星 新一
生命のふしぎ
目 次
まえがき
一、生命についての考え方の歴史
1 神、生命をつくりたもう
2 生命は霊と物質の結合か
二、生命のできるまで
1 生命はどこからおこったか
2 生命はどのようにして発生したか
三、生物は進化する
1 進化論の勝利
2 コアセルベートから人類まで
3 動植物の改造
4 生命から生命へ
四、人間という生命現象
1 からだのふしぎ
2 心へのかけ橋
3 人体保全への努力
五、未来につづく生命
1 人類の未来
2 生命とロボット
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まえがき
科学の進歩は、まことにめざましい。人工惑星はうちあげられ、原子炉は各地につくられはじめている。だから、たいていの人が、偉大な科学の力によって、自然界のなぞはほとんど解決されてしまっていると思っているのではないだろうか。
しかし、自然界には、まだまだいくつも大きななぞが残されている。そのなかの一つは生命≠ニいう現象である。
わたしたちはふだん生命≠ニ言う言葉を、わかりきったことがらとしてつかっている。ところが、
「生命とは、いったいなんだろう」
と、あらためて考えてみると、いったいなんと答えたらいいだろうか。
少しむかしの本には、
「生命とは生物に特有な現象である」
といったようなことが書かれていたが、その生物とは、生命を有するものなのだから、こんないい方では生命の説明にはなるはずがない。
この本は、生命についてぜひ知っておく必要のあることがらと、生命についての最も新しい研究がどのような方面から、どのような方法でおこなわれているかをお伝えしようとした。だが、あなたがたは、この本を読んで、生命への理解が深まるにつれ、いままでわかったような気もちでいた生命≠ェ、かえってふしぎなものに思えてくるかもしれない。生命についての学問は、その研究がすすむほど、かえってたくさんのなぞが出てくるのだ。
しかし、科学は、生命をなぞのままで、いつまでもほうっておきはしない。大むかしからたくさんの人たちがこのなぞをとこうと努力しつづけてきたし、現在でも多くの科学者があらゆる部門で研究をつづけ、一歩一歩、生命の本質にせまりつつある。そして、これを受けつぎ、さらに生命≠ニはなにかを明きらかにし、またその研究の結果を応用してわたしたちの生活を高めるのは、あなたがたの仕事なのではないだろうか。
この本ができるにあたって、多くのかたがたのご援助を受けた。原稿に目をとおしていただいて適切なご助言をいただいた原田三夫先生、三浦義彰先生、最新の研究についていろいろお教えくださった斎藤守弘氏をはじめ、科学作家の矢野徹氏、服部光中氏、新潮社の石川光男氏、藤昌秀氏の諸兄にあつくお礼申しあげるしだいである。
一九五九年七月
[#地付き]星 新 一
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一、生命についての考え方の歴史
1 神、生命をつくりたもう
会場をわかせた一通の電報
一九五七年八月二十二日のことである。ソ連の首都モスクワで開催中の生命の起源《きげん》に関する国際会議≠フ席上に、一通の外国電報がとどけられた。その電報は、書記によって、さっそくその場で全出席者に披露《ひろう》されると、一瞬《いつしゆん》、会場は、ざわざわとざわめき、つづいて数秒後、こんどはにぎやかな笑《わら》い声が会場をうずめつくした。
電報の発信人は、ライジ・バイ・パテルというインドの科学者で、電文には、
「自分は実験室で人工的に生命を創造することに成功した」とあり、なおつづけて、
「これは初歩的な成果であり、さらに実験をすすめている」としるされてあった。
もしも、この電文どおりに、ライジなにがしという人が、事実、生命の人工的創造に成功したのだとしたら、いや、こんにちの科学の段階《だんかい》がすでにそういうところまでいっているとしたら、これは笑い声などおこるどころか、人びとはこの初の成功者に対して、尊敬と感謝の気もちをこめて、会場も割《わ》れるばかりの万雷《ばんらい》の拍手《はくしゆ》をおくったにちがいない。
あとでわかったことだが、これはやはり、イタズラだったのである。「自分は残念ながらその会議に出席できないが、出席したみなさんは、将来《しようらい》の人類の課題である生命の人工的創造≠ぜひ成功させるために、どうかしっかり討議をおこなってほしい」そういうねがいをこめての、学究の徒らしい、またイタズラをイタズラとすぐ見やぶられることを予想しての、罪のないイタズラだったのである。
それにしても、出席者たちの失笑の原因は、ライジさんのウイットのおもしろさのほかに、ライジさんがインド人だったということもその理由の一つだったようだ。いまのインドは、科学も技術も他国とくらべてさして遜色《そんしよく》のないところまで育っているが、しかし一方ではまだまだ呪術《じゆじゆつ》や魔法《まほう》がインドの社会ではばをきかせている。そこで、生命の創造――呪術と魔法、出席者たちはついそれを関連づけて考えてしまい、これはますますこっけいだ、とばかりに大笑いしてしまったわけだったのである。
この話は、そのころの日本の新聞にものり、外信|欄《らん》の片すみに小さくあつかわれていた。インドの科学者、生命の人工的創造に成功?≠ニのタイトルがあり、「……もしそれが事実としたら世紀的な出来事と、会議出席者は後報の到着に大きな期待を寄せている」と記事は結んであった。
しかし、いうまでもないことだが、これはじっさいの会場の空気をしらべないでつくったそそっかしい記事だといわなくてはならない。もっとも記者自身、その記事をつくりながら、「人工的に生命を創造できる? ホントウかね」と疑問を持ったからなのだろう、タイトルのあとに「?」をつけることをわすれなかったし、またこのニュースを受信して紙面にとりあげた日本の整理部記者も、同じ気もちからにちがいない、できるだけひかえ目に小さく発表したわけである。
「人工的に生命を創造できる? ホントウかね」
これは新聞記者でなくとも、わたしたちだってそう思う。そうだ。これは鳥のように空をとべるとかとべない、魚のように水中にもぐれるとかもぐれない、日本海を埋《う》めたてて原っぱにできるとかできない等々の、そうした問題とはまるでちがうのだ。どこがちがう? なにもかもちがう。それはおいおい話していこう。
ウジはわくのか
「おかあさん、ネコの子が生まれたよ」
わたしたちは縁《えん》の下の子ネコを見るとき、そういうだろう。ところが、ゴミ箱《ばこ》でウジを見たとき、
「ウジが生まれたよ」とはいわずに、きっと、
「ウジがわいたよ」というだろう。生命を研究している学者だって、そういうにちがいない。
大むかし、いや、パストゥール(一八二二〜九五年)がこの疑問に答えるまで、人間は、ウジやノミなどの下等な生物は自然に生まれるものとばかり考えていた。風でも波でも動くものにはどれも生命があると考え、そのふしぎなはたらきを万能のちからをもつ天上の神のみわざだと考えていた当時としては、それもあたりまえのことだった。日でりがつづけば、天に少しでも近い山にのぼって雨乞《あまご》いの祈りをし、その祈りの心が天につうじるまで、人びとは熱心におがみつづけた時代である。(雨乞いは日本ではつい先年まで、いや地方によってはいまでもまだやっているところがあるという……が、それと、ウジについての考え方のいかんはここでは別問題だ。)
あとでのべるが、パストゥールは、そのころ発明された顕微鏡《けんびきよう》などをつかってたんねんに実験したすえ、ウジでもノミでも、また目に見えない微生物さえも、親が卵をうみつけるか、タネか胞子《ほうし》をのこしていかないかぎり、けっして自然に発生するものでないことをはっきり証明した。ウジなど、ふつうではそんなところにとても卵などあろうとは思われない、きたない場所から現われてくるので、科学のすすんだこんにちでもわたしたちはつい生まれた、というより、わいた、といったふうな感覚的ないい方をしてしまうのだが、もちろんそれが自然にわいたものでないことくらいはすでにわたしたちがよく知ったうえでつかっていることである。
ところで、生命が生命を生む、生命のないところから生命は生まれない……いまでこそ、だれもがわかりきっているこんな理くつも、大むかしの人びとには難問中の難問だったので、考えぬいて頭がいたくなると、たいてい「神のみわざ」ということにしてしまっていた。しかし、下等動物については、インド、バビロニア、エジプトの古代人たちのあいだには、こんなふうな考え方もあった。ウジ、ハエ、カブトムシは|くそ《ヽヽ》や|どろ《ヽヽ》から、シラミは人間の汗《あせ》から、カエル、ヘビ、ワニはナイル川から、ホタルは燃えつきた麻《あさ》の皮の火の粉から、自然に、とつぜん発生する――。こんにち偉大《いだい》な哲学者《てつがくしや》として知られている古代ギリシャのアリストテレスでさえ、ノミやカゲロウは親からでなく、自然に発生するのだといっていたほどである。
生と死
生命の発生と同様に、生命とはなにか、生きているということはどういうことか、についても、古代人はいろいろ頭をなやましたにちがいない。そして生≠ニあい対する死≠じっくりと考えて、「われわれ生き物の生命は、息をしているあいだの現象だ。息をしなくなったときは、死だ」と思ったらしい。日本語の生きている≠ニいうことばを考えても、あるいはこれは|いき《ヽヽ》をしている≠ニいう意味からおこったものらしく思われる。
こうして、人間の呼吸《こきゆう》と生命とは、一心同体のように考えられたから、むかしの人はどうしても「呼吸にこそなにかがある」と考えざるをえなかったようだ。そして人間の生命のいとなみの原理は、この呼吸のはたらきにあると定義し、これを生気(プノイマ=呼吸)≠ニ呼んだ。
たましいをもった粘土《ねんど》人形
では、人間の肉体についてはどう考えていたか?――(むかしの人の生命観の話などあとまわしにして、もっと手っとりばやく、こんにちの生命科学の問題にはいっていきたい。そのほうがはるかに興味ぶかく、はるかにためになる話もたくさんある。だが、やはり、もうしばらくしんぼうしていただくことにしよう。科学の勉強には基礎《きそ》の心がまえが必要であり、またなにごとにも準備、予習をしておくにこしたことはない。)
禁断《きんだん》の木の実を食って楽園を追放されたというアダムとイブの話を知っているだろう。「アダム」は古代ユダヤ語で「土」または「粘土」という意味だ。つまりアダムという名まえは「土でつくられた人」「粘土でつくられた人」のことだ。マホメット教でも、アラーの神がいろいろの粘土から人間をつくり、「白人(ヨーロッパ人)」「黒人(ニグロ)」「黄色人(モウコ人)」をわけた、と教えている。また古代エジプトの墓《はか》からも粘土から人間をつくっている絵が発見されている。
このようなことのなかから、やや文明がすすんで、人間に、生物と無生物(物質)との区別がつきはじめると、「生物とは、物質からつくられた肉体に、霊魂《れいこん》とか生命力とかいうものがやどったものである」という考えが生まれ、これが宗教とむすびついて、人びとの心にしみこんでいったのだということを知ることができる。つまり、神――この世をおさめる絶対者が、自分のすがたに似せて粘土から人間をつくり、それに生気―生命力≠ふきこんで、生物としての人間が生まれたのだというのである。だから、生命は、人間の知力では考えつかない神秘《しんぴ》なものになり、さらに霊魂は、この人間の肉体に実在するものとしてたしかめられ、信じられるようになったのである。
古代においてはこのように人間あるいは高等な生物の起源を考え、そしてこの考えはずいぶんながいあいだ信じつづけられた。これがこんにち生気論≠ニいわれているものである。
ミイラとピラミッド
神によってふきこまれた人間の魂《たましい》は、たとえ人間の呼吸がとまり、人間の肉体がただの物質になってしまったとしても、その魂はいつまでも残り永遠に死にはしないのだという考えは、いまのべた古代人の生命観を知ればなんのふしぎもないことだ。
霊魂の不滅を信じてうたがわなかった古代人は、世界の東西において、君主や国王の死体をミイラにしてのこしている。あるいは巨大なピラミッドや墳土《ふんど》をつくってミイラをまつり、生前の愛好物もいっしょにそこに埋《う》めた。あるときはその忠臣たちも王の死体といっしょに生き埋めにされ、王の魂のおともをよろこんでひきうけたのだった。こんにち発掘されるハニワや土器もまた、死後もなお生きつづける王の魂、いいかえればあの世に生きている王へのプレゼントなのだった。
春や秋の彼岸《ひがん》(春分、秋分の日)がくれば、われわれは先祖のお墓まいりをする。先祖の霊をおがむのだ。また、おぼんには、仏壇《ぶつだん》にそなえものをして先祖の霊をおむかえする行事がある。素焼《すや》きの皿《さら》にオガラを燃してあたりを清めながら、先祖をおまねきする人もある。これはこんにちもなおわたしたちが死んだ人の霊魂をみとめている証拠《しようこ》であろう。
英語のリーダーで"Thanks-giving Day"というのを習ったことがあるだろう。日本にもつい先年まで「神嘗祭《かんなめさい》」という国家の行事があった。これらはいずれもその年できた新しい穀物を神にささげて、神のめぐみに感謝をしめす行事である。
このように、地上のあらゆる生命は、すべて天上の遠くにいます創造神のめぐみであり、すべての生命には霊魂がやどり、それは永久に消えうせることのないものであるという考え方は、古代にも、そして現代にもあるのである。
万物のもとは水である
人類のもっとも古い文明は、エジプトからギリシャにひきつがれる。エジプトや、ヘブライや、バビロニヤには、霊魂を信じる宗教や呪術《じゆじゆつ》、占星術《せんせいじゆつ》などがさかんにおこなわれ、生命を神秘のヴェールでつつんでいたが、しかしギリシャ時代になると、その国の自然哲学者といわれる学者たちは、霊魂説とは反対の説をとなえるようになった。
そのひとりに、ターレスがいる(紀元前六世紀前半)。かれはギリシャの商人だった。エジプトで仕入れた商品を売りさばくときに、商売じょうずなターレスは、めずらしいみやげ話をしては、客をひきつけたのである。
「エジプトにはですね、鉄をひきつける黒い石がありますよ。それから布でこすると軽い物をすいつけるコハクというめずらしいもの、ほら、このとおり……」というぐあいに、エジプトで仕入れた磁石《じしやく》や電気の知識を伝えた話は有名だ。このとき、ターレスは、「生命と花びんとはおなじものなんです。どちらも、水と土、つまり物からできあがり、こわれると、もとにもどるんです」というふうに、話をしてみせた。
古代ギリシャ人は、宗教を、霊的神秘的なものとしては考えず、神も、オリンポスの山上で家族をつくって暮らすという現実的な神を設定していたから、ものの考え方がなかなか現実的、実際的だった。そこで、この時代の学者たちは、万物の根源を考えて、それが物質であるとしていたのだ。
ターレスは、万物のみなもとは水であるといい、ヘラクレイトス(前五三五〜前四七五年ごろ)は、火だといった。アナクサゴラス(前五〇〇〜前四二八年)はタネだと考え、デモクリトス(前四六〇〜前三七〇年)は、アトム説を主張した。生気論≠ニいうような過去のあやふやな考え方にくらべて、物質を万物の基礎とするこれらの思想はずいぶん進歩したものの見方といえよう。
もうひとり、ピタゴラスの定理≠ナ名だかい数学者ピタゴラス(前五八二〜前四九七年ごろ)は、数によって万物の生成や変化を説き、独特の意見として注目されたが、しかしかれは天動説をとなえた人でもあり、やがて魂の存在を信じるようになっていった。
エンテレキー
ところで、生命を物質によって説明しようとしたこれらの思想は、二十世紀のこんにちでもまだ十分説明しきれないものがあるくらいだから、まもなくゆきづまって、すたれてしまった。そしてギリシャには、ソクラテス(前四六九〜前三九九年ごろ)や、プラトン(前四二七〜前三四七年)、そしてアリストテレス(前三八四〜前三二二年)が登場してくる。これらの天才的学者は、古代人が神秘的なもの、超自然《ちようしぜん》的なものとして、感覚的にうけとっていた生命現象を、だいじな学問の一つとして追究し、しだいに理論的にまとめあげていった。
大哲学者プラトンの高弟で、アレキサンダー大王の家庭教師をつとめたアリストテレスは、あらゆる学問につうじ、とくに論理学、倫理学《りんりがく》、美学、政治学、物理学、動植物学などの学問をつくりだした人だが、なかでも動植物にくわしかったアリストテレスは、ネコとウシの歯《は》は、どうして、ネコはネコのように、ウシはウシのように生きるのにつごうよくできているのかを考え、こういう結論を見いだした。
「もともと肉食動物であるネコの歯は、ネズミをかむのに適し、草食動物であるウシの歯は、草をよくかみくだけるようにできている。バッタの口は、食物をきざむのにつごうよく、チョウの口は、花のみつをすいやすくできている」
こういうことを生物の適応性というのだが、アリストテレスはこの事実にもとづいて、つぎのような考えをまとめた。
「植物は明きらかに動物のために、動物は人間のためにある。このようになにごともムダをつくらない自然は、万物を人間のためにつくった」「自然はなにごとも、目的なしにはつくらない」
つまり、自然界のすべての生物は、目的にかなってつくられる、という考え方だ。人間のためにつくった……を除いては、ここまではいいのだが、その先がちょっといけない。「ノミやカゲロウなどの下等なものは親なしに自然に発生する」また、「生命の根本は神であり、これが人間のからだをつくり、動かすのはエンテレキー(魂)≠ナある」と説明した。
神と魂……、しかしアリストテレスのまとめたこの考えは、近代になってだいぶ光がうすれたとはいえ、そののちの時代をとうとうと流れて、こんにちにまでつづいているものである。
天地創造の物語
アリストテレスの生命観とともにのちの世まで大きな影響《えいきよう》をのこした生命観に、もうひとつ、聖書にしるされた生命の誕生劇《たんじようげき》がある。キリスト教の旧約聖書の創世紀には、神によってすべてのものがつくられたという、いわゆる天地創造の物語が書かれている。
この世界のはじめはうすぐらかった。そこへ神さまがあらわれて、「光あれ!」といったので、光ができた。神さまは、これからたくさんの仕事をするのにまずあたりを照らしておかなくてはならないと考えたわけなのだろうか。つぎに、材料を整頓《せいとん》しておいたほうがつごうがよいので、神さまは、天使たちにこう命令した。
「水と空をわけろ」
「陸地をつくって植物を植えろ」
「空に太陽をつくれ、星と月をつくれ」
「魚と鳥と動物をつくれ」
天使たちがふうふういいながら仕事をやりおえると、
「これで世界ができたが、天使よりも、もっとましなものに管理させたいな」
と、神さまは思ったからか、粘土をかためて現在の人間の形をつくり、これに生命をあたえた。こうして人間は世界の管理人にしてもらったのである。創世紀には、これらの話が、もっとおごそかにしるされている。
このように、神は全世界を六日間で創造したのだ。七日目はお休み、つまり日曜というわけだ。こういう天地創造の話は、日本の『古事記』にも出ているから、読んでみたまえ。「伊邪那岐《いざなぎ》の神が目を洗うと、|天 照《あまてらす》| 大 神《おおみかみ》、月読《つきよみの》| 命《みこと》、須佐之男命《すさのおのみこと》の、とうといお子さまが生まれた」というようなおもしろい話がたくさんのっている。
この聖書の物語をもとにして、アウグスチヌス(三五三〜四三〇年)という神学者は、「生命がこのように地上に存在し活動していることは、全能の神のおぼしめしによるものだ」という考え方を確立したのだ。このキリスト教は、十四、五世紀ごろまで、ヨーロッパの人びとの考え方をつよく支配しつづけたのである。
ところで、聖書は、おもにユダヤ人の伝説や偉人の言行をしるしたものなので、不合理な話が多かったが、聖書を絶対なものだと信じていた当時の教会は、科学的な理論が出るのを極力きらって、これにさまざま弾圧《だんあつ》をくわえてきた。「神さまがおつくりになったものにけちをつけるとはなにごとだ」といったような態度をとったのである。そこで、科学が大きな力で発展するまでには、まだまだかなりの歳月が必要だったのだ。
錬金術師《れんきんじゆつし》の夢《ゆめ》
しかし、キリスト教万能の時代も、そうながくはつづかない。十字軍戦争(キリストの墓がある聖地パレスチナを回教徒の手から奪還《だつかん》しようとして、キリスト教国が連合軍をつくり、十二、三世紀ごろ、七回にわたって近東地方に出兵した戦争)が失敗したことから、教会の勢力が弱まってくると、教会の支配からのがれて自由に研究をしようという動きが現われはじめ、文学ではダンテ(一二六五〜一三二一年)、美術ではミケランジェロ(一四七五〜一五六四年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二〜一五二九年)などが現われた。これがルネッサンス(文芸復興)である。
それにつれ、科学の研究も、少しずつすすみはじめた。生命についても、「はたして霊魂はほんとうにあるのだろうか」という疑問をふたたび取りあげる人が出はじめたのである。といっても、科学の研究がこの時期になって、とつぜん復活したのではない。どんなに苦しいやりにくい時代でも、自分のすきな道をこつこつと勉強した人びとがいたのである。
ヨーロッパのながいキリスト教支配時代に科学の研究をつづけていた人びとのなかに、錬金術師がいた。錬金術師というと、なんだかインチキ師、ペテン師といった印象をうけるが、それは「鉛《なまり》や銀を金に変えてみせる」というようなまるで夢のようなことをいい歩いて人びとをだました少数の人の話がのこっているからだ。だが、科学、そのなかでもとくに化学は、錬金術師によって大きくその道がひらかれたことは事実なのである。
そのような錬金術師のひとりであるスイスのパラケルスス(一四九三〜一五四一年)は、「生命は化学的な現象だ」といったと伝えられている。これはまったくりっぱな発言なのだが、おしいことにこの人も、人間の意志とは無関係に動く心臓《しんぞう》などの部分については、「これはやはり神のみわざである」というより説明のつけようがなかったのだ。
2 生命は霊と物質の結合か
光りはじめる科学
化学ばかりでなく、ルネッサンスのおわりごろ、つまり十五、六世紀から、自然科学の正しい知識がしだいに豊富になってきた。
自然科学が、こんにちのように独立した学問ではなかった古代では、思想家が、宇宙《うちゆう》とか自然とかいったはかり知れない大きなものを相手《あいて》に、それらの動きや仕組みを考えていた。しかし、キリスト教の支配した中世が終わり、やがて神にかわって人間の尊さが見なおされるようになってから、人びとはまったく新しい角度から自然を観察し、地上の真理を解明しはじめた。もっとも、十六世紀のイタリア人ジョルダノ・ブルーノ(一五四八〜一六〇〇年)は、聖書に出てくるノアの大洪水《だいこうずい》は一回かぎりではないなどと、創世の物語にうたがいをもったかどでキリスト教会のさばきをうけ火あぶりの死刑にかけられるなど、その道もなかなかけわしかったが、しかし、勇気のある学者たちはそれらのぎせいをのりこえて探究をつづけ、やがて真理は神学者や神父の手から、新しい科学者の手へとうつっていったのだ。
コペルニクス(一四七三〜一五四三年)が説いた地動説も、ケプラー(一五七一〜一六三〇年)や、ガリレオ・ガリレイ(一五六四〜一六四二年)によって、さらに発展したのであった。
アンドレアス・ベサリウス(一五一四〜一五六四年)らの解剖学《かいぼうがく》も、ローマに君臨《くんりん》した神学におどろきをあたえることになった。こうして、天も地も、万物のすべてが神の国のものであるというそれまでの世界観に、これらの発見や学説ははかり知れないショックをあたえたのである。
やがて、十七世紀がくる。この世紀になっていよいよ新しい科学、とくに生物学は、独立の学問としてスタートする。ファン・ヘルモント(一五七七〜一六四四年)は、生物の化学変化、とくに呼吸や消化について研究した。また、ウィリアム・ハーヴェー(一五七八〜一六五七年)は、血液が規則的に循環《じゆんかん》することを発見した。ハーヴェーのこの科学史にかがやく発見は、古代人が考えていた生気論≠堂々と追放した。またかれは昆虫《こんちゆう》やホニュウ類の発生を研究して、「すべての動物は卵より生まれる」ことも主張した。
こうして、ひとつ、またひとつと、世界には科学の光がまばゆくかがやきはじめていく。そして、これらの発見や研究が、哲学者の宇宙や自然の仕組みを見つめる思想のうえにも反映しはじめていく。
ロウソクと生命
ルネッサンス時代のおもしろい生命観を二つ紹介《しようかい》しよう。その一つは、画家・彫刻家《ちようこくか》・技術家・発明家・思想家というあの万能天才レオナルド・ダ・ヴィンチの考えだ。ロウソクのほのおと、生命をくらべて、生命の特徴《とくちよう》を追求しているものである。――ダ・ヴィンチはいう。
「体内で一日に消耗《しようもう》される分量だけの食物を、生きているからだにあたえれば、その分だけふたたび新しい生活力がつくられる。これは、燃えているロウソクのほのおと同じような関係である。なぜなら、ほのおは、とけて流れているロウのたすけをかりて下のほうからたえまなく燃されているが、上のほうは消えたり、黒い煙となって死滅する」
このように、ロウソクのほのおは、燃えているあいだはほぼ安定した状態で生きている、ということになる。近代化学の父といわれるラボアジェ(一七四三〜九四年)も、生命をほのおにたとえたり、現在の生物学者も、この説を原則的に肯定《こうてい》して、「生命をささえている物質は、体内でたえまなく燃えては消え、燃えては消えているから、ある見方からすれば同じだということができる」といっている。つまり一本のロウソクを人間の一生にたとえれば、人間という生命体はロウソクとおなじように、その一生のあいだたえまなく燃えては消える活動をくりかえし、そのくりかえされるあいだ生きている≠ニいうことができるのだ。そしてこの活動がおこなわれなくなったとき、それはもう生きているとはいえない。たとえばワニ皮のバンドも、材木も、もはや単なる物質にしかすぎないのである。
動物は自動機械だ
「我おもう、ゆえに我あり」という有名なことばをのこした哲学者デカルト(一五九六〜一六五〇年)も、キリスト教神学の生命観をうちやぶって、新しい生命観をうちたてた。デカルトはこんなふうに説明している。
「動物は自分というものを考えない。いわば無心である。だから動物は一種の自動機械だ。そして、人間も動物であるいじょう、そのからだはやっぱり機械だということができる。けれども人間は、イヌやネコとちがって、ことばを話したり、考えたりできる高等な生物だ。だから、人間は精神と物との結合したものということができる。そして、人間のからだのどこかに、肉体と精神とをむすびつける霊魂のすまう場所がなければならない。それは頭の中の松果腺《しようかせん》の中央だ」
デカルトは、人間だけは魂と物とをあわせもったものとしているが、すくなくとも自分というもののない動物には霊魂の存在をみとめず、また万物のはたらきを機械として見ている点がおもしろい。
デカルトの思想はもちろん完全ではないが、しかし、思想の歴史の上ではたした役わりはじつに大きく、キリスト教の君臨した時代に新しい理性の夜あけをつくったということができる。そしてこの生命の機械論≠ヘ、生物のはたらきと機械のはたらきとのあいだにはじめて相似を発見した、意味ふかい考え方の誕生であった。
それから約三〇〇年、わたしたちはいまオートメーション時代をむかえ、人間という生命体と、電子自動機械あるいはそれに類する精密自動機械との差がいちじるしくせばまってしまった現状に当面している。これは、ある考え方からすれば、人間が機械となり、機械が人間にとってかわったといっていえないこともないくらいである。それから思っても、デカルトの思想は、たしかに卓抜《たくばつ》したものであったということができよう。
なお、この生命の機械論≠ヘ、その当時の科学者、哲学者に支持されて、ながく認められ、さらにこれはデカルトよりもなお極端な論客ラ・メトリー(一七〇九〜五一年)によって、生命をよりいっそう物理的・化学的にみようとした人間機械論≠ヨと発展していった。しかし、やがて、ラ・メトリーを代表とする人間を物質とみる見方だけでは説明しきれるものではないことがわかり、十八世紀後半から十九世紀のはじめにかけて、ふたたび生気論≠ェ頭をもたげることになってきた。――二十世紀は、機械論、生気論、あるいはそのどちらともどちらでないともいえないような新しい理論などが入りまじって、生命のふしぎはいまもなおさかんに追究されている。
医学は追究する
もしもわたしの家に、水泳《すいえい》でも、陸上競技でも、ボクシングでも、すもうでも、スイッチひとつでスポーツ百般なんでもできるといった便利な機械人形があったとしたら、わたしはがまんできずに、その人形のからだの中をあけてみるだろう。いったい、どういうしかけで、こんなにもすばらしい動作ができるのだろうかと。
生命のふしぎも、生命体の中味をあけてみれば、かならずそこからなにかがひきだせるだろうことは考える余地のないことだ。
まえにも書いたが、十六世紀はじめに、ベサリウスらによって解剖学のもといがひらかれると、それから急速に医学が発展し、ファブリチウス(一五三七〜一六一九年)の静《じよう》| 脈《みやく》| 弁《べん》の発見、ハーヴェーの血液循環の発見、くだって十九世紀にはいると、ミュラー(一八〇一〜五八年)、レーモン(一八一九〜九六年)ベルナール(一八一三〜七八年)らは、解剖学に物理学や化学を応用して、神経・脳《のう》・感覚器・内臓《ないぞう》などの機能をつぎつぎとつきとめていった。とくにノーベル医学賞をうけた二十世紀ソ連の大学者パブロフ(一八四九〜一九三六年)の生理学の研究はすばらしく、人間を万物の霊長たらしめた、人間の機能のうちでももっとも神秘的な心≠ニか思考力≠ニかいったものは、じつは大脳という生きている物質のはたらきであると証明した。そして生理学は、やがて本能とか、記憶《きおく》とか、感覚とかについても、そのはたらきの仕組みをつきとめていった。
細胞《さいぼう》の発見
いっぽう、生理学とはべつに、オランダのヤンセンやレーウェンフック、フックの発明した顕微鏡は、微小の世界に科学の光をなげかけた。ガリレオの望遠鏡が遠く天界の神秘を見とどけたとするならば、顕微鏡の発達は生命の探求のためにどれほどの役わりをはたしたか、はかりしれないものがある。
一六六五年、イギリスのフックは、コルク(木の皮)をうすく切って顕微鏡でのぞいてみた。すると、木の皮は、ハチの巣のようなたくさんの部屋からできていることを発見し、かれはこれを細胞≠フあつまりであると説明した。しかし、このときの木の皮の部屋は、死んでいる細胞の外がわにすぎず、生きている細胞の発見はそれからずっとのちのことになったが、それはともかく、この細胞の発見は、一八三八年にドイツのシュライデン、シュワンが発見した「すべての動植物はすべて細胞のあつまりによってできている」という細胞説≠生ましめるに至ったたいせつなきっかけをつくったものである。フックの細胞説は、いっぱんに信じられて、後継者《こうけいしや》たちによりさらに研究がすすめられ、一八三一年、イギリスのブラウンは、精密な顕微鏡のたすけによって、ついに生きている細胞の核《かく》≠発見することができた。核とは、文字どおり|もと《ヽヽ》であり、これが生命にはとくにたいせつなものである。しかも核を失った細胞はもはや分裂してふえていくことができないのだから、この発見がどんなに重要だったかがわかるだろう。
細胞の研究はそののちも熱心につづけられ、細胞の構造とか、細胞をつくっている物質とかまでも科学者たちはつきとめていった。そして細胞説は、もう説ではなくなり、科学的にはっきり実証できる細胞学として位置づけられたのである。ところで、細胞をつくっている物質と、生命との関係について、現在つぎのような意味ふかい学説がだされているから紹介しよう。
「われわれ生物のからだは無数の細胞からつくられている。その細胞は、大部分、タンパク質という物質からつくられている。そのタンパク質は、もっとも複雑な仕組みをもった最高級の有機物である。その有機物のはたらきで細胞が生き、その細胞によって生物は生きている。しかも生物は、その生命を生きつづけさせる有機物を自分自身でつくっているのだ」
これはなかなか重要な考えで、これに従えば、もはや生命はすこしも神秘的なものでもなんでもないものになる。最高級の有機物のタンパク質が人工的につくられさえすれば(じつはそれがなかなかつくれないところに生命の神秘があるのだろうが)、細胞もでき、細胞のあつまりである生物もでき、生物は生きつづけることによってみずからタンパク質を補給することができるというわけである。生命を人工的に創造しようというこんにちの夢は、あるいはこういうところからひろがってきたものらしく思われる。
自然発生説の否定
顕微鏡といえば、この科学の実験上に欠かすことのできない便利な器械は、年のたつにつれ発達していき、前にものべたように、フランスの生物学者パストゥールはこの器械のちからをかりて肉眼で見ることのできない小さな微生物をいくつも発見したが、さらにかれは、ウジなどはむろんのこと、これらの微生物さえ、親とか母体となる生命体から繁殖《はんしよく》するものであることを証明した。
パストゥールは、肉スープをほうっておくと、まもなくくさって、その中に無数の微生物が見られるようになるのに注目し、これは一見なにもないところから自然に微生物が発生したように見うけられるが、けっしてそんなことはないはずだと考え、さまざまの実験のすえ、空気中にいる微生物が肉スープにとびこんで繁殖したのだということをつきとめたのである。これによってかれは、それまでの神がかった生命の自然発生説にとどめをさしたと同時に、この発見によって、そのへんにいくらでもいる有害な細菌《さいきん》から人体をまもる予防法、消毒法もうちたて、医学上特筆すべき大成果をあげることができた。
生物は進化する
さて、細胞学にしても、生理学にしても、つねにいま目の前にある生物をもってきて、それを実験室のなかであつかう学問であるが、しかし、つぎにのべるイギリスの生物学者チャールス・ダーウィン(一八〇九〜八二年)の研究は、これらとだいぶ立ち場がちがっている。対象から遠く遠くはなれて、生命のながれ、あるいは生物のありかたを、時間のうつりかわりのうちに説明しようとするものである。
ダーウィンは、二十二歳のとき、軍艦《ぐんかん》ビーグル号に便乗して、南アメリカや南太平洋の島々を航海してまわり、それらの地方の地層や動植物、地層にうもれた化石などをくわしく調べて、五年ののち、イギリスに帰ってきた。豊富な見聞を得てきたかれは、このとき、胸のなかに、「生物はながい年月のうちに、ある原因によって、単純な組織《そしき》のものからしだいに高度な組織のものへと進化していったのではなかろうか」という考えをいだきはじめ、それからのかれはこの仮定を証明するために、二十年にわたってこの問題ととりくみ、一八五九年、ついにかの有名な『種《しゆ》の起源』を発表したのである。これは細胞説や、エネルギー不滅《ふめつ》の法則の発見とともに、十九世紀の三大発見の一つといわれる進化論≠フ確立だったのである。
ダーウィンの説いた要旨《ようし》はこうである。
「すべて動植物は、あらゆる種類が例外なく多産である。また生物界には、生物の個体どうしのあいだで、強いものが勝ち、弱いものが負けるという生存競争がつねにおこなわれている。――さて、さまざまな生物がうみおとすおびただしい数の卵や子どもがそのままぜんぶ親になるとしたら、一種類の生物だけでも、たちまち地球上がいっぱいになってしまう。そこで、じっさいには、卵や子どものほとんどが生存競争のために死んでしまって、ごく少数のものだけがかろうじて親となり、この親がのちにまた卵や子どもをうむことになる。では、そのごく少数のものは、どのような理由から生きながらえることができるのか?――それは、すべての生物に変異≠フ現象があるからだ。たとえば同じ種類の生物のなかにも、生活する環境《かんきよう》にうまくかなったからだのつくりや性質をもつ(つまり環境に適応した変異をもつ)少数の個体ができるため、これが生存競争に勝ちぬき、生きのびていくことになるのだ。この、生きるのにつごうのいい性質をもった個体は、その有利な変異を子につたえる。変異は遺伝《いでん》する性質をもっているからである。そこで、この有利な変異は、その子からまた子へ……といったぐあいに、何代も何代もくりかえされていき、やがてはどの生物も、みないっそう環境によくかなったものへと変化(進化)していくことになるのである」
ダーウィンのこの考えに対して、こんにちの生物学者たちは、変異がひろく遺伝する性質をもっている、とばかりはいえないといい、また進化論をそのままそっくりうけついでいるわけでもないが、しかし、生物の進化ということに対しては、もはやだれひとりとしてうたがうものはいない。ダーウィンの理論は、永久不滅のすばらしいものだったのである。
生命の発生については、ダーウィンはほとんどふれていない。そして、下等な生物は、さらにそれより下等の生物からできてきたものだとだけのべている。
人間についても、十九世紀のそのころでもまだキリスト教絶対の風潮《ふうちよう》があったため、「人間の進化を書けば、きっと人びとがさわぎだし、進化の考えそのものもおしつぶされてしまうだろう」とおそれて、人間はサルに近い種族から進化してきたものらしい、とだけかんたんにいい、事実をあげてくわしく証明することはさけている。――人間が類人猿《るいじんえん》(チンパンジー、オランウータンなど)と共通の祖先をもって進化してきたということを、多くの証拠《しようこ》をあげてだいたんに発表したのは、ダーウィンの友人のハックスレイで、一八六三年に著した『自然のなかの人間の地位』という本のなかにおいてであった。これに対して世間の人びとは、「人間が類人猿の子孫だって? へえ、あきれた。人間をぶじょくするにもほどがある。もしそれがほんとだとしても、わたしたちはやはり神の子孫だと考えたいね」と、まゆをひそめたことはいうまでもない。
生物は物質である
わたしは、いままでざっと、古代いらい今世紀のはじめまでの、多くの人びとの生命観、生物観のうつりかわりのあらましをながめてきた。それもおもに生物学や医学の分野からながめたもので、天文学、地質学、物理学、化学などというほかの分野からの追究はあとのほうでふれることとしてここでは割愛《かつあい》した。
ところで、みなさんは、ここまで読まれてきて、ながいながいあいだにわたる生命観、生物観のうつりかわりの第一の特徴は、どういうことだったと思われたろうか。
そうだ。生命ならびに生命の具体的現象である生物が、「神秘なものから物質とみられるようになってきた」ということだ。高級な有機物であるタンパク質からなる細胞のあつまりだとも考えられるようになってきたし、数千種もの複雑《ふくざつ》な化学分子の組み合わせだとも考えられるようになってきたことだ。文明の発生いらい約六〇〇〇年間、生命・生物ととりくんできた人類がかち得た第一の収穫《しゆうかく》がこれだったのである。
では、その生命・生物とはどんな物質で、それはどのようにできているのか。また、どうしてそのように考えることができるのか――これからいよいよ二十世紀の科学の世界にはいっていくことになる。
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二、生命のできるまで
1 生命はどこからおこったか
みなもとへの関心
あなたは生きている。わたしも生きている。そして、あなたやわたしと同じなかまの人類は、いまこの地球上に、二十数億と生きている。
人類ばかりではない。約一〇六万種ほどあるといわれるありとあらゆる動物、約二九万種ほどあるといわれるありとあらゆる植物の現在全生存数を合わせたら、いったい、どれほどぼう大な数になることだろう。どれほどぼう大な数の生命がこの地球上に生きていることだろう。
それらの生命、生物が、いつ、どこから、どんなふうにしてはじまり、どんな過程をへてこんにち見られるようなすがたになったのか。――これはすごく興味ある問題だ。他人の問題ではない。それぞれみなひとりひとり生命をもっているわたしたち全部の問題だ。
ではその答を求めて、わたしはまず地球の生い立ちの調査からとりかかることにする。地球の誕生《たんじよう》と、生命の誕生……そこになにか密接な関係があるらしく思われるのは自然な考え方である。
地球はどのようにしてできたか
地球の創成についてはいろいろな説があるが、そのいずれの説でも、地球が生まれた当時は地殻《ちかく》もなく、海もなく、空気もなく、したがって現在見られるような地質現象のまったく見られない天体だったという点では一致している。
カントやラプラースの星雲説=Aジーンズの潮汐説《ちようせきせつ》=Aジェフリーズの衝突説《しようとつせつ》≠ネど、これまでにも有力な学説がいくつもあったが、こんにち、もっとも多くの天文学者が支持している学説は、ソ連のシュミットやワイゼッカーの提唱する宇宙塵説《うちゆうじんせつ》(隕石説《いんせきせつ》ともいう)≠ナある。これはカントやラプラースの星雲説を新しい立ち場から見なおした学説であり、地球をふくめた太陽系|惑星《わくせい》の起源を、宇宙塵(ガス状物質や固体|粒子《りゆうし》)からなるつめたい原始星雲においている。
宇宙にはおびただしい数と星の宇宙塵が充満しているが、太陽のそばのこの宇宙塵が、宇宙間のある物理現象によって、太陽のまわりで複雑なうずまき運動をおこしはじめた。このとき、宇宙塵物質(おもに固体粒子)がたがいに衝突したり化学変化をおこしたりして、ある場所にそれらが多く集積し、これがつもりつもって地球やそのほかの惑星になったのだという。そして、太陽からわりに近いところのものは、太陽の熱の影響《えいきよう》で、揮発《きはつ》しにくい岩石質の固体粒子がおもに集積して、水星、金星、地球、火星などのいわゆる地球型惑星となり、また太陽から遠いところのものは、そこがひじょうに低温だったために、メタン、アンモニア、炭酸ガスなどの揮発生物質の粒子がおもに集積して、木星、土星などの大惑星ができたのだと説明している。
ところで、このようにしてできあがった地球上に、現在でもなお多くの微細《びさい》な宇宙塵や、塵《ちり》とはいえないほど大きなものだがやはり一種の宇宙塵とみられる隕石がふりそそいでいる(シュミットの推定では一昼夜に数トンの隕石がふっているという)。これらの天からの来訪者《らいほうしや》は、地球形成過程のなごりであると考えられ、そこで宇宙塵説を隕石説ともよんでいるゆえんがあるのである。
では、原始星雲の中で、固体粒子の集積がはじまってから、地球が現在の大きさとほぼ同じくらいになるまでに、どのくらいの年月がかかったのだろう。ワイゼッカーは一億年たらずといい、またシュミットは数億年といっているが、これらのどちらも地球の全体の歴史からみるとずいぶん短い期間といわなければならない。なぜなら、最近の学説によると、地球はその発生時からこんにちまでに約五〇億年ないしはそれいじょうたっているといわれているからである。
ジーンズのとく潮汐説≠こんにち支持する学者はほとんどいない。これは、地球と月との引力関係によって地球上の海水が満《み》ち干《ひ》するように、高温で燃えている原始太陽のそばを他の恒星《こうせい》がとおりすぎたとき、両者間の引力関係によって、原始太陽の一部(ガス状物質)がひきちぎられる。そのガス状物質は、とおりすぎていった恒星の影響によって太陽のまわりをまわるようになり、やがてそれが凝縮《ぎようしゆく》して惑星になったのだと説明している。つまり、この地球も、潮汐作用によって、太陽からほうりだされた高温のガス体が凝結して火の玉となり、やがて冷却《れいきやく》して現在の地球になったのだというのである。シュミットなどがといた「つめたい固体粒子の集積」という宇宙塵説にくらべて、潮汐説は「高温のガス体の凝縮」と、まるで論拠《ろんきよ》がちがっている。
さて、いまいくつかあげた説のうちのどれがあたっているのかは別として、地球はながい年月をへて、しだいに現在の地球に近い地質の状態になり(これまでを先地質時代という)、これから、大気、海洋、陸地の形成がはじまっていく(これからを地質時代という)。
プライヤーや、ヘッケルは地球のおいたちを潮汐説においたので、生命体のもとは、地球がまだ赤熱の火の玉だった先地質時代にすでに生存していたらしいといい、プライヤーは、「地球の強力な運動は生命力の発現であり、地球全体が巨大《きよだい》な生命体とさえ思われる。そしてこの生命力が、地質形成の過程のうちで、無機物(生きていないもの)と有機物(生きているもの)をつくりだしていったのだ」と生命観を宇宙にまで拡大して考えているが、いっぽう、ヘッケルのほうは、もっと論理的に、「地球の赤熱時代にすでにあったかんたんな窒素《ちつそ》や炭素をふくんだ化合物が、地殻《ちかく》の凝固につれて複雑な窒素炭素化合物にかわっていき、それがさらにタンパク質を形成して、やがて有核細胞を生成していったものと思われる」と、生命体を進化したものとしてのべている。
あとでくわしく紹介するけれども、現代の生物学界に大きな波紋《はもん》をなげかけたソ連のオパーリン(一八九四年〜)の説も、このヘッケルの説に近いもので、かれは、「生命はあくまで地球から発生したもので、たいへんながい年月をへて、無機物から有機物に、さらに生命体へと進化したものである」と断定している。
生命は宇宙を渡ってきた
ところで、生命は地球上に自然発生したものだとか、エンテレキーによって偶然《ぐうぜん》につくられたのだとかいったようなむかしの人びとの考えをいま聞くとわたしたちは笑いだしたくなるが、では、「生命は宇宙から地球に渡ってきたものだ」といったら、みなさんは、どんな顔をするだろうか? けっして笑ったりはしないと思う。キョトンとするだろう。あるいはそういうことも考えられないことはないと、考えぶかい顔をするかもしれない。人工衛星や人工惑星をとばすことができた時代だし、イヌ、サルにつづいて近く人間だって宇宙の中へとび出ていくことができそうな時代である。地球上の生命体が宇宙に出られるものなら、もし宇宙のどこかにも生命体があるとしたら、それが逆《ぎやく》に地球に渡ってくるということもとうぜん考えられることである。
パストゥールより一世紀まえの万有引力≠発見した大学者ニュートン(一六四二〜一七二九年)は、はるかむかしに、彗星説《すいせいせつ》≠ニいうめずらしい説を発表したことがある。「彗星のしっぽからとびだしたタネが地球におちてきて、それが植物になったのではないか」というのである。これは、生命が天からわたってきたのではないかとする説天来説≠フさきがけともいえる画期的な考え方であった。
十九世紀になって、天文学の研究がすすみ、隕石は宇宙から地上に落ちてくるものということがはっきりすると、「隕石には生命をはこんできたらしいようすがある」といいだす学者が出てきた。ちょうどパストゥールが、すべての生命は親からでないと生まれないと断言したころだったから、どう考えても調べてもわからない生命の起源を、宇宙に求めようとしたのも無理からぬことかもしれない。いや、いちおうの理屈《りくつ》はあったのだ。リービッヒやヘルムホルツなどの化学者、物理学者は、隕石を調べて、そこに有機化合物(炭素をふくんでいる化合物で、すべての生物体の構成物質である)があることを発見し、このような成分をもっている隕石はおそらくどこか生物のいる星からはこばれてきたのかもしれないという意見をのべたからだ。ところでもしこの説がほんとうだとすると、隕石が活動できるかぎりの宇宙空間にはどこにも生命があるということになると同時に、逆の見方からすれば、隕石のある宇宙空間には生命が満ち満ちているということにもなってくる。そしてこれなら、宇宙のつづくかぎり、どこまでいっても生命の祖先がゆきづまる心配はない。これを生命永久存在説≠ニいう。
しかし、いまではこの説はほとんど支持されていない。なぜなら、隕石のできかたについて以前は、地球のような遊星が爆発《ばくはつ》してできたのだとか、遊星どうしが衝突してこなごなにこわれてできたのだとかと考えられていたが、こんにちでは、宇宙塵が集まってできたとする説や、ごく小さな星がぶつかってこわれて隕石となったとする説のほうが有力になってきたからである。こうなると、とうぜん、隕石は生物のいる星からやってきたとは考えにくくなってくる。
つぎに、生命の小さなタネが、隕石のたすけもかりずに、宇宙空間を流れて、地球にたどりついたとする生命の天来説≠熄oてきた。それはこういうものだ。
餠《もち》につく青カビなどのような微生物のうちには、小さな胞子《ほうし》が風にのってとんでいき、それが栄養物にたどりついて温度や湿度《しつど》が適当になると成長をはじめるものがある。この胞子のようなごく軽い生物が、宇宙空間を流れて、星から星へと旅行していき、やがてわたしたちの地球にも生命をもたらしたと考えるものだ。二十世紀のはじめに、電解理論でノーベル賞をうけたアレニウスによって発表されたこの生命胞子の宇宙旅行説≠ヘ、これまでかなり有力な説の一つとされてきた(銀河系宇宙の中には約一〇億個にのぼる生物のいそうな惑星があるといっている天文学者もある)。
ところで、胞子のような軽い生物体の宇宙旅行は、太陽の光圧にのって、宇宙の真空状態のなかを少時間おこなわれるのだという。光圧というのは、太陽光線に圧力のあることで、それは彗星の尾がいつも太陽の反対がわに向いていることでもわかる。さいきん話題になっている光子ロケットというのも、この光の圧力を推進力として宇宙を飛ぼうとするロケットのことだ。このように、太陽をはじめそれに類する恒星の光圧により生命の胞子が宇宙旅行をすることが事実としたら、またこの宇宙空間の多くの星々に生物がいることが事実としたら、これらの生物はみな親類ということになってくる。
なお、アレニウスの説でかわっている点は、生命の胞子がよその星からくるばかりでなく、地球からも微生物の胞子が宇宙にとびだしているといっていることだ。風や上昇《じようしよう》気流にのって空高くふきおくられた胞子は、高空でおこる雷《かみなり》によって速力をつけられ、地球の引力外にとびだして太陽の光圧によって宇宙旅行をはじめるという。人間が人工衛星などをうちあげるずっと以前から、そうしたかわいい微生物の胞子は、宇宙を舞台《ぶたい》の大冒険《だいぼうけん》旅行をおこなっていたのだろうか。
もっとも、このアレニウスの説をふくめたいくつかの生命天来説には、さいきん異論をとなえる人も出だし、その人びとは、地球とほかの星たちのあいだの距離《きより》がとほうもなくはなれているので、胞子が光圧にのって走ったとしても長時間その生命はもちこたえられない、また、宇宙にはきわめて強力な紫外線《しがいせん》があるからむずかしいなどといっている。
ところで、これまでのべてきたいくつかの説も、まだ少しも生命そのもの≠フなぞを解きあかしてはいない。これまでの説のどれかによって、生命が地球に存在するようになったことがわかったとしても、ではその生命そのものはどこでどうしてできたのかという疑問はいぜんとしてのこる。アレニウスも、この疑問には、はっきりした説明をおこなわず、「これは科学では解決できない問題である」とあっさり片づけている。
では、どこで、どうして生命のきざしがみられたのだろう? その前に、少しわき道にそれるが、地球以外の宇宙のどこかに生物がすんでいるかもしれないと一部の人びとが考えている、その考えの根拠《こんきよ》をかんたんにさぐってみよう。
空とぶ円盤
第一に、いま全世界にさまざまの話題をまきちらしている空とぶ円盤≠調べることにする。
一九四七年六月、アメリカの一実業家が、自家用飛行機を操縦《そうじゆう》して旅行のとちゅう、前方の山の上を編隊を組んで飛んでいる九つの円盤状のものを発見した。当時はまだ超音速《ちようおんそく》ジェット機ができていなかったので、ものすごいはやさで瞬間のまに消えていったその円盤がなんであるかが大問題となり、まだいっぱんに公開されていないアメリカ空軍の新型機か、あるいはアメリカの領空をおかした他国の航空機か、あるいは地球外の星からやってきたおそるべき宇宙艇《うちゆうてい》かと、さわぎはたちまちひろがっていった。
空とぶ円盤の目撃者《もくげきしや》は、そのごも世界中からたくさんあらわれ、またそれがアメリカのものでも、よその国のものでもないことがわかると、人びとの想像は、「宇宙のどこかにいる高級な生物の乗った宇宙艇」という方向にしぼられていった。この円盤は、レーダーにうつることもあったし、明瞭《めいりよう》ではなかったがカメラでうつすこともできたという。また冥王星《めいおうせい》の発見者である天文学者のトンボー博士ですら、たしかに目撃したとのべている。しかし、現在までのところまだ科学的にその存在を確認するところまでいっていないので、空とぶ円盤はなにかの見あやまりではないか、たとえば気球とか、なんらかの気象現象とか……といってその存在をみとめない学者もたくさんいる。それはともかく、宇宙時代にはいったこんにち、この現代のなぞを、なぞとしてそのままほうっておくわけにもいかないので、アメリカをはじめ各国では、政府あるいは民間団体の手によって、この空とぶ円盤の調査がはじめられた。
宇宙人あらわる?
ところが、一九五二年九月十二日の夕がた、アメリカ西部の小さな町で、ここにまた一大珍事がひきおこった。空とぶ円盤が地上に着陸し、その中から、なんともいえない奇妙な宇宙人があらわれたというのである。
六人の少年が遊び場で遊んでいると、すぐ近くの空を横切って丸い物体がとんでいき、それはつっと近くの丘《おか》の上に着陸した(この物体は同時刻ごろほかの地方にも見えたという)。あたりがうす暗くなりはじめたころだったので、少年たちはいったん家にもどって懐中《かいちゆう》電灯をもちだし、ひとりは母親にもついてきてもらって、丘にむかった。するとそこに家くらいの大きさの丸いものがあり、その丸いものは光を明滅《めいめつ》させていた。そしてその近くからおどろくべきものがあらわれ出てきたのだ。
背《せ》の高さは四メートル以上、人間に似た形をし、顔はまっか、目は緑色、ひどいにおいをだしながら、ピョンピョンはねはねこちらに近づいてきた。
むろん少年たちも母親も目をでんぐりがえしてびっくりし、あわててにげ帰ってきて、このことを町の人に急報した。しらせを聞き、そのつぎに町の人びとが丘にのぼったときには、もう丸い物体も、おそろしいすがたの生き物も、そこにはなにもいなかった。しかし、地面にはひどいにおいが残っていたし、生き物のいた草むらにはスキーのソリのあとのようなものがついていたので、そこになにかがあらわれたということはたしかだったらしい。後日、都会からそれを調べにきた人びとも、そのことだけはだいたいみとめていったようである。
これに似た事件は、南米ベネズエラのいなかでもおこった。一九五四年十二月二十八日の夜、ふたりの農夫がトラックを走らせていると、前方に、直径《ちよつけい》三メートルぐらいの光の玉が、地上二メートルぐらいの高さで浮かんでいた。ふたりとも車からおり、近よってみると、なにか小さなグニャグニャしたものが、いきなりふたりにとびかかってきた。
それはふしぎなすがたをした小人《こびと》で、おどろいた農夫がナイフをとりだしてその生き物を突《つ》きさしたところ、グニャグニャした皮膚《ひふ》にはまったく刃《は》がささらなかった。小人はさらに二、三人ふえ、必死に抵抗《ていこう》をつづける農夫たちにまつわりついてきたが、やがて思うようにいかないと見かぎると、小人たちはとつぜん目もくらむような光線を農夫たちにあびせ、自分たちは光の玉にのりこんで、夜空はるかにとびさってしまったという。
この事件は、この地方でつづいて三回もおこり、農夫たちはみななんらかの負傷《ふしよう》をうけたらしい。そしてその傷《きず》あとから察して、この事件の加害者は地球上にいる生物ではないようだと考えられている。
ところでこの種の事件は、そのごどこにもおこらず、したがって調査をつづけることができなくなったために、はたしてそれが宇宙人の飛来だったかどうかということは判断のつけようがない。また、空とぶ円盤からあらわれた宇宙人の話というのにはでたらめなつくり話も多いので、どの話も真偽《しんぎ》のほどはあいまいだが、しかしいまあげた二つの話はそのうちでもいくぶん信用度の高い話とされている。
太陽系宇宙の生物
空とぶ円盤や宇宙人がはたして実在するものかどうかは別問題として、いまかりに空とぶ円盤や宇宙人が実在しているものとしたとき、ではそれがどこからやってきたか、また宇宙のどこにそんなもののいるところがあるかということを、ここでちょっと考えてみたい。
このばあい、現代の科学の段階では、地球が属している太陽系宇宙はその対象からはずされるようである。
地球の衛星の月には、生物はまったくいないとされている。下等なコケのような植物があるとか、地球からは見ることができない月の裏面になにかがあるかもしれないなどといっている人もあるが、はっきりいえることは、月には円盤や宇宙人が存在すると思われる科学的根拠がまったくないということである。
火星には、むかしから生物がいるらしいといわれてきたが、どうもここにもそれほど高等な生物はいそうもない。運河とよばれている筋《すじ》が見えたり、ラオコーンのなぞとよばれる動く斑点《はんてん》が見えたり、季節によって火星面の色の変化がみとめられたりするが、それらのいずれも高等生物が存在するという裏づけにはならないようである。火星上の自然条件に地球のそれと似ている面があるので、もしかしたら地球にある植物のうちのどれかは火星にもあるだろうとは考えられる。それも、それらの植物が火星から地球へ、というよりも、地球から火星にとんでいったと考えたほうがよさそうである。なぜなら、火星にははじめから海がなかったと考えられているので、生命は海から生まれたというこんにちの学説にもとづくと、火星には生物がおこりえなかったことになるからである。
金星にも、地球にあるような生物のめばえる素地がない。酸素と水がほとんどなく、温度もまたすこぶる高いからだ。
水星は金星よりもっと暑い。しかし、水星には大気もあり水もあり、また暑いのはいつも太陽にむいている一面だけだから、高温と低温のさかい目にはあるいは生物がすめないともかぎらない。そんな点から水星はこれからの宇宙時代の基地の一つとしてマークされたようだが、それにしても、おそらくそこにも人間に類する高等生物がいるなどとはとても考えられない。
では、木星からさきの惑星たち、すなわち木星、土星、天王星、海王星、冥王星にはどうだろうか? これらの星たちは、いずれも零下《れいか》一五〇度以下の低温で、しかもメタンやアンモニアの大気につつまれているから、こんな状態では、生命の発生に欠かすことのできない物質、複雑な有機物質であるタンパク質などはつくられないだろうと考えられている。(メタンやアンモニアが雷の作用でアミノ酸になり、これからタンパク質がつくられることはあり得るが、すごい低温という悪条件によってタンパク質は発達しないにちがいない。このことについてはあとの章でのべる。)
しかし、木星には、木星の環境《かんきよう》にそって発達した木星型生物≠ェいる、と考えている学者がいる。ソ連の天文学者テイホフや、イギリスの天文学者クラークたちである。
地球上の生物はすべて水に依存《いぞん》しているが、木星の生物は水のかわりに液体メタンに依存している。また、地球上の動物がすべて酸素を呼吸《こきゆう》しているように、木星の生物はフッ素を呼吸している。つまり、木星型生物は、メタンの海をおよぎ、フッ素を呼吸し、アンモニアを栄養物として生きているというのである。生存の環境がこのように地球上とはまったくちがうので、それがどんなすがたの生物かは想像もつかない。そしてこの生物も成長や繁殖《はんしよく》をするとしたら、その生命体の組織は地球上の生物とはまたまったくちがったものであるにちがいない。もっともこの説は、あくまで学問上の仮説であって、むろん確証あってのことではない。
はてしない宇宙には
さて、高等生物のいそうな星は太陽系にはないらしい、とすると、では太陽系以外のひろい天体のどこにそんな星があるのだろうか?
この質問に答えて、アメリカの天文学者カイパーは、つぎのような興味ある考えをのべている。
「わたしたちの太陽系が属している銀河系宇宙には、無数の恒星《こうせい》(太陽のように動かない星)があるが、そのうち、太陽に似た恒星は約一〇〇〇億ある。この一〇〇〇億の一割、一〇〇億の恒星はそれぞれ遊星(惑星)をもっていると考えられ、さらにまた一〇〇億の一割、一〇億の遊星には生物がいるらしく思われる。高等の生物は、さらに一〇億の一割、一億の遊星にいるのではなかろうか。つまり、銀河系宇宙のなかには、地球によく似た星が一億もあり、その一億の星にわたしたち地球人と同じような高等生物がいるのではないかと考えられるのである」
ひと口に一億といっても、この数はなかなかたいへんな数である。人口密度の多いことで世界に知られている日本の総人口だってまだ一億には達していない。ところで、たとえば九〇〇〇万からいる日本人のなかに、大天才もいれば、ぼんくらもいるのと同じように、一億からある遊星のなかにだって、空とぶ円盤を駆《か》って地球に突進《とつしん》してくるようなずばぬけた高等生物のいる星がないとはいえないだろう。もし、銀河系宇宙の状態がカイパー博士の説のとおりだとすれば、そういうこともたしかに考えられるわけである。
この大宇宙には、銀河系宇宙のほかにも、約二〇〇億もの星団宇宙があるという。そしてそれらの星を一つ一つかぞえていったら、どれほど莫大《ばくだい》な数字になるかはかりしれない。……生物のすんでいる星……わたしたちは、光をまたたかせながら無限にひろがっている美しい星空を見あげるとき、この中のどこかにかならずそのような星がいくつかあるにちがいないと想像されてならない。もっともそこから生命のタネが地球にやってきたかどうかは別問題としてもである。
想像はたのしい。しかし、事実の発見はそれよりいっそう大きな喜びだ。こんにち急速に発達してきた宇宙飛行の科学がみごとな実をむすび、大空せましと縦横《じゆうおう》に宇宙ロケットが大活躍《だいかつやく》するとき、生物のいる星と、そこの生物そのものは、わたしたちの心を大きくゆさぶって、わたしたちの前にそのすがたをまざまざとあらわすことだろう。
科学小説にあらわれた宇宙生物
他の天体にも生物があるかもしれないという想像は、とうぜんのこと、小説家たちの頭を刺激《しげき》して、こんにち、宇宙生物をあつかった科学小説は世界にかずかずある。
タコのような火星人が地球を攻撃してきてあばれまわり、最後に、地球のバクテリヤにおかされて死んでしまうという話や、宇宙生物が海底に住みつき、しだいに陸上に攻めてあがってくるという話等々……。つぎに紹介するのも、そんな種類の科学小説である。いつの日にか地球上にこんな事件もおこることがあるだろうか。
ある生物が、なにもない広い宇宙の空間に、何千年、何万年というながいあいだ、ただよっていた。それはカビの胞子《ほうし》のようなかわいた状態で食物を待ちつづけていたのである。
しかし、あるとき、その奇妙な生物は引力をうけて、流れ星といっしょに一つの惑星《わくせい》――地球の上に引き寄せられたのだ。
「なにか変なものがありますよ」と、フランクという農夫が、夏休みでいなかにきているミチールズ教授に報告にきた。
「いったいどんなものだ?」教授がたずねると、
「岩です」と農夫は答えた。
「岩ならなにもさわぐことはないじゃないか」
「しかし、その変な岩は、わたしのスキを五センチばかり溶《と》かしたのですよ」
そこでミチールズ教授は農夫のいう岩を見に出かけた。その物は道路のそばの溝《みぞ》のなかにあって、トラックのタイヤぐらいの大きさで、堅そうに見えた。厚さは三センチぐらいあって黒く、表面には複雑なスジがついていた。手を近づけてみたが、べつに熱はないようだ。
「ちょっとそのスキを貸してくれ」
教授がスキをその上にのせてみると、スキの先はさらに三センチも溶けた。そこでこんどは土をふりかけてみると、土はたちまち岩のなかに溶けてすいこまれてしまう。大きな石をぶつけてみても、やはり同じように溶けて、すいこまれてしまうのだ。
その奇妙な物体、つまり宇宙から地球にまぎれこんできたえたいのしれない物体は、あらゆる物を自分のなかにとりこみ吸収《きゆうしゆう》して成長する生物だったのである。風があたれば、その風のエネルギーをとりこみ、太陽の光をうければ、すかさずそれも吸収した。雨も、土も、みな吸収消化されて、この生物の細胞となっていく。このようにしてやがてその物体は直径二メートルにもなった。
さて、ついに交通の邪魔《じやま》になりはじめたこの物体をとりのけようとして、警官たちがやってきて、鉄の棒をその下に入れて動かそうとしたが、鉄の棒はたちまち溶けてしまって役に立たない。つぎに火焔《かえん》放射器をもってきて、その物体にものすごいほのおを十五分もあててみたが、やはりなんの変化もない。大ヅチなどでたたいたがむろんだめだった。
警官隊はついに手をあげ、こんどは軍隊がよばれてその作業がひきつがれたが、それでもやはりだめだった。物体の上に乗りあげた軍用車はぐずぐずに溶けてすいこまれてしまうし、打ちこんだ弾丸も同じことだったし、仕掛けた爆薬からもエネルギーを吸収してしまうといったあんばいで、まったく手のつけようもなかった。そして、物体は、吸収した物質やエネルギーで成長していくうちに、ついに直径が数百メートルにもなり、ミチールズ教授の別荘《べつそう》ものみこんでしまったのである。
もはや、ふつうの方法では、このおそるべき物体を破壊《はかい》することはできない。そこで、原爆攻撃が加えられたが、それすらも失敗におわってしまった。大きな爆発力も、放射能も、すべてそっくりすいこまれてしまい、かえって物体はそのために飛躍的《ひやくてき》に大きくなってしまったのだ。
ミチールズ教授をはじめ、多くの学者たちが集まって、まずこの物体がどういう種類のものであるかを考え合った。
「エネルギーをとりこんでは成長し、物質を取りこんではエネルギーに変えているのだから、これは一種の生物とみるべきだろう。しかも、これは地上のものではなく、宇宙からやってきたおそるべき生物だと考えざるをえない」
このような結論になった。まったくこれはおそるべき生物にちがいないのだ。そして成長の割り合いからみると、まもなく地球までもたべつくしてしまうかもしれないし、それにこの調子だと、地球をたべつくしたつぎには、太陽をもたべつくしてしまうかもしれないのだ。いや、もしかしたらこの生物は、これまでにもすでにいくつかの惑星や恒星をたべているとさえ考えられる。そしてそれらをたべつくしてつぎの星をめざすとちゅう、エネルギーがつきてしだいに小さくなり、ついには胞子となってただよっているとき、なんらかの原因によって、ふらっと、この地球にたどりついてきたとも考えられないでもない。
「早くなんとかしなければ、たいへんなことになるぞ。この地方だけの問題でなく、地球全体の問題になるぞ」
こういうさわぎのなかで、ミチールズ教授は一つ名案を考えついた。そしてその名案はただちに実行にうつされた。
ロケットに放射性物質をいっぱいに積みこんで、遠隔操縦《えんかくそうじゆう》で、そのロケットを生物の上にとばせたのである。エネルギーの塊《かたまり》のような放射性物質は、どうもその生物の大好物らしいと考えられたからである。この予想はみごとに的中し、生物は、ロケットを追って、地上をはなれて飛行しだしていった。小さなロケットのあとにつづく巨大な円型の物体、それはまことに壮観なながめだった。
ロケットは、地球の圏外に出、また太陽からも遠くはなれてとんでいった。もし太陽の近くにとんでいくと、その生物が、ロケットよりも太陽のほうがいいとそのほうへ行きでもしたらたいへんなことになるからだ。
やがて、生物は、ロケットに追いつき、ロケットの放射能を吸収しはじめたとたん、そこにしかけておいた大型水素爆弾が大爆発をおこし、この爆発力の大きさには、さすがの生物もかなわず、ついにその生物は宇宙空間にバラバラにくだけ散ってしまった。しかし、これで奇怪な生物が根だやしになったというわけではない。大きなからだがふたたびこまかな無数の胞子となって空間にただよい、食物にありつく日を、その機会の到来を、じっと待つことになっただけのことである――。
これは未来のおとぎばなしのような小説だ。ばかばかしいといってしまえばそれまでだが、しかし、そんなふうにあっさり片づけられないものをふくんでいるようには思わないだろうか。生命とか、宇宙の問題には、まだまだ多くの未知のなぞが残されているのである。
2 生命はどのようにして発生したか
オパーリンの『生命の起源』
さて、いよいよ、生命体発生のなぞと取り組むことにしよう。これまでながながとのべてきたことはじつはこれからご紹介する新しい生命の起源説≠よく理解していただくための予備学習だったと思っていただきたい。
生命が発生した。もっとも原始下等なすがたで――。
生命は進化した。原始下等なものから、こんにち見られるような複雑高等なものにまで――。
まず、生命はおそらくこのようにして発生したものらしいととく学説のうちのもっとも有力なものの一つ、ソ連、オパーリン博士の考えから紹介していくが、それは一九三六年発行のかれの著書『生命の起源』のなかに、くわしく、やさしくとかれている。これは現代最新の天文学、地質学、化学、生物学などの知識を十分に生かして取り組んだりっぱな研究で、あとでのべるラマルクの『動物哲学』や、ダーウィンの『種《しゆ》の起源』などの労作にまさるともおとらない画期的なものといえよう。
オパーリンの理論は、「高等な生物がみなもっとも下等な生物から進化してきたのと同様に、下等な生物もまた、物質がながいあいだかかって進化してできたもの」という考えに立って出発している。そしてその物質の(地球上の)生成過程については、シュミットやワイゼッカーのといた宇宙塵説《うちゆうじんせつ》≠ノ基礎《きそ》をおいている。そのアウトラインをごくおおまかに書くと、こういうことになる。
[#1字下げ]第一段階――無機化合物から、しだいに、かんたんな有機化合物ができてきた。
[#1字下げ]第二段階――かんたんな有機化合物から、しだいに、もっと複雑な有機化合物(タンパク質)ができてきた。
[#1字下げ]第三段階――外界から自分のものでない物質をとり入れると同時に、反対に、自分に不必要な物質を外にとりだす作用(これを物質代謝という)のできるいくつかのタンパク質の混合体《こんごうたい》ができ、それがうまく調和をとって二つの作用をおこなうようになった。これが生命発生の起点となった。
これだけでは、あなたがたは、なんのことなのか、さっぱりわからないにちがいない。しかし、オパーリンの説をせんじつめれば、これだけのことになるのである。生命はこの三つの過程をへて生まれてきたというのである。しかし、いまここでは、だまってあとを読んでいただきたい。そして、これからくわしくとくオパーリンの考えを読みおえてから、もういちどここにもどってきていただきたい。「ははあ、なるほど」と、こんどはたいへんよくわかってもらえるにちがいない。
有機化合物ができた
こんにち、二つ以上の元素がくっついてできている化合物質は、どんなものでも、無機化合物と、有機化合物に大別される。
有機化合物は、それなしには生命はありえない生物体の基本的な構成物質であり、これには例外なく炭素(C)がふくまれている。炭素はいわば有機化合物の骨格ともいえるものである。そしてこの有機化合物は、現在の自然条件のもとでは、生物体だけしかこれをつくることができない。つまり緑色植物は、無機の炭素の化合物である炭酸ガスを吸収《きゆうしゆう》し、太陽エネルギーによって有機化合物をつくっているし、動物は、その植物をたべて、有機化合物をつくっている。
ところで、この炭素は、有機化合物にだけあるものではなく、無機化合物のなかにも炭酸ガス、大理石、そのほか鉄、ニッケル、コバルトなどの金属の炭化物というようなかたちで見いだされる。そしてこれらの無機化合物は、まだまったく有機化合物というもののなかったごく初期の地球上に、すでに存在していたものである。
とすると、ここで、一つの問題がおこる。「ではどうして無機化合物しかなかった地球上から、有機化合物が生じたか」ということである。そして有機化合物が生物体の基礎物質だとすれば、有機化合物のできかたを知ることは同時に、生命の発生の糸口もつかめることにもなろうと考えられる。
現在の自然条件のものでは生物だけしかこれをつくることのできない有機化合物……、それは事実である。しかし、現在ではそれが事実であっても、むかしむかしの大むかしからそうだったのだろうか。わたしたちは現在の地球についてのみ研究しているから、ものごとの一面しか見られないので、いちど地球の圏外《けんがい》にまで目をむけると、もっとなにか変わった事実が発見されるのではないか、と、オパーリンはまずそこに着目した。この着目はなかなかみごとで、かれは積極的な研究のすえ、つぎのようなすぐれた意見をひきだすことができた。
こんにち、天文学者たちは、さまざまの実験の結果、太陽もふくむいろいろの星の大気圏の中(温度約六〇〇〇度)には、もっともかんたんな有機化合物である炭化水素(炭素と水素の化合物、メタン、プロパンなど)があることを証明している。また、木星や土星のような大きな遊星の大気圏の中(温度約零下一四〇度)にも、同様に炭化水素があることをみとめている。ところが、これらいずれの大気圏も、温度がすこぶる高すぎたり低すぎたりで、生物などいられるはずはなく、したがってそこにある有機化合物は、生物とはなんら関係なしに、「非生物的」につくられていると考えざるをえない。隕石《いんせき》のばあいにしてもそうで、ひっきりなしに天体から地球に落下している隕石のなかに時として複雑な有機化合物をふくんでいるものがあるが、その有機化合物もまた「非生物的」につくられているのだということができよう。
それなのに、わたしたちのすんでいる遊星だけが、絶対的に、例外であるなどとはいえないのではないか。地球上で、有機化合物が生物によってつくられるようになったのは、生物ができてから以後のことで、それ以前はやはり他の恒星や遊星のばあいと同様にしてつくられたと考えるほうが正しいのではなかろうか。つまり、地球においても、最初の有機化合物は、他の天体と同じように「非生物的」につくられたと考えるべきが正当だろう。――事実、わたしたちは、地殻《ちかく》に多量の炭化物(カーバイド、水と化合して炭化水素となるもの)がふくまれていることを知っているし、また現在も生命現象のまったくない地層中で、わずかといえども炭化水素が合成されていることも知っている。だから、生物のいなかったころすでに地球にも有機化合物がもちろんあったし、現在の地球上においてさえ「非生物的」に有機化合物はつくられているのである。
この炭化水素、すなわちひじょうにかんたんな有機化合物は、現在でも、宇宙空間に見ることのできる宇宙塵の雲のなかにもそれは存在している。また、このような宇宙塵が集積し凝結《ぎようけつ》して現在の地球ができたとする説が正しいとすれば、地球上に存在するようになった最初の有機化合物がどこでどうしておこったかはたいへんかんたんに理解されることになるわけである。――そうだ、これはあくまで、地球の誕生以前に、すでに非生物的につくられていたのだ。そして、このような炭化物の大部分は、現在地球の中心部に集まっているが、地球ができるときに一部は地表に出てきて、現在でも再現できる反応、水との反応をおこなって、ひじょうに多量の炭化水素が合成されたのである。
以上のべたことを、ある見方からすれば、生命の発生の動機、あるいは生命のみなもとのみなもとは、地球自体にはなくて、地球誕生以前のひろい宇宙空間にあったと考えることもできよう。……ただし、生命そのものは、地球上において、かんたんな有機化合物がじょじょに、じょじょに、変化し進化していってはじめて生まれたものであるから、オパーリンは、生命はあくまで地上での産物だといっている。
タンパク質ができた
では、こうして地球に存在するようになったかんたんな有機化合物が、どのようにして、もっと複雑な有機化合物――タンパク質になっていったか? 第二段階の説明にはいろう。
ひと口にいうと、創世期の地球上で、炭化水素が、自分たちどうし、あるいは熱い水蒸気やアンモニアやそのほかの物質とのあいだで複雑な化学反応をおこし、さまざまな種類の有機物質といっしょにタンパク質もできてきた、ということである。
この複雑な化学反応をことこまかに説明しつくすことは困難《こんなん》だから、もっと手っとりばやく、タンパク質自体の組織をしらべて、それはどのようにしたらできるものかを追究してみることにする。
タンパク質(その種類は無数である)の分子は、次ページの図(図版省略・編集部)のように、ひじょうに長いクサリのような構造をしている。そしてそのクサリをつくっている一つ一つの環《かん》のようなもの、つまり比較的《ひかくてき》かんたんな窒素《ちつそ》化合物を、わたしたちはアミノ酸≠ニよんでいる。このアミノ酸は、タンパク質のなかでペプチド結合≠ニよぶ化学結合によって、長いクサリ状につながっているのである。
アミノ酸は、もっともかんたんな炭化水素であるメタンと、アンモニア、水蒸気、水素のガスを、ある方法でまぜあわせると、人工的に合成することができる。アメリカのミラーも、オパーリンも、この合成に成功したといっている。
いっぽう、このアミノ酸が結合したペプチド結合のできかたのほうはむずかしい。アミノ酸溶液をもってきてただまぜあわせただけではけっしてタンパク質はできず、外から、なにかひじょうに大きなエネルギーでも加えなければ、ひとりでにこのような反応はおこらない。しかし最近ソ連のブレストルは、エネルギー源として高度の圧力をもちい、実験室のなかでタンパク質に似たアミノ酸の結合物質をつくることができたといっている。なるほど、生命は海のなかから発生したというのがこんにち定説になっているから、高度の圧力のかかった海の底はタンパク質がつくられるに適したところであり、ブレストルのこの方法もまんざらのものではなさそうだと考えられる。
また、イギリスの学者バナール(一九〇一年〜)は、アミノ酸ができたときに粘土《ねんど》が重要な働きをした、と主張している。つまり、粘土の結晶は格子《こうし》のように並んでいるので、その格子のあいだに水にとけているアンモニアやかんたんな炭化水素がはいりこみ、アミノ酸がつくられた、というのである。粘土の格子が鋳型《いがた》の役目をしたようなものだ。この説によれば、大きな圧力がなくても静かな入り江や湖などの底の粘土によってアミノ酸がつくられた、としてもいいことになる。
なお、大阪大学の赤堀《あかぼり》教授は、このような過程を必要としないタンパク質の合成、つまりアミノ酸を経ないでタンパク質が合成された可能性を考えている。一つの新しい着想だが、そのことのいかんは今後の研究成果にまつほかない。
物質代謝がおこなわれるようになった
いよいよ、生命のあけぼのの段階にはいる。
どのような生物も、それをとりまく外界の環境《かんきよう》と、たがいに持ちつ持たれつしているからこそ、その生物は生きているといえるのだ。持ちつ持たれつ……それはどのような生物も、外界から自分のものでない物質を自分のからだのなかに取り入れてタンパク質に変えると同時に、逆に、こんどは自分のからだのなかでいらなくなった物質を外に取りだして他の生物や物質にあたえる、ということだ。この物質代謝は、生命あるものの大きな特徴《とくちよう》の一つである。
また、どのような生物も、からだのすべての部分が、つねに分解し、崩壊《ほうかい》して、新しくつくりかえられている。それにもかかわらずそれを外から見ると、ほとんど少しも変わっていないように見える。それは、どのような生物のばあいでも、物質代謝が、つまり分解と合成が、ひじょうにうまく調和≠ェとれておこなわれているからだ。この物質代謝も、たんに分解と合成ばかりか、自分自身を保存し、子孫を残していくという一定の目的にそってすらおこなわれている。このような調和が自然のうちになされているということはたいへんなことで、これもまた生命あるもののもう一つの大きな特徴といえよう。
では、生体がおこなっているうまく調和のとれた物質代謝は、科学的見地からは、どのようにして説明されるだろうか。できるだけわかりやすくのべてみよう。
太古の海のなかには、さまざまなタンパク質やそれに似た物質がたくさんあったが、これらの溶液《ようえき》は混合《こんごう》しあって、おたがいに結合し、かたまりをつくった。はじめて実験室でこの現象を見つけたオランダのブンゲンベルグ・デ・ヨーグは、これにコアセルベート(液滴《えきてき》)という名をつけた。このかたまりはだんだん大きくなり、タンパク質分子の数が数百万にもなると、顕微鏡《けんびきよう》でも見られるようになってくるのである。
こうしてできた液滴は、液体であるにもかかわらず、一定の構造と組み合わせをもっており、外界から物質をとり入れることができるようになっている。もちろん、それはわたしたちのからだのなかでおこなわれているような調和と秩序《ちつじよ》のとれたものではなく、ゆっくりと、そのうえ無秩序におこなわれたものと思われる。
ところで、外界からとり入れた物質は、液滴内部の物質と化学反応をおこして、新しい物質を合成し、それと同時に、物質の分解もおこなって、自分にいらないものは液滴の外部にほうりだした。この合成が、分解よりもおそい液滴は、短時間のうちにすぐに消えてなくなり、いっぽう、この合成が早くおこなわれるものはいつまでもなくならないばかりか、しだいに大きくなり、また成長していく。こうして成長したものは、ある大きさになると、やがて分裂《ぶんれつ》して、小さな液滴をつくりだすことになるのである。
さて、分裂してできた液滴の小片は、それぞれがみな特有の道を歩きはじめ、またそれぞれが外界から物質をとりこんで、自分の内部構造をかえていき、こうしてさきにのべた液の歴史をくりかえしていくことになる。しかしこのとき、このような変化が、液滴自身の安定をこわす方向にすすんでいると、やがて破局がきて、この不幸な液滴は外界のなかにとけこんでしまう。その結果、合成と分解による物質代謝がうまく調和をとっておこなうことのできる、よい組織をもった、安定な液滴だけが、残ることになるのである。
これが原始の海での生命のめばえであり、生物はここを起点として発生することになったと、オパーリンは説明している。そしてさらにオパーリンは、こんにちわれわれは人工的な方法で、物質代謝のそれぞれの部分を再現することができるのだから、近い将来に、われわれ人類はまったく人工的な方法で、もっともかんたんな生命をつくりだすことも不可能なことではなくなるだろうといっている。
オパーリンとちがう考え方
海のなかでアミノ酸が集まって結合し、それがタンパク質となり、タンパク質はさらにくっつきあってコアセルベートという状態になり、そして物質代謝をはじめ生命活動がおこった、というのがオパーリンの考え方で、これを支持している学者が多いが、すこしちがう考え方をしている学者もある。そのうちの面白い意見を二、三紹介しておこう。
アメリカのカリフォルニア大学のカルビンは、金属が生命の発生にひと役買っていたのではないか、といっている。
生物の物質代謝はすべて酵素によっておこなわれているが、これはタンパク質と結合したひじょうに複雑な有機化合物で、生物体内でおこる化学反応のなかだちをしているものだが、その酵素のなかには金属の原子がふくまれているのである。また、われわれの血液のなかにあって酸素をからだじゅうにくばるという大事な役目をしているヘモクロビンという物質は鉄の原子をふくみ、植物のなかにあって炭素同化作用をおこなっている葉緑素もマグネシウムの原子を、それぞれふくんでいるのだ。
このように、物質代謝には、金属の原子が重要な役をしているので、生命は金属の原子によってはじめられたのではないか、とも考えられる。
金属の原子は、水のなかでは、金属イオンという電気をおびた状態になっている。この金属イオンには反応を促進《そくしん》させる力(触媒《しよくばい》作用)がある。だから、海のなかの金属イオンのまわりで一定の反応がくりかえされているうちに、金属イオンは有機物と結合して触媒の能力を高め、それによってまわりの反応も複雑になっていった。そしてながいあいだに金属イオンは酵素にまで発展し、そのまわりの反応は生命現象となった、つまり、生命が発生したというのである。
これに似た考え方で、最近話題となっている、太陽電池の原理で生命の起源を説明しようとしている学者もある。この太陽電池とは、日光を電力に変える装置なのだ。性能のよい太陽電池は、日光のエネルギーの四五パーセントを電力に変える力をもっている。太陽電池はいまゲルマニウムやシリコンという鉱物を使ってつくられているが、この鉱物と同様な性質は磁鉄鉱にもあって、日光のエネルギーを電気にかえて、水を分解することができるのである。もし、多くの物質がとけこんだ海のなかに、磁鉄鉱あるいは純粋にちかいゲルマニウムやシリコンがあれば、日光を電気にかえ、水から酸素と水素をつくりだし、その水素や酸素とかんたんな有機物が反応して、まわりに複雑な有機物をつくりだし、その有機物も、日光のエネルギーでしだいに大きくなってゆくということも考えられるのである。これが、炭素同化作用をつづける生物、つまり植物となるというのである。この説は、一九五七年に発表された、ロックフェラー研究所の植物生理学者グラニックの説である。
生命の人工をめざして
生命の起源のところでのべたように、できたてのころの地球にあった物質が、じつにながい時間かかってじょじょに結びつき反応しあって、やがてかんたんなアミノ酸となり、そのアミノ酸がさらに複雑になってタンパク質となり、そしてコアセルベートになり、生命をもつものに発展してきたと考えられている。しかし、現在の科学は、この自然のついやしたながい時間を何億分の一かにちぢめ、実験室のなかで生命をもつものをつくりあげようとしているのである。すでに炭酸ガスやアンモニアや水などからアミノ酸をつくりだすことには成功している。自然界がとおってきた道を、わたしたち人間が、ものすごい速さで追いかけているわけだ。そして現在は、複雑なタンパク質を合成しようと努力している段階にあるのである。
また、オパーリンは、生物のつくったタンパク質をもちいてコアセルベートの実験をおこない、生命現象を起させようとしている。コアセルベートのなかにタンパク質を入れ、酵素を入れ、どのような変化がおこるか、また、まわりの条件を変えたらどのような影響があるか、などについて、タンパク質や酵素の種類や割合いをいろいろに変えながら実験をおこなっているのである。そして、こうして実験しているうちに、いつかはコアセルベートのなかのタンパク質や酵素がうまいぐあいに調和し、統一のある反応をつづけていくようなものがつくりだされるだろう。
タンパク質の合成ができ、生命活動をつづけるコアセルベートがつくられたならば、そのときこそはじめて人工生命の成功といえるのである。だが、それまでにはまだまだ多くのむずかしい問題が残されている。オパーリンの実験もさらにたくさんの実験をかさねなければならないし、それに、実験につかう材料は、生物のつくったタンパク質や酵素をかりてきたものなのだ。これをまったく無機物のものからつくりだすとなると、さらに大へんなことになるわけである。
また、タンパク質を人工的に合成する研究も、さきにのべたように、タンパク質の構造があまりにも複雑なので、ちかぢか完成されるだろうなどとはいえないのだ。あるいはこうしてタンパク質ができたとしても、生命活動をつかさどる上で大きな役割りをしめている酵素や、第三章でのべる生長や繁殖《はんしよく》をつかさどる核酸《かくさん》といった物質の合成も研究しなければならない。酵素や核酸は、タンパク質と結合したさらに複雑な化合物なのである。
なにからなにまで、すべて人工的につくられた生命体、それは、どんなかんたんなバクテリヤよりもかんたんなものだろうが、そうした人工生命の成功までには、まだまだどれだけ研究しなければならない問題が残されているか想像がつかないほどである。
しかし、わたしたち人間は、たえまない研究をつづけ、自然界のとおってきた道を熱心に追いつづけている。もちろん、かんたんに生命の人工に成功するとは決していいきれるものではないが、わたしたちが科学に対する情熱をうしなわないかぎり、いつかはかならず生命をつくりだせるという予想がたてられないとはいえない。
かんたんな生命体がつくりだせたら、つぎの段階には、さらに複雑な生物をもつくりあげるようになるかもしれない。そしてついには、自然の創造力にまで追いつき、人工的に人間がつくりだせる日も遠い未来にはやってくるかもしれないのだ。
科学小説をおもしろがって地道な研究をおこたってはならないことはいうまでもないが、同時に、夢をうしなってしまっては科学の進歩は止まってしまうのである。ロケットも、原子力も、むかしはまったく夢のなかだけの存在であったが、わたしたち人間はそれを実現しようとして科学を進め、そして実現しつつあるのである。もし、夢をいだく能力が人間になかったら、わたしたちはいまでも火をおこすこともできない原始人のままでいるにちがいない。
科学の進歩を、ささえ、おしすすめるものは、わたしたちの夢をいだく能力と、それを実現しようとして着実な努力をつづける情熱との二つである。
わたしたちの科学は、このように、生命を人工的につくろうと大きな努力をつづけている。しかし、自然界は、ながいながい時間をついやしたとはいえ、物質から生命体をつくりだしたのである。そのうえ、自然はつくりだした生命をさらに進化させ、現在のわたしたち人類すら誕生させたのである。わたしたちは、科学を万能のように思いがちだが、自然界の秘密はまだまだ明きらかにされていないのである。
模型人間組立てセット
思えば、生命の人工的創造は、大むかしからわたしたち人類の心の奥底にひそんできた夢である。西洋の錬金術師のなかにも生命を持つものを作ろうとしたものが多かったし、なかには「生命ができた」といって人びとをまどわした者もあった。また、わたしたちがおもしろく読んだ『西遊記』のなかでは、孫悟空《そんごくう》が頭の毛を抜いて息を吹きかけると、自分そっくりのものがたくさんできてくる話が書かれている。このように、生命のできる話は、わたしたちの興味を大きく引きつけるなにものかをもっているのである。
いま流行の科学小説にも、生命をつくる話は数多く書かれている。こんな話はいかがだろう。
ある日、アパートに住むサムという男に、クリスマス・プレゼントがとどけられた。ところがそれは差出人不明の箱包みで、そえられていた金色のカードには、「クリスマスおめでとう。二一六一年」と書かかれてあった。
「なあんだ、これはきっとだれかのいたずらだな」
サムはそういいながら箱をあけてみると、なかには棚《たな》があり、青いビンや赤い物のつまった壺《つぼ》、いろんな色の試験管などがのっている。それに、真空管が複雑に組合わさった器具と、軽い金属製の本がある。本をとってページをめくってみると、こんな事が書かれていた。
模型人間組立てセット。これは十二歳前後の子どものオモチャです。これで完全な人間を組立てて遊んでください。なお、附属の分解装置をつかえば、なん回も組立て、分解が、自由にできます。
そしてその本の広告のページには、生きた火星人を組立てるセットもあります≠ニあった。
サムは最初はキモをつぶしたが、それでも気をとりなおして、さっそく組立てにかかった。
神経細胞調合剤、調合酵素、リンパ液といったビンのなかの薬品をだし、そえられてある立体青写真をつかって組立ててそれに活力|賦与器《ふよき》で仕あげをすればいいのである。
サムは、はじめに、顕微鏡を見ながら微生物をつくってみた。つぎに、こびとをつくってみたが、これはうまくできなかったので分解してしまった。
つぎには、ほんものの赤ん坊を手本にしてやってみた。ところがこれはうまく成功した。できたての赤ん坊は、ほんものとそっくりに泣きわめいた。だが、かれはうっかりして、それにオヘソをつけるのをわすれていた。
最後に、かれは、自分と同じ人間をつくりにかかったのである。やがて組立てもおわり、活力賦与器で仕あげがすんだ。
「やあ、大できだ!」
とつぜん、できたてのサムそっくりの人工人間は、こうさけんで起きあがったではないか。
そのとき、ドアにぽっこり穴があいて、黒いオーバーを着た男が仕事部屋にはいってきた。その男のいうところによれば、「この組立てセットは未来の人間の子どものためにつくられたもの」だったのである。かれはそれをとりもどすために、時間をさかのぼってやってきたのだ。つまり、かれは、まだそこまではいっていない未来の世界の人間だったのである。
「失礼だが、あなたがたの社会では、まだこれをつかいこなせない。とりあげてしまわないとゴタゴタをおこす種になる。つくった模型は気のどくだが分解させてもらおう」
こういいながら、黒オーバーの男は、分解装置をつかって、本物そっくりのサムを分解してしまった――。
どうもこんな目にあわされてはたまったものではない。もちろんこれはまったくの空想の話だが、わたしたちの心の底のどこかには、また未来のいつの日にかは、こんなふうにして生きた人間をつくったりすることがあるのではないかという考えがないこともなさそうである。
わたしたちの科学は、ながいあいだの夢であった宇宙への進出をまさにはじめようとしているが、生命の人工をもまた、ながいあいだの夢を現実に変えようとしているのである。
[#改ページ]
三、生物は進化する
1 進化論の勝利
生命の躍動
冬から春へ、春から夏へと、季節がうつるごとに、わたしたちをとりまく自然の色どりもはげしくかわっていく。自然が、生命の成長とみなぎりをあらわすからだ。
ある少年は生命の躍動を、つぎのようなたのしい詩にしてうたいあげる。
ポプラ
高橋 毅(愛知県刈谷市刈谷南中一年)
おれはポプラの木がすきだ。
まっすぐにとがって
天にとどきそうだ。
あの下で力いっぱい両手をのばして
せいのびすると
大きくなるようだ。
黄色い葉は見えないが
みどりと黄をまぜたような
新芽の花が
たまらなくきれいだ。
いちど思いきって
ウーンとせいのびしたら
白い雲がとれそうだった。
このような生命の成長、みなぎりは、遠い過去からこんにちまで脈々として波うってきたものであり、これが人類をはじめさまざまな高等生物を地上に生じさせた大きな原動力となったのだ。
生物が進化する、というごくあたりまえのことがようやく考えられるようになったのは、ここ二〇〇年ぐらい前からのことである。それまでは例のように、キリスト教の聖書がはばをきかせていた時代だったので、生物は単細胞《たんさいぼう》のものから多細胞生物に、人類は類人猿《るいじんえん》と同じ祖先をもつものだなどという考えは、キリスト教の教えをないがしろにするものとして、当時のキリスト教会から手ひどい弾圧をうけたのである。聖書には、宇宙万物は六日間でつくられたとしるしてあり、またのちの神学者もこの聖書をもとにして、創世の日よりこんにちまで約六〇〇〇年の歳月が経過したと計算をだしていた。だから教会の権威《けんい》をきずつけ、神の教えにそむくような考えは、どんなものでも許されなかったのだ。
ところが、科学的な資料がいろいろ集まってくるにつれて、進化の事実は、ますますたしかなものとして考えざるをえなくなってきた。もし進化の事実を否定してしまうと、ぞくぞくと地下から掘りだされてくる太古の化石はどうにも説明のつけようがないのである。同じ動物の種類でも、新しい地層から出た化石は、古い地層から出た化石よりも、ずっと複雑な形になっているのだ。時代が進むにつれて、生物の種が複雑になっていく。つまりこれには、生物は進化するという説明以外に、説明のつけようがないのである。
化石のタイム・カード
化石が最初につかわれたのは、いまから一万四〇〇〇〜七万年ほど前の原始人類クロマニヨン人の時代にまでさかのぼることができる。かれらは、がけなどに露出《ろしゆつ》している貝の化石をひろってきて、それを装飾品《そうしよくひん》として身につけたようである。それ以外に化石を調べて、その成因や地球のおいたちを読みとろうなどとはむろんしなかったにちがいない。
そのご、十二世紀の中国人|朱子《しゆし》は、「貝がらの化石は、むかし海のどろのなかにいた貝からできたもの」といい、十五〜六世紀のイタリア人レオナルド・ダ・ヴィンチもそれと同じような正しい化石観をとなえたが、それらはいずれも当時の人びとにはみとめられず、十七世紀までは、化石は偶然《ぐうぜん》にできたものだとか、星の光がつくりだしたものだとか、自然のいたずらによってできたのだなどという説がはびこっていた。十七世紀にはいり、鉱山の開発や大規模《だいきぼ》な土木工事がおこなわれるようになり化石がたくさん掘りだされてはじめて、それが大むかしの生物の遺物であるということが、しだいに人びとから信じられるようになってきたのである。
化石には、骨や歯、貝がらのように、実物の形がそのまま残っているものもあれば、動物の足あとや植物の葉のように、岩におしつけられたりとじこめられて跡だけが残ったものもある。また小さいものでは、細胞の化石や花粉の化石などもある。現在、みがき砂につかわれる珪藻土《けいそうど》は、むかし海中で大繁殖《だいはんしよく》した珪藻の化石である。
やがて地層は下から順に上に積みかさなるという地層|累重《るいじゆう》の法則≠ェ、わかり、そのうえ、地層がちがうとそこから出る化石もかわってくるという事実から、生物は進化する≠ニいう化石学上の考えがしだいにはっきりしてきたのである。
人体に残る進化のあと
進化を証明する証拠《しようこ》は、化石のほかにもいろいろある。たとえば、人間の耳を動かす筋肉《きんにく》や、盲腸《もうちよう》の虫様突起、これらは生活上ほとんど役にたたず、虫様突起などは、それがあるためにかえって虫垂炎《ちゆうすいえん》という危険な病気をひきおこすもとになっている器官だが、これは、むかしの祖先のからだでは有用だったのが、進化が進むにつれて不用になり、それがまったく消えさることなくとりのこされたもの(これを痕跡《こんせき》器官という)と考えなければ、いまのところ説明がつかない。
また、人間の母親のおなかのなかの胎児《たいじ》の発育のしかたを調べてみると、受胎後二週間ぐらいまでのあいだでは、イモムシ、カエル、ニワトリ、サルなどのものと、形がほとんどかわらない。これは、それらの動物がいずれもみな同じ祖先から分かれてきたことをしめしているものといえる。そして三、四週間もすると、その形はしだいにウオに似てくる。尾もあるし、手足はウオのヒレに似ているし、首の両がわにはエラのような|みぞ《ヽヽ》ができる。このことは、人間も他の陸上動物と同じく、ウオの過程をとおって高等動物に進化したことを意味しているのだ。五、六週目ごろの胎児は尾がもっとも長くなる。これは、人類がハチュウ類の時代をとおって進化したことを意味している。尾は、ハチュウ類時代のなごりなのである。しかし、この胎児の尾も、そのごはしだいに短くなり、生まれるまでにはまったく消えてなくなってしまう。また、六週目ごろには、胎児のからだじゅうにやわらかい毛がはえてくる。これは、下等なホニュウ類時代のなごりである。その毛のはえ方も、顔のあたりはチンパンジーそっくりであって、これは人類がサルと共通の祖先をもっていることをしめしている。この体毛も生まれ出るまでに、人間としての毛の部分を残して大部分が消えてしまう。
なお、胎児のあいだに進化のみちすじをたどるのは形のうえばかりでなく、内臓《ないぞう》などの器官についてもいえることだ。心臓についてみんな、はじめはサカナと同じ構造だったのが、やがてリョウセイ類、ハチュウ類、そして最後のホニュウ類のかたちの心臓とだんだんに変化してくるのである。
これらを考えると、わたしたち人類は、みなひとりひとり、母おやのおなかにはいってから一人まえのおとなになるまでのみちすじにおいて、もっともかんたんな原始動物から最高等の動物にまで進化してきたみちすじを、忠実に再現しているのである。これを学問の上で個体における系統発生≠ニいう。そしてこうした面の研究、つまり、胎児の変化を人間をはじめその他のいろいろな動物について調べると、進化についてのおたがいのつづきぐあいがはっきりするので、この種の研究は、化石の研究とともに、進化を調べるうえでの大きな手がかりとなっている。
かたちをととのえてきた進化論
生物の進化論が、かなりはっきりしたすがたであらわれたのは、十八世紀もなかばごろからである。
十七世紀から十八世紀にかけては、機械や自然科学などが急速に発達した時代だが、「思想」だけは、まだがっちりと、神の支配のなかにとじこめられていた。ところが、科学の発達によって、無生物界の現象が自然の現象だけで説明されることがわかると、生物界の現象もやはりそれで説明できるにちがいないとする考えがあらわれ、この思想の影響《えいきよう》が、生物進化の考えをおしすすめていくはたらきをするようになっていった。
まえにものべたが、デカルトは一六四〇年動物機械論≠発表して、動物のからだのはたらきを機械になぞらえて説明していたし、また、これをもう一つおし進めて、人間は機械そのものだと主張する人間機械論=i一七四八年)も、フランスの軍医であったラ・メトリーによって主張された。博物学者のビュッフォンも『博物誌』をあらわして、生物が外界の影響をうけて変化するという説をだしている。
これらはいずれも、精神にポイントをおいたこれまでの生命観を否定し、生命は物質現象である≠ニいうまったく新しい立ち場にたった考え方である。いっぽう、医学の発達も、しだいに生命現象を自然の原因で説明できるようになってきたので、その影響もうけて、十九世紀にはいるとはっきりと進化論をとなえる人があらわれてきた。
ジラフの首はなぜ長い?
ラマルクの進化論は、一八〇九年に発表された『動物哲学』のなかで展開されたものだが、これに対して当時の人がとった態度はあざけりと黙殺《もくさつ》であった。
十九世紀初頭といえばヨーロッパではワットの蒸気機関《じようききかん》に端を発する産業革命(十八世紀以後、機械の使用によって生じた工業生産の飛躍的発展をいう)が進行している時代のことである。蒸気機関が動力にもちいられるようになって工場が都市に集まり、紡績業《ぼうせきぎよう》、織物業、機械工業、製鉄業、石炭業は活発な動きをみせ、交通機関では汽車、汽船が発明されていた。電気の原理もわかり、蓄電池なども発明されていた。このように物質科学の部門や工業はめざましい成果をあげていたのに、人間の精神面にかかわりのある学問となると、むかしの因襲《いんしゆう》や宗教にがっちりととりかこまれて、しごくのんびりと歩いていたわけである。
さて、ラマルクの考えは用不用の説≠ニ呼ばれているが、それはジラフの首の長い理由をつぎのように説明する。
ジラフの化石を調べてみると、大むかしからジラフの首が長かったわけではない。当時、ジラフのすんでいた地方の気候はおだやかで、木の大きさもそれほどではなかった。ところが、そのご気候が暑くなったため木の背《せ》はぐんと高くなって、上のほうにしか食物にする葉がなくなってしまった。そこでジラフは、いつも首をのばしていないと食物をとることができないので、いつのまにか首があんなに長くなってしまったというのである。
つまり、これは、生物の環境が、その生物の生活やからだの形に特別な影響をあたえるということである。動物をとりまく環境《かんきよう》がかわると、それをうまくきりぬけるために、からだの部分や器官によく使われる部分とあまり使われない部分ができ、使われる部分は発達して、使われない部分は退化するというのである。しかし、あとになって、環境がつくりだすこのような変化は、その生物一代きりでその子どもにはあらわれないことがわかってきたので(一部に異説もあるが)、こんにちラマルクの説はそのままでは通用しなくなったが、それはともかく生物が進化するという事実を証明しようとしたラマルクの努力はみとめられなければならない。
ラマルクは、むろん、「神をけがすもの」として当時の人びとからつまはじきされ、その非難はフランスが共和国になってからもなおあらためられなかった。ラマルクは失意の日をおくるうちにやがてめくらになり、貧苦と肉体苦にさいなまされつづけたが、しかし最後まで正しいと信じた自説をまげず、娘コルネリに筆記させながら書きものをつづけていったという。
ビーグル号のおみやげ
ラマルクが『動物哲学』を発表した一八○九年、奇《く》しくもこの同じ年に、チャールズ・ダーウィンがイギリスで生まれた。
かれは二十二歳(一八三一年)でケンブリッジ大学を卒業し、その年の末にイギリス海軍の測量艦《そくりようかん》ビーグル号に乗りこんで、南アメリカ大陸や南太平洋の島々を航海してまわった。そして五年のあいだ各地の地層や、それにうずまっている化石、動植物などを、くわしく調査し、採集してきたのである。
そのとき、かれがたずさえていったものに、出版されたばかりのライエルの『地質学原理』第一巻があり、二巻目は航海さきにおくられてきた。この本には、進化論の入り口にあたることがいろいろ書かれてあり、ダーウィンにはたいへんためになったらしい。地球にはむかし生物がすんでいなかった時代があったこと、生物が出現してからも長年月間に地表に変化があったこと、地球上で多くの生物の興亡があったことなど、どれもダーウィンの心をひきつけることがらばかりだったが、しかし、おしいことにライエルは、種《しゆ》(ヒト、キリン、ニワトリ、ムギといったように、それぞれの種族)はあくまで不変であると考えており、種が地上に出現したり、地上から消滅したりする原因は不明だとしていた。
ところが、ダーウィンが、ビーグル号をのりまわしてじっさいに南半球の大陸や島々を調べていくと、種が不変だとのみはいえない点が出てくるばかりか、種はしだいに変化したものと考えなければ説明のつかない点が多々あることを、はっきりと見、たしかめたのである。そこで、五年後、苦心して採集したたくさんの標本をもってイギリスに帰ってきたダーウィンの頭には、「生物は進化するものだ」というラマルクと同じ考えがしっかりとしまいこまれることになったのだが、これこそ、どんな貴重《きちよう》な標本にもまさる、この航海での最大の収穫《しゆうかく》だったわけである。
ダーウィンは、それから二〇年というもの、進化の考えを理論的に証明するために、ロンドン近くのダウンという村にこもってこつこつと研究をつづけていった。
一八五八年のある日、二年まえからとりかかった進化論の著述がもう半分ほどすすんでいたかれの書斎《しよさい》に、一通の部あつい手紙がとどけられた。それはマレー群島にいる生物学者ウォーレスからのもので、中には生物の進化に関する論文がはいっていた。ダーウィンはさっそくそれを読むと、ウォーレスの意見があまりにも自分の意見に同じなのにびっくりし、大いに自信をえた反面、一生をかけた研究をウォーレスに先をこされたことを失望して、いま書いている自分の論文を断念してしまおうと思った。
「ウォーレスさん。わたしはあなたの考えに全幅的《ぜんぷくてき》に同感です。わたしもいま論文を書いていましたが、進化論発表の名誉《めいよ》はつつしんであなたにおゆずりしましょう。あなたこそそれをうける資格をもたれているかたです」
そしてダーウィンはこういう手紙をウォーレスに送った。
しかし、そのご、ダーウィンの友人が、ウォーレスの論文を検討したすえ、これはウォーレスの論文とダーウィンの論文とを合わせてふたりの名で発表すべきだとすすめるので、それに従って進化論のあらましをあらたに書いて、ふたり共同して学界に発表し、つづいて翌一八五九年十一月、完全な論文を『種の起源』の書名で、ひろくいっぱんに刊行したのである。
この本は、本屋に出ると、その日のうちにたちまち売れ切れたという。いまでいうベストセラーになったわけである。これから考えると、おそまきながらとはいうものの、生命、生物に関する科学もやっとほのかな光をあびはじめたということができよう。進化の考えに賛成する人も、反対する人も、とにかくこの種の問題に関心だけはよせはじめたのである。
公開討論会
ところで、『種の起源』が投げた波紋《はもん》は意外に大きかった。つぎの年になると、オックスフォード大学で『種の起源』についての公開討論会が開かれたのである。
進化の考えに反対するキリスト教会がわからは、当時の人びとにあがめられていた英国国教会のウィルバーフォース神父であった。賛成のがわは、ダーウィンの友人で、ロンドン鉱業大学の教授をしていたハックスレイと、植物学者のフーカーである。
十九世紀にはいったイギリスは産業がめざましく発展した時期であり、このためいっぱんには、企業間の自由な競争が社会に繁栄《はんえい》をもたらすという考えが支配的になっていた。ダーウィンの『進化論』は、進化の原因の一つに生存競争≠あげていたので、この説をうけいれて、生物間の生存のための自由競争が進化をおこすのと同じように、人間社会も自由競争によって進化し繁栄すると考えるものが多くなったのである。強い信仰《しんこう》の抵抗《ていこう》を受けながらも公開討論会が開かれるようになったのも、それだけの社会的な支持があったからである。そしてこの公開討論会は、進化論対キリスト教会というだけでなく、いってみれば産業革命によっておこった新興階級と貴族、牧師、地主などの古い支配階級の対決の場でもあったのだ。
さて壇上《だんじよう》にたったウィルバーフォース神父は、進化論がキリスト教の聖書の内容に反するものであり、これは神をないがしろにし、ふみにじるものであるとこっぴどくやっつけた。おもしろおかしく、あざけりをふくんだウィルバーフォースの話はながながとつづいた。もちろん、ダーウィンやハックスレイは、さんざん悪口をあびせられたわけである。そして神父は、ハックスレイのほうをふりかえると、
「進化の考えによると、人間の先祖はサルということになっていますが、ハックスレイ先生、先生の先祖のサルというのは、おとうさんのほうの先祖ですか、おかあさんのほうの先祖ですか」
そんな皮肉までいいだすのだからたまらない。聴衆《ちようしゆう》の中からどっと笑声がおこった。しかし、キリンの首をもちだしたラマルクの時代とはもはや時代がちがっていたのである。ウィルバーフォース神父にかわって登壇したハックスレイは、けっして神がかったそんな人びとに負けてはいなかった。
かれは、科学は真理を追究するものであること、この真理が人に気にいられなくても、神や教会の教理にあわなくても、科学者はあくまでも真理を追究しなければならないこと、進化論は人の先祖をサルというのではなくて、からだの構造をくらべた結果、人類は類人猿と同じ先祖から進化したものと考えられることなど、なっとくのいくようにじゅんじゅんと説き聞かせたのである。
ハックスレイにつづいて立ったフーカーも、神父が『種の起源』を一ぺージも読んでいないこと、植物の初歩的な知識さえもないことなどの証拠をあげ、さらに自分が進化を信じるようになったいきさつまでも話した。
進化論が、神父からこっぴどくやっつけられるのを期待してきていた人びとも、三人の話を聞きくらべているうちに、ようやく進化論の正しさに目がさめる思いがしたということである。
ダーウィンは、七十三歳(一八八二年)でなくなったが、そのころはもう、進化の考えをうたがう学者はほとんどいなくなっていた。ラマルクが不遇《ふぐう》のうちに世を去ってから五十数年の月日がたっていたのである。
2 コアセルベートから人類まで
劇『生命の流れ』プロローグ
これまでは進化の事実がどのようにして考えられ、また、みとめられたかをのべてきた。では、つづいて、進化の具体的なありさまを約二〇億年の歳月を、一時間ほどの劇に圧縮《あつしゆく》してお目にかけることにしよう。ただし、ご注意ねがいたいのは、前にも書いたように、生命発生説は学者によってそれぞれ多少ちがっているので、ここではオパーリンの説にしたがって筋書を書いたということである。
さあ、開幕のベルがなりだした。
太古の海のなか
太古の海、原始海洋は、現在の海とはまるでちがっていた。地殻《ちかく》の凝縮《ぎようしゆく》や噴火《ふんか》によって、海水にはさまざまな物質がふくまれていた。そしてそのなかの有機化合物はしだいに化学反応をおこして、より複雑な有機化合物になっていき、生命をかたちづくるもととなるタンパク質ができ、さらに、コアセルベートができ、それがよく調和のとれた物質代謝をおこなうようになって、ごくかんたんな生物のもと≠ェ生じた。
このごく小さなかんたんな生物は、水にとけているかんたんな物質を分解し、炭素や水素をとり入れて成長し繁殖《はんしよく》していくのだが、しかしそのままでは利用できる物質がつきてしまえば生物もいっしょにほろびてしまう。そこで生物は、自分のたべる食物をつくりだす能力を身につけはじめた。水にとけている硫黄《いおう》化合物をつかい、水と水にとけている炭酸ガスから、からだのエネルギー源となる炭水化物糖《とう》≠つくったのだ。こうして生物は食うために働くという能力をもちはじめたのである。
ところが、たいへんなことになった。生物が生きていくために利用した硫黄は、生物からはきだされるとき、生物に有害な硫化水素《りゆうかすいそ》となって、海中にふえてきた。もちろん大気中にも硫化水素が増していった。そこで生物に、紅色《こうしよく》の色素をもったものがふえてきたのである。つまり、紅色の色素で日光を吸収《きゆうしゆう》して、硫化水素を分解する能力をそなえたのだ。こうして、海中には、赤い生物がいっぱいになっていった。
植物の出現
しかし、赤い生物の時代も、そうながくはつづかなかった。硫黄を利用するかわりに酸素を利用する能力をもったものがあらわれてきたのである。この生物は緑色をしている。つまり、葉緑素をもっているのだ。これが植物≠フはじめなのだ。
だが、その酸素は、いったいどこにあるのだろう。それは、無限にある水を分解してとることができた。また、日光も無限につづくものだ。もうこれで、いつなくなるかわからない硫黄などを使って食物をつくらなくてもだいじょうぶとなったのである。この緑色をした植物の先祖たちは、赤い生物を圧倒《あつとう》して、ふえはじめた。藍藻《らんそう》、珪藻《けいそう》・緑藻などがそれである。
植物は、水を分解して水素をつくりだし、その水素を炭酸ガスの炭素と化合させて糖をつくった。そしてこの反応がすんだのちに不用になった酸素は、どんどん空中にはきだされた。こうして大気中にふえていった酸素は、上空にオゾン層をつくり、生物にとって有害な超紫外線《ちようしがいせん》や宇宙線をさえぎることとなった。なんということはない、うまいぐあいに、植物は自分たちの気づかないうちに、陸地でさえもまた自分たちの生存できるにつごうのいい場所として変えていっていたのである。
動物の出現
空気中にふえた酸素は、地上の鉄をさびさせ、また硫黄とくっついて硫酸《りゆうさん》となった。硫酸は岩をとかし、雨はこれらをすべて海に流しこんだ。海のなかにいる生物は、これらの物質を利用しながら、種類や数をふやし、複雑な生物に変わっていった。
生物の種類と数がふえてくると、こんどは生物それぞれがのんびりしてはいられなくなってきた。おおぜいのなかで生きのびるためには、せいぜい能率よく働かなくてはいけないのだ。
それまではバラバラに生活していたもののなかから、いくつかが集まって生活するようなものもできてきた。この集まったものをわたしたちはコロニー(群体)≠ニよんでいる。こうして、ただたべるだけの生物が、働く生物となり、さらに共同して働く生物になったのだ。
ところが、ここに、その上をいく生物があらわれた。「自分で糖分をつくってほそぼそ生きていくなんてめんどうなことだ、ひとのつくったものをたべたほうがいい」という要領のいい生物、つまり動物≠ェ出現したのである。
この、葉緑素をもたない動物の祖先たちも、能率をあげるために、コロニーをつくりはじめた。この段階のまま現在まで残っているものには、海綿がある。
ところで、この要領のいい能率のいい動物の祖先たちのなかから、さらにもっと能率のいいことを考えだしたものがある。それはコロニーのまま動くことができる動物、つまり動くコロニーの進化したものサカナ≠ェ生まれてくる。もっともこれはだいぶのちになってのことだが。
地球ができてからこのコロニーのころまでを始生代≠ニ呼んでいる。そしてこの時代は、はじめから現在までの年齢《ねんれい》の四分の三にあたる。一時間の進化の劇として、四十五分間。だから、生物が、コアセルベートからコロニーになるまでの期間というものは、まったくいやになるぐらいながいのである。――コロニーをつくりだしてからの生物は、それからは進化の速度をいちじるしくはやめ、目まぐるしい変転を見せるあとの時代はすべて十五分のあいだですむことになる。
植物の上陸
海のなかの植物コロニーは、球形から、もっと能率のあげられる複雑な形に変わっていった。ノリ、コンブ、ワカメといった類だ。こうして海のなかはしだいににぎやかになっていき、植物はしだいに海の浅いほうにもすむようになっていった。
そして、ときどき水のなかから空気中にすがたをあらわすものができてきて、植物は陸上で生活できる能力を身につけはじめたのである。
このころの陸上は、わりあいあたたかく、雨も多かったので、植物のうちのあるものは陸上にもすむものができてきたと思われる。この植物の上陸をさらにたすけたものが、地殻《ちかく》の変動である。少しずつ変わる地殻の変動もながい期間のうちには大きなものになるから、海岸だったところがいつかは山になるばあいもおこってくるわけで、そのとき、植物は自分から山へ登っていかなくても、いつのまにか陸地にもちあげられ、外界の条件に自分をあわせて生きていくようになったということは考えられる。こうして植物は、高い陸地で生きていく能力も、しだいにそなわってきたにちがいない。
陸地の植物は、コケのような地をはうものから、日光をよりよく利用しようとして、空中にのびるような形のものになってきた。シダ類といって、ワラビやゼンマイのたぐいであり、葉をもつものもできてきた。これからつぎの石炭紀≠ノはいっていくのである。
シダ類は、大発達をして、幹の直径が二メートル、高さが三〇メートルというような大きなものまであらわれてきた。その大きなシダ類が大雨による洪水《こうずい》で流されてうずまり、その上にまたシダ類が大きく育っていく。これがくりかえしくりかえされて、石炭の層ができたのである。アメリカには七〇〇〇メートルもの厚さの石炭層があるということである。
氷河期きたる
大型のシダ類がものすごくさかえ、この調子でいけば、どんな大きなものになるかわからないほどだったが、この植物の全盛期はしだいにおとろえはじめた。それは、炭酸ガスが減りはじめたからである。それはどうしてだろう?
空気中にある炭酸ガスを自分のからだに十分にとり入れて大成長したシダ類は、地下にうずまって、石炭に変わってしまったからである。つまり、空気中の炭酸ガスを地下にうめるためにシダ類が繁栄したという結果になってしまったからである。海の植物なら、海中にいる動物のだす炭酸ガスをつかえるが、動物のほとんどいない時代の陸上の植物は、空気中から炭酸ガスをとるほかはないのだ。火山から出る炭酸ガスぐらいではとてもまにあわないのだ。
しかも、この炭酸ガスには、太陽光線はとおすが、地球の表面からはねかえってくる輻射熱《ふくしやねつ》はとおさない性質があるため、炭酸ガスの少なくなった地上はガラスのわれた温室のようなものとなり、地表からの熱がどんどん逃げだし、地上は寒くなり、高い山の雪は氷河となってゆっくり流れはじめて、地上はますます寒くなってきた。こうして寒さに弱いシダ類植物は、自業自得のようなかたちで、ますますおとろえないわけにはいかなかったのである。このことは、石油や石炭の消費がふえて炭酸ガスがどんどん増加するため、地表の温度がしだいにあがっていって、やがて南極や北極の氷がとけて地球の表面は水びたしになるのじゃないか、と心配している現在とは正反対の現象である。
このようにして、石炭紀が終わると、そのつぎには寒さにも耐《た》えられるソテツやイチョウの類、マツやモミの類などの植物が、かわってふえてきた。これらは、そうむやみに大きくはなれないが、沼地でなくても成長できるので、地面にしっかりと根をはり、完全な陸の植物になれたのだ。この時代にはふたたびあたたかい時代がきても、もうシダ植物の栄える余地はなくなったのである。
動物たちの学校……川
地質時代表を見ていただくとわかるが、動物のほうも、海のなかでぼやぼやしていたわけではなかった。
海の動物コロニーは、クラゲやヒドラのようなものになっており、もう少し進化したものは、ウニやヒトデのようなものになっていた。これらの動物は海底をはいまわり、少しは泳《およ》げるものもできてきた。そして泳げる動物たちは、川をめざしてあつまり、川をさかのぼりはじめた。川には陸上の植物が流す食物が多かったからだ。
川の流れをさかのぼったり、くだったりしているうちに、動物のからだの筋肉《きんにく》は発達し、からだの先のほうに感覚器官があつまり、また流れにむかって進みやすい形、つまり左右対称になってきた。川は、こうして、動物を進化させるための学校のようなものになったのである。だが、授業のとちゅうで、勉強がつらくて逃げだしたものもある。
ホヤなどは、まっさきに海にもどり、岩にくっつく生活をした種類だ。ナメクジウオは、とちゅうまでついていけたが、やはりあきらめて海にもどり、静かな入り江で生活をはじめた。ナメクジウオは、瀬戸内海《せとないかい》でもとれるが心臓《しんぞう》も脳《のう》も目もなく、目のあるところには黒い点があるだけだ。それでも川の学校に行っただけのことはあって、細い糸のような背骨《せぼね》をもっているし、学校に行かなかったイカやタコよりすばやく泳ぐことができるのである。
川の学校をめでたく卒業して、海に帰っていったのが、サカナだ。サカナは広い海を自由に泳ぐ能力をもつことができたのだ。
だが、海にもどらないで、さらに上級学校にすすんだものもいた。
陸へあがる動物たち
川の学校のところで知ったように、少しぐらいつらくてもがんばっていれば、そのうちには平気で活躍《かつやく》できる能力が身についてくる。そして、さらに新しい環境《かんきよう》のなかでも行動できるようになってくる。川でからだをきたえ、しっかりした背骨や、すばやく動くための神経を身につけたサカナのなかから、しばらくのあいだなら、水からはなれても生活できるものが出てきた。もちろん、水からはなれることは楽なことではない。だが、川の流れがかわったり、陸地の変動でもとの川にもどれなくなるばあいもある。そんなときに必死で努力したものは、水の少ない状態においても耐えることができた。そして機会がきたらもとの川にもどろうと、大雨で水がふえるまでがんばっていた。こうして、肺《はい》に似た器官をからだのなかにそなえるようになったおかしなサカナが、川岸などのじめじめした湿地《しつち》や沼《ぬま》に動きまわるようになったのだが、これが現在、アマゾンや、アフリカや、オーストラリアなどにいる肺魚に似たものであった。
ところで、サカナが、この肺のようなものをもったということは大きな進歩だった。この肺のようなもののなかの空気を加減《かげん》して、浅いところでも深いところでも自由に泳ぐことができるようになったのである。つまり、サカナが浮きぶくろをもったのである。そしてこの段階から海にもどっていったサカナは、一足さきに海へ帰っていったサカナよりもすぐれていた。現在の海にいるサカナの多くは、この浮きぶくろをそなえているものだ。
シーラカンス
さて、ときどき水をはなれる生活は、生物たちの骨や筋肉をさらに進化させた。この時期の生物のなごりをしめしているのが、太古の腔棘魚《こうきよくぎよ》のシーラカンス≠ナある。
だが、シーラカンスは、せっかくそこまでがんばってきたのに、陸上にあがるのをあきらめて海へもどっていった種類である。すこし前に浮きぶくろをそなえたサカナが海にもどって大成功をしているのを見て、うらやましくなったのかもしれない。
「なんだい、あのくらいなら、ぼくのほうがよっぽど進化してらあ。よし、もっとすばらしいところを見せてやろう」と、シーラカンスは海にもどっていったが、そうはいかなかった。海は多くのサカナに占領されていたし、またそれをやっつけるには、からだが陸上動物に近くなりすぎていたのだ。そこでシーラカンスは、しかたなく、深い海の底を自分の居どころとしてほそぼそとくらすようになったのである。
約二〇年前、アフリカの東岸マダガスカル島の沖《おき》で、数千万年まえに死にたえてしまったとばかり思われていたシーラカンスをとらえた話が新聞や雑誌の紙面をにぎわせたことがあったが、これはふつうの深海魚とちがって、陸上動物に近い骨格をしているのである。このシーラカンスは、ひとの成功をうらやましがってまねをするより、自分の進むべき方向にがんばりつづけたほうがいいということを、無言のうちにわたしたちに語ってくれているようである。
カエルとヘビの祖先たち
水のなかから陸地にあがっていく段階は、生物にとって、ずいぶん苦しいことだったろう。しかし、苦しいかわりに、よいこともあった。それは、地上には食物が多かったし、水のなかのように競争相手が多くなかったからである。こうして、水のなかにいる時間よりも、陸上で生活する時間のほうがながい動物があらわれてきたのである。
現在、主として東南アジアに多くいるトビハゼ、アナバス(木登りスズキ)などは、陸地をあるきまわったり、木にのぼったりできる。胸ビレが前足になり、腹ビレが後足に、そして尾ビレが尾になっていく段階は、このようにしておこなわれていったのだろう。
森のなかの水たまりで、陸上の生活にすこしずつなれていったもののなかに、カエルがあらわれた。このころは敵が少なかったから、カエルはしだいにふえていったが、こんどはカエルどうしで餌《え》をうばいあい、弱い連中はよい場所を追っぱらわれて、住みにくい場所、つまり水分の少ない場所に移っていった。
そのかわいた場所に追いやられた弱いものはもう卵を水のなかに生むことができなくなったけれども、自然はよくしたもので、これがまた新しい種類の生物の発生する原因となったのである。つまり、カエルの進化体であるハチュウ類≠ェあらわれたのである。トカゲ、ヘビ、ワニ、カメの仲間《なかま》である。
ヘビに進化した連中は、よくもむかしはぼくらの祖先をいじめてくれたな、とばかりに、カエルをやっつけ、こうしてカエルの時代も終わりをつげていった。もっとも、この時期は、シダ植物が終わりになるころでもあったので、湿地《しつち》も少なくなっていったのだが。
なお、カエルからハチュウ類にうつるあいだの生物には、現在もなごりをとどめているサンショウウオやイモリなどがある。
恐竜の時代
シダ植物がへっていき、湿地は少なくなっても、ハチュウ類に進化していた動物はあわてなくてすんだ。トカゲはしだいに大きく進化していき、いよいよ恐竜《きようりゆう》時代がはじまった。中世代≠フことである。陸上には敵はいないし、食物となる昆虫《こんちゆう》や植物はたくさんある。それに気候もいいときているから、これで恐竜が栄えないはずがない。種類もふえ、形もますます大きくなる一方であった。
長さが三〇メートルもあり、重さはゾウの一〇倍、五〇トンものものが、のそのそと歩きまわっていた時代だが、この恐竜は映画に出てくるそれのようにそんなに大あばれはしない。脳があまり発達していなかったし、運動神経もにぶいので、一日じゅうずっとひるねをしていて、ときどき植物をボソボソたべているといったノロマな動物だったのだ。
恐竜は、植物や昆虫を食物としていたが、なかには、肉食のものもあらわれて、そのころハチュウ類から少し進化してすがたをあらわしはじめたホニュウ類の先祖のネズミなどをとってたべていた。
昆虫をたべるもののなかには、木に登るものもいた。この木登りをする恐竜のなかから、前足に膜《まく》がはり、とぶことのできるものが生まれた。しかし、鳥のように羽ばたくことはできないのでまるで、上昇気流に乗ってとぶグライダーのようなものだったらしい。
さらに、もっと大型なもので、浅い海のなかを歩きまわってサカナをとってたべる恐竜も出てきた。また、海のなかを泳いだりもぐったりしてサカナをとってたべる種類の恐竜もあらわれてきた。この時代はまったく、陸に、海に、空に、すべて恐竜の天下であった。
恐竜の最後
ところが、この全盛をきわめた恐竜にも、やがてほろびるときがやってきた。
ホニュウ類の動物も少しずつ発達はしていたが、そんなものは恐竜のおそれる相手ではなかった。では恐竜の最大の敵はなんだったのか? それは、寒さだったのである。あたたかい気候のあたたかい気温のなかで、のんびりと成長をつづけてきた恐竜には、寒さに耐える能力がなかったのである。
ながい年月のうちに、地殻の変動が少しずつすすみ、暖流《だんりゆう》のいきわたらない海ができて、寒い地方ができてきた。それに、高い山ができはじめて、あたたかい風も北のほうに吹いていかないようになったのである。
どうして高い山ができたのだろう? それも植物のおそるべき威力《いりよく》をしめすものだ。それまでは、山がもりあがっても、すぐ雨でけずられてしまうのだったが、シダ植物にかわってひろがりはじめた裸子植物《らししよくぶつ》(マツ、イチョウ、ソテツなどの類)のために、地表は植物の根でしっかりと固められたのである。だから山が雨でけずられることがひじょうに少なくなったのである。
さらに、地上には、少しずつ四季がはじまりかけていた。恐竜の知らぬうちに、このような自然の変化がかれらのまわりにせまってきていたのだ。
夏はまだよいが、冬がくると、恐竜たちはどうしようもなかった。もちろん、こんにちのような寒い冬がすぐきたのではないが、体温が気温に影響《えいきよう》される冷血動物の恐竜たちにとっては、少しでも温度のさがることはつらいことだった。ヘビのように冬眠したくても、大きなからだでは穴にももぐりこむこともできない。
こうしたことから、せっぱつまって、恐竜たちは、ゾロゾロと南にむかって移動しだしていった。冬に葉を落とす植物が多くなり、たべものにこまった北のほうの草食恐竜が、まず、南にむかって歩きはじめた。この恐竜をたべる肉食恐竜がそのあとを追い、恐竜の卵をたべる恐竜もその行進につづいたのである。
ところで、北のほうからおおぜいの恐竜たちがつぎからつぎへとやってくるので、あわてたのは、一年じゅう寒さ知らずの南の地方にいた恐竜たちである。いままで食糧の量とつりあったくらしをしていたところに、ドヤドヤとおおぜいの招《まね》かざる客たちがころがりこんできたのだからたまらない。たちまちのうちに、食糧にしていた植物はなくなり、あたたかい地方の草食恐竜もともども、どんどん減っていった。それにつれて、草食恐竜をたべる肉食恐竜も、恐竜の卵をたべる種類の恐竜も、ともどもに減っていって、こうしてさしも全盛をほこった恐竜時代も終わりをつげてしまったのである。なんとかして生き残ろうとしてがんばっていた恐竜たちも、つづいて進化してきたホニュウ類のまえにあえなくほろぼされてしまったわけである。
現在、ニュージーランドの近くの小島にいるスフェノドンは、運よく生きのびたと思われる恐竜の一つだが、これは恐竜とよべるほど大きなものではない。
鳥とホニュウ類の時代へ
あれほどさかえた恐竜も、ついに地上ではほとんど見られなくなった。すると、おそろしい敵のいなくなった土地に、ホニュウ類の先祖のネズミやウサギのような小さい動物がしだいにふえていった。
それらよりも、一歩はやく、空をとぶ鳥がふえていた。
恐竜たちのうちで、木の上にくらし、翼《つばさ》をもちはじめたものがいたが、そのなかでサカナをたべるのがすきな種類のものは、ひろい海の上をとびまわるために、ますます大きくなっていった。だが、昆虫をたべるほうがすきな種類の恐竜たちは、大きくなるより、すばやくとびまわれるかっこうに進化していった。
羽毛も生《は》えたし、高い空でもとべるように温血にもなった。このため、四季の変化に耐えることのできない翼手竜《よくしゆりゆう》がほろびたあとも、この鳥たちだけはゆうゆうと生き残ることができた.しかも、あとから現われてきたホニュウ類の動物たちは、空をとぶことができないので、このホニュウ類にいじめられることのない鳥たちは、多くの種類にわかれて、空の世界で栄えていったのである。
地上に現われたホニュウ類は、恐竜にくらべると、ずっと小さかったが、脳はずっとすすんでいたし、活発に運動することもできた。そのため、ホニュウ類の数がふえるにつれて、ホニュウ類どうしの生存競争もはげしくなった。そしてこの生存競争が、さらにホニュウ類のからだや生活能力を進化せしめ、こんにち見られるようなすぐれた動物ができていったのである。
マンモスやゾウのように、大きなからだになり、鼻を長くして食物をとるものもあれば、シカのように早く走れる足を持つものや、ウシやサイのように角をはやすものも出てきた。そのほか、穴《あな》にもぐるモグラ、水にもぐるカバ、海にはいるクジラ、すばしっこいリス、高いところにある木の葉をたべるために首を長くしたジラフ、寒い地方に自分たちの国をつくろうとしたクマ、そして百獣《ひやくじゆう》の王となったライオン……等々と、かぞえきれないほどの種類ができ、またそれらはそれぞれ独特の生活をおくるようになり、こうしてついに、ホニュウ類の全盛時代がやってきたのである。
サルの祖先
ホニュウ類のなかに、地上にいる猛獣《もうじゆう》をさけ、森の木の枝に逃げていったものに、サルの祖先がいた。
ところで、このサルの祖先は、そのころ四季の変化がしだいにはげしくなり、それにつれて大きなジャングルがしだいに小さくなりつつあったので、かれらは、まえに恐竜が南に移動をはじめたときと同じような行動をとらなければならなくなってきた。つまり、かれらにとっていちばん大事な生活の場である森が少なくなってきたために、強いサルの祖先が弱いサルの祖先を森から外へ追いだしはじめたのである。そこで、弱いサルの祖先は、せっかくなれた木の上の生活をすて、別の森をもとめて、またもや地上にもどらなくてはならなかった。
しかし、その弱いサルの祖先は、かなりの時期にわたった森での生活で、脳はずっとよくなっていた。野原をかけまわったり、穴にもぐったりする生活より、木の上の生活はずっと複雑な運動をしなければならなかったからである。
枝から枝へととびうつる生活では、四本の足を別々に動かさなければいけなかったので、それに応ずるために、脳はホニュウ類のなかでいちばん発達してきた。むろん手足も、ただ地面をかけまわるだけの動物にくらべると、はるかに微妙《びみよう》に動かすことができた。こうして、新しい森をもとめての旅のとちゅうでたくみに食物をとり、また地上の知識の多くを身につけながら、さまよい歩いていったのである。
さて、この弱いサルの祖先にも、生活の余地のある森へたどりついてそこでふたたび木の上のサルとしての生活にもどるものもあったが、地面を歩くうちに足がじょうぶに発達し、また地上の生活に自信ができたものは、そのまま地上生活をつづけていった。足が発達してしまうと、森の生存競争についていけないという欠点もあったからである。
この、地上生活をつづけるようになったサルの祖先は、とうぜんのことだが、しだいに森のサルの祖先とはちがったものに変わっていった。森の生活で発達した手と、移動するうちに強くなった足、それに多くの経験でますます発達してきた脳……この三つの強いちからをそなえたかれらは、もはや猛獣もそんなにこわがらなくてもよくなり、これからさき進歩していく余裕《よゆう》をもって、新しい生活をきりひらいていった。そして、かつて自分たちをいじめた森の強いサルの祖先より、はるかにすぐれた生物に、すなわち人類≠ノと変わっていったのである。
人類の時代
ホニュウ類の時代も、人類の出現で、大きく変わっていった。猛獣も知恵《ちえ》のある人類にかなわなかったし、森のサルの祖先たちも、この地上のサルの進化物に反対にしかえしをされても文句がいえなかった。
そうだ、この文句をいうこと、つまり、人類がことば≠つかうようになったということが、他の動物たちと人類とを引きはなしたもっとも大きな原因である。
さて、しだいにことばをつかうようになった人類は、他の同族と意見をかわし、ちからをあわせて、いっしょに仕事をすることができるようになった。また、ことばをつかうためにはまず頭のなかにある考えをまとめなくてはならないので、考える習慣《しゆうかん》もついてきた(それにつれて脳はますます発達した)。これらはいずれもことばの使用からおこった生活の進歩だが、しかし、最大の進歩は、自分の得た知識を子孫につたえることができるようになったことである。他の動物はすべて遺伝《いでん》によってしか子孫につたえることはできないものを、人類は祖先から受けついだ知識に、自分の経験を加えて、多くのものを子孫につたえることができるようになったのである。
こうして人類は、やがて道具の発明≠ニ火の発見≠ニいう一新紀元を達成し、つづいてさらに文字の発明≠ニいう、なにものにもまさるすばらしいものすら考えだしていったのである。
ちょっと見たところでは、人類は、イヌとサルという対照よりも、人類とサルという対照のほうにより似ているが、しかしもはや人類とサルとは、大きく大きくはなれて、人類はまったく別の種類の動物ホモ・サピエンス(人間)≠ニよばれるものになったのである。
それから先は? それから先は、すでにあなたがたのよく知っておられるとおりだ。地上にも海にもめまぐるしく科学がすすみ、エジプトにピラミッドができ、地中海に船がゆききし、ギリシャに文明がさかえ、ヨーロッパに科学がひろがってゆき、それらは東洋にもつたわっていった。
だが、空は、まだ鳥の領域だった。人類があらわれて、地上海中の動物たちはしだいに勢力をなくしてはきたが、しかし、大空だけは、鳥たちの手から取りあげることはできなかった。それも、やがては時間が解決してくれた。一七八三年、フランスのモンゴルフィエ兄弟は、熱気球を大空にむかってまいのぼらせ、つづいて一九〇七年、アメリカのライト兄弟が最初の飛行機に成功してから、大空もやっと人類のものになったのである。一九五七年十一月、宇宙空間へむけて人工衛星をうちあげた人類は、ついに地球以外の世界に進出していく可能性さえもつまでになった。こうして人類は、こんにち進化の最終段階にどっかりと立った、おそるべき最強の生命体となったのである。
さて、原始海洋を舞台にしてくりひろげられた『生命の流れ』の劇も、いまやっと人類二十世紀の時代まで到達した。しかし、この劇は、おしまいの幕がおりることなく、これからもなお無限につづいていく。三十世紀、三百世紀、三万世紀のかなたへと――。ではこれから先はいったいどのようになっていくだろう?
進化にはきまりがある
これまで、はげしい生命の躍動《やくどう》がうかがわれる進化のあゆみをたどってきて、あなたがたのなかに、なにかを感じ、なにかに気づいた人があるかもしれない。たとえば、進化にはなにかきまりがありそうだというようなことを。
そのとおり。進化のあゆみをよく調べると、そこに、なんらかの、きまり、法則があるのである。動物のばあいだけをみても、つぎのようなことがあげられる。
[#1字下げ]@ 動物が分かれて進化をはじめると、それぞれおたがいに、なるべくちがったものになろうとするうごきがみられる。
[#1字下げ]A 動物は進化がすすむにつれて、ますますその種類が多くなる。
[#1字下げ]B 動物は進化がすすむにつれて、からだの形や内部には大きな変化はおこらなくなる。
[#1字下げ]C 動物は進化がすすむにつれて、からだが大きくなる。
[#1字下げ]D 動物は進化があまりにすすんでくると、ちょっとした環境《かんきよう》の変化で、その新種は滅亡《めつぼう》するものもある。
これらはいったいどういうことなのだろう。どんな原因で、またどんなつごうから、進化のうえに、そういうことがおこるのだろう。これはなかなかむずかしい問題で、まだよくわかっていないこともあるし、わかっていることでも、かんたんには説明しつくせないことが多い。そこで、ここでは、進化には|きまり《ヽヽヽ》があるということをあなたがたの頭にとどめていただくことにし、そのことの勉強は、後日、あなたがた自身でやっていただきたいと思う。
3 動植物の改造
進化と品種改良
さて、サルの祖先のようなものからついにホモ・サピエンス≠ワでたどりついた人類も、これから先まだどのように進化していくのかわからないのと同様に、他の動植物たちも、また、それぞれの種にもとづいて、進化したり退化したりの現象をくりかえしていくにちがいない。
ところで、わたしたちは、これからもさまざまにかわっていく動植物を自然のなりゆきのまま放っておかず、積極的に人類の生活にプラスになる方向にもっていく必要は大いにあると思う。自然だけがつかさどってきた進化の現象を、人間が人間のために左右しようというのである。
ニワトリの先祖は、はじめ山野にすんでいた野鶏《やけい》だったが、わたしたちの先祖は、それをとらえてきてしだいに飼いならし、肉や卵を利用する生活を何百何千年とつづけているうちに、野鶏は人間が要望する性質や特長をもったいまのニワトリにまで進化してきたのだ。同様に、イネもまたはじめは野生の草にすぎなかったのだが、そのタネを集めてきて田畑にまき、耕しそだてているうちに、現在のイネのようなみのりの多い植物となったのだ。
これらのことは、べつに、品種を改良しようというような深い考えにもとづいて祖先のやったことではないが、生物がじょじょに進化し変異していくものだということぐらいはおぼろげに知っていたからにちがいない。そして、月日がたち、この種の経験を多くふんでくるうちに、品種改良は、一つの生産技術として人間のものとなっていったのである。
家畜の品種改良
家畜の改良は、むかしから作物のばあいと同様に、熱心にすすめられてきた。改良のやり方としては、優秀なオスとメスを交配(かけあわせ)させて生まれた子どものなかから、人間のつごうのよい形質のものをえらびだし、それがまた親になったときに、また優秀な異性と交配させて、さらに優秀なものをつくっていくというやり方がおこなわれてきた。競馬用のウマにサラブレッド=i英語で、純粋にえらんでそだてたという意味)というのがいるが、これは二〇〇年もかかってこうしてえらびだしたものである。ウマにはこのほかに、フランスのノルマンジー地方にいたウマにサラブレッドをかけてつくった農業用のアングロノルマン、フランスの原産でからだが大きく重いにもつをひけるペルシュロンなどもあらわれた。
ウシも、いろんな品種がつくりだされ、乳をとる目的でつくられたガンジー、エアシャー、ホルスタイン。肉をとるための品種としては、日本ではイギリス原産のシュートホーン種と日本の在来種を交配させてつくったものが多い。
さて、品種改良にはこのほか、前の章でのべた突然変異≠利用する方法もある。なん代にもわたってそだてられていく家畜や作物に、いままでなかった形質が突然あらわれて、それが子孫に伝えられるということがあるが、これをうまくつかむと、品種の改良にはたいへん役にたつ。しかし、突然変異のおこるのを待っていたのではしかたがないので、人間の手でこの変異をおこす方法がおこなわれるようになったのである。現在、日本で飼われているカイコは、やはりそうしてつくられたものの一つである。
カイコは、皮膚に斑紋《はんもん》のあるカタコ(形蚕)と、斑紋のないヒメコ(姫蚕)とがあるが、これらのメスのサナギにエックス線をあてておき、このサナギがかえってガになったものに、別のオスガとを交配させると、できた子どもは、メスは斑紋をもち、オスはもたないものができてくる。つまり、エックス線で人工突然変異をおこし、オス、メスの区別をつけるわけだ。
こうして取りだしたメスにヒメコのオスを交配させると、できた子どもは、オスはすべて斑紋をつけたカタコに、メスは斑紋のないヒメコになる。ところがカイコは、オスのほうがよいマユをつくるので、オスだけをえらびだして、マユつくりの役をおおせつけるという段取りになる。
また、ふつうのカイコのサナギにエックス線をあてて、頭の部分にある小顋《しようさい》をなくすると、クワ以外にサクラ、フダンソウなどいろいろの葉をたべるようになり、クワがたりないといって食糧の心配をする必要もない。まったく人間にとっては一石二鳥というわけだ。
これなどは、ふつうにおこなわれている品種改良の例だが、それではここで、最近おこなわれている新しい品種改良のやり方をお話しておこう。それは、昨年の夏、農林省の技術研究所ではじめて成功したヤギの人工|受胎《じゆたい》≠フことである。
これまで家畜の人工授精(人間の手でオスの精子をメスのからだに入れてやること)はひろくおこなわれていて、家畜改良に大いに役だっているが、優秀なオスの精液をとりだして優秀なメスのからだのなかに入れて受精させるやり方だけだと、妊娠《にんしん》中のメスの疲労などあって、生みだされる子の数におのずから限度ができる。そこで優秀な子を数多くつくりだすために、いちど受精した卵をメスのからだからとりだして、これをほかのメスの腹のなかに入れてそだてさせる方法が考えだされたのである。こうすれば、受胎をうけもつヤギは、そんなに優秀な種でなくてもすむわけだ。これが人工受胎といわれるものである。このやり方でやれば、いままでむずかしいといわれていたウシの人工受胎の成功もそう遠い日のことではあるまい。また、このやりかただと、荷車を引いているふつうのウシに、優秀な乳牛を生ませることだってできるわけだ。
カリフォルニアの魔法使い
アメリカ西海岸のカリフォルニアといえば、一年じゅう春のような気候で、花のたえることがない地方だが、十九世紀までにそこに栽培されるものといったら、小麦ばかりだった。そのころ、アメリカ東海岸に近いボストンから少し西にはなれたところにあるランカスターで、ジャガイモの品種改良をやっていたバーバンクは、温和な気候と風土をもつというカリフォルニアに強いあこがれをもっていた。そして、なんとかしてそこへ行きたいものだと考えていた。
ところで、バーバンクのつくりだした新種のジャガイモの品質があまりにすばらしいので、ランカスター地方で手広く植物の栽培をいとなんでいたグレゴリーという人が、バーバンクに、そのイモを売りだす権利をゆずってくれと申しこみ、その代金として一五〇ドルのお金をさしだした。バーバンクは「しめた!」と心のなかで大よろこび。さっそくこの金と、自分のつくったいくつかのジャガイモの種イモをもって、あこがれの地カリフォルニアに移住していった。
きてみると、なるほどこの新天地の気候も、風土も、うわさ以上にいいところで、かれはさっそく故郷のランカスターからもってきたジャガイモを植えつけてそだて、それを生活の糧《かて》として、しだいにいろいろの植物の品種改良にのりだしていった。こうして二〇年、一八九三年にかれが第一回に発表した新しい品種は、一七項目七〇種にものぼっていた。
かれは子どものころから本がすきで、野菜をつくって売るいそがしい暮らしのあいまに、父親の書だなのなかのものをあさり読んでいたが、その本のなかに、ダーウィンの書いた『飼育動植物の変異について』という本があり、このたまたま目にふれた本が、そののちのかれの一生を決定づけることになったのである。
このなかには、家畜や作物は、野育ちの動物や植物よりもずっと速く性質が変わるということが書いてあり、そのわけは、家畜や作物のなかに人の役にたつ性質をもつ変わりものがあらわれると、人はそれを保護して子孫をふやすようにつとめてきたからだとのべてあった。このダーウィンの考えに強くひきつけられたかれは、それから着実に小さな努力をつみあげ、やがて一生のあいだに、一〇〇〇種をこえる新種をつくりあげたのである。
バーバンクのやり方は、植物のあいだに多くの交配をして、すぐれた新種をえらびだし、それをつぎ木して早く実をつけさせ、そのなかからさらにすぐれたものをえらびだすというものであった。この方法で、トゲのない食用サボテン、種なしイチゴ、西洋スモモと日本産ハタンキョウの交配によってつくりだした新果実プロムコットなどがつくりだされたのである。人びとはかれを植物の魔法使いとよぶようになった。しかし、それは魔法でもなんでもなく、根気のよい努力とそのうらづけになる研究心のたまものだったにすぎない。
実をむすんだハタンキョウ
ロシアのコズロフ市の近くで果樹園をつくっていたミチューリンも、一生のあいだに三〇〇種もの新品種をつくりだした天才であった。
かれは、あたたかい南のおいしいハタンキョウを、北方の寒地でもできる品種につくりかえようと考えた。そこでそのハタンキョウの木から枝を切りとり、その地方にもとからあるたちの悪いハタンキョウの木につぎ木し、二年後に、台木をとり去ってさし木にしてそだてた。するとそれは、北の寒さにりっぱにたえられる木にそだち、新しい品種につくりかえられたのである。それまでは、つぎ木によっては雑種はできず、台木とつぎ穂は別々で、性質は変わらないと考えられていた。ところがミチューリンによって、つぎ木によっても雑種ができることがはじめて証明されたのだ。台木の葉でつくられた樹液がつぎ木された若いハタンキョウに栄養をあたえ、その木の性質までつくりかえてしまったのである。
ところが、ミチューリンと、かれの後継者であるルイセンコの考えは、つぎ木の利用だけにこの理論をあてはめるにとどまらず、「生物はすべてそだっていく環境によって子孫に遺伝する形質に変化をひきおこす」と、生物ぜんたいにまで考えをひろげたのである。たとえば作物では、土の性質、気温、光のあたりぐあい、肥料のあたえ方によって、作物がつくりかえられるというのである。だから、品種改良で性質のちがった種をかけあわせるというのは一つの方法にすぎず、雑種が一つの品種として完成するためには、いい形質をえらびだすだけでなく、そのごの環境をどんなにつくってやるかがたいせつだというのである。
ところが、このことは、たんに品種改良にとどまらず、生物学上にも大きな問題をなげかけたことになる。それは、環境によって生物の子孫に変化がおこるというのだから、前章でのべた、生物の遺伝は遺伝子の関係によるものという説は疑問になり、環境の生物といわれるわたしたち人類の未来についても、日々はきだされている多くの排気ガスや、放射性物質にとりまかれている現状では、人類の子孫にとんでもない影響をあたえるのではないかということが当然考えられてくるのである。
しかし、この考えを、世界の学者がすべて支持しているわけではない。かなり重視されている一方では、まったく無視している人もいる。だが、やがては、科学がもっともっとすすむにつれて、これに対してもはっきりした解答があらわれてくることだろう。
4 生命から生命へ
生命活動のもと
これまで、わたしは、進化の流れをたどり、ついでに動植物の品種改良の話題も紹介してきたが、ここでもう一つ、どうしても書きおとせない大事な問題についてもぜひふれておかなくてはならない。それは、生命をつたえるもの、すなわち細胞のなかにふくまれている核≠ニ、そのなかにひそんで、親の形質を子どもに伝える遺伝子≠ノついてである。細胞のなかにこうしたものが存在しなければ、すべての生物は子孫を残すことができない。将来オパーリンの説をもとにして人工で生命がつくられたとしても、その生命体は、おそらくそのもの一代かぎりでおわることになってしまう。……しかし、この核と遺伝子のことをくわしく説明すると、たいへん長くなるので、ここではごくかんたんにそのアウトラインだけのべることにする。
生物はすべて細胞を単位として分裂をおこし、それによって成長し大きくなるものである。これを逆に考えると、生物のいちばんのもとは、一つの細胞ということになる。だから、たとえばわたしたち最高等動物の人間だって、そもそもの出発点は受精卵≠ニいうたった一つの細胞ということになる。その親からもらったたった一つの細胞が何回も何回も分裂をくりかえし、ふえていって、やがて親と同じような生物になっていくのである。
ところで、この細胞は、cell(僧院の独房という意味)ということばのとおり、肉眼では見えない微小な|ふくろ《ヽヽヽ》でできあがっている。
構造は右図(図版省略・編集部)のようになっていて、どろどろした流動体の原形質からできており、多くの生物の細胞にはそのなかに核と細胞質が見られる。核は、名まえがしめすように、細胞の中核であり、これがなくなった細胞は正常なはたらきができなくなってしまう。活動はおそくなるし、分裂して数がふえることもできなくなるのだ。
単細胞植物のアケタブラリアをつかっての実験で、形のちがう二つの細胞をならべておいて、このなかの核をおたがいに入れかえてみたら、細胞の形が、それぞれ前に核が位置していた細胞の形になってしまったことがわかり、この実験によって核が細胞活動、とくに生殖や生長や遺伝をつかさどっていることがわかった。
スイスの学者ミーシェルは、一八六九年に、細胞の核以外の部分をとかしてしまう方法を考えだし、核をたくさんあつめて研究したすえ、核の存在を確認して、この核をつくっている部分に核質≠ニいう名をつけた。かれはさらに、この核質からタンパク質を取りのぞいて、残ったものに核酸≠ニいう名をつけたのである。
核酸は、窒素、炭素、リンなどの複雑な化合物が、いくつも長くつながってできあがっているものである。そしてこの核酸が、生物の生殖、生長、遺伝といったたいせつな生命活動をつかさどっている核の本体であるとするならば、この生命のもと≠ニもいえるものは、やはり物質以外のなにものでもないことになる。つまり、自然にある一〇〇種ちかい元素の何分の一かをつかっているだけで、生命特有な元素というものはもっていない。ごく少数の元素の複雑な組みあわさりかたが、生命のもとをつくりだしているのにほかならないのだ。また、この核酸の構造の微妙な変化が、生物の形やはたらきをそれぞれみな異ったものにしているのだし、遺伝をつかさどっている遺伝子≠焉A生物の進化の原因も、やはりこの核酸の構造の微妙な変化と複雑な組みあわさりかたによってあらわれるものなのである。親の形質が子どもに伝わり、子どもの形質がまた孫にと、しだいにつたわっていくふしぎないとなみは、おおよそ、このようなことによっておこるものなのである。
失われた世界
進化の章のいちばんあとで、進化に関係のあるちょっとおもしろいお話を紹介しておこう。
イギリスに、コナン・ドイルという作家がいて、日本では探偵《たんてい》小説『シャーロック・ホームズ』の作者として有名だが、かれはまた『失われた世界』という一種の空想秘境物語も書いている。これは、南米のどこかに、現在はすでに死に絶えていると思われている恐竜《きようりゆう》たちがいまなお生きのこっていて、それを探検に行った一行の話なのである。
ドイルは、医者だったので、科学知識もあり、それに作家としてもすぐれていたので、この本はひじょうに評判になり、こんにちでも多くの読者がある。
ロンドンに住む動物学者のチャレンジャーは、ある日、たずねてきた新聞記者マローンに、信じられないような話をした。
「南米はまだ大部分が探検されていない。二年まえに、わたしはアマゾンの上流で、ぐうぜん死にかけている白人に会ったのだ。そのとき、男は、口をきく力もなくまもなく死んでしまったが、一さつのスケッチブックをわたしに残したのだ。それがこれなんだ」
マローンがのぞきこんでみると、いろいろな見たこともない動物がえがかれてあり、ページをめくっていくと、大きな絶壁の絵があった。そして、そのつぎのページには、大きな動物がえがかれていた。
「なぜ、こんなものをかいたのでしょう?」
それはものすごく大きなトカゲのようなかっこうの動物で、尾は長くひきずり、背にはギザギザがついている。そのそばには、一寸法師のように人間がかきそえられてある。
「こんな動物がじっさいに生きていたからかいたのさ、むろん」
チャレンジャーはいくらか興奮《こうふん》していったが、マローンは、すぐには信じられなかった。
二十世紀の現代に、そんな中生代の動物に似た生物がいるはずはないのである。
「では、これとくらべてみなさい」
チャレンジャーがさしだした本の前世紀の恐竜の図に、そのうすよごれたスケッチブックの絵はまったくそっくりだった。
「それに、その男の持ち物には、こんな骨もあったのでね」
「大きな骨ですね」とマローンはおどろいた。
「これから想像すると、やはりスケッチされた動物は生きていたのだ。いや、いまもなお生きているだろう……と、わたしはその動物にたいへん興味をもち、それをぜひこの目で見たいものだと思って探検をはじめ、ひどく苦労をしたあげくに、やっとのことでその絶壁を見つけることができた。しかし、あいにく雨季にはいり、食糧もつきたので、しかたなく引きあげたのだが、あの絶壁の上にはきっとすでに絶滅したはずの恐竜が住んでいるにちがいない」
「どうしてそのような動物が絶壁の上などにいるというのですか」
「きっと、ある時期に、地殻《ちかく》の変動がおこり、一部の地域が、生物をそっくりのせたまま隆起《りゆうき》したからなのだろう。すると、その地方は、進化した動物がよそからはいってこられないので、大むかしのままの生物が生き残れるばあいもありうるのだ」
「先生、それならなぜ早く世の中にこれを発表しないのですか」
「もっと証拠《しようこ》がないと、だれも信用してくれないよ」
そこで、マローンとチャレンジャーは、ロックストンという冒険《ぼうけん》好きの貴族を仲間《なかま》にくわえ、さらにサンマーリーというチャレンジャーの意見に反対の学者も一行にくわわってもらって恐竜調査隊をつくり、南米に向かうことになったのである。
一行は、船でアマゾン川をさかのぼり、川がせまくなるとカヌーにのりかえ、ジャングルのなかの静かな小川を進み、カヌーも進めなくなると歩いて目的地をめざした。川は沼地《ぬまち》に消え、さらに進むと、森はまばらになり、やがて広い野原になった。そのとき大きな鳥が遠くでとび立ち、はばたいていったのが見えた。
「あれはなんだ」
「翼手竜《よくしゆりゆう》に似ているぞ」
「いや、ふつうの鳥だ」
「それより早く行こう」
一行はそんなことをしゃべりながらなおも進みつづけた。
そして、ついにスケッチにえがかれてあった高い赤色の崖《がけ》の下に、ようやくたどりついたのである。
そこは、どんな動物でものぼれないような急な崖であった。だが、四人はそれにひるまず、ひじょうな苦心をして、それをのぼっていった。
なぞの土地でのはじめての事件は、大きなダニの発見であった。ブドウの実ぐらいもあるもので、いままで見たこともない種類だった。そのため、せっかくはったキャンプを別の場所に移さなければならなかった。
めずらしい植物のあいだをぬって進むと沼があり、そのふちで、大きななにかの足あとを見つけた。
「これをごらんなさい! 三本指です。きっとものすごく大きな鳥でしょう」
だが、よく見ると、そのそばのところどころに、小さな五本指の足あともあった。
「鳥ではない。ときどき五本指の前足を地面におろすハチュウ類だ。きっとそれは一種の恐竜にちがいない」
そして注意ぶかく進んでいくうちに、ついにそれを見つけだしたのである。子どもの恐竜でさえ、その大きさは象ぐらいもあり、カンガルーのような形で、皮膚《ひふ》はワニに似ていた。みな、三本指のあと足で立ち、前足で木につかまってその芽をたべていた。この動物たちがおたがいでふざけ合うと、ずしんずしんと地ひびきがおこるほどである。
それまで、「恐竜などいるはずがない」と強く主張し、チャレンジャーを内心ばかにしていたサンマーリーは、もうなにもいえなくなってしまった。だが、あの連中にとびかかられたら、ひとたまりもなくやられてしまうので、一同は気をゆるめるわけにはいかないのである。
つぎの日、一行は、この高原の中央に湖水を見つけたが、そのまわりには数知れない翼手竜が集まっていた。革《かわ》のような色の卵をだいているのや、翼を動かしたり、はいまわったりして、毒々しいにおいをたてているのだ。翼手竜は、ペンギンと同じように群居する習性があるらしかった。
しかし、チャレンジャーとサンマーリーのふたりの学者がこの光景にわれをわすれ、議論に夢中になったとき、一ぴきの翼手竜が口笛《くちぶえ》のようなするどい鳴き声をたてて、六メートル以上もある翼でとびたち、それにつれて一〇〇ぴきもの大群がつづいてとびたってきた。
「森へにげろ!」
ロックストンは銃《じゆう》をふりまわして防いだが、そんなことではなんの役にもたたない。長い首についたするどい口ばしでつっついてくるのだ。
ロックストンは、ついに銃で一ぴきを射ち落とし、ようやく森のなかにのがれることができたが、みなそれぞれ傷をうけていた。
一行は、キャンプのまわりにイバラでさくをつくり、静養したが、その夜、なんともいえないおそろしい音が聞こえてきた。
「なんの音だろう、いったい?」
「大きな恐竜が、小さいやつをやっつけた音だろうと思うんだが……」
「しっ、足音がする」
そのとき、重いゆっくりした足音と、呼吸の音が、キャンプのまわりをうろついているのだ。外をのぞいてみると、えたいのしれぬ大きな怪物が、青みがかった目を光らせてこちらをにらんでいる。
「銃は、いよいよという時までつかうなよ。音をたてると、ほかのがやってくる。これでなんとか追っぱらってみよう」
と、ロックストンはたき火の火をもち、すばやく怪物につきつけた。すると、怪物は、すさまじい音をたててにげたが、そのとき、ガマのような大きな顔と、血だらけの口とが、たきびの火にまざまざとあらわれたのである。それは、肉食恐竜だったのである。
翌朝になってみると、昨夜の物音は、翼手竜がやられたときの音とわかった。
このようにして探検が進むにつれ、一行は、湖のなかに住む長い曲った首をした恐竜や、スケッチにあった剣竜《けんりゆう》にあい、あやうく命を失うようなめにもあい、さらに数々の考えもしなかった危険をおかして、ついにロンドンにひきあげることができたのだった。
しかし、大ぜいの聴衆を集めての報告講演会の日、聴衆のなかには、ちょうど探検に出る前のサンマーリーのようにハチュウ類の存在を信用しない者がたくさんいた。
「話だけではだめだ」
「写真もいくつかとってきました」
「写真などはごまかしのこともある。実物を見なくてはだめだ」
そこでしかたなく一行は、苦心して南米の奥地から運んできた一ぴきの翼手竜を、|おり《ヽヽ》からだして見せたのである。すると、どうしたはずみにか、翼手竜は|おり《ヽヽ》をぬけて会場をとびだし、アマゾンの方角さしてとび去っていった。おどろきさわぐ群衆にまじって、西南の空をじっと見つめる調査隊の人びとの顔いろ。なかでも隊長チャレンジャーの胸のなかはどんな思いだったろうか――。
この小説のあらすじを読んで、おもしろく思われた人はきっと多いにちがいない。それは、わたしたちが、日ごろ恐竜についてなんとなくしたしみをいだいているからである。大きくて、力はあるが、頭が悪くて、動作のにぶい動物――、見かけはまったく驚異そのものだが、現在生きていたら、象よりもトラよりもかんたんに人間に征服されてしまうにちがいないおろかな動物――。恐竜たちを考えるとき、わたしたち人間の優秀さが、胸にすがすがしくこみあげてくるからにちがいない。わたしたち人間のすばらしさが改めてつよく意識されるからにちがいない。では、つぎは、人間の話をしよう。
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四、人間という生命現象
1 からだのふしぎ
人間、このおごそかなもの
地球上に生命があらわれてから、こんにちまでに、約二〇億年というながい時間がたったといわれている。最初は、ほとんどとらえることもできない小さな、ささやかなものだった生命の火は、消えることなく燃えつづけ、しだいに進化をかさねて、ついに最高に発達した生物である人間が誕生したのである。永遠≠ニいうことばがあてはまるようなながい歴史の流れをふりかえってみると、現在わたしたちがこうして生きているということは、じつに、おごそかなことだといわなくてはならない。
しかし、このわたしたちの生命は、有限《ゆうげん》である。人類は今後もなお栄えていくだろうし、子孫はさらにその子孫へとバトンを渡しつづけていくだろうが、わたしたち個人個人のいのちは、それぞれ、一代かぎりである。
「きょうという日のふたたび来たらざることを思え」と、『神曲』を書いたイタリアの大詩人ダンテがいっているが、なるほど、きょうという日はふたたび、くりかえすことがないのと同様に、わたしたちの一生もまた、ふたたびくりかえすことがないのである。つまり、わたしたちの生命は、ながい生命の歴史の流れのなかのほんの一瞬間にすぎないのである。
ところで、自分自身の生命が限られたものであり、どうせいつかは死ぬのだからといって、「生きているあいだはせいぜいたのしんで遊んでやれ」などと考えて、生命をむだづかいしている人はいないだろうか。それは大きな考えちがいである。限られた数十年のいのちなればこそ、いっそうわたしたちはこの人生になにかをつくりださねばならないのではないだろうか。
「ぼくには、死んでいくことは少しもこわくない。いま自然に死んでいけるのだったらどんなにうれしいか、とまで思っている。だが、ぼくもこうして人間に生まれてきたのだから、やはり、なにか生きがいが感じられる状態で生きていく義務はあると思う。……そして自分の生きていく目あては、自分の名まえを、われわれの時代のできごとに結びつけることである。この世の中にいっしょに生きている人びとにとってなにか益になることに、自分の名まえをつなぎつけることである」
アメリカの偉大な政治家リンカーンはこういっている。
わたしたちは、たとえ大宇宙のなかのケシつぶほどの存在であろうとも、そしてたった数十年間の限られた存在であろうとも、自分の一日を、そして一生を、人間というりっぱなおごそかな生命現象にふさわしい生き方で、足どりたしかに、かがやかしく、生きなければならないと思う。それが人間の人間らしいところであり、人間をつくってくれた自然に対するせめてもの報恩の方法でもあろう。
教訓はさておき,こんどは、わたしたち、人体の生命構造をさぐってみることにしよう。この章で、みなさんは、たんに人体についての知識を学ばれるにとどまらず、人間をはじめとする動物一般の生命構造をまで推察していただきたい。人体をとりあげたのは、それがもっとも精密度、進化度の高い生物だからである。
からだの栄養素
むかしの仙人《せんにん》は|かすみ《ヽヽヽ》を食って生きていたといわれるが、わたしたち人間には、とてもそんなことはできない。「人はパンのみにて生きるにあらず」ということばがあり、これは人間はただ無為に月日をすごすべきでないことをいましめている警句だが、しかし、それはそれとして、人間はやはりパン(食物)がなくては絶対に生きることができない。しいていえば、たべては排出《はいしゆつ》し、たべては排出しの連続が、人生だともいえるわけである。
食物にふくまれていて、人間のからだの養分となる物質を栄養素≠ニよんでおり、それはいうまでもなく、タンパク質、脂肪《しぼう》、炭水化物(含水《がんすい》炭素ともいう。デンプンや糖分)、無機物(カルシウム、リン、カリウム、硫黄《いおう》、塩素、ナトリウムマグネシウム、鉄、マンガン、銅、ヨウ素、コバルト、亜鉛《あえん》など)、ビタミンの、五大栄養素をさすが、これがどのようにして人体の養分になっていくかをさぐってみよう。
細胞の主成分――タンパク質
人間のからだは、細胞からできており、細胞の原形質の中心となる成分は、タンパク質である。ところが人間は、高等植物のように、かんたんに自分のからだのなかで複雑なタンパク質をつくりだすことができないので、他の動植物のからだにふくまれているタンパク質をちょうだいして、長さ四メートルもある腸《ちよう》のなかでアミノ酸に分解し、このアミノ酸を組みあわせて人間特有のタンパク質をつくりあげているのである。「みどりの世代」などといわれているあなたがた十代の人たちは、のびるために、つぎつぎに細胞をふやさなくてはならないので、ふつうの人よりも余計にタンパク質を摂取《せつしゆ》しなくてはならない。正常に育つためには、体重六〇キロの人で、一日に約八○グラムのタンパク質がいるのである。なお、このタンパク質は、内臓《ないぞう》や筋肉《きんにく》の発達に必要なだけでなく、頭のなかの脳《のう》細胞の発達のためにも必要なものだ。牛乳、牛肉、卵などをたくさんとる人は、それらをとらなすぎる人よりも頭がいいといえるかもしれない。
このタンパク質は、脂肪やデンプンなどのほかの栄養素では代用のきかない物質なので、これを保全素≠ニもよぶことがある。
いま、他の動植物のタンパク質をちょうだいしてそれを体内でアミノ酸にかえ、そのアミノ酸をまた人間特有のタンパク質にかえるといったが、そうした化学反応をおしすすめるものは、体内にある酵素《こうそ》≠フはたらきである。この酵素という物質は、みずからは変化しないで、さまざまなタンパク質や炭水化物、脂肪などの他の栄養素を化学変化させる。生物の生理作用にとってなくてはならないものである。例は適当でないかもしれないが、マキをつくるばあい、まず木を切りたおし、それを大きなノコギリでわけ、それを小さなノコギリでこまかくわけ、さらにナタでわって最後にマキにするが、酵素はつまりこのノコギリやナタにあたるものと思っていいかもしれない。じっさい、この酵素は、生物のおこなう生理作用のあらゆる変化がすべてこれのはたらきだといってもけっしていいすぎではない。
エネルギー源――脂肪・炭水化物
タンパク質も体内で燃えるとエネルギーをうみだすが、このタンパク質の役目は、エネルギー源というより、生命体そのものを育てつちかう物質といったほうがよい。その点、脂肪と炭水化物は、人体という機関車を動かす石炭のようなものである。
脂肪は、炭水化物やタンパク質にくらべて二倍も熱量(カロリー)が高い。また、炭水化物は、それを多くふくんだ食品が豊富(穀類・野菜・くだもの類はみなこれである)であると同時に、消化がよく、早くエネルギーにかわるので、この二つのものは、重要なエネルギー源とされている。
まず、米やパン、野菜やくだものとしてとりいれた炭水化物(含水炭素)は、消化器のなかで、胃酸や酵素によって分解されてブドウ糖《とう》≠ノなり、体内に吸収《きゆうしゆう》される。
体内に吸収されたブドウ糖は、血管で各部分に運ばれ、エネルギーとしてただちに消費されるものもあるが、さらにブドウ糖がいくつも集まった形のグリコーゲン≠ノなって、肝臓《かんぞう》や筋肉のなかに貯えられる。グリコーゲンは、エネルギーの必要なときにはすぐブドウ糖にかわるもので、いわばこれはブドウ糖の貯蔵タンクだ。もしこの貯蔵するという能力が人間になかったら、わたしたちは一日中たえずなにかをたべていなくてはならないことになる。
ところで、グリコーゲンとしてエネルギーを貯える量には限度があり、それ以上エネルギーを貯えるときは、別の形のものが必要となってくる。それは脂肪として、皮下に貯えるのである。
食物としての脂肪は炭水化物の二倍もエネルギーをふくんでいるので、体内で貯えるのにはもってこいだし、しかも皮膚《ひふ》の下なら相当量貯えることができる。なかには貯えすぎてデップリふとっている人もたくさんいる。なお脂肪は、水にとけず、粒となって細胞内に貯えられるから、周囲に影響《えいきよう》をおよぼさないでまことにつごうがいい。
さて、こうして貯えた炭水化物、脂肪の栄養素が、エネルギーにかわるとき、その化学反応をおしすすめてくれるものは、これもやはり酵素のちからである。人間のような好気性生物(大気中や水中の酸素を必要とする生物)は、呼吸することによってたえず肺《はい》から酸素をとり入れ、吸収すべき栄養素の酸化反応をうながしているが、酵素はこのばあいにも、また酸化された物質をエネルギーにかえるときにも、大きな役わりをはたしている。酵素はまったく重要なはたらき手なのである。
はたらき手といえば、ビタミン≠烽ワたたいせつなはたらき手のひとりだ。これはブドウ糖を分解する酵素の助手としてなくてはならないものである。よくビタミンBを疲労回復のためにのむことがあるが、これはブドウ糖を早くエネルギーにしようとする酵素の作用をたすけるためである。
このようにみてくると、穀類や野菜の炭水化物は、そのほとんどがブドウ糖になることでエネルギー化されるということがわかるだろう。炭水化物を糖類≠ニもよんでいるわけがここにあるのである。自然界には、このブドウ糖(つまり炭水化物)がひろく分布しているので、さまざまな生物にとってこの物質はひじょうにたいせつなものなのである。
人間が食事をとるのをやめるとどうなるか? まず、筋肉や肝臓にあるグリコーゲンがブドウ糖にかわり、それがエネルギーをだしながらアルコールにかわり、最後は炭酸ガスと水になってしまう。
つぎに、グリコーゲンがなくなると、脂肪がつかわれて、これはグリセリンと脂肪酸に分解し、グリセリンはブドウ糖と同じ過程をたどってエネルギーをだす。
脂肪までなくなると、最後の手段として、タンパク質が糖にかえられ、これが燃えてエネルギーとなっていく。
では、タンパク質までなくなったとすると? そのときは、生命そのもののなくなるときだ。タンパク質によってつちかわれた生命体なのだから、生命体の母胎《ぼたい》であるタンパク質の消滅《しようめつ》は死以外のなにものでもないはずである。
筋肉のなかのATP
手足を動かし、からだ、臓器を動かす人間の活動は、おもに筋肉の伸縮《しんしゆく》によっておこなわれる。ではそれはどのような仕組みでおこなわれるのだろうか。
ブドウ糖は分解してエネルギーをだすが、しかしそのエネルギーがすぐそのまま筋肉を動かすのではない。エネルギーは、ひとまずATP(アデノシン三リン酸"Adenosin Tri Phosphate"の略)≠ニよばれるリンの化合物となって筋肉細胞のなかにはいり、脳から神経をつたわってやってくる命令を待つことになる。
このATPのおこなう反応はちょっとむずかしいが、かんたんにいうと、ちょうど時計をはたらかすゼンマイの役目とおなじく、筋肉を動かすエネルギーを貯えたゼンマイのようなものである。命令がきしだい力をたくわえていたゼンマイのストップがはずれ、酵素によってエネルギー化されて筋肉を動かすことになる。そしてゼンマイをつかいきったら、またブドウ糖が分解してエネルギーを補ってくれるのである。
この細胞内のゼンマイ、ATPは、リンの化合物だから、リンも生物にとって大きな役わりをはたしていることになる。酵素がどんなにエネルギーをつくりだし、生命活動をうながしても、リンがないと、その生物はどんな器官も動かすことができないのである。
ところで、ATPによって活動する筋肉の動き方は、じつにみごとなものである。それは、神経の命令のもとに完全に統制のとれた動き方をするのだが、このようなすばらしい機械がわたしたちのからだのなかにあると思うと、うれしくさえなる。
筋肉細胞は、細長い形をしているが、神経から「動け」と命令がくると、ATPのエネルギーが出て太くなる。細長いものが太くなるのだから、細胞の長さはとうぜん短くなる。これによって仕事がおこなわれ、仕事がすむと、エネルギーがだされなくなるから、またもとの細長い形にもどる。この筋肉の動き方は、機械の動き方などとはかなりちがい、じつにたくみにおこなわれるのだ。ピストンは、蒸気《じようき》の力でおしだし、また蒸気の力でひきもどし、また蒸気の力で……というように動かされるが、筋肉細胞のばあいは、その弾力でしぜんにひきもどされる。さらに、機械は使うにつれて能率がさがってくるが、筋肉のほうは使わないでいるとかえって弱くなってくる。いや、使えば使うほどよくなってくるのだ。わたしたちが適当にスポーツをするのもそのためである。また、機械と筋肉のエネルギーの使い方をくらべてみても、筋肉のすばらしさがよくわかる。自動車のエンジンを動かすときに使うガソリンは、その必要熱量の六〜八割が仕事以外のために失われているが、この点、筋肉を動かすエネルギーはまったくムダに失われることなく、すべて完全に使われるのである。自然界はまことに巧妙《こうみよう》な肉体を創造してくれたものである。
なんだか、機械の悪口ばかりいってしまったようなことになったが、誤解《ごかい》しないでいただきたい。機械はもともと人間が考えだしたものであり、それに欠点があれば、それはわたしたち人間の責任である。それより、機械は、わたしたちの能力の一部を大きくするためにつくりだしたもので、機械は機械なりにすぐれた長所があるのである。自動車は人間より早いし、起重機は人間より力が強いし、タイプライターは正確な字を書く。だから人間をはじめ、さまざまな生物のすぐれている点、あるいは特徴は、すべて全体として完全にまとまっているということなのである。
つぎに、人体のなかの主要部分を調べていくことにするが、手や足は、筋肉と骨の複雑な組み合わせからできているものなので、あらためてふれないことにする。まず、目を調べよう。
カメラよりも精巧な目
わたしたちは、外界の環境に応じて、いろいろの行動をとってきているが、外界を知るもっとも重要な器官は目≠ナある。じっさい、わたしたちの知識の八〇パーセントは、目からはいってくるといわれるほどである。
目はよく、カメラにたとえられるが、しかし、それとはくらべものにならないほど高級である。大きさからしてカメラよりはぐっと小さいし、そのうえピントや|しぼり《ヽヽヽ》は自動的に調節される。また、見ようと思う方向にすぐ目を向けることもできるし、|まぶた《ヽヽヽ》というすばらしいレンズフードもついている。
また、フィルムにたとえられる網膜《もうまく》には、一億三〇〇〇万個もの光を感じる要素が分布している。テレビの画面の蛍光《けいこう》点面の数は数十万個だから、目がどんなに鮮明《せんめい》な像をうけるかがわかるだろう。しかも、色盲でないかぎり総天然色だし、片方の目が悪くならないかぎり立体的に見えるのだ。
網膜に受けた刺戟《しげき》は、それを感じる感光細胞(これには明るい光を感じる円錐体《えんすいたい》と、暗い光を感じる円柱体とがある)から、神経をへて、脳につたえられ、脳のなかに体外にあるものの像をつくりあげる。目はじつに驚異的《きよういてき》な器官といわなければならない。
舌・耳・鼻・皮膚《ひふ》
舌もまた精巧につくられた器官である。舌には九〇〇〇もの味を感じる味蕾《みらい》という器官があって、食物の分子がこの器官のなかにある神経の末端をさわると、その味が脳に伝えられるのだ。味には、あまい、すっぱい、塩からい、にがいの四つがあって、三原色から無限の色ができるように、味もこの四つの組み合わせからかぎりない味を感じることができるのである。
耳には、一〇万の聴覚《ちようかく》細胞がある。音、つまり、空気の振動《しんどう》は|こまく《ヽヽヽ》によって大きく引きのばされ、聴覚細胞で電流の変化となって脳に送られる。わたしたちは声を聞いただけでもだれの声だかをすぐ知ることができるが、これは、耳が声の微妙なちがいをただしく脳に伝えてくれるからなのだ。
鼻は、空気中のごくわずかな物質を、においとしてかぎとる。鼻にすいこんだ空気がちょうどぶつかるところに嗅《きゆう》神経が分布しているからである。アイスクリームなどにはいっている香料のバニラが、空気一リットル中に一〇〇万分の一グラムの割り合いでふくまれているときでも、わたしたちの鼻はそのにおいを敏感《びんかん》にかぎとることができる。
しかし、このすばらしい嗅覚も、他の動物にくらべると、あまりいばれたものではない。たとえば一九四八年、アメリカの学者たちは、サケの嗅覚について、つぎのような実験をしている。カナダのホースフライ川でとってきたサケの卵を、ずっと遠方のちがった川にある養魚場にはこんで、孵化《ふか》させた。そして、卵からかえった幼魚を飛行機で運んで、もとのホースフライ川にはなしたのだが、いったん海に出てまた生まれ故郷の川にもどって産卵する習性をもつサケは、三年後にはホースフライ川に帰らずに、ちがった川の養魚場に帰ってきたのである。サケが、自分の生まれた場所のにおいをちゃんとおぼえていたという実例である。また、|おす《ヽヽ》のイヌは、電柱や壁などのなるべく高いところに小便をかけてそのにおいで自分のなわばりをつくるなど、動物は、わたしたちがいくら鼻をならしてもとうてい太刀《たち》うちのできない敏感な嗅覚をそなえている。これらは、人類が進化によって直立歩行するようになり、地をはいまわるようにして歩かなくてもすむようになったことと、人間のすばらしい脳が嗅覚などをたよりにするよりもっとたしかな判断をつけられるようになったから、しぜん鼻のほうが退化したのではないかと思われる。
つぎに、皮膚は、全身をつつんでいるじょうぶな膜《まく》だが、一面に感覚器官がちりばめられている。からだじゅうの皮膚にはあたたかさを感じる点が三万、冷たさを感じる点が二五万、触覚を感じる点が五○万、痛さを感じる点が二〇〇万以上もある。脳はこれらの点からつねに連絡をうけ、からだが危険におちいらないように注意しているのである。また、油分をだす脂腺《しせん》、体温を一定に保つための汗腺《かんせん》などがあって、人間のからだを健康にたもつためのはたらきがおこなわれている。
感覚器官と脳をつなぐもの――神経
これまで、わたしたちのからだにあるいくつかの感覚器官をさぐってきたが、そのどれもが、感覚をうけつける細胞に刺激《しげき》がくると、さっそくその刺激を神経をとおして脳につたえるというしくみになっている。神経はこのように、刺激を脳に連絡する仕事のほかに、その刺激に応じて脳が筋肉に命令を発する伝え役もはたしている。脳に刺激を伝える神経を知覚神経、脳から筋肉に命令を伝える神経を運動神経とよんでいる。
これらの神経も、やはり、からだの他の部分とおなじように細胞でできているが、ふつうの細胞とちがっていて、電線のように細長い。長さは一メートルぐらいある半面、太さは数十ミクロン(一ミクロンは一〇〇〇分の一ミリ)しかないのである。これが神経センイと呼ばれるもので、数千本ずつ束《たば》になって、脳と筋肉や皮膚などの各部分とを連絡している。
ところで、この神経が、どうやって感覚を脳に伝えたり、脳からの命令を各器官に伝えているかを考えてみよう。神経の細胞は、そのまわりにある体液とは成分がちがい、成分のちがう二つの物質がくっつきあっているところでは、小さな刺激でも電気がおこりやすいので(食塩水のなかに金属板を入れてつくるボルタ電池はこの原理を応用したもの)、刺激によって電気をおびたカリウムやナトリウムが、導火線を火が伝わっていくようにして神経を流れて伝わるのである。このときの速度は、電流よりもおそく、一秒間に約三〇〇メートルである。
反射
反射というと、あなたがたは、すぐに、光がものにあたるとはねかえることを思いうかべるにちがいないが、ここでいう反射は、わたしたちのからだが、外部からある刺激をうけると、自動的にそれに応じた反応をしめすことをさしている。たき火などで煙にまかれると、自然になみだが出てきて目のいたむのをふせいでくれたり、また食物が口にはいると唾液《だえき》が出、胃《い》にはいると胃液が出てくるのも、この反射の例である。
わたしたちには、この反射の能力が無数にあって、生きていくうえに重大なはたらきをしてくれている。生きていくうえに最適の状態を、自動的に、つくりだしてくれているのだ。もしわたしたちに反射の能力がなかったら、たいへんなことになる。刺激が神経をとおって大脳に伝えられ、大脳がまた神経をとおして命令をだしていたのでは、眠っていて大脳がはたらかなくなっているときなど、わたしたちは刺激に応じた行動をとることができず、たちまちのうちに死んでしまわなければならなくなる。そのうえ、一秒間に三〇〇メートルの伝わりかたでは、とっさのできごとにはとてもまにあうものではない。
この反射という大事な仕事をひきうけているのは、脳のなかにある延髄《えんずい》という器官である。延髄は、からだじゅうの神経センイが脳にはいるその入り口のところに、関所のようにかまえているのだ。神経を伝って、からだじゅうからあらゆる種類の「こんな状態ですが、どうしましょう?」という問いあわせがくると、その答えがわかりきったものであれば、大脳というもっと高級な器官をわずらわすことなく、延髄がその場で命令をだしてしまうのである。大脳を取り去ったイヌがちゃんと生きているのに、延髄を切り取ったイヌはすぐに死んでしまうことからみても、この反射というはたらきが生物にとっていかに大切なものだかわかるだろう。
こうして、わたしたちのからだを調べていると、数世紀前、デカルトが人間機械論≠となえたことがあらためて思いだされてくる。人間のからだはどの部分を見てもまったく最上にできのいい機械そのもののように思える。しかも、それぞれに精巧な機械を一つのまとまった個性として、指揮《しき》し、命令し、制御する最高司令官、つまり大脳によって、これら多くの機械は、他の動物にはとうていまねのできないすばらしい活動を展開するのである。
2 心へのかけ橋
鈴《すず》の音を聞いただけで
ソ連、レーニングラードの凍《い》てついた夜の街路を、馬ゾリにつけられたカルコールチカとよぶ鈴の音がとおりすぎていく。書斎《しよさい》で考えごとをしていた老パブロフ(一八四九〜一九三六年)は、馬ゾリの鈴を聞きつけると、それが遠くふるさとからとどけられてくる便りのように、なつかしい思いにとらわれるのだった。
このカルコールチカは、パブロフがまだ働きざかりの時分、条件反射≠フ研究につかった最初の実験道具だったからである。
消化の生理を研究していたかれは、そのころ実験動物としてイヌを飼《か》っていたが、なれたイヌは、食物の皿《さら》を見ただけで、ツバや胃液をだすことに気づいた。そこでパブロフは、こんどはカルコールチカを鳴らしてイヌにえさをやり、これをくりかえしくりかえしていると、その鈴の音を聞いただけでイヌはツバや胃液をだすようになった。この反応をかれは条件反射≠ニ名づけ、このかんたんな実験をもととして熱心に研究を展開して、やがて生物学上特筆すべきりっぱな成果をおさめたのである。
イヌを使っておこなったこのような実験は、高等動物をもって任じているわたしたちのばあいにだってあてはまるのだ。たとえば、おいしいものを口に入れると、舌にある神経が刺激され、その刺激は脳につたわっていって、「ああ、おいしい」ということがわかるのだが、そのとき同時に脳の命令でツバをつくる唾液腺《だえきせん》もはたらきだし、ツバが口のなかに出てくるという仕組みになっている。ところがわたしたちが、なにかおいしいごちそうをたべて、そのおいしかったことをおぼえておくと、つぎにはそのごちそうを見ただけで脳の部分が刺激されて、唾液腺がはたらきだし、ツバが出てくるようになる。お昼のベルやサイレンを聞いただけでツバをだすような人もいるが、これも条件反射のあらわれの一つなのである。
このように、条件反射は、ある刺激によって無条件におこる反射が、その反射とは無関係な第二の刺激を同時にくりかえしくりかえしあたえることによって、ついに第二の刺激だけでもおこるようになったばあいをいう。そしてこの条件反射は、前にのべた、どの動物にもそなわっている生まれつきの反射とはちがい、動物が新しい環境のなかでうまく生きていくためにつくられた特別の反射なのだ。猛獣つかいのムチのふりかた、えさのやりかたひとつで、とんだり、はねたり、火の輪をくぐりぬけたりするサーカスの動物たちの芸当も、この条件反射をたくみに応用しての訓練のたまものなのである。
ところで、このような条件反射は、大脳のなかでつくられるものだが、ではこれを深く研究していくと大脳の仕組みやその法則がわかってくるのではなかろうかと、パブロフは考え、それからたいへんな努力をかさねて大脳の法則≠見いだすことができた。この法則とは、大脳には興奮《こうふん》と制止という二つの状態があること、この二つの状態はたがいにうち消しあうようなものであること、さらに興奮も制止も大脳にひろがったり集中したりして大脳には興奮と制止のモザイクができること、さらに、制止がしだいに深く広くひろがると睡眠《すいみん》の状態になることなどといったことがらである。
現在では、このように、脳のはたらきの分析《ぶんせき》がすすみ、それを実生活のうえでいろいろ利用することもおこなわれてきているが、しかし、パブロフがこの研究をまとめるまでは、人間がものを考えたり記憶したり他の器官を支配するところが大脳であるとわかっていても、それがどのようにしていとなまれるのかということは疑問として残っていたのである。ところが、このパブロフの実験によって、人間の脳のはたらき、つまり考えたり記憶したりする仕事は、つきつめれば物質による物理化学的なはたらきであることが証明されるようになり、脳までもふくめたあらゆる生命現象が科学で研究できる見とおしがついたのである。
脳を研究する
さて、脳のはたらきが、物質による科学的現象だとわかっても、わたしたち人間の脳は、他の動物とは比較《ひかく》にならないほどすばらしいものであることにはかわりがない。わたしたち人間は、科学をすすめて高度な文化生活をいとなみ、また芸術によって美を感じることもできる。これらはすべてわたしたちの脳が高度に発達しているからである。
この高度に発達した脳は、パブロフの研究を一つの糸口として、自分たちの脳そのものをさらに追究していくようになった。つまり、脳が脳をつきつめていったというわけである。最近この方面の研究はかなりの成果をあげているようであるが、しかし、それも数多くの大問題のほんの入り口にたどりついたところで、まだまだ未解決のことがらがいくらでもあるのである。
大脳生理学は、条件反射の実験をくりかえしながら、その研究をすすめている。いろいろの条件反射をおこすことによって、脳細胞のつながり方を調べるのである。しかし、その脳細胞の数は一〇〇億あまりもあるので、それらのつながり方の追究はたいへんなものだが、いずれはなにかそこに一定の法則が見つけだされ、この問題もわりあいかんたんに割りきることができる日もくるだろう。
別の方面の研究では、細い電線をつかって大脳に電流を流し、脳細胞を刺激して、手足を動かしたり、さけんだり、光や音を感じたりするさまざまな脳細胞がどのへんにあり、またどんな命令や感覚に関係しているかを研究している。テンカンの発作が脳を切開手術することによってとまるようになったのも、この研究にもとづいて考えられた方法である。
また、脳細胞のことは考えずに、別の方法で脳のはたらき方を研究する学問に、心理学がある。これは人間の考え方、欲望、行動などが、どのような法則にしたがっているのかを主観的、客観的、あるいは統計をもちいて調べる学問で、さまざまの分野の科学的成果を基礎《きそ》としての、いわば動物の生活行動そのものを見つめる科学である。
電子頭脳との比較
そのほか、現在ではさらにすばらしい研究もおこなわれるようになった。それは、電子頭脳(人工頭脳)と人間の脳を比較しながら、脳の原理をときあかそうとするもので、この分野の学問をサイバネティックス(ギリシャ語で、舵手《だしゆ》にあたる語)≠ニよんでいる。これは、人間の脳を徹底的《てつていてき》に機械とみるもので、一九四九年、アメリカのウイーナー博士によってはじめられた学問だ。
わたしたちの頭脳を機械にたとえることはできるが、それは世界にあるどんな機械よりも複雑で精巧なものだ。たとえばラジオやテレビなどには、わたしたちの脳細胞にあたる真空管(あるいはトランジスター)はかぞえるほどしかはいっていないが、わたしたちの脳は一〇〇億以上もの脳細胞よりなりたっている。たいへんなものである。その点、電子計算機やトランスファーマシン(自動工作機械)の電子頭脳は、ややわたしたちの頭脳に近く、大型のそれには約一万個の真空管がつかわれている。そしてそれだけに電子頭脳のはたらきには、人間の頭脳のはたらきに似かよっている点がある。
電子頭脳のもっている特別な能力の一つに、自動制御(フィードバック)というのがある。これは機械のおこなっている行動が適当かどうか、機械のなかの自動制御装置がつねに監視《かんし》し、どこか過剰《かじよう》なところがあったら反射的にそこをひきしめ、減少のところがあったら反射的にそこを増進させるといった仕事をするものである。原理は、熱がさがったらしぜんにスイッチがはいって温度があがり、熱があがりすぎたらしぜんにスイッチが切れて温度がさがってくる電気コタツのようなものと思えばよい。ナイロン工場のように、高度に機械化され、また機械の動き方ひとつでひどい粗悪品ができて大損害をまねくといったむずかしい産業場では、ちょっとした温度の低下や電圧の変化を敏感《びんかん》に訂正してくれるこのようなすぐれた自動制御装置は欠くことのできないものである。
では、人間の頭脳では、それと同様なことがどのようにしておこなわれるのだろう。あなたがたはさっきからこの本のページをめくってきているが、例をその行動にとってみよう。右ぺージの活字を読みおえ、左ページの活字もやがて読みおえようとするころ、目はそのまま残った活字を追いながらも、知覚神経は脳に、「そろそろページをめくるときがきたぞ」と知らせる。すると脳は、そのことを運動神経をとおして筋肉に命令し、手は左ページの左端下にいく。一枚紙をつまみ、めくって、それを右ページの上に。このとき、筋肉のなかにある筋紡錘《きんぼうすい》という神経細胞が力のはいりぐあいを脳に伝え、脳はそれに応じて、「力をもっと入れろ」とか「力をゆるめろ」とかと筋肉に命令をだし、こうして一度に二枚もめくられることなく正しくページがめくられるのである。こう説明すると、ページをめくるという仕事もなかなかたいへんなことのようだが、しかし、わたしたちの脳のなかにあるフィードバックがこんなことぐらいいともかんたんにおこなってくれるのである。そして、いままでだれも気がつかずにいたこうした脳のはたらきが、電子頭脳というわたしたちの脳とかなり似ている機械を調べることにより、少しずつわかってくるようになったのである。
つぎに、電子頭脳には、記憶《きおく》するという能力もある。もともと電子頭脳は電子管(真空管)の電気回路を利用した装置で、おびただしい数にのぼる電線から、おびただしい数と性質の電流が布の織り目のように交錯《こうさく》して流れているのだが、このとき、それぞれちがった方向からはいってきた二つの電流が、直交した点でかさなると、そこが磁化《じか》し、その磁化したところがつまり記憶の点になるのである。もっとも電流が直交する点にはかぎりがあるから、人間の脳のように無制限に記憶されるというわけにはいかない。また人間のように、長い文章やこみいった知識をすっかり暗記できるというわけにもいかない。つまり、電話番号とか他人の住所、乗り物の発着時刻、原料や製品の貯蔵量などを知りたいとき、適当なボタンをおすと、記憶の電流が必要書類のはいったケースにつたわり、必要事項を書きつけてあるカードをとりだしてくれるようになっているわけだ。最近ソ連などでつくられた電子|翻訳機《ほんやくき》はこの記憶の能力などをたくみに利用したものらしく、単語のすべてを数字におきかえ、その単語に相当する他国語の単語をさがしだし組み立てて他国語の文章にかえるものである。これは、ひじょうな速さで辞書をひき、自動的にタイプ筆記していくようなものだと思えばよい。
では、人間の記憶の能力はどうか。脳がフィードバックにより必要に応じた動きをつぎつぎに命令するためには、その前にまず多くのことを覚えておかなければならない。いちど覚えたことをわすれずにしっかり脳のなかにしまいこんでおかなくてはならない。そこで、記憶するという高度な能力が人間にそなわったのだが、しかし、これはなにもわたしたち人間にだけあるのではなく、大なり小なり、ほかの動物たちだってもっているものなのだ。ただ人間のそれはとくにずばぬけているということである。イヌが電柱や木の幹などに小便をかけかけ外に出かけて、そのにおいをつたって帰ってくるようなことをしなくても、タバコ屋の角を右におれ、そのさき四つ目の横丁を左にまがり、二〇〇メートルさきのムギ畑のなかをつっきって……というふうに、必要なことを、わたしたちはちゃんと記憶しておくことができるのである。
この記憶が脳のなかでどのようにしておこなわれるのかということについては、現在まだ研究中でよくわかっていない。しかし、二つの考え方があり、その一つは、網《あみ》の目のようにつながった脳神経のなかで、あるきまった道をつねにまわっている弱い電流がそれであると考えている説だ。そして、しっかり頭にはいった記憶は、その電流の流れる脳神経のつながりが少し太くなっているというのである。この考えは、電子頭脳との比較研究からひきだされたものかどうかはしらないが、いくぶん電子頭脳の記憶のそれと似ている面がある。
もう一つの説は、記憶は写真に似ており、写真がフィルムの上に化学変化をおこさせてその光景をいつまでも残してくれるのと同様に、記憶も、脳細胞のなかで複雑な化合物となって貯えられ、必要に応じてひきだされて利用されるのだというのである。もしこの写真説が正しいとしたら、なかなか記憶しにくいむずかしいことがらは、化合物につくって、なんらかの方法でそれを脳のなかに注入するようなこともできないことはなさそうである。「そうなったらうれしいな、勉強なんてしなくてすむから……」そんなことを考えているのはだれかね?
ところで、いまあげた二つの説のうちどちらが正しいか、それとも二つがいっしょになったものか、あるいはもっとぜんぜんちがったものか、それはいまのところなんともいえない。電子頭脳との対比をもふくめたこれからの多くの研究をわたしたちは待つしかない。
さて、わたしたちのからだの機能をのべているうちに、脳についての話だけずいぶん長くなってしまった。しかし脳こそもっとも精巧で、複雑で、しかも他の多くの生物をはるかにひきはなして生物界の頂点に立った人類のもっともほこらしい器官である。記憶力、推理力はもとより、さらに高度なものを生みだしていこうとする創造力すらもそなわっているのである。人類の歴史にかがやく芸術や科学の文化、そして人類愛の精神も、この脳のちからのたまものといえよう。また社会というものを考え、社会のなかでの自分の立ち場を考え、正しい欲望をのばすとともにいけない欲望をおさえて行動することができるのも、この人間のすぐれた脳のおかげだということができる。脳は研究すればするほどすばらしい。この本ではとりあげることができなかったまだまだ多くの脳に関する知識を、おりをみて、さらにあなたがたが学ばれることを強く望んでおきたい。
からだの調和
人体には、まだまだ多くの器官がある。――血液をすみずみまで行きわたらせるたいへん精巧なポンプの心臓、酸素をすいこみ、かわりに炭酸ガスをおしだす肺臓《はいぞう》。とり入れた栄養素を消化する消化液(酵素)やホルモンをつくりだす膵臓《すいぞう》。消化されて適当なものとなった栄養分を吸収する胃腸《いちよう》。栄養分の吸収を調節し、有害なものを解毒してくれる肝臓《かんぞう》。体内に不要となった水分の排出をうながす腎臓《じんぞう》。生命体の約束の一つである子孫をつくりだす生殖器。そのほか、酸素をからだのすみずみにまで行きわたらせる血液、血液のなかの戦士である白血球、なんといっても人体の土台である骨……等々と、とりあげなければならないことがかずかずある。しかし、一般的な知識は学校で習うことだから書かないことにして、最後に一つだけ、結びのことばをのべておこう。
それは、わたしたちもふくめて、生物のからだはすべて、ちょうどよい調和をたもって存在しているということである。器官はすべて、脳、神経とつねに密接な連絡をたもちながら完全に調和し、一つのからだを破綻《はたん》なく運営している。すべての器官は一つのからだのために存在し、一つのからだはすべての器官のために存在している。これはちょうど個人と社会、国家と国民との関係に似ている。個人個人がよくなるためには、社会全体がよくならなくてはならない。社会全体をよくするためには、個人個人がよくならなくてはならない。すべて調和が必要であり、調和のないところに幸福な生活も、生命の存続もありえないのである。これは、自然界の大原則である。自然界の大法則である。
3 人体保全への努力
細菌《さいきん》との戦い
これまで、わたしたちのからだのすばらしいしくみについていろいろと見てきた。生物のからだはすべてどんな機械よりも精巧であり、とくに人類は生物のなかでも大脳の発達している点でずば抜けている。わたしたち人類が地球上で万物の霊長《れいちよう》となっていられるゆえんである。
ところが、万物の霊長の人類にも、ひじょうに強敵な生物があるのだ。人類は、多くの植物を食糧としてたべまた材木や化学製品の原料として利用しているし、動物も食用や家畜として支配している。大むかしには、人類に危害をあたえたことのある猛獣さえも、いまではもうこわい存在ではなくなっている。このように、すべての生物を支配している人類にとって、残された最大の敵はいったいなんだろうか。それは細菌≠ニいう、肉眼では見ることもできない小さな生物なのである。
もちろん、わたしたちのからだは、その微妙な力で細菌の侵入《しんにゆう》を防いでいる。血液のなかの白血球、リンパ管のなかのリンパ液、唾液、胃液などは、すきがあったら人体にはいりこもうとしている細菌を防いでいるのである。だが、いろいろな原因で、からだの抵抗力がゆるんだときには、細菌は容赦《ようしや》なく体内にはいりこみ、器官の組織をおかしたり、また細菌の分泌《ぶんぴ》する物質で害をあたえて、わたしたちのからだを病気にしてしまう。
わたしたちの最大の悩みのひとつである病気の多くは、こうした細菌によってひきおこされている。そこで、細菌に対する人類の戦いは、むかしから熱心につづけられていたのだ。
一八七六年に、ドイツ人コッホによって、ウシやヒツジなどのかかるタンソ病の原因であるタンソ菌が発見されて以来、化膿《かのう》菌、チフス菌、結核菌をはじめ、多くの伝染病の原因になる細菌、つまり病原菌が発見されている。病原菌の正体がわかれば、その病気の予防もできるし、治療の研究もできるのである。
細菌、そしてさらに小さいビールスによる病気に対する療法として、血清、水銀化合物、サルファ剤《ざい》などの薬品が考えだされたが、一九二八年に、イギリスのフレミングによってペニシリンが発見され、抗生《こうせい》物質というすばらしい薬が完成された。
フレミングは、一種の青カビが、|はれもの《ヽヽヽヽ》などの病気の原因になるブドウ球菌の繁殖をさまたげるのを見て、青カビのなかにあるある物質をとりだすことに成功したのである。微生物のなかで人間の役にたつものを味方として、その力によって害になる微生物をおさえようとしたわけである。このようにしてつくられたものを、こんにち抗生物質≠ニよんでいる。
つづいて、アメリカのワックスマンにより、結核菌の繁殖をさまたげるストレプトマイシンが発見され、さらにクロロマイセチン、オーレオマイシンなどの優秀な抗生物質がつくられた。
いっぽう、合成薬品も進歩をつづけているので、細菌による病気はいちだんとへってきて、むかしはなおりにくいとされていた結核なども、それほど恐れなくてもよくなってきている。
しかし、ビールスによる病気、たとえば脳炎《のうえん》や小児マヒなどには、まだ確実にきく薬がつくられてはいない。だが、小児マヒのワクチンの研究もすすんでいるので、いずれはビールスによる病気すべての治療法ができるようになるだろう。そして、細菌やビールスによってひきおこされる伝染病が、わたしたちのあいだから一掃《いつそう》されてしまうのは、けっして遠い将来のことではなくなるだろう。
ところで、わたしたちの病気は、細菌によるものばかりではないことはむろんである。俗に、病気は四百四病あるなどといわれているが、内臓や感覚器、皮膚の病気をあげたら数えきれないほど多い。
それらの病気のうちで、こんにち世界中の問題になっているものにガン≠ェある。内臓のなかや皮膚に|できもの《ヽヽヽヽ》ができ、それがしだいにふえていって、死亡率がひじょうに高い病気である。ガンの原因は、化学的な刺激によるとか、ビールスによるなどの説があり、まだ完全には明きらかにされていないが、体内の器官の一部の細胞が急激に異常なふえかたをはじめ、その分泌物によって、からだ自身がやられてしまうという考えをこのごろではしている。そしてこのガンに対する戦いもいま熱心にすすめられており、手術、放射線、ホルモン剤、化学薬品、抗生物質などのいろいろな方法が試みられているが、この戦いは細菌とくらべてはるかに困難なようである。しかし、これもやがて研究がすすみ、いつの日か、かならず人類が勝利をおさめるときがこよう。
からだをおぎなう代用品
病気ではないが、けがによってからだの一部を失うことの苦しみに対しても、科学は解決をつけようとしている。むかしは、生まれつき目の見えない人、失明した人に対しては、まったく手のほどこしようがなかった。そのため、不幸な人びとには、あきらめてもらう以外に手がなかったのである。だが現在では、ある程度なおせるようになってきた。
あなたがたは目の銀行≠ニいうことばを聞いたことがあるだろう。目の見えない人のうち、角膜のにごったのが原因で、そこに生きた健全な角膜を移せば見えるようになるばあいがある。こんなとき、まさか生きている人の角膜を切り取ってつけてやるわけにもいかないので、死んだ人のものをもらって移す方法をとっている。この連絡をやったり、角膜を冷蔵して保管するところが、目の銀行とよばれる機関である。角膜はいちど冷蔵しておいたもののほうがかえって結果がよいので、目の銀行は最近たいへんはやりだした。そして、多くの失明者がこの代用品角膜のために救われるようになったのである。
こうした方法でもなおせないめくらの人に対しては、レーダーをそなえつけた杖《つえ》なども考案されるようになってきたし、将来は、小型テレビを視神経に連絡して物を見ることができるようになるだろうともいわれている。
また、アメリカでは、耳の聞こえない人のために、レシーバーを聴神経に連絡する仕掛けがつくられている。これは人工の耳なのだ。
手や足を失った人のために義手や義足があることはだれでも知っているが、これらの改良もすすめられている。ソ連では、義手や義足が神経と連絡されていて、思ったとおりに動くものがすでにできたといわれている。
内臓器官については、つぎでのべるが、その前に、整形医学についてちょっとふれよう。手足や感覚器官が完全でも、なにかその形に欠陥《けつかん》があるとき、そのなやみは病気以上に大きいものである。
けがで耳のなくなってしまった人には、耳の近くの皮膚をひっぱり、プラスチックで軟骨《なんこつ》をつくって耳の形をつくることができる。
背が低くてなやむ人に対しては、遠からず足の骨をのばすことができる方法なども考えだされよう。すでにプラスチックやバイタリウムという合金によって骨を取りかえることがおこなわれているから、これを利用すれば足の長さをのばせるわけである。
放射能でアザやホクロを取りさる方法や、二重まぶたにしたり鼻を高くする手術はすでに普及しているし、物質をからだに注入してふとったり肉をとってスマートになる技術もさらに完全なものになるだろう。病気のなやみとともに、からだの形についてのなやみも、まもなくわたしたちのあいだから消えていくのである。
人工器官
わたしたちのからだの器官を細菌の侵入からまもり、手術によってぐあいの悪い点をなおせたとしても、事故や、その器官の寿命で、器官がはたらかなくなってしまうことがある。だが、その器官以外の部分が健全なら、まだ死ぬには早すぎるのだ。
このような器官が動かなくなったばあいにまず考えられることは、死んだ人の器官や他の動物の器官を移せないかということである。ところがこれは、人それぞれの細胞の組織の微妙なちがいのために、いろいろぐあいのわるい点がある。ソ連では、イヌの首を切って別のイヌにつけ、しばらく生かせておくことができて話題になったが、人間のばあいはそうかんたんにはいかない。
人間のばあい、他人からもらえるものは、現在のところ血液であって、これは血液銀行をとおして輸血に多く利用されている。
他人から器官をもらうことができないとなると、当然考えられるのが、機械的につくられた人工器官である。人工器官の内臓はすでにいろいろつくられていて、たえずその改良が研究されているが、そのいくつかをご紹介しよう。
まず、心臓だ。心臓が動かなくなればもちろんたちまち死んでしまう。血液が行きわたらなくなるからである。この役目をする機械製のポンプが人工心臓だ。現在では心臓手術のあいだの一時的な代用としてつかわれているにすぎないが、将来は永久的に人工心臓で生きていける人も出てくることだろう。
このポンプに、炭酸ガスを吸収し、かわりに酸素を加える装置をとりつけると、人工肺になる。
このほか、腎臓や肝臓の役をする機械もつくられている。また、すでに、ナイロンやテトロン製の人工血管もできており、これは相当ながいあいだつかえるようになってきている。さらに、もっとも代用品のつくりにくい神経細胞についての研究もはじめられているというから、前途はますます明かるい。
このように、わたしたちは、ながい進化と進歩のあげく、大自然の力によってつくられたからだに、さらに科学のちからをくわえて、いっそう完全に生命をまっとうしようとする努力をつづけているのである。
老衰《ろうすい》との戦い
細菌による病気や器官の故障による病気を征服できたとしても、歳をとることだけはさけられない。むかし、秦《しん》の始皇帝は、どんなぜいたくでもできた身分だったが、不老長寿の薬だけは得られず、それを探させに家来を蓬来《ほうらい》(日本)にさしむけたという話が残っている。始皇帝にかぎらず、人類はすべてむかしから不老長寿を望んできたのである。
ソ連であらゆる権力をにぎった政治家のスターリンも同じで、ソーダの湯にはいったり、特殊な血清を使ったりしたが、やはり七十五歳で死んでしまった。
それでは、いったい、生命体というものから老衰を防ぐことはできないものなのだろうか。この問題は多くの学者によって研究されてきた。
かつて、メチニコフという学者が、乳酸菌をつかって大腸をきれいにすれば、大腸から有害な毒素が吸収されないで老衰が防げると主張したことがあり、そのご、老衰の原因については多くの研究がなされているが、いまだにその結論は得られていない。
ホルモンを使う方法、一時流行したハウザー食というミネラルを重要視した食事療法、コンドロイチンという薬で細胞に力をあたえる方法、ソ連で試みられた冷凍植皮といって皮の一部を取って冷凍してからふたたび植えつける方法、などと、老衰を防ぐいろいろな方法がおこなわれているが、決定的な方法はまだないといっていい。
このような方法とはべつに寿命をのばすひとつの方法として、人間ドックがつくられている。人間ドックとは、人間のからだを精密に徹底的に検査して、病気や古くなって注意しなければならない器官を早く見つけだすための設備である。これで悪い部分を発見し、治療や手術、将来なら人工器官とのつけかえがなされるので、それだけ寿命がのびるわけである。
死との戦い
ところで、科学が進んで、老衰を完全に防ぐことができるようになっても、死なないですむ、という時代ははたしてくるだろうか。世界でもっとも長生きした人は約二〇〇歳だから、やはりそれぐらいのところに限度があるのだろうか。これはまだよくわからないが、この限度を越えようとする方法のひとつとして、最近、冬眠ということが考えられている。動物のなかには、冬になると体温をさげ、ほとんど活動をとめて冬眠するものがある。これを人間に応用しようというのだ。
現在すでに手術のときなどに、からだをひやして、活動をおそくすることがおこなわれている。呼吸も心臓の鼓動《こどう》も、ふつうのときにくらべはるかにゆっくりになるのだ。これをもっと長期間おこなえるようにすれば、寿命をながく引きのばすこともできるわけである。
さらに、温度をさげて、全身を完全に凍結させてしまえば、生体の活動はまったく停止してしまうから、これをもとにもどす方法さえできるようになれば、何千年もあとになって目ざめることもできることになる。これはいまのところ空想に近いが、科学の進歩はやがてはこれもやりとげるかもしれない。
人間の改造はできるか
病気や死に対する戦いとともに、人間のからだの能力をもっとすぐれたものに改造できないだろうか、という問題についても、研究がおこなわれている。
人間を改良してすぐれたものにしようとするとき問題になるのは、脳についてである。こんにちは機械が発達しているので、筋肉を強くしてもあまり意味がない。人体改造によって一トンの荷物をかるがる持ちあげることのできる人間ができたとしても、クレーンやトラックがある現在ではそれほど役にたつわけでもない。
脳のはたらきを一時的によくするには、薬品をつかうことが考えられる。覚醒剤《かくせいざい》をつかえば一時的には頭のはたらきがよくなる。だが、すべて薬品を利用する方法は、一時的にはよくなるかわりに、使用後のながい時間、頭のはたらきが悪くなるという欠点がある。
だが、将来はこのような副作用のないすぐれた薬品が完成するかもしれない。また、現在はまだ知られていないが、なにかのホルモンを注射するという方法もできてくるのではないかと考えている学者もあるし、脳の血液の循環《じゆんかん》をよくする試みもなされている。
いっぽう、脳を手術する方法もある。すでに手術によってテンカンなどがなおるようになったが、この研究が進めば、人間の性質を変えることができるようになるだろう。これができるようになれば、むやみに戦争をしたがる人の性格もおだやかなものに変えられるし、必要以上にクヨクヨ心配することもなくなるわけだ。これは、頭のはたらきが実質的によくなるというのではないが、余計なことや、考えなくてもいいことに頭をつかわなくなるので、頭が能率よくつかえることになるのである。
さらに、脳細胞の数をふやす研究もおこなわれている。人間の脳細胞は生まれたときから数はふえないとされていたが、最近|慶応《けいおう》大学の医学部の研究では、脳細胞も分裂してふえることが明きらかになった。だから、脳細胞をふやすことによって、現在以上に頭のはたらきを高めることができるようになるかもしれない。
もっと進んで、胎児《たいじ》のころになんらかの方法で脳細胞を二倍にすることができるのではないか、と考えている学者もある。人間は胎児のときに三三回の細胞分裂をおこなって、成人になると一〇〇億近い脳細胞を持つようになるのだが、この分裂をもう一回おこなえば、いまの倍も脳細胞をもった頭脳ができるわけである。もしそうなれば、現在の人間と二倍の脳細胞をもった人間との差は、チンパンジーとわれわれぐらいの知能の差ができるだろうといわれている。それはきっとすばらしい天才にちがいない。
また、優秀な人の脳は、左右が普通以上に不対称であることから、胎児のときに人工的に不対称の脳にすればすぐれた脳になるのではないか、ともいわれている。未来の人間は頭でっかちで、でこぼこ頭≠ニいったものになるかもしれない。
さらに進んで、胎児になる前に改造する方法もありうる。それは染色体の数をふやすことだ。コルヒチンという薬品で処理された植物は、染色体が二倍になっていて、大型であり、そのうえ寒さや乾燥などにたえる力も大きいから、すでにあちこちで利用されている。これを動物にも、また人間にも応用できるようになれば、現在よりすぐれた人間となれるかもしれない。
だが、根本的に改造するには、遺伝子に変化をあたえなければならない。遺伝子に変化をあたえるには、エックス線などの放射線を照射する方法がある。これを微生物や昆虫などに試みて突然変異をおこさせる実験はいろいろおこなわれている。しかし、これらの人工的につくられた突然変異の生物は、いまのところほとんどのばあい、正常なものにくらべておとっているのだ。わたしたちが放射能を警戒しなければならないのはこのためである。
しかし、将来、遺伝子のしくみが完全に明きらかにされたときには、人工的によい方向に突然変異をおこさせて、思うままにすぐれた人間をつくりだせるようにならないとはかぎらない。
機械になった人間
人体改造にふれたところで、おもしろい科学小説をご紹介しておこう。もちろん舞台は未来のある日のことである。
ジョージの妻のジャネットは、家事におわれて、とうとう病気になってしまった。ふつうの家庭だったら、雑用にはロボットを使って、らくな生活をおくっているのである。ところがジャネットは、ロボットを使うのがなんとなくこわかったので、ロボットを買い入れようとはしなかった。そのため、彼女はいそがしさに、とうとう音《ね》をあげてしまったのだ。
ところが、病院に入院してみると、意外なことに看護婦《かんごふ》さんはロボットで、その看護のしかたもいたれりつくせり、そのうえ、人間よりもずっと優秀だった。
「ロボットがこんなに便利なものだとは思わなかったわ。ふつうの家庭で使っているロボットはぶかっこうな古い型なので、わたしはあんなものを家にもちこむのがいやだったんだけど、この看護ロボットのように人間そっくりのものだったらいいですね」
ジャネットはすっかり感心して医者にむかってそういった。
「このロボットは最新式のもので、まだ病院でしか使っていないという|しろもの《ヽヽヽヽ》です。からだのなかに複雑な電子回路があり、人間の伝える命令が正しいかどうかいちおう考えて、人間のためになるか、害になるかを、見きわめたあとで仕事にとりかかるのですよ。これまでのロボットだったら、命令ならなんだって従がって、こまったこともよくひきおこしましたがね」
医者はいくらかとくいげな口調でそう説明してくれた。
そこで、ジョージとジャネットの夫妻は、とてもそれがほしくなり、最新ロボットを無理にゆずってもらって退院したのである。
家にもって帰ったロボットは、召使いふうの女の型だった。プラスチックのやわらかい皮膚や合成|繊維《せんい》の髪《かみ》の毛をしている。さわると、つめたいところだけが人間とちがっているが、見ただけではその区別がつかないぐらいによくできていた。人間みたいに毎日三度三度の食事をする必要もなく、四日ごとに一度、充電してやるだけではたらきつづける。
さっそくスイッチを入れてみると、ロボットは立ちあがって、
「こんにちは。奥さま、だんなさま。みなさまにおつかえするのをたいへんうれしく思います」
と、きちんとしたお辞儀をし、それからかいがいしくはたらくのである。
ジャネットはすっかりこのロボットが気にいって、ヘスターという名をつけ、ときには自分の話し相手にもしたのである。
「ヘスター、おまえはわたしのことを、あわれな弱い生きものだと思っているのでしょうね」
「ええ、そうですわ。わたくし、人間というものを気の毒なものだと思っています」
ヘスターはそう答えた。
「わたしは、ヘスター、おまえがうらやましくてしようがない、だいいち、つかれることもないんだからね」
「だってわたしたちは、そのようにつくられているんですから。でも人間は、生きものとして生まれてほんとうに運が悪かったわけですね」
「おまえは、人間がうらやましくなることはないの?」
ジャネットはまたロボットのヘスターにたずねた。
「まあ、うらやましくなるって、そんなことありませんよ。人間は不確実で虚弱《きよじやく》につくられているので、苦痛とか、けがとか、不幸や苦労などのいろんな目にあうのです。でも、わたしたちロボットは、歳をとっても、人間が老人になって使いものにならなくなるように質が低下することもないし、腕や手足がこわれたら、すぐに新しいものととりかえることだってできるわけです。人間だったら、苦痛にうめき、そのうえ、片輪になってしまいます。そんなとき、わたしたちロボットは、いままでのよりもっと性能のいい手足をつけかえることだってできるのです」
ジャネットは、ヘスターの話を聞いているうちに、ロボットをすっかりうらやましく思うようになっていた。彼女は、退院してうちに帰っていたけれど、病気の回復ははかばかしくなかったからである。
「わたしなんか、お医者さんに、安静にしていろといわれているけれど、安静にして生きていたってなんの楽しみもないのです」
ジャネットの病気はますます悪くなり、ある日、夫のジョージの留守中に、重態におちいってしまった。ヘスターはさっそくジャネットを病院にはこんだ。
ジャネットは、すっかり衰弱しきっていた。このままにしていたら死んでしまうと医師は診断し、あと生きのこる道は手術しか方法がないと、ジョージにいいわたすのである。
手術後、五日ばかり面会はゆるされなかったが、ある日ジョージは、ジャネットがとつぜん退院したという知らせをうけたので、いそいで家に帰った。
「奥さんはどこだ」
ジョージがヘスターにたずねると、
「お二階でおやすみになっていらっしゃいますが、あの……」
ヘスターがあとをいいかけるのも聞かずに、ジョージは階段をかけあがって、ジャネットのベッドにかけよった。
「手術はうまくいったんだね、よかったよかった」
そういいながらジャネットの手をとったジョージは、はっとして、手をはなした。かれはあわててジャネットのからだをさわってみると、そこも同じようにつめたかった。ジャネットは、手術をして、ロボットになってしまったのである。
「ねえ、ジョージ、わたしは丈夫になりたかったのよ」
妻の声をうしろに聞きながら、かれは部屋をとびだした。妻がロボットになってしまった――それだけで、頭に血がのぼる思いがした。そのとき、ジョージは階段をふみはずし、あらあらしく階下にころげおちていた。
ジョージは、頭だけは大丈夫だったが、からだにはひどいけがをうけていた。このままにしていたら死んでしまうのだ。
やがて、ジョージも手術をうけた。それは、妻のジャネットと同じように、ロボットになるためのものだった――。
こういう科学小説は、人類の一つの夢かもしれない。三度三度のわずらわしい食事もなく、からだの苦痛も知らないからだをもっていたら、わたしたちにとってはひどく便利なことにちがいない。ところで、未来につづくわたしたちの生命の前途は、はたして明かるいものなのか、くらい世界なのだろうか。それをつぎに考えてみよう。
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五、未来につづく生命
1 人類の未来
あすの系統樹
進化の章でご紹介しておいた生物の系統樹(図版省略・編集部)を、ここでもういちど思いおこしていただきたい。単細胞として息吹いた生物がやがて幹をのばし枝をはり、葉をつけて、数百万種もの生物に発展した系統樹。そして、そのいただきに立っているのが、わたしたち人類である。ところで、この系統樹の未来は、どんなすがたになるだろうか。生命の流れは、あすはどんなかたちをとるのだろうか。それを考えてみるのは、わたしたち人類にとってけっしてむだなことだとは思われない。そこで、過去をふりかえりまた現在をながめて、そのなかから未来に関連するものをさぐり、わたしたち自身の未来を考えるたすけにしてみよう。
化石は、過去の物語を雄弁《ゆうべん》にかたってくれるが、そのなかで、しばしば爆発的に発展した生物のあったことを教えている。シダ植物もその一つの例である。空気中の炭酸ガスには、温室のガラスのように地表の温度を一定にたもつ作用があるが、爆発的に発生したシダ植物はそれをどんどん消費してしまったので、地表はガラスを取った温室のようにひえて氷河期をまねき、その寒さでシダ植物は滅亡してしまい、寒さにたえられる植物にとってかわられたのである。生物は自然を変え、変えられた自然は、やがて生物を変えたというわけである。
このことは、ただシダ植物のばあいだけだと、のんきにかまえていいのだろうか。もしかすると、わたしたち人類にもあてはまるのではないだろうか。人類は文明をもちはじめてから発展をつづけ、最近数百年の進歩のあとはとくにめざましい。文明の発達につれて、人口もまた加速度をましてふえている。地球の支配者となった人類は、その生活する環境、つまり、自然を大きく変えているのである。
工場でつかう燃料や暖房などで、人類によって空気中に放出される炭酸ガスは毎年六億トンにものぼっている。このため、動物と植物とのやりとりでほぼつりあっていた空気中の炭酸ガスの割合がこわれかけているのだ。このため一〇〇年間に、一・一度の割で気温があがっていくと予想されている。ちかごろの冬が以前ほど寒くなくなったのはこのためであるともいわれている。
だから、このままだと、南極でさえも、やがては日本の夏ぐらいの暑さになってしまう時代がくるかもしれない。そんなことなんかあるものかと思う人があるかもしれないが、南極で石炭が発見されているという事実は、南極にも暑い時代があって、そこでもかつてシダ植物が栄えたことをしめしているわけである。わたしたちは文明を進める一方、このように、地球を気のつかないうちに住みにくくもしている。
工場の煙はまた、スモッグとよばれる濃《こ》い霧《きり》をつくりだす原因ともなっている。スモッグの被害は、むかしは霧の都≠ナ有名なロンドンぐらいだったが、ちかごろではロスアンゼルスにも、東京にもおこるようになり、交通をじゃまし、健康にもよくないので、今後の大きな問題となりかけている。空気ばかりでなく、川や海の水のよごれもひどくなっていく。化学工場から出てくる廃液や、鉱山《こうざん》から出てくる鉱毒は、川や海に大量の酸を流しこみ、魚や海草の生育をさまたげている。東京にお茶の水というところがあるが、その川の水は、むかしはお茶をたてるのにつかっていたという。ところがいまではドブ川にかわってしまっている。
原水爆実験による影響はいまさらいうまでもないことである。空気中にちらばった放射能物質は、野菜、魚、牛乳などの食品にふくまれてわたしたちのからだにはいり、さまざまの病気をおこさせることもある。限度をこえた放射能は、人体に害をあたえるばかりでなく、核酸のしくみに変化をあたえて奇型児をつくりだし、将来にわたっても被害をおよぼしつづけるのである。
このように、科学のすばらしい力によって産業を発展させている現在の人類は、同時に、人類にとって住みにくい自然をもつくりだしている。しかし、人類は、かつてのシダ植物のように完全にほろびてしまうことはおそらくありえないだろう。シダ植物は、つくりだした自然を操作できずにどうしようもなくてほろんでしまったが、大脳を持ったわたしたち人類なら、注意して、対策をたてることができるわけである。
人類にとって住みよい地球がこれからもつづくかどうか、それは、わたしたちの自然に対する心がけと、よりよく生きたいという生命に対する激しい愛着にかかっているということができよう。
生物界を支配するもの
どんな小さな生物でも、生きるためのはげしい努力――生存競争をつづけている。生物界では、勝ったものが生きのこり、負けたものはほろんでいってしまうのである。これがきびしい自然のおきてである。
ハチュウ類は、両棲類《りようせいるい》にうち勝って、恐竜などの全盛時代を出現させてきたが、つぎにはホニュウ類にとってかわられている。そして最後に、多くのホニュウ類をおさえて地球の支配者になったものは、わたしたち人類である。わたしたちは、他の多くの生物を、思うままに使い動かすことができるようにまでなったのである。
シベリヤ地方で栄えていたマンモスは、人類にとってはよい食糧源だったので、さんざんにかりたてられてついに絶滅してしまった。また、アメリカ野牛といわれるバイソンも、北アメリカに七〇〇〇万頭もいたのが、ヨーロッパからの移住民のためにわずか数十年で六〇〇頭にまでへってしまい、現在では保護をくわえて残しているようなしまつである。ホニュウ類ばかりでなく、多くの種類の鳥が人類によって絶滅させられ、アホウ鳥のように絶滅寸前のものもある。そこで、無計画なやり方はしだいに反省されて、現在では、保護したり新しい品種をつくりだしたりするまでになった。
植物のばあい、品種改良によって質と量の向上がはかられ、また砂漠や荒地の改造によって栽培の地域をひろげられるなど、植物をそだてる努力がつづけられている。また、化学肥料、農薬、植物ホルモンなどの発達により、人類の役にたつ植物はますますふえていっている。地上の生物は、この例のように、人類を中心としてその種類や分布が支配されているのである。
人類は、これからもますますふえていく。だが、ここでちょっと心配なのは、あまりふえすぎたら食糧がたりなくなって、たべものをうばいあって滅亡した恐竜のようなことになるのではないか、ということである。
しかし、ここでも、恐竜などとちがって大脳の発達している人類は、この問題についての研究もおこたってはいない。その一例は、このごろ話題になってるクロレラである。クロレラは植物のなかでもっとも単純な藻類《そうるい》の一種だが、水と日光と炭酸ガスと鉱物質から、タンパク質、糖、脂肪、ビタミンなどの人体に必要な栄養物をつくりだしている。一ヘクタールの土地を単位としたとき、一年間に平均小麦なら四トン、ジャガイモなら七・五トンの収穫だが、クロレラは、一ヘクタールの水面をもつ水槽《すいそう》から、一五トンの乾燥クロレラがとれるのである。いまのところ、味の点でまだ実用化されていないが、いずれは味もよくなり、将来の食糧問題の解決をしてくれることになるだろう。未来の地球の生物は、もっとも進化した動物である人間と、もっともかんたんな植物であるクロレラとの二種だけになってしまうかもしれないなどと、極端にいうとそんなこともいえはしないだろうか。
いずれにしろ、もはや人類は、全生物の運命をにぎる大きな存在なのである。わたしたちはそのことをよくわきまえて、これから科学を進めるうえにしんちょうな心がまえを持たなければならない。
機械の発達は人間の進化だ
人類がもし道具や機械を発明することができなかったら、人口がふえるにつれてたちまち食糧不足になり、やがてはほろんでいったかもしれないと考えられないこともない。ちょうどハチュウ類が滅亡していった理由と同じようにである。しかし、人類はこんにち地球の支配者となり、ほかの生物を思うがままにあつかっている。これは、人類が道具や機械を発明し、それを利用することによって、人間本来の能力を何倍にも何十倍にもふやしているためである。
農業機械、漁業のための道具や船、鉱山機械、工作機械などの発達のおかげで、自然をより多く利用できるようになったし、建築、暖房、衣服などの改良によって、寒い地方や気候の悪い場所でも生活できるようになったのだ。魚より早く泳げる生物に進化しなくても魚がとれるし、あたたかい毛皮におおわれた生物に進化しなくても寒さにやられないですむのである。これは機械が、人間のしなければならない進化にかわって進化していることをしめしているものである。
人間は、自然のほかに、社会というものにも適応しながら生きていかなければならない。ほかの生物とちがって大脳の発達した人間は、共同生活という便利な生活手段をもつようになったからである。
だが、人口のふえるにつれ、社会という環境もまた複雑に変わってくる。だから、これに対して、からだを、とくに脳を進化させなくてはならないのだ。のんびりとしたむかしの社会と、いそがしい現代の社会とでは、そこで生活する者は後者のほうがずっと進化していなければならない。しかし、からだが自然の進化によって、大きな脳やすばやい運動能力をそなえるようになるまでには、何十万年という時間がかかる。このようなばあい、わたしたち人間の進化をおぎなってくれているのが、ここでも機械の発達なのである。印刷機械、時計、交通機関、電話や無電やラジオ、テレビなどによって、人間は自然の能力以上のものをもつことができ、社会の運営がうまくたもたれていくのである。
このように、人間と機械はきりはなせない関係にあるわけだが、これからは機械が人間の手をはなれて独立して動くようになっていくだろう。その一例が、電子頭脳と機械とが連絡され、人間がついていなくてもひとりでに仕事のできるオートメーション(自動制御)といわれるものである。オートメーションは、人間によってつくられた、新しい生物のようなものである。
新しい機械生物
人間自身の進化のかわりに機械がその進化の役割りをはたしてくれているのが現在だが、これがもっとすすむと、機械と人類とはどんな関係になるのだろうか。
機械はますますすすみ、小型化し、性能はよくなる一方である。人間の頭脳にもあたる電子頭脳はトランジスターの発明によって真空管の何十分の一の小型ですむようになったし、シリコンプラスチックの発明は、やがて機械をやわらかくて熱に強いものにしようとしている。つまり、将来の機械は、生物にますますちかづいていくのである。
未来の社会では、これらの機械がすべての仕事をひきうけ、人間にかわってはたらいてくれるようになるだろうが、ではわたしたち人間は、そんな時代にはいったらなにをしたらいいのだろうか。機械生物≠ノ、なにもかもまかせて、ただぼんやりと一生をおくるだけだろうか。それとも、機械の助けで生みだされた余暇を、さらに高い文化や芸術の創造のために生かしたり、宇宙にまで進出して新しい世界を開拓《かいたく》するようになるだろうか。
この問題はべつに考えるまでもないことである。むろん人類はさらにすぐれた機械の出現によって得られた余裕を、人類をふくめた全生物の向上のために、さらに未知の世界の探究のために、そそぎこむようになるだろうことは自明である。
2 生命とロボット
ロボットの国
これまで、わたしたちは、生命についていろいろの面からさぐりをいれてきた。それはちょうど、富士山をよく知るために、さまざまな土地から見た富士、高空から見た富士、地理や地質を観察しての富士等とさまざまのデータを集めて、一つの富士山を見きわめようとしたようなものだった。ここまで読んでこられたきみたちは、きっと心のなかにあった「生命とはなにか」という疑問が、これでようやくはっきりしたにちがいない。
そこで最後に、生命のほんとのすがたを感じとっていただくために、つぎのような科学小説を紹介しておこう。生命とはなにかの手がかりを得ていただけるかもしれない。
ロボットばかりが住んでいるある遊星でのできごとである。とつぜん、遊星間飛行をしていたロケットが、故障のために、その遊星に不時着したのである。なかに乗っていた人間たちは外に出られなくなってしまった。ロボットたちはロボットたちで、隕石《いんせき》でも落ちてきたのかと思っている。物語はこれからはじまる。
「おい、ちょっとでいいから|例のもの《ヽヽヽヽ》を見せてくれ」
と、パリルという新聞記者のロボットは、友だちのダガーにたのんだ。いずれも精巧なロボットで、考えることも話すこともできるのである。
「そうはいかないよ。委員会が調べる前にきみにこわされたらこまるんだ」
と、|例のもの《ヽヽヽヽ》の番をしているダガーは答えた。
「そういわずにたのむよ。きみが鉱山のなかで腐蝕《ふしよく》してしまうところを助けたのは、ぼくだったじゃないか。だから、たのむよ。けっしてこわさないよ。ぼくなら、ペンチをつかわずに、この物体の意識をとりもどさせることができると思うんだ」
「それじゃ、ちょっとだよ。だけど、どうしてあれが意識のある物だとわかるんだい? ただの金属のかたまりじゃないか」
「いや、明きらかに加工品だよ。加工品なら、ぼくたちと同じに知力があることも考えられる」
パリルはやっとのことで博物館の物置にはいりこむことができた。問題の品は、そこに運びこまれていたのだ。
パリルはその物体を見るとすぐに、それが隕石でないことがわかった。一〇〇メートルもある円筒形で、先のほうが形よく細くなっている。金属でできていたが、外部にはかたい地面にふれてできた傷以外にはなにもなかった。
パリルは、これはどこかの星から宇宙旅行をしてやってきた生物にちがいない、と考えた。ロケットということを知らないので、一個の生物のからだだとかんちがいしているのだ。もちろんなかに人間がいることなど考えてもみなかった。だから、もしこれが意識を回復してくれたら、その秘訣《ひけつ》をおそわり、自分たちも宇宙にとびだすことができるようになろうと考えていた。このロボットたちは、宇宙にとびだす方法をまだ知らないのである。
パリルが手のつけようがなく見つめていると、まもなく調査委員たちがやってきた。委員たちはひととおり見おわってから、
「フイフを呼んでこい。この物は意識はあるが、われわれのことばの波長とちがっているので、話しが通じないかもしれないから」
といった。フイフというのは、どんな波長をも感じる能力をそなえたロボットなのである。
フイフは、いろいろと自分の波長を調節して、なにかを感じようとした。
「あ、なにか、いっています」
「どんなことをいっているんだ」
「なにかわけのわからないことです。ちょっと待ってください。それではわかるようにわれわれの波長に変えますから」
フイフは波長を変えた。つまりフイフは通訳機のようなものだ。そのため、ほかのロボットたちは宇宙からきた物の話を聞けるようになったのである。
「遊星へ落ちた。力をふりしぼり……計器がこわれて、あけることができなくなった。ねむい……このへんでは助けに来そうもない」
その物はこんなことをいうのである。
「なんだか支離滅裂《しりめつれつ》だな。落ちて調子が狂ったにちがいない」
そして調査委員はフイフを通じて、その物に話しかけた。
「わたしたちの星によくおいでくださいましたね。だが、着陸のときにけがをされたようでお気の毒です。よろしかったらどうぞ、わたしたちの組立て工場をおつかいください。修理がすめばあなたの気分もよくなるでしょう。なにかそのほかにおのぞみのことはありませんか?」
「早くだしてくれ。外から見れば出口がこわれているのがわかるだろう。中からはあかないんだ。たのむから早くだしてくれ」
委員はそれを聞いて、ふしぎそうにあたりを見まわした。ロケットを、一個の生命ある物体だと思っているので、なかに人間のいることなどは思いもよらないのである。
「だしてくれって? 博物館の物置ではいやなんですか? すぐ組立て工場に運んであげますよ」
と答えた。ロボットたちは、これが人間の乗ったロケットだとは知らず、大型のロボットの一種と思いこんでいるので、なかから人間が無線電話で話しかけるのを、大きなロボットが話しているとしか考えられなかったのである。
なかの人間は、
「どうも話がおかしい。いったいきみたちはどんな動物なのだ?」
と聞いた。
「わたしは二本足の標準型加工品です。あなたの感覚回路がなおってわたしをごらんになれば、きっと興味を持つでしょう」
「きみたちは、ロボットなんだな。きみがどうしてことばを話すのかはわからないが、わたしは人間なんだ。では、きみたちの主人、きみたちをつくった者をすぐここに呼んできてくれ」
だが、ロボットには人間≠ニいうことがわからなかった。
「なにをおっしゃっているのかわかりません。きっと故障がひどいのでしょう。すぐに工場へ連れていって専門家に修理させますよ」
ロケット内の人間たちは、がっかりしてしばらくだまったが、しばらくしてまた話しはじめた。
「血ということばは、きみたちにわかるかい」
「わかりません」
「それでは死≠ニいうことばは?」
「わかりません」
「きみたちはどうやって発生したんだい」
「いくつかの伝説があります。あんまり科学的ではありませんが、いちばん一般的な説はこうです。むかし、巨大な金属に包まれて空から落ちてきたものがありました。そのなかから出たものが、その金属をつかって、最初の組立て工場をつくったのです」
「なかから出てきたものはどんな形だったのか」
「ひじょうに大きな立方体でした。そして、組立て工場をつくり、わたしたちをつくりだし、仕事を終えると、自分をとかしてしまったといわれています」
この話から、ロケットのなかの人間はこう想像した。
ある人間が、ロケットに電子頭脳をつんで、どこかの星の開拓に行こうとして地球を出発した。着いたら電子頭脳にロボットをつくらせて、はたらかせようとしていたのだ。だがこの星に不時着し、その衝撃《しようげき》で人間は死に、生き残った電子頭脳がロボットをつくった。だが、電子頭脳はロボットに、人間のことはなにも教える必要がなかったので、教えなかった。そして必要な知識だけをロボットたちに伝え、役目をはたした電子頭脳は自分をとかしてしまったにちがいない……とそう考えた。
「ところで、この星はどんな星だい?」
ロボットからそのようすを聞いた人間は、
「なるほど、岩と金属ばかりなんだな。だが、そのほかになにかないのか?」
そして、動いているものはロボットばかりだから生物≠ニいうことばを知らないだろうと思って、
「成長ということを知っているかい?」
と聞いた。|成長するもの《ヽヽヽヽヽヽ》、つまり生物があるかどうかを聞いたのである。
「知っています。なにかの結晶を、それと同じ物質の飽和《ほうわ》溶液にひたしておくと成長します」
「ちがう。そんなことをしなくても、ひとりでに成長し、手をくわえなくても増殖するもののことだ」
「そんなものはありませんよ」
「では、生物は草一本もないんだな。大地に育つ緑の草。暑い夏の日に涼しいかげをつくってくれる木だち。そのあいだでさえずる小鳥。水の流れでおどる銀色のサカナ。のどかななき声にみちた牧場。生命の鼓動のあるものは、なにもないんだな」
人間は、自分たちがいまいる星が、生命ひとつない星と知ってがっかりし、声が低くなった。ロボットたちはそれにおどろいた。
「回線が弱くなったらしい。それに、わけのわからないことをいいはじめた。早く手当てをしよう」
巨大なロケットは工場に運ばれた。工場の技師は、あわてていった。
「早く切断しなければなりません。たたいても反応がありませんから、きっと切っても大丈夫でしょう。だが思考する部分がどこにあるかを教えてもらわないと、まちがってこわしてしまったらたいへんです」
「思考する部分だって? それは頭だ。だが、その前に早く酸素をくれ!」
人間は、ロケットのなかの酸素がしだいに少なくなったので苦しくなってきた。ロボットは、
「これはあまり苦しいので、酸素をつかって自分をだめにしたがっているのだ。早く助けてやろう」
と仕事をいそいだ。高熱のほのおをだす金属切断機がロケットに向けられた。
「やめてくれ、空気が熱くなってきた。ぼくたちを焼き殺す気か? われわれはきみたちの主人なんだぞ」
「手術だから、少しは熱いかもしれませんが、ほんの少しのしんぼうです」
と、ロボットの医者は落ちついて仕事をすすめた。
「ああ、もうだめだ!」
人間はさけび声をあげ、ついに高温で酸素のない星の大気にさらされて死んでしまった。
ロボットたちは、ロケットを切断して、なかにはいった。だが、ロボットたちの想像していたような思考部分、つまり電子頭脳はどこにもなかった。そのかわり、熱のために水蒸気をたてているグニャグニャの物を見つけた。だが、ロボットには、それがいま焼け死んだ人間だとは気がつかなかった。
「これはなんだろう」
「きっと一種の合成物の絶縁材料にちがいない。手術の前にこの部分の説明をしてくれていたら、代用品を用意しておいたのにな」
と、ざんねんそうに話しあったのだ。
新聞記者のパリルは、ずっとつきっきりでいたが、この事件をどう記事にしたらいいのかわからなかった。思考部分もないのに、どうしてあれだけ話をしたのか、説明のつけようがないからであった――。
これで、未来の世界におこるかもしれない科学小説は終わりをつげる。この物語のなかから、生命というものの内容を感じとっていただければ幸いである。
地上最後の人間
最後に、もうひとつ、生命の問題をあつかった科学小説をご紹介しよう。生命のもつ神秘なちからの存在をしめしたたいへん意味ふかい話である。
空はまっ黒な雲でおおわれ、ときどき、どしゃぶりの雨が、焼けただれた地上のものすべてを洗い流すくらいにはげしく降り、また、ときには、あらしが地上の焼け屑《くず》をようしゃなく吹きあげた。
地上には、だれひとり、生き残っているものがいなかった――この地球|炎上《えんじよう》直前に空にまいあがっていた原子科学者クレインを除いては。それほどはげしい地上の最後だった。
クレインは、残った力をふりしぼって、がまん強くはいつづけた。「この方角をさしてゆけば、きっと海に行きつけるにちがいない」
と考えながら。
それは、本能がかれに教えているのかもしれなかったし、つかれきった頭に残ったわずかなはたらきが、かれに海のある方角を教えているのかもしれなかった。
ポケットから磁石を取りだしてのぞいてみると、磁石の針はこまかくふるえながら北の方向をさしていた。
「磁力だけはまだ地球に残っているのだな」
かれには、めちゃめちゃになってしまった地球がまだ磁力を持ちつづけていることが、なんとなく奇妙に感じられたのだ。
はじめのうちは歩いていたのだが、あまり長く歩きつづけたので、足はもう動かなくなってしまっていた。ヒジとヒザを使ってはうことはものすごく苦しいことだったが、かれにはもう苦痛という感覚がなくなっていた。
「生命というものは、どんなことにも適合するものだ。このようにはいつづけていると、そのうち、ヒジとヒザの皮膚《ひふ》が硬くなり、首と肩ががんじょうになるだろう。鼻もほこりを吸いこまないようになるだろう。そして、このつかれはてた足はもう必要ないのだから、ついにはしびれて腐《くさ》れ落ちてしまうかもしれない」
かれは、ぼんやりとこう考えながら、はいつづけた。
かれは、やがて、海岸をとおりすぎたことに気がついた。しかし、そこには海がない。海は干あがってしまっていたのだ。
「しかし、海はどこかにあるはずだ。あれだけの海水が完全に消えてしまうはずがない」
かれは、もとは海の底であったゆるやかな坂をくだり、海の方角と思われるほうにむかってなおもはいつづけた。
――地球がこのようになってしまったのは、クレインが考えだしたあるひとつの発明からだった。クレインは、鉄の原子を分裂《ぶんれつ》させ、想像もできないほどぼう大なエネルギーをだす方法を発見したのである。
これをロケットに利用したら、ひじょうに能率よく宇宙旅行ができることがわかり、そのロケットが慎重《しんちよう》な計画のもとに建造された。しかし、この鉄を原料とした燃料は、能率のすばらしいかわりに、少しでももれると、地球上の鉄と連鎖反応《れんさはんのう》をおこして、地球を火でつつむ大爆発をひきおこしてしまうおそれがあったのである。
ところで、出発をまぢかにしたある日の夕がた、とつぜん、作業場で火事がおこった。
「たいへんだ!」
クレインはかけだし、ほのおのなかを走りぬけてロケットにとび乗った。もしこのロケットに火がつきでもしたら、想像するだけでも身の毛がさかだつような結果が生じてしまうからである。
ドアを閉じたロケットのなかからクレインはそとの様子をさぐっていたが、ほのおが近づいてくるのを知って、決意して発進のスイッチを入れた。
クレインが発射の衝撃《しようげき》から意識をとりもどしたとき、ロケットは舵《かじ》の故障《こしよう》で、ふたたび地球にむかって落下しつつあった。だが、それより、かれをおどろかしたことは、窓ごしに見える地球が火の球となっていることであった。火事のほのおからロケットをまもることはできたけれども、もうひとつ別の心配、鉄との連鎖反応が、ついにおこってしまったのだった。ところどころにまっ黒な雲が浮かび、北極に残る白い雪原の部分もたちまち紅《べに》に変わっていった。緑の地球、数十億の人類、クレインの家族や友人、かれに親しかったすべてのものが、一瞬のうちに消えてしまったのだった。
クレインが戦慄《せんりつ》しながらこの悪夢のようなありさまを見つめつづけていると、地球のほのおはしだいにうすれて、そして全部がまっ黒な雲につつまれてしまった。
ロケットは地球に落下しつづけ、大気|圏《けん》にはいった。
「まもなくロケットが燃えだす。早く脱出しなくては」
かれはパラシュート、小型酸素タンク、食糧をととのえ、脱出装置によって空にとびだした。そしてやっと降り立った地上は、すべてがまったく一変していたのである。
さて、はいつづけるかれを、大粒の雨が打ちはじめたので、かれははうのをやめ、背につけたふくろのなかをさぐった。だが、そこには、くだものの缶詰《かんづめ》がただ一つ。これがもう最後の食糧だった。
「あしたになれば、缶をあける力がなくなってしまうかもしれない」
クレインは、缶のくだものをたべはじめた。雨はぬかるみを流れ、水足をつくりはじめていた。
「おれは地球上の最後の記憶をもった生物だ。最後の生物が、最後の食事をしているのだ。つまり、最後の新陳代謝《しんちんたいしや》というわけだな」
かれはこうつぶやきながら食事を終えた。
クレインはふたたびはいはじめたが、しばらくすると、かれの親友だったホールマイヤーがかれのそばをはっているのに気がついた。だが、それは、クレインのつかれた頭がつくりだした|まぼろし《ヽヽヽヽ》だったのである。クレインはそのまぼろしに話しかけた。
「なぜ、われわれは、海に行かなければならないのだろう」
「彼女に聞いたらいいじゃないか」
とホールマイヤーのまぼろしは答え、クレインの向こうがわを指さした。
そこには、クレインの妻のエヴェリンのまぼろしが、やはり同じようにはっていた。
「なぜって、約束したじゃないの。宇宙旅行から帰ったら、海岸に家を建てて、そこにいっしょに住むっていったでしょう。海はわたしたちの家なのよ。いまはそこに帰るところなのよ」
「そうだったな」
クレインが答えると、エヴェリンとホールマイヤーのまぼろしは消えていた。
かれがもうほとんどつきかけた力をふりしぼってはいつづけて行くと、はるか向こうに、またエヴェリンのまぼろしがあらわれた。彼女は白い家のそばに立って、クレインに手をふっていた。
そして、かれがその方角にすすむと、そこに海があらわれた。エヴェリンと家はまぼろしだったが、海だけは現実だった。
「海だ!」
しかし、一回|沸騰《ふつとう》した海のなかには、もうなんの生物も残っていなかった。地球は、岩石と、金属と水だけの遊星になってしまっていたのだ。
かれの力がまったくつきたとき、エヴェリンのまぼろしはかれを海に助け入れて、そして消えた。
「エヴェリン、もうだめだ。きみがいなくなって、たったひとりのこされたぼくは、もう子孫をのこすことができない。もう生物はこれで終わりだ」
かれは海の波に洗われながら絶望的にさけんだ。そして、
「ああ、地球の生命がすべて消滅《しようめつ》してしまうなんて、とても信じられない。生命とは、こんなことで消滅するのにはあまりにも美しすぎる」
と胸をおしつぶしてつぶやいた。
海の水は、静かに、おだやかに、かれを洗いつづけた。かれはそれにからだをまかせていたが、それがやさしい母の手のように思えてきた。かれがあおむけになって空を見つめていると、とつぜん、雲が切れはじめて夜空があらわれ、星がまたたきはじめた。
そのとき、かれは知ったのである。
――自分は生命の終わりではない。生命に終わりのあるはずがない。おだやかに海のなかでゆれているこのからだのなかで、腐敗《ふはい》しはじめている組織のなかには、数えきれないほどの無数の生命が宿っているのだ。細胞、細菌、ヴィールス。それらは、自分が死んでしまったあとでも、海のなかに新しい生命の根をおろし、いつまでもいつまでも生きつづけていくだろう。その小さな生物たちは、自分の腐敗した残骸《ざんがい》をたべながら生き、また、おたがいにたべ合って新しい環境《かんきよう》に適合していき、そしてさらにこの新しい海のなかに流されてくる物質を利用するようになるだろう。成長し、進化もし、やがて陸上の生活にまでひろがっていくことだろう。
かれは、すべてをさとった。かれが海にやってきたのは、海がかれを呼びもどしたからだった。生命をうみだした母である海が、生命をふたたびつくりだすために、かれを海に呼びもどしたのだった。
かれは、いいようもない満足感にひたりながら、いつまでも星を見つめていた。
本作品のなかには、今日の観点からみると差別的表現ないしは差別的表現ととられかねない箇所があります。しかし作者の意図は、決して差別を助長するものではないこと、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、底本どおりの表記としました。読者各位のご賢察をお願いします。〈編集部〉