[#表紙(img/表紙.jpg)]
メルロ=ポンティ入門
船木 亨
目 次
序章[#「序章」はゴシック体]
1 哲学に入門する[#「哲学に入門する」はゴシック体]
2 実存主義[#「実存主義」はゴシック体]
3 メルロ=ポンティの思想[#「メルロ=ポンティの思想」はゴシック体]
4 人生の意味[#「人生の意味」はゴシック体]
5 人間は意味の刑に処せられている[#「人間は意味の刑に処せられている」はゴシック体]
第一章 ヒーロー[#「第一章 ヒーロー」はゴシック体]
6 となりの火事のこと[#「となりの火事のこと」はゴシック体]
7 ヒーローになるとは[#「ヒーローになるとは」はゴシック体]
8 現代の主義[#「現代の主義」はゴシック体]
9 歴史の終焉?[#「歴史の終焉?」はゴシック体]
10 歴史に一体化する[#「歴史に一体化する」はゴシック体]
11 生身のヒーロー[#「生身のヒーロー」はゴシック体]
12 ヒーローの理由[#「ヒーローの理由」はゴシック体]
13 出来事のモラル[#「出来事のモラル」はゴシック体]
14 決断[#「決断」はゴシック体]
第二章 愛[#「第二章 愛」はゴシック体]
15 小さな出来事[#「小さな出来事」はゴシック体]
16 マキアヴェリ再考[#「マキアヴェリ再考」はゴシック体]
17 日常生活に埋もれて[#「日常生活に埋もれて」はゴシック体]
18 愛のはじまり[#「愛のはじまり」はゴシック体]
19 時間と歴史[#「時間と歴史」はゴシック体]
20 真の愛と偽の愛[#「真の愛と偽の愛」はゴシック体]
21 形而上学的欺瞞[#「形而上学的欺瞞」はゴシック体]
22 愛の精神分析[#「愛の精神分析」はゴシック体]
23 性[#「性」はゴシック体]
第三章 思考と実践[#「第三章 思考と実践」はゴシック体]
24 間身体的なもの[#「間身体的なもの」はゴシック体]
25 準意識的なもの[#「準意識的なもの」はゴシック体]
26 あきらかなもの[#「あきらかなもの」はゴシック体]
27 おのずからなる疑惑[#「おのずからなる疑惑」はゴシック体]
28 思考[#「思考」はゴシック体]
29 うそ[#「うそ」はゴシック体]
30 まこと[#「まこと」はゴシック体]
31 超越[#「超越」はゴシック体]
32 実践的認識[#「実践的認識」はゴシック体]
第四章 真実を語ることば[#「第四章 真実を語ることば」はゴシック体]
33 ことばの意味[#「ことばの意味」はゴシック体]
34 ことばについてのことば[#「ことばについてのことば」はゴシック体]
35 しぐさとしてのことば[#「しぐさとしてのことば」はゴシック体]
36 意味の哲学[#「意味の哲学」はゴシック体]
37 概念[#「概念」はゴシック体]
38 ことばの起源[#「ことばの起源」はゴシック体]
39 ことばと言語[#「ことばと言語」はゴシック体]
40 言語の歴史[#「言語の歴史」はゴシック体]
41 わたしは語る[#「わたしは語る」はゴシック体]
終章[#「終章」はゴシック体]
42 真実を語るしぐさ[#「真実を語るしぐさ」はゴシック体]
43 主体[#「主体」はゴシック体]
44 時間[#「時間」はゴシック体]
45 現実性[#「現実性」はゴシック体]
46 すべてよし[#「すべてよし」はゴシック体]
あとがき
[#改ページ]
◆序章[#「序章」はゴシック体]
1 哲学に入門する[#「哲学に入門する」はゴシック体]
†門[#「†門」はゴシック体]
哲学ということで、多くのひとが「人生の教え」といったものを、イメージしている。ところで、この本のタイトルは、『メルロ=ポンティ入門』である。メルロ=ポンティに「入門」したいと少しでも思いついた読者は、メルロ=ポンティにおいて、人生はどのように教えられるのだろうか、と関心を抱いておられるかもしれない。
「門を入る」とは、どういうことであろうか。それは、人生の奥義をえるべく、その道を歩みはじめることであろうか。
「門」というものが、そもそも「人生とは何か」についての重大な契機を暗示している。F・カフカの小説に、ひたすら門を開けてもらうことを待ち続ける男の短い話があった。問い方が悪ければ、なかに入ることすらできないのである。
鳥居など、宗教的なものについても、思い浮かべてみてもらいたい。鳥居をくぐると、そこは神の降臨する聖なる空間であって……
と、ここまで喋ったとき、
「――そこまでの意味はないですよ。」
と筑摩書房の編集長は、あっさりといった。
このひとは、いつもあっさりと否定するのである。新宿ゴールデン街で飲んでいたときも、わたしが、
「メルロ=ポンティの『知覚の現象学』をはじめて手にしたとき、こんなにずばりと本質をついた哲学書があったのかと、手に汗握りながら、一晩のうちに読んだんです。」
と語っていると、かれは即座に、
「船木さん、あれは下巻がずいぶんあとになって出たんだから、そんなことはないですよ。そうやって自分を神話化しちゃいけないな。」
と、こともなげに、ささやかなわたしのエピソードの実在性を否定してくれたものである。
――わたしは、下巻が出たときに上巻と一緒に買って読んだんです。確かに「手に汗握って」というのは、冬だったのでストーブの上で手をかざしながら読んだせいもあるでしょう。それは、少し誇張があったかもしれませんがね……
†哲学の難しさ[#「†哲学の難しさ」はゴシック体]
その件はともかくもである。入門についての話のときは、さすがにわたしも、
「けれども、哲学というのは、入門するようなものではないんです。」
と食下がった。
哲学は、概して難しいとして敬遠されている。
就職面接に行った学生から聞いた話だが、在籍学科の名前を聞かれて、「哲学科です」というと、「難しいことをやっているんですね」といわれ、それで会話はいきづまってしまうそうである。――あとは気まずい沈黙。
「ほかの学科だったら、卒論についていろいろ質問されるんですけどね。」
と、その学生は不満そうな顔つきで説明した。
誤解のないようにいっておくが、哲学科だからといってとくに就職率が悪いわけではない(ほかの学科とおなじ程度に悪い)。
それにしても、哲学を遠ざけて、哲学とはどのようなものか尋ねてみようとすらしないひとびとに対して、どういってやればよいのだろうか。何が悪くてこうなってしまったのか、わたしは密かにリストを作っているのだが、ここで披露してあえて敵を作ることはしないでおこう。
で、わたしの知るところ、そのように教えてくれた学生が、卒論でそれほど難しいことをやっていたようには思えなかった。
確かに哲学にも、難しい部分はある。認識論的問題や形而上学的問題は、いかにも難しい。メルロ=ポンティも、とくに後期においては形而上学的問題に関わり、『見えるものと見えないもの』(みすず書房)という草稿を遺している。
こちらはこちらで、それをなんとか解釈しようとしている幾多の論文のほうが、原文よりもさらによく分からないといった体の難しさがある(何のための論文なのだ)。原文は、「見る」ということを巡って、人間経験を根底から理解させなおそうとするすばらしい文章の連続からなっていて、訳すのがもったいないくらいであるが。
哲学のこうした難しい部分は、さすがにテキストを少し読んで分かるというわけにはいかない……十年くらいはかかる。
入門書を読んでいる読者は、そのことをよくご存じであろう。だからまず入門書を読んでみようと思われたのであろう。――とはいえ、数学や物理学のようなほかの学問と同様、そうした種類のことは、入門書を読んだだけで分かるようになるというわけにもいかないのだ。
†倫理学[#「†倫理学」はゴシック体]
だがそのようなことをいってると、読者に嫌われてしまうかもしれない。哲学は、難しいとされながらも、真剣に読めばかならず理解できるはずだ、そう、どこかしら信じられていたりするからだ。
すなわち、哲学とはいえ、所詮おなじ人間が、書斎のようなところで腕組して考えたことだ。人生の意味や経験の価値について、それぞれがかれらとおなじだけの資料はもっている。しかも、人生について教えてくれようというのだから、(すべてのひとに人生がある以上)だれにでも分かるように語られてしかるべきだ、というわけである。
そのように考えるひとは、多分、哲学を倫理学と取違えておられるのである。
それだけではない。――さらに倫理学を「人生の教え」と取違えておられるのである。
西欧哲学にも倫理学があるが、それは世界的に見ればひとつの倫理学にすぎない(とわたしは考えている)。日本の伝統的思想はもとより倫理学的であって、確かに「人生の教え」たらんとする思想が多かった。だが、それもひとつの倫理学にすぎない。わたしは、二十年以上倫理学の研究をしてきたが、倫理学の領域も含意もずいぶんと広いのである。
それでは、倫理学とはどのようなものか――と話しはじめると、『メルロ=ポンティ入門』という題名の本ではなくなってしまう。そこで、少し話は飛ぶのだが、わたしはこの本でメルロ=ポンティの倫理学について書いてみよう、という結論に達したのである(ずいぶん飛んでしまった)。
というのも、わたしはメルロ=ポンティに対して、ずっと、かれの倫理学を問いただしながら生きてきた。そしてわたしもまた、哲学に対しては、わたしが知りたいことを、そしてわたしが分かるかぎりで分かることをこそ尋ねていきさえすればそれで十分ではないかと、密かに考えているのではあった。
2 実存主義[#「実存主義」はゴシック体]
†思潮としての実存主義[#「†思潮としての実存主義」はゴシック体]
修業時代におけるわたしの論文は、やれ「自由とは何か」、やれ「他者はどのように現われるか」、「意味ある行動とはどのようなものか」といった具合で、いま読返してみると、メルロ=ポンティ研究としては、ずいぶんと倫理学に偏っていたものである。ほかのメルロ=ポンティ研究とは少し違うかな、という開きなおりみたいなものはある。
では、メルロ=ポンティの倫理学はどのようなものか、である。
思想史における公式では、それは、実存主義の一種である。ヤモリもイモリもトカゲの一種であるという意味では、メルロ=ポンティも実存主義である(前者は爬虫類、後者は両生類、念のため)。
実存主義といえば、やはりわれらのJ‐P・サルトルであろう。サルトルは、自分の思想をみずから「実存主義」と呼び、『実存主義とは何か』(人文書院)という分かりやすい講演までして現在でも人気は高いが、「実存主義」ということばはかなり廃れてしまった。
困ったことに、思想は二十世紀に入って以来、随分とはやりすたりがあって、似たような問題が違うことばで語られるとまた急に人気が出たりする。実存主義がすたれたとしても、その問題意識は何度もぶり返している。ぶり返すたびに内容が深められているというわけではないところが寂しい……
で、メルロ=ポンティがはじめてわが国に紹介されたのは、実存主義者としてであったが――正確にはマルクス主義思想家として、戦後すぐ、ある雑誌に『弁証法の冒険』(みすず書房)の一部が翻訳されたのがさきだと思うが――、実存主義としては、一番その説明に困る思想であった。かれの議論はサルトルのようにすっぱりと割切った議論ではなかった。
そのためか、メルロ=ポンティは、サルトルほど高校教科書にも載せられていない。――教科書には、驚くべきことに、重要度の高い順というよりは、話が分かりやすい順で載せられる傾向がある。ちょうど、だれかに背中を掻いてほしい場合に、痒い場所よりも、そのひとが掻きやすい場所を掻いてくれるようなものだ。
†自由の刑[#「†自由の刑」はゴシック体]
それで、サルトルの思想はといえば、なにより明快だった。
かれは、こういっていた。人間はどんなことがあろうとも自由である。なぜなら、わたしがすべてを決断しているのだからである。
サルトルによると、わたしはまず何かをしたあとで、まさにそれをしたのはわたしだと引受けなければならない。なぜなら、比喩ででもないかぎり、だれもわたしに代わって苦しんだり喜んだりすることはできない。どんなことであれわたしの身に生じることなのだから、「そのつもりではなかった」とか「わたしのせいではない」といってはいても、わたしがそれを引受けるしかない。そのくらいなら、いっそみずから進んでそのように引受けた方がよさそうである。そのようなわけで、サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」と述べたのである。
サルトルはそんな簡単なことをいっているのか、と思われるかもしれない。
すべてが自由だとすれば、銃をつきつけられて何かさせられるときはどうなんだとか、眠っていて夢を見るのはどうなんだとか、細かいところを考えていくとそれなりに複雑である――サルトルの弁護をしておくと、かれ自身も「自己欺瞞」など、他者とのあいだで生じる複雑な問題について考察している。
逆説的ではあるが、現代の子供たちは、みなみずから自由に選択し、行動を決めなければならないと教育されていて、息苦しい思いにかられているらしい。本当は、ひとの指示に従ったり、ひとのまねをしていた方がかえって楽なのだ。「自由の刑」は、人間の置かれている原理的な状況についての比喩ではなく、ひとがそこから逃げだしたくなるような現代の事実的な状況をリアルに表現していた――こう解釈する学生もいた。
†サルトルの思想[#「†サルトルの思想」はゴシック体]
その解釈の是非はともあれ、サルトルの問題意識は、――かれ自身は書くべき倫理学を残していると考えていたが――、「わたしは行動においてどうすべきなのか」ということについての一般理論を樹立することであったように思う。そしてかれは、諸科学の知識が、その問題についてはまったく役にたたないということを論証したかったのだ。
諸科学の知識からすると、事物の変化は原因から結果へと進んでいく。人間もそうだということになると、ある時点から見ると、わたしは大学生にはならなかったかもしれなかったし、就職もしなかったかもしれなかった。海外で放浪していたかもしれなかったし、公園で寝泊りしていたかもしれなかった。いまのわたしは、そうしたもろもろの可能性の総体のなかで、偶然に生じた一帰結だということになってしまう。
だが、考えてみてほしい。わたしの人生は、すでにこうなってしまったところの、これきりしかないのだ。いまのわたしからしてしか、過去は問題にならない。いまのこのわたしこそが、そのように過去を可能性の総体とみなして、現在の自分を不本意なものとすることもあるのだし、あるいはむしろ、そうした自分を引受けざるをえないと、意を決していることもある。それゆえ、現実的であるためには、進んでみずからの現在を引受けようと考えるしかないのではないだろうか。
トレーニングしたりダイエットしたりして、未来の自分のために現在を犠牲にするというのは、現代の主要な徳目である。失われた過去を悔やんで、つねにそれを取戻そうと似たような失敗を繰返すのは、現代人の病理である。それらはいずれも、ある時点の行動が未来のある時点の自分の状態を作りだすという想定に基づいている。
その対極にあるのが、サルトルの主張したいことだ。――未来に何を生じさせるにせよ、いまのこの行動がわたしの行動なのであり、何かのため、だれかのための行動ではない。成功と失敗のあいだで評価されるようなものでなく、その評価をすることをも含め、結果を引受けつつみずからなしていくこと、それが自分の行動なのだ。
†メルロ=ポンティとサルトル[#「†メルロ=ポンティとサルトル」はゴシック体]
そうしたサルトルの激しい人間の捉え方に対し、メルロ=ポンティによる人間の捉え方は、わたしはもう少し穏やかな印象を受けた。
メルロ=ポンティは、ひとが、そのつもりでもないことをしてしまい、「それはわたしのせいではない」と考えたりすることを、それもひとつの人間的事実として認め、そう考えるのももっともであるような曖昧な態度をとってしまうわけをあきらかにしようとしていた。
話はずれるが、ここでメルロ=ポンティとサルトルの関係について、少し説明しておこう。
メルロ=ポンティの方が少し年下になるが、サルトルの愛人であったS・ド・ボーヴォアールとともに、学生時代は友人関係にあったという。ボーヴォアールは、その自伝的小説『娘時代』のなかで、メルロ=ポンティをモデルにした登場人物を、彼女の恋人として描きだしている。
その後、メルロ=ポンティとサルトルは、ドイツ占領下のフランスでおなじレジスタンス組織「社会主義と自由」に属した。その組織はすぐに崩壊するのだが、かれらはさらに第二次大戦後、「レ・タン・モデルヌ(現代)」という雑誌の創刊に関わる。編集長はサルトルであったが、サルトルは、メルロ=ポンティがなぜ、共同編集者として名前を表に出したがらなかったかと、ずいぶんと訝《いぶか》っている。
サルトルは、メルロ=ポンティが心臓麻痺でこの世を去った一九六一年、「メルロ=ポンティ」(『シチュアシオンW』人文書院)という追悼文のなかで、つぎのように書いた。
――わたしが寄宿生であったとき、メルロ=ポンティは通学生であった。わたしが兵隊であったとき、メルロ=ポンティは士官だった。わたしとかれとは少しずつ雰囲気が違っていた。
思想的には、サルトルとメルロ=ポンティは、一瞬交錯して火花を散らし、それから別の道を歩んだといっていい。メルロ=ポンティがサルトルの思想にマルクス主義をもちこみ、サルトルが独自のマルクス主義理解に到達したときには、メルロ=ポンティはマルクス主義から去っていくところだった。
「レ・タン・モデルヌ」で、メルロ=ポンティがサルトルを批判することはなかったが、訣別したあと、『弁証法の冒険』という書物のなかで、かれはサルトルに対する厳しい批判を書くことになる。この批判にサルトルは沈黙し、ボーヴォアールが反論した。
訣別した事情というのは、ささやかなものだったらしい。
サルトルが掲載を認めたある人物の論文の水準が低かったために、メルロ=ポンティはその旨を説明する編者序をつけたのだが、サルトルが黙ってその序文を削除してしまった――それだけのことである。
おそらくその背景には、それまでの編集方針などさまざまなものが絡んでいて、その事件はきっかけにすぎなかったのだろうが、ではどんな背景かというと、それもはっきりは分からない。
サルトルは、それをメルロ=ポンティの性格やひとづきあい、幼少時を至高のものとするような生育環境に求めているが、それでは少し簡略化しすぎという気がする。むしろ、かれらには根本的に相容れないところがあったのかもしれない。書いたものには似たようなことばづかいや相互影響も多いが、基本的な発想が水と油ほどに違っていたのではないかと、わたしは思う。
メルロ=ポンティは、『異邦人』など、実存主義小説で有名なA・カミュとも訣別している。こちらは、共産主義をどう捉えるかについての純然たる議論からであったというが、こう見てくると、メルロ=ポンティというひとは、結構つきあいにくいタイプのひとだったかもしれない(ひとごととは思えない)。少なくとも表面上はつねに穏やかだったそうであるが、晩年は書斎に隠棲してしまうことからも窺えるように、世捨て人的な嗜好があったようにも思われる。
実存主義の説明をしているあいだに、なんだか「ゴシップよもやま話」のようになってしまった。メルロ=ポンティの思想に話を戻そう。
3 メルロ=ポンティの思想[#「メルロ=ポンティの思想」はゴシック体]
†「生きられたもの」と「認識されたもの」[#「†「生きられたもの」と「認識されたもの」」はゴシック体]
では、メルロ=ポンティの実存主義とは、どのようなものであったか。
かれも時代の空気を吸って、実存という語を多用した。だが、かれはその語によって「人間のなすべきこと」を指し示すつもりはなかった。実存を理解するにしても、諸科学の知識を十分考慮に入れなければならないと考えていた。
メルロ=ポンティの定義によると、実存は、「認識された」行動に対して、われわれによって「生きられた」ものを理解するときに現われてくる。「認識する」とは、行動を分解して諸要素に分け、それらの諸要素が組立てられる原因を発見してから、今度は、その原因から行動を説明することである。それに対し、「生きられる」とは、あなたが行動するときに感じとっているところのもの、そのものである。
これらは通常は、おなじことを別の文脈で説明したものと考えられている。たとえば、「血中にアドレナリンが放出されて、心臓の鼓動が増えた」ということと、「どぎまぎしていた」ということのようにである。
だが、このふたつの説明のあいだには、重ならないものがある。前者の説明は、環境条件や身体機能の変化を原因とするのであるが、後者の説明は、好きなひとに出会ったり、猛犬に吠えられたりしたときに生じることで、動機や意図を原因とする。
生理学者や大多数の科学者たちは、前者の説明方式を徹底することによって、後者の説明を尽すことができると信じている。動機や意図といわれるものも、外界の変化に対応して中枢神経系に電気化学的変化が生じた結果であるに違いない、というわけである。
†実存[#「†実存」はゴシック体]
それに対し、メルロ=ポンティは、後者の説明はかならず前者の説明からはみだすものをもっていて、それが人間行動において中心的な役割を担っていると考えた。かれは、そのような説明が与えられる要素や原因を「実存」と呼んだのである。
ただし、生理学的な説明がまったく役にたたないというわけではない。場合によっては、そのような説明方式が意味をもってくることがある。
たとえば、疲れたときや怖気づいたとき、眠たいとき、また酔っぱらっているときなどには、われわれはどなったり泣いたりと、動物的で単純な反応様式をとる。元気なときには自分でなすべきだと考えていることも、そのような場合には、赤ん坊のようにして、ひとの世話になった方が心地よかったりする。
他方、軍隊のようなところで命令にひたすら従ったり、工場のようなところで画一的な作業を反復したりするとき、人間は機械的な行動様式をとる。そのような行動は、さしあたっては難しいこと、疲れることである。ところが、集団や組織に属してしばらくすると、かえってその方が楽になる。だれかの命令を待っていたり、評価されると決まっている行動を繰返している方が、何をすべきかと考えて、たえず反省したり挑戦したりするよりも簡単なのだ。
†人間[#「†人間」はゴシック体]
疲労したときのように「惰性化」した行動、機械のように「習慣化」された行動は、因果的に説明することができる。これが「認識された行動」である。人間も、動物や機械のように因果的な行動をすることがある。
科学者は、動物としての生理学的機械のあり方が本当の姿で、人間的なあり方は機械的諸反応の効果によって生じるみせかけにすぎないと考える。サルトルはその反対に、人間的なあり方のみが実存であって、対象化された結果見えてくる機械的反応とは関係がないとする。
それに対し、メルロ=ポンティは、人間も動物であると考えるのだが、それは科学者の考えるような機械仕掛なのではない。かれは逆に、動物も「その統合度に応じて、ひとつの実存である」と述べる。進化のそれぞれの段階に応じて、動物はその種に固有の生き方をもっており、生物として、その生物学的水準に応じて、おのれ自身の機械仕掛を超えた行動をとるからである。
しばしば動物は機械仕掛を超え、人間は動物を超える。しばしば人間は動物となり、動物は機械仕掛となる。実存とは、こうした生成変化を規定するものである。
人間は、「生きられた行動」において、ひとがだれも知らなかったものを創りだしたり、他人のために命をかけたりする。そこにこそ実存が理解されるが、メルロ=ポンティはそのような人間のあり方をのみ「実存」と呼んだのではなかった。他方、人間は、「認識された行動」において、動物や機械のような振舞をするが、メルロ=ポンティによると、それはひとが実存的でない行動をとったということでもない。要するに、実存がよく見てとれる行動もあれば、そうでない行動もある。かれにいわせると、そうでない行動の場合は、実存的なものが隠されている。隠されてはいても、それはおなじ実存の営みなのである。
難しいことではない。それは、人間という概念のもつおなじみの二重性のことなのだ。乱暴者で通っているひとが子供を助けたりすると、「かれにも人間的なところがある」というだろうし、有能なひとが弱音を吐いたりすると、「かれにも人間らしいところがある」というだろう。人間は、人間を超えたり、人間以下になったりする。
人間とは、矛盾した概念である。覚醒剤をやって「人間をやめますか」といわれるのはまことに厳しいものがある。人間だからこそ、覚醒剤をやってしまうのだろう、ただし、そのあとで人間でなくなってしまうという不可逆的過程に入る(脳死みたいなものか?)……いったい、人間って何なんだ?――それは、実存なのである。
†精神[#「†精神」はゴシック体]
人間はしばしば動物性を乗越えるから精神と呼ばれ、動物や機械から区別される。しかし、乗越えるといっても、動物や機械とまったく無関係な存在になってしまうのではない。メルロ=ポンティによれば、精神と物質は別の秩序に属しているのではないし、精神が物質のうえに自然発生したわけでもない。むしろ、おなじ実存が、一方では精神的で能動的なあり方を可能にし、他方では受動的になって、動物のまねをしたり――精神分析的にいえば幼児に退行したり――、あえて機械になってみせたりもしているというのである。
ひとが精神の方が優れていると「考える」のは、考えるということ自体が精神活動だからである(自己賛美しているわけだ)。だが、生きることにおいては、精神であることにも、動物や機械であることにも理由があるに違いない。人間が(精神であるというよりも)むしろ実存であるということは、「生きられた行動」(精神)というあり方と、「認識された行動」(物質)という動物性や機械仕掛のあり方との往還運動をしているということなのである。
サルトルのように、ただ実存と動物的ないし機械的な物質性とを対置してしまった場合、人間の受動的なあり方については理解できなくなってしまう。たとえば疲れきって眠ってしまい、物質的諸要素が実存を打負かしたあとでは、サルトル的実存はどのようにして復活してくること(眼が覚めること)ができようか。復活することができるとして、実存の物質に対する抵抗力は、はたして非物質的でありえようか。
したがって、メルロ=ポンティの考えでは、人間行動において精神的な要素と物質的な要素が交替するが、それらを共通して規定している実存が、精神の論理とも物質の論理とも異なった論理によってその交替を支え、意味づけているのである。重要なことは、われわれに対して、実存がどのような条件や場においてその姿を現し、また隠すのかということである。――どうであろう。サルトルより、ちょっとややこしいであろう。
4 人生の意味[#「人生の意味」はゴシック体]
†普通の問[#「†普通の問」はゴシック体]
わたしは、この調子で、メルロ=ポンティの倫理学について書いていくことにしようと思う。しかし、メルロ=ポンティの実存主義を「紹介」するつもりではない。ほとんどこれからさき、むしろ実存という語を使わずに書いていきたいくらいだ。
わたしは、紹介するというよりも、だれしもいつかは問うてみたくなる、もっと普通のわれわれの問に応じて、かれがどのように問い、どのように答えようとするのかを引出してみたいと望んでいる。――そう、哲学者に、もっと本当に聞きたいことを聞いてみるべきなのだ、どうせ哲学者には答えられはしないと、ひとびとが漠然と感じて、たかをくくっているようなことがらを。
どういうことかというと、わたしはこれを書きながらふと思ったのである、あの最も純朴な問に、いつの時代にも人類によって問われてきたに違いない、あの問に舞戻ってみようかと……すなわち、「人生の意味とは何か」というあの問にである。
そのつもりで、というわけでもないのだが、先日、ゼミの最中に、わたしは学生たちに尋ねてみた。
「人生の意味を考えてみたことのあるひとはいませんか。」
わたしは、数人くらいは手を挙げるかと思っていたのだが、驚いたことに、その場の全員が手を挙げた。
「み、みんな、そうなの?」
と、わたしは感動しながら、はからずも地口に戻って聞きかえしたものだ。
ところが、かれらは、「いえいえ、わたしはマイナーな方だと思います」と、くちぐちに答えるのだった。
おそらくは全国に無数にいて、こんなことを気にしているのは自分くらいのものだろうと密かに感じているマイナーなひとたち、――そんなひとたちがいっぱいいるに違いない(この本は、ぜひとも、そういうひとたちに読んでほしい)。
ついでにいっておけば、「メジャーなマイナーというのは矛盾だ」と、すぐにこだわってしまうような感性のひともいるだろう。わたしはそういうタイプのひとが好きだ。マイナーであることこそ人類のメジャー(多数派)なのではあるまいかと、つい議論したくなってしまうにしても。
それからまた、子供をもっていて、子供には誠実でありたいと願っている、だれかの親であるすべてのひとにもいいたい。あなたの子供が、ある日突然「人生の意味って何なの?」と尋ねたとき、あなたは何と答えるのか。
即座に答えなければならない。さもなくば、ただ答に飢えているだけのあなたの子供は、あなたがその答を知らないとすぐに見抜いてしまう。――さあ、何と答える?
「それに答えていくということが、人生の意味なんだよ」なんて、しゃれた答もいい(と、まだ聞かれたことのないわたしは考えている)。多分その子には、どこがしゃれているのかは分からないだろうけれども。
あるいは、「人生の意味を知るには、人生は必然的に短かすぎる」というのもいい。なぜなら、人生とは生まれてから死ぬまでのことであろうのに、人生の意味を問うのは生きているあいだであり、死んだ直後でなければ人生の意味についてはなんともいえないからだ。二十で死ぬひとであれ、百で死ぬひとであれ、いずれにせよ、ちょっとだけ人生は短かすぎるのである(これはメルロ=ポンティからの剽窃である)。
大急ぎで付加えておきたいのだが、人生の意味は生きた年数に比例するわけではないから、二十のひとの人生と八十のひとの人生のどちらがより意味があるかなんて、最後まで生きてみないと、なんともいえないのである。
†問のあり方[#「†問のあり方」はゴシック体]
他方、間違っても「そんな答の出ない質問はするもんじゃない」などとは答えないでほしい。
わたしの倫理学概論の講義には、四人にひとりは「倫理学には答がない」との信念をもって登録をしてくる。授業妨害というものであろう。それでは、何のために倫理学を学ぶのか。
わたしは、講義では、「答がないかどうかということは、実際に尋ねてみたひとにしかいえない、のである」と説明している。実際に尋ねてみてほしい――人生の意味とは何か。
ところが、「実際に」というのが、大変なことだ。というのも、本当にその気にならなければなにも見つからないのだ。
世のなかには、答はないけれども形式的には問うことができるといったタイプの空疎な問を大量にばらまいているひとがいる。言語は大量の問を発生させることができるが、その大部分は愚にもつかないことなのだ(子供の「どうして?」は、対話を学んでいるだけなのに、あまりにきまじめに答えようとするのはどうかしている)。問をばらまくひとの最大の不幸は、問があるということに満足してしまっている自分を知らないということであろう。
あるいは、統計をとりさえすればすむような問を発するだけで満足しているひともいる。ひとびとのするおしゃべりは会話を楽しんでいるだけなのに、その意味を問いただすのはどうかしている(ひとびとがする天気の話から天気予報をするわけにはいかないだろう)。ひとがどう思っているかを知ることと、ひとが思っていることが正しいかどうかということとはまったく別のことなのに、そのようなひとは、そうした本当の問にぶつかるのが怖いのだ。
さらに、事情通たちの問がある。世界を一片の絵画のようにみなし、思想や科学の知見を合成して世界を順に説明していこうとする。どうして世界がひとつの平面に並べられるのか、どうしてそれが真理ということになるのかは、まるで気にもしないのである。われわれがものを見る仕方というものを問題にせずに、(全体と部分の関係は、世界のほんの一部でしか成立たない論理だということに気づかずに)分かりやすさだけを追求しているとそういうことになってしまうのだが、分かるという経験の気持ちよさばかりを優先するのだ。
哲学者に学ぶべきものは、答ではなくて問である。
答えることよりも問うことのほうが、何十倍も難しい。それで、ほかのひとの問を盗もうとするひとまでいる。答を盗めば剽窃といわれるが、問を盗んでもなにもいわれない。しかし、問を盗むことなど、本当はできないのだ。それが自分の問になるまでは、最初のひととおなじだけ苦しむほかはないからである。
ともあれ、答が見つかる保証がないにしても、その気になって実際に問うてみてほしい。上手に問いさえすれば、新たな問を発見し、人生を違ったように見ることができるかもしれないのだから。
†人生には意味はない?[#「†人生には意味はない?」はゴシック体]
ところで、もはや隠すこともあるまい。実は、わたしは、「人生の意味とは何か」という問に対しては、とうにその答を出してしまっているのである。
その答は、単純なものである。すなわち、「人生に意味はない」のである。なぜなら、意味というのは人生のなかにあるものであって、人生そのものについて語れるような概念ではないからである。
……少しがっかりされたかもしれない。
「人生には意味がない」ということは、仏教徒ならだれでも知っている。ゴータマ・ブッダは、ひとが人生に求めているものはすべて実体がなく、実体がないものを求めるところに苦が生じると述べた。
たとえば、お金を貯めて夢にまで見た新車を買ったとしよう。しかし、買った直後から、その、あなたの素晴らしい新車は、もう中古車にほかならない(なんてこった)。あとはもう、壊れないか、傷がつかないかと心配するばかりである。
あるいは、散々アプローチした結果、ようやく異性から「好きだ」といってもらえたとしよう。しかし、そうして愛を獲得したその瞬間から、あなたはいつ裏切られるか、いつ別れなければならないかとの心配のなかで生きるのだ(それもつらい)。
われわれの人生は、誕生と死のあいだに宙吊りにされており、なんら確かな根拠のない経験の連続である。根拠を求めてそのうえに安住しようとすることこそ、さらにわれわれを救いのない状態に落としこむ。それゆえブッダはいいきったのだ。人生そのものから脱出することこそが、人生の真の目的なのだと……
†出来事と人生[#「†出来事と人生」はゴシック体]
まわり道をしたが、わたしがいいたいのは、そのようなことではない。
なるほど泡のようにはかないものであれ、わたしは、温泉からあがってビールを飲みながら、人生に深い喜びを感じたこともある。行ってみた温泉が閉まっていて懊悩につきまとわれたときも、死にたいとは思わなかった。わたしは、そのとき、少し希望をもちすぎただけなのだ。そう、われわれみんなに「愛欲の広海と名利の大仙」(親鸞)がある。
人生とは、(ふりかえって思いだすときには)しみじみとしたものである。そのなかでわたしは喜んだり悲しんだり、嘆いたり怒ったりする。人生には、そうしたもろもろの出来事がある。
だが、人生全体はというと、それはひとつの出来事なのではない。人生は、そのような出来事が生じるようになる究極の原因、どんなものであれ出来事というものが生じうる限界、要するに出来事のすべてを枠づけているもののことである(誕生といえども、それはあなたの両親にとっての出来事であって、あなたの出来事ではないと、メルロ=ポンティもいっている)。
したがって、人生自体に意味があったりなかったりするのではなく、人生のひとつひとつの出来事について、意味があったりなかったりするのである。
間違えないでもらいたい。わたしは、あるひとの人生、あるいはすべてのひとの人生に意味がないといいたいのではない。人生にどんな意味があるかというのは、意味ということばづかいの誤用にほかならないといいたいのである。人生に「意味がある」とか「意味がない」ということが、そもそもできないのである。
5 人間は意味の刑に処せられている[#「人間は意味の刑に処せられている」はゴシック体]
†出来事を問う[#「†出来事を問う」はゴシック体]
この答が、「はぐらかされたようで、気に入らない」といって、本を閉じようとする気の短いひともいるだろう。だが、もうちょっと待ってほしい。
わたしは、メルロ=ポンティにいろいろ問いただしていくうちに、こうした考えをいだくようになった。わたしの考えなどどうでもいいから、メルロ=ポンティの哲学に即して考えるとどうなるか、そちらの方を見てほしい。
「人生の意味とは何か」という問に答えようとして、昔のひとびとは、「人生とはそもそも何か」とはじめてきた。哲学の伝統は、主語になる対象の内容からさきに分析するように勧める。人生が意味をもったりもたなかったりするのだから、まず人生とは何か、人間とは何かを理解しておかなければならないというわけである。
わたしは、それは袋小路に入ってしまう問い方であるように思う。人生という語も、「生きている」という述語から派生した名詞であるならば、「意味」とは何のことかと、さきに問うこともできなくはない。そうすれば、「人生の意味とは何か」という問も別様に見えてくるのではないか。
さて、もしこうした提案(サラ金にも負けない強引な説得)をお認めいただくとすれば、わたしは、さっそく「出来事とは何か」という問から取掛かりたい。というのも、意味ということでわれわれが理解しているものは、まずは「そのことには意味があった」と語るようなときの、出来事の意味のことであろうからである。
†出来事の性格[#「†出来事の性格」はゴシック体]
さて、出来事というものは、どんなに平穏な生活を送っているひとにも、生じないということがない。歳をとるということだけでも、出来事はやってくる。大事にしていた道具が摩滅したり、愛するひとと別れることになったり、健康が衰えて仕事ができなくなったり。あるいは、逆に、予期しなかったものが与えられたり、だれかに出会って生き方や考え方が変わったり、突然新たな目標が姿を現したり……
だからといって、出来事というものは、ひとりでに生じるというわけではない。
だれにも関わらない自然現象は出来事ではない。だれも知らないところで小動物がライオンに襲われているだろうが、小動物にとってであれライオンにとってであれ、そのようなことは出来事ではない。無人島に嵐が来て、だれも知らないうちに崖の一部が削りとられようと、出来事とはいえないようにである。
他方、出来事がひとりでに生じるのではないからといって、出来事は、だれかがひとりで作りだすものでもない。
わたしの行動が出来事の一部になるのは、わたし自身の振舞だけで行動が完結していたとしても、他者とのなんらかの関わりを通じてである。だれかに目撃されうるというだけで、出来事が生じるには十分であるが、どんな出来事も、結果の連鎖において、あるいは統計上の事実として、だれかに影響を及ぼさないではいないだろう。出来事はひとびとのあいだにある。
とはいえ、出来事は、他者と相談して決めるようなものでもない。なぜなら、それは「われわれ」のあいだに、降りかかってくるものだからである。その場に居合わせたわれわれにとって重大であるもの、あるいは、わたしにとってと同様にだれかにとっても重大でありうるものを出来事と呼ぶ。出来事が意味をもつとは、そのようなことである。
†出来事の意味[#「†出来事の意味」はゴシック体]
では、出来事がもつ「意味」とは、どのようなものであろうか。
意味といえば、通常、ひとは、ことばで語られた意味のことを思いつく。だが、ことばの意味だけが意味なのではない。たとえば「あなたには配慮がたりない」といわれて、「それはどんな意味なんだ」と怒りながら問いかえすときの「意味」は、「配慮ということばの意味は何ですか」と問いかえすときの「意味」とはまったく異なっている。ことばの国語辞典的意味ではなく、語られたことがらのなかにこそ、ひとは意味を見出だすのだ。
だが、そればかりではない。
メルロ=ポンティによると、出来事は、ことばで語られるまでは、真の出来事にはならないというのだ。どんなに深刻であろうとも、沈黙の行動と現象は、それだけでは出来事ではない。それは、語られることを通じてはじめて出来事と呼ばれるものとなる。歴史(イストワール)とは、――物語という意味でもあり――、語られた出来事のことである。
では、出来事を表現するために、ことばがもっている意味とは何のことか。
ことばの意味は、国語辞典で「ことば」という語をひいたら得られるようなものではないだろう。ことばを国語辞典で調べていけば、いつかは循環してもとのことばに戻る。そうした二次的なことばの意味のしたに、それらの意味を生き生きとさせている「真の意味」が潜んでいる。ことばの意味は、あなた自身の経験のなかでまず知られていなければならないが、それは、マラルメの詩の「どの花束にもない薔薇」のようにして、語られるのを待っている――そう、メルロ=ポンティは考える。
だが、勘違いしてはならないのだが、語られるべき経験がことばと無関係に存在し、それを表現するためにことばがあるということではない。たんに情報交換が問題ならば、ことばよりもマルチメディアが優れているが、それではことばはその貧弱な代替物になりさがってしまうであろう。
語ることはもっと能動的なことであって、いうなれば「ことばによって生じる経験」というものがある。どの花束にもない薔薇は、われわれの経験のなかに新たな感覚を生みだすからこそ語られる。語ったことばは、それによって語られた以上の意味を与えるからこそ語られる――現にあることを語って何になろう? 「見たら分かる」と百回唱えたら、何か見えてくるとでもいうのであろうか……
†無意味[#「†無意味」はゴシック体]
メルロ=ポンティに入門しようとするこの書物では、意味について、こうしたことを考えていこうと思う。
そして、すべてを考え終わったら、忘れずに、もう一度「人生の意味とは何か」という問に戻ってくることにしよう。そうしたら、わたしがさきに述べた「人生には意味はない」ということの意味も、少しは変わって見えてくるかもしれないであろう。
というのも、無意味(ナンセンス)だって、それはひとつの意味である。ナンセンスは、ことばの意味はもっているが、ただそれが現実的ではないということだ。だが、われわれは大いにナンセンスに笑うのであり、人生にナンセンスは欠かせない。
メルロ=ポンティも「無意味には意味がある」と、はっきり述べている。かれは、サルトルのいった「自由の刑」に対抗して、「われわれは意味の刑に処せられている」と主張した。われわれは、否応なく意味を通じて考え、意味を通じて生きるしかないのだし、そのように考えるときには、どんな無意味にも意味があるというのである。
だとすれば、メルロ=ポンティ哲学を一周してみると、わたしのいう「人生には意味がない」ということも、十分意味があるということになるのではあるまいか。
――というわけで、それでは「出来事とは何か」からはじめることにしよう。
[#改ページ]
◆第一章 ヒーロー[#「第一章 ヒーロー」はゴシック体]
6 となりの火事のこと[#「となりの火事のこと」はゴシック体]
†事件[#「†事件」はゴシック体]
わたし自身が経験したことから、はじめさせていただきたい。
もう何十年かまえの話になるが、わたしの住むアパートの隣室が、夜更けに火事になったことがある。ドンという鈍い爆発音がしてベランダに飛びだしてみると、となりの部屋から激しく炎が吹上げていた。
わたしはすぐさま消防署に電話し、妙に落着いている自分に感心しながら、消火器をもち、ベランダの仕切を蹴破って隣室の方へと進んでいった。
爆発音は、窓の破れた音であった。わたしはその窓から消火器のホースを差込み、燃えさかる炎に向けて消化剤を発射した。
消火器の威力は大変なもので、炎はたちまち黒煙に変わり、部屋のなかはまっくらになってしまった。……すぐ手前でちらちらと赤い火が燃えているだけだった。
そのとき、――わたしはよく覚えているのだが――一瞬躊躇した。とても短い時間のあいだに、いくつものことを思った。
――わたしはなかに入っていくべきだろうか。だが、もう一度爆発があるかもしれない。ガスにまかれて倒れてしまうということもありうる。そこまではなくても、飛散ったガラス片が、わたしの足をちくちくと傷つけるに違いない(そんな瑣末なことまで考えた)。
わたしは、驚くべき冷静さで、やるべきことはやったのだ。命をかけるまでのことはないだろう。というのも、わたしには書かなければならない本もあるのだ(この本のことだ)……
†警官の話[#「†警官の話」はゴシック体]
というわけで、わたしはそこから引返し、自分の部屋で消防士たちが到着するのを待つことにした。
火事はやがて、そのまま鎮静した。わたしは、かけつけたマスコミのひとたちが、勘違いして勝手にわたしの部屋を撮影するのに文句をいったりしながら、ぼんやりとあとの時間を過ごしていた。
それから、明け方近くなってから、がっしりとした大柄な警察官が事情聴取にやってきた。かれは、その大きな手にはまったくなじまない感じでばさばさと書類を開くと、手馴れたようにいくつかの質問をし、鎮火後の状況を教えてくれた。
かれの話によると、出火の原因はその家の主婦が灯油をまいて自殺をはかったということだった。彼女は幼稚園児の女の子を道連れに、自殺してしまったのだ。
それを聞いて、わたしは愕然とした。
わたしは、そのときまで、こんな火事になったのは家人が留守だったからに違いないと勝手に思いこんでいたのだ。
警官は、聞きもしないのに、図をみせながら、ふたりの遺体がそれぞれどこにあったかを教えてくれた。
「お母さんは真中で、自分だけに灯油をかけていたらしくて真っ黒焦げでした。女の子はここ、窓のそばですね。逃げだそうとして倒れたという感じでした。」
わたしは、黒煙のなかでちろちろと燃えていた赤い火を思いだした。警官は、そんなわたしにだめを押した。
「多分、さっきいわれた赤い火というのが、女の子供さんが燃えておられたんでしょうね。」
わたしは、よく公園で遊んでいたその女の子とは顔見知りだった。公園に行くと、わたしを隣のお兄さんと知っている彼女は、ひとなつっこく寄ってきて、いろんなことを話してくれた。地面にひらがなを書いてみせて、字が書けるようになったと自慢していた。愛らしい顔の少女だった。
†それからわたしは想像した……[#「†それからわたしは想像した……」はゴシック体]
身近なひとが死んだと聞くだけでもショックである。わたしは、その夜一番の混乱に陥っていた。
わたしが、かれらのまえに立っていたのは、炎が出てから十分もたってはいなかった。とすると、そう、かれらは、わたしのすぐ眼のまえで、息も苦しく倒れ、あるいは燃えていたのだ。燃えていたのは、まだ服や皮膚の一部だけだったかもしれない。かれらはおそらくは、焼かれるまえに窒息し、意識を失っていた――そのころだったはずだ。
わたしがどんな気持ちになったのか、ここにそれを書くことはできない。どう書いても少し違う感じがする。いまいえることは、それがあった夜から今日まで、わたしは、わたしが黒煙のなかに飛込んでいって女の子を両腕に抱え、反対側の玄関から飛びだしてくるところを、何度も何度も想像したということだ。
――窒息していただけならば、そのあと彼女は息を吹返したかもしれないではないか。集まってきていたひとのなかには、だれか人工呼吸を知っているひとがいたに違いない……
そう想像してからすぐに、そんなことができるわけはない、あの黒煙のなかで、そもそもわたしは女の子がどこに倒れているかすらも知らなかったんだ、そう、わたしは自分にいいきかせるのだった。
†わたしに欠けていたもの[#「†わたしに欠けていたもの」はゴシック体]
それにしても、あの火事のとき、さっき書いたように、わたしが沈着冷静だったかって?――全然そうではなかった。まったく違う。
確かにあのとき、わたしの頭のなかには、つぎつぎと状況を判断する思考が浮かんできて、わたしはひとりの市民として最も適切な行動をとることができたと思う。冷静でないひとというものは、パニックになってなにも考えず、かえってトラブルになるようなことをしでかすひとのことではないだろうか。
だが、わたしは、ひとつ間が抜けていた。わたしは、あの炎のなかに、だれもいてほしくないということと、だれかがいるはずがないということとを混同していたのだ。夜の十一時という時刻からすると、だれかがそこにいるかもしれないという当然の推理を、わたしはすることができなかった。あるいは密かに知っていたのかもしれないが、わたしはそれを自分に隠したのだ……
こうしたことで、だれもわたしを責めはしないだろう。隣の火事の炎のなかに、子供を救いに飛込んでいくのは、英雄的なことではあっても、親でもないわたしの仕事ではない。――だが、それでも思いだすたびに、わたしは暗い気分になる。
それは不合理な考えであるけれども、わたしがあの黒煙の暗闇のなかで、幼な子を見つける鋭い視力をもっていて、恐るべき腕力でその子を抱えあげ、息もつがずにそこを全速力で疾走する、そうしたスーパーマンでなかったのが残念なのだ。
わたしに欠けていたものは何だったのだろう。勇気、あの炎と黒煙のもたらした恐怖に負けない勇気だったのか、それともそれを支える超人的な能力、控えめにいっても、ひとなみの体力(わたしはこれにはかなり欠けている)……あるいは、何かが欠けていたというよりも、死を怖れる本能がそうさせたのであり、わたしがただ、それを乗越えられなかったというだけのことなのであろうか。
読者のなかには、あとになってそのような行為を想像したというのは、悪しき英雄趣味で、妙に善人面をしているやつだと感じられるひともいるかもしれない。
わたし個人としては、決して英雄趣味もないし、あまり道徳的な方でもないと思う。そのことの証人になりたいと、頼みもしないのにわざわざ手を挙げてくれるひとの顔が浮かぶくらいだ(木村君、君のことだ)。だから、スーパーマン的な行為を想像したということを書くのも、偽善者みたいで少し恥ずかしい。むしろ、それが妄想のようにとりついてしまったといった方が適切かもしれない。
思うに、そうした事件に際しては、意外に多くのひとが、わたしとおなじような感じ方、なぜか、かえって負い目のようなものを感じてしまうのではないだろうか……いまはそんな気がしている。
7 ヒーローになるとは[#「ヒーローになるとは」はゴシック体]
†ヒーローとは何か[#「†ヒーローとは何か」はゴシック体]
最近、ヒーローには人気がない。
物語のなかのヒーローは、つねに冷静さを失わず、最大のピンチに現われて善人を悪の魔の手から救いだす。偶然のチャンスを見逃さず、信じがたい能力を行使して、不利な事態を逆転させる。どんな卑劣な行為にもへこたれずに闘い、それでいて威張ったり見かえりを求めたりもしない。その、妙に生真面目で礼儀正しいさまは、どこかうしろめたいところがあるのではないか(!)と疑わせるほどだ。
現実のなかでは、それほどは、うまくはいくまい。
おそらくは勘違いや手違いがあって、どんなヒーローにもどこか滑稽なところが生じるに違いない。悪人と思って善人を殴ってしまったり、闘う最中につまずいて転んでしまったり、悪人を成敗したけれども善人の家をめちゃくちゃに破壊してしまったりとか(喜ぶに喜べない善人の顔)……
物語に出てくるヒーローのしぐさはわざとらしく、あまりにも都合よくいきすぎるという印象がある。実際はそうもいかないだろうと、だれしもどこかで感じている。とすれば、ヒーローになろうとすることは、虚しい白昼夢にすぎないのか。メルロ=ポンティに尋ねてみたい。わたしがヒーローにならなかったわけは何なのか。そもそもヒーローになるとはどのようなことなのか。
確かメルロ=ポンティも、A・ド・サン=テグジュペリの『戦う操縦士』を引用しながら、ヒーローについて語っていたはずだ――そう思って調べてみると、かれは、主著『知覚の現象学』(みすず書房)の結びとして、「ヒーローをまえにしては、哲学は沈黙するしかない」と述べて、なんとそれで筆をおいてしまっていた(それではもう、この本の続きを書くことはできないのか)。
とはいえ、心配することはない。そういっておきながら、メルロ=ポンティは、あとの時期の著作になって、またそうした行為の意味を解明しようとしている。哲学者とは、そのようなものだ。
かれ自身、ソクラテスが死刑になったのは、ひとこと多かったからだと述べている。
――ひとが信じているものに対して、ソクラテスはなぜ信じられるのかについて根拠を述べようとするが、それこそ、アテネの市民にとって、信じることにおいては必要ないもの、邪魔になるものであり、かれが死刑になったわけなのである……
メルロ=ポンティの哲学は、身体論や現象学なのではないかと考えて、この本ではたして入門できるのかと心配になってきた読者にいっておきたいが、ともあれ主著の結論で述べようとしたことこそ、その哲学者が最もいいたかったことであるに違いない。
メルロ=ポンティは、『知覚の現象学』において、おもに主観と客観を対置させて認識の条件や限界を論じることを否定しようとした。――その意味では、その書物の主題は認識論や学問論であったのだが――、その結論部分を「自由」の章にあてて、ヒーローとは何かについて語ったのだった。
その箇所の解釈として、わたしはかつて、「それは戦死者たちへの挽歌であろうか」と(重々しく)書いたことがある。そして、戦時中に特攻隊のパイロットだったという教授から、
「君はどんな意味で、挽歌ということばを使ったんだね。」
と尋ねられた。
こういうのを、顰蹙を買ったというのだろう。――若さゆえの、思わせぶりで断定的な口調。正直に、「よく分からないけれど、重要だと感じるのでもっと考えてみたい」と述べるべきだった(そして、やっといま考えているところなわけだ)。
†戦う操縦士[#「†戦う操縦士」はゴシック体]
サン=テグジュペリのヒーローの話に戻ろう。
あの『星の王子さま』で有名なサン=テグジュペリだが、かれが『戦う操縦士』という小説のなかで描きだしたパイロットは、ヒーローとはいえ、淡々としていた。
主人公は、第二次大戦初期のフランスの偵察隊のパイロットである。かれは、味方にほとんど戦力がないために、いくら情報を集めても意味のない偵察飛行に出撃しながら、「妙な戦争ではある」と呟く。
「ぼくが甘受しているのは、危険ではない。ぼくが甘受しているのは戦闘ではない。それは死だ。ぼくは偉大な真実を学んだ。戦争は、危険の甘受ではないのだ。それは、ある時期にあっては、戦う者にとっては、死の無条件甘受なのだ。」(新潮文庫一一八ページ、漢字の用法は本文にあわせてある)
かれの境地は、こうだ。
かれは、ひとびとにとって重大な任務を、死の危険を冒して遂行しようとしているわけではない。「これで祖国を救うのだ」とか、「わたしは決して死なない」とか考えながら、意を決して死地に向かっているのではない。かれはただ任務に向かっており、自分が死ぬかもしれないことを知っている。
かれは、操縦しながら考える。
――侵入者たちに抵抗して死ぬのでも、名誉を守るために死ぬのでも、絶望のために死ぬのでもない。死に迫られた状況のなかを、ただ、その状況から空想的に免れることなく生き続けようとするしかない。だれかが自分の行為を英雄的なものとして評価するかどうか――そんなことは、無関係だ。評価者というものは、自分は安全なところにいるから、つねに安易である。だから、自分の行為と関係はない。
「あるものがぼくらを貫いて通り、ぼくらを支配するのだが、ぼくはそれを知りえないままにそれに従っているのだ。樹木にはことばがない。ぼくらもまた樹木のようなものだ。」
樹木とは、大地に根づき、その土地によって与えられたものから、なにも知らないままにどこまでも伸びていこうとする存在者である。樹木が大地を見晴るかす高みへと伸びていくように、かれはただ地図を調べ、死ぬかもしれぬ地点に向かって飛び続ける。
†存在と思考[#「†存在と思考」はゴシック体]
サン=テグジュペリが何をいわんとしているか、お分かりであろうか。
……あまりよく分からないかもしれない。当時の時代を生きていない分、分かりづらい。
だが、わたしには、少なくともあの火事のときに、わたしの行為のどこがまずかったかは、分かるような気がする。――無意識にではあるが、わたしは、よき市民であると評価されようとしていた。わたし自身が傷つかないようにすることを第一義に考えていた。わたしはヒーローには、ならなかったわけだ。
もうひとつ分かることがある。
サン=テグジュペリの主人公は、決してパロディ化されることのないタイプのヒーローだったということだ。
その主人公は、おそろしくひどい状況のなかで超人的な力を使って幸運を引寄せ、大団円を導いたりはしそうになかった。かれの行為は、だれかを救う行為でも、正義を実現する行為でも、義務をはたす行為でもなかった。
なによりも、かれは「正義の味方」というわけではなかった。
それでもなお、かれの行為は、ひとは何をなすべきかについての、ある種の最高段階を示していたようには、思えないであろうか。かれの行為は、悲惨だったり残酷だったりする状況のなかで、それらにまったく動じない重みをもっていた。――ひとびとは、この主人公のことばに打たれ、かれと同様に戦いに赴こうとしたと、解説書は語っている。
わたしは、そのことについて、考えてみることにしよう。状況のただなかにおける人間の存在と思考というものについて、どんなひとも決して侮辱することのできない思考について……
8 現代の正義[#「現代の正義」はゴシック体]
†TVのヒーロー[#「†TVのヒーロー」はゴシック体]
なぜひとは、ヒーローたちのパロディが好きになってしまったのか。なぜひとは、ヒーローのしぐさを誇張して、現実とのずれを仰々しく表現しようとするのか。――その結果、スーパーマンもバットマンも、最近の映画のなかでは、「正義のための自分の行為は、ひょっとしてエディプス・コンプレックスのせいなのではないか」などと、ひとり悩んでしまうほどなのだ。
わたしは、子供のころに夢中になっていた「月光仮面」から、最近のハリウッド映画のスーパーヒーローたちまで、「正義の味方」といったタイプのヒーローがパロディ化されてきた原因のひとつに、TVという傍観者的なメディアがあるのではないかと考えている。
というのも、TVをまえにしたときは、われわれは、いつでも好きなときに経験の内容から身を引くことができる。どんなにTVのなかの話に熱中していても、TVにはコマーシャルというものがあって、少しのあいだ現実に戻ってトイレに行く方がよいと勧めてくれる。あなたの方とても、ちょっと退屈したと思ったら、話の重要な伏線部分であったかもしれないのに、さっさとチャンネルを変えてしまうだろう。
それにもまして、TVを見ているときにかぎって、なぜかすぐそばでボリボリと煎餅を食べている父親がいたり、唐突に掃除機をかけはじめる母親がいたりして、われわれは否応なく現実に引戻されてしまう。
たとえ個室でひとりで見ていたとしても、ビデオにとったニュースの味気なさから分かるように、おなじものを見ている膨大な数のひとびとの影が、TV受像機をオーラのように包んでいる。
TVには、ある意味で隣人的態度――キリスト教のいう「隣人」とは随分違うが――を促し、育成するところがあるように思う。TVとは、あなたが熱中して取組んでいる仕事や趣味において、無数の視線に曝されて、それに没頭しているあなたの態度に気づかせられるようなちょっとした情念装置にほかならない。
とかく、TVは一方向的なメディアであるから、それを見すぎると他者との関わりが損われるといわれたりする。だが、実際は、逆ではないかと思う。というのも、TVには、たえずあなたの背後から覗きこんでいる他者が多すぎるというべきであろう。TVに映るすべてのものは、そのショットの構図も含めて、他人があなたに代わって見、あなたに代わって取扱っているところのものである。
「メディアはメッセージである」といったのは、M・マクルーハンであるが、放映されている内容のいかんを問わず、TVは、それを見ている多数者を思いださせるような独特のコミュニケーションをしてくる。
ニュースを見るときがその典型なのだが、TVを見ているだけで、TVというメディアは、あなたを傍観者、つまり野次馬のひとりであるように訓練する。だからこそ、TVに向かって返事をしたり、ひっきりなしに文句をいったりしているあなたは(もちろんわたしもだが)、決して変人ではないのである。
†ひとでなし[#「†ひとでなし」はゴシック体]
ところで、どんな事件だったか、ニュースのなかで、マスコミ取材人のひとりが殺人犯に向かって、「ひとでなし」と怒鳴ったのを見たことがある。わたしはそのとき、少し違和感を抱いた。
――確かに「ひとでなし」ではある。だが、マスコミは、何を代表してそのような一個人の感情を表現することができるのか。TVの視線は、正義の視線であるとでもいうのか。
「正義は復讐の感情からはじまる」と、J・S・ミルが述べている。正義がどのように成立するか、どのようにして根拠づけることができるかについては、さまざまな議論があるが、いずれにせよ、正義は復讐の情念を伴うのであり、しかも、その情念を怖れるところに成立するように、わたしは思う。
復讐とは、自分になされた害悪や恥辱に対して、その原因となったひとを極め、そのひとに同等以上の情念を生じさせることにあるといえよう。だが、やつあたりや逆恨み、「江戸のかたきを長崎で討つ」などといったことがあるし、過剰な報復は復讐を無際限に繋がらせる。
情念は、放っておけばどこまでも進む。正義とは、そのことに対する人類の工夫であるといってよいであろう。復讐は、出来事の原因をあきらかにする論理的な確かさと、相手に加えるべき苦悩の情念の量の適切さとが顧慮されることによって、正義と呼ばれるようになるのではあるまいか。正義とは、他者の視線が交錯するなかで、各人の情念が相対化されることである。
ところで、TVというメディアは、一方で視聴者の情念を煽り立てながら、他方でその情念に水をさし続ける。つねにひとをなんらかの情念に関わるように誘導しながら、その情念に没頭したあとの後味の悪さを思い起こさせるように働く。とすれば、TVこそ、だれしも傍観者であるような、最も強力な現代の正義である。
だからこそ、物語や映画のなかで作られた不滅のヒーローすらも、一旦TVのフィルタを通されてしまえば、もはや長生きすることすらできないだろう。「悪をくじき弱きを助ける」ヒーローの正義は、TVの正義のまえに映しだされて、いまやだれも信じない括弧つきの「正義」となってしまったのだ。ヒーローは、TVの正義に媚びた瞬間に、冷笑され、パロディ化される運命にあったのだ。
†成功の指標[#「†成功の指標」はゴシック体]
わたしは、TVが悪いといいたいのではない。
TVメディアは、ひとびとがそれを見続けるから存在する。それは善でも悪でもなく、ただの時代の反映とみなすべきであろう。問題はむしろ、今日、なぜひとびとがお互いの情念に、それほどまでに怖れるようになったのかということである。
その原因のひとつとしては、過去に共同で没頭した情念、戦争やバブル経済といった情念の、終わったあとの虚しさがあるかもしれない。これらはみな挫折して、かならずしも没頭して差支えないものではなかったということが、あとで分かった。
それらに正義がなかったのは確かである。かといって、今日まで、真正の正義によってそれらの時代が断罪されたという話も聞かない。むしろ、現代では、真正の正義より経済的価値の方が重要とみなされる。お金とまでいわなくても、数量に還元できるタイプの価値のことである。政治も、民主主義の理念のもとで、もとより投票という統計的価値を表現していたが、いまでは経済的価値の危うい操舵手のようなものになりはてた。
学問においても、コンピュータの記憶装置に使いやすいデータを重視する理論が主流になり、ヒトの遺伝子情報が特許とされつつあるというように、科学的知識がそのまま産業的価値をもつといったことが生じている。ひとびとは科学の学問性よりも、経済的価値に参照して科学の成果を判断するようになっている。
かくして今日、ひとびとは、正義よりも経済的成功を求め、成功するための目に見える指標ばかりを求めている。だが、指標を頼りにして構想された仕事は、原理的に「成功か失敗か」という構図を崩壊させる。それは、経済的利益をあげるかもしれないが、決して成功することはないであろう。なぜなら、価値を評価することと、価値を産みだすことはまったく違うのであって、真の意味での成功とは、既存の指標を否定して新たな価値を樹立することだろうからである。
9 歴史の終焉?[#「歴史の終焉?」はゴシック体]
†コジェーヴ[#「†コジェーヴ」はゴシック体]
以上のような状況を、資本主義の原理から解明したものとして『アンチ・オイディプス』(G・ドゥルーズとF・ガタリの共著 河出書房新社)という書物があるが、ここでそれを紹介するのは、趣旨が違うのでやめておく(拙著『ドゥルーズ』を読んでほしい)。それにしても、このような事態を説明して、もしポストモダンの思想家とその追随者たちのように、「すでに歴史が終わってしまっているからだ」というならば、わたしは返すことばもない。
ところで、G・W・F・ヘーゲルの哲学を解釈しながら、「歴史は終わった」と主張したのは、一九三〇年代のA・コジェーヴである(参考までに、コジェーヴは、歴史の終焉とは西洋人が「日本化」することだとしている――どんな意味だ?)。メルロ=ポンティも、精神分析のJ・ラカンなどとともに、コジェーヴの講義に出席していたという。
「歴史が終わった」ということの意味は、歴史のなかに徐々に出現してくる(学問的)真理や(社会的)正義の実現過程が終わったという意味である。いいかえると、歴史には目的があって、各時代の人間がその使命を担っているとか、あるいはつぎの時代によってまえの時代が否応なく乗越えられていく、ということがなくなったという意味である。
†歴史とは何か[#「†歴史とは何か」はゴシック体]
では、そもそも歴史とは何だったのか。
「歴史って、その時代その時代の支配的な階層のひとたちが、自分の正統性を主張するために改竄《かいざん》していくような、過去について記述したもののことでしょう。」
と、わたしに答えた学生がいた。
実に、まったくそのとおりだ。
歴史は、統治者が代わるたびに書きなおされてきた。支配的な国の歴史が、そうでない国の歴史をその部分として位置づけてきた(世界史の教科書を見よ)。現代における重要度や、外交関係と内政問題の比重が、歴史の全体を変形したりもしている(教科書問題を見よ)。個人的なレベルにおいても、どんなに純粋に過去のことが知りたいだけだと主張しても、それは意識していないだけで、それを知ることがそのひとの人生を価値づけるからこそ関心が生じるに違いない(邪馬臺国論争を見よ)。
ただ、歴史学者たちが怒りだすまえに、その前提として、「本当の歴史」というものがあるはずだということに、注意を促しておきたい。
フランス語では、歴史(イストワール)という語は、「物語」とおなじ語である。中世西欧には、キリスト教聖人たちに関する無数の物語があった。それを「批判」したのが、十七世紀のP・ベールである。
はたして物語のなかに、あきらかに筋の通らないさまざまなことがあっていいものか。数百年生きていた聖人とか、竜と戦う英雄とか。かれは、すべての過去を積算していくべきではなく、あてになる資料とそうでないものを峻別し、本当にあったと思われる過去をのみ記述すべきであると考えた。そうした作業を「批判(批評)」と呼んだのである。――そうした批判を経たものだけが、歴史と呼ばれるべきなのだ。
†歴史は現在にある[#「†歴史は現在にある」はゴシック体]
「だけど、過去を説明している資料は、古文書でも遺跡でも、過去そのものではないのでは……」
なるほど、すべての歴史資料は、過去に存在するのではなく、現在において過去を示すものとして存在する。
現存する世界一古い木造建築といわれている法隆寺だって、現在にあって、ただ木の表面の干からび具合や変色や変形が、長い時間がたっていることの記号となっているというだけである。また、長い時間がたっているという特性をもって現代に存在する文書のなかにその記述があって、せいぜいその時間の長さを特定する状況証拠になっているというだけである。
そのせいで、新しく発見された資料や、資料相互の検証による新しい推論によって、過去についての過去の記述は、しばしば変更させられることになる。調査法や保存法や測定法の進歩した国には長い歴史があることになったり、消耗しやすい素材を好んだ民族には歴史がなかったことになったりしてしまう。
しかしながら、過去が新たな学説によって変更されることは、歴史が不確かであることの証拠ではない。そうではなくて、歴史がいよいよ確かなものになろうとしている証拠なのである。
確かに、歴史自身は現代の状況、および永遠に不完全なものでしかない証拠に依存しており、漠然としたものであることを免れえない。歴史は、すでにできあがってしまったものという意味での過去そのものではない。だが、それが過去をたえずあきらかにしようとする歩みをもつかぎりで、「本当の歴史」としてあてにすべきものが、歴史として語られているものの周辺に漂っている。
つまり、もし歴史が厳密で論理的な方向で修正されるとしたら、それ以前の歴史よりも確かであることができるような、そうした学問的な歴史が存在する。そのことによって、われわれは歴史というものをあてにすることができるのである。
†歴史読みの歴史知らず[#「†歴史読みの歴史知らず」はゴシック体]
さて、現代において、歴史が終焉してしまったかのように見えるとすれば、それは、ひとびとが歴史について考えすぎているからかもしれない。
歴史を意識するあまりに、ひとびとは、傍観者のように出来事の「自然の推移」(そんなばかな)を観察し、外挿法(過去から現在への変化の方向を調べ、その調子で未来が生じてくると判定する方法――要するに耳年増の事情通による情報)を使って予測しているだけなのだ。
要するに、ひとはわれわれの歴史全体も、あたかもTVのなかにあるかのように考えて、自分のこととは考えられなくなってしまっている。現代という歴史の時期は、こういう態度が一般化してしまった時代であるとはいえるだろう。
もしすでに歴史が終わっているとすれば、未来に生じることは過去の事例から推測して、十分に予測できるようになっているはずである。しかし、実際、予測は完全ではない。それは、人間理性に限界があるからではなく、歴史がまだ終わっていないからである。つねに意外なことが生じること、それが歴史の本性であり、人間が時間のなかに生きているということなのである。
われわれは、未来を予測するよりもずっと多く、まずは出来事を体験する。出来事が起これば、そのなかで行動しなければならないが、ただそれだけしているのではなく、われわれは出来事についても語ろうとする。何のためか。出来事をひとに伝えてその体験を共有するとともに、出来事のなかで、ひとが真には何をなすべきだったかを吟味するためである。
大きな出来事が共有される一方で、流産したり破産したりした無数の小さな出来事も、ひとりひとりの胸のうちに残されていく。それらを通じて、われわれはたえず世界と人生の意味を考える。あの火事のあとでわたしもそうしたように、ひとは出来事が終わってから、自分が何をなしえたかについて、どうしても自分自身の能力を超えて追想したくなるものであるし、そこに自己の存在についての考察がはじまるのである。
歴史とは、行動され、考察され、批判されることによって見出だされるところのものである。いま過去を振りかえって表現を任意に与えることのできることばの意味のことではないが、なお一層TVに映しだされるような単純な事実の集合体のことではない。
それは、メルロ=ポンティによれば、出来事に参加し、またそれを目撃するひとびと相互の関わりのなかで、つねに唯一のものとしてめざされており、またいつまでもそれ自身にとどまって、無数の探索に開かれている「出来事の意味」のことなのである。
10 歴史に一体化する[#「歴史に一体化する」はゴシック体]
†「戦争は起こった」[#「†「戦争は起こった」」はゴシック体]
そのようなわけで、メルロ=ポンティは、「歴史は終わった」とのコジェーヴの考え方を、そのまま受けいれることはしなかった。
第二次大戦が終わったすぐあとに、かれは、「戦争は起こった」という論文を、「レ・タン・モデルヌ」に発表している。その論文においてかれが否定しようとしたのは、歴史そのものではなくて、旧い歴史観であった。
旧い歴史観においては、歴史とは、ひとびとが求める平和と幸福の理念が反映されるもので、暴力や災害は偶然事にほかならないと考えられていた。個人の英知と努力があれば、そうした偶然事は克服できるはずだったのだが、振りかえってみると、第二次大戦というのは、そのようなことによって防ぐことができたような出来事ではなかった。
旧い歴史観のひとたちは、自由の意識を尊重していたが、それが歴史を軽視することに繋がった。歴史が終わっているのではなく、その自由の意識によって、真の歴史に対するある種の不感症が生じていたのである。
戦争のなかでメルロ=ポンティが見出だしたことは、歴史の与える状況のまえでは、われわれは「自由な個人」ではなくて、「フランス人」であったり「労働者」であったり、相互にそれぞれの資格でしか働きかけあわない、もっと一般的で匿名的な「ひと」であるということであった。それにもかかわらず、ひとびとが、自分のことを「自由な個人」であると思いこんでいたことが、戦争に進んでいく事態を後押しすることになり、ついには戦争を不可避的にしたのである。
ところが、戦争のなかで、そうしたことに気づいたひとたちがいた。サン=テグジュペリの主人公は、まさにそうしたひとたちを代表していたのである。
メルロ=ポンティ自身、第二次大戦に将校として参加し、フランスがドイツに占領されたあとは、レジスタンスのグループに参加したりしていた。そこにはたくさんのひとがいて、歴史の流れに抵抗するために、おのれの生命の危険をおかしたのだった。
そのひとりひとりのしたことが、あとからみて合理的でなかったとか、かならずしも正義ではなかったとしても、歴史の真実を見出だそうとはしていたといえる。そうしたすべてのひとたちに、メルロ=ポンティは、「ヒーロー」という賛辞を捧げたのである。
「ヒーローたちだけが、かれらが内心あろうとしていたものに、真に外的にもなったのであり、ただかれらだけが、歴史に命を奪われるそのとき、歴史に結びつき、歴史と一体になったのである。」(『意味と無意味』みすず書房二一四ページ――これ以降引用箇所は翻訳書のページで示すが、原典から訳出したので表現は多少異なる)
†自由という欺瞞[#「†自由という欺瞞」はゴシック体]
メルロ=ポンティがいいたいことは、自由とは「自分は自由だ」と考えることではないということである。
ひとびとの生活条件を規定しているのは歴史的事情である。いつか設定された国境線や法律、あるいは市場のメカニズムや新しい機械装置、そういうものがひとびとの生活を一定の形に拘束している。しかし、ひとびとは、現実にそうした生活を送ることを選んでいるのは自分たちであり、自分たちは、いつでもそこから逃げだして新たな生活条件を構築することができると考える。
たとえば、「現代がどのような時代かなんて関係ない、自分は自分さ」などと思いながら生きることができる。その裏返しにすぎないが、「時代によってなんでも決まっていて、自分はうまく時代のなかで生きていけばいいんだ」と思いながら生きることもできる。
なるほど、どんなに奴隷状態に置かれているひとでも、意識においては、いつでも自分は自由であると考えることができるのである。なぜなら、他人から見える自分が一般的にどのような存在かということを、意識は自分にごまかすことのできる強力な能力をもっているからである。
自分はすっかり周囲に溶けこんで自由に振舞っていると思うにせよ、自分はすっかり浮き上がってしまっているが自分らしい道を歩んでいると思うにせよ、意識が自分を特別の存在であると前提しているのにかわりはない。
そうしたタイプの自由は、にせものの自由である。にせものは歴史の仮借ない働きによって、(覚醒剤や売買春のように)あとになってから(本人にとはかぎらないが)悲惨と残酷を産みだすだろう。
メルロ=ポンティによると、歴史のなかに、歴史を免れているような特別の個人は存在しない。むしろ、真の自由は、歴史の方へと向かうことによって生じてくる。
真の自由は、歴史のなかで、自分がありたいところのものに実際になるということである。大きな歴史的出来事でなくてもいい、あなた自身が重要な登場人物になる小さな――巻込むひとの数が少ないというような意味で小さな、しかし自分にとっては当然大きいのであるが――歴史のなかで、自分が望む役割をはたしおおせるとき、つまりその歴史と一体化するとき、そこに犠牲や苦痛や死が伴っていようとも、そのひとは真の意味で自由なのである。
†ヒーローの自由[#「†ヒーローの自由」はゴシック体]
歴史と一体化するような自由とは、ひとり自由へと脱出するのではなく、歴史のなかに飛込むことである。歴史とはひとびとの生活の場であるのだから、そのことは、同時に、そこに生きている他人たちのあいだで生きることでもある。
「死ぬのはひとりだが、生きるのは他人とともにであり、われわれとは他人がわれわれについて作りあげるイメージであり、かれらがいるそのところにわれわれもまたいるのである。」(『意味と無意味』二七〇ページ)
たんに他人たちのあいだで生きるだけではない。それぞれが自由であろうとする他人たちがともに生きることができるような秩序をまた自分も欲し、そのために生きるということでもある。
「その瞬間にかれが行使するこの自由を、自分自身および他人に対して保証するものとしてのみ、かれ(ヒーロー)は未来の社会を欲するのだ。」(『意味と無意味』二六八ページ)
だが、あまりおおげさに考える必要はない。
遠藤周作が、理想的な夫婦とは、それぞれが主人公である自分の人生の物語のなかで、お互いがその脇役であるということを知っていて、その役割をきっちりとはたすような夫婦のことであると、新聞に書いていたのを読んだことがある。歴史は主観的に個人が作れるようなものではないから、厳密には少し違うのだが、そのような意味にとっていいかもしれない。
ともかくも、われわれひとりひとりが、周囲の人間関係において、また周囲で起こるちょっとした出来事において、あるいはだれにでも存在する人生の紆余曲折において、いつでもヒーローでありうることを思いだしてもいいのではないだろうか。
「歴史が終わった」というスローガンはひとを惹きつけやすい。だが、ひとびとがそういう気分で生きていた時代はほかにもある。ひとびとの情念が相対化されて、自分は自由だと思っているだけの時代。他方、そのあとで生じてくる悲惨や残酷をまのあたりにすれば、真に自由になることがふたたび意味をもってくるときがくるだろう。
ヒーローであろうとする行為はすべてパロディ化されるのが時代かもしれないが、どんな歴史であろうとも、出来事にみずから立会おうとすることが重要であり、そこでわれわれが何をなしうるのかということが問題である。それというのも、歴史とはひとびとのあいだで語られようとするものの全体であり、われわれがことばを語る存在であるかぎり、語られるべき出来事に終わりは決してこないからである。
11 生身のヒーロー[#「生身のヒーロー」はゴシック体]
†スポーツカーの話[#「†スポーツカーの話」はゴシック体]
それでは、最初からヒーローとして創作され、そのあげくにはパロディ化されてしまう「スーパーマン的ヒーロー」と、あとになって物語られて、いわゆる歴史のヒーローになるかもしれないし、ならないかもしれない、出来事のただなかにおける「生身のヒーロー」との違いは何だろうか。
まずいえることは、われわれのヒーローには「出来事」があって、それからは切離せないということである。
たとえば、あなたが追突した車が炎上して、なかにまだひとが乗っているとしたらあなたは何をするだろうか。――わたしは、実際に、そういうヒーローをTVで見たことがある。かれは、なりふり構わず不器用に車に体当たりして、やけどをしながら、なかのひとを引張りだした。それからすぐに、周囲のひとたちがかけつけてきていた。
わたしのすぐまえの車が炎上するなど、しょっちゅう運転していると、いかにもありそうなことである。だが、それに対して、わたしに何ができるだろうか。
スーパーマンならためらうことはなにもないが、あなたならどうする?――あなたは、道路交通法や自動車保険のことを考えているのか。それとも、なにもできないかもしれないが、なにかしなければならないと、真剣に考えているところだろうか。
……車ということで思いだしたのだが、メルロ=ポンティは、赤いスポーツカーに乗っていたそうである。「フットボール選手ぐらいの体躯の若手哲学者が、パーティ会場の入口で、赤いスポーツカーから降立ってきたが、それがメルロ=ポンティであった」と、ある本のなかで紹介していたひとは、どうもそのことに対して随分な反感を抱いていたらしい。
ちなみに、日本の哲学研究者には、地味なブレザーを着て、肩からずた袋のバッグを下げ、不自然に伸びた髪のひとが多い。わたしがいまの大学に赴任したとき、哲学スタッフのうち、運転免許保有者の割合はわずか二五パーセントだった。なぜだ。
†本能[#「†本能」はゴシック体]
そうしたことはともかくとして、ひとが出来事から切離されないということは、結局何をすることができるのか、その場になってみないと分からないということである。
そのことは「本能的に行動する」と説明されるかもしれないが、それはあまりよくない説明である。なぜなら、そのような説明には、「よく分からないけれども、ひとはよくそうするものだ」という以上の意味はないからである。
人類にとっての本能とはどのようなものか、それはだれも知らない。――定義上そうなのだ、「知っているもの」は本能ではないのだから。
本能は、だれもが認めてくれるだろうという意味で公式の、自分へのいいわけのようなものである。たとえば痴漢をした男性が、「おとこは本能的にそういうことをしたくなるもんだ」などといいわけしようものなら、わたしはいいたい、「自分の性癖について勝手に人類を代表するな」と。
本能とは、種のすべての個体に例外なく組込まれている遺伝的メカニズムであって、本人の意識とは無関係に状況に反応し、一連の行為が継起的に解発されるというものである。
出来事への対処は、大抵の場合、熟考するひまもない。そこから、そうした動物的本能に期待するひともいることは分かる。つまり、人間はあれこれ考えるからかえってまずいことをしてしまったり、すくんでしまってなにもできなかったりするのだが、動物たちはそれぞれに状況に応じて可能な最大限のことをなしとげる。人間も考えることをやめてその場の状況に身を任せれば、(火事場の馬鹿力というように)そのひとの普段からすると、信じられない能力を発揮するに違いないというわけである。
それであるにしても、本能というものは、動物の行動を決定するものとして導きだされた説明用語である。そして、なによりも、そう呼ばれるものを超えているのが人間なのである。
12 ヒーローの理由[#「ヒーローの理由」はゴシック体]
†超えること[#「†超えること」はゴシック体]
出来事は、動物にとっての状況とは異なる。出来事は思考する人間にとってはじめて意味として与えられる。出来事に対して動物的になることは、出来事の差向ける意味にただ反応し、出来事に流されることを意味している。
なるほど、動物的な行動がたまたま出来事のなかで重大な意義を担うことがあるかもしれず、その行動をしたひとがヒーローと呼ばれることがあるかもしれない。スーパーマンも定義上(かれにとって関わりのない正義のために期待されるままに行動するのだから)そのような存在であるのだが、それはわれわれの「生身のヒーロー」からは区別しなければならない。
重要なことは、必ずしも能力のあるひとがヒーローになるわけではないということである。出来事のある局面で期待される能力はあるが、そうした局面を構成するものは出来事の方である。そこで要請される行動は、いずれにせよ、その局面に遭遇したひとの能力にとって可能か不可能かといった境界的なものである。二メートル跳べるひとには、二メートル五センチ跳ぶことが要請されるなら決断が必要である。ところが、三メートル跳べるひとにとっては、そこは出来事の局面とはならずに通りすぎられてしまい、跳べなかった場合という展開が生じないのである。
――そうであろう、幼児が親の事故をだれかに知らせに走ったとしたら、その幼児はヒーローである。川に落ちた子供が溺れかけている場合に、泳げるひとだけがヒーローになれるのではなく、その場にいあわせたひとが、何であれ、かれの能力を超えようとしたらヒーローなのである。
したがって、問題はその状況で行動へ飛込んでいけるかどうかである。能力がほかのひとよりも高いかどうかは、そのひとがヒーローになれるかどうかの理由ではない(F・ニーチェにもいっておきたい)。
生身のヒーローとは、溺れやすく、どぎまぎしやすい存在である。そのようなひとが、出来事のなかの特定の局面で、自分がなさなければならないと考えたことをきっぱりとなしとげる、そうした場合に、かれがヒーローと呼ばれるのである。――「義を見てせざるは勇なきなり」ということばもあるように、「勇気」といってもいいのだが、勇気を能力と勘違いするひともいるから、そう説明するのはやめておこう。
†なすべきこと[#「†なすべきこと」はゴシック体]
能力ないし本能はヒーローの条件ではない。たとえ能力があっても、出来事の意味を破壊するような形でそれを発揮した場合はヒーローではない。やみくもに常識を超えた活躍をするかどうかが問題ではない。
ヒーローとは、ある局面でそのひとに期待される以上のことをなしとげる(できなくても無理はないと思われることをやってのける)ことに存する。とすれば、ヒーローは、出来事のなかのその局面で、何がなされるべきなのか知っていなければならないであろう。
ところが、何がなされるべきかを知るのは難しい。なかには、「あなたは、どんな理由で、そのとき何かをしなければならないというのか」といって、そもそもこうしたことを考えることに反対するひともいるかもしれない。
I・カントが苦労して論証したかったことは、ひとが何かをしなければならないとすれば、それはどんな根拠からかということだった。
何らかの利益があるとか、あとで罰せられるかもしれないとか、ほかのことに結びつけられた動機は、なすべきことを本当に教えているわけではない。結びつけられたほかのことが必ず成立つ保証がないからだ。
とすれば、唯一根拠にできることは、人間が理性をもった存在者であるということだけである。――あなたがだれかに向かって、大きな声できっぱりと「あなたはこれこれをなすべきだ」といえるのは、どんな人間にとっても、人間であるかぎり、いつでもどこでもなさざるをえないようなことだけである。
カントが主張したことは、「それをしないなら(理性的)人間ではない」といったような種類のことだけが、本当になすべきことだということである。というのも、そのようなことを問題とし、理解することのできるのは理性的人間だけだからである。
カントは、そのことを示すために、「なすべき」といわれているさまざまなことは、実は、真にはなすべきといえないことを論証していった。
しかしながら、わたしには、その論証のなかで、かれはどうも、人間が本当になさなければならないことなどほとんどないということを証明してしまったような気がする。とすれば、わたしは、出来事に対して「そんなのは知ったことではない(わたしにはかかわりのないことです)」というひとがいたり、なすべきことがそこにあっても、「それは、人間ならだれでもなすべきようなことではない」といって何もしないひとがいても驚かない。人間の本質が理性でないとしたら、論理的にはそのとおりだと思うからである。
†こころざし[#「†こころざし」はゴシック体]
それにしても、そのことは、善が存在しないという意味ではない。
わたしは、「何かしなければならない」と感じるひとが事実いることを知っているし、そう感じないひとがどうしてそうでないかを説明することができる。――モラルの問題については、それだけで十分ではないだろうか。
「ひとが何かをしなければならないとしたら、それはその状況に遭遇したどんなひともおなじことをしなければならない」という論理がある。いつごろからそういうことになったのか、倫理学者の固定観念である。
なるほど、討議するときには、そういういい方しかできないだろう。論証というものが、原則的にだれからも理解されなければならないからである。しかしながら、それは討議の倫理であって、出来事の倫理ではない。「出来事の倫理は討議の倫理に準じなければならない」などということは、決して証明済みのことではない。
「ひとはそれをしなければならないが、そうしたいと思うひとだけがすればいいのだ」といってしまえば、会議は解散である。理論的な問題としては、「しなければならない」とはいったいどんな意味だということにはなるが、実践においては、それで意味は通じるのだ。
わたしが問いかけたいのは、すべてのひとに例外なくということではなく、そうしたときに何かしなければと感じるような「こころざし(モラール)」のあるひとに対してだけである。
どんなひとでも、おそらくは、たとえば弱い存在が惨めな状況に置かれているのを発見したときなど、何かしなければならないと感じるときがくるだろう。
少なくとも、だれかを愛したときには、何かをしなければならないと感じるだろう。ひとは、そう感じることが、少なくとも、人生に一度ならずある。そのようなときにどうすべきかということを、わたしは問題にしたいのだ。
13 出来事のモラル[#「出来事のモラル」はゴシック体]
†共感と規範[#「†共感と規範」はゴシック体]
そのことは、相手に共感できるかどうか、共感しなければならないかどうかの問題ではない。
「共感」とは、誤った問のたて方である。諸個人はばらばらに互いのことを推定するしかないような存在であると前提したうえでしか、共感があるかないかは問題にならないが、前提において共感はないことになっているし、共感があるとしたら前提が間違っていたというわけである。
むしろ、だれのものか分からない感情的布置のなかを生きながら、どうやって自分に属する感情を特定し、それに対する行動をどんな根拠から規定するかということの方が、本来の道徳的問題だったはずである。それゆえ、共感に従って行動するとは、よく考えないで(本能的に)行動するということに等しい。
同様に、モラルの問題は、規範の問題でもない。
モラルといえばつねに規範をもちだすひとがいるが、規範というものは、一般になにがしかの実効的威力に基づかなければならない。
たとえば法律では、それに従わない場合の罰則が設けられる。たとえ法にするには(監視したり逮捕したり裁判したりするとかえって不都合が生じるという意味で)コストがかかりすぎる場合にしても、他人から白眼視されるというようなサンクションがある。ひとが規範に従うのは、それに反したときの罰則を怖れるからであって、そうした恐怖なしに、規範の意味は理解できないだろう。
規範が良心としてこころに内面化され、ひとはみずから望んでそれに従うと考えられるかもしれない。だが、フロイトが――正面切ってというわけではないが――述べたように、それはある種の神経症であり、おなじ恐怖を他人に押しつけようとする(自分の規範を他人にも遵守するように圧力をかける)やっかいなひとなのだ。内面化された規範は、たんに自分が遵守したいだけではなく、他人にもそのおなじ規範に従わせたいとする奇妙な欲望を生じさせる。
歴史的に形成されてきた規範には、習俗や慣習によって成立し、ただひとびとがそう思っているからそれに従わざるをえないといった仕組がある(たとえば、右側通行の国では、車は右側を走らなければ互いに衝突してしまう)。習俗や慣習は文化によって多様であり、それらの規範にさしたる根拠は見出だしがたい。どんなものであれ、規範があるというそのことがその社会集団の秩序にとって重要になっているのである。
†出来事のなかで生きる[#「†出来事のなかで生きる」はゴシック体]
それに対し、出来事のモラルは別である。それは、出来事と行動の内在的連関の問題である。
規範は、だれにも繰返し機械的に到来するものに対してなすべき行動を規定する。しかし、出来事はひとつとしておなじものはなく、一回かぎりのものとして、つねに例外的に生じる。そのなかでは、ある行動がある結果を必然的にもたらすとはいえないし、したがって完全に出来事の結末を予測することができないし、予測したとしてもどの条件のもとに成功するともいえない。行動なしでは出来事に意味が生じることはあるまいが、ひとつの行動が出来事の意味を決定するわけではなく、さらには他の行動や事象、他のひとびとの行動と干渉しあって、予測したものとは別の結果を引起こす。
それにもかかわらず、そうした出来事に遭遇するかぎりにおいて、だれかに何か「なさなければならないこと」がある。その行動を遂行するために知っていなければならない知識は文化相対的であろうとも、そのひとには、ともかくも何かしなければならないという動機が生じている。(カントは道徳の普遍性を規範に従おうとする動機に求めたのだったが)出来事に対する動機にこそ、規範には期待できない普遍性がある。
では、そのだれかとはだれなのか。
それは、少なくとも規範に従うだけの人間ではありえない。人間の行動の目的は、もとより規範に従うことではない。人間は規範に従って機械のようにもなりうるが、そうなってしまっては、真に出来事には対応できなくなる。だからといって、出来事に遭遇するだけで、そこで翻弄されているのは動物的だといわれよう。とすれば、何かなさなければならないと考えつつ、しかも機械や動物になろうとすることを超えることこそ、ヒーローになるということであるに違いない。
だが、出来事はヒーローのためにあるのではない。出来事においては、(みんなが主旋律を歌っていてはコーラスにはならないように)そのときにどうしなければならないかがすべてのひとに等しく決まっているわけではない。分担しうる役割の違いということもあるが、なかには、見てみぬふりをするひともいるに違いないし、かえってあなたの行為を妨害したり非難したりするひともいる。
ところが、そういう機械的なひとびとや動物的なひとびともいて、出来事は出来事らしくなってくるのであるし、出来事はだれかの幸福のためや、ましてや全員の幸福のためにあるのではないのだから、最初は妨害に見えたことが、むしろ出来事の真の解決をもたらしたりもするのである。
14 決断[#「決断」はゴシック体]
†状況の引受け[#「†状況の引受け」はゴシック体]
結局のところ、ヒーローとは、出来事に切迫されている奇妙な状況において、その状況を非日常的なもの、特異なもの、要するに「出来事」と感じとることができて、決断することのできるひとである。
とはいえ、決断とは、かならずしも「間違いのない状況判断」ということではない。わたしが状況を判断して、なにがしかの行動を決定するということではない。メルロ=ポンティは、「決断とは引受けられた状況である」と述べている。
「状況を引受ける」とは、どのようなことか。
簡単にいえば、出来事の意味を理解し、状況に対応した行動をとるということである。状況が提案してくる意味がある。あなたは、その意味に従った行動を、いつがそのときか待ちうける。そして、その瞬間が来たと思ったそのときに、あなたの行動を解発すればよい。それは、こういってよければ、あなたのこころに用意があったとき、状況それ自身があなたのなかで変じて決断となるということである。
なるほど一方では、状況に夢幻を置換えて、勝手に意味づけをしてしまうドン・キホーテのような人物もいる。だが、概して現代のわれわれは、意味を捉えるのにいつも手遅れである。われわれは、状況から身を引いたままで、状況が全体的に現われてくるのを待っているのだが、それではいつも遅すぎるのだ。
――「そういってくれればよかったのに」なんていうひとにいっておきたい。その瞬間にはわたしにだって分からなかったのだし、いったとしても「深刻に考えすぎだよ」なんて、凡庸なことをいうだろうに。
ひとは、すべての情報を入手してから、万全の決断をしたいと思っている。だが、すべての情報が手に入ったならば、それは唯一の合理的解決が見えているときで、決断するまでもないであろう。すべての情報を入手したいと主張するのは、むしろ決断したくないと主張することに等しいのである。
†理論と存在[#「†理論と存在」はゴシック体]
そのようなことをいうと、決まって口出しをしてくる学者たちがいる。
――そのときの判断の正しさを決めるのは、どのようなものか。その正しさの根拠は何か。
人間はもともと利己的な存在であって、自己保存と生殖のために欲望を満たすのだ。いや、共感というものがあるからこそひとを助けるために危険を冒すのだ。いや、良心にたちかえりさえすればなすべきことはおのずから決まってくるのだ。いや、理性があるかぎりにおいて、絶対的な規範に従うよりほかはないのだ。いや……
そうした議論をしはじめる学者たちに対しては、わたしは「それは倫理学的にいえばうかつである」といいたい。なぜなら、そうした議論は、事情が切羽詰っていない穏便なときに、理論的に考察する結果として生じるのであるが、実践における真実は、不可避的にそうした議論を虚しくさせることであろう。
そうした議論では、各人がそれぞれなすべきことについての理論を通じて行動を決定すると考えているが、倫理的なことがらに関しては、われわれはときとともに、状況に応じて判断が変わっていくということを知っていなければならない。認識された状況に従って理論が判断を与えるのではなく、状況が差向けてくる意味に対して直接判断が生じてくる。そこでは、状況の持分とわたしの持分を区別することすらできないだろう。
行動が出来事のなかに見つけだされて物語られる論理と、出来事のなかでひとがなす行動の論理とのあいだには、本質的な差異が潜んでいる。その差異を跳越えて、生きられた行動と語られた行動を同一化(同定)することができるのは、行動しつつある本人だけである。はたで観察している理論家には、そもそもそうした差異は、看てとることすらできないであろう。
理論的であろうとして状況を余計に混乱させるひともいるが、理論とは、一般にひとがなす行動の理論であれ、なすべきとされる行動の理論であれ、状況を大雑把に整理して、そこで可能な判断を、人間がどうでなければならないかの宗教的前提をふまえて一般化したものにすぎない。ひとが切羽詰った状況の瞬間に立会うときには、そうした理論は脇において、(動物が最大限の行動をするように)だれしも自分に可能な最大限の思考をするに違いない。
この「最大限」というところに、赤線でも引いてもらいたい。そのようなときには、自分の判断が正しいかどうかということよりも、むしろ、自分がどのような人間なのかが賭けられてしまう。思考はわたしの行動であり、わたしの自由な意識によってではなく、わたしの存在によって生じるのだからである。
†存在の倫理[#「†存在の倫理」はゴシック体]
優れた行動をとるひとが十分に理性的なひとだというわけではないように、卑しい行動をとるひとが、意志が弱いとか、共感の能力に欠けているということではない。ただ、そのひとの人間性の全体が、その瞬間にかかってくるというだけである。
親鸞はいっている。もしあなたが自分を悪人だと思うならば、行って千人でも殺してこい。だが、あなたには、それはできないであろう。善人だと思うにしても、おなじように善はできないであろう。
悪か善かをなさざるをえない差迫った状況のなかで、実際にあなたが何をするかということについては、「善をなそう」とか「悪をなしても仕方がない」とするあなたの凡庸な思考を超えて、あなた自身の存在が、あなたの行動を生みだすのだ。
人間はコンピュータのプログラムではないのだから、平和なときに座して考察された正義の秩序に従って、緊急の場合に判断し、自動的に行動するのではない。
正義とは、行動がなされたあとで、それを評価するために使用することばである。われわれにとって重要なのは、正義よりも出来事であり、出来事のなかで生きることである。それは、出来事のなかで、原因の立場に身を置くことだ。いまここで何かをしなければならないような状況での判断と行動こそが、人間ひとりひとりの限界と条件とを指し示しているのである。
サン=テグジュペリも教えていた。出来事のなかでは正義かどうかなど、評価者の気にすることなどどうでもいい。生きられた行動、われわれが実際になしている行動は、自分の意図が周囲の状況を破壊し、周囲の状況がわれわれの身体や意図を振りまわすというように働くので、どこまでいっても、その行動に伴う判断や、その行動についての判断に解消してしまうことはできない。
したがって、状況の適切な瞬間にその状況に身を投入れること、――これが、ひとが決断と呼んでいることなのだが――それしかない。そしてあなたが出来事によって祝福されるとき、あなたは出来事に一体化し、同時に出来事の意味も与えられるのだ。
――いかがであろう。ひとつ結論らしいことが出たように思う。
[#改ページ]
◆第二章 愛[#「第二章 愛」はゴシック体]
15 小さな出来事[#「小さな出来事」はゴシック体]
†歴史的なもの[#「†歴史的なもの」はゴシック体]
それにしても、ベッドで寝転んでこれを読みながら、「歴史に一体化する、なんていわれてもなー」と、訝っているひともいそうである。
わたしの経験では、学生時代にヘンリー・ミラーの小説を読みながら、「人生とは芸術なのだ」という意味のことばを発見して、「そうなんだ!」と有頂天になった記憶がある。そのとき、ふと自分が寝転んでいるベッドと散らかっている部屋を見わたして、少し気恥ずかしい気分になったのを思いだす。
その小説の筋は、ほとんどヘンリー・ミラーに合致するところの主人公が、モナと勝手に名前をつけた理想の女性の家のまわりを、深夜に、洪水のような文学的言辞を弄しつつ徘徊するといったものであった。
わたしはというと、深夜に街をうろついて、ゴミ収集場所に捨ててある壊れたテレビを拾ってくるくらいしかしなかった。そのテレビはひたすら分解してから捨てた。だれだって、そのようにするのではないだろうか。
そんなことはともかくとして、確かに歴史という話は大きすぎる。「歴史に一体化するなんていわれてもなー」というのも、無理はない。
軍人や革命家、発明家や芸術家たち、まさに「英雄」と訳した方がいいようなヒーローたちがいる。そのひとたちにはぴんとくるかもしれないが、平凡なわれわれにとっては、あまりなじめないことかもしれない。
†歴史上の人物[#「†歴史上の人物」はゴシック体]
個人的日常的な場で生じる出来事と、さまざまな世界(たとえば学界とか社交ダンスの世界)や政治的国際的状況における出来事を、われわれはどうしても区別してしまう。後者はまさに歴史に残るであろうが、前者は周囲のひとびとの記憶に残るだけで、やがて忘れ去られる運命にある。――だれからも忘れられてしまった無数の先祖たち。
したがって、われわれは、こう考えていいかもしれない。――小さな集団のあいだで、あるいはわたしの胸のうちで、過去から現在までにいたるなにがしかの出来事の連鎖はあるが、歴史は、それとは別に存在している。
――歴史としての、だれしも認める公然たるもの。ある特別なひとたちの行為が時代のすべてのひとに否応なく影響するがゆえに、われわれにとっては出来事の連鎖にすぎないものを、そのひとたちは歴史のなかで生きるのであり、その行為が公式のものとして登記されていく……
だが、現代の歴史学は、かならずしもそうも考えてはいない。
歴史家たちは、人物名とは別なもの、経済や制度や知の枠組を歴史の要素として捉えてきた。そこでは、人間は匿名の複数の存在であり、歴史に登記される人物は、普通のひとびとがなしていた生活を代表するような人物であって、その価値は当時において特殊ではなかったということに存する。とりわけ、マルクス主義的歴史観では、労働と生産の形態がどの段階にあるかこそが真の歴史であり、構造主義的歴史観では、ことばとものの関係がどのように見られ、語られてきたかが重要である。
たとえ固有名をもった人物たちが登場するにしても、それは出来事の推移を表現する定数のようなものとしてであるにすぎない。だから、歴史に名を残した有名人は、人物相互の関係をはっきりさせ、それぞれに分かりやすい人物像に一般化するために、歴史を構成するただの記号のようなものになりはてる。本人からすると「それは、わたしのことではないよ」といいたいことばかりかもしれない。
それにしても、歴史記述の公式性は、否応なく政治的意義を担っている。従来の歴史を否定しようとする歴史記述といえども、みずからは公式の歴史のなかに記入されることを願っている。メルロ=ポンティの述べていた真の歴史とは別に、歴史教科書、制度としての歴史、公認された歴史のもつ社会的権威というものがあるわけだ。
その意味では、われわれの素朴な歴史観にも一理はある。すなわち、出来事には二種類ある。小さな出来事と大きな出来事、凡人の出来事と英雄の出来事とである。
†凡人と英雄[#「†凡人と英雄」はゴシック体]
しかし、そのように区別するならば、いや、英雄は最初から英雄だったのではないだろう、だれしも凡人として出来事に参加するなかで、ほかのひとにはできなかった偉大な業績をあげ、その結果として英雄と呼ばれるようになったのだろう、と思われるのではないか。
その点では、サルトルが出していた例がなじみやすい(『実存主義とは何か』)。
かれは、実存主義とは何かを説明しようとして、ひとりの青年が戦場に赴き祖国のために闘って英雄になろうとする行動と、銃後に残していく母の寂しさを考える愛の行動のあいだで二者択一を迫られるという状況を例にあげていた。
英雄になるために大きな出来事に参加するか、英雄になるのをあきらめて小さな出来事のなかに身を置くか、というわけである。
ただし、この例は少し変である。
――戦場に出かけていけばかならず英雄となるとはかぎらないし、母のもとにいれば決して英雄的行動をしないともかぎらない。戦場で死の恐怖に直面して、脱走してしまうこともありうるし、逆に、村に残れば、数少ない若者として村になにがしかの貢献をするような場面に遭遇するかもしれない。
とはいえ、村に残る場合には、歴史に名を残すのは難しそうだ。やはり、歴史に残るということとヒーロー的な行為をするということは、一致しないのかもしれない。
16 マキアヴェリ再考[#「マキアヴェリ再考」はゴシック体]
†歴史の志願者[#「†歴史の志願者」はゴシック体]
これまでの話を整理してみると、出来事にも二種類あって、英雄を募集(リクルート)しているような出来事のなかで、だれかがそれに志願してうまくやりおおせた場合と、うまくやりおおせなかった場合、さらに、うまくやりおおせたとしてもその出来事自体が凡庸で、英雄とは呼ばれなかった場合と、それにもかかわらずうまくやりおおせなかった場合、この四つになるであろう。
表を作る必要がありそうだ。そこで、次の表であるが、この表でいくと、?マークをつけたところが、妙に目立つ。ヒーローの素質のないひとが出来事の原因の位置にたまたま身を置く巡りあわせになったという場合である。そのようなひとがいた日には、その出来事に巻込まれたすべてのひとたちに、とんでもなく迷惑なことが生じるだろう。
[#挿絵(img/fig1.jpg、横275×縦280)]
――周囲のひとが賞賛しそうな行動をとることばかりに汲々としていたり、失敗しないようにと無難な手段ばかりを考えていたり、自分の立場を脅かすひとを遠ざけるための策を労してばかりいたりして、重大な目的や安全の確保に向けての周到な準備を怠り、またそれへの絶好のタイミングを見失い、最悪に近い結果を引起こすのである。
もっとも、多くの出来事において、そのような無能なひとたちが大なり小なり関わっていたことがどんな歴史にも記されているのだから、そうした巡りあわせというものは、それこそ歴史の不可避的な論理なのかもしれない。だから、たまたまある程度ふさわしい人物であったというだけで、そのポジションに来たひとが英雄と呼ばれたりするのかもしれない。
†マキアヴェリのヒューマニズム[#「†マキアヴェリのヒューマニズム」はゴシック体]
歴史の出来事に関するその辺の事情については、N・マキアヴェリの『君主論』に詳しいから、読んでないひとにはお勧めしたい。
マキアヴェリといえば、権謀術策を正面から肯定した政治哲学者として有名である。優れた君主の条件として、実際に徳のある人間であるよりも、そのように見られることを重視し、ときに大衆を欺いて残酷になることを勧めたからである。
政治は、えてして正統性を与える原理によって――世襲貴族の家系であるとか、投票によって一定数の国民を代表しているとか、あるいは具体的な富や暴力の源泉をもっているとか――その正邪が説明されるが、マキアヴェリは、そうした原理的な正統性よりも、どんな手段を使ってもいいから、すなわち大衆を欺罔《ぎもう》してすらも、その賞賛と支持を自分の力に合一することが必要だと考えた。
メルロ=ポンティは、そんなマキアヴェリの思想を、ヒューマニズムとして評価している。ここでいう「ヒューマニズム」は、涙もろいとかそういう意味ではなくて、人間行為相互の効果から社会や歴史を捉えようとしているという意味である。
メルロ=ポンティによると、マキアヴェリは、歴史を善が悪を駆逐するために神によって人間が操られている過程などとは考えず、また同様に、力をもつ強者たちが劣った弱者を収奪するために覇権を争っている過程とも考えず、歴史には根源的に偶然な要素があって、それを大衆の自由と結びつけることから秩序が生じてくると考えていた。
どのような意味かというと、歴史は、古代ギリシア人たちが考えていたように、人間にはどうしようもできない運命的な要素があって、出来事は思いもかけない方向へと進んでいく。しかし、それに準備し待構えて、絶好のタイミングで適切な行為をとるならば、そこになにがしかの秩序を作りだすことができる。
マキアヴェリによると、そうしたところにこそ人間の力量というものがある。その力量は、大衆がそれぞれにその日々のなかで欲望を衝動的に実現しようとしている力を、君主のめざす出来事の方へと結集するように働くのである。
†歴史の分子的過程[#「†歴史の分子的過程」はゴシック体]
メルロ=ポンティは、マキアヴェリがこのように、政治に人間大衆を不可欠の要素として見出だした点を評価するが、ただし手放しで賞賛しているわけではない。マキアヴェリの思想にも、問題はある。それは、マキアヴェリが「歴史を作る人間」と「生活する人間」、すなわち主人と奴隷、エリートと大衆の区別をしたことである。
マキアヴェリの構図では、一方に、合理的で意志と知性を行使して自然を支配するエリートたちがいて、まさに歴史のなかを生抜こうとしている。他方には、衝動的で受動的に生きている人間たちがいて、エリートの見かけに容易に欺かれ、自分たちの生活条件をいいようにされてしまう。
マキアヴェリは、これらふたつの集団の関係を、たんに統治者から被統治者へと一方的に働きかけるものとしてではなく、相互作用を通じて歴史の結果が生じてくるようなものと描きだした。
ところが、それにもかかわらず、かれは両者を二種類の異なった類型の人間として理解するのをやめず、人間のふたつの側面とは見ようとしなかった。その結果、かれは、政治が何のためにあるのかということを正統化できず、どのようなひとびとの行為に注目し、期待すべきかについての識別基準を与えることができなかった(つまり君主は強い統治を実現しさえすればよいことになった)。そう、メルロ=ポンティは述べている。
メルロ=ポンティによると、重要なのは、統治者の側から見える歴史ではなく、生活する人間を含めた歴史の実質である。『シーニュ』のなかで、かれはつぎのように記している。
「円形に配置された鏡によって、小さな炎がおとぎばなしの世界の入口になってしまうように、権力の行為は、ひとびとの意識の星座に反射して姿を変え、この反射を反射してひとつの仮象を創造する。この仮象こそ歴史が生起する場であり、つまるところは、その真実なのである。」(U一〇八ページ)
統治者たちが問題にしもし、歴史家が注目するのは権力の行為である。だが、その行為が歴史的帰結を生じさせるのではない。たんにその行為に対して大衆からの反作用があるというだけではない。その反作用が大衆のあいだで生じさせた仮象(表象)のなかで、その行為がどのようなものであったのか、その意味が、はじめて与えられるのだからである。
メルロ=ポンティは、そうした大衆の「分子的過程」とその分子量的表象(大量の分子をまとめて捉えたときに人間経験に現われる現象)こそ、歴史の実質であると主張するのである。
17 日常生活に埋もれて[#「日常生活に埋もれて」はゴシック体]
†歴史事象の突然の出現[#「†歴史事象の突然の出現」はゴシック体]
したがって、小さな出来事と大きな出来事は、サルトルが提示したように、かならず二者択一になるわけではない。
ひとは名づけられたものを重視するがゆえに、そうした区分があると思いこむが、われわれは、いずれにせよひとつの歴史のなかで、それぞれの立場から歴史の出来事に遭遇している。似たような無数の小さな出来事のひとつとしてであれ、たまたまその出来事が歴史のハンドルのような位置にきた場合であるにせよである。
たとえば、「わたしは貝になりたい」という戦後すぐのTVドラマを見たことのあるひとはいるだろうか。フランキー堺演じる一介の理髪店主である主人公が、戦争中に命令によって捕虜を虐殺したという件で逮捕され、抗弁も虚しく死刑になったというドラマである。
多くのA級戦犯(命令を下したひと)たちが、その後死刑を免れて、政治家になったひとすらもいるのに、捕虜に対して直接銃剣を用いたからという理由で、一兵卒が戦犯として裁かれたのである。
だが、ここで、そうしたことの不条理性について議論をしたいわけではない。
こうした兵卒は広大な戦線のなかに無数にいて、捕虜を殺すといったことは、おそらくは日常化した戦闘のあいまにおきた、瞬間的な出来事でしかなかったであろう。軍隊全体がそのような出来事に満ちているとき、それが正しいことか否かと、それによってはたして自分が死刑にならなければならないほどまでの人生の岐路に立たされているのかどうかと、到底想像はできなかったであろう。そのことを、いいたかったのである。
――たまたま自分の人生にとって深刻なことや重大なことが、ささやかな日常のちょっとした行動をまえにして現われてくる。あまりに多数多様な出来事が日常に転がっているものだから、どれがあとで歴史にとどめられるような出来事の原因になるのかはよく分からない。
要するに、ひとつの行為のなかに、小さな出来事とそれを含みうる歴史とが互いを隠しながら共存しているのだ。個人はあくまでも小さな出来事のうちで行動しているが、その結果として歴史に巻込まれ、歴史がもたらすものを自分の行為の結果として引受けざるをえなくなったりするのである。
†倫理学的不確定性原理[#「†倫理学的不確定性原理」はゴシック体]
日常的状況に突出してくるこうした出来事の微妙な彩をふまえると、そもそも小さな出来事と大きな出来事の二種類があるのではなく、すべては小さな出来事だといっていいのではないかという気がしてくる。――それが多数の意識への反射を通じて、つまりひとびとがどう捉え、どう反応するかを通じて、大きな出来事が社会のなかに生じ、それがひとびとの行為とは独立した運動をするように見えるだけだということではないだろうか。
いいかえると、個人がそれぞれの状況のもとで、それぞれの自由からなした行為の結果が、分子量的現象として歴史記述の対象となる。しかし、たとえば空気の分子が部屋の温度には無頓着に運動しているのに対し、人間分子は、分子量的現象をみずから解釈し、その解釈を念頭におきながら自分の周囲に働きかけるような行動を生じさせる。そこが、人間学的な分子が物理学的な分子と異なっている点である。
各分子が、分子量的現象を捉えてそれに影響されながら行動するがゆえに、「倫理学的不確定性原理」とでもいうべきものが生じる。
たとえば、過去をそのまま扱おうとする歴史学は、過去を現代において記述することによって現代の歴史的意味を変えてしまう。純然と社会がどのようであるかを捉えようとする社会学のような科学でさえ、その理論によって社会に影響を与え、必然的に自分が捉えたものと異なった現象を作りだしてしまう。
まして、今日のひとびとは、メディアを通じてつねに社会と時代に不適切でない行動を模索し、どんな些細な行動パターンや生活スタイルやファッションについても影響されるようになっているのだから、それを手探りする行動自体によって、社会や時代とされるものを知らず知らずのうちに変えていくのである。
†生の歴史[#「†生の歴史」はゴシック体]
このことが、「歴史の真実」とは何かということに深く関わってくる。歴史の真実とは、出来事において何が生じうるのか、何が生じるべきなのかを規定するものであり、そこで各人がなすべきことを識別させるものである。
メルロ=ポンティのいう歴史――かれは「生の歴史」といういい方をするのであるが――は、すでに述べたように、決して完全には書かれてしまうことのない、すべてのひとの行動の解釈の場である。「個人的といわれる決断も、歴史過程に依存している」。「歴史の論理という観念は、ある意味でどれほどささやかな人間的交換、どれほどささやかな社会的知覚のうちにも」含まれている。
そのような歴史は、いくつかの歴史記述が相互に相手を自分に組込んだり、真っ向から否定したりして、覇権を争っているような歴史ではない。それは記述される以前の出来事の総体であり、そこから無数の記述が可能になるような歴史である。
それはまた、決して事実の集合としての歴史のことではなく、個々の出来事に含まれている偶然性や他の出来事との共鳴が、無数の出来事に影響を与えつつ多様に展開していく差異化の総体としての歴史である。
ただし、こうした展開可能性としての歴史は、あることは真実であり別のことは虚偽であるという識別可能性によって磁化されている。歴史において実質的なものは、人間行動の結果が現われ、それが真なるものとして樹立されていく過程であり、ひとりひとりの出来事への参加は、その真実を尺度としているのである。
歴史の真実は、ひとびとがおなじひとつの歴史に属し、否応なくそれに関わらされてしまうということから生じている。その結果、どのひとも歴史に書かれようとしているものに、到底無関心ではいられない。無視しようとする関心までも含めて、ひとびとは大なり小なりそこに巻込まれ、意識的であれ無意識的であれ、そこから視点を与えられなければ、自分のごくごく私的な関心を培うことすらできないのである。
18 愛のはじまり[#「愛のはじまり」はゴシック体]
†愛の重み[#「†愛の重み」はゴシック体]
ところで、メルロ=ポンティは、「戦争は起こった」という、さきに紹介した重厚な論文のなかで、歴史の論理のひとつの例として男女の愛を取上げている。――どんな出来事も歴史に含まれ、また歴史を含んでいるとすれば、そのことは唐突でもなんでもない。愛は、ひとと歴史の関わりのひとつの典型例なのである。
そこには、要約すると、つぎのようなことが書いてある(これが「戦争が起こる」ということの比喩である!)。
――男がある女を愛するようになったとすれば、それはかれの過去の歴史がこの女の顔や性格を愛するように仕向けたからだといえるだろう。だが、そういえるのも、結局はかれが彼女に出会ったからである。あとになるとこの愛は宿命のように見えるが、最初の出会いの日にはまったくの偶然であった。出会いという出来事が一旦実現してしまうと、過去は約束している以上のものをかれにもたらし、愛は存在するものの剥きだしの力をもつようになるのである。
説明しよう。
相手と出会うまえには、過去はなんの働きもしていないように見える。どんな女と出会うのかも、そもそも出会いがあるかもしれないことも予想できない。かれは、だれをも愛そうと思えば愛することができるという信念の自由と、出会いに際しての、ためらいつつも何が最善かと反応することのできる自発性とをもっている。
ついで、突然の出会いがある。
かれはそれに反応し、そしていったん反応したあとに、そこに愛が生じたとしたなら、かれにとってその出会いは必然だったと感じられるようになる。すなわち、かれには彼女に出会うまえからさまざまな予感があり、その出会いを待っていただけの理由があったように思えてくるのである。
このようにして、愛というものは、最初にかれがもっていた自由と自発性とを、過去に遡ってまで奪うことのできる威力をもっている。愛は、それによって現在のふたりの関係に、なにものも取消すことのできない重みを与えているのだが、そうした重みによって、その関係が愛と呼ばれるのである。
その重みとは、(たとえば役所の戸籍係で)その出来事が登記されるということや、周囲のひとたちがそれを受けいれてあれこれと心配したりするようになるというような社会的状況のことだけではない。出会いに対する行為によって、その後、ふたりのあいだには、その愛がどこまでの真実を含むのか、それを証明したり否認したりしなければならないような状況が、継続的に生まれてくるということである。
†時間性[#「†時間性」はゴシック体]
なぜか。
それが歴史であるかぎり、そこにわれわれの時間経験の固有な特性が現われるのだからである。
ひとの経験において、出来事は、つぎのように進む。
――出発時には出会いは偶然であって、かれが自発的に対応したと考えられているが、到着時になって出会いは必然であって、かれが人生で培ってきたものが自動的に応答したと理解されなおす。ひとはこれらを重ねあわせて、後者によって前者を淘汰しようとする。すなわち、前者を後者(新しい現在)にとっての過去と未来に統合してしまおうとするのである(たとえ過去の自分の方が正しかったと考えるようになるにしても、そう考えているのは、さらにまた新しい現在である)。
だが、メルロ=ポンティの考え方によると、これらのいくつかの時点の過去や未来を重ねても、一方が他方を含んでしまって、そこからはずれるものを抹消してしまったりすることはない。出発時の過去は、到着時に理解されなおした過去とは異なったものとして、過去のなかに潜在的なままにとどまっている。
というのも、ちょっとしたいさかいなどにおいては、そうした過去の潜在的なものがすぐにぶり返してきて、到着時に理解したものが間違いだったと思わせられることがよくある。そして、「あのときはああもできた」というような思いが、(取返しがつかない時期になっていたとしても)打消しがたく生じてくる。
同様に、出発時にとっての未来も、現実化したものだけが到着時の過去として登録されるわけではない。出発時の未来は、「何が生じるのか分からない」(あっさりふられてしまう、ということはいかにもありそうなことだ)というようにして存在していたのだが、到着時の未来にもまた「何が生じるか分からない」ということがさらに控えており、出発時の未来が潜在的に描かれ続ける。すなわち、「結局は時間がかかっただけで、われわれは出会わなくてもよかったのだ」と考えるようになるかもしれないのである。それでもなお、到着時の過去(「出会いは必然だった」)がまた、そうしたぶり返しが無責任なものだとすぐに思いださせたりもするのであるが……
潜在的なものと現実的なものの、この二重性こそが、各時刻における過去や未来を特徴づけている。出発時は到着時によって確かに一旦は抹消線を引かれるのだが、しかしそのまま存続し、抹消線がいつでも取消せるという状態に保たれる。そのように考えると、過去と現在を、出発時と到着時のふたつの現在と解し、それぞれの時点での過去や未来を比較して、足したり引いたりしようとしても、それは不可能であるということがお分かりであろう。各時点の過去と未来とを、統一的に通覧することはできないのである。
19 時間と歴史[#「時間と歴史」はゴシック体]
†時間のぶれ[#「†時間のぶれ」はゴシック体]
こうした時間経験の特性をふまえると、つぎのようなことがいえるようになるだろう。
たとえば、あなたの友人が、「まえからこんなタイプのひとが好きだったのだ」とか、「まさしくこんな生活をしたかったんだよ」というかもしれない。だが、それを文字通りに受取ってはならない。そのことばは、「現在に満足しているし、そのことを意外に思ってはいない」という以上の意味ではない。
というのも、注意深くしさえすれば、あなたは、そのひとに反論できる要素を容易に見つけだすことができるだろう(そのようなことをするのは野暮なだけであるが)。「まえは違うことをいっていた」とか、「あんなタレントにあこがれていたではないか」とか、である。
ことばの正確な意味においては、「思ったとおりのタイプのひとと結婚する」ことも、「夢見たとおりの生活をする」ことも不可能である。ふたつの時点を対照して、「結婚したひと」と「思っていたタイプのひと」とが、また「実際の生活」と「夢見ていた生活」が、そもそもおなじとか違うとかがいえないのだからである。
われわれは、時間の進行を一直線上に並べてから各時点を比較し、「人生って分からんもんだな」などと分かったようなことをいうのだが、実は、以上のような時間の「ぶれ」こそが、歴史の本質をなしている。
[#挿絵(img/fig2.jpg、横332×縦309)]
ひとの行動は、時間を単線状に統合しつつなされるのではなく、過去と未来を複雑にいったりきたりし、各時点を含んだり含まれたりしながらなされている。なるほど、ひとはつねに移行してしまうひとつの特権的な現在に存在している。そこから、現在によってすべての時間を統合できるという錯覚も生じてくるのだが、移行するという意味は、以前の過去がそのあとになってからの過去に変形され、以前の未来がそのあとになってからの過去と未来に変形されるということである。それゆえ、出発点と到着点のふたつの時点には、それぞれ別の地平の過去と未来があり、そこには打消しがたい差異がつねに生じているのである。
だが、そのような差異は、地球上のまったく別の場所で独立して生活しているふたりの人間のように、無関係という関係なのではなく、自分と鏡像のような、相互に対しての差異である。
われわれは、ただ現在を経験しているのではなくて、潜在的なものと現実的なものの交替を通して、ふたつ以上の時点を分裂しながら生きている。こうした分裂は、つぎの出来事の出発点において、よりふさわしい過去と未来の配置を得るためにたえず再生産されていくであろう。
メルロ=ポンティが真実と呼ぶものは、ふさわしい配置に向かおうとするこうした歴史の運動がめざすものである。歴史のなかでの決断、状況の引受けとは、状況を適切に(客観的に)判断するということではなかったが、同様に、そのひとのその場その場の(主観的な)意志の問題でもない。メルロ=ポンティによると、それは、過去と未来をいったりきたりしながら現在が移行し、そのただなかで、どのようにしてその配置に収まるかということにかかっているのである。
†時間と他者[#「†時間と他者」はゴシック体]
こうしたことを歴史の問題として考えるとは、どのようなことだろうか。
歴史のことを、つぎのように考えているひともいるだろう。
――時間は雲のように流れ、他者たちはそのあたりに星座のように散らばっていて、それぞれ勝手なことを楽しんでいる。どこかで、だれかが歴史を書いている。時間のなかでわたしは行動し、他者と関係をもち、場合によって記憶に残るようなことがあるが、それをわたしの歴史と呼んでもいいかもしれない。
そういうひとにとっては、なぜそこまで歴史のことを難しく考えるか、理解しがたいことだろう。他方、つぎのように考えることはできないだろうか。
――わたしの行動は時間がたつことと切離されず、その瞬間瞬間にわたしの捉え方も変わっていく。そこで生じる出来事の意味は、他者がどう反応するか、他者がどう理解するか、わたしが他者をどのように遇するかということと密接に関わっている。そして、そうした関わりのなかでしか、何が歴史的なことなのか、何が重大なことであってわたしの生活を規定するのかを理解することができないのだし、人間というものは、その理解を通じてしか、自分の行為を決められないものなのだ。
そのように考えるひとにとっては、これからさきが問題である。
自己と歴史の関係を考えるときには、時間と他者とが複雑に絡んでいるというのが、メルロ=ポンティの主張である。自己と歴史、時間と他者は、お互いがお互いの定義の一部をなしていて、ほとんど別物ではないほどなのだからである。
†情熱(情念のもつ熱)[#「†情熱(情念のもつ熱)」はゴシック体]
身近なところで考えてみよう。
たとえば、手紙を書いても、一晩置いておいた方がいいといわれる。翌日になって読返すと、もっと別のように書けたと思う箇所がでてくるからだ。とくに情報が増えたわけでもないのに、どうして時間がたつとひとは異なった判断をするようになるのか。
忘れていたことを思いだすということもあろう。だが、もっと大きいことは、手紙の場合には、一晩たつと、書いていた最中の熱が薄れ、書こうとしていることばにまとわりついていた情念の嵩《かさ》のようなものが消えて、あたかも他人のように読むことができるということである。その結果、手紙の相手が読んだときの感情が容易に想像できるようになる。
とすると、自分が自分である最初の瞬間には、自分であることについて、ある種の熱がまとわりついていることが分かる。そして時間がたつとその熱が消え、他人のようにして自分の書いたものや行為のありさまが見えるようになる。その結果、われわれは判断を変えるのだ。
「熱」という比喩がいみじくも示しているように、われわれの熱も、冷ますのには時間がかかる。それにしても、われわれの思考や行為に、なぜ時間が必要なのか。
思考や行為が自分そのものであるのに対し、対象化するのはその思考や行為が関わってくる相手の立場によってでなければならない。自分であることと、自分を対象化して捉えることのあいだには、他者が存在していなければならない。とすれば、わたしがわたしにとっての他者になるのに、時間が必要だということであろう。
というよりも、もっといえば、こういうことではないか。すなわち、わたしがわたしにとっての他者になることをもって、時間がたつというのである。
熱中しているとき、あるいは怯えているときには、時間はたたない。疲れて仕事をやめたとき、解放されたときに時間がたったということが分かる。時間感覚とは、わたしがそれ以前のわたしではなくなって、それ以前のわたしを眺めるという他者生成の感覚であり、他者生成とは、わたし自身の現在(到着時)と過去(出発時)の分裂なのである。わたしは、アイデンティティ(統一)なるものを生きているのではなくて、(完全には切離されてしまわないような)分裂を生きているというべきなのだ。
歴史のなかにあるということは、時間という複雑な過程のなかにあるということである。その複雑さは、時間自体のもつ抽象的な形式によるのではなく、つきつめていけば他者的なもの一般によって構成された時間というものの実質的内容によるのである。
20 真の愛と偽の愛[#「真の愛と偽の愛」はゴシック体]
†愛のテーマ[#「†愛のテーマ」はゴシック体]
さきに、出来事のただなかで、ヒーローは何がなされるべきか知っていなければならないと述べた。そして、共感や規範は、決してなすべきことの基準や指標にはなりえないとも述べた。そこには、人間の存在が賭けられた独特のあり方が必要だからである。そのことを、メルロ=ポンティは、男女の愛を例にひきながら説明した。
ところで、「真の愛」というテーマは、メルロ=ポンティが好んで取上げたテーマである。かれは、愛の過程こそ、自己と歴史、時間と他者とが最も深く関わってくる典型的な事例だから、――細かいことをいうと、キリスト教の愛との連関もありそうだが――、そのテーマを、何度でも取上げなおしたのである。
すなわち、真の愛は、「歴史の真実」の問題である。出来事のただなかで、真には何が生じているかということ、それに対して自分は何をなすべきか知りうるかという問題である。
男女の愛は、いまでこそ、個人的自由に属する私的領域の出来事とされているが、個人と家族へと関心を狭め、そこでの葛藤だけが問題であるかのようにいわれるのは、現代のひとつの状況にすぎない(そう説明する精神分析をドゥルーズとガタリが告発している)。愛は、(地球を救うかどうかは別として)もともと人間相互を束ねるようなある種の契機に名づけられた概念だったはずである。少なくとも、愛は出来事に属するのであって、個人に属するものではない。
……それはともかくとして、メルロ=ポンティにはどんな恋愛経験があったのか、と関心のある読者もいるかもしれない。だが、そうしたことについては、わたしはよく知らない。本人が書いたものからすぐにそのプライバシーを推測しようとするのはミーハーだといわれよう。
さきに述べたように、ボーヴォアールの自伝的小説のなかでは、かれがモデルの登場人物はボーヴォアールの恋人になっていた。その後、ボーヴォアールがサルトルと恋仲になったあと、かれには、ボーヴォアールが紹介した恋人ができたという。ところが、彼女とは家庭の事情から両親に結婚を反対され、その理由を知らされずに結婚を断念させられた彼女は発狂してしまったという。
ところで、いま書いたことの事実考証については、わたしは全然責任がもてない。むしろ、『知覚の現象学』のなかで、「あまりに自由なひととの愛は空まわりになってしまうものだ」とのさりげなく書かれた一節の方が気にかかる。「自由なひと」とは、自分のことなのではなかったか。
メルロ=ポンティは自分のプライバシーを隠そうとしていたし、わたしの学生時代には、かれがそもそも結婚しているのかどうかも知られていなかった。雰囲気から、長男で独身だろうなどと(自分たちの身に引比べて)勝手に推測していたものだった。
そのうち、サルトルやほかのひとが書いたものから、配偶者やひとり娘がいることは分かったが、それだけだった。かれが次男であったことを知ったのは、あるひとが、わざわざ生地にまで出かけていって、市役所で調査した報告を読んだからである。
――だから何だ、といわれるかもしれない。
そのとおりである。われわれは、哲学書を読むときに、その哲学者がどんなひとかは、あまり気にしていない。その哲学者の性格が気に入ったら、それだけその本がよく分かるようになるというわけでもあるまい。
ちなみに、ヴィトゲンシュタインは、大変いやなやつだったということで有名である。ヒュームは、とてもおひとよしだったらしい。われながら語彙が貧困だが、どちらの哲学者が書いたのも、わたしは好きである。
†偽の愛[#「†偽の愛」はゴシック体]
では、かれのいう「真の愛」とは、どのようなものだったのであろうか。――これから愛について話していくが、その主題は、出来事のなかでひとが何をめざしているか、何をめざすべきかということである。
さて、メルロ=ポンティは、ふたりの人間のあいだに真の意味での愛があるとすれば、ふたりの双方の側において、ふたりの行為が「人格全体に」関わっていくと述べる。真の愛は、「真の人間」、「病的でない」「成人である」人間において生じる。
……それだけしか、書いてない。
それに対して、その反対物、「偽の愛」の説明の方がいっぱい書いてあるし、よほどわれわれにとっては分かりやすい。
偽の愛とは、極端な場合、「愛している」ということによって相手から利益を引出すことである。結婚詐欺師がその典型であろうし、いわゆる性的欲望を満たすためにうそをつくといった場合も含まれよう。
そこまではいかなくても、「恋に恋する」とよくいうように、実は相手のことはどうでもよくて、ただ「白馬の王子様」や「母親の代理」を求めているということもある。その場合は、相手の性格や行動や考え方を無視して、自分の期待するとおりの役割を相手に求めるばかりなので、相手はただ振りまわされてしまうといったことになるだろう。
あるいは、自分の相手としてふさわしいと思えるし、ある程度は楽しいこともあるからつきあってはいるけれども、実はそれほど本気ではなくて、本当に愛する相手に出会ったらすぐに別れてしまおうと思っている、というような場合もあるだろう。――そのような相手がいることが、ひまつぶしに役にたつというだけでなく、(だれからも見捨てられているわけではないとの)自分の虚栄心を満たしてくれるからである。そのためだけのカップルも、結構いそうである。
†偽の愛は間違っているか[#「†偽の愛は間違っているか」はゴシック体]
偽の愛という以上、当然ながら、それではよくないという意味が込められている。
ところが、もしかすると、「それで何が悪い」というひとが出てくるかもしれない。「だれも傷つけていないのだからいいじゃないか」とか、さらには、「そういう相手からお金をもらったとしても、相手も納得していればそれでいいじゃん」とか(!)。
だが、わたしなら、そういう反論には動じない、のである。
もしあなたが評価者の立場に立って正義を問題にするひとであるなら、この反論に答えてそのひとを説得することは難しいだろう。個人の自由を前提する現代の社会体制を肯定しつつ、こうした発想を禁じるのには無理がありそうだ。そこをがんばって、なにがしかの正論をたてることができたとしても、それでも、そのひとが納得しなければ仕方がない。
たとえば、「相手が真剣であればあるほど、相手はいつか傷つくことになるだろうし、相手がどの程度真剣かということを、あなたは完全には知ることができない。だから、あなたは相手を傷つけることになっても構わないと前提しているわけだね」などといっても(そんなことをいいそうなひとをわたしは知っているが)無駄である。いわれているひとは、話の途中で混乱してしまうだろう(ばかにしているわけではない)。
実際、教師のような顔をして、だれにでも成立つ一般的なことしかいわないようなことばこそ、最も説得力に之しいであろう。すでに述べたように、情や論理(共感や規範)に訴えた説得は、それを語るひとが出来事の圏外にあることを示しており、すでに出来事のなかにあるひとに対しては無力である。ひとを助けてやるとの恩着せがましい一般論からは、出来事を解決しようとする当事者の力は生じてこない。
しかし、もしあなたが「愛するひと」であるならば、反論はずっと簡単である。
あなたは嫉妬も手伝って、「絶対にそういうことは許せない」と、ためらうことなく断言するだろう。それだけでなく、相手を自分だけに振向かせるように、説得ばかりでない最善の手段を考えるだろう。
男女のあいだにかぎらない。あなたが重要とみなしており、あなたとともにあなたの生活を形作っているすべての周囲のひとたちに対して、あなたは働きかけないではいられないだろう。法華経の信者なら知っている。子供が火事になっている家のなかから出てこなかったら、表におもちゃを並べてやさしく声をかけてやるのだ。
要するに、偽愛問題は、正義の問題ではなく、愛の本質の問題である。偽の愛を克服するものは、真の愛だけなのである(偽の愛を悪いとする理由が必要だとお考えだろうか、しかしそこで普遍的なのは、ひとを放っておけない愛の動機だけであろう)。
21 形而上学的欺瞞[#「形而上学的欺瞞」はゴシック体]
†感情を支配する[#「†感情を支配する」はゴシック体]
さて、メルロ=ポンティは、偽の愛においては、行為がことばのうえだけでなされており、意味ある行為をなそうとするばかりで、かえって「そのひとの存在やことばが、思考や行為と一致していない」と述べている。それでは、なるほど、いかにも偽りである。
では、そのような事態は、どのようにして生じるのか。
それを具体的に理解するには、メルロ=ポンティが感情について分析した際の「心理学的欺瞞」と「形而上学的欺瞞」の区別を適用してみるのがよいであろう(原語はむしろ「偽善」なのだが、「欺瞞」もまた他者に対して使えるし、その方が意味が通じるのでこう訳しておく)。前者は普通の意味での欺瞞、騙すことである――すでに具体例を挙げた――が、後者は、状況によって自分自身が騙されてしまうようなことである。
順に見ていこう。
心理学的欺瞞の場合、ひとはなんらかの目的のため、愛するひとの役割を演じ、文字通り愛している「ふり」をする。ただ騙すために演じるのではなかなか成功しないとすれば、そのひとは「愛するひと」にいわば「なりきって」しまい、愛の感情まで生じてくるかもしれない。
その場合でも、そのひとは、自分の愛が真の愛かどうかと自問したりはしない。なぜなら、こころの奥底で、それは偽の愛であると知っているからである。もし状況が変わって相手が必要ではなくなったり、結婚を迫られるなど、それまで以上の負担が生じるようになったりしたら、かれは演じていた愛の感情を簡単に捨去ることができるであろう。
こうした愛の感情は、知らないひとの葬式に出席しても悲しくなってしまうというような、状況に支配されたときの感情に似ている。映画を見たり小説を読んだりしたときにも、われわれは主人公に感情移入して、さまざまな感情に浸る。それでも、葬儀場や映画館から出たり、本を閉じたりして状況を変えることによって、容易にこの感情から逃れることができる。
いうなれば、意志が状況を変化させることを通して、感情を芽生えさせたり消えさせたりするのである。たとえば、試験勉強をするために徹夜しようと思ったら、「頑張ろう」と唱えるだけではなく、コーヒーを飲んだり、壁に目標を書いたり、ひざをきりで突刺したり(?)といったように、雰囲気作りをするであろう。われわれは、状況を変化させることによって、間接的に感情を支配することができる。
このように、感情はある程度自由にすることができ、相手に偽りの感情を示すこともできるのだから、「真の愛とは、愛の感情をもっていること」と定義できないのは、確かである。
†状況の虜になる[#「†状況の虜になる」はゴシック体]
ところが、それで終わりにはならず、そこに奇妙なことが生じるのだ。
メルロ=ポンティによると、状況を操作して感情を作りだしていたつもりのひとが、ときとして、自分自身、「自分が作りだした状況のなかに固定されてしまう」ことがあるという。
――支配しているつもりの状況に身を任せた途端、状況はいよいよそのひとの意志を絡めとって、ついには、かれにとって望みもしない感情のなかで、かれの意志を麻痺させてしまう、そういうことが起こりうる。自分の方が状況によって支配され、状況を変えようとの意志が生じなくなってしまう。
これを、かれは「形而上学的欺瞞」と呼んだ。
メルロ=ポンティは、失声症の説明にこの概念を用いている。失声症は、声の出なくなる精神的な病である。機能的には声帯は健全なのだが、声が出せない。わざと声を出さないのではない。メルロ=ポンティは、その状態を、声を出さない状況に絡めとられてしまい、自分ではどうしようもなくなっているのだと説明する。
わたしは、この概念は、おそらく、(薬物以外についての)依存症一般の説明として通用するのではないかと思う。
たとえば、仕事に打込むことが自分の立場をよくすると思って仕事の虫になったが、それが立場を改善しないことがはっきりしたにもかかわらず、仕事をしていなくては不安になり、体力の消耗を省みず仕事に打込んで過労死しそうなサラリーマン。
子供をよく育てなければと叱っているあいだに、叱るだけでは子供がよくならないのがわかっても、死にそうになるまで子供を折檻することで自分が苦しんでいる教育ママ。
コンピュータを使って効率的に自分に必要な情報を集めようと思ったが、情報を大量に集めるということが喜びになってしまい、自分のための作業ができないにもかかわらずにコンピュータから離れられなくなって、いつも睡眠不足の青年。
自分の魅力に男性がいいなりになるのを喜んでいたが、相手が結局自分のからだしか欲してないことがわかっても、だれか相手がいなくなるといたたまれなくて相手を変え続ける女性……などなど(なんだか、イッセー尾形の演劇のようになってきた)。
なぜそれを「形而上学的」と呼ぶのかは、あとまわしにさせていただくとして、このような偽の愛の場合は、当人の意識や感情にとっても、また、はたから見ていても、真の愛と同様に見えてしまう。もし「愛とは、愛しているという意識をもっていること」だと定義するならば、確実に、それも真の愛であることになる。
†われにかえる[#「†われにかえる」はゴシック体]
しかし、メルロ=ポンティは、形而上学的欺瞞の場合には、愛していると思っているそのときは、確かに相手の人格のなかへと立入って交流していると信じることができるのだが、一定期間ののちに、そのひとはわれにかえるであろうと指摘する。
「われにかえる」とは、相手を本当は愛していないと意識するようになった自分が、相手とは自分の人格の一面でしか関わっていなかったということを見出だすということである。関わっていた一面とは、母親の代わりを求め続けていたとか、将来に不安を抱いていたとか、利害や主義が共通していたとか、自分が孤独で退屈だったとかいうような種類のことがらである。
では、真の愛の場合には愛が終わることはないのか、というとそうでもない。ただ、真の愛が終わったときには、われにかえるわけではない。そのひとの人格全体が、その愛を通じて変容してしまう、というのである。
「相手に好かれるために背伸びした」とか、「相手から影響された」という程度のことではない。愛というものがあれば、それは相手を変え、自分を変貌させてしまう。そのあとでは、そのひとは、もはやそれまでとおなじようにして生きていくことができない。それほどの他者との出会いを、愛と呼ぶべきなのである。
形而上学的欺瞞も真の愛も、そのときどきにおいては愛の感情は存在し、愛しているとの意識をもっている。それゆえ、当人自身にも、真の愛か偽の愛かは識別しがたい。しかし、識別しがたいにもかかわらず、メルロ=ポンティは、厳然として区別しなければならないと主張した。
一般に、ひとはしばしば識別しがたいというだけで区別は存在しないと断言したりするのだが、区別があって識別できないということは、矛盾というわけではない……とはいいながらも、もし回顧的にしか、つまり時間がたったあとになってからしか区別できないのだとすれば、われわれはこれ以上、愛と歴史の真実について何を考えたらよいのだろうか。
22 愛の精神分析[#「愛の精神分析」はゴシック体]
†無意識による説明[#「†無意識による説明」はゴシック体]
気をとりなおして、もう一度考えてみることにしよう。――愛の感情は愛そのものではなく、愛しているとの意識もまた本人を欺くとしたら、いったい真の愛はどこにあるのか。
精神分析でいう無意識の理論が、それを教えてくれるかもしれない。G・フロイトの概念をあてはめてみるならば、心理学的欺瞞は前意識的なものであり、形而上学的欺瞞は無意識的なものであるということになるであろう。
「前意識的なもの」とは、たまたま現在において気づいていないが、状況が必要とすれば思いつくことができるような種類のことがらである。「無意識的なもの」とは、当人が意識していることとは別のことがそのひとの事実上のあり方を支配しており、それが本人の意志とは異なった行為を引起こすといった種類のことがらである。
さて、心理学的欺瞞においては、状況的に愛の感情があるにしても、愛は愛の感情によって支えられているわけではない。それゆえ、意識はいつでも愛していないことにたちかえることができるのだから、「前意識的」と説明しておいていいだろう。
これに対し、形而上学的欺瞞においては、愛は愛の感情によって支えられており、しかも全人格的という意味では愛してはいないことに気づくことのできない仕組ができあがってしまっている。その意味で、「無意識的」であるといえよう。
では、この区別の延長において、真の愛は、無意識においても相手に対して愛があることだと定義したらよいのだろうか。少なくとも、無意識的な仕組を洞察することによって偽の愛が判定できるとすれば、そうでないものとして真の愛も同時に判定されていることになる。真実は、回顧的に区別されるのを待つまでもなく、精神分析医によって判定されうるかもしれない。
実際、精神分析学者たちは、愛についていろんな説明をしている。いちいちもっともらしいのであるが、(ほとんど占星術の流派くらいに)互いに調和しないいくつもの理論が存在する。それぞれに基準があるというだけでも、少しあやしい――もっとも、ひとびとは、そのあやしいところが結構好きである。
†ロミオとジュリエット[#「†ロミオとジュリエット」はゴシック体]
ところで、真の愛と偽の愛が判別できるとすれば、精神分析医の勧告に従って自分の経験を修正しなければならないということも生じてくるが、ひとはそんなことを受けいれられるだろうか。
――聞いてみたいものだ。あなたは、もしかして、いろいろ試験を受けたあとで検査結果を見せられながら、
「このPHの値がちょっとよくないのが分かりますか。あなたの場合は、偽の愛ですな。」
などといわれて、
「残念だったなあ(PHというのはフィロソフィの頭文字だったっけ、勉強しておけばよかった……)。」
とかいいながら、そうそう簡単にひっこめるものだろうか。
愛は、本質的に、そのような判定によって対処できるものではないとわたしは思う。否、その反対だからこそ、愛はつねに危険なのだ。
愛する当人は、――よくあることだが――そうした勧告が出されたということで、むきになってしまうことだろう。そして、勧告が正しくないことをなんとか証明しようとするものではないだろうか。「真の愛」ということばは、まさにそうした状況でこそ口にされる。いたるところに、あなたの村や町のロミオとジュリエットがいて、おとなたちの愛は欺瞞だと叫んでいる。
†エディプス・コンプレックス[#「†エディプス・コンプレックス」はゴシック体]
精神分析のどこに問題があるのだろうか。無意識とは、多くのひとが平気で使うことばだし、フロイトの専売特許というわけでもないのだが、そもそも何のことだろうか。
フロイトは、ソフォクレスの書いた古代ギリシア悲劇の代表作『エディプス王悲劇』を取上げて、それがどのひとの個人的エピソードをも貫いている普遍的な物語であって、だれもが幼児期に、象徴的にその物語を体験すると主張した。
その物語のあらすじは、こうである。
エディプス王は、「父を殺して母と寝る」という予言のもとに生まれてくるが、ひとびとがそれを避けようとしたために、大人になってから、かえって知らずにそれを実行してしまう。その後、かれは、みずからの知性によって自分自身のその事実を発見し、その自責の念から自分の眼をついて放浪の旅に出ることになる。エディプスそのひとの存在理由ともいうべき知性が、自分を罰するために、ものごとを見抜く能力としての眼を潰したのである。
そうした物語から出発して、フロイトは、幼児におけるエディプス願望、父を殺して母と寝たいという願望について述べた。
もちろんその願望は成就するわけもなく、幼児は、父から去勢されると脅かされる空想を抱く。その結果、幼児は、そうした願望の存在を決して思いださないように封印し、つまり抑圧して――知性が自分の眼を潰すわけである――、父親が代表している社会の規範を受けいれるようになるというのである。
23 性[#「性」はゴシック体]
†善悪の一般理論[#「†善悪の一般理論」はゴシック体]
考えてみれば、歴史的英雄以外の普通のひとびとの生活は、「むかしむかしあるところに」といった具合に、物語のなかでさりげなく語られることはあっても、つねに日常的エピソードの集まりにすぎず、そこから教訓が取出されるのがせいぜいだった。
教訓を教訓として成立たせる善悪の基準として、人類の歴史を貫く普遍的なものがあるのかもしれないし、あるいは文化や社会や階層によって決まるだけのものでしかなさそうな感じもするしと、曖昧なところがあった。
他方、フロイトは、人間の歴史を、――数百の英雄や国家の系図においてではなく――エディプスというひとりの悲劇のヒーローの、たったひとつの物語に縮約し、それによって人間すべてに生じたこと、生じるであろうすべてのことを語ってしまったのだった。
そのなかで、かれは、善悪の基準は何かということより、そもそも善悪そのものが生じてくるのはどのようにしてかの一般理論を与えようとしていた(かれは、その意味では倫理学者であった)。
もう少し詳しく説明しよう。
一般的にいって、善とは何で、悪とは何かを識別するのは知性であり、善をなし悪を排除しなければならないとするのは情念であろう。そうした情念が、人間に本能的に備わっているなら、真の意味での悪人は存在しない。悪は善の識別に失敗して生じるのだから、子供に善悪が何か正確に教えてやりさえすればよいことになる。しかし、実際は、悪と知りつつなしてしまうことや、善と知りながらあえてしないことが、人間にはあまりに多い。善をなし悪を排除するのは、知性でも本能でもなさそうである。
フロイトは、善悪に関する情念は、本能といえるほど単純なものではなく、性的欲望が幼児期に変形されることによって生じ、性的欲望の変形のされ方の違いから、個人によって異なる多様な複雑さ(コンプレックスとは「複合したもの」という意味である)が生じると考えた。
かれにいわせれば、情念一般はリビドーと呼ばれる性のエネルギーから生じるが、それがいかにして、唇や肛門や性器といった特殊な器官以外に振向けられるようになるかが重要である。そして、とりわけ、リビドーが社会秩序を志向するようになるかどうかは、そのひとが両親を通じて与えられるエディプス王物語をスムーズに受けいれるか否かによるというのである。――知性の源泉もそこにあり、その結果、どのように性行為を行うかすらも、ただの性的本能によるのではなく、――「知的」とはいえないかもしれないが――知性の働きによるのである。
†精神分析の限界[#「†精神分析の限界」はゴシック体]
だが、リビドーはひとつの理論的概念にすぎず、科学が前提しているような物質的エネルギーではない。物質のなかに発見されるはずだと考えたフロイトの弟子もいたが、科学的対象として顕微鏡のもとで見出だされるものではない。とすれば、リビドーを、生理学的対象である身体や心理学的対象である精神と、どのように照合することができるかが問題である。
また、エディプス王物語という、語られることによって描きだされるレトリカルな文脈が、コンプレックスという、それとはまったく異質な因果的メカニズムに、いかにして変化すると説明できるのかも問題である。
リビドーとコンプレックスは、それだけでは理論として自立しえないのであって、これを人間一般の理論のなかに組込みなおさなければならないであろう。
それについての、メルロ=ポンティの見解は、こうである。
――どんな個人的なドラマといえども、社会制度において与えられる役割を通じてしか成立しないのであるから、文化全体が与えようとする意味を、子供が、幼児期において体験するドラマを演じるなかで再認するというのは本当であろう。何が正しく何が間違っているのか、何が賞賛され何が非難されるのか、何が獲得するにふさわしいもので何が保持することを恥とするのか、そういったことを子供はそこで学ぶのである。
しかし他方、子供には、学ぶ以前に感じとっていたものを考えぬき、文化と個人の関係を転倒させて、ついには自分の経験のどんな密かなものまでも文化的なものとして再構成する可能性がある。つまり、間違いや非難や恥とされかねないから隠しておくべきだと学んだものを、文化の新たな形として、正々堂々と以前の文化に付加える表現形態を身につけるということも生じてくる。
そこにこそ、人間の人間たるゆえんが存在する。学習に失敗して神経症になる者がいる一方で、芸術家や発明家が出現するのはそのためであって、それが歴史の本質である。――メルロ=ポンティは、このようにして、コンプレックスを限定つきで承認する(人間が人間であるための普遍的な抑圧など存在しないわけだ)。
†性的なもの[#「†性的なもの」はゴシック体]
それでは、他方、精神分析の中心概念であるリビドーが性のエネルギーであることをどう理解したらよいのか。
もし、人間のすべての行為と思考が、いずれも同等にリビドーの変形されたものにすぎないとするならば、――そう主張したフロイトの弟子もいたが――リビドーを性的であると定義する必要はない。むしろ中性的な盲目的欲望のエネルギーがあって、それが性欲にもなれば精神的な働きにもなると説明すればよかったのだからである。
では、なぜフロイトは、それを性的と定義しなければならなかったのか。
性器にまつわる欲望は、生物学的に捉えるならば、種の保存を目的としている。だが、人間の性欲がそれに尽きるものではないことは、よく知られている。性交渉は、結果において種の保存には役立つものの、それにまつわる性的なものへの関係のもち方に、そのひとの社会的関係の全体が象徴される。
つまり、そのひとがどんな性的関係を指向しているかということは、そのひとが社会のなかで、どのような他者とどのような人間関係を取結んでいるかを反映し、それをもっと凝縮した形で表現している。メルロ=ポンティは、とりわけそこに、自立と依存という、人間の条件をなす最も一般的な契機が見出だされると述べている。
つまり、ご都合主義的なポルノ映画に見られるように、社会的人間関係のあり方とは無関係に、突然性的なモードに入り、ただの個人どうしとして色情的な行動を行うというわけにはいかないのである。マニュアルで野獣になることを勉強しているふたりででもなければ、どういう依存の仕方を好むか、どこまで自立を強調するかなど、性的な挙動のひとつひとつにそのひとが現われ、なかなかスムーズにことは運ばない。
とすれば、性的と呼ばれているものを、もう少し含みをもたせて理解していいであろう。すなわち、性的なものとは、性器にかぎらず、身体のさまざまな部位での多様な接触のかたちであり、人間が相互に身体を介してこの世界で出会うやり方――「間身体的」な人間関係のことであると。
以上のかぎりでのみ、メルロ=ポンティは、精神分析的思考を受けいれた。真の愛、歴史の真実は、意識がこうしたものを受止める際の、時間的歴史的過程において現われてくるものにほかならないのである。
――というわけで、愛の話はまだ終わっていないのだが、歴史に続けて、つぎは意識について考察をしていくことにしようと思う。
[#改ページ]
◆第三章 思考と実践[#「第三章 思考と実践」はゴシック体]
24 間身体的なもの[#「間身体的なもの」はゴシック体]
†性的身体[#「†性的身体」はゴシック体]
メルロ=ポンティのいう「間身体的なもの」とは、何のことだろうか。
荘子は、池の魚の視点に立てば、餌をくれる美女がどのように見えているか考えてみよと述べた。――そう、人間の身体は、まったくもって普通ではない。
人間の身体は、内臓と骨格と筋肉が、異臭のある粘液によって絡みあわされて、のたうちまわっている物体である。それにまた、そこに一枚の薄皮がかぶさって、動植物の干からびた屍骸を、皮膚が見えるように、あるいは見えないようにと微妙に纏いつけ、くねくね顫動している肉である。そのようなものこそ、われわれが他の身体に感じとっている人間の他者性、つまり身近なだれかの背後に隠されている「おぞましさ」と「いろっぽさ」とである。
性とは、人格の背後に隠れているという意味で、身体の背後(人格)のそのまた背後にある肉体であり、わたしの他者にとってのそのまた他者であり、したがって、見出だされたところの「欲情するわたし」である。つまり、ある他者にとってのわたしはその他者であるが、わたしがそのことを発見するときには、そのわたしは、他者の反応からして、その他者に対して欲情しているもの(その他者を肉体として見ているもの)として見出だされるのである。
性的関係においては、まさしくそのような色情的な身体が、世界のおぞましいものを抑圧しながらわれわれを魅惑する。だが、その色情的身体の多様性については、さほど詳しく説明する必要はないであろう。――われわれは、さまざまなカタログを、あらゆるメディアを通じて、いたるところで手に入れることができる。人類は、基本的には、政治も経済も外交も差置いて、ひたすらその差異化に励んでいるといってもいいすぎではないかもしれない。
とすれば、性的なものとは、ひとつの性器からもうひとつの性器に向けて架けられた一筋の粘液的な橋といったようなものではない。
メルロ=ポンティは、「わたしの身体の可視性こそ、ひとがテレパシーと呼ぶものを可能にする」と書きとめている。それは、早くは嬰児と母親の身体のあいだから発展してきた相互感受性、遠隔的な情念という意味でのテレパシーである。幼児は、自分の顔が母親の顔とおなじ形であることを認知する以前から、母親が笑いかけると笑いかえす。――そこにメルロ=ポンティは、間身体的なものの萌芽を見出だした。
性的なものとは、それを間身体的なものとして捉えなおしたときには、ひとつひとつの挙動のそれ自体に対して、すでにそれに対応する他者のしぐさをあらかじめ指し示すような、身体の情動的な意味作用のことである。――後期においても、かれは「肉」ということばで、そのテーマを追究していった。
†しぐさの世界[#「†しぐさの世界」はゴシック体]
間身体的世界は、しぐさの世界である。「しぐさ」こそが、身体にそのつど意味を与え、諸対象のあいだに他者を出現させる。
人間のしぐさは、身体の官能的なものを一挙に抑圧し、ぴかぴかに光った滑らかで柔らかい表面を展開してくれる魔法のようなものである。このいい方も随分と性的であるかもしれないが、われわれにとって心地よい、あるいは緊張させられる、しぐさや表情や身振りの意味が分かった瞬間の、他者の出現する背景である。
しぐさというものは、(「あの山の中腹に赤い鳥居があって、そこには……」という具合にして)たとえば指差しながら腕を振りまわすだけでも、物理的には存在しない意味的な空間を描きだすことができる。しかも、その空間はその特定のしぐさだけに伴う一時的なものではない。メルロ=ポンティによれば、身体の周囲には潜在的な志向弓が張りめぐらされていて、いつでもちょっとしたしぐさによっておなじ意味が描きなおせるようになっている。
「志向弓」とは、反射弓という生理学用語のいわば逆向きの働きである。反射とは、刺激があった場合に中枢神経系を経由せずに即座に反応する生理学的メカニズムであり、このようにUターンする回路を「弓」と呼ぶ。志向弓とは、身体内部と同様に、外部においても相互に直結されている回路である。手のひらを拡げてドアのノブを捻るに応じ、一々思考する必要がなくドアが開くように、身体の挙動があらかじめ外部の変化を含んでいて、知性を介さずに直接その変化を生じさせることができる。こうした志向弓によって繰広げられているのが、「意味空間」とでも呼ぶべき世界である。
そうした意味空間は、身体相互のしぐさの意味作用を前提するがゆえに、同時に複数の身体のあいだに連続して展開されており、われわれが生活しているのは、自然的物理的空間においてと同様、そうした(人間《じんかん》的)意味空間においてである。
われわれは、こうした意味空間自体をはっきりと描きだそうとする人間的営為を知っているが、ペアになるものであれ、輪になるものであれ、舞台に立つものであれ、そうした営為がダンスと呼ばれるのである(われわれはあとで、声のダンスについて語ることになるだろう)。
†愛の真実[#「†愛の真実」はゴシック体]
この意味空間こそが相互主観性の場、マキアヴェリのところで述べられた歴史の「仮象の場」なのであり、そうした表面をスクリーンにして、われわれは、労働や愛や思想や芸術を、すなわち精神なるものを出現させる。
性というものは人間が相互に関わりあう行為の基盤を形成しているといえるが、それは、性を以上のような、しぐさ世界を構成する間身体的なものと捉えるかぎりにおいてである。その意味でメルロ=ポンティは、愛は、性という間身体的関係に対して、形而上学的な(自然を超えた)相互主観性であると述べたのである。愛は、「性そのものの発展のなか、いたるところにすでにある」。
ここで「形而上学」とは、精神としての人間が自由を前提して振舞うことがらに関わるもののことであると、メルロ=ポンティは注釈をつけている。さきに「形而上学的欺瞞」と呼ぶ理由を棚上げにしていたので、いまそれをあきらかにしておこう。
性は本来漠然としたものであるから、官能的なもののなかでのしぐさのやりとりに終始せざるをえない。それに対し、精神は、そこに決然とした形態を与えようとする。すなわち、ふたりの人間が、性的なものを介して、愛という、人格が対等に交流する特殊な関係を樹立しようとする。
だが、「対等な」というのは、どういうことであろうか。
愛するとは、相手にも自分を愛してもらうことを含む。だが、そのためには、命令や威嚇、誘惑や代償は無効である。それでは相手は、せいぜい愛するふりをすることしかできない。本当に愛してもらうためには、相手はまず自分を愛せたり愛せなかったりする自由をもっていなければならない。とすれば、愛することは、その愛によって相手を束縛するどころか、相手を自由な存在にするということからはじまらなければならないであろう。――その点では、真の愛と偽の愛の違いは、最初からはっきりしていたのである。
すなわち、真の愛の理念が性の発展とともに生じてくるのに対し、形而上学的な偽の愛は、その転倒として生じてくる。愛の理念が先立って性的関係が構築されようとする。その結果、愛そうとするひとは、相手を自分の思い通りの愛の形へと束縛しようとするであろう。
ここで、束縛を一方的な強制とだけ捉えるべきではない。
プラトンが「かしずくことによる支配」ということを述べているが、あなたのいうことを何でも聞き、なにくれとなくあなたの世話を焼いてくれるひとも、あなたがそのような状況に依存していくことを通じて、あなたをそのひとから離れられないように仕向けているのだ。
偽の愛は、このようにして、さまざまな手段を使って相手を束縛しようとする。そのときさらに、そうしようとしているひとが、もしも形而上学的な欺瞞に陥って状況に束縛されてしまうならば、相手だけでなく、自分までも束縛されることになってしまうというわけなのである。
とすれば、メルロ=ポンティが「わたしの自由は、他人のためにもおなじ自由を要求する」と述べたとしても、われわれはすでにその意味を理解することができよう。
――わたしが自由にしようとすれば、通常はだれかが不自由になったりもするのであるが、相手を自由にすることを通じてしか自分自身が自由になれないという場合がある。そのような人間関係のことを、われわれは総じて(男女間にかぎらず)愛と呼んできた。そうした種類の愛であれば、われわれの伝統においても、ことさら理解しがたいというわけではないであろう。自分が自由であろうとするよりも、まずは相手を自由にしようとすべきなのである。
25 準意識的なもの[#「準意識的なもの」はゴシック体]
†生きられた愛[#「†生きられた愛」はゴシック体]
それでは、そうした愛の真実を捉えるにはどうしたらよいか。
真の愛は存在しないということもないし、そもそも愛すべき対象としての他者が存在しないということでもない。愛とは、他者そのものが現前することではないし、ましてやある特定の他者と融合してしまうことでもない。たとえだれかと愛しあっていたとしても、そのひとと精神が溶融してしまうといったことはありえないが、だからといって、互いに完全に孤立していて、互いの精神には触れることもできないというわけでもないようだ。
では、愛が実現するとは、どのようなことなのか。意識にどのように愛する他者が現われたら、そこに愛があるといえるのか。
――普通のひとだと、ここまで読んできて、「愛の真実を捉えるのは不可能だ」とか、「結局は真の愛も偽の愛も相対的なんではないか」などと、醒めたことをすでに考えはじめているかもしれない。
わたしはというと、「決してそんなことはない。愛にかぎらず、出来事において、真と偽とは絶対的に異なっており、われわれはそのさなかで、なんとか真実を捉えなければならないのだ」と考えている(しつこくないと哲学はやってられない)。
……しかしながら、ここまで引張ってきてこんなことをいいだすのは気がひけるのだが、メルロ=ポンティから、真の愛の「指標」を引出すのは無理のようなのだ。
かれは、つぎのように述べている。
「わたしがいま気づいた愛は、はじめから無意識のなかに隠されていたものではなく、さらにはわたしの意識に与えられる対象でもなく、わたしがだれかに向かって方向転換した運動、わたしの思考と行為の回心のことである。――出会いのまえには退屈なときを過ごしていて、彼女が近づいてきたときに喜びを味わったのはわたしなのだから、わたしはその愛がなかったとはいわないだろう。その愛は、徹頭徹尾生きられていた。――認識されたのではなかったのである。」(『知覚の現象学』U二六〇ページ)
†夢[#「†夢」はゴシック体]
[#1段階大きい文字]
ここで、メルロ=ポンティは、愛を意識でも無意識でもなく、したがって「認識されたもの」ではなくて「生きられたもの」だと語っている。では、(序章でもふれたが)「生きられたもの」とは何なのか。
かれは、続く箇所で、そのようなあり方を夢にたとえている。
ひとは夢を見ているときに、その内容を十全に理解しているわけではなく、目が覚めてから、それが何だったのか解釈する。見ている最中は、ただそれを体験していたとしかいいようがない。
実際、夢のなかでは、一挙に場面転換が起こったり、どうもつじつまがあわないことが起こる。それでも、「そういえば飛行機で来てたんだっけ」とか、「最近はこんなことが起こるようになったからなー」というように、簡単に自分の推論を覆してしまうのにはあきれてしまう。
わたしは以前、夢のなかで、「これは奇妙だから、夢なのではないか」と推論したことがある。そう思った瞬間、わたしは自分がふとんのなかにいるのに気づいて、「やっぱり夢だったんだ」と思った。――わたしは夢のなかでも「我思う、ゆえに我在り」なのだと少し自慢に思ったが、そのときわたしは、自分が幼いころに住んでいた家の子供部屋に寝ていることに、なんの違和感ももたなかったのである。
愛は、そこまでは奇妙なことにはならないであろう。
とはいえ、愛もまた、はっきりと画定できるような人間関係や、明確な筋をもった一連の言動によって与えられるものではない。ひとは、愛しているときに、なにも考えていないわけではないのだが、まるで核心をついていないことをぼんやりと受けいれているだけなのだ。
ということであるとすれば、そのような愛は、ひとびとが噂のなかで語りあっているような「愛」とは別物である。そのようなものとすら、気づかれていない。愛を生きているあいだは、ただそれを体験しているとしかいいようがないのである。
†曖昧なもの[#「†曖昧なもの」はゴシック体]
このことを理解するために、意識のあり方について整理してみよう。
われわれには、意識しているものと意識していないものとがある。意識しているものははっきりしているし、意識していないものはないに等しい。意識していないといわれるものは、潜在的には存在しているだろうが、気づかないものに気づくことはできないのだから、意識するまでは気づかない。
他方、フロイトは、意識していないもののうち、決して意識できないという不思議な仕組をもったものを無意識と呼んだ。そして、それを第三者が手伝って本人に意識させる手法を考えたが、そうやって意識されたものが「無意識」である。
それらはいずれも愛を理解するのに有効ではないことが、これまでの話から分かっている。とすれば、あとは、組合わせからして、残っているものしかない。
「意識していないし、存在もしないもの」。それについては、考えようもないから除外するとして、「意識しているけれども存在しないもの」、幻覚や錯覚や妄想がある。これらは、本人からすると、さしあたって存在しているとされるが、あとから、ないし第三者からすると存在しないと判定されるものである。偽の愛もそこに入る。
他方、「意識しているけれども、存在するともしないともいえないもの」がある。たとえば、夢や空想、幼児や未開人や狂人の思考のことである。それを「準意識」とでも呼んでおこう。ごく簡単にいえば、メルロ=ポンティは、これら曖昧なものたちに、出来事の意味を構成する積極的な意義を与えようとしていたのである。
26 あきらかなもの[#「あきらかなもの」はゴシック体]
†知覚[#「†知覚」はゴシック体]
では、明晰な意識の方は、どのように説明されることになるのだろうか。――メルロ=ポンティは、思考とも行動ともいえないような、準意識における探索こそが意識を与え、意識はその効果にすぎないと考えていた。
たとえば、あなたがコップを見ているときには、その周囲のテーブルや壁がよく見えていないことを忘れがちである。そちらに注意を向けるとすれば、今度は、コップがよく見えなくなる。
よく見えるものは、周囲のぼんやりしたものから浮上がって見えるからよく見えるのに、われわれは見えたものだけを知覚したと考える。絵を描く場合などには、ついついその平面すべてに明確に知覚されたものを描きこんでしまう。
知覚とは、メルロ=ポンティによると、ぼんやりしたもののあいだに隠れているくっきりしたものを把握することではなく、ぼんやりしたものとくっきりしたものが区別されることである。
では、コップをくっきりさせるものは何なのか。
それは、いくら見つめ続けても好きなように輪郭を与えることができるわけではないのだから、「注意」というような精神の働きではない。ましてや、見えるものすべてに本来の境界線がついていると考えるわけにもいかないであろう。
おばあさんと若い女性のどちらともとれるだまし絵や、向きあったふたりのひとの顔にも壺にも見えるルビンの絵からしても、輪郭は一度にひとつ現われて、同じ視野の別の知覚に際しては、それは別の輪郭と交替してしまう。
[#挿絵(img/fig3.jpg、横219×縦299)]
たとえば幾何学で、補助線を引くと一挙に解決できるような問題がある。補助線は、一旦引かれると、それ以上ない明晰さで図を解明してくれるのだが、その直前までそこにあったのは、まったくの混乱状態だったのだ。
補助線は、いったいどのようにして現われるのか。精神が、すべての可能な補助線を一本一本引いてみたとはいえないであろうし、図のなかに、補助線を引くしかない場所があるというわけではないであろう。補助線が生じてくるのは、天啓のようなものに感じられる。
メルロ=ポンティは、ぼんやりしたもの相互のあいだに、なにものかをくっきりさせるような潜在的な関係(ゲシタルト)があって、それが「身体の挙動に応じて」くっきりしたものとして出現してくるのだと考えた。
こうしたことが生じるのは、身体が、そのぼんやりしたもの全体にある種の親密さをもっているからである。身体は、意識に先立って世界との照合関係をもっている匿名の機能系である。そうした身体についてのわれわれの感覚自体も、それなりにぼんやりしたものなのであるが、そうした準意識的なぼんやりしたものどうしがおのずから道を作り、くっきりした形象が生じる。そのことをひとは知覚とよび、知覚内容としての形象を意識と呼んでいる。――意識はそれ以上のものではないのである。
†明晰な意識[#「†明晰な意識」はゴシック体]
しかしながら、ぼんやりしたものが道を作るのに、手を貸しているわれわれの努力というものがあるのではないか、それこそが意識の本当の働きなのではないか、と思われるかもしれない。
知覚に対する意識的な努力とは、随分かぎられたものである――じっと見つめたり、ただ耳をすましたり。ところが、そうした意識的努力自身も、実はぼんやりしたものなのではないだろうか。
「もっと別の角度から見たらどうなるだろう」などという努力もあるが、それは意識的というより、言語的なものである。われわれは何かを発見するしぐさを学んできたが、意識的に知覚していると思えるときは、いつも言語表現が絡んでいる。
しかも、ことばを語り、その意味を解するということも、それ自身は、きわめてぼんやりしたものである。くっきりしているのは、知覚の場合と同様に、語られたことばの意味だけなのである。
そういうことであるとすると、従来われわれは明晰さを意識の特権のように扱ってきたが、明晰な意識は、つぎのように説明されなおされなければならないであろう。
――明晰な意識とは、まずは知覚によって与えられる形象の明確さのことであり、さらには知覚の明確さと言語によって与えられる意味の明確さのつきあわせのことである。それ自身はぼんやりとした知覚と言語の働きがあり、それが継起したことをもって、われわれはそれを自分の努力であるかのように横領し、引続く言語の行為において「わたしは発見した」などと主張するのだが、明晰な意識とは、そうした厚かましさの別名なのである。
†確実なもの[#「†確実なもの」はゴシック体]
近代の哲学者たちは、準意識的なものをどうやって克服するか考え、うまく意識に統合しようとしたり、意識からきっぱりと排除しようとしたりしてきた。
意識こそが人間精神の中心的機能であり、これによってひとは真理(真実)を認識することができるし、真理が意識に与えられると考えたからである。フロイトが無意識の理論を提示したのすら、その延長においてであった。
意識は、曖昧なものは捨てて、確実な対象へと向かう。それが正しい思考というものだと、近代哲学の父、R・デカルトが教えている。なるほど、曖昧なもの(本当らしいだけのもの)は、確かに不確実である。だが、不確実なものを捨てて、これを確実なもので覆うこと、それがどうして真実を示すのか。
ものごとは、確実だからといって、真実であるとはかぎらない。確実であるとされるものに確実さを与えているものは、意外に不確実なものかもしれないではないか……
たとえば、形而上学的欺瞞における愛する意識の確実さ。デカルトは、確実さは、徹底的に疑ったあとに生じると述べているが、――自然的対象についてはともかくとして――それでは、愛の形而上学的欺瞞を乗越えることはできないだろう。
「確実な愛」とは、むしろ語義矛盾(そのことばに含まれているふたつの概念が両立しないこと)かもしれない。メルロ=ポンティの説明を聞いていると、真実の愛はあっても、確実な愛は存在しない。
ところで、「曖昧な」という日本語は、フランス語では、デカルトのいうような「本当らしい(真実のような見かけをもっていてひとを欺く)」ということばと、メルロ=ポンティのいうような「両義的な(ことばにすると極端に反対のふたつのもののいずれでもあるといえるような)」ということばのふたつに割当てられている。
メルロ=ポンティは、真実は、準意識における曖昧な(両義的な)もののなかに潜んでいて、(曖昧だということは、裏返しにいえば、明晰であろうとするところのものであって)われわれがまさしくそれを明晰にすることをめざすから、真実が見出だされると考えたのである。
27 おのずからなる疑惑[#「おのずからなる疑惑」はゴシック体]
†疑惑の発生[#「†疑惑の発生」はゴシック体]
それではわれわれは、曖昧な「生きられたもの」のなかから、どうやって真実を探しだしたらよいのであろうか。はたして、探しだすことができるのだろうか。
デカルトは、真実を発見するために徹底的に疑うと称している。だが、その企図を実際に遂行しようとするデカルト自身の思考が、そもそもどうして確実といえるのかは、はっきりしない。
もし「わたしは徹底的に疑う」という思考がそれ自体疑わしいものであったとしたら、デカルトは真実に到達するまえに疑うことやめてしまいはしないだろうか。疑い続けているとしても、どうどう巡りにはならないのか。凡人の思考は、――デカルトもそう自称しているが――、概してそのようなものではないだろうか。
他方、メルロ=ポンティは、「疑うことの確実さは、思考からではなく、行為としての疑惑自身からくる」と述べている。
疑惑というものは、奇妙である。それはあるとき、ほんの些細なことからはじまる(たとえば、オセローがデズデモーナのハンカチを見る)。なにかつじつまがあわないといった感じがする(キャシオーはそういえば感じのよすぎるやつだ)。
それから、その疑惑は急速にふくらんで、それ以前に経験したさまざまなことがらへと向かう。それらのことがらは、その疑惑の確たる証拠として記憶から引出されてくるのだが、その記憶自体は、なぜ覚えていたのか不思議なほど、まったくとるにたらないことにすぎなかったのだ。
太宰治の『走れメロス』は、ご存じであろう。死刑になりかかったセリヌンチウスは、「メロスの竹馬の友であった」という。わたしはかれの心情が、メロスのことより気にかかる。
作品のなかでは、かれは「わたしも一度疑った」などと謙虚に語っていたが、本当に一度だけだったのか。「メロスのやつ、最近どうもよそよそしい感じだった」とか、「所詮あいつは勝手な正義漢で、ひとを手段にしても構わないやつだった」とか、「このまえくれた果物は腐っていたが、あれはわざとだったかもしれない」とか、かれは考えなかっただろうか。
長時間、死刑になりそうな状態でただ牢獄に繋がれていたわけだから、おそらくは、わなわなとしてのたうちまわりたくなるような衝動のなかで、どうでもいい記憶がこれでもかというほど噴出してきたはずである。メロスを一度殴るくらいではたりなかったはずだ。余計なことかもしれないが……
†疑惑の感情[#「†疑惑の感情」はゴシック体]
それで、疑惑という感情のどこが奇妙なのか。
喜びや悲しみというものは、湧いてくるものであって、われわれはそれに浸っているか、それとも意志によって状況を変えて、それを振捨てるかすればよい。
それに対し、疑惑というものも、湧いてくるということにはかわりないが、しかし、われわれには、それにただ浸ることも振捨てることも難しい。われわれは、問を発し、それに答え、再び問を発し……と際限なく進まざるをえない。
エディプス王がとった行動を、思いだしてもらいたい。
ひとびとは、エディプスが疑惑を晴らそうとしたのは、かれの知性が卓越していたからだと、漠然と考えている。だが、エディプスが闘おうとしていたのは、出来事の成行きに対してである。国をよく治めようと取掛かったことではあるが、真相を発見すべく知性が導かれたのは、「自分こそが出来事のなかで滅ぼされるべき、負目ある存在ではないのか」との疑惑が生じたからである。
とすれば、疑惑はひとつの感情などではない。
疑惑とは、知性も意志も感情も巻込んで、そのひとを出来事のいきつくところまで導いていこうとするある種の高原状態(舞台、ないし緊張度の高い状態の持続)であるとしかいいようがない。
疑惑が一旦自分を駆動しはじめたなら、ひとは簡単にはそれを止めることができないし、それをことばにおいてあきらかにしたり、行動において結果を出したりしないではすまされなくなってしまうだろう。
だから、メルロ=ポンティは、つぎのようにいったのだ。
――わたしが真の意味で行為していないときには、それが本当にわたしのものであるかどうか疑惑が湧いてきて、際限なく自問自答することになるだろう。それにたぐいする行為のすべてがまやかしのように、非現実的なものに見えてくるだろう。
†疑惑は真相をめざす[#「†疑惑は真相をめざす」はゴシック体]
疑惑という状態は、行為自身が疑わしいものであるかぎりにおいて、行為そのものから、おのずから、やむをえざる勢いで湧いてくる。
それは、思考から任意に(デカルトのいうように「方法的に」)発するのではない。
疑うべきことがあるのではないかと思いついてから、疑いはじめるわけではない。わたしがなそうとしていることと、なすための手段や周囲のひとびとのありかたが調和していないとき、要するにわたしが行為の意味をつかみかねているときに、それはどこからともなく湧いてくるのである。
しかも疑惑を晴らすため、ひとは、それが自分の望まない真相であったとしても、なんとか真相を知ろうとしてやまない。ひとびとは、そうした動機を知性や良心や心情のせいにして、人間性というものがまだまだ信頼できるなどとほっとしたりするのであるが、実にそれは、ただ狂おしい疑惑の情念がなせるわざである。
エディプスは、結局自分の眼を突くことになったわけであるが、それによって、人間知性の傲慢さを罰したのか? 通説はそう教えている。だが、わたしの見るところ、疑惑が生じてくるようなつじつまのあわないことがらを、ひとは眼をもっているかぎり見ないではいられない、ということだったのではないだろうか。
疑惑というものを経験したことのあるひとならば、だれしも人間が、自己の利害に応じて、その目的のための手段をそのつど講じていくような(ホッブズ的な)存在ではないと知っている。
というのも、もしそのような存在であれば、疑惑が自分の不利益になることを暴露したり実現したりしようとしていると知ったときには、自分の疑惑を止めることができるはずであるし、ましてや他人から追いつめられても、自分に不利益な真相を暴露したりはしないものである。
だが、それにもかかわらず、なんと多くのひとびとが、疑惑がただその問を進めていくのに身を任せるのだろうか(なんという自己犠牲、あるいは自己破壊!)。犯罪者が自白をするのは良心をもっているからなのか? だが、良心というものがあるのならば、そもそも犯罪的なことをしなかったのではないだろうか。
28 思考[#「思考」はゴシック体]
†コギト(わたしは考える)[#「†コギト(わたしは考える)」はゴシック体]
とはいえ、疑惑がつねに真実を発見させるかというと、そうではない。
疑惑が欲しているものは、疑惑を徹底的に遂行することではない。疑惑が求める真相と、疑惑が生じてきた動機や事情は異なっている。ひとびとはまやかしと気晴らしのなかで、疑惑を打消しながら生きることができる。
疑惑とは、動機と事情に応じて打消されるべきものであり、精神の平穏のためには、ひとはどんなことでもするだろう。疑惑が強ければ強いほど、二度と疑惑が生じてこないような堅固な形而上学的欺瞞の砦を築きあげようともするに違いない。それにしてもなお、状況が変わるにつれて、ふたたび疑惑が生じてくるのではあるが。
疑惑を完全に止めるには、実際に真の意味で行為するしかない――そう、メルロ=ポンティは、大変あっさりと述べている。たとえば「わたしは本当に愛しているのか」という疑惑があれば、行為において本当に愛するか、愛してないのであれば、もうつきあうのをやめればよいのだ。――とても常識的で、健全な意見だと思う。
それはそうであるのだが、問題は、行為の真相が、はっきりしないところにある。疑惑は、行為の意味が見失われるかぎりにおいて湧いてくる。疑惑は行動を混乱させるだけだ。真の意味で行為できていないとすれば、その行為をどう捉えなおすべきかが問題になる。疑惑は、たいていは思考を舞台にして展開されるのである。
ではその場合、思考が、欺瞞を作ったりすることなく真実に向かうとすれば、それはどのようにしてか。それは可能なのか。
メルロ=ポンティは、またしてもあっさりと、思考が確実になるためには、実際に真の意味で思考することだと述べている。考えることの確実性は、実際に考えているという行為に由来するのだからである。
では、真の意味で考えるとは、どのようなことか。そこでかれは、デカルトを解釈しながら、つぎのように述べるのである。
――それは、特定のことを考えるのではなく、一般にわたしが考えるということを受けいれること、そして、わたしが考えるということとわたしが存在するということが一致するということである。それが、「わたしは考える、それゆえにわたしはある」ということばの意味である、と。
†存在と思考[#「†存在と思考」はゴシック体]
メルロ=ポンティは、ここで存在と思考の一致という、パルメニデス以来の伝統的真理観に接近しているわけだが、続く箇所で、それは歴史を含めて理解すべきだという大幅な留保を与えている。かれがその留保において何をいいたいのかは、正直いって分かりにくい。
この段階でいえることは、つぎのことくらいである。
「歴史のなかにあるわれわれが知りうるのは、疑惑の一時停止としての確実さ、あとでいずれ覆されうるような暫定的な真実でしかない」という唯一の真実があるのか、それとも、「真実は認識できず、われわれは行為のなかからおのずから疑惑が生じてくるかぎりにおいて、少なくとも絶対的な虚偽は見分けることができる」という、せいぜいそれが、歴史のなかでひとがなしうる最大限の知性であるというべきなのか。
しかし、わたしは、メルロ=ポンティは、もう少し積極的なことをいおうとしているのではないかと思う。かれは、「理論的には不可能なはずの真実は、それを行なう実践によってのみ認識される」と述べている。「実践的認識」? それは何のことだろうか。
わたしはこれまで、メルロ=ポンティの主張を紹介しつつ話を進めてきたが、ここからは、まさしく、メルロ=ポンティとともに考えていくしかないところに入ってきた。――はたして「実践的認識」なるものは、われわれのように歴史(出来事)のなかで生きている存在に、歴史(出来事)を超えているはずの真実を把握させてくれるのか。
29 うそ[#「うそ」はゴシック体]
†うそをつく[#「†うそをつく」はゴシック体]
真実とは何であろうか。それは、少なくともうそではないといったたぐいのことであろうか。……だが、わたしはうそをついたことがある。
わたしの母が死んだのは、もうだいぶ以前のことである。母は日頃から、自分がガンになったら必ず告知してほしいといっていた。
ある日の午後、たまたまわたしが留守番していて電話に出たら、それはガン検診センターからの電話で、母にガンの疑いが濃いので再検査をするよう伝えてほしいとのことだった。ただし、本人にはガンとはいわない方がいいといわれた。
実際ガンではないかもしれないのだから、いたずらに騒ぐのも心苦しい。わたしは、それももっともだと思った。
――しかし、再検査の結果は、ガンだった。父親が母には秘密で病院に呼出され、胃ガンであると告げられた。
担当の医師は、「性格を見るところ、告知をしては精神的に参ってしまうのではないか」といったそうである。そこで、家族は胃潰瘍ということでそろって口裏をあわせることにした。治ってしまってから、笑い話のようにして話せばいいではないか……
手術をして胃をかなり切除し、その結果母は十分に食べられなくなって、ひとが変わったように痩せこけてしまった。それから長い療養期間が続いた。
ときどき、母はわたしに尋ねた。
「わたしはガンじゃないかしら、なにか聞いてない?……いってたでしょう、もしガンだったらはっきりいってほしいって。」
で、わたしは答える。
「いや、胃潰瘍じゃない? お父さんは何といってる?」
「それは、胃潰瘍だっていってるけど、少し変だと思うのよ。」
「そういわれてもなあ。あんまりそんなこと考えずに、早くよくなるように考えた方がいいんじゃないかな……」
要するに、わたしは「逃げた」のである。
――告知をするとすれば、それは配偶者である父の責任であって、わたしの責任ではないだろう。もしわたしがぽろっと本当のことをいってしまったら、ほかの家族はわたしを非難するに違いない。また、そのときの母の反応も、予測しがたいものがある。母はすっかり落込んで、療養もできなくなるのではないか……とにかく、五年待つのだ。五年間再発しなければ、ガンは治ったと見ていいのだ。
†うそは実現しない[#「†うそは実現しない」はゴシック体]
だが、五年目には、母は末期ガンで苦しんでいた。
母は、病院のベッドのうえで、さまざまなチューブに繋がれていた。背中が痛いというのでさすってやりながら、わたしはいった。
「そうやってずっと寝ていると、肩が凝ってしまうよね。」
わたしは、まだその痛みが、ガンのせいではなくて、ちょっとした病気のせいだと説得しようとしていたのだ。
「そうじゃないのよ」と母はいったが、わたしが背中をさするのを拒まなかった。
「――痛みどめの飲み薬は効かないの?」
モルヒネのことだ。
「あれは変な夢を見るからいやなのよ。」
彼女は答えた。
「夢のなかで、家族みんながわたしに手を振っているの。どうしたのかなって見ていると、みんながだんだん溶けていってしまうのよ。」
わたしはことばを失った――ああ、それは逆なんだ。
彼女が何に苦しんでいるか、わたしにも分かった。身体の苦痛も大きいが、それ以上に、自分が死んでいくことの意味を考えているのだ。
「病気がつらいから、変なことを考えてしまうんだろうけど……」
とわたしはいった。
「そうねえ。」
と彼女。
「わたしはもうここから帰れないんじゃないかと思う。」
そういって、彼女は、枕もとに書き散らしているメモの一枚を黙って見せた。そのなかに大きく「愛別離苦」の四文字が見えた。仏教でいう四苦八苦のひとつだ。
†みんなで支えるうそ[#「†みんなで支えるうそ」はゴシック体]
そう、みんな知っていたのだ、彼女も含めて。――本人も含めて、みんなで「彼女はガンではない」と口裏をあわせているのだ。
もし、それを口にしたら……
もしそれを口にしたら、何かががらがらと崩れ、もうこんな状況を維持できなくなってしまう。なにか別のことをしなければならなくなってしまう。だが、いったい、何をしたらいいのか。
彼女は、わたしたちがうそをついていることを示すたくさんの状況証拠をもっていた。彼女が望むならば、わたしたちを追及して、白状させることができたはずだ。
だが、彼女はそうしなかった。
彼女は、うそでもいいから、自分が死につつあると信じたくなかったのか。しかし、彼女の表情やしぐさやことばのはしばしから、彼女がそのことを知っていたことはあきらかだった。
わたしたちは、彼女のためを思ってうそをついていると思っていたのだが、実はそれはわたしたちのためでもあったのだ。彼女はわたしたちを追いつめないために、一緒になってうそがつかれている状況を支えているのだ。
わたしはふと思いあたる、最初に医師のいったことば。「性格を見るところ、……参ってしまうのではないか。」
おそらくは、この医師は、すべての患者の家族にそう告げているのだろう。――あたりまえだ。死ぬかもしれないと分かったとき、参ってしまわないひとがいるだろうか。
†夢[#「†夢」はゴシック体]
それからしばらくしてだった。彼女は一昼夜のあいだ下顎呼吸(口をあけてぜいぜいと顎を上下させながらする呼吸)をしながら死んでいった。
「がんばって」と、家族みんなで、悲鳴のような声を彼女の耳元で叫んだ。
わたしも叫んだ。
「安心していいよ、みんないるからね。……なにも心配することはないからね。」
わたしのことばにはさして根拠はなかったが、そのようにいった方がいいような気がした。なんでがんばる必要があろう?
彼女は、うっすら眼を開けて、「み・ん・な……いる?」といった。
それが最後のことばになった。
その後、わたしは何度か夢を見た。
母はいつものようにそこにいて、とりとめもないことを喋っていた。わたしは夢の論理でもって、「そうだった、やっぱり手術は成功だったんだ」などと思ったが、すぐに夢は覚めてしまった。
しかし、ひとつ忘れられない夢がある。
その夢は、薄暗い得体のしれない荒野のなかを、母がひとりさまよっているという夢だった。わたしは必死で声をかけたのだが、彼女は気づかないふうだった。夢から覚めて、わたしは思った。
――もしかすると、彼女は自分が死んだことに気がついていないのではないだろうか、どうしてだれも彼女が死んでいくことを教えてやらなかったのだろう。だが、はたしてわたしは何をいうべきだったのか……
以上が、わたしのうそについての、本当の話である。
生命倫理の本を読むと、告知の話はあっさりとしたものである。西欧人は自己と対峙する神が存在するから自分の死を受容できる。だが、日本人はそうでないことが多い(と悪いことかのように書いてある)。
それはそうであるが、もう少し別の要素があるのではないか。
本当のことをいう(真実を語る)とは、相手が死につつあるならば、「あなたはもうすぐ死ぬよ」と、その事情を映しだすようにいうことなのであろうか。
わたしがどうすべきだったかは、いまもわたしには分からない。それにしても、ことばは状況のなかで意味をもつ。状況がさまざまなことを教えているときに、どんなひとことをいえるかということが、真実とは何かということに絡んでいるはずなのだ。
30 まこと[#「まこと」はゴシック体]
†少女漫画の「好き」[#「†少女漫画の「好き」」はゴシック体]
「真実を語る」ということを、「うそをつかない(事実と食違わない)」という程度の浅薄な意味にしてしまったのは、どこの国語学者、どこの倫理学者だったのであろうか。うそをつかないだけのことばが、真実を壊してしまうこともある。
ことばは、ことばによって語ろうとする体験を、ありのままに出現させることができないばかりか、かえってそれを歪めてしまう。ことばではいい表わせない体験こそが真実なのかもしれないとは、だれしも感じることではないだろうか。
最近の少女漫画がどうなっているか、わたしはすこぶる勉強不足なのであるが、少女漫画では、えてして「好き」というひとことをいうのに、何十ページも使うようである。
何が、そのことばをためらわせるのか。――ついでにいうと、相手とつきあうことになったというだけで、どうしてエンドマークになるのか。そのあとしなければならない面倒な作業(けんかしたり、気づかったり)がいっぱい待っているというのに。
わたしがとぼけていると考えるひともいるだろう。だが、ことばを語るためらいは、心理学的な説明ではまったく不十分な気がする。
最初から恋愛相手を探しているようなヒロインであれば、そのひとことは、タイミングの問題であり、賭けであるからこそためらわれる。自分で白馬の王子様の世界を展開しているがゆえに、傷つきやすい心情を最大限守るテクニックであろう。
だが、よくできた漫画のヒロインならば、廊下の角でばったりぶつかったりしたくらいでハートマークを飛散らせたりはしないものだし、「好き」ということばの重さと、その分かりにくさを十分知っているからこそ、そのことによってためらうのではあるまいか。
†言語行為[#「†言語行為」はゴシック体]
「好き」ということばの意味がすでにあって、ことばがそれを与えるだけなら、相手がつきあうことにしようとそうでなかろうと、「いい天気ですね」というくらいのものだ(それでも、「空は曇っているじゃないか」などと否定されると、意外に傷ついてしまうのだが……)。
それに対し、口にしようとすると口のなかで膨張してしまい、喉に引っかかってしまうようなことばがある。そのようなことばについては、J・L・オースティンが分析していて、わたしは大変説得力があると思う。
かれによると、たとえば「結婚する」というような種類のことばには対応する意味がなく、このことば自体が行為だというのである。そのことばは、それを語ったひとのその後の行為を拘束するようになる、いわば宣言なのである。
ことばが行為であるとは、ただひとつの世界のなかで、ことばと事物が入混じっているということを意味している。
もしわたしがあなたを殴ったら、あなたに痛みが生じるだろう。それとおなじように、わたしが「結婚する」といったなら、それであなたとまわりのひとが、それ以前とは違った関係になってしまうだろう。
だから、こういってよければ、「結婚する」ということばは、わたしの振上げたこぶしと同様に(こぶしの方も、――わたしの場合はとくに――象徴的意味しかないことが多いのだが)、それ以前とそれ以降の周囲の世界に、ある種の出来事を生じさせる。そのことにこそ、意味がある。――それゆえ、ひとびとは、重大なひとことにためらうのである。
†生きられた愛のことば[#「†生きられた愛のことば」はゴシック体]
とすれば、重大なことばをためらう理由は、自分がそうした変化を望んでいるかどうかはっきりしないからというだけではない。それが未来のことであるから、その変化がどのようなものになるか予測がつかないからこそためらうのである。
その変化のなかに、いまここで生きている自分の経験を破壊してしまうものもあるかもしれない。それを、はっきりさせることが怖ろしくて、なかなか口にできないのではないか。――「決して取消せないもの、放たれた矢、口にされたことば」、そういうことわざを聞いたことがある。
この点に関して、メルロ=ポンティが、コンドルセというリセ(高校)での講義を筆記した学生のノートのなかに、気になる文章が見出だされる。ノートゆえにいまひとつ意味がはっきりしないが、ここでの論点に関わるように思う。
その講義は『知覚の現象学』を出版した少しあとということになるが、この機会に、かれの経歴を列記しておこう。
メルロ=ポンティは、二十六歳でシャルトルというリセの哲学教師となり、二十七歳でエコール・ノルマルの復習教師、三十六歳でカルノーというリセの哲学教師、三十七歳でコンドルセというリセの哲学教師、さらにリヨン大学講師となり、四十一歳でパリ大学教授、四十四歳でコレージュ・ド・フランスの教授になっている(村上隆雄『メルロ=ポンティ』清水書院より)。日本とは制度が違うし、哲学はずっと厚遇されてはいるだろうが、転々としているものである。
で、メルロ=ポンティは、コンドルセでつぎのように語ったという。
「愛しているということを、愛しているという認識から区別せよ。わたしはわたしの眼前に愛を見てとることをでなく、この愛を生きることを選びとる。それゆえ、わたしが愛しているという事実は、愛していると認識していないことの理由になる。」
そのひとが本当に愛していれば、自分では愛しているとは認識しないだろうという趣旨がここでは読取れる。認識された愛は、形而上学的欺瞞である。だが、認識することと、語ることは別のことである。「愛している」と語るとき、それは愛ではないとはいえないであろう。
愛は、「生きられて」いる。はじめは曖昧なまま、体験されている。おそらくは、相手を理解したいということを意識したときが、わたしがそのひとを愛しはじめたときである。そして、わたしとは異なっているとしかいえなかったものが、ついには、「愛している」ということばになることがある。そのとき、何が生じるのかが問題なのである。
31 超越[#「超越」はゴシック体]
†志向的侵犯[#「†志向的侵犯」はゴシック体]
「生きられたもの」のなかで発せられることばの意義について、もう少し抽象的なレベルで考えてみよう。
これまでわれわれは、真の愛をテーマにして、歴史の真実を探求してきた。真実を知るためには、なんらかの指標を探せばいいのではなかったし、それを認識する方法をよく考えればよいのでもなかった。
真実が生じてくるところの「生きられたもの」それ自体は、夢のようなものである。
しかし、夢のままでは、真実とはいえない。われわれは、真実を知るのに、認識に頼るほかはない。しかし、「認識されたもの」は、真実ではない。指標や方法を使って認識に頼れば頼るほど、真実を捉えることが不可能になる。
それに対し、メルロ=ポンティは、「実践的認識」というものがあって、実践において、認識されたものに対する差異をわがものとするならば、その差異によって認識そのものを乗越えることができると示唆している。かれはそのことを、「理論的には不可能なはずの真実という現象は、他者を与えるところの『志向的侵犯』を行う実践によってしか認識されない」(『シーニュ』T一五〇ページ)と説明する。
「志向的侵犯」というのは、自分が認識の中心から突如はずされてしまい、自分の置かれている状況が認識の対象になってしまうということである。たとえていうと、他者を見ようとしていたのに、他者のまなざしによって見られているというようになること。あるいは、作品を作りだそうとしていたのに、作品が完成を求めて自分に作品のあるべき姿を指示してくるというようなことである。
メルロ=ポンティの出している例では、わたしが歩きまわって気にいった光景を捉えようとしているとき、自由に歩きまわっていたはずなのに、ふと気づくと、その光景によって最もふさわしく光景が捉えられる位置に自分が向かわされているといったことが起こる。
†他者の超越性[#「†他者の超越性」はゴシック体]
メルロ=ポンティは、このような志向的侵犯のみが他者を与え、真実を見出ださせるという。
それは、わたしの右手と左手のあいだに見出だされる他者(触れられていると感じるときに触れているわたしのなかの他者)、他の身体のしぐさにおいて見出だされる他者(風景を意味によって編まれたものとして指し示す他者)、それについで世界の風景としての他者(もうひとりのわたしとして他者)が出現し、その結果、他者がわたしの自由な行為を普遍的なものとして肯定するという意味である。そこにこそ、超越性(わたしを超えてわたしの行為や認識を絶対的なものとして支えるもの)が実現する。
こうした超越性は、他の身体に帰属させられるときには「他人」と呼ばれるし、他の物体に帰属させられるときには「作品」と呼ばれる。しかし、そのような他者(他人や作品)は、時間のなかにあるために、死んでしまったり破壊されたりし、他の現実存在によって打負かされてしまって、いつでもたんなる個別的対象に堕落してしまうという可塑性を有している。
本来、他者(他なるもの)とは、対象に帰属させる以前に、差異について意識されたもののことであり、むしろわたしのなかにあってわたしではなく、あるいはわたしのそとにあってわたしであるような、わたしを否定したり肯定したりするところの存在である。
もし他者というものが存在しなければ、「わたし」は、世界のすべての現象をただひたすら肯定しているか、あるいは世界という存在には属さないものとして否定されるしかないのであるが、そういうふうに肯定か否定かしかないということになれば、肯定も否定もその意味を失ってしまうであろう。超越性が真に超越的であるためには、肯定や否定が意味をもつようになるために、わたしとは異なったものとして、他なるものでなければならないのである。
†真実の瞬間[#「†真実の瞬間」はゴシック体]
ところで、真実とは、まさに超越的なものである。
真実がどのようなものかを理解したいならば、肯定であれ否定であれ、その手前、その表現が生じてくる生成の瞬間を捉えなければならない。それが、メルロ=ポンティのいう「差異が意味になる」瞬間である。
そのことを、メルロ=ポンティは、つぎのようにはっきりと述べた。
「哲学(ものごとを考えるひと)はすべての事実、すべての経験に接しながら、ひとつの意味がおのずから獲得される豊穣な瞬間を捉えようとする。真実とは、存在するのはただひとつの歴史、ひとつの世界だということを前提しながら、これを事実としても成立させるような生成である。その真実の生成に対して、哲学はこれをわれわれのものとして取戻し、あらゆる限界を超えて推し進めるのである。」(『哲学をたたえて』翻訳は『眼と精神』みすず書房二四五ページ、括弧内は筆者)
「ひとつの世界、ひとつの歴史」――とはいえ、難しく考える必要はない。
真実である以上、ことばの定義からして、複数の世界、複数の歴史のそれぞれで成立つとはいえないし、たとえそれらが複数であるように見えても、わたしが捉える以上、わたしの属するひとつの世界、ひとつの歴史に吸収されてしまうであろう。「ひとつの世界、ひとつの歴史」とは、簡単にいえば、出来事について語られたものが「リアリティ」をもつという意味である。
真実(真理)とは、科学者が記述する一連の言語表現のことで、専門家が高度な記号を使用して発見するものだと考えるひとがいる。あるいは、現代の生活条件が諸科学の成果に従って構築されていることを無視して、真実などひとそれぞれだから議論するものではないと主張するひとがいる。
だが、いずれも少し極端すぎる。だれかの思考というものは、それをほかの権威あるだれかが真か偽かと判断するようなものでも、それが個人のものであるかぎりだれも手を出してはならないというようなものでもない。
真実は、われわれの生活のとるにたらないひとつひとつのエピソードのなかでさえ、われわれの思考のなかで取戻されなければならない。そのことは、なんら特別なことではなく、われわれが普段からごく普通にやっているようなことなのだ。つまり、どんな出来事であれ、その出来事に対するどんな行為であれ、ただ「その意味は何か」と追求していくだけのことなのである。
わたしはさきに、疑惑を「懐疑」という名で呼ばず、情念に基づくものとして示そうとした。疑惑が知性のひとつの営みではないと論じようとすることは、ひとは真実のもとにあって、真実を求めるような存在者であると主張することである。もし疑惑が知性の営みであるとすれば、真実(真理)は、ひとがそれを望んだり望まなかったりするということになるであろうし、なぜ真実が必要なのかなどという倒錯した問すら発せられることになるであろう。
メルロ=ポンティが「われわれは意味の刑に処せられている」と述べたことはすでに紹介したが、その意味は、われわれは真実を問い、意味を発見しないではいられないということである。真実を求めることは、いわばわれわれの宿業である。どんな愚かしいひとであれ、自らに虚偽を用いてすら、自分の行為に意味があるふりをする。そうした虚偽の発明こそ、むしろ知性の働きに帰せられるべきものであろう。
32 実践的認識[#「実践的認識」はゴシック体]
†意味の生成[#「†意味の生成」はゴシック体]
メルロ=ポンティは、ひとつの世界、ひとつの歴史に属するようなものとして、意味を発見することができるならば、それを真実と呼ぶことができると述べている。――とすると、意味の追求ということも、インターネットを見ればどこかに書いてあるといったようなものではない。「そこに意味がある」といういい方がされるが、意味は存在するものではなく、生成するものだからである。
意味は、客観的に存在していたものとして捕まえられるのではなく、不意をついてわたしの世界に到来する。わたしが意味を見出だすまでは、意味はどこにもなかったのに、見出だしたあとでは、それによってわたしの過去までも変えられてしまうほどである。
そうした経験は、「意識」という考え方からすると、実在していた過去のそれぞれの時点の事実に対して自由に解釈を与えているということにされ、「無意識」という考え方からすると、見出だされた事実が過去のそれぞれの時点で抑圧されていたということにされるが、メルロ=ポンティはそのいずれの考え方も否定する。
そうした経験は、すでに述べておいた「準意識」に属するのである。そこにおいては、ただ意味がおのずから生成し、「それはこういうことだった」と思った瞬間に、過去が二重化される。時間について述べておいたように、現在は、意味が出現するかぎりにおいて、過去を、現実的なものと潜在的なものに二重化しつつ進んでいくのである。
ただし、それが時間というものであるが、少したつと、「やっぱりそれは間違っていた」と考えなおしたりもするであろう。発見された意味が、そのまま真実の表現であるということになるわけでもない。それにしても、一回でもそう考えたということは取消すことはできないわけで、相手や事態との関わりが刻一刻と変わっていく。それゆえ、そのひととのあるべき関係や事態に対する適切な対応に向かって、ふたたび自分の言動を整えなおそうとせざるをえないわけだが、そうしたことを称して、ひとは「真実の行動(誠実)」と呼ぶのである。
†実存的意味作用[#「†実存的意味作用」はゴシック体]
それでは、意味を追求していく行動は、具体的にはどのようなものだろうか。
メルロ=ポンティは、「愛とは、そのひとが世界との関係を確立するやり方であり、実存的な意味作用である」と書き記している。すなわち、「わたしはそのひとを愛している」とあえて口にしたときは、それまでの自分の言動がまったく違ったように現われてくるという意味である。
かれが「実存的な意味作用」と述べるのは、わたしの思考が自分の言動や相手の存在に意味を与えるのだといっているのでも、ましてや情動的自動機械が意味を生産するとか、有機体の中枢神経が意味を分泌するとかいっているのでもない。
意味は、思考であれ、機械や生命であれ、すでに存在する何かから生じるのではない。かれによると、愛とは、世界のなかでのあり方、生活の仕方を変えてしまうような新しい意味空間が与えられることである。
――自分が少し変わったので、世界が少し違って見えてくる。自分では相変わらずだと感じているが、自分の身のまわりにあるものが、少しずつ姿を変えている。そのひとの好きな音楽が好きになり、そのひとのしゃべり方や笑い方がうつってくる。以前とおなじ平凡なもの、いつもと変わらぬ周囲のひとびとの発想が、急に新鮮に感じられる。そういうことが劇的に生じるからこそ、ひとはしばしば愛を話題にする。
そのひとの理解できなかったところが理解できるようになるという以前に、愛はすでにそれを理解するためのしぐさの網を、世界のさまざまな要素に対して、またそのひとめがけて張りめぐらし、自分自身に以前とは違った世界を与えはじめている。
そして、いつでも愛が受容される意味空間が開かれていて、ある日突然、「わたしは愛している」ということばが口をつき、その瞬間に、相手に対峙している自分に気づくことになる。そこに生じている出来事とそれに対する自分の言動の意味が理解され、世界がすでにまったく違うように見えていたのが意識されるようになるのである。
真実を語るということは、わたしが母のまえでためらっていたように、うそをつかないということや、状況のなかでもっと適切なことばを探すといったような安直なことではなく、みずからがどこまで出来事に身を挺しているかにかかっている。
たとえ第三者として忠告や助言をする場合でも、どこまで相手の運命に自分が寄添っていけるかが問題である。相手の運命に巻込まれるのに躊躇するような半身の姿勢では、相手は自分の聞きたい助言しか、聞こうとはしない。まして自分の運命がかかっている場合には、自分の言動が何をもたらすかを明確には知らないにしても、みずからが滅びうることをも含め、それらを自分のものとして引きうける覚悟があるということでなければならないであろう。――真実を語ろうとするときに、あなたの身に起こるこわばりや身震いは、みなそうした事情を証拠だてているのである。
†弁証法的変身[#「†弁証法的変身」はゴシック体]
「出来事は、自分がどう考えるかによってなんとでもいえるものだ」などと、だれがいうだろう。わたしが考えるその行為、それもまた真実でなければならない。
時間のなかでは、過ぎ去ったものがそれぞれ取返しがつかないようにして進んでいくのだから、ひとは自分がすでに進みつつある方向、曖昧なままになしている言動における姿勢によって、たえず偏極されながら真実を求め続ける。――そうするほかはない。
それに対するわれわれひとりひとりの課題はといえば、認識すべきものに即してみずから変身し(別の人間に生まれかわり)、つまりは自分自身に対する他者になって、その変身のなかで与えられる意味を見出だそうとすることである。
それはほかでもない、わたしの行為が、ひとつの世界とひとつの歴史にとっての意味として、リアリティをもって語られるようなものになるために準備するということであり、そのあげく、出来事がわたしの行動において真実になることなのである。
出来事のなかでことばが生じ、ことばによって出来事が語られるようになると、そのとき出来事は真実に向かって進んでいく。「弁証法」と呼ばれるものは、他者との切実な対話のなかでそれぞれが知らなかった真実に出会うことであり、自らに対峙して他者となることを通じて超越に開かれることである。出来事のなかで発せられる真実のことばは、弁証法的論理のもとに、語ったひとを超えていくのである。
われわれは、これまでは少し勘違いして、(指標や方法など)答のないところを探しまわっていたわけであるが、歴史の真実は認識されるようなもの、知られ表現されるようなものではなく、ことばで語られて、そして行なわれるものなのである。
†真実のことば[#「†真実のことば」はゴシック体]
『シーニュ』のT一〇三ページを見てみよう。ここに見出だされるメルロ=ポンティのことばには、もはやそれほどの違和感はないであろう。
「真実は、歴史に書込まれることで作りだされるのではなく、真実であるかぎりにおいて歴史に書込まれることを要求する。」
真実は、もし出来事においてはすべてが「藪のなか」であるならば、むしろ「出来事の解釈や事実の記述の仕方によって作りだされる」などと考えたくもなる。だが、人間がことばを語るということは、人間が存在するということと切離されず、行動するということは思考するということと切離されず、したがって、真実は、出来事として語られるべきものとして、出来事のなかにすでに含まれている。
わたしはいま、親鸞のいう、他力における「南無阿弥陀仏」もまた、このような出来事のなかの一言の例ではないかと、考えている。
「自力を捨てよ」と親鸞はいう。しかしまた、「南無阿弥陀仏」と称えなければならない。「南無阿弥陀仏」ということばを称えるのも、自力のなせるわざではないのか。――そうではない。もし自分のはからいの虚しさを徹底的に悟ったならば、そのことばすらも阿弥陀仏のはからいによって、わたしの喉を通じて溢れてくるのである。そのようなことばがおのずから生じてくるほどに、自らのはからいごとのありさまを追究していなければならないのだ。
「ことばを伴わない判断はなされてはいないのであり、返答の不可能なことばは無意味になる」とは、メルロ=ポンティのことばである。
「ことばを伴わない判断」とは、ことばなき真理の体験のことであり、「返答の不可能なことば」とは、ことばのうえでのみ成立つ、論駁を許さない真理の命題である。
出来事と真実を切離し、ことばなき真理の体験や、ことばのうえでのみ成立つ真理のことを考えるのは、出来事から切離された語る行為(騙り)が産みだす錯覚である。虚偽の語る行為から、真実が産みだされることはない。
事実を写そうとするだけのことばでは、出来事を動かすことはできないが、かといって、語られるまえの体験における真実は、語ることを通じてしか得られない。たとえ、それがその体験そのものとは違っているとしても、歴史の真実のために、その差異を通じて真実の体験をあらわにすることが必要である。すなわち、出来事に内属する誠実な言語の行為、真言(まこと)の本質をこそ見出ださなければならないということであろう。
[#改ページ]
◆第四章 真実を語ることば[#「第四章 真実を語ることば」はゴシック体]
33 ことばの意味[#「ことばの意味」はゴシック体]
†ことばはそれだけで明確である[#「†ことばはそれだけで明確である」はゴシック体]
それでは、真実を語る行為がいかにして可能になるかを考えていかなければならないが、そのまえに、ことばというものがそもそもどのようなものかについて、いくつかの誤解を解いておく必要がある。ここで、メルロ=ポンティの言語哲学をひもといてみることにしよう。
多くのひとの勘違いは、第一に、すべての語には明確な意味があると前提していることであり、第二に、文の意味は語の意味を結合することによって生じていると前提していることであり、第三に、ことばは、ひとつの完結した事象を鏡のように映しだすと前提していることである。
われわれは、ことばを矢印の記号のようなものと考えて、理科実験室に並んでいる小さな茶色いビンに貼られたひとつひとつのラベルを見るときのように、世界には、そのことばに対応する何かがあると考えている。そしてまた、ことばの諸部分の分解法と結合法を学習するとき、ことばの意味の明確さは、それらの配列によって成立っていると思いこむ。そのあげく、ことばの世界と事物の世界とは向かいあっていて、あたかもそのあいだに精神という鏡があるかのように、ひとつひとつの語や文がそれぞれに対応する事物を映しだしている、などと想定してしまう。
それにしても、である。昔の友人に会いに行って、「かれは死んだよ」ということばを聞いたときの、鉛のようなものが胸に広がっていく感覚は、「かれ」という人称代名詞が示す主題として指示されただれかが、もはや火葬されて生物学的には存在していないのだ、といったような説明が与えるものとは本質的に違うのではないか。
†会話のなかのことば[#「†会話のなかのことば」はゴシック体]
少し考えてみてほしい。あなたがだれかのことばを明確に理解したと感じたとき、それはそのひとのことばが正確に辞書的意味に照応し、文法的に適切だったからなのだろうか。
話しているひとが、いちいち「この語は辞書の二番目の意味で、この文は、譲歩の構文を使用した」などと説明しながら語るわけはない。あなたは、そのことばを聞いたとき、正確で適切であったかどうかと照合する情報も、そもそもどんな情報がそのことばに翻訳されていたかの原本をも、そこで受取ってはいないのだ。
あなたとだれかの会話を、テープに録って聞いてみてほしい。
実際にわれわれがことばを話しているときは、点や丸もなしにだらだらと話が続くなかで、文法的にはミスがあり、語用的にもいいかげんなものである。そのようなものであっても、相手のいわんとすることがあなたのこころに直接飛込んできたように感じたとき、あなたはそのひとのことばを理解したと感じることができる。
そればかりか、ときにはあなたは、「むしろこういった方がいいのではないか」などと、相手とは違った話し方をしてみて、相手が「まったくそのとおりだ」と答えたりするようなことすら生じるのである。
――もし、構成された文の語彙と統辞法こそが、ことばの意味そのものであるとしたら、いいかえたものは決して最初のことばに等しいとか、ましてやそれよりも明確だということにはなりえないであろう。
ことばは分解したり照合したりする必要はなく、直接的に明確さを与えてくれる。
ところが、そのようなことばの効果に眩惑されて、昔のひとは、(思考こそが明確なのであり)ことばとは所詮思考の道具であって、話しているひとのこころにある観念を翻訳しているだけだと考えた。そして、観念がうまく伝わりさえすれば、ことばがどのような形態であろうと構わないし、むしろ観念の秩序に従った効率的なことばを発明した方がよいなどと主張したりもしたのである。
だが、そのようなことでは、かえって、どのようにしてことばを観念に対応させ、複数の人間のあいだで一致させることができるのか、という謎を作りだすようなものである。
語彙や統辞法(さらには語源や生成規則)といったものは、そのでき損ないの謎解きなのであるが、逆のように考えれば謎はない。――そもそも思考の明確さは、ことばが与える明確さに由来し、それを反映しているだけである。われわれが会話をしているときには、いわば、「複数の人間のあいだで一致した観念」という観念が、ひとりひとりのことばのなかで生成しているのである。
34 ことばについてのことば[#「ことばについてのことば」はゴシック体]
†ことばはことばについて語る[#「†ことばはことばについて語る」はゴシック体]
思考がことばを操るのではなく、ことばが思考を実現する。では、ことばはどのようにして、思考というものを実現するのか。――メルロ=ポンティは、ことばの大きな特徴として、他の一切の表現とは異なって、ことばはことば自身について語ることができるということを指摘している。
音楽家がある音楽について作曲したり、画家がある絵画について描いたりはできないが、ことばは(国語辞典のようにして)ひとつひとつの語について、また文の構造について、さらにまた各国語や言語一般について語ることができる。
ことばを説明しようとするひとは、語っていることばを分解再構成することによって、ことばについて語っている。ただし忘れてならないことは、ことばを分解再構成するそうした取扱いもまた、ことばによってなされるということである。
ある語について明確な意味を示すのは、それもまたほかのことばであり、文の意味について語相互の関係から説明するのも、ほかのことばである。その説明によって、ことばは明確になったと感じられるが、そうやってことばについて語っていることばが、ことばの真相を説明しているという保証はなんらない。説明されたものが明確なのではなく、それらを説明している、やはりことばが明確なだけではないだろうか。もしことばとは何かを考えたいのであれば、そうした明確さそのものを、ことばが作りだす明確さによって説明しているわけにはいかないであろう。
†ことばを説明することば[#「†ことばを説明することば」はゴシック体]
さらに考えておかなければならないことがある。ことばとは何かを説明する際のことばづかいは、概して普段のことばと異なっている。
外国語を教えるときには、自国語に対照しやすい文や、周囲を見てすぐ分かるような文を選びだし、自国語と外国語を並べてみせる。
――あなたは英語を学ぶとき、「アイ・アム・ア・ボーイ」などといわされるかもしれないが、いったいイギリスのどの少年がそんなことをいうだろうか(見たら分かるではないか)。外国語の教師は、どんな外国語でも相互に通じあうほどに、単純な思考の様式を生徒に強制する。その結果、ことばの最も普通のあり方は、写しと原型の関係であるかのように錯覚させられる。そこでは、外国語が「ことば」であり、自国語が「意味」である。
同様に、ことばの組立て方を説明する辞書や文法書は、「ひとはどのように喋ることができるか」についての自由な可能性を記したガイドブックでもありえたろうに、「ことばの法律」のようなものとして、それに従わなければ「正しいことばづかい」ではないとみなされる規範の体系にされてしまう。そこでは語彙と文法は、書きことばを統制する規則として、「良識的な」社会的人間関係を構築する手段である。
国語教師が教えようとするものは、意味を追求しつつ明晰に語る技法ではなくて、生徒の独自の話しことばを、書きことばによって整除してしまうことばの訓育なのである。ここでは、書きことばが「ことば」であり、書きことばに統制された話しことばが「意味」とされる。
†良識を教える権力の言語[#「†良識を教える権力の言語」はゴシック体]
このようにして、ひとはことばとは何かと考えるときに、意識はせずに外国語の学び方や公文書の作成法(目上のひとへの礼儀正しい喋り方)といった、ごく特殊なことばづかいから入る。
それらのことばづかいは、二種類のことばを擦りあわせ、比較対照するところに本質がある。それゆえ、ことばというものを、部分から全体が構成されていて、せいぜいなにかの原文を写すものだということにしてしまう。そして、ひとびとは、原文とされることばの方に客観的権威があると思いこまされる。
それらのことばづかいを学んだ生徒たちは、ことばが明確になったと感じるかもしれないが、それはただ、権力の鞭をスーツのなかに隠しつつ、教師がそれらのことば遣いを従来のことばに結合してみせたからにすぎないのである。
ひとつの国語には無数の語の集積と一定の統辞法が存在するが、その順列組合わせをコンピュータで打出しても、ほとんど意味をなさないであろう。とすれば、語彙と統辞法のほかに、意味をなさしめるある種の秩序が存在するわけだ。
ところが、外国語教師や国語教師は、それをあたかも多数決で定められたかのように、生徒に対して「こういう場合は正しくて、こういう場合は正しくない」と教えこもうとするだけである。このようなやり方で、学校では生徒に「良識」が埋めこまれ、ことば(マザータン)が与える明確さが、あめと鞭が与える因果性の明確さによって置換えられる。
たとえ論理学者たちが、子供たちの理性を鍛えようとして、推論のためにする人工的なことばを並べてみせても、それもまた別のことばづかいにすぎないのだから、親切なクレタ人を傷つけるくらいのことしかできないだろう(「クレタ人はみなうそつきだ」と、せっかくかれらに教えてあげようとしていたクレタ人のことだ)。
多数決的によく使う最も平凡な語の組合わせや、ましてや権威の側にあることを承認しあうために工夫されたジャルゴン(隠語)のなかに、真実を語ることばは存在しない。
ことばに対することばによって、われわれは思考、ことばを「使用」していると思いこむ明晰な意識の錯覚を与えられるのだが、場合によってはただのナンセンスの方がひとのこころを打つ。真実は、われわれが普通に生きて語る場のなかに見出だされなければならないであろう。普通に語られていることばの方が、それら特殊なことばづかいよりも、本当はずっと明確なのである。
35 しぐさとしてのことば[#「しぐさとしてのことば」はゴシック体]
†しぐさとことば[#「†しぐさとことば」はゴシック体]
ことばとは何かということを考えるためには、意味という明確なものが生じてくるという現象をこそまず捉え、ことばのうえで繰広げられる他の諸要素は、この明確なものによって支えられていることを知っておかなければならないであろう。
それでは、ことば自身がもっている明確さとはどのようなものであろうか。
メルロ=ポンティは、それを、根源的には、しぐさや表情や身振りに由来するものと捉えた。たとえばダンスというものが、身体動作の習熟によってなじみのしぐさを自在に使いこなすことであるとすれば、ことばとは、いわば声帯のうえで踊るダンスである。
しぐさについて、メルロ=ポンティは、つぎのように語っている。
「眠っていて動かないひとを見つめていると、突然そのひとが目を覚ます。かれは目をあけ、そばに落ちていた帽子に手を伸ばし、陽射を遮るためにそれをひろう。わたしにとっての太陽がかれにとっての太陽でもあり、かれはわたしと同様にそれを見、それを感じているのだ。要するに、われわれふたりともが、おなじ世界を知覚しているのだ。」(『世界の散文』みすず書房一七九ページ)
――ことばとは、それもひとつのしぐさである。
ことばを語るということは、ちょうど陽射が強ければおのずと帽子に手をやるように、ことばの素材である音響が、身体の経験する世界の全体的様相に呼応することである。ことばの明確さは、帽子のあるところに手をすぐに伸ばすことができるような、身体的動作の確実さとおなじものである。
しぐさというものを、まずだれかの身体の運動を見て、それから、その運動は「帽子を取ろうとしているのだ」と意味づけられるなどと捉えてはならない。わたしが帽子を取ろうとして、身体を物理的に動かすのだと捉えてはならない。しぐさとは、ひとが主観的に意味を与えたり、行動の特性から客観的に意味づけられたりするものではない。しぐさそれ自身が意味なのだ。
†しぐさの表現[#「†しぐさの表現」はゴシック体]
しぐさとは、身体の動作であると同時に、すでに他者への表現であり、それらが織りなしている人間的世界の意味空間の表面で、それぞれの意味を担っている。
メルロ=ポンティ風のいい方をすれば、しぐさを理解するということは、わたしが他者の表情や身振りのなかで生きること、他者がわたしの表情や身振りのなかで生きることである。「生きる」とは、夢のなかでのようにぼんやりと、しかし、ときとともに展開していく知覚と行為の噛合わさった経験である。
たとえば、あなたが友人と話していて、友人が髪をかきあげたり視線をさまよわせたりしたとしよう。そのとき、あなたは周囲を振りかえって、そこに友人が気にしている人物が通りかかるのを見るかもしれない。
そのときの友人のしぐさは、「おっと、あのひとがこちらにくるが、あいさつをした方がいいか、かえって気もつかないふりをしたらいいか、わたしは迷っている」ということを意味しており、わたしが振りかえるのは、「おっと、わたしの方をまっすぐに見ていないこのひとはなにか気がかりなことがあるわけだが、視線を見ればその方角にはそのひとの気にしているものが見えるはずだぞ」という意味であると説明できる。
「おっと」という(古舘伊知郎風の)間投詞の意味は、しぐさからことばへの、本人が思っていたよりも遠い隔たりを指している。(おっと)それにしても、あなたの頭のなかにはそうしたことばが一切生じないまま、なぜ自分が振りかえるのかは知らないままに、なにげなく振りかえっている自分に気づくということではないだろうか。
「なにげなく」ということが重要なことだ。
しぐさというものは、ことばで説明しようとするときには、ことばに較べてまったく曖昧な表現であるように感じられるのに、それにもかかわらず、ひとはあとで考えたときに、ことば以上に的確に反応しているものなのであり、場合によっては(駅員がキセル乗車を発見するときのように)ことばよりもずっと明確なのである。
†しぐさに対することば[#「†しぐさに対することば」はゴシック体]
しかしながら、その驚きには錯覚がある。
説明する必要もなく明確なしぐさなら、だれもことばで説明しようなどと思いつきもしないだろう。ことばで説明したからこそ、しぐさは曖昧だったように思えてくる。
われわれは、四六時中無数のしぐさを発している。ことばで説明しようとしたのは、たまたまそのしぐさが曖昧だったからで、逆に、そのほかのしぐさは、おおよそにおいてみな明確だったに違いない。それなのに、ひとはことばで説明したしぐさをしか思いださないものだし、そうしたときだけが重要なしぐさだったと思いこむ。
しぐさや表情、身振りに表れたものを理解するときの明確さ。まゆをちょっとひそめただけでも、そのひとの周囲になにか納得できないものがあることが読取れる。しかし、それをことばで説明するのは「野暮」であろう。
ことばの得意な分野といえば、それは事実や観念といったものである。だが、しぐさの意味については、よくいわれるように、ことばはいつも的外れであって、しぐさが表現している状況や心情に対しては、いいたりないと感じられる。概して曖昧なのはしぐさではなく、それを説明することばである。しぐさ自体が曖昧な場合には、それをことばにしてもやはり曖昧なのである。
それでは、しぐさとことばのどちらが本当に明確なのか、と聞きかえしたくもなるかもしれない。ところが、ことばについてもおなじようなことが起こる。
急に尋ねられた質問に対して、とっさに思いついたことを答えたのに、あとで考えたら、よく質問の真意や底意地をはかった的確な応答ができたものだと自分で感心することがある(いやな上司に対して愛想をいわなければいけないところで、思わず皮肉ともとれることをいってしまうといった逆もある)。つまりは、ことばもひとつのしぐさであって、あとから別のことばで説明することもできるのだし、そうすることが野暮であるといった場合もある。
†ことばとしぐさの共通性[#「†ことばとしぐさの共通性」はゴシック体]
ことばとしぐさを較べると、ことばだけが特別にできるということは、しぐさが特別にできることと較べて、思ったほどは多くはない。
たとえば、ことばだけが「うそ」をつけるというわけではないであろう。
――京都のように洗練された文化の地では、表情やしぐさを文字通りに受取ってはならないと聞いたことがある。玄関でにこやかに座布団を出されたら、それは「早く帰れ」という意味だそうである。わたしはそのことを非難しようとは思わない。大人であるということは、悲しいときに悲しそうな顔をせず、つらいときにつらそうな顔をしないということではないだろうか。
同様に、ことばだけが文化によって異なっているというわけでもない。
メルロ=ポンティが出している例に、西洋人は怒ると真っ赤になるが、日本人は怒ると微笑するというのがある。……わたしは、それは本当だと思う。争いになりそうなときには、わたしも確かに微笑んでしまうのだ。――かれが日本人についてふれているのは、パリに留学していた日本人の家庭教師をやっていたことがあるからだということだが、その生徒とどんな喧嘩をしたのかは分からない。
われわれは、しぐさをことばで説明することができるがゆえに(そして逆は難しいがゆえに)、しぐさはことばよりも一段低い表現様式であると考えがちである。しかしながら、しぐさや表情や身振りもまた、文化によって異なった、それなりに完成された文化的表現である。
しぐさの意味は、ことばで説明しようとすると曖昧になるが、それ自身の明確さをもっていて、ことばが明確なものを産みだすのと、おなじ仕組と源泉とを備えている。ことばのまえのしぐさは、ことばに明確さを与えていることばのまえのことばと、本質的におなじものなのである。
メルロ=ポンティは、ことばの意味をしぐさの意味とおなじ水準で捉えなおそうとした。ことばというものは、さしあたっては、音楽や絵画のような他の表現手段と同様に沈黙しており、それはただ意味しているのである。
36 意味の哲学[#「意味の哲学」はゴシック体]
†サンス(感覚・向き・織目)[#「†サンス(感覚・向き・織目)」はゴシック体]
それでは、しぐさが何かを意味するのは、どのようにしてであろうか。
しぐさは、その挙動によって何かをめざしているわけであるが、そのうちの他者に向けられているものだけが何かを意味しており、ほかのものは対象に向かっていて、意味していないというわけではない。
メルロ=ポンティは、意味するということを、他者に向かって意図や思考を表現するという狭い意味ではなく、「振上げられた拳が怒りを意味する」という場合のように、もっと広い意味で理解した。何かに意味があるといわれるのは、「それがめざされたものの実現や表現としてわれわれに現われるときである」。とすれば、人間のしぐさには、意図されようとされまいと、いずれにしても意味が備わっているのであり、他者に向けて発せられたしぐさは、その特殊な場合にすぎないのである。
ひとのしぐさに意味があるのは、その動作が何をめざしていようと、同時にそのひとの世界と他者に対する身体的な「問いかけ」になっているからである。しぐさの意味は、そのひとの世界の位置に対応するそのひとの姿勢のなかで与えられ、わたしのしぐさがそのひとの姿勢を取上げなおして、それに応じようとするかぎりで理解される。それはおなじ姿勢によって自分の世界を描きだそうとするときの、方向ないし感覚として、それを目撃するすべてのひとに経験されるのである。
†世界の対象[#「†世界の対象」はゴシック体]
意味は、こうした経験を積重ねて形成された、他者たちのしぐさの「織目(サンス)」のことである(織目は織られ方によって方向づけられている)。他者のしぐさにおける動作の方向は、志向弓によって、対象がその動作を妨げない「向き(サンス)」や、対象がその動作を促している「向き」を表現しているが、それが対象の輪郭を描きだす。
とすれば、「感覚(サンス)」とは、物質から刺激された効果などではない。死せる対象たちのオーラがゾンビのようにしてわたしの皮膚に纏わりついてくるといったような経験のことではない。
対象に触れたとき、たとえばそれがざらついているとすれば、その裏返しとして指のなめらかさを感じることもできる。対象についての感覚とは、生ける他者たちが触れうる対象に、みずから触れることによって自分の身体を自覚し、その反作用によってその対象が他者の身体に触れうることを感じるという、遠隔的な感情(テレパシー)である。対象の確実さは、まさに、わたしひとりのものではない、そうした感覚から生まれてくるのだ。
となれば、知覚もすでに表現であり、しぐさと同様の意味の世界において生じている。知覚される対象は、事実としてそれだけで独立しているのでもなければ、わたしの認識能力が観念に従って作りだしているのでもない。
世界の諸対象は、われわれがしぐさを相互に了解しているとき、そのしぐさを巡る身体動作のネガティヴな形象として現われる。対象と呼ばれるものは、わたしと他者の身体のあいだ、知覚と表現とが一体をなしている意味の平面(人間《じんかん》)にその姿を現わすのであって、世界の諸対象は、しぐさのもっている意味の体系のなかで生じているのである。
†知覚としぐさに共通した意味[#「†知覚としぐさに共通した意味」はゴシック体]
ひとびとは、「事物の世界のうえにわれわれが存在していて、われわれにとって重要なものに意味がある」とか、「観念の世界によってのみ事物が理解できるのだから、われわれが事物に意味を与えている」と考えてきた。
だが、メルロ=ポンティは、意味は事物や観念に由来するのではなく、まずもってわれわれが無数の身体の交錯する多様なしぐさに満ちた意味空間に住まっていることに由来しており、事物も観念も、その変奏としてしか考えられないとした。
ここでメルロ=ポンティは、「意味」というものを、従来のように事物や観念を指示するものとして理解することを批判し、(クローデルを引きながら)織目や方向や感覚――フランス語では「意味」とおなじサンスということばである――といった、ひとが世界のなかで多様なものを感じながらとる姿勢として、世界の方から与えられる他者たちの問いかけとして理解しようとしている。
それゆえにこそ、かれは、「われわれが発見したものは、意味という語の新しい意味である」と述べるのである。――知覚にもしぐさにもことばにも共通した「意味」というものが存在する。それは、主観的なものでも客観的なものでもなく、能動的なものでも受動的なものでもない。ただ意味があって、生成する。
とすれば、哲学が基礎に据えるべきものは、事物でもなければ観念でもなく、意味でなければならない。そう、メルロ=ポンティが考えていたことはあきらかである。
事物や観念といったものは、ことばの意味を使って組立てられたフィクションである。われわれは、世界のありさまや歴史の実質について探究するときには、事物や観念をあてにしているわけにはいかない。
それに対し、意味の本性だけが、人間が自己の経験に限定されながらも他者に出会い、歴史のなかで超越性に出会うという「真実」の経験を説明してくれる。そうやって出会った超越性において、われわれは世界の出来事について、事物や観念についてまで語ることができるのである。
したがって、メルロ=ポンティの哲学は、身体論や現象学というよりも、――それらはあくまでも思想史上どう位置づけるかというテクニカルな主題にすぎないのであって――、「意味の哲学」であった。かれは、後期において存在について探究するようになるが、存在とは何のことかというと、それもまた「意味の意味」ということだったのである。
37 概念[#「概念」はゴシック体]
†概念的意味作用[#「†概念的意味作用」はゴシック体]
ところで、読者はまだ、ことばの意味が、知覚やしぐさの意味とかわりないということに納得できていないかもしれない。
――たとえば「飛行機」といえば、(ついさっきも飛んでいったところなのだが)わたしの頭上を飛去していく、あの銀色の鉛筆のようなものを指さすことができる。しかし、指さすというしぐさ自体は飛行機のことではないし、そのようなしぐさによっては、飛行機が見えないときにはほとんどなにもできないだろう、というわけである。
しかし、すでに述べたように、飛行機として知覚した対象の明確さは、飛行機という語の明確さとは別物であり、そのことばは、そうした知覚に対して道をつけることに意味があるという点で、指をさすのと同様である。
他方、「飛行機」という語が、しぐさと本質的に違う種類の意味をもっているとしたら、それは、飛行機という事物を指示したり、飛行機という観念を表示したりするところにあるのではない。「飛行機」という音響が無数のことばのなかに現われて、それぞれの場合に異なった働きをしつつ、飛んでいる銀色の物体ばかりでなく、何であれ知覚や行動に道を開くことに寄与するという点にある。
われわれは、こうしたことをもって「飛行機」ということばの意味を、「概念」と呼ぶわけであるが、概念がどのようにして生じてきたのか、なぜことばにおいてそのようなことが可能になるのかということが問題になるであろう。
いいかえれば、ことばが声帯のダンスにすぎないにもかかわらず、なぜ実際のダンスをはじめとして、音楽や絵画といったそれなりに複雑な表現行為よりも、ずっと個別的で精密な意味を与えることができるのか、ということである。
†しぐさの階梯[#「†しぐさの階梯」はゴシック体]
メルロ=ポンティは、概念的意味作用については、しぐさの意味を土台にしていながら、それによって生じた音響の体系からしぐさの意味を取除いたところに成立すると述べている。
それは、いいかえると、ことば自体について語る「自乗されたことば」によって、しぐさとしてのことばが忘却されるということである。『世界の散文』五二ページにおいて、つぎのような説明が与えられている。
「言語は、決してなにもいわないように見える。言語は、しぐさ相互のあいだの差異を示すというしぐさの階梯を発明する。その差異の明確さによって、言語行為は、反復されるにつれてみずから裁ちなおされ、確固としたものにされて、われわれに、拒みようのない仕方で、意味の宇宙の方向と輪郭とを提供するのである。」
「しぐさの階梯」というのは、ふたつ以上のしぐさの違いについてのしぐさのことである。
たとえば、だれかが眉をひそめたり、下げたりするとして、その差異に感づいたとしよう。それは、相手が心配しているのか、安心しているのかという「こころ」についての徴候が眉の周辺に局在していることを示している。そのことを示すしぐさとして、なんらかの音響が採用されよう(ラカンのいうように、こころと言語とは同時発生である)。
もちろん、それひとつでは言語とは呼べないし、しぐさという点でも意味をもってはいない。だが、そうした差異についての音響的しぐさが無数に生じて互いに弁別できるようなものとなったとき、そのいわば第二段階のしぐさは、第一段階のしぐさのひとつひとつを区別することができるようになる。そのとき、その音響は、声と呼ばれるようになるであろう。
そればかりではない。
声は、第一段階におけるしぐさの差異を示すだけでなく、ほかの声によって、それ自身も際限なく差異が示される。その差異化のプロセスによって分解再構成を蒙る。その結果、各部分を要素として、一連の諸要素に対応する諸部分がさらに生じ、あたかもその要素ひとつひとつに意味があるかのように構造化されてくる。
かくして、第二段階のしぐさによる音響的世界は、知覚される世界とおなじくらいの複雑さと完結性をもつにいたるが、われわれは、そのようになった意味を「概念」と呼んで思考の対象にし、そのような「声の世界」を言語と呼んでいるのである。
38 ことばの起源[#「ことばの起源」はゴシック体]
†思考[#「†思考」はゴシック体]
ことばは、単独であるときにはただのしぐさであり沈黙であるのに、声の世界のなかでは独特のものとなる。
声は、差異を示すしかしないのだから、しぐさとしては無意味である(知らない外国語は、それを語るひとのしぐさやことばのイントネーションほどにはわけが分からないものだと、どこかでメルロ=ポンティもいっていた)。それにもかかわらず、声の一連の配列が、しぐさ世界に影響を与える。他のしぐさを意味することができ、記憶され、一連の知覚や行為を引起こす。
そのうえで、さらにことばがことばについて語るとき、われわれは知覚世界から対象を切出すことはもちろん、それをイメージのなかで分解再構成したりしてその地図を作り、知覚したことのないものを作りだしたりすることすらできるようになる。
ことばがことばを語ることによって作りだしているのが、文化的存在としての概念である。そこに、しぐさの世界とは別の「声の世界」が開かれている。
それは、しぐさの諸差異について声というしぐさがもたらす明確さを捉えながら、間接的に第一段階のしぐさの世界に対して表現し、それを通じて意味空間を改変したりすることである。それは、手馴れたダンスのちょっとしたアドリブのようにして、世界の諸対象の捉え方を生みだすことであり、最後には、すべてのしぐさを包括する、「世界」という概念を手に入れることすらできるのである。
しかし、忘れてならないのは、そのような操作のすべては、ことばに対することばの操作を媒介して行なわれるということである。――そうした操作が「思考」である。思考とは、声の世界において知覚する作用のことであり、知覚される対象のことである。思考というものを、人類に生得的に与えられている能力と考えるべきではなく、身体の表現能力の延長において、ことばを語ることの効果によって生じてきたものとみなさなければならない。
†最初のことば[#「†最初のことば」はゴシック体]
それにしても、ダンスや絵画や音楽も、それなりに複雑なしぐさである。それらとは異なって、なぜ声のしぐさにのみ階梯が生じ、みずからを振りかえることまでできるようになったのか、と聞いてみたくもなるであろう。
これまで、多くの哲学者たちも言語と思考の特別な結びつきを自覚し、どのようにして思考を呼びだすことばが生じてきたかと問題にしてきた。
ある哲学者は、あちらへ行けという脅かしだと考えたり、情動を表現する歌のようなものだと考えたりした。記憶能力の不足を自覚したから音声を応用したのだという哲学者もいたし、自然的欲求が区別を必要とするという哲学者もいた。遠隔的にひとを動かして自分の欲求を満たすことだと考えた哲学者もいた。
――こうはいえないだろうか。
こころは「意」とも書くように、ことばとともに生じてくる。その結果、ことばはそれまでは存在しなかった「こころ」を見させるのだから、ひととひととのこころを伝えあうテレパシーのように感じさせることだろう。
ある原人が、はじめて語りあう部族に出会ったとする。かれは、その部族のひとたちが不思議なほど呼応しながら振舞うのに驚いて、まさにテレパシーを使っている高等部族であると感じたに違いない。そのひとたちの、たえずぎしぎしいう耳障りな音をたてずにはいられない癖が哀れであるにしてもである。
……だが、本当のことは、分からないのである。
†笑い[#「†笑い」はゴシック体]
少なくとも、最初のことばは、人類がなした最初の無意味なしぐさであるということでなければならないだろう。なぜなら、しぐさにはすべて意味があるのだから、他のしぐさの差異を表現するという異常なことは、そうしたなかでは理解できないはずからである。
では、人類にとって、一番無意味なしぐさとは何であろうか。――思うに、それは「笑い」ではないだろうか(ベルクソンにそのようなタイトルの書物がある)。ひとびとは、一生懸命笑いあっているように見える。笑うとは、みかけからすると、顔をひきつらせるだけにすぎないが、読者は笑いのなかに潜んでいる不安な気分に、気づかないであろうか……
「いない、いない、ばー」をするときの幼児の笑い。その始原的な笑いは、「ある」ことと「ない」ことの、根源的な差異を意味していたのではないだろうか。というのも、もしかすると、笑いが最初に生じたときには、それは、誕生のしぐさと死のしぐさの差異という、人間経験にとって最も大きな差異を意味したのではないかという気がしないでもない。
他方、最初の思考はといえば、(思考とは声に対する声なのだから)笑いについての笑い、おそらくは「嘘つきのクレタ人」の話(クレタ人はみなうそつきだ、とクレタ人がいった)のように、言語のナンセンスを笑うことではなかっただろうか。というのも、しぐさとしてのことばに較べれば、言語はいかにも奇妙である。それによってしか語れないのに、ちょっとした勘違いで、ひとは、とんでもなく変なことを語らされてしまうのだ。
とすれば、人類は、いわば冗談をいうためにことばを発明したのだということになるであろうか。子供がことばを語れるようになったといえるのも、子供が冗談をいえるようになったときである。――もっとも、以上のことすべてすら、わたしの冗談かもしれない……
まじめな話、なぜ声のみが言語になったかという問に対しては、あまり語らない方がよさそうである。声というしぐさがそうした階梯を作るのに有効でなかったとしたら、なにか別のしぐさがそうした地位を獲得することになっていたに違いない。
ほかのどんなしぐさが適切だったかと考えることができるなどと思うのは、まさにこの言語がそれを許しているのであり、何であれそうなってしまったもののなかで語っているのだから、それを言語と呼ぶしかないであろう。メルロ=ポンティは、そうした「基礎づけられたものによる基礎づけ」を実存と呼んで、それが人間存在を特徴づけているとしかいいようがないと考えていたのである。
39 ことばと言語[#「ことばと言語」はゴシック体]
†構造主義[#「†構造主義」はゴシック体]
話がずれてしまった。言語とはどのようなものかについての話に戻ろう。
メルロ=ポンティは、概念を言語の特権的な意味とはせずに、しぐさから生じ、しぐさによって支えられているものとした。概念をそう捉えたので、思考と言語の関係についても、言語自体の捉え方も、従来とはまったく異なったものとなった。
まず言語、すなわち「声の世界」がどのような構造になっているかは、F・ド・ソシュールの『言語学講義』(岩波書店)を読んでもらいたい。
構造主義とは、音声の諸断片がお互いに異なっていることから、さまざまな意味の差異が把握できる条件が生じていて、ひとつひとつの語が意味と対応しているように見えるのはその効果にすぎないという理論である。メルロ=ポンティは、哲学者として最初に、構造言語学のもつ「弁別的差異の体系」という理念の意義を見出だし、それをかれの「意味の哲学」のなかに位置づけた。
余談ながら、メルロ=ポンティの同時代人たち、文芸批評のロラン・バルト、精神分析のラカン、マルクス主義のL・アルチュセール、科学史のM・フーコーや文化人類学のC・レヴィ=ストロースといったひとたちは、そろって構造主義に影響されている。かれらはみな、構造主義を方法論的に、またある種の論理として理解し、それぞれの専門分野にもちこんで議論した。
ところが、メルロ=ポンティだけが、哲学という領域から出ることなく、精神分析についてと同様に、それを自分の議論から、修正を加えながら意義づけようとした。こうしたスタンスは、ドゥルーズやJ・デリダといった、もっと若いひとたちの書物に影響したのではないかと思う。
†ラングとパロール[#「†ラングとパロール」はゴシック体]
さて、メルロ=ポンティが、構造主義を理解するときに問題にしたのは、言語自体はどこにあるのかということであった。
言語は、各人の脳のなかに記憶痕跡としてあるのだろうか、それとも共同精神のような実在的なものが支えているのか。だが、ここでも、事実や観念を先立てて考えるわけにはいかないであろう。
言語がどこにあるにせよ、たったいまのこの瞬間、語の意味が正確であろうとなかろうと、文法的に正しかろうとそうでなかろうと、日本中で無数のひとびとが膨大な量のことばを喋っている。
それらが共通して理解されあっているかぎり、日本語が存在しているといえる。だが、すべてのひとが沈黙し、そして二度と喋ることがなくなればどうであろうか。言語は、どこにもあり、どこにもない。言語とは、自転車のように、こぎ続けていないと倒れてしまうような存在である。ことばが語られなくなると、言語も存在しなくなってしまうのである。
メルロ=ポンティは、「ことば(パロール)は言語(ラング)によって条件づけられているが、言語はことばが語られることによってのみ存在する」と述べている。
ひとは、通常、言語を語彙のコードや文法の規則とみなし、ことばを語ることを、その適用として理解する。だが、コードや規則が知られるのは語られたことば――むしろ書きとめられたことば――のなかにおいてだけである。しかも、ひとびとは辞書や文法書を見ながら喋っているわけではないので、ことばが語られ、通じあうかぎりで、たえずそれらは改変されていってしまう。
だれかが「悩ましい」ということばを勘違いして(本来「悩ましい」というのは色情的な意味空間のことだ)、「悩みが多い」という意味で使っても、十人にひとりくらいがそういいはじめてしまい、十人に五人くらいがその意味の見当がつくようになってしまったら、その用法も正しいといわざるをえなくなる。
簡潔ないい方をするとすれば、言語は準意識的な存在である。それは、語る際にはよく知っていると前提されているのに、それがどのようなものかと聞かれると、実際に語ってみなければなんともいえないという具合なのだ。――「悩ましい?……うーん、そうもいえますね(変だけど)」、というわけだ。
言語はことばを条件づけている以上、ことばに先立っているといわざるをえない。だが、ことばが語られているそれ以外の、どこにも言語は存在しない。語られるかぎりにおいて言語体系が出現してくるという点では、ことばの方が言語に先立っているというべきであろう。
†言語と歴史[#「†言語と歴史」はゴシック体]
国語学者や歴史学者は、ひとつの永遠のことば(絶対的な書きことば)を想定し、墓石のようにそれに刻みこむことによってかれらの仕事を完成させたいと望んでいるが、そのようなことばもまた現代の歴史に属すのだから、かれらは、そうした墓石の陰に真の歴史を隠してしまう。
正統な言語といわれるものは、ただ権威と権力によって、言語の構成物につねにおなじ意味を出現させることを狙って統制しようとする、部分的な言語のことである。それゆえに、どの時代のどんなひとも、通じあいさえすればいいではないかと、正統な言語に反逆する権利も実力ももっている。
言語が語られることを通じてしか存続せず、語るのがその言語に属するすべてのひとたちである以上、語られたものをそのままに保存する方法はない。語られた状況も、それを聞いていたひとたちも、語ったそのひと自身のしぐさの意味世界も、ときとともに消えていく。残っているのは、どのことばがどのことばとの関係で語られていたかということだけである。
概して、言語は記号作用として、何かを写すためのコードや規則とみなされる。それゆえ時代を超えて一致しなければならないものは、写される原型相互のことだと考えられる。なるほど「山」といえば「盛上がった土地」であろうが、しばらくすると、それは「山」といえば「海」のようなあいことばくらいの関係でしかなくなってしまう。
語られたものに永遠が含まれることがあるにしても、そのことばの意味は永続的ではない。ことばと意味の同一性を維持しようとしても、言語はたえず過去になる。語られた意味はもはや存在することができず、そのことばを唱えているうちに、夢のなかのように、いきなりその意味は消えてしまうことだろう。
歴史とは、そうした消滅を防ぐべく、写される原型の時間に沿った記述ということであろうが、その記述自体が歴史に属しているのだから、そうやって語られているものも、歴史のひとこまということになり、つねに、もっと全体的な歴史に属することになってしまう。
むしろ、そうした普遍的な歴史、「永遠の歴史」といった語義矛盾のもくろみは捨ててしまうべきであろう。
メルロ=ポンティによれば、「生の歴史」においては、歴史とは、言語のもっている時制を頼りに、ただそれに時間の標尺を立てていき、真にあったこととそうでなかったことを精錬していく過程のことにほかならない。
そのなかでは、一度退けられたことばもまた復活してくる可能性をもち、その意味では、語られうるかぎりにおいて、すべてが潜在的に保持されている。そして、現在において多様なことばを語るなかで、さらなる真実がめざされる。
したがって、真実を語るという目標のために見出だされる歴史とは、正統な言語も反逆の言語も含めて、言語全体のことであり、それは、人間や世界や、それから「わたし」という主体までをも含めて、かつて語られたことばの一切のことなのである。
40 言語の歴史[#「言語の歴史」はゴシック体]
†言語と時間[#「†言語と時間」はゴシック体]
それにしても、ひとつの語がひとつの意味に対応する概念的記号の現象というものはある。それがどのようにして生じているかというと、言語の全体がしぐさの意味空間全体に呼応するかぎりにおいてである。
たとえば、「海だ」とあなたが叫んだとき、言語が可能にしているのは、それが「アミド」や「ウンメイダ」ではなく、「ウミダ」であると弁別させることである。あなたの叫び声を聞いてわたしがそちらを見るとしたら、それは、わたしが辞書の「海」の項を思いだしたからではない――「ウミダ」という声が、裸足の足の裏に感じる砂の焼けつくような熱さ、潮の匂いや直射日光、波の砕けた音や子供たちの喧騒などに対してわたしがとる一切のしぐさに、身体的経験において潜在的に結びついているからなのである。
ただし、そうしたフラッシュバックのようなものが起こるのは特殊な場合である――そこで生じているのは、感覚的世界と概念的世界の対応などではない。それは時間の横領であり、人間の生成なのである。
一切のしぐさは、そのつど過ぎ去っていく。それゆえ、たとえば陽射に対して帽子を取上げようとするときのように、未来の知覚や行動を「意味」している。
それに対し、ことばという声のしぐさもそのつど新しく行なわれているのに、潜在的になっている過去のしぐさとそれによって導かれる知覚や行動を、亡霊(精神)のようにして呼出すことができる。記号作用とは、現在の指し示す未来のうちに過去を投げいれる作用であり、概念的意味とは、未来に投げこまれて未来に存在している過去なのである。
言語が可能にしているものは、また言語を可能にしているおなじもの、差異の階梯である。差異の階梯は、知性が任意に実現するようなことではなく、流れゆく時間が重ね書きされることによって過去を潜在化し、これを横領することから生じてくる。そのことは、まえに時間の本来の性質のように述べたが、人間がなすというよりは、(あとで詳しく述べるが)人間現象の生成であり、(カントが理性に帰していたところの)人間が人間であることなのである。
こうした過去への振りかえり、時間の取上げなおしの結果、ことばは、言語という語られた一切のもののなかに、歴史というものを産みだしている。
すなわち、時間をそこに閉じこめて、現在のうちに永遠の雰囲気を作りだし、そのなかでどんな時制についても語れるようにする。そうした結果、われわれが思考と呼ぶ行為の、時間を超越していて、ありとあらゆるものについて語れるかのように振舞う特権が生じるのである。
†歴史における超越[#「†歴史における超越」はゴシック体]
思考は、正統な言語という欺瞞を使って歴史を整備しようとの野心を抱くこともあるが、それは歴史に対して歴史を重ねることになるだけである。それに対し、歴史の真実、すなわち、歴史に内属しながら歴史を語り、歴史の特定の時点によって刻印されていながらも、歴史を超えて語るということが可能だと、そうメルロ=ポンティは考える。
たとえば、竜樹が「空」という語を語って、その独特の意味を理解した瞬間というものがあるはずである。
それ以前にはなくて、それ以降は謎となってしまうそのことば。しかし、竜樹自身が問い、そして答えようとしたそのときに、かれのしぐさの全体が当時のおなじ状況で思考したひとびとのしぐさと響きあい、そのかぎりにおいては意味があったに違いない。それゆえにこそ、歴史のなかで物語られてきたのである。
他方、いまわたしが考えている「空」は、それとおなじでありたいと願っているにもかかわらず、少なくとも過去と現在の差異が含まれている。歴史を超えて対象を捉えることはできないのだから、歴史について語ることは、いずれにせよ、わたしが語るものとは異なったものとしてしか現われようがない。「現在においてわたしの語る空は、過去において竜樹の語った空である」などと、過去と現在を超越していないわたしが、どんな権利でいえようか。
――だが、その差異は、それほど深刻な差異でもない。
というのも、わたしの空と竜樹の空の差異は、竜樹の周囲のひとたちが竜樹のことばに対して抱いた差異と、本質的にはかわりない。もし、周囲のひとたちが空の意味を捉えたならば、現代のわたしも、(勉強不足というだけでなく、当時のしぐさをほとんど知らない点で)条件はかなり悪いにせよ、その「おなじ」意味を捉えることもできなくはないであろう。
もっとも、意味がおなじという場合のその同一性は、他者の意識内容の直接知覚という意味のテレパシーのようにして、竜樹の思想そのものを手に入れることとはまったく違う。それは、切抜いた二枚の図形が重なるかどうかといったようなタイプの同一性とは、まったく関係がない。はじめから、周囲のひとたちが少しずつ違って捉えたようなふうにしか、わたしはそれを捉えようもないのだからである。
むしろ、意味というものにおいて顕著なことは、おなじであるためには、もともと異なっていなければならないということである。
何であれ、意味があったといわれるのは、その後、さまざまなことばのなかに、その語を自由に組込んで使えるようになるということを意味している。自由に組込むときには、異なった文脈でおなじことをいうといってもいいし、おなじことばで違うことをいうといってもいい。
多くのひとがこれまでも空について語ってきたが、竜樹の語ったその瞬間を取戻そうとしながら、それに新たな意味を与えるから、その最初の意味が保存されてきたのである。
では、「空」とは何かというと、それは、「ある」とか「ない」とかいうことを考えるときにいつもわれわれにもっと深く考えるようにと促すのが、その主要な意味なのである。つまりは、ことばは出来事である、すべての最初のことばと「おなじ」ように……
41 わたしは語る[#「わたしは語る」はゴシック体]
†語られた言語[#「†語られた言語」はゴシック体]
それにしても、語るとは、どのようにすることなのか。
語るということを出来事のなかで捉えるなら、それはひとつの行為であり、語られたものは出来事の準意識である。
準意識でなく意識だとすれば、それが出来事のすべてだということになるし、もし無意識だとすれば、本当の出来事はエディプス王の悲劇だということになる。語られたものが準意識であるということは、それが出来事の一部を変化させるとともに一部を表現しており、さらにそれを延長したり、それに対決したりするなかで、出来事の真実に到達するかもしれないということを意味している。
とすれば、意識として語るやり方と、準意識において語るやり方とがあるわけだ。メルロ=ポンティは、それを、「語られた言語」と「語る言語」として区別した。
「語られた言語」とは、言語というものがすべて語られたもののことであるのだから、ただ、語られたものについて語るというやり方を示している。
そこでは論理が真実を構成すると信じられているが、論理とは歴史の論理、すなわち、歴史において生じることのリアリティの形式について、それもまた「語られたもの」にすぎない。それは、結局は、「正統な言語」を導入するやり方である(こうしたことばの構成法の鍛錬を、本当に思考と呼んでいいのだろうか)。
語られたものそれ自身が真実でありうると考えることは、ことばを規整して表象させた知覚が万人にとっておなじであると、あるいは少なくとも知覚を批判して表象させた事実が万人にとっておなじであると前提することである。しかしながら、共通の知覚や客観的な事実を確立しているのは、知覚の条件や能力なのではなくて、むしろ言語の方なのである。
したがって、ことばについて語られたものを「メタ言語」などと、あたかも言語を規整する特権的な言語であるかのように呼ぶのは差控えたい。それは、語られたことばを分解し、概念として分析し、それが何を意味するかを述べるわけだが、そうした述べ方は現在の言語が許しているかぎりにおいて意味をもつ。
実際、ことばの代入方程式は、決して単純な等価式に収まってしまうことなく、すべての語の説明が、さらに多くのことばを要求するようにして進んでいく。その結果、どんな些細なことがらでも、それを精密に語ろうとするならば、ついにはありとあらゆる語でもって、世界のすべてを語り尽さなければならないくらいになってしまうのだ。
†語る言語[#「†語る言語」はゴシック体]
ところが、あきらかに、すべてを語り尽すには「時間」がかかる。
過去はつねにたえず旧くなる。そのときそのときを凝固させたような形で自動的に残っていくわけではない。とすれば、代入方程式が完成する暁には、最初の代入の意味が歴史のなかに埋没してしまい、結局何をやっていたのか、分からなくなってしまうだろう。
もし、過去の特定時をそのまま残そうと思ったら、それは現在において、「もはや」そうでないものとして表現するしかないのである。言語とは、われわれがことばを語りはじめた瞬間に、歴史を作りだすとともに、それ自身歴史のなかにとどまってしまうという扱いにくい存在である。
歴史が終焉し、永遠の真理が実現していて、すでに語り尽されているなどということはないのだから、そうした歴史を維持するには、そのつどそれを取上げなおし、違う文脈にもちこんで否定しつつ保存するということしかない。
そして、その歴史のなかで、ひとつの世界のもとに普遍的に思考されるものが成立つのは、言語のコードや規則を裏切りつつ、概念的意味を改変してしまうやり方で語るときである。そのようにして語られることばを、メルロ=ポンティは「語る言語」と呼んだのである。
「語る言語」とは、奇妙であろう。ことばを語るのは、人間ではなくて言語だとでもいうのだろうか。
――メルロ=ポンティは、言語を共同精神のようなものとして実体化しようとしているわけではないが、「語る」とは、思考する主体として、自分が準備した意味を適切な表現において配列するということでもない。語るということは、語られたものが真実でなければならないという意味で、そのこと自身に超越性を要求する。
「意味は、真実のなんらかの生成を集約していないとしたら空虚である。」(『シーニュ』T一七二ページ)
真実とは、言語の総体が、ある語り方を求めて生じさせるような、あらゆる出来事のことである。語るということは、語る側からすると、いうなれば、「世界という意味の孵卵器のなかで、意味が結晶のように出現する」ことに立会うといった種類のことなのである。
†語る主体[#「†語る主体」はゴシック体]
(近代哲学の伝統のように)出来事のなかの行為とそれを説明することばを分離することなく、そうではなくて、ひとつの行為としてのことばを出現させるべきであろう。
メルロ=ポンティがとくに強く主張していることは、真実をめざすには、たんに思考していると考える(「わたしは考える」)だけでは不十分で、ひとはとりわけ語る主体にならなければならないということである。
ことばの普段の語り方と、真実を求めているときの語り方は、おのずから異なっていなければならない。真実を求めるときには、それを語る主体も特別なものでなければならない。
これまで他者について、志向的侵犯について、差異の意味への転換について述べてきたが、語るという行為のなかでこそ、そのことが最も重要になってくる。メルロ=ポンティは、ことばを語る主体というものは、思考する主体とは異なって、語るなかで「みずからを失う」ことのできる(すなわち変身して他者になることのできる)主体であると述べている。
というのも、「語る」ということは、思考したものを表現するということではない。その真の意味は、語られているあいだに予期しなかったことが語られはじめたのに気づいても、それにつきあって語ることを推し進め、その結果として語られたことに驚くことができる(ナンセンスの場合には笑うことができる――ナンセンスと真実はきわめて近い)ということである。メルロ=ポンティは、そのとき、思考も真の思考といえるのだと考える。
「わたし」がそうした主体であるということは、「語る言語」が、わたしにおいて語ると説明しても同様である。だが、はたして何を語るのか。――それは、人間であれ、人間の行為であれ、行為が関与する事物であれ、そういったすべてのいきさつであれ、相互に異なっているものどうしが出会ったという、そのことを物語るのである。
「異なっていた」というのは、まさにそれが語られたことのないものだったからである。
そして、それが語られるということは、異なっている双方のそのいずれからともなく、そこにともに知られていなかった意味が見出だされるということである。発明するともいえるし、発見するともいえるのだが、正確には意味は生成するのであって、それによって、語る主体は、双方がおなじひとつの世界に組込まれていた双子であることに気づいて驚くのである。
「語る主体」とは、他なるものを他なるもののままに抱懐した、そうした奇妙な主体である。どんなに些細な出来事であろうと、その出来事の主体であり、そこにあったのはどんな出来事だったのかと、真実を語ることができるように行為するかぎりにおいて、出来事の真実がことばとなって歴史へと到来するために、自分を出来事のなかに失うことのできる主体である。
そして、メルロ=ポンティのいい方を思いだすとすれば、その取消しようのないひとこと(一言)において、どんな出来事のヒーローもヒロインも、そのとき「歴史に合一する」のである。
[#改ページ]
◆終章[#「終章」はゴシック体]
42 真実を語るしぐさ[#「真実を語るしぐさ」はゴシック体]
†言語の真実[#「†言語の真実」はゴシック体]
だいぶまえのところで、決断について書いた。決断とは、状況が提案してくる意味を待ちうけ、その瞬間が来たと思ったそのときに、自分の行動を解発するということだった。そこにわたしの存在が賭けられる。
だが、わたしの存在とは何のことか。――いま見てきたところによると、わたしの存在もまた、語られた言語のなかにしかない。それはことばの意味でしかなく、ことばの意味はことば以外の対象を指示しているのではないのだから、ことばのうえにしか存在しない。とすれば、「わたし」が真実を語るなどということはありえないであろう。わたしは何かを語るだけであって、語られたものが真実となるかどうかなのだ。
それにしても、「出来事が真実であるためには、語られなければならない」のであった。そのわけを、いまはもう少しうまく説明できる。
真実か虚偽かということそれ自身は、実は、語られた言語のなかにしかない。――しぐさもまたことばと同様にうそをつきうるが、それはしぐさについて、ことばで述べるときのことである。相手がしぐさの意味のことばによる解釈を取違えるように工夫するとき、そのしぐさはうそになる。
もし、しぐさの意味を取違えるだけだったなら、そのひとの行動がちぐはぐになるだけのことである。相手がうそをついているというよりも、そうしたちぐはぐさこそ、本来の他者との関わりというものであろう。
それゆえ、もしこの世に言語がないとしたら、どのしぐさもみな真実だ、といわざるをえない。真実とは、出来事に巻込まれるすべてのひとが幸福になるということではないのだから、行違いや裏切りもまた、まさにそのようなものとして出来事の真実なのである。
ところが、実際には言語があり、歴史があって、しぐさについて語られるものだから、行違いが意図的な欺瞞であったり、裏切りが心底からの友情であったりもする。そして、それが真実にどうであったのかは、さらなることばによる取上げなおしに委ねられるわけである。
†真実を語る[#「†真実を語る」はゴシック体]
とはいえ、ことばをいくら費やしても、すべて「語られた言語」であるかぎり、一言のなかに真実を与えることはできない。それでは、「ことばが真実を意味する」とは、どのようなことなのか。それは、語る言語が到来し、わたしが語る主体になるということではあるのだが、出来事に対して何をすることなのだろうか。
真実とは、意味が出現するということである。概念的意味のことではない。真に意味をもっているのはしぐさである。とすれば、それは、ことばそれ自体が、しぐさと同等のものとして出現するということではないか。「語る言語」とは、言語が生じた最初のことばをなぞるような言語行為のことなのではないか。
そのようなことばがあるとすれば、それは、しぐさでありながらそれ自身は無意味であって、ただ、差異の在りかを指し示す。そうしたしぐさが言語のなかに捉えられたとき、言語のコードや規則を裏切り、概念的意味を改変し、そこに特別の意味を発生させる。語られている言語のなかに、空を作って差異を与え、そのことによって出来事の到来を告げ、その出発と到着とを知らせるのである。
それまでは、出来事は漠然としたときの流れとかわらず、行為と知覚はしぐさのままに過ぎていたであろうのに、それによって出来事に本質が与えられ、行為と知覚がそこへと集結されるようになるであろう。このようなことが生じたとき、一言の真実を「語る言語」が与えるであろう。
――人間は、語ることを本性とする存在である。
語る行為とは、人間が語ろうとした最初の行為、つまり真実を語ることを、自分のものとして取戻そうとする必死の作業のことである。そして、それぞれのひとが語る理由も切実である。語られたもの全体という意味での歴史のなかで、世界に属する人間のひとりとして、もっとふさわしいことがいまだ語られていないと感じるからこそ、語るのである。
メルロ=ポンティは、ことばが絵画や音楽と同様にして表現する(意味を出現させる)ような事態を、真の意味で思考するといい、真実が語られると理解した。
ソシュールが言語を海の波にたとえているが、ことばは波のあぶくのように無数のひとびとの会話のもとで渦巻いており、それぞれにその意味は語られようと、波のしたに生息する海生生物たちのようにして、重い冷たい水の塊のなかで、「真実のしぐさ」がぴちぴちと跳びはねているのである。
――メルロ=ポンティは、晩年、絵画が意味を発生させる場面を追究していった。それも、真実が概念的意味の結合にではなく、しぐさのなかにあるということを示し、世界からの問いかけに呼応する真実のしぐさというものを発見するためであったと、わたしは思う。
†ひと[#「†ひと」はゴシック体]
では、そうやって「語る言語」につきあうわたし(語る主体)とはだれのことであり、語る言語の与える空が、どのようにして言語のなかで意味を受取ることができるのか。
メルロ=ポンティは、つぎのように述べている。
「出来事の意味と呼ばれるものは、出来事を産みだす観念でもなく、その組立の偶然の帰結でもない。それは、あらゆる私的な決断に先だって、社会的共存のなかで、そしてひとにおいて仕上げられる未来の具体的投企である。」(『知覚の現象学』U三六五ページ)
わたしが語る主体になって意味の出現に立会うときは、わたしがどう思考するかということ以前に、歴史のなか、社会のなかで「肚を据えている」自分(「ひと」)が存在しなければならない。――ハイデガーは、「ひと」というあり方を、人間としては非本来的なあり方であって、ひとはそこから存在へと向かっていかざるをえないと考えていたが、メルロ=ポンティは、「ひと」というあり方にこそ、存在との接点があるとしている。
もし「ひと」ではなく、「わたし」が語るとすれば、「語られた言語」が使われる。そこには、いつも主観性という「誤謬の係数」が伴っている。「君の意見は主観的だ」という場合、客観性がないから誤りだという意味である。――真実を語るためには、わたしはことばを語るのをやめるべきであろう。ことばを語るのではなく、出来事を語るべきであろう。匿名の「ひと」となって、琵琶法師たちのように、そのことによって出来事を語る存在となるべきであろう。
「匿名のひと」というのは、自分の自由ばかりを追求する無責任で利己的な存在ではないかと思われるかもしれない。ひとが匿名を装うときは、確かにそうなる。それは急激に都市化した土地で生じる特殊な現象だ。
だが、メルロ=ポンティのいう「ひと」というのは、(「戦争は起こった」のヒーローのように)出来事に立会うにあたって、これこれの社会的地位や思想や性や見かけを超えて、ただの人間として立会っている、そうした普遍性をもった存在のことである。
そこでは、みな剥きだしの身体をもっていて、おなじひとつの世界に属しており、ひとりひとりが自由に出来事に参画する、そのかぎりで出来事を捉え、そして語るひとである。――とりわけ、死に迫られるような極限的な状況では、そこに「ひと」が現われ、まさにそのひとの存在が賭けられる。「匿名のひと」とは、生身の身体であり、動物的存在者であり、語ることも動物としてのひとつの属性とみなされる、地上のあらゆる生命に繋がった生命なのである。
†出来事の到来を予言する[#「†出来事の到来を予言する」はゴシック体]
それで、語る主体が語るのは何かというと、それはひととして、未来の具体的投企について、すなわち出来事の未来に投げかけられたひとびとの行動である。
「未来を語る」とは、予言するということである。エディプス王の悲劇を予言した盲目の予言者テイレシアス。かれは真実を語っていたのに、概念のひと、エディプスはそれに気づくことができないで、疑惑にもだえ続けるときを過ごす。
予言ということで、だれがノストラダムスのような未来予知のことを考えるだろうか。
未来の知覚が直接与えられるとすれば、それは幻覚と区別がつかない。予知したものはそのひとにとっての過去になるのであって、それが何の連続もなくそのひとの過去と結びついていて、そこにサインも日付もないとしたら……われわれはひとつのデジャヴ(既視感)にも混乱するのに、ただの大混乱になってしまい、現実に予知通りのことが起こっても、何のことか分からないだろう。
ついでながら、テレパシーも同様である。他人の思考や知覚や感情が直接与えられることだと想定すると、それは自分のものと区別できない。他人から受取ったものもそのひとの経験にほかならないのだから、そのひと自身の経験と混ぜあわされて、自分の経験までもが幻想と感じられるようになってしまうだろう。
超能力は、「語られた言語」によって作りだされた妄想である。しかしその原典として、「語る言語」や「遠隔的なパトス」をもっている。「もし超能力があったら……」などと想像するよりも、現実にもちうるわれわれの経験をこそ、理解すべきであろう。
すなわち、現実の予言も現実のテレパシーも、もっと盲目的でもっと手探りである。――テレパシーが意味空間の知覚のことであるとすれば、現実の予言は、(事実の予知ではなく)「意味が生じる」と語ることである。
語る主体の予言とは、あらゆる意味において、わたしがなすべきこととだれかがなすべきこと、あるべき秩序の姿と破壊されるべき体制、展開されるべき法則とそれを覆す偶然について、要するに、「出来事がどのようでなければならないかということ」を、真実の名において語ることである。
(存在(であること)と当為(べきであること)の区別は、語られた言語による概念的な規定であるが)出来事は、「であること」と「べきであること」の時間を通した結びつきである。というのも、真実とは、出来事の意味の到来であり、出来事そのものはその意味に対して延着する。ひとが未来を予言するというよりは、むしろ出来事の到着の方が必ず遅れてくるのであって(「根源的遅延」)、そこのあいだに、人間が生きている時間としての現在がある。遅れつつあるものに対し、自分を過去に置いて未来と見ると「まもなく生じつつある存在」だし、自分を未来に置いて過去と見ると、それは「まだなしとげられていない当為」なのである。
43 主体[#「主体」はゴシック体]
†主体性[#「†主体性」はゴシック体]
それにしても、メルロ=ポンティの議論を真に受けるなら、どのようにして存在と当為は結びつくのだろう。自分の主体的な努力というものを、語る言語のどこに噛合わせたらよいのだろう。――語る言語がひとりでに語りだすときを待構えていれば、あたかも神がわたしを通じて突然語りはじめるといわれているかのように聞こえる。それが預言(時間性を考慮に入れると預言と予言はおなじことになる)ということでもあるが、それでは、わたしの経験とは神の見ている夢にほかならず、ことばとは、めざめた神がその解釈をする作用であるとでもいうのだろうか(眠る神というのも変だが)。
……確かに、その可能性はある。
だが、メルロ=ポンティ自身、神をもちだすのは、ことがらをあきらかにしようとする場合には、まったく不適切だと述べている。それに、もとよりメルロ=ポンティのいう「わたし」とは、神ならもっているはずの絶対的視点を、決して獲得することのない存在なのである。
「わたし」とは、まずはことばで語られた「わたし(ひと)」であり、せいぜい公でない私(身体的挙動の責任者)のことであり、それにもかかわらず、その語る行為のなかで、わたしであるはずの、語ろうとする主体性を引受けようとする存在である。
主体性とは、出来事のなかで意味を産みだす作用である。意味が出来事を導いて、それをひとつの出来事の真実へと仕上げようとする。メルロ=ポンティは、そうした作用は、普通考えられるように主体が時間のなかで行う作用ではなく、時間そのもののことであると述べている。
「時間を主体として、主体を時間として理解しなければならない。この根源的な意味での時間は、あきらかに、相互に外的な出来事がただ並んでいるということではない。というのも、時間とは、出来事を相互に引離すことによって、それらをひとまとめに保持している権能だからである。」(『知覚の現象学』U三二三ページ)
「わたし」が主体として、「唯一の意識の流れ」であるという意味ではない。
「わたし」が主体になるということは、産出する意味が「われわれにとって」のものでなければならない以上、(愛のところで述べたように)他の主体(の自由)を呼び求めることである。他の主体が存在して、はじめてわたしも存在するようになる。
というのも、まずわたしが存在し、わたしにとっての時間しかないとするならば、どのようにして他者と約束することができるだろうか。――今日のわれわれが、ただひとつの明日についての約束をするように、おなじ明日の太陽がそれぞれの「わたし」にとって昇るわけで、われわれがそれぞれに「わたし」と呼ぶところの、その「ときの流れ」の唯一の現在がある。それぞれの意識に現前する内容が異なっているということは、(複数の時間があるのか、わたしだけの唯一の時間があるのかのいずれかだと推論されがちであるが)われわれがおなじひとつの「とき」に属することによって、はじめて理解できることなのである。
†主体としての時間[#「†主体としての時間」はゴシック体]
では、時間が主体であるとすれば、主体が出来事の意味を産出するのは、どのようにしてであろうか。
メルロ=ポンティによると、主体は、たとえば時刻表をみながらスケジュールを整えるようにして、時間のなかで出来事を展開するわけではない。そのように見えるのは、言語を使って時間を横領し、思考するわたしを確立したあとである。
しかも、そのように見えたとしても、出来事を思いのままに完成させることは、原理的に挫折するであろう。それぞれの出来事は、継起するという点ではばらばらな存在だからである。しかしながら、相互に影響を与えたり先取りしたりという点での漠然とした統一性をもって、ひとつの時間の無数の波のなかに存在する。
主体というものが存在するとすれば、それは規範に従うような存在ではなく、規範を自由に作ったり変更したりする存在でなければならない。時間であるところの本来の主体は、それ自身が勝手な時刻表を産みだして、出来事を推進したり座礁させたりする。時間主体は、さきの見えないスケジュールをたえず更新しながら、むしろ出来事をばらばらにすることによって、まとめていく波のようなものなのである。
とすれば、「わたし」が引受けようとしている主体とは、過ぎ去ったものを過去と呼び、いまだ来ないものを未来と呼ぶほかは、なぜそれが生じ、なぜそのように整理されていかなければならないかを知らないままに、押しよせる波であり、ぶつかりあって砕け散る波でもあれば、また引いていく波である。それ自身は現在をのみ生きていく。それもただ、波が繰返し打寄せているというくらいの意味でしかない……
メルロ=ポンティ自身のことばでは、つぎのように語られている。
――わたしの誕生という出来事は、決して過去になってしまうことがない。ある状況が否応なくなんらかの結末へと進んでいくように、それは未来へと受渡されていく。わたしの最初の知覚は、それを取巻く地平とともにつねに現在の出来事であり、振捨てることのできない伝統である。思考する主体としてすらも、わたしはいまだにこの最初の知覚であり、おなじ人生を継続する。そのようなわたしとは、その誕生をそのつどの現在において確認している時間性であり、誕生以来みずからをあきらかにしてきた時間性のことなのである(『知覚の現象学』U三〇一〜二ページ要約)。
†真の時間[#「†真の時間」はゴシック体]
わたしとは、時間性のことである。言語のなかで、自らを意識している時間である……
――最後の最後になって、そのような、なぞなぞのようなものを残すのも不本意であるが、メルロ=ポンティは、『知覚の現象学』のU二三六ページにおいて、つぎのように断言した。
「もし主体のしたに時間を見出だすならば、……その向こうには理解するものはもうなにもないと理解することになるだろう。」
それを信じて、時間についてもう少し考えていくことにしよう。
ところで、有名な哲学者が出した問と聞いているが、世界が五分前に、あなたの記憶を含めてすべてが作りだされたとしたらどうだろうか、そのことがあなたに分かるだろうかという質問がある。
わたしとしては、五分前という時刻は、その作りだされた時間のどこに位置づけられるのかと聞きたい。
世界の現象が語られたとおりに生じてきたということを前提しなければ、五分前という意味は理解できない。そのように、前提において認めさせられたことを、質問のなかで否定されても答えようがないではないか。だから、その問は意味をなしてはいないのだ。それに、すぐあとで述べるように、過去というものは、記憶でも事物の変化でもないのである。
ついでだからもうひとつ。
超超コンピュータがあって、世界で起こるすべての現象をインプットすれば、一瞬にして未来に生じることを計算してくれるということがあるとすれば、どうなると思うか。――そういう話をしてくれたのは高校のときのクラスメートだった。かれの結論は、「そういうことはできない」だった。わたしは、はぐらかされたように感じた。高校生はみな手探りをしている。
いまならわたしは、(計算できるかできないかは別にして)その超超コンピュータの計算も、世界の現象のひとつだということを忘れないでくれといいたい。――どんなに素早くてもそれには時間がかかるのであり、それがインプットしようとしている出来事のどれよりも早く進むことはできない。しかも、その計算結果を知ることになる人間は、世界の現象のなかで、そうでない場合とは異なった行動をとるのだから、少なくともその部分は、その計算結果を裏切ることになるだろう。
語る言語は予言だといったが、その意味では、人間はすべてその超超コンピュータみたいなものなのである。未来とは、刻々と生じている事実を、われわれがどう知るかというような次元のことではない。それは、まさにわれわれの行動が展開する場所なのである。
このふたつの例では、語られた時間の背後に、問をたてているひとのもうひとつの時間が想定されていて、その時間経験のうえで安全に問が出されている。前者は過去を記憶されたものとし、後者は未来を予想されたものとしているが、実際には、過去を想起したり未来を予想したりしている最中の時間というものがある。忘れてならないのは、その時間自体も想起や予想の対象になってしまうということである。
理解しなければならないのは、時間の背後の時間を考えることができないという、こうした単純でない事情であり、われわれが時刻表のようなもので時間を取扱うことすらできる真の時間なのである。
44 時間[#「時間」はゴシック体]
†過去と未来[#「†過去と未来」はゴシック体]
それでは、時間とは何であるか。
時間は、過去、現在、未来からなっている。それらは、現在だったものが過去になり、未来だったものが現在になるというようにして、つねに推移しているさなかにある。
つねに(常に)という意味が問題であるが、それが「現在」に備わる特性である。
現在は意識に現前しているところのものであるが、意識とは、現前しているものについての意識でしかない。それゆえ、意識は、現在をしか知らない。過去や未来を意識しても、そうした途端、それらが現在になってしまう。――「いま思いだした」とか、「いま予想する」という「いま」である。とすれば、過去と未来が、真には何であるかが問題である。
過去については、それをひとは思いだす。だが、過去はどこにあるか。
過去は、「記憶」のような心的ないし生理的痕跡ではない。眼をつむって思いだすものは、想像と本質的に区別はつかない。というか、想像とは、過去に含まれるものをしぐさのみによって描きだすことである。過去は、想起する記憶の原典として、記憶以前に存在している。過去は、現在にあるものから透かし絵のようにして現われる。それは、いちいち思いださなくても、準意識的なものとして、現在のしたに現在を支えるものとして広がっている。現在の知覚と行為の前提として、それはつねにあてにされているのである。
しかし、過去は、現在から独立して存在するわけではない。過去が思いだされるのは、現在の現前するものによって動機づけられるかぎりにおいてである。現実の風景のように、視線を向ければ自在に現われるわけではない。しかも、列車に乗って風景を見ているときのように、現在に近い過去は思いだすたびに変質していくが、遠い過去は似たようなものにとどまる(歳をとると変質しない過去が増えて、時間のたつのが早くなってしまう)。このように、過去は、現在の推移によって規定されるのである。
他方、未来については、それをひとは思い描くものだ。だが、未来はどこにあるか。
未来もまた、「予想」のような心的機能が生じさせるものではない。予想される原典として予想のさきに未来が必要である。それは、過去がより遠い過去となり、現在が過去になるように、準意識的なものとして、現在にあるものから透けて見える。「時間がない」などといわれるようにして(本当に時間そのものがなくなったら、世界の変化は停止してしまうはずなのだが)、現在の知覚と行為の行きつく前提として、あてにされているのである。
わたしは未来についての象徴的なイメージとして、J・G・バラードの短編小説を思いだす。
――砂漠のようなところに住んでいる老夫婦がいる。ある日地平線のかなたに小さく、大群のひとびとがこちらにやってくるのが見える。夫婦は庭に咲いている一本の時の花を摘む。すると、その大群の姿は消えてしまうのだが、翌日にはまた姿を現わし、まえの日よりも少し近づいている。かれらは、また時の花を一本摘む。そうして少しずつ遠ざけているうちに、日ごとに群れは近づいてきて、ざわめきすらも聞こえるようになってくる。やがて庭に咲いていた時の花も、ついには一本もなくなってしまうとき……そうした話だった。
†無常の常住[#「†無常の常住」はゴシック体]
では、現在とは何か。
われわれが過去と未来を混同しないのは、それらを区別する時間の向きが、現在のうちにひとつの移行として見出だされているからである。
『方丈記』の作者がいうように、川の流れは絶えることなく、流れる水は決してもとの水ではない。メルロ=ポンティは噴水にたとえるが、水がたえず湧出しているからその形が一定であるように、現在とは、たえざる移行でありながら、移行自体が永遠のうちにとどまっている、そういうあり方をしている。
永遠の現在と、たえざる移行の重ねあわせ。現在のもつこうした二重性こそ、過去と未来の意味だけでなく、「現前する」ということの意味を教えてくれる。
現前するとは、現在にあって何かが現われているということである。それは、否応ない形で現在が未来になり、また取返しのつかない形で現在が過去になっているということであり、そのふたつのことの切離しがたい同時性のことである。
ちょうど、川のなかを船に乗って進んでいくひとと、橋のうえで川の流れを見ているひとが、出会う瞬間に手を振りあうようなものである。
前者は、川岸の前望していた風景が近づいてくるのを見ており、後者は、もう二度と戻ってこない流れる船を見ている。そのいずれが「わたし」として引受けられるかは出来事の配置によるが、わたしはつねにそうした双子の他者を伴っていて、出来事のなかで一方から他方へと、またその他方から一方へと、跳ねとばされつつ進んでいる。
いいかえると、時間によって生起する出来事と、ときとともに生起する出来事とがある。前者は疲労や空腹や眠気など、また時刻表(スケジュール)が作られてそれによって事態が推移することである。後者は、時間がたつことが伴うにしても、ある場面が別の場面を否応なく呼出していくような、意味を通じて事態が推移することである。
たとえば、空中に放りだされたわたしは、地上に落下するまでは時間がたつのを待つしかないが、しかし、跳びあがったわたしは、車にぶつかるのを避けようとしたのであり、車がわたしの身体に到来することを苦痛の意味として捉えたのである。
――子供のころ、交通事故にあったときがこうだった。すべてがあきらかだったのに、倒れていく自分をどうすることもできないで、時間によって生起した落下の長い時間を、ただつぶさに見ているだけだった。こうしたシーンが、ドラマではよくスローモーションになるわけである。
どうしてそんなに長いのかと聞くべきではない。それが明晰さのもつ永遠性の原型なのだ。跳びあがったわたしと放りだされているわたしとが、ついで、苦痛をもってうずくまっているかもしれないわたしとが、それは、相互に照らしだされている時間の波の反復(時間の重ねあわせ)なのである。
メルロ=ポンティは、時間とはある種の光であると述べている。ものを見るためには、視覚と対象とをとりもつ光が必要である。だが、見ることは、たんに見る能力と見られる光の彩の外的な出会いのことではない。感じるものと感じられるものとは、同一でもなければ差異でもなく、双子としての内的な絆をもって出会われなければならない。
すなわち、時間の場には主体性という鏡があって、それが互いに他者であるふたりのわたしを交互に映しだす。一方が映しだされるときには他方が見ており、他方が映しだされるときには一方が見る。それが「見える」ということの究極的な意味なのである。
なぜ時間のなかに他者が存在するのか、と聞くべきではない。逆に、時間こそ他者との差異の原型を与え、自己の意識の明晰さに原型を与えるのである。自己とは分裂した統一だと、以前述べた。それは(ありったけのことばで表現してみると)「裂開していく自己性」、「絶えず跳ね飛ばされる離れた合致」、「特異点の連続体」なのである。
†未来の空[#「†未来の空」はゴシック体]
したがって、メルロ=ポンティは、ここでもハイデガーを批判することになる。
――ハイデガーは、先駆的に死を決断するということを述べるのだが、そういった形で未来によって現在を規定することは、現在から移行を奪うことであり、だから、決断という行為自体も不可能にしてしまうだろう。
決断とは、状況の引受けであった。オースティンの言語行為論のところでふれたことを思いだしてほしい。決断は、未来について言語で宣言するだけではない。行為としてのことばは、意味として世界に変化を与えることに存する。それがどのようにしてかといえば、過去によって与えられた状況を未来に結びつける時間を肯定すること、時間のなかに主体としてのわたしを見出だすことによってなのである。
しかも、わたしが時間なのだから、その支えは未来にでなく、現在のうちにある。決断は、ことばとしては約束であり、その意味では過去にある。一旦なされた過去の事件(約束)が、それだけで未来に効力を発揮するはずはない。それはほかの過去と同様に、現在において考慮に入れられるかぎりでしか出現せず、未来を保証しない。決断はつねに現在において、状況に応じて繰返されなければ、維持することはできないのである。
そのことは、船がくるたびに手を振らなければ、船に乗っているひとは無視されているように感じるが、橋のうえにいるひとにとっては、おなじ船が繰返し通過しているようなものである。
あるいは、婚姻届を出す若いふたりに、窓口の役人はおめでとうといい、ふたりは頬を赤く染めるのだが、窓口には毎日そういうふたりがやってくる。これはアランが書いていた話である。
かけがえのない「わたし」であることは、だれでもない「ひと」であることの、あるいは未来になる現在は、過去になる現在の、鏡像の双子にほかならない。どちらか一方になってしまうことは、決断を保証するどころか、現在をひとつの波のなかに凝固させてしまうであろう。
そういうことであるとすれば、未来は、現在において描きだされているというばかりではない。メルロ=ポンティは、未来には、なにか別のものが現われるかもしれないという要素が、必然的に含まれることを付言している。
というのも、「どうなるか分からない」といった根本的な空虚がないとすれば、未来はただの現在の延長でしかない。未来は、描きだされているものとそれを裏切るものとから成立っており、現在は、その意味でこそ、未来に向かって、「裂開する」とか、「炸裂する」とかいわれるのである。
こうした裂開が乏しくなって、未来になる現在か、過去になる現在のどちらかに固定されてしまうことがあるが、そうなると、そのひとのなかで時間は凝固し、現実的なものと潜在的なもの(想像)の区別がつかなくなり、他者が存在しなくなってしまう。世界から、意味が消えてしまうのである。狂気、すなわち現実性が失われるのは、認識論上の問題ではなく、他者についての病であり、ひいては時間の病なのである。
45 現実性[#「現実性」はゴシック体]
†現実の論理[#「†現実の論理」はゴシック体]
とすれば、現実性の内容を構成する、「現実の論理(リアリティ)」というものが存在するはずである。
ことばにおいても行為においても、それを通じてよどみなく語り、行なうことができるが、普段は意識していない論理がある。過去と未来とは、ただ現在から透けて見えるというだけでなく、いずれも現在にあるものからして可能な変化でなければならず、他の諸変化との整合性や一貫性をもっていなければならない。過去と未来は、時間のたんなる形式ではなく、内容とその論理に応じて特定できるのである。
われわれは、現実の論理によってこそ、現実を想像から、すなわち空想や妄想や幻想や幻覚や夢から区別することができる。時間とは、まさに歴史の光であり、視覚における光の論理が視力に光景を与えるように、それは、語る主体に出来事を語らせる論理(ロゴス)である。
しかしながら、現実と想像の区別というものは、しばしばいい争いになり水掛け論になったりするように、決定的なものではない。最も平凡なことは自然と呼ばれ、最も異常なことは「小説よりも奇なり」といわれるであろうが、無数の中間的な論理からなっている。
たとえば、「地球が自転している」などということも、語られた言語のなかに一旦確立されただけで、現実的なこととされるようになる。
どうして地球の反対側のひとたちが空に向かって落ちていかないのかとか、どうして大風がいつもおなじ方向でふいていないのかといったもっともな疑問も、また別の現実的なものによって沈黙させられてしまう。宇宙からのまことにもっともらしい、よくできた映像が、否応ない仕方で地球の自転というものをひとびとに納得させたわけであるが、こうなるまでに、人類は数世紀を要したのである。
地球の自転は論理によって解明された事実であり、天動説の時代のひとびとはわれわれよりも知識と理論に乏しかったと考えているひともいるかもしれない。だが、わたしがいいたいのは、それもまた歴史の一部だということである。理論的整合性それ自身としての真理、あるいは特定の集団(学界)に受容されるものとしての真理といったものを考えることができようが、語られた言語において現実の論理とされるものが、一言をもって完全なものとなるような根拠を、われわれの現在もまた有してはいない。語られた真理を実現するのは言語であり、しかもそれが真に真理であるためには、言語によってわれわれの現実的生活に組込まれることを通じてでしかないであろう。
天動説の時代のひとびとの情神も、別の知識、別の理論に満たされていたのであり、現代と同様に、みずからの経験に直接的に示されないことを語られた言語として受けいれて、(いまはナンセンスとして否定されているものにも)十分にリアリティ(現実性)を感じることができたのである。
†現実的なもの[#「†現実的なもの」はゴシック体]
われわれは、(どの時代でも)一方で、ひとの捉え方を現実的でないといって批判しながら、他方では実際に現実的であったものを通じて、何が現実的なものかの基準を探している。しかも、大人が子供に向かって「社会の現実は……」などと語って聞かせるように、権威や権力のある方がそうでない方に向かって自分の希望的観測を押しつけて、押しつけられた方がそれに従うことによってこそ、その希望が実際に現実的なものとして実現されるといった(言語とことばの関係に平行した)事情が存在する。
そうしたところから懐疑論や相対主義が生まれてくると思われるが、そうした考えが生じるのは、それらもまた、真実を語られた言語によって現実を映しだすことと捉えているからである。それらが正しいといえるのは、語られた言語に真実を捉える力はないという点においてのみであり、真実が存在しないとか、判定できないとするならば、それ自体は独断論にほかならない。
他方、デカルトは、数学的言語を使うことによって、だれかが研究費を十分に出してくれさえすれば、かれひとりの力で、五十年もすればすべての真実があきらかになるだろうと考えていた。――実際そうでなかったのは、(歴史がわれわれに与えてくれる特権によって)ご存じのとおりである。
たとえ数学的言語がいかに精密なものとなろうとも、それがやはりことばであり、ことばに対することばという資格によってその意義を得ているかぎり、現実を映しだす普遍的な真実(真理)を全面的に表現することなどできないであろう。科学に限界があるとか、あるいは根本的な不確定性があると理論的に主張されるのも、科学もまたことばであるという本質を、違ったかたちで表現しているにすぎないのである。
――懐疑論者もデカルトも、真実とは何かについて、少し通りすぎてしまったのだ。
真実とは、現実的なものを想像などの虚構から区別させるもののことであるが(そのかぎりでかれらは正しいのであるが)、少数の意味によって世界のすべての変化を表現し尽すところのものではないのである。
†真実とは何か[#「†真実とは何か」はゴシック体]
真に現実的といえるのは、ことばで説明された合理的なものでもなく、いま眼のまえに広がる風景でもない。どんなことにも時間がかかるのであって、合理的なものを適用するあいだに時間がたって詳細が変化してしまうし、風景の細部に到達するのにも時間がたって全体をつかめない。
語られる合理的なものにも、眼に見える風景にも、真実は潜んでいる。
そこに出現してくる意味は、なるほど、真実と呼ぶには不完全であり、全面的でもない。それにしても、ひとは真実なるものに、いったい何を期待しているのであろうか。一瞬のあいだにすべてを語り尽したものか、一挙に全体と細部を全方位から重ねて見たものか。それは、時間があるから経験できることを、時間なしに経験したいとする、駄々っ子のような超能力への期待ではないだろうか。
「現実の論理」といういい方では、それがいったん確立されてしまえば、あとはもう考えることはなにもないという印象を与えるが、本当の意味での現実の論理は、「生の歴史」をいいかえたものにすぎない。
ことばが出来事のなかの現象を捉えさせて出来事に意味をもたらし、あるいはそれを縮約して他のさまざまな出来事のなかに原因を産みだすこともある。さらには、縮約された表現相互の組合わせのなかに、ある種のことばがひとつの現象を捉えさせ、それを縮約して他のさまざまな出来事のなかに原因を産みだすこともある。しかし、そうした表現は、現象の手前や背後にあるのではなく、それもひとつの現象であり、出来事の一部という資格で出来事を構成しているのである。
生の歴史においては、ことばも行為と同様にして、出来事を終息させたり発生させたりする働きをしている。ことばであれ行為であれ、どれかがどれかを一方的に規定してそれ自身は現象しないなどということはない。それらは、異なりながら撚りあわされようとする生の歴史のもとにある。
生の歴史とは、すでに確立された過去の記述などではなく、現在において無数の人間が出来事の意味を追求しているありさまのことである。出来事は、静謐な世界のなかで個別的に生じ、孤立的に記述されるのではなく、それがどんなに多様であれ、ともかくもおなじひとつの歴史に組込まれるようにして生じ、その歴史の喧騒から意味を受取ることができる。そうした、表現のダイナミックな「場」が存在する。そこにおいて、レトリックやルール、自然法則や歴史事実や形而上学についてまで語られるということなのである。
それらはみな、こういってよければ、意味でしかないが、それでも「意味は、真実のなんらかの生成を集約している」。意味を示しあい、語りあうことができるのは、われわれが真実の世界に住まっているからであり、もしそうでないとしたら、提示された意味は、だれにも引受けられず、否定も肯定もされないだろう。
それでは真実ということばの意味が違うのではないか、と思われるかもしれない。だが逆に、真実ということばの意味を、われわれが日常で使っている意味で、正確に理解しなければならない。――真実とは、ときとともに虚構を粉砕して、現実的なものを出現させるもののことである。われわれは現実的なものを見出だすときには、「意味がある」というのであるが、そのように意味が生じてくることを保証しているものを、真実と呼ぶのである。
†無尽蔵[#「†無尽蔵」はゴシック体]
とすれば、真実であるというそのこと自体の意味は、「無尽蔵(イネピュィザビリテ)」であるということになる。
というのも、もし意味が有限であってついには枯渇してしまうとすれば、それぞれの意味はただちに真か偽のいずれかでなければならないし、どんな出来事も手持ちの意味によって構成されなければならないことになる。とすれば、出来事がときとともに展開し、それ以前の意味を覆してしまうといった、出来事の本質にある超越性を与えることができないであろう。
メルロ=ポンティは、つぎのように述べている。
「現実世界の驚異は、意味がその存在とひとつのものでしかないということである。……現実的なものは無限の探求に応じ、しかも汲尽すことができない。」(『知覚の現象学』U一七六ページ)
存在するものは、物質でも観念でも、生命でも霊魂でもなく、すべて意味である。選ばれたなんらかの同一物ではなく、他のすべての差異に呼応するところの差異である。
少数の意味で世界のすべてを代理させようとする、意味の経済的発想は、意味が無尽蔵であることへの懐疑に由来するのであろうか。だが、無尽蔵でないとしたら、「世界のすべて」ということも、また意味をなさないのではないだろうか。世界に(たとえば天国のような)外部がないとすれば、世界が超越的であるということは、意味が無尽蔵であることに帰するのである。
あるいは、それは、時間を節約して、超超コンピュータの話のように、すこしでも早く(もっといえば無時間的に)意味を出現させたい願望であろうか。それにしても、出来事が成就するにはいずれにせよ時間がかかるのであり、早すぎるがゆえの混乱というものも生じる。
現実的であるということは、尽きせぬ意味があるということとおなじであるが、ただし、意味が生じるまでには時間がかかるという条件のもとにおいてである。それゆえ、現実が真実のもとにあって意味が無尽蔵であることは、時間における「無常の常住」に依拠しているのである。
もしそこで、あなたの時間が病んでいないならば、そのかぎりにおいて、あなたは真実のもとに住まっており、その無尽蔵な意味のなかから、あなたにとって「生きていること」よりも重要な、「生きていることの意味」の出現をあてにすることができるだろう。
他方、もしあなたの時間が病んでいるならば、「わたし」という語が指すものは、語られたことばの明るすぎる海を漂流する海蛍のような、方向(意味)づけられていない存在のランダムな放電効果、生命として享受する快楽と苦痛にとどまるであろう。
――「わたし」がまず存在して出来事を実現し、ことばによってその出来事の意味を与えるのではない。真実は定義上「わたし」にとって超越的なものでなければならないのだから、それでは真実を得ることはできない。むしろ、最後に到来するかに見えることばの方が、「わたし」と「真実」とを、ともに同時に与えるのである。
わたしの行動もことばも、それ自身はだれでもない「わたし」の存在である時間から発する。しかし、行動の効果とことばの効果によって出来事の意味がおのずから統合されるとき、ときとともに、出来事の原因となるような「わたし」の経験が出現する。まさにそのことをもって、その出来事は「真実」と呼ばれるのである。
メルロ=ポンティは、『意味と無意味』において、つぎのように語っている。――人間であるということは、「行動の冥がり」を進むことである。しかし、その冥がりのなかでも、ひとびとは点々と輝く意味の核を頼りに進んでいくことができる。「歴史の真実」は可能なのであり、それは意味の豊饒の海なのである。
46 すべてよし[#「すべてよし」はゴシック体]
†思考と存在[#「†思考と存在」はゴシック体]
いよいよ、この本の結論めいたことを出すときがきた。
『知覚の現象学』の末尾付近で、メルロ=ポンティはこう記している。
「歴史的状況が問題であるかぎり、哲学は、よく見つめることを繰返し教えこむほかには、いかなる機能ももってはいない。」(U三七五ページ)
行動においては肚を据えて決断し、出来事に身を投じつつよく見つめるしかない――結局のところ、こうした平凡なことばのもつ深い意味について、われわれは考えてきたのである。
ひとは、出来事のなかで、否応なく行動をとらざるをえない状況に巻込まれる。そして、その出来事がどう展開するかを見てみるしかない。しかし、現実的なものは、これといって真実の徴候を指し示すわけでもなく、夢のようなもののあいだからたちのぼってくるばかりで、捉えようがない。
そのとき、もし思考(わたしは考える)と存在(わたしは存在する)とが分離したままであったとしたら、ひとはこのように考えるかもしれない。――いずれにせよ真実は得られない、ただ行動するのみだ。あるいは、(夢と現実を混ぜあわせて)一挙にそれを確かなものにする魔法の杖(超能力やテレパシーや未来予知)を見つけよう、と。
だが、真実は存在し、行動の冥がりに潜んでいる。
そしてある僥倖によって、ひとは行動のさなか、出来事に意味が生じてくるところに突然出会う。――そういうことが起こりうる。行動において、次第に出来事の諸要素が調和しはじめ、それから不意に、あるべきものが、なぜそれでなければならなかったかとの理由とともに姿を現わしてくる。
それは、こういうことである。――発生しつつある出来事が、だれかにおのれを語るようにいざないながら、語られるべきものへと展開し、語られるであろう意味によって、出来事自身が秩序づけられてくる。そのときひとは語る主体となって出来事を語り、語る言語のもつ反作用によって、語ろうとした以上の意味を出来事に発見して驚くことになるであろう。そのような場合には、行動の方も、決して盲目的な衝動につき動かされているわけでもなく、それ自身出来事を指し示すひとつの表現として、真実を語ろうとする行為に伴って意味の出現に立会わないではいないのである。
そうして生じてくる意味は、出来事のなかでの他者との差異、隔たりをもって対峙することから生じるのであれば、それを、自分ひとりのものにすることも、だれかのものにしておくこともできようはずがない。ひとが意味をめざすのは、(アカウンタビリティのためばかりでなく)すべてのひとのひとりとして、互いに他者に対して生きているからであり、そしたまた、すでになにがしかの意味で生きている自分を、他者たちのあいだで引継いでいくことを確認するためなのだからである。
†ひとびとのあいだに[#「†ひとびとのあいだに」はゴシック体]
マダガスカルからの帰国の途上、夜明けに飛行機がパリのオルリー空港に着陸する際に、メルロ=ポンティは、輝く灯火のもと、すでに多くのひとが眼をさまし、道路や物流ばかりでなく、ひとびとの労働や知識が社会を支えているのを感じて感動する。――その話が、インタビューとして、『シーニュ』に収められている。
わたしは飛行機に乗るときに、しばしば、この一節を思いだす。山肌を虎刈りにしているゴルフ場はいただけないが、このしたにいる無数のひとびとの、生活しようとする激しい情念の明白な痕跡、その緻密に計算だてられた活動の歴然たる証拠。
――「わたし」とは、不抜の主観性のようなものではなく、ひとびとのあいだにいる「ひと」である。
歴史のなかで、またひとびとのあいだで、名前を登記されようとされなかろうと関係なく、わたしは、すでに多数のひとびとが振舞っている歴史的状況へと参加していくような存在以外ではありえない。すでに他者のあいだで承認されているもののなかで、(愛といえばむずがゆいが)みずからの寄与分を表現することのほかに、なすべきこともないであろう。
だが、そのようにして、もし出来事と行動と他者がことばを介しながら螺旋状に運動するなら、認識もまたすぐれて実践的なものとなり、真実を与えることができるようになるに違いない。それはまた、わたし自身においては、思考と存在が分離した非本来的な状態から、それらが合致した本来の状態にと向かうことであるに違いない。――おそらくは、メルロ=ポンティのいう「よく見つめる」とは、こうしたことをいわんとしていたのではあるまいか。
かくして、「よく見つめる」ということを、メルロ=ポンティの「実存主義」と定義することもできなくはないが、所詮個人道徳というイメージの強いことばであるし、あえてそういうことはいわなくてもいいとしよう。
†人生の意味[#「†人生の意味」はゴシック体]
こうしてわれわれは、メルロ=ポンティの倫理学を見出した。最後に、約束どおり、人生とは何かをもう一度考えてから、この本を終えることにしたい。
ところで、メルロ=ポンティは、人間の誕生について、以下のように述べている。
「ある日、ただ一度、決然となにごとかが進行しはじめた。……何が生じたかといえば、それは状況の新しい可能性である。」(『知覚の現象学』U三〇一ページ)
「わたし」とは、状況の可能性である。
ある場合には、現在は瞬間的であって、感覚の誕生と死を繰返している。それは、欲望に支配されているといわれよう。ある場合には、現在がわたしの人生全体となる。わたしの存在、過去のすべてがこの一瞬にかかっており、人生に決定的な意味を与えようとしている。
現在にこうした幅を作りだすのは、決断が引受け、そして切開いていく状況の広がりである。人生の統一性とは、ある人間が意識をもち、時間である匿名の主体の自発性を取上げ、語る言語へと身を挺するときに生じてくる。
こうした決断というものは、見てきたように、思考のたんなる結果ではない。意識が人生を取上げて、任意に意味を与えるのではない。それにもかかわらず、ひとは、自分の人生の統一性を、劇中劇のようにして、人生そのもののなかで見ようとする。――自分の誕生と死後は、自分には原理的に与えられないのに、自分が成長し、それから老いていくという過程において人生を捉えようとする。
自分の成長も老いも、確かにわたしに現われてくる。匿名のほかのひとびとの人生とおなじように自分の人生が過ぎていくというのは「うそ」ではない。
だが、真実とは、「うそでないもの」のことではない。
「認識されたもの」は「生きられたもの」に到達できない。人生としてひとが考えているのは「認識されたもの」であり、人生とは、「生きられたもの」の本質である。したがって、認識によって規定された人生は真実ではない。
(いずれにしてもひとは人生を認識しようとするのだが)そうした人生によって自分の人生を規定しようとしても、それは、時間がたつにつれて、たえずやりなおされざるをえないだろう。なぜなら、(わたしに人生があるというより)わたしが人生にあるかぎり、また時間があるかぎり、人生全体を見る視点には、決して立つことができないからである。――ところが、時間こそ、人生の真の意味なのである。
「時間とは、文字通り人生の意味である。そこに状況づけられ、向きがぴったりと一致するものにしか近づくことができない。」(『知覚の現象学』U三三七ページ)
意味とは、フランス語で方向のことである。時間から離れようとする認識は人生の意味を見失わせる。人生の意味を知るためには、時間の向きに従ってそこに身を滑りこませ、それを生きなければならないのである。
†夢と善[#「†夢と善」はゴシック体]
さらに、いまひとつ。
メルロ=ポンティは、「生きられたもの」が夢のようなものであると述べていた。だからといって、生きられた人生が、真実によって、夢から覚めたときのように無意味になってしまうということではない。かれはまた、人生というものは「無意味か意味かがあるのではなく、つねに意味という、惹きつけられるものが出現してくる」とも述べている。
なるほど、信長も秀吉も、人生を夢にたとえて死んでいった。しかしながら、そう見えるのは、人生全体を認識しようとしたからである。現実を夢と混ぜてしまうことができるのは、死んでいくときだけなのではあるまいか。
夢というものが、目覚めるまえの過去ばかりでなく、未来にもあるということを忘れないようにしよう。夢ということばは、「熟睡中の幻想」と「未来の希望」という二重の意味で使われる。夢とは、「起こってよい」という出来事のリアリティの限界(現実の論理が怪しくなる境界)を記すものなのだからである。
われわれが語ること(歴史)には、どうしても夢の論理が含まれるのであるが、そのわけは、逆に現実が、多数のひとびとの夢が交錯して生じる出来事の条件のことだからである。とすれば、むしろ、夢のなかに潜んでいる積極的なものを捉えようとすべきであろう。意味は、まさしくそうした場所からやってくる。人生でめざされるものを善と呼ぶが、その「よさ」とは、「起こってよい」というときの「よさ」である。それは、諦観でもなければ意志でもなく、そのひとの根底にある「匿名の決断」なのである。
その意味で、わたしは、モンテーニュの人生に託して述べられたつぎのくだりにこそ、メルロ=ポンティの倫理学から引出しうる最も肯定的な価値が表現されているように思うのだ。
「モンテーニュのモラルのすべては、つぎのように決断する誇り高いこころざしに基づいている。――人生に根拠はないにせよ、これをほかにしてはなにものも意味がないのであるのだから、この人生を引受けることにしようではないか、という決断である。このような自己自身への転回のあとでは、かれには再びすべてよしと思われるのであった。」(『シーニュ』U九三ページ)
[#改ページ]
あとがき
わたしは、メルロ=ポンティの主張の骨子だけを、これ以上ないという分かりやすさで語りたいと思って書きはじめた。主張の骨子を理解するには、結論を提示する以前に、どうしてそのような結論が生じる問がたてられたのかを知らなければならない。そこで、ある程度わたしの経験を紹介したりして、問を共有していただきたいと思った。そうしたら、この本のようになってしまった。
翻訳語の難解なキーワードを駆使して、思想史的概念を図式的に整理すれば、それはそれで分かりやすいという印象を(一部のひとに)与えることは知っている。だが、それではまさに「語られた言語」の世界であって、それ自体メルロ=ポンティの思想を裏切ることになるに違いない。
また、入門書を書くひとは、その対象の哲学者が好きなわけだから、ついついそのひとの文体をまねてしまう。しかも、たいていの哲学翻訳者は難しい漢語が好きだ。これらをあわせると、奇妙なことが生じる。つまり、入門書まで翻訳調の文体で書かれているという始末なのだ。――わたしは、それも避けたかった。
新奇で難解な概念をいきなり日常に適用してみせることよりも、日常の平凡な発想から出発して最もラディカルなところまで進んでいき、そのなかで自分の従来の発想を覆してしまう、その方がずっと哲学的といえるのである。
だが、わたしのようなやり方をすると、どこまでがメルロ=ポンティの思想で、どこからがわたしの思考かはっきりしなくなってしまうという欠点がある。メルロ=ポンティの思想そのものを理解するには、やはりメルロ=ポンティが書いたものを読むのが一番早い。
とはいえ、場所によっては、メルロ=ポンティよりもわたしの方が上手に表現することができたのではないかと思う。というのも、メルロ=ポンティは日本語を知らなかった(と思う)し、さらにわたしは、歴史の特権で、メルロ=ポンティに影響されながら発展したさまざまな考え方を知っているからだ。
ただ……どうしても、わたしが読む以上、日本人にとっての思想になってしまうことは避けられない。わたしが分かるように読んで語るわけだし、分かるということは、たんに推論を重ねたというだけでなく、わたしがわたしとなっている存在のすべてと結びつけるということであり、そこには無数の日本語のしぐさが取巻いているのだからである。
その点で、わたしはどうしても日本の伝統思想に参照するという誘惑に抗しきれなかったが、わたしの恩師で、日本思想の大家である相良亨先生も、それには苦笑しておられるかもしれない。かつて相良先生は、わたしのような議論の進め方を、いいとも悪いともおっしゃらなかったが、先生とお話ししていると、わたしのなかにさらなる問がつぎつぎと生まれ、それを先生がうしろから押しておられるように感じたものだった。先生のせいにするわけではないが、それ以来、わたしはすっかりこの調子でいいのだと考えるようになったのだった。
ともあれ、われわれは、すでに西欧哲学のなしたさまざまな自己批判についてよく知っている。西欧の自己批判にとっても重要なことは、西洋と東洋との真の出会いであって、それこそメルロ=ポンティの望むところのものであった。実際、かれはそう書いている。差異との出会いによってこそ、思想は真に保存される。この本によって、メルロ=ポンティと読者との対話が再開されるならば、それはかれの思想が、日本においても保存されるということである。
対話とは、互いに納得できさえすればいいというようなものではなく、メルロ=ポンティに従ってどれだけ遠くまで自分の問を推し進めることができるか、さらにまた、その引力を利用して、どれだけ遠くまで弾き飛ばされることができるかということである。――というわけで、本書が読者にそのような機会を提供できていることを祈りたい。
なお、末筆ながら、筑摩書房の井崎正敏氏と山野浩一氏には、大変お世話になった。
[#地付き](一九九九年九月)
船木亨(ふなき・とおる)
一九五二年、東京に生まれる。東京大学文学部倫理学科卒。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在、専修大学文学部教授。おもに現代フランス思想に参照しながら、人間がそこで自己を理解していく倫理的形而上的空間の様相をあきらかにしようとしている。著書に『ドゥルーズ』『ランド・オブ・フィクション』『〈見ること〉の哲学』『デジタルメディア時代の≪方法序説≫』など。
本作品は二〇〇〇年三月、ちくま新書の一冊として刊行された。