目次
葦《あし》手《で》
山桜
マルスの歌
張柏端《ちょうはくたん》
焼跡のイエス
かよい小町
処女懐胎
変化雑載
喜寿童女
解説(佐々木基一)
葦《あし》手《で》
神楽《かぐら》坂《ざか》の肴町《さかなまち》から矢《や》来《らい》へ向うにぎやかな大通を途中で左へきれ、急にひっそりとする小路を縫って、一月なかばの夜の寒さに表を閉ざした家並のなかを下駄を鳴らしながら歩いて行くうちにそこだけは一軒硝子《ガラス》戸《ど》越しにぼんやり灯の色が流れている煙草屋の前に出ると、先に立った河本仙吉《かわもとせんきち》芸名清元《きよもと》卯太《うだ》夫《ゆう》がぴたりと足をとめ、その明るみをおそれるように角袖外套《かくそでがいとう》の襟《えり》を深く立てながらふり返って長身をかがませ、「え、喬《たかし》さん。」と声をひそめて、「ここだよ、この奥なんだよ。」仙吉のあごでさしたのは煙草屋の角《かど》をまがる狭い露地の闇《やみ》で、いっしょにのぞきこんだわたしの眼にはただ暗いばかりで見当もつかなかったが、じっと瞳《ひとみ》を定めるにつれて、両側の長屋普請とすぐ知れる二階建の、その粗《あら》い格《こう》子戸《しど》から洩《も》れる電燈に中のけしきが茫《ぼう》と写し出された。思いのほか奥行のない露地で、両側の長屋といっても二軒ずつおなじようなのが向い合ってわずかに四軒、それも米材《べいざい》の肌がいやに光る新築ではなくて軒《のき》端《ば》かたむくかと見えるほど黒ずんだ年代物。突き当りはあまり高くない石垣で上には何やら西洋館らしいのがそびえていたが、その石垣の真下にあるのが震災をまぬがれた土地柄だけに今日の東京にはめずらしい共同水道、雪達《ゆきだる》磨《ま》さながらすっぽり藁《わら》に包まれ水を吐く口と鍵《かぎ》をさしこむ耳だけが出ていようという古風な栓《せん》で、それがあるだけ道幅にゆとりができてはいるものの真中を走っている溝板《どぶいた》は油断がならず、踏めばばちゃんと刎《は》ねかえりそうな恰好《かっこう》であった。「いや、こりや風雅なお住居《すまい》だな。この奥に妾宅《しょうたく》ありた気がつかねえ。ここへわれわれどてらのお客様が乗りこむんじゃ、浪人者さんすいなる身なりにて出《い》で来《きた》りと、ト書《がき》が附かなきゃ納まらねえところだ。」
神楽坂裏の小料理屋からしゃべりあって来た調子がまだ抜けず、わたしがつい高声《たかごえ》になるのを、仙吉はいつもの癖の急に小さい眼を狡猾《こうかつ》そうにきょろきょろと廻したのであろう、色眼鏡をこちらへきらりと光らせながらおさえるような手つきをして「こーれ」というとともに、つつと露地の中へ歩き出したのにわたしも釣りこまれてはいって行くと、右側の奥の家、共同栓の横手に格子戸も台所の戸もならんでくっ附いた、その上り口をがらりとあければやっと足を踏みこめるほどの狭い三《た》和士《たき》のつい鼻先が障子で、表の物音にそれと知ったのか、向うからひとの近づくけはいがしてその障子がさっとあき、「あら、いらっしゃい。」女にしてはややせいの高い、ぐにゃぐにゃしたからだつきの、ぷんと白粉《おしろい》のにおいをさせながら肩から乗り出したのが、仙吉の後にわたしをみとめると斜《しゃ》に身を引いて中腰になり、「あ、お客様。どうぞ。」仙吉の上るのをよけながら灯を背に障子の影になったので女の顔かたちは判らなかったが、その代りあけ放した家の中は一眼で見通され、壁一重で台所と仕切ってある上り口の二畳の、そのさきは六畳で、ここは外の作りとは打って変ってあかあかと電燈がかがやき、安物ながら長《なが》火《ひ》鉢《ばち》、ちゃぶ台茶箪《ちゃだん》笥《す》などいずれも新調らしく、壁には三味線が二挺《ちょう》、部屋の片隅《かたすみ》には小さい置《おき》炬《ご》燵《たつ》にかけた友禅《ゆうぜん》の蒲《ふ》団《とん》の花模様が陽気に浮き出ていた。ただし、そのそばに縫いかけとおぼしくひろげられた反物はどうしたものか小紋のひどく渋い柄……と見る間に女は奥へ駆け入って、六畳の向うの障子をあけ、九尺ほどの縁側から天井をのぞくようにして、「かあちゃん、お客様よ、仙さんと、どなたかお友だちの方。」とたんに二階でみしみしという音といっしょに何かいらえが聞えて来たが、そのあいだに仙吉はもうするすると炬燵に膝《ひざ》を入れ、まだ上り口に立っていたわたしに「さあ、喬さん、寒いからこっちへ。なあに、ちっとも遠慮はいらねえよ。」
そもそもこの場の状況を述べるまえに、仙吉のような芸人とわたしのような不粋者と、異様な取合せの出来上るに至った由来から説きおこすのが順序とはいえ、その前置を述べ出した日にはちょっと一口ではかたづかぬ長ばなしとなろうし、またさしあたりそれにはふれずともすむ。しかしこの附合のはじまりは元来わたしの友だちの薩《さつ》摩屋《まや》銀二郎が仙吉とは中学校以来の仲間であるという縁に由《よ》ったもので、じつはその銀二郎もやがてここにあらわれる段どりになるのだから、この間のいきさつは追ってのこととして、今わたしは部屋の中にはいりながら何となく世帯じみたにおいを感じて、「これはしんみりしてまた一味《ひとあじ》だな。」とことばに出すと、女はそれを世辞と取ったのか、あわてて針箱を隅へ押しやり、「まあ、とんでもない。狭いところで散らかっておりまして……」そこへ梯《はし》子《ご》をおりて来た母親らしいのが閾《しきい》ぎわにぺったり坐ると東北訛《なまり》の太い声で、「いらっしゃいまし。」男のようにがっしりした硬《かた》ぶとりの体を木綿著《ぎ》物《もの》の下に突っ張らせて、色白の肌理《きめ》はこまかいが眼鼻だちのごつごつした、これはひどく田舎《いなか》くさい五十女であった。「梅子に、おっかさんです。」と仙吉がちょっとあらたまって、「こちらはね、喬さん。かねてお噂《うわさ》をした詩人黒木喬先生。」詩人というのはわたしの渾名《あだな》で、挨拶《あいさつ》が一通りすむと仙吉はもう調子が崩《くず》れ、「ところで、さっそく酒だ。まだあるだろう、ゆうべのが。」「あら、そんなにないわよ。」と梅子もぞんざいになり、「二三合ぐらいじゃない、ねえ、かあちゃん。」「ああ、とてもたりやしませんよ。買って来ましょうか。」「じゃ、すみませんがひとつ。」と仙吉はふところから紙入を出し、「ええ、まあ一升。それに何か餌《えさ》を見つくろって。あとからもう一枚加わるんでね、銀さんが。」「あ、銀さん。」と梅子が、「こないだいらしった。」「ああ、薩銀、九時半にここに来るってえ約束なんだ。」「そう(茶箪笥の上の眼覚時計を見て)じゃ、まだちっと間があるわね。かあちゃん、風邪《かぜ》ひかないようにしてらっしゃいよ。つなぎに残ってるのつけましょうか。」
銅《どう》壺《こ》に徳利を突っこみちゃぶ台に小皿などならべる梅子を今わたしはゆっくり眺《なが》めることができた。二十《はたち》を一つ二つ越したか、伏せた眼もとの愛嬌《あいきょう》でしゃくれ顔の難をかくし、結いたての髪の重みに細い頸《くび》をしなわせている、それは何のたわいもない下町風の娘であった。先刻小料理屋でのはなしに仙吉が、「じつは今度ちょっとした足だまりを拵《こしら》えてね。ああ、うちのほうへはもちろん内証なんだが、つまりわれわれのクラブ同様にしようってわけさ。みなさんにも遠慮なく利用してもらって、親類同様にどうぞ。銀さんにはこないだ紹介したんだが……」と切り出したのに、「菴主《あんじゅ》はさだめし」と水を向けると、「いや、それがね、そんな粋《いき》なんじゃないんだよ、ただおとなしいのが取柄で、それに……」と早くも調子に乗りかけたのを軽く聞き流して、女の素姓を深くもたずねずに来たのだが、こうして見たところ、およそ興味のもてぬ梅子であるうえに、総じて小ざかしい家庭の仕組が何より苦手のわたしとしてはちょっと質に取られたかたちで、やがてもどって来た母親のおしゃべりも上《うわ》の空《そら》に銀二郎の駆《かけ》附《つけ》を待つばかりであった。
「銀さん、遅いわね。」「うん、さっき店からまわるっていってたが、ちかごろ、ひどくいそがしいそうだから。知らないかい、喬さん。」「何を。」「薩銀の店のことさ。」「いや。」「八丁堀さんもだいぶ曲って来たそうじゃないか。おとっつぁんの病気以来やっぱりよくないらしいね。」「そんな噂《うわさ》は聞いちゃいるが。」「神戸の店は兄貴がしっかりものでいいそうだが、肝腎《かんじん》の本店がぐらついてちゃ、若檀《わかだん》那《な》銀二郎ダンスばかりやってもいられねえだろう。」「なに、あいつは重宝な生れつきで、ダンスにも夢中になれるし商売にも夢中になれるし。」「こないだ、そういってらしたわ。あたらしい鑵詰《かんづめ》の宣伝でおいそがしいんだって。とても景気のいいおはなしだったわ。」「そりゃ食料品じゃ古い店だから、すぐにお辞儀もしねえだろうが、さて銀二郎の鑵詰売、いつまでつづくかね。」と仙吉は伸びをしながら、「あんまり待たせると出かけちゃうぜ。」「お出かけって、これから。」「ああ、銀座へでもと思って。ねえ、喬さん。」出かけないまでも一応そういってみる手と、わたしは調子をかえて、「ときに、銀さんちかごろ大森へ帰らないそうじゃないか。」「へえ、アパートのほうへね。」「けさちょっと電話をかけてみたんだが、二三日お帰りになりませんなんだ。」「すると、あの子は。空閨《くうけい》を守ってるてえわけか。」「それが判《わか》らねえ。」
そのときぱかぱかと威勢のよい靴音とともに格子があき、「失敬、遅くなっちゃって。」とニッカーをはいた逞《たく》ましい脚で上り口から一またぎ、立ちかけた梅子を押しもどすように鼻先へ菓子折らしいのを突きつけながら、「梅ちゃん、こないだは。へえ、おみやげ。どうもいそがしくってね。」バンド附外套のふくれたのが障子いっぱいに立ちふさがったかと思うと、もう炬燵のそばにむずとあぐらをかいたのに、「いや、雲を起してあらわれやがったな。」と仙吉は気圧《けお》されぎみで、「まあ、そのいきおいで一杯。今噂をしてたところだ。」とさす猪《ちょ》口《こ》をやあと受ける相手の顔を見て、「なんだ、底がはいってるのか。どうりで。」「うん、すこし店を早く出過ぎたもんだからちょっと道草を食ってね。」「おいおい、われわれを待たしといて飲んでるやつはないだろう。」「いや、揚《あげ》場《ば》町に寄って来たんだ。」「揚場に。」「ああ、お師匠さんのとこヘ。」「あら、伯母《おば》のとこヘ。」「ええ、こないだこちらの帰りに仙さんといっしょに伺いましてね、もうお眼見得がすんでるんです。そのせつ御馳《ごち》走《そう》になったもんですから、ちょっとお礼に。」「まあ、わざわざ。」「ところがあべこべに一杯。お弟子《でし》さんに貰《もら》ったのがあるってんで。ついでに抜目なく御入門を願って、うろ覚えのあやしげなやつを浚《さら》っていただきましたよ。」「でも、伯母は風邪《かぜ》けだとか申してましたけど。」「ええ、若いほうのお師匠さんにね。」「あ、妙《たえ》ちゃんに。」「すなわちお妙さんの三味線で、骨になるともなんのそのというやつを一くさり。」わたしは何とも口の出しようはなかったが、仙吉は露骨にいやな顔をして吐き出すように、「達者だなあ。」しかし斜に向いてしゃべっている銀二郎は気がつきもせず、「ぼくはこれでもね、梅ちゃん、下地があるんだから大したもんでしょう。むかし学校時代に仙さんといっしょにはじめたんです。ところがぼくは中途でやめる、仙さんは修業を積んでついに今日の大を成したという次第。この男も(と仙吉をさして)質屋の若檀那にしちゃ出来過ぎたもんです。前垂《まえだれ》を取ると卯太夫さんのお師匠さんで、しかも当時は漂泊の詩人黒木喬の親友なんざ……」「漂泊とはなんだ、ぼくも目黒にれっきとした……」「いや、これは失言。ときにどうだ、ちかごろそのお住居のほうは。」わたしがこの質問をさりげなくそらそうとしたとき、おりよく仙吉が、「おい、銀さん、店がいそがしいもあんまりあてにゃならねえな。また清元をはじめるんじゃ、鑵詰のほうはどうなるんだ。」「なに、はじめるったって、ひまを見てときどき浚ってもらうぐらいのところさ。鑵詰は本業だ。目下宣伝に努めてる。」「なにかい、宣伝は夜中でもやるのかい。」「え。」「かくしたってだめだよ。ちゃんとねたが上ってるんだ。当時どちらの方面です。どうして大森へお帰りにならねえんだ。」「そ、そんなこたない。もっとも店が遅くなったときにゃ、おやじのうちに泊るが。」「うそをつけ。」
八丁堀の店の裏が薩摩屋の住居になっていたが、銀二郎は以前からそこにはいず、画描きになると称してアパートにはいっていた。ボートも漕《こ》ぐセロも弾《ひ》く唄の一つもという器用なたちで、中でも画は一番身を入れただけに多少恰好《かっこう》がつき、げんに先年わたしがはじめて逢ったときもひとが画学生として紹介したくらいで、今の大森の部屋にも絵具箱カンヴァスの類が取そろえてはあるものの、それは表向の口実、ありようは両親に知られたくない女と同棲《どうせい》しようとの魂胆で、ちかごろいっしょにいるのは京橋のLダンスホールに勤めているミドリと呼ぶちぢれ毛の小柄な娘であった。これはもと神戸の某ホールにいたのを去年義兄の店へ視察に行った銀二郎がふとした縁でつれて来たという当人のはなしであるが、わたしはしばらくミドリに逢う機会もなく、二人の仲がその後どうなっているか全然判らず、銀二郎がアパートをあけているということさえ今朝《けさ》の電話で知った始末で、仙吉にしても何も知っているはずはない。しかし、ここにカマをかけられた銀二郎はあわてぎみで、「常談いっちゃいけねえ。ここんとこ、ひどく堅いんだ。ところで、あんまり遅くならないうちに引揚としようか、喬さん。」「うん。」茹《ゆ》だりかけていたわたしがさっそく腰を浮かすと、またも仙吉が、「じゃいっしょに出よう。まだ十二時《おじかん》にゃちょっと間がある。どっかへ行ってみようじゃないか。」夕方四谷の本宅にわたしが訪れたのをいいしおに、ついそこまでと丹前の上に外套を引っかけて飛び出した仙吉なのだが、おなじ恰好とはいいながらわたしとちがって洒落《しゃれ》者《もの》の芸人がそのままの姿でカフエなどへ押し出そうとは思われず、よし出かけたにせよ細君のやかましい身がまたこの隠れ家にもどって泊るわけにも行くまいし、それに時間もないことなので、銀二郎とても相手の口先を真《ま》に受けるはずはなく、「なに、そいつはまたにしようじゃないか。まあゆっくりしてったらいいだろう。われわれと附きあってたらきりのねえはなしだ。じゃ、おやすみ、梅ちゃん、おっかさん。」もう靴をはいている銀二郎の後からわたしが立つと、上り口まで出て来た仙吉が、「じゃ喬さん、今夜は失礼。これからどうか遠慮なく。なに、ぼくがいなくったってかまわねえ。帰りが遅くなったときにゃ、叩《たた》き起して泊ってったらいいだろう。ああ、いいとも、女ふたりでさびしがってるんだから。」
外へ出ると急にむっつりした銀二郎が、それでも靴の歩調をわたしの足に合せながら一町ばかり黙ったままであったが、突然にがにがしそうに、「ふん、仙公あれがいつまでつづくか。今度のやつをいつもの伝で抛《ほう》り出しちゃ、ほんとにかわいそうだぜ。あいつ、癖がよくねえからな。」「どうした。ひどく公憤を発してるじゃないか。」「なあに……ところで、これからちょっと附合わねえか。」「附合うって、どこへ行くんだ。」「まあ、いいだろう。いっしょに来てくれ。」そういいながら、銀二郎はもう手をあげて通りかかったタクシイを呼びとめていた。
ここまで書いて来たとき、わたしはびくりとしてペンを擱《お》いた。もともと小説家めかしてこんなふうに書き出すとは柄にもないことといわれるまでもなく、かかる卑俗な断片を拾いあつめ綴《つづ》り合せて一篇の物語を作ることがそもそもわたしの文学する所以《ゆえん》にかなうのであるかと、いつか高慢な料簡《りょうけん》が頭をもたげて来たのであるが、しかし実のところわたしは著《き》物《もの》の柄など例えばちらりと見えた長襦袢《ながじゅばん》の模様は何何と仔《し》細《さい》に記《しる》してみたいという妙な病があって、今も口はばったいことをいうそばから梅子の著附をくわしく書いておいたほうがと一ぱし作者きどりの思案投首のていでいるほどなのだから、ここにペンを擱いたのは右の思い上りのせいではなく、ちょうど隣の部屋のあたりにかたりと物音がしたからで、それとても箸《はし》が倒れたぐらいのことに過ぎないのに、いったいそんなことになぜ愕然《がくぜん》と胆をひやすかといえば、つまりこの日ごろわたしはある男につけ狙《ねら》われて絶えず生命をおびやかされているためにほかならぬ。
ここは目黒もずっと奥のほう、省線からかなり離れた杉林の隅《すみ》にある一軒建の家で、わたしはその庭に面した六畳一間を借りて、殺風景な独《ひと》りぐらしをしている。わたしのいのちを狙う相手というのはいつもこの家に出入をするわかものの一人で、それは新宿界隈《かいわい》に巣くう鉄砲政と呼ばれた無頼漢であった。こちらの身には政の怨《うらみ》を買うおぼえさらになく、何とも迷惑の至りであったが、政は政なりにどこに柄《え》をすげているのか多少思い当るふしがないではなかった。そもそもわたしがここに居を定めてから二年以上になるのだが、収入の宛《あて》もない身のこととて部屋代は滞る一方、最近十カ月あまりというもの不義理を重ねているにも係らず、この家の主人夫婦、五十がらみの柔和な人柄の夫も細君も、ついぞいやな顔一つして見せるでなく、それどころか朔《つい》日《たち》十五日には小豆《あずき》飯《めし》、彼岸には牡丹《ぼた》餅《もち》、正月は雑煮に添えて二合徳利を一本、万事行届き過ぎるほどの厚遇ぶりであった。そういうとき給仕に出てくるのは十八になるこの家の娘の美代で、美代はそのほかにも日常わたしの身のまわりのことまで気をつけていてくれるのだが、それが思いもよらず鉄砲政から白眼で睨《にら》まれる始末となり、どうやらこの娘とわたしとのうえに途方もない疑惑がかかっているらしい。美代は数日前急に母親の実家のある埼玉へ泊りにやられたが、これは事態を案じた主人夫婦のはからいと察せられ、おかげでわたしもほっと一安心と思いのほか政の狂暴はなおつのるばかり、げんに美代のいなくなった日など政は深夜酒気をおびてあらわれ、向うの部屋でののしる声が眠りかけたわたしの耳をおどろかしたくらいである。夫婦のとめるけはいにまじって、「みい坊はどこへかくした。ふん、野郎の指金《さしがね》だな。」とか「野郎生かしちゃおかねえ。おれが殺《や》るといったらきっと殺《や》って見せるんだ。」とか、ただならぬわめきが聞えて来るたびにわたしは今にも襲撃を受けるかとびくびくしながら、あわててはかえって危険のような気がして蒲《ふ》団《とん》の中にかたくちぢまっていたものだ。さいわいそのおりは事なくすんだが、今後いつ危害をこうむるかも知れず、非力のわたしが鉄砲とも渾名《あだな》される相手に対抗しうる自信はさらにないので、爾《じ》来《らい》夜寝るときも用心おこたりなく、机、古本、がらくた道具など障碍物《しょうがいぶつ》を合の襖《ふすま》のきわに堆《うずたか》く積み上げ、縁側の雨戸を一枚釘《くぎ》をささず、都合よく閾《しきい》の腐ったところを押せばすぐ倒れるようにしかけておき、いざという場合の逃支度をととのえた。かかる仕儀なればこそ今もわたしはかすかな物音にさえびくりとしてペンを擱《お》いたわけであるが、ところでいったいこの家の主人夫婦が温厚な気立にも係らず、どうして政のごとき無頼と交渉をもっているかというに、じつは主人みずからも政と同業の博《ばく》徒《と》にほかならず、このあたり一帯の地に拠《よ》った親分であるためで、またそれゆえに部屋代も納めぬ書生の放埒《ほうらつ》を許しておく豪侠《ごうきょう》の美風をここに見ることができる。元来主人はときどき集会を催す職業上の必要から町を離れた地点に在る相当広いこの家を借り受け、ふだん全部は使わない部屋をぼんやり空《あ》けておくよりも堅気の勤め人にでも又貸《またがし》したほうが世《せ》間態《けんてい》がよかろうと考えたらしく、貸間札を見てはいったものはほかにも三四人いたのだが、家のからくりが判るにつれて一人減り二人減り、最後まで居残ったのはわたし独りという今日の状況となっては、もはや世間態も何もなく、こちらの身としては生来の無精の癖とか金銭の引っかかりとか、ともかく現在では家の者同様うごこうにもうごけぬ羽目におちて、政の脅迫にも係らず住みなれた居ごこちのよさに、わたしは昨夜をともに明かした銀二郎と先刻別れると、やはりここに立ちもどり、こうして仔《し》細《さい》らしくものなど書いている有様である。
こういえばここに来て二年あまりずっとものをかきつづけているかのようであるが、じつはペンを取り上げたのは二年以来きょうがはじめてなので、今までは金もないのに昼も夜もあおむけに寝ころんで、うつらうつらと天井の雨染《あまじみ》を見つめているほか何一つしでかしたことはない。もっとも冬の夜ふけ、向うの部屋に開かれる主人の会合の席から陰陰として一条の殺気が立ちのぼり、それがぴりりと襖《ふすま》を透してこちらのはらわたに沁《し》みわたるときなどは、さすがに寝ぼけまなこをこすりながら蟷螂《かまきり》のように肩をいからせはするものの、そんな遠当《とおあて》の気合ぐらいでは、わたしのひそかに定めたいと念ずる座標は狸《たぬき》の化けた三尊来迎《さんぞんらいごう》を見るごとくおいそれと姿をあらわしてくれない。いや、うっかり座標を定めるなどと口走ったが、実状はまだそこにも至らず、つまりわれとわが所在の図を描くにはまず急所の点を見《み》極《きわ》めてから取りかかるべきか、それとも端からそくそく線を引いて行くうちに要《かなめ》の位置に探り当るものか、かいくれ知れぬ闇《やみ》路《じ》にたたずんで、わたしは塩垂衣《しおたれごろも》の袖《そで》を夜露に沾《うる》おしている旅人なのだ。かりに端からそくそくといってみたにせよ、頭も尾もない海鼠《なまこ》をつかもうとするのではどこが端やら奥やら見当がつかぬはずではあろうが、一口にそうかたづけて小鼻をうごめかす利口づらを前に突き出されたのでは、今ここにペンを取り上げたわたしとして我慢がならず、よし、さらば、何はともあれ端からそくそくと……気はあせっても、幾年か雲のまにまにただよっているばかりの身であれば、いきおい手当りに昨夜のはなしのつづきでも書くよりほかペンのうごかしようもなく、それは気まぐれな風がたまたまわたしの手もとに吹き寄せた葭《よし》の一ひらでしかないのだが、さてその葭の髄から今度はどんな天井の雨染《あまじみ》をのぞかせられることであろうか、今やわたしは盲滅法、書け書けとせっつく小鬼に逐《お》い立てられながら、ふたたびかの銀二郎と同乗したタクシイの中に逆もどりして濛濛《もうもう》と塵《ちり》のあがる浮世の巷《ちまた》を、そのはての安住の地はいずこやら、縦横に駆けめぐろうとする。
タクシイを乗りつけたさきのある場所でわれわれは一夜を明かしたのだが、そのとき銀二郎のしたはなしは梅子のこと、梅子の伯母にあたる牛込《うしごめ》揚場町の師匠清元延《きよもとのぶ》津賀《つが》一家のことに係っていた。銀二郎はそれを延津賀や仙吉《せんきち》から聞いたものに尾《お》鰭《ひれ》を附けてわたしに伝え、わたしはまたそのおおむねをここに記《しる》しつつ、併《あわ》せて仙吉の素姓にもふれておこうと思う。
つまりは小市民の、お定まりの没落過程をたどった身の上ばなしで、これを渾然《こんぜん》たる小説的構成に盛り上げるならばいざ知らず、ただの噂《うわさ》の聞書では畢竟《ひっきょう》千篇一律の貧棒《びんぼう》ばなしに堕するわけだが、当人はさのみ貧棒を苦にせず、これも身に附いた芸のうちか、ともかくしゃんと張を見せて小綺《こぎ》麗《れい》に住みなしたのが清元延津賀の女世帯であった。しかしいったい張を見せるとは何のことであろう。若作りの延津賀とはいえ、それはもう五十の老《おい》を告げる顔の皺《しわ》にぴかぴか鏝《こて》をあてて見せるようなもので、染めかえしの色あざやかながらひょっと雨にでも逢えばぺちゃぺちゃと噛《か》んだ紙のように縮んでしまうのではないかと、あぶなげなその感じが一面には生活にあやしい美しさを添えてもいた。心づかいのこまかさは拭《ふ》きこんだ長火鉢のつやにも出て、その向うに湯上りの頬《ほお》を光らせているときなどは楽隠居のごとくであるが、それがこの女師匠の精いっぱいに気負った恰好《かっこう》なので、色白の額に浮いた軽い膩《あぶら》が荒くなりがちの息づかいを裏ぎっている。色の白いのは東北生れの一族の特徴であろう。
延津賀の父親は寒国の海に臨んだある町の漁業家であったが、早く妻をうしない事業も思わしく行かないのでついに家の整理をすることになり、それでも剰《あま》しえたすくなからぬ額の財産をもって二人の子供すなわち延津賀とその兄とをつれて東京へ出て日本橋に居をかまえ、かねて野心のあった相場に手を出しはじめた。それは兄妹が十九と十二のときというからもう昔噺《むかしばなし》で、爾《じ》来《らい》延津賀は下町の商家の娘のようにそだてられ芸事なども一流の師匠についたものであった。父親の相場もすぐに失敗したわけではなく、それどころか一時はめざましい当り方で遊蕩《ゆうとう》にも荒い金が撒《ま》き散らされたとはいえ、遊蕩だけでつぶれる身代はめったにない通り、後年没落の憂目を見たのは畢竟《ひっきょう》相場ゆえであろうが、父親みずからはその苦杯を嘗《な》める間もなく、おそらく大酒のせいかある日脳溢血《のういっけつ》であっけなく死んでしまった。そのころ二人の遺子のうち、兄のほうはとうに三十を越していて、古くからはなしのあった郷里の酒問屋の娘と結婚しすでに女の子を一人もうけていたのだが、この息子の一生がまた父親そのままで、つまり相場をし遊蕩をし酒を飲み、そして父親の没後一年とたたないのにある日脳溢血でぽっくり逝《い》ってしまった。このとき延津賀は二十九で、二十一の年にいっしょになった会社員の夫があったが、さてこの夫が間もなくこれまた若死で、流行性感冒をこじらしたのが元という。まことに人間がばたばた死に出すときりのないもので、その代り後に残って溜息《ためいき》をつく役にまわされたものは此《この》世《よ》の重荷を倍増しに背負わされでもしたかのように、これは因果にもあえぎながら老年の枷《かせ》を引きずらなければならぬ定めのごとくである。父兄からも夫からもまとまったものは何一つ遺《のこ》されず、一人立になった延津賀は習いおぼえた遊芸を売物にするほか道はなく、そのうえ抱《かか》えこむ羽目になった兄の遺族というのが梅子親子で、それは梅子の母親の実家がおなじく悲運に際会したからだといってしまえば簡単であるが、ここにちょっとした挿《そう》話《わ》がある。
「ところで、揚場のおばちゃんには子がないし、田舎の酒屋は没落とはいっても家《うち》はちゃんと残ってるんだから、梅公におばちゃんの跡を継がせればいいわけだが、また以前そんなはなしもあったそうだがね、今日になってそれがそういかないというのは、ここに妙ちゃんというものがあらわれたんだ。それについては一場の人情噺《ばなし》、すなわち延津賀師匠のローマンスというやつがあるんだ。」もう一昔前、延津賀がまだ浅草瓦《かわら》町に稽《けい》古《こ》所《じょ》を開いていた時分通って来る弟子の中に一人の請負師があった。それは四十がらみの妻子のある男というよりほか今は何を知るよしもなく、延津賀とのあいだにどんな交渉が生じたのやらローマンスなどと唱える銀二郎にしても委細の消息に通じているはずはないのであるから、ここにくわしく記しがたいが、まず市《し》井《せい》の一隅に咲いた恋物語を想像しておけばよい。ところでその請負師がどんな事情か一家をあげて朝鮮へ移住することとなり、その際末の娘の当時七歳になるのを子のない延津賀の養女として残したのがすなわち妙子で、そのころはまだ梅子の母親はささやかにしろ実家から仕送りを受けていて親子二人のくらしにどうやら事を欠かなかったのみならず、当の梅子が芸事はあまり好かないたちなので、清元師匠の看板を一生あげ通す料簡をきめた延津賀としては梅子と同年の子供ながら三《しゃ》味《み》線《せん》の筋のよい妙子を後継に選んだわけであろう。もっともとくにこの娘を貰《もら》うについては古風な恋の感傷がからんでいたのでもあろうが、ともかくこれで延津賀の生活は一応恰好がついたことになり、どこから横槍《よこやり》の出るおそれもなく、もし震災というものがなかったとしたらば今日の内《うち》輪《わ》揉《もめ》をひきおこさずにすんだかも知れぬ。近所に住んでいた梅子親子もろとも焼け出されの延津賀にとって、復興といっても元来財産もない女の痩腕《やせうで》の、容易なわざでない上に、つづいて例の国もとの酒問屋が以前から不況のところへ東京の貸方総だおれのためにあがきがつかず、仕送りも絶えてしまったので、地震以来しぜん同居のかたちとなった親子を逐《お》い出すわけにはゆかず、結局女ばかり四人、わずかな弟子たちの手《て》蔓《づる》にすがってやっとおちついた今の揚場町の家にかたまり合うほかない仕儀に立ち至ったのだが、その生活の苦労に添って胸につかえるのは梅子の将来のことである。こうなればとて今さら妙子を実父の手にもどすなどとはできない相談であるばかりか、生来気の勝った妙子はここに競争者としてあらわれた梅子に一歩もゆずろうとはせず、それにおそらく容貌《ようぼう》の点に於《おい》て相手に及ばないことを自覚したのであろうか、爪をたてて武者ぶりつくような懸命の力を指先にこめて頼むところはこの一筋と掻《か》きならす三味線のひびきは凄《すさ》まじいほどであったが、その修業ぶりこそ芸のできない梅子の身にとっては面当《つらあて》の撥音《ばちおと》としか思われず、たとえ修業の実が結んだところでたかが町の女師匠ではないか、こちらが堅気ならば何のひけめがあろうと胸にぎゅっと畳紙《たとう》を抱きしめて、梅子は梅子で仕立屋のもとへ毎日裁縫の稽古に通った。双方が年ごろになるにつれてこのすれすれはつのる一方、妙子は延津賀の代稽古で梅子は近所の仕立物でえた金をそれぞれ帯揚から手繰《たぐ》り出して襟巻《えりまき》一つ買うにも睨《にら》みあいの有様にはどうしようもなく、延津賀と梅子の母親とはそばではらはらするばかりのさいちゅうに、ちょうどあらわれたのが卯太夫こと仙吉であった。
「そもそも仙公が揚場へ出張というのは小遣《こづかい》かせぎの窮策さ。おやじからのお当てがいはきまっているし、ときどきおふくろをしぼるぐらいじゃ足りっこないし、そこで同門の延津賀師匠の稽古所を利用しようってことになったんだ。もっともこれが両為《りょうだめ》というのは、揚場のおばちゃんがどう踏んばっても横町のお師匠さんだ、弟子といったところで三日にあげず茶を飲みにあつまってそれで月月出すものはまあ十円どまり。そこへ行けば当時売出しの卯太夫、それがスケにはいるとなれば揚場にも箔《はく》がつくわけさ。仙公は唄のほうだから三味線は妙ちゃんが受持って特別教授というやつだ。一週二回のこれが一人あたまいくら取るか、十人とまとまればこいつばかになるまいが、そうは行きそうもない。三人もあったらめっけもので、わるくすると一人もないんじゃないかと思うね。しかし、仙公も質屋の息子でおまけに芸人と来てるから銭勘定はひどくこまかい。わずかでも稼《かせ》ぐ料簡になったのは感心と、このところ一応感心してやるというのはやつのはなしをそっくり真《ま》に受けてのことだ。そのじつお目当はどうもほかにあったらしい。揚場の弟子を相手じゃ稼ぎが稼ぎにならねえのは初めっから判ってるこったからね。」
四谷の区会議員河本仙兵衛、商売は塩町に佐野屋の暖《の》簾《れん》をかけた店の仙吉は一人息子で、本家とは別に近所の家作の一軒を住居として「清元卯太夫」の標札を掲げ、弟子はうるさがって取らないまでもこれが芸人になりきったについては家庭のそだちがらに因《よ》るところが多い。河本の先代は聞えた通り者で、ある芝居茶屋の娘を妻に入れて子供は女の子が一人、その家附の娘に堅人のはたらきものと見こんで娶《めあ》わせたのが店の番頭あがりの仙兵衛なのだ。仙吉は夫の没後つい先年まで生き残っていた祖母の手にそだてられ、中学生の身で清元を習いはじめたときにも仙兵衛の反対を押し切って「何かい、仙坊に遊芸を習わしちゃいけないってえのかい。かわいそうに、いい若い者が唄の一つぐらいうたえなくってどうするんだい。いいえ、おまえさんにゃ頼みません。あたしが習わせます。仙坊のことはあたしが見てやります。」と煙草の輪を吹く女隠居の秘蔵子であってみれば後年の放蕩《ほうとう》もあたりまえで、そのうえ母親というのがまたお浚《さら》えなどで息子に挨拶をする芸者を見かけると、「え、仙ちゃん、あれかい、ちかごろおまえさんの逢ってるってえ妓《こ》は。あ、そうかい。」なのだから一そう狂い出すばかり、前身さる土地の芸者であった細君の辰子ばかりを守っていられるわけもなく、こうして今日の卯太夫が出来上ってしまったのであるが、大体この清元とても芸道精進の志に出たのではないらしく、おそらく芸人の名に藉《か》りて色かせぎを逞《たくま》しくしようとの魂胆に因ったものであろう。したがって今、「あいつが揚場の二人娘を見逃しておくはずはない。なあに、どっちかに惚《ほ》れるなんて、そんな殊勝なやつじゃないよ。どっちでもいいのさ。ちょっとためそうという太《ふて》え料簡さ。妙ちゃんのほうは芸ができるだけにつんとすましたところがあって取っつきにくいから、おとなしい梅公のほうが落ちやすかったというまでだろう。稽古はつけたりの、じつは初《しょ》手《て》からそのつもりなのさ。」というのもまんざら邪推ではなさそうなのだが、わたしとしてはめずらしからぬ仙吉の情事にあきれるよりも、先刻からの銀二郎の長ばなしに茫然《ぼうぜん》となって「いや、おそれいった。わずかのひまによくそこまでお調べが届いたもんだ。おまけに人心の機微にふれた明察は、ただの鑵詰屋た思われねえ。」「だがね、この揚場のおばちゃんてえものがまたとてもよく出来た人で、たとえ日陰の身にしろ一生仙さんがあれの面倒を見て下さるならと、つながる縁の友だちとあって、よろしくお願いされたにゃおどろいたね。一生どころか、こいつ半年もどうだか。とんだ罪作りなはなしさ。だが仙公というやつ、そんなことはけろりとしたやつだからな。商売人とちがって、先方は……」「おい、銀さん。銀さんの御婦人に対する同情てえやつもやっぱり眉唾物《まゆつばもの》じゃないのか。卯太夫同様おおきに下心があるのかも知れねえ。」「ふざけるな。何も牛込あたりを漁《あさ》らなくっても女の一人や二人。」「なるほど、そんなに引手あまたじゃ大森をあけるのも……」「いや」と銀二郎はかすかに眉《まゆ》をくもらせて、「ひとの女のはなしばかりしていたってはじまらねえ。もうお時間過ぎだ。お誂《あつら》えむきのやつでも呼ぼうか。まあ干してくれ、酒もまだある。」
ここでわたしのペンが渋滞したとしても、あながち無理ではない。というのはその後数日わたしは銀二郎にも仙吉にも逢わず、つまり前述のはなしの推移についてはまったく縁がとぎれて、目黒の部屋に寝ころんだままでいるからだ。アナトール・フランスにとって書くことは罰課であったそうだが、こうして独《ひと》りになると、これも多年のなまけ癖か、まず寝ているあいだは書かずにすむのだと元の杢《もく》阿弥《あみ》の浮雲にただよう身となってうつらうつらしかける始末である。それも一つにはさしあたり鉄砲政に襲われる危険なしと見た気のゆるみのためで、美代がまだ埼玉から帰って来ないのみならず、ここの主人がずっと家をあけている様子ではどこやらで賭場《とば》がさかっているに相違なく、政も稼業《かぎょう》の繁昌《はんじょう》に取りまぎれているはずで、おかげでその間わたしは休暇をもらった勤め人のようなものだ。だがいったいわが勤めとは何であるかと考える料簡がおこらないのは、つまりものを書くなどという執拗《しつよう》ないのち取りの仕事に著手《ちゃくしゅ》した当人の口から休暇の安息のといい出すほどわたしがうつけ者である証拠であろうが、ともかく今昼近くまで雨戸もあけず床に寝そべっているわたしの眼前に徂《そ》徠《らい》するのはわが身のことでもなく銀二郎たちのことでもなく、不思議にも親しみある鉄砲政の顔にほかならず、あの狂暴をもってしてしおらしくも美代を慕っている心根を察するとむしろ肩を叩《たた》いてなぐさめてやりたいおもいで、おのずから微笑が浮んで来る。しかし、それほどなみなみならぬ執心に焦《や》かれる身とすれば、壺皿《つぼざら》を睨《にら》む眼力にも狂いが生じないとはいえず、出る目も出る目も勘のにぶりに負がこんで来た場合には、赫《かっ》と燃え立つ血潮とともに胸をかきみだすのは忘れがたい美代のこと、憎むべきわたしのこと……そうなってはもう微笑どころか、賭場のくされを後に蹴立《けた》ててまっしぐらにここへ駆けつける鉄砲政の凄まじい形相《ぎょうそう》がつい鼻先に迫るような気がして、わたしがひそかに戦慄《せんりつ》しかけたとき、庭のほうにかたりと音がした。すぐ跳《は》ね起きそうになるのをじっとこらえて、先日のためしもあり、こうして狼狽《ろうばい》する癖をつけてしまったのではいよいよ政があらわれた際に逃げるすべをうしなうではないかと寝たままでいると、今度はがたがたとまさしく縁側の雨戸に物の当るけはいであった。今わたしは床の上に腰を浮かせながらその場に釘づけのかたちになったというのは、これまで独りぎめの想像に敵が隣室から来襲するものとのみ考え、相変らず堺《さかい》の襖《ふすま》ぎわにはがらくたの砦《とりで》を築いておいたのだが、庭手は万一のときの逃口と何の防ぎもしておかなかったためで、揣《はか》らずもこちらの虚をつかれ雨戸が鳴り出したとなると、さてどこへ逃げたらばよいのか、よし、仕方がない、手あたりに物を投げつけ相手のひるむ寸分のすきに背後の襖にからだをぶつけてと、枕もとの薬《や》鑵《かん》をつかんで立ち上りかけたとたん、たれとも知れぬ女の声で、「ごめん下さい。」つづいて、建附のわるい雨戸が軋《きし》ってぱっとさしこむ日の光の中で、外套《がいとう》の赤紫の色がけむるかと見えたのに、わたしは手にした薬鑵を置くことも忘れて眼をみはるばかりであった。
「ごめん下さい、あたし。」「あ、ミドリさんか。」「おやすみでしたの、失礼。表から何度もお呼びしたんですけど、どなたもいらっしゃらないようなんで。」「それはうっかりしてた。細君、買物にでも出かけたんでしょう。まあこっちへ。」といったところで坐る場所もない狭さに縁側へ座蒲《ざぶ》団《とん》を突き出しながら、「よく判りましたね。」「でも、前に一度……」「そう、そう……」銀さんといっしょにと出かかるのを、事ありげな様子と見てとってぐっと呑みこみ、「ひとり。」「ええ。」「何か御用。」「ええ。」
突然の訪問であるうえに縁側でもじもじしている相手をどう扱いようもなく、こちらもことばの接《つぎ》穂《ほ》がないままでいると、急に断髪の頭をさっと後へそらして「あの」と切り出した調子はもうきっぱりしたものであった。「あの、あたし銀さんと別れようと思うの。」黙ってつぎのことばを待っていると、やや蒼《あお》ざめた唇《くちびる》を噛《か》みしめながらじっとあらぬ方を見つめていたミドリはいきなりハンカチーフを取り出して顔にあてたかと思うとしくしく泣きはじめたのに、これはめんどうになって来たといささか辟易《へきえき》しながらも、「どうしたの。まあ、おちついて。水でももって来ようか。」と立ちかけると、「いいんです、すみません。もういいの。」とふり向いたミドリは涙の痕《あと》もないけろりとした顔つきなのに今度はこちらが力負けのていで、「なんだい、痴話《ちわ》喧《げん》嘩《か》の飛ばっちりか。」「そんなんじゃないのよ。あたし、今のままじゃとてもしんぼうしてられないから、きっぱりかたをつけたいと思うの。でもこんなはなし、御迷惑。」「もちろん大した迷惑さ。だが銀二郎不実のかずかずは追って当人によくいい聞かせることにするから、まあ穏便に願いたいな。」「いいえ、そうじゃないの。あたし銀さんに何もいうことないの。いろいろ親切にしてもらってすまないと思ってるくらい。」「じゃ、どうして……」
またもミドリはうつむいてしばらく口ごもっていたが、やがてぽつぽつ語り出したところはまず神戸時代のはなしで、京都の某映画会社にカメラの助手を勤めていたある青年と以前同棲《どうせい》していたのだが男の実家の事情から一時別居してホール稼《かせ》ぎをしているうちにふと銀二郎との関係が生じたこと、ところで最近その青年が他社に転じて東京へ出て来たのでLダンスホールで再会したのをきっかけについ銀二郎の眼を忍んで逢うようになったこと……はなしはなお綿綿として尽きないのだが、情事のもつれなどにあまり興味のもてないわたしはいつか耳のほうがお留守になり、メズサの首のようにもじゃもじゃしているミドリの髪の毛、じつは内証でモジャ子と渾名《あだな》をつけていたその縮れ毛が日を受けてきらきらと輝くのをぼんやり眺《なが》めながら、よくまあこう丹念に縮れたものだ、鏝《こて》細工ばかりではなさそうだし、これが生れつきなのであろうかと気を取られていると、相手は急に顔をあげて、「どうでしょう、それお願いできない。」「え。」とまごつきながら、「というと、つまり……」「御迷惑でも銀さんに……」「はなしをしてくれってえのかい。でもぼくから何とも口の出しようがないじゃないか。」「いいえ、簡単でいいのよ。ただ早くきまりをつけたいってことそういっといて下さればいいの。あたし今鶴見にいるんだけど……」「そのひとのところだね。で、銀さん、なんていってる。」「ずっと逢わないの。」「でもホールのほうへは。」「一二度電話をかけてくれたそうですけど、ええ、あたしが大森を飛び出した当座に。ちょうどそのとき休んでたもんだから、それっきり。ホールヘは今でもやっぱり出てるのよ。」「その後なんともいって来ない。」「ええ。」「けしからん……だが、きみとしちゃ結局それでいいんじゃないか。つまり銀さんに現状をみとめさせて、大森解消ということに。」「ええ。」「荷物なんかは。」「置いたままなの。」「大森にね。それは取りに行けばいいさ。まさか荷物にこだわる銀二郎でもないだろう。」「ええ。」今はことばすくなになったミドリを前にして、このうえは早くはなしを切り上げてしまおうと、「要するにぼくは形式上の使者を勤めればいいんだね。もっとも、こんな役は軽いほうが助かるが。仕方がない、まあそのくらいのことならやってあげてもいい。大体銀公にもよろしくないところがある。せいぜい因縁をつけて手切金でもしぼるか。ここはきみの腕の見せどころだ。」「ひどいわ。あたし、そんなこと。ひどいわ。」
一きわ調子を張り上げてミドリはまたもハンカチーフで顔を掩《おお》ったが、じつはそのへんがはなしの眼目ではなかったか。そこには涙の代りにどんな表情がかくされていたことであろう。しかし、元来軽くさばくつもりのこちらからこんな常談をいい出すとは真顔で相談を買って出たようなものではないか、外套こそどうやら恰好がついているにしろ飛泥《はね》のあがった靴の踵《かかと》の減りぐあいを見ただけでもハンドバッグの中身まで見透かせようはずなのにと思うと、わたしはあざとい罠《わな》にうっかり足をさらわれたごとくうごきの取れぬにがにがしさでいっぱいになり、今は口もとの皺《しわ》もすっぱく黙りこむばかり、これがわたしの一つおぼえの無言の行であってみればミドリもさすがに取りつく島のない有様で、意味のない挨拶とともに「よろしく」といいおいて帰って行ったが、さてわたしとしては愚かしくも手切金の掛合を引受けてしまったも同然のていで、時機おくれの聞かざるいわざるの猿《さる》真似《まね》が何の役に立つものかと、こうしてのっそり縁側に坐っている自分がわれながらばからしくなり、これはやっかいなことをしてしまったと寝床の上にあおむけになったおりしも「速達」という声に出て見るとわたし宛《あて》のはがきで、これでなおさらせわしない思いになったのは、「拝啓御清閑を乱して恐縮ながら一寸《ちょっと》お耳に入れたき儀有之《これあり》今夕塩町拙宅までお運び願えませんか――と枕をふっておいて実は一杯飲もうと云うわけさ。但《ただし》話のあるのは本当なり。では後刻御光来御待申上候《もうしあげそうろう》。卯太《うた》」とある呼出状であった。
「主人はただいま調べものをしておりますので、失礼でございますがちょっとこちらでお待ち下さいまし。」
表がまえは粋《いき》好みの格《こう》子戸《しど》だが、上ってすぐの応接間は洋室まがいの造りで、ラジオ事務机本箱などごたごたならんだ中に諸国の牛の玩《がん》具《ぐ》が大小二三十飾り立ててあるのは仙吉の蒐集《しゅうしゅう》であろうか、しかしこれといってめぼしい品は一つもなく、椅子テイブルの類も百貨店のセットをそのまま移したみてくれだけのもので、そこでの辰子の切口上は芸人の女房よりも小官吏の細君というかたちであった。おそらくこれは辰子がみずからしつけようと努める上品な姿態のつもりか、かつて仙吉の父親の噂《うわさ》をしながら、「なにしろ父が区会に出ておりますので」と区会議員が高位高官でもあるかのような調子で人形ぶりの口もとに小さい金地の扇をあてて見せたほどなのだ。だが、たとえ愚かな女にしろ、その愚かさのゆえのみではなかなか侮りがたく、芸者そだちのせいもあろうか人事の葛藤《かっとう》金銭の駈引《かけひき》にはおそるべき勘のするどさがあり、ことに好色の夫の身については容易ならぬ気のつかいようで、仙吉に近づくたれでもを一応は疑惑警戒の眼をもって迎えるのが習性となり、今もわたしはその手で扱われているわけだが、かりにわたしの志が高山流水に在るにもせよ、いやしくも世俗の塵《ちり》にまみれてものを書こうと肚《はら》を据えた以上これしきの応対に堪えられぬようでは到底文章の大事など思いもよらずと観念して、さりげなく挨拶を交《かわ》しながらここにすすめられた紅茶の碗《わん》を取りあげている次第である。
「仙さんも閉じこもりの調べものじゃ、まず家内安全ですね。」「なんですか、お陰さまでちかごろは……ときに今日はお手数をかけましておそれいります。」「え。」と聞き直そうとしたとたん、ただならぬ相手の眼の色に、「いえ、なに……」「あの、今度のはどちらの会社でございますんでしょう。」この不意打にはたじたじとなって、さては仙吉が例の病の、何かのだしに使われたなとはさとったが、どう受け応《こた》えようもなく、わたしはゆっくりたばこを取り出して火をつけながら様子をうかがっていると、「あの、吹込はいつごろになるんでございましょうか。」と声が上ずったのに、そうか、レコード会社のことだなと苦しくも当りをつけて、「なに、そりゃいろいろ都合もありましょうから。」といわせもあえず、辰子がつづけて二の矢を放とうとしたときばたばたと扉の外に足音が近づいて、「や、どうも、手紙を書きかけてたもんだから……」とはいって来た仙吉はさすがにこの場のけはいがぴんと応えたか、椅子にかけようとした腰をまた浮かせて、「辰子、著《き》物《もの》を出してくれ、すぐ出かけるんだ、ああ、これから喬さんに御紹介を願うところがあってね。え、なに、レコードのことさ。はなしてあるじゃないか。新作の踊の地を吹っこもうてんだ。その打合せがあるんだよ。早くしてくれ、お待たせしてるんだから……喬さん、ちょっと失礼。」ついと立ち上って行く辰子の後から仙吉も逃げるように出て行き、扉のかげでわたしのほうをふり向いてにやりと笑ってみせたが、ばたんと押したその扉の刎《は》ねかえった二三寸の隙《すき》間《ま》を洩《も》れて、すぐ向うの茶の間のはなし声はこちらへ筒抜であった。
「ヘんな顔をするなよ。せっかくああして……」「いいえ、黒木さんがどうのこうのたいっちゃいないよ。出かけたかったらどこへでも出かけるがいいさ。どうせまた遅いんだろ。毎晩二時三時にたたき起されるんじゃ、こっちがたまらないよ。」「そんなことをいったって、ここんとこ用がたまってる。今夜もレコードのあとで下浚《したさら》えのほうへ廻らなくちゃならない。」「ふん。」「おまえだって知ってるじゃないか。来月の五日、日本橋倶楽部《クラブ》で………」「五日の大和《やまと》会《かい》はいわれなくたって承知してるよ。素人《しろうと》衆が涼み芝居をしやしまいし、毎晩毎晩お稽古だ。」「だって、おまえ……」「いいよ、あたしにゃ御岳様《おんたけさま》が附いてるんだからね。どこへ行くか大概見当が……」
わたしは耳を掩《おお》って逃げ出したいきもちでじっと椅子の肘《ひじ》にかじりついていると、やがてぞろりと縫紋の羽織を著てあらわれた仙吉があたらしい薄鼠《うすねず》の帽子を手に振りながら、「やあ、お待ちどおさま。どうだい、喬さん、この帽子は。こないだ銀さんといっしょに銀座を散歩しておそろえで買ったんだがね、ふところがあやしかったんで、グリンのやすいやつさ。」と要もないおしゃべりをはじめたのはわたしへのてれかくしでもあろうが、だいぶ逆上ぎみの辰子に余計な口をきかせまいとする手でもあるらしく、この家の習慣で上り口に立って辰子がかちかちと打つ切火の音を後につい外へ出ると、車を拾って「神楽坂《かぐらざか》へ」であった。
「おもしろくねえ、安手にあつかやがって。それならそうと……」「いや、すまなかった、はなしをしているひまがねえのさ。よもやと思ってたのが、どうも感づきやがったらしいんだ。」「牛込の一件か。」「それさ。じつはこれからちょっと揚場へ顔を出さなきゃならないんだが、まだお引合せがすんでないから、よかったらいっしょに行こうじゃないか。向うへ行ってすぐ晩飯も気がきかねえ。いつもんとこで簡単に……」
タクシイをおりると坂裏の小料理屋へ、そこの片隅《かたすみ》で猪《ちょ》口《こ》を取りあげながら、「そのたね出しが銀公たひでえもんじゃないか。」「すっかりしゃべったのか。」「まさかね。こないだ留守に来て女房を相手に漫談を一席弁じてったそうだが、いくらなんでもあけすけにゃいわねえだろうさ。だが、揚場のお師匠さんなら知らねえ仲じゃなし、ちょっとヒントをあたえられりゃ、そこはうちのやつのことだ。御岳さんの、飯《い》綱《づな》の法など用いやがるからね。」わたしは前に一度塩町の家に酔い臥《ふ》して泊ったその明くる朝、辰子が神棚《かみだな》の下でこれも修《ず》法《ほう》の一つか、何やら大声にわめいて坐ったまま右に左にからだを揉《も》みねじる尋常ならぬていを見かけたことがあったが、今その光景を想いおこしながら、「だが、どうせ一度は知れるだろう。とすりゃ……」「そうさ。判ったら判ったで、こっちは居直りの手もあるんだ。いったいこの銀公というものが……」ここに仙吉が調子づいてしゃべり出したところは主として色道の好みに関することで、士人の耳に憚《はばか》りあるのみならず、わたし自身さっぱり解《げ》せぬふしが多いので仔《し》細《さい》に記すかぎりでないが、要するに、「どうも銀公とぼくとはお目当がかち合ってるらしいんだ。総じて小ぶりで手足のしなやかなという、どうもそういうことらしいんだ。その証拠には、たとえば一夜の契にしても、ぼくのあとはいつも困果と銀公に狙《ねら》われる始末さ。浅草のにしろ銀座のにしろ、今度のだってそうだ。いくらクラブ同様といったにしろ、ぼくよりは銀公のほうが足しげくお通いの有様よ。おとといの晩もちょっと寄って見ると、銀公が長火鉢の向うに坐りこみの、御持参の酒肴《しゅこう》で今宵は雨か……にゃこっちが顔まけさ。この分じゃ、まごまごしてると本宅まで乗っ取られるかも知れねえ。いや、とんだ友だちがあったもんだ。」常談まじりの誇張があるにもせよ、このあくど過ぎる仙吉の鬱憤《うっぷん》を前にして、わたしとしては黙って蟹《かに》でもむしるほかなかろうではないか。「じゃ、喬さん、酒はまた後のことにして、ちょっと揚場へ。」
その稽古所で、清元延津賀が稼業柄《かぎょうがら》ひとをそらさぬあしらいで、ちゃぶ台の上には早くも酒がはこばれる始末に、いつか酔の出たわたしが柱にもたれながら、それが妙子なのであろうか、二階で稽古中の三味線を聞いていると、「じゃお師匠さん、これだけお願い。」と十枚ばかりの切符を押しつけたらしい仙吉が、「喬さんも気が向いたら出て来ないか。まだちょっと間があるが。」「大和会かい。仙さん、今度は。」「保《やす》名《な》ということになってるんだ。」そこへ、稽古がすんだらしく、二階からおりて来た中年の商人風なのがちょっと茶の間をのぞきながら「これはお客様で。」とそのまま出て行こうとするのを、延津賀が、「いいんですよ。おはいんなさいな、まあ。ちっともかまわないんですから。」「いえ、またゆっくり。あ、卯太夫さん。これからあちらのお宅へまわりますけど、なに、羽織をお願いしてあるんで……」といいかけて口ごもったのはわたしのてまえ憚《はばか》ることであったのか、「何か御用はありませんか。」「そうですか。じゃおそれいりますが、おついでに、あたしがこっちにいるから出て来いと、そうおっしゃって下さいませんか。すみません、どうも。」格子戸の外へ足音が遠ざかって行くおりしも、梯《はし》子《ご》段《だん》が軽く鳴ってひとのおり立つけはいであったが、障子のかげにちらりと赤い袖裏《そでうら》を返して袂《たもと》のはしが見えたきり、つい台所のほうへ消えてがたがた物音のした後はまたしんとしてしまったのに、「妙子。何してるの、おまえ。」「うふ、いいのよ。」「そんなとこでもぐもぐやってないで、こっちへ出ておいでな。」「だって、お稽古とてもおなかがすいちゃうのよ。」「妙ちゃん。何か御馳《ごち》走《そう》があるんならいただこうじゃないか。」「御馳走なんかないわよ。パンよ、卯太夫さん。」「かわいそうに、お砂糖つけてかじってるか。」「ひどいわ。」「いいえ、うちの妙子はとてもはいからでしてね、銀座へ行くとおみやげはロオマイヤなんですからね……こっちへもお出しなさいよ。」「ええ。」ソオセージの皿を持ってあらわれたのが、延津賀と仙吉のあいだに坐って、紹介されたわたしにはにかむような色はさらになく、「一ついかが」と仙吉にさされたのをぐっと干して、「あたしこのごろずいぶん飲めるようになったの。」「すごいね。どのくらい。」「お猪口に五六杯ぐらい。」「まあそのへんでやめとくこったな。このひとみたいに(とわたしをさして)アル中になっちゃこまるよ。」「あら、そんなことありませんわねえ。」
ここでわたしが仙吉のおしゃべりに巻きこまれずにすんだというのはすでに仙吉のために巻きこまれたかかる附合についての反省でいっぱいになっていたからで、わたしはみずから何か高邁《こうまい》なるものを懐中に秘めているかのごとく思いなして、およそ高邁なるものである以上それはぽっかり宙に浮いている人魂《ひとだま》のたぐいではなく、いかなる卑俗の塵に掩《おお》われ柵《さく》に堰《せ》かれても翳《かげ》らず滞らず毅《き》然《ぜん》たる光が輝き出ずればこそ高邁とは呼ばれうるのではないかと、くろぐろと巻きかえす渦のただ中にも飛びこんで見せよう覚悟をきめたのであったが、しかしひとは結局自分の好きなことしかしないもので、いやだいやだの百万遍をならべたところで要するにそういうくらし方をしているかぎりそのくらし方が好きと見なすほかないではないかといえるものとすれば、わたしがたとえ顰《しか》めづらをしながらにもせよ横町の師匠やら裏店《うらだな》の妾《めかけ》やらそんな附合に堪えていられるのはつまりそれが好きなのだといわれても一応やむをえざる仕儀で、かりに何かの方法でわたしの弁明が成り立つにしてもそれゆえにこそ弁明附でなければ通用しない行為だということになろうし、やはりおまえの好きなものはここの露地かしこの町角に落ちている世間噺《ばなし》なのさと一笑に附されるていたらくともなれば、ああ、わたしに於《お》ける高邁なるものはどうなってしまったのであるかと田作《ごまめ》の歯ぎしりするのがおちで、今もわたしは肚《はら》の中で暑さにあえぐけもののように溜息《ためいき》をつきかけているそばから「黒木先生ひどく苦吟のていだね。一句浮んだか。」「こちら何かお作りになるの。」「どうして見かけによらねえものさ。」「じゃ、何か書いていただこうかしら。」「喬さん、お声がかかったぜ。さらさらと一筆したためたらどうだ。」このような屈辱に席を蹴《け》って立つどころか、さし出された紙を前にするとわれにもなく苦吟のていとなって、もう節のつきそうな文句のきれはしが浮んで来る有様には唖《あ》然《ぜん》とするばかり、こういうことにもなるものかと今やわたしは自画像を額縁に入れて自分で感に堪えているひとのごとくで、こんな阿《あ》呆《ほう》の真似《まね》をしているくらいならばいっそたれかの頬《ほお》にちからいっぱいぴしゃりと食らわしてやったほうがどれほどせいせいするか知れなかろうが、さてたれの頬を打ったものであろう。
おりしも門口から、「今晩は。仙さん来てます。」と声をかけた梅子よりもさきに、きょうは著流しでぬっとあらわれた銀二郎が、「お師匠さん、先夜は。」「おや、あちらにいらしったんですの。」「なに、いましがたちょっと寄ってみたんですが、こちらからお言託《ことづけ》で。」つづいてはいって来た梅子が仙吉に、「銀さんにはいつも頂戴物《ちょうだいもの》してるのよ。」「そうかい、そんな御《ご》贔屓《ひいき》が附きゃこっちも安心というもんだ。」「肝腎《かんじん》の御本尊がろくにお廻りにならねえから、余計な心配をするわけよ。」妙子が銚子《ちょうし》を持って台所へ立ったあいだに三味線をおろして絃《いと》をぴんぴんと引っ張っていた延津賀が、「薩《さつ》摩屋《まや》さん、何かうかがいましょうか。」
酔っている当人は千変万化のつもりでもおのずから酔態の型がきまって、乱暴狼藉《ろうぜき》とか大言壮語とかそれぞれいつもの手と知れたうえの芸づくしではもう芸のうちには入らず、あとはごろりと横になって寝て見せるほかなく、わたしが肘枕《ひじまくら》にうとうとしかけているそばで一わたりはしゃいでしまった銀二郎は例の通り「さあ、引揚としようか。」となるとたちまち上り口で外套《がいとう》を著かけているすばやさに、「待ってくれ。」とわたしは起き直って、「いっしょに出よう。」「遊んでったらいいじゃないか、こっちはいそぐんだから。」「どっかへ行くのか。」「なに、月末でね、神戸から兄貴が出て来てるんだ。これからホテルヘ行って逢う約束なんだ。もう時間が過ぎちまった。」「ちょっとはなしがあるんだが。」「どんなこった。」「ここでというわけにもいかない。別にいそぎゃしないが。」「じゃ、二三日うちに……といいたいが晦日《みそか》までは抜けられそうもない。晦日が過ぎればいい。朔日《ついたち》……朔日はどうだ。」「こっちはいつでもいい。じゃ、朔日に、どこで。」「さあ。」「喬さん」と仙吉がそばから、「なんだったら梅子んとこで待ち合せたらいいだろう。」「じゃ、そういうことにしてもらおうか。」一日の夕方五時ごろといいおいて銀二郎が出て行った後で、仙吉が「こっちもそろそろ……」と立ち上りかけるのに梅子が、「あの、あっちへ寄ってくれる。」「そうしちゃいられない。これからもう一軒……用かい。」「ええ。」蒼白《あおじろ》い頬《ほお》をふくらませてうつむく梅子に、仙吉は突然たたと梯子を駆け上って二階へ、梅子もつづいて上って行き、座のしらけたかたちになると延津賀が、「あたし今のうちにちょっとお湯に行って来ようかしら。あんまり遅くなるとまたおっくうになるから。妙子、頼むよ。じゃ、ごめん下さいまし、どうぞごゆっくり。」わたしは立つしおをうしなってまたごろりと横になったとたん、頭が妙子の膝《ひざ》にぶつかったのであわてて起きようとしたはずみに、その膝に乗っていた手の上にこちらの手をぎゅっと押しつけてしまったので、顔が赫《かっ》となるほどうろたえながら手を引きかけたが、そのとき先方の手は引くでもなく払うでもなく固くなった膝がしらの上に柔かくふるえたままでいるのに、わたしはついまたそれをぎゅっとにぎりしめてしまったといえば、ひとは恥知らずとさげすむであろうが、反対にこれぞわたしが恥辱でいっぱいになっていた証拠にほかならず、もしここで手を離してしまったとすればわたしは恥辱のあまり大声でさけびながらはだしで外へ駆け出したかも知れないので、いったいいかなれば妙子がふしだらにもじっとしているのやら相手のことを考慮に入れている余裕とてはなく、おなじ恥辱にまみれるにもせよこうして妙子の手に自分を繋《つな》ぎとめていたればこそやっと七転八倒《ばっとう》のとりみだした姿はあらわさずにすんだのだ。
二月一日の夕近く、梅子の家の二階、浅い床に某新派役者の余技とかいう藤娘の図を掛けたほかには何の装飾もない六畳で、わたしは銀二郎の来るのを待っていた。こう書くとこのあいだの晩から今日まで何事もなく過ぎたようであるが、また事実わたしの生活に変ったことなど起るはずがないとはいえ、ここにちょっと記《しる》しておきたいことが二つある。その一つはまことに赤面の至りながらわたしはあれ以来妙子に三度逢っているのだ。もっとも不器用なわたしの、ただ逢ったというばかりで、とかくひとの想像したがるような深い関係に落ちたわけではなく、一度は先日のもてなしの礼をかこつけに揚場町を訪れたので、延津賀のてまえも憚《はばか》られてろくに口もきけず、やっと妙子の出《で》稽《げい》古《こ》の日を聞き出してひそかに外で逢う約束をしたにとどまり、その後時刻を打合せて二度ばかり町の喫茶店ではなしをする機会を作ったのだが、しかし酒の支度でもあるならばともかく、しらふのわたしがなまぬるい紅茶など啜《すす》ったのではますます愛嬌《あいきょう》がなくなる一方で、むっつり渋面になりがちなのを前にしては妙子も取っつきようがなく、やはり黙って椅子にかしこまっている有様は他の恋人たちの笑い草となったことであろう。ところで、もう一つの件というのは、これは目黒でのはなしである。
昨夜、ひとり部屋にこもっていると塩煎餅《しおせんべい》に番茶を添えて持って来てくれた細君が「御勉強ですか。」「いいえ……おじさんはまだ。」「ええ、ずっと。」「遠方ですか。」「鶴見から横浜へかけてどうやら盛ってますんで。」「それは御繁昌で何より。」「いいえ、だめなんですよ。御当節こんな商売はもう上ったりですよ。」これが謙遜《けんそん》でないのは台所の様子にもあきらかで、取締のきびしいせいか繩《なわ》張《ばり》のテラも上らぬらしく、「それにちかごろのやくざはごろつきだか何だかわからない輩《てあい》が多うござんすからね、うちのおやじのような昔者は嫌《いや》気《け》がさすんでしょうよ。この渡《と》世《せい》はおれ一代でおしまいだとよくいってますけど、さいわいと伜《せがれ》がどうやら堅気でいてくれますんで……」今兵隊に行っている美代の兄の勝造はさる棟梁《とうりょう》のもとに年季を入れてもう一ぱし大工で通るだけの腕があり、これが来年除隊で帰ってきたせつは主人夫婦は埼玉の田舎《いなか》に隠居するつもりとのこと、繩張は鉄砲政にでも譲るとすれば他には何の心残りもない境涯ながら、さて、「美代も年ごろですし、あのまま年寄のお附合で田舎へつれて行くのもかわいそうに思いますんで、御承知の通り教育も何もございませんから人様の前でおはなしはできませんけど、まあ堅気の方に貰っていただいたらと……こっちの都合通りにもいかないでしょうが、いっそ黒木さんにでも貰っていただこうかしら。」といいさして、五十の老婦が手の甲を口にあてながら「ほ、ほ、ほ」と常談めかして笑われたときには、わたしはどきんと胸に釘を打たれる思いであった。そうか、やっぱりその料簡《りょうけん》だったのか。笑いにまぎらした相手の肚《はら》が初めからそこに据っていたものとすればこれはもう尋常ではすまぬことで、口の先だけで受け流してみたところでどうにもならず、はたと挨拶に窮していると、「おや、とんだおしゃべりをしちまいました。このごろはあたしひとりで気がききませんけど、二三日うちに美代が帰ってまいりますから……」と出て行った後の襖《ふすま》を見つめながら、何としたものであろう、追って本式の相談となった場合には漫然といい逃《のが》れのできるはなしではなく、さりとてこの年月の心づくしに対して急に胸をそらして一言のもとに刎《は》ねつけるわけにもゆかず、そのうえこれがひょっと鉄砲政の耳にはいろうものならば薪《まき》に油のさわぎとなろうし、あれこれと思い惑うにつけても、そもそも一年近く部屋代など滞らしておいたのがまちがえの元ではないか、先方の好意はともあれ急所のきまりだけはつけておかなければこちらの云分《いいぶん》が立たないではないか、まず金、金とわたしは部屋の中をうろうろしながら、机の抽出《ひきだし》の底、古本の山の下からちぎれちぎれの草稿を掻きあつめにかかったというのは、おりにふれて書き散らしておいたラ・ロシュフウコオの「マクシム」の翻訳をこの際ぜひ金に代えようとの魂胆であったが、これはそのときふと浮んだ智慧《ちえ》ではなく、じつは最近妙子に逢った日以来ひそかに考えていたことなのだ。その日の別れぎわに、「もっとゆっくり逢えるときはない。」「じゃ、五日。」「大和会の日か。」「ええ。うちのお稽古があるもんですから、いつでも母かあたしか、どっちかが行くんですけど、来月はあたしが行くことになってるの。」「それじゃ、ぼくも行こう。ちょっと顔だけ見せておいて、すぐ消えることにしよう。」「ええ。」「だが、梅ちゃんに来られるとまずいな。」「だいじょぶ、卯太夫さんが出る会にはきまっておかみさんがくっ附いてくんですから。梅ちゃん、うるさいから遠慮するっていってたわ。」そうなればまさかお茶でもあるまいしと、わたしは小《こ》遣《づかい》のくめんに思案していたのだが、こちらのほうがかく手詰《てづまり》のはなしとなってはわずかの算段では追いつかず、やむなく窮余の一策を考えついた次第で、すなわち今日梅子の家へ来る前に、どうやら取りそろえた草稿をふところにして懇意な書店を訪《たず》ね、ともかく二三日うちにすこしでも都合をというところまで漕《こ》ぎつけ、ほっと一息ついてこの二階に寝そべりながら、持って来た「マクシム」の原書をのぞいてはいるものの、さて今後の身の振方はと思えばおちつけるどころではなく、ミドリの件のために逢う銀二郎ではあるが、ついでにこちらの相談もかけてみようかと、とつおいつのていであった。
ところへ、上って来た梅子の母親が「ごめん下さいまし」と窓をあけて、小さく張り出してある物干台から下著など取りこみ、その場に坐ってたたみながら、「せっかくおいで下すってもおかまいができませんで。」「いいえ。梅ちゃん、ちかごろは……」「ええ、昼間は揚場なんでございますよ。あれもつづけてやってましたら、どうにか物になってたでしょうけど、何しろ途中で投げたもんですから。まあ遅蒔《おそまき》でも一所懸命にやれば……」というのは清元の稽古のことで、せめて自分が仙吉の三味線をと梅子が切なる願いとやら、しかし修業のやり直しとなると、「どうしてああなんでございましょうね、妙子って子は。そりゃ陰で意地のわるいことを……」が母親のひがみであるにもせよ、多少内《うち》輪《わ》揉《もめ》の蒸しかえしは免れがたいのであろう。おしゃべりに油が乗っているとき「今日は、大黒屋です。」という声に母親はあわてておりて行き、わたしはまた本を開きかけたが、聞くまいとしても聞えるのは下のはなし声で、「きのう来たらきょうだといったじゃありませんか。」「でも、まだ間に合わないんで。」「じゃ、いつならいいんです。」「五日ごろにしてくれませんか。」「今度はたしかでしょうね。こっちも朔日《ついたち》の勘定取はしたくないんですが、何しろ去年の分がまだなんですからね。じゃ、五日にはおまちがいなく。」母親がそれぎり上って来ないのはわたしに聞えたことをさとったのであろうが、ばつのわるいのはこちらも同様で、とんだところへ来合わせたともじもじしていると、やっと銀二郎があらわれた。
「何だい、はなしてえのは。」「色と金さ。」「ふうん。」「まず色、といってもじつはそっちのことだ。」「ぼくのこと。」「大森の一件さ。」「ミドリのことか。」「聞いたよ。」「だれに。」「だれにって御当人にさ。わざわざ目黒へ……」「行ったか。」「来たよ。」「で。」「で……あらましは承知してるんだろう。まさか知らぬは亭主でもあるまい。」「大体判ってる。」「どうするつもりだ。」「どうするって、たかが女一匹だ。どうにでも向うのいいようにしてやろうじゃないか。」「結局それか。」「だが、あいつもかわいそうなやつよ。」先夜ある会のくずれに二三人で銀座に出た銀二郎が終業《かんばん》後の女給をつれて、そういう客をあてこみの遅くなるほどこみあう新橋の「ひさご」へ行ったところ、男と二人づれのミドリにばったり逢ったというのだが、「向うもホールの帰りだろう、あのごたごたする二階の隅でさし向いはいいとして、あいつのドレスは大森を出るとき著てったきりのくたびれたしろもので、相手の活動屋も安洋服の肩をつぼめながら、額を突き合わせてもそもそ鮨《すし》を、そいつも烏賊《いか》に玉子に海苔《のり》巻《まき》まで仲よくならんでいようというやつよ。そのにぎりを頬《ほお》ばっちゃ茶を飲んでる恰好《かっこう》はへんに貧相でみすぼらしくって、ちょっと眼のあてられねえ感じさ。まわりが大概女づれのまあ一杯というところだけに、ひどく蕭条《しょうじょう》たるものなんだ。こっちにもつれがあったし、はじめ向うで気がつかないのをさいわいに黙ってたんだが、それがざまを見ろなんてきもちじゃねえ、とてもいじらしくって腹が立つくらいなんだ。あいつ、なぜおれんとこへ来ねえ。何もいうにゃおよばねえ、つらさえ見せりゃそれでいいんだ。大したこともできねえが、どうにか始末をつけようじゃねえか。あんまりおれという人間を知らな過ぎると腹が立って来たんだが、しかしそう見当がついていればこそ遠慮してやって来ねえのかと思えば、こいつ、いじらしくなって……ところが、ふいと顔を上げたとたんに眼がぶつかっちゃったんだ。あいつ、どうするかと思うと、子供みたいにひょこっとお辞儀をして、気のせいか一そうちぢみ上りの、皿にぶつかるぐらい下を向いたっきりもそもそ、それが烏賊に玉子に……」「判ったよ。」そのとき下から聞えて来るはなし声に、わたしがまたかと眉《まゆ》をひそめるよりも早く銀二郎が、「米屋だな。」「ここもどうやら世話場らしいな。」「ひでえもんだ。仙公のやつ、どうしてああ……」といいかけて、「まあ、ミドリの一件は御心配にはおよばない。そのうちケリをつけてごらんに入れるが、金のはなしというのは何だ。やっぱり他人《ひと》のことか。」「どうして、これは小生当面の問題だ。」目黒の事情を簡単にはなすと、「そりゃ、どっちにしても早く引き払ったほうがよかろう。おれも片棒ぐらいはかつぐから。じゃ、あとのはなしは外でしよう。ここにいたってはじまらねえ。」帰りがけに母親が銀二郎に向ってひそひそ礼をくりかえしていたのは、わたしより先に下におりた銀二郎がなにがしかを手わたしたものであろうか。
神楽坂の中途まで歩いて、行った先は例の小料理屋で、「仙公のやつ、どうして……」と銀二郎がおなじことをいいはじめた時分には銚子《ちょうし》が数本ならんでいた。「どうしてったって、しみったれが生れつきなら別に不思議はあるまい。」「それにしても、ひど過ぎるさ。あの梅公の家というのは去年の十一月からなんだが、仙公はそのとき敷金を出しただけ、世帯道具は揚場の臍繰《へそくり》やらお弟子連中の祝物やらで、あいつはちゃぶ台の一つも買ったか。以後毎月の家賃のほかに二十円という約束を、家賃はおろか二十円のほうだって初めの一月ぎり……」「二十円とは大した御愛《ごあい》妾《しょう》だな。」「それがさ、仙さんにばかり心配をかけちゃすみません、あたしも仕立物で稼《かせ》ぎます、女二人なんですから食べるほうは日に五十銭もあればと、これが妾《めかけ》のせりふとしちゃ、まあ感心なもんじゃないか。それを野郎いい気になって、こないだも揚場で逢ったそうだが、相談をかけてもぬらりくらりで、これが一文もないのかと思うとそうでもねえ、すぐその足で銀座へ飛ばしの新大陸発見に努めようてんだからあきれたやつさ。ちかごろはおそれをなしてまるで寄っつかねえ。たまに来たかと思えばじつは矢玉が尽きてどこへも行き場所のねえときよ。おれも見かねるから、行くたんびにわずかでも……」「いや、御奇特なこった。それにしてもよく揚場の師匠やおふくろが……」「どうかなんにもいわずに見てて下さい、そのうちに仙さんだって都合がつけばと、梅公がこうなんだ。まわりの連中も仙公がただの芸人じゃなし、佐野屋の店というものがあるんだからと、そりゃ金が目当じゃないとはいっても、まあよもやに引かされてるかたちだが、この若檀《わかだん》那《な》放蕩《ほうとう》の結果準禁治産になってるてえことはだれも知らねえんだから不《ふ》憫《びん》なものよ。もっとも梅公がそういうのは惚《ほ》れた弱みばかりじゃねえ。せっかくうちを持ったのに三月《つき》たつかたたないのにぽしゃるんじゃ、嫁入同様お祝いをもらった揚場の弟子たちのてまえもあるし、第一それ見たことかと妙ちゃんに笑われる、それが何よりつらいと……」「なるほどね。」「ところで、こないだまいったことがある。あすこのうちにゃ仙公はもとより、おれも行く、たまにはきみも来る、そのほか揚場の一党がときどき顔を出す、若い男が入れ代り立ち代りだから近所のやつはろくなことはいわねえ。角《かど》の煙草屋あたりで、あれは一円均一だろうと、常談にしろこれがおふくろの耳にはいったんで、くやしくってくやしくって、どなりこんでやろうかと思いますと手放しで泣かれたにゃ、おれもあしらいかねたね。」「さしずめ銀さんが一円講の先達《せんだつ》か。」「ふざけるな。ひとに文句をいわれるようなへんな真似《まね》はしちゃいねえ。きれいなものよ。」「おめえ、それが自慢になると思ってるのか。」「なんだと。」「たかが卯太夫づれにさえ落ちるやつだ。好きなら好きでだれに遠慮がいるもんか。とっくに何のことだと思って、じつは陰ながら感心してたんだ。おめえも一ぱし女だこが入ったような顔をしながら、あんなシャモ一羽まだ絞められねえた、しおらし過ぎて間が抜けてらあ。」「なに、野方図な口をききやがって。おめえこそいったいなんの真似だ。」「おれがどうした。」「知らねえと思ってやがるか。当時揚場の空を望んで狂乱のていはどうしたんだ。」「なに。」「おめえみてえなとんちきばかりは揃《そろ》ってねえや。近所となりは眼の横に切れた連中だ。おめえのやってるこた、みんな梅公に筒抜よ。」「梅公に筒抜ならおめえにも筒抜か。一心同体はあらそわれねえ。」「何をいやがる。あんな貉《むじな》みてえなものに惚《ほ》れやがって。」「貉ただれのこった。」「おめえの惚れてる女よ。妙《たえ》公のことよ。」「妙公が貉か。」「なんだ、あんなもの、貉そっくりよ。」「いやがったな。」もうわたしは前にあった猪口を投げつけていたが、とたんに銀二郎の手がぐっと伸びて腕をつかまれたのを払おうとしてもがいたものの、学生時代には黒帯まで行ったという相手にかなうはずはなく、ついおさえつけられてしまったところへ、「まあ、どうなすったんです。」と駆けつけて来た女中に、「はっはっは、とんだお茶番さ。」と銀二郎は手を放して、「なあに、なんでもないんだよ。おつもりだ。勘定してくれ。」
外へ出て、「どうもおとなげなかったな。」「いや、お恥かしい次第だ。」とつめたい風に顔をさらしながら、「だがね、ぼくはまったく梅公とは何の関係も……」「いいよ。もうよそう。」歩いて行くうちにいつか神楽坂の下に出て、「どうする。」「まっすぐ目黒だ。」「省線に乗るか。ぼくはちょっとほかへ廻るから……」「じゃ、ここで。」わたしはひとり飯田橋の駅に近づいたとき、ふと懐中の軽いのに気がついて、や、「マクシム」をと……念のために今出たばかりの店へ引っかえして聞き合わせると「ございません」に、あ、梅子のところだ、あの二階にちがいないと、おっくうには思ったが改めて目黒から出直すことを考えるとさらにおっくうなので、まだ十時前の町筋をぶらぶら梅子の家の格子先まで来ると、外の戸は立ててあったがすこし隙《すき》間《ま》があいて灯が洩《も》れているのに、「ごめんなさい」と押しあけてはいると返事がなく、寝た様子でもないのに、二階にでもいるのかと上りかけた拍子に、壁の帽子掛に見おぼえのある薄鼠の中折をみとめて、土間を見かえると隅にかくすようにして男物とおぼしい草《ぞう》履《り》があったので、ははあ、久しぶりで仙吉が来ているのか、おふくろは銭湯にでも行ったのであろう、これは気のきかない役まわりをさせられるものだと、返事のないのをさいわいまたそっと戸を押しつけて外へ、表通まで出たときにはもう酒の気は薄れてしまい、さむざむと興ざめてすぐに目黒へ帰る気はせず、いっそ銀座へ伸《の》して行きつけのおでんやへでもと、いくらか小遣の残っているままについタクシイを走らせ、三十間堀のそのおでんやの店にはいったとたん、「あっ」と立ちどまったのは、なんと、仙吉が芸人仲間と見える一巻《ひとまき》とともにすでに乱酔のていでいたではないか。「よう、あらわれたな。ひとりか、ちょうどいい、いっしょに飲もう。まあ、こっちへ。」「仙さん、いつごろ来た。」「なあに、きょうはちょっと仲間の寄合があってね、そのくずれさ。じつはこれからお目当のところへ行こうというわけだが、喬さんにも紹介しよう。すなわち新発見に係るもので、これがまたいろいろサーヴィスをつくします。」そのときわたしは先日帽子を「おそろえで」といった仙吉のことばを思い出し、そうか、そういえばあいつもおなじようなのをかぶっていたっけ、さてはと、さされた猪口を受けるのも忘れて茫然《ぼうぜん》とするばかりであったが、それはいかに愚かしい行為にもせよ行為のもつ悲壮感に打たれたのだといっても大していい過ぎではないであろう。
どうもわたしは愚劣なことを書き過ぎたようである。だが、書くものが上等であるか下等であるかはそもそも何に依って定まるのであろう。それはもう心がまえとか筆の綾《あや》とか才能とか根気とか人間わざの手におえることではなく、めいめいの顔かたち同様ほとんど宿命に依って定められているのではないか。もっとも容貌《ようぼう》の場合ではときに西《せい》施《し》の美を貶《けな》して無《む》塩《えん》の醜を挙《あ》げる見方もありうるであろうが、文章にあっては霊は霊、蠢《しゅん》は蠢と厳然たる一線が劃《かく》されていて、どうひねって見ても下等なものが好きだというのは下等な人間にかぎるようである。とすれば、ここにわたしがみずから愚劣などといい出したのは不見識きわまるはなしであるが、しかしこの際ちっぽけな見識のごとき問題にならず、わたしというものが上等であるならばいかに姿をやつそうと下等になるはずはなく、反対に下等であるならばいかに恰好《かっこう》を作ろうと上等になれるはずはない。第一ここまで書いて来た以上、すでに書かれてしまった部分は一つのレアリテであって、それみずから強烈な生命力を持っているのであるから、たとえ中途でその息の根をとめようとしても容易にはくたばりそうもない形相《ぎょうそう》を示している。それならば文句をいうだけ野暮で、あったら口に風を入れているひまにさっさと書きまくって、はたして上等であるか下等であるかいさぎよく衆人の前に身を投げ出すまでのことだが、そのくらいは百も承知のつもりでいながら、こうしてくどくどわけの判らぬ管《くだ》を巻きはじめたというのは酔のまわって来た証拠であろうか、今、正確にいえば二月四日の夜十二時、わたしは目黒の部屋でひとり猪《ちょ》口《こ》をなめているところで、やがてごろ寝の夢に入るまで相手のない問答でもふっかけるほかに芸のない有様である。まずこの酒はといえば当家の贈物で、夕方いく日ぶりかで主人が帰って来ると間もなく、「ほんのお口よごしで」と出されたのを見ると、どうやら勝いくさらしく、今はいびきに変っている主人の高笑いが先刻まで襖《ふすま》ごしにひびいて来たほどで、「政さんはどうだったい、おまえさん。」「あいつもだいぶ受けてたようだが、品川に引っかかりよ。」と聞けば襲撃のおそれもなく、ただ気がかりは昨日埼玉から帰って来ている美代のことだが、その件とても「マクシム」がいよいよ来月発刊ときまったので一足先にこちらの体をかわす宛がついたというもの、しかも若干の前払さえ受け取ってあるうえは明日の妙子との出逢にも事は欠かず、今夜はまず天下泰平と称すべきであろう。しかし、にやにや笑っている人間ほどばかに見えるものはないので、今わたしはよほどばかな顔をしているに相違なく、その泰平づらのもとは要するに酒と女と金なのだとしてみれば、ああ、わが道徳も地に落ちたものかな。わたしは元来飛行家の弟子なのだ。雲をも風をも低しと見て過ぎつつ厚みも重みもない世界へ入ろうとする離れ業はさることながら、わたしのもくろむのは低空飛行で、直下に現ずる此《この》世《よ》の相をはためく翅《はね》に掠《かす》め取って空《くう》に曼《まん》陀羅《だら》を織り成そうという野心を蔵しているのだが、さて梅子とか仙吉とか雑草の一叢《むら》に立ちまじっては、わたしの飛行機は束《つか》の間の滑走と思いのほか涯《はて》の知れぬ砂地の中に迷い入ったらしく、このままではとめどなく砂にめりこんで行く一方であろう。雑草などと気を許しているうちに、先方では仮の姿どころか、やつらはやつらなりに精いっぱい我世と思う此世にしがみついているからにはあなどりがたい執念で、いつかわたしの身がもうおなじ仲間の附合に吸いこまれてしまったのであろうか。こうして生恥をさらすくらいならば「双《そう》の腕《かいな》は砕けたり、雲を抱《いだ》きしあやまちに。」と詩人が歌っているごとく此世ならぬ世界の鬼、真空管の中のミイラと化したほうがいっそ本望であったにと足摺《あしずり》しても追いつかず、せめてころんでもただは起きぬ料簡《りょうけん》でつかんだ砂で絵を描いて見せようとしても、当のわたしが砂絵師ではなく砂になりはてている始末ではわが手でおのれをつかみ上げるそばからつい指の股《また》をずり落ちてしまうばかり……いや、こんな愚痴をならべるとはいつの間にやら悪魔の爪にあそばれているにちがいない、幻術の霧を破るにはただ書きまくる一手と、わたしは空徳利を抛《ほう》ってたるんだ帯をぐっと揺り上げ、猛然とペンを取りはしたがやはり一行も成らず、むなしく腕を扼《やく》しているおりしも、雪の新潟吹雪《ふぶき》に暮れる……とあやしげな一ふしが聞えて来たのは、この深夜に他のたれが歌うものぞ、まさしくわたしみずからの唇《くちびる》から洩《も》れて来るひびきにほかならないのだが、今この苦《く》患《げん》のときに当って何の真似であるかとおどろきあきれるあいだにも唄のほうはすらすらと、佐渡は寝たかや灯が見えぬ……ああ、こう酔ってはもう何が書けるものか。それにしてもこの年月のわたしの所行はいたずらに酒を飲んでひとり泣いたり笑ったり、その狂態を紙の上に写すとすればあたかも葦《あし》のすがたに摸《も》して文字を書き崩《くず》したという昔の葦《あし》手《で》書《がき》をのたくるたぐいであるが、これは朔風《さくふう》にうらぶれていつも一ところに遣《やる》瀬《せ》なくのの字を書いている葦の枯葉であろうか……
ところで、わたしは今もうじっとしてのの字ばかり書いてはいられぬ身の上となった。というのは、わたしは目下行くにも帰るにも宛はなく、ぽかりと街路に投げ出された放浪者なのだ。これもみなあの五日におこったある恥ずべき事件に由来するのだが、わたしにとってすこしも自慢にならぬことだらけなので、このくだりは大いそぎでかたづけてしまおうと思う。
五日の午後、夕方の大和会にはすこし間があるのでおちついていると、向うの部屋で、「出かけるの、おとっつぁん。」「ああ、ちょっと行って来る。」「晩は。」「帰って来るよ。ちょっと遅くなるかも知れねえが。」「じや、おとっつぁんの好きなものをこしらえといて上げようか。」「ありがてえ、おめえにかぎら。」「あとで渋谷へ行ってなにか買って来るわ。」「すまねえな。あ、ことによると留守に政が来るかも知れねえ。八時ごろにゃ帰るから、よかったら待ってろってな。」「いやね、あのひと。」「おれが附いてら。おめえに指一本でもささせるもんか。あいつもおれのことは立ててくれるんだから、あんまりわるい顔もできねえ。」
鉄砲政と聞いては、わたしはびくりとしてすぐ家を飛び出し、日本橋倶楽部へ行ったのは五時を打ったばかりでまだ開演前、仙吉はもう来ているらしかったが後で逢うことにしてホールのそばの喫煙室で椅子にかけ、著《き》飾った女たちの中にぼんやりしていると、「どうも、御遠方のところを……」声をかけられるまで辰子に気がつかなかったのは扮装《つくり》ががらりとちがっているためで、ふだん襷《たすき》がけでしもやけの手にゴム手袋をはめて水仕事をしているときとは打って変り、嘗《な》めたような丸《まる》髷《まげ》からあたらしい白《しろ》足袋《たび》まですっかり元の芸者の姿、「女房も鼻につくが、不思議なもんで三月に一遍ぐらいはおやと見直すこともあるよ。」といつぞや仙吉がいったことばを思い合せながら、「いつも盛会ですね。」「お陰さまで。」「仙さんは。」「楽屋におります。何ですか、ごたごた……」とはなしかけたところへ、向うからわたしをみとめて近寄って来た妙子が、とたんに「あら」とそばの辰子に、「御無沙汰《ごぶさた》をしておりまして……」とみじかい挨拶《あいさつ》を交すとわたしには口をきかずにすっと遠のき、かなたの柱のかげに姿をかくしたが、それを見送った返す眼でじろりとわたしを睨《にら》んだ辰子の顔にはもう愛嬌《あいきょう》の色は消えうせ、「黒木さんもやっぱり揚場町さんと御懇意でいらっしゃいましたの。おや、そうでございましたか。」と、ばたりと一つ草履の音をさせたのは思わず力がはいったのであろう、そのままつと立ち去ってしまった。あっけにとられているわたしのそばに妙子がまた近づいて、「どうしたの。」「何でもないさ。」「ね、出るんなら早いほうがいいわ。あんまり知ったひとの来ないうちに。」「うん、ちょっと楽屋に顔を出して行こうか。」行って見ると混雑の中で仙吉と口をきくひまもないのをいいしおに、すぐ外へ出て、「どこか、この近所で。」「でも、お座敷みたいなとこいやだわ。」「じゃ、銀座。」「だれかに見られるといやだわ。」「じゃ、どこ。」「どこか、静かなとこ。」「それじゃ森ヶ崎か。」「そんなとこへ行くんなら帰るわ。」「静かで健全なところか……」ふと思いついた道玄坂上のレストランの名をいって、「あすこならいいだろう。テイブルを挟《はさ》んでのさし向いで、ちゃんとボーイの見張が附いてるんだから、こんなお行儀のいいはなしはない。」こうしてタクシイに乗ったとき、妙子がさっそくわたしにいったことばは、「どうしてひげ剃《そ》って来なかったの。」
このような質問ほどわたしをまごつかせるものはなく、ぐっとつまった息に顔を赤くしたが、じつはそんなことよりもわたしが恥じなければならないのは、妙子との出逢も度《たび》かさなるに係らず、いったい妙子がわたしについてどう思っているのかさっぱり判らず、また判ろうともしなかったことだ。もっとも当時はそれを恥じるどころか平然とかまえていられたのはおそらく逆上のたまものであろう。これもそのとき車の中でさとったことであるが、わたしはどうやら妙子をわがためのダルシネヤと念じはじめ、大鳥毛の兜《かぶと》をいただいた頭を垂れてぬかずきおろがむ騎士のていであったので、相手の心の忖度《そんたく》など以《もっ》てのほか、まのあたり面《おも》輪《わ》を仰ぐさえ憚《はばか》られて、これはもう此世ならぬ女人の姿であった。かかる太平記読の調子でおのれの迂《う》闊《かつ》緩怠をごまかそうとはと、あざ笑うものどもに恥辱あれ。ひとはある日突然にしか理想を発見しないというではないか。げんに初対面の夜には手をにぎりこそしたれ、その後は手はおろか肩がちょっとふれ合ってさえ掟《おきて》を犯したような思いで、妙子に向っていう常談は悪魔に隙《すき》を突かれたわたしがわたし自身を揶揄《やゆ》することばにほかならず、これはすでに相手が肉身の妙子でなくなった証拠でなくて何であろう。それならばぜひ妙子とは限らず、相手はなにものでもといいうるかも知れないが、妙子妙子とのぼせきった耳に道理がきこえるはずはなく、そういう事情はむしろ妙子の側にあったであろうと今わたしは想像することができる。大体遊芸の家にそだった娘にはたち過ぎまで浮いた噂《うわさ》のなかったのが不思議なくらいで、まして怨敵《おんてき》の梅子に卯太夫というものが附いたとなっては稽古本中の人物のごとく物思いに沈みがちでいたところへ、ちょうどわたしが……というとあたかも華《はなや》かな紳士として登場したかのようであるが、じつはわたしならば大丈夫、ひともまさかと思うであろうし、万一の場合にもとっさに身をかわすことができようし、後日怨《うら》みを含んだり讐《あた》をしたりするほど甲斐《かい》性《しょう》のある相手ではなさそうなと、末の安心をあらかじめ安心しつつ当座の出来合の恋人に見立てられたわけであろうか。ただせめてわたしがもうすこし颯爽《さっそう》たる風采《ふうさい》の青年であったならばと、妙子は心中に歎《なげ》いていたであろうに、あいにくひげもろくに剃らない貧棒《びんぼう》書生ではどんなに肩身の狭かったことか、とかく人目をいとったのも一つはそのせいかと推察すれば、これは何とも気の毒というよりほか慰めようのない仕儀である。だが、わたしの自尊心を傷つけることもはなはだしい此の如き事態について当のわたしの口から先方が気の毒などといえるのは時間の距離をおいた今日だからこそで、そのときのわたしはあっぱれの騎士きどり、南蛮鉄の鎧《よろい》でかためたわたしの自尊心を傷つけうる刃《やいば》とてはなかった。
道玄坂を上って左側、銀行とガソリン・スタンドの角を曲ったところがめざすレストランであったが、その銀行のすこしてまえ、映画館や食堂の灯が夕暮の町を陽気にいろどっている電車道で急に車がとまり、「ちえっ、しょうがねえな。」「前がつかえているようだね。」「ええ。」と助手が首を出して、「道路工事です。」わたしも伸び上って見ると、四五台つづいてとまっている向うに鋪《ほ》道《どう》の一部を綱で仕切ってその中にはたらく工夫のむれ、崩したコンクリートの上に敷いてある蓆《むしろ》の隅《すみ》では鉄管からだくだく水が噴《ふ》きあふれている有様で、つい一足のところを待たされるのがもどかしくもあり、そのうえ車の外からのぞきこむ通行人の無作法な視線の下に顔を伏せている妙子のことが気にかかり、「ここでいい」とやむなくひとごみの中におり立つ羽目となって、軒づたいに伝って行こうとしたおりしも、ばたばたと後から足音がして、「黒木さん。」ふり向くと、小さい包みを抱えた美代が妙子の姿も眼に入らぬらしく息をきらしながら、「政さんがあたしといっしょに附いて来て……」と見かえった数軒さきの雑貨店の前に酒にほてった横顔を見せて立ったモジリに鳥打帽はまさしく鉄砲政で、たばこでも買いに足をとめたわずかの隙に美代はわたしの姿をみとめて駆け抜けたものであろうか、さてはとおもうひまもなくこちらに向き直った政がきょろきょろあたりを見まわしていたが、その眼が美代に落ち、ついでわたしの顔を射るやたちまちさっと兇暴《きょうぼう》の光をはなって、がっしり緊まった小柄な肉塊が飛ぶかと見る間に「野郎」と早くもわたしの鼻先に迫ったのに、堅い石の壁に背中をぶつけながら、声をあげて制止しようとしたがおよばず、もう逞《たく》ましい手に外套《がいとう》の前をつかまれたので懸命の力を振りしぼって横に飛びちがえたはずみに、びりりとぼたんは相手の掌に、こちらは倒れかかるのをぐっと踏みこたえて「待て」と必死のかまえ、からくも突き出した痩腕《やせうで》を掠《かす》めてぎらりと白刃にあっとおびえて足は宙に跳《は》ね、とたんに裂け散った人波の中に飛びこみつつ、妙子は美代はとさすがに心残りの視線をうしろへ投げると、ただまっくろに入りみだれるざわめき、その一刹《せつ》那《な》に息をもつかせず風を切って追いすがる敵のいきおいに今はこらえるすべもなく、わたしは夢中で工事場の蓆を蹴《け》り水を散らしながら左へ曲ると、ここはひとのまれな闇の道をまっしぐらに駆けに駆けた。
こうしてわたしがどこをどう逃げまわったかは別に取り立てて書くほどのことではない。第一自分にとって屈辱でしかないことをのめのめとしゃべる興味を今やわたしは喪失している。たとえわたしのうちに上等な何かがあると仮定しても、およそ上等なものである以上調子づいた悲歎痛恨の中などに安っぽく釣り出されるはずはないのだから、ここでわたしがいかにくるしそうな文句を吐いて見せてもじつは甘いよだれにほかならず、そんな恥の上塗はもうまっぴらである。ひとは天を仰ぎ地に伏してすたれはてたわが騎士道のうえに涙をそそぐわたしの姿を想像するであろうか。それならばそれもよし、あとは美文家の仕事であろう。ただ、わたしがちょっと書いておきたいのはこのとき風邪《かぜ》を引きこんでしまったことだ。しばらくたって、妙子や美代の安否が気づかわれるままにまた先刻の場所に立ちもどりガソリン・スタンドの横手からそっと通の様子をうかがうと、もう人影もまばらに、白く伸びたレールには電車が軋《きし》り、工事場には敷き捨てられた蓆が板のようにぴったり凍《い》てついているばかり。とたんにわたしは大きいくさめを一つして、骨の髄までぞくぞくとふるえあがってしまった。
この夜以来一月あまりの今日まで、わたしがどうやら生きのびて来られたのは銀二郎の好意に依るのだ。あのとき美代を捨てて逃げた身の目黒へ帰ろうにも合わせる顔がなく、思案にくれて夜の街路にたたずんでいるうちに、そうだと気がついたのは銀二郎のことで、おそらく居まいとは思いながら八丁堀へかけてみた電話に出たのが当人であった。「どうしたい。さっきちょっと会へ行って見たがきみは帰ったらしいし、楽屋はごたついてるし、引っ返して来たところさ。」「これから。」「ぼくかい、ここ泊りだ。」「じゃ、すぐ行く。」その薩《さつ》摩屋《まや》の住居のほうへ駆けつけて、手みじかに事の次第をはなすと、「そりゃとんだ目に逢ったな。だが、けががなくって何よりだ。御婦人方のほうにもまずまちがえはあるまい。今夜はまあここに泊るさ。明日になったらまたいい考が出るだろう。」いわれるままに泊ったその明け方、赫《かっ》とのぼせて来た頭の悩みに眼をさまし、無理にこらえて厠《かわや》へ立った縁側で急にくらくらとして倒れたのでさわぎとなり、医者が来たときにはもう床の上に大熱往来、「わるくすると肺炎に」でさっそく芥《から》子《し》の湿布で胸と背中を焦《や》きつけられ身うごきならぬ状態についそのまま薩摩屋の一室にとどまることになり、手厚い介抱を受けながらとうとう一カ月におよんでしまった。そのあいだはろくに口もきけぬ有様で、一切「いいよ、引き受けたよ」といってくれる銀二郎まかせ、外の形勢はさっぱり判らずあれこれと気をもむうちにも二月の末にはだいぶ快方に向い、起きたのは今月つまり三月のはじめで、こちらがたずねるまでもなく銀二郎から委細の成行を聞くことができた。
わたしが倒れるや、銀二郎はわざわざ目黒へはなしをつけに出むいてくれると、先方でも美代に模様を聞いて心配していたところで、「政の野郎がとんでもねえことをしやがって申しわけありません。お引越になるようでしたら部屋代のことなんか御心配なく。ええ、ようがすとも。」に、人情附合の好きな銀二郎のこととて近所から酒を取り寄せて主人と遊侠《ゆうきょう》談をする始末。その後数日して銀二郎はふたたび目黒へ行き、滞納の分全部とは行かないがなにがしかを先方にわたして、薩摩屋の店のトラックで引き取って来たわたしの荷物は八丁堀の裏の倉庫にしまってあるという計らいぶりであった。ところで、鉄砲政はあの晩酒気をおびていて息ぎれがしたためについわたしを取り逃し、今度は弥次馬に八あたりしかけたところへ駆けつけて来た警吏に捕えられ、街頭に兇器をふるったのみならず、賭《と》博《ばく》常習に恐喝《きょうかつ》の余罪まで発覚したので、これは警察から検事局へ送られた由。ここに意外なのは美代で、美代は政が留置されるや面会差入などにすすんで奔走し、その心づくしはなかなか義理一遍とは思われず、他日政が出獄の後にはかねての申込にもはや否とはいわないであろうふぜいさえ見せているそうである。わたしの腑甲斐《ふがい》なさに引きかえてなみなみならぬ政の執心を思えばもっともな次第であるが、元来そだちの水はあらそわれず、わたしがそばにいたあいだこそ多少は心ひかれたにもせよ、それはゴムの紐《ひも》のようなもので、こちらが引く手を離したとたんに美代はぱちんと元へ刎《は》ねかえってしまったのであろう。
さて何より気がかりは妙子のことであったが、銀二郎はそれと察してわたしをじらしぎみに、「無事息災さ、あいつは。達者なもんだよ。何しろもうきみの代りがちゃんとできてるんだからね。これがS大学のラグビイの選手で、すこぶる生きのいいやつだ。おまけに田舎《いなか》のうちは金持だというし、ここは友だちがいにきみに打羽を揚げたいところだが、どうも向うに歩《ぶ》があるようだ。」妙子にスポーツマンの取合せはありそうなことと思いながら、わたしが半信半疑でいると、「ここにあわれをとどめたのは黒木先生だな。一時は大した御威勢だったが、両手の花を一度にもぎ取られてあいた口のふさがらない恰好はお気の毒なもんだ。まあ、いのち拾いをしたのがめっけものさ。」わたしははなしをそらそうとして、「ときに、どうしてる、卯太夫は。」「もうあんなやつた附合わねえ。」「どうしたんだ。」「別れるなら別れるでいい。あんなやり方てえのは……」「別れる、梅公とか。今や別ればなしか。」「なあに、別れちゃったのよ。」
去年のくれから仕送りが絶えているばかりかちかごろ仙吉はまるで姿を見せず、梅子が男名まえで出す手紙にも返事がないので、当人よりは母親が逆上ぎみとなり、延津賀も捨ててはおけずお浚《さら》えの件にかこつけて塩町へさぐりを入れに、こちらから出かけたというのは先方の思う壺《つぼ》に落ちたものか、いろいろ悶著《もんちゃく》の揚句が別ればなしとなるともう色気抜きの金銭の掛合で、事めんどうと見て仙吉は姿を消し、代りにあらわれたのが本家の母親と辰子、仙吉の尻ぬぐいをいつも扱いつけている二人にかかっては延津賀は相手にならず、何度も足をはこんだ末せめて千円が五百円になり、ヘたに頑《がん》ばるとなお減りそうなけしきで、百円札を五枚眼の前にならべられて、「これでおわるかったら御勝手に。うちじゃこれ以上のことはできません。もともと双方が好きで出来合ったはなしじゃありませんか。あなただってきのうきょうのお附合じゃなし。どうしてこんな事にならないうちに……」と逆ねじを食う始末に、すこしも早くとのどから手が出そうな弱みもあってみれば結局は泣寝入の、延津賀はあきらめても納まらないのは梅子で、「伯母さんもずいぶん頼りがないわね。あたしいやだわ、これっぱかり。今別れるんなら、どうしたって二千円は貰《もら》わなくちゃ。いずれ辰子を出しておまえを後釜《あとがま》にと、ちゃんと仙さんと約束があるのよ。だから、あたし我慢してたんじゃないの。何さ、五百円ばかり。これじゃ今までの苦労が水の泡《あわ》じゃないの。このくらいなら、もうすこし潮時を見てたほうがよかったわ。あたしどうしたって二千円……」と、いつもはぐにゃぐにゃしているからだをぴんとそらし眼をすえて猛《たけ》り立つ有様は別人のごとく、わが姪《めい》ながらこうも変るものかとあきれつつ、今は延津賀がなだめ役にまわる仕儀であった。もっとも右の仙吉との約束なるものはまんざら嘘ではないらしく、げんにずっと以前仙吉は延津賀に向って、「あたしもね、どうも女房運がよくないんで家《うち》がうまく行かないんです。おやじとの関係が思わしくないのは、つまりそれなんです。だが、こいつ、さて別れようとなるとめんどうなんでね。いっそ、こっちが家を飛び出しちまおうかと……ひとには道楽者みたいに思われて、あたしほど不仕合せな人間はありません。」とさめざめと泣いて見せたことがあるそうで、延津賀も多少はそれがために梅子との仲を見ぬふりをしたらしいのだが、その打明ばなしを聞かされた銀二郎は憤然として、「お師匠さんそりゃちがう、大ちがいだ。いや、あきれかえった野郎だ。そりゃね、あいつの浮気は承知してる。しみったれも判ってるが、しかし、そんな……まさか、そんな泣き落しの手を使うやつた知らなかった。なるほどお辰さんにも難はあるだろうけど、ともかくやつのうちが納まってるのはあのひとがいればこそです。やかましやの親父とずぼらな亭主の間に立って、ちゃんと世帯の切盛をしててくれるから、やつが羽根を伸ばしてられるんで。そのへんのことは仙公だってよく判ってるんで、当人の口からそういってるくらいなのに、それをそんな……」「そうですかねえ、仙さんてひとは。そんなひとですかねえ。」と延津賀も溜息《ためいき》をつきながら、「そりゃこっちも何様じゃなし、こうなっちゃあきらめるほかありませんけど、あたしゃただあの子がかわいそうで。このごろのあの子の様子ったら、眼がきょろきょろして立ったり坐ったり、今まではろくに口もきかなかった男のお弟子さんなんかとふざけてるところは、とても見ちゃいられません。いったん娘でなくなったのが、急にばったり……ということになると、どうしてもああ……」これは銀二郎の常談ではなく、みずからも多年孀《やもめ》ぐらしの清元師匠の述懐であってみれば、わたしもうそ寒い思いをしたことであった。こうして、梅子は今筑《つく》土《ど》の荒物屋の二階に母親と二人で仮住居をしているとか。「ぼくもまだ行っちゃ見ないが、五百円がいつまであるかね。だが、きみはへんな顔をしてるけど、ぼくはまったく梅公とは何でもないんだぜ。そりゃあぶなくそうなりかけたことはある。じつは一度泊ったことさえあるんだが、結局なんでもないんだ……ついちゃ、おもしろくねえはなしがある。例の手切金の掛合のときお辰さんの口から、ほんとなら一文もあげなくたっていいところです、梅ちゃんは薩摩屋さんと……そりゃ揚場の師匠だって、ぼくに面と向ってそこまではっきりはいわないさ。が、どうもそんなせりふがあったらしいんだ。こりゃお辰さんの智慧じゃない。仙公が……ぼくをだしに使うとはあんまりやることがおもしろくねえから、さっきも黙ってたんだが。」
このはなしがあってから二三日して銀二郎が、「突然だが、ぼくは神戸へ行くよ。」「いつ。」「十日に立つ。」「遊びにか。」「いや、今度店の都合で神戸に行って兄貴の手伝いをすることになったんだ。」「そうか。」「はなしは前からあったんだが、確定したのはきょうだ。まあ当分あっちで一はたらきだ。手本は二宮……銀二郎さ。」「それに越したことはない。」「ところできみのことだが……」「いや、ぼくはもうよくなったし、いつでも引越せる。いろいろ心配をかけてすまなかった。金のほうはじきに『マクシム』が出るはずだから、それまではどうにでもなるさ。ただ荷物だけちょっと預かっててもらえれば。」「いいとも。じや、十日までここにいないか。十日にぼくが立つときいっしょに引きあげるとしたら。」
その十日、すなわち今日の午後、九時何分かの夜汽車で立つ銀二郎とともに、わたしはズックの鞄《かばん》一つをぶらさげて薩摩屋の家を出た。立つ前にわきへ寄って行くという銀二郎が、「じゃ、八時に東京駅の食堂で待っててくれないか。それからちょっと銀座にでも出よう。」
八時に駅の食堂にいると、やがて銀二郎があらわれて、「まあ、ここで一杯飲もう。お別れに景気よくというつもりだったが、そう行かなくなった。」「どうして。」「金がないんだ。」「ふうん。」「旅費と称して店からすこし余分に取っといたんだが、すっかりやって来たよ。」「だれに。」「梅公に。」「梅公にか。」「うん。」「梅公、どうしてる。」「逢わない、留守だった。」「じゃ、だれにやったんだ。」「おふくろにわたして来たのさ。」「なんで……」「なんでって、ただやったのさ。いろいろ聞いてみると、借金を払ったり引越をしたり、それに梅公がからだを悪くしてきょうも医者へ行ったんだそうだが、例の五百円、ひどく心ぼそいことになってるらしいんだ。いっそ神戸へ来たらどうだ、よかったら二人で息抜きに来いと、そういいおいて来た。」「引き取るのか。」「そこまでは考えちゃいない。半年か一年遊ぶつもりで来たら気が変ってよかろうということさ。梅公が仕立物でもして小遣《こづかい》を稼《かせ》ぐ料簡なら、ちっぽけな家の一軒ぐらい、なあにいくらかかるもんか、そのくらいのことはしてやってもいい。だが、だからどうしろとはいわないさ。そりゃもののはずみはあるかも知れないが、まちがったらまちがったときだ。何も無理にた願やしねえ。」と歯をすうすういわせないばかりに、銀二郎は涼しい顔をしていた。これはもう鷹揚《おうよう》などという美徳ではなく白痴のごとき生活の中断であるが、おそらくこの帳簿ではここに一枚ぽかんとブランク・ぺージがあればこそ他のぺージに数字がぎっしり逐《お》いこまれることになるので、こんなにも愚かしく見えることは一面に於て抜目のないことの秘密であろうか。しかし、日日に積もる小利口さ小器用さの埃《ほこり》をこの抜穴から吹きこむ風で颯《さっ》と払っているものとすれば、今はこの男が心の窓をあけ放しているときであるかと、わたしが相手の顔を見つめていると、入口に眼をくばっているらしい様子に、「だれか来るのか。」「ああ、じつはひとりつれがある。」「だれだ。」「モジャ子よ。」「やっぱり仲直りか。」「そうじゃない。これがまたおはなしさ。」
先日突然八丁堀の店にかかった電話に呼び出されて、銀二郎がある場所でミドリに逢うと、「あたし今ひとりなの。」例のカメラの青年が東京も思わしからずまた元の京都へと、就職運動と称して行ったきり便りがないので、さぐってみると親もとに帰って近く結婚という噂に、ミドリが直接問い合わせると返事は手紙一本、「あっさり別れようっていうの。」「それでおれにどうしろってんだ。」「別にどうしろっていやしないわ。あたし今度鶴見から新宿のアパートへ引越すの。で、大森の荷物……」「さっさと持ってってくれ。あんなもの置いてかれちゃ迷惑だ。おれもあすこは引き払うんだから。」「どこへ行くの、今度。」「神戸。」「いいなあ。あたし東京いやんなっちゃった。」「やっぱり神戸がいいか。」「日本にいてもつまんないわ。」「大きなこといやがって。」「上海《シャンハイ》行きたいの。桃山にお友だちがいるの。こないだ手紙寄こして来ないかって。」「行けばどうにかなるのか、からだだけ持ってけば。」「どうにかなると思うわ。」「じゃ、行かしてやろうか。」「そうしてくれる。」「ただし、あとのことは知らねえぞ。上海へ輸送するだけだ。神戸の波止場まではたしかに見届けてやる。波止場で、船に乗っけの、それでおしまいだ。」「いいわ。」こうして今銀二郎のポケットには汽車の切符が二枚あるわけで、「これでぼくのほうは一段落さ。」と、ぐっとコップをあおりながら、「黒船に積んで、西の海へとさらりさらりだ。」ミドリが来たときにはもう発車の時刻が迫っていたので、挨拶もそこそこに食堂を出た。
プラットフォームまで見送った後また駅の出口に来て、さてこれで一切ケリかとわたしはほっと息をついた。この一カ月の病気はほとんどわたしを洗い浄《きよ》めたようなもので、ここに銀二郎と別れしぜん仙吉延津賀の一類とも遠のくことになれば、しばらくわたしを市井の一隅に搦《から》めていた綱手はぷっつり断たれ、どうやら渦潮の中を切り抜けた思いであったが、そもそも冒頭に当ってわたしが定めたいと念じた座標は今どうなったのであるか。端からそくそくなどと唱えはしたものの、踏みつける一歩一歩の足跡はその日ぐらしの波に消し流され、そのはてがこうして鞄一つで夜の巷《ちまた》へただよい出ようとしている身の上では、位置にも腰掛にもどこに据えよう宛のない有様であるが、小癪《こしゃく》な弁明の辞が何になろう、わたしの頼みは今や清涼な息《い》吹《ぶき》の通いはじめたわが気《き》魄《はく》のうえに懸っている。しかし気魄のみをもって事がすむならばおめでたいはなしで、座標はともかくとしても、この一月《がつ》のなかばから今日まで、すなわちわたしがものを書くことに取りかかって以来五十余日にわたる生活について提出すべき計算書はこの一篇であるとすれば、この計算の中のどこに誤算があり附け落しがあるか厳密な吟味にかけることはわたしの義務であろうが、その前にさしあたり今夜の塒《ねぐら》を定めなければならず、一二度泊ったことのある築地のホテル、といってもアパート兼業の安宿へ、まずそこへでもと駅から車に乗り、まっすぐに行きかけた途中、先刻からビールばかりなのでどこかで簡単な食事をと、「銀座ヘ。」尾張町でおりて、新橋のほうへぶらぶら行きかけたとたん、すれちがった先方と同時に「あっ」と声を立てて足をすくめたのは、それが妙子であった。
「しばらく。」「まあ、しばらく。御病気とうかがってましたけど。」「なあに。」「もうすっかりお直り。」「この通り……どこヘ。」「丸の内の講堂で会があって、その帰り。」いささかばつのわるいのを押しきって、「お茶でも飲まない。」相手はさらりと、「ええ。」ついそばの店の二階で、わたしは久しぶりで妙子と顔を見合せた。
「お師匠さんは。」「相変らずよ。黒木さん、どうなすったろうていってるわ。お遊びにいらっしゃらない。」「どうもね。」「ちっともかまやしないわよ。」「それに、梅ちゃんのことも気の毒だし……」「そんなこと、気にしないでもいいわ。あのひと、このごろとても朗らかなの。」「梅ちゃんがか。」「そうよ。だって、もうちゃんと出来てるんですもの。」「何が。」「あたらしい恋人。」「ふうん。」「さっきも逢ったわよ。神楽坂をいっしょに歩いてるとこ。」「銀さんじゃないんだな。」「ちがうわよ、まるっきり。近所のアパートにいる大学生でラグビイの選手だってひと。」「なんだ、そりゃ……そりゃきみのことじゃないのか。」「いやあねえ。だれがそんなこといって。」「なに……」「もっとも、おかしいの、それが。はじめ、その学生、いつもうちの前をうろうろしてたの。そしたら梅ちゃんが、妙ちゃんあれあなたよ、きっとあなたよっていうの。あたしばかばかしいから知らん顔してたらどうでしょう、一週間とたたないうちに梅ちゃんが……ええ平気でおもて歩いてんのよ、そのひとと。」「まあ、それならいいさ。卯太夫を見返してやろうというもんだ。」「でもさきのこと判りゃしないわ。」「いったい梅ちゃんは卯太夫が好きだったのかね。」「知らないわそんなこと。でも、卯太夫さんは今でも梅ちゃんが好きらしいわね。」「へえ。」「うちのお弟子さんで筑《つく》土《ど》の山崎さん、知ってるでしょ、あのひとがこないだ卯太夫さんに逢ったらそんなこといってたそうよ。それに、薩摩屋さんのことずいぶん恨んでるらしいのよ。」「卯太夫がね。」「銀公がおれたちの仲をぶちこわしたんだ。あいつにかきまわされたのがこじれの元だって……卯太夫さん、ほんとに梅ちゃんを塩町のうちに入れるつもりでいたのかも知れないわ。」「そりゃ卯太夫としちゃ云分もあるだろうが、ぼくはもうたくさんだ。今あいつの弁明に耳を藉《か》そうという興味はないな。そんなこと、どうでもよくなった。新規蒔《ま》き直しだよ、こっちは。」「あたしもそうなの。」「え。」「あたしもうじき揚場のうちにいなくなるのよ。」「どうして。」「父が、あたしのほんとの……」「あ、朝鮮においでだとかいう……」「ええ、それが没《な》くなったの。こないだ知らせがあって。」「それは。」「知らないうちに何かで当てたらしいのね。あたしにも遺産くれるんですって。そんな大したもんじゃないけど、女ひとりなら当分どうにかくらせるぐらい。で、あたし揚場のうちを……」「でも、きみがいなくなっちゃ……」「梅ちゃんがいるじゃないの。あたし、そうしたほうがいいと思うのよ。揚場の母だってどんなに安心するか知れないわ。」「きみもせいせいするか。」「そりゃそうよ、結局。あたしお師匠さん商売なんてどうせ長つづきしそうもないわ。」「で、きみは朝鮮ヘ……」「行ってもしょうがないの。実母《はは》はとうにいないんですし、兄弟は他人同様になっているんですもの。あたし、やっぱりこっちにいて、ひとりで何か……」「何をするつもり。」「まだ判らないわ。でも何かしようっていう、そういう気持があれば、しぜん何とかなって行くんじゃないの。あたし、くらしぶりをすっかり変えちゃおうと思うの。断髪で、洋装にして……万事がらりと変ると、とたんにいい智慧《ちえ》が浮びそうだわ。」「そう簡単にも行くまい。だが、くらしぶりを変えるということがすでに大した智慧じゃないか。」
わたしは先刻、これで一切ケリかなどとうそぶいたとき、じつは踏ん張った足がつるりとすべりそうな気がして、もし妙子がひょっと目前にあらわれたとしたならばどうであろう、またもや脆《もろ》くもぐらぐらとしかけるのではないかと、ひそかに危惧《きぐ》を抱《いだ》いたのであったが、ここに妙子とあい対しながら、わたしは格別興奮に胸をときめかせるでもなく、咲く花舞う蝶《ちょう》を見るごとく、心のどかに相手を眺《なが》めていられるというのは、あるいは妙子はわたしにとっていつか類型となりおおせたためで、これはもうてのひらを掠《かす》めて逃げ去って行く未知の女ではなく、別れた後に何の愛惜すべき神秘も残らないほどすでにすべてを知り尽してしまった女なのであろうか。しかし、その因《もと》は妙子よりも、どうやらわたしにあるらしく思われる。今やわたしの小さい胆にもそろそろ毛が生えかかって、物に引きずられる代りに、わが身を引きずろうとする物をぐいとつかんで、くもらぬ眼の下に見直すだけのねばりが附いて来たようである。これもまたなにものかであるならば、みのりなき五十余日の生活の中からわたしが抽《ひき》出《だ》しえたただ一つの収穫は、まずこれといえばいえるのであろう。
やがて、その店を出て、「じゃ、また。」「今どちら。」「当分宿なしだ。」「そのうち、どこかで……」「逢いそうな気がするね。やっぱりこうして逢うのが一番よさそうだ。ある日街でばったりというやつが。」「今度逢ったとき、あたし見ちがえないようにしてね。」「そのつもりで、せいぜい化けたまえ。」「あなたもすこし変ったわ。お元気そうよ。」「お茶を飲みながらきみの相手がつとまるところを見るとね。」
ふり仰ぐと、さきほどからあやしかった空模様の、夜目にも雲が濃くなったのに、妙子はすぐ車へ、「さよなら。」硝子《ガラス》窓ごしに揺れる横顔を見送って、わたしは外套《がいとう》の襟《えり》をぴんと立て手提鞄《てさげかばん》を振りながら、はたちのわかもののように口笛でも吹きそうなかたちで、もうぽつぽつ落ちて来た雨の中を歩き出した。
山桜
判りにくい道といってもこうして図に描けば簡単だが、どう描いても簡単にしか描けないとすればこれはよほど判りにくい道に相違なく、第一今鉛筆描きの略図をたよりに杖《つえ》のさきで地べたに引いている直線や曲線こそ簡単どころか、この中には丘もあるし林もあるし流もあるし人家もあるし、しかもその道をこれからたどらねばならぬ身とすればそろそろ茫然《ぼうぜん》としかけるのだが、肝腎《かんじん》の行先は依然として見当がつかず、わずかに測定しえたかと思われるのは二つの点、つまり現在のわたしの位置と先刻電車をおりた国分寺のありどころだけであった。駅から南寄りに一里ばかり、もうすこし伸《の》せば府中あたりへ出るのであろうか、ここは武蔵《むさし》野《の》のただ中、とある櫟《くぬぎ》林《ばやし》のほとりで、わたしは若草の上に寝ころび晴れわたった空の光にうつらうつらとしている。それというのもはじめての判りにくい道を御丁寧にもさらにあらぬ方へと踏み迷ったためで、その元は一本の山桜のせいだが、いったいどうしてこんな思いがけぬところにまで出て来たかというにこれは畢竟《ひっきょう》ジェラール・ド・ネルヴァルのマントのせいらしい。何もかもあのせいこのせいと、はたにかずけるのは気のさすはなしだが、実際のところ昨日の正午《ひる》さがりわたしが神田の片隅《かたすみ》にある貸間、天井の低い二階の四畳半から寝巻姿のままふらりと町中へさまよい出たのはまさしくネルヴァルのマントのなせるわざであった。さてこのマントというやつには格別の仔《し》細《さい》はなく、かつて読んだある本の中に「ジェラール・ド・ネルヴァルが長身に黒のソフト、黒のマントをひらひらと夜風になびかせ……」とあった、それだけのみじかい文句が不思議にも体内に沁《し》み入り、あたかもわたしみずからネルヴァルに出逢ったかのごとくときどきその光景を想い見るのだが、そのおりにはたちまち魔法にかかったようにからだが宙に吊《つ》り上げられて、さあこうしてはいられないぞと、じっとこらえるすべもあることか、真昼深夜のわかちなくあやしい熱に浮かされて外へ駆け出てしまうという、これは何ともえたいの知れぬあさましいわたしの発作なのだ。で、昨日もこうしてニコライ堂の下あたり、雨あがりの、春の日とはいえいちめんにぎらぎら照りつける鋪《ほ》道《どう》の上を歩いていると、うしろで「おい、おい。」はっとわれに返り、ふり向くまでもなく巡査よりほか出す声でないとは知れたがそのまま行き過ぎようとすると、また「おい、おい。」よんどころなく立ちどまって、「何です。」「どこへ行く。」わたしにとってこれ以上の難問はないので黙っていると、「きょうは仕事は休みか、朝めしはどこで食った。」勤労者と見立ててくれたばかりか食事の心配までしてくれる親切をもてあましながら、わたしは四辻《よつつじ》のほこりを頭から浴びて返答もしどろもどろであった。結局その場は無事にすんだものの考えるまでもなく咎《とが》はこちらにあるので、おどろの髪をふりみだし、よれよれの寝巻の上から垢《あか》まみれのレインコートをかぶって、すり減った朴《ほお》歯《ば》をがらがらという風態《ふうてい》を白日の下にさらしたのではたれの眼にも不審に見えようではないか。今やわたしを生活の閾《しきい》ぎわに食いとめ此世の屈辱から守ってくれるものは世間並の実直な服装よりほかないのだと、わたしはすぐ青山の親戚《しんせき》、退職判事のもとを訪れて、「金を貸してくれませんか。」「何にする。」「洋服を質から出すんです。」「洋服はともかく、そんなくらしぶりをいつまでつづけるつもりなのだ。職にでも就いたらどうだ。」「どんな職があるんです。画なんぞいくら描いたって売れないし、寄席《よせ》の下足番にでもと思っても、しろうとはおことわりだそうですし、この上は山伏修験《しゅげん》の道でも学ぶよりほかありません。」「くだらんことをいっておるひまに生活の建て直しを考えたらどうだ。」「それにしても金です。」「わしのような貧棒人《びんぼうにん》のところへ来て金、金といってもせいぜい五円か十円か、それさえさしつかえるくらいだ。吉波に相談してみたか。」「いいえ。」「一応頼んでみるがよかろう。あれも善太郎が病身でな、今国分寺の別荘へ行っとる。きみはまだあの家を知らんか。図を描いてやろう。」鉛筆描きの略図に添えて出された十円札でどうにかみなりをととのえ、さて今草に寝ころんでいるわたしのふところにはもう帰りの電車賃しか残ってはいず、しかもたずねる吉波善作の別荘はどの方角やら、やっと判ったのが前に述べた二つの地点だけとすれば、もはやこの二点を結ぶ直線をたどり返すより仕方なく、駅からまた電車でお茶の水まで逆もどりをするばかり。――こうなると結句のんびりして、金策の件はどうともなれ、まだ残っているたばこが尽きたらば帰るまでのこと、晩にはまた洋服を元に納めて安酒でもと、あおむけにふり仰ぐ中空にゆらゆらと山桜のすがた……これとてもネルヴァルのマント同様何のたわいもないことで、さきほど原中の道のわかれ目で一本の山桜を見たというだけのはなしである。
もっとも多少の因縁といえば、わたしはもう十二年ばかり前青山の判事の家で庭にただ一本の山桜の下に判事の娘の京子を立たせて写真をとったことがあるのだ。当時わたしは写真に凝って三脚の附いた重いのをやたらにかつぎ廻ったものだが京子をとったのはそれ一度きり、たぶん京子がその春結婚する前に、これもわたしの遠縁にあたる吉波、現在は予備の騎兵大佐で某肥料会社の重役をつとめている善作のもとへ嫁《とつ》ぐ前に記念のためというのでもあったか、父親の判事も縁先に出てうしろから眺《なが》めていたと思う。しかし先刻道ばたの山桜の下にたたずんだとき、わたしは京子の回想というよりも思いがけなく写真機の亡霊に取り憑《つ》かれてしまった。つまり突然たれかがわたしの背後に忍びよって例の赤裏の黒布を頭からすっぽりかぶせ、うろたえる眼の先にレンズをぎゅっと押しあてでもしたかのように、もうわたしは宙にちらちらする花びらよりほか何も見えなくなってしまった。それはすでに一本の山桜ではなくて一目千本の名所に分け入ったごとく、わたしは頼みの略図を忘れてついまぼろしに釣られつつ、物見遊《ゆ》山《さん》にでも出て来たような浮かれごこちになり宛《あて》もなくふわふわここまで迷いこんだ始末である。どうやらわたしは吉波の家を訪ねることは気がすすまないらしくもあるが、それよりも第一今日の糧《かて》にも窮する身の上でありながら銀貨の夢でも見ることか、こんな呆《ほお》けたていたらくでは生活の建て直しどころではなく、のんきとか、ずぼらとか、ずうずうしいとか、これは今やそんなことばではかたのつかぬわたしの本性《ほんしょう》なのであろうか。せめては本性の見《み》極《きわ》めがつくならばともかく、何が本性やら化性《けしょう》やら、途方にくれて寝ころんでいるわたしであってみれば、ただ意味のない線を杖のさきで地べたにしるすばかりであるが、そのとき眼の前の草の上に影がさしたのにふと頭をあげて見ると、赤い小型自転車にもたれて子供が一人立っていた。ひょろひょろと長い膸《すね》の、その靴下のまくれたところから見える肌の色が顔の色とおなじく蒼白《そうはく》な、早熟らしい眼鼻だちだが、金ぼたんの光る上《うわ》著《ぎ》のポケットのふくれているのはキャラメルでもはいっていそうな小学生であった。
「おじさん。」
「うん。」
「ぼく、おじさん識《し》ってるよ。」
「どうして。」
「おじさん、画を描くおじさんだろ。」
「あ、そうか。」まえにこの子供がまだ七八歳のころ見たことがあったのを思い出して、
「善坊か。善太郎君だったな、きみは。大きくなったな。」
「おじさん、どこへ行くの。」
「きみのところへでも行こうかと思ってる。」
「じゃいっしょに行こう。パパいるよ。」
「どこだい、きみのうちは。」
「あすこ。」と子供の指さした森のかなたに、西洋瓦の屋根が見えがくれしていた。
わたしは善太郎といっしょに歩き出したが、それはほとんどわたし独《ひと》りで歩いて行ったようなものだ。原をよこぎりながら前にちらつく小型自転車の赤い色こそ眼に残っているが、子供が何をはなしかけたか、それにどんな受けこたえをしたか、あるいは黙ったままでいたか、どうもおぼろげなのだ。じつはこのとき気になりかけたのは靴の裏皮のことで、わたしの靴はとうに底が破れてぱくぱくになり、いつも踏みつけるたびごとにずきんと虫歯で石を噛《か》んだような思いをしているのだが、この柔軟な草の上にあって突然田舎《いなか》道《みち》の小砂利の痛さがざらざらと頭にひびきはじめ、一つ気になり出すと涯《はてし》のない癖でわけもなくささくれる焦躁《しょうそう》に息を切らしているうちに、さっと日がかげって風がひややかになり、いつか原が尽きてそこは森の中で、今わたしの靴はわだかまった木の根や落ち散った小枝の上を踏み越えているにも係らずもう裏皮のことは念頭にのぼらず、わたしはまたも茫然《ぼうぜん》たる沈静の底に吸いこまれていた。
森の涯というよりも森の一部を仕切った粗《あら》い柵《さく》の中にその家は建っているのだが、ひとは道を行きながらついそこに迷い入り、向うにエスパニヤ風の玄関を望むまでは大きい自然木の門を通り過ぎたことに気がつかないくらいだ。ここに、わたしはその門内の立木のあいだを歩きつつ先刻から奇怪にも額がじりじり焦げつくような感じに責め立てられ、太陽に近づくイカルさながら進むにつれて髪の根が燃えるばかりの苦しさに頭を一ふり揺り上げると、前面の二階に張り出した露台の上で、欄干《てすり》に蔽《おお》いかぶさる葉ごもりを透して二つの眼が爛爛《らんらん》とこちらを睨《にら》んでいた。がっしり椅子に倚《よ》った著流しのからだつきは吉波善作と一目で知れたが、わたしはその視線の鋭さ烈《はげ》しさに突然魔物にでも出逢ったごとく狼《ろう》狽《ばい》しかけたとき、善作はついと立って手を振りかざした。それは決して歓迎の意をあらわした態度ではなく、呪《じゅ》詛《そ》にみちみちたひとの恰好《かっこう》にほかならず、あわや巨大な鉄の熊手が風を切って頭上に落ちかかるのではないかと思わずわたしは頸《くび》をちぢめたが、そのとたん善作の手は空にさっと弧を描いて振りおろされ、同時にぴしゃりという音がひびいた。椅子とか卓とかを打つ音ではなく、それはまさしく憎《ぞう》悪《お》をもって人間の生身を打つ音なのだ。わたしは自分の耳朶《じだ》を張りとばされたと同然どきんと息をつまらせてふり仰ぐと、欄干の葉がくれにぶるぶるふるえる袂《たもと》、しっとり水に濡《ぬ》れたような著物のぬしは、京子でなくてたれであろう、わたしの足はぎょっとしてそこに釘《くぎ》づけになってしまった。打たれたのが京子にほかならないとすれば、これはどうしたわけなのか。善作がその粗野な愛情を捧《ささ》げつくしているという妻をなんで打たなければならないのか。しかも今冴《さ》えきっているわたしの耳にかすかな悲鳴さえ聞えて来ないのは、いったい京子がどれほどの悩みに歯を食いしばらなければならないというのだ。あやうくのけぞろうとするのをぐっと踏みこたえると、ついそばの柔いものに突き当り、ああそうだ、善太郎がいたのだと気がつきながらそのまま手をかけて小さい肩にすがったが、このとき顔と顔をひたと突き合せるや、どこの悪魔の不意打か、わたしはううんと恐怖のうめきをあげて、奈落に落ちるばかりに顛倒《てんとう》してしまった。今まのあたりに見る顔はわたしの顔よりほかのものではない。ときどき鏡の中に見かける顔、まごう方ないわたし自身の相好《そうごう》なのだ。じつはさきほど原の中で善太郎の顔を見た際、ゆえ知らず胸をとどろかし、いや、これは京子のまぼろしに脅かされたか、とんだ通俗小説の一場面を演じたものかなと苦笑したのであったが、今はもう苦笑どころではなく、わたしは瘧《おこり》やみのごとくがたがたふるえ出す全身を抑《おさ》えようもなかった。いってみれば、これとても通俗小説的な感動ではあろう。しかし生爪を剥《は》がしたぐらいのことにも、わが身の上となればひとは苦痛に堪えられないではないか。この衝撃のきびしさに、虚心も反省もあったことか、わたしは醤《ひしお》のようにぺちゃんと叩《たた》きつけられてしまった。いったいたれがこんな落し穴を掘っておいたのか。かかる怖《おそ》ろしい秘密がいつの間にわたしを待ち受けていたのか。なるほど、こうして善太郎とわたしとならんだところを眺めては善作の眼が呪詛に燃え出すのも無理はないが、そもそも善作はあの粗い神経をもって一目でこの秘密を見破りえたのであろうか。当人のわたしこそ知らぬがほとけであるにしても、おそらく傍《はた》目《め》のたしかさは神経のきめ《・・》に係りないのであろう。第一これは善作の身にとって容易ならぬ急所の一えぐりではないか。いや、いや、そんなはずはない、善作は今突然この秘密に気づいたのではないのだ。この必至の場面は前もって善作の心のうちに練り上げられていたものに相違あるまい。その証拠には、わたしが門内に踏み入るやいなや、あの眼の光は早くも遠くからわたしの額に焼きつきはじめたではないか。京子にしても、げんに京子は善作の打撃の下に声一つ立てえないほどあらかじめこの秘密に圧《お》しひしがれているではないか。これはわたし一人にとっての不意打でしかなく、吉波一家にあってはもはや疑惑嫉《しっ》妬《と》などというなまやさしいさざなみを越えたいのち取りの渦潮なのだ。ところでわたしは今この渦の中にだらしなく鼻の穴をひろげ、破れ靴を曳《ひ》きずりながら金を貸してくれといいに行こうとしているのだ……
「どうしたの、おじさん。上ろうよ、さあ。」
このときわたしの想像の中でわたしは善太郎の手を振りきってまっしぐらに門外に駆け出していたにも係らず、いつか雲を踏むような足どりで玄関を過ぎ露台へ通ずる階段を上っていたというのはもう他人の示す指先よりほかわたしには方向が……いや、無意味なことをしゃべり出したものだ、今時分方向のあるなしがどうしたというのだ。じつはポオの書いたある人物のようにわたしはここでわが身が独楽《こま》になったと思いこみ、ぶんぶんからだを振りまわしかねない状態であったが、こうして階段の上に立ったわたしは鴬《うぐいす》の谷渡りとでもいう独楽のすがたで、夢うつつの堺の糸に乗りながら、あれよと見る間にすべりのぼる自分をどうしようもなかった。
露台で、善作は籘《とう》椅子《いす》にかけて葉巻を噛《か》んでいた。すこし離れたところに、欄干まで伸びて来ている梢《こずえ》のかげに横顔をかくして、京子がやはり籐椅子の上にいた、わたしがふるえのとまらぬ脚を突っぱりながらおどおど挨拶のことばをかけても京子は身うごきもせず、善作はわずかに「やあ」と頭を振ったきり、すぐ善太郎のほうへ向いて、
「善太郎、どこへ行ってたんだ、御飯もたべないで。」
「ぼく、お友だちんところで遊んでたんだよ。帰りに原っぱでおじさんに逢ったからつれて来てあげたの。」
「いいから下へ行ってなさい。」
善太郎が行ってしまうと椅子をくるりと廻して向うを眺めている善作に取りつく島もなく、わたしはうそ寒くちぢまって咽喉《のど》をからからに乾《ひ》からびさせるばかりであったが、もはやこの沈黙に堪えきれず、かかる異常な重圧の下に胸を緊めつけられているよりはどんな愚かしいひびきを立てるにしろ、いっそ音に出《い》でて吐息をつこうと、そのときわたしのもつれる舌から押し出されたことばは、ああ、「金を貸してくれませんか。」とたんに、からだじゅうに赫《かっ》と汗が湧《わ》き出て、わたしは屈辱に歯ぎしりしはじめた。
「金。ふん、金か。」
やはりそっぽを向いたまま鼻でうそぶいていた善作はむっくり立ち上って、
「ただ金、金とさわいだところで、金がふって来るはずもなかろう。だが、せっかく来たものだからすこしぐらいなら用立ててもいい。酒落《しゃれ》や道楽で出すわけじゃない。きみに早く帰ってもらおうと思ってな。こっちはいそがしいからだだからきみの相手なんかしておれん。」
身から出た┝《さび》とはいえ、わたしは京子の眼の前であまりの侮辱に忍びかね、今下へおりて行く善作の後姿に飛びかかろうとしかけたが、軍隊できたえた逞《たく》ましい腕に細い襟《えり》くびをねじあげられて猫の仔《こ》のように抛《ほう》り出されるまでのことと思えば、腑甲斐《ふがい》なく椅子にしがみついたまま、一度恥をかき出すと止《とめ》度《ど》なく恥をかくものだなと籘の網目にからだがちぎれるほどのせつなさで、うわべはすれからしの銭貰《ぜにもら》い同然しゃあしゃあとした面《つら》の皮をさらしている有様であった。だが、こうして二人きりになっても、やはり京子は声をかけるはおろかふり向いてさえくれないのだ。わたしはさっきから京子のことばを今か今かと待っているのだが、この冷淡さは善作の侮辱にもまして我慢がならず、われを忘れて跳《は》ね上りながら「京子さん」と呼んだ。沈黙。もう一度呼んでみたが依然として手《て》応《ごた》えのない相手にこちらから何と切り出そうことばとてはなく、また椅子によろけかかってむなしく京子を見つづけた。この邂逅《かいこう》は何年ぶりのことであろう。しかしわたしにとってこれは意外の京子ではないのだ。というのは、わたしはときどき独り紙を伸べて京子の姿を描きかけることがあるのだが、いつも紙の上にしるされるのは著物をきた女の形だけで、肝腎の顔の線はどう探っても満足に引かれたためしがなく、白紙を前にじっと凝視すればするほどわたしの瞼《まぶた》はいつか濛濛《もうもう》と曇ってしまうのだ。げんにこうしてまのあたりに京子を見つめながら、藍《あい》地《じ》に青海《せいがい》波《は》の著物の模様はいたずらにあざやかでもつめたい横顔は葉がくれに白くちらちらするばかりで、それさえ空の碧《あお》に融《と》けがちである。今わたしはふところから紙片を取り出して、ここに京子のスケッチをこころみているのだが、二枚、三枚と鉛筆をはしらせても結果はいつもとおなじこと、いかにへぼ画描きにせよ、へたはへたなりの出来上りがあろうものをと、わたしは首のない女の像を前にしてあたかも名工苦心のていのようであったとはいえ、内心は何の精進ぞ、ただわくわく胸を波うたせてあきれたゆとうほかなく、またもあえぎながら「京子さん、ちょっとこっちを向いて下さい。ぼくはあなたの顔を見なければならないんだ。」とわめいた。そのときかすかに揺れたかと思われた京子の姿に近寄る間もなく、うしろから脊椎《せきつい》にひびくほど押し迫るもののけはいにふり返ると、善作がそこに立っていた。わたしは善作の体臭にくらくらとして、「あっ」とさけびながら倒れかかるからだを卓の上に投げて、ひろげたままの紙片をとっさにかくそうとしたが、おののく指先をすべり抜けて、首のない女の像はあからさまにはらはらと床に落ち散った。こうしてこちらから秘密の底を割って見せた上は、どんなみじめな敗北に打ちのめされようとも善作とたたかわなければならないのだと、わたしは動《どう》悸《き》をおさえながら静脈のふるえる拳《こぶし》に力をこめて起き上った。善作は立ったままじっとわたしを睨《にら》んでいたが、突然さっと針のような光を瞳《ひとみ》に走らせ、てのひらにくちゃくちゃとにぎっていたものをわたしの面上に投げつけると、大声にさけびながら階段を駆けおりて行った。散乱した数枚の紙幣とともに善作の声がひびきわたった。
「かえってくれ、さっさとかえってくれ、かえれ。」
わたしは椅子の上にくず折れ、もう一歩を踏み出す力もうせて、どこでどんな位置におかれていようとかまいなく、きょとんと眼を空《くう》に据えていた。しかし、決してぼんやりしているどころか、かかる場合にこそ到底ぼんやりしてなどいられるものではない。理性につながるわがための命綱がさいわいにまだ朽ちきっていないならば今こそ綱の端にすがらなければならないときだろう。だが、いったいどこの綱手をどう手繰《たぐ》れば鈴が鳴るというのか。堂堂たる理法の綾《あや》の中にまぎれこもうなどという贅沢《ぜいたく》な望みではなく、どんな頼りないことばの藁《わら》ぎれでもつかみたいとあえいでいる有様なのだが、それほどの手がかりさえぷっつり断たれているほどわたしは痴呆性《ちほうしょう》だといよいよ相場がきまったのであろうか。それならそれで、わたしにも覚悟のきめようがあろうに……しかしその覚悟にたどりつくまでのゆとりもこのとき許されなかった。というのは、いつの間にか上って来た善太郎の声をついそばに聞かなければならなかったのだ。
「おじさん邪魔だよ。轢《ひ》いちゃうよ、ぽう、ぽう。」
善太郎は鋼《はがね》のレールを床の上に敷いて外国製らしい汽《き》鑵車《かんしゃ》を走らせる支度をしていた。子供といっても十一二歳のませた性なのにこんながんぜない遊びをするとは、わたしのためにはしゃいで見せたのであろうか。わたしは今度こそぼんやりして小さい汽車のうごくのを眺めはじめたのだが、突然善太郎は何をみとめたのか欄干のほうへ駆けて行き「パパ、パパ」と手を叩きながらおどり出した。わたしも立ち上って見ると、すぐ下の池のそばで、遠乗にでも行くのであろう、乗馬服にきかえた善作がこちらに背中を向けて石の上に腰かけ、鞭《むち》をふるってぴしゃりぴしゃりと水の面を打っていた。水のしぶきの中でいくつかの緋《ひ》鯉《ごい》の鱗《うろこ》が跳《は》ねかえって光るのに、善作の鞭は一そう猛《たけ》り狂い、空を切ってひゅうひゅうと鳴りひびいた。そもそもはじめからわけのわからぬことずくめだのに、こちらがそれに輪をかけた判じ物の面相をしていたのではますますはなしがこじれる一方ではないか、いっそ、けらけらと笑ってやれと、わたしはこの光景を前にして洞穴《ほらあな》からひょっくり首を出したようにあやしくも闊然《かつぜん》として天地の開ける思いをしたが、ここに恥ずかしいことにはわたしは突拍子もないときに愚かなことばを口走る病があるので、今も、「京子さん、お宅ではいつもああして鯉に運動させるんですか」といいながら、うしろをふり向くと、とたんに京子の姿は籐椅子の中から拭《ふ》いたように消えうせ、下枝の葉が二三片風に落ちているばかりであった。そのときはっと、そうだ、京子は去年のくれ肺炎でたしかに死んでしまっているのだ、まったくそうだったと、ぴんと鳴らす指の音で鼻づらを打たれたごとく、わたしの眼路《めじ》のかぎりにたちこめた霧は今とぎれとぎれに散りかけるのであったが、さてそんなにも明るい光線の下でまだかたくなに鞭をふるっている善作の背中の表情に直面しなければならぬ羽目に立ち至ったかと思えば、ほっと一息入れる束《つか》の間の安息とてはなく、わたしは襟もとがぞくぞくしてその場に立ちすくんでしまった。
マルスの歌
歌が聞えて来ると……だが、この感情をどうあらわしたらばよいのか。今、黄昏《たそがれ》の室内でひとり椅子にかけているわたしの耳もとに、狂躁《きょうそう》の巷《ちまた》から窓硝子《ガラス》を打って殺到して来る流行歌『マルス』のことをいっているのだ。
神ねむりたる天が下
智慧《ちえ》ことごとく黙したり
いざ起《た》て、マルス、勇ましく
……………………………………
いぶり臭いその歌声の嵐《あらし》はまっくろな煤《すす》となって家家の隅《すみ》にまで吹きつけ、町中の樹木を涸《か》らし、鶏犬をも窒息させ、時代の傷口がそこにぱっくり割れはじけていた……しかし、いったいこんなふうの文句をどれほど書きつづけて行ったならば、わたしは小説がはじまるところまで到達することができるのか。実際、わたしはこの数日小説を書こうと努めつつ、破れ椅子の上でひそかにのたうちまわりながら、しかもペンが記《しる》しえたかぎりのものはこんなふうの、ああ、無《む》慙《ざん》にもおさない詠《えい》歎《たん》の出《で》殻《がら》に過ぎぬ拙劣な文句のかずかずでしかなかった。『マルス』の怒号に依って掏《す》りかえられた鬱陶《うっとう》しい季節の中では、こんなあわれな芸当しかわたしにはできないというのか。嘲笑《ちょうしょう》する窓外の歌声に赫《かっ》となって、わたしはいらだつ指先で書くそばから一枚一枚びりびりと紙を裂き、それを宙に投げつけ、床に散った紙屑《かみくず》の中に依然として整理されないままのわが感情を踏みにじった。そもそも地上の出来事に、どうしてこれほど本気になるのだ。およそ小説を書くべきペンはどんな地上的感情をも、その乱雑をもかならず切断してしまっているはずではないか。わたしは立ち上ってはるかに街頭の流行歌に向いNO!とさけんだ。そして、すぐそのあとから歯ぎしりしてこみ上げて来る感情の揺れかえしをぐっと噛《か》みとめ、またもペンを取り直し、もうすべてを刎《は》ねつけ、きちがいのようになって、さあ、是が非でも、小説……
昨夜ここまで書いて――まことに恥かしいがたったこれっぱかりしか書かないで、一行の小説的文章をもえられぬ室内にいたたまれず、わたしはつい外に出て町をあるき、すこし酒を飲み、わたしにとって誂《あつら》えむきの眠り場所である映画小屋にはいった。スクリーンよりほかには光のささぬ薄闇《うすやみ》に溶け入り、たがいに知らん顔でかたまりあった人間どもの無意識の隙《すき》間《ま》におちついて眠り人形のようにうとうとしていると、不意に大きい音がした。見ると、スクリーンでは巨大な軍艦が晴れた水の上に長い砲身を突き出し、おそらく今発射したばかりなのだろう、なに食わぬていでとりすましたその砲口から、ふわりと一吹き、薄いまっしろな煙がほそく流れてすぐ消えた。それは一瞬間日向《ひなた》ぼっこをしている老人の煙《きせ》管《る》から吐き出されたもののように、はなはだのどからしい煙と映ったが、そんなしらばっくれたけはいにこそ砲撃の凄《すさ》まじさが的確に感じられて、わたしはぎょっと胸を突かれた。すると、場面が変って、そこは水辺に楊柳《ようりゅう》のある村落のけしきで、なかば壊《こわ》された農家の前に笑い顔をした壮丁のむれがつどい、真中に一人年長と見えるのが椅子にかけて、これはとくにゆたかに髯《ひげ》をそよがせて笑いながら両手を前に突き出していたが、その逞《たく》ましい手の下に小さいあたまを圧《お》しつけられて、まさしく壮丁らとは国籍を異にするところの二人の子供が立っていた。それはまさに平和的な光景らしかった。だが、郷土の山河と他国人の笑のうちにあって、この二人の子供の顔には、涙とか憂鬱とか虚無感とか、絵に写せば写せるような御愛嬌《おあいきょう》な表情はなかった。かれらは切羽つまった沈黙の中で率直にNO!とさけんでいた。ああ、かれらのNO!を前にして、わたしのNO!の微弱低調なひびきなどなにものだろう。わたしは今こそ書かれるべき小説の一行をも書きえないで、てれかくしに酒を飲んだり、だらしなく居ねむりをしたり……わたしは恥辱にまみれ、びっしょり汗をかき、こそこそと席を立ち、(尻《しっ》尾《ぽ》があれば)尻尾を巻いて、人々《ひとびと》の足のあいだから外へ抜け出した……
今、銀座の裏町に在るこのアパートの一室で、日ごとに高くなる街頭の流行歌『マルス』の声に耳を打たれながら、わたしはまたも黄昏の光に浸ってペンを取っている。もうきちがいのようにではなく、わたしの正気をペン先に突きとめるために、まだうごかぬペンをうごかそうと努めているのだ。すると突然うしろのドアのほうで、かちりと引手の鳴る音がした。振りかえると、ドアがばたんとあいて、駆けこんで来た一人の若い女がいきなり壁ぎわのベッドの上にからだを投げつけ、おさえきれぬさけびに身もだえして、「わーっ」と泣き出した……
たちまち、小説の世界はまだはじまらないのに、室内の空気が切り換えられた。しばらくペンを曲げて、事実のほうから書き出すことにしよう。
「わーっ」と泣き出したその若い女の、黄ろいスーツの襞《ひだ》が肩先にふわふわ揺れるのを眺《なが》めながら、わたしは手のつけられないかたちで、「どうしたんだ、オビイ。」
わたしの従妹《いとこ》にあたる冬子と帯子は先年つづけて両親をうしない、姉の冬子はすでに某新聞社の写真部員相生《あいおい》三治と結婚して蒲《かま》田《た》に夫婦二人の家庭をもち、妹の帯子は家の当主である郷里の兄、神奈川県の某市で漁業会社をいとなんでいる実兄からの仕送りを受けて目下駿《する》河《が》台《だい》の某女学校に通い、わたしとおなじこのアパートの他の一室をひとりで借りているのだが、これは郷里の兄の考ではわたしの監督の下に置いたつもりなのにも係らず、それにははなはだ不適当なわたしの放任をよいことにして、帯子はただ場所柄の繁華が気に入っているらしく、朝出かけたまま夜遅くまで帰らなかったり、あるいはときどき自分の部屋に友だちをあつめ隣室に気兼もせずさわいだり、日常何をしているのかこちらの配慮の埒外《らちがい》に跳《は》ねまわっていたのに、今、突然その帯子がここのベッドの上に泣き崩《くず》れた。歌など作ることが好きであった亡父の命名に係るこの帯子という名は本来タラシコと読まれていたのだが、当人はいつのころからかオビコまたはオビイと発音し、署名にはObiと書き、これはローマ字ではなく河の名を取ったのだそうで、その河の名が愛称に転じて、「どうしたんだ、オビイ、なにを泣くんだ。」
わたしは立ち上って、薄暗い室内に電燈をつけ、まだうつ伏したままの帯子をあやすように、「オオ・ド・コロンでもやろうか。」とたんにその常談めいた口調を刎《は》ねかえして、きゅっと首をふり上げた帯子が「ひとって、なんにも理由がないのに、全然死ぬ理由がないのに、いきなり死んじゃうことあるもんか知ら。」そうつぶやいたことばの熱さで、かっと咽喉《のど》にたぎる涙の中から「ねえさん、死んだんです。」「え、冬子が。」「ねえさんが……」「どうして死んだんだ。なぜ早くそういわなかった。」「あたし、ねえさんはきっと生きてる、きっと生きてる、とそう信じようとしてたの。でも、だめだわ。死んだにちがいないわ。死んじゃったんだわ。」今もう涙の引いた頬《ほお》を蒼白《あおじろ》くちぢらせて、あらぬ方を見据えている帯子に対し、わたしは取り上げていたたばこをいつか指で揉《も》みつぶして「それは何のことなんだ。はっきりいいたまえ。」「こわいの。」「何が。」「はっきりいうことが、いえ、はっきりいいようのないことが……でも、そうとしか思えない。」それから唇《くちびる》を噛みしめ、頭の中の霧をことばでちぎるように、「死ぬだけの理由がなければひとは死なないものだと、思っているのが見当ちがえなのね。死ぬひとは理由なんぞどうでもいいんだわね。ただ何とか理由をつけないと生きてる人間が安心できないのね。ねえさんが死んだという事実に面とむかって、あたし、もしこれが事実だったらどうしようと、おどおどしてたんだわ。」「いつのことだ。」「さっき蒲田へ行くと、そろそろ晩のお支度時分だのに玄関がぴったりしまっていて、裏へまわって見るとやっぱり内から錠がおりてるの。うちじゅうどこかへ行ったのか知らと、ぼんやり立ってると、うしろからばたばた足音がして、お嬢さま……ねえさんのうちの小女が夕日の中に泣き出しそうな顔つきで、お嬢さま、うちの奥さまはどこへいらしったんでございましょう。なんでも、お使いから帰って来るともう戸がしまっていて、近くの心当りを二三軒聞き合せてみても行《ゆく》方《え》が判らず、相生は留守だし、牛肉の包を持ってうろうろしてたところだそうで、で、ねえさんはどんな様子だったのってきくと、いいえ、お出かけになる御様子はございませんでした。近ごろはおからだの工合もよく、今度の土曜日曜にはどこかへ檀《だん》那《な》様と旅行にいらっしゃるっておはなしになってたくらいで……そう、じゃ、ちょっとそのへんに出たんだろうけど、どうしたんでしょうねと、もう一度勝手の硝《ガラ》子《ス》戸《ど》のそばに寄って、ほそい隙間に鼻を押っつけるようにして中をのぞいたとたん、ぷーんといやなにおい……」
……はっとして、そのとき帯子はよろめく踵《かかと》で輪を描きながら、たしかにガスに相違ないそのにおいが外へ洩《も》れるのをかくすように硝子戸にひたと背中を附けて「ねえや、心配しないでもいいわ、もう帰って来るわよ。あたしいそぐからおいとまするわ。別に用はないんだから。帰って来たらよろしくいってね。またそのうち伺うわ。」異様にはしゃいだ調子でそういい捨てると、途方にくれた小女を置きざりにして帯子は一町ばかり夢中で駆けつづけて来ていたが、しかしなぜこんなふうに逃げ出したのだろう。もしあのガスのにおいの中にうごきのとれぬ姉の死を嗅《か》ぎつけたとしたならば、とても逃げ出せる筋合ではない肉親の自分ではないか、不意に突き当った死の影がこれほど自分の生をおびえさせ戸惑いさせたのであろうか……いや、いや、第一に冬子が死ぬなんて、冬子が死なねばならぬどんな理由があるというのだ。親譲りの財産に恵まれた温良な相生三治を夫としてそれは静謐《せいひつ》な家庭なのだし、双方に内証の恋愛沙汰《ざた》など想像もできぬことであるし、たとえ安穏すぎる生活の無味に生活力が骨抜になったものとしても、それの証《あかし》を立てるために死んで見せるほどなまいきな冬子ではないし、家庭の平和に添える胡椒《こしょう》としてはすでに子供がないとか呼吸器が弱いとかいうことだけで十分のはずなのにその上にもみずから死のうなどと高望みをおこすほど贅沢《ぜいたく》な冬子とも思えず、いかに幸福であろうとも死ぬほど幸福な人物は物語の中にしか住んでいないのだ。それにしても、あのガスのにおいは……だが、それはガスだったのか。いったい何のにおいにたぶらかされて、ひとりで胸を掻《か》きむしっているのか。ふと帯子はいましがた硝子戸の前に散っていた葱《ねぎ》の皮をあざやかに思い浮ベ、突然強く眼にしみ入ったその青い茎の色に取りすがって、なアんだ、葱のにおいじゃないかと自分を納得させようとしながらも、なお鼻いっぱいにこびり附いているガスのにおいのたしかさにもう身をかわしようもなく止《とど》めを刺され、とたんにがーっと眼の前をとどろき過ぎるまっくろな物のかたちに「ああ」と気がつくと、そこは蒲田の踏切で、一列の貨車が駅を突き抜けて走っていた……
ふらふらと電車に乗り、有楽町でおりてプラットフォームのベンチに腰かけ、もう一度引っかえしてみようかとしばらくためらっていたが、どうしてもうごかぬ心の重みに圧《お》しひしがれて、ついこのアパートに帰って来た帯子で、今そのはなしを聞きながらわたしは唾《つば》の涸《か》れた口中のにがさを呑みこんで、「うん。」「なに。」「どうもそうだね、死んだんだね。理由……いや、そんなことじゃない。きみがガスのにおいで嗅《か》いだものを、ぼくはきみのことばで嗅いでいる。勘で当てるんじゃない、その通りだからそう感ずるんだ。たしかに死んだんだね。」
いつか、わたしと帯子はベッドの両端に離れながらならんで掛けていた。壁に虫が這《は》っていた。その虫のあとを追うように、帯子のうつろな声が低くひびいた。「ねえさんがなぜ死んじゃならないか、あたし一所懸命に死なない理由ばっかり考えてたんだわ。当人の身になって、発作にしろつまずきにしろ切羽つまったところを、ちっとも考えてやしなかったんだわ。」「それにしても、きみ、そのガスのにおいがしたときに、どうして硝子戸をぶち壊《こわ》して助けようという気にならなかったんだ。」たちまち帯子はぱっとわたしの膝《ひざ》の上に突っ伏し、爪を立ててわたしの腿《もも》をつかんで、からだを波打たせてすすり泣きはじめた。「なんて根性まがりな、罰《ばち》あたりな帯子。あのときすぐなら、きっと間に合ったわ、きっと助けられたわ。あたしどんなことしても、ねえさんを助けなけりゃならなかったんだわ。それを、それを……」と泣きじゃくって、「判らない、どうして逃げ出したんだか判らない。」
今、帯子はわたしから身を引き、両手に額をうずめ、前に屈《かが》んだままうごかなかった。壁の上の虫はもう見えなくなっていた。窓の外には巷《ちまた》の灯を釘のように打ちこんだ夜が迫り、わたしは火のけのない室内で身ぶるいした。すると、突然、帯子はぐっとのけざまに頭をそらし、指で強く髪の根を掻き上げて、きっぱりした声音で「帯子もうそのこと考えない。じつはね、帯子、今月のお金すっかり使っちゃったもんだから、さっき冬子に借りるつもりで行ったの。死んでるひとのところへお金借りに行くなんて、まあなんてみすぼらしい、みじめな……そのみじめさのために、さっきあの硝子戸の前から逃げ出したのかと思うと、そのためだけで冬子を見捨てたのかと思うと、もしそうだったらと思うと、こわくってこわくって、足がぞくぞくしちゃった。でも、もうだいじょぶ。帯子、どう考えても死んで行くひとと縁がないようだ。今みたいに、遠くで死にたくないひとが毎日たくさん死んでるときに、なんとなく自分勝手に死んじゃうなんて……決して、冬子を責めるわけじゃないの。なぜ冬子が死んだか、死んだのがいいのかわるいのか、そんなこと知らない。考えない。第一もう死んじゃったひとなんだもの。よーし、オビイ、もうそのこと考えないぞ。」そういいながら、帯子はハンドバッグからコンパクトを取り出して顔をたたき、マックス・ファクターの鉛筆できゅっと眉《まゆ》を引き上げた。
そのとき、窓の下の街路にトラックのひびきがきこえ、ひとびとの喚声があがり、いくつもの小旗を振る音がばさばさと夜風を切った。
いざ起て、マルス、勇ましく……
ああ、またはじまったのだ……ベッドの上に倒れたわたしから飛びのいて、帯子は窓ぎわに駆け寄り、硝子戸を上げて、街路にむかって大きく呼吸し、湧きかえる外の喚声とともに、右手を高く振りかざしながら、
――ばんざい!
とっさに、わたしは両手で耳を掩《おお》った。なにゆえにそうしたのか。帯子のさけびに秘められた悲痛なるものに鼓膜を刺されたのか。冬子の喪のために勇壮なる感歎詞を遠慮したのか。それとも単に頭脳の衛生のために推称しがたい流行歌を遮断《しゃだん》したのか。
「変なはなしだと思われるかも知れません。まったく変なはなしです。しかし、それを変だと思わないほど、ぼくは日常そのことに慣れっこになっていたんです。いや、そうじゃない。今でこそ変だといいますけど、そのときには別に何とも思っていなかったんです。ともかく、いたずらといおうか常談といおうか、事実冬子にはそんな癖がありました。それがとうとう取りかえしのつかないことになってしまいました。まったくぼくの不注意……じゃすまない。何とも残念、みなさんの前でこの通り冬子にあやまります。」
翌日、もう意外ではない冬子の急死を知らせる電報を受け取って、わたしと帯子が出かけて行った蒲《かま》田《た》の家の、その通夜の席上で、内輪の者十数名が居ならぶ中に、相生三治は右のようにいうと、正面に据えた冬子の柩《ひつぎ》の前にぺったりと坐って両手を畳に突き丁寧におじぎをした。昨夜社の仲間の会合から遅く帰って来た三治が閉ざされたわが家の扉を発見し、ついでガスの充満する家の中で奥の部屋に寝ている冬子を発見したときには、冬子はもう手当のしようもなく窒息していた。そのときまで小女は冬子が外出したものと信じきって隣家の台所を借りてぼんやり三治の帰りを待ちわびていたのだが、庭つづきの家並なのでガスのにおいは外に洩《も》れず、相生の平和な家庭を知っている近隣ではそれと気づくものが一人もなかったのだという。ところで、三治のいわゆる「変なはなし」とはつぎのごとくである。
相生三治と冬子が結婚したのは四年ほど前であった。栃木県のある豪家の三男である三治は東京の某私立大学を卒業し兵役は予備少尉であったが、在学中から趣味の写真に熱中してそのほうでは立派なくろうとで、すすめられて今つとめている新聞社の写真部に入社したもので、もともと生活の苦労はなく、自宅には暗室を設けるほど好きな写真のほかに道楽といっては玉突きぐらいで、酒もあまり飲めず、見知らぬ女の前に出ると常談一ついえないような生れつきで、ひたすら雛《ひな》を孵《かえ》すように冬子との生活を暖めているていであった。麦藁《むぎわら》のにおいがするその巣の中で、たいへん愉《たの》しく立ちはたらいた料理の時刻以外は、冬子は毎日本を読んでくらしていた。ただしその本の範囲は翻訳の戯曲だけに限られていて、好ききらいなく熱心に読みあさり、筋だのせりふだのをよく暗記していたが、ほかの部門のことになると冬子はおやと思うほど何も知らなかった。休みの日には、二人は小旅行したり映画を見に行ったりしたが、とくに新劇の公演を欠かしたことがなく、三治もいつかその趣味の中に翻訳の芝居をかぞえるようになっていた。
一年ばかり前のある日、それは雨のふっている日曜日であったが、縁側の籘《とう》椅子《いす》にかけて某全集本の一冊を読んでいた冬子が突然そばでフィルムをいじっていた三治にむかって「ねえ、『聾《つんぼ》の真似《まね》をするもいいが、度を過すといのちにかかわる』って、これどういうこと。」「え。」「『聾の真似をするもいいが……』」「いきなりそんなこといったって判らないよ。そりゃそれだけの意味なんだろう。」「だって……」「だって、そう書いてありゃ、それだけだろう。」「じゃ、それだけの意味っていう、その意味はどういうこと。」「知らないよ。ぼくはそんな学者じゃない。」そういいながら三治はちょっと心の中でいったい何のことだろうと考えて、相手のつぎのことばを待っていたが、冬子がそこでぷっつり黙ってしまったので、三治はフィルムをかたづけ、何げなく「冬子」と呼んだ。沈黙。冬子はそこに、籐椅子の上にじっとしたまま、三治のほうをふりむきもしなかった。「冬子……おい、どうしたんだ。」立上って来た三治が肩に手をかけて、「どうしたんだよ。」冬子は両方の耳の孔に人差指をさしこんで、唇《くちびる》を結んで「むーっ」といいながら眼で笑ってみせた。びっくりするような美しい眼であった。「そうか、冬子、聾になったのか。おまえ、聾か。」三治は冬子のあたまを抱《かか》え髪を撫《な》でながら、その結んだ唇にやさしくキスした。――その日は、それだけのことであった。
その後、冬子はときどき、とりわけ機《き》嫌《げん》のいい日に、いろいろな真似をした。唖《おし》になったり盲《めくら》になったりした。そして、そのような冬子に三治は愉《たの》しく相手役をつとめた。ある日、三治が夕方帰って来ると、冬子が跛《びっこ》を引いていた。三治は本当にけがをしたのかと思い、あやうく医者を呼びに行くところであった。しかし、それは結局三治が奇《き》蹟《せき》をおこなうひとの役割を演ずることに依って快《かい》癒《ゆ》した。ある朝、三治はベッドの中で四肢《しし》を硬直させたまま息を殺している冬子を発見した。「冬子、死んじゃった。」「ばかだな、おまえ。」「自殺の真似してみようかしら。」「ほんとに死んだらどうする。」「そんなの無意味だわ。ほんとに死ぬなんて全然あほらしい。ピストルや薬なんかだめね。いけないと思ったときにはほんとにいけないんだから。ほんとのことしてみたって、ちっともおもしろかないわ。ほんとのような嘘《うそ》のようなこと、ほんとにしかけていてやめようという気をうごかせばすぐやめられるようなこと……」
「もしそういうときの冬子に、何か病的なもの、不安なもの、ぶきみなものが感じられたとしたら、ぼくにしても決してぼんやりしちゃいられなかったでしょう。しかし、そういうときの冬子はとても美しく、かわいらしく、健康に満ちみちていたんです。もっとも、ぼくのところに来た当時はいくらか呼吸器が弱かったようでした。しかし、近ごろでは何も異状がありませんでした。からだじゅうのどこにも翳《かげ》がありませんでした。だから、ぼくは安心してたんです。どんな突拍子もないことをしたって、ぼくは安心しきっていたんです。昨夜も家の中はきちんとかたづいていて、すこしも取りみだした様子がなく、冬子は役者のように盛装して、念入りに化妝《けしょう》して、とても美しく、かわいらしく、安らかに眼をつむっていました。決して死ぬはずじゃなかった。当人も死んだとは思いますまい。」
三治がまだ何をいうか、一座はしんとして待っているふうであった。しかし、三治はもう何もいわず、静かに柩《ひつぎ》の前からすべって片隅にしりぞき、袴《はかま》の膝に手を置いて、今までしゃべっていたのはたれかと思われるほど堅く口をとじてしまった。今度は列席者のほうで何かいいたげなけしきであったが、どういったらばよいかみな迷っているような沈黙がそこにあった。
「ほう」とやがて中の一人が口を切った。「そうかね、そんなことがあったのか。わたしにはよく判らん。生活という大きいものの中に、そんな真似をするという小さい別の生活の殻を、どうして仕込む気になったのか。」
すると、めいめいが申しあわせたように順番に自分の考をことばに出しはじめた。
「ある状態を仮定しなければ、生活ができなかったんだな。自分のからだに合わせてこしらえた此《この》世《よ》ならぬ影の椅子の中にほかほかと暖まりたかったんだな。そのくせ、十分に暖かな現実の椅子があたえられていたくせに。どうも贅沢《ぜいたく》千万な趣味だよ。しかし、そういう趣味をもたなければならんような出来工合の人物ならば、はたからは何ともいえん。生活を遊離しているなどといってみたところで悪口にもなるまい。」
「危険の愛、いや、危険な遊びの愛だな。実生活に危険がないもんだから、そんな無鉄砲な真似をすることになったんだな。あんまり無鉄砲に愛し過ぎたんで、危険についてついに無意識になってしまったのだろう。」
「自分で条件を設定して、その中に身を置いて、しかもその条件に左右されずに、自分で勝手に条件をいじりまわしてみようとしたんだ。ひょっとして条件があまり強力である場合には、自分のほうが負けてしまう。当人にしてみれば、やりそこないだ。しかし、そこでは待ったなしだ。落手があればおしまいだ。趣味というよりも、もっときびしいものがあるね。」
「冬子さんの場合では、初めはやはり遊びだね。危険の影法師を作り上げて、いやになったときにそれを消していたまでだ。気分の問題だよ。しかし、だんだん影法師が本物になって来て、こっちがいやになったというだけで向うが引っこんでくれないような形相《ぎょうそう》を呈し出した。遊びをよすためには、それをよそうと努めなければならなかった。ここでは意志の問題だ。最後には、その意志がもののいえないような状態に身を置いてしまうというまことに不幸なあやまちを犯した。たとえば健康なひとがおれは中風になったらいさぎよく自殺してしまうなどという。しかし、中風になったときは、自殺しようという意志がぼやけてしまうような状態になったときなんだ。冬子さんがガスを止めようと思ったときにはすでにガスがまわってしまったんだ。いや、ガスがまわってしまったんで止めるという考のブレーキがきかなくなったんだ。その一瞬がいのちの瀬戸ぎわだ。昔弱かった呼吸器というやつが計算洩れになっていたのも不利の一つだろう。」
「一般に、ある状態に置かれたとき、個人の意志とか感情とかがもののいえなくなる場合がある。その状態に置かれた各人がこれはいかんと思ったにしても、どうにもならんことがある。流行歌が巷を風《ふう》靡《び》しているときなども、そういう状態を現出するね。流行の中で、みんながつなぎ合わさっているからな。たとえば目下大流行の、あの『マルスの歌』にしても……」
この『マルスの歌』ということばが投げ出されるや、とたんに一座がわっと爆発した。十数人の眼が血走り、唾《つば》が飛びちがい、声がぶつかりあい、めいめいが同時に、もうあたりかまわず勝手なことをしゃべり出した。
「きみ、これは絶対秘密だが、歩兵の靴一足に要する釘の数は何本だか知っているか。」「大きくいうとあれは国家的損失だったねえ。かりにカルウソオをエチオピヤでうしなったと考えてみたまえ。」「カタパルトで打ち出されるときには、うしろの壁にぴったり背中を附けてるんだが、どんと来たとたんに脳《のう》味《み》噌《そ》も臓《ぞう》腑《ふ》も壁に貼《は》りついて、からだの外側だけが前へ飛び出すような気がするんだ。いや、ぼくが乗ってみたわけじゃない。海軍に従兄《いとこ》がいるんだ。」「五百億円は五銭の何倍だかすぐいってみたまえ。」「あの石仏の調査にどうしてうちの社じゃぼくを特派しないのかな。」「地図がないかね、いい地図が。作戦が立たんよ。」「文化の擁護ということは……」
そのとき、突然名状すべからざるさけびが片隅からほとばしった。ひとびとの鳩尾《みぞおち》がひやっとして、盛り上った一座の熱狂がざざざざと崩れしらじらしく畳に吸いこまれた。そのさけびが三治から発したものだと判るまでに四五秒かかった。
「ああ」とうめきながら三治は前に突っ伏していた。「ぼくがわるかったんだ。」そして、うろたえた不審の声が頭の上に舞い落ちるのを振り払って、むっくり起き直り、元の正しい姿勢にもどって「ぼくの愛がたりなかったんです。」「え。」「ぼくは今あなた方のおしゃべりを聞きながら、率直にいうと、あなた方を憎みはじめました。あなた方はただ冬子の死を、死因を、おもしろがっているだけなんだ。冬子の宿命とぼくの苦痛の上で、はなしの花を咲かせているだけなんだ。しかし、ぼくも……ぼくもやっぱりあのかわいそうな冬子の物真似をおもしろがっていたんだ。一分の隙《すき》もなく生活が何かでいっぱいになっていれば、だれが聾の真似なんぞするもんか。たしかにこの家のどこかに見えない隙間があって、ぼくがそれを満たすことができず、それに気がつきもしなかったんだ。ああ、かわいそうな冬子……ぼくの愛がたりなかったんです。」
蒼白《あおじろ》い頬《ほお》に涙が一筋きらりと光って静かに流れた。しかし、三治は泣いているような表情もせず、姿勢も崩さなかった。こんな三治をたれもまだ見たことがなかったので、三治のことばよりも先に取りつく島もないその語調と態度にはたかれて、ひとびとの呼吸は蝋《ろう》のようにかたまり、どんなつぶやきもそこに封じられてしまった。すると、一座の空気を裂いて「ああ」と低いためいきがするどく洩れた。そして、今帯子は席上をすべって三治の肩にからだを投げかけていた。「いけない、三治さん、それいっちゃ。そんなこといっちゃいけない。そんなことば、外に出すと壊れちゃう。もっと大事にして。帯子とてもくるしい、……ああ、かわいそうなねえさん。」正面をむいたままうごかない三治から離れて、帯子は柩の前に倒れた。そこに供えてあった盛花がかすかにゆれて、菊の花びらが二三片経机の上に落ちた。「帯子さん、まあお静かに……」とたれかの声がした。「お黙んなさい。」とたんに帯子はその声のほうへふりかえって、まったくちがった烈《はげ》しい調子で、「ここで、あなた方は何をいうことがあるんです。勝手に愉しく『マルスの歌』のおしゃべりをしていらっしゃい。それがどんなものだか考えてみもしないで。そんなに好きな歌なら、本気になって歌ってごらんなさい。さあ、みんなで『マルスの歌』を合唱してごらんなさい……」
すべてこの間、わたしは柱にじっと倚《よ》りかかって、一語も発しないでいた。ざわめきは耳朶《じだ》の端を掠《かす》めて消えて行った。わたしはただ先刻最後に見た冬子の顔、三治のいった通り念入に化妝した美しいその顔を宙に追っていた。わけてもあやしい光に沈んだその唇の紅の色を……
このとき、向うの襖《ふすま》がそっとあいて、たれかが顔を出して、眼で三治を求めた。たいへん真剣な表情がその顔にあらわれていた。三治は黙って立ち上ると、みなの前に頭をさげて、静かに席を去った。今まで何をしていたのだか判らないような茫然《ぼうぜん》としたけはいが一座に残された。
すぐ、三治はもどって来て閾《しきい》ぎわに立ちどまった。羽二重の紋附をきた長身の、その右手の指に小さい紙切が、ザラ紙のような薄い赤色の紙切がふるえていた。それは目下この国のわかものを駆って、たれかれの差別なく『マルスの歌』の合唱のうちに、硝煙《しょうえん》のにおいがするはるか遠方の原野へ狩り立てるところの運命的な紙切であった。今、座中の視線はみなそれに吸いつき、この非情の紙切はたちまち感動を一つに絞り上げてしまった。ぶるっとした席上に、きわめて事務的にしか聞えない三治の声がひびいた。
「ただ今、下りました。もしやと思って、かねて用意はしておりました。冬子のいない今では心残りもありません。ねんごろに供養のできないことは悲しいですが、それもやむをえません。明日とりあえず荼毘《だび》に附して埋葬いたしましょう。もっとも五日間の猶予があります。五日目の朝までに宇都宮に行けばいいのです。この家のことは国の父が始末してくれるでしょう。」
ひとびとは即座に何かのことばで感動を表現しようと努めているようであった。しかし、三治が洩らした限りの感動の無色に面して、ひとびとは色ありげな文句を口の中で噛《か》みながら、しばらくは何もいえないでいた。
通夜から引きつづき参列した冬子の葬儀、鶴見の総持寺でしめやかにおこなわれた葬儀がすんだ後、冬子の遺品を整理するという帯子を蒲田の家に残して、わたしひとり銀座裏のアパートにもどって来たのだが、そのあくる朝、すなわちけさ非常に早く、わたしは電話に依ってベッドから呼び出された。
「突然ですが」という声は通夜の席に居合わせた親戚《しんせき》の一人で、「あなた長岡の宿屋というのを知ってますか、ええ、伊豆の長岡、三治の行きつけのうちがあるそうで……そこへ、ゆうべ三治が行ったというんです。今その知らせがありましてね、ただ長岡とばかり。それがね、帯子さんがいっしょらしいんです……ええ、そりゃすぐ帰って来るんでしょう、何でもないんでしょうけど、行かなかったらなお何でもないんですからね。え、ちょっと息抜きになんていう悠暢《ゆうちょう》な場合じゃありませんからねえ。途方もないことがあったすぐ後なんで、何でもなくたってどきりとしますよ。第一宇都宮の件……ええ、まさか……と思うんですけど、ひょっと間に合わなかったらそれこそたいへんなさわぎです。で、どうでしょう、もしおひまでしたらちょっと様子を見に……え、行って下さる、そうですか。何しろわれわれみんな仕事が手ばなせないんで。お願いします。みんな心配してるからって……」
そして、わたしは今午前の東海道線下り列車に乗っている。まだえたいの知れぬ事実をめぐって当推量に足踏するのはまったく無意味なので、三治と帯子につきもし考えるべきことがあるとすればそれは向うに著《つ》いてからはじめることにして、わたしはさしあたりこの強《し》いられた旅行のおっくうさを勝手に思い立ったであろう旅行の愉《たの》しさに繰替えていた。実際、配光のわるいアパートの気流が印《しる》しつけた額の皺《しわ》を汽車の窓にそよぐ風で吹き払うことはまんざらでもあるまいと思われた。しかし、こんな虫のよい考は早くも東京駅のプラットフォームから打ち壊されてしまった。そこには、カーキ色の服をつけて剣を提げていないひとたちがいずれも理髪師のようなぺろりとした顔つきをして、小旗のひらめく中をたいへんいそがしそうに馳《は》せちがい、他の旅客のむれもそれと入りまじって、みなぱちぱち拍手のざわめきに浸っていた。汽笛が鳴ったとたんに「ばんざい」の声が湧きおこった。同時に、ああ、またしても『マルスの歌』……
いざ起て、マルス、勇ましく……
わたしの乗った車室からも、それに唱和する声がおこった。見知らぬひとたちが声を揃《そろ》えて歌い、歌わないものは下をむいて照れくさそうな恰好《かっこう》をしていた。汽車の進行につれて歌がやみ、あちこちに雑談がはじまり、話題はあの通夜の席をさわがしたひとびとの放言とおなじ性質のものであった。どこでもいい合わせたように、よくもあきずに蒸しかえすものだ。この車内にも街頭の季節がそのまま箱詰にされ、窓から吹き入る風がうっかり中の空気をうすめた時分には、またそれを濃くするために、どの駅のプラットフォームも『マルスの歌』の合唱隊を用意して待ちかまえていた。わたしは片隅の席で窒息しかけながら、手提鞄《てさげかばん》の中に入れて来た二三冊の本を取り出した。そのあいだから、小型のうすっぺらな和《わ》綴《とじ》の本が一冊膝の上に落ちた。いつか挟《はさ》まっていたのであろう、それは狂詩の本であった。わたしは読むつもりでいた他の本を鞄の中にもどして、横浜で買った二合壜《びん》の相手には快適に思われたこのうすっぺらな本をひらいた。寐《ね》惚《ぼけ》先生が銅脈先生に応酬する五言古詩ぶりの戯詠に、「慕春十日書。卯月五日届。委細拝見処。益《ますます》 御風流……」ああ、益 御風流……この畏《おそ》るべき達人のたましいはいかなる時世に生れあわせて、一番いいところは内証にしておき、二番目の才能で花を撒《ま》き散らし、地上の塵《ちり》の中でぬけぬけと遊んでいられたのか。花の中に作者の正体が見えない。今は遠き花かな。益 御風流……だんだん小説と縁が遠くなって来た。熱海で買ったつぎの二合壜はすぐからになった。たしかにこの車内の季節では『マルスの歌』に声を合わせるのが正気の沙汰《さた》なのだろう。わたしの正気とは狂気のことであったのか。窓の日ざしが急に強くなり、ひとの飛ばす唾《つば》がほこりに浮き立った。カーキ色がちらちらする。たれかが網棚《あみだな》の上からゲートルを落した。向うで子供がおもちゃの軍刀を抜いている。それにしても、ああ、益 御風流……いよいよ、きちがいじみて来た。
列車がとまった。気がつくと、三島駅であった。わたしはいそいで駆けおりた。駅前からすぐ自動車で長岡へむかった。
当りをつけて行った宿屋の玄関で、三治と帯子の消息はすぐ判った。昨夜たいへん遅く著き、そのわりにけさ早く起きて、何かせわしげなまた愉しげな様子で、もう立ってしまった後だというのだが、立つときに宿屋から三津の船宿に電話をかけさせ、舟を仕立てて静浦あたりへ行く模様だったので「今時分はまだ沖でいらっしゃいましょう。舟をお上りになるとすぐどちらかへ御出発だそうで、四時に三津へ車がお迎えに出ることになっております。船宿にいらしってお待ちになれば、きっとお逢いになれましょう。」時計を見ると三時すこし前であった。わたしはつい宿屋を出て、町をつらぬいて通るバスに乗り、三津へ行った。
バスからおり立った海辺の道の、右側は堤防で、その真下の一劃《かく》に澄み透った水のちょろちょろするせまい汀《なぎさ》が食いこみ、波のうごかぬ海面が日に輝いてひろがった向うにはひょろ長い岬《みさき》が突き出て、こちらからもあざやかに映《は》えて見える木木の葉色が眼路《めじ》を限り、そのおだやかな入江の中を雲一つなく晴れた空の下に遊覧船らしい蒸汽船がぽこぽこ煙を吐いて走っていた。左側は軒の迫った家つづきで、すぐそばに一軒茶店ふうなのがもったいらしく「汽船発著所」とペンキの看板を掲げており、それが船宿と察せられた。土間になった店の中にはいると、片隅にキャラメルと駄菓子の硝子《ガラス》箱が二つ三つ、長方形のテイブルと縁台をならべたほかにはひとのけはいがなく、声をかけても応《いら》えがなかったが、やがてひょっくり奥から出て来た細君らしいのがわたしの質問に対してその舟ならばもうじきもどるでしょうと答えたきり、表を通りかかったひとと入口に立って何かしゃべりあい、またついと奥にはいり、アルミニウムの急須《きゅうす》と茶碗《ちゃわん》をもって来てテイブルの上に置くと、またもやついと奥に消え、もはや出て来そうなけしきは見えなかった。わたしは縁台にかけてぼんやり煙草をすいながら、先刻から何かを感じているような気がしていたが、きわめて簡単なものが見つからぬもどかしさで、その何かの前に戸惑いしているかたちであった。そして、それが秋だとさとるのにちょっと間があった。ああ、季節。たしかに、今わたしが浸っている季節は『マルスの歌』のそれではないのだ……わたしは立ち上って、縁台の上に置いた手提鞄から望遠鏡を取り、外に出て、前の堤防をおりて、汀に立った。
おりおり吹く微風の中に、遠くで漁船が円陣を作っている。足もとの水は鉱泉のようにさらさらしている。ここでは、その水に皺《しわ》を置くためではなく、それの伸びをよくするためにさざなみがわたっている。ふと北のほうの空を見上げると、どうしてもっと早く気がつかなかったのかと思われるほど大きく、高く、空いちめんを領して、非常にはっきりフジが浮き立っていた。しかし、頭脳にたたかいを挑《いど》むべき何ものももたぬこの山の形容を元来わたしは好まないたちなので、いかにそれが秀麗らしく見えようとも、なおさら感心するわけにはゆかなかった。ほとんど視野からそれを追いのけるために、わたしは望遠鏡で沖を眺《なが》めはじめた。水面に弧を描いてひろがった漁船の列、どの船の舷《げん》にもはだかの男のむれが懸命に綱を引っ張っている。何を捕《と》っているのか、漁船の円陣がなかば欠けている水の下には太い網の目が魚を堰《せ》き止めているのだろう。このとき向うの岬の鼻から小舟が一艘《そう》進んで来た。小舟は漁船の列のうしろをぐるりとまわって、こちら側へ抜け出て来た。今ではよく見える。ああ三治と帯子だ。急に速力がにぶくなった。舟を流しているのだろう。舳《みよし》で船頭が左の手に抱えた水鏡《めがね》を水面に押し当て、その上にかぶさるようにして底をのぞきこみながら、タコでも突いているのか、右の手で竿《さお》をあやつっている。三治と帯子が笑いながらそれを眺めている。二人ともたいへん健康そうにぴちぴちしている。何を心配することがあるのだ。きょうは帯子はとくに美しい。黄ろい衣裳《いしょう》が晴れた水の上に似合って見える……そのうちに、こうして他人の肉体を、肉体のうごきを、相手が知らぬ間に外界から切り離し、それだけを拡大して隙《すき》見《み》していることが忌まわしく感じられて来た。不吉のようなものがそこにあった。わたしは望遠鏡をはずした。すると、空にべったりフジ。また望遠鏡。すると、大写しになった三治の顔、帯子の顔……わたしは眼のやり場にいらいらして、望遠鏡をポケットにしまった。いつか、舟がまたうごき出していた。だんだん近づいて来る。向うでも気がついたらしく、伸び上って手を振っている。たちまち舳がぐっと上って、たたたたとひびきが水にわたり、速力が早くなった。モーターをうごかしたのだろう。まっすぐにこちらへ走って来る……
「やあ」と三治が舟から汀に飛びおりて来て、「もっと早く来ればよかったのに。」「何をいってる。知らせをよこさなかったじゃないか。」「あ、そうか。どこで聞きました……そうですか。心配することなんかちっともないのになあ。」「そんなに心配してもいないさ。」「この二三日でうんと遊んでおこうと思ってるもんだから。あれもこれもと慾でいっぱいになって、とてもいそがしい。あんたをさそやよかった。」「ひとりのほうが勝手でいいだろう。」「でも、ひとりだったら、もっとこわいような気がするだろうな。いそがしくなりかけたところで、気持がひやりとしそうで、やっぱりだめだろうな。オビイがいっしょに来てくれて、よかった。」裾《すそ》を挑《かか》げながら舷《ふなべり》に掛けた板をわたって、帯子が駆け寄って来た。「全然競争なの。おたがいに抜きっこしてるみたい。息が切れそうになると、もっと息が切れそうなこと代るがわる考え出すの。海へ行こうといい出したのは帯子なの。そしたら、静浦まで行かないうちに、三治はもう山がいいっていうの。」「いや、オビイがそばから拍車をかけてくれるんだ。」「どこまで飛ばすつもりだ。」「全然予定なし。これから車で天城を越えようと思ってる。夜遅くなって著いたところで、もう一晩泊る。途方もなく贅沢《ぜいたく》なホテル、このへんにないかなあ。でも、あしたの晩までには帰らなくちゃ。社の仲間が会をしてくれるんでね。それがすんだら宇都宮だ。国の連中にはそのとき逢うつもり、どうです、いっしょに来ませんか。」「ぼくはスポーツの選手じゃないからね。オビイに任せておこう。」「帯子にも判らない。何だかとてもいい気持。でも、三治ったら、ずいぶんはらはらさせるの。沖で、いきなり泳ぐんだってつめたい水の中に飛びこみそうにするの。車に乗ったら、きっと崖《がけ》っぷちをすり抜けなけりゃ承知しないわ。」「もう危険が危険でなくなって来た。ここでは、宇都宮までは、何をしたって安全でしかないという気がする。」
堤防の上で、茶店の細君がこちらを見て立っていた。いつの間にか、茶店の前にポンティヤックが一台とまっていた。「あすこの水族館、行って見ましたか。」と三治はついかなたに突き出ている小さい島を指さしながら、「あとで行ってごらんなさい。ぼく、今その興味ないけど。」三治がさきに堤防に上った。いつも旅行のとき提げているコダックがきょうは見えなかった。「写真どうした。」「ぼくもさっきそれに気がついたところ。写真のこと、いつか忘れてたらしい。」帽子の庇《ひさし》の下で、かすかに長い眉《まゆ》毛《げ》がかげった。ポンティヤックのドアがあいて、鞄や外套《がいとう》の置いてあるのが見えた。帯子の後から三治が乗って、「じゃ、これで失礼。」「そう。じゃ、元気よく行って来たまえ。そして、どんな遠くへ行ってもかならず帰って来たまえ。」「ありがとう。」車はうごき出した。車の窓から、三治はもう一度首を出しておじぎをし、帯子は右の手を伸ばしてこちらのほうへ軽くちらちらと指の先をなびかせた。車は向うの角に消えて行った。
それから数分後、わたしは先刻三治が指さした小さい島の水族館に来ていた。それは島というよりも岸からつづいて海のほうへふくれ出た土の瘤《こぶ》で、海に浸っている部分がそっくり水族館を成しており、突端の岩鼻には見晴台があって、今わたしが立っているのはその台の上である。もう日ざしの薄くなった空に相変らずフジが押絵のように貼りついていたが、わたしはそのけしきに背を向けて、眼の下の水中に群れる魚どもを眺めていた。この水族館には屋根もなく、硝子箱もなく、秋天の下に一劃の水面が澄みわたり、水の中に設けられた仕切が魚どもの種類を分ち、そして水は絶えず打ち寄せる沖の潮と入れ替っていた。潮に淀《よど》みがないごとく、ここでは魚どもに窶《やつ》れがなかった。鋼《はがね》の光沢をもったメジマグロのむれが不敵に、強靱《きょうじん》に、すいすいと水を切って、この大きい生《いけ》簀《す》の底にあざやかな藍《あい》を掃いていた。見物が番人を呼んで餌《え》を投げさせた。バケツにはいっている鯖《さば》の切が高く飛んで水面に落ちると、たちまち跳ね上った数尾の肌がぴかりと光って、もう鯖の切は見えない。生簀の向う側に、白ずぼんをはいたシャツ一枚の男が見物に取り巻かれながら、先に綱を垂らした太い竹の竿を右手でぴったり腹に当てがって立っていた。綱の先に重そうな紡錘形《ぼうすいけい》の木片が附いていて、それがウキのように水面に浮いている。右の手と腹の呼吸ひとつで、竿をぱっと上げると、木片が宙におどって、とたんに左の腕がそれを受けとめる。メジマグロを釣る練習なのだ。数回くりかえして見せて、男はその竹の竿を見物にわたそうとするが、たれも尻ごみして受け取らない。やがて二三人出て代るがわるこころみるが、腹がふらふらして木片がいうことをきかない。見物が笑っている。その隣では、別の囲《かこい》の中に、ほそい銀線のような魚が……
すべてそれらの光景を、わたしはぼんやり眺めていた。どこがおもしろくてこんなものを見ているのだ。たしかに安心に似たものがそこにあったが、心の隙間を満たすような何もなかった。からりとした空気が、膩肉《あぶらにく》でしかはち切れていない健康な魚どもが、毒気を抜かれた点景人物が仲よく折合をつけている均斉のうちで、見物は智慧《ちえ》のたりない自分を見うしない、平常のおかしな身振を忘れて、しばらくうっとりするのだろう。まったく三治といい、帯子といい、プラットフォームのカーキ服といい、列車の乗客といい、このわたし自身といい、おかしいと思い出すと際限なくおかしく見えて来た。しかも、たれひとりとくにこれといって風変りな、怪奇な、不可思議な真似《まね》をしているわけでもないのに、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるということはさらに異様であった。『マルスの歌』の季節に置かれては、ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごくのであろうか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう。ひとびとを清澄にし、明確にし、強烈にし、美しくさせるために、今何が欠けているのか。ここでも先刻茶店で秋を探りあてたときのように、何か非常に判然としたものの前でわたしは惑い、焦《じ》れ、平静をうしなっているようであったが、やがてその何かが遅く来て、しみじみと、根強く、隙間なくわたしのうちに満ちひろがったとき、そんなにも判りすぎているもののまわりに足踏みしなければならなかった自分が迂《う》闊《かつ》に鈍物に見え、わたしはたいへん恥かしく、ひとりでに顔が赤くなった。思想、ああ、思想……はげしくのどが乾《かわ》いて来た。現実のわたしののどのほかに、どこかでのどが大きく渇《かわ》いているような気がした。
わたしは見晴台をおりた。魚どもを湛《たた》えた水に臨んで、二階建の日本家屋が建ち、その階下の一部が板敷になっていて、椅子テイブルをならベ、簡単な食堂のていであった。軒下で、みやげもの絵はがきなどを売っていた。その前が桟橋のような通路で、そこをわたるとイルカの水槽《すいそう》があった。これは人気者らしく、ひとだかりがしている。イルカが水面に頭を出している。のっぺらぼうな頭のてっぺんに小さい孔があり、孔に蓋《ふた》が附いていて、ときどきその蓋が開き、ぷくりと息をする。番人が餌を投げると、たくみに水を潜《くぐ》ってそれを捕える。軍用犬の訓練をしているようだ。見ているうちに、いやになって来た。四足で宙にもがきながら斑点《はんてん》のある腹をあおむけに剥《む》き出している野犬を見たときのごとく、愚鈍な不潔なものが感じられて来た。
わたしは後へもどって、食堂にはいり、ビールをもって来させた。そこへ、どやどやと四五人づれではいって来たのが、向うの席を占めると、すぐ大きい声でしゃべり出した。ああ、何をしゃべるのだ。ここでもまた、あのはなしか。片隅に、喇《らっ》叭《ぱ》の附いた古物の蓄音器が据えてある。番人がレコードを掛けようとしている。ああ、何を掛けるのだ。ここでもまた、あのレコード……「やめろ。」思わず、わたしは声に出していた。声はにくにくしくひびいたようであった。ひとびとはけげんな顔でわたしのほうへふりむいた。そして、たちまち叱責《しっせき》の眼がわたしを突き刺した。その叱責の中に威武を恃《たの》むものの得意さが露骨にあらわれていて、わたしはいらいらして来た。残りのビールを飲みほして、外に出て、門のほうへ歩き出した。うしろで、ざわめきが聞えるように思った。たれかがわたしの背中にむかって何かいったのだろう。
張柏端《ちょうはくたん》
張柏端《ちょうはくたん》ほどの仙術の達人でも、さあ出かけようというまぎわになって、たしかに玄関に置いてあったはずの沓《くつ》が見えなくなっているにはちょっとこまった。さがしてみるまでもない、盗まれたにきまっている。しかもそれはたった一足しかない沓である。もちろん何品に依らずかねて替りを用意しておくなどということがあるわけはない。そういう俗情を挟《はさ》んでいたのではとても道はえがたいからである。つい十日ばかり前、張柏端は一本の青竹に太上太玄陰生の符を記して尸解《しげ》の法をおこない、身は地上に在りながら魂は仙籍に入っている。俗眼には遺《い》骸《がい》としか見えないその青竹は友人知己の手に依って故宅の裏山にねんごろに葬られて、知事が参列して政談演舌まがいの弔辞を述べたり、女たちが美しい伏眼でほどよく涙をこぼしたり、そのときは盛会であった。すでに当時のひとびとは知事も女たちも友人知己もことごとく、これはほんとうに死んでしまい、今では高士昇天のうわさだけが残っていて、故郷の町では何代目かの住民たちが寄りより張先生百年祭の催しについて相談中である。というのは、ことわるまでもなかろうが張柏端にとっての十日は地上の百年に当るからである。もっとも、地上の後輩の住民たちといえども先生がほんとうに死んでしまったと思っているものは一人もない。どこかに生きているに相違ないと、かたく信じている。げんに奇妙ないいつたえさえ久しくおこなわれている。百年前の葬式の翌日ある男が岡のほとりを通りかかると、まぎれもない張柏端がぽくぽく白い騾馬《らば》に乗って行くのを見た。おどろいて声をかけるとちょっとそこまでという返事である。騾馬の足どりがひどくゆっくりしているので、ならんであるいて行こうとすると、どうして追いつけるものではない。しまいには息をきって駆け出したが、それでも悠悠《ゆうゆう》たる騾馬の尻《しっ》尾《ぽ》のさきにさえ追いおよばなかったという。いいつたえの真偽はどうでもよいとしても、先生の不死を信じている故郷のひとたちの心根にうそがあってよいものではない。まさしく、今、沓がなくなってこまっているのは、そのおなじ張柏端である。十日前とすこしの変化もない。ただ十年ばかり若がえって、こどもっぽく見えるだけである。
履物《はきもの》がなくなるという事件は、似たようなはなしがあるもので、近ごろの東京市中ではざらにおこっている。その証拠には、ついこのあいだ、わたしも玄関で靴を一足盗まれた。たった一足しかない靴で、何品に依らず替りの用意をしておかないという点では張柏端同様である。まあわたしにも俗情がないせいだろうと思っておきたい。ぼろぼろの古靴にしろ、出がけに盗まれたのにはちょっとこまって、わたしはよんどころなく洋服に下駄で間に合わせた。そういう恰好《かっこう》をして外をあるきたくはないが、そのときは郵便局に為替《かわせ》を取りに行く用があったのだから仕方がない。ただし為替は少額の原稿料で、あたらしい靴を買うにはたりなかった。そして、犯人も見つからず、古い靴も出て来ない。わたしの盗難事件はそれっきりである。ちょっとこまったところまでは張柏端と似ているが、それからさきはだいぶ形勢がちがう。俗物がうっかり仙人のはなしをはじめると、とんだ恥をかくようである。
張柏端の沓はぼろぼろの古靴ではなく、美しい黒の繻《しゅ》子《す》で出来ていて、裏は銀盤のように白く光っている。それを履いて飛ぶと、飛ぶひとの姿は消えて、沓だけが宙にひるがえり、地上からはあたかも二羽の燕《つばめ》が舞って行くとしか見えない。馬車に乗って巷《ちまた》を行く娘たちが空を仰いで、まあ粋《いき》だわねえと、うっとりした眼つきをする。いくら仙人でもわるいきもちはしない。それに張柏端はギリシャのなんとか神のような俗悪なしろものとはちがって、羽根のはえた革のわらじがなくては飛行できないという芸なし猿ではないのだが、沓はやはりはきなれたもののほうがよい。他の品を代用したとすれば、たとえば革沓では南京虫《ナンキンむし》が空を這《は》うように見えるだろう。木《ぼく》履《り》では兜虫《かぶとむし》のように見えるだろう。草履では蜈《むか》宦sで》のように見えるだろう。それではたれも感心してくれそうもない。仙人にもいろいろあって、張道陵《ちょうどうりょう》は邪法の魔を降し、東方朔《とうぼうさく》は漢王の宮に遊び、許宣平《きょせんへい》は南山の奥に隠れ、林《りん》霊《れい》素《そ》は宋《そう》朝の政《まつりごと》を扶《たす》け、左《さ》元放《げんほう》は梟雄曹操《きょうゆうそうそう》を翻弄《ほんろう》し、彭《ほう》祖《そ》は女房を四十九人取りかえるなど、地上に於ける出没ぶりは多様だが、張柏端は酒楼にのぼって柔媚《じゅうび》な清談をたたかわすことを好むので、つい履物のことにも気をつかって、きれいな沓でないと外へ出しぶるようになる。はだしで地べたを駆けまわっている人間どもには推量しかねるところの、飛仙の苦衷である。
張柏端の眼力をもって、沓がどこへ行ったかぐらいのことを見通せないはずはない。向う横丁に禅坊主が住んでいて、これはへんな説教をしたり、あやしげな祈《き》祷《とう》をしたりすることを商売にしている人物だが、沓は今そいつの袖《そで》の中にあるに相違ない。この禅坊主はどこの家にも臆面《おくめん》なく出入する癖がついているせいか、ときどき張柏端のところにもあがりこんで来て、口中の臭気とともに古くさい教論を吹っかける。論旨は朦朧《もうろう》たるものだが、それが形式論理を破している所以《ゆえん》なのだそうで、なによりも声の大きいのが一つ自慢のようである。しまいには、はだしで駆け出して極楽に達するのと、雲に乗って天宮に至るのと、どちらが速いか術くらべをしようといい出す。ただこれは相手が笑っていて立たないと見越したうえでの挑戦らしく、ひょっと立たれては事だというけしきでいつも帰りがけの捨ぜりふとして投げつけるだけである。しかし、禅坊主の求めるものはじつは論争でも術くらべでもない。口にこそ出さないが、いや、無視軽蔑《けいべつ》のふりさえしているが、かねてから眼をつけて、ほしくてたまらないのは張柏端のきれいな沓である。あれさえあれば飛行自在、せめて一度は食ってみたい天上の木《こ》の実《み》がたらふく食いに行けるのだと、みごと仙家の秘密を見破った料簡《りょうけん》で夢中でねらっていたのだから、それが秘密でも珍宝でもなく、剣を練絹に包むように、ただ清潔な足を容《い》れるための布の袋だとは、すなおにさとれないのだろう。もっとも当人の足はのべつに泥の中に尻切草履を引きずっていてついぞよごれを拭《ふ》いたためしがない。その禅坊主の胸三寸など、もちろん張柏端には先刻読筋《よみすじ》である。張柏端でなくてもその程度の読心術はたれでも弁《わきま》えているというだろう。しかしつぎの一事はたれでもたやすく見通せるというわけにはゆくまい。それは百年前にこの禅坊主がなにものであったかということである。張柏端はちゃんとそれを見とどけている。これには格別の秘術はいらない。単に張柏端の運動が禅坊主の運動よりも速いからである。速い張柏端系から遅い禅坊主系を観測すると、結果から逆に原因を見ることになるからである。
禅坊主の前身はペルシャの詩人であった。ただし自分で詩を作ったことは一度もなく、他人の作をあてずっぽうにいいのわるいのと評判することを商売にしているうちに、いつか自分もまた詩人のような気になっていただけである。ちょうどオマアル・カイヤムの末流にあたって詩はずいぶん盛大で詩の判はもっと盛大であった。そして、衆議判の席上では、禅坊主の、いや、歌わざる判者の意見はいつも衆議を率いるかのようなかたちを示した。というのは、衆議がほぼ定まった風向を見てから、一番遅れて発言し、賛成演舌をするというこつをこころえていたので、まちがえの犯しようがなかった。ところが、ある日こういう事件がおこった。ある席上で、右竜左どじょうという二作が対立した。どじょうは泥の中にもがくものであるし、おまけに食用にもなるし、竜よりもずっと深刻で現実的のようである。時代の風潮は写実派に傾いていたのだから、この勝負はたたかわずして明かのようである。歌わざる判者はそう思案して、こういうやさしい場合にこそ一手柄立てようと常にもなく一番さきにしゃしゃり出て、胴間声を張りあげて、どじょうが勝だとどなった。運のわるいことに、どじょうは作者が穴にもぐりこみたいほどの駄作であった。一座がどっと笑った。歌わざる判者はくらくらとして、もう商売はあがったりだと思ったとたん、腰がぬけて、つい息を引きとった。そして、百年後に禅坊主が生れた。
物忘れも一得で、たった百年ばかり前のことを、禅坊主はとんとおぼえていない。目下盛業中の救世済民の説教こそ前の世からの天職だと、本気でしらをきっている顔つきである。しかし、因果はこわいもので、ものの考え方は依然として前代の写実派的筆法を出ない。張柏端をぎゅうといわせるために、沓よりほかにはなにも見えなかったのだろう。急所をおさえたからにはこっちの勝だと、安心しているに相違ない。うわさをすれば影で、今その禅坊主が盗人たけだけしく門を押してはいって来た。玄関に立っている張柏端を見て、横眼をつかいながら不敵にもにやにや笑っている、もしか沓のことをきかれたらば、逆ねじを食わせて、あべこべにうすぎたない尻《しり》をまくるつもりらしい。
どうだい、きみ。(きのうまでは先生といっていたはずである。)だいぶいい陽気になったから三秒ばかり楊州《ようしゅう》へ遊びに行かないか、ちょうど瓊《けい》花《か》が見ごろだろうと、がらにもない風流なことをいう。しかし、これは明かに術くらべの挑戦である。楊州は遠く山河をへだてること八百里、はだしで駆け出すのでは往復三秒はむつかしい。じつは張柏端も、あまり陽気がいいので瓊花見物にでも行ってみようかと、玄関に出て来たところである。まぐれあたりだが、禅坊主の申条《もうしじょう》は遊意にかなっていた。いくら俗物でもなにかでひどく機《き》嫌《げん》のいいときには、ちょっと仙人のようなきもちになることがあるのだろう。
行こうと、張柏端は言下に応《こた》えた。そして、立ったまま眼をつぶって口の中で亀《き》鶴斉寿《かくせいじゅ》、亀鶴斉寿と三遍唱えながら、袖《そで》をひるがえして印《いん》を結んだ。これは分形散影の法をおこなうときの姿勢である。神《しん》はもう八百里の外に飛んでいるらしい。きょうはよんどころなくふだんの寝ぼけ色の足袋《たび》をはいたなりである。往来のひとは空を仰いで、おや、鵲《かささぎ》が飛んで行くと思うだろう。禅坊主はびっくりした。沓をうしなった相手がこう即座に挑戦に応じて来ようとは思わなかった。もう尻ごみはできない。すでに術くらべははじまっている。禅坊主はいそいで土間に腰を落して坐禅を組んだ。そして、眼をつぶって、口の中でなにやら呪文《じゅもん》を唱える。これまた神《しん》を飛ばそうとする支度である。膝《ひざ》の上に置いた両袖の中で張柏端の沓を片方ずつ、両手でぎゅっとにぎっている。ひそかに相手の足をつかんでうごかさないつもりである。せっかく盗んだ沓だが、あいにく自分の泥足には寸法が合わないのだから、はいてはあるけない。
一秒たった。禅坊主はとうに楊州に著《つ》いて、瓊花のまわりをうろうろしている。張柏端はまだ来ない。しめたと思った。もう勝った料《りょう》簡《けん》である。どうして禅坊主はそれほど早く楊州に来られたのか。それはそのはずである。禅坊主はかねて一生に一度は楊州に行って評判の瓊花を見ておきたいものだと考えていた。なにも瓊花を見なくては生きているかいがないというほどの念願ではない。一度は本物を見ておかないと、はなしにもありがたみが附かないし、ひとにも幅がきかないようだと、体面上だいぶ煩悶《はんもん》していたにとどまる。もっとも、その煩悶のけぶりを外に洩《も》らしはしない。楊州などは毎日往復していて瓊花も見あきたという面持である。いつか自分でもほんとうに見たような気になったものか、あたりに知ったひとがいないときには、どうも近ごろの咲きようはおもしろくない、年 歳 花はかならずしも相似ないなどと一ぱし通なことをいう。きもちだけはとうに楊州に先まわりしていて、神《しん》がまだ実際に飛んで至らないうちに、瓊花の下の場所を勝手に赤毛布で占領しておき、ここは元から買い占めた席だと居坐ってうごかないていである。見かけの速さでは、張柏端の飛行より一秒先んじたかのごとくであったのも不思議ではない。そのくせ、瓊花の前に立ちながら、肝腎《かんじん》の花の美しさはさっぱり眼に入らないらしく、ただ勝負の計算で胸がいっぱいである。この一挙で相手をへこませれば、自分の威勢がどんなに上るだろうと思うと、わくわくして花どころではない。
そこに張柏端が来た。すぐ瓊花の下に立って心ゆくばかり眺《なが》める。眺めながら酒を飲む。飲みながら詩を作る。禅坊主もうらやましくなって、ここで圧倒されてはならないと自分も乗り出して来て肩をならべる。そのならべたつもりの肩が五寸も低いとは、当人気がつかない。例の鉄面皮で張柏端の酒を飲む。これだけは一人前の芸である。例の説教癖で張柏端の詩をいいのわるいのという。まわりに聴《き》かせるべき立会人のいないのが残念そうである。そうしているうちに禅坊主は次第に顔色蒼《あお》ざめ、あぶら汗を発し、息ぎれがして来て、ついそこにのめってしまった。酒に悪酔したせいではない。詩人の運動の場にうっかりまぎれこむという因果なめぐり合せをみずから招いたためである。二十年も寿命がちぢまったほどの苦痛であったと、のちに当人が述懐した。そのとき二秒たった。さあもどろうと、張柏端は禅坊主をかえり見て、来たしるしに瓊花を一輪ずつ持って行こうではないかという。禅坊主はそれでも痩《やせ》我《が》慢《まん》に歯を食いしばっておき上り、やっと幹に攀《よ》じて一輪の花をつかんだかと思ったとたん、足をすべらせて地に落ちた。わっとさけんだ……自分のさけびに、気がつくと元の玄関である。いつか坐禅の姿勢が崩れて、土間にうつ伏せになっている。あわてておき直った鼻さきに張柏端が悠然と立っていて、おい、花はどうしたという。その張柏端の手には、まごう方なく、色も形も変らず本物の楊州の瓊花がにおっている。そうだ、ここが最後の勝負どころだと、禅坊主は最後の気力をふるって、懐中をさぐったが、なにもない。つかみ取ったはずの花弁の一ひらさえない。狼狽《ろうばい》しながら、からだじゅうを探って、袖に至ると指にしっとり柔かくふれるものがあった。あったと、思わず大きい声を出して、手あたりにつかんだものを夢中で相手の眼の前に突きつけた。張柏端は掌を拍《う》って笑った。禅坊主がうやうやしく捧《ささ》げていたのは張柏端の沓であった。
張柏端の沓はもどっても、わたしの靴の替りはまだ出来ない。今日、すくなくとも二十二円五十銭以下では、靴らしい靴はないそうである。したがって、今度どこかの本屋から、すくなくとも二十二円五十銭の為替を送って来るまでは、わたしはおちおち外をあるくことができない。この機会にわたしは家にこもって飛行の術を究《きわ》め、今後ずっと靴を引きずって地べたをあるかなくてもすむくふうをしようと思っている。
焼跡のイエス
炎天の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭《よし》簀《ず》がこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうのもあり、衣料などひろげたのもあるが、おおむね食いものを売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、「さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。」と、おんなの金切声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。きょう昭和二十一年七月の晦日《みそか》、つい明くる八月一日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、そうでなくとも鼻息の荒い上野のガード下、さきごろも捕吏を相手に血まぶれさわぎがあったという土地柄だけに、ここの焼跡からしぜんに湧《わ》いて出たような執念の生きものの、みなはだか同然のうすいシャツ一枚、刺青《いれずみ》の透いているのが男、胸のところのふくらんでいるのが女と、わずかに見わけのつく風態《ふうてい》なのが、葭簀のかげに毒気をふくんで、往来の有象無象に噛《か》みつく姿勢で、がちゃんと皿の音をさせると、それが店のまえに立ったやつのすきっ腹の底にひびいて、とたんにくたびれたポケットからやすっぽい札が飛び出すという仕掛だが、買手のほうもいずれ似たもの、血まなこでかけこむよりもはやく、わっと食らいつく不潔な皿の上で一口に勝負のきまるケダモノ取引、ただしいくら食っても食わせても、双方がもうこれでいいと、背をのばして空を見上げるまでに、涼しい風はどこからも吹いて来そうにもなかった。
あやしげなトタン板の上にちと目もとの赤くなった鰯《いわし》をのせてじゅうじゅうと焼く、そのいやな油の、胸のわるくなるにおいがいっそ露骨に食欲をあおり立てるかと見えて、うすよごれのした人間が蝿《はえ》のようにたかっている屋台には、ほんものの蝿はかえって火のあつさをおそれてか、遠巻にうなるだけでじかには寄って来ず、魚の油と人間の汗との悪臭が流れて行く風下の、となりの屋台のほうへ飛んで行き、そこにむき出しに置いてある黒い丸いものの上に、むらむらと、まっくろにかたまって止まっていた。
その屋台にはちょっと客がとぎれたていで、売手のほかにはたれもいなかった。蝿がたかっている黒い丸いものはなにか、外からちらと見たのでは何とも知れぬ恰好《かっこう》のものであったが、「さあ、焚《た》きたての、あったかいおむすびだよ。白米のおむすびが一箇十円。光ったごはんだよ。」とどなっているのを聞けば、それはにぎりめしにちがいないのだろう。上皮が黒っぽくなっているのは、なるほど海苔《のり》で包んであるものと見てとれた。しかし、その海苔はぱりぱりする頼もしい色艶《いろつや》ではなく、紫蘇《しそ》の枯葉のようにしおれた貧相なやつで、それのあちこち裂けた隙《すき》間《ま》から白い粒がのぞいているのは懸声どおり正真の白米らしいが、このめし粒もまたひからびて、こびりついて、とてもあたたかい湯気の立ちそうなけはいはなかった。
焚きたての白米という沸きあがる豊饒《ほうじょう》な感触は、むしろ売手の女のうえにあった。年ごろはいくつぐらいか、いや、ただ若いとだけいうほかない、若さのみなぎった肉づきの、ほてるほど日に焼けた肌のうぶ毛のうえに、ゆたかにめぐる血の色がにおい出て、精根をもてあました肢《し》体《たい》の、ぐっと反《そり》身《み》になったのが、白いシュミーズを透かして乳房を匕首《あいくち》のようにひらめかせ、おなじ白のスカートのみじかい裾《すそ》をおもいきり刎《は》ねあげて、腰掛にかけたままあらわな片足を恥らいもなく膝《ひざ》の上に載せた姿勢は、いわば自分で自分の情慾を挑発している恰好ではありながら、こうするよりほかに無理のないからだの置き方は無いというようすで、そこに醜悪と見るまでに自然の表現をとって、強烈な精力がほとばしっていた。人間の生理があたりをおそれず、こう野蛮な形式で押し出て来ると、健全な道徳とは淫蕩《いんとう》よりほかのものでなく、肉体もまた一つの光源で、まぶしく目を打ってかがやき、白昼の天日の光のほうこそ、いっそ人工的に、おっとりした色合に眺《なが》められた。女はときどき声を張り上げて、しかしテキヤの商業的なタンカとはちがって、地声の、どこかあどけない調子で、「さあ、焚きたてのおむすびが一箇十円だよ……」
そのとき、イワシ屋の店の中が急にざわざわとさわがしく「あ、きたねえ、こいつ。」「さわるな、そばに寄るな。さわっちゃいけねえ。」「あっちへ行け。はやく出て行け。」と狼狽《ろうばい》した声声で、そこへ駆けつけて来た半ずぼんに兵隊靴をはいた男の、どうやらこの市場の見まわりらしいのが「こいつ、また来やがったな。始末のわるいやつだ。きたなくって手がつけられねえ。さあ出て行け。今度来たらぶち殺すぞ。はやく行け。」と、あらあらしく、しっしっと犬でも追う調子で、鞭《むち》のように打ちつける罵詈《ばり》の下に、ぱっと店の中から、いや、ほとんどひとびとの股《また》のあいだから、外に飛び出して来たのは、一箇の少年……そう、たしかに生きている人間とはみとめられるのだから、男女老幼の別をもって呼ぶとすれば、ただ男のこどもというほかないが、それを呼ぶに適切十分なる名をたれも知らないような生きものであった。
道ばたに捨てられたボロの土まみれに腐ったのが、ふっとなにかの精に魅入られて、すっくり立ち上ったけしきで、風にあおられながら、おのずとあるく人間のかたちの、ただ見る、溝泥《どぶどろ》の色どすぐろく、垂れさがったボロと肌とのけじめがなく、肌のうえにはさらに芥《ごみ》と垢《あか》とが鱗形《うろこがた》の隈《くま》をとり、あたまから顔にかけてはえたいの知れぬデキモノにおおわれ、そのウミの流れたのが烈日に乾《かわ》きかたまって、つんと目鼻を突き刺すまでの悪臭を放っていて、臭いもの身知らずの市場のともがら、ものおじしそうもない兵隊靴の男でさえそばに寄りつきえず、どら声ばかりはたけだけしいが、あとずさりに手を振って、および腰で控えるていであったのは、むしろ兵隊靴のほうこそ通り魔の影におびえて遠《とお》吠《ぼ》えする臆病な犬のように見てとれた。
まったく、その少年が突然道のまんなかにあらわれたときには、あたりの店のものも、ちかくを行きずりのものも、みな一様にどきりとして、兵隊靴の男とおなじく身をかがめるふうにして、足のすくんだ恰好であった。そして、めいめいにおもいがけないこの一様の姿勢をとらせたものは、ここにいきなり襲って来たある強い感情のせいだということ、その感情とは恐怖にほかならないということを、さしも狂暴なかれらの身にしても、ひたとさとらざるをえないけはいであった。けだし、ひとがなにかを怖《おそ》れるということをけろりと忘れはててからもうずいぶん久しい。日附のうえではつい最近の昭和十六年ごろからかぞえてみただけでも、その歴史的意味ではたっぷり五千年にはなる。ことに猛火に焼かれた土地の、その跡にはえ出た市場の中にまぎれこむと、前世紀から生き残りの、例の君子国の民というつらつきは一人も見あたらず、たれもひょっくりこの土地に芽をふいてとたんに一人前《いちにんまえ》に成り上ったいきおいで、新規発明の人間世界は今日ただいま当地の名産と観ぜられた。このへんをうろうろするやからはみなモラル上の瘋癲《ふうてん》、生活上の兇従《きょうと》と見えて、すでに昨日がなくまた明日もない。天はもとより怖れることを知らず、ひとを食うことは目下金もうけの商売である。正朔《せいさく》の奉ずべきものがあたえられていないのだからきょうはいつの幾日でもかまわず、律法の守るべきものをみとめないのだから取締規則は其《その》筋でもあの筋でもくそを食らえの鼻息だが、そのくせほこりといっしょにたたき立てる商品は今日禁制の、すなわち巷間《こうかん》横行中の食うもの著《き》るもの其他、流通貨幣はやはり官の濫造《らんぞう》に係る札束で、したがってせっかくの新興民族の生態も意識も今日的規定の埒外《らちがい》には一歩も踏み出していない。劣情旺盛《おうせい》取引多端の一事は旧に依って前世紀からの引継ぎらしく、旧にもまして今いそがしいさいちゅうに、それほど大切な今日というものがじつはつい亡《ほろ》ぶべき此《この》世《よ》の時間であったと、うっかり気がつくような間抜けな破れ穴はどこにもあいていないのだろう。その虚を突いてふっと出現した少年の、きたなさ、臭さ、此世ならぬまで黒光りして、不潔と悪臭とにみちたこの市場の中でもいっそみごとに目をうばって立ったのに、当地はえ抜きのこわいもの知らずの賤民《せんみん》仲間も、おもわずわが身をかえりみておのれの醜陋《しゅうろう》にぎょっとしたような、悲鳴に似た戦《せん》慄《りつ》の波を打った。
少年はふた目と見られぬボロとデキモノにも係らず、その物腰恰好は乞食のようでもなく掻払《かっぱら》いのようでもなく、また病人とも気ちがいともおもわれず、他のなにものとも受けとれなかったが、次第に依ってはずいぶん強盗にもひと殺しにも、他のなにものにでもなりかねない風態《ふうてい》であった。しかし、ウミのあいだにうかがわれる目鼻だちはまあ尋常のほうで、ぴんと伸びた背骨の、肩のあたりの肉づきも存外健康らしく、もし年齢をあたえるとすれば十歳と十五歳の中ほどだが、いわゆる育つさかりの、四肢《しし》の発育がいじけずに約束されていて、まだこどもっぽい柔軟なからだつきで、それが高慢なくらいに胸を張りながら、まわりの雑鬧《ざっとう》にはふりむこうともせず、いったい何の騒動がおこったのかと、ひとり涼しそうに遠くを見つめて、役者が花道に出たようにすうとあるいて行くのは、どうしておちつきはらったもので、よほどみずから恃《たの》むところがないと、こうしぜんには足がはこぶまいとおもわれた。少年はどこから来てどこへ行こうとするのか。たれも知らない。この新開地では、種族を判別しがたい人間どもがどこからともなくわらわらとあつまって来て、どこへ行くともなく右往左往している中に、ひとり権威をもって行くべき道をこころえたような少年の足どりの軽さはすでに十分ひとをおどろかすに堪えた。もし一瞬の白昼のまぼろしとして、ひょっと少年のすがたがまのあたりに掻き消えたとしても、たれもこのうえにおどろく余地はなかったろう。
ところで、ここに意外の事件がおこった。少年がイワシ屋の店を出てすうとあるきはじめたときには、たれの眼にもつい消えうせるかと見えたのに、それがとたんに身をひるがえして、となりのムスビ屋の店に飛びこみ、どこに入れてあったのか折目のつかないまあたらしい札を一枚出して台の上におくと、まっくろに蝿のたかったムスビを一つとって、蝿もろともにわぐりと噛みついた。はたからさえぎる隙《すき》もない速い動作で、店番の若い女がなにかさけびながら立ちあがろうとしたひまに、ムスビはすでに食われていた。そして、おなじくすばやい身のうごきで、少年は今度はムスビではなく、立ち上ろうとした女のほうにおどりかかって腰掛の上に押しつけるぐあいに、肉の盛りあがったそのはだかの足のうえに、ムスビに噛みつくようにぎゅうっと抱きついた。女の足の肉と少年の顔とのぶつかる音が外にまで聞えたほど烈《はげ》しい力であった。女は悲鳴とともに飛び立って、「なにしやがんだい、畜生、ガキのくせに。」これも懸命の力で振りもぎろうとするが、少年はなかなか離れない。そこヘ、兵隊靴の男がまた駆けつけて来て、ほそい竹の棒を振りまわしながら、しかしただ「畜生、畜生」とさけぶだけで、やはりボロとデキモノに怖れをなしているのか、揉《も》みあう二人のからだのまわりを飛びまわって、ぴゅっぴゅっと竹を鳴らすにとどまって、よく手を出して引分けることをしかねた。女と少年とは一体になって、搦《から》んだまま店の外に出て来て、よろよろと倒れそうになったのが、もろにこちらへ、ちょうどそこに立っていたわたしのほうにぶつかって来た。そのとき、わたしはムスビ屋のとなりの飴《あめ》屋《や》のまえに立っていて、飴屋が石油鑵《かん》の中にかくしてあるたばこを買い、その一本に火をつけかけたところであった。
わたしはとっさによろけて来る一かたまりの肉塊を抱きとめようとする姿勢をとった。そうしなかったとすれば、わたしは倒れかかるもののいきおいに圧《お》されて、ともに地べたにころがったにちがいないだろう。その一かたまりの肉塊は女のからだと少年のからだとの合体から成り立っている。わたしはやはりとっさに判断をはたらかして、ボロとデキモノとウミとおそらくシラミとにみちた部分よりも、ふれるにこころよい柔かな肌の部分のほうに抱きつくことを撰《えら》んだ。というのは、はずかしいことだが、わたしは先刻から女のはだかの足のみごとな肉づきに見とれていて、公然とそれに抱きつくことをあえてしなかったのは単に少年の示したごとき勇猛心に欠けていたためにほかならず、揣《はか》らずも今あたえられた機会に、いわば少年の勇猛心の余徳を利用して幸便に陋劣《ろうれつ》なおもいをとげようとしながら、しかも少年のからだのほうは邪慳《じゃけん》に突き放して、もっぱら女の背中をねらって組みとめるに努めた。しかし、わたしはてきめんに罰をこうむったかたちで、非《ひ》力《りき》をもって支えるによしなく、実際には女の張りきった腰のあおりを食って跳《は》ねとばされ、したたか地べたにたたきつけられてしまった。
肱《ひじ》と膝とをすりむき、痛さをこらえて、わたしがやっとおきあがったときには、少年はどこに消えたのか、もうその影も見えなかった。そして、女はなにやらわめきながらひどい権幕でわたしを睨《にら》んでいる。そのそばに、例の兵隊靴の男がまたもほそい竹の棒をぴゅっぴゅっと鳴らしながら、わたしを威《い》嚇《かく》するように立ちはだかっている。どうやらはずみにわたしのたばこの火が女の背中に飛んで、シュミーズに大きい焼穴ができたということらしい。まわりには、すでにいっぱいひとだかりがしていて、みなわたしに対して敵意をもっている形相《ぎょうそう》と見えた。わたしは先刻女の足に抱きついた当の犯人がわたし自身であったかのように(じつはわたしもまたその恥ずべき行為の荷担者にはちがいないのだが)、顔をまっかにして、一つには白昼ひとだかりのまんなかでこのうえいかなる恥辱をうけるのかという危惧《きぐ》におののきながら、はやくこの場をのがれたいとおもい、人垣の隙をうかがって、いちばん弱そうなぼんやりしたやつを突きとばし、みだれた列のあいだを縫って、市場の外へと、夢中で駆け出した。
せまい市場の、すぐ外側が電車通で、そこまで駆け抜けてほっと息をつき、ふりかえって見るとさいわい追いかけて来るものもなかった。気がつくと道を行くひとがみな咎《とが》めるような眼つきでこちらを見ている。なるほどあたまから泥まみれ、手足のすりむきで血に染んでいて、おまけにつらつきの市場じみたところがまだ改まっていないようだから、さだめて異様な風態《ふうてい》だろう。わたしは生れつき虚栄心満満としてもっぱら体裁をつくることに苦心し、恥知らずの市場の雑鬧に入りまじってさえ、たとえばムスビ屋の店番の女にちょっと岡惚《おかぼれ》してみたにしろ決して劣情は色に出さず、なるべくきどって、品のよさそうな恰好《かっこう》をこしらえあげることに努めていたのに、それがこういう惨澹《さんたん》たる結果になって来ると、市場の中のいちばん恥知らずよりもなお恥知らずで、まことに賤民《せんみん》中の賤民とは自分のことであったと、照る日の光とか他人の見る目などへの気がねはさておき、なによりもわが虚栄心のてまえいいわけ立ちがたく煩悶《はんもん》ひとかたでなかった。わたしは泥をはらい血をふいて、ほどけた靴の紐《ひも》をむすび直し、さりげないふうをよそおってあるき出したが、どうも足どりがまだすらすらと行かなかった。それにつけても先刻の少年はどうすればあのように沈著《ちんちゃく》に、かつ機敏に、むしろ堂堂たる態度をもって市場の悪党どものまんなかを押しあるいていられるのだろう。どこの天の涯《はて》からか、またはどこの地の底からか、この新規にひらかれた市場の土地に遣《つか》わされて来て、ここの曠《こう》野《や》に芽ばえる種族の先祖はおれだといっているような押し出しである。かくのごとく律法の無い、汚辱のほかにはなにも著ていない、下賤のはだかの徒に、たれが味方するのか。しかし、メシヤはいつも下賤のものの上にあるのだそうだから、また律法の無いものにこそ神は味方するのだそうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち「人の子」の役割を振りあてられているものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだということはまずうごかない目星だろう。市場のものどもはいったいにあまりおしゃべりをしないようだが、少年はとくに一言も口をきかなかった。按《あん》ずるに、行為がことばだというわけだろう。そしてその行為は一つ一つ、たとえばイワシをよこせとか、ムスビを食わせろとか、女の股に抱きつかせろとかいうように、命令のかたちをとっている。それが命令である以上かならずやなにか神学的意味がふくまれていて、俗物がまださとりえないでいるところの、ものの譬《たとえ》になっているにちがいない。けだしナザレのイエスの言行に相比すべきものである。もしたれかが少年の日常の行動を仔《し》細《さい》に観察し、これを記録にとどめて集成したとすれば、「山上の垂訓」にくらべられるようなあたらしい約束の地の説教集が編まれるだろう。おもえば、あの風采《ふうさい》とてもどうして大した貫禄のものであった。ボロとデキモノとウミとおそらくシラミとをもって鏤《ちりば》めた盛装は、威儀を正した王者でなくては、とても身につけられるものではない。わたしも平常おしゃれに憂身をやつしたいというひそかな念願があって、例の虚栄心で物資不足のおりずいぶん苦労しているが、まだまだ王者の盛装までには手がとどきそうもない。すでにして、敵はイエスである。わたしがムスビ屋の女を引張り合って手足をすりむいたぐらいのことは、まあ災難がかるかったと、あきらめるほかないだろう。わたしはすこし気がしずまって来た。
わたしは気をしずめて広小路の四辻《よつつじ》に立った。そして、谷《や》中《なか》のほうへ行く電車をしばらく待っていたが、どうも来そうなけしきがなかった。わたしはまたあるき出して上野の山にのぼった。これから東照宮の境内を抜けて、山の下の道におりて、谷中まであるいて行こうというつもりである。その谷中に行くということは、わたしがきょうわざわざここまで出て来た目的であった。
先日、わたしはさる用件で谷中まで行くことがあって、そのかえりみちに、太宰春台《だざいしゅんだい》の墓のある寺のまえを通りかかった。そのへん一帯の地はさいわいに猛火の厄をまぬがれていて、家並はおおむね元どおり残っている。わたしは寺の門をくぐって、墓地にまわってみた。しかし、わたしがふと掃苔《そうたい》の念を発したのは、春台を弔うためではない。わたしは経学の門外漢だから、太宰氏の学風とは縁がなく、またその伝えられる人柄も好まない。わたしの目当とするところは春台の墓の石である。その石に刻してある数行の文字、すなわち墓《ぼ》碣銘《けつめい》である。銘文は服元喬《ふくげんきょう》の撰《せん》に係る。服部南郭《はっとりなんかく》ならば江戸詩文の大宗《たいそう》として、わたしとはまんざら縁のないこともない。明和安永天明の間江戸の文苑《ぶんえん》に風雅が栄えたのは、南郭先生がさきだって世にひろめた瀟洒《しょうしゃ》たる唐山の詩の余韻に負うところすくなしとしない。けだし、しゃれた学問の根柢《こんてい》である。太宰氏の墓石は今につつがなく、南郭の墓碣銘も欠けていない。それでも、これは焼け残ったとはいうものの、世間のひとの忘却の中では存否不明同様の取扱いだろう。わたしは今のうちにこの墓碣銘を拓本《たくほん》にとっておきたいとおもった。そして、改めて、拓本をとるための用意をしてまたこの寺をたずねることにした。その日を改めてというのが、つまりきょうである。げんに、わたしは小さい風呂敷包をさげている。包の中には、拓本用の紙墨とともに弁当用のコぺが二きれはいっている。拓本がとれたときには、それは亡《ほろ》びた世の、詩文の歴史の残欠となるだろう。仮《か》寓《ぐう》の壁の破れをつくろうにはちょうどよい。
さて、わたしは上野の山にのぼって清水堂の下あたりまで来たとき、なにげなくうしろをふりむくと、二町ほどあとからボロとデキモノの少年のこちらへむかってあるいて来るのが見えた。まごう方なく、先刻の少年である。わたしはすでに市場で道草を食うことをやめて、拓本への方向をとりもどしていたので、少年についてはもう大して関心がもてなくなっていた。それに、不思議なことには、この山の上の広い場所で眺めると、少年の姿は市場の中に於《お》けるがごときイエスらしい生彩をうしなって、ただ野獣などの食をあさってうろつくよう、聖書に記されている悪鬼が乗り移った豚の裔《すえ》の、いまだに山のほとり水のふちをさまよっているかのようであった。わたしは興ざめて、少年をうしろに見捨てたまま、さきにすすんだ。このへんまで来ると、もはやものを売る店もなく、ひと通りもすくないので、わたしがどれほど浮気の性であったにしろ、女の足の肉づきに見とれて道をまちがえる危険はない。
東照宮の鳥居のまえに来て、またなにげなくふりかえると、やはり少年がうしろに、今度はぐっと距離をちぢめて、つい十間ほどあとに迫っていた。わたしはぎょっとして息を呑んだ。明かに敵はわたしをつけて来ている。その形相がただごとでない。これはもうあわれな豚の裔ではなくて、血に飢えた狼《おおかみ》にほかならなかった。眼に殺気がほとばしって、剥《む》き出した歯が白く光り、顔のウミは生《いき》餌《え》などを食ったあとの返り血を浴びたようにあかぐろく、肌にぴったり貼《は》りついたボロはほんものの狼の毛皮そっくりに荒く逆立って、猛烈な闘志を示している。いったい敵は何のためにわたしを狙《ねら》っているのだろう。怨恨《えんこん》か。こちらの身にはおぼえがない。物取りか。ずぼんのポケットに財布が押しこんではあるが、中みはしごく軽い。わたしの生血か。それならば財布の中みよりも一そう貧弱なはずである。しかし、すべて人間側の論理は狼側に通用するわけがないだろう。何のためにしろ、敵がわたしを狙って飛びかかろうとしていることは眼前のおそるべき事実であった。
わたしはなるべくあわてないように、しいてゆっくりした足どりで、東照宮の境内にはいって行った。もうふりかえって見るまでもなく、敵の次第にまぢかに肉薄して来るのが判る。襲撃の気勢がわたしの背骨にひびいて来る。あたりにはひとの影もない。木立はまばらで、楯《たて》として頼むにたりない。日ざしはあいかわらず強く、じりじり照りつけて来て、わたしはあぶら汗で浮くように濡《ぬ》れた。
ようやく拝殿の裏手まで来た。崖《がけ》の道をおりれば、家並のつづいている町である。しかし、もはやその道をおりて行く余裕はない。敵の吐く息、鳴らす歯の音がするどく耳を打って聞える。つい一飛びで、敵はわたしの背中に噛《か》みつきうるほど近くに迫っている。わたしははやく人家のあるところに出ようとあせっていたが、それがかえって敵の術中に落ちて、ここの草むらと赤土の上、もっとも流血に適した場所にまで追いつめられたぐあいであった。うっかり声をあげたり駆け出したりすれば、それこそ百年目である。またそうしなくても、おなじことだろう。どのみち、敵はわたしののど笛を狙って飛びかかって来るにちがいない。もうふりむいて敵をむかえ打つ体勢をととのえるようなひまもない。このとき、わたしの手にあるものは、小さい風呂敷包、包の中の一枚の紙だけであった。それはやがて亡びた世の、詩文の歴史の残欠になるであろうところの、しかし今はただの白い紙でしかないところの、うすいぺらぺらしたものである。わたしはこのうすい白紙をとって狼の爪《そう》牙《が》とたたかわなくてはならない。絶体絶命である。
前面のいちばん大きい木のそばまで来たとき、わたしは決心してくるりとふりむいた。とたんに敵はぱっと飛びかかって来た。土を蹴《け》ってぶつかって来たものは、悪臭にむっとするような、ボロとデキモノとウミとおそらくシラミとのかたまりである。それを受けとめようとして揚げたわたしの手に、敵の爪が歯が噛みついて来て、ホワイトシャツがびりりと裂け、前腕にぐいと爪が突き立つのを感じた。そのあとは夢中であった。わたしはボロとデキモノとウミとおそらくシラミとのかたまりと一体になって地べたにころがった。その無言の格闘の中で、わたしはかろうじて敵の手首を押さえつけることができた。ひどい力で、すばやくうごく手首である。しかし、それはおもいのほか肌理《きめ》がこまかで、十歳と十五歳の中ほどにある少年の、なめらかな皮膚の感触であった。わたしは死力をつくして、どうやら敵を組み伏せた。今、ウミと泥と汗と垢とによごれゆがんで、くるしげな息づかいであえいでいる敵の顔がついわたしの眼の下にある。そのとき、わたしは一瞬にして恍惚《こうこつ》となるまでに戦慄《せんりつ》した。わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦《く》患《げん》にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかった。わたしは少年がやはりイエスであって、そしてまたクリストであったことを痛烈にさとった。それならば、これはわたしのために救いのメッセージをもたらして来たものにちがいない。わたしはなに一つ取柄のない卑賤の身だが、それでもなお行きずりに露店の女の足に見とれることができるという俗悪劣等な性根をわずかに存していたおかげには、さいわい神の御《み》旨《むね》にかなって、ここに福音の使者を差遣されたのであろうか。わたしは畏《おそ》れのために手足がふるえた。そのすきに、敵の手首はつるりとわたしの手の下から抜けて、逆にわたしのあごをはげしく突きあげて来た。わたしはあおむけに倒れた。ちょうど、倒れたあたまのところに、わたしの風呂敷包が破れて落ちていて、白紙が皺《しわ》だらけになって散り、二きれのコペが泥の中にころがっていた。敵はすばやくそのころがったパンを拾いとると、白紙をつかんで泥といっしょにわたしの顔に投げつけて、さっと向うへ駆け出して行った。
あとで、わたしがおきあがってみると、手足のあちこちに歯の傷、爪の傷を受けていた。そして、ずぼんの泥をはたいたとき、ポケットがからになっていることに気がついた。財布は無かった。
あくる日、朝のうちに、わたしはまた上野の市場まで出て来た。きのうの格闘であぶら汗をながしつくしたせいか、わたしもすこしは料簡が小ざっぱりとして、きょうは谷中の墓石のことはかんがえなかった。ここに来たのは、きのうのイエスの顔をもう一度まぢかに見たいとおもったからである。そして、ついでに、やはりもう一度ぐらいは、あのムスビ屋の女の足を行きずりに見物してもよいというふとどきな料簡はまだあった。しかし、市場のけしきは一夜にしてがらりと変っていた。
八月一日から市場閉鎖というあてにならないはずの官のふれが今度はめずらしく実行にうつされたのだろう。電車道から市場の中に通ずるいくつかの横町の角《かど》には、それぞれ縄が張ってあって、そこに白服をきた邏《ら》卒《そつ》が二三人ずつ、杭《くい》のようにぼんやり立っていた。めったに通行をゆるさないけはいである。縄の外側に、すこし離れたところに、ひとのむれが横町の中を透かして見るようにのぞいている。わたしもそのむれに立ちまじって、白服の杭《くい》の隙《すき》間《ま》から中のほうをのぞくと、しらじらとして人間の影もささなかった。きのうまでの有象無象はみな地の底に吸いこまれてしまったのだろう。イエスのすがたも、女の足も、今は見るよしがない。もしわたしの手足にまだなまなましく残っている歯の傷爪の傷がなかったとしたならば、わたしはきのうの出来事を夢の中の異象としてよりほかにおもい出すすべがないだろう。
横町の内部、きのうまで露店がずらりとならんでいたあとには、ただ両側にあやしげな葭簀張の、からの小屋が立ち残っているだけで、それが馬のいない厩舎《きゅうしゃ》の列のようであった。横町のずっと奥のほうまで、地べたがきれいに掃きならしてあって、その土のうえにぽつぽつとなにやら物の痕《あと》の印されているのが、あたかも沙《さ》漠《ばく》の砂のうえに踏みのこされたけものの足跡、蹄《ひづめ》のかたちのように見えた。
かよい小町
月の無い夜道の、星は出ていてもたよりにならず、片側は小さい牧場、片側は田圃《たんぼ》、もとより当節は街燈の設備などあるはずもないくらやみの中を、ついさっき夕方までふっていた雨のあとで、あちこち道のくぼみにできた水たまりに、ともすればぼちゃんと足をさらわれながら、それでもふだん通りつけているだけの心あたりで、靴のさきで探るようにして、しぜんうつむきがちの姿勢であるいて行くうちに、いきなりうしろからぱっと光がさした。それが懐中電燈の光だとはすぐ知れたが、あからさまに照らし出されたこちらの姿とは逆に、先方は闇《やみ》にかくれてなにものとも判らず、ただ「ごめんなさい。」と女の声で、ふたりと見えたのが、かすかに脂粉のにおいをのこして、さきに通り越しながら、もう二三間むこうを照らしている電燈の光の中に、わかわかしい、はしゃいだ調子で、
「あ、そこ水がたまってるわよ。染香さん。」
「わかってるわよ。」
「あら、せっかくおしえてやるのに。」
「よしてよ、押さないでよ。」
チチチチチと、田圃の中で、虫の音がしきりであった。
おなじ道を行くので、さきに立った明りを今は目あてに、あやうくぬかるみを飛び越えつつ、悪癖の、きちがい歌のでたらめに、
なにを田の面《も》にしのび鳴くらん
寄虫恋《むしによするこい》というつもりだが、七《しち》歩《ほ》の才おぼつかなく、上の句がすぐに出ない。行く道の突きあたりは省線駅前の通で、そこの両側にならぶあきない店の灯影が遠くからも茫《ぼう》と浮いて見える。近づくにつれて、暗い道が次第にうす明るくなり女ふたりのうしろ姿がはっきりして来て、そのとき懐中電燈がふっと消えた。とたんに、くるしまぎれのこじつけで、
闇雲に焦がれ寄る火の立消えて
通の明るいところに出ると、ふたりの女はすぐ右左にわかれて、そのひとりが「バーイ」と、懐中電燈をもった手をちょっとふり上げて、左のほうにまがって行った。十九歳ぐらいの大柄なからだつきで、あたまにタオルを巻きつけ、白の割烹《かっぽう》著《ぎ》の上からモンペをはき、泥だらけのゴムの長靴、なりふりかまわずはたらくという恰好《かっこう》だが、年ごろの色気がしぜんにあふれて、身ぶりしなやかに、通を向う側にわたって、ずらりと仮小屋ふうの軒をならべた店の中の一つ、何屋というか、おでんもあり、代用そばもあり、林《りん》檎《ご》も積んであるし、酒ビール牛乳の貼紙《はりがみ》も出ているし、生魚まで売っていようという店の、横手からつとはいって、奥にまわって行くようすで、どうも店の客ではなく、たぶんそこの娘かなにかだろう。もうひとりのほうは、これが染香と呼ばれたやつらしく、そう聞けばまず芸者にちがいあるまいが、しかし、見たところはわざとしろうと作りの、髪はパーマネント、それに今日たれでもする網のはちまきをして、藍《あい》がかった小紋のお召、二十三か四かとおもわれる年ごろにはじみな著《き》附《つけ》で、持物はとかげの革のハンドバッグ一つ、自分のものか、ひとのものか、すべて疎開しておいた品物をちかごろ取り出して来たというこしらえながら、草《ぞう》履《り》ばきの、せっかくの白《しろ》足袋《たび》に泥のはねが附いた、その足をはやめて、すっすと通を右に、ついそばの駅にむかって行った。
さて、どちらへ行こう。どこへ行くという宛《あて》もなく、牧場の裏の仮《か》寓《ぐう》から、それもよその軒下を借りたひとりぐらしの狭いところから、毎晩さまよい出る癖でここまで出て来たのだから、このさき電車に乗って遠くへ行ってもよく、まぢかの酒ビール牛乳と附合ってもよいのだが、漫然と電車に乗ることにして、駅にまぎれこんで切符売場に立つと、すぐまえに例の女が上り三つ目の駅までの切符を買ったのにつれて、やはりおなじ切符を買い、やがて来た電車に、どやどやとひとに押されながら、女とおなじ箱に乗った。
両国から川をわたって東南の方、四十分ばかりのところにこの駅がある。四十分。およそ四十分という時間が人生に於ていかに退屈な、いかに長たらしいものかということは、朝夕のこみあう時刻に、この電車に乗ってみれば、痛烈に実感されるだろう。ここでは、電車は人間を乗せて走るものではなくて、単にイモの袋とイワシの鑵《かん》とを運搬する箱でしかない。人間は丸い袋と四角な鑵とのあいだを埋めるためのモミガラのようなもので、しかも小気味のよいことには、イモとイワシとの悪臭に輪をかけて、世の中でいちばん鼻持ならぬ臭いものは人間のからだのにおいだということを存分に思い知らされる。しかし、さすがに夜になると、イモとイワシとはまた明日をたのしみに引揚げてしまうので、人間は性懲りもなく高慢なつらつきをとりもどして、やっと座席に腰かけることができる。今、女は真向いにかけている。なにもまともに見るわけではないが、しぜん眼にうつって来るので、向うのようすを眺《なが》める仕儀になった。女は剣のようにぴんとした姿勢で、肉体が幻影のように見える。けだし、これから取引の場にのぞもうとする売物の意気ごみである。いくさがおわって満一年目、その秋口から、この電車には夜おそくなるにしたがって、こういう売物の風俗がちらほらしはじめて来た。もっとも、衣裳《いしょう》もまちまち、姿勢のくずれたやつがおおく、芸者とも女給ともダンサーともなにものとも人別《にんべつ》の判然としない混雑を呈してはいるが、この女はともかく芸者という形式の中に一応生活力を集中しているらしく、ちょっと気位の高そうなところがいっそ旧弊で、笑止なけしきでもあった。
このとき、女は身をしなわせるようなぐあいに、つと前かがみになって、ほそい指さきが足袋《たび》にふれたかとおもうと、その泥のはねが附いた足袋をすばやく脱いで、とっさに、どこに用意してあったのか、袂《たもと》のはしからきれいな白足袋を取り出して、器用にそれをはき替えた。そのすきに素足がちらと見えたといえば、ウソに近い。実際には、素足の見えるすきもなく、小鳥の羽づくろいに似た速い操作であった。こういうこまかい芸当は生活上の修練がさせるわざにちがいない。こいつ、いくさのまえは、おおかた浅草辺の水商売の下地っ子ででもあったろうか。東京がいちめんに焼き払われてのち、下町の妓《ぎ》院《いん》のものどもがちりぢりになって、そのいくぶんかがこの界隈《かいわい》に落ちこぼれて来ている。げんに仮《か》寓《ぐう》の在る名産イワシの町などでもやはりそうで、やつら、分《わけ》か看板借か内情は知らず、土地の泥くさい芸者屋に籍を置いて、しばらくは鳴りをひそめていたようだが、ちかごろまたぽつぽつ、泰平のきざしというか、もとの商売をはじめているらしい。出先は土地に料理屋もあるが、すこし目ぼしいやつはそこには行かず、電車に乗って、ここから上り三つ目の駅まで出むくようすである。この三つ目の駅というのは、東京と千葉とのあいだではどうやら恰好《かっこう》のついた町で、古く御料理旅館、すなわち温泉の鉱泉のと称するつれこみ宿があって、むかしは東京から化性《けしょう》のものが遠出をつけたかせぎ場所の一つであった。それらの御料理旅館は、いくさのあいだは世のためしに洩《も》れず、なんとか寮の看板をぶらさげて、附近の聯隊《れんたい》と工場という札つきの定連の占拠するところで、建物はうすぎたなくなり、持主の代のかわったのもあるだろうが、火に焼けなかった土地の、屋台骨がのこっているだけに、いざ復興となると、さっそく塀《へい》のくずれを紅殻《べにがら》色に塗り直して、竹を植えたり砂利を敷いたり、万事安あがりにつくろって、以前の稼業《かぎょう》にかえるにはさして手間のかからぬはずである。今、真向いの女の行くさきも、まずそのあたりだろう。桑間濮上《そうかんぼくじょう》の声おこって、軍ほろびたあとに、客だねは一いろの、今日での立てもの、ルートのちがいこそあれ、いずこもヤミ屋の座敷とは、たれにでも見当がつく。
電車がやがて三つ目の駅に著くと、女がおりたのに、つづいて改札口を出て、とくにあとをつけてみようというほど乗気にもならなかったが、やはりおなじ道を行くかたちになって、ここも駅前はあきない店がならんで灯のあかるい中を、行くこと五六分で、女は横町にまがった。道は乾《かわ》いていて、ぬかるみの危険はなさそうだが、横町にはいると急に暗く、両側は屋敷ふうのかまえで、土《ど》塀《べい》竹垣がつづき植込がひっそりしている。そこをまた五分ばかり行くと、女は一軒の家の大きくあけてある門のうちにはいった。軒燈こころぼそく、門には標札も看板もかけてなく、ただなにやら横文字の貼紙《はりがみ》がしてあるだけだが、けはいが料理屋のようであった。
ここまで来てしまったうえは、もちまえのむちゃくちゃな性分で、決してあとには引かず、ちょっとあいだを置いて、その門のうちにつかつかとはいって行った。植込をめぐって、玄関のほうに近づいて行くと、ちょうどそこの式台の上に居合わせた女中ふうの、すこし年をとったやつが、あやしむようにこちらを透かして見ながら、
「どちらさま。」
遠慮なく玄関に踏みこんで、
「染香といっしょに来た。」
「あ、おつれさまで。」
「そうだ。」
さっと靴をぬいで、式台から衝立《ついたて》のある奥のほうにあがりかけると、女中が追いすがるようにして、
「あの、御宴会でいらっしゃいます。」
「ちがう。」
「おひとりさま。」
「うむ。」
「あの、てまえどもでは、おなじみのお客様でございませんと……」
「だから、染香となじみだといったじゃないか。」
「は。」
「小座敷があいてるだろう。どこでもいい。」
女中はいささかめんくらったていで、それでも「じゃ、こちらへ」と、廊下を横にきれて、案内された一間にはいると、座蒲《ざぶ》団《とん》にすわって、女中がそばで中腰になりながらなにかいいかけようとするのを、ふりむきもせず、ポケットに入れておいたハトロンの厚い封筒を抜き出して、それを向うの膝《ひざ》もとにどさりと投げた。
「それだけ預けておく。しかるべく頼む。」
女中は封筒をひろいあげて、無意識に中みの目方を引いているような手つきである。名うての貧棒書生の、もとより金銭に縁のあるはずがないとはいえ、めずらしくまわらぬ筆で無用の本を一冊書きとばして、ついきょうの昼、本屋からうばい取ったばかりの金一封、なんとか社と印刷してある封筒入のまま、すなわちこれっきりの全財産で、ヤミ屋の財布にくらべてはひどく軽いだろうが、今夜のところはどうやらそれで間に合うだろう。
遠くから、あやしげな三味線の音が聞える。芸者などの踊っているようすである。
「向うの座敷は宴会か。あとでしおどきを見て、染香をもらってくれ。」
女中はさがって行った。障子のそとの庭は暗くて見えないが、内の電燈はまずあかるく、座敷は小ぢんまりして、古びた普請で、木《き》口《ぐち》はわるくない。しかし、床の飾とか調度などはすべて当世むきのあざといたくらみである。まもなく、酒がはこばれて来た。それをたてつづけに三四本のみながら、これからなにがどういうことになるのか、こころまちに待った。
襖《ふすま》がほそめにあいて、それを音もなく押しすべらしながら、すっとはいって来たのが、「こんばんは」と膝をついて、伏目でこちらをうかがうように見た。染香である。
「しばらく。」
「あら……」と、わざと笑いながら、「失礼しちゃったわね、どちらだったかしら。」
「ばか正直、かんしんだ。」
「え。」
「さっき電車の中でお見かけしたばかりだから、思い出すのにひまがかかるだろう。」
「あ、そう、そう。」と、そばに寄って来て、銚子《ちょうし》を取り上げて、
「お酌。」
こいつ、すでに酔っている。
「鳴るいかずちに打たれてね、ふらふらと……」
「なに。」
「一目で惚《ほ》れたってことだ。」
「あら、そう、御親切ね。見そめて、そめて、はずかしの……てね。」
「地《じ》は常磐《ときわ》津《ず》か。」
「いいえ、地はすれっからし、無芸でございます。」
向うの座敷のさわぎも、だいぶ下火になって来た。宴会はそろそろ引けぎわなのだろう。そこへ、女中が銚子の代りをもってはいって来た。そして、ちょっと染香としゃべって、すぐに出て行った。染香は猪《ちょ》口《こ》を受けて、ぐっと一息にのみほして、それをこちらに返しながら、
「ねえ、あなたどうしてあたしの名知ってた。」
「知ってるはずさ。あの子に聞いた。」
「あの子って。」
「なんとかいったね。あの駅前のなんでも屋の娘。さっき懐中電燈をもって、きみを送って来た子さ。」
「ああ、よっちゃん。」
「うむ、そのよっちゃんだ。」
「あなたも、よっちゃんの牛乳のみにかよってるんじゃない。」
「いずれお附合したいとおもってる。近所のことだから。」
「お宅、どこ。」
「牧場の裏だ。」
「焼け出されのお仲間ね。」
「御同様。このあいだ、罹《り》災者《さいしゃ》特配で靴下が当った組だ。」
「うちじゃアルマイトのお鍋《なべ》が当ったのよ。」
「それじゃ、その手鍋をさげて、おれのところに来るか。」
「あら、ずいぶんテンポが速いわねえ。」
ちょっと姿勢をくずしてみせたが、かえって膝をずらして、ななめに位置をかえた。こちらもはやまって手をにぎろうとはしなかった。それよりも「よっちゃんの牛乳」ということばを聞いたとき、ふっと眼さきにうかびあがった風景があって、そのよし子とかいう娘の、かねてどこやらで見かけたような気がしていた姿を、今はっきりつかまえたとおもった。
朝はやくおきて、そとをあるきに出るおりに、牧場のほとりを通りかかると、それが晴れた朝ならば、きまって見る風景がある。小さい牧場の、あらい柵《さく》の中に、牛が二頭、二つとも白と黒とのまだらなのが繋《つな》いであって、その牛の、乳房がゆたかに垂れさがった腹の下に、若い娘がひとりうずくまっている。娘は乳をしぼっている。バケツにしたたる乳のにおいがやわらかい草の上にながれて、大気が爰元《ここもと》にかおり高くあざやかに透きとおって来る。娘の顔は見えない。いつもあたまにタオルを巻きつけ、白の割烹《かっぽう》著《ぎ》の上からモンペをはいて、ゴムの長靴といういでたちは、おもえば、こよい駅前で見た娘の、そのうしろ姿にちがいなかった。しかし、それはかならずしもこのおなじ娘でなくてもよい。まして、この牛乳が駅前で売りに出されて、それをのみにかよう町内の若いものがいようといまいと、どうでもよい。こころにしみたのは、この風景そのものである。
どうして風景がこころにしみたのか。けだし、それはむかしも今も地上どこにでもざらにあるはずの風景だからである。世界じゅうどこに行っても、かならずや牧場があり、牛がいて、そこに乳をしぼる娘がいるはずだろう。そして、空が晴れて、朝の大気が澄みわたって、向うにカトリックの礼拝堂が建っていて、十字架が金色にかがやき、鐘の音がゆるやかに聞えて来るはずだろう。実際には、ここには礼拝堂も無く、十字架も無く、鐘の音も無い。しかし、それでもなおそこに礼拝堂があり、十字架があり、鐘の音があるとおもうことを、そのまぼろしをまのあたりの空に見、まぼろしが実在でしかないまでにそれを見とどけ聴《き》きとることをさまたげはしない。この地はスカンディナヴィヤでもなく、フランドルでもなく、ミディでもなく、ギリシャでもないが、それがそういう国国のどこであってもよく、現在あるがままに日本の片隅《かたすみ》のイワシ町であってもよく、また歴史的時間は昨日でも明日でもよい。すなわち、一般に人間の住む世界の朝というものは、つねにかならずこういう恰好《かっこう》の風景からはじまるべきである。この夢幻の、同時に現実の朝の風景は、牧場の裏に巣くう無頼の身にとって、いつか必至に毎日の生活の最初の一齣《こま》を割りつけた。この風景をただ一目見るためだけに、いつもの朝寝坊が、晴れた日には、しぜんにはやく目のさめるような習性を身に附けるに至っている。
もしこの風景になにか仮の名をあたえて呼ぶとすれば、何と呼ぼう。「よっちゃん」の愛称でもよく「染香」の源氏名でもよいかも知れない。いや、それよりも、第二の世界に於ける人間開闢《かいびゃく》の、あけぼのの女人の名「マリヤ」をもって呼ぶに如《し》くはあるまい。按《あん》ずるに、末世の今日あるいは明日に至るまで、世界じゅうの女人の名はことごとくマリヤ、しばらく本朝の便法にしたがえば、みな小町である。小町の名は、一般に本朝上古の黎明《れいめい》に於ける女人の名は、すべてまぢかく神に仕えるものの象徴であった。小町の肉体に手をふれるためには、歌の道に依るほかなく、これを歌い負かすほかなかった。しかるに、世の下るにつれて、小町もだんだん低いところに落ちて来て、つまり事態がいやにはっきりして来て、もはや歌のヌタのという上品ぶりの手続にはおよばず、その名はいきなり抱きつくのにあつらえむきの、柔媚《じゅうび》なる女人の肉体にしか結びつかない。俗化のはて、しごく便利で、いいあんばいである。なにぶんにもこちらの身が俗物の骨頂なのだから俗化結構、ありがたく、よき敵と見て組みつくさきは肉体の一本立、しかもそれに売物の札がぶらさがっているとすれば、手続はなお簡単、あとくされもなくて、便利の極上、大丈夫の今日に生活するものの、ときどきあそぶにはこれにかぎる。
「よっちゃん、毎朝牛と仲よくしてるね。」
「ええ、あの子、そりゃはたらきものよ。イワシの鑵《かん》でもなんでも、かついじゃうの。」
「とんだいい娘だ。」
「今時分惚れても手おくれよ。もうちゃんと恋人があるのよ。」
「あっても、さしつかえない。」
「しかも共産党なのよ。」
「その恋人がか。」
「そうなの。特攻隊でかえって来たひと。」
「それなら、てっきり今日の商売はヤミのほうだろう。」
「そうらしいわ。」
「そう三拍子そろっちゃ、れっきとした一九四六年型だ。いろおとこの資格、十分にある。よっちゃんも目が高い。」
「よっちゃんだって、共産党よ。」
「亭主にしたがうのが女の道だ。」
「あら、旧体制ねえ。」
「きみはなんだ。」
「自由主義よ。」
「そう聞いて、安心した。」
「なぜ。」
「なにをしても、おこられる気づかいは無いわけだ。」
「おこる自由をもってるわよ。」
「なお張合がある。つるぎを抱いて寝るも一興。」
「おきのどくさま。刀剣類は全部申告済でございます。」
「いや、まだなにかかくしてるにちがいあるまい。」
「キモノにかくしは附いてないわよ。」
「こいつ。」
手をのばして、ぎゅっと肩をつかまえると、「あれえ」とはいったが、なに、セリフほどの抵抗もなく、ずるずるとこちらの膝の上にもたれかかって来たとき、襖《ふすま》のそとで「ごめん下さいまし」と聞えたのに、ぱっと飛びはなれた。
はいって来た女中が、
「火をおとしますが、おあつらえは。」
「もう一本。」
とたんに、染香がついと立って、女中といっしょに出て行った。だいぶ夜がふけたらしい。ちょっとたって、染香がひとりもどって来た。そして、そばに寄って来て、手にもった銚子の、あつそうなやつをとんと置いて、
「頂戴《ちょうだい》。」
自分でついで、猪口をさかしまに、大時代なみえで、あおむいてのみながら、こちらをながし目にちらと見た。
すると、また襖のそとから声がかかって、のぞきこんだ女中の顔が染香に目くばせしながら、
「あちらにお支度が……」
きまり文句である。しかし、このとき、このきまり文句ほど意外なものはなかった。迂《う》闊《かつ》なことには、泊るという実際の膳立《ぜんだて》まではかんがえていなかったし、また泊るにしても、ここのうちで即座にということはおもっていなかった。事がこうすらすらはこんだのは、滅法便利な仕掛である。染香は横をむいて、襟《えり》あし白く、つんとすました顔つきをしている。すなわち、これから閨房《けいぼう》に入ろうとするときの、ひとに気をもたせた表情にほかならない。まさしく、たたかいを挑《いど》むものの気勢である。女というやつ、相場はさがっても、さすがにみな小町の裔《すえ》だけあって、やはりこれを歌い負かさなくては、手の下にその肉体をつかみとどめることはできそうもない。
閨房では、女人は窮極のところ乳房でしかない。なぜ、とくに乳房というか。それが肉体全体であっても、いいではないか。また乳房よりほかの、肉体の部分、他の器官であっても、いいではないか。いや、どうもそれではよくない。乳房にかぎる。たとえば豚について、豚の肉体全体というとき、ひとはなにをかんがえるか。それはかならずや豚プロパーというかんがえに突きあたるだろう。女人についても同様に、女人プロパーから分離的に女人の肉体全体を取り上げることはできないだろう。女人プロパーとは、一般には人間プロパーの謂《いい》にほかならない。すなわち当世流行の人間論である。新聞雑誌の文芸欄などならば、それも商売のたねの、演舌の材料になるかも知れない。しかし、これから閨《ねや》のむつごとで、じれったいとか、にくらしいとか、せっかく濡《ぬれ》場《ば》になろうというときに、まかり出たものは人間論で候《そうろう》では、野暮天にもほどがある。そういう無粋な真似《まね》はこのところ願い下げにしたい。
ふだんはキモノをかぶっているから判らないが、その下の中みをまぢかに展望すると、女人の肉体には女人相応にこまかい部分、小《こ》癪《しゃく》な器官が備わっていて、どれも重宝のようで、見た目がにぎやかで、この世のものともおもわれない。つまり、キモノこそ地上の皮膚で、中みは幻影でしかないということを、たれでも痛感するだろう。幻影というならば、とりわけ乳房こそ一番形態がととのい、丸くて、やわらかくて、なめらかで……ええ、まわりくどい、こういう愚劣ないい方をする手はない。もっと俗っぽく、もっとべらぼうに、ぬけぬけと一事を主張するつもりであった。すなわち、女人の肉体の中で、もっとも上等なものは乳房だといえばよい。笑うべし、他にれっきとした豊饒《ほうじょう》な器官もあるのに、それをさし措《お》いて、乳房を高いところに祭り上げるとは何事か。そもそも肉体のある器官が他の器官にくらべて上等とか下等とかいうのは、何たる無意味な、ばかげた心配だろう。しかし、一般に俗物というものは、達人の大観とはちがって、そのようなばかげた心配に意味をなすりつけて、人生観の体裁を作りたがる。こちらも極《きわ》めつきの俗物だから、体裁を作ることは大好物で、せいぜいきどって、じつはワイセツなことがいいたいのを我慢して、偽善とすれすれに見えるまでの危険をおかしても、おくめんもなく乳房が一番上等だときめこんで、涼しい顔をしていたい。この涼しい顔は心臓をもって人体の一番高尚な微妙な器官だと信じこむところの思想に関係している。事が心臓となっては、さしあたり女人にもやはり心臓の設備があると仮定しても、それを取り出してみせるためには、刀をふるって胸を割り裂き、手を体内に突っこんで、血だらけにならなくてはすまない。それでは野蛮であるうえに、手数がかかる。所詮《しょせん》、位置的に心臓に一番近いらしい乳房をもてあそぶことの、小ぎれいで便利なのに如《し》かない。何といっても、これは撫《な》でるにたのしくて、たれでもわるいきもちはしないだろう。けだし、俗間に聖心の信仰のおこる所以《ゆえん》である。
聖心の信仰というやつは、よっぽどの俗物でなくては編み出せるものではない。おもえば、肉体を取るというはなはだ形式的な実証をもって地上にゆるぎのない信仰の楔《くさび》を打ちこんだのは、はるかに遠く、クリストの復活であった。死んでから三日たって墓場に行ってうかがうと、地上の俗眼にもよく見えるようなぐあいに、あやまたず、あたらしい肉体を取ってみせたのは、神の子かダヴィデの裔《すえ》か知らないが、ナザレのイエスの智慧《ちえ》才覚あっぱれであった。俗物は一目でころりとまいってしまう。後世、神の子への崇敬きわまって、おん子一人だけではたんのうせず、おん母マリヤへの遠い思慕、ぞっと身にしみて戦《せん》慄《りつ》しながら、ついに女神の構造の内部に、すなわち肉体の皮の下にしのび入って心臓に達した。なぜ心臓よりほかの器官ではなかったのか。憧憬《どうけい》がこの方向に殺到したのはローマ教会の政治学の仮説に依るのでもなく、また神学が解剖学と相談したうえで発明した成果でもない。まさしく、カトリック坊主とそのあいずりの貴婦人どもが古今一人の例外もなくみなワイセツで、しかもワイセツのくせに、口をぬぐって、体裁を作ることが好きであったからである。カトリック坊主がいかにものすごい痴漢かという証拠には、修道院のお客ほど女泣かせはございませんと、フランスの淫《みだ》らな本に、つまり信憑《しんぴょう》すべき野乗《やじょう》にちゃんと書いてある。こういう善男善女がやつらの有名なワイセツを心臓にまで象徴化した筋道は、宗門の教理信条とは微《み》塵《じん》の関係もなく、かならずや乳房を撫でたり撫でられたりという体験上愉快な、いつも興奮するに十分な操作からはじまったにちがいない。心臓以外の、いや、乳房以外の他の器官にも依ったかも知れない筋道をみごとに拭《ふ》き消しているのは、さすがにやつらの得意とする権謀術数のしわざ、礼儀作法の精妙である。信仰の的は心臓一本、きれいごとで、いよいよマリヤ様がありがたくなって、男も女もうっとりして、自他ともにあざむくのに申し分ない。心臓は、したがってまた乳房は、いやでも高尚上等にならざることをえない。末世の閑人のぐうたらでみえぼうで、死んだも同然の無能なやつが、それでも結構一人前らしいつらつきで今日に生きているふりをしてみせるためには、ぜひともこの俗悪な信仰に飛びつくことの便利なる所以《ゆえん》をおもわなくてはならない。堅信ここに至ると、いっそ気がらくで、世の中が広くなって、地上に優游《ゆうゆう》すべき場所はごく低いところに、世間のどこにでもざらにころがっている売女の乳房で間に合う。劣等たぐいなき身分には落ちたものの、その代りには、いつでも任意に、つい手の下の、皮一重の下に、したしく聖なる心臓と交渉するという権利をえている。
染香は眠っている。売女のねむりはつねに浅い。手の下に心臓がぴくぴくして、つい跳《は》ねおきる体勢をとっている。そして、長襦袢《ながじゅばん》の襟《えり》が堅く合わさって、押絵の人形のキモノのように、肉体に食いこむまでに著附をくずさない。およそ売女ほど安っぽくはだかになろうとしないものはないだろう。衣裳《いしょう》がその裏に幻影を秘めつつ、武装の悲しい強さに生きている。はなやかな駘蕩《たいとう》たるよそおいというべきものは、かえって地女《じおんな》の服飾のことに係わる。地女の小娘の青くさいやつなどにとってこそ、衣裳は淡《うす》い花びらである。それはただ肉体を彩色しているもので、中みの肉体がそこに露骨ににおい出ていて、盛装しているときほど、やつらははだかのままに近い。これをほんとうのはだかにしてしまうには、指さきで軽く花びらを払えばいいだろう。しかし、売女の衣裳は鱗《うろこ》のようで、それを引き剥《は》がそうとすれば、爪を立てて血をにじませなくてはならない。やつらの売るものは肉体全体ではなくて、ただ要求される器官だけである。その器官から分離的に、肉体全体はどこに在るのか、遠く見さだめがたく、床の上ではそれは無きにひとしい。ここに無いとすれば、どこに行っているのだろう。
仏法では、菩《ぼ》薩《さつ》というものはあの世とこの世とのあいだを流通自在に往《い》ったり来たりする。この運動が遊《ゆう》戯《げ》である。染香はまさかあの世の座敷に行ってしまったのではないだろう。げんに、眠ってはいるが、心臓はたしかで、こと切れてはいない。染香の籍はイワシ町の泥くさい芸者屋の二階にある。その二階から、夜になると身支度をして出て来て、牧場の裏の、田圃《たんぼ》に沿った道のくらやみを通って、出さきはどこか、あちこちの座敷に行く。これをも運動というならば、染香の運動は芸者屋の二階と座敷との二つの極に限られていて、そのあいだを往ったり来たりしている。牧場裏のぬかるみの道も、可《か》憐《れん》なる生身の遊戯菩薩の人目をしのぶ通い路《じ》かも知れない。染香の肉体の値をせめては近似的にもつかみ出すためには、この運動の場に於《おい》て、およそこのへんとおもうところに突きとめるほかないだろう。もっとも、遊女がなんとかの化身という俗説は別として、仏法では菩薩が肉体を取って復活したということを聞きおよばない。すなわち、取扱上これを観念の部に編入して、さしあたり洟《はな》もひっかけないでおくことができる。しかし、この床の上によこたわっている染香は観念であるわけがない。幻影というか。幻影は肉体よりも遣瀬ない。この遣《やる》瀬《せ》なさはやはり肉体の作用だろう。染香は依然として肉体、すくなくとも肉体とは縁の切れないものにちがいない。こちらは今夜はじめての附合のことで、ずいぶんせっかちのほうだから、たかが売女の肉体、たんねんに時機を待っているわけにゆかず、たぶんこのへんでよかろうと、手さぐりにさぐりあてたのは乳房のあたり、ふわふわとした部分で、ちょっと頼りないが、せっかくつかんだ手中の白玉の、露に散らすのも惜しく、これは聖心の信仰のほうに一時預けにしておくほかない。
ところで、ここに意外なことがおこった。まのあたりに、ふっと、この世に見るべからざるものを見た。
眠っている染香の、さすがに深夜にはいつかねむりふかく、汗ばんだ襟のあたりから著附がすこしくずれて来て、はだかった胸もとの、あらわの乳房の横に、腋《わき》の下にかけて、物のしみのようなものが見えた。なにか。よく見ると、牡《ぼ》丹《たん》花《か》の雨に打たれて色のにじみ出たような赤い斑点《はんてん》である。それを一目見るや、あっと息をのんで、たちどころに息絶えるほどに、総身冰《こお》って戦慄《せんりつ》した。畏《おそ》るべき記号である。疑いようもなく、これは癩《らい》の兆候よりほかのものではない。かつて熊本の、また富士の裾《すそ》野《の》の癩病院をおとずれたとき、そこで見た人間の肉体の、生きながらくさりはじめている部分の赤い斑点と、これはそっくり、寸分のちがいもない。癩であった。
染香はみずからそれと知っているだろうか。いや、知ってはいないだろう。もしみずから知っているとすれば、この斑点があらわになるまでに、著附がしぜんにくずれるわけがない。この内証の記号を他人の目にさらしながら、即座に飛びおきないという法がない。染香は眠っている。みずから目をひらいてこの記号の意味を読みとるすべを知らないのだろう。瞳《ひとみ》に痛く焼きついて来るところの、見ちがえようもない、この赤い斑点は断じて幻影ではない。明かに、ここに染香の肉体がある。ただし、それは生きながらにくさり、くずれて行こうとする肉体である。この地上にこれほどの絶望、これほどの破滅がまたとあるだろうか。病気などというなまやさしい、いっそ親切なものではない。神とは、かならず生きている人間の神である。いずこの邪神のしわざか、人間の肉に生きながら腐敗壊滅の刻印を打ちつけるとは、およそ人間にあたえうるかぎりの途方もなくふとどきな、許すべからざる恥辱である。悪鬼といえども、かくのごとき暴虐をはたらく権利をもちえないだろう。人間の偽善よりもにくむべきこの宿命は力をつくしてこれを覆《くつが》えし、これを亡《ほろ》ぼさなくてはならない。まのあたりにこの赤い斑点を見たということは、すでにその肉体にふれている身にとっては、もはやそこから目をそらしえない、手を引きえない宿命である。事態をまともに受取って、染香とともにおなじ宿命に身を投げ入れて、そこでたたかわなくてはならない。染香との切っても切れない結《けち》縁《えん》のしるしが突然ここにあらわれ出ていて、それは告知のように身心にしみ徹《とお》って来る。しからば、実際には何とするか。
方法は単純である。道は明白に確実にたった一つしかない。ただちに染香と結婚してカトリックに帰依するの一事あるのみである。回心の機、今このときを措《お》いて他《ほか》にない。一瞬もぐずぐずしてはいられない。夜があけて染香が目をさましたらば、さっそく結婚を申しこむ。そして、すぐ二人そろってどこかカトリックの御《み》堂《どう》に行く。たしかイワシ町の町はずれに、ひどく気のきかない、こわれかかったぼろ家が一軒あって、そのゆがんだ門の柱に、へたくそな字で「天主公教会」と古ぼけた看板がぶらさがっているのを見かけたようにおもう。そこでもよい。いかなるちゃちなインチキ細工の御像にしろ、こどものイエスを抱いた聖母像のまえにひれ伏して、祭儀おごそかに、婚姻《こんいん》の式をあげなくてはならない。またいかなる偽善者のワイセツきわまる司祭にしろ、主《しゅ》のみこころならば、そいつのうすぎたない手からありがたく洗礼を受け、そいつの愚劣退屈な説教をつつしんで聴聞《ちょうもん》しなくてはならない。カトリックに帰依してどうするか。いうまでもなく、パンを食うということをする。クリストの肉であるところのパンを、たとえ配給のどす黒い粉でつくった蒸パンであろうと、その祝福されたパンを毎日ふたりで仲よくいっしょに食う。それにクリストの血であるところの、フランス産の上等な葡《ぶ》萄酒《どうしゅ》がつけばなお結構だが、これは今日では無いものねだりのようだから、まあ配給の水っぽい焼酎《しょうちゅう》で代用しておく。クリストの肉であるところのパンを食って生きている人間の肉体が生きながらくさりくずれて行くということをおもってもみることができるだろうか。かりに地上の命運つたなくしてこの世に息のあるあいだは赤い斑点の呪《じゅ》詛《そ》からまぬがれることができないとしても、死んで墓場の中に行って三日たったときには、染香はかならずやあたらしい肉を取っているだろう。いや、だろうといういいぐさはない。かならずあたらしい肉を取る。そのけしきが目に見えるようである。いや、ようであるといういいぐさはない。たしかに見える。ちゃんと見える。疑うべからざる事実である。
それにしても、カトリックに帰依したとなると、生活上いろいろ不便なこともおこって来そうである。毎月一度ずつ結婚したり離婚したりというようなおもしろい生活はもうできない。女房は死ぬまで一つ女房であとのたのしみが無い。町をあるいていて、ちょっといいなとおもうような女人《にょにん》に出逢っても、断じてちょっといいなとおもってはならない。姦淫《かんいん》の心は禁句である。ワイセツな本を書きとばして、大酒をのんで、乱暴狼藉《ろうぜき》をはたらくことも、やっぱりいけない。それからまた、自殺もみとめられないのだから、ある日突然世をはかなんで、窮巷《きゅうこう》に首をくくってみせるという取っておきの切札もつかえない。そのほかにも、実際にぶつかってみると、なおさまざまの困難が生じて来るだろう。ずいぶん窮屈である。しかし、すでにカトリックに帰依するときめたうえは、すこしぐらいの不便は我慢しなくてはならない。いや、我慢の困難のというのではなくて、窮屈が自由でしかないようなぐあいに、不便が便利でしかないようなぐあいに、生活をあたらしく組み上げなくてはならない。
信仰ここに定まった。もうびくともしない。染香はまだ眠っている。しかし、これはもはや売女ではない。この赤い斑点のある肉体は今や聖霊の宮である。ここに眠る女人は、ぜひとも墓場の中のあたらしい肉にまで送りつけてやらなくてはならないところの、終生渝《かわ》るべからざるわが最愛の妻である。
あけがた近く、いつかとろとろと眠ったようで、ふと目をさまして見ると、染香がそばにいない。朝の光が障子に明るくさしこんでいて、あたりはしんとしている。染香はどこに行ってしまったのだろう。
聖書の記述に依ると、ナザレのイエスの行状にはときに突然人間の目のとどく限りから遠く姿をかき消してしまうような瞬間があって、イエスはひとびとから離れて祈るとか、ひとり寂しいところに行くとか、ずいぶんおくゆかしい仕打で、その孤独の中にまではよくついて行けるものが無い。きぬぎぬの売女の、ことに一夜きりの附合のやつ、たとえばいくさのまえ、大むかしのことでいえば、場末の安っぽい待合などで土地がら相応にこれも安っぽいやつが一夜すごして朝になると、そっと床からすべり抜けて、ものもいわずにこそこそ出て行くうしろ姿はたぐいなくかなしく、いたいたしく、どこに行くのか、ふっと姿を消して、ひとりしみじみ祈るために寂しいところに行ってしまうかのような、いわばナザレのイエスの仕打を女で行ったような、遣瀬ないふぜいである。聞くところに依ると、そのとき男は大概しらばっくれて、寝たふりをして、声もかけずに女の出て行くままにしておくという。それはそのような女のふぜいをまともに見るにしのびないとか、とても遠い寂しいところまではいっしょについて行けないとかいう殊勝なきもちではなくて、察するに、たかがその場きりの、もう用ずみのやつなどに、また座敷をつけ直して朝めしを食わせるのはむだだという卑怯《ひきょう》な計算にちがいない。その心術の陋劣《ろうれつ》なること、その態度の酷薄なること、買手にまわった男のいやしさ、にくむべきものである。ふところ都合がわるかったとしても、待合の勘定のごときどうせ半分は踏み倒しときまっているではないか。女が気に入らなかったとしても、せめて最後の色をつけた附合をしたうえでかえすべきではないか。このときだけは例外で、いたいたしいみじめな女人のほうがいかなる大丈夫にもまさって、どれほど上等か知れない。男子の恥辱である。男子の名誉にかけて、たとえ一夜の契りにしろ、待ちたまえ、悲しみがあるならばともにその悲しみをわかとう、祈るならばともに祈ろうと、鬼の目に涙で、ちょっとあわれっぽいきもちになって、かならず出て行こうとする女を呼びとめ、ために朝の一席をもうけて、オミオツケぐらいはのませてやらなくてはならない。まして、これは神かけて女房と定まった染香のことなのに、それがいつのまにか抜け出して、どこへ行ってしまったのか、ひとり寂しいところに取り残されたのはこちらの身で、朝の光もはかなく、かなしみ堪えがたいおもいであった。
すると襖があいて、はいって来た染香の、著附がゆうべとちがって、いつ取り寄せたのか、こしらえけばけばしく、はいたばかりのおしろいが飛ぶように、化妝《けしょう》した顔がそこにあった。乳房の下に赤い斑点を秘めた肉体の、その牡丹花の薄くれないが映り出たようなよそおいで、夜来のせつない心づかいとは食いちがった姿ではあるものの、しかし顔を見るとほっとした。
「お起きにならない。」
「うむ。」
「あちらにお支度たのんどいた。」
「何の支度。」
「ビールがありますって。」
「そいつは奇妙だ。」
さっそくおきて、席をかえて、ゆうべのはじめの座敷に行くと、とんだ気のきいた仕掛で、すぐに膳立ができて、どうやら真人間の附合の、まず息つぎに、ビールを一杯ぐっとのんで、
「いよいよ配給の手鍋にものをいわせる時節到来した。」
「なにさ、だしぬけに。」
「おまえ、おれと結婚しろ。」
「え。」
「文句ぬきだ。もうはなしはきまってる。」
「だれがきめたのさ。」
「天がきめた。定まる妻はおまえということになった。」
「てんさい。」
「ふざけるな。洒落《しゃれ》だったら、こんなまのぬけたはなしはもち出さない。ずんと本性だ。」
「そうねえ。」
「かんがえてやがる。そんな悠暢《ゆうちょう》な場合じゃない。ただちに実行だ。」
「あたし、借金があるわよ。」
「檀《だん》那《な》もいろおとこもあるだろうが、そんなもの、追ってきれいにかたづける。一切引受けた。まず女房になれ。」
「なっちゃおうかしら。」
「なっちまえ。」
「いいわよ、なるわよ。」
「よし。きょう、すぐに式をあげる。」
「どこで。」
「カトリックの教会だ。」
「カトリックって、なに。やっぱりヤソ。」
「それだけ知ってればいい。」
「いっしょにヤソになってくらすの。」
「いっしょにパンを食う。」
「パン、洋食。」
「何食だか知らないが、真人間の食いものだ。パンを食って、墓の中に行く。」
「あら、もう死ぬはなし。」
「おれはせっかちだから、無理なたのみかも知れないが、おまえ、おれよりさきに、なるべく早く死んでくれ。」
「なぜ。」
「死んで、墓の中にはいって、三日たったとき、おまえの死顔を見に行く。」
「死顔を見れば、どうするのよ。」
「おれも安心する。その場で、宗旨の禁制をやぶっても、自殺して、おまえといっしょに墓の中にはいりたい。」
「比《ひ》翼塚《よくづか》。」
「さっそく、そういうことにしよう。」
「まだすこし早すぎるわよ。せめて三日ぐらいは猶予してよ。」
「三年ぐらいは、まあこの世に生きて、ふたり仲よく、たのしくくらそう。」
「いいわねえ。」
「そうきまったら、お祝いに一杯……ビールがもう無い。代り。」
「およしなさい。」
「どうして。」
「むだよ。」
「あ、とたんに世帯《しょたい》じみやがった。」
「そうよ。女房となると、やかましいわよ。」
「いけねえ。」
「こういう場所に足ぶみなんかすると、承知しないわよ。」
「今からそうやかましくちゃ、請合って、おれのほうがさきに死ぬ。きょう、結婚式と同時に死ぬかも知れない。」
「それじゃ、死ぬまえにもう一本おのみなさいよ。」
「いいね。ビールも一本きり、結婚式も一度きり、女房も一人きりか。一生に一回しかない生活だから、なにもかも掛替なくみんな一本だ。この一本が無限につづくんだね。ビールがぞくぞくと湧《わ》いて出て来そうだ。なんだか永遠と附合ってるような気がして来た。カトリックも、存外便利なところがあるようだ。」
早くかえることにして、そこを切りあげて、染香といっしょに外に出た。電車に乗って、もとのイワシ町にかえるつもりである。その町はずれの、くさりかかったぼろ家の、中の仕掛もあやしげな「天主公教会」こそ、今はただ一つの頼むべき入口である。
日は晴れて、空は高く、町はにぎやかで、ひとの出さかる中を、おおっぴらにならんであるきながら、
「ひとがじろじろ見るわよ。」
「こうなったら、なるべく派手な道行《みちゆき》にしたい。」
「心中みたいね。」
「行くさきは墓の下ヘ。」
「墓より上には行かないの。」
「天国ということにしておいてもいい。」
「讃《さん》美歌《びか》の出《で》語《がた》りでね。」
「おまえもどうやらイキが合って来たな。」
駅に来て、あいかわらずイモの袋とイワシの鑵《かん》に揉《も》まれながら、電車に乗った。
イワシ町について、電車をおりて、改札口を出ると、その出たところに、ずらりと一列、若いものばかり七八人、いずれも復員仲間と見えて、何色というか、カーキ色まがいのよごれた服をきて、いまだに戦闘帽をかぶったやつもまじって、土地名産の石油鑵をかついでいても似合いそうなのが、なにももたずに、肩をそびやかしながら、気負った姿勢でならんでいて、列のまんなかに赤旗が一本、その旗竿《はたざお》をぎゅっとにぎって立ったのは、これがただ一人の若い女で、あたまにタオルを巻きつけ、白の割烹《かっぽう》著《ぎ》の上からモンペをはき、ゴムの長靴といういでたちの、すなわち、いつもの恰好の、牛乳をしぼる娘がそこにいた。
「よっちゃん。」
染香がそばを行きずりに声をかけたが、娘は返事をしない。染香の声が、いや、いかなる声も耳に入り場のないようなふうであった。娘は頬《ほお》をぽっとほてらして口を堅くむすび、目をかがやかして、その目は改札口の向う、プラットフォームの向う、いや、ひとびとのあたまを越えて、空のかなたにむけられていて、まぢかのなにものをも見ようとしない。ぎゅっとにぎった旗竿に身をほそくして、心をこめて、とりすがったというみえで、その竿の上に、たった今するすると引き揚げられたかのように、赤旗のなびくのがいきおいよく眺《なが》められた。
列からすこし離れたところに、おなじ仲間らしいわかものがまた二三人、道のはたに台を据えて、その上にアカハタとか人民新聞などの束を積みあげて、往来のひとに売っている。うしろの電信柱に、墨で書いたポスターが掲げてあって、土地のなんとか劇場で共産党の演舌会をひらくということが記《しる》してある。弁士には有名な某代議士の名が出ていて、開会の時刻は本日午後一時としてあった。まだ一時間二十分ほどあいだがある。突然わかもののひとりがなにやら演舌のようにどなりはじめて、通行人の耳に大きい声で某代議士の名を投げつけるのが聞えた。たしかに赤旗をかこむこの一群は代議士の到着を待っているものと察せられた。
そこを通りすぎて、五六間あるいて来たとき、染香がふりかえって、
「あの、よっちゃんのとなりに立ってるひと、あれが恋人なのよ。」
ここから眺めると、一そうはっきり、目を射って来るものは娘と赤旗のほかになにもない。まわりを取巻くわかもののむれはすべて灰色にぼけて、他のひとだかりと一様にざわざわと駅前の雑鬧《ざっとう》に溶け入り、日の光に浮くほこりの中に流れこむように見えた。
「よっちゃんの恋人はあの仲間にはいそうもない。」
「どうして。」
「よっちゃんがあの中のだれかに惚れこんでいるようには見えない。また有名な代議士を、長年のあいだ牢《ろう》屋《や》にはいっていたという人物を、内証であこがれて、カツドー役者の楽屋入を見物する娘っ子みたいに、胸をおどらしながら待ち受けているわけでもないだろう。よっちゃんの恋人はあの赤旗だよ。一心不乱だね。いや、一心同体だよ。女の子がぽっと頬を染めたところはわるくないけしきだ。」
娘は赤旗とともに立ったまま、うごこうとしない。おもい余って、ちょっと愁《うれ》いをふくんで、旗竿にとりすがっているふぜいは、もし旗竿が十字架であったとしても、おかしくない図柄になるだろう。古く一説をなすものがあって、イエスが十字架に釘《つ》けられたとき、それはニセモノのイエスで、別にホンモノのクリストがいて、こいつはひとごみの中にまぎれながら、にやにや笑って、ニセモノの仕置を見物していたという。事実とすれば、このホンモノというやつ、よっぽどきざで、いけすかない。ローマ教会はこの説を異端としてしりぞけたというが、それが政治的意味をもった判決にもしろ、なお正当な処置たることをうしなわない。ニセモノと一対《つい》にしなくてはかんがえられないような、ホンモノというのがあるだろうか。今、まのあたりの娘は一本の旗竿にエネルギーを集中しているありさまなのだから、駅前のひとごみの中にもう一人の娘がかくれていて、赤旗のひらめきを笑って見物しているような余裕はない。わかものの列に挟《はさ》まれながら、たった一人の女の、いっそ孤独に打ち出されたかたちで、娘はふだんよりも女ぷりが上って見える。毎朝しぼる牛の乳が肉体に深くしみこんでいて、その新鮮な乳の色が今は肉体の内部から著附の上にまでみなぎり出ているようであった。あたまに巻きつけたタオルが風にひらひらして、赤旗とともに光った。
そのとき、駅前にどよめきがおこって、赤旗の列がうごいた。また電車がついて、改札口から出て来た一かたまりがある。代議士が来たのだろう。赤旗の列も、新聞を売っていた仲間もすぐいっしょに行進をはじめて、道のまんなかをこちらにむかって来た。先頭に赤旗が立って、旗とともにすすんで来るのはうごく娘である。運動するものがニセモノであっていいという法は無い。実際に、道幅いっぱいを領したこの行進の中でも、一きわあざやかに、見る目にしるく映ったのは、肝腎《かんじん》の代議土の姿ではなくて、赤旗と娘とにほかならなかった。
道のはたに避けて、行列をやりすごしながら、
「よっちゃん、どうして大したコムミュニストだ。」
「コムミュニストって、なに。」
「大むかしにそういうものがあった。後世の、にわか共産党の復員ヤミ屋にくらべると、ほんのすこしだが浮世ばなれがして、ちょっと逆上ぎみで、小鼻の筋が光っていて、若い娘が惚れてもいいものだった。ちかごろはとんと姿を見かけないとおもったら、突然よっちゃんが出現した。むらむらとする。」
「なにが。」
「おまえを墓の下に、いや、天国に送りつけてから、もし三秒ぐらいのひまがあったとしたら、いそいでもう一度引っかえして来て、二度の駈《かけ》の、地上の合戦、野心満満として、共産党と附合って……いや、よっちゃんと附合ってみたい。」
「ずいぶん気がおおいのねえ。」
「気がちいさいんだよ。そそっかしくて、すぐ惚れちゃうんだ。」
「行列がもう行っちゃったわよ。あとを追いかけたら、どう。」
「女の尻は追いかけない。」
「ゆうベ、あたしのあとを追いかけて来たのは。」
「ぐるりと向き直れば、今度はこっちが道しるべの先達《せんだつ》だ。」
「もう曲り角《かど》を通り越したわよ。」
「そう、そう。ちょっと方角がずれたようだ。」
「浮気の証拠。」
「いや、本気のせいだ。」
行列は遠く去った。赤旗はすでに見えない。すこしあともどりして、横町をまがると、ゆうべ来た道である。道は乾《かわ》いていて、もう水たまりに踏みこむ危険は無い。田圃《たんぼ》に沿って行く。田圃は青く晴れて、風がそよいでいて、虫がしのび鳴きそうなけしきもない。
「やっと花道の引込みになったわね。」
「いや、これからが本舞台のつもりだ。」
「天国まではずいぶん遠そうねえ。」
「せっかくここまで漕《こ》ぎつけたものだから、せめてローマぐらいにはおまえをつれて行ってやりたい。」
「ローマだなんて、古いわよ。太平洋の向う側でなくちゃ、だめよ。」
「それじゃ映画の筋書だ。」
牧場の裏まで来た。あらい柵《さく》の中に、白と黒とのまだらな牛が二頭つないであるが、乳をしぼる娘の姿はここに無い。しかし、しぼりたての乳の香がやわらかい草の上をつたわって、爰元《ここもと》にながれ寄せて来る。一日のはじまりの、さわやかな朝のにおいである。時計の針が真昼の十二時をさしているのは、人間が作った機械のまちがえだろう。
「あ、鐘の音が聞えて来る。」
「え。」
「結婚式だか、葬式だか。」
「そうかしら。」
「弥撒《ミサ》がはじまっている。」
「そうねえ。」
「礼拝堂が見える。十字架が金色に光っている。」
「どこに。」
「見えるだろう、あそこに。」
「見えるような気がするわ。」
「かならず見えなくちゃならない。」
「ほんとに見えるわ。」
「そういうウソはついたほうがいい。」
「だんだんウソみたいでなくなって来たわ。鐘の音が聞えて来たわ。」
立ちどまって、牧場の柵に倚《よ》って、まぢかに染香を見た。染香はつま立つようにして、胸のときめきが聞えるまでに、ぴったり寄り添って来た。そこに、遠い鐘のひびきにゆれて、紅の濃いくちびるがおののいている。
目のさきに、染香の肉体、おののく肉体の、乳房の下にふかくしみついた赤い斑点のほかには今や地上に見さだめうるなにも無かった。その肉体を抱きよせて、秘めたる赤い斑点の、牡丹花の薄くれないの上に、こちらのくちびるを押しあてるようなぐあいに、染香のくちびるの上に強く接吻《せっぷん》した。
処女懐胎
古九《こく》谷《たに》の猪《ちょ》口《こ》に何杯目か、ほんのすこしすごした酒の、これがあいにく今日の酒のことで、出所不明の名も無きやつだが、おりよくくちびるの紅にうつって、せめてもの見《み》立《たて》はまず伊《い》丹《たみ》の蘭菊《らんぎく》、また八重《やえ》桜《ざくら》、初《はつ》紅葉《もみじ》、ぽっと色に出て、そうでなくても年ごろのいろっぽいのが、しぜん肩のあたりからくずれた姿勢の、西川の名取、藤娘という型で、ふらふらと立って、左の足から二《ふた》あし三《み》あし、二階のざしきから廊下へ、とたんに拭《ふ》きこんだ板にすべって、片手を突いてたおれながら、
「ああ、くるしい。」
著《き》附《つけ》は紅紋綸《もんりん》子《ず》の、小菊を置いた地《じ》文《もん》に、ぱっと白く雪持の松を浮かせたのは光琳《こうりん》画式というふぜいで、ちょっといかついが笹竜胆《ささりんどう》の紋どころ、帯は黒繻《くろじゅ》子《す》になにがしの画伯の下絵、牡《ぼ》丹《たん》の大輪みごとに咲いたやつを、やけにきゅっと〆《し》めたせなかに、みじかく垂れたさきの、赤く如源《にょげん》と縫ったあたりが燕《つばめ》の尾のように刎《は》ねあがって、たおれながらに隙《すき》も見せず、つっと廊下に流れて、柱にすがって立ったすがたの、こいつ、見《み》立《たて》は……あほらしい、古風ごのみにもほどがある、まさか王《おう》子路《じろ》考《こう》でもないだろう。このひと、芝居にも映画にも、とんとひいき役者というようなものをもちたがらない性分である。
「てこちゃん、あぶない。」
追いかけて出て、うしろから支えた丸髷《まるまげ》に結ったのが、抱くようにして押しながら、梯《はし》子《ご》段《だん》のきわまで行くと、
「すみません、おねえさま。」
とたんに、ぴんとして、てこちゃん、すなわち貞子、つい去年卒業した女学校では水泳の選手の、しなやかな体のこなしで、たたたたと軽く下までおりて、ぺちゃんとすわって、あたまをふり上げると、いたずらっぽく笑った顔つきの、なに、それほど酔ってもいないらしく、きれいに編んだ髪を指で掻《か》きみだすようなしぐさをして見せて、
「いやねえ、あんなやつ。」
その、あんなやつ、二階広間の床柱を背にして、まだ青書生の、しかしきりっとした目鼻だちの、ポマードで光らせた髪もにやけては見えず、骨太の肩に黒の背広がぴんとして、折目のついたずぼんの膝《ひざ》を堅くかしこまったのは、むしろ詰襟《つめえり》の制服にノートを抱《かか》えていたほうが似合いそうな恰好《かっこう》であった。げんに、一昨年いくさがおわるとともに復員で、さいわい内地の勤務であったために無事にかえって来て、今は元の某大学在学中、やがてこの秋には卒業うたがいなく、ちかごろは学校仕事もどうやら露骨に学問と縁が切れて、何部の何科のと七めんどうな専門の分類がつかないありさまだが、それでも名目は経済学の、すこしはその方面の本も読んではいるようすで、これはまあ秀才として世間に通用する型だろう。ただし、あおざめたひょろひょろ型ではなく、スポーツは何でもこなすほうで、しかもがむしゃらの腕白というのとはぜんぜんちがって、酒もあまりのまず、口数もすくなく、他人にも頼もしげに見られるくらいだから、親の目には自慢の秘蔵むすこにちがいない。
大きい床の間になにかめでたそうな図柄の三幅対《さんぷくつい》、まえに蓬莱《ほうらい》をかざって、ときに正月二日、男女盛装して居ならんだ中に、青年のとなりにすわった、面もちの似かよったのは母親で、四十いくつか、色艶《いろつや》は年よりもずっと若く見えて、作りも派手で、しかしきんきんとは浮き立たずに品よくこしらえながら、口もとにしまりのない難があって、ちょっと伝法に、唇《くちびる》うすくそったのが、貞子の出て行ったあとにちらと横目をつかって、
「てこちゃん、お飲《い》けになりますのねえ。御陽気で結構ですわねえ。」
たぶんあてつけたつもりだろう。貞子の側には母親はすでになかった。あるじの座にあぐらをかいた、はげあたまのまるまるとふとったのが、これは機《き》嫌《げん》よく酔っていて、こぶしのにぶき当身ぐらいにはびくともせず、
「はっはっは。」と大きく笑いとばしながら「男手ひとつでそだてた娘です。わがままいっぱい、どこに出しても三国一の嫁御寮でしょう。」
ぬけぬけとわが子ののろけの、いうことが新派劇のセリフじみるのは、どうも酔ったせいばかりではないらしい。この家のあるじ浪越利平、今でこそ貿易商浪越商店の社長だが、ずっと大むかし、明治三十七年のいくさがはじまったころ、二十歳で先代の当店の手代になったよりもまえに、そもそもの生活の振出しは新派劇、つまり壮士芝居の役者……とまではゆかない、下まわりであった。しかし、そういう遠い履歴はもはやたれ知るものもなく、当人にとってもとうに見わすれた少年の夢だろう。堅気の勤めにはいってのちは、おもに中国に取引先をもつ店の仕事に乗りつつ、次第に商才溌剌《はつらつ》、三十歳すぎてから先代に見こまれて家つきの娘の壻《むこ》になり、今は亡《な》きその妻とのあいだに遅くうまれたこども三人、店もせっかく規模をひろげたのに、肝腎《かんじん》の跡取の長男は昭和十六年におこったばかないくさに狩り出されて、大学を出たばかりの身が南方のどこやらであえない最期、のこった女ふたりの、姉娘の福子の夫はこれもいくさ押しつまって樺太《からふと》におくられて、その後どうなったのかいまだに消息知れず、妹の貞子は実家にもどって来た姉とともに父親のそばにいるので、当の利平の身辺、いっそにぎやかで、孫かと見まごうほどの娘をもっただけに、どうしてわかわかしく、物腰ゆたかに、気力おとろえず、事業家の貫禄《かんろく》まず板に附いた日常の中に、ときどきがらりと軽くくだけた、ひょうきんな身ぶりのちらつくのは、やっぱり少年の夢の、役者芸人などの年をとったやつが、世に古りた生涯《しょうがい》のはてに、素質のありのままを篩《ふる》い出したようなけしきと眺《なが》められた。
ところで本業の貿易商というやつ、いくさから引きつづき今日のありさまとなっては、さしあたりこの国に成り立つべき商売ではないが、それでもかつてあった日本橋の店の、焼跡の元のところにずっと小ぶりにしろ仮小屋を建てて、まがりなりにも浪越商店の看板をぶらさげたのは、やがて講和条約のまとまるさきを見越して、いちはやく再起の体勢をととのえたのか、実際に出る目はともかく、いくさのあいだどうやら難局をしのいで来た実力の残りを賭《か》けて、もう一花という娑《しゃ》婆気《ばけ》はまだあるのだろう。その店とは別に、住居としての家は以前から二カ所にあった。一つは八王子の近くにむかし買っておいた、農園の附いた大きい家で、これは空襲中万一のときのかくれがと頼んでいたものだが、とんだまちがえで、意外なところに落ちた爆弾のためにきれいに焼けてしまった。逆に、もう一軒のほう、これは芝二本榎《にほんえのき》という土地だけに、所詮《しょせん》焼けるものと覚悟していたのに、おもわぬ見所《けんじょ》の高懸《たかがけ》の、高輪《たかなわ》あたりの火の手をつい目の下に眺めながらけろりとたすかって、むかしをしのぶ山の手の町げしき、からくも今にのこったのはまずこの界隈《かいわい》か、すなわちげんに住んでいるここの家である。
いくさのまえに、自分の好みで建てた家の、おおきに茶がかったつもりであったのに、できあがったところを見ると「いけねえ、待合になっちまやがった」ではあったが、さすがに山《やま》気《け》の慾気のという普請ではなく、わるくきどっていないだけに、屋台骨がしっかりして、教坊《きょうぼう》の家作りのまねごととは見えないものの、派手ずきのあるじの行状をおもいあわせれば、おもてむきにしろ内証にしろ、どこやらからなにものかを迎え入れるための結構とうたがわれないこともなかった。しかし、実際には、そこには親と娘とのあいだになにものも介入しては来なかった。壮年に妻をうしなってのちは、当然のことに、外でのあそびのいろいろ、むちゃくちゃなまでにおおっぴらではあったが、それを内にもちこんだためしはなく、むしろ炉辺のさびしさの中にもどって来ては、そこで水を浴びるように気力を洗いなおして、また外のさわぎのほうに飛び出して行くというふうであった。子女へのおもいやりか、身のまわりを清潔に保つためか、何にしても、この内と外とのけじめを附けるという気組のもと、姿勢の拠りどころは、つまりこの人物の人生観の根柢《こんてい》、家の観念に帰するものと解するほかないだろう。
たかの知れた人間の細工の、雨露をしのぐはかない仕掛でも、旧世紀もちこしの制度の息がかかると、旧事みなすたれた今日に、ここだけは因果にも焼けのこった生活の本陣、依然として鉄壁のかまえで、わがものと頼む屋根の下、家のあるじのでっぷりしたのに、ふところ広く笑ってのけられると、相手の女客、ちょっと鼻じろんで見えたが、それを追《おい》討《うち》に恥をかかせようとはせず、なだめるような手つきで、そばの銚子《ちょうし》を軽くとりあげて、
「ま、お一つ。」とすすめながら「いつも洋装ばかりなのが、めずらしくおもい帯をしめたんで、貞子、くるしくなったんでしょう。なに一息入れて、じきにまたあがって来ますよ。」
受けた猪口はちょっと嘗《な》めただけで下に置いて、すこし反《そり》身《み》のかたちで、床のかざり杯《はい》盤《ばん》のけしきなどを見まわすようにして、
「てこちゃん、ほんとにお仕合せですわねえ。」
今度は、実感がこもって、皮肉には聞えなかった。われにもなく、そのことばが家の普請を褒《ほ》めでもしたのとおなじぐあいになったのは、どうも先刻から押されぎみの、こちら側の弱みがしぜん吐息に出たようであった。というのは、これもやっぱり我家尊しの組なのが、背後にもたれるべき家の柱も、建具も諸道具ものこらず一昨年の大火に焼きはらわれて、今はよその家の庇《ひさし》を借りている身の上のせいだろう。ひけ目はそればかりではなかった。夫の大江徳民、数年まえに某県知事を打どめに役人から鞍替《くらがえ》して、いくさのあいだは役所の息のかかった軍需会社の重役、ひところはちょっとした羽振で、軍官いずれにもわたりの附いた顔の、亭主につれそう嬶殿《かかあどの》の眉目《みめ》、隣組あたりでは一ぱし風を切っていたものを、今日ではそれが粉《こな》微《み》塵《じん》にがらがらと来て焼跡の灰にまみれたありさまになると、からだの目方が急にがったり落ちたのも食糧事情に依るためだけではなさそうで、からくも疎開先で助かったむかしの晴著を引きつくろったばかりではほころびた世間体《てい》の辻褄《つじつま》を合せがたく、もっとも相手の世間一統のほうもいいあんばいにすっかり崩《くず》れて来てはいるが、その中でも気になるわが身のふりを、ときどきは見かえりがちであった。
しかし、生きものの執念で、そうそう肩をつぼめてもいず、あらたまった世の中の仕掛につれて生活の舵《かじ》を変えるために、まず気をたしかに落ちつけどころは、あたかもよし、はるか大むかしにしろ夫婦そろって若いうちに一度はとりすがったこともあるアングリカンの信仰、こいつスコッチの生地のようにもちがよく、今でもずいぶん仕立直しがききそうで、かつては少壮官吏としてロンドンの霧を吸っても来た大江徳民にはそれそれというしまい置きの意匠の、英国流の良識、現実に再適応しながら、わすれていた英語もぽつぽつおもい出し、このままでは老い朽ちないつもりらしく、その妻もまた往年の軽井沢仕込にしても英国流の礼法、さしあたりジャガイモの料理法からはじめて万事西欧ふうの膳立《ぜんだて》で、今後に息をふきかえす機をねらいつつも、母親の身にはじつはたった一つの行末のたのみ、ひとりむすこの秀才じみたのが自慢らしく、浪越利平のまえに乗り出しかけた膝もとを、無念にも軽く押しもどされたかたちで、ちょっと座蒲《ざぶ》団《とん》をうしろにずらして、上《かみ》手《て》にすわったわが子のほうに寄りそうようなしぐさになって、ながし目に見ると、この大江徳雄、おふくろの胸のうちなどは毛ほどにもおもいやらないに相違なく、かたわらの問答はどこ吹く風で、さっさと自分ひとり、行儀こそわるくはないが食慾たくましく、鴨《かも》の蒸焼もトマトの酢に漬けた牡蛎《かき》も、出ているものはみなきれいに食ってしまって、箸《はし》をおいたとたんに、突然利平のほうに向き直って、
「おじさん。」
今までだまっていたやつの、ぐいと口をきったのが、これがまた無《む》雑《ぞう》做《さ》であった。
「八王子の農園にバラックの小屋を建てさせて下さい。ぼくたち、結婚したら、当分そこに住みます。」
とくにそう発言する必要はなかったはずである。だまっていたままでもよく、またなにかほかのことをいってもよかったろう。しかし、そういってしまったということは自己決定的であった。そのくせ、このことばはしぜんに癖のない調子で流れ出たふぜいで、わざわざ思案の末に撰択《せんたく》された発言というようには聞えなかった。
「え。」
おもわずふとった膝をゆすって、利平が聞きかえしたのも無理ではない。結婚のなんのと、そういうはなしはまだ一度も表むきに出たことのないあいだがらである。いや、下ばなしさえなかった。ここの席では、青年とその母親とはたまたま迎えた新年の賀客である。見合とか、あるいはそれに似た下ごころをもった会合ではなかった。げんに、その母親のほうがあわてたようすで「まあ、おまえ……」と押さえにかかったのを、むすこは見むきもしないで、
「この秋、結婚したいとおもいます。」
急に眉のあたりが険しくなって、うっかりした口はききそうもない利平が、
「この秋……」
おうむがえしに、低くそうつぶやいたが、「結婚」とまではすべり出さなかった。たかが青二才の、相手のことばに釣られて、こちらからいきり立って、向うのおもう壺《つぼ》に飛びこんで行くことはない。結婚、たれと。聞きただすまでもない、貞子よりほかにはたれもいない。娘の名は澄んだせせらぎの音をひびかせるところの、ちとの塵《ちり》にも染まない、犯しがたいタブウになっていて、つと安っぽく口に出せるようなものではなかった。いったいこの青二才はいつのまにいかなる筋道に依って、あたかもこちら側でとうに納得ずみでいるかのように、かかる重大なはなしを平気で唐突に切り出す権利を身に附けたというのだろう。「ぼくたち」という発言は、その中に貞子の運命をも肉体をも勝手きままに引き取ってしまったけはいで、不穏な耳ざわりであった。いや、はなはだ神妙でなかった。むっとにらみかえすいきごみで、くちびる堅く、まともに相手の顔を見ると、しかし、青年はきちんと正座したままで、わるびれずに、うしろ暗そうな影もなく、ずうずうしいというのとはちがったおちつきを保って、一おもいにいってのけたあとは、むしろ神妙にこちらの返事の下るのを待っている姿勢とながめられたのに、しぜん昂《たか》ぶろうとした調子をしずめながら、
「この秋……」と、はなしを変えて、「きみは大学を出るんだね。」
「そうです。」
「卒業したら、なにをするつもりだ。」
「また大学にはいります。」
「ふうむ。大学で、なにをやる。」
「今度は哲学科にします。」
「学者になろうとでもいうのかね。」
「まさか。」
「それでは……」
「大学を出てしまったところで、いったいなにをすることがあるのでしょう。ヤミ屋になるのがおちですね。」
「ヤミ屋にならないでも、ほかになにかすることがありそうなものだな。」
「あったにしても、みなヤミ屋よりもくだらない、愚劣な賃仕事ばかりですね。ケダモノにもなりきれないで、ずぼんの隙《すき》間《ま》から尻《しっ》尾《ぽ》がちらちらしている人間様という顔つきで、正体不明の道義を奉じながら、毎日食うにこまってみても、一向におもしろくないでしょう。そのくらいなら、大学に籍を置くかたわら、ヤミ屋をやったほうがましです。ちかごろはヤミ屋でさえなかなか食えないそうですが、ともかくこれは両立します。両方ともにどうやら実績をあげているやつが、げんに、クラスの中にもいます。」
「それで、きみもその流儀で、どっちがかたわらだか知らないが、その二本だてで押し通そうという料簡《りょうけん》か。」
「いや、実際には、ヤミ屋のほうはやっぱり願下げにしたいものです。どちらかといえば、学生一本だてで、当分、つまり無限にぶらぶらしているに越したことはありません。こういう悪徳が今日の青春の、ほかになにも無い、ぎりぎりの権利だとおもいます。」
「では、食うほうはどうする。」
「食えるかぎりは、おやじを食うことにします。」
ふっと、利平の口もとに苦笑に似たかすかな影がうかんだ。あたかも、その青年のことばが、ヤミ屋のほうは当分おやじに任せておくとでもいったかのように、聞きとれたからであった。青年のおやじの大江徳民とは、かつて唐山《とうざん》にいくさがはじまった当時に店の仕事について交渉をもって以来かなり長い附合なので、そのひとがらも、またいくさのあいだの波に乗ったそのうごきぶりも、よく知っていた。そして、これは直接には知らないことだが、いくさののちに、この元官僚の、元重役のアングリカン、どうやら市ヶ谷にまわされるほどではなかったと見えて、身柄だけはつつがなく、今度は逆に打ちかえす波の下をかいくぐって、つかんだ藁《わら》の、浮む瀬とたのんださきは元大臣なにがしをかしらとする某経済機関、すなわち軍の隠匿物資をたねの営利事業で、そこでのきれものというおもむき、うわさに聞いて、なるほどあの男ならばさだめしとうなずけないことではなかった。そのおやじにして、このむすこの、似たような似ぬような、鼻筋は受けついで通った顔を、まぢかに見ながら、
「ふむ、永遠のぶらぶら大学生か。哲学科とかいうところ、のぞいて見たことはないが、住めば都のかくれ家かも知れない。大学校にも居直りの手があるということを、はじめて知ったよ。それでは、この秋にもこの春にも、季節のけじめなんぞありはしないじゃないか。」
「いや、夢があります。この秋というのは、夢の期限です。」
「何の夢。」
「秋までには、今からかかれば、農園にバラックが建つでしょう。」
かえす刀の、また胸もとをかすめて、現実に切りこんだのが、「結婚」のはなしに念を押して来たようなぐあいであった。こいつ……と、利平は手酌で猪口をあおりながら、このときひやりとした。たった今、この青二才の、おやじを食うといった、そのおやじとはどこのたれのことだろう。食いでのあるやつは、はたして大江徳民か。もうさきの見えた下り坂の人物に、何の糧《かて》をたのむのか。ついここにいる浪越利平、まだまだ食いでがあるだろう。たとえば、八王子の農園はさしあたりよく一家の食料をまかなうに堪えている。附属の建物こそ火に焼けたが、農園の土はあいかわらず肥えていて、野菜はもとより鶏もいるし、豚もいるし、それらはまた他のなにかとも取替えられて、げんにこの席にならぶ酒さかな皿鉢のかずかずを、いつのまにか音もなく、きれいに食ってしまっている徳雄の、そのしずかな食慾が、次第にものすごくなって、いつの年の秋か、やがてうなりを生じ風を生じて、こがらしの吹きすさぶように、農園の土にそだつすべてのものを、青い草も白い鶏も丸い豚も、あわやばたばたと薙《な》ぎたおし殺しつくして行こうとする、遠い荒野のけはい、今ここもとにしのび寄せて、庭のおもてを払う風に、笹の葉さらさらとみだれ、軒には枯れた梢《こずえ》さむく、うすい日あしの窓にあたってふるえているのが、いっそ夢の中のけしきに似た。
「ぶらぶら大学生、青春の夢というのが、住宅難のバラックか。今日むきで、ひどく勘定だかいな。」
「いや、そろばんには乗らない設計です。今日むきか明日むきか、そんなことは知りません。この秋といってあせりがちになるのは、青春の影の逃げて行くのが速いからです。」
「それで。」
「どこかにとても広い、ひとの通らない、大きい原っぱがあって、そのまん中にたった一つちっぽけな小屋が立っていて、その小屋の中に、ぼくの夢ですね、そこに……」
「そこに。」
「てこちゃん、いや、貞子さんがいるのです。そして、そのそばにずっと小さく、ぼくがいて、それをまたもっと小さなぼくが遠くから見ているという夢なんです。実際には、そのことがぼくたちの結婚というかたちになって来るみたいですね。貞子さんは……」
とたんに、ぴりっとひびいて来た気合に打たれて、青年は口をとじた。目のまえに利平の大きい肩が無言のうちにふるえていた。あきらかに憤《ふん》怒《ぬ》であった。井の底から水のこみ上げて来るような陰陰たる憤怒であった。膳に置いたのみかけの猪口はおりの沈むまでに冷えきっていた。
そのとき梯子段のほうから足音がして、姉娘の福子があたらしい銚子をもってはいって来た。さっき結いたての丸髷と見えたのは実は鬘《かつら》で、それを脱いだあとのさばさばとみじかい髪にうつりよく、背広型のグレイの服にきかえて来て、長いずぼんの膝をきちんと畳に突きながら、客のまえに酒をすすめようとして、
「あら、おばさま、どうかなすって。」
「いいえ、なんとも。」
「お顔まっさおよ。おかぜでもめしたんじゃございません。」
「ええ、いいえ、ちょっと寒けが……」
幸便にさされた猪口を、にがい薬でものむように、眉をしかめてぐっと干すと、女客はいくらか顔に赤みをとりもどして、しらけた座のとりなし、さっそく助け舟の相手になにかはなしかけようはずのところ、すぐなめらかにはなしのたねが出て来ないけしきと見えたのは、たぶん何事につけても、この姉娘にむかっては、うっかり樺太に行ったきりの夫の身の上をおもいおこさせるような、無器用なまねは一切禁物という心づかいのせいだろう。しかし、相手はなにも気がつかないらしく、むすこのほうに銚子をむけかえて、
「徳雄さん、ことしはスキーどう。」
「当分からだをうごかすことは見合せにしています。」
「あら、スキーはスキーがうごくのよ。からだはただ乗っかってるだけじゃない。」
「むかしの、あなたがたの馬みたいですね。手《た》綱《づな》にきゅっとつかまったきりでね。」
「今じゃ、つり革につかまってるわよ。」
八王子の農園に往復するとき、姉妹が乗るのは中央線の電車であった。やっと口を出すおりをえて、母親が、
「電車がこんで、たいへんでございますわね。ちと、てまえどもへもお立寄下さいまし。西《にし》荻窪《おぎくぼ》の駅からすぐでございますから。」
そこの、大江徳民の弟の留守宅が現在での仮住居である。留守宅といっても、この弟の陸軍少将、いくさがおわった当時は満洲にいたので、いつ帰るのか帰らないのか消息不明のままになっている。
「ぼくのところ、センパンの遺跡です。近所では鼻つまみで、だれも寄っつきません。垣根がこわれて、野ら犬が出はいりしています。」
「あなたがマキアヴェリでもお読みになるには、ちょうどいいところね。」
「見物においで下さい。八王子のおかえりに……」
「お野菜の籠《かご》をしょってね。よく似合うわね。」
「それはうちの界隈《かいわい》でもはやりの風俗ですよ」
「そう。じゃ、初買に……」
そばから、利平も今は気のしずまった調子で、
「初買って、なんだ。」
「買出しよ、パパ。」
「おれはまた、衣《え》紋《もん》つくろう初買ので、あの道のことかとおもった。」
「ばかねえ、パパ。」
にぶい日ざしの、そろそろかたむきはじめて、遅くならないうちにと、客はやがてかえり支度になった。しまいまで、貞子はふたたび姿をあらわさなかった。
玄関まで客を見おくったあとで、利平はすぐに炉の切ってある自分の部屋にもどろうとしかけたが、廊下の通りがかりに、貞子の部屋の、杉の二枚戸の引合せになっている扉を、ひょっとあけてみた。
そこは家の作りとはおもむきが変って、内部はフランス式の、椅子、テイブル、エクラン、ピヤノなどルルウふうの飾附で、中にたった一つ、壁ぎわに唐様《からよう》の浮彫のある大きい紫《し》檀《たん》の飾棚《かざりだな》、それに倚《よ》りかかるようにして、貞子がひとり立っていた。むかしのヴォーグからでも取ったのかマルセル・ドルモア型のツウピース、白いしなやかな生地の、濡《ぬ》れたように照《てり》のあるのが、肢《し》体《たい》のうねりを狂いなくうつしとって、きもののときよりも目にさわやかに、肌の色の透きとおるまでににおい出たのは、硬い処女の生理だろう、伸びた手さきにしずかな力がながれていて、いつわることを知らない指のなりであった。
利平はソファにかけて、台の上に載せた角火鉢の、これはこの部屋には不似合だが当節では余儀ない装置で、中に電気こんろを仕掛けたやつに手をかざしながら、ふっとかんがえのつづきを声に出したというふうに、たれにともなく、こうつぶやいた。
「結婚ということを、何だとおもっているのだろう。」
利平みずからそれを何だとおもっているのだろう。そういうことをかんがえるのは、もともと不得手であった。しかし、結婚といえば、まず式典の灯のこととか、区役所の窓口に届ける紙きれのこととか、あたらしい鍋釜《なべかま》のこととか、いずこも型のごとき屋根の下のいとなみのこととかを漫然とおもいがちであった。御存じの手続をまことしやかに履《ふ》んで行ったさきの、おちつき場所は世間一般の通念である。結婚する人間は家に食われ、家はまた世の中の仕掛に呑《の》まれた。治まる御代の基にほかならない。生活の足を引っ張って通念の中に溺《おぼ》れさせる仕掛になっているのだから、人間は生きながらに土左衛門、流に身をまかせてふわふわ浮かれていればよく、ずいぶん気がらくで、四季おりおりの夫婦喧《けん》嘩《か》もまんざらでなく、この結婚というやつ、ひとののぼせの引さげどころ、それを大切に取扱うのも三分の理はあるのだろう。結婚体験に関するかぎりでは、利平もまた世間なみの土左衛門のひとりであった。おもえば、先刻の青年の申条、耳にさわって、気に入らぬものである。結婚というものを、わざと軽率に、安手に、疎略に取扱っているかのような、食いちがったけはいのする口のききぶりであった。
「離婚ということを」と貞子が立ったままいった。「何だとおもっていらっしゃるの、パパ。」
たれかの答を、とくに貞子の答を予期したのではなかった。そのことばをこどもぽい応酬のようにぼんやり聞きながしながら、利平はいわばひとりごとの、唇をまたきゅっとむすんで、電気こんろのニコルム線の赤く焼けているのを見つめた。いや、その電気こんろよりも、もっとあかあかと、いきおいよく、大きい煖《だん》炉《ろ》の中に燃えるであろう薪《まき》の炎を遠くに見つめていた。じつは八王子の農園につい去年のくれから普請にかかっている建物があって、この秋にはシャレエふうの小屋がそこにできあがるはずである。ひろい畑のまんなかに、秋のみのりの中に、その小屋はぽつんと一軒立つだろう。そして、やがて冬になれば、外にはこがらしが吹きすさんでも小屋のうちはあたたかく、大きい煖炉には薪がふんだんに投げこまれて、炎があかあかと燃えあがるだろう。そこに、たれがいるのか。それは利平でもよく、福子でもよく、貞子でもよく、また三人そろっていてもよかった。しかし、利平はときどき、ひそかに、なにということもなしに、自分は日本橋の店に、福子は二本榎《にほんえのき》の家に、貞子は八王子の小屋にいるけしきを、ふっとおもってみて、そのことにみずからおどろくほどであった。今は、娘ふたりをもつほかには、利平は事業とともに孤独であった。二本榎の家には、いつの日のことか、福子の夫が樺太からもどって来るだろう。八王子の小屋には、貞子のそばに……そこに他のたれかの姿をかりにもおもってみることは、唐突であり無礼であった。それでもなお、この小屋の設計はいつのまにか貞子の結婚の準備をしているのと似たようなぐあいになって来た。貞子のはるかなる結婚の相手は、どこのたれだろう。いかなる顔がそこに来てあてはまるのだろう。先刻、大江徳雄の唐突な無礼なはなしの切出し方は、あたかもこちらの壺《つぼ》をねらって飛びかかったように、おのずから切迫した求婚の交渉になっていた。小屋の設計は図星であった。小屋の中、煖炉のまえ、貞子のそばに、ならんで立つものが徳雄であったとしても、ありうべからざるほどのことでもないだろう。利平にとって、そのはなしがひどく耳ざわりにしか聞えなかったのは、結婚についてのかんがえの食いちがえというよりも、貞子の肉体をいけぞんざいに、いわばそれと懇意なもののぞんきな調子で、取扱われたかのような気がしたせいにちがいない。
そのとき、突然ある疑惑がおこった。ついぞうたぐったことのない娘の肉体についての、おそろしい疑惑であった。
「おまえ、大江のむすこといつも附合っているのか。」
ソファの上でつとからだの向きがかわって、貞子をまともに見た。娘のしなやかな手くびの、えくぼの入るように肉の盛りあがった、冬にも涸《か》れないみずみずしい色艶が目に痛くしみた。
「ときどき、都賀さんのお宅で。」
都賀伝吉は貞子のピヤノの師匠であった。
「大江も……」
「あのひと、セロひくの。」
いつかソファから膝を乗り出したかたちで、もうことばをおさえきれずに、
「おまえ、まさか……」
はっとして、あとが出なかった。しぜん顔が赤くなった。とたんに、真向《まっこう》からけらけらと笑われた。
「ばかねえ、パパ。」
利平は横をむくようにして、やり場にこまった手つきで、銀のシガレットケースからたばこを一本ぬいて、それを指にはさんだままでいた。すっかり酔がさめたようであった。その指にはさんだたばこを電気こんろの火にちかづけて吸おうとしたとき、貞子が飾棚の上からなにか小さな光るものをてのひらにつかんで、こちらに寄って来た。利平はそれをライターかとおもって、娘のさし出した手のほうにたばこをむけようとすると、その手はすばやく鼻さきに迫って、すっと鼻の奥にとおるまでにかんばしく、いいにおいがした。香水であった。
「パパ、お酔いになったのね。すこしおのぼせになったらしいわ。」
たぶんいくさのまえにいくつも買いこんでおいた品の、わずかに残ったやつだろう、そのフランス製の、しゃれたラリック硝子《ガラス》の小《こ》瓶《びん》には、香水の名が mon p残h (わが罪)と記されてあった。
焼けのこった中目黒何丁目と町ところをたよりにたずねて行けば、すぐ知れそうなものだが、この貞子のピヤノの師匠、都賀伝吉の住居はちょっと判りにくい。だらだら坂の両側とも、あたりは垣根つづきの、庭を広くとった作りの家がならんでいて、坂の途中から横にきれると、雪のあとなどには靴を吸いこむほどぬかるみのせまい道で、そこをまた横に、垣根と垣根とのあいだについ見すごしてしまいそうなほそい道が引きこんであって、はいって行くと、行きどまりの突きあたりに、ペンキの剥《は》げた木柵《もくさく》の、開き戸のようになったやつ、標札も見えず、鎖もこわれていて、中は低い石段の附いた、何風というか、やっぱりペンキの剥げた建物の、うす暗い玄関の扉に、ぶらさがった小さい看板には「都賀洋裁研究所」とあり、そのそばに「都賀陽子」とこれも小さい名刺が貼《は》ってある。以前はそこに「都賀伝吉」という名刺も出ていたようだが、いつか風にでも吹っとんだままになっているのだろう。
この建物は、しかし、古いながらにしっかりした木組で、平家の軒高く、庭もせまからず、玄関からぐるりとまわって裏手のほうに来ると、ついぞ手入などしたこともなさそうな枯草のみだれたまま、防空壕《ぼうくうごう》の跡さえまだろくにかたづいてない、冬は一きわ荒れたけしきの中に、それでも畑らしいものがほんの一つまみ、そのさきに奥ふかく木立がつらなって見えるのは、借景よろしきをえて、これがさる神社のうしろにあたる小さい丘で、この神社の領分と家の領分との境目《さかいめ》には、朽ちた竹の生垣《いけがき》がかたちばかりの仕切になっていて、竹のくずれの隙《すき》間《ま》から、しぜん懇意なひとがはいる、郵便も新聞もはいるという習慣で、玄関はいつもしめきりの当家では、ここが実際の出入口であった。
ここからはいるとつい見てとれる家の側面の、まんなかがすこしつぼんだようになっていて、おのずから前と後と棟《むね》が二つに分れている。そのまんなかのつぼんだところというのは庭に面して欄干つきの廊下がわたしてあるほそ長い部屋で、サロンと呼んでいるだけに室内はまあ一とおり西洋ふうの装飾がしてあって、小人数の客を迎えるぐらいの食卓も備えつけてあるが、そことは厚い壁をへだてた玄関寄りの前方は表看板にうたってあるごとく洋裁研究所というこしらえ、ミシンも二三台ならんでいて、すなわち都賀陽子の仕事場で、反対に、サロンの後方に、廊下づたいに行った奥の、おもい扉をとざした向うが都賀伝吉の日常ひとりで占めている部屋である。その内側をのぞくと、がらんと広く、壁に何の飾もなく、目ぼしい道具といえば、ドイツ製の大きいピヤノと、木製の低いベッドと、ずいぶん古めかしい食器棚きりで、そこの棚の上にウイスキーの壜《びん》が何本か、カストリの壜までまじって置いてあるのがせめてものにぎわいだろう。家の中にはなお小さい部屋がいくつかあることはあるが、どこも物置同然の煤《すす》けようで、たった一つ台所わきのせまいところを陽子が化妝《けしょう》室にも寝室にも使っていて、三面鏡とともに壁ぎわに押しつけて、やっぱり一人用の、こちらは鉄製ベッドが据えてあるほかには、この屋根の下に他のベッドは、つまりダブルベッドのような仕掛はぜんぜん見あたらない。
ところで、都賀伝吉と陽子とのことを、知るひとはおおむね先生おくさんと呼びなれているので、どこに出ても夫婦として通用してはいるのだろうが、そのじつ、そう呼んでいるひとたちにしても、これが世間なみの正式の夫婦だとはおもっていないようであった。陽子はいつこの家にはいって来たのか、前身も知れず、げんに都賀姓を名のっていながら、もしかしたら別にほんとうの名があるのじゃないかという印象を、初対面のひとにさえあたえるようなところがあった。そういっても、男は四十歳すこし、女は三十五歳ぐらい、ふたりとも大柄で、西洋ふうの身だしなみが板について、ならんで立ったすがたは、まあ夫婦と見立てるのがふつうだろう。その陽子の発案で、玄関に「洋裁研究所」の看板をぶらさげることになったのは、いくさののち、新円かせぎということばが世間に流行するようになってからである。
実際に、陽子は敏捷《びんしょう》にからだのうごくたちで、ミシンも器用につかって、あたらしい仕立物はもとより、古著のつくろいものでもいとわず、結構これが商売になって、通って来る女弟子が三四人、その弟子に仕事をまかせて、当人はむしろ外まわりにいそがしく、洋服生地の取次とか衣裳《いしょう》の売買とか別口の収入もあって、去年のかせぎ、みずから称して十万円あまり、ことしは二倍にも三倍にもという胸算用であった。もっとも金づかいのほうも荒く、得意さきとの附合はなかなか派手で、出入する男たち女たち、女は割合に年を食ったやつがおおいが、男はみな三十歳以下の会社員とか書生ぽうとか、中には十九歳の洟《はな》たらしまでまじって、月に一二度はサロンの催し、レコードの伴奏で大さわぎのダンス、このダンスはたしかに陽子がずぬけて上手で、前身は洋裁よりもこのほうだろうとうわさされるほどの、足のさばきにおとらず、客さばきもうまく、ときには深夜におよんで、ふだんはまっくらなサロンの電燈あかあかと神社の森に映った。このあつまりに、伝吉はまれに顔を出すこともあって、酔ぱらったステップを踏まないでもなかったが、おおむねおのれの部屋にとじこもったきりで、ひとりでのんでいるのか、ろくに挨拶《あいさつ》もしないふうであった。そういう伝吉のことを、陽子は仲間のまえで芸術家あつかいにして「うちの先生」とか「うちの主人」とか呼んでいたが、あるときごくしたしい女ともだちとのはなしのうちに、ふと「あのひと、あたしが食べさせてるのよ。」と露骨な表現を用いもした。
しかし、この露骨な表現はかならずしも事の真相を語ってはいない。元来ここの家は伝吉の亡父、これは明治の功臣の裔《すえ》で実業家として浪越商店とも関係のあったのが生前に建てておいたもので、今日では伝吉の所有となってまだ抵当にもはいっていないようである。伝吉は若いころ音楽修業のためと称して行ったヨーロッパの旅から帰って来たのち、ずっとここに住みついていて、やがて父母をうしなったあとは、その遺産に拠って、貿易のほうには手を出さずに、もっぱら作曲のほうに、すなわちなにもしないということのほうに精を出すことにした。実際にほんのわずか、しかし手筋はわるくない作品を示してはいるものの、仕事一方という姿勢ではなく、生活力があちこちに散乱して行くような傾向ではあったが、ピヤノの技倆《ぎりょう》はたしかにすぐれていて、世間ではむしろピヤニストと見られて、まわりにあつまって来た弟子もすこしはいて、ただしその中でもふだん家に出入することを許されたやつはきわめてすこしで、それがピヤノの稽《けい》古《こ》のためよりも若いあそび仲間として恰好《かっこう》のやつを撰《よ》り抜いたあんばいであった。以前は家の中に、今日「洋裁研究所」になっている部屋にも、サロンにも、ドイツ製のピヤノが全部で三台置いてあって、また絶えず酒の用意もあって、毎日のように寄りあつまるたれかれを相手に、しまいには音楽とは無関係にただ大さわぎで、いくさのあいだはさすがにちょっと下火ではあったが、ともかくその余勢が去年までつづいた。去年のくれ、伝吉は突然おもい立ったように、ピヤノを一台だけのこしてあと二台とも、それに決して供出しないで隠しておいた金銀の細工物とか宝石とかを掻《か》きあつめて、みな一まとめに売りとばしてしまった。六十五万円に売れたという。
伝吉はその金額のうち六十万円を、銀行にあずけるということはしないで、おのれの部屋の中のどこかにしまいこんだ。そして、ひとにむかっては、「おれは月に五万円ずつ使って一年食うという予算を立てた。だから、おれは来年(すなわち今年)いっぱいなにもしない。」といった。来年にも今年にも、予算に係らず、この人物が旧に依ってなにもしないということには変りはないだろう。ひとが「財産税はどうする。」というと、世にもけげんな顔つきで、「ふーむ、そんなものを取られるのか。」といったきり、格別それを心配するけしきは見えなかった。ところで、別にした五万円は、これはそっくり陽子の手にわたした。そのことを伝吉がひとにはなすときにはこういう調子であった。「あいつには給金をくれてやってる。あんなやつでも、そばにいればめしなど炊《た》かせて、こき使ってやるのに便利だ。」たしかに、この家で食事の支度をするのは陽子にちがいなかった。しかし、ふたりいっしょに食事することはまれであった。サロンのテイブルの上になにかできたものをならべておくと、伝吉が勝手なときに出て来てそこで食うか、もしくはひとりでそれを部屋にもってかえるかした。その部屋には陽子の出入は禁じられているとでもいったふうであった。右の五万円のことを、伝吉はときにはまたこういう調子でもはなした。「あいつに手切金をくれてやった。そのうえ、住宅難の今日うちに置いてやってるし、仕立屋をはじめることも許してやってるし、このくらい寛大なら文句はないだろう。あんなやつのひとりぐらい、まあたいして邪魔にもならない。」
こうして、部屋も別、ベッドも別、食事も別、ふたりの意見も別で、ここには夫婦のちぎりどころか、ただの男女の交際さえ無いかのようだが、しかしこういううわさもある。あるとき、晴れた日の真昼に、庭さきからたまたまはいって来たひとが、サロンの硝子戸ごしにひょっと見ると、テイブルの上にはからになったウイスキーの壜がたおれていて、そこの長椅子の上で、ふたりいっしょに言語に絶した奇怪な姿態をとって寝ているところを、うっかり目撃してしまったということで、これはかなり信用のおけるひとの証言であった。それならば、かの給金あるいは手切金の件をおもいあわせると、このような場合はどういう計算になっているのだろう。これも例の五万円のうちにふくまれているのか、それとも伝吉の部屋のどこかにしまいこんである六十万円の中から特別支出に係るのか、それとも単に男女のどちらかが勘定を無視して暴力をふるったのだろうか。また伝吉が「便利」とか「たいして邪魔にもならない」とかいうことばを使ったのは、この事実をさしていったのか、もしくはただめしを炊かせることに関していったのか、いずれとも判別しかねた。
貞子が伝吉についてピヤノの稽古をはじめたのは、女学校にあがらないまえからで、その大むかしからいくさのあいだも引きつづき、週に何回というふうなきめはなかったが、おりおりここに通うことが今日におよんでいる。「洋裁研究所」の店びらきののちは、貞子はまた店の客でもあり、あそび友だちの一人でもあった。ピヤノを習う場所はサロンであったが、去年のくれ以来たった一台のこったピヤノが伝吉の部屋にしか置かれていないので、しぜん稽古場がそこに移されることになった。今日では、伝吉はもうひとに教えることがいやになったらしく、ほかの弟子はみなことわってしまったので、伝吉の寝室でもあるその稽古場に出入するのは貞子よりほかになく、したがって、師弟年齢のちがいはあるにしろベッドのそばで男女さしむかいになるほかなかったが、そういうことを気にするほどぼけたやつは、当人はもとより、この家にあつまる仲間のうちにはまあ一人もいないだろう。いったいこの家では、以前は小女ひとりしか使っていなかったので、諸事行きとどかなかったことがおおかったが、その小女が喫茶店に奉公がえをして出て行ってしまい、陽子が洋裁のほうでいそがしい現在、かえって手不足でこまるということはなくなった。というのは、陽子はひとを使うことに妙をえていて、通って来る洋裁の女弟子を女中同然に利用して、台所の仕事も、部屋の掃除も、配給の手間も、食料の買出しも、すべて甘言をもってこれに一任するという習慣をつくっていたからである。それにも係らず、女弟子のほうでは、ときに入替りはあっても人数がへることはなかった。おもうに、ここに通って来ていればともかく相当な収入を約束する技術があり、派手らしい雰《ふん》囲気《いき》があり、舶来の嗜《し》好品《こうひん》などもときどきあり、それに若い男たちがいつも出入して、映画とかシナそばぐらいにはよくさそってくれるし、たまにはもっとほかの場所にも泊りがけでさそってくれようという特典があるので、そういう実用的な、勝負のはやい誘惑からはなかなか離れがたいのだろう。
ことしになって、貞子は正月に一度ここに来た。それはいつもの顔ぶれが新年宴会という催しで、歌をうたうやつはうたって、ダンスになったが、セロをひくはずの大江徳雄はスキーに行ったとやらで参加せず、伝吉はこの日はまたひどく不機《ふき》嫌《げん》で、部屋の外に顔も出さなかった。二月に入ってから、洋裁が休みになる日曜日に、貞子はきょうはピヤノのつもりで、楽譜をかかえて、雪のあとの泥道をたどってここに来て見ると、サロンに伝吉と徳雄とふたりでいて、陽子はどこかに出かけたのか、ほかに居合わせるものはなかった。
「今、大江君に催淫剤をのませてやってるところだ。若いもの、だらしがない。」
テイブルの上に、むかしの仕入にちがいない、ほんもののポルトの壜《びん》が一本置いてあって、伝吉はすこし酔っていた。徳雄はもっと赤い顔をしていた。
「没落した貴族の召上りものね。」
「いや、新興の貴婦人が好むはずのものだよ。きみなんぞにちょうどいい。女ののみもので、大江君を恥じしめているんだ。」
「徳雄さん、そんなわるいことしたの。」
「したね。」
「どんなこと。」
「きょう、来るといきなり、いやにかたづけた恰好をして、ピヤノを教えてくれというんだ。なにを、べらぼうな。こっちは活眼をもって、たちどころに見やぶったね。こいつ、あきらかに……」
じろりと徳雄のほうを見ると、こいつ、てれくさそうな顔もしないで、どこかに笑《えみ》をふくんだ唇《くちびる》のさまで、しらじらとだまって聞いていた。
「あきらかにピヤノなんかどうでもいい。てこちゃんと仲よく肩をならべてチャンスをつかもうという、それにきまってるじゃないか。それならそれで、なぜじかに当人にぶつからないんだ。たかがそのくらいのことに、芸術を助《すけ》っ人《と》にたのもうなんて、五十年まえの文学青年だってそんな甘手は使わなかったろう。まだるっこしい。笑ったよ。」
「ちがうわ、先生。活眼だなんて、あやしいものよ。」
「どうして。」
「徳雄さんとてもマキアヴェリなの。このお正月うちにいらしったとき、パパにむかっていきなりわたくしのことを求婚したのよ。それがちゃんと本人の承諾をとってあるといったみたいに強引な切出し方なの。あとにもさきにも、わたくしぜんぜん知らない。ことによると、うちの財産を横領しようとおもってるんじゃないかって、姉とふたりで笑ったのよ。悪辣《あくらつ》ねえ。」
「それなら見上げたもんだ。おやじを相手に一気に勝負を決するか。なんでもわるいことは一度に大きくどかんとやってしまって、いいことは小出しにして、けちけちなしくずしに毎日というマキアヴェリ流の戦法、世が世だったら名君になりかねない資格がある。口火を切ったあとは、せいぜいすこしずつ親切をつくして、おやじをだまして財産をとったほうが勝だ。それで、肝腎《かんじん》のてこちゃんは棚に上げっぱなしか。」
「そうらしいの。わたくしのこと夢だっていったそうよ。」
「夢。此《この》世《よ》のものならずか。」
徳雄がなにかいい出しそうにしたのを、「だめ、だめ」と貞子が押さえつけるようにして、
「発言の資格なしよ。スキーなんかには行かないといったときには、もう汽車の切符を買ってる方なんだから。しおらしく見えたときには……」
「肚《はら》に一物《いちもつ》の、ピヤノの稽古か。」
「先生をあおって、パパのところに正式の橋わたしをさせようっていうつもりじゃないかしら。パパ、いまだにこちらのお家がらを信用してるわよ。盲目的なの。」
「信用はあたりまえだ。それじゃ、おれはなこうどで、兼ねて財産横領の一味徒党か。」
「どう、どん底の男爵さま。」
「とんだ役どころだ。しかし、判らん。」
「なにが。」
「その正式というやつがさ。いったい正式とはなんのことだ。」
「なんのことだか知らないけど、徳雄さん正式がお好きらしいわ。まわりから地がためして行って、手続で恰好をこさえちゃって、正式に承認させなくてはお気がすまないようね。結婚のことでもね。」
「ばかだよ。女の子に関することで、正式もなにもあるかね。おれは今日まで結婚みたいなことをいろいろやってみたが、正式というやつはとんと知らない。フランス語でいうマリアージュ・ド・ラ・マン・ゴーシュ、左の手の結婚ばかりだ。女の子と附合うには、左の手だけでたくさんだよ。」
「じゃ、右のお手はふところにお入れになったままね。」
「いや、事あるときには出す。」
「なんにお使いになるの。」
「男子の事業。」
「あら、あら、今からヤミ屋をおはじめになるの。」
「ヤミはヤミでも、おれのは買にまわるほうだ。」
ピジャマの上に著ているお召の丹前のふところから、ぐっと右の手を抜き出して、今までポルトをのんでいたやつが、テイブルの下に置いてあった一升壜をつかみ上げて、コップではなく、別のさかずきに波波と日本酒をついだ。菊の紋の附いた金盃《きんぱい》である。
「まだそういうものを取っておおきになったの。」
「なに、くれにすっかり売はらったあとで、こいつが一つ、どこからか出て来た。おれのうちのじいさんが御当代のおじいさんにもらったものだ。」
「アンシャン・レジームの記念品ね。」
「いずれ売っちまうものさ。」
「それなら、徳雄さんにゆずっておあげになるといいわ。もしかすると、こういうものの蒐集癖《しゅうしゅうへき》がおありかも知れないわ。」
くるりと徳雄のほうにむいて、
「ねえ、発言をゆるしてあげるわ。メンタル・テスト、天皇制について。打倒派か、支持派か。たった一言。イエスかノーか、それだけ。注釈はいらないわ。」
徳雄はかすかに眼で笑って、だまったままであった。
「ほーら、マキアヴェリ、態度をはっきりなさらない。発言なさるべき場合には、だまっていらっしゃる。狡猾《こうかつ》ねえ。だめよ。御返事がなければ、支持派とみとめるわよ。どう。」
徳雄はやっぱりだまったままで、椅子から立ち上って、イエスともノーともつかないようなそぶりで、丁寧にひくいおじぎをした。
「あ、き、れ、た。愚劣ねえ、この方。」
伝吉は二杯目のさかずきを干しながら、
「てこちゃん。」
「え。」
「メンタル・テスト、結婚について。もし大江君がじか談判でぶつかって来たら。たった一言。イエスかノーか。」
とたんに、貞子は右手をぱっとひろげて、拇指《おやゆび》を鼻のあたまにあてて、四本の指をひらひらとうごかして見せた。そして、その手をすっとテイブルの上に伸ばすと、指さきで器用にロースト・ハムの一きれをつまんで、あおむいてそれを口の中に落した。
そのとき、三人ともはじめていっしょに笑った。
しかし、伝吉は急にとげとげしい調子になって来て、
「ベらぼうだよ。なんだってそんな猿芝居みたいなみぶりをするんだ。なってないよ。天皇制は打倒する、結婚はカンガルーにまかせると、相場はきまってるじゃないか。ばかばかしい。」
「相場がきまっちまえば、あとはなんにもしないでお酒のんでるの。実際の身の振方はあいかわらずそれだけなの。先生は古典的自我っていうんじゃないかしら。近代的自我じゃないみたいね。」
「こいつ、ちんぴら雑誌でおぼえて来やがったな。てこちゃんでなければ、ぶんなぐっちまうんだが。」
「まあ。そんなセリフ、やっぱりセンパン的イデオロギーだわ。」
それをそっぽに聞きながして、ほとんど椅子の上にあぐらをかいたような姿勢で、徳雄のほうをあごでしゃくって、
「おい、マキアヴェリ先生、きみはひとをなぐったことがあるかね。もちろん、おとなになってからだ。」
「そうですね。たった一度あります。」
「どういうとき。」
「戦争のおわるまぎわ、七月の末に、ぼくはそのころ兵隊で、内地の隊にいたんですが、ある日曜日めったにない外出がゆるされて、おなじ隊の友だちといっしょに、近くの町にあるそいつのうちに行きました。その男は学部はちがいますが大学仲間で、うちはかなり裕福な商人でした。そこのうちでいろいろ御《ご》馳《ち》走《そう》になって、すずしい畳のまんなかに、ふたりとも湯あがりでぼんやり寝ころんでいました。すると、いきなりその男が大きな声で、あーあ、はやく負けねえかなあと、こうさけんだ。とたんに、ぼくは跳《は》ねおきて、そいつをなぐりつけてしまった。どうしてなぐったのか。当時、ぼくは戦争というものが生理的にまでもういやでいやでたまらなかったんです。じつは、肚の中ではやっぱり、はやく負けちまえ、だったんです。それが……」
「もういい。心理解剖なんかして見せねえでもいい。きみでもひとがなぐれるということが判りゃいいんだ。ところで、おれは今ちょっとしたエチケットの演習をしてみようとおもう。西洋人はよくキスということをやるね。親きょうだいでも、友だちでも、色情ぬきで、やたらにちゅうちゅうやる。おれも今その美風をまねして、ここでてこちゃんにキスする。いろおんなの頬《ほっ》ぺたを嘗《な》めるようなぐあいにじゃなく、師匠が弟子をかわいがるという純情をもってだね。おれもずいぶんエロのほうだが、なるべく姦淫《かんいん》の心をおこさねえようにして、冷静にやるつもりだ。しかし、きみとちがって、おれにとってはてこちゃんは夢なんかじゃない、きれいな肉を取っている女人の中の優秀なやつじゃあるし、それになにぶんにも日本ではじめての作法だから、つい見当がくるって、きゅーっと吸いつかねえものでもねえ。きみはそこで見物していて、西洋の紳士みたいな行儀のいい恰好で冷静にしていられるかどうか。もし毛ほどでも畜生というきもちがおこって、男子の性慾がむらむらとしたら、とたんに打ってかかって来たまえ。」
このことばの途中から、貞子は足のつまさきを立てて、もし伝吉のからだがちょっとでもうごいたらば、椅子を蹴《け》って飛びのけるような姿勢をとっていた。そして、実際に伝吉が向うの椅子から乗り出しかけて、
「左の手はつかわないよ。」
つと右の手が伸びて来たとき、貞子は身をひるがえして飛び立ったが、意外にすばやい敵の動作で、あわやすべり抜けようとしたこちらの腕をつかまれてしまった。痩《や》せぎすのからだに似合わない、すごい力である。ずずっと、しかしやわらかに引き寄せられて、顔と顔とがぶつかろうとしたとたん、敵のくちびるの下を掻《か》いくぐって、むしろ貞子のほうから、さきのふところにあたまをぶつけて行くようにして、膝にすがったかたちで、丹前のはだけた胸もとに顔を伏せてしまった。その貞子を片手でそっと抱え上げながら、伝吉は横眼をはしらせて徳雄のほうを見た。徳雄は椅子の上でぴくりとうごいたかのように見えたが、そのとき、かなたの扉のところで声がした。
「あら、スキャンダルねえ。」
閾《しきい》ぎわに、今かえって来たばかりというすがたで、陽子が毛皮の外套《がいとう》をきたまま立っていた。すぐあるき出して、テイブルのそばに寄って来て、あいた椅子にかけながら、たれにきくともなく、
「プレイ。」
貞子はすでに元の椅子にもどっていた。
「フェヤ・プレイだ。」
そういった声は笑ったようにひびいたが、伝吉はたちまち険しい顔色にかわって来て、ぷいと立って、ものもいわずに、廊下に出て、奥の部屋のほうに行ってしまった。それがいつもの癖なので、座がしらけたというのではなく、かえって雲がはれて行くようなけしきであった。その伝吉の足音がまだ消えないうちに、
「芸術家。」
そういいかけて、貞子は笑がこみあげて来たていで、ちょっとテイブルにうつ伏しになってくっくっとむせぶ声をたてたが、ついふりあげた顔の、眼もとにきらりと涙が光ったかと見えたのを、小指のさきですばやく払うと、それだけでとっさに顔ぜんたいを化妝《けしょう》し直してしまって、やや蒼《あお》ざめた皮膚の下から、うそのようにあかるい色艶《いろつや》がにおい出た。
「ぼくたち、おいとましましょう。」
すかさず、徳雄がいった。陽子がなにかいい出そうとする先を越した調子で、しずかに立ちあがって椅子の背に手をあてたしぐさの、ぴったりして、どこか役者めいて、あたかもつづいて立ちかけた貞子をうしろから支えているようなぐあいであった。すぐに、陽子のほうでも、「じゃ、お気をつけあそばして」と、じょさいなく送り出して来て、貞子の肩に外套をきせかけているあいだに、徳雄は貞子の楽譜をかかえて、さきに廊下に出て、そこの踏段から庭におりていた。
庭から外に、ふたりが神社の森の中にはいったときには、まだ日くれにはほどがあるのに、雲のおもく垂れた空の下に、あたりうす暗く、ひと通りもなく、道のはたに落ちた杉の枯葉に消えのこりの雪がしみていた。道のかなたは下り坂になって、おりて行くさきは境内を抜けて町につづいている。その坂のところまで来たとき、徳雄が突然ひたと立ちどまって、貞子の横側から耳にちかくこういった。
「ぼくがあなたを愛しているといっていいでしょうか。」
翻訳芝居のセリフのような発声であった。しかし、それはおもいきった口調で、曖昧《あいまい》なところがなかった。しぜん、貞子もまた立ちどまっていて、はすに向きかえったとき、徳雄は身をかがめて抱えていた楽譜の包をそっと杉の木の根もとに置いた。と見るまに、おきあがった徳雄の、せい高く、つま立って、水を切るように、すっと伸びて来た腕の中に、貞子は肩から抱きしめられてしまった。筋肉かたく、一気にしめつけて来た腕のかこみの外に、もがき出ようとして、のがれるすべなく、わずかに肩さきで抵抗しながら、あおむいた顔の、くちびるの逃げるのに追いせまって、よこに避けたそのくちびるのはずれを、しびれるまでに強く、徳雄のくちびるが吸った。束《つか》の間の、音ひとつたたない出来事であった。
貞子は木の根を踏んでよろめきながら、そのとき敵の力のゆるんだすきに、腕の輪からずり落ちるぐあいに、あやうく抜け出して、夢中で片手を突きあげた。手袋をはめたその手は徳雄の歯にあたった。「あ」と、徳雄は顔を伏せて、飛びすさった。そして、顔をあげないままに、口もとを手でおおいながら、あとずさりに坂のほうへしりぞいて行き、坂の下りになるところに行くと、つとこちらに背をむけて、いそぎあしに、しだいに足をはやめて、逐《お》いたてられるように駆け出した。せいの高いからだつきの、いっそみじめに、恥に打たれて、前かがみに、口をおおって逃げ落ちて行くうしろすがたが、もう小さく、坂の下、家のかげにかくれた。
貞子はそこに、杉の幹にもたれて、どこを見るともなくじっと立ちつくして、落ちた枯葉のちぢむほど地を這《は》ってしのび寄せる寒さの気息にひとしく呼吸を合せているようであった。
「穢《けが》れし霊。」
そういう声がふっと耳もとに聞えたのに、貞子はぞっとした。目のさめぎわである。声はわが身の、わが咽喉《のど》からもれた声にちがいない。目をさますと、窓は夜明のつめたい光であった。二本榎《にほんえのき》の家の、いつもひとりでしか寝ないベッドに寝ていた。
昨夜はおそろしい夢を見た。ケモノの夢である。四足で立って、わっと人間に噛《か》みつく、奇怪な形相《ぎょうそう》のケモノであった。その上になにか乗っているやつがある。それは黙示録のケモノに似ていた。人間が黙示録のケモノを見るときは、悪夢の中でしか見ないのだろうか。悪夢は未来なのだろうか。ひとりでしか寝ないベッドでいつも眠は安らかであったのに、そういう夢を見たのはおもえば昨夜はじめてであった。きのう目黒からかえって来ると、熱がすこし出ていたが、たれにもいわずに、有合せの薬をのんで寝た。けさになって、検温器の度盛はさがったようだが、悪夢のあとがまだ熱ぽかった。きのう白昼に物《もの》の怪《け》におそわれたような一日をへて、けさは瞼《まぶた》のおもぐるしい、襟《えり》のさむい目ざめであった。窓はあかるくても、枕の下にまだ深夜の暗さがただよっていた。
――日は闇《やみ》に月は血に変らん
そのことばは聖書の中のどこかにあった。祝福のことばであったか、呪《じゅ》詛《そ》のことばであったか、はっきりおぼえていない。未来をいうことばはどれも祝福のようであり、また呪詛のようでもある。祝福と呪詛とは、どうちがうのだろう。解放するものと閉鎖するものとのちがいだろうか。しかし、そのいずれであろうとも、未来にむかって投げるすべてのことばは、海のおもてに投げる網のように、たとえペテロの投《と》網《あみ》であったにしろ、やっぱり未来をくくるものではないか。人間はそこで魚のように網の目から逃れることができない。祝福でも呪詛でも、それの縛る力をもって、規定がさきのほうで運命を待伏せしていて、おなじくおそろしい。貞子にとっては「結婚」ということばがこの未来への呪縛に似ていた。
結婚には一般にそうあるべき生活形式があたえられている。解放式にしろ、閉鎖式にしろ、どうも気をゆるしては飛びこめない、そのお定まりの形式に生活を割りつけるという約束は、いったいたれがきめたことだろう。神か、悪魔か、人間か。神にしては権威がなさすぎるし、悪魔にしては智慧《ちえ》がなさすぎる。そして、人間のかるはずみにしては力がありすぎる。神でもなく悪魔でもなく人間でもないような、穢れし霊かなにかが、蜘蛛《くも》などの網をかけて獲物を待つように、こういう仕掛を編み出したにちがいない。地上の法衣をきるひとたちがそれを支持しているのは、そのひとたちがじつは穢れし霊の方士だからだろう。一つ屋根の下に男女縁をむすび子をうんで代代つたわる古い家には、霊が棲《す》むという。穢れし霊の座なのだろう。それはおそろしいというよりも、いやらしかった。きのう一日の出来事も、いずれは穢れし霊が仕組んだからくりの発端になるものだとすれば、とても許しがたい暴虐であった。生活のかわり目。日は闇に月は血に……それからいかなる生活がはじまるというのだろう。悪夢のあとはまだうつつに見のこされていて、夜来の熱はまったく引くに至らなかった。いつか朝はすっかり晴れて、窓掛のすきまから枕のところまで日がさして来た。
正午ちかくまでうとうと寝て、のこった熱のほとぼりを追いはらうきもちで、むりにおきて、顔をあらいに行った。そこで、あついタオルで顔をふくとき、指輪をはめたままでいるのに気がついて、それを抜きとってそばに置いた。その指輪の、玉の納まりぐあいがどうもへんであった。プラチナの台に大きい真珠をはめたもので、これは死んだ母のかたみである。手にとってみると、ぐらぐらして、ちょっと押しただけでぽろりと玉が落ちた。留めがきかなくなっている。どうしたのか。きのう都賀伝吉にいどまれたときに、あるいは大江徳雄におそわれたときに、どうかしたのだろうか。たしかに、そのいずれかの場合としかおもわれない。不吉であった。貞子はこわれた指輪をそっとてのひらににぎって、部屋にもどって来た。
部屋の壁ぎわに据えてある紫《し》檀《たん》の飾棚の、観音びらきになった戸をあけると、中に小さい箱がしまってある。高さ七寸ほどの円筒形の箱で、黒地に金蒔《きんまき》絵《え》で葡《ぶ》萄《どう》の葉をめぐらし、青貝をちりばめて、蓋《ふた》の上にはこれも青貝で IHS と象篏《ぞうがん》してあった。そのむかし切《きり》支《し》丹《たん》大名などのもっていた品か、聖餅箱《せいべいばこ》である。この箱はかつてどこやらの売立に出たのを、父の利平が買っておいたのだが、当時すでにカトリックの教会に通っていた貞子がもらい受けて、ずっと手もとにとどめている。貞子は箱をとり出して、蓋をとって、からの底にこわれた指輪を、玉も台もいっしょに納めた。そして、また蓋をするとき、しっくり寸法の合ったその蓋が、ぴしっと、たしかな封印のように、たのもしい音をたてた。大切なものを秘めたというよりも、まがつみを封じこめたような、ひきしまったけはいであった。
そのとき部屋の戸をたたく音がした。貞子はいそいで箱をしまって、それをかくすように飾棚に背をつけながら、
「どうぞ。」
戸をほそめにあけて、福子がはいって来た。
「どうして、どこかおわるいの。」
「ううん。」
貞子はあたまを振った。実際に、熱はもうさがっていた。
「朝ごはんにも出て来ないから、どうしたのかとおもった。もうおひるよ。」
福子は椅子にかけて、
「ねえ、徳雄さんのおとうさま、いらしってるわよ。二階でパパとおはなししてるわ。」
「そう。」
「あの方、パパを改宗させるおつもりらしいわ。アングリカンにね。」
「ビッグ・ニュースね。」
「さっきちょっと客間に出て、御挨拶したら、カンターベリイの大僧正がなんとかだっておっしゃってたわ。」
「大僧正がどうかなすったの。」
「たぶん、これからの日本人の信仰について御演舌中らしかったわ。あの方、戦争のあいだは、ひや水をあびてカンナガラのほうだったわね。ごはんのまえにはぽんぽんとかしわ手をうつんだって、いつか御説教をうけたまわったことがあったわ。あとで、ふたりで大笑いしたじゃないの。」
「そう、そう。それがちかごろは黙祷《もくとう》におかわりになったわけね。」
「それでも、さすがに国民主義者だけあって、宗教上の分権主義ね。道はローマには通じないで、カンターベリイのほうへ行っちゃうのね。英国じこみね。」
「それで、王様のおてほんは英国の王様。」
「ほんとに、こちらも今はエンパイヤじゃなくなったんだから、御領主のことを王様とお呼びしたほうがいいわ。王様って、ちょっといきじゃない。近松なんかじゃ、むかしからそうなってるわ。あたいやらしい王様のじゃらつき、てね。」
「国文学者ね。」
「ラジオの演舌でも、政党のおてほんはやっぱり英国の……」
「でも、大江さまはまさか労働党じゃないでしょう。」
「札つきの保守派だわ。」
「そこに落ちるほかに行きどころがないみたいね。」
「上野の地下道というところ。」
「それで、御商売はお泥棒……」
「しっ。」
ふたり声をひそめて笑った。
「パパ御災難ね。だまって聴《き》いていらっしゃるの。」
「だいじょぶ。宗論じゃパパにかないっこないわ。わたくしたちとお附合でカトリックでもいらっしゃるし、家代代の法《ほっ》華《け》でもいらっしゃるし、成田さんでもいらっしゃるし……神仏混淆《こんこう》で、通暁していらっしゃるわ。」
「さすがに、お生れね。旧憲法の発布以前だったわね。」
「二度目の文明開化で……」
すると、外の廊下のほうで、二階からおりて来る足音の、高いはなし声にまじって、玄関にわたって行くのに、
「あ、おかえり。」
客のかえるけはいを聞きすまして、ちょっとあいだをおいて、ふたり廊下に出て、食堂になっている日本間に来ると、父親はすでに支度のできている食卓のまえにすわっていた。娘たちにはきままにさせているが、利平のひるめしは一汁一菜という、むかしからのしきたりである。ただし、一汁一菜の内容は、なかなか食通で、手がこんでいた。
利平は、しかし型ばかり箸《はし》をつけただけで、すぐに席を立った。午後からは日本橋の店に用件をひかえていた。店の仕事はまだはじまるというところには至っていないが、利平の心づもりでは、今度は取引の相手方を以前の唐山《とうざん》よりも他の国にもとめて、もとは雑貨をおもにあつかっていたのを、生糸製品一本で行こうという方針で、これも貿易再開をねらって準備中の生産者側と打合せをすすめていた。しかるに、生糸製品は今日では質がおちたうえに値段がべらぼうにたかく、それに輸出さきの海外市場では生糸にかわる品物があらわれてもいるので、前途はどうも望うすのように懸念されたが、利平はほとんど剛情に、これで押して行けるという態度で、成算というよりも、覚悟にちかい見とおしであった。
別の部屋に行って、福子は父の著更《きが》えを手つだいながら、そばに貞子のいないことが判ってはいたが、しぜん声をおとして、
「大江さま、なにかおはなしがありましたの。」
そうたずねたのは、徳雄の求婚の件が気にかかっていたからだろう。
「なに」と、利平はむしろにがりきったような調子で、「かくべつはなしはない。あの男のはなしといえば、金の相談にきまってるさ。」
「お金。」
「うむ。選挙費用の算段だそうだ。」
「選挙って。」
「この四月の総選挙に、参議院に出たいらしい。いずれトラックの上から、デモクラシイ演舌をぶってみせるつもりだろう。その裏の費用は相当にかかるだろう。」
「でも、お金のことなら、あの方もうずいぶんおもうけになってるんじゃありません。れいの経済機関……」
「それがどうやら摘発をくいそうになって来たんで、火のつかないうちに、逃げをうって、足を洗おうという肚《はら》だな。もっとも、あの男のことだ、抜目なくかなりのあぶく銭をつかんじゃいるだろうが。それに、あの男の親分の元大臣、いよいよ追放にきまるもようだというから、そうなればなおのこと後足で砂だろう。そのへんの立まわりは、どうしてたっしゃな男だ。」
そして、父親はこの姉娘をいわば秘書役のように見て、
「あの男がどんなはなしをもちこんで来ても、おれは相手にならないつもりだから、おまえもそのつもりで、ふくんでいてくれ。」
この大江徳民への拒絶は、ひいてはむすこの徳雄のほうにもおよぶはずのようにおもわれた。しかし、求婚の件にふれて来るようなはなしはなにも出なかった。
利平の留守に、福子もまた買物にでも行ったのか、貞子はひとり部屋にのこっていると、夕方ちかくになって、女中がたれやらの名刺をとりついで来た。貞子をたずねて来たという、その男名まえの名刺のぬしは、どこかで聞いたような名ではあったが、すぐにおもいあたらなかったので、ともかく玄関まで出て行ってみると、そこに、十九歳ぐらいの、学生ふうだが仕立のよい外套《がいとう》に派手なマフラをした、まだこどもぽいところのあるのがひょろ長く立っていた。
「なんだ、ヤーちゃんか。」
たったいま名刺を見たばかりだが、本名はもうおもい出せなかった。この青年はよく中目黒の都賀の家で見かけたとおもっていたが、じつはその家の外で、陽子がどこかに出かけるときにきまってつれてあるくもので、そういえば、これが中日黒に来たときには、いつも庭さきに立ったままで、陽子に呼出しをかけるだけのようであった。それにつけても、伝吉と陽子とがいっしょに外をあるいているところはついぞ見かけたことがなかった。
「なにか御用。」
庭さきか玄関さきの立ばなしにきまっている相手だというふうの、しぜんその調子が出た。
「ちょっと……」
青年はしかし、口ごもって、なにか特別のはなしでもあるようなけはいであった。貞子は玄関わきの応接間の扉を押して「どうぞ」といった。青年は式台の上におろしていた革の手提鞄《てさげかばん》の、ふくれたやつを取りあげて、あがって来た。
応接間にはいると、青年は手提鞄をテイブルの上に立てて、さっそくその蓋をはねあげた。そして、鞄の中から別の包になったものが無《む》雑《ぞう》做《さ》に引き出されたのを、貞子はちらと見ただけで、ほとんどあっとさけぼうとした。しかし、とっさにその声を呑みころしてしまったので、実際には咽喉《のど》がかすかにふるえただけで、鞄のほうにうつむいていた青年には気がつかれなかった。
「これ」と、青年はその包を押して寄こして、「陽子さんに頼まれて来たんです。きのうのおわすれ物だからおとどけしてくれって、いわれたんで。」
「ありがと。」
貞子はおちつきすぎるほど、しずかに答えた。包はたしかにきのうのわすれ物であった。中目黒にもって行った楽譜の包である。それはかえり道に、神社の森の中で、大江徳雄が杉の木の根もとのところに置いたものであった。おもえば、包はそこに置きはなしのままであった。そのことを、貞子はつい今までおもい出さずにいた。これがどうして陽子の手にわたったのだろう。突然、眼のまえに匕首《あいくち》を突きつけられたようであった。
「それで……」
そういって、貞子は眼で相手の口上をうながした。
「それっきりです。ただおとどけしてくれって、頼まれただけです。」
ことばどおり、青年はなにも知らないようすに見てとれた。しかし、「それっきり」といいながら、すぐにかえろうとはしないで、ふっと口を切りそうにしたが、そこへ女中が茶をはこんで来たので、あいだがとぎれた。女中が去ったあと、扉のほうにちょっと眼をやって、青年がこういった。
「ぼく、あなたに御相談してみたいことがあるんですが。」
「なんのこと。」
「ぼくのことなんです。ぼく、あるひとに、年上の女のひとですが、結婚を申しこまれているんです。どうしようかと、おもってるんですが。」
「そんなこと、御自分でおきめになることじゃない。」
「そりゃ判ってます。ただ一般の問題として、あなたの御意見を……」
「まあ、インターヴィユなの。」
「いけねえ、婦人雑誌の記者にされちゃった。」
いっそわざとらしい、やけにくだけた調子になって、
「どうも切出し方がまずかったかな。すこしかたくなったようだ。」
「興奮してるのね。」
「冷静にかんがえると、ちょっと動揺してる。」
「恋愛なの。」
「まあ恋愛みたいなきもち。いや、恋愛そのものだ。」
「きれいな方、その方。」
「うん、まあね……ぶちまけちゃおう、じつは陽子さんなんだ。」
「あ、そう。そうだったの、やっぱり。」
「やっぱりた、なに。そんな予感がした。」
「予感というよりも、常識ね。つまり、あなたがたの御関係、ちょっと常識的ね。」
「うん、類型があることはみとめる。それでも、類型の中だって純粋でありえないことはない。ぼくたちは、ぼくは純粋だとおもう。そうおもいます。というのは、ぼくたちの恋愛の実体はおもに性慾なんだから。」
「おもに、というのは曖昧《あいまい》ね。ほかになにかあるの。」
「そういう曖昧さは陽子さんの側にあるんだね。ぼくのほうじゃ、性慾一本槍《やり》、くっ附き合ってるとおもしろいという、それだけ。ほかになにもない。しかし、陽子さんのほうじゃ、ほかに不純なものがまじってるかも知れない。このさき都賀先生と形式上でもはっきり別れる場合にそなえて、年のわかいぼくに倚《よ》りかかろうとしてるのかも知れない。ぼくの田舎《いなか》のうちは大百姓だから、附合ってれば米の心配は無いとおもってるのかも知れない。ぼくは建築家になるつもりで、ちょっと秀才みたいなところがあるから、前途有望だと見こんでいるのかも知れない。まあ、どこかでぼくをだましてるようなところがあるかも知れないね。そんなこと、どうでもいい。ぼく、たった一つ陽子さんを信用してることがある。プレイだね。大体に於てプレイの精神だね。あのひと、ちょっとロマンチックだよ。」
「それで、どうして結婚ということになるの。あんまりロマンチックな形式じゃないみたいね。」
「結婚だって、やっぱりプレイの一様式になるんじゃないですか。」
「陳腐な様式ね。創意にとぼしいわ。」
「しかし、この様式はぶちこわすことができるじゃないですか。ぼくがもし陽子さんの申込を受諾するとしたら、もちろんこいつを決定的にぶちこわすためだ。」
「どんなぐあいに。」
「実際にはどんなぐあいのものになるか判らない。しかし、確実なことは、ぼくがいつか陽子さんを捨てるということですね。別れるだなんて、そんな穏当な手続はふまない。堂堂と捨てる。みんなの見てるまえで、たたきつけて蹴《け》とばすように、はっきり捨てちゃう。ぼくは毫末《ごうまつ》も遠慮しないで、このことばを使う権利があるとおもう。たしかに、あります。青春の当然の権利ですね。なにしろ、ぼくと陽子さんとは年が十五以上もちがう。年齢のひらきじゃない、世代がちがう。世代ががらりとちがうですね。蹴とばすほかない。フットボールの、ボールを蹴とばしいいように、足もとにもって来て置くみたいに、結婚するですね。」
「可《か》憐《れん》な悪党ね。」
「断じて、ぼくは悪党なんかじゃない。わるいやつはあいつらだ。今のおとなというやつら、あの世代のやつら、どいつもこいつもみんなわるいやつだ。あいつら、踏んでも蹴っても、どんなひどい目にあわせてやっても、ひどすぎるということは絶対にありえない。あいつら、公然と挑戦してみんなたたきつけてやる。ぼくの、われわれの世代の権利ですね。この権利は正しい。正と不正とのたたかいだなんて、対等の喧《けん》嘩《か》みたいなものじゃなくて、この権利のそばに来ると、ほかのものはみんなウソで、ニセモノで、愚劣だ。あなたはいうまでもなくぼくとおなじ世代に属するひとだから、よく判ってくれるでしょう。」
「そのことと、あなたのさっきのおはなし、恋愛のコンフィダンスね、動揺といったり、性慾一本槍といったりしたことと、どういう関係があるの。」
「関係もなにもあったものじゃない。みんなめちゃくちゃです。ただ、めちゃくちゃの中で、この権利だけが絶対に正しいというのです。これからさきの、モラルの根柢《こんてい》ですね。ぼくはあたらしいモラリストです。なにしろ、ぼくは大建築家……今ではまだそれほどじゃないけど、いまにそうなるにきまってるんですから。あなた、このことをどうおもいます。」
「あなたが大建築家になりかねない危険があるっていうこと。」
「いや、あたらしいモラルのことですよ。」
「絶対に正しいとおもうような権利が一つみつかれば、それを膏薬《こうやく》みたいにどこにでもべたべた貼《は》りつけて、モラルができあがっちゃうの。人間の権利って、そんな大したききめがあるものなの。あなたは大建築家になるよりも、政治家になってもいい素質があるみたいね。」
「あ、そうですか。あなたはやっぱり個性を尊重するという立場をとってるんですね。それで判りました。失礼しました。」
青年はいきなり立ちあがって、きちんと腰を折って、丁寧におじぎをすると、さらうように手提鞄をとって、扉のほうにすすんで行き、ついと外へ出て行ってしまった。貞子があっけにとられたほど唐突な動作であった。テイブルの上には、楽譜の包がのこされた。貞子はその包を、きたないものでもつまむように、指のさきでさげて、部屋にもってかえり、戸棚の奥に投げこんでしまった。
それにしても、包がここにもどって来るまでにはどういう経路をたどったのだろう。杉の下道はひと通りのまれなところでもあるから、行きずりのたれかの手に拾われたのではないだろう。おそらく、きのう貞子と徳雄とがかえったあとで、伝吉なり陽子なりがひょっと外に出て、杉の木の下を通りかかって、包を見つけたのだろうとしかかんがえられない。そうにちがいない。もしすぐあとからつづいて出て来たものとすれば、そこに見つけたのは包だけであったろうか。あるいはあの出来事をもと、そうまで気をまわすのはおもいすごしかも知れないが、包が一つ、置きわすれるはずのない場所に、ぽつんと置き捨ててあるのを見ては、おやと眼を光らせたにちがいない。事と品によっては、ずいぶん眼の横に切れたひとたちである。どのような異様な感想をもったか、知れたものではない。いずれにしろ、その包がさも切迫した用件とでもいうふうに、わざわざ使をもって、しかもいましがたの青年などの手をへて、送りつけられて来たのは、こちらの秘密を鼻のさきに振ってみせて、嘲弄《ちょうろう》されているようであった。口上も手紙も添えずに、いわなくても胸におぼえがあるだろうと、へらへら笑っている先方の顔が見えるようである。それはどうも侮辱に似たけはいであった。侮辱とすれば、なかなか意地のわるい、陰にこもった仕打であった。しかし、今はどうしようもない。これはこちらの借方につけておいて、さしあたりわすれてしまうほかに仕方がなかった。
きょうは父親ではなく、貞子がフランス製の香水をかがされる番であったろう。しかし、香水のほうにではなく、貞子はピヤノのほうに行って、あらあらしく蓋をあけて、頬《ほお》をほてらせ、指に力をこめて、からだぐるみ鍵盤《けんばん》にぶつけるようにして、そらで月光曲をひきはじめた。それの楽譜は戸棚の奥に投げこんだ包の中にはいっているものであったが、そのことからもう遠くへ乗り出して行くふぜいで、鍵盤をたたく指さきのこごえていたのが、しびれがほぐれるように、次第にあたたまって来た。
指さきのこごえるほどの寒さが、三月に入ってもなおしつっこく、月のなかばすぎまでつづいたが、二三日つづけてふった雨の、膏《こう》雨《う》というのだろう、ふりやんだあとは急に梅のつぼみがひらく陽気になって、そのころ上野の美術館に西洋の名画を陳列してみせる催しがあった。
貞子は福子にさそわれてその催しを見に行った。二月以来、町中に出ることはまれであった。ときどきうちじゅうで一二泊のみじかい旅行をすることはあったが、それもうちで風呂をたてる手数をはぶくために温泉にはいりに行くだけのもので、寒さのせいもあり、とくに行ってみるほどのところがないせいもあり、またひとごみの中でからだを揉まれることを好まないというふうでもあって、しぜん部屋にこもる日がおおかった。
上野の美術館まで行くことは行ったが、ここではとても画を見るどころではなかった。いっぱいのひとごみで、ひとが画のまえにまっくろにたかっていて、あるくにも肩がぶつかり合うほどの混雑である。西洋の名画などを見るおりはしばらく絶えていたあとのことで、いくさののちでは最初の催しらしかったので、そのための混雑とおもわれないでもなかったが、しかし実際にこれほどひとがたかって来たのは、ひたすら芸術への飢渇に依るものかどうか判然としなかった。たとえば電車の中の押合いとか、ヤミ市の中の右往左往とか、そういうたぐいの漫然たる雑鬧《ざっとう》、ほこりぽいひといきれと、はなはだ似かよったけしきであった。げんに、おおかたの見物がろくずっぽう画を見てはいなかった。
貞子と福子とはひとごみを避けて、やっぱり画のほうはそこそこに、茶をのませるところにおりて来て休んだ。
「画を見たいというあこがれのきもちはあっても、それを見るだけの秩序がまだできあがっていないのね。」
貞子がそういうと、福子はすました顔つきをして答えた。
「あこがれ。秩序とは関係ないことだわ。画を見るということにさえ関係ないことだわ。目あてのものがあってもなくっても、ひとが家から外に出てくれば、それがあこがれ……いえ、あくがれよ。ここのひとごみなんか、たいしたあくがれ方よ。」
「それ、どういうこと。」
「あなたのいうあこがれは、漢字でいえば憧《どう》憬《けい》という字を宛《あ》てるんじゃない。古くからあるあくがれということばは、なにも憧憬するとかぎったわけじゃないの。そりゃ、月花にあくがれて、というわね。そのときには、月花に憧憬するみたいなこころいきで、うかれ立つということになるわね。でも、月花とか画とか、うかれて行くさきのたよりはなにも無くても、あくがれはあくがれよ。そんなこと、むかしのひとがとうに本に書いてますけど。」
「はなして、おねえさま。」
「古歌に……」
「あ、古歌に。」
「ひやかすのね、このひと。」
「ごめん。」
「梅が香はおのが垣根をあくがれてまやのあまりにひまもとむなり。又、物思へば沢の螢も我身よりあくがれ出《いづ》る玉かとぞ見る。これには憧憬するみたいなもの、たとえば行くさきはどこときまっていないわね。ただ出て行くだけね。人間でも物でも、梅が香でもなんでも、自分の家なりなんなりから、げんに居るところから離れて、外のほうに出て行くということ。それがあくがれということばの意味なの。今日では、どこに行っても、ひとがむやみに外に出ているわね。ここの展覧会でも、ひとがめちゃくちゃに出て来て、画なんぞどうでもいいというふうだわ。なにか家にいたたまれない、自分がげんに居るところにはとてもじっとしていられないといういきごみで、自分でもわけが判らずに、わっと外に飛び出しちゃうみたいね。今日はあくがれ大《だい》繁昌《はんじょう》ね。それがみんな行くさき知らずの、ただのあくがれでね。なんでうかれてるのか知らないけど、たいへんいそがしくて、画なんぞにあこがれ《・・・・》てるひまは無いらしいわ。そのくせ、どこを見まわしても、憧憬だの理想なんぞは薬にしたくもお目にかかれないようね。」
「よく判ったわ。それじゃ、あくがれは家出ということになっちゃうようね。家出もいいけど、わたくし、ただのあくがれの家出よりも、やっぱりあこがれ《・・・・》的に家出したいわ。」
「なんだかあなたが家出するはなしみたいね。今なにかにあこがれてるとでもいうの。」
「さあ……」
やがて、席を立って、美術館の出口のほうに来かかると、おなじく出ようとするひとのむれにまじって、そこに、大江徳雄の来るのが見えた。しかし、貞子はよそをむいていて気がつかないようすであったし、徳雄のほうはどうやらはっとしたらしいけはいではあったものの、ちょっとぎごちない姿勢で、すぐ声をかけて来ようとはしなかったが、事情を知らない福子が遠くから「あ」と眼で挨拶《あいさつ》をしたのに、それをきっかけにしたというていで、徳雄はいそいでこちらに近づいて来た。もういつもと変らないそぶりの徳雄で、
「御無沙汰《ごぶさた》しています。」
「しばらく。あなたは九州へはいらっしゃらないの。」
徳雄の父は郷里の九州にかえっていた。そこの某県が大江徳民にとっては参議院選挙のための地盤であった。
「まっぴらですね。ぼくはおやじの手つだいはしませんよ。演舌だのビラまきだのは願下げです。」
「あら、あなたはいまにおとうさまの地盤を受けつぐおつもりじゃなかったの。保守派のニューフェースで売出すには、あなたのほうが適任だとおもってたわ。」
貞子はだまったまま、ひとりさきのほうへあるき出していた。
三人とも省線電車に乗るはずで、上野駅まで来ると、徳雄がさきに駆けぬけて切符を買った。
三枚ともおなじ切符であった。
「お宅までお送りして行きましょう。」
押しつけがましく聞えないような慇懃《いんぎん》な調子で、そういうもののいいぶりには馴《な》れたところがあった。
品川のほうへ行く電車に乗るとひどいこみ方で、電車がとまるごとに乗るやつがふえて来て、揉まれもまれするうちに、貞子はドアのきわまで押しつけられてしまった。すぐまえに徳雄が立っていて、どうしても貞子の側によろけぎみになるのを、じっと踏みこたえて、また貞子のほうでも肩をほそくして、たがいにからだが露骨にぶつかり合わないようにつとめていたが、それでも車のゆれるたびにつぶされそうになりながら、やがて有楽町の駅についてドアがあいたとき、貞子のからだは外にこぼれて、むしろみずから飛んで、プラットフォームに出た。そして、ひとの乗りおりがすんだあと、貞子はなおプラットフォームに立ったまま、帽子の下の汗をふきながら、車内の福子のほうをのぞきこむようにして、
「わたくし、あとからかえります。」
福子も徳雄も、なんとも答えるひまなく、ドアがすうとしまって、車がうごき出して行った。
プラットフォームにはひとがおおぜい電車を待っていたので、貞子はともかく階段をおりて、駅の外に出た。ひといきれから、押しつけて来る徳雄から離れて、ほっとして、銀座のほうにあるいて行きながら、町の裏にある小さい西洋菓子屋の、そこの菓子は父の利平が好むものでもあったので、そんなものかなにか買ってかえるつもりであった。
数寄屋橋をわたって西銀座の裏側に出ると、そこはいつもあまりごたごたしない通で、向うから来る二人づれの、それが陽子とれいの青年だということはすぐ判った。先方でも遠くからおじぎして、そばに寄って来ると、陽子があいそよく、
「これからダンスにまいりますのよ。およろしかったら、いかが。」
相手がさそいに乗らないことを承知のうえの挨拶のようで、それをまともには受けずに、
「先日は、どうもわざわざ。」
「あ、おわすれもの。あれね、宅のテイブルの上に置いてございましたのよ。それがおかしいんですの。おかえりになったあとには、なにも無かったようにおもったんですけど、夕方になってから、気がつくと、やっぱりそこにございましてね……」
ほんの立ばなしで、そのまますれちがったが、陽子のいったことはどうも腑《ふ》におちなかった。あたかも楽譜の包が家の外には出なかったもののように聞える。そんなはずはない。陽子がうそをいったのだとすれば、何のつもりか知らない。しかし、それがうそでないとすれば、どういうことになるのだろう。杉の木の道に出て行って、そこに落ちている包を見つけたのは伝吉で、もちかえったその包を、陽子にはなにもいわずに、ついテイブルの上に置いたとでもいうのだろうか。あるいは、やっぱり陽子のうそで、うわべはしらばっくれた挨拶のうちに、どこかでこちらをなぶっているのだろうか。それでも、ことばの後味では、どちらかといえば、まんざら作りごとでもないようであった。作りごとにしては、念の入りすぎた挨拶であった。おもわず、貞子はふりかえってみると、今すれちがった二人づれはちょうどかなたのビルディングの角《かど》をまがりかけていたが、そのうしろすがたの、背《せ》丈《たけ》がほぼ釣合って、陽子は前むきの顔よりもなおわかわかしく、油断のすきの破れも見せずに張りきった姿勢で、青年のほうはなおさら掛値のない若さに気負って、ちょっと得意げに肩をそびやかしながら、ともに腕を組んで、さっさとあるいて行くさきのダンスよりほかに、きょう一日を寸秒でもたっぷり楽しもうとすることのほかに、もうなにもかんがえていそうもないふうであった。
貞子は西洋菓子の箱をさげて、また電車に乗り直して、二本榎にかえって来た。家の玄関にあがると、わきの応接間から福子が声をかけたので、すき見をすると徳雄がそこにいた。父の利平は留守であった。貞子は閾《しきい》ぎわに立って、ちょっと手を振ってみせて、すぐ部屋にもどろうとしかけたとき、その部屋のほうからピヤノの音がながれて来た。
「あら。」
「あ」と福子が追いかけるようにいった。「都賀さんお見えになってるの。あなたのお部屋でお待ちになっていらっしゃるの。」
都賀の家とはその先代以来の附合でもあって、伝吉もときにはここにたずねて来ることがあり、来ればずいぶん遠慮なくふるまうほうなので、留守の部屋にはいりこんでいても、また弟子の貞子のピヤノをたたいていたところで、いつもの伝吉の流儀の、それが無作法とまではいえないあいだがらではあったが、しかしピヤノの音を聴《き》いたとたん、貞子はさっと顔色をかえた。曲は月光曲であった。れいの楽譜の包の中にはいっていたものである。先日貞子みずからたたいた鍵盤の上に、今おなじ曲のたたき出されているのが、単なる偶合というよりも、意地のわるい奸計《かんけい》のようであった。留守のすきをねらった悪鬼のあらくれ、何という狼藉《ろうぜき》だろう。かわった顔色をかくしようもない、険しい貞子のそぶりに、
「どうしたの。」
福子が立ちあがって来たほどで、それにつれて徳雄も腰をうかせたときには、貞子はもう部屋のほうに駆け出して行った。
手あらくあけた部屋の戸を、うしろ手でぴったりしめて、貞子が中にはいって来たのに、ふりむきもせず、伝吉はピヤノをたたきつづけていた。小づらにくくもおちつきはらって見えたその背中に迫って、貞子が両手のこぶしを短剣でもにぎっているようにきゅっとにぎりしめながら、すり寄って来たとき、くるりとふりかえって、
「しばらく稽《けい》古《こ》を休んじゃったね。」
いつもの巻舌の調子とはちがって、しゃがれたような、やさしい声に聞えた。すこし伏眼になった横顔が蒼く見えるまでに、むしろおちつきのない、沈んだ顔色であった。酒のけは無かった。その相手に突っかかって行くいきごみで、
「とくに月光曲をさらって下さるおつもりでしたの。」
「うむ、あの楽譜がきみの包の中にあったことを、ふっとおもい出したものだからね。」
「包をお見つけになったのは先生でしたのね。」
「見つけるも見つけないもない。眼のまえにあったのだからね。包も、きみたちのラヴシーンも。」
「まあ、あとからつけていらしったのね。」
「ばかな。ぼくはきみたちがかえるよりもさきに、ひとりであの森の中に出ていたのだよ。」
すらすらとそういってしまって、もう拘泥なく横をむいている相手のけしきに、貞子はちょっと拍子ぬけがして来たが、しかしまだ警戒をゆるめずに、
「ラヴシーンだなんて、いやなことおっしゃるのね。あれは……」
そういいかけると、たちまち顔が赫《かっ》とほてって来た。
「よけいな釈明をしないほうがいい。どうせ、ぶざまなことをいい出すにきまっている。きみは器用なセリフのいえるようなひとじゃないんだから。」
「そんなことをおっしゃりに、いらしったの。」
「いや、ぼくは……」
急に立ちあがろうとして、まだ蓋のあいているピヤノの上に、つい手がふれた。鍵盤《けんばん》がうなるように鳴った。貞子はさっとしりぞいて、テイブルの向う側に行って立った。伝吉はしずかにピヤノの蓋をして、テイブルのそばに寄って来て、そこの椅子にかけた。
「ぼくはきみに結婚を申しこみに来た。正式にね。正式ということばの意味が感覚的に判ったよ。あのシーンを見たとたんに決心した。嫉《しっ》妬《と》の中で正式に決心したようなぐあいだね。若い男と女がいっしょになにをしていようと、そんなものを見たぐらいのことで、ばかばかしい、どうおもうわけもないんだが、それが猛烈に嫉妬した。しかし、すぐにその場に飛び出さなかったのは克己心なんぞじゃない。嫉妬だなんて、えたいの知れない感情なんか、ぼくは信用しない。あんなものから出る行為は、生活に於《おい》ておよそ意味がないね。ぼくは持続するものでなくては信用しない。ところが、ぼくの今までの生活では持続するものなんぞなにもなかったので、ぼくはなにも信用したことはないし、またなに一つ行動的とかいうことはしたためしがなかった。しかるに、ぼくはあのとき勝手に嫉妬して突然決心した。きみと結婚することをね。これは正式にかぎる。というのは、ぼくは今たれかれの見堺《みさかい》なく左の手でつかまえようという流儀じゃなくて、目あてはきみひとりだけなんだから。あの日からもう一月あまりになる。しかも、この決心はずっとつづいている。どんな考でも、ぼくに於てこれほど長つづきしたことは一度も前例がない。それでぼくは一時の興奮なんぞを発言の手がかりにしないで、今きみにむかってこの申込をする権利ができたようにおもう。つまり、生活上もっとも極端な形式で、手っとりばやい方法で、あなたを愛しますといえる。ぼくと結婚してくれたまえ。」
この伝吉の「申込」を聞きながらも、貞子はラヴシーンといわれたことがどうも気にかかって、それが決してラヴシーンではなかったことを一言できっぱりいいきりたいとおもったが、その適切な一言がうまく見つからないで、かえって暴行とか何とかおそろしいことばがひょっと出て来そうになって、そんなことばがわが口から出かかったということだけでもはずかしく、なにもいえずに息がつまった。しかし、伝吉が椅子の上からぐいとこちらを見つめて来たとき、それを刎《は》ねかえすように、
「なにもかも、めちゃくちゃね。正式とはなんだか知らないとおっしゃってる方が、正式だなんて、正式の結婚だなんて、そんなこと……暴行だわ。」
それはただ乱暴とでもいえばよかったはずであった。ついそういってしまって、貞子はとたんにひどく混乱した。舌がもつれて来たようで、もういい直せなかった。
「暴行、とんでもない。ぼくはある知らせをもって来ただけだ。ぼくの決心のことをきみに告げに来たのだ。ぼくのかくあるべきこと、きみもまたかくあるべしということを告げるのだよ。告知だよ。」
告知とは何だろう。暴行などいうのとはくらべものにならない、畏《おそ》るべきことばであった。それは祝福でもなく、呪《じゅ》詛《そ》でもなく、いわばずっと上の、高いところからふりそそぎ、天地をとどろかして、人間の運命をきめつけて来る光りもののようであった。そういうだいそれたことばを、人間が口に出す権利をもっているのだろうか。貞子はぎょっとして、立ったままの足がすくんで、そのおそろしいことばの当りから遠のくふうに、飾棚のほうにさがった。そのとき、飾棚の中に秘めてある蒔《まき》絵《え》の小箱の、蓋の上に青貝で IHS と印された文字が、ながれ藻《も》のなびくように、青貝の色の水に光って、眼のさきにぱっとひらめいた。今はその光る文字にとりすがって、みちびかれるままに身をながして行くふぜいで、あたまをあおむけに、頸筋《くびすじ》白くそった姿勢の、ゆたかにふくらんだ胸もとがためいきのように揺れるのが、いっそなまめかしく見えた。
伝吉はおもわず「あっ」とひくくさけんで、椅子から立ちあがった。あたかも貞子がつい卒倒して行くかとも見なされたのに、ちょっとうろたえて、すすみ出ようとしたとき、部屋の戸がしずかにあいて、福子が、つづいて徳雄がはいって来た。
「どうして。」
ふつうでないけしきを一目で見てとって、福子がそういった声は、むしろやさしかった。貞子は急にいきおいよく、テイブルのそばにもどって来て、
「おねえさま。先生正式にご結婚なさるんですって。」
「まあ、今時分。どなたと。」
「とても神秘的なおはなしなの。まぼろしなの。なにかが乗り移っていらっしゃるみたい。」
「そう。戦争の危険が無いので、安心して神がかりにおなりになったのね。」
にがわらいもしないで、伝吉が福子のほうにむき直って、
「ぼくはたったいま貞子さんに結婚を申しこんだところです。」
すると、福子がなにも答えないさきに、徳雄がまえにすすみ出て来て、
「お待ち下さい。都賀先生はおそらくぼくのために正式の申込をして下すったのじゃないですか。われわれはすでに定められたものだと、ぼくは信じているのです。極端なことをいえば、ぼくはもうほとんど貞子さんの胎内にぼくのこどもを見ているような気がするのです。」
そういいながら、右の手をのばして、貞子のほうをまともにさした指さきの、ぴんと力がこもって、ちょうど胸の下を正確にねらってピストルを発射したようなかたちであった。とたんに、貞子は声もなく、身をかがめて、その場からすべり抜けて、消えて行くように、そっと戸をあけて外に出て行ってしまった。一瞬の動作であった。
伝吉はテイブルをへだてて徳雄の真向うに立っていたが、突然ぶるっと肩をふるわせて、あわやテイブルを飛び越え、向う側に飛びかかって行きそうな、殺伐なけはいを示した。そのとき、福子はテイブルのはしに、両側のあいだの位置に立って、まえにあった椅子の背に手をかけて、それが伝吉の肩を押ししずめでもするようなしぐさで、ぎゅっとおさえながら、
「正式ってなんですか。どこに出ても、がたりともいわせないような手続のことをいうのじゃございません。正式って結構なものですわね。でも、きょうはあんまり正式じゃないようですわ。お引きとめしても、なんにもおもてなしもございませんし、これで失礼させていただきます。」
そして、もう客のかえったあとのように、椅子をまえに押して、テイブルにぴったり附けてしまった。
伝吉と徳雄とはふたりいっしょに浪越の玄関を出たが、双方とも口をきかず、伝吉はさきに、徳雄はすこしおくれて、おなじ道を行った。高台からおりて品川の電車通に出る途中、すぐそこが東禅寺の裏手の広い墓地である。その墓地を抜けようとして赤土のすべる下り坂にかかると、坂の下になにやら大きい木が立っていて、横に伸びた枝が道のうえに低く突き出ていた。伝吉は坂をおりきったとたん、そこの大きい木を楯《たて》にして、うしろにふりむいた。徳雄はあやうく坂道にすべりかけながら、靴をぎゅっと踏みしめて、体のくずれを立て直した。あたかも伝吉が下の平地に足場を占めて、あとからおりて来る敵をむかえ打とうとしているかのような姿勢に見えたせいだろう。しかし、伝吉は突然笑い出して、
「おい、おれはやめたよ。」
そして、まだなにかいいそうで、ちょっと待っているふうに見えたが、徳雄がそばに近づくとだまってくるりと背をむけて、まえよりもいそぎ足で、さっさとあるき出し、今度はふりかえるけしきもなく、ぐんぐんさきのほうへ行ってしまった。
「結婚式だとさ。こいつもやっぱり正式が好きな組らしい。笑ったよ。」
そういったのは都賀伝吉である。新橋のヤミ市の中にある中華料理店で、ひるすぎの、ちょっと客足のとぎれた時刻に、隅《すみ》のテイブルで、伝吉はビールをのんでいた。四月の末の、前景気のさわがしかった参議院も衆議院も出るやつは一わたり出そろったあとで、まだなにか小物の選挙がのこっているらしく、ついそこの駅まえには、トラックの上とか広場のはしとかに猛《たけ》りたって演舌をぶつやつ、ぼんやりそれを聴《き》くやつなど、がやがやひとがたかって、ほこりが舞う中にも、新緑にむかう陽気のあかるい風が吹きとおって、なんとか楼と染めぬいた店の暖《の》簾《れん》をそよがせた。テイブルの上には、皺《しわ》くちゃになったはがきが一枚ビールの泡《あわ》のこぼれたのに濡《ぬ》れていたが、それは陽子とれいの青年とが近日どこやらで結婚式をあげるというむねを印刷した案内状であった。伝吉がはなしかけた相手は大江徳雄で、徳雄はきょう丸ノ内まで来ることがあって、そのかえり道の通りがかりに、ひるめしを食いにはいったここの店で、ふと居合せた伝吉に呼ばれるままにおなじテイブルについた。先月東禅寺の墓地で別れてからはじめての出逢であった。
「このはがきなら、けさぼくのところにも来ていました。」
「うむ。いずれなにか商売でもはじめるつもりで、広告ビラの代用だろう。ぼくのところにまでくばって来たのは御愛嬌《ごあいきょう》さ。」
伝吉は濡れたはがきをつまみあげて、もとのポケットに入れるかわりに、指さきで揉んで、テイブルの下に捨てた。
「じゃ、先生はちかごろおひとりでおくらしですか。」
「それで、めしを食いに外に出て来るのさ。なに、むかしやったことを、またやっているだけだ。」
陽子が中目黒の家を出たのは、二週間ほどまえであった。そのとき、伝吉は留守で、かえってみると陽子がいなかった。もっともミシンとか衣裳箪《いしょうだん》笥《す》のような大きい道具はそれよりもまえからよそにはこんでいたようすで、その後も陽子は家にとどまっていたのだが、この日が決定的な家出であったということはうちじゅうの金目の品物があれこれと紛失していることで知れた。去年のくれに売のこした品物を、伝吉がいずれまた売はらうつもりで、菊の紋の附いた金盃《きんぱい》はじめなにやかや一まとめにサロンの戸棚にしまっておいたのも、そこの壁にかかった油画も、食器棚にかざったフランドルとかイタリヤなどの陶磁器も、長椅子のたぐいまで、トラックにでも積んで行ったのか、きれいに無かった。かねて陽子は口ぐせに「品物は半分いただく」と公言していたので、そのとおり実行したものと察せられたが、実際にのこされた品物は半分以下であった。そのうえ、鍵《かぎ》のかかっている伝吉の部屋に、窓から侵入したもようで、あちこち掻《か》きまわした形跡があって、時計など小さいものが二つ三つ見えなくなっていた。ところで、奇妙なことに、伝吉が銀行にも預けずにしまいこんでいたれいの何十万円は、たしかに敵が狙《ねら》いをつけて来たにちがいないのに、これはそっくり無事であった。というのは、その札束を押しこんであるリュック・サックが、ベッドの枕もとの床の隅に、ちょうど紙《かみ》屑籠《くずかご》とならべて抛《ほう》り出してあったので、敵は心いそいだために、つい見おとしてしまったのだろう。しかし、すべてそういうことは伝吉がひとにははなさないことであった。
「ときに」と伝吉ははなしをかえて、「どうだね、その後きみのほうは。」
「え。」
「二本榎にかよっているかということだよ。」
「ええ、あれから二三度行ってみましたが、ずっと病気だということで、逢っていません。」
「病気。てこちゃんがか。」
「そうです。たいしたことではなさそうですが、面会よけの仮病でもないようです。」
「どこがわるいのだ。入院でもしているのか。」
「いや、何ということなしに、うちで寝たり起きたりのようすです。」
「ふむ。おおかた智慧《ちえ》熱《ねつ》だろう。」
伝吉は無《む》雑《ぞう》做《さ》にそういって、徳雄のコップにビールをついでやりながら、
「おい、今度はぼくが結ぶの神で、きみのためになこうど役を買って出てやろうか。」
眉《まゆ》もうごかさずに、徳雄はそれには答えないで、
「先生のほうは、その後どういうことになりましたか。」
「求婚の一件か。どういうことにもなるわけがない。やめたよ、ぼくは。こないだ、あの墓場のところで、そういったじゃないか。」
「あれはやっぱりその意味だったのですか。」
「その意味にもあの意味にも、それっきりのことさ。きみは何だとおもったんだ。」
「ぼくは先生がただあの場所でぼくと決闘することをやめたということだと、まあそんな気がしたのですが……」
「決闘だって。古風なことをいやがる。そりゃ、ぼくはあのとき、きみをぶんなぐってやろうとはおもったさ。しかし、ぶんなぐることは見合せた。すなわち、れいの件はぴたりと打切にきめたということだよ。」
「どうしてそう突然打切ということになったんです。」
伝吉はちょっとだまって、ビールの壜《びん》をとりあげたが、それがからになっていたので、また何本目かをもって来させた。ほかのテイブルにひとりふたりいた客はいつか立って行って、店の中には今たれもいなかった。やがて、伝吉は徳雄のあたま越しにぼんやり外のほうを眺《なが》めながら、こういい出した。
「いつだったかずっとまえに、目黒のうちで、ぼくが自殺のはなしをしたことがあったね。そのとき、きみはだまって聴いていたが、ケイベツしたような顔つきをしたね。自殺ということを、自殺するやつなんぞを、きみはとたんにケイベツしちゃうだろう。そりゃ、ぼくだってたまに気がふれたように自殺のことはいうが、実際にはなかなか死んではみせない。しかし、ときどき自殺のことをかんがえる。そして、いよいよ粘りっこく生きつづけるね。つまり、ぼくの生活には時間が無い。のんべんだらりと長たらしくつづいて行く。数式であらわすとすれば、何百桁《けた》も何千桁もだらだら際限なくつづいて、どこまで行っても区切がつかない。無限級数だね。これに時間を導入しようとすれば、自殺をもって来るほかない。無限級数が極限値に収斂《しゅうれん》するようなぐあいに、生活力が自殺に集中してしまう。それでも、ばか正直に自殺という行為を実演してしまったら、これは一回的の勝負で、みもふたも無い。ばかばかしいね、そんなこと。自殺で人生に有益なのは、観念上の自殺だけだよ。ぼくはいわば極限値をまたほどいて無限級数の何千桁にもって行くといったあんばいに、ときどき任意に自殺観念を導入して、またこれを取りやめにして、実際の生活のほうにもどる。生活の基準だなんて、そんなべらぼうなもの、ぜんぜん無い。時に応じて間に合せに生活する。π《パイ》の値にしたって、実地に応用するときには、何百桁だなんてこまかいものはいらないだろう。小数点以下二桁ぐらいのところで御方便に間に合っちゃうんじゃないかね。それで、実際に大きい河の上に立派な鉄橋が架かったりするんだ。ぼくは鉄橋を架けるような野心はもたないが、まあそんなこころいきで、そのときどきの客観的情勢を目測して、ざっとこれくらいの見当というところで、ぞろっぺえな生活の仕方をしている。すなわち、生活上ゼロと置くことができるような小うるさいものは一切たたき出している。おかげで、いつも風来坊同然だ。それがどうして、おりにふれて、気がちがったみたいに、自殺観念なんぞを起用するかというと、これはまあ生活上の衛生学だね。寒中の水風呂かね。ぼくは実際に寒中でも毎日水を浴びているがね。これもあそびだといえば、やっぱりあそびかも知れない。」
「そのことと、れいの一件を打切ったということとなにか関係あるのですか。」
「あるね。いや、論理的にあるかないか知らない。しかし、こないだあの墓場の中で、坂をおりきったところで、大きい木の、あの枝がにゅっと突き出ている下に来たときに、ぼくはとたんに首をくくること、くくらないこと、正式に結婚すること、しないことなんぞを、同時にごちゃごちゃとかんがえた。それで、おれはやめたよ、といったんだ。ぼくの生活の流の中をときどき自殺観念が突っ切るのとおなじように、ぼくのはなはだ不正式な女づきあいの途中で、あのときふっと正式観念を導入して、すぐそれをやめたのだといえば、説明しすぎてウソにきまっている。説明なんぞ、どうでもいい。ともかく、やめたといったのはウソじゃない。まさか、結婚は墓場だなんて、あんな無意味な泣言をぼくが引合に出すのじゃないことは、きみにも判るだろう。一生に一度でしまいの墓場なんぞとちがって、恋愛だの結婚だのは任意に何度やってもいいし、いつやめたっていいだろう。それでも、結婚したり離婚したりというのは、こいつどうしたって実際の手続だね。観念だけじゃ事がすまないね。ぼくは窓口に出て正式の書類を取扱うのはどうもおっくうで仕方がない。観念だけですませたほうが、ぼくの生活にとっては便利だよ。なにしろやめた。女の子とつきあうのは、また左の手に逆もどりだ。もっとも、現在のところ、右も左も両方手ぶらだがね。」
「それで、今度はぼくの結婚に手を貸して下さろうというのですか。」
「また論理かい。そんなことじゃない。さっき、なこうどになってやろうかといったのは、ほんのその場の気まぐれだよ。二三時間もたてば、請合って無効になる。しかし、まだ一時間ぐらいはつづくかも知れない。あの浪越のおやじはぼくを盲目的に信用しているというはなしだね。めずらしい奇特な人物だ。ぼくはまだあのおやじを一度も利用、いや悪用したことがない。ぼくが大まじめな顔つきをよそおって正式のはなしをもちこんで行ったら、どんな応対をするか。存外真《ま》に受けるかも知れないさ。」
「それじゃ、すぐにここを出て、いそいで実行にうつって下さい。」
「機を見るに敏だね。きみはひとを利用することがうまそうだ。貿易屋の壻《むこ》になろうというだけある。こすっからいところが有力な資格だろう。何にしても、そろそろここを出ようか。」
外に出て、駅まえの広場を通りぬけながら、伝吉は横目で選挙の貼紙《はりがみ》をちらと見て、
「あ、きみのおとうさん、参議院に出たらしいね。新聞で名まえを見かけたようにおもう。」
「ええ、当選することはしました。六年組です。」
「そりゃ、悪運……はっは、星まわりがつよい。うまく行ったね。」
「ところが、そううまく行きません。当選したとたんにG項にひっかかって、追放です。」
「それは知らなかった。」
「あしたあたり発表になるでしょう。じつはそのことで、ぼくはきょうついそこの役所にようすを聞きに出て来たのです。知合のもので、そのほうの消息通がいますから。どうもだめですね。追放決定です。」
「それじゃ、きみはいよいよ浪越家に押掛壻になって、財産横領をたくらんだほうがいい。センパンのむすこが強盗なら、申分ないだろう。とんだ孝行むすこだ。」
新橋の駅に来て、徳雄は切符売場のほうにむかいながら、
「先生は。」
「ぼくは地下鉄で日本橋まで行く。浪越のおやじ、まだ店にいるだろう。じつをいうと、株券を現金にかえることについて、相談する用があるんだ。ついでに、もしか気がむいたら、きみのことを前途有望の秀才みたいに吹っこんでおいてやるかも知れない。あるいは、そんなことはしてやらないかも知れない。まあ、気をたしかにもっていたまえ。」
伝吉は地下鉄のほうへ行きかけたが、ちょっとあともどりして来て、
「おい、おれは正式はやめたが、てこちゃんに惚《ほ》れたことはまだやめてない。万一きみの女房になったとすれば、いっそ気がるにくどくかも知れないぞ。」
そして、徳雄がなにをいうひまもなく、伝吉のうしろすがたはもう地下鉄の階段のひとごみにまぎれて行った。めったに中目黒の家の小さい部屋からうごこうとしない伝吉ではあったが、それがひょっと外に出ると、あたかも家をうしなったひとの、どこと宛のないようなあるき方で、かえる道を知らず、行きあたりばったりに巷《ちまた》にさまよって、たれの目にも見つからないで、いつか街路の雑鬧《ざっとう》の中かなにかに消えて行くとでもいうけしきであった。
しかし、伝吉はともかく日本橋の浪越の店には行ったにちがいない。そして、株券に関する用談のすんだのちにでも、もののはずみのように、利平にむかって徳雄のことをいくらかはなしはしたのだろう。というのは、その夜、利平が二本榎の家で晩餐《ばんさん》のあと、福子を相手に紅茶をのみながら、ふと伝吉に逢ったことを口に出していた。
「そう。それで、都賀さんなにかおっしゃったの。」
先日伝吉が結婚申込に来た一件は、福子がひとりでのみこんで、父親にはわざと報告するのを見合せておいたことであった。
「なにしろ都賀さんのことだから、れいの本気とも常談ともつかない調子で、はっきりしたことじゃないんだが、ともかく貞子の縁談について大江のむすこのことがはなしに出たのさ。」
「パパ、どうおかんがえなの。」
「徳雄はうっかり白い歯を見せられないようなやつだが、今のわかいもの、みんなあんなふうに五分もすかさない連中かね。あんなのがおおきに出世するたちかも知れない。まあこっちから飛びつくほどのことはない。貞子は結婚のことをなにか自分でかんがえているようすかね。」
「てこちゃん、なにもいいません。そういうこと口に出さないひとですから。」
「うむ。あの子のぐあいはどうだね。あいかわらずか。」
「病気というほどのことじゃありませんわ。お医者をよぶっていうと、いやだっていいます。その必要もないようですわね。当人の勝手にさせておいて、まあだいじょぶとおもいます。」
それきりで、そのはなしはとぎれた。やがて、利平は急にあらたまった顔つきになって、
「福子、おまえにだけいっておくが、ことによると、ここのうちを売に出すことになるかも知れない。」
「そう。」
「貿易再開といってもまださきのことだし、生糸のほうはどうなるか、はっきりした見通しは立っていない。それに財産税のこともあるから、店もすこし詰まって来た。だが、どんなことになっても、店は手ばなさない。八王子の農園は、あれは当分あのままにしておくつもりだ。いいあんばいに、今あそこに建てている家が、おもいのほか工事がはかどっているから、住もうとおもえば普請中でも一部に住めないことはない。あの家ができあがるまえに、ここのうちを売ってしまったら、貞子は一足さきに八王子に住まわせよう。」
「そうすると、パパは。」
「おれは日本橋の店の二階に行く。おまえはおれといっしょに来てもらいたい。」
「パパとごいっしょなら、行くわ。」
「すっかり投げ出してかかって、仕事がうまくいかないときは仕方がない。なに、まかりまちがったら、おいら(とめずらしい一人称をつかって)またはだかから出直すよ。日本橋で汁粉屋をはじめたっていい。」
「いいわね。蜜豆《みつまめ》を売るの。」
「あんなもの、わけない。蜜豆でも汁粉でも自分でこさえちゃう。」
「パパ、そんなことおできになって。」
「できるとも。おいら、むかしやったことがある。」
「ほんと。」
ほんとうとすれば、大むかし、利平がまだ壮士芝居の下まわりにもならない少年のころ、あるいは蜜豆の岡持《おかもち》をさげるぐらいの体験は踏んで来たのかも知れなかった。そこまでいってしまうと、利平はわだかまりなくふとった腹をゆすって笑った。
父親が居間にはいってのち、福子は戸締を見まわってから、妹の部屋に来てのぞいてみた。部屋の中には、天井の電燈が消してあって、隅のほうの壁ぎわに附いたベッドの枕もとに赤い笠のスタンドがほんのり照っていた。
「おやすみ。」
「いいえ、どうぞ。」
元気のよい声のしたその枕もとに、近づいて行くと、貞子はベッドの上におき直った。壁にすこし刮《く》りこんだかたちに作りつけてある広いベッドで、貞子はそこに壁龕《へきがん》の中にでもいるようにながながと寝て、まっしろな寝巻をきた腰から下は羽根蒲《はねぶ》団《とん》の花模様におおわれて、裾《すそ》は暗がりにぼかされながら、灯のそばに浮きあがった顔の、いっそ下ぶくれにふとって見えるまでに、いきいきと頬《ほお》に赤みがさして、瞼《まぶた》あかるく、掻《か》きあげた髪の額ぎわが光るほど白かった。
「どう、きょうの容態《ようだい》は。」
「いやねえ、おねえさま。病人あつかいして。」
「心のいたつきね。」
「いいえ、やっぱり肉体の異状らしいわ。」
「どこか調子がくるったの。」
貞子はさし伸べた手さきで、姉の手をもとめて、
「おねえさま。貞子、今夜ほんとのこといっちゃおうかしら。」
ぎゅっとにぎって来たその手の甲は燃えるようにほてっていたが、てのひらは冷かであった。福子のほうからも、ぎゅっと手をにぎりかえしながら、
「今までウソついていたみたいね。」
「ウソの中のまこと。」
「秘密の中の秘密ね。」
「いうわ。」
そこで、貞子はちょっと息をのんで、
「わたくし妊娠したの。」
おもいあまった声のはずみようであった。
「まあ、てこちゃん。」
とたんに、福子の手はつよくふるえた。
「おねえさま。そんなお目のいろで、わたくしをごらんにならないで。貞子、決してふしだらな娘じゃないわ。」
「それで、どうして……」
「どうして妊娠したとおっしゃるの。妊娠ということ世間にざらにあるわね。そして、その原因はみな一様にきまっているわね。でも、それはお医者の学問でかならずそうだときめられた原因じゃない。貞子、そういう原因に当るようなしぐさは、なにもしたおぼえないわ。お医者にみせたらば、どういうか知らない。けれど、お医者の学問て、そんなに万能なのかしら。学問からはずれたところで、人間のいのちは生きているわね。お医者がどういったにしても、貞子が妊娠したということ、貞子のいのちとおなじに確実なの。」
福子はじっと妹の顔を見つめた。見合せた瞳《ひとみ》は、たがいの顔がうつるほどに、しずかに澄んでいた。
「てこちゃん、今なにを見てる。」
「遠くのもの。」
「ずっと遥《はる》かなものね。」
「おねえさまなら、貞子が気がちがったというふうには、決しておおもいにならないわね。」
「いいえ、決して。てこちゃん、あんまり正気すぎるわ。」
福子はベッドの枕もとにかけて、妹の肩をあたたかく抱きしめた。貞子はその姉の手にすがるようにして、
「おねえさまなら、貞子の見ているものがよくお見えになるわね。でも、おねえさまには、それはまぼろしね。貞子には、それがいのちなの。」
そのとき、福子はつい手の下にある妹のからだが突然消えうせて行くようにおもって、ぞっとした。夜のふけて行くけはいがスタンドの赤い笠にしずもって、窓の外の空には遠い月がかすんでいた。
越えて五月はじめ、はっきり晴れた朝に、大江徳雄は何度目かに二本榎の家をたずねて来た。いつも病気という挨拶《あいさつ》で、玄関からすぐに引きさがって来ていたが、きょうはどういう応対をするだろう。やっぱりおなじことだろうか。それでも、病気見舞といって、無理にでも押しあがって行ったらばどうか。まさか肩に手をあてて突きもどすほどのことはしないだろう。病気見舞で、いいではないか。今までの附合からいって、それがむしろ自然ではないか。玄関さきでことわられて、いやに堅くるしいおじぎをして、すごすごかえるのはずいぶんみじめで、また不自然な恰好《かっこう》ではないか。つい式台に足をかけるようないきごみで、徳雄がその浪越の玄関に立ったときには、きょうは途中で買って来た切花の束を手にさげていた。
しかし、取次の女中にかわって、福子がそこに出て来て、上り口をふさぐようにぴんと立った姿勢に、徳雄はわれにもなくひるんで、つい靴をぬいであがるというこころやすい動作がとれなかった。その「やあ」という気がるな声がどうも出なかった。それにかまいなく、いきなり福子のほうから、
「まだ寝ておりますのよ。」
「あまりおわるくないようでしたら、ちょっとお目にかかれませんか。」
福子は何とも答えないで、そのとき腰をかがめるようにして、式台の上に片足をすべりおろした。徳雄はそれが式台に膝《ひざ》を突いてなにか小声ではなし出そうとするしぐさかとおもったが、そうではなくて、福子は玄関の隅《すみ》にあった草履《ぞうり》を突っかけて、つと外に出た。玄関の横手に生垣《いけがき》がななめに伸びていて、庭に通ずる枝折戸がそこにあった。徳雄もしぜんあとを追うかたちで外に出ると、福子が立ちどまって、
「徳雄さん。あなた、貞子を愛していらっしゃるの。」
「愛しています。お許しがあれば結婚したいとおもいます。」
「そう。」
福子は生垣のほうにあるき出して、枝折戸に手をかけながら、ふりかえって、
「貞子は妊娠しておりますの。」
その声にも、顔つきにも、そぶりにも、わざとらしいような、また波だつようなけはいはなにも無かった。そう聞いたことばのほかには、なにものも読みとれなかった。福子はもう庭の奥のほうに行ってしまった。枝折戸はうしろ手に音もなくしめきられていた。
徳雄はそこに立ちすくんだ。やがてその枝折戸のまえから離れて、門の外へと、いつ踏み出したともおぼえないふうに、ふらふらと出て行く足つきの、地に浮きながら、みずから追いたてて行くように、しだいに速く道のかなたに去った。門の柱の下に、花束が手からずり落ちて、小さい花びらの散ったのが石だたみに白く残った。
徳雄はほとんど夢中で、それでも高輪《たかなわ》の大通にまでは出て来たが、すぐ西荻窪の家にかえろうという気がしなかった。父の大江徳民は追放ときまってのちは、今までよりもなお外を駆けまわるようになって、某保守政党の院外団というかたちで、一つ穴の追放仲間の同臭あい寄って作った丸ノ内の事務所とやらを足だまりに、せめては影の役どころでなにかのこぼれをねらうつもりらしく、いつも留守がちの家には母親はきのうきょう病気で寝ていた。これは夫の参議院議員失格が、当の夫の身によりも強く、持病の腎臓にこたえたもののようであった。花の無い木がおおい庭の、今は青葉おもく軒に迫るのが、いやにうす暗く、風の通りをさえぎって、天井の低い家の中に、ひとの息をつく隈《くま》はなかった。
徳雄はともかく山手の省線電車に乗って、品川から新宿にむかう途中、目黒でとまったとき、ついそこでおりた。そのおりしなに、ドアがこわれて板のささくれているところにひょっと手をぶつけて、深くはないが手の甲を傷つけた。赫《かっ》と腹だたしく、いらいらしながらも、とりあえずハンカチーフをかたく傷に巻きつけて、しいて気をしずめてあるき出したが、見るまに布に血がにじんで、おさえるとなおにじんで痛みが肉にしみて来た。電車はとうに走りすぎてしまって、痛みのもって行きどころはどこにもなかった。おさえてもとまらない血のにじみと、傷のうずきと、赤く染んだハンカチーフとを、手ぐるみたたきつけるような殺伐ないきごみで、いわば八つ当りに、わっとさけび出ようとする力を靴のさきにこめて、都賀伝吉の家のほうに行く道の上を蹴りながらあるいた。その途中、神社の境内にはいって、坂をのぼりきった上の、杉の木のまえを通りかかったとき、ぎょっとするまでにあざやかに、底冷えのする二月の日の出来事、貞子に迫ったおのれのすがたがそこに浮み出た。そのおり貞子の手で突かれた歯の痛みが、今の手の傷のうずきとおなじくたしかに、げんに歯ぐきにしみて、口の中にひろがって来て、舌がにがく乾《かわ》いて、涙は出ないが泣いたあとのように瞼《まぶた》がはれぼったくほてった。肌は汗ばむほどのきょうの陽気なのに、頬《ほお》の肉はつめたくちぢれて、木の間を吹いて来る風にひりりとした。
都賀の家の庭からはいってみると、サロンの硝子《ガラス》戸《ど》がとざされてカーテンがおりていたので、裏のほうにまわって、伝吉の部屋の窓のそばに行くと、硝子ごしに、伝吉がベッドの上に寝ているのが見えた。向うでも気がついたようすで、寝ながらなにかさけんだらしかったが、その声は聴きとれなかった。案内を知った家の、縁側の低い手《て》摺《すり》を越えてあがって、廊下づたいに行って部屋の扉をあけたとたんに、伝吉がベッドの上に半身をおこして、
「どうした。」
あびせかけて来たその声の調子に、徳雄はわが身の風態《ふうてい》がひとの目にどれほど異様に見えるかをさとった。しかし、先方の伝吉とても、きょうはいつもとちがった恰好であった。ふだんあおあおと剃《そ》っている顔に、こわい髯《ひげ》がぼつぼつ伸びていて、眼のふちにくろずんだ隈《くま》ができて、掛蒲団の下に投げ出している足の、裾からはみ出した左の足くびには繃帯《ほうたい》が厚くまきつけてあった。薬のにおいがかすかに鼻を突いた。
「どうしたんです。」
おもわず、徳雄のほうから問いかえすと、伝吉はしかし事もなげに笑って、
「なっちゃいねえんだよ。こないだの晩、自動車にぶつかってね。もちろん酔ってたさ。まともにぶつかったら助からねえところだが、なに、ちょっと掠《かす》っただけだ。因果と、まだ脈があがらねえ。きみはどうした。追剥《おいはぎ》にでも逢って来たか。」
そして、枕もとのウイスキーの壜をとって、サイドテイブルの上にグラスを二つならべて波波とついだ。伝吉はその一杯をすぐ呑みほしたが、徳雄はグラスに手もふれようとしなかった。
「いやにふさいでるじゃねえか。」
「貞子が……」
呼びつけにそういって、あとに妊娠ということばがどうも出なかった。
「ふられて来たか。この縁談、見込なしかね。」
「妊娠したんです。」
一気にいってのけた。すると、伝吉が声に応じて、
「そうか。きみの子か。」
ずばりと突いて来たそのことばが、あきらかに見当ちがえで、それが徳雄にはいっそ痛くひびいた。何とも答えなかった。伝吉はどたりとあおむけに寝ころんで、
「それとも、ほかにいろおとこがあったか。貞子のやつ、強姦《ごうかん》でもしなけりゃ、こどもの仕込めそうな女じゃねえな。だが、きみの子でもだれの子でも、おれの知ったことじゃねえ。おれはこどもを生む女なんか大きれえだ。あいつが腹のふくらんだ恰好なんざ、うふ、おかしくって目もあてられねえ。おれはそんなものには惚れてなんかやらねえよ。きみの女房になったにしても、もうくどく気はねえから、安心しろ。」
そのとき、徳雄はどうしてこういったのだろうか。
「ぼくは貞子を愛しています。」
「勝手にしろよ。ばかばかしい。」
伝吉は手を伸ばして、徳雄が手をつけようとしないグラスをとって、ぐっとのんでしまった。徳雄はそこにじっとしていたが、やがて立ちあがって、だまっておじぎをしただけで、外に出て行った。
もうどこに行くあてもなく、徳雄はまた目黒の駅にもどって来た。いったい何のために都賀の家などに行ったのだろう。それはどうも胸にあまってくるしい「妊娠」の一語をたれかにむかって吐き出すために行ったもののようではあった。げんに行く道すがら、みずからひそかにそうだとおもいこんでいたような心の部分があった。しかし、ほんとうにそうなのか。妊娠、それが何だろう。ついさっき揣《はか》らずも「ぼくは貞子を愛しています。」としぜんにわが口をついてながれ出たことばこそ、胸にあまってくるしい一語ではなかったか。いわば妊娠をきっかけにして、みずから心の奥に愛ということばを突きとめつかみ取ったかのようである。こんなにも深く貞子を愛していたということは、われとわが身ではじめて知った。今はもう浪越家の財産でもなく、他のなにかでもなく、結婚のこと妊娠のことでさえなくて、ここにくるしく見つめているのは、貞子、いや、貞子を愛しているおのれの心であった。心というものほど信用のならないものは、世の中にほかには無いだろう。夢まぼろしというものすら、心にくらべればずっと手ごたえがあり頼みがいがあるだろう。そのまやかしもののわが心だけが、しかも愛をはらんだ心一つが、今みずから頼む手がかりだとは、ずいぶんはかなく、かなしかった。まわりは赤の他人だらけの、世の中の瀬にただよって、それでも生きているといえるためには、「ぼくは貞子を愛しています。」と、ためいきに似たことばをたった一言吐くことしかなかった。目黒からまた乗り直した電車の中で、ひとごみに揉まれながら、汗くさい荷物の一つになって、どこに立っているのか、どこへはこばれて行くのか、ぼんやりしているうちに、横から急に押されて来たやつが、傷のあるほうの手を容赦なくぎゅっとこすったのに、堪えきれずさけんだほどの痛さで、ずれかかった布を解いてみると、やっとかたまりかけた傷口にまたなまなましく血がにじみ出していた。
車がとまってどやどやと、すごいいきおいで出ようとするむれにまじって、吐き出されたところが新宿のプラットフォームで、そこから中央線に乗かえて、これもまた似たようなひとごみの中に押しこまれた。時刻は昼すぎたばかりの、家にかえるには早かったが、ともかく西荻窪にもどるほかなかった。なるべくひといきれを避けて、窓ぎわに立ちながら、荻窪まで行くと、そこで一かたまりおりたやつがあって、車内がすこしすいて来たので、つぎの西荻窪でおりるためにドアのそばのほうに寄って行ったとき、かなたの窓のところに、こちらに背をむけて、すらりと立っている若い女のすがたをみとめた。貞子であった。
顔は見えなくても、ひとごみの中でも、ただの一目でそれを見そこなうはずはなかった。貞子にちがいない。八王子に行くのだろう。ここで貞子を見かけようとはおもっていなかったが、げんにそれを見ている今では意外とはおもわれなかった。つい近づいて行こうとはしないで、離れたままに、そのうしろすがたを眺《なが》めているうちに、西荻窪の駅はすでに通りすぎてしまった。さきへすすむにつれて、車内はだだんんすいて来て、あちこちに座席もあいたが、貞子はその位置をかえず、窓框《まどわく》にもたれて外のほうしか見ていないので、徳雄もまた立ちつづけているドアのそばからうごかなかった。あいだに立っているひとかずが減ったので、今は貞子をあきらかに眺めることができた。貞子のほうではまだ気がつかない。羽二重のようなまっしろな生地のツウピースを皺《しわ》ひとつなくぴったり著て、そのしなやかな白いよそおいが窓の日ざしにきらきらするところに、生理が透きとおっていて、その中に「妊娠」があろうとも見えなかった。そして、徳雄もいつか妊娠ということをわすれていた。この透きとおった生理の中に、なにが宿っているというのだろう。おもえば、きょうの朝「妊娠」と聞かされたときから、貞子の胎内にこどもがいるということを、徳雄は実感としてうけとれないでいた。まして、その子がたれの子かという疑惑のほうには、かんがえが突きつめて行こうとしなかった。まのあたりに貞子が見えないところにさえ貞子の生理が作用して来て、そういう疑惑をもたせないようなぐあいであった。しかし、そんなぐあいに疑惑から切りはなされているということは、つまりだまされていたということではないか。それはこどもについての疑惑よりもさらにおそろしい疑惑であった。またもしかすると、その疑惑は絶対に疑うべからざるものをすら疑ってしまうような非がこちら側にあるということにもなるのではないか。今目のまえにたしかに見直している貞子のすがたは、一切の疑惑をきれいに消しているようでもあり、またもっともきれいな仕方で万人をだましているようでもあって、いわば見るこちら側の心の底と照らし合せながら、徳雄はなにものをも見さだめかねて、車の横にゆれるたびごとに、足を踏みしめているつもりでも、つかまりどころなくよろめきがちであった。それでも、何といおう。もし口に出してなにかいうとすれば、やっぱり「ぼくは貞子を愛しています。」というほかのことばは無かった。車はゆれながらやがて八王子についた。
車をおりるまぎわになって、貞子はようやく徳雄に気がついた。しかし、顔つきにあらわれたかぎりでは、徳雄がそこにいることにおどろいたようなけしきは見えなかった。徳雄はつづいておりて、駅の出口まで来て、乗越料金をはらいながら、ひょっと貞子がそのひまに逃げて行ってしまうのではないかとおもった。そして、いそいで改札口を出て見ると、貞子は待っていたというふうでもなく、逃げて行くというふうでもなく、ひとりさきのほうにあるき出していた。
徳雄は足をはやめて近づいたが、肩をならべるところには至らず、あとにしたがって、どこまで行っても、貞子はゆっくりあるいているのに、徳雄のほうはあたかも息をきって追いかけて行くような恰好であった。貞子は手に小さい鞄《かばん》をさげていたが、徳雄はそれを代ってもとうとはしなかった。そういう申出をするということが、今はもうかんがえられなかった。両側に家のつづいているあいだは、口をきかなかった。
家がつきて、畑のある道に出て、片側はながい垣根の、なにか白い花が咲いているところに来たとき、徳雄はうしろのほうからはじめて声をかけた。
「御病気はいかがですか。」
ことばの調子がこれまでよりもずっと丁寧になっていることに、ほとんどみずから気がつかないようであった。
「ええ。」
貞子はぼんやりした声でそういった。それは何の意味とも聴きとれなかった。
「農園にいらっしゃるんですね。」
「ええ。」
向うに、ながい垣根のつきたところから、両側はひろびろと畑になっていて、その中をまっすぐに突きぬけて行く道のかなたに林があって、そこから道が折れて行くあたりに、茂みの上を越えて、かなり大きい建物の、まだ工事中のもようながら、あらかた出来上りかけているのが、あるくにしたがって、次第にはっきり見えて来た。
「あれがあたらしいお宅ですね。」
「父の家の最後のものです。」
「あなたはあそこにお住みになるのですか。」
「わかりません。」
片側の垣根がつきようとする、そのはしにまで来たとき、徳雄は突然地を蹴《け》って、ぱっとまえのほうに飛び出して、貞子の行手をさえぎるように、まともにむいて立った。
「ぼくはあなたを愛しています。」
息のあえぎがそっくり出て、いっそあらあらしい声であった。貞子は垣根のそばに押しつけられたかたちで、足をとめたまま、何とも答えようとしなかった。徳雄は狂おしく光った眼のいろではあったが、指ひとつうごかそうとはしないで、ただうごくことを知らず、そこに突っ立っていて、いつまでも立ちつくすけはいが強く迫った。貞子はくず折れたように、かよわく、垣根の下にある石に腰かけながら、しかしいつまでも答えようとはしないで、徳雄の顔も見えず、ことばも聴えないふうに、茫《ぼう》とした眼で遠くの、いちめんに畑のひろがっているほうを見ていた。その腰かけた石のそばに、貞子は小さい鞄を置いて、無心に垂らした手のうちに、いままで脇《わき》にかかえて来たみじかい日傘の柄をにぎっていたが、日傘のさきはしぜん地にふれていた。ときに、その日傘のさきが、いわば貞子の知らないうちに、ひとりでにうごいて行くふぜいで、土の上にひそかにすべって、それがなにか書いているかのよう、書かれたもののかたちがなにかの文字になっているかのようであった。そこに、ふっと、徳雄の眼が、上から見おろしている眼がとまった。何だろう。どうも文字であった。横文字のようであった。日傘のさきを追って見ると、そこのやわらかい土の上に、IHS と読めた。とたんに、徳雄のすきを突いたぐあいに、貞子はすっと立ちあがって、あるき出した。徳雄はあわててあとを追った。
IHS とは、何だろう。何のことだろう。徳雄はうっかりそれが当節流行の横文字の略語、たとえば GHQ とか CIG とかいうのとおなじたぐいのものかとおもいなしたので、その方向に略語の記憶をさぐりはじめて行き、ますます判らなくなってしまった。それが貞子のもっている蒔《まき》絵《え》の小箱、げんにこの小さい鞄にはいっている聖餅箱《せいべいばこ》の蓋《ふた》の上に記《しる》されている文字だとまでは知るはずもなかった。しばらく行くうちに、徳雄はひょっと気がついた。何のことだ、判りきっているではないか。IHS 人間の救主イエスではないか。しかし、それがどうしたというのだろう。IHS 人間の救主イエス。それが貞子にとってなにものなのだろう。眼をあげて見ると、貞子はさきのほうにあるいて行く。ひろびろとした畑の中を突きぬけて伸びた白い道のさきに、風がさっと吹きとおって、さわやかな風のいろが貞子のまっしろなよそおいに当って波のように光った。そのとき、徳雄は熱した瞳に、ついいましがた土の上で読みとった三箇の横文字がはっきり、くろぐろと、貞子のよそおいの上にうつり出て、風の中に透きとおって、IHS と光ったのを見た。たちまち、徳雄はほとんど地に膝を突こうとしたほどに戦慄《せんりつ》した。IHS それは貞子の生理の中からでなくて、どこから光り出たのだろう。たしかに、それは貞子の内にはらむものにちがいなかった。今や貞子の胎内のこどもであった。あわや吹き去って行く風のうちに、一瞬にしてさっと消えた三箇の横文字の、くろぐろと打った刻印に於《おい》て、たま消えるまでにせつなく、瞳にしみて、貞子の懐胎をそこに見た。
道は林の中に入って、貞子はふりむきもせず、さきにあるきつづけた。まっしろなよそおいは青葉のいろに染まった。徳雄はあとにしたがいながら、眼を伏せて、しいて貞子のほうを見ようとしなかった。さきに行く貞子はかぎりなく遠く、あとにしたがうわが身は、あえぎ傷ついて、手に巻きつけた布は血にまみれて、かぎりなく小さかった。すると、貞子はあるきながらに、やっぱりふりむかないままで、こういった。
「あなたは世の中のたれにもまさって、わたくしを愛していらっしゃるの。」
「ぼくがあなたを愛していることは、あなたがよく御承知です。」
「…………」
貞子はなにかいったが、徳雄はそれが聴きとれなかった。
すこし行くと、ふたたび、
「あなたは世の中のたれにもまさって、わたくしを愛していらっしゃるの。」
「ぼくがあなたを愛していることは、あなたがよく御承知です。」
「…………」
徳雄は耳をすまして聴こうとつとめたが、今度もまた聴きとれなかった。
またすこし行くと、みたび、
「あなたは世の中のたれにもまさって、わたくしを愛していらっしゃるの。」
「あなたが御承知ないことはありません。ぼくがあなたを愛していることは、あなたがよく御承知です。」
「…………」
今度こそ、ほのかではあっても、徳雄はそのことばを聴きとったようにおもった。しかし、それは何ということばであったろう。それを心ひそかにくりかえすことは畏《おそ》ろしく、もう一度口に出して聴き直すことはさらに畏ろしかった。ともあれ、耳にほのかに聴いたとおもったそのことばは「わが羔羊《こひつじ》をやしなえ」とひびいた。ぞっとした。ふかい懼《おそ》れである。人間のかりそめに口にすべからざる此《この》世《よ》ならぬことばであった。たちまち、この林の中は聖書の世界の中に割りつけられたようであった。徳雄はおそるおそる眼をあげて、貞子のほうをうかがうと、青葉のいろに染まったまっしろなよそおいが聖霊にみちたすがたと見えた。また、その青葉のいろの、いよいよ濃く、心に染まるまでに青いのが、人間の苦《く》患《げん》のいろとも見えた。
いつか林を通りぬけて、道の折れて行くつい向うに、茂みを区切って、大きい木の柱が二本立っていた。そこが農園の入口であった。そのそばまで来ると、貞子は突然いそぎ足に門の中に駆け入ろうとした。もう青葉のいろから抜け出して、あからさまな日の下に、まっしろな裳《もすそ》をひらひらさせて、風ににおうほどに、つと駆け出して行くのが、さすがに若い娘の、いろっぽいふぜいでもあり、しかしまた永遠の旅人なんぞの、かりにくぐった門の内、家の中にはとどまらないで、そこを突きぬけて、もっとさきの、遠いはるかな道のほうに走りつづけて行くというけはいでもあった。とたんに徳雄は猛烈ないきおいで、ほとんど血相かえて、あとから走りかけた。それはついさっきの林の中の顔つきとはがらりとちがって、かつてたった一度貞子から強引にくちびるをうばったときのすさまじさに似て、あたかも今この機を逸しては永遠に逃げて行ってしまうだろうくちびるを、せめて最後にもう一度引きとめ追いかけて行くかのようであった。貞子のすがたはもう門の内側に、そこの工事小屋に立てかけてある材木のかげにかくれた。徳雄がつづいてそこに駆け入ろうとしたとき、まのあたりの二三間さきに、がらがらと、材木の中のふといやつが一本たおれかかって、それにつれてまた何本か、ひどい音をたてて、もろに折りかさなってたおれて来て、ものすごく地ひびき打った。人間がなにを建てても、いつの日か根こそぎに、善意も悪意も一様に打ちたおしてしまうおそろしい力の、そのさきぶれの、遠鳴かとも聞えた物音であった。
変化雑載
本堂の甍《いらか》の上に大むかしの貴顕の家の金紋を三つ打ったのが、黒ずむまでにさびながら、矢《や》倉《ぐら》のように載っているのは、宗旨は天台かなにか、さだめて由緒《ゆいしょ》のある寺なのだろう。界隈《かいわい》は焼けのこった住宅地の、ここだけが森になっていて、都内とはいっても盛り場からずっと遠く、砂ほこりを吹きつけて来る風もなくて、草の色あざやかに、裏葉のかえる秋の、武州なんとか村のけしきを笑止にも今にとどめて、かたむきかけた日あしがほそぼそと寺の屋根にしずもった。
虫くいの黒い柱の、しかし堅固に立った門のうちにはいると、境内はひろびろとして、夕ぐれのせいかあそぶこどもなどの影も見えず、存外きれいに掃除のとどいている土のうえを、欠けた敷石がまばらに長くつづいて行った向うに、何段か高くながめられる本堂の正面は、江戸の建物にだいぶ後世の手が加わったようすで、硝子《ガラス》戸《ど》をめぐらした、その戸がぴったり閉ざされていて、本堂の横手につながった一棟《むね》の、これが僧房というかまえではなく、在《ざい》家《け》と似たような作りの玄関にも、おなじく障子がしめきりで、障子の紙がいやに白っぽく、そこの式台にどういうわけか季節はずれのスキーが立てかけてあるほかには、ひとのいるらしいけはいはなかった。
門をはいってすぐそばに、小さい建物が一つある。いくさのまえにはどうやらここにときどきは縁日かなにかの露店が出たこともありそうなけしきで、この建物というのは、遊園地などでよく見かけるような休み茶屋ふうの、絵はがきも売る団子も売るという店のこしらえであったが、今はその店も板戸をおろして、土間の隅《すみ》に縁台を積みかさねて、ひっそりしていた。しかし、土間は葭《よし》簀《ず》がこいがとれて、あけ放しのままなので、ついそこに踏みこんで見ると、板戸をおろした小屋のほうに、その板戸のあいまに、すり硝子をしめた窓口が切ってあった。あたかも駅の切符売場の窓口とでもいうかたちである。そのまえに立って、指でとんとんと硝子をたたくと、内から応《こた》えもなく窓がすっとあいたのに、
「駅まえのモミジ屋で聞いて来たんだが、あるかね、ドリンクは。」
「ないわよ。」
若い女の声である。窓框《まどがまち》がせまく、その位置がひくくもあるので、のぞきこむような姿勢をとっても、向う側にいるものの顔は見えなかった。それに、まだ灯がついていないので、中はうす暗かった。
「だめかね、きょうは。」
「アイム、ソリー。」
なにかのむものが、カストリぐらいはあるだろうと聞かされて来たのに、あてはずれで、もどろうとしながら、
「スモークのほうはどうだね。」
とたんに、さっとたばこが一箱、ほそい手からばね仕掛で飛び出したように窓口に突き出たのに、こちらも釣りこまれていそいで札を出すと、かえす手でその札をさらって、もう手が引っこんで、硝子がまたすっとしまって、あっというまもなく、物音ひとつがたりともしなかった。そのはやわざよりも、あっといったのはその手である。いや、その手の爪の色であった。形容もなにもない、真赤に染めた爪のどぎついまでに艶《つや》の出たのが、うす暗い窓口にながれて、ぴかりと光ってすぐ消えて行った束《つか》の間に、しかしその眼にしみた爪の色なくしては、そこに女の手があったとも、手につづいてはだかの腕があり、腕につづいて窓口の向う側に女のからだがあったともおもわれなかった。古歌に、くれなゐのうす花さくらにほはすはみなしら雲と見てや過まし。この、くれなゐのうす花さくらということばは、花やかすぎておもわしからぬことばとて、定家卿《ていかきょう》これを嫌《きら》ったという。まして、うす花さくらどころか、ずいぶん濃い、いやらしいほどの爪紅の赤さはぞっとして眼をそむけるはずのものだが、どうして、それがこの場にはいっそ小気味よく、あざやかで、定家卿の感覚には憚《はばか》りながら、ちょっとわるくなかった。
しかし、このような女がこの場にいようとは、いったい何のことだろう。そういえば、このようなところに物資の流通する窓口の設備があることも面妖《めんよう》でなくはなかったが、これはモミジ屋の紹介に係るもので、いかにもモミジ屋が糸を引いていそうな仕掛であった。もっとも、その引く糸には、爪を真赤に染めた女の指もからんでいるかどうか、知ったことではない。
ちかくの省線駅まえに、去年のくれにできたバラック店がある。店さきにごたごたならんでいる品物は洋服もあり、きものもあり、箪《たん》笥《す》その他の家財いろいろ、蓄音機とかギターとか、柱時計とか掛軸とか、靴までころがっていて、何屋とも看板は出ていないが、御方便なもので交換店といえば当節すぐそれと判る。ところで、屋号が出ていない代りに、ここの店には不似合とおもわれる看板が二つぶらさがっていて、一つは裏千家茶道教授、一つは池ノ坊華道教授と読めた。その看板にいつわりなしとでもいうふうに、店の飾窓にはいつでも風炉《ふろ》にそえて茶道具一式、なにか季節の花を生けた薄端《うすばた》が陳列してある。はじめのうち近所では茶道と華道との師匠は別にあってこの店はただ取次をしているものとおもっていたようだが、やがて店の主人が右両道の指南をも兼ねているということが知れて来た。実際に狭い店の中にこそ稽《けい》古場《こば》の余地はなかったが、ふだんジャンパーすがたで飛びまわっている五十がらみの、小でっぷりした主人がときどき渋好みのきものに著《き》かえて、茶の道行《みちゆき》に信玄袋などさげながらどこかに出かけて行く恰好《かっこう》は、なるほど出稽古の師匠とうなずかれないこともなかった。そういうところから生じた信用か、むかしは相当の身分でもあったらしい、見て来たような評判も立って、近所ではこの主人をいくらか尊敬に似たきもちで見るようにもなって、それに店の金まわりがかなりよさそうに察せられたせいか羨望《せんぼう》の念もだいぶまじった。しかし、日がたつにつれて、ことしの春ごろ、店ではたらいているふたりの若い女がじつはふたりとも主人の妾《めかけ》であったということが知れわたって以来、羨望はともかく、信用のほうはぐっと落ちたもようで、ついで夏の暑さになったとき、衆目の見るところいよいよこの人物はとくに尊敬するにはおよばないようなひとがらであったと判明した。というのは、今まで袖《そで》のあるシャツをきていたので判らなかったが、袖なしのシャツをきるに至って、この人物の二の腕にはかくれもなく、いろどりみごとな花札のモミジの刺青《いれずみ》が露出したからである。すなわち、モミジ屋の称のおこる所以《ゆえん》であった。
ところで、ここに奇妙なことには、モミジ屋のひとがらに対する評価について、右のごとく、さきに信用し尊敬しのちにそれを取消したというたぐいの小心翼翼たる姑《こ》息《そく》な常識派は、ありていにいえば近所ではきわめて少数で、それさえうわべだけの擬勢のようであった。近所となりはいずれも似たようなバラックの店を張って、何屋とも知れず、官の禁令が出るたびに景気が跳《は》ねあがるという商売にいそしんでいるだけあって、姑息な常識派などにくらべると、さすがに目のつけどころがちがった。はじめのうち、モミジ屋は新参《しんざん》のことでもあり、それにへんな別看板を二枚もぶらさげたので、ちぇっ、しろとくせえと、あまく見られがちであったが、それがれいの妾の一件がぱっとなってのちは、次第に周囲の人望をあつめて来て、夏の暑さののぼるとともに二の腕の青い短冊《たんざく》があからさまに物をいい出したのか、威信まったく定まった観があった。その証拠には、店さきにおおっぴらにならべてある品物とはまた別に、この界隈を横に這《は》っている物資は何にかぎらずもっぱらモミジ屋の裏口に朝宗《ちょうそう》するけしきで、ここに来れば日常ひとの欲するあれこれが大概まにあうという実状になっている。こうなると、ふだんモミジ屋のまえを横目でにらんで素通りする新憲法治下の善良な亭主も女房も、懸声ばかりの官の配給にそうそう歯をくいしばってばかりもいられず、さっぱり物の役に立たない道義心にあいそがつきて、一旦事あるときには臨時にモミジ屋観を修正して、隣はなにをしようと所詮《しょせん》他人のこと、急場のわが身の都合さえつけばと、窮余の一策、戸《と》棚《だな》の奥に首を突っこんで、焼けのこったなにやらを一包みにして、おもいあまった胸にかかえながら、当店に出入するという傾向に乗らざることをえない。そういう客をそらさずに、このモミジ屋のおやじ、とんだ愛嬌者《あいきょうもの》で、どこでおぼえたセリフか、あたしのところはみなさんのパブリック・サーヴァントです、どうぞよろしく。
貧生とくによろしく願われたわけではないが、この夏のおわり、身辺ちょっとさしつかえる儀があって、当分は無くてもすむ古いレインコートを抱《かか》えて何となくモミジ屋の店をおとずれた。はじめての訪問である。事のついでに酒はときくと、カストリならばありますというので、つまりレインコートの値段になお五十円つけて一升壜《びん》と交換することになった。そして、その壜をぶらさげてかえると、おりよく客が来合せて、すぐにみなのんでしまった。しかるに、数日後、秋冷とみに迫って、暴風雨襲来、水害の災禍、ひとごとでなく、陰雨しとしと、あたまから濡《ぬ》れながら、モミジ屋のまえを通りかかると、先日のレインコートがまだつるさがっている。のぞいて見ると、こいつ、正札に書いてある数字は売った値段の三倍以上に当っていた。このレインコートがいかに古く、どんなにいたんでいて、どこにかぎ裂きがあり、どれほどたばこの焼こげがあるか、よく知っている。ほとんど使用に堪《た》えないこの品物にこの値段は法外であった。もしたれか血の出るような金銭をくめんしてあやまってこれを買うひとがあったとすれば、そのひとはやがていかばかり後悔し悲《ひ》歎《たん》し憤慨し呪《じゅ》詛《そ》するか判らない。わるくすると家庭惨劇の一因にもなるだろう。それもみなたった一晩のカストリと交換するためにこの廃物を利用したせいである。この一枚の古著に依って生ずるかも知れない多くのひとの涙も怨《うらみ》も流血も、もろもろの不祥事はいずれわが身に刎《は》ねかえる報いになるだろう。ちょっと振袖《ふりそで》火事《かじ》を連想した。おもえば、そらおそろしかった。即座にこれを買いもどして、禍《わざわい》を未然にふせがなくてはならない。そこで、ポケットをさかさにして、有金のこらずぶちまけて、おりしもふりがひどくなって来てもいたので、幸便にこれを買いもどした。モミジ屋もさすがにすこしは気がとがめたとみえて、値段をいくらか割引したが、ただしそれを現金でよこす代りに、ビールを一本出して、またどうぞといった。あたかもレインコートをしばらく陳列させてやった礼に、ビールをただでもらったような錯覚をおこした。もっとも、その後またこの店でビールを買ったとき、先日のお貸の分と称して、一本だけ代金を余分にとられたようにおぼえている。
わずかこれだけの附合だが、モミジ屋は酒の調達には便利であった。いつでも声をかければすぐまにあうつもりの、それがきょうはちょっと遅すぎた。夕ちかくになってやっと今夜は名月であったということに気がついたからである。酒をのむには月花には係《かかわ》らないが、秋の最《さ》中《なか》と聞けばひとしおである。ところが、あいにく手もとにその用意がない。モミジ屋に行くとたったいま売切ましたという返事であったが、おやじ、それでも突き放したままにはしないで、そっと声をひそめて知らせてくれたのが、ここ寺のルートである。声をひそめてといっても、それは秘密をささやくというふうではなかった。モミジ屋は平常の言動から察すると、もっぱら公共の便益をはかるために正業をいとなんでいるつもりらしいので、秘密というものはありえないはずである。おそらく、茶と花と両道の師匠を相勤めているだけあって、ほかにも客のいる店さきで大きい声を出すという無作法を避けて、ひそひそばなしに幽玄の味をもたせたのだろう。しかし、せっかくドリンクにスモークという英語までおそわって来たかいもなく、この小さい窓口ではあっさり鼻のさきに硝子戸をたてきられてしまった。
しょうことなしに寺の境内をぶらりと一まわりして、本堂の裏手の丘にのぼって、そこの雑草にまじるすすきの一むら、ひょろひょろと伸びたあたりに立つと、足もとに落ちる日ざし淡く、わが影のあるかなきかにこころぼそく、空には雲が濃くなったようで、今夜は月が出るのか出ないのか、酒のほうも見込がないにしろ、せめてすすきぐらいはと、手あたりに二三本折って、丘をおりかけた。せまい坂の、ここも両側はすすきと雑草と入りみだれた露の道で、そのとき、そのすすきのかげになにやらさっと白く走ったのに、あ、きつね……まさか、と見るまに、やっぱり人間の、うずくまっていたのが、ぱっと立って、若い女のシュミーズ一枚、しろじろとして、手足がほそく痩《や》せているのに寒そうなけしきもなく、ちぢれた髪をふりなびかせて、鳥などの飛び立つように、もう向うへ駆け出して行った。これもひょろ長いやつを二三本、すすきをかざした手の、爪の真赤に染めてあるのが眼にしるくのこった。先刻の窓口の女かどうか、顔はしかと見えない。物理小識に依ると、九月寒《かん》烏《う》水に入って化して烏賊魚《いか》になるという。これはなにが草に入ってなにに化けたのやら。しかし、こいつ、ちょっといける。なにが。この女がか。この光景がか。いや、どうも、酒がなくてはなにもいけない。
はたして、月が出ない。宵の空は雨をふくんで暗く、家の中は毎晩の例で電燈がつかないから、空とおなじように暗い。すすきは……ばかな、そんなもの、本気でかざり立てるやつがあるものか、とっくに道ばたに捨てて来た。じつは、月ごときもの、出ようと出まいと、これもどうでもよい。くそをくらえ、寝ちまえで、燃えのこりの蝋燭《ろうそく》の消えようとするのをやけに吹き消して、ごろりと横になろうとしたとき、茅屋《ぼうおく》の門を、ほとほとたたくといいたいが、なに、戸じまりもなにもないので、ぐいと押して、つい庭さきにはいりこんで来たやつがある。懐中電燈がぴかりと光った。
「だれ。」
「どうしました。酒は手にはいりませんでしたか。」
モミジ屋であった。懐中電燈を縁側に置いて腰かけた。
「さっき行ってみたが、おことわりをくった。」
「そういってましたよ。さっき、へんなひとが、いえ、だれか来たけれど……」
「判ったよ。へんなやつ、それに相違ない。」
「ひがんじゃいけない。あるんですよ、じつは。」
「なにが。」
「なにがって、酒さ。」
「いやになった。」
酒か、こうして口をきいていることか、モミジ屋がそこにいることか、それとも人間関係の一切か、なにがいやになったとも知れず、ふっとどうでもよくなった。しかし、真人間のつらつきをよそおった礼儀作法のことをおもうと、ぞっとした。それにくらべれば、こいつらの無作法のほうがまだまだ附合いいいかも知れない。こいつらとはたれのことか。この場にはほかに人間は居合せないので、さしずめモミジ屋と、遣憾ながらその相手をしている貧生とのことになる。こいつらが真人間の仲間に入らないとすれば、なにか。編を分ってこれを鳥獣類に入れるか、異事類に入れるか、おもうに天下はそう窮屈なものでもなさそうだから、どこにでも臨機に収容できるだろう。太陽系が一つとかぎらないように、生活にもいろいろな系があって、ただしこのほうは人間の案出なので、宇宙の仕掛とはちがって、もし人間が欲するならば、どの系にでも任意に出没してはいけないという法は無い。
「常談でしょう。のまないでいられますか。ちゃんと酒場の支《し》度《たく》になってるんです。会員組織でね。あんたはまあ臨時に入会金なしということにしておきます。どうです、行きませんか。」
「行ってみようか。」
なんのことだ、やっぱり立ちあがった。
寺のほうに行く径《みち》に出て、ならんであるきながら、
「酒場の支度というのは、寺の中にあるのかね。」
「いえ、あの門のそばの、あすこですよ。小屋の中でね。」
「あすこじゃ、風雅すぎて雨漏りがしそうだな。」
「どうして、中はお座敷になってますよ。あたし、さっきすすきを生けて来た。ちょっとおちつきます。」
「きつねのお酌でね。」
「え。」
「なんだい、ありゃ。あの爪を真赤にした子さ。いけねえ、きみのなにかかな。」
「とんでもない。そうはつづかねえ。ありゃ、あんた寺の娘ですよ。先妻のね。」
「あやしきものがおるね。」
「ちっとも、あやしいことはない。あのひと、こないだまで女学校の先生だったんで。英語と体操をおしえてたんですよ。」
「ふうむ。」
「それが学校をやめちゃって、ずっとうちにいるということになると、後妻との折合があんまりよくないんでね、今のところアパートも簡単には見つからないし、あの小屋があいたままなのをさいわいに、あすこを自分の部屋にして、あそんでもいられない、さしあたりの商売……いいあんばいに、ちょうど禁令で、のみ屋が一般にだめになっちゃったから、それで新規にはじめたことなんで。場所とアルコールさえありゃいいんだから、しろとでも結構やってます。」
「それで、材料の仕入はきみの肝煎《きもいり》か。」
「まあね。あたし、あの寺の坊さんとはお花のほうの古い附合でね。」
お花とは、たぶん看板の華道のことだろう。しかし、きょうはモミジ屋はれいの十徳《じっとく》など著かねない池ノ坊というこしらえではなく、カーキ色のずぼんに茶の背広の上《うわ》著《ぎ》をひっかけ風体《ふうてい》なので、むしろその二の腕にかくれている青い短冊《たんざく》のほうに関係あるもののように聞えた。どちらともにわかに判じがたい。これはしいて立ち入って質《ただ》すべきことがらではなかった。モミジ屋はもしかはなしがひょっと腕の刺青《いれずみ》のことにふれたとすれば、どう態度がかわるか、どれほどすごんで来るか判らないとおもわせるようなところがあった。事を好んでそういう変化まで実地に観測するにもおよばない。藪蛇《やぶへび》である。逆に、刺青のことはそっとして手をつけずにおくところに、モミジ屋が蛇の蛇たる所以《ゆえん》のもの、それが変化しうる限界を見とどけられるようであった。
寺のちかくまで行くと、この界隈《かいわい》は停電ではなかったのか、家家の窓にちらほら灯影がうつっていた。寺の門に入って、すぐ小屋の表口にはかからずに、塀《へい》と小屋とのあいだの、灌木《かんぼく》の植込の中を、くもの巣にからまれながらくぐり抜けて、裏手の縁側のまえ、しめてある雨戸をがたがたとゆすると、それが内側から引かれて、あがりこんだところがたった一間らしく、その六畳敷のなかばには箪《たん》笥《す》とか行《こう》李《り》とか、女学生などのもちそうな本箱に古雑誌を積んだやつまで押しこんであって、あいている場所は三畳ばかりの、まん中にひくいちゃぶ台、それをかこんで、女も入れて三人ですわるともういっぱいであった。
ちゃぶ台の上にはうすいハムのきれをひらたくならべた大きい皿が一つ、コップを三つ置いて、どれも波波とカストリをついだのを、三人とも口もきかずにぐっとのんでしまうと、モミジ屋が壜《びん》をとりあげて、あとをぐるりとつぎながら、女のほうにも、どうぞというふうにうながすと、
「あたくし、もう結構。」
なにが結構なものか、なれた手つきで二杯目を器用にあおったコップに、爪の真赤なのがきらきらした。ほそおもての、きゃしゃな目鼻だちで、くちびるが爪とおなじように真赤なのに頬《ほお》があおざめて見えたのは、もうシュミーズ一枚ではなく、青いジャージの上著を襟《えり》ふかくきこんでいるせいもあるのだろう。うす暗い電燈の下で、それにしても眼のしょぼしょぼしているのが近眼のようであったが、はたせるかな、うしろの本箱の上にほそい縁のめがねが置いてあった。
ほとんど無言であった。カストリは水ぽくて、ヘんなにおいがして、べらぼうな味が口中にひろがって舌をうごかすのをおっくうにさせるという効果があった。しかし、女はそれをうまそうにのみながら、モミジ屋がときどき愚にもつかないことをいい出すのを、ええとか、あのとか、あたくしとか、みじかく受けて、なにも意見らしいことはいわず、姿勢もくずさずに、顔には出ない酒の、かなり強そうで、しょぼしょぼした目もとをかすかに赤くしていた。その女の耳たぶのあたりに、本箱のそばに据えてある瓶《びん》のすすきの、たぶんモミジ屋が生けたやつだろう、ひょろ長い穂がすっと伸びて来て、うしろからくすぐるようにちらちらするのに、女はさっぱり気づかないていで、いったいに薄手の顔だちの、からだつきもほっそりと、青っぽい上著の肩をつぼめてすわっているのが、しぜん秋の野末、草のかげに、あたまに花かなにか載せて、あるかなきかに立ちかかる物《もの》の怪《け》のすがたという見《み》立《たて》になった。
三杯目のコップがつがれたとき、女は突然こういった。
「先生、しるしとは何のことでしょう。」
これは貧生にむかっていったようであった。
「なにゆえ今の代《よ》は徴《しるし》を求むるか、徴《しるし》は今の代《よ》に断えて与えられじ。あのマルコ伝のことばでございますね。しるしとは、あれは何のしるしでしょうか。」
女学校の体操とやらの教職に在ったというひとにここで聖書学について質問を受けようとはおもいがけなかったので、だまってさきの顔を見かえすと、
「救いのしるし、愛のしるし。」
ちょっと顔をかしげて、小さいあごをこちらに突き出しながら、問うように、またひとりでうなずくように、そういって、
「救いなら、愛ね。」
その調子があどけない少女のようでもあり、またすれっからしのオールド・ミスのようでもあった。
そのとき、表口の外のほうから、ピイ、ピイ、ピイと、口笛の音が三度つづけて聞えて来た。しんとあたりのしずまった中に、その音がいやにはっきり聞えた。とたんに、モミジ屋は腰をうかせて、声をひそめて、
「いけねえ、見まわりだな。ワタリがついてるはずだがな。係のやつ、かわったかな。」
つと立って、電燈を消すと、ひとりでつかつかと縁側のほうに出て行って、そこで靴をはきながら、ふりかえって、闇《やみ》の中にこちらをすかして見て、早口に、
「今夜の会費は千円ということにしときましょう。現金がなかったら、あした洋服でもなんでも店にもって来て下さい。」
そして、もうさっさと行ってしまった。そのひまに、女はまっくらの中で、これもどうやら慣れているらしく、ばたばたとあたりに出ているものを隅のほうにかたづけてしまったようであった。こちらもつづいて立って、わけの判らないままに、あわてて外に出ようとすると、
「あ、いけない、待って。」
いきなり女が飛びついて来て、ひくいさけびとともにぎゅっと腕をつかんで引きとめながら、あいている雨戸をすばやくしめて桟をおろした。すきもなく、ひそかに表口に踏みこむ靴音が聞えて、ふたりか三人か、それが小屋のまわりをぐるりとまわって、裏手に来て、ちょっと雨戸をがたがたいわせて、中がひっそりしているのに、しばらく外でようすをうかがっているようであった。やがて、靴音が急に大きくなって、どやどやと引揚げて行くけはいで、その音が遠くに消えて行った。
このあいだ、女の引き寄せるにまかせながら、部屋の隅、本箱のまえに息をころしてじっとひそんでいたが、そのうちにも、女はしだいに指に力をこめて、こちらの腕にすがりつつ、腕から肩にすりあげて、頸《くび》のまわりに手を巻きつけて来て、耳にくちびるがふれるほどまぢかく、粕《かす》くさい息の中に、とぎれとぎれに、
「救って、救って。」
そのあえぎの、音に立てまいとするだけなお熱っぽく、あたかも愛して、愛して、とでもいうふうに寄りそって来て、ぴったり抱きついたからだを、こちらでも腕の中に抱きしめながら、女の手をにぎりかえすと、これはまたひどくほそい手くびで、ひょろひょろとして、すすきの穂かなにかをにぎっているように、てのひらの中にたわいなく、可《か》憐《れん》におののいていた。
外の靴音が遠くに消え去ったあとも、しばらくそのままに声もなくしのんでいたが、ひょっと女の力がゆるんだすきに、その腕からすべり抜けて、くらやみを手さぐりに、雨戸のそばまで来て、戸を押しあけると、ぱっといちめんにふりかかったまぶしい光、あ、月、いつか出ていたその月の光の中に、ながれ出て、外に立った。
すると、女もあとからつづいて出て来て、
「おやすみ。」
たった一言、こちらに投げつけて、まっすぐに庭のかなたに駆け出した。
昼よりもいっそひろびろと、あきらかな庭のおもてに、隈《くま》なく照りとおる月の、土にしぶきをうつまでに冴《さ》えて、天より滝《たき》津瀬《つせ》のななめにながれ落ちる光のすじが、本堂の屋根にあたり、石段に飛び、爰元《ここもと》にふり布《し》いて来て、天のすがた、地のけしき、もろともにそこに映り出た。女は月光をよこぎって、影よりも淡く、かなたに舞って行く。向うに堅く閉ざした玄関が見える。そこの式台に立てかけてあるスキーが見える。あなや、女はスキーに飛び乗って、庭のおもてから月光に乗り上げて、光のすじの斜面をさかしまに、するすると本堂の屋根にすべりあがって、屋根より高く、空の高みヘ、月のほうへと、翔《かけ》りのぼって行くかと見えた。
「さらば、行きたまえ。」
おもわず、女のうしろすがたを祝福するごとく、手をふりあげてさけびかけた。そのとき、てのひらの中に、つい先刻くらやみでにぎっていた女の手くびのかぼそいのを、まだにぎっているかのように感じたのに、ふと目をあげて見ると、あ、すすき……どうしたのだろう、あるいは先刻くらまぎれに瓶のすすきをつかみとっていたのでもあったのやら、すすきの穂の長いやつを、ひょろひょろと手にふりかざしていた。
それから二三日たって、町のほうに出ることがあって、駅に行くと、プラットフォームに近所の顔みしりのひとが立っていたので、いっしょに電車に乗った。
すると、電車の中で、向うのはしの座席にかけている二人づれ、あから顔のたっしゃそうなじいさんの、スコッチの背広をまるまると著こんで、大きい旅行鞄《かばん》を膝《ひざ》の上にゆすりあげたやつとならんで、若い女の、黄色のワンピースをきてつばのひろい帽子をかぶっているのが、どうも先夜の女のようにおもわれたので、しぜん見るともなくそのほうを見ていると、かたわらの近所のひとが、
「あれ、御存じでしょう。」
「いや。」
「あの、森の寺の、あれが住職ですよ。そばにいるのが娘、先妻のつれ子でね。ただし娘とはおもてむきで、じつはいくさのあいだに先妻の死んだ当時から、どうやらできあっている仲らしいと、うわさのあるやつです。ちかごろ来た後妻と、とかく折合がよくないというのは、それが重大な原因でしょう。」
「ははあ。」
「あの娘、なかなか浮気者で、金づかいがあらくて、見たところはおとなしそうですが、とんだ食わせものです。それにまたおやじの住職というやつ、評判のしたたかもので、いくさのあいだは従軍……つまり大陸に出かせぎ坊主をやってましたが、今日では骨董《こっとう》ブローカーで、かなりもうけたようで、新円階級ですよ。似たもの親子だか、夫婦だか、おおかた掻《か》きあつめたあぶくぜにで、いっしょに温泉にでも行くんでしょう。」
こちらがくすりともしないでいると、そのひとは吐き出すように、
「どこにでも勝手に行くがいいや。」
そういって、肩でわらった。
喜寿童女
江戸下《した》谷《や》数寄屋町の妓《おんな》に花というものがいた。このもの、容姿と捷悟《しょうご》と多芸と、またすこぶる浮気の性をもって嬌名《きょうめい》一時に鳴った。当時すでに市《し》井《せい》の無名子の筆にかかって、見聞録ふうの雑記の中に、その一項として、名《めい》妓《ぎ》花女の記事が出ている。筆まめな無名子はひとりではない。わたしの目にふれたかぎりでも、ちがった写本が三種ある。しかし、刊本にはついぞこれを見ない。写本の記事はいずれもみじかく、内容は大同小異、花女は老いてもなお精気おとろえず、生涯《しょうがい》に男を知ること千人を越えて、その色道の附合のおよぶところ、役者には七代目市川団十郎、画師には五渡亭国貞、狂歌師には芍薬亭《しゃくやくてい》長根なんぞがあったという。ただ、いずれの記事も、ある年次については一致している。それは天保《てんぽう》四年癸己《きし》三月一日、午さがりから夕刻にかけて、上野山下の料理茶屋河内《かわち》屋《や》にて花女の七十七歳の賀宴が催されたということである。そして、その賀宴の直後におこった事件についても、記《しる》すところみなおなじ。すなわち、花女は河内屋を出たのち、つれのものも気がつかないうちに、夕闇にまぎれて、ふっとすがたを消して、夜陰におよんでも家にもどらず、そのまま行方知れずになったという。ひとびと、おどろいて、手わけして諸方をさがしたが、さっぱり判らない。喜寿の祝とはいっても、身のほどをわきまえて、おもてむきには名のらず、さる札差《ふださし》の肝煎《きもいり》で、河《か》東節《とうぶし》のさらえと称して、客筋、芸人仲間、ごく内輪のものばかりあつまったのだから、官のとがめを受けたのでもない。神かくし。江戸ではよくあったことだが、こどもならばともかく、老妓の例はめずらしい。おそらく、この神かくし一件が巷《ちまた》の好奇心をそそって、無名子に筆をとらせたのだろう。花女が色道の罪ほろぼしのためにひそかに尼法師になったとか、巡礼の旅に出たとかいう当推量は、筆まかせの蛇《だ》足《そく》にすぎない。その後、消息はまったく絶えて、跡なし。これだけである。しかし、これだけのことならば、わたしが今さら書きつたえるにはおよばなかった。
ちかごろ某家の古書売立あり、そのこぼれとして、古ぼけた写本一束がわたしの手に入った。もともと一束にあつかわれるくちだから、これというほどの本ではないが、中について、うすい二部の書を一冊に合綴《ごうてい》したものがある。題して、一は妖女《ようじょ》伝、他の一は妖女伝続貂《しょくちょう》とある。内容をざっと読みかけて、たちまちわたしは意外におもった。そこにはかの花女の神かくし後の成行が記されていた。こういうものがどうして一束の中にまぎれこんでいたのか。なるほど、体裁はよろしくない。いくさのあいだ、防空壕《ぼうくうごう》にでもぶちこまれたことがあるらしく、表紙がちぎれて、水のシミまで附いて、本文ところどころ汚損のため判読に便ならず、まさに屑本《くずほん》のていたらくである。わたしもはじめはつまらぬ写本のように見くびったが、仔《し》細《さい》に検するに、どうやら稿本とみとめた。しかも、この本には本としての由来がある。そのことはのちに書こう。まず順を追って、妖女伝から見る。
妖女伝、筆者の名字号をしるさず、序跋《ばつ》年記もないが、本文の記事から推して、おそらく嘉永末年ごろのものか、美濃《みの》罫《けい》紙《し》にて墨附十七丁、すこぶる達筆の細字をもってカナまじりに書かれている。ただし、達筆のわりに、文章は妙といえない。ときには論孟《ろんもう》なんぞの章句を引いて時世をなげく口ぶりもあり、ときには平談俗語をはさんで稗《はい》史《し》まがいの手つきも見せながら、この漢文くずしはどうも生硬である。学殖はあっても、筆をとることに慣れないひとが書いたものにちがいない。したがって、原文そのままに写したのでは、読みづらいのみならず、漢字漢語を目のかたきにする今日に通用しないだろう。そうかといって、この材料を仕立直して、週刊雑誌むきの絵入読物を一箇でっちあげても、わたしの自慢にはなるまい。わたしはほぼ原文の意を取って、無用の叙述をけずり、またみだりに潤色をほどこさないようにして、その大体を左につたえる。もし拙文にも稗史まがいのところが出たとすれば、それはつい商売の癖というよりは、むしろ原文の影響を受けたものと見るべきだろう。
かの天保四年三月一日の夕ぐれ、花女がすがたを消したころ、河内屋からほど近く、おなじ上野の山下に岡村といって、これは当時てんぷら茶漬《ちゃづけ》をもって売りこんだ店の、いれごみの座敷の隅《すみ》に、柱を背にして、坊主あたまの客がひとり、ちびちび酒をのんでいた。あたまは丸めていても、あきらかに僧侶《そうりょ》ではない。年のころは四十がらみ、あぶらぎって、渋ごのみの風采《ふうさい》はわるくないが、いくぶん伝法の気味があった。そこに、武家の若党と見えて、こころきいたらしいのが、つとはいって来て、坊主あたまのまえに、「先生」と、声をひそめてなにやらはなしかけた。世間ばなしのていで、ふたりとも、さりげなく、茶漬まで食って、やがて座を立った。そのおりに、坊主あたまのもらした一言。「うまくいったな。」そばにいた女中がふと聞きつけたが、なにがうまくいったのか、もとより気にとめるわけがない。ことばはたれの耳にも入らないにひとしかった。しかし、花女の神かくしの件につき、外部にもれたことばといえば、この内容不明の一言のほかにはなにも無かった。
岡村の店からすこし離れたところに、薄闇にまぎれて、黒塗の駕籠《かご》が一丁待っていた。坊主あたまが乗り、若党が徒《かち》でしたがって、棒鼻は小石川白山《はくさん》のほうにむけられた。駕籠の著《つ》いたところは、薬草園のほとりの、庭ひろく構えたさる「下屋敷」であった。妖女伝はここに「下屋敷」とのみ記して、その大名のなにものであるかをいわない。伝中、公儀に係りのある固有名詞はつとめてこれを伏せているように察せられる。ただかの坊主あたまの名は、これをあらわして憚《はばか》らない。すなわち、千賀一栄というものである。
一栄の父の千賀氏は幕府天文方に属して、数学をもって仕えた。一栄もまた早くから天文暦数の理をまなんで、いささか才能を示した。ある年、父にしたがって長崎にあそぶ。父の意は子に蘭学を仕込むことにあり、子も西洋究理の学のめずらしいのをよろこんで、はじめのうちは修業をおこたらなかった。しかるに、中道にして、少年はたまたま唐館を過ぎて一清人《しんじん》に逢い、その修めるところの術の神妙なるものをうかがい知るにおよんで、鬼に憑《つ》かれたように、即座に清人の門に入って、ふたたび蘭学にもどろうとしない。かの神妙の術とは、清医胡兆新《こちょうしん》伝来の秘法であったという。またおなじころ、少年はふと丸山の遊里にまぎれこんで、茶屋酒の味をおぼえて、小うるさい庭訓《ていきん》よりも糸竹の音を聴《き》くことを好むようになった。ほどなく、父は幕命に依って帰府。子はなお学習をいいたてて、ちとの金をたばかり取ったが、じつは妓《ぎ》院《いん》の食客、浮《ふ》生《せい》おもしろく崎《き》陽《よう》にとどまる。やがて、そのよしが知れて、父からは勘当、すでに一ぱしの道楽者ができあがっていた。その後、年をへて、一栄が江戸に舞いもどって来たときには、父はとうに死んで、家は姉聟《あねむこ》の代、親類はどこも鼻つまみ、こちらからも寄りつかず、すなわち器用にまかせて町医と化けて世をわたるに、これが長崎仕込という評判で、専門を気にするやつもなく、商売おおきにはやった。のみならず、一栄はどうやらかの下屋敷の大名の眷《けん》顧《こ》をこうむって、これこそ正真の長崎仕込の、胡兆新伝来の秘法を実地にこころみる好機をえたようであった。その仔《し》細《さい》はつぎのくだりに見える。
さきの年、くだんの大名は江戸城の大奥に世にまれな一物を献上した。五色鶏。その名のごとく、羽毛五色にかがやく生ける鶏である。これをうるには、どうするか。鯉《こい》の目方数斤におよぶもの一尾、はらわたを去り、硫《い》黄《おう》を腹に詰め、瓶《かめ》の中に入れて密封する。冬七日、秋五日、これを取り出して、粉末に砕く。さて、鶏を餓えさせること三日、かの粉末を食わせれば、羽毛ことごとく脱けて、あらたに五色を生ずという。この法をおこなったものは一栄にほかならない。
五色鶏すでに献ぜらる。妖女伝には「いたく御意に叶《かな》ひ、稀《き》代《たい》のものよとて、日夜おん手づからこれを愛玩《あいがん》したまひて……」と書いてあるが、なにものがこれをよろこんだのか、この文の主格はあきらかでない。しかし、それが将軍家斉《いえなり》をさしていることは、前後の文意から容易にあたりがつく。そういっても、右の「愛玩」しかじかのあとにすぐつづけて、「つひに枕席《ちんせき》を去らしめたまはず」とあるのは、何の意か。けだし、五色鶏は淫具であった。将軍、鶏を犯す。鶏すなわち死す。家斉もとより荒淫、妻妾《さいしょう》五十人をもってかぞえたが、年すでに花《か》甲《こう》、ようやく尋常のたのしみに倦《う》み、閨中《けいちゅう》に珍奇をもとめたのだろう。鶏は一時のたわむれのみ。そのしきりに欲したのは、もはや成人の女ではなくて、年いまだ破瓜《はか》に至らない童女であった。童女の美なるものはいくらもいる。はやく、これをこころみもした。ただ童女にしてよく閨房の事に通じ、その千変の妙技に熟したものというと、これはやすやすと見つけがたい。将軍もまたなやみあり。そのなやみは側近につたわり、側近よりかの大名にもつたえられた。
大名はまさに将軍の欲するところのものをえようとして、これを一栄に謀《はか》った。ときに、一栄は目に異様の光を発して、おののくばかりに感動したそうである。
「それがし愚鈍の身にして多年殿の高《こう》庇《ひ》をかうむる。この期を逸しては、なにをもつて君恩に報ぜんや。ここに胡《こ》氏伝来の法に、甘菊の秘法といへるあり。もつとも、これ当流第一の奥《おう》儀《ぎ》なれば、よのつねのものならず。かの五色鶏のごときは児女のもてあそびにて、また白雀《はくじゃく》、緑毛亀《りょくもうき》、千里酒、千里茶のたぐひならば即座にも調《ととの》へたてまつるべきも、およそ甘菊の秘法をおこなふにあたつては、まづ肝腎《かんじん》の一物《いちもつ》なくては叶《かな》ひがたし。ねがはくは、ことし歳次癸巳、七十七歳の老女にして、かねがね色道練磨、その好きごころ今なほ妙齢のむかしに減ぜざるがごときものをえて、これをそれがしの手にあづけたまはらば、すなはち玄妙の秘術をほどこして、五年のあひだに、衰残の老媼《ろうおう》をも変じて多淫の童女と化し、容色年《ねん》歯《し》のごときは望みたまふままに作りなしまゐらすべし。当流にては、この修《ず》法《ほう》、一世一度と厳に定められたり。それがし精進潔斎、身命をなげうつて、この儀うけたまはり、もつて大樹《たいじゅ》の淫慾をみたさしめ、別しては殿のおん宿願を助けたてまつらん。」これが医師の答申であった。まことに星のめぐりに狂いなく、右のことばに応ずるように、あたかもよし、この年七十七の花女の賀宴があった。白羽の矢はここに立てられた。
その河内屋の宴のおり、顔を出した客筋の中に、この大名の留守居役某がいた。もとより粋人、かねて花女のひいきであった。宴の肝煎《きもいり》はさる札差とつたえられるが、かげの策師はおそらくこの某か。某は夕刻かえりがけに、ひそかに花女の耳にこうささやいたという。「近く柳橋にて茶番の催しあり。その趣向につきて、そなたの智慧《ちえ》を借りたし。一座をあつといはせる所存なれば、他人に聞かれてはおもしろからず。そなたとふたり、ごく内密に、この場から落人《おちうど》としやれて……」ということになって、ひと目を避けつつ、庭さきから裏木戸に、かねて用意の駕籠、女を乗せたにしては供まわりきびしく、これがつい白山に飛んだ。その知らせをうけて、てんぷら茶漬の坊主あたまが「うまくいったな」とおもわず一言もらしたのは無理もない。一世一度の甘菊の秘法。「宿願」は大名よりも、むしろ坊主あたまに係っていたようである。
さて、下屋敷の離れにつれこまれて、「茶番の趣向」じつはこれこれと聞かされたとき、花女はおどろくかとおもいのほか、にっこりしていうことには、「妾《わたし》は幼より淫を好み、男とあれば武家と町人とをきらはず、優倡《ゆうしょう》より緇衣《しえ》に至るまで、これと交らざることなし。然《しか》れども、身は溌賤《はっせん》の妓なれば、いまだ高貴のおん方のあぢはひを知らず。揣《はか》らざりき、今ふたたび花容のむかしにかへつて、大樹《たいじゅ》の枕席に侍し、情の発するところをおこなつて、無上のたのしみを極めんとは……」と、二つ返事で今日のことばでいえばゴキゲンですらあったが、さすがに一沫《まつ》の不安を示した。かの五色鶏とおなじように、七日とたたぬうちに、いのち死ぬのではないか。その懸《け》念《ねん》であった。このとき、かたわらの千賀一栄、からからと笑って、さとしていうことに、「知らぬうちこそ、さもあらめ。案ずることなかれ。そなたの前生はことし七十七歳をもつて終れども、わが秘法の力をかうむるときは、そなたの後生はことしよりかぞへてさらに七十七年目の、己《き》酉《ゆう》の年まで、玉の緒の絶えることなしと知るべし。しかも、花の色もまた永く移ることなからん。これこそ不老長生の秘術なれ。むかし、秦《しん》の始皇帝、万乗のおん身をもつて、この術を東海にもとめて、つひに得たまはず。そなた、身は塵網《じんもう》の中に落ちたれど、たまたま時のよろしきにめぐり逢つて、今まさにこの至福をさづからんとす。ゆめ疑ふべからず。」不老長生。このことばに、いつわりは無かった。ただその「不老」とはどういうことか。それはのちに花女が身にしみておもい知らなくてはならぬことであった。
一栄ここに甘菊の秘法をおこなう。さいわいに、下屋敷の近くに薬草園がある。すなわち三月上寅《じょういん》日に苗を採り、名づけて玉英という。六月上寅日に葉を採り、名づけて容成という。九月上寅日に花を採り、名づけて金精という。十二月上寅日に根を採り、名づけて長生という。四味みなカゲボシにすること百日、それぞれ等分に取合せて、杵《きね》にてつくこと千たび、かくて粉末をうれば、これを蜂蜜《はちみつ》にて練って丸をつくる。丸の大きさ青桐《あおぎり》の種子のごとし。この間ほぼ一年、花女は邸内の離れにとどめられて、食は堅く魚鳥の肉を禁じ、ただ菜根をもって身をやしなう。あくる天保五年三月、吉日を卜《ぼく》して、これより丸を服しはじめる。一服七丸、清酒をもってこれを下す。一日三服。つづけること百日にして、身かるく気うるおう。一年にして、髪の白きものは黒く照る。二年にして、歯は落ちてあらたに生ずる。五年にして、老女は変じて童女となる。
五年の期みちて、すなわち天保十年三月、幼童花女ついに成って、よわい十一歳をあたえられた。一栄はさらに秘法を凝らして、三月三日に桃花を採り、七月七日に鶏血を採り、二味を和して童女の顔に塗れば、顔は光をはなつこと花のごとくであった。おなじ年の秋、名花はじめて大奥に入る。身分は奥医師千賀一栄の養女としてある。すでにして、一栄は幕府医官の列にのぼっていた。
家斉はこの非常の童女をえて「われ王母千年の桃をえたり」とさけんだそうである。しかし、妖女伝はただ「御喜悦の状筆紙につくしがたし」とだけ記して、さきの五色鶏のときほど形容のことばを費していない。おそらく筆紙につくせなかったのは、筆者みずからのなげき、いきどおりのように推される。美辞をつらねるまでもなく、「千年の桃」のききめはてきめんにあらわれた。このころより、家斉ほどのvert galant も、気力にわかにおとろえ出して、翌天保十一年の秋には中風の床にたおれ、越えて明年、天保十二年閏《うるう》一月三十日、行年六十九をもって死んだ。その死の床にあっても、なお花女の手をもとめて、よだれをながしながら号泣したという。
わたしは妖女伝をここまで読んで来て、家斉に花女を献じた大名というのは、てっきり女謁《じょえつ》をもって将軍の寵《ちょう》をえようとくわだてたもの、すなわちかの中野石翁なんぞと同心のものででもあろうかと、漫然そうおもいなしていた。しかるに、つぎの記述はわたしの早《はや》合《が》点《てん》をとがめるにたりた。筆はたちまち激越の調をおびて、こういう。
「国に奸邪《かんじゃ》の小人《しょうじん》あつて明君の徳をそこなふことは史上その例多しといへども、かの奸臣の悪計のごときは古来その比を見ざるものなり。奸臣一味のものども、かねて西丸《にしのまる》様(家《いえ》慶《よし》)に媚《こ》びへつらひ、大御所様(家斉)を目の上の瘤《こぶ》と見奉つて、その色を好ませたまふ隙《すき》に乗じ、妖女を献じて、淫毒をもつて天寿をちぢめまゐらすと覚えたり。しかも、先君御他界の後は、三年その制を改むべきにあらねば、新君を諌《いさ》めて孝子の道をつくさせ奉るべきに、左はなくて、一味のめんめん、廟堂《びょうどう》に押しのぼつて羽翼を張る。口にはさかしらに享保の善政にかへるべしなんどと、しきりに改革を唱へつつも、実はただ私腹を肥やし衆庶を苦しむるのみ。天あにこの不義を許さんや。はたせるかな、三年を出でずして、巨《きょ》魁《かい》まづ台閣より逐《お》はれ、ついで封を削られて……」
文中「奸臣」というのは、あきらかにかの大名をさしている。そして、もし「巨魁」もまた同人とすれば、それは実在の水野忠邦《ただくに》に相当するもののように解せられる。わたしは江戸城内の裏面史に暗いから、事の真偽を知らず、したがって水越にとって寃《えん》なるや否やを弁ずることができない。記述はなお花女一栄の後日にもおよぶ。
「また千賀一栄といへるは、かの奸臣一味の間者《かんじゃ》として陋巷《ろうこう》より奥医師に這《は》ひのぼれるものなれども、巨魁はじめみなみな沈落の際にあたつて、何のお咎《とが》めもかうむらず、その職にとどまるのみか、かへつて目にあまる増長慢は、世にこれを憎まざるものなし。その仔《し》細《さい》如何《いかん》となれば、手妻のたねはかの妖女にあり。この童女、大奥より親許《おやもと》なる千賀宅にさがり来《きた》りしが、両人しめし合せ、奸智をめぐらして、富貴の諸侯と見れば媚をもつて狎《な》れちかづき、権門には色仕掛、官辺には賄《わい》賂《ろ》、つねに時の権勢と縁故を絶つことなく、もつぱら不義の栄華を極めたり。そもそも、花女なるものは、年をへて容色さらに旧とかはらず、肢《し》体《たい》もまた童形を保つこと然《しか》り。世に不思議はすくなからざれど、これ当時七不思議の随一なるべし。また近きころのことにて、さる嘉永酉《とり》どし(二年)、表医師奥医師一統に外科眼科のほかは蘭方御禁止のむね仰出《おほせいだ》されたるは、かねて洋学ぎらひの一栄が裏にまはりての小細工ならずやと、うはさ紛紛たり。洋学の門戸またしても閉ざされたるは、国益のために真に惜しむべく……」
妖女伝はこのあとに花女一栄の「奸智」のいろいろ「栄華」のさまざまを記して、悪人かえって善果をうる世のすがたをなげきつつ、筆を投げている。末段に至って、文字の書きぶりのみだれているのは、筆者の憂患のせいか、老年のためか。しかし、みだれながらに、草行の字画あやまたず、文章の意気かえって揚っているように見えるのは、尋常書生の筆写には似ない。さだめてこれ自筆の稿本である。筆者の正体はついに知れない。おそらく天保より嘉永の間、政治の外に立って、幕府の運のかたむくのを見つめていた直参《じきさん》の士だろう。その蘭方の禁を難ずる口吻《こうふん》をおもえば、あるいはこのひとみずから洋学にこころざしを潜めた医官の一人か。
この妖女伝という稿本には喜多村氏の蔵書印がある。もし伝の筆者が幕府医官のように考えられるとすれば、この印章を見て、かの五月雨《さみだれ》草《ぞう》紙《し》の著者、龍尾園喜多村香城をおもうのは自然のいきおいだろう。いそいでことわっておくが、わたしはいきおいに乗って、香城老人をもって伝の筆者に擬するのではない。反対に、伝の文と五月雨草紙の文とをくらべれば、あきらかに呼吸がちがっている。また、わたしは香城の墨蹟《ぼくせき》を見なれてはいないが、筆つきも相似とはおもわれない。ただ臆断をあえてすれば、伝の筆者は幕府医官としておそらく香城の先輩であり、その稿本がのちに龍尾園に秘められたのではないかというのみである。冊のおわりに、本文とは似ない書きぶりで、勿妄出于門外の六字が記されている。これあるいは香城筆か。この推定がまちがったとしても、印章の喜多村氏を香城とすることは、かならずしもわたしの臆断ではない。ここに合綴された妖女伝続貂の記事がよそながらそのむねをほのめかしているようである。
妖女伝続貂。墨附九丁。さきの伝とおなじく美濃《みの》罫《けい》紙《し》を使っているが、このほうは柱に榛原《はいばら》製としてある。序跋《ばつ》年記のないことも、またさきとおなじ。しかし、内容を見れば、この筆録が明治末年か、遅れても大正のはじめに係ることは判然としている。これは明治のジャーナリズムに於《お》ける慣用の文語体をもって書かれていて、小説ふうではない。筆蹟はまあまあか。筆者は氏名を出さないで、文中に迂《う》生《せい》をもって一人称としている。そして、記事のところどころに「鋤雲《じょうん》先生御咄《おはなし》に」とか「故先生仏蘭西《フランス》より御帰朝後に」とかいう文句が見える。この「迂生」は粟本《くりもと》鋤雲の門流にちがいない。鋤雲はいうまでもなく香城の弟である。臆測するに、かの妖女伝の稿本は香城鋤雲をへて迂生(便宜上遠慮なくそう呼ぶ)の手にわたり、迂生がさらに続貂(いいおとしたがこれもまさに稿本)を書いて、合綴……さあ、合綴が当人の手に依ったものかどうかは判然としないが、それはどちらでもよいだろう。続貂ということばには、先人をおもんずる気味がある。もしかすると、妖女伝の筆者について、そのひとは識らなくても、その名だけは、迂生は聞きおよんでいたのではないか。もしその名を知りながら、それを記事の中に出さなかったのだとすれば、先人のみずから顕《あら》わすことを欲しなかったところを、迂生もまたあとから顕わすことを憚《はばか》ったのだろう。ここに至って、わたしはふと気のついたことがある。さきに妖女伝の文章の部分について、稗官者流のはしくれにほかならぬわたしがいささかこれを見くびってみだりに「稗史まがい」といった。じつに、その「稗史まがい」の形式に於て、筆者は著意《ちゃくい》して内容の真実を守ったのではなかったか。すなわち、もしや後人の目にふれたとき、それがウソとしか見えないように、筆者は真実という白烟《はくえん》を秘めるために「稗史まがい」という手《て》筥《ばこ》を撰んだのではなかったか。その「稗史まがい」の細工の器用か無器用かは、稗官者流ではない先人の問うところではなかったのだろう。けだし、先人の苦衷の存するところである。わたしはみずから戒める。うっかりした口をきくものでない。
さて、続貂の記事はなにを告げているか。わたしは叙述をいそがなくてはならない。さいわいに、迂生さんの文章は新聞記事的に敏速また簡潔なのだから、わたしもさっさと書き飛ばすことができる。記事の内容は明治以後に於ける花女の成行に係っている。その明治以前を語らないのは、今日の流行語を使っていえば、そこに断絶があるからだろう。また千賀一栄の名がさっぱり見えないのは、この人物がとうに死んでいたにちがいないからだろう。材料の出どころは明白でないが、おそらく鋤雲先生および門下の迂生みずからの見聞を主として、いくらか又聞の又聞もまじっているようである。記事は編年体を取らない。また日附に拘泥していない。また感想もしくは短評のたぐいを挟《はさ》んでいない。わたしのせっからにとって、好都合である。
明治以後、花女のすがたが最初にひとの目にとまったところは横浜であった。そこに、十一歳の童女が水のほとりをあるいていた。ひとは迷子かとおもったそうである。しかし、つれがあった。つれは異人すなわちイギリス人と見られた。場所は横浜とはかぎらない。東京に、横須賀に、大坂に、神戸に、また札幌にまで、花女は転転とした。そして、つれはいつも異人。それがときにフランス人、ドイツ人、ロシヤ人、アメリカ人、イタリヤ人、中国人、ついに国籍不明のものにまでおよんだ。十一歳の童女は万国旗をもって飾られたようである。服装もまたそのときに応じて万国的であった。そういっても、日本のきものと縁が切れたわけではない。剣客榊原《さかきばら》健吉が剣術興行をぶったとき、その小屋掛に振袖《ふりそで》をきた花女があらわれて、剣舞を演じたという。その剣舞すがたはのちに日比野雷風一座の呼物にもなった。すでに剣舞である。さらに玉乗の小屋に出たにしても、あやしむにたりない。ひとが花女をもとめて見つからないときには、やっぱり振出しの横浜に行って、そのいつかあらわれるのを気ながに待つほかなかった。この土地に富貴楼の倉ときこえたものが花女のめんどうを見ているといううわさであった。やがて、明治も四十年を過ぎた。十一歳の不老にとって、たった四十年が何だろう。ある日、盛装した花女がハルピンの駅頭に立った。つれは、異人ではなく、このときはじめて日本人であった。突然ピストルが鳴って、伊藤博文という名の、その日本人が血に染んでたおれた。その場から、花女はすがたを消して、どこに行ったのか、ひとがあちこち行方をさがしたが、ついに見つからずじまいになった。のちに、伊藤博文の遺品である旅行用のシナ鞄《かばん》がひらかれたとき、その鞄の底に、あまたの淫具の下にうずもれて、小さい童女の人形がひそんでいたのを、ひとが見つけ出した。人形の顔は生ける花女の顔そっくりに光をはなって冴《さ》えていたが、著《き》せられたものはといえば、どこの国の服装とも知れず、ふれる手に音なく、たとえば枯葉の枯れきっておのずから裂けるように、つい剥《は》げ落ちて、さらし出された胴体はほとんど人間の死体と変らなかった。
ここに、迂生子、はじめて感慨を記していう。
「嗚呼《ああ》、明治四十二年十月二十六日。指折り数ふれば、まさにこれ天保四年より七十七年目に当る己《き》酉《ゆう》の年に非ずや。迂生じつに奇異の感を抑へんと欲して能《あた》はざるなり。花女の霊はいづこの天に飛びたるか。その肉はいづこの土に化したるか。あに霊肉混然として元素に帰せりといはざるべけんや。迂生ここに於てそぞろに奇異の感を二重にせずんば非ず。この夜眠らんと欲して両眼いよいよ鋭く闇黒を見たり。たちまち一事に思ひあたつて、駭《がい》然《ぜん》床を蹴《け》つて絶叫せんと欲す。おもへ、かの十一代将軍も、今また春畝《しゅんぽ》公も、両位の英雄ともに行年六十九をもつて薨《こう》じたることを。迂生さらに奇異の感を三重にせずんば非ず。」
それが人生の真実ならば、奇異の感を何重にもめぐらしてみたところで、感慨は無きにひとしい。
解説
佐々木基一
石川淳氏は、従来の短編小説と、自分の書く短い小説を厳密に区別しています。「採集された材料の醗酵《はっこう》と、書く気の起る好機を狙《ねら》っている作者の心理とがペン以前に結託してしまい、筋も立ったし、モティフも動き出したし、作品の世界はすでに工合よく某所(たぶん作者先生の鼻の頭か)に設計済で、すべて何かの拍子でそうなった神韻縹渺《ひょうびょう》たるけしきの中に、作者は早くも有頂天、おかげでペンのほうは至って閑散、努力などと野暮な沙《さ》汰《た》に及ばず、ただ握られた手の油汗に軋《きし》みながら、乙な表現を探《さが》してうろうろするばかりというような」、いわゆる短編小説はすでに歴史的に完了したジャンルであって、いま自分がどんなにうまい短編小説を書いたところで、絶対にアナトール・フランスの短編小説を越えるわけにいかないだろう、とすでに戦前に『文学大概』のなかに氏は書いています。
それにたいして、石川淳氏の「短い小説」は、いわば「ペンとともに考える」方法によって書かれるもので、すでに過ぎ去った出来事を書くかわりに、現在進行中の出来事を書く、いや、作者がペンを走らせるにつれて出現してくる可能性としての出来事を書くことに主眼をおいています。或る出来事が次の瞬間にどういうように進行するかは、あらかじめ決定できない、そういう不確定の状態における可能性を、現実そのものの進行よりも一足さきに先取りすることを目的とした小説が、或る種の象徴的な、あるいは幻想的なスタイルをとって出現しなければならないのは、至極理の当然でしょう。象徴や幻想は、客観的なリアリティから遊離した架空のものだ、たんに主観的なものだ、と世の常識派は言いますが、はたして象徴や幻想はリアリティとは別ものでしょうか。
「幻想的なもののなかにあるもっとも驚くべきことは、幻想的なものは存在しなくて、すべてがリアルだということである」と、超現《シュール》実主義《レアリスム》の主導者アンドレ・ブルトンが言っています。石川淳氏がシュールレアリストとどれほど深い因縁をもっているかわたしは知りませんが、石川淳氏の作品における象徴や幻想のすべては、たしかにアンドレ・ブルトンの言うように「リアルだ」とわたしの眼に映ります。
この文庫には、戦前および敗戦直後の石川氏の「短い小説」ともう少し長い中編小説とを収録しました。さらに一編だけ、昭和三十五年の作である『喜寿童女』を加えましたが、それは、たとえばもっとも初期の作品『山桜』(昭和十一年)と、それからほぼ二十五年後に書かれた『喜寿童女』とを照応させることによって、石川氏における一貫した方法論と、氏の独自のスタイルを形成している象徴の意味を、はっきりと浮き上がらせることができるかも知れないと考えたからにほかなりません。
まず『喜寿童女』からみて行きましょう。これは、江戸末期に七十七歳までの生涯のうちに千人の男を知ったという色好みの芸《げい》妓《ぎ》花女が、喜寿の祝いの宴席からふっと姿を消したまま永遠に消息を絶った、ところが実は花女はさる大名に仕える仙術士《せんじゅつし》によって、不老不死の妖術をほどこされ、十一歳の童女にして淫女《いんじょ》に変身させられていた、という一見はなはだ荒唐《こうとう》無《む》稽《けい》な物語です。しかし、この変身譚《たん》はたんに面白おかしい物語としてではなく、むしろきわめて切実なリアリティをもって、わたしたちに嘘《うそ》の真実性を否応《いやおう》なく信じこませます。童女に変身した花女は、ほんとうは催淫薬の比喩《ひゆ》的表現だと言ってしまっては、実《み》も蓋《ふた》もなくなってしまいます。それほど、花女は、変身前の姿においても変身後の姿においても、まがいもなく生《なま》身《み》の女性としての体臭をはなっているのです。しかし、この物語は、たんに実在の女性である花女の特定の生涯とその後の運命を叙述したものではありません。むしろ、花女は女性というものにつきまとっている永遠に女性的なるものの一側面の象徴になっています。またセックスの対象でしかない女性が、現実社会のなかで、現実政治の舞台でつねに何かの道具として利用される、その哀れな機能の象徴にもなっています。花女は永遠に再生産されつづける女性の性を象徴しているので、彼女が不老不死の童女に変身することが、文学的にはリアルなものとして感得されるのです。
『山桜』に出てくる人妻京子の幻影も、その意味できわめてリアルです。その意味でというのは、すでに去年病死しているはずの京子が、この小説の主人公のうちでは、女性なるものの永遠のイメージに昇華され、愛の象徴と化している、ということです。だからそのイメージは幻影としてあらわれるほかなく、また幻影としてのみリアルでありうるのです。またこの作品の終りの方に、乗馬服を着た京子の夫善作が、緋《ひ》鯉《ごい》のむらがる池の水面に鞭《むち》をふるって打ちつける光景がでてきますが、これは現実の光景でしょうか、それとも幻影の光景でしょうか。いずれにしろ、善作のふるう鞭の水面を打つ音は、まがいもなくわたしの心にぴしぴしとひびいてきます。その響きのリアリティをおいて、ほかのどこに文学のリアリティをもとめることができるでしょうか。
石川氏の小説は、たいてい、いま現に氏の生活している時点からはじまります。つまり氏の眼にうつる平凡・陳腐な日常の出来事からはじまります。そうして、いわば現在進行形のかたちで、出来事のその後の発展が叙述されます。言いかえれば、過去の或る時点を出発点として進行する事件が、より近い過去あるいは現在にいたって完結するというふうにではなく、現在から出発する事件が不確定な未来にむかって進行する、その事件の進展をそれぞれの現在において叙述するというふうに構成されています。またこのような事件の進行過程で、日常的な現実生活が、徐々にかあるいは突発的にか、別の次元に転移されて、幻想的な現実に変化するかと思うと、こんどはまた、幻想的現実が一場の夢でしかなかったみたいに、白日のもとの日常的現実に立ちかえってくる、といったふうに、変幻自在な操作が行われています。敗戦直後に書かれた作品には、この日常的現実の次元から幻想的現実の次元への転移が、多くの場合、聖書のイメージないし観念を媒体として行われています。『焼跡のイエス』(昭和二十一年)『かよい小町』(昭和二十二年)『処女懐胎』(昭和二十二年)などには、その特色がもっともよくあらわれています。しかし、この聖書的媒体を、わたしたちは必ずしも、実際のキリスト教という宗教に関係させて考える必要はないでしょう。聖書のなかの文句やイメージが媒体として多く用いられるということには、それなりの由来があるかも知れません。とくに石川氏の青年時代における精神形成にあずかって力あったものの一端がそこに名残《なご》りをとどめていると言えるかも知れません。しかし、わたしには、『焼跡のイエス』のなかの浮浪児が一瞬イエス・キリストの姿に変り、『かよい小町』の不見《みず》転《てん》芸者染香の胸に癩者《らいしゃ》の斑点《はんてん》がうかび、牛乳屋の牧場に教会の鐘の音がきこえ、『処女懐胎』のなかの少女の身に、まさに神秘的な奇《き》蹟《せき》が起り、最後に「わが羔羊《こひつじ》をやしなえ」という謎《なぞ》めいた呟《つぶや》きをのこして彼女の姿が宙に消えるといったことが、『喜寿童女』における花女の仙術による変身と、本質的にちがうものとは考えられません。また『変化雑載』(昭和二十三年)のなかの怪しい女が、月光のなかを寺の屋根からさらに高く天に昇って行くかのようにみえる幻影も、別のものではないでしょう。「救って、救って」という闇《やみ》のなかでの女の悲痛な呟きから、おのずからに発展するイメージとして、それらの幻影が生れてくるのです。
こういう石川淳氏に特有なスタイルは、たんに技法上の新しさをもとめる、氏の文学的野望から生じてきたものではありません。それが氏に必然的なスタイルとなったのは、氏の強烈な倫理の裏づけが底にあるからにほかなりません。石川氏はつねに、この地上においては、さしあたり、当分のあいだ、あるいは永遠に実現されそうもない理想をもとめています。それが一個のユートピア的夢想にすぎぬことはよくわかっていながら、氏はどうしてもその夢を捨てることができないのです。この夢を、この理想を放棄してしまえば、人間の生活を地上的制約から一ミリも高めることはできない、という信念が氏にはあります。
石川氏のうちに宿るその夢、その理想、そのユートピアが、あるいは聖書の文句やイメージをかりて、あるいは幻想的な超現実のイメージをかりて、あるいは荒唐無稽な仙術のイメージをかりて、じつにさまざまな様相をもって、その作品のなかに映しだされています。いわば、混乱と猥雑《わいざつ》をきわめる不確定な人間の生のなかに、未来にむけての発展の方向線を、一瞬の予感的イメージとして、象徴的に描き出す点に、石川氏に独自な美学がありますが、わたしたちはその美学を支《ささ》えるものとして、同時に氏の強い倫理意識の存在を見失ってはならぬでしょう。
石川氏は、たんに人生の事実を事実として眺《なが》めるだけでは満足しないで、たえず人生の永遠の象徴を探索している作者のように、わたしには思われます。