新潮文庫
生還
[#地から2字上げ]石原慎太郎
目 次
生  還
院  内
孤  島
生  還
私が体に異常を覚え出したのは、父親の七周忌を終え、私が四代目として継いだ木原薬店を木原製薬と名前を変えて三年目、ある動物性の|生薬《しょうやく》を元にした健康薬品で当りをとった|頃《ころ》からでした。
大学を卒業してから五年間勤めた商事会社から専務として家業に戻りましたが、その翌年父親は新製品の発売で目算を狂わし三億五千万の不渡りを出しました。一族を挙げて返済に腐心しましたが、家業を預かって以来彼なりに社業を伸ばしてきた父は、その|挫《ざ》|折《せつ》ですっかり自信を|失《な》くし、健康まで損ねて翌年には|亡《な》くなりました。
その後、母親と母方の実家の手助けも仰いで、悪戦苦闘しなんとか返済を果して、薬業を再開しました。
外国のパテントを買って造った、ちょっとした薬性化粧品が予想よりも良い売行きを示し、息をつけそうになった途端、大学時代からの親友だった男に手形を盗まれ、それが暴力金融に|廻《まわ》ってまたいらざる苦労を|強《し》いられました。
その後、生薬の健康薬品でようやく大当りをとり、会社の新しい基盤も出来たという自信も|湧《わ》いてき、いよいよこれからという頃でした。
失敗につれ成功につれ、それぞれ形を変えたストレスが家業に戻ってからの十年近くつづいて来たことは確かです。過激な競争の場だった商事会社とはまた違って、小さくとも一社を預かる立場の責任は別のものでした。
まだ四十そこそこの年齢ながら、時々一日の仕事を終えた後、今までに感じたことのない疲れを覚えることがありました。疲労は全身というより、いつも凝ってこわばったように背中にかかって感じられました。別段気にもせず、自家製の健康薬と酒を飲んで通しましたが、それで翌日疲れが|拭《ぬぐ》われている日も、二日三日背中の凝りが続くこともありました。そんな時には夜飲む酒の量をふやしてしのいだものです。
しかしその内、背中の凝りは前に廻って胃にかかり、夕方の空腹時、痛みが感じられるようになりました。
新製品の売行きは会社の側からすれば画期的なもので、そのために新しい工場を一つ山梨県にも造りましたし、今まで手がけたことのない派手な媒体を通じての宣伝もものしました。事業は順調にふくらんでい、その自信と満足が私を健康に|無頓着《むとんちゃく》にさせたといえます。
だが胃痛は、|僅《わず》かずつだが確かにその度を増してき、医者の不養生に近く、薬屋ながら|殆《ほとん》ど売薬も飲まず医者にもかからずに過しました。それに痛みは酒を飲むと確かに消えましたし、もともと好きだった酒はその意味でも重宝ではありました。
しかし何カ月かすると痛みはビールやウィスキーでは消えなくなり、|何故《な ぜ》か同じ酒でも、|人《ひと》|肌《はだ》に|燗《かん》をした日本酒だけが効果がありました。
その日の夕方、見知りの田沼教授が会社を訪ねてきた時も、食事にはまだ間がありましたが、いつものその頃やってくる痛みを抑えるために私は秘書に命じて燗をつけた酒を運ばせました。
「もう今から酒を飲むのかね」
田沼は|咎《とが》めるというより|訝《いぶ》かしむように|質《ただ》し、
「ええ、胃の痛みには結局こいつが一番よく効きますんでね」
私は笑ってみせました。
「しかし、そいつはあんまり利口な方法じゃないな。人間て|奴《やつ》は時々勝手に|馬《ば》|鹿《か》をするが」
日頃、口の悪い田沼はにべもなくいいました。
「しかし先生の専門は人間じゃないんでしょう」
「動物には胃痛などないよ。よしんば何かで痛くなったら、彼らは治るまで飲みも食べもしない。結局それが一番だ」
田沼は東京獣医畜産大学の教授をしてい、専門は生化学、家畜の飼料に|関《かか》わる微生物学でした。先代からの縁で、事業にも関わりある化学薬品業の母方の実家とも関係があって、そちらからの援助を受けた研究もしてい、私の父親の死後も会社に出ていた母親に時折何か話を持ちこんで来たりはしていました。
このところの往来は、木原製薬の新製品の成功を聞いて、自分が動物の飼料のために手がけているある薬品を、転じて人間の健康のためにも役立てられる|筈《はず》だ、ということでした。思いがけぬ成功に自信を持った私にとっては、聞く耳をもってもいい提案には思えましたが、計画にはまだひとつ話が|杜《ず》|撰《さん》なところもありました。
田沼は最初は話を私の母親のところに持ちこんでいたようですが、私の成功を目途に一線から退いた母親は、私に取りついだのです。
その時も、母親は、
「あの人のいうことはよく聞いたほうがいいわよ。何なら伯父さんにも聞き合わせたらいい。悪い人じゃないが、でもいろいろ評判のある人だからね」
といいました。
いつ頃からの縁かは知りませんが、木原家と母の実家の取り巻き、というか一種食客のような学者で、田沼の|噂《うわさ》は時折私も聞いてはおりました。かつては画期的な飼料の開発を手がけた実績もあるが、その折にも、どこかから他の目的で引き出した金をその研究に使ってしまって、金銭上の問題を起したこともあり、それが田沼の成功を|相《そう》|殺《さい》した様子がありました。
死んだ父よりも年配の田沼は、初めは私を子供扱いしていた節がありますが、最近は少し態度が変って私を会社の名実の責任者として立ててものをいうようにはなっていました。
いろいろ評判は聞いていましたが、私は時折会社にやって来、いくばくの小遣いなり、研究費のつなぎを手にして帰るこの男が|嫌《きら》いではありませんでした。
金には杜撰とはいうが、年中同じ暑苦しいツイードの三つ|揃《ぞろ》いを着こみ、胸元のポケットには厚い金属縁の眼鏡をさしこんだ、ぶっきら棒にずけずけとものをいう田沼には、世間の評価は別にして、自分の専門への自負と、それがもたらす信念の|潔《いさぎよ》さのようなものが感じられました。いずれにせよ、世間ではそうは見かけぬ人物でした。
|一寸《ちょっと》の間黙ったままでしたが、思い直したように向き直ると、訪問の用件かと思ったら、
「いつからだね、胃の痛みは」
改めて問われて、専門は違っても相手が一種の医師だけに、問われるまま私はことの経過を話してみせました。
ともかく誰か他人に、自分が抱えているものについて話すのは初めてのことでした。話しながら私は、自分が実はどこかでなにかを|怖《おそ》れているのを感じていました。感じながら、自分がそのことを|覚《さと》るのに時間をかけすぎたのではないかと|焦《あせ》るように思いもしました。
それを見通したように、聞き終った後、田沼は専門家の無表情で、
「医者には見せたほうがいいな」
簡単に、しかし断じるようにいいました。
「そこらの町の医者じゃなしに、ちゃんとした病院の方がいいよ。それぞれ得手不得手はあるが、そのくらいのことならどこでも同じだろう。必要ならば、私から紹介してもいい」
その後、言葉を選び直すように、
「急ぐこともないが、いつまでも先へ延ばすことはない」
依頼した通り、翌々日田沼から紹介状がとどき、次の週明け私は第二協立病院にいって診察を受け、さらに翌日胃カメラを飲みました。撮影後担当の医師は、こじれた胃炎ではあるが、小さな|潰《かい》|瘍《よう》もあり、薬物で治療するか|或《ある》いは切るか、どちらでも可能と思われるので、仕事の都合もあるだろうから田沼氏と一度相談されたらどうか、と告げました。田沼には後刻詳しい説明をしておくからということでした。
「どの程度のものなんでしょう」
聞いた私に、
「今いった程度のものですよ。ただ、あなたの胃が健全であるということだけは決してありませんからね。大分無茶をされたようですな」
笑いながらたしなめるように医師はいいました。
翌日田沼から電話がかかり、協立病院からの報告は受けたが、正直いって医師も治療の方法の判断をつけかねているので、君も一層決心をつけにくかろう。念のため、K大病院の内科に改めて依頼をしたので、是非もう一度そちらで診断を受けるようにとのことでした。
K大でも、医師は協立と全く同じことをいいました。そして翌日、田沼はまた電話をして来、後もう一度T大病院へ廻るように告げました。
その週末大事な所用があって私は大阪へ出張し、T大での検診は翌週末となりました。しかしその間体の調子に、私自身がはっきりと覚れるような大きな変化があったのです。
続いて二度の胃カメラでの検診がどんな刺激になったのか、胃痛がまし、何故か最早それを酒で抑える気がしませんでした。そして、大阪の宿で私は重く厚い痛みと吐き気に襲われて吐きました。
痛みは突然胃の|腑《ふ》一杯を占めて、私の意志とは全く関わりなしに胃袋の内側から何か|巨《おお》きな|掌《て》で私の全身を|捉《とら》え引きずり廻そうとするようにうごめいて感じられました。|抗《あら》がいようもなく、胃の腑の内にあるものに、内側から突き飛ばされたようにして私は吐いていました。
発作の過ぎた後、洗面台に吐き出したものを|眺《なが》めながら、私はようやく生れて初めて恐怖をこめた焦りを感じていました。何か全く未知なものが、しかし確かに、自分にせまってこようとしているのを感じながらどうすることも出来ぬ自分に初めておびえ焦り、|眩暈《めまい》を覚えながら片腕で洗面台によろめく体を支えていました。
その夜一晩中怖しい夢を見つづけました。最初は何か目に見えぬ巨きな手が、私の首をつかんでしめつけて来る。息苦しさに抗がってその手を外そうとするのですが、全く|手《て》|応《ごた》えがない。する内その手は首だけではなしに、体全体を包んで押しつぶそうとして来る。
声を挙げて助けを求め、夢の中でその夢からだけ|醒《さ》めてみると、今度は何かに金縛りになったように身動き出来ぬまま、私は辺りを音を立て踏みしだいて過ぎる象の大群の中に|放《ほう》り出されていました。おどろに|轟《とどろ》く象の足音の中で自分の叫び声を聞いてはいても、それが彼らの耳には一向に達しない、ある象はその足でかろうじて私の体をまたいで過ぎ、ある象の足は仰向いて倒れている私の耳元に落ちました。
象たちがようやく通り過ぎていった後、今度は私の体はじとついて何やらうごめくものに満された小さな穴の中に|陥《お》ちこんでいました。気づいて見ると、私の体の周りに大小無数の|蛇《へび》がのたうち廻っている。蛇は体の外だけでなく、私の体の内側からも湧き出していました。胃の腑の中から|這《は》いだした蛇が、内臓の中を這い廻り、そのあるものは食道を逆上って|喉《のど》から|眼《がん》|窩《か》の中に入り込もうとしている。叫ぶにも声が出ない。体の内外から蛇たちは私に食いつきながら押しひしごうとしている。知覚が薄れ全身が冷えきりながらばらばらに解体されていくのをどうすることも出来ず、ただ|喘《あえ》ぎつづけていました。
翌朝、ベッドから半ば落ちかけながら眼を醒ましましたが、それは目醒めというよりは失神からの|蘇《そ》|生《せい》に似たものでした。
翌週T大病院で通算三度目の胃カメラを飲んだ後、私は失神したのです。飲みなれぬものを飲む不快感や苦痛だけではなしに、私の意志とは別に、胃の中にある何かが突然それを拒否し、作業を遂げようとする医師たちとその何かの間に|挟《はさ》まれて、私自身が立往生し意識を失ってしまったような感じでした。
その後医師がどんな処置をしたのでしょうか、気づいた時は別室に寝かされていました。次第に戻ってくる意識の中で、私はまず、自分の|枕元《まくらもと》で話し合う医師たちの声を聞きました。意味は聞きとれはしなかったが、彼らがしきりに私について話し合っていることだけはわかりました。
薄く見開いて見た|眼《め》に視界が|蘇《よみがえ》り、その中で、三人の医師が先刻撮った写真をかざしながら、ひそめ合った声でしきりに何かを論じていました。
私が声をたてたのでしょうか、若い医師の一人が私を見直して仲間へふり返り会話が途絶えました。年配の医師が代って|覗《のぞ》きこみましたが、その医師の|面《おもて》に浮んだ笑顔が、まがいなくつくりものだと何故かすぐわかりました。意識の戻り目に、彼らに感づかれずに聞いて見とったものの|雰《ふん》|囲《い》|気《き》が異様なものだったのを私は感じとっていました。
同じベッドで|暫《しばら》くの間寝たまま待たされ、T大の医師は前とは違って田沼教授|宛《あ》てにしたためた手紙に封をして私に手渡しました。
「これを読んで頂いた上で、御相談になって下さい。余り心配はいりませんよ。さっき気分が悪くなられたのは、時々ショックでああいうこともありましてね。大分お疲れのようですから」
先刻と同じ、表情を感じさせぬ笑顔で医師はいいました。
失神したせいか、体全体が放心したように|弛《し》|緩《かん》していました。体で受けとめ切れぬほどの疲労を感じていました。|萎《な》えそうになる|膝《ひざ》をこらえて歩きながら、だまされてたまるか、と自分にいい聞かせながら必死になって歩きました。
車に乗ってようやく、預かっていた手紙をどこにも|収《しま》わず握りしめたままでいたのに気づきました。
運転手に行き先を問われ、田沼の居どころの知れぬまま、手紙を握り直して会社と告げました。
会社で秘書に命じて|薬《や》|罐《かん》に湯をたぎるまで沸かさせ部屋に運ばせました。内から錠を下し、田沼宛ての手紙の封の部分を薬罐から立ち上る湯気に|晒《さら》して乾きかけた|糊《のり》を元に戻して封を開き、中味を取り出しました。
田沼宛ての手紙には、読み|易《やす》い書体で何やらドイツ語を混えた簡単な文章がしたためてありました。仕事|柄《がら》、会社に備えつけてあるドイツ語の辞書を持ってこさせ、スペルを|検《もと》めてドイツ語の意味を探りましたが、せずとも、書かれている患部の図柄と、記された他の日本語で手紙の意味は理解することが出来ました。辞書はMagenが胃であり、Krebsが|腫《しゅ》|瘍《よう》または|癌《がん》であることをすぐに教えてくれました。
胃の図の|窪《くぼ》んだ部分ともう一つ幽門にかなり大きな印がつけてあり、末期の胃癌、手術不要、そして一カ月後には幽門部が|狭窄《きょうさく》して|嚥《えん》|下《げ》不可能になるだろう、とありました。
もう一度読み直した後、私は着ているものの上から、自分の胃を押えてみました。今、苦痛は感じられはしなかったが、つい先週、あの大阪の宿で発作に襲われ激しく吐いた時のことを思い出していました。そして、自分が目にしたものが決して誤りではない報告であるのを知っていました。
“こうでない訳はない筈だったのだ”
と|何故《な ぜ》かくり返し思いました。
予感していたものが予感通りに到来したと感じると同時に、|呪《じゅ》|縛《ばく》されたような無力感がありました。気づいた時、私は全身に汗し、頭をかかえ獣のように喘いでいました。
何かをこらえるように、両手を握りしめ眼を閉じたままゆっくり数を数えてみました。しかし数は十と幾つかを過ぎるとまた不思議にきりなく元に戻ってしまいました。
こうなりながら何のためにするのかわからぬまま、また手紙を畳んで元に戻し新しく糊をして封を閉じ直しました。
手紙をポケットに収って立ち上りながら、よろめく自分を感じ、足元を確かめるように二度三度足を踏みしめてみました。
秘書を呼び、明日の時間を決め、出入りの保険業者を呼ぶように命じました。告げながら自分が今そう|慌《あわ》ててはいないことに満足しようとしてみました。
田沼に電話もせず、彼の居所も確かめずに出かけようとしていた自分に改めて気がつき、また|坐《すわ》り直し、秘書に電話を|繋《つな》がせました。手紙を預かったのですぐに会って手渡したい、という私に田沼は明日の時間をいいましたが、私は|肯《がえ》んぜず、今日の内にもと告げました。いいながら、それを急ぐことに多分今さら何の意味もありはしないだろうということはわかっていましたが、そう迫りました。
田沼は会社に出向いて来ようかといいましたが断りました。それまで私が彼の居所を訪ねることなぞありはしなかったが、今まさしく、自分が彼に何かを|乞《こ》わなくてはならぬ時であることだけは|判《わか》っていました。
しかし、向う途中の車の中で、今日私が田沼を訪ねることに何の意味があるのかを改めて思いました。すでに封を開いて中味を覗いてしまった手紙を、私の目の前で田沼が読んだとして、何の違いがあるのだろうか。私にも判読出来たあの簡単な宣告を、田沼が、いささかの専門家としてどう取り違えるというのでしょうか。
するとまた突然、つき放されたような、激しい虚脱に襲われ思わず目を閉じました。
その時になってようやく、子供のことを思い、次いで妻を思いました。自分がこの地上から消滅した後の子供の人生と、そして、今私の身に起ったことを告げられた瞬間の妻が何と思うだろうかを。
暫くの間はその思いに執着しましたが、思いは堂々巡りするだけで何の答も出はしませんでした。その後周りを確かめるように目を見開きながら、自分が何故か、同じように取り残される|筈《はず》の母親のことを全く思わずにいることをいぶかりました。いぶかりはしたが、依然、母親についてはどう感じもしませんでした。|反《はん》|芻《すう》するように、明日事実をごまかして自分の身にかけさせる高額の生命保険の受取人を、子供たちを代表させる意味でも妻一人の名義にするように心に決めました。
何やら|蒸溜器《じょうりゅうき》やフラスコ或いは透明なガラスパイプの入り乱れた実験室の奥の、ここも乱雑に置かれた資料や書籍などで混乱しきった小部屋に、田沼は私を迎え入れました。
手渡したT大病院からの手紙を、田沼は目の前で無雑作に開封し胸のポケットから取り出した金属縁の眼鏡をかけ直すと読み下しました。最終行の最後の文字のあたりで視線をとめたまま、何かを考えるように田沼はじっと同じ姿勢のままでいました。
そんな仕草の内に、何か救いのつてを|見《み》|出《いだ》そうとでもするように、私は相手の横顔に目を|据《す》えたままでいました。
やがて、向き直ると、
「なるほど」
とその手紙のしたため手が私であるかのように|頷《うなず》いてみせました。
問おうとした私を|塞《ふさ》ぐように、
「あんた今までに、何か感じたことはなかったかね」
「何をですか」
「自分の健康がひょっとしたら、どんなところまで来てるかもしれない、と」
|一寸《ちょっと》の間二人は見つめ合ったままでいました。
「あるんだろう。いつかいっていたように、胃の痛みを|燗《かん》をした酒で押えたりする度に」
相手がその手紙を読んで、何を画策しようとしても、私は自分の身柄のたらい|廻《まわ》しだけはもうここで終りにしようと思いました。これから二人の間に持たれるべき会話をことからそらさぬために、私は決心して、相手を見直しながらいいました。
「実は、この手紙を途中で開封して読みました。私は知っているのです、その中に書かれていること。ドイツ語の意味も」
「なるほど」
同じように、私の目だけを見つめながら田沼は頷いてみせました。
「その方が、話が早いな」
田沼は微笑し直しました。
「君がそういわなくても、私は、この手紙の内容をそのまま君に伝えただろうね」
「もう、これ以上たらい廻しだけは御免ですから」
「そういうことだろう。しかし、なにぶん、時間がたちすぎてしまったようだな。もっと前なら、思いきって切るなり、他に手はあったのかも知れないが」
「|駄《だ》|目《め》ですか、もう」
「常識的には、そういうことだろうね」
手にした手紙をもう一度開いてのばし、私の目の前に置きながらいいました。
「手術不要というのだから、普通でいけば、間違いなく駄目だということだ」
「普通でいけば――」
いった私を田沼は頷きながら試すように見返しました。
「普通でいけば、百パーセントとはいわない、|奇《き》|蹟《せき》はあるかも知れないからな。しかし、確率はまるで薄かろう」
その後確かめるように私を見つめた後、
「だが、私を信じて|賭《か》けてみれば助かるかも知れないな」
突然いうと、待つように田沼は私を見返しました。
「どういうことです」
「癌は私のやっている研究にも|関《かか》わりがある。これは私の持論だがね。実は、君が初めてではないのだ。前にも一度、完全に手遅れの癌を完全に治した。しかし、その男はその後、他の病気で死んでしまった。彼と同じことをするのだよ。
君が今からやることは、それをとるか、|或《ある》いは、どこか大病院に入院したければ、|勿《もち》|論《ろん》私も口添えするよ、そうして抗癌剤を飲み、千に一つの奇蹟を期待しながら、いろいろ合併症の中で苦しみながらも、後数ヵ月の命を半年なり一年延ばすということだ。どちらをとるかは君が決めることだが、もし君がこれまでかかった医者に相談したなら、連中は必ず笑うだろうがね」
つき放すような無表情で田沼はいいました。
「先生のいう方法とは何なのですか」
「二つの治療をするのだが、まず、ある酵素を集中して飲む。コハク酸の一種でね。しかし、他の医者に相談すれば、彼等は必ず笑うよ。無駄な、というより誰もそれについて何も知りはしないのだから」
「しかし、その酵素というのは――」
「理屈は後からでいいだろう。君に残された道は、それをやってみるか、或いはどこかの大病院で誰もが受けると同じ手を加えられ、早ければ半年、よくて一年先には死ぬことのどちらかでしかない。連中は、実はどうやらそれも余計だといいたいのだろうが」
田沼は指で手紙を指しました。
「今ここで決心はつくまいが、いずれにせよ早い方がいいことだけは確かだな」
「入院するとすれば、どこがいいとお思いですか」
迎えるように微笑はしたが、
「どこでも同じじゃないか。どこも、同じことをいって来ているのだから」
田沼は私にいいました。
「勿論、彼らは私が君に彼らとは別のことをすすめるとは知らずに報告してきている筈だ。ただ、私が彼らにやや近い専門家だから、いやな宣告の役を私におしつけるつもりだったのだろう。ただ私は、この手紙を君が事前に読んでいなかったとしても、これを君のお母さんや奥さんだけに見せるということはしなかっただろう。私は私なりに自分の研究に自信を持っているからね。私はあんたにはまだ自分を救う機会があると信じているが、しかし、それをとるとらぬはあくまで君自身が決めることだ」
混乱の上にさらに混乱が重なってありました。事前に手紙の中味は読んでいながら、田沼がそれに|殆《ほとん》ど注釈をつけずに宣告したことの改めての衝撃と、重ねて彼が初めて聞く非常識な方法を口にしたことで、私は普通一般のこうした際に|強《し》いられる倍の判断をつきつけられていたともいえます。
「気がすむなら、他の誰にでも相談したらいい。|但《ただ》し、医者を含めて誰もが、私の研究については無知だからね。結局は、まあいってみれば、まともな死に方をすすめるに落ちるだろうな」
田沼はいいました。しかし気づいてみれば、私は|未《ま》だそのことについて、妻にも母にも打ち明けてはいませんでした。そのこと自体が大きな負担でした。
それを推し計ったように、
「何なら家族には、ここから電話したらどうだね。私も口を添えてもいいよ」
田沼はいいましたが、
「いや、じかに話します」
「その方がいいかも知れないな」
そういいはしたが、車に帰宅を命じた瞬間に気がひるみました。妻に向って、どんな風にこの突然の出来事について告げていいか想像もつきませんでした。
慌てて会社に向い直すようにいいましたが、その会社でも出たり入ったりする社員たちの間近で、家族にこの不可避な突発事について話すことは出来そうにありませんでした。
しかたなしに、車を捨て歩いて社屋を出、数十メートル先の電話ボックスの|扉《とびら》を開いて入りました。
薄い扉が路上の雑音を|僅《わず》かに隔てた時、仕切られた狭い空間の中で、ようやく一人きりになっている自分を感じることが出来ました。これなら自分が抱えているものを、はたの目を逃れて、何もかも洗いざらい自分の一番身近なものに向ってぶちまけられそうな気がしました。
自宅は話し中でした。その音を聞いていったん電話を切った時、妙な|安《あん》|堵《ど》がありました。自分が心のどこかで、この電話がこのままずっと家に繋がらぬのを願っているのを感じて|焦《あせ》りました。
電話は二度目には繋がりました。手伝いが出、家内を呼ぶように命じて待つ間、今次の一瞬、妻に向って何と話したらいいのかわかりませんでした。
妻が出ました。電話の|雰《ふん》|囲《い》|気《き》が妙だったのか、
「今どこから」
彼女は聞きました。
「病院からだ」
|咄《とっ》|嗟《さ》に私はいいました。
「どうでした」
素直に会話が運ばれそうな気がしました。
「大変なことになった。|癌《がん》だよ、|俺《おれ》は。それももう手遅れの、手術の必要もないという」
なんとか自分に関して今知る限りの言葉をつづけて並べました。が、
「そんな|馬《ば》|鹿《か》な――」
妻はいったきり絶句していました。どれほどの沈黙の後でか、
「とにかく、家に帰って話すよ」
私はいい、妻は頷いた気配で電話は切れました。
丁度|退《ひ》け|時《どき》の街の中を、どこでどんな混雑に遭い、どれだけ時間をかけて家まで帰ったのか覚えていません。
玄関の扉を開けると、ずっとそこでそうして待ち受けていたように、妻が|眼《め》に一杯の涙をためて立ちつくしていました。
何かいおうとした私を、他の家人の目から隠すようにして寝室に促しました。
妻は私の説明を終始黙って聞いていましたが、私が話し終った時待ち構えていたように、
「でも、まだわかりはしないわ」
|抗《あら》がうようにいいました。
「いや、大病院を三軒たらい廻しにされて、三軒とも同じ診断を下しているんだ。俺は間違いなく一年|保《も》たずに死ぬんだ」
「そんな」
「俺もそうは思った。今もそう思っているが、しかし間違いないことなんだ。だから、明日会社に保険屋を呼んだ。今ならまだわかりはしないから、生命保険をかけておく」
妻はただ|訝《いぶ》かしむような眼つきで私を見返すだけでした。
「しかし、そんなことで、何がどうなるものじゃないからな」
だが、妻は|怯《おび》えたように小さくいやいやをするばかりでした。
翌日、私が何を抱えているかも知らぬまま、保険屋は常連の顧客である私に、三億五千万の生命保険をかけました。
その翌日、妻に強くすすめられ彼女が差配してT大病院に入院しました。予期したことでしょうが、私を迎えた担当の医師たちは、歓迎というよりむしろ困惑の表情でした。
入院して三日目、思いがけず田沼が見舞いにやって来ました。丁度回診して来た担当の医師と廊下で立ち話をした後、また顔を|覗《のぞ》かせると、
「何かあったら、いつでも連絡してくれていいよ」
「医者は何といっています」
「何ともいいはしないさ。彼らにすればするべきことをしているだけだ。君が|希《のぞ》む通りにね」
たしなめるようにいうと微笑し、念を押すように頷いて部屋を出ていきました。
田沼がいった通り病院の医師たちは末期の癌患者にするべき処置を|徒《いたず》らに重ねていただけでしょう。そして、二週間すると、投与される抗癌剤の副作用がはっきりと現れてきました。
酒も飲めず胃痛も去らぬまま、顔と体がむくみ始め、|口《こう》|腔《こう》にただれが出来ました。医者は薬の副作用を認め、体がそれに慣れれば新しい健康の進展もあるといいました。
翌日、思い切って田沼に電話をしました。返った答は医師と同じでした。
「君も承知しての|筈《はず》じゃないかね。要するに、そうしたいきさつを重ねていくだけでしかないのだ。勿論、そこから奇蹟が生じないとは誰にもいえはしないが。とにかく彼らにはそれしか方法がないのだよ」
「先生ならどうされます」
「私のいった方法かね。しかしその前に、君が決心して|賭《か》けなくてはなるまいよ。その方がよほど大仕事なのじゃないか」
そそのかすというより、むしろたしなめるように田沼はいいました。
皮肉なことに、田沼に電話をした翌日、顔のむくみは目に見えて前日よりもひどいものになっていました。そしてその夜、私はまた、あの大阪の宿で見てうなされたと同じ夢に|苛《さいな》まれ通しました。夢は私の決心を促したと思います。
次の夜、私は自分の決心について妻といい合いをしました。妻は病院を捨てるという私を非難しました。彼女にしてみれば当然だったでしょう。
「確かに、我々一般の人間にしてみれば病院を頼り、医者を頼る以外にないだろう。しかし、その医者にしても、癌はどうにもならないものなんだ。彼らなりに、今限りで決められたことをやる以外にない。その結果、患者がどうなるかも考えずに抗癌剤を与えて結果を待つ。あの薬になんとか耐えられた患者は、いくらか延命が出来るかも知れない。しかし彼らだってやがては間違いなく死ぬんだ」
「だったら、田沼先生のいう通りにして助かるという保証があるの」
「それは医者にまかすと同じことだろう。ただ、田沼さんにまかしたという人間が少いだけの話だよ」
「この前の人と、あなたとただ二人だけなのよ」
「そうかも知れない。しかし、そうでない方法でやってみた人間で、助かった人間がいるのか。少くとも俺は、この何日間か病院にいて、いわゆる当り前の処置を受け、こんなに短期間で体がぼろぼろになるのを見て、この方法でいく限り、俺は、いや俺もだ、間違いなく死ぬと確信したんだ。だったらいっそ自分でもまだわからぬ方法に賭けてみようと思った。あくまで俺の責任でだ。しかし、その責任はお前や子供のためのものだ。俺はお前や子供たちのために、死ぬとわかりきったことをやって、わかっていながら死にたくはないんだ」
「田沼さんにまかせて、あなたは自信があるの」
「あるものか。まだ何が何だかわかりはしない。しかし、このまま病院にいれば、百パーセント死ぬということだけはわかりきっている。全く|駄《だ》|目《め》だということを、何でしなくちゃならない。|勿《もち》|論《ろん》、この体は俺のものだし、そして、お前や子供たちのものだ。だったら俺は俺の責任で、試してみたい。いや、もうこれしかないんだよ。田沼さんの方法が駄目でも、いずれにしろ俺は死ぬんだからな」
妻は黙ったままでいました。
私もまた、自分がしようとしている試みに何の成算もないのを知りながら、それ以上何もいえずにいました。
駄目だとわかっていることをやるのと、全く他人の知らぬことを私だけが試みてみるのと、その違いが何であるかを知ることの出来ぬままただ自分に、死んだ気になれば何かがどうにかなるかもしれない、といい聞かせていました。最低限、ただひとつ、癌にかかったのなら自分は他の人間と同じようには死にたくはない、と思うことにしたのです。
次の日、私は医師に無断で着替えると病院を出、田沼に会いにいきました。
医者がするように|坐《すわ》った私の正面から向き合い、むくんだ顔を確かめ、荒れた口腔を覗き込むと、
「なるほど」
田沼は|頷《うなず》いてみせました。
「すべて予定した通りの事が進んでいるだけだよ。彼らの方法でいけば、まず例外はないものだからな。このままでいけば、君は間違いなく死ぬだろう。多少の時間差はあっても、終点は見えている。ただ患者として、たまたま君にはすでにそれが見えている、ということの違いだけだ」
「どうすればいいのです」
「だから、私には前にもいったことしかいうべきことはない。断っておくが、私はMワクチンを作った当人のように医者ではない。獣医だ。だから私の方法を誰も治療としては認めはしまい。しかしね、人間も獣も同じ動物なのだ。動物にも癌は出来る。そして私は動物は治している。前にもいった通り私は私の信じた方法で、過去にたった一人だが人間も治したことがある。それを根拠にいっているだけでしかない。彼は他の病気で死んだが、癌だけは治った。彼自身もそれを知っていた。ならば|何故《な ぜ》大がかりにやらぬかというだろうが、いった通り、私は獣医でしかない。私がこれで二人も末期の癌患者にいき会ったのは一種の|奇《き》|蹟《せき》でしかないと思っているよ。
だから、君がその奇蹟を徹底して信じるか信じぬかの問題なのだ」
「徹底して、というのは」
「言葉通りのことさ。すべて私のいう通りにやってみるのだな。それでないと効果は現れては来まい。しかし何も難しいことをしはしないよ。どうせ死ぬのだ、と知っていれば大抵のことは出来る筈だ」
「何をするのです」
「とにかく死ぬまでコハク酸を飲みつづけるのだ。コハク酸といっても市販のものは活性力がなくて駄目だ。私自身が作ったものを上げる。これは|葡《ぶ》|萄《どう》|酒《しゅ》の|醗《はっ》|酵《こう》の段階に発生する酵素の一種でね、人体のTCAサイクルに働きかけ、異常の細胞を正常化していく力を持っている。これで時間をかけじわじわと癌細胞を治していくのだ。
その代り、病院が与える薬は一切飲ませない。君が今服用している抗癌剤なるものは、結局、敵を殺しながら味方をも殺す。その顔を見ればよくわかるだろう」
私は|肯《がえ》んじぬ訳にはいきませんでした。田沼のいうことが、医師を含めて私たちの常識では異常であることはわかっていても、たった二週間でこうも荒れはてた自分の肉体について誰でもない私自身が知っていましたし、同じ常識の中にいる人間の内の誰よりも、多分医師たちよりも確かに私は、私自身がやがて間違いなく死ぬだろうことを知っていました。
手術も不要という末期の胃癌患者の|治《ち》|癒《ゆ》率など、医者に聞いても答なぞありはしなかったでしょう。しかし、田沼はその手で、少くとも一人の人間を救ったというのです。とはいえ、それを信じてかかる者を、人は愚かというに違いない。しかし、私自身にしてみれば、このまま自分の確信通り、手をこまねいて間違いなく死ぬよりも、田沼の手に自分を預けてみることもせずにすます方が愚かに思われたのです。
「それである効果が出て来た段階で、もう一つ別の治療を加える。強力な磁力を使った磁場治療だがね。しかし今はまず病院を出ることだ」
田沼はいい、私は自分を押し切るように頷いていました。
「私のいうことで、一番むつかしいのは多分このことだ。決心した限り死んだつもりになりきること。どこでもいい、出来るだけ家族から離れた人気のないところで、一人きりになって暮す。二年、三年、四年かかるかも知れないが、一人きりで、他の人間に会わずに通す。勿論、仕事もあきらめる。一切人にまかせて、自分一人で引きこもるのだ。それが出来るかね。いうは|易《やす》いが、いざとなるとむつかしいよ。しかし、死んだ気になれば出来るだろう」
迎えるような微笑で田沼はいいました。
妙なことに、私はその瞬間、あの手紙を|垣《かい》|間《ま》|見《み》た翌日かけた生命保険のことを思い浮べていました。次いで、私が軌道に乗せた会社は、またもう一度母にまかせて何とかなるだろう、とも。家族や仕事に対する責任、というより結局私の身勝手には違いありません。しかし、ある|安《あん》|堵《ど》と、居直ったような決心が|湧《わ》いて来ました。
待つように黙って見つめている田沼に、
「やってみます」
私はいってしまいました。
「そうかい。ならやってみようじゃないか。断っておくが、私の方には何もむつかしい問題はない。一番の困難は、あんたが、どうせ死ぬのだ、と腹をくくって、死んだ気になり切ることなのだよ」
諭すように田沼はいいました。
その夕方、病院を引き払って戻った私を妻は驚いて迎えました。二人の間でちょっとした口論もありました。彼女にすれば、私がやったこと、やろうとしていることは自殺じみたものにしか映らなかったでしょう。
このままでは自分は必ず死ぬのだ。この荒れはてた顔を見れば、病院での治療は|或《ある》いはそれを早めることかも知れない。死ぬということが確かなら、残された時間の中で私にはその過し方を選ぶ権利はあるし、それがまた、妻たちへの責任でもあるのだということを、妻に向って説いて聞かせました。
妙なことに、自分の死を絶対の前提として説いて話しながら、自分がある責任を果しつつあるような安堵と、勇気というのでしょうか、気負いのようなものを感じていました。
「|俺《おれ》は生きてはいるけど、もう死んだと同じなんだ。俺がどこか君たちと離れた所で療養に努めている間も、俺を死んだものと考えてくれていい。そうすることがお互いのためなんだ。電話も滅多に掛けないだろうが、俺が死ぬことなしに、生きているということを俺や君が互いに認めるのは、病気が治って俺がこの家に戻って来た時が初めてということなんだ」
「私たちはそこへ行ってもいけないの」
妻は|抗《あら》がうように尋ねました。
「来ない方がいい。来れば、必ず心が動く。それが病気のためになるとは思えない。とにかく、俺はこのままだと間違いなく死ぬんだから、だからこそ、死んだつもりで出かけるんだ。先生も、それが一番むつかしいだろうといっていた」
いいながら今まで覚えたことのない高ぶりを感じていました。それは愛するものへの責任をかまえた説得、ということだけではなしに、自分が今、手がけたことのない仕事に手を染めようとしている緊張と興奮のようにも思えました。生きながら、妻に向って言葉をつくして自分の生命を断ってみせるという仕事に懸命になることで、私は実はもっと大事で恐しいことについて、つかの間忘れることが出来ていたのかも知れません。
どこかへ|隠《いん》|遁《とん》するといっても、にわかに適当な場所を思いつくことは出来ませんでした。田沼は行くならば、田舎のホテルとか宿屋の離れといったようなところではなく、施設の従業員とも余り接する機会のないような場所の方が好ましかろう、といいました。
「療養しながら、折角の機会だ、自分の人生についても考えられるようなところがいいのじゃないか。出来れば、小さな家を一軒借りたらどうだ」
と彼はいいました。
家一軒借りるのは容易にしても、どこにそんな場所があるのか見当もつかず、思いあぐねて高校大学時代から親しかった友人数人に聞き合わせました。
頼んで探すといっても、用途と期間を告げなくてはなりません。期間の方は、私自身の生命のこれからの長さということでしょうが、それについては神のみぞ知るです。
声をかけた友人には、妻に話したと同じことを打ち明けました。相手によって反応は違いましたが、私の本意だけは通じたと思います。三人目四人目の時には、私は私のいい分を聞いた(どの友人にも電話で話しましたが)相手の反応で、他の仲間と比較しながら改めて相手の|人《ひと》|柄《がら》を測ってみたりもしていました。打ち明けられる彼らにとっては青天の|霹《へき》|靂《れき》だったでしょう。そして、私は隠微にその告白を楽しんでもいました。
そんな自分を|密《ひそ》かに|眺《なが》めながら、私は短期間の間に自分が思いがけず|不《ふ》|遜《そん》になっているのに気づきました。あのT大病院を逃げ出し、田沼にいわれるまま|賭《か》けてしまった自分に、当然計り知れぬ不安はありましたが、それでも|潔《いさぎよ》いものさえ感じていました。
突然わかったことだが実は俺は末期の|癌《がん》なのだ、と親しい友人に告げることの、実は相手にとっては本質何の|関《かか》わりもないことでしょうが、日常生活の中ではある意味で極限的な会話を一方的に切り出す人間の、今までは想像することもなかった優位のようなものをさえ感じていました。
そんな気負いの末に、これと選んだ仲間に電話し終えた後、私は全く何の理由もないながら、自分はひょっとしたら、人のせぬことを選んで賭けたことで或いは助かるのではないだろうか、などと思ったりもしました。
しかし、それが|殆《ほとん》ど|滑《こっ》|稽《けい》な|妄《もう》|想《そう》でしかないことは、自分でもよくわかりました。だが、わかりながらも、その時の私は高ぶってい、自分が行おうとした賭が大それたことの|故《ゆえ》に、或いははたから見れば全く愚かな故にも、中には私に常識的な入院をすすめる相手に高飛車に自分が決めたことを説明する、というよりいい放ったものです。
相手のいうことに耳を貸さず、このままでは間違いなく俺は死ぬのだといい切る時の、あの絶望に裏打ちされた妙な快感を何と形容したらいいのでしょうか。
高田という友人が、私が打ち明け問い合わせた仲間を確かめて声をかけ、ある夜、彼ら五人が私の家に集りました。
妻は席を外していましたが、奇妙なことに、その時彼らと私の間に持たれた会話は、主客を変えて、私が田沼であり彼らがあの時の私になっていました。田沼の言葉をとり次ぐ私が重病人の私でしかない限り、私は彼らの|眼《め》に|駄《だ》|々《だ》っ|子《こ》のように映ったかも知れませんし、|或《あ》る意味で|傲《ごう》|岸《がん》にも見えたでしょう。
彼らに向って、私が彼らに打ち明ける前提としている自覚を理解しろというのは|所《しょ》|詮《せん》無理なことです。しかし彼らは、それを肯んじ、頷く以外ありはしませんでした。結局、彼らは友人としての誠意をもって、私の死に場所を選ぶ相談を|真《しん》|摯《し》にしてくれました。
川野という世話好きの男が、彼の|従兄《いとこ》が三浦市の|小《こ》|網《あ》|代《じろ》湾にあるシーボニアというヨットのためのリゾート・マンションを一室もっている、最近家業が思わしくなく、そこに置いていたモーターボートも手放したようだが、彼から用途のなくなっただろうその部屋を買い受けるなり、長期借りたらどうだろうか、といってくれました。
何かの時にも東京からそう遠くない場所で、他の病院との関わりも一切いらぬというなら、そこが最適だろう。ことの可否は明日中に彼が報告出来るだろう、ということになりました。
「シーボニアのマンションなら、一日中、海とヨットが眺められて気分は落着くのじゃないか」
と誰かが励ますようにいったが、何と答えたらいいかわからずにいました。にわかにいわれたその場所で、これから自分一人で過す|筈《はず》の生活というものを、その内容だけではなし、その形についてさえも想像することなぞ全く出来はしなかった。
「しかし、それは確かなんだろうな」
川野はことの責任を私に押し返すように尋ねました。
「何が」
と私はわざと問い返しました。
「いや――」
と絶句したまま、彼はただまじまじ私の顔を見返しただけでした。
「つまり、そのことだけは、俺たちが互いにどんな仲だろうと、どう理解、というか分ち合うことも出来ないのだからね」
高田が口を添えるようにいいました。
「そうだよ。このままいけば、俺一人だけが間違いなく死ぬんだ」
私は|嘯《うそぶ》くようにいったと思います。自分の死を自分がもてあそんでいるような気もしました。しかしそうすることでしか、私は今その場で、みんなの友人として|留《とど》まることが出来ぬような気がしていました。
「何といっていいかわからない。しかし、俺たちにもいつかはあることなのだからな」
誰かがいい、
「俺だってまだ何といっていいかわからないんだよ」
私はいいました。
そういいながらも、果して自分がこれからのいつかに、迎えようとしているもの、いや、すでに迎えているものが、正しく何であるかを納得することが出来るのだろうかと思いました。
突然、自分だけがこの親しい友人たちと離れてたった一人でどこかへいかなくてはならぬのだ、という実感がこみ上げて来、それを伝える|術《すべ》のないまま、私は急に口をつぐみ黙ったきりでいました。
翌日川野から電話があり、マンションの持ち主は、私が月々の家賃を入れることで無期限にその部屋を使うことを承諾したと伝えてくれました。報告を聞きながら、|天邪鬼《あまのじゃく》にも私は、川野がその従兄に、私の滞在をどの程度の期間だろうと告げたのかを想像してみました。それが、彼にとってより、実は私自身にとって意地の悪い想像だと感じた時、私はこれからする道中の道連れに問うように、知らぬ間胃の|腑《ふ》の辺りに手を当てていました。
食事と就寝の設備がすべて備えられているというその部屋に、私は翌々日家を出て向いました。
これからの居場所を見つけたと報告した私の元へ、その翌々日、向う数ヵ月服用する分のコハク酸の粉末が田沼から送りとどけられました。家を出る時、私には洗面道具の他に手にしていくべき他の品物は全く思い当りませんでした。妙なもので、死に場所に急ぐように、妻との会話もそこそこに家を出ました。
向うでの何か不便を補うために家人が行き来するのに遠すぎぬ距離ではありましたし、私は|何故《な ぜ》か一時も早く家を出たかった。家を出てそこへ向う段になると、向うでの療養に何の当てもないながら、あの病院で過した二週間がにわかにとり返しのつかぬものに思えてならなかったのです。
妻と相談し、事情を説明するには子供たちはまだ幼すぎるような気がしたので、子供には妻が後から遠いところへ入院したと告げることにしました。戸口の敷居を外へまたいだ瞬間、自分が生と死に関わるある一線を越えたような気がしました。
門の前でふり返り、もう一度妻の肩を抱きしめてやりました。しかしその瞬間突然に、相手の体のぬくもりが今は私の何の支えにもならず、この肉体は私とは全く関わりなしに妻だけのものでしかないのだという実感が痛いようにありました。それは、片方が死に向おうとしている夫婦の別離というより、私たちはすでにとっくに生と死に隔て分たれているのだ、という感慨でした。妻が何を感じていたかはわかりません。私にはそれを思ってやるゆとりなぞとうにありはしなかった。
妻は自分もシーボニアまで同行するといいましたが、それを許しませんでした。自分がそこで死ぬかもしれぬ場所を何故か今は私だけが知っていたい気持でした。
子供の|頃《ころ》、飼っていた犬が死ぬ寸前小屋を出、死に場所を探して屋敷の庭の中をさまよっているのを、祖母が注意し声をかけてやっていたのを思い出していました。犬はそれから間もなく、離れの裏の|塀《へい》と壁の間の狭い草むらに死んで見つかりました。
それを思い出した時、体の中を何かが吹き抜けるような感じがしました。あれは一体いくつの年頃のことだったのだろうか、あれからこの|歳《とし》まで自分の人生はあっという間にたっていって、今これで終ろうとしているのだ、としみじみ思いました。
車の中から窓ガラスを開いて妻に|頷《うなず》いてみせた時、彼女の眼から突然のように涙が|溢《あふ》れました。胸を突かれはしたが、それに向ってどう声をかけていいのか全く知れもしなかった。
動き出した車の中からもう一度、立ちつくして見送っている妻にふり返った時、自分がこれでもう二度と彼女を見ることがないのだとしたら、それは一体どういうことなのだろうか、としきりに思ったが何の考えも浮んでは来ませんでした。ただ、今この瞬間が、自分の人生にとって持つ意味が知れるようで知れないことにしきりに|焦《あせ》ってはいました。
普通の週日だったせいもあって、二月の末の海のリゾートには人影らしいものは殆どありませんでした。ただクラブハウスの横の修理工場に出入りする職人たちの姿がちらほらするだけで、入江の向うから吹きつける北風に|晒《さら》されたヨットハーバーは風に吹かれて動くワイアの|牽《けん》|索《さく》がアルミのマストに当って鳴る乾いた音の他には動くものの気配もなく、外界からとり残されたようにうそ寒い|雰《ふん》|囲《い》|気《き》でした。それは何故か私が迎えられるにはふさわしい光景のようにも思われました。
クラブハウスから二番目の棟のビルにも人の気配はなく、表玄関の|扉《とびら》は受けとっていた|鍵《かぎ》で難なく開かれ、|釦《ボタン》を押したエレベーターも私を迎え入れ七階まで運んではくれました。
九階もある大きなビルに、季節も外れたこの時期多分自分一人が出入りし、そこに私だけが住まうというのも初めての体験でした。それは人の住む容器に入り込むというより、私のためにしつらえられた大きなコンクリートの|柩《ひつぎ》に歩を踏み入れるといった感慨でした。
暖房はすぐに作動しましたが、見知らぬ部屋の中に一人ぽつんと|坐《すわ》り直してみると、寂しいとかうそ寒いというより、自分が今全く位相の違う世界に運び込まれたという気がしました。それは、死そのものの内ではないにしても、私が今までに経験して来た生とも全く異なるところのように思われました。
表の小さなテラスに出て見下すと、|舫《もや》われたヨットの群、ハーバー横の水の|涸《か》れたプール、|生《いけ》|簀《す》を連ねて浮べた|懐《ふところ》の深い入江、海岸の別荘地、そして入江の外海までが一望に見はるかせました。向う岸から吹き渡る北風の下で灰色の海には波も立たず、辺りの風景は|凍《い》てついて静止したようにしか見えませんでした。改めて、ここが|俺《おれ》の死に場所なのか、と思いました。
しかし、その風景は少くとも私が二週間寝かされていたあの大学病院の息づまるような|猥《わい》|雑《ざつ》な雰囲気よりも|遥《はる》かにましな気がしました。テラスから下を|覗《のぞ》きながら、いざとなれば、病院のベッドでむくみあがりやがては|痩《や》せ細って死んでいくよりは、ここから一気に飛び下りればことは簡単にすむのだ、最後はそうすればいい、その気にさえなればそう面倒なことではない筈だ、と自分にいい聞かすように思いました。
私が三崎の小網代湾の|隠《いん》|遁《とん》所で田沼から|強《し》いられたことはただ、朝昼晩に決められた分量の酵素を間違いなく飲むということだけです。その他の生活は自分の好きなことをしたいだけしろ、と田沼はいいました。好きな食事、好きな飲みもの、酒すらも勝手であると。
そうやって私の隔離生活は始まりました。シーボニアの構内を出て坂を上がれば、上の通りには近くの民家のための小さな商店街があり、食欲のめっきり落ちた私のための食事の調達は容易でした。田沼は出来るだけ食べろといいましたし、酒も許されていたので、食欲のない折でも胃痛を押えるために、買いこんだ酒の|燗《かん》を自分でつけるのが日課になりました。
私が、自分が向い合っているものについて本当に感じ、それについて考えるようになったのは、シーボニアの一室に移ってからのことです。夜昼一人きりで過すようになって、発病をしてから今までの自分が殆ど上の空でしかなかったのを改めて|覚《さと》らされました。
シーボニアに移って三日目、私はまたあの大阪の宿で見たとまったく同じ夢を見ました。大阪とは違って夢を見ながら失神することはなく、夜中にうめく声で自分を呼び|醒《さ》ますことが出来ました。同じ夢を続けることを|怖《おそ》れて、そのまま、重苦しい胃の痛みをかかえながら夜が白むまで床の上に坐ったままでいました。しながら、自分を追いつめて来たものが、やはり間違いなく、この場所でも|尚《なお》一層迫って近づいて来るのを感じる、というより知ることが出来ました。私がその時はっきりと味わい知らされたものは、|抗《あら》がいようもない寒々とした恐怖と、それに向って裸でさらされている自分でした。妻や子と一緒にいようがいまいが、ある時を経れば、やはり間違いなく自分だけは死ぬのだという強い実感でした。
夜が明けて尚|睡《ねむ》ることも出来ず、明るくなった窓のカーテンに向いながらいつまでも伏せりも立ち上りも出来ぬまま、坐ったきりでいました。
私が今いき会ったものは、私がどのようにあがこうと、何を努めようと、結局は私を|捉《とら》えて踏みにじりどこかへ連れ去るのだという、全身が解体されるような無力感と、|癒《いや》されることのないような|喉《のど》の|渇《かわ》きばかりがありました。
私が|側《そば》に誰か、出来れば妻がいて、今の自分を分ちあってくれればと願ったのは生れて初めてのことです。
それが出来ぬまま骨身にしみるほど、自分がいよいよ一人になったのを感じていました。知らぬ間に涙が|頬《ほお》を伝って落ちていました。しかしその熱い涙もただただ|無《む》|惨《ざん》に感じられるだけで、何を癒してくれることもありはしなかった。
この後こうやって、どれほどの日数を数え結局俺は死ぬのだろうか、をしきりに思いました。そして、死ぬ|間《ま》|際《ぎわ》には、誰がとめようと、妻と子供たちだけには一目会おうと、抗がうように心に決めました。
週末がやって来、晴れたその日にはヨットハーバーやクラブハウスに船遊びするメンバーの姿も見え、冬日の短い日中にも港や入江には船がいきかいして、窓の外の風景はにぎわっては見えました。しかし、初めてやって来たその日にみたあの静止した灰色の風景に比べて、むしろ晴れた週末のにぎわいの方が、私には非現実のものにしか感じられませんでした。
一昨日買い忘れて生活のために不如意な品物がありながら、部屋を出て眼下の外界で遊んでいる見知らぬ華やいだ他人に顔をあわせるのが|億《おっ》|劫《くう》というより、おぞましい気がし、何かに向って|頑《かた》くなに部屋の扉とカーテンを閉ざしたきりで引きこもっていました。
|抗《こう》|癌《がん》剤による顔や体のむくみは段々にとれましたが、代りに、|日《ひ》|毎《ごと》に高まる胃の痛みと、食欲の減退のために体が前よりもはっきりと痩せていくのが自分でもわかりました。
酵素だけは飲みつづけていましたが、面倒になって|放《ほう》り出してある食事を、また時折、俺はここに餓死しに来たのではないのだと促してしつらえ、胃の痛みを押え食欲を少しでも増すために、台所のガスレンジで湯を沸かしては、酒に燗をつけて飲みました。
しかしいずれにしても結局は死ぬのだというあきらめ、というより腹だたしくも無念な覚悟と、それならばあの病院でくたばるよりも、|一《いち》|縷《る》の|希《のぞ》みに|賭《か》けながらここでこうしている方がまだましではないか、という自分への弁明の間を小刻みに一体どれほど往復したことでしょうか。
奇妙なもので、間もなく死ぬのだと思ったら、過去のいい思い出など何一つ|想《おも》い出されて来ず、いやな思い出、それも親や妻や子を含めて自分以外の人間を、彼らが気づいていてもいなくても、だましたり、彼らにいやな思い、不本意な思いを抱かせた記憶ばかりが次から次へ|湧《わ》き上るように押し寄せて来ました。それを今になって悔む、というより何か自分がよほどとり返しのつかぬことをしたような気がし、死ぬとわかっていながら死にきれぬような、どうしても救われぬ気分が波のように続いていました。
そうしながら、そんな自分をいさめるように、とにかく今この機会に自分の人生を整理しておかなくてはと、生れて初めて日記をつけ出しました。それはその日その日の感慨であったり、その日思い起したことであったり、そのことへのもう追いつきようのない言い訳であったり|詫《わ》びにもなりました。しかし半月も過ぎると、書くものがありそうで実はそうざらにあるものでないとわかりました。代りに遺書もいく通りか書いてはみたが、遺書として書いてみれば、極めて事務的な、子として親としての通り一遍なものにしかなりはしませんでした。|何故《な ぜ》か友人に対しては書く気になりませんでした。むしろ、同じ年代の他の仲間が、自分一人を例外にして生命に何の不安もなく過していることに、|憤《いきどお》りに近いねたみとうとましさがありました。
そう親しくありませんでしたが、大学時代一緒に過したTという男が、あるテレビ局のニュース番組の司会者として売り出して毎午後の人気の番組の中で活躍しているのを部屋のテレビで|眺《なが》める度、なんでこいつばかりがと突然狂おしいほど目にしている相手がねたましくうとましく思えました。そして、そんな自分がいかにもいやらしいものにも感じられました。今まで抱いたことのない他人への感情がふとした折に思いがけぬ形で噴き出して来ることで尚一層、私は自分に向ってまがいなく迫って来ているものを感じぬわけにはいきませんでした。
そんな中で、|詭《き》|弁《べん》のように、今まで考えたことのなかった家の因縁なるものについて急に考え直してみました。私の|曾《そう》|祖《そ》|父《ふ》も、祖父も、父親も、それぞれ次男でありながら、長男が早死にし、家長として家の仕事を継いでいました。私は一人っ子でしたが、その自分が過去何代かの長男たちと同じように、こうやって早死にすることでようやく何かの|贖罪《しょくざい》が行われ切って、私の子供やその孫たちはそんな因縁にもう|晒《さら》されずにすむようになるのではと、何の根拠もなしにしきりに考え、信じようと努めたりもしました。私は決して自分自身について冷静な観察家ではありませんが、今の自分が、肉体だけではなく、精神的にもひどく衰弱していることだけはよくわかりました。胃の腑がぼろぼろになった肉体に、同じようにぼろぼろになった心がかろうじてくっついているのが、なんともおぞましくて仕方なかったが、それをどうすることも出来はしなかった。
シーボニアに引きこもって、私が決定的に打ちのめされる思いを味わったのは、三月の初め、春を告げるという大風の吹いた日のことです。
買物にいったちかくの店屋で、春一番という風の名を教わりました。買物ももう何度目かのことで、私の顔を覚えていた|内儀《おかみ》さんが、
「おいでにならなくても、電話をいただければとどけますよ。この近くですかお住いは」
「シーボニアの中にいます」
私も配達を受ける便宜を思って答えました。
「シーボニアですか」
|怪《け》|訝《げん》そうに相手は|質《ただ》しました。
こんなシーズン、あんな場所に住みつく人間は珍しい|筈《はず》です。
「あそこに勤めているんですか」
聞かれて、よほど私は、あそこで一人で癌を養っているのですよ、と答えてやろうと思ったがやめておいた。そう聞けば、世間では奇態で衝撃的なことかも知れない。私の身の上も、|所《しょ》|詮《せん》、彼女にとっては半ばの|嘘《うそ》か、好奇な世間話の|噂《うわさ》の種のひとつでしかありはしまい。私が今やっていることは間違いなく絶対に、この女とは全く何の関係もありはしないのだから。
|尤《もっと》も、そう打ち明けてみることで相手が驚き、|或《ある》いは同情を示してみせることにも期待などしてはいませんでした。家族からも離れて人生を整理する積りで一人暮してみれば、それがこの暮しの|唯《ゆい》|一《いつ》の|功《く》|徳《どく》であったかも知れないが、こうなった今、自分はどうにもこうにも結局自分一人でしかないということだけは段々と身にしみて覚らされていました。
風は路上でも商店の|日《ひ》|除《よ》けをばたつかせ、立ててある自転車を吹き倒すような勢いで吹いていました。帰り道、風に真向かいに歩きながら、私は突然、痩せて軽くなったこの体をこの風にまともに晒し合わせてみようと思いました。シーボニアへの下り口を通り過ぎ、リゾートのある小さな半島の先端に向って歩いていきました。季節外れで人気のない水族館の|脇《わき》を抜け、半島の先端の小高い|断《だん》|崖《がい》の上に立つと、足元の|磯《いそ》に打ち寄せる波の|飛沫《しぶき》が時折頬にかかるほど、やがての春を告げるという季節風の下に海は沸きたっていました。
|大《おお》|時《し》|化《け》の海には船影もなく、|稜線《りょうせん》を切り絵のように浮び上らせた伊豆の山並と富士の|彼方《かなた》に傾いた|陽《ひ》が落ちようとしてい、|灼熱《しゃくねつ》の溶鉱炉のように|染《し》んだ夕焼が次第に色を変え頭上の|翳《かげ》って濃い青空に溶けこんでいました。
無数の巨大な獣のような波たちが、それぞれのたてがみを|翻《ひるがえ》しながら|吠《ほ》え|轟《とどろ》いて押し寄せ、地球そのものを想わすような海と空の広大な|拡《ひろ》がりの中に風と波の声だけが満ち満ち、そのため目の前の世界は轟き|木《こ》|霊《だま》しながらむしろ確かで|静《せい》|謐《ひつ》にさえ感じられました。
背後の小さな林を抜けただけで突然私の前に現出した風景に、私はすくんだように風に向ってようやく体を支えながら立ちつくしていました。
あの時私が味わった|戦《おのの》きは何だったのだろう。吠えて轟き、焼けながら冷えつつある限りない空と海を前に、私が打ちのめされたように感じたものは、多分、永遠ということの、そしてまがいない真実の存在への確知だったに違いありません。
そしてそれを|証《あか》すように頭上の雲ひとつなく晴れ渡った空を飛行機が一機、真っ白な飛行機雲を引きながら西に向って飛んでいるのが見えました。
普通なら見える筈のない遠い機体が、傾いた陽の光を下から浴びて光る点となって輝き、深みを増した濃い青空に鮮やかに一条の線を引いて記しながら遠ざかっていきました。
何故か|痺《しび》れながらすがるような想いで私はそれに向って|眼《め》を凝らしていました。
あの時私はあの絶対に永遠で真実の存在の風景の中に、自分の人生を当てはめて眺めようとしていたのだと思います。
真っ白な飛行機雲の軌跡は、高空を吹く風に散らされ見る間に淡く溶けて消えていきました。
そして点となって輝いていた機影が西の空に消え、残された飛行機雲が底のない空の中に吸いこまれていった時、私は戦きながら、しみじみと覚ったような気がしていました。それは、自分の人生の存在の所詮の意味についてだったかも知れません。
体が|萎《な》えたように辺りの枯れた草むらに腰を下したまま、ただ|茫《ぼう》|然《ぜん》と、今自分が初めて感じとったものに身を痺れさせながら眼の前に広がる天と海の風景に見とれていました。
この景色の中に、少くとも一点としては在る筈の自分が、あの飛行機雲のようにこの広大な波と風の連なりの中に吸いこまれ消えていくような気がしていました。
やがて間もなく自分が死に、その体も焼かれて灰となって四散していくということの実感がようやくわかりました。
いい換えればそれはこの世の中での存在に関して、わが身と他人たちとの|関《かか》わりなどをはるかに超えた、私の生死、私の存在などに一切関わりない、絶対の時間と空間の確認でした。
ここにこうして|坐《すわ》っている私にくらべて、あまりにも絶対な存在。今まで何度か目にしたことのある筈の風景を、今だからこそ初めて、その真実の意味を突きつけられながら眺めているのを感じていました。
かつては、私が眺め、私が賛嘆し、私が愛し、私が陶酔するが|故《ゆえ》にあるのだなどと|不《ふ》|遜《そん》に錯覚していたものが、実は私自身に全く何の関わりもなしに在るのだという、息を|呑《の》むような覚りでした。
そう覚った時、私は全く|虚《むな》しく|怖《おそ》れ、虚しく怒り、やがてはそれも忘れ、放心のままにきりなくあの海と空に眺め入っていました。あの時、私がせめても願ったことは、自分がいまこの風景に生きながら呑みこまれ、あの永遠の時間と空間の中に同化し消滅してしまうことでした。しかし、あの永遠で絶対の存在にとって私の生と死なぞ何の必要もありはしなかった。
無人のビルの玄関を開け、静かな鳴動の内に私を七階の高みに運ぶエレベーターにまた乗りこみ、部屋の|扉《とびら》を開けた時、私は自分の頬に涙が流れているのを感じました。それは何の|解《げ》|脱《だつ》でもなければ高揚でもない、無残なほど極まった孤独の流す涙でした。その時、私は今ここに、手の触れる間近さに、せめて妻と私の血を分けた子供だけがいてほしいと狂おしいほど願っていました。
その夜、窓の外に轟く潮鳴りを聞きながら|睡《ねむ》れぬまま過しました。今自分にとって過ぎてゆく時間と、あの天と海にとっての時間を重ねて比べることがどうして出来ないのかを、|駄《だ》|々《だ》をこねるように何度も自分に問うていました。
轟いてくる潮鳴りの中に混って、建物の下に陸揚げされた船たちのワイアの|牽《けん》|索《さく》がアルミのマストに当って間断なくたてる、か細く、しかし鋭い音が聞こえていました。せめて今夜は、あの轟きの中に埋れて睡り落ちたいと願う私にとって、その音は何故だか私自身が挙げている悲鳴のように聞えてなりませんでした。
どれほどの間床の中で外から聞えて来る自分の悲鳴に耳を澄ませてからのことだったでしょうか、突然、今この時ならば何の怖れも悔いもなく死ねる筈だ、と|覚《さと》りました。
あの風景を眺めながら確認出来た、すべての存在と時間にとっての私の生命の意味や関わりからすれば、それを知れた今の今なら、ことは全く簡単なような気がしました。
何故こんなことに今まで気がつかなかったのだろうか、と思った。
床から起き上り、立っていって戸を開きテラスから身をのり出して見ました。今は暗黒に色を変えたあの海と空に向って、この床を|蹴《け》って身を躍らすだけでいとも簡単に吸いこまれて消滅するのだ、と自分にいい聞かせました。
|暗《くら》|闇《やみ》の中に私の悲鳴が満ち満ちていました。無きに等しい自分の存在を賭けて私の魂が泣き叫んでいるのに聞き入っていました。それに|応《こた》えてそこから身を躍らせることに何の抵抗もないことを感じていました。
闇の|虚《こ》|空《くう》に眼を|据《す》えて、夕方あの空に仰いで見た、一点となって消えていった私の魂の軌跡をもう一度確かめようとしてみました。あの一点の光が消えていく瞬間を、私は今でも覚えて闇の空に見ることが出来ました。
ことは今の瞬間全く容易に感じられました。所詮今まで何も在りはしなかったし、これからも何も在りはしないのだ、と自分にいい聞かすように思いました。
後はただその体を手すりの外に|放《ほう》り出せばよかったのです。
その時突然階下のハーバーのスリップで、何かの扉が風で引きはがされ、風に|煽《あお》られて飛んでいき、ものにぶつかる音がしました。戸板は陸置きの船の船台の足にでもひっかかったのか、そこで激しい音をたてて鳴っていました。
引き戻されたように、私の耳はその耳障りなもの音を|捉《とら》えていました。浮遊していたような意識が元に戻り、私は何か濃く苦いものを味わうようにその雑音を聞いていました。突然自分が、甘美でさえあったある瞬間にはぐれて、元の位相の時と知覚の中に戻ってしまい、もう二度とあの瞬間には戻れないだろうことを感じていました。
その時私が味わったものは、決して、放心の末の自殺から引き戻されたという|安《あん》|堵《ど》などではなく、|癌《がん》の|罹病《りびょう》と同じように運命の手にまたたぶらかされ、折角手にしかけたものを|抗《あら》がいようもなくもぎとられた濃く苦いいまいましさでした。
テラスから引き返しながら、夢から|醒《さ》めたように、たとい何だろうと|俺《おれ》は結局死ぬまでは生きていなくてはならないのだな、と呑みこむように思っていました。
その時私は決して|卑怯《ひきょう》に|臆《おく》していたのではなく、ただ願っていたものにまたはぐれたような気持でいました。
衰弱が進んでいき、自分で買物に出かけるのも大儀になり、日々の食べものは、あの商店の内儀がいっていた通り電話で注文し配達にまちました。
ある日、若い店員に代って部屋までやって来た内儀さんは、|髭《ひげ》も伸び放題のままにいた私の顔を眺め驚いたように、
「どこか悪くしたんですか」
尋ねました。
何故か、何のわだかまりもなく、
「僕は癌なんですよ」
私は教えました。
内儀は逆に笑って、
「じゃどうしてこんなところにいるんです。とにかく今年の風邪はしつこいっていうから、無理はしない方がいいですよ」
いって出ていきました。
しかし帰りがけ、彼女が教えたのか、週の半分は当直で泊っているという中年の支配人が、改めて部屋を訪ねて来ました。
「お加減が悪いなら、三崎の医者を紹介しますがね。夜なら来てもくれますよ」
「大丈夫です。ただの風邪ですから」
私はいいました。彼らにとって、私が今ここにこうしている訳は、所詮、どう通じも理解も出来はしないものに違いないのですから。
「珍しいですね、こんな不便なところに長く住んでおられるのは。川野さんからはうかがっていましたが」
「ええ、ここが一番いいんです。|一寸《ちょっと》、どうしても一人でいなくてはならぬ訳がありまして」
「何かのお仕事ですか。ものを書くとか」
「仕事といえば、仕事ですがね」
支配人は何かを勝手に理解したように、臆したような影を浮べ|頷《うなず》いて帰っていきました。
彼が何を想像したかは知りませんが、犯罪でも犯し身を隠している男と思ったのでしょう。彼の表情には、罪を犯した人間を眺めるような|眼《まな》|差《ざ》しが感じられました。
実際、癌にかかるというのは、罪を犯すに似た|疎《うと》ましさに違いありません。自分の間近な死を確知した人間が、自分の死について考える必要のない人間と同じ日常を持てる筈もありはしない。彼らから見れば、犯罪人も癌患者も共に刑を宣告された|汚《けが》れた人間でしかない筈です。
それから数日後、雨の降りそうな曇りの日、窓から無人のハーバーを見下している私に、支配人が所用で構内を横切っていくのが見えました。私の視線に気づいたのか、彼は一度私をふり仰いで認めましたが、逃れるように、目礼しただけで|慌《あわ》てて顔をそらして過ぎていきました。
彼から|眺《なが》めれば、シーズン外れの、無人の大きな何棟ものマンションの中のたった一つの部屋に|覗《のぞ》いて見える人影は、罪を犯して|囚《とら》われている人間のようにおぞましいものだったに違いありません。
シーボニアに来て一人きりになり、私は自分の体の中に進行しているものの気配を前よりもはっきりと感じることができました。だから、自分が間違いなく死ぬのだということに、前よりもしみじみと確かな自覚がありました。
|尤《もっと》も死の確信はありはしましたが、死というのが一体何なのかは、考えても考えてもわかりはしませんでした。しかし、死ねば息が止るのだ、だから息を止めれば窒息して死ぬのだ、それだけのことではないかと、坐りながら何度か息を止めてもみました。頭に血が上り、胸が破裂しそうに苦しくなり、たまりかねて息を吸いこむと、全身がほっとして、ああ、これが生きるということなのだ、と何度も同じことをしては同じことを思ってみました。しかしそれでも、私にとっての死が本当はどんなものなのか、どんな風にしてやって来るのかはわかりはしませんでした。
息をつめる苦しみをくり返し味わってみながら、いざとなってこうすればいつでも死ねるのだ、ただそれだけのことだ、と何度も自分にいい聞かせながら、首をつったり、飛び下りたりすることは、|何故《な ぜ》かあの夜以来考えようとはしませんでした。あの夜の体験は、|或《ある》いは死に関わる洗礼のようなものだったのかも知れません。
自分の死が一体何なのかが|所《しょ》|詮《せん》わからないならば、ぼろぼろになるまで意志だけは持ち通してそれが何かを見つめ見とどけて死んでやろうと思いました。そしてそれは|即《すなわ》ち一分一秒でも長い生への執着だったに違いありません。
死を覚悟させられた後に過ぎていく時間というのは不思議なものです。ものを|蝕《むしば》んで溶かす酸のように、死に対する気持の節を苦い痛みの中で溶かして、人間そのものを漂白してしまうような気がします。
最初の間はそれがどういうことかはわかりはしませんが、とにかく|綺《き》|麗《れい》に死にたいとか、もう少し働いて世の中に何かを確かに残したかったとか、さまざまに思いもしましたが、一人きりになり、病気が進み痛みがまして来ると、最後は自分の近い将来について考えるのも|嫌《いや》になり、衰弱のままに、もうどうにでもなれと思うようになっていきました。そうした意識の混濁と|弛《し》|緩《かん》の中で、反比例して、死の確信だけは一層強いものになっていきました。
丁度その|頃《ころ》、妻から次の日曜日子供と一緒に会いにいきたい、と電話が入りました。しかし私は絶対にやって来るなと断りました。自暴自棄になりかけている自分をまだどこかで|咎《とが》める気力があったのでしょうか。或いは自分で選んだ|賭《かけ》に、依然として執着をしていたのでしょうか。
家族が今やって来れば|全《すべ》て御破算になる、などということより、妻や子供が恋しくはあっても、今ここにこうしている自分を彼らにどうしても見られたくない、今会ってなまじの感情を互いに残すより、いっそさっぱりと一人だけで死んでやろう、と今では|頑《かた》くなに思うようになっていました。
そうやってたっていく時間が、またどんな反作用をしたのかはわかりませんが、ある時、このままでは駄目だ、このままでは俺は死ぬ前に死んでしまう、という観念がとりつき、大方の人間もそういう経緯をたどるのでしょうが、死ぬというのはどういうことなのかをもう少し確かに知りたいと願って、仏書や聖書や死に関する本をとり寄せて読むようになりました。
理由もなしに、ただ自分が日本人だからということでしょうか、仏書には期待をしましたが、読んで救われるということは全くありはしなかった。つまり、仏書は死そのものについては何も教えてはいません。また、そのためのものでもないのです。
ただ生意気にも思ったのですが、お|釈《しゃ》|迦《か》様という人は、人間が|蠅《はえ》のように死んでいくインドという国の中で、初めて死について悩んだというより|怖《おそ》れた人だったのではないだろうか、と思いました。だからこそ人間の転生とか|輪《りん》|廻《ね》とかいうようなことを思いついたのではないでしょうか。
しかし私には、転生輪廻を信じて救われる前に、知るべきことがありました。私は、他ならぬ私自身の死というものが何なのか、それだけをまず知りたかったのです。それが知れれば、おびえも怖れもせず救われることも出来たのかも知れませんが、私にとっては、誰かが私以外の人間たちの死について書いたことがらなど結局どうでもいいことにしか思えませんでした。
それが知れないにしても今、自分を完全に預けてしまえる何か、神でも仏でもが、自分にとって確かな形であればどんなに楽だろうか、とは思いました。しかしそんなものを確かに持っている人間なぞ果しているのでしょうか。ありはしまい、いや絶対にありはしないという逆の確信のようなものばかりがつのっていきました。
ある日の日記には、死ぬことは怖しいと書き、ある日には、|虚《むな》しいと書き、またある日には、全くわからない、わからないことはいやだ、だからこそ神さま助けて下さい、とも記しました。
怖れ、おびえ、虚しさ、長続きしない自分への|嘘《うそ》、信じたこともない神仏へのひたすらな願い、同じところを何度も何度も堂々巡りしながら、体は病み果て、頭は疲れ果てて、もう自分の死について|想《おも》うことにも|倦《あ》き果て、結局やけ|糞《くそ》に居直り、もうじきなるようになるだろう、どうにでもなれと観念しながら、それでも|一《いち》|縷《る》の|希《のぞ》みだけは捨てずに酵素だけは飲みつづけていました。
普通の人間の自暴自棄なら、死も辞さない、ということになるのでしょうが、死をつきつけられた人間のやけ糞は心身ともにのたうちながら、結局、一縷の生を希みつづけるしかありはしなかった。
とにかくそうやって、一人きりで、おどろおどろしくも、与えられた酵素を飲み、胃の痛みを押えるために、他に薬を禁じられているまま、自分で|燗《かん》をつけた酒を飲み、食欲がきざせば自分で食事をつくって食べながら、何とか生きつないではいました。
その間、家族のことを想わぬこともありませんでしたが、話したり顔を合わせたりしても、自分の今の心の内を結局どう伝える|術《すべ》もないことだけはわかっていました。
ただ実際に死ぬときだけは、後々周りに迷惑をかけるだろうし、妻だけはせめて|枕元《まくらもと》に呼んで後の始末を頼もうと思っていました。それまでの間は、いまこうしている自分を妻にも子供にも見せたくはなかった。多分、一人きりでいる私は、彼らの目にも初めて見る、今までに一番弱々しく醜い私に映った|筈《はず》です。
自分は間違いなく死ぬだろうことを、知る、というより、私の肉体の方がそれを先に感じ、私に向って現し出したのは梅雨入りの頃からです。
外界で移っていく季節は私には何の|関《かか》わりも感じられませんでした。ただ、食欲が今までになく減退し、痛みが体中のあちこちに走って響き、寝返りを打つのも|億《おっ》|劫《くう》で仰向いたままうめきながら、時々勇を鼓して、せめて痛みを薄らがせる酒の燗をつけに起き上る度、私は|癌《がん》で死ぬよりも先にアルコール中毒で錯乱して死ぬのではないか、と本気で考えました。
死ぬのを怖れるよりも、苦痛を怖れる方が手近で逃げ口上も効きましたし、それを禁じはしなかった田沼の言葉にまかせて酒は飲みつづけました。そんな酒の酔いははかない、というより段々無残なものになりました。苦痛からの|束《つか》の|間《ま》の解放は、結局苦痛で押えていたさまざまな意識を|蘇《よみがえ》らせ、酔いの|妄《もう》|想《そう》などではなし、酔って初めて常人の意識と思考を|強《し》いられたのです。それは奇妙な倒錯ともいえたでしょう。
痛みは拡大し、|嘔《おう》|吐《と》こそしませんでしたが食欲は|殆《ほとん》どなく、体が日々、というより朝から夕にかけて目に見えて|萎縮《いしゅく》し、衰弱していくのがわかりましたが、このまま自分がこの床の中で死んでいく時、やはり枕元に妻だけは呼ばなくてはなるまいと思い、床から寝たままでは手のとどかぬ電話を、延長コードを足して枕元に置くよう、電話屋を呼んで注文する気になったのも、酒の酔いがきざして、その間半時間ほど床の上に起きて|坐《すわ》っていた時です。
六月から七月にかけてのどの週だったでしょうか、一週間近くの間、私は|睡《ねむ》っているのか|醒《さ》めているのかわからぬまま、夢、といっても殆ど夢なぞ見はしませんでしたが、夢とうつつの境目をうつらうつらいったり来たりしながら、殆ど何も食べず飲まずに過しました。
何日かに一度の用便に|這《は》い上りようやく立って手洗いに向う時、手洗いの前に張られた半身大の姿見に姿を映した折、立った自分と映った私の対極感を無くしてしまったまま、私は鏡に映った自分に同化し、自分がすでに死んで今何かの境を越えようとして歩いているのだ、という錯覚を覚えました。
それは何といおう、耳では聞いていたが見たことも触れたこともない、霊なるものの軽みと自由さに、自分がようやくたどりついたという気分でした。それでも私は、それを確かめるために、鏡の中の私に向って、幽霊のように両手を垂らしてかざして見せ、何故か片足で立とうとしてそのまま横転し、床に転んでいました。家具の角にこめかみを鋭くぶつけた感触はあったが、血など流れる筈はない、という妙な確信があったりもした――。
その後、どうやって床に戻ったかは覚えていません。ただ、その時だけひどく酔狂によほど妻に電話をして、たった今自分の幽霊を見た、といってやろうかと思ったのを覚えています。
自分の幽霊を見たほど、私の死は私の間近に感じられて在りました。そしてその気配に、私はおびえ怖れつづけていました。
夏が近くなると、今までは殆ど人気のなかった建物にも、普通の週日でも、|僅《わず》かですが、やって来る人の気配がありました。それが何故か、寝たきりで夢うつつの私に敏感にわかるのです。誰かが深夜車で乗りつけ、下の玄関ホールの|扉《とびら》の|鍵《かぎ》を開け、エレベーターの|釦《ボタン》を押して登って来る。気配というより、私には寝たままそれがはっきりと感じられ手にとるようにわかった。それを、自分にとってとうとうのものが、今ようやくやって来た、と感じとり、耳を澄ませ全身の神経を張りつめその気配の行きどころを確かめる。普通は|判《わか》る筈のないエレベーターが下の下の階で止るのがわかり、ようやくつめていた息を解く。それよりも、同じ七階で止ったエレベーターを下りた足音が扉の前に来かかる時、自分で、これは錯覚だ、と懸命にいい聞かせながら床の中で、何にどう|抗《あら》がうつもりなのか必死に片身を起したりしてもいました。
しかし、むしろそうした物音や気配が通り過ぎていった後、私の死は前よりも間近に確かな気配で感じられました。
間近、といっても、それがどれほどの距離にあるのか、ついにわかるようでわかりはしなかった。その距離感について、何度も思い|翻《ひるがえ》そうとしてみた。しかし、希望なる方便がすべての人間に許されてはいたとしても、今私だけがその例外なのだ、ということだけはひしひしと感じられました。
すでに死んでしまった人間のように、殆ど身じろぎもせずに寝たまま、私があの時、上って来るかすかなエレベーターの震動音、階段を上ってくる人の足音に全神経を研ぎ澄ましながら待ちつづけていたものは、ただただ、私の生にとっては最後の未来である死だったのです。
それがまだやって来ないままに、私はただそれについてばかり想いつめ、考えつづけていました。それが紛れもない私の消滅であり否定であればこそ、それを受ける私自身が、それについて何も知れずにいていいはずはない。それが出来ないならば、私は死ぬのだろうが、人間は誰でも死ぬのだという人間一般の法則を、自分に関係がないものとして拒む権利がある筈ではないのか。決して訪れる筈のなかった未来が、今この世で私にだけ準備されていた不意討ちとして到来しようとしている時、それが私にとっての現実になったということの知覚は死の瞬間には不可能ではあるにしても、しかし|尚《なお》、それについてその寸前にでも知りたいと願いました。
人間はどんなに年老いても、早すぎて死ぬのだ。だから、大方の人間は即興かあるいは不準備の内に死ぬのだ、と誰かがいっていましたが、この私こそその最たるものだった。
この|歳《とし》なりに今までいろいろな他人の死に立ち会って来ました。しかしそれは所詮みなありきたりの偶発的な出来事でしかありませんでした。今になってみれば父の死にしてからがそうです。
しかし今、私の生きている時が終るということは、私にとっては、この私が私の愛した妻や子供と一緒に消滅するという全くの虚無でしかない筈です。だから、それが何なのか、本当は何なのか、どんなことなのか、観念としてではなく、確かに知っておきたいと願いつづけました。
私にとっても誰かの死がそうであったように、他人にとって私の死は客観的なものでしかないだろうが、この私にとっても客観的に何なのか、それを知りたいと懸命に願いました。誰も、それが何であるかを知りながら死に、死にながらそれを他に伝えるなどあり得はしないにしても、それは誰も代ることの出来ぬことがらにしても、私は、私に代ろうとしていたのかも知れません。
考えれば考えるほど、堂々巡りをすればするほど、私は一人きりでした。しかし何故かもうこの孤独から|脱《ぬ》け出ようという気は起りませんでした。つまり、まさしく私は死につつある人間だったからなのでしょう。
不思議に、この孤独は、誰かを愛し、恋している時の孤独に似ていたと思います。
何日も何日も、堂々巡りはきりなくつづいていました。体は衰弱し切っていましたが、頭は決して錯乱してはいなかったと思います。私の思いや考えがただとりとめなかったのは、死を考えるには私が余りにそれと距離をおかずにいたせいだったかも知れません。
もっとも、それまでのいつ、私が自分の死についてなぞ考える機会があったでしょうか。生と死が二つの世界に分たれてあるなら私はその時丁度、そのどんでんの境の|蝶番《ちょうつがい》の上に寝ていたといえるかも知れません。
意識は|冴《さ》えていながらも|何故《な ぜ》か夢うつつの数日間、私は自分の死について考えながら、考えることで死とかくれんぼをしていたような気がします。私がいろいろ迷い考えている限り、私の死はありません。そして、答の出ぬまま死が来た時、私はもうそこにいはしないのですから。
不思議なことに死と殆ど|頬《ほお》ずりしていながら、それでも|捉《とら》えも触れも出来ずにいる相手について考えながら、私は自分が死んだ後のこと、例えば残された家族のことなどについてはもう全く思いもしませんでした。
私はただ、消えようとしている|蝋《ろう》|燭《そく》が、その明りが消えた後の|闇《やみ》についてなどではなく、明りの消滅そのものについて思うように、|詮《せん》なく、自分という人間に到来する私自身の突然の不在の瞬間についてばかり思い巡らしていました。あれは私にとって最初で最後の、観念との戦いだったような気がします。
人間はなんであんな時になって、観念などというお化けに出くわさなければならないのでしょうか。
私が家長として、また企業の責任者としてありながら、自分の死後について殆ど考えることがなかったのは、私にとっての死が余りに突然やって来たせいと、もうひとつ、私の大伯父の死にざまの印象があったのかも知れません。
大伯父は、戦前の有名な官僚で、A級の戦犯にもなり、出獄し追放を解かれた後、議席を持って二度ほど大臣を務めた男でした。
九十一歳の高齢で死ぬまで、頭は|明《めい》|晰《せき》で、自分の論を通すためには|頑《がん》|固《こ》極まりない、しかし実は気持の優しい合理主義者でした。彼には、ある人物の跡を継いで総理になれる機会もあったのだそうですが、戦犯とはいえ一度犯罪人の名を負うた人間が、国家の首領にはけっしてなるべきではないという|頑《かた》くなな持論でその機会を拒んだそうです。彼は議席から引退するまで、左翼からだけではなく、保守党の若手たちからも憎まれ通した、その意味では奇特な、存在感のある人物でした。
私はその孫と親しかったためにいき来が多く、妙に|可愛《かわい》がられていましたが、彼が老衰して死ぬ|間《ま》|際《ぎわ》母にいいつかって見舞いにいったことがあります。
老人はベッドの横の|長《なが》|椅《い》|子《す》に、毛布にくるまれて半起|半《はん》|臥《が》の形でいましたが、それでも相変らず頭だけはぼけてはいませんでした。
顔をみるなり、
「お前、人間が死ぬとはどんなことかわかるかね」
いきなり聞きました。
答もないこの私に、吐き出すように、
「実につまらんことなんだよ」
といいました。
「死ぬとな、死んだ|奴《やつ》は、たった一人でがらんとした道をどこまでもどこまでも歩いていかなくてはならない。誰もいない。そうやって歩いていくうちに、自分の遺族のことは|勿《もち》|論《ろん》、いろいろのことを忘れるし、そいつ自身も自分のことを忘れてしまうのさ」
「歩いていて、どこかへ着かないですか」
私は聞いた。
その時だけ何故か破顔すると、
「どこにも着きはしないね」
逆に引導を渡すようにいったものでした。
彼がいいたかったのは、死に関する、虚無と忘却ということだったのでしょう。何故かその時、私にはすっかり|痩《や》せて、それまで歳に似ず黒く豊かだった髪の毛が|一寸《ちょっと》会わぬ内に驚くほど真っ白に変ったその老人が、苦々しげにいった言葉の意味が、身につまされたように感じられ、理解できたような気がしたのですが。
あの一週間ほどの夢のような、しかし今でもはっきりと思い出される、殆ど寝たきりの期間が、私にとって肉体的にも何であったのかよくわかりません。不思議なことに|暫《しばら》くすると、願った訳でもないのに、体の内にまだどこかに残されたものがほころび目からにじみ出して来るように、体力というか意志というのでしょうか、何かが蘇り、ともかく床から這いずりだして、また食物を口にするようになりました。
しながら、多分、こうした|事《こと》|柄《がら》がこれからも何度か周期のようにやって来て、挙句は衰弱しきって死ぬのだろう、と思っていました。
しかし今は生きるのだ、などというのではなしに、私はただ、流れの中をあちこちにひっかかりながらやがては死という海に流れつき|呑《の》まれていく流木のように、ただ私の生の|淀《よど》みの中を漂っていただけです。
梅雨明けに近い七月の半ば|頃《ごろ》、それまでただ胃痛と体重の減少だけで来ていた体にある変化が起りました。激しい|下《げ》|痢《り》です。夜間便意に気付いて起き上りましたが、突然の激しい下痢でした。夕方食べた何かに当ったのかと思いましたが、それと全く|関《かか》わりなげに、第一、細々とった夕食など量は知れていましたが、|排《はい》|泄《せつ》されるものの量が驚くほどでした。胃の|腑《ふ》のどこかが崩れての出血か、とうとう来るべきものが来たのかと思いましたが、出たものは|素人《しろうと》|目《め》にも血とは違って、どす黒くねばねばしたものが水に混って見えました。その|臭《にお》いが何とも耐えられぬほどの異臭で、じゃが芋が腐ったような色と臭いでした。
下痢の後、脱水の虚脱感がありました。這うようにして床に戻り、いろいろ思い巡らしはしましたが、症状の訳のわからぬまま疲れ果てて眠り落ちてしまいました。
いつになく深く長い眠りの後の|目《め》|醒《ざ》めは、下痢の後の病苦もなくむしろいつもよりましにも思えました。その日の午後、田沼教授に電話し昨夜の下痢について報告しましたが、
「なるほど、大丈夫だ。心配することはない」
何を当てにしていいのかもわからずにした電話でしたが、あっけないほどの返事で、ただ彼の口調が今までと変りないことだけが頼りで電話を切りました。
下痢が食欲をそそったのかどうか、その日、|僅《わず》かではありましたが、珍しくも日に三食もつくって食べました。あの下痢が何であったかは判りませんが、その日を境に、食欲が前よりも少し出て来たような気がしました。
夏が来、シーボニアのリゾート|界《かい》|隈《わい》は年の盛りのにぎわいを見せました。空だったプールには水が張られ、子供たちがはしゃぎ|廻《まわ》り、ハーバーの構内には朝から夜まで船が出入りし、クレーンは一日中陸揚げの船を水に下したり引き揚げたり、|眼《め》の前の入江には船と人が一杯で、窓を閉じていても、建物の下を通り過ぎる若者たちの鳴らすラジオの音や船の乗組員を呼び出すハーバーのスピーカーの声が一日中伝わって来ました。
しかし、そうしたものにも、自分でも不思議なほど何の関心も抱けませんでした。窓から、夏の|陽《ひ》に輝く海と空と、いきいきとして動き廻る人や船を|眺《なが》めても、それが窓ガラス一枚へだてた向うに、私が今いる世界と同じ|繋《つな》がりで在るものだという実感はどうしても|湧《わ》いて来ません。
二月の末にこの部屋に入ってから早くも過ぎていった季節、といった感慨など全くなしに、ただ、目に入り耳に聞えるものに別段|反《はん》|撥《ぱつ》もせず抵抗もなしに時折外界を眺めているだけでした。
ただ建物の外に出て、辺りにひしめいている大方が裸に近い人間たちに会うことだけは、無意識のうちに避けていました。彼らの健康をうらやみ、憎む、ということではないにしても、彼らと間近にいき交うことで、私は私が一人で、あのおどろおどろしくも何とか|決《けつ》|潰《かい》を|免《まぬか》れ保っていた密室の|雰《ふん》|囲《い》|気《き》を損なわれたくなかったのです。
いずれにせよ、私は彼らが作り出しているあの夏の歓楽のにぎわいには全く不似合いな存在でした。遠慮し身を隠していた訳ではありませんが、もしあの明るいにぎわいのただ中に、一人で末期の|癌《がん》を病む男がいるのだということが知れれば、彼らは化け物を見たように争って逃げ出したでしょう。|宵《よい》にかけて、全棟全室明りを|点《とも》してさんざめく海浜のマンションの中で、ただ一室明りを落して、中に住む人間が窓から顔も|覗《のぞ》けることもない部屋があるということを、彼らの誰も知りはしなかったでしょう。そしてそれが世間だということも。そう思ってみることは、何故かむしろ小気味のいいような気さえしました。
私が最初の最初、自分の胃の腑に一点とりついた癌細胞に当然気づかなかったように、彼らも私の存在など夢にも知りはしない。知る必要もない。しかし今私がここにこうして在るように、彼らにとっても不本意で不条理な死の素因は、私の身に起ったのと同じように、全く思いがけずにきざして繁殖し、やがて彼らを捉えるのだ。それを知っている人間は、今この海浜の明るい光景の中でこの私一人しかいはしない。彼らに叫んでそう教えてやるよりも、それを一人黙して隠すことの方に、隠微な喜びさえ感じられるような気がしました。
しかしそれも最早、私のさしたる関心などではありはしませんでした。彼らの歓楽の季節が早く過ぎて終ってしまえばいい、などとも思いませんでした。
むしろ、眼下の華やいだ光景の中に、私は自分の妻や子供たちをふと思い出しながら、自分が妻や子供を含めて彼らの世界とはまったく位相の異なる世界に身を置いているのだということを改めて|覚《さと》っていました。
シーボニアに移ってからなお増して来た胃痛の苦しみから、それが何を意味するのかを知りながら、ともかく逃れたいと努める内に、結局私は家族を含めて他のすべての執着を捨てていたのです。捨てぬ訳にはいかぬところまで追いこまれ、自分の生命に関する|一《いち》|縷《る》の|希《のぞ》みだけを中心に堂々巡りしながら生きつないでいたということでしょう。
やがて夏が過ぎ、辺りのにぎやかな|喧《けん》|噪《そう》も終りました。当然、私はいく夏を惜しみなどしませんでしたが、それでまたほっと息をついたということでもありません。時間とか季節といったものは、今では私の人生に何らの意味を持たぬものでしかありませんでした。私自身の時は、私の死という照準に向って、たわみ張りつめながら漂流していたのです。
九月の終り頃、突然針路を変えた大きな台風がある日の午後近くに上陸し、強い風と高い波が辺りを襲いました。白昼の明りの下で見る台風の猛威はすさまじいものでした。沖合いの防波堤を越え、入江に打ち込む波の高さは見る間に高まり、気がついた時は沖の堤防は水の下に没し、勢いをました|嘘《うそ》のように大きな波がハーバーの堤防を越え、あっという間に、繋がれている、持ち主が精魂こめて整備した高価な船たちの|舫《もや》いを断ち切り、船と船とを打合せ、ある船は魔術に操られるように波に乗って狭い港の入り口から港外へ走り出していき、外から押し寄せる波に押し戻され、入り口のハーバーライトの下の突堤に|叩《たた》きつけられて見る間に破れて沈んでいきました。
港の中で舫いを切られ互いにぶつかり合う船たちもあっけないほど簡単に、数度の激しい衝突で折れたり裂けたりして沈んでいきました。
|滑《こっ》|稽《けい》で|惨《みじ》めなのは、風下側の岸壁に繋がれた船たちで、打ち込む波に水位が増し、その上にさらに波が打ちこみ、船尾はプール下の岸壁の歩道をまたぐようにして浮き上り、プールの壁に叩きつけられ、舫われたまま砕けて|座礁《ざしょう》していました。
吹きつける強風に、陸揚げされている船たちのあるものは船台ごと吹き倒されたり、置かれている小型のヨットたちは木の葉のように転々と舞い上り、高い船台に叩きつけられ、|据《す》えられている他の大型の船の船底を突き破ったりしました。
テラスの手すりにもたれている私自身の体も危いほど、強風の下に九階の建物自体が体をゆすって揺れていました。
風に吹き千切られたさまざまなものが舞い上って七階のテラスまで飛んで来、ひきはがされ吹き上げられた修理工場のトタンの屋根が私のすぐ目の下の宙を飛んでいきました。
|僅《わず》か数時間前まではあれほど整然としていたヨットハーバーは、急を聞いてかけつけた職員たちのなすすべもないまま、狂った自然の手の下で気ままに打ち壊され、人間たちは自分の身をかばいながらただ|茫《ぼう》|然《ぜん》と見守るだけでした。
その時、突堤に近い岸壁の上で何やらもみ合う人間たちの姿が見えました。一人の男が体にロープを巻きつけ、荒れ狂う海に飛びこもうとしてい、後の二人がそれを思いとどまらせようとしている様子でした。
ロープを巻きつけた男は、岸壁からすぐ目の前の海を無傷のまま流れようとしているヨットを指さし、さらに入江の奥をさして何か|抗《あら》がい叫んでいました。多分、流れている高価な船に泳ぎついて舫いをとりつけ、岸から操って波のとどかぬ入江の奥のどこかに|誘《いざな》っていこうというのでしょう。
後の二人はいい負かされたのか、男が体に巻きつけたロープに更に他のロープを足していました。
次の瞬間、男は身を躍らせて沸き立つ海に飛びこみ目の前の船に向って泳ごうとしていました。しかし、皮肉なことに今まで眼の前にとどまるように漂っていた船は、次の波と突風に乗ってあっという間に岸壁から距離を離しました。
それに追いつこうと波の中で懸命に努めている男の頭だけが見えていました。私は最初に来た頃、一、二度手にしたままで|放《ほう》り出していた部屋に備えつけの望遠鏡を取り出して男の行方を追い直しました。
彼自身も海に飛びこんでみてそう知ったでしょうが、驚くほどの大きな波が打ち寄せていました。そして望遠鏡で眺め直して|束《つか》の|間《ま》も経ず、男の姿は、沖から打ちこむ波と、堤防に打ち当り流れの角度を変えた波とが斜めにぶつかり合ってつくる大きな三角波の|渦《うず》の中に巻き込まれるようにして消えて見えなくなりました。
そして、彼が何とか|捉《とら》えて救おうとした船は、その向うに漂い流れていた船と波の上でぶつかり、たった一度の衝突で船体が裂け、あっという間に沈んでいきました。
数を数える暇もないほどのあっけないありさまでした。岸では命綱を持った仲間たちが必死にロープをたぐり寄せていましたが、先端にはもう何も結ばれてはいなかった。彼らは岸壁づたいに、流されているかも知れぬ仲間の姿を求めて飛び跳ねるようにして走ってはいましたが、岸にいる彼らの頭上を越えるほどの高さの波の中に、|溺《おぼ》れた人間を探すなど|無《む》|駄《だ》な試みでしかありませんでした。
風と波の猛威の衰えぬ間に日が暮れ、暮れると同時に、今まで陽の光の下で姿を見せなかったものは、かえってその黒い姿を現し、この世界を引き裂き|弄《もてあそ》びつづけていました。眺める目にはすでに定かではなくなった辺りの光景を前にしながら、私は幾度となく重く厚い突風によろめかされながら、テラスの手すりにしがみついてたちつくしていました。
|闇《やみ》の中に眼を据えながら、さっき見た、あの命綱を巻いて海に飛びこんでいった男の今ある姿を思ってみました。
どのようにしても泳ぐには難いあの大きな三角波の渦の中に溺れた彼は、つめた息がついに断たれ、胸に|収《しま》い切れぬほどの水を飲みながら何を思ったのでしょうか。
あの男はよほど泳ぎに自信があったのでしょう。しかしその彼とて、眺めているものにはあっけないほど、どう抗がうこともなく命綱を切られて水の中に姿を消しました。
彼の身に起った出来事は、彼が希んで身を投じた海の中であればあるほど、彼自身にとっては不本意極まりないものだったに違いありません。
抗がいがたく飲みこんだ海水に胸が裂け、息が絶えていく彼は、その生命を失う瞬間何を思っただろうかをしきりに|想《おも》ってみました。
彼が、あの行為の中で死を想ってもみなかったということはない|筈《はず》です。しかし|尚《なお》、彼はそれを試み、|挑《いど》んだ。しかし、それが彼の、万々が一の予期の通りに彼を捉え彼に向って到来した瞬間、彼は、一体何を感じ、何を覚ったのだろうか。
突然思いました。私の目には完全に失われたとしか思えぬ彼が、もし、九死に一生を得て生きて|還《かえ》ったならば、彼は、私たちがいくら想ってみてもどうにもならぬ死なるものを|垣《かい》|間《ま》|見《み》て来たに違いない。
無性に、彼からそのことについて聞いて知りたいと思った。彼が、私の見ている前のあの水の中で手触りし覚って知ったに違いないものが、一体どんなだったかを知りたい。
思いながら私は知ってもいました。あの男は|或《ある》いは、生きて還っているのかも知れないが、しかしこの私は間違いなく死ぬのだ。私は、この一人きりの部屋の中に、決して全身挙げて希んで身を投じた訳ではありはしない。その限りで、あの男の生還の可能性はこの私よりははるかに高い筈ではないのか。
何の理屈の裏打ちもない、私とあの男の生還の確率計算に、私は暗闇の中のテラスで一人懸命に興じていました。
ちなみに、あの男の姿はあれきりどこにも見つかりませんでした。あれほど強く、|巨《おお》きな波の打ちこんでいた狭い入江の岸のどこにも遺体は上らず、入江中に張られた|生《いけ》|簀《す》の網を支える複雑な水中のロープの周りも、潜水夫を使って捜索したが見つからなかったそうです。
それは果して、彼に関する確かな死の|証《あか》しといえるのだろうか。だが、遺体の確認されぬ死というものについて人が何といおうと、彼が|喪《うしな》われた、ということだけは確かなことに思われました。
しかしまた、喪われるということは、|所《しょ》|詮《せん》、他人との|関《かか》わりのことでしかありはしない。私は多分、間違いなく死ぬだろう。けれども、妻や、子供や、友人にとって私が喪われる、ということと、私が死ぬ、ということとはそんなに同じなのだろうか。
私が今しきりに知りたい、なんとかその手触りでも感じたい、多分、いや絶対にそれは出来はしまいが、それでも、知りたい、感じたい、と思っているのは彼らにとってではなく、私にとって私自身が喪われる、というそのことなのです。
私が、妻や子供と離れて今たった一人でこうして暮していることの意味は、もう手遅れの癌を万が一の機会にすがって治すということより、今では、私自身に、私一人に、それを何とか納得させるためでしかないようにも思えました。
その限りで、私は、いわば難攻不落の孤独の内に生きていたともいえます。その孤独の中でしか、人間は、|全《すべ》ての秩序を逸した、同時に私一人にとってだけの絶対の秩序である自らの死と向い合えはしないのですから。
誰かが、人間は誰でも死ぬ時はこの世の人間たちの中で最初に死ぬのだ、といっていました。
あのロープで身を縛って荒海に飛びこんでいった男にとっていかにも不本意な死も、私のように、その|衣《きぬ》ずれの音を間近に聞くような気さえする、しかし実は、何も見えも感じも出来ない死も、処女のように|初《うい》|々《うい》しく、神のように不可知であって、その意味では全く最初のものでしかないわけです。
それから数日間、床の上に|横《おう》|臥《が》したまま、私はきりなく、伝わりようも味わえようもない、しかし、私が密々に目にした、あの男の死の瞬間についてばかり想いつづけていました。
しながら改めて覚ったことは、運命とか何かの機会とか、そんなものを越えた形である死の絶対性でした。それは、すべて生命を与えられたものにとっての、などということではなしに、他はどうでもいい私一人にとっての、確固不動な死の|蓋《がい》|然《ぜん》性ということです。あの男の死を|眺《なが》めていた|俺《おれ》も、やはり、まぎれもなく死ぬのだ、死のうとしているのだ、という強い感慨でした。
私があの日目にした巨大で凶悪な|嵐《あらし》の姿は、|猛《たけ》|々《だけ》しくはあったが、なんといおう、その一方的、その絶対的な力の|故《ゆえ》に、抗がう|術《すべ》もなくただ|肯《がえ》んじなくてはならぬ、平明で|怜《れい》|悧《り》な公理の実感でした。
それはむしろ、私に絶望とか恐怖をあたえるよりも、私が今一縷の希みを託しながら抗がおうとしているものにとって、私の試みや私の存在など、|殆《ほとん》ど無に等しいものでしかないのだ、という妙に割り切れたあきらめでした。
しかし、と私は思った。それでもこの俺は、多分明日、この窓から身を投じて死にはしないだろう。このまま、床の中で動けなくなるまで、へたばっても、|這《は》いずりながら、あの田沼のすすめた酵素だけは、彼の言った通り死ぬまで飲みつづけてくたばるだろう。そうやってちびちびと生をつづけることしか、この抗がいようのないものに向って自分を証す術も意味もありはしないのだ、と。
妙なものです、あの嵐を眺めながら、人間の無きに等しい卑小さ、自分の運命の当然の結末を覚り知らされた時、居直ったように、もうどうにでもなれ、それでも俺は、俺一人は、ここでこうしてのたうちながらかろうじて生きて、そして死んでやる、という気になりました。
それは覚りとか|解《げ》|脱《だつ》とかそんな大仰なものではなく、自分を開き切れたような、私自身に白々しい、自分の意識だけは感覚や思考や肉体そのものを離れて、違う位相に移ってしまったような感慨でした。
そして|何故《な ぜ》か、多分俺はこれで、癌という運命として決められていたよりももっと早く死ぬだろう、と思っていました。
台風が過ぎると季節が変り、夏のにぎわいは消えてまたもとの静寂が辺りに戻ってきました。季節の移り変りに何の感興も持ちはしませんでしたが、ただひとつ、季節の風向きが南から北に変ることで、また収われたヨットたちのマストに当るワイアの|牽《けん》|索《さく》の音が|蘇《よみがえ》ってきました。時の経過のせいでか、私は前よりも乾いた感興でそれを聞くことが出来ました。しかしいつ聞いても、妙にものさびしいその音は、やはり私は間違いなく一人で死ぬのだということを改めて告げるように聞えました。
十月に入ってある週日の昼近く、支配人が部屋に訪ねて来、妻から元気でいるかどうか様子を確かめるように頼まれたといいました。
丁度その日、何日ぶりかで|髭《ひげ》をそったばかりでしたから、やって来た彼の目には、そうすさんだ様子には映らなかったことと思います。
支配人は|頷《うなず》いて帰りましたが、それでも尚|怪《け》|訝《げん》そうではありました。それはそうでしょう、部屋に電話がありながら直接家と連絡をとらず、家人も一向に会いにやって来ない家族の関係というのは、はたの目からはいかにも異常に違いない。
私は誓いをたてるように、自分からの電話は自分が死ぬ寸前の連絡だけと心に決めていましたし、妻も、私だけではなく田沼からもいわれていたのでしょう、そんな私を思い測るようにこらえて何の連絡もして来ませんでした。
支配人からそう告げられてようやく、私は、妻や子供たちにとって今年の夏の季節が過ぎていったのを感じとりました。毎年出かけていく山中湖の山小屋に、多分今年も、私を欠いたまま彼女たちは出かけていき、近所の常連の友人たちと一緒の時を過したのでしょう。その折、私について尋ねられ、妻は、誰にどんな説明をしたのでしょうか。どこかで病いを養っているといったにせよ、その病いが何であるかまでを誰と誰には打ち明けたのでしょうか。
こんな病いをかかえた私を、こんな形で欠いた家族のことを、突然狂おしいほど|懐《なつ》かしく|可愛《かわい》く感じていました。余程支配人が依頼事の報告の電話を入れる前に、自分で直接家に電話をしようかとも思いました。
だが、結局は思いとどまりました。田沼からいわれた禁を破り病いを進めることをはばかった、というより、何だろうと結局俺は死ぬのだからという、妻や子供たちに向ってまで開き直った気持でした。
その実、心の底のどこかで、こうやって身を律していくことで、その代償としての|一《いち》|縷《る》の|希《のぞ》みを意識していたのかも知れません。しかしただ、私はもう電話を自分でかけようかかけまいかということについて悩むことがなくなったほど、今まで生きて来た世界から身も心も隔たったところに来ていたのです。
支配人がやって来た翌日、突然友人の川野から部屋に電話がかかりました。
一昨日の支配人への電話は妻が川野からいわれてかけたのだそうです。
「彼女は俺に、代りにかけてくれといったけど、俺は、それは自分でかけるべきだといったんだ。結局、君に気がねして支配人に頼んだんだな。君がそこでどんな気持で|頑《がん》|張《ば》っているかはわかるが、家庭に一切連絡しない、させないというのは|非《ひ》|道《ど》すぎやしないか」
「俺以上に非道い目にあっている人間はいないと思うよ」
私は半ば冗談めかしていい返したと思います。
「それはわかっている。しかし、自分を死んだものと思え、という当人より、いわれる奥さんの方がもっとつらいと俺は思うな」
川野はたしなめるようにいいました。
「この夏、奥さんや子供たちと山中で二度ほど高田の家で会ったんだ。様子を聞いたが、君はそうやって生きてはいるが何の便りもない、便りをしてもならないといわれているという。何といっていいかわからなかった。
一昨日奥さんから電話がかかって、このところ続けて君の夢を見たという。気がかりで仕方ないから、代って電話してみてくれないかといわれたんで、かまわないから自分でなさいといったんだ。
独身の俺でも、君ら夫婦が今大変な立場にあることぐらいはよくわかるよ。二人のことに立ち入りたくはないが、君もつらいだろうが、そんな形で待たされている奥さんの方がむしろもっとつらいかも知れないということをわかってやれよ」
|日《ひ》|頃《ごろ》仲間内でも世話好きで人のいい川野は思いこんだような声でいいました。
「それは俺もわかっているつもりだ。しかし、このことは、何もかもかなぐり捨てて当らなけりゃどうにもなりはしない。俺は生きたいんだよ。俺のためでもあるし、女房や子供のためにもだ。そのための万が一の機会をつかむためには、すべてを忘れろといわれた。そして、そうしなければとても|覚《おぼ》|束《つか》ないということだけは俺にもわかる。
だからあいつには、あくまで俺を死んだと思え、俺を忘れろといったんだ。あいつが俺を忘れていてくれなければ、俺だってあいつや子供を忘れることが出来やしないじゃないか」
|一寸《ちょっと》の間川野は黙ったままでした。
が、
「本当に忘れたり出来ると思うかね。君らは夫婦なんだぜ」
今度は私が黙ったままでいました。しかし、誰のためにか言い訳するように、
「他人には出来ないでも、夫婦だから出来る筈だ。しなくちゃならないと俺は思ったんだ。勝手で、一方的ないい草かも知れないが、今の俺にはそうするしかないんだよ。自分一人のためだといわれても仕方ない。命を半分以上|喪《な》くしかけている人間の気持なんぞ、当人しかわかりはしないよ」
「そうだろうな。しかし、むごい話だな」
「|癌《がん》はむごい病気だよ」
私はいささか威丈高にいったと思います。|気《け》|圧《お》されたように、川野は黙ったままでした。
「俺が今いるところを世話してくれたのも君だ。その好意にかまけていう訳じゃないが、頼むからこれからもあいつの相談にのってやってくれ」
「どんな相談にだ、俺に出来ることなぞありはしないよ」
|臆《おく》したような声で彼はいいました。
「いや、ただ、誰かがあいつの横にいてくれるだけでもいいんだ。君のいう通りあいつだって俺以上に、一人で不安だと思う」
「わかったよ」
その後尚何かいいたそうでしたが、私の方から電話を切りました。わざわざ電話して来た彼に向って非礼な仕打ちだったかも知れません。或いはこのことで私は彼を友人として|喪《うしな》うのではないか、とふと思いました。しかし今の私にはそれしかいえそうになかった。誰も理解しまいと、私は私なりに、多分今まで誰も体験したことのない形でことに耐えていたのですから。
それでもまた、川野が今の会話を妻にどのようにとり次ぐだろうかを|想《おも》いもしました。多分、私にじかにいわれるよりも、妻には酷薄な忠告に聞えたに違いありません。
それにどう期待した訳でもありませんが、ふと、自分で電話してこない限り、妻は、妻だけは私のために理解してくれているのだろうと思いました。得手勝手な得心だったかも知れませんが、今の私と妻を|繋《つな》ぐ確かな手がかりといえば、それしかありはしませんでした。
電話を切った後元の|椅《い》|子《す》に|坐《すわ》りながら、私は川野が伝えた、妻がつづけて見たという私の夢がどんなものだったか知りたい、としきりに願っていました。今の私に出来る妻への甘えは、そんな夢にかこつける以外にあり得はしなかったのですから。
十月の終り頃、私はまた突然、七月の半ば頃襲われたと同じような激しい|下《げ》|痢《り》をしました。あの何ともたまらぬ悪臭を伴った下痢が前よりも長く丸三日間、激しさも以前より強くつづきました。しかし、何故か苦痛はそれほど感じられず、ただ下痢がようやく終った後、体の中が空になったような、寝ていながら体が宙に浮いたような虚脱感ばかりがありました。
それから丸二日、下痢での体力消耗を補うために寝たきりでいましたが、その内に前よりも強い食欲に促されて起き出し、前には注文したこともないような品物を思いついて店屋に電話をしました。
下痢が|梃《てこ》になったように、きざした食欲はその後もずっとつづいていました。下痢が終ってから一週間ほどしての朝、半ば|勃《ぼっ》|起《き》している自分に気づいたのです。それはその時の私にとってはいかにも異常な現象に感じられました。自分の手で確かめるように立ち上った下腹部に触れてみ、自分に突然また訪れたものの意味について知ろうとしました。それは、|滑《こっ》|稽《けい》な間違いのようにも感じられました。それが何かの確かな|兆《きざ》しであるのを確かめるためにも、出来るだけ長い間保ちたいと願いながら添えた手を離さずにいました。
その日、何日ぶりかの日記にそのことを記しました。
二度目の下痢を境に私の体力は|僅《わず》かずつ|恢《かい》|復《ふく》し、かすかだが体重が増えてくるのがわかりました。重病人の域を出たものではありませんでしたが、それでも、それは確かな変化ではありました。
そして、それにすがろうとする自分との戦いがまた新しく始まりました。
考えてみれば、ひょっとしたら助かるかも知れない、と思ったのはここへ来てから初めてのことです。
そう思うことと思わぬことの違いについてわかるのは、|所《しょ》|詮《せん》病人本人でしかないでしょう。殆ど一年ぶりに私は、期待という人間にとっての果実を味わうことが出来たのです。そして、|素人《しろうと》|眼《め》にも確率が乏しいものであるほど、観念ではなく、ささやかながら実感として感じられた期待は甘美で、それだけまた|空怖《そらおそろ》しいものでもありました。
私が初めて知らされたものは、死ぬと覚悟して死ぬことよりも、|或《ある》いは助かる、と期待して死ぬことの怖しさでした。
何冊も読んだ癌に関する本の中にも、その症状にはいろいろあって癌の進行に従って一時期の小康状態もある、とありました。私には何を信じ何を疑うにも、そのためのよすがは全くありはしません。もしや、と思ってすがろうとしているものも、結局は私を最後につき放すための|彩《いろど》りでしかないのかも知れない。
そう思うと、ことはもっと|無《む》|惨《ざん》でやりきれないものに思え、にわかに|虚《むな》しさが身を|痺《しび》れさせました。
思いあまってある日田沼に電話して状況を説明し、彼の診断を仰ごうとしたことがあります。
「自分で自分を診断するのが、その病気には一番よくないんだよ。新しい試みをしているのだから、いろいろなことがあるだろうが、結論が出るまでは気にしまいと努めることだ」
|諫《いさ》めるというよりにべもない口調で田沼はいいました。
「ただ一つ確かなことは、あのままで行けば君は間違いなく死んだ、ということだ。だからここで一喜一憂することはない。覚悟して死んだつもりで、そこにいるしかないのだからね」
私としてはわかりきった|筈《はず》のことをいわれ、黙って頷く以外にありませんでした。
たといその時もし田沼が、それは明らかに治っていく前兆だといったとしても、私はその先結局またそれを疑ったり迷ったりして前以上に悩み傷ついたかも知れません。実は田沼にも確信などありはしないのだ、ということを私は知っていました。癌に関しては、それがものごとの条理である筈でした。
冬も間近になったある日の夕方、気が向くまま買い出しに出かけた帰りがけ、私はあるものに気がついて歩を止めました。マンションの背後の高台からシーボニアの構内に下りて来る坂道の下に、壊れた船が二、三|隻《せき》打ち捨てられてあります。その船と船の間の小さな草むらに、季節外れの小さな白い花が咲いていました。
|夕《ゆう》|闇《やみ》のせまった辺りの破船のつくる黒い|蔭《かげ》の中に、どうして今頃咲いたのか、或いは何で生き残ったのか、一茎の草花が、四、五輪の小さな花を咲かせていました。
何故か確かめるようにしゃがみこんで花に指で触れながら、
「お前はここで何をしているのだ」
一人ごつように私はいいました。
何とも奇妙なしみじみした感興の中で、実は多分ありふれた、しかし突然私の目を|捉《とら》えた草花に見入っていました。
一人咲いている花によって勇気づけられる、などということではなく、ここにこうした花が咲いてい、ここにこうした俺がいるのだなあという、妙に懐かしいようなものごとの|関《かか》わりについての感慨でした。それは、私自身が今も|尚《なお》生きて住んでいるこの世界への感触といえたかも知れません。
ここへ来て読んだ癌に関する本の中にいくつかあった、癌にかかって死期を覚えた患者の目に、一輪の花をきっかけに、突然、この世の中が今までになく新鮮に見えてくる、という|挿《そう》|話《わ》を思い出してみました。
しかしそれとも少し違って、ここにこうやって一人|隠《いん》|遁《とん》してはいても、私も結局はこの花と同じ世の中に生を置いた存在なのだ、という自分の原点を改めて|覚《さと》ったような感慨でした。
そして一方の私はその懐かしさに|溺《おぼ》れようとしている自分を引き戻していました。|俺《おれ》は今ここでこういうことをしていてはならない筈の人間なのだ。そうしないためにここへ来たのだ、と自分にいい聞かせながらも、私は何かから逃れるように|暫《しばら》くの間花の前にうずくまっていました。
翌日、私はあの花に会うだけのために、もう一人の自分に言い訳がましく高台の上の商店に買物の理由を構えて部屋を出ました。
しかしその日の日中、トラックがやって来て|棄《す》ててあった破船を運び去ったようです。転がっていた船の姿は見えず、車の|轍《わだち》が踏み荒らした草むらにもう花の姿はありませんでした。
夕闇の中に、不吉なものを見たように私は立ちつくしていました。その一方でもう一人の私が|嘯《うそぶ》くように、これでいいのだ、こんな暇なぞありはしない筈だ、といっていました。しかし|何故《な ぜ》あの時、あんなことだけのために、自分を引き裂かれたように感じていたのかわかりません。
シーボニアにやって来て一年近くたった冬の終り頃、三度目の激しい下痢がありました。
以前の経験から私は|慌《あわ》てずに事態を迎えていました。春めいた暖かい日でしたが、何故か下痢は予期していたものにも感じられました。
私には知れぬ体の中の大きな変化のうねりの中で、下痢は私の思惑や|希《のぞ》みに関わりなく何かの|掌《て》によって長い間かかって用意され、突然やって来る、というような気がしました。私に出来ることは、その意味も知れぬまま、ただそれに自分をゆだね、出るものは出切るまで出すしかありませんでした。
その意味も訳も知れぬまま、丸三日間、私は|殆《ほとん》ど寝たきりで、出来事が私の上を通過していくのを待ちつづけていました。
何かが私の内から喪われた、というより、|顕《あき》らかに出ていったという激しい下痢の後の虚脱感の中で尚、解放感というか清浄感は、前の二回よりも濃く確かに感じられました。激しい下痢の衝撃はありましたが、その代り、虚脱の底に、何かが|蘇《よみがえ》ろうとしているのを感じられるような気もしました。
食べものの|嗜《し》|好《こう》が顕らかに変って来たのは、三度目の下痢を経験してからのことです。何故か油っこいものを食べたい気がしてならなくなりました。
欲求を満たすために、まず、朝夕食べていた野菜にかけるドレッシングに、サラダオイルを足してかけてみました。一応意にかないましたが満足という訳にはいかず、トーストに今までつけていなかったバターを塗ったりしましたが、それでもまだ、もっと油っこいものを食べたいと思いました。
何にしろ、積極的な食欲を感じたのは、シーボニアにやって来てから初めてのことです。自分の体が要求しているものを自分に問い|質《ただ》すように、ある日私は坐り直して自分の食欲に耳を澄まし、自分が今一番|天《てん》|麩《ぷ》|羅《ら》を食べたがっているのに気づいていささか驚きました。
そのことが私の病状のどのような変化を意味するのかはわかりはしなかったが、いずれにせよ田沼は自分の好きなものを食べろ、といいましたし、自分がそれを欲しているなら、まず食べてみようと思った。自分で何か揚げてみようかと思いましたがその自信もなく、どこかで天麩羅を食べようと決心しました。
シーボニアのレストランには天麩羅のメニューはなく、事務所で聞いたら、三崎の町にまあましな天麩羅屋が一軒あるというので、名前を聞いてその夜タクシーで出かけてみました。私がシーボニアのマンションに来てから、|崖《がけ》の上の店屋よりも遠くに出かけたのは初めてのことです。
シーボニアに来てから初めて、他人が|燗《かん》をつけた酒を飲みながら天麩羅を食べました。
これが天麩羅だったか、という思いで口にしましたが、|美味《お い》しいというより、|懐《なつ》かしい気がしました。ともかく久しぶりでものを味わいながら食べたと思います。
水に|渇《かわ》いたとは違いますが、それでも、願った通り口にした天麩羅は、確かに胃の|腑《ふ》にしみ渡るような味わいでした。メニューを|眺《なが》めながら、いくつかの好みの品を注文し、忘れたものを思い出すように|噛《か》みしめ味わいながら、私は改めて、自分が今まで久しくこんな風にしてものを食べたことはなかった、と思いました。
そして突然、或いは自分はこれで助かるのではないか、と思った。私が今満喫しているのは、まさしく満たされる食欲の快感でした。それは私にとっては一度失われた後に思いがけなくも蘇ったものです。料理に添えられた酒も、本来の酒の味でした。酒がこんなに甘美なものだったことも、ようやく思い出していました。私が捉えられていたのは、胃痛を押えるための薬としての効用ではなしに、久しぶりの本ものの酔いでした。
しかし、私の楽観、というか、おごりに対するしっぺ返しはすぐに来ました。店を出て歩き出してすぐに、ある衝撃がつき上げ、食べたものを一度にみんな吐いてしまったのです。
しかし、余り動揺はなかった。吐きながらこれが当り前のような気がしていました。おびえたりするかわりに、私はただ自分のこらえのないいやしさだけを|咎《とが》めていました。
吐いてしまえば、後は妙にさっぱりしていました。そうしてそれを確かめながら、嘯くように、私は自分がまた同じものを食べたくなって、この次来る時は今夜にこりてただ注文の量の加減をするだろう、と思っていました。
|流石《さすが》にまたすぐ天麩羅を食べにいくことはしませんでしたが、油っ気のある食べものに対する要求はつづいてありました。それに応じて、シーボニアのレストランのメニューにある、油で揚げた魚介類の入ったピラフを、二日に一度出かけて食べるようになりました。
今まで口にしたくもなかった肉も、試みにとってみました。柔かいフィレのステーキは、吐きこそしませんでしたが、やはり慣れぬ胃にはつかえて重く感じられました。その時、私の体が欲していたものは、肉というよりは何でもいい脂肪分だったような気がします。私が肉を普通に食べられるようになったのは、それから一年以上|経《た》ってのことです。
食べものの|嗜《し》|好《こう》がいままでと変って来るにつれて、|僅《わず》かずつですが体に力が戻って来る実感がありました。吐きはしたが、三崎まで出かけていって久しぶりに天麩羅を食べた時に感じた、或いはこれで治っていくのではないかという予感と、これも病気の大きなうねりの中の|束《つか》の|間《ま》の高みにすぎないのではないか、という|怖《おそ》れとが交互にありました。
しかしそれでも、これが後どれほどつづくのかわからぬにせよ、昨年の梅雨の頃、殆ど死んだも同然、夢とうつつを分たずに過していた|頃《ころ》に比べればはるかに活力のある健康状態は、尚じりじりと向上しながら、二度目の夏に向ってつづいていました。
食べたいものを食べ、好きなことをしていろ、という田沼の言葉の通り、私は自分に|兆《きざ》してきた新しい食欲に|臆《おく》せずに従いました。そしてそれがまた新しい活力を体の内に蘇らせ、|培《つちか》うのを感じることが出来ました。
私が他人に、つまり自分以外の人間に興味を持ち出したのもこの頃のことです。部屋に配達に来る雑貨屋の使いと会話らしい会話が出来るようになりましたし、自分が買物に出かける時、|路《みち》ばたで見知らぬ誰かがしている会話に通りすがりに聞き耳を立てたり、店屋で品物を選ぶふりをしながら、店員と客の|無駄話《むだばなし》に聞き入ってもいました。
つまり、私はまたようやく人間に興味を抱けるようになった、というか、要するに人が恋しくなったのです。
ある日思いついて夜三崎の町に出かけどこかの飲み屋で酒を飲みながら、誰か人間たちに会ってみようと思いたちました。夜タクシーを呼ぶまで、まるで未知の冒険に出かけるように心がときめきました。
タクシーの運転手と話をするのも久しぶりのことでした。彼に尋ねて、三崎の漁業の関係者のよく来る沢野屋という、比較的いいものを食べさせるという小料理屋に入りました。
カウンターの端に|坐《すわ》り、注文した酒と料理を出来るだけゆっくり口にしながら、周りの人間たちの会話に聞き耳を立てていました。
彼らの会話は雑多で大方とりとめないものでしたが、彼らの話が深刻なものではなく、ただとりとめないということが何故か新鮮に感じられてなりませんでした。
半時間ほどして横の客が立ち、代りに三人の男が入って来て坐りました。三人とも漁業関係者らしく、しきりに漁の具合や船の性能について話し合っていました。彼らの内の二人は、総じてどこの海でも漁獲は減ってしまったことを慨嘆し、もう一人は潮の流れが少しずつ変って来ているが、魚たちが本能的に人間を避けて回遊のルートを変えているのだ、ただ人間の|智《ち》|恵《え》がそれに追いついていないだけで魚は今ほどの水揚げで減ってしまう訳はない、といっていました。
三人とも世界中の海を渡って歩いている様子で、話題が私のあずかり知らぬことだけに興味がもて、私はもっぱら一番近くに坐った三人の客の会話に耳を傾けていました。
その内、突然無性に彼らの会話に加わってみたくなったのです。それは子供の頃、他人の持ち物がたまらなく欲しくなったのに似て、自分でもおかしいくらい、どうにも押え切れぬほどの気持の高ぶりでした。
彼らが、私もその名は聞いて知っている、|延《はえ》|縄《なわ》という漁法について話し出した時、私は自分をせきたてるように、勇を鼓して向き直り、
「失礼ですが、延縄というのは海から揚げるのにどれくらい時間がかかるものですか」
尋ねながら、三人に自分を示すように体を乗り出していました。
「ものにもよるねえ、俺の|南鮪《みなみまぐろ》の延縄なら百三十キロはあるから、入れてまた揚げるには優に一日はかかるな」
一番手前の男が咎める様子もなく、隣の私に向き直ると気さくに答えてくれました。
「百三十キロというのは縄の長さですか」
「そうさ。|鉤《かぎ》が三千五百本はついているからね」
「その一つ一つに|餌《えさ》をつけて流すんですね」
男は|頷《うなず》いてみせました。
「入れた縄が空振りの時は、つらいわな、俺ら|漁撈長《ぎょろうちょう》は。みんながブリッジの俺の顔を見ているし」
向うの席の男がいいました。
体の内に|安《あん》|堵《ど》とときめきがありました。私はこれでようやく、この男たちの、私以外の人間の世界に入りこむことが出来たのだという感慨でした。
「作業に丸一日以上かかるなら、天候の変り目には大変でしょうね」
三人は何故か同じように確かめるように私を見直しました。私は自分を|晒《さら》したような気持で彼らに向いあっていました。
「そうなんだよな。それが縄を入れる時の一番の心配の種でね」
私のすぐ隣の、五分刈りのくたびれたコール天の上着を着た男が強く頷いてみせました。
「辺りに魚がいて、近くに低気圧があって、その進み方がよく読みきれない時なぞは迷わされるよね。何しろ、|一《いっ》|旦《たん》縄を入れだしたら丸一日がかりの仕事だから」
「台風が急に発達したり針路を変えたりすることがあるからな」
真ん中の男がいいました。
「|御《お》|前《まえ》|崎《ざき》の船団が、マリアナのアグリハンでやられた時も、いい漁があって逃げ遅れたんだよなあ」
「俺はあの時、機械の故障でグアムに修理に入ろうとして南に下っていたが、二十度線の辺りにいい漁があったよ。そして台風が北へ上らず、急に首を西に振ってやって来たんだ」
隣の男がいいました。
「海に出ていると、危ないことがよくあるんでしょうね」
いった私に、男は照れたような顔で、
「いやあ、欲さえかかなければな」
「近くまた漁に出るんですか」
「明後日ね」
「どこまでです」
「今度はパラオとフィリッピンの間の辺りまでね」
「何日くらい行っているんです」
「七〜八週間だな」
他の二人は私たちが始めた会話を許して待つように黙ったままでいました。
「何人乗っているんですか」
「十八人」
「|怪《け》|我《が》|人《にん》や病人が出た時は」
「滅多にないよ。漁師はみんな丈夫だからね」
男は笑っていいました。
「けどいつか、テレビの撮影の連中を三人乗せた時は参ったな。不漁と|時《し》|化《け》のつづきでね。連中みんな出来上って、中には血まで吐いた|奴《やつ》がいて。死なれちゃ困るからね」
「|俺《おれ》も一度乗ってみたいな」
おもねる、というより久しぶりに人に甘えたような気持でいいました。
「一度船を見りゃ、仕事でもなけりゃ乗る気はしなくなるよ」
「見たいですね。テレビで見たことがあるけれど、思ったより大きい――」
「いや、小さいよ。特に人間の住むところはね。船のどんがらの大部分は|魚《ぎょ》|槽《そう》と漁の道具の置き場だから」
「船は今三崎ですか。行ったら見せてもらえますか」
私は|窺《うかが》うようにいいました。
「いいよ。第三豊栄丸だよ。俺は漁撈長の|柴《しば》|田《た》だけど。しかし暇なんだね」
柴田は笑ってみせました。
「休みで来ているものですから。私は木原といいます」
私は名刺を持ち合わせていなかったことを後悔していました。
「どこに泊っているの」
「シーボニアの部屋です」
「ヨットをやっているのかね」
「ええ、まあ」
私は|肯《がえ》んじてみせました。
店を出る時満足していました。そこで得た他人との|絆《きずな》は、私にとって何故か胸のときめくものに感じられました。彼らと口をきき合ったことで、自分がかつて住んでいた世界に戻れたような気がしたのです。
翌日、車を呼んで三崎の港に出かけ、港の人間に聞いて第三豊栄丸はすぐにわかりました。他の船員らしい姿は余り見えず、職人が甲板で何か道具の溶接をしてい、柴田はブリッジで書類を|覗《のぞ》きこんでいました。
それから三十分ほどの間、柴田は約束した通り船内を案内してくれました。私にはとりたてて珍しいものではありませんでしたが、それとは別に、今私のために、新しい他人がある好意をもって|側《そば》にいてくれるということにひどく満ちたりた気持でした。
その後戻った船橋でとりとめない会話を交した後別れました。彼らの今度の航海は、五十日余りということでしたが、二人は来々月の月末頃の再会を約して別れたのです。
「今度会う時、とって来たマグロを土産に上げるよ」
柴田はいいました。礼をいいながら、私はふと、自分が五十日後の自分の生命について訳もなしに確信しているのに気づき、奇妙な気持でいました。
“実際はその時生きているかどうかわかりはしない|筈《はず》なのに”
自分に諭すように思い直しながら、一方では訳もない自信のようなものがありました。そして、
“少くとも、彼が帰って来るまでなら、生きているだろう”
と思い直してみました。
私が誰か他人と会って話してみたいと思うようになったことが、私の健康にとって何を意味するのかはわかりませんが、ある変化であることだけは間違いなさそうでした。ですから、私はそのことについて田沼に伝えました。
「――前よりも、体に少し力が出て来たような気がするんですが」
「そうかも知れないな。ならばそろそろ次の治療に移ってみようか。そこからどんな交通の便があるかは知らないが、余り体に無理がかかってもいけないのだが、川崎の|或《あ》るところまで週に二回ほど通うことが出来るかね」
「川崎なら、三崎口から京浜急行が|繋《つな》がっていますが。向うで何をするのか知れませんが、体は|保《も》つと思います」
「やるのは磁場治療だが、体には全く何の負担もかからぬ筈だ。それなら始めてみよう」
田沼はいいました。
「コハク酸を飲んでいると、必ずある変化が来る。それは、いい変化だ。しかしいっておくがそれで病気が完全に治ると思ってはいけないよ。磁場治療も、その変化をさらに促進するためのものだが、とにかく|焦《あせ》ったりしてはいけない」
新しい治療の最初には田沼も立ち会うというので、場所を聞き日時を決めて、次の週のある日三崎口から電車に乗りました。
初めとても気になりましたが、案じたようには道中誰も私のことを注目する様子はありませんでした。|髭《ひげ》も|剃《そ》っていましたし、自分が他人の目にどうやらそう病人臭くは見えないのだ、と|覚《さと》りました。確かに部屋を出る前に念のため鏡に映して見た顔も、昨年の梅雨頃自分の幽霊を|眺《なが》めたような気がしたあの印象とは大分違っていたと思います。
三崎の町中へ出かけていったのは別にして、三崎から川崎まで自分が久しぶりに旅行しようとしていることにある感慨がありました。ともかくこれで、あれから一年半は生きて来たのだから、と。
三崎口から川崎まで、時間のせいで電車はそれほど|混《こ》み合ってはおらず、時折、数人の人間が立っている程度でした。
先週、誰かと会って話したさに三崎まで出かけていったぐらいですから、電車の中で見る他人にも尽きぬ興味がありました。周囲の席の乗客が変る度、珍しい生き物を眺めるように、細密にその姿に眺め入っていました。
しかしそのうちに段々、彼らを眺めている自分の内に何か異様なものを感じるようになったのです。胸苦しさ、といおうか、眺めている相手がそのままそこに見えていながら、|何故《な ぜ》かそのまま私に押し入って来て、体の内を占めていくような圧迫感でした。そして確かに、私は見知らぬ彼らを体の内に感じとれるような気分がしたのです。
久しぶりに大勢の人間を眺めてのことだろうかとも思いましたが、ただそれだけのことではないのです。目の前の席に|坐《すわ》った客が次の駅で入れ換ると、今度も、私はその相手を自分の体の内に感じとれるような気がしていました。そして、感じとることで、彼がなにを考えているかまでがわかるような気さえしました。
長い間一人きりで|患《わずら》っている間に、自分に霊感のようなものでも備わったかとまで思いました。目の前の客同士の会話に聞き入りながら、何故だか、彼らが実は心の中でそうは思ってもいずそんなことをいっているのがわかるような気さえするのです。そんなことはあり得ない、と自分にいい聞かせながらも、しきりにそんな気がしてなりませんでした。
自分と他人の|関《かか》わりが今までと急に違ってしまっていて、彼らが私の身近になった、というよりも、気付かれぬまま、私が相手の間近にいて彼らを眺めているといった感じでした。
これがもっと徹底すれば、自分が神さまの視点になって彼らを眺めるというか、|或《ある》いは、死んだ人間が霊魂だけになって別れて残した人間たちを彼らに気付かれずにどこかで眺めていると同じようなことになるのかも知れない、そんな気がしました。
そして何だろうと、そんな自分が眺めている他人が、何故かしきりに|怖《おそろ》しいものに感じられてなりませんでした。まるで初めて人間なるものに出会ったように。
その日の午後、川崎の富士見町の斎藤医院で初めて磁場治療なるものを受けました。治療といっても、大人が入れるくらいの大きな金属の、それこそ|棺《かん》|桶《おけ》のような箱の中にただ一時間半寝ているだけです。絶縁されているその箱には静電子が流れて箱に強い磁場がつくられ、それが体の中のねじれた細胞を正常に戻す、という原理だそうです。
田沼と斎藤医師は、私の前にやはり末期の|癌《がん》を他の処方は|全《すべ》て捨ててコハク酸だけで治した中田という患者のためにこの装置を発案してつくった、ということでした。
「強い磁場というのは、物質の劣性をとり戻すのに効果があるんだよ。だから、磁場の強い環境では、空気も水もきれいになる。きれいになる、というのは、その物質の目に見えぬ乱れた秩序が元に戻るということだ。癌細胞も、普通の細胞が|歪《ゆが》んで乱れた結果といえる。それを磁場を使って治すということだ」
田沼は、説得するという風でもなく、ごくあっさりと説明しました。何であれ、私にはもう彼のいいなりになっているより方法はなかった。
「動物ではいろいろ実験もしたが、すべて成功だった。強い磁場環境の中で飼育した牛や豚は、他に比べて驚くほど健康で早く大きく育つんだよ」
いった後、
「人間が動物と違う訳でもあるかね」
田沼は笑っていいました。
半時間ほどで、何することもなく箱の中で横になったままの私を覗きに来た田沼は、
「以前より大分顔色が出て来た感じだな。前の顔色は、やはり|非《ひ》|道《ど》いものだった」
その、やはり、という言葉に私はすがる思いで、
「よくなっているのでしょうか」
が、
「まだわかるものか。しかしとにかくあれから今までは生きて来たんじゃないか」
笑いながら、しかし突き放すように、私がシーボニアを出る前感じたと同じことをいいました。
「これで確かに治るなどとはまだいえやしない。なにしろ癌だからな。死なぬ限り、後何年かかろうがこれをつづけるしかないんだ」
いわれて|頷《うなず》くよりありませんでした。
田沼はそのまま私を残して帰っていきました。そんなやり口が、改めて、私がどうにもならぬほど彼の手の内にあることを感じさせました。もっとも私も、この後一体何回ここへ通うのだろうかなどということを考えたりもしませんでした。今、私には時間は余るほどあり、また、これをつづけなければ、私のための時間などありはしないのだということだけはわかっていました。
時間が来て治療の箱から出、斎藤医師に同じようなことを尋ねてみましたが、田沼より口数の少い斎藤は、ただ私の迷いを封じるように、
「中田さんは、これで治りましたよ。あなたが二人目になるといいのだが」
といっただけでした。
一人で閉じこもっていた|頃《ころ》より、川崎の斎藤医院に通うようになってから逆に一層、自分には今こうして体の内の癌といつ結果が出るかわからぬ追いかけっこをしている以外にないのだ、という実感が強くありました。そして少くとも今自分が、突然追いかけて私を|捉《とら》えそうになったものから、前よりはやや距離を離して逃れられているような気がしていました。しかしそれが何によっても、田沼によっても保証などされてはいないのだということに、前よりも|苛《いら》だちおびえるようになりました。実際、去年の梅雨頃、部屋の鏡に自分の幽霊を映して眺めた頃よりも無我夢中でなくなったせいか、通院の途中眺める他の健康な人間たちと自分の置かれた立場を思い比べながら、私はむしろ追いこまれたような気持になっていました。つまり、いつかは死ぬのだという法則は人間一般のものだが自分には特に関係がない、と思っていたものが、今まったくその逆になっているということの怖しさを、多くの他人たちの中に出て改めて感じさせられていたのです。
人間とはいい気なものだと思います。癌との追いかけっこに、今どうにか勝ちだしていると思うことが新しい欲を育てなければ、そんな気持にもならなかった筈です。
川崎への通院が二度三度重なっても、どういう訳か途中の電車や駅で見る大勢の他人に|馴《な》れることは出来ませんでした。あの部屋での一人暮しで人間が恋しくなり、三崎まで出かけていって柴田たちと話し合ったりした癖に、不特定多数の見知らぬ人間たちはいつまでも私には怖しげなものに感じられ、通院の途中の車中私はいつも持っていた本を読んで過しました。
しばらくして、シーボニアの事務所から部屋に|言《こと》|伝《づ》てがありました。三崎の沢野屋から私のために預かりものをしているので引きとりに来てほしい、とのことでした。電話してみると、昨日遠洋での漁から帰って来た柴田が約束の|鮪《まぐろ》の身を土産に店に預けていったということです。聞きながら体の内に小さな|戦《おのの》きのようなものがありました。思いがけず履行された約束に、自分でも不思議なくらい私は感動していました。
柴田は今夜も店に現れるだろうか、と尋ねてみました。昨日は昼間、土産を届けに来ただけだったから、今夜あたりは顔を見せるかも知れない、と店の主人はいいました。
その夜早速、私は私のためにもたらされた好意を受けとりに、久しぶりにあの店へ出かけました。そして主人がいった通り、店には前に会った時の連れの一人と柴田が|坐《すわ》っていました。
「おかえりなさい」
と私は声をかけ、彼はふり返ると、
「やあ」
と手を挙げ自分の隣の席を指で促しました。|陽《ひ》|焼《や》けした彼の顔を眺めながら、何故かふるいつきたくなるような|懐《なつ》かしさがありました。それは、柴田個人に対する友情というより、いわば柴田に象徴された何か、私の忘れかけていた、いや自分で拒んで来た、人の|絆《きずな》といったものへの懐かしさだったかも知れません。
「元気そうですね」
いった私に、
「あんたは、前より少し太ったんじゃない」
柴田はいいました。さり気ない彼の言葉を、私がどんな思いで|噛《か》みしめたかは彼にもわかりはしなかったでしょう。
確かに私は太って来ていました。部屋の鏡に自分の幽霊を眺めた去年の梅雨頃に比べると、以前の自分に近くなって来ていました。しかし、二月前に会って別れた柴田が、|僅《わず》かの間にも私が少し太って見える、といってくれたのは私にとって思いがけぬ他人からの証言でした。その時私は少くとも間違いなく、あのマンションで一人きりで暮している時よりも、はるかにはしゃいで楽しく幸せな気分でいました。それをずっと避けては来たのですが、今ようやく私は自分に、外の世界、他人たちとの関わりを許していました。
店の主人が好意で、柴田の持って帰ってくれた鮪の身を刺身にして出してくれました。それを味わうことで私は、自分がまた元の人間の世界に戻れるのだという黙約を交せたような気がしたのです。
そもそも私が、誰かに会いたい、誰かと話したいと願って出会った柴田は、柴田個人というより、もし私が|蘇《よみがえ》ればまた関わりを持たなくてはならぬ他人という世間の代表だったのかも知れません。それにしても、柴田という新しい友人は、私には甘美なほど優しく感じられました。
その夜私は今までになく、安らいで|睡《ねむ》れたような気がします。
三月ほどして、突然妻から電話がありました。子供を連れて会いにいきたいというのです。
「お母さまに用事があって会社にいったら田沼先生がいらしていたの。あなたのことを聞いたら、前よりもずっと元気になって来た、とおっしゃっていたわ」
「そんな気がする。しかし、ここへ来ては|駄《だ》|目《め》だ」
「何故」
「川野からも伝言してもらった筈だ。|俺《おれ》を死んだものと考えていてくれと」
「だってあなたは死んでなんかいはしないわ、それに前より元気になって。そんなことも知らずに私たちはずっと離れたままでいるのよ」
何故かすがるような声でいいました。
「いいかい、確かに前より少しは元気になったが、それが何なのかはまだわかりはしないんだ。俺はね、万が一の|賭《かけ》で治るためにここにこうやって来ているんだ。そのために全てを捨てたんだよ」
「捨てた」
妻は悲鳴のような声でいいました。
「私や、子供を捨ててしまったの」
「そうじゃない。しかし、そのつもりになってここへ来たんだ。俺は治りたい。治るかも知れないという気がすることもあるが、それはただ俺がそう願っているだけのことだ。今まで死なずに来たのも不思議な気がするが、それでもこれから先どうなるかはわかりゃしない。田沼さんだってわからないと思うよ。治りたいなら、すべてを忘れろ、といわれてその通りにして来た。こうして君と電話するだけで、また俺の心が動いて、それが病気にどう障るかは誰にもわからない。とにかくこうやって二年近く生きて来たんだ。或いはそれ自体が|奇《き》|蹟《せき》なのかも知れはしない。だから、俺は死んだつもりになってここにこうしているんだ。俺だって君や子供に会いたい。しかし会えば何かが崩れてしまうような気がする。それをこらえることが、俺の生きたいという、たったひとつの願いを満たす方法でしかないんだ。君が、俺に助かって欲しいと思うなら、君も俺と同じように我慢してくれ。忘れたことを思い出させないでくれ」
「もう忘れたの、私たちのこと」
「忘れやしない。ただ、忘れようとしている。俺にはそれだけしか出来ないんだよ」
説得するというより、願うようにいったと思います。電話の向うで、妻は黙ったままでいました。
「俺はこのままなんとか治りたい、癌を治したい。しかし、そんなことが出来た人間なんて|殆《ほとん》どいやしない。俺にはまだ自信なんかありはしない。その意味じゃ、あの医者の手紙を開いて中味を読んだ時と同じことなんだ。
他の病気と違って癌は、治らなければ死ぬんだよ。前よりもよくなったといっても、それはそれだけのことでしかない。小康状態というのは、ただ、転移とか再発の前ぶれでしかありはしない。俺は治りたい。完全に治らなければ死ぬんだ。癌は|所《しょ》|詮《せん》一か八かでしかないんだ」
「治るの、あなたは」
小さく叫ぶように彼女はいいました。その声は何故か|咎《とが》めるようにも聞えました。
「癌が治ったというのがどういうことなのか、本当に知っている人間なんていると思うか」
私は諭すようにいいました。
「いいかい、俺はとにかく今まで死なずに来た。しかしそれに感謝するのはまだ早すぎるんだ。実際に前よりも元気になりはした。だからこそ俺は今、前以上に怖いんだよ。
磁場治療にいっている川崎の斎藤医院でやった血清検査の結果では、癌に関係ある血の中の悪い酵素の量がまだまだ平常よりはるかに多い。この俺だから、田沼先生は何もかも教えてくれる。つまり、癌はまだ俺の体の中にとりついたままでいるということなんだ。体の調子がよくなるにつれ、その量は減っては来ているそうだ。しかし俺がまだ癌にかかっていることだけは間違いないんだよ」
川崎の医院に通い出してから二月ほどして田沼から、癌に関わる血清検査の結果について教えられた時の衝撃を私は忘れることが出来ませんでした。それは|或《あ》る意味で最初に癌と知らされた時よりも、手痛く身にしみるような衝撃でした。あれから二年近く生きて来、こうやって毎週かなり離れた川崎まで通うようになったこの身が、依然として癌という絶対の刻印を押されたままの体であるということを|覚《さと》らされるのは、今までの苦労がにわかに無駄になってしまったような感慨でした。
田沼はそれを察したように、
「入院していた病院のカルテも調べてあるが、例えば一番典型的な癌測定のアルファフェトという|蛋《たん》|白《ぱく》酵素の数値は、入院中は二〇〇〇もあったが、今では三〇〇台に減っている。当人は余り感じまいが、医者にとっては大層好ましい変化なんだよ」
「それが元通りに治るのですか」
「治る|筈《はず》だ。現に、こうやって端的に減って来ているじゃないか」
「いつです」
「それはわからない」
かつてのように、にべもなくいいました。
「それを気にせぬために、死んだつもりになって一人でいるのじゃないか。助かるにはただそれを続けるしかないんだ。それしかないということが、君にそろそろわかって来ている筈だ」
微笑し直すと、
「実をいうと、患者にとってはこれからの方がつらいのかも知れないな。前よりも迷ったり苛だったりしてね。欲が出て来る。欲が出るほど良くなって来たからだ。その欲がうまく君を支えてくれるといいのだがね」
私はただ頷き返すよりありませんでした。
「こうして自分以外の誰かにいうことだけで自分が崩れてしまいそうな気がする。これは君だからいうことだが、一度しかいわないよ。俺はね、前以上に今必死に耐えている。後|一寸《ちょっと》なのかも知れない。|或《ある》いは所詮は全く無意味なことだったのかも知れない。誰にもわからない。しかしそのことで結局誰も俺を助けることは出来はしない。だからこそ、俺はたった一人でこうしているんだ。わかってくれ。それをわかるということだけが、君が俺のために出来ることなんだよ」
「川野さんは、あなたのことを忘れてやれ、そうすることであなたは私たちを忘れることが出来るといったわ」
訴えるように彼女はいいました。
「俺が彼にそう頼んだんだよ」
「そんなの|非《ひ》|道《ど》いわ、むごいわ」
咎める、というよりつぶやくようにいいました。
確かに、愛する者への期待を、相手が実は|喪《うしな》われたものでしかないのだ、と信じることでしかまかなえぬというのはなんとも残酷な仕組みではありました。しかし私は、いや私たちはそのことで一緒に泣く訳にいきはしなかった。
「わかったわ」
つぶやくように妻はいいました。
それは自分に言い聞かすというより、あきらめて投げ出すような口調でした。
しかし今この限られた会話の中で、なんとか妻を支えてやりたい、と私は願いました。
「川野から聞いたけれど、君が見たという俺の夢って、どんな夢だった」
「夢、ああ、あなたの夢ね。でもこの頃は|何故《な ぜ》かもう見ないわ、前はよく見たのに」
それにどう答えていいかはわからなかった。妻に、俺の夢を見てくれ、と頼む訳にもいきませんでした。
一寸の間二人は黙ったままでいました。|塞《ふさ》ぎようのない沈黙の間に、何かが崩れこわれていくようなたまらぬ気持がしていました。そしてそれを言葉にして妻に告げることが、自分が今までいっていたことに背くということだけはわかっていました。
「それじゃ、もう切るよ。この次は俺から君に電話をする。その時は、奇蹟で治った時か、やっぱりもうじき死ぬ、という時だと思ってくれ」
「それは、いつ」
すがるように妻はいいました。
「|馬《ば》|鹿《か》なことをいうんじゃない。それが一番知りたいのは俺なんだから」
こらえるように一寸の間妻は黙ったままでいました。それから口走るように、
「あなたが、あなたがもし私だったらどうするのかしら――」
|謎《なぞ》めいた言葉にどう答えていいのかわからぬまま私は黙ったままでいました。
どちらからともなく電話が切れた後、追い求めるように置いた受話器を握りしめたままでいました。
その時私は今までと全く違う何かについて|怯《おび》えていたのです。突然|拭《ぬぐ》いようのない何かが体の中にこみ上げて来ました。それは妻への恋しさなどを超えたせつないほどの|苛《いら》だち、というよりも|得《え》|体《たい》の知れぬ深い喪失感だったと思います。
それから一年半近くあの電話が駄目を押したように、二人の間に音信はありませんでした。そしてその間中、妻にいったように、私は元気になればなるほど、月に一度斎藤医院でする血清検査の値いがじりじりと下っていくにつれて一層、おびえつづけていました。
この世の中に、末期の癌から生還した患者は一体どれほどの数いるのでしょうか。私のとったような方法で、癌から蘇った人間など本当にいたのでしょうか。
田沼は、前にある人が私と同じようにコハク酸を飲みあの磁場治療を受けて治った、といいました。しかしその男はもう死んでいません。彼は癌ではない他の病気で死んだということでしたが、その別の病気は実際に癌との|関《かか》わりはなかったのでしょうか。
子供の|頃《ころ》、年の離れた|従兄《いとこ》で結核の療養をしている男がいました。当時は不治ともいわれたその病いから、彼は幸運にも立ち直り完治しました。年に|僅《わず》かしか顔を合わさぬその男の顔に、段々生色が蘇っていくのを目にした記憶がありますが、それとこれとは全く違うような気がしました。
彼の場合は結核のための新薬が登場した頃だったと思いますが、私の場合にはそんな幸運な歴史の保証なぞありはしないだけでなく、突然この体を占めた邪悪なものは、発端のありさまからして、いつでもどんな具合にでも私を裏切り希望を|覆《くつがえ》すに違いない。マンションの一室に一人だけ移り住んでから、僅かずつ積み上げて来たものが、僅かなきっかけであっという間にひっくり|覆《かえ》されるだろうことを、私はまだ確かに信じていました。
それだけに自分の健康が|恢《かい》|復《ふく》し体力がつき、衰えていた筋肉までが日課として始めた体操で蘇って来れば来るほど、私は身構えるようにますます神経質になっていました。
そんな自分を安んじさせ、自分に言い訳のたつような方法はたった一つ、私が最初に誓ったと同じように、いつまでも他から隔たって一人きりでいるということでした。そして自分がその節を守っているということを自分に|証《あか》す方法は、時には狂おしいほど顔を見たい子供や妻と、|敢《あ》えて離れているということの他にはなかったのです。
一方では、戻って来た体力にまかせて、辺りをジョギングしたりするようにもなりました。そしてそれがまたさらに確かに新しい体力を|培《つちか》ってくれました。胃痛はすっかりなくなり、そのせいで以前のように酒を飲むようなこともなくなりました。前にはつかえる感じだった肉も、抵抗なく胃に収まるようにもなっていました。しかしそれでも|尚《なお》、むしろ今まで以上に私はおびえていたと思います。
妻にも話したように、私には、|癌《がん》が治る、ということがどのようなことなのかがわかりません。世間一般でも同じことでしょう。その意味では、自分のしている治療がいつ終るのかを知りませんでしたし、いつまでには終って欲しいとも思いませんでした。
体に力がつき、健康が恢復してくるにつけ、三年前の自分が、いかに不健康であったかが改めてわかりました。そして、そのまま死に陥らず、あそこからここまでともかく持ち直して来た自分に目を見張る思いではありました。もし自分がこの処置をとっていなかったならば、あのまま間もなく死んでいただろうことにも確信がありました。しかし、といって自分がこのまま、いわば奇蹟をとげて癌から治り切る、ということの確証はどこにもありはしなかった。
皮肉なことに、体に力がついてくればくるほど欲が出、|抗《あら》がいようもなく次々と迷いが生じ、死んだつもりでいた筈がどうにもそうは割り切れなくなりました。或いは|奇《き》|蹟《せき》的に助かるのかも知れぬと|密《ひそ》かに思いながら、この状態が一体いつまでつづくのだろうかを、よすがもなしにおびえながらくどくどと考えるようになりました。
ふれ動く心を|捉《とら》えて、自分を支えるために私に出来たことといえば、かつて死んだつもりになってたてた誓いに殉じること、つまり、何があろうと他から離れてただ一人きりで過す、ということしかありはしなかった。
ともかくも、|顕《あき》らかに私は健康を恢復して来ていました。しかし、自分でそう認めることを自分に戒めつづけてもいました。
体に力がついて来れば来るほど、私は死んだつもりになるということがいかにむつかしいかを知らされていたのです。生殺しという言葉の実感をつくづく覚らされたのは、むしろこの頃だったと思います。本ものの執着には体力がつきものというのを、初めて知らされました。私は最早以前のように、やけくそにもなれずに、ようやく実感を伴った生還への願望と再発の恐怖の|渦《うず》の中に|嘖《さいな》まれつづけていました。
四年目の夏前、私は夜夢精をしました。シーボニアに来てから初めてのことです。それはいかにも異常なことであると同時に、自分でも納得いくことにも感じられました。恢復に、ある区切りがついたようにも思えました。
思った末、その翌々日、私は東京の田沼に電話をしてそう告げました。自分で自分を診断するつもりはありませんでしたが、田沼がそれを聞いてどう判断するかを知りたいと思ったのです。
しかし、電話しながら、私はなおもおびえてもいました。田沼がそれでも、いやまだ後数年というのなら、いわれる通りにしたでしょうししない訳にもいかなかった。
しかし、
「なるほど、君は治ったな」
実にあっさりと田沼はいいました。
「どういうことです」
「そういうことだよ。治ったんだよ。もう間違いないだろう」
私には彼のその言葉はひどく軽率なものに聞えました。
それを察したように、
「それじゃ、そこを引き払った後、一応念のためにどこか大きな病院で精密検査をうけたらいい。なるたけ前に関わりのない、別の病院がいいだろう。こちらで準備しておこう」
田沼はいいました。
そこを引き払った後、と田沼はいいましたが、私は家に帰らずマンションにとどまったまま彼からの連絡を待ちました。すべてをゆだねていた彼からいきなり、もう治ったといわれながら、それをにわかにそのまま信じることは何故か出来はしなかった。大病院の精密検査が何を告げるかわかりません。その判定について田沼にどんな自信があったのかは知りませんが、私には尚予断のつかぬことでした。その結果|如何《いかん》では、私はまた元の一人住いのシーボニアの部屋に戻るつもりでいたのです。
翌々日、田沼から電話の連絡があり、次の日にセットされた精密検査を告げられました。病院は今までいったことのない関東第二病院でした。
翌日、朝早く部屋を出ました。|扉《とびら》を閉めながら、このままこの部屋と|訣《けつ》|別《べつ》するという気持はせず、自分がまた再びここに戻って来なくてはならなくなっても全く不思議ではないような気持でした。
京浜急行から乗り継いで久しぶりに国電に乗りましたが、丁度通勤時間にかかったラッシュでその間立ち通し、人波にもまれながら、人間たちの中にいる自分を測るようにして|眺《なが》めていたと思います。これなら何とか耐えられそうだ、という実感はありました。
病院では午前から午後にわたって長い間かかり、全身の精密な検査を受けました。田沼からどのように伝言されていたか知りませんが、最後に担当の医者は胃カメラのカラーヴィデオを見せ、横のボードにマジックインクで胃の略図を|描《か》き、その二ヵ所に|潰《かい》|瘍《よう》の跡がある、といいました。
それはまさしく、三年半前、私が無断で開封した医者から田沼への手紙の中に記されていた胃の図と同じ箇所でした。
「潰瘍ですか」
確かめるようにしていった私へ、
「そうですね。自覚症状はありませんでしたか。かなりの大きさですがね」
「三年半前、一年ほどの間つづいて胃が痛んだことがあります」
「それですね。しかし、よかったですね。|治《ち》|癒《ゆ》はしています」
「バイオプシイはしたのですか」
尋ねた私を医者は|咎《とが》めるように見直しました。
「しましたよ。カメラを飲んだ時に。何でもありませんよ」
たしなめるようにいいました。
「心配はいりません。潰瘍の|瘢《はん》|痕《こん》は、大きくはあるがすっかり治っていますからね」
「すると、あの頃胃がしきりに痛んだのは潰瘍で、それはもう――」
「そうです、治っています。ただ、かなり大きな瘢痕ですな。だから、まあ、念のためにこれから一年ほど、三月に一回、胃カメラを飲まれたほうがいいと思いますね」
「また、何かで元にもどるという可能性でもあるのでしょうか」
彼らがまだ何かを隠して言わぬのではないか、聞くだけのことを聞き出そうと、こちらの秘密を隠しながら尋ねました。
「いや、もうすっかり治っていますからね。ただ、念のためですよ。忙しければ、半年おきでも結構です」
「あれは潰瘍だったのですかね」
取り引きをするように、相手をうかがいながら私は念を押しました。医者がいう通り、私の癌は何故か消えてしまったというのですから。
「そうですね。しかし何か薬は飲まれたのでしょう」
コハク酸を、といいたいのをこらえて、ただ、
「飲んでいましたよ」
「いい処方だったようですな。それに、こうした病気は、かかってから人によっての条件次第でしてね」
「条件」
「仕事などでのストレスのかかりかたの違いで、病気が進んだり、驚くほどよくなったりもしますから」
「なるほど」
心から私はいいました。
そのために懸命に努めて三年半余かかったということを、医者たちにいったところで彼らが信じはしまいことだけはわかっていました。
病院を出た後その足で田沼の研究所に寄りました。医者たちが出した結論を伝える、というより、私には田沼の結論こそが必要でした。
報告を聞き終り、
「よかったね、私のいったとおりだろう」
田沼は笑っていいました。
「あのままT大病院に入っていたら、今頃君はこの世にいやしないよ。しかしよく私を信じてくれたな」
田沼当人からそういわれてみれば、改めて不思議な気もしました。私は決心してそう踏み切りましたが、実は滅多には出来ないことだったに違いありません。何よりも田沼のような人が身近にいてくれたことからでしょうが、それをただの幸運とだけは受けとれぬような気がしました。幸運というならことは簡単なような気がします。田沼のお|蔭《かげ》で私は死なずにすみましたが、しかしまた彼のお蔭で、この三年半もの間、一人だけで死んだつもりの暮しをして来たのですから。
それは生命の代償としてあがない切れる切れぬというより、|所《しょ》|詮《せん》私一人にしかわからぬ長い時間ではありました。
「三月に一度くらい、胃カメラを飲みに来いといわれましたが」
確かめた私に、
「もうその必要はないと思うよ。気休めになるのならそれもいいが」
彼は笑ってみせました。
「今日もバイオプシイをしているのだから、それで異常のないものが三月して変る訳もない。三年前同じことを調べて癌だったものが、無くなっているのだからな」
「三年前が間違いだったのではないか、とも思いましたよ」
「それはそうだろう。しかし三つの病院が太鼓判を押したのだからね。私も後であの時の胃の写真を見たよ」
その後真顔に戻ると、
「しかし、よく信じられたな」
ゆっくり|頷《うなず》きながらもう一度田沼はいいました。
「先生は初めから信じていたのですか」
ずっと前から確かめたかったことを私は|質《ただ》しました。
「|勿《もち》|論《ろん》だよ。ただ、私は医者ではない。しかし医者でないからこそ信じられたし、その前に、そう思いつけたのかも知れない。要は医学や技術の問題ではない。なんというかな、生命の原理の問題なのだよ。動物にかなうことが、|何故《な ぜ》人間にかなわぬことがある。癌は人間だけの病気じゃない。しかし、人間はよく癌にかかるが、そのことだけに|囚《とら》われるともっと原理的な、根元の問題を見過してしまうのだな。人間は自分でこしらえた科学だの技術だので自分自身をいじくり|廻《まわ》しすぎるんだ。君が治ってしまったということを医者の連中が率直に認めてかからぬ限り、君は治りはしたが、他の連中の不幸はつづくだろうな」
その時私が改めて田沼にどんな風に礼をのべて出たかは何故か覚えていません。いや、多分、私は余り何もいわなかったでしょう。私がその時味わっていたものは、これで無罪放免になったという解放感ではなしに、一種の戸惑いでした。
気がついてみれば、私は三年半ぶりに、癌という罪状が解けて元の世界に戻って来ていたのです。いわれるまま死んだつもりになり切って三年半を過した後、今改めて生命の保証を与えられても、それを|希《のぞ》んではいたことながら、新帰朝者の私は新しく生きるための手がかりのようなものを一切|失《な》くしていました。第一、田沼の部屋を出た後、自分がこれからどこへいっていいのかを知れずにいました。
こうなった今、シーボニアのあの部屋に戻る必要がなくなったことだけは確かでした。だから、と自分を説くようにして、私は家へ戻ることにしました。
家で最初に私を出迎えたのは、見知らぬ顔の通いの家政婦でした。そして夕食をとっている子供たちがいました。妻は所用で出かけて不在でした。
家政婦に、自分が実はこの家の主人であると告げることの皮肉と|滑《こっ》|稽《けい》さをそれほどには感じませんでした。子供たちも私を忘れてこそいはしませんでしたが、ただ驚いてまじまじ見つめていました。妻といい合わせて彼らには、療養のために家を空けているということにしてはありましたが、それにしても私の向うでの滞在は長すぎた。帰宅もまた突然、というより唐突だったと思います。
あれほど会いたいと思っていた子供たちを目にしても、不思議なほど|渇《かわ》いても|焦《あせ》ってもいませんでした。上の男の子は今では小学校六年生に、当時はまだ幼稚園前だった下の娘は小学校一年生になって、すっかり成長していました。大きくなった子供たちを眺めて私が何よりも強く感じたのは、彼らにとっての私の長い不在でした。
食事の間中、あまりものをいわずにただ自分たちを眺めている不意に戻った父親を前にして、むしろ子供たちの方がぎこちなく見えました。療養を終えて今ようやく家に戻って来たという父親に、彼らは頷きながらもどう|応《こた》えていいかわからずにいるようでした。
食事を終えた子供を|側《そば》へ呼び寄せ、以前したように抱き上げ抱きしめようとしたが二人ともそうするには大きすぎ、代りに頭を|撫《な》で肩に手を置きながら、私もまたそれ以上になんと声をかけていいかわからずにいました。
私の手の下で彼らがぎこちなく身じろぎをした時、その体の温味の中に、突然|蘇《よみがえ》ったような安らぎを覚えました。自分とまさしく血を分け合った彼らを、私はまたこうやって自分の手の内にとり戻すことが出来た、そのために自分は|還《かえ》って来たのだという、帰宅の実感が初めてありました。しかしその中で私が感じていたのは、|嬉《うれ》しさ|懐《なつ》かしさというよりもむしろあっけなさだったような気がします。
妻の帰りを待ちながら、あれこれ子供たちと話しはしましたが、二人ともすっかり育ったせいか、逆に会話はどこまで通っているのか手応えのないぎくしゃくしたものに感じられました。どこかで焦りながらも、私は自分自身がこの帰宅に実は何を思いこんでもいなかったことを|覚《さと》っていました。自分が再び家に帰る、ということを、今日の今日まで本気で信じることは出来なかったのですから。そして、私が今味わっている安らぎからすれば、そうしたもの足りなさなど何でもありはしないことは、私も知っていました。
十一時近くに戻った妻は、廊下に出迎えた私を最初、薄暗がりの中で息子と間違えて声をかけました。つけた明りの下で私を認めた時、
「あなた、どうしたの」
恐怖したように叫んで駆け寄りました。
「大丈夫だよ、帰ってきたんだ。田沼先生にいわれて今日病院へいって調べてきたんだ」
居間に戻って妻の肩を|捉《とら》えて向い合いながら頷いてみせました。
「|俺《おれ》は治ったそうだ。だからもうあそこに一人でいなくてもいいんだ」
妻はいぶかるように、そして|怖《おそ》れたように私を見上げていました。
「本当になんだよ、治ったんだよ。精密検査でわかった。胃にはもうただ潰瘍の跡しか残っていない。念のため三月置きの検診に来いとはいったが、田沼先生はその必要もないといっていた。体にも力がついたし、自分でも治ったような気がしていた」
突然の帰宅に驚いた妻の顔から、あからさまの恐怖の表情は消えましたが、代りに彼女はおびえたような|眼《め》でいつまでもまじまじ私を見つめたままでいました。
「大丈夫だよ、信じても。本当に治ったんだ」
「本当に」
つぶやくようにいいながら妻のおびえた表情は何故か放心に変っていきました。
「悪かったな、驚かせて。子供たちもびっくりしていた」
その声に気づいたように私を見直すと、その目ににわかに涙がにじんであふれました。
引き寄せて抱きしめた私の腕の中で、まだおびえているのか妻の体は小刻みに震えてい、やがて彼女はすすりあげ泣き出しました。彼女は小さくいやいやをしながら逃れようとし、|尚《なお》抱きしめる腕の中で泣きつづけていました。私は何かを犯した人間のように、|詫《わ》びるようにただ強くその肩を抱きしめるしかありませんでした。
その後、ようやく久しぶりに妻の入れた茶を飲みました。その夜私たちがしたことはただそれだけです。話すことは山ほどありそうながら、思い余ったように|殆《ほとん》ど会話は持たれませんでした。
彼女がまだおびえて見えることに、私もまたおびえていたと思います。それが誤りではないにしても、世間一般ではとてもあり得ぬこと、信じられぬことを自分がやってのけたということに、おびえて見える妻を眺めながら、私はある種の後ろめたさのようなものをさえ感じていました。
二人はもともと寝室は別にしていました。そして当然、私のベッドはカバーがかかっただけで用意されてはいませんでした。
妻が床を整える間、私は部屋の|椅《い》|子《す》に|坐《すわ》ってただそれを眺めていました。作業の間、私の不意の帰宅を咎めでもするように、彼女は一度も私にふり返りませんでした。そんな気配にどう声をかけていいかわからず、どこに身を置いていいかわからぬように、部屋の|隅《すみ》の椅子に坐ったきりでいました。
その夜はなかなか寝つかれませんでした。|睡《ねむ》れる|筈《はず》なのに妙に目が|冴《さ》えて、|闇《やみ》の中で身じろぎせずに天井を仰いだままでいました。ふと、今いるところが夢かうつつかわからぬような気がしました。私が寝ているのはまぎれもなく元の自分の床なのに、それが現実ではないような気がしてなりませんでした。
シーボニアのマンションにいる間、寝ながら、これが夢ならばと思ったことが何度かあります。しかしそれに比べ、その夜の方がうつつとしてはまぎらわしいような気がしました。自分がいるべからざるところにいるのではないかという気さえしました。
これが本当の自分なら、自分は今、かつてそうしたように同じ床の中で妻を抱き寄せ、失くしかけたものをとり戻すためにつくさなくてはならないのではないか、とも思いました。遠いあの部屋で、それを|憧《あこが》れ夢見たこともあったのですから。しかし不思議なほど、もどかしいほど、そんな欲望はきざしてきませんでした。
長い不在の後、その場に及んで自分が|萎《な》えたわけではありません。そんなことではなしに、生命をとり戻した自分が、何故か透明な存在になってしまい、かつての自分の五感でも捉えきれないような人間になっているような気がしました。
そして妻もまた今決してそうしたことを希んではいないことが感じられました。
とり戻されたものの|証《あか》しのために、今夜、今こそそうしなくてはならぬのではないかという気持を、何というのでしょう、もっと位相の違う意識が打ち消し、私はただ戻ってきた世界の|全《すべ》てに向って|馴《な》|染《じ》まぬままにかまえるように、闇の中に眼を|据《す》えたままでいました。
それは、あのマンションでの生活が|培《つちか》った、一人きりの習慣だったのかも知れません。三年半ぶりの我が家で、その夜も尚私は一人きりでした。
翌日、会社に出かけていき、私の代りをしてくれていた母から仕事を引き継ぎました。母だけは端的に私の帰りを喜んで迎えてくれました。
「あなたは、やっぱり偉かったわね。あなたが決心したことだから、私は黙って|眺《なが》めている以外に何も出来ずにいたけれど。本当に戻って来てくれたわね、ありがとう」
眼をうるませながら母はいい、私は初めて自分以外の人間との会話の中で、生還の満足を素直に感じることが出来ました。
新しい生活のための手続きなど、別に何もいりはしませんでした。紹介してくれた川野を通じてシーボニアのあの部屋の持ち主に礼をいい、部屋の契約が終ったことを告げただけです。私があの部屋から急いで持ち帰らなくてはならぬものなど、何もありはしなかった。とにかく私はあの部屋から|脱《ぬ》け出せたのです。
だから、生きて還った後の私の日常生活はその日から始まりました。しかし、それはまた元と同じ、というわけにはいきませんでした。
何よりも会社の社員たちとの間の妙な違和感でした。それは、私から彼らに対する一方的なものだったに違いありません。週に二度、川崎の斎藤医院への通院の電車の中で周りの乗客に感じたあの気持が、顔も気性もすでに見知りの筈の社員たちに対してもありました。
彼らが私に向って何を装おうと、それが何もかもわかってしまうような気がしてなりませんでした。実際にそうでした。つまり私は、人間に対してすっかり不馴れになってしまっていたのです。
経理担当の重役が、ある融資の件で私に小さな|嘘《うそ》をついた時、私にはそれが勘ですぐにわかりました。相手にすれば、会社へ戻ったばかりの私をそこまでわずらわせなくとも、と思ってしたことかも知れませんが、そう気づいた時それについて口だてせずにはいられませんでした。確かに、金融に関しては過去に苦い経験がありましたし、以来人一倍神経質にはなっていました。その件に関しては相手のついた嘘を見過しても大きな支障は|来《きた》さなかったと思いますし、担当の男にも充分な才覚はあった筈ですが、今まで大した完全主義であったわけでもないのに、私はその時自分の気づいたことを口にしないわけにいきませんでした。
相手の|瑕《か》|瑾《きん》を|咎《とが》めるというより、何故か他人の心がわかってしまうような気がする、というのがやはり実際に当っていた、ということを見過しに出来ないような気がしてならなかったのです。
相手への注意は決して大仰ではなかった筈ですが、彼にはよほどこたえたようでした。その責任をとって辞任すべきかどうか、彼は私に会社をまかせて家に戻った母に相談し、母がそれをとりなして来ました。
私にはそのこと自体が意外でした。私が感じとってした判断が、相手にそんな風に伝わったということは改めて|気《き》|鬱《うつ》でした。それは、私にとってまた蘇った他人たちとの|関《かか》わりの重苦しさにも感じられました。
彼は母に、社長はすっかり変られた、といったそうです。確かに私は変ったでしょう。自分でもそう感じます。変らなければ、あの三年半という時間を過せはしないでしょう。あの体験は、なんというのか、私を何に対しても開ききった人間にしてしまったような気がしてなりません。開ききったという言葉が|曖《あい》|昧《まい》なら、人間の原型のような人間になってしまったとでもいうのでしょうか。三年半の間生きるということのためのすべてのしがらみを断ち切っていたということは、私をいわば|無《む》|垢《く》の人間にし、だからこそ他人が透けて見えるようになったのかも知れません。それは私の周りの人間たちにとって、そして、私にとってもありがたいことではなかった筈です。
いい換えれば病いぼけとでもいうのでしょうか。また突然連れ戻された人間の世界の中で、私は一種の放心感の内に毎日を過していました。死んだ気になって、それに徹するためにすべての執着や欲望を捨てようとして来たのですから、いってみれば生きるということの基盤がすっかりなくなってしまったのです。|断《だん》|食《じき》をくり返した人間に透視能力が|湧《わ》いて来るように、私には他人が透けて見えたのかも知れません。そしてそれは、誰よりも私にとって|厄《やっ》|介《かい》なことでした。私には、他人の間に置くべき自分の居所が見つかりにくくなっていました。
家庭でもそうでした。戻った最初の夜、床の中で感じたことは当っていました。一週間たっても、半月たっても、家にいながら妙に身の置き場のない感じがしてなりませんでした。私が、あのシーボニアでの暮しを懐かしくなぞ思う訳はありません。それでも尚、私は何故かあのマンションにいた時とは違った意味で、家に戻っても依然一人きりでした。
子供たちにすれば、一方的に療養のためと称して三年半も家を空け、また突然舞い戻って来た父親はにわかに馴染めぬものだったでしょう。
しかしそれをとり戻すために私自身が焦るということも不思議にありませんでした。恋しかった子供たちが見ぬ間にこんなに大きくなったのか、という端的な感慨だけで、生きて戻って子供にまた会うことが出来た、という高ぶった感動は家へ戻ったあの夜、子供たちに触れながら感じた素直な安らぎの中に|収《しま》いこまれて、私に対して何となくぎこちない子供たちを、そのぎこちなさに|苛《いら》だつこともなく、私はごく平明に眺めていました。その限りで、私と子供たちの間が前よりも|疎《うと》くなっていたとは決して思いません。
むしろすべての事情を知っている筈の妻の方が、子供よりも関わりの疎いものになってしまったような気がしました。その妻が、私と子供の間に入ると、何故か急に子供たちが私からへだてられ離れていくような感じがしてならなかった。そしてその不自然さの|故《ゆえ》に、子供たちは私を一層ぎこちなく眺めなくてはならぬ様子でした。
子供に代って私を咎めるというのではないにしても、私が子供と話し合おうとする度、妻は私と子供たちの間にたちはだかるようにして、一種の通訳のようなもののいい方をするようになっていました。
その通訳も、代って私の意中を|噛《か》み砕いて子供に伝えるというのではなく、子供までを巻きぞえにした過去三年半の黙約に関して、改めてことごとに私を咎め思い|覚《さと》らせようとするように感じられました。
ある時、私はつい、
「お父さんは今までどこで何してたと思う」
子供たちに半ば冗談に|質《ただ》したことがあります。
子供たちの反応|如何《いかん》では、その場で本当のことを明してもいいと思った。私に出来る|贖罪《しょくざい》はそれしかなかったのですから。
子供たちには全てが理解出来なくても、それを一方的に明すことだけで、私は彼らに自分の抱いているものの一部を預け、そうすることで彼らと今までとは違う何か新しい|絆《きずな》で|繋《つな》がることが出来たかも知れません。
しかし彼女は|遮《さえぎ》るように、
「お父さんはいいわね、病気を治すといったって、ずうっとヨーロッパやアメリカにいらして。絵葉書くらい下さったらいいのにね」
|癌《がん》という名は隠して、外国での療養という新しい嘘を私に向って押しつけました。
そして子供たちは、親たちの間だけにある何かの嘘を察したように、私のしかけた会話から身を|退《ひ》いて口を閉ざしました。
思いがけず何かが手の間からこぼれていくという感慨の中で、私はその時初めて妻を疎ましい人間に感じたのを覚えています。
人間の社会を三年半も不在にしていた男が、元いた世界とはいえ、戻って来てすぐすべてのものごとに馴染むということは簡単にはあり得ぬことでしょう。
厄介なのは、私自身がそれに焦ったり不便をかこって失地を取り戻そうと努力をする気に一向にならなかったことです。すべての執着を断って来たのですから、いわば生きる基盤を取り戻すために私がまず持たなくてはならないのは何であれ、欲望というものだったかも知れません。
きざに聞えるかも知れませんが、社長として会社に戻った私に必要なものは、企業家としての物欲だったともいえます。商談にしても、相手の魂胆がすべて透けて見えるような気がし、そんな相手と、かけ引きをしながら仕事の話をするのがひどく|億《おっ》|劫《くう》な気がしてなりませんでした。
といって人間が|嫌《きら》いになったのではありません。あの三崎で知り合った柴田が依然|懐《なつ》かしかったように、人間には前と違った関心が持てました。
今までなかったことですが、相手の|一寸《ちょっと》したある言葉や表情が強く鮮明に心に刻まれて残るようになっていました。
ある時町の|煙草《たばこ》屋で煙草と他に何か小さな買物をした時、店を離れた私へ煙草屋の|小母《お ば》さんが息せき切って追いすがり、勘違いして|釣《つ》り|銭《せん》を間違ったと|詫《わ》び、不足の分を両手で差し出しました。|何故《な ぜ》かそれだけで、|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》ではなしに胸がつまったのです。
相手の正直への感傷などというよりも、自分が今までは関心を持っていなかった人間たちのある部分について、初めて敏感になっているのを感じました。その出来事が忘れられず、翌日もその店へ出かけていって要らざる買物をしたものです。
その逆、相手の何かがわかってしまって|嫌《いや》な場合、今までのように耐えたり咎めたりする代りに私の方でその場を外すようになっていました。そんなことで何人かの友人とのつき合いを|喪《な》くしもしました。いずれにせよ、人間との関わりは、前以上に私にとって重量のある荷物になったようです。
そんな自分を見やりながら、案外自分はあの三年半、あそこでの一人暮しに、ある意味では安んじていたのだろうかともいぶかりました。
ある日、それを確かめようと、すっかり忘れていた、あの一室で初めの二年ほどの間断続的につけていた日記をとり出し、読み直してみました。
日記は忘れていたものを思い出させてくれはしましたが、それは私が自分について信じていたこととは全く違って、もっとたどたどしくもっと醜く未練気で、自分の醜い裸を眺めるようなものでしかありませんでした。
死を怖れていたのは当り前のことですが、何でそんな自分を美化したり慰めたりして良い子になろうとしていたのでしょうか。日記の間に子供や妻に|宛《あ》てて書いた遺書もありましたが、わざわざ毛筆でしたためたりして、どれも率直な感慨というより、人に見られることを意識したような飾りがあっていやらしく、読むに耐えないものに感じられました。
結局、その日記も遺書も焼いて捨ててしまいました。私の|蘇《そ》|生《せい》が確かなことなら、それは全く徒労な記録でしかなかったわけですし、焼くことが、私の生還の確かな保証でもあった訳です。
そうすることで、私は自分を変えてしまったあの一人暮しの記憶とも縁を切りたかったのです。病いにかかる前の自分を取り戻すつもりではありません。ただ変ってしまった自分から、さらにまた変って生きていくために、三年半の過去のしがらみを断ち切るには、まず日記を焼くことから始めようと思ったのです。
ともかく、家へ戻ってからの私の生活は不思議なものでした。妙な放心感ばかりがありました。
子供たちは彼らなりに、久しぶりにもどった私には|馴《な》れたと思います。しかし実際のところ、癌に冒される以前、自分が子供たちとどんな風につきあっていたかが思い出されず、また、親としてどんな風にこれからつきあっていいのかに戸惑う思いでした。
|勿《もち》|論《ろん》、子供たちはそれを咎めたりはしませんでした。しかし、妻は何かを感じていたと思います。
そんな自分を、私の常識は自ら後ろめたくも思わせました。しかしそれでも、私にはそれ以上どうしていいのかわからなかった。
確かに、あれほど愛し恋しかった妻や子供たちと私の間に何かがありました。三年半の不在の後の不馴れさだけともいえず、それが何なのかわからぬまま、その何かを埋めなくてはならぬと|焦《あせ》ってもいました。
そのよすがとして、家へ戻ってから三週間ほどしてでしょうか、ある夜自分に|強《し》いるようにして妻の体を求めました。余程のことをするように自分に努めて強いたのです。
その時妻はあり得ぬことが起ったようにまじまじと私を見直しました。彼女の目は明らかに何かにおびえていたと思います。だけではなく、何かをあきらめたようにも見えました。私が何を求めているのかについての意志は疎通しながら、どれほどの間でしょうか、二人は探り合うように見つめたままでいました。
今妻に何かを確認しなくてはならぬような気がしながら、私はひどく当てのない気持で彼女を見つめていました。
しかし彼女は、その夜は体の都合が悪い、と私を拒みました。私もまた素直に従ったのです。私には、何故かはっきりとそれが彼女の口実のための|嘘《うそ》であることがわかっていました。そしてそう知りながら退くことで、|安《あん》|堵《ど》に似た納得と不安が同時にありました。彼女が私を迎えてくれたなら体は|応《こた》えられたでしょうが、どこか深いところで|萎《な》えている自分を感じていました。
自分の床に入りながら、何かわからぬその何かを確かめるように天井に目をこらしていました。性欲は確かにありながら、妻に対して執着し切れない自分に自分でこの上何と説いていいのかわからなかった。自分がまたふたたび生きるための基盤としての妻への愛着までを無くしているのか、と怖れました。怖れながら、妻が私を拒んだのはそうした私自身のせいなのだ、とも思いました。
|眼《め》を閉じても開いても、シーボニアのマンションで感じていたのとは違う、生還した後の、生きて|還《かえ》ったが故の放心の不思議な浮遊感覚。生きて戻りながら、この人間の社会の中で|未《ま》だ確かなところを得ていないような、私自身の位相と、今いる位相がくい違ってしまったような、何というのでしょう、宇宙船からはぐれ宇宙を漂う宇宙飛行士のような感慨でした。
この先、自分はどんな風に生きてどこへいくのだろうか、としきりに思った。それは癌からの蘇生よりもむしろむつかしいようにさえ感じられました。実際私は|奇《き》|蹟《せき》の中ですべてを取り戻しながら、一体何故、何を|喪《うしな》ってしまったというのでしょうか。
次の日の夜、私たち夫婦は、上の子供の進学について一寸したいい争いをしました。私にはそれが、夫婦の間にある何かをとり除いて越えるためのいい機会にも思えました。ですから私は私のいい分をくり返しました。
今までなら、妻はさらにいい返し、いい合いいい返している内に、どちらかが、|或《ある》いは両方が妥協してものごとを決めて来ていました。
しかしその夜の妻はそうせず、私をはぐらかすように結論を|棚《たな》|上《あ》げにしてしまったのです。誰か我々以外に、ことを判断するもっと確かな第三者でもいるような感じでした。
「君は変ったな」
私が思わずいうと、妻は驚いたように見返し、
「あなたも変ったわ」
いいました。
「それは当り前だ」
「私だってそうよ」
|鸚《おう》|鵡《む》|返《がえ》しにいわれて、|頷《うなず》くよりありませんでした。が私には、今二人が大事な瞬間を|捉《とら》えようとしているような気がしたのです。
「君が|昨夜《ゆうべ》僕を拒んだのも、そのせいなのか」
さり気なくいった私へ、妻はつくろったような無表情で黙って見返したままでした。
「|俺《おれ》は段々元に戻ると思うよ。とにかくあんな目にあったんだから」
「私だって」
つぶやくようにいいました。
「さっきのことだがね、俺の他に誰か相談する人でもいるのかね」
思い直したようにいった私を、妻は逃れながら|咎《とが》めるような目で見返し激しく首を横にふりました。
二人の会話はそれで終り、しばらくして私が寝室に入ってから、突然妻が|扉《とびら》を開いて入って来ました。
私が迎え入れようと毛布を開いた時、妻は遮るように壁に手をのべて部屋の明りを|点《とも》しました。
自分を強いるように微笑し直すと、
「あなた、やはりお話ししておいた方がいいと思うの。いつにしようかと思っていましたが、あなたもあそこから戻って落着かれたようですし」
一語一語選ぶようにしていいました。
「何だね、急に」
間を置いた後、
「私、結婚します」
ぽつんといいました。
「あなたに別れて頂いて、他の人と」
「誰とだね」
決心したように、
「川野さんです」
私はひどく冷静にそれを聞いていたと思います。
そして同時にその瞬間、それまでに妻と交して来た会話のすべてを|走《そう》|馬《ま》|燈《とう》のように思い返していました。
そして自分の|迂《う》|闊《かつ》さ、妻のそのことに気づかなかったということなどではなく、癌から奇蹟的に生き還った人間として自分に何が全く足りなかったのかについて覚れたような気がしました。
動じた様子もない私に|気《け》|圧《お》されたように、目をそらしたまま自分にいい聞かせるように、
「いずれにしろ時間の問題で、あなたがもう決して助からないと思って、いろいろなことを、川野さんに相談していたんです。あの方も始めから本気で心配して下さっていましたし」
「なるほど」
私は高ぶらず、促すように頷きました。
「あなたがもし|亡《な》くなったら――」
「もし、じゃないだろう」
彼女を助けるようにいったと思います。
そして彼女も素直に頷き返しました。
皮肉なことに、私がその時強く感じたものは、|嫉《しっ》|妬《と》や怒りなぞでは全くなく、今までのいつよりも強い、やはり俺は生きて帰って来たのだという実感でした。
気がついたら、妻は両手を顔に当て静かに泣いていました。それを|眺《なが》めながら、私には突然、すべてが解けてわかったのです。妻が変った訳などだけではなく、私が味わっているあの放心感、|故《ゆえ》のない迷いや|苛《いら》だち|怯《おび》え、その他何もかも私の周りにたちこめてあるものがさっぱりと解けてわかったような気がしました。それこそが生還の実感でした。
そして、たった今妻が告白したことに気づかずにいた自分が、彼女のためにも|疎《うと》ましくも思えました。それ以上に、あのシーボニアの一室にたてこもってから、自分が一人きりの人間になったこと、そうなることで生れ変ってしまったのだということを、本当に|覚《さと》れていなかった自分に腹がたつような思いでした。
私が|隠《いん》|遁《とん》してしまった後、自分が妻にとって最早存在しない人間であったことを私は彼女のためにももっと確かに知っているべきだったのです。私があの部屋で何をし、何を味わっていようと、妻にとって私はすでに死んでいたのですから。
私はあそこで|全《すべ》ての執着を捨てたのです。捨てたから生きられたのですし、私に捨てられた妻が、私をあきらめたことをどうして咎められたでしょう。
「君も大変だったんだろうな」
私がそういうと|堰《せき》を切ったように彼女は声を上げて泣き出しました。私は励ますようにその肩を抱いていました。
肩を抱いたまま、今何かをいわなくてはならぬと思いながら、それ以上に何と声をかけていいのかわからずにいました。
今彼女を引きとめなくてはならぬ、とも思いました。しかしそのために何といっていいのかがわからなかった。私はただ|痴《し》れたように彼女の肩に手をかけたままでいました。
「だってあなたは、私に、俺を死んだものと思え、俺を忘れろと――」
泣きじゃくり、身を震わせながら妻はいいました。
確かに、私はくり返しそういった|筈《はず》です。あの時には、むしろ私にとっていうに|易《やす》い言葉でした。そしてそれに従おうとするなら、彼女は川野とそうなるより、私を忘れる|術《すべ》はなかった筈です。
彼女の肩から手を引いた時、それで何かの|絆《きずな》が切れたように、彼女は顔を上げ、涙を|収《おさ》めて私を見つめ直しました。
「明日、川野に会うよ」
いいながら自分が川野に何をいうつもりなのかわかりはしなかった。
彼女は拒むようにいやいやをし、私は慰めるように当てもなく、ただ、
「大丈夫だよ、大丈夫なんだよ」
といいました。
その夜、床の中で天井を仰ぎながら、私は何故かこれでようやく、自分の今いる位置の原点を探りあてることが出来たような気がしていました。あの三年半を費した私に、妻にせよ、何にせよ、改めて失うべき何があったというのでしょうか。私はあそこで、まさしく生きながら死んでいたのですから。ようやくそれを覚れたことに、妙なことですが、満足していたと思います。
翌日私は会社から川野の事務所に電話し、面会を申しこみました。彼は私からの電話を覚悟していた様子でした。夕方、約束してホテルのラウンジの|片《かた》|隅《すみ》で二人は落ち合いました。
「律子から何か連絡があったかね」
「ああ」
緊張した|面《おも》|持《も》ちで川野は頷きました。
「君は本当に治ったのか」
「治ったんだよ、本当に。でなけりゃ、このことで会いに来たりはしない」
|抗《あら》がうように何かいおうとする川野を手で制し、彼はあきらめたように頷きました。
「昨夜、初めて律子から聞いたんだ。俺と別れて君と結婚するつもりだといっていた。君には、実際いろいろなことで世話になったようだ」
「それとこれとは違う」
「いや、いいんだ。要するに、みんな俺のせいなんだから。彼女から聞いて、俺は自分でも驚くほどすぐに理解出来たんだ」
「しかし――」
「いや、俺は俺なりに必死になって病気を治したつもりだが、しかしそれはあくまで、俺自身のことでしかない。世間の常識でいえば、俺は死ぬ筈の人間だったんだからな。彼女が俺を死んだものと考え、その後の用意をすることを誰も咎められはしない。これだけはわかってほしいが、俺は今誰を咎めてもいない、咎められもしない」
川野は黙って私を見返したままでした。
「この三年半で、俺自身も随分変ってしまったような気がする。あれと君とのことがなかったとしても、俺たちはこれから先どうなったかわからない気がする」
「そんな|馬《ば》|鹿《か》な。何だろうと、俺は君を裏切ったんだ」
「いや、そうじゃない。俺は死んだ人間なんだから。なら君は、俺が万が一にも生きて帰れると思ったことがあるかね。俺だって思いもしなかった」
「治りそうだということを、なんでもっと早く、彼女にだけは|報《しら》せてやらなかったんだ」
「それは出来なかった。俺には今でも信じられぬことなんだから。それに、治るかも知れないと思いだしても、それを口にしたり、当てにしたりすることで、また元も子もなくなるような気がしていた。今でも、それを思うと|怖《おそろ》しいんだよ」
理解しようとするように、川野は正面から私を見つめていました。
「手術不要の|癌《がん》から、たとい三年半かけても、治ったという人間を他に知っているかね」
むしろ言い訳をするように私はいいました。
「あり得ぬことがあった。そして、あり得ることがあった、ということなんだ。律子にとっては、俺はあくまで死んだ人間だったのだからな、俺自身が何度もそういってやったんだ」
何かをいいかけ、それをこらえるように川野は|唇《くちびる》だけを|歪《ゆが》めてみせました。
「彼女にしてみれば、こんな風に苦しむとは思っていなかっただろう」
「俺が悪かったんだ」
|遮《さえぎ》るように彼はいいました。
「そうじゃない。誰が誰を咎められる。俺にも君を咎められはしない。俺が生きて還って来たことを、君やあいつが咎められないのと同じように」
私は自分が今、今までの自分と全く違う目でものごとを眺められているのを感じました。今までのいつ以上に冷静で、公正でもあることが出来るような気がしました。自分で自分を裁くことも出来たと思います。
「俺は律子にいわれた通り別れるつもりだ。そう決めて君に会いに来たんだ。後のことは頼む。三年半といや、彼女の喪としては長すぎるくらいなんだからな」
「いや|駄《だ》|目《め》だ」
抗がうように川野はいいました。
「君が死んだなら、俺は律子さんを確かに引き受けたと思う。しかし、君は還って来た。それは出来ない。出来る訳はない」
「|何故《な ぜ》。君は彼女を愛しているんだろう。たとい初めは同情から出たにせよ」
「それとこれとは違う」
「どう違うんだ」
「君は戻って来た」
「しかし一度は死んだんだよ」
「だけど、死んでしまった訳じゃない」
「彼女にとっては同じことなんだよ。俺がああして家にいなかった間に、今まで俺と彼女の間にあったものは全部、終ったんだ。それがもう戻らないことを、俺もあいつもよく知っている。俺は明日にでも家を出るつもりだ」
「そんな。子供たちはどうする」
「君たちはどんなつもりでいたんだ。俺が引きとってもいい。しかし、律子がそれを|希《のぞ》むまい。君だってその覚悟は出来ていたのじゃないか」
川野は押し切られたように頷きました。
「子供のことは後で話そう。しかし、|俺《おれ》と律子のことは、今ここではっきりさせておきたいんだ」
「しかし、俺には出来ない」
「なぜ」
かぶせるようにいった私へ、
「君は、生きて戻って来たのじゃないか」
初めて咎めるように彼はいいました。
「俺には出来ないよ。律子さんには悪いが、もう結婚は出来はしない」
|眼《め》をそらし自分にいい聞かせるようにいいました。
私はその時、川野の私と妻それぞれへの誠意を信じていたと思います。そして私が還って来たことで引き裂かれてしまった、この古い、世話好きで一本気の友人に同情をもしていました。
その一方、当てのない腹だたしさがありました。妻と私と川野と、この三人のくいちがいを今さらにどう解いて合わせることが出来たでしょう。私たちが三人とも、それぞれ必死に悩みながら出来るだけ相手を傷つけまいとしていたことだけは確かでした。
その夜私は家へ戻らず、外で一人食事をとった後母親の家に行くことにしました。
食事したレストランは|殆《ほとん》ど満員でしたが、向い合う相手のいないテーブルは私のが一つだけでした。しかし自分が今までになく、|寛《くつろ》いで食事をしているのが自分でもわかりました。その落着きはあのシーボニアの一室でくり返して来た食事に通うものだったと思います。そう思った時、突然私は今この目の前に、せめて三崎で知り合った柴田が一緒にいてくれたら、と強く願っていました。
今夜ここへ泊るという私を、母親は|怪《け》|訝《げん》な顔で迎えました。
「これから当分ここにいさせてもらうよ」
「何か家であったのかい」
「いや――」
とはいいましたが、説明せずにすむことではありませんでした。
「気づいてみたら、あの家にはどこも俺の居所がないような気がしてきてね」
「それはどういうこと」
「お母さんは何かで気づいたりしたことはなかったですか」
「何を」
「律子のことですよ」
「律子さんの」
母は身構えるような表情で見返しました。
「|可哀《かわい》そうなことをしたと思います。長い間、|亭《てい》|主《しゅ》の死ぬのをただじっと待たしていただけなんだから」
感情を混えず昨夜からのことを話しました。
聞き終え、
「そんな――」
いったきり母は絶句し、逃れるように私から眼をそらしたままでいました。
しばらくして、
「それでいいの、あなたは」
「いい悪いの話ではないでしょう。こうやって生きて|還《かえ》るということを、僕を含めて誰も信じてはいなかったのだから」
「あなたはまさか、自分を責めているのじゃないでしょうね」
「そんなことはない、感謝こそしても。しかし、なにもかも意外なことでしかなかった。そして、どれも本当のことなんだ」
「そういういい方はお|止《よ》しなさい。私はあなたの母親なんだから、母親として承知出来はしないわ。子供までいる一人前の女が、主人の|亡《なき》|骸《がら》も見て確かめずに喪服を着られるなんてね。癌であろうと何であろうと、あなたは死ぬまでは生きているのよ。そして、こうやって生きて還って来たわ」
「この世の中で、たった一人僕だけがね。そして気の毒なことに、あいつはその男の女房だったんです」
何もいわず、母はただ確かめるように私を見つめ直しただけでした。
しばらくし、ぽつりと、
「あなたは、変ったわね」
いって母は目頭を押えました。
その夜遅く母の家から妻に電話して、もうこのまま家へは戻らぬと告げました。妻には、夕方の川野との会話を詳しくは話さずにおきました。三人の気持の食い違いは、やはり彼女のために埋められなくてはならぬと思いました。三人の間で、誰よりも犠牲を払ったのは、妻だった筈です。
「子供のことは、君がその気なら、やはり君と一緒にいた方がいいと思う。川野にもそれは承知してもらえる筈だ。君らがどこに住むつもりか知れないが、子供たちのためというなら、その家をそのまま使ったっていい。俺はここにいて不自由はしないから」
私は多分一方的にしゃべっていたのでしょう。妻はあきらめたように、何もいいませんでした。
私はふと、川野が私にいった通り彼女との結婚を拒んだなら彼女は一体どうするだろうか、と思いました。それを促すためにも、今家を出るべきだと思いました。
子供は恋しくはありましたが、私はこうして生きて戻ってきたのですから、普通の離婚した夫婦のように、子供とはいつでも妻を介して会えると思いました。
翌日弁護士に依頼して離婚の手続きを踏ませました。妻には弁護士からの連絡がいった筈です。
彼女からの返事が届く前、仲間内のまとめ役の高田が訪ねて来ました。
高田は、川野から打ち明けられて来た、といいました。彼女の返事を遅らせたのが川野であることは、高田の話からわかりました。
「川野は、君からの罰を受け、君との友情を失ってもいいから、そして君が奥さんをどんな風に罰してもいいから、それでも二人は絶対に別れるべきでないといっている。そういわれると俺もそんな気がするんだ。二人がああなってしまったことは、間違いというより、ある意味じゃ当り前のことじゃないか」
「だから俺は律子も川野も|咎《とが》めてはいない。二人だって戻って来た俺を咎めは出来ないと同じように」
「君は奥さんをもう愛しちゃいないのか」
「馬鹿をいうな。ああやって暮してきて、俺の彼女への気持がどうして変るというんだ。それより、川野は律子を愛してはいないのか」
「そんなことはない」
苦しそうに高田はいいました。
「実は俺はあの二人のことを知っていた、感づいていたんだ。しかしどうすることも出来なかった。いや、どうしたらいいというんだ。そう知った上で、君の|噂《うわさ》をしたこともあるよ。しかし奥さんに、君はどうなるのだろうかと聞かれて、助かるだろうといえる人間は誰もいはしなかった」
「それが当り前だよ」
「しかし君は奥さんを――」
いいかけ、思い直したように、
「奥さんは、このことを打ち明けた時、君がなんで彼女を殴るなり怒鳴るなりしてくれなかったんだろうかといっていたよ。君は余りにあっさり――」
「そうじゃない、俺が女房をあきらめたのは、三年半前からのことなんだよ。しかしそのことは、結局今となればなるほど、俺一人にしかわかりやしないんだ。癌にかかったのは俺なんだから」
何かを|呑《の》みこむように高田は|頷《うなず》いてみせました。
「俺が女房や川野を咎めるとすれば、二人が実は愛し合っていないということなんだ」
「馬鹿な」
高田はむきになったようにいい、その後気づいたように|慌《あわ》てて口を閉ざしました。
「いいんだ。しかしそれなら何故俺が身を引くというのに、彼女と結婚しないんだ」
「だって君は生きて還って来たのじゃないか」
「俺が死んでさえいれば、二人は一緒になった|筈《はず》だろう」
「だけど君はそうやって生きている」
「しかしその前に、俺は一度死んでいるんだよ。律子にとっても川野にとっても。確かに俺は生きては還って来た。しかしあの三年半の間、俺も彼女たちと同じように生きていた、という資格はないんだ」
「資格がない」
高田はおびえたような目で見返しました。
「そのことは多分、この俺以外の誰にもわかりはしないだろう。俺にとっては、とにかく命を拾えたということが|全《すべ》てなんだ。それ以上のものを俺は今欲ばって求めはしないつもりだ」
「君の奥さんなんだぞ」
「そうさ、だからこそ一層なんだよ。それを川野にもわかってもらいたい」
高田は黙って私を見つめたままでした。しばらくして、
「なんということなんだろう」
つぶやくようにいいました。
「折角そうやって還って来れたのに。結局、誰も、それを信じていなかったからなんだ」
「そうさ、俺自身だって信じられなかったことだもの。俺はふと思うんだがね、やはりこうやって生きて還って来たというのは、間違いだったのじゃないかってな」
私は笑っていいました。
「馬鹿なことをいうな」
「川野にいってくれ。お前は律子よりも俺の方が大事なのかって。彼は信じていいんだ、彼の方が俺より彼女を愛する資格のある人間なんだよ」
「お前は本気でそういうのか」
|覗《のぞ》いて確かめるように高田はいい、私は自分が微笑しながら頷くのを感じていました。
「なるほど、残酷のようだが、君はむしろ死んだ方が、君のためにも、あの二人のためにもよかったみたいだな。三人ともその方が幸せになれたのかも知れない。|勿《もち》|論《ろん》これは、あくまで君が助かったからいえる冗談だけれど」
努めたように笑って、高田はいいました。
それから三日して、弁護士のところへ妻から承諾の返事と書類が届きました。そう|報《しら》され、私は彼女も川野も、結局私の思っていることを受けとめてくれたものだと納得しました。後に届けられた、二人の署名と|捺《なつ》|印《いん》の並んだ離婚の書類を|眺《なが》めた時、不思議に妙な安心がありました。それは、自分が生きて還ったということで負うていたものを、これでようやく返せた、といった|安《あん》|堵《ど》でした。
離婚手続きの書類を手にした丁度翌日、田沼が所用で会社を訪ねて来ました。私は、私たち夫婦の間に起ったことについて彼に話しました。何故か、彼にだけは話しておかなければならぬような気がしました。田沼は私にとっていわば残酷で慈悲ある神さまだったのですから。
彼に話すことで、胸の内にある何かをゆだねようとしていたのかも知れません。妻と別れなくてはならなくなったことを、わだかまりではありませんが、しかし、やはり他人の出来事を眺めるような感慨では割り切れませんでした。田沼にならそれを察してもらえそうな気がしました。田沼は、この世で私が尊大に甘えることの出来るただ一人の相手だったかも知れません。
田沼は口をはさまず、ただ黙って聞いていました。話し終えた時初めてまじまじ見直すと、
「なるほどな」
ため息をつくようにしていいました。
「先生にこれを打ち明けても、|詮《せん》ないことなのはわかっています。しかし|何故《な ぜ》か、先生にだけは聞いておいてもらいたいような気がしたんです。なんというのか、先生なら何かがわかってもらえるような気がしてね。その何かが、私にもわかっているようで、まだわかっていないんですから」
「そうだろうな。いかにわかっているつもりでも、割り切れはしないだろう」
慰めるようにいいました。
「私に責任があるといえばあるんだ。君を死なせなかったのはこの私なんだから」
微笑し直すと、
「いかに確信があるからといっても、君の生還は、やはり私にとっても未知でしかなかったからね。まして君や、君の周りの人たちにとってはそうだろう。|或《ある》いは君は、私や君が意識している以上のことをやってのけたのかも知れない。君は、他の人間たちが信じている、現代の文明の|掟《おきて》のようなものに勝ったといえるのかも知れないからな」
「勝った」
「そうだよ」
一瞬田沼はまぶしそうな目をして私を見やりました。
「勝ったなんていうより、私は何かやってはならぬことをやってしまったのじゃないんでしょうか。何かを冒した、とそんな気がふとするんです」
「|馬《ば》|鹿《か》な、君は勝ったんだよ。私に|賭《か》けてくれることで、君は勝ったんだ。三年半の間、君一人で闘って来たんじゃないか」
「しかし、それは、少くともこの現代では、勝つことの許されない闘いだったのでしょう」
「誰が許さないんだね」
「神さまかも知れない」
「そんなことはない。いや、いや或いはそうかも知れない。人間が自分の手で|奇《き》|蹟《せき》をおこすということは神さまは|嫌《きら》うかも知れないな。そして、君の家庭に起ったことは、その奇蹟の代償なのかも知れない」
「先生がそういわれるのなら、私は納得しますよ」
私は微笑していったと思います。
私がやって来た事は、ある意味では愚かなことだったのかも知れません。死すべき人間が、病院での治療を含めてそのために仕組まれたいろいろな約束やしきたりをすべて退け、|一《いち》|縷《る》の|希《のぞ》みに賭け、生きながらにして家庭を捨てたのですから。しかし私もそのために三年半という孤独の代償を払いましたが。
田沼は闘いといいましたが、確かにシーボニアでの三年半の生活は、私にとっては痛烈な行為でした。自らの死を、たった一人で防ぐということ以上に、人間にとって本質的な行為などありはしない筈です。
そして私のしたことは、今限りのことかも知れませんが、人間にとって与えられている生と死に|関《かか》わるある秩序を破ったことになるのかも知れません。私に今与えられたものは、新しい生命と同時に、そのための罰だったのでしょう。
打ち明けることで、田沼は私に何の慰めも与えてはくれませんでした。私も話す前からそれは承知していたと思います。ただ、彼に打ち明けることで、私は私が再び自分の生命を得たと同じように、それから派生した出来事について正式に登録し、そうすることでそれに甘んじていく決心を固めることが出来たとは思います。
しかしそれきり妻は川野とは再婚しませんでした。川野が|頑《かた》くなに拒んでいたせいだったかも知れません。私がそれを今さらまた強くすすめるいわれもありませんでした。時間がことを解決するでしょう。
する内、私が家へ戻ってから一年ほどして母が肝臓の|癌《がん》で急に|亡《な》くなりました。医者から癌と打ち明けられ、私は自分と同じように田沼に相談して処方を仰ごうとしましたが、年老いた母親に私と同じようなことは出来そうにありませんでした。医者は強く手術をすすめ、母も手術が間に合うと聞いて手術を希みました。しかし、手術した結果、癌は肝臓だけではなく|膵《すい》|臓《ぞう》にもあり、他への転移も見こまれて手の打ちようもなく、手術後、あっという間に衰弱して死んだのです。
息を引きとる一週間ほど前、その日はいつになく気分がすぐれて、私たち親子は久しぶりに長い会話を持ちました。
「この病気はどうやら家系みたいだったけど、あなたはもう|厄《やく》を落したから大丈夫だわね」
笑っていった後、思い出すように、
「あの時、私はずい分迷ったけれど、あなたを信じて本当によかった。あなたが一人になりにいった後、私もつらかったけれど、努めて何もいわなかったの。本当によく|頑《がん》|張《ば》ったわね」
母はいいました。
「あなたを信じてまかせる以外にないと思ったし、私が古い女だから出来たのかも知れない」
そして、突然、
「あなたもまたその内に、誰かいい人を見つけて結婚することね。律子さんは、或いはあのまま一生結婚せずにいるかも知れないけれど、それを気にすることはないと思うわ。私は一時あの人のことをうらんだけれど、女としてあの人の気持はわかるような気がする」
「僕のことは心配しなくていいよ」
「だって二度目の人生を、一人だけでということはないでしょう」
諭すように母はいいました。
私の再婚話は母が死んでから一年ほどして持ち上りました。相手はある集りで友人から紹介された女です。その友人はどんなつもりでか相手は独身で未婚といいましたが、私には何故かひと目みて、彼女が結婚歴のある、それも多分子供のいる女だとわかりました。そして、私がそう|質《ただ》すと彼女は素直にそれを認めました。その印象が|好《よ》かったのを覚えています。
彼女も二人の子持ちでした。後でわかったことですが、彼女の夫はスナックのチェイン店がうまくいくようになり、まとまった日銭が入って来ると|放《ほう》|蕩《とう》を始め、|博《ばく》|奕《ち》の借金がかさんでその内に蒸発してしまったそうです。それきりこの三年来生死がわからぬまま、仕事の上の手続きもあって夫の|失《しっ》|踪《そう》宣告を訴え認められたとのことでした。彼女もまた思いがけぬ形で人生の片側をあきらめたような人間でした。
それにさらに気の毒なことに、私には関わりないことではありますが、彼女の姉というのは、挙式寸前に|許婚《いいなずけ》と東名高速道路で輪禍に遭って死んだそうです。彼女の葬儀の日に、彼女の挙式のための白いウェディングガウンが出来上って洋服屋がとどけたそうです。
自分の身の上について話した時、彼女がいい添えたその話が何故か私には印象的でした。
人が私のことをついていたというかついていなかったというかはわかりませんが、彼女はいかにも不運な身の上の女に思われました。そして今の私なら、彼女の身の上を他の人間よりも理解してやれそうな気がしたのです。
ということでの似たもの同士で気が合い、話を承諾しました。私の再婚が、律子の再婚のよすがになるかも知れぬとも思っていました。
再婚する気になって一番気がかりだったのは、やはり自分の健康でした。ああやって生きて戻りはしましたが、これでこの先、体は本当に大丈夫だろうか、と改めて思いました。
それまで半年に一度ほどの割で検診にいっていた関東第二病院での診断はずっと白でしたが、やり直しの人生のために、より確かな保証が欲しいような気がしました。
ということである日、何年ぶりかでT大病院へ出かけていったのです。
前回のおりの主治医の沖山教授は退任していましたが、あの時助手をしていた医師が今では主任になっていました。
もう五年を越える以前のこととて私のカルテは整理されてしまってい、新しいカルテが起されました。T大での診断も、関東第二病院と|殆《ほとん》ど同じでした。ただ、|潰《かい》|瘍《よう》の|瘢《はん》|痕《こん》は私が家へ戻った時よりも一層薄らいでいたようです。
全くどこも心配がない、という相手に私はいったのです。六年前、同じここで、|秘《ひそ》かに手遅れの癌と診断され、沖山教授から紹介者の田沼へ持参するようにいわれた手紙を途中で開封して読んだのだと。そして田沼も改めて、その手紙の内容を私にそうと告げたということも。
相手の|面《おもて》には困惑の表情が浮んでいました。
「すると、私は癌から完全に治ったということですね。そう安心していいのですね」
「いや、古いカルテを見なければわかりませんが。とにかく、今は何の異常もないことだけは確かです」
と医師はいいました。
「古いカルテを一度調べてみては頂けませんか。私は二週間入院して、抗癌剤も飲んでいたのですから」
私は固執していいました。
「私は同じここで、自分が癌から治ったという保証が必要なんです。もうじき結婚するものですから、新しい家族のためにもね」
「古いカルテを見ないことには何ともいえません。今はとにかくここで診察したことしか申し上げられません」
相手は当惑した顔で助手をふり返りながらいいました。
「私はその時の手紙を自分でも読みましたし、自分が癌だったことを信じています。私はここで癌と診断され、そのためといういい方は妙かも知れませんが、それから三年半自分一人で闘って治したんです。私にとって大事なのは、癌ではなかったということではない、癌を治したのだということなんです」
怒りをこらえたような顔で相手は|微笑《わ ら》ってみせました。
「古いカルテについては調べるのに時間がかかります。調査した上で御連絡しましょう」
相手にすれば私のいうことは妙ないいがかりととれたかも知れません。
それから半月ほどして病院から手紙がとどきました。古いカルテを照合したが、手遅れの癌という記述は載っておらず、病状は胃の潰瘍であり、入院してからの投薬はただの胃腸薬であった、と記してありました。沖山教授からの田沼|宛《あ》ての手紙については一切触れられていませんでした。
医事に関する裁判がよくあるそうですが、それにしても私が持ちこんだ苦情(?)は、おそらく病院にとっては初めてのものだったに違いありません。手紙の文面から、私ははっきりと病院の|嘘《うそ》を感じとりました。田沼に賭ける決心をする前、|僅《わず》か二週間の入院投薬で無残に荒れて|腫《は》れ上った自分の顔を私は今でも思い出すことが出来ます。
しかし、私が確かめようと持ちこんだことがらは、彼らにとっては、在り得べからざる、ある意味では病院にとって致命的な事実であろうこともよくわかりました。困惑だけではなく、彼らは私の生還について或いは怒っていたかも知れません。
私もまたその手紙を|眺《なが》めながら、ある怒りを感じていました。そして、その怒りが全く当てどころのないものであることも承知していました。
T大病院とのいきさつについては田沼に報告しました。声を挙げて笑った後、
「もういい加減にしておいたらどうだね。病院なんてそんなものだよ。第一、彼らにしてみれば、君が治ったということを認めるとすれば、すべてとんでもないことになるんだからな」
田沼はいいました。
「これをもって、自分が治ったということに自信が持てればそれでいいじゃないか」
いわれて私に異存のある訳はありませんでした。
それからもうひとつ、私を再婚に踏み切らせてくれたのは、あの柴田との会話でした。
あれ以来、東京に戻ってからも柴田との交際は続いていました。彼の好意に|応《こた》えて私からものを贈ったり、また彼がとった魚を届けてくれたりして、彼が所用で東京に出てくる折々、私が席をもうけて東京で会っていました。彼こそが、私にとってあの三年半という時間のための|唯《ゆい》|一《いつ》の証人だったのですから。
東京で会うようになってから初めて、私は自分があのシーボニアのマンションで実は一人で何をしていたのかを明かしました。もっとも、柴田がまっとうに信じた様子はありませんでした。そんな私の言葉を何のための嘘ととったかは知りませんが、彼もまた、末期の癌が助かる訳を信じていない人間の一人ではありました。しかし、彼がそれを信じていまいと、私たちの友情は一向に損なわれることはありませんでした。私にとっても彼にとっても、我々はそれぞれ、人生の中でふとかかずりあった、珍しい、それだけにいかにも人の縁の味わい深い友人でした。
私が、自分が近々再婚するかも知れぬと告げた時、彼は心から喜んでくれました。彼の様子では、私のあの一人住いの本当の訳は、家庭の問題にあったと見ていたようです。
「それはいい、いいことだな。私も出来たら式に出さして|貰《もら》いますよ。式のための魚を下げてね」
酔いの|廻《まわ》った時の癖で、彼は手を打ってみせながらいいました。
「しかしね、まだ|一寸《ちょっと》自信がないんですよ」
「どうして」
「自分でも、あそこにいる間に以前の自分と大分人間が変ってしまったという気がするんでね」
「そんなことはない」
大きな声でいいました。
「あんたは全然変っちゃいないよ。元のままのあんただよ。そんなことを気にすることは全くない」
また手を打ちながら、彼は何度も|肯《がえ》んじてみせました。彼の言葉は私には何かの啓示のように感じられました。
しかし、それはそうでしょう、柴田が知っている私は、あのシーボニアの部屋に一人引きこもってからの、つまり病いに冒されてからの私であって、彼がそれ以前の私を知る訳はないのです。ですが、|何故《な ぜ》か私はこの新しい友人のその言葉に支えられる思いがしました。
変ったのなら変ったままの人間で通せばいいのだ。自分にはそれしかありはしないのだ。あの経験を経て、変ったという私こそが自分自身であって、それでなければあの三年半という時間の意味なぞありはしないのだ、と改めて思いました。
その年の秋口、私は再婚しました。以来、新しい結婚生活は無難に続いています。
仕事の方も、今までとは違ったペースではありますが順調に続いて来ています。事業での野心は前よりなくなりましたが、別れた妻子と新しい妻と二人の子供のための責任感が、逆に仕事を手固く安定したものにしてくれたからです。
再婚の前自分の健康の他に気になったのは子供のことでしたが、新しい妻の連れてきた子供たちにも分けへだてのない感情でいられます。別れて一年ほどしてから、月に一度律子と一緒に定期的に会うようになった子供たちと同じような気持で接することが出来ていると思います。
不思議なことに、あの部屋に一人で閉じこもっていた時のせつないほどの恋しさとは違って、一月に一度目にする子供たちを、私は今は安んじて律子だけに預けておけるような気がするのです。私の体の内の一体何がどうふっきれてしまったというのでしょうか。
大方の人間が私のことを、すっかり人が変ったといいます。そういわぬのは、昔を知らぬ新しい妻と、あの柴田くらいのものでしょう。
ある友人は私のことを前より冷淡になったといい、またある男は皮肉屋になったともいいました。いつか仲間と久しぶりに出かけていった銀座の|馴《な》|染《じ》みの酒場で、古い見知りの店の女が最後になじるように、あなたは退屈な人になったわね、ともいいました。それらは多分みんな、私の体の内から何かの興味が|失《う》せてしまったせいに違いありません。尤も、その代りに得たものはあるのですが、それを他人に伝える必要はないし、|術《すべ》もないと思います。
私は確かに変りました。変らぬ訳がないでしょう。人間が死に|際《ぎわ》に気づくことですが、大方の生は死に比べれば軽いものです。しかし、一度死んで生き返った私の生が、死よりも重いのは当り前のことでしょう。それを私だけが知っているということを、大方の人間が知らずに私を|咎《とが》めても、私はそれを咎め返すつもりはありません。
いずれにせよ、好むと好まざるとにかかわらず、私は、新しい、今までとは別の人生を歩みだしているのだということでしょう。
律子と離婚してから四年目の春、息子が高等学校に進学し、ある名門校に入学出来た祝いに昔の親子四人で食事をしました。
律子の都合で彼女と下の娘が小一時間ほど遅れ、息子だけが私のために一人で先にやって来、二人してお茶を飲みながら後の二人を待っていました。
その時私は思い立って、私たち夫婦の間の出来事について、一方的に話して聞かせたのです。いわば元服をして一人前になった息子に、今この時を置いて私自身にあった本当の出来事について教える機会はないと思いました。
「君がこれをどう受けとめるかはわからないが、もし、聞いて面倒だったらそのまま忘れてしまってくれてもいい。そしてお母さんに、そのことを知っているということを教えるのも、君が自分で判断してくれたらいい。妹が大きくなったら、君から教えてくれてもいいし、私から話してもいい。いずれにせよ、いつかは君たちにも知っていてもらいたいと思っていたことなんだ。お父さんとお母さんが、なんで離れ離れにならなければならなかったかという訳をね」
私はいい、息子は何かを予感していたようにじっと身を固くして私を見つめ|頷《うなず》きました。
限られた時間の中でしたが、充分わかりやすく話したと思います。
話し終えた時、ある安らぎの中にも、どんな顔をして息子を見直していいかわからずにいました。
もう何を装わなくてもいいのに、私はまだ何かを装っていたような気もします。
「わかってくれたかね」
私は微笑し直していい、
「わかったよ」
息子は私よりも淡々と、しかしはっきりと頷きました。
「でもね、私は今でも感謝している。|全《すべ》てのことにだ。それでなければこうやって生きていけはしなかったのだからな」
やや|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》に私はいったかも知れません。
そして、それを察して慰めるように、ややはにかみながら息子はいいました。
「僕には信じられないことだけど、でもお父さんもお母さんもいろいろ大変だったんだね」
私は頷き返し、しばらくの間親子はただ黙って見つめあっただけでいました。
そして私はふとまた、息子を|眼《め》の前にしながら、時折するように、あれは本当は夢だったのではないか、と思ってみました。ただ、思いながらいつもと違うことは、そう思ってみる自分を、この今では、もう一人の私がようやく落着いて見やることが出来ている、そんな心境でした。ようやく自分が今、息子たちと生きることでの同じ位相を取り戻せたような気がしていたのです。
そんな私をどう感じとったのか、
「結局、誰も悪くなんかないんだよ、僕はずっとそう思っていたよ」
息子は励ますようにいいました。
何かが私の内でゆるやかに解かれ放たれていくのが感じられました。
そしてその時私の体の内に|兆《きざ》して来たものに私自身が驚いていました。
それは、今までのいつにも感じたことのない、何ともいえぬしみじみとした感謝でした。それは|懐《なつ》かしくはあっても、実は私にとって全く未知の新しい感謝の気持でした。
確かに私は悪いことこそしはしませんでしたが、それでもやはり何かを冒してはいたのです。私一人が、自分の生命のために、人間同士の文明の黙約のようなものに背いたといえるのかも知れません。
誰もそれをそしりも咎めもしませんでしたが、しかし私はやはり何かに罰せられていたのでしょう。それが理に合わぬというには、私の生命は余りに私一人のものでした。私のかつての生も、その中で味わった私の死も、|所《しょ》|詮《せん》、利己心に|依《よ》ったものでしかありませんでした。
そして今ようやく、何かに代って、息子がそんな私を許してくれたのを私は|覚《さと》っていました。
それを確かめるように、私は手をのべ息子の手をとりました。体の内でようやく放たれたものがさらに|氾《あふ》れてこみ上げ、気づいた時|眼《ま》|蓋《ぶた》の内に涙が感じられました。
この瞬間にすがるように、私は手にしたものを握りしめ、息子もまたそんな私を促すように頷き、結ばれた手を握り返しました。
暖く脈打つものが、強く触れ合った手と手を通じて互いに通い|還《かえ》っていくのを、私は今までにない深い安息の内に感じていました。
|痺《しび》れるような感謝に重ねて、なんともいえぬしみじみした喜びが体をひたしていきました。
考えてみると、それこそ私が生還の後ようやく味わった、初めての喜びだったと思います。
院  内
室内にはいつものように荘重な怠惰が|横《おう》|溢《いつ》していた。それはここに居合わせる人間たちの責任というよりも、ここで行われていることがらの抜本的な仕組みそのもののせいなのだ。私たちがその仕組みを|真《ま》|似《ね》た西欧のある国の|宰相《さいしょう》は、|嘗《かつ》てそれを、最悪のものではあるが他にそれしかないといった。その男の勇気と見識は、その|直截《ちょくせつ》な表現によってではなし、この仕組みに全く|関《かか》わりない、それと最も対照的なある状況の中で|証《あか》されたのだったが。
これに代るものが他に実際にありはしないのだろうか。|遂《つい》にこの怠惰の荘重さに|馴《な》れることのできぬままに、いつも私は|想《おも》う。いや、それはむしろ怠惰というよりも重々しい安逸というべきかも知れぬ。怠るということにはある意識の|襞《ひだ》が働くはずではないか。責任への後めたさ、|或《ある》いは弁解の|恣《し》|意《い》。少くとも今こうして在る自分と相対な何ものかに向って意識の立てる|細《さざ》|波《なみ》が。
が、私は今自分が|何処《ど こ》にあるかを知ってはいても、それが悟れない。自分がいま何処に在ろうと関わりない意識の|空《くう》|洞《どう》が私の内にあり、私はその内に在る。無重力の空間で味わう存在感に等しい、この意識の|虚《うつ》ろな浮遊を、最早私は味わいも苦しみも楽しみもせず、ある状況の圏を通過しやがて五官による自分への確認の可能な大気圏への回帰を待ち受ける宇宙飛行士のように、非現実的な時間と意識の経過をただじっと待っているのだ。
室内に居並ぶすべての人間たちがその|面《おもて》に、|空怖《そらおそろ》しいほどの反復という強い酸に浸され怠惰から安逸に変質した無表情の仮面をかぶっている。次の参考人を促す委員長の微笑も、|僅《わず》かな仰角や|俯《ふ》|角《かく》で泣いたり笑ったりする能面と同じ無機的な表情でしかない。しかしその仮面は、時の|埃《ほこり》と|緑青《ろくしょう》に冒されかすかに変質した天井のシャンデリアの彫刻された|軸《じく》|芯《しん》とアームのように重々しくおごそかではある。
濃い|褐色《かっしょく》の厚く幅広い|欅《けやき》の|磨《みが》き|板《いた》で縁どられた部屋の壁の、千草模様を織り上げた細やかな糸の一つ一つが凝った色合いのタピスリに似た布地や、半円に湾曲した六本の腕とランプを載せた唐草の|浮彫《レリーフ》をほどこしたシャンデリアは、いつ|頃《ごろ》からか|遮《しゃ》|断《だん》されこの部屋の内だけで|醗《はっ》|酵《こう》し|沈《ちん》|澱《でん》した時間の質を証すに似合っていた。
人間たちがこの部屋の|扉《とびら》を閉じ、|椅《い》|子《す》を占め、あの仕組みの内での手つづきに|依《よ》って会議という反復を行い出すと、部屋を支配している|眼《め》には見えぬ何かの触手が人間もその話す言葉も、何もかもを|蝕《むしば》み風化させてしまう。委員を務める議員も、政府委員も参考人も速記者も、居ずまいの落ち着かぬ新聞記者たちさえもが、部屋のかもし出す|雰《ふん》|囲《い》|気《き》の支配を|免《まぬか》れられない。
何か超現実的な機能を持つカプセルに閉じ込められた宇宙の旅行者たちのように、知覚を抜かれ、意識を解かれ、何十年か何秒か、それを計る規尺を|喪《うしな》った時の中でただ過して待つ人間に変質してしまう。
みんながそれぞれ|被《かぶ》った無為の仮面は、居並び向い合う人間たちの身分や党派が、理念理想を越えて、さながら彼らがそうした互いの相違の意味を最早必要としない別個の世界への過程に運び込まれた、新しい何処かの遊星への|解《げ》|脱《だつ》を待ち受ける宇宙の旅行団であるかのような、避け難い、ある|沈《ちん》|鬱《うつ》な同一性を与えていた。
それを証すようなものがもう一つこの部屋にある。多分、今の私たちと同じようにいつかの過去この部屋でこの重々しく無為な隔絶を味わいつくした人間たちが、彼らが味わったこの時ならぬ時、存在ならぬ存在の、外界の規尺での長さを|讃《たた》えられ、それぞれ一枚の肖像に化して天井近い|梁《はり》の上にかけられて在る。
その肖像たちの何と怖しいほどの類似であろうか。彼らは、この部屋を支配するものにやがて|侵蝕《しんしょく》され風化されつくした私たちなのかもしれぬ。仰ぎ直して見る彼らは、みんな待って耐えることに馴れてしまったように、じっと正面を見つめながら|尚《なお》何かを待ち受けている。
私の視線は、いつものように彼らの内の一人の上に|停《とま》る。大礼服を着た彼だけが同じ金モールの縁どりをした帽子を片腕に、窓から|射《さ》し込む|陽《ひ》の光を仰ぎ横顔を見せて立っている。私はこの肖像をある画集で見たことがある。それを|描《か》いた画家の才能を証す作品の一つだった。が、その画家の天才もまたここでは風化され、描かれたものはただの、待つことで化石した肖像の拓本でしかなかった。
ある小さな出来事が突然、|稀《き》|薄《はく》になった私の意識を引き出す。委員長に促された次の参考人が、立ち|際《ぎわ》に胸にとめていた、その身分を証す青いリボンの印を外して落した。すべてのものごとに形式という意味の|形《けい》|骸《がい》がスーパーマーケットの|胡瓜《きゅうり》や|南瓜《かぼちゃ》にまで|貼《は》られた何十何円という|端《は》|数《すう》まで記した値段札のように貼りつけられたこの建物の中で、彼は|隙《すき》|間《ま》の少い椅子と机の間で|両脇《りょうわき》にいる他の参考人たちに気がねしながら窮屈に身をかがめリボンを拾い上げるのに手間取った。最初、彼の落したものが何であるかわからぬままに待った委員長は、それとわかると、拾い上げつけ直そうとしたリボンのピンが|旨《うま》く服地に刺さらずに難儀している参考人へ証言の間その印は無用と伝えた。この瞬間、一段だけ高い正面の椅子に|坐《すわ》ったその男の面に、この部屋を支配しつづけるものの規格を破って見せた自らへの自負がもたらす|溢《あふ》れるほど寛容な微笑が浮ぶのだった。
しかし結局、証言者は指された席に向って数歩歩む間にリボンをとめ直した。どうやら部屋を占めている虚ろな均衡は破られることがなかった。
だが、その小さな出来事のせいでどうやら私の耳に知覚が戻った。突然、その男の話す言葉の意味が私に伝わって来る。彼はこの部屋を持つこの建物がその中心を占めるこの都会の汚染について話している。それを証しだてる一つの方法として、彼はこの都会の数十ヵ所に|於《お》ける任意な建物の中の、通常掃除の手の届きにくい箇所に|溜《た》まった埃に含まれる超微細な金属粉について調べていた。|窓《まど》|枠《わく》の|桟《さん》や戸口の敷居の|隅《すみ》に積り凝り固まった埃を|掻《か》き出して。
他の外国の同じ性格の大都市の平均値に比べて、この都会の埃に含まれたものの数値ははるかに高いのだ。鉛に関しては、他の平均値が指数30に比べてこの都会の平均値は400、最高値は1800あると彼はいった。その他、銅に関する被害の平均値が、30に対して400、アルミニウムが、30に対して200、亜鉛が200に対して2000。鉛が有害なことは既知であるが、アルミニウム、亜鉛等に関しては、それが結果的に人体に対して有害であるか無害であるか、或いはその限界がいかほどかを|未《ま》だ誰も研究したものはいない。いずれにしても、被害の数値の差の平均は約十倍であり、埃の中での|堆《たい》|積《せき》が明かすように、われわれが埃ごと呼吸器や粘膜、皮膚を通じて吸収している想像以上の含有物は、まぎれもない金属であるということを、どうか銘記願いたいと、彼はいった。
金属。肺胞に、眼や耳や鼻の粘膜に、そうして肝臓や|腎《じん》|臓《ぞう》に、やがては脳にまで循環し突き刺さる無数の超微細なきらめく金属片たち。ふと私は、子供の|頃《ころ》、手製の何かの|玩《がん》|具《ぐ》の重しに使うべく、研ぎ上げた小刀の刃で削った鉛の固りの断面の輝きを思い出した。鈍く重いその手触りだけで|鋼《はがね》の刃に容易に従う柔かさを感じさせながら、削りそがれたその切り口のぎらっとした輝きに、私は最重量の比重を持ち重しとして耐えるその金属への敬意を|蘇《よみがえ》らせたものだったが。
その微細な切片に脳を冒されて狂った帝王の|噂《うわさ》を私は子供の頃に聞かされたことがある。狂った彼は、午後に多分私たちが坐るあの大議場の正面の最上壇で|奇矯《ききょう》な振る舞いに及び、この建物のために新しい伝説を一つ加えた。
私は確かめるように窓の外を|窺《うかが》って見た。空はとうに厚く曇って見えた。その灰色のくすぼりの中に、実はよく見ればきらめきながらふりしきる金属たちの切片を私は想い、感じることができたような気がした。気どられぬように深い呼吸で私はそれを試して見た。が、隔絶されたこの空間と時間の内にだけはその感触はありはしなかった。
しかし外界では金属の切片が降っている。透明な雪のように超|微《み》|塵《じん》な金属の粉が降りしきっている。一瞬一瞬超微量にしかし確かな堆積で、ささくれ|爛《ただ》れ変質していく数億枚の粘膜、数兆億の細胞、ひずみ押しやられ変質していく人間たちの行為と思考。世界はその正常さそのものを|変《へん》|貌《ぼう》させようとしている。
私たちは今そのことをこの部屋の内で話し合っているのだが、しかし、この部屋と外界の隔たりのどうしてかく遠いことなのであろうか。外とこの部屋の内と、それぞれ異質の時間に支配される宇宙のように、二つはすれ違いさえしないのではなかろうか。
私たちが、外の、そのことについて論じ合う内にも、外そのものはある極に向って間違いなく近づいていっている。
「――太陽系宇宙における地球というこの特質ある惑星を包む状況に実は限りがあるということを、拡散の原理が最早わが国の環境内では海にも大気にも通用しなくなったということで|識《し》る必要があると、私は思います」
証言者はいった。が、私もまたそう思うし部屋にいるだれしもがそう識っている。しかしこの部屋を支配する荘重なる無為のエーテルは、改めて語られるその言葉も、また改めて侵してしまう。
明日、或いは明後日、さもなくば来年の今日、さもなくばその翌日――、何かの現出とともに私たちの向いつつある極が突然到来するという予感を持ち得ない人間はよほどのオプティミストか浪漫主義者を兼ねた神秘家に違いない。問題はその極の現出の姿なのだ。そして誰しもが、そのイメイジを、イメイジとしては|漠《ばく》|然《ぜん》とではあるが、その所有感覚としては確かに抱いている。そのイメイジの映像を描き込み仕上げるための画材は大層廉価となった。
どんな|些《さ》|細《さい》な出来事を|捉《とら》えても、私たちは自らのその絵を塗り上げる想像力を|培《つちか》われてしまうのだ。私たちはそれぞれの黙示録の|挿《さし》|絵《え》や|装《そう》|幀《てい》に関して|通暁《つうぎょう》しすでに飽きもしてしまった。
それにしても、それはどのような姿でやって来るのであろうか。いつか見た、二年前に投げ込まれたという無数のテトラポッドをさえ|呑《の》みつくして、確実に沈下している北陸の海岸線のように、時の鼓動とともに量を限りながらも徐々に確かに現れるのか。それとも、化学工場の爆発のように不可知的な偶然と偶然の遭遇によって大音響とともに地を割り現出するのか。それらの確たる主画を持てぬまま、私は私で、それぞれの主画の周りを囲む数多くのイメイジの副画を持ち合わせている。今また、眼の前の席に立って話している男の言葉も、私の副画の|蒐集《しゅうしゅう》に新しい一枚を加えてくれる。平穏な沼に投げ込まれる土砂によってささくれだち荒廃する水面のように、超微塵の金属片で変質していく粘膜や細胞の爛れた質感。今も窓一枚隔てた外界に降りしきっている透明な金属の雪。それに|対《つい》となる映像がすでに私にはある。
この夏過ぎ、月が変った暦を証すように季節の風が南から北東に変り、夏中の|喧《けん》|騒《そう》と汚濁が透明な閑散となって空と水に蘇ったある日の午後、友人の船を出し、人気のなくなった入江で泳いだ。子供の頃魚を突いた岩場で私は潜った。静寂の蘇った水中にどこからか戻った思いがけぬほど数多い|鱗《うろくず》を目にした。が、表は|静《せい》|謐《ひつ》に澄み渡ったげな水の僅か数|米《メートル》下に、何やら埃のように舞い雪のように降りしきる|煤《すす》に似た一面の|翳《かげ》りがあった。魚たちも、煤に似た水中の雪に視界を奪われ不安気に見えた。追おうとする私の気配だけを感じたように、|一《いっ》|旦《たん》こちらへ向き直った群は、それでも、別離の暇もすでにないように急いで更に深いどこかへ消えていった。
水中で蘇る子供の頃の記憶があった。遠い以前、隣家に黒内障眼を|患《わずら》う老人がいた。友人である孫が遣いに出た不在の折々、私は|乞《こ》われて老人のために本を読んで聞かせた。本の字が見えぬという老人の眼は、他の盲人とは違って見えた。私はそういって|質《ただ》したことがある。
「明るいところへ出ると、こうして太陽を見たりする」と老人は縁側から手さぐりで陽射しを探るようにして太陽に向って仰向き、眼と太陽の間に指を遊ばせ、
「眼の前に、何か黒い煤のようなものが降っているんだよ」
私に向って示しようもない彼だけの現実を、一人ごつようにしていった。
私はその前に立ち、彼のいう黒い煤が見えぬかと間近に老人の眼を|覗《のぞ》きこみ、老人は私に向ってすがるように、見開いた眼で私の気配に向って一心に眼を凝らしていた。
私が|瞬《まばた》きをすると、それに|応《こた》えるように老人の眼も瞬いた。間近に、子供の目で見て見える|筈《はず》ながら見えぬという老人の眼が、別の一個の生物のように気味悪かったのを覚えている。その降るような黒い煤が黒い幕となって完全に失明した時、それまで他に病いもなく|頑《がん》|健《けん》だった老人は突然|身《み》|罷《まか》った。
或いは、他の一方の、待ち受けるものの突然の現出の主画に添えるイメイジの副画をいくつも私は持っている。
この大都会に千二百数十あるという歩道橋は、大地震の到来の瞬間、三十秒ですべて溶接がはがれ地上に倒壊するという。|簗《やな》にかかる魚のように仕切られ捕えられる数十万の自動車はやがて火を呼んで燃え上り、|火《か》|焔《えん》のトンネルとなった路上で人々は主に焼け死ぬであろう。それを私は、確か同じこの部屋で聞かされたのだ。
その折に出るであろう死者の数を、六百万とも。それを防ぐために、この都会の首長は歩道橋の下に消火器をとりつけたという。それを構えて火焔のトンネルに立ち向う人間を|何故《な ぜ》か私は|想《おも》うことが出来ない。それより前に、消火器の粘膜も肺胞も、またあの金属の雪に侵されていくのではないのか。
しかし、瞬時にもたらされる六百万の死者というイメイジだけは、多分誰も持ち得はしまい。それは私たちのそれとはもっと違う、他の何か神聖な、或いは、邪悪極まる想像力の所産でしかあり得まい。どの歴史の辞書を引いても、それが可能な想像力の居処を誰も見つけられはしまい。
だが、想像出来はしないが、誰もがそう信じているのだ。すでに知らぬ間、ある聖性を受胎した人間のように私たちはそう信じることにも|馴《な》れた。馴れと|倦《あ》きだけが恐怖を|相《そう》|殺《さい》する。しかし|滑《こっ》|稽《けい》なことに、私たちはそれでもそのことが在り得ることを信じてはいる。西洋の神が死んだ金曜日に、ある人間たちが抱いたという感慨を感慨としてではなく、知識として、私たちは持っている。だからそれは、ある精神病医がいっていたように、分裂病の徴候では、決してない。私たちは識っている。識っているだけだが、ともかく識っている。識ってはいるのだ。
この部屋の|椅《い》|子《す》に坐るとメビウスの輪の上の軌跡のように私はいつもここへ戻ってくる。非ユークリッドの交わる平行線のように非現実的な時間がその輪の上の軌跡に費される。いや、時は決してたっていっていはしないのではないか。この隔てられた時間と空間の中では、ふと、世界の|終焉《しゅうえん》への私の不安さえが怪しくなっていくのだ。
ならば他の同席者たちは。|被《かぶ》った同じ仮面の下に、|或《ある》いは彼らの誰かは今彼自身の知覚で何かを新しく感じとろうとしているのであろうか。
私はまず正面の委員長を見確かめて見る。委員部の誰かが丁度持ち運んだメモに目を通し彼は微笑でそれを脇へ押しやる。テレビの司会者かスチュワーデスに似た無機的な微笑の|蔭《かげ》に感じられるものは何もない。
一つ置いた真横の席には私と同年配の議員がいる。|若《わか》|白《しら》|髪《が》の殖えた彫りの深いその横顔は、正面の宙のどこか一点を見つめたまま動かずにいる。突然、彼は、小刻みに何かを記憶に収めるように|頷《うなず》いて見せる。が、彼の眼は発言中の参考人を見つめていはしない。念のため、私は証言の言葉に耳を向ける。発言者は仰向いて何やら複雑な数字を|羅《ら》|列《れつ》してのべ、その数字は手元に配布した資料の何|頁《ページ》かに載っていると告げた。次の項目に移ろうと、証言者が短い沈黙で息を継いだ時も、彼は宙に|見《み》|据《す》えた何かに向ってもう一度頷いた。証言が続き彼は突然気づいたように腕の時計を見た。次いでそれを外し、眼の前のテーブルに置き、置き直した時計をまた手にして確かめ直す。そしてふと彼は自分に注がれていた私の視線に気づく。その視線が自分にそれまでどれほどの間とまっていたのかをいぶかしむように私を見直し、その無意味の意味を悟ったように微笑して見せる。その微笑を見て、私は自分がそれまで彼と同じ微笑で彼を見つめていたのを悟らされる。何かかすかに小さな衝動の影が、彼の|唇《くち》|元《もと》に|閃《ひらめ》いて過ぎるが、やがてそれを無意識に抑えて押しやったことを示すように、もう一度彼は微笑しゆっくりと正面へ向き直る。その微笑は優雅なほど無機的で、横から|眺《なが》める彼の端正な横顔に|尚暫《なおしばら》く余韻のように残って消えずにいた。その横顔は彼が職掌|柄《がら》あちこちで浮べなくてはならぬ機械的なその種の微笑のために疲れて見えた。
この男のために、私は思い出して見る。いつか深夜というよりも早朝、女友達を送って帰る途中青山の住宅街の角で、|小《こう》|路《じ》から一人現れタクシーを探し大通りの街路樹の下に立ちつくしていた彼を見たことがある。翌々日、院内で出会った時そう告げると、彼はひどくとり乱し|慌《あわ》てて何やら言い訳をして見せた。その時の、急にういういしいほど上気した彼の表情の内に、多分隠れた情事というありふれた生活の一つのありふれているが確かな断片を持った生身のこの男を感じられたものだが。
彼はまた時計を手にとって見、それを置いた後何かのために時を刻むようにゆっくりと頷き出す。話されている言葉に対して、誰もがみな本質的に同じ微笑と頷きで向い合い、慎重で公平な審議という一幅の絵をつくり上げているのだ。丁度、芝居のあるクライマックスを舞台と全く同じ装置の中で演じて凝固した人形館の|蝋《ろう》人形たちのように。速記者たちの速記がそれを|証《あか》している。話され流れる言葉を、約束された符号で全き形で記録する行為こそ、実は、この部屋で費される言葉が、この部屋で話すということだけのために話されていることの、権威のある証しなのだ。
何であれそれらの言葉がこの部屋で語られるということのためだけで在る限り、それが|蝕《むしば》まれ崩れていく世界を証そうとするものであれば一層、部屋の内にはあの外側の|危《あや》うさに|関《かか》わりなく隔たった、|完《かん》|璧《ぺき》な防空|壕《ごう》の内に似た平穏さがあった。
証言者は今、この都会の南半分を縁どる海の危険な汚染を、そこで捕えられた小魚を常食にしている|猫《ねこ》たちの何匹かに及ぶ調査について話している。モニターとして任意に指定した犬猫病院から報告される、神経に支障を|来《きた》して腰が抜け或いは発狂した猫の数はこの二年の内に五倍に殖えた、と。
あの至ろうとしている極みに添える副画に、私はまた新しいイメイジを加える。イメイジだけを。
この都会の通りに、人間と猫を載せた手押車が|氾《はん》|濫《らん》するのだ。そしてやがては、押す人もない手押車ばかりが。
|一昨日《おととい》の午後、私はあるテレビのスタジオに招かれていった。与えられた時間に、私は問われたことについて答えた。その長いプログラムの中で、私に次いで話したのは、すでに百を越す数の縁組をとり持ち|媒酌《ばいしゃく》した年配の夫婦たちで、彼らは彼らの努力が続く限り人間の未来に|毫《ごう》の不安も持ち得ぬという哲学と信念を持った、ある選ばれて幸福な人間たちばかりであった。その後の小休止に未婚のあどけないCMタレントが画面でとり持ち|薦《すす》めたものは、その中味の質的表示の|曖《あい》|昧《まい》さと危険さである学者が告発の本を書き下し、製造元の会社がその著書数万部を出版社ごと買い占めて|陽《ひ》の目から|葬《ほうむ》ったというある家庭用の洗剤だった。学者が贈ったという役所の技官から私が借りて読んだその本には、あの品質内容の製品を現在程度の慣用を長期に続ければ、慣用者の三代後の子孫の七割は、胎生の奇形児として誕生する筈だとあった。
そのCMの後、近県のどこかの青年運動家たちが始めた新しい運動の紹介があった。彼らの押す手押車に乗って、昨今さまざまな情報媒体で|膾《かい》|炙《しゃ》した|水《みな》|俣《また》病の胎生児が、手押車キャンペインのモデルとして登場した。ある人は、神の微笑と呼んだこの有名な奇形児の|歪《ゆが》んだ笑いを、入れ違いに私は間近で覗いて見た。だがそれを笑顔と呼ぶには、彼女の|眼《め》には視線が全くありはしなかった。
あのキャンペインは正しかろう。狂って歪んだ人間を乗せ、猫を乗せ、この街中に手押車が氾濫し、さらに、押し手の無い車が|溢《あふ》れるのかもしれない。
識りすぎ、馴れて、もう|怖《おそ》れもなく、私たちはまだ話し合い続けている。
狂って、腰の抜けた猫――。
なんと素晴しい象徴。卓抜な一つの象徴は、十、百の意味を殺してしまう。いや、もう意味については識りすぎているのだから。私たちは穀物の収穫の集計を聞き取るように、狂った猫の数を聞いている。この部屋にたちこめた無臭のエーテルが、それらの言葉の意味を脱色し、速記者たちの手元で|綴《つづ》られる退屈な符号に変えてしまうのだ。
方法は、あるのに。いや、方法についても、私たちはもう百度も結論を出した。しかしこの建物の|総《すべ》てを|司《つかさど》る仕組みが、今一度、改めて今日の顔ぶれの参考人を招いて話し合う必要があるとしたのだ。
学生たちが、喫茶店で昨夜初めて寝た女の子を|脇《わき》に、互いに何も知らぬ革命について夢中で話し合うのと全く逆に、ここでは、私たちは識りつくしたさまざまな危うさについて、平穏に無表情に、それをただ符号として記して残すためだけに話し合っている。
どこかの宇宙に|射《う》ち上げられて隔絶したカプセルに似たこの建物における行事がたどるメビウスの輪の際限ない軌跡の、最後の帰結で最初の始まりに、私はまたいつものように二つのイメイジの混成を|密《ひそ》かに手がけ出す。子供の|頃《ころ》から最も興味を抱いた、|未《いま》だにその|謎《なぞ》の解けぬ一つの伝説と一つのまがいない出来事のどこかで重なり合っているイメイジ。浦島太郎とマリイ・セレスト号の|失《しっ》|踪《そう》。いや、両者とも発見され回帰はしたのだが、同時に不可知な、決定的な喪失でもある。
私たちはひょっとすると隔絶ではなし、陥没しているのではあるまいか。この部屋を出、外に向ってこの建物を出たとき、外では、或いは一足違いにすべてが|喪《うしな》われ終ってしまっているのではないか。私たちの今のこの陥没と停止はそのまま外に向って間に合わぬのではありはしまいか。出て見れば、もう何もなく、ただ限りなく並んだ乗るものもない手押車だけという遅れた回帰。無人船として発見されたマリイ・セレスト号の、たった今まで|調理台《ギャレイ》のジンバルにかけられてあった余熱のさめやらぬシチューの|鍋《なべ》、仕上がらぬまま途中で置かれたプレスのためのズボン、開かれたままの航海日誌の書きかけの、章節の終らぬ文章、主が急に立ち上り、置かれたまま、受口に長く灰となって残った|煙草《たばこ》、たったいままで活動していた世界が、予期せぬ姿で到来した極の現出で、死の気配すら与えられず、形だけとどめて質的に完璧に崩壊し去った、その直後に、一足違いで私たちはここを出て帰り着くのではないだろうか。そして、ふり返って見れば、私たちが今まで閉じこもっていたこのカプセルもまた消滅し、私たちはこの宇宙のどこかに在るという星の墓場に吸いこまれ損った存在として、非存在に存在するのではないか。一足ちがいで、終局にすら居合わすことが出来ずに。
ならば、充分な審議という名の私たちのこの話し合いは何のためにあったのであろうか。この建物を支配するわずらわしい仕組みは一体何のために。ここで費された時間は結局外界のそれと交わりも重なりもせぬものではなかろうか。ならば、私たちは今もうすでに喪われたものでしかないのではないか。私たちと外界を|繋《つな》ぐものはもう何一つ無いに違いない。
私がこのカプセルの中の|虚《こ》|空《くう》に隔絶されてからもうどれほどの時間が過ぎてしまったのだろうか。私は一体いつ家を出、車に乗り、あの街を過ぎ、この部屋に入ったのであったか。
昨夜就床前、私が書斎の机に読み残し、頁を開いたまま置いて来た本。玄関前に倒して置かれた、子供が昨日|溝《みぞ》にはめて車輪のリームを歪めた自転車。斜め前の家の先日結婚した息子夫婦のために、ガレージの上に建てられようとしている、上棟式を挙げたばかりの二階建ての木造の骨格。小路を出た角から環状線まで、近所の商店街を縦に割って掘り起された下水工事の|為体《ていたらく》。それらのものはとうにすっかり形を変え最早、あそこにそうして在り得はしないのではないだろうか。
だが、そのことに私はもう|焦《あせ》りさえせずにいる。無為の中に、隔絶されながら|沈《ちん》|澱《でん》している自分を私は|識《し》っている。多分、私たちは間に合うまい。どこにも何のためにも居合わすことは出来はしまいと思いながら。情熱を含めてすべての感情を|呑《の》みこんでしまうブラックホールに似たこの建物の中に今自分がいるのだという、非存在的な存在感だけが、失速する飛行機の座席で尚しめたままのライフベルトのように私を|捉《とら》えている。
突然、私の意識は身を起し、目を見張った。
思いがけなく、外界からの人間が、たった今とどいたのだ。厚く重く閉じられた|扉《とびら》を開けて彼女は中を見渡し、自分が間違った時間と空間に飛びこんだのではなかったかと、入りかけた上半身をそっと反らせ、表にかかげられた部屋の番号札を見確かめた。
「そうだよ、ここだよ」
叫びかけて私はこらえる。いや、叫んだが言葉が声にならずに私はただ見つめるだけだった。確かめたものに彼女は頷き、誰も気づかぬ|粗《そ》|忽《こつ》を自分で|咎《とが》めるように肩をすくめ|微笑《わ ら》って見せる。血の通った微細さで|軽《かろ》やかに彼女は動く。部屋を|一《いち》|瞥《べつ》し捜すものが見つからず小さく口をとがらせ、|眉《まゆ》をひそめ、小首を|傾《かし》げ、やがて、間近くすぐ手前の席に丁度背を向けかがんで床に置いた書類|鞄《かばん》から何かを取り出しているために見過した相手に気づき、もう一度自分の粗忽さを咎め、微笑し直す。
少し旧式なフレアのついた白いブラウスに薄い水色のカーディガンを着、ツイードのスカートをはいた、長い髪を一本のポニイテイルに編んだ少女は、自分が魔法で|睡《ねむ》らした人間たちを、何かの都合でまた|眼《め》|醒《ざ》めさせにやって来た|悪戯《いたずら》な|妖精《パ ッ ク》のように見えた。すべてが眠ったこの森の中で、彼女の一心に見開いた眼だけが光あるものだった。
用向きの相手を|見《み》|出《いだ》した後、彼女はそっと扉を閉める。|後手《うしろで》にノブを握った|掌《て》を離すと、その掌をすぐに下して収めず、脇前の宙に浮かしたまま、相手へ合図を送るように一度二度指を閉じまた開いて見せる。合図は伝わらない。|僅《わず》か三、四歩の距離に思いを凝らしたように彼女はまた肩をすくめる。が、用向きの相手を除く大方のものが彼女に気づいていた。委員長も、証言者までが彼女を見つめた。その視線を束ねて受けとめ、一瞬彼女の|頬《ほお》が上気し紅がさしかける。が、いいつかった用事の責任に、彼女は自分を励まし、決意したように見つめているすべての眼に向って微笑し小さく|会釈《えしゃく》して見せる。彼女のまとったものの粗末さ、その身のこなしの軽やかさ、素早く変るその表情のういういしさ、それらをすべてくるめて彼女が突然現れてそこにいるということのまぶしいほどのまぎれのなさは、全くこの部屋に不似合いだった。
部屋を支配していたものの均衡が破れる気配が|顕《あき》らかにあった。私たちはようやく外へ向って繋がったのだ。
彼女は素早く歩みより、たずさえたメモを相手に手渡した。それはふと小さな奇跡の|成就《じょうじゅ》にも感じられた。相手に頷くと、またあっという間に彼女は部屋を出ていった。が、彼女が後手に閉めた扉は、彼女が外からもたらしこの部屋の内側に繋いだものを|挟《はさ》んで閉じ切らぬように十|糎《センチ》ほどあいていた。その|隙《すき》|間《ま》を通じて抗し難く、部屋中からまっしぐらに流れ出すものを私は感じていた。
その日の午後遅く、私は再び|業《ごう》|苦《く》に近い無為の内にいた。この陥没した時間と空間は前よりも更に大がかりで前に比べてはるかに野卑だった。行われていることがらは、ある法案に、それが他と比べてより重要であるという値札をはりつけるための質疑討論という手つづきの反復でしかない。ここでは、昼すぎまでの参考人に代って、|殆《ほとん》ど専門性を欠いた人間たちが、同じように、ここで話すということだけのために話している。読み上げられる原稿。読み上げられる回答。すべての言葉が生気を脱色され、|癩《らい》|者《しゃ》の|肌《はだ》のように感覚を喪って無機的にてらてらと光る能弁の往復は、これもまた彼らがその構図に参加して描き上げる一つの絵でしかなかった。居並ぶ殆どの人間が、そこで何が語られているかを理解せぬ、しようとも欲せぬ討論という名の絵画。いかなる力も持たず、話されてすぐ符号に変るだけの言葉は、沈黙とは逆に人間の想像力、創造力を|相《そう》|殺《さい》しつくしてしまう。
私の知っている二・二六のある革命家は、無期刑で十年監獄に|坐《すわ》っている間に一つだけ結論を|掴《つか》んだ、といっていた。人間の進歩を妨げる最大の悪は観念だ、と。ある大きな寺の|隅《すみ》の|寓《ぐう》|居《きょ》の書院であぐらのまま茶をたててくれながら彼はそういった。
「獄の中に十年坐って|覚《さと》ったのはそれだけだ。それで、|俺《おれ》のやったことは間違いだったと自分でいい渡せたのさ」
すべての観念から自由であり得る人間、その強さ。しかし、その強さを獲得した時、その人間にとってすべての他者他物は不要になるのであろうが。
私たち弱い人間が集って、その集りをよりつつがなく計り操っていくために考え出されたこの仕組みと手つづきも、どうやら今では一つの固定した観念でしかないのではあるまいか。ならば他に何がある、と私はまたまたメビウスの輪に乗って戻って来てしまう。が、今私たちがこの手つづきをしているその時間と空間が、それが及ぼそうとしている外界から陥没したものであることは間違いない。私がそれを|何《い》|時《つ》よりも強く感じるのは、何かの折この建物の外に、あることのためにつめかけ押しかけた人間たちの怒号の反復を聞く時だ。何といおう、何をおびやかされ何を損われることもありはしないという|安《あん》|堵《ど》の内に聞くあの耳鳴りに似た遠いどよめきの心地良さ。しかしそれは、同時に内と外との隔絶の実感以外の何ものでもあるまい。そして実はあの怒号もまた、外に在るのではなし、この内側の、仕組みに載った言葉のための言葉の、内から外への投影でしかないのではないのか。
一人の質問者の口舌が終ると、議場には怠惰が露呈して溢れる。もう誰も、再び何かを|質《ただ》そうとする人間までが、出来合いの協同で描き上げた絵画の構図の反復をうとましいものとしている。くり返される討論は、出来の悪い原版の上で刷られるリトグラフのように色がにじんで散り、構図そのものがゆるんで歪んでしまう。
潜伏期限を突破して|蔓《まん》|延《えん》した|黴《ばい》|毒《どく》の|疹《かさ》のように、突然、空席と私語が目立ちだす。無為というスピロヘータの|培《つちか》った怠惰の赤い疹。私もまたその一つなのだ。
確かめるように私は無為の祭壇を仰いで見る。七四三平方|米《メートル》の祭壇の正面に、荘重なる怠惰の象徴として坐っているスフィンクス。そこに坐る人間はどうしてみな同じあの表情を浮べるのだろうか。怠惰と忍耐、無為と努力、権威と|卑《ひ》|賤《せん》、尊厳と|滑《こっ》|稽《けい》、それらのペンキで塗りたくられた人形のように、彼はあくまでもじっと動かない。私はふと|想《おも》うことがある。彼が身じろぎしないのは、自負よりも、|馴《な》れ合いで造り上げられたカーニバルの王様としての気恥しさの|故《ゆえ》にではなかろうか。それこそが、すべての党派を離脱して透明、つまりどっちつかずの議長としての表情ということか。議長としての顔、議長としての身ぶり、|頷《うなず》き方、手の動かし方、水の呑み方、立ち上り方。この陥没の中にこそ保たれる滑稽な踏襲。
今眼の前に在るそのものについて、誰かは愚鈍に包まれた賢明といったが。私にはその実感がどうにも伝わらない。|或《ある》いは、そこにあるものは、愚鈍に包まれた賢明の縫いぐるみなのか。
いつか、私の政党が単独ででも会期の延長を議決しようという会議のベルを彼が押しかねた時があった。ベルが押された後、彼の入場をはばもうとする他党と彼を連れ出そうとする私たちが、彼のいる隣の部屋で並んで坐りこんだ。待ちながら、私は彼がその居室で黙然と思案するさまを想った。が、後に聞くと、その時、部屋の内で彼に決意をせまっていた仲間たちの前で、彼はてん屋ものの|丼《どんぶり》を二杯つづけて食べながら、その間聞きとれぬ言葉で何か一人つぶやき、うなっていたそうだ。私にはそのイメイジは描けそうな気がする。高貴と卑賤、決意と|逡巡《しゅんじゅん》をすら、この手つづきの|堆《たい》|積《せき》は一律に埋没させ呑みこんでしまう。
彼に促されてあの男が立ち上る。この建物のみが許すその異常な存在の意味、投機という天才に包まれた下品さ。下品という徳への自負が|創《つく》り上げる独善。その|嗜《し》|好《こう》と錯覚が、ある仕組みにおいては、この男を核に持ったこの社会のすべてを神経症的に染め上げてしまった。彼の、天才的な下品な|諧謔《かいぎゃく》に笑った世間も、今では鳥肌を立てているのに、彼は彼なりの理念という|玩《がん》|具《ぐ》のレールを依然としてこの国中に敷きつめようとしている。この男もまたこの建物の主として軽侮と|畏《い》|怖《ふ》を同時にすべての相手に|強《し》いている。そのどちらかを選ぼうとすることにも私は|倦《あ》いた。そして、僅かこの一人の男の錯覚を正すためにも、この建物を占める無為の怠惰は|蘇《よみがえ》り得ない。
怠惰は今では議場に|猖獗《しょうけつ》し、秘めながらも歴然たる、|淫《みだ》らな|喧《けん》|騒《そう》がそこらに在る。壇上で問うものと答えるものの言葉も、最早ただその喧騒の部分でしかない。それは形こそ違え、私が先刻あの委員会室で味わいつくしたものと本質的に同じ隔絶と安逸でしかなかった。
突然、私はある啓示への予感で天井を仰ぎ見、黄と緑と紫のステンドグラスに|彩《いろど》られた頭上の明るみの内にその到来を待った。が、それはそこではなく、やって来るとすれば、先刻に似て、正面の壇|脇《わき》の、右か左いずれかの扉を押し開いて現れる|筈《はず》であった。
目を凝らして私は待ち受けた。あの少女がそこに再び現れた瞬間、先刻よりも歴然とあの奇跡に似たこの議場全体の回心ともいうべき瞬間が在るに違いない。今度こそ、荒野に予言者と向い合って立つ群衆のように、周囲をとり囲むすべての壁が崩れ去り、まぎれもなく外に向って|晒《さら》され繋がれながら私たちは少女と向い合って立ちつくすのだ。網膜にはりついて残った、先刻、あの少女が重い扉を押して質すように部屋の内を|覗《のぞ》いた、あの一瞬の映像を、眼の前の中壇で、今話されている言葉を腕をこまぬき半眼閉じて沈思傾聴しているような様子で、実は無意識に身だけを支えながら巧妙に居睡りしている|禿頭《はげあたま》の何やらを|所《しょ》|轄《かつ》とする大臣の真後に閉じたまま開かぬ扉の上に私は映し当てようとしていた。
|浮彫《レリーフ》のある|真鍮《しんちゅう》の|巨《おお》きなノブがかすかに身じろぎし、やがてある決意を伝えるようにはっきりと回る。部厚い|欅板《けやきいた》の扉が音もなくその重なりを割って一|糎《センチ》開く。今ようやく到来したものの気配がその隙間の向うに明らかにある。一糎、更に一糎、高速度写真の展開のようにある歴然たる推移を示しながら扉は開かれる。その隙間にこぼれて、少女の白い手と指が現れる。そして、その軽やかさを隠しおおせぬ装われた慎重さで彼女は顔をさし入れ、また間違ったのではなかろうかと、そっと議場を見渡す。細く白いうなじ、白い|頬《ほお》、水色のカーディガン、編まれた長い髪の束が――。
いつか見たある舞踊の、その動作を象徴として表現するために解体し解体し解体しつくした動きの一つ一つをその一瞬一瞬のみに永遠に定着させようとする動きの記憶のように、老いた|娼婦《しょうふ》に|扮《ふん》した踊り手が、最後に、舞台の奥に立てられた戸板一枚向うの忘却と死の世界へ走り|陥《お》ち込み消えていく、その寸前の一瞬の姿態のように、しかしそれとは全く逆の、明か明かと鮮烈に|蘇《そ》|生《せい》の到来を示す彼女の姿を、私は正面の両側にある扉の上に待ちつづけた。
どれほど待っただろうか。少女は現れはしなかった。ならば、席を立ち|暫《しばら》くして戻った隣席の男と入れ換りに私は立ち上り、自ら彼女を探そうと思った。
広い建物の内を当てなく私は歩いた。巡り巡って出た中央玄関の薄暗い大ホールの|陰《いん》|鬱《うつ》さの内に、自らの人間存在の座標を持たぬ非存在に似た存在の心もとなさを感じとった。頭上のテラスの手すりに|据《す》えられた|燭台《しょくだい》に|灯《ひ》は|点《とも》されていたが、その黄ばんで|稀《き》|薄《はく》な明りの遠さが、私が今所属する時間の陥没の深さを感じさせた。
大理石のモザイクの中心に立って見上げた四方シンメトリクな天井の高さが、逆に|奈《な》|落《らく》の深さを錯覚させるのだった。広間の|混《こん》|沌《とん》と暗い|四《よ》|隅《すみ》の台座には、|何故《な ぜ》か三基だけある先達たちの彫像が建てられてあった。像の巨きさは、逆に、このふと異形な空間の底に沈んで在る私の小ささを感じさせた。いや、私だけではなし、一つだけ空いた薄暗い台座の上に、私はふと私を含めた無数の微小な人間たちがひしめいて在るのを見るような気がした。幻覚をふり払うように、私は私と|対《つい》の隅に立った像を仰ぎ直した。像は知らぬ間、また先刻の倍の巨きさにそびえ育ったような気がした。
突然、私は期せずして迷いこみ何故か足を|停《と》めてしまったこの|人《ひと》|気《け》ない広場であの少女との|邂《かい》|逅《こう》を期待し信じた。
対の角に立った巨像の台座の|蔭《かげ》に、私のためにひそんだ少女を私は感じたのだ。眼を据え、私は歩み寄った。太古の神殿に迷い込んだ愛し合う旅行者の|逢《おう》|瀬《せ》のように、時を超絶した非現実的背景が、今私たち二人だけのために在った。
が、彼女はいなかった。一足違いで。私は彼女を追って広間の四隅を巡り、探しあぐねて正面の階段の下で息をついた。
|彼方《かなた》を|遮《さえぎ》る小高い|柵《さく》の向うに|尚《なお》薄暗く|緋《ひ》|色《いろ》に煙って階段は続き、やがて消えていた。置かれた不条理な仕切りを超えて一人この階段を昇っていく、|痩《や》せて年老いた男の|猫《ねこ》|背《ぜ》の後姿をふと想った。この広間には幾つかの異質な宇宙の|錯《さく》|綜《そう》が感じられた。少女が、この階段の奥にいる筈はない。この階段がはるかにいきつくところがどこであるのか、この階段の奥にある喪失が何であるのかを知るものは、一人ここを昇っていくあの男だけでしかない筈だ。
横手の階段を昇り、私は二階の回廊に出た。人気のない回廊の手すりに沿って、メビウスの輪をたどるようにどれほど歩いたことだろう。巡る度、陥没の中の陥没、隔絶の中の更に隔絶だけが深まっていった。私は最早、どこに向っても近づいていず、ただ何ものからも遠ざかりつつあった。それでもシジフォス的な忍耐を|強《し》いながら、一歩一歩私は歩きつづけた。そして一歩一歩、彼女が遠ざかる確信があった。オルフェの感じた隔絶を味わいながら、私は尚も歩いた。
私はふと彼女の声を聞く。彼女は初めて彼女から私を求め呼んでいる。私は急ぐ。が、隔たりはますます遠のく。神殿の厚い石の壁の向うに彼女がまた呼んでいる。階段を降り、回廊を巡り、また昇り、また降り、そして|遂《つい》に、仕切られた一枚の部厚い欅の扉の向うに彼女の気配がある。しかし、彼女が何かの手で更に引き離されようとするのを私は感じる。
懸命にノブを|廻《まわ》し、|鍵《かぎ》をこじ開けようとして出来ず、別の戸口を捜して私は走る。それが見つからず、また叫んで呼ぶ声に引き戻され、私は開かぬ扉を|両掌《りょうて》で打つ。彼女の最後の叫び声の後、突然扉が開く。走り込んだ、他に|何処《ど こ》にも戸口のない部屋の床の上に、彼女の脱ぎ捨てたカーディガンだけが落ちている。そんなイメイジを、いつか何かで味わったことがあった。そして、それが今、現実に私の内に苦しいほど|渇《かわ》きとして在る。それを確かめながら私は尚も歩いた。
と、回廊の角で、真直ぐ彼方の廊下の端に私は彼女を見つけ出したのだ。近くのどこかの部屋から出て来、先刻のように手に預ったメモを持ちながら、自分の行先を確かめ質し、彼女は廊下に立った衛士と話している。衛士が何処かを指して示す。彼女は頷き、|踵《きびす》を返しかけるがまた向き直り、それが癖のように小首を|傾《かし》げ肩をすくめて見せながらまた何か問いかける。衛士が笑いかけ、彼女も|微笑《ほほえ》み返す。彼らの仲が何なのか、恋人か兄妹か、私は見守りながらそれを知りたいと思う。暗い廊下の隅に、一条|射《さ》し込んだ明りがまた|閃《ひらめ》いて消えるように、彼女は踵を返し、横手の廊下の奥に走り去った。
それを追って私は歩き出す。そこまでの道のりがどれほどあるのかを見定めぬまま、懸命に歩く。
彼女を見送った衛士が、彼女に向けた微笑の|残《ざん》|滓《し》を|頬《ほお》に残したまま、自分に向って近づくものにゆっくりと向き直る。私はまず、彼に向って夢中で歩きつづける。
若い衛士の前に私は立っていた。その到達感ももどかしく、私は彼と一緒に、彼女の消えた廊下の奥に眼を凝らす。この廊下の先がどれほどあるかが感じられない。もどかしい自分の動作の一瞬一瞬を意識しながら、私は彼に向き直り尋ねた。その声は外に向って伝わらず、ただ、私の内に深く反響している。そのひとことひとことを、私は|焦《あせ》りながら、尚、耳を澄まして聞こうとする。
衛士は微笑し、何やら指して教える。その言葉が、何故かどうしても聞きとれない。
が、突然、彼の言葉が伝わり出す。微笑を収め、指した手を下し、私の|眼《め》を覗いて見つめながら彼はいった。
「――あなたにだけお教えしますが、ここにいらしてはいけません。早く、ここを立ちのいて下さい」
「どこへ」
彼は何かいいながらまた指さした。
「彼女も向うへいったのか――」
彼は頷き返す。
指された方角をもう一度確かめ、薄暗い廊下の彼方に歩み出そうとし、
「向うというのは、議場のことか――」
ふり返って尋ねた時、衛士は背を向け、歩み去っていた。その背へ追いつきもう一度質そうとしたが、何かが私をせくように、彼の指した方向へ歩み出させた。
どれほど時をかけ、どれほどの遠さを歩いたのか。結局、私は議場に戻った。席に坐りながら、私は先刻、あの衛士にいわれたことを|反《はん》|芻《すう》して見る。そうなのだ、彼女は矢張りここへやって来るのだ。私はそれをここで待ち、もう一度、彼女を目にすることが出来る筈だ。思いながら、私は先刻感じた啓示への予感を確かめ直しに天井を仰ぎ見る。ステンドグラスを通してふりそそぐ明りの中に、ふと、今まで知らなかった彩光の混じるのを私は感じた。何といおう、それは極に近い大気圏で見られるオーロラに似て、或いは、いつか伊豆の島々の入江で夜船を|舫《もや》いながら仰いだ誰もいわれを知らぬ、ただ土地の古老が大きな地震と|関《かか》わりあるのだと説いた、青白い、他のいかなる光の波長にも混じり|馴《な》|染《じ》まぬ、どこか限りない遠くから射かけて来る光のように、照明に照らされたこの巨きな部屋を、更に、押し包んで照らすような気配があった。
そして突然、その光のひだの内の一条が私だけに向って射しかけるのを私は感じる。そして、私はたった今あの少女が再びあの|扉《とびら》を開き、この議場を支配するものを崩し去ろうとするのを感じていた。
彼女は今、あの扉の向うにいた。彼女が今、扉のノブに手をかけるのを私は感じた。それが廻され、扉がひそやかに、が、はっきりと開かれるのを私は|固《かた》|唾《ず》を|呑《の》んで待っていた。ノブが廻された。そして突然、それは割れるように、片側でなく、両の扉が一文字に開かれた。そこに、小さな紙片をたずさえた水色のカーディガンを着た少女はいなかった。私が見たものは、扉の背後の廊下一杯にひしめいた、いずこかの制服を着、着剣した見知らぬ兵隊たちであった。
私たちは、とうとう間に合わなかったのだ。
ひと足ちがいで少女は現れはしなかった。
孤  島
誰かが|流し《ギャレイ》で水を使うもの音で|眼《め》が|醒《さ》めた。うつつに戻る耳に、水音に混ってうめき声が聞える。町に出かけた若い|乗組員《ク ル ー》二人が酔って帰って来たのかと思ったが様子がおかしく、北見は|船主用の寝台《スキッパーバース》から起き上った。
|小《こ》|柄《がら》だが肩幅の広い機関士の内田が水を入れた容器を手にしてドッグハウスの階段を上りコックピットに出ていく。うめき声は外から聞えて来た。
コックピットの|右《う》|舷《げん》に|笹《ささ》|井《い》が仰向けに寝転がっている。かがみ込んだ内田が水でひたしたタオルで仲間の額の辺りを|拭《ぬぐ》っていた。
「どうしたんだ」
かけられた声にふり返った内田の顔にも生乾きの鼻血の跡があった。照らした懐中|電《でん》|燈《とう》の小さな明りの下でもはっきりと顔が|腫《は》れ上って見えた。
「|喧《けん》|嘩《か》したのか」
内田は|頷《うなず》いたが、そう確かめても出来事は意外だった。会社で使っている他の社員にはそれをしでかしそうな男もいたが、内田も笹井も、|日《ひ》|頃《ごろ》酒こそ飲めおよそ他人と争いごとのない、若さに不似合いなほど|穏和《おとな》しい人間だった。
もの音で雇い主を起してしまった後めたさでか、北見のかざした明りの下で鼻血の跡を拭いもせず、内田はまぶしそうに|瞬《まばた》きし、明りから顔をそらすように足元に横たわった同僚を見下した。
傷が深い上に酒が入ったせいか、こめかみから|頬《ほお》へかかって流れた血の|痕《あと》は乾いているが、姿勢が横になった後、耳を伝って流れた血が明りの下で鈍く光っている。
「一体どうしたんだ」
奥の|船室《キャビン》の三人に聞えぬようひそめた声で聞いた北見へ、答える代りに、
「畜生」
笹井がうめいた。しぼり出したように、野太くしわがれた声が日頃口数少く穏和しいこの男を感じさせなかった。
「誰だ、相手は」
「あの|艀《はしけ》の|奴《やつ》らです」
内田は船の斜め前の岸壁に|繋《つな》がれた艀を眼で指した。
「本当に奴らがやったのか」
確かめ直され、内田はがっくり頷くと、ようやく気落ちしたように腰を下し、のろのろした手つきで手にしたものを水にひたし直した。
内田に代って北見がタオルを絞り、笹井のこめかみを大きく拭い、他の傷を確かめに体を起そうと肩口に手をかけると、彼は悲鳴に近い声を挙げてその手を払った。
「折れたかも、知れない」
自分の身の上に起った思いがけぬ何かを、それでも怖わ怖わ認めようとするような、乾いた声で彼はいった。照らし直した明りの下で、日焼けした|肌《はだ》に血を流しながらも青ざめて見える笹井の顔は、無理につくった笑顔で|歪《ゆが》んで見えた。
北見は奥の三人を起した。山で自らの遭難や、他人の救急の経験のある滝沢が|手《て》|際《ぎわ》よく|海《シー》ナイフでシャツを切り裂き、痛がる笹井を北見たちに押えつけさせ|帆《セイル》用のプラスティクの|芯《しん》|板《いた》を添えて固定した。
「今夜は冷やす以外にないが、それでも、折れていれば明日には倍に腫れて来る。しかしこの島じゃ、ろくな医者はいないだろう」
「本当に相手は奴らなのか」
同じことを|質《ただ》した岩下に、ようやく自分の顔を拭いながらもう一度内田は頷いた。
出来事はあり得ぬこと、と同時にまた、あり得ることにも思われた。顔を見合わせながら、四人はつい先刻、|宵《よい》の口まで神経を|苛《いら》だてながらただ見守る以外になかったことがらを思い出していた。
南に出来た低気圧に向って吹き込む北東風が強く島の主港が使えず、船は今日の昼前南西に開いた仮泊地のこの入江に|舫《もや》いをとった。彼らを迎えに出た、九州から移り住んで仕事している岩下の知り合いの写真家の話では、岸壁を少し|脇《わき》に外すともう底が浅く、折から大潮で水が|退《ひ》くと船の|水中舷《ドラフト》が深すぎ|坐礁《ざしょう》の|怖《おそ》れがあった。風をかわして入江沖に|停《とま》る本船用の艀は底も浅くひっかかる怖れもあるまいから、荷役の作業は少しわずらわしかろうが艀の主が現れたら了解をとろうと、短い岸壁の一番|端《はな》に|船首《みよし》を繋いで船を|停《と》めた。
が、やがて、午後の本船の寄島に艀へやって来た男たちは、断る間もなく、船を沖へ追いやるように勝手に舫いのロープを解いて甲板へ投げ込んだ。
男たちのいい分は、この風の下で荷役の可能な港はここしかなく、入江には岸壁はここ一本しかない。岸壁も艀も荷役のためにあるのであって、|遊《ゆ》|山《さん》の船は邪魔でしかない。船が岸壁に繋がれている限り、艀は|小《こ》|廻《まわ》りが効かぬから安全の保障は出来ない、という。彼らはそれを、聞きとりにくい荒い方言で一方的にいい放った。写真家が伴って来ていた町役場の観光課の職員がとりなしたが、何やら険しい言葉が返っただけで、写真家も観光課員も、気まずそうに顔を見合わせ、矢張り荷役の間は船を岸壁から離した方がいいと気の毒そうにいった。
入江の沖の環礁から岸壁に向っての水路は掘られたもので、幅に限りがあり、それを外すと大人なら背の立ちそうな浅瀬になる。水路の端一杯に船を停めた彼らの眼の前で、男たちは新来者を意識して乱暴に、実はひどく巧みに艀を操って荷役をつづけた。
沖に仮泊した本船から客や荷を積んで岸へ戻りしな、艀なりの全速で、わざと岸壁を外し船目がけて突っ込んで来、衝突の寸前|舵《かじ》を切ってかわしていく。その際どさは、舷と舷の間が三十|糎《センチ》も開かぬほどだった。一度は、艀の船首に|坐《すわ》った女の客が気づいて叫び声を挙げ立ち上ったが、男たちはその声を無視し、寸前で気づいたようにおどけて舵を切り、立ち上った客たちをよろめかせ、大声で笑っていた。
たまりかねた北見が、客を上げて本船へ向い直す艀に声をかけ注意すると、その声をよく聞きとろうとするように耳に|掌《て》をかざしながら思い切って艀を近づけ、笹井が|慌《あわ》てて舷側に投げ下したフェンダーを音をたてて|軋《きし》ませ、舷と舷ではさんで過ぎた。しながら男たちは薄笑いで水路の向うの浅い水を指し船を水路からもっと遠ざけろと身ぶりで示す。男の一人が肩ごし|後手《うしろで》に指で大きく|弾《はじ》いて捨てた|煙草《たばこ》は|狙《ねら》ったように北見の頬をかすめてコックピットに落ちた。男たちが港の新来者に示した態度は、海に経験の長い北見たちが今まで他のどこの港で見たよりも露骨だった。
本土の暦の上ではもう秋も|晩《おそ》く、北見と|乗組員《ク ル ー》二人が回航した船と待ち合わせに岩下たちが飛行機で東京を|発《た》つ時、北上した|秋霖《しゅうりん》前線の下で東京には肌寒く小雨が降っていたが、|奄《あま》|美《み》で落ち合って南下した西南の島々には空さえ晴れればまだ夏のいきりを残した|陽《ひ》の輝きがあった。
北見が主宰する観光会社が鹿児島に事業を拡張し、そのために新造した大型のモーターセイラーヨットの、季節には少し遅れたが本格的な試乗を兼ねて、小さな宣伝プロを持つ滝沢がカメラマンの岩下と組んで、ある大手のメイカーに売り込む水中映画のシナリオと撮影現場のハンティングに便乗し、三人とは学生時代から海での競技仲間だったこれも自前で外国の保険会社の代理店をしている岩原を加えての船旅だった。
誰も皆、一人前以上に|乗組員《ク ル ー》を務められる気のおけぬ客だったから、北見も回航のための要員を最低限に絞った。それに、彼らが|嘗《かつ》て競技のために操ったヨットと違って、帆船とはいえ強力な機関を積んだ大型艇では手のかかりようもない。
|徳《とく》|之《の》|島《しま》で一度短く天候が崩れたが、その後大陸の高気圧が張り出して晴れ上り、北東風が吹いて気温が下り海が少し荒れたが|憧《あこが》れて来た太陽の光にはこと欠かなかった。|沖《おき》|之《の》|永《え》|良《ら》|部《ぶ》まで南下すると気象も島の風物も海の色も眼に見えて変った。更に一つ下ったこのY島では、その緯度を|証《あか》すように太陽の輝きに熱気が|蘇《よみがえ》り、きらめく陽光の下に澄みに澄んだ、もうまがいなく亜熱帯の海があった。
季節風に|湧《わ》き立つ海峡から、眼鏡で島の主港の沖の|珊瑚礁《さんごしょう》に打ち当り砕ける波を|眺《なが》めて入港をあきらめ、あらかじめ永良部の港で漁師から聞いていた裏側の仮泊地のこの入江を探して入った。陸に|遮《さえぎ》られ珊瑚礁に囲まれて、島の表に比べれば|嘘《うそ》のように|静《せい》|謐《ひつ》な真っ青な水と、真っ白な砂に|彩《いろど》られた景色に誰しもが今までのいつ以上にこの旅のし|甲《が》|斐《い》を感じていた。風の吹き込まぬ入江の水の青さと白い砂のまばゆさに、ようやく雲もなく晴れ上った空から照りつける陽の光のいきりが感じられた。
島の北西に張り出した隆起した珊瑚礁の小高い|断《だん》|崖《がい》をかわした|蔭《かげ》に、断崖となった昔の環礁のつづきの珊瑚礁が奥深い入江を包むように一、二|哩《マイル》つづいている。船の進む角度で、水の底にちりばめられた珊瑚のとりどりの色を映して海の水がさまざまな青に変る。
|蒼《あお》|黒《ぐろ》い断崖と青みがかった|琥《こ》|珀《はく》の浅瀬、そしてその奥の白い砂浜を繋ぐ入江全体は、傾いて沈んだ|巨《おお》きな王冠のように見えた。
入江の水は、亜熱帯の海の鮮度を明すように澄み切っている。|魅《ひ》きこまれるような透明度は、水がこの入江の中に仕切られることで何か質的な変化を来たしたようにさえ見えた。
太陽がまだ高みを極めきらぬ時刻には、小広い入江に動く小船も人影もなかった。陸地の緑や岩の色も眼に入らず、ただ澄み切った水の青さと砂の白さだけが眼にしみる真昼の夢に似た静けさに、船を舫った後、誰しもが改めて息を|呑《の》んだ。
やがて現れた島民たちは新来者への好奇心を隠し切れずにいたが、みな人なつこく親切だった。岩下がその名を告げて居処を質した知己の写真家を、入江に|釣《つ》りにやって来た島の若者はそのまま折り返し彼の車で迎えにいってくれた。|報《しら》されてやって来た移住者もその連れも、誰もみな、この悩ましいほど明るく静謐な島の印象に似合った人間たちばかりだった。
が、やがて本船の来島とともに作動し出した艀とそれを操る男たちが、北見たちが入港して以来感じていたものが|所《しょ》|詮《せん》非現実でしかなかったことを証し出した。
彼らを迎えて島の水と砂と空と人間たちが与えた安らぎのすべてを|相《そう》|殺《さい》するように、男たちの|仕《し》|種《ぐさ》は粗暴、というよりも|凶《まが》|々《まが》しかった。男たちの見せるどの表情の内にも、何かの折の笑顔にすら、北見たちを意識した、理由の知れぬ、軽侮と敵意が感じられた。
がさつなようで実は巧みに際どい操船で、彼らが何のいわれでか自分たちに向って|挑《いど》んで来るのをヨットの上の誰しもが感じた。
そのいわれがわからぬだけに、ただ黙って耐えて見守るよりなかった。そして男たちはそこまで見すかしたように、仕舞には笑いながら歯をむき|殆《ほとん》ど|牙《きば》をならすように、その往復、なす|術《すべ》なく甲板に立ちつくす北見たちの眼の前をすれすれに肩をそびやかせて過ぎた。
これもまた非現実的な出来事でありながら、この抜けるように明るい風景の中でくり|拡《ひろ》げられている説明のつかぬものごとに彼らはただ息を殺し、自分を押え、それが海で出合う|時《し》|化《け》のようにいつかは通り過ぎるのを待ちつづけた。
そしてそれは一度、確かに彼らを通り過ぎて終った。最後の荷役が終り、入江を囲む珊瑚礁沖に仮泊した島巡りの本船が|錨《いかり》を上げ南の|岬《みさき》の向うに姿を消すと艀は元のまま繋がれ、男たちは先刻ヨットを繋いでいた岸壁の先端に立ち、ヨットと岸壁の間に空いた水に向って煙草を吸いながら用を足し|唾《つば》を吐いて立ち去った。
そして、頭上に昇りつめた太陽の光の下に澄みに澄んだ|藍《らん》|碧《ぺき》の水と、|陽《ひ》|射《ざ》しの下でかすかに焼けていく純白の砂に彩られた静けさが戻った。今ではようやく、入江のここかしこに三、四杯の小さな漁船の姿はあったが、水に潜ってはまた船に戻る漁師の姿が遠くしめやかに動くだけで、その水音も伝わらぬ静止に近い風景の中で、頭上の太陽だけがその輝きに似ず低い軌道を少しずつ傾けていった。
この今となれば、先刻のあの荒々しく凶々しい出来事に比べて、この静けさの方が矢張りより非現実的な感じがする。
やがて伝え聞いてヨットを見物にやって来た青年に託して呼んだタクシーは、|砂《さ》|糖《とう》|黍《きび》畑の間を縫って、|砂埃《すなぼこり》の道の上を昼前海峡から眺めた主港に近いささやかな部落に彼らを運んだ。
過ぎていった島の盛りの季節の間中存分に砂埃を浴びて乾いたまま閑散とした部落に、さっき入江で起ったいわれのつかぬ荒々しい出来事を|想《おも》い起させるようなものは何もありはしなかった。
町役場らしい|鄙《ひな》びた木造の二階建ての家の前庭の、背高い|棕《しゅ》|梠《ろ》の|樹《き》と樹の間に|吊《つ》るされた、飛行場誘致に反対する一部地主を|弾《だん》|劾《がい》する張り幕も、夏中の埃にまみれてもう文字が|色《いろ》|褪《あ》せている。他の町並みは殆どが平屋で、商店も人家もみな表を開け放したまま家の内に人影も見えない。家と家の間に咲き乱れたハイビスカスの花の鮮かさだけが、本土の暦から外れてまだここには残っている夏を感じさせる。その花越しに|覗《のぞ》いた家並みの裏手にはもうすぐ、背高い砂糖黍の畑が見えた。
たまにいきすぎる島民は、季節外れの来訪者についてすでに報されているのか、好奇に眺めはしたが、こちらが見返すと人なつこく|慇《いん》|懃《ぎん》に礼を返した。
訪ね直した写真家は、先週二|米《メートル》近い|磯《いそ》マグロを見たという岬の海に彼らを案内していった。突端の岬は、吹きつける風に波立ってはいたが、沖を巡る環礁の内側の海は、外側に比べると|嘘《うそ》のようにおだやかに|凪《な》いでいる。写真家のいう、時化という言葉が不似合いなほど、白波の立つ沖の海も深く青く、環礁の内海も澄んで、雲のない空も高く青かった。外海がいかに波立ち騒ごうと、島は所詮、澄んで平らな水と白い砂に囲まれた静けさそのものだった。
こうして島を巡って見ると改めて、先刻の出来事が何か自分たちに知れぬ互いの意志の行き違いで起った、実は不幸な偶然でしかなかったような気がして来る。
船の持ち主という立場から、念のため、北見が先刻の艀の男たちについて質した時、岩下も滝沢も、うとましそうな眼で彼を見返したほどだった。丁度その時、写真家はこの岬の浜辺特有の砂の粒子の雪片に似た形について話し終えたところだった。
「この頃では、少しずつ島も変りましたな。何といっても、段々本土が近くなってきたからね。島にもいろいろな人間が入って来る、これで飛行場でも出来たら終りでしょう」
吹きつける風の向うに近づくものを見定めるように、写真家は|眉《まゆ》をひそめて見せた。
「すると、あの連中は|他所《よ そ》ものですか」
「さあ、よく知りません。私のつき合いもごく限られてますし。|尤《もっと》も、さっき観光課の人には、島の一番悪い言葉で口答えしていましたがね。島で生れたものが出ていってまた戻ったのかも知れませんな」
北見はそのまま黙った。先刻のあの出来事について話したとしても、彼ら同様、この相手にとっても所詮実感の伝りにくいことのような気がした。
本土より一時間半も遅れて陽が沈んだ。夕映えは、暦の通り夏に比べて短く、その黄味がかった紅の透明感にやがてこの島にもやって来る冬が初めて感じられた。陽が落ちるとあっという間に日中の暑さが消え、涼しさを越して肌寒いほどの|闇《やみ》が島全体を|覆《おお》った。
写真家の家で|風《ふ》|呂《ろ》を浴び、島造りの酒を呑み夕飯を|馳《ち》|走《そう》になった。翌日に残ることのないという島産の|泡《あわ》|盛《もり》は|手《て》|頃《ごろ》に体を暖め心持良かった。やがて、隣家の男が、夜着く本船から揚げて受け取る荷があるので写真家の小型トラックを借りたいといって来、みんなはまた昼間の出来事を思い出した。車に便乗し先に戻って船を見張るという|乗組員《ク ル ー》二人を発たせた後で、半時間ほどして北見たち四人もタクシーを呼んで入江に戻った。
入江では昼間と同じことが行われていた。沖がかりの本船は昼間着いた船よりも大きく、そのせいで昼間は使われていなかったもう一|隻《せき》の小型の|艀《はしけ》までが動いている。その二つともが、昼間と同じ走り方で、すでに岸壁を離して|舫《もや》い直したヨットの間近を|際《きわ》どくかすめていく。
接触しそうになる相手への警告に、船から内田たちが小型のサーチライトで艀を照らすと、明りがまぶしいのか怒声が返り、相手を照らし直す内田たちを近づいた彼らが逆に手にした明りで照らし返す。ヨットの泊った辺りの水路の幅が決して足りぬ訳ではないのは、時折、二つの艀が同時にその辺りを左右互いに充分離れていきかうのを見てもわかる。しかしそんな折、男たちは今まで以上ことさらに艀を寄せ|舷《げん》|側《そく》に下したフェンダー越しに船に軽い体当りを食わして見せた。軽い接触とはいえ、艀の重量に押されて水の上で船がたじろぎ、その上で二人が足を踏みしめ直すのがわかった。
酒が入っているのか、岸壁での発着の度、男たちは客や他の荷役の係りに声高に何か叫んでいる。言葉のよくわからぬまま、それは|罵《ば》|声《せい》にも粗野な笑い声にも聞えた。
|眼《め》の前で再びくり拡げられているものごとは、四人が岸壁から眺めるだけに一層|顕《あき》らかな意図のものに見えた。水も空も分たぬ闇の中で行われる凶々しい行為は、明るく真っ青な昼間と違って、その邪悪さだけを息苦しいほど感じさせた。
|環礁《かんしょう》の沖に揺れる遠い本船の明りと、|往《ゆ》き|来《き》する艀の|灯《ひ》がおどろに水に砕けて、入江を包んだ闇はかえって一層深く感じられ、男たちのしかける行為の険しさは悪い夢の息苦しさのように、見守る四人に知らぬ間冷たい汗をかかせた。
フォークリフト車が大きな艀から荷を上げている間、
「何であんなにヨットの間近を通らなけりゃならないのですか。衝突したらどうするんです」
怒りをこらえて諭すようにいった北見を、艀の|艫《とも》から|舵《かじ》|棒《ぼう》を持った男が黙って見返した。
間を置き、
「何だと」
じらすように男はいった。
「水路は広い|筈《はず》でしょう。衝突したらどうするんです」
「その時は、沈んだ荷物の弁償をお前らがするんだな」
男はいい、|船首《みよし》にいた同僚が声をたてて笑って見せた。
「夜は暗いのよ。水路も見えにくいからな、岸壁へ直線に走るのよ。いやなら、あんたらも沖がかりで船を泊めたらどうね。荷役が止るとな、この島は干上るよ。あんたらに関係はなかろうが」
「運転のしようがあるだろうといってるのですよ」
「じゃお前らが代りにやるか。舵はよう切れるよ」
「やなら沖縄の本島へでもいけよ、こんな貧乏島をひやかさずによ。本島なら女もいてるは」
片方の男が舵引きに促しながらいった。
北見たちの見ている前で、艀は突然全速で後退し、船首を|廻《まわ》さず、そのままヨットを目指して艫から突っ込んでいった。叫ぶ間もなく、船の二人が沖から戻って来るもう一隻に気をとられている|隙《すき》に間近で転進した艀の船首に近く舷側から突き出た|梁《はり》材がフェンダーを跳ね上げ船体を鈍く|掻《か》いて傷つけるのがわかった。
艫から駆け戻った笹井が何か叫び、船首の男が怒鳴り返した。が、舵を引く男は出来事に気づかなかったようにそのまま艀を沖へ引き離した。
船を気づかって叫んだ北見の声の気配に岸壁へふり返った笹井が、騒音の中で声がとどかぬと見てかがむしゃらに両手を振って見せる。その|仕《し》|種《ぐさ》は当てられた船に大事はないとも、彼らのやることがもうどうにも許せぬとも見えた。
その内、素手の手旗で、ケイサツ、とくり返し彼は送って来た。
「そういっても、この島じゃ警官もいないんじゃないか」
日中あの写真家が、島には今まで島民の犯した犯罪がない、|窃《せっ》|盗《とう》さえない、といったのを思い出し滝沢がいった。しかし眼の前に起っている出来事は、少くとも彼らから見ればある一線をとうに越えていた。
「あいつら一体何なんだ」
当りようもなくうめいていった北見へ、
「本港なら、こんなこともないんですがね」
荷をとりに先刻、内田たち二人を乗せて来た隣家の主人が言い訳するようにいった。
「いや、どこの港だろうと、あんな人間はいるもんじゃないですよ」
「なんせ、暴れもんでねえ。他所から来た連中だし」
男はいった。
「他所って、沖縄ですか」
男たちの陽焼した顔を思い出し岩原が聞いた。
「いや、神戸とかいってたな。向うで同じ仕事をしてたようですがね」
「島から出てまた戻ったの」
「いや、他所の島からでしょ」
「何でこの島へ来たのかね」
「よくは知らないが、神戸では仕事出来なくなったそうでね。四人とも、どこかの組とかにいたということだけど」
「組」
「よくは知らんがね」
その言葉が|或《ある》いはどんな意味を持つかも知らぬように、男はいった。
滝沢はふと、沖之永良部の港に近い小料理屋にいた、不愉快なほど愛想の悪い板前を思い出した。男の顔に額の|隅《すみ》と|頬《ほお》から|顎《あご》にかけて刃物の|傷《きず》|痕《あと》があった。島の港について尋ねた時、板前は自分は神戸から来たのでそんなものは知らぬ、といった。その男の口調にも、どこか彼らに|挑《いど》むようなものが感じられた。男が何で神戸からこんな島へ来たのかをその時誰も尋ねはしなかったが。
「あの連中を島で雇っているのかね」
「いや、島じゃなし、汽船会社でしょ」
|暫《しばら》くし、荷役を待ちかねた男は艀の男に|質《ただ》し、彼らに指されすでに揚った荷物の中から気づかずに見過した自分あての荷を見つけ出し車に積んで帰っていった。自分の荷物について尋ねる時、男は彼らに向って急に|媚《こ》びるようなもののいい方をしていた。
上陸した客たちがタクシーや徒歩で入江から姿を消し、小さな荷物が運び去られた後、艀を|繋《つな》いだ後明日のトラックを待ってリフトで揚げられた大荷物に、男たちはアンペラをかけ出した。その作業の間、内田たちが船を着岸させ舫い直した。
人のいなくなった岸壁に、ヨットのマストのスプレッダーランプに照らし出されて、男たちと北見たちだけが残った。両方が|殆《ほとん》ど同じにそれぞれの仕事を終え、改めて相手を確かめるように向いあっていた。
「あんな風に、もう一度船を当てられたら黙っていられないがね」
感情を抑えているということを相手に悟らせるように、ゆっくりと、もう一度説くように北見がいった。
四人の男たちは、それに答える人間を選び直すように互いに眺め合っていた。北見の言葉を|棚《たな》|上《あ》げするように長い|間《ま》を置き、真ん中の男がゆっくり眉をひそめ笑って見せ、仰向いてポケットから|煙草《たばこ》をとり出す。そのままくわえたものに火をつけ、また突然顔を上げると、今度はゆっくり横を向き大仰な仕種で|点《とも》ったままのマッチを遠くの水に向って投げ捨てた。
「また、当るかも知れねえな」
一人ごつように男はいった。
「その時は」
|尚《なお》諭すようにいった北見へ、
「沈みはしないだろうがな」
斜め横を向いたまま男はいった。後の三人は、彼らの会話に|関《かか》わりないように、男の後でそれぞれ岸壁の下の水を|眺《なが》めている。黙っている三人のその仕種の方がもっとわざとらしかった。
「ということなら、明日にでも会社へ話をつけるよ」
「会社に」
驚いたように男は顔を戻し、北見を見つめた。促すように連れをふり返ると、本気で気の毒そうに首をふって見せる。
「会社は困るだろうぜ」
「なら、警察でもいい。この島にいなけりゃ、あの本船でどこからか来るだろう」
男は思い直したように正面から向き直り、昼間したように後手に指でつけたばかりの煙草を海へ|弾《はじ》いて捨てた。小さな火が弧を描いて水面に落ちるのを、北見たちは身構えながら眺めていた。
煙草を捨てた男は、体を沈めるようにして北見たちを一人一人眺め直した。後の三人も習うように向き直った。男たちの顔に、|陽《ひ》|焼《や》けに隠されていた|賤《いや》しく険しい影がはっきりとにじみ出ていた。ゆっくり身じろぎしながら、一番前の男は何かを試して図るように北見を見、すぐ横の内田を見た。笑って見せようとする男の顔に、その表情が隠し切れぬ|狡《こう》|猾《かつ》さと残忍さが入り混る潮のように|湧《わ》いて来るのを北見は見ていた。自分たちが今、今日のいつ以上に険しく露骨なものに向って|晒《さら》されているのを彼は感じていた。突然、何かを断ち切るように大きくしわぶきをし、斜め後にいた滝沢が一歩二歩、男たちを無視したように歩み出し、彼らの真横に立ち直した。
ちらとそれを確かめ、男は眉をひそめ北見にもう一度笑いかけた。険しさが消えた代りに、その|唇《くちびる》の端に狡猾さだけが浮いて見えた。
「な」
男の方が諭すようにいった。
「ここらでちゃらちゃらしてねえで、早く出ていけよ。何の用事か知らねえが、目障りなんだよ」
「そういういい方は、この|頃《ごろ》どこでも、神戸でも、この島でも通用しない筈だがね」
横でいった滝沢へ、男は笑おうとするように大きく口を開け、ふり返った。|脇《わき》が二本抜けた男の前歯は、獣の|牙《きば》のように見えた。
が、男たちは今までの出来事を無視したように、そのまま何もいわず岸壁を立ち去っていった。彼らは黙ってそれを見送った。岸壁へ降りる坂の上り口で、男たちがもう一度煙草のために点した小さな火が見えた。
それが消えた時、何かを探して確かめるように、みんなが空を仰いだ。月のない空に満天の星だった。一つ一つの星が、思いがけぬ間近さに見えた。星たちの明るさが、たった今の出来事を一層非現実的なものに感じさせた。辺りにはまた、今まで全く何もありはしなかったようなめいるような沈んだ静けさだけがあった。
「要するにひがみか、何なんだ」
訴えるように岩下がいったが、誰も答えなかった。
その夜、それから笹井と内田は町へ出かけていったのだ。
二人はそういったが、彼らを帰りの暗がりで襲ったものが男たちという確証はなかった。
翌日、笹井の腕は倍に|腫《は》れ上り、高熱が出た。医者に見せるまでもなく、腕は折れていた。島にまともな病院がないならば、本土なり他の島に彼を運ばなくてはならぬ。飛行機の飛んで来ぬこの島で、仮泊地の入江にいる彼らは、皮肉なことに今、島の外部に向って一番間近なところにいることになった。
これから先の旅程もあり、といって笹井一人を帰す訳にいかず、三人に合わせて無理に仕事を休んできた岩原が笹井を|看《み》|取《と》ってしかるべく病院に送りこんだ後帰京することになった。
飛行場のある最寄りの島までの船とそこからの飛行機の便を調べに船会社の代理事務所を訪ねた時、半ば予期したことだが、男たちの二人がいた。係りの女事務員が出した切符を、男の一人が途中で手にとってわざわざとり継いでさし出した。
「二枚でいいのかね」
他の人間にはわからぬが、なぶるような声であの男がいった。
黙って受けとる北見に、
「乗り遅れると、夜の十時まで船はねえよ」
重ねていいながら、男は昨夜したと同じように、|眉《まゆ》をひそめて笑って見せた。
タクシーがやって来ず、二十分ほどの道のりを歩いて帰った。今日も空は晴れ上り、北東の季節風がやや弱まり、|陽《ひ》|射《ざ》しは昨日よりも強くまぶしかった。|砂《さ》|糖《とう》|黍《きび》畑の間の乾き上った道を黙って歩きながら、北見も岩原もこの浮世離れした島にも尚、世間の邪悪な属性が、むしろ他の場所よりも一層はっきりと露骨に在るのを知らされた思いだった。そして|他所《よ そ》で以上に、自分たちが、それに対して腹だたしいほど無力でしかないことも。
砂糖黍畑の間の本道から道が車幅一杯の横道へそれた角の近くで、北見は辺りの砂糖黍が|不《ふ》|揃《ぞろ》いに折られ、地面に|血《けっ》|痕《こん》を|想《おも》わせる黒いしみのようなものを見つけた。しかし、この場所で男たちが笹井たちを襲ったかどうか確かめる|術《すべ》もない。そう思って眺めると、この場所だけではなく島中のいたるところに、彼らの予期しなかった、|得《え》|体《たい》の知れぬ悪意の|罠《わな》が在るような気がした。
「お前らはここをいつ出る」
案じたように岩原が聞いた。
「岩下の用事が済んだらな。結局、ここ以上のロケ地はないようだし、もう少し海が|凪《な》いだら、あの海峡の外海で潜って見ておきたいと彼もいってる」
「大丈夫かね」
|漠《ばく》|然《ぜん》と岩原はいった。
「何が」
「いや、岩下たちが今度ここで仕事をするとしたら、結局あいつらの|艀《はしけ》で機材を運ぶ訳だろう」
それが更に何を意味するのかを、いった岩原も北見もわからぬまま、二人は黙った。
「しかし、あいつらのためにそのまま|慌《あわ》ててここをおん出ていく訳にはいかないよ」
「ああいう|奴《やつ》らは結局まだ、都会の中に置いといた方が無難なのかも知れないな。確かに、人間の中にはああいう奴らがいるんだよな」
どう答えていいかわからず、岩原はいった。
入江の手前で、荷役の準備に向う男たちの車が|砂埃《すなぼこり》を巻いて二人を追い抜いていった。車は二十|米《メートル》ほど先で止り、今追い抜いた通行人を確かめ待つように|停《とま》っていたが、彼らが追いつく寸前で再びギアを鳴らし埃をたてて走り去った。
唇を|噛《か》んで立ちつくす北見へ岩原は何かいおうとしたが、結局あきらめたように同じように唇を噛み直し、先に歩き出した。
ヨットの|小船《テンダー》で笹井を本船へ渡そうとした北見を、規則を|楯《たて》に男たちは拒んだ。彼らにいわれるまま、笹井と岩原は他の乗船客と一緒に岸壁の荷役の横で渡しの番が来るのを待った。|濡《ぬ》らしたタオルを巻き腕を|吊《つ》った笹井は、待つ間、着換えを入れた小さなバッグの上に腰を下し、男たちの作業と反対側の水を黙ってうつ向いて眺めていた。その横で、岩原も、見送る北見たちも彼に何と声をかけていいかわからぬまま、黙ってそれぞれが入江のあちこちを眺めながら立ちつくしていた。男たちはそんな彼らに全く無関心げに作業をつづけていた。
しかし、男たちの無関心が装ったものであることは誰にも感じられた。内田が一人だけ残ったヨットに向って、男たちは今までのように艀を危うげに近づけて見せることをせずにいた。が、その無関心さの内にこめられた男たちの自負に、|苛《いら》だち、屈辱を感じはしても、それをどうしていいのかわからぬままみんなはただ黙ったままだった。
本船の出航|間《ま》|際《ぎわ》の、日にたった二度の岸壁のにぎわいの中で、笹井を囲んで彼らの立ちつくした一角だけに空白な静けさがあった。たまりかね、誰かが挑むように男たちを見つめ直しても、相手は出会った視線を感じなかったように横を向き、尚追いすがる視線を意識したように、その横顔で|嘲《あざ》|笑《わら》って見せた。
やがてしめやかに笹井が泣き出した。こみ上げて来るものを、それでも尚懸命にこらえようとするように肩を震わせながら泣いていた。そして、更にどうにも抑え切れぬ|嗚《お》|咽《えつ》が|喉《のど》からもれた。四人はそれを周囲へ隠そうとするように間を縮め彼の周りに立ち直したが、やがてその気配は他の乗客たちに伝り、男たちにも|覚《さと》られた。男の一人が仲間に彼らを|顎《あご》で促し、四人が見つめる前で、男たちは彼らに向ってはっきりと嘲笑って見せた。他の乗客から注がれる好奇の視線の中で、四人は足元で泣いている笹井に代ってそれを受けとめるようにして向い合い立っていた。
立ちながら、何かの幻覚に似て、立った足元の感覚が定かでなくなるような疎外感があった。言葉が通いながらも、自分たちだけが今この島で全く異邦な人間であるような気がした。真っ青な空の下で、澄みに澄んだ青い水とまばゆい白砂に囲まれながら、自分たち五人だけがこのすべてまばゆい明るさに晒され|嘖《さいな》まれている気持だった。同じ怒りと屈辱に嘖まれる仲間と共にいながら、それぞれの人間が一人きりだった。そして五人でいながら一人でしかない自分たちに、一人一人が切ないほど|焦《あせ》り、腹だたしかった。
周囲から注がれる|眼《め》と、射しかける陽の光と、それを映した水の明るさに向って、彼らは懸命に眼を閉じずにこらえつづけた。
本船からの最後の荷上げをすませた後、男たちは空船のまま乗客たちの前で一服つけ、もう一度乗客の眼を自分たちの|獲《え》|物《もの》に向って促すようにしげしげと岸壁の|隅《すみ》に立った彼らを眺めて見せた。
男たちは煙草一服の間処刑を楽しむと、乗客たちに乗船を促し、晒しものの笹井と岩原が最後に|廻《まわ》された。笹井は声をかけた北見の陰で艀に背を向けて涙を|拭《ぬぐ》い、うつ向いたまま乗り込んでいった。
艀が岸壁を離れる時、懸命に水だけを見つめている笹井の頭上で、|舵《かじ》を引く男は北見たちに向って、
「お前さんらはいつ帰るんだよ」
はっきりと脅すように叫んだ。
すでに|錨《いかり》を挙げた本船は、艀からの乗客を乗せると、艀が戻るよりも早く動き出し|岬《みさき》の|彼方《かなた》に姿を消した。
戻って艀を繋ぎ直した男たちと、彼らは岸壁の両端でまた向い合って立った。
なぶりながら確かめるように、男たちはいつまでも彼らを眺めていた。中の一人が嘲笑いながら進み出して近づこうとした時、年かさの昨夜彼らに向って話した男がそれをとどめた。その後、
「いつ帰るんだよ」
もうひとこと|捨《すて》|台詞《ぜりふ》のようにいい残すと、男たちは帰っていった。
「畜生」
滝沢がうめいた。
「ぶっ殺してやろうか」
「よせよ。どうにもなりゃしない」
「|何故《な ぜ》だ」
「そうだよ、結局、どうにもなりゃしない」
諭すように岩下がいった。
「|気狂《きちが》いならとにかく。奴らが神戸から流れて来たというなら、一層な」
「何故」
「俺たちは同じ都会から来ても、気ままに帰れる。奴らはそう簡単には帰れない事情があるんだろう」
「だから」
「|勿《もち》|論《ろん》、といって許せはしないが。でも、結局どうにもなりゃしないんだ」
内田がヨットの|艫《とも》のロープを延ばしながら、船を岸壁に近づけて来た。|人《ひと》|気《け》の無くなった入江に、また、彼ら四人だけが残った。
「|俺《おれ》たちはどうする」
滝沢が聞いた。
「お前の仕事はいいのか」
「いや、出来ればもう一日、あの東の岬の下でロケハンをしておきたい。風も少し凪いで来たしな」
「しかし危かないか。奴らがまた何を考えるかわかりはしないぞ」
「人一人の腕を折ってもか」
「俺も、今日中にすませて、夜にでも出た方がいいと思うな」
北見がいった。
「わかった。折角来たんだ、今日一日は仕事させてくれ。残った仕事はあの写真家と相談するよ」
「それはどうもよく解せん話ですな」
首を|傾《かし》げながら写真家はいった。
「島でも、時々|喧《けん》|嘩《か》ぐらいはありますがね」
「いや、それが、一方的に襲われたんです」
内田を顧みながら北見がいった。
「しかし島の人間がそんな」
「神戸から来た、元、組のものだと、隣の御主人がいいましたよ」
「組」
「なんでもね。島でも、前に何か起したらしい」
「ならば、私から駐在にいっておきましょうか。とにかく証拠もないことだしなあ」
「あの波止場が、連中の汽船会社のためだけのものじゃないということだけでもいわして下さい。その件じゃ、証人はこれだけいるんだから」
「わかりました。駐在にいって一度、入江の方にも廻ってもらいますから、今夜はここで夕飯を食べていらっしゃい。それに、あの水路は夜の出港は無理です。出るなら明日朝早くですな。一日あれば、|慶《け》|良《ら》|間《ま》までいけますよ。船には、夜の荷役までに帰ればいいでしょう」
夕飯後、北見は本土の自宅へ電話し、笹井を看取って帰った岩原からの伝言を家人から聞いた。
「矢っ張り、骨が折れていたそうです。三、四日入院しギブスをはめ、熱が収ったら帰れるそうです。一体何があったの」
家人はいった。
「何でもないよ。|一寸《ちょっと》した事故だ」
「本当に大丈夫なの」
「大丈夫だよ」
「無理はなさらないで」
「ああ、無理はしない」
北見はいった。
「事故をのぞいたら、旅行は楽しくって。笹井さんにはお気の毒だけれど」
「ああ、まあな」
「どこまでいらっしゃるの」
「まだわからない。しかし、とにかくここまで来るといろいろあるよ」
「何が」
「いや、いろいろ変っているよ、なにもかもな」
また島の強い酒が出、すすめられるまま三人は酔ったが、アルコールに弱い岩下が仕残した仕事の資料の作成を写真家に依頼するため、明日朝渡すメモを整理しにひと足先に船へ帰った。
|暫《しばら》くし、隣家の主人が、寄島する本船の到着が何かで遅れ十一時近くなりそうなので、揚げ荷をとりにいくための写真家のトラックを今の内に借りておきたいといって来た。
本船が遅れるならと写真家は引きとめたが、三人はタクシーを呼んでやがて家を出た。入江に着き岸壁の端まで来たがヨットに明りが見えない。念のため離して泊めておいた船へ渡る|小船《テンダー》は向うにいったままだった。
滝沢が岩下を呼んだ。
二度呼んだが返事がない。
「寝たのかな」
もう一度三人で声を|揃《そろ》えて呼んだ時、明りの|点《とも》らぬ船に人の気配があった。
「おうい」
呼んだ声に人影は|応《こた》えず動かずにいる。
「岩下、岩下だろ、大丈夫か」
叫んだ北見に、
「三人だけか」
忍びながら叫ぶような声が返った。
「そうだ、どうしたんだ」
「今いく」
明りをつけぬまま人影が動き、タラップを下りて小船を|漕《こ》ぎ出す。
岸壁に着いて三人を仰いだ岩下の顔は、それだけの作業に似ず一面の汗だった。
「寝ていたのか」
「いや」
|喘《あえ》ぐようにいった。
「どうかしたのか」
様子をうかがって尋ねた滝沢へ、
「とにかく船へ戻ってくれ」
何故か声を震わせながら岩下はいった。
ドッグハウスの階段の入口で、岩下が光の輪を|両掌《りょうて》で|遮《さえぎ》りながら照らし出した|船室《キャビン》の床に、男が一人斜めにうつ伏せに倒れていた。両手と足がシートロープで縛られ、男は眼の下と鼻から血を流して動かない。
「俺が、縛った」
乾いた口を手で拭いかけ、|慌《あわ》てて手元の明りを消しながら岩下はいった。
小船を漕いで船へ戻ろうとした時、人のいぬ|筈《はず》の船の窓に明りが揺れるのを見た。音を忍ばせて漕ぎ寄る内、船にもの音があった。水の上から|爪《つま》|先《さき》|立《だ》ちして|覗《のぞ》いたコックピットの閉じた筈のドッグハウスの|扉《とびら》がこじ開けられ、何かを|穿《うが》とうとするようにものを|叩《たた》く高い音が聞えた。船の中に誰か人がいた。船尾からはい上りコックピットを伝って覗き確かめようとした時、とりつけたままのレギュレーターからボンベを|繋《つな》ぐゴムパイプを切断された潜水用のボンベが足元に転がっていた。暗がりの中で彼は、刃物でたった今切られたゴムパイプの切り口を手さぐりで確かめた。今、船の中にいる誰か見知らぬ人間の意志がその瞬間に伝ってきた。
ボンベを両手でかかえドッグハウスに忍び寄った。|船室《キャビン》への階段のすぐ下で|蠢《うごめ》く人の気配と息づかいがあった。相手が作業のために手元に置いた懐中|電《でん》|燈《とう》の明りの中で、あの男たちの一人が今何をしようとしているかを彼は|覚《さと》ったのだ。男は持ち込んだハンマーとドライバーのような何かで、船底に穴を穿とうとしていた。
考える暇もなく、かかえていたボンベを男の頭に向って投げ落した。一度転がった男は、うめいて何か叫びながら立ち直り、ドッグハウスの階段を昇ろうとして来た。その顔に向って真正面から、もう一本のボンベを叩きつけた。男は転がり落ちエンジンケースの角に頭をぶつけて動かなくなった。相手が再び動き出すのを|怖《おそ》れて、彼は外して置かれてあったシートロープで男の手足を縛った。
「これを、見ろ」
怒りかおびえか激しく震える手で岩下は切断されたレギュレーターのパイプを彼らにつきつけるようにして叫んだ。
「こいつは、人殺しだ、人を殺そうとしたんだ。そうじゃないか、え、これをぶった切ることで」
叫びながら、彼は足元に転がった男の肩口を力一杯|蹴《け》った。
「俺を殺そうとしたんだ、この気狂いめ」
が、誰もその動作に気づかなかったように、眼の前に転がった男ばかりを見下していた。
思いがけなく|鉤《はり》にかかって引き上げられた大きな獲物のように、男は耳と鼻から血を流しもう全く動かずにそこにいた。こうして手に入った相手を|眺《なが》めながら、誰もがこの思いがけぬ出来事に対する自分の感情をまだ定かに|捉《とら》えられずにいた。小船を使わず船まで浅瀬を渡って泳ぎついたのだろう、男の全身は|濡《ぬ》れていた。濡れた短い髪や、身につけた|半《はん》|袖《そで》のシャツと短いズボンからまだ水をしたたらせながら、横へ顔をねじ曲げるようにしてつっ伏した男の浅黒い横顔は、ふとあどけないほどに見えた。
「畜生」
突然、内田が叫んで男の腹を蹴った。
「そうなんだ、間違いなくこいつらなんだ」
それに答えようとするように男がかすかにうめいた。
「ウェスを寄こせ、何か」
北見がいった。捜しかける他の連中よりも早く、北見は誰かが|流し《ギャレイ》の上の手すりにかけた小さなタオルをとると二つに裂き、丸めた片方を殴りつけるようにして押し開けた男の口に押し込んだ。その作業のために一層ねじ上げられこじ開けられた男の口は、|釣《つ》り上げられ鉤を外すために開けられた魚の口の表情に似て見えた。詰めものをする時、男はまたうめいた。滝沢が手を貸し、残った片方で北見は男に|猿轡《さるぐつわ》をし終えた。
「本船は遅れているが、その内、|奴《やつ》らが来る」
いいながら北見は男の顔を蹴った。男の顔は、それを避けるようにまたうつ伏せになった。
「こいつがここにいるのを気づかせちゃならない」
蹴った相手へかがみ込み、北見は肩に手をかけると男の体を仰向けにひっくり|覆《かえ》した。縛られた両手を背に、男はそったような姿勢で、彼らに向き直った。
「こいつは、大きな方の|艀《はしけ》にいた相棒だな」
爪先でまだ流れている男の鼻血を|拭《ぬぐ》ってその肩口にこすりつけ、顔を確かめながら滝沢がいった。
「|舵《かじ》を引いてた奴に似ちゃいないか」
「そういえば似てるな。兄弟か」
急にはしゃいだ声で岩下がいった。
「いや、どいつも同じ顔をしてやがる。猿の遊星だよ、全く。|気狂《きちが》い猿のな」
いいながら北見がもう一度その顔を蹴った。
「あいつが|旨《うま》く当らなけりゃ、俺が殺されたんだ」
床に転がったボンベを指しながら岩下はいい、息をこらえるようにして力まかせに男の|股《また》を蹴った。|頷《うなず》き返しながら滝沢がさらに蹴りつけた。北見が見返すと、内田はもう一度さっきと同じ腹の辺りを蹴った。四人は黙ったまま、ただ喘ぎながら交替に男の体中を蹴りつづけた。
それはふと、何かの映画で見た、釣り上げた大きな|鮫《さめ》の息の根を止めるために漁師たちが甲板に横たわった鮫を交替でハンマーで殴りつける作業を思い出させた。
が、彼らのはいたゴム底の|甲板《デ ッ キ》シューズが当る度、男の体は思いがけぬほど柔かく|反《はん》|撥《ぱつ》し、その度狭い床の上に転がった体は不安定に揺れた。
「余り手応えがありそうもないな」
いまいましそうに滝沢がいった。
「そりゃボンベにはかなわない。見ろよ、こいつの鼻が折れてるぜ」
北見が爪先で、支えを|喪《うしな》って右へ傾いて戻らぬ男の鼻を突き起しながらいった。
男は突然大きく|痙《けい》|攣《れん》し、猿轡の下で鈍くうめいた。
「見ろよ、|眼《め》を|醒《さ》ました」
滝沢が爪先でこめかみを突つくと、何かの緊張が解けたように、閉じたまま小さく痙攣した男の|眼《ま》|蓋《ぶた》がはがれたように薄く開いた。
「こいつ、どこにいるつもりでいるのかな」
促すように相変らずこめかみを小さく蹴りながら滝沢がいった。
「こいつも思いがけなかろうが、俺たちも思いがけないよ、全く」
おびえたように、それでも知覚の戻りかかる男の眼を待ちうけ見つめながら岩下がいった。
息を吹き返した男は、意識が半ばしか戻らぬまま、猿轡の下で大きく喘いだ。戻った呼吸が苦しく、鼻血で詰った鼻を鳴らしながら男は必死で呼吸を取り戻そうとしている。新しい血が|鼻《び》|腔《こう》から流れ、それで呼吸が抜けたのか、男は大きく胸を波だたせて呼吸を回復し、それにつれて意識が戻った。
意識の戻った眼で|瞬《まばた》きしながら、男は自分を見下している人間たちの顔を初めは|漠《ばく》|然《ぜん》と、やがて一人一人確かめるように仰ぎ見た。岩下、北見、そして内田と見つめた時、突然、男は出来事を悟ったように猿轡の下で口を|歪《ゆが》めて叫ぼうとし、その顔に初めて恐怖の表情が|湧《わ》き上った。
突然、内田が声をたてて笑い出した。
「この野郎、この野郎が」
叫びながらもう一度、彼は男の腹を蹴りつけた。
意識の戻る前、手応えないほど柔かかった男の体に緊張が走って、男はうめきながら蹴られた個所をかばうように身をよじらせた。気を喪っている間の、子供っぽいような表情は消え、今男の顔の上には、彼らが昨日今日の仕打ちの中で感じた、|凶《まが》|々《まが》しさとずるさと|賤《いや》しさのすべてが入り混り、その顔を歪めていた。
「こんな|靴《くつ》じゃ効きやしねぇんだ」
かがんだ内田は、男が持ち込んだハンマーをとり上げ、
「こいつは笹井の分だ」
泣いたような声で叫ぶとふりかざしたものを男の|上膊《じょうはく》に打ち下した。決して早くはないその動作を、止める者がないまま、みんなが息を詰めて見守っていた。|狙《ねら》いを|僅《わず》かに外れた鉄の|槌《つち》は男の|肋《ろっ》|骨《こつ》に当って鈍く跳ね、ロープで縛り合わされた胸と腕の間に|停《とま》った。ゴム底の靴の及ばぬ衝撃が男の体中に伝わるのが見えた。一杯に見開いた眼の視線が乱れ、男はまた意識を喪いかける。それをこらえさすように、爪先で逆の肩口をゆすりながら、
「太目のガムテープを出せよ」
滝沢がいった。
「とにかく、奴らが来て帰るまでこいつを隠しとかなきゃならない」
「どこへ隠す」
岩下が聞いた。
「この船しかあるまい。奴らを絶対に船へ上げないようにするんだ。いざという時は水中銃を使ってもいい。不法侵入だからな」
北見がいった。
「ただ|挑発《ちょうはつ》はするな。明日の朝、|尻尾《し っ ぽ》を巻いて一番で逃げ出すように見せるんだ」
轡を解き、眼と口にガムテープを重ねて張りつけ二重に縛り直した男の体を、水路と逆側の船尾のクォーターバースの下の物入れに寝かせて押し込んだ。
「しかし、奴らをやり過した後、こいつをどうする気だ」
岩下がいった。
「どうするって、今奴らに見せちゃ」
「だからその後、放すのか」
「じゃ、放さずにすむのか」
北見が聞き返し、みんなが黙った。
「とにかく、この島じゃ|駄《だ》|目《め》だな。本島なり、本土なりちゃんとした警察のあるところじゃなけりゃ。俺たちに突き出されても、こいつにいい分はない筈だぜ」
半時間ほどして男たちは波止場にやって来た。
「タケよ。いねえのか」
船まで聞えるように男たちが呼んでいた。
その声で気づいたように北見と滝沢が表へ出た。
岸壁の端で男たちは、船に現れた人影の数を確かめるように|一寸《ちょっと》の間船を眺め、そのまま|踵《きびす》を返していった。
「タケというのか奴は」
つぶやいた滝沢に、
「何でもいいよ」
うんざりしたように北見がいった。
更に半時間ほどして本船が着き、遅れた夜の荷役を男たちは手を一人欠いたまま始め出した。
いつものように、北見たちは表へ出て彼らの仕事を見守ったが、往復に何度か艀を接近させはしても、男たちのやり方は今までの|際《きわ》どさとは違っていた。彼らを脅すというより、接近のついでに、いなくなった仲間の所在を確かめるような気配があった。
何度目かに彼らが近づいた時、フェンダーをかざして身構えるふりをしながら、
「|俺《おれ》たちは明日朝出ていくよ」
あきらめて、どこかでおもねるように北見がいった。
何かいおうとしたが、結局黙ったまま男たちはもう一度確かめるように、彼らをというより、船全体を見渡して離れていった。タケの不在をどうとっているかは知らぬが、その眼つきの中に、ヨットがこうして今も浮いていることへの不本意さがありありと感じられた。
真夜中近くすべての仕事が終った時、男たちは|何故《な ぜ》かそのまま立ち去らず岸壁に立って何か話し合っていた。彼らは全員が船の中に姿を隠し窓からそれを見守った。荷役の間中よりも、息苦しい緊張があった。やがて男たちはいつものように|煙草《たばこ》をつけ、今夜は何故かそれを岸壁に立ったまま吸いつくし、やがてあきらめたように水に捨てるとようやく立ち去っていった。
「行きやがった」
窓に顔を押しつけ眺めていた岩下がいった。
「明日、出来るだけ早く出よう。あの写真家には|他所《よ そ》から電話して|挨《あい》|拶《さつ》するよ」
「今夜は念のため外じゃなし、内側で一人ずつ|夜番《ウォッチ》をたてた方がいい。奴らがタケを島中捜しても、そうたいした時間はかからんだろうからな」
滝沢がいった。
張り番の順を決めて寝たが、結局誰もよく|睡《ねむ》れなかった。明りを消した|船室《キャビン》の|寝台《バース》で眼をつむっても、ドッグハウスにもたれて起きている仲間の気配と、そしてもう一つ、クォーターバースの下に|収《しま》ったものの、相手が身動き出来ぬながら、歴然とした存在感が伝って来た。
三時過ぎた|頃《ころ》、内田と代って起きた北見に、
「今何時だ」
最初にウオッチをした筈の滝沢が聞いた。
「夜が明け次第出ていった方がいいと思うな。奴らが、艀か何かで追いかけて来ないとも限らない。タケの行方が知れなけりゃ、後はこの船しかないからな」
「しかしどこへいく」
奥の|寝台《バース》から岩下がいった。
「奴を手こずらずに|放《ほう》り上げられるところだな」
「だからどこがいいと思う」
「わからん。が、奴や他の連中とも、これ切りになれるところにな」
「入江を出て南へいくのか北か、|錨《アンカー》を上げる前に決めてもらいたいな」
北見がいった。
「いっそ、あの男に、どこの警察へつき出してもらいたいか聞いてやったらどうだ」
岩下がいった。
「時に、あいつは大丈夫だろうな」
男を収った向いのクォーターバースを|這《は》い出しながら滝沢がいった。
「さっきまでうめいてるような気がしたが、静かになったぜ。もし奴らが船まで捜しに来たら、エンジンをかけてやるつもりでいたんだが」
滝沢は腰をかがめて這っていき、男を収った|寝台《バース》の上に置いた荷物を崩すようにして放り出した。
「おい、明りをくれ」
やがてひそめた声で滝沢がいった。
「全然動かないぞ」
にじり寄った岩下のかざす小さな|灯《ひ》の下で、滝沢は男の体を固定して|両脇《りょうわき》に詰めこんだシートや小さな|帆《セイル》を引き出し、掘り出すようにして男の上半身を抱き上げた。細長い寝台の下から引ずり出された男は、何かの都合で|棺《ひつぎ》の中からもう一度引き出された|屍《し》|体《たい》のように見えた。
「おい、動かないぞ」
他に隠して、間近にいる岩下だけに伝えるように、低い乾いた声で滝沢はいった。
「眼を、照らして見ろ」
懐中|電《でん》|燈《とう》を近づけながら岩下が|囁《ささや》き返した。
明りの下で、滝沢が男の右眼の|眼《ま》|蓋《ぶた》を押し開いた。深夜の海の中で、水中ランプに照らし出されたヒトデかイソギンチャクのように、それ一個だけでひどく動物的な眼球が、目じろぎせずに二人を見上げていた。
「どうだ」
ドッグハウスの階段の向うから北見が尋ねた。
「全然動かない」
「|瞳《どう》|孔《こう》が開いてるのか」
「よくわからない。が、とにかく全然動かない」
しわがれた声で滝沢がいった。
「ひょっとすると、こいつは」
明りが消え、|闇《やみ》の中で滝沢がかかえていたものを放り出す、鈍く重いもの音があった。
|固《かた》|唾《ず》を|呑《の》んで待つ北見と内田の前へ、|船尾《スターン》の真っ暗闇から二人が這い出して来た。
「|奴《やつ》は、死んだよ、多分」
外をはばかるように、小さな、囁くような声で滝沢はいった。
「死んでるよ」
「何で」
「何でだって」
暗がりの中でいき交う視線をそれぞれが感じていた。こらえかねたように岩下がしわぶきし、誰かが何かをいい出そうとするのを抑えるように、
「わかった、死んだんだな。本当に」
北見がいった。
「俺が、やっちゃったんだ」
悲鳴のように口走った内田へ、
「いや俺が、ボンベを上からぶつけたんだ。最初に」
|喘《あえ》ぐように岩下がいった。
「つまらんことをいうな。こいつが死んだのは|自《じ》|業《ごう》|自《じ》|得《とく》だ」
抑えるように滝沢がいった。
「そうだ、お前たち|馬《ば》|鹿《か》なことをいうなよ」
かぶせるように北見がいった。
長い沈黙の後、
「どうする」
誰かと誰かが同時にいった。
「捨てるんだな、海の中へ、それしかない。むしろ、こいつを生きて陸上げするよりそっちの方が簡単だぜ」
みんなを説き伏せ、何かに向って駆り出すように素早い口調で北見がいった。
「いいか、俺たちが力を合わせりゃ、こいつを|旨《うま》く切り抜けることが出来る|筈《はず》だ。何か考える前に覚えておいてくれ、何よりも第一に、こいつは俺たちにとって災難だということをな」
闇の中でみんなの|頷《うなず》く気配があった。
「それにもし、こいつを陸まで持って上ったとしても、俺たちのいい分は、そのまま絶対に通りはしないだろう」
「もし笹井がいたら、片腕でもあいつが奴を殺したろう」
「余計なことをいうな。奴を|殺《や》ったのは俺たち四人だ。殺らなきゃ、俺たちが殺られていたんだからな」
「そうだ、それでいい。いや、その通りだよ」
しめくくるように滝沢がいった。
入江を囲む|断《だん》|崖《がい》が見え出した頃、船は|錨《いかり》を上げて|環礁《かんしょう》を出た。海は完全に|凪《な》いでい、やがての南西風を示す雲が遠く南の空にあった。北見は東北東に、全速で船を駆った。このコースで二百|哩《マイル》進めば、完全に本土へ向う本船航路から外れ、東進する黒潮の分流を|捉《とら》えることが出来る。その辺りで海へ投じたものを、潮が更に遠くへ運び去る前に、多分辺りに群がる魚たちが始末する筈だった。
やがて|陽《ひ》が昇った。船は|殆《ほとん》ど太陽に向ってまっしぐらに走った。
|暫《しばら》くして、
「おい見ろよ」
|舵輪《ラ ッ ト》を握った北見に滝沢が真後を指していった。
船の|曳《ひ》く白い航跡の|彼方《かなた》に、若い太陽に映える島が見えた。|藍《らん》|碧《ぺき》の水の彼方に、相変らず抜けるように青い西の空を背に、遠く離れて|眺《なが》めればみずみずしいほどの緑と、写真家に案内されて見た東岸の環礁の内側の白く長い砂浜がくっきりと浮び上って見えた。|艫《とも》から真っ直ぐに引いた船の航跡は、島のはるか手前で消えている。そのずっと彼方の凪いで|繁《し》|吹《ぶ》きの収った海の上に、背低くながらも、島はまだ立体を感じさせる確かな姿で|眼《め》に映った。
それは北見や滝沢が今まで海の上で眺めたどの島の印象よりも|可《か》|憐《れん》で美しく、平穏だった。そして、その印象は幾度確かめ眺め直しても、やはり非現実的だった。
今改めて島を望みながら、自分が何を感じていいのかわからぬまま、精巧で美しいおきもののような島のたたずまいに四人は長い間見入っていた。
ふり切るように|舵輪《ラ ッ ト》に向い直した北見の横で、
「畜生め」ドッグハウスの屋根に|頬《ほお》|杖《づえ》して|尚《なお》も見入りながら、滝沢がいった。
島が他の島々と同じ影になってかすみ出した頃、何|隻《せき》かの本船を見た。その度、北見は注意深く進路を変え、北へ向うように見せた。
昼すぎ、予期した通り南西の風が吹き始めた。海へ投じる荷物を願った方向に運び去るのに絶好な条件が|揃《そろ》った。風をはらみ船に速度を増した白い帆を見上げながら、ようやく誰もが出来事に|馴《な》れようとしている自分を感じた。ある安息が|蘇《よみがえ》った。あの出来事は、島とともに、今確かに決定的に遠ざかりつつあった。
二時近く、岩下が斜め前方に、波に乗って泳ぐ大きな|海《うみ》|亀《がめ》を見つけた。北見が|舵《かじ》を切って船の進路を落し、さし出したワイアの大網にすくい残りの三人がかりで|獲《え》|物《もの》を引き上げた。|甲《こう》|羅《ら》の直径が一|米《メートル》に近い大海亀だった。亀は海草のとりついた濃い|茶褐色《ちゃかっしょく》の甲羅の下から、|艶《つや》がかった茶と乳色のはだらな首と|手《て》|肢《あし》をばたつかせていたが、やがてあきらめたようにコックピットの|隅《すみ》でうずくまり、時折何かの加減で狭い床を横切って隅から隅に歩くようになった。
予期せぬ新来に、最年少の内田が一番はしゃいで見えた。内田は一人一人に、言い訳するように、この亀の持って来た縁起を説いて|廻《まわ》った。
確かに生きたまま間近に眺める見馴れぬ生物は、動きが鈍いだけにかえってある確かな生命力を感じさせた。その印象が、彼らにとって、何故か眼にしみるように新鮮だった。その甲羅の精巧な模様は、眺めれば眺めるほど微細で複雑な濃淡で眼に映り、それ自体が何か一つの小さな宇宙を示すような気さえする。
「確かに|釣《つ》り上げてすぐに色の変ってくたばるシイラなんぞより、縁起がいい感じだよな」
いった滝沢へ、
「|俺《おれ》、こいつを会社の港の中で飼いますよ」
内田はいった。
四時前、船のログは二百哩を越えた。予期した通りに水温が上って来、船が想定した条件の水域に入ったことは確かだった。双眼鏡で確かめた周囲の海に他の船の影もない。
「すませよう。それで|総《すべ》て終りにするんだ」
北見がかけた声に、忘れていたものを思い出したようにみんなは互いを見つめ合った。
「総てな」
岩下が|反《はん》|芻《すう》するようにいった。
三人して船底から引き出したものをコックピットに転がし、手足に巻いたシートを外した時、たった今別れようとしている相手を眺めながら、不思議なほどおびえも怒りもなく、ただうとましさだけがあった。
「本当にこれで終りという訳だ。こいつの名前も知らずにいられりゃもっとありがたかったような気がするがな」
つぶやくように滝沢がいった。
「それはどういうことだ」
岩下が聞いた。
「俺たちは、あの島でただ、こんな人間に会ったということだけでさ」
「こいつは本当に、あの一番頭みたいだった奴の弟だったのかね」
「もう余計なことはいうな。そうとしても、それが何なんだ。俺たちはただこいつに出食わしただけなんだ。それだけのことだよ。それ以外のことを考える必要がどうしてある。奴らも俺たちについて同じようにしか考えやしなかった筈だ」
抑えるように北見がいった。|一寸《ちょっと》の間沈黙の後、
「全くなあ、とんだ出っ食わしだよ。こいつが、ここで底に穴を開けようとしているのを見た時は――」
いいながら、もう一度確かめるように岩下は男の胸に足をかけゆっくりと踏みつけた。が、次の瞬間彼は悲鳴を挙げて飛びすさった。
「生きてる」
昨夜、三人を船へ迎え入れた時のように喘ぎながら彼はいった。
「生きてるって」
「今、今確かに自分で動いた」
「確かか」
急いで足元のシートロープを拾い直した滝沢が叫んだ。
「確かに、動いた」
「よし」
内田を促し解いたばかりの両足を縛り直すと、滝沢は立ち上り、確かめるように男の肩口を|蹴《け》った。
そして、男は見守る四人の前で、やがてかすかに動いた。
「水を|汲《く》め」
いいながら滝沢は残ったロープを結び直すと、輪をつくり男の首にかけ縮めながらその端を両手に持った。
「頭からかけろ」
いわれるまま、汲み上げたバケツの海水を内田が男の顔に浴びせた。かすかな、しかし確かな|痙《けい》|攣《れん》が男の全身に走り、やがて男はゆっくり大きく喘ぐと、次の痙攣の反射に口から半ば血の混った何かを吐いた。
流れた水の|溜《たま》り口で、突然蘇りかけた何かを受信したように、海亀が大きく一歩動いた。
「もう一杯」
いわれるまま、内田は新しい海水を汲み、男の顔から胸元へかけた。
今起りつつあるものが何であるかを理解出来ぬまま、四人はただその出来事を確かめようと、すくんでよろめきかける自分をようやく支えながら足元に在るものを見下していた。
信じられぬものが蘇りつつあった。そしてそれを促し、見守るものにも伝えようとするように、男の足元で海亀が手肢で床を打ちながら|蠢《うごめ》いた。
更に大きな痙攣が走り、更に息苦しげに男は喘いだ。|柩《ひつぎ》の中から蘇りつつあるものがそこに在った。
コックピットの背高いコーミングに張りつき身じろぎせぬまま、甲高い声で岩下は何か叫んだ。そして、その声に呼び|醒《さま》されたように、男の右眼が、次いで左眼が開いた。視点の定まらぬ眼で、まぶし気に宙を捜しながら、男はゆっくりと喘ぎ、また血を吐いた。
空をさ迷っていた視線が、一番間近で、男の首に巻いたロープを握った滝沢を捉えた。男の顔が蹴られた時のように|歪《ゆが》み、気管のどこかが破れたような、ひび割れ押しつぶされた声で、が、はっきりと、
「ぶっ、殺して、やる」
男はいった。
その眼が滝沢から外れ、宙に|停《とま》り、一度ゆっくり|瞬《まばた》きした後、男の眼は宙を見上げたまま動かなかった。
「何だって、何といった、え」
北見が聞いた。
「ぶっ殺してやる――」
内田がうめくようにいった瞬間、岩下は何か叫ぶと男に向って進みかかり、急にまた背を向けると、叫びながら、両手で激しくコーミングを|叩《たた》きつけた。その後両手に額を押しつけ、
「畜生、何で、何だって――」
泣きじゃくりながら彼はいった。
知らぬ間、|逆帆《アバック》していた船に気づいて北見が舵を切り直し、機関の速度を落した船は、震動をゆるめ斜めに追風を受けながら、波に乗って再びゆるく進み出した。機関の音が落ちた船の上に突然の静寂があった。そして誰しもが、その静けさに覚えがあった。
「どうするんだ」
顔をしかめたまま、つぶやくように岩下がいった。
ひとしきり風と波の音に誰もが聞き耳をたてるように沈黙があった。やがて、
「どうにかするのさ」
つぶやくようにいい返した北見を、滝沢が見返した。はたの岩下と内田を忘れたように、一寸の間、二人は互いに見つめ合っていた。
手にしたロープをたぐり直しながら、
「俺たちはこいつを殺したが、殺し切れてなかったのさ」
滝沢がいった。
「やることの順序が、一寸狂っただけなんだ。なあ」
北見が頷いた。
「そうとしか考えようがないだろ、違うか」
ただ見返すだけの岩下へ、確かめるように滝沢はいった。
「この前はお前が最初にやったが、今度は俺がやるよ。けど、後にまた前と同じように、みんながやるんだ。わかったな。いっておくが、俺は必ずそうしろといってるんじゃないぞ、しかしだ」
いった後、滝沢は手にしたロープを力一杯引いた。かけられた輪は首をしめつけず、|弾《はず》みに斜めに|顎《あご》にかかって男の頭がのけぞった。それでも男は宙を見上げたまま動かなかった。
「これを持ってろ」
手の内のロープを内田に渡すと、滝沢はかがみ込みコックピットの木製のケースに刺されたウィンチハンドルをとり上げて見せた。
「二度ずつ、二回、いや、何回でもやるんだ。みんながこれでいいと思うまでな」
みんな黙って彼が手にしたものを見、そしてその足元に首にロープを巻かれて転がったものを見下し直した。
もう一度、念を押すように手にしたものをみんなへつき出すと、彼はゆっくり|片《かた》|膝《ひざ》つき、握りしめた硬い|扁《へん》|平《ぺい》な|鋼《はがね》の棒を男に向って示すようにふりかざし、|狙《ねら》いをつけるように頭上で間をとると、次の瞬間、男の額の正面へふり下した。柔かい頭皮を|挟《はさ》んで、硬い何かがより硬いものに打ち砕かれる鈍くこもった音があった。
「次はどこだ」
うつむいたまま彼はつぶやくと、もう一度かざしたものを、ふり下す途中にひねりながら男の耳のつけ根を打ち|据《す》えた。
「さ、次だ」
いいながら立ち上り、相手を探すように見廻すと、間近な内田を過ぎて招くように手にしたもので岩下を指した。
何かを|呑《の》み込むように頷くと、よろける足を踏みしめながら岩下は滝沢と向い合った。
「お前は、結局どうにもなりゃしないといったが、これでどうにかなるぜ」
諭すようにいった滝沢へ、彼は小刻みに二度三度頷くと、半ば夢見るような目つきで|微笑《ほほえ》みながらさし出されたものを手にとった。
相手にほどこす儀式の場所を少しずつずらして全身に及ぼそうとでもするように、滝沢に次いで彼は男の首を、二度目はその更に下の肩口を打ち据えた。二度目の衝撃で、男の鎖骨が乾いた音をたてて折れるのがわかった。こみ上げて来る吐き気を岩下は懸命にこらえた。
「|馬《ば》|鹿《か》な|奴《やつ》だ、馬鹿な」
身を起し|跨《また》いだ足元の男を見下しながら吐き出すように彼はいった。
内田は自らすすんで岩下の手にしたものを受けとり、務めを終えると、舵を代りに北見へ近づいていった。
流れる雲が陽をかすめて過ぎ、一瞬、見下した男の顔が|翳《かげ》り、翳った後その|肌《はだ》はまた蘇ったように明るく輝いた。その輝きを断ち切るように北見は|渾《こん》|身《しん》の力で男の胸元を打ち据えた。そしてまた、男の顔の上で|陽《ひ》が翳った。
北見の後、
「もう一度同じ順でだ」
滝沢が代りながらいった。
いつの間にか男の眼は閉じ、加えられる一撃一撃で男の体がいびつに歪んでいくのが眼に見えてわかった。
二度目の時、最早完全にこと切れたとわかる相手に向って手を下しながら、一撃の手触りでそれを確かめ、二撃をふり上げた時、滝沢は突然、自分が何かを突き破り、今はどこかに向って極みなく浮上するような感慨に襲われた。ふり下す二撃の瞬間、彼はすでに動かぬ男の|屍《し》|体《たい》ではなく、あの島で味わったすべてのことがらの思い出をようやく打ち砕くことが出来たような気がした。手を引き戻しながら、その感慨に名残り惜しささえあった。三度目の代りに、彼は手にしたものの先で、折れ曲り新しい血を流している男の鼻を乱暴に|矯正《きょうせい》して見た。
岩下は前回に比べ、手にしたものを安らいだ顔でふり上げ、三度つづけて男の胸に向ってふり下した。し終えた後やっと気づいたように、手にしたものをしげしげ見直すと、次に待った内田と北見に向って彼は微笑みかけた。
「不思議だな。俺たちどうしてこうなれるんだろう」
「そうじゃない、こいつが俺たちをこうしちまったんだ」
いった北見へ、
「いや、そうじゃない、いやそうなのかな」
小首を|傾《かし》げながら彼は|頷《うなず》いて見せた。
「とにかくそうしていると自分で自分を一番内っ側からむいてひっくり|覆《かえ》したような気がする。これでようやく俺の方が生き返れたような、な」
自分の番を終えた後、
「これでもういいんじゃないか」
道具を手にしたまま北見は滝沢へふり返った。
「どうだ」
さらにみんなへ|質《ただ》した滝沢へ、
「ああ、もう充分だ。間違いない」
ひどく冷静に岩下がいった。
三人の見守る前で、北見は手にしたものを海へ投げ込んだ。
滝沢が首に巻いたロープを外し、内田が足のいましめを解いた。
「このシートはどうする」
「汚れていたら捨ててくれ」
北見がいった。
間違いなく屍体となった男は、すっかり顔形を変え、彼の人生の最後の、前見た以上に、まだあどけないほどの表情で|虚《うつ》ろに口を開いて転がっていた。
誰が合図をするともなく、四人はもう一度それぞれ互いに頷き合った。その後みんなひどく疲れ、誰ももう何もいわなかった。男の足元でそれまで作業の間中|殆《ほとん》ど動かなくなっていた|海《うみ》|亀《がめ》が、急に何かを|覚《さと》り直したように|手《て》|肢《あし》をばたつかせた時、内田までがうとましそうにそれを|眺《なが》めた。
そんなみんなをせきたてるように、
「さ、そいつを始末してくれ。その後、何度もここを洗うんだ。それで総て終りだよ。日が暮れぬ内にするんだ」
北見がいった。
いわれるまま滝沢が内田を促し、男の体に手をかけようとした時、
「|一寸《ちょっと》待て。こいつを一緒に始末してやる」
岩下が海亀を指していった。
「逃がすのか」
「いや、そいつと一緒にここで血を流していた方が、何かの時に都合いいんじゃないか」
「そんな必要があると思うのか」
聞き返した滝沢に、
「|俺《おれ》たちは随分念を入れた|筈《はず》だぜ。二度も。いや、合計三度だよ」
質すようにふり返った岩下へ、北見は微笑し、はっきりと頷いて見せた。
「それに、海の中で一緒に流す血の多い方がいい。こいつの仲間はここらにうろうろ沢山いる筈だ。その方がすぐに伝ってよくわかるよ」
「なるほど専門的な御忠告だな。で、誰がやる」
尋ねた滝沢に答えず、
「|海《シー》ナイフをくれ」
岩下は内田に向って手をのばした。
「でも、その亀は」
おびえたようにいう内田へ、
「俺たちは、人間を|殺《や》ったんだぜ」
微笑しながら諭すように岩下はいった。
滝沢と二人がかりでひっくり覆した亀の|喉《のど》|笛《ぶえ》にナイフを刺すと、岩下は両方の|頸《けい》動脈を|掻《か》き切った。
内田はおびえたようにキャビンの屋根まで身をすさらせ、その作業だけは一切手伝おうとはしなかった。
男が新しく流した血に混って、亀の首から信じられぬほど沢山の血が流れた。
「これで、しないよりはいい」
いいながら岩下は、海亀の|甲《こう》|羅《ら》に十文字にかけたロープの端を、|一《いっ》|旦《たん》、男の足首に|繋《つな》いだが思い直し、腰のくびれ目に巻き直した。
岩下と滝沢が男を持ち上げ、並んで内田に海亀を抱かせようとしたが内田は|何故《な ぜ》かそれを拒んで北見と|舵《かじ》を代り、北見が二人に手を貸した。
充分に砕かれた男の体は|手《て》|応《ごた》えなく柔かく重く、血に|濡《ぬ》れた海亀の甲羅も手に滑って扱いにくく、三人は最後の作業で今までのいつよりも|喘《あえ》いだ。
|船尾《スターン》の高いコーミングまで男を押し上げ、亀をその上に重ねると、三人が合図し合って繋ぎ合った二つの屍体を水中へ突き落した。
白い繁吹きの中に、亀が流しつづける血潮が淡く|染《し》んで|拡《ひろ》がり、次の瞬間浮き上った二つはもう|呆《あっ》|気《け》ないほど後の彼方にあった。機関のアクセルを挙げ、北見は内田に命じて舵を切り船を|廻《まわ》して今水中へ捨てたものにもう一度後から追いすがった。
追い風にうねり出し、ところどころ白く砕け始めた|蒼《あお》く|巨《おお》きなうねりに乗るようにロープで繋ぎ合わされた男と亀がゆっくりと彼らが目指した方角に漂っていくのがわかった。
空を映して青く澄んだ水と白いはだらな波頭の間に漂う人間と海亀の姿は、広い海の中に出来た異形な一点のしみのように見えた。海亀の屍体が重く沈み、その重さを繋がれたロープで腰に受けた男は、体をうつ伏せのままのけぞるようにくびれさせ、かすかに横に傾いて流れていった。
その風上で船を流し帆走しながら、コックピットを洗い流す間中、時折、彼らは|眼《め》で間近な海の中を漂うものを確かめて見た。
しかし見る度、それは段々に彼らにとって、今その手から離れて|関《かか》わり薄いものにしか感じられなくなった。
陽が沈み、頭上に夕映えを残して|黄昏《たそがれ》が海を|覆《おお》い出した|頃《ころ》、船に残された最後の作業も終った。
床洗いのモップとバケツを仕舞う彼らに、ようやく薄暗くなった海面にまだ漂いつつあるものを指して示す北見へ、
「もういいんじゃないか」
滝沢が促すようにいった。
最後に|舷《げん》|側《そく》間近く、殆ど接するように漂うものを眺め終えて船が加速し走り去ってから間もなく、|夕《ゆう》|闇《やみ》が海を覆いつくした。
闇の中で、機関の重い震動の内に、次第に強まった風がステイを鳴らす音が急に|蘇《よみがえ》ったように耳に伝って来た。四人は今聞えて来るもの音の他の何かに耳を澄ますようにいつまでも黙ったままでいた。
何故かふと誰にとっても、これから|還《かえ》っていく船旅が果なくきりのないものに思われた。
「これでひと晩明けりゃな」
やがてつぶやくように滝沢がいった。
「そうさ、ひと晩明けりゃ」
北見がくり返した。
「明日になりゃ何なんだ」
|咎《とが》めながらすがるように岩下がいった。
「明日になりゃ。生き返ったようになるよ」
「生き返る。誰が」
「俺たちがさ」
「俺はとっくに、さっきあれをやった時、生き返ったような気分だよ」
「本当か」
「本当だよ」
|抗《あら》がうように岩下はいった。
「それなら結構だ」
北見はいった。
「とにかく、ひと晩明けて明日になりゃ、何もかも変るよ」
この作品は昭和六十三年九月新潮社から刊行され、平成三年十月新潮文庫版が刊行された。
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生還
発行  2001年5月4日
著者  石原 慎太郎
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: olb-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861083-2 C0893
(C)Shintar Ishihara1988, Corded in Japan