閉ざされているはずだった。
もちろん、雪はあった。白一色の世界だったが、積雪量はごく少なかった。
「雪が少ないね」
と、飛行場に降りて最初に沢木がいった。
「それに、気温もそう寒くない」
「ちょうど零度くらいじゃありません?」
朋子は、コートのえりを立てかけてやめてしまった。東海メガロポリスの冬と、たいして違わないのだ。
「本来なら、零下三、四十度になっているはずなんだ」
沢木は、晴れわたった空をまぶしそうに見上げた。
「これも、海流異変のせいかしら?」
「ほかには考えられないね」
飛行場のゲートのところには、『暖かいハバロフスクへようこそ』と、英語とロシア語で書いてあった。
外国人専用のホテルへはいると、『鉄の岬《みさき》』見物の外国人が集まっていた。技術者もいれば、単なる観光客もいた。
食堂で、沢木と朋子が日本人とわかると、あすの地震のことが自然に話題になった。
日本の予知技術を賞賛してくれるアメリカ人がいるかと思うと、同じアメリカ人のなかに、
「木と紙でできた家ばかりの日本じゃあ、マグニチュード7・9の大地震が来たら、全滅しちゃうんじゃないかね。きのどくに」
と、肩をすくめる者もあった。
冗談でいっているのかと思ったら、本気で心配してくれているのには、朋子はあきれてしまった。
火星に人類が行くことと、国家間の理解度とは、あまり比例しないものらしい。
チヨールナヤ・イクラとウォツカの夕食をとってから、朋子と沢木は、へやにはいった。
朋子は、興奮して、眠れそうもないのを感じた。
はじめて異国へ来たせいかもしれなかったし、あす、待望の『鉄の岬』が見られるせいかもしれなかったし、沢木保男が隣のへやにいるせいかもしれなかった。
東海メガロポリスの道路を、テレビの中継者が走り回っていた。
新聞のテレビ欄を見ると、どこの局でも、二月四日の夕がたから二月五日の当日まで、ベタッと、地震の中継放送になっていた。
〈実況中継・大地震東海メガロポリスを襲う〉
〈ドキュメント・マグニチュード7・9〉
〈テレビ中継・東海メガロポリスの四十八時間〉
〈実況中継・二月五日十時二十三分〉
日本じゅうのテレビ局が、地震にとりつかれてしまった感じだ。
田島も、父の悌三が地震中継の総指揮を取ることになった関係で、前日の二月四日の夕がたから、中継指揮車に乗せられていた。
車の中には、各所に配置された中継車から送られてくる映像が、モニター・テレビに映し出されている。
東海メガロポリスから逃げ出す車の列。
満員の高速列車。
中央気象台の内部。
テレビ局で討論している地震学の権威。
「ちょっと気違いじみてるな」
と、田島は肩をすくめて、父の悌三の顔を見た。
「これじゃあ、日本じゅうが、地震にふり回されてるみたいだ」
「今の日本に、マグニチュード7・9の地震以上に、人をひきつける素材があるかね?」
悌三は、腕を組んだ姿勢でいった。
「こんなときに、だれが、歌手の歌をテレビで見てくれるかね? ドラマを見てくれるかね? 日本人のだれもが知りたいのは、今度の大地震で、東海メガロポリスがどうなるかということだよ。それをテレビで見たがってるんだ。視聴率が一〇〇パーセントになるかもしれない事件を無視するなんて、放送人としたら自殺行為だ」
「無視しろとはいいませんよ。しかし、日本じゅうのテレビ局が、しかも、前日から放送するなんて、テレビが恐怖をあおってるみたいじゃありませんか」
「だが、今の時点でも、人々が何を見るかといえば、地震関係のニュースだよ。だから、放送しなきゃいけないんだ。中央気象台の発表と同時に、地震学の教授や、評論家の確保に全力をあげたのもそのためだ」
「つまり、ほかのテレビ局との競争のためでしょう?」
「そんないい方は気にくわんな」
悌三は、こわい顔をした。
「わたしは、電波の自由化をひかえて、必死なんだ」
「必死か。死んだおじいさんも、やたらに、必死だ必死だといってましたねえ」
「わが家の宿命だよ」
悌三は、いやに深刻ないい方をした。
「一九七〇年ごろ、自動車の自由化で大騒ぎだったんだが、そのとき、おやじは、自動車産業の責任者だった。今度は、わたしが電波の自由化で四苦八苦している。だから、おまえが生まれたとき、わたしがおやじとふたりで考えて、自由という名まえをつけたんだ」
「そうすると、ぼくも、いつか、何かの自由のことで、悩むことになるんですかね?」
「かもしれんな」
悌三がうなずいたとき、テレビの一つに、ハイウェイの事故が映し出された。
とたんに、悌三がマイクをつかんでどなった。
「ハイウェイの事故をテレビに流すんだ。大地震が生んだ最初の事故だ」
「そのいい方は、正確じゃないな。地震は、まだ起きてないんだから」
「放送は、正確さより、センセーショナリズムだ」
悌三は、大きな声を出した。
ハイウェイでの事故は、つづいてまた起きた。
原因はどうやら、自動操縦装置の故障した車を、規則に違反してハイウェイに乗り入れたためらしかった。
「こうなると、大地震を予報するのも考えものみたいな気がするなあ」
と、田島は、モニター・テレビを見ながら、つぶやいた。
「へたをすると、パニックになりかねない」
「何をブツブツいってるんだ?」
悌三は、赤い充血した眼で、むすこをにらんだ。
「テレビ局の全機能をあげて、この事件と取り組んでいるんだから、おまえにも働いてもらうぞ」
「何をやればいいんです?」
「原田ロミと組んだこのあいだの放送が好評だったから、今度も、彼女といっしょに、メガロポリスの中を車で走り回ってもらう」
「しかし、それは、中継車が何台も走ってるんじゃないですか」
「要所要所には配置してある。だが、メガロポリスの全域をカバーはできん。だから、おまえに、その穴を埋めてもらいたいんだ。裏通りなんかに、おもしろいニュースがころがっているかもしれんからな」
「彼女は、今、どこにいるんです?」
「テレビ局にいる。おまえといっしょに仕事してもらうことは話してあるよ」
「それは手回しのいいことで」
田島は、ペロリと舌を出してから、指揮車を降り、小型放送車に乗りかえた。
テレビ局に回って、原田ロミを拾った。彼女は、この仕事に興奮しているようだった。
「きみは、こわくないのか?」
と、田島がきくと、
「少しはこわいけど、それより、スリルを感じるワ」
と、大きな目で、夕暮れの町を見回した。
「あしたは、どのくらいの家がつぶれるかしら?」
「わからないな。たいていの家が耐震建築になっているけど、まだ二、三割は、木造家屋だからね」
「あたしは、倒れるところが見たいワ」
「走り回ってれば、いやでも見られるかもしれないさ」
田島はまず車を盛り場に走らせた。
ネオンは、いつものように輝き、ふだんの夜のにぎわいと変わりがないように見えたが、よく見ていると、人の数はやはり少なかったし、歩いている様子に、なんとなくおちつきがなかった。
「少し歩いてみよう」
と、田島は、超小型テレビ・カメラをぶらさげて、車から降りた。
ロミは、すぐ腕を組んできた。
バーにはいってみたが、客の姿は少なかった。
ホステスにカメラを向けると、今夜は客も少ないし、来てもソワソワしていておちつきがないとこぼした。
「あすの十時二十三分には、どこにいるつもり?」
ときくと、彼女たちのだれもが、
「もちろん、東海メガロポリスを出て、外からテレビを見てるワ」
と、答えた。
バー以外の店や、ボーリング場でも同じだった。
あすの午前十時二十三分には、東海メガロポリスの外にいたいという。このぶんだと、あすの朝は、ハイウェイや空港が、いっそう混雑することだろう。
「みんないなくなるのね」
と、車にもどってから、ロミがためいきまじりにいった。
「このぶんだと、あすの朝になると、東海メガロポリスはガランとしちゃうわネ」
「半分は、メガロポリスを離れると思っていたんだが、この調子だと三分の二はいなくなるかもしれないな」
「死の町になるわけネ」
「いや、一時的に休息するだけさ」
田島は、そういったが、あすの朝の光景を想像すると、死の町というほうが、ふさわしいかもしれないなと思った。
(これは、人間が進歩した証拠なのだろうか?)
二月五日の朝は、よく晴れわたった。
各テレビ局は、朝の七時から、地震関係の中継を再開した。
きのうから、テレビ局にカン詰めにされている解説者たちは、眠り足りない目を立体カラー・テレビにさらして、
「大地震のある日は、不思議によく晴れたときが多いですねえ」
などと、バカなことをいっている。
田島も疲れていた。
かれに比べると、ロミのほうは、いやに張りきっていた。この地震中継が、通信衛星を使って、アメリカやヨーロッパに放送されることになったかららしい。
「地震のない国の連中が、珍しがって、放送権を買ったんだ」
と、田島は、朝の町を、ゆっくり車を走らせながら、ロミにいった。
「これで、完全に、大地震がショーになっちまったな」
「すばらしいショーよ。世界じゅうが注目してるんだもの。あたしがそのショーの出演者だと思うと、なんだかゾクゾクしてくるワ」
「主演は、あくまでも地震そのものだよ」
田島は、笑いながら、目をキラキラさせているロミを見やった。
「きみがカメラの前に立つわけじゃない」
「でも、何かの拍子に、あたしの顔がカメラに映ることがあってもおかしくないんじゃないかしら」
「それは、ぼくに、きみを写せと催促しているのかい?」
田島がきき、ロミがニヤニヤ笑ったとき、指揮車の悌三から、
「メガロホテルへ回ってくれ」
という指令がはいった。
「そのホテルに、地震見物にやってきた外国の観光団が集まっているんだ。世界各国の人間が来ている。インタビューしてきてくれ」
「ぼくは、英語しかできませんよ」
「彼女が六か国語に堪能《たんのう》だから、だいじょうぶだよ」
と、悌三はいった。
田島は、車をメガロホテルに回した。
「きみの望みどおりになりそうだよ」
と、ホテルの前で車を止めてから、田島はロミの肩をたたいた。
「インタビューは、きみがやってくれ。ぼくがカメラをやる」
「じゃあ、あたしがテレビに映るのネ」
「せいぜい美人に撮ってやるよ」
と、田島は笑った。
ホテルにはいったとき、時計は九時を過ぎていた。あと一時間ちょっとで、マグニチュード7・9の地震がくる。
ロビーには、バカでかい英語で、『このホテルは、耐震構造なので、地震に対しては絶対に安全です』と、書いてある。
ロビーには、客の姿は見えなかった。フロントできくと、みんな一二六階の展望台に上がっているということだった。
田島とロミは、高速エレベーターで、展望台へ上がっていった。
高層建築の多くなった東海メガロポリスだが、一二六階の高さは、やはり群を抜いている。
展望台には、五十人ほどの外国人が集まっていた。
窓に顔を寄せると、眼下に東海メガロポリスが海のように広がっている。
台風と違って、なんの前ぶれも感じられないのが奇妙な感じだった。一瞬、一時間後にほんとうに大地震がくるのだろうかという疑問に襲われるほどだった。
ロミが、インタビューをはじめた。
「国にいたのでは、一生涯地震にぶつかれないので、来てみた。今は、興奮と不安の両方を感じている」
というのは、イギリスから来た若いカップルだった。
地震のない北ヨーロッパや、アメリカの東海岸から来た人々には、こうした感想を口にするものが多かった。
そして、必ず最後に、
「ほんとうに、このビルはだいじょうぶなんでしょうね?」
と、きき返すのだ。
そのたびに、ホテルの支配人が飛んできて、くどくどと、安全性について説明した。
考えてみれば、不安を感じながら一二六階の展望台にいるというのもおかしな話だが、これも万国共通の、こわいもの見たさの心理というやつなのだろう。
もちろん、外国人のなかには、観光客のほかに、多数の新聞記者も混じっていた。
早くも、もう、窓の外に向かってカメラを回しているカメラマンもいた。おそらく、地震のまえとあとのメガロポリスを比較して、記事にするつもりなのだろう。
ロミのインタビューが終わったとき、とけいは十時になっていた。
「外人のインタビューは、もういい」
と、悌三の声が聞こえた。
「これから、中央気象台のほうへカメラを移す」
「ぼくたちは、これからどうすればいいんです?」
「町を走りまわって、とびきりおもしろい話を拾ってくれ。それを、地震が過ぎたあとで、エピソードとして放送する」
「おもしろいって、どんなことかな?」
「たとえばだな」
悌三は、ちょっと考えてから、
「まだ地震のことを知らない人間が、メガロポリスの中にいるかもしれん。見つかれば、おもしろいニュースになる」
「そんなのんきな人間がいるなんて、信じられませんよ。テレビは、どこのチャンネルを回しても、地震のニュースしかやってないんだから」
「だから、いれば、よけいおもしろいんだ。現代の情報社会からはみ出した珍しい人間ということでね」
「下水道の中でも捜してみますよ」
と、田島は、ふてくされた声でいった。むすこだという気安さで、父の悌三はこき使う。
(ひどいオールド・パワーだ)
「新しい仕事だよ」
と、田島はロミを促して、展望台を出た。
メガロホテルの外に出る。
田島の腕どけいは、すでに十時を回っていた。
ビジネス街はいっせい休業で、ひっそりと静まりかえっている。走っている車は、大きなアンテナを屋根につけたテレビ中継車だけだった。
「新しい仕事って、なんなの?」
ロミが、静まりかえったビル街をながめながら、田島にきいた。
「大地震のことを知らない人間がいたら、拾ってこいとさ」
田島がいうと、ロミは、きょとんとした顔になって、
「そんな人いるかしら?」
「いたら、よほど変わった人間だよ」
田島は、車をビジネス街から下町に向けた。
その間にも、刻々と、時間は十時二十三分に近づいていた。
大通りには、ほとんど人影がなかった。たまに人がいたかと思えば、警官か、消防署員だった。
立ち並ぶ鉄筋アパートも、窓はすべて閉ざされ、店もよろい戸を締めていた。
「きみがいったように、死の町の感じだな」
と、田島は、やや青ざめた顔で、ロミにいった。
ロミは、あいかわらず張りきってはいたが、それでも、十時二十三分が近づくにつれて、少しずつ青ざめた顔になってくるのがわかった。
空は、あいかわらず晴れわたって、雲一つない。
ロミが、テレビのスイッチを入れた。NNCのホールで、評論家たちが、東海メガロポリスの地図の前で、どの程度の被害が出るかを、あれこれ話し合っている。
画面の下には、秒きざみで、時間が示されている。十時十二分二十八秒。あと十一分だ。
「建物や道路の被害は出るかもしれませんが、人間の被害はないはずです。危険な地域の住民は、みんな疎開してしまいましたからね。これが地震予知の最大の価値でしょうな」
と、評論家のひとりがしゃべっている。
パトロール・カーが、田島たちの小型中継車の横を走り抜けていった。
「あたしたちはだいじょうぶなの?」
と、ロミが急に心配になったようにきいた。
「道路に亀裂がはいったり、ビルが倒れてきたら、こんな車はペチャンコになっちゃうんじゃないかしら?」
「五分前になったら、防災避難地帯に移動するよ。あそこならだいじょうぶだ」
田島は、地図を見ながらいった。
東海メガロポリスには、いざという場合に備えて、数か所に、車が五千台くらい駐車できる緊急避難地帯が作られていた。広場の中心には鉄筋のドームがあり、食糧も保存されている。
地図でみると、いま走っている道路から五分以内の場所に、点々と、その避難地帯が続いていた。
「五分前になったら、教えてくれ」
田島は、前方を注意しながら、ロミにいった。
あいかわらず、人影がない。今ごろは、みんな、東海メガロポリスの外で、テレビにしがみついて、何分かあとに起こるショーをながめていることだろう。
(今、視聴率を調べたら、きっと一〇〇パーセントだろう)
田島が父の悌三の顔を思い出したとき、ロミが、
「あと六分」
といった。
ほとんど同時に、悌三の声も飛び込んできた。
「あと五分四十秒だ。すぐ、安全地帯へ避難しろ」
「おもしろいニュースは、まだつかんでいませんよ」
わざと、おちついた声で田島がいうと、悌三はいらいらした声で、
「ニュースより人命のほうがだいじだ」
と、どなった。
「やっぱり、親子の情ですかね」
田島は、クスッと笑ってから、車を緊急避難地帯へ向けた。
「あと四分四十六秒よ」
ロミが、テレビを見ながら、甲高《かんだか》い声でいう。
テレビには、コンピューターがはじき出した東海メガロポリスの被害予想が、数字になって示されていた。
倒壊予想 六五〇〇戸
道路陥没予想 九六か所・一二〇キロメートル
死亡予想 一〇〇人
「あッ」
と、不意に田島が叫んで、ブレーキを踏んだ。
車の前を、中年の女がひとり、フラフラと歩いていたからである。
田島は、車から飛び出すと、その女に追いついて、腕をつかんだ。
女は、白茶けた顔をしている。まるで、放心しているみたいだった。
「こんなところにいたんじゃ、あぶないじゃないですかッ」
と、田島がどなりつけると、女はかわいた声で、
「子どもが――」
といった。
「子どもがいなくなっちゃったんです」
「なぜ、逃げ出さなかったんです?」
「いろいろと訳があって――」
田島が腕を放すと、女はまたフラフラと歩きだした。
ロミが車から顔を突き出して、
「あと三分しかないワ」
と、叫ぶ。
「子どもがいなくなったんだ」
ふり向いて、田島がどなる。ロミが車から降りてきて、
「この辺はあぶないわよ。耐震建築じゃないみたいな家ばかりだもの」
「わかってる」
「わかってたら、早く緊急避難地帯へ行かなきゃだめじゃないの」
「だが、子どもと母親がいるんだ」
「――――」
ロミは、一瞬、青白い顔で、田島をにらんだ。が、フッと、力を抜いた表情になって、
「いいワ。あたしも捜す」
「勇気があるね」
「勇気じゃないワ。ここで子どもを見つけて助ければ、有名になれるからよ」
ロミは、あっさりいって、女のあとを追った。
田島もそのあとを追ったが、不思議に、締めつけられるような恐怖は感じなかった。十時二十三分は迫っていても、実際には、まだ何も起きてはいないからかもしれない。空はあいかわらず晴れわたっていたし、町はひっそりと静まり返っていた。
前方の路地で、
「見つけたワッ」
という甲高いロミの叫び声がした。
田島は走った。
路地の奥に、さっきの女と、三歳ぐらいの女の子と、ロミがひとかたまりになっていた。
不意に、サイレンの音が聞こえた。
「鳴り終わったときが、十時二十三分だ」
と、田島は血走った目で周囲を見回した。車にもどる時間はなかったし、もどれたところで、緊急避難地帯まで行けるはずがない。
下町の路地はせまく、木造家屋や老朽ビルが多かった。住人は疎開してしまったらしく、人のけはいもない。
サイレンは、まだ鳴りつづけている。一分間鳴るはずだった。
「どうしたらいいの?」
ロミが、かすれた声を出した。
「あの倉庫へ逃げ込むんだ」
田島は、コンクリート造りの倉庫を指さした。
近くに、その倉庫以上にがんじょうな感じの建物はなかったからである。
四人が、非常口をこじあけて飛び込んだとき、サイレンが鳴りやんだ。
一瞬の間があった。
倉庫の中は、梱包《こんぽう》された大きな荷物でいっぱいだった。
その荷物の間にからだをかがめたとき、最初の揺れがきた。
それは、ひどくゆっくりと、大きく、波打つように感じられた。
つづいて、ゴオッーと、腹にこたえるような地鳴り。
田島は、目の前の空間や、倉庫の壁や、梱包された荷物が、ゆがみ、揺れ動くのを感じた。
女の子が、泣き叫び、母親が悲鳴をあげた。
田島は、自分の大きなからだで、母と子をかばうような姿勢をとった。ロミが、かれの腕にしがみついてきた。
倉庫の壁が、音をたててくずれはじめた。目の前が暗くなった。
その瞬間、二一世紀が自然の猛威の前に敗北した感じで、田島は気を失った。
どのくらいの時間気を失っていたのか、田島は覚えていない。
子どもの泣き声で目をひらくと、余震が続いているのか、床がまだ揺れ動いていた。
額に手をやると、血が流れていた。何かが落ちてきて、当たったらしい。
ロミも、母と子も、生きていた。立ち上がると、よろけた。まだ、床がゆれている。
倉庫の屋根は、四分の三近くが落下していて、ポッカリと青空がのぞいていた。
壁も、片側が完全にくずれてしまっている。
強い余震が来たら、こわれかけた倉庫は、音をたててくずれ落ちるだろう。
「早く外へ出よう」
と、田島は、ロミたちに声をかけた。
四人は、揺れる床を踏みしめながら、倉庫を出た。
路地には、家が倒れて、瓦礫《がれき》の山ができていた。
そして、道路には、幅二〇センチくらいの深い亀裂が走っている。
さいわい、どこにも火事の起きているけはいはなかった。住人のほとんどが、逃げてしまっているからだろう。
「どうやら、ここにいるのは、ぼくたちだけらしいね」
田島は、周囲を見回しながらいった。母親に抱かれた幼児は、泣きやんで、キョトンとしている。いったい、何が起きたのか、まだわからない様子だ。
「まるで、二、三世紀逆もどりしたみたい」
と、ロミは、ドレスの土ぼこりをはたきながらつぶやいた。
田島たちは、車のところまで歩いていった。
車は横倒しになっていたが、つぶれてはいなかった。
余震はいぜんとして続いていたが、田島の神経は、もう、マヒしてしまっていた。ビルでも倒れてこないかぎり、ビクついたりはしないだろう。
四人のほかには、だれもいないということが、奇妙な感じだった。ロミは、二、三世紀逆もどりしたみたいだといったが、たしかにそんな感じだった。
倒壊した家の横で、水道が吹き出している。
田島は、冷たい水をのどに流し込んでから、横倒しになった車に首を突っ込んだ。
テレビは、まだ映っていた。ハイウェイや、メガロポリス・センターを映し出しては、評論家たちが、
「さすがに、耐震建築ですね。ほとんど被害を受けていませんよ」
と、のんきなことをしゃべっている。
田島は、苦笑してから、マイクを取り上げて、父の乗っている中継指揮車を呼び出した。
「助けに来てくださいよ」
と、田島はマイクに向かっていった。
「このあたりの道路は通行不能だから、ヘリコプターがいいな」
「緊急避難地帯に逃げたんじゃないのか?」
「今いるのは、下町のA26地区です」
「なぜ、そんなところでまごまごしていたんだ?」
「ぼくにいったはずですよ。おもしろいニュースを拾えって」
「それがどうしたというんだ?」
「ニュースを拾ったんで、逃げ遅れたんですよ。ロミ君が、母と子どもを救いましたよ」
「彼女が?」
「そうです。マグニチュード7・9のなかの人命救助です。ちょっとした美談でしょう?」
「たしかにニュースだな。うまくいけば、彼女をスターにできる」
「だから、早く迎えに来てくださいよ」
田島がスイッチを切ったとき、背後で、もうれつな地ひびきが聞こえた。ふり向くと、白煙があがっている。田島たちの逃げ込んだ倉庫が、とうとう、完全にくずれ落ちたらしい。
田島は、ポケットからカメラを取り出した。
「今のうちに、きみの写真をとっておこう」
と、田島はロミにいった。
「その女の子を抱いて。顔を直す必要はないよ。よごれているほうが感じが出る。きみは、望みどおり、有名になれそうだよ」
「ホント?」
ロミが、目を輝かせた。
「ほんとうさ。おやじは、人命救助できみを売り出す気だ」
「すてきッ」
ロミは、飛び上がると、いきなり田島に抱きついて、くちびるを押しつけてきた。
「お礼のしるしよ」
と、ロミがくちびるを離して、ニッと笑ったとき、ヘリコプターが近づいてくるのが見えた。
NNCのマークが、やけに大きく見える。
「どうやら、ぼくたちは、二一世紀にもどれたようだ」
と、田島は、疲れた声でいった。
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国際公害
同じ二月五日の午前十時二十三分に、朋子は、沢木とふたりで、ソビエト側からベーリング海峡に突き出された『鉄の岬』に来ていた。
見学者は、ふたりのほかに、各国の技術者や新聞記者、それに、純粋の観光客など百人近い人数だった。
それは、たしかに、『鉄の岬』という名まえにふさわしい巨大な人造の岬だった。
幅二〇〇メートル、長さ二四キロメートル。その上を、往復四車線のハイウェイが走っている。
ソビエトの技師が、岬の上を、見学用のバスを走らせながら、誇らしげに、朋子たちに説明してくれた。赤毛の大男である。
ありがたいことに、英語だったので、朋子にもよくわかった。
「この『鉄の岬』は、万里の長城にも匹敵する偉大なる建設といえます。ソビエト社会主義の偉大なる成果です。これが完成したため、シベリアの東沿岸を暖流が洗うようになり、ツンドラ地帯がすばらしい沃野《よくや》に変わろうとしているのです」
バスが止まり、乗客は岬の端に造られたレスト・ハウスに案内された。
岬の上のハイウェイは、熱線が埋め込まれているので凍っていなかったが、レスト・ハウスの窓から見える北極の海は、凍りつき、点々と巨大な氷山が望遠できた。
ここで、飲みものと軽い食事が、乗客にサービスされた。
「この『鉄の岬』の恩恵をこうむっているのは、わがソビエト同盟だけではありません」
ソビエト技術者は、大きな岬の構造図の前で説明した。
「このなかに日本のかたもおられるようですが、日本の北海道も、この岬が完成したおかげで、例年のような流氷に悩まされることもなくなり、平均気温も五度以上上昇しているのであります。そうですね、ミスター・サワキ」
名まえを呼ばれて、沢木は、隣の朋子にちょっと笑ってみせてから立ち上がった。
「たしかに、北海道は、オホーツク沿岸に流氷が来なくなり、漁民は冬でも出漁できると喜んでいます。平均気温が五度以上あがったのも事実です」
「これこそ、科学が、国家間の平和と友好に役だったすばらしい見本だといえます。ミスター・サワキ。あとで、ソビエトと日本の友好のために乾杯しましょう」
「乾杯はけっこうですが、そのまえに、一つだけ聞いておきたいことがあるのですが」
「どんなことです? ミスター・サワキ」
「たしかに、この『鉄の岬』は、今のところ、すばらしい役目を果たしているといえます」
「二一世紀の科学の偉大な勝利ですよ。ミスター・サワキ」
「|しかし《バツト》――」
と、沢木がいうと、相手は赤毛の大きな頭をそらすようにして、
「|しかし《バツト》?」
まゆをしかめた。日本人の口から、「しかし」などということばが出るのが信じられないといいたげな顔であった。日本にも恩恵を与えているのだという自信のせいだろう。それとも、大国意識というやつか。
アメリカ人記者が、おもしろそうに沢木を見て、次のことばを待っている。
「しかし、自然改造が予期しない災害をもたらすということも、考えるべきじゃないかと思うのですがね」
沢木がいうと、赤毛の技師は、そんなことかという顔で、
「プラスもマイナスも、すべてコンピューターで計算ずみですよ。われわれは、あらゆるデータをそろえて、コンピューターにかけたのです。その結果、マイナス面はゼロに等しいことがわかってから、この『鉄の岬』の建設に取りかかったのです。もちろん、日本に悪影響のないことも計算ずみですよ。それどころか、日本にもプラスという結論が出ているのです」
「しかし、コンピューターは万能ではないでしょう」
沢木は、おちついた声でいった。
「悪影響が出る可能性はゼロではない」
「あなたは、何をいいたいのですか? ミスター・サワキ」
赤毛の技師は、少なからず腹をたてたようだった。アメリカ人の記者は、ニヤニヤ笑っている。
「現に、北海道では、日本の漁民が、ソビエトの技術に対して感謝しているではありませんか? ミスター・サワキ」
技師が大きな声でいう。沢木は、うなずいてから、「|しかし《バツト》」といった。
「また、|しかし《バツト》ですか?」
「わたしの予想ですが、この急激な自然改造の結果、北海道は異常乾燥に襲われる可能性があるのです」
「そんなことはない。年間平均雨量は、まえよりもふえるはずだ」
「それも、コンピューターの答えでしょう。だが、さっきもいったように、コンピューターは万能ではないし、日本人のわたしとしては、あらゆる危険を考えておきたいのです。もし、北海道が旱魃《かんばつ》に襲われ、サバクに変わる事態にでもなれば、これは、あきらかに、国際公害ということになります」
「国際公害だって?」
「イエス。現代はある意味で国際公害の時代です。去年、アメリカがハリケーンを消滅させようとしたとき、消滅せずに向きを変えてキューバを襲った事実があります。日本でも同じことがありました。これも完全に国際公害です。今のように、科学の力が巨大になると、一国の科学実験なり、自然改造は、どうしても他国に影響を与えてしまうのです。だからこそ、国連憲章に、国際公害の条項が新しく書き加えられ、被害を与えた国の責任が問われることになったのです」
「あなたはわたしに、国連憲章の講義をしてくれるつもりですか?」
赤毛の技師は、皮肉な目つきで沢木を見た。アメリカ人記者は、笑うのをやめてしまった。沢木が、古傷にさわるようなことをいったからだろう。
沢木は、くびを横に振った。
「国際公害が起きたときのことも考えてほしいといっただけですよ。それに、『鉄の岬』に関するすべての資料、自然改造計画のあらゆるデータがほしいのです。わたし個人にはまずいというのであれば、日本の海洋研究所あてに送ってくださってもけっこうです」
「その答えは、ノーです」
「なぜです?」
「この『鉄の岬』は、ソビエト領内に作られたものです。いわば国内問題だ。国内問題について、他国に説明する必要はないでしょう」
「しかし、日本にも影響を与えていますよ」
「プラスの影響をね」
「マイナスの影響を与えるようになったら、あらゆる資料を提供してもらえますね」
「そのときになったら、われわれの政府が考えるでしょう。しかし、そんなことには絶対になりませんよ」
赤毛の技師は、がんこにいった。
ふたりのやりとりを、おもしろがっている者もいたが、全体の空気は、なんとなく気まずいものに変わっていた。
朋子は、はらはらしながら、沢木とソビエト技師の問答を聞いていて、その緊張のせいか、食後に出されたツイナンダーリというワインを飲む気がなくなってしまった。
「データがもらえないんじゃ、これ以上見学してもしかたがないね」
と、沢木は小声で朋子にいってから、急に話題を変えて、
「東海メガロポリスの地震は、どうなったんだろうな」
といった。
帰りのSSTが、東海メガロポリスに近づくと、朋子は窓に顔を押しつけるようにして、地震のつめ跡を捜し出そうとした。が、高空からでは、出発前とどこが違っているのか、はっきりしなかった。
国際空港も、べつに変わっているようには見えなかった。が、SSTから降りると、滑走路に白いいなずま模様の線が走っているのが見えた。
地震で生じた亀裂へ、早乾性のセメントを流し込んで応急修理をした跡だった。
空港の外に出ると、夕やみが近づき、東海メガロポリスはあいかわらず巨大な光の海であった。
「これから、海洋研究所へ行く」
という沢木と別れて、朋子はタクシーを拾った。
走りだしてから、
「地震はどうだったの?」
と、運転手にきくと、中年の運転手は、自動操縦に切りかえてから、くるりと振り向いて、
「かなり被害があったようですがね。わたしは大阪に逃げてたから、実際には知らないんですよ。もちろん、テレビは前の晩からかじりついて見てましたがね」
と、笑った。
たしかに、ほとんどの人が、東海メガロポリスから逃げ出していたはずである。だから、マグニチュード7・9の大地震があったといっても、それを実感した人は、あまりいないのだ。
(二一世紀というのは、危険を実感しなくなる時代なのかな、自分で求めないかぎり)
「死んだ人は?」
「コンピューターは、百人は死ぬだろうといってたらしいんですがね、実際に死んだのは、ふたりだけですよ。それも、ここに残って警戒にあたっていたパトカーがひっくり返って、警官がふたり死んだんです。二一世紀になっても、警官というのは、あんまりいい商売じゃありませんねえ」
「コンピューターも、あまりあてにならないということね」
朋子は、沢木とソビエト技師とのやりとりを思い出した。自然改造計画でも、コンピューターはまちがいを犯すだろうか。
運転手は、話好きらしく、タバコに火をつけてから、
「じつは、あとふたり死ぬはずだったんですが、NNCテレビの人間が、このふたりを助けたんです。NNCじゃあ、この人助けを、大々的に放送してますよ。視聴率を少しでも上げようってんでしょうな」
「NNC?」
NNCなら、田島が働いているテレビ局ではないか。朋子の表情が動いたのを、運転手は、話自体に興味を持ったと考えたのか、顔を突き出して、
「その死にかけたふたりですがねえ」
と、熱っぽい声でいった。
「あの大地震のなかを、母親と三歳の子どもがフラフラ歩いていたというんだから、バカな親子もいたもんじゃありませんか」
「そうね」
「その親子を助けたのが、原田ロミっていう混血のタレントなんですよ。テレビに出ましたが、これがすばらしいからだをした美人でしてねえ。この娘《こ》は、人気が出ますよ。きっと、スターになるなあ」
「原田ロミ?」
いつだったか、田島が紹介してくれた混血の娘ではないか。
「お客さんは、彼女を知ってるんですか?」
「一度会ったことがあるだけ」
と、朋子はいった。
タクシーは、ニュー・タウンに着いた。
林立するアパートメントは、なんの傷も見せずに、いつもと同じように、キラキラとあかりをつけていた。
ここだけを見たら、マグニチュード7・9の大地震が二十時間まえにあったとは、だれも信じないだろう。
家には、九州へ疎開した母と弟も、すでに帰ってきていた。
両親の顔を見ると、朋子は、急に、今までの緊張がとけていくのを感じた。
「お茶づけが食べたいわア」
と、朋子は、ペタンとすわり込んで、母の文子にいった。
「ずっと、キャビアばかり食べてたんで、口の中が変になっちゃった」
「ヘン」
小学生のアキラは、鼻を鳴らした。
「たった二日しか外国へ行ってないのに、外国ずれしたみたいなことをいってらア」
「アキラは、今、第何回めの反抗期?」
と、朋子は肩をすくめた。
母は、笑いながら、お茶づけを作ってくれた。インスタントでないのがありがたかった。
「お茶づけだけは、二一世紀になっても確実に残るわね」
朋子は、食べながら、母にいった。
食べ終わってから、
「ところで、地震のほうは、どうだったの?」
と、朋子が父の昇平にきくと、昇平は、ニッコリして、
「あれはおもしろかった。ここに残ったかいがあったよ」
と、いくらか自慢そうにいった。
「この中で、マグニチュード7・9を、直接からだで味わったのは、わたしだけだからな」
「ボクたちだって、テレビでちゃんと見ていたよ」
アキラが、抗議する口調でいったが、昇平は、
「テレビと実際とは違う」
と、あっさり断定した。
「立体でカラーになっても、テレビを見ているのと、実際とは大きな違いがある。テレビには、臨場感というやつがない。画面に地震が映し出されても、自分のいる場所が揺れ動きはしないのだからね。ところが、このアパートメントは、独特の耐震構造だから、しなうように大きく揺れるんだな。すばらしいスリルだったね。このスリルは、テレビを見ていて味わえるものじゃない」
「パパは、ひとりだけ大地震を味わったものだから、ごきげんなのよ」
と、母の文子が、笑いながら、朋子の耳もとでいった。
朋子もニヤニヤして、
「マグニチュード7・9のおかげで、父親の権威を回復したのね」
「うちでは、まえから亭主関白ですよ」
と、母の文子は、いやに古めかしいことばを口にしてから、急に改まった声で、
「田島さんのことだけどね」
「田島クンがどうかしたの?」
「田島さんと結婚するつもりなんでしょう?」
「してもいいとは思ってる」
「でも、最近は、沢木さんとばかりつきあっているようね?」
「こっちはビジネス。助手だから、どこへでもついていくわよ。もちろん、男性的魅力はあるし、いっしょにいると、キスぐらいしたくなるときだってあるけど」
「ママは、ちょっと心配ね」
「何が?」
「あなたは、自分ではうまく割り切っているつもりなんでしょう?」
「ええ。それに、セックスのことで心配してるんなら、意味ないわよ。セックスすることと、結婚とは別だから」
「でも、人間は、コンピューターじゃないわよ」
と、母の文子は、心配そうにいった。
「だから、あなたがうまく割り切れなくなったときのことが心配なのよ」
「心配なし」
朋子は、笑ってから、
「ママが田島クンの話をするから、あの四角い顔を見たくなっちゃった」
朋子は、自分のへやにはいって、TV電話のダイヤルを回した。
スクリーンに、田島の大きな顔が映った。よく見ると、額のところに傷があった。
「やあ」
と、田島が笑うのへ、
「ケガしたみたいね」
と、朋子はいった。
「きのうの地震でね」
「じゃあ、人助けをしたとき、田島クンも彼女といっしょにいたの?」
「ああ。ちょっとしたスリルだったよ」
「二一世紀に冒険はありえないといったのは、だれでしたっけ?」
「きのうのがはたして冒険かどうかわからないよ」
スクリーンの中で、田島が笑った。
「あの親子が、指示に従って東海メガロポリスを離れていたら、何も起こらなかったわけだからね」
「今、どこ?」
「テレビ局さ。おとといから、おやじにこき使われてるんだ」
「遊びにいっていいかしら?」
「どうぞ。下のティー・ルームで待ってるよ」
NNCテレビ局に向かって、車を走らせている間、朋子は、母のいったことばを、ぼんやりと思い出していた。
母の心配は、無意味だと思う。朋子は、いつでも、自分の気持ちをコントロールできると考えていた。
(田島クンだって、同じはずだが――)
その田島は、テレビ局のティー・ルームで、疲れきった顔をしていた。
「ベーリング海峡はどうだったい?」
と、田島は、シートに背中をもたせかけるようにしてきいた。
「バカでかい人工の岬を見てきたわ」
「それで、北海道にほんとうに旱魃はくるのかい?」
「わからないわ。ソビエト側が、自然改造計画のデータをくれないから」
「なぜ、くれないんだろう?」
「理由は二ついってたわ。『鉄の岬』は、ソビエト国内に作ったものだから、いろいろと説明する必要はないというのが一つ。もう一つは、マイナス面が出ていないのだから、文句をいうなということ」
「大国というやつは、あいかわらず話しにくいんだなあ」
田島は、小さなためいきをついた。
「田島クンのほうはどうなの?」
と、今度は朋子がきいた。
「彼女は、立体テレビ時代のスターになれそう?」
「きのうの人命救助で、どうやら、その芽が出てきたといったところかな。おやじは、彼女の売り出しに夢中だよ。いいタレントをひとりでも多く確保しておかないと、電波が自由化されたとき、いっぺんにペシャンコになっちゃうからね」
「田島クンの目から見て、原田ロミって娘はどう?」
「なかなか魅力があるね」
「もうセックスした?」
「キスはしたよ。なぜ、そんなことをきくんだい?」
「タクシーの運転手がいってたから。原田ロミって娘は、いいからだをしていて、おまけに美人だって」
「だけど、やたらに有名になりたがってるハイティーンでもある。子どもさ」
「今の女の子は、十歳でメンスがあるのよ。つまり、十歳で母親になれるわけ。ハイティーンならりっぱなおとなよ」
「からだはね。なにしろ、サイズが93・58・90なんだからな。だが、精神的にはまだ子どもだよ」
「でも、魅力は感じるんでしょう?」
「きょうは変だぞ」
田島は、笑いながら、朋子の顔を見た。
「ぼくが、彼女とセックスしなきゃ変みたいないい方だな」
「そんなことはいってないわ」
といったが、朋子は、自分でも、きょうは少し変だなと感じていた。母のことばが影響しているのかもしれない。それに反発して、少し、力んだもののいい方をしてしまったのだ。
朋子が黙ってしまい、ちょっと気まずい空気になったとき、それを救うように、ティー・ルームに備えつけてある立体テレビが、「マグニチュード7・9」というダイジェスト特集を放送しはじめた。
メガロセンターに立つシンボル・タワーが、ゆっくりと揺れはじめる。ティー・ルームにいた人々の口から「ほう」という嘆声が漏れる。朋子は、その嘆声が、火星に宇宙船が到着したときのそれと似ていることに気がついた。
「地震まで、ショーになってしまったんだ」
と、田島は、複雑な表情でいった。
「きみも感じたろうが、まるっきり、火星着陸のときと同じだよ。二一世紀というのは、何もかもショーにしてしまうのかもしれないな」
「でも、ふたり死んでいるんでしょう? 単なるショーとは違うような気がするけど」
「スピード・レースでも死人はでるよ。テレビを見ている人たちの表情が、スピード・レースやサッカーの試合を見ているときと同じなんだ。災害を見ている目じゃない。楽しんでしまっている」
「悪いと思うの? それだけ科学が進歩したと考えられないかしら?」
「そうかもしれない。だが、なんとなくこわい気もするんだ。現実に地震は起きているのに、ほとんどの人が、地震を感じることのない場所で、しかも、地震を見ているんだ。この傾向は、もっと激しくなるよ。そのずれがどんどん大きくなると、いったいどうなるんだろう?」
「そうね」
朋子も考え込んでしまった。沢木といっしょに見てきた『鉄の岬』のことを思い出したからである。
北海道に異常旱魃が襲っても、人々は、ショーでも見るような気で、テレビの画面を見ているだろうか。
「ハロー、田島さん」
不意に、はなやかな若い女の声がした。原田ロミだった。
ロミは、ピョコンと朋子に頭を下げてから、
「ちょっと来てくれない?」
と、田島に甘えた声を出した。朋子には、彼女の成熟したからだと、舌足らずの感じのことばづかいが、ひどくアンバランスに映ったが、それが男にとって魅力かもしれないとも思った。
(田島の目には、どう映っているのだろう?)
「なんだい?」
と、田島は、大儀そうに、腰をおろしたままロミの顔を見た。
「自動車会社の人が来て、あたしをCMポスターに使いたいっていってるの」
「テレビを見て、さっそく目をつけたんだな。どんどん有名になれるぞ。きみの望みどおりにね」
「だから、いっしょに来て」
「ぼくがいっしょに行ったってしかたがないだろう。CMポスターに出るのは、ぼくじゃなくて、きみなんだから」
「でも、立体ポスターにするから、田島さんの助言がほしいんだって」
「田島クン」
と、見かねて、朋子が田島にささやいた。ロミは、田島にいっしょに行ってもらいたいから、いろいろと理由づけをしているのに、田島のほうは、それに気がつかないらしい。
(男性の恋愛感情なんて、二一世紀になっても、ちっとも進歩しないみたい)
朋子は、笑いながら、
「行ってあげなさいよ」
と、田島にいった。
「彼女を早くスターにしないと、田島クンだって、サラリーに影響するんじゃないの?」
「わかったよ」
と、田島は、一、二、三と掛け声をかけるようにして、イスから立ち上がった。
「じゃあ、行こうか、お嬢さん」
田島が声をかけると、ロミは、うれしそうに、かれと腕を組んだ。
田島は、ちょっとてれたような顔になって、朋子に小さく肩をすくめてみせてから、並んでティー・ルームを出ていった。
(やれやれ、世話のやけるカップルだわ)
と、朋子は、苦笑した。が、その顔が、ふとむずかしいものに変わった。
母のことばを、また思い出したからである。
田島とロミとの間にセックスが行なわれたとしても、朋子は平気だった。セックスが自由になった結果、結婚まえのセックスを深刻に考えることはなくなっている。
問題は、愛だった。
愛は、二一世紀になっても、人間を縛りつける力を持っている。
田島とロミとの間の愛、朋子自身と沢木との間の愛、それは、まだ芽ばえたかどうかわからないほど淡いものだが、それが芽ばえはじめ、心が縛られはじめたらと考えると、朋子は、自分がひどく不安定な気持ちになるのを感じた。
最近、二一世紀の人間は、「愛」からも解放されるべきだという意見がある。つまり、「感情」から解放されるべきだというわけである。
この意見を唱えているのは、Nという精神科医で、人間が喜怒哀楽の感情に支配されているかぎり、いつかはコンピューターに支配されてしまうというのである。
「特に、愛情問題でゴタゴタと悩みつづけ、仕事も手につかないというような若い女性を見ると、これでも二一世紀の女性かと疑いたくなる」
と、N医師は、テレビで毒舌を吐いた。
個人的に見ても、国家的に見ても大きな損失だといい、感情をコントロールする薬を市販すべきだと、新聞や雑誌にも書いている。
事実、この薬は市販されかけたことがあった。が、けっきょく、許可されなかった。愛情問題で悩むのが人間というものであって、もし、感情から解放され、論理だけで行動するようになってしまったら、コンピューターと同じになってしまうという正論が勝ちを占めたからである。
朋子は、ゆっくりと立ち上がり、ティー・ルームを出た。
(あたしも、愛で悩むことがあるだろうか?)
悩むのがこわいような気もするし、悩んでみたいような気もする。そして、ドラマチックな愛を味わいたいとも思う。
そんなことを考えているときの朋子は、新しい世紀の女というよりも、いつの時代にもいた平凡な若い女だった。
ステレオ・コーティングされた大きな印画紙に、ロミのヌードが直接焼きつけられていく。
CMスタジオには、光が氾濫《はんらん》している。
「肌の色は、もう少しクリーム色にしたほうがいいな」
と、ディレクターが助手に命令口調でいう。そのたびに、ロミの肌に当てられる光の色が変わっていく。
田島は、スタジオのすみに腰をおろして、ぼんやりと、ロミのヌードをながめていた。たしかにすばらしい曲線をしている。じっとながめていると、欲望をそそられる。
(93・58・90か――)
ふと、田島は、朋子のボディー・サイズはいくつだろうかと考えた。水着姿は見たことがあるが、サイズは聞いたことがなかった。
朋子のことを思い出すと、自然に、ついさっき別れるときに、朋子にいわれたことばが、耳によみがえってきた。
「原田ロミって、どんな女の子?」
「彼女ともうセックスしたの?」
「タクシーの運転手が、彼女はいいからだで美人だっていってたわ」
思い出すと、なんとなくくすぐったくなってきた。
一種の嫉妬心《しつとしん》から、朋子があんなことを口にしたのかもしれないと思ったからである。女の子に、やきもちをやかれるのは、二一世紀になっても楽しいものだ。
CMポスターの作成は、いつの間にか終わっていた。
ロミの等身大のヌードと、新車が二重写しになったポスターである。平凡だが、悪くはない。
「どお?」
と、カラー・ドレスを着たロミが、くびをかしげるようにしてきいた。
宣伝部の若い青年が、ポスターに宣伝文句を焼きつけているところだった。
〈二一世紀の女と、二一世紀の車〉
「二一世紀の女か」
田島は、笑いながら、ロミの顔を見た。
「感想はどうだい?」
「二一世紀の女より、あたしは、二一世紀のタレントになりたいワ」
ロミは、ポスターになった自分のヌードをながめながらいった。ちょっとばかり自己陶酔の目つきになっていた。
「ねえ。あたしが、二一世紀のタレントといわれるようになれると思う?」
「有名になりつつはあるよ。このポスターが複写されて、全国に配られれば、もっと有名になるだろうね」
「じゃあ、希望が持てる?」
「ぼくにきいてもわからないよ」
「でも、あなたは、あたしのマネージャーじゃないの?」
「正確にいえば、ぼくはNNCの社員で、その仕事の一つとして、きみの売り出しをやってるんだ」
「同じことじゃない」
「少し違う。マネージャーなら、きみが有名になればぼくももうかるけど、今のぼくは、サラリーマンだから、きみが有名になっても、ぼくは全然もうからない。まあ、金一封ぐらいは出るだろうけどね」
「なんだか、いやいやあたしの仕事をしてくれてるみたい」
ロミは、ちょっと口をとがらせた。その妙に幼い表情を見ると、田島は、思わず笑ってしまった。
「いや。けっこう楽しいよ。きみみたいな美人といっしょに仕事ができるんだから」
「ほんと?」
「ああ、ほんとうさ」
「じゃあ、もう一度まじめに答えてよ。あたしは、二一世紀のタレントになれるかしら? 有名なスターに」
「そうだなあ。二一世紀に、タレントとして有名になれる条件は二つあると思うんだ」
「どんなこと?」
ロミは、目を輝かせて、田島を見た。まるで、生徒が教師に教えを受けるような顔になっている。田島は、その表情のなかに、朋子とは違った意味の女を感じた。どちらが新しい女なのか、どちらも古い女なのか、田島にはわからなかったが、その瞬間、ロミに対して欲望を感じたのは事実だった。
「第一は、立体テレビ向きだということだよ」
と、田島は、自分の心に起きた欲望をかみしめながら、ロミにいった。今夜なら、彼女とセックスしてもいいな。
「これからのテレビは、すべて立体カラー放送になるにきまってるんだから。その点、きみは立体テレビ向きだ。もっとも、これはおやじの言だけどね」
「もう一つの条件は?」
「このあいだもきみに話したけど、ことしじゅうには、電波の自由化が行なわれるはずだ。一般家庭のテレビで、アメリカの放送でも、フランスの放送でも見られるようになるわけだ」
「すてきじゃないの」
「すてきかもしれないが、そうなったらたいへんなこともたいへんだよ。世界に通用するようなタレントでなければ、二一世紀のスターにはなれなくなるんだから」
「あたしは、六か国語をしゃべれるワ。いろいろな血が混じってるおかげで」
「それは、このあいだの地震のとき、メガロホテルで証明してもらったけどね。だが、六か国語がしゃべれるだけじゃあ、世界じゅうに通用するとはいえないからねえ」
「じゃあ、あたしはだめ?」
「だめかどうか、これからだんだんわかってくるさ」
田島がいったとき、自動車会社の宣伝部の人間が、ふたりのところに小切手を持ってきた。
「モデル料とマネージャー料です」
と、相手は、二枚の小切手を置いていった。
「ぼくは、NNCの社員だから、マネージャー料は――」
と、田島がいいかけるのを、ロミは、手をふって止めて、
「バカね。もらっときなさいよ」
と、その小切手を、田島のポケットに押し込んだ。
「サラリーマンは、臨時収入をだいじにしなきゃあ」
そのおとなぶったいい方に、田島は、思わず苦笑してしまった。
「どうやら、きょうはきみにおごらなきゃいけないようだな」
と、田島は、笑いながらいった。
「きみについてきたおかげで、サラリーマンにはうれしい臨時収入にありついたんだから」
CMスタジオを出てから、田島は、ロミとクラブでいっしょに飲んだ。
車の運転機構が、完全にオートメ化されてよかったことの第一といえば、車を持っていて自由に酒を飲めることだった。
飲むまえに、次に行く場所を、車に備えつけられたコンピューターに指示しておけば、どんなにグデングデンに酔っ払っても、安全、確実に、そこへ運んでくれる。
クラブへはいるまえ、ロミが、
「あたしに、次に行く場所を決めさせて」
といった。
カクテルを飲みはじめてから、
「どこへセットしたんだい?」
と、田島がきくと、ロミは、いたずらっぽく笑って、
「それは、車が着いたときのお楽しみ」
と、おとなっぽいいい方をした。
クラブには、若いカップルが多かった。酔っ払って、
「サラリーマンなんて哀れな存在だなあ」
とか、上役の悪口を叫んでいる客がいるのは、ここも同じだった。
サラリーマン稼業というのは、永久に進歩しないものらしい。
しばらく飲んでいるうちに、フロアーで、アフリカ民族舞踊団のダンスが始まった。
最近は、どこでも、アフリカの民族舞踊が盛んだ。世界的な傾向らしい。いわゆる先進国の芸術が行きづまってしまった証拠なのかどうか、田島にもわからない。とにかく、褐色の肉体の乱舞は、見る者に、何かへの郷愁を感じさせた。
田島も、ロミも、クラブを出たときは酔っ払ってしまっていた。
車に乗り、車が動きだしたのは覚えていたが、田島は、動きだすと同時に、眠ってしまった。
目をさましたとき、まだ車の中だったが、車は前には動いていなくて、上に動いていた。
「どこだい?」
と、目をこすりながらきくと、ロミは、シートにからだを埋めるようなかっこうで、
「今、モーテルの立体駐車場の中よ」
といった。
「どこのモーテル?」
「富士ハイウェイの終点にあるモーテル」
「じゃあ、一時間近く眠ったんだな」
車は、上昇をやめると、横に少し動いて止まった。
車を出ると、ピンク色の壁に28という数字が見えた。二八階のへやらしかった。
ロミは、小さなカードを出して、それを壁にあいた穴に差し込んだ。ドアがあいて、2DKのへやが現われた。
田島は、ベッド・ルームにはいって寝ころがってから、
「カードを持っているところをみると、きみはよくここを利用するらしいね」
と、窓のカーテンをあけているロミに声をかけた。
「ここは、会員制なんだろう?」
「ええ。月に二、三回は来ることにしてるの」
ロミは、ふり向いていった。窓の外は、もう夜のけはいだった。
「月に二、三回か。まさか、ひとりで来るわけじゃないだろう?」
田島が、笑いながらきくと、ロミは肩をすくめて、
「こんなところへ、ひとりで来てもつまらないワ」
と、あっさりいった。
ロミが、壁のボタンを押すと、あかりがスカイ・ブルーに変わった。
「あたしは、この色の光が好きなんだけど、田島さんは?」
ロミは、ドレスを脱ぎながら、くびをかしげてきいた。
「悪くないね」
「あたしは、ほんとうは、朝のセックスのほうが好きなの」
「ほう」
「とくにここのモーテルだと、朝早く、富士山を見ながらがいちばん興奮するワ」
ロミは、裸になった。
93・58・90のプロポーションは、ベッド・ルームで見ると、美しいよりもたくましく見えた。
「田島さんは、あたしが好き?」
ロミは、腰に手を当て、自分の肉体の美しさを誇示するように、ゆっくりベッドに近づいてから、田島にきいた。
「きらいじゃないよ」
「じゃあ、あたしを有名にするように努力してくれる?」
「その質問は、このへやのムードにふさわしくないね」
「でも、確かめておかないと、からだが燃えてこないんだもの」
「やれやれ」
田島は、寝ころんだまま、肩をすくめてみせた。
「せいぜい努力するよ。ぼくの仕事だからね。これで安心したかい?」
「ウン。安心した」
「子どもだね、まだ」
「でも、あたしのからだは完全なおとななんですって」
それを証明してみせるというように、ロミは、みごとなからだを、田島に投げかけてきた。
海洋研究所の空気は、沢木と朋子が、ベーリング海峡で『鉄の岬』を見学してきてから、緊張したものになっていた。
あれから半月たったが、北海道では、たった一日だけ雨が降っただけだったからである。もちろん、雪も降らない。
「このままの状態が続くと、最悪の事態を予想しなければならないな」
と、沢木は、暗い顔で、気象図をながめた。
毎日の気象図が、次々にスライドに映されるが、雨か雪のマークのついたものは、一枚しかないのだ。
「でも、今のところ、北海道の人たちは、べつに不安は感じていないようですわ」
朋子は、北海道の海洋研究所支所から送られてきた資料を分析しながら、沢木にいった。
「水不足も、まだ全然起きていないというんです」
「そりゃあ、当然だよ」
沢木は苦笑して、
「例年なら凍結している川や湖が、ことしは高温でなんともないんだから、給水は自由にできるからね。それに、二年まえ、釧路《くしろ》の付近にできた原子力利用の製水工場がフル運転しているからね」
「網走では、流氷がなくなって、冬でも漁ができるのはソビエトのおかげだというので、あすから三日間、漁業組合が中心になって感謝決議と、お祭りをやるそうですわ。テレビ放送もあります。NNCテレビですけど」
「NNCというと、田島君のところだね?」
「ええ。タイトルは、『二一世紀は自然改造の時代』ですって」
「それが、『二一世紀は国際公害の時代』にならなければいいがねえ」
「報告は、政府にもなさったんでしょう?」
「もちろん、したさ」
沢木は、ぶぜんとした表情で、うなずいた。
「へたをすれば、国際公害が起きる。その確率は五〇パーセントだという意見書をつけて報告したんだが、政府というのは、いつでも、現実しか見ていなくてね。五〇パーセントの不安なんかに目を向けてくれはしない」
「でも、来週には、与野党の議員が、大挙して『鉄の岬』の見学に行くそうじゃありませんか?」
「例の、国費による慰安旅行さ」
沢木は、皮肉ないい方をした。
「どうせ、帰ってきたところで、二一世紀はやはり科学の時代だねぐらいの感想しか発表しないと思う。そうでなければ、日本でも、大がかりな自然改造に着手すべきだと、国会で決議するくらいかな」
「沢木さんは、悲観派かしら?」
「科学者は、常に最悪の事態を予想して、その対策をたてていなければならない。それがぼくの信条さ。だから、悲観的に見えるのかもしれない」
「それなら、どうすればいいんです? あたしたちは――」
「今、第一にしなければならないことは、北海道の持っている全水量を計算することだね。今後、雨が降らなかった場合、何日持つかを知りたい」
「現在の全水量に、海水から真水にかえる製水装置の能力をプラスして、それから、一日に蒸発する量や、海に流れる量、それに、一日の水道消費量なんかを引かなきゃいけませんわね」
「ほかにも、いろいろな数字が必要だと思う。農業用水の使用量なんかも入れなければならないからね。できるだけ正確な数字がほしいな。それで、きみに、もう一度北海道へ行ってもらいたいんだ」
「沢木さんは?」
「ぼくは、ソビエト大使館へ行って、どうしても自然改造計画の資料をもらってこようと思っているんだ。それに、きみは――」
沢木は、笑顔になって、
「網走のお祭りにも寄って、田島君に会ってくるといいな」
「なぜですの?」
「きみと田島君は、来年結婚するんだろう。ぼくの仕事のために、あまり会えずにいるのがきのどくでね」
「ウフフフフ」
「おかしいかね?」
「ちょっとだけ」
「なぜ?」
「あたしは女ですけど」
「まあ、そうだろうね」
「女の気持ちをいろいろ考えてくださるなんて、男性解放運動の会長さんらしくありませんもの」
「それはだね、つまり――」
と、何かいいかけてから、沢木は困ったというように苦笑した。そんな沢木の顔をみて、
(この人は、いい人なんだな)
と、朋子は思った。
「一週間ばかり、北海道へ仕事で行ってくるわ」
と、母に告げると、母は、
「またかい?」
と、まゆをしかめた。
「そんなに、あっちこっちへ歩き回ってていいのかねえ」
「どうして?」
「あんたは若い女だし、来年は結婚するんだから」
「きょうは、同じことをいろいろな人にいわれるわ」
朋子が笑うと、母の文子は、それごらんという顔で、
「だれでも、あんたが、チョロチョロしすぎると思ってるんですよ。もう少しおちついて、結婚まえの娘らしくしてほしいわね」
「そして、田島クンとも、もっと会いなさい?」
「最近、田島さんとは、あまり会っていないんでしょう?」
「そうね。お互いに忙しいから」
「あまり感心したことじゃないわねえ」
母は、やはり、母親らしいいい方をする。
「人間の気持ちなんて、いつの時代になっても同じことですよ」
「何が、どう同じなの?」
「いくら愛し合っていても、信じ合っていても、長く会わずにいると、いろいろと気持ちのうえでまずくなってしまうことが多いということよ。愛情というものは、絶えず、確かめ合っていないと、いけないんですよ。二一世紀になっても、同じだと思うけどねえ」
「それなら、今度の北海道行きは安心してだいじょうぶよ。向うで、田島クンに会うつもりだから」
「それならいいけど――」
母の文子は、安心したように、表情を柔らかくした。
母は、どうも心配症のようだと思う。母の個人的な性格なのだろうか。それとも、年のせいだろうか。
(女というのは、母親になると、だれでも、こんなふうに常識的になって、子どもにお説教したくなるのだろうか? もし、そうだとしたら、人間なんて、二一世紀になっても、たいして進歩しないんだなあ)
朋子は、それが残念なような、安心なような変な気持ちだった。変わるのは楽しい。が、同時に不安でもある。
翌日の早朝、朋子は、ひとりで北海道へ向かった。
千歳《ちとせ》空港から、二年まえにできた長距離モノレールで札幌へ直行した。
東海メガロポリスには、春のにおいがしていたが、札幌にも、かすかだが、春のいぶきのようなものが感じられた。普通なら、大通りにはまだ深い積雪があるころである。四季が少なくとも二か月早く来てしまっている。
札幌で、道内の水資源の管理者である今井という局長に会った。
朋子が、道内の水量についての正確で詳細な数字がほしいと、沢木のことばを伝えると、局長は、どうもわからないというように、首をすくめて、
「資料はさしあげますがね。沢木さんが、何をいったい心配なさっているのか、よくわかりませんねえ」
といった。
「ひょっとすると、春から夏にかけて、旱魃《かんばつ》に襲われるかもしれない。沢木さんは、それを心配しているんです」
「ひょっとするとというわけでしょう?」
「沢木さんは、五〇パーセントの確率があるといっています」
「信じられませんねえ。今、北海道の人間は、全員、気温があがり、あの恐ろしい雪に悩まされずにすんだことを喜んでいるんです。その喜びに水をかけるようなまねは、あんまりしてもらいたくないんですがねえ。水だって、べつに困ってはいませんよ」
「でも、ことしにはいってから、ほとんど雨が降っていませんわ」
「もともと、冬から春にかけて、北海道は雨が少ないんですよ」
「でも、代わりに雪が降りますわ、ものすごい量の雪が。ことしは、雨も、雪も降らないんでしょう?」
「そりゃあそうですがね。今のところ、湖にも川にも、水は豊かですよ。それに、これからは、雨の多くなる時期です。わたしは、全然心配していませんね。それどころか、気温の上昇によってもたらされた数知れない恩恵をどう利用するか、それに頭を痛めているところなのですよ」
「あたしたちは、最悪の事態を予想して、対策をたてておきたいだけですわ」
朋子が硬い声でいうと、局長は、やれやれというように、小さなためいきをつき、職員のひとりに、水資源に関する分厚い資料を持ってこさせた。
「これはコピーしたものですから、お持ちになってけっこうですよ。ご覧になればわかりますが、道内の湖沼、河川の水位は、いつもとほとんど違っていませんよ。それに、釧路にある製水工場は、二年まえからフル運転しています。心配のタネは、どこにもありませんよ」
「この数字は、二週間まえになっていますわね?」
「ええ。でも、現在とほとんど違っていないはずです」
「それを、この目で確かめたいんですけど」
「わたしが案内してさしあげましょうか?」
局長は、いくらか皮肉な目つきになって、朋子を見た。外部の人間に、北海道のことがわかるものかという表情になっている。
朋子は笑って、
「車を貸してくださるだけでけっこうです」
といった。
車は貸してくれたが、完全自動装置ではない中古車だった。役所の車というのは、どうしてこう、ろくなものがないのだろう。つまらないところへは、大金をむだづかいするくせに。
朋子は、まず、車を石狩川に向かって飛ばした。
二月に、雪のない、緑の石狩平野を見たのは、朋子にとってはじめての経験だった。おそらく、ここに住む人々にとっても、はじめての経験ではないだろうか。二月といえば、北海道では、まだ雪祭りの季節なのだから。
石狩川につくと、川岸にそって、しばらく車を走らせてみた。
もともと川幅のせまい川なのだが、朋子の目には、気のせいか、いっそう狭くなったように感じられた。
朋子は、石狩川管理委員会に行き、水量について聞いてみたが、例年と変化はないという答えがもどってきた。旱魃についても、まったく心配してはいなくて、朋子がその話を持ち出すと、意外そうな顔をした。
「夏まで全然雨が降らないなんて、考えられませんからねえ」
と、委員のひとりがいい、それが管理委員会全体の意見だった。
朋子は、南下して、支笏湖《しこつこ》に向かった。
支笏湖は、火山の爆発のあとに水のたまった典型的な火山湖で、周囲を三つの火山に囲まれている。
湖面は凍っていなかった。
朋子は、四月ごろ、この湖をたずねたことがあった。
四月の支笏湖は、冬から解放されたばかりで、周囲の山にはまだ雪が残り、湖の水は冷たく、静寂に包まれていた。
きょうの支笏湖は、そのときの様子と同じだった。ここでも季節が二か月早まった感じだった。
湖畔のホテルで、朋子は、ヒメマス料理の昼食をとった。
「二月に店があけられたのは、はじめての経験ですよ」
と、ホテルのマネージャーは、顔をほころばせて朋子にいった。
「いつもなら、積雪が多くて、車は通れないし、観光客もないんで、四月まで締めているんですがね。自然改造のおかげですかね。今のところ、ソビエトさまさまですよ」
たしかに、ホテルのロビーには、観光客があふれていた。
朋子は、湖の北にある水量監視所まで歩いていった。
若い監視員は、朋子の質問に答えて、
「このまえ、札幌に報告してから、水位は、ほんのわずかですが、低くなりましたよ」
といった。
朋子の目が光った。
「どのくらい?」
「五センチです。水温が高いのと、晴天が続いているから、蒸発が促進されるんです」
「二週間で五センチね」
「でも、支笏湖が干上がるなんてことは考えられませんよ。この湖の水がなくなったなんてことは、聞いたことがありませんからねえ」
若い監視員は、満々と水をたたえている湖に目をやって、いった。
だが、朋子は、水位が二週間に五センチ低くなったことを重大視した。
朋子は、そこから二五キロのところにある洞爺湖《とうやこ》にも車を走らせた。
洞爺湖畔にある温泉街は、支笏湖と同じようににぎわっていたが、ここでも、朋子は、湖の水位が二週間に六センチ低くなったことを知らされた。支笏湖より一センチよけいに低くなっているのは、水深や標高の関係なのだろう。
朋子は、車を返してから、飛行機で網走に飛んだ。
網走の町には夕刻についたのだが、町は陽気ににぎわっていた。きょうからお祭りだからだろう。
二月なのに、雪と流氷のない網走の町は、なにか異様だった。が、これは、北海道の人間でない朋子のかってな感傷かもしれない。
朋子は、ホテルにはいると、すぐ、東海メガロポリスにいる沢木にTV電話をかけ、支笏湖と洞爺湖の水位が下がっていることを報告した。
「ほかの湖も、きっと同じだと思います」
と、朋子は、スクリーンの沢木に向かっていった。
「でも、どこでも、心配だという声は聞けませんでしたわ。それどころか、どこも観光客でいっぱいで、みんなうきうきしているんです」
「無理もないね」
沢木は、おちついた声でいった。
「北海道の人たちは、はじめてきびしい冬から解放されたんだから。もちろん、だからよけいに、万一に備えて準備しておかなければならないし、警告を発する必要があるともいえるんだが」
「沢木さんのほうは、どうでしたの?」
「大使館は、資料をさし上げられるかどうか本国に問い合わせてみるといったが、なぜ、心配するのかわからないともいっていたから、まずだめだろうね」
沢木は、むずかしい顔になったが、すぐ、笑顔を見せて、
「今、どこにいるんだね?」
「夕がたになって、網走に来ました」
「じゃあ、田島君に会ったんだね?」
「まだですわ。あすにでも会おうと思っているんです。きょうは、飛び回って疲れましたから、早く寝るつもりなんです」
「じゃあ、おやすみ」
沢木が、スクリーンの中で微笑した。
田島は、原田ロミが到着したというフロントからの電話で目をさました。
窓からは、とうてい北海道の二月とは思われない暖かい日ざしがはいり込んでいる。
田島は、ちょっと時計に目をやってから、へやを出て、ロビーに降りていった。ちょうどホテルにはいってきたロミが、いつもの陽気さで、田島に向かって、
「ハロー」
と、手を上げた。
「網走って、もっと寒いのかと思ったら、意外に暖かいのネ」
「だから、お祭りをやったり、感謝決議をしたりするのさ」
田島は、窓の外のにぎわいに目をやった。まだ午前九時だというのに、花火の音がにぎやかだ。それは、宿命的な流氷と豪雪から解放された喜びの声のようにも、田島には感じられた。
「外国のテレビ局も来てるのネ」
と、ロミは、ソファーに腰をおろしてから、目を輝かせて、田島にいった。
「飛行場からこのホテルへ来る途中で、外人ばかりの取材班に会ったワ」
「ソビエトの国営テレビが、大部隊を送り込んできているんだ。自国の科学の輝かしい成果を取材して、ヨーロッパやアジアに中継放送するらしい。いい宣伝になるからね」
「来てるのは、ソビエトのテレビだけ?」
「アメリカのテレビ局も来ているが、これはごく小編成だ。ソビエトをほめたたえるような事件だから、あまり気のりがしないんだろうね」
田島は、小さく笑ってから、
「ところで、きみにはいい知らせがあるよ」
「なーに?」
「じつは、ここへ来てみて、きみの人気が高いのに驚いているんだ。たいていの人が、きみの名まえを知っている」
「エヘヘヘ――」
「あの大地震のときの人助けと、自動車会社の宣伝ポスターがきいたんだな」
「それに、田島さんの力もネ」
「おせじをいうんじゃない。それで、網走市長に、きみが来ることを伝えたら、ぜひ、祭りの女王になってくれというんだ」
「女王?」
「ああ。この祭りでは、いちばんフット・ライトを浴びる役だよ」
「何をすればいいのかしら?」
「水着姿で、みんなにあいきょうをふりまけばいいのさ。ソビエトへの感謝決議があるから、そのときには、ソビエトの駐日大使に花束を渡す役がある。それから、きみは泳げるかい?」
「泳げるけど、どうして?」
「祭りのクライマックスで、女王が、オホーツクの海へ投げ込まれるんだ」
「エッ?」
「それならいやかい?」
「なぜ、そんなことをするの?」
「オホーツクの海が、いかに暖かくなったかを証明するわけだよ。さっき、水温を調べてきたんだが、十度を越えてるから、心臓マヒを起こす心配はない」
「テレビは、あたしが海へ投げ込まれるところを写すわけ?」
「ああ。そこがこの祭りのクライマックスだからね」
「それならO・Kよ」
「と思っていた」
「ただ、一つ条件を出していい?」
「なんだい?」
「投げ込まれるより、自分で飛び込んで泳ぎたいワ。そのほうがカッコいいもの」
「なるほどね。そのくらいならかまわないだろう。とにかく、市長へ連絡しておくから、きみは、カメラマンたちといっしょに、祭りの会場のほうへ行ってくれ」
「O・K」
ロミが、ニッコリうなずいてホテルを出ていくと、彼女と入れ替わりに、朋子が日焼けした顔ではいってきた。
「やあ」
と、田島は、笑顔になってから、
「いやに日に焼けたねえ」
と、あかい朋子の顔をながめた。
「きのうは、一日じゅう、川や湖を見て歩いてたから。ちょっと、顔がヒリヒリするの」
朋子は、ほおに手を当てていった。が、べつにそれをいやがっている様子ではなく、どちらかといえば、日焼けしたことが誇らしげだった。
「それは、例の調査?」
「ええ」
「沢木さんはいっしょじゃないの?」
「ええ」
と、うなずいてから、朋子は、沢木のことばを思い出して、クスッと笑った。
「なんだい?」
と、田島が朋子のかおをのぞき込むようにすると、
「沢木さんがね、恋人どうしは、ときどき会わなきゃいけないって、わざと、あたしひとりで北海道に来させたのよ」
「へえ」
「それをいわれたとき、ちょっと考えちゃった」
「なにを?」
「正直にいっていい?」
「ああ」
「あまりうれしい気がしなかったの。ほんとうは、田島クンに会えるんだから、もっとうれしくなければいけないのに」
「――――」
「おこった?」
「いや。きみの気持ちがなんとなくわかるような気がするんだ。きみは、いつか、せっかく二一世紀に生まれたんだから、ドラマチックな冒険がしたいといってたろう?」
「田島クンは、二一世紀には、そんなものはありえないといってたわね」
「あらゆる方面で、予知能力が発達しちゃったからね。だから、きみは、よけいに、冒険がしたいのかもしれない」
「そうなのよ」
「ところが、ぼくたちの間というのは、来年の結婚というレールに乗っかった、至極平凡なものだからね。きみがいうのわかるよ」
「それを聞いて安心したわ」
「来年の結婚の話も、いちおう、白紙にもどしておこうか。なんとなく、そのほうがすっきりするような気がするんだ」
「そうね」
「きみは、自由に、二一世紀に冒険が可能かどうかためしてみるといい。そうして、冒険なんかありえないとなったら、もう一度、ふたりの結婚を考えたらどうだろう?」
「冒険がありえたら? すばらしい冒険が」
「そうしたら、きみは、ぼく以外の人間と結婚するよ」
「なぜ?」
「ぼくは、二一世紀には冒険なんてありえないと考えているからさ」
田島は、ニヤッと笑ってみせた。
「ところで、祭りを見に行かないか?」
田島が誘い、ふたりはホテルを出た。
網走の町は、祭りの熱気に包まれていた。
網走川の河口に作られた広場では、暖かい日ざしの下で、式典が始まっていた。
ふたりがその広場にはいったとき、ちょうど水着姿の原田ロミが、祭りの女王として、式場に集まった人々に紹介されたところだった。
ロミは、王冠を頭にかぶって、投げキスをしている。
「彼女とセックスした?」
と、朋子が小声で、このあいだと同じことをきいた。
「ああ」
と、田島は、うなずいた。
「どうだった?」
「彼女が完全なおとなだということがわかったよ」
「あたしのいったとおりでしょう」
「いやに、セックスにこだわるんだな」
「あの娘《こ》を見てると、どうしても、セックスのことを考えちゃうの。彼女には、そんなところがあるもの」
朋子は、あっさりした調子でいった。田島は、ロミがそんな女だというより、朋子のほうがセックスにこだわっているのではないか、田島とロミとの関係に、彼女自身と沢木との関係をダブらせているのではないのかと考えたが、それは口にしなかった。今、結婚のことは白紙にもどそうといったばかりだからである。白紙なら、すべて彼女自身だけの問題だ。
式はにぎやかに進行した。
いよいよ、祭りの女王のロミが、海に飛び込むときになったが、彼女は、来賓として出席していたソビエトの駐日大使の腕をつかむと、いきなり、海に向かって駆けだした。
体重一〇〇キロ近い大使は、ロミに腕を取られて、よたよたと走った。そのかっこうがひどくユーモラスで、観衆がいっせいに拍手をした。
警備に当たっていた警官のひとりが、あわててふたりを止めようとしたがまにあわなかった。
ロミが海に飛び込み、つづいて大使も、セビロを着たまま飛び込んだ。
田島は、このハプニングにどぎもを抜かれて、ぼうぜんとしてながめていたが、ずぶぬれになって上がってきた大使が、ニコニコ笑っているのを見て、ほっとした。
つづいて、ロミも上がってきた。
テレビ・カメラが、たちまち、ふたりを取り囲んだ。
大使は、ハンカチで顔をふきながら、
「ミナサン」
と、日本語で、得意そうにいった。
「ワタシハ六十歳デスガ、ゴランノヨウニ、二月ノオホーツク海デ泳イデモナントモアリマセン。ソビエト科学ガ、コノ海ヲ流氷カラ解放シタカラデアリマス」
そのことばで、また拍手が生まれた。
「役者ね」
と、朋子が田島のそばでいった。
「あの大使かい?」
「いえ。原田ロミさんのことよ」
「そのとおり」
近くにいたアメリカ人のカメラマンが、達者な日本語でいった。
「ソビエトの大使は、ハプニングに便乗して点数をかせいだだけだが、あの娘はすばらしい魅力があるよ」
「これで、彼女は、いっそう有名になるわね」
朋子は、田島を見た。田島は、まだカメラマンに囲まれているロミの水着姿をながめながら、
「そうらしいね」
「あなたもうれしいでしょう?」
「なぜ?」
「だって、彼女のマネージャーをやっているんでしょう?」
「おやじに頼まれたからね。だが、彼女がいくら有名になっても、ぼくとは関係はない。ぼくは、サラリーマンなんだから」
「サラリーマンをやめて、ほんとうのマネージャーになったら?」
「ぼくのがらじゃない」
と、田島は笑った。笑いながら、田島は、自分が少しうそをついたのを感じていた。
サラリーマンをやめる気がないのはほんとうだが、ロミが有名になるのに無関心だというのはうそだった。
最初、父の悌三からこの仕事を命令されたとき、正直にいって迷惑だと思った。それが楽しくなったのは、いつごろからだろうか。
ロミをかわいい女だと感じたときからだろうか。それとも、モーテルに泊まったときからだろうか。
田島は、朋子に目をやった。
彼女は、キラキラ光るオホーツクの海に、強い視線を向けていた。
朋子が、ただ単に海をながめているのか、その先に、二一世紀の冒険を夢見ているのか、田島には判断がつかなかった。
朋子は、急にふり向いて、田島を見た。
「あたしは、これで失礼するわ」
と、彼女は、微笑した。
「調査の続きをやらなきゃならないの」
「たいへんだな」
「彼女によろしくね」
朋子は、それだけいうと、早い足どりで、観衆の中に消えてしまった。
田島は、ぼんやりと、彼女の後ろ姿を見送っていた。
(おれは、これで、彼女を失ったのかな)
田島が考え込んだとき、ロミが水着に王冠というかっこうで近づいてきて、背中をつっついた。
「あたし、どうだった?」
「よかったよ。きみは頭がいいんだな」
田島は、盛り上がったロミの胸のあたりをながめた。
(おれは、この娘《こ》が好きになったのだろうか)
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プロポーズ
田島が北海道から帰ると、父の悌三が、
「ご苦労さん」
といって、金一封をくれた。
「もちろん、これは、わたしからじゃなくて、会社からだ」
「何のほうびですか?」
「原田ロミを売り出したことに対してだろう。おかげで、いちおう、スターとして通用するタレントになったからね」
「ぼくの働きというより、彼女の素質がものをいったんですよ。それとも、有名になりたいという彼女の根性ですかね」
田島は、けんそんしてから、金一封の袋の口をあけた。さかさにしたが、中から出てきたのは、商品券が一枚だけである。
「例によって、ガッチリしてますね」
田島が、皮肉ないい方をすると、悌三は苦笑して、
「まあ、気は心というやつだ」
といってから、急に、きまじめな表情になった。
「おまえに話したいことがあるんだがな」
「仕事の話ですか?」
「いや」
「それなら、仕事のあとで、久しぶりにふたりで飲みに行きませんか? 話はそのときに」
と、田島は、父を誘った。
テレビの仕事は、二一世紀になっても不規則である。というより、電波の自由化が迫ってから、よけい、仕事に追われることが多くなり、田島が一日の仕事から解放される時間も、まちまちになってきている。
会員制の小さなクラブで、田島が父と落ち合ったのは、夜中を過ぎてからだった。
音を消した店内が、おちついた気分にしてくれる。
「話ってなんです?」
と、田島がきくと、悌三は、すぐには話さずに、
「まあ、飲もうじゃないか」
と、グラスを口に運んだ。
酒の強い父が、今夜はすぐ酔いを顔に出している。年のせいで弱くなったのか、それとも、気まずい話を持ち出すので、酔いが早いのか、田島には判断がつきかねて、
「おとうさんは、いくつになったんでしたかねえ?」
と、悌三の顔を見た。
「年のことはいいだろう」
と、悌三は笑ってから、
「おまえと朋子さんの間は、うまくいっているのか?」
「それがきょうの話ですか?」
「というわけでもないんだが、多少は関係があるんでね」
いつもの父に似合わず、歯切れの悪い話し方だった。
「じゃあ、その本筋の話をしてくださいよ」
「朋子さんと、うまくいっていないのか?」
「べつにどうってわけじゃありませんが、ただ、来年結婚の線は白紙にしました、ふたりで話し合って」
「フーン」
「それだけのことです。おとうさんの話って、なんです?」
「おまえと朋子さんがそうなってるとすると、ちょっと話しにくいんだが――」
「かまいませんよ。話してください」
「じつは、わたしは再婚することに決めたんだ」
「へえ」
「バカでかい声を出すな」
「握手しましょう」
田島は、父の手をつかんで、大きく振った。
「若さを証明しましたね」
「電波の自由化という大きな問題を控えているんで、まず、家庭をきっちりしたいと思ってな」
悌三は、ハンカチを取り出して、さかんに額の汗をふいた。そんな悌三の顔を、田島は、ニヤニヤながめながら、
「相手の女性は、ぼくの知ってる人ですか?」
「ああ」
「だれかなア?」
「有賀ユミ子だ」
「有賀ユミ子?」
田島は、びっくりして、父の顔を見直した。
「あの有名なタレントの有賀ユミ子ですか?」
「そうだ」
「でも、彼女は、立体テレビ向きじゃないというんで、うちとの契約を、おとうさんが取り消したんじゃなかったんですか?」
「だが、わたし個人としては、彼女のようなタイプが好きなんだ。原田ロミのようなサイズの大きい大女は好かん」
「それじゃあ、まるで――」
田島は苦笑した。
「有賀ユミ子と契約しなかったのは、立体テレビ向きじゃないからではなくて、彼女と結婚するためみたいじゃありませんか」
「どういわれてもしかたがないんで、ちょっと話しにくかったんだよ」
「結婚式はいつです?」
「ことしの秋を予定しているんだが、おまえは賛成してくれるかね?」
「おとうさんが何をしようと、おとうさんの自由ですよ」
田島は、笑っていい、
「今夜は、お祝いだから、徹底的に飲もうじゃありませんか」
と、父の肩をたたいた。
父の再婚話が、田島の心に、なんらかの意味で影響を与えたかどうか、田島自身にも、はっきりわからなかった。
おやじも男だったのだという再認識と、初老の年齢で、美人にもててうらやましいという気持ちぐらいが、はっきりしたものだった。
反対する気持ちはまったくなかった。有賀ユミ子でなくても同じだったろう。二一世紀の若者らしく、田島もものわかりのいいほうである。
網走のお祭りで、ソビエトの大使をオホーツク海でいっしょに泳がせるというハプニングを演じてみせたロミは、いよいよ人気が出てきて、東海メガロポリスにもどると、歌手としても、本格的に売り出すことになった。
おかげで、田島は、いっそう忙しくなった。
「変な歌をうたわせて、順調に育ってきたのをぶちこわしたくないからね」
と、悌三はいった。
田島は、まず機械で、ロミの声の質や、リズム感などを調べてから、どんな歌が彼女に向いているか、コンピューターで調べてみた。
コンピューターが出した答えは、意外にも、新しいリズムではなくて、ブルースが彼女に合っているというものだった。
意外ではあったが、最近になって、ブルースの良さが再認識されていることもあって、悌三は、それでいこうと同意した。
ロミ自身も、おちついた四分の四拍子のリズムは好きだといい、ブルースでいくことに乗り気だった。
問題は、歌詞と作曲を、専門家に頼むか、コンピューターにやらせるかということだった。
「二一世紀のタレントが目標なんだから、コンピューターでやるべきじゃないかな」
と、悌三はいった。
「最近は、それが流行ですが、あまりヒット曲が出ていませんよ」
と、田島は、首をかしげてみせた。
「やはり、どこかに、機械で作った冷たさみたいなものが出ちゃうんじゃありませんかねえ。歌は、心が伴わないとだめですから」
「若いくせに、妙に精神主義なんだな」
と、悌三は苦笑した。
結論がなかなか出ず、ロミ自身の判断に任せることになったが、彼女は、コンピューターはいやだといった。
「コンピューターが作った歌だと、なんだか、機械に歌わされているような気がするから」
と、彼女は、その理由をいった。
けっきょく、田島は、若い作詞家のKと、作曲家のSにコンビを組んでもらって、彼女のための歌を作ってもらうことにした。
KもSも、最近はコンピューターに仕事を取られてしまい、これが久しぶりの仕事だと、張りきってくれた。
「それなら、あなたがた自身のためにも、二一世紀をシンボライズするような歌を作ってくださいよ」
と、田島は、ハッパをかけた。
歌は、三日でできあがった。
『ブルースで愛を歌う』というその歌は、NNCテレビの強力な宣伝の効果もあって、ロミを歌手としても通用させるようにした。
北海道のオホーツク沿岸からのファン・レターが多かったのは、網走の祭りで女王になったせいだろう。
ロミは、その何通かを、自慢そうに、田島に見せた。
「そのうちに、世界じゅうからファン・レターが来るようにしてみせるワ」
と、ロミは、当たるべからざる勢いだった。
「有名になれて、満足そうだね」
田島が笑いながらいうと、ロミはニヤッとして、
「満足だけど、もっと有名になりたい」
「それで、世界じゅうからファン・レターが来るようにか」
「二一世紀は、世界が相手だって、田島さんがいったじゃない」
「ああ。電波が自由化されれば、いやでも世界を相手にしなきゃならなくなるからね」
そのときでも、ロミがタレントとして通用するかどうか、田島にもわからなかった。ただ、ロミには外人受けするところがあるのが希望だった。日本にいる外国人からだが、英文やロシア語のファン・レターも来ている。ロシア語のファン・レターが来るようになったのは、網走の祭り以来だった。
「網走は、あいかわらず暖かいらしいワ」
と、ロミは、ファン・レターに目を通しながら、田島にいった。
「もう一度、あたしに来てくれですって」
「あの『ブルースで愛を歌う』がヒットしたから、そのうちに、全国を回ることになるよ」
といってから、田島は、朋子の顔を思い浮かべた。
北海道で別れてから、お互いに忙しくて、一か月近く会っていないが、どうしているのだろうか。
「北海道は、あいかわらず雨が降らないらしいね」
「空気がかわいていて、気持ちがいいって、書いてあるワ」
と、ロミは明るい顔でいった。
「これで、じめじめした濃霧ともお別れですって」
だが、もし、これからも雨が降らなかったら、気持ちがいいではすまなくなるだろう。
(沢木と朋子は、今ごろ、不安な目で、北海道の気象を見守っているのではあるまいか?)
「この七枚が、気象衛星から送られてきたこの一週間の日本の気象図だよ」
と、沢木は、七枚の写真を朋子の前に並べてみせた。
「非常に特徴がある」
「七枚とも、北海道の上にだけ、雨雲がありませんわ」
「そうだ」
沢木は、重い声でうなずいた。
「どうやら、われわれの悪い予想が適中しそうなけはいがする」
「なぜ、雨が降らないんでしょう?」
「ぼくにも正確にはわからないね。あの周囲の気象条件が、完全に変わってしまったためとしか答えようがない」
「シベリアの沿海州でも、気温が上昇してから、ほとんど雨らしい雨が降っていないそうですわ」
「雪の代わりに、雨が降ってくれるだろうと考えていたのが、はずれたのだ。最悪の事態を予想しておいたほうがいいね。北海道の水資源管理局長から、ぼくときみに、もう一度調査に来てくれと連絡してきたよ」
「そうですか――」
朋子は、札幌で会った局長の顔を思い出して苦笑した。あのときは、朋子や沢木の心配を笑っていたのだが。
「あした行くつもりだが、きみのつごうはどうだね?」
「あたしはいつでも。どうせ、ことしは、学校は行かないつもりですから」
「このあいだ、北海道から帰ってきたとき、田島君のことを聞かなかったけど、網走で会ったんだろうね?」
「ええ。会いました」
「それで?」
「それで――」
と、朋子は、おうむ返しにいってから、沢木が田島のことに妙にこだわっているのがおかしくなって、クスッと笑った。
「沢木さんを安心させてあげましょうか?」
「何を?」
「あたしを北海道やベーリング海峡へ連れていくのを、田島クンに悪いと思っていらっしゃるんでしょう?」
「きみと田島君は、来年結婚するんだからね」
「そのことは、白紙にもどしたんです」
「え?」
と、沢木は、目を丸くして、
「まさか、ぼくのせいじゃないだろうね?」
「沢木さんには、全然、関係ありません」
朋子は、笑顔でいった。だが、ほんとうに、沢木に関係がないかどうか、彼女自身にもわからなかった。一月一日に、田島に沢木を紹介されなくても、今のアルバイトを始めなかったとしても、田島との結婚が白紙になったかどうか、それはわからない。わかっているのは、ドラマチックなものにあこがれていたという、それだけである。今も、そのあこがれは消えていなかったし、北海道に旱魃《かんばつ》がくれば、ドラマチックな冒険にぶつかることができるはずだと思っている。
(二一世紀は、災害だけが、冒険になりうるのかもしれない)
「ですから」
と、朋子は、沢木の顔をまっすぐに見つめていった。
「いつでも、北海道へでも、月へでも、ごいっしょに行けますわ」
翌日、東海メガロポリスは、朝から雨だったが、ジェット機で北海道の千歳空港につくと、北の空は、あいかわらず抜けるように青かった。
さわやかな春のけしきだが、朋子には、その青さが、なにかぶきみに見えた。
(人間の造った青空のせいだろうか)
空港のロビーにはいると、
〈水不足が心配されますので、節水にご協力ください〉
と、観光客用に書いてあった。このあいだ来たときには、なかったものである。その文字を横目で見てから、朋子と沢木は、モノレールで札幌に向かった。
水資源管理局長は、このあいだと違って、元気がなかった。
「どうやら、あなたの心配が当たってきたようですね」
と、局長は、暗い顔で朋子にいった。
「この調子でいくと、札幌市内では、あと一週間もすると、給水制限をしなきゃなりません」
「北海道全体ではどうなんですか?」
沢木が、壁に掛かっている大きな地図に目を向けてきいた。
道内の水資源地図で、水量がブルーのカラーの濃淡で示されている。濃い青色の部分が少ない。
「皮肉なことですが――」
と、局長は、地図に目をやってから、ふたりに肩をすくめてみせた。
「ソビエトに感謝決議をした網走の町が、いちばん早く水に困りはじめているのです。あの近くには、能取湖《のとろこ》やサロマ湖といった大きな湖があるのですが、ご存じのように塩水湖ですからね」
「淡水化工事が始まっていたんじゃありませんか?」
「それが、まだ完成していないのです。けさの情報では、早くも時間給水を始めたそうです」
「平野部はどうです?」
「石狩平野についていえば、石狩川の水位が一日ごとに低くなっているので、農民の間に不安感が高まっています。気温が高くなったので、本土と同じ時期に、同じものが栽培できると喜んでいたのですが、こう雨が降らないのでは、危うくなりました」
「根釧《こんせん》原野はどうです?」
「あのあたりは、もともと火山灰地ですから、事態は石狩平野より深刻です。水不足から、火山灰が露出してしまったところもあるようです」
「でも、あの近くには、原子力利用の製水工場があったはずですけど、海水から真水をとる」
朋子が横からいうと、局長は、
「たしかにありますが、製水能力は、たかがしれたものですよ」
と、小さくためいきをついた。
「能力が大きなものにすることには、地もと民が反対していましたからね。とうてい、根釧原野をうるおすほどの能力はありません。それに、今は、釧路市への給水で精いっぱいです」
「フル運転しているのですね?」
沢木がきく。局長はうなずいた。
「ですから、あの工場には、これ以上期待できません」
「人工降雨は?」
「雲がないのですから、これも期待できません」
「じゃあ、これ以上日照りが続いたら、お手上げですか?」
「北海道じゅうの湖の水や、大雪山系の雪を利用するとしても、旱魃を防ぎきれそうもありません。それに、ことしは高温で、雪が少なかったですからね」
局長は、またためいきをついた。
「あすからでも、奇跡のように大雨が降ってくれれば別ですが」
「気象図を見ていると、そういう奇跡は、当分起こりそうもありませんよ」
沢木は、冷静な口調でいった。いかにも科学者らしい突き放したいい方だった。それがカチンときたのか、局長は、ややけしきばんだ表情になって、
「わたしは、どうにかしていただきたくて、先生に来ていただいたんですよ。それなのに――」
「ちょっと待ってください」
沢木は、苦笑して、相手のことばを押し止めた。
「ぼくは、奇跡が行なえる魔法使いじゃありませんよ。ぼくが雨請いしても、雨は降りませんよ」
「でも、なんとかしてくださるんでしょう?」
局長は、必死な顔でいった。
「ぼくにできることは、実情を分析して、政府に報告することだけです。北海道全体を旱魃から防ぐような大きな仕事は、やはり、国の仕事ですからね」
「それで、旱魃の被害から北海道を守ることが可能なんですか?」
「われわれは、二一世紀に生きているんです」
「それはわかっていますが――」
「もし、われわれの科学が、大地に被害しかもたらさず、旱魃を防ぐことができないのなら、人間は、二一世紀のうちに滅亡してしまいますよ」
と、沢木はいった。
ふたりは、車を借りて、道内の実状調査に出発した。
朋子は、沢木と車を走らせながら、一か月の間に、北海道の空気がすっかり変わってしまったのに驚いていた。一か月まえ、ほとんどの人が、雪のない、青空の二月に歓喜していた。ところが、今は、どの顔も、青空にうんざりした顔だ。二一世紀の科学に感謝していたのが、のろうような表情に変わっている。
車が、石狩川に着いた。が、朋子は、目の前にあるのが、一か月まえの同じ川とは、とうてい信じられなかった。
それは、もう、小川でしかなかった。河原が広がり、川底が露呈した場所には、たくさんのさかなが、白い腹を見せて死んでいた。
「ひどいな」
と、沢木が、車を降りてから、つぶやいた。
「おそらく、北海道じゅうの川が、こんなぐあいなんだろうね」
朋子は、カメラで、枯れかかった川の写真を何枚も撮った。
支笏湖と洞爺湖は、水こそかれていなかったが、水位は驚くほど低くなっていた。
中央部の原生林では、乾燥が激しいところから、山火事がふえているということだった。ふたりが車を飛ばしている間にも、石狩川上流の原生林で、山火事の煙が見えた。
飛行機で網走に着くと、局長がいったように、事態はもっと深刻になっていた。
空港には、『給水制限中につき、旅行者のかたもご協力ください』の大きな看板がさがっていた。
市長に会うと、小がらな初老の市長は、困惑した表情で、
「ほんとうに困りました」
と、ふたりにいった。
「きょうの事態を予見できずに、ソビエトに感謝決議をしたり、お祭りをしたりした市長は、ただちに退陣しろという声もあがっていますが、わたしが市長をやめても、雨は降りませんからねえ」
「今のままで、水はどのくらい持ちそうですか?」
「雨が全然降らないとしたら、半月でしょうかね。それも、今以上の強い給水制限をしての話ですが」
「半月ですか」
「おそらく、そのまえに、この町自体がパニック状態になってしまうかもしれませんね。今でも、工場地帯で水が自由に使えないというので、この町の産業がマヒしかかっているんですよ」
市長は、窓の下に広がるオホーツクの海に目をやった。
「不思議なもんです」
と、市長は、青い顔でつぶやいた。
「一か月まえまで、あの海から流氷が消え、暖かい冬になったのをすばらしいと思っていたんです。科学はたいした力を持っていると思い、二一世紀まで生きてきて、ほんとうによかったと感謝していたんです。それが、今は、雪に閉ざされた町や、オホーツクの流氷がなつかしいんですからね」
「科学の力は、今だって、大きな力を持っていますよ」
「北海道をサバクに変えるぐらいにですか?」
「これは、科学者が地球の微妙な構造を忘れて、性急に改造に着手してしまったせいです。いい教訓になるでしょう」
「サバクになってしまってから、教訓になってもしかたがありませんよ」
「いや。二一世紀の科学が生み出した危機を、二一世紀の科学が救えないはずがありませんよ。もし、そうでないとしたら、人間は滅びるよりしかたがないんですからね」
沢木は、確信を持ったいい方をした。朋子は、いかにも科学者らしい信念だと思ったが、市長は肩をすくめて、
「それなら、いったい、どこから水を持ってくるというんですか?」
と、反論した。
「もらい水をするといっても、北海道全体が旱魃に襲われているんですよ。本州から水を運ぶといったって、そんな長い給水管を敷けはしないし、金がかかりすぎるでしょう。船で運ぶとしたら、何百隻あっても足りませんよ」
「もちろん、そんな方法は取れないでしょう。だが、方法はあるはずです」
「どんな方法です?」
「まだわかりません。しかし、科学者のひとりとしていいますが、北海道をサバクになんか、絶対にさせませんよ」
と、沢木は、強い声でいった。
市役所を出たところで、朋子は、
「きょうの沢木さん、りっぱでしたわ」
と、目を輝かせて、沢木を見つめた。彼女の突然のそんなことばに、沢木は、戸惑いした表情になって、
「りっぱ?」
「科学者なら、あのくらいの信念が必要ですもの」
「だがねえ」
沢木は、市長相手には見せなかったような、疲れた表情になって、
「信念だけでは、旱魃は救えないからね」
「でも、何か方法は考えていらっしゃるんでしょう?」
「もちろん、いくつかの方法は考えた。だが、どの方法が可能か、今のところ、ぼく自身にもわからずにいるんだ。きみなら、どうするね?」
沢木に逆にきき返されて、朋子は一瞬ドギマギした顔になったが、すぐ、明るい表情にもどって、
「まず、あの『鉄の岬《みさき》』をこわすか、曲げるかして、海流をもとにもどしたらどうかと思うんです。自然改造が失敗したわけですから、自然をもとにもどすのが当然だと思うんです」
「なるほどね」
「シベリアの沿海州も、雨が降らなくて困っているようですから、ソビエト政府も同意してくれると思うんです」
「ぼくもそう思う。ただ、メンツの問題があるから、ごたごたはするだろうがね。こちらが損害賠償の要求を出さなければ、ソビエトも自然をもとにもどすことに同意するだろうと思う」
「ただ、自然をもとにもどしただけで、はたして、すぐ雨が降ってくれるかどうかが問題ですけど」
「たしかに、それが問題だな」
と、沢木は、うなずいた。
「北海道全部を潤すほど大量の水を、いったい、どこから持ってくるか、それがいちばんの問題だ」
帰りの飛行機の中で、窓の下をながめていると、津軽海峡を境に、気象条件の違っているのがはっきりとわかり、気味が悪いくらいだった。
雨を降らせる前線が、津軽海峡より北に上がろうとしないのである。
東海メガロポリスは、皮肉なことに、どしゃ降りだった。
「九州へロミといっしょに行ってくれ」
と、悌三にいわれて、田島は、「え?」と、父の顔を見た。
「北海道じゃないんですか? 今、テレビのニュースになるのは、北海道の旱魃ですよ」
「北海道へは、ほかの取材班が行くことになっている。それに、ロミは、網走で祭りの女王になっているからね。あのときはよかったが、今は逆に反感を招くかもしれない」
「しかし、彼女のために旱魃が起きたわけじゃありませんよ」
「まあそうだが、人間の感情というのはやっかいなものでね」
「九州には、何しに行くんです?」
「九州に、KKCというテレビ局がある」
「うちの系列局でしょう?」
「まあ、そうだ」
「まあというのは、どういうことです?」
「最近、KKCは、営業成績がよくないんだ。それで、うちの系列から離れたがっている。離れて、アメリカのビッグ3の一つと結びつこうとしているといううわさがあるんだ」
「ビッグ3が、日本の地方局を買収して、自由化の橋頭堡《きようとうほ》にしようとしているわけですか?」
「そうだ。自動車の場合と同じさ」
「しかし、それと、ロミがKKCへ行くことと、どんな関係があるんですか?」
「KKCの開局六十周年に、ロミを出演させる。もちろん、彼女以外のうちのタレントも出演させるんだがね。まあ、彼女がその中のスターだから、きみもいっしょに行ってもらうんだ」
「彼女が出て番組の視聴率が上がれば、やはり、NNCの系列にいたほうがいいと考え直すだろうというわけですか?」
「まあそうだな」
「自由化を前に、系列局を地固めして、シェアを確保しておくというわけですね」
「解説しなくてもいい。とにかく、九州へ行って、KKCを喜ばせてくれればいいんだ」
「O・K。行ってきますよ」
田島が立ち上がると、悌三は、ふと呼び止めて、
「たまには、うちのほうへ遊びに来いよ」
と、父親の声になっていった。
「行きたいんですがね」
田島は、出口のところで振り向いて、ニヤッと笑った。
「おじゃまになっちゃいけないと思って、遠慮しているんですよ」
田島は、父がすでに有賀ユミ子と同棲《どうせい》しているのを知っていたからである。結婚前の同棲も悪くないと思っている。いっしょに生活するために結婚するのなら、結婚前からいっしょにいたほうが合理的だ。
悌三がてれくさそうに何かいったが、そのときには、田島はもう廊下に出ていた。
その日のうちに、田島は、ロミといっしょに九州に飛んでいた。
KKCテレビ局の前には、六十周年記念の大きなアーチが建っていた。
小雨が降っていて、そのアーチがぬれていた。
「ことしは、雨が多いんですよ」
と、田島たちを迎えたKKCの社員が、どんよりした曇り空を見上げていった。
「梅雨が早く来たみたいです」
自然改造の影響は、今、北海道に旱魃をもたらしているが、ひょっとすると、日本全体が微妙な影響を受けているのかもしれなかった。
KKCの六十周年記念番組には、ロミをはじめとして、NNCと契約している二十人のタレントが出演した。
視聴率は二八パーセントだったから、まあ成功といえるだろう。これで、KKCも、アメリカのビッグ3に、当分は色目を使わなくなるかもしれない。
ロミは、三日間続けてのなま放送に、いくらか疲れたような顔になっていた。
「疲れたろう?」
と、田島がいたわるようにきくと、ロミは、
「疲れたワ」
と、正直にいってから、
「でも、今度の公演で、自信もついたワ」
「きみのときが、いちばん拍手が多かったからか?」
「そうだった?」
「そのためじゃないのか?」
「違うワ」
「じゃあ、何で自信を持ったんだ?」
「田島さんは、二一世紀のタレントは、世界的にならなきゃいけないっていったでしょう?」
「ああ。電波の自由化は避けられないからね」
「じつはね」
と、ロミは、楽しそうに声を低くして、
「三日間の公演の間じゅう、三人の外国人が、いちばん前の席で、ずっとあたしを見てたのよ」
「へえ」
「三人ともアメリカ人だったワ」
「きみを見ていたと、なぜわかる?」
「だって、あたしが引っ込むと、その三人もぞろぞろ会場を出ていったもの。それに、最後の日には、三人で楽屋へ花束を持ってきてくれたワ」
「きみは、外人にうける顔をしているからな」
「そんなんじゃないワ。あたしの歌を認めてくれたのよ」
「日本語で歌ったのに?」
「歌は心だもん」
と、ロミは笑ってから、
「三人のうちひとりは黒人だったけど、その黒人がね、大きな手で握手してね、なんていったと思う?」
「さあね。ぼくは黒人じゃないからわからないね」
「きみの歌は、クラッカー・ジャックスだって」
「そのクラッカーなんとかって、菓子の名まえかい?」
「黒人のジャズメンなんかがよく使うことばで、一流品て意味のスラングよ」
「一流品か」
「ということは、あたしの歌は、アメリカにも通用するということでしょう?」
「そういえば、ブルースというのは、もともと黒人の歌だからね」
「あれで、ちょっと自信持っちゃったワ」
ロミは、得意そうだった。つまさきで拍子をとりながら、小さくハミングしはじめた彼女を、田島はぼんやりした目でながめながら、この十八歳の混血少女は、ほんとうに二一世紀のタレントになるかもしれないと思えてきた。田島にもわからないようなすぐれた素質を持っているのかもしれない。
「その三人のアメリカ人って、いったい、何者なんだい?」
「観光客だっていってたワ」
「観光客が、天草や長崎をそっちのけにして、日本のテレビ局に三日間も日参していたのかい?」
「ここには、偶然、寄ったんですって。そうしたら、あたしを見て――」
「きみの魅力のとりこになったってわけか?」
「とりこになったってのはオーバーだけど、とにかく、あたしの歌も踊りも、クラッカー・ジャックスですって。それで、あすだけど、あす一日は、休暇がもらえるんでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、あす、桜島見物に行ってくるワ」
「ひとりで?」
「いいえ」
「そうか」
と、田島は笑った。
「きみのことを、クラッカーなんとかといってほめた黒人とデートというわけか?」
「まあ、そうなの」
ロミは、ペロリと舌を出した。
「とても魅力的な黒人のおじさんなのよ」
翌日、田島は、ホテルに残っていて、なんとなくおちつかなかった。ロミとつきあいだしてから、はじめての経験だった。
(嫉妬《しつと》かな?)
と思ったが、自分でもよくわからなかった。顔を見ていないその黒人に嫉妬するというのもおかしな話だと思いながら、ロミのことがやたらに気になった。
NNCの社員としての心配もあった。
その三人のアメリカ人が、ロミのいうように、観光のために日本に来て、偶然、KKCテレビをのぞいたとは思えなかったからである。
日本以上にテレビの発達しているアメリカから来て、日本の、それも地方のテレビ局に興味を持つというのが、不自然だった。
(ビッグ3の社員ではないのか?)
という気が、田島にはするのだ。
もしそうだとすれば、ロミに目をつけたのは、ファンとしての気持ちではなく、電波が自由化された場合、日本の茶の間を占領できるタレントとしてだろう。
田島は、NNCにTV電話を入れてみたが、父の悌三は、北海道へ出かけていた。そのまま電話を回してもらうと、疲れぎみの父の顔が、スクリーンに映った。
「今、北海道は、各局の取材合戦でたいへんなんだ」
と、悌三は、いらいらしたような声でいった。
「いったい、なんの用だ?」
「原田ロミのことですがね、彼女とNNCとの契約はどうなってるんです?」
「そんなことは、おまえが心配しなくてもいいことだよ」
「でも、気になることがあるから知りたいんです」
「契約はしているよ」
「どんな契約です?」
「彼女はうちの養成所の出身者だ。それに、最近、ぐッと有名になったとしても、まだタレントの卵であることにかわりはない」
「ずいぶん、形式的な考え方をしているんですね」
「大きな組織というのは、みんなそういうものだよ。序列をやかましくしないと、コントロールできなくなるんだ」
「それで、肝心の契約のほうは、どうなっているんです?」
「うちの規則で、養成所を出て一年間は、見習い期間中ということで、仮契約になっている」
「じゃあ、正式に契約してないんですか?」
「それがうちの規則だからね」
「あきれたもんだな。前近代的だな。外見は、二一世紀をリードする企業のような顔をしているくせに」
「彼女の契約問題が、どうかしたのか?」
「ゆだんしていると、とんでもないことになりますよ。ビッグ3は、日本の地方局にだけ手を伸ばしてるんじゃありませんからね」
「タレントにも手を伸ばしているということか?」
「ロミなんか、いちばんねらわれるタレントですよ」
「電波の自由化を前にして、そういうことはお互いに慎もうと、アメリカのビッグ3とは暗黙の了解ができているはずなんだが」
「しかし、文書を取りかわしたわけじゃないんでしょう?」
「ああ」
「それに、タレントのほうで、アメリカのビッグ3と個人的に契約してしまったら、どうしようもないでしょう」
「彼女がねらわれているのか?」
悌三の声が、しんけんみを帯びてきた。顔から疲れの色も消えてしまっている。
「彼女のファンだと称するアメリカ人が三人、彼女につきまとっているだけですがね。ひょっとすると、ビッグ3の人間かもしれませんよ、日本の有望なタレントをスカウトしに来た」
「うむ」
「うなってないで、彼女が東海メガロポリスにもどったら、正式に契約すべきですよ。それも、彼女に有利な条件で。これだけ人気が出てきたのに、古くさい規則に縛られて、仮契約だなんていってると、ビッグ3に取られちまいますよ」
「わかった。彼女を見張っていてくれ」
「そのつもりですよ」
と、田島はいった。
電話を切ると、田島は、車を桜島へ飛ばした。
久しぶりに晴れ間がのぞいていた。ウィーク・デーだが、人がいっぱいだった。このごろは、やたらに観光地に人が多い。オーバー・レジャーだ。桜島の溶岩地帯を、何度も走り回ったが、ロミの姿は、なかなか見つからなかった。
夕刻になって、しかたなく引き揚げようと考えたとき、やっと見つかったが、それも、彼女のほうが田島を見つけて声をかけてきたのである。
柔和な顔をした黒人がいっしょだった。
「NNCテレビのミスター・タジマ」
と、ロミがかってに紹介してしまったので、田島は、気の進まない顔で握手をした。大きな手だった。ブラウンと名のったが、職業はいわなかった。
「急用なんだ」
と、田島は、ロミにうそをついた。
「すぐもどれと、NNCから電話が掛かってきた。それで、きみを捜しに来たんだ」
「急用って、何かしら?」
「わからん。新しい仕事だろう。東海メガロポリスへ帰ればわかるさ」
「そうネ」
と、ロミはうなずいてから、黒人に何か小声でいい、サヨナラと日本語であいさつして、田島の車に乗った。
車が走りだすと、大きな黒人の姿は、すぐ見えなくなった。
「かれと、どんなことを話したんだ?」
田島は、黒人の優しい目を思い出しながらきいた。
ロミは、タバコに火をつけてから、
「いろいろよ。でも、なぜ、そんなことをきくの?」
「そうだな」
と、田島は、ちょっと迷ってから、
「気になるからさ」
と、ずばりといった。
「いけないか?」
「フフフ――」
「おかしいか?」
「ちょっと楽しいから笑ったのよ」
「楽しい?」
「だって、あたしに関心があるから、いろいろ気になるんでしょう? 若い男性から心配されるのは楽しいワ」
「――――」
「おこったの?」
「いや」
田島は、くびを横にふってから、不意に、自分でも思いがけないことを口にしていた。
「結婚しよう。いや、結婚してくれ」
四月にはいっても、北海道には一滴の雨も降らなかった。
東海メガロポリスでは、政府主催で緊急会議が開かれ、沢木と朋子も参加した。
冒頭の報告によれば、北海道の一部では、すでにパニックが起こりつつあるという。その長々とした政府係官の報告が続いている間、沢木は、テーブルの上のメモ用紙に、『too late(おそすぎる)』という文字ばかり書いていた。
解決策となると、議論百出で、なかなかまとまらなかった。
「何年かまえ、わが国で、台風をつぶそうとして、飛行機で沃化銀《ようかぎん》をまいたところが、つぶれずに進路を変えて、朝鮮半島を襲ってしまった。あのとき、わが国は、国際公害であることを認めて、ばくだいな損害賠償を払ったのだから、今度もソビエトに損害賠償を要求すべきだ」
と、勇ましい発言をする人もいれば、
「国連に援助を頼んだらどうだろうか」
と、ひどく弱気な意見も飛び出した。
こうした論議の常で、損害賠償の要求となると、金額はいくらぐらいかとか、要求したらはたしてソビエトが払うだろうかといった枝葉の方向に発展していって、収拾がつかなくなってきた。
「わたしに発言させてください」
沢木が、がまんしきれなくなったように、大声を出した。
「いま必要なのは、水をどうするかということです。損害賠償を要求するかどうかということや、その額はいくらかなどということは、北海道に水が確保されてから考えればいいことです」
「それはわかっているのだよ」
対策委員のひとりが、のろのろした声でいった。
「だが、ことは、国と国との間の問題だからね」
「それなら、その問題は外務省に任しておけばいいでしょう。われわれが考えなければならないのは、パニックが起こりかけている北海道に、どこから水を持ってくるかということです」
「たしかにそれが問題だが、いったい、どこから水を持ってくるというのかね? まさか、本州から送水管を北海道まで伸ばしてなどというんじゃあるまいね?」
「予算がたいへんだし、だいいち、まにあいませんよ」
沢木は、バカバカしいというように、肩をすくめた。
「じゃあ、どこから持ってくるんだね?」
「まず第一に」
沢木は、その委員を無視して、テーブルの全委員に話しかけた。
「まず第一に、ソビエトに要求して、自然の状態をもとにもどしてもらうことです。あの『鉄の岬』は可動式ですから、これは簡単にできるはずです」
「しかし、ソビエトが簡単に承知するかね? メンツということもあるだろうし」
「その点はだいじょうぶです」
沢木はきっぱりといった。
「二日まえに、ソビエトの科学省の有力者が格下げになりました。これはあきらかに、自然改造計画の失敗によるものです。それに、わたしの手もとに、『鉄の岬』の資料もソビエト大使館から送られてきました。つまり、ソビエト自体が失敗を認めているのです」
「しかしだね、自然がもとにもどったとして、すぐ雨が降るとはかぎらんだろう?」
「降らないと覚悟しておいたほうがいいでしょうね」
「じゃあ、自然をもとにもどしても、なんにもならんじゃないか。水をどこから持ってくるかという問題は、依然として残るじゃないか」
「当然です。だから、まず第一にと申し上げたのです」
「それなら、第二は、水がどこにあるか教えてくれるのだろうね?」
小太りの委員が、皮肉たっぷりないい方をした。
沢木は、無表情に、
「水はあります。もちろん、運搬方法も考えてあります」
「北海道全体に供給できるほどの水が、いったいどこにあるというんだね?」
「海です」
「海? これは驚いた。きみは、塩水を飲ます気なのかね? 海水から真水をとるといっても、釧路以外に工場を建てていたらまにあわんよ」
「海にも真水はあります。もっと北に目を向けてください」
「北?」
「北極海です。あそこには、無数に氷山があります」
「氷山だって?」
委員たちは、キョトンとした顔になって、沢木をながめている。委員のひとりは、
「氷山は、海水が凍ったものだから、真水じゃないんじゃないのかね」
と、バカな質問をした。聞いていて、朋子は、思わずクスクス笑ってしまった。沢木も苦笑して、
「氷山というのは、陸地の氷河が海にくずれ落ちたものですから、真水でできています」
と、子どもにいうようにいった。
「だから、流氷とは違うのです。一つの氷山は厖大《ぼうだい》な水量を持っていますから、あれを何百個か持ってくれば、旱魃を防ぐことが可能です」
「持ってくる? どうやって持ってくるのかね?」
「海流を使うのです。それで、まず第一に、自然をもとにもどすことと申し上げたのです。自然がもとにもどれば、北極海から寒流がベーリング海峡を通過して、北海道まで南下してきます。その寒流にのせるのです。幸い、わが国には、原子力砕氷船が二隻あります。この二隻をフルに利用すれば、氷山を寒流にのせて南下させることは可能です。それに、寒流は、北海道のほとんど全域を洗っているのです。ですから、氷山をどこへでも運べます。また、現在は四月なので、流氷に妨げられる心配もありません」
「氷山か――」
委員のひとりが、感嘆の声をあげた。
「氷山とは考えなかったな。日本の科学力を動員すれば、氷山を持ってくることも、北海道まで持ってきた氷山を溶かすことも簡単なことだ」
もうひとりの委員は、沢木に近づいて、握手を求めた。が、沢木は、微笑しただけだった。問題は、感心していることではなくて、一刻も早く実行に移すことだったからである。
委員会が終わったとき、東海メガロポリスは夜になっていた。
外に出て、朋子のほうから、沢木をナイト・クラブに誘った。
「今夜は、あたしがおごりたいんです」
「なぜ?」
沢木は、彼女に向かって微笑したが、その顔に、かすかな疲れの色があった。朋子も微笑した。今夜は、なんとなくロマンチックな気持ちになっていた。
「きょう、大活躍なさったから」
「一つの案を出しただけだよ。一刻も早く実行に移してくれれば、北海道の旱魃は防げるが、モタモタしていたらなんにもならない。寒流にのせても、氷山が北海道へ着くには、何日もかかるんだからね」
「でも、ほかには方法はないんだから、沢木さんの方法が実行されますわ」
「すばやくやってほしいな」
沢木は、祈るようないい方をした。
超高層ビルの一二六階にあるナイト・クラブは、ひっそりと静かだった。
朋子は、いつもより早く酔った。そして、いつもよりよくしゃべった。
「あたしが、今、何を考えているかわかります?」
ほんのりとあかく染まった顔で、朋子は、沢木を見つめた。
「いや」
「沢木さんの助手になって、ほんとうによかったと思っているんです。ドラマチックな冒険に参加できるんですもの」
「さあ。それはどうかな」
沢木は微笑した。
朋子は、テーブルにほおづえをつくようなかっこうで、沢木の顔をのぞき込んだ。
「沢木さんは冷静だけど、あたしはとても興奮してるんです。あたし、田島クンと賭《か》けをしたんです」
「ほう」
「田島クンは、二一世紀にはドラマチックな冒険なんかありえないというんです。あたしは、二一世紀にだって、すばらしい冒険はあるはずだといいました。今度のことで、あたしの考えの正しいことが証明されましたわ」
「そうかな」
「だって、北極海から氷山を運ぶなんて、すごくドラマチックなことだし、それを考えたのは沢木さんだし、あたしたちは、その冒険に参加できるんですもの」
「参加か――」
「あたしは、いつまでも、沢木さんの助手をしていたいと思ってるんです」
朋子の目が、ふと、うるんだ。沢木は、軽い当惑の表情になって、
「弱ったな」
「なぜですの?」
「ぼくがうぬぼれているのかもしれないが、きみのことばが、ぼくに対する愛の告白のように聞こえたんだ。まちがっていたらあやまるよ」
「いえ。そう受け取ってくださってもいいんです」
「――――」
「今、とても幸福なんです。沢木さんがプロポーズしてくれたら、きっと、あたしは、O・Kしてしまうと思います」
「酔っているね?」
「いいえ。いい気持ちですけど、自分のいってることは、よくわかっていますわ」
「それなら、ぼくのいうことも聞いてほしいな」
沢木は、改まった口調でいった。
「ぼくは、正直にいってきみが好きだ。いつか、きみに結婚を申し込むかもしれない」
「――――」
「だが、今のきみは、ふんいきに酔ってしまっている。それも、自分自身で作った幻想に酔っているような気がするんだ」
「そんなことはありませんわ」
「きみは、今、今度のことが、ドラマチックな冒険だといったね?」
「ええ」
「その気持ちと、ぼくが好きだという気持ちとが重なってしまっているんだ。だから、今度の事件が、ドラマチックでもなく、冒険でもなくなったら、ぼくを好きだという気持ちも変わってしまうかもしれない」
「でも、氷山を運ぶのは、ドラマチックな冒険にちがいありませんわ」
「さあ、どうかな」
沢木は微笑した。
「案外、単調でつまらない仕事かもしれないよ」
「そんなはずはありません」
「まあ、始まればわかることだがね。この仕事が終わったあとでも、きみがまだぼくを好きだといってくれたら、ぼくは、きみに結婚を申し込むかもしれない。それまで、きみの気持ちは、きみ自身の中へ、たいせつにしまっておきなさい」
沢木は、おだやかな声でいい、朋子の手を取って、ゆっくりと立ち上がった。
「きょうは、きみの家まで送っていこう。酔っているようだからね」
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氷山運搬作戦
ソビエト政府が、ベーリング海峡から『鉄の岬』の撤去を発表したのは、四月三日だった。
日本政府の要求とほとんど同時に発表されたが、これは、日本の要求に応じたというよりも、ソビエト自体の要求によるものと考えたほうがよかった。
『鉄の岬』にさえぎられていた寒流は、予期以上の速度で南下してきた。
北海道周辺を寒流が洗いはじめると、暖流とぶつかって、濃霧が発生した。雨こそ降らなかったが、湿った空気は、日照りに悩まされていた北海道の人々を喜ばせた。
「おかしなものです」
と、網走の町民のひとりが、濃霧を手ですくうようにしながらいった。
「去年まで、春になると、この濃霧に悩まされて、一度でいいから、カラリとした春を迎えたいと思っていたのに、きょうは、この濃霧がものすごくいいものに思えるんですよ」
だが、濃霧で旱魃を救うことはできない。
政府は、『鉄の岬』の撤去要求と同時に、北極海から氷山を運ぶ計画も、ソビエトとアメリカの両政府に通告した。ベーリング海峡を通過させるには、その両側に位置している両国の了解が必要だったからである。
アメリカ政府は、了解の回答と同時に、二名の海洋学者をこの計画に参加させてほしいといってきた。
アメリカでも、一年後に同じような計画を持っているかららしい。アフリカ諸国に協力して、サハラやリビア砂漠の灌漑《かんがい》に、南極の氷山を利用するという遠大な計画である。これも、南極からアフリカの西海岸にまで達しているベンゲラ海流(寒流)が使えるはずだった。
ソビエト政府からも、ほとんど同時に了解の回答があったが、その文書には、ソビエトの原子力砕氷船の全部が、すでに北極海に集結していると書き添えてあった。
日本に対する援助のためではなく、ソビエト自身も、シベリア沿海州の旱魃を救わなければならないからである。
北海道沖に待機していた日本の原子力砕氷船二隻も、アメリカ、ソビエト両国の了解がとれると同時に、連絡船を伴って、北極海に向かった。
東海メガロポリスの海洋研究所が、氷山運搬作戦の本部になった。
巨大な壁面に、北極海から北海道までの地図が描かれ、二隻の砕氷船の位置が、点滅するあかりで示されている。やがて、海流にのって南下する氷山群が、その地図に映し出されてくるだろう。
朋子は、沢木の横で、地図をながめながら、興奮を抑えかねていた。いよいよ「ドラマチックな冒険」が始まったからである。
「いよいよですわね」
と、朋子が興奮を口に出していうと、沢木はちょっと皮肉な目つきになって、彼女を見た。
「たしかに、いよいよだが、きみの期待しているような冒険にはならないよ」
「そんなはずはありませんわ。この作戦は、北海道を旱魃から救うだいじな戦いなんですもの」
「たしかにそうだ。だが、その仕事自体が、もうぼくたちの手を離れてしまったんだ。ぼくたちは、旱魃を予想し、警告し、解決策を出した。それで、ぼくたちの役目は終わったんだ。巨大な氷山群を運ぶためには、巨大な組織の力でなければならないからね。これからは、コンピューターが指示を与えることになる。どの氷山を選び、いつ海流にのせ、何ノットの速度を維持すればいいかといったことは、コンピューターのほうが正確だからね。ぼくたちは、ただそれを見守っていればいいのだ」
「ただ見守っているだけですか?」
「そうだ」
と、沢木はうなずいた。
〈原子力砕氷船が、現場に到着〉
マイクが、かわいた声で伝えた。
〈今から、スクリーンに、現場を映します〉
地図の横にある立体カラー・スクリーンに、パッと、北極の海が映し出された。
青黒い海面に、特徴のあるピラミッド型の氷山が点々と浮かんでいる。
コンピューターが水面に出ている大きさから、氷山の全体の容積をアッという間に計算する。
〈スクリーンいちばん左の氷山。アイス|T《ワン》と名づける。ラジオ・ブイを打ち込んでくれ〉
本部から砕氷船に指令が飛ぶ。
スクリーンの中で、砕氷船の一隻が、アイス|T《ワン》に近づくのが見える。ラジオ・ブイが打ち込まれると、壁面の地図に、チカチカとあかりが点滅しはじめた。アイス|T《ワン》の位置を知らせるあかりだ。
コンピューターの指示に従って、次々に、適当な氷山が選び出され、アイス|U《ツー》、アイス|V《スリー》と名づけられ、ラジオ・ブイが打ち込まれていく。
その間も、コンピューターは、選ばれた全氷山の合計容積を計算し、北海道へ着くまでの減量を計算していた。
二十個の氷山にラジオ・ブイがつけられたところで、この作業はいちおう中止された。
〈O・K。アイス|T《ワン》から海流にのせてくれ〉
本部の係官が、おちついた声でいう。
〈了解〉
砕氷船からの返事が、やや金属的なひびきで伝わってくる。
スクリーンには、二隻の砕氷船が、アイス|T《ワン》に近づくのが見える。
二隻は、アイス|T《ワン》に取りついた。砕氷船は二隻とも一万トンを越す船だが、それが巨木にとまるセミのように見える。それほど巨大な氷山だった。
海面が白くあわだつのが見えた。二隻が、エンジンをフル回転させたからである。
巨大な氷山は、ゆっくりと動きはじめた。
壁面の地図の上でも、アイス|T《ワン》を示すランプが、ゆっくりと、ベーリング海峡に向かって動きはじめている。
〈O・K。その調子でやってくれ〉
係官が、微笑して、マイクにいう。緊張のうちにもゆとりがある。機械に対する信頼というより、組織に対する信頼だろうか。
計画に参加したふたりのアメリカ人も、ひどく冷静に、メモを取ったり、スクリーンを見上げたりしている。
アイス|T《ワン》が、何日後の何時何分に北海道へ到着するかも、コンピューターが正確にはじき出している。おそらく、そのとおりに到着するだろう。
〈アイス|T《ワン》が、海流にのった。位置は――〉
砕氷船からの声がはいる。
〈O・K。では、アイス|U《ツー》に移ってくれ〉
係官が新しい指令を出す。冷静で、機械的でさえあった。
「これが、氷山運搬作戦のすべてだよ」
と、沢木が朋子にささやいた。
「もう、ぼくたちは、わき役でさえないんだ」
「――――」
朋子は黙っていた。
(科学の勝利――)
北海道の旱魃は、これで救われるだろう。だが、なんとあじけないことだろう。
朋子は、自分の頭の中にあった「ドラマチックな冒険」のことを思い出していた。
焼けるような太陽。
ひび割れした大地。
乾燥のために、北海道全土に広がる山火事。
水を求めてさまよい歩く人々。
その中で、朋子は、沢木や他の科学者たちといっしょに、汗を流しながら自然と戦う。
それが、彼女の夢想したドラマチックな冒険だった。
強い太陽の光もあったし、北海道で山火事も見た。
だが、肝心の戦いの場面がないのだ。エア・コンディショニングされたへやで、スクリーンをながめているだけだ。
(二一世紀というのは、やはり、冒険のない時代なのだろうか)
なんとなく、むなしいような気持ちになって、朋子は、そっと席を立った。
へやの後方では、各局のテレビ・カメラが放列を敷いている。朋子は、そのカメラを避けるようにして、廊下へ出た。
廊下にも、テレビが置いてあって、北極海が映っていた。事務員たちが、その前に小さな人がきを作っていた。
テレビを見ている日本じゅうの人間にとって、この「氷山運搬作戦」は、冒険でも、危険な賭けでもなく、成功を約束されたショーでしかないのかもしれない。
テレビから離れたところにあるソファーに、朋子はポツンと腰をおろして、タバコに火をつけた。ドラマチックな冒険に向かって張りきっていたのに、拍子抜けしてしまった。急に疲れてしまった。
「よお」
と、いきなり肩をたたかれて顔を上げると、腕にNNC・TVの腕章をつけた田島が、ニヤニヤ笑っていた。
「いよいよ、きみの待っていた作戦が始まったというのに、元気がないじゃないか」
「なにか拍子抜けしちゃったのよ」
朋子は、ボソッとした声でいった。
「あとはコンピューターの仕事で、あたしの出る幕がないんだもの」
「例のドラマチックな冒険は、だめだったというわけだね?」
「田島クンのいうとおりだったわ。二一世紀には、冒険なんかありえないのね。あなたの勝ちよ」
「きょうは、いやに弱気なんだな」
田島は、朋子の横に腰をおろした。遠くのテレビから、あいかわらず冷静な声が聞こえてくる。
〈今、アイス|U《ツー》を海流にのせた。アイス|T《ワン》との距離は約一キロ〉
〈了解。つづいて、アイス|V《スリー》にかかってくれ〉
コンピューターが計算したとおりに作戦は進行している。個人が口をはさむ余地はまったくない。
「田島クンのほうはどうなの?」
と、朋子は、話題を変えた。
「何がだい?」
「原田ロミ君は、きょうは来てないみたいね」
「彼女ちょっと病気なんだ。少し忙しすぎたんで、過労だね。静養に伊豆へ行っている」
「田島クンとはどうなの?」
「ぼくと?」
と、聞き返してから、田島は、クスッと笑って、
「彼女とのことで、報告しなきゃならないことがあるんだ」
「セックスの話なら聞いたわ」
「いや、そのことじゃないんだ。このあいだ、九州へ行ったんだが、そこでぼくは、彼女に、結婚してくれといってしまった。変ないい方だが、いってしまったという形なんだ」
「へえ。それで、結婚式はいつ?」
「それが、みごとにふられてね」
「どうして?」
「セックスはいいけど、結婚はいやだというんだ。いやというより、興味がないらしい。今の最大の興味は、有名になることだといってるからね」
「フフフフ――」
「やっぱり、こっけいかな」
「そうじゃないの」
朋子は、笑いながら、くびを横にふった。
「ふたりとも同じようなことをしてたんだなと思って、おかしかったのよ」
「同じこと? きみも沢木さんに結婚を申し込まれたのかい?」
「いえ。プロポーズしたのは、あたしのほう」
「へえ」
今度は、田島のほうが、目を大きくした。
「きみのほうからねえ」
「田島クンは、今、プロポーズしてしまったといったわね。あたしも同じなのよ。ほかにいいようがないわ。あのときは、なんとなくふんいきに酔って、沢木さんと結婚してもいいなあと思っちゃって」
「それで、沢木さんはなんていった?」
「今度の仕事が終わっても、まだぼくを好きだといってくれれば、自分のほうから結婚を申し込むって」
「やっぱり、おとなだな」
「そうかもしれないわね」
「氷山運搬作戦が終わったあとでも、沢木さんを好きそうかい?」
「それがわからなくなって困っているのよ」
朋子は、小さなためいきをついた。
「今、ふんいきに酔ってといったでしょう。つまり、自分と沢木さんが、北海道を旱魃から救うというドラマチックな冒険のうずの中にいるんだと思っていたの。ところが、実際に計画が動きだしてみると、冒険なんかどこにもなかった。それで、ひどくさめた気持ちになっちゃって。きのうまでの感動が、どこかへ消えてしまったのよ」
「沢木さんに対してもかい?」
「それがよくわからないの。ただいえるのは、今だったら、沢木さんに対して、結婚してほしいみたいなことはいわなかったろうということだけ」
朋子はもう一度、小さなためいきをついた。自分の気持ちが、はっきりわからなくなってきていた。ドラマチックな冒険が幻想だったように、沢木に結婚したいようなことをいったのも、幻想だったような気がしてくるのである。
〈アイス|V《スリー》が海流にのった。アイス|U《ツー》との距離は一・二キロ〉
廊下のテレビからは、あいかわらず冷静な連絡の声が聞こえている。
〈了解。その距離を一キロまで縮めておいてくれ〉
〈了解〉
交信は、おそらく、氷山が北海道へ着くまで続くだろう。コンピューターは指令を作りつづけ、レーダーはアイス|T《ワン》からそれに続く氷山群を監視しつづけるだろう。たしかに、沢木がいったように、この仕事は、朋子たちの手を離れ、巨大な組織の手に移ったのだ。個人の冒険心を満足させる余地は、どこにも残ってない。
「ショーを見ないのかい?」
田島が、指令室のほうを見ながら、朋子にきいた。
「ショー?」
「ぼくたちテレビ関係者にとって、事件ならなんでもショーになる」
「そうすると、あたしなんかは、さしずめショーの道化者?」
「そんなにひがみなさんな。いっしょに指令室のスクリーンを見に行こうじゃないか。もどらないと、沢木さんが心配するよ」
「もう少しここにいるわ」
と、朋子はいった。
「それに、ただスクリーンをながめているだけなら、廊下のテレビを見ていても同じだもの」
「そりゃそうかもしれないが――」
田島は苦笑した。
「それなら、ぼくもきみにつきあって、しばらくここにいることにしよう」
田島は、ゆっくりとポケットからタバコを取り出して、火をつけた。
(当分、忙しいな)
と、田島は、廊下のテレビに目をやりながら思った。
(このショーが終わるまでは――)
北海道にパニックは起こらなかった。
テレビ、ラジオ、電波新聞と、あらゆる情報機関が、二十四時間じゅう、刻々と近づいてくる氷山群について伝えつづけたからである。
特に、テレビ、ラジオは、深夜も放送を続けた。
氷山群は、恐ろしい正確さで運ばれている。
一九世紀の人間だったら、放送を聞いたり、見たりしながら、不測の事態を心配するかもしれない。が、幸か不幸か、二一世紀の北海道の人々は、計画どおりに氷山群が到着すると確信した。だから、どんな小さな町や村でも、テレビ、ラジオ、電波新聞のどれかの情報機関に接触しているかぎり、パニックは生まれなかった。
それどころか、北海道の人々は、時間給水を受けながら、テレビを楽しむ気持ちになりはじめていた。かれらにとっても、氷山運搬作戦は、ごく安全なショーになっていたのである。
氷山群の到着について、賭けはほとんど行なわれなかった。賭けがきらいだからではなく、だれもが到着を確信していて、賭けにならなかったからである。
氷山群の先頭にあるアイス|T《ワン》が、北海道沿岸に近づくと、各テレビ局の取材班が、大挙して網走に押しかけた。
アイス|T《ワン》の到着予定地は、網走になっていたからである。
殺到したのは、テレビの取材班ばかりではなかった。
氷山到着の一瞬を見ようとして、日本全国から観光客が殺到した。
網走の人口は、五倍にはね上がった。ホテルはたちまち満員になり、町の周辺の原野には、トレーラー・ハウスとテントが延々と並びはじめた。
観光客は、水持参が義務づけられていたから、みんながバカでかい水筒をさげている。なかには、デパートが売り出した簡易海水蒸留装置を持参した人もいる。まえからあった機械なのだが、氷山運搬作戦が発表されたとたんに、めちゃくちゃに売れはじめた。最初は、万一に備えて買うのかと思われたが、すべて北海道へアイス|T《ワン》を見に行くためだった。
「すごい人数だなあ」
というのが、取材班に同行して網走に着いた田島の最初の感想だった。
町には人があふれていた。そのほとんどが観光客だった。水筒をぶらさげているから、すぐわかる。
ホテルにおちつくと、田島は父の悌三に、TV電話を入れた。
「網走は、ショー見物の人たちでいっぱいですよ」
と、田島は、いくらか皮肉な口調でいった。
「この調子だと、この町や北海道は、水不足で困ったかもしれませんが、観光客の落とす金で、ぼろもうけしますね。なにしろ、日本国内で、肉眼で氷山を見られるのは、今の北海道だけですからね。他の観光地で、このキャッチ・フレーズに勝てるものを持っているところはありませんからね」
「アイス|T《ワン》が着くのは、明日の午後三時四十五分だったな」
「そうです。飛行機は、もう飛ばしました。各局が飛ばすものだから、ちょっとした編隊飛行ですよ」
「わかってる。もうテレビに映ってるよ」
悌三がいった。
田島は、片手でテレビのスイッチを入れてみた。
たしかに、海に浮かぶ氷山が、映っている。上空から見た映像だ。
アイス|T《ワン》だろう。スクリーンの端に、もう一つ見えるのは、アイス|U《ツー》にちがいない。巡視船が二隻、見守るように並行して走っている。
田島は、他の局へチャンネルを回してみた。みんな同じような映像だった。角度は少し違っているが、飛行機から見た氷山が映っている。あいかわらず知恵のない話だと、田島は肩をすくめてから、
「ところで、原田ロミは、伊豆から出てきましたか?」
と、悌三にきいた。
「まだだ。カゼが治らないといっている」
「長いカゼですね」
「まあ、今度の取材に彼女は必要ないだろう。今度の主役は、あくまで氷山なんだから」
「作戦本部の表情はどうです?」
「冷静そのものだよ。ああ、それから、モスクワから連絡がはいった。ソビエトのほうも、氷山を沿海州に運んで、最初のやつがウラジオストックに着いたということだ」
電話が切れると、田島は、水筒をぶらさげて、ホテルを出た。
アイス|T《ワン》の到着する防波堤の近くには、まだ二十四時間もあるというのに、若者たちが席を取ってがんばっている。自然がもとにもどったので、オホーツクから吹きつける風はまだ冷たい。ご苦労なことだと思った。
市役所では、市長がニコニコと、笑顔でテレビのインタビューに応じていた。半月まえのむずかしい顔がうそのように、時の人になったのを喜んでいる。
「旱魃が終わっても、ときどき、氷山を運んできてもらいたいものですなあ」
と、市長は、無責任なことをいった。
「網走へ行けば氷山が見られるとなれば、りっぱな観光資源になりますからねえ」
そのことばが、端的に、この計画がすでに一つのショーになってしまっていることを物語っていた。
アイス|T《ワン》がついたら、花火でも打ち上げる気なのかもしれない。
ホテルにもどると、田島は、手帳に書きつけた。
〈二一世紀のわれわれは、すべてを、災害すらも、一つのショーにしてしまう能力を身につけた。だが、これは、はたして幸福なことだろうか〉
〈アイス|T《ワン》、網走まであと五キロ。アイス|U《ツー》、アイス|V《スリー》との間隔は正常。万事O・K〉
あいかわらず冷静な交信が、作戦指令室の中で続いている。
網走からの報告もスクリーンにはいってくる。
〈アイス|T《ワン》が見えた。ピラミッド型の巨大な氷のかたまりが、午後の日ざしを受けてキラキラ輝いている〉
一方、北極海では、二隻の原子力砕氷船が、五十何個めかの氷山を、海流にのせる作業を続行している。
それは、もはや、世紀の大事業とか、大作戦といった感じはなくなっていた。単調な繰り返し仕事になっていた。そして、繰り返し仕事が失敗のないように、この作業が計画どおりに行なわれることはまちがいなかった。
「これで、氷山運搬作戦は、終了したと同じだね」
と、沢木は、疲労の見える顔で、朋子にいった。
「あとは、同じことを機械的に繰り返せばいいのだから」
ふたりは、指令室を出て、研究所のロビーに降りていった。
ロビーのテレビには、あいかわらず移動する氷山が映っていたが、見ている人は少なかった。海洋研究所の職員は、ここ二、三日で、氷山に食傷しはじめていたからだろう。
ふたりも、テレビの横を通り抜けて、バーにはいっていった。
ボックス席に向かい合って腰をおろしてから、沢木は水割りを注文し、朋子はハイボールを頼んだ。
「どうだい?」
と、沢木は、運ばれてきた水割りに口をつけてから、朋子の顔を見た。
「え?」
「失望したような顔をしているね」
「ええ」
と、朋子はうなずいた。
「正直にいうと、もっとドラマチックだろうと、期待していたんです」
「きのどくだったね」
「でも、もしかすると、二一世紀にドラマチックな冒険なんかありえないと、あたし自身にもわかっていたのかもしれないんです。ですから、残念だという気持ちより、今は、なんだかポカンとした気持ちなんです」
「ポカンとねえ――」
沢木は、ぼんやりとつぶやいてから、ひどく唐突な感じで、
「ぼくは、海洋学の研究に、アメリカに行くことになった」
といった。
「今度の計画を見に来ていたアメリカの学者が、フロリダの研究所でいっしょに研究しないかというんだ。研究テーマがおもしろいので、行くことに決めた」
「それでは、助手はもういりませんわね」
「ああ、そうなんだ。短い期間だったが、楽しかったよ」
「いつアメリカへいらっしゃるんですか?」
「一週間後だ。ところで、向こうの研究所では、家族用の宿舎を用意してくれるというんだ。ぼくが三十を過ぎているものだから、当然結婚していると考えたんだろうと思う――」
「――――」
朋子の顔に、当惑の色が浮かんだ。沢木が、なぜそんな話を始めたのか、わかりすぎるほどわかったからである。
氷山運搬作戦が始まるまえで、ドラマチックな冒険の幻想に酔っているときだったら、彼女は、沢木に向かって、ほほえんだにちがいない。
だが、今は、まだ失望が尾を引いていた。それに、自分自身の気持ちに自信が持てなくなっていた。仕事の上の失望が、そのまま、沢木に対する失望になりそうな気がするのは、愛がほんものでなかった証拠かもしれない。
朋子のためらいを、沢木は敏感に感じとったとみえて、
「きみに関係のないことを話してもしかたがないな」
と、笑った。わりに作った笑いに見えなかったのは、やはり三十代のおちつきというものだろう。
沢木は、それきり、アメリカ行きの話はやめてしまった。
沢木は、思い出したように、内ポケットから小さな封筒を取り出して、朋子の前に置いた。
「今度のことで、研究所の職員全部に、ボーナスが出た。それはきみの分だ」
中には、小切手がはいっていた。
「でも、あたしはアルバイトですから」
と、彼女がいうと、沢木は、
「遠慮はきみらしくないな」
と、笑った。
「それに、少額だが、北海道往復の旅費ぐらいはあるよ」
「北海道?」
「田島君は、まだ北海道にいるんじゃなかったかな」
と、沢木がいった。
網走の町は、氷山の到着でわきたっていた。
市民も、観光客も、海岸近くに曳航《えいこう》された氷山の巨大さに嘆声をあげた。
手回しよく、みやげ品業者が、「氷山ようかん」だとか「氷山まんじゅう」を売り出している。
その喧噪《けんそう》の中で、朋子は田島に会った。
田島は、網走の町の氷山熱に、いささかげんなりした顔をしていた。
「たかが氷山一つのことで、騒ぎすぎるよ」
と、田島は、ホテルのロビーで、窓越しに町のお祭り気分をながめながら、肩をすくめてみせた。朋子は笑って、
「でも、その騒ぎを演出したのはテレビじゃないの?」
「ぼくにからみにやって来たのかい?」
「今度の仕事で、ボーナスをもらったから、それを旅費に来てみたのよ」
「ボーナスか」
「田島クンのところだって、今度の放送で臨時ボーナスが出るんじゃないの?」
「どうだかなあ。出ても、例によって商品券一枚ぐらいさ。サラリーマンにはきびしい時代だからねえ」
田島は、ニヤッと笑ってから、
「きみは、今ごろ、今度の成功を祝って、沢木さんと乾杯しているだろうと思ってたんだ」
「沢木さんは、アメリカへ行くことが決まったわ」
「アメリカへねえ。きみはどうするんだ?」
「あたし? もちろん、行かないわ。したがって、助手のアルバイトもクビよ」
「へえ」
田島は、ちょっとうれしそうな顔をした。
「それで、今、考えているの。大学へもどろうか、それとも、ことし一年はアルバイトで過ごそうかって」
「アルバイトをするんなら、ぼくが捜してやるよ。テレビ局の仕事なんて、たいしておもしろくはないがね」
「彼女は、まだ来てないの?」
朋子は、ロビーを見回して、原田ロミの姿を捜した。
「まださ」
と、田島は、小さくためいきをついた。
「彼女が来れば、少なくとも二パーセントは視聴率が上がると思って、じっと待ってるんだが、いっこうにおみえにならずさ」
田島がタバコを取り出したとき、かれにNNCテレビから電話だと知らされた。
「やっと、彼女が、来る気になってくれたらしいよ」
田島は、朋子に片目をつぶってみせてから、TV電話に出た。
スクリーンには、父の悌三の顔が映っていた。
「彼女は行かれないことになった」
と、悌三は、苦虫をかみつぶしたような顔でいった。
「来られない? 伊豆から病気が重くなったとでもいってきたんですか?」
「彼女は、もう伊豆になんかおらん」
「え?」
「アメリカだよ。してやられたんだ。仮契約を正式契約にしようとしたとき、急に病気になったので、多少変だなとは思っていたんだが、きょうになって、アメリカにいることがわかったんだ。アメリカのQBCテレビと契約したんだ」
「QBCテレビなら、ビッグ3の一つじゃありませんか」
「九州のKKCを買収しようとしたテレビ局だよ」
「あの黒人だ」
と、田島はつぶやいたが、不思議に、ロミに対して腹がたたず、逆に、ニヤニヤ笑ってしまった。
「笑いごとじゃないぞ」
と、悌三がけしきばむのへ、田島は、
「そうですが、彼女の顔を思い出すと、不思議に腹がたたないんです」
といった。
「彼女は、ひたすら有名になりたがっていましたからね。アメリカのテレビ局にはいれば、世界的なタレントになれると、堅く信じていたんじゃないのかな。ぼくたちをだまそうなんて気はなかったと思いますよ」
「のんきなことをいうな」
スクリーンの中で、悌三がどなった。
「すぐ帰ってこい。おまえに新しい仕事がある」
「今度は、子どものおもりじゃないでしょうね?」
「いや。新しい原田ロミをおまえにつくってもらう。大至急にだ」
「またですか?」
「おまえの仕事だぞ」
「すまじきものは宮仕えか」
「ブツブツいうな。この娘《こ》だ」
スクリーンに、若い女が現われた。顔も、スタイルも、ロミによく似ているのに、田島は驚いた。
「名まえは、柏木《かしわぎ》ルミだ」
「ルミです。よろしく」
若い女は、ピョコンと頭を下げた。そんなかっこうまで、ロミにそっくりだった。
「サイズも、93・58・90ですか?」
田島がきくと、悌三は、
「95・58・93だ。ロミよりいいからだだよ」
と、ロミのことにまだ腹をたてているようないい方をした。
「あすから、さっそく始めてもらうぞ」
「やれやれ」
と、田島は、口の中でつぶやいてから、電話を切った。二一世紀になっても、サラリーマンは楽ではない。
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ああ21世紀
「あいかわらず、テレビはつまらん番組ばかりやるんだな」
父の昇平が、文句をいった。文句をいいながら、母の文子と、買ったばかりの立体カラー・テレビを、あきずに見ている。
(平和だなあ)
と、朋子は思った。
(平和で、ちょっぴりたいくつだな)
来年、田島と結婚したら、少しはたいくつでなくなるだろうか。それとも、もっとたいくつになるかな。
「おまえの結婚式は、来年の何月だったかねえ?」
文子が、思い出したように、朋子にきいた。ちょうど、テレビはホーム・ドラマのさいちゅうで、娘の結婚式の場面になったためらしい。
「四月二十一日よ」
と、朋子は、マンガから顔を上げていった。
「アイス|T《ワン》が、網走についた日」
べつに、それを記念して、四月二十一日にしたわけではなかった。偶然、その日しか式場があいていなかっただけのことである。来年はいい年だということになっている。迷信だが、それでも、来年は結婚ラッシュになりそうだ。
「とにかく、あなたが田島さんと結婚してくれて、ホッとしましたよ」
と、母がいった。もう何度、同じことをいったろう。それだけ、朋子のことが心配だったということだろう。
「なにか、田島君との間に、ごたごたがあったのか?」
父の昇平は、いかにも父親らしいのんびりしたことをいう。
朋子は、ニヤッと笑っただけで黙っていた。文子は、コーヒーをいれながら、
「何もありませんでしたよ」
と、昇平にいった。
「何もあるわけがないでしょう」
「まあ、そうだろうが、結婚してうまくやっていけるのかね? どうも、最近の若い者は、安心して見ていられないからな」
「朋子ならだいじょうぶですよ。それに、田島さんもしっかりしているし――」
「おまえは、少し子どもを甘く見すぎているぞ。わたしの目から見ると、まだまだ朋子は子どもだ」
父と母の議論が始まったのをしおに、朋子は茶の間を逃げ出した。
これから結婚するまで、父も母もいろいろとうるさいことだろう。兄が結婚するときもそうだった。あれは、両親には楽しみなのかもしれない。それなら、せいぜい楽しませてあげよう。
朋子は、時計を見てから、TV電話で田島を呼び出した。夜の十時なら、もうテレビ局からアパートへ帰っているだろうと思ったのだが、スクリーンに映ったのは、かれのアパートではなかった。
「今、どこにいるの?」
と、朋子がきくと、田島は、
「美容体操のクラブだよ」
と、うんざりした顔でいった。
「柏木ルミって女の子のおもりさ」
「例の新しいタレントね」
朋子は、田島のしかめっつらがおかしくて、クスクス笑った。
「サラリーマンも楽じゃないわね」
「ほんとさ。学生時代がなつかしいね」
「きょう一日、彼女のおもりをしているの?」
「とんでもない」
田島は、肩をすくめた。
かれの顔のうしろを、美容体操に来たらしい若い女が、ぞろぞろとタイツ姿で通り過ぎるのが見えた。
「ここを終わったら解放してもらうよ。あと四十分だな」
「そうしたら、今度は、あたしのおもりをしてくださらない? もう女の子はうんざりかしら?」
「きみは別だ。一時間後に、クラブ『アルス』で待っていてくれ」
と、田島はいった。
電話を切って、朋子が茶の間にもどると、弟のアキラが、自分のへやからはい出してきて、にぎやかに両親とやり合っている。
「アキラがね、大きくなったら、動物園の飼育係になりたいっていうんだよ」
と、朋子の顔を見ると、母の文子が、笑いながらいった。
「飼育係? このあいだまで、田島クンみたいにテレビ局で働きたいっていってたじゃないの?」
朋子がアキラの顔を見ると、小学生の弟は、変に悟りすましたような目になって、
「人間より動物のほうが信頼できるからサ」
といった。
「今、ちょっと、人間不信なんだ」
「へえ」
「それに、コンピューターに使われてるような仕事より、動物相手の仕事のほうが人間的だものね。ボクの考えだと、動物園の飼育係って仕事は、二一世紀じゃいちばんすばらしいものになるような気がするんだ」
「わかったようなことをいってるわ」
朋子は、弟の頭をコツンとたたいてから、家を出た。動物園の飼育係か。また二、三日もすれば、コンピューターのプログラマーになりたいというかもしれない。小学生の人間不信なんて、その程度のものだろう。
クラブ『アルス』には、まだ田島は来ていなかった。
若いバンドが、『二一世紀のブルース』という曲をやっていた。原田ロミの『ブルースで愛を歌う』がヒットして以来、ブルースばやりだ。
二一世紀になったけど
何も変わったことなんかありゃしない
毎日毎日
同じことの繰り返しで
そのうち百年すぎるだろう
これがおれたちの
二一世紀のブルースさ
若い歌手が、かすれたような声で歌っている。投げやりな歌い方だが、けっこう楽しそうな顔をしている。
田島が来たとき、歌はもう終わっていた。
「やあ」
と、田島は、いつものように軽く手をあげてから、朋子のテーブルに腰をおろした。電話のときはひどく疲れた顔だったが、今は明るい顔になっていた。仕事から解放されたからかもしれない。
「新しい柏木ルミって娘《こ》はどうなの? 二一世紀のタレントになれそう?」
朋子がきくと、田島は、原田ロミのときより熱のない声で、
「わからないな。まえの娘《こ》のときみたいに、地震があったり、旱魃があったりすれば、チャンスがあるんだけどね」
「それならだいじょうぶよ。日本は、一年に一回ぐらいは、大地震があるんだから。つまり、一年に一回は、地上最大のショーがあるわけでしょう。あれほどの旱魃のほうは、ちょっとないかもしれないけど」
「地震は完全にショーになってしまったなあ。いいことか悪いことかわからないけどね」
と、田島は、小さくためいきをついてから、
「その話より、ぼくたちの話をしようじゃないか」
と、話題を変えた。
「仕事の話をすると疲れるよ。サラリーマンの癖だな」
「田島クンと結婚することになって、母はホッとしてるわ」
朋子は、母のことばを思い出しながらいった。
「どんな時代でも、サラリーマンがいちばん安心だって」
「そうかなあ。まあ、そう思っているのなら、きみをもらいやすいけどね」
「子どもは三人ほしいわ」
「ぼくは、結婚したら、おやじといっしょに住みたいと思っていたんだ。大家族主義が好きだからね」
「あたしの友だちにも、大家族がいいって人がいるわ。なんとなく安心できるんですって」
「ところが、おやじはまっぴらだというのさ。新婚気分をこわすなって、おこるんだ。おやじは、ことしの秋に結婚するもんだからね」
「あたしの両親も、大家族主義には反対らしいわ。若者は若者らしくしろって」
「どうも、今の年寄りは話しにくい」
田島は苦笑した。
「そういえば、来月は、老人たちがまたゲバ棒を持って集まるんでしょう? うちの父も張りきってるわよ」
「来月は六月だったな」
田島は、思い出したようにいった。
「また、オールド・パワーの放送をやらされるな」
「すまじきものは宮仕え?」
と、朋子は、田島の顔をのぞき込むようにして、クスクス笑った。
ふたりは、クラブを出て、夜の遊歩道をしばらく歩いた。
初夏の夜空がきれいだった。そのせいかどうかわからないが、田島は、
「人間は、どうなるのかなあ」
と、妙に哲学者めいた目になって、夜空を見上げている。
朋子は、
「結婚して、子どもを産んで、その子どもが結婚してまた子どもを産んで――」
といってから、クラブで聞いた歌のことを思い出した。
「毎日毎日同じことの繰り返しで」と歌っていたが、とにかく二一世紀になったのだし、二一世紀に生きていることも事実なのだ。それに、二一世紀以外に生きようのないことも事実なのだ。そう思ったら、朋子も、ひどく厳粛な気持ちになってきた。
(とにかく、精いっぱいに生きなきゃあ)
朋子は、田島の手を強く握りしめた。
本書は昭和四十四年春陽堂書店から出版された「おお21世紀」を改題して、文庫として出版したものです。
角川文庫『21世紀のブルース』昭和61年4月25日初版発行
平成9年8月30日9版発行