目次
第一章 カムバック
第二章 踏切を渡る
第三章 交錯
第四章 ニューオリンズの戦い
第五章 片 鱗
第六章 始まりの夜
第七章 回転扉
第八章 契約
第九章 ソウルの雪
第十章 夢から夢へ
第十一章 亀裂
第十二章 激しい雨
リア
解説(柳田邦男)
第一章 カムバック
その日もまた呑んでいた。
相手は三人。神田でビールを呑み、新宿でウィスキーを呑んだ。神田の薄暗い酒房でビールの最初の一杯を呑みほした時だけは、体から気持よく汗が引いていったように感じられたが、その店を出るとすぐに汗がにじんできた。八月下旬の、しかし途《と》轍《てつ》もなく暑い夜だった。
私は一週間後にアメリカへ向かうことになっていた。行けば長くなりそうだった。そのため、連日のように人に会っていた。仕事の整理もあったし、金の工面もあった。日が高いうちは喫茶店だったが、暮れると必ず呑み屋へ行くことになった。しかし、その日の相手は仕事とも金とも無関係だった。ただ呑む、というだけのために会っていた。
最後は新宿のはずれの小さな呑み屋だった。そこに腰を落ち着け、ウィスキーを啜《すす》りながら、私たちは陽気に喋《しゃべ》りつづけた。酒の上での話だ、その時も大した話をしていたわけではない。
「アメリカでは、プロレスの悪役のことを、ヒールというんだそうだ」
「ヒール?」
「足のかかとだよ」
「どうして悪役が足のかかとなんだろう」
「いつでも、正義の味方に蹴《け》っとばされて、踏んづけられているからじゃないの」
「ほんとかい?」
「さあね」
アブドーラ・ザ・ブッチャーというプロレスラーがいる。海坊主のような風体と荒っぽい凶器の使用で有名な悪役だ。彼には眉《み》間《けん》に無数の縦の皺《しわ》がある。だが、それは皺ではない。皺と見紛うほど深く長く刻みつけられている無数の傷なのだ。善玉のヒーローに凶器を持って迫り、その額をえぐり、しかし必ず悪役も眉間を割られることになる。だから、ブッチャーの「縦の皺」には、職業としての悪役を見事に演じている男の悲哀、といったものがこもっているのかもしれない……。
格別どうという意味のある話でもなかったが、そんなことを酒の肴《さかな》にしつつ、私たちはグラスを口に運んでいた。悪役についての話題は、ブッチャーからタイガー・ジェット・シン、さらには力道山時代のシャープ兄弟、グレート東郷にまで及んで、ようやく区切りがついた。私たちは一息つき、氷がとけて生温くなってしまったウィスキーを、そろって啜った。
短い沈黙のあとで、ひとりが私に向かって唐突に言った。
「そうだ、そういえば、カムバックするんだって?」
「…………?」
私は彼の顔を見た。何が言いたいのか理解できなかった。カムバック? いったい誰がカムバックするというのだ。カムバックがニュースになるようなプロレスラーなど、私は知らなかった。
「レスラーじゃない、ボクサーさ」
「…………?」
「カシアス内藤だよ」
「…………?」
「カシアス内藤、またカムバックするんでしょ」
「まさか!」
私は思わず鋭い声を上げた。
「あれっ、知らないの? それは意外ですねえ、あなたが知らないとは。カシアス内藤はボクシング界に復帰するんですよ」
「まさか……」
私は独り言のように小さく呟《つぶや》いた。そんなことがあるはずはなかった。冗談だろうと言いかけて、彼の顔を見つめ直した。彼は人をかついで喜ぶような男ではなかった。しかも、彼の口元には、微《かす》かだが皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。それは彼が真剣な物言いをする時の癖だった。嘘をついているわけではないのだ。とすれば、何か誤解をしているということになる。
「いや、本当だよ。また試合をするんだそうだ」
少しむきになって彼は言った。
ありえない、どう考えてもありえない、と私は思った。
カシアス内藤がリングを離れてから四年以上にもなる。ボクサーにとって四年の空白は絶望的なもののはずである。カムバックなど不可能に近い。ゼロから再出発するというより、マイナスの地点から始めなくてはならないのだ。昔の経験がプラスになる以上に、それまで多くの相手に殴られつづけてきたダメージの集積がボクサーにとっての大きな負荷になる。その上、ボクサーとしての肉体を取り戻すためには、空白の期間と同じだけの長さのトレーニングの日々を必要とする。あのモハメッド・アリですら、三年半の空白の時期を余儀なく過ごしたあとで、立ち直るのにどれほど苦労したことか。厳密に判定すれば、アリはついに復活することはなかった、とさえ言える。しかも、内藤の場合は四年なのだ。いや、問題は空白の長さだけではない。内藤にそれだけの情熱が残っているとはどうしても思えなかった。
「いや、本当だって。九月か十月だか忘れたけど、間違いなくカシアス内藤は再起戦をやることになっているんだよ」
「どうして、そんなことを知っているんだい?」
文芸誌の編集者である彼が、私の知らないそのようなことまで知っているのが不思議だった。冗談でもなく、勘違いでもないとしたら、どこで耳に入れてきたのだろう。
「それは、まあ、僕のちょっとした情報網ですがね」
彼は得意そうに言ったが、柄ではないことに気がついたのか、自分から笑い出してしまった。
「……なんてね。実は新聞さ。新聞に出ていたんだ」
私には眼にした記憶がなかった。眼にしていれば、カシアス内藤の記事を読まないはずがない。
「それは、いつのこと?」
私は彼に訊《たず》ねた。
「今日さ」
「今日!」
「そう、今日のことさ。電車に乗っていたら、横に坐ったおっさんが、こう大きく新聞を広げてね、せっかくだから横眼で読ませてもらったんだ、降りるまで。そこに出ていたのさ。何となくカシアスという活字が眼に入ってきてね……だから、細かいところはあやふやだけど、カムバックするということだけは確かだよ」
「新聞は何だった?」
私は彼の言葉を信じはじめていた。体が急に熱くなったような気がした。
「スポーツ新聞か何かだった?」
私は畳みかけるように訊ねた。
「うん、そうだな……あれは、夕方、原稿を取りに行っての帰りだったから……東京スポーツか……内外タイムスか……とにかく、タブロイド判の新聞じゃなかった」
「夕刊フジでも日刊ゲンダイでもなかった?」
「そう……」
「間違いない?」
私は自分が急《せ》き込んでいるのがわかった。その勢いに、少したじろぐように身を後にそらせながら、彼が言った。
「うん、確かだ」
グラスに残っているウィスキーを呑みほすと、私は立ち上がった。呆気《あっけ》にとられている三人に、ちょっとそこまで新聞を買いに行ってくるからとだけ言い残し、呑み屋を飛び出した。すでに午後十一時を過ぎていたが、新宿駅の構内に行けば、新聞や週刊誌を売っているスタンドはまだいくつもあるはずだった。
私は知らないうちに走っていた。東口に廻り、改札口ヘ通じる地下道のスタンドで、内外タイムスと東京スポーツの二紙を買った。
駅前の芝生に腰を下ろし、新聞に眼を通した。内外タイムスにはボクシングに関する記事がまったくなかった。東京スポーツも、第一面は、いつもながらのプロレス報道に全面が費され、「マスカラス兄弟宙に散る 決勝16文!」という大見出しの赤い文字が、血のように飛び散っていた。だが、ぺージを繰ると、突然、「カシアス内藤」の六文字が、眼に鋭く突き刺さってきた。第二面の中段に記事はあったのだ。「異色の強打ボクサー カシアス内藤 9月24日再起第一戦」という、かなり大きな記事だった。見出しの活字も小さくなく、写真までついていた。
異色の混血ボクサーで 元東洋ミドル級王者、かつて強打をうたわれたカシアス内藤(船橋)が9月24日、東京・後楽園ホールで日本ヘビー級・大戸健(高崎)と4年ぶりにカムバック戦を行うことが決まった。49年7月29日、現世界ミドル級王者、工藤政志に判定負けして以来、プッツリ消息を絶っていた内藤が今年に入って突如カムバックを決意、金子ジムで5月から特訓に入った。日本ボクシング史に輝かしい一ぺージを飾った内藤は、再び“あの栄光”をつかめるか……。
私には信じがたい記事だった。事実とは思えなかった。しかし、記事の横に載っている写真には、確かにカシアス内藤のトレーニング姿がとらえられてあった。いかにも黒人という印象を与える骨張った顔には見なれない髭《ひげ》がはえていたが、チリチリのアフロヘアーは昔と変わっていなかった。間違いなく内藤だった。内藤はランニングシャツを着て、リングの上でファイティング・ポーズをとっていた。私は記事を繰り返し読んだ。少なくとも、内藤がカムバックしようとしていることだけは、確かなようだった。
内藤がまたリングに立つ、という。立つためにトレーニングをしている、という。五月から続けてきた、という。そして、間もなく試合をする、という……。私は仰むけになって芝生に寝転んだ。昼間の暑熱が、午前零時に近くなっても、まだ土の中にこもっていた。ただ空を見上げているだけでも、じっとりと汗ばんでくる。あたりは、別に何をするでもなく、ただぼんやりと時間をつぶしている若者たちで、溢《あふ》れていた。街からしばらく消えていた彼らも、夏の終りが近づくにつれて、再び新宿に戻りはじめていた。空には星がなく、重く垂れ込めた雲にネオンが反射していた。ネオンの点滅によって暗い紅色や黄土色に変化する空を見上げながら、私は五年前を思った。まだ二十代のなかばだった私と内藤との奇妙な旅を思った。朝鮮半島の入口、釜《プ》山《サン》でのやはり暑かった夏を思った。
五年前の夏、私はカシアス内藤と韓国に行った。内藤は釜山で柳《ユ》済斗《ジェド》と東洋ミドル級タイトルマッチを闘うことになっていた。柳は、内藤の持っていた東洋ミドル級の王座をソウルで奪取すると、闘いを挑んでくるあらゆるチャレンジャーを撃破して、チャンピオン・ベルトを守りつづけていた。内藤も二度のリターンマッチに敗れ、その時が三度目の挑戦だった。
私はその試合を見たいと思った。駆け出しのルポライターだった私は、与えられた仕事としてではなく、初めて自分の意志で選んだ仕事として、その試合を見に行こうと思ったのだ。それが特別にジャーナリスティックな価値のある試合だったというわけではない。わざわざ日本から見に行こうなどという酔狂な者はひとりもいなかった。スポーツ新聞ですら、その結果を一行以上で報道するはずもない試合だった。内藤の敗北はほとんど予測できることだったからだ。不意に試合が組まれ、調整も不充分なまま、リングに上がる。元チャンピオンという興行価値を買われ、負けるためだけに韓国に行く、いわゆる「噛《か》ませ犬」と見なされていた。だが、私は見たいと思ったのだ。理由を説明することはできなかった。気になった。言葉にすればそういうことだったろうか。気になったのだ。しかし、うだるような暑さだった釜山九徳《クドク》体育館でのその試合は、大方の予想通り、惨憺《さんたん》たるものだった。
あの夏で、カシアス内藤のボクサーとしての生命は絶たれたのだ、と思っていた。何よりも、彼がボクシングヘの情熱を失なっていた。私にはそう感じられてならなかった。以後しばらくボクシングを続けたとしても、それは惰性にすぎなかったはずだ。その彼が、なぜ四年間の空白の後に、再びボクシングを始めようとしたのだろう。
私は起きあがり、芝生に坐り直した。近くではじけるような嬌声が湧《わ》きおこった。だらしなくスニーカーを突っかけた少年たちが、よく日に焼けた少女たちのグループに、どうにかして渡りをつけようと奮闘していた。私の傍に腰をかけた痩《や》せぎすの少年がシンナーを吸いはじめた。ビニール袋が伸縮するたびに聞こえてくる苦し気な呼吸音を耳にしながら、私は不意に横浜へ行こうかと思った。内藤に会って訊ねてみたかったのだ。
改札口ヘ行き、横浜までの切符を買おうとして、ポケットにいくらも金が入っていないことに気がついた。往きはよいが帰りはタクシーに乗らなくてはならないだろう。会えれば何とかなる。しかし、今もなお、内藤が横浜のあの山手町のアパートにいるとは限らないのだ。いや、むしろ五年前と同じアパートに住んでいる可能性の方がはるかに少ない。明日にしよう、とはやる心を抑えて私は思った。
翌日、京浜東北線で横浜に向かった。夏の終りの静かな午後だった。
横浜駅を過ぎ、港と伊勢佐木《いせざき》町を左右に眺めつつ、いくつかの駅を通過して、ようやく目的の山手駅に着く。
土曜日の午後のプラットホームは喧騒《けんそう》もなく、乗降客も数えるほどしかいなかった。西の空が柔らかな朱色に染まり出している。心細げな蝉《せみ》の声を聞きながら、プラットホームを改札口に向かって歩みはじめると、ふとこれはいつかと同じだという思いが頭をかすめた。確かにこんなことがいつかもあった。夏、プラットホーム、蝉の声、そして今と同じ不安な思い……。いったい、どこのプラットホームだったろう。
立ち止まり、思い出そうとして、ひとり苦笑した。考えるまでもなかった。それは、五年前の、やはりこのプラットホームでのことだったからだ。そういえばあの時も夏の静かな午後だった。
釜山での試合を見て、私は失望した。日本に帰ってしばらくして、私は憤りと物悲しさの混り合った奇妙な感情を持てあましながら、このプラットホームを横切ったのだ。これから向かおうとしているアパートに、その時も向かったのだ。
あれから五年、彼と会うことはなかった。彼は私を覚えているだろうか。忘れるはずはないと思う。だが、この五年間に、私は変わった。彼にわかるだろうか。わかると思う。しかし、私が彼について書いた文章を読んでいたとしたら……。彼の拒絶を予感し、足が少し遅くなった。いや、そんなはずはない。彼にはわかるはずだ。あれが彼に対する批難ではなく、私自身への苛《いら》立《だ》ちであったことが。それが理解できるくらい、彼は充分に頭のいい男のはずだった。
改札口を出ると駅前に小さな商店街がある。山手という名の通り、崖《がけ》と崖とのささやかな間隙《かんげき》に道があり、その両側に僅かばかりの商店と家が並んでいる。二分ほど歩くと商店が少しとぎれる。その左側に一本の路地があり、突き当りの崖にへばりつくようにアパートが建っている。……記憶によればそうなっているはずだった。そして、そのあたりの地名をたしか鷺山《さぎやま》とかいった。
歩きながら、五年前とあまりにも変わっていないことに、むしろ私は驚かされていた。路地があり、崖があり、確かにその中程には記憶通りのアパートがあった。引っ越していなければ、彼はその二階の右端の部屋に住んでいるはずだった。
眼をやると、その部屋の軒下に洗濯物がさがっていた。男物のシャツにはさみこまれるようにして、女物の下着があった。そして、風に微かに揺れていた。
女物の下着が干されてあるのを見て、私はどこかでホッとするものを感じていた。彼があの部屋に住んでいるのなら、女性と一緒に暮らしていることになる。何という名前だったろう、一度会ったことのある、あの小柄で可愛らしい女性と、まだ同棲《どうせい》しているのかもしれない。それが彼の部屋なら、少なくともひとりですさんだ生活を送っているのではない、ということになる。
二階へ上がる階段はアパートの右端についていた。細く急な鉄製の階段を一段一段のぼっていくと、二階の右端の部屋の窓が開いているのが見えた。吹き抜ける風に、白いレースのカーテンが踊っていた。覗《のぞ》き込んだが人影はなかった。玄関に廻り、扉を見ると、ベニヤ合板の粗末な戸に、表札が出ていた。画用紙にボールペンで書き、それをセロテープでとめているだけの素っ気ない表札だった。名はローマ字で書かれてあった。
Junichi Naitoh
内藤はまだこの部屋に住んでいたのだ。私は安《あん》堵《ど》と、同時に新たな不安を感じながら、扉をノックした。彼は私を受け入れてくれるだろうか……。だが、返事はなかった。強くノックした。同じだった。三度、四度と繰り返したが、結果は変らなかった。
彼はいないのかもしれなかった。考えてみれば、それも当然のことだった。もし彼が本当にトレーニングを再開したのなら、夕方の今頃というのはジムに行っていてもおかしくない時刻だったからだ。そんなことに、今はじめて気がついた自分に私は驚いた。心の片隅に、彼のカムバックを信じまいとする、何かがあるのかもしれなかった。
しかし、この程度の戸閉まりなら誰かがいてもよさそうだった。何かの不都合があって居留守を使っているのかもしれない。そうも考えて耳を澄ませたが、人の気配は感じられなかった。玄関の奥から、ただ小鳥の羽音が僅かに聞こえてくるだけだった。あるいは一緒に暮らしている女性が夕食の買物のために近くに出たのかもしれない。
しばらく待ったが帰ってこない。何時間かしてまた来てみよう。私は再び商店街に出て、駅とは反対の方向に歩きはじめた。私は本牧《ほんもく》のあたりをぶらついて時間をつぶすつもりだった。
パチンコ屋で一時間ほど玉をはじいた後で、米軍キャンプの近くにある喫茶店に入った。客は誰もいなかった。壁にかき氷ができると書かれた紙が貼《は》ってあった。私は氷宇治を注文し、途中の文房具屋で買った便箋《びんせん》をテーブルに広げた。内藤に手紙を書こうと思ったのだ。
あるいは、再びアパートヘ行っても、誰にも会えないかもしれない。その場合のために手紙を書いておく。それは、ルポライターとしての仕事を続けていくうちに身についた、ひとつの習性のようなものだった。
だが、何を書けばよいのか。書きたいこと、書くべきことはいくらでもあった。しかし、そのすべてを書き切るためには、一晩あっても時間が足りなさそうだった。鮮かすぎるほどの緑色に染まったかき氷の山を、スプーンで崩しながら、結局、ひとつのことしか書けないということに気がついた。日本を離れる前に一度会いたい、電話をくれ……。
五年間のうちに、私は何度か転居していた。電話番号を最後に記し、封筒に「カシアス内藤様」と上書きしようとして、やはり「内藤純一様」と書くことにした。
二時間ほどして鷺山に戻ってみた。しかし、今度は窓が閉められ、洗濯物も取り込まれていた。あたりはすっかり暗くなっていたが部屋には電気もついていなかった。入れ違いになってしまったようだった。私は手紙を新聞受けの中に投げ入れ、家に帰って電話を待つことにした。
電話がかかってくるかどうか確信はなかった。しかし、新聞の報道の通り、内藤がやり直すという強い意志を持っているなら、かけてくる可能性もないではないだろう。そう思いながら私は家でぼんやりテレビを見ていたが、汗をかきながら懸命に演じているドリフターズのコントも、いつものように面白くは感じられない。視線はどうしても電話台の方に引き寄せられてしまう。
十一時半、東京放送のスポーツニュースが終わった時、電話のベルが鳴った。内藤だ、と私は思った。受話器の向こうから、少年っぽさを残した男の声が流れてきた。互いに名前を確認するほどのことはなかった。
「しばらく」
私が言うと、内藤も同じ言葉を重ねた。
「しばらくでした」
「ほんとに」
「アパートに帰ったら手紙があって……」
「そう……」
声は大して変っていないようだったが、言葉づかいが丁寧になっていた。それだけ年をとったということなのだろうか。だが悪いことではない。
「またボクシングやるんだって?」
私は最も知りたかったことを直截《ちょくせつ》に訊ねた。すると、内藤も気持がいいほどのストレートさで答えた。
「ええ、やるんです」
珍しいな、と私は思った。私の知っている内藤は、このように簡潔で力強い物言いはしなかった。いつでも自分に対する弁明と他人に責任を転嫁する理由を用意しておくために、必要以上に多くの言葉を並べようとするタイプだった。頭のよさと優しさは合わせ持っていたが、この男性的な力強さだけはなかったのだ。
「本当に試合をするわけ?」
「そうなんです」
「見てみたいなあ……」
「でも、試合は十月なんです」
「九月じゃなくて?」
新聞には、九月二十四日に再起第一戦が行なわれる、とあった。
「少し延びたんです」
内藤は淡々とそう言った。以前の彼なら、こうは平静に喋れないはずだった。
「一カ月も延びたのか……。コンディションの作り方が難しいね。大変だな」
「ええ。でも、それだけ余分にトレーニングができるんだから」
確実に内藤の内部で変化するものがあったに違いない。受話器の向こうには、いつまでも大人になりきれなかった五年前の内藤ではなく、一個の男としての内藤がいた。
「そうだ、むしろありがたいと思うべきなのかもしれないな」
「ほんとに……」
内藤はそう言い、今度は逆に訊ねてきた。
「外国、どこへ行くんです?」
「まずアメリカヘ行こうと思ってるんだ」
「まず、っていうと……」
「アメリカに行ってから、その後のことは考えようと思っている」
「どのくらい?」
「決めていないんだ。意外と長くなるかもしれない。半年になるかもしれないし、一年になるかもしれない……」
「仕事ですか?」
「…………」
私は答えに詰まった。仕事ではなかった。むしろ仕事から離れるために行くといってよかった。私は、数カ月前に、仕事の上で、致命的な失敗を犯していた。その失敗に気がついて以来、私はルポルタージュを書くという作業から、しばらく遠ざかろうと思うようになっていた。だがそれを電話で説明するのは難しかった。
内藤は、私が答えに窮しているのを察すると、助け船を出してくれた。
「いや、それはどうでもいいんです。ただ、アメリカの住所を教えてもらいたかっただけなんです」
「どこに腰を落ち着けるか、まだ決めていないんだよ」
「そうですか……」
内藤は少し気落ちしたような口調で言った。
「行き当たりばったりの旅行をするつもりだから……」
「そうだ、でも、向うに着いたら、手紙に書いて知らせてください、そうすれば平気だ」
何が平気なのか私にはわからなかった。内藤が、私のアメリカの住所に、どうして執着するのか、理解できなかった。
「俺、アメリカに手紙を書きますよ」
「…………?」
「ちゃんと、今度の試合の結果を書いて送りますよ」
その言葉を聞いた瞬間、不意にアメリカへ行くということが色《いろ》褪《あ》せてしまったように思えた。
「調子は、どう?」
私は内藤に訊ねた。
「悪くないです。五月からトレーニングしてますから。今はもう夜の仕事もやめて、ボクシングだけです」
「よくボクシングの世界に戻れたね」
「ええ。……もうボクシングしかないと思って」
「それはよかったね」
私は心からそう思った。内藤もやはりまだリングに心を残していた。リングで、その心残りが消えるまで打ち合わないかぎり、次のステップに踏み出せないということが、内藤にもようやくわかってきたのかもしれなかった。たとえその結果がどうなろうとも……。
「久し振りに会わないか」
私はできるだけ軽い調子で言った。内藤に無理をさせたくなかったからだ。会いたくなければ、会わなくともよかった。しかし、内藤の声はなつかしさに溢れていた。
「うん、会いたいですね」
「明日でも会おうか」
「そうしましょうよ」
「場所は横浜がいいかな?」
「わざわざ悪いですよ。……ジムで待ち合わせませんか。金子ジムで夕方からやっていますから。一度、練習を見にきて下さい」
「オーケー、それじゃあ、明日」
「あっ、明日は日曜でジムも休みなんだ」
「わかった、それでは明後日にしよう。明後日、ジムで」
そう言い終り、電話を切ろう、思わず私は独り言のように呟いていた。
「ほんとによかったな……」
すると、内藤が静かな口調で、やはり呟くように言った。
「やっと……いつかが見えてきました」
内藤が、いつか、という言葉を口にした時、私の心は少し震えた。それは、ふたりのあいだの暗号のような言葉だったからだ。
第二章 踏切を渡る
陽はすでに傾いていたが、街には八月の光がまだ充分に残っていた。
私は下北沢の踏切で下りの電車が通過するのを待っていた。クリーム色の電車が激しい音を立てて通り過ぎると、車輌《しゃりょう》の下から押し出された熱風が私の体にねっとりと搦《から》みついてきた。
電車が通過しても遮断《しゃだん》機《き》は上がらない。上り下りとも電車が続いているらしい。踏切はしばらくのあいだ開きそうになかった。腕時計を見ると五時を少し廻っている。ラッシュアワーのとば口にさしかかってしまった以上、今さら苛々《いらいら》してもはじまらない。待つよりほかはない。そう諦《あきら》めて、視線を踏切の向こう側にやった。
三叉路《さろ》の角に交番があり、通りをはさんでその前に古い映画館が建っている。しかし、繁華街から少しはずれているためか、客の出入りがまったくない。通りに面した入口には、客寄せのための幟《のぼり》や女の裸のポスターが並べられてあったが、その派手な色彩は、かえって周辺を閑散とした雰囲気にさせているばかりだった。
線路に面した灰色の壁には、巨大な看板が取りつけてある。極彩色のペンキで上映中の映画の題名が書かれてあった。文字が踊るようで読みにくいが、どうやら『絞殺強姦魔』と『USAスーパーボウル』という洋画の二本立であるらしい。スーパーボウルといえば、アメリカン・フットボールにおける最高の試合である。その実写フィルムなのだろうか。それならぜひ見てみたいものだ、ともう一度よく看板の文字を眺めてみると、USAスーパーボウルではなくUSAスーパーポルノと書いてある。自分の勘違いに気がつき、私は苦笑した。どちらも肉弾相撃つの図ではあろうが、スーパーボウルとスーパーポルノでは、やはりかなりの開きがある。
四台の電車に不快な熱風をかけられた後で、ようやく遮断機が上がった。
映画館の灰色の壁と線路のあいだには、細いまっすぐな道がある。道はすぐ行き止まりになるが、その突き当りに二階家が建っているのが見える。土地の斜面を利用した不安定な感じを与える建物だ。窓にはさまざまな色のタオルと運動着が干してある。そして、窓の上の壁には、赤いペンキで「金子ボクシングジム」と大書されてあった。
私は道の入口で立ち止まり、息をついた。暑さにやられて喘《あえ》いだわけではなかった。突然、内藤は本当にあのジムでトレーニングしているのだろうか、という疑念が頭をもたげてきてしまったのだ。私にはどこかまだ内藤のカムバックを信じきっていないところがあるようだった。
一昨日の夜、私は間違いなく内藤と話したはずだった。電話ではあったが、当人の口から聞いていた。しかし、一夜明けて次の日の朝になると、内藤が再起のためのトレーニングをしているということに、ほとんど何のリアリティーも感じられなくなっていた。あの電話が現実のものであったかどうかも怪しく思えてきた。練習は金子ジムでしています。電話の向こうで内藤はそう言っていた。しかし、それは私の聞き違いではなかったろうか。金子ジムは、元東洋フェザー級チャンピオンであり、網膜剥《はく》離《り》で引退するまで六回の防衛を果たした金子繁治がオーナーのジムである。金子は、熱心なクリスチャンであることでも知られた、すぐれたボクサーだった。だが、まだ船橋ジムに所属しているはずの内藤が、どうして金子ジムに通わなくてはならないのだろう。私はまた勝手な夢をこしらえてしまったのではないだろうか……。
私は、ジムの玄関の前で、しばらく佇《たたず》んでいた。
突然、中から少年たちの威勢のいい号令が聞こえてきた。それが私のためらいを吹っ切らせた。私は、建てつけの悪い戸を、力いっぱい引き開けた。
一歩足を踏み入れると、ジム特有の匂いが鼻をついてきた。それはジム特有というより、男たちが体を酷使している場所ならどこでも、学校のクラブのロッカー室でも、工事現場の飯場でも、必ずしみついている饐《す》えた汗の匂いだ。しかし、ジムの匂いはそれだけではない。微かだが皮の匂いがする。グローブ、サンドバッグ、ロープ、シューズ、ヘッドギアー。それらがこすれ合うたびに、皮革の匂いが流れ出すのだ。汗と皮の匂いがないまぜになり、ジムには獣の檻《おり》のような生臭さがある。
金子ジムの内部はそう広くはなかった。ジムの中には練習用のリングが設けられてあり、その上で少年たちが互いに号令をかけながら柔軟体操をしていた。中学生から高校生くらいの幼い顔立の少年ばかりだった。恐らく、アマチュアなのだろう。リングの横では、いかにもプロの卵という顔つきの若者たちが、思い思いのトレーニングをしていた。
だが、内藤の姿はない。
リングの上で少年たちに鋭い叱声《しっせい》を浴びせかけている男がいる。いかにも元ボクサーという面構えをしていたが、金子にしては若すぎた。トレーナーなのかもしれなかった。その男と視線があった時、私は訊《たず》ねた。
「内藤は来ていますか」
「まだだよ」
無愛想な声だった。しかし、その時、内藤がトレーニングを再開したということが、初めて現実的なものとして感じられた。
「来るのはいつ頃ですか?」
「五時半……は過ぎるだろうな。あいつのことだから」
無愛想な声であることに変わりはなかったが、その底に人のよさを感じさせる調子で男は言った。待たせてもらっていいかと訊ねると、黙って頷《うなず》いた。
玄関の狭いコンクリートの三和土《たたき》には、何十足もの男物のはきものが乱雑に脱ぎすてられてあった。サンダル、下駄、皮靴、スニーカー、バスケットシューズ、ゴム草履と、あらゆる種類のはきもので溢《あふ》れていた。足の踏み場もないくらいの状態に困惑していると、それに気がついたリングの上の男が、ジムの若者たちに大声で叫んだ。
「お前ら、履いてきた物は持ってあがれと言っているのに、何度言ったらわかるんだ」
そして私に向かって言った。
「その辺のやつを適当に蹴《け》っ散らかしてあがっておいでよ」
私は彼に笑いかけ、しかし、好き勝手に向いているはきものを少し整頓し、できた隙間に靴を脱いであがった。客用のスリッパなどありはしなかった。ジムの木の床がひやりと冷たく、足に気持よかった。
どこのジムにも必ずある姿見用の大鏡の上を見ると、金子ジム所属のプロボクサーの名札が貼《は》ってあった。佐々木滋、村田英次郎、長岡俊彦……と続き、その末尾に、いわば別格という形で「カシアス内藤」の名札も貼られてあった。
リングの前に壊れかかったソファが置いてある。ビニールが破れ、脚のバランスが崩れている。その上には男性雑誌や漫画週刊誌が散乱していた。私はそれらを横にやり、とにかくそこに坐って内藤を待つことにした。
地下の更衣室で着替えをすませた少年たちが、「失礼しまーす」と玄関で大声を張りあげては帰って行く。その彼らと交代でもするかのように、がっちりした体つきの若者たちが、「……ちわーす」と挨拶しながら次々とやってくる。プロのボクサーが、それぞれの仕事を終え、練習を始める時刻になってきたのだろう。
夕陽が、線路の反対側に並んでいる小さなビルディングの群れの中に、落下するような速さで沈んでいく。それが完全に沈み切ると、日は急速に暮れていくようだった。
「今日は」
玄関で聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこに内藤が立っていた。薄手のジーンズのパンタロンをはき、サーフィンの絵柄をプリントした白のTシャツを着て、ゴム草履を突っかけていた。そしてアーミー・グリーンの布製の袋を肩から下げていた。五年前と比べると、体がひとまわり大きくなり、色がさらに黒くなったように思えた。口の上にはやしている髭《ひげ》が顔を引き締めていた。
内藤は私を見つけると、軽く頭を下げた。
「しばらくでした……」
「そうだね、ほんとに……」
だが、人の大勢いる前で昔話をするつもりはなかった。
「ここで見てるから……あとで」
私がそれだけ言うと、内藤も同じ思いだったらしく、何も言わずに頷き、地下の更衣室に降りていった。
眼の前から消えた内藤の顔を、ソファに坐り直して思い浮かべてみた。
私はその顔に強い印象を受けていた。以前と一変していたからだ。髭をはやしたことを除けば、どこが変わったというわけではないのだが、顔に深味のようなものが出てきていた。軽薄さが消え陰影が出てきていた。無理はない、もうあの時から五年が過ぎているのだ。私が三十、彼が二十九。二十五歳と二十四歳だったあの時から、確実に五年が過ぎた。その間に、彼の身にさまざまな出来事があったとしても、少しも不思議ではない。私が知っているだけでも、一度は窃盗容疑で逮捕され、しばらくは外国に行っていたこともある。
地下から着替えの終わった内藤が上がってきた。紺色のタオル地のパンツに、白いTシャツの袖をむしりとり、ランニングシャツのようにしたものを着ていた。私の横のソファに腰をおろすと、純白のシューズを履き、丁寧に紐《ひも》を通した。私は無言で見ていた。
バンデージを、左、右と巻いていき、巻き終ると拳を握り、それを軽く宙に突きあげた。
「見てて下さい」
内藤は私に小さく言い残すと、大鏡の前に歩んで行った。そして、鏡の中を見つめながら少しずつ体を動かしはじめた。
シャツにおおわれていない肩から腕にかけての筋肉が、別の生き物のように息づきはじめる。小さくなり、大きくなる。腕が鋭角的に曲げられると、上膊部《じょうはくぶ》は足のふくらはぎより太くなった。
やがて、内藤はリングに上がった。軽いシャドー・ボクシングをするためだ。三ラウンド分のシャドーを終わらせるとリングを下り、パンチング・グローブをはめてサンドバッグを叩きはじめた。一発、また一発。力のこもった内藤のパンチがサンドバッグの腹に叩き込まれる。そのたびにバッグは大きく左右に揺れた。三ラウンド分も叩くと、ランニングシャツは汗でぐっしょりと濡れ、体に密着してしまった布地を通して、褐色の肌が透けてくる。次に、内藤はパンチングボールの前に立った。素早く首を振るボールを相手に、軽くステップを踏みながら、交互にパンチを繰り出した。それが終ると、内藤はシャツを脱ぎ、私の横のソファに置いてあった草色のタオルで、全身の汗を拭った。
彼が眼の前に立った時、その体に私は軽いショックを受けていた。モハメッド・アリやジョー・フレイジャーを眼《ま》のあたりにした時とは明らかに異なる種類のショックだった。彼らの肉体がいくら見事であるとしても、それは同じ世界の住人ではないのだからということで片付けられた。だが、内藤ではそうはいかない。同じ世界に住む同じ年頃の男の圧倒的な肉体が、眼の前に確固として存在しているのだ。
陽は完全に落ちて、空の色は薄紫から濃紺に変わりつつあった。ジムの螢光燈《けいこうとう》が明るく映えるようになった。内藤は再びリングに上がり、軽いステップを踏みながら、またシャドー・ボクシングを始めた。戸外の暗さが窓のガラスを鏡に変えていた。内藤は自分の体をガラスに写し、それを見ながらひとつふたつパンチを放った。
アッパーを突きあげる練習を何度も繰り返す。時に、仮想の敵をコーナーにつめ、体を激しく左右に揺さぶりながら相手の懐に飛び込み、ボディのあたりにアッパーを叩き込む。そして、少し離れ、顔面に左のストレート、またウィービングをしつつボディにフック、右、左、右……。
内藤のシャドー・ボクシングを見ながら、私は奇妙なことに気がついた。私が内藤の練習姿を見るのはこれが初めてだということだ。しかし、考えてみればそれも当然のことだった。私が内藤と知り合った時、彼はすでにほとんどトレーニングをしないボクサーになっていた。試合が組まれると、体重を落とすだけのために、いやいや体を動かすだけだったのだ。
だが、練習をしている内藤は、私の知っているどの内藤とも異なる、真剣で険しい眼《まな》差《ざ》しをしていた。
激しいシャドー・ボクシングだった。そのどの一発を喰らっても、一瞬でキャンバスに沈んでしまうに違いない強烈なパンチが、絶え間なく繰り出されていた。やがて、内藤はシャドーを切り上げ、ロープ・スキッピングを始めた。繩とびだ。皮のロープが鋭く空気を切る音がジムの中を走っていく。
ジムには必ず三分計が備えつけられている。針がゼロのところでチンという音を出し、針が三分のところを差すとまたチンと鳴るが、それからさらに一分過ぎると針は再びゼロのところに戻っている、という仕組みの時計だ。それはボクサーに「三分と一分」という長さを体で覚えさせるためのものなのだ。「三分に一分」とは、ボクシングにおける絶対的な単位である。一ラウンドは三分、ラウンドとラウンドの間には一分間のインターバルがある。三分間の闘いに一分間の休み。ボクシングはすべてがその繰り返しである。練習も変らない。ボクサーの生理を「三分と一分」に合わせるため、三分だけ動き一分は休むのだ。だから、練習の長さは、時間ではなく、ラウンドを単位として表わされる。
内藤はロープ・スキッピングのスピードを徐々にあげていった。普通は三分に一分の休みをとるが、内藤は逆だった。一分のインターバルに入ると、さらに跳び方のスピードをあげ、一秒たりとも休むことなく六ラウンド余りも跳びつづけた。汗がしたたり落ち、床に点々と黒いしみができた。若いボクサーたちは圧倒され、練習の手を休めてその姿に見入っていた。灯りに照らされて体が美しく輝く。疾駆しているサラブレッドのように、全身が艶《つや》やかに濡れていた。厚い胸、よく締まった腹、無駄な肉の落ちた上肢。練習の成果が随所に表われていた。内藤は狂ったような激しさで跳びつづけた……。彼は本当にやる気なのだ。私も薄く汗ばみながら、そう思った。
地下でシャワーを浴び、サッパリとした顔で内藤が上がってきた。タオルで前を押さえただけの丸裸である。そのままの姿で、リングの横にある秤《はかり》にのる。そして目盛を読んだ。
「百五十六か」
それはミドル級のリミットである百六十を下回ること四ポンドになる。コーラを呑みすぎたために試合当日の計量にパスしなかった、あの五年前の夏が嘘のような体の締まり具合だった。
私は内藤の逞《たく》ましい背に声をかけた。
「とてもいい」
すると振り返り、内藤も自信に満ちた声で、
「うん、とてもいい」
と答えた。
私たちは六本木のステーキ屋で向かいあっていた。肉を注文しおわると、ウエーターは飲物はどうするのかと訊《き》いてきた。私は内藤を見た。すると、彼は丁寧な口調でウエーターに言った。
「オレンジジュースを下さい」
「コーラじゃないのかい?」
私が笑いながら訊ねると、内藤は照れたような表情を浮かべた。
「もう呑まないことにしたんです。呑むならジュース、少しでも栄養がある方がいいですからね」
かつての内藤は一種の中毒ではないかと思えるほど常にコーラを呑んでいた。練習の前に呑み、後に呑み、減量中ですら呑んだ。
ボクサーにとって水は敵である。確かに、減量中のひからびた体に水が慈雨となることもある。だが、水は体を作らない。少なくとも、ボクサーが必要とする体は作らない。多くは汗となって体外に出ていく。汗はボクサーを疲労させる。だからボクサーは、水を少しずつ、惜しみ惜しみ呑む。水は噛《か》んで呑め、という言葉がボクシングの世界にはあるくらいなのだ。水は敵である。まして冷えすぎた水は不倶《ふぐ》戴天《たいてん》の敵である。冷えすぎた水は内臓を痛めつける。だからといって、水分を取らないわけにはいかない。しかし、同じ水分を採るなら、少しでも栄養価の高い食物から採るべきなのだ。
ボクサーの生理学からすれば、減量中に冷たいコーラを何本も呑むなどということは考えられないことだった。だが、五年前の釜山での内藤は、冷えたコーラをラッパ呑みにして平然としていた。その結果が減量の失敗だった。試合当日の朝の計量で「リミット・オーバー」と宣せられたのだ。内藤はホテルに戻り、熱い風呂に入り、大量の汗を出したあとで、再び秤に乗らなければならなかった。オーバーした重さは二百グラム、およそコーラ一本分。前夜、一本のコーラを我慢していれば、そのような事態を招かずにすんだはずだった。
それほどまでに欲しがっていたコーラを呑まなくなったというのだ。自己の欲望を制御することがようやくできるようになったのかもしれなかった。
「酒は今でも呑まない?」
「うん」
私ひとりが呑むわけにもいかなかった。内藤と同じく、私もオレンジジュースを頼んだ。
ジュースが出てくると、内藤はそれをおいしそうに呑みほした。
「……どうしてた?」
私が訊くと、内藤は口ごもった。何をどう話していいかわからないようだった。質問が悪かった。
「あれから、どうしてた?」
訊ね直すと、内藤は小さく息をつき、そして言った。
「あれから……」
内藤は、視線を私の背後の壁にやり、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「あれから……」
そう言ったことで、この五年の歳月が、彼の内部で一挙に縮まりでもしたかのように、言葉づかいが急に柔らかくなった。かつて私たちが話していたのと同じ口調に戻っていくようだった。
「いろんなことがあってね……」
私は黙って頷いた。
「逮捕されて……執行猶予になって……」
喋《しゃべ》りづらそうだった。悪いことを訊いてしまった。私はさりげなく話題を換えた。
「それにしても、どうしてまたボクシングをやろうと思ったんだい」
内藤は、壁に向けていた視線を戻し、ぽつりと言った。
「用心棒なら……いつでもできるから」
「えっ?」
私は訊き返した。内藤は、そう言ってしまうと喋りやすくなったのか、早口でそのあとを続けた。
「用心棒ならいつでもやれる。でも、ボクシングはいつでもっていうわけにはいかないでしょ?」
「…………」
「ずっとディスコの店長みたいなことをしてたんだけど、ある時、このまま水商売を続けていってどうなるんだろうと思ったんだ。うまくいって小さな店を持てるかどうかという程度でしょ。小金をためてようやく自分の店を出すのが精一杯じゃない。それでも成功するとは限らない。失敗する方が普通なんだよね、この世界は。だからって、失敗した時に、またどこかの店長みたいな仕事があるかっていうと、そうはいかない。そうすれば、結局、用心棒のようなことしかできないと思うんだ。用心棒なら、やる気にならなくたって、いつでもなれるじゃない」
そこで内藤は口元をほころばせた。私も、やる気にならなくたって、という言い方がおかしくて、少し笑った。そして、頷いた。
「なるほどな」
「だったら、その前に、自分が気になることをやっておこうと思って……」
「気になってた? ボクシングが?」
「うん、とても気になってた」
「本当に?」
「嘘じゃない」
「俺はね、君にはもうひとかけらも残ってないと思ってたよ、ボクシングに対する情熱なんか、さ」
「そう思われても仕方なかったけど……結構あれからでも見てたんですよ」
「試合を?」
「うん、いつも見てたな、ほんとに」
そういえば、内藤はボクシングを見るのが好きだった。もしかしたら、自分でやる以上に見る方が好きだった、とさえ言えるかもしれない。
「でも、テレビじゃあまり中継しないから、思うように見られなかっただろう」
私が言うと、内藤は怪《け》訝《げん》そうな表情を浮かべた。
「だって、後楽園に行って見てたから」
「後楽園ホールに!」
意外だった。いくら見ることが好きだからといっても、正式に引退したわけでもなく、知らぬ間にいなくなるといった消え方をしたボクサーが、ボクシングのメッカともいうべき後楽園ホールに足を運ぶことは、かなり勇気がいるはずだった。
「よく行ってた?」
「うん。後の方でポツンと見てたな、よく……」
「そう……」
「テレビでやるのは必ず見てたし、新聞を読んでおもしろそうな試合だなと思ったら、実際に見に行ってたんだ」
「後楽園なんかに行くと、ボクシングの関係者がいっぱい来てるじゃないか。会ったりはしなかった?」
「それが厭《いや》でね。ホールに入ると、スッと上にあがっちゃうんだ。二階の奥の方に行って、テレビ・カメラの台とかが置いてあるあたりに坐るんだ。後を振り向きながら試合を見るなんて人はいないからね。で、終りそうになるじゃない。そうすると、みんなは判定を待ったりしているけど、俺は自分で採点しているから、大体わかるんだよね。ああ、こういう結果だろうなってわかるから、その前にスッと帰っちゃうわけ。だから、あまり人に会わなくってすんだんだ」
「そうか……」
人眼を避けながら、しかしボクシングを見つづけていたという内藤に、私は別人を見るような思いがしていた。
「試合をやらなくなってどんなに日がたっても、そういう気持は残ってたんだ。自分がやっていれば、きっと闘うことになる、なんて奴の試合は必ず見に行ってた。もう、やめちゃっているのに、そういう気持だけは残っていた」
そして、ついにその「心残り」を捨て去ることができず、この二月にそれまで勤めていたディスコの店をやめたのだ、と内藤は言った。
ディスコではかなりの高給取りだったという。ボクシングを始めるので店をやめると告げると、何も店をやめることはない、そのふたつを両立させればいいのだから、と社長は引き止めてくれた。しかし、それではまた同じことを繰り返してしまいそうだった。仕事もボクシングもうまくいかず、そのうちに気持が萎《な》えてしまう。それはすでに経験ずみのことだった。だから、思い切って仕事をやめた。そして走りはじめた。まず体を作ることが先決だった。それまでロードワークなどしたことがなかった。現役の絶頂期ですら走ったことがない。コーチに走れと命じられ、わかったと答えながら、決して走ろうとしなかった。その内藤が、朝と昼の二回、規則的に走るようになった。アパートを出て、坂を登り、近くの公園まで走る。そこで軽い柔軟体操をして、また走ってアパートに帰る。はじめのうちはそれだけでも体にこたえた。しかし、八十キロを超えていた体重が七十キロ台に落ちていくにしたがって、次第に走ることが楽になっていった。公園から、今は廃墟《はいきょ》となっている元の根岸競馬場のスタンドあたりを走り廻っても、少しも疲れなくなった。朝の公園では顔なじみもできた。声をかわすことはなかったが、いつも同じように走っている彼らを見かけると心が和んだ。
「しかし、どうして二月からだったんだい?」
運ばれてきたスープの皿に視線を落としたまま、私は内藤に訊ねた。
「もうすぐ俺は二十九になる、三十までもう間がないって気がついたんだ」
「そうか、君は五月生まれだったな」
「うん。そうしたら、こうしてはいられないって思えてきたんだ。急がなければ、って」
二十代の男にとって、三十歳という年齢はひとつの節である。少なくとも節であるかのように見える。だが、内藤の、三十歳という年齢へのこだわりは、単なる感傷によるものだけではなく、もう少し現実的な意味を持っていた。
「ボクサーにはね」
と内藤は言った。
「三十前にカムバックした人っていうのはかなりいるんだ。日本ではあまりいないけど、外国には多いんだ。でも、三十を過ぎると、かなり難しくなる。モハメッド・アリだって二十代の時にカムバックしたからうまくいったんだと思う。誰でも、三十前だったらどんな馬鹿をやってきていても、どうにかやり直しがきく。どうにか体を元に戻すことができると思うんだ」
「三十歳が君にとってのタイム・リミットだった、というわけか」
「そう、そうだね。二十九になると、もう一年しか残らない。四年もブランクがあるんだから、最低一年は練習しなければ元に戻らないと思ったんだ。一年練習して、ようやく試合のできる体になるかどうかといった程度なんだ。三十までにカムバックするためには、もう愚図ぐずしてはいられなかった……」
内藤はスプーンを動かす手を休めて、自分に言いきかすような口調で喋りつづけた。
「練習して、その結果、試合に出て勝てるような状態になるか、そういったメドが立つかしなかったら、今度こそ本当にやめるつもりだった。だから、三十になるまでの一年間は、今までやったこともないような練習でも、必要ならきちんとやろうと決心していたんだ」
ボクシングに向かう静かな気迫のようなものが私にも伝わってきた。
「しかし、そのあいだ、どうやって喰っていこうと思ったんだい」
「水商売をやってる時に残しておいた金がいくらかあったんだ」
「それで二月からこの夏までずっと暮らせたの?」
「うん、まあ……」
「そいつは凄《すご》いな」
「でも……今は働いているんだ、うちのやつが……」
「うちのやつ?」
訊き返してしまってから、それが一緒に暮らしている女性を指していることに気がついた。うちのやつ、か。私は笑いたくなるのを懸命にこらえた。その旧弊な物言いとアフロヘアーの内藤の風体はどこかそぐわなかった。
「結婚はしているの?」
私が訊ねると、内藤は視線を少し落として首を横に振った。
肉が出てきた。二人とも焼き方の注文はベリー・レアーだった。ナイフを入れると、微かに血の匂いがした。
「計算では十月くらいまで食べていかれるはずだったんだ」
肉を口にほおばったままで内藤は言った。
「貯金だけで?」
「うん、贅沢《ぜいたく》しなければね。秋まで大丈夫と思っていたんだけど、ボクシングをやり出してみると、グローブとかシューズとかいろんなものが必要になってきて、眼に見えない出費がかさんじゃったんだ。知らないうちに貯金が減っていって、二カ月分くらい喰い込んじゃった」
「二カ月といえば、……もうピンチなわけじゃないか」
「そうなんだ。だから、このままいったら八月には一銭もなくなってしまうっていうことがわかったんで、これはいけないと思ったらしく自分で働き口を見つけてきちゃったんだ」
「彼女が?」
内藤は頷いた。私が彼のアパートを訪ねた土曜の夜、本牧から戻ってくると部屋が真っ暗になっていたことを思い出した。
「それは夜の仕事?」
「なんか、バニーガールみたいなやつらしいんだ。客の隣に坐ったり、いろんなことをしなくていいというんで……」
内藤は少し口元を歪《ゆが》めた。
「大変だな」
私が呟《つぶや》くと、内藤はしばらく沈黙し、そして言った。
「ディスコをやめた時、うちのやつはまさかボクシングをやるとは思わなかったみたいなんだ。やりたいことがあると言っていたんで、残した金で何か別の仕事を始めるんだろうと思っていたらしい。朝とか晩に走ったりしていたんで、おかしいとは思っていただろうけどね。そのうち五月になって、誕生日がきたんで、いよいよジムに行って本格的にやろうと思った。で、うちのやつにそう言ったんだ」
「そうしたら彼女は何と言った?」
「反対だって。やってほしくないって。でも、どうしてもやりたかったから、それを押し切ってジムに通いはじめたんだ」
この年齢になってのトレーニングの再開が苛酷でないはずはない。かつての内藤なら自ら望むなどということは決してなかったろう。楽な方へ楽な方へと身を寄せるのが常だった。それが一緒に暮らしている女性の反対を押し切ってまでやろうとしている。私は意外な思いで内藤の顔を見つめた。
「最初から金子ジムに行ってたわけ?」
内藤は依然として船橋ジムに属しているはずだった。私には金子ジムに通っている理由がわからなかった。
「うん」
「どうして?」
「エディさんが金子ジムで教えているから……」
「そうだったのか……」
私は小さく頷きながら呟いた。
エドワード・タウンゼント。通称エディ。戦後日本のボクシング界は彼から実に多くのものを得た。それは白井義男を育てたアルビン・R・カーンから得たものと同じか、あるいはそれ以上に貴重なものだった。カーンが生物学のドクターであるという地点からボクシングに関《かか》わった珍らしい人物であったのに対し、エディはボクサーからトレーナーの道を歩んだ純粋のボクシング人だった。しかも、彼はトレーナーとして傑出した能力を備えていた。十六年前にハワイからやってきて以来、藤猛《たけし》、海老《えび》原《はら》博幸、柴田国明、ガッツ石松といった多くの世界チャンピオンを作り出してきた。田辺清もロイヤル小林もエディの教えを受けた。有望視されたボクサーで、彼のコーチを受けなかった者の方が、むしろ少ないとさえ言える。内藤もまたエディのコーチを受けたひとりだった。
内藤は、神奈川の武相高校三年の時ミドル級の高校チャンピオンになり、卒業してプロに転じたボクサーだった。昭和四十三年に船橋ジムからデビューし、第一戦を第一ラウンドのノックアウト勝ちで飾って以来、破竹の勢いで連勝記録を伸ばしていった。実に、二十四戦二十二勝無敗二引分。四十五年、帝拳の赤坂義昭を八回一分四十五秒でノックアウトして日本チャンピオンの座につき、四十六年には、韓国の李《イ》今沢《クムテク》を破って東洋チャンピオンの座まで奪った。この時、内藤はまだ二十一歳にすぎなかった。海老原博幸、ファイティング原田といったスターを、引退によって次々と失なっていた日本のボクシング界にとって、内藤はまさに救世主ともいうべき存在になった。彼の人気は並の世界チャンピオンも及ばぬほどのものになっていった。だが、二十五戦目に初めて敗れてから、何かが狂い出した。内藤がボクシングに対する情熱を失ない、無気力な敗北を続けるようになって、エディは船橋ジムから離れていった。エディはやとわれトレーナーだった。有望な選手を金で請け負ってチャンピオンにする。努力するに値するボクサーがいなくなれば、そのジムから離れざるをえない。それがジプシーとしてのエディの宿命だった。エディは船橋ジムから離れ、内藤から離れていった。
しかし、エディは内藤に対して独特の思いを持っているようだった。それは、白人と黒人との違いはあれ、共にアメリカ人と日本人の混血だというところからくるシンパシーによるものだったのか、同じように教えていた他のボクサーに対する思いとは明らかに異なっていた。
五年前、私は一度だけエディと言葉を交したことがあった。その時、私は彼がコーチをしたことのある数多くのボクサーについて訊ねていた。エディは他のすべてのボクサーを姓で呼んだが、ひとり内藤だけは「ナイトー」と言ったり「ジュン」と呼んだりした。ジュンは純一の愛称だった。
私は、今まで手がけてきたボクサーの中で最もうまかったのは誰か、と訊ねた。意外にも、その答えは、海老原でも、柴田でも、石松でもなく、内藤だった。では、最も素質が豊かだったのは誰か。エディは少し考えてから答えた。
「それは……やっぱり、内藤ね。今でも、やれば、六週間ちゃんとトレーニングすれば、ジュンが世界チャンピオンになる、自信ありますね」
そのエディと、五年後の今、再び組むというのだ。あるいは遅すぎたかもしれない。しかし、今の内藤にとって、エディ以上のトレーナーがいるはずもなかった。
「エディさんに見てもらいたいんで、金子ジムで一緒にやらせてもらっているんだ……」
内藤は明かるい口調でそう言った。
「君がもう一度ボクシングをやると言ったら、エディさんどんな顔してた?」
「…………?」
「信じなかったんじゃないかな」
「そうだね、信じなかったね。昔、俺、嘘ばっかりついていたでしょ。エディさんがよそのジムに行っちゃうと、これとこれをやっておきなさいと言われても、うんと言うだけで実際にはやらないんだ。次の日、練習したって訊かれると、したよとか調子よく答えてね。まったくひどいもんだった。でも、エディさんはとっくに見抜いていたんだよね。だから、今度、二月から走ってたと言っても、ちっとも本気にしてくれなかった」
「いつ頃から信じてくれるようになった?」
「どうなんだろう。いつということはなかったんじゃないかな。仕事をやめて、毎日ジムに通うのを見て、オヤッと思ったんだろうな。それに朝もきちんと走ってるでしょ。走らなければ目方が落ちないことを知っているからね、エディさんは。練習を終わって秤に乗ると、今日は何ポンドって訊かれるんだ。答えるじゃない。そうすると、朝ちゃんと走っているってことが、エディさんにはわかるんだ。そういうことを見たりして、少しずつ、本気でやるつもりなんだと信じてくれるようになったんだと思うな……」
私たちはしばらく話を中断して、肉に集中することにした。冷えてまずくなってしまいそうだったからだ。
ナイフとフォークを揃《そろ》えて置きながら、私から口を開いた。
「それから四カ月か。よく続いているな」
「ほんと、われながらよくやってるよ」
そう言って、内藤は笑った。
「まだ一年にはならないけど、試合をやる自信がついたわけ?」
「あと少し時間が必要だけど、もうそんな余裕はないからね」
「でも、慎重にしないと……」
「平気さ。だって、今までに、こんな練習をしたことはないんだから。今の一日分が昔の一週間分だからね。ほんと、恐ろしいよ」
何が恐ろしいのかよくはわからなかったが、その口調がおかしくて私は笑い出した。
「試合の相手は大戸健とか言ったね」
「うん」
「よく知ってる?」
「知らないんだ……」
内藤の声の調子が少し落ちた。
「大戸っていうのはヘビー級だって?」
私が訊ねると、内藤は黙って頷《うなず》いた。
「試合はミドル級に落とすんだろ?」
「いや」
「…………?」
「ヘビー級でやるらしい」
それを聞いて、私は口をつぐんだ。内藤の再起戦は必ずしもバラ色のものではなさそうだった。現在の内藤の体重は百五十六ポンド、約七十一キロにすぎない。ところが、ヘビー級は百七十五ポンド以上無制限なのだ。最も軽いヘビー級と闘うにしても、両者の間には十九ポンド、およそ九キロもの体重差がある。いくら重量級とはいえ、それはあまりにも無謀なマッチメークのように思えた。
「そいつは……ひどいな」
私は溜息《ためいき》まじりに言った。
「別にいいんだよ」
内藤は静かに言った。彼の内部ではその件についての結着はすでについているらしかった。私が無益な波風を立てることはない。
「試合は十月の何日なのかな」
「十日前後だと思うんだ、はっきり決まっていないんだけど」
「十日頃か……」
「その頃はもういないんでしょ? アメリカに行って」
私は何と答えてよいかわからなかった。間違いなく、五日後に日本を発《た》つ準備は整えてあった。割安の片道航空券を買い、ロスアンゼルスまでの予約も取ってある。しかし、本当にその飛行機に乗りたいと思っているのかどうか、内藤のカムバックを知って以来、自分自身にさえわからなくなっていた。私は曖《あい》昧《まい》な相槌《あいづち》を打つより仕方なかった。
しばらくして、私たちはそのステーキ屋を出た。月曜の夜だというのに、表通りは人の流れが激しかった。私たちはどこという目的もなく、ぶらぶらと歩きはじめた。交差点の洋菓子屋の前では、若者たちの群れがいくつもの塊になり、傍若無人の大声を上げていた。その人混みをぬって歩いている時、不意に内藤が改まった口調で言った。
「俺、クリスチャンなんです」
「…………?」
「洗礼を受けたんです」
「そう……」
私は生返事をした。何が言いたいのか、咄《とっ》嗟《さ》には理解できなかったからだ。
「俺について書いてくれた、あの本、あるでしょ」
私は歩みを止め、内藤の顔に視線を向けた。五年前、釜山から帰った私は、彼についてひとつの文章を書いた。「クレイになれなかった男」というタイトルだった。そして、二年前いくつかの文章を集めて出した本の中に、確かにそれも収めてあった。
「うん、それが?」
「それ……」
と言って、内藤は恥ずかしそうな笑いを浮かべた。
「うちの本棚の……バイブルの隣に並べてあるんです」
私は胸を衝かれ、返す言葉もなく、ただ内藤の顔を見つめているばかりだった。
その夏、私は毎夜、酒を呑んでいた。どこかで必ず呑んでいた。しかし、呑んでも呑んでも、酔うことがない。酔いは、頭の芯《しん》に小さな塊となって凝固し、快く全身に広がることがない。時折、胃のあたりに鋭い痛みの走ることもあったが、顔に酔いが出ないから、さらに人に勧められ、また呑むことになる。
夏の盛りになり、どこの呑み屋にも人が少なくなり、多くの店が長い休みに入るようになっても、私はまだ呑みつづけていた。
本来はさほど酒が好きなたちではなかったはずである。それまでの私は、酒がなければないで、何日も平気で過ごせた。しかしその夏、私にはどうしても酒が必要だった。煙草のけむりと、他愛ない馬鹿話が渦巻く雰《ふん》囲気《いき》の中に、逃げ込みたかったのかもしれない。毎日が憂鬱だった。辛いことに、その鬱々たる理由は、誰に喋るわけにもいかなかった。あまりにも恥ずべきことのように思えたからだ。
三カ月前、私はスポーツライターとして、致命的な誤りを犯していた。
もちろん、私が「スポーツライター」であったことは、かつて一度もない。「ルポライター」と呼ばれるスーパーマーケット、それも小さな村のよろず屋に近いスーパーマーケットとして、どのようなテーマでも引き受け、取り扱ってきた。雑多な主題のルポルタージュを書き散らしながらも、しかし、私には密《ひそ》かなひとつの思いがあった。それは、私はスポーツライターなのだ、という思いである。
さまざまなルポルタージュを書くうちに、いつしかスポーツを主題とした文章を多く書くようになっていた。私は、スポーツの世界、とりわけプロスポーツの世界に、強く魅《ひ》かれるようになっていたのだ。取りこめられた、と言ってもよい。スポーツについて多く書くようになったとはいえ、全体の仕事から見ればまだ大した量ではなかったが、やがて私はひとり密かに、自身をスポーツライターと規定するようになった。私はスポーツライターなのだ。リング・ラードナーやポール・ギャリコがそうであったのと同じ、スポーツライターなのだ。それが虚《むな》しい自己満足にすぎないとわかってはいても、スポーツライターという、一種の専門的なフィールドを持った書き手であるということが、自分でも意外なほど、よろず屋を開業していくうえでの、堅固な支えになっていた。
ところが三カ月前、私はスポーツライターであるなら決して許されないような誤りを犯してしまった。それは、スポーツライターとしての失敗というより、ルポルタージユの書き手としての、致命的で、しかも根本的な失敗というべきものであったかもしれない。私は人物の誤認をしてしまったのだ。ある男を、元東洋フェザー級チャンピオンの名ボクサーと取り違え、その男の言葉を、元チャンピオンの言葉として文章に記してしまった。
もちろん、誤認をするには、それなりの理由がないわけではなかった。
男は焼鳥屋の親《おや》父《じ》だった。普通なら間違えようはずもない。私をその焼鳥屋に連れて行ってくれたのは、元世界J・ミドル級チャンピオンの輪島功一だった。客には、私たち以外にもボクシングの関係者がいた。世界タイトルマッチを延期され、不意に目標を失ない、放心したような表情でウィスキーをあおっているロイヤル小林の姿もあった。やがて、私には、にこやかに笑っている親父が、かつてなんらかの形でボクシングに関わってきた人物なのではないか、と思えてきた。そこに輪島の紹介が加えられたのだ。輪島は、親父を友人として丁重に紹介したあとで、こう言った。
「こちら、セキやん」
私はすっかり親父を元チャンピオンと思い込んでしまった。フェザー級にしては少し小柄すぎるかなとも感じたが、細身で鋭い眼つきの親父には、十五年前の強打のサウスポーの面影が残っているようだった。私は、親父と言葉をかわし、深い衝撃を受けて、それを書いた。
誤りに気がついたのは、文章を発表して、しばらくしてのことだった。ある時、書店の軒先に並べられている雑誌を、別に買うつもりもなく手にとって眺めていた。パラパラと頁を繰っていると、一枚の写真が眼に止まった。キャプションを見て驚いた。キャプションではその元チャンピオンの名が記されているにもかかわらず、写真ではあの焼烏屋の親父とは確実に異なる顔の人物がうつっていた。似ていないこともなかったが、明らかに別人だった。もし、その写真が誤っていないとすれば、私が誤ったことになる。そして、それが誤っているはずはなかった。なぜなら、それは元チャンピオンが彼自身の過去を語っている、インタヴュー記事に添えられた写真だったからだ。
焼鳥屋で出くわし、少しばかり話しただけで、名前を確かめることすらせず一人合点してしまった自分が情なかった。誤りは誰でも犯す、問題はそれをどう正し、いかに繰り返さないかだ、などと思おうともした。だが、そのような心理操作くらいで、いたたまれぬほどの恥ずかしさが消えるはずもなかった。テレビ局にも、体操選手の具志《ぐし》堅《けん》を、ボクサーの具志堅と勘違いしたままアナウンスを終えてしまう、という猛者《もさ》がいる時代だ。人物の誤認など、あるいは珍らしくはないのかもしれない。しかし、私が私自身を致命的だと感じたのは、ただ単に人物を誤認したからというだけではなかった。
私には夢があった。いや、スポーツライターなら誰でも、スポーツについて書こうとしている者なら誰でも、と言い換えてもよい。夢を持っている。夢の内実にはそれぞれ差異があっても、彼らが、ゲームを冷徹に見据えつつ、そこに彼らの夢が具現されるのを熱い思いで待っている、ということに変りはない。彼らは、彼ら自身の夢を見たいために、プレイを、プレイヤーを、正確に見ようとする。彼らは、現実のゲームの中に、夢の対象と夢の瞬間を見つけるまで、忍耐強く待ちつづけるのだ。
夢を持つことは決して悪いことではない。しかし、スポーツライターが、その夢によって現実を変形したとしたら、それはかなり悲惨なことになる。スポーツライターとは、まずなによりも「視る者」でなくてはならない。夢を語るのはそのあとだ。
私が焼鳥屋の親父と元チャンピオンを取り違えてしまった最大の原因は、恐らく私自身の夢にあった。親父が私の夢の具現者のように感じられてしまったのだ。親父は私が聞きたいと思っていた台詞《せりふ》を吐いた。それは、単なるボクシング通の少しばかりうがった感想にすぎなかったのかもしれない。しかし、私にはそれが、元チャンピオンの心の奥深い所から発せられた吐息のような言葉である、と思えてしまったのだ。
四年前、かつて「無冠の帝王」と呼ばれたメキシコ人のボクサーが、日本にやって来たことがあった。彼にとっては十数年ぶりの日本であるはずだった。「ロープ際の魔術師」という呼称によって恐れられていた彼も、すでに年齢は四十を越えていた。だが、彼は観光のために来日したわけではなかった。現役のボクサーとして、ボクシングをするために来たのだ。かつて、彼が日本でグローブを交えたことのあるボクサーたちは、何年も前に引退していた。四十を過ぎてもなお現役でいられるという彼の肉体と、いまなおボクシングに執着しているという彼の情熱に、私は驚嘆し、あえていえば感動していた。
しかし、彼がリングに上がり、ガウンを脱いだ瞬間に、その感動が早まっていたことに気づかざるをえなかった。そこには十数年前の「無冠の帝王」はいなかった。あの「ロープ際の魔術師」はいなかった。かわりにそこにいたのは、たるみ切った皮膚を持ったひとりの中年男だった。かつての、しなやかな鞭《むち》を思わせた筋肉は跡形もなく消え、贅肉《ぜいにく》が動くたびにゆらゆらと揺れた。ただ、トレード・マークのコールマン髭《ひげ》が、昔と同じように唇の上にあるだけだった。彼は、日本に残っている僅かな名声を金で売り、昇り坂の若いボクサーに倒されるだけのためにやって来たのだ。結果は見なくともわかっていることだった。
「無冠の帝王」は、アマチュアから転向してまだ十戦目の若いボクサーに、一方的に打たれつづけ、第五ラウンドが終ったところで、試合を放棄した。コーナーの椅子に坐ったまま、ついに立たなかったのだ。倒されることもなく、TKOを宣せられ、「無冠の帝王」は敗れた。予想通りとはいえ、その敗北はあまりにも惨めだった。しかも彼は、涙を薄く浮かベ、自分はこの愛する日本で引退するのだといい、その場でテン・カウントのゴングを打ち鳴らすよう頼んだのだ。だぶついた腹の前に両手を垂らし、「無冠の帝王」は引退の十点鐘を聞いていた。惨めで、滑稽で、哀しい光景だった。
寂しく鳴り響くその鐘のひとつずつを聞きながら、私は、この日本のどこかに、私以上に憤りを覚えている人物が、必ずいるはずだと考えていた。
「無冠の帝王」、ジョー・メデル。私は少年時代に、彼の伝説的な「ロープ際の魔術」を震えるような思いで見たことがあった。壊れかかった白黒テレビで見ただけなのに、私の脳《のう》裡《り》にはすべてが鮮かに刻みつけられている。
メデルはメキシコが生んだ最高級のボクサーのひとりだった。浅黒い鋼のような肉体と、冷たく鋭い眼を持った、ものしずかな印象のボクサーだった。髪も髭も瞳《ひとみ》も、すべてが濡れているような艶やかさで黒く輝いていた。
昭和三十六年の夏、初めて来日したメデルは、フライ級からバンタム級に転向したばかりの関光徳《みつのり》と対戦した。ポーン・キングピッチの世界フライ級に挑戦して判定で敗れたとはいえ、強打のサウスポーとして関が日本を代表するボクサーであることに変わりはなかった。その関を相手に、メデルは酷薄とも思える冷徹な試合を見せることになった。
第二ラウンドに、ジャブのようなストレートでダウンを奪われた関は、第五ラウンドになってようやくチャンスを掴《つか》み、メデルを激しく攻めたてた。左右の連打が決まり、ロープ際に追いつめた。コーナーにつまったメデルに、関はとどめの一発を叩き込んだ。しかし、次の瞬間、キャンバスに崩れ落ちたのは関の方だった。熱狂していた観客は呆然として声を失った。テレビで見ている私にも、そこで何が起こったのか、少しもわからなかった。そのすべてが理解できたのは、テレビのスロービデオを見てからのことだった。メデルは打たれていたのではなかった、打たせていたのだ。ロープ際に追いつめられたのではなかった、誘っていたのだ。両腕で関のパンチをガードしながら、メデルが眼を見開いているのがよくわかった。関がこの一発、と気負って踏み込んだ瞬間、メデルの右フックが関の顔面を迎え打ったのだ。関は倒れ、ついに立ち上がることがなかった。勝負は一発のカウンターで決まった。
メデルに敗れることで、フライ級からバンタム級への転向に失敗した関は、さらにフェザー級へと転向していった。ヘビー級を除けば、ボクサーは誰でも、多かれ少かれ減量に悩まされている。階級をひとつ上げれば、それだけ減量が楽になる。だが、それは、同時に、それだけ強烈なパンチの持主と闘わねばならなくなる、ということでもある。
たとえば、バンタム級とフェザー級との間には、重さにして僅か三・五キロほどの違いしかないが、そのパンチ力の差を埋めるには、大河にひとり橋をかけるほどの困難を強いられることがある。フェザー級に転向した関は、シュガー・ラモスをはじめとして、三人の王者に四度挑戦したが、常に一歩及ばず敗退しつづけた。関は、東洋のチャンピオンになることはできたが、世界のフェザー級という対岸には、ついに架橋できずに終わった。
一方、メデルは、三十八年にも来日し、今度はファイティング原田と対戦した。その第六ラウンド。もちまえの闘志と馬力で前進に前進を重ねていた原田は、関と同じようにメデルをロープ際に追いつめた。瞬間、メデルの鋭い右が原田の顎《あご》をえぐった。原田も、関と同じく、その右アッパー一発でキャンバスに沈んだ。
それは寒気のするような光景でもあり、体の奥が熱くなるような光景でもあった。それ以後、本を読んでいて「獲物を狙う獣のような眼」といった文章に出くわすたびに、私は、打たれながら、いや打たせながら、相手を冷たく見据えていたメデルの眼を思い浮かベ、納得することになった。私にとって、ボクサーとは、永くジョー・メデルを意味していた。
そのメデルが、若いボクサーに軽くあしらわれ、涙を浮かべながら引退の十点鐘に聞き入っている。私は顔をそむけた。それが、真の引退の儀式であるのなら、かまわなかった。しかし、恐らく、彼にとっての真の儀式はとうに終っていたはずなのだ。これは、自分を買ってくれたプロモーターに対するサービスなのだ、と私には思えた。
私はメデルに憤りを覚えていた。
だが、かりに私が彼に対してファンとして以上の感情を永く持っていたとしても、憤るということが思い上がった行為であることはよくわかっていた。彼には彼の人生を選ぶ自由がある。もちろん、私が腹を立てようが、顔をそむけようが、それは大したことではない。しかし、彼とリングの上で闘い、彼に倒されることで、ボクサーとしての未来の芽を摘み取られてしまった者にとって、その日のメデルの無惨さはどう映っただろう。あの「無冠の帝王」に敗れたのだから、とどうにか自分を納得させていたであろう彼らにとって、その日のメデルの哀れな姿は許せないものと映ったのではなかったか。それはメデルの過去を汚すばかりでなく、彼らの過去をも泥まみれにするものだったからだ。私は、リングに駆け上がり、涙を流しているメデルにとびかかって殴り倒そうとする人物が出現するのを、なかば本気で待っていた……。
無論、そのようなことが現実に起こるはずもなかった。だが、私は、鐘が鳴り終って、メデルがリングを降り、控室に消えてもなお、心のどこかで待ちつづけていた。いや、その日が過ぎ、それから何年たっても、その夢を見つづけていたのだ。たとえとびかかりはしなくとも、そういった憤りを持った元ボクサーが、どこかに必ずいるはずだ、と。
私が焼鳥屋で誤認してしまった元チャンピオンとは、他《ほか》でもないその「無冠の帝王」に一発のフックで屠《ほふ》られたボクサーだった。関光徳。私は焼鳥屋の親父を、関光徳と取り違えてしまったのだ。
どうして勘違いなどしてしまったのか。理由は明らかだった。その店の客種や容貌の類似が決定的な要因ではなかった。その親父がメデルに対する独特の憎悪と愛着のこもった言葉を吐いたからなのだ。その言葉の奥から、あの日のメデルを叩きのめしたかった、という思いが感じ取れたからなのだ。しかしそれは誤解だった。親父もまた私と同じような熱い思いを持った単なるひとりのファンに過ぎなかった。にもかかわらず、私は私の願望を体現してくれているかのような存在を前にして、有頂天になってしまったのだ。私は現実をしかと見ようとせず、夢を見ようとだけしていた。その結果が、人物の誤認だった。偶然、似た姓であったにすぎない焼鳥屋の親父を、関光徳と早合点してしまった。しかも、それを疑うことすらせず、得々と文章にしてしまったのだ。
私は、その誤認に気がついて以来、深酒をするようになった。仕事をしようという気力が少しずつ失なわれていくようだった。恥ずかしいと思い、忘れたいと思った。初歩的だが根本的なミスだと感じられた。
夏の終りに近くなっても、憂鬱な気分は去ろうとしない。呑めば呑むほど恥の感覚は鋭くなっていく。そのうちに、俺はスポーツライターなのだ、と粋がっていた自分が馬鹿に見えてきた。そして思った。もうスポーツについて何かを書くのはやめよう。書く資格はすでにないのだ。そう思うと、いくらか楽になった。スポーツについて、というばかりでなく、しばらくはルポルタージュそのものを書くのをやめよう。そう思うと、さらに気分が楽になった。
私は仕事をやめて外国へ行こうかなと思うようになった。秋に一冊の本が出版されることになっていた。その印税を送ってもらえば、何カ月かは暮していける。
外国に行こうかと真面目に考えるようになった時、ふとアリのリターンマッチについての話を思い出した。調べてみると、確かに九月十五日、ニューオリンズのスーパードームで、レオン・スピンクス対モハメッド・アリの十五回戦が行なわれることになっていた。私はそれまでアメリカ大陸へは足を踏み入れたことがなかったが、まずリターンマッチをニューオリンズで見て、それから、南アメリカでも北アメリカでも好きな大陸の好きな国へ行けばいいのかもしれないと思った。そうだ、ひとまずニューオリンズに行ってみるか……。私はロスアンゼルスまでの安い片道切符を買い、座席の予約も済み、あとは搭乗日《とうじょうび》に飛行場へ行くばかりというだけになっていた。
新宿の呑み屋で、内藤のカムバックを知ったのは、まさにそのような時だったのだ。
私が金子ジムを二度目に訪れたのは、内藤との再会から三日後のことだった。
早く行きたかったのだが時間がなかった。永く日本を離れるという心づもりにしたがって、会うべき人に会い、済ませるべきことを済ませるよう予定をびっしりと組んであったのだ。こちらから頼んだ以上、変更してくれとは言えなかった。しかし、知人に会い、あるいは雑事を済ませながら、すでに自分の心がそこにないことに気づかざるをえなかった。早くジムに行き、内藤のスパーリングを見たかった。
六本木での別れ際に、内藤はこう言った。
「明日からスパーリングに入るんです」
相手はJ・ミドル級の堀畑ということだった。私は見てみたかった。五年前とどう違うのか。この半年の成果がどこまであがっているのか。生身のボクサーを相手にどこまで動けるのか。あるいは明日は行かれないかもしれないが、明後日には行くつもりだ。そう私が言うと、内藤は右手を軽く上げ、
「待ってますから」
と言って立ち去った。
だが、私は丸二日というものまったく身動きが取れなかった。三日後にようやく体は空いたが、まだスパーリングが続けられているものかどうか、不安だった。
玄関の戸を開けると、リングの横で英字新聞を広げている外人の姿が眼に入ってきた。エディ・タウンゼントだった。白いスラックスにプリントされた派手な柄のシャツを着ている。日本人だったらヤクザと間違われそうな服装を、しかしエディは実にスマートに着こなしていた。
英字新聞の頁を繰る腕の太さには、あいかわらずのたくましさが残っていたが、その皮膚には老人性のシミが点々と浮き出ていた。エディは老人になっていた。日本に来た時、すでに四十五を超えていたはずだから、今はもう六十をはるかに過ぎた年齢ということになる。それにしてはむしろ若いというべきなのかもしれない。しかし、五年前会った時にはまだ残っていた髪の黒い部分が、今ではすっかり白くなり、しかも驚くほど薄くなっていた。
挨拶すると、たどたどしい日本語で返事をしてくれたが、私のことを記憶している様子はなかった。
エディは、不意にジムの大鏡の前に歩み寄り、その傍に置いてある古いラジオのチューナーを回しはじめた。だが、思うようにいかないらしく、少しすると癇癪《かんしゃく》を起こして叫んだ。
「やってよ、誰か」
ひとりの練習生が、どこに合わせるんですかと訊《たず》ねながら近づいた。
「野球よ、スワローズよ」
そろそろナイター中継が始まる時刻になっていた。
「エディさんはスワローズのファンなんですか?」
私が訊ねると、エディは大きな表情を作りながら答えた。
「そうよ」
「どうしてスワローズなんですか?」
エディはそれに答えようとして、彼の日本語の能力では説明できそうにないことを悟ると、手を広げて肩をすくめた。そして、大きな声で笑い、私の肩を強く叩いた。
そこに、地下の更衣室から内藤が上がってきた。内藤はふたりが並んでいるのを見ると、エディに私を韓国へ一緒に行ってくれた人と紹介した。エディにわかるように伝えるには、それ以外に紹介のしようはなかったかもしれない。
白いシューズをはくと、内藤は前日に洗って干しておいたらしいバンデージを、窓の外から取り込んだ。
ボクサーの練習の第一歩は、グローブをつける前に、まずバンデージを手に巻くところから始まる。サンドバッグやスパーリング・パートナーを殴りつける拳《こぶし》を守るためのものだ。握った拳の最も鋭角的になる指の付け根とグローブとの間に、もうひとつのクッションを置く。
バンデージとはただの木綿の布にすぎないものだが、普通は包帯用のガーゼを何重にも巻いて代用する。しかし、ガーゼにしたところで、大した金額のものではない。金のあるボクサー、たとえば世界チャンピオンなら、一日に片手に一本ずつの包帯を使ったらそれはもう捨ててしまう。だが、ほとんどすべてのボクサーにとって、そのような賛沢《ぜいたく》は無縁のものである。プロボクサーとは、世界チャンピオンひとりを除いたすべてが貧しさに耐えねばならぬ、という職業であるからだ。包帯一本の金も惜しい。だから、彼らは一日の練習が終わると、汗にまみれたバンデージをよく洗い、干しておく。翌日、乾いたそれを再び使う。しかし、洗われ干されたガーゼは、だらしなく伸び、あるいは丸まり、極めて扱いにくくなる。そこで、拳を巻く前に、まず元のように丸く巻きあげる作業が必要となる。巻き、使い、洗い、干す。そのようにして、彼らは白いガーゼが灰色になるまで使い込むのだ。
内藤は、リングのロープにバンデージを引っ掛け、ゆっくりと巻きあげていた。巻きあげが終わると、口と顎をうまく使いながら、片手で反対の拳にバンデージを巻きはじめた。
私は、ボクサーの仕草の中でも、この瞬間を見るのが最も好きだ。いったい何を考えながら巻いているのだろう。あるいは頭の中には何もないのかもしれない。だが、これから自分の体を痛めつけようとする直前の儀式として、それは誰がやっていても厳粛な、一種の神聖さすら感じさせるものだった。
内藤は軽く動きはじめた。やはり素晴らしい体をしていた。五分もすると薄く汗ばんでくる。よく焼けたパンの耳のような深いブラウンの皮膚が、螢光燈《けいこうとう》の冷たい光をはじきとばす。三日前に感じた彼の体への驚きが、再び甦《よみがえ》ってきた。悪くない。それをエディに確かめたくて、なかなかいいですねと話しかけた。
エディは内藤の動きを眼で追いながら、
「そとの体、いいね。オーケーね。でも、なかの体、わからない」
と言った。
「なか? 内臓ですか?」
「それも、ありますね。でも、スタミナね、問題は」
「十ラウンド、続かないでしょうか……」
「わからない。これ、誰にもわからない。内藤、走りました。二月から走って、そとの体、よくなった。でも、なかの体、僕にもわからないよ」
二人で内藤の動きを見守った。リングの上で、軽くシャドー・ボクシングをしている内藤からは、何の不安も感じられない。
「このあいだ、竜反町《そりまち》と、スパーリングやったね」
今度はエディから話しかけてきた。
「竜に頼まれたんですか?」
「そうよ。でも、竜、大したことない。内藤がブンブンとやって、竜はノー・チャンスよ」
ブンブンと言う時、エディは左右の手を大きく広げ、アッパー気味のフックを一発ずつ振るってみせた。
「本当ですか、竜とやって!」
盛りを過ぎたとはいえ、竜反町はウェルター級の東洋チャンピオンだった。かつて輪島功一の世界タイトルに挑戦したこともある。その竜とスパーリングをして寄せつけなかったと言うのだ。
「ほんとよ。竜はノー・チャンスよ。少しも内藤に当たらないよ。内藤はとてもグッド。でも、ほんとの試合になったら、わからない。まだ、わからないよ」
エディは、内藤の体の真の状態を、まだ把《は》握《あく》できていないと思っているのだ。五年前なら、いくら外見が悪くとも、ボクサーとしての最低限の肉体を持っていることくらいは信じられたろう。しかし、あまりにも長いブランクが、内藤の肉体をどう蝕《むしば》んだかは実戦を通してしかわからない部分がある、とエディは考えているようだった。その兆しが表われているものなら見つけようと、私は眼をこらして内藤の動きを追った。
その時、玄関に堀畑が姿を現わした。まだスパーリングは続けられていたのだ。
堀畑道弘は、藤沢の山神ジムに属する、本来はミドル級のボクサーだった。しかし、この九月九日に、階級をひとつおとし、J・ミドル級の日本チャンピオン、柴田憲治に挑戦することが決まっていた。
試合までの日数からすれば、すでに何十ラウンドかのスパーリングを消化していなければならないはずだったが、堀畑にとってはこの内藤とのスパーリングが初めてのもののようだった。今なお、日本においては重量級のボクサーの絶対数が不足しているのだ。その上、柴田はサウスポーだった。重量級の、しかもサウスポーのスパーリング・パートナーとなれば、これはもうざらにはいない。堀畑は藤沢駅ちかくのラーメン屋の出前持ちをしているということだったが、内藤にスパーリングの相手をしてもらうため仕事を休み、山神ジムの会長ともども藤沢から下北沢の金子ジムまで来ていた。
堀畑は色白の、どちらかといえば細身のボクサーだった。しかし、日本人としてはかなり均整の取れた体つきをしている。髪にはパーマがかけられ、内藤ほどではないが柔らかく渦が巻いている。私は堀畑の試合を見たことがなかった。が、とにかく彼は日本二位のボクサーであり、内藤はランキングにすら入っていないボクサーであることだけは確かだった。
堀畑の五、六ラウンドのウォーム・アップが終わり、
「そろそろお願いします」
という山神ジムの会長の声がかかった。
リングの上でそれぞれの練習をしていた金子ジムのボクサーたちはそこからおり、かわりに内藤と堀畑が上がった。重量級の二人が立つと、急にリングは狭くなった。
スパーリングが開始される直前、山神ジムの会長は堀畑の肩を叩き、そして言った。
「思い切りぶつかってこい!」
まるで取的が関取に稽古をつけてもらう際の台詞《せりふ》のようだった。しかも立場が逆転している。それが元東洋チャンピオンの内藤への単なる社交辞令でなかったことは、ジムの三分計のゴングが鳴ってものの十秒もしないうちにわかった。
ファイティング・ポーズをとった内藤の眼は鋭かった。上体を軽く揺らしてはいるが、ほとんど動こうとはしない。堀畑は左右にステップしながらその周囲を動きまわるが、内藤は少しも反応しない。次第に堀畑は苛《いら》立《だ》ち、まず右のジャブを放った。だが、それは難なくウィービングでかわされてしまう。力をこめた左フックを放つと、これも巧みなスウェー・バックによって見切られてしまう。一発もパンチを出さない内藤に威圧され、堀畑の表情には微かな怖れのようなものが浮びあがってきた。
ジムは静まり返っていた。練習生たちはトレーニングを中断し、リング上の内藤と堀畑のスパーリングを見つめていた。
堀畑はヘッドギアーをつけ、股《こ》間《かん》を守るためのサポーターをつけていた。ノーファール・カップと呼ばれる堅牢な皮でできたサポーターだ。しかし、内藤はそのどちらも身につけていなかった。内藤には打たれないという絶対的な自信があるようだった。堀畑はいきなり、左、右、とストレートを繰り出した。しかし、いずれも簡単に腕でブロックされ、さらに続けざまに放った左フックも空を切り、堀畑の体勢は大きく崩れた。それを待っていたように、内藤の鋭い左フックが堀畑の顔面を迎え打ち、フォローの右のストレートも鮮やかにヒットした。その二発で堀畑はロープ際にはじきとばされた。現役の二位が、ランカーでもないボクサーに翻弄《ほんろう》されていた。
コーナーで、心配そうに見守っていた山神ジムの会長が、堀畑の背に大きな声を浴びせかけた。
「おまえのスパーだぞ!」
内藤はそこでフッと力を抜いた。抜いたのが見ている私にもわかった。堀畑はそこに襲いかかった。がむしゃらに突っ込み、何十発ものパンチを振るった。だが、どのパンチも的確なものではなかった。攻勢をかけているように見えるか、実は途方に暮れてパンチを出しているに過ぎない。駄々っ子が泣きながら両手を振りまわしているようなものだった。ロープに背をあずけた内藤は、ほとんどすべてのパンチをグローブでカバーし、頃合を見て堀畑の体を両手で突き放した。
内藤は見ているだけだったが、その背中には圧倒的な力感がみなぎっていた。
しばらくして、内藤は再び体から力を抜いた。そこにまた堀畑は踏み込み、今度は思い切りよく右のロングフックを放った。すると、それが内藤の顔面をとらえた。そしてさらに左のフックを返すと、これも頬にヒットした。
内藤はようやく真剣な表情になった。しばらく接近戦でもみ合ったあとで、堀畑との距離を半歩ほどに取ると、突然、内藤の体に厳しい線が浮き立ち、今までになかった鋭い動きで、右のアッパーを突き上げた。それは堀畑の顎を正確にとらえ、充分に振り抜かれた、まさに完璧《かんぺき》なアッパーだった。堀畑はのけぞり、鼻から血が滴《したた》り落ちた。スパーリング用の重いグローブでなければ、倒れていたかもしれなかった。
すると、私の横で黙って見ていたエディが、ジム中に響く大声で叫んだ。
「ダメッ!」
そして、さらにこう続けた。
「いま、それ使っちゃ、ダメッ!」
私は内藤と一緒にジムを出た。汗の匂いが充満している蒸し暑いジムを逃れて、夜のやさしい風に当りながら線路際の道を駅に向かった。
「堀畑は日本の二位だったよな」
私が訊ねると、内藤は頷《うなず》いた。その二位を内藤は猫が鼠をいたぶるようにもてあそんでいたのだ。
「自信が戻ってこないかい?」
「うん、まあね」
「堀畑だって悪いボクサーじゃない」
「そうさ、悪くない。いい素質を持っていると思うよ。でも……」
「でも?」
私は訊《き》き返した。
「うん、でもね、堀畑は駄目だと思うんだ」
「なぜ? どこが?」
「堀畑とはね、今日のスパーリングで、ちょうど十ラウンドになるんだ。一昨日が四ラウンド、昨日が三ラウンド、今日が三ラウンド。合計して十ラウンドということは、普通の試合のひとつ分でしょ?」
「そうなるな」
「堀畑はね、三日にわたって俺と試合をしているってことに、気づかなければいけないんだ。もしそれに気づいていれば、昨日までの七ラウンドで俺のボクシングを研究しつくしておいて、今日の第一ラウンドで、バシーン!」
内藤は立ち止まり、私の腹にパンチを叩き込む真似をした。
「俺を倒すことができたはずなんだ。でも、実際はこっちの方がチャンスは多かった」
「そうだった。倒そうと思えば倒せた」
「結局、このスパーリングで堀畑は何も学ばなかったわけじゃない。駄目だよ、それでは」
「そうかもしれない」
「いや、かもしれないじゃなくて、そうなんだ。スパーリングというのはね、ただ動きまわっていればいいっていうものじゃないんだよ。堀畑は、自分が主役なんだから、自分で仕切って、自分で流れを作らなければいけないんだ。このスパーリングの目標に合わせて、ああやろう、こうやろうってね」
内藤は、自分の考えをうまく言葉にすることのできる、日本では稀《まれ》なタイプのボクサーだった。しかも、その言葉は豊かで明快だった。
道の途中のラーメン屋から、野菜を炒《いた》めているらしい、油のはぜる音が聞こえてきた。
「飯でも食っていこうか」
私が誘うと、内藤は戸惑ったような表情を浮かべた。家に帰ってもひとりのはずだった。あるいは、金のことを心配しているのかもしれなかった。
「奢《おご》るよ。ここしばらくは大金持なんだ」
ことさら威勢のいい口調で言うと、内藤は頷いた。
「何を食べようか」
「肉が……いいな」
遠慮がちに内藤が答えた。駅の近くに安いステーキ屋があるはずだった。大金持にしてはかなりみみっちい選択だったが、実際のところはポケットの中の金にさほど自信が持てなかったのだ。
井《い》の頭《かしら》線のガードの向こうから、キャバレーの呼び込み屋の声が流れてくる。ガードをくぐると、ピンクのハッピを着た若い男が、景気よく手を叩きながら通行人に呼びかけていた。私たちがその前を通りかかると、こちらに振り向き気の利いた台詞のひとつも言おうとしたその男が、内藤の顔を見て息を呑んだ。暗がりの中で思いもかけぬ顔つきの男と眼が合い、どんな呼びかけをしていいかわからなくなってしまったのだろう。だが、その男のあまりにも露骨な驚き方が、私にひやりとしたものを感じさせた。だが、そんなことには慣れているらしく、内藤は気にした様子もなかった。私たちが通りすぎたあとで、ようやく呼び込み屋の声がかかった。
「ただいま特別サービスタイム。ワンセットが千八百円ぽっきり。カワイコちゃんが全員待機中ですよ……」
ということは客がひとりも入っていないということだ。私は笑い出しそうになったが、それに続いて投げかけられた言葉に、再びひやりとさせられた。
「さあ、いらっしゃい、そこのジーパンのお兄さんも、外人さんも……」
だが、内藤はそれにはまったく無関心に別の話を始めた。
「一昨日、うちのやつも来てたんだ」
「どこに?」
「ジム。もしかしたら来るかもしれないようなことを言ってたでしょ。だからうちのやつに会わせたいと思って」
「そうか……それは残念だったなあ」
私も会ってみたかった。会えば、内藤のいま置かれている状況が、もう少しわかるように思えた。
「せっかくだったのに、悪かったなあ」
「いや、別に。火曜があいつの休みなんで、それで連れてきただけだから。でもね……」
と言うと、内藤は何かを思い出したらしく、おかしそうに声を上げて笑った。
「うちのやつはね、殴り合いが嫌いだって言うんだ」
殴り合いが好きという女の方が珍しいのではないだろうか。そう半畳を入れようとして、話に水を差してしまいそうなので思いとどまった。
「そう、嫌いなのか……」
「大嫌いなんだって。俺が殴り合いをするのを見るのは厭《いや》だって言うんだ」
「ボクシングでも?」
「だから、ボクシングはやってほしくないと言うわけさ」
確かに、ボクシングも殴り合いに違いなかった。
「それじゃ、スパーリングの時はどうしたんだい。外にでも出てもらったの?」
「それで困っちゃって……」
内藤は、その時の困惑を思い出したかのように、また笑った。
「仕方がないから、俺の方は殴らないことにしたんだ」
今度は私が苦笑する番だった。まったく、それは内藤以外のどんなボクサーにも吐くことのできない台詞だった。
「そうしたら堀畑のやつ、調子に乗ってバンバンきたんですよ。でも、俺、じっと見ててほとんど殴らなかった。それで堀畑はこんなものかとたかをくくったらしく、次の日にもブンブンきたから、バシッと決めたら、それからシュンとなっちゃった。そう毎日うちのやつが来るわけないもんね」
内藤は愉快そうに笑った。
「昨日も今日も、バシッ、シュンさ」
しかし、そうは言いながら、内藤は今日も相手のために打たせてあげようと努力していた。
「どうして、打たせようとしてたんだい、その堀畑に」
「わかった?」
「誰にだってわかるさ」
内藤は鼻の頭に人差し指を当てながら、困ったように呟《つぶや》いた。
「あんまりガンガンやって、自信をなくさせると可哀そうだから……」
「やっぱり、君は変らないな」
私は思わず小さく溜息《ためいき》をついていた。
ステーキ屋は地下にあった。階段を降り、円形のカウンターになっている席に着くと、内藤はすぐにオレンジジュースを注文した。そして、運ばれてきたジュースを一気に呑みほした。それがすぐさま汗になってしまうような激しさで、どっと汗が吹き出す。タオルで拭っても拭っても止まらない。それは、厳しい練習をしてきたというあかしでもあり、また完全には体が絞り切れていないというしるしでもあった。
「少し疲れているみたいだな」
ステーキ屋の階段を降りる時も、足がかなり重そうだった。私がそう言うと、
「ほら、年だから、やっぱり」
と言って、内藤は口元をほころばせた。しかし、そこに悲観的な響きはまったくなかった。
眼の前で焼かれた肉がカウンターの上に並べられた。それを見ながら内藤が言った。
「久し振りだな、こんなに続けて肉を食べるなんて」
私は驚いて内藤の顔を見た。それほど金に窮しているのだろうか。すると、その驚きを察したように、内藤は言い直した。
「そうじゃないんだ。うちのやつがね、肉を食べられないもんだから、いつも魚と野菜ばっかしなんだ」
「まったく食べられないの?」
「うん。魚も頭なんかついてると気持が悪いって言うんだ」
小柄な女性だったが、そのような偏食があるとは思えなかった。もっと健康的にどんなものでも食べてしまいそうだった。
「彼女がね……」
私が呟くと、不思議そうな表情を浮かべて内藤が顔を向けた。
「うちのやつ、知ってたっけ……」
「知ってるよ、一度会ったじゃないか」
「いつ?」
「五年前になるかな、君のアパートで」
「ああ、それじゃあ、会ってない」
私には、それでは会ってない、という言葉の意味がわからなかった。
「どういうこと?」
「……別れたんだ、あいつとは」
内藤はそう言って、ほんの僅かだが唇を噛《か》んだ。思い出したくないことに触れてしまったのかもしれない。私が困惑して黙っていると、内藤は自分から話し出してくれた。
「韓国から帰ってきて、いろんなことがあった後で……しばらく外国に行ってたんだ」
「それはインドネシアのこと?」
「うん。……でも、どうして知ってるの」
私は曖昧《あいまい》に言葉を濁した。一度、彼が勤めている伊勢佐木町のディスコを訪ねたことがあった。その時、店の支配人から、内藤はインドネシアに行っていてここにはいない、と告げられたのだ。私は内藤の問いには答えず、逆に訊ねた。
「インドネシアにはどのくらい?」
「一年はいなかったけど……」
「そんなに長かったのか。それじゃあ……」
来ないわけだ、と私は口の中で呟いた。私が彼の店に行ったのは、あるボクシングの試合を一緒に見ないかと誘うためだった。その試合はどうしても内藤に見せたかった。しかし、インドネシアに行ってしまったことを知らされ、とりあえず、二週間後に催されるその試合のチケットを、アパートに郵送しておいたのだ。試合前に帰ってきたならぜひ見にくるように、という手紙を同封して。私は待ったが、とうとうその試合場に内藤は姿を現わさなかった……。だが、それも何年も前のことになる。内藤に説明するほどのことでもなかった。
「インドネシアに何をしにいったんだい」
「それはボクシングさ。あっちのプロモーターに呼ばれたんだ。でも、試合はあんまりやらないで、スパーリングのパートナーをしたり、トレーナーのようなことをしたりして、そのプロモーターの家に世話になっていたんだ」
「面白かった?」
「うん、とってもよかった。ひとつの試合をやって千ドルもらったのかな、それだけあればひとつの家族が一年ちかく暮らせるんだって、あそこでは。だから、金に苦労はしなかったし、そこで洗礼も受けたし……でも、帰ってきて……あいつと別れることになったんだ」
私は黙っていた。内藤は話を続けた。
「俺がインドネシアに行っている間に男ができちゃってね」
ことさら陽気に喋《しゃべ》ろうとしていたが、むしろそれが彼の受けた痛手の大きさを示しているようだった。私も、軽い調子で応じた。彼女に恋人ができたとしても仕方のないことだ。一年近くもひとりで放っておくからいけないのだ。私は、必ずしもそう信じているわけではなかったが、内藤にそのような意味のことを喋った。
「いや、放っておいたわけじゃないんだ。はじめ一緒に行こうと言ったんだ、俺が。そうしたらあいつが後から来ると言うから、航空券とパスポートを作ってあげて、そうして俺だけで出てきたのに……あいつが来なかっただけなのさ」
インドネシアに滞在中、彼のアパートの近くに住んでいる母親から、不思議な手紙が届いたという。おまえにはおまえの生き方があるように、あの子にはあの子の生き方があり、生活がある。内藤にはその意味がよくわからなかった。日本に帰ってきて、事情を知って、内藤は怒り狂った。
「俺がいない間も、ディスコの社長はしばらく給料をくれていたんだ。それをあいつは取りに行って……みんなあいつの男を知っていたから、結局、俺はいい笑い者にされてたというわけさ」
ある時、彼女を殴ろうとして、その場に居合わせた彼の母親が止めに入ったのにもかかわらず、そのまま手を振りおろすと、勢いあまって母親を殴り飛ばしてしまった。それ以来、もう決して手を上げるのはやめようと思い、同時に二人の仲も終らせようと思ったのだ、と内藤は言った。
「そうなのか、いま一緒にいる人は、あの時の人と別の人なのか……」
「そう、裕見子《ゆみこ》というんだ」
「どんな人なの」
「ブス」
そう言って内藤は嬉しそうに笑った。
「みんなそう言うんだ。あいつはいままでおまえがモノにした女の中で一番のブスだって。でも、俺には一番合うみたいな気がするんだ」
「どうして?」
「わからないけど、そんな気がする」
そして、ゆっくりと呟いた。
「だから……頑張らなくちゃ」
私は翌日もジムに行った。それが堀畑とのスパーリングの最後の日になっていた。
堀畑はすでに更衣を終え、鏡の前で体をほぐしていたが、内藤はまだ来ていないようだった。エディはリングの横の木製のベンチに坐って煙草をふかしていた。私の顔を見ると、肩をすくめて、言った。
「ジュン、きっと、寝てるね」
私は微《かす》かに笑った。内藤に時間を守るという観念が稀《き》薄《はく》なのはよく知っていたが、山手から下北沢に来るのに多少の遅刻は仕方がないように思えた。横浜と渋谷で二度も乗り換えなくてはならないのだ。タイミングが悪ければ、すぐに二、三十分の狂いは出てしまうだろう。
「いまに来ますよ」
私が言うと、エディは大《おお》袈裟《げさ》に顔をしかめてみせた。
「まだ、寝てるね。野口、きっと、そうだね」
エディは、リングの上で若いボクサーのパンチを受けてやっているスラックス姿の男に声をかけた。私が初めて金子ジムを訪れた時、あがりなよと言ってくれた男だ。内藤の話によれば、名を野口一夫といい、フライ級の元ボクサーで、現在では金子ジムの中心的なトレーナーになっているとのことだった。三十もなかばに近いと聞いていたが、年齢よりはるかに若く見えた。野口は、エディにそう話しかけられると、小柄な体に似合わぬ太い声で、
「いや、今頃、顔を洗ってますよ」
と言った。
ちょうどその時、玄関の戸を開けて、内藤が入ってきた。私たちはどっと笑った。内藤は自分が笑われているとも知らず、
「いや、昨日はまいったよ」
と上機嫌な声で私に話しかけてきた。ジム全体に聞こえるような大きな声だった。
「昨日の夜、一緒にステーキ食べたでしょ。そしてアパートに帰ったら、今度は友達が来てステーキを食べに行こうって言うんだ。食べてきたばかりだからって断わったんだけど、もっと体を作らなければ駄目じゃないかと言われて、また食べさせられちゃった」
そんなに食べてウエートは平気なのかいと言おうとして、彼がヘビー級で闘うことを思い出した。減量の心配より、体重を増やすことの方が大事だったのだ。
「……そうしてね、今日の朝、ママの家に行ったら、この頃あまり肉を食べてないだろうからって、また肉さ。朝からほんとにまいったよ、まいった」
しかし、その言葉とは裏腹に、声には嬉しそうな響きがあった。ジムのボクサーたちに聞かせたがっているような、幼い見せびらかしの調子が含まれていた。私はただ苦笑するばかりだった。
その日のスパーリングも前日とほとんど変らぬ展開に終始した。堀畑が接近してくると、内藤は巧みなダッキングでパンチを避け、時に左右のボディ・ブローを振るった。そのパンチが入るたびに、堀畑の動きが止まった。
第一ラウンドの終りちかくに、堀畑は大きく踏み込むと、左でアッパー気味のフックを放った。力のみなぎったいいパンチだったが、内藤の、素早く上体を後にそらす本能的ともいえる見事なスウェー・バックに、空を切らされた。二度、三度と同じことを試みたが、そのたびにかわされ、不様にバランスを崩した。
「もっと打て!」
山神ジムの会長が苛《いら》立《だ》たしそうに大声を上げた。
「内藤には当らなくても、柴田には当るんだ」
まわりで見ている者たちの顔には笑みがこぼれたが、山神ジムの会長は真剣だった。その言葉には冗談ではない、切実さがこもっていた。
私が黙って二人の動きを見つめていると、このジムのオーナーである金子が話しかけてきた。
「内藤、いいね」
「ええ、そうですね」
私は振り向き、返事をした。
金子は眼鏡をかけ、背広を着て、ネクタイをきちんとしめていた。中小企業の部長か会計事務所の税理士といった印象の、堅実でおとなしい風貌をしていた。その人物が元ボクサーで、しかもこのジムのオーナーだとは、とうてい信じられなかった。どう見ても興行というやくざな社会に似合いそうもなかった。いつもジムにいて、こまこまと動きまわっているので、何らかの関係者とは思っていたが、練習生のひとりが「会長」と呼び、その人物が「おう」と返事した時には、さすがに驚いた。この人が金子繁治なのか、とまじまじ彼の顔を見つめたものだった。
「体、よく締まってるね」
金子は私を内藤の親しい友人と理解してくれているようだった。
「そうでしょうか」
私は視線をリングに戻して言った。
「うん、いいね。内藤はカムバックできるよ。石松とは違う。あの体を見たら、誰にでもわかるよ」
しかし、その言葉は、一般的には内藤のカムバックもガッツ石松のそれと同列に考えられている、ということを逆に意味していた。
元世界ライト級チャンピオンのガッツ石松は、七七年四月、一年のブランクの後にセンサク・ムアンスリに挑戦し、六回KOで敗れた。ほとんど練習もせず、カムバックというヒロイックなイメージだけを追ったための、惨めな敗北だった。ボディに一発たたき込まれただけで、センサクの足元にうずくまってしまったのだ。
「石松と比べたら、内藤が可哀そうですよ」
私は金子に言った。
「そうだね、内藤はいま純粋にボクシングに向かっているからね。うまくいくと思うよ」
リングの上では、依然としてスパーリングが続けられていた。内藤は自信を持って堀畑をあしらっているようだった。堀畑がついに内藤をとらえきれないまま、第二ラウンドのゴングが鳴ってしまった。今日は二ラウンドで終りということだった。
エディはタオルで内藤の体をふきながら、厳しい顔つきで言った。
「いくらいいでも、ほめないよ」
内藤は驚いたようにエディを見た。
「今日はよかった、このくらいよかった、そんなこといくら言っても、しようがないね。だから、いくらいいでも、ほめないよ」
背中をエディにあずけたまま、内藤は微かに頷いた。
内藤と堀畑のスパーリングが終ると、若いボクサーたちが待ちかねていたようにリングに上がり、思い思いのスタイルでシャドー・ボクシングを始めた。しばらくして、内藤も再びリングに上がり、軽くステップを踏み出した。ぶつからぬよう器用に動き回りながら、左右のアッパーを突きあげ、その腕の曲り具合を窓ガラスに写しながら確かめていた。それを眺めていたエディが、
「ジュン!」
と不意に声をかけ、リングの中に入っていった。そして、ひとつのことだけをコーチした。それは、ダッキングで相手のパンチをかわした直後に、逆に反撃する際の足の踏み出し方とパンチの出し方だった。相手の左を横へのダッキングで逃れたあと、踏み込んでそのボディに右フックを叩き込む。そのタイミングと、パンチの角度について、エディは注意した。それはインファイトの高度なテクニックのひとつだった。
ボクサーは、その闘いのスタイルから、ファイターとボクサーの二つのタイプに分けられる。ファイター・タイプは、相手に接近し、パンチ力にまかせて、激しく打ち合おうとする。一方、ボクサー・タイプは、足を使い、相手との距離を充分にとり、動きをよく見て、カウンターを狙おうとする。
エディは、どちらかと言えば、ファイターを好んだ。そこには、プロである以上、人気を獲得し、金を獲得するには、逃げるのではなく打ち合わなくてはならない、という判断があった。デビューしたばかりの頃の内藤は明らかにボクサー・タイプだった。足が速くて、眼がよかった。先天的な防禦《ぼうぎょ》技術を持っていた。しかしエディはその内藤をファイターに改造しようとしたのだ。自分の持っているインファイトの技術を内藤に教え込もうとした。そして、実際、ある時期までは非常にうまくいっているかに見えたのだ。
内藤の情熱の喪失によって、その試みは途中で挫《ざ》折《せつ》してしまっていたが、エディは再び、その改造に乗り出していた。いまもなお、内藤の身のこなしは重量級に似合わぬ軽やかなものだったが、二十代の初期に持っていたフライ級のようなスピードはすでに失なわれていた。内藤は必然的にファイターたらざるをえない時期になっていた。エディのインファイトの技術を真剣に覚え込まざるをえなくなっていたのだ。
エディはリングの中央で内藤と正対していた。手のひらを広げ、それを左の脇腹の横に構えると、
「カモン、ジュン」
と言った。内藤がスパーリング用のグローブをつけたままの右で軽く打つと、
「ノー!」
と大きな声を上げた。
「ちがうよ、そんなにアッパーだないよ、しっかり、打ってよ!」
内藤が鋭く右足を踏み込み、強く打つと、エディの手のひらで激しい音がした。
「ちがう!」
そう言って、エディはまた構え直した。手のひらが赤くなっていた。普通、トレーナーがボクサーのパンチを受ける時は、ストライキング・ミットという皮製品を使う。しかし、エディは素手だった。内藤は、再びその手のひらに向かって、ボディ・フックを放った。紙が引き裂かれるような音がして、エディの手が後にはじかれた。
「そうよ!」
一声叫んで、エディは全身から力を抜いた。
「そう、それでいい。オーケーよ」
内藤は黙って頷いた。エディはリングから下りて、煙草に火をつけた。二人の練習はそれで終りのようだった。時間にして二分足らず。しかしそれは実に充実した、緊張感のみなぎる二分だった。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
ジムの横を何台も電車が通過していく。そのたびに、ジムは揺れ、ガラス窓が震えた。電車の中の乗客はほとんどがジムの存在に気がつかないようだった。あるいは気がついても関心を示さない。
しかし、徐行する電車の釣革にぶらさがっていて、ジムの中で自分の体を激しく痛めつけている若者の姿があるのに気づくと、僅かではあったが、軽い衝撃を受けたような表情を浮かべる者がいた。釣革にぶらさがっているだけの自分を恥じるかのように、何度も眼をしばたたかせ、やがて眼を伏せて電車ごと遠ざかって行く。私はソファに坐り、彼らを眼だけで見送る。
冷房のために窓を閉め切った電車の中で、螢光燈《けいこうとう》に照らされた乗客の顔は、どれも蒼白《あおじろ》く映った。
見つづけよう、とふと思った。かりにロスアンゼルスまでの航空券が無駄になろうとも、内藤の試合は見よう、と思った。
その夜、赤坂で知人と会う約束があった私は、内藤と一緒に井の頭線で渋谷まで出ることにした。
下北沢の改札口で切符を買おうとすると、
「俺は定期なんだ」
と内藤は言って、尻のポケットから紐《ひも》のついた定期入れを出して見せた。
「幼稚園の子供みたいじゃないか」
私が冷やかすと、
「まるでガキさ」
と内藤は笑いながら応じた。
「で、真面目に通っているというわけだ」
「そうなんだ。元を取らなけりゃ損だからね」
「それはいい傾向だ」
私が茶化すような調子で言うと、内藤はいくらか真剣な口調でこう言った。
「それに……定期を持ってると一日に一円も使わないで済むんだ。無駄な金が出ていかないからありがたいんだよ」
乗った電車は運悪く冷房車ではなかった。天井でまわっている扇風機の下に立ったが、生温い風がかえって汗を誘うようだった。
「エディさん、だいぶ熱が入っているようだね」
私が言うと、内藤は嬉しそうに笑った。
「そう、もしかしたら、俺よりいれこんでいるかもしれないよ」
内藤がボクシングを再び始めたということを知った時、彼の母親が言ったという。何年か前にエディさんから電話がかかってきた。もし、ジュンがいまやっている仕事を好きでないのなら、もう一度ボクシングをやらせてみたいのだがどうだろう。もし、いまの仕事がうまくいっているのなら、こんな電話があったということは知らせないでくれ。そういう電話だった。判断を委《ゆだ》ねられた母親は、結局、知らせないという道を選んだ。自分からやると決めたのを知って、そのことをはじめて教えてくれたのだ、と内藤は言った。
「そうか、エディさんはずっと、君のことを気にかけていてくれたわけだ」
「うん、そうらしい」
「エディさんにはエディさんの夢があるんだろうな、君に対する」
「それにね、エディさんは、俺のこと、最初で最後の選手というつもりで教えてくれていると思うんだ」
「どういうこと?」
「エディさん、俺のマネージャーになってもらったんだ」
「…………?」
「いままで、船橋ジムでいろんな人がマネージャーをやってたけど、みんなボクシングを知らない人ばっかりで、かえって迷惑なくらいだったんだ。それで、今度またやることにした時、船橋の会長のところに行って、俺、エディさんと二人でやりたいから、って言ったんだ。トレーナーもマネージャーもエディさんにしてもらいたいって」
通常、ボクサーのファイトマネーは、三十三パーセントがマネージメント料として、天引きされることになっている。その三十三パーセントをマネージャーとトレーナーが折半するのだ。日本では、ジムの会長がマネージャーを兼ねている場合が少なくないのだが、船橋ジムでは、会長と別に何人かのマネージャーがいた。会長はその人間を養っていかなくてはならない。内藤がいくらエディに替えてくれと言っても、簡単に許してくれるとは思えなかった。
「会長はオーケーしてくれた?」
私は内藤に訊ねた。
「うん」
「よく許してくれたね」
「それが駄目なら、もう船橋ジムでなんかやんないで、アメリカでもどこでも行くって感じで言ったんだ」
「そうか。それは会長だって、選手をひとりでも失なうのは厭だろうからな」
日本のプロボクシングの世界では、選手の意志でジムを変わることはできない、という不文律がある。ジムの会長の合意がないかぎり、絶対に他のジムヘ移ることは許されないのだ。だから、選手がジムの会長と衝突した場合、選手の側に残された反抗の手段は「引退」と「外国」しかない。内藤は、そのうちの、外国を使ったわけだ。もちろん、それにはそれなりの覚悟が必要だが、船橋ジムの会長は内藤の意志が固そうなのを見て取ったに違いなかった。たとえマネージメントの金を全部エディに渡したとしても、興行の権利はジムの側に残っている。内藤にヘソを曲げられ元も子もなくすより、気分よく試合をやらせた方が得だ、内藤にはまだなにがしかの興行価値があるのだから、と判断したのだろう。
私には内藤がマネージャーを替えてもらいたいと望んだ気持がよく理解できた。船橋ジムは会長をはじめマネージャーにもボクシングの経験者がいなかった。興行の関係者かジム経営に乗り出してきた珍らしいジムだったのだ。マネージャーたちが、会長夫人を「あねさん」と呼ぶような雰囲気のジムだった。内藤は彼らのボクシングに対する知識と情熱に対してほとんど信頼感を持っていなかった。
「ただ金のために妙な試合を組まれるのは厭じゃないか」
と内藤は言った。
「それはそうだな」
「今度の大戸との試合だけは仕方ないけど、これからは、エディさんがノーと言えば、どんな試合も組めないんだ」
エディはこれまで常にやとわれトレーナーだった。必要になると呼ばれて選手を見る。だから、かつてエディが自分の選手を持ったことは一度もなかった。内藤が自分を、エディにとって「最初で最後の選手」と言ったのも、少なくとも「最初」という部分では誤まりではなかった。
「エディさんも年だからね」
内藤がぽつりと言った。私は黙って頷《うなず》いた。
「エディさん、マネージャーだから、俺がよくなれば、一緒によくなっていくからね。頑張らなけりゃいけないんだ」
「金のこと?」
「そう、金のこと。エディさん、あんなにチャンピオンを作ったのに、少しも金を残せないで、結構、苦しいらしいんだ」
考えられないことではなかった。世界チャンピオンを作らないかぎり、エディには大した金が入らない。そして、ここ何年と、エディは世界チャンピオンを作ることに成功していなかった。しかも、コーチをしている選手といえば、内藤を除けば金子ジムの村田英次郎ひとりなのだ。村田は若く有望なボクサーだったが、エディに大金を稼《かせ》がせてくれるほどにはなっていなかった。
「俺も金が欲しいけど、エディさんにも、一花咲かせてあげたいんだ」
「そのためには……」
私が言うと、
「そうなんだ」
とだけ言って内藤は口をつぐんだ。それに続くべき言葉は口に出さなくとも互いにわかっていることだった。しかし、カムバックすらしていないボクサーに、それは夢としても不釣合いな言葉だった。
車内を見渡すと、扇風機の風にはためいている週刊誌の広告が眼に止まった。そこに「王者スピンクス」という記事のタイトルがあった。私がそれを眺めていると、内藤も顔を向け、
「スピンクスか……」
と呟いた。
スピンクスがアリを破った二月の試合は、三人のジャッジの採点が二対一に分かれた。少なくともひとりのジャッジはアリの勝ちとしたわけだが、テレビで見たかぎりでは圧倒的にスピンクスが優勢なようだった。三対零でスピンクスが勝つべき試合だった。しかし、だからといって、次の試合にもスピンクスが圧勝できるかどうかはわからない。
「今度はどうなるだろう」
私が訊ねた。
「さあ……」
内藤は考え込み、しばらくしてから、
「わからない。……だから、見たいね」
と言った。
「見たい?」
「うん、とても見たいなあ」
「一緒に行きますか」
私が冗談めかして言うと、内藤はびっくりしたような表情を浮かべた。
「ニューオリンズまで見に行きますか」
「行きたいね……」
「金なんか、かき集めればどうにでもなるから」
「うん、いいね」
「行こうか」
「行こうよ」
私たちは、陽気にアメリカ行きを口にした。しかし、ふたりは、ほとんど同時に、そんなことができるわけはないということに気がついた。いや、はじめから気がついていたのに、ただそう言ってみたかっただけなのかもしれない。試合を一カ月後に控えたボクサーが、練習を中断し外国へ遊びに行くなど、内藤でなくとも許されるはずがないことだった。内藤が昂奮《こうふん》から醒《さ》め、落胆したような口調で言った。
「でも、試合が十二日にあるし……」
「十月十二日に決まったの?」
「朝、船橋ジムから正式に決定したって電話があったんだ」
「そうか……」
アリの試合が九月十六日だから、日本に帰ってくるのは二十日頃になってしまうだろう。行くなどといったらエディは真っ赤になって怒るに違いなかった。いや、エディでなくとも、私がマネージャーでも許しはしない。
「無理に決まってるよな」
そう言ってから、私は初めてアメリカへ行こうとした理由を内藤に説明した。本当はひとりでその試合を見に行くつもりだったということ。しかし、いまはその気が薄れているということ。見たくないわけではないが、それよりもっと見たい試合ができてしまったから……。そこまで話すと、内藤がさえぎるように言った。
「見に行ってくれないかな」
「…………?」
「アリがどういう闘い方をするか、しっかり見てきてほしいんだ」
「…………」
「アリは、この間、ああいう負け方をしたけど、今度はまったく違う闘い方をすると思うんだ。そうじゃなければ、アリはグレイテストでも何でもない、ただのボクサーということになる。きっと、違う戦法を考え出すと思うんだ、アリがアリなら、ね」
そして、内藤はさらにこう言った。
「俺のかわりに、見てきて下さいよ」
決まった、行こう、と私は思った。行って、見届けてこよう。しかし、見届けたら、すぐに帰ってくるのだ。そう思い決めると、気持が軽くなった。迷いが吹っ切れていくようだった。アメリカ行きは二日後に迫っていた。だが、出発はもう少し先に延ばしたかった。問題は、安い航空券のブローカーが出発便の変更を認めてくれるかどうかだったが、それも何とかなりそうな気がした。
電車が渋谷に到着した。改札口を出て、私たちはそれぞれの乗り場に向かった。別れ際に、
「見に行くことにするよ」
と私が言うと、内藤は少し笑って頷いた。
第三章 交錯
その日は、台風の影響ということで、朝から断続的に雨が降っていた。線路際のジムへ続く道も黒く濡れていた。
航空券はいくらかの手数料を払えば出発便の変更が可能ということだった。格安のチケットなのだから、それくらいのペナルティーは仕方なかった。私は出発を一週間延ばし、その一週間を内藤の練習を見つづけることで費やすことにした。
内藤はその日、長岡俊彦というミドル級のボクサーと、三ラウンドのスパーリングをすることになっていた。長岡は金子ジムに所属する重量級のホープだった。日本ランキングの第三位の選手で、かつて日本ヘビー級の初の大物スターとなったコング斎藤を、二ラウンドでノックアウトしたこともあった。長岡も、堀畑と同じく間近に試合を控えていた。内藤はその調整台だったが、しかしそれは彼にとって決して迷惑なことではなかった。何年も実戦から離れていたのだ、試合の勘を取り戻すためには、一ラウンドでも多くスパーリングをする必要があった。
ジムでは内藤が新聞記者と話をしていた。スポーツニッポンのボクシング担当記者のようだった。長岡のスパーリングの様子を見にきたらしかった。
私がいつものようにリングの前の壊れかかったソファに坐ると、内藤が隣に腰をおろして、白いシューズの紐《ひも》を結び直した。
「やっと、このシューズが足に馴染んできてね、汗を吸って」
内藤はシューズの上に出ている赤い靴下を折りながら言った。
ふと気がつくと、私たちの傍に中学生くらいの少年が立っていた。少年はリングの上の練習風景を熱心に眺めていた。
「ボクシング、やりたいのかい?」
内藤が優しい口調で話しかけた。少年は顔を赤くした。
「やるつもりなのかい」
内藤が繰り返すと、少年ははにかんだような笑いを浮べて首を振った。
「どうして? 怖いのかい?」
少年はまた首を振った。
「やってみたいんだろ」
しばらくして、少年は小さな声で答えた。
「はい……」
「だったら、やってごらん」
「…………」
「何でも、やろうと思ったことは、やっておいた方がいいんだよ」
「でも……続くかどうかわからないから」
少年は恥ずかしそうに言った。
「そうか。それだったら、試しに二、三日、やらせてもらえばいいんだよ」
「だって、靴もないし、トランクスも持ってないし、グローブだって……」
それを聞いて、内藤は歯を見せて笑った。少年がまだ練習のうちからトランクスが必要だと思っているのが可愛らしくて、私も笑った。何カ月かの練習が終ってからでなければ、スパーリングをさせるわけにはいかないのだ。それまではグローブにしたところで必要ではない。
「そんなのはいらないんだよ。運動靴と短パン持って、明日から来てごらん。それで続くようだったら、ジムに入れてもらいな」
少年の顔が明るく輝いた。そして、しばらくして、帰っていった。
「嬉しそうだったじゃないか、あの子」
私が言うと、内藤は照れた。
「もしかしたら、あの子に、とんでもない素質があるかもしれないもんね」
「まったく、そうだな」
私はそう言いながら、いつだったかこれと同じような言葉を聞いたことがあるのを思い出していた。
釜山でのことだったから、やはり五年前だ。内藤と一緒に入った「日育亭」という日本料理屋で聞いたのだった。内藤はその店に以前も来たことがあるらしかった。主人に、前にいた少年はどうしたのかと訊《き》き、やめたのだと知ると、その子に会いたかったのに、と残念がった。七、八歳の子が店を手伝っているので、主人の子供かと思ったが、使用人と聞いて驚いたのだ、と内藤は言った。とても頭のいい子で、一を言うと十まで気がつくような子だった。内藤はそうほめたあとで、こう言った。学校にちゃんと行かせたら、きっと伸びるだろうな。私はその言葉を聞いて、初めてカシアス内藤というボクサーの内面が、微《かす》かに見えかかったような気がしたものだった。
「そろそろスパーリングを始めるぞ」
不意に金子の声がした。内藤は立ち上がり、マウスピースを洗面所で洗い、口に含んだ。一、二度、唇を大きく動かし、歯としっくり合うようにする。それから、ジムの練習生に、スパーリング用のグローブをはめてもらう。長岡の用意はすでに終っていた。両手のグローブをパーンと合わせると、内藤はリングに上がっていった。
サウスポーの内藤は、構えると右手が前に出る。その右を、長岡の左のグローブに軽く当てると、スパーリングは開始された。内藤がすり足でゆっくり動きはじめると、キャンバスに敷いてあるビニールが、猫の悲鳴のような音を立てた。
長岡は内藤よりひとまわり大きな体つきをしていた。ヘビー級で闘ったこともあるということだったが、鈍重といった印象はなかった。しかし、長岡は内藤につけいる隙をなかなか見つけられないでいるようだった。
コーナーに立っていた金子が、長岡に声をかけた。
「かたくなるなよ」
堀畑の時と同じように主客が転倒していた。ヘッドギアーをつけた長岡がはっきりと頷くのがわかった。内藤は、長岡に対しても、ヘッドギアーやノーファール・カップをつけずに闘っていた。
内藤の右が軽く突き出される。探りを入れるそのジャブが、ストレートのようなスピードで、ヘッドギアーで守られている長岡の顔面にヒットする。長岡は避けようとするのだが、どうしても避け切れない。さほど力はないが、速いのだ。速くて、伸びがある。時折、長岡はぶつかるように接近すると、大きく左右のフックを振るったが、効果的なパンチは一発も入らなかった。フックとは鉤《かぎ》を意味する言葉だが、長岡の鉤のようなパンチに、内藤の体はどこも引っ掛からなかった。
だが、内藤は自分から打って出ることをまったくしなかった。打つチャンスだと思える時にも、ただ見ているだけだった。ジャブを放ち、軽やかにリングを動きまわるが、それだけなのだ。時に、フェイント気味に、モハメッド・アリがよくやる、足の瞬間的なスイッチを披露して見せたが、それから攻めるというわけでもなかった。たとえスパーリング・パートナーに徹しているとしても、もう少し打たなくてはいけないのではないか、と私には思えた。これは長岡のスパーリングであると同時に、内藤自身のスパーリングでもあるのだ。
第二ラウンドに入ると、長岡はさらに強引に接近してきた。リングの中央の揉《も》み合いを、内藤は軽くすり逃げようとしたが、長岡のガムシャラさに押されて、ロープにつまった。長岡は激しく打って出た。はじめて緊張した雰《ふん》囲気《いき》がリング上に生まれた。しかし、内藤はブロックとウィービングでパンチをかわすと、実に綺《き》麗《れい》に体をいれかえた。ジムの練習生の間から小さな嘆声が洩れた。
「相手をよく見ろ!」
トレーナーの野口が長岡に言った。
内藤はリングの中央で、長岡が体勢を立て直すのを待っていた。私には内藤の態度が解せなかった。しかし、しばらくして、内藤が金子の傍に立っている新聞記者の表情をチラリとうかがうのを見て、ようやく理解することができた。どうにかして、長岡の見せ場を作ってやろうとしていたのだ。変らないな……私は何日か前に内藤に言った台詞《せりふ》を、もう一度、口の中で繰り返した。
第三ラウンドに入っても、長岡が攻めたて、内藤がかわす、というスパーリングの流れは変化しなかった。二分を過ぎた頃、また長岡がロープ際に内藤を追いつめた。今度もブロックとダッキングでパンチを避け、軽く体をいれかえようとした瞬間、長岡の重い左のボディ・ブローが、内藤の右脇腹にめり込んだ。
「ナイス!」
叫んだのはエディだった。
「長岡、ナイスね。内藤、それで寝るね。試合なら、それで終りよ!」
エディは、内藤の憎悪をかきたてるような、極めて挑発的な口調でそう言った。内藤の力を抜いたスパーリングに激しく腹を立てているようだった。
内藤は、そこで、初めて自分から打って出た。左のストレート、右のアッパー、そして右のフック。しかし、力があまって、攻撃は空廻りしてしまう。内藤がスマートにパンチを当てようとすると、長岡はそれを体で受けながら、それより重いパンチでロープ際に追いつめた。そして、ついに、内藤が攻撃のリズムをつかむ前に、終了のゴングが鳴ってしまった。
エディは私の横のソファに坐り、煙草を取り出した。マッチを探るエディの顔は険しかった。奥歯を何度もきつく噛《か》みしめた。それはエディが苛《いら》立《だ》っている時の癖のようだった。リングを下り、タオルを取りに来た内藤に、エディは低く、しかし怒気を含んだ声で、言った。
「どうして遊ぶの」
内藤はエディの前に黙って佇《たたず》んだ。
「どうしてなの。このスパーリング、長岡のもの。オーケー、そうよ。だから、一発入れて、あとは軽くやる。バンバン、バンバン、やったらいけないよ。でも、どうして一発も入れないの。ふらふら、ふらふらして、リングの上で遊ばないでよ、こんなことして……」
エディはそう言い、だらりと両手を下げ、頭を上げて、体を左右に揺らした。
「あんたのパンチ、ひとつも入ってないよ。もっと強い人とやったら、笑われるよ。やめて、みっともないから」
内藤は何も言わずにそこから離れた。その背に、エディは鋭い言葉を投げつけた。
「ジュン、ひとつだけ言っておく」
内藤は静かに振り返った。その平静さに、エディはさらに苛立って声を荒らげた。
「リングに入ったら、人を殺す気持よ!」
ジムの中は静まり返った。内藤は視線を床に落とした。
「ジュン、あんた、殺すの? それとも、殺されるの?」
やはり、と私は思った。エディが恐れていることは、今もなおこのことなのだ。
「どっちなの、殺すの、殺されるの!」
私は背筋を冷くしながら、エディの言葉を聞いていた。
ミドル級のボクサーとして、内藤が天才的な素質を備えていることは、アマチュア時代から広く人の認めるところだった。
ボクシングは、ハンマーのようなパンチによって相手を倒すこともできるが、非力な者がスピードとタイミングによってハード・パンチャーをキャンバスに沈めることも不可能ではない、というスポーツなのだ。ボクサーに必要なのは腕力よりも足とバネと眼のよさだと言い切っても大きな誤りではない。内藤には素晴らしい足とバネと眼があった。
はじめ内藤が高校時代に選んだスポーツは陸上競技だった。種目はハードル走である。校庭で見事なハードリングをしている大柄の生徒を見かけて、ボクシング部の監督をしていた教師が熱心に入部を勧めた。彼が見込んだのは、内藤のスピードとバネのよさだった。実際にボクシングをやらせてみると、眼のよいこともすぐにわかった。パンチを避けるのに際立ったうまさを発揮したのだ。
高校三年になって、内藤はインターハイに出場する。その直前に、オーソドックスからサウスポーにスタイルを変えた。それは監督の指示によるものだった。右利きだったが、サウスポー・スタイルで構えたほうが、はるかに腰が安定したからである。しかし、試合まで何日もあるわけではなかった。天才でもなければ、そんな短期間に、スイッチしたスタイルを自分のものにすることなどできはしない。だが、この急造サウスポーは難なくそのスタイルを身につけ、あっさりと優勝してみせたのである。
プロに転向してからも、内藤は非凡さを発揮し、四回戦、六回戦、八回戦と無敗のまま通過して、七戦七勝で十回戦ボクサーとなった。メインエベンターになってからも、内藤は負けることがなかった。しかし、周囲の人びとは、その輝やかしい勝利の中に、不吉な影のようなものが存在することを、うっすらと感じはじめるようになった。確かに内藤の才能は傑出している。確かに連勝街道を驀進《ばくしん》している。しかし……という思いである。
内藤の試合は、圧倒的に勝っている時でさえ、常に中途半端な印象しか残さなかった。自分の能力のすべてを使い果して闘い終えるということがほとんどなかった。足を使い、ジャブを浴びせ、相手を翻弄《ほんろう》し、ダウンを奪い、あと少しでノックアウトだという時になって、ふっと打つのをやめてしまう。あるいは出血の激しくなった相手を見ると、怯《ひる》んだような表情を浮かベ、攻撃の手をゆるめてしまう。そんな試合がいくつもあった。内藤には、その豊かな素質にもかかわらず、ボクサーとしての大事な何かが欠けているようだった。
エディ・タウンゼントはそれを、ガッツのなさだ、と理解した。エディが内藤のトレーナーになって、まずしなくてはならないと考えたのは、インファイトのテクニックを習得させると同時に、敵との闘いに際してのガッツを植えつけることだった。しかし、エディほどのトレーナーにしても、技術ではなく、人格に深く根ざした精神まで変えることはできなかった。
私がエディに初めて会った五年前、六週間もトレーニングしたら内藤を世界チャンピオンにすることも夢ではないと語ったその時でさえ、こう付け加えなければならなかったのだ。
「でもね、内藤、ガッツがない。海老原だったら、左が折れても、右でやります、死ぬまでやる、あれガッツね。……内藤、それ、ない」
エディは、そのガッツをガマンという日本語に置き換えて、こうも言った。
「内藤、ガマンできない子ね。打ちなさい、もう相手は倒れるから打ちなさい、でも、打つことガマンできない。内藤はやさしい子、あんなにやさしい子いない、でも、ガマンできない……」
たとえば、元世界ヘビー級チャンピオンのジョージ・フォアマンは、日本で行なわれたジョー・キング・ローマンとのタイトルマッチにおいて、凄《すさ》まじいまでの闘争本能を見せつけたことがあった。丸太のような腕を振りまわし、後退するだけのローマンを、二十数発のパンチで叩き伏せた。時間にして僅か二分。しかし、驚いたのはパンチの強烈さでも、ノックアウトの速さでもなかった。ローマンがダウンしても、フォアマンは殴ることをやめようとしなかったのだ。倒れ込むローマンにおおいかぶさるようにして殴りつづけた。無表情にパンチを振るうフォアマンの姿には、本当にローマンを半殺しの目に会わせてしまうのではないかと思わせるほど、鬼気迫るものがあった。倒れている相手を殴るなど、もちろん許されていない。明らかな反則である。この時のフォアマンの闘いぶりは、モハメッド・アリが彼を嘲笑《ちょうしょう》する際の格好の材料になった。しかし、リングの上で剥《む》き出しにされたそのような闘う動物の本能こそが、ボクサーをボクサーたらしめているとも言えるのだ。
同じような情景は、最軽量の世界チャンピオンである具志堅用高の試合でも、たびたび見かけることがあった。あの小さな体に激しい闘志をあらわにして、具志堅もまた反則とわかっていながら、倒れかかっている相手に襲いかかる。レフェリーが分けなければ、馬乗りになってまで殴りつづけるのではないか、相手が死ぬまで殴りつづけるのではないか、と思わせる殺意のようなものが体の外に溢《あふ》れ出る。
しかし、内藤にはそのような激しいところがまったくなかった。常に、ためらいながら殴りつけ、困惑しながら闘っていた。
エディはいつでも内藤に言っていた。
「リングに上がったら、ケモノ同士よ。殺すつもりで打ちなさい」
しかし、内藤はリングの上で獣になることのできないタイプのボクサーだつた。それはボクサーとして致命的な欠陥になるかもしれない弱点だった。
デビュー以来十四連勝を続けていた内藤が初めてタイトルに挑戦した赤坂義昭との試合で、その欠陥は微かだが露呈されることになった。
赤坂は、宮《みや》城野《ぎの》部屋の力士からボクサーに転向した強打者であり、二度にわたってチャンピオンの座についたことのあるベテランだった。内藤はその赤坂と空位の日本ミドル級王座を争ったのだ。
試合は一方的だった。赤坂は足のいい内藤をどうしても掴《つか》まえることができず、逆に内藤の右のジャブをカウンター気味に浴びては、スタミナを消耗していった。内藤に左のフォローがないため、決定的な局面に到らぬまま前半は過ぎたが、後半に入ってすぐ、赤坂が眼を切った。それまでの赤坂は、パンチを受けるたびに薄く笑っていたが、右眼からの激しい出血に、次第にその余裕を失なっていった。しかし、それと同時に、内藤は血を恐れでもするかのように、赤坂の傷ついた顔面を打たなくなった。ボディに攻撃を集中した。
第八ラウンド、内藤の右のボディ・ブローが鋭く叩き込まれた。赤坂はその苦痛を前かがみになって耐えようとしたが、さらに四発のパンチを叩き込まれると、耐え切れずにダウンした。辛うじて立ったが、またボディを打たれ、二度目のダウン。赤坂は必死に立ち上がった。背中を丸めほとんど立っているばかりの赤坂に、内藤は左右のボディ・ブローを浴びせつづけた。赤坂はよく耐えたが、ついに八回一分二十五秒、レフェリーが間に入って、試合はストップされた。七度目のKO勝ちで日本チャンピオンになったものの、ボディしか打とうとしなかった内藤のボクシングに、危ういものを感じる人も少なくなかった。
その危うさが誰の眼にも明らかになったのは、そのすぐ後に行なわれたベンケイ藤倉との一戦においてだった。
藤倉は打たれても打たれても前進するという、典型的なブル・ファイターだった。しかし、というより、だからこそ、というべきだが、彼はパンチ・ドランカーになりかかっていた。四十二試合にもわたって殴りつづけられてきたことによって、藤倉は二十二歳にして廃人になる危険性を体内に抱え込んでしまっていたのだ。医師は引退を勧告していた。だが藤倉はボクサーとしての最後の希望をこのタイトルマッチにつないでいた。彼もまた、赤坂と同じように元チャンピオンだった。復活の夢を捨て切れないでいた。
内藤は、ベンケイ藤倉が末期的なパンチ・ドランカーになりつつあることを、よく知っていた。喰うために土方仕事をしている藤倉が、セメントを運ぶ小さな台車すら真っ直ぐ押せなくなっている、といった噂話《うわさばなし》は内藤の耳にも入っていたからだ。
パンチ・ドランク、拳《こぶし》の酔い。それはボクサーに避けることのできない宿痾《しゅくあ》のようなものである。パンチが頭部へ強烈な衝撃を与える。それが長期にわたって繰り返されることによって、ボクサーの脳に異常が引き起される。軽症のうちは視力が落ちたり平衡感覚に微妙な狂いが生じてくるくらいだが、重症になると言語障害があらわれたり歩行が困難になったりする。それでもなお殴られつづけていると、ついには廃人に近い存在になってしまうこともある。
グラス・ジョー、つまりガラスのようにもろい顎《あご》を持ったボクサーに、パンチ・ドランカーはほとんどいない。たった一発のパンチを喰らっただけでキャンバスに沈んでしまうからだ。しかし、闘牛場の黒い雄牛のように、常に前へ突進することをやめず、いくら殴られても必死に耐え抜くブル・ファイターと呼ばれるボクサーの頭部には、一発ごとに危険が蓄積されていく。打たれても打たれても前に出るというボクシングで、日本のミドル級にひとつの時代を築いた藤倉は、逆にその戦い方のスタイルによって自らの肉体を蝕《むしば》んでいたのだ。
藤倉は試合ができる状態ではなかった。それはリングに上がる時の緩慢な体の動きで歴然としていた。試合開始のゴングが鳴って、それはさらに明らかなものになった。藤倉は内藤のスピードについていかれなかった。何でもないジャブをかわすこともできず、焦って大きなフックを振るうとバランスを崩して尻もちをついてしまう、というほどだった。試合展開は赤坂の時とまったく変らなかった。
第四ラウンド、藤倉をロープに追いつめた内藤は、ボディにパンチを集中した。藤倉は無数のパンチを浴び、朦朧《もうろう》としながらロープにもたれていた。しかし、いくら打たれても倒れなかった。レフェリーが見かねて、一度、二度とロープ・ダウンを取った。だが、それでもまだ藤倉は闘いをやめようとはしなかった。内藤はいやいやパンチを出しているようだった。あるいは一発でも顔面をヒットすれば倒れたかもしれない。しかし、内藤はボディしか打とうとしなかった。
だが、内藤は藤倉と闘いながらこう考えていた。できるだけテンプルに触わるのはやめよう。決定的な局面を迎えた第四ラウンドですら、内藤はこう祈りながら打っていたというのだ。ボディだけで倒れて下さい、早く倒れて下さいベンケイさん……。
四回一分三秒、内藤の右フックが鮮やかに藤倉の左の脇腹に決まった瞬間、レフェリーは試合をストップし、ノックアウトを宣した。これ以上試合を続けることは危険なだけだった。すでに藤倉が逆転しうる可能性はほとんどなくなっていた。藤倉は、ベンケイというリングネームのように、ロープ際に立ったままボクサーとしての死を宣告されたのだ。一度もダウンしなかった。それが最後の試合の、藤倉にとって唯一の勲章だった。
赤坂義昭にも、ベンケイ藤倉にも、内藤は完勝したが、その勝利は彼の可能性を開示するより、むしろ限界を暗示することになったのである。それ以後も、確かに連勝記録は伸ばしていった。フィリピンのマンフレド・アリパラを破り、タートル岡部を破り、韓国の崔成申《チエソンシン》を破った。しかし、その勝利には、観客を熱狂させる何かが足りなかった。一時は世界フェザー級チャンピオン西城正三をしのぐかと思われた人気にも、かげりが出てきた。新聞の見出しも「ダウンを奪えず/判定に終る」とか「内藤、さえない18連勝」という調子のものが多くなっていった。
二十一歳の時、内藤は韓国の李今沢を判定で破り、無敗のまま東洋ミドル級チャンピオンの座についた。あるいは、その試合を契機に大きく飛躍するかもしれない、という期待を誰もが抱いた。だが、その期待はすぐに打ち砕かれることになった。
韓国の柳済斗の挑戦を受けて、内藤は初めてのタイトル防衛戦を、ソウルの奨忠《チヤンチュン》体育館で行なった。内藤有利とされていたにもかかわらず、試合の結果は意外なものだった。六回二分五秒で内藤がノックアウトされてしまったのだ。二十四戦二十二勝無敗二引分の内藤が初めて喫した敗北がKO負けだった。僅か半年でチャンピオンの座からすべり落ちた内藤は、それから凄まじい速度で下降していった。八戦して二勝六敗。その六敗のうちに四つもKO負けがあった。二十二連勝の記録が嘘のような惨憺たる戦績だった。華々しかった彼に関する報道も次第に寂しいものになり、たまに眼につく記事も敗戦を伝えるものばかりだった。やがて、それすらも見かけなくなった。
私はとりわけボクシングのよいファンというのではなかったかもしれない。試合を見るため会場に足を運ぶ、というほどの熱心さはなかった。テレビで充分だった。そのテレビ中継すら、すべてを見ていたというわけではない。見たり見なかったり、という程度だった。しかし、なぜかカシアス内藤のテレビ中継だけは欠かさず見ていた。妙に気になったのだ。
テレビで見る内藤はいつも戸惑いながらボクシングをしているようだった。自分がボクサーであるということにどうしても慣れ切ることができない、ボクサーとして人を殴るということがどうしても納得できない、そんな戸惑いが感じられた。私には、奴も苦労しているな、という思いがあった。自分が何者であるのかを掴むことができず、自身とどう折り合いをつけていいかわからぬまま、仕方なしにリングヘ上がっている。私には、そのような内藤が、妙に近しく感じられたのだ。
ジャーナリズムの水面から彼が消えてどのくらいたった頃だったろう。ある時、『ゴング』だったか『ボクシングマガジン』だったかのボクシング雑誌を読んでいて、私はその投稿欄に眼を引きつけられた。そこに読者の疑問に編集者が答えるというコーナーがあり、そのひとつに内藤に関するものがあったのだ。カシアス内藤のファンだという質問者は、最近の動静を訊《たず》ねていた。彼は新聞や雑誌で取り上げられなくなったがどうしているのだろうか、試合をやらなくなったが近くやる予定はないのだろうか。それに対する編集部の答えは次のような簡単なものだった。ジムの話によれば練習はしているらしい。だが試合については決まっていない。そして、その末尾には、内藤もこのままで終るつもりはないだろう、という編集部のコメントがおざなりに付されてあった。
カシアス内藤はもうやめたのではないかと思っていた。しかし、まだボクシングを続けているらしい。それを知った時、私はふと彼に会ってみたいなと思った。
その頃、私はある小さな雑誌で好き勝手な仕事をさせてもらっていた。放送の専門誌であるにもかかわらず、私に自由にルポルタージュを書かせてくれていたのだ。テーマが放送とまったく関《かかわ》りなくとも構わなかった。好きなテーマについて、好きなだけ取材をし、好きなだけの原稿枚数を書く、ということを許してくれていた。私はルポルタージュを書きはじめてまだ二、三年にしかならぬ駆け出しのライターだった。その私に、雑誌の編集部は、考えうる最大の自由を与えてくれていたのだった。ほぼ三カ月置きにその雑誌に載せてもらうルポルタージュが、私の仕事のすべてであるという時期が永く続いた。
雑誌には私よりはるかに年長の三人の編集者がいた。その三人が三人とも、極めて個性的な人物だった。私は編集室に行って彼らに会うのが愉しみだった。彼らの持っている独特の語り口にかかると、どんなつまらない挿《そう》話《わ》でもキラキラと輝きはじめる。私はいつも感嘆しながら彼らの話に聞き入っていた。
私は原稿を書くのが遅かった。下書きをして清書をする。さらにそこへ筆を入れ、もう一度清書しなければ原稿の体をなさなかった。別に名文を書こうとしていたわけではない。そうでもしなければ意味の通じる文章を書けなかったのだ。大学を出てすぐ、偶然のことからルポルタージュを書くようになった私には、ジャーナリスティックな文章をトレーニングする時期がなかった。私は本場所で稽古をしている取的《とりてき》のようなものだった。
彼らはいつまでたっても完成しない私の原稿を根気よく待ってくれた。時には、私の原稿が間に合わないため、雑誌の発行が遅れるということすらあった。純然たる商業誌ではなかったということはあるだろう。しかし、彼らがそのために困らなかったはずはない。それにもかかわらず、彼らは平然とまた私に、好きなだけ取材し、好きなだけ書く、という仕事を与えてくれた。
取材のための金を惜しむことはなかったが、大して金のある雑誌ではなかったので原稿料は安かった。だから私はいつも金に困っていた。料金が払えないためよく電気を止められた。アパートの私の部屋だけ停電でもないのに灯りがつかない。なにがしかの原稿料が入り、電力会社の支社に金を持っていくと、ようやく電気を流してくれる。
金はなかった。しかし、喰うには困らなかった。夜になると、三人のうちの誰かが、必ず呑みに連れて行ってくれたからだ。私はそこで一日の取材の報告をする。彼らは熱心に耳を傾けてくれた。彼らには面白がる精神とでもいうべきものが横溢《おういつ》していた。私は彼らの反応によって少しずつ取材の方向を修正していけばよかった。私の話を聞き終ると、彼らはそれに対する感想を述べ、関連のありそうなエピソードを語り、必要と思われる書物の題名を教えてくれた。そして、もちろん酒になった。
愉しい時期だった。呑んで帰って、ローソクに火をつけてから、布団を敷く。そんな生活が少しも苦にならなかった。仕事もうまくいっていた。誰に注目されるというようなルポルタージュではなかったが、少なくとも編集部の三人だけは私の書くものを好んでくれていた。私は原稿を書くのに行きづまると、よく編集室に泊り込んだ。そのような場合にも、彼らのひとりが一緒に泊り込み、一枚、また一枚と書き上がる私の原稿を、待ちかねるようにして読んでくれた。私は彼ら三人に喜んでもらうためだけに書いていたような気さえする。
幸せな時期だったのだ。
しかし、その雑誌での仕事に充分満足していながら、私はどこかでルポルタージュを書くということに慣れ切ることのできない自分を感じていた。あなたの職業は、と訊ねられるたびに、いつもルポライターと答えるのがためらわれた。ルポライターという名称の問題ではなかった。ルポライターという胡《う》散《さん》臭い和製外国語は、むしろそのいかがわしさの故に私の好むところだった。問題はルポルタージュを書くという行為そのものの中にあった。
自分の歌をうたうために人の声にのせてうたう。最も理想的な形においても、ルポルタージュを書くということは、そのような二重性を持つ。場合によってはそれが自分の歌でさえないことがある。職業的なルポルタージュのライターは、彼が職業的になればなるほど自分の歌がうたいにくくなっていく。その意味では、二十代の初期に、詩でもなく小説でもなく、ルポルタージュを書くということは、かなり無謀なことであり、いささか無残なことであったかもしれない。
もちろん、後悔をするつもりはなかった。十代の頃、ラグビーや水泳ではなく陸上競技というスポーツを選んでしまったように、たとえどんな偶然があったにしろ、ルポルタージュというものを選んでしまったのだから。高校時代にも、グラウンドでひとり練習をしながら、俺はどうして陸上競技なんか選んじまったんだろう、と思わないことはなかった。しかし、その時でも、選んでしまったということの中に潜んでいる、必然性の恐ろしさのようなものを朧気《おぼろげ》ながら感じ取ってはいたようだ。それはルポルタージュに関しても同じことが言えた。
だが、カシアス内藤が人を殴ることでしか自己を実現できないことに戸惑っていたように、私もまた人を描くことでしか自己を表現できないことに苛立っていたのは確かだった。しかも私には、文章を書いて喰うための金を得る、という自分の仕事への深い違和感があった。それが自分の真の仕事だとはどうしても思えなかったのだ。人は誰でもそのような思いを抱きつつ、結局はダラダラとその仕事を続けて生きていく。そうと理解はしていても、この仕事が偽物なのではないかという思いは抜けなかった。私は、ジャーナリズムというリングの中で、やはり戸惑いながらルポルタージュを書いている、四回戦ボーイのようなものだった。
私が内藤に会ってみようと思ったのも、この戸惑いと無関係ではなかったかもしれない。ボクシングと、また自分自身と、いったいどう折り合いをつけていいかわからぬまま、下降に下降を続けながらあがいているらしい内藤が、さらに近しい存在に思えてきたのだ。
「カシアス内藤に会ってみようと思う」
いつものように編集部に行き、三人の編集者にそう告げると、意外にも反対された。
「できすぎてるよ。つまらない。混血のボクサー、今は落ち目の元チャンピオン。おまえさんはそんなわかり切ったストーリーを書くことはないんだよ」
しかし、いつもは彼らの忠告を素直に受け入れる私が、その時だけは逆らうことになった。そういうことではないのだ、気になるのだ、自分のことが気になるように、内藤が気になるのだ。私は、彼らの反対を押し切って、内藤に連絡を取った。それが私の、初めてのひとり歩きだった。そう気がついたのは、かなりの時が過ぎてからである。
それまで、私は常に自分の好きなテーマを好きなように書いている、と思い込んでいた。しかし、実際はただそう思い込んでいるにすぎなかった。外部の人からは編集部の一員ではないかと誤解されるほど頻繁《ひんぱん》にその部屋に出入りし、夜になれば夜になったでいつも一緒に酒を呑んでいた。そのような密な接触を続けているうちに、知らず知らずのうちに彼らの思考のスタイルに深く影響されるようになっていた。面白がり方の技術といったものをそっくり注入されていた。私が面白いと感じるテーマは、彼らが面白いと感じるテーマだった。私が選んだテーマは、同時に彼らが選んだテーマでもあった。しかし、「カシアス内藤」だけは違ったのだ。それは、私の内藤への関心が、ジャーナリスティックな興味から発したものではなかったからかもしれない。あえて言えば、それはごく個人的なものだった。
会いたいという以上のことをいっさい伝えずに、私は内藤に連絡を取った。
初めて内藤と会ったのは、横浜の東急ホテルのロビーだった。内藤は、ロビーのソファに深く腰を落とし、膝に手をのせて、じっと前を見つめて待っていた。私が遅れたわけではなく、彼が待ち合わせの時間よりかなり早く来ていたのだ。私はまず彼の風体に驚かされた。頭髪にチリチリのパーマをかけ、それをアフロスタイルのように盛り上げている。しかも、細い銀縁の眼鏡をかけているのだ。その頃、すでにテレビに出るような試合をしなくなってかなりたっていたが、私が新聞や雑誌などで記憶している、クルーカットの少年のような顔立の内藤とは、あまりにも異なっていた。
その風貌から太く低い声を予想していた私は、初めて耳にする内藤の声がいくらか高いのに意外な印象を抱いた。喋《しゃべ》り方も歯切れがよかった。ボクシングでは喰えなくなったので、山下町のディスコで働いている、と言った。夜の仕事なので昼間は暇なのだ、とも言った。
内藤は全体にふっくらとしていた。ジーンズのはちきれそうな太股《ふともも》から想像すると、ほとんどトレーニングはしていないようだった。遠まわしに訊ねると、ジムヘは一週間に一度行くかどうかだ、と別に恥じる様子もなく答えた。
しばらくして、私は内藤が初めて敗れた柳済斗とのタイトルマッチヘ話を移した。なぜ敗れてしまったのか。なぜその一戦を境にして敗北に敗北を重ねるようになってしまったのか。なぜ……。私が口を開くと、それをさえぎるようにして、内藤が言った。俺は柳に負けてなんかいない。あいつは汚いんだ。俺がダウンしたのはあいつの肘《ひじ》打《う》ちにやられただけなんだ……。だが、内藤は、その直後のリターンマッチにも敗れ、三度目の対戦にもノックアウトでタイトル奪還の夢を砕かれていた。それを言うと、内藤は不満そうに、もうその時にはやる気がなくなっていたんだ、と抗弁した。どうして、と私は訊ねた。どうでもよかったのさ、と内藤は投げやりな口調で言った。しかし、それでは答えになっていない。私は同じ問いを形を変えて繰り返したが、ついに内藤から明快な答えは返ってこなかった。
それだけ訊《き》くと、もう私には喋ることがなくなってしまったような気がした。コーラを呑みながら、横浜に関する当たりさわりのない雑談をした。内藤はどんな話題にもこだわりのない軽やかさで応じた。しかし、時によって軽薄と受け取られかねないその軽やかな饒舌《じょうぜつ》を聞いているうちに、彼には私の感じた戸惑いなどなかったのかもしれないと思えてきた。別に自身と折り合いがつかないといったこともなく、あがいているということもない。彼は彼なりの楽天的な生き方をしているだけなのかもしれない。私は内藤に軽い失望のようなものを感じていた。だが、すぐに、内藤に過大な期侍を寄せていた自分の愚に気がついた。彼からどんな台詞を聞けば満足したというのか。彼の苦悩に満ちた台詞を聞けば失望しなかったのか。私は自分自身の苛立ちに見合うものを見つけて安心したかっただけではないのか。私こそ軽薄そのものではなかったか……。
そう思いかけた時だった。内藤が呟いた。来月、韓国で試合をするんだ。それは私も知っていた。内藤の連絡先を訊くため船橋ジムへ電話した折、マネージャーがそのようなことを言っていた。内藤は東南アジアへのドサ廻りが専門のようになっている。マネージャーはそうも言った。
相手は誰、と私は大した興味もないまま内藤に訊ねた。柳済斗。内藤はポツリと呟いた。えっ、と私は大きな声を上げた。
場所は釜山ということだった。一度目がソウル、二度目が大邱《テグ》、三度目がまたソウル。そして四度目を釜山でやるというのだ。
四度目か……。私が呟くと、内藤は馬鹿にされたとでも思ったのか、視線を落として少し口を尖《とが》らせた。だが、その時、私はこう考えていたのだ。最初は悲劇でも、二度目は茶番だという。だとしたら、三度目は話にもならぬ無意味そのものということになるのかもしれない。しかし、二度目が茶番で三度目がナンセンスだとしても、四度目になればこれはもう再び悲劇なのではあるまいか。
私はまた呟いていた。釜山か……俺も行こうかな……。内藤は視線を上げた。しばらく私の顔を見つめていたが、冗談で言っているのではないことを察すると、急に自信に満ちたような口調で言った。柳とは四度目だけど、今度はこれまでとは違うんだ。どう違うんだい、と私は訊ねた。それには直接答えず、もうこんなことをしちゃあいられないんだ、と強い口調で吐き棄てた。その日、内藤が初めて表わした激しさだった。
こんなことをしていられない、という内藤の言葉には、少年期をすでに過ぎてしまった男の切実さが感じられた。内藤はさらに言葉を継いだ。いつまでもダラダラやっていてもしようがないし……何ていうか……ここらで……。内藤は自分の思いを的確に伝えられる言葉を探して言い淀《よど》んだ。何気なく私は言った。ケリをつけたいのかい。内藤はこちらがビックリするほど強く頷《うなず》いた。そう、そうなんだ、ケリをつけたいんだ、カタをつけたいんだよ。
そして、今度は柳に勝てそうな気がする、と言ったのだ。その時、私も釜山へ行こうと思い決めた。たとえ借金してでも見に行こう、と。
横浜からの帰りに、いつものように編集部へ寄った。三人の編集者に内藤の話をすると、ひとりが眉をひそめて呟いた。
「噛ませ犬か……」
試合は来月だとはいえ、実質的には三週間もない。そんな短期間にコンディションを作れるわけがない。内藤は、負けるためだけに行く、噛ませ犬になっている、と彼は言った。私も一緒に釜山へ行くつもりだと告げると、彼はやめておけと言った。
「大した試合じゃない。奴は負けるぜ」
私も彼が勝つとは思っていなかった。だが、たとえ負けるにしても、何かがあるに違いないという気がしてならなかった。内藤には、この試合に期すものがあるらしいのだ。どうしても行くつもりだ、と私は頑強に主張した。彼らは反対したが、何日かすると、
「お涙頂戴、なんて話は御免だぜ」
と言いながら、渡航費を手渡してくれた。
しかし、試合は無惨だった。内藤も柳も義理のようにパンチを交換し、意味なくクリンチをして、いたずらに時間を消費していった。ダラダラと回を重ねていくふたりに、じっとしていても汗がしたたり落ちるほどの暑さの中で、体育館の観客は苛立ち、不満の声を上げた。私も一緒になって声を出したかった。しかし、私は、今度は違う、といった内藤の言葉を思い浮かべ、何かが起きるのを待った。十回、十一回、十二回と待ちつづけた。だが、空しかった。
判定がチャンピオンの柳済斗に下った時、リングの内藤はほとんど表情を変えなかった。柳に歩み寄り、彼の手を高く持ち上げた。二度、三度とそれを繰り返すと、淡々とロープをくぐり、リングから降りた。
ケリなどつかなかった。今度も、何ひとつ変らなかった。
しかし、なぜ内藤はあの試合でケリをつけるなどと言ったのだろう。韓国から帰ってからもそのことが頭を去らなかった。あれは口からの出まかせだったのだろうか。いや、あの時、彼がケリをつけたいと望んでいたことは間違いないのだ。あるいは、願望を持続させる緊張の糸が切れているのかもしれない。なぜ切れてしまったのか。それがわかれば、あれほど急速に下降していってしまった原因が理解できるかもしれない、と思えた。
日本に帰った私は、内藤の周囲の人たちを訪ねて歩いた。彼の母親に会い、友人に会い、教師に会い、ジムの関係者に会い、ボクシングの専門家に会い、もちろんエディにも会った。
ある人は性格だと言った。生来の怠け癖が敗北によってあらわになっただけである、と。ある人は血だと言った。黒人との混血児には彼のような飽きっぽい性格が多いのだ、と。もともと内藤の記録は巧妙に仕組まれたもので彼は作られたスターにすぎないと言う人もいたし、内藤はその頭のよさと天才的な資質によって逆に自分の限界が見えてしまったのだろうと言う人もいた。ファイトマネーの不満からと言う人もいたし、信頼する人に裏切られたからだと言う人もいた。
多くの人に会ったあげく、私に残された結論は「わからない」というものだった。彼らが語ってくれたすべてが原因であり、すべてが原因ではないのだろうと思えた。
そのような時期に、私はノーマン・メイラーの一文を読んだ。メイラーは、ホセ・トレスという元ライトヘビー級チャンピオンが書いたモハメッド・アリ論へ序文を贈る、という形で彼自身のアリ観を述べていた。その短い文章の一節を眼にした時、カシアス内藤が、あれほどの素質を持ちながら、なぜドサ廻りのボクサーでいなければならないのかという謎《なぞ》が、僅かに解けかかったような気がした。
ホセ・トレスのアリ論は、原題を“Sting Like a Bee”という。これは、アリが最初に世界ヘビー級のタイトルへ挑戦した時、彼がチャンピオンのソニー・リストンに投げつけた言葉に拠っている。あの「蝶のように舞い、蜂《はち》のように刺す」という有名な言葉だ。
トレスもまたすぐれた重量級のボクサーだった。彼がどれほどのボクサーであったかということは、たとえばアリが、一番苦しかった試合はどれであったかという問いに、冗談めかしてではあったが、トレスとやった三ラウンドのスパーリングと答えているのでも、いくらかはうかがい知ることができる。
メイラーはこのトレスの書いた見事なアリ論の序文に、トレスとアリを比較しつつ、こう書いたのだ。
トレスはアリ同様に、あるいはアリ以上にスピードがあり、かつアリ同様、あるいはアリ以上にパンチ力があった。つまりアリ同様にまれな素質を持った拳闘家であった。では、トレスが自分より年上のディック・タイガーに敗れるまで、三度防衛したとはいえ、なぜライト・ヘビー級のチャンピオン以上のものになれずに終ったのか。
その答えだけで、一冊の本が書けよう。それは天才の資質を持った人間が、何故《なぜ》天才にならないかをめぐる謎なのである。しかし簡単にいってしまえば、トレスは人を超越的なものに追い込んでゆくある種の飢餓感を欠いていたという見方のなかに、解答があるのかもしれない。      『カシアス・クレイ』和田俊訳
メイラーの文章を読んで、私は釜山の市場を思い出した。そこで見かけた露店の古本屋に、日本はもとよりアメリカやヨーロッパの古雑誌がうずたかく積まれている一角があった。その中に、トランクス姿のモハメッド・アリが、腰に手を当て、あたりを睥睨《へいげい》している写真を表紙に使った、古い『ライフ』があったのだ。その写真においてさえ、アリの眼は、何か得体の知れないものへの挑戦の意志を秘めて、強い光を発していた。
アリにあってトレスになかった飢餓感、まさにそれこそが内藤に決定的に欠けていたものだった。経済的、あるいは生理的な飢餓感なら、内藤にもあったはずだ。しかし、メイラーのいう、超越的なものへの飢餓感といったものだけはなかった。私は内藤からこんな台詞を聞いた覚えがあった。
「チャンピオンなんかなりたくなかった。自由が減るばかりで厭《いや》だった。栄光なんて欲しくもない。歴史に名をとどめたかったら、爆弾でも抱いて、映画館にでも飛び込めばいいさ」
釜山から帰って三週間ほどたった頃、私は久し振りに内藤と会った。顔を合わせると、俺もパンチ・ドランカーになっていくようだ、といきなり言った。なぜケリをつけるべく闘い切らなかったのだ、と詰問しようとしていた私は、先制パンチを浴びてうろたえた。内藤はさらに、眼がかすむし、一試合ごとに馬鹿になっていくような気がする、と言った。内藤のように長くアウト・ボクシングをしてきた者に、パンチ・ドランカーは少ないはずだった。しかも彼は打たれ弱かった。驚きが去ると、今度は疑問が湧《わ》いてきた。彼がパンチ・ドランカーなどということがあるだろうか。
その疑問も、内藤が弁解がましくこう言った時、一挙に氷解した。たった五百ドルぽっちのファイトマネーで、ブンブンぶっ飛ぶわけにはいかなかったんだよ、命がかかってんだからね。これを言いたいために、パンチ・ドランカーの話を枕に振ったのだ、と理解することができた。いつブンブンぶっ飛ぶんだい。私は深い徒労感に襲われながら訊ねた。いつかさ、と内藤は答えた。いつか、そういう試合ができる時、いつか……。
しかし、オバケといつかは待っている奴の所に来たためしがない。つまらない冗談だったが、そう言おうとして、それすらも空しいような気がしてきた。そして思った。彼にいつかなどやって来ることはないだろう。そして「クレイになれなかった男」という文章の最後にこう書いた。俺たちにいつかがないように、おまえにもいつかなどありはしないのだ。いつか、いつかと望みつづけているだけで、ついに、いつかと巡り会うことはない……。
だが、それからしばらくして、彼のアパートの本棚で、『若き愛と性の悩み』という本の横に『人間革命』という本を見かけた時、その二冊の本がガラガラの本棚で物悲しく身を寄せ合うようにして並んでいるのを見かけた時、私は不思議な情熱にとらえられた。彼の言う「いつか」を、この手で作れないものかと思ってしまったのだ。
内藤には、かつて一度もボクサーとして最高の時を迎える、ということがなかった。最高の相手と、最高の状態で、最高の試合をする。そうした中で初めて、自分のすべてを出し尽くし、自分以上の自分になる瞬間を味わうことができる。だが、内藤にはその経験がなかった。常に、中途半端な敵と、中途半端なコンディションで、中途半端なファイトしかしてこなかった。私は内藤にその最高の時を作り出してあげられないものかと考えるようになったのだ。それこそが内藤の「いつか」になるはずだった。
そこに賭《か》かっているものが大きければ、敵もまた巨大になる。内藤が自分以上の自分になるためには、その試合が大きければ大きいほどよいということになる。私は世界タイトルマッチを夢想するようになった。
確かにエディの言葉に強く影響されたところはあっただろう。エディほどの豊かな経験の持ち主が、真剣にトレーニングしさえすれば世界チャンピオンにすることも不可能ではない、と言ったのだ。私は内藤を復活させることに熱中しはじめた。いかにして内藤を世界ランカーにし、世界タイトルへ挑戦させるか。テレビ局にいる友人を通じて、そのためのステップを作ろうとした。マッチメークを含むいくつかの具体的な話が少しずつ動き始めた。興行とテレビの関係、ジムとジムの力関係、多くのことに無知だったために、思わぬ遠廻りをしなければならなかった。だが、私がこれほど熱中できたことはかつてなかったような気がした。仕事を放り投げ、人と人の間を駆けめぐった。明らかに、彼の「いつか」を作り出すことが、私自身の「いつか」になっていた。どこへ行っても小僧扱いにされた。しかし、もしかしたらどうにかなるかもしれない、という微かな光が見えてきた矢先に、突然、すべてが崩壊した。
ある朝、週刊誌の記者から電話がかかってきた。内藤が逮捕されたと言うのだ。
「知らないんですか。読売新聞にでかく出ているじゃないですか」
確かに、外で買い求めた読売新聞の、社会面の中段にその記事はあった。
横浜市内のバーやスナックから盗んだスロットマシーンを他店に貸して荒かせぎをもくろんでいた大がかりな窃盗組織が横浜・山手署に摘発されたが、一味にボクシングの日本ミドル級一位のカシアス内藤(本名・内藤純一)(二四)が加わっていた。内藤は同署の指名手配で、横浜・加賀町署員に逮捕され、十九日、山手署から横浜地検に身柄送検されたが、日本ミドル級チャンピオン、東洋同級チャンピオンになったこともあるボクシング界のホープだけに、関係者の驚きも大きい。
私には、それが友人に誘われての軽い冗談のような行為であることがよくわかっていた。彼が、気のよさそうな友人としていた陽気なおしゃべりの、それは延長線上の行為だった。ふたりがスロットマシーンについて愉し気に話しているところを、私は何度も見かけていた。しかし、たとえ、彼が盗んだものがスロットマシーンのコインといくらかの現金でしかなかったとしても、一般紙に四段の記事で報じられてしまえば終りだった。すべては壊れるよりほかなかった。
以後、私は内藤と会うことはなかったが、たまに見るボクシングの試合の向こうに、いつも彼の姿を見ていたような気がする。やはり「いつか」など来はしなかった、という苦い思いと共に……。
それが五年前のことだった。
アメリカへ発《た》つ前夜、私は内藤と横浜で会うことにしていた。彼の言う「うちのやつ」も一緒に食事をしようということだった。
山下町にあるホテル・ニューグランドのコーヒー・ショップで待ち合わせていた。時間の五分前に行くと、ふたりはすでに到着していた。窓際の隅の席について、コーヒーを呑みながら私を待っていた。
「これ、うちのやつ」
内藤が少し照れたように紹介した。
「裕見子です。初めまして」
低い、落ち着いた声だった。内藤が私に彼女の容姿を説明した時、不美人だという意味の言葉を使ったが、それは正確ではなかった。黒く長い髪を背中まで垂らし、アクセントの強い化粧をした美人だった。
私たちは山下町からタクシーで関内《かんない》に向かった。彼女が肉類をうけつけないというので、繩のれんと大して変わらぬ小料理屋で魚を食べることにしていた。
座敷に案内してくれた仲居が注文を取りに来た。裕見子は肉が食べられないだけでなく、貝類も食べられず、頭のついた魚も食べられないということだった。自分で気持が悪いと思い込んでしまったものは、どんなものでも喉《のど》を通らなくなってしまうらしいのだ。仲居は注文が決まらず困っていたが、結局、彼女には白身の魚の刺身を持ってくるより仕方がない、と判断したようだった。
裕見子も内藤と同じく酒は呑めないと言う。小料理屋に入って、三人でジュースを呑むわけにもいかなかった。私ひとりは酒を頼んだ。
「どういうきっかけで知り合ったんだい?」
仲居が出ていくと、私はどちらにともなく訊ねた。ふたりは顔を見合わせ、笑った。そして、内藤がその問いを引き受けた。
「こいつ、俺の友達の彼女の友達だったんです」
「…………?」
一度ではよくわからなかった。ゆっくりと説明を聞き、ようやく理解したところによるとこういうことのようだった。かつて内藤が働いていたディスコで、店内の放送用にディスクジョッキーが必要になり、アメリカ人を傭《やと》ったことがある。その男は在日米軍の黒人兵だった。軍隊の給料ではやっていけないのでアルバイトをしていたわけだ。内藤はすぐにその男と親しくなったが、彼には日本人の恋人がいた。その恋人が裕見子を内藤に紹介したということらしかった。
「その頃、私、結構あちこちで遊んでいたから」
裕見子はそう言って笑った。
「でも、遊ぶといっても酒は呑めないんだし、どうしてたの?」
「だから、よく踊りに行ってたんです。そこでジュンとも知り合うようになって……」
どうして一緒に暮らすようになったのか、とはもちろん訊かなかった。男と女が知り合って、一緒に暮らすようになるのに、別に大した理由が必要なわけではない。
裕見子は東京の和菓子屋の娘だということだった。内藤と同じように甘い物が大好きなのだと言った。笑うと前歯に小さな虫喰いのあとが見えるのはそのせいかもしれなかった。
「こいつの好物はね、芋羊羹《いもようかん》なんですよ。それさえあれば、御飯なんかなくても平気」
内藤は眼に笑いを含ませて言った。私もその冗談に乗り、大仰に驚いてみせた。
「へえ、ほんと。肉も魚も駄目だと言うから、何を食べているかと思えば、芋羊羹だったのか」
すると、彼女は少し恥ずかしそうではあったが明かるい口調で、
「ええ、そうなんです」
と答えた。
「ひょっとしたら、三食とも芋羊羹でいいんじゃないか、おまえ」
内藤が言うと、裕見子は笑って頷いた。
二人は仲がよさそうだった。三十分も一緒にいるうちに、それがよくわかってきた。
運ばれてきた料理にはあまり箸《はし》をつけなかったが、裕見子は快活に話をしていた。表情をいくらか曇らせたのは、彼女の家族について話した時だった。
「うちは固いんです。父はむかし消防署にいたし、兄は警察官だし、それに母は私がミニスカートをはいても叱るような人だったから。もっと長いのにしなさい、って」
内藤はまだ正式に結婚していないと言っていた。だとするなら、その家族が彼女の現在のような生活に反対しないわけがない。彼女は彼女なりにかなりの大変さを引き受けている、ということになる。しかも、二人の生活を支えるために、ひとりで働かなくてはならないのだ。毎晩、横浜から錦糸町《きんしちょう》に通っているとのことだった。ウエートレスと変わらない仕事だとはいえ、客を相手に夜遅くまで立ちづめでいなくてはならないのだ。決して楽な仕事ではない。
「よく頑張ってるね」
私が言うと、彼女は内藤の顔を見て、それから少し笑って頷いた。やさしい笑顔だった。ふたりが並んでいると、しっかり者の女房とぐうたら亭主という絵柄の、典型のように映る。内藤にそう言うと、彼は不満そうに口を尖がらせた。
「こいつは気ばっかし強いけど、泣き虫なんだ。何かっていうとすぐ泣くんだから」
「そう、すぐ泣くもんね、私って」
予想していた以上に、ふたりはうまくいっているようだった。何より、彼女は頭がよさそうだった。内藤のどんな言葉にも笑っていられるくらいの賢さがあった。内藤の生活の中に、少しずつ核になる部分ができてきているようだった。
「明日はもうアメリカなんだね」
突然、内藤が私に向かって言った。いかにも羨《うら》やましそうだった。私はただ笑って頷いた。
「俺も、行ったことあるんですよね」
内藤がまた言った。
「アメリカへ?」
「そう、ロスアンゼルスに行ったんです」
初めて聞く話だった。インドネシアに行っていたことは知っていたが、アメリカにまで足を伸ばしていたとは意外だった。
「それはいつ頃のこと?」
「インドネシアから帰って、しばらくしてからかな」
「遊びに?」
「そう、ぶらぶらとね。……ほら、さっき話したディスクジョッキーをやってた友達、そいつがしばらくアメリカに帰ってたんでそこを訪ねたわけ」
そして、その日々をなつかしむような口調で言った。
「アメリカ、よかったなあ……」
内藤にとってアメリカは父の国である。彼がアメリカに深い思いを持つのは当然のことと言える。内藤がボクサーになった時、強くなってアメリカへ行く、というのは大きな夢のひとつだった。しかし、世界十傑に入るようなボクサーになっても、興行を最優先するジムの思惑によって、ついにその願望はかなえられることがなかった。そのうち、もう少したったら、となだめられているうちに、内藤の下降が始まってしまったのだ。
しかし、内藤が、今でもアメリカに対して強い愛着を抱いていることは、私も知っていた。彼は練習用のパンツに小さなアメリカ国旗を縫い込んでいた。理由を訊くと、好きだからと簡単に答えた。洋服を買うと、なぜかみなアメリカ国旗の色になってしまう、とも言った。つまり、青と赤と白の三色だ。普段の服装ばかりでなく、トレーニング・ウェアーに関しても、その好みははっきり表われていた。白いシャツに青いパンツ、白いシューズに赤い靴下、といった色の組み合わせが最も多く、またよく似合った。
そのアメリカへ、ボクサーとしてではなかったが、初めて行ってきたというのだ。
「アメリカはそんなによかった?」
私が訊ねると、内藤は懐しげな口調で答えた。
「うん、よかった。とても暮しやすそうだった、俺たちには……」
語尾には微妙なかげりがあった。恐らく、俺たちという言葉には混血児、それも黒人との混血児という意味が含まれているのだろう。内藤が自分が黒人との混血児であるということを、このような複雑なニュアンスをこめて語るのは初めてのことだった。
「もし……」
と内藤は膳の上の一点をじっと見つめながら言った。
「俺が……チャンピオンになったら……行きたいな、アメリカに……エディさんと一緒に」
とうとう口に出してしまったな、と私は妙に落ち着かない気分になりながら腹の中で呟いていた。内藤の言うチャンピオンは明らかに世界チャンピオンを意味していた。再起第一戦に勝てるかどうかわからないボクサーが、口にするには早すぎる台詞《せりふ》だった。
彼は夢を見ているようだった。夢を見ることは悪いことではない。その夢こそがつらい練習に耐え、困難に耐える力を与えてくれるのかもしれないのだ。しかし、それはあくまでもおぼろな夢にすぎない。私には、ひとたび口にすると、その夢は夢のまま凍りついてしまうような気がしてならなかった。
だが、内藤は熱っぽく喋りつづけた。
「日本ではね、エディさんは超一流のトレーナーだと思うんだ。インファイトを教える技術は、他の人に何も言わせないだけのものを持っている」
確かに彼の言う通りだった。トレーナーという職業についている男たちの中で、いったい何人が、見よう見まねの技術と知識以上のものを持っているかは疑問だった。一流の選手が常に一流のコーチになれるわけではない、というのはボクシングも他のスポーツと変らない。選手を育てるには、自分が選手になるという時とは、まったく別種の哲学が必要とされるのだ。エディにはボクサーというものに対する確固とした哲学があった。それが、リングの中では人を殺せという台詞になり、あるいは、打たれはじめたボクサーを守るためにいちはやくタオルを投げ入れるという決断となった。エディにはトレーナーとしての優れた技術と知識と哲学と、それに愛情があった。日本においてはエディ以上のトレーナーはいない、という内藤の言葉は誤りではなかった。
「でもね」
と内藤はさらに続けた。
「エディさんは、やっぱりアメリカ人なんだよね。日本でいくら一流でも、それだけじゃあ、寂しいんだよ。だから、俺、アメリカで尊敬されるようにしてあげたいんだ」
「…………?」
「チャンピオンになったら、エディさんとアメリカに行って、向こうの奴と試合をやりたいんだ。そうして、そいつらに何も言わせないだけのものを見せる。そうすれば、エディさんにだって、きっと……」
それは必ずしもエディのためだけではなさそうだった。
裕見子は内藤の話をひとりで小さく頷きながら聞き入っていた。彼女もまた内藤と同じ夢を見はじめているようだった。
「はじめ、彼がボクシングをやるのに反対したんだって?」
私は裕見子に訊ねた。
「ええ……」
「それが、今はどうしてオーケーなんだろう」
「…………」
彼女はどう答えていいかわからず、しばらくうつむいて考えていたが、やがて顔を上げ、ゆっくりと喋りはじめた。
「この人は……何かできる人だと思うんです。それがボクシングなのかどうかは、私にはわからないけど、きっとこのままじゃない、何かができる人だって……」
私の質問に対する答えにはなっていなかったが、彼女の心情はよく理解できた。内藤が言っていたことは正しかったな、と私は思った。彼女について、わけはわからないが自分によく合っているような気がする、と言っていたのだ。彼女の、この人には何かができる、という台詞がそれを雄弁に物語っていた。この素朴な信頼が彼を持続させているのかもしれなかった。
「私はボクシングが好きではないけど、この人がこんなにやりたがっているんだから、その何かっていうのはボクシングなのかもしれない、と思うようになって……」
裕見子は言葉とは裏腹に確信に満ちた口調で続けた。
「これから、この人は上に登っていくような気がするんです。もしかしたら、登っていけないかもしれない。でも、私には、登っていける人のように思えるんです」
その夢が、ひとりで働き内藤にボクシング一筋の道を歩ませる、という生活によく耐えさせているのだろう。
「……そうなっていくと、やっぱり、この人は遠くに行ってしまうのかなと思えたりして、逆に少し心配になるんです」
男としてこれ以上はないという言葉を彼女から投げかけてもらいながら、内藤は少しずれたことを言い出した。
「そうだな……試合があると遠くへ行かなけりゃならないし、ふたり、離れて暮らさなければならないこともある」
内藤は、遠くへ行ってしまうという彼女の言葉を取り違えていた。だが、別にその齟齬《そご》を正してやる気にはならなかった。彼女の言う意味において、内藤が遠くへ行けるかどうかは、まだ少しもわかっていなかったからだ。遠くへ行くためには、多くの弱点を克服し、さらに厳しくなるだろう状況に耐えなくてはならない。内藤にそれができるかどうか、私にはまだ確信が持てなかった。
「離れて暮らすっていうのは、結構むずかしいものなんだ」
内藤は裕見子にしみじみとした口調で言った。
「そんな時にもうまくやっていけるかどうか、それが問題なんだよな。……前の彼女、おまえも知っているだろうけど、あいつともそれでうまくいかなくなったし、な」
私は、内藤がどんなことも話しているらしいことに、また安心した。これなら大丈夫だ……。
私はふたりの話を聞きながら、どうしようか迷っていた。いつ渡そうか間合いをはかりかねていた。
その夜、内藤に裕見子を連れてきてもらって、一緒に食事をしようとした理由のひとつは、彼女に金を手渡したいということがあった。生活が苦しいことは、内藤の言葉のはしばしからうかがえた。貯えも底をつき、裕見子ひとりの稼《かせ》ぎで生活を支えている。喰うに困るというほどではないにしても、それに近い状態になりつつあることは間違いないようだった。私はしばらく外国を転々とするつもりで金の準備をしてあった。しかし、ニューオリンズへ行って、すぐ帰ってくるつもりなら、それほど金はいらなかった。余分になったいくらかの金を、彼女に渡そうと思った。そんなことはないだろうが、せっかくここまで努力してきて、金がないために挫折でもしようものなら、彼女が可哀そうにすぎる。私が日本にいない間にどんな必要が生じるかわからない。少なくとも、私が帰ってくるまで、金についてのつまらないトラブルは回避させてあげたかった。
だが、私は人に金を渡すなどということに慣れていなかった。つい最近までは私のほうが金を借りる側だった。どう切り出したらいいか困っていた。何かひどく恥ずかしい行為をするような気がした。しかし、この金は、私が持っているより、彼らが持っていたほうがはるかに有意義な金なのだ。そう無理にでも思い込むようにして、私は裕見子に向かって喋りはじめた。うろたえながらさまざまなことを喋ったが、結局はこの金を使ってもらえば嬉しい、ということに尽きた。
黙って私の話を聞いていた彼女は、私が喋り終ると、しっかりした声で短かく言った。
「お借りします」
もちろん返してもらおうなどとは考えていない金だった。しかし、そう言われると、私は弾んだような気分になった。彼女には私の気持が通じたらしいことが嬉しかった。内藤はひと言も口をきかなかった。口を固く結び、眼に強い光が宿っていた。彼の内部に湧き起っている思いが、その光によって読み取れるようだった。私はそこに醸《かも》し出されそうな湿った情感に狼狽《ろうばい》して、わざと軽薄そうな声を上げた。
「よし、貸したぞ。いつか、でっかい利子をつけて返してもらうからな」
ふたりの表情がゆるんだ。それを見て、私は続けた。
「……なんてね。俺も他の人からこんなふうにされてきたんだ。余裕ができたら、今度は君たちが誰かにというだけのことさ」
内藤は微かに頷いた。裕見子は、私にでもなく、内藤にでもなく、自分自身に言いきかすように呟いた。
「この人は、そういうことができる人だと思うんです。そういう運命の人だと……」
十時を少し廻った頃、私たちは店を出た。
外は涼しかった。次第に暑さが遠ざかっていく。私がアメリカから帰ってくる頃には、さらに涼しくなっているに違いなかった。
酔客とタクシーが往きかう細い通りを、ゆっくりと歩いた。
「もし、何かあったら……」
内藤と肩が並んだ時、そう言いかけて、私は口をつぐんだ。その言葉の後に、利朗に相談してほしい、と続けるつもりだったのだが、あるいは余計なことかもしれないと思ったからだ。
二日前、私は友人をジムに連れて行った。内藤に紹介しておきたかったのだ。内藤利朗というカメラマンで、私の古くからの友人だった。練習が終り、帰りに三人で喫茶店に寄り、私は二人を紹介した。しかし、偶然、ふたりが同じ姓だったため、互いに、内藤が内藤を内藤さんと呼ぶ、という奇妙なことになってしまった。面倒なので、カメラマンの内藤は、いつも私がそう呼んでいるように、利朗という名で覚えていてくれ、と言ってあった。
利朗はフリーのカメラマンだった。しかし、私が内藤に彼を紹介したのは、カメラマンとしてというより、むしろ親しい友人として、だった。
私は利朗に見ていてほしかったのだ。私がアメリカへ行っている間に、内藤の肉体と精神がどう変化していくか、あるいはしていかないか。それをカメラマンの眼で正確に見て、あとで伝えてもらいたかった。そして、もし内藤に困ったことが起きたら、できるだけ相談に乗ってあげてほしかった。利朗は無口な男だったが、相談相手としてこれほど信頼のできる男はいない、と私は思っていた。
もし何かあったら、と言っただけで、私が言い淀んでいると、内藤は先をうながすように顔を向けた。ここまで言い出したのだから、余計なことかもしれないが言っておこう、と思い直した。
「何かあったら、利朗に相談してほしい……」
気を悪くするかなと思ったが、そんなことはなかった。
「ああ、あの、カメラマンの内藤さん」
「そう。あいつは、きっと頼りになると思うから」
「うん……。でも、平気だよ。俺のことは心配しないでも、平気」
確かに平気そうだった。私は頷いた。
「じゃあ、この辺で別れよう。俺は桜木町に出るから」
「アメリカ、気をつけて」
裕見子が言った。私は彼女のほうを向いて、
「頑張って、ね」
と言った。言ってしまってから妙な台詞だなと思ったが、私の素直な気持は頑張ってというものだった。彼女は笑いながら答えた。
「頑張ります」
三人は声を合わせて笑い、別れた。
第四章 ニューオリンズの戦い
ロスアンゼルスの上空にさしかかったのは夜だった。
空港に着陸するまでの三十分ほど、飛行機は広大な光の海を飛びつづけた。美しい夜景だった。しかし、その美しさは、他の都会の夜景とは異なり、人の心を感傷的にさせたり波立たせたりするものではなく、むしろ柔らかく包み込むような穏やかなものだった。それはその光の粒の連なりが、まさに海というにふさわしい広がりを持っているからに違いなかった。ロスアンゼルスは確かに茫漠たる都会であるようだった。
ゲートをくぐると、ターン・テーブルには寄らず、そのまま空港ビルの外に出た。別に受け取るべき荷物がなかったからだ。数冊の本と洗面道具、それを入れた小さな布製のバッグひとつが私の荷物のすべてだった。
ロスアンゼルスは思ったほど暑くなかった。風は生暖かく感じられるが、汗が出るというほどではない。
私は、ビルの前を走り廻る車を眺めながら、さてこれからどうしたものかと考えた。どこへ泊まってどうするか、ロスアンゼルスに着いてからのことは一切決めていなかった。旅行案内書の類いも持っていなかったので、空港から街の中心部までどのくらいあるのかすらわからなかった。通りがかりの、空港職員らしい女性に訊《たず》ねると、約二十マイルだという。二十マイルといえば三十キロを優に超す。タクシーで行くのはもったいなかった。私が思い迷っていると、彼女がこのすぐ近くからダウンタウン行きのバスが出ていることを教えてくれた。
それは空港とダウンタウンを結ぶ直通バスだった。途中いくつかの有名ホテルに寄り、グレイハウンドのバスターミナルまで行くという。バス駅の周辺ならきっと安いホテルがあるはずだった。私は三ドル五十セントの料金を払い、エアポート・エクスプレスと名づけられたそのバスに乗り込んだ。
バスは夜のフリーウェイをかなりのスピードで突っ走った。街の中心部に入り、インターチェンジを複雑に昇り降りして、やがてヒルトンホテルに着く。乗客の何人かがそこで降り、また次のホテルに向かう。そのようにしてひとつずつホテルを経由していくうちに、乗客の大半は降りてしまい、最後のメイフラワーホテルを出た時には、私を含めて五人しか残っていなかった。ザックを背負って長い旅をしているらしい白人の若い男女、何ひとつ荷物を持っていない若い黒人男性、口髭《くちひげ》をたくわえたラテン系の顔立ちの中年男性、それに私という具合だった。いずれも大して金のありそうな風体ではなかった。
しばらく下町風のくすんだ町並を走ると、バスは不意に巨大な建物の中へ吸い込まれるように入っていった。そこが終点のグレイハウンドのバスターミナルだった。
ターミナルの内部は閑散としていた。発券の窓口も大半は閉ざされ、発車を知らせるアナウンスも間遠だった。あまり豊かそうには見えない旅行者が、ソファに腰を落とし、静かに深夜の長距離バスを待っている。構内の簡易レストランにも人影はまばらだった。
午後十時をすでに過ぎていた。私は格別の当てもなく、方向もわからないまま建物の外に出た。街は空の上から見た時とは異なり、暗く重く沈んでいるように感じられた。私は勘にまかせて左への道を選んだ。そちらへ向かえば安宿にぶちあたるような気がした。根拠があったわけではない。だが、私はその種の勘についてはかなりの自信があった。香港《ホンコン》でもシンガポールでもカトマンズでもイスタンブールでもリスボンでも、勘にしたがい少し歩けばどこでも安宿が見つかった。外から検分し、そうして選んだホテルに間違いはなかった。
バッグを左手に、私はダウンタウンの暗い道をぶらぶらと歩きはじめた。二ブロックほど行くと、かなり広い道に出た。その両側にはポルノフィルムの上映館やバーが寂しげに並び、赤や紫のネオンがひっそりと舗道を照らしていた。建物と建物の間の暗がりには、黒人が三、四人ずつ、何をするでもなくたむろし、通行人に鋭い視線を投げかけている。
広い道に沿って一ブロックほど歩き、ふと左に折れてみると、すぐそこにホテルの看板があった。ガラス越しにフロントの様子が見える。ロビーの左側に清涼飲料水の自動販売機が並び、右側にソファが並んでいる。そこでは、長期滞在者らしい老人が、パイプをくわえながら新聞を読んでいた。安そうなホテルの割には荒れた感じがしなかった。私はロザリンと書かれたそのホテルのドアを押した。
「部屋はある?」
フロントの若い男に訊ねると、彼はにっこりして言った。
「いくつでも」
私は口元をほころばせた。
「ひとつでいいんだけど、いくらなのかな」
「十二ドルと税金が八十四セント」
ロスアンゼルスの相場がいくらくらいなのかは知らなかったが、かなり安いホテルであることは確かなようだった。名前を宿泊者カードに書き込み、パスポートをバッグから出そうとして、あるいは不要かもしれないと思いつき、フロントの若い男に訊ねた。
「要りません」
彼は短く答えた。それまで私がうろついてきた多くの国では、パスポートの提示なしにホテルに泊まることはできなかった。しかし、アメリカでは必要がないらしい。考えてみれば、それも当然のことだったかもしれない。この国ではいったい誰が外国人なのか外見では判断できないだろうし、また外国人かどうかを判定する必要もないのだ。ホテルにとって客は金さえ払えば文句のない存在なのだろう。十二ドル八十四セントを払うと部屋の鍵《かぎ》をくれた。同時にその保証金として三ドル請求された。鍵を返してくれれば金も返すとのことだった。どこの国でも安宿のシステムは変りない。私は妙なところで安心したりした。
部屋は通りに面した三階の角部屋だった。古いことは古かったが、空間的にはかなりの広さがあった。バスルームも一応は清潔に保たれてあり、デスクの横には白黒の大きなテレビが置いてある。十二ドルではまず文句のいえない部屋のようだった。
テレビをつけると、クリント・イーストウッドが派手にピストルを撃ちまくっていた。『ダーティー・ハリー』の第二作目か三作目か、いずれにしても私の見ていない作品を放映していた。言葉が大して理解できないにもかかわらず、ストーリーはおそろしくわかりやすい。オートバイを使ってのカー・チェイスも面白く、二転三転するラストもスリリングだった。だが、それを見ることに熱中しながら、一方でぼんやりと、いま自分が触れているのと同じ空気がその画面の中にも流れているのだなあ、などと考えていた。そして、なるほど自分はアメリカに釆ているらしい、という思いが湧《わ》いてきたりした。
映画が終り、シャワーを浴びて寝ようとしたが、少しも眠くない。初めての町に着いた夜は、やはり昂奮《こうふん》してなかなか寝つかれないものだ。東京からホノルルを経由して十数時間、オイル・サーディンの罐詰《かんづめ》のように、狭い場所に押し込められたままの姿勢で運ばれてきたのだから、疲れていないはずがない。しかし、それが眠気と結びつかない。
午前零時を過ぎていたが、空腹を覚えていたこともあって外に出てみることにした。どこかでハンバーガーかホットドッグでも買ってこようと思ったのだ。
街燈はついているのだが、前日まで東京にいた者の眼には、暗く感じられて仕方がない。人通りも少なく、たまにすれちがう通行人も、黒人かメキシコ人風の有色人種がほとんどだった。ビルの谷間で少年たちの叫び声がすると、それも黒人の子供たちのバスケットボールに熱中する声だった。立ち止まり、変則的な人数の彼らのゲームを眺めていると、次第に黒い皮膚が闇に溶け、白いシャツだけが幻想的に空中を乱舞しているように思えてくる。バーの扉の前には呑んだくれの老人がコンクリートの階段に腰を落とし、ひとりで何か呟いている。そんな中をぶらぶら歩いているうちに、私の気分は少しずつ落ち着いてきた。あたりにはいかにも街らしい匂いが充満していた。どういうわけか、私は街の中にいる時、最もくつろいだ気分になれるようなのだ。
駐車場の横で開いている、屋台のような店でフライドチキンを買い、散歩しながらそれを食べた。揚げてからかなりの時間あたためつづけているため、いくらかパサパサしてはいたが、決してまずくはなかった。
疲労を覚えるくらいまでぶらつき、それからようやくホテルに戻った。
少し汗ばんだのでクーラーをつけ、部屋を暗くしたまま窓際に立った。クーラーの風にあたりながら、ぼんやり外の通りを眺めていると、ひとりの黒人が踊るような腰つきで歩いてくるのが眼に止まった。通りの角でたむろしていた四人の若者たちに声をかけられ、男はその仲間に加わって喋《しゃべ》りはじめた。声は届かないが、大声で喚き、笑っているらしいことが、その様子からわかる。ひとりがひとりの肩にふざけてパンチを繰り出す。何がおかしいのか、それでまた笑いになる。別のひとりが煙草をくわえ、火をつけた。その瞬間、ライターの火によって浮かび上がった若者たちの中に、内藤とそっくりの顔があるのに私は驚いた。顔ばかりでなく、体つきまでよく似ていた。よく見ようと眼をこらした時には火が消え、また薄暗がりの中に彼の顔は沈んでいってしまったが、驚きはしばらく消えなかった。もちろん、こんな場所に内藤がいるはずはなかった。他人の空似というにすぎない。
それから十分も雑談をしていただろうか。やがて彼らは二組に分かれて立ち去っていった。私はその後姿を見送りながら、内藤の言葉をあらためて思い出していた。
ロスアンゼルスは自分にとって住みやすそうな街だった、と内藤は言っていた。その時は軽く聞き流してしまったが、このロスアンゼルスに実際に来てみると、彼の言葉が生々しい現実味を帯びて迫ってくるように思えた。この街なら彼は異邦人ではなかったろう。彼のような姿かたちの男は到るところにいるのだ、少なくとも、街を歩いて奇異なものを見るような視線を向けられることはなかったはずだ。しかし、日本ではそうはいかない。あの横浜の夜においてさえ、内藤を異邦人と見なさずにはおかない視線に、私たちは困惑せざるをえなかったのだ。
私たちが食事をした関内の小料理屋でのことだった。何度目かに料理を運んできた仲居が、刺身の皿に箸《はし》を伸ばす内藤の様子を見て、感嘆の声をあげた。
「まあ、こちら、ほんとに通でいらっしゃる」
私たちは仲居の言っている意味がわからず、互いに顔を見合わせた。仲居は私たちの怪《け》訝《げん》な面持に気がつくことなく、さらに言葉を重ねた。
「お箸、こんなに上手にお使いになって」
仲居は内藤を外国人と見なしていたのだ。私たちは仕方なしに苦笑した。仲居が誤解したからといって、どうということもない。ええ、まあ、と曖昧《あいまい》にして済ますこともできた。しかし、たとえ内藤がこの仲居と二度と顔を合わさないにしても、きちんと説明しておいたほうがいいと私は思った。これから先も、内藤と一緒にいれば、必ずぶつかる局面に違いなかった。そのたびに曖昧に笑ってごまかすのは決してよいことではなかった。私は仲居に、彼が日本で生まれたこと、だから箸を上手に使うのは当然だということを説明した。頷《うなず》きながら聞いていた仲居は、私の話が終ると、こう言った。
「まあ、そうですか。でも、ほんとに、なんてお上手なんでしょう」
私は途方に暮れて溜息《ためいき》をついた。仲居は私の言っていることなど聞いていなかったのだ。たとえ私の言葉が耳に入っていたとしても、彼女の確固たる実感の前には、ただ無力にはね返されるだけだったのだろう。
内藤は表情ひとつ変えず黙っていた。しかし、その無表情が、三十年近くものあいだ背負わなければならなかった困難に対する、彼なりの防禦《ぼうぎょ》の方法だということは、私にも少しずつわかるようになっていた。自分を守り、傷つけまいとする本能が、彼を無表情の鎧《よろい》で閉ざしてしまうことがよくあった。
だが、このロスアンゼルスで、恐らく内藤はその鎧が不用なことを知ったのだ。
カーテンを閉め、横になったが眼が冴《さ》えてどうしても眠れない。明け方になり、窓の外がうっすらと明るくなりはじめた頃、ようやく眠りに入ることができた。
翌日、眼が覚めると、すでにカーテンの隙間から強烈な陽光が射し込んでいた。シャワーを浴び、フロントでもう一日分の宿泊料を払い、ロビーでコーラを呑んでから外に出た。三ブロック歩くと、激しく人の往き交う、繁華な通りに出た。標識によればブロードウェイという通りらしかった。
道の両側には大衆的な店が隙間なく並んでいる。洋服屋、アクセサリー屋、皮革製品店、果物屋、眼鏡屋、貴金属店、それにデパート。どれも安直な店構えで、値段も安そうだった。人の流れに身を任せて歩いていると、眼や耳に飛び込んでくる言葉は英語よりスペイン語のほうが多い。この界隈《かいわい》はメキシコ系住民の勢力圏なのかもしれないと思えるほどだった。
七番街の角で、ひとりの若い黒人男性が、通行人に向かって呼びかけていた。この暑いのに、茶色の三つ揃《ぞろ》いをきちんと着て、直立不動の姿勢をとっていた。片手に雑誌を持ち、それを高く掲げて叫んでいる。
「モハメッド・スピークス! モハメッド・スピークス!」
表紙にはエライジャ・モハメッドの写真が刷り込まれている。ブラック・モスレム、黒人回教徒の機関誌売りのようだった。額に汗を浮かべて叫んでいるが、誰も見向きもしない。私は一冊買ってあげようかなと思った。モハメッド・アリの試合を見にきて、すぐにブラック・モスレムの機関誌売りに出くわすとは、存外この旅はついているのかもしれないと思えたからだ。
ロスアンゼルスからニューヨークへ立ち寄り、マンハッタンでの用事を済ませた私は、宿のチューダーホテルから、四十二丁目をポート・オーソリティー・バスターミナルに向かって歩いていた。ニューオリンズまで、バスで行くつもりだった。
その日の朝、グレイハウンドの事務所に電話で訊ねると、夕方の五時にニューオリンズへ行く便があるという。私は昼食をゆっくり取り、二時過ぎにホテルを出た。
アメリカでは、灰色の猟犬のマークをつけて走っているバスをよく見かけるが、それがグレイハウンドだ。市内観光用のバスもあれば、何十時間も走りつづける長距離バスもある。たとえば、ニューヨークからニューオリンズまでなら二千数百キロ、時間にして三十数時間が必要である。
しかし、それほど時間がかかるのにもかかわらず、なぜ私は飛行機でなくバスを選んだか。理由はひとつ、もったいなかったのだ。金の問題ではなかった。いや、バスのほうが料金は数等安く、それはそれでありがたかったが、大事なのは料金の差ではなかった。私は、アメリカの東部から南部への風景の移りかわりを眺めながら、スーパードームへ向かいたかった。つまり、そこに着くまでの道中を愉しみたかったのだ。
ポート・オーソリティー・バスターミナルは、四十二丁目をハドソン河に向かって真直ぐ西へ進み、八番街を左に折れたすぐのところにある。五時の発車まで、時間はたっぷりあったので、四十二丁目の通りを散歩するようなつもりで歩いて行くことにした。
私は左手に小さなバッグ、右手にロスアンゼルスで増えた荷物を持っていた。その荷物とはブロードウェイで買った安物のジャンパーである。ロスアンゼルスが想像していたほど暑くなかったので、この分でいけばニューヨークの九月はかなり冷たいかもしれないと思ってしまったのだ。私は木綿のシャツを一枚着ているだけだった。寒ければニューヨークで買えばいいと考えていたが、そこへ辿《たど》り着くまでに震えあがってしまうかもしれない。私は、ブロードウェイのはずれの、スペイン語しか通用しない、バラックのような洋服屋で、襟《えり》にメード・イン・コリアと刺繍《ししゅう》の入ったジャンパーを買った。誰の目にもビニールとわかってしまう皮のまがいものだったが、値段は六ドル八十五セントと東京でシャツを買うより安かった。だが、ニューヨークに着いてみると、依然として木綿のシャツ一枚で充分の気候だった。嵩《かさ》張《ば》るジャンパーをもてあましながら、だからといって捨てるわけにもいかず、仕方なく腕に抱えて持ち運んでいた。
ホテルからしばらく歩くと、舗道に三、四十人くらい男たちが坐り込んでいるところに出くわした。意外な光景だったが、彼らが坐り込んでいる建物がデイリー・ニューズの社屋だということで了解できた。ニューヨークは新聞ストの真っ最中だった。
ニューヨークでは主要新聞が軒並み休刊中で、僅かにゲリラ的に発行している小新聞がスタンドの店先に並べられているくらいだった。ニューヨークに着いて、まず私はアリとスピンクスの一戦を、ニューヨークのスポーツ記者がどのように報じているかを知りたいと思っていたが、新聞が出ない以上それは不可能なことだった。
デイリー・ニューズの社屋からさらに歩いていくと、途中のスタンドに『スポーツ・イラストレイテッド』誌の最新号が置いてあるのが眼に入った。一ドル二十五セントでそれを買い、時間つぶしにどこかで読むことにした。三ブロックほど歩くと公園が見えてきた。近くの屋台でアイスクリームを買い、それを口に運びながら、ベンチに坐って『スポーツ・イラストレイテッド』を広げた。巻頭の記事はやはりアリとスピンクスの一戦についてのものだった。
この二月レオン・スピンクスに敗れ、王座を奪われたモハメッド・アリが、半年間の周到な準備のあとで、三度の王座復活という世界ヘビー級史上だれひとりとしてなしえなかった偉業に、この一週間後に挑戦しようとしているのだ。スポーツ誌でなくとも無視できないイベントだったであろう。しかも、かつてマニラで行なわれたアリ対フレイジャーの一戦を「スリラー・イン・マニラ」というキャッチ・フレーズで売りまくった凄腕《すごうで》の興行師たちは、今度は「バトル・オブ・ニューオリンズ」という惹句《じゃっく》でセンセーションを巻き起こそうとしていた。「マニラの恐怖」を演出した黒人の山師ドン・キングとは違って、「ニューオリンズの戦い」の興行師はハーバート出身の白人ボブ・アラムだったが、モハメッド・アリという世界最高の「玉」を使っての宣伝方法に、さしたる差があるわけではなかった。この試合がアリにとってどれほど大事なものであるかを浸透させればよかった。あるいは、それすらも必要なかったかもしれない。アリが本当に闘う、それだけでよかったとも言える。あとは、アリという神話的な存在が放つ、不思議な磁力によって、スーパードームの数万の観客と、その背後にいる数億のテレビの視聴者は、引きつけられるに違いなかったからである。
『スポーツ・イラストレイテッド』の記事は、試合を直前に控えたふたりの表情を伝えたあとで、次のような文章で締めくくられていた。勝つにしても負けるにしても、スピンクスにはこれからもっと多くの選手権試合があるだろうが、アリにとってはまさにこれっきりなのだ……。
その思いは私にもあった。このリターンマッチに敗れればすべてが終る。アリは今まで同一のボクサーに二度負けたことはなく、ましてや連続して負けたことなどない。それだけでもアリにとっては致命的なダメージだが、たとえその精神的な衝撃を乗りこえられたとしても、三十六歳という年齢がそれ以上の挑戦を不可能にさせていくだろうことは明らかだった。かりに、アリがスピンクスに勝ったとしても、やはりそれで終りのはずである。アリの肉体の条件と現在の状況を仔《し》細《さい》に検討すれば、チャンピオンのまま引退することが最善の道だと判断できる。勝つにしろ負けるにしろ、アリはこの一戦が最後のはずだった。かりに何かの拍子でリングに上がることになったとしても、それはアリであってアリではない。恐らくは、金のためにグローブをつけた、アリの残骸のはずである。ニューオリンズがアリの見納めだった。だからこそ、私も見ておきたいと望んだのだ。
記事の中で、とりわけ印象的だったのは、本文とは別に小さな囲みの欄に載っていた、ボクシング関係者の戦前の予想が、圧倒的にアリ有利に傾いていたことだった。アリの顎《あご》を打ち砕いたことのあるケン・ノートンも、フロイド・パターソンを育てたクス・ダマトも、アリの唯一のライバルといってよいジョー・フレイジャーも、口々にアリの老練さによる勝利を語っていた。
チャンピオンはスピンクスであるにもかかわらず、この試合の主役はアリだった。スピンクス対アリではなく、あくまでアリ対スピンクスなのだ。チャンピオンにとってのこの屈辱的な状況は、しかしひとりスピンクスばかりでなく、彼に先行したフレイジャーもフォアマンも等しく味わわねばならないものだった。アリがボクシング界に存在するかぎり、誰もが真の王者と認定されないという不運に見舞われる。それは単にアリ以外では客を呼べないという興行的な問題だけではなかった。アリには分析不能な神話性がまとわりついている。アリとグローブを交えようとするボクサーは、生身のアリ以外に、常にその神話とも闘わなくてはならなかった。
私はジャンパーを枕にベンチに横になった。木立の微かな風が快かった。いつの間にか、とろとろとしていた。どれくらいたっただろう。眼が覚めて、腕時計を見ると、四時を過ぎていた。私は慌てて立ち上がり、ターミナルに向かった。
古いバスターミナルの内部は静かな活気で溢《あふ》れていた。かなりの数の人が忙しげに動き廻り、切符売場によっては長い列ができているところもあった。身軽にハンドバッグだけで歩いている女性もいれば、重そうなスーツケースを布のベルトで曳《ひ》いている老人もいた。私は地下の発着所へ降り、二十四番ゲートでニューオリンズ行きのバスを待った。
近くのゲートには、様々な行先のバスを待つ客が、あるいは並び、あるいは近くのベンチに腰をかけ、時間がくるのをじっと待っていた。ワシントンやボストンといった近距離のバスを利用する客はさほどでもないが、二十四番ゲートのように遠距離のバスを待っている客は、飛行機で旅するには貧しすぎるということが、その服装から明らかにわかるような人たちが多かった。終点のニューオリンズに、到着するのは二日後の午前零時か一時である。時間より金を惜しむ人でなければ利用できない乗物である。飛行機なら、二、三倍の値段で十分の一の時間で済む。
大きな荷物を抱えた人たちが次第に二十四番ゲートのまわりに集まってきた。ジャンパー姿の白人の中年男。ジーンズをはいた白人の若者。見事なほどの黒さの年老いた黒人。中南米の出身だろうと思われる浅黒い皮膚の二人の男性。いささかくたびれたスーツを着た初老の白人。そこに、場違いな印象を与える、純白のハーフコートを着た白人の中年女性。しかし、そのコートも見かけほど立派そうではない。どこか全員にうらぶれた雰囲気が漂っていた。そんな中にまじって、ハンチングをかぶった神経質そうな少年がいた。十歳とも十五歳とも見うけられるが同伴者はいないようだった。傍を通りかかった警《けい》邏《ら》中の警官も不審に思ったらしい。何気ない様子で彼に話しかけた。少年はチューインガムを噛《か》んだまま質問に答え、切符を取り出して示した。ひとりでニューオリンズまで帰る、という意味のことを喋っていた。
定刻の五分前にバスが入ってきた。窓ガラスには光線よけのためなのだろう濃紺の色が入れられ、外から見ると内部は暗く不気味に映った。
私が窓際の席に坐り、雑誌の頁を繰っていると、白人の老人が隣に坐ってもいいかと訊ねた。正確に訳せば、あなたは私と話しながら行くことを欲するか、と言ったのだ。ほとんど喋れもしないのに、相手の言うことを必死に聞き取り、単語を並べただけのような英語で話さなければならないのは億劫《おっくう》だったが、厭《いや》とは言えなかった。笑って頷くと、律儀に名前を名のり、アトランタへ行くのだと言って、握手を求めてきた。
老人は早口に喋りかけてきた。私がたどたどしい英語で応じると、はじめて気がついたように、おまえは観光客なのか、と言った。そして、矢つぎばやに訊ねてきた。どこから来たのか。どこへ行くのか。私が答えると、老人は呟《つぶや》いた。
「そうか、ニューオリンズはいい街だからな」
「そうですか」
私があまり関心のない口調で言うと、老人は意外そうな表情を浮かべた。
「知らないのか」
「ええ」
とまた気のない返事をすると、ニューオリンズへ何をしに行くのかと訊ねてきた。
「遊びに行くんじゃないのかい?」
「ボクシングを見に行くんです」
老人は私が言うことを理解できないでいるようだった。私はもう一度、ニューオリンズへボクシングの試合を見に行くのだ、と繰り返した。
「誰の?」
「モハメッド・アリ」
「誰だって?」
老人は訊き返してきた。モハメッド・アリ、モハメッド・アリ、と私は大きな声で言った。英語風にムハマッド・アリーと発音してみたが、それでも通じない。ふと思いつき、カシアス・クレイ、と言い直すと、老人は声をあげた。
「クレイ! クレイ! おお、クレイ!」
そして、クレイがどうしたって、と付け加えた。ニューオリンズでレオン・スピンクスという男とタイトルマッチをやるのだ。私が説明すると、老人は信じられないというような顔をして、そいつは本当のことかい、と呟いた。
「クレイがタイトルマッチをやるって?」
この老人にとってカシアス・クレイとは、徴兵忌避によってチャンピオンの座を剥奪《はくだつ》されたままの存在なのかもしれなかった。老人は、何度も、そいつは本当かい、と言いつづけた。
やがて席の大半は埋まった。乗客は黒い肌や褐色の肌を持った人が多かった。このバスの中では白人は小さくなっているように感じられた。
発車寸前に黒人の少女が四人、ゲートから駆け込んできた。ひとりの少女が、バスのステップの前で、あとから走り込んできた見送りの若夫婦ときつく抱き合った。それを取り巻いて見守っていた残りの三人も、順にその若夫婦とキスをしていく。窓からその情景を眺めていた私は、夏休みに兄夫婦のいるニューヨークに友達と一緒に遊びにきていたのかな、などと想像した。運転手にせかされて、四人はバスに乗ったが、窓際の席はすべてふさがっていたため、通路をはさんで四カ所に散らなくてはならなかった。
バスが走り出すと、眼に涙を溜めて別れを惜しんでいたにもかかわらず、すぐに少女たちは陽気に喋りはじめた。静かな車内にその声はひときわ高く響き渡った。周囲に気がねすることなく、笑い合い、叫び合った。
私の隣に坐っている老人は、こちらに顔を向けて肩をすくめた。私も少し表情を動かして応じたが、それほど迷惑に感じていたわけではなかった。むしろ、彼女たちの不思議な美しさに見惚《みと》れていたといってもよい。
日本流にいえば、まだ中学一、二年といった年頃の少女たちである。それでも精一杯のおしゃれをしているのだろうが、身につけている洋服はいかにも古い型のものだった。肌は漆黒に近い。しかし、背後から見える彼女たちの細い腕とうなじには、白人の少女の持っていない、硬く張りつめた美しい線が走っている。静止している時でさえ、すでに動的な緊張感をはらんでいるような、彼女たちの黒い肌が、私には眩《まぶ》しく感じられた。
ブラック・イズ・ビューティフルとは、六十年代の黒人急進派が唱えた重要な主張のひとつであった。黒という色が、悪や負性の象徴と見なされている社会で、黒こそ美しい色なのだと言うことは、確かに革命的な行為であった。だが、どれほど多くの政治的宣伝より、モハメッド・アリの一個の肉体ほど、「黒こそ美」という文句を他に納得させるものはなかった。アリの前には、他のどんな人種の、どんな存在も、卑少で醜く映った。アリは黒人の美しさを劇的に表現する存在だったのだ。私もまた、アリをこの眼で見なかったとしたら、この少女たちに対していまと同じような視線を向けていたかどうかは、疑問だった。
少女たちの傍若無人の振るまいはとどまるところがなかった。ひとりが小さい声で歌をうたいはじめた。四人の中では最も小さい少女だったが、声はハスキーでしっかりした音程だった。歌詞を覚えていないのか、ところどころでハミングになったが、流行歌をバラード風にうまくうたっていた。こんなに幼い時から、これほどの哀感をかもし出すことができるのか、と私はいささか呆然とする思いでその歌を聞いていた。
別のひとりが、前に坐っている少女の頭をさわりはじめた。何をするのかと見ていると、バッグからヘアー・カーラーのようなものを取り出して、それをセットしはじめた。細かくちぢれた毛を伸ばし、カーラーを巻きつけていく。パチン、パチンというクリップの金属音に、驚いて振り向く乗客もいた。ひと通りセットしおわると、今度は席を交替して同じことを始めた。私は飽きずに彼女たちの動作を見つめていた。
ターミナルを出たバスは、混雑する市内を抜けるのに手間取った。ようやくホランド・トンネルをくぐり、ハドソン河を渡り終えた頃には三十分以上が過ぎていた。最初の停車地は四時間後のワシントンだということだった。
バスは九十五号線をワシントンに向かって走っていた。
窓の外には単調な郊外の風景が続いている。陽はまだ地平線のかなり上にあり、すっかり暮れ切るにはあと一時間は必要なようだった。九月というのに、ずいぶん日が長い。しかし、道路沿いの並木からは、少しずつ深まっているらしい秋の気配が感じられないことはなかった。
地平線のあたりには薄く乳白色の膜のような雲がかかっている。陽がその中にまぎれ、周辺がぼんやりとした朱色に染まると、バスは夕暮れどきの色彩につつまれるようになった。なだれるような華麗な夕暮れではなかったが、青から藍《あい》に、藍から紫に、あたりの空気は急速に色づきはじめた。
バスの窓にもたれ、ぼんやりとその風景を眺めながら、私は自分自身の思いの中に入っていった。
……五年前、思いはいつもそこに戻っていってしまうのだが、とにかく五年前、数十行の新聞記事によって内藤を復活させるという夢が崩れ去った数カ月後に、私は日本を離れてかなり長い旅に出ることになった。
日本を出て、ぶらぶらと異国をほっつき歩きたいと思ってしまったのだ。理由は自分にも明らかではなかった。友人たちには、インドのニューデリーからイギリスのロンドンまで、乗り合いバスで行けるかどうか試してみる、と言ってあった。だが、自分でも本当にそのような馬鹿ばかしいことをしたがっているのかどうか、よくはわからなかった。友人の餞別《せんべつ》から机の中の小銭までかきあつめ、千五百ドルのトラベラーズ・チェックを作り、私はどうにか日本を出ることができた。
香港《ホンコン》から始めたその旅は、東南アジア、インドと歩いているうちに、春と夏が過ぎていった。インドからパキスタン、アフガニスタンからさらにイランへさしかかった時は、すでに秋も深く、朝晩はかなりの寒さになっていた。イランの山にも美しい紅葉があったが、私は長い旅に疲れ、ただそれを無感動に眺めていたような気がする。
テヘランにしばらくとどまり、南下してペルセポリスに近いシラーズへ行き、そこから古都イスファハンに向かった。その時のことである。
シラーズから夜行の長距離バスに乗り、イスファハンには早朝ついた。
安宿を探し、町を歩いていると、鞄《かばん》をかかえた子供たちが大勢群らがり、必死に中を覗《のぞ》き込んでいる店先があった。通りすがりにちらりと見ると、そこは電気器具の販売店のようだった。ウィンドーの向こうに白黒のテレビ受像器が一台置いてあり、子供たちは登校途中の足を止め、そこに映し出されている画像に見入っていたのだ。イランの子供たちがこれほど熱中する番組とはどのようなものなのだろう。ふと興味を覚え、彼らの頭の上から覗き込むと、どうやらそれはボクシングの試合らしかった。らしいとしかわからなかったのは、不鮮明で、上下二段に分裂し、しかもそれが逆転しているという、凄《すさ》まじい画像だったからだ。
しかし、しばらくじっと見ているうちに、どうにか自分の頭の中で画像を修正し、ボクサーたちの動きを追えるようになってきた。雑音に近かったアナウンサーの声も、その早口のあいだから、「アリー、アリー」という叫びが洩れるのを聞き取ることができるようになった。
眼をこらすと、ひとりのボクサーは確かにアリに似ていた。だが、ペルシャの古都で、しかも早朝にアリを見るということがどうしても納得いかず、どういうことなのだろうかと不思議に思っていた。朦朧《もうろう》とした画像の中で、アリは追い込まれ打ち込まれていた。だが、アリを圧倒している相手のボクサーがよくわからない。誰なのだろう。疑問に思っていると、一瞬だけ画像が鮮明になった。なんとアリが闘っているのはジョージ・フォアマンではないか。長い旅の間に、うっかり忘れていたが、その日はアフリカのザイールで行なわれることになっていたアリ対フォアマンの世界戦の当日だった。ザイールの首都、キンシャサで深夜おこなわれているはずの試合が、イランには衛星中継で早朝に送られてきていたのだ。アリとフォアマンという世界最強のボクサーたちが、たったひとつの座をかけて争う試合を、偶然にも回教国の静かな街で見かけたということが、私を昂奮《こうふん》させた。
ラウンドはすでに四回に進んでいた。私はイランの子供たちと一緒に息を呑んで見守った。
アリは打たれていた。サンドバッグのように打たれていた。フォアマンの強打が一発一発アリの体にめり込んでいく。そのたびにアリの表情が歪《ゆが》むようだった。フォアマンは自身の腕を丸太か鉄管のように振り回していた。アリはその荒っぽいパンチに対応する術《すべ》を持たないようだった。フォアマンの強烈なジャブが一発入るだけで、アリの体はガクッと崩れかかる。ロープに追いつめられたアリは、両腕で顔をカバーする。その必死さが、アリの姿をみじめなものにしていた。
ジョージ・フォアマンはメキシコ五輪大会におけるヘビー級のゴールド・メダリストだった。プロに転向して不敗のまま、ジョー・フレイジャーの持つ世界ヘビー級のタイトルに挑戦した。フレイジャーがアリの挑戦を退け、真のチャンピオンは誰かを人びとに知らしめた、その一年後のことである。自信を持ってフォアマンの挑戦を受けたフレイジャーは、しかしたった二ラウンドでキャンバスに沈められた。のちにフィルムで見るジャマイカでのその試合は、恐ろしいほどのものだった。フォアマンがフック気味のアッパーをフレイジャーの左右の脇腹に叩きつけると、そのパンチによってフレイジャーの体はキャンバスから浮いてしまうのだ。凄まじいパンチ力だった。
フレイジャーと闘い敗れていたアリにとって、そのフレイジャーを簡単に倒してチャンピオンの座についたフォアマンが、分の悪い相手でないはずがなかった。だが、アリに選り好みをしている余裕はなかった。チャンピオン・ベルトを持っているのは相手であり、そのフォアマンへの挑戦が、アリに許されたほとんど唯一の、そして最後のチャンスだったからである。
イスファハンの電気屋の店先で、テレビの中のアリとフォアマンの闘いを見ながら、私は次第に不安になっていった。そこで何か決定的なことが起こるような予感がしたのだ。
アリは防戦一方だった。後退し、ブロックし、クリンチした。フォアマンは前進し、ブロックする腕の上からパンチを浴びせ、クリンチされたままボディを叩いた。淡々とした表情で、人を殺しかねないパンチを振るった。
少しずつ、試合展開のパターンのようなものができていった。フォアマンが進み、アリが退く。アリがロープにつまり、フォアマンの首を抱え、クリンチをする。それを無視してフォアマンがボディを連打する。フォアマンはダメージを与えられることなく、アリをサンドバッグのように打っていた。いまやアリはクリンチできるサンドバッグにすぎない、と私は思ったものだった。ゴングが鳴る寸前の三十秒に、アリは二、三発パンチを出すがフォアマンにはまるで効果がないようだった。
フォアマンは常に前へ進み、アリは常にロープを背負う。ラウンド終了のゴングが鳴るたびに、イランの少年たちはホッと肩で息をついた。
やがてアリがキャンバスに這《は》わされるだろうことを私は疑わなかった。フレイジャーに敗れ、ノートンに敗れたことがあるとはいえ、それはどちらも僅《きん》差《さ》の判定だった。しかし、今度こそは、ノックアウトで打ち倒されるのだ。そして、その時こそ、アリの神話は粉々に打ち砕かれる。
試合は第八ラウンドに進んでいった。フォアマンはまた前に出た。だが、イスファハンの波打つテレビの画像からでも、フォアマンの体の動きが、いくらか重くなっているのが見て取れた。フォアマンはそれまでと同じように前進し、パンチを出していたが、アリをロープにつめての、不用意な左フックがアリの体をとらえることなく右に流れたその瞬間、アリの右フックがフォアマンの頬を綺麗に打ち抜いた。よろめいたフォアマンに、廻り込んだアリが右で追い打ちをかけた。これがヒット。アリはフォアマンを追い、もう一発、右を放った。ヒット! そして左。その左が当たると、フォアマンは信じられないといった表情を浮かべて立ちすくんだ。そしてアリの最後の右が当たるか当たらないかのうちに、フォアマンの体は巨木が倒れるようにゆっくりとかしいでいった。キャンバスに沈んだフォアマンに向かって、レフェリーがカウントを数えはじめた。フォアマンは気を取り直し、立ち上がろうとしたが、それより早くレフェリーは十を数えた。
あのフォアマンがノックアウトで敗れてしまったのだ。こんなことがありうるのだろうか。その寸前まで、追われ、打たれ、喘《あえ》いでいたアリが、一瞬にしてフォアマンを打ち伏せてしまった……。私は茫然と画面を眺めていた。
アリが勝った瞬間、肩で息をしながら心配そうにテレビを見つづけていたイランの子供たちは、天を指さし、声を合わせて叫んだ。
「アリー!」
その叫びには誇らしさが溢れていた。私もアリの奇蹟的な復活を眼《ま》のあたりにして、彼らと共にアリーと叫びたいような気持になった。その時が、アフガニスタンのカブールでこわした体が充分になおりきらず、あらゆることに物憂い頃だったからかもしれない。アリという男がひとつの奇蹟を行なうさまを見て、微かな生気が注ぎ込まれるように感じられた。アリは完璧《かんぺき》に甦《よみがえ》った。私にはアリの偉大さが素直に納得できた。なるほどね、そういうことですか、と小さく独り言を呟いていた。やがて衛星中継は終った。子供たちは、アリーと叫びながら、学校に向かって走り去った。私は再びイスファハンの街を歩きながら、もう一度、頭の中で試合を反芻《はんすう》していた。右、右、右、左、そして右。信念のこもったパンチを繰り出していたアリの姿に、私はやはりいつしか内藤の像を重ね合わせていた。その時はじめて、内藤がカシアスというリングネームをつけられたことの悲劇を、真に理解できたと言えるのかもしれない。
内藤の困難、という時、それは明らかに彼が黒人との混血児として生を享《う》けたことを意味する。
父の名はロバート・ウィリアムズ。東部の農家の出身で、日本に進駐してきた米軍の軍曹だった。母の名は内藤富美子、米軍キャンプの将校クラブでウエートレスをしている時にウィリアムズと知り合った。やがて内藤を生み、弟の清春を妊《みごも》った時、ウィリアムズは朝鮮戦争のため半島に渡り、前線で戦死した。富美子は女手ひとつで二人の息子を育てることになった。このような状況のもとで、黒人の混血児として成長していかねばならなかった内藤に、困難が背負わされなかったはずはない。
しかし、ボクサーとしての内藤が背負わなければならなかった困難は、それとは別のものだったように思われる。
内藤はデビューしてからの数試合を本名の内藤純一でリングに上がっていた。連勝し、人気が高まるにつれて、ジムとテレビ局は彼にリングネームをつけたいと考えるようになった。内藤自身が強く望んだのはウィリアムズ内藤という名前だった。内藤はロバート・ウィリアムズという父の名のいずれかを冠してリングに上がりたいと考えたのだ。しかし、ロバートもウィリアムズも「地味すぎる」と反対された。すべてに営業政策が優先された結果、残ったのはカシアスという名だった。内藤はカシアス内藤として売り出されることになった。
だが、その頃すでにトレーナーになっていたエディ・タウンゼントは、そのリングネームをつけることには反対だった。エディの反対の理由は、内藤が黒人との混血児だから、というのだった。普通の日本人ならカシアスとつけるのもいいだろう、それはファイティングとか、ライオンとかつけるのと同じ御愛嬌で済むからだ。しかし、内藤は黒い皮膚を持っている。だからこそ、黒人のヒーローであるクレイの名を冠してはならないのだ。しかし、このエディの正論も、聞き流され、理解されることはなかった。確かに、内藤はカシアスというリングネームと共に、爆発的な人気を獲得していった。だが、それは同時に「和製クレイ」という、ある意味で屈辱的な呼び方を甘受しなくてはならない種類の名づけ方でもあった。エディは私にこう言ったことがある。
「内藤純一、いい名前ね、とてもとてもいい名前ね、どうして取り換える必要あるの」
内藤純一はカシアス内藤になった。しかし、皮肉なことに、内藤は皮膚が黒いということと、足が早いということを除けば、およそクレイと似るところのない男だった。それは皮肉を通りこして悲劇ですらあった。内藤は、同じカシアスという名をつけながら、どうしてもクレイにはなれなかった。
だが、クレイになれなかった男は、あるいは内藤だけではなかったかもしれない。カシアス・クレイという存在の前には、ジョー・フレイジャーも、ジョージ・フォアマンも、やはりクレイになれなかった男たちのひとりになる。
カシアス・クレイ、のちにモハメッド・アリと改名したケンタッキー生まれのボクサーは、ボクシングというスポーツの世界が、その全歴史を通じてひとり持てるかどうかといった傑出した存在だった。
私は、イスファハンの電気屋の店先で、アリがアリでありつづける力の淵源《えんげん》を見たように思った。それは過剰なほど自己を信じる能力とでもいうべきものだった。そして、それこそが内藤に欠けていた最も大切なものではなかったか。私はイスファハンの街をやみくもに歩きながら、ある口惜しさと共にそんなことをいつまでも考えていた……。
バスは九十五号線を快調に飛ばしていた。気がつくと、窓の外はすっかり暗くなっていた。街なのだろうか、闇に灯が浮かんでいるのが見える。よほど遠くにあるらしく、白く冷たい輝きがいつまでも追いかけてくる。
窓から顔を離すと、隣に坐っていた老人が待ちかまえていたかのように話しかけてきた。
「ニューオリンズにクレイの試合を見に行くって?」
私は頷いた。
「それから? それからどこを旅行する?」
すぐに日本へ帰る。私がそう答えると、老人は怪《け》訝《げん》そうに質問を重ねた。
「それだけで? どこにも寄らず?」
私がまた頷くと、老人はおおと小さく呟き、首を振った。
「そいつは狂ってる」
そうかもしれないなと私も思った。老人の気持もよくわかった。それがまっとうな感覚というものだ。しかし、イスファハンを出て、中近東からヨーロッパに辿り着き、その翌年に日本に帰ってきた私は、この眼で直かにアリの試合を見たいと思い、友人に借金してはクアラルンプールやマニラに行った。確かにそれは狂っていたかもしれない。だが私は見たかったのだ。
「仕事なのか?」
老人はきつい語調で訊ねてきた。いや、ただ見たいだけなのだ、と答えようとして、不意にその老人にひどく悪いことをしているような気がしてきた。そうだ、と私は頷いた。
「そうか、仕事なのか」
老人は急に明るい表情になって言った。
やがて河が見えてきた。そのむこうに塔が立っている。照明が当てられ、光が滝のように流れている。もしかしたら、あれがワシントンなのだろうか。
ふと、内藤の言葉が思い出された。よく知らないんだけど、親父はワシントンの近くの農家で生まれたらしい……。私は窓の外に眼をこらした。光の塔は次第に近づき、やがて林の陰に消えた。ニューオリンズまではまだはるかな道のりなのだろうが、こうしているうちに存外早く着いてしまうような気もした。
その日、フレンチ・クォーターのはずれにある、穴倉のような一室で眼を覚ました時、一瞬、まだ夜中なのではないかと錯覚した。私が泊まっていたのは、壁にひとつの窓もなく、昼間でも灯りなしには真っ暗になってしまうという、信じられないような造りの部屋だった。
ニューオリンズ観光の中心地であるフレンチ・クォーターは、アリ戦の客でどのホテルも満員だった。ニューオリンズでもいっさい予約をしていなかった私は、空部屋の有無を一軒一軒たずねてまわっているうちに、とうとうフレンチ・クォーターのはずれの、小さく薄暗いホテルに泊まることになってしまった。だが、何日かそこで過ごしてみると、さほど居心地の悪いホテルでもなかった。ローヤルオリンズなどのような格式高いホテルと違って、すべてに安直なのが気楽でありがたかった。レストランへ食事に行くのが面倒な時は、近くのスーパーマーケットで食料を買い込み、自分の部屋で食べればよかった。しかも、フレンチ・クォーターのはずれにあるため、アリとスピンクスが公開スパーリングをしているムニシパル講堂へ歩いて行くこともできたし、ミシシッピーの河岸にも近かった。暇な時は河岸へ行き、水の流れを見ているだけで退屈しなかった。
しかし、窓がないため、一度眠ってしまうと次に眼を覚ました時に朝と夜の区別がつかなくなる、というのが唯一の難点だった。その時も、サイドテーブルの灯りをつけ、腕時計の針を読み、昨夜は午前二時に寝たのだから、今はきっと朝の八時なのだろうと見当をつける始末だった。
テレビのスイッチを入れると、NBCの朝のニュースが流れていた。寝呆けた眼でしばらく画面を眺めていたが、不意にニューオリンズの風景が映し出されて、頭がはっきりしてきた。スポーツキャスターが、ビッグファイトを前にしたニューオリンズの街の表情を、流暢《りゅうちょう》に報告していた。
まず、いつもながらの大騒ぎの計量風景を映したあとで、アリの軍団がスピンクスの「葬式」を出して街を練り歩いている様子を流した。次にキャスターが、WBCの世界ヘビー級チャンピオンであるラリー・ホームズに、アリとスピンクスのいずれが有利かを訊ね、次のような答を引き出していた。
「わからない。でも多分アリが勝つだろう」
アリを破ったスピンクスは、WBCの勧告にもかかわらず、次期挑戦資格を持つケン・ノートンと闘わず、アリとのリターンマッチの道を選んだ。WBCはこれに対し、スピンクスのタイトルを剥奪し、ノートンを新しい王者と認定するという強硬な措置を取った。世界のボクシング界を支配するふたつの団体、世界ボクシング連盟WBAと世界ボクシング評議会WBCは、それぞれスピンクスとノートンというふたりのヘビー級チャンピオンを分裂して持つことになったのだ。若いホームズはWBCのノートンに挑戦し、大方の予想をくつがえしてこれを破り、新しいチャンピオンになっていた。
ホームズは、アリがキンシャサでフォアマンと闘った時、スパーリング・パートナーとして同行したボクサーのひとりだった。アリをよく知っているはずのそのホームズが、ラスベガスの賭《か》け屋の予想と反対にアリ有利を打ち出すには、それなりの理由があるに違いなかった。しかし、テレビではそれ以上の深追いはしなかった。
やがてキャスターは「これがアリ・ダンスを見る最後の機会になるだろう」と言って放送を締めくくった。
ホテルの近くのレストランで軽い朝食をとり、ロイヤル通りをぶらついていると、背後から声をかけられた。
「やあ、どこへ行く」
振り返ると、金髪の若者が立っていた。
「なんだ、君か」
私は日本語でそう言った。意味はわからないはずだが、彼は頷《うなず》きながらにこにこと笑った。
その若者とは私がニューオリンズに着いた日に知り合った。彼も旅行者だった。私が空部屋を探してフレンチ・クォーターをうろうろしていた時、やはり安い部屋を探しまわっていた彼に、どこかいいホテルを知らないかと声をかけられたのだ。オーストラリアから世界一周の貧乏旅行をしてるのだと言った。私の風体から同じような旅行をしている者と判断して、情報を求めてきたというわけなのだ。しかし、いいホテルを知っていれば、こちらがおしえてもらいたいくらいだった。ところが、しばらく話しているうちに、彼は二、三日しかニューオリンズにいるつもりがないということがわかった。それなら、私は断わられてしまったが安くて清潔そうなホテルがあった。そこは試合の前日と当日は予約で満室になっていたが、その直前までは空いていた。私は通しで借りたかったので諦《あきら》めたが、逃すには惜しいホテルだった。値段をおしえてあげると、それくらいの予算はあるという。少しわかりにくい場所にあるので、先に立って案内してあげようとすると、彼は急に真剣な顔つきになって訊ねた。
「あんた、ゲイじゃないだろうな」
彼は私が一緒に部屋を借りようとしているのかと誤解したらしかった。
私もアジアから中近東を金もなく旅している時、偶然どこかの街で知り合った相手と、よく共同で部屋を借りることがあった。そのような場合、ひとつのエチケットとして、互いにさりげなくゲイではないことを表明しておく。相手がどんな趣味の男かわからないのは、いささか不気味だからだ。時には、おまえさんはゲイじゃないだろうな、と直截《ちょくせつ》に訊き合うこともあった。
だが、私はそんな旅から離れて何年にもなる。今度のこの旅も、その若者のような切羽つまった旅をしているわけではなかった。見知らぬ誰かと倹約のために一部屋を借りるなどという疲れることはしたくもなかった。だから、彼が「ユー・アー・ノット・ゲイ?」と言った時、すぐには意味がわからなかった。しばらくして理解できた時には思わず笑ってしまった。こいつも結構手ひどい目に会っているのかもしれない。余計な心配をさせても可哀そうなので、ホテルのある場所を適当に説明し、心細そうな彼を残してそこで別れたのだ。
通りで声をかけてきたのはその時の若者だった。しかし、二、三日でニューオリンズから離れるはずではなかったのか。どうしたのだと訊ねると、滞在を少し延ばしたのだと言った。
彼と初めて会った時、ニューオリンズには二、三日しかいないとこともなげに言うので、試合を見ないつもりかと訊ねた。
「試合?」
「バトル・オブ・ニューオリンズ。アリの試合さ」
すると、彼はさもくだらないというように顔をしかめ、まるで興味がないと言った。
私はその時の彼の表情を思い浮かべ、冷やかすような調子で訊ねた。
「やはり試合を見たくなったのかい」
「いや。今夜ここを発《た》つ」
「今夜!」
私は声を上げた。何もアリの試合をやっているその時に出発しなくてもよさそうだと思ったからだ。
「そう、今夜。明日の朝からは街が戦場になる。試合が終って、ニューオリンズから出ようとする観光客でどの乗物もいっぱいになる。宿の支配人がそう言っていた。だから、その前にこの街を出る」
なるほど、今夜の試合を見るためだけにわざわざ遠い島国からやってくる男もいれば、折よく通りかかっても見ないで過ぎて行ってしまう男もいる。その場で、じゃあ、と別れたが、奇妙な気持だった。
ホテルへ戻る途中で、白い無地のTシャツを一枚買った。Tシャツ屋の壁には、アリ軍団の連中が着ている制服のようなTシャツが、ディスプレイ用に貼《は》ってあった。胸に「ザ・サード・カミング」とプリントされたTシャツだ。正確には次のように記されてある。
ザ・サード・カミング
モハメッド・アリ
フロリダ
キンシャサ
ニューオリンズ
つまり、このニューオリンズが、アリの王座獲得の三番目の土地になるだろうというのだ。フロリダでのソニー・リストン、キンシャサでのジョージ・フォアマン、そしてこのニューオリンズでのレオン・スピンクスと、三つの土地で、三人のチャンピオンから、三たびタイトルを奪う。アリの軍団はTシャツでそう宣言していた。
ヘビー級史上、三たび王座についたボクサーはひとりもいない。一九六〇年、フロイド・パターソンがインゲマル・ヨハンソンを倒してタイトルを奪回するまで、ヘビー級に王座復活はありえないとされてきた。それ以後も、アリがフォアマンを破って復位するまで、失なったタイトルを奪い返したヘビー級ボクサーは出てこなかった。しかし、パターソンにしても、王座についたのは二度までである。もしアリが三度目への挑戦に成功すれば、ヘビー級の歴史は大きく書き換えられることになる。それは同時に、アリ自身の二十年に及ぶプロボクサーとしての経歴に、もうひとつの高峰を築くことにもなるのだ。
アリは、スピンクスとのこの試合までに、二十三回もの世界タイトルマッチを経験してきていた。
初めての挑戦は一九六四年、彼が二十二歳の時だった。ローマ五輪で金メダルを獲得し、帰国してすぐプロに転向したアリは、十九勝無敗の戦績をひっさげて、ソニー・リストンの持つ世界タイトルに挑戦した。リストンは、パターソンからたった二分でタイトルをもぎ取った際の強打によって、「不敗の男」と畏《い》怖《ふ》されていた。しかし、アリはそのようなリストン伝説に萎縮《いしゅく》することなく、逆に狂気にも似た試合前の空騒ぎで相手を混乱させ、リングに上がっては素早いフットワークと鋭いジャブで翻弄《ほんろう》し、第七ラウンドついにノックアウトで勝利を収めた。
チャンピオンになったアリは、一戦ごとに強さを増し、彼の持つタイトルに挑戦してくるボクサーを、ことごとく撃破していった。リターンマッチのリストンを一回でKO、フロイド・パターソンを十二回でKO、ヘンリー・クーパーを六回でKO、ブライアン・ロンドンを三回でKO、カール・ミルデンバーガーを十二回でKO、クリーヴランド・ウィリアムズを三回でKO、ゾラ・フォーリーを七回でKO、アーニー・テレルとジョージ・シュバロを判定で破り、九度防衛を果した。
ところが、一九六七年、思わぬ敵に足をすくわれる。敗れずして王座を剥奪《はくだつ》されてしまったのだ。アリのブラック・モスレムへの改宗と、その信仰にもとづく徴兵忌避が、タイトルとライセンスの剥奪を強行させることになった。ベトナム戦争下のアメリカで、「ベトコンは俺を黒んぼと言ったわけじゃない、俺がベトコンを殺すいわれはない」と主張して一歩も退かなかったアリへの、それは見えざるアメリカ多数派の報復だった。
徴兵忌避を理由に、ヒューストンで裁判にかけられたアリは、一万ドルの罰金と懲役十五年の判決を受ける。アメリカ国内の状況の変化により、一九七〇年、ようやくボクシングを再開する機会を得るが、二十五歳から二十八歳までという、ボクサーとして最も充実した時期を、裁判闘争とその資金を得るための講演旅行に費やさねばならなかった。やがて、最高裁で無罪を勝ちとるが、その三年余の空白は、トップレベルのボクサーにとっては回復不能な負荷であるはずだった。事実、七一年に当時のチャンピオンだったジョー・フレイジャーに挑戦したが、十五ラウンドにダウンを喫し、判定で敗れることになる。さらに、七三年、当時まだ無名だったケン・ノートンに顎《あご》を割られ、判定で敗れるに到って、ついにアリも復活はならないのかと思われた。しかし、半年の治療のあとで、まずケン・ノートンと再戦してこれを破り、次にフレイジャーとの雪辱戦に勝ち、さらにフレイジャーからタイトルを奪っていたフォアマンと王座を争うまでになったのである。彼にとって十二度目のそのタイトルマッチで、誰もが予想しなかったほどの劇的な勝利を収めたアリは、以後、十回連続してチャンピオンの座を保持していった。
しかし、フォアマンに勝ってからのアリは、緊張の糸が切れたのか、弛《し》緩《かん》した肉体とだらけた闘いぶりを観客の眼前にさらしつづけることになった。それはただ年齢からくる衰えばかりが原因ではなかったはずである。重要なのは、アリに試合の主題が見えなくなったということだった。なぜ俺は彼と闘うのか。その意味がどうしても見つけられなくなってしまったのだ。アリのボクシングは常に精神的な何ものかによって支えられてきた。それは、アリがその主題を発見し、そこへ全神経を集中した時、はじめて作動する力であった。リストンと闘った時は、自分が世界で最も強く、最も美しいことを認めさせる必要があった。パターソンと闘った時は、キリスト教の十字軍をもって任じている「黒い白人」を叩き伏せなくてはならなかった。最初にフレイジャーと闘った時は、誰が真のチャンピオンかを明らかにする必要があった。フォアマンと闘った時は、チャンピオンとしての復活の最後のチャンスがかかっていた。だが、フォアマン戦以後のアリには、たとえそれがブラック・モスレムのためであれ、金を稼ぐという以外の主題を見つけることができなくなってしまったのだ。とりわけ、生涯のライバルというべきフレイジャーと、一勝一敗のあとを受け、結着をつけるべく行なわれたマニラでの三度目の闘いに、十四ラウンドの死闘の末ノックアウトで勝利を収めると、アリの内部にはもう何も残らなくなってしまった。
マニラでの闘いで、ジョー・フレイジャーのボクシング生命は絶たれた。だが、その時、勝ったアリのボクサーとしての生命にも、終りが近づいていたはずなのだ。ノートンに敗れ、砕けた顎と傷ついた心を抱えて故郷に帰る、というところから筆を起されたアリの自伝『ザ・グレイテスト』は、フレイジャーにようやく勝利したマニラで筆が擱《お》かれている。
フレイジャーを愛しているファッチは、そこで試合中止の合図を出す。おれはリング中央へけんめいに歩いて行くが、不意にひざの力が抜ける。頭がくらくらする。おれはキャンヴァスに倒れる。
だれかがおれを抱き起こして水のびんをさしだすが、うけとる力もない。のどはからからだ。ようやく身を起こし、セコンド陣にたすけられながら控室に向かう。肩ごしにふり返ると、試合場のむこう端にフレイジャーが姿を消すところだ。巨大な肩にブルーのガウンをはおり、群衆をかきわけ控室へもどって行く。おれたちは三度の試合で、毎度くっつかんばかりにし向かい合いたたかった。四年間に四十一の、生きるか死ぬかの血なまぐさいラウンド。これでもう二度と、たがいにリングで顔を合わせることはないだろう。
『世界最強の男』村上博基訳
もう、これですべては終ったはずだった。アリはこの時点で引退してもよかったのである。だが、アリはそれ以後も闘いつづけなければならなかった。ただ金を稼ぐという目的のために、弱い挑戦者をどこからか探し出し、しかもその相手をノックアウトで破ることすらできず、だらだらとタイトルマッチの回数だけをこなしていった。アリは、スポーツマンとしてではなく、ビジネスマンとしてリングに上がっていたのだ。
この二月、アリがレオン・スピンクスと闘うと発表した時も、単なる金稼ぎの試合にすぎないと見なされた。モントリオールのオリンピックで金メダルを取っていたとはいえ、プロとしてはまだ七戦しか経験していない未熟な相手だったからだ。しかし、試合開始のゴングが鳴ると、賭けが成立しないほどの差があるとみなされていたスピンクスが積極的に攻めまくり、手数の上でアリを圧倒し、二対一のスプリットデシジョンながら、判定で勝利を収めた。
王座を失ったアリはスピンクスとのリターンマッチを望んだ。敗れたことで、久し振りに金儲《かねもう》け以外の目的が得られたのだ。しかも、それはスピンクスに対する復讐《ふくしゅう》戦というばかりでなく、三度の王座復活という、前代未聞の記録がかかっていた。アリに、この「ニューオリンズの戦い」の主題は明らかだった。
夕方、ニューオリンズは激しい雨に見舞われた。
私もそろそろホテルを出て、スーパードームに向かおうかな、と思った矢先の雨だった。
しばらくやむのを待ったが、雨の勢いはさらに激しくなっていく。ホテルの前でタクシーを拾おうとしたが、空車がまったく通りかからない。絶対数が少ないうえに、たまにやってくるタクシーも、スーパードームに向かうらしい客を乗せて、どれもふさがっていた。
仕方がなかった。意を決して、本屋、時計屋、レストラン、古道具屋と、軒から軒をつたって雨の中を走ることにした。私以外にも、雨の舗道を走っている人たちが大勢いた。雨に髪や衣服を濡らしながら、しかし男も女もどこか愉しそうな、嬉々とした声をあげていた。これから見ようとしているアリの世界戦に関《かか》わることなら、どんなことでも面白がってしまおうという貪欲《どんよく》な陽気さがあった。私は、ロイヤル通りからメイン・ストリートのカナル通りまで駆け抜け、バスを待つことにした。そこからスーパードームの近くまで行くバスがあるはずだった。
鞄屋の軒先を借りてバスがくるのを待っていると、反対側の舗道で、やはりスーパードームへ行くらしい中年の夫婦が、必死にタクシーを止めようとしている姿が眼に入ってきた。傘も持たず、雨に濡れながら、行き交うタクシーに盛んに手を振るのだが、一台も止まってくれない。それでも諦めず、なおも手を振っていると、ついにブルーの車が横づけにされた。喜び勇んで乗り込もうとすると、運転席から制服姿の警官が降りてきた。彼らはパトカーを止めてしまったのだ。
だが、止めた方も止められた方も、その間違いに気づいて笑っている。やはり、世界一の男を決める祭りの当日ということがあったのだろう、街全体が浮き立っていた。
かなり待ったあとで、ようやく満員のバスに乗ることができた。しかし、スーパードームに近づくにつれて、四方から集まってきた車の波に呑み込まれ、ほとんど前に進めなくなった。動かなくなったバスを諦め、私はまた雨の中を走り出さなくてはならなかった。
スーパードームの入口はごったがえしていた。待ち合わせをしている人、有名人を見ようと待ち構えている人、意味もなくうろついている人、アイスクリーム屋、警官、それにダフ屋。値を訊《き》くと、かなりダンピングしている。二百ドルのリングサイド券を百五十ドルで売っていた。かつて、アリとフレイジャーが初めてグローブを交えた時、リングサイドのチケットは百五十ドルから七百ドルにまではねあがったといわれる。それに比べれば、いささか寂しい値段だった。しかし、それもある意味で当然のことといえた。スーパードームは、アリ対フレイジャー第一戦が行なわれたマジソン・スクエア・ガーデンの、実に三倍以上の観客を呑み込んでしまうのだ。
スーパードームは、正式な名称をルイジアナ・スーパードームという。世界最大の多目的室内スタジアムで収容人員は八万人、というのが謳《うた》い文句の建物だ。プロフットボールのチャンピオン・チームを決めるスーパーボウルも、この一月はスーパードームで行なわれていた。その試合は日本にも衛星中継されたが、スーパードームはいかにも巨大な建物のようだった。しかし、実際にこの眼で外観を見ると、むしろ意外に小さくまとまった印象を受ける。後楽園球場がすっぽり入ってしまう大きさがあると聞いていたが、なるほどそういわれればそうなのかな、といった程度の感想しか湧《わ》いてこない。
ところが、中に入ってみて、やはりその巨大さに圧倒されることになった。
屋外の競技場ならフィールドにあたる部分の中央にリングが設けられ、その周囲にギッシリと椅子が並べられてある。そして客席は、さらに二階、三階、四階と、屋根に向かってすりばち状に広がっている。最上階の観客の姿は、暗いせいもあるだろうが、ぼんやりとしか見えない。
強烈なライトに照らされているリングの頭上には、六面のスクリーンがかかっていて、下で行なわれる試合の模様を同時に映すようになっていた。そうでもしなくては、遠くの席から肉眼でとらえるのはかなり難しいのかもしれない。いや、私がどうにか手に入れることのできたリングサイドと称される席も、リング上の動きを克明にとらえるには、あまりにも遠すぎた。後楽園ホールなら、最後部の壁を突き抜け、水道橋の駅から見ることになるくらい、リングから離れていた。
すでに前座試合は始まっていた。だが、広い場内を八分通り埋めた観客たちは、その試合をほとんど見ていなかった。とりわけそれはリングサイドの客にはなはだしい傾向だった。ビールを呑み、笑いさざめき、席を離れて歩きまわり、声高に叫び合っていた。リング上の試合はホルヘ・ルハンとアルバート・ダビラの一戦だった。前座試合とはいえ、それはバンタム級の世界タイトルマッチだったのである。
アリ対スピンクス戦の前座には、贅沢《ぜいたく》にも三つの世界戦が用意されていた。バンタム級のルハン対ダビラ、フェザー級のダニー・ロペス対ホアン・アルバレス、ライト・ヘビー級のビクトル・ガリンデス対マイク・ロスマン。アメリカでは、僅かな例外を除けば、ヘビー級以外はほとんど商売にならないといわれている。たとえそれが世界戦でも事情は大して変らない。アメリカ人にとってボクシングとは、まずヘビー級なのだ。
前座試合はどれも倒し倒されのスリリングなものだったが、観客はほとんど関心を示さなかった。
世界タイトルを賭け必死に闘っているボクサーを無視して、勝手にふざけちらしている観客は確かに無作法だったが、この巨大なスーパードームの中では、バンタム級やフェザー級のボクサーはあまりにも小さすぎた。それはライトヘビーのボクサーでも同じことだった。玩具《おもちゃ》のボクサーが跳びはねているようにしか見えない。このだだっぴろい空間を、一個の肉体で支え切ることができるのは、ヘビー級のボクサー、それもアリ以外にはいないのかもしれなかった。
白熱した前座試合がすべて終った。
私も売店でビールを買い、一息ついて喉《のど》をうるおしていると、赤い衣裳《いしょう》をまとった細身の女性が、不意にリングの上で踊りはじめた。黒い髪と浅黒い皮膚を持ったなかなかの美人だった。ボクシングには珍らしく気の利いた余興だなどと思いながら見ていると、彼女は胸をおおっていたスカーフのような布切れをはらりと取り、それをひらひらと宙に舞わせながら、軽やかにステップを踏んだ。さほど豊かではないが、乳房があらわになった。にこやかな笑みを浮かべながら、堂々とストリップを始めた彼女に、観客は度肝を抜かれた。次に、腰に巻きつけただけのスカートに手をかけ、取り去ろうとした時、下で待機していた係員が慌ててリングに跳び上がり、彼女のもとに殺到した。ひとりが上着を脱ぎ、彼女の体にかけた。どうやら予定された余興などではなく、調子に乗ったどこかの踊り子が、自発的に公演してしまったということのようだった。ようやく事態を察した観客がもっとやらせろと騒ぎ出したが、その時はすでに遅く彼女は会場の外に連れ出されたあとだった。
やがて、大きなボクシングの試合にはつきものの、今度は本物のショーが始まった。リングサイドに集まった有名人紹介、という名のショーだ。俳優ジョン・トラボルタ、歌手ダイアナ・ロス、大統領ジミー・カーターの母親と息子などが次々と紹介される。その中でも、最大の拍手で迎えられたのは、映画『ロッキー』で一躍ビッグスターになったシルベスター・スタローンだった。しかし、それはかなり皮肉な図だったかもしれない。なぜなら、『ロッキー』という映画は、この試合の主役であるアリを、揶揄《やゆ》し戯画化することで成立していた作品だったからである。
キンシャサでフォアマンからタイトルを奪ったアリは、最初の防衛戦の相手にチャック・ウェプナーを選んだ。ウェプナーは、こなした試合の数しか誇るものがないというような、歴然たるオールドタイマーだった。保険の外交とも、酒屋の配送ともいわれるが、とにかくそのような職業につきながら細々とボクシングを続けてきたボクサーだった。アリはそのウェプナーを挑戦者に選ぶことで、いささか楽をしながら金を儲けようと考えたのだ。
だが、生涯にたった一度のそのチャンスに、老雄ウェプナーは彼のボクシング生命のすべてをかきたてて闘った。打たれながらも勇敢に前進し、眼がふさがるほど顔面を腫《は》らしても、決して試合を捨てようとしなかった。執《しつ》拗《よう》に喰い下がり、最後までアリを苦しめた。最終ラウンド、ついに力尽きてノックアウトで敗れたが、ウェプナーは見ている者の心を熱くさせる闘いをした。
シルベスター・スタローンは、その時の感動から映画『ロッキー』のシナリオを書きはじめたのだ。若いロッキーの原型は、少し髪の薄くなったウェプナーの中にあった。
九時十七分、まずスピンクスが場内に姿を現わした。一分遅れてアリが登場する。そのとたん、スーパードームを揺るがすかと思えるほどのアリ・コールが湧き起こった。拍手、歓声、口笛。そのすべてがアリに向けられていた。
私の隣に坐っていた茶色のスーツ姿の黒人が、周囲を圧する大声で「アリ、アリ、アリ、アリ、アリ」と絶叫している。だが、叫んでいるのは黒人ばかりではなかった。白い肌も褐色の肌も、スーパードームにいる観客のほとんどすべてがアリに声援を送っていた。
私には意外だった。この試合の主役がアリだということはわかっていた。しかし、アメリカ国内で、これほど圧倒的な人気があるとは思ってもいなかった。もちろん、これまでもアリに人気がなかったわけではない。しかし、それは、否定と肯定とが拮抗《きっこう》することで相乗的に高まる、といった種類の人気であるはずだった。かつては、客の半分がアリのぶちのめされる姿を期待して試合場に足を運んだものなのだ。ところが、ここではアリという存在が全面的に肯定され、あえていえば愛されている。十年前、理不尽にアリからタイトルを奪ったアメリカはどこに行ってしまったのか。そのアメリカと激しく闘っていたアリはどこへ行ってしまったのか。恐らく、アリとアメリカは、いつしか和解してしまっていたのに違いない。
リングに上がったスピンクスは、軽く上体を動かし、どうにかして心を落ち着かせようとしていた。
いつものように純白のガウンを羽織ったアリは、硬く凍りついたような表情を浮かべてキャンバスを見つめている。私の席からでも、アリの異常なほどの緊張は見て取れた。アリにいつもの晴れやかさはなかった。
九時二十分、試合に先立って、国歌がうたわれた。リング上でマイクを握り、「星条旗よ永遠なれ」をうたったのは、なんとジョー・フレイジャーだった。彼は、マニラでのアリとの闘いに敗れたあと、ボクサーからシンガーに転向しようとしていた。だが、たとえそれがシンガーとしての晴れ舞台だったとしても、アリの試合の前にフレイジャーがアメリカ国歌をうたうというのは、私にはあまりにも無惨な光景のように思えた。
アリはガウンを脱ぎ、上半身を場内の熱っぽい空気の中にさらした。古くからの相棒であるバンディーニ・ブラウンが、手のひらから精気を吹き込もうとする巫女《みこ》のように、アリの体をゆっくりとなでまわしている。しかし、アリは暗く孤独な表情を消さなかった。
リングアナウンサーが、チャンピオンとしてスピンクスの名を告げると、観客は不満の声を上げた。それは驚くほど露骨で大きなものだった。彼らはスピンクスをチャンピオンとして認めたくない、という意思表示をしていたのだ。この広い場内に、スピンクスの味方はただのひとりもいないかのようだった。
スピンクスは、いわば黒いロッキーであるはずだった。手頃なシンデレラボーイとして挑戦者に仕立てあげられたスピンクスが、判定でチャンピオンを破ったのだ。セントルイスのスラム街に育ち、一切れのパンを奪い合い、弟と喧《けん》嘩《か》することで強くなってきたという伝説を持つスピンクスは、アリと異なるまったく新しい型のヒーローになりうる可能性を持っていた。しかし、そう思われたのも、アリに勝った直後のほんの僅かな期間だった。黒いロッキーたるスピンクスは、不意の栄光に混乱し、不名誉な事件を起こしてはみるみる人気を失なっていった。交通違反でつかまったといえば新聞で叩かれ、昔のつけを払えといっては下宿の親父に告訴され、麻薬所持で逮捕されてはカメラマンのフラッシュを浴びた。
観客の罵《ば》声《せい》と嘲笑《ちょうしょう》を浴びながら、無表情に体を動かしているスピンクスを眺めているうちに、私は雑誌に載っていた彼の言葉を思い出した。
この四月、アリとのリターンマッチが決定した直後の記者会見の席上で、スピンクスはこう言ったという。
「俺はアリが好きだ。心の底から好きだ。誰も俺のことなんか尊敬してくれないのに、アリはそうじゃない」
スピンクスは、ほとんど全員が敵という会場で、そのアリと闘わなくてはならないのだ。それは二十五歳の若者にとって苛酷すぎる状況であったかもしれない。
確かに、年齢が問題なのではない、と言うことはできる。アリが、同じように敵意のこもった視線に取り囲まれてリストンと闘ったのは、まだ二十二歳の時だった。だが、アリはリストンに対して、スピンクスのように「彼は俺のアイドルだった」と言わなくても済んだ。スピンクスがアリに勝つということは、その偶像の偉業を阻止することであり、しかし敗れるということは、自分自身が再びスラム出のただの若僧に逆戻りすることであった。
この試合は、「ザ・サード・カミング」をかけたアリばかりでなく、スピンクスにとっても重いものだった。
喚声にかき消されて、試合開始のゴングの音は聞こえなかった。
はじめ、アリはスピンクスの強引な突進に対応しきれないでいるようだった。低い姿勢から、スピンクスが思い切りよく左右のフックを振りまわすと、アリはうろたえるように後退した。ロープにつまり、上半身をのけぞらせ、ようやくスピンクスのパンチを避けると、懸命にクリンチした。あるいは、この試合も前と同じような展開になるかもしれないと思われた。
しかし、アリはロープにつまることはあったが、常に背負いつづけるということはなかった。そこが前の試合と決定的に違っている点だった。クリンチをし、あるいは足を使って廻りこみ、リングの中央へ戻る意志を示した。それは、ロープを背負い、その弾力を利用して相手のパンチの威力を減殺し、打ち疲れたところを反撃する、という「ロープ・ア・ドープ」の作戦を放棄したことを意味していた。若く、しかも軽量のスピンクスには、それがまったく通用しないことを前の試合で見極めていたのだ。
ロープ際に追い込まれ、スピンクスのパンチが飛んでくると、アリは左のフックで応戦し、巧妙に左手をスピンクスの首筋に巻きつけ、力をこめて引き寄せる。それによってスピンクスは距離を失ない、パンチの力が半減してしまう。アリはそのまま体をあずけてクリンチに持ち込む。離れると、今度は足を使って得意のジャブを放ち、時には足を止めてスピンクスの出てくるところを迎え打つ。スピンクスが、そのカウンターにもめげず、強引に接近すると、またすぐにクリンチする。
それがアリの、この半年間に練りに練った戦法であるらしかった。
序盤はいくらかスピンクスが押していたようだった。しかし、中盤に入って、スピンクスのスピードが鈍ってきた。彼はどう闘っていいかわからなくなってしまったのだ。大きく体を揺さぶりながらロング・フックを放とうとすると、アリの狙いすましたようなカウンターを喰らってしまう。接近してショート・アッパーを打とうとすると、クリンチで逃げられる。前の試合でアリを圧倒し、ダメージを与えたパンチがすべて封じられてしまっていた。
コーナーに戻り、椅子に腰かけているスピンクスの顔に、途方に暮れたような表情が浮かぶようになった。
しかし、だからといってアリが余裕をもってスピンクスをあしらっているというわけではなかった。
ロープに追いつめられると、アリはリングの外にまで上半身をのけぞらせてパンチを避けようとした。その避け方の必死さが、アリの三十六歳という年齢を物語っているようだった。両手を突き出し、顎を引き、ロープにもたれながらスピンクスを見ているアリの眼には、明らかに恐怖があった。しかも、危地を脱するためのアリのクリンチは、反則すれすれのものが多かった。首に手を巻きつけ、引き寄せる。相手が体重の軽いスピンクスだから可能なことだったが、アリがこのようにあからさまに汚ない手を使うのは珍らしかった。
アリのコーナーも浮足立っていた。トレーナーのアンジェロ・ダンディーやバンディーニ・ブラウンも冷静さを失ない、戦況に一喜一憂していた。アリが少しでもポイントを稼いだとみると、バンディーニはVサインを掲げ、リングの下で跳び上がって喜んだ。そして、そのラウンドが終わり、疲れ切った様子でアリがコーナーに戻ってくると、ダンディーは大きく手を叩きながら迎え入れた。
苦しそうにマウスピースをむき出し、しかしアリは懸命にリングの上を動きまわった。後退しながらもジャブを放ち、スピンクスの前進をはばもうとした。スピンクスは両腕を顔の前に交差させてそのジャブを防ごうとするが、三発に一発はまともに喰らい、一瞬、追う足が止まってしまう。
回を追うごとに、アリがポイントを奪い、優勢になっていくのがはっきりしていく。見ている私のところには、リングから遠いためにパンチの音が届いてこない。だから、そのパンチにどれほどの威力があるのかはわからなかったが、ジャブもストレートも、アリのパンチはどれもスピンクスの顔面を的確にとらえていた。ヒットされるたびに、スピンクスの頭がガクッと揺れる。それがアリのパンチを実際以上に威力あるものに見せているようだった。
アリはよたよたしながら頑張りつづけた。弱みを見せれば、一気に崩されてしまう。その恐怖がアリの足を動かし、ダンスを踊らせていた。逃げてはくっつき、打ってはまたクリンチする。その姿は哀れなほど必死だった。こんなアリを私は見たことがなかった。そこには、王の中の王、最も強く、最も美しく、最も偉大なはずのボクサーの姿はなかった。ただ、なだれようとする疲労を喰い止め、謀《む》反《ほん》をおこしそうな肉体を騙《だま》し騙ししながら、どうにか自分の仕事をやりとげようとしている必死の中年男がいるだけだった。
スピンクスが前進し、アリが後退する。私が見ていたのは、その無限の繰り返しだったような気がする。大喚声の中にすべての音は呑み込まれ、逆に静まり返ったリングの上で、彼らはたったふたりだけの物悲しい劇を演じていた。
それを茫然と眺めているうちに、私の意識は試合から次第に離れはじめた。リングが遠ざかっていくにつれ、私は自分がまったく関わりのない場所にいるような落ち着かなさを感じるようになっていた。リングの上のふたりとはどのような意味においても繋《つな》がりえない。そのことが私をひどく空虚にさせているようだった。
彼らと無縁であるということは自明のことだった。それを承知で、クアラルンプールでも、マニラでも、アリの試合を見てきたはずだった。しかし、そのいずれの時も、試合を見ながら、このような空虚さを味わうことはなかった。
ふと、大事なことはここにはない、という思いがよぎった。ここにはない、ここにはない……。
気がつくと、試合はすでに最終ラウンドを迎えようとしていた。スピンクスは劣勢だった。スピンクスが勝つためには、ノックアウトしかなかった。
場内ではもうアリが勝ちでもしたかのような大騒ぎが始まっていた。リングサイドの客は全員が立ち上がり、口ぐちに叫んでいた。私の隣の茶色のスーツを着た黒人は、ほとんど切れ目なく「アリ、アリ、アリ、アリ、アリ、アリ……」と呪文《じゅもん》のように呟《つぶや》きつづけていた。
ゴングが鳴るのを待っているあいだ、アリは椅子から立ち、両手を頭上にかざして歓呼に応えていた。だが、それは自信に満ちた絶対的な勝者の勇姿ではなく、早く仕事を終らせたいと望んでいる中年男の消耗しきった姿でしかなかった。
十五ラウンドが開始されると、スピンクスは激しい勢いで突っかかっていった。最後の力をふりしぼり、むしゃぶりつくようにアリに殴りかかった。しかし、アリはスピンクスの肩に手をかけ、パンチの威力を殺し、体を寄せてクリンチにもちこむ。揉《も》み合っているうちに、刻々と残り時間は少なくなっていく。スピンクスはアリの手をふりほどき、再び大きなパンチを振るってとびかかっていく。だが、またクリンチ。それにかまわず、スピンクスは力をこめて殴りつづける。しかし、アリに抱え込まれたその背中には、すでに怒りと哀しみがないまぜになった諦《あきら》めが浮かんでいた。
スピンクスの最後の右フックが、アリの眼前を虚《むな》しく流れていったその数秒後に、試合は終った。
スーパードームから吐き出された人の群れの中に身を任せて、私は濡れた舗道をゆっくりと歩いていた。雨は綺《き》麗《れい》にあがり、空には明かるい星があった。人の流れはフレンチ・クォーターに向かっていた。
互いに試合の昂奮を確かめるため、声高に話しながら歩いている人びとのあいだにあって、しかし私が考えていたのは、アリのことではなかった。スピンクスのことでもなく、試合のことですらなかった。私の頭の中に重く沈み、どうしても消え去ろうとしなかったのは、アリの試合の前にタキシードを着て歌をうたいに出てきたフレイジャーのことだった。
前夜、私はフレイジャーと会っていた。彼がニューオリンズのはずれのクラブでショーをやっているということを知り、そこへ直接会いに行ったのだ。マニラで、彼の震えるような闘いをこの眼で見ていた私は、フレイジャーに訊《たず》ねたいことがあるような気がしていた。別にどうするというあてがあったわけではなかったが、彼にインタヴューをしようとした。
ウェアー・ハウス・ウエストという名の、百人は入れそうな店に、だが客は十人もいなかった。元ヘビー級チャンピオンというだけで、大してうまくもない歌を聞きにくる物好きが、そう多くいるはずもない。寒々しい舞台で酔っ払いにからまれながら、彼は投げやりにうたっていた。
控室で会ったフレイジャーは、薬の力を借りているのか、生気のない眼をしていた。長椅子に横たわり、全身をぐったりと投げだしている彼と、私が交すことのできた言葉はひとつだけだった。彼はこう言ったのだ。
「いくら出す?」
俺と話したいならいくら出す? しかし、いくら出しても、このような状態の彼と、まっとうに話すことはできそうもなかった。私は諦め、そのまま暗い気持を抱いて帰ってきたのだった。
人の流れに従って歩いているうちに、いつしかバーボン通りに入ってきていた。すでに道の両側のバーやレストランでは、アリの勝利を祝福しての乱痴気騒ぎが始まっていた。
「ハウ・マッチ・ユー・ペイ?」
フレイジャーの嗄《しわが》れた低い声が、不意に耳の奥で甦《よみがえ》った時、私は唐突に、勝たなくては駄目だ、と思った。勝たなければ駄目だ。どんな不様な闘いであれ、勝たなければならない。フレイジャーも、マニラで勝っていさえすれば、アリの前座をつとめるなどということはなかったはずなのだ。
勝たなくては駄目だ。いい試合さえすれば負けても仕方がない。そんなことはないのだ。どうしても勝たねばならない。なぜなら、彼にとって勝つことがすべての始まりなのだから……。私は、明らかに内藤のことを考えはじめていた。
試合の二日後、フレンチ・クォーターのホテルを引き払い、ニューオリンズ空港に向かった。私はそこからサンフランシスコ行きの飛行機に乗るつもりだった。
空港に着き、発券カウンターの前にできている列に並んだ。サンフランシスコまでの航空券をまだ買っていなかったのだ。順番がくるのを待っている間、私はカウンターの背後の壁にある発着時刻の案内板をぼんやり眺めていた。アメリカ国内のさまざまな都市を結ぶ便があり、中には私のまったく知らないような都市の名もあった。眺めているうちに、この三十分後にラスベガスへ向かう便があることに気がついた。ふと、ラスベガスに寄ってみようかな、と思った。サンフランシスコへ着くのが半日や一日遅れたからといって、別に誰が困るという旅をしているわけでもない。すでにニューヨークで、サンフランシスコから東京までの航空券は買ってあったが、座席の予約まではしていなかった。
私はさほどギャンブル好きではなかったから、普通ならラスベガスなど簡単に素通りしてしまっただろう。しかし、その時、博《ばく》奕《ち》をすることに心を動かされたのは、ラスベガスのカジノでちょっとした運だめしをしてみたいと思ったからなのだ。
ノーマン・メイラーは、キンシャサでのアリとフォアマンの一戦を取材して、『ザ・ファイト』という長文のノンフィクションを書いた。その中に、さりげないが印象的な一節がある。
試合の当日、メイラーは試合場へ向かう直前にカジノへ寄る。キンシャサに着いて以来、まったくツキに見放されてしまっていると感じていたメイラーは、そのツキのなさを試合場のアリのもとへはこぶくらいなら、カジノでギャンブルをすることで発散してしまおう、と考えるのだ。その結果がどのようなものであったかは「ブラックジャックで少し散財した」としか書いてないので、明確にはわからない。だが、とにかくメイラーのツキのなさはカジノで霧散したのだろう。アリはフォアマンを破った。アリが勝てたのはそのためだった、とはもちろん書いてないが、メイラーがそのように勝手な思い込みをし、酔狂な行動に及んだ気持はよく理解できる。やはり彼は、勝ち目の薄いと思われていたアリを、どうにかして勝たせたいと望んでいたのだ。
私もラスベガスのカジノで試してみたかった。内藤がどんな運を持っているか、いや私が彼のもとへどんな運をはこぶことができるか、を。
カウンターの中の女性に訊ねると、ラスベガス行きの便にはまだ二、三の空席があるという。私は行先を変更して、ラスベガスまでの航空券を買うことにした。
ラスベガスは快晴だった。
強い陽射しに照りつけられたラスベガスは、乾いた赤土の上に、白っぽい光をはね返しているビルがただ林立しているだけの、やけに空疎な印象の街だった。
私はラスベガスの街やカジノについてほとんど知識を持っていなかった。空港のロビーにある地図でおよその見当をつけ、バスに乗って適当な場所で降りることにした。
十分ほど走ると、テレビや映画で馴染みぶかい、テントを模したピンク一色の建物が見えてきた。そのけばけばしいテント風のカジノは、いかにも大衆的な雰囲気を持っていそうだった。
バスを降り、サーカス・サーカスという珍らしい名のそのカジノの中に入ってみると、予想通り猥雑《わいざつ》で安っぽく、いかにも私の風体と懐具合にふさわしそうな博奕場だった。
天井からブランコがさがっていて、その下に網が張ってある。数人の男女がそこで実際に空中ブランコを演じていた。まさに、サーカス・サーカス、というわけだ。博奕場はその奥に延々と続いていた。ルーレットやブラックジャック、バカラやクラップスなどが賑《にぎ》やかに開帳されている。そして、それを取り囲むようにして、各種のスロットマシーンがぐるりと置かれている。
スロットマシーンは現金で、しかも大きく重い一ドル銀貨を使うのが面白かった。二、三十分、ハンドルをただ手前に引くだけの単調な遊びをしたあとで、私はルーレットを始めた。ルーレットからブラックジャックの台に移り、それからまたルーレットに戻った。
どのくらい遊んだろうか。小さな勝負しかしなかったが、それでも負けに負けつづけ、夕方の六時頃になると、五百ドルはあった手持ちの金が、いつの間にか百ドルを切っていた。それに気がついて少し慌てた。その金でサンフランシスコへ行き、しかも一晩か二晩はホテルに泊まらなくてはならなかったからだ。
いい辻占が出なかったことにがっかりし、いくらか暗い気持になってサーカス・サーカスを出た。私はそこからラスベガスのダウンタウンに向かった。すでに飛行機でサンフランシスコへ行く金はなくなっていた。長距離バスで行くより仕方がなかった。
ところが、バスターミナルに着くと、最終バスが出たあとだった。どうやら、ラスベガスで一泊しなくてはならないらしい。金もなく、だから博奕もできず、ラスベガスで虚しく夜をすごさなければならないとは、かなり本格的にツキから見放されてしまったようだった。
私はバスターミナルに近い、ゴールデンゲートという安宿に泊まった。ラスベガスの安宿の相場を知るため、一番手近にあったそのホテルで訊ねると、十二ドルという答が返ってきた。ロスアンゼルスの安宿と同じ値段だった。それなら、あちこちのホテルを訊ねまわる手間をかけるまでもない、と思ったのだ。
日本に着くまでは、とにかく、手元に残った金ですごさなくてはならない。私はホテルに付属している簡易レストランで安く夕食をすませ、一セントでも余分な金を使わないようにと部屋でテレビを見ていた。
しかし、どうしても落ち着かない。ホテルの代金は前払いしてある。サンフランシスコまでのバス料金を除くと、三十数ドルが残るはずだった。その金でもう一度だけ勝負をしてみようかという誘惑に負けそうになり、テレビを見ていても気が散ってしまうのだ。かりに全部すってしまったとしても、それはその時のことだ。サンフランシスコで東京行きの飛行機をすぐつかまえればいい。飛行機に乗りさえすれば飢えることもないだろう。このままではどうにも気持が収まらない。
午前零時頃、とうとう我慢できず、外に出た。
路上に人影はほとんどなかった。広い道には車も少なく、風が吹き抜けると、紙屑《かみくず》が舞い上がり、紙コップが寂しい音をたてて転がった。場末の、三流、四流のカジノが立ち並ぶ通りにも、ただ派手なネオンが点滅しているばかりだ。その中のひとつに入ってみたが、閑散として、熱気のこもった勝負が行なわれている様子はなかった。カジノはどこも一晩中営業しているが、このあたりのカジノで、深夜、大きな金を賭《か》ける上客がいるはずもなかった。客の多くは金を持たない夫婦連れの観光客だった。
ダウンタウンのカジノは、賭ける単位が一桁《けた》ひくいようだった。スロットマシーンにしても、サーカス・サーカスでは見かけなかった五セント用の器械が何種類もあった。
私はルーレットで一発勝負をしようかどうしようか迷いながら、そのスロットマシーンのハンドルを引いていた。
なかばそれで時間つぶしをしていたのだが、意外にも二十分くらいの間にジャックポットが四回も出た。バーが三つ並ぶ、百倍のものだ。五セントだから百枚でも五ドルにしかならないが、しかしそれが四回なら二十ドルになる。
私はその二十ドルとポケットに残っている三十ドルを合わせて、ルーレットで一勝負してみることにした。
そのカジノを出て、ぶらぶらと何軒かのカジノを見てまわり、人のあまり多くいない、うらぶれた感じのカジノを選んで入った。
それでもクラップスやブラックジャックの台には客がついていたが、ルーレットは一台を除くとまったく客の姿がなかった。休止しているもののなかに、中年のディーラーがぼんやりと床に視線を落としている台があった。ものおもいに耽《ふけ》っているような、実は何も考えていないような、不思議な眼をしていた。
私が黙って前に立つと、少し驚いたように顔を上げた。しかし、私の風体を見て、いささかうんざりしたようだった。小さな細かい勝負になると思ったのだろう。無理もなかった。
私は五十ドル余りの金をすべてチップに換えた。そして、右手に二、三枚のチップを持ち、それをもてあそびながら、ゲームの始まるのを待った。ディーラーはつまらなそうに回転盤をまわし、無造作に球を投げ入れた。同時に、私はチップに換えられた有り金のすべてを黒に賭けた。ディーラーはびっくりしたような表情で私を見た。二、三枚ずつ細かく賭けてくるだろうという予想がはずれ、ディーラーは困ったような、しかしそのことを面白がっているような、複雑な笑いを浮かべると、
「ワン・ショット!」
と小さく言った。
普通、カジノのルーレットでは、客が賭け終ってから球が投げ入れられる、と聞いていた。しかし、実際はさほど厳密でもなかった。投げ入れたあとからでも賭ける客はいて、どこでもそれは許されていた。ノー・モアー・ベッツ、つまりもう賭けられませんという合図も、出すところと出さないところがあった。ラスベガスのカジノともなれば、ディーラーは自分の出したい数字を出すことができる、とも聞いていた。確かにそうでなければカジノはカジノとして生き抜いていけないだろう。
私はそこではじめから一発勝負をやろうとしていたが、そのような腕のディーラーと一対一で勝負をすれば、簡単に負けてしまうに違いなかった。あるいは、少し遊ばせてくれようとして、最初はわざと負けてくれるかもしれない。いずれにしても素朴な運だめしにはなりそうもない。だから、二、三枚ずつ小さく賭けるふりをして、無造作に盤をまわさせ、無造作に球を投げ入れたところで、一気に黒か赤のどちらかに賭けようと思ったのだ。
盤はまわりつづけ、象《ぞう》牙《げ》の球はゆっくりと十七の黒のポケットに落ちて、止まった。ディーラーはにやっと笑い、チップを倍にしてこちらにぐいと押し返した。
私はそのディーラーの応対の仕方が気に入り、そこでしばらく遊ぶことにした。今度は二、三枚ずつ小さく賭け、取ったり取られたりしていたが、それでもチップは少しずつ増えていった。
依然としてその台の客は私しかいなかった。二人でのんびりチップのやりとりをしているうちに午前二時になった。そろそろ切り上げどきかもしれなかった。
ディーラーが盤をまわし、賭けるように眼でうながした時、私は手前に積んであるチップをすべて黒に賭けた。ディーラーは「おっ」というように小さく声を出して、さりげなく、しかしそう装った慎重さで、球を投げ入れようとした。その瞬間、私は黒に積まれたチップの山から、五ドル分ずつを、0と00と書かれたところに置き直した。ディーラーはそのまま球を投げ入れたが、微妙にタイミングが狂ったように感じられた。ディーラーは私に「生意気をやるじゃないか」というような笑いを向けた。
もしディーラーが自由に望む数字を出せるものなら、一対一の勝負に客が勝つ法はないということになる。しかし、一対一であるということは、同時に一対多とは異なる心理的な側面が出てくるということでもある。あるいはその心理の裏をかくことで勝機が生まれてくるかもしれない。私は乏しい経験と知識からそのように考えたのだ。
私は一時間も相対で勝負をしているうちに、私にはこのディーラーの性格が僅かだがわかるような気がしてきた。場末のカジノで退屈そうにルーレットの台の前に坐っているが、そのひとつひとつの仕草や、私への反応の仕方に、独特の性格がうかがえるようだった。それを好みと言い換えてもよい。彼は不思議に統一の取れた好みを持っていた。私はその好みの裏をかこうとしたのだ。
私がいかにもこれが最後というような調子でチップのすべてを黒か赤に賭けた場合、彼が露骨にその反対の色を出すとは思えなかった。しかし、彼にしても負けるわけにはいかない。とすれば、彼ならどうするだろう。0か00に球を落とそうとするのではないか。0と00は赤と黒に関係なく親の総取りである。しかも、この一時間ほどの何十ゲームかで、その数字は出たことがなかった。だから、私はディーラーが投げ入れる寸前に、そこへ保険をかけるようにして、実はフェイントをかけたのだ。それで少しでも手元が狂えば、黒が出るか赤が出るかの確率は五分五分になる。私はそう読んで黒に賭けた。もちろん、黒でも赤でもよかった。いずれにしても、そこから先は運の問題になる。しかし、それこそが私の望むところだった。
ディーラーによってスピンをかけられた球は、回転盤のへりを勢いよくまわりつづけ、ようやくポケットに落ちた。十三の黒だった。それが00の二つ手前の数字だったことが私を嬉しくさせた。
「あんたの勝ちだ」
ディーラーは短くそう言い、チップを数えた。手元にきたチップの山から二十ドル分を抜き、礼を言ってディーラーに渡すと、無理をするなというようにウインクして、それを押し戻した。
窓口で現金に換えると、それは全部で三百十八ドルあった。はじめの時の五百ドルからすればかなりの負けということになるのだが、数万ドルも大勝したような爽快《そうかい》さがあった。
悪くない、と思った。どうやら俺はそう悪くない運を彼のもとにはこんであげられるかもしれない。
その時、私は指を鳴らしたいような気分で思うことがあった。これから私は日本へ帰る。日本では内藤の再起第一戦が待っている。たとえその試合に千人の客しか集まらないとしても、私にとっては、七万余の大観衆を集めたアリの試合より、はるかに大事なのだ。とすれば、私がニューオリンズで見たアリの試合は、内藤の再起戦のための前座試合だったと考えることができるのではないか。そうだ、「ザ・バトル・オブ・ニューオリンズ」は、私にとって、内藤の試合のための壮大な前座試合だったのだ。
そう理解すると、スーパードームで感じていた胸のつかえが、すべて融《と》けて消えるように思えてきた。
ホテルへ帰る途中の道で、明日は飛行機でサンフランシスコだ、と声に出して呟いてみた。そして、明日の夜は有り金はたいておいしい魚料理でも食べることにしよう、と思った。私は自分の小さな勝利にいささか有頂天になりすぎていたかもしれない。しかし、アメリカに来て以来、これほど気持が昂揚した瞬間はなかった。
部屋に戻り、靴をはいたままベッドに引っくり返り、天井に貼《は》りついた小さな羽虫の動きを眼で追いながら、早く日本に帰ろう、と私は思っていた。
第五章 片 鱗
下北沢の喫茶店で私は利朗と待ち合わせをしていた。何週間ぶりかで内藤の練習を見る前に、彼の話を聞いておきたかったのだ。利朗は、私がアメリカに行っている間にも何度かジムへ通い、内藤の写真を撮っているはずだった。カメラマンの彼の眼に、この半月余りの内藤がどのように映ったか、私はそれが知りたかった。
夕方、下北沢の本屋で新刊書を買い、約束の時間よりだいぶ前に喫茶店に行った。アメリカに行っている間に出されたその本を、コーヒーでも呑みながらしばらく読んでいたいと思ったからだ。
待ち合わせの場所は、駅前の小さなビルの三階にあるペルモという店だった。窓からは高架の線路と古びた駅が見える。さえぎるものもなく剥《む》き出しにされたプラットホームに、電車が着いてはまた出ていく。そのたびに車輪とレールのこすれる音が響いてくる。日本を一年も離れていたというわけでもないのに、街の喧騒《けんそう》の中から伝わってくるその軋《きし》みが妙になつかしく感じられる。
まだその仕事に慣れ切っていない、ういういしさの残っているウエートレスが、注文を取りにきた。コーヒーを頼み、水をひとくち呑み、本の最初の頁をひろげた時、利朗が姿を現わした。意外なことにその後に内藤がいる。
「金子ジムの前に車を停めにいったら、偶然会っちゃって……」
利朗が説明しようとすると、背後から内藤が顔中を皺《しわ》だらけにするいつもの笑いを浮かベながら、
「やあ、お帰りなさい」
と言い、あとを引き取った。
「いまやっているスパーリング・パートナーはね、区役所に勤めていて五時を過ぎないと出てこられないんですよ。だから、まだジムへ行くには早いんだけど、どういうわけか今日に限って乗り継ぎがうまくいってね。仕方がないから駅前でパチンコでもしようと思ったんだけど、先に一応ジムに寄ってからなんて思いながら行ったら、彼とばったり会っちゃって。ここで待ち合わせているというんで、久し振りでしょ、会いたいと思ってね」
「あとからジムに行ったのに」
「うん、でもね……」
そう言いながら前の椅子に腰を下ろした内藤を見て、私は内心驚いていた。彼の体の様子が一変していたからだ。頬からはげっそりと肉が落ち、えぐれているような印象すら受ける。ことさら頬骨が高く感じられ、眼《がん》窩《か》がくぼんで見える。以前は坐るとはちきれそうだったジーンズの太股《ふともも》も、いまはいくらか弛《ゆる》んでいる。体はひとまわりもふたまわりも小さくなったような気がする。しかも、皮膚にはまったく艶《つや》がなく、白い粉でも吹いているかのように乾いてカサカサになっている。
「調子は?」
私はつとめてさりげなく内藤に訊《たず》ねた。
「悪くない」
「でも……少し痩《や》せたな」
「そうでもないよ」
意外なほど強い調子で内藤は否定した。あるいは自分でもそのことが気にかかっていたのかもしれない。
「それなら別にいいんだけど」
私がそう言って話題を換えようとすると、内藤がこだわりを見せた。
「痩せてなんかいない。ただ、いくら食べても太らないだけさ。昔は、前に食べたものはすぐ肉になったんだけど……」
「そう、コーラまでが肉になった」
私のつまらない冗談に微かに笑みを洩らしたが、内藤はすぐ真顔になって呟《つぶや》いた。
「これが……齢というものなのかなあ……」
何週間か前にも彼から同じような台詞《せりふ》を聞かされたことがあった。しかし、その時の口調は、このように沈んだものではなかった。
内藤は恐らく壁にぶつかったのだ。それは、彼がカムバックを決意して以来、初めてぶつかる壁のはずだった。四年余の空白と二十九歳という年齢が、ボクサーにとってどのような意味を持つのか。内藤は、彼自身の肉体によって、それを手荒くおしえこまれようとしていた。いくら食べても肉にならない、それが齢というものだろうか、という内藤の言葉には、一歩誤まれば絶望に転化しかねない切迫した実感がこもっているようだった。
肉体と年齢との相関関係にはかなりの個人差があるだろう。職業によっても状況によってもその発現形態は異なってくる。同じボクサーでも、どうしても肉が落ちないということで年齢を感じる場合もあれば、その逆もありうる。内藤は、かつてしたことがないというほどの激しい練習に疲労困憊《こんばい》し、太ることができなくなっていたのだ。
ウエートレスが私にコーヒーを持ってきてくれた。彼女はテーブルにコーヒー・カップを置くと、高く澄んだ声で内藤と利朗に注文を訊《き》いた。
「アメリカン・コーヒー」
二人はほとんど同時に答えた。それを聞いて、私は内藤に言った。
「いいのかい、コーヒーなんか」
「うん、エディさんも認めてくれているんだ、コーヒーは。一日に一杯か二杯くらいなら構わないって。……それに、今度は減量の心配は全然ないしね。むしろ、もっと欲しいくらいだから、いいんだよ」
それが内藤の本音だったかもしれない。今の彼は七十キロを切っているようにさえ見える。その体重で八十キロからの相手と闘わなくてはならないのだ。
「肉がほしい、か」
私が呟くと、内藤が頷《うなず》いた。
「うん、欲しい」
内藤の言葉があまりにも切実だったので、私たちのテーブルの周囲の空気がいくらか重くなった。利朗は使い捨てのライターで煙草に火をつけ、私はコーヒーに砂糖を入れた。だが、すぐに内藤がその場の沈んだ空気を動かしてくれた。
「試合、どうでした?」
その質問に救われたような気がし、私は熱心にニューオリンズで見たことを喋《しゃべ》りはじめた。そして、席がそう近くなかったため、どちらのパンチがより相手にダメージを与えていたか正確に判断できなかったこと、またエキサイトする場面になると前の席の観客が立ち上がってしまうため、天井から下がっているスクリーンを見なければならなかったこと、そのふたつのことを前提に、ジャッジについての疑問を述べた。
「ニューオリンズの戦い」の採点法は、五点法でも十点法でもなく、テネシー州ルールということでラウンド制が採用されていた。ラウンドごとに優劣を判断し、優勢な方にそのラウンドを与える。アリ対スピンクス戦の三人のジャッジは、平均するとアリに十一ラウンド、スピンクスに三ラウンドを与え、一ラウンドを引分けとしていた。
「でもね、俺が見ていたかぎりでは、あんな大差の判定が下される試合ではなかったと思うんだ。確かにアリは優勢だった。勝ったと思う。しかし、十一対三というような差があったとは、どうしても考えられない」
すると、内藤はまったく同感というように頷いた。
「そう、あの試合には決定打がなかったからね。だから、どちらの攻撃のスタイルをとるかによって、優劣の判断は違ってくると思うんだ。スピンクスのインファイトをとるか、アリのアウト・ボクシングをとるか……。スピンクスも本当によく闘っていたもんね。アリの勝利は動かないにしても、あんな大差がつくとは思えなかった」
「アリはその前のスピンクス戦と比べてどうだった? かなり違ったボクシングをしてた?」
「うん、そうだね、どういうのかなあ……そう、前の試合はアリが一発打ちにいくと、スピンクスに二、三発返されてたよね。足がないんでどんどん追い込まれ、その上、手数でも圧倒されていた。でも、今度は違ってた。アリもこの半年に鍛えに鍛えていたから、瞬発的な反応が鋭かったでしょ。一発打ってもお返しをもらわなくてすんだ。打っても打たれない、打っても打たれない……決定打がないのにアリが勝てた理由はそれだと思うな」
私は内藤の説明に深く納得するところがあった。
「なるほどな」
「アリは以前とそう違うボクシングをしてたわけじゃないけど、アリの体そのものが違ってたんだよ」
「ということは、結局、この試合に対する心構えが違っていたんだろうな。アリは本当に必死だったからね。しかし、スピンクスは前と変らなかった。いや、もしかしたら、前より以下の緊張度しかなかったかもしれない」
私がそう言うと、内藤はひと呼吸置いてから呟くように言った。
「でもね、負けたけど、俺、スピンクスが好きなんだな」
その台詞は意外だった。内藤がケン・ノートンが好きだという話は前に聞いたことがあった。理由を訊ねると、頭がよくて、不運だから、という答が返ってきた。確かにノートンは不運なところがあるボクサーだった。アリのタイトルに挑戦し、ほとんど勝利を収めかけたが、判定のマジックによって敗北を喫し、それ以後も挑戦資格を持つにもかかわらず、敬して遠ざけられてしまった。アリを破ったスピンクスからWBCが剥奪《はくだつ》した王座を与えられた時には、すでに盛りを過ぎていたのか、その初めての防衛戦で若いラリー・ホームズに敗れてしまった。内藤がノートンを好きだという気持はよく理解できた。しかし、スピンクスにはおよそノートンと似たところがない。
私はニューオリンズでスピンクスの公開スパーリングを何度か見る機会があった。アリと比べればいないに等しい客を前に、ディスコミュージック風のテープを流しながら、軽やかに体を動かしているスピンクスを見ているうちに、私は不思議な親愛感を覚えるようになっていた。しかし、内藤がスピンクスを好きだという理由はよくわからなかった。
「でも、どうして?」
「きびきびした気持のいい動きをするし、何か好きなんだな」
「アメリカでは、ノートンみたいにクレバーなボクサーじゃないと思われてるぜ、つまり馬鹿だって」
「そんなこと関係ないよ。……あの試合が終って、でもまだアリは自分の偶像だって、スピンクスが言ってたでしょ」
「言った。アリ・イズ・スティル・マイ・アイドルってね」
「それを聞いて、スピンクスって、心の優しい人なんだなあと思ったんだ」
人間にはいくつかの情感がある。ひとりの人間を見て喚起される情感の種類は、人によってそれぞれ異なるだろう。その人が彼、あるいは彼女によってどのようなものを喚起されるかは、逆にその人がどのような情感に最も敏感なのかを物語ってもいる。内藤は常に優しさに反応する。そのことが、ボクサーとしての内藤に、どれほどのハンデを与えてきたことだろう……。
私と内藤の話に黙って耳を傾けていた利朗が、二人の間に言葉がとぎれると、のんびりと口を開いた。芸能週刊誌のインタヴュー記事に、男性の演歌歌手のこんな談話が載っていたというのだ。歌手は離婚したばかりの女優との派手なスキャンダルに巻き込まれている最中だったが、その彼がアリとスピンクスの試合をテレビで見て、憤慨したり諦《あきら》めたりしていたのだという。テレビの解説者は、はじめアリを批判し、もう齢だ、衰えがきているなどと言っておきながら、次第に優勢になっていくにつれて、さすがにアリなどと讃《ほ》め出す。いい加減なものだ。しかし、とその演歌歌手は言っていたそうだ。しょせん世間なんてそういうものなのさ、と。
私たちは声を上げて笑った。だが、私は内藤や利朗ほど無邪気に笑い飛ばすことはできなかった。見るということは、そう易しいことではないのだ。たとえば、イランのイスファハンで見たアリとフォアマンの一戦にしても、私が思っていたほどアリが劣勢だったわけではない。しばらくして日本に帰り、落ち着いてビデオ・テープで見てみると、アリはそれなりにポイントを稼《かせ》いでいた。私は、老いさらばえた無残なアリ、という思い込みによって、正確に試合を把握することができなかった。あるいは、アリとスピンクスの一戦も、スピンクスへの親愛感から、アリに厳しく見すぎていたかもしれない。正確に見て正確に語るということは、誰にとっても恐ろしく難しいことなのだ。
「ボクシングの解説者って、ほんとに調子いいからなあ」
と内藤が言った。
「そういえば、長岡さんの時だって、ほら……」
利朗が笑いを含んだ声で内藤に話しかけると、内藤も口元をほころばせながら応じた。
「ほんと、そう、ひどかった」
意味がわからず黙ってふたりの顔を眺めている私に向かって、内藤が言った。
「長岡っていたでしょ、金子ジムに」
私は頷いた。アメリカに行く直前に、内藤とスパーリングをするところを見たことがあった。
その長岡が三日前にネッシー堀口というベテランと対戦した。長岡はコング斎藤をノックアウトしたこともあるハード・パンチャーであり、堀口は三十歳を超えた下り坂のボクサーだった。しかも、堀口にとってその試合は、一年半のブランク後の、復帰第一戦だった。誰の眼にも長岡の勝利は動かぬものと映っていた。ところが、長岡は堀口のラッキーパンチを顎《あご》に喰らい、一回で決定的なダウンを奪われ、二回にノックアウトで負けてしまったというのだ。
堀口のブランクを重視したテレビ解説者が、パンチがまとまっていない、体が動かないと批判した直後、一発で堀口は長岡からダウンを奪ってしまったのだという。利朗は、内藤と一緒にその試合を見に行き、そのあと家に帰って深夜のボクシング番組で再びその試合を見たらしい。だから、なおさらテレビの解説者の言葉が空疎に響いたのだろう。
だが、それは解説者を責めるべきことではない。ボクシングとは、まさにそのような意外性を秘めたものなのだ。どれほどすぐれた見巧者にも、一瞬先のことは予測がつかない。だからこそ、ボクシングはボクシングたりえるのだ。
「ボクシングって……ほんとにわからないな……」
内藤が私たちに向かってではなく、自分自身に呟くように言った。
ウエートレスが内藤と利朗にコーヒーを運んできた。コーヒーに砂糖を入れ、スプーンでかきまぜていた内藤が、不意に真面目な表情になって言った。
「やっぱり、ボクサーは……勝たなければ駄目なんですよね」
私は、口に運ぼうとしていたコーヒー・カップをそのまま受け皿に置き直し、内藤の顔を見つめた。私がニューオリンズに行く前に、内藤はしっかり試合を見てきてほしいと言っていた。しかし、私はアリとスピンクスの試合からさほど大きなものを見出すことはできなかった。多分、内藤がテレビで見た以上のものを発見することはなかっただろう。だが、ただひとつ、試合そのものというのではなく、ニューオリンズでの何日かによって、私が強烈に思い知らされたことがあった。それがまさに、ボクサーは勝たなければならない、ということだったのだ。私は日本に帰ったら、いつか折を見て、そのことを内藤に話したいと思っていた。ところが、それとまったく同じ思いの言葉を、内藤自身が口にしたのだ。私はふつふつとたぎる気持を抑えて、フレイジャーの話をはじめた。場末のクラブで、数人の客を相手に投げやりにうたっていた、元チャンピオンについての話だ。内藤は、黙って私の話に聞き入っていた……。
窓からは強い西日が射し込んでいた。黄色いビニール製の日おおいから透けてくる光に照らされて、喫茶店の内部のすべてが美しい橙《だいだい》色に染っていく。
「そろそろジムに行こうか」
私が言うと、内藤は頷いて、立ち上がった。
私たち三人は肩を並べ、ゆっくり歩きながらジムに向かった。
「スパーリング、今日はどのくらいやるつもりなんだい?」
私が訊ねると、内藤は首をかしげた。
「どうなのかな。行ってみなければわからないんだ。ラウンドの数ばかりじゃなくて、スパーリングをやるのかどうなのかもわからない。吉村もいろいろあるらしくってね」
「吉村? スパーリング・パートナーは吉村っていうのかい?」
初めて耳にする名だった。
「うん。彼はね、エディさんが面倒を見ているアマチュアの選手なんだ」
内藤の説明によれば、吉村はアマチュアのへビー級ボクサーで、日本選手権に三年連続して優勝しているということだった。エディは傭《やと》われトレーナーとしてプロに教えるだけでなく、乞われてアマチュアのコーチもしていた。吉村はその中の有望なひとりであるらしかった。
近くアジア大会の代表選手選考会が後楽園ホールで開かれる。吉村も出場することになっていたが、しかし彼にはそのためのトレーニングに必要な手頃なスパーリング・パートナーがいなかった。重量級の人材が乏しいという状況はアマチュアにおいても変わらない。日本選手権においてさえ、ヘビー級などは参加者が極端に少ないため、一回戦がそのまま決勝戦になってしまうほどなのだ。そこでエディは内藤に吉村のスパーリング・パートナーを勤めさせることにした。それは内藤のためにならぬことでもなかった。たとえ相手がアマチュアであっても、自分より大きなボクサーと、一ラウンドでも多くグローブを交えておくということは、決して損ではなかったからだ。
とにかく、吉村は内藤に相手をしてもらうため勤務先の葛飾《かつしか》区役所から下北沢の金子ジムまで通ってきている、ということらしかった。
「昨日は本当に凄《すご》かったなあ」
不意に利朗が呟いた。
昨日は三人を相手に七ラウンドのスパーリングをしたということだったが、とりわけ吉村との三ラウンドは力のこもった激しいものだったらしい。途中で内藤の鋭い右アッパーが入ってしまい、吉村がリングに崩れ落ちるという一幕もあったという。
「吉村さん、苦しそうにうずくまっちゃったでしょ」
利朗が感嘆したような声で内藤に言った。エディには叱られたということだったが、内藤は満更でもないようだった。
「そう、あれはアマチュアにはよけられないかもしれないね」
そう言って、嬉しそうに笑った。
利朗は想像していた以上に内藤と親しくなっていた。私がいない間によほど頻繁にジムに通ったものとみえる。駆け出しのカメラマンである利朗には、何はなくても時間だけは充分にあったのだろう。
彼は、私の古くからの友人というばかりでなく、私が初めてルポルタージュを書いた時以来の仕事上の相棒でもあった。初仕事のテーマは若い自衛隊員の意識構造を探るというものだったが、当時まだ大学の写真学科に在学中だった利朗は、その取材に常に同行し、まったくの無報酬で写真を撮ってくれたのだ。
その頃、活字を主体とする雑誌では、単なるルポルタージュのために専門的なカメラマンをつけるということはほとんどなかった。私に初めて仕事をさせてくれた雑誌でも、ルポルタージュの写真には、筆者のスナップかありあわせの写真で間に合わせる、という考え方が支配的だった。しかし私は、自分が懸命に書いた原稿にはやはり誰かが懸命に撮った写真を載せてもらいたかった。だからといって、プロの著名なカメラマンに頼むには、雑誌にも私にも経済的な余裕がなさすぎた。いや、かりに金があったとしても、大したスペースを与えられるわけではないその写真に、プロのカメラマンが情熱を注いでくれるはずはなかったかもしれない。
だが、無報酬にもかかわらず、しかも撮ってもマッチ箱くらいの大きさにしか扱ってもらえないにもかかわらず、利朗は私が頼むと厭《いや》な顔ひとつせずいつも一緒に取材先に足を運んでくれた。そして、私が見ても丁寧すぎるのではないかと思えるほど律儀に写真を撮ってくれた。それは私への友情というより彼の性格によるものだったろう。無口で感情を表にあらわすことの少ない男だったが、他人に対しては実に細やかな神経の使い方をする。私は利朗が人に頼まれて厭と断わったところを見たことがなかった。大学を卒業し、秋山庄太郎の助手をするようになってからは、一緒に仕事をすることも少なくなったが、それでもいざという時には私の頼みを快く引き受けてくれていた。数年前、秋山スタジオを出てフリーのカメラマンになったが、独立したといってもその日から仕事が殺到するというようなカメラマンではなかった。ジャーナリズムの世界をうまく泳いでいくには、あまりにもおとなしく、律儀でありすぎた。
カメラマンにかぎらず、ライターやイラストレーターといったジャーナリズムの世界に浮遊する人たちは、まず口に出し、それをあとから必死に収拾していくということで道を切り拓《ひら》いてきた人が少なくない。それが自分にできるかどうかわからなくとも、まず口にしてしまうのだ。しかし、利朗にそんな芸当はできなかった。確実に自信があることでも口に出さない。彼はいつでも過剰なほど控え目だった。
利朗は、彼がカメラマンである以前にすでに私の友人だった。だから、彼にカメラマンとしての才能があるかどうかを冷静に判断することは不可能だった。しかし、いずれにしても、私が彼の撮る写真を好んでいたことだけは確かだった。とりわけその人物写真は、対象の最もいい瞬間を定着する、実に気持のよい作品が多かった。小回りのきく器用さはうかがえなかったが、対象とじっくり渡り合う誠実さが画面に滲《にじ》み出ていた。ギラギラとした才能の輝きはなかったが、時間に耐えられる静かな力が秘められているようだった。
だが、たまに私と組んで仕事をする以外、利朗にはこれといった仕事がなかった。長く付き合うことで初めてそのよさが見えてくるという性格に似て、彼の写真も一瞬にして人の心を奪うという派手さに欠けていた。彼が仕事を獲得できない最大の理由はそこにあるのかもしれなかった。しかし、彼もやがて三十になる。このままの状態でいいとは思っていないはずだった。これから自分は何をどう撮っていったらいいのか。このままカメラマンとしてやっていくことに、どのような意味があるのだろう。それをあからさまな言葉にして語ることはなかったが、少しずつ思い悩むようになっているようだった。
私がアメリカに行く前に内藤の話をすると、利朗は撮ってみようかなと呟いた。発表のあてがあるわけでもなさそうだったが、私にはありがたいことだった。利朗が私のいない間に見ていてくれれば、安心してアメリカに行くことができるような気がした。そこで、私はふたりを引き合わせることにした。利朗が撮らしてもらえないかと頼むと、内藤はむしろ進んで撮ってほしいと答えていた。
しかし、僅かこの半月余りで、普段は無口な利朗が内藤と軽口を叩けるくらいまで親しくなっているということが、私には意外だった。
「吉村さん、勝つといいけどね」
利朗が内藤に言った。
「勝つと思うよ、吉村は。パンチはないけどスピードはあるからね。ただ……」
「ただ?」
私は言い淀《よど》んでいる内藤の顔を見ながら訊ねた。
「いや、ただね、俺とスパーリングをやったやつはみんな試合に負けちゃうんだ。どういう訳かみんなね」
「みんな?」
「そう、みんなさ。竜反町も負けたし、堀畑も負けたし、長岡も負けた」
内藤がスパーリングを再開して、初めてスパーリングをした相手が竜だった。しかし、その竜が敗れ、その次にパートナーを勤めた堀畑が敗れ、さらに長岡までが敗れていた。内藤が妙な気分になるのも無理はなかった。スパーリング・パートナーがすべて試合で負けてしまうということが、大切な試合を前にしたボクサーにとって縁起のいい話であるはずがない。偶然さ、と言って私は話題を換えようとした。口を開きかけると、その前に珍らしく利朗が気の利いた台詞を吐いた。
「きっと、運を吸い取っているんだよ」
内藤が彼らの勝ち運を吸い取っている。なるほど、そう考えることもできないことはない。いや、そう考えたほうがよさそうだった。
「いまの君は、運のかたまりというわけだ」
私が言うと、内藤は不安そうに呟いた。
「そうだといいんだけど……」
久し振りのジムは、しかしいつもと変わらず蒸し暑く、汗臭かった。外にはいくらか風があったが、ジムの中に一歩足を踏み入れると、熱を含んだ湿気が全身に搦《から》みついてきた。
ジムは夏でも窓を開け放たない。冷房がきいているわけではないから、その暑さはかなりのものになる。窓を開けないのは、ボクサーが汗をかきやすくするためだ。窓を開け、涼しい風が吹き抜けると、それだけボクサーの汗を止めることになってしまう。ジムには一グラムでも体重を落とそうと必死になっている若者たちが蠢《うご》めいている。ボクサーとはまず減量に耐えることが仕事であるといった職業なのだ。夏は最も減量のしやすい季節だが、窓を密閉することでさらに汗をかきやすくする。夏のジムはそのためにサウナ風呂のごときものに化す。
夏は過ぎたはずなのに、ジムに入ってしばらくすると汗が吹き出て止まらなくなる。
エディはすでに来ていた。内藤の顔を見ると、そう遠くにいたわけでもないのに大きな声を上げた。それはエディの癖のひとつだった。いつもは若々しく感じられるエディが、不意に年老いたように見えるのはそんな時である。
「ジュン! 今日はスパーリングなしね」
吉村が都合で来られなくなったらしい。内藤は拍子抜けしたようだった。
「明日は?」
「メイビー、明日はオーケーね」
内藤は黙って頷いた。スパーリングがなくなったことで、練習の時間が拘束されなくなった。内藤は、事務所の横のテーブルに置いてある雑誌を取り上げると、リングの前のソファに深く腰を落として読みはじめた。それは、表紙に荒っぽく「金子ジム」と書き込まれてある、ジムに備え付けの『ボクシングマガジン』だった。
私は事務室の奥で帳簿をつけている金子に挨拶し、エディと言葉を交した。しばらくして内藤を見ると、まだ雑誌を読んでいた。その姿があまりにも熱心だったので、興味を覚えた。近づいて覗《のぞ》き込んでみると、彼の視線は雑誌の終りに付されているランキング表に注がれていた。その頁には日本のランキングと世界のランキングが載っていたが、内藤が喰い入るような眼つきで見ていたのは世界ランキングの方だった。私の視線に気がつくと、内藤は指を差しながら言った。
「ほら、ここに、ブリスコってあるでしょ」
見ると、WBAのランキング表の第五位の欄に、ベニー・ブリスコというアメリカ人ボクサーの名があった。
「それが?」
「こいつは凄いやつなんだ。俺がプロに入った時もう世界ランキングに入っていたんだけど、それから十年、まだランキングに入っている。これは世界チャンピオンにならなくとも、やっぱり凄いことだと思うんだ」
内藤の言う通りだった。ひとりのボクサーが、十年ものあいだ世界的なレベルの力量を維持してきたとすれば、やはりそれは大したことに違いなかった。かつて、内藤もそのブリスコと同じように、世界ランキングに名を連らねたことがある。世界ミドル級三位。それは、日本のボクサーが、最も重いクラスで最も高く昇ることのできた、ほとんど最高のランクだった。しかし、彼はその位置を一年と保ちつづけることはできなかった。
内藤は頁を繰った。そこには東洋のランキング表が載っていた。しばらくそれを眺めていた内藤が、
「まったくなあ……」
と溜息《ためいき》をついた。そして、私を見上げて言った。
「昔は日本とフィリピンがほとんどだったのに、いまや韓国が独占という感じだね」
東洋にはヘビー級は設けられていないが、J・フライ級からミドル級までの十一階級のうち、なるほど六階級までが韓国のボクサーによってチャンピオンの座が占められていた。
ランキング表の右端には、かつて内藤がそのチャンピオンの座を制したことのある、ミドル級のランキングが載っている。チャンピオンは韓国の柳済斗。彼の名の横に小さく二十という数字が記されている。それは、内藤から一九七一年にタイトルを奪って以来、実に二十回もの連続防衛を果しつつ現在に到っている、ということを物語る数字だった。いま内藤は柳についてどんな思いを持っているのだろう。私は内藤の言葉を待ったが、彼はそれには一言も触れなかった。雑誌を手荒く閉じると、
「さあて」
と言いながら、地下の更衣室に降りていった。
トレーニング用のパンツとシャツに着替えてくると、内藤はバンデージを巻き、リングに上がった。
しかし、シャドー・ボクシングをする内藤の動きには冴《さ》えがなかった。上半身は軽やかに動いているように見えるが、足の運びにスピードがない。ただ、すり足で前に進んでいるにすぎない。白いボクシングシューズの中に、鉛でも入っているかのような重い足の運びをしている。螢光燈《けいこうとう》に照らされているためというばかりでなく、皮膚の色が蒼《あお》味《み》を帯びて沈んで見える。よほど深い疲労がたまっているに違いなかった。ここ数カ月の激しいトレーニングによる疲労が抜け切らず、そこへさらに新たな疲労が積み重なり、疲労が塊となって体内で凝固してしまったのだろう。果して、試合の日までに、それを解きほぐし、溶かし出すことなどできるのだろうか。
内藤の動きに視線をやったまま、私は横に坐っている利朗に訊ねた。
「ずっと、あんな感じだった?」
利朗は質問の意味を取りかねているようだった。
「少し動きが重いんだけど、いつもあんな調子だった?」
私が言い直すと、利朗はしばらく考えてから答えた。
「あんなだったと思うよ」
いま、内藤は疲労のピークにさしかかっているのだろう。やがて練習は少しずつ軽くなっていき、疲労を取り去ることに主眼が置かれるようになっていく。そうすれば、生気が甦《よみがえ》り、元の体と動きを取り戻すことになるのだろう。私はそう思うことにした。
内藤はシャドー・ボクシングを三ラウンドこなすと、ジムの最も奥に備え付けられているパンチングボールの台に向かった。ジムの中で起きる音のうち、最も景気のよいのはパンチングボールを叩く音といえるかもしれない。叩き方の巧拙にかかわらず、皮のボールが木の盤を打つ音は、鋭く刺激的な響きを持っている。だが、今日の内藤のパンチングボールからは、リズムのない、鈍くひび割れたような音だけしか聞こえてこない。
パンチングボールは、木製の盤からぶら下がっている、西洋梨《せいようなし》の化物のような形をした皮のボールを殴ることで、手首を強くし、パンチのタイミングと相手の動きを見る眼をよくしようとする道具である。激しい勢いで首を振るボールを、上手にリズムを取りながら左右の拳で殴りつづける一種の曲打ちには、ちょっとした慣れと技術が必要になる。だが、あれほどすぐれたボクシング技術を持つ内藤が、パンチングボールの扱いだけは四回戦ボーイ並みなのだ。ある時、その理由を訊ねると、これまでほとんどパンチングボールをやったことがなかったのだ、という答えが返ってきた。内藤はこれまで練習らしい練習をしたことがなかったのだ。ダブル・パンチングボールもロープ・スキッピングも、金子ジムに通うようになって初めてやるようになった。パンチングボールもやったことがなくてチャンピオンになったやつがいるのか。私が言うと、内藤は笑いながら応じたものだ。ここにいるんだから仕方がない。
しかし、今日のパンチングボールの音の張りのなさは、必ずしもその技術の問題ではないようだった。
利朗はカメラを片手に立ち上がり、今度はサンドバッグを叩きはじめた内藤の傍《そば》に近寄っていった。そして、その横に立つと、ほとんどカメラを構えることもなく、黙って内藤の動きを見つめた。シャッターを切ったのはほんの数回だった。だが、内藤は利朗の動きにはほとんど反応せず、ただサンドバッグの腹を殴りつけていた。それが、親しさの故なのか、疲労の故なのか、私には判断がつかなかった。
私たち三人が揃《そろ》ってジムを出た時は、すでにあたりはすっかり暗くなっていた。車で来ていた利朗とはジムの前で別れ、私と内藤は駅に向かって歩いた。怠《だる》そうな内藤に合わせて、私も歩調をゆるめた。
「俺、臆病でしょ」
突然、内藤が言った。何を言いたいのかわからなかったが、私は笑いながら頷いた。内藤が臆病なことは確かだったからだ。
いつだったか、大きな蜂《はち》がジムの中に入ってきて、大騒ぎになったことがある。もっとも、大騒ぎをしたのは内藤ひとりで、リングの上をうなりをあげて飛び狂っている蜂を見ると、彼は慌ててリングを跳び降り、叫んだ。
「やばいよ、これ。きっと刺すよ、これ。ほんとにやばいよ、これ」
窓を開け放ち、ようやく蜂を追い出すことができたが、その時の内藤の怯《おび》えようは、滑稽なくらい真剣だった。
その内藤が自分で臆病だと認めているのがおかしくて私は笑った。しかし、それがどうしたというのだろう。
「でもね、勇気がないわけじゃない」
「…………?」
「リングに上がるまでは確かに恐ろしい。上がっても、試合が始まるまではやっぱり恐ろしい。でも、始まって、この野郎と向かっていけば、すうっと恐ろしさは消えていくんだ」
「なるほど。恐ろしいけど、向かっていく勇気はあるというわけか」
「うん、そうなんだ。でもね、そうやって相手に向かっていっても、まだ恐ろしさが消えなくなったら……引退しようと思うんだ」
私は内藤の横顔を見た。彼が突然このような話を始めた理由がわからなかった。あるいは、無意識のうちに、彼の心に不安が芽生えていたのかもしれなかった。私にはそれが不吉な予言のように聞こえた。
翌日から、私は再び下北沢に通うようになった。夕方ジムへ行き、内藤の練習を見る。それを繰り返す以外ほとんど何もしない、という一日を送るようになった。
仕事の依頼がひとつふたつないわけではなかったが、ここ当分は仕事をしたくないという気分は変わらず、その思いはむしろ以前より強くなっていくようだった。つましくやっていく限りは、仕事をしなくとも、しばらく喰っていくことくらいはできそうだった。
その日、いつものようにジムに顔を出すと、休日でもないのにひと気がない。夕陽に照らされているガランとしたジムには、珍らしくリングの上に人がいない。事務室から出てきた金子は、私と顔を合わせると、不思議そうに呟いた。
「今日はどういうわけかみんな遅いんだ。こんな日がたまにあるんだな」
私は、自分で勝手に指定席と決めている、灰色の壊れかかったソファに坐り、夕暮れどきの空と街を眺めていた。
夕方の、人が気ぜわしく動き廻っているはずのこの時刻に、ぼんやりと風景など眺めている。ここ何年と、そんな時間を持ったことがなかったような気がする。大した仕事をしていたわけでもないのに、瞬時も休まず走りつづけてきたように思えるのだ。
仕事を始めたばかりの頃、私はこう考えていた。一カ月を三つに分け、十日を取材、十日を執筆、十日を酒に充てて、何とか喰っていけないものだろうか。そして、実際にそれは不可能なことではなかった。少なくとも、内藤と初めて会った頃までは、そのようなリズムで仕事をすることができた。しかし、長い旅から日本に戻り、仕事を再開してからはそうはいかなくなった。無性に仕事がしたくなり、少し走りはじめたら、それが止まらなくなってしまった。仕事の量は以前と大して変わらなかったが、常に書くことが頭から離れず、すべてを忘れて酒に充てるという日々が失なわれてしまったのだ。
しかし、ジムのソファに坐り、茫然と外に眼をやっていると、この無為な時間がたまらなく貴重なものに思えてくる。あるいは、この無為の時間をくぐり抜けると、以前の自在な自分に戻れるのかもしれない……。
電車が徐行しながら下北沢の駅に向かう。それを意味もなく見送って、ふと妙なことが気になった。電車の中の女学生たちが着ていたのは紺の制服ではなかったか。思い返してみると、確かに白いブラウスではなく、紺のセーラー服を着ていた。そうなのか、もう衣更えの季節になっていたのか、と私は思った。気づかぬうちに十月に入っていた。
振り返り、玄関の脇に貼《は》ってあるボクシング・カレンダーを見ると、そこには間違いなく十月の試合予定が刷り込まれてあった。
十月十二日
元東洋ミドル級王者 カシアス内藤
ヘビー級強打者 大戸 健
試合まで、もう十日余りしか残っていなかった。私は立ち上がり、事務室でひとり仕事をしている金子に話しかけた。
「金子さんは大戸って御存知ですか?」
「知ってるよ」
机の上の帳簿から眼をはなし、右手で眼鏡を軽くおさえながら金子が答えた。
「よく?」
「うん、まあ、うちの長岡とも結構やってるしね」
それは思いがけないことだった。私が意外だと呟くと、金子は見てごらんと言いながら事務室を出て、壁のポスターを指差した。ジムの天井に近い壁には金子ジムが主催した興行や、ジムの主力選手が出場した興行のポスターが、記念のためにびっしりと貼りめぐらされている。これまで意識して見たことがなかったが、なるほどその中に「長岡俊彦 対 大戸健」という一行のあるポスターが何枚かあった。
「それで、ふたりの対戦成績は?」
私は金子に訊ねた。内藤は長岡とスパーリングをしたことがある。その長岡との戦績がわかれば、大戸の力量のおよその見当がつく。
「そうだなあ……あのふたりは勝ったり負けたりでね」
金子はポスターに眼をやり、考えながら答えた。
「何勝何敗です」
「どうだったかなあ。そう、一度、ノックアウトで負けたことがある」
「長岡が? 大戸に?」
私は思わず大きな声で訊き返した。
「うん。でも、あとは勝っているけどね。そう、長岡の三勝一敗一引分かな」
「どんなボクサーなんです」
「パンチもあるし、あの重さにしては結構スピードもあるしね。なかなかのボクサーだよ」
「…………」
あるいは不安そうな表情が浮かんだのかもしれない。私が黙り込んでしまうと、金子は安心させるような調子で言った。
「しかしね、内藤があの大戸のパンチを受けるとは、ちょっと思えないけどね」
大戸健という、ただ紙の上でだけ存在していたボクサーが、急に現実味を帯びて迫ってくるような気がした。
五時半を少し過ぎた頃、エディがやって来た。背広姿のふたりの男と一緒だった。
少し遅れて、内藤が勢いよく玄関の戸を引き開けて入ってきた。エディと一緒にいるふたりの姿を認めると、大きな声で挨拶した。
「お久し振りです」
内藤が私の前を通りかかった時、小声で彼らを知っているのかと訊ねた。
「アマの連盟の偉い人でね。俺がアマの時にレフェリーをしてもらったことがある」
どうやら吉村の練習ぶりを見にきたらしい。その日は内藤とのスパーリングの最後ということになっていた。
地下の更衣室で素早く着替えてきた内藤は、私の前のリングの縁に腰を下ろして、バンデージを巻きはじめた。別に衣更えの時期だからというわけでもないのだろうが、内藤も先週までとはまるで違った色のパンツとシャツを身につけていた。しかし、通常の衣更えとは逆に、シャツは青から白に変わっている。私には、そのシャツの白さが、内藤の顔色の悪さをさらに浮き立たせているように感じられた。
「まだ、疲れているようだな」
私が言うと、内藤は抗弁する気力もないのか素直に頷いた。
「うん……」
声にも心なしか張りがない。
「だるそうだな、ずいぶん」
「そうなんだ。……このあいだの土曜の夜もね、ジムから帰る途中、電車で眠り込んでね。結局、乗りすごしちゃったよ。よっぽど疲れてるんだね。……でも、日曜は走りもせず完全に休んだから、もう大丈夫だよ」
最後の言葉は自分に言いきかせているようでもあった。
吉村は、内藤がシャドー・ボクシングの三ラウンド目に入った頃、ようやく姿を現わした。葛飾から区役所の勤めを終えて下北沢までくるのだ、遅くなるのも無理はなかった。
やがて、内藤と吉村はリングに上がった。開始のゴングが鳴る寸前に、エディは内藤を呼び寄せて言った。
「あんたは、手を出さないで、逃げるのよ」
内藤は、マウスピースを歯に合わせながら、わかっているというように二度ほど頷いた。
このスパーリングでの内藤の役割は、吉村の忠実なパートナーになることだった。相手に思いのまま攻撃させる。しかし、ただ打たれるだけなら、サンドバッグをリングの上に置けばいいことになる。打たれたら、逃げる。追わせて、また逃げる。時には軽く一発当てて、相手をひるませ、また逃げる。だが、そうした時でも相手にダメージを与えてはならない。あくまでも、相手の主に対して、従の立場を守らなくてはならないのだ。これまでの何日か、内藤はその難しい役割を完璧《かんぺき》に果していた。
吉村は、骨格のがっちりとした、胸の厚い、見事な体をしていた。百八十五センチというから内藤より五センチは高いはずである。しかし、リング上のふたりは大した差がないように見える。むしろ、内藤の構えがゆったりと自信に満ちているだけ大きく感じられた。
ゴングが鳴ると、吉村はその体に似合わぬ敏捷《びんしょう》さで突っかけていった。頭を小刻みに揺らしつつ、小さなモーションからジャブを放ち、ストレートを繰り出した。だが、内藤は鮮やかにステップ・バックすると、右のフックで吉村の左肩を引っかけ、簡単に体を入れ替えてしまった。
あいかわらずのうまさだった。それを見ている限りは、何も心配することはない、と思わせるほどのうまさだった。
内藤の足はさほど速くはなかったが、吉村のスピードを殺す抜群の技術を持っていた。吉村の突進を、内藤は軽く体を動かすだけでさばきつづけた。
ラウンドの後半になると、内藤はロープを背負うことが多くなった。疲労しているわけでも、アリのロープ・ア・ドープを真似ているわけでもなさそうだった。しばらく見ているうちに、私には内藤の意図がわかってきた。
内藤には吉村を思い切り打つことが許されていない。そうである以上、このスパーリングで実戦の勘を取り戻そうとする努力は虚《むな》しいものになる。そこで内藤は、この日のスパーリングを、ロープ際での闘い方を練習するためのものにしよう、とひとりで決めてしまったのだ。このスパーリングの中心は確かに吉村だったが、その流れを実質的に支配しているのは内藤だった。
第二ラウンドに入っても、内藤はロープ際で闘うことをやめなかった。リングの中央に戻り、そこで軽くパンチを交換すると、またロープに貼りついた。体をロープに預け、低く腰を落とし、両腕を広く大きく構え、内藤は吉村を誘った。吉村はあいかわらず小さく頭を動かしながら、いきなり左のストレートを放った。待っていた内藤は、右のストレートをそれに合わせた。パンチそのものは軽いものだったが、完璧なカウンターとなっていたため、顎《あご》をヒットされた吉村はよろめきながら後退した。内藤は、しかしロープから離れようとしなかった。体勢を整えた吉村が、再び大きな左右のフックを振るって飛び込んでくると、内藤は今度も鮮やかなウィービングでそのパンチを避けた。
第二ラウンドの序盤で、三度同じことが繰り返された時、エディが声を上げた。
「ちょっと、やめて!」
ふたりの動きを止めると、ゴム草履を突っ掛けたエディはリングの中に入り、吉村に近づいた。
「吉村、聞きなさい。いいですか、頭はウィービングで、いくらでも逃げられます。でも、腹は逃げれない。ロープにつめたら、ボディを狙いなさい」
それだけ言うとエディはリングを下り、スパーリングは再開された。
内藤は意識的にロープに退き、吉村の攻撃を待った。しかし、吉村はカウンターを恐れて、どうしても思い切ってボディを打っていけない。半歩だけ踏み込み、左右にボディ・フックを放ったが、上体が起きているため何の効果もない。
エディはまたふたりの動きを止め、リングに上がっていった。
「そうだないよ、吉村、頭をかがめて、こう打つの。ボン、ボン、ボン。わかるでしょ。低く、ボン、ボン、ボンよ。わかるでしょ。のけぞって打つのは、ポンビキだけよ」
エディがポンビキというような日本語を使ったので、リングのまわりから笑いが湧《わ》き起こった。その笑いに調子づいたのか、リングから下りたエディは、私の横に並びながら大きな声で言った。
「ポンビキ・フックはノー・グッド。当たらないね」
「どうしてです?」
いかにもそう訊いてほしそうだったので、私はエディの顔を見ながら質問した。
「どうしてね、それは、ポンビキの人は、ぼくにいい女の人を世話してくれたことないね」
そう言うと、エディは私の肩を強く叩いて、愉しそうに笑った。わかるようなわからないような答であったが、エディの笑顔につられて私も笑い出してしまった。
「始めて!」
エディの声で、ふたりはまたスパーリングを開始した。内藤は吉村の一本調子の攻撃を軽くかわすと、今度はコーナーに後退した。吉村は追いすがり、間合いをつめ、柱を背にしている内藤と正対した。内藤が自ら選んだ場所は、それまでの単なるロープ際と違い、ロープの反動を利用することもできず、左右の逃げ場もない、極めて危険な空間だった。そこで彼は何をしようとしているのか。私は息をつめるようにして次の展開を待った。
吉村が左のストレートを突き出そうと微かに体を動かした瞬間、内藤は鋭く体を左に入れ替え、そのブローをミスさせると、すぐさま切れ味のいい動きで体を右斜め下に沈め、素早く右フックを吉村の脇腹に決めた。と、次の瞬間には、スウェー・バックしつつ体の重心を左に移し、吉村の右フックを綺麗にかわした。それは連続した、ほとんど一瞬の動作だった。吉村は内藤の鋭角的な動きに幻惑され、しばし呆然とした表情で立ちすくんだ。内藤は、ウィービングとダッキングとスウェーイングによって、一歩も動かぬまま相手の攻撃を防ぐという高度なテクニックを披露してくれたのだ。
私は溜息をついた。このような防禦《ぼうぎょ》のテクニックを持った内藤を、いったい誰が打てるというのか。
横で見ていたエディが、私の耳元で囁《ささや》いた。
「吉村、ラッキーボーイね。こんなすばらしいスパーリング・パートナー、どこにもいないね」
小さいが弾むような声だった。エディはそれだけ言うと、アマチュアの関係者の傍へ行き、上機嫌で喋《しゃべ》りはじめた。
しかし、第三ラウンドに入ると、内藤のスピードが眼に見えて落ちてきた。吉村のパンチを喰うようになり、自分のパンチが軽くではなく、強烈に当ってしまうようになった。疲労したため、スパーリングを完全に意のままにすることができなくなってしまったのだ。動きに精彩がなく、鈍くなった。それまでの動きがあまりにも鮮やかだったために、その落差は際立ったものに映った。気《け》怠《だる》そうにロープにもたれる。それはもう練習のためではなく、明らかに疲労がさせている。僅か二ラウンドのスパーリングでスタミナを切らしてしまう。このような調子で、果して十日余りに迫った試合で十ラウンドも闘うことができるのだろうか……。
内藤がマットを使っての柔軟体操を終えた時、私は手を上げて挨拶し、ジムを出た。内藤は一緒に帰らないのを訝《いぶか》しむような表情を浮かべたが、すぐに笑って、
「また、明日!」
と大声で叫んだ。
練習を終えた内藤は、まずシャワーをゆっくりと浴び、髪を乾かしてから、ジムの大鏡の前に立つ。そして、ミニチュアの鋤《すき》のような形の櫛《くし》を取り出すと、入念にアフロヘアーを整えるのだ。それを待っていると、いつも一時間近くはかかった。しかし、この日、内藤を待たずにジムを出たのは、その時間が惜しかったからではない。酒を呑もうと思ったのだ。内藤は一滴も酒を口にしない。だから、彼と一緒にいる限り、どうしても酒から遠ざかることになってしまう。私は、久し振りに新宿に出て、一晩中呑んでいたいような気分がしていた。暑くもなく寒くもなく、呑み歩くにはよい季節になっていた。
映画館と線路にはさまれた細い道を抜け、交番の角を曲がって少し行くと、どこからか私の名を呼ぶ声がする。あたりを見まわすとまた同じ声がした。
イソップという看板の出ている小さな喫茶店があり、その開け放たれたドアの奥にエディが坐っているのが見えた。私が店の中を覗き込むような仕草をすると、
「コーヒー、呑まないですか?」
とエディが言った。少し迷ったが、せっかくの誘いを断わるのも悪いような気がした。
「ひとりで、どうしたんです?」
私が訊《たず》ねると、エディは肩をすくめた。
「少し疲れたね。だから、コーヒーを一杯呑んで、それから電車に乗ります」
確かにエディの頬のあたりには疲労が色濃く滲んでいた。六十を過ぎた老人にとって、トレーナーという職業が楽なものであるはずがなかった。
「一緒じゃなかったんですか?」
私は訊ねた。
「誰のこと?」
「ほら、吉村を見にきていた、アマチュアの関係者だとかいう……」
彼らは、吉村と内藤のスパーリングが終ると、すぐ帰っていった。そして、エディもそのふたりと共にジムを出ていた。
「ああ、あの人たち。駅まで送って、別れたの」
「そうですか。何か用事でもあるのかと思ってました」
すると、エディは意外な反応を示した。練習が完了しないうちにジムを出ていったことを、私に非難されたと思ってしまったらしいのだ。
「仕方ないよ。僕は、アマで教えてお金もらってるの。それがないでは、生活できない。それがあっても、生活とても苦しいよ」
私は狼狽《ろうばい》してしまった。そんなつもりで言ったのではなかった。私は話題を換えようとしたが、エディは自分の収入について語るのをやめなかった。
老人の愚痴、と言って言えないことはなかった。しかし、確かに、エディが口にする金額は、日本でも最高の技能を持った者の収入としては驚くほど少なかった。エディの定収入といえば金子ジムから受け取るコーチ料だけだが、それも高校生が放課後のアルバイトで稼《かせ》ぐことのできそうな額にすぎなかった。もっとも、ジムの側にもそれなりの理由はあったのだろう。ジムを全体的に見てもらっているわけではなく、村田英次郎ひとりのコーチであるエディに、それほど多くを支払うわけにはいかない。他のトレーナーとのバランスもあった。だが、いずれにしても、定収入だけで一家四人の生活を維持していくことは不可能である。エディには日本人の妻との間にふたりの娘がいた。アマチュアにコーチをし、その謝礼を貰っても、まだ足りない。かつては、彼が育てた世界チャンピオンとリングに上がることで、不定期ではあったが大きな金を手にすることができた。しかし、今ではほとんどそれもない。
「昔ね、僕ね、税金……あれ、なに税金言うの……区とかそういうのへ払う税金……」
エディが唐突に言った。
「地方税のことかな」
「そうね、きっと。よく知らないけど……それ、三回に分けて払ったよ。一回に五十万円だったね。五十万円。でも、今年は、三回で五千円なの。笑わないで、ほんとの話よ。寂しいね、五千円の税金……」
内藤からエディも生活が苦しいらしいということは聞いていた。しかし、これほどとは思っていなかった。
「大変ですね……」
他に言葉が思い浮かばずそう言うと、エディはその言葉をひったくるようにして続けた。
「大変よ。苦しいよ。金子のお金とアマのお金を合わせても、大変よ」
「…………」
「でも、仕方ないよ。この仕事は、山もあれば谷もあるの。だから、今は、山の時のお金を、少しずつくずして使ってるよ」
エディは自嘲《じちょう》するような笑いを浮かべた。私は眼の前のコーヒー・カップを眺めながら、エディと別れるタイミングを逸してしまったことに気づかざるをえなかった。珍らしく妙に悲観的な気分になっているらしいエディひとりを残して、それではこれでと席を立つわけにはいかなかった。エディは話し相手が欲しそうだった。今晩はエディに付き合おう、と私は腹を決めた。ひとりで呑んでも、ふたりで呑んでも酒は酒だ。
もしよければ一緒に酒を呑まないか。私が誘うと、エディはいくらか驚いたようだったが、すぐ嬉しそうに答えた。
「おお、いいね、酒」
私はエディと共に喫茶店を出て、近くの繩のれんに入った。
「酒は、何にします」
エディに訊ねた。
「そうね、ウィスキーがいいね」
私たちは、ウィスキー一瓶と氷を貰い、おのおの好きなスタイルで呑みはじめた。濃い水割りを一杯呑むと、エディの首筋は見事な桜色になった。
エディはグラスを傾けながら、おそらく人に何百回と話したに違いない昔語りをした。ハワイで少年時代からしていたベビー・ボクシングのこと、ジョー・ルイスと同じ時に出場したゴールデングローブ大会のこと、プロに転向し真珠湾攻撃の前夜も試合をしていたということ、戦後力道山に招かれて日本に渡ってきたこと、日系二世の藤猛を世界J・ウェルター級チャンピオンに作り上げたこと、しかし力道山がヤクザに刺殺されてからさまざまのジムを転々としなくてはならなかったこと……。それは五年前にも聞いたことがある話だった。しかし、私はウィスキーと水を交互に呑みながら、黙って耳を傾けた。私は老人の昔語りを聞くことが嫌いではなかった。
だが、やはり、私たちの間の話は、いつしか内藤についてのものになっていった。
「ジュン、四月に僕のところに来たの、もう一度ボクシングやりたい言うてね」
とエディは言った。
「……その時、僕、冷たくしたよ」
「どうしてです」
「ほんとの気持か、どういう気持か、わからなかった。だから、僕はジュンに冷たく言ったよ。やりたいの、そう、だったら走れば。ジュン毎朝走ったのね。次に言ったよ、僕。毎朝走ったの、そう、だったら夜も走れば。ジュンは走ったね、夜も。……僕も人間よ。それ以上冷たくできないよ。あんなに一生懸命なボーイにどうして冷たくできるの。それでは見てあげます、横浜には行けないけど、金子ジムで見てあげます、金子に来なさい、言うたの」
「そうですか……。でも、金子さんも、自分のジムの選手じゃないのに、よくやらせてくれていますね」
「そう。金子、オーケー、言うてくれてね。ありがたいよ」
「それから、ずっとエディさんと練習をしているわけですね、内藤は」
「毎日よ。横浜から東京に来て、東京から横浜に帰って……毎日毎日、同じこと続けたの。大変なことよ。でも、あのボーイ、それをやったの」
「よく続いていますよね」
私は呟《つぶや》いた。それは本当に不思議なくらいだった。人間はそのように劇的に変化しうるものなのだろうか。
「ジュンは……昔、ほんとに悪いボーイだったね」
グラスを宙に浮かしたまま、エディが言った。
「……悪い、悪いボーイだった。走りなさいと言うても、わかったと言うだけ。次の日、僕は訊くよ。走りましたか? 走った。でも嘘なの。一メートルも走ってないの。練習が終っても、氷水を呑んだらいけないよ、わかった? わかった。でも呑むの。炭酸はいつでもいけないよ。でも、コーラを呑むの。……それがどう、今では、走って、走って、走ってるのよ」
どうしてそのように変わったのだろうか。私はエディに訊ねた。
「わかりません。でも、きっと、苦労したね。苦労して、少し大人になった」
あるいはエディの言う通りなのかもしれなかった。苦労を積み、その分だけ成長した。だが、私には、内藤の変化がそれだけに起因するものではないと思えた。もっと深いところから彼を変える原因があったはずだ。内藤はそれを三十という年齢で説明しようとした。もうぐずぐずしているわけにはいかなかったのだ、と。直接の契機はそうなのだろう。しかし、そう思わせるには、彼自身も自覚していないような奥深い何かがあったのではなかったか……。
私は話を換えた。
「どうなんでしょう」
「…………?」
「内藤、とても疲れているように見えるんですが、どうしたんでしょう。大丈夫でしょうか。なんか、痩《や》せてしまって……」
「そうね、もう少し、目方あってもいいですね」
エディは軽く答えた。ほとんど心配していないらしいことが意外だった。
「試合までに元に戻るでしょうか」
「オーケーね」
「本当ですか?」
「ジュン、今、少し調子が悪いね。でも、オーケーよ。もう、スパーリングはやらないし、あとは軽く、軽く、トレーニングするの。疲れはなくなって、オーケーよ」
エディにそう言ってもらうと安心だった。私はグラスに残っているウィスキーを一気に流し込んだ。しばらく会話がとぎれた。
「心配しないでも、いいですよ」
エディがいきなり言った。
「そうですね、心配しても仕方がない」
私は苦笑した。
「ジュンは、メイビー、勝ちます」
「そうでしょうか」
「そうです、勝ちます」
エディは自信に満ちていた。
「大戸はタフなボクサー。でも、ジュンが勝ちます」
「大戸を知っているんですか?」
「知らない。話だけ。でも、きっとタフなボクサー。それでもジュンは勝つ。十対一で勝つよ」
「十対一の確率で?」
私はエディに訊き返した。
「そう。ほんとは十対ゼロで勝つ。でも、僕は十対一と言うね。その一の意味は、これがボクシングだから。百パーセント勝つと言いたい。けれど、言えない。それは、ボクシングだからなの。プロレスみたいな、ビジネスだないの。ボクシングはファイトなの。だから、一はどうなるかわからないよ。十対一の一はその意味ね」
エディは怖いくらいに内藤を信じていた。私は、エディの熱気あふれる言葉に、少しだが水を差した。
「内藤は、もう齢かな、なんて言っていましたけどね」
「ノー。ジュンはいくつだか、知ってる?」
「二十九歳になりました」
「二十九なら、オーケーよ」
「オーケーですか?」
「そう」
「どうしてです?」
「どうしては……」
そこでエディは言葉を切った。そして言った。
「ジュンが、天才だからよ」
「…………」
「あの子は天才なの。さっきも見たでしょ。コーナーで、ジュンが、ディフェンスするのを。あんなことできるボクサー、日本にいないよ。どこにもいないよ。世界チャンピオンだってできないよ。具志堅にだってできない、工藤にだってできない。みんなあの子に習ったらいいの。……僕はね、五十年間ボクシングやってるの。日本でも十六年。いろいろなボクサーを見てきたよ。でも、いないのよ、あんなボクサー、ひとりもいなかった!」
私は黙ってエディの言葉を聞いていた。単なる酒の酔いからだけではない、激した口調でエディは言った。
「……三戦したら、工藤とやってもいいね」
「三戦で?」
私は強く訊き返した。
「そうよ。やれば、勝てるね」
工藤政志は、エディ・ガソが輪島功一から奪い去ったタイトルを再び日本に奪い返し、J・ミドル級の世界チャンピオンの座についていた。その工藤に、三戦後に挑戦すれば勝てる、と言うのだ。エディもまた途《と》轍《てつ》もない夢を抱いていた。
「ほんとよ。僕は世界チャンピオンをたくさん作ってきたよ。作ろうと思って、失敗したことないよ」
付き出しの小鉢に入った青菜を、箸《はし》で器用に口に運びながら、エディはどれほど自分がチャンピオン作りに成功してきたかを語った。
ひとしきり話はつづいたが、一段落したところで、私は以前から訊ねたいと思っていた質問を投げかけた。エディを日本で一躍有名にさせたのは、藤猛を初めてJ・ウェルター級で世界チャンピオンにさせたことによっていた。名コンビと思われていたふたりだったが、ニコリノ・ローチェに敗れる寸前に決裂してしまう。私はその理由が知りたかった。
エディは、説明しようとして言葉を探すがうまく見つからないらしく、何度も言いかけては首を振り、そしてついに苦笑しながら言った。
「情けないね、僕、日本語うまくないね。十六年いて、下手なの。日本語、少しも勉強しないから、二、三年の人より下手なのね。いつまでも、うまく喋れない……」
「箸の使い方は上手なのに」
エディが悄《しょ》気《げ》返ってしまったので、私は慰めるつもりで言った。すると、エディはさらに沈んだような調子で呟いた。
「まるで、下手。箸を使うのも、喋るのも、みんな、下手」
テーブルに視線を落とすと、帰る時に忘れないようにと上に置いてある、エディの英字新聞が眼に入ってきた。
エディはいつでも英字新聞ひとつを持ってジムに来ていた。彼にとって、それが唯一の情報源であり、娯楽読物であるらしかった。私はそれを見るたびに、故国を離れ、異国で生きなければならない者の悲しみを感じていた。異国で一生を終えなくてはならないのに、その国の言葉を充分に理解しないまま、英字新聞ひとつを頼りに生きていかなければならない悲しさ。
私たちはそれぞれのグラスを口元に運んだ。
エディは娘の話をしはじめた。アメリカン・スクールに通っている下の娘が、学校でトラブルを起こして困っているという。
「わざとやってるのね。他の学校に行きたくて。あれ、なに言うの、ガンつける? そう、うちの子が、女の先生にガンつけるとすごいらしいの。怖いって、先生が言うよ。……うちの子、美人で、かわいいんだけどね」
私は笑った。エディの娘なら、おそらく美しい少女だろう。その少女が精一杯虚勢を張って、先生に「ガンつけ」をしている図を想像すると、ほほえましかった。
「転校すれば、またお金がかかる。大変よ」
エディは溜息《ためいき》をついた。私は黙って頷《うなず》いた。
「……ジュンを教えても一円にもならないの。何カ月も何カ月もただよ。僕はね、ボクサーに教えて、お金を貰うのが商売なの。でも、ジュンからお金取れないでしょ」
私は言葉もなく、グラスを手で玩《もてあそ》んだ。気重な沈黙が続いた。
「でもね」
としばらくしてエディが口を切った。
「……これは、いい博奕《ばくち》なのよ」
「博奕?」
「そう、すごくいい博奕なの」
なるほど、と私は思った。エディは、トレーナーとして内藤にコーチするだけでなく、マネージャーとして興行にも関与できるようになった。いつだったか内藤がそう言っていた。つまり、エディは初めて自分の選手を持つことになったのだ。その最初で、恐らくは最後の選手であろう内藤がもし見事にカムバックするようなことになれば、マネージャーのエディも現在の窮状から脱することができるかもしれない。もし世界チャンピオンにでもなったら、大金が転がり込んでくるだろう。確かに博奕だった。
エディの口から博奕という言葉を聞いた時、私は数時間前にやはりエディが口にしたもうひとつの言葉を反射的に思い浮かべていた。
それは内藤と吉村とのスパーリングが終った直後のことだった。吉村がサンドバッグを相手にボディ・フックの打ち方を練習していると、それがどうしてもうまくいかないのを見てとった内藤がコーチを買って出たのだ。パンチの出し方をゆっくりと再現しながら説明するが、吉村にはどうしてもうまく伝わらない。すると、アマチュアの関係者とジムを出ようとしていたエディがそれに眼をとめ、玄関に内藤を呼び寄せ小さな声で言った。
「教えることはいいこと。でも、難しいことをいきなり教えてはいけないね。やさしいこと、少しずつ教えるの」
内藤が頷くと、エディはさらに付け加えた。
「でもね、ジュン。ラブがないでは、ほんとを教えることはできないよ」
その時、私はラブという言葉の中には、エディのトレーナーとしての哲学が秘められていると同時に、内藤への愛情がこめられているのではないかと思ったものだった。
しかし、内藤への無料のコーチがエディに博奕と認識されているとするなら、その愛情も妙に湿ったものではないに違いない。私には、エディの無償の行為が、愛情によるものと考えるより、博奕の種銭《たねせん》のつもりと考えるほうが愉しかった。その種銭が、巨額の金を生むか、ついに無に帰すかは、賽《さい》が転がり、目が出てみなければわからないのだ。しかし、エディが夢を見はじめているらしいことは明らかだった。ウィスキーを呑みつつ、無限に「もし」を重ねながら、エディはその夢について熱中して語りつづけた。もし今度の試合に勝ったら……、もしその次の試合に勝ったら……。
私たちは閉店間際まで呑みつづけた。エディは深く酔ったようだった。しかし、店を出ると、私が送っていくというのを手で制して、
「いい博奕よ……これはいい博奕よ……」
と呟きながら、ふらつく足でひとり歩き去っていった。
翌日の午後、私は上越線の急行に乗って高崎に向かった。家を出たのが遅かったこともあるが、高崎に着いた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。
駅前でタクシーを拾い、電話で教えられた通り、八間道路の薬局の近くにあるボクシングのジム、と行先を告げた。すると、年配の運転手はしばらく考え、そういえばそんなのがあったかもしれないねえ、とのんびりした口調で言い、ゆっくりと車をスタートさせた。
私はそこで大戸健に会うつもりだった。大戸健がどういうボクサーなのか、試合前にどうしても一度見ておきたかった。
うかつなことに、私は大戸が地方のジムに所属しているということを知らなかった。どんなパンフレットにも「高崎ジム所属」とあったが、それはジムのオーナーの名だろうというくらいに考えていた。その日の午後、訪ねてみようと思い立ち、ボクシング協会に高崎ジムの連絡先を訊いて、初めてそれが群馬県の高崎市にある、電話もないような小さなジムだということを知ったのだ。会長の自宅は市内の別のところにあり、そこには電話があった。電話をすると、母親らしい老婦人が会長の不在を告げ、夜の七時頃にはジムに行っているだろうと教えてくれた。私はジムまでの道順を訊き、会長や大戸自身にも連絡を取らぬまま、その日のうちに高崎に向かったのだ。
駅から十分ほどで目的地に着いた。しかし肝心のジムが見つからない。行きつ戻りつしたあげく、近くの商店の親父に教えてもらい、ようやく訪ねあてた。
見つからないのも無理はなかった。通りが暗いうえに、ジムは表通りからかなり引っ込んだところにあった。しかも、建物はその構えからはとうていボクシングジムとは想像できない古めかしさであり、「森田高崎ジム」という看板も地味で目立たなかった。
狭いジムの中では三人の若者が静かに練習しているだけだった。ひとりに訊ねると、会長が来るのは八時頃、大戸が来るのもその頃だろう、という答が返ってきた。
一時間ほど喫茶店で時間をつぶし、再びジムを訪れたが、まだ来ていなかった。私はジムで待たせてもらうことにした。
ひとりの若者がサンドバッグを叩いている。しかし、床が気になるらしく、うまくリズムが取れない。見ると、そこには敷居があり、ガラス戸用のレールが走っている。不思議に思い、内部を見まわすと、どこかジムの造りが妙なのだ。ジムは敷居で二分され、大鏡のある床は木でできているが、リングのあるほうはタイルが敷きつめられている。そして、そちらは天井が高く、窓も高い。
私はサンドバッグの前で手を休めている若者に訊いてみた。
「ここは、以前、風呂屋だったのかな?」
若者はにこにこしながら頷いた。
「そうなんです。四年前に改造して、会長が始めたらしいんですけど、最初の頃はあの鏡しかなくて、みんなで少しずつ揃《そろ》えていったそうなんです。僕は最近なんでよく知らないんですけど」
なるほど、風呂屋なら鏡だけはあっただろう。しかし笑いごとではなかった。地方の小都市でボクシングジムを作るということは、それほど大変だということなのだ。
会長の森田がジムにやって来たのは八時をかなり過ぎた頃だった。あまりの遅さに、冴えないジムの経営に厭《いや》気《け》がさし、ジムを投げ出し、夜遊びでもしているのではないかとも思ったが、それは私の誤解だった。互いに自己紹介が終ると、森田は今まで残業をしていたのだと言って、しきりに待たせたことを謝まった。ここではボクサーばかりでなくジムのオーナーといえどもどこかで働かなければ喰っていけない。自分は自動車教習所に勤めており、週に三日は残業しなくてはならない。今日はそのうちの一日なのだ、と言って森田は苦笑した。
「ジムだけではやっていけませんか?」
私が不躾《ぶしつけ》な質問をすると、森田はその温和な表情を崩すことなく、
「駄目です」
と答えた。
二十人の練習生が五千円の会費をきちんと払ったとしても、一カ月で十万にしかならない。八万の家賃を払い、電気水道などの諸経費を払うと、手元には一円も残らない。ここらあたりで二十人も練習生がいれば上出来です、と森田は恥ずかしそうに言った。
私がなぜここに来たのか、森田はあまり深く追求しなかった。私の行為は一種のスパイ行為ともいえるものだった。もちろん、大戸の様子を、内藤やエディに喋るようなことをするつもりはなかったが、取材という曖昧《あいまい》な言い方で納得してくれているのが、私にはありがたかった。
大戸が来るのを待っている間、私は森田から地方の弱小ジムの悲哀を聞かされつづけた。
「……田舎のジムは弱いんです。マッチメークを自分でできませんからね。東京さんからお声がかからなければ、うちあたりの選手は試合ができないんですよ。急な話で、充分に練習ができなくても、やらせることになるんです。大戸には、いつも可哀そうなことをしてるんです。前の試合も、その前の試合も……」
「今度の内藤との話はどうだったんですか」
私は話題を換えるために訊ねてみた。
「ああ、今度は充分に期間はあったんです。でも……」
森田の声が少し重くなった。
「調子がよくないんですか?」
「いや、そういうことではなくて……ちょうど、タイミングが悪かったんです」
森田の説明するところによれば、大戸はそれまで勤めていた会社を辞め、小型のトラックを買い、それを持ち込んで新しい会社に入ったのだという。変わったばかりということもあり、収入が歩合ということもあって、練習のために早目に仕事を切り上げるということができなくなったのだという。
「会社を移ったのはこの八月なんです。七月まではしっかり練習していましたし、試合までかなり時間はありましたし、これは悪くない話だったんです。ファイトマネーも、現金で十五万くれるということでしたし……」
「十五万?」
私は思わず訊き返した。十五万といえば、三十三パーセントのマネージメント料を天引きされると、ボクサーの手元には十万しか残らない。それはヘビー級のメインエベンターが受け取る額にしては余りにも少なすぎるように思えた。しかし、それでもいい方なのだ、と森田は言った。場合によっては、ファイトマネー十万、そのうちの半分は試合のチケットの現物支給、という条件を呑まされることもある。それに比べれば、現金で十五万というのは好条件の部類に入る、というのだ。私は内藤のファイトマネーの額が気がかりになった。
「……悪くない話だったんですけどね」
森田は残念そうに繰り返し、さらにこう続けた。
「チャンスだったんですけどね」
私は意外な言葉を耳にしたような気がした。
「チャンス、ですか?」
「ええ、チャンスです。いくら駄目になったといっても、やっぱりカシアス内藤はスターですからね。元東洋チャンピオンを倒せば、大戸にもチャンスがくると思うんです。……仕事さえ変わらなければ、みっちりトレーニングを積んでリングに上がれたはずなんですけど」
森田は本当に残念そうだった。しかし、だからといって、大戸に仕事を変わるなとは言えなかったのだろう。何カ月に一度という試合のファイトマネーが、僅か十五万にすぎないのだ。そんなボクシングを、生活の基盤とすることなど、大戸でなくともできはしない。森田もそのことはよく理解しているはずだった。
「大戸君は、森田さんの眼から見ると、どんなボクサーなんですか?」
「そう、あのクラスではうまい方だと思いますね。パンチ力もありますし……ほら、あれを見てください」
森田はそう言って、鴨《かも》居《い》の下にぶらさがっているサンドバッグを指差した。
サンドバッグは鉄の爪のような金具に鎖で連結されていたが、そのうえさらにロープで何重にも縛ってあった。
「大戸が殴ると、鎖だけではぶっ飛んでしまうんです。だから、ああやって、ひもでくくりつけてあるんです」
「それは、凄《すご》い……」
私は口の中で小さく呟いた。
「ええ、だから、大戸にも言ってあるんです。相手が内藤だって同じだ、お前が先に一発当てればぶっ飛んでいくんだから、ってね」
「…………」
「内藤は気が弱いと聞いていますからね。一発ガツンとやれば怖《お》じ気づくと思うんです。……ただ、長丁場に持っていかれると、大戸はスタミナが心配でね。だから、早い回に勝負をかけさせたいと考えているんです」
勝てそうかと私が訊ねると、さあと言って森田は首をかしげた。
「キャリアからいけば、大戸は負けてもともとなんだけど、内藤にボクシングがそんな甘いもんじゃないことを見せてやってほしいとは思ってるんです。四年も五年も遊んでて、チョコチョコと練習して勝たれたんじゃ、ボクシングのためによくないですよ。いや、内藤のためにだってよくない」
内藤の再起のためのトレーニングが、「チョコチョコ」という言葉で表現される程度のものでないことを私はよく知っていたが、別に何も言わなかった。私が抗弁すべき筋合いのものでもなかったし、森田の意見がある意味で正論でないこともなかったからだ。
大戸が高崎ジムに入門したのは昭和五十年だという。五十年といえば、その頃すでに内藤は頂点を極め、下降し、リングから遠ざかるという、ボクサーとしてのひとつのサイクルを終えていた。確かに、キャリアからいけば、大人と子供ほどの差があった。大戸はデビュー第一戦に一回でノックアウトされた。その相手が金子ジムの長岡だったのだという。すぐに雪辱戦を行なったがそれも一回でノックアウト。三戦目は引分け。四戦目に、ようやく長岡をノックアウトで破ることができた。
「大戸も運のない奴なんですよね……」
森田がしみじみとした口調で言った。
「……あいつが、うちのジムじゃなく、中央のジムに入っていたら、もっともっと活躍できたと思います。ここらあたりでは、あいつとスパーリングできるようなボクサーがひとりもいなくて、思い切り打って練習することができないんです。試合が練習みたいなもので……それに試合もなかなか作れませんしね。素質はとてもあると思うんですが……」
私は森田の率直さに好感を抱いた。年齢は四十前後だったが、興行に関係している人間に特徴的なハッタリ屋風のところが少しもなく、折目正しい言葉づかいをしていた。
大戸の来るのがあまり遅いので森田が心配しはじめた。時計を見ると、すでに九時を廻っていた。森田は、まだジムに残っていた練習生のひとりに呼びに行ってくれないか、と頼んだ。
「取材の方が見えているからって、そう言ってな」
大戸の取材に来たということを、森田が思いのほか喜んでいるらしいことが、私を心苦しくさせた。
迎えに出た練習生と入れ違いに、大戸がやって来た。かつては「湯」とでも書いてあったのだろうガラス戸を引き開けて、ひとりの男がジムへ足を踏み入れた時、私はこれが大戸なのかと眼を見張った。一目で大戸ということはわかった。確かにヘビー級にふさわしい大きな男だった。身長は私と大して変わらないが、体重は二倍くらいありそうに思える。灰色の半袖シャツの下からのぞいている腕も、かなりの太さがあった。しかし、意外なことに、その体は迫力とか凄《すさ》まじさとかいうものを少しも感じさせないのだ。それは、彼が色白でふっくらした肌を持っているためのようだった。しかも、サンドバッグをぶち壊しかねない男にしてはあまりにも童顔で、そのうえ黒く素直な髪はオカッパ頭のように切り揃えられている。まさに、いくらかたるみの出てきた金太郎、という言い方が最もふさわしいような風貌をしていた。
森田がジムの横の応接間に大戸を坐らせ、私についての説明をしはじめた。こちらはお前と内藤との試合の取材をなさっている……。私は困惑し、その話の腰を折るようにして、大戸への質問を始めた。
「内藤のことは知ってる?」
「それはね、知ってるさ」
「どういうふうに?」
「やっぱり、混血のボクサーっていう、あれかね」
「ボクシングの相手としては、どんなふうに思ってる?」
「やりづらいね」
「どうして?」
「何ていっても、ミドル級だからね。階級の下のもんとやるのは厭《いや》だね。根っから厭だ」
訥々《とつとつ》とした喋り方だった。飾ったり、よく見せようとするところのない、気持のよい喋り方だった。
「大きい相手とやる方がいい?」
私は訊ねた。
「でっかいもんとやる方がいいね。その方がファイトが湧《わ》くしね。やっつけてやろうという、あれがさ。小さいのは厭だ、俺は」
おれは、と言ったのか、おらあ、と言ったのか、私には聞き取りにくかったが、その語調が妙におかしかったので笑った。
私と一緒になって笑っている大戸の顔を見ているうちに、ふと思いついて訊ねた。
「ボクシングは好き?」
「好きじゃない。嫌いだね、殴り合いは。うん、根っから嫌いだ」
私もそんな答が返ってくるような気がしていた。
「それなのに、どうしてボクシングを?」
「金に眼がくらんだんだね。世界チャンピオンになれば、うんと金が入ってくるという、あれだね」
「金なら他にも稼ぐ方法はあるだろうけど……」
「いや、あんまりあるもんじゃないね。頭はよくないし、裸一貫でやるといったら……」
「ボクシングしかなかった?」
「まあ、そうだね。高校へ進学するといっても、家の経済じゃ無理だし、中学出てどうするという頃に、何かの記事でカシアス・クレイのことを読んだんだね。その頃はまだアリじゃなくてクレイだった。そこに一試合で百万ドル稼ぐとか何とか書いてあったんだ。百万ドルといえば三億いくら……そんなに儲《もう》かるなら、と思ってね。それからテレビでボクシングを見るようになって、見てるうちにおらでもできそうな気がしてきたんだ」
確かに大戸は、おら、と言っていた。私とは縁のない言葉のはずだったが、不思議になつかしい響きがあった。大戸は内藤より二歳下の昭和二十六年の生まれだった。出身は群馬県の吾妻《あがつま》郡大戸。大戸健という名は、その出身地からつけたリングネームだという。
「中学を出て、すぐボクシングを始めたのかな?」
「いやあ……東京に働きに出て、ジムへ行ったりしたことはしたんだけど……おらあ田舎者だからね、いろいろうまくいかないことがあって……それに、まだ小さかったし……結局、中途半端になってね。本格的にやるようになったのは、こっちに帰ってからだね」
「それが五十年、もう二十四歳になっていたわけだ」
「そういうことになるね。でも、本格的にやるといっても、デビュー戦でね、コロッといかれてしまうくらいだから、大したことはないんだ、まったく」
その言いかたがあまりにもさらりとしていたので、私もつい調子に乗って、笑いを含んだ声で長岡に第一戦でノックアウトされたことはショックだったか、と訊ねてしまった。すると、大戸はそれまで見せなかった暗い表情で、ショックだったねえ、と答えた。
「やめようと思ったけど、やめるにやめられなくてよ。自分の力を碌《ろく》に出し切れねえで、一回で引っ繰り返されて負けたんだ。もう少し何とかしなければよ、やめるわけにいかない……」
「…………」
「どうにかしたくて、やっぱり続けたんだ」
四戦目に長岡を破って雪辱した。それでどうにかなったのか、と私は大戸に訊ねた。
「いやあ、どうにもなりゃあしねえさ。しょっちゅう負けて、しょっちゅう引っ繰り返されて……自分で自分が厭になるね、まったく」
私は、眼の前に坐っているこの大きく朴訥な男がボクシングを選んだということが誤りだったのではないか、と思うようになった。彼にはもっとふさわしい職業が他にあるような気がした。たとえば……しかし、そう考えはじめると、具体的に思い浮かぶものは何ひとつなかった。私は、ボクシングをやめるつもりはないのか、と思い切って訊ねてみた。大戸は黙り込み、しばらくしてから重そうに口を開いた。
「そうだねえ……ボクシング一本じゃ喰っていけないしよ、何もいつまで喰いついている必要はないんだけど……でもよ、やめるにやめられなくなったよな」
「…………?」
「こんなままじゃあ、やめるわけにはいかねえよ、まったく。……そうでしょ?」
私には答えようがなかった。
「どうしたらやめられる?」
「そうだね……思う存分やって……やれたと思ったら……やめたいね」
「そうか……」
ここにもひとり、リングに思いを残している男がいた。そんな男と内藤は闘わなくてはならないのだ。誰が仕組んだわけでもないその皮肉に、私が言葉の接《つ》ぎ穂を見つけられず黙っていると、大戸が独り言のように呟いた。
「内藤もそうじゃないのかね。もう一度やろうっていうのは、このままじゃあどうしてもやめられねえっていう、あれじゃないの」
「……きっと、そうだろうね」
私は、大戸が会ったこともないはずの内藤の思いを正確に見抜いているということに、ほとんど感動といってもよいような驚きを覚えていた。大戸が低く呻《うめ》くように言った。
「トコトンやってみてえよ、今度は俺も!」
「勝てそう?」
「わかんねえ。やってみなければわかんねえな、まったく」
「森田さんは、先に一発当てれば勝てると言ってたぜ」
私が言うと、大戸は笑った。
「いや、おらのパンチは当たらないから。……当たったことないからねえ」
それは実にいい笑顔だった。ひとしきり笑うと、さてそろそろ始めるか、と呟いて立ち上がり、サンドバッグの前で着替えはじめた。
裸になると、大戸もやはり圧倒的な体をしていた。腹に少し肉が付きすぎているが、スタイルは決して悪くない。大戸は白いTシャツに紺のトレーニング・パンツを七分に切ったものをはいた。
私はジムの端に立って大戸の練習を見させてもらった。
柔軟体操を二ラウンド、腕立て伏せを一ラウンド、シャドー・ボクシングを二ラウンド。凄まじかったのはサンドバッグだった。大戸がパンチを叩き込むとサンドバッグが揺れる。それも尋常の揺れ方ではない。鎖と金具が不気味な音を立てながら舞い上がる。一ラウンドの残り三十秒になると、大戸は激しい唸り声を上げて、サンドバッグの腹を殴りはじめた。
一発一発に彼の怒りがこもっているかのようだった。これほどのパンチを持った俺がどうして負けなくてはならないのか。こんなヤクザなボクシングというものに、どうしていつまでもかかずり合っていなければならないのか。大戸がパンチを叩き込むたびに、バッグは吹き飛ばされそうになる。ロープで縛っていなければ、本当にどこかへ消えてしまいそうだった。このパンチが一発でも当たれば、内藤は一瞬にしてキャンバスに沈むことになるだろう……。
帰りは高崎駅まで森田が車で送ってくれた。
助手席に坐り、高崎の寂しい夜の繁華街に眼をやりながら、私は運転している森田に訊ねた。
「どうしてなんでしょう」
「…………?」
「あんな彼が、どうして負けてしまうんでしょう」
すると、森田が沈んだ口調で呟いた。
「眼がね、ちょっと……よくないんです」
「…………」
駅に着き、礼を言って降りようとすると、森田も共に降り、小走りに出札口に向かった。私の東京までの切符を買おうとしたのだ。私は慌てて押しとどめ、買ってもらういわれなどないからと断ったが、森田はなかなか承知しようとしなかった。どうにか許してもらい自分で金を払うと、森田は土産物屋に走り、名物らしい菓子の包みを買って戻ってきた。断ったが、押しつけて引こうとしない。今度は私が折れた。この借りは、試合当日に激励賞を贈ることで返せばいい、と思いついたからだ。
しかし、改札口で、よろしくお願いします、と森田に頭を下げられた時、私は胸に小さな痛みを覚えた。そして、この菓子包みの借りは、とうてい激励賞などで返すことはできないのかもしれない、と思った。
内藤の体調は依然として思わしくなかった。
私やエディが期待したように、トレーニングが軽くなるにつれて一日一日と薄紙をはがすように疲労がとれていく、というわけにはいかなかった。体重は少しずつ増えているようだったが、皮膚にかつてあった澄んだ艶《つや》が戻ってこない。泥土の沼のように重く沈んで濁っている。唯一の慰めは、少なくとも前よりは悪くなっていない、ということだった。しかし、コンディションのピークを試合の日に持っていくということは、とうてい不可能なように思えた。いまは疲労のためにいくらか動きは鈍くなっているが、試合ではその直前の完全な休息によって一気に回復し、これまでの激しい練習で蓄積された力が爆発するだろう……。そう期待するより仕方がないのかもしれない、と思ったりもした。
試合まであと五日に迫った。
夕方、金子ジムへ行くと、すでに内藤の練習は始まっていた。リング上で長身の練習生とマスボクシングをしていた。相手の動きに合わせて自分も動くが、スパーリングのように本格的に殴り合うことはしない。パンチを出しても、相手の体の数センチ手前で止める。要するに、マスボクシングとは、単なる眼ならし程度の軽いトレーニングなのだ。
そのラウンドが終り、一分間のインターバルに入ると、内藤はロープに体をもたせかけ、私の方に顔を向けて言った。
「やっぱり、負けた」
「…………?」
「吉村」
私は、アジア大会の選手選考会が今日だったことを、ようやく思い出した。内藤は以前から吉村の応援に行くつもりだと言っていた。午後、会場の後楽園ホールに寄り、それからジムに来たのだろう。
「どんなだった?」
私が訊ねると、内藤は大《おお》袈裟《げさ》に顔をしかめてみせた。
「固くなっちゃってね。練習の時の半分も力が出ないんだ。半分どころか五分の一も出なかったな。上体が突っ立ったままで、前傾姿勢もとれなくてさ、後にそってるくらいなんだ。結局いいところがなくて、判定で負けたよ」
これで、内藤のスパーリングの相手は、全員が試合で敗れたことになる。竜も堀畑も長岡も、そして吉村も。利朗が言うように、相手の運を吸い取っていると考えればいいのだろうが、やはりあまり気持のよいことではなかった。
「試合で力を出せないなら、負けても仕方がないさ」
私は、吉村が負けたことに特別な意味などない、それは単に吉村の力の問題にすぎないのだという意味をこめて、ことさら冷たく言った。すると、内藤は道化たような仕草で宙に空パンチを放ち、笑いながら言った。
「まあ、俺も本番で力を出せないタイプだから、人のことは言えないけどね」
ゴングが鳴って、再びマスボクシングを始めた内藤の動きを眼で追いながら、私の思いは複雑だった。ボクシングの世界には、ジム・ファイターという言葉がある。ジムでは素晴らしいボクシングをするのに、試合になるとまるでその力を発揮できないボクサーを、ジム・ファイターと呼ぶ。冗談めかしてはいたが、内藤は自分をそのジム・ファイターと認めるような台詞《せりふ》を吐いたのだ。私は、それが、以前の彼に独特の、いざという時のための言い訳でなければいいが、と思った。
マスボクシングが終ると、内藤は私の坐っているソファの前に立ち、汗を拭いた。
「調子はいかがでありましょうや」
私は軽い調子で訊ねた。
「まあね」
内藤は空いているソファにタオルを放り投げながら言った。
「まだ疲れているようだけど……今朝も走ったのかい?」
「もちろん」
「いつまで走るつもりなんだい」
「明後日まで」
「疲れないかな」
「それは平気なんだけど……」
けど、という言葉が気になった。私は眼でその先をうながした。
「朝……四時頃、眼が醒《さ》めたら、もうどうしても眠れなくなっちゃってね」
「今朝?」
「そうなんだ。眼が冴《さ》えちゃってね」
「疲れているはずなのに……眠れないとはな……」
「だから、寝ていても仕方ないんで、起きたんだ。起きて走ったんだ。いつもは六時なんだけど、四時に走った」
「…………」
「えいっと思って起きてさ、真っ暗の中を走ったんだ」
私には、内藤が夜中に眼を醒まし眠れなくなったという理由が、わかるような気がした。内藤は試合が近づくにつれて少しずつ恐怖に浸されるようになっていた。何が恐ろしいという明確な理由はないが、四年半ぶりにリングに上がるということの漠然とした恐怖が、意識されないままに内藤の心の奥深いところで生まれ、膨らみ、蠢《うご》めきはじめたのだ。
練習が終ったあとで、私は内藤を食事に誘った。話しながら食事でもすれば、いくらかでもその恐怖がほぐれるかもしれないと思った。
写真を撮りにきていた利朗も一緒に誘い、彼の古いチェリーに乗って六本木まで出た。私たちは交差点の近くの小さなホテルに入り、その最上階のレストランで食事をすることにした。
客は少なく静かだった。
食事の注文が終ると、ウエーターにメニューを返しながら内藤が呟いた。
「この一食分の金で、インドネシアの連中なら、半月は暮せるだろうな……」
そのひとことで、急にインドネシアでの日々がなつかしくなったのかもしれない。内藤はオレンジジュースを呑みながら熱心にインドネシアについて語った。
……インドネシアは貧しい国だった。でも、素敵な国だった。いつか、裕見子を連れて、もう一度行ってみたい。街にはそこいら中に乞食がいる。歩いても歩いても手を出してくる人が絶えない。それを見ると、どうしてもお金をあげないわけにはいかなかった。しかし、それではキリがない。やがて、動けない人と子供に限ってあげる、というルールを作るようになった。子供といっても、それはすぐに親に取り上げられてしまうのだから同じことだったが、子供に手を出されて断わるのはつらかった。インドネシアに行って、人間というのはどうして生きているんだろう、なんて考えるようになった。あそこの人たちは、みんな働きもせず、ぶらぶらしながら、ぼんやりと一日を過ごしている。それでいて、どうにか喰っていくことだけはできるらしい。人間はどうして食べるんだろう、食べなければいけないんだろう、なんて思ったりした。あの国でしばらく暮らして、自分の中の何かが変わったと思う。それが何なのかはわからないが、変わったということだけはよくわかる……。
私は窓の外の美しい夜景に眼をやりながら、確かにそういうことはありうるだろうと思っていた。ユーラシアの外縁の国々を転々としていた一年ほどのあいだに、私も間違いなく内部の何かが変わった。そして、同じように、それが何なのかはわからないのだ。
内藤は、ゆっくりとだが、綺麗に料理をたいらげた。ウエーターが最後の皿を片づけおえた時、私はふと思い出して内藤に訊ねてみた。
「ところで、今度のファイトマネー、いくら?」
「十万」
「十万?」
私は聞き違えたのではないかと思った。
「ほんとに十万?」
「ほんとさ」
「どうして……」
大戸ですら十五万というのに、と喉《のど》まで出かかったが、必死に抑えた。
「俺が切符を売らないからじゃないかな」
内藤は腹立たしそうに言った。
「……このあいだ、船橋の会長に家まで呼びつけられて、言われたんだよね。切符、何枚持っていく、って」
「くれるというわけ?」
「とんでもない。売ってこいというわけさ、ファイトマネーのかわりにね」
「…………」
「冗談じゃないと思ったのさ。切符売るのは興行師の役目じゃないか。俺、船橋ジムに入る時、切符は売らなくてもいいという約束をしたんだ。それなのに……。切符なんか持っていかないと言ったら、ファイトマネー、十万だって」
この二月から仕事もやめ、半年以上もボクシング一筋に頑張りつづけてきた揚句が、十万でしかないという。私は暗い気持になった。しかし、もちろん内藤の方がはるかに暗澹《あんたん》たる気分だったに違いない。
「……俺、よからぬ考えだけど、今度の試合にわざと負けてやろうか、なんて思ったりもしたよ。そうすれば、船橋ジムも俺を見放してくれて、どこかよそのジムに移れるかもしれないじゃない。あそこのジムにいたら、俺、浮かばれないと思うんだ」
「でも、やっぱり勝たなければ駄目だよ。勝ってからだよ、すべて。勝てばきっと道は開けてくるよ」
あまり説得力があるとは思えなかったが、そうとでも言うよりしようがなかった。
「うん……やっぱり負けたくないしね。意地でも負けたくないしね」
「それにしても、よりによって、君も妙なジムに入ったもんだよなあ」
私は溜息まじりに言った。
しばらくして、私たちはホテルを出た。車はそこから少し離れた駐車場にとめてあった。
中華料理屋の角を曲がり、ネオンの届かない暗い小道に入った時、内藤が呟くように言った。
「ガウン、どうしたらいいだろう」
「ガウン?」
私は訊き返した。
「試合の時に着るガウン。……俺、迷ってるんだよね」
「何を迷ってるんだい?」
「今度のコーナーは赤コーナーだから、トランクスも赤系統にしようと思うんだ。それはサーモンピンクのがあるからいいの。でも、ガウンがね。そのトランクスに合うのがなくて、困ってるんだ」
私が口を開きかけると、内藤はそれを遮《さえぎ》るようにして付け加えた。
「……いや、あることはあるんだ。あるにはあるんだけど、それを着てリングに上がるのは、どうしても気がすすまないんだ」
「古いから?」
「そうじゃなくて、派手なんだ。ほら、あの美智子さんの衣裳《いしょう》を作るような人に刺繍《ししゅう》してもらった、二百万くらいするギンギラのやつなんだ」
「そうか……」
内藤のためらいはよく理解できた。この再起第一戦に、昔の、しかも豪華なガウンで出るのはどうか、という迷いは正当なもののように思えた。それが派手であればあるほどうらぶれた印象を与えるに違いなかった。
「やめたら」
私は断定的な口調で言った。
「……そんなのを着て出ることはないよ」
「そう思う? 俺も、なんか厭なんだ」
「しかし、だからといって、裸で出ていくわけにいかないからなあ……」
少なくとも、内藤はデビューしたての四回戦ボーイではないのだ。私たちはしばらく黙って歩いた。
「……ヨットパーカーのようなのは、どうだろう」
内藤が言った。
「そいつはいい!」
私は弾んだ声を上げた。アメリカの黒人ボクサーが、ヨットパーカーのようなフードのついたガウンを着ている写真を、何枚か見たことがあった。どれもその体型にぴたりと合い、精悍《せいかん》な雰囲気をかもし出していた。
「君なら、きっと似合うよ」
「そうかなあ……」
内藤は自信なさそうに呟いた。
「その方がスマートだし、再起第一戦にふさわしいぜ」
「そうかもしれないね。……うん、そうだよね」
内藤は自分を納得させるようにひとりで頷《うなず》いた。
「……昔、オースチンていう人がいたんだよね。飛行機事故で死んでしまったけど、あの人がそうだった。ヨットパーカーに白い靴をはいてね。その人の写真を見てから、俺もボクシングシューズは白にするようになったんだ。今度はヨットパーカーか……」
私と内藤が駐車場の脇で待っていると、利朗が車を出してきた。利朗は横浜まで内藤を送っていってくれるという。疲れているだろうからとか、大した距離ではないからというような余計なことは何も言わず、ただ「送っていくよ」とひとこと言っただけだったが、彼の心づかいはよくわかった。私も、ふたりとそこで別れてもどこかで酒を呑むくらいしかすることがなかったので、横浜まで一緒に行くことにした。
車を走らせると、利朗はすぐにラジオをつけ、チューナーをFENに合わせた。軽快なアメリカン・イングリッシュの語りと共に、アース・ウィンド&ファイヤーの曲が流れてきた。私たちは黙ってそれに耳を傾けた。
見るともなく、通り過ぎる街のネオンに眼をやっていると、ロスアンゼルス、ニューヨーク、ニューオリンズ、ラスベガスといった街の夜の情景が、意味もなく、脈絡もなく、浮かんだり消えたりした。
「アメリカ……どうだった?」
不意に内藤がそう訊ねてきた。私はびっくりした。自分の心が透視されたような気がしたからだ。しかし、それは、ラジオの語りと歌が、偶然ふたりに同じものを思い起こさせた、というだけのことであったかもしれない。
「面白かった?」
内藤がまた言った。
「やっぱり、ニューヨークが面白そうだった」
「どんなふうに?」
「この街なら暮らしてみてもいいな、と思ったよ。そんなことを感じた街は他に香港しかないんだけどね、俺には」
「そう……」
内藤はそこでいったん口をつぐみ、しばらくして溜息をつきながら言った。
「……俺もアメリカで暮らしたいんだよね」
「どこで? ロスアンゼルスかい?」
私は訊ねた。
「そうじゃなくて、どこかの田舎で」
「そこで何をやるんだい?」
「農場とか……そういう……百姓のようなやつ」
思いがけない答が返ってきた。どうして百姓なんだい、と私はさらに訊ねた。
「どうしてか……うん、そうだね、たとえばさ、子供の頃、遠足なんかに行くじゃない。みんなはカメラで綺麗な山とか湖とかを撮ったりするんだけど、俺は違ってたんだよね。通りすがりの汚ないワラブキ屋根の家とか、壊れかかった納屋のある家とか、そういうのばかり写してたんだ」
「…………?」
「つまり、そういう家に住んで、力仕事とか畑仕事をやってみたかったんだよね、大きくなったら」
「農業は水商売とは違うぜ」
私は混ぜっ返したが、内藤は意外なほど真剣だった。
「もちろんだよ。でも、ああいうところに住んで、土着してみたかったんだ」
土着という、ふだん内藤がほとんど使うことのないだろうその言葉には、彼のどうにかして根をもちたいという願望がこもっているようだった。幼い頃から、彼はどこかで根のない自分を感じつづけていたのだろう。
「アメリカで農業か……。悪くないけど、実際やるとなったら、市民権だとか何だとかで大変そうだな」
私が言うと、内藤は頷いた。
「そうだろうね。でも……俺、十八歳の時、アメリカ国籍を取ることはできたんだ」
「ほんとかい?」
「うん。弟はママのおなかにいる時に親父が死んじゃったから駄目だったけど、俺は認知されていたんで、十八歳の時、国籍を選ぶことができたんだ。日本でもアメリカでも、どっちでもね」
「それで……」
「日本の国籍を選んだ」
「なるほど、君の意志で選んだわけだ。しかし、それはなぜなんだろう」
「ママや弟と離ればなれになるような気がしたんだよね、俺だけアメリカ国籍になるということはさ。それに、日本にいれば言葉やなんかでも、やっぱり不自由しないしね。小さい頃は、見た目がみんなと違うから、それはいろんなことがあったけど、十八歳にもなれば、そんなのはもう通り抜けた風みたいなもんでね、大したことはないし……それで日本の国籍にしたんだ」
しかし、それから十年以上が過ぎた。後悔はしていないのだろうか。私がそう訊ねると、内藤は少し考えてから答えた。
「どうかな……今だったら、アメリカで暮らしたいという気持の方が強いけどね。俺、日本の厭なとこを見すぎたような気がするんだ」
根を欲しながら、ついにそれを日本で見つけることができなかったのかもしれない。しかし、だからといって、アメリカへ行って農業をしさえすれば根づくことができる、と限ったわけのものでもないだろう。内藤にそう言おうとして、私は彼の父親が農家の出であるらしいと彼自身が語っていたことを思い出した。そうなのか、と私は口の中で呟いた。
利朗はひとことも口を差しはさまず、黙ってハンドルを握っていた。上《かみ》野毛《のげ》で第三京浜に入り、車の流れにうまく乗ると、利朗は煙草に火をつけ、最初の一服をゆっくりと吸い込みながら窓を開けた。夜の空気が勢いよく流れ込んできた。私は、その夜気をシャワーのように気持よく浴びながら、内藤に言った。
「君のお父さんの名は、ロバート・ウィリアムズというんだったね」
「うん……」
「そうすると、君は純一・ウィリアムズということになるのかな?」
「いや、そうじゃないんだ。俺の名前、正式には、ロバート・H・ウィリアムズ・ジュニア、となっているんだ」
「ロバート・H・ウィリアムズ・ジュニアか……」
私は、急に内藤が見知らぬ人間になってしまったような錯覚をおぼえながら、その名を復誦《ふくしょう》した。
「だから、リングネームをつける時、ロバートかウィリアムズのどっちかを使いたかったんだ。カシアスじゃなくてね」
内藤が残念そうに言った。その事情は私もよく知っていた。しかし、いつまでも昔のことにこだわり、嘆いていても仕方がない。私がいくらか突き放した言い方をすると、内藤は不満そうな口調で言った。
「それはそうだけど……でもね、アリだって俺に言ったんだ……」
「えっ? 待ってくれよ。アリって、あのアリのことかい?」
「そうだよ」
内藤はこともなげに言った。私は思わず大きな声を上げた。
「アリに会ったことがあるのかい!」
「あれっ、話したことなかったっけ」
「知らないよ」
「アリがね、日本に来た時、会ったんだ。泊まっていたホテルでも会ったし、ジムで一緒に練習もさせてもらったし……」
話からすると、どうやらそれは、アリがマック・フォスターと試合をするために来日した一九七二年のことのようだった。
「それで、その時アリは君になんて言ったの?」
私は自分がその腰を折ってしまった話の先をうながした。
「うん。その時アリが言ったんだよね。お前、カシアスという名前を捨てろって」
「捨てろって?」
「そう、捨てなければ駄目だって。その名前を使っていたら、いつまでたっても強くなれないぞ、って」
「…………!」
「最近になって、そのことをよく思い出すんだ。あの人の言ったことは嘘じゃなかったなあって」
その人から取った名を、その人が捨てろと忠告したという。捨てなければ決して強くなれないとも言ったという。確かに、内藤のその後にとって、それは極めて暗示的な言葉だったといえる。
「……だから、今度、もう一度やり直そうとした時、名前を変えようと思ったんだ。カシアス内藤じゃなくて……」
「内藤純一に?」
「うん。そうじゃなければ、ロバート・H・ウィリアムズ・ジュニアでもいいしね」
「…………」
「エディさんもそう思ったらしいんだ。変えた方がいいって。でも、興行の都合で、やっぱりカシアス内藤じゃないと客が入らないというんで、最初の試合だけは仕方ないということになったんだ。次から変えればいいからって」
「そうか……」
内藤の意見もエディの考えも確かに間違ってはいないと思う。しかし、と私は言った。カシアス内藤という名を変える必要はないのではないだろうか。すると、内藤は怪《け》訝《げん》そうな表情を浮かべた。名前を変えることに反対されるとは思ってもいなかったようだった。私はさらに続けた。いまやアリはカシアスという名を完全に捨ててしまったのだ。そうだとすれば、カシアスという名はもう君自身のものではないか。以前だったら、私もカシアス以外の名の方がよいと言ったかもしれない。しかし、いまはもう、カシアスは君であり、君はカシアス内藤以外ではないのだ……。
「カシアス内藤という名を、きちんとした名にするというのも、ひとつの生き方だと思うんだ」
そう言ってしまってから、私は妙に立派そうなことを喋《しゃべ》っている自分に気がつき、恥ずかしくなった。慌てて付け加えた。
「カシアス内藤って、決して悪い名前じゃない。響きもいいし、姿も悪くない。それを世間に広く知らせればいいのさ」
「……そうだね」
内藤が呟いた。
「そうさ」
私は力をこめて言った。
「そう……俺の心の中でも……捨てがたいということもあるんだよね……底の方ではね」
内藤が静かな口調で言った。
道路が空いていたこともあり、六本木から横浜の山手まで一時間もかからなかった。鷺山に着き、利朗がアパートの前で車を止めると、内藤が部屋に寄らないかと勧めた。
「コーヒーでもいれるから、上がっていってくれない?」
私と利朗は顔を見合わせ、内藤に疲れていないか訊ねた。内藤は、ぜんぜんと笑い飛ばし、ぜひにと誘った。二階の内藤の部屋は真っ暗だった。裕見子はまだ仕事から帰っていないらしい。私と利朗はコーヒーを呑ませてもらうことにした。
大きな鳥籠の置いてある玄関から台所を通って部屋に入ると、狭い二間を一部屋に打ち抜いた快適そうな空間が広がっていた。五年前とはかなり様子が違っていた。畳の上に絨《じゅう》毯《たん》が敷きつめられ、右奥に大きなベッドが据えられている。左には坐り心地のよさそうな木製のアームチェアーがふたつあり、その前にテレビとステレオが置かれている。そして、その周囲の棚にはレコードがぎっしり詰まっている。内藤が台所でコーヒーをいれている間に、どんなレコードを集めているのかアルバムの背のタイトルを読んでみると、そこには一貫した流れがあるようだった。六十年代のリズム・アンド・ブルースから最近のディスコサウンド風の音楽まで、そのほとんどが黒人のレコードであり、しかも極めてソウルフルなヴォーカルに限られていた。
窓際の壁に三つの額縁が並んで掛けられている。すべてに写真が入れてある。右の端には内藤の七五三の時の記念らしい写真、中央が軍服姿の父親の全身像、左の端が父親と内藤の写真だ。父親は、丸味を帯びた顔に、農家の出らしい素朴な表情を浮かべていた。
反対側の壁には、内藤が日本チャンピオンを奪取した直後の、大きなパネル写真が貼《は》ってあった。内藤は、チャンピオン・ベルトを腰に巻き、半身になってファイティング・ポーズをとっている。しかし、それは一昔も前の写真だ。体はふっくらとしており、線は柔らかい。子供っぽさを残した表情と共に、それは歳月というものを感じさせる写真だった。
本棚にはあまり本はなかった。だが、その最上段に、内藤が言っていた通り、バイブルの横に私の本が並べてあった。私は、見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌てて眼をそらせた。
内藤がコーヒーをいれて部屋に戻ってきた。いれたてのコーヒーの、香ばしい匂いが部屋中に広がった。私の前に腰を下ろした内藤は、コーヒーを一口呑むと、そうだと呟いて立ち上がった。
「トランクス、見てくれないかなあ……」
そう言いながら、ベッドの傍に置いてあった黒いバッグを持ってきた。開けると、そこには試合に必要な用具がきちんとしまってあった。
「もう、用意してあるのかい」
私は驚いて言った。
「うん、心配だからね」
内藤は、遠足を前にした子供のように、期待と不安がないまぜになった表情で言った。そして、その中からトランクスを取り出し、広げて見せた。それは、サーモンピンクの地に、エンジのラインが脇に縫い込まれている、見事なトランクスだった。これを褐色の肌の内藤が身につければ、ライトに美しく映えるに違いない。
「素晴らしいじゃないか」
私が言うと、それまで黙ってコーヒーを呑んでいた利朗が口を開いた。
「いいね、とても」
内藤はそれを腰に当てながら嬉しそうに言った。
「そうかな……うん、そうだね。……これ、ママに染めてもらったんだよね。ほんとは、白だったんだ」
前にはCNという文字が縫い取られてあった。
「それもお母さん?」
私が訊くと、内藤は頷いた。
「だから、このトランクス、タイトルマッチの時にしか、はかなかったんだ……」
やがて私たちの話はトランクスからガウンについてと移っていった。どのようなヨットパーカーがいいだろう。もし、トランクスに合う色がなかったらどうしたらいいだろう。私たちは夢中で話した。一息つくと、話が少しとぎれた。
「テレビでもつけないか」
私が提案した。雑音があった方が話しやすかった。しかし、内藤がスイッチを入れ、画像が次第に鮮明になった時、私はそんなことを言い出さなければよかったと後悔した。
そのチャンネルでは日本製のサスペンス映画を放映していた。私たちは、途中からの、たったワンシーンを見ただけで、それが何という映画かわかった。その映画が、西条八十《やそ》の詩の一節をコピーに使った大宣伝によって、日本中を席巻したのはつい最近のことだったからだ。そして、その映画の主人公のひとりは、内藤と同じ黒人との混血青年が演じていた。
私は困惑を隠しながら画面を見つめていた。内藤とは別に何の関《かか》わりもないが、混血ということを素材のための素材として使っているような映画を見せてしまうのは、彼に悪いような気がしたのだ。しかも、原作を読んだかぎりでは、母親が息子であるその混血青年の存在を知られたくないために殺してしまう、という無惨で強引な事件がストーリーの軸になっているはずだった。
「もう、テレビでやっちゃうんだね」
内藤は、しかし気にした様子もなく、普通の声で言った。
「そう、ずいぶん早いな……」
私はうわの空で返事した。画面は、若い刑事と犯人である母親の対決、というクライマックスを迎えつつあった。
「……消そうか。途中からで、よくわからないから」
私が言うと、内藤は頷いてスイッチを切った。部屋の中が急に静かになった。それぞれがそれぞれのコーヒー・カップに手を伸ばし、口元に運んだ。私も一口呑んだが、すでに香りは逃げ、冷たくなっていた。
カップを厚く大きな手で持ったまま、内藤が呟くように言った。
「俺の親父……朝鮮戦争へ行って……前線で死んだでしょ」
それは私も知っていた。内藤の口から一、二度聞いたことがあった。
「……でも、本当は鉄砲持って、ドンパチやって、それで撃たれたわけじゃないんだ」
「どういうこと?」
私には彼の言わんとしていることがわからなかった。
「親父は、何ていうのかな、そう、補給部隊みたいなところにいたらしいんだ」
内藤はさらに言葉を継いだ。
「俺が生まれて、それでママと結婚して、親父はこっちで暮らすつもりだったらしいんだ。そうこうしているうちに、今度は弟がおなかにできたんで、親父、できるだけ早く除隊しようと思ったんだね。本当は朝鮮なんかに行かなくてよかったんだけど、一度前線に出れば、それだけ早く除隊できるというんで、ママや俺たち子供のために朝鮮へ行ったんだ。それで、流れ弾に当たって……死んじゃった」
「…………」
私はどう応じていいかわからず、ただ黙っていた。
「ママは結局再婚したけど、やっぱり、俺にとって、血のつながった親父はひとりだけだからね」
私たちは、期せずして同時に、壁に掛かっているロバート・H・ウィリアムズ軍曹の写真を見上げた。
「昔は、俺、よく思ってたんだ。俺は日本人なんだって。外見は違うけど、日本人なんだ黒人じゃないって……」
内藤はそう言うと、
「レコードでもかけようか?」
と私と利朗の顔を見た。聞きたいな、と利朗が言った。古いものをという私の希望を入れて、内藤はいかにも六十年代風のレコードに針を落とした。
「それで……今はどうなんだい?」
私は訊ねた。昔は必死で自分は日本人なのだと言いきかせていたという。それなら今はどうなのか。
「そう……今は……」
内藤は少し考えるように言葉を切り、そして言った。
「今は、逆なんだよね。俺は、黒人なんだって思ってる。……だって、そうじゃなけりゃ、困るんだよ」
「なぜ?」
「俺にこの体があるのは、黒人の血が半分はいっているからだと思うんだ。確かにそれなりにトレーニングはしたけれど、三十近くになってこれだけの体に作れたのは、やっぱり俺が黒人だったからなんだ。もし俺が普通の日本人だったら、こうまで戻らなかったと思う。アメリカでは四十すぎた黒人のボクサーなんかゴロゴロしてる。俺はね、自分が黒人であればあるほど、これから先やっていけるという自信が湧いてくるように思えるんだ。……黒人なんだよ、俺は」
私は内藤の言葉に深く心を動かされていた。内藤はついに自分自身を探し当てることができたのかもしれない。それによって、長く彼を苦しめたであろう血の問題が、負から正へと一気に逆転しはじめたのだ。かつては重荷以外のなにものでもなかった血が、いまや彼を支えるものに変化した。黒人であるからこそ、自分は復活することができるのだ……。
内藤に別れを告げ、アパートを出た時、私は軽い疲労を覚えた。それは利朗も同じであったらしい。東京へ引き返す車の中で、私たちは言葉もなく、ただ黙って前方を見つめていた。
利朗は続けざまに煙草を喫い、私は左右に流れ去っていく青白い街灯を眺めていた。そして、ぼんやり考えていた。果して、内藤は大戸に勝てるだろうか。あの、サンドバッグをも破壊しかねない大戸のパンチを、内藤は一発も喰らわずに試合を終えることができるだろうか。考えれば考えるほど、そのようなことは不可能だと思えてくる。しかし、かりにパンチを喰らい、かりに敗れることがあったとしても、内藤はもう大丈夫であるに違いなかった。彼は、確実に、手の中に何かを掴《つか》んでいた。
その時、私の脳《のう》裡《り》にひとつの情景が甦《よみがえ》った。それは、三年前の、やはりこの夜のように六本木で食事したあとでのことだった。私は輪島功一の運転する車で渋谷まで送ってもらっていた。その車の中で、私と輪島は工藤戦を最後にボクシング界から姿を消してしまった内藤について話していた。そして、その最後に輪島はこう言ったのだ。
「結局、内藤君は信じられなかったんだね……」
「何が、です?」
私が訊き返すと、輪島は静かな口調で答えた。
「ボクシングさ。彼は、ボクシングを信じ切れなかった」
あるいはそうなのかもしれない、とその時の私は思ったものだった。しかし、内藤の現在の姿を見たら、あるいは今の言葉を聞いたら、輪島はいったい何と言うだろう……。
私が自分の思いの中に入り込んでいると、突然、利朗が口を開いた。
「どうして、そんなにこだわるの?」
「…………?」
私は利朗の顔を見た。利朗は前を向いたまま言った。
「カシアス内藤にさ」
不意を打たれて答につまった。いや、不意でなくとも、即座に答えることなどできなかったろう。恐ろしく厄介な問いだった。
しばらく考え、言葉を見つけようと焦ったが、無駄だった。私はいくらか投げやりに返事をした。
「……いきがかりさ」
それで納得したのかどうかはわからなかったが、利朗はまた口を閉じて運転に専念した。いや、きっと納得などしていなかったろう。なぜなら、私自身すら納得していなかったからだ。
第六章 始まりの夜
最後のトレーニングの日になった。その日ジムで軽く体を動かすと、翌日は完全に休養をとり、二日後の試合にそなえることになっていた。トレーニングは午後一時から始められる。早目にトレーニングを終え、それだけ休養の時間を増やそう、という心づもりのようだった。
その日は東京オリンピックの開催を記念した祝日に当たっていた。多くの学校や会社で運動会が予定されていたようだったが、あいにく朝から雨が降った。
ジムに行くと、中からは、いつもと違って子供や女性の声が聞こえてくる。戸を開けて、なるほど休日のジムとはこんなものなのか、とほほえましくなった。金子はリングの縁に坐ってメディシンボールを修繕し、その周りでは、金子の夫人や子供たちが近所の住人らしい何組かの母子と遊んでいた。やはり運動会が中止になり、そのかわりというわけでもないのだろうが、卓球をしたり追いかけっこをしたりしていた。
一時になると、金子の子供たちは自発的に卓球台を片付けはじめた。彼らは、よくしつけられた、利発そうな子供たちだった。しかし、エディも利朗もすでに来ているというのに、肝心の内藤がなかなかやって来ない。一時半頃、ようやく姿を現わしたが、やけにぐったりしている。
「どうした?」
私が訊《たず》ねると、内藤はうんざりしたというような表情を浮かべて言った。
「まったく、電車がひどい混み方でね。休みだっていうのに、なんだってあんなに人がいるんだろう。もみくちゃになっちゃって、ほんと参ったよ」
「疲れた?」
「疲れたね、まったく」
「しっかりしてくれよ、試合は明後日なんだぜ」
私は笑いながら言った。しかし、内藤にはそれを冗談で切り返す余裕はないらしく、浮かない調子で言った。
「なんだか……昨日から今日にかけてが……一番つらいみたいなんだ」
「いま、何キロある?」
「七十四くらいかな」
「結構、増えたな」
「練習が軽くなったら、やっぱり増えてきたんだ。でも、少し増えすぎたかもしれないな」
二週間前にはげっそりとそげているようだった頬が、いまはいくらかむくんでいるように見える。だが、私は努めて陽気に内藤に言った。
「それでも、ヘビー級にはまだまだじゃないか、七十四キロなら」
「いや、体重に制限はなくても、あまり重くなると、今度は自分がつらくなるんだ。動くのが苦しくなってね」
内藤はそう言うと、地下の更衣室ヘ、一段一段、大儀そうに階段を降りていった。
しばらくして、紺の上下のトレーニング・ウェアーに着替え、小さく息をつきながら昇ってきた内藤に、私は訊ねた。
「試合の時は何キロくらいでやるつもりなんだい?」
「そう……七十四キロを少し切るくらいかな」
「それなら、このままいけばいいわけだ」
「でもね、明日とあさっては何もトレーニングをしないで食べるだけでしょ。だから、今日、かなり落としておかなければならないんだ」
「どのくらいまで?」
「七十二、まで。そうすると、明日で七十三キロちょっと、明後日には七十四を少し切るくらいになると思うんだ」
そろそろ始めなさい、とエディが声をかけた。
内藤はリングに上がった。いつもと同じように、シャドー・ボクシングから練習は始められた。
シャドー・ボクシングを四ラウンド、サンドバッグを三ラウンド、パンチングボールを二ラウンド。どれも力を入れず軽く流すという程度のトレーニングだったが、さすがにロープ・スキッピングに移った時には、青いパンツと薄いTシャツになった内藤の体から、汗が激しく床にしたたり落ちた。
タオルで汗を拭い、体を冷やさないように再びトレーニング・ウェアーを着込み、窓際に置いてあるマットの上で、柔軟体操を始めた。内藤の体は少年のように柔らかかった。足を一直線に横に広げ、腰を落とし、そのままマットに胸をつける、などということをいとも簡単にしてみせる。それもまた彼が授かった天性の素質のひとつだった。丹念に、ゆっくりと、体をほぐす運動を繰り返し、ようやくすべてが終った。
近づいて話しかけようと思った私は、マットの上の内藤の姿を見て、歩みを止めた。内藤は、マットの上にあぐらを組み、じっと動かなくなったのだ。タオルを頭からすっぽり被《かぶ》り、うつむいたまま微動だにしない。手を前に組み、頭を垂れている。それは、あたかも、何者かに向かって祈りを捧《ささ》げているかのような、不思議な真《しん》摯《し》さに満ちた姿だった。雲の切れ間から顔をのぞかせた日の光が、窓から薄く射し込んできた。私たちは、内藤の周囲に立ちこめている一種異様な厳粛さに圧倒され、誰ひとり言葉を発する者もなく、ただその姿を見守っていた。
どのくらいそうしていただろう。内藤は不意に顔を上げ、立ち上がると、さっぱりした明かるい顔で誰にともなく言った。
「これで終った」
エディの横でその姿を見守っていた金子が、やさしい口調で話しかけた。
「よくここまで頑張ってきた。ようやく明後日、というところまできたんだからなあ。勝てると信じてるけど、全力を出して……期待してるよ」
「いろいろお世話になりました」
内藤は深く頭を下げた。
「ほんとよ、会長。いろいろ、ありがとうございましたね」
エディがたどたどしく言った。
ブリーフ一枚になった内藤はジムの隅に行き、秤《はかり》にのった。
「いくらある?」
おもりをのせ、目盛を読んでいる内藤に、私は訊ねた。
「七十二キロと……百グラム」
「ぴったりじゃないか」
私が弾んだ声で言うと、内藤も振り向いて嬉しそうに言った。
「そう、予定内だね」
私たち四人は金子に挨拶をしてジムを出た。エディは利朗に冗談を言いながら前を歩いていた。私はバスケットシューズの紐《ひも》を結び直している内藤を待ち、彼が肩を並べてきた時に言った。
「あっという間だったな」
「ほんとだね、もう試合だ」
「勝つことはもちろんだけど……やっぱり、いい試合をしてくれることを望んでるよ、俺は」
私が言うと、
「うん……でもね……」
と内藤は口ごもった。
「でも?」
「うん、でもね、下手な勝ち方をしたら、次の相手が見つからないって、みんなは言うんだよね」
「馬鹿な!」
私は鋭い声を出してしまった。確かにそういった懸念はないことはない。大戸に圧勝すれば他のボクサーは怖がって相手をしてくれなくなるかもしれない。しかし、だからといって手加減をすることなど許されない。それに、君にはそんな余裕はないはずだ。私はそう言い、内藤はわかっていると返事した。だが、充分に納得していないらしいのが気にかかった。
「……大戸だって、かなりのボクサーだぜ」
「あれっ? 知ってるの?」
内藤が声を上げた。私は高崎まで大戸を見に行ってきたことを話した。さりげない口調で内藤が訊ねてきた。
「どんなだった?」
「悪くなかった」
私はそれだけしか言わなかった。それ以上喋《しゃべ》ることは、大戸に対して公平ではなかったし、内藤にとってもよいことではないように思えた。悪くない、だから甘く見るな。私が言ったのはそれだけだった。内藤はそれまでと違った厳しい顔つきになって、何度も何度もひとりで頷《うなず》いた。
道の向こうから金子の夫人と子供たちが近づいてきた。駅前で昼食をとってきた帰りだという。試合では頑張って、と口ぐちに内藤を励ました。ありがとうございます。内藤は夫人にそう言い、子供たちに向かって優しく笑いかけた。
その朝、通勤客でふくれあがった電車を乗り継ぎ、私は水道橋に急いでいた。午前九時から、後楽園ホールで、試合前の計量が行なわれることになっていたのだ。
水道橋の改札口で時計を見ると、九時を一分ほど廻っていた。私は走って後楽園ホールに向かい、いつもの場所である六階の展示室に駆け込んだ。ところが、誰もいないのだ。一瞬、もう終ってしまったのかと思った。しかし、いくら早いといっても、二、三分で全員の計量が済んでしまうはずがない。あるいは日を間違えてしまったのかもしれないとも思ったが、手にしていたスポーツ新聞の日付を見ると、確かに十月十二日となっている。
がらんとした室内に、私はいささか途方に暮れて佇《たたず》んでいたが、しばらくして、自分が早合点をしていたらしいことに気がついた。いつもの場所、と私が勝手に思い込んでいたこの展示室は、世界選手権試合の時に限って使われているのではないか。取材の記者やカメラマンが多いためこの広い場所で計量をするが、それ以外の試合の時はもっと狭い場所を使うのではないか。そういえば、これまで私が後楽園ホールで立ち会うことのできた計量は、すべてが世界選手権試合のためのものだった。
私はホールのある五階に降り、さらにその裏手にある地下の選手控室に行ってみた。やはり計量はそこで行なわれることになっていた。
しかし、計量は始まってもいなかった。内藤は控室の隅の椅子にぼんやり坐っていた。珍らしく時間に正確ではないか。私が冷やかすと、弟の車に乗せてきてもらったので三十分も前に着いてしまった、と眠そうな声で答えた。
大戸はまだ来ていなかった。控室では、前座に出場する若いボクサーたちが、ひっそりと計量が始まるのを待っていた。だが、待っていたのは彼らばかりではなかった。テレビ・カメラをかついだり、照明器具を手にしたりしている男たちが、所在なさそうに部屋を出たり入ったりしている。彼らはNHKから内藤を取材に来ていたのだ。ディレクターは私と同年輩の若い女性だった。何でも、若者向けの番組の中で、内藤とのインタヴューを流したいのだという。
九時半頃、ようやく大戸が現われた。連れはなく、ひとりだった。
「森田さんは?」
私が話しかけると、それまで見知らぬ顔ばかりの控室の中でいくらか緊張していたらしい大戸は、ふっと表情を柔らげて答えた。
「やっぱり、仕事だもんで」
「試合の時にも来ないのかな?」
「いやあ、試合の時には来るはずだ」
そう言うと、別に私が訊ねたわけでもないのに、自分から遅れてしまった理由を喋りはじめた。
「急行に乗り遅れたんだ。六時に起きたんだけど……それでも間に合わなくて……仕方ないんで鈍行で来たんだ」
高崎から来なければならないのだから少しくらい遅れることがあっても仕方ない。私が慰めると、みんなに申し訳ねえと大戸は二度ほど呟《つぶや》いた。
計量は四回戦の選手から順に始められていたが、やがて内藤と大戸の番がまわってきた。ふたりは控室の向かいにある小さな計量室に入っていった。私もエディと共にあとに続いた。
まず、大戸が裸になった。水色のストライプの入ったパンツ一枚の姿で秤にのった。エディは顎《あご》の下に左手を当て、鋭い眼つきで大戸の体をねめまわした。上から下、下から上と、エディの視線は何度も上下した。
内藤は大戸の体の大きさにあらためて驚かされているようだった。近くに並んでいるふたりを比較すると、やはり内藤はひとまわりもふたまわりも小さく感じられた。
コミッション事務局の職員らしい立会人が、秤のオモリを調節し、大戸の目盛りを読んだ。
「九十キロ……だな」
次に、内藤がのろうとしてジャンパーに手をかけた。すると、大戸の体重の記入を終った立会人が、書類から眼を上げて言った。
「面倒だから、脱がなくていいぞ」
その言葉に、そこに居合わせた全員がびっくりした。内藤も怪《け》訝《げん》そうな眼つきで立会人を見た。しかし、立会人はその場の空気を察することなく、勝手にひとりで納得しながらまた言った。
「別に洋服を着ていても大して変わらないだろう。うん、いいからそのままのりな」
確かに、これからふたりが闘おうとしているのはヘビー級の試合だった。体重に上限はない。他の階級のように、一グラムに神経を尖《とが》らせる必要はない。立会人が言う通り、洋服を着ていようがいまいが、大した変わりはないかもしれない。しかし、問題は体重だけのことではなかった。
ボクシングは、かりに夜の七時に試合が開始されることになっていたとしても、闘いはすでに朝の計量の時から始まっているものなのだ。闘うふたりは計量の場で初めて裸で対面するが、その時、秤にのる相手の体や表情から互いの体調や精神状態を読み取り、その瞬間的なデータをもとにしてもう一度自分の作戦に検討を加えるのだ。
大戸にしても、そこで裸になった内藤の皮膚の艶《つや》や張りを見て、コンディションを判断したかっただろう。しかも、大戸はすでに脱いで計量しているのだ。公平ではなかった。大戸は少し表情を動かしたが、一言も発しなかった。内藤は納得できないというようにさかんに首をひねっていたが、しかし結局そのままの姿で秤の上にのった。目盛りは七十三・五キロのあたりで上下した。それを見ていた立会人は、こともなげに言い放った。
「ああ、こりゃ駄目だ。これじゃ試合はできないよ。七十九はないと許可できないね」
つまり、ライトヘビー級の上限である七十九・三八キロを超えなければ、ヘビー級として試合を成立させるわけにはいかないというのだ。
意外な展開に、計量室の中は静まり返った。ここまできて試合ができないとは何ということだろう。体重が多すぎて試合が流れるということはありうるが、少なすぎてできないなどということがあるのだろうか。いや、あるにしても、どうして体重に下限があるということを、プロモーターは徹底しておいてくれなかったのだろう。私の思いは内藤にも共通のものに違いなかった。内藤が口を尖がらせて、何か言いかけた時、立会人がまるで当り前のことのように言った。
「いいから、そこらにある椅子でも持って、もう一回、秤にのりなよ」
私たちは唖《あ》然《ぜん》として顔を見合わせた。要するに、書類づらさえ合えば、あとはどうでもいいということなのだ。
「椅子ですか……」
内藤が信じられないといった調子で訊ねると、立会人は面倒臭そうに言った。
「それじゃ、何でもいいよ、そこらにあるもんで」
扉の横に、NHKのスタッフが置いたらしい、撮影用のバッテリーがあった。内藤はそれを抱えて秤にのった。
「よし、八十一キロ」
立会人は大きな声で読み上げた。
私は笑った。笑うよりほかにその場の惨めな空気を動かすことはできないように思えた。これでは、あの侘《わび》しかった釜山での計量風景よりはるかに滑稽で悲惨ではないか、と嘆いてみても仕方なかった。これこそがカシアス内藤の再起第一戦なのだ。腹の底からそう理解するために、私はもう一度笑った。
計量が済み、協会の嘱託医による簡単な診察が終わると、NHKの女性ディレクターが内藤をホールに連れて上がった。無人のホールでインタヴューしたいのだという。
しばらくして、私はエディと一緒にホールヘ上がってみた。
暗いホールの中で、観客席の一カ所にライトが当てられ、カメラが向けられている。その光の中で、内藤は座席のひとつに深く腰をかけ、ディレクターはその横に坐ってマイクを握っていた。
「……昨夜は眠れた?」
「以前はよく眠れたんだけど、昨日の夜は眠れなかった」
ライトを浴び、マイクを向けられながら、内藤はあがったふうもなく、いつもと変わらぬ口調で受け答えしていた。かなり離れて立っている私たちのところにも、ふたりの声は届いてきた。
「試合をやるのは四年ぶり?」
「まあ、そうです」
「怖くない?」
「怖くは……ない。怖くはないけど、不安のようなものがないわけじゃない。でも、それは出さないようにしているからね」
「…………」
「こういうのって、不安との闘いしかないみたい」
「東洋タイトルを取ったのは七〇年でしたっけ?」
「七〇年か七一年……負けたのが七一年かな」
「それまでは連戦連勝」
「ええ」
「その頃のこと、よく覚えてます?」
「ええ。部分的にですけどね」
「その頃は、リングに上がるたびに勝てると思ってました?」
「それはね、俺は臆病者だったから、なかったと思うね。いくら勝っても、いくら慣れても、いつも足は震えてたし、それは今でも同じだろうね。やっぱり、怖いっていうのはある」
「…………」
「でも、それを出すか出さないかだと思うんだ、一生懸命、虚勢を張ってさ」
そこで内藤は口元をほころばせた。
「タイトルを奪われてから、主として韓国とか東南アジアで試合をしていたと聞いていますけど……」
「うん」
「どうでした?」
「勝ったことがないね」
内藤はそこでまた笑った。
「……その頃はね、それが少しも苦にならなかった。勝負は、もうどうでもよかったんだね」
ディレクターが、また新たな質問を投げかけようとマイクを自分の口元まで持っていった時、私の傍に立っていたエディが不意に私の耳元で囁《ささや》いた。
「大戸はですね……」
エディにはその場と関係ないことを唐突に喋り出すという癖があり、それには充分慣れているつもりだったが、インタヴューに聞き入っていた私はこの時もやはりびっくりさせられてしまった。
「大戸が……どうかしました?」
私は小さな声で訊ねた。
「腹、少し出てたね。でも、肩の肉はしまってたよ。走るの、あまりやらなかった。でも、サンドバッグはずいぶんやったよ、きっと」
それだけ言うと、エディはもう視線をふたりに向けている。私も黙って頷き、インタヴューに耳を傾けた。
「……ボクシングをやめて何をしていたのかしら、この四年間」
「水商売をしてたんです。ナイトクラブを一応まかされるような感じで」
「四年もブランクがあって、もう一回やってみようと思ったのはなぜ?」
「そう、三十になる前になんとかしようと思ったんですね。水商売の世界にいるのは簡単だけど、いつかボクシングというものを心おきなくできるチャンスがあれば、一度やっておきたかったんです。四年半やらなかったといっても、ボクシングが嫌いになったわけじゃないから」
私はふたりのやりとりを聞きながら、不思議な気分にさせられていた。内藤のこの十年に及ぶ起伏の多いボクサー生活も、言葉にすれば僅かにこれだけのものでしかない、ということにである。要約すれば、確かにそれだけのものでしかない。しかし、その僅かな言葉の周囲に、どれほど多くの言葉にならない思いや出来事があったことか。だが、五分か十分のインタヴューでは、どんなにすぐれたインタヴュアーでも、言葉にならぬ何かといったものまで引き出すのは無理なことかもしれなかった。
「今夜は、勝てそうですか?」
「それは……わからない」
内藤は口ごもった。
「……でも、勝ちたい。勝たなければ、と思っているんです。昔みたいに、どうでもいいじゃなくて、もう一度やり直そうとしたんだから、勝ちたい。でもね、そればっか意識するつもりはないんだ。そうすると自分というものを出せないかもしれないからね。ただ……勝負っていうものをやってみたいと思ってるんです」
「やれますか?」
「自分で本気になって初めての試合だから、やりたいね」
「まだファンが一杯いると思うんです。頑張ってください」
「ええ……」
と頷くと、内藤はこう続けた。
「……いつか、いつかと思ってきたんです。これはある人の言葉なんだけど、いつか、いつかと思っていると、きっといつかがやって来る。……俺にもようやくいつかが来たと思うんです」
私は下を向いた。そして、床の面を見つめながら、私は自分の顔に自然と微笑が浮かんでくるのを感じていた。内藤は明らかに私が書いた文章を念頭に置いて喋っていた。しかし、私の文章の意味は少し違っていた。いつか、いつかと念じていれば、きっといつかがくる、とは書かなかった。だが、内藤がそう記憶し、ささやかであれそれが彼にとって何らかの意味を持ったとすれば、それはそれで別に構わぬことだった。
インタヴューが終り、私たちは朝食をとりに近くのレストランヘ行った。こんな早い時間に商売をしているレストランがそう何軒もあるはずはなかった。地下にある一軒のドアを開けると、すでに計量を終えていたボクサーの先客がいた。同じ船橋ジムに所属する、八回戦と十回戦のボクサーだった。内藤の顔を見ると、立ち上がって頭を下げた。
内藤は、オレンジジュース、ハムエッグ、トースト、それにコーヒーを注文した。私とエディも同じものを頼んだ。
私はインタヴューの中でひとつ気になったことを訊ねた。
「さっき、昨日の夜は眠れなかったとか言ってなかったかい?」
「うん」
「ほんとに?」
「そう、四時まで眠れなかった。時計の音がコチコチいうのが気になってね……」
「それじゃあ、早く家に帰って休まなければいけないな」
私が言うと、内藤は頷いた。
三十分ほどでそのレストランを出た。内藤とはその店の前で別れた。近くに弟が車を停めて待ってくれているのだという。
別れ際に私が軽く手を上げ、
「夜」
と言うと、内藤も軽く手を上げ、
「うん、夜」
と言った。
喫茶店で本を読み、パチンコ屋で玉をはじき、ラーメン屋で遅い昼食をとり、また喫茶店に入って本を読んでいると、またたく間に五時になった。私は再び後楽園ホールに向かった。
ビルの前にはダフ屋が四、五人立っていた。必死に安い切符を売りつけようとするダフ屋を振り切り、ビルの四階にあるホールヘ上がっていこうとすると、入口のコーヒー・ショップから声をかけられた。そこにはカウンターでコーヒーを呑んでいるエディと利朗がいた。コーヒー好きのエディが利朗を誘ったのだろう。
中に入ると、エディが訊ねてきた。
「ジュン、一緒だないの?」
「まだ来てないんですか?」
私が逆に訊《き》き返した。
「まだなんだ」
利朗が答えを引き取った。
しかし、まだ遅いと心配するほどの時刻ではない。プログラムには内藤の試合のほかにもうひとつの十回戦が組まれており、それがメインエベントになるということだったが、たとえセミファイナルでも七時より前に始まるはずはなかった。
私はエディと別れ、とりあえず選手控室に行ってみることにした。ホールに入り、その裏手の階段を降りると、廊下に今日出場する選手の控室の割当てが貼《は》り出されてあった。もう一組の十回戦の選手が個室なのにもかかわらず、内藤と大戸は他の四回戦ボーイと同じ大部屋だった。赤コーナーの大部屋を覗《のぞ》いたが、やはり内藤はまだだった。その隣の青コーナーの大部屋に顔を出すと、大戸と会長の森田はすでに来ていた。大戸は、胸に疾駆するピューマのマークがついた灰色のトレーニング・ウェアーを着て、軽く体を動かしはじめていた。森田はその横で肩を揉《も》んであげている。
私が先日の礼を述べると、森田は人の好い笑みを浮かべて言った。
「何もおかまいできませんで……」
「今日は仕事を終えてからいらしたんですか?」
「まあ、何とか片付けて駆けつけてきました」
「大戸君の調子はどうです」
「まあまあ、といったところでしょうね。……でも、絶対にいい試合をさせます」
それだけ喋ると、もう話題はなくなった。
「結構、客は入りそうですね」
世間話のつもりでそう言うと、珍らしく森田が苦い顔をした。
「でも……この控室ではね」
私はその部屋を出て、ホールに上がった。客は七分から八分の入りだった。通路を歩いていると、ソファに金子が坐っていた。
「早いですね」
私が挨拶がわりに言うと、金子は立ち上がって答えた。
「今日はここで具志堅のパーティーがあってね」
世界J・フライ級チャンピオンの具志堅用高は、この三日後に六度目の防衛戦を控えていた。それに関係したパーティーのようだった。
その時、激励賞についてのわからない点は金子に訊いておけばいいのかもしれないと思いついた。
激励賞とは、贔《ひい》屓《き》筋《すじ》からボクサーに与えられる祝儀のようなものだ。いくらかの金を贈ると、試合の直前に、何某に誰それさんから激励賞が届いております、とリングアナウンサーに名前を読み上げられる。狎《な》れ合いの景気づけだが、その数の多寡によって人気を測ることも不可能ではない。私は、再デビューの内藤に激励賞は届くまいと判断していた。だから、せめて私くらいは景気づけのために出しておかなければ、と思っていた。しかし、激励賞というものの存在は知っていたが、どのような仕組みになっているのかわかっていなかった。私はそれを誰かに教えてもらいたかったのだ。
「激励賞なんですけど、金額はどのくらいが妥当なんでしょう」
私は金子に訊ねた。
「そうね……」
「一万? それとも二万ですか?」
「いや、いくらでもいいんだよ。一万円じゃなくて五千円でもいい。もし、君が内藤君に二万円あげられるんだったら、いくつかの袋に分けたらいい。五千円を四袋でもいいし、二千円を十袋でもいい。そうやっていろんな名前が呼ばれれば、内藤の人気もまだあるなとお客さんに思わすことができるからね。そうしてあげるといい、名前なんか適当に考えればいいんだから」
私もそのつもりだった。額は少ないが大戸にも渡すことにしていた。双方に同じ名前が出てしまうのは具合が悪かった。どちらにも友人の名を借りて激励賞を出そうと思っていた。
「金はやはり熨斗《のし》袋《ぶくろ》に入れるんでしょうか?」
私は用意してなかった。それを言うと、金子は後楽園ホールの事務室まで足を運び、六、七枚の熨斗袋をもらってくれた。そして、上書きの仕方を教えてくれたあとで、
「金額をここに小さく書いて、お金は直接本人に渡してあげなさい。そうして空の袋をあそこにいるリングアナウンサーに渡せばいい」
と言った。私は金子の親切に感謝した。
控室に降りていったが、まだ内藤は来ていなかった。エディや、その助手としてセコンドを勤めることになっている金子ジムの野口が、手持ちぶさたな様子でうろうろしていた。
六時過ぎに、ようやく内藤が裕見子と一緒に控室に入ってきた。裕見子は地味な紺色のスーツを着ていたが、ほっそりとした体型によく合い、かえって鮮やかに映った。
「早目に着替えだけでもしといた方がいいんじゃないか」
野口が内藤に言った。内藤は机の上にバッグを置き、中から用具を取り出した。シューズ、トレーニング・ウェアー、トランクスなどに混じってヨットパーカーもあった。裕見子がそれをハンガーに掛けた。トランクスと同じ美しいサーモンピンクで、背に「カシアス」と英語で刺繍がしてある。
「いいじゃないか」
私が言うと、内藤は笑った。
「同じ色のがなくてね。だから、これも白いのを買って染めたんだ」
傍で見ていたひとりの男が内藤に喋りかけた。
「それを着てリングに上がるのかい?」
「ええ」
と内藤は返事をした。
「ガウンはどうした」
「…………?」
「ガウンは質にでも入れたのかい」
船橋ジムの関係者らしかったが、恐ろしく横柄な口のききかただった。
「いや、ちゃんとありますよ」
内藤が少しムッとして言った。
「それなら、どうして今日は着ないんだよ」
「着たくないんです」
私は腹が立った。その場にいると、その男と喧《けん》嘩《か》をしてしまいそうな気がしたので、裕見子に激励賞の金を渡し、控室の外に出た。
上にあがると、リングでは四回戦が始まっていた。私は空いている席に腰を下ろし、ぼんやり眺めていた。その試合がノックアウトで結着がついた時、裕見子がひとりで階段を上がってきた。
「ここに掛けませんか?」
私が声をかけると、裕見子は素直に応じて隣に坐った。
「どう、心配じゃない?」
私が言うと、裕見子は首をかしげた。
「そうですね……」
「怖くない?」
「平気みたいです」
「平気?」
「ええ、平気。私の方が度胸はあるみたいなんです。結構、平気で見ていられるんじゃないかな」
裕見子はそう言って笑った。
「そういえは昨日の夜、あいつ、眠れなかったんだって?」
「ええ。……私が仕事から帰った時は寝ていたんですけど、物音で起こしてしまったらしくて、そうしたら、もう眠れなくなって……意外と気が小さいのかな」
「四年半ぶりということが大きいんだろうけど」
「そうなんでしょうね」
私は内藤のヨットパーカーについて訊ねた。あの見事な刺繍はあなたがしたのか。すると、裕見子は指で耳の後に髪をかきあげながら、少し寂しそうに言った。
「あれは、お母さんがやってくれたんです」
「彼の?」
訊いてしまってから、訊くまでもない問いだと気がついた。
「ええ……ああいうものはみんなお母さんにやってもらうみたいなんです」
「…………」
「あたしがやるべきなのかなとも思うんですけど……」
「いや、いいんだよ、きっと。それがお母さんの愉しみなんだろうから」
「私もそう思うんです……」
「あなたの家族の方はどうなの?」
私が訊ねると、裕見子の表情が曇った。以前会った時と同じだった。
「ええ……いろいろ難かしくて……」
いつだったか、内藤は私に裕見子と結婚するつもりだといったことがある。いつでも婚姻届が出せるように、書類に自分の判だけ押して裕見子に渡してある、ともいっていた。それがまだ役所に出されていないのだとすれば、やはり彼女の側に問題があるのかもしれなかった。家族に反対があるのか、彼女自身にためらいがあるのか……。
前座試合を眺めながらふたりでぽつりぽつりと話していたが、リングの上に六回戦のボクサーが上がった時、下から利朗が呼びにきた。
「そろそろバンデージを巻くらしいんだけど、見なくていい?」
私と裕見子は急いで控室に戻った。中にはかなりの人数がいる。NHKばかりでなく、いくつかの週刊誌からも、カシアス内藤のカムバック戦を取材するために、記者やカメラマンが来ていた。
内藤は椅子に坐り、エディに右手をあずけていた。エディは神経質なほど丹念にバンデージを巻いた。まず手の甲に絆創膏《ばんそうこう》を貼って下地をつくり、次にガーゼを何重にも巻きつけ、その上にさらに絆創膏を貼って止める。その手つきの正確さとメリハリのきいた力の入れ方は素晴らしいものだった。
「はい握ってみて……開いて……いい?……きつくない?……握って……ここ少しきついね?……少し鋏《はさみ》いれようね……これでどう……握って……オーケー、開いて……よし、大丈夫ね」
右手が終ると、エディはまた同じような鮮やかさで左手にバンデージを巻いていった。
「うまいな」
私が嘆声を洩らすと、エディの横でそれを手伝っていた野口が笑いながら言った。
「だって、エディさん、俺たちが生まれない前からやってるんだぜ」
両手が終ると、コミッションから派遣されている係員が、太いマジックインキで「J・B・C」とサインした。もうこれでバンデージを巻き直すことは許されない。
内藤は少しずつ緊張の度合いを強めているようだった。表情が硬くなり、口数が少なくなった。周囲の者の冗談にもほとんど反応しない。
体をほぐすためにシャドー・ボクシングを始めた。二、三分で薄く汗がにじむ。
「オーケー、用意して」
しばらく無言で見つめていたエディが声をかけた。
内藤は動きをやめ、トレーニング・ウェアーを脱ぐと、まずノーファール・カップを股《こ》間《かん》につけた。次にトランクス。シューズは野口がはかせた。
真新しいグローブが届けられた。机の上に置かれたそれを横眼で見ながら、腕をマッサージしていたエディが言った。
「野口、グローブひろげて。奥までよく手を入れてね」
タイトルマッチではリング上でグローブをつけることになっているが、普通の試合では控室でつけてしまうことが多いのだ。
濁った血のような紅いグローブが、内藤の両手にはめられる。紐《ひも》の結び目は、試合中にほどけることがないように、絆創膏で手首の部分に貼りつけられる。内藤は両手のグローブを軽く叩き合わせると、一度、二度と宙にストレートを放った。
エディが両手をひろげ、肩のあたりで構えた。内藤は足を使って近寄り、スピードのあるフックを続けざまにエディの左右の手のひらに叩き込んだ。グローブと手が弾《はじ》け、狭い控室に鋭い音が響き渡った。
「オーケー!」
エディは叫ぶように言った。意外なことに、エディもまた緊張しているようだった。内藤が椅子に坐り大きく息をつくと、エディは誰にともなく言った。
「少し、二、三分、みんな、ここを出てくれませんか。少し、集中させたいね。だから、すいません、ちょっと出てください」
確かに、内藤を取り囲んで見守っている人の数はかなりなものになっていた。エディはその部屋にいる全員を廊下に追い出すと、自分も外に出て扉を閉めた。しかし、裕見子も出てきてしまっているのを見つけると、小さな声で頼んだ。
「あんたは、いてあげてください。話し合っておくことがあったら、話しておくの。いまは、傍にいてあげるの。ね、わかるでしょ」
廊下にいると、ホールの喚声がスピーカーを通じて流れてくる。どうやら、八回戦が第三ラウンドまで進んだらしい。内藤の試合は次だった。
もう、ホールに行っていよう、と私は思った。これ以上、控室で内藤と一緒にいても仕方がない。別に話すこともなかった。控室に入り、私は内藤に言った。
「そろそろ上に行ってるから」
「もう行くの?」
内藤が微かに怯《おび》えたような声を出した。頷《うなず》き、出ていこうとしたが、ふとひとことくらい言っておくべきなのかもしれないと思った。しかし、何と言っていいかわからなかった。今さら、頑張って、などと言う必要もない。一瞬、迷った末に、私は言った。
「闘えよ」
すると、内藤が頷いて言った。
「うん、闘うよ」
そこに人が入ってきた。
「じゃあな」
私が手を上げると、
「じゃあ」
内藤も手を上げた。
観客席にはまだ空席もあったが、それでも八分くらいは埋まっていた。タイトルマッチでもない興行としてはまずまずの入りのようだった。
リングの周辺では、よく磨いた靴をはき、派手な替え上《うわ》衣《ぎ》を着た男たちが、試合をそっちのけにして声高に喋っている。さまざまなジムのオーナー、マネージャー、マッチメーカー、興行師といった連中が、マッチメークの相談や種々の情報の交換、そして何よりも他人の噂《うわさ》話に熱中しているのだ。
リング上ではライト級の八回戦が行なわれていた。朝、計量後のレストランで会った船橋ジムの若いボクサーが、相手にかなり激しく打たれている。鼻から血を流し、足元がふらついている彼の姿を見て、私はそろそろ激励賞の袋をリングアナウンサーに渡しておいたほうがいいかなと思った。勝負は八回までいかないうちに終ってしまいそうだった。
私は本のあいだに挾んでおいた熨斗袋を取り出し、通路の壁に向かって上書きをした。六枚に六人分の名前を書き終えた時、背後で男の声がした。
「それ、激励賞かい?」
振り向くと、さらに言った。
「内藤に出すのかい?」
髪を短く刈り上げた、小柄で色の浅黒い男だった。
私はその男が内藤の元のマネージャーだということをすぐに思い出した。何度も会ったというわけではなかったが、私には印象の強い男だった。
五年前、内藤と釜山に行った時、当時マネージャーだったその男も一緒についてきた。しかし、釜山でのその男の言動は、およそマネージャーの名に値しないものであった。物《もの》見遊《みゆ》山《さん》のために便乗してきた、というならまだよかった。内藤に不利な条件を無批判に受け入れ、試合前の内藤の神経を逆《さか》撫《な》でするようなことを平気で口にした。だから、内藤がカムバックするに際して、マネージャーを替えてほしいと要求した気持はよくわかった。私も釜山での数日で呆《あき》れ果てていた。
しかし、男は私のことを覚えていて声をかけたわけではなさそうだった。
「それ、内藤の激励賞かい?」
「ええ……」
私が返事すると、男は機嫌よく言った。
「内藤のなら、俺が出してきてやるよ」
それはありがたかった。六人分の熨斗袋をひとりで持っていくのはさすがに気が引けた。だが船橋ジムの関係者なら何人分持っていこうと少しもおかしくない。私は喜んで袋を手渡した。すると、男はひとつずつ中を改めた。
「ねえじゃねえか!」
「…………?」
私には男が急にきつい語調になった理由がわからなかった。
「金だよ、金。金はどうしたんだよ。金なしで袋だけくれてもしようがねえだろ」
男はヤクザが因縁をつける時のような口調で言った。
「お金なら、内藤に渡しましたけど……」
「何を言ってんだよ、勝手なことをしてもらっちゃ困るんだよ、こういうことは」
「勝手なことといっても……人に教えられた通り、激励賞を出そうとしているんですよ。お金は本人に渡してあるんだから、別に問題はないと思うんですけど」
私が言うと、男はこめかみに青黒く血管の筋を浮かべて怒鳴りはじめた。
「問題はない? ふざけるなよ、そんなことが通ると思ってんのかよ!」
いったいこの男は何が言いたいのか。いったいこの男はどんな権利があってこのような横柄な口をきくのか。私は腹を立てる以前に、いささか呆気《あっけ》にとられていた。
「こういうことはな、ちゃんとマネージャーを通すもんなんだよ。マネージャーを通しなよ、マネージャーを」
「通しましたよ」
激励賞については、すでにエディと相談済みだった。
「通した? 馬鹿野郎、俺に通さないで、何が通しただよ」
男の大きな声に、周囲の人が驚いて顔を向けた。
「あなたがマネージャー? まさか」
私は小声で言った。
「何を、手前! 俺に因縁をつけようってのかよ。マネージャーは俺だよ」
「マネージャーはエディさんに替わったって聞きましたけどね」
「エディはただのトレーナーよ。誰がそんなふざけたことを言いやがった」
「内藤が言ってましたよ」
「ふざけやがって……内藤を呼んでこい、内藤をここに連れてきやがれ!」
男は激昂《げっこう》して叫んだ。試合前だというのに、たかが激励賞のことで、選手に動揺を与えそうなことを平気でしようとする。その一事だけでも、男がマネージャーなどでないことは明らかだった。私は突っぱねた。
「もう試合直前じゃないですか。試合が終ったら話をつけましょう」
「話をつける? どうして俺が手前なんかに話をつけられなきゃならねえんだよ、ええ?」
私はもうこの言い争いを打ち切ろうと思った。話してわかるような相手ではなかった。内藤は、マネージャーをエディに替えることを条件に船橋ジムに復帰し、それを会長も全面的に認めているはずだった。とすれば、この男が事情を知らないと見くびって嘘をついているか、この男に会長が話を通していないかの、どちらかに違いなかった。しかし、かりにそのどちらであったとしても、自分のジムの選手にファンが激励しようとしているのだ、喜ぶのが当然ではないか。自分の手を経なかったからといって、そのファンにあたりちらす理由はないはずだった。
「もう結構です」
私は男の手から熨斗袋を取り返した。出さないことにすれば、その男に文句を言われる筋合いはない。
その場から離れようとすると、男は私のシャツを引っ張って言った。
「待てよ、手前。早く、誰のところでもいいから、行って訊いてこい。誰がマネージャーなのか訊いてこいって言ってんだよ、この馬鹿野郎が!」
「…………」
「内藤の馬鹿でも、エディの馬鹿でもいいから訊いてきやがれ」
「わかりました。それなら訊いてきましょう」
私は怒りがこみあげてきたが、努めて平静に答えると、階段を降りて控室に向かった。もちろん、そんなことで内藤の気持を荒立てるつもりはなかった。控室の隣にある便所で用を足し、二分ほど時間をつぶしてから、上にあがった。
「聞いてきましたよ。内藤もエディさんも、マネージャーはあんたじゃないと言ってましたよ」
「何を!」
男は叫んだ。
「内藤を呼んでこい! エディを呼んでこい!」
私は怒りを抑え切れなくなった。この男をたたきのめしたい、と思った。私が男の胸倉を掴《つか》もうと手を伸ばしかけた時、ひとりの老人があいだに割って入った。
「どうしたんだい」
老人の顔を見ると、男は援軍でも得たかのようにさらに強がりはじめた。
「この野郎が妙な因縁をつけるもんだから困ってるんですよ」
老人にそう言うと、男は私に向かって怒鳴った。
「この人はな、コミッショナーの人だから、訊いてみろよ。いったい誰がほんとのマネージャーか、ええ、訊いてみろっていうんだよ」
私も、その老人が、タイトルマッチの時などにリングに上がり、コミッションの人間として動きまわっているところを、何度も見たことがあった。
「内藤のマネージャーのことなんですけど……」
と私は老人に言った。
「本人はエディさんに替わったといっているんですけど、この人が……」
すると、老人は私の言葉を途中でさえぎった。
「いや、そんなことはないね。こっちにはマネージャーの登録があるんだが、内藤のはエディさんじゃなく、まだこの人になっているからね」
男は、どうだというように、薄く笑いながら私を見た。船橋ジムの会長は、内藤に対して調子のいい約束をしたが、対外的には何ひとつ必要な手を打っていなかったのだ。
「聞いたかよ。マネージャーは俺なんだ。わかったか、この馬鹿野郎」
私が黙っていると、老人の方から訊ねてきた。
「しかし、そもそも、何を揉めていたんだい?」
私はひととおり説明した。事情を聞き終ると、老人がつまらなそうに言った。
「要するに、その金が内藤のところへ行けばいいわけだろ?」
「そうなんです」
私は思わず大きな声を出した。
「……金はもう内藤のところへ行っているんです」
旗色の悪くなった男が、私の声を打ち消すような大声で言った。
「馬鹿野郎! マネージャーをないがしろにして、本人にやった? ふざけるな。勝手に手前で金額を書いて、袋だけ出す? この馬鹿が。それなら、誰だって、百万だって、二百万だって、好きなだけやることができらあ。書くだけでいいんならよ」
かりに嘘でもいいではないか。そうまでして再起第一戦を盛り上げようとするファンがいたとしたら、その存在を喜ぶべきではないか。心から選手を思っているマネージャーなら、むしろ礼を言うかもしれない。
この登録上のマネージャーは、内藤が練習をさせてもらっている金子ジムに、ただの一度も足を運ぶことがなかった。金子に一言の挨拶もなく、内藤の練習を一回も見にこなかった。それでよくマネージャー面ができるものだ。私は皮肉のひとつも言ってみようと思ったが、あまりにも馬鹿ばかしすぎた。こんなことで気分をささくれ立たせてもつまらなかった。それに、男と言葉をかわせばかわすほど、内藤の再起第一戦は汚されていくように思えた。
老人に、どうも、とだけ言い残し、私は男を無視して歩き出した。その背に、男は罵《ば》声《せい》を浴びせかけてきた。
「書くだけでいいんなら、手前に一千万でも二千万でもくれてやらあ……」
私は憤るより、むしろ物悲しくなった。内藤は、このような男がいるジムに、これから先もいなくてはならないのだ。エディが夢中で語っていたすべてが虚しいものに思えてくる。内藤の抱いていた願望のすべてがはかないものに感じられる。このジムにいる限り、すべては夢のまた夢だ、と私は暗い気持になりながら思った。
男から離れるために、控室へ続く階段を降りた。再び便所に入り、手洗い場の鏡で自分の顔を見ると、びっくりするほど険悪な表情をしている。私は内藤の笑い方をまね、顔中を皺《しわ》だらけにして、鏡の中の自分に笑いかけてみた。そんなことで気分が変わるはずもなかったが、内藤の試合の時までにどうにかして気分を落ち着かせたかったのだ。
便所を出ると、今までリングで闘っていた船橋ジムのボクサーが、試合を終えて階段を降りてくるところに出くわした。
「どうだった?」
私が訊ねると、彼は泣いているのか笑っているのかわからぬ表情で答えた。
「はは、すいません、こんど、がんばります、はは……」
あいつをこれ以上やらせるとパンチ・ドランカーになるといっていた朝の内藤の言葉が思い出された。確かに危険な徴候があった。しかし、のんびり彼についての感慨に耽《ふけ》っているわけにはいかなかった。彼の試合が終ったとなれば、次はいよいよ内藤の試合だった。
階段を駆け上がり、赤コーナーの近くに立って、内藤が入場するのを待った。
内藤はエディと野口、それに船橋ジムの会長の三人にはさまれるようにして、階段を昇ってきた。内藤は真っ直ぐ前を向き、固く唇を結んでいた。私の横を通る時、眼が合った。私が頷くと、内藤も頷いた。
リングに上がると、予想外の大喚声が湧《わ》き起こった。内藤は軽く手を上げてそれに応えた。褐色の肌にライトが照らされ、薄くにじんでいる汗が美しく輝く。
青コーナーには、すでに大戸が森田と共に上がっていた。マントのようなガウンを着て、緊張のため微かに蒼《あお》ざめている。
リングアナウンサーがマイクを斜めに構え、リングの中央で、独特の抑揚をつけて声を張り上げた。
「これより、セミファイナル十回戦を行ないます。赤コーナー、元東洋ミドル級チャンピオン、百七十九ポンド、船橋所属、カシアス内藤……」
場内から大きな拍手が起こった。頑張れよ、という声もかかった。リングアナウンサーはさらに続けた。
「青コーナー、百九十八ポンド、高崎所属、大戸健……」
拍手はまばらだったが、大戸はコーナーから歩み出て、右手を上げた。
タイトルマッチの時のようなセレモニーは何もなかった。レフェリーによって型通りの注意が与えられると、すぐに試合開始のゴングが鳴った。
ふたりはゆっくりコーナーから離れ出た。内藤も大戸も僅かに体を動かしながら歩くようにリングの中央に向かった。
大戸の構えはオーソドックス・スタイルだったが、両肘《ひじ》を極端に絞り込みガードを固めているため、かなり変則的なものに映った。しかし、顎《あご》を引き、そこにグローブをあてがい、上眼づかいに相手を睨《にら》みつけている姿は、その童顔にもかかわらずかなりの威圧感があった。
内藤は緊張していた。それはコーナーから少し離れたところで見ている私にもわかった。リングの中央で大戸に正対すると、やがて右に回りはじめたが、その動きは妙にぎこちなかった。
この試合の、最初の一撃を放ったのは内藤だった。サウスポー・スタイルから右のジャブを放ったのだ。しかし、大戸はそれを腕で簡単にブロックした。二度、三度と内藤は右のジャブを出すが、まったく大戸の体に当たらない。足の踏み込みがなく、腰が引けてしまい、しかもパンチに伸びがないのだ。四年半の空白という事実が、内藤に大きな心理的重圧をかけているようだった。
リングで勝ち抜き、生き抜くためには、動物的な勘としかいいようのないものが必要とされる。それこそが相手のパンチを予知し、自分が打つべき時を教えてくれるのだ。内藤は、自分の体に眠っているはずのその勘が、ふたたび甦《よみが》ってくるまでじっくり待とう、と思い決めているようだった。しかし、その慎重さが、おそらくは体を硬くさせ、動きから滑らかさを奪っているに違いなかった。
内藤はジャブ以外ほとんど手を出さなかった。時折、右でフックを打つふりをするが、それはあくまでもフェイントにすぎない。内藤のパンチの数はごく少なかった。
だが、大戸の手数の少なさは内藤以上だった。決して自分から仕掛けようとせず、内藤の動きに合わせてゆったりと動いていた。ただ、内藤のジャブを避ける時だけは、腕を鞭《むち》のようにしなやかに動かした。
第一ラウンドから膠着《こうちゃく》してしまったような試合展開に、しびれを切らした観客のひとりが大声で野次を飛ばした。
「内藤! かわいそうだから、大戸の腹だけは打つなよ!」
息をこらしてリング上に眼をやっていた観客の緊張が緩み、笑いが湧き起こった。
その瞬間、それまでほとんど手を出さなかった大戸が、内藤の左ストレートをかわしもせず顎で受けると、凄《すさ》まじい勢いで左フックを振るった。空を切る音が私のところにまで届いてきた。それをもろに喰ったら一発でダウンしてしまうに違いなかった。内藤が危うくスウェー・バックをして避けると、観客のあいだからほうというような嘆声が洩れた。
いまや大戸の戦略は明らかだった。足を止め、打ち合いに持ち込もうとしているのだ。しかも、一発を狙っている。何発打たれようとも、自分の一発が当たれば相手は必ず倒れると固く信じているかのように、一発のパンチに渾身《こんしん》の力がこめられていた。
内藤はさらに慎重になった。第一ラウンドは互いに相手を見ているうちに終った。
硬い表情で内藤はコーナーに戻ってきた。エディはリングに駆け上がり、椅子に坐った内藤の前に片膝つくと、タオルで胸の汗を拭きながら、じっと眼を見つめて言った。
「打ちなさい!」
内藤は黙って頷いた。
「でも、大戸、パワーあるの。一発に気をつけて!」
また内藤は頷いた。野口がマウスピースを冷たい水で洗い、ふたたび内藤の口に押し込んだ。
第二ラウンドに入って、内藤のストレートのような右のジャブが、初めて大戸の顔面をヒットした。さほど強烈ではなかったが、正確なパンチだった。しかし、大戸は蚊に刺されたほどのこともないというように平然としていた。内藤のパンチは大戸の巨体に吸収され、霧散してしまったようだった。
逆に、大戸は一歩踏み込むと、右でスイング気味のフックを放った。一本の丸太棒と化した腕が唸《うな》りをあげて振り回された。内藤は辛うじて体を沈めてかわしたが、その相変わらずの凄まじさに、観客席にどよめきが起こった。
ふたりはリングの中央でまた睨み合いを始めた。
不意に内藤が動いた。リードブローなしに左のストレートを繰り出し、それがヒットすると右でフックを放ち、それが腕でガードされるとさらに右でアッパーを突き上げた。だが、充分に腰が入り切らず、グローブは大戸の眼前を上方に大きく流れてしまった。大戸はそこを見逃さなかった。初めての速い攻撃に体が浮いてしまった内藤に、大戸は左でフックを叩き込んだ。内藤にとって幸運だったのは、打たれたのが肩口だったということである。ダメージはなかったが、しかしそのはずみでロープ際まで飛ばされてしまった。
大戸は体当りをするように接近すると、もう一度左フックを放った。軽いパンチ、と思えたが、それが顔面にヒットすると、内藤は僅かに腰をおとしかけた。勢い余って近づきすぎたためパンチの威力は半減したと思えたのだが、それでも想像以上の力がこもっていたらしい。
コーナーを背負って棒立ちになった内藤は、次の瞬間、大戸の体に自分から抱きついていった。内藤も必死だった。しかし、何故か大戸はその内藤を振りほどき、連打を浴びせるということをしなかった。まだ早いと判断したのか、さほど効いているとは思わなかったのか。いずれにしても、内藤はそのクリンチによって危地を脱することができた。しばらくして、レフェリーにブレイクさせられた時には、もう内藤の足はしっかりしたものになっていた。
内藤の体がようやくほぐれてきたのは、この直後からだった。パンチを受け、体の芯《しん》まで痺《しび》れることで、かえって硬さが取れたようだった。
第三ラウンドに入ると、それはさらにはっきりとしたものになった。大戸の大きなパンチがかすりもしなくなる。ダッキングやスウェーイングによってパンチをかわすと、逆に大戸の懐に攻め入ることができるようになった。ラウンドの後半で、大戸がまた左フックを放った。内藤は鮮やかなスウェー・バックでかわし、一転して体勢を低くすると、大戸の懐に飛び込んだ。ガードされはしたが、内藤のショート・アッパーは鋭かった。
第四ラウンドに入ると、試合の主導権は完全に内藤が握ることになった。ジャブは依然としてガードされるが、中間距離での左ストレートと右フックがよく当たるようになる。とりわけ左ストレートは、ガードする腕と腕のあいだを破って鼻柱をヒットする。これでインファイトした時に連打が出るようなら、決定的に有利になるはずだった。
「あと一分!」
コーナーにいる野口から声がかかった。
ホールの天井から円筒の灯が下がっている。その灯は六等分されていて、三十秒が経過するごとにひとつずつ消えていく仕組みになっている。野口の声で天井を見ると、確かにふたつしか残っていない。
大戸がマウスピースを剥《む》き出して左フックを振るった。内藤はそれを軽く見切ると、合わせるように右フックを放った。しかし、それは体が半転していた大戸の背中に当たり、大戸はそのままロープ際によろめいた。内藤は休む暇を与えず追いすがり、右でボディ・フックを叩き込んだ。背中を丸めてガードする大戸に左のフックを放ち、さらに右のアッパーを二発入れた。内藤が初めて見せたコンビネーション・ブローだった。クリンチになり、レフェリーに分けられたが、大戸の動きが急に緩慢になった。
「効いてるぞ!」
野口が叫んだ。
内藤はいきなり右足を踏み込むと、右で強烈なフックをボディに叩き込んだ。グローブは、大戸の脇腹に鈍い音を立ててめり込み、大戸は苦痛に顔を歪め、前かがみになって喘《あえ》いだ。
「効いてる、効いてる!」
野口がまた叫んだ。内藤がクリンチに逃れようとする大戸を突き放し、一気に勝負をつけようとした時、ゴングが鳴った。
確かな足取りで戻ってきた内藤に、エディは昂奮して言った。
「一発いいのが入ったら、離れてはダメ。くっついて打つの。打って、打って、打つのよ!」
内藤は両肘をロープにかけ、下を向いて聞いていた。
「疲れても、疲れてないよ。誰でも疲れるの、でも、がんばるのよ!」
内藤は頷いた。
第五ラウンドが開始された。しかし、一分間のインターバルでは、大戸のダメージは充分に回復しなかったようだった。内藤は素早く前進し、大戸を青コーナーに追いつめた。大戸はコーナーの柱を背負いながら、捨身の右フックを放った。しかし、それが内藤にかわされると、そのまま体をあずけてクリンチに逃げ、もたれ込むようにしてコーナーから脱した。
だが、内藤は冷静に大戸を見ていた。ほんの数秒、リングの中央で睨み合っていたが、大戸のガードが微かに下がった瞬間、顎に左フックを叩き込んだ。大戸はよろめき、ニュートラル・コーナーに後退した。ロープを背負った大戸に、腹の臓器を抉《えぐ》り出すような破壊的なボディ・ブローが放たれた。内藤がサンドバッグを相手にいつも見せていた、あの切れ味の鋭いアッパー気味のフックだ。打たれた大戸は、あまりの苦しさに脇腹を肘で押さえた。
そこに、内藤は連打を浴びせた。右、右、左、右、左。すべてが綺麗にヒットする。そして、丸くなって苦痛に必死に耐えている大戸に、真下から打ち抜くようなアッパーを放つと、それは固いガードを破って顎に炸裂《さくれつ》した。口から血が飛び、大戸はコーナーの柱にもたれながら、ゆっくりと崩れ落ちた。眼がうつろで哀《かな》し気だった。レフェリーはカウントを数えはじめたが、ついに大戸は立ち上がることができなかった。キャンバスにうずくまったまま、カウント・アウトになった。
五回一分三秒、完璧なノックアウト勝ちだった。
しかし、観客は熱狂しなかった。レフェリーが内藤の手を高々と上げると、場内から盛大な拍手が湧き起こったが、それは儀礼的なものにすぎなかった。観客はこの試合にどこか物足りなさを感じているようだった……。
とにかく勝ったのだ、と私は思った。この試合で大事なことは勝つことだった。内藤は勝った。しかも、ノックアウトで勝ったのだ。四年半ぶりの再デビュー戦にしては上出来の試合だった。しかし、そうは思うのだが、私もまた見終ったあとの空虚さを僅かながら感じないわけにはいかなかった。この試合には何かが欠けていたような気がする。見る者を熱狂させる、ボクシングという競技が本来持っているはずの何かが欠けていた。
確かに、内藤が自分の能力を十全に発揮できないうちに試合が終ってしまったということはあっただろう。内藤のボクシングのスタイルは、以前とまったく違うものになっていた。早い足を使わず、相手のパンチを柔らかい身のこなしだけでかわし、接近してフックとアッパーを主武器にして闘う。内藤は確実にボクサー・タイプからファイター・タイプのボクサーになっていた。しかし、試合は内藤がファイターとしての本領を発揮できないままに終っていた。内藤がファイターとしてどれほどの力量を持ったボクサーになっていたのかは、ついにこの試合ではわからなかった。だが、それは相手の問題だったのだろうか。それとも、問題は内藤自身にあったのだろうか……。
野口が体を使って四本のロープを大きく上下に分けた。内藤はそのあいだをくぐり抜けリングから下りた。よくやった、いいぞ、と観客からいくつかの声がかけられたが、内藤の表情は試合前と同じように硬かった。うつむきながら通路を抜け、控室へ続く階段に向かった。
少ししてから私も控室に下りていった。中では内藤が四、五人の記者に囲まれてインタヴューを受けていた。久し振りとか、怖かったとか、強いとかという単語が、切れ切れに聞こえてきた。
そこに、タオルを首に巻いた船橋ジムの会長がやって来て、大きな声で内藤を罵《ののし》りはじめた。
「駄目だろ、あんな試合をしてたんじゃ、ええ? もっと手を出せよ。俺が傍でそう言ってるじゃねえか。言うことを聞けよ、内藤、おい……」
内藤は口惜《くや》しそうに唇を固く結び、黙って下を向いた。
「……ええ? お前ができないなら、こんなことは言わねえよ。お前は何だってできるんだから、できることはやれよ。承知しねえぞ、そんなんじゃ、お客さんは」
言っていることは正しかった。しかし、私にはそれが真に内藤のためを思っての台詞《せりふ》ではないように感じられた。それなら何も満座の中で恥をかかす必要はない。しばらくして落ち着いた頃に、ふたりだけで話せばよいことなのだ。会長は、控室の外にまで響き渡りそうな大声で、なおも罵りつづけた。私は聞くに耐えず、部屋の隅でひとりぽつりと椅子に坐っている裕見子に話しかけた。
「見ていて、平気だった?」
「平気だったみたい」
「そう、それはよかった。……でも、この試合には、彼の危険な場面はあまりなかったからね」
「そうなのかもしれないけど……かなり平気みたい、私って」
「殴りっこを見るのが嫌いなはずの人にしては、大したもんだ」
私が冷やかすと、裕見子は恥ずかしそうに笑った。だが、もちろん見ないよりは見てあげた方がいいにきまっている。現在の内藤にとって、見られること、見守られることは、何にも増して重要な意味を持っているはずだった。
会長は好きなだけ喋りまくると、
「今度から、ちゃんとやれよ。な、な」
と言い残して控室を出ていった。
インタヴューは再開されたが、気勢をそがれたため熱のこもらないものになってしまい、
次の十回戦の開始を告げるリングアナウンサーの声が流れてくると、すぐに切り上げられた。
控室にいる人の数が急に少なくなった。内藤は大きく溜息《ためいき》をつくと、素裸になり、タオルを腰に巻いて隣のシャワー室に駆け込んでいった。
長いシャワーだった。試合のあとのシャワー、それも勝利のあとのシャワーなのだ。たとえ、それがどういう勝利であったとしても、気持のよくないはずがない。シャワーが長くなるのはむしろ当然のことだった。汗と共に、この一年の労苦も洗い流しているのかもしれなかった。
水を吸って、情ない形になってしまった髪を指で整えながら、呆けたような表情でシャワー室から出てきた内藤に、私は言った。
「……でも、いいさ」
すると、内藤は頭にやっていた手をおろし、真剣な眼差しになって言った。
「……うん、いいよ」
間近に見る内藤の顔には、ほとんど打たれた痕《あと》がなかった。
「まずはハンサムなままでよかった」
私が言うと、内藤も調子を合わせた。
「ほんとだ」
私たちは声をあげて笑った。
「それじゃあ、俺はこれで帰るから」
「もう、帰るの?」
みんなで一緒に勝利を祝いたいような気もしたが、今日の夜だけは裕見子とふたりだけにしてあげる方がいいように思えた。
エディにも挨拶をしていこうとしたが、控室の周辺にはいなかった。
ホールではメインエベントの十回戦が行なわれていた。エディはそのセコンドについていた。打ちつ打たれつの接戦を展開していたが、私はこのまま帰ろうと思った。
廊下には、近く行なわれる予定の世界タイトルマッチや日本タイトルマッチのポスターが、何枚も貼ってあった。そこをゆっくりと通り抜け、出口のところまできた時、ひとこと言い残したことがあるような気がしはじめた。内藤に何か言い忘れたことがある。それが何なのかはっきりとはわからなかったが、私は急に落ち着かない気分になり、しばらく迷った揚句、思い切って控室に戻ってみることにした。
しかし、そこには誰もいなかった。机の上には内藤の洋服やタオルが散らばっていた。まだホールのどこかにいることは間違いなかった。誰から貰ったのだろう、傍の椅子にバラの花束がひとつ無造作に置いてあった。
がらんとした控室に、ひとりでぼんやり佇《たたず》んでいると、不意に、これではない、という思いがこみあげてきた。
数日前、横浜からの帰り道で、どうしてそんなに内藤にこだわるのか、と利朗に訊ねられた。私は適当な答を見《み》出《いだ》すことができず、いい加減な答を口にするより仕方なかった。しかし、その時、あるいはこの試合が終った瞬間に何かが見えてくるかもしれない、と漠然とだが思っていたような気もする。試合は終った。だが、何ひとつ見えてくるものはなかった。
これではないのだ、とまた思った。これではない。しかし、これではないとしたら、いったいどんな試合なのだろう。いったいどんな試合を作ればいいのだろう。作れば……私はまた五年前と同じようなことを考えはじめている自分に気がつき、それを頭から払いのけるためにバラの花束を内藤の洋服の上に置き直し、そのまま無人の控室を出た。
扉を閉めた時、大戸の顔が眼に浮かんできた。それは歯を喰いしばりながらパンチを振るっていた大戸の顔でもなければ、苦しそうに口元を歪《ゆが》めながらキャンバスに崩れ落ちていった大戸の顔でもない。高崎のジムで、これでいいと思える試合ができるまでボクシングはやめられないと語っていた、悲哀に満ちた静かな顔だった。この試合もまた、大戸にとって、これでいいと言える試合にはならなかった……。
しかし、それは内藤においても少しも変わらぬことだった。内藤は勝った。だがこれで終ったわけではなく、今、やっと何かが始まっただけなのだ。
そう思った瞬間、始まったのは内藤ばかりでなく、もしかしたら私にもまた何かが始まってしまったのかもしれないという、不安にも似た微かな予感がした。
第七章 回転扉
半月が過ぎた。
明日から十一月に入るという日の午後、私は新宿の京王《けいおう》プラザホテルのロビーで内藤を待っていた。
内藤に会うのは久し振りだった。試合の数日後に一度だけ顔を合わせる機会があったが、それ以来まったく会っていなかった。内藤が試合の疲れをとるため練習を休んでいたこともあるが、半月ちかくも会わなかった理由はそれだけではなかった。どうやら、私は自分でもはっきり意識しないまま、内藤から少し離れていようと思っていたらしいのだ。私がそのことに気がついたのは、FM東京という放送局からラジオヘの出演を依頼された時だった。
ある日、以前から面識のある若いディレクターから電話がかかってきた。三十分ほどの番組に出て、何かスポーツに関する話をしてもらえないだろうかという。内容についてはいっさい自由だし、ひとりが話しづらければ誰でも好きな人を相手に選んでもらってかまわない。あまり気がすすまず断わろうとしていた私は、誰を相手に喋《しゃべ》ってもよいという条件に心を動かされた。カシアス内藤でもいいだろうか。私が訊《たず》ねると、むしろ望むところだ、とその若いディレクターは言った。内藤にきちんとした謝礼を払ってもらえるだろうかと訊ねると、もちろんと答えた。私にはそれがどれほどの額なのかはわからなかったが、たとえいくらでも、収入の途《みち》のない内藤には何らかの足しになると思った。しかし、承諾をし、電話を切ったあとで、そんなことをしていいのだろうかと不安になった。
その時、私は内藤と会うことをためらっているらしい自分に気がついた。会って話しているうちに、再び五年前と同じような情熱にとらえられることをどこかで危惧《きぐ》しているらしい自分に気がついたのだ。
五年前、私は内藤をこの手でもう一度だけ復活させたいという願望を抱いたことがあった。山の斜面を転げ落ちていくボクサーに手を差し伸べ、ふたたび山の頂へ押し上げようとする。そのような願望が、感傷的な若僧の、青臭い夢想にすぎないことはよくわかっていた。いや、わかっているくらいの冷静さは持っていると思っていた。しかし、それを現実化すべく人と人のあいだを駆けめぐっていた私は、熱に浮かされたも同然の状態だったに違いない。かつてこれほど熱中できたものは他《ほか》になかった。だが、それが私にとってどれほど大きなものだったかは、内藤の逮捕という思いもかけぬ出来事によって挫《ざ》折《せつ》するまでわからなかった。すべての努力が空《むな》しいものとなったことを知った時、不意に自分の内部がからっぽになってしまったような空虚さを覚えた。まだ五体に残っているかのようなその深い喪失感の記憶が、私に五年前と同じような願望を抱くことを恐れさせていたのかもしれない。
自分で言い出しておきながら、私はラジオで内藤と対談することが重荷になりはじめた。しかし、約束をしてしまった以上、逃げるわけにはいかなかった。内藤に連絡をとると、面白そうだからやりたいという。私たちは収録に指定された日時の三十分前に京王プラザホテルのロビーで待ち合わせることにした。
内藤は約束の時間に二十分遅れてようやく姿を現わした。ガラスの回転扉から入ってくる内藤を、ロビーのソファに坐って眺めていた私は、その太り具合に少し驚かされた。
「太ったな」
それが挨拶のかわりだった。
「太った。喰って寝て、喰って寝て、その繰り返しだからね」
内藤が苦笑しながら言った。どうしても太れない、と嘆いていた一カ月前が嘘のような肉づきのよさだった。
「練習は?」
「昨日から始めたんだ」
「ということは、二週間以上も休んだということになるのかな」
私が言うと、内藤は頷《うなず》きながら小さな声で呟《つぶや》いた。
「まだ……次の試合が決まらないしね」
「そうか……」
それは困ったな、と続けようとして、危険な匂いのする話題になっていきそうなので、私は内藤を促しホテルを出た。
放送局のスタジオはそのすぐ並びの高層ビルの最上階にあった。
エレベーターで昇ると、全面がガラス張りの休憩所に案内された。眼下には東京の風景がいっぱいに広がっている。そこでディレクターを待っているあいだ、内藤はガラスに額をつけ、幼児のような熱心さでその風景を眺めていた。綺《き》麗《れい》だなあ、すごいなあ、と内藤は何度も素朴な嘆声を発した。私も、意外に緑の多い東京の街に眼をやりながら、そのたびに相槌《あいづち》を打った。
ディレクターが来て、すぐに私たちはスタジオに入った。私たちが喋ったものを録音し、あとで三十分に編集するという。だから、時間を気にせず好きなようにやってほしい。ディレクターにそういって励まされたものの、マイクをはさんで向かい合うと、何をどう話していいかさっぱりわからなかった。考えてみると、私たちがこのようにあらたまって話すなどというのは初めてのことだったのだ。しかし、サウスポーに関する談義をきっかけに話を進めていくうちに、私たちは次第に熱中するようになり、気がついた時には一時間半を超えていた。疲れがとれ、気力も体力も充実しているせいか、内藤はいつも以上に饒《じょう》舌《ぜつ》だった。内藤の少年時代、ボクシングの技術論、内外のボクサー評、と話は多岐にわたったが、最後はやはりこの前の大戸戦にいきついた。
私が感想を述べようとすると、内藤がいくらか弁解じみた口調で言った。
「終ってから、みんなにどうしてもっと打たないんだと言われたけど、俺、やっぱり怖かったと思うんだね。怖かった。でも、それは半分。残りの半分は、やはりどんなことをしても勝ちたかったんだ。判定でも何でもいいから勝ちたかった。勝つことが一番だったから、試合ぶりなんか気にしていられなかったんだ」
「それにしても、手数は少なすぎたかもしれないな」
私が言うと、内藤は不満そうな表情を浮かべた。
「でも……」
「いや、俺は批難しているわけじゃないんだよ。四年半ぶりの試合にしては本当によくやったと思う。だけど、パンチが出なかったのは確かじゃないか」
「うん……」
「問題は、それが再起第一戦だったからなのか、それとも知らない間に身についてしまったものなのかということさ」
内藤はしばらく黙り込み、それから堰《せき》を切ったように喋りはじめた。
「それは心配ないと思うよ。うん、まったく心配ない。あの試合は確かにパンチが少なかった。でも、それは仕方がないと思うんだ。俺、第一ラウンドは見たよね。それは誰でもすることだからいい。でも、第二ラウンドも第三ラウンドも俺は見ていった。だって、一発で引っ繰り返されたらそれで終りじゃないか。試合が終るだけじゃなくて、ボクサーとしての俺が終っちゃうかもしれないじゃない。だから見た。四ラウンド目になって、ようやくやれそうだなと思ったんだ。大戸のパンチはよけられそうだなって。でも、そうしたら五ラウンドでカタがついちゃった。打つ場面が少なかったのは仕方ないよ。今度やる時は大丈夫さ、最初からガンガンいくよ」
「それならいいんだ」
しかし、内藤の言葉を額面通りに受け取るわけにはいかなかった。彼が真に闘争的なファイターになりえているのかどうかはまだわからなかった。
「大戸が相手じゃ役不足だったと思うかい?」
私が訊ねると、内藤は即座に首を振った。
「そんなことはない」
「観客の中にはそう思った人がかなりいたようだったけどね」
「そんなことはないよ。……大戸のパンチはやっぱりすごかったしね。ほら、俺、二回に打たれたじゃない。効いたなあ、あのパンチ。体中がしびれて、どうしようもなかったからね」
私はつい最近放送されたNHKのテレビを思い出した。若者向け番組のひとつのコーナーで、内藤の簡単な人物紹介風のフィルムが流されたのだ。試合直前のインタヴューを軸に、試合の様子などを織りまぜながら構成されていたが、その中に内藤が棒立ちになっているところをはっきりととらえているフィルムがあった。一瞬のためほとんどの人は見すごしてしまったに違いないが、大戸のパンチによって体がいうことをきかなくなってしまったらしいことは、気をつけて見ているとよくわかった。
「危なかったな、本当に」
私が言うと、これがラジオのための会話だということを忘れて、内藤は妙に生々しい声を上げた。
「ヤバかったよ、ほんとヤバかった」
「ヤバかった、か」
私は笑いながら言った。
「うん、ヤバかった。エディさんもあとで言ってたよ。すごいパンチを持ってるって。大戸もこっちに出てきてみっちりトレーニングを積めば、ほんとにいいヘビー級になれるって言ってた」
「そう」
「とっても、惜しいって」
「そう……」
私は軽く受け流しながら、内藤の言葉の奥に、彼自身も気づいていない勝者の驕《おご》りのようなものが潜んでいるのを、微《かす》かに感じていた。内藤が大戸を救い上げようとしているのは、自分が勝った相手をできるだけ巨大な存在に見せようという、闘う者のエゴイズムによっていた。
大戸はこれからどうするのだろう。これから先もボクシングを続けていかなくてはならないのだろうか。そして、それは果していつまで続くものなのだろう。そのような思いが浮かび、消えた瞬間、私は内藤に対して少し意地の悪い質問をしてみたくなった。
「あの試合はあれでよかったと思う」
私が言うと、内藤は小さく頷いた。
「しかし、素晴らしくいい試合というのでもなかった」
私が言葉を重ねると、内藤はまた頷いたが、何を言い出すのかと、不安そうな表情になった。私は一呼吸おいてからいくらか強い口調で訊ねた。
「今までに、本当にいい試合というのを、したことがあるかい?」
「…………」
「大戸は、そういういい試合ができたらボクシングをやめてもいいと言っていたけど、君にはそういう試合の経験がある?」
しばらく考えていた内藤は、かすれるような声で答えた。
「ない……ね」
私は内藤が大戸のはるか上に立ったような物言いをするのが気に入らなかったのだ。たとえば金沢和良における対オリバレス戦のような、これがあるから自分のボクシング人生は充実していたと言い切れる、絶対的な試合を持ったことがないという意味においては、お前さんも大戸と少しも変わるところがない。私は内藤にそう言いたかったのだと思う。しかし、内藤の寂しそうな表情を見ているうちに、余計なことだったかもしれないと後悔しはじめた。少なくとも、このような公的な場所で話すべきことではなかった。私は話題を換えようと口を開きかけた。ところが、内藤がいつにない真面目な口調で先に喋り出した。
「俺には、ないね、そういうのは。でも……だから……作りたいね。この試合があったからオーケーというような、そういうのを作りたいね」
「そう思う?」
「思うね。そういうのが欲しいよ。作りたいよ」
静かだが熱っぽかった。私は内藤のその真剣さに巻き込まれ、思わず一緒にそれを作ろうかと言いそうになり、辛うじてその言葉を呑み込んだ。自分が挑発した会話に自分が乗ってしまいそうになった。私は今度こそ本当に話題を換えた。
放送局を出た時には、あたりのビルの灯が明かるく映えるほどになっていた。二時間余りも話しづめだったせいか、軽い疲労と顔の火照りを覚えていた。どちらからともなくひと休みしていこうということになり、再び京王プラザホテルに入っていった。そして、和服姿の女性が給仕をしている静かな喫茶室に腰を落ちつけた。
テーブルの上の小さな赤いランプには、すでに灯がともされている。コーヒーを注文しおわると、内藤はいきなり喋りはじめた。
「それにしても、エディさんて、大変な人だよね」
「…………?」
「試合の日、控室でバンデージ巻こうとしたら、俺の手が濡れてたんだよね。昂奮《こうふん》してたせいもあるし、まわりでチヤホヤされていたこともあるんだけどね。そうしたら、エディさんがこんな手じゃ巻けないよって怒ったんだ」
そういえば、そんなことがあったような気がする。バンデージを巻く前には必ず絆創膏《ばんそうこう》で下地を作るが、汗をかいているとうまくつかないのだ。しかし、それがどうしたというのか。
「それで?」
私は先を促した。
「エディさんに怒鳴られて、ビクッとしたんだ。俺、誰に怒鳴られても平気だけど、今エディさんに怒られることだけが怖いんだ。そうしたら、ピタッと止まったんだよね、汗が。汗なんて拭いても拭いても止まるもんじゃないのに、そのひとことで止まっちゃった。すごいと思ったね。エディさんて、ああいう場合になると、人を呑む迫力があるんだね」
内藤の再起には、やはりエディが不可欠の存在だった、ということなのだろう。
「エディさんといえば、例のマネージャーの件はどうなった?」
私は思い出して訊ねた。試合の直前に激励賞に関してゴタゴタがあった。ゴタゴタ自体はどうでもよかったが、マネージャーがエディに替っていないというのが気になった。試合の数日後、会った際にその話をすると、内藤はびっくりしたらしく、会長と話をつけると息まいていた。その結果を知りたかったのだ。
「話はついた?」
「うん、大丈夫だった。今度こそ、本当にエディさんがマネージャーさ。会長、俺たちにはオーケーと言っておきながら、ジムのみんなには言ってなかったんだ。でも、今度はきちんと話しておくって」
「それはよかった」
そう言いながら、しかし、マネージメントに関するゴタゴタが、これですっかりなくなるとは信じられなかった。私は訊ねた。
「そうすると、次の相手はエディさんが探してくれているわけだな」
「うん。……でも、まだ見つからないみたいなんだ。どうしてだろう」
「ミドル級はあまりボクサーがいないからな」
「早くやりたいんだよね」
頼りなげに呟いた。エディはトレーナーとしては超一流の腕を持っている。しかし、マネージャーとしての手腕には疑問があった。どこかのジムの手頃なボクサーを見つけてきて試合を組む。そのようなことをするには、エディの日本語はあまりにもたどたどしかったし、また情報も不足していた。
試合の数日前、内藤の練習を見ながら、金子がエディに忠告したことがあった。大戸との試合に勝ってからでは試合は作りにくい。今のうちに口約束でいいから次の相手と契約しておいたほうがいい。エディは、そうね、そうね、と頷きながら、しかし実際はどうにも手を下せないでいるようだった。金子は具体的なひとりの名をあげ、そのジムに電話するようすすめていたが、エディはそのボクサーをよく知らないらしく、そのままになってしまった。
エディがマネージャーになることは内藤が望んだことだった。しかし、それはすべていいことずくめではなく、当然のことながらマイナスの部分も含んでいた。内藤にはボクサーとしての持ち時間が少ない。次々と相手を見つけてぶつけていかないことには、世界はもちろんのこと、東洋への道すらおぼつかない。しかし、エディにはその重要なマッチメークの手腕が欠けているのかもしれないのだ。
これから先のことを内藤はどのように思っているのだろう。考えてみると、今まで大戸の試合が終ってからのことを話し合ったことがなかった。私も訊ねはしなかったし、内藤も言い出さなかった。どちらも、大戸との試合が終れば、道は自動的に開けてくると思っていたのかもしれない。これからの展望はあるのか。私が訊ねようとすると、内藤がほとんど同時に口を開いた。
「さっきの話ね……」
「えっ?」
予期しない言葉に私は間の抜けた声を出した。
「さっきの話?」
「ほら、さっき、放送局で話したじゃない。今までに、これはと思うような試合をしたことがあるかどうかって」
「ああ、あの話か……」
「あれ、ないこともないんだよね、俺」
「どういうこと?」
「いや、大したんじゃないけど、ちょっとね」
私は興味を覚えた。
「誰との試合?」
「輪島……」
なるほどと思った。
内藤にはほとんど歯がない。前歯が三本残っているだけで、そのまわりはきれいに抜け落ちている。ボクサーは体のさまざまな箇所を痛めるが、その中でも口は特別の部分である。いくらマウスピースで守っているといっても、のべつ顔を殴られつづけているのだ。唇が切れ、歯が折れないはずがない。しかし内藤の場合、その欠歯はボクサーとしての名誉の傷というのではなかった。好物の甘い物を取りすぎたための虫歯にすぎなかった。歯茎が腐っていて、マウスピースをはめると少し痛いと言っていたことがある。甘い物で歯を失なったボクサーとは、いかにも内藤らしかった。ある時、私がそのことで冷やかすと、内藤は笑いながら、でも一本だけは試合で折れたんだよ、と反論した。それが輪島との試合の時だったのだ。
「輪島の試合か……あれは悪くなかった……」
私は呟いた。
確かに、あの一戦だけは、なぜか内藤も死にもの狂いで闘ったのだ。内藤が柳に東洋タイトルを奪われ、輪島がカルメロ・ボッシから世界タイトルを奪った直後のことだった。ふたりは、ノンタイトル戦ながら、倒し倒されの豪快な打撃戦を展開した。内藤は何度もキャンバスに這《は》わされたが、そのたびに立ち上がり、ついにセコンドからタオルが投げ入れられるまで闘いつづけた。
「何回ダウンをさせられたんだっけ」
「八回かな」
「八回! よく立ったじゃないか」
それ以後の内藤からは信じられないほどの頑張りだった。
「でも……よく覚えてないんだよね、俺」
「覚えていない? どういうこと?」
私は六年以上も前の、記憶も曖昧《あいまい》になってしまった試合を思い浮かべながら、内藤に訊ねた。
「あの試合、二ラウンドだったかに、ボディを喰らって倒れたんだよね。それはよくわかってる。そうして、また、二度目にパーンと顎《あご》に喰らって倒れたんだ。でも、そこから覚えてないんだ。倒れたまでは覚えてるけど、起きたのを覚えてないんだ。だから、エディさんがタオルを投げて、コーナーに抱えて連れていかれた時、ああいけねえ、二ラウンドで終っちゃった、と思ったんだ。そうしたら、みんながよくやったよくやったと言うじゃない。六回のあいだに八度も引っ繰り返されたのによく闘ったって。それで、二ラウンドじゃなく、七ラウンドまで続いていたらしいということがわかったのさ」
「二ラウンドから七ラウンドまでは真っ白なのか」
「そう、真っ白」
内藤はそう言って笑った。笑うと歯のないあたりが黒く見えた。内藤は確かにその試合で闘いかけた。闘えば闘えるのだというところを見せた。しかし意識を失なっての闘いでは、真の闘いとは言えないに違いない。かりに体のすべてが本能と化しても、一分の意識は残っていなければならない。
「……でも、それじゃないな」
私が言うと、内藤はオウム返しに言った。
「……うん、それじゃない」
喫茶室の外は、次第に夕闇が濃くなっていく。私たちはしばらく黙って、ガラスの向こう側の景色を眺めた。
時計をみると六時になっている。ジムに練習に行かなくてもいいのか。私が言うと、内藤はそろそろ行こうかなと返事をした。しかし、なかなか腰を上げようとしない。あるいは、私に何か話したいことがあるのかもしれなかった。
コーヒーを呑みほし、そのカップを手でもてあそんでいたが、内藤はそこから眼を上げると、低い声で独り言のように呟いた。
「四人なんだよね」
「…………?」
内藤の唐突な言葉に私は首をかしげた。
「俺がいままでに負けた相手は……四人なんだ」
「そうか……」
と私は言って、その名を挙げはじめた。柳《ユ》に、輪島に、工藤に……、そこでつかえた。
「あとひとりは誰だっけ」
「スチーブン・スミス」
「そうそう、スミスがいたな……」
東洋のミドル級チャンピオンだった内藤は七一年柳済斗《ジェド》に敗れてタイトルを奪い去られた。七二年、ノンタイトルながら当時世界J・ミドル級チャンピオンになったばかりの輪島功一と闘い、やはり敗れた。七三年、やっと手に入れた日本タイトルを賭《か》けて、スチーブン・スミスと闘い、ノックアウトされる。そして七四年、新人の工藤政志と闘い、判定ではあったが敗北を喫してしまう。そこで内藤のボクサーとしてのキャリアは切れている。公式記録では、あとタイのナロン・ピスヌラチュンというボクサーに負けたと記されているが、内藤の話によれば、インドネシアのスラバヤでの、エキジビション・マッチのようなものだったから、勝ち負けには意味がないという。とすれば、確かに、彼が負けたのはこの四人ということになる。だが、それがどうしたというのだろうか。
「で、それが?」
私は訊ねた。
「うん、その四人のうち、スミスはもうアメリカに帰って、ボクシングはやっていない」
「そうか……」
「それに、輪島はもうすぐ引退をする」
エディ・ガソにノックアウトされ、三度の王座復活という夢を破られた輪島は正式に引退し、近くそのセレモニーをすることになっていた。私は黙って頷いた。
「だから、もう、スミスと輪島は駄目だ」
「…………?」
何が駄目なのかわからなかった。私の戸惑いを無視して、内藤は呟きつづけた。
「残っているのは、柳と工藤……」
内藤の言いたいことが、ぼんやりと理解できてきた。私は眼で先を促した。
「俺、借りを返したいんだよ」
「借りを?」
「うん、あのふたりに借りを返したいんだ。スミスと輪島には返したくても返せない。だけど、柳と工藤には返そうと思えば返せるんだ……」
私の体の奥深いところで、小さな音を立て、何かが発火したようだった。
借りを返す、と内藤は言った。柳と工藤に借りを返すのだ、と。柳は依然として東洋チャンピオンであり、工藤はエディ・ガソを破って世界チャンピオンの座についている。ふたりに借りを返そうとすることは、同時に東洋と世界の王座に挑むことでもあるのだ。
「工藤がやってくれるといえば、俺は今すぐにでもやりたいけど、なかなかそうはいかないだろうからね」
内藤が言った。
「そうすると、残るは柳、ということになる……」
私が呟くと、内藤は力強く返事をした。
「そうなんだよ」
なるほど、柳済斗がいたのだ、と私は思った。内藤がまず闘わなくてはいけない相手は柳だった。柳は、内藤を初めてキャンバスに沈め、東洋チャンピオンのベルトを奪っただけでなく、それ以後も三度の挑戦をことごとく退けることで、彼のボクシングに対する情熱をなしくずしに奪い去ってしまったのだ。内藤にもし宿敵と呼べる存在がいるとしたら、それは柳をおいて他にはありえない。その柳に、もういちど闘いを挑み、タイトルを奪い返そうというのだ。二十代のはじめにできた借りを、三十に近くなったいま返そうという。鳥肌が立つのを覚えるほどスリリングな話だった。
「柳か……」
昂奮を抑え切れず、私は呻《うめ》くように呟いていた。
「そう、柳……」
内藤が軽く言葉を添えた。
その時、私はこのような物語を、少年時代に読んだことがあったのではないか、という気がしてきた。いつだったか、どんな本だったか、あらゆることが曖昧だが、息をつめ胸を震わせながら読んでいたという記憶だけは、微かに頭の片隅に残っている。その記憶の糸をたぐって、頭の中の暗い底に降りていこうとすると、突然、真っ白い本の中に吸い込まれるような不安を感じた。私は頭を振った。それを見て、内藤は反対されたと思ったらしく、強い口調で言った。
「俺はやるよ」
私は黙って内藤の顔を見た。
「だって、俺は……」
内藤は言葉を続けたが、そこでつかえてしまった。コーヒー・カップに眼をやりながら言葉を探していたが、すぐに眼を上げた。
「……要するに……オトシマエをつけたいんだよ」
「オトシマエ?」
私は小さく繰り返したが、別に訊ねているわけではなかった。そのヤクザな言葉の、しかし新鮮な響きに、ただ驚いていただけなのだ。
内藤は頷いた。
「そうか……オトシマエか……」
私は口の中で呟きながら、自分が動き出さないようにと必死でかけていた歯止めの材木が、カタンと音立ててはずれてしまったような気がした。
いや、しかし、と私は自分の心を落ち着かせるために思った。今の内藤にとって、柳と対戦することがそれほど簡単なわけはない。日本のランキングにも入れず、まして東洋のランキングにすら入っていない。誰かが無理にでも試合を作ろうとしなくてはならない。誰か……しかし、いったい誰が作ってくれるだろう。船橋ジムでやってくれるだろうか。エディにその力はあるだろうか。私にはどちらも難しいと思えてならなかった。しかも柳は、輪島との二度目の闘いに敗れて以来、自分はもう決して外国では試合をしたくないと公言していた。それを無理にでも連れて来ようとすれば、並の試合を組むに倍する労力と金が必要になるに違いなかった。
「日本でやるのは大変だな」
私が言うと、内藤が不思議そうに訊ねてきた。
「ヘえ、どうして?」
知らないのかいと言いかけて、しかしすぐに思い出した。日本で柳と輪島の第二戦が行なわれた時、内藤はすでにインドネシアに発《た》ったあとだったのだ。試合直後に引き起こされた柳の馬鹿ばかしい騒ぎを知るはずもなかった。私は簡単に説明した。
輪島から世界タイトルを奪った柳は、その二度目の防衛戦で逆に輪島から挑戦されることになった。しかし、圧倒的有利という前評判にもかかわらず、柳は自分のいいところを少しも出せないままKOで敗れてしまった。韓国に帰った柳は、その敗北の弁明をするために途《と》轍《てつ》もないことを言いはじめた。すなわち、自分のトレーナーが一億円で日本側に買収され、水の中に薬物を混入したため体が思うように動かなかったのだ、といったようなことである。一時そのニュースは韓国の新聞を賑《にぎ》わした。そのような荒唐無稽な話が、少なくとも対日本に関してはまだ信じられる素地があったのだろう。韓国ボクシング委員会は外国でのタイトルマッチを禁ずるという方針をとった。それはやがて撤回されたが、柳はそれ以後、韓国の外で闘おうとしなくなった。
「柳も馬鹿だね」
話を聞き終ると内藤が呆《あき》れたように言った。
「いや、韓国では、それほど世界チャンピオンが重いということなのさ」
「何年も前の日本みたいに?」
「もっとすごいんじゃないのかな。柳は国民的英雄だったらしいからね」
「あの柳がね」
内藤が溜息《ためいき》をつきながら言った。
「そう、あの柳が、さ」
私は苦笑した。それは釜山《プサン》で内藤と柳の試合を見た二年後に、柳が輪島の持つ世界タイトルに挑戦するという報を聞いて私が抱いた感想とまったく同じだった。その時、私もまた、あの柳がよく、と思ったのだ。そして、あの柳が挑戦できるなら内藤にも不可能ではなかったはずだ、と口惜《くや》しい思いをした。釜山の試合を見たかぎりでは、内藤と柳のあいだに本質的な力量の差はなかったからだ。
私がぼんやりしていると、内藤が口を開いた。
「別にいいじゃない」
「えっ?」
私は訊《き》き返した。
「別にさ、日本でやらなくたっていいじゃない」
「それはそうだけど……」
韓国で闘うということは、ノックアウトでしか勝てないということを意味している。判定での勝利を放棄しなくてはならない。韓国は日本よりさらに激しいホームタウン・デシジョンの国なのだ。審判が露骨なほど自国選手に有利な判定を下してしまう。日本のボクシング界では、いくらダウンを奪ってもノックアウトできなければ韓国で勝つことはできない、という定評ができているくらいなのだ。
「どこだっていいさ」
内藤が明かるい声で言った。
「俺、向こうがやってくれるというんだったら、どこへでも行くよ」
「…………」
「韓国のどこだっていいさ」
「…………」
「釜山でもソウルでも、知らないような田舎だってかまわない」
「韓国か……」
私は呟いた。私と内藤との関《かか》わりも、彼が柳と闘いに行った釜山から始まったのだ。その韓国に、もう一度、その時と同じ相手と闘うために行きたいという。これではなかったのか、と私は思った。これこそが、私が心の底で見たいと望んでいた試合ではなかったのか。私が今でもなおボクシングを見つづけているのも、その試合を見たいためではなかったのか……。
ふと、もう逃げるわけにはいかないな、と思った。
「やるか……」
私は自分に向かって言った。内藤は黙っていた。
「韓国へ行って、柳とやるか……」
内藤は黙ったまま頷いた。そう言ってしまってから、私は頭のどこかで、やはり五年前と同じことになってしまったな、と考えていた。
いつものように建てつけの悪い戸を引き開けて玄関に入ると、ジムの中ではまだ練習が始まっていなかった。私は金子とゆっくり話をしたかったので、早目に下北沢へ出てきていた。
ジムを訪れるのは、内藤の試合以来はじめてだった。内藤を柳に挑戦させる。たとえそう望んだとしても、まったくの素人である私に、どのような手順を踏めば実現できるのかわかるはずがなかった。五年前、似たような願望を持って右往左往した時には、それでもテレビ局に勤める友人がなにかと手助けをしてくれた。彼がその局を辞めてしまったいま、私の友人の中で興行の世界に手づるを持っていそうな男は誰もいなかった。しかも、今度の相手は外国人なのだ。どのように接触したらいいのかすらわからない。いや、なにより、柳対内藤という試合に、いくらかでも実現の可能性があるのかどうかすらもわからないのだ。もちろん、可能性がゼロであったにしても簡単に諦《あきら》めるつもりはなかった。だが、私はまず最も身近にいるボクシング人たる金子に意見を聞かせてもらおうと思ったのだ。
事務室を覗き込むと、金子は机に向かってペンを動かしていた。私は事務室の入口に立ち、仕事が一段落ついたらしいところを見はからって、試合当日にいろいろ気をつかってくれたことに対する礼を述べた。金子は机から顔を上げ、別に大したことではない、と言って笑った。そして、急に思い出したように訊《たず》ねてきた。
「内藤、次の試合は決まったのかなあ」
「まだのようなことを言ってましたけど……」
「いつ?」
「昨日です」
「それなら、まだなんだ。早く次をやってあげなければ可哀そうなんだけどな」
「そうですね」
私がそう言い終らないうちに、金子は事務室から出てきてソファに坐った。私もその前の椅子に腰をおろした。
「実はね……」
と金子が身を乗り出すようにして話しかけてきた。
「十二月にうちの村田が東洋をやることになったんだよ」
「相手は?」
「金ウ植《キムヨンシク》。バンタムのチャンピオンだよ」
村田英次郎は、内藤の試合のあった三日後、具志《ぐし》堅《けん》の世界戦の前座として出場し、相手を五ラウンドでノックアウトしていた。十二戦して十一勝無敗一引分。この圧倒的な戦績を引っさげて、いよいよ東洋の王座に挑戦するということのようだった。
「それはよかったですね」
私が言うと、金子は本当に嬉しそうに笑った。若い村田は、その試合に勝つことで、東洋の王座を手中に収めるばかりでなく、世界への足がかりをも築くことになる。網膜剥《はく》離《り》によって世界への道を断念しなくてはならなかった金子には、ジムのホープである村田が、そのように大きなチャンスを掴《つか》んだということが嬉しくてたまらなかったのだろう。しかし、内藤の試合の話から急に村田の東洋タイトルマッチに話題を移したのには、それ以外の理由があるに違いなかった。
「村田の試合がどうかしましたか?」
私が訊ねると、金子は少し慌てたように言った。
「いや、なに、村田の試合は別に問題ないんだよ」
「…………?」
「内藤さ。船橋の方で興行が決まらないんだったら、村田の時に、セミファイナルでやったらどうかと思ってね」
悪い話ではなかった。内藤にとっても、たぶん金子にとっても、それは決して悪い話ではないはずだった。
「でも……」
と私は言った。
「肝心の相手が見つからないことにはどうしようもありませんからね」
「そうなんだよな」
「…………」
「私もエディさんにはいろいろ言ってるんだけど、なかなかうまくいかないらしくてね」
私は、そこで、思い切って柳済斗の話をすることにした。
「柳って御存知ですよね?」
「リュウ? 竜反町《そりまち》かい?」
「そうじゃなくて、柳済斗です。韓国の、輪島と世界タイトルマッチをしたことがある……」
「東洋チャンピオンの? ああ、うん、もちろん知ってるけど。柳がどうかしたかい?」
私はしばらく逡巡《しゅんじゅん》していたが、ここまで口に出して、そのあとを言わないというわけにはいかなかった。
「内藤を……柳とやらせることは難しいでしょうか」
「そうだなあ……」
金子は少し考え込み、それから言った。
「東洋をやらせるのかい?」
「もちろん、タイトルがかかっているにこしたことはないんですけど」
「それには、まず内藤が東洋のランキングに入る必要があるよな」
私は頷《うなず》いた。ミドル級は人材が少ないため、大戸との試合に勝ったことで日本ランキング入りは確実になったが、さすがに東洋のランキングに入ることはできそうになかった。
「どうしたら入れます?」
私は金子に訊ねた。
「ミドル級だったら、誰かひとり東洋ランカーをやっつけるか、二試合くらい続けて勝てば入れそうだけど……」
そう言うと、金子は逆に私に訊ねてきた。
「柳とは、内藤がやりたがっているのかい?」
「ええ……」
私の返事は歯切れが悪かった。それは同時に私の願望でもあるように思えたからだ。しかし余計なことを言う必要はなかった。
「そうか……柳か……」
だが、金子は何かに思いをめぐらしているらしく、その歯切れの悪さには気がつかないようだった。私は、内藤が柳と四回闘って四回とも敗れており、自分とはその四回目の闘いの時からの知り合いである、などということを切れ切れに話した。黙って耳を傾けていた金子が、しばらくして穏やかな口調で言った。
「もしかしたら、柳とやるのは今がチャンスかもしれないね」
「…………」
「今の柳は、以前の柳じゃないらしいからね」
それは私もボクシング雑誌の記事などを通じて知っていた。東洋タイトルのかかった試合では判定などによって際どく勝ちつづけているが、ノンタイトルの試合では無名の若いボクサーに苦戦を強いられているという。確かにチャンスかもしれない。いや、うかうかしていると誰かにタイトルを奪い去られてしまうかもしれない。
「かりに内藤が東洋のランキングに入れたとして、どういうふうにしたら柳と試合をさせることができるんでしょう」
「それはジムによっていろいろな方法があるだろうけど……とにかく、問題は金だよね。東洋ともなれば、やっぱり大きな金が動くからね」
「やはり、金、ですか」
東洋タイトルマッチに金が必要だということは、当然といえば当然すぎることだったが、はっきりそう言われると気分が少し萎《な》えていくように思えた。内藤に金があるはずもなく、そうかといってエディが持っているはずもない。私にしたところが、仕事を再開しないかぎり、手元に残っている僅かな金でここしばらくは喰いつないでいかなくてはならない身だった。
「金か……」
私が呟くと、金子が言った。
「それはそうだよ。柳をこっちに呼んで興行をやれば、それこそ四、五百万円の金は必要だろうし、向こうに行ってやるにしても、本気でベルトを取ってこようとするなら、百万や二百万の出費は覚悟しなければね」
船橋ジムがそのような大金を内藤のために注ぎ込んでくれるとは思えなかった。柳とは四回闘って四回とも敗れている。常識からすれば今度も勝ち目は薄いと考えなくてはならない。船橋はそれを承知で金を出すほど甘いジムではないはずだった。これが昇り坂の若いボクサーなら話は別だ。たとえ勝利の可能性が半分以下でも先行投資のつもりで金を出すかもしれない。しかし内藤は、一般的には盛りを過ぎたロートルでしかないのだ。少なくとも、私が大戸との試合の当日に見かけた船橋ジムの関係者の態度から判断するかぎりでは、彼らが内藤のためにあえて危険な賭《かけ》をする覚悟を持っているとは思えなかった。彼らは、内藤のカムバックにかける情熱をほとんど信じていないようだった。あるいはそれも仕方のないことだったかもしれない。彼らは何年にもわたって内藤の気まぐれに付き合わされてきていたのだ。今度のこの突然のカムバックを、単なる気まぐれと受け取ったとしても仕方のないことだった。内藤がやりたいというのだから一、二戦やらせてみるか、という程度だったのだろう。
私は、前の日の別れ際に、内藤と新宿駅の構内で交した会話を思い出した。
柳ともう一度韓国で試合をするのだ、という昂揚した気分が鎮まり、いくらか冷静になると、現実的ないくつかの問題が気にかかりはじめた。柳とやるのはいいが、船橋ジムで試合を作ってくれるだろうか。私が訊ねると、内藤は即座に答えた。まず駄目だろうね。エディさんにその力はあるだろうか。私がさらに訊ねると、内藤は自信のなさそうな表情を浮かベた。
もちろん、内藤が心から柳と闘うことを望むのなら、私はその試合を作るための労力を惜しむつもりはなかった。何をどうしたらいいのか、具体的なことはひとつもわからなかったが、私に可能なことはすべてやろうと思っていた。しかし、私のそのような勝手な動きをジムの側で許してくれるだろうか。試合当日のイザコザを思い起こすと悲観的にならざるをえなかった。
エディさんがいいと言えばそれでオーケーさ、と内藤は言っていたが、私にはそれほど簡単なこととは思えなかった。いくらマネージャーがエディになったからといって、興行を打つ権利をジムが持っている以上、やはり勝手はできない。しかも、韓国で試合をすることになれば、ジムは少しも儲《もう》からないことになるのだ。
柳と韓国でやりたいなどと言ったら猛反対されるかもしれない。まして、それを俺のような者が動いて作ったということを知ったら、どんな騒ぎになるかわからない。私がそう言うと、内藤は暗い顔になり、しばらく考えたあげく、ぽつりと言った。やっぱり、船橋をやめるより仕方がないのかな。移籍か……と私も呟いたが、それは実に面倒なことだと聞いていたので、その時はほとんど気にも留めず、そのまま西口の構内で別れてしまった。
しかし、金子と話しているうちに、急に移籍の二文字が頭の中で大きくなっていくのが感じられた。
「でも……移籍をするといっても……そんなに簡単じゃないし……」
私が小さく呟くと、金子がそれを耳にとめたらしく、言った。
「そうでもないと思うよ」
「…………?」
「金さえ出せば、できないことじゃないよ」
「そうでしょうか。かなり大変だという話ですけど……」
「いやね、最近はジムを閉めたりする人がいて、結構あるんだよ」
「そうですか」
「まあ、あそこはいろいろと難しいジムだから、そうすんなりとはいかないかもしれないけど、絶対に不可能ということはないと思うよ」
金子の言葉には、お座なりではない熱っぽさがあった。もしかしたら、金子は内藤をほしがっているのかもしれない、と思った。
「金って、どのくらいのものなんでしょう」
「そう、内藤くらいの選手になれば、二百万か、三百万というところかな」
「三百万……」
私は頭の中で計算していた。三百万といえば……原稿用紙一枚で三千円の原稿を……千枚書かなくては稼《かせ》ぐことができない。千枚といえば、私が二年かかってようやく書ける枚数だ。三百万……三百万……。私はいつの間にか、その金を自分で作り出そうと考えているらしいことに気がつき、苦笑した。
「金子さんは、内藤のことをどう思います?」
私は訊ねた。
「そうね……」
金子はどう答えたらいいのか迷っているようだった。私は直截《ちょくせつ》に、ほしいと思いますかと訊ねた。
「ほしいね、それはとてもほしいね」
その率直さは意外だった。
「三百万の金を払っても、ですか?」
私が畳みかけるように訊ねると、金子は少し怯《ひる》んだ。私はかまわずさらに質問を続けた。
「もしも、もしもですよ、金を誰かが出すといったら、ジムに入れてくれます?」
「もちろんだよ!」
金子が弾んだ声を出した。
「私はね、内藤の今をほしいとは思わないんだよ。それはね、これから頑張れば、かなりのところまで昇っていけるかもしれないよ。でも、私はね、もっとあとの内藤、つまりボクサーを引退してからの彼がほしいんだよ。あの技術とセンスを持っていれば、ほんとに素晴らしいコーチになれると思う。これからの私には、そのうまさが必要になるような気がするんだ……」
金子がそこまで喋《しゃべ》った時、事務所の奥で電話のベルが鳴りはじめた。
電話の相手は村田の後援者のようだった。十二月の東洋タイトルマッチの件で何かを相談しているらしい金子の声を耳にしながら、私はそれまでのやりとりをゆっくり反芻《はんすう》した。そして、内藤を柳と闘わせるということが、さほど荒唐無稽の話ではないらしいことに意を強くしていた。船橋ジムがそれを許すかどうかは疑問だったが、しかしいざとなれば移籍することも不可能ではないらしい。その時は金子ジムが引き受け手になってくれるだろう。だが、問題は金だ。どんな場合にも金が必要になってくる。しかも、それは数百万という単位の、私にはほとんど縁のない額の金だった。
「金か……」
私は思わずまた呟いていた。
内藤がジムにやって来たのは外が真っ暗になってからだった。彼岸が過ぎて、日の暮れるのがすっかり早くなっていた。
エディはアマチュアのコーチのためしばらくジムに来られないということだった。内藤は、他のボクサーより遅く練習を始めて、彼らよりかなり早目に切り上げた。エディ抜きで練習しなければならなかったということもあったのかもしれないが、やはり次の試合が決まっていないため、どのように気持を盛り上げていけばよいかわからないということが大きかったのだろう。軽く流すといった程度のトレーニングしかしなかった。
シャワーを浴び、髪を整え、皮のジャンパーを羽織った内藤と、私は一緒にジムを出た。外の空気は冷たく、薄手の綿のジャンパーでは寒いくらいだった。肩を並べて歩きはじめると、内藤がすぐに話しかけてきた。
「昨日……ひと晩中考えたんだけど……やっぱりやめようと思うんだ」
私はびっくりした。
「やめるって、柳とやるのをかい?」
私が言うと、逆に内藤が驚いたような顔つきになった。だが、すぐに表情を崩して言った。
「そうじゃないよ。やめようっていうのはジムさ。俺、船橋ジムをやめさせてもらおうかと思うんだ」
「ああ……」
私は自分があまりにもひどい誤解をしたことが照れ臭く、話をまぎらすために慌てて訊ねた。
「どうして……そんな急に?」
「別に急ってことはないんだけどね。俺、昨日の夜、考えたんだ。このまま船橋にいたら、前と同じことになりそうだなって」
「同じこと?」
私は内藤の顔を見ながら訊き返した。
「以前、俺はアメリカに行って試合をしたかったんだよね」
内藤は前を向いたまま言った。
「うん、それは聞いたことがある」
「でも、船橋じゃあ、俺が壊されるのをおっかながって、なかなか出してくれなかったんだ。いつかそのうちと言ってね。そりゃあ、日本でやってれば儲かってたからね。でもさ、そんなことをしてるうちに、俺のやる気が消えちゃったのさ。今度はそんなことはないと思うけど、せっかく柳とやりたいと思っているのに、またいつかそのうちになったらやりきれないじゃない。だから、俺、今のうちにやめさせてもらおうかなと思ったんだ」
内藤の船橋ジムに対する不信感はかなり根強いものがあるようだった。
「俺、会長に話をつけてやめさせてもらうよ」
内藤がきっぱりした口調で言った。
「そんなに簡単にいくとは思えないけど……」
「そんなことないよ」
「そうかな……」
「確かに俺は船橋ジムで稼がせてもらったよ。でも、だからって恩にきる必要はないんだ。だって、ジムはそれ以上に稼いだんだからね」
「しかし現在、君があのジムに属していることは事実なんだから、勝手は許されないさ」
「それはそうだけど……」
「問題はいくら払えばいいかっていうことさ」
「金?」
内藤が大きな声を出して立ち止まった。私も足を止め、頷いた。
「金を払うの? ジムに?」
「それはやっぱりね」
「冗談じゃないよ、そんなの」
内藤は激しい口調で言った。
「だって、そうはいっても、移籍に際して金を払うのは常識らしいじゃないか」
私はなだめるつもりで言った。しかし、その台詞《せりふ》は内藤には何の効果もなかった。
「厭《いや》だね、俺は。だって、俺がジムに入る時には一円だって貰ってないんだ。それなのに、出る時にこっちから金を払うなんて、御免だよ」
内藤によれば、ジムに入る時、契約金の話が出なかったわけではないという。しかし、内藤の母親が、金で体をしばられるのはよくないと主張し、貰わせなかったのだという。それが事実なら、内藤が金など払いたくないと思う気持はよく理解できる。
「貰ってないんだから払う必要なんかないよ。俺、それで話をつける」
内藤が言った。
「つけられるかな……」
私が不安そうに言うと、内藤はいくらか動揺したようだったが、すぐに気負ったような口調で言った。
「つけられるさ」
もちろん、金を出さずに移籍できればそれにこしたことはない。金の問題のひとつが解決されることになる。たとえどれほど可能性がなくとも、試みるだけの価値はある。それによって、柳戦へ一歩近づけるかもしれないのだ。
「それなら、やってみたらいい」
私が言うと、内藤は黙って頷いた。気がつくと、私たちは、映画館の角の、電話ボックスの前に立ち止まって話しつづけていた。
「そういえば、金子さんがね……」
と私は思い出して言った。
「柳とやるならいまがチャンスかもしれないと言ってたよ」
「話したの、そのこと」
内藤が私の顔を見た。
「悪かったかな」
「そんなことはないけど……」
私は金子との会話のあらましを告げた。そして、言った。
「金子さん、なにか君をほしいみたいだったぜ」
「ほんと……」
意外そうだったが、嬉しくないこともないようだった。
私はそこで内藤と別れた。内藤は駅に向かったが、私は線路の反対側にある古本屋へ行く用事があった。
踏切が開くのを待ちながら、この反対側で、初めてジムへ行くため心を波立たせ、やはり開くのを待っていたことがあったのを思い出した。それがたった二カ月前のことだということが、私にはとても不思議に感じられてならなかった。
その翌日から、私はボクシング関係のジャーナリストや放送局の運動部員を訪ねて廻るようになった。会って話しながら、漠然とした問いを投げかけ、その反応を知ろうとしたのだ。私が知りたかったことはただひとつ、柳対内藤の一戦が実現可能か否かということだった。
彼らは一様に内藤のカムバックに対して懐疑的だった。大戸との一戦は大して参考にならないという立場をとり、内藤は真の意味でカムバックしたとはいいがたいと主張した。そして、これから先も、真のカムバックを果すことはないのではないかと言った。その理由はふたつあった。ひとつは、年齢的、肉体的な限界がきているのではないかということであり、他のひとつは、いつかきっとやる気を失ない、練習を厭がるようになるだろうという精神的な持続力に関してのものだった。それらについては私がどう反論しても納得してもらえなかった。彼らは、かつてのカシアス内藤の像からどうしても離れられないようだった。
しかし、内藤とその力量については私が信じていさえすればいいことで、ある意味でどうでもいいことと言えた。だが意外だったのは、内藤の興行価値に対する評価が予想以上に低かったことである。これはどうでもいいとは言っていられない問題だった。
まず、柳と内藤の試合を日本で開催することは絶望的だ、と彼らは言った。柳は外国で試合をしないと宣言してはいるが、ファイトマネーの上積みをすれば日本に来ないことはない。しかし一説によれば、それは二万五千ドルから三万ドルという法外な額であり、そのような大金を出してまでして輪島に完敗した柳を呼ぼうという興行師はいないはずだ。しかも、と彼らは言った。相手が内藤では新鮮さがない。内藤に東洋タイトルマッチの客を呼ぶだけの力はなくなっている。
では、韓国へ行って試合をすることはどうか。私が訊ねると、彼らはそれも難しいと言った。柳は自分があと何戦もできないことをよく知っていて、少しでも多く金を稼ごうとしている。内藤が相手なら与《くみ》しやすしと思う反面、客の不入りを恐れる気持も出てくるだろう。とにかく内藤は韓国内で四回もたてつづけに負けているのだ。その五度目の試合をそれほど多くの客が見にくるはずはない。そして彼らは、よほどのことがないかぎり柳と内藤の試合を組むことはできないのではないか、と言った。彼らの言う「よほどのこと」とは、金と人脈を指すようだった。私にはそのどちらもなかったが、別に落胆はしなかった。困難なことは覚悟の上だった。
しかし、そのようなことを繰り返しているうちに、瞬く間に半月が過ぎていった。
その夜、いつものように新聞社のボクシング担当記者と会い、家に帰ってくると、内藤から待ちかねたように電話がかかってきた。
「どうかしたのかい?」
私が訊ねると、内藤が低い声で言った。
「会って、相談したいことがあるんです」
電話から流れてくる声は、ジムからの帰りに、きっと話をつけてくるよ、と張り切っていた時とはまるで違っていた。船橋ジムに行って手ひどい拒絶にあったのかもしれないとも思った。しかし、私がそれを口にすると、内藤は違うと言った。
「そうじゃなくて、エディさんが反対してるんだよ、移籍に」
それを聞いて、私はしまったと思った。柳とやるにしても、移籍するにしても、エディの同意が不可欠だということを忘れてしまっていた。迂《う》闊《かつ》だった。内藤が望むことは同時にエディの望むことでもある。いや、そうまでは考えていなかったにしても、内藤の状態がよくなれば必然的にエディもよくなるのだからという思い込みは、確かにあった。エディに少しでも楽になってもらいたいというのは私たちに共通の思いだったから、エディに反対されるとは想像もしていなかったのだ。
内藤がどういうことなのか事情を説明しはじめた。
発端は三日前に金子から直接うちのジムに来ないかと誘われたことにあったらしい。内藤は、それでは船橋ジムと話をつけてこようと思い、アマチュアのコーチを終えてジムに戻ってきていたエディに相談し、同行してくれるよう頼んだ。ところが、喜んで一緒に行ってくれると思っていたエディが、意外にも移籍に反対したのだという。
「どうしてエディさんは反対だと言うんだい?」
私が訊ねると、内藤は電話の向こうで、
「さあ……」
と途方に暮れたような声を出した。確かにエディに相談しなかったのはまずかった。しかし、エディが移籍に反対する理由がわからなかった。話が先に進んでしまい、自分だけ蚊帳《かや》の外に置かれたことに腹を立ててしまったのだろうか。いやそんなふうではなかった、と内藤は言った。
「なんか……危ないからって……」
「危険だって?」
「うん、なんか、そんなこと言ってたな、エディさん」
私はエディの反対の理由が少しわかってきた。エディは、移籍の話がもつれ、内藤の体に危害が加えられることを恐れたのだ。
エディが日本に来てトレーナー稼業を始めたのは、力道山の招きがあったからだった。しばらくはリキ・ジムに拠って順調な生活を送っていたが、興行のもつれが原因で力道山がヤクザに刺殺されると、リキ・ジムは支柱を失なって崩壊し、エディはジプシーにならざるをえなかったのだ。エディが興行の世界の「もつれ」を恐れるのは無理ないことだったかもしれない。しかし、内藤と力道山ではあまりにもその興行価値に差異がありすぎる。エディの過敏さは滑稽だともいえた。だが、いまやエディにとって内藤は、最後の博奕《ばくち》をするための大切な、そしてほとんど唯一の駒だった。少しでも危険の可能性があることをさせるわけにはいかない、と思っているに違いなかった。
話はまた振り出しに戻ってしまったのだろうか。私が電話口でぼんやりしていると、内藤が心細そうな声で言った。
「一度……エディさんと一緒に話してくれないかな」
「もちろん」
と私は答え、できるだけ早い方がいいと付け加えた。内藤はいったん電話を切り、エディと連絡をとった。折り返しの電話で、明日の午後六時に後楽園ホールの喫茶店で会うことにした、と告げてきた。
翌日、約束の時間に喫茶店に行くと、内藤がすでに来て待っていた。いつにない正確さだった。よほど心配だったのだろう。毛糸の帽子をかぶり、浮かない顔で坐っていた。エディはまだのようだった。
私が前の席に腰をおろすと、内藤は溜息《ためいき》まじりに言った。
「どうしてエディさん、移籍に反対なんだろう」
「…………」
「もしかしたら、あれかなあ。船橋にいればマネージャーの権利を持っていられるけど、ほかのジムへ移ったらそういうわけにはいかないから、それでかなあ」
「そんなことはないだろう。エディさんは、君に万一のことがあってはいけないと思ってるのさ、きっと」
内藤はそうかなあと言い、私はそうさと言った。しかし、いずれにしても、エディの口から直接きいてみればわかることだ。
「柳とやりたいって言ったら、エディさん、何て言うかなあ」
内藤が不安そうに言った。
「まだ話してないの?」
「うん、まず移籍のことを話そうとしたら、反対されちゃったもんだからね」
「駄目とは言わないと思うけど……」
しかし、私にも自信はなかった。
エディはなかなかやって来なかった。内藤がしびれを切らして、ホールに探しにいった。ホールでは「チャンピオン・カーニバル」が行なわれていた。日本タイトルマッチが五試合もプログラムに組まれているという派手な興行だ。しばらくして、内藤がぼやきながら戻ってきた。
「まいったよ。六時にここって約束したのに、エディさん、佐々木の試合のセコンドなんかやってるんだから」
佐々木滋は金子ジムのボクサーだった。J・フェザー級でチャンピオンの笠原優に挑戦していた。たぶんセコンドにつくことを金子に頼まれたのだろう。
そこにタオルで首筋を拭きながらエディが姿を現わした。私たちの席に歩み寄ると、大きな身振りを交えて言った。
「佐々木、駄目ね。一回にとてもいいチャンスあったの。そこでバンバンと行けばよかったよ。行きなさい。でも、待ったね。待ったらKOされたよ」
エディが私の横に坐ると、内藤がもどかしそうに喋りはじめた。
「エディさん、三人で相談したいことがあるんだ」
エディは内藤のその様子からただならぬ印象を受けたのか、急に真顔になった。
「オーケー。ここにいるのは、みんな仲間。言いたいこと、みんな言うてね」
そこで、私は内藤と話し合ったことを伝えた。柳と闘いたいということ。柳との試合は船橋にいてはできないのではないかということ。常識的には柳と試合をすることは難しそうだが、もしエディが柳戦に賛成してくれ、移籍することもできたら、韓国でもどこでも行って私がマッチメークしてきてもよい。それには金が必要だといわれているが、二百万くらいなら何とかするつもりだ……。私は話の勢いでそう口走ってしまってから、自分は果してそんな大金を作れるのだろうかと不安になった。
「二百万?」
エディが訊《き》き返した。
「そう、約一万ドル」
自分で言って、跳び上がりたいような気分になった。二百万という数字には特別の感慨はなかったが、一万ドルと言い直したとたん、それが途《と》轍《てつ》もない額のように思えてきてしまったのだ。
「一万ドルね……」
とエディは呟《つぶや》いた。そして、言った。
「一万ドルあれば、柳とでも、誰とでも、できますね。あとは、このボーイの気持だけよ」
「エディさん、柳とやってもいい?」
内藤が昂奮したような口調で訊ねると、エディは、どうしてそんなつまらぬことを訊くのかといった表情を浮かべた。
「大事なのは、あんたのやる気。やりたい、思う気持があったら、みんなオーケー」
「韓国でやることになっても賛成してくれます?」
そう訊ねた私の声も、いくらか上ずっていたかもしれない。
「もちろんです。柳とやるの、とてもいいね。グッド・チャンスよ。どうしては、このボーイ、もう時間がないからよ」
まず第一の関門は通過したらしい、と私は心の中で呟いた。
「ジュン」
とエディが内藤に話しかけた。
「ソウルは寒いよ。冬、寒いよ。それでも、やる?」
「エディさん、そんなの平気だよ。俺、暑いのより寒い方がいいくらいだよ」
内藤の声に生気が甦《よみがえ》ってきた。そう、とエディは呟き、ジュンは柳とやりたいのね、と言った。
「やりたいよ。やって、オトシマエをつけたいんだ」
内藤が言うと、エディが不思議そうに訊ねた。
「オトシマエ? それ、なに?」
私と内藤は顔を見合わせた。説明するのはかなり難しそうだった。それでも必死に言葉を探してきては説明を繰り返したが、エディに理解させることはできなかった。ついに諦《あきら》め、私は話を換えた。
「ところで、移籍のことなんですけど……」
そこまで言うと、内藤があとを引き取った。
「エディさん、俺、やっぱり移籍したいんだよね」
エディは、それまでとうって変わった厳しい顔つきになり、首を振った。
「難しいね、ジュン。それは難しいよ。船橋の会長、ナイスガイ。でも、まわりにいろいろな人がいるよ。ジュンが、船橋から離れる言うたら、会長、メンツがあるから、オーケー言えないよ」
エディがメンツという言葉は理解しているらしいことがおかしかった。しかし、やはりエディが恐れていたのはそのことだったのだ。
「どうしたら、そのメンツが守れるでしょう」
私はエディに訊ねた。
「それは……メイビー……お金ね。お金払って移籍すれば、会長、メンツもいいし、ふところもいいね」
そこでエディは笑い顔になった。どうやら、エディは移籍そのものに反対しているわけではないらしい。私は内藤に向かって言った。
「やっぱり、金を払って移籍するより、仕方がないのかもしれないな」
「でも、それはシャクだなあ」
内藤は不満そうだった。
「ちょっと、聞いてください……」
とエディが私に言った。
「その一万ドル、船橋に渡しては、いけないですか?」
まだ作れていない金だったが、エディはすでにどこかに存在しているかのように、その一万ドル、と言った。しかし、二百万くらいならと大見得を切ってしまった手前、まだできるかどうかわからない金だとは言えなかった。
「つまり、移籍をさせるために、その金を使うということですね」
私は訊き返した。
「そうね」
「しかし、そうすると、柳との試合ができなくなりますよね」
「ノー、そうでもないよ。韓国にパワーある男を知ってるね。その男に頼めば、柳と試合できるよ。お金、いらないよ、きっと。一万ドル、船橋にあげたらいいよ」
柳と金を使わずに試合ができればそれにこしたことはない。だが、実際にそれは可能なことなのだろうか。どんなに頑張ったところで私が作れる金は一万ドルが限界だという気がする。移籍するためにそのすべてを投入してしまうと、あとで必要になった時に困りはしないか。私たちにとって重要なのは柳と闘うことであって、移籍すること自体ではない。
だが、エディの提案に対して反対するだけの根拠は何も持っていなかった。やはり、内藤がある程度の自由を手に入れなければ、柳との話を進めるわけにはいかない。とすれば、移籍することからすべての一歩が踏み出されるのかもしれない、とも思った。
「一万ドルで移籍はできますか?」
私が訊ねると、エディは少し考えてから言った。
「わからないね。ダメかもしれない。でも、ダメだったら、移籍じゃなくて、プロモーションの権利をゆずってもらえばいいよ。それを誰かに売って、その何十パーセントかを船橋に渡せば、きっといいね」
「でも、それで、柳と韓国でやることができるでしょうか。ジムには一円も入らないんだから……」
「…………」
「柳とできなければ、プロモーションの権利も何も意味がないんです」
「柳とできないなら、内藤を買いませんか?」
「買う?」
私は信じられない言葉を聞いたような気がして訊き返した。
「そう、一万ドルで、買うのやめますか?」
私と内藤は顔を見合わせた。
「そうじゃないの、エディさん。俺たちはね、柳と……」
内藤は説明をしかけたが、どう続けていいかわからず、途中で口をつぐんだ。
エディは「買う」という言葉を使った。ただの酔狂で一万ドルも金を出そうという奴がいるはずはない。確かにその感覚の方が正常だった。しかし、私が内藤を「買う」つもりがないことも確かだった。内藤に出資して、あとで儲けようなどとは思いもしなかった。私がそう言うと、エディは不思議そうに訊ねてきた。
「そうしたら、その一万ドル、どうやって取り戻すの?」
「別に、戻ってこなくてもいいんです」
「ノー」
エディは強く言った。
「それはいけないね。これはビジネス」
「ビジネス?」
「そう、ビジネス。これは三人のビジネスよ」
私はそれをビジネスととらえる感覚は持っていなかったが、それなら何なのかと問いつめられて、エディにうまく説明できるとも思えなかった。私は故意に「買う」という言葉を使って言った。
「そうです。柳とできなければ、買うつもりはないんです」
「わかりました」
とエディは言った。
「この一万ドルで、移籍しましょう。僕、会長に会うてくるよ」
「エディさん、行ってくれる?」
内藤が嬉しそうな声を上げた。
「そうね、会うて、頼んでみますよ」
エディも内藤の声に煽《あお》られたのか、いくらか顔を紅潮させるようにして言った。
私たちは、それから、移籍後のことを話しはじめた。どこに移籍するか、エディの権利をどのように守っていくか、どのようにして柳との試合のマッチメークをするか……。
しばらくして、三人で食事に行った。ビールを呑むというエディに付き合い、私も呑んだ。エディは上機嫌だった。内藤が明日でもチャンピオンになるかのような調子で何度も言った。
「三人、みんなでよくなるの。わかった?」
私はエディの言葉に頷きながら、どこかに微妙なずれがあるのを感じていた。
第八章 契約
ここしばらくは金作りに精を出そうと思った。移籍に関する交渉はエディが引き受けてくれた。内藤はジムで練習に励む。とすれば、私に残された仕事は金を作るということしかないはずだった。しかしどう考えても、数百万の金を短期間のうちに作り出す才覚があるとは思えなかった。
どうしたものか思い迷っている時、ひとりの男の顔が浮かんだ。たった一度会ったにすぎない男だったが、あるいは彼なら相談にのってくれるのではないかと思った。
彼は電通の関連会社でコマーシャル・フィルムを作っている男だった。一カ月前に会いたいという電話をもらい、あまり気のすすまないままに会った。用件は、彼が今度あたらしく作るコマーシャルの製作に協力してくれないか、ということだった。私はその申し出を断わった。私にはそのような経験もなく、また力量もない。しかし、彼はそういった答えは予期していたらしく、簡単には引き退《さ》がらなかった。自分が期待しているのは経験や知識ではない、事実を素材にしたこのコマーシャルにはある独特な方向性を打ち出したいので、その理念、あるいは製作する我々の支えになるような言葉、または短い文章を書いてほしいのだ、当然のことだがそれを直接コマーシャルに使おうとは思っていない。彼はそう言った。
話をしているうちに、私は自分とほぼ同年輩のこの男に好感を持つようになった。それぞれがそれぞれの仕事の中で、真《しん》摯《し》に闘っている姿を見ることは気持のよいものだ。彼は彼なりの悪戦の中でどこかに突破口を見つけようと苦闘しているようだった。しかし、その姿に魅《ひ》かれはしたが、やはり仕事を引き受けるわけにはいかなかった。すると彼は、最終的な返事をする前に、ロケーションの地に選んである飛騨《ひだ》の山中に、一度でいいから一緒に行ってくれないか、と言った。撮影のためには冬から始めて初夏まで何度か通わなくてはならないだろうが、そのロケハンだけでも付き合ってくれないかというのだ。私はこの男とそのスタッフと一緒なら旅行をしても面白いかもしれないと思った。そう思ったのには、彼に好感を持ったということのほかに、もうひとつの大きな理由があった。
私たちの話題の中心が、仕事そのものからテレビ・コマーシャル一般に移っていった時のことだ。ここ半年くらいに見たコマーシャルの中でどんなものが印象に残っているか。そう彼に訊《たず》ねられ、私は躊躇《ちゅうちょ》なくモハメッド・アリの化粧品のコマーシャルをあげた。正装したアリがカメラを見つめ、はにかんだような笑みを浮かベ、やがてひとことその商品名を言う。私はそのコマーシャルが気に入っていた。黒と茶を基調にした落ち着いた色合いと、アリの表情がよかった。ところが驚いたことに、そのコマーシャル・フィルムは、眼の前にいる彼の手になるものだったのだ。私にはその偶然がたまらなく面白かった。しかも、彼から話されるアリの素顔は魅力的だった。私は、彼と一緒に飛騨へ行き、酒でも呑みながらアリの話を聞くのも悪くない、と思った。そこで彼の意見を容《い》れ、仕事の返事をしばらく保留することにしたのだ。
それから一カ月が過ぎている。こちらに金に関する相談事がなくとも、そろそろ会わなくてはいけない時期になっていた。今度は逆に私から会いたいという電話をかけた。私は彼の勤め先の有楽町へ行き、会って正直に打ち明けた。
まだはっきり決まったわけではないが、場合によっては二百万からの金を作らねばならなくなる。いざとなれば各所からの借金で何とかなるかもしれないが、できるだけこの手で稼《かせ》ぎ出したい。もし私がこのコマーシャルの仕事をすれば、どのくらいの報酬が貰えるのだろうか。いつもなら金のことを口にするのがいやさに訊くはずもないことだったが、この時ばかりは気にもならなかった。彼は、まだ具体的に金額までは考えていなかった、と答えた。そこで、私はその金が必要な理由を簡単に、しかし熱をこめて語った。聞き終ると、彼はいくらか昂奮《こうふん》した面持で言った。
「震えるような話だなあ……」
そして、二百万すべてというわけにはいかないが、そのかなりの部分が出せるよう、こちらも努力してみる、と言ってくれた。しかも、仕事をするのは実際にその金が必要になった時にしてほしいという私の虫のいい願いを、彼は気持よくきいてくれた。私は嬉しかった。これで金についてはひとつ荷が軽くなったというだけでなく、私と内藤の馬鹿げた情熱を、少なくともひとりは理解してくれたということが嬉しかったのだ。
その夜、酒を呑んで家に帰ると、内藤から電話がかかってきた。内藤は挨拶もそこそこに上ずった声で言った。
「俺、フリーだって!」
「自由になれたっていうこと?」
私がいくらか慎重に訊ねると、内藤は弾むような調子で答えた。
「そう、俺、もう自由になれるんだって。さっき、エディさんから電話があって、会長と話をつけてきたから安心しろって」
「そいつはよかった」
私も電話口で明かるい声を出していた。
しかし、内藤の話では、フリーになれるというだけで、肝心の条件、とりわけ金銭についての条件がよくわからなかった。移籍できるということに昂奮し、それどころではなかったのだろう。ひとしきり喜び合ったあとで私は内藤に言った。
「エディさんと話をしたいな」
ところが、エディは明日からロイヤル小林のキャンプに参加するという。エディの教え子のひとりである小林は、近くエウゼビオ・ペドロサの世界フェザー級タイトルに挑戦することになっていた。キャンプに参加すると一週間は帰ってこられない。だが、会って話を聞くのは早い方がいい。エディに連絡をとると、明日の午前中なら時間をさけるという。私たちは朝の十時に中野駅の近くで会うことにした。エディが中野に住んでいたからだ。
翌日、手頃な喫茶店を知らないため丸井の店頭で落ち合った私たちは、通りの反対側の小さなコーヒー屋に入った。
エディは私と内藤の前に坐ると得意そうに言った。
「会長、一万ドルでオーケー言うたね」
「二百万円じゃなくて、一万ドルなんですか?」
私が念を押した。
「そうよ、一万ドルよ」
交換レートは一ドルが二百二十円前後だったから、一万ドルは二百万をいくらか超えることになる。だが、まずそれでよしとしなくてはならないだろう。
「なんだかんだうるさいこと言わなかった?」
内藤が口を開いた。
「何でもなかったよ」
エディの言葉に内藤は意外そうな表情を浮かべた。
「それ以外の条件はまったくありませんでしたか」
私が訊ねた。エディはあっさり答えた。
「もちろんよ」
あまりにも簡単なことに、私はいささか面くらっていた。ぼんやりしているとエディが言った。
「いつ、契約するね?」
すぐにでもと言おうとして、その前にしなくてはならないことがいくつもあることを思い出した。
まず第一に、金をかけることなしに本当に柳と試合ができるのかどうなのか。かりにいくらかは必要だとしても、試合ができるかどうかの感触だけでも確かめなくてはならない。柳と闘えなければ移籍が無駄になる。第二に、移籍の先をどうするかである。常識的には金子ジムへ行くのが妥当だろうが、条件が折り合うかどうか具体的に話をつめてみなければならない。第三に、早く金を揃《そろ》えなくてはならない。
私が三番目だけを除いて言うと、エディはそうねと頷《うなず》き、急に立ち上がった。
「どうしたの、エディさん」
内藤がびっくりして言った。
「電話をかけるね」
「誰に?」
「ジュン、知ってるでしょう、ヤマガタのこと」
内藤は頷いたが、私は知らなかった。
「どんな人です?」
「韓国にとってもパワーあるね、ヤマガタ。マッチメーカーよ」
「その人に頼むんですか、マッチメークを」
「そう。ヤマガタなら、きっとできるね。いま、電話してみます」
エディはそう言いながら、カウンターの上の赤電話のダイヤルを回した。
しかし、ヤマガタは家にいなかった。サムエル・セラノと丸木孝雄の世界戦を見るため名古屋へ行っているという。エディは少し気落ちしたように言った。
「困ったね。でも、仕方ないね……」
エディは、あまり遅くなると船橋の態度がどう変化するかわからない、ということを懸念しているらしかった。
「いいじゃないですか。エディさんが帰ってから連絡したって遅くありませんよ」
私がつとめて明かるく言うと、エディは再び前の調子を取り戻して言った。
「そう、大丈夫。ヤマガタなら、きっと試合を作ってくれるよ。キャンプから戻ってきたら、みんなでヤマガタに会いましょう」
すべてはエディが帰ってからだ。それまでは移籍に関しても凍結の状態が続くことになる。内藤はいくらか不安そうではあったが、他《ほか》に手の打ちようのないこともよくわかっているようだった。エディはコーヒーのおかわりをし、それを呑みほすとキャンプの準備があるからといって帰っていった。私と内藤は別に用事がなかったのでもうしばらくそこに残ることにした。エディの姿が扉から見えなくなると、内藤が笑いながら言った。
「あの一万ドルっていう金額ね……」
「トレードマネーの?」
「そう。あれ、エディさんが金を払うから移籍させてほしいと言った時、会長はきっと十万円か二十万円くらいしか持ってないと踏んだんだろうと思うんだ。俺にもエディさんにも金がないことをよく知っているからね。それで一万ドルと言えば、エディさんにもその金の大きさがわかるから、ぶっ飛んで引き退がると思ったんだよ」
「なるほど、それで二百万円じゃなくて、一万ドルか」
私も笑いながら言った。
「ところがエディさん、オーケーでしょ。会長も驚いたと思うよ。でも、ほら、会長ってああいう人でしょ。自分から言い出しておいて、やっぱり駄目とは言えないじゃない。男がすたるからね。それで簡単にオーケーになったんじゃないかな」
内藤のこの見方は、うがちすぎといえなくもないが、それなりに筋が通っていた。しかし、私はその話を聞いて、もしかしたら内藤は船橋ジムがあっさり自分を手放しそうなことに小さく傷ついているのかもしれない、と思った。たとえどれほど嫌っていたにしても、そのジムにとって自分が不可欠の存在であるという思いは、彼を支える自信のひとつになっていたはずである。その自信がぐらつくことを恐れて、内藤は自分を納得させるためにそのような話を考え出したのかもしれない。もちろん、それをどう解釈しようと内藤の勝手だ。船橋は一万ドルで移籍を承認した。確かなことは、内藤が一万ドルと値踏みされたということだ。
「船橋から離れたら、どこに所属したい?」
私は話を換えた。
「そうだね……理想をいえば……アメリカみたいにやりたいな。どこのジムにも所属しないでさ、自由にやっていくっていうのがいいな。一試合ごとに興行師と契約するんだ、条件のいい方にね。テレビも専属契約なんか結ばないで、一試合ずつ売っていく……」
内藤は夢を見るような口調で喋《しゃべ》りはじめた。そして、内藤がボクサー、エディがトレーナー、私がマネージャーというチームを作れたら、どんなに素晴らしいだろうといったようなことを語った。三人でチームを作る、か。私はふと心を動かされた。しかし、ボクサーが必ずどこかのジムに所属しなければならない日本では、それは夢物話にすぎなかった。
「もし俺が世界チャンピオンになったら……」
だが、内藤はまだ夢を語るのを止《や》めようとしなかった。
「……それこそいろんな奴が喰いついてくると思うんだ。でも、三人でやっていけたら、とってもうまくやれると思うんだ」
私は内藤が自分を過大に評価しすぎているのではないかということが気になり出し、苦笑まじりに気の利かない台詞《せりふ》を吐いた。
「世の中、そんなに甘くないぜ」
すると、内藤は意外にも素直に頷いた。
「うん、わかっているさ」
「柳とやることができたとしても、向こうでやれば、当然、ホームタウン・デシジョンは覚悟しなければならないし、容易なことじゃ勝てないぜ」
「もちろんさ。判定で勝とうなんて思ってないよ」
私は内藤の顔を見た。別に虚勢を張っている様子もない。自然にこの言葉が出るようになっているのだとしたら……希望がないわけではない、と私は思った。
十二月に入って初めての日曜日、エディがロイヤル小林のキャンプから戻ってきた。
翌日、さっそく私たち二人は飯田橋にあるヤマガタの家を訪れることにした。エディの言ったヤマガタとは、マッチメーカーの山県孝行のことだった。ボクシング担当の新聞記者に訊ねると、山県はハワイ生まれの二世か三世で、確かに韓国には強力なコネクションを持っているという。
山県との約束の時間は午後二時だったが、私たちは大幅に遅刻してしまった。山県の家の前まできて、エディが途中で荷物を置き忘れたことに気づき、探しまわらなくてはならなかったからだ。山県は、しかし遅れたことに対しては少しも文句を言わず、むしろ愛想よく近所の和風ステーキ屋に案内してくれた。
ひととおりの挨拶と紹介が終ると、エディは英語で山県と話しはじめた。共通の知人に関する噂《うわさ》話だったが、ふたりとも英語の方が話しやすそうだった。いよいよ本題に入ろうとすると、エディが時計を見て声を上げた。ロイヤル小林の調印式の時刻が迫ってしまった。どうしても出席しなくてはならない。ふたりで、しっかりヤマガタさんに相談してね。エディはそう言い残すと、そそくさと出て行ってしまった。私は少しがっかりしたが、調印式なら仕方なかった。いや、本音を言えば、それよりこちらの方が大事ではないかという思いもなくはなかった。しかし、エディに喰うための仕事をおろそかにさせる権利は、私にも内藤にもなかった。
私たちはこれまでの経過のすべてを山県に話した。私の足りない部分は内藤が補い、内藤の思い違いは私が正すという具合にして、ふたりとも懸命に喋った。山県は私たちの話にほとんど反応を示さなかった。そして、それを聞き終えるとつまらなそうに言った。
「要するに、柳と東洋をやりたいというんだろ?」
私は、断わられるのではないかとひやりとしながら頷いた。しかし、次に山県の口からついて出た言葉は拒絶を意味するものではなかった。
「それで、いつ頃やりたいんだ」
「…………?」
私は内藤と顔を見合わせた。
「柳とはいつ頃やりたいんだい?」
山県がもう一度繰り返した。私は彼がマッチメークを引き受けてくれそうなことに安《あん》堵《ど》しながら慌てて答えた。
「早ければ早いにこしたことはないんですけど……」
「二月でも、三月でも……」
と内藤も言った。
「早くっていっても、冬は無理だよ」
山県が言った。どうしてです、と私も内藤もほとんど同時に訊ねた。
「二月、三月といえば、ソウルは凍えるような寒さだ。零下十五、六度なんかざらだよ。それでも平気かい?」
逆に山県が内藤に訊《き》き返した。
「そんなですか……そんなんじゃ堪まらないな……」
内藤が困惑したように言った。
「そうだろう。だから、向こうでやるんだったら、四月にならないと無理なのさ。とても勝てやしないよ。寒さにやられる。向こうのボクサーは寒さに強いから、零下何度なんていう会場でやったら、そこの暖房設備を止めるなんてことをしかねないからね、あいつらは。あとでいくら文句いったって、故障してましたといわれればそれでおしまいさ。このあいだも、世界タイトルで中南米の何とかというボクサーが、ソウルの寒さにやられて簡単に沈められたよ。ガタガタに凍らされて、六回すぎてようやく暖まったと思ったら、今度は汗が出すぎてバテたわけさ。それでノックアウト」
私たちは黙り込んでしまった。話は少し大《おお》袈《げ》裟《さ》すぎるようにも感じられたが、圧倒され、返す言葉がなかった。
「まあ、それでなくっても、冬にやるのは無理だけどな」
「…………?」
「ランキングの問題があるだろ。いくら向こうさんがやってくれるといったって、東洋のランキングに入ってなけりゃ、できやしない。やっぱり、東洋ランカーをひとりくらいやっつけないと難しいよな。そうすると、どうしたって、柳の前にひとつ試合を組まなきゃならない」
「そうですか……」
私は呟《つぶや》いた。
「それはそうさ。……まあ、羽草あたりとやるのがいいかもしれないな。いまは下り坂だけど、まだ東洋の五位かなんかに頑張ってるから」
「羽草はジュニアミドルでしょ?」
内藤が口をはさんだ。
「いや、ジュニアだってなんだって、勝てば東洋に突っ込むのは簡単さ」
私は羽草という名を頭に叩き込み、それとは別の、しかし最も大切な質問を山県にした。
「そもそも柳は内藤の挑戦を受けてくれるでしょうか」
「それは会って訊いてみなけりゃわからないよ」
「受ける可能性はあるでしょうか」
「そうだなあ……たぶん……受けてくれるだろうな。内藤が四年もリングを離れたということを知れば、やってくれるんじゃないかな。まあ、その時はプロモーターにふたつくらいオプションを要求されるだろうけどね」
「オプション?」
私が訊き返すと、山県の顔にそんなことも知らないのかといった驚きの表情があらわれた。そして、それはすぐに軽い侮りに変わったようだった。
「興行の権利だよ。勝ってもふたつまでは向こうに興行権が押さえられるということさ」
「オプション……をふたつ渡せば、向こうはやってくれるでしょうか」
「実際に当たってみなければ何とも言えないけど、柳とマネージャーの間がうまくいってないと聞いているんで、そこがつけ目かもしれないな。柳を少し煽《あお》って、オプションをひとつ自分に貰えとたきつければ、案外のってくるかもしれないな」
山県はそう言ってひとり頷いた。何がどうなっているのかさっぱりわからないが、私たちには想像できないほど複雑な人間関係があるらしい。ただよろしくお願いしますと言うよりほかなかった。
「もし、柳がやってくれなかったら……」
と山県が言った。
「林載根《イムジエグン》とジュニアミドルの東洋タイトルをやればいい。内藤はジュニアまで落とせるんだろ? 日本における林載根の代理人は俺になってるから、やりたければやらせてやるよ。ここんところジュニアミドルの東洋戦は日本と韓国ばかりなんで、次はフィリピンとやらせなければならないけど、その次なら内藤とだってやらせてやれるよ」
思いがけない提案だった。たとえジュニアミドルであれ、東洋への道が開けるというのはありがたいことだった。すると、内藤がぽつりと言った。
「でもね、俺たち、やっぱり柳とやりたいんですよね」
「そうかい」
山県は相槌《あいづち》を打ったが、いくらか気を悪くしたようだった。気まずい沈黙を破って、内藤がまた口を開いた。
「俺たちふたり、韓国で柳とやった時に知り合ったんです。それからいろんなことがあったけど、もう一度あそこに行って、柳とやろうと決めたんです。今度は俺、勝つ自信があるんです。向こうで柳とやるより、こっちで林とやる方がいいにきまっているけど、でも、そういうことじゃないんです……」
山県はまるで興味のなさそうな顔をして聞いていた。しかし私は、自分の思いが他人の声にのって語られているという不思議な感動に、体を熱くしていた。内藤が話し終ると、山県は言った。
「そうかい。それならまず柳の方に当たってみることにしよう。十日頃、向こうに行く用事があるから、その時でもちょっと打診してみるよ」
「その時、できたら金のことを確かめていただけるとありがたいんですが」
私は山県に頼んだ。
「そうね、向こうでやるのにこっちから金を出すなんて必要はないはずだが、とにかく柳は金をほしがっているらしいから、わからないよな」
「ええ……」
「とにかく当たって、帰ってきたらあんたに連絡するよ。うまくいきそうだったら、また会おう」
お願いします、と私たちはまた頭を下げた。いかにもマッチメーカーとしてタフそうな山県に、とにかくやってみようと言われると、それだけでなかば柳戦は実現したような心強さを覚えた。
その帰り道、内藤は大きく伸びをしながら言った。
「今度こそ、借りは返すぞ!」
私は笑いながら頷いた。
その夜、私は電話でエディに話し合いの概要を伝え、山県が韓国から帰ってくるまで移籍に関する結論を延ばしたいという希望を述べた。エディもそれを了承し、まず山県からの連絡を待とうということで一致した。
だが、十五日が過ぎても、二十日が過ぎても、山県からの連絡はいっこうに入ってこなかった。私は少し心配になりはじめた。こちらから電話をするが、忙しいのかどうしてもうまく掴《つか》まえられない。電話に出る女性に訊ねると、すでに韓国へは行って帰ってきているという。なぜ電話をしてくれないのだろう。いくら年の瀬で忙しいにしても、電話をかける暇もないというはずはない。どうしたというのだろう……。
山県にようやく連絡がついたのは、あと一週間で大晦《おおみそ》日《か》を迎えるという日の朝だった。電話で私の名を告げると、一瞬誰かわからないようだった。内藤と柳の試合の件で先日うかがった……と言いかけると、山県はやっと思い出したらしく、ああと小さく呟いた。そして、私が質問するより早く、冷淡な口調で言った。
「ありゃ、駄目だよ」
「どういうことなんですか?」
私はできるだけ平静に訊ねた。
「柳はよ、俺が着く前の日に、韓国の奴とオリエンタルの防衛戦をやったばかりだったのさ」
柳は負けてしまったのではないだろうか。私は急《せ》き込むように訊ねた。
「それで、どうしました、柳は!」
「勝ったよ、どうにか」
タイトルを他のボクサーに持っていかれなかったことにホッとしたが、次にそれならどうして内藤と闘うことができないのか不思議に思えてきた。
「勝ったなら、問題ないじゃないですか」
私は山県にいくらか強く言った。
「いや、だからね。同じ国の人間とオリエンタルをやった次の試合は、ランキングの一位と対戦しなければならないから、次は内藤は無理なんだよ」
そのような拘束があるとは知らなかった。かりにそのような決まりがあるにしても、その通りにタイトルマッチをしている東洋チャンピオンなどほとんどいない。
「それが柳のサイドの見解なんですか?」
「見解もなにも、そういうことなのさ」
「向こうには、こっちの希望を伝えてくれました?」
「だって、そんなんだから、会っても仕方がないだろ」
期待していただけに、落胆も大きかった。私が黙り込むと、山県が言った。
「まあ、とにかく、早いとこ東洋に入れることだよ。話はそれからだな」
私は礼を言って電話を切った。
どうして急に態度が変わってしまったのかわからなかった。韓国で何かがあったのだろうか。それとも金にならないことがわかってやめてしまったのだろうか。あるいは、エディの顔を潰《つぶ》さないため話は聞いてくれたが、最初からマッチメークをする気などなかったのだろうか。暇があったらやってみようと思っていたが、韓国へ行ったら億劫《おっくう》になってしまった。そういうことなのだろうか。いずれにしても、すでに山県にマッチメークをする気がなくなっているらしいことは確かだった。
電話台の前に立ったまま、私は次に何をすべきなのか迷った。本来ならすぐにも内藤とエディにこの話を伝えなくてはならない。だが、これからどうするかの方針がないまま知らせても、混乱するばかりのように思えた。少なくとも、私だけでも具体的な方針を決めてからふたりに伝えても遅くはない。
方針を決めるといっても柳に内藤との試合を承諾させるという前提を変えるつもりはなかった。とすれば方針はただひとつ、マッチメーカーに依頼するという以外の方策を見つけることだ。そこまで考えた時、私は長野ハルに会いに行こうと思った。
帝拳ジムに電話をすると、長野の特徴ある声が流れてきた。五十に近いはずなのに、あいかわらず少女のように張りのある美しい声だった。私が名前を告げ、ごぶさたしていますと挨拶すると、長野は、まあ、お元気でしたか、となつかしそうな声を上げた。
相談というほど大層なものではないが、聞いてもらいたい話がある、いつでもいいから会ってもらえないか、どこかで食事でもしながら会ってもらえたら嬉しいのだが。私がそう言うと、長野は笑いを含んだ明かるい声で答えた。
「知ってるでしょ? 私が出不精なの」
そうだった、と私は二年前のことを思い起こした。取材の礼をしたいからと何度も誘ったが、自分はもうあまり賑《にぎ》やかな所に出たくないの、と言ってどうしても食事の招待を受けてくれなかった。
「もしよかったら、ジムへいらっしゃいよ」
長野が言った。いつなら都合がいいのかと私は訊ねた。
「いつでも。今日でもいいですよ」
私は電話を切り、そのまま帝拳ジムのある王子に向かった。
京浜東北線を王子で降り、吹きさらしのプラットホームに立つと、あまりの寒さに身震いが出た。日は照っていたが風が冷たかった。
私が長野ハルに初めて会ったのは、二年前の、やはり冬だった。当時、私は大場政夫についての取材をしていた。大場は世界フライ級チャンピオンのまま二十三歳で激烈な事故死を遂げたボクサーだった。私はその短かかった生の軌跡をできるだけ丹念に辿《たど》り返してみようと思ったのだ。大場は、たとえどれほど素晴らしいチャンピオンでも生きていくかぎりは何らかの意味で堕《お》ちていかなければならないというボクサーの宿命を、夭折《ようせつ》することで回避できた例外的な存在であった。私は、生きつづけ、だから堕ちつづけていくボクサーの姿をはっきり見るために、大場政夫について調べはじめたような気がする。長野ハルはその大場のマネージャーだった。
長野と大場は単にマネージャーとボクサーという関係を超え、より深い信頼感で結ばれていた。十代のなかばから二十三歳で死ぬまで、長野は自分の子供ほどの年齢の大場を文字通り育て上げたのだ。長野には、どうにかして名門の帝拳ジムから世界チャンピオンを送り出したいという夢があった。その夢こそが、帝拳の初代会長の死後、一事務員にすぎなかった彼女が、当時まだ高校生だった二代目会長を助けて、ジムを支えるために頑張りつづけてこられた力の源であった。長野は十五歳で姿を現わした大場という少年に夢を託し、ジムに引き取り、注意深くボクサーとして育て上げ、ついに世界チャンピオンにまですることに成功した。しかし、不意の自動車事故が、大場の命を奪ってしまった。
二年前の冬、私は長野から大場の話を聞かせてもらうため何度も帝拳ジムに通った。長野は厭《いや》な顔ひとつせず辛いはずの話をしてくれた。大場の等身大のパネル写真が置いてある事務室で、ガスストーブにあたりながら何時間でも付き合ってくれた。
取材が一段落し、私は長野に礼をしようとしたが、どのような形のものも受けようとしてくれなかった。そこで私は一計を案じ、一冊の預金通帳を作った。もちろん、大した額のものではない。私の狙いはその持ち主の名を谷津弘之という少年の名にするところにあった。彼は十五歳のためまだデビューできないでいたが、長野がひそかに第二の大場と信じている少年だった。私がジムヘ行き、彼のために役立ててほしいと通帳を手渡すと、長野はありがとうと素直に受け取ってくれた。そして、これは谷津がデビューする時の激励賞に使わせてもらうわ、と言った。私はこちらの気持が通じたことを喜んだ。
それ以来長野には会っていない。しかし、なぜか私は、再び会った時には余計な挨拶などせず、心から喋りたいことだけを喋り合えるに違いないという親愛感を、長野に対してずっと抱きつづけていたのだ。
王子駅の改札口を出て、都電の線路沿いにしばらく歩き、踏切を渡るとジムの建物が見えてくる。建物の二階に広い練習場があり、その横に事務室が並んである。長野はそこにいるはずだった。
階段を上がって入っていくと、長野は笑顔で出迎えてくれ、
「去年はスペインから素敵な絵葉書をどうもありがとう」
と言った。一年前、闘牛を見にいった折にコルドバから出した手紙のことを指していた。私は口の中で、いや別に、と小さく呟いた。
事務室の内部は以前と少しも変わりがなかった。大場の等身大の写真があり、各種のトロフィーや賞状が貼《は》ってあるところまで変わっていない。この事務室の中には死んだ大場の思い出があまりにも多くつめこまれすぎている。思い出は空気中に漂い溢《あふ》れ、私たちを息苦しくさせる。しかし、長野にとっては、恐らくこれでも少なすぎるくらいなのだ。
「いま、内藤君のことで一生懸命なんですって?」
誰から聞いたのか、長野はすでに知っていた。どう切り出したものか迷っていた私はそれで話しやすくなった。私はおよその経過を説明し、質問をいくつかさせてほしいと頼んだ。まず、私はトレードマネーの一万ドルというのは妥当な金額だろうかと訊ねた。
それに対して長野は、現状から判断すれば内藤に二百数十万は高いようにも感じられるが、重量級ということを考慮に入れると妥当なところかもしれないと答えた。次に、私はどうして山県は途中から投げてしまったのだろうかと訊ねた。山県は力のあるマッチメーカーだから、その山県が無理だというからにはそれなりの理由があるのだろう、投げたというのとは違うかもしれない、と長野は答えた。では、と私が三つ目の質問をしかけると、長野はそれをさえぎるようにして言った。
「でも、内藤君は本当にやれそうなの?」
私は言葉につまった。
「私はね、こう思うの。あるボクサーがいて、とても素質があり、才能があるとするわね。そうしたら、ジムでほっとくはずがないのよ。きっとまわりが何とかしようとするわ。それがうまくいかないのは、まわりのせいじゃなくて、やはり本人のせいだと思うの」
「…………」
「内藤君、そんなにいい?」
私は堀畑とのスパーリングを初めて見た時の驚きを語った。J・ミドルではあるが日本チャンピオンの座を狙おうという堀畑が手も足も出なかったのだ。すると長野がこう言った。
「それはそうでしょうよ、きっと堀畑は内藤のオモチャでしょうよ。堀畑はとても不器用なボクサーだから。でもね、ボクシングって、スパーリングと同じじゃないのよ。そのふたりがリングに上がったらわからないわ。スパーリングではオモチャでも、試合になったら内藤がどこまでやれるかはわからない。内藤は試合でもやれるという確信がある?」
「…………」
「ボクシングはそんな甘いもんじゃないと思うの。あなたは一年もトレーニングをしたといって感動しているけれど、四年もブランクがあって、一年くらいで元に戻ると思うのはボクシングを甘く見すぎている証拠よ」
「厳しいことをおっしゃる」
私が道化て言うと、長野は表情をふっとゆるめた。
「私はきっと内藤君みたいなボクサーがあまり好きじゃないのね」
言いたいことはよくわかった。やはり長野は、ひたむきでストイックなボクサーが好きなのだ。基本に忠実で、大場のように強い意志を持ち、勇敢なボクサーが好きなのだ。内藤はあらゆる点においてその正反対のボクサーだった。
「いつだったかしらね。以前、エディさんが私にこんなことを言っていたことがあるわ。昔よ。きっと内藤が全盛の頃だわ。内藤は臆病な子だって」
私は黙って長野が話すにまかせていた。
「……内藤は臆病だから構える時に腰が引ける。だからサウスポーの構えをそのままクルリと反対に向けさせれば、オーソドックスのいい構えになる。エディさん、そう言って笑ってたわ。そのエディさんがまた内藤と組んでるんでしょう? どういうのかしらね。内藤の足が動かなくなって、インファイトするようになったのが気に入ったのか、それともエディさんが……」
「耄碌《もうろく》したか?」
「あるいは、内藤君への同情なのかな?」
「いや、エディさんは、これはビジネスだと考えているようですよ」
「あなたは?」
「さあ……エディさんは、おまえは内藤を買うのか、という言い方をしてましたけど」
「買う?」
長野が眉をひそめるようにして訊ね返してきた。
「ええ、内藤に金を出資して、俺が儲《もう》けるんだそうです」
私は苦笑しながら言った。
「そうじゃないわね。あなたは、たぶん、人間を買おうとしているんじゃなくて、夢を買おうとしているんだろうな」
そうだろうか、と私は思った。私は夢を買おうとしているのだろうか。長野はさらに言葉を継いだ。
「でも、そのあなたの思いは、エディさんだけじゃなくて、ボクシング界の人にはうまく伝わらないかもしれないわね。ボクシングの業界はそんな思いを理解するほど綺《き》麗《れい》なところじゃないわ。もっと現実的で、そういう言い方をすれば、もっと汚いの」
「…………」
「そうじゃなくて、どうしてジムみたいにこんな小さな企業を維持できる?」
「…………」
「でもね、同じ夢を買うなら、もっと別のボクサーが……。あなたの夢に、内藤君はふさわしくないと思うの」
いや、そうじゃない。そういうことではないのだ、と私は内藤が山県に向かって吐いた言葉を思い起こしながら胸の裡《うち》で呟いた。夢なら買わなくても済む。そうではないのだ。義務といえば響きが強すぎる。しかしそれは、言葉にすれば、仕方がないよな、とでもいうよりほかないような思いなのだ。私は長野に説明しようとした。だが、どうして仕方がないのかは、長野にさえうまく説明することはできなかった。
私が長野に会って訊ねたかった最も重要なことは、韓国の柳の側とどのようにコンタクトをとったらよいかということだった。しかし、長野の内藤に対する批判を聞いているうちに、とうとう訊きそびれてしまった。外がすっかり暗くなるまで話し込んだあとで、私はようやく帝拳ジムを辞すことにした。
玄関で靴をはいていると、見送ってくれた長野が嬉しそうに言った。
「そういえば、谷津がこのあいだデビューしたわ」
「勝ちました?」
「ノックアウトでね。相手も金平さんとこのホープだったらしいけど」
「それはよかったですね。……そうだ、谷津君にあの通帳の金で激励賞を出してくれました?」
私は笑いながら訊ねると、長野は首を振った。
「どうしてです?」
「あれはね、あの子がチャンピオンになる時の試合に出させてもらうことにしたの」
私は長野の顔を見た。長野はデビューしたばかりの少年にもうチャンピオンとしての未来を託している。ここにひとつの無謀だが鮮やかな夢のかたちがある。これまで結婚もせず、いわばジムに嫁いでしまったようなこの女性の無垢《むく》な夢を、私は美しいものと感じた。私には、このように大胆で率直な夢を、内藤に託すことはできないように思えた。
「谷津君はチャンピオンになれそうですか?」
「わからないわ」
しかし、その明かるい声には、無限の希望がこめられていた。
私は挨拶をしてジムを出た。
殺気立ったあわただしさが感じられる年末の街を早足で歩きながら、だがいい、と私は思っていた。長野が内藤について言っていたことはすべて正しかった。しかし、だからといってそれでやめようと思うくらいなら、はじめからやろうとしなかっただろうというだけのことなのだ。
私は長野の言葉を思い浮かべているうちに、逆に闘志が湧《わ》いてくるのを覚えた。人に頼んで簡単にマッチメークしようなどと考えたのが間違いなのだ。あまりにも虫がよすぎる。困難なことは覚悟の上のはずだった。自分の力でやればよいのだ。マッチメーカーはあくまでも商売として試合を作ろうとする。しかし、私たちの情熱は商売の論理からはずれすぎている。商売人にとって情熱など無意味だが、私たちにとってはそれがすべてなのだ。
自分の力でやればよいのだ、と私はまた思った。自分が韓国へ行けばよい。どのようにコンタクトをとればいいのか見当もつかないが、しかし、行けば何とかなるだろう。そうだ韓国へ行こう。そう考えつくと急に気持が楽になった。
ジャンパーの襟《えり》を立て、深く息を吐き出しながら、年が明けたらソウルに行こう、と私は思い決めた。
静かな正月だった。
文章を書いて生活するようになってから初めて仕事を抱えず年を越せた私は、人並にゆっくりした三ガ日を過ごしていた。早くソウルに行きたいという気持はあったが、何をするにしても一月なかばにならなければ世の中が本格的に動き出さない、だからそれまでは腹を据えて待つより仕方ない、と考えていた。ところが、松が取れるや否や、内藤をめぐる状勢は一気に大きく流動しはじめた。
八日に電話をすると、内藤は十日からジムワークを開始するという。それならばと十日にエディを含めた三人で顔を合わせることにした。すでに年末に一度会い、山県の線が崩れたことは伝えてあった。そしてその時、来年になったら私が直接ソウルヘ行き、柳戦が実現できるかどうかを調べてくるつもりだと告げ、移籍に関してはその結果を見てからにしたいということで合意してもらっていた。だから、十日に会って特に話さなければならないことはなかったが、いわば新年の顔合わせをするといったような気分で約束したのだ。
その日、リングの横でバンデージを巻いている内藤と雑談していると、エディが硬い表情で玄関に入ってきた。私たちふたりの姿を認めると、ちょっとこっちに来てと言いながらジムの片隅に呼び寄せ、小さな声で喋りはじめた。エディが真剣になった時の癖で、視線はあらぬ方へ向けられている。
「さっき、船橋の会長から、電話があったよ」
私はまずいと腹の中で呟いた。移籍の件で船橋から難題が吹っかけられたのではないかと思ったのだ。
「移籍のことで、何か……」
私が言うと、エディは首を振った。
「そうだないの。ジュンがね、江刺とできることになった、と言うの」
「江刺と!」
私と内藤は同時に声を上げた。
江刺と闘うということは、日本タイトルがかかった試合をするということのはずだった。前チャンピオンの工藤政志が世界チャンピオンになり、日本のタイトルを返上したことで、日本ミドル級の王座は空位になっていた。昨年の十二月、その王座をかけて、一位の鈴木利明と二位の江刺勝雄の間で決定戦が行なわれたが、鈴木の体重オーバーというハプニングによって決定を見なかった。その結果、江刺が新たに相手を選び、再度決定戦を行なう権利を手に入れたのだ。内藤は大戸戦の勝利によって十月づけのランキングから五位に顔を出すようになっていた。彼にも決定戦をする資格がないわけではなかった。しかし、あまりにも唐突すぎて信じられなかった。
「それ、チャンピオン決定戦?」
内藤が確かめた。
「もちろんよ」
エディが言った。
「………さっき、会長から電話があったから、返事は少し待ってください言うたの。あんたたちふたりに相談しないと決められない。そう言うて明日まで待ってもらったの。どうします。やる? やらない?」
咄《とっ》嗟《さ》には返事のしようがなく、私も内藤も無言だった。
「どうしたいですか?」
エディが私に向かって訊ねてきた。
日本戦ができることはとにかくよいことだ、と私は思った。東洋戦については何ひとつ確かなことはないのだから、このようなチャンスを逃す手はない。しかし、内藤がこれから所属することになるジムが、日本タイトルを取ってもなお東洋タイトルに挑戦する冒険を許してくれるかどうかはわからなかった。私は年末に帝拳の長野から聞いた話を思い出して少し心配になった。
彼女によれば、東洋タイトルというのは興行的にはさしてメリットがないものらしい。かりにチャンピオンになっても、相手は外国から呼ばなければならず、ファイトマネーもかなり払わなければならない。つまり経費がかかる。それでいてチケットはこちらですべて売りさばかなくてはならない。これが日本タイトルだと、ファイトマネーが安い上に、場合によってはその一部をチケットで代用することもできる。しかも、自分のいいところを見せようと、相手も張り切ってチケットを売ってくれるのだ。タイトルとしては間違いなく東洋が大きいが、興行的には日本の方が価値が高いこともある……。
もし、内藤が江刺に勝って日本タイトルを獲得したら、東洋への挑戦はしばらく棚上げにされる危険性がある。そして、負ければすべてが終る。懸念すべきことはそれ以外にもあった。
「やってもいいと思うんですが、内藤が勝ったりすると、船橋が手放したがらなくなるんじゃないでしょうか」
私はエディに言った。
「それはオーケーね。会長も言ってたよ、この試合だけ、船橋でやってくれればいいです……」
「トレードマネーも変えずに?」
「もちろんですよ。それは、僕、会長にはっきり言うね」
「そうですか……」
エディはやりたがっているように思えた。私は考え、それから内藤に訊ねた。
「どう思う?」
「いいんじゃないかな。やれるなら、やろうよ。江刺をやっつければ、きっと東洋にも入れるしさ」
内藤のその言葉で、私の心も決まった。いずれにしても、柳と闘う前に東洋ランカーのひとりと闘わなくてはならないのだ。幸いなことに江刺は東洋の十位に頑張っている。江刺に勝てば内藤も東洋のランキングに入ることができる。それに、先のことを心配していてもはじまらないのだ。
「よしやろう」
私は内藤に言った。そしてエディに訊ねた。
「それはいつ頃の予定なんですか?」
「メイビー、三月の中頃ね。工藤が世界をやるでしょ。そのセミファイナルはどうか言うてるらしいよ」
「そりゃあ面白いや」
内藤が大きな声を上げた時、事務室から金子が出てきた。何の話をしていると問われて答えないわけにはいかなかった。エディが決定戦の申し出についてたどたどしく説明すると、金子は声をひそめ私に向かって訊ねた。
「あれはどうなった?」
「…………?」
「移籍の件さ」
私は口を濁した。いずれ金子ジムに移らせてもらうつもりだったが、最終的な決定はまだ下してなかった。すると、金子は私を難ずるような口振りで言った。
「早くやらないから、それは向こうだって動くよ」
私はその批難がましい口調の中に、微《かす》かな焦りのようなものを感じて意外に思った。金子はそれほど内藤を欲しているのだろうか。しかし、私はそうですねと曖昧《あいまい》な返事をしただけで、その場を離れた。
内藤から急の電話がかかってきたのは、それから五日後の夜だった。
「お願い、金を貸してくれない?」
いきなり切迫した声で言った。
「どうした?」
私が訊《たず》ねると、内藤は思いがけぬことを喋《しゃべ》り出した。金子が、トレードマネーはこちらで払うからうちのジムに来ないか、という話を持ちかけてきたのだという。それが本気である証拠には、すでに船橋ジムにも話を通し、百五十万でいいという内諾を得ているらしい。内藤はそう言うのだ。私には百五十万という額も意外だったが、なにより金子が自ら金を出すということに驚いていた。金子が金に関しては細かすぎるほど几帳面《きちょうめん》だということは、ボクシング界のさまざまな人から聞かされていた。それにまつわるエピソードを面白おかしく話してくれる人もいた。その挿話にどれほどの信憑性《しんぴょうせい》があるのかわからなかったが、少なくとも金に関して極めて合理的な考え方をする人であるというのは確かなようだった。その金子が百五十万もの大金を進んで出すという。驚かざるを得なかった。だが、そうだとすると、金を貸してくれという内藤の言葉の意味がわからなくなる。私が訊ねると、内藤はこう答えた。金子が金を出してくれるというなら出してもらってかまわない。いずれ金子ジムへ行くことになっただろうから、むしろありがたいくらいだ。しかし、金子にトレードマネーのすべてを出してもらうと、ただジムを変わっただけで結局以前と同じことになってしまう恐れがある。金子はいい人だと信じているが、互いの関係が悪化した時にどうなるかは誰にもわからない。だから、自分の側からも、その金の半分を出して、厭なことは厭と言える権利を持ちたいのだ。そして、内藤はこう付け加えた。
「七十五万、俺に貸してくれませんか?」
事態が急速に変化していくことに、私はいささか戸惑っていた。
「七十五万か……」
私の呟きを躊躇《ためら》いと受け取ったらしく、内藤が心配そうに言った。
「駄目かな?」
「いや」
それどころか、トレードに二百数十万が必要だと覚悟していた身には、七十五万は安すぎるほどだった。しかも、私には秋に出した本の印税が百万近く残っていた。これは、仕事をしないための、当面の喰いつなぎの資金にするつもりだったが、すべて使ってしまったからといって明日から飢えるというわけでもない。どうにかなるだろう。七十五万なら、コマーシャルの仕事をしなくても切り抜けられる。それ以上に金が必要になったら、それはその時のことだ。
しかし、問題はトレードマネーの半分以上を出したからといって、半分の権利を持つことができるかということだ。
「金子さんは了解しているの?」
「わからないけど……多分、大丈夫だと思う」
「エディさんは?」
「いいって」
「そうか……わかった、とにかく用意するよ」
内藤はホッとしたように息を吐き、明日下北沢の喫茶店でエディさんと一緒に会いたいと言った。
翌日、私は金を持って約束の喫茶店に出向いた。エディはトーストとコーヒーをテーブルに並ベ、眼鏡をかけて英字新聞を読んでいた。眼を上げ、私に気がつくと、ハーイと言って顎《あご》をしゃくった。追いかけるように内藤も入ってきた。私たちはすぐに、金子ジムに入るに際して、金子と交すべき契約についての検討を始めた。
内藤の望みは、ジムに完全に従属することなく、ある程度の自由を持っていたいということに尽きる。それを契約によって具体的に表現しようとすれば、エディがトレードマネーの半分を金子に支払うことで、内藤に関する諸権利の半分を譲り受ける、という形式を取るのが最も穏当なように思われた。エディが権利を持つことは内藤の願いであり、同時に私の望むところでもあった。私たちは、エディのような人こそ酬《むく》われなければならないと信じていたし、またそのためにこそ頑張らなければならないと考えていた。だから、私が金を取り出し渡そうとすると、エディが受け取ろうとせず、そのマネー僕が借りるんだないよ、と何度も繰り返すのを聞いて、少し寂しい気持になった。エディは金を借りるという立場になるのを極端に恐れているようだった。
「もちろんですよ、エディさん」
と私は言った。
「俺が借りて、エディさんに渡す。だから、エディさんは心配する必要ないんだよ」
内藤も言った。
「それなら、そのマネー、どうやって返すの?」
「いいんです、別に返してもらわなくても」
私が言うと、エディは顔をしかめた。
「ノー、それはダメよ、いけません」
「しかし……」
「僕はですね、あんたのマネーのプロテクションをしたいんですよ。どうやって返したらいいの?」
「だったら……内藤が世界チャンピオンになった時に、内藤のファイトマネーから返してもらうことにします」
「おお、そうね、わかりました」
エディは安心したらしくにっこり笑った。私も笑いを返したが寂しい気持は消えなかった。エディのように、金についてはっきりさせようとすることは、きっと正しいことなのに違いない。そうは思うのだが、エディとは微妙なところで通じ合うことができない、ということがもどかしかった。
私はエディに、自分の満足するような契約の条文を英語で書いてくれないかと頼んだ。それをもとに、弁護士に英和二通の正式な契約書を作ってもらい、それに全員でサインする。後にトラブルを起こさないためにはそれが最善の方法のように思えた。
しばらく考えたあとで、エディが書いたのはふたつの簡単な文章だった。第一に、金子はエディに対して内藤から生じる利益の五十パーセントを支払う。第二に、エディは金子に対して内藤から生じた損害の五十パーセントを負担する。実に簡明で見事な契約条項だった。
契約書ができあがったら金子のもとに行こう、それまでによく話をつけておいてほしい、と私はエディに言った。オーケーね、とエディは答えた。
一週間後、私は有楽町にある弁護士のオフィスへ行き、できあがった契約書を受け取った。
「これでよかったかしら」
長身の女性弁護士が、ソファに体を折り畳むようにして坐り、茶色の封筒をテーブルの上に置きながら言った。封筒の中を見ると、和紙に見事にタイプされた英文和文それぞれ二通ずつの契約書が入っていた。
「せかせてすみませんでした」
「うちで興行関係の契約書を作ることなんてまずないから大騒ぎしちゃったわ」
「面倒なことを頼んで、本当にすみません……」
「それより、内容を一度確かめて」
私は封筒から契約書を取り出し、眼を通しはじめた。
合意書
ボクサー・カシアス内藤のマネージャーである金子繁治とエドワード・タウンゼントは、ボクサー・カシアス内藤に関するマネージメントの権利その他すべての権利が、次に定められる提携基準にて実施されるべきことを、合意した。
一、マネージャー・金子繁治は、カシアス内藤のトレーナーであるエドワード・タウンゼントに対し、すべての利益の五十パーセントを支払うことに同意する。すべての利益には、次のA、Bを含むものとする。
A、ボクサー・カシアス内藤の試合賞金から得るマネージャー取得分
B、興行による利益
二、エドワード・タウンゼントは、カシアス内藤の試合に関する興行から生じた損害についても、その五十パーセントを負担することに合意した。
本契約は、エドワード・タウンゼントが、カシアス内藤と船橋ジム間の契約解消に関し船橋ジムに支払われた移籍料の半分を負担したことにより、締結されるものであることを当事者双方において確認了解した。
以上を証するため、本契約の当事者は、本書二通を作成し、署名の上、両当事者において各一通を所持する。
年 月 日
署 名
マネージャー
トレーナー
ボクサー・立会人
立会人
素人の私にも、完全な契約書であろうことがわかった。
「こんな立派なやつじゃあ、怖くて誰も違反なんかできないな」
私が笑うと、弁護士は正確を期すために「本契約は」で始まる最後の項を勝手に付け加えたがよかっただろうかと言った。確かにこの一項によって、一トレーナーにすぎないエディがなぜボクサーに対する権利の半分を有しているのか、権利の淵源《えんげん》が明らかにされている。
「もちろんです」
私は力をこめて頷《うなず》いた。
「それなら、よかった。でも、移籍料って、英語で何というのかしらね。事務所の中でも意見が乱れ飛んでね、トレードマネーじゃないかというのが勢力あったんだけど、どうも和製英語くさくてね」
この一項はエディの書いた文章にはなかったから、英文用に訳すために苦労したのだろう。「アグリーメント」と書かれた英文の契約書を読むと、その悪戦苦闘ぶりがうかがえた。移籍料という一語のために、十六語も費やされていた。
《the money which was paid to FUNABASHI Gym in connection with the cancellation of the contract》
思わず私の口元がほころびたらしく、弁護士が笑いごとじゃないわよと怒ったふりをした。
彼女とはいきつけの呑み屋で数回顔を合わせたことがある、といった程度の知り合いにすぎなかった。契約書を誰か弁護士に作ってもらおうと思ったものの、私にはそれを頼めるような弁護士の知人がいなかった。その時、ふと彼女のことを思い出したのだ。駄目でもともとと、呑み屋のおかみに連絡先を聞き、オフィスを訪ねると、意外なほど私の話を面白がり、気持よく引き受けてくれた。金はあまり払えないのだがと恐る恐る告げると、彼女はいらないわとあっさり言い放った。
「金も払わないのに、手間ばかり取らせちゃって……」
私が契約書を封筒に納めながら申し訳なさそうに言うと、弁護士は笑って言った。
「いいわよ。こっちもカシアス内藤が世界チャンピオンになったらドーンと払ってもらうから」
私は立ち上がり、オフィスの扉のノブに手をかけ、そして振り向いて言った。
「その前に、お礼として、ラーメン餃子《ぎょうざ》定食より少しはましな夕食を、いつかおごりますよ」
すると、弁護士も軽く応じてくれた。
「期待してるわよ」
私はその足で下北沢に向かった。
下北沢の駅から金子ジムへ行く途中にイソップという小さな喫茶店がある。そこはエディのお気に入りの店らしく、暇になるといつもそこで薄目のコーヒーを呑んでいる。私もジムへ行く時は、通り過ぎる際にその中を覗《のぞ》くことが習慣になっていた。エディがいるかもしれない。いたからといってどうということもないのだが、そう思いつつもまた覗く。
その日も、ガラス越しに覗き込むと、エディがひとりでコーヒーを呑んでいた。少し迷ったが私も中に入ることにした。いずれにしてもエディがいなければ契約はできないのだ。
「ひとやすみですか」
声をかけると、エディは顔を上げ、そして微笑《ほほえ》んだ。
「ここに掛けなさい。……あのね、会長がまだ来ないから、ここで待ってるよ」
気のせいか声に張りがなかった。
「どうしてまだなんですか?」
「知らないよ、僕、会長のドレイだないよ」
私は苦笑した。腰をおろすと、エディは女店員に僕と同じコーヒー持ってきてと勝手に注文した。私は封筒から英文の契約書を取り出し、手渡した。エディは眼鏡をかけ、それを遠くに離して文面を追った。続み終えると眼鏡をはずしながら言った。
「ベリー・ナイスね」
和文のものも見せようとしたが、エディが手で押さえた。
「これと同じね?」
私が頷くと、それならいいですと言った。
それからしばらくのあいだ、私は同じ薄目のコーヒーを呑みながら、エディの愚痴を聞かされることになった。金の問題や家族の問題と、悩みは尽きないようだった。元気がないのはそのせいかとも思った。しかし、話題が江刺とのチャンピオン決定戦に移った時、はじめてその原因がわかった。そういえば試合は何日に決まったんですか。私が訊ねるとエディは表情を曇らせてこう言ったのだ。
「あれね……できないの」
私は信じられなかった。
「できないって、どういうことなんです?」
「河合の方で言うてきたの。横浜で別にやるから、工藤の時はやらない……」
河合は江刺の所属する協栄河合の会長だった。
「横浜ではいつやると言うんです?」
「わからないね。だから……その前に……スパーリングをやってほしい……だから……」
エディの言葉が曖昧になった。そして、うまく言えないよ、と小さく叫んだ。事情を説明できないことに自分で苛《いら》立《だ》っているようだった。江刺との決定戦はこちらから望んだことではなかったが、やろうと持ちかけられて、やっとその心構えができたところで延期になるというのは、妙に不吉なことのような気がした。
私はまだコーヒーを呑んでいるエディをせきたてるようにしてイソップを出た。移籍の契約も、できる時に早く済ませておかないとどんなことが起きるかわからない、と不安になってきたからだ。
金子はまだジムに戻っていなかった。内藤は練習を終え、地下のシャワー室へ降りていくところだった。私とエディの姿を認めると軽く手を上げた。
エディは、リングで若いボクサーの相手をしている野口の背に声をかけた。
「会長、いつ帰ってくるの」
振り向き、ミットを構える手を休めると、野口は笑いながら答えた。
「さあ、あの人も出ていったら鉄砲玉だから」
野口は三日前、エディと共に船橋ジムに赴き、百五十万を支払い、ジム間の移籍の手続きを済ませるという大役を立派に果していた。その野口が、三分計が鳴り、一分間のインターバルに入ると、リングの上から私に話しかけてきた。
「白金《しろがね》の迎賓館《げいひんかん》て知ってる?」
「うん。でもどうして?」
「いい所?」
「悪くはないと思うけど」
「そこでさ、今度うちの十五周年のパーティーをやるんだよ」
「金子ジムの?」
「そうなんだ。それとエディさんのボクシング生活五十周年、村田英次郎の東洋タイトル獲得、内藤の移籍発表。四つをこみでやるのさ」
村田は十二月のタイトルマッチで見事に金ウ植を破り、世界への一歩を踏み出していた。
「それにしても豪勢じゃないですか」
私が言うと、野口は少し恥ずかしそうに応じた。
「でも、知り合いに頼んでいくらか安くしてもらうらしいけど……」
七時になって、ようやく金子が戻ってきた。エディは金子の肩を抱くようにして事務室に入り、戸を閉めた。しばらくして、エディが大声で私の名を呼んだ。中に入ると、金子がかなり硬い表情で言った。
「何か書類を作ったって?」
その険しいものいいの中には、いま初めて聞いたという響きが含まれていた。エディは話をつけておいてくれなかったのだろうか。私は困惑しながら、ともかく用意してきた契約書を見せることにした。しかし、眼を通していくうちに、金子の表情が和んでいくのがわかった。契約書を机の上に置くと、思いがけぬほど穏やかな調子で、
「わかりました」
と言った。
「それでは、みんなでサインしませんか」
私はポケットからボールペンを取り出した。すると、金子が待ってくれと言い、私を制した。どうかしましたか、と努めてさりげなく言いながら、私は内心まずいなと思っていた。契約などというものは、こじれはじめたら大して意味のない語句ひとつをめぐってさえ、際限なくこじれていくことがある。私はそれを恐れた。しかし金子の口から吐かれた次の言葉を聞いて、私はあらためて金子という人を見直すことになった。あらゆる利益を折半というのはわかる、だが損失も半分というのはどういうことか、それではエディに可哀そうではないか。金子はそう言ったあとで、エディに訊ねた。
「いいんですか、これで」
「いいのよ、これは会長と僕の紳士協定よ」
エディが調子よく応じた。エディが望んでいるのだからと私が言うと、金子はようやく納得したように頷いた。
「いい契約書ですね」
そして、御手数をかけました、と付け加えた。
エディが内藤を事務室に呼び入れた。金の受け渡しが済むと、全員で契約書にサインをした。契約自体は金子とエディの間で交わされるものだったが、契約書には立会人として私と内藤も署名するようになっていた。四人は狭い事務室で体をぶつけながら入れ替わり立ち替わり契約書に自分の名を書き入れた。内藤が洒落《しゃれ》たつもりで「JUN NAITOH」とサインすると、エディが上機嫌で生意気ねと言った。
「それにしても、こんな条件をよく呑んでくれましたね」
私は金子に率直に感謝した。
「いや、これで内藤が頑張る気持になってくれるんだったらいいんだよ」
金子が上気したような顔で答えた。エディがその言葉を引き取って内藤に言った。
「そうよ、あとはあんたが頑張るのよ。わかってますね、ジュン、頑張るのよ」
内藤はいつものように黙って頷いた。
契約がすべて済み、事務室を出ていこうとすると、金子が思い出したようにエディに訊ねた。
「横浜の協栄から電話がかかってきたら、どう返事しようかね。スパーリングの件かもしれないし、ネッシーのかわりをやってくれないかというのかもしれないし……」
私は驚き、エディが返事をする前に、それはどういうことなのかと訊き返した。すると、金子は意外そうにエディから聞いていないのかと言った。
「試合が延びたということは聞きましたけど」
私が言うと、内藤はびっくりしたような声を上げた。
「ほんと?」
金子の説明によれば、江刺が所属する横浜の協栄河合ジムから、チャンピオン決定戦の相手は内藤ではなくネッシー堀口にする、と通告があったのだという。
「延期じゃなくて、中止なんですか?」
私は金子に訊ねた。
「そういうことになるな。ネッシーはあまり練習していないので、内藤にということもないわけじゃない、と向こうは言っているけどね」
「できないのか……」
内藤が落胆の色を隠そうとせず呟いた。私も、別にエディが悪いわけではないとわかっていながら、喫茶店できちんと話しておいてくれなかったことに対して、少し腹を立てていた。そんな私たちの様子を見て取ったのか金子が元気づけるように言った。
「でもね、まったく脈がないというんじゃないんだよ。ネッシーの次ならやってもいいという気はあるらしいんだ」
「江刺が勝てばの話ですね」
私は冷ややかに言った。
「そうなんだ。しかしね、次にやるから、そのかわりスパーリングに内藤を貸してほしいというのさ」
「江刺のスパーにですか?」
「いや、そうじゃなくて、ネッシー戦の前座として出てもらいたいらしい」
「前座として?」
私は思わす声を荒らげていた。
「エキジビションとして二、三ラウンド、軽くスパーリングをしてくれないかというんだよ」
「相手は誰です」
「ジェームス・キャラハンとかいう、河合さんところのミドル級らしい」
「キャラハンなんて、知ってる?」
私は内藤の方に顔を向けた。
「知ってる。そいつもハーフらしいよ、イギリスかどっかの。だけどさ、そいつはまだ四回戦か六回戦のはずだけどな」
「客寄せのためか……」
私は呟いた。次に挑戦させてやるから今回は客寄せに協力しろといわんばかりのその提案は、こちらの弱味につけこんだ無法なものとしか思えなかった。黙っていると、私の気持を察したらしく、金子が弁解するような調子で言った。
「汚ないと思うかもしれないけれど、それがボクシング界なのさ。誰もがみんなそうやってきたんだよ」
「しかし、その分じゃ、次も本当にやってくれるかどうかわかりませんね」
私の言葉に金子の返事はなかった。しばらくして、金子が誰にともなく訊ねた。
「電話がきたら、どう返事しようかね」
「スパーリング、いいですよ。俺はかまわない、やりましょう。どうせこっちだって、スパーリング・パートナーは必要なんだから、それで金がもらえるならかえってありがたいくらいですよ。ただね、会長、スパーリングをやったら次は俺とやるっていう一札を、必ず取っておいてほしいんだ」
内藤が意外な冷静さで答えると、それまで無言だったエディが安心したように口を開いた。
「そうね、ペイパーがほしいね。そして、このボーイに、ビッグマネーを取ってあげてください。会長、それなら、スパーリング、オーケーね」
「わかった。できるだけやってみるよ」
しかし、金子のその答を耳にしながら、私にはなぜか江刺との試合は実現しないだろうと思えてならなかった。
「問題は江刺とやれるようになるまでどうするかだよな」
金子が言うと、エディも頷いた。
「そうね、ひとつ試合をさせたいね。誰かいい相手、いないですか」
「羽草……はどうでしょう」
私はマッチメーカーの山県に示唆《しさ》されたボクサーの名を挙げた。山県から聞いた時はわからなかったが、あとで調べてみるとなるほど手頃な相手のようだった。二年前、東洋J・ミドル級チャンピオンになったが、韓国の朱虎《チュホ》にその座を奪われてからは下降線を辿《たど》りつつあった。しかし、それでもなお東洋ランキングの九位にとどまっているのだ。
「羽草ね……羽草……」
金子は、その名をしっかり記憶しようとでもするかのように、口の中で何度も繰り返した。その様子から、彼は本当に試合を作る気があるのかもしれないと思った。羽草と試合ができるようになれば、柳への道が一気に縮まることになる。柳とのマッチメークを急がなくてはならない、と思った。
「来週にでも、韓国へ行こうと思うんです」
私が言うと、金子が顔を覗き込むようにして訊ねてきた。
「柳の件でかい?」
「ええ」
「マッチメークのために?」
その声の調子には、本気なのかいという響きがあった。しかし、私は何も言わずにただ頷いた。
「あてはあるの?」
「別にないんですけど……」
その返事を聞くと、妙に安心したような顔つきになった。
「柳とやるのは反対ですか?」
私の問いに金子は口ごもった。
「いや、そんなことはないけど……しかし、できるかな」
私にも確信はなかった。だが、放っておけば、つまらないエキジビションや試合をしていくだけで、内藤の大事な時間が過ぎていってしまうに違いなかった。もう内藤に時間を浪費する余裕はないはずだった。とにかく、やるだけやってみます、と私は金子に言った。
第九章 ソウルの雪
二月初旬、私は韓国に飛んだ。
早朝にもかかわらず、私の乗ったソウル行きの便は満席に近かった。
前夜、これこそ泥繩式というのだろうと恥じ入りながら、私は韓国語の教則本を広げた。しかし、それでも頁を繰っているうちに面白くなり、窓の外が白みはじめるまで読みつづけてしまった。慌てて蒲《ふ》団《とん》にもぐりこんだがすでに遅く、一時間ほど横になっただけで家を出てこなければならなかった。
寝足りないはずなのに、飛行機が水平飛行をするようになってもいっこうに眠くならない。やはりいつになく緊張していたのかもしれない。
背後の席で男たちが話をしている。あたりをはばからぬ大声というのではなかったが、五、六人の男が陽気に喋《しゃべ》る声は少し離れていても自然と耳に入ってくる。
「今度はいいのに当たるかな」
「またはずれさ」
「そう、おまえははずれ。俺みたいにいつも同じのに決めておけばいいのによ」
「厭《いや》なんだよ。二度同じのを呼ばないのが俺の主義なんだから」
「主義だってよ、この馬鹿が。おまえはしつこいから、向こうで厭がるだけのくせに」
「ほんとほんと、おまえなんか……」
男たちは飽きずに話を続け、時に聞き苦しいほど卑《ひ》猥《わい》な笑い声を上げた。
その声を聞いているうちに、自分がこれからソウルでやろうとしていることが、果してうまくいくのだろうかと不安になってきた。
私の手帳にはたったひとつの電話番号が記されているだけだった。その電話がソウルにおける唯一の頼りの綱だった。その綱をたぐっていくことでしか、柳済斗のもとへ辿りつくことはできそうになかった。
韓国へ行こうと決めてから、私は友人や知人に、韓国になんらかのコネクションを持っている人を紹介してくれないかと頼んでまわった。しかし、紹介された人に会い、話をすると、みな一様に困惑したような顔つきになった。それも無理はなかった。ボクシングという独特の世界の、しかもマッチメークなどということに明かるい人が、そう簡単に見つかるはずがなかった。柳との交渉を成功させるためには、ソウルのどこを訪ね、誰に頼めばよいのか。しかし、韓国行きの日が近づいてきても、自信をもってそれを教えてくれる人は現われてこなかった。いざとなれば柳の家に直接行くまでだ、と腹は決めていたものの、あてもなくソウルへ行くのはやはり心細かった。ところが出発の二日前、知人の知人の、そのまた知人という、はなはだ心もとない関係の人物が紹介されて、ようやく一筋の光明が見えてきた。
彼は中年の在日韓国人だった。いや、彼がどのような国籍を有しているのか、正確なことは知らない。国籍だけでなく、職業についても確かなことはわからなかった。時折、韓国経済についての文章を雑誌に発表することがあるという以外、私の知っていることは何もなかった。こちらからは訊《たず》ねなかったし、向こうもすすんで説明しようとはしなかった。ただ一度、私は一種の金利生活者かもしれません、と苦そうな笑いとともに洩らすことがあっただけだった。
彼とはヒルトンホテルのロビーで会った。そこが彼の指定の場所だった。知人との義理で仕方なく会ってくれたに違いない彼は、しかし静かに私の話に耳を傾けてくれた。話しながら、彼が少しずつ興味を持ってくれるのがわかった。話を聞き終ると、それで自分は何をすればいいのか、と言った。ボクシング業界とはまったく別のルートで柳とコンタクトを取りたい。私が言うと、しばらく考え、それならテレビ局がいいかもしれないな、と呟《つぶや》いた。そして、紙にひとつの電話番号を書いてくれたのだ。その電話は、KBSの金という名の報道局長の席につながるはずだ、と彼は言った。KBSは韓国におけるNHKとでもいうべき局であるらしい。私には放送局の局長という存在がどれほどの力を持っているのか見当がつかなかった。しかし、彼が別れ際に、もしその試合を作ることができたら自分もぜひ見たいものだ、たとえその会場がソウルでも釜山でも、と言ってくれるのを聞いた時、私は彼が紹介してくれた金という人物にすべてを賭《か》けてみようと思った。それ以外にも、ソウルで困ったら訪ねてみろ、と友人が紹介してくれた何人かがいないわけではなかったが、私は金氏の電話番号ひとつを手帳に書きうつし、韓国に向かうことにした。
離陸してから正確に二時間が過ぎた時、ベルト着用のサインがついた。スピードが落ち、ゆっくり高度が下がっていく中で、スチュワーデスの声が流れた。
「ただいまソウルは快晴、気温は零下三度、との報告が入っております」
零下三度、というところで機内に小さなどよめきが起きた。
しかし、金浦《キムポ》空港に降り立ってみると、さほど寒いとは感じなかった。むしろ、空気の鋭い冷たさが、機内の人工的な空気に包まれていた肌には気持よかった。
空港の前から市内へ行くバスが出ているという。探して乗り込むと、すぐに若い女性の車掌が料金を徴収に来た。前夜おぼえたばかりの怪しげな韓国語で、
「わたし、プラザホテル、行く」
と言うと、彼女はにっこり笑って頷いた。幸先はよいようだ、と私は自らを励ました。
前夜、ソウルには雪が降ったらしい。道の両側や民家の屋根には雪が溶け残り、陽に照らされてキラキラ輝いていた。
その雪がヴェールのような役割を果していたのだろうか、バスの窓に続く町並からは六年前のソウルを思い起こすことができなかった。しかし途中で、大きなコンクリートの橋にさしかかった時、俺は以前この橋を渡ったことがあるというなつかしさのようなものを覚えた。広大な河原には、冬枯れた雑草の上に雪が積もっていた。六年前は夏だったから雪などなかったが、その河原と水の流れには確かな記憶があった。河は漢江《ハンガン》という名のはずだった。
プラザホテルは、ソウル市庁の正面にある、高層建築の真新しいホテルだった。バスがその横につけられると、車掌が手招きをしてくれた。
ソウルでは、私には珍らしくホテルを予約してあった。異国で交渉事をするには、相手に信用してもらうためにも宿くらいは一流にしておくべきだ、という友人の忠告をいれたためである。そうでなければ、いつものように市内をうろつき、韓国式の安い旅館を探したに違いない。
部屋はさすがに悪くなかった。ボーイが立ち去ったあとで隈《くま》なく点検したが、なかなか快適そうだった。しかし、ただ一カ所、窓に難点があった。透明なガラスのさらに外に、すりガラスの桟が斜めに無数に入っている。はじめ、それはブラインドと同じようなもので、桟の方向を自在に動かすことで光を調節するのかと思ったが、そうではなかった。それは、ある一定の角度だけはソウルの市内を見降ろすことを許すが、それ以外の方向はすりガラスによって遮断《しゃだん》する、という役目を持つものだったのだ。地図で調べると、確かに遮断されている方向に政府関係の重要な建物がある。あらためて、この街が一種の戦時下にあることを思い知らされた。
外が三分の一しか見えない部屋でぼんやりしていてもはじまらなかった。手帳に控えてある番号にすぐ電話をした。
可《か》憐《れん》な声の女性が電話口に出たが、韓国語を喋るだけでどうにも英語が通じない。誰か英語の話せる人はいないだろうかというつもりで、イングリッシュ、イングリッシュと叫ぶと、理解してくれたらしく、しばらくして男性と替わった。ミスター・キムと話をしたいと言うと、相手の男性はどのキムだと言う。報道局長の、と言おうとして、そのような難しい英語は知らないことに気がついた。もたもたしていると、相手の男性が、日本語で話しましょうかと訊ねてきた。私の英語のあまりのお粗末さに、日本人とわかってしまったらしいのだ。
目指すミスター・キムは、その電話口の男性だった。
「お会いしたいのですが、どうしたらいいでしょう」
私が訊ねると、金は正確な日本語で言った。
「もし、おいでになれるのでしたら、タクシーに乗って、いま来ていただけませんか」
KBSの局舎は、漢江沿いの、国会議事堂や新聞社が立ち並ぶ広大な一角にあった。受付で案内を乞うと、しばらく待たされたあとで、ほっそりとした体つきの少女が報道局から迎えにきてくれた。どうやら彼女が最初に電話を取ってくれた女性らしく、韓国語でふたこと、みこと呟くと、右手で受話器を耳にあてるふりをして、おかしそうに笑った。
内部はかなり暗かった。節約のためか電灯の数を少なくしているようだった。その中を少女に連れられ、四階の報道局まで上がった。
局長室に案内されると、そこには、上着を脱ぎ、ワイシャツ姿で机に向かっている、五十前後の恰幅のよい紳士がいた。その体《たい》躯《く》からは重厚な印象を受けるが、ほんの数秒でも眼を閉じると、すっかり忘れてしまいそうな、不思議に特徴のない顔をしていた。
一応の挨拶が済むと、私にソファをすすめ、金が言った。
「話は聞いています。しかし、あなた自身の口から、もう一度聞かせてほしいのです」
私は話した。話が終ると、金は言った。自分たちは、他の民間放送の人間と違い、興行のような商取引に直接関与することが許されていない。したがって、日本からよろしく頼むと言われても、何ほどのこともできない状況にある。しかし、マッチメークそのものは手助けできないが、柳済斗を握っている放送局にあなたを紹介することくらいはできないわけではない。そこで、うちの運動部員に、柳を持っている文化放送の運動部へ連絡を取らせてみた。その報告によれば、柳と試合をするにはかなりの金が必要であるらしい。というのも、柳がファイトマネーに大金を要求し、プロモーターがテレビ局の放映料と入場料収入だけでは払い切れないからだ。
金の話の内容は、ほぼ日本で想像していた通りのものだった。私が頷くと、金が訊ねてきた。
「その試合、お金を払ってまでするつもりはあるのですか?」
「あります。もちろん、その額にもよりますけど……」
「そうですか」
「その金は、どのくらいのものなんですか?」
私が訊ねた。
「韓国でするなら一万ドルとかいうことでした」
「それは……ベらぼうな金額ですね」
「では、そちらはいくらならいいのですか」
私が返答につまると、金は事務的な口調で言った。
「もしよければ、あなたの方の心づもりを教えてください」
一瞬、迷った。いくら頼まれたからといって、彼が韓国人と日本人のあいだで日本人の側に立ってものごとを進めてくれるとは限らない。敵か味方かわからないうちにこちらの手の内を明かしてよいものなのだろうか、とつまらないことを考えたのだ。しかし、すぐに思い直した。私は日本でこの人物の電話番号を手渡された時の直感を信じることにした。一万ドルというのは法外な気もするが、どうしてもその金をよこさなければやらないということなら、なんとしてでも作り出す、と隠さずこちらの胸の裡《うち》を明かした。すると、金はさらに事務的に訊ねてきた。
「そちらの条件はどんなですか?」
「条件?」
「内藤さんを柳さんと試合させるについての条件です」
「ああ、それならありません」
「少しも?」
「ええ、できさえすればいいんです。ただ、残念ながら日本では、ふたりの対戦に興行するだけの価値が認められていません。だから、試合は韓国でやるより仕方がないと思います。韓国で春頃できれば、こちらとしては言うことないんですけど……」
私がそこまで喋ると、金はふっと表情を和らげて言った。
「わかりました。これから文化放送の運動部長に連絡を取って、私が直接頼んでみましょう。できるだけ、あなたの望みに沿うよう努力してみます」
金はさきほど私を案内してくれた少女を呼び、文化放送に電話をつなぐよう命じた。少女は局長付の秘書のようだった。彼女はダイヤルを回したが、相手は席を離れているらしく、どうしてもつかまらない。時間を置いて五、六度試みたあとで、ついに金が諦《あきら》めて言った。
「今日中になんとか連絡を取って、その結果を明日の午前中までに電話でお知らせします。細かいところは、そのあとで文化放送や柳さんたちと会って決めるといいと思います。明日、午前十一時半から十二時まで、ホテルの部屋で待っていてください。その間に、必ず電話をします」
「よろしくお願いします」
私は頭を下げた。すると金は、はじめて笑顔を見せ、言った。
「引き受けました。どうやら、あなたは私を信用してしまわれたらしい。できるだけのことはします」
翌日、十一時半ちょうどに金から電話がかかってきた。しかし、なぜか言い出しにくそうにしている。どうでした、と私はいくらかせかせるように訊ねた。
昨日の夕方、文化放送の運動部長をようやくつかまえ話したところ、やるのはかまわないが会うのは少し待ってくれないかという意外な返事がかえってきた。金は申し訳なさそうに言うと、さらにこう続けた。
「やはり、柳さんがとても大きなファイトマネーを要求していて、これまで二度も予定した試合が流れたそうです。それで文化放送では、柳さんに頭を冷やしてもらうために、ここしばらく試合のことは持ち出さないつもりなんだそうです。それ、日本語でどういいましたか……」
「干す?」
「そうでした。柳さんを干して、試合をさせてくださいと頭を下げてくるまで放っておくつもりのようです。だから、その最中なので、今回は柳と会わないで、ひとまず日本に帰ってくれないか、と言うんです」
「困ったな……」
私にはどうしたらよいかわからなくなった。
「今回は向こうの言うようにした方がいいです。私はそう思います」
金が遠慮がちに言った。
「でも、ここまで来て、会わないで帰るのも残念だし……」
「会うと、柳さんの鼻がまた高くなってしまうから、少し待ってくださいということです」
「少し、ですか?」
「少しと言ってました。そうしたら、きっとこちらから連絡する、と」
「そうですか……」
私が沈んだ声を出すと、気の毒に思ったらしく、ほんの少し待てばすべてうまくいきますよ、と金が慰めてくれた。それ以上、どうしようもなかった。私はわかりましたと言って受話器を置くより仕方がなかった。
さすがにガックリきた。金は少し待てばできると言っているが、それは単なる気休めにすぎないのではないだろうか。文化放送は柳を内藤とやらせたくないのではあるまいか。少なくとも、その試合に関して消極的なのではないか。待てというのは駄目ということの婉曲《えんきょく》な表現なのではないか。一旦そう思いはじめると、きっとそうに違いないと思えてきて、ますます気分が暗くなってきた。
私はホテルを出て、ソウルの市内をぶらつくことにした。足は自然に東大門に向かっていた。東大門はソウルで最大の市場があるところだった。
ひとり外国にいて気分が落ち込んでしまった時には市場を歩くにかぎる、というのが私が何度かの長い旅から学んだ気鬱退治の最良の処方箋《しょほうせん》だった。何を買うわけでなくとも、そこに集まっている物と人の熱を浴びるだけで生気が甦《よみが》ってくる。
東大門の市場は途《と》轍《てつ》もなく広かった。広さばかりでなく、肉、魚、野菜、果物、洋服、雑貨、大工道具、布地、建築資材など、ありとあらゆるものが店先に並んでいる。しかも路上には、りんご箱の上に食物を並べて売っているおばさん連中がいる。私も椅子用に使っている箱のひとつに腰をかけ、金盥《かなだらい》のような容器に入っている、のりまき、野菜の煮物、春雨の炒物《いためもの》などを一皿ずつもらって食べてみる。当然のことのようにおいしくて安い。少し食べては市場を歩き廻り、疲れてはまた休みながら食べる。そうしているうちに、ホテルでとる料理の数十分の一の値段で、はるかに豪勢な一食をとり終えていた。
腹がいっぱいになると、悲観的にばかり事態を受け取っていることが馬鹿らしくなってきた。駄目かどうかまだ決まったわけではない。かりに駄目だとしても、柳と直接会い、はっきりできないという確認を取りたい。そう思えてきた。私は急いでホテルに戻り、韓国ボクシング委員会の電話番号を調べた。事務局に電話をし、柳の連絡先を訊ねると、思いのほか簡単に自宅の電話を教えてくれた。
柳にコンタクトを取ろうとダイヤルを回しはじめて、彼が英語も日本語も喋れないことに気がついた。無論、私の数十の単語による韓国語で用が足りるはずもなかった。誰かに通訳を頼まなくてはならない。どうしたものか思いをめぐらしているとKBSの金の顔が浮かんできた。その時、私のこの勝手な行為が、文化放送に対する金の面子《メンツ》をどれほど傷つけることになるか、ということが急に心配になり出した。柳と接触する前に、その旨を伝えておくのが、最低限の礼儀かもしれなかった。私は柳への電話を金に切り換えた。そしてすぐ伺うから会っていただけないかと頼んだ。電話ではこちらの思いが正確に伝わらないような気がしたのだ。
KBSの報道局長室に入っていくと、金が何事が起きたのかという顔で私を迎えた。私はすぐに、いちど柳と会ってみるつもりだということを告げた。それを聞くと、金は心外そうになぜと訊ねた。どうせ駄目なら柳の口からはっきり聞きたいのだ。私が言うと、いくらか硬い口調で金が言った。
「いつ駄目だと言いましたか?」
「…………」
「文化放送は柳さんと内藤さんの試合を認めたんですよ」
「…………?」
「先程、そう言わなかったですか?」
「でも、すべてが曖昧《あいまい》で、それは向こうにやる気がない証拠のように思えるんです」
「そんなことはありません。やる方向で動き出しているんです」
金は別に希望的な観測を述べているわけではなさそうだった。
「そうでしょうか……」
私が自信なげに呟くと、金は忍耐強く言った。
「そうなんですよ。お金のこと、日にちのこと決められません。でも、やることは承認しているんです」
「…………」
「問題は条件なんです。条件をよくするために文化放送は時間をくださいと言っているんです。それはきっと、あなたにとってもいいことだと思いますよ」
「柳はやるつもりがあるんでしょうか」
「それはわかりません。しかし、文化放送がやるつもりなら、多分できます」
「どのくらい待てばいいんでしょう」
「あなたは春に試合をしたいと言っていましたね。それを私は文化放送に伝えました。文化放送も春にやろうとしているようです。とにかく、早く柳さんの熱を醒《さ》ますことです。柳さんのところには、あなたがた日本からのオファーが大《おお》袈裟《げさ》になって伝わっているらしく、強気なんだそうです。柳さんは、まだ自分に人気があると思い込んでいて、だから扱いに困っているわけです。しかし、一カ月か二カ月のうちには話を決められると思いますよ」
「希望を持っていいわけですね?」
「そうです」
「待てばいいわけですね?」
「そうです」
「それなら待ちます、待ちます」
「昨日、私は、引き受けましたと言わなかったですか?」
「…………」
私は言葉もなかった。金の言う通り、放送局がやると決めたからには、かなりの可能性がでてきたということだ。私は、しつこいと思ったが、もう一度だけ金に確かめた。
「それでは、こちらは春に試合ができるという前提で準備をしていていいわけですね?」
「文化放送では、早く内藤さんを東洋のランクに入れてほしいと言っていました」
「わかりました」
私は金の言葉を信じることにした。少なくとも一カ月は待つことができる。内藤を東洋のランク内に押し上げるにしてもそのくらいはかかるだろうし、最後の手段として柳に会うのはそれからでも遅くない。
「私の判断では、文化放送もやりたがっているようです。……むこうから連絡が入ったら、私があなたに国際電話で伝えます。もちろん、コレクトコールで。KBSのお金を使うわけにはいきませんから」
そこで金は微《かす》かに笑ったが、すぐに元の無表情に戻ると言った。
「そうしたら、またおいでください。その時は、きっと文化放送や柳さんの側と直接会って交渉することができると思います」
日本に帰ると、報告のためすぐに金子ジムへ行った。
午後六時。ジムが最も活気を帯びる時刻だ。リングの横で焚《た》かれているストーブの火と、二十人余りの若者たちが発散する熱で、ジムの中は窓ガラスに薄い膜のような細かい水滴が付着するほど暖かくなっている。
玄関で靴を脱ぎながら奥を覗《のぞ》き込むと、利朗が練習生のひとりと壁に写真を貼《は》っているのが眼にとまった。内藤はまだのようだったが、利朗がいるところをみると、しばらくすれば来るに違いなかった。
この半年、利朗は依然として発表するあてのない内藤の写真を根気よく撮りつづけていた。毎日のようにジムに通ううちに、金子やトレーナーの野口から、ことあるごとに写真を撮ってくれないかと頼まれるほど親しくなっていた。
椅子に乗り、利朗が大鏡の上の壁に一枚ずつ貼っている写真は、金子ジム所属のボクサー全員のポートレートだった。謝礼など一円も払ってもらえそうにないその仕事を、利朗は持ち前の人のよさで快く引き受け、しかも可能なかぎり丹念に仕上げようとしていた。出来は悪くなかった。どのボクサーもファイティング・ポーズをとっている。中には、撮られることに慣れていないためポーズがぎこちないボクサーもいたが、さすがに内藤は、斜め半身の構え方といい、顔の角度や視線の鋭さといい、本物のボクサーらしい雰囲気を醸し出していた。
私に気がつくと、利朗は写真を貼る手を休め、椅子の上から顔だけ向けて言った。
「決まったらしいよ」
「何が?」
「内藤さんの試合」
江刺とのチャンピオン決定戦が流れ、宙ぶらりんの状態になっていた内藤に、あらたに試合の相手が見つかったということらしい。相手は、と訊ねようとすると、話し声を耳にした金子が満面の笑みを浮かべて事務室から出てきた。
「ようやく、決まったんだよ」
「誰です、相手は」
「羽草なんだ」
「そいつはいいや」
私は指を鳴らしたいような気持だった。これで東洋のランキングに入ることが可能になった。もちろん羽草に負ければ東洋入りは夢物語に終る。東洋入りだけでなく、すべてが終るといってもいい。これからの内藤は、一種のトーナメントを闘い抜くことになる。一戦も落とすことはできない。ひとつ負ければそれで終りなのだ。しかし、とにかく、状況が少しずつ私たちの望んでいる方向に進んでいるのは確かなようだった。
試合は三月十九日、村田の東洋初防衛戦の際のセミファイナルだという。
「正式に決まったんですね?」
江刺の時のような例もある。私は念を押した。
「正式だよ、正式」
金子はそう言うと、得意そうに言葉を続けた。
「書類と一緒にファイトマネーの前金も送ったんだ。何しろ、敵は北九州のジムだから逃げられるといけないだろ、バーンと送っておいたよ、バーンとね」
「契約ウエートは?」
「百五十六ポンド」
「エディさんも内藤も了解したんですね?」
「したよ。相手がジュニアミドルだから、そのくらいは仕方ないんじゃないかな」
百五十六ポンドということは、ジュニアミドルより二ポンド重くしたというにすぎない。内藤には少し苦しい契約体重だが、今の内藤ならなんとか調整することができるだろう。
「それにしても、ほんとによかったですね」
私が言うと、金子は満足そうに頷いた。移籍したばかりの内藤に、理想的な試合を組めたことがよほど嬉しかったらしい。そこに印刷所から電話が入った。金子はその相手にも上機嫌で喋った。
「そう、うん、うん、だからね、ポスターに内藤の写真を追加してほしいんだよ。そう、せっかく金を使って取ったんだから、うん、そうなんだ、ちゃんと売り出したいんだ。今とてもいい写真ができてきたから、いや、羽草はいいけど、内藤のだけは追加してほしいんだ。はい、ではあとで取りに来てください、それでは……」
電話を切ると、金子はようやく思い出したように言った。
「韓国の件、どうだった?」
「ああ、あれですか。できるそうですよ」
芝居気を出し、私がことさら軽い調子で答えると、金子はびっくりしたような顔になった。
「できるって、柳の側がオーケーしてくれたのかい?」
「テレビ局です」
そう言うと、さらに驚いたようだった。タイトルマッチを組むのに、テレビ局がどれほどの力を持っているか、体験的に知っていたからだろう。私は韓国でのいきさつをかいつまんで話し、正式に契約できるのは三月か四月になるが、五月には試合ができるのではないかという予測を述べた。希望的にすぎたかもしれないが、私が弱気になっていてもはじまらぬと考え、あえて不安な材料は告げずにおいた。
「そうか……五月か……」
金子は自分自身に何度も頷きながら言った。村田に続いて二人目の東洋チャンピオンを持つことができるかもしれない。金子もまた夢を見はじめたようだった。
エディは家に用事があるとかで早く引き上げていたが、内藤はこれから来るということだった。
ソファに坐ってぼんやりしていると、リングの上で練習生にコーチをしていた野口が、声をかけてきた。
「昨日はさ、俺、ほんとまいったよ」
私が顔を上げると、野口は鏡の前でシャドー・ボクシングをしている四回戦ボーイを指差した。
「あの馬鹿が、試合中にとんでもないことをしてくれたのさ」
言葉は荒いが、声に微かな笑いを含んでいる。
「なあ、おまえ」
野口に呼びかけられると、その四回戦ボーイはシャドー・ボクシングをやめ、こちらを向いてうなだれた。
「どうしたの?」
私も笑いながら野口に訊ねた。
「あいつがさ、第一ラウンドで相手からダウンを奪ったんだよ。そこまでは上出来なんだけど、あとがひどいんだ」
「逆にノックアウトを喰らったわけ?」
「そうならまだいいよ。俺は恥ずかしくていたたまれなかったよ。ダウンを奪ったら、すぐニュートラル・コーナーに行っていなければならないだろ。それをあいつ、どうしたと思う?」
ジムにいる練習生はトレーニングをやめて野口の話に聞き耳を立てていた。
「あいつ、ダウンを奪ったとたん、調子に乗っちゃって、倒れている相手を蹴《け》っとばしたのさ。おまけに、見たかこの野郎、って大声を上げて見得を切りやがんの。後楽園ホールは大笑いよ」
ジムの中も大笑いになった。
「だから、そのラウンドが終って、コーナーに戻ってきた時、頭をコツンとやったら、またお客さんに笑われてさ。結果、引き分けでくたびれもうけ。あのラウンドにあんなことをしなければ、減点されなくて勝ったんだけど、何しろ、見たかこの野郎、だもんな」
倒れた相手を蹴っとばし、見たかこの野郎などというのは劇画の見すぎとしか思えないが、言ってみたい気持はよくわかる。
「いい根性してるじゃないか」
取りなすように私が言うと、金子が事務室から出てきて、精神訓を述べた。
「いや、それはよくないぞ。リングの中では紳士たれ、ということを忘れてはいけない」
私は金子の言葉を聞きながら、この内気でひよわそうな四回戦ボーイの、いったいどこにそれほどの闘志が秘められているのかわからないが、せめて内藤にそれくらいの激しさがあれば、と思わないわけにはいかなかった。
七時頃、内藤がようやくやって来た。
皮のジャンパーにジーンズという、いつもと同じスマートな服装をしていたが、顔はむくみ、艶《つや》のない皮膚をしていた。
「どうした」
私が声をかけると、内藤は大儀そうに答えた。
「風邪をひいてね、調子が悪いんだ」
だるそうな足取りで私の前を通りすぎ、地下の更衣室に降りていこうとした。あまりにも元気がなかった。景気をつけるため、私は内藤の背に言葉を投げた。
「柳とできるぜ」
内藤は歩みを止め、私の方に顔を向けた。しかし、そう、と呟くと、そのまま階段を降りていってしまった。私はその態度になにか物足りないものを感じていた。飛び上がって喜ベとか、よしノックアウトだなどといった大風呂敷は広げなくてもいいが、もう少し感情の表現の仕方はあるだろうに、と思った。あるいは、心配なことでも起きたのだろうか。写真を貼り終り、横のソファに坐っていた利朗が、私のそんな気持を察したらしく、言った。
「どうも、この数日、かったるそうなんだ」
「やっぱり風邪なのかな」
私が言うと、利朗は首をかしげた。
「どうなんだろう。とにかく、冴《さ》えないんだ」
内藤が練習を始めた。最初からじっくり見るのは久し振りのことだった。
なるほど体が重そうだった。シャドー・ボクシングの足もひきずるようにしている。パンチングボールを叩くリズムも乱れがちだ。しかし、サンドバッグを殴る頃になると、徐々に体に切れが出てきた。その様子を見て、利朗が言った。
「おや、今日は違うみたいだな。やる気があるみたいだ」
そして、カメラを掴《つか》むと、さっきのひとことが効いたのかな、と呟きながら内藤に近づいていった。
再びリングに上がってシャドー・ボクシングを始めた内藤の体から、汗とともにみるみるむくみのようなものが削《そ》ぎ落とされていく。確かに、柳とできるというひとことが、内藤に活を入れることになったのかもしれない。窓ガラスに自分の姿を映しながら放つパンチも力がこもっている。眼にはナルシスティックな光が宿り、顔には三十分前まではなかった精悍《せいかん》さが浮かび上がっている。
ロープ・スキッピングでシャツが透き通るほど汗をかき、みっちり柔軟体操をすると、内藤はシャワーを浴びに地下へ降りていった。カメラを片手にそのあとを追おうとした利朗が、ふと思い出したように言った。
「そういえば、彼の奥さん、つわりらしいよ」
「裕見子《ゆみこ》さんが、妊娠してる?」
「うん、エディさんがチラッとそんなことを言ってたんだ」
「ほんとに?」
私は思わず疑わしそうな声を出していたらしい。利朗は苦笑すると、真偽のほどはわからないけどね、と言い残して地下に降りていった。私は大きく息を吐いた。もしそれが事実だとするなら、またひとつ難しい問題が生じてしまったことになる。
内藤の生活が日に日に苦しいものになっていることは、私も気がつかないわけではなかった。貯金はすでに底をついている。裕見子の夜の勤めによって辛うじて生活を支えているが、その収入は極めて不安定のようだった。去年の暮に会った時も、クリスマスの前後にいくらか客が入った程度で、店はまったく不景気だと言っていた。そして、韓国に行く前に内藤から聞いたところによれば、店はついに倒産し、職を失なってしまったという。幸い、すぐに新しい店が見つかったそうだが、それも妊娠という条件が加わったらどんなことになるかわからない。内藤がボクシングで喰えるようになるまで、その体で頑張りつづけられるだろうか……。
練習が終り、三人でジムから帰る途中で、私は何の気なしに訊ねた。
「今日は、ずいぶん遅かったじゃないか」
別に深い意味があったわけでなく、話の接《つ》ぎ穂にすぎなかったのだが、内藤はうんと答えたきり黙り込み、少ししてから思い切ったように言った。
「俺、職探しに行ったんだ」
「職って、勤めるつもりなのかい?」
私は意表をつかれてうろたえ、当り前のことを訊《き》いた。
「そのつもりで探したんだけど、なかなかいいのがなくてね」
「…………」
「水商売ならいくらでもあるんだけど、それをやっちゃうと、また元に戻っちゃうからね」
「そうだなあ……」
「でもさ、夕方ジムに来て、練習しようとすると、普通の仕事じゃ、無理なんだ」
内藤の口調は極めて真剣なものだった。それを聞いて、妊娠の話は本当だったのだと理解した。
「彼女に子供ができたって?」
「そうなんだ。二カ月半になるらしい」
「それで、職探しか……」
それまで黙っていた利朗が呟いた。すると、内藤が慌てて言った。
「でも、それ、うちのやつには内緒だよ。きっと心配するから」
「……あと一カ月か二カ月だから、何とかこのまま頑張れよ。いよいよピンチになったら、俺に言ってくれないか。きっとどうにかするから」
私が言うと、内藤はつとめて明かるい声で応えようとした。
「平気、平気、心配しないで。俺、自分で何とかするから。頑張るから」
内藤と別れたあとで、利朗が小さく呟いた。
「どんどん大変になっていくな……」
その言葉は、私にも重くのしかかってくるような気がした。
それからしばらくは、エディがアマチュアのコーチに出かけていたため、柳戦についての詳しい報告をする機会がやってこなかった。ようやくジムに姿を現わしたエディと、韓国でのいきさつを話すことができたのは、二月も下旬になってからだった。
ジムの帰りに、内藤や利朗も一緒に駅前のペルモへ寄った。エディに、柳戦がかなりの確率でできそうだと伝えると、いいチャンスね、すごいよ、と喜んだ。そして、内藤に向かって真剣に言いきかせた。
「ジュン、今度は勝負よ。羽草の試合はファイトマネーが少ない。可哀そう。でも、羽草に勝って、柳に勝てば、二万ドルでも三万ドルでも取れるようになるよ。すごいよ。時代は変わったの。今度のチャンス、とてもビッグね。それを握らないの、男じゃないよ。男だったら、がんばるの。苦しくても、がまんするの。あんたが負けたのは、テクニックじゃない。ガッツよ。打たれたら、おへそに力を入れて、スタンド・アンド・ファイトするの」
エディは、スタンド・アンド・ファイトと言う時だけ、英語的な発音をした。スタンド・アンド・ファイト、つまり踏みとどまって闘うという精神こそ、エディがボクサーに求めてやまないものだった。内藤は一言も発せず、エディの言葉に耳を傾けていた。
「昔のあんたは、スタミナがなかった。途中でスタミナが切れて、おかあちゃまと言って引っくり返ってた。そうよ、言わないけど、そんなだったよ。でも、あんたは、これからパパになるの。負けたら、ベビーに恥ずかしいよ。わかった? ジュン」
内藤は苦笑しながら頷《うなず》いた。エディは試合がいつ頃になるのか訊ねてきた。五月にはできるかもしれない。私が答えると、エディは昂奮《こうふん》したように言った。
「五月だったら、もうすぐよ。羽草の試合に勝ちます。そして少し休んだら、キャンプをやるね。その時は、ジュン、奥さんと離れて、ひとりになるの。キャンプの時は、ほんとのフリーにならないと、いいキャンプにならないの。わかった? オーケーね?」
エディの言葉に、内藤はまた頷いたが、その表情には微妙な曖昧さがあった。恐らく、そのような先のことより、当面のコンディションづくりに不安があるのだろう、と私は思った。内藤の風邪はまだよくなっていなかった。練習は休みなく続けていたが、いくらかよくなりかけ、そのつもりになって激しく動くと、また元に逆戻りしてしまう。そんなことを何度も繰り返していた。
話がそこにいくと、エディは子供を諭すような優しい口調で言った。
「聞いて、ジュン。風邪をひいた時、コンディションが悪い時、無理はしないの。神様と喧《けん》嘩《か》しても勝てないの。ゆっくり、ゆっくり体を動かしていけばいいね。神様とは、ネバー・ファイトよ」
私たちは笑った。確かに神様と喧嘩しても勝ち目はない。神様とはネバー・ファイト、決して闘ってはいけない。それは悪くない考え方だった。
二月末、金子ジムの十五周年記念パーティーが芝の白金迎賓館で催された。金子の、その真面目な人柄と生活態度があずかって大きかったのだろう、会はなかなかの盛況だった。
この会は、同時にエディのボクシング生活五十周年と内藤の金子ジム移籍を祝うという目的も含まれていたのだが、なんといってもパーティーの主役は東洋タイトルを奪ったばかりの若い村田英次郎だった。チャンピオン・ベルトの贈呈式が行なわれ、村田がそれを腰に巻いてファイティング・ポーズをとると、いくつものフラッシュがたかれた。
黒いスーツを上手に着こなした内藤は、そんな村田の姿を浮かない顔で眺めていた。手にオレンジジュースのグラスを持ち、所在なさそうに佇《たたず》んでいた。
エディは上機嫌だった。ウィスキーグラスを呑み干しては、オーバー・ドリンキングよ、オーバー・ドリンキングよ、と反省していたが、話に熱中するとまた新しいグラスに手を伸ばした。
利朗は金子に頼まれ、パーティーの記念写真を撮っていた。私は別に話す相手もなく、壁際でぼんやりしていた。すると、そこに『ボクシングマガジン』誌の編集者が近づいてきて、内藤の件はどうなりました、と話しかけてきた。情報の速さに驚かされたが、隠し立てするほどのこともなかった。およその話をすると、いくらか足元を見られているかもしれませんね、と言った。そうかもしれないが、こちらも無理を望んでいるのだ、少しくらいむこうが嵩《かさ》にかかってきたとしても仕方がない。私が意地を張ったような口調で言うと、覚悟の上ならそれもいいかもしれません、と彼は微笑して言った。それは皮肉ではなく、むしろ好意的なもののように感じられた。離れていこうとする彼に、今度は私が声をかけた。羽草というのはどんなボクサーなのか。すると彼は、スピードはないが右の威力はまだかなりあるかもしれないといったことを説明したあとで、羽草はもしかしたらあなたが好きなタイプのボクサーかもしれません、と言った。
内藤はまだひとりでぽつんと立っていた。私は傍へ寄り、いつか君が主賓になればいい、と囁《ささや》いた。内藤は微かに口元をほころばせ、いつかね、と小さい声で応じた。
金子ジムのパーティーを境に、内藤の風邪は次第によくなっていった。三月に入り、寒さが緩んできたこともあったのかもしれない。一日、一日と、内藤の調子が上がっていくのが、眼に見えてわかった。練習も、軽い、流すようなものから、かなりの強度をもったトレーニングヘと移っていった。内藤がサンドバッグを叩きはじめると、エディがわざわざ私のところまでやってきて、見てよ、凄《すご》いね、と嘆声を発するほどになった。エディに言われるまでもなく、内藤がサンドバッグに叩き込むパンチは、どんなに遠くに離れていても、腹の奥に響いてくる。まさに、本物の重量級のパンチだった。
羽草の試合まであと二週間になった。
その日、私とエディと利朗は、金子や野口と共に横浜の文化体育館に出かけた。そこでジェームス・キャラハンとのエキジビションが行なわれることになっていたのだ。エディが言っていたような「ビッグ・マネー」も取れず、内藤が望んだような「契約書」も交せなかったが、結局はエキジビションを引き受けざるをえなくなっていた。
メインエベントが五十嵐《いがらし》力対高田次郎の東洋フライ級タイトルマッチ、セミファイナルが江刺勝雄対ネッシー堀口の日本ミドル級タイトルマッチという豪華な興行だったが、会場の入口でプログラムを貰うと、内藤とキャラハンのエキジビションは、そのふたつの間で行なわれる予定になっていた。ミドル級五位とランク外の選手の、しかもエキジビションのスパーリングにしては、破格の扱いだった。それは、主催者である協栄河合の側が、キャラハンをどれだけ売り出そうとしているかの意気ごみを示すものといえた。
私たちが会場の中に入った時にはすでに前座が始まっていた。場内は五分の入りで、広いだけに寒々として見えた。内藤は山手のアパートから直接くることになっていたが、控室にはまだ姿がなかった。しかし、いつものことなので大して心配はしなかった。私はみんなが内藤を待ってぼんやりしているあいだ、ひとりで場内をぶらついた。隣の控室を覗くと、そこには、すでに準備を終えたキャラハンが緊張した面持でうろうろしていた。
どうだい調子は、と私は話しかけた。キャラハンは頬を染めながら、しかし言葉つきだけは傲慢《ごうまん》そうに、
「別に何ていうことない相手だから」
と答えた。そこには明らかに虚勢が感じられた。
「そう」
私が軽く受け流すと、キャラハンは心外そうに付け加えた。
「相手もやっぱりプロはプロだから、一応用心はするけどね」
キャラハンは英国人の父と日本人の母との間に生まれたということだったが、色の白さを別にすると体の印象は日本人的だった。もちろんがっちりはしているが、胴や足のバランスは、内藤などに比べると際立って欧米人風というのではなかった。ふたことみこと言葉を交したあとで、私が部屋を出ようとすると、キャラハンが言った。
「僕は一年以内にチャンピオンになるんです」
私は微かに笑い、頑張って、と言った。
控室に戻ると、内藤が裸になってノーファール・カップをつけているところだった。やがて前座の十回戦が終り、セミファイナルの日本タイトルマッチが開始された。挑戦者のネッシー堀口は内藤と同じ控室にいたが、よほど減量に苦しんだらしく痩《や》せ細っていた。
堀口は最初から飛ばした。スタミナに自信のなかった彼は飛ばさざるをえなかったのだろう。両手を激しく振り回し、強引に突っ掛けていった。はじめは逃げ腰だった江刺も、それが足の伴なわない腕だけのパンチだということがわかると、少しずつ手を出すようになった。堀口はみるみるスタミナを失なっていき、第三ラウンドに一発ヒットされると、前のめりに倒れ、への字のような不思議な姿勢のまま、カウント・アウトされた。実に呆《あっ》気《け》ない勝負だった。
堀口は控室に帰ってくると、誰にともなく、負けちゃいました、と恥ずかしそうに言った。すると、内藤が、この次があるさ、と慰めた。
「俺たち重量級は先に一発当てた方が勝ちなんだから、次は先に当てればいいだけさ」
十分間の休憩の後、いよいよ内藤の出番になった。控室を出ていく直前、エディは両手を内藤の肩に置き、顔を覗き込むようにして注意を与えた。
「相手はただのノン・キャリア。軽く、軽くやって。でも、ときどきブンブンといくの。少し、いいところ見せたいね、お客さんに。これは、あんたのためのプロモート思うたらいいよ」
「だったら、ゴーとストップの合図を出してね」
二ラウンドのエキジビションとはいえ、未知の相手とグローブを交えるのはやはり緊張するのか、内藤の紫色の唇は白っぽく乾いていた。
内藤とキャラハンがリングに上がると、観客のあいだから声にならぬ嘆声が洩れる。場内の視線は、その前の江刺と堀口の日本戦に向けられていたものより、はるかに熱そうだった。とにかく、黒い肌と白い肌の混血の若者が、殴り合いを始めるのだ。これからどんなことが起きるかという不安に似た期待感で、誰もが言葉少なになっているようだった。
キャラハンはヘッドギアーをつけていたが、内藤はいつものように素顔のままだった。第一ラウンドのゴングが鳴り、内藤がゆっくりとリングの中央に出ていくと、ヘッドギアーの間からのぞいているキャラハンの眼に動揺の色が浮かんだ。内藤は軽く上体を動かしているだけで仕掛けようとしない。しかしキャラハンは、大きな構えのその内藤に威圧感を受け、威圧感を受けているということに動揺してしまっているようだった。
キャラハンは一歩踏み込み右のフックを放ったが、内藤は鋭いスウェー・バックでこれをよけ、キャラハンを泳がせた。観客席にどよめきが起きる。すべてが大戸戦の時と同じだった。パンチを出さない内藤がキャラハンを圧倒しはじめ、その姿に観客も圧倒されはじめる。
ところが、第一ラウンドの中盤にさしかかった時、思いがけないことが起こった。ふたりはリングの中央で睨《にら》み合いを続けていたが、その緊張に耐え切れず、キャラハンが内藤の懐に飛び込み、やみくもに両手を振り回すと、内藤はそれを避けることもせず、茫然とパンチを喰らってしまったのだ。五、六発パンチを喰らったあとで、慌ててキャラハンを突き放したが、内藤は何がどうなったのか自分でもわからないようだった。
しかし、それで眼が醒《さ》めたのか、内藤はじりじりとキャラハンを追いはじめた。ロープに背中がつくまで追いつめられた時、キャラハンは怯《おび》えたような眼をして、また飛び込んでいった。すると内藤は、長距離ランナーが突然のブレーキを起こしてしまったように、棒立ちのままガードすらせずキャラハンのパンチを受けてしまったのだ。五発、六発、七発……。私は口の中で数えて呆然とした。内藤は、珍らしく自分からクリンチをすると、両手でキャラハンの体を突き放した。
「遊ばないの! 行っていいのよ!」
エディが叫んだ。意外な展開に静まり返った場内に、その声はひときわ高く響き渡った。
だが、第一ラウンドが終り、第二ラウンドが始まっても、同じことが繰り返された。エディは苛立ち、右、右、と叫ぶが、内藤のパンチはまるで出ない。キャラハンは恐れながら打っているが、そのパンチがことごとく当たってしまう。
「出ろ!」
私の声が耳に届いたのか、内藤は前に出た。キャラハンは怯えたように後退したが、内藤の追い足は無残なほど遅かった。
「ゴー! 行くのよ!」
エディが必死に叫んだ。しかし、キャラハンに逆に飛び込まれ、揉《も》み合っているうちに、第二ラウンドも終ってしまった……。
控室に戻った私たちは、誰も一言も発しなかった。ロッカーの前に腰をおろし、黙々と靴を脱ぎはじめた内藤に、エディは怒りを押し殺して言った。
「右、どうして出さないの」
内藤は返事をしなかった。エディはその態度に怒りを爆発させ、
「どうしてなの!」
と叫ぶと、折りたたみ式の椅子を床に叩きつけた。鋭い金属音がコンクリートの控室の中に響いた。
「スパーリングをしてなかったから、勘がつかめなかったんだよな」
野口が気をつかって言った。
「そうさ、このくらい刺激があった方が、本番でピリッとしていいよ」
金子もそれに和した。しかし、エディはそれらの言葉に耳を貸そうとせず、執拗《しつよう》に繰り返した。
「どうして、行かないの」
「半年ぶりだから、仕方ないよ」
会長がまた言った。内藤は無言のままシャワー室に向かった。
その場をはずし、私が控室を出て五十嵐と高田の試合を覗きに行くと、キャラハンが会場の隅で数人の女性に取り巻かれていた。
「どうだった」
声をかけると、キャラハンは嬉しそうに笑って言った。
「やっぱり、大したことなかった」
「そう……」
「あっちのパンチは一発も入らなかったしね。サウスポーとやるの初めてだったから、よけ方がわからなかったけど、すぐに慣れた。あの人、もう駄目みたい」
私はただ笑っただけで返事をせず、そこを離れた。
控室の空気はまだ沈んでいた。最初の予定では、帰りにみんなで食事をしていこうということになっていたが、気まずい中で食べてもおいしくない、と中止することにした。エディは金子や野口と東京に帰り、私と利朗が内藤を家まで送ることになった。
利朗の車の中でも、内藤は元気がなかった。三人で食事をしないかと誘ったが、家で食べるからいいと言うだけだった。
「どうした」
私が訊ねると、内藤は直接それに答えることなく言った。
「御飯は家にあるから……」
裕見子は仕事に行っているはずだった。このような状態の内藤をひとり残し、冷たい食事をさせるのも可哀そうに思ったが、本人が望む以上、放っておくより仕方なかった。
元町の交差点を通過した時、私はふと思い出して言った。
「キャラハン……怯えてたよな……」
しばらくして内藤が呟いた。
「俺にも、あんな頃があった……」
私は内藤の横顔を見た。しかし、車の中は暗く、それがどのような意味の言葉なのか、表情から読み取ることはできなかった。
翌日、ジムに出て来たエディは、まだ怒りが収まらないでいるようだった。私の姿を見つけると、傍に寄り、小さな声で訊ねてきた。
「昨日、ジュンはどうしたの」
「…………」
「あとで、何か言ってなかったですか」
「別に……」
「あんた、昨日のジュン、どうしたんだと思います」
私は黙って首を振った。
「脅かされたのと違いますか。こっちの人に」
エディはそう言いながら、頬を人差し指で切る真似をした。突拍子もない推測だったが、それほどまでに内藤の力を信じているのだと思うと、笑えなかった。
練習を開始した内藤に、エディは険しい視線を送っていた。パンチングボールを済ませ、サンドバッグを叩きはじめると、遠くからエディが鋭く叫んだ。
「殺してよ! そのサンドバッグ!」
内藤はエディを一瞥《いちべつ》し、重く激しいパンチを一発、サンドバッグに叩き込んだ。
ジムからの帰りに、下北沢のプラットホームで電車を待ちながら、内藤は言った。
「心配しないで」
私は頷いた。
「昨日の夜、あれからレコードを選んでたんだ。頼まれてたのがあるでしょ」
以前から私は内藤にレコードを貸してくれるよう頼んでいた。七〇年前後のレコードで、内藤がいいと思う十枚くらいを選んでくれないか、という希望つきだった。
「選んでいるうちに、なつかしくなっちゃってね。御飯も食べないで、レコードを聴きだしちゃったんだ。そうしたら、なんか気分がすっきりしちゃってね。……もう、大丈夫」
「それならよかった」
「七〇年といえば、ちょうど俺がチャンピオンになった頃だもんね」
そこに渋谷行きの電車が入ってきた。私は反対の方向に行く。内藤は電車に乗り込み、
「昨日のことは心配しないで、もう何でもないから」
と言い、顔中を皺《しわ》だらけにして笑ってみせた。
内藤はその言葉通り、次の日からのスパーリングで圧倒的な迫力を見せてくれた。新日本木村ジムから来た重量級をまったく寄せつけなかった。相手も有望な選手だったらしいが、内藤の前ではベビー・ボクシングをしているようだった。第一日目など、内藤が右のストレートを軽く放つと、相手はロープ際に吹き飛ばされ、うずくまりかけた。私の隣で見ていたJ・ライト級の池原良孝が、すげえ、と思わず悲鳴のような声を上げたほどだった。
「ほんとに、凄いですね」
池原が話しかけてきたが、私は素直に讃嘆《さんたん》できなかった。どうせスパーリングではオモチャでしょうよ、という長野の言葉が思い出されてならなかったのだ。
内藤はスパーリングの相手を求めて、代々木の協栄ジムにまで行くようになった。しかし、そこでも相手は問題にならなかった。パートナーはプロレスラーからボクサーに転向したスーパー・リキというヘビー級だったが、内藤のスピードについてこられないのは当然にしても、パンチの威力にも差がありすぎた。スーパー・リキはスパーリングということを忘れて、本番のように突進するが、タイミングのよい内藤のパンチに何度もグラリとさせられた。
羽草との試合が一週間後に迫ってきた。
その日、スーパー・リキとのスパーリングが終って協栄ジムを出ると、八時を過ぎていた。暗い路地を肩を並べて歩いている時、内藤が言った。
「このあいだ、俺、うちのやつと病院に行ったんだ」
「予定はいつだって?」
「九月らしい」
「まだ働いているんだろ? 体、大丈夫なのかな」
私が訊ねると、内藤は口ごもった。
「あと少し平気らしいけど……」
「あと少し……か」
妙な重苦しさを感じて、私は黙り込んだ。しばらくして、内藤が口を開いた。
「昔だったら、病院へ行くなんて、恥ずかしくて厭《いや》だったけど、今度は気にならなかったよ、ぜんぜん」
そして、独り言のように呟《つぶや》いた。
「今年中になんとかカタをつけたいんだ。負けるにしても、勝つにしても……」
「そうだな」
私が言うと、内藤が微笑しながら言った。
「そうじゃないと、あいつらを殺すことになっちゃう。あの二人は殺せないからね」
「…………」
私は黙ってその言葉を聞きながら、もしこの男が酒を呑めるなら、これから酒場へ行って祝盃《しゅくはい》をあげるのだが、と思っていた。内藤は、確実にいま、生まれてくる子供の父親になろうと意志しはじめたのだ。
次の日の朝、電話がかかってきた。韓国からの電話だった。
「ソウルにすぐいらっしゃれますか?」
KBSの金が電話の向こうで訊《たず》ねた。
「もちろん、明日にでも」
私は大声で答えた。
二度目のソウルもやはりプラザホテルに宿をとった。
部屋からKBSに電話を入れると、金はずいぶん早かったですねと驚いた。国際電話で、話がまとまりそうだからできるだけ早い機会に来るといいとは言ったが、まさかその翌朝に来るとは思っていなかったらしい。しかし私は、このようなこともあろうかと、前もって韓国のビザを用意しておいたのだ。
私からの電話を受けた金は、すぐに文化放送の運動部と連絡を取り、折り返し電話をくれた。
残念だが運動部の部長は所用でソウルを離れている。こんなに早く来るとは思わなかったので、数日は帰ってこないらしい。しかし運動部の次長が会うと言っている。あるいは最終的な決定権は持っていないかもしれないが、実際に番組を制作するのはその次長なので話し合いに支障をきたすことはないだろう。午後一時に柳のマネージャーを伴いそちらのホテルに行くという。ルームナンバーを伝えてあるので、フロントから電話をかけると思う。これで私の役目は終った。あとは直接あなたが交渉してほしい。
金はそう言うと、すぐにも電話を切りそうになったので、私は慌てて訊ねた。言葉はどうしたらいいんでしょう。すると金は微《かす》かな笑いを含んだ声で答えた。次長さんは私より上手に日本語を喋ります。私はあらためてお礼に伺うからと言い、ひとまず電話を切った。
約束通り一時に電話のベルが鳴った。
「文化放送のシンです。ロビーでお待ちしています」
なるほど流暢《りゅうちょう》な日本語だった。
部屋からロビーに降りると、思ったより若い、柔和な顔をした男が、フロントの前のソファに坐っていた。近寄ると、すぐ私とわかったらしく、立ち上がって手を差し伸べてきた。私が名を告げると、彼は胸のポケットから名刺を取り出した。それには「文化放送・京郷新聞 次長 申鉉弼《シンヒョンピル》」とあった。あたりを見回したが、柳のマネージャーらしき人影がない。
「柳さんのマネージャーは?」
「少し遅れるそうです。しばらくここで待っていただけませんか」
私たちはソファに腰を下ろした。四、五分も雑談をしたろうか、突然、申が好奇心を抑え切れないという様子で訊ねてきた。
「どうしてあなたのような人が、ボクシングのマッチメークなんかしているのですか?」
申は私の日本での職業についてよく知っているようだった。私は、韓国の釜山から始まった内藤との関《かか》わりについて、正直に話した。聞き終ると、申はいくらか昂奮したように言った。
「あの釜山の試合に、あなたも来ていたんですか!」
「ええ……」
私は申が何に昂奮しているのかわからないままに相槌《あいづち》を打った。
「そうですか……」
申は感慨深そうに呟いた。
「あの試合、申さんも御覧になったんですか?」
私が訊ねると、申は照れたような笑みを浮かべて言った。
「あれは、私が初めて担当したビッグゲームだったんです」
今度は私が驚く番だった。
「ほんとですか!」
「ええ。六年前の夏でしたかね、あの釜山の東洋タイトルマッチは私が制作を担当したんです」
「そうすると……」
私が上ずった調子で口を開きかけた時、ガラスの扉を通り抜けて、眼つきの鋭い、中肉中背の男が近づいてきた。
男は申に挨拶をし、私と握手すると、勝手にエスカレーターの方に歩き出した。私たちも慌ててそのあとに従った。男はホテルの三階にある日本料理屋に入り、奥の座敷に上がり込んだ。
申が柳のマネージャーだと紹介すると、男は黙って名刺を出した。その人並みはずれた大きさの名刺には「国際     代表 崔《チエ》根豪《グンホ》」とある。裏面の英文によれば、ハングルの文字はプロモーションと読めるらしい。根豪という名は、あとから勝手に自分でつけたものらしく、その下に小さく「本名 一和《イルファ》」と記されてあった。
崔はしばらく申と韓国語で喋っていたが、不意に私の方に向かい、日本語で話しかけてきた。崔の日本語もうまかった。
「あんた、内藤の何なのかね」
「友人です」
「それがどうしてこんなことをするのかね」
私は申にしたと同じ話をしはじめた。何回も繰り返し、いささか自分で飽きがきていないことはなかったが、崔にしてみれば話でもじっくり聞かないことには信用できないのだろうと思い、できるだけ丁寧に話そうとした。崔は頷きながら聞いていたが、実際は大して興味がなかったらしい。話が終るとそれを簡単に一言で要約してくれた。
「とにかく、あんたたちは柳とやりたい。そうなんだろ?」
マッチメーカーの山県とまったく同じ要約の仕方だということが印象的だったが、しかしそんな決まりきったことをなぜ念押ししなくてはならないのだろうと不思議に思った。
「そうですが……」
私が返事をすると、崔は畳みかけるように言った。
「あんたたちがやりたいといってきた。そういうことだよな?」
「ええ……」
「そうか。それならやってもいいよ」
「…………!」
私はあまりの呆気なさに信じられないくらいだった。この崔という男は本当に柳のマネージャーなのだろうか。不安になって、遠まわしに文化放送の申に訊ねると、崔がその問いを引き取って答えた。柳は間違いなく私の選手だ。何千万もの金を使って自分の選手にした。崔は柳に関してのあらゆる権利を握っているビジネス・マネージャーだということだった。
「試合はいつ頃になりますか」
私は崔に訊ねた。
「五月の末か、六月の頭。それでいいかい?」
「こっちは、やってもらえるなら、いつでも結構です」
「まだはっきり決められないが、六月の頭までにはできるよ」
「場所はソウルですね?」
「そのつもりだ」
これでようやく待望の柳戦が実現する。しかし喜びは湧《わ》いてこない。それも当然のことだった。これから金銭面の条件をつめていくという難題が残されていたからだ。
ビールが運ばれ、料理が運ばれてきたが、私はビールに少し口をつけただけだった。しかし、いつまでたっても崔は金の話をしてこない。私は我慢できず、こちらから切り出した。
「条件はどんなものですか?」
「何の?」
崔はとぼけたような口調で訊き返した。
「金についてです」
「ああ、それなら、そっちの提案通りだよ」
「提案通り?」
「そう。一万ドルにファイトマネーは二千ドル」
「一万ドル?」
「そっちが払ってくれるという金さ」
「冗談じゃない。一万ドルなんて、とても無理だ」
「無理ってことはないだろ。そっちが一万出すというから、こっちもやってやろうかという気になったんだ。その金がなければ、とても柳にファイトマネーなんか払い切れないよ」
私は狼狽《ろうばい》しながら頭の中で必死に考えをまとめようとしていた。KBSの金は、文化放送や柳の陣営を説得するために、一万ドルというこちらの手の内を明かしてしまったらしい。残念だが、わかってしまったものはしようがない。しかし、一万ドルというのは当初の相手側の言い値だった。それから一カ月ほどたち、状勢は変化しているはずだった。相手は一万ドルという餌《えさ》に喰いつき、こちらをいいカモと判断して交渉に応じてきた。とすれば、これから先は商売上の駆引きが必要になってくる。この類いの取引きをしたことはなかったが、インドの市場やイランのバザールで、十円の買物をするのにさえ一日中交渉していたことを考えれば、できないはずはない。やってみよう、と私は思った。
「一万なんて、とうてい出せませんよ」
私が言うと、崔があっさりと応じた。
「それなら、この話は壊れるな」
私はしめたと思った。崔の口調が、いかにもバザールの親父たちと同じような、過剰なさりげなさに装われていたからだ。崔も駆引きをしようとしている。
「一万ドルは無理だなあ……」
私はことさら困惑したように言った。
「一万ドルはあるんだろ?」
崔が言った。
「いや、ありませんよ。一万ドルなら、何とか用意できるかもしれない、と言っただけですよ」
「だったら用意すればいい」
「確かに一万ドルは作れるかもしれない。無理すればですよ。でもね、この試合が終るまでに、他にいろいろな費用が必要になります。現に、これまで二度もソウルに来なければならなかったし、これからも来なくてはならない。そういったものを含めて、一万しか用意できないんです」
「そっちがやりたいと言ってきたんだろ」
「でも、無理なことは無理なことですよ」
私は危うい綱渡りをしているようなものだった。駆引きは必要だが、それならやめだと本気で言われれば、すべてが無に帰してしまう。どこまで押していいのか、その限界を見きわめながら進んでいかなくてはならない。
「一万といったら一万出しなよ」
崔が苛《いら》立《だ》たしそうに言った。
「……その一万だって、別にこっちに入ってくるわけじゃないんだ。あんたが放送局を通して話を持ってきたもんだから、それだけ放送権料を値下げさせられるんだ。つまり、その一万はそっくり文化放送にいく」
一瞬、放送局経由で話をまとめようとしたのが失敗だったのかな、と思った。しかし、直接交渉に行ってもきちんと対応してくれたかどうかはわからないと思い直し、崔に切り返した。
「それなら、その金が千ドルでも二千ドルでも、崔さんの懐には関係ないわけだ」
私が言うと、崔は意表をつかれたらしく、うろたえた。
「まあ……それは……そうだけど。でもさ、一万くらいのはした金でケチケチしなさんな。一万といったら一万。それを値切られたりするのは、金の問題じゃなく、面子《メンツ》が立たないよ」
面子を持ち出されると返す言葉がなくなった。崔がその様子を見て取って、追い打ちをかけるように言った。
「うちが洪秀煥《ホンスフアン》をサモラとやらせる時は、七万ドルも払ったよ」
私は苦笑した。
「無茶いわないでくださいよ。それは世界タイトルじゃないですか。これは東洋、価値が違いますよ」
「博奕《ばくち》を打とうとしてるんだろ。世界も東洋も一緒だよ。一万くらい出さなければ、博奕なんて打てないさ」
崔の言うことにも一理あった。
「一万に二千。それに決めるぞ」
私は崔の勢いに押され、仕方がないと返事をしそうになったが、危ういところで踏みとどまった。
「ええと……ふつう、試合を作った場合、プロモーターからマッチメーカーに金が支払われますよね。今回はそれが不要なんだから、その分だけ引いてくださいよ」
「ああ、いいよ。でもそんなのは二百か三百だ」
「まさか、そんな少ないはずないでしょ」
「いや、そんなもんさ」
それが慣行だといわれれば、経験のない私に反論のしようはなかった。
「このあいだも、日本から金子に頼まれたといってマッチメーカーが来たよ」
「山県さんですか?」
「いや、山県じゃなくて、金子によく出入りしているマッチメーカーさ。それがさ、自分に柳の話をまとめさせてくれ、あんたが来ても取り合わないでくれって言ってきたけどね……」
不意打ちを喰らったような衝撃だった。金子がそのようなことを命ずるとは考えられないから、恐らくはマッチメーカー独断の行動なのだろう。崔が強気な理由もわかった。私は動揺を表にあらわさないよう努めて平然と言った。
「それが?」
「だからさ、まあ、それに頼んだとしても、二、三百ドルしか払わないということさ」
崔は揺さぶりの効果を確かめるように、私の顔をちらっと見ながら言った。私は崔にいいようにあしらわれているのを感じていた。しかし、だからといって素直に引き退がるわけにはいかなかった。私は一万ドルは無理だと頑強に主張した。崔は私の意外なしぶとさに根負けしたらしく、ついに折れてきた。
「それなら、一万に三千でどうだ」
「…………」
「そっちが一万よこす。こっちはファイトマネーとして三千出す。そっちは差し引き七千ドル出せばいいわけだ」
その程度の譲歩で承諾するわけにはいかなかった。だが、向こうが折れてきたのは確かだった。この機を逃してはならないと咄《とっ》嗟《さ》に思った。
「五千に二千」
私が言うと、崔が怒ったような声を出した。
「冗談じゃない!」
「それじゃあ、七千に二千」
私は畳みかけた。崔は一瞬ことばにつまり、少し考えた。考えた風を見せたということで、勝負は決まってしまったのかもしれない。崔はどうすると申に日本語で言い、慌てて韓国語に切り換えて相談した。そして、しばらくして言った。
「わかった。八千に二千で手を打とう」
私はこれ以上深追いすると元も子もなくす危険があると判断した。だが、私はこちらから出す金の額をもう少し低く抑えたかった。崔の自尊心を傷つけることなく、八千ドルをせめて七千五百ドルにすることはできないか。
私はひとつの方法を思いつき、崔に言った。
「わかりました。しかし、ドルの表示はレートの変動でややこしくなるから円でやってください。百六十万円。それでいいですか?」
一ドルは二百円という通念は韓国でも受け入れられていた。それに従えば百六十万円は八千ドルになる。だが、現行の一ドル二百二十円というレートに従えば、百六十万円は七千三百ドルにしかならない。つまり、百六十万円は八千ドルであり、同時に七千三百ドルでもあるのだ。崔はしばらく考えた末に言った。
「よし、いいだろう」
しかし、そう言ったあとで、なお未練らしく呟いた。
「一万ドルなんて、はした金さ。博奕を打つにはね」
私は笑って頷《うなず》いた。
「それで、契約はどうします」
それまで黙って私たちのやりとりを聞いていた申が口を開いた。私は言った。
「とにかく、内藤が羽草に勝たなければ話になりません。勝って東洋入りが確実になったら、みんなと相談して電話で連絡します」
「おい、おい、まだ相談することなんかあるのかい」
崔が情けなさそうに言った。
「早くしてくれよ。そっちが駄目な場合、別口を探さなければならないからな」
「わかりました」
私たちは互いにいくらか緊張を解いてビールを呑みはじめた。
崔の話すところによれば、彼の本業はボクシングではなく、ブルドーザーのリース業ということだった。悪い奴におだてられ、だまされ、金を巻き上げられ、気がつくと何人もの選手を抱え込まされていたのだという。ボクシングは金を喰うばかりで少しも儲《もう》からない。そう言って苦笑した時の崔は、思いがけないほど善良そうな顔つきになった。
あるだけのビール瓶《びん》が空になると、崔は立ち上がり、分厚い財布を出して勘定を払った。私はロビーまで二人を見送り、礼を言って別れようとすると、崔が何を思ったか内藤の齢を訊ねてきた。
「今年でいくつになる?」
「三十です」
誕生日はまだだったが、五月になれば三十になる。
「そうか、三十か……」
そう呟くと、崔はどういうつもりかこう言った。
「柳は三十三になる。だから、もう、ベルトはそっちにやることになるな……」
翌朝、私は金浦空港で迷いに迷ったあげく、東京行きではなく福岡行きの飛行機に乗り込んだ。
羽草との試合まであと五日しかなかった。できるだけ早く東京へ戻り、内藤の最終段階の練習に付き合うべきだとも思ったが、しかし試合前にいちど羽草を見ておきたいという誘惑には勝てなかった。それには、金子ジムのパーティーで会ったボクシング誌の編集者の言葉も、いくらか影響していないことはなかった。羽草はあなたの好きなタイプのボクサーかもしれないと言った彼の言葉が、私の頭に強く残っていた。
ソウルから福岡まで一時間ほどの飛行である。座席の背を倒して眼を閉じると、前日の疲れがどっと出てくるようだった。僅か五十分足らずの交渉が、丸一日も続いたように思われてくる。崔との駆引きにおいては、プロを相手にかなりの善戦をしたといえるかもしれない。私は満足した気分で崔との応酬の記憶を辿《たど》った。しかしその途中で、当然といえばあまりにも当然なことに気がつき、座席の背を元に戻して坐り直した。考えてみれば、いくら崔にまけさせたとはいえ、大金を払うことには変わりなかった。百六十万もの金をどう稼《かせ》いだらいいのか。コマーシャル・フィルムの制作に参加するには遅すぎた。冬の撮影が終り、これから春の高原を撮るのだ、という話はそれとなく聞かされていた。無理を頼めば受け入れてくれるかもしれないが、それではあまりにも勝手すぎる。内藤の移籍に使ったため、去年の秋に出した本の印税はほとんどなくなっていた。そろそろ仕事をしなければならなくなったのかもしれないが、それにしても原稿料で稼げる額などしれていた。移籍やマッチメークの忙しさにかまけ、コマーシャル・フィルム制作に加わらなかったことが、次第に悔やまれてきた。だが、まあ、なんとかなるだろう。いつでもそう思い、いつでもそうなってきたのだから、今度もそうならないはずがない……。
福岡空港からバスで博多駅に行き、上りの列車に乗って小《こ》倉《くら》に向かった。羽草が所属する北九州ジムが小倉にあったからだ。
キオスクで買った朝刊を電車の中でひろげると、第二社会面といったところの紙面に小さく私の名前が載っているのに気がついた。去年の秋に出版された私の本が、ノンフィクション・ライターの先達ともいうべき人の名を冠した賞を受けたのだという。私は小倉の駅に着くとすぐに本造りを担当してくれた版元の編集者に電話を入れた。彼は祝いの言葉とともに、二万部の増刷が決まったというしらせを伝えてくれた。私は電話で話しながら、頭の中で印税の計算をした。定価の一割を二万倍し……源泉徴収分の税金を差し引くと……なんとそれは崔に支払うべき金の額とほとんど同じになるではないか。私は心の中で快《かい》哉《さい》を叫んだ。
北九州ジムは国鉄小倉駅から十分ほど歩いたところにあった。一般の商店や事務所にはさまれながら、辛うじてその存在を主張しているといったかたちの、間口が二間あるかないかの小さなジムだった。
若いボクサーがふたり練習していたが、羽草はまだのようだった。しばらく待っていると、まず会長の宇土《うど》生《いく》人《と》がやって来た。宇土は、私が東京から羽草を見にきたと知ると、高崎ジムの森田がそうであったように、こちらが心苦しくなるほど丁重に扱ってくれた。羽草に関する記事のスクラップを取り出し、また戦績の一覧表を見せてくれた。宇土は自分が羽草を育て、一人前の男にしたということを、この上なく誇りに思っているようだった。
それも当然である、とスクラップ・ブックの頁を繰りながら私は思った。宇土は、大阪で気を腐らせている無名のボクサーを拾い上げ、九州に呼び寄せ東洋チャンピオンにまでしたのである。と同時に、そのスクラップ・ブックの記事に眼を通しながら、ボクシング誌の編集者がなぜあのようなことを言ったのかが、朧気《おぼろげ》ながらわかってくるように思えた。羽草もまた不運なボクサーだったのだ。
中学を卒《お》え、九州から大阪に働きに出た羽草は、そこでボクシングを始めた。昭和四十四年に十七歳でデビュー、翌年には七勝一敗でウェルター級の全日本新人王になるという好スタートを切った。だが、羽草にとっての最初の不運は、所属したジムとの折り合いが悪かったということだった。八回戦で足踏みしたことも重なって、ボクシングを続ける意欲を失なってしまった。しかしボクシングをやめたからといって他《ほか》にできることもない。三年余りぶらぶらしたあとで、仲に立つ人を得て、宇土の北九州ジムに拾われていった。宇土の説明するところによれば、バッグひとつ持たない、文字通りの裸一貫だったという。
しかし、宇土は羽草をボクサーとして呼び寄せたわけではなかった。興行の世界からボクシングに近づいた宇土には、トレーナーの役割を果せる手助けがほしかったのだ。その羽草にひとつふたつ試合をさせてみようと思ったのは、同じ教えるのでも一度くらいランキングに入ったことのある方が練習生に睨《にら》みがきくだろう、と考えたからであった。
羽草はJ・ミドル級で再デビューしたが、その第一戦に敗れ、やはりランクを望むのは無理かと思われたが、第二戦を鮮やかなノックアウト勝ちで飾り、待望の日本ランク入りを果した。重量級の人材の不足という面にも助けられたが、昭和五十一年には林載根の東洋J・ミドル級タイトルに挑戦し、大方の予想を裏切ってこれを判定で破ることができた。羽草は九州のジムが生んだ最初のチャンピオンになったのである。
羽草は世界の七位にランクされ、第一回目の防衛にも成功した。
だが、ふたつ目の不運は、その絶頂の時期と重なるように訪れた。本来、輪島功一の手から離れ、エディ・ガソの手に移った世界J・ミドル級への挑戦資格は、少なくとも日本においては最も高位にあった羽草が有すべきもののはずだった。しかし、地方ジムに属している哀《かな》しさで、中央にあるジムの政治力に負け、次々と出し抜かれてしまった。そして、ついに世界戦が実現しないまま、韓国の朱虎との防衛戦に失敗し、以来ゆっくりと下降の道を辿ることになってしまったのだ。
羽草に再浮上のチャンスがまったくなかったわけではない。しかしここにおいても彼は不運だった。朱虎との間で行なわれたリターンマッチで、第四ラウンドに二度のダウンを奪い、三度目のダウンも奪ったが、レフェリーにそれをスリップと判定され、ノックアウトを逸することによって、勝っていた試合を引分けに持ち込まれてしまったのだ。
それ以後は、朱虎からタイトルを奪回した林載根に再挑戦したが敗れ、三《み》迫《さこ》ジムの新人三原正にも敗れていた。
宇土は、羽草に対する愛情は変わらず持っているようだったが、ボクサーとしての彼にはもはや多くを望んでいない口振りだった。
私はそのスクラップをコピーさせてくれないかと字土に頼んだ。宇土は近くにコピーできるところはないからと、自分の車で複写機器の販売会社まで連れていってくれた。
帰ってくると、羽草が練習を始めていた。百七十センチほどの背丈で、がっちりした上半身を持っているボクサーだった。髪を短かく刈っているため、頬骨の張っているのがよけい眼につく。
シャドー・ボクシングのあと、六ラウンドのマスボクシング。ここでもやはり相手がいないので本格的なスパーリングはできないのだという。バッグを叩き、ロープを終え、柔軟体操に入ったところで、私は羽草に話しかけた。
「調子はどう?」
「ウエートが少しつらいです」
運動部の後輩が先輩に向かって答えるような生真面目な答え方だった。
「契約ウエートはJ・ミドルより少し多目じゃなかったかな」
「ええ、でも八十五キロから落としはじめましたから」
「それはきつい」
私が言うと、羽草はにこにこしながら言った。
「ええ、とてもきついです」
それをきっかけに、体操のリズムを崩さないよう注意しながら、私はいくつかの質問をしていった。羽草はどんな質問にもきちんと答えてくれた。年齢は二十六であること、結婚して子供がいること、この土地に根を下ろしたいと望んでいること、ボクサーとしてはここ一年のうちになんとかしなければ駄目だと思っていること……。
「いま考えてみて、惜しかったなあと思うのは誰との試合?」
私が訊ねると、羽草は腹筋の運動を中断し、しばらく考えてから答えた。
「朱虎とのリターンマッチですね」
「引分けたやつ?」
「ええ、そうです。あれに勝っていれば、自分の人生はまた変わっていたと思います」
「そう……」
「その時はわからないんですね。引分けた、残念だった、それで終ってしまうんです。しかし、あとでもってその大きさにびっくりしてしまうんです」
「最初の朱虎戦もそうだよ」
宇土が口をはさんだ。
「あれに勝ってれば、おまえ、まだ世界の可能性はあっただろうが」
宇土の愚痴を聞かせるのは羽草に可哀そうだった。私は話を換えるつもりで出まかせに質問した。
「内藤を……見たことはある?」
「はい、あります」
その答えは意外だった。まさか見たという答えが返ってくるとは思っていなかった。
「どこで?」
「名古屋でも、大阪でも」
「そんなに何度も?」
「僕のデビュー戦は名古屋だったんですが、その時のメインエベンターがカシアス内藤だったんです」
「そんなことがあったのか……」
「次に内藤さんが関西でやった時も前座で出ました。二度ともKO勝ちでした。だから、内藤さんは縁起がいいんで、こっちでやる時は必ず前座に出してもらいたいなあと思ってました」
大阪にこのような思いを持った四回戦ボーイがいたということなど、当然のことながら内藤は知ってはいない。私が羽草を知っているかと訊ねた時、内藤は見たこともないと言っていたくらいなのだ。
「そうなのか……」
私が呟くと、羽草はさらに言った。
「やったこともあるんです」
「ほんと?」
「ほんとです。スパーリングなんですけど、一ラウンドやったことがあるんです」
「いつ頃?」
「昭和……四十五年、僕が十七歳になったばかりで、内藤さんが……」
「二十一くらいかな」
「そうですね。大阪で韓国のなんとかという人とやる時に、スパーリングの相手に狩り出されたんです」
内藤が四十五年に大阪で韓国のボクサーを相手に闘った試合ということになれば、それは十九連勝目の試合となった崔成申《チエソンシン》戦に違いない。
「それで、その時のスパーリング、どうだった。結構いいところまでいった?」
私が、いや軽くあしらわれました、という答えを予期しながら訊ねると、羽草は、恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべて、こう言った。
「今でもよく覚えていますけど、僕の右ストレートがパーンと顔面に当たったんですよ。まぐれに決まってますけど、その拍子に内藤さんのヘッドギアーがガクッと後にずれてしまったんですね。そうしたら、内藤さん、それをキャンバスに叩きつけて、勝手にスパーリングやめてしまったんです。タウンゼントさんですか、トレーナーの人が一生懸命なだめてました。こっちは四回戦でしたからびっくりしてしまって……」
情景が眼に浮かぶようだった。内藤はまだ負けを知らず、わがままいっぱいに振るまい、またそれが許されていた時代だった。
「その時から比べれば、内藤もずいぶん変わったけどね」
私は弁護するように羽草に言った。
「齢もとったし、苦労もしたし」
しばらく黙って私たちの話を聞いていた宇土が、私に訊ねてきた。
「内藤が柳とやるっていう噂《うわさ》は本当なのかい?」
私は返事に困り、ええ、まあ、そういうことのようです、と言葉を濁した。
「柳っていえば……」
と羽草が自分から言い出した。
「……僕が再デビューした時のメインエベンターが、柳済斗でした」
「ほんと!」
私は信じられないというような声を上げてしまった。
「はい、ほんとです。柳が小倉で輪島の世界タイトルに挑戦した時でした」
私には、因縁としかいいようのない奇妙なものが何重にも絡《から》み合い、ギリギリと音を立てていくように感じられた。
「勝てそう?」
私が訊くと、羽草は正直に答えた。
「わかりません。でも、ふたりとも元東洋チャンピオンだから、恥ずかしくない試合はしたいです」
心からそう望んでいるようだった。
「この試合はね、羽草と内藤のどっちが浮かび上がれるかを決める試合さ」
宇土が言った。その通りだった。私が黙って頷くと、宇土が言葉を継いだ。
「羽草が勝てば、どっこい羽草は死んでいなかったということになるし、内藤が勝てば、ついに本格的に再起したということになる」
そして、腹筋運動を再開した羽草に向かい、本気だか冗談だかわからぬ口調で言った。
「おまえが内藤に勝てば、今度は日本タイトルに挑戦できるかもしれない。おまえがもう一度チャンピオンになったら、黙ってこのジムをくれてやるよ」
計量は簡単に済んだ。
試合当日の朝、例によって後楽園ホールで行なわれた計量で、内藤は契約ウエートの百五十六ポンドより半ポンド少なく、羽草は一ポンド少ない体重で問題なく通過した。
計量しているあいだ、羽草は一言も喋《しゃべ》らず、終るとすぐ医務室に健康診断を受けに行った。一方、内藤は陽気なおしゃべりを続け、ゆっくり服を着ていたが、ベルトをしめ、腕時計をはめた時、頓狂な声を上げた。
「あっ、ない!」
右手の中指にはめていた指輪がなくなってしまったというのだ。男が指輪をするなんて、というごく旧弊な考え方を持っている私は、おろおろした様子で床を探しはじめた内藤の姿を見ても、ほとんど同情もせず放っておいたが、それが友人の形見の品だと聞かされて、一緒に真剣に探さざるをえなくなった。その指輪は、座間のキャンプで親しくなった黒人のアメリカ兵が、ベトナムへ出発する直前に、形見だといって残していったものだという。
しかし、いくら探しても部屋の中にはなかった。家から後楽園ホールへ来るまでのどこかで落としてしまったらしい。指輪は何でもないガラス玉がはめこまれているだけの安物だという。むしろ高価なものなら出てくるかもしれないが、他人から見れば単なるがらくたにすぎない指輪を、拾ったからといって手間をかけて届け出てくれる人がいるとは思えなかった。だが、内藤のがっかりした様子に、私はまずいなと思った。かりにどんな安物であれ、大事な試合を控えた朝に思い出の品を失《な》くしてしまうということが、闘う者の心理に微妙な影を落とさないはずがない。
内藤は家から東京駅までは確かに指にあったという。大戸戦の時は弟の清春に車に乗せてもらっていたが、この日は都合が悪かったらしく、横浜からひとりで電車を利用して来ていた。
「落としたとすれば……東京駅で乗り換えてからのことだろうな……」
内藤のその言葉を聞いて、私は言った。
「よし、これから東京駅まで探しに行こう」
百パーセント見つからないだろうが、探して、それでもなければ諦《あきら》めもつくだろう。試合前に妙な心残りをつくらせたくなかった。
健康診断を受けたあとで、私は内藤と共に外へ出た。写真を撮りに来ていた利朗も一緒に探しに出てくれた。
通ってきた道を辿り返し、地面を探しながら歩くが、もちろん指輪などが簡単に見つかるはずがない。ついに水道橋の駅まで来てしまった。
東京駅まで切符を買おうとして、一応その前に遺失物の係に訊ねてみた方がいいと考えた。改札口の駅員に事情を話し、構内に入れてもらって窓口で訊ねると、若い駅員が拍子抜けするほどあっさり、ああそれなら届いてますよ、と言った。階段の下に転がっていたのを、乗降客が拾っておいてくれたのだという。内藤が本物の落とし主かどうか調べるまでもなかった。赤いガラス玉の入ったその指輪は、内藤のような太い指でなければとうていはめられない代物だったからだ。
「どうしてあんなところで落としたんだろう」
エディたちが待っているレストランに向かいながら私が訊ねると、ようやく納得したように内藤が言った。
「ポケットから切符を出そうとして、手袋を脱いだ時に落ちたんだと思う」
「君の指にもゆるいの、その指輪」
「普通はぴったりなんだけど、減量で指が痩《や》せちゃったんだよ、きっと」
レストランでエディたちと合流し、指輪が見つかったと告げると、全員がびっくりしたような声を上げた。彼らも見つかるとは思っていなかったのだ。
エディは私の耳元で、あんたが運をつれてるのよ、と囁《ささや》き、それから大きな声で皆に言った。
「ほんとに、よかったよ、安心したよ」
その言葉はそこにいるすべての人の気持を代弁していた。これで気をよくする、というほどではないにしても、少なくとも普通と同じ精神状態でリングに上れるはずだった。
内藤は大戸戦の時と同じく、オレンジジュース、ハムエッグ、トースト、それにコーヒーを注文した。テーブルに並べられると、ほとんど三、四分でたいらげた。エディが、もっとゆっくり食べなさい、と叱った。
夕方まで家に帰って横になっているという内藤に、電車で帰るのは疲れるだろうからと利朗が運転手を買って出てくれた。
エディたちと別れ、レストランから駐車場へ三人で向かっていると、途中で耳に補聴器をつけたひとりの少年に呼び止められた。呼び止められたといっても、声をかけられたわけではない。道の反対側から歩いてきたその少年が、にっこり笑って近寄ってきたのだ。少年は耳だけでなく口も不自由らしく、表情を大きく動かすと、突然内藤に向かってファイティング・ポーズをとってみせた。私にはそれが、あなたはボクサーなのでしょ、という問いかけのように思えた。私が大きく頷くと、少年は手にしたバッグからノートとボールペンを取り出し、内藤に差し出した。サインをしてくれということのようだった。このような少年が内藤を知っているらしいこと、しかもサインをねだるということが、私には意外だった。その思いは内藤も同じらしく、一瞬どぎまぎしたようだったが、すぐ慣れた手つきでサインをした。少年はそれを受け取ると、嬉しそうにまた表情を動かし、口を動かした。
手を振って別れたあとで、内藤が言った。
「嬉しいね」
「ほんとだな」
「頑張らないとね」
私は頷いた。すると内藤は、別に誰に聞かせるふうでもなく呟いた。あの子は、一生苦労するんだろうな……。
第一ラウンドの最初の一分が過ぎた時、羽草は思い切りのいい右フックを内藤の顎《あご》に決めた。試合が本当に開始されたのはその瞬間だったかもしれない。それまでは互いに出方をうかがっているだけで、パンチらしいパンチの交換はなかったからだ。
羽草に綺《き》麗《れい》にヒットされると、内藤は初めて小刻みに前進し、右でアッパー気味のフックを放った。しかし、肩に力の入りすぎたそのパンチは、羽草の腕を叩いただけだった。羽草は自分から体をつけるようにして内藤に接近すると、至近距離から短かいパンチを連続的に繰り出した。内藤も応戦したが、相手の頬を正確にとらえていたのは、羽草のショート・フックだった。
接近戦を嫌い、羽草を突き放して、内藤は距離をとった。リードのパンチもなく、左でいきなりストレートを出し、右でフックを振るったが、踏み込みが浅く、ともに届かなかった。どうしても勝たなければいけないという思いが、内藤の動きを硬いものにしているようだった。
第二ラウンドに入っても、内藤のその硬さはほぐれなかった。羽草の左のジャブをうるさそうに右手で払い、隙を見て中間距離から右でアッパーを放つが、踏み込みが足りなくて空を切る。
「スピードが、全然ないな」
私の隣で見ている内山真太郎が呟いた。内山は内藤の友人だった。内藤と同じ船橋ジムに所属し、牛若丸原田を破って日本バンタム級の王座を奪い、世界十位まで登りつめたが引退し、いまはスポーツ用具店の営業をしている。仕事の帰りなどに金子ジムに寄り、内藤やエディと話をしているうちに、私とも親しくなっていた。七年ぶりに内藤の試合を見るという内山には、やはり内藤の足の衰えが眼につくのだろう。
「でも、力強くなったとは思わない?」
私はリングに眼を向けたまま、隣の内山に訊ねた。
「そうだね。パンチはついてきたみたいだな」
リングの中央でまた揉《も》み合いになった。手数ははるかに羽草が勝っている。内藤が力をこめてショートアッパーを突き上げようとするその上から、羽草は細かくフックを浴びせつづけた。内藤は再び羽草を突き放し、距離をとった。
内藤が強引に右でフックを放った。腰の入った凄《すさ》まじいフックだったが、羽草は辛うじてそれをかわすと、間髪をおかずにスピードのある右フックを返した。だが、それも相手の体をとらえることはできなかった。ふたつの右フックはともに空を切ったが、しかしその鋭さは、どちらが勝つにしてもこの試合を決めるのは右であろう、ということを物語っているようだった。
羽草の武器は右フックだった。彼はその右一本でこれまでの相手を倒し、東洋チャンピオンにまでなってきたのだ。羽草の右が、絶好のタイミングで内藤の顎をとらえきることができれば、一発でノックアウトすることも難しくはなかった。
一方、内藤の主武器も右だった。構え方はサウスポーだが、本来右利きである内藤は、格段に右腕の方が強かった。サンドバッグをえぐるようなパンチは右でなければ打てないし、現実に大戸を屠《ほふ》ったのも右のボディ・ブローだった。この試合の帰《き》趨《すう》は、どちらが先に決定的な右を決めるかにかかっていた。
ふたりはしばらく睨み合っていたが、まず羽草が仕掛けていった。小さく頭を揺らしながら突っ込み、左から右とコンビネーション・ブローを放った。その瞬間、内藤が軽く左を出すと、それが鮮やかなカウンターとなった。大したダメージはなさそうだったが、羽草ははずみで顔をのけぞらせた。初めてヒットらしいヒットを放った内藤は、勢いに乗って攻め立てた。しかし、力の入りすぎたパンチは大きいだけでスピードがなく、どれも羽草の腕にブロックされてしまった。
第二ラウンドの後半から第四ラウンドの前半にかけては、試合の流れがまったく変わらなかった。どちらにも、相手にダメージを与え、ポイントを稼げるような効果的なパンチはなく、リング中央で揉み合っては離れるということを繰り返していた。手数も多く、接近戦で短かいパンチを的確に当てている羽草の方が、僅かだが優勢のようだった。
しかし、私はほとんど心配していなかった。内藤が負けるような気がしなかったのだ。体重の差は僅か半ポンドしかないのに、ファイティング・ポーズをとって向かい合っているふたりは、ヘビー級とフライ級ほどの力感の差があったからだ。ジュニアミドルのリミット近くまで肉を削った内藤の体には、引き絞られた弓のように張りつめた線が浮き出ていた。
内藤の全身にみなぎっている力感は、ただ単に肉体から生み出されるものばかりではなさそうだった。内藤には、大戸に勝ち、それからも練習を怠らずに続けてきたということによる、奥深いところからの自信ができかかっていた。優勢を奪われながら逆に相手を圧倒し、観客にまで威圧感を与えているのは、その自信によるもののようだった。
第五ラウンドになると、羽草の足が少し重くなった。疲労のためか、あるいは接近戦で何発か打たれたボディヘのパンチが効きはじめたのか、いずれにしてもスピードが鈍ってきたことは確かだった。
揉み合いから距離をとると、内藤は腰を僅かにひねって左ストレートを繰り出した。それが羽草のグローブのあいだを縫って顔面をとらえると、一呼吸おいてからいきなり右のボディ・ブローを放った。それは羽草の左肘《ひじ》をかすめて、脇腹にめり込んだ。
「うっ」
隣で見ていた内山が呻《うめ》くような声を上げた。
その瞬間、リング上の羽草は前のめりになり、ガクッと膝を折ったかと思うと、キャンバスに両手をついた。
「あれっ?」
私は内山に訊ねかけるように呟いた。腰の入ったいいパンチだったが、まさかダウンを奪えるようなパンチとは思えなかったからだ。
「凄《すご》いパンチですよ」
内山が前を向いたまま答えた。
「そんなに?」
「ボクサーにとって、あれほど苦しいパンチはないんです」
羽草は、レフェリーがカウントを八まで数えた時、立ち上がってファイティング・ポーズを取った。
内藤は激しく羽草に迫ると、またボディを狙った。しかし、ノックアウトを急ぐあまり、大振りになり、羽草のブロックする腕の上を殴るだけのパンチになってしまった。
羽草は追い込まれながら、決してクリンチで逃げようとせず、接近して額を突き合わせるようにすると、必死にショート・フックで応戦した。その頑張りが、羽草を第五ラウンドのノックアウトから救うことになった。しかし、ラウンドの終了間際、内藤の鋭角的に曲げられた右腕が再び脇腹を抉《えぐ》ると、羽草は苦痛のあまり顔をしかめ、呻き声を洩らした。嘔《おう》吐《と》をする時に発するようなその低い呻き声は、私のところまで聞こえてきた。だが、羽草はゴングに救われた。
第六ラウンド、羽草は気力を振り絞ってコーナーの椅子から立ち上がり、リングの中央に歩み出てきた。リングの上は、テレビ用のライトに照らされて、眩《まぶ》しいくらいに明かるい。メインエベントの村田の東洋戦が早く終ってしまう場合を想定して、テレビ局がビデオを撮っているのだ。
その光の中で、羽草の肌はますます白くなっていくように感じられた。ただ、内藤に殴られた鼻と脇腹だけが鮮やかなくらいに赤かった。鼻の下に薄くはえている無精髭《ひげ》が妙な滑稽味を醸し出し、それがかえってうらがなしく映る。
羽草は自分から前進し、左、右とフックを振るったが距離が足らず、内藤に簡単にはずされてしまう。ホールの天井から吊り下げられている円筒形のランプの三分の一が消えた。その時、内藤はまた右でボディを決めた。羽草は苦痛に耐え切れず、腰を落とした。カウント・エイトのダウン。しかし、すぐに立ち上がってファイティング・ポーズをとると、精一杯の力をこめて右のフックを放った。内藤はそれをかわすと、サンドバッグに叩きつけるような無造作なパンチを、羽草の脇腹にまた決めた。肉を圧し潰《つぶ》すような鈍い音がした。羽草はキャンバスに崩れ落ちた。
私にはこれで試合は終りかと思われた。ところが、羽草は顔をしかめながら、再び立ったのだ。負ければすべてが終るという意識が、苦痛に喘《あえ》ぎながらも羽草にファイティング・ポーズをとらせた。しかし、上眼づかいに内藤を見ている羽草の眼には、痛々しいくらいの恐怖感があらわれていた。私は、羽草の必死の表情を見ているうちに、どうして内藤はこんな相手とばかり闘わなくてはならないのだろう、と暗い気持になった。この試合は、どちらがボクサーとして在りつづけられるかという、苛酷な生き残りゲームに化してしまっていた。私が望み、私がその端緒を作ったにもかかわらず、このふたりが闘わなくてはならない巡り合わせになったことを、私は悔やみたくなった。
羽草はどうにか立っているだけという状態のようだった。しかし、その羽草に対して、二度のダウンを奪った内藤のパンチは急に荒くなった。あと二回ダウンさせればいいのだという焦りが振りを大きくし、羽草の懸命のブロックを許してしまった。
第七ラウンド、羽草は内藤より先にリングの中央に進み出た。そして、これまで彼のすベての道を切り拓《ひら》いてきてくれた右を頼りに、必死の攻撃を仕掛けていった。しかし、左、右、右、左、右と、すべてのパンチが空を切る。羽草の体勢は崩れ、ガードする腕の上から叩き込まれるパンチにも、グラリと揺れた。
羽草が倒れ込むようにして接近してきた瞬間、内藤は左で羽草の脇腹に鮮やかなフックを打ち込んだ。タイミングだけのパンチだったが、左のボディ・ブローにまったく無防備だった羽草は、それを肝臓のあたりで受けてしまい、苦痛で顔を歪《ゆが》めながらキャンバスに倒れた。しかし、今度も羽草は立ち上がろうとした。四つん這《ば》いになり、首を微《かす》かに振ると、片膝ずつ立て、よろめきながら立った。
だが、レフェリーはカウントをとりつづけた。羽草をこれ以上たたかわせるのは無理と判断したのだ。ニュートラル・コーナーでロープに手を掛け、静かな顔で成り行きを見守っていた内藤は、レフェリーの「テン」という声を聞くと、ほとんど喜びをあらわすことなく、自らのコーナーに歩んでいった。勝利は当然というような、自信に満ちた表情をしていた。エディがリングに駆け上がり、肩に青いタオルを羽織らせた。
内藤は勝った。勝ってボクサーとして生き残る権利を得た。それが吉と出るか凶と出るかはわからないが、とにかくこの勝利が東洋への道の扉を開いてくれたことだけは間違いなかった。
第十章 夢から夢へ
羽草との試合から一週間が過ぎた。
もう練習を再開してもいい頃だと思い、内藤のアパートに電話をすると、裕見子が出てきた。エディから三時に来るよう連絡が入ったとかで、内藤はすでにジムに向かっているという。電話を切る前に体の調子を訊《たず》ねると、悪くはないのだけれどといって口ごもった。心配事でもあるのかとさりげなく訊ねたが、裕見子は口を濁して語ろうとしなかった。受話器を置いてからも、それが少し気にかかった。
時計を見ると、まだ二時半になっていない。私は急いで家を出た。内藤とエディがこの時間にジムに行ってくれているのは私にとっても好都合だった。昼間の静かなジムで、内藤とエディに金子を交え、四人で落ち着いて相談ができると思えたからだ。
そろそろ韓国に返事しなければならない時期になっていた。崔が提案する条件で試合に応じるか否か。私たち三人の意志はもちろん応じるということで統一されていたが、金子との話し合いは羽草戦が済んでからということになっていた。柳と闘えるというのに別に考える必要もないのではないか、と私は思っていたが、金子はいやに慎重だった。
ジムの玄関で靴を脱いでいると、事務室の奥で内藤と金子が何事か真剣に話をしている姿が眼に入った。私はいつものソファに坐り、ガランとしたジムの中でふたりの話が終るのを待った。
文庫本をひろげ読みはじめたが、どうしても活字の中の世界に入っていくことができない。内藤の強い調子の声が事務室から聞こえてきて、気が散って仕方がないのだ。私は読むのを諦め、振り返ってガラスごしに事務室の中を見た。
内藤の顔つきは険しく、金子は困惑したような表情を浮かべていた。
「……これはどういうことなんです」
内藤の腹立たしそうな声が流れてくる。それに対し、金子は低い声で懸命になにかを説明している。聞いている内藤は次第に不満そうな顔つきになっていくが、やがて仕方なさそうに頷《うなず》く。だが、すぐにまた机の上を指差し、大きな声を出す。
「……それなら、これは何で引かれるんです」
少し首を伸ばして覗《のぞ》き込むと、内藤が指差したあたりには封筒と金が置いてある。どうやらファイトマネーに関する揉《も》め事のようだった。
「……おかしいじゃないですか」
内藤がさらに口を尖《とが》らせながら言うと、金子はまたボソボソとした低い声で説明する。
「わかりました!」
やがて内藤は切口上でそう言うと、荒々しく戸を引き開け、事務室を飛び出てきた。その時はじめて私がいることに気がついたらしく、少し驚いたような表情を浮かべたが、軽く右手を上げただけでそのまま地下の更衣室に駆け降りていった。いつもの笑顔は見せなかった。
しかし、私はその一部始終を意外に平静に眺めていることができた。やはり、という思いがあったからだ。
内藤が金子と揉めていたのは、ファイトマネーから差し引かれる経費が原因であるに違いなかった。通常、ファイトマネーからは三十三パーセントのマネージメント料が引かれることになっているが、内藤は金子に四十パーセントのマネージメント料を認めていた。それは、その半分を受け取るエディに少しでも多くの金を渡したい、という内藤の配慮から出てきた取り決めだった。しかし、それではあまりにも内藤の分が悪すぎる。そこで、マネージメント料は確かに四十パーセントとするが、内藤が必要とする諸経費は金子とエディが折半して負担する、ということも同時に取り決められたのだ。ところが、その経費が具体的に何を指すのかは最後まで曖昧《あいまい》なままだった。内藤に明文化するよう勧めたが、平気だよと言って受けつけなかった。私には、それがいつかトラブルを引き起こす種子《たね》になるのではないかと思え、不安だった。だが、どうやらその不安が現実のものになってしまったらしい……。
「ハーイ」
不意に、玄関で陽気な声がした。振り向くと、エディが手を上げ、笑いかけてきた。
「元気そうですね」
私が言うと、エディは肩をすくめた。
「でも、まあ、まあね。あんたは?」
「とても元気です」
「そうね、ベビーのうちは、誰も元気ね」
私は苦笑した。
そこに、内藤が更衣室から上がってきた。エディは内藤の硬い表情を一瞥《いちべつ》すると、何かあったらしいと敏感に察知したようだった。
「どうしたの、そんな顔して」
「……俺のファイトマネー、四万だって」
「えっ?」
「四万!」
私とエディは同時に声を上げた。羽草戦のファイトマネーは二十五万のはずだった。それがどうして四万になってしまうのか。私にもそれは信じられないことだった。エディは顔色を変えると、金子のいる事務室に入っていった。
「会長、僕おもしろくないね」
エディの大声が誰もいないジムの中に響き渡った。
「エディさん、いきなりどうしたんです」
戸が開け放たれているため、金子の低い声もよく聞こえる。
「ジュンのファイトマネー、少ないね。どうしてですか」
「それはね、エディさん。もうちゃんと内藤に説明してあるんですよ」
金子はそう答えたが、一応エディにも説明しておいた方がいいと判断したらしく、なぜその額になったかを話しはじめた。しかし、うまく言葉が通じないため、金子は私を呼んだ。私に納得してもらえればエディも納得してくれるだろうと考えたようだった。金子は私たちふたりの眼の前で、ファイトマネーからいかに金が差し引かれていったかを、紙に書きながらあらためて説明していった。
まず、二十五万から四十パーセントの十万が引かれた。残るは十五万。項目の横に数字を書き入れながら金子が言った。
「そのうち、生命保険が四千八百円、健康保険が二千五百円、残りが十四万二千七百円。それがファイトマネーだけど、一割が源泉徴収で引かれるから、十二万八千五百円になる。それに、試合の当日、朝食を食べてそれを私が立て替えたから千円を引く。試合が終ったあとで、どうしても金がいるからというんで、五万円前渡ししたから、残りは七万七千円。それに入場券がほしいというんで、一万円を二枚、五千円を六枚持たせてやった。本当は五万円だけど、三割引きにするから三万五千円。それを引くと、ちょうど四万二千円になる。どこかおかしいとこはあるかい?」
金子が私に了解を求めるように言った。
「ありませんね」
私が言うと、エディも曖昧に頷いた。しかし、心から納得しているという感じではなかった。エディは複雑な表情で事務室を出ていき、バンデージを巻いている内藤の傍に歩み寄っていった。その後姿を見やりながら、金子がまた私に言った。
「何も変なところはない。公明正大にやっている。そうだろ?」
確かに、すべては明らかだ。数字も計算も合っている。だが、かりに五万円の前金を受け取っていたにしても、選手生命を賭《か》けた大事な試合に勝ち、四万円しか手渡されないことを知って、ガッカリするなという方が無理だったかもしれない。かつて内藤が所属していた船橋ジムでは、すべてが曖昧なドンブリ勘定だったが、とにかくファイトマネー十五万ということになれば、そのすべてが内藤のものになっていた。だから、この金子ジムで、保険料の類が引かれるなどということは思ってもみなかったのだろう。しかも、経費は金子とエディが持つ、ということになっているはずだった。
「金子さんとエディさんが折半するという経費の中に、生命保険とかは入らないんですか?」
私が訊ねると、金子は言うまでもないことだという調子で答えた。
「それはそうさ。生命保険に入るのはボクサーの義務だからね」
「それでは、経費っていうのは……」
「ジムの使用料とか、キャンプの費用とか、そういうのさ」
明文化していない以上、金子がどう理解しようと自由だった。彼の理解に従えば、何ひとつ間違っている点はない。
しかし、その計算で残った金が四万でしかなかったことも事実だった。四万の金で、どうやって次の試合まで喰いつなげるというのだろう。それに、と私は思った。差し引いた金の中で、ただひとつ納得のいかない項目がある。
「金子さん、この食事代というやつですけどね……」
私が机の上の紙に視線を落として言うと、金子がボールペンでそこに線を引きながら言った。
「この千円というやつかい? うん、これは計量のあとで食事しただろう。呑んだり、食べたり、いろいろとね。本当はもっとかかっているんだけど、いちおう、千円だけ取ってケジメをつけてるんだよ」
あの時は、金子ジムのボクサーだけでなく、東京放送の運動部員もいたし、私や利朗も一緒だった。食べ終って金を払おうとすると、金子がこちらでやるから心配しなくていいと言った。だから、私たちは礼を言って金子に任せたのだ。しかし、そのツケがこんなところに回されているとは思いもよらなかった。
「それは……よくないんじゃないでしょうか」
余計なことかもしれなかったが、私はあえて口にした。
「この食事代が?」
金子は不思議そうに言った。
「ええ」
「これはうちのジムの決まりなんだよ。内藤だけから取ってるわけじゃない」
「でも、あれは金子さんがみんなに御馳走してくれたんだとばかり思ってましたけど……」
「いや、そうじゃない」
「しかし……」
私が言いかけると、それを遮《さえぎ》るように金子が言った。
「決まりなんだ。四回戦からだって取っている。内藤だけ取らないというわけにはいかないんだ」
四回戦ボーイのファイトマネーといえば、ほとんど一万円に満たない額である。そこからマネージメント料を引かれ、源泉徴収分を引かれ、そのうえ千円を引かれたら、手元にはいくらも残らない。
「それは、やっぱりよくありませんよ」
「…………!」
金子はいくらか腹を立てたようだったが、私はかまわず続けた。
「内藤だけといわず、四回戦からだって取らない方がいい。だって、可哀そうじゃないですか」
「でもね、そうは言うけど……」
「試合前に、お前たち頑張れよと言って、せめて朝食くらい御馳走してやってこそ、ボクサーもやる気が出てくるんじゃないでしょうか」
「決まりだからなあ……」
「それはわかりましたけど、やはり取るべきじゃありませんよ。僅かな金じゃないですか。その僅かな金で、人の心は離れたり近づいたりする……ような気がするんですけどね」
あるいは生意気すぎるかなとも思ったが、意外にも金子の顔から不快そうな表情が消えた。
「そうかなあ……」
「そうですよ」
私は力をこめて言った。そんなことをしていたら、内藤だけでなく、他のボクサーの心までも離れていってしまう。私は金子のためにそれを心配した。そんな些《さ》細《さい》なことでボクサーの信頼を失なうのはつまらないことだった。
「そうかなあ……」
私の気持がいくらか通じたのか、金子は素直な調子で呟いた。
練習の帰り、私と内藤はペルモに寄った。
内藤は椅子の背にもたれ、大きく伸びをしながら言った。
「ああ、滅入《めい》っちゃうよなあ」
私が黙っていると、伸びをやめ、深く息をついてまた言った。
「まったく、落ち込んじゃうよなあ」
「そんなことを言っていても、仕方がないじゃないか」
私は突き放すような調子で言った。すると、私に慰めの言葉を期待していたらしい内藤は不満そうに抗弁した。
「だって、経費は向こう持ちのはずだったんだ。それなのに……」
「君が最初にきちんと話をつけておかないからいけないのさ」
「でも、あんなだとは思わなかったんだ」
私は返事をしなかった。内藤と一緒に金子の悪口を言い合っても、事態は少しもよくならないと思えたからだ。内藤は吐き棄てるように呟いた。
「これくらいなら、船橋にいた方がよっぽどよかったよ」
その言葉を耳にした時、私はふと内藤に不安を覚えた。あるいは、ファイトマネーに関してだけなら内藤の言う通りかもしれない。しかし、彼が金子ジムに移籍したことで得たものも少なくなかったはずなのだ。にもかかわらず、内藤は金子に感謝することなく不満ばかり述べている。それは、行為の責任を自分自身で取ろうとせず、常に他人に転嫁しようとしてきた内藤の性癖が、いまだに残っていることを物語っているような気がした。
「君が金子さんに何かを言うためには、もっと強くならなければ駄目さ。強くなれば、何を言っても許される。君は羽草に勝って、やっとその第一歩を踏み出せただけなんだ。次は柳。柳に勝って、はじめて何か言えるのさ。それまでは、君はただの元チャンピオンにすぎないんだからな」
怒るかもしれないと思いながら口にしたが、内藤は気にした様子もなく、視線を天井に向けて呟いた。
「柳に勝ったら……か」
「そう、柳に勝って、東洋チャンピオンになってからだよ」
私は繰り返した。
「ほんとに柳とできるかなあ……」
内藤が心配そうに言った。できるさ、と私は励ますように言った。そして、今日は険悪な雰囲気だったのでみんなと相談できなかったが、すぐにもこちら側の結論を出し、できるだけ早く柳戦を実現するつもりだ、と内藤に約束した。
だが、柳との試合が正式に決まるまでは、思いがけないほどの日数がかかった。そのように、もつれ、延びてしまった責任は、崔の側ではなく、すべて私たちの側にあった。ジムに出入りしているマッチメーカーの情報に、金子が動揺し、迷い出したのがその原因だった。
マッチメーカーから最初にもたらされた情報は、柳と試合をするのに金を払わなくてすむ方法がある、というものだった。それならば、と金子の望み通りそのマッチメーカーにすべてを委ねると、しばらくして、やはり駄目だったという返事がくる。それが片付いたかと思うと、今度は崔を中傷するような情報がもたらされる。崔は裁判沙汰になっている要注意人物で興行など打てる状況にない、というのだ。私はそのたびに右往左往する金子に腹を立てないわけにはいかなかった。しかし、素人ならいざ知らず、自分がついていながら、東洋への挑戦に金を支払うなどという屈辱的な契約を結ぶわけにはいかない、という金子の気持も理解できないことはなかった。私は粘り強く、何度でも説得をした。このマッチメークははじめから無理なのだ。無理を承知でやっている以上、少しくらい相手の無理をきくことになっても仕方がないのではないか。しかし、金子が韓国での柳戦にためらいを見せている理由はそれだけではなかった。金子には、どうせ金を払うなら日本で興行を打つ手を考えるべきだ、という思いもあるようだった。だが、それには数万ドルの金が必要になってくる。その金を集めている時間的余裕はもうなかった。
内藤の収入の途がついに跡絶《とだ》えてしまったのだ。裕見子の体が目立つようになり、勤めをやめなくてはならなくなった。私も臨時収入があるたびに半分を内藤に回していたが、それも次第に難しくなってきた。私は別にかまわなかったが、内藤が負担に感じるようになりはじめたからだ。親しい雑誌の編集者に取材をしてもらい、その謝礼を払ってもらうというようなこともしたが、生活を支えるほどの金が渡されるはずもなかった。
柳と結着をつけるまでは、と職にもつかず頑張っているが、それもほとんど限界にきていた。これ以上、柳との試合についてのごたごたが続くと、内藤の緊張の糸が切れてしまうかもしれない。私はそれを恐れた。
激しいやりとりが何度となく繰り返されたあげく、金子もようやく状況が切迫していることを理解するようになった。そして、やっと韓国での柳戦を認めたが、その時にはすでに五月の第一週に入っていた。
私は急いでソウルの崔に電話をかけ、こちらの態勢が整った旨を伝えた。時間がかかりすぎるではないかと皮肉を言われたが、とにかく早急に契約を取り交わそうということで意見が一致した。
その際、崔からかなり細かい条件が提示された。試合は六月九日に大邱《テグ》市で行なう。百六十万の挑戦料と二千ドルのファイトマネーが交互に支払われる。内藤を含む二人分の航空券と滞在費は崔が負担する。内藤が勝った場合のオプション、つまり興行の優先権は二次防衛戦まで崔が保持することとする。契約は来週の木曜日にしたいが、その時アドバンスを用意してきてほしい。百六十万のうちの六十万はほしいと崔は主張したが、私はそれを四十万に値切って了承した。
次の日、ジムでその報告をすると全員が引き締まった。六月九日か、と内藤は呟き、ナイスね、とエディは喜んだ。あと一カ月しかないな、と金子が言うと、日にちがないからすぐキャンプに入りましょう、と野口が提案してくれた。金子も急に慌ただしい気分になったらしく、その場で熱海のホテルに電話をかけ、部屋の予約を取り、翌週から柳戦に向けてのキャンプに入ることが一気に決まっていった。
私はその夜、利朗と、共通の知人に九段で会わなければいけない用事があった。
利朗の車に乗せてもらい、一緒に下北沢から九段に向かった。ようやく柳との試合が実現しそうになったことで、いくらか気分が浮き立っていたのだろう。私は利朗を相手にいつになく饒舌《じょうぜつ》だった。話し疲れ、私が一息つくと、それまで最小限の相槌《あいづち》を打つだけで、ほとんど黙って聞いていた利朗が、ゆっくりと口を開いた。
「内藤さん……大変らしいんだ」
「…………?」
突然のことで、咄《とっ》嗟《さ》に意味を掴《つか》まえることができなかった。私が視線を向けると、ハンドルを握り、前を向いたまま、利朗は同じような言葉を繰り返した。
「内藤さん……よっぽど苦しいらしいんだ」
「金のこと?」
私が訊ねると、利朗は小さく頷いた。
「そう、家賃も払えないらしい」
私は眉をひそめた。もしかしたら、内藤が借金でも申し入れたのではないかと思ったからだ。
「いや、そうじゃないんだけど……」
利朗がそう言いながら説明してくれたところによれば、確かに内藤の経済状態はかなり危機的なもののようだった。利朗は、私が金子と崔の間に立って説得や調整や連絡に追いまくられている時、内藤と頻繁に話す機会があったらしい。
「……そうか」
私は溜息《ためいき》をついた。
「……そうなんだ。このあいだも、偶然、エディさんと内藤さんの三人でコーヒーを呑むことがあったんだけど、盛んにエディさんにこぼしてた。ほんとはエディさんから金を借りたかったらしいんだけど、エディさんがそれに気がつかなくてね」
だが、たとえ気がついても、エディにはどうしようもなかっただろう。苦しい状態にあるのはエディも同じなのだ。私が黙っていると、利朗が口を開いた。
「僕が貸してあげてもよかったんだけど、悪いような気がしてね。何か出すぎた真似のような気がして……」
「そうか」
「うん……」
私はぼんやり前を走るタクシーのテール・ランプを眺めていたが、しばらくして気を取り直して言った。
「わかった。それは俺が何とかする。心配しなくていいよ」
利朗は頷き、遠慮がちに言った。
「僕にもできることがあればするから……」
翌日、私はジムヘ行く前の内藤と渋谷で待ち合わせた。午前中に友人から借りておいた金を渡そうと思ったのだ。
喫茶店のテーブルの上に、金の入った封筒を置くと、内藤はびっくりしたような声を上げた。
「いいんですよ、そんなの」
その言葉の中に腹立たしそうな響きがあるのを感じ、私は意外に思った。だが、それは私に対するものというより、自分自身に対するものであるようだった。
「きびしいんだろ?」
「でも、自分で何とかするから」
たとえどんな親しい友人からでも、憐《あわれ》みを受けるのは辛いことであるに違いなかった。いや、親しければ親しいほど辛さは増す。私は内藤に対してひどく残酷なことをしているのではないかと思った。だが、この金がなければ、内藤は家賃すら払うことはできないのだ。私は無言のまま封筒を押しやった。内藤は途方にくれたような表情でそれを見つめていたが、やがて意を決したらしく手を伸ばし、そのままジーンズの尻ポケットに無造作に突っ込んだ。
「柳とやれば二千ドルになるんだ。それまで、どうにか頑張れよ」
私は内藤を励ました。
「うん……」
そう生返事したあとで、内藤は弁解するように言った。
「ママには借りられないしね……」
その時私は、内藤にはいざとなれば助けてくれるはずの母親がいたのだということを思い出した。再婚してしまった以上、前夫の子供に多くを与えることはできないだろうが、この困難な状況を知って、近くに住んでいる母親が助けてくれないはずはない。以前、一度だけ会ったことのある彼女が、私の印象通りの人なら、きっとなにがしかの援助をしてくれるに違いない。それがどうして駄目だというのだろう。
「なぜ借りられないの?」
私が訊ねると、内藤は困ったように呟いた。
「なぜって……」
「ボクシングをやることに反対なのかい?」
「そんなことはないよ。俺がやる気を出したんで、かえって喜んでるくらいさ」
「彼女とうまくいってないの?」
「いや、うちのやつともうまくいってる。そんなことじゃなくて……」
内藤は言い淀《よど》んだ。だが、私はそれ以上訊ねなかった。喋《しゃべ》りたくないことを無理に喋らせるつもりはなかった。私がキャンプのことに話題を移しかけた時、内藤が呟くように言った。
「……子供のことなんだ」
「子供?」
「うん、子供を生むことに反対なんだ」
「正式に結婚してないから?」
「それもあるかもしれないけど……ママはね、今がいちばん大事な時だろうって言うのさ。浮かび上がれるかどうかは今度のチャンスを生かすかどうかにかかってる、ってね」
「それは俺もそう思うけど、でもそのことと……」
「つまり、ママはね、あんたたちはまだ若いんだから、子供はまた作れるって言うわけさ。まったく!」
内藤の語調はいつになく激しいものだった。
「ということは……」
私がそこまで言いかけてやめると、内藤は頷きながらあとを引き取った。
「……そういうことさ。子供が生まれたら、頑張りきれなくなるからって」
私は内藤の母親の激越ともいえる考え方に圧倒された。そのような台詞《せりふ》は男の側の母親だからこそ発せられるのだろうと思ったが、またこの激しさがあるからこそ黒人との混血の子をふたりも育て上げることができたのだろうと考えた。
「でも、俺は厭《いや》なんだ」
内藤がきっぱりした口調で言った。
「ママは間違ってると思う。子供は生むよ。もうできてしまったものなんだから、絶対に生むよ」
「そうか……」
私は呟きながら、何週間か前に電話をかけた際の、裕見子の妙に口の重い応対の理由がわかったような気がした。
「彼女……どうしてる?」
「いま、うちのやつ、実家に帰ってるんだ」
「そんな体で実家に帰して、トラブルは起きないのかい?」
「平気なんだ。このあいだ、一緒にあいつの家に行ったから……」
「うまくいった?」
「うん、まあね」
「それはよかった。でも……まだ生まれるのは何カ月も先だろう? どうして実家に帰してるんだい?」
私が訊ねると、内藤は少し恥ずかしそうに答えた。
「ふたりバラバラだと、金がなくても喰うのに困らないでしょ。俺はママのところや友達のところで喰わせてもらえばいいし、あいつは実家で食べさせてもらえる……」
そんなになのか……と私は口の中で呟いた。想像以上に苦しんでいるらしい。だが、私が口を開く前に、内藤は持ち前の陽気さで言った。
「心配しないで。俺だって男だから、自分で何とかするよ」
私は笑って頷いた。とにかく、キャンプに入ればひとまず食べる心配はしなくて済む。それからあとのことは、またその時のことだ。
「キャンプが……うまくいくといいな」
私が呟くと、内藤も静かな口調で言った。
「そうだね。そうすれば、きっと柳に勝てるね」
五月の第二週からキャンプに入った。
宿舎は来宮《きのみや》の西熱海ホテル、トレーニングの場所はそこから車で十分ほどの西熱海ゴルフ場を使わせてもらうことになっていた。朝夕二回、コースに人のいない時分を見はからって走ろうというのだ。
キャンプには、内藤だけでなく、同じ金子ジムの村田英次郎と浜田和明が参加した。七月が試合予定の村田には少し早すぎないこともなかったが、内藤ひとりでは走りにくいだろうという金子や野口の配慮から、一緒にキャンプを張ることになったのだ。浜田はその村田のパートナーで、二年前には全日本の新人王にもなったことがある有望なライト級だった。
第一日目は、正午までにホテルのグリルに集合することになっていた。私は新幹線で熱海まで出て、タクシーでホテルに向かった。時間より少し遅れてグリルに入っていくと、ひとりを除いて全員が顔を揃《そろ》えていた。エディ、金子、野口、村田、浜田、それに利朗。来ていないひとりとは、もちろん内藤のことだった。
私の顔を見ると、エディが言った。
「一緒だないの?」
「いや、別々ですけど」
「あのボーイ、また遅いね。しようがないねえ」
先に昼食をとっていようということになり、ウエートレスにそれぞれ好きなものを注文した。テーブルにサンドイッチやピラフやカレーが並べられた時、内藤が寝呆《ねぼ》けた顔で入ってきて、空いている椅子にどかっと腰をおろした。
「挨拶はどうしたの」
エディはたしなめた。それでもボヤッとしていると、さらに語調を強めて言った。
「ジュン、人間のこと、ちゃんとしないの、いけないよ」
「どうも……」
内藤は電車の中で寝てきたらしく、まだ完全に眠りから醒《さ》めていないようだった。
「せっかく、こんないいキャンプしてもらっていて、しっかりしないなら、申し訳ないよ」
エディが金子の気をかねるように言った。
「そうだね。こんなキャンプは、世界戦をやるんでもなければ、よそのジムじゃやらないだろうな」
金子がいくらか得意そうに言った。確かに、東洋へ挑戦するだけのボクサーに、このような立派なキャンプが張られるのは、最近では珍らしいことかもしれなかった。
「あとはお願いします」
食後のコーヒーを呑み終えると、金子はエディにそう言い残し、ジムを見なければいけないからと野口の運転する車で東京に帰っていった。
四階に割り当てられた私の部屋で、寝転がりながら本を読んでいると、三時過ぎに村田の部屋から電話がかかってきた。夕方から雨が降りそうなので早目に練習をしたい、四時にロビーに降りていてほしい、とエディが言っているとのことだった。
時間になり、トレーニング・ウェアーに着替えてロビーに降りると、それを見てエディが冷やかした。
「おお、あんたもキャンプね」
エディはまさか私が一緒に走るつもりだとは思ってもいなかったらしい。まあ勝手に馬鹿にしていてください、あとできっと驚かせてあげますから。私は冗談めかしてそう応酬したが、実際に自信がないこともなかった。学校を出てから十年近く、ほとんど運動らしい運動をしていなかったが、走ることくらい大したことはないと思っていた。以前このゴルフ場を走ったことのある村田によれば、十八ホールをすべて往復しながら一周すると十二、三キロはあるという。しかし、それくらいなら、いかに十年ぶりで走るといってもなんとかなるような気がした。アップ・ダウンがあるので実際のキロ数より多少きついかもしれません、と村田が控え目な言い方であらかじめ忠告してくれたのだが、口で果してどこまでついていかれることやらと言いつつ、私は内心かなり甘く考えていた。
エディ、村田、浜田の三人は、ホテルが用意してくれた大型ハイヤーに乗ったが、内藤は私が乗っている利朗の小型車の方にもぐりこんできた。内藤はいつもに似ず、ひどくおとなしかった。若い村田や浜田と一緒に走るということが不安なのかもしれなかった。
雲は重く垂れこめていたが、クラブハウスから眺めるゴルフ場は美しかった。フェアウェイ、グリーン、ラフ、林、花壇。山の斜面を利用して作られたこのゴルフ場は、どこも濃淡さまざまな色調の緑で覆いつくされていた。
平日のせいか一番ホールのフェアウェイにはもう人影がなかった。準備体操が終ると、村田は自分が先に行きますからついてきてくださいと言い、その四百十二メートルのロングホールを走りだした。
芝生が柔らかくて気持がいい。羽毛の上を走っているように軽いのだ。走りながら私が感嘆すると、村田が微笑して言った。
「いまにそれがこたえてきますよ」
私には信じられなかった。こんなに気持のいいコースなら、何十キロでも走れそうだった。
「この程度のスピードじゃ、物足りないようですね」
肩を並べている村田がまた笑いながら話しかけてきた。私もそのような気になり、調子に乗って走っていたが、そのうちに少しずつ具合がおかしくなってきた。一番のグリーンを回り、フェアウェイを引き返す頃から、芝生の柔かさが次第に重く感じられるようになってきたのだ。
「ほんとだ、芝生が重い」
私は走りながら村田に言った。
「そうでしょ。こんどはあの坂を登るけど、これもきついですよ、きっと」
一番を往復したあとは七番のフェアウェイに出るらしい。そのためにはかなり急な斜面を登り切らなければならない。しかし、私にはその坂を登るくらいはたやすいことのように思えた。それに、まだ一キロ弱しか走っていないのだ。
村田、浜田、内藤の順に坂を登っていく。私もすぐ後に続いた。だが、さほど疲労したとは思えないのに、坂の途中で、私は自分の足がほとんど前に進んでいこうとしないことに気がついて愕然《がくぜん》とした。一メートルはあった歩幅が、七十センチ、五十センチと縮まり、ついにはその場を足踏みするようになっているではないか。ラフの草もフェアウェイの芝生以上に柔らかく、だから重かった。私は喘《あえ》ぎはじめた。苦しくなり、走るのをやめたくなった。どうしてこんなことになってしまったのか見当もつかなかった。あの呑んだくれのノーマン・メイラーだって、ザイールのキンシャサで、フォアマン戦を前にしたアリと一緒に一マイル半は走ったというのに、畜生、なんということだ。私は自分を罵《ののし》ったが、足はますます動かなくなる。そして、ついに坂の上の十メートル手前で足が止まってしまった。
その瞬間、遠くで弾《はじ》けるような笑い声が起こった。振り返ると、クラブハウスの前で利朗とこちらを眺めていたエディが、体を折り曲げるようにして笑い転げている。私は再び、ありとあらゆる罵りの言葉を動員して自分を叱《しっ》咤《た》し、必死に走りはじめたが、それはもう歩いているのと同じだった。
坂の上に辿《たど》り着き、前方を見ると、三人はすでに七番のグリーンに向かっている。私は足を引きずるようにして、それでも三人を追ってまた走り出した。やがて三人はグリーンを回り、こちらに戻ってきた。私はその先を省略し、方向転換をして三人の後についていくことにした。しかし、それでもまたすぐに差をつけられてしまう。
いかに十年走っていないといっても、このお粗末さはどういうことだ。いくら罵ってみても差はつまらず、ついにはひとり取り残されることになってしまった。
一時間ほど走ったあとで、ようやくみんなの待っているクラブハウスに辿り着いた。あまりの不甲斐《ふがい》なさに打ちひしがれていると、エディが私の肩を叩いて言った。
「あんた、すごいよ。よく頑張ったよ」
慰めてくれてありがとう、というつもりで私が頷くと、エディがさらに言葉を継いだ。
「ほんとよ。ふつうの人なら、ほんとにすごいよ」
おそらくエディは、普通の人なのだからすごいよ、と言いたかったのだろう。確かに私はボクサーでもなければランナーでもない。しかし、エディにあらためてそう宣告されるのは、やはり寂しいことだった。
村田の号令による整理体操で第一日目のトレーニングが終った。もたもたとしたランニングだったが、久し振りの汗が気持よかった。タオルで体を拭きながら、最終日までにはなんとしてでも完走できるようにしてみせよう、と私は思い決めた。
それにしても、驚いたのは内藤の頑張りだった。素晴らしい持久力を持つ村田に内藤もよくついていった。最後にはかなりリードされたらしいが、とにかく立派に完走したということが私には嬉しかった。それは、口ばかりでなく、実際に日々のロードワークをしてきたという証拠だったからだ。
クラブハウスから駐車場へ戻る途中でエディが言った。
「ジュン、やるね」
「スタミナは心配ないっていってるでしょ、エディさん」
内藤が調子よく言うと、エディが切り返した。
「それなら、横浜の時はどうしたの。こうして、おかあちゃま、助けて……」
エディは両手を挙げ、股《また》を広げて足踏みをした。キャラハンとのエキジビションを、エディはよほど気にしているらしい。エディの珍妙な格好に私たちが笑い出すと、最初は腹立たしそうな顔をしていた内藤も笑いを抑えられなくなった。
二日目は雨が降り、朝のトレーニングが中止になった。
退屈しのぎにみんなと熱海の町に出て、それぞれ各自の好きな店に散った。私は本屋で推理小説を買い、パチンコ屋に入った。二時間ほど遊び、景品を金に換えると三千八百円になった。私はその金でみんなの食後のデザート用にメロンを買い、意気揚々とホテルに引きあげた。
雨は夕方になっても降りやまなかった。一日中なにもしないというわけにもいかないので、
ホテルの展望室を借りて軽く体を動かすことにした。ホテルの最上階にある展望室は、ドーナツ状のかなり広い空間で、周囲はガラスが張りめぐらされ、床には鮮やかな青のフエルトが敷きつめられている。簡単なトレーニングをするには格好の場所だった。
本を読むのにも飽きたので、私は早目に着替えて昇っていった。ところが、展望台には先客がひとりいた。ギターを抱いて英語の歌をうたっている。どうやら、ホテルでポリネシアン・ショーをやっている、外国女性の一団のひとりのようだった。
「なんという歌?」
私が訊ねると、少女は上手な英話で恥ずかしそうに答えた。
「アイ・ニード・ラブ・イン・ユー」
カーペンターズの歌だという。言葉をかわすと、彼女らがフィリピンの各地から集まり、日本に出《で》稼《かせ》ぎに来ている少女たちだということがわかった。
少女は、このホテルに来て三カ月になるが、毎晩ショーがあるので熱海の外に出たことがない、といって笑った。しかし、金を貯《た》め、一旦フィリピンに帰ったら、新しいビザをもらってまた日本に来るつもりだともいう。
私が少女と話し込んでいると、ようやく村田や内藤たちが昇ってきた。そこに、少女の仲間もやってきた。みんなでいつもこの展望室に集まり、ショーとは無関係な歌のコーラスを練習しているのだという。恐らく、それくらいしか愉しみがないのだろう。しかし、その日は、共に練習をそっちのけにして、たどたどしい英語でおしゃべりを愉しんだ。エディはひとりで冗談を言い、少女たちを笑わせては、自分も嬉しそうに声を上げて笑った。
三日目は晴れた。夜半まで降っていた雨が明け方にはすっかり上がり、六時に起きて窓の外を見ると、山の端に明かるい春の光があった。
ゴルフ場に着き、クラブハウスの前からコースを眺め渡した時、私はその夢幻的な美しさにほとんど息を呑む思いだった。ゴルフ場全体が乳白色のもやのようなもので覆われ、その切れ間から薄日が洩れ入ってくる。そして、その日差しに暖められた昨夜の雨が、水蒸気となって緑の芝生からゆらめきながら立ち昇っていくのだ。
走り出すと、芝生に含まれた水滴に、靴やタイツが濡れて重たくなったが、この日はどうにか最初の坂を昇り切ることができた。しかし、やはり一度足が止まってしまうところがあり、三人に大きく遅れをとってしまった。何度かグリーン回りを省略し、やっとの思いで三人の尻についてクラブハウスに戻っていった。
利朗の車でホテルへ帰る途中、道路の西側につつじが咲き乱れているのが眼に入った。雨に洗われ、花も葉も艶《つや》やかに光っている。心地よい疲労感に気がゆるんだのか、私はつい柄にもない台詞を吐いてしまった。
「綺《き》麗《れい》だなあ……」
すると、驚いたことに、内藤と利朗がまったく同じような調子でそれに和した。
「綺麗だなあ……」
「ほんとに、綺麗だ……」
三人とも同じような気分らしいことが嬉しかった。内藤は自分が想像していた以上に走れることに満足し、その内藤を追い、カメラを片手に駆けずり回っていた利朗も、きっと納得いく写真が撮れたのだろう。
私は内藤にひとつ言っておきたいことがあったのを思いだした。さりげなく伝えるにはこんな時が最もよいのかもしれない。
「明日、俺はソウルへ行って、柳の側と正式に契約してくる」
「うん」
「この試合は、まず君と俺とのふたりが望んだものだったよな」
「うん……」
内藤は、いったい何を言い出すのかと怪《け》訝《げん》そうな面持ちで、曖昧《あいまい》な返事をした。
「だから」
と私は続けた。
「俺がその責任の半分を背負うことはもちろんだけど、たとえそれがどんな結果に終ろうとも、決して他人に責任を転嫁しないでほしいんだ。エディさんや金子さんや、それ以外のどんな他人にもね」
私のその言葉を聞くと、内藤は力強く頷《うなず》いて言った。
「もちろんさ。約束するよ」
翌朝、金子に書いてもらった委任状を持ち、私は韓国に向かった。
ソウルも春の盛りだった。雪に覆われていた漢江の河原も、いまは一面に雑草が生い茂っている。花はあまり眼につかないが、並木の緑が鮮やかだった。
いつものようにプラザホテルの一室に落ち着くと、崔の事務所に電話をした。
二時間後、紙袋を手に崔が部屋にやってきた。挨拶もそこそこに、崔はその紙袋から二通の契約書を取り出して、テーブルに並べた。一通は試合そのものに関する契約書であり、他の一通はオプション契約に関するものだった。それらは薄紙に韓国語でタイプされてあった。
拳闘試合契約書
1979年6月9日字韓国大邱市〓〓開催〓〓東洋〓〓級〓〓〓柳済斗対同級七位〓
そして、これ以下、八項目にわたって条件が記されている。漢字からおよその意味は掴《つか》めるが、正確なところはわからない。
「これは誰かに訳してもらわないと……」
私が当惑しながら呟くと、崔はこともなげに言い放った。
「私が訳してあげるから、横に日本語で書き入れるといいよ」
「冗談でしょ。そんな危険なことはできませんよ」
笑いながら、しかし真剣に私は言った。
「そんな汚ない手は使わんよ」
崔が皮肉っぽく言った。しかし、契約書にサインしてしまえば、あとでどんなに騒いでも取り返しがつかないのだ。私は、それなら契約書はその横に書いた日本文を正文とするという一項を付け加えてほしいと主張し、崔もそれを了承した。
まず「拳闘試合契約書」という書類から日本文を書き入れていった。
拳闘試合契約書
一九七九年六月九日、韓国大邱市において開催される、東洋ミドル級チャンピオン柳済斗対同級七位カシアス内藤との東洋ミドル級タイトルマッチに対して、柳済斗の代理人である崔根豪(甲)とカシアス内藤の代理人である金子繁治(乙)との間に、下記の条件で契約が締結された。
以下の八つの条件は予期していた通りのものだったが、次に和訳に取りかかった「オプション契約書」の方はかなり苛酷な条件が並んでいた。オプションは二次に及び、それぞれについて細かく決められている。
内藤が勝った場合、崔が定める相手と、五十日以内に韓国で試合をしなくてはならない。その時の内藤のファイトマネーは六千ドル。審判は日、韓、中立国の三名で構成され、ジャッジを除いた三人分の航空券と滞在費を崔側が負担する。一次防衛戦にも勝った場合、二次防衛戦は東京で行なう。その試合の興行権は三万ドルで譲渡する。つまり三万ドルで権利を買い取れというわけだ。
私はその二通の契約書を丹念に読み、順番に交渉を始めることにした。アドバンスの四十万を受け取り、すぐにサインをかわそうと思っていたらしい崔は不満そうな顔つきになった。しかしこの契約条件は、そう簡単に呑むわけにはいかなかった。
まず最初に、私はオプションの条件を少しでも有利なものにしようとした。だが、崔もさすがに商売人だった。こちらの何としてでも柳とやりたいという思いを見透かし、いっこうに退こうとしない。一時間半に及ぶ交渉で、私が崔から引き出すことのできた譲歩は微々たるものだった。一次防衛戦の実施期限の五十日を九十日と主張し、なんとか六十日に延ばし、六千ドルのファイトマネーを八千ドルと主張し、どうにか七千ドルに引き上げ、二次防衛戦の興行権料の三万ドルを二万ドルと主張し、二万ドルでまとめることができた。それでもまだ圧倒的に崔に有利な契約だったが、私にはそれくらいまでしか闘えなかったのだ。
次に試合契約そのものについて交渉を始めた。これについてはほとんど問題はなかった。電話で伝えられていた通りのことが記されてあったからだ。しかし、私はひとつだけ条件の変更を求めた。それはソウルに来る前から考えていたことだった。私は、三人のジャッジのうち、ひとりを日本側から出してもらいたいと要求したのだ。
三人のうちのひとりである。もちろんそれでホームタウン・デシジョンが防げるはずはない。しかし、日本人のジャッジ・ぺーパーが一枚でも残っていれば、優勢にもかかわらず判定負けを喫したとしても、内藤の健闘は理解されると思ったのだ。最近の東洋戦では、挑戦者の側からジャッジを呼ぶなどという面倒なことはしなくなっている。それは承知の上だったが、この条件だけは通したかった。
私がそれを口にすると、やはり崔に拒絶された。私はしぶとく交渉を続けた。
「ひとりくらい日本人が入っても、何も変わらんさ」
と崔は言った。
「だったら、いいじゃないですか」
「韓国じゃ、最近はホームタウン・デシジョンなんて、そんなのはないよ」
「だったら、なおいいじゃないですか」
私はそう言いながら、ふと思い出したようなふりをして、バッグからアドバンスの四十万円が入っている封筒を取り出し、さりげなくテーブルの上に置いた。あまり品のよい作戦ではなかったが、見事に成功した。ちらちらと封筒に眼をやっていた崔が、ついに腹立たしそうに言った。
「よし、ひとりならいいだろう」
「ありがたい!」
私が弾んだ声を上げると、崔は慌てて付け加えた。
「だけど、ジャッジの費用はそっちで持つんだぞ」
「そんなこと言わないで、せっかく太っ腹のところを見せたんだから、気持よく出してくださいよ」
「それなら……航空券か滞在費のどっちかは、そっちで持ちなよ」
もうひと押しと、私は黙っていた。
「まったく、挑戦者に三人分の費用を払うなんて、聞いたこともない」
崔はぼやいたが、それは承諾したも同然の台詞だった。八千ドルに比べればタダみたいなものじゃないですか、という言葉が喉元《のどもと》まで出かかったが、せっかくまとまった話を壊してしまう恐れがあったので、我慢した。
崔はその契約書を紙袋にしまい、もう一度タイプに打ち直してくるからサインは明日にしよう、と言い残して帰っていった。
翌朝、十一時に崔がやって来た。
あらためて韓国文の横に日本文を書き加え、署名捺印《なついん》し、四十万を渡して契約を完了した。残金は、試合のポスターとチケットが日本に送られてきた段階で、崔が指定する銀行に払い込むということで合意した。もちろん、四十万を渡す時、万一、六月九日に試合ができなくなった場合はすみやかに返金すること、という一札は取ってあった。その文面は、国際的にも効力を発揮するようにと、弁護士に手を加えてもらったかなり厳密なものだった。
私がアドバンスを守るのに必死になっていると見たのだろう、崔はおもむろに内ポケットから預金通帳を取り出すと、それを広げて突き出してきた。残高を眼で数えると、零が七つ並び、その横に八という数字があった。八千万ウォンも持っているのだから安心しろと言いたかったらしい。だが、崔がどれほど金持でもこちらには関係ない。できるだけの手は打っておくべきなのだ。八千万ウォンという数字に驚かないことが意外らしく、崔は不思議そうな表情になった。
一部ずつ契約書のコピーを取ることになった。ホテルの外に出たので崔の事務所に行くのかと思ったがそうではなく、何本もの路地を抜けて町の小さなコピー屋に入った。そこでは若い女性がタイプも打っている。ここで頼んでいたのかと納得し、崔がそれほど大物でもなさそうなことに妙な安心感を覚えた。それが済むと、崔は義理のように昼食に誘った。
最初に会った時はホテルで日本料理を御馳走してくれたが、今度は古びた食堂で冷麺《れいめん》ということになった。魚はすでに釣り上げた、と判断したのだろう。
「金、あんたが出すんだってね」
箸《はし》をせわしく動かしながら崔が言った。私は頷いた。
「負けたらどうするつもりなんだい?」
「それまでですね」
「勝ったら、でかく儲《もう》けられるのかい?」
「別に」
「あんたも、おかしな人だね」
崔は嬉しそうに笑った。その笑い声を聞いて、ようやく契約は成った、という実感が湧いてきた。しかし、その喜びを噛みしめながら、一方で、私は早く日本に帰りみんなと一緒に走りたいと思っていた……。
キャンプの最後の日の朝、私は内藤と肩を並べて走った。村田と浜田は一歩先を走っている。
淡いオレンジ色の陽光が、ゴルフ場の芝生に斜めから射し込んでくる。コースを取り囲むようにして立っている木々の影が、細く長く、芝生の絨緞《じゅうたん》の上に美しいだんだら模様となって映っている。
まったく静かだった。聞こえるのは、四人がランニングシューズで踏みしめる芝生の音と、少しずつ荒くなっていく息づかいだけだ。しかし、走りつづけていくうちに、ラフの草むらから微《かす》かな虫の音が聞こえてくるのに気づく。坂を昇り、坂を下り、また坂を昇っていくと、不意に木立の梢《こずえ》から鶯《うぐいす》の高く澄んだ声が聞こえてくる。一羽だけでなく、その声に応えるかのように、遠くからもまた美しい啼《な》き声が聞こえてくる。陽はゆっくりと昇りはじめ、柔らかな光を浴びせかけている。なんという豪奢《ごうしゃ》な時の中を俺たちは走っているのだろう……。決して疲労からではなく、私の頭の中はぼんやりと霞《かす》んでいくようだった。
私は三人に次第に離されていったが、とにかく走りつづけた。恨みの種の芝生の柔らかさも、この朝は不思議に気持がよかった。
五十分ほど走り、最終ホールのフェアウェイをもたもた走っていると、すでにグリーンを廻って折り返してきた内藤が、
「もう、いいんじゃないかな。一緒に行きましょう」
と笑いながら声をかけてくれた。私はありがたくその誘いを受け、若干の省略を自分に許し、内藤とまた肩を並べた。
最後の急坂を、ゴーという掛け声とともにふたりで競争して登った。三メートルの差はつけられてしまったが、とにかく坂の上まで登り切った。私はへばって芝生に倒れ込んだ。しかし、内藤は濡れたシャツを脱いで裸になると、軽い屈伸運動を始めた。光に輝いている汗を除けば、一時間も走ったとは思えないほど平然としていた。
クラブハウスに戻り、全員が揃ったところで整理体操をし、
「お疲れさん!」
と挨拶をして、キャンプは終った。
ホテルでの朝食は、すべてが終った喜びで誰もが陽気になった。エディも責任を果してホッとしたようだった。以前、熱海のバーで見たという「オカマのストリップ」の真似などして、ひとりではしゃいでいた。
正午過ぎ、金子が野口と一緒に迎えにきた。最初の日と同じように、グリルでみんなと昼食をとった。私が契約書を見せると、金子はオプションの条件が厳しすぎると不満を述べた。しかしすぐに、相手がチャンピオンなのだから仕方がないと思い返したらしい。わかりました、いいでしょう、と言い直した。
「あとは試合をするだけだ」
私が誰にともなく呟くと、金子は上気した面持ちで、いつにない大言壮語をした。
「よし、これに勝ったら、次は世界だ!」
その勢いに呑まれ、私たちも思わず頷いていた。
帰りは利朗の車に乗せてもらった。横浜まで内藤も一緒だった。途中、熱海駅でみやげ物を買った。内藤は、おなかの子供にいいらしいから、と大量のメザシを買い込んだ。
東京に戻ると、次の週からスパーリングが始められた。
金子ジムまで来てくれるパートナーが見つからないため、内藤が協栄ジムに通い、鈴木利明に相手をしてもらうことになった。鈴木も五月末に大事な試合を控えており、スパーリング・パートナーを必要としていた。ミドル級の体重では苦しくなり、WBCが新設したクルーザー級に転向した鈴木は、いきなりその世界四位にランクされていた。五月末の、世界三位の姜興遠《カンフンウォン》との試合に勝てば、世界戦も夢ではなかった。
協栄ジムは、他のジムと比べてとりわけ立派といえる造りではなかったが、いつ行っても明かるく活気があった。狭いジムの中で、ボクサーの卵たちは、体をこすり合わせるようにして練習に励んでいる。
第一日目は、六時から三ラウンドが予定されていた。しかし、鈴木の来るのがだいぶ遅れ、四十分以上も待たなくてはならなかった。エディは腹を立て、ひとりで文句を言っていたが、スパーリングが開始されるとみるみる機嫌が直っていった。
キャンプから帰って二日ほどロードワークを休んだという内藤は、いくらか太り気味だったが動きの切れにはまったく影響がなかった。鈴木は、内藤よりひとまわり以上も大きい、日本人ばなれした体《たい》躯《く》のボクサーだったが、破壊力のありそうなそのパンチを、どうしても内藤の体に当てることはできなかった。内藤のスピードについていかれないのだ。ロープ際につまっても、内藤は簡単に体を入れ替え、軽やかにパンチをよけ、逆に小気味よくパンチを当て、自在にリングを動いた。
最後のラウンドには、エディが大きな声で指示を与えると、内藤はその通りに動いて見せた。
「足を使って」
「手を前に、そうそう」
「カウンター!」
「動いて」
「スピード」
「廻って!」
「カモン! ジュン!」
ゴングが鳴り、スパーリングが終ると、エディはくるりと振り向き、私に小声で言った。
「鈴木、あれで世界ね。恥ずかしいね。内藤なら、かんたんよ」
何が簡単なのかは定かではなかったが、エディが上機嫌なことだけはわかった。
内藤の力量は、鈴木とのこのスパーリングで、ある程度まで測ることができる、と私たちは考えていた。いま、両者の力量の差は歴然としていた。エディの指示は鈴木にも聞こえているはずなのに、内藤がその通り動くのをほとんど阻止できなかったからだ。
二日目、三日目と、内藤の動きはさらに鋭さを増し、鈴木を翻弄《ほんろう》した。
エディに指示されて内藤ができないほとんど唯一の動きは、相手のパンチをスウェー・バックでかわした次の瞬間、即座に右でボディ・ブローを叩き込むという連続技だけだった。どうしても一拍おいてからでないとパンチを返せない。それは以前からの課題だった。せっかくのチャンスをもったいないよ、とエディは常に言い、内藤は、それができたら世界チャンピオンさ、とうそぶいていたが、このスパーリングで意識的に練習をするようになった。しかし、この連続技は、相手を倒すほどの威力がある反面、かなりの危険も覚悟しなければならないものだった。相手のパンチをかわした直後に、ボディにフックを叩き込もうとすれば、どうしてもガードする腕が下がってしまう。それでなくとも内藤のガードは低すぎるのだ。見切りに失敗すれば、決定的な一発を喰ってしまうかもしれない。僅かな狂いも許されない完璧《かんぺき》なタイミングが必要とされる。
だが、鈴木とのスパーリングで何度も繰り返し練習しているうちに、内藤はその微妙なタイミングを徐々に掴みはじめてきた。
五日目だった。その日のスパーリングでも内藤は気持がいいほどめまぐるしく動いた。懐にもぐり込み、ボディに三連打するという今までにないコンビネーション・ブローを披露し、鈴木に一発パンチをもらったものの、かまわずロープ際に追い込み、左右のフックを浴びせた。
インターバルの時、エディはタオルで内藤の首筋を拭きながら言った。
「このラウンドは、ジュン、あんたがとったの。このあとは、ラーラーラーと足を使って動きなさい。本当の試合だったら、きっと人気が出るね」
内藤は言われた通りに足を使い、右だけに頼ってパンチを振り回してくる鈴木を、フックで引っ掛けては巧みに体勢を入れ替え、長くロープを背負わなかった。リングの中央でクリンチになり、どちらからともなく離れた直後、鈴木がいきなり右のフックを放った。数センチの見切りでそれをかわすと、内藤は一瞬の間をおくことなく、右でボディ・ブローを返した。それは完璧に腹に喰い込み、鈴木は二、三歩よろめいた。
「ナイスね!」
エディが叫んだ。
スパーリングが終り、私とエディは内藤のグローブのひもをほどいた。内藤のスパーリング用のグローブは古くなり、汗を吸って倍くらいに重くなっている。この重いグローブで、あのように鮮やかなパンチが打てるのだ。これがもし、試合用の軽いグローブなら……。
「このまま試合をやれば、あんたがチャンピオン。あとは気持、殺す気持だけ。それだけよ」
エディが言った。
鈴木との予定されたスパーリングが消化されると、内藤は再び金子ジムに通うようになった。
私も同じようにジムに通い、やはりジムに通ってきている利朗と練習を見守り、それが終ると内藤やエディと一緒にイソップかペルモでひとやすみする、という日課を繰り返すようになった。そこでコーヒーやジュースを呑みながら、私たちは飽きもせずに夢のようなことを喋りつづけた。喋っていると、東洋チャンピオンはおろか、世界チャンピオンの座も夢ではないような気がしてくるほどだった。
「もし俺が世界チャンピオンになったら、写真集が出せるかもしれないね」
内藤がそう利朗に言っても、誰もありえないこととは思わなかった。
利朗はいつの間にか、私たちになくてはならない存在になっていた。いつも黙って坐っているだけだが、エディや内藤が次第に一目置くようになってきたのが、私にはよくわかった。頼まれたことは決して厭と言わず、しかもその親切を押しつけがましく誇示することがない。言葉は少なくとも、その心づかいのやさしさは、エディや内藤にも充分に理解できるらしかった。
写真も実に根気よく撮りつづけていた。内藤は、撮られることを意識しなくなるという段階をこえて、撮られることが日常と感じるようになっていた。冗談めかしてではあったが、カメラを向けられないと今の自分はよほどよくない状態なのかと思えてきて不安になる、と内藤が利朗に言ったことさえある。内藤は利朗がファインダーごしに自分の肉体を見る眼を畏《おそ》れるまでになっていたのだ。
「韓国、早く行きたいよ」
ある日、イソップでコーヒーを呑みながらエディが言った。
「早く行って、勝つのね。そうしたら、お墓参りしたいよ」
エディの話によれば、父方の祖父の墓が韓国にあるのだという。そのことについてはエディ自身もつい最近まで知らなかったらしい。友人が韓国で活躍したアメリカ人の列伝を読んでいて、その中に実業家だったエディの祖父の名を発見し、教えてくれたのだという。
「お墓、一緒に探してほしいよ」
エディが言った。
「もちろんですよ」
私が答えた。
「インチョンの外人墓地にある、言うの」
「試合が終ったらゆっくり探しましょう」
「そうね、終ってから。でも、ジュンがいい試合しないだったら、すぐ帰りたいよ」
「そうですね、いい試合ができたら、みんなでお墓を探して、お参りしましょう」
私が言うと、内藤も勢い込んで相槌《あいづち》を打った。
「うん、それがいいね」
柳に勝ったら、次は工藤だ。私たち四人の心は不思議なくらいひとつにまとまり、幸せな気分に酔いながら試合の日が近づくのを待っていた……。
第十一章 亀裂
午後、不意に金子から電話がかかってきた。金子から私に電話がかかるというのも珍らしいことだったが、なによりその慌ただしさが只事でないことを物語っていた。
「内藤、韓国に行けないよ」
金子がいきなり言った。
「パスポートがおりなくなったんだ」
「…………!」
「内藤の古いパスポート、偽造だったらしいんだ」
「なんですって?」
「それを扱った旅行社は手入れを受けたよ」
偽造、手入れ、といった凶悪な響きを持つ単語が、理解できないままに鋭く耳に突き刺さってきた。
「どういうことなんです。ゆっくり説明してください」
私は金子を落ち着かせようとした。金子は一呼吸おいてから受話器の向こうで喋《しゃべ》りはじめた。
「内藤のパスポート、新しく作ってくれるように頼んであったんだ。もう古くなってしまったというんで、知り合いの旅行社にね。そうしたら、そのパスポートが……」
昂奮《こうふん》しているため要領の得ないところもあったが、とにかく内藤の提出した古いパスポートに改竄《かいざん》の痕《あと》があり、それを役所のどこかで発見されてしまった、ということのようだった。
「これで韓国に行かれなくなってしまった……」
金子は話の合い間に何度も嘆いたが、それだけのことではさっぱり事情が掴《つか》めなかった。私は金子に、ジムへ行くからそこで相談しよう、と言って電話を切った。
ジムにはすでに内藤が来ていた。リングの前で、野口と口を尖《とが》らせながら喋っている。私の顔を見ると怒ったように言った。
「俺は知らないよ、何もしてないよ」
旅行社からの連絡を直接受けた野口に詳しく事情を訊《たず》ねると、内藤の古いパスポートの発行年の数字が一九七一から七四に変えられており、不審に思ったらしい神奈川県の旅券発給の窓口から旅行社に問い合わせがあったのだという。野口の話を聞いて、手入れなどという大《おお》袈裟《げさ》なものでないらしいことに私はひとまず安《あん》堵《ど》した。しかし、パスポートが改竄されていることは確かなようだった。しかもそれは発行年に関してのものだという。それが事実なら、問題はかなり深刻かもしれない。少なくともその間は、不当に旅券を使用したということになりかねないからだ。
だが、内藤にはその数字をいじった覚えがないという。神奈川県の窓口からは内藤のところにも電話がかかってきたらしいが、自分がそんなことをするはずがないし、もしそんなことをしていればそのパスポートを提出するはずがない、と弁明したという。その話には筋が通っていないこともない。
本当に知らなかったのか、と私は内藤に念を押した。
「ほんとに知らなかった。俺のパスポート、七一年に取ったから、もう期限が切れているはずなんだよね。でも、旅行社の人が見て、まだ残っていると言うんだ。不思議な気がしたけど、旅行社の人が言うんだからと思って渡したんだ」
有効期限が残っている場合は、古いパスポートを提出しないかぎり、新しいパスポートは交付されない。しかし、内藤が意図的に改竄したのなら、期限が切れているはずのそのパスポートを、うっかり提出するなどということは考えられない。その一事だけでも内藤に犯意がなかったことがわかる。
「だけど、それならどうして数字が変わっていたんだろう。君じゃなくて、いったい誰がそんなことをする?」
「俺もさっきからそれを考えているんだけど、もしかしたらインドネシアかもしれないんだ」
「どういうこと?」
「インドネシアで暮らしていた時、一度ビザが切れそうになったんで、日本に帰ろうと思ったことがあったんだよね。でも、いろいろ世話をしてくれていた人がなんとかしてやると言って、パスポートを持っていって、ほんとになんとかしてくれたんだ。その時、パスポートの期限が少ないんで、ついでにいじったのかもしれないと思うんだ」
「そんなこと、気がつかなかったのかい?」
「うん。それは調べてもらえばわかるけど、それ以後でも、出入国の時の用紙にはパスポートが発行された年は一九七一年とずっと書いていたくらいだから……」
「インドネシアにいたのは一九七六年だったよな」
「うん」
パスポートの有効期間は五年だから話の辻《つじ》褄《つま》は合う。しかし、それを旅券発行の権限を持つ役人に説得できるかどうかは疑わしかった。
翌朝、私は神奈川県庁に勤める友人に電話をした。およその状況を説明し、係の役人がこの改竄をどのように受け止めているか、どのような処置を下そうとしているか、新たなパスポートの交付は絶望的なのか、そういったことをそれとなく調べてもらえないだろうかと頼んだ。友人はひとことも余計なことを言わず引き受けてくれた。そして、昼休みの時間にさっそく連絡をくれた。
本来、旅券の改変は犯罪を構成するが、今回の件については犯意がなかったということで大目に見てくれるようだ。窓口に呼び出され、始末書の一枚も書かされるかもしれないが、なんとかパスポートを手に入れることはできるだろう。それで駄目な場合には、もう一度こちらに電話してくれ。
私が礼を言うと、俺は別に何もしなかったのだから礼には及ばない、と言って友人は電話を切った。
午後、また電話がかかってきた。今度は内藤からだった。パスポートの件を心配しての電話だろうと思い、どうにかなりそうだから安心しろと言ったが、内藤は格別の反応を示さず、それはよかったと人ごとのように言った。
「どうした」
と私は訊ねた。内藤が他のことを言い出しにくそうにしているように感じたからだ。
「実は……相談したいことがあるんです」
その口調の重さに、また何かが起きたのではないか、と不安になった。内藤があらたまって相談したいというからにはよほどのことに違いなかった。電話で話せることでもないだろうと判断し、ジムへ行く前に下北沢の喫茶店で会うことにした。
内藤は先に来ていて、憂鬱そうな顔でコーヒーを呑んでいた。何の相談だい、とつとめて明かるい声を出しながら、私は前の椅子に坐った。
話の内容は内藤の弟についてのものだった。弟は友人とふたりでジーンズ屋を開いていたが、経営がおもわしくなく、それが直接の契機なのだろう、ある刑事事件に巻き込まれてしまったというのだ。事件はどうにか片付いたが、弟をめぐる状況にはかなり厳しいものがある。内藤の相談とは、その弟に、できるだけ早く、しかもできるだけいい弁護士をつけてやりたいのだがどうしたらいいだろう、というものだった。
私は喫茶店の公衆電話から、移籍の際に力をかしてもらった女性弁護士に電話をかけた。誰か刑事関係の事件に強い弁護士を紹介してくれないだろうか。彼女はその不躾《ぶしつけ》な頼みを笑いながらきいてくれた。
「そちらがかまわなければ私がやってもいいんだけど、やはり男性の方が安心なのかな。私の友達を紹介するわ。若くて、優秀で、侠《きょう》気《き》のある人だから、きっと引き受けてくれるわ」
次の日、私と内藤は赤坂で待ち合わせ、紀《き》尾井《おい》町にあるその弁護士の事務所を訪ねた。弁護士は内藤に説明を求め、それを聞き終えると、いたってあっさり、やりましょうと言ってくれた。しかも、帰り際には、弟さんのことは弁護士に任せて安心して闘ってきてくださいと内藤に言い、私には成功を祈ってますと言ってくれた。どうやら彼は、私たちの状況を知ってくれているようだった。
内藤とのこの一件にかかずり合うようになってからというもの、私は友人や知人ばかりでなく、見ず知らずの他人にまで面倒をかけつづけてきたような気がした。しかも、その借りを返すこともできないうちに、さらに新たな負債を背負ってしまうのだ。それが妙に辛いことのようにも感じられたが、今はとにかくそのような感傷にふけっているわけにはいかないのだと自分を叱《しっ》咤《た》し、ありがとうございますとだけ言って弁護士事務所をあとにした。
五月も末になった。
私たちが韓国へ出発する六月七日まで、正味一週間しかなくなった。内藤のパスポートも外務大臣あての始末書と引き換えに交付され、私たちがこの一週間のうちにしなくてはならないことといえば、韓国からの招請状を待って、領事館でワーキング・ビザを出してもらうだけになっていた。
その日、私もそろそろビザを取り直しておこうと思い、早起きをし、九時頃家を出ようとした。その時、電話のベルが鳴った。一瞬、厭《いや》な予感がした。また、内藤に関する悪い報せなのではあるまいか、と思ったのだ。
しかし、それがソウルからの国際電話だということがわかり、ホッとした。崔からの電話なら、いつソウルに来るかという問い合わせか、挑戦料の残金の請求に違いなかった。
「早く試合のポスターとチケットを送ってくださいよ。そうしないと残金を振り込めないじゃないですか。それとも百二十万はいらなくなったんですか」
私は軽口を叩いたが、崔は少しもその冗談にのってこない。私が黙ると、しばらくして崔が疲れた声を出した。
「困ったことが起きたんだ」
私はひやりとした。また、なのだろうか。黙ったままでいると、崔が大きな声で言った。
「聞こえるか?」
「聞こえます」
私は小さく呟《つぶや》くように応えた。
「困ったことが起きたんだよ」
「どうしたんです」
「柳の鼓膜が破れたんだ」
「まさか……」
「ほんとさ」
私は受話器を耳にあてたまま、茫然としていた。ひとつが解決するとまた事件が起こり、どうにかそれを切り抜けたと思うとまた新たな問題が湧《わ》いてくる。いったいどういうことなのだ……。
不意に崔の声が耳にとび込んできた。
「……だから、試合を延期してほしいんだ」
「そんなこと言われても……」
「とにかくできないんだよ」
「延期って……どのくらいです」
「治療に三週間、それに調整の期間が必要だな」
「だから、どれくらい待てばいいんです」
「そう、まず二カ月」
二カ月という言葉を聞いたとたん、あまりのことにぼんやりしていた頭が、突然はっきりしてきた。憤りが急に膨れ上がってきた。
「冗談じゃないですよ。そんな待てるわけがないじゃないですか。あと一週間というところまできて、鼓膜が破れた? 冗談はよしてくださいよ」
「いや、ほんとなんだ……」
崔の声が弱々しくなった。
「柳はなんと言っているんです」
「三日前にスパーリングをしていて鼓膜を破ってしまったと言うんだ。だからできないと……」
「契約はどうなるんです」
私がなじると、崔は開き直った。
「医者が試合をするなと言ってるんだから、仕方がないだろ」
「そんな言い方はないでしょ」
私は本気で腹を立てはじめていた。
「いや、仕方がないさ。私だって試合はやりたいよ。ここまで準備して止《や》めるのは大損害なんだ。どうでもいいから試合をしてくれ、オプションがあるから負けてもまた挑戦させてやる。そういって私も頼んだけど、柳がどうしても厭だと言うんだ。これが自分の最後の試合になるから、ファンにおかしな姿は見せられないと頑張るのさ」
「…………」
「延ばすより仕方がないだろ」
「試合の日にちはそっちが決めたんだ。こちらはアドバンスも払い、待っていた。それを電話一本で延ばせといわれても、はいそうですかというわけにはいきませんよ」
とにかく、これからみんなと相談するから、六時に金子ジムに電話をかけてくれ、返事はその時にする。私がそう言うと、崔はわかったと答え、荒々しく電話を切った。
ビザを取りに行くどころではなくなった。私は内藤、エディ、金子の三人に連絡し、ジムに集まってくれるよう頼んだ。
夕方、野口や利朗も交え、善後策を練った。誰も柳が鼓膜を破ったなどという話を信じる者はいなかった。調整がうまくいかず、柳が引き延ばしをはかったのだろう。私たちの結論はそういったところに落ち着いた。しかし、たとえそれが嘘だとわかっていても、チャンピオンの側が練習中の怪我を理由に試合の延期を主張すれば、チャレンジャーの側は黙って待つより仕方がないのだ。他に打つ手はない。私たちも、一カ月半くらいなら待つもやむをえないかもしれない、ということになった。
崔は約束の時間に電話をかけてきた。私が待つというこちらの意志を伝えると、崔は安心したらしく、それが双方のためだというような意味のことを言った。あまり安心されても困ると思い、私は釘《くぎ》をさした。
「でも、新しい試合の日時を早く決めてくれなかったら、こちらも考え直しますからね」
「わかってるよ。すぐ連絡するさ」
崔は電話の向こうで苦笑したようだった。
その日の夜は、後楽園ホールで鈴木利明と韓国の姜興遠との試合が行なわれることになっていた。私は内藤とその試合を見にいく約束をしていた。しかし、いくら自分のスパーリング相手は必ず応援しにいくという律儀なところのある内藤でも、このようなことが起きてしまったあとでは気が乗らないだろうと思い、私は見にいくのをやめるつもりでいた。ところが、内藤は行きたいという。私は利朗を誘い、三人で後楽園ホールヘ向かった。出がけに、エディが私を呼び寄せて囁《ささや》いた。
「ジュンはブロークン・ハートね。元気をつけてあげて」
内藤は思いのほか沈んでいなかった。鈴木の控室を訪ねた時も、やはり観戦に来ていたバトルホーク風間と冗談を言い合い、試合が始まっても盛んに声を出していた。しかしそれも表面上の陽気さにすぎなかったのかもしれない。時折ふっと静かになることがあり、横顔を盗み見ると、焦点の定まらないぼんやりとした眼つきをしていた。
試合は鈴木がノックアウトで勝った。帰ろうとすると、金子に出くわした。私たちのあとから来たらしい。金子は、いつも持っている黒いアタッシェケースから書類を取り出すと、それを私たちに見せた。韓国のコミッションからの正式な招請状だった。
「今日、事務局に届いたそうだ。今、そういって手渡されたんだけどね」
「皮肉ですね」
「ほんとに」
しかし、これで、少なくとも崔は試合をやるつもりだった、ということの確認は取れたのだ。あとは心静かに待つより仕方がない。
私たち三人は金子と別れ、麻《あざ》布《ぶ》へ食事をしにいった。内藤は炭火で焼いた肉と野菜をしっかり食べながら、自分は大丈夫だから心配しないでほしいと何度も繰り返した。
「エディさんがとても気にしてるみたいだった」
私が言うと、内藤は微笑した。
「大丈夫。昔だったらヤケをおこしていたかもしれないけど、いまは平気。せっかくここまで我慢してきたんじゃない。あと一カ月や二カ月くらい、どうってことないさ」
「それならよかった」
自分で自分を励ましている言葉のようにも受け取れたが、そのように振るまえるだけでも以前と比べれば大した変化だった。
しばらくして、内藤が首をかしげながら呟いた。
「柳はよっほど調子が悪いのかな……」
「さあ……」
「どっちにしても、あいつは自分で墓穴を掘ってるんだ」
「墓穴?」
私は訊《き》き返した。
「うん、墓穴。柳が試合を延ばそうとしているのは、俺を怖がりはじめたからだと思うんだ。でもね、恐怖って、一度ついたらなかなか消えないもんなんだよ」
「なるほど……」
「こっちは一カ月でも二カ月でも待つといってるんだから、柳はもっと怖がるようになる」
「そうかもしれないな」
「俺は平気さ。怖がっているのは俺じゃなくて柳なんだからね。待つよ、待つ。……今日から三日間くらいは落ち込むだろうけど、それが過ぎれば大丈夫さ。またバリバリやるよ」
そして、内藤は許しを求めるように私に言った。
「三日間くらいはいいよね?」
「……いいさ」
私は微《かす》かに笑いながら答えた。内藤はまだ頑張ろうとしている。崖《がけ》っぷちに手がかかっている。だが、それもいつはずれるかわからないのだ。急がなくてはならない、私はあらためてそう思った。
六月に入った。
私たちは崔からの連絡を待った。試合の期日が決まらなければ練習のスケジュールも立てられない。しかし、いつまでたっても連絡がこない。しびれを切らしてこちらから電話をすると、もう少し待ってくれという。
その日が本来なら試合の当日だったという土曜日の夕方、崔からジムに電話がかかってきた。梅雨入りを告げる雨の中を、濡れながらジムにやって来ていた私は、もうこれ以上待つわけにはいかない、と腹を決めて電話口に出た。
「弁解は結構ですから、とにかく試合の日を決めてください」
「だから、もう少し……」
私は崔のその言葉をさえぎるように言った。
「いま、決めてください」
「それは無理だよ」
「どうしてです」
「柳が、耳が治ってからと言うばかりで、いつならいいと言わないんだ」
「三週間で治ると言ってたじゃないですか」
「また医者に診てもらったら、もっとひどかったらしいんだ」
「嘘はやめてください」
「…………」
「そんなことで納得すると思ってるんですか。嘘じゃないんだったら、医者の証明書を送ってくださいよ」
「そんなもの、簡単に作れるさ」
「…………!」
今度は私が絶句した。崔は問わず語りに柳の怪我が嘘だということを白状していたが、それは同時に、嘘だからどうした、と恫喝《どうかつ》しているようなものだったからだ。
私は気を取り直し、語調を強めて言った。
「治療に三週間、調整に一カ月、それだけは待ちます。だから、その期間のうちのいつ試合をやるか、それを来週の月曜日までに決めてください」
「できないよ、そんな……」
「決めてくれなければ、OPBFに提訴します」
「提訴する? どういうことだい」
「契約後に不当に挑戦を忌避しているということで、柳の王座を剥奪《はくだつ》してもらいます」
提訴したからといって剥奪までできるとは思えなかった。ほんの思いつきにすぎなかったのだが、崔は意外なほど慌てた。月曜までに必ず柳と相談して結論を出しておく、だから馬鹿なことはしないでくれ。崔はそう言った。
だが、その月曜日、崔からの電話はいつまで待ってもかかってこなかった。
六時半を過ぎた時、私はこちらから韓国に電話をしてみましょうと金子に提案した。すると、意外にも金子は反対した。こういう場合は絶対に向こうからかけさせなければならない、と言うのだ。それはそうかもしれないが、待っていてズルズルと延ばされることは、結局こちらに損なのではあるまいか。しかし、私がいくら説得しても、金子はどうしてもうんと言わなかった。私にはその頑強さの理由がわからず、戸惑いながら金子に訊ねた。
「どうしてなんです」
「どうしてもさ。……別に電話代をケチるわけじゃないけどね」
私は思わず眼を伏せた。そんなことだったのか、と落胆した。
決して私は金子の几帳面《きちょうめん》な性格が嫌いではなかった。むしろ好意を抱いているといってもよいくらいだった。しかしただひとつ、その金銭感覚にだけはどうしてもついていけないものを感じていた。合理的だが人間味に欠けるところがあるのだ。腹立たしい思いをするたびに、いや金子の方がまっとうなのかもしれないと考え直すようにしてきたが、今度だけは我慢がならなかった。この大事な時の、二千円か三千円の国際電話一本ではないか……。
私は無言のままその場を離れた。金子はその批難がましい態度が癇《かん》にさわったらしく、私の背に痛烈な言葉を浴びせかけてきた。
「こんなゴタゴタする試合は初めてだよ!」
私は振り返り、金子の顔を見た。金子がそれを言うなら、私にも言いたいことはいくらでもあった。この柳との東洋戦という博奕《ばくち》に対して、内藤はその肉体と生活を賭《か》け、エディはその技術と経験を賭け、私は労力となにがしかの金を賭けた。だが、あなたは何を賭けているというのか。なにひとつ失おうとせず、得ることばかり考えていないか……。激しい言葉が口をついて出かかったが、どうにか押しとどめることができた。試合がうまくいかないので、みんな苛《いら》立《だ》っているのだ。私は必死にそう思い込むことにして、村田が練習している窓際に歩み寄っていった。心配そうになりゆきを見守っていた村田は、私と視線が合うと申し訳なさそうに微かに頭を下げた。
その夜、崔からの連絡はついになかった。
次の日の早朝、私は事務所ではなく、崔の家に直接電話をした。崔は寝ているところを起こされたといった不機嫌そうな声で出てきた。私は硬い声で言った。
「昨日、連絡をくれませんでしたね」
「ああ」
崔は投げやりな答え方をした。
「どうしてなんです」
「柳がなかなかつかまらなかったんだよ」
「…………」
「夜遅く、やっと会えた」
「で、結局どういうことになったんです」
「あいつはもう駄目だ」
「何を言ってるんです!」
「柳はもう試合はできないよ。あれでは、リングに上がっても、ボクシングなんかできない」
「…………」
「そっちも諦《あきら》めるんだな」
「冗談はよしてくださいよ」
「冗談なんか言ってないよ。この契約はなかったことにしてもらうよ」
「馬鹿な!」
私は小さく叫んだが、崔の声に搦《から》みついている疲れと諦めは、演技ではなく本物のようだった。
「どういうことなんです」
「柳は引退させるより仕方がない。もう言うことをきかないんだ」
「選手の管理もできないんですか、崔さんは」
私は挑発したが、崔はそれにはまったく反応せず、呟くように言った。
「柳を引退させて、うちの朴と内藤で王座決定戦をやる……」
「何を勝手なこと言ってるんです」
柳と闘うために今まで苦労してきたのではないか。そのような提案を受け入れられるはずがない。
「駄目かね」
「駄目ですよ」
私がはねつけると、崔は疲れ果てたというような調子で言った。
「それなら、終りだ」
私はその言葉を耳にしたとたん、これまで抑えに抑えていたものが、一気に爆発してしまった。
「ふざけるな!」
しかし、そう叫んだ瞬間、ついに柳を掴まえられなかったという無念さが胸にこみあげてきた。
やはり終ってしまったのだ、と私も思った。
夕方、報告をするためジムに行こうとした。だが、下北沢のパチンコ屋で時間をつぶしているうちに、ジムでみんなに会うのが気重になってきた。このささくれだった気分のままで話しても、みんなを不快にさせるだけのような気がした。いや、とにかく、内藤のがっかりした顔を見るのが辛かったのだ。
私は新宿に酒を呑みにいった。
馴染みの店で人に話しかけられるのが億劫《おっくう》だったので、入ったこともない店を選んで呑み歩いた。はじめての店で黙ってぼんやり呑んでいると、店の人が薄気味悪そうに私を見るようになる。そのたびに店をかえなければならなかった。
呑みながら、これですべてが終ってしまったのだな、とあらためて思った。考えてみれば、ここまで実に危ない綱渡りの連続だった。ボクシングの業界にまったく無知といってよい若僧が、ボクサーのトレードを計画し、東洋戦までマッチメークしようとしたのだ。うまくいくとは誰も思っていなかったに違いない。私自身すら、やればできる、とは完全には信じていなかった。しかし、多くの人に助けてもらうことで、難しい局面をどうにか切り抜けてくることができた。そして、とにかくあと一歩というところまでは、柳を追いつめたのだ。
柳済斗という名は、私たちにとって、夢という名の代名詞のようなものだった。柳を追いつめることが、夢ににじり寄ることだった。内藤にとってはオトシマエをつけることだった。柳を打ち破ることで、柳にオトシマエをつけるだけでなく、恐らくはカシアス内藤というボクサーにもオトシマエをつけたかったのだ。エディにとってはその内藤をビッグマネーの取れるボクサーにすることが夢だった。自分がマネージメントの権利を持った最初にして最後であろう選手の内藤と、まず柳を破るところからビッグマネーへの道を歩みたかったのだ。私にとっては……たぶん私にとってそれは、六年前へ回帰することだった。
しかし、あと一歩をつめられなかったために、それらはすべて空しい夢となろうとしている。ついに、柳に逃げられてしまった……。
酒が苦いなと感じた時、ちょうど一年前のこの時期も、仕事のうえの失敗にいたたまれず、同じように苦い酒を呑みつづけていたことを思い出した。トレードやマッチメークに熱中しているうちに、苦い酒の味を忘れていた。これからは、また苦い酒と付き合わなければならないのかもしれない。
ふと、私は自分が内藤から遠ざかろうとしているらしいことに気がついた。柳とできなくなったことで、すべてを投げ出そうとしている。
だが、ここで私が投げたら、内藤はどうなるのだ。私のようにボクシング界から逃げ出すこともできず、これからもボクシングを続けていくに違いない。恐らく、小さな試合に勝ったり負けたりしながら、残り少ない持ち時間を浪費していくことだろう。場合によっては、金のために噛《か》ませ犬として買われていかないとも限らない。そうすれば、また六年前と同じことを繰り返させることになるのだ。だが、今の内藤は、六年前とは比べものにならないほど多くの、そして重いものを背負っている。キャンプで私は言った。これはまずふたりで望んだことなのだから、責任の半分は私が取る、と。ここで投げたら、すべてを内藤に背負わせることになるではないか。私はまた、崖からぶら下がっている者を見捨てようとしているのだろうか。それでは、私もまた、六年前と同じことを繰り返すことにならないか……。
もう一度、もう一度だけ、力を尽くしてみよう、と私は思った。
朝、私はソウルに電話をかけた。
あいにく、崔は自宅にも事務所にもいなかった。試合が流れたため、その事後処理にソウル中を走り回っているようだった。私は一日中電話にへばりつき、何回となく相手指定の国際電話をかけた。私には急いで崔に確かめたいことがあったのだ。
前夜、もう一度だけ力を尽くしてみようと思い決めたあとで、私は新宿をうろつきながら、何かよい手立てはないものかと考えつづけた。
柳はボクシングができる状態にない、と崔は言っていた。その言葉に恐らく嘘はない。とすれば、柳をリングに立たせるためには、何らかの公的な力を借りるよりほかに方途がない。しかし、OPBF、つまり東洋太平洋ボクシング連盟に提訴したところで、解決にどれだけの時間がかかるかわからないのだ。しかも、内藤にはそれを待つだけの時間的余裕がなくなっている。柳と闘うことはついに断念せざるをえないのかもしれない、と私は思った。考えてみれば、それほどまでして柳と闘う必要があるのかどうかは疑わしかった。なぜなら、柳は内藤という敵を前にして、闘わず逃げ出してしまった男だったからだ。そのような男を強引にリングに引きずり上げて闘ったところでどんな意味があるのだろう。それが恐怖のためか他の理由によるものかはわからないが、とにかく、この敵前逃亡によって柳は完璧《かんぺき》に内藤に敗れたのだ。リングの上で結着はつけられなかったが、内藤は充分にオトシマエをつけることができた。そう考えられなくはない。いや、無理にでもそう考えるのだ。もう柳を追う必要はなくなったのだ、と。
そこまで考えた時、崔が電話の最後にいいかけた言葉が思い出されてきた。たしか崔は、柳を引退させて朴と内藤に王座決定戦をやらせないか、と提案していたのではなかったか。柳との試合しか頭になかった私は、その申し出を即座に拒絶してしまった。
崔のいう朴とは、東洋二位の朴鐘八《パクジョンパル》のことだろう。朴は柳ではありえない。だが、たとえその相手が誰であれ、東洋の王座につけば世界への道が開けることは確かなのだ。そして、それは同時に工藤へ続く道でもあるはずだった。これを逃せば、内藤に二度と大きなチャンスが訪れることはないだろう。私にも、崔の提案はむげに断わるべきものではなかったかもしれないと思えてきた。だが、本当に王座決定戦ができるのだろうか。東洋二位の朴と、羽草に勝って七位になったばかりの内藤との試合を、果たしてOPBFが王座決定戦と認めるだろうか。
私は、それを崔に確かめようとしていたのだ。
十数回目の電話でようやく崔と連絡がついた。私は、朴と内藤による決定戦という提案について、もう一度説明してくれるよう頼んだ。崔は言った。
「だから、柳を引退させて、ふたりで決定戦をやらせるんだよ」
「そんなこと、できますか」
「できるだろう。きっと柳が文句を言うが、あいつが悪いんだから仕方がないよ」
「でも、OPBFが認めてくれるかな」
私が疑問を投げかけると、崔は自信ありげに答えた。
「興行権があるんだ、認めないわけにいかないさ」
間違いなく王座決定戦ができるのなら、崔の提案を受け入れてもいいかもしれない。とにかく内藤に東洋の王座を奪還させることだ。七〇年代の初めに失った座を、七〇年代の終りに取り戻す。その相手が柳でないことが心残りだが、奪還のチャンスが得られるだけでまずよしとしなくてはならないだろう……。
「本当に決定戦ができるんだったら、柳との契約は破棄してもいいですよ」
私が言うと、崔はホッとしたようだった。
「いいかい?」
「でも、そのかわり、朴との決定戦ができないようだったら、いつでもあの契約書をたてにOPBFに提訴しますからね。柳が剥奪されたら、崔さんの興行権なんて簡単に吹っ飛ぶんですよ」
「わかってるさ。こっちだって、早く試合をしないことには金が入らないんだ。そっちが受けてくれるんなら、すぐに柳に引退届を出させていろいろ手配するよ」
「いつ頃できます」
二カ月は余裕が必要だろうと思いながら訊ねると、意外な答が返ってきた。
「七月中にはなんとかなるよ」
「一カ月で朴は準備ができるんですか?」
「ああ、あいつなら心配ない。若いから、日にちが決まれぱ、いつでもオーケーさ」
「朴はいくつです?」
「十九かな」
私はその若さに少し動揺したが、とにかくできるだけ急いでくれといって電話を切った。
次の日、今度は崔から電話がかかってきた。浮かない声だったが、悪い報せにはもう慣れていた。私は普通の調子で訊ねた。
「どうしました」
「柳が絶対に厭《いや》だと言うんだよ。厭なのに無理に引退させるなら、それだけの金をよこせと言うんだ」
「崔さん。この期に及んで、妙な駆引きはよしてくださいよ」
私は切口上で言った。
「ほんとだよ、ほんとなんだよ。私は柳に八百万ウォンの貸しがあるんだけど、それを棒引きにしなければ引退しないと言ってるんだ」
「してあげればいいじゃないですか」
私が冷淡に突き放すと、崔は悲鳴にちかい声を上げた。
「そんなわけにはいかないよ」
嘘ではないようだった。それならどうしたらよいのか、と私は訊ねた。
「柳の時に契約した八千ドルをそのままくれないか」
「駄目ですね。決定戦ともなれば、朴も内藤も条件は対等なはずです。金なんか要求される筋合いはない。あの四十万だって返してもらうつもりです」
私の手厳しい拒絶に会うと、崔は一転していかにもこれから交渉を開始するぞという粘りのある喋《しゃべ》り方になった。
「条件が同じだなんて、そんなことはないさ。こっちは柳を引退させて、決定戦をやってやる立場なんだから」
「対等ですよ」
「いや、対等じゃない」
「それなら、OPBFに提訴して剥奪してもらうだけです」
「そんなに待てるのかい、そっちは」
「…………」
「…………」
どちらも黙り込んでしまった。しばらくして、崔が子供をあやすような口調で言った。
「そっちも、朴とやった方がいいんだろ」
「…………」
「もともと出すつもりだったんだから、素直に出しなよ。それと私の金を合わせれば柳も納得するからさ」
いいだろう、と私は考えた。崔が言うように、本来なら文句なく出さなければならなかった金だ。しかし、このままではいかにも崔の思うままに振り回されているようで口惜《くや》しかった。
「わかりました。四十万と残りの百二十万は払いましよう。ただし、オプションはなしですよ」
馬鹿なことを言うなとはねつけられるに違いないと思っていたが、崔は意外にも弱々しい声でその要求を受け入れた。
「……それなら、オプションはひとつにしよう」
私は強気になった。
「まさか。オプションは一切なしです」
「そんな……」
「王座決定戦に八千ドルも払って、そのうえオプションも取られるなんて、そんなことならこちらは降ります」
「だけど……」
「オプションはなし。いいですね」
「……いいだろう」
私は自分の耳を疑った。いいんですねと念を押すと、仕方がないよと答えた。私は笑い出したいのをこらえるのに苦労した。オプションがなければ、朴に勝ちさえすればあとは自由に相手を選ベ、内藤は好きなように金を稼《かせ》げるのだ。
試合の日時が決まりしだい、契約をやり直しにソウルへ行く。私が言うと、崔は数日中に決めるから安心しろと答えた。
電話を切ったあとで、私は何が幸いするかわからないなと思っていた。崔は、私たちと柳戦の契約をする際、百六十万の挑戦料と二つのオプションという苛酷な条件を突きつけ、厳密な契約書を作った。しかし、試合が流れそうになった時、元来が弱い立場であるはずの私たちが、その金と契約書のおかげで強気で交渉することができた。しかも、四十万のアドバンスが、崔に想像以上の心理的圧迫を加えていた。せっかく手にしたその金を返さぬためにも、なんとかして試合を成立させねばならないと思い込んでいるようなのだ。私たちは運からまだ完全に見放されているわけではなさそうだった。
その日から、私は内藤と朴との王座決定戦を実現するために動きはじめた。
私がまず第一にしなくてはならなかったのは、内藤をはじめとする全員に了解をとることだった。これには問題がなかった。私の説明に対して、朴が若く未知のボクサーであることへの不安は表明されたが、決定戦そのものへの反対意見は出されなかった。それ以外に道のないことをみんなはよく理解していた。エディは希望の芽がすっかり摘み取られなかったことを喜び、金子はオプションがなくなったことにむしろ満足していた。ただ、柳とはできなくなったと告げた時の内藤のがっかりした様子が気にかかったが、すぐそのあとで、いいさ柳でも朴でも俺は勝てばいいんだからという彼の独り言のような呟きを耳にして、私はいくらか安心することができた。
しかし、朴との試合を成立させることは、想像以上に困難なことだった。二位と七位による王座決定戦というところに最大の無理があったのだが、問題はそれだけではなかった。次次と難問が持ち上がってきては、私たちを混乱させた。
このマッチメークに、最初に暗い影を投げかけたのは、やはり柳だった。崔との借金問題がこじれ、なかなか引退を承知しなかったのだ。その説得に日数がかかり、ようやく引退届を出すことに同意した、と崔から連絡が入った時には二週間が経過していた。
次に起きたのが、OPBFの公認問題だった。東洋一位のウォーリー・カーをさしおいて、二位と七位による決定戦など認められない、という予期された通りのクレームがついたのだ。崔は自分が興行権を持っているということで、状況を甘く判断しすぎていた。崔のなんとかして認めてくれという申し出を、OPBFは手厳しくはねつけた。興行権などというものは「業者」間の問題であり、公認問題に決定的な影響力を持つものではない、というわけだ。慌てた崔が私に連絡してきた。OPBFの事務局は日本にあるのだから、そちらからも工作してほしい。
後楽園ホールでボクシングの興行があった日、私はそこにいた事務局の職員にそれとなく打診してみた。朴と内藤の一戦を決定戦と認めることは不可能だろうか。私が訊ねると彼はあっさりと答えた。不可能だ。では、どうしたらいいのか。すると、彼は何を寝呆《ねぼ》けているのだという顔をして、朴と内藤を一位と二位にすればいいと答えた。
私が連絡すると、崔は明かるい声を出して言った。それなら、朴と内藤を一位と二位にしようではないか。この年、OPBFの事務局は日本のコミッションが受け持つことになっていたが、東洋ランキングの決定権だけは韓国のコミッションに委ねられていた。崔は、急いでふたりのランクを上げるよう働きかけてみるが、せめて内藤に関してだけでも日本から圧力をかけてくれないか、と言った。
私はさっそく金子と日本のコミッションに足を運び、事務局の実力者と会った。内藤のランクを上げてくれるようにと頭を下げると、一笑に付された。ランクを上げるようないい試合をしたわけでもなく、上位ランカーが負けたわけでもない。韓国のコミッションに推すべき理由が何ひとつない。確かにそれは正論だった。柳戦が流れた事情を説明し、情状を酌量してほしいと喰い下がったが、正論によって退けられた。
すぐにソウルへ電話を入れた。内藤のランクを押し上げることは難しそうだ。私が暗い気持でそう告げると、崔は意外にも上機嫌で言った。すべてはうまくいっている。朴を一位、内藤を二位にすることができそうだ。七月初旬に発表されるランキングでは、恐らくそのようになるだろう。私は崔の政治力を見直した。韓国のコミッションと何らかの取り引きをすることに成功したのだ。腹を立てたり、怒鳴ったりしていた相手の崔が、急にたのもしく思えてきた。
七月に入るとすぐ、崔から電話がかかってきた。急いで内藤の写真を送ってくれ、興行のポスターに使うのだ、と言う。話はそんなに進んでいるのか。私が驚くと、崔は満足そうに言った。ランキングはわれわれの望んだ通りの順位で間もなく発表される。それと同時に、柳はOPBFに引退届を提出する。試合の場所はソウルの文化《ムンフア》体育館、あとは日時をテレビ局と決めるだけだ。たぶん七月二十五日の前後になるだろう。
崔からの報せを受けた翌日、マッチメークの雑務に追われ、内藤の練習をじっくり見る機会のなかった私は、久し振りに早くからジムに出かけてみることにした。ところが、内藤は休んでいた。家で走りたいといってここ数日休んでいるのだ、と野口が教えてくれた。内藤には内藤の考えがあるのだろうと思ったが、やはり気がかりで内藤の家に電話した。明日ジムで会わないかと言うと、疲れた声でわかったと答えた。
次の日、ジムに姿を現わした内藤の体を見て、こんなことがありうるのだろうかと私は思った。一カ月前とは似ても似つかない体になっていた。不健康な太り方をし、動作にもメリハリがなかった。私はほとんど声をかけず、ただ黙って内藤の練習を眺めていた。
おまえはほんとにカモシカみたいだよ、と野口に嘆声を上げさせた下半身を、いまは重そうに引きずりながらシャドー・ボクシングをしている。むくんだ顔をしかめながら、ただ惰性でサンドバッグを叩いている。何ラウンドもしないうちに、ロープ・スキッピングで激しい汗をかいてしまう。喋るのも物憂いらしく、いつもの冗談も出ないまま柔軟体操のマットにへたり込む。
内藤のこの崩れ方は尋常ではなかった。トレーニングをおろそかにしているというだけでなく、何らかの不摂生をしていなければこうはなるはずがない。
その時、私は二週間前に内藤から相談されたことを思い出した。知人がディスコの店長を探していて、やらないかと誘われている。迷っているが、どうしたらいいだろう。そういうことだった。だが、私には答えようがなかった。内藤に金がないのは知っていた。しかし、水商売に戻ってしまえば、この一年余の苦労が水の泡になってしまう。私はただ、自分で決めるべきだ、と言うよりほかなかった。すると内藤は、朴との試合が終るまで返事を待ってもらおう、と呟くように言ったのだ。
だが、内藤のこのトレーニング姿を見るかぎりでは、彼が夜の商売に逆戻りしてしまったことは明らかだった。
ジムからの帰り、私は思い切って内藤に訊ねた。
「……働いているわけか」
「……そうなんだ」
内藤が少し辛そうに答えた。勤め先はやはりディスコで、勤務時間は夜の九時から朝の五時までだという。月給三十万、店長待遇。私は「待遇」というところに引っ掛かった。用心棒のような扱いをされているような気がしたのだ。
だからといって、仕事をやめろとは言えなかった。内藤と裕見子だけならどうにでもなる。だが、二カ月後には子供が生まれてくるのだ。働かないかぎり、その出産の費用すら工面がつかない。朴戦が成立するのを待ち切れず、ついに働きはじめてしまった内藤の苦しい気持は、私にもよく理解できた。しかし、その仕事の種類があまりにも悪すぎる。真夜中に働き、ろくに練習もせず、それで若い昇り坂のボクサーに勝てるわけがない。
張りつめていた分だけ、私の落胆の度合いは深かった。これですべては終りなのかもしれないという厭な予感がした。時がたてばたつほど内藤の体は崩れていくだろう。だが、私たちはそれをどうすることもできず、ただ見ていなければならないのだ。そんなことには耐えられそうもなかった。
私は硬い口調で内藤に言った。
「朴とのこの話は、思い切って壊すことにしないか」
「…………」
「俺には、もう君の緊張の糸は切れてしまったような気がするんだ」
「そんなことないよ……」
しかし、内藤の否定の言葉は弱々しかった。
私たちは気まずく黙り込んだまま駅に向かって歩きつづけた。ふたりの間の空気が、次第に陰鬱なものになっていく。私には、腹立ちまぎれにすべてを壊しかねない荒《すさ》んだ険しさがあり、内藤には、もう一度私が壊そうと言えば、どうにでもしてくれ、と叫び出しかねない投げやりな危うさがあった。ひとこと喋れば大爆発を起こし、そのまま決裂してしまいそうな危険な雰囲気だった。しかし、だからといって、このまま無言で駅まで歩き、そこで別れてしまったら、その時こそ本当に終ってしまうだろう。私は朴との話を壊し、内藤はあらゆる努力を放棄するに違いない。
何か喋らなくてはいけない、と私は思った。とにかく、どうにかしてこの空気をほぐさなくてはならない。だが、私には、気の利いた冗談でその場を救う、という器用なことができなかった。私は焦燥感を覚えながら、どうしても適切な言葉を見つけられないでいた。ふと内藤を見ると、彼も視線を宙に漂わせ、懸命に話のきっかけを探しているようだった。
「でも……」
しばらくして、内藤がそう言いかけた時、不意に私の頭の片隅を一匹の犬が走り抜けていった。それがどういう意味を持つことになるか自分でもわからぬまま、私は内藤の言葉を遮《さえぎ》るように話しはじめた。
「砂漠を走るバスに乗っているとね……」
唐突な話に、内藤が怪《け》訝《げん》そうな顔つきで私を見た。私はかまわず話を続けた。
「……道の向こうの方に湖のようなものが見えるんだ。日に照らされてユラユラと揺れている。もちろん蜃《しん》気《き》楼《ろう》じゃないと思う。きっと逃げ水の大型のようなものなんだろうな。走っても走っても追いつかないんだ。消えたかと思うと、またできている」
「…………」
「バスに揺られてそんなのを眺めていると、眠くなって仕方がないんだ。いくら走っても少しも風景が変わらないだろ。だから何か一枚の絵の中にいるような気がしてきて、それも眠気を誘う原因なんだと思う。要するに、銭湯の壁の絵を前にして湯舟につかってるような気分なのさ」
「…………」
「その時も、俺は一番うしろの窓際の席に坐って、うつらうつらしてたんだろうな。ところが、不意にその絵の中から一頭の獣が走り出してきて、眼が醒《さ》めたんだ。よく見ると犬なんだ。犬が凄《すさ》まじい勢いでこちらに走ってくる。バスに頭からぶつかるようにして突進してくると、激しく吠《ほ》えたてるのさ。バスだってかなりの勢いで走ってるんだけど、それに並ぶようにして走りながら吠えるのをやめない。俺にはどういうことかさっぱりわからなかった」
「…………」
「ところが、砂漠の向こうに眼をやると、羊の群れが見えてきたんだ。それでやっと事態が呑み込めた。その犬は、闘いにきたわけなんだ」
「…………?」
内藤が私の話に微《かす》かに反応しはじめた。しかし、私は内藤を無視して勝手に話しつづけた。
「羊飼いの犬が、バスという奇怪な形の敵を見つけて、羊を守るために闘いにきたんだ。吠えたてながらバスに並び、自分の何百倍もありそうなその敵に、まさに跳びかかろうとすると……」
「どうなるの?」
内藤が初めて口を開いた。私はそこで息をつき、言った。
「うん、そうすると、砂漠の向こうから声がかかるのさ。ホーイとかいうようなね」
「誰の声?」
「羊を追っている男の声。そこでバスに跳びかかって犬に玉砕されたらたまらないじゃないか。呼び寄せるのさ。犬はしばらくバスと並んで走っているけど、それが羊の群れに向かっているのではないことを確認すると、大きく弧を描いて羊の群れの方に走り去っていくんだ」
「…………」
「そんなことは一度だけじゃなかった。羊の群れに犬がついているかぎり、どんな犬でもバスに向かって疾走してきたよ」
「…………!」
「俺は、そのたびに震えたね」
そして、いつも犬に向かって、畜生、畜生、と呟いていた。もちろん、それは犬たちへの罵《ののし》りの言葉ではなかった。その時のひりひりするような熱い思いを表現するには、生半可な言葉では間に合わなかっただけなのだ……。
話し終えて、自分は何が言いたかったのだろうか、と思った。ここからどのような脈絡をつけ、いったいどこへ話を運んでいけばよいのか。私にはわからなかった。
だが、内藤は黙ったまま、ひとりで何度も小さく頷《うなず》いている。横顔に今までとは違う鋭さのようなものが滲《にじ》み出ている。私の話が、内藤の内部のどこかに微かに触れることがあったようなのだ。
「俺……」
と内藤が話しはじめた。
「柳とできなくなったとわかった時、それはほんとにがっかりしたよ。病気ならいつかチャンスはある。でも、引退しちゃえば、もう絶対あいつに勝つチャンスはないんだからね」
私は相槌《あいづち》も打たず、内藤の話すままにしておいた。
「正直に言えば、俺、やる気がなくなったよ。もう、どうにでもなれという気がして、走るのも厭になった」
「…………」
「でもね、柳はいなくなったけど、ちゃんと朴という敵が眼の前にいるんだからね。やっぱり、闘うべきなんだよね」
内藤の口調が急に熱っぽいものになった。
「俺が東洋を取らないかぎり、みんな浮かび上がれない。こんなことで腐ってちゃいられないんだ。これからまた一からやり直すよ。だから、朴の話、壊すなんて言わないで、まとめてほしいんだ。何とかしてほしいんだよ」
私は微かな不安を感じないわけではなかったが、しかしその言葉を信じ、今まで通り朴戦の実現に突き進んでいこうと思った。
「……わかった」
私が答えると、内藤はあらたまった口調で言った。
「お願いします」
ソウルへは利朗が撮った写真を送った。だが、試合の日時を伝える崔からの電話はいつまで待ってもかかってこなかった。
発表された新しいランキングでは、間違いなく朴と内藤が一位と二位を占めていた。朴と内藤による王座決定戦に障害はなくなったはずだが、なぜか肝心の柳の引退届がOPBFに出てこなかった。
崔に電話をすると、また新たな問題が生じたのだ、と苦り切った口調で言った。崔がリース業で儲《もう》けた金を背景にボクシング界に参入してきたことを、以前から快く思っていなかったプロモーターたちが、朴と内藤の決定戦に反対し、事務局に圧力をかけて開催許可証を出させまいとしているのだという。開催許可証がおりなければ興行を打つことができない。彼らは、この王座は韓国のものなのだからまず朴とクルーザー級からミドル級に復帰した姜との間で決定戦をやるべきだ、という乱暴な要求を突きつけてきているらしい。しかし、それは朴と内藤の勝者を姜と闘わせるということでなんとか納得させられるだろう。だから、もう少し待ってくれ。期日も七月二十五日は無理なので、八月五日頃に延ばしてもらいたい。崔はそう言うと、一方的に電話を切った。
私たちは、また待つだけの日々を送るようになった。待ち切れずに電話をするが、まだ許可証がおりないのだという答しか返ってこない。次第に、私たちは待つことに疲れはじめた。
ある日、崔からの色よい返事を持たぬままジムへ向かっていると、途中で前を行く内藤の後姿が眼に入ってきた。降りつづく雨の中を、傘もささずに歩いている。考えごとでもしているのか頭を垂れ、引きずるようにして足を運んでいる。あまりにも悄然《しょうぜん》としたその後姿に、私は声をかけることもできず、気づかれないように路地を曲がってしまった。私は下北沢の街を意味もなくぶらつき、しばらくしてからジムに行った。内藤はリングの端に坐ってぼんやりバンデージを巻いていた。
「不景気そうな様子でどうした」
私が陽気なふうを装って声をかけると、大儀そうに顔を上げ、それでも微かに笑おうとした。そして、内藤は窓の外に視線をやり、誰にともなく呟いた。
「雨だもんなあ……よく降るよ」
梅雨はまだ明けてなかった。雨が降るのは当然のことだった。しかし、その何でもないはずの台詞《せりふ》が、私には絶望的な響きを持って聞こえてきた。私が黙っていると、また独り言を言った。
「走れないから……太って太って……」
「いま、どのくらい?」
私が訊《たず》ねると、内藤は人ごとのように言った。
「八十キロに近いんじゃないかな」
ヘビー級並の重さだった。体重が増えたのは、雨で走れないからというだけでなく、仕事に疲れるため練習に身が入らないということもあるようだった。
「やはり仕事はきつい?」
「そう、まだ体が慣れてないからね」
内藤はそう答えると、ふと思い出したように私に訊ねてきた。
「ソウルから、まだ?」
「……まだなんだ」
私が言うと、内藤はそうかと呟《つぶや》き、深く溜《ため》息《いき》をついた。私は言いようのない焦りを感じた。この一年で鍛え上げた内藤の体が、夜の仕事で崩れ切らないうちに、早く、できるだけ早く試合をさせねばならない……。
七月なかばまで待った。だが、崔の返事は変わらなかった。私はついに我慢ができなくなった。開催許可証など三十分もあれば簡単におりるはずだ。おりない真の理由は何なのだ。私が詰問すると、崔は仕方なさそうに喋りはじめた。
コミッション事務局とはうまくいっているのだが、コミッショナー個人と古くから敵対関係にある。そのコミッショナーが、自分を困らせるために、プロモーターたちに加担し、どうしても許可証にサインしようとしないのだ。柳の防衛戦にはケチをつけられなかったが、朴と内藤の決定戦になってからはなにかとアラ探しをして、一日延ばしにサインを延ばしている。
崔がコミッショナーとどれほど激しい喧《けん》嘩《か》をしようとかまわないが、それではいつまで待っても試合ができないことになるではないか。私がなじると、崔はもう手を打ってあるから心配するなと言った。引退する柳をプロモーターとして前面に立て、自分は背後に隠れるのだという。たとえコミッショナーといえども、天下の柳がプロモートする試合をストップさせることはできないはずだ、と崔は珍らしく昂奮《こうふん》したような声で言った。そして、すぐ結着をつけるからもう少し待ってくれ、と言った。
一週間後、その言葉通り、崔から八月四日に決まったという連絡が入った。これから柳の引退をマスコミに発表し、同時に決定戦の日取りも公表するのだという。コミッショナーと話がついたのかと訊ねると、記者団に発表してから事務局に行ってサインさせるのだと答えた。既成事実を作って強行突破をする腹づもりらしい。私は危惧《きぐ》を覚えないわけではなかったが、契約をするためとにかくソウルヘ急ぐことにした。八月四日まではもう二週間足らずしかなかったからだ。
ソウルヘ発《た》つ前日、私は内藤とエディの三人で話し合いをした。八月四日でコンディションの調整は可能かどうか確かめたかったのだ。
練習の前にぺルモに三人が揃《そろ》ったところで私は訊ねた。
「大丈夫だろうか、八月四日で」
「平気だよ。できるんだったら、早いうちにやろうよ」
内藤が答えた。私も思いは同じだった。現在の体調は決してよくないが、今から仕事を休みコンディションを整えれば、八月四日にできないということはない。
「いつから休む?」
私が、明日からとか、明後日からとかいう答を予期しながら軽い気持で訊ねると、信じられないような返事がかえってきた。
「八月一日から」
「本気かい?」
私は訊き返した。内藤は心外そうな表情で、もちろん本気だよ、と言った。
「せめて、来週から休まないことには……」
私が言いかけると、内藤は話にもならないといった調子で首を振った。
「それは無理だよ。七月二十五日だというからそれに合わせて店の子をスタンバイさせていたら、延期というじゃない。それでまた八月四日になりましたからって、そんなに長く休めないよ」
「この試合が……分かれ道だぞ」
「わかってるさ」
私にはわかっているとは思えなかった。なんとしてでも休むべきだ、と私は言いつづけた。八月四日では何日も休めないというなら、試合日を延期してもかまわないではないか。少し遅くなるが休まないでリングに上がるよりはいい。私が言うと、エディもそれに和した。
「休んで、いいコンディション作らないなら、ジュン、あんた負けますよ」
内藤はその言葉に動揺したようだった。しばらくじっと考え込んでいたが、その場ではどうしても結論が出せないらしく、黙りこくっていた。
練習にあまり遅れてもいけないので、私たちはひとまずジムに行くことにした。
歩きながら、エディが私に話しかけてきた。
「アマのコーチのお金、なかなか入ってこないよ。苦しいね。うちの奥さん可哀そう。あっちで少し、こっちで少し、お金借りてるの。可哀そう」
何日か前、うっかり持ってくるのを忘れたとかで、エディが私から金を借りていったことを思い出した。追いつめられているのは、内藤ばかりではないようだった。
ジムの中はもう真夏の暑さだった。エディはランニングシャツとパンツだけの姿になった。剥《む》き出しにされたその胸や足を見て、私は思わず眼をそらせてしまった。どこか病んでいるのではないかと心配になるほど衰えていたからだ。
内藤は心ここにあらずといった様子で、迫力のないシャドー・ボクシングをだらだらと行なっていた。突然、エディがパンツだけの格好でリングに飛び込み、内藤を叱った。
「なにしてるの。みっともない練習しないでよ!」
ジム中をしんとさせるほどの鋭さだった。エディもこの曖昧《あいまい》な状況に激しく苛《いら》立《だ》っていたに違いない。
練習が終ると、内藤が私に近寄り、小さな声で言った。
「やっぱり、試合は四日でいい」
「そうか……」
私が気落ちした声を出すと、内藤は安心させようとでもいうように、できるだけ仕事はサボるようにするから、と言った。私は苦笑し、わかったと答えた。
内藤がシャワーを浴びている間に、私はエディにそのことを伝えた。
「そうですか……」
エディも落胆したように呟き、しばらくじっとその場に佇《たたず》んでいた。
翌朝、ソウル行きの飛行機の中で朝日新聞の朝刊を広げると、そのスポーツ欄に「柳済斗引退」という豆粒のような記事が載っているのが眼にとまった。
柳済斗が引退
東洋・太平洋ミドル級チャンピオン、韓国の柳済斗(三二)が二十四日、引退を発表した。柳選手は十一年間のリング生活で東洋・太平洋タイトルを二十一回も防衛、一九七五年には輪島功一を倒し、世界ボクシング協会(WBA)ジュニアミドル級チャンピオンになったこともある。
空位となった東洋・太平洋ミドル級王座決定戦は八月四日、ソウルでカシアス内藤(金子)―朴鐘八(韓国)の間で行なわれる予定。
私はその記事を何度も読み返した。ついに決定戦ができることになったのだ。そう自分に言いきかせるのだがどこからか、まだ安心するのは早いと囁《ささや》く声が聞こえてくる。そして、事実、それは単なる杞《き》憂《ゆう》ではなかった。
今回のソウルは、契約が済みしだい帰るつもりだったので、ホテルを取っておかなかった。崔の事務所に連絡し、プラザ・ホテルのコーヒーショップで待った。二時間待たせたあげく、やっと姿を現わした崔が、席につくや否や発した第一声は、あいつまだサインしないんだ、というものだった。いくらプロモーターが柳の名義になっていても、背後に崔のいるかぎりサインはしない、とコミッショナーが頑強な態度を崩さないのだという。私は批難したり怒鳴ったりする元気もなく、またですか、と呟いただけで黙ってしまった。やはり、また、なのだ。
しかし、気を取り直し、どうしてふたりがそれほど険悪な仲になってしまったのかを糺《ただ》した。崔によれば、国会議員でもあったそのコミッショナーが、権力をかさに崔の世界チャンピオンを奪い取ったため、それを暴露し、裁判に訴えたところ、次の議員選挙で彼が落選してしまったのだという。それ以来、ことあるごとに喧嘩を売り買いする仲になってしまった。私は暗い気持になった。そんなコミッショナーを相手にどうしたらサインが貰えるというのだ。
私が弱音を吐くと、崔は過剰なほど威勢よく言った。心配するな、柳は国民的英雄だ。その柳が引退してプロモートする試合を、私《し》怨《えん》のために妨害したとあれば、コミッショナーといえども無傷ではいられない。暴露するぞと脅かしてでも、サインをさせてみせる。そして崔は、これからまた交渉をしてくる、と言って席を立った。
結果を待つため、私はホテルに一泊せざるをえなくなった。だが、話し合いは不調に終ったらしい。タ方、崔から部屋に電話があった。これから記者会見をするので一緒に出席してくれないか、名目は柳への合同インタヴューということだが、そこで自分はコミッショナーの横暴を告発するつもりだ、と言う。何やらわけのわからぬ争いの渦に巻き込まれてしまったらしい。コミッショナーにはコミッショナーの言い分があるに違いないが、許可証にサインしてくれないコミッショナーは今の私にとっては敵ということになる。崔に加担するのもいたしかたないことだと思えた。
七時に崔の使いが迎えにきた。会場の料理屋へ着くと、柳はすでに来ていて記者が来るのを待っていた。崔に耳打ちされると、柳は私の手を両手で握って曖昧に笑った。柳は小さく貧相に見えた。記者が入ってくるたびに握手を求めていたが、その姿は哀《かな》しいくらいに卑屈だった。私たちはこの男を追いつめるために一年も苦労してきたのか……。そう思うと、深い徒労感に襲われた。
それは会見というより、ただの宴会にすぎなかった。十二の誌紙からやってきた十二人のボクシング担当記者は、テーブルの料理を食べるばかりで、柳へのインタヴューに熱意を示そうとしない。
酒と料理があらかた消えたところで、崔が演説を始めた。コミッショナーの批判をしているらしい。それが一段落すると、話は朴と内藤の決定戦へと移っていった。記者のひとりから、内藤についての質問が私に向けて出されたが、それもお座なりのものだった。記者たちは早く帰りたがっているように見えた。崔がひとつ冗談を言い、全員がそれに合わせて笑うと、お開きになった。帰りがけに、崔は記者の全員に封筒を手渡し、彼らもそれを当然のように受け取った。
記者がいなくなると、崔は私に言った。こうなればコミッショナーが辞めるまで徹底的に喧嘩する、コミッショナーが辞めたら自分もボクシング界から出ていってもよい。崔は意地になっているようだった。崔自身も、自分のように強情な男を韓国ではオーキというのだ、と笑った。そして、こう付け加えた。今晩もう一度だけ柳がコミッショナーに直談判する。それでも駄目な場合は最後の手段に訴える……。
翌朝、崔がホテルの部屋を訪ねてきた。話し合いはつかず、交渉はついに決裂したという。これで八月四日にできる可能性はまったくなくなった。日本に戻って内藤になんと説明したらいいだろう。私が茫然としていると、崔はいよいよ最後の手段だと息まいた。大統領秘書官に会い、訴えるというのだ。崔は紙袋から私がアドバンスとして払った四十万の日本円を取り出し、これを持って会いに行くつもりだと言った。この試合が実現すれば、百六十万もの日本円、つまり外貨を獲得できるのに、コミッショナーの私怨によって、国策の第一の目標である外貨獲得のチャンスが失なわれようとしている。そう訴えるのだという。
その程度のことでこの難しい局面が打開できるのだろうか。私が疑問を投げかけると、崔も急に自信がなくなったらしく、こう言った。もしそれでもうまくいかなかったら、ソウルは諦《あきら》めて東京でやろう。損得はもうどうでもいい。損をしてでもこの試合はやってみせる。数日中に結果はわかるだろうが、金のことはうるさくいわないから、八月末頃に日本でできる準備をしておいてくれないか。
私は韓国のコミッショナーを説得できないかぎり、日本での開催も不可能だと思っていた。朴の海外での試合を認可するのも、最終的には韓国のコミッションだったからだ。しかし、私たちにはそこに望みをつなぐよりほかに途《みち》がなかった。私はできるだけのことはすると約束し、そちらも頑張ってくださいといって崔と別れた。
日本に帰った私は、即座に試合の準備にとりかかった。やはりできはしないのだと諦めかかる自分をなだめすかしながら、興行のイロハから学びはじめた。会場費、ファイトマネー、印刷代、人件費といった諸経費がどのくらいかかるものか。たとえば後楽園ホールなら席がいくつできるか。どのような金額のチケットを何枚ずつ作るか。それをどのくらい売れば採算がとれるか。私は興行を打つということにのめり込んでいった。
祭り好きの友人の協力を得たこともあったが、損をしない程度には切符を売りさばけるメドが立った。会場は野口に頼んで、八月二十八日の後楽園ホールを仮りに押さえてもらった。テレビ局への交渉は金子に委ね、準備はほぼ整った。その状態のまま、私たちは崔からの連絡を待った。だが、ついにホールを借りるかどうかの正式の返事をしなければならない日がやってきた。私は無駄にするのを覚悟の上で、借りておくことにした。
その日の午後、そろそろ返事をしに出かけようかと思っていると、電話のベルが鳴った。受話器を取り上げると、崔が怒鳴るように言った。
「八月二十二日!」
「…………」
「ソウルの文化体育館で八月二十二日」
「…………」
「やっとできるぞ」
「………本当ですか」
私は信じていなかった。
「本当だよ」
「……間違いないんですか」
「間違いないよ!」
崔は苛立たしそうに叫んだ。私がなおも黙っていると、崔は疲れ果てたような口調で言った。
「サインをもらったんだ。たった今、あのコミッショナーから」
ソウルで正式に契約書を取り交わしてからも、また何か起こるのではないかという不安があった。しかし、恐れていたような出来事は何ひとつ起こらず、怖いくらいに平穏のまま、一日一日と八月二十二日の試合の日が近づいてきた。心のどこかで、今度も延期になるのではないかと思っていた私たちは、試合までの日数が二週間を切り、韓国のコミッションから公式の招請状が届くにいたって、ようやく緊張するようになった。不安と真夏の暑さとで、どうしても身が入らなかった内藤の練習にも、やっと真剣味が加わってきた。
試合まで八日と迫った。
内藤は、この日から、センタースポーツ所属のウェルター級の新人と、三日間の予定でスパーリングをすることになっていた。この朴戦に向けて、もっと早くからスパーリングをする必要があったのだが、どうしてもパートナーが見つからなかった。ようやく見つかった時は試合の間際になっており、しかもウェルター級だったが、まったくスパーリングをしないで実戦に臨むことに比べれば、どんな相手でもありがたいと思わなくてはならなかった。技術的な練習は不要だが、リング上での動きの勘は呼び醒ましておかなくてはならない。
スパーリングが開始されると、すぐにその若いパートナーがかなりの力を持っていることがわかった。野口によれば、日本六位の、ウェルター級では有望視されている新人だという。だが、内藤は、その日本六位を軽くあしらった。ストレートはダッキングでよけ、フックはスウェー・バックでかわす。逆に、軽くパンチを放っても、パートナーの腰が落ちかかる。しかし、その動きに鈴木を相手にスパーリングをしていた頃の眼を見張らせるような鋭さはなくなっている。ほんの僅かだがスピードが鈍っている。パンチをかわすタイミングも、何十分の一秒かずつ遅くなっているようなのだ。夜の仕事が明らかに内藤のボクシングを蝕《むしば》んでいた。
そのスパーリングの様子を、私はよほど険しい表情で見つめていたらしい。エディが近づき、肩を叩いた。
「怖い顔してるね、どうしたの。ジュンのこと?」
私は慌てて表情を和らげ、首を振った。
しばらくして、エディが、内藤の動きを眼で追っている私に言った。
「あんた、知ってますか」
私はエディに顔を向けた。
「ジュンね、十九日まで仕事をするらしいよ」
「まさか……」
「ほんとよ。だから、あんたに言うてほしいのよ。早く休み取らないといけないよ、そう言うてほしいのよ。僕が言っても、駄目なの」
エディはなかば諦めたような口調で言った。
試合は八月二十二日、私たちがソウルへ出発するのは二日前の八月二十日ということになっていた。十九日まで仕事に出るということは、出発の日の朝まで働きつづけるということを意味する。せっかく道が開けてきたというのに、なんという無謀なことをするつもりなのだろう……。
私が朴とのマッチメークに必死になっているうちに、最も肝心なところに穴があいていたのだ。それに気がつかなかった自分の迂《う》闊《かつ》さを呪《のろ》いたくなった。いや、まったく気がついていなかったわけではない。何度も試合が延期されるにしたがって、内藤が、経済的な部分だけではなく、肉体的にも精神的にも追いつめられていったことは、私もうすうす感じ取っていた。集中し、拡散し、また集中しなくてはならない。それを繰り返しているうちに、いつか集中することができなくなってしまうのではないか。そんな不安がないわけではなかったが、今の内藤は昔とは違うのだと思うことで、その不安から眼をそらせてきた。しかし、ソウルへ出発する日の朝まで働くということの中には、明らかに朴との試合を投げはじめた危険な徴候があった。
スパーリングが終り、サンドバッグとロープ・スキッピングと柔軟体操が終ると、内藤は秤《はかり》にのった。背後から覗《のぞ》き込むと、七十三キロと読めた。ミドル級のリミットは七十二・五七キロだ。
「これならオーケー。二、三日で落とせるよ」
振り向いて内藤が言った。どうかな、と私は思った。夜の仕事をするようになってから、体重が落ちにくくなっていたからだ。
その時、スパーリング・パートナーの若者が大きな声で挨拶し、玄関から出ていこうとした。内藤は慌てて秤をおり、若者を呼び止めた。
「明日は何時からやってくれる?」
「六時頃がいいんですけど……」
若者が遠慮がちに言った。
「五時にしてくれないかな」
内藤が言った。そのやりとりを聞きつけて、サンドバッグの前で村田にコーチをしていたエディが叫んだ。
「五時半にして。そうだないと、僕、見れないよ」
すると、内藤がきつい調子で叫び返した。
「駄目だよ、エディさん。五時じゃないと、俺が困るんだ」
エディはびっくりしたように眼を見張り、痙攣《けいれん》的な仕草で何度も奥歯を噛《か》みしめていたが、やがて黙ったままくるりと後を向いてしまった。パートナーの若者は仕方なさそうに、五時に来ますと言って帰っていった。
私は、窓にタオルを干しはじめた内藤に小声で言った。
「どうしてエディさんの言うようにしてあげないんだ」
「だって、五時でも遅いくらいなんだ」
「どうして」
「店のマネージャーが夏休みをとって田舎に帰るんだ。そいつのかわりに俺が店の鍵《かぎ》を開けなきゃならないの。いつもは九時だけど、明日からは七時までに行かないと社長に怒られる」
七時までに店のある本牧《ほんもく》へ行くためには、確かに五時でも遅いくらいだろう。エディに見てもらえないのは困ったことだが、それもしようがない。私は諦めた。
ジムからの帰りに、内藤を喫茶店に誘った。エディはまだジムに残っていたいようだったので、利朗と二人でイソップに寄った。
十九日まで働くというのは本当なのか。注文したコーヒーも出てこないうちから、私は詰問するような口調で訊ねていた。内藤は力なく頷いた。
「休めないのかい?」
「そうなんだ」
「全然?」
「うん……」
「それで勝てると思う?」
「……平気さ」
虚勢を張っているが、不安の色は隠せなかった。
「二十日の朝までディスコで働いて、その日のうちにソウルへ行って、それで二十二日の試合に勝てると思うかい」
「…………」
「せっかく一年以上も懸命に努力してきたのに、ここにきて……」
私が言いかけると、内藤がそれをさえぎった。
「しようがないよ。仕事を休めばやめさせられるんだ」
「俺がその社長という人に頼みにいってもいい」
「駄目さ。うちの社長はそんなに甘くないんだ」
私がかつて耳にしたことがないほど挑戦的な口調だった。
「うちの店には休みがないんだよ。休めば給料から引かれるだけ。一時間遅刻すれば一日分の給料が引かれるし、二時間遅れると二日はタダ働きしなけりゃいけないんだ。半端じゃないのさ」
「…………」
「それに、社長に睨《にら》まれたら、この世界で働けなくなるから、ちゃんとやっておきたいんだよ」
内藤が呟くように言った。いいではないか、そんな世界に戻らなくても。そう言いかけて、私は口をつぐんだ。勝てばいい。しかし、負ければその次の日から職を探さなければならないのだ。たとえどれほど苛酷な条件の職場でも、三十万もの月給をくれるところが、他の世界にあるとは思えなかった。だが、退路を用意し、中途半端なまま闘えば、きっと悔いを残すに違いない。それに、この試合には、三十万の職よりはるかに大きなものが賭かっているはずだった。
私は是が非でも内藤を説得しようと思った。それが自分にできる最後のことのような気がしたからだ。
「賭ける時は、賭けなければいけないと思うんだ」
「…………」
「俺には今がその時のような気がするんだよ。両天秤《りょうてんびん》にかけていると、どっちもうまくいかなくなる」
「でも……生まれてくる子供に、腹を空かせるわけにはいかないよ」
「勝てばいい」
「負けたらどうしようって、そればかりが頭にくるんだ」
「だから、勝つのさ」
「…………」
内藤は視線をおとした。
「この試合に勝てば、次からはオプションもないし、それこそビッグマネーを取れるようになる」
私は崔に払う金の見返りとして、金子から興行権をひとつもらえることになっていた。はじめはその権利を行使するつもりなどなかったが、最近になって考えが変わった。実際に自分の手で興行を打ってもいいな、と思うようになった。大した利益は出ないかもしれないが、それをエディと内藤の退職金の一部として積み立てておこうと考えたからだ。
「悔いを残さないようにしろよ」
内藤がテーブルから眼を上げた。私はその機を逃さず、畳みかけるように言った。
「せめて五日前には休みを取るようにしろよ。明日から休ませてもらえよ」
内藤は視線を宙に泳がせて、真剣に考えはじめた。ここが岐路だ、と私は思った。どちらの道を選ぶかで、内藤のこれからの人生は決してしまうかもしれないのだ。突然、内藤の眼に強い光が宿り、彼もついに賭けたのかなと私が喜びかけた瞬間、ふっと光が弱まった。そして内藤は言った。
「無理だよ。やっぱり、無理」
「というと、出発の日の朝まで働くわけか……」
内藤は頷いた。私は言葉もなく、ただ椅子の背にもたれかかった。
「でも、大丈夫だよ。心配しないで。二十一日ゆっくり休めばオーケーさ。だって、店の仕事といったって、入口に立って……」
内藤の弁解じみた言葉を聞きながら、やはり駄目だったかという空しい気持で私は天井を見上げていた。そこには、チャンスに最後のつめができず、どうしても相手を倒せなかった昔の内藤がいるようだった。
喫茶店の前で内藤と別れた。内藤は選んだのだ。あとはその中で最善を尽くすほかはない。しかし、そうは思うのだが、内藤の後姿を見送っているうちに、どうにもやり切れなくなって、思わず私は呻《うめ》いてしまった。
「いったい、あいつは……」
すると、傍にたたずんでいた利朗が、独り言のようにいった。
「でも、負けていちばん辛いのは内藤さんなんだ」
私は不意に頬を張られたような気がして利朗を見た。
二日目のスパーリングもさほど悪くはなかった。ただ、相手につられ内藤も激しく動いたため、第三ラウンドに入って急にスピードが鈍ってしまったことが、私には気がかりだった。
エディは五時半に来るといっていたが、電話で今日は休むと連絡してきた。不思議に思ったが、内藤のスパーリングが見られないのでは行くだけ無駄と考えたのだろう、と判断した。
三日目のスパーリングの時だった。
内藤がバンデージを巻いているところに、エディがやって来た。内藤には声もかけず、私を眼で促すと、事務室に入っていった。私が中に入ると、戸を閉め、いきなり言った。
「僕、韓国いかないね」
「…………!」
「あんたたちだけで行って」
「何を冗談いってるんです、エディさん」
「冗談だないよ。僕、韓国いきたくないよ」
エディが苛立たしそうに叫んだ。冗談にしては真剣すぎた。
「どうしたんです?」
私は事務室にいる金子に訊ねた。
「内藤に腹を立ててるらしいんだ」
「そう、会長はわかってますね。おととい、僕、会長に言うたの。もう内藤のトレーナーやめます」
「やめる? トレーナーを?」
私は声を上げた。
「そう、やめます。僕にもプライドがあります。プライド壊されたよ」
「内藤にですか? どういうことなんです、エディさん」
エディがたどたどしく説明したところによると、内藤が練習時間の件で自分の命令をきかなかったことが、どうしても許せないらしいのだ。
「どうして三十分待たれないの。僕、五時半ゆうたでしょ。でも、内藤いやだと言ったね。あんたも聞きましたね。言うことがきかれないでトレーナーはできないよ。心と心がつながらないでやってられないよ」
たったそれだけのことで、どうしてトレーナーをやめ、韓国へ行くのをやめなくてはならないのか。どうしてこの一年余りの日々を無にしなくてはならないのか。私は怒りを覚えるより、むしろ物悲しかった。内藤を復活させるという夢を中心にして集まった私たちが、かりにどんな淡いものでつながっていたにしても、それが僅か三十分という時間の差によって崩れてしまうほどもろいものだったとは思いたくなかった。私たち、いや私はおいてもいい。少なくとも、内藤とエディの絆《きずな》が、たったひとつの命令をきくかきかないかによって切れてしまうほど弱いものだったとは、思いたくなかった。
たったそれだけのことで、どうしてこれまで育《はぐく》んできた夢を打ち砕かなくてはならないのか。その思いが再びこみあげてきた時、不意に三カ月前の出来事が甦《よみがえ》ってきた。金子がマッチメーカーの情報に動揺し、私が毎日のように説得を続けていた頃のことだ。
事務室で私たちが何度目かの話し合いをしているところに、エディが割り込んでこようとした。話が混乱するのを恐れた私は、少し待ってくださいと言った。金子も同じ気持だったらしく、あとでと言った。すると、エディが激しく怒り出したのだ。ジムの中を歩き廻りながら、大声で私を罵《ののし》った。自分を仲間はずれにし、だまそうとしている。ふざけないでよ、馬鹿にしないでよ……。私は堪まらない気持になった。内藤とエディと私とで力を合わせるからこそできると思っていたことだったが、エディが私を信じられないというなら、この計画をこれ以上おしすすめていくことはできない。やめましょう。すべてなかったことにしましょう。私も激昂し、大きな声を出した。その時は金子がなだめ役に廻ってくれ、危ういところで決裂するのは回避されたのだ。あとで私があやまりにいくと、エディは、どうしてあやまるの、あんたが正しかったよ、と言って笑ってくれた。それ以来、私とエディの親密さは増したが、同時に、私はエディの外見に似ない傷つきやすい老人の心に対して用心深くなった。
だが、今度は、それを内藤が傷つけてしまったらしいのだ。
私は内藤の代りにエディに弁明をした。
「あの日はどうしても早く店に行く必要があったんです。言葉が足りなかったかもしれないけど、事情はわかってやってください」
しかし、エディは頑《かたくな》な表情を崩そうとしなかった。
「……やっぱり、やめます」
「内藤はどうなるんです」
「ジュンの権利、みんなあんたにあげます」
私は情なかった。そんなものがほしければ、とうに手に入れてるだろう。エディに少しでもよくなってほしいからと、内藤と私とで懸命に獲得してきたものではないか。わかりました。エディさんがそういう気持なら、あとは私たちだけでやってみせます。そう啖《たん》呵《か》を切りたかった。しかし、エディが韓国に来なくて困るのは、やはり内藤なのだ。エディの力はどうしても借りなくてはならない。
「エディさん、聞いてくれますか」
私はあらたまった口調で言った。自分はこれまでエディさんに頼み事をしたことがない。その頼み事をこれからひとつだけさせてもらいたい。なんという押しつけがましい頼み方だ、とわれながら嫌悪感を覚えたが、その思いをねじ伏せ、さらに言葉を継いだ。どうか私と一緒に韓国へ行っていただきたい、お願いします。私がそう言うと、エディは戸惑った表情になった。
「でもね、みんな、あのこと見てたよ。英次郎も見てた、みんな見てた。僕にもプライドがあるね」
「どうしたらエディさんは納得してくれます?」
私はエディに訊ねた。
「……あのボーイがあやまったら……いいですよ。あんたのために行きますよ」
「それなら内藤をあやまらせます」
「…………」
「とにかく明日まで待ってください」
リングではスパーリングが始まっていた。しかし、エディは見向きもしない。内藤にはその理由がわからないため、動きながら盛んにエディを気にしていた。
スパーリングが終り、内藤はサンドバッグを叩きはじめた。私はその傍に寄り、エディが腹を立てていることを伝え、すぐあやまってくるよう勧めた。ところが、エディの腹立ちの理由を知ると、逆に内藤が怒り出した。エディが仕事を大切にしろと言ったのに、仕事を大切にして文句を言われる筋合いはないはずだ、というのである。説得には時間がかかりそうだった。私は諦め、帰りに話をすることにした。
内藤はここ数日、店に遅れないようにと、横浜から下北沢まで友人の車で往き来するようになっていた。練習が終ったあとで、私と内藤はその車の前に立って話を続けた。
「たとえ君にどういう理由があれ、あの時の言い方は乱暴すぎた。もっと説明すべきだったんだよ。ただ五時と言うだけでなくね」
私が言うと、内藤は昂然とした調子で言い返してきた。
「クビになるかならないかの瀬戸際なんだ、しようがないよ」
「だから、それはいい。しかしね、みんなの前で自尊心を傷つけられたトレーナーの身にもなってあげろというのさ」
「トレーナーといったって、昨日は来ないし、今日だって見ようとしなかったじゃないか」
「君があやまらない限り見ないというんだ」
「そんなつもりなら、見てくれなくていい」
そうだな、と私も相槌を打ちそうになった。
「でも、あやまらないかぎり、ソウルヘも行ってくれないぞ」
「いいさ、来てくれなくたって……」
そう言うと、内藤は急に感情が激してきたらしく、金子や野口やエディを罵りはじめた。
「会長は会長で選手の俺にビザを取らせようとするし、野口さんは野口さんで、打てばそんなにむきになるなといい、打たないともっと打てというし、どうしろっていうんだい。エディさんだってそうだ……」
私は内藤に好きなだけ罵らせたあとで言った。
「人を責めるなよ。問題は単純なのさ。エディさんにソウルヘ来てもらうことは損か得か、それだけさ。来てもらえなくて損をするのは君なんだろ? 来てもらいたかったら、あやまるんだ」
「ああ、もう厭になるな、こんなこと。俺は投げたくなったよ!」
内藤が叫ぶように言った。
「……投げろよ」
「…………!」
「ただ、その結果はすべて君に返ってくるだけだ」
私の言葉に、内藤の表情が険しくなった。一瞬、私たちは睨み合うかたちになった。だが、先に眼をそらしたのは内藤だった。
「……試合だからって、俺が休んでもいいように店の子をスタンバイさせると、すぐ延期になるんだ。延期、延期、延期。店のみんなに迷惑をかけて、仏の顔も三度っていうけど、今度がその三度目なんだ」
それが、何度も試合が延びたことに対する、私への精一杯のあてつけだったのだろう。だが、ボクサーにとって試合の延期がどれほど辛いものかを考えれば、内藤はもっとはっきり私を責めることもできたはずだった。私には、責めないでいてくれる内藤の優しさがありがたかった。しかし、私はとりわけ冷たく内藤に言った。
「とにかくエディさんにあやまるんだ。理由を説明するだけでいい。そうすれば納得してくれる」
「…………」
「君は自分のことばかり言っているけれど、少しはエディさんのことも思いやってやれよ。この一年、とにかく一緒にやってきてくれたんだ。それに対して、君はこれまで何ひとつ酬いることができなかった。あやまるくらいのことをしてあげてもいいだろう。あの人には……もう、そんなに先があるわけじゃないんだ」
「そうさ、あの人の時代は終ったんだよ」
ハッとするほど激しい調子だった。私は内藤の顔を見た。そこに憎悪が浮かんでいないことだけが救いだった。
「とにかく、あやまるんだ」
「……うん」
「わかったな」
「……わかった」
しかし、それは力ない返事だった。
ついにひび割れてしまったな、と思った。私たちがのっていた薄い氷に亀裂が走り、いままさに粉々に砕けようとしている。私にはその音が聞こえてくるような気がした。
八月十八日の午後、内藤は最後の練習をした。
エディとは一応の和解ができていた。どこかぎこちなさは残っていたが、エディはいつものようにラウンド数の指示を与え、内藤もその指示通りに動いた。しかし、そこには、試合直前のジムにいつでも漂っていた、鋭くはりつめた空気が消え失《う》せていた。
シャドー・ボクシングをしている内藤の体から、激しく汗が滴り落ちる。それを見て、エディが私に言った。
「あんなに汗が出るはずないよ。出して、また夜になって入れてるのね。そうに違いないよ。駄目なボーイ……」
エディの声には、憤りと諦めがないまぜになったような悲しげな響きがあった。その時、私は、数日前の内藤に対するエディの怒りが、単にプライドを傷つけられたから、というのではなかったことを理解した。エディは絶望したのだ。夜の仕事に崩れていく内藤の肉体に絶望したのだ。恐らくエディは、自分の最後の夢が朽ちていくのを見たくなかったのだ……。
私はソファに坐り、リングの向こうの窓の外をぼんやり眺めていた。不意に眼の前を赤い電車がよぎり、一瞬にして通り過ぎると、そこには一年前と同じただ暑いだけの夏の午後があった。
第十二章 激しい雨
何度も眼が醒《さ》めた。そのたびに六時になっていないことを確かめ、また瞼《まぶた》を閉じた。五度目か六度目に眼が醒めた時、少し早いが起きることにした。時計の針は六時二十分前をさしていた。部屋のカーテンを開けると、薄曇りのはっきりしない天候だった。
私鉄から地下鉄に乗り換え、京橋で降りた。地上に出ると、ほとんど人影もなく、あまり車も通らない。タクシーを止めるのに時間がかかった。
「箱崎」
ようやく通りかかった空車に乗り込み、行先を告げると、運転手は黙ってメーターを倒した。
私たちは箱崎のターミナルで七時半に待ち合わせていた。内藤とエディと利朗と私の四人だった。金子と野口は審判の吉田と共に試合の前日に来ることになっていた。
私がちょうど七時半にターミナルに着くと、入口の近くにエディと利朗が立って待っていた。
「ハーイ」
とエディが声をかけてきた。メッシュの靴、淡いクリーム色のスラックス、鮮やかなプリント柄のシャツ。エディはあいかわらず洒落《しゃれ》た格好をしていた。
「内藤は?」
私が訊《たず》ねると、ふたりは同時に首を振った。
「予想通りの集合順だね」
きっと一番だったに違いない利朗が笑いながら言った。確かに内藤が早く来るはずはなかったが、しかし今日くらいはいつもと違うかもしれないという淡い期待が、私にまったくなかったわけではない。せめて全員が時間通りに集まり、気持よく出発できたらそれだけでずいぶん救われるのだが、と思っていた。
十分待っても内藤は来なかった。十五分になって、私は内藤の家に電話をしてみることにした。何時に出たか確かめるついでに、ひとこと裕見子に心配するなと言っておいてあげたかった。だが、電話には誰も出なかった。あるいは、まだ実家にいるのかもしれない。
電話を諦《あきら》め、待ち合わせの場所に戻ると、内藤が寝起きのいつもの不機嫌そうな顔で立っていた。私は何も言わず、三人をせきたて日本航空のカウンターで搭乗《とうじょう》手続を済ませた。時間があまりなかった。すぐにエスカレーターに乗り、空港行きのバスの発着所に向かった。
本来なら明かるい希望に満ちた旅であってもいいはずなのに、私たちはなぜかみな沈みこみ、黙りこくっていた。
バスは混《こ》んでいた。二人掛けの座席に私とエディが坐り、そのすぐ後に内藤と利朗が坐った。バスが走りはじめると、エディはバッグから本を取り出し、読んでみろと勧めた。韓国に墓があるというエディの祖父の事《じ》蹟《せき》を記した本のようだった。それを手にした瞬間、試合が終ったらみんなで墓参りをしようなどと語り合っていた日々が、恐ろしく遠い昔のことだったような気がしてきた。
本を広げたままぼんやりしていると、背後から内藤と利朗の話し声が聞こえてきた。話といっても、内藤が一方的に喋《しゃべ》り、利朗は相《あい》槌《づち》を打つだけだ。寝起きから少し時間がたち、内藤に持ち前の陽気さが戻ってきたようだった。私は聞くともなしに聞いていた。
「……コンディションは上々さ。あとはガッツとスタミナだけ」
「問題はそこじゃないの」
利朗が笑いを含んだ声で、珍らしく相手の痛いところをついた。
「うん、まあそうだけど、コンディションが悪くないんだから、それも心配ないと思うよ」
私はひとり苦笑した。それがそれほど簡単なことなら、いまごろ内藤は世界チャンピオンになっているだろう。
「そうだといいんだけど」
利朗が軽く受けると、内藤は急に真面目な口調になって言った。
「でもね、昨日、ディスコの社長と話し合ったんだよ。その時、社長はさ、こう言ったんだ。勝つにこしたことはないけど、お前の人生にとっては、この試合は負けた方がいいかもしれないって。その時は何を言ってるんだと思ったけど、いま考えると、案外そうかもしれないっていう気がするんだ」
この期に及んで、まだこのような逃げ道を用意している。私は本を閉じ、溜息《ためいき》をついた。
九時十分前に成田に着いた。ソウル行きの便に搭乗中という表示は出ていたが、エディが朝食をとりたがったので、空港内のサンドイッチ屋に入った。
「僕ね、朝食が一番たのしみなのね」
そう言いながら、アメリカン・スタイルのかなりの量の朝食を綺《き》麗《れい》にたいらげた。私と利朗はジュースを呑み、内藤はコーヒーを二杯呑んだ。ウエートが気にかかったが、内藤の好きに任せた。
飛行機に乗り込んでからも、エディはよく食べ、よく呑んだ。前の席に坐っていた乗客が、テレビか雑誌かでエディの顔を見知っていたらしく、昂奮《こうふん》した面持ちで話しかけてきた。盛んにボクシングやボクサーについて質問し、エディの答を興味深そうに聞いていた。そんな些《さ》細《さい》なことがエディには嬉しかったらしく、スコッチの水割りを何杯も呑んでは、機内食も綺麗に片付けてしまった。
窓際にぽつんと坐っていた内藤も、ローストビーフからプディングまで、ひとかけらも残さず食ベ、ジュース二杯、コーヒー二杯を呑んで、まだ足りなそうな顔をしていた。
「あれで体重、大丈夫なんだろうか」
私の隣に坐り、機内食にほとんど手をつけなかった利朗が、心配そうに呟《つぶや》いた。
ソウルには正午に着いた。
空港のロビーは出迎えの人でごった返していた。その人混みをくぐり抜け、ターミナルビルの外に出ると、韓国の夏の、強烈な太陽が照りつけてきた。私たちはその日差しに射すくめられたように足を止め、意味もなく空を見上げた。とにかくこれから、この国で、この国の人々と闘わなくてはならないのだ……。
タクシーで市内に向かった。
「ずいぶん変わったなあ」
窓の外を眺めていた内藤がしみじみとした調子で言った。
「とても綺麗になった」
内藤が最後にソウルを訪れたのは六年以上も前のことだ。とすれば、内藤がここ数年の韓国の急激な変化に驚くのも無理ないことといえた。
ホテルは、ソウルの最高級ホテルであるロッテホテルが、崔の手で予約されているはずだった。
タクシーがホテルに横づけされると、エディが声を上げた。
「素晴らしいね。こんなホテル、東洋だったら、もったいないね」
私はエディが喜んでくれたのが嬉しかった。これも崔と激しい駆引きをしたあげく、やっと勝ちとった条件だったからだ。東洋戦の宿舎といえば、二流か、せいぜいよくて一流のホテルが普通である。それを、最高級ホテルにしてくれと譲らなかったのは、せめて宿舎だけでも世界戦並にして、内藤やエディの気分を昂揚させたかったからなのだ。
チェック・インを済ませ、それぞれの部屋でひとやすみしていると、崔が私の部屋を訪ねてきた。八千ドルの残金を請求にきたのだ。金のやりとりが終り、領収書へのサインもしてもらい、すべてが片付いた。
「……疲れましたね」
私が言うと、崔も頷《うなず》いた。
「疲れたよ。時間を使って、金を使って、いったい何のためにやるかわからんよ」
「ほんとですね」
私は苦笑した。
「でもいいよ。私は今度のことで、絶対あとにはひかない男というので、ソウル中に知られるようになった」
それはよかった。私は皮肉ではなくそう思った。私は、怒鳴り合いながら、しかし共にこの悪戦を切り抜けようと苦闘しているうちに、崔に対して友情に似た奇妙な感情を抱くようになっていた。彼の意固地な闘い振りが、したたかな商売人という第一印象をいつの間にか消し去っていた。
金の件が片付いたことで安心したらしく、崔は口が軽くなった。いろいろ喋ったあげく、この試合の予想まで披露してくれた。長引けば内藤の判定勝ち、早ければ朴のノックアウト勝ちだろうという。その時、私はまだ朴の戦績を聞いていなかったことに気がついた。訊ねると、崔はわざとつまらなそうに答えた。
「九戦、九勝、九KOさ」
夕方、私たちは韓国のコミッション事務局を訪れた。表敬訪問などという気の利いたものでなく、ただ秤《はかり》を借りるためだけに行ったのだ。内藤は試合の日まで何度か体重を計る必要があったが、ホテルにはプールに備えつけてある簡便なヘルスメーターしかなかった。
崔の部下に案内してもらい、退渓路《テゲロ》という広い通りに面したビルの階段を昇っていくと、三階に小ぢんまりとした事務所があった。そこでは四人ほどの職員がのんびり仕事をしていた。話はついていたらしく、ひとりが秤を引き出してくると、内藤に裸になれと促した。私は崔の部下に見せたくなかったので、応接間を借りてそこで計らせてもらおうとした。しかし、エディがここでかまわないと言い張った。そして、内藤に、あんたがちゃんとしてないからいけないの、と言った。
みんなの見守る中を内藤は裸になり、秤の上にのった。一キロ以上もオーバーしていた。崔の部下だけでなく、事務局の職員も驚いたようだった。
内藤は努めて平静に、大丈夫、大したことはない、と言いつづけていたが、一歩外に出ると私に小声で言った。
「これはエディさんのミスだよね」
相手方にウエートを知らせてしまったことを言っていたのだろう。私も同感だったが、相槌は打たなかった。
夕食はホテルの地下のイタリア料理屋でとった。
私の前の椅子に、エディと隣り合わせに坐った内藤を見て、事務局で計量した時よりひとまわり小さくなっているのに気がついた。ロープを持ってきたと言っていたから、あるいは部屋で跳んだのかもしれない。
「減らしたみたいだな」
私が言うと、内藤はゆるくなった指輪を回して見せた。
「この回り具合なら、七十二・五キロくらいかな。たぶん、リミットを切ってるよ」
「すごいじゃないか」
「それはプロだからね。減量に失敗したことはないんだ……」
そう言いかけて、内藤は私の視線に気がついたらしく、慌てて付け加えた。
「あの、釜山の時を除いてはね」
内藤の夕食は、エディが選んだ野菜スープとサラダだけだった。そのサラダにたっぷりマヨネーズがかかっているのを見ると、これでまた太っちゃうじゃないの、と内藤はエディに不満を述べた。
翌日の午後、金子と野口と審判の吉田の三人が東京からやって来た。
夕方の計量にはこの三人も付いて行くという。事務局まで全員で歩いて行くことにしたが、内藤はゾロゾロみっともないと眉をひそめた。
私と内藤はみんなより少し先を歩いた。ソウルの繁華街である明洞《ミョンドン》を抜け、高速道路下にかかっている歩道橋を渡っていると、その端に幼い子供を抱いた女の物乞いが坐っているのが眼に入ってきた。私は足を早めるようにして通り過ぎたが、内藤はジーンズのポケットから小銭を取り出し、さりげなくアルミニュームの容器に投げ入れた。
事務局のあるビルに着き、階段を昇ろうとすると、みんなも一緒に昇ってくるのに気がつき、内藤が言った。
「みっともないよ。こんな大勢でするほどのもんじゃないよ」
「わかった。それなら、俺が下に残ってる」
私はそう言って、舗道のガードレールの上に腰を下ろした。内藤は、一瞬、来てくれないのかといった表情を浮かべたが、すぐ頷いて階段を駆け上がっていった。
十五分ほどして、不愉快そうな顔をした内藤が、先頭で駆け降りてきた。
「いくらあった?」
私が訊ねると、ぶっきら棒に答えた。
「二ポンド、アンダー」
それだけ言うと、ひとりで足早やに歩き去ろうとした。その背中に声をかけた。
「夕食はどうするんだ」
「ひとりで食べるよ、今日の夜は」
そこにエディが降りてきた。
「ジュン! ジュン!」
しかし、内藤は振り向きもせず、どんどん遠ざかっていった。エディは肩をすくめ、私に疲れたような笑いを向けた。
「十年、あのボーイと、こんなことしてきたの」
しかし、エディのその顔には、ただこの十年だけではなく、五十年に及ぶボクシング生活の、疲労のすべてが滲《にじ》み出ているようだった。私はエディを正視できず、眼を伏せた。
夜、私は町でマッカリを呑んだ。ホテルに戻ってからはウィスキーを呑んだ。どうにでもなれ、といった荒《すさ》んだ気分になっていた。どうにでもなるがいい……。しかし、このような気持のまま、明日という日を迎えなければならないのかと思うと、やりきれなくなった。
迷った末、やはり内藤と話しておこうと思った。酔いを醒まし、顔のほてりを消してから、内藤の部屋を訪ねた。
十時を過ぎていた。眠っているかもしれないと思い、扉に耳をあてて部屋の中の音を聞いた。テレビからのものらしい音楽が聞こえてくる。
ノックをすると、すぐに内藤が扉を開けにきた。サーモンピンクのトレーニング・ウェアーを部屋着にしていた。
「起きてた?」
私はそう言いながら部屋に入り、窓際のソファに坐った。
「眠れないよ、そんなに早くは」
ベッドに仰向けに寝転びながら内藤が言った。いままでその姿勢でテレビを見ていたらしい。テレビでは古いアメリカの映画を英語でやっていた。
「わかる?」
私が訊ねると、内藤が微《かす》かに口元をほころばせた。
「まあね。……でも、よく見てなかったから」
ひとりで、ベッドに横たわり、見るともなくテレビをつけておきながら、ぼんやり考えごとでもしていたのだろう。部屋の灯《あか》りはベッドサイドのランプひとつしかついていなかった。このような朦朧《もうろう》とした光の中にひとりでいては、気分も滅入《めい》ってくるに違いなかった。
「少し明かるくするぞ」
私は机の上のスタンドをつけた。いくらか明かるくなった。
「気分はどうだい」
内藤を引き立てるつもりで軽く言った。
「上々だよ」
「ほんとに?」
「うん、悪くない」
別に私を安心させようとして無理をしているわけでもなさそうだった。内藤は天井に視線をやったままで言った。
「ひとりでずっといたら、だんだん気分が落ち着いてきたんだ」
「それならよかった。さっきは、荒れているようなんで、少し心配したけど」
「さっき?」
「計量のあとさ」
「ああ、あれね。つまらないことさ。俺が秤に乗っているのに、会長は椅子にふんぞり返って、韓国の人に見させているんだよ。それが、韓国のコミッションに払うライセンス料の話になったら、すっと……。よそう。今はもう、そんなことどうでもいい気分になってるんだから」
「……ひとりでいたのが、よかったわけか」
「そうみたい。ひとりで食事してたら、崔さんが来て、どうしてひとりなんだって、びっくりしてたけどね」
私はソファの背に深くもたれ、頭のうしろに両手を組み、足をテーブルに投げ出して、窓の外を眺めた。夜の街に薄く靄《もや》がかかっている。街路の水銀灯がその中で青白く冷たい光を放っている。厚い窓ガラスで音が遮断《しゃだん》されているため、外は静まり返っているように感じられる。私たちは無言のまましばらくじっとしていた。
「エディさんがね」
と内藤が口を開いた。
「これが終ったら、俺と離れたいって。……さっき会ったら、そう言ってた」
感情のこもらない乾いた声だった。私は窓の外を眺めたまま、黙って微かに頷いた。
「エディさん、きっと俺が負けると思ってるんだろうね」
「…………」
私には答えようがなかった。大事な試合を明日に控えて、そのように絶望的な台詞《せりふ》を吐かなければならなかったエディが哀《かな》しく、それを聞かなければならなかった内藤がまた哀れだった。
私が自分の思いの中に入っていると、突然、内藤が思いがけない明かるさで言った。
「結局、俺たちはふたりでやってきたんだからね。エディさんがどうでも、かまわないよね」
「……かまわないよ」
私は呟くように言った。
「ふたりの夢だったんだからね」
内藤が繰り返した。私は冷えびえとしていた自分の心が柔らかく融《と》けていくように感じられた。それが、私に対する、内藤のねぎらいの言葉だということがわかったからだ。
私は内藤に言った。
「そうさ。だから、エディさんのことはもう気にするな」
「気にしないさ」
「それならいい。要するに、勝てばいいんだから」
「…………」
内藤は黙り込んだ。私はひとつだけ言っておこうと思った。
「ディスコの社長がどう言ったかは知らないけれど、負けた方がいいなんていうことは、絶対にない。少なくとも、俺はそう思わない。やっぱり、勝つべきなんだ。それしかないんだよ」
無言のままだった内藤が、静かに喋りはじめた。
「うちのやつはこういうんだよね。どんな結果になってもかまわない。心残りがなければ、勝っても負けてもいいって」
心残り、か。私は口の中で呟いた。確かにそうかもしれない。周りの者は、今はもう、心残りのないように闘ってほしいと祈ることくらいしかできないのかもしれない。しかし……。
「俺もそう思うんだよね」
と内藤が言った。しかし、とまた私は思った。やはり、それでも勝たなくてはならないのだ。私は道化た口調で言った。
「でも、勝つのさ」
すると、内藤も笑いながら言った。
「そうだね」
「そうさ」
「俺……どうしても、チャンピオンになりたいんだ。もう一度だけ。世界でも、東洋でも、日本でもいいから」
「日本でもいい?」
「何でもいいんだ」
「何でもいい?」
「うん。子供が生まれる前にチャンピオンになりたいんだ。生まれてくる子は男の子に決まっているから、チャンピオンの子で生まれてこさせてやりたいんだ」
「…………」
私は何も言えず、また顔を窓に向けた。どうしてこの男に、最高の状態の時に試合をさせてやれなかったのだろう……。無言のまま五分もそうしていただろうか。私はソファから立ち上がり、ベッドに横になっている内藤に軽く手をあげた。
「じゃあな」
扉のノブに手をかけた時、ひとつ言い忘れたことがあるのを思い出した。
「これが最後なんだ。明日はエディさんに優しくしてあげろよ」
私が言うと、内藤も素直に応えた。
「うん、そうするよ」
扉を閉め、廊下を歩きはじめた時、ふと、私の言った「最後」という言葉を、内藤がどう受け取ったかが気になった。
朝が来た。
公式の計量の場所もコミッション事務局だった。九時から計量が行なわれたが、大勢いくのはいやがるだろうと思い、私は階下の路上で待っていた。内藤はすぐに降りてきた。その顔色で、問題なく通過したことがわかった。
「いくらあった?」
私が訊ねると、内藤は満足そうな表情で答えた。
「七十一・八」
「朴はどうだった?」
「七十二・三」
それはリミットに近いということだ。あるいは減量にかなり苦労したのかもしれない。
私たちがタクシーを拾ってホテルに帰ろうとすると、そこに柳済斗がやってきた。内藤の顔を見ると、なつかしそうに歩み寄り、手を取った。そして、カタコトの日本語を交えて言った。
「チャンピオン、チャンピオン。内藤、チャンピオン。朴、ノースピード、ノーテクニック、パンチすこしね。内藤、がんばって、ね、ね」
自分の気持がうまく伝えられないのがもどかしそうだった。柳にも内藤に対する独特な思いがあるらしく、好意が体中にあふれていた。引退する今となっては、若い朴より、古い敵である内藤に親愛の情を覚えるようだった。
「ありがとう」
内藤も手を握り返し、眼を見つめて言った。柳は私の手も握った。ありがとう、と私も言った。
タクシーの中で、内藤の表情は明かるかった。
「柳、ずいぶんやさしい顔になっちゃったね。ボクシングをやめたら、人のよさそうな顔になっちゃった」
「そうだね。……ところで、朴はどんなだった?」
「ぎりぎりまで減量してたよ。眼のくぼみ方でわかるんだけど、あれはひどいよ、相当」
「そんなに?」
「計量が終ると、すぐに朝鮮人参の液をゴクゴクって、すごい勢いで呑んだもんね。俺がいなくなるのも待てないくらいだったんだね」
タクシーは、道が一方通行ということで、ホテルの反対側で私たちを降ろした。そこからホテルまで、私たちは大廻りをして歩かねばならなかったが、途中で一度、内藤は立ち止まり、空に向かって大きく伸びをすると、信じられないような台詞を吐いた。
「なんて気持のいい朝なんだろう」
ホテルに戻り、全員でバイキング形式の朝食をとった。内藤はオレンジジュースをたてつづけに三杯呑み、私がグレープフルーツジュースを呑んでいると、俺もそれを呑もうといってさらに二杯呑んだ。卵料理も三種類食ベ、ハム、ベーコン、ソーセージもすべてたいらげた。
エディが金子と共に席を離れると、内藤はかたわらの野口に話しかけた。
「野口さん、エディさんがタオルを入れそうになっても止めてね」
「…………」
試合でセコンドにつくことになっている野口は私の顔を見た。私が頷くと、野口はわかったと答えた。
「俺、最後までやるから。ね、頼んだよ」
内藤はきっぱりとした口調でそう言った。
昼食は二時からだった。この最後の食事は、内藤とエディと利朗と私の四人でとることになった。私は三人に電話し、エレベーターの前で待ち合わせた。四人が揃《そろ》い、下りのボタンを押した。その時、私はエレベーターが四基あるのに気がついた。
「百ウォン、賭《か》けた!」
そう言って私が一基の前に立つと、三人もどれが早くくるかの賭けだということを理解し、それぞれ思い思いのエレベーターの前に立った。
十秒ほどして、内藤と利朗が立っている二基のエレベーターの扉上のランプがほとんど同時に点滅しはじめた。思わず、内藤のエレベーターの扉が一秒でも先に開くようにと願った。それは私だけでなく、エディも利朗さえもそう思っているらしいことが、気配でわかった。思いつきの賭けが、ただの遊びでは済まなくなってしまった。私たちは息を呑んで待った。と、ゆっくり開いたのは、内藤のエレベーターではないか。私たちは声を合わせて笑った。
「これで内藤さんの勝ちだね」
利朗が言った。
「そうね、勝つね」
エディが言った。
私たちは一階のコーヒー・ショップで軽い食事をとった。内藤はオニオンスープを呑み、サラダを食べただけだった。私たちは、四人、久し振りに愉しく無駄口を叩きながら時をすごした。
五時半になった。
私は内藤の部屋に行った。内藤はパンツひとつになり、ジーンズからトレーニング・ウェアーに着替えているところだった。驚いたことに、パンツから靴下まで、すべてサーモンピンクに染め上げられている。ガウンとして用いるヨットパーカーの色に、すべて合わせてしまったのだ。私にはその稚《おさな》さがほほえましかった。
内藤は着替えを済ますと、私の方を向いて言った。
「……いつかが来たね」
これが本当に私たちの望んだいつかなのだろうか。ふとそう思いかけたが、すぐその考えを頭から払いのけた。これがいつかなのだ。これ以外にいつかなどやって来るはずがない。私は頷き、ガウンをハンガーに通し、それを右手に持った。
廊下では全員が準備を完了して待っていた。エディはセコンド用の黒いバッグを持ち、野口はホテルで用意してもらった氷と水の入ったバケツを下げ、利朗はカメラのつまった茶色のバッグを肩にかけていた。
金子と吉田はすでに試合場に行っているはずだった。私たちはタクシーに乗り、試合場の文化体育館に向かった。
文化体育館は坂の上にあった。入口の前でタクシーを降りると、切符のもぎりをしていた若者がすぐ控室に案内してくれた。まだ前座試合のためか、薄暗い階段や廊下では観客が食べたり呑んだりしている。その間をすり抜けるようにして歩く若者を、私たちも急ぎ足で追った。観客が私たちへ好奇の眼《まな》差《ざ》しを向けてくる。彼らが日本の観客とまったく変わらぬということが、かえって不気味に感じられる。
控室は雑然としたただの更衣室にすぎなかった。しかも個室ではなく大部屋だった。内藤がその他大勢のひとりとして扱われていることに不満を覚えたが、個室が朴だけだということを知って納得した。これが日本でも、同じことをするに違いないからだ。
その部屋は空気がこもり、暑かった。私たちはそこから木の机を運び出し、人の来ない階段の踊り場に即席の控室を作った。そこは静かで広く、なにより涼しかった。
机の周辺にそれぞれの荷物を置き、前座試合がもう少し消化されるのを待った。内藤はいつものように会場に入り込み、椅子に坐って前座試合を見物した。会場にはよく客が入っていた。二階にはいくらか空席があったが、後楽園ホールの二倍以上の客が席を埋めていた。三試合前になると、内藤は階段の踊り場に戻り、トレーニング・ウェアーを脱いだ。ノーファール・カップをつけ、その上からトランクスをはく。白いボクシングシューズをはき終ると、野口がヒモをテープで止めた。
内藤は軽く体を動かしはじめた。私たちはほとんど喋らなかった。シャドー・ボクシングの、拳《こぶし》が空気を切る音と、ボクシングシューズが床をこする音が、はっきり聞こえてくる。
私はなぜかそれを見つづけていることができず、窓ガラスを開け、外に首を突き出すようにして、夜の街を眺めていた。来る時には明かるかった空も、今はすっかり暗くなってしまっている。高層のビルが立ち並んでいる一角だけが、それ自体ひとつの巨大な灯りででもあるかのように、闇の中できらめいている。
しばらくそうしていると、その横の窓に、内藤が同じように首を突き出して、並んだ。別にもう話すことはなかった。
闇の音を聞いているのか、自分自身の思いの中に入っているのか、それとも何者かに向かって祈っているのか、内藤は頭を垂れ、眼を閉じていた。
セミファイナルが始まった。朴側の立会人を前にして、エディがバンデージを巻く。ちょうど巻き終ったところで、セミファイナルに出場したフィリピンのボクサーが、ノックアウト負けを喫して戻ってきた。
王座決定戦に先立ち、柳済斗の引退式が行なわれた。白いスーツを着た柳がリングに上がると、場内から盛大な拍手が湧《わ》き起こった。リングアナウンサーがファンや報道関係者から送られた金や記念品の目録を読み上げる。そして、柳には、菊の花で飾られた豪華な花環がいくつも首にかけられた。
やがて、引退のテン・カウントのゴングが、静かに、時間をかけて打ち鳴らされた。柳は息子らしい三、四歳の少年を抱き上げ、うつむいてその十点鐘に聞き入っていた。
試合前のあらゆるプログラムが消化された。
音楽が流れ、係員が合図を送ってきた。私たちは野口を先頭に青コーナーに向かって歩き出した。朴も赤コーナーに向かって歩いているところだった。
内藤は、朴がリングに上がるのを待ち、それを見届けてからゆっくり階段を上がっていった。
朴と内藤がそれぞれガウンを脱いだ。内藤が裸になった瞬間、観客のあいだから微かに声が洩れた。それは日本でも常に聞かれる、内藤の肉体に対する、素朴な驚きの声だった。
しかし、むしろ私は朴の裸に強い衝撃を受けていた。初めて見る朴の体はミドル級としては小さかった。身長は内藤より五、六センチは低い。だが、上体の厚さでは決して内藤に劣っていなかった。柳を小形にし、さらに圧縮したような、たくましい上半身を持っていた。しかし、とりわけ私が驚かされたのは、その皮膚の艶《つや》だった。朝の内藤の話では、かなり苦しい減量をしていたはずなのに、いまテレビ用のライトに照らされている朴の肌は、艶やかに輝き、活力がみなぎっているようだった。
私はかつて帝拳の長野ハルから聞いたことのある話を思い出していた。減量苦のないチャンピオンといわれた大場政夫も、死の直前の数試合はやはり減量に苦しむようになっていたという。それは、試合当日の朝には、手が老婆のように皺《しわ》だらけになってしまうほど凄《すさ》まじいものだった。ところが、計量が終り、帰りにスッポンの血を呑み、食事をし、数時間眠ると、見違えるような肌になって起きてくる。若いということはこういうことなのか、と長野はいつも感動しつつ大場を見ていたというのだ。
朴はその時の大場よりさらに若い十九歳だった。僅か半日足らずで苛酷な減量から立ち直る若い肉体を持っていた……。
双方にグローブが配られる。つける時、異物が握り込まれないように、監視のための人を出す。朴のコーナーへは私が行った。グローブをはめている時も、朴は気持がはやるらしく、肩が上下した。
私たちがリングの下に降りると、ニュートラル・コーナーで待機していた柳が、ふたりに激励の握手をしてまわった。その時、何を思ったか、柳は自分の首から花《はな》環《わ》をはずすと、それを朴にではなく、内藤の首にかけたのだった……。
レフェリーがふたりをリングの中央に呼び寄せ、注意を与えた。それも簡単に終り、ふたりはそれぞれのコーナーに戻った。内藤はロープを掴《つか》み、一度、二度と膝の屈伸をした。その時、私と視線が合った。微かに笑い、頷いたようだった。私も小さく頷いた。内藤はいつになく落ち着いているように見えた。
ゴングが鳴った。
内藤は上体を軽く動かしながら、ゆっくりと前に出ていった。鋭い眼つきで朴の顔を見つめ、僅かに右へ廻りながら、右のジャブを出した。当てるというより、相手の動きを誘うようなパンチだった。
一発、二発、三発……内藤は軽くジャブを出しつづけた。朴は、そのたびに、大きくステップ・バックしてよけた。緊張しているためにどうしても動作が大きくなってしまうようだった。
朴は紺のトランクスをはいていた。女性のように白く滑らかな肌を持った朴が、黒い肌の内藤と向かい合うと、一層その肌の白さが際立った。朴はオーソドックスに構え、上眼づかいに内藤を睨《にら》みつけていた。柳の言っていた通り、足を使って激しく動き廻るというタイプのボクサーではなさそうだった。
内藤がまた右のジャブを出した。いくらか早いパンチだ。朴はビクッと体を震わせ、慌てて頭を沈めた。
静かなすべり出しだった。朴はまだ一発のパンチも出していない。
内藤が同じようなスピードでまた右のジャブを出した。その瞬間、朴が右のフックを振り回した。凄まじいパンチだった。内藤は小気味よいスウェー・バックでかわしたが、その荒荒しさに度肝を抜かれたような表情を浮かべた。力が入りすぎたために、タイミングが狂ってしまったが、顔面にヒットしていたら、内藤はその場に立っていられなかっただろう。
大戸といい、羽草といい、この朴といい、右に凄まじい一発を秘めた相手とばかり闘わなくてはならないことが不思議だった。朴が大戸や羽草と異なるとすれば、彼はふたりよりはるかに若く、だからパンチのスピードがあるということだ。しかも、荒削りな分だけパンチのコンビネーションの予測が立ちにくい。
だが、内藤は落ち着きを失なわなかった。少し距離をつめ、左にフェイントをかけ、右で軽くストレートを放つと、それは朴の顔面に綺《き》麗《れい》にヒットした。朴はそれによって昂奮《こうふん》してしまったらしく、強引にまた右のフックを振り回した。内藤は僅かに上体をそらすだけで、そのパンチをよけた。朴は勢い余って体勢が崩れ、二、三歩よろめいた。
観客から不安の吐息が洩れた。
内藤は朴が体勢を立て直すのを待ち、攻撃をしかけてくるのを待った。しかし、朴は内藤に圧倒され、どうしていいかわからないでいるようだった。小刻みに上体を動かしているだけでパンチが出ない。その様子を見て取ると、内藤は右でおとりのジャブを放ち、すぐに左のストレートを伸ばした。さらに、右でフックを放ち、左も返した。それらのパンチはことごとく朴の顔面を鮮やかにとらえた。観客はどよめいた。朴の白い肌に赤味がさした。ダメージはそれほどでもないにしても、朴に与えた心理的な影響は測り知れないものがあるはずだった。
朴の手数はますます少なくなり、たまに振り回すフックも、さらに荒くなった。内藤はそのフックを後と横への変化で見事にかわしつづけた。
右手を少し前に出し、左手を胸に引きつけた独特のスタイルをとっている内藤の姿からは、朴を圧する威厳のようなものが感じられた。黒い皮膚はいつも以上に美しく輝いていた。内藤の体は、これまで私が見てきたどんなヘビー級と比ベても、決して見劣りしなかった。腕の太さ、胸の厚さ、下半身のしなやかさ。すべてに均整のとれた内藤の体は、最もすぐれたヘビー級の黒人ボクサーを、ほんの少し小さくしただけのようだった。構えているだけで、相手を圧倒する迫力があった。
私は内藤の華麗なダッキングやスウェー・バックを見ているうちに、いつしかこの試合をニューオリンズの一戦と重ね合わせていた。年老いた美しいボクサーと若いエネルギッシュなボクサー。年老いたボクサーは、彼の持っている技術のすべてを駆使して、若いボクサーの突進をはばもうとした。もしこの試合がその時と同じ経過を辿《たど》るとすれば、内藤は判定で逃げ切れることになるのだ……。
内藤はじりじりと間合いをつめた。その緊張に耐えられず、朴はまた、左から右とフックを振り回した。しかし、それを簡単にはずされると、勢い余って前のめりになり、さらに内藤に体をかわされると、キャンバスに横転した。
「スリップ・ダウン!」
リングアナウンサーが必死に叫んだ。
内藤は朴が起き上がるのを待ち、右のジャブを繰り出し、一拍おいてから、右の強烈なボディ・ブローを放った。内藤が最も頼みとする右のボディ・ブローを初めて出したのだ。朴は懸命に左腕でブロックすると、左からの連打を恐れ、内藤の腰に抱きつくようにして、クリンチをした。
内藤は揉《も》み合いを嫌い、朴を突き放した。
再びファイティング・ポーズをとった内藤の体が、急に大きく見えはじめた。
その時、第一ラウンド終了のゴングが鳴った。くるりと振り向いてコーナーに戻ってきた内藤の顔には、はっきりと柔らかい笑みが浮かんでいた。
コーナーの椅子に坐り、ロープに両肘《ひじ》をかけている内藤に、エディがタオルでその肩を拭きながら言った。
「右ね、右、右に気をつけて。それだけよ」
内藤はひとことずつに丁寧に頷き返した。自信に満ちた様子だった。
第二ラウンドに入っても、内藤の優勢は変わらなかった。
朴は警戒し、なかなか打って出ようとしない。不意に内藤は両手をダラリと下げ、朴を誘ったが、それでも出てこない。内藤がフェイントをかけると、怯《おび》えたように大きく後に退《さ》がった。
内藤のぺースで試合が運ばれていた。右のジャブから左のストレート、さらに右から左のボディ・ブロー。僅かに腕でカバーされたが、一発、重い右のボディ・ブローが朴の脇腹に叩き込まれた。
内藤は自分の調子が本物であることを知ったようだった。
だが、内藤がいきなりジャブを当て、さらに軽やかに前に出ようとした時、朴の右がほとんど偶然といった感じで内藤の顔面にヒットした。内藤は、初めて喰《くら》ったパンチに少したじろいだようだったが、それをものともしないということを示すために、さらに前進した。そして、左、右、左とコンビネーション・ブローを放った。
その時、朴の右フックが、ストリート・ファイターのパンチのような荒々しさで、内藤のボディに叩きつけられてきた。内藤は辛うじて左腕でブロックした。しかし、それまで自分のぺースで冷静な試合運びをしていた内藤が、その強引なパンチにカッと頭に血をのぼらせてしまったらしく、魅入られたように自らその荒々しさの中に飛び込んでいってしまったのだ。
内藤は左から右と強引に打って出た。そして、左のストレートを朴の鼻柱に叩きつけようとした瞬間、朴が右のフックを放った。相打ちだったが、ロープ際に吹き飛ばされたのは内藤だった。
場内に初めて上がった喚声を背に、朴は内藤に追いすがり、左右のフックを激しく連打した。内藤もボディ・ブローで応戦したが、朴のがむしゃらなパンチに打ち負けた。内藤は凄まじい形相になると、朴を突き放した。そして、僅かに距離をとると、右に一歩踏み出し、渾身《こんしん》の力をこめて右のアッパーを放った。その瞬間、朴はそれに合わせるように左でフックを放った。内藤のアッパーは朴の顎《あご》に、朴のフックは内藤の頬に、ふたつの血の色をしたグローブは一直線に向かっていった。二本の腕が激しく交錯し、私たちの眼に、内藤のアッパーが朴の顔前をかすめ、天井に向かって流れたのがはっきりと映った時、朴のフックが内藤の頬に吸い込まれるように入っていった。カウンターとなったそのパンチは完璧《かんぺき》に頬を打ち抜いた。内藤の顔はその衝撃で大きくひねられ、天井を向いたまま仰向けになって倒れていった。
倒れた瞬間、内藤の後頭部は激しい音を立ててキャンバスに叩きつけられた。
場内は、一瞬、静まり、それからどっと喚声が湧き起こった。レフェリーがカウントをとりはじめた。
私は口の中で、立て、と叫んだ。立たせてほしい、と願った。私に信じる神などいないが、内藤の神に祈ってもいい……。
一度、内藤は首をもたげようとしたが、あまりにも激しく頭をぶつけたため、体が一本の棒のように硬直してしまい、どうしても言うことがきかないようだった。
……セブン、エイト、ナイン、テン。私はレフェリーの声をはっきりと聞いた。レフェリーが両手を大きく交差すると、リング上の朴は跳び上がり、私の前にいたエディはくるりと後を向いて眼を閉じた。
野口がリングに跳び込んだ。私はエディの肩を叩き、リングに駆け上がった。同時に、コミッション・ドクターもリングに上がり、倒れている内藤の瞳孔《どうこう》を調べた。異常はないようだった。
私は右の、エディは左のグローブをはずしにかかった。力をこめて脱がせると、内藤が眼を開けてこちらを見た。私は、何も言うなというつもりで、ただ頷いた。
ドクターはもう少しそっとしておけというような仕草を示したが、私とエディはかまわず抱え起し、肩にかついでリングからおろした。韓国の観衆の前に長くその姿を曝《さら》しておきたくなかった。内藤の体の冷たい汗が、私のシャツに沁《し》み込んできた。
更衣室に入り、硬い木のベンチの上に坐らせた。観客が中に入り込み、押し合いながら内藤の姿を見物している。私と野口は彼らを押し出し、戸を閉めた。内藤はしばらくぼんやりしていたが、やがて私を見上げ、呟くように言った。
「リングに上がって……初めて、足が震えなかったのに……生まれて初めて、怖くなかったのに……」
私は胸を衝かれ、黙ってひとりその部屋を出た。
会場では、リング上で行なわれていた朴の勝利のセレモニーも終り、観客はいまだに昂奮しているような面持ちで出口に向かっていた。私は壁際に転がっていた椅子のひとつに腰を下ろし、茫然とその様子を眺めていた。
会場は、はやばやとアルバイトの若者たちの手によって後片付けが始められた。照明用のライトからひとつずつ灯《あか》りが落とされ、リングサイドの椅子が折り畳まれ、束ねられていく。私は頭の中をカラッポにして、ただその若者たちの動きを眼で追っていた。
ふと気がつくと、五、六歳の少年の手を引いた中年の男が、私の前に立っていた。そして、たどたどしい日本語で言った。
「しようがないよ」
この男は何が言いたいのか。私はぼんやり視線を向けた。
「しようがないよ」
男がまた言った。私は頷いた。この男が私を慰めてくれようとしているのが理解できたからだ。
「ナイトー、オールドマンね、しようがないよ」
私は笑って頷こうとしたが、うまく笑えなかった。
その親子が遠ざかっていくのを見送りながら、オールドマンか……と呟《つぶや》いた。確かに内藤はオールドマンかもしれなかった。だが彼がオールドマンなら、私もまたオールドマンということになる。ナイトー、オールドマンね、しようがないよ。胸の裡《うち》でそう繰り返した瞬間、不意に私たちの夏が終ってしまったことに気がついた。
後片付けをしていた若者のひとりが、私に韓国語で何か叫んだ。わからずそのまま黙って坐っていると、最後の灯がおとされ、場内は真っ暗になった。
すべては終った。
放心したような表情を浮かべている内藤とエディを車に乗せ、先にホテルに送り返すと、あとには私と利朗しか残らなくなった。金子も吉田も野口もすでに帰っていた。
体育館の内部の灯はすべて消され、その前の広場も薄暗かった。観客が立ち去りがたそうに、タクシーを待っている私たちを遠巻きにし、取り囲んでいた。自国の若いボクサーが鮮やかなノックアウトで勝利を収めた。その心地よい昂奮が、試合終了後一時間になろうというのに、彼らをまだ体育館の周辺でたむろさせていた。勝った朴は無数のトロフィーと共にすでに体育館をあとにしていた。私たちの様子をうかがいながら異国の言葉でかわされている観客の囁《ささや》きが、ざらりとする感触をともなって耳に届いてくる。しかし、内藤とエディが姿を消すと、もうそれ以上なにも見るものがないことを納得してか、ひとり、またひとりと坂の上の広場から夜の街に降りていった。
どのくらいたっただろう。人がすっかりいなくなると、坂の上は急に静まり返った。利朗はバッグを足元に置き、ポケットから煙草を取り出した。ライターの石のこすられる音が鋭く響き、赤く頼りなげな炎がゆらめいた。私は門柱の傍《そば》にある大きな石に腰をおろした。足を投げ出すと、疲労が靴の底から這《は》いあがってきた。利朗は深い吐息とともに煙をはいた。
待っていてもタクシーは来そうになかった。私は立ちあがり、ゆっくり歩きはじめた。利朗もバッグを肩にかけ、私に並んだ。私たちは無言だった。坂を下り、右に曲がれば繁華な通りに出ることはわかっていた。そこでなら確実にタクシーが拾える。しかし今の私には、その通りの光は少し眩《まぶ》しすぎるような気がした。
「歩くか」
私が言うと、利朗も頷《うなず》いた。道は知らなかったが、左に折れてどこまでも歩いていけば、ホテルのある一角に出そうだった。
道は暗かった。車もほとんど通らない。広壮な住宅や公共施設の長い塀《へい》だけが、えんえんと続いている。歩きながら、私はなぜか、街灯の光の届かない、闇のたまり場のような所に、何度も眼をひきつけられた。
「勝てると思ったのに……」
利朗が言った。私は黙っていた。あるいは、朴を軽くあしらった第一ラウンドが終り、内藤が微笑《ほほえ》みながら戻ってきた時、私もそんなふうに感じていたかもしれない。しかし、第二ラウンドに、朴が放ったカウンター一発で、すべてが終ってしまった。
「不運だったね」
利朗がまた言った。
「そう……かもしれない」
「事故みたいな一発だったね」
「いや」
私は強く否定した。利朗が驚いたように顔を向けた。
「そうじゃない。あれがボクシングなんだ。あれが力量なんだ。決して事故なんかじゃない」
私の激しい調子に、利朗は少したじろいだ。そして黙った。私には事故であってたまるかという思いがあった。もしあれが事故であったなら、私たちのこの一年はどうなるのか。宙ぶらりんのまま、なにひとつ結着のつかないまま、空しく霧散することになる。あれが力だったのだ。あれがボクシングだったのだ。私は必死にそう思い込もうとしていた。
試合中に俄雨《にわかあめ》でも降ったのだろうか、濡れた舗道が街灯の蒼《あお》ざめた光をはね返していた。
それにしても、と私は思い起こしていた。内藤が激しい音を立てて倒れ、レフェリーが十を数え、私たちがグローブをはずし、コーナーに連れ戻そうとして、ふと横を見ると、利朗が私のすぐ傍でシャッターを押していた。薄く白眼をむいて倒れている内藤の顔を、接写せんばかりに近づいて撮っていた。
リングに駆け上がったカメラマンは彼ひとりだった。韓国のカメラマンたちは、リングの下でおとなしくファインダーを覗《のぞ》いていた。他を押しのけても突進するなどということは、これまでの利朗には考えられないことだった。その利朗が、リングに駆け上がり、内藤の、いわば死顔を撮りまくった。いま、足をひきずるようにして歩きながら、私はそのことにあらためて驚かされていた。そして、職業的な冷静さでカメラを構えている彼の姿を見て、一瞬かすかな憤りを覚えたことも思い出した。だが、それが、その時が、利朗がプロのカメラマンとして対象に向かい合った、初めての瞬間だったのかもしれない。
「よく上がったな」
唐突な私の言葉に、利朗は意味を掴まえかねたようだった。
「リングにさ。よく上がった」
「ああ、うん、そう、自分でもよくわからないんだ。われにかえったらリングの上にいた。二台もカメラを抱えて、よくあんな高い所に上がれたよ。いつもなら下でモタモタしていただろうけど」
利朗はそう言って笑った。それはいつも通りの人のいい笑い顔だった。
この試合で死んでしまったものはいくつもある、と私は思った。内藤にも、エディにも、私にも、その内部で確実に死に絶えてしまったものがある。だが、たったひとつ生まれたものがあるとすれば、この利朗が職業的な冷酷さを身につけることで、ついに職業的なカメラマンになりえたということだったかもしれない。
風が吹いて、汗で濡れたシャツが肌に搦《から》みつくように触れてきた。
道が二股《ふたまた》に分かれていた。どちらを選んでも、行先に大した違いはなさそうだった。寺の塀らしい土の壁に沿って、うねうねと続いている右手の道を歩くことにした。道の片側に、一段高くなった細い歩道があり、よく見るとその歩道と塀の間のわずかな空間に人が坐っている。恋人同士らしいふたり連れだ。驚いたことに、それは一組や二組ではなかった。ほとんど一間おきに、何十組もの恋人たちが肩を寄せている。しかも、彼らは一様に通りに背を向け、土の壁に顔をつきあわすようにして坐っているのだ。外出禁止になる午前零時まで、彼らはじっとそうしているのかもしれない。
暗いとはいえ道端である。他《ほか》に行くところもない貧しい恋人たちが、河でもなく、森でもなく、人が通りすぎるその足元で、土の壁に向かって愛を囁《ささや》いている姿は、いささか哀れだった。
「可哀そうに」
利朗が言った。相槌《あいづち》を打とうとして利朗の顔を見ると、別に恋人たちを眺めての言葉ではなさそうだった。なにが、と言いかけて、それが内藤に向けられたものであることに気がついた。私は言った。
「そんなことはない」
「そうかな……」
「そうさ。とにかく彼は闘ったんだ」
「でも……」
「とにかく眼の前に敵はいたんだ。可哀そうなんてことはない」
利朗は納得していないようだったが、それ以上は反論してこなかった。そのかわりに、心配そうに呟いた。
「これからどうするんだろ」
「奴も……自分で決めるさ」
余計なお世話だという響きを含ませて、私は自分でも思いがけぬほど強い調子で言っていた。そのようなきつい物言いになったのは、私に向かってどうするか問われているような気がしたからだ。奴も自分で決めるさ。私は私自身に向かって、そう突っ放して言ってみたかった。
いくら内藤が望んだこととはいえ、彼もここまで歩いてくることになったのは、私という同行者がいたからに違いなかった。ここまで来てしまった以上、内藤はもう後へは戻れない。自分に幻想を抱いて、その幻想を支えにして生きていくことはできなくなった。とすれば、私もまた何事もなかったように前と同じ世界に戻っていくことなどできはしないのだ……。
ふと、何をそんなに粋がってるんだ、という声がどこからか聞こえてくるような気がした。何をそんなに、と。
私はひとりで苦笑し、足を早めた。寺の裏の闇だまりを抜けると、突然、賑《にぎ》やかな通りに出た。大きな交差点があり、ロータリーの向こうに私たちの泊まっているホテルが見えた。
通りのあちこちに、バスやタクシーを待って帰宅を急ぐ人びとの群れができていた。時計を見ると、外出禁止の時間が迫っていた。どんなに華やかそうに装っても、この街が一種の戦時下にあり、一瞬のうちに非常戒厳令がしかれる国の首都であるということは、午前零時になれば顕《あき》らかになる。やがてここも無人の通りになる。人も車も通らぬ死の街になる。街灯だけが寂しく路面を照らし、いっさいの音が消えるのだ。
私はホテルに続く横断地下道の階段を降りながら、深夜、その死の街に出てみたいという欲望が、体の奥深い所から湧き起こるのを感じていた。そうだ、今夜ひとりでその死の街を走ってみよう、と狂暴な気分になりながら思った。
「走るか」
私が呟くと、利朗が怪《け》訝《げん》そうに振り向いた。
リア
港の傍《そば》に建つ古めかしい造りのホテルが見えてきた。腕時計に眼をやると、約束の時間までは三十分以上もあった。私はホテルの少し手前の交差点でタクシーを降り、道路と海にはさまれて細長く広がっている公園に入っていった。そこでぶらぶらしながら時間をつぶそうと思ったのだ。
土曜の昼下りということもあったのだろうか、公園の中にはかなりの人出があった。私は、海沿いの、コンクリートで舗装された散歩道をゆっくり歩いた。いかにも弱々しげな秋の陽を受け、海の水は意外なほど綺《き》麗《れい》だった。もちろん澄んでいるとはお世辞にもいえないが、立ち止まり、手すりから身を乗り出すようにして覗《のぞ》き込むと、一応は底まで見通すことができる。かつて私がこの町の学校に通っていた頃、授業をサボってはこの公園で茫然と刻《とき》を過ごしていたのだが、その頃はこれ以上に海は汚れていたはずだ。木片やビニールやミカンの皮などが浮き、水もドロリと緑色に濁っていた。しかし、その汚なさが、その頃の私にはむしろ心を和ませてくれるような気がしたものだったが……。
海に向かって数メートルおきに並んでいる散歩道脇のベンチは、ほとんどが男女の二人連れに占拠されていた。黙って沖を眺めていたり、大きな声で笑っていたり、その様子はさまざまだったが、若いということだけは共通していた。だがその中でただひとつ、屋台のポップコーン売りのおばさんが携帯用の小型ラジオをつけっぱなしにして居眠りしている傍のべンチだけは、アベックが坐っていなかった。かわりに老人がひとり、ベンチの端に坐っていた。そこなら恋人同士の囁《ささや》き合いを邪魔することもないだろうと思い、私は老人と反対側の端に腰を下ろした。
港は静かだった。右手には、船の役目を放棄した観光のための船が繋留《けいりゅう》されており、左手の桟橋には、船の姿はなく、ただ倉庫が立ち並んでいる。動くものといえば、沖に碇泊《ていはく》している二隻の船のあいだに見え隠れするタグボートくらいだろうか。水もほとんど動かない。波はなく、微《かす》かなたゆたいがあるだけだ。ぼんやり水面に視線を向けていると、その気《け》怠《だる》いたゆたいに心が引き込まれそうになる。
その時、不意に黒いものが眼の前をよぎった。視線を向けると、十メートルほど離れたところに、散歩道から海に突き出すようなかたちで半円の遊びの空間があり、そこに何十羽ものハトが群れていた。まるでカラスのように、薄汚れて黒くなっているドバトの群れだった。その中央に、ようやくひとりで歩けるようになったばかりといった年頃の男の子が、自分の頭ほどのポップコーンの袋を抱え、その中身をあたりにばらまいている姿があった。ハトは、コンクリートの上に散乱しているポップコーンをせわしない首の振り方でついばみ、喰い散らかしている。男の子はそれを見て、キャッキャと声を上げて喜んでいた。しかし、やがて、その袋の中身を狙ってハトが彼の肩や背中や頭に群がりはじめると、急に恐怖心が湧《わ》いてきたらしく、大声で叫びながら、近くで見守っていた父親の足にかじりついた。父親は笑いながら男の子を抱き上げ、群れの中に踏み入り、足を振り回してハトを追い散らそうとした。だが、ハトはそのような威嚇にはほとんど反応せず、少しだけ羽をバタバタとさせると、また平然と散乱したポップコーンをついばみはじめた。父親は苦笑し、男の子の耳元に何事か話しかけながら、そこから遠ざかっていった。
大方のハトは盛んにポップコーンをついばんでいたが、一羽だけ、父親が追い散らそうとした瞬間に逃げ出したハトがいて、それが私のベンチの前に舞い降り、うろうろしていた。首の周囲は玉虫色に光っているが、全体は暗灰色に汚れている。そして、仲間にいじめられでもしたのか、頭の毛がむしられハゲてしまっている。そのハトの落ち着きのない動きに眼をとめているうちに、しだいに不安がふくれあがってきた。
――あいつは、この一年、うまく切り抜けることができたのだろうか……。
これから久し振りに会うことになっている内藤が、果して現在どんな日々を送っているのか、私にはうまく思い描くことができなかった。いまはもう、彼は私の知っているカシアス内藤というボクサーではなく、内藤純一という、三十一歳のただの男にすぎなくなっているのだ。
去年の夏、私は内藤と共に韓国のソウルへ出かけた。そこで東洋の王座を賭《か》けた大事な試合をするためだった。しかし、その試合に敗れると、私は彼から意識的に遠ざかった。その夏に到るまでの、私たちの濃密で頻繁《ひんぱん》な往来を知っている者の中には、そのような私の態度が冷たいものと映ったようだった。だが、たとえどう思われようと、私は以前と同じような関《かか》わり方をするつもりはなかった。ある時期、ある目的のために、共に力をつくして生き切ったあとで、まだダラダラと結びついているというのは気持が悪かった。すべてが終った以上、あとはそれぞれの道を歩いていけばいい。それでふたりの関係が切れたというのではない。また何かあれば、再び会って、一緒に歩みはじめるかもしれない。だが、それまでは離れていた方がいい。必要ならば、偶然という名の必然が、また互いにふたりを呼び寄せてくれるだろう。私はそう思っていた。
それが今日、急に内藤と会うことになったのは、私が一週間前にラスベガスでヘビー級の元世界チャンピオンたちのうら哀《がな》しい姿を見たことが直接の原因だったかもしれない。レオン・スピンクス、フロイド・パターソン、ケン・ノートン……。とりわけホテルのバーで会ったケン・ノートンは、事業に失敗し、無一文になってしまったので、またリングに逆戻りしなくてはならない、と口元に自嘲《じちょう》的な笑みを浮かべて語っていた。
私は日本に帰り、少し心配になって、内藤のアパートに電話をした。平日の昼間だったが、思いがけず内藤が直接出てきた。水商売から昼間の力仕事にかわったと聞いていたが、いったいどうしたというのだろう。それが気にかかり、久し振りに会わないかと誘った。すると内藤も、久し振りにいいですねと答え、日時はいつでもかまわないと言った。その返事で心配は増した。水商売からかわったという仕事が、長つづきしなかったのだろうか……。だが、私はそれについては深く訊《たず》ねず、今度の土曜に昼飯でも喰おう、と約束して電話を切った。利朗に連絡すると、彼も来るという。そこで、私はみんなと一時にホテルのレストランで落ち合うことにしたのだ。
しかし、そう約束はしたものの、私の心のどこかに、あるいは内藤が荒《すさ》んだ生活をしているのではないか、という恐れがあったのかもしれない。その日から今日まで、私は妙に落ち着かない日々を過ごしていた……。
突然、どこからか女性の声がスピーカーに乗って流れてきた。どうやら右手の観光船の乗り場ちかくからのものらしい。港内一周の遊覧船の出航が間近に迫っているというのだ。一時出航予定の船にお乗りの方は急いで下さい、と何度も繰り返している。腕時計を見ると一時五分前になっている。私は腰を上げた。
重いガラスの扉を押し開け、私はホテルの中に入っていった。久しく来ないうちに、急に内部が狭くなってしまったような、奇妙な感じがした。
ケーキのケースが置かれているレストランの入口で、テーブルを見渡していると、若いウエーターが近づいてきた。
「おひとりでいらっしゃいますか?」
待ち合わせだと答えようとして、さらに視線を移していくと、窓際の隅の席で利朗が手を上げているのに気がついた。ウエーターがどこかの席に案内しようとするのを制し、そのテーブルに向かった。
「待った?」
私が前の椅子に坐りながら訊ねると、利朗はタバコを灰皿で揉《も》み消して、いや、と小さく呟《つぶや》いた。しかし、テーブルに冷たくなったコーヒーがカップに半分ほど残っているところを見ると、かなり前から来ていたようだった。
利朗と会うのも久し振りだった。仕事の調子を訊ねると、まあまあ、といつもと同じのんびりした口調で答えた。彼が雑誌などでポツポツとではあるが仕事をさせてもらっているらしいことは、送られてくる雑誌で知っていた。カシアス内藤を私と一緒に見守りつづけるという経験が、どこかでカメラマンとしての力を身につけさせることに役立っていたのだろう。
かつての利朗には、職業的なカメラマンとしては何かが欠けている、といったようなところがあった。あるいは、それはエディ・タウンゼントがカシアス内藤に対して感じつづけていた何かと同じものだったかもしれない。当然のことながら、プロとしての仕事はほとんどなかった。もちろん、だからこそ、発表するあてのないまま、ジムに通っては内藤を撮りつづけるというようなことが可能だったのだ。しかしある日、気がついてみると、彼は私たちのチームに欠くべからざる存在になっていた。利朗は、私たちと共にあっても、自ら喋《しゃべ》るということはほとんどなかったが、彼がいることでどれほど救われたかわからない。内藤と私、内藤とエディ、あるいはその三人が鋭い緊張関係に陥った時、彼の存在はひとつの風穴となって大爆発を防いでくれたものだった。私たちは常に彼をカメラマンとしてではなく、チームの仲間のひとりと考えていたが、いつの間にかカメラマンとして少しずつ成長していたらしい。ソウルでの試合に敗れ、「チーム」が散り散りになったあとで、気がつくと、利朗はカメラマンとして一人立ちをはじめていた。
「来たみたいだよ」
利朗の声で眼をやると、レストランの入口に、大きな体の内藤と、その腕につつみこまれるようにして抱かれている幼女の姿が見えた。内藤は私たちを認めると大股《おおまた》で歩み寄ってきた。その後にはゆっくりした足取りで近づいてくる裕見子もいる。内藤は私と視線が合うと、照れたような笑みを浮かべた。
私たちがそれまでいた窓際の席に、五人も坐るのは無理だったので、席を別のテーブルに移させてもらった。ウエーターのひとりが、素早く子供用の背の高い椅子を持ってきてくれた。内藤は自分と私との席のあいだにその椅子を置いてもらい、そこに幼女を坐らせた。見慣れない場所に連れてこられ、いくらか緊張しているらしく、幼女はキラキラした眼であたりを見ている。
大きくなったな、と私は思った。一年前に見た時より確実に大きくなっている。その時は生まれたばかりだったのだから、一年のあいだに成長し大きくなっているのは当然なのだが、ただの赤ん坊ではなく、ひとつの人格をもった存在として眼の前に坐っているということが驚くべきことのように感じられてならなかった。
ソウルでの試合が終ったあと、私はほとんど内藤と会うことはなかったが、それから三カ月後、一度だけ彼のアパートを訪ねたことがあった。子供が生まれたことを知り、お祝いを持っていったのだ。
子供は女の子だった。内藤は以前から男の子が生まれると固く信じていたので、あるいはがっかりしているのではないかと心配していた。試合の前夜、間もなく生まれてくる子はきっと男の子だろうから、どうしてもチャンピオンの子として生まれてこさせてやりたいんだ、と内藤が言うのを聞いたことがあったからだ。しかし、会うと、そんなことはすっかり忘れたように、生まれてきた子に満足していた。
部屋の中央にベビー・ベッドが据え置かれ、そこにようやく人間らしい顔形が整ってきたばかりの赤ん坊が寝かされていた。肌の色が浅黒かった。確実に内藤の血を引いているということのわかる色の黒さだった。しかし、産後でいくらか太り気味の裕見子は、それを気にかけるという様子もなく、むしろ誇らしげに言った。
「見て下さい、この子の手。私の手より、もう黒くなっちゃって」
内藤も、素朴な驚きを声に含ませ、それに続けた。
「不思議だね。生まれてきた時はけっこう白かったのに、だんだん黒くなっていくんだ」
「どっちに似てるんだろう」
私がどちらにともなく訊ねると、ふたりは同時に声を上げた。
「ジュン!」
「俺!」
私は笑いながら言った。
「そうかなあ……俺にはよくわからないけど」
「ジュンのお母さんが言ってたんだけど、やっぱりジュンの小さい頃にそっくりなんですって。特にこの眉のあたりが……」
赤ん坊はかすかに眉をひそめるようにして、不思議そうに私たちを見上げている。
「ヘえ……眉のあたりがね」
私が見比べると、内藤が自分も眉をひそめるような仕草をしてみせながら、言った。
「こんなふうにするところが、とても似てるんだって」
私は笑った。しかし、生まれて何カ月もたっていないのに、眉をひそめるという仕草を知ってしまっている女の子が、私には痛々しく感じられた。もちろん無意識のものなのだろうが、彼女の未来に、そのような仕草をする機会が多くなければよいが、と思わずにはいられなかった。
「名前はなんというの?」
私は話題を変えた。
「リア」
内藤が答えた。
「リア? どんな字を書くの?」
「まず、リカのリでしょ」
「梨花《りか》? 花の?」
「そうじゃなくて、リカ、勉強のさ」
「なるほど、理か。アは?」
「アジアとかいう時のア」
「亜ね。そうか、理亜か」
私がてのひらに指で字を書くと、その筆順を見ていた内藤が頷《うなず》いた。
「確かに綺麗な名前だけど、しかしずいぶん凝った名前をつけたな」
私はいくらか冷やかすような口調で言った。すると内藤はむしろ嬉しそうにこう応じた。
「リアっていうのはね、インドネシアでサチコっていう意味らしいんだ」
「サチコ? 幸せな子?」
「そう、幸子」
何年か前、内藤はインドネシアで暮らしていたことがある。その時、リアという名の響きを耳に留めることがあったのだろう。そして、その名の意味が幸子であるのを知って、さらに強く印象づけられたにちがいない。子供が生まれ、女の子だと知って、理亜と名づけた。自分の娘に幸子という名を与えようとした内藤の気持は、彼の母親が自分の息子に純一とつけた気持と、相通じるところがあったのかもしれない。
しかし、私が理亜の顔を見ていると、内藤が小さな声で呟いた。
「それに……理亜って、アリの逆なんだよね……」
その言葉に、私は強い衝撃を受けた。内藤が、それほど深くあの男の存在に搦《から》め捕られているらしいことが、私を辛い気分にさせた。内藤はまだカシアスという名を引きずっているのだろうか。だとすれば、あの、ソウルでの試合は、彼にとってどんな意味があったのだろう。結局、何ひとつ決着をつけられないまま終ってしまったということにならないか。
その日は、私は重い気持を抱いて、内藤と別れたのだった。それから約一年、私は内藤と会うことはなかった。
いま、私の隣に坐り、おとなしくしている理亜は、以前に比ベ、数倍も女の子らしくなっていた。一年ぶりの内藤も裕見子もほとんど変わりなかったが、理亜だけが際立って変化していた。
「大きくなったね」
私が言うと、裕見子が嬉しそうに応じた。
「ええ、平均よりもだいぶ大きいらしいんです」
そこにウエーターが注文を取りにきた。私たちは、簡単なコースになっている昼食のメニューから、それぞれカニコロッケとビーフシチューが主菜になっているものを選んだ。
料理を待つあいだ、私たちは理亜について話しつづけた。理亜がいることで、本来ならぎこちなくなる可能性のあった私たちの会話が、なめらかなものになった。
「こいつ、とっても面白いんだ。俺がいたずらを叱ったりするじゃない。そうすると、泣くかわりに、すぐお世辞笑いをするんだ」
内藤がそう言って、怒った顔を見せると、確かにリアは子供とも思えぬ複雑な笑いを浮かべた。困ったような、怒気をかわすような、しかし優しい笑顔だった。それを見て、私は初めて内藤に似ているな、と思った。
料理が運ばれ、ナイフとフォークを動かしはじめても、話は中断されなかった。しかし、私たちは陽気に喋りつづけながら、慎重にあの夏のことを話題にするのは避けていた。その話になれば、まだいくらかは血が流れそうだったからだ。いまでもそのくらいの生々しさは残っていた。
さりげなく、私が最も気になっていたことを訊ねた。
「仕事は、どうした?」
子供が生まれた直後に水商売から足を洗ったことは知っていた。祝いに行った時、子供が生まれてみると、健康保険もないような夜の仕事がいやになったのだ、と彼の口から聞かされた。ディスコをやめ、友人の実家がやっている建設業を手伝うことになったという。建設業とはいえ、仕事の内容は一種のトビで、数十メートルもの高さがあるハイウェイに、命綱をつけて防音壁を取りつけるといったようなことをするらしい。私が彼の選んだ仕事の意外さに、うまくやっていけそうなのかと訊ねると、社会保険が完備しているのでなんとか頑張るつもりだと言っていた。しかし、数日前に電話した時の様子では、どこか妙な工合になっているようだった。
「仕事は、今日は休んだのかい?」
私は言葉を重ねた。
「やめたんだ」
内藤の答えに、やはりと暗い気持になりかけたが、すぐ気を取り直して訊ねた。
「どうして」
「怖くなったのさ」
内藤は、驚くほど明かるい声で言った。
「怖くなった?」
その明かるさに引きずられるようにして、私も頓狂《とんきょう》な声を出していた。
彼が説明するところによればこういうことだった。内藤はこの一年、そのトビの仕事を真面目にやってきて、友人の親にも重用されるようになっていたが、最近になってその親と友人のあいだがうまくいかなくなり、友人が家を飛び出してしまったのだという。働き手の中心を失なって困ったその親は、内藤に責任者となってやってくれ、ゆくゆくはすべてを譲ってやるからとまで言ってくれたが、やはり断わった。必ずしも友人に義理を立てたというわけではなく、高い所にのぼり、命を張った仕事をするのが急に恐ろしくなったのだ、という。トビをしているうちに知り合った大工の親方が、うちに来ないかと勧めてくれたのも大きかった。その誘いをありがたく受け入れ、大工に弟子入りすることに決めたというのだ。
「今月いっぱいはゆっくり体をやすめて、来月から大工をやるつもりなんだ」
「大工か……」
「給料も前と同じだけくれるというし、手に職がつけば、いつか独立できるしね。その方が、こいつのためにもいいしね」
そう言って、内藤は理亜を見た。
「そういうことなのか……」
それならよかった、と私は思った。内藤が少しずつ現実的に、地道な方向に進んでいるらしいことが、嬉しかった。それも、すべては子供の誕生から発している。彼にとって、理亜が生まれたことは、極めて大きな意味を持っていたのだろう。私の横に坐っている内藤は、以前に比べいくらか太り、表情からとげとげしさが消え、すべてに充足しているようなゆったりした感じがあった。
テーブルに視線を戻すと、白いテーブル・クロスに、誰かが滴らせてしまったらしいシチューが一滴、ポツリとついていた。その赤黒いシミは、キャンバスにこびりついたボクサーの血のようにも見えた。私はそのシミを見つめながら、内藤はボクシングの世界から離れることができて、よかったのかもしれないと思った。あの試合に負けて、よかったのかもしれない。
だが、もしそうだとするなら、あの試合に到る一年は、いったい何だったというのだろう……。
私は思わずぼんやりしていたらしい。急に背後で笑い声がし、椅子を動かしたり食器の触れ合う音がして、われに返った。昼食時が過ぎ、レストランから人の波が引いていく頃合になっていたようだった。
窓のガラスを通して、外に眼をやると、舗道に六、七歳の少年と二、三歳の幼女が戯れながら駆け出していく姿が見えた。そのあとを若い夫婦がゆっくりとついていく。そこに漂っている安らかさは、眼の前の内藤の一家にも共通するものだった。
私は視線を理亜に戻して言った。
「この子のおかげかもしれないな」
「うん……」
内藤が生返事をすると、それまで黙っていた裕見子がはっきりした口調で言った。
「そう、この子のおかげです」
「…………」
「この子がいたから、私たち別れなかったみたい、いなかったら……」
「別れてた?」
私が訊ねると、裕見子が頷くのと同時に、内藤も頷いた。
裕見子は、いくらか太ったせいもあるのか、かなり落ち着いて見えた。初めて会った時、内藤に、気は強いけど泣き虫なんだと言われ、そうね私ってすぐ泣くもんね、と恥ずかしそうに言っていたが、いまはもう、そんな彼女は想像もつかないほどどっしりとして見える。
笑いながら理亜を見つめている裕見子の顔は幸せそうだった。
食事を済ませ、コーヒーを呑み、しばらく雑談したあとで、私たちは内藤のアパートヘ行くことになった。理亜へのおみやげを用意してこなかった私が、どこかのデパートでオモチャでも買わないか、と言って立ち上がると、裕見子がそんな心配はしないでほしいと固辞した。そして、もしよかったらアパートへ来て、ひと休みしていってくれないか、と言った。内藤の強い勧めもあり、その場で別れてしまうのも寂しいような気がしていた私は、利朗と相談し、その誘いを受けることにした。
部屋の中の雰《ふん》囲気《いき》は一年前とすっかり変わっていた。中央にベビー・ベッドが置かれていることは同じだったが、どことなく変わっているのだ。それは単に、あたりにオモチャが散乱しているというだけでもなさそうだった。しばらく部屋の中を見まわしてみて、ようやくその理由がわかった。かつての、居心地のよさそうなふたりだけの住まいから、赤ん坊を中心にした家族の住まいになっている。その生活のにおいが、この部屋をかつての空間と異なる印象のものにさせていたのだ。しかし、それは決して悪いことではなかった。
私たちはその狭い部屋の中で思い思いの場所に腰をおろした。私はベッドに寄りかかって絨緞《じゅうたん》の上にあぐらをかき、内藤はステレオの前で理亜を抱いて足を伸ばした。
「まだ歩かないのかな?」
いまは部屋の隅に追いやられてしまっている木製のアーム・チェアーに坐った利朗が、タバコに火をつけながら訊ねた。すると、台所でコーヒーをいれていた裕見子が答えた。
「そうなの。少し遅いんだけど」
近所に同じ頃に生まれた男の子がいるのだが、その子はもうひとりで歩きはじめているという。理亜も何かにつかまれば歩けるが、すぐに膝《ひざ》をついてしまうのだという。
「ちょっと心配なんですよね」
裕見子が言うと、理亜を抱いていた内藤が、いくらか自慢するように言った。
「でも、こいつ、踊るんだよね」
「踊るって?」
利朗がびっくりしたように訊き返した。
「音楽に合わせて踊るんだ」
「どうやって?」
私も興昧を覚え、訊ねた。内藤は含み笑いをし、それには直接答えず、理亜を絨緞の上に坐らせるとレコードを選びはじめた。
理亜は絨緞に両手を突き、あどけない表情で私を見つめている。その黒い眼で見つめられた瞬間、私の内部で痛みに似たものが走った。
急に大きなボリュームで、激しいリズムの曲が流れはじめた。内藤は理亜の両手を取ると、立ち上がらせ、
「ほら、踊ってごらん」
と言った。すると理亜は嬉しそうに笑い、両手を内藤に預けたまま、音楽に合わせて体を動かしはじめた。まだひとりで歩けない幼児とは思えぬほど、激しく、しかもリズムに合った動きだった。私たちが嘆声を洩らすと、内藤は首をかしげながら言った。
「いつもより下手だなあ」
それが、いかにも父親の台詞《せりふ》らしいことが、私には微笑《ほほえ》ましく感じられた。
裕見子が部屋の思い思いの場所に坐っている私たちにコーヒーを運んできてくれた。私がベッドに寄りかかりながら、そのコーヒーを呑んでいると、絨緞にひとりで坐っていた理亜が、また不思議そうに私の顔を見つめている。そして、何を思ったのか、ハイハイをして私に近づいてきた。私が手を差し伸べると、理亜も手を出してきた。
「よいしょ」
私が声を出して抱き上げ、あぐらをかいている膝のあいだに坐らせると、極めて自然に私の胸に体をもたせかけてきた。それを見て、裕見子が意外そうに言った。
「どうしたのかしら、この子」
「…………?」
私がその意味がわからず、怪《け》訝《げん》そうな顔を向けると、裕見子が説明してくれた。理亜は本来とても人見知りの激しい子で、初めての人には怖がって近づきもしない。それなのに、自分から近づいて、しかも抱かれて満足そうな顔をしているのが、不思議でならないと言うのだ。
「特に男の人は怖がるのになあ」
内藤も不思議そうに言った。
理亜は私の膝の上でおとなしくしている。じっと抱いていると、理亜の体温が、洋服をとおして伝わってくる。その時、再び、痛みに似たものが、体の中を走った。
去年の夏、ソウルでの東洋戦を前にして、私たちのあいだに鋭い亀裂が走ったのも、ある意味でこの理亜が原因だったと言えなくもない。
内藤、エディ、利朗、そして私の四人は、柳との東洋戦に向けて、ほとんど心をひとつにして前に進んでいた。その緊密な関係にヒビが入ったのは、柳によって一方的に試合が延期され、内藤の生活が苦しくなってからだった。あるいは、内藤が裕見子とふたりだけの生活を考えるだけでよかったのなら、その苦境も乗り越えられたかもしれない。だが、その時、裕見子の胎内には、すでに理亜がいたのだ。ふたりはまだ正式に結婚してはいなかったが、その子供を生もうと決心した。内藤はその子が生まれてくるまでに、どうしても生活のメドを立てなくてはならなかった。延期、延期が繰り返され、いつになるかわからない試合を当てにし、無収入のまま子供が生まれるのを待つ、というわけにはいかなかった。東洋戦の決着がつくまではと我慢に我慢を重ねていたが、ついに我慢しきれず内藤は再び水商売の世界に入っていった。苛酷な夜の仕事に、彼のすばらしかったコンディションはみるみる崩れていった。一年余りにわたって鍛え抜いた体が、一カ月で崩れ去った。
東洋戦の相手が柳から朴にかわり、ようやく契約が成った時には、私たちの仲は修復が不可能なほどずたずたに引き裂かれていた。内藤は仕事と練習に疲れ、エディは内藤の状態に絶望し、私はそのふたりのあいだに立って苛《いら》立《だ》っていた。そして、内藤の体調が最悪の時に、ソウルへ向かわなくてはならなかったのだ。
日本から韓国へ向かう旅の、なんと物悲しかったことか。本来なら、どれほど晴れやかにしていても不思議ではない私たちが、箱崎のエアー・ターミナルを出発する時から沈み切っていた。気持がバラバラなのが皮膚に伝わってくる。それがいっそう気分を暗くしたものだった。
試合の結果はわかっていた。ソウルへの旅は、その確認をするための旅だったかもしれない。しかし、どこかで一分の奇跡を信じてもいた。あるいは、もしかしたら……。だが、やはり奇跡はおこらなかった。
裕見子が妊娠したと初めて聞いた時、大変な状況になったなとは思ったが、それがその後に決定的な意味を持つほど重要なものになるとは思っていなかった。だから、彼の周囲に、この大切な時に子供など持つべきではないという考えがあるのを知って、それはあまりにも激越すぎると思ったくらいなのだ。内藤の母親ですら、あなたたちはまだ若いのだから子供ならいつでも持てる、ここで子供を生んでしまうと最後のチャンスを逃すことになってしまうかもしれない、と言っていたらしいが、私はそうは考えなかった。多分、そうは考えなかったはずだ……。
しかし、理亜を膝の上に抱いているうちに、次第に不安になってきた。そして、ふと、内藤から子供ができたことを初めて告げられた時の情景が甦《よみが》ってきた。そうだ、あの時、私はそれを知って、思わずこう訊《き》いたのではなかったか。
「で、生むつもりなの?」
いままで思い出しもしなかったが、確かに私はそう訊ねたのだ。その問いの中には、むしろ生まぬという答を強く予期したところがありはしなかったか。だとするなら、それは彼の母親の言葉以上に残酷なところがあるものだった。で、生むつもりなの?
私は、理亜を抱いた瞬間に、体の中を走った痛みに似たものの正体がわかった。わかったような気がした。私は、この膝の上に坐っている生命を、一度は抹殺する側に立っていたのだ……。
膝の上の理亜がククッと笑ったような気がして、顔の中を覗き込んだ。しかし、理亜は少し眉《み》間《けん》にしわを寄せ、ただ前を見ているだけの表情をしていた。
「お父さんのところに戻る?」
まだ言葉の喋れぬ幼女に向かって私は訊ねた。すると、内藤が立ち上がり、私の膝の上から理亜を抱き上げ、クルクルと振り回した。理亜はキャッキャッと声を上げた。それを面白そうに何度も繰り返していた内藤が私に言った。
「こいつ、いちおう笑ってるけど、やっぱり怖いらしいのね。こうやって振り回したり、逆さにしたりすると、体が硬《こわ》ばるのがよくわかるんだ」
私が黙って笑っていると、さらにこうつけ加えた。
「やっぱり、こいつも臆病らしい…」
利朗が私の顔を見て、珍らしく苦そうな笑いを浮かべた。確かに内藤も臆病だった。その臆病の内藤が、リングに立って、初めて震えなかったのが、あのソウルでの試合だったのだ。しかし、まさにその初めての試合に、内藤は二回でノックアウトされてしまった……。
「臆病だって、かまわないさ」
私が言うと、理亜を振り回したまま内藤が言った。
「そうさ」
しかし、理亜への愛情にあふれた内藤の様子を見ているうちに、彼は果して臆病な男だったのだろうか、と思えてきた。彼は、とにかく置き去りにしなかったのだ。ひとりの男として、女性を引き受け、子供を引き受けた。それがどうして臆病なことがあろう。
柳から朴へと、困難なマッチメークに悪戦苦闘していた時、私は、内藤を置き去りにすることはできない、と思いつつ、頑張りつづけてきた。しかし、それは私の傲慢《ごうまん》であったかもしれない。内藤は内藤で充分に人生を引き受け、勇敢に生き抜いていたのではなかったか。
そこまで考えついた時、私はほとんど打ちのめされるような思いがした。あの一年の影と光が反転し、負と正が一瞬にして逆転してしまったような気がしたからだ。賭けるべき大事な時に賭けられず、結局なにひとつ手に入れられなかったと思っていた内藤が、最も確かなものを手にしていた。置き去りにされていたのは、むしろ私の方だったのかもしれないのだ。
内藤が理亜と戯れている姿は幸せそのものだった。あるいは、あの試合に負けてよかったのかもしれない。ソウルへ出発する前日、勤め先のディスコの社長が、内藤に言ったという。勝つにこしたことはないけれど、おまえのこれからの人生にとっては負けた方がいいのかもしれない。それを聞き、私はそうではないと強く言った。やはり勝たなければいけない、どんなことをしても勝つべきだ、と。
しかし、あの時、もし勝つことだけを考え、裕見子とやがて生まれるべき理亜を置き去りにしていたとしたら、彼にどんなその後があっただろう。どんな現在があっただろう。負けてよかったのかもしれない。いや、よかったのだ。いまは、そう思うべきなのだ……。
「そろそろ、帰るか」
私は利朗に声をかけた。利朗はコーヒー・カップをテーブルに置き、こちらに顔を向けて頷いた。
陽はすでに傾いていた。利朗の車が置いてある道路際まで、内藤は理亜を抱き、裕見子と共に見送りにきてくれた。
「また」
いつになるかはわからなかったが、車の中から私がそう言うと、内藤は理亜の小さな手を持ち、それを振りながら、
「また」
と言った。
三人は、車から見えなくなるまで、そこに立ちつづけていた。
路地から広い通りに出て、トンネルを抜け、また広い通りに出た時、私は独り言のように呟いていた。
「ハッピーエンド、かな」
すると、利朗が前方を見つめたまま、小さく応えた。
「そうだと……いいけど」
解説
柳田邦男
沢木さんの『一瞬の夏』は、ノンフィクションと呼ばれるジャンルに、いろいろな意味で刺《し》戟《げき》を与えてくれた作品である。
ノンフィクションというと、往々にして、世の中を震撼《しんかん》させたような大事件とか壮絶な戦争の記録、スキャンダルを暴露した報告、あるいは未踏の地への冒険探検物語といった形でとらえられがちだが、沢木さんの作品は、そういう意味でのノンフィクションからは、およそかけ離れたところにある。
実際、この作品に登場する一人のボクサー、カシアス内藤は、かつて東洋ミドル級チャンピオンにまでなったとはいえ、ボクシング・ファン以外の人々にとっては、ほとんど忘れられた過去の人物といってもよい影薄き存在である。当世話題の国民栄誉賞にノミネートされるような人気選手でもなかった。
では、沢木さんにとって、なぜカシアス内藤が、自らの貴重な一時期を没入させるほどの対象であったのか。
カシアス内藤について、沢木さんは、『一瞬の夏』に先行する小編を、はやい時期の昭和四十八年に書いている。『クレイになれなかった男』(『敗れざる者たち』文藝春秋刊所収)が、それである。
その小編の中で、沢木さんは、こう書いている。
「カシアス内藤は不思議なボクサーだった。
少なくともぼくにとっては気になるボクサーだった。デビュー以来、連勝街道を驀進《ばくしん》している時でさえ彼は常に中途半端なボクシングしかして来なかった。時折、テレビで彼の試合を見ていると苛《いら》立《だ》たしくなって、スイッチを切りたくなることがあった。追いつめながら、あと一発でKOシーンだというのに、フッと打つのを止《や》めてしまうのだ」
沢木さんがこう書くとき、それは、カシアス内藤の中途半端さに対し、ほんとうは「苛立たし」さを感じているというよりは、深層において、波長の重なり合うものを感じていることの表明だろうと、私は読む。
沢木さんの心の中に当時去来していた意識が、もっとはっきりした表現で記されたのは、二年半後に発表された『さらば宝石』(『敗れざる者たち』所収)においてである。この作品は、プロ野球で長島茂雄と競いつつ人気スターになり切れずに消えていったE選手の“栄光と悲惨”を追ったものだが、沢木さんはその中で、E選手のその後を取材に出かける自分の心の中に過《よぎ》るとらえどころのない憂鬱さをフッともらす口調で、こんな風に書いているのである。
「ニューヨーク・タイムスの元記者で、アメリカのノンフィクション・ライターとして傑出した才能を持つゲイ・タリーズの何番目かの著作に、The Overreachersという作品がある。元世界ヘビー級チャンピオンのジョー・ルイス、フロイド・パターソンやギャング・スターのフランク・コステロなどの肖像を描いたものだ。それらの、いわば盛りを過ぎた人々を、ゲイ・タリーズは『ジ・オーバーリーチャーズ』と名づけた。翻訳家の常盤新平によれば、『背伸びした人々』と訳せるらしい。確かに、overreach は背伸びし過ぎた、行き過ぎたの意と辞書にある。しかし、ぼくには「行き過ぎた」の語感が大事なように思えてならない。まさに彼らは盛りを過ぎ、頂点を極め終えた人物だった。ゲイ・タリーズが The Overreachers という作品を持っていることを知ってぼくは驚いた。ここ一、二年、頂点に向かって登りつめようとしている同世代の若者たちへ、恋文のような人物論を書き終えて、気がついてみるとぼく自身の興味も『オーバーリーチャー』に向かっていたからだ。……」
沢木さんが『クレイになれなかった男』を書いたのは二十五歳、『さらば宝石』は二十八歳のときである。大学を出てすぐにフリーランスのライターになって、四年目と六年目である。その若さが、沢木さんの作品に色濃く投影されている。
一口にノンフィクションといっても、ドキュメント、ルポルタージュ、伝記、紀行、日記など広い範囲にわたるが、対象が多面にわたり奥行きも深い現代の出来事を相手に、ドキュメンタリーな作品を書こうとすると、社会生活の経験と取材経験の蓄積が求められる。いわば“年期”である。従って、若い時代に密度の濃いドキュメンタリーな作品を書くということは、かなり難しい。しかし、それはあくまでも一般論であって、若い時代には若い時代ならではの、ノンフィクションの方法があるはずである。沢木さんは、その方法を探すべく、体でぶつかっていった。
ノンフィクションにおいては、「取材」あるいは「調べる」ということが、重要な条件になっている。しかし、調べれば書けるのかというと、必ずしもそんな生やさしいものではない。資料やデータをいくら並べても、描くべき対象がいっこうに生き生きとしてこないという場合が少なくないし、資料やデータを取捨選択する眼も問われてくる。資料にある記録やインタビューによる聞き書きの内容がはたして事実なのか、という難しい問題もからんでくる。政治、外交、軍事、企業などのからむ事件になると、虚々実々の情報が乱れ飛び、どれが事実なのかを判別することは、極めて困難である。はたして事実かどうかという眼で見始めると、現代の社会は、不確かなことばかりで充ち満ちている。
ノンフィクションの作品を書こうとする作家たちは、それゆえにそれぞれに苦労するのだが、沢木さんが、その若さならではの感性を生かして切り拓《ひら》いたのが、「私ノンフィクション」という方法であった。
沢木さんは、のちに書いている。
「調べれば書ける。しかし、それが極めて浅薄な誤解だと気がつくには、自身でひとつのルポルタージュを書こうと試みるだけでよかった。調べても書けない。そこから、私のルポルタージュのライターとしての、たったひとりだけの『徒弟修業』が始まったといえるかもしれない」(『ひとりだけの徒弟修業』昭和五十五年一月、『路上の視野』文藝春秋刊所収)
「私が見たものしか書かない方針を徹底化したのです。……(中略)……何かを取材して書くには、何か危うさが含まれていると思うんです。これをいったらノンフィクションは書けなくなるけれども、危うさがあるのは確かなんですね。その危うさは、当然自分が見たってある。自分が見てもわからないこともあるし、勘違いもある。しかしながら、同じ危ういのなら、自分が見たものの方がいいんじゃないかという感じがあります」(『可能性としてのノンフィクション』昭和五十六年七月、『路上の視野』所収)
沢木さんの多くの作品は、ゲイ・タリーズなどのアメリカのニュー・ジャーナリズムの影響を受けているが、それは単なる方法論の直輸入ではない。沢木さんが大学を出てすぐ、誰から方法を教わるのでもなく、ルポルタージュの道に飛びこんで、ひとりだけの徒弟修業に四苦八苦していたところへ、ゲイ・タリーズなどの作品に接したから、一つの有効な方法として咀嚼《そしゃく》され吸収されたのである。そして、その到達点が、『一瞬の夏』であった。
つまり、『一瞬の夏』という作品は、実作の仲間から見たとき、次のような意味で実験的であり、実験的であるがゆえに、刺戟的であったのである。
(1)不確かなもので充ち満ちている現代において、事実に徹する一つの方法として、自分の眼で見たものだけを信じて、その範囲内で書いたとき、どこまで書けるか。
(2)作家自身がいつも現場に同席し、あるいは事件の核心にかかわりあうような状況に身を置くことによって、作品中に「私」が登場することが必然性を持つ「私ノンフィクション」の可能性。
(3)“年期”とはかかわり合いのない感性や心象風景への傾斜が大きな比重を占める「青春ノンフィクション」とでもいうべき分野の可能性。
では、『一瞬の夏』は、なぜカシアス内藤の再登場だったのかというはじめの問題に戻らなければならない。
沢木さんは、『クレイになれなかった男』の最後を、こう結んでいた。内藤が韓国での試合で負けて帰国してしばらくしてからの会話である。
「弁解するように内藤はいった。
《たった五〇〇ドルのファイト・マネーで、ブンブンぶっ飛ぶわけにはいかなかったんだよ。命がかかってんだからね》
その時、はじめてぼくは深い徒労感に襲われた。
《いつブンブンぶっ飛ぶの?》
《いつか、そういう試合ができるとき、いつか……》
以前、ぼくはこんな風にいったことがある。人間には“燃えつきる”人間とそうでない人間の二つのタイプがある、と。
しかし、もっと正確にいわなくてはならぬ。人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つの夕イプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし“いつか”はやってこない。内藤にも、あいつにも、あいつにも、そしてこの俺にも……」
沢木さんは、「“いつか”はやってこない」と書きつつも、その胸の内に、「オーバーリーチャー」であるカシアス内藤との《・・》作品を、いつか燃焼させたいという思いを温めていたに違いない。そして、『クレイに……』から七年後の昭和五十五年から五十六年にかけて、朝日新聞紙上に連載で『一瞬の夏』を発表した。そのとき沢木さんは、三十二歳になっていたはずである。自らの青春への挽《ばん》歌《か》を書きたい年齢でもあったろう。遠くから見ていても、沢木さんが、この作品で、何かを激しく燃やし、ブンブンぶっ飛ばしつくしたのが、はっきりと見えた。
その後、『一瞬の夏』が単行本になって間もなく、私は沢木さんと『中央公論・別冊ノンフィクション特集号』のために対談をした。そして、その対談を、のちに私の対談集『事実からの発想』(講談社刊)に再録させてもらったとき、沢木さんとの章に「私ノンフィクションの可能性」という仮のタイトルをつけた。これに対し、沢木さんから校正の段階で、
「『私ノンフィクション』というのは、ぼくがある時期に試みた方法に過ぎないんです。これからは違うことをやるかもしれませんので、『私』をとって広い意味での『ノンフィクションの可能性』としてくださったほうがありがたいです」
という趣旨の連絡があった。
その連絡を聞いたとき、私は《沢木さん、まだまだ何かやる気だな》と感じたものである。
沢木さんは、前記のエッセイ『ひとりだけの徒弟修業』の中で、こうも書いている。
「そして十年。悪戦の末、どうにかいくつかのルポルタージュを書き上げてきた。しかし、気がついてみると、再び『調べても書けない』という地点に佇《たたず》んでいる自分を発見せざるを得なくなっていた。調べても書けない。いや、もっと正確にいえば、調べたことを書きたくないという思いが強くなってきてしまったのだ。(中略)この八○年代に、もう一度たったひとりだけの『徒弟修業』が必要とされているのかもしれない」
事実と方法と表現に sincere (誠実)であろうとする沢木さんの「修業」が、『一瞬の夏』の次にどんな作品を読者に提供してくれるのかが楽しみである。
(昭和五十九年四月、ノンフィクション作家)