きまぐれ博物誌・続
星 新一
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目 次
絶 対
学問の自由化
装置と責任
アメリカ一齣漫画
小学校のころ
安易さ
思い出の味
火星人
ロボット
理想と現実
アポロ11号
人間を釣るエサ
酒の未来
郷 愁
恥のすすめ
小松左京論
看板の趣味
赤ちゃん
チャンス
『俳句――四合目からの出発』阿部※[#「竹/肖」、unicode7b72]人著――の書評
食事と排泄
お人形と楽隊
カンヅメへの進化
万国博短評
にっぽん人間関係用語辞典
神 聖
下北半島
奇現象評論家
文章修業
SFにおけるプラス・アルファ
笑いの効用
改良発明
宅地造成宇宙版
映画「猿の惑星」
処女作
北海道
フクちゃん論
幻想的回想
新種の妖怪
非常用カプセル
思い出のレコード
道 楽
女性への視点
きまり文句
迎 合
未知の分野
都 市
アイデアと情報とエネルギー
ひとつぐらい
断 絶
子供のオモチャ
不愉快な状態のとき
臓器移植
人類の支配
ロケットの発射
宇宙空間の水
月の開発
勲 章
アポロ13号
ビデオ・カセット
寝床公害
スピード
騒 音
ご飯のカンヅメ
あいまい標語
進歩不感症
ビールのびん
ホテル
有望な職業
教育の画一化
君が代
ロボット探検隊
コンピューターの基本回路
アシモフによるロボット三原則
ハイジャック
面白くない小説
SFの短編の書き方
博物誌
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絶 対
小学校のころの思い出である。担任の先生は今でもなつかしく思い出すいい先生だったが、ある日、教科書やノートを家に忘れてくる者のたえないのにがまんしきれなくなられたのであろう。みなにこう告げた。
「教科書やノートを絶対に忘れてきてはいかん。これからは、忘れてきた者があったら、家に取りに帰らせる」
めずらしくきびしい言葉。家に取りに帰されてはたまらない。その夜は、われながら慎重だった。ふだんは朝でかける前にランドセルにつめる習慣だったが、前夜に翌日の時間割りと何度もてらしあわせ、きちんとそろえた。まさに絶対の確信である。
それなのに、である。学校へ行き、授業のはじめ、さてとランドセルをのぞくと教科書がない。言い古された形容だが、一瞬、頭に血がのぼり、うろたえるばかり。やむをえず、恥をしのんで「忘れてきました」と先生に申し出た。そのときの救いは、忘れてきた同類がいやに多かったことである。しかし、先生と私たちの約束は約束。みな家へと取りに帰った。
こんな半端《はんぱ》な時刻に町を歩いている小学生はほかになく、奇妙な感じだった。ところが、家じゅうさがせどみつからない。しようがないので、また学校へ逆もどり。あとで判明したことだが、教科書はちゃんとランドセルのなかにあったのである。
極度の緊張は、よくさがせば存在している物を、目からおおいかくしてしまうものらしい。その日、私のごとく取りに帰った者がむやみと多かったのも、やはり同様の原因ではなかったかと思う。めったに忘れ物をしない優等生の女の子もそのなかにいたのだから。
忘れてこないのに忘れたと称し、授業をさぼろうとしたのもまざってたのでは、というのは戦後の考え方。昭和十三年ごろの小学生にそんな知恵のあるのはいなかった。
それはともかく、あまりに意外な結果に先生もあきれてしまったにちがいない。そのごの父兄からの連絡でこの事情が判明したためか、この罰則はそれきりで中止となった。
絶対ということにこだわると、かくのごとき現象が発生する。存在している物が目に入らず、不必要にあわてふためくことになる。しかし、この体験は私にとって貴重なものであった。ふしぎがりながら学校へもどり、ランドセルのなかに教科書のあるのを知ったときの複雑な気分は、いまだに忘れられない。精神的にひとつ成長した瞬間といえよう。
人間の成長とは、絶対という緊張感と顔なじみになってゆくことのようだ。子供のころに読んだ冒険小説には、必ず主人公がどうにも絶対に身うごきがとれぬという、絶体絶命の窮地に追いこまれる場面があった。そのたびに、はらはらしたものだ。しかし、ひとつの例外もなく、助かってしまうのである。
いまや、こっちが書く側になった。絶体絶命の立場になった主人公がそのまま死んでしまう話を書いてみようかとも思うが、どうもうまくない。新しいアイデアにはちがいないが、読者が怒るにきまっているからだ。
子供ならいざしらず、おとなが「三角形の二辺の和は、他の一辺より絶対に長いのだ」とか「海水中には絶対に塩分が含まれている、おれはそれを信念として確信し、断固として主張する」などと叫んだら、気ちがいあつかいされる。
「この株は絶対に値上がりします」とか「奥さまのお肌には、この化粧品が絶対です」とかいうふうに使えば、世の中、正常な人として通用する。それを額面どおりにとり、だまされたとねじこむ者があれば、そのほうが気ちがいあつかいされる。「だからあのとき、絶対と申しあげたではありませんか。絶対とは、全面的に信用なさってはいけませんとの注意の言葉ですよ」と反論され、まさにそのとおりだからである。
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学問の自由化
むかしにくらべ、大学の数が非常にふえた。また一校の学生数もむやみとふえているらしい。そのはなはだしいのをマンモス大学と称するそうだ。それが話題になるたびに、こんな形容がなされる。
「ああなると、学校じゃなくて企業体だ」
私たちSF作家には、なにか思いつくと、拡大鏡にかけたごとく、それを大げさに発展させる性癖がある。たとえば……。
それなら、いっそのこと大学を株式会社にしてしまったら、どうだろう。なにをむちゃな、と一笑に付する人もあることだろう。だが、思いついたついでに、少し検討してみたい。
現在の学校法人というものは、どことなくあいまいな存在なのである。だれのものやらさっぱりわからず、責任と権限の基盤もぼやけている。理事が評議員をえらび、評議員が理事をえらぶという方式なのだが、すっきりしているとは言いがたい。
順調の時はそれでもいいのだが、混乱が起ると弱味をさらけだす。弱腰になったり、責任がうやむやになったり、裏面で陰謀めいたものが進行したりするのである。
株式会社だと、この点ははっきりしている。株主総会の議決で経営の責任者がきまり、選ばれた者の権限は強力である。そして、運営能力不足の責任者は、総会で交代させられもする。そうせねば、企業競争に勝ちぬけない。株主は自己の財産に関することであり、のんびりとはしていられないのだ。
きびしい話ではあるが、だからこそ競争がなされる。そして、競争のないところには進歩もないのである。
大学を会社組織にすれば、そこに競争、すなわち進歩が起るのではないかと思う。各大学は質を向上させるために、一流の教授陣をそろえるだろうし、時には金にあかせて、他校の教授の引抜きもやるだろう。
そうしないと、学生を集め、高い月謝を取れないのである。学生がたくさん集れば、利益もあがり、株主への配当もふえる。株主も了承し、増資の株だって引き受ける。それで内容をさらに充実できるのだ。
堂々と公明正大にそれをやるのである。なにか悪いことでもあるだろうか。現在にくらべ、悪くなる点があるだろうか。
優秀な教授は、待遇が悪いの研究費が少ないのと、ぐちをこぼすこともなくなる。内職に原稿を書きまくり、別途収入をはからなくてもいい。学問に専念できるのだ。
学生のほうだって気持ちはいいはずである。月謝を払ったのに講義がつまらない、などという不満はなくなるのだ。月謝にみあう授業をしてくれる他校に移れば解決する。教育界は、みちがえるように活気づくのではないだろうか。
学問を商品あつかいするのかと、いんねんをつけたくなる人もあろう。あるにちがいない。しかし、なぜ学問を商品あつかいしていけないのだ。この疑問に即座に反論できるだろうか。
知識は情報であり、情報は自由に流通すべき商品である。正しく商品として評価し、価値をあるがままに見つめなおす必要が、いま迫られているのではないかと思う。
そもそも、知識と人格とを混同し、知識人すなわち人格者という通念のあるほうがおかしいのである。むかしはそうだったかもしれないが、その時代は終った。悪いことをするやつと、そいつの持つ知識量とのあいだに関連はないのだ。
現在の大学では、公衆道徳も教えなければ、手紙の書き方も、エチケットも、おじぎの仕方も教えていないのである。
「大学というところでは、人格教育までは責任を負いません」
こうはっきりさせたらどうだろう。となると、父母は覚悟をきめ、家庭でのしつけをきびしくするだろう。現状では、家庭で教育ママが勉学へのムチをふるい、人格教育についてののぞみを学校に託している。本末転倒ではないか。
教育ママには学問のことなど、なにもわからないのだ。子供への愛情は、すなおに人格教育の面であらわしたほうが能率的だし、順当でもある。一方、大学では人格教育まで手のまわるわけがない。知識情報を正確に与えることに専念すべきだ。
「しかし、そんなことになったら、金のある者しか学校へ行けなくなる」
との反論もあろう。だが、それはそれで別途に方法を考えればいい。大学、あるいは銀行から利息つきの金を借り、学問を身につけ、一流会社に入ってから返済すればいいのである。大学ローンである。なぜ一流会社に入れるか。それのできるだけの知識を、大学は当人に与えているはずだからだ。無利息の奨学金など、人を怠惰《たいだ》にする。無利息で、さいそくはゆるやかという金を借り、それで商売に成功した人はあまりいないはずである。
学歴は無用か有用かとの議論が世にある。だが、学歴を問題にするのが変なので、要は本人の持っている知識や能力の点である。学問を自由化してしまえば、このような議論は消えてしまうにちがいない。
これらはマンモス大学についての案だが、ついでに官立のも民間に払い下げて株式会社にしてしまうほうがいいかもしれない。半身不随とか悪口を言われている状態から抜け出せるのである。教えるほうも必死、教わるほうも必死という形がととのうのではないだろうか。
ただし、大学を企業体にした場合、採算がとれないために扱いかねる研究分野はもちろん出てくるだろう。その時には、はじめて国庫補助、すなわち税金を使えばいいのである。監督官庁の事務だって、それだけ簡素化されるというものだ。
逆説的な風刺的なつもりで書きはじめたのだったが、なんだかこのほうが本当にいいように思えてきた。欧米には社会事業についての伝統があるが、わが国にはそれがない。民間の非営利事業というものの運営に、みながなれていないのである。
また、わが国の国民性として、学問を心から神聖と思っている人は少ないのだ。そのくせ、外見だけをもっともらしくしようとする。そのへんに原因がありそうだ。なぜ大学へ進学したいか、なぜ子供を進学させたいか。統計をとれば、将来への有利な投資というのが多いにちがいない。
私はいつも思うのだが、わが国では無形のものはあまり尊敬されない。最近ではその傾向もあらたまりかけてきたが、それは金銭と結びついてきたからである。パテントとか、電子計算機の利用技術などである。それなら、知識情報もはっきり金銭と結びつければ、かえって尊敬の念がおこり、やがて神聖なものとならないとも限らない。
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装置と責任
半年ほど前にコンピューターについて取材をしたことがあった。その時、みどりの窓口、すなわち新幹線座席予約装置について、このようなことを聞いた。秋葉原の本部には二台のコンピューターがあり、並行して同じ仕事をしている。また本部と各駅の窓口とは電話線と信号線の二本の回線で連絡してあり、一本の線が切れても支障はない。不意の停電にそなえて自家発電の準備もある。
そういうものかなと思い、そうでなければならぬと思った。ところが先日の新聞報道によると、このコンピューターが故障し各駅の窓口が混乱したとあった。座席予約など、計算とは呼べないほどの単純なしかけのはずである。この万全のそなえのどこに欠陥があったのかふしぎでならぬが、その点について記事はふれていなかった。どこからか圧力があったのではと、かんぐりたくもなる。
こんな知識が私になければ、装置だから時には故障もするさと、軽く読みとばしてしまったはずである。私たちの国民性として、人間が原因の事故は容赦なくやっつけるが、機械の故障による事故については、かなりの被害があってもおそろしく寛大であきらめがいい。人間をなぐり殺したら極刑だろうが、車ではねて殺すとさほどでない。
人間と装置と責任との関連について、早いところ明確にする必要があるのではないだろうか。保守的な法律と技術革新の差は、急速に開きつつある。金融機関の中枢にあるコンピューターを爆破したらはかりしれぬパニックとなるはずだが、器物破損の罪だけですんでは軽すぎる。器物の概念が一時代前とは一変してしまっているのである。
さらにべつな面でも、世の多くの人はコンピューターに不安の念を抱いているようだ。コンピューター時代開幕の声がはなばなしく、それなら勉強でもしようかと解説書を買ったとする。そのはじめのほうには、原理や構造や開発の歴史などが書かれている。もう、そこで拒絶反応が心にめばえてしまうのだ。
それでもむりして読みつづけると、コンピューターの長所は正確さにあり、まちがいは五十万回に一回ぐらいしか発生しないなどとある。だがべつなページには、一秒間に三十万回の計算をやるとある。計算単位のとりかたによるちがいだが、しろうとは二秒に一回で発生するのかときもをつぶしかねない。
エレクトロニクスの知識ゼロにもかかわらず、私たちはテレビを楽しむことができる。薬理学は知らないが、私たちははなはだ売薬好きである。文明の進歩とは、成果を容易に享受できることだと思いこんでいた。それなのに、なぜコンピューターだけは例外なのか。原理への理解が要求された品物は、文明開化以来これがはじめてではないだろうか。
こんなところが世の人の素朴な疑問であろう。この調整が必要なように思えてならない。理解しなければならないものなら、もっと肌にあった解説がなされるべきだし、それが不要ならば、科学知識劣等感を突くこともないのではないか。私の感じでは、これは過渡期における、俗な言葉でいえば「こなれていない」現象で、やがては日常生活のなかにとけこみ、原理はわからないが便利な装置として位置をしめるのではないかと考えている。
もちろん、多くのやっかいな問題の起ることは予想される。現金や機密書類以上にコンピューターは貴重なはずだが、その警備の手うすな企業があり、前述のような混乱が何回か起るかもしれない。ティーチング・マシンの普及は、各人の教育格差をさらにひろげるかもしれない。財産や行動の記録の面では便利になるが、一方ではプライバシーの保持がむずかしくなるかもしれない。高まる生産に消費が追いつけず、アンバランスの危機が現出するかもしれない。
だが破局に暴走することはないであろう。原始人は火に恐怖したはずだが、やがてはそれを生活にとり入れた。ダイナマイトも同様。原子力をはじめて知った時、私たちは身ぶるいしたが、いまではその害の面を押さえ有益な面を伸ばそうとの努力がなされている。ミサイルも当初は武器以外のなにものでもなかったが、いまやその主目標は宇宙開発にむけられている。
こうしてみると、人類の生活力は驚くべきものである。恐れとまどいつつも、いつのまにかとり押さえ、包みこみ、しかるべき個所におさめてしまう。コンピューターと人間とを比較すべきかどうかはわからないが、その差をあげるとすれば一般に言われているように感情の有無ではなく、むしろ生活力のほうではないだろうか。
おさきばしりでポスト(以後)好きの国民性。そろそろポスト・コンピューターの声がでてきそうだ。顔をしかめる人があるかもしれぬが、あんがい健全のあらわれかもしれない。コンピューターにはこんな発想はできないはずである。
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アメリカ一齣漫画
アメリカの一齣《ひとこま》漫画を集めている。cartoon というやつである。相当な量になり、最近では持てあましぎみ。どれくらい集めたら威張れるのか、論ずる資格ができるのか、まったく見当がつかぬ。収集狂とは、だいたいにおいてそうなのではなかろうか。量が少ないうちは勢いのいい独断的な意見がいえるが、量に圧倒されるようになると、整理だけで手一杯となる。ハレムに美女を何百人もそろえた王様は、女性論や恋愛論など語ることができないのじゃないかしらん。
それでも、アメリカ漫画を大量に集めると、いくつかの特徴がいやでも目についてくる。なにから指摘すべきか迷うが、わが国の漫画とくらべて大きな差異は、時事風俗の点であろう。つまり、アメリカ漫画はニュースや流行を知らなくてもわかるのである。笑いだけが独立しているといえよう。
銀行へハンサムな強盗が入りこんできて、拳銃をつきつけ大金を強奪する。颯爽《さつそう》と引きあげかけると、窓口の女の子、呼びかけて「あたしを人質に連れてったら……」
血液銀行にやってきた子供に、受付の看護婦が「ここの存在を知っててもらえたのはありがたいけど、坊やの鼻血を買いあげるわけにはいかないのよ」
ある男、会社の帰りに同僚をさそい「ぼくの家に寄ってけよ。きっと、きみはぼくのワイフを好きになるよ。そして、それが進展してくれるとありがたいんだがな。ぼくはいざこざなく離婚できる」
ちょっと目にとまった、名作でも駄作でもない例をあげた。すべてこういったぐあいなのである。ある程度の基礎知識があれば、それで理解できる。そこへゆくと、わが国の漫画はもっぱら時事風俗。電子レンジが出まわりはじめると、それを使った火葬場漫画が描かれ、三億円事件もタメゴローも、あっというまに漫画になる。当意即妙をきわめ、事実の重みが加わっているだけに、接した時点での笑いの強烈さは、こっちのほうがはるかに強い。しかし、ニュースの記憶がうすれたり、外国人に対しての効果となると、それは弱くならざるをえない。
私はソ連がスプートニクをうちあげた時の、わが国の新聞雑誌にのった漫画を切り抜いて保存しているが、人工衛星漫画の大氾濫であった。いま見なおすと、なつかしさはあれど笑いはない。アメリカにも宇宙ロケット漫画という分野があるが、アポロさわぎで特にふえることもなく、強烈な笑いもないかわり、時がたったからといって笑いが弱まることもない。わが国の漫画の傾向は一時点に凝縮した形であり、アメリカのは時間的空間的に普遍性を持つのが特徴である。この差異を持つものを、同一の次元で論じてはいけないような気もする。早くいえば別種なのだ。
しかし、なぜこんな差異ができたかへの説明はつけられる。アメリカは雑多な人種の混合で、国土がひろく、地方分権のニュースなのである。アメリカ映画で見ると、新聞の第一面はその地方の銀行強盗だの大事故だのが、でかでかと印刷されている。わが国の新聞の第一面が大臣や外国元首の写真であるのといい対照。住所の書き方が私たちは県・市・町の順、むこうは身辺のほうが先で、それと同様といえよう。
ニューヨークの大事件、必ずしもハワイやアラスカの人の関心をひくとは限らない。新聞記事は各地方独自の構成である。そういう状態のところで全国にむけて漫画を供給するとなると、時事風俗から独立しなければならなくなる。私たちは全国紙とテレビとにより、ほぼ同質のニュースに同時に接しており、その共通基盤にのっかった笑いを楽しめる。この条件のちがいなのだ。
アメリカ漫画の時事問題からの独立ぶりは徹底している。一時あれだけ全世界を熱狂の渦に巻きこんだにもかかわらず、ビートルズに関連した漫画は、ほとんど数えるほど。ケネディもニクソンも雑誌の漫画には登場しない。離婚テーマの漫画は山のようにあるが、そこにエリザベス・テーラーは決して描かれない。キャプションの会話のなかにマリリン・モンローの名の使われることはたまにあるが、それは美女の代名詞としての意味しかない。モンローが死ねばバルドーでもいいわけで、キャプションの名の部分を入れかえて、同じ絵を再録して使ったりしている。実在の人物の登場、皆無とはいえぬが、率からいえばとるにたらない。
アメリカにおける唯一の特殊な例外は、マッド(MAD)という漫画雑誌。時事風俗密着漫画専門誌で、有名人やテレビ番組やコマーシャルなどをひねった笑いで埋めている。わが国にはこのマッド誌のファンが多いようだが、それはここに原因がある。
アメリカ一齣漫画の登場人物は不特定個人であり、その人間関係、あるいはなんらかのアイデアの上に成立しているのである。人気者などいない。有名人やスターをこうも排除した分野のあるということは、すがすがしい気分にもなる。
日米漫画の差異で特徴的なことをもうひとつあげれば、キャプションの点である。わが国のそれがほとんど「ボーナス」とか「海水浴」とか「ペット」など題名的なのにくらべ、アメリカ漫画のそれは画中の人物のひとりの発言になっているのである。さもなければ無題で、それはごく少数。なぜこうなっているかの説明は、あとで触れる。
私がアメリカ一齣漫画の収集をはじめたのは、孤島漫画がもとである。ヤシの木のはえた小島に漂着した人物を描いたもの。無人島漫画とも呼ばれるが、人物が漂着したあとは無人では変で、私はその言葉を使わない。
おおよそのパターンを知ればいいという程度だったが、集めはじめると面白くなり、ほかにマニアがなく独走態勢らしいと知るといい気分になり、ずるずると深みにはまりこんだ。収集狂によくある例である。
最初は熱狂的に集めたが、しだいにあわてなくなってきた。雑誌にのったのを入手しそこねても、やがて漫画専門誌に再録され、それも何年かたつとまた再録される。時事風俗から独立して古びない漫画の利点である。さらにはアンソロジーにも集録される。孤島漫画だけを集めた本など、何冊も出ている。だから熱狂しなくても、継続の意志さえ失わなければ、ふえる一方である。いま孤島漫画の私の所有は、ほぼ三千種である。
しかし、孤島漫画のパターンの指摘となると、ちょっとやっかい。三つの面からの分類が考えられる。第一に、人物構成の面。男、女、二人、夫婦、親子、友人、多数、驚異的多数、島がひとつ、二つ、多数の島といった分類である。第二に、描かれた感情効果の面。望郷、愛情、物欲、狂気、習慣といったたぐいでの分類である。第三に、小道具の面。食品、酒、薬、トランプ、ベッドからロボットに至る、書き加えられた物品による分類である。ひとつの孤島漫画に、これらのいずれの分類も適用できる。そこで私の模索しているのが、三次元的分類法。ひとつの孤島漫画は、三つの面の座標でその位置を定めることができるのではなかろうか。
三次元的分類法なるものは、すでに存在しているのかもしれない。だが私はなにか現実を通してでないと抽象世界に入れぬ頭の主なので、もっと孤島漫画をいじくってから、そのほうの研究をするつもりである。社会現象など、多次元分類法を使うと、だいぶわかりやすくなるのではなかろうか。
アメリカ漫画の例にもれず孤島漫画も時事風俗に無縁だが、アイデアにはいくらか流行があるようだ。かつては人魚のでてくるのが多かったが、そのごアラジンのランプを小道具に使ったののはやった時期があった。このところは、どういうわけか、ヤシの木への妄想をテーマにしたのが多いようだ。孤独のあげく、ヤシの木を女性と思いこんだもの。さらには、小さなヤシの木を妄想の女性とのあいだにできた息子と思いこんでしまうもの、といったたぐいである。
かくして、現在も休むことなく孤島漫画は生産されつづけている。外国漫画雑誌を買ってきて開くたびに「なるほど、ここにアイデアの空白があったか」と思わせられる。三次元的分類法におさまるという点では「太陽の下に新しきものなし」だが、アイデアの空白を埋めれば、それだけの意味はあるといえる。いまの私は、コンピューターを使ってこれらを整理してみたい心境である。私の頭も少しはすっきりするだろうし、人間方程式なるものへの手がかりがつかめるかもしれない。
それなら、将来はコンピューターによって漫画のアイデアが作れるのではないかとの空想になるが、当分はむりであろう。人間がなにを面白がるかの公式が不明のうちは、手のつけようがないからだ。しかし、である。
孤島漫画を集めているうちに、他の分野のも集ってしまった。孤島物だけ切り抜き、あとを捨てることもないからだ。そして、アメリカ漫画全般についての感じだが、漫画生産について、人間とコンピューターとの協力関係はさらに深まってゆくのではないかと思われる。アメリカの漫画雑誌社、あるいは漫画供給エージェントがすでにコンピューターを使っているかどうかは知らない。おそらくまだであろうが、それを導入できる基盤は存在しているといえそうである。
アメリカ漫画の製作過程における大きな特色は、アイデアと絵との分業である。F・ブラウンの短編「漫画家とスヌーク皇帝」というSFの主人公は、あまりぱっとしない漫画家なのだが、机にむかって案の捻出《ねんしゆつ》に苦しむのではなく、ひたすら郵便を待ちつづける生活なのである。すなわち、アイデア提供を内職あるいは職業とする者からの手紙。漫画家はそれを絵にして、売れたら分け前を払う。これが普通らしいのだ。
わが国の一齣漫画家は軽蔑すべき現象と、これに顔をしかめることだろう。しかし、ギャグ作者の評価がいちおう確立されているという点について、ある人はうらやましがるだろう。どちらがいいかは、なんともいえない。国情と国民性のちがいなのである。もっとも、アメリカでもスタインバーグのような絵そのもので感情を表現する一流の画家、またヨーロッパから移ってきた漫画家のなかには、発想も自分でおこなっている人があるようだ。しかし、分業を否定する社会的風潮はなにもなく、ニューヨーカー誌の常連の怪奇漫画家チャールス・アダムズの作品も、これは私の推測だが、自己以外の発想のがあるように思える。したがって、アダムズの漫画をアイデアで分析する試みは、ちょっと的はずれになりかねない。もっとも、どのアイデアを採用するかの選択をするのは彼で、その一貫性はあることはある。
しかし、それはそれでいいのである。以前にリーダーズ・ダイジェスト誌で、ボッブ・ホープ専属の数人のギャグ作家の奇妙な勤務ぶりを読んだ。彼らが事務所に通勤し、しぼり出したギャグをホープが使い、大衆はホープのギャグとして大笑いするのである。是認というより、むしろ当然のことなのだ。
したがって、アメリカ漫画のできばえは、ビジネスライクな感じにならざるをえない。時事風俗からの独立の一因もここにある。すなわち、ニュースを受けとめ速戦即決とはいかないのだ。また、アメリカ漫画の構図の類型化もそのあらわれである。
たとえば、こんな漫画がある。人妻が若い男を自宅にひき入れ、ベッドで情事にふけっている。そこへ亭主が帰宅。立腹する亭主をなだめて、夫人が言う。「ベッドのあなたの側がつめたいと気の毒だから、このかたにたのんで、入って温めてもらってたのよ」
木下藤吉郎が信長のゾウリを温めた故事に似ている。もしかしたらこのギャグ、日系人あるいは日本人留学生が小遣いかせぎに、漫画家に投稿したのではないだろうか。それはともかく、この情事発覚テーマの漫画もむやみとある。案を投稿するほうも楽なのである。〈情事発覚の場面、だれがだれにこう言う〉と書けば、それでアイデアの伝達ができるのである。さきにのべたが、アメリカ漫画のキャプションが会話の言葉になっている理由。類型化されていると、伝達が容易なのだ。アメリカ漫画を一口でいえば、アイデアの図解ということになる。短文に還元できる特徴は当然のことで、すでに短文の過程をへているのである。
分業の成果であるため、漫画家自体の生みの苦しみ、苦渋のあとなど、まるでない。スランプの悩みが絵ににじみ出ることもない。一方、こりすぎた失敗作だの、案の枯渇《こかつ》による愚作も、発生しようがない。わが国の漫画とは別種に考えるべき点である。
また、したがってアメリカの一齣漫画からは強烈な個性、陰影、体臭、そういったたぐいも消えている。乾燥したクールとでも称すべきか。殺人漫画、死体漫画という分野があるが、そこからは決して死の匂いはたちのぼってこない。はだか漫画もむやみとあるが、いい意味でも悪い意味でも、エロティシズムはないのである。乞食や浮浪者漫画にあわれさはなく、アル中漫画や破産漫画や自殺漫画には悲惨さがない。葬式漫画に悲しみがなく、処刑漫画に残酷さがなく、人食い人種漫画に後進国|蔑視《べつし》ムードがなく、病人漫画に苦痛がない。
あげればきりがないが、つまりそういうことなのだ。アイデアと笑いだけが残っている。例をあげれば、壁の前に立たされ、銃殺寸前の男。突然すたこら逃げ出す。それを呼びとめて銃殺隊長いわく「止れ、さもないとうつぞ」。
これなど発想はブラック・ユーモア的なのだが、漫画になると人物すべてがとぼけた表情、われわれが死刑に対して持っている既成感情が消失している。ブラック・ユーモアとは、そういった既成感情のどろどろした暗さ、ブラックすなわちどす黒さと、笑いとの複合体の効果であろう。しかし、漫画には〈気の毒だがおかしい〉の〈気の毒だが〉の部分がないのだ。〈深刻だが〉も〈絶望的だが〉もない。そこにあるのはアイデアと笑いだけ。純粋抽出か蒸溜がなされたよう。透明なユーモアと私は仮称しているが、そんな感じである。
非肉体的な笑いといってもいい。また閉鎖的・完結的といってもいい。粘着性がないから、周囲のなにものにもくっつかないのだ。処刑漫画を見ても、死刑論議を連想し、さらに発展させる者は出ない。自動車事故漫画を見ても、それで運転注意を自戒する者は出ない。戦争漫画を見て好戦主義者がふえもしなければ、反戦主義者がふえもしない。
もちろん、じっくりながめて感情移入につとめれば、なんらかの感慨に到達できるかもしれないが、そんな読者は千人に一人もいないだろう。また、腕組みして五分ほどながめ、やがて理解してはたとひざをたたき、その高遠なる笑いに感激するというたぐいの漫画もない。
複雑で難解で深遠な漫画が一冊にぎっしりつまっていたら、もはや大衆娯楽ではない。べつなジャンルにまかせればいいことなのだ。アメリカ漫画にそれ以上のものを求めようとするのは、チューインガムから栄養をとろうとするごとしである。テレビは〈目のチューインガム〉と形容されているが、漫画は〈目のコカコーラ〉であろうか。キュッとした感覚がちょっとあり、あとはスカッとさわやか。いくらかの習慣性。あまずっぱさもなければ、満腹感もない。胸にもたれることなど決してない。よけいなものを加えたら、必ずあきられる。
驚異的多数を相手の、大量生産、大量消費のユーモアなのである。毒やトゲをふくんでいてはいけない。余談になるが、ジョークや小話は日本では読むものだが、アメリカでは会合やパーティの必需品。十年ほど前にアメリカで宇宙人ジョークが大流行したが、それはこれなら他人を傷つけることがないからである。毒のあるジョークをパーティでしゃべるのは非常識。このことと関連がありそうだ。多くの人と交際しなければならぬ開放型社会では、閉鎖的完結的なユーモアが好まれ、そうでなければならぬのだ。逆に、ひっこみじあんで孤独好みの性格の人、いやなやつとはつきあわないですむ閉鎖型社会では、毒や批判、深刻や反抗など、どこかにむけて排水口を持つ開放的、あとに問題を残す非完結的なものが好まれるといえそうである。いうまでもなく、後者が日本人好みのもの。
パーティに出かけた時に人気をさらおうと、その前夜に考えついたジョーク。あんのじょう席上でうけた。その人は物はついでとばかり、文章にし漫画家に手紙で送る。前述のごとく、アメリカ漫画はジョークの図解なのである。それが漫画となって雑誌にのり、多くの人の目にふれる。こんな例が多いのだろうし、これが量産態勢をささえている。つきぬ泉。少数の天才が作るのでなく、大衆のささえる娯楽文化。まさしくアメリカの大衆文化そのものなのだ。
いささか駆け足であるが、以上がアメリカの大衆むけ一齣漫画の私なりのまとめ。漫画に思想性を求め、思想に娯楽的要素を求めたがるわが国の思考傾向をふりまわし、これにけちをつける論評をしてみてもはじまらないし、おかどちがいなのである。わが国では、それに含まれる情報量の多い漫画が好まれ、アメリカ漫画はアイデアが本質なのである。別種としてあつかうべきだ。
別種といえば、ここで同時に語るのはどうかと思うが、漫画には以上の一齣物 cartoon のほかに、ストーリー性のある多齣漫画 comic というのもある。バットマンやドナルド・ダックのたぐいである。私はこのコミック・ブックもSFや怪奇物を主に千冊ほど集めたが、これはいまのところ中断の形。子供むけであり、分業はさらに徹底し、ディズニーのごとき特別なもの以外は、絵のタッチや人物の顔がほとんど均一なのである。アイデア性がなく、大衆の参加がなく、大衆に迎合する傾向があり、通俗を絵にした感じ。
しかし、少し前からこの種の絵がポップ・アートとしてアメリカで話題となっている。これについて、ちょっと私見をのべる。アメリカの一齣漫画には名画をユーモアにした分野というのがある。「モナリザ」や、モンドリアンの「コンポジション」など、しばしばとりあげられている。それを逆にした形である。均一の極のコミックの手法の絵を、れいれいしく飾る。盲点をついたユーモアであり、画期的なアイデア。ユーモアとかアイデアとか感じるのは、この基盤があってこそである。ユーモアとみとめ、そのアイデアを尊重して大金を払うのは、アメリカなればこそ。わが国に移入のしようがない。この種の可逆的アイデアはアメリカの特性のひとつ。
彼我《ひが》の差は大きい。会社を舞台にした一齣漫画でも、アメリカではビジネス的ドライ、わが国のはサラリーマン的ウエット。ビルやエアコンディションやコンピューターなど、道具立てに差はなくても、漫画のなかでは、東は東、西は西。アメリカ漫画を集めて私が得たものは、いつのまにか日本の一面を見つめなおしていたということである。
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夏のよさは暑い点にある。からだがぐったりし、頭がぼやけ、精神がだらける。したがって世の中は平和である。わが国では盛夏に、政治的社会的な大事件は起りにくい。
自然の力による強制休養である。もし日本に夏がなければ、勤勉な日本人は休むことなくせっせと働きつづけ、世界最高の繁栄を築くだろう。しかし、そのかわり、ろくでもないこともしでかすにちがいない。神の摂理というわけであろう。
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小学校のころ
東京女高師の付属小学校、いまはお茶の水女子大付属小学校と改称されている。昭和八年に入学し、十四年に卒業した。古きよき時代の最後ともいうべき時期である。世の中に刺激的なものが少なく、平穏だった。昭和十二年に日中戦争がはじまったわけだが、子供にとっては無縁だった。むしろ、身ぢかの平和を認識させてくれる役に立ったようである。アメリカの子供との、お人形の交換などという行事もあった。食べ物も現代のように過剰でなく、戦争末期のように欠乏でもなかった。赤マントという子供を恐怖させる怪人のうわさ話が、世をさわがせたこともあったが、私はそのころ病気で長く休み、登校しはじめた時にはおさまっていた。
一年生の時にはお茶の水に通い、二年生の時に大塚の新築校舎に移った。私だけが例外なのかもしれないが、なぜかさほど感激の印象がない。私は高師の付属中に進学し、そこでも新校舎移転の体験をしたが、やはり同様。子供にとっては、建物の新旧など、おとなが考えるほど大問題ではないのかもしれない。先生と級友のほうが大きな要素なのである。
回想していやなことは、そのころは結核が大変な病気だったことだ。長期欠席者が各級に何人かいたようである。卒業後に若くして死亡した者もある。現在なら、そのようなこともないだろうにと、胸のつまる思いがする。しかし、現在の交通戦争のほうが、もっとドライな恐怖といえるわけで、やはりあのころはよかったというのが結論である。
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安易さ
先日、皇太子殿下に女児がおうまれになった。それについて女性週刊誌から私のところに電話があり「二十年後に、どのようなかたに成長なさるといいとお思いですか」との質問である。週刊誌というものは、なんでも記事の種にする。
そこで私は答えた。
「日本古来の伝統をうけつぎ、気高さと上品さと微妙さの象徴のようなかたになっていただきたい」
私の書くものに似ず、えらく保守的なので、むこうは意外そうだった。「ミニスカートでゴーゴーを」といった答を期待していたかもしれない。おあいにくさまである。
混乱の世の中を右往左往、頭を使わずに流行を追っかけまわすだけの人間は、ほっておいても量産される。そんな世の中だからこそ、流行を超越して上品さをたもつかたが必要なのである。早くいえば、ミニでゴーゴーなんてことは、その気になればどんな女性でも簡単にできることなのだ。睡眠薬遊びなんてのは、薬を口にほうりこみさえすればいい。犬やネコにだってできることだ。
しかし、上品さとなると、そうはいかない。身につけるのに、十年はかかるのではないだろうか。わざとらしさのない内面からにじみでる上品さとなると、二十年でも身につかないかもしれない。だからこそ貴重なのだ。そのような女性こそすばらしいのである。
ざっくばらんな、いわゆる人間味ある話し方も悪くはないと思う。しかし、上品な言葉づかいができた上での話であろう。ざっくばらんしかできないというのは、なさけないことだ。そんなタレントがふえている。
安易へ安易へと道をたどっている。テレビも週刊誌も、低級な女性への迎合である。迎合によって利益をあげようというのだ。そして、それが成果をあげてるということは、迎合されるとたあいなく喜ぶ存在があるからであろう。こういう傾向のなかでこそ自制心が必要なのだが、そんな主張はあまりない。自制心を身につけるには十年はかかるが、失うのは一日でたりる。みな目前の安易さのほうが好きなのである。
欧州旅行をした女性のなかには「イタリーの男性にくどかれた」と、とくいがる人が多い。厳格なカソリックの国で、良家の子女はひとり歩きしない国柄である。くどかれたとは、娼婦あつかいされたとの意味。単純でなさけない図である。
よき伝統をうけつぎ次代にもたらすのが女性の役目と思っていたが、どうやら、昨今は女性が先に立って伝統をぶちこわしている。こわしたあとになにかを築くのならまだしもだが、そうでもないのだ。世界じゅうの安易さを集めてつぎはぎしたものだけが残る。
女性の職場への進出はいいことである。男性との平等の要求もいいことである。しかし、平等の要求をするからには「女だから」との弁解は口にすべきでない。はたしてそうなっているであろうか。権利は主張するが、義務はしらん顔。こういう矛盾が気にならないのは困るのである。
お米だの牛乳だのの値上げ反対はいいことである。しかも、農家や畜産業の収入増加はどうすべきかとなると、しらん顔。自分の家庭の収入だけふえればよく、他人は知ったことかとの冷酷ムード。あげくのはて「それは政治家の考えることだ」で終り。選挙権を返上したらいいのじゃないかしらん。深く考えず、自分につごうのいい主張だけを叫んでいる感じである。
ということを女性の欠点としてとりあげたが、考えてみると、女性にかぎらず、いまや日本じゅうがそんな状態のようである。女性化傾向がひろまりつつあるのだ。利益とセンチメンタリズムだけで動いている。マスコミが女性を甘やかすから、男だってその仲間入りをしたくなるのだ。女性がしっかりし、甘やかしても企業や政党の手にはのりませんよと、はねつける模範を示すべきであろう。
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思い出の味
なぜか鮮明に残っている幼いころの記憶がある。
ある日、昼の食事でおかずの塩ジャケの皮を食べそこなった。私はそれが不満で「カワ、カワ」と泣き叫んだ。祖母はそんな私をおんぶし「ヤマ、カワ」とまぜっかえしながら、あやしてくれた。これだけのことなのだが、いやにはっきりと思い出せるのである。そのころは本郷の高台の庭のひろい家に住んでいたのだが、おんぶをしてもらって庭のどのへんまで行ったのかも、ちゃんと頭に残っている。そして、これが私の人生における最も古い記憶なのである。
当時は何歳ぐらいだったのだろうか。満三歳か四歳といったところだろうと思う。古い写真帖をめくってみても、祖母におんぶされたのはそれぐらいの年齢までだからだ。
それにしても、たいして重要事件でもないのに、なぜこんなシーンが頭にひっかかっているのだろうかと、ふしぎでならない。味への欲求と、泣いたことと、おんぶと、皮と川をひっかけたダジャレと、それらが結合したために印象が強まったのかもしれない。
人間の頭は電子計算機とちがい、変なことをあとあとまで保存しておく機能があるようだ。いま私の子供は四歳と五歳だが、あれが食べたい、これが食べたいとしょっちゅう泣きわめいている。そのどれが成長したあとまで記憶に残るのか、まるで見当がつかない。
この、私の塩ジャケの皮についての思い出は、一生うすれることがないであろう。塩ジャケを食べるたびに、くりかえし頭のスクリーンに映写されるからである。他人にはどうかわからないが、適当に焼いた塩ジャケの皮というものは、私にとってじつに微妙な味である。だから幼児の私をとらえたのか、この思い出があるから微妙な味と感じるのか、これまたわからないことだ。
私はそのうち、塩ジャケを一匹買ってきて、皮だけをはいで焼き、思う存分食べてみようかなと思っている。いい日本酒を飲みながらである。まさに豪遊だ。しかし、そんなことをしてたんのうしたら、この古くなつかしい記憶も消えてしまうかもしれない。なんとなく実行がためらわれもするのである。
戦争中の昭和二十年の春、私は大学の一年生だった。そして動員で、農村の田植えの手伝いに行かされた。私はこのたぐいのことに不器用で、けっこう疲れたが、一仕事が終ってから吸った一服のタバコ。これも忘れられない味の思い出である。甘く、やわらかく、疲れをいたわってくれるような、麻酔めいたものが感じられた。タバコがこんなにうまいものとは、その時にはじめて知ったのである。戦争末期で一日に二本ぐらいの配給だったが、うちでは父が吸わなかったので、けっこうたまっていたのである。品質は粗悪だったが、いまだにあの時の一服は忘れられない。
そのご今日までタバコは吸いつづけたが、うまいと思ったことは一度もない。不健康のもとで、やめればいいのだが、意志が弱いのか、なかなか実現できない。できない原因は、もしかしたら、あの時の一服の感激が心に強くきざみつけられているせいかもしれない。
考えてみると、私の年代はひどい時代に少年期をすごしたものだ。そのかわり、終戦後の物資が出まわりはじめた時は、なにを食べてもおいしくて大感激をしたものである。製菓会社の人からキャラメルをもらった時には、あっというまに一箱食べてしまった。戦後はじめて口に入れたバターやベーコンなど、涙さえ出てきた。生きてふたたびめぐりあえたという、劇的な感動といったところである。
最近の若い人たちには理解できないことだろうが、これらが私の心に深い印象を残している味なのだ。
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火星人
火星人というと、私たちはユーモラスなタコのごときものを連想する。火星探査ロケットのニュースなどがあると、新聞にはきまってこのたぐいの漫画がのる。
地球人より文明が進んでいるので頭が大きい。食品の進歩で内臓は小さくてすみ、重力が少ないので足は細くていい。かくして陸にあがったタコのような外観となった。火星は気温が低いから、なにか着ててもよさそうなものだが、ふしぎなことに裸である。エロチックな感じを与えないから、それでもいいのだろう。
この火星人の生みの親はH・G・ウェルズで、一八九七年に書いた「宇宙戦争」という作品のなかで登場させた。その描写によると醜悪にして無気味、不潔にして強烈。地球でのあばれかたは残忍このうえない。欧米人は理屈抜きでタコがきらいらしく、その基盤の上での効果である。
そこへいくと、私たちはタコといえば、おどけた印象を受け、ユデダコやスダコにして食えばいいという気分。恐怖小説でなく漫画の主人公のほうがふさわしくなる。
しかし、このタコ型火星人、火星の気象条件をふまえ、ダーウィンの進化論にのっとり、欧米原産だけあって合理的である。また、それ以前にこのような概念はなかったのだから、画期的といえ、ウェルズの偉大さは称賛すべきだ。これをきっかけとし、各種の怪物的宇宙生物が小説や画に書かれ、にぎやかなことになったのである。
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ロボット
ロボットという名前を最初に考えついたのは、チェコの作家チャペックで、一九二〇年の「ロッサム万能ロボット会社」という作品のなかにおいてである。
ロボットにロボットを作らせ、大量生産し、労働も戦争もみんなそいつに押しつけ、人間たちはいい気になる。だが、やがて反乱が起って形勢逆転という物語。機械文明の未来を風刺し、なかなか新鮮な発想。ロボットの名はたちまちひろまった。
もっとも、人造人間の話はその数十年前に、フランスのリラダンの「未来のイブ」という作品、アメリカのビアスの「マクスンの人形」という作品などに書かれ、いずれも名作である。これらのほうが先輩といえよう。だが、自動機械人形とかいう呼び名では、ぱっとしない。
ロボットという魅力的な名をつけたチャペックが栄誉をひとりじめにした形。ネーミングの重要さは、いつの世でも変りないようだ。
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理想と現実
一九〇九年(明治四十二年)のニューヨークに二十五歳の男がいた。新天地にあこがれてルクセンブルクから移住してきた技術者。彼は電気器具の店をやりながら「モダン・エレクトリックス」というラジオ愛好者の雑誌を出していた。当時ラジオは二年ほど前に実験電波が発信されたばかり、番組といえるような放送がはじまるのはそれから十年もあとといった時期だったが、やがては電波の時代になるだろうと予想していたのだ。
毎号ラジオの解説記事を書いていたが、生れつきの強い想像力が頭のなかでむずむずしている。彼はひとつのものを空想し、それの普及した未来を空想した。それはすばらしい品なのだ。人びとの教育水準を高め科学的思考をひろめ、無知や誤解を一掃する。社会からは無用の争いが消え連帯感が強まり、みんな道徳的になり、宗教心は厚くなり、文化や芸術がずっと身ぢかなものとなる。
家庭でいながらにして、なんでも見聞できる装置なのだ。彼の頭には未来の生活の楽しいありさまが浮ぶ。一家そろって国立劇場から電気で送られてくるオペラをながめ、つぎの日は英国からのシェークスピア劇を鑑賞する。それが毎日できるのだ。劇場へ往復しないで節約できた時間が、どれだけ有効に人生に役立つことか。なんと意義のあることだろう。しかも、でまかせの夢じゃないのだ。彼は原稿を書き、ドイツでおこなわれた写真電送の実験を紹介し、その可能性ある未来図を力説した。これがテレビジョンだと。
テレビジョンなる語が米国ではじめて活字になり、その概念が一般に示されたのがこの時である。彼の名はガーンズバック、後世SFの父と称されるに至った人物。
その十七年後の一九二六年に英国人ベアドによってテレビ第一号が試作され、公開実験がおこなわれた。以後の発達と普及ぶりは、だれでもご存知のとおり。ガーンズバックの夢みた未来がここに実現した。しかも、効用のほうもまた、だれでもご存知のとおり。彼の予見の才能は驚くべきものというべきだが、その彼も、俗悪番組による白痴化が将来において問題になろうとは、思ってもみなかったようである。なにもテレビに限った話じゃないだろうが。
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アポロ11号
SFの祖であるH・G・ウェルズの作品「月世界最初の男」の主人公の月における最初の発言は「起きあがろう、われわれは生きている」であった。アポロの月からの第一声はそうではなかったが、内心の叫びはやはり「生きている」でなかったろうか。
テレビを見つめていた私たちも、長い緊迫のあとで無事を知らされ、ほっと息をついた。その安心感のせいか、月面上からの中継には、ものものしい壮挙というより、親しみある楽しさが感じられた。人類が月を征服したというより、人間が月に出かけたという印象である。
他天体への第一歩。いままでSFにたくさん書かれていたことだが、そのどれも乗員たちの英雄的な個人プレーによってなしとげられるものばかりだった。そして、いまそれが現実となったわけだが、乗員だけでなく、技術関係者、科学のあらゆる分野、それらの総合された結果だとだれもが理解している。
月をねらって命中させたのではなく、地球の上にしっかりした踏み台をいくつも重ねてのぼりつめた、あるいはみなの力で押しあげたという形である。SF作家もここまでは想像できなかった。
今回、数えきれぬ人がテレビをながめたにちがいない。だが、乗員の三人の名はと聞かれて即答できる人は、意外に少ないのではないだろうか。主役は乗員でなく科学の進歩そのものであると、だれもが感じているからだ。ホットな冒険ではなく、クールな成果なのだ。
だが、とにかく、感無量である。三十八万キロはなれた月面上で人間が活動し、それを私たちが見た。人類の生活圏が月を包んだのである。行けて生活できるという点において、地球上の地点と同じなのである。月はこれまで神秘な世界だった。神話伝説のほか、SFにも多く書かれてきた。底なしの砂、金属を即座に食いつくすバクテリア、地下の月人などミステリー・ゾーンそのものだった。しかし、宇宙進出が一段階発展するたびに、神秘さがしりぞき、人類の生活圏がそこへひろがる。正直なところ、SF作家はなごり惜しい気分をかみしめているのである。
じつは私、そんなことへのやつ当りもあって、さっきまでアポロに対しあまのじゃく的な意見をしゃべりつづけていた。いい気になってさわぐわが国の風潮に対し、反感を持っていたのだ。アメリカのやることのうち、いい部分については人類の成果とばかり大喜びする。その一方、ベトナムや黒人問題となるとアメリカ一国の責任だと、知らん顔をしていい子になる。いささか勝手すぎるような気がしてならなかったのだ。
しかし、到達の瞬間になると、私もまたいい気分になってしまった。ひねくれた感情など吹きとばしてしまうような圧倒的な印象であった。他の人も同様なのではないだろうか。ひどいむだづかいだとの主張も、しだいに影が薄くなりつつあるようだ。
アメリカでもアポロ批判の人はぐっと減ったという。コロンブスが大西洋に乗り出す時、そんな金があるのならヨーロッパの生活向上に使えとの意見が勝ち、出航が中止されていたら現在のアメリカは存在しなかった。解説でくりかえされるコロンブスの名を聞いているうちに、そこに気がついたせいかもしれない。夢を追うことは生活と同様に人間の必要条件なのだ。また、生活に余裕ができ、知的好奇心を満足させるための出費に抵抗を感じなくなったせいでもあろう。物質や物品の時代から情報の時代へ移行するきざしがここにもある。
人類の長いあいだの夢であった月旅行が実現した。すばらしいことだが、つぎにはなにを夢み、なにを目ざしたらいいのか、目標がさだまらずとまどいが起るのではないかとの心配もある。さて、今後の大目標はなんなのだ。そう指摘されると、首をかしげる人が多いにちがいない。
しかし、大きなものをひとつ忘れている。あまり長く夢みつづけ、いい古されているせいかもしれない。それは世界の平和。かつてユートピアといえば、どこにもない国という夢物語の意味だった。いまでも大部分の人は内心そう思っている。簡単に実現するものかといったムード。
なぜこんなムードがひろまっているのか。戦争とは大変な仕事で、平和は安易なものだと勘ちがいしてきたからではなかろうか。じつは戦争こそ安易なのである。ばかでもできる行為だ。しかし、平和達成となると想像以上の難事業。精神だけでなく、知能と技術と、その他ありとあらゆる文明の力を結集し、血のにじむ努力をつぎこんではじめて築かれるものであろう。これまでの人類の手におえる仕事ではなかったのかもしれない。
しかし、アポロの成功は夢物語を現実にする方法を示してくれた。目標をゆるぎなく定め、微細な部分に至るまで入念に検討し、確実な積み重ねで進むという道である。平和という目標へも、このような道をつけることだって可能なはずである。「これからはそれをやってみたらどうです」と今夜からの月は地球に呼びかけるごとく、光を送ってくるのではないだろうか。
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人間を釣るエサ
いまだに感心していることだが、わが家とその近所に知能的な空巣の出現したことがあった。戦争反対の署名簿を持った老人なのである。入った家が留守なら物を盗み、家人にとがめられたら署名簿を出す。こっちはとっつかまえて警察へ突き出すのもためらわれ、うやむやに見のがすことになる。推理作家も考えつかぬような巧妙な手口。しかし、おかげで私はそれ以来「戦争反対」の言葉を聞くと、反射的にすぐ空巣を連想するようになってしまった。
戦争反対と聞くと、投石を連想するようになった人も多いにちがいない。わが家にはまた「平和のための資金にするのです、花を買って下さい」というのもあらわれた。なんたることだ。慨嘆にたえぬ。平和なる語を、ついに押売りの口上にまで下落させやがった。幕末のころには勤王の名をかかげた強盗団が商家を荒しまわったという。けっこうなスローガンも時とともに急速にその価値が下がる。なにか新鮮なスローガンが出現すると、早いところ利用してしまえという連中が、ほぼ同時に発生するからである。最初から耳を貸さなければいいのだが、人間なかなかそうもいかない。
この前の選挙のころから、政党のポスターに子供のあどけない顔のがむやみとふえてきた。ちょっといいなと思ったが、こう続出するとうんざり。いまや私は、あどけない子供の写真を見ると、党利党略の手先と反射的に警戒するようになってきた。テレビのコマーシャルも同様。子供用品の宣伝に子供を使うのは仕方ないが、無関係の商品にあどけなさをこう利用されると、子供とは宣伝の道具なりとの連想が固定するばかりである。
ふっくらと丸く小さいものを動かし、ヒナと思って舞いおりてくる親鳥をとっつかまえる研究をしている学者があるということだが、人間もその手に乗る動物なのだろうか。
昨今はセックスについていろいろはなやかだが、芸術とか人間解放とか称しながら、結局は必ず売らんかなと結びついている。例外があるだろうか。このむなしさにみなが気づくのも、そう遠いことではないだろう。
このところさかんに利用されているキャッチフレーズには「未来」がある。未来の文字を見たら企業広告と思えと考えておけば、まちがいない。しかし、人はなぜ未来という言葉に簡単にひっかかるのだろうか。どうやら、未来にはやっかいな人間関係がないとの錯覚のためらしいのである。
現在の私たちのまわりには、わずらわしい人間関係がべとべととつきまとっている。未来になったからといって、それが消えるという保証はない。それどころか情報社会とやらで、対人接触はよりふえ、いやなやつとのつきあいもふえる一方にちがいない。テレビ電話が普及すれば、不快な顔がいやおうなしに家庭に入ってくる。それなのに、人は未来を空想する時、そんなことは少しも考えず、いいことだけを夢みる。ふしぎなことだ。
「未来」のさわやかな語感は当分つづくだろう。私たちはそれにあこがれ、ウマの前にニンジンをぶらさげて走らせる漫画そのままの図である。かくのごとく、人間を釣りあげるエサの種類はさまざま。しだいに手がこんでくる。それを見きわめる冷静さを持ちたいものである。
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酒の未来
たとえば衣服だが、むかしと今とでは、用途にさほど差がないのに原料や成分は大いに変化している。石油からの合成品がこうも普及しようとは、むかしはだれも夢にも考えなかったことだろう。
おなじ空中を飛ぶのでも、鳥と飛行船とプロペラ機とジェット機とでは、メカニズムがだいぶちがう。世の物品には時代とともに変化するのと、しないものとがあるようだ。変化しないものには、お風呂がある。お湯に入るという原則が、まるで変っていない。
酒もまたそうだ。アルコールを含んだ飲料という点は古来不変である。もっとも、変ったら酒とは呼べなくなる。酒が不変なのは、人間の本性と密接にかかわりあっているからであろうか。未来や宇宙を舞台にしたSFでも、酒はいまと大差なく描かれている。
未知の惑星に到着した地球人たちが、宇宙船からシャンパンのびんを出し、大地にぶつけて命名式をやるという場面がある。未来なのだから、エアスプレーで酒を大地に吹きつけたり、口に入れたりしてもよさそうだが、それではかっこうがつかない。酒は人間性が不変であることの象徴なのである。ただ酔えばいいというものではない。
さきごろから私は、味わい学なるものを提唱している。料理学でも栄養学でもない。食べる楽しみの体系的な研究である。いかに美味なものでも、暗闇で食べたり、いやなやつと同席だったり、また大量すぎたりしても、ありがたみは完全に発揮されない。
食品、調理、色彩、におい、ムード、年齢、体調、気候、その他さまざまな関連の上に味が成立しているのに、その総合研究がほとんどなされていない。なわばり根性のなせることであろうか。そのため料理の通人といういやなものが発生する。体系的でないから他人とのコミュニケーションが成立せず、いやな感じを与えるのである。
未来はレジャーの時代だと予想する人が多く、味覚はその大きなひとつになると考えられているにもかかわらず、このありさまだ。酒についても、この味わい学的な検討が必要なのではなかろうか。
発酵学者と、徳利や杯の収集家とは別次元の存在のごとくなっている。酒の音楽の研究家もまたべつな次元である。酒学会でも作り、あらゆる関係者をまとめたらどうだろう。そうすれば、酒の未来図が自然に浮びあがってくるというものだ。思いつきにたよっていたのでは、出る知恵もたかが知れている。
たとえば、ある酒については、気温と湿度がどれくらいの時に飲むと最もうまいかという基準がはっきりしたとする。壁のダイヤルをそれにあわせれば、室内のコンディションがそうなり、こころよく飲めるのだ。冬にはあつ燗《かん》というのにこだわることもない。室内を高温にして、ひやで飲むのだってもっと日常的になっていいはずである。
ムードの要素は温度だけではない。部屋の周囲の壁、さらには天井や床までがすべてカラーテレビ画面になる時代も、そう遠い未来ではないはずだ。となると、スイッチひとつで、いかなる光景にも身を置ける。月影のさす梅林だろうが、紅葉の山中だろうが、パリのテラスだろうが、お好みしだい。
立体音響で音が加わり、空気調節で花のかおりをただよわせるのも自由。せまい殺風景な室内で飲むよりは、いい味わいになろうというものだ。はやりの言葉でいえば、飲酒空間の開発ということになる。
また、エレクトロニクスによる健康診断機が普及すれば、その日のぐあいに最も適した酒の種類と量が指示される。変に悪酔いすることもなくなるはずだ。
将来は酒の飲み方についての教育が学校でなされるようになるかもしれない。酒は人生や社会と切り離せないものにもかかわらず、わが国ではまるでなされていない。性教育より以上に重要だと思うが、だれも主張しない。社会の盲点である。
教育をしないのなら、新しい薬品を開発して酒にまぜるべきだ。それは酒乱をおとなしくさせ、陰気な酒癖を陽気にさせ、同席者を不快にさせるような話題は口から出ないという薬理作用を持つものだ。
そう酒のなかに、科学の先端が入りこんできては味けなくなる、という人もあろう。しかし、科学はすべてを割り切れるものではない。未知の部分と、個人の選択の余地は必ず残るはずである。むしろ、科学の導入によって、万人がより酒の真髄に近づけるほうが、はるかにいいことと思う。
じつは私は、未来には酔っぱらい禁止令が施行されるのではないかと思っている。より高速な乗り物が出現したら、酔っぱらい運転も大変なことになる。コンピューターを扱う人が酔ってボタンを押しちがえたら、大きな混乱がまきおこる。冷静さと精神の集中が必要な社会なのである。そうなったら酒の産業がつぶれる、と驚く人がいるにちがいない。しかし、飲むなでなく、酔うななのである。そのような時代になれば、急速に酔いをさます薬品ができることはまちがいない。仕事の時に酔っていなければいいのである。
酒の産業はいまの倍以上に伸びることとなろう。バーで飲んだら、薬で一瞬のうちに酔いをさまして、高速自動車で帰宅する。だが、なにかものたりなく、もう一回あらためて飲みなおすはずである。自宅で飲んでいる時も、外国からのビジネスについてのテレビ電話がかかってきたら、酔いをさまして応対し、すぐあと、またはじめから飲みなおす形になる。消費者もそれで満足する。どこかおかしい気もするが、人間とはもともと不完全なもので、だからこそ人生が楽しいのだ。
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郷 愁
しばらく前のことだが、私は郷愁にひたりに出かけてやろうと思いついた。といって、とまりがけの旅行を試みたわけではない。
私は大正十五年に東京の本郷 曙《あけぼの》 町にうまれ、昭和二十年までそこですごした。幼年期少年期をずっとである。だが、ここ二十年ほど訪れてないことに気がついた。同じ都内に住んでいると、いつでも出かけられるというわけで、年月がたってしまったのだ。腰をあげてみる気になったのも、それに気づいたためである。
出かけてみると、やはりなつかしかった。その一帯は戦災で一変しているが、起伏の多い場所で、その地形はむかしと少しも変らない。道路も細い裏道に至るまで変っていない。戦災をくぐり抜けたのか古く大きな樹が緑の葉をしげらせているのもあり、それには見おぼえがあった。近くには吉祥寺というお寺があり、それは無事で古い本郷の面影を残している。
私は無意識のうちに、あたりの風景をむかしの姿に修正している。心のなかのなつかしさは高まり、いまはなき祖父母や、幼稚園や小学校時代の友がそのころの年齢のまま出現してきそうな気分にもなった。ノスタルジアを満喫したといえるだろう。悪くない一日だった。
フィルムを買いに入った写真屋で、私は上気した顔で「子供のころこのへんに住んでたのですよ」と話しかけた。だが女店員「はあ、そうですか」と、およそそっけない。考えてみれば、二十歳そこそこの女店員に共感を求めようなど、むりな話だ。
私はふたたび本郷に引っ越し、住んでみようとは思わない。住んだからといって、私が少年に戻るわけでなく、祖父母が生きかえるわけでなく、仕事から解放されて気楽に日々がすごせるわけでもない。現実の故郷は私の追憶のなかにしか存在しないのだ。
ブラッドベリというSF作家の短編に「サルサのにおい」というのがある。六十歳になった男が、暗い冬の日に屋根裏部屋に入り、古い思い出の品をいじっているうちに、過去へ通じる道を発見するのである。
少年時代、そこはいつも夏なのだ。氷屋の店、リンゴの木、花火、笑いさざめく声……。男は妻のとめるのを振りきり、その胸の高鳴る世界へと消えてしまう。
現実には決して起りえないからSFなのであり、だれもが心の底で望んでいるからSFなのである。少年時代がいつも輝かしい夏、現在が春の訪れることのない冬という扱いも、読者の心に迫ってくる。
〈郷愁〉異郷のさびしさから故郷に寄せる思い。ノスタルジア。(岩波・国語辞典)
世の中にさびしさを持たない人間がいるだろうか。生きてゆくには、なにかしらいやなことがつきまとうからだ。
したくもないことを、しなければならぬ。したいことはできない。とくにわずらわしいのは人間関係で、心にもないおせじを言わねばならぬ。時には心を鬼にして怒ってみせなければならぬ。怒ってみたはいいが、相手に誤解され、それがこじれ……。
なにもいちいち例をあげることはない。だれもが経験していることなのだ。こんな状態のなかでは、正常な人間なら孤独感におそわれ、さびしくもなるというものだ。そして、その救いとして理屈みたいなものをつけるのである。
現在のここは異郷なのだ、と。異郷の生活なのだから、さびしいのも仕方ない。故郷にいるのではないのだから、がまんしなければならないのだ、と。
その故郷へ行きさえすれば、そこではいやなことはすべて消えさり、みにくさにも直面しなくてすみ、人情はこまやかで裏切られることもなく、なにもかも静かで、空気は甘くかぐわしく、花が美しく咲き、遊ぶことはいっぱいあり……。
さあ行こう、とつづければ観光地の過大広告のポスターになってしまうが、行きようがないのだ。行こうにも、どこにも存在していない。人生という旅に出発してしまったからには、故郷から遠ざかる一方。
しかし、そう言いきってしまっては、みもふたもない。いてもたってもいられない気分だ。しゃにむにどこかに故郷をでっちあげ、そこに思いを寄せ、なんとか気をまぎらせなければならない。あわれな悲しい話である。私たち人間はロボットとちがい、こういったどうしようもない、やっかいな感情を持てあましている。そしてまた、ロボットとちがい、なにかを手がかりにそれを美化し育てる想像力を持っているのである。
故郷があるから郷愁がおこるのではなく、郷愁があるから故郷が作られてしまうのだ。
郷愁の対象となる、その故郷なる世界の光景。それはなぜか、いやに鮮明である。ふしぎな現象といえそうだ。私はかつて、これを「双眼鏡をさかさにのぞいたながめのように遠くなつかしく、静かに充実している」と形容したことがある。だれもそんなふうに頭に描くのではないだろうか。
現実には存在しない世界を、頭のなかに鮮明に描きあげる。それが郷愁なのだ。となると、過去における自己の体験でなくてもいいわけである。私は子供のころ、江戸川乱歩の「少年探偵団」を愛読した。テレビなどのほかの娯楽のない時代だ。その印象は鮮明に残っている。それに対して、私は郷愁のようなものを覚えるのである。
中学生時代には「パリ祭」などのフランス映画をよく見た。最近はテレビの深夜劇場で時たまやるが、やはりたまらなくなつかしく郷愁がわいてくる。そこでは私は若々しく、多感であり、苦労を知らず、純粋なのである。
私の旧制高校時代は戦争末期だった。勉強どころのさわぎではなかったが、それでも理科乙類であるためドイツ語を習い、「ローレライ」などの歌を原語でおぼえたりした。そして、映画だのエハガキだの小説などからさまざまな断片をよせ集め、ドイツについてのイメージを鮮明に作りあげた。
もちろん、それは現実とは大きくちがうものだろう。だが私の心のなかにおいては、その古きよき時代のドイツは正確に存在し、郷愁の対象となる故郷のひとつなのである。それを構成する断片には、いやなものは加わっていない。だから、あくまで美しくロマンチックで、痛いほどのあこがれにみちているのだ。
私の故郷はほかにもいくつかある。戦後になってオー・ヘンリーの作品を愛読した。彼の描いたニューヨークも、そのひとつである。また、さきにあげたブラッドベリは火星を舞台にした一連の作品を書いたが、その詩情にみちた世界も私の郷愁の対象となっている。私は目をつぶれば、そのどのシーンも鮮明に頭に描くことができる。火星を舞台にしたSFは、エドガー・ライス・バローズという作者によっても書かれている。これはロマンスのある冒険物で悪くないのだが、私にはすでにブラッドベリの火星があるので、それを受け入れにくい。
しかし、バローズの火星にさきに熱中した人びとは、そのほうを郷愁の対象に作りあげてしまうのだ。人数もはるかに多いらしく、グループを作り、会誌も出しているそうだ。全世界におよぶ組織で、小説をもとに作りあげたくわしい火星地図とか、絵とか、熱狂的な手紙などがのっているらしい。
シャーロック・ホームズの世界にも、そのような熱心なファンが多いらしい。料理のメニューからレンガの一枚に至るまで、ゆるぎなく作りあげ、故郷をわがものとしてしまうのである。
小説によるものばかりを列記したが、それに限ることはない。子供たちが空想する未来の世界。それもやはり郷愁の対象、すなわち故郷なのである。成人とちがって追憶を持たないから、未来に築かれることにならざるをえない。
そして、その空想の世界はやはり鮮明なのだ。おいしい食べ物ばかりがあり、なにもかも便利で、おこらない両親、やさしい先生、感じのいい友だち、従順でおもしろいロボット、といったものだけの世界なのだ。いやな構成分子はすべて除かれている。
そんな空想画を見て、子供の夢は無邪気だなどと思ったらまちがい。現実がいやだから、そんな故郷を求めるのだ。私のような年配の者が過去に作りあげる故郷と、どこに差がある。
最近はやりの未来論の描くビジョンも、政治家の公約する社会も、やはり夢の国ではないか。そこには住宅難も交通難もなく、物品はみちたり、余暇はありあまっている。しかし、こういったユートピアには、郷愁なるものがない。細部までの鮮明さがないからであろう。個人の心のレンズを通過して投影されていないからだ。
故郷の条件には、鮮明さのほかに、複雑な人間関係のわずらわしさのない点もあげることができよう。生きてゆく上で、これにまさる苦痛はない。
未来を舞台にしたSFのなかには、ずいぶんいやなシチュエーションのが多い。第三次大戦後の悲惨な世界のもあるし、自然界の異変で人類が滅亡してゆくのも、宇宙からの侵略者の制圧下にあえぐのもある。だが、そんな世界にも読者は魅力を持つのである。たえがたい人間関係が存在していないから、爽快《そうかい》感もあるのである。もっとも、これはSFに限らず、大部分の小説がそうなのではなかろうか。物語では人間関係を単純化しなければならぬのである。
やはり故郷である。時間|軸《じく》の上であろうと、空間のどこかであろうと、行けないところであればどこでもいいのだ。
夜空の星々を見あげると、人は郷愁のようなものを覚える。宇宙は人間関係から解放される場所だからだ。うすよごれた、べとつくような肌《はだ》ざわりはない。いらいらさせる相手もいない。
あの星のひとつひとつにも世界があるのだろうな。生活もあるのだろうな、と想像する。どう空想するかは各人の性格にもよるわけだが、いやな人間関係のない点だけは共通しているはずである。
どこかの星には王子さまがいるかもしれない。だが、王位継承のみにくい争いはなく、おべっかのうまい側近はいず、秘密警察の護衛もいないのだ。地球以外の遠い星には反目だの中傷だの、だし抜いたり足をひっぱりあう行為はない。あってはならないし、あるわけがないのだ。そこは郷愁の対象の故郷なのだから。
故郷は空間や時間のかなただけにも限らない。行けないところなら、どこでもいい。死後の世界だっていいのである。すなわち天国とか地獄である。これらにも郷愁に似た感情を人はいだく。
鮮明であると同時に、人間関係のうるささから脱却できる場所であるとの故郷の条件をそなえている。地獄のほうがより鮮明なのは、だれもがやましさを持っているからだ。だが、火で焼かれるという刑はあっても、どうにも肌のあわぬやつらと一部屋に押しこめられるという刑はないのだ。故郷では、そんなことの起るわけがない。
科学主義で死は無であると規定されては、郷愁もなにもあったものではない。抽象的とか、あいまいなものに郷愁は抱けないのだ。そうなればなったで、人は異次元空間とか極微の世界の奥にとか、むりにも場所を作り、そこに故郷をすえつけるだろう。生きてゆくには、それが必需品なのだから。
では、時間の流れのはてには、どのようなものが待っているのだろう。エントロピー増大の極限である。とっつきにくい用語だが、つまり、エネルギーも物質も宇宙内に均一に拡散してしまった状態のことである。すべて均一となると、そこにはなんの動きもない。どこもかしこも同じなのである。一切の変化がないから、時間すらない。完全な静寂なのだが、静寂という言葉すら通用しない。なぜなら、静寂とは喧噪《けんそう》に対応する言葉だからだ。
この説にもまた郷愁がある。時が消え、光も闇もなく、大も小もない。区別の尺度もないのである。とらえどころのなさもここまで徹底すると、強烈なイメージを発散してくる。永遠に、うまれる前の状態でいられるといった感じである。この学説は十九世紀の末のもので最近は異なった宇宙論も提唱されているが、これにかわるほど体系づけられてはいないようだ。そんなことはともかく、ありとあらゆるものの故郷としては、これ以上のものがないように私には思えるのである。
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恥のすすめ
かつてパリに旅行した時、大蔵省からOECDに出向している上野雄二氏におせわになった。彼は太宰治のお嬢さんと結婚したかただが、その時は式より半月ほど前で、ひとりで気軽に案内してくれた。
ある夜、モンパルナス近辺を見物させてくれた。古びて、いかにもパリらしいムードがある。丘の上にカフェすなわち喫茶店があり、コーヒーを飲んだ。なかば歩道にはみ出たような店である。ここにはサルトルが時たまやってくるという。
そのうち、私たちのテーブルにみすぼらしい身なりの老婆がどこからともなくやってきて、手を出す。乞食であるとすぐわかる。私は小銭でもやらなければいかんのかと、ポケットへ手を入れかけたが、上野氏に制止された。
「金を出すな……」
金をやらないでいると、老婆はあくたいをつきはじめた。私はフランス語がわからないとはいうものの、かなりひどい文句であることは身ぶりや表情で想像がつく。出すまではやめないぞとの、いやがらせである。
あくまでがんばっていると、捨てぜりふらしいのを残して去っていったが、まわりのテーブルには大ぜいお客がおり、一種のはずかしさでだいぶ疲れた。なにがサルトルだ。
たいていの日本人は、そのがまんができなくて金を出してしまう。そこがいけないのだそうである。そのため、日本人はいいカモとねらわれるようになる。悪循環だ。パリにくわしい上野氏ともなると、歯がゆくてならない思いであろう。
私たちは旅先で恥をかくのをきらいなようである。あるいは、恥をかかなくてはならぬ場合に、それを逃げてしまうのである。時に応じて恥をかくべきだ。
あのカフェを訪れる人は、ケチとののしられようが決して金を出すな。柔道で老婆を投げとばし「サルトルめ出てこい」とでも叫ぶべきだ。それが同胞のためである。
上野氏の話だと、パリの日本人女子留学生が時たまさらわれ、中近東に売りとばされているという。なぜ日本女性がねらわれるかというと、危機に際してもはずかしがって大声で助けを求めようとしないため、さらいやすいからである。
非常識な行動のいけないのはいうまでもないが、日本人はかくべき時には堂々と恥をかく修業をもっとしなければならぬ。
私も旅先では相手に不快な念を与えない範囲内で、なるべく恥をかくようにつとめている。そのため、SF作家の見学旅行では時たま、案内してくれた人を驚かす。
いつだったか放送関係の研究所を見学したことがあった。無響室という反響の完全にない部屋に入った時、なかで手をたたいてみた。ここまではいいのだが、つぎに無電波室という、外部からの電波を一切遮断した部屋に案内された時、やはりなかで手をたたいたやつがあった。
だれだったか忘れたし、あるいは私だったかもしれない。このたぐいのギャグはすぐに忘れる。しかし、案内係が妙な顔をしたのは覚えている。音波と電波の区別を知らんのかと、笑いを押さえていたのだろう。
しかし、これはいいことではないか。案内係は見学者を迎えるたびに、同じような説明をくりかえし、同じような感心の表情を見せられているのだ。時には変な客があったほうが楽しいにちがいない。あるいは次の日から、
「妙な客がいましてね。この無電波室で手をたたいて……」
との説明が加わり、新しい見学者だって喜ぶようになるかもしれないではないか。それに私たちは、無電波室で手をたたくとどうなるかという知識も得たのだ。変化なしということも、知識のうちである。やってみるのは一時の恥、やってみないのは一生の後悔である。
せんだって私たちが京都に行った時、小松左京に国立京都国際会館を案内してもらった。各種の国際会議に使われる建物である。なかなか現代的な外観で、内部は国連を小さくしたような高級にして品のある感じである。
しかし、国立であるとか、ものものしいとか、お高くとまっているとかの印象を受けると、とたんに反射的にからかってみたくなる悪い癖がある。
「これでは日本ムードが少ないから、なんとか改造すべきだ」
「そうだな。まずピンク色のチョウチンを、窓のそとにずらりと並べて飾る……」
それからはじまって、桜の造花をあたりに配置しろとか、玄関には赤く大きな両端のそりあがった鳥居をつけろとか、女子の制服はネグリジェ風の和服にすべきだとかの提案が出た。筒井康隆の「色眼鏡狂詩曲」を読んだあとなので、こんな話題になったのかもしれぬ。建物の壁には竜の模様をつけろ、屋上には軍艦旗をかかげろ、紅白の幕を張れ、チンドン屋をやとえ、となる。
いかにもモダンでシンプルな建物をながめながらこのような空想をするのは、刺激的で面白いものである。さらに発展し、ハニー・バケツ(オワイの容器)を並べろとか、屋根に金のシャチホコをつけたほうがいいとか、ハラキリ用の部屋を作れとか、前の池には屋形船を浮べて「支那の夜」の曲を演奏しろというさわぎになった。
むちゃくちゃな話である。関係者の耳に入ったらさぞ立腹することだろう。しかしである。こんな空想は、はたしてけしからんことであろうか。外国から日本へ来る人の一部分は、日本ムードに接したいはずである。ムードに強烈に酔い、どっぷりとつかりたいはずである。察してあげる必要はないか。
私たちはフランスやイギリスに出かけるが、普通の者ならルノーやロールスロイスの工場などべつに見たくもない。その地に特有のムードを求めてゆくのである。
パリには拷問《ごうもん》道具を並べた、中世そのままの地下|牢《ろう》を利用したバーがあった。ギロチンまで置いてある。考えてみれば、過去の歴史のみにくい部分で彼らにとって国辱ともいえるのだが、パリッ子はそうは考えず、訪れる外人旅行者だってけっこう喜んでいる。
なぜわれわれはピンクのチョウチンを並べ、外人を迎えるのに抵抗を感じるのだろう。後進国のせいかもしれない。おくれたものほど、気おって背のびし、いいところを見せたがるものだ。
フジヤマ・ゲイシャのムードのものを堂々と自慢できるようになってこそ、はじめて国際的な先進国であろう。早くそうせねばならぬ。
国民総生産をぐんと高め、その一方、外人を呼んでキャアキャア楽しみながら桜おどりをいっしょにやるなど、豪華なものではないか。
それにしても、わが国ではどうしてこう古い風俗を大事にしないのだろう。無性格で欧米のイミテーションのよせ集めばかりの国になったら、日本の魅力はまったくなくなる。
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小松左京論
開高健氏がある雑誌に書いていた。「小松左京のユーモアは開放的であり、星新一のは閉鎖的である」
私はそれを読み、なるほど簡潔にうまく指摘するものだなと感心した。私も小松左京との作風については同様のことを前から感じてはいたのだが、こう短く表現できるとは思わなかった。開高氏の才能にあらためて敬服した。しかし、あまりに簡潔すぎて、一般の人にはなんのことやらわからぬかもしれぬ。ここでその解説をしようというわけである。
ある時、小松が私に言った。「SFというのは、じつにふしぎな性格を持っている。どんな点かというと、いかなる分野とも接触できることだ。たとえば、ミステリーともとなりあわせのような気分だし、文学や童話とも同様。天文学や考古学、エレクトロニクスや超心理学、学問のあらゆる分野に、ストレートにつながることができる。政治、経済、流行、社会現象、落語、アニメーション、その他SFととなりあわせでないものを探すのに苦労するほどだ」
こう言いながら、いかにもうれしそうだった。この道に進んだしあわせをかみしめている、といったようすであった。彼の喜びの表情は天下一品である。どこかの企業がこれをテレビのコマーシャルに使わないのはふしぎである。
なんでこんなことをよく覚えているのかというと、ちょうど同じころ、私もそれと似てまったく逆なことを思いついていたからである。あらゆる分野から一定の距離をおき、その影響から無縁で、超然としていられるのはSF以外にないのではないかという点だ。これについてはある雑誌に書いた。ヨーロッパの錬金術師たちは、政治、宗教、実利といった世俗的なものからの無風圏地帯、すなわち安全地帯に身をおいたからこそ、奇妙な発想ができた。SFも同様であろうとの内容である。
かくのごとく、考え方が逆で、ここに作風の差異がある。どっちがいいかとなると、それはだれにも判定のできぬことであろう。とでもしておかないと、彼のほうが正しいなどと言い出すやつが出てこないとも限らない。
私は自己の小宇宙を構築するほうに熱心で、彼はその殻を破壊するほうに熱心である。私には小宇宙がなく、彼にはそれがあるからかもしれない。このへんになるとよくわからぬ。人間の性格の差異であり、また、これまでの人生の差異であり、世代の差異でもあろう。なお参考のために記せば、私のほうが五歳の年長である。
さらに参考までに記すと、私の作品の主人公は出不精の性格である。ドアのノックの音ではじまり、部屋のなかで話の終ってしまうようなのが大部分だ。登場人物の移動距離を合計して、数十メートルを越えることはめったにない。
そこへゆくと、小松作品の主人公たちはみなよく動く。移動距離の合計では、私とはくらべものにならないほど多い。
登場人物ばかりでなく、小松本人もよく動く。毎週のごとく飛行機で大阪から上京してくるし、外国にもよく出かける。彼のルポは定評がある。関西での日常の行動は知らないが、おそらく連日のごとく、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているにちがいない。
そして、ただ移動するばかりでなく、主張の通り、あらゆる分野と接触する。まさに彼のSF観の発露である。
未来学という、とてつもない問題と取組んだのも、彼の性格の当然の帰結であろう。未来学というときわもの的なムードがあるが、小松の説明を聞くと、総合文明論とでも称すべき大変なもので、時空のなかを駆けめぐらなければならぬしろものだ。
また、大阪万国博にも一役買っているし、これまた容易な作業ではない。虫プロの企画にも手を貸し、ベトナム問題にも参加し、ラジオでは落語家の桂米朝とレギュラー番組を持ち、テレビにはしょっちゅう出ているし、その他たくさんあるらしい。どれも片手間でなく本気でエネルギーをそそいでいる。まさに開放型の典型であり、しかも、どこまで開放しているか、わくのはめようのない状態である。
もちろん、小説の分野においても独自の光彩をはなち、わが国でこれまでに書かれなかった型破りのものである。外国においても前例のない作風ではないかと思う。私は同方向でのライバルにならなくてすみ、内心ではほっとしているところである。だからこそ、安心していっしょに飲み食いし、ばか話をして笑っていられるというわけである。
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看板の趣味
数年前に書斎を改築した。八畳の洋間と四畳半の和室とのつづいた妙な部屋である。機能的であればいいとはいうものの、壁面があっさりとして、いささか殺風景だ。
改築前にはエッチングを四枚ほど飾っておいた。春に毎年ひらかれる版画展で買ったものである。わが国の版画は世界的な水準にあり、また価格のほうは手のとどかない高さでない。しかもエッチングにはSF的ムードがあり、私は満足していた。
部屋がせまい時はそれで申しぶんなかったのだが、広くなると少し釣合いがとれなくなる。私は近視で、エッチングの精密さがぼけてもしまうのだ。そんな気分でいたころ、街を歩いていて古道具屋に入り、江戸時代の両替屋の看板をみつけたのである。〈両替・渡世・相模屋〉と達筆で書いてあるものだ。これについては以前に随筆に書いたので、くわしい説明は省略する。
買って帰って壁にかけてみると、悪くない。まさにぴったりである。時代物の作家がこんなことをしても、べつに面白くもおかしくもないだろうが、私がSF作家なので、対照の妙の印象を来客に与える。そこがいいのだ。もしかりに、天文写真を壁に飾り、ロケットの模型だの計算尺などをもっともらしく机の上にのせたりしたら、精神年齢をうたがわれ、内心でばかにされるにきまっている。
ところで、なぜ私が古道具屋などへ入ったかである。私はそういうたぐいが好きなのだ。なぜ好きなのかとなると、問題はそこで行きどまり。趣味とはそういうものであろう。野球のジャイアンツ・ファンは多いらしいが、ファンになった理由や原因を聞いてまわったら、およそたあいない答ばかりが集るにちがいない。恋愛だってそうである。ひとめ見た時に好きになったという以外に、理由もなにもつけようがないのだ。
だが、むりに私の古道具への関心を分析すれば、大正十五年の本郷生れという点にあるかもしれない。関東大震災にも残った地域であり、吉祥寺だの、上野だの、古いおもかげの残る場所が近くに多かった。そういうことへのノスタルジアである。
戦災のため、東京はあらかた灰になってしまった。それをくぐりぬけてかすかに息づいているのは、古道具屋のなかぐらいである。私の足はしぜんに古道具屋に入り、私の手はなつかしさに触れたくなるのだ。
両替屋のが気に入ると、もうひとつというわけで、つぎに傘《かさ》屋の看板、さらに酒屋の看板を入手した。いずれも木製。木製というのが私の好みにあっているようだ。金属はつめたく、陶器はこわれやすく、木がいちばんいい。
酒のつぼの形をしている。これに書いてある酒の字もみごとで、漢字の美しさをつくづく再認識させられる。しかし、これをながめていても、べつに酒を飲みたくはならぬ。テレビのコマーシャルをながめた時のほうが、飲みたいなあと感じるのだ。時代の変化というわけであろう。
そのほか、将棋屋の看板も二つある。将棋屋の駒の形は日本特有で、飾ると親しみがあっていい。これが将棋の会所の看板なのか、駒を売る店のものかはいまだに不明である。碁の店はどんな看板だったのだろうか。
古銭屋の看板もある。四角く穴のあいた銭の形をし〈富神寿宝〉と書いてある。おめでたい文字だ。だが、これは実在の古銭をかたどったものらしい。私が買った店の主人は「この古銭の本物は、いま数万円もします。しかし、この木の看板は五千円にしておきます。安いものでしょう」と妙なすすめ方をした。なんら論理的なつながりがない。
いずれは「あの女はピカソの絵のモデルになった女です。絵のほうは数万ドルですが、一晩二十ドルで遊べます。安いものでしょう」とコールガールのぽんびきがお客にもちかけるなんてことになるかもしれない。
江戸時代に古銭屋が何軒ぐらいあったのだろうか。かなり収集家がないと営業が成り立たないはずだ。店もそうたくさんはなかったのではないだろうか。となると、この看板は掘り出しものかもしれない。
そのほか、刀のツバ屋とか、質屋のたぐいとか、二、三ある。ここで一段落。部屋の壁がひとわたり埋まったからである。私は収集マニアでもなく、利殖が目的でもない。あくまで飾りが目的である。薬屋の看板は時おり見かけるが、どうも装飾的価値がなく、買う気にならぬ。「このお茶漬け屋の看板はいいものですよ、買っておきなさい」とすすめられ、私も手のこんだ細工とみとめるが、これは大きすぎて飾りようがないのであきらめた。今後は、よほど気に入ったものだけを、ゆっくり買うつもりでいる。
しかし、看板といっしょにとった私の写真が雑誌のグラビアにのったりすると、話が大げさになって伝わるらしい。このあいだデパートから電話があり「展覧会をやりたいから収集品を貸して下さい」と言われた。そんなに威張れたしろものではないのだ。
また、ある料理雑誌社からの電話では「肉料理の特集をやるので、江戸時代の肉屋の看板があったらカットに使わせて下さい」とたのまれた。うちにはない。だが、考えてみると、江戸時代には肉を食べる風習がなかったはずで、ないものねだりの典型である。
いつだったか、私の随筆を読んだ人から「うちの先祖は相模屋という屋号で、江戸で両替屋をしていました」と電話があった。うちにあるのがそれかもしれないが、相模屋両替店の看板は時たま見る。のれんわけで同名の店がたくさんあったのではないだろうか。
そのご看板趣味を少しひろげ、アメリカに行った時、ワシントン市でむかしの消防署の看板を買ってきた。これは鉄製。赤い消防車の絵が描いてある。署というより、火災保険兼消防会社といった感じである。調べてみようと思っているが、これもまだである。私の趣味は実情調査のほうにはむいていないようだ。
そのほか、西部劇時代のバーやホテルの看板もある。もっとも、これらはイミテーション。開拓時代の品はアメリカでは博物館級の貴重品で、旅行者ごときの買える値段ではない。だが、イミテーションでも、スペルなどわざとまちがえたままで、ムードを味わうことができる。
このあいだ、あるデパートでスコットランド展が開催され、酒場の看板を輸入したとの新聞記事を見た。私はわざわざ朝はやく起きて買いに行った。複製品だが、革細工でスワンの形をつくり、木の板にとりつけたもので、応接間の壁にかけたらなかなか引きたった。絵にくらべて看板は立体的であり、飾った効果もあるといえよう。
かくのごとく、少しずつではあるが、わが家のなかに看板がふえてゆく。いやでも目に入る。収集マニアだと数をふやし、しまいこむのに熱中するのだろうが、私は看板の意味や変化などのほうを考えることになるのである。営業や店のシンボルなのだ。
そこで見まわすと、現代のわが国は看板喪失の時代のようである。街を歩いていて、人目をひき簡明に訴えかける看板のなんと少ないこと。理髪店、タバコ屋、コカコーラぐらいである。どういうことなのだ。商売に誇りを持たなくなったからであろうか。そろそろ、風格と個性のある看板の復興が叫ばれていいころである。商品の広告ばかりで、商店がそのなかに埋まってしまっている形だ。
スピード時代になり、いちいち目で字を読んでいては見落してしまう社会環境となった。そのため、交通標識は図案化された。オリンピックや万国博では会場内の救急所、トイレ、迷子の部屋など、やはり図で示すことになっている。外国人にもそれで通じる。
視覚に訴え、わかりやすく、それで感じのいい図形の時代に入ろうとしているのだ。新しい看板が開発され、それは親しみと深みとを持ったもので、さまざまな形と、とりどりの色がある。それが都市のアクセサリーとして花のごとく点在しはじめてもいいのではないだろうか。
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赤ちゃん
ある病院でひとりの女性が出産した。しかし、彼女はくどいほど医者に聞くのである。
「先生。子供は健康なんでしょうね」
「ええ、りっぱな男のお子さんですよ」
と医者がいくら説明しても、彼女はなかなかなっとくしない。むりもないことなのだ。彼女はこれまで三人も子供をうんだのだが、いずれも幼いうちにつぎつぎと死んでしまったのである。かわいそうな女。
彼女の亭主は国境の税関につとめる平凡な男で、いささか酒癖が悪い。ここで家庭になごやかさと幸福をとりもどすには、この子に丈夫で成長してもらわなければならないのだ。心からの祈り。ああ、神様、お恵みがこの子の上にありますように。
そして、坊やにつけられた名は、アドルフ・ヒットラー。アメリカの作家ロアルド・ダールの「誕生と破局」という短編である。小説ではあるが、ヒットラーの誕生について調べた上で、正確に書かれたものであるという。
インドの詩人タゴールの言葉に「すべての赤ん坊は、神がなお人間に絶望していないというメッセージをたずさえてうまれてくる」というのがある。まったく、幼児のあどけなさをよくあらわした文句である。
しかし、成長するにつれ、ヒットラーになるのもあれば、犯罪者になるのもあり、どうもおかしなことになる。世の中とは、どこか、しかけが狂っているようである。
もし、赤ちゃんというものが、悪のかたまり、悪魔の化身、むちゃくちゃをきわめたものであったほうが、かえっていいのではと時に私は空想したりするのである。
そうだったら、事情は一変する。社会や大人たちは全力を総動員し、それをなおすことにつとめるだろう。しなければならないことになる。その結果、全員がまともになり、現状よりは静かでおだやかな世の中になるかもしれない。
「誕生と破局」を書いたダールは、赤ちゃんをひねくれた目で描いているが、ご本人はどうかというと、さにあらず。来日した時に会った人の話では、自分がいかに子ぼんのうであるかを、広言してはばからなかったという。人間とはそういうものなのである。
私もまた、ずいぶんぶっそうな小説を書き、人類破滅の物語などいくつも書いたが、やはり子ぼんのうであることに変りない。新兵器が開発されたニュースなどに接すると、子供たちの時代にこんなものを残していいのかと、真剣に心配してしまうのである。これもまあ当然の心情といえよう。
赤ちゃんのかわいらしいことは、いまさら書かなくても、わかりきったことであろう。その本能的なものに、理性を加えるべきだろうと思うのである。そこに動物とのちがいがあるはずだ。
赤ちゃんには、天使のようなという形容がぴったりだが、天使そのものではないのである。ここのところをもっと考えるべきだと思えてならない。
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チャンス
昭和二十四年ごろ、私は旧制の大学院に籍をおいて、ぼやぼやしていた。すると友人がやってきて「そんなことをしていないで、役人にでもなったらどうだ」とすすめた。私も研究室で化学実験をするのが性にあってるとも思っていなかったので、その気になった。
国家公務員試験を受けてみると、わりといい成績で合格した。だが、その年は大幅な行政整理のあった年で、どこからも採用の通知がこない。そのうち官僚ぎらいの父にばれ、怒られてしまった。もしあの時に私の意志が強く、行政整理がつぎの年であったら、いまごろは枢要な地位につき、汚職でごそっともうけていたにちがいない。チャンスの神に見はなされている。
やがて父が死亡し、会社のあとしまつをやらざるをえないはめになった。無理を重ねてきた倒産寸前の会社の整理ぐらい暗鬱《あんうつ》なものはない。まじめになればなるほど、こじれるのである。筆舌につくしがたいし、つくしたところで他人には通じぬ。まだ当分は作品に書く気にもならないだろう。亡父が健全な内容の会社を残していてくれたら、こっちも苦労をしないですんだはずなのに。私は幸運にめぐまれていない。
それでも一段落し、また私はすることがなくてぼやぼやしていた。人間ぎらいになりだれとも交際しなかったが、根岸寛一さんの家には時たま遊びに行った。もうなくなられたが、亡父の知人であり、元満映の経営者で映画関係にくわしい人。惨憺《さんたん》たる時期に私をはげましてくれた唯一のかたである。その根岸さんがある日、私に言った。「映画俳優にでもなってみないか、木暮実千代さんに紹介してやる」
そのころ私は若々しく、からだつきもスマートだったが、いくらなんでも自信がない。うまれてから学芸会にも出たことがない。演技のなんたるかも知らないのだ。気が進まぬままうやむやになってしまったが、もし身のほどをかえりみず飛びつき、体当りで修業していたら、ばか殿様専門の時代劇スターぐらいにはなれていたかもしれない。いまにして思うとチャンスをのがした感じである。
つぎには、友人がある私立大学の先生にならぬかとの話を持ってきた。これは楽な仕事かもしれないと私は乗り気になった。くわしく聞いてみると、まず講師になって何年かつとめなければならないという。それは仕方あるまい。しかし、いまは改善されたかもしれないが、調べてみると講師の給料たるや驚くほど少額。意欲がしぼんでしまった。もし断固としてその道に進んでいたら、いまごろは無能教授となり、学生に石をぶつけられていたかもしれぬ。貴重な体験をするチャンスをのがしたというべきかもしれない。
性格のある種の欠陥のため、私はずいぶんチャンスをのがしている。しかし、官界にしろ他のどの分野にせよ、私みたいなのが入らなかったのは幸運である。その分野は被害をこうむらないですんだのだ。かくして私は、いま、怪しげな小説を書いている。時たま「作家になるには幸運をどう切り開いたらいいでしょう」などと聞く人がある。「ほかのチャンスをみなとりにがすことでしょう」と答えると、相手は変な顔になる。じつは私も、どうなっていたら最もよかったのか、自分でもわからないでいるのだ。
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『俳句――四合目からの出発』阿部※[#「竹/肖」、unicode7b72]人著――の書評
どういう風の吹きまわしか、この本を買った。かつて俳句に興味を持ったことがあり、また書名の『俳句――四合目からの出発』というのも意味ありげだ。のぞいてみると、どうやら異色の内容らしい。
買って帰って読んでみたら、予想以上に面白く、痛烈な本であった。名作の俳句を集めた本、あるいは名作の解説をした本はいくらでもあるが、これはその逆なのだ。
しろうとっぽい俳句とはいかなるものであるかを、例をあげ、分類し、その欠点を指摘したものだ。著者がどういうかたかは知らないが、批評眼がたしかで、努力家で、ユニークな観察力を持った人のようだ。また文章そのものが一種の文明批評、人間への風刺にもなっており、俳句に熱中していない人にも面白い。いや、俳句に無縁な人のほうが、愉快さはいっそう強いかもしれない。
内容に少しふれる。
ペダル踏む甲州街道の夜の寒さ
という句を例にあげている。自転車に乗る俳句というと、だれもかれも「ペダル踏む」としか表現できないとの指摘である。そう言われてみると、まさにその通りだ。
他の同類の例として、都心の通りは必ず「ビルの谷間」であり、月光は「ぬれる」であり、瞳は「うるむ」であり、顔や花は「ほころびる」。
香はほのかで、果物はたわわ、赤い色は燃えで、風は一陣、台風は一過。夕暮れの柿は必ずひとつで、日なたぼっこは必ず縁側、障子はりには必ず子供か猫がじゃまをする。
初詣《はつもうで》の老人は孫の手を引き、賀状はどさりと配達され、ボーナスは洋服を着てても「ふところ」に入れ、毛糸には猫がじゃれ、寒い朝には納豆売り、肉体労働者は汗を流し、ビールはぐっと飲み、鍋料理は必ず「突つく」で、子供の瞳はいつもつぶら。
このようなものが列挙され、壮観である。私たちが毎日、なんと陳腐な文章を陳腐なまま使っているかを、いやというほど見せつけられる思いである。私たちは文章や語句の持つ可能性の、ごくわずかしか利用していない。その立証なのである。
新聞記事の常用句は、よくからかいのたねにされている。火事は必ず「折からの強風にあおられ」で、展覧会は「名作ぞろい」で、警察の留置場では「丼飯をペロリと平らげ」るし、外国でクーデターが起ると「事態はなお流動的」にきまっているのである。
新聞の場合はこれでいいのかもしれない。記事の文章があまりに新鮮ですみずみまで熟読させられ、電柱にのぼった猫がおりられなくなった記事まで、われわれの心をとらえてはなさなかったら、日常が不便でならぬ。
しかし、俳句となると、おのずからちがうのだ。用件がたりればそれでいいものではない。心の問題である。平凡を排し、いかに独自性を示すかの場なのである。
そのことについても、この本は例をあげてふれている。
一人泣くことさへ慣れて毛糸編む
泪《なみだ》ぐむまで夕焼けを見つめいし
愁《うれい》あり勿忘草《わすれなぐさ》の花咲けば
噴水の虹へ孤独のベンチ占む
などが「感傷俳句」に分類されている。泣くのにおぼれては安易なのである。同情をひく自己宣伝であろうと痛烈だ。孤独を孤独とそのままのべるのは、芸もなにもない。
死を安易によんだのが「葬式俳句」で、むやみに人生を論ずるのが「野狐禅《やこぜん》俳句」で、極限状況の好きなのが「どん底俳句」。
その他、「憂愁俳句」「しあわせ俳句」「詩人きどり俳句」「同感強要俳句」「ムード誇張俳句」「しょんぼり俳句」「ひねくり結論俳句」……。
分類名だけで句が想像でき、にやりとさせられるほどだ。精神や感情は自由なはずだが、冷静に示されると、かくも類型的なのである。私たちは精神をしばる類型の網から、早く脱出せねばとのあせりを感じる。
いまや一億総評論家といわれ、やがては総文筆家にもなろうという時、新聞や雑誌の投稿欄はにぎやかである。しかし、この本の読後には、一億が二億になろうと、どうということもないんじゃないかとも思えるのだ。
大衆化することと、その分野の本質のきびしさがうすれたのとはちがう。この著者のように、世に迎合しないで指摘する人がいなくてはならぬ。また、文を書くからには、しろうとくろうとを問わず、いいかげんな気分の許されないことを知らねばならない。
投書婦人はかなり多いのだろうが、そのかたたちはこの本に接することで、文の新鮮さや水準がぐっと高まるのではないだろうか。それは読者の側にとってもありがたいことだ。
買って以来、私はこの本を枕もとにおきっぱなし。そろそろ書庫にしまおうかとも思うのだが、なぜか引っかかって、それができない。どこかいじのわるいところがある本だ。
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食事と排泄
私は大食ということになっており、事実、人前ではかなり食べる。くだらぬ話をして笑っていると、食欲がわいてくるという体質なのである。しかし、自宅ではそう食っているわけではない。食うのはいいのだが、これ以上ふとるのを防止せねばならないからだ。SFという分野は歩きまわって調査しなくても書けるので、しぜん外出不足になる。いい気になって食っていたら、ふとる一方だ。「運動せざる日は食うべからず」が座右銘である。
かつて、机にむかうと胃が痛みだすという妙な症状に悩まされたことがあった。病院でバリウムを飲み、レントゲンでみてもらった。バリウムは飲みにくいとのうわさを聞いていたが、バニラの香気がついていて、けっこううまかった。同好の士があれば、いっしょにバリウムを飲む会をやってもいい。
バリウムで面白いのは、便となって排泄《はいせつ》される時、まっ白くかたくなっている点だ。セメント製のウンチ、またはウンチの化石という感じ。私はそれをワリバシでつまみあげ、しげしげと観察した。不潔感など、まるでない。水で洗って保存しておけばよかった。
つぎの機会には、そうするつもりである。黄色い絵具をぬって棚の上にでも飾っておいたら、来客はいじりまわし「よくできたオモチャだな、本物そっくりだ」と感心するにちがいない。それが本物なのに。
そのご胃はなんともないが、食後に消化剤を少し飲むのが習慣となっている。これも気やすめのようなものである。
腸に関しては、ずっと順調。便秘したこともなければ、下痢もめったにしない。私のからだで誇れる器官は、腸だけかもしれない。快便である。
だが先日、薬品愛好の性癖で魔がさしたというべきか、毒掃丸なるものの味をしめ、それを愛用しはじめてしまった。これには快便がさらに快便となり、排泄した便が芳香をはなつという愉快な作用があり、私はもっぱらその娯楽的な要素を楽しんでいるというわけである。
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お人形と楽隊
お人形たちの楽隊が、あるデパートの片すみにいる。なかなかかわいらしく、音にあわせて身ぶりまでするのである。見とれている子供たちは魂をうばわれたかのように動かず、こっちのほうが人形のようでもある。手をのばしていじってみようともしない。母親たちは勝手に買物をしているが、これだと迷子になる心配がなく、いいアイデアだ。
巧みに動く人形には、人間を静止させる作用があるようだ。とすると、お人形の機動隊を編成して出動させれば、全学連もさわがなくなるかもしれない。大臣をみんなお人形にしたら、国会の乱闘もなくなるだろう。ロボットの普及した未来においては、世はきわめて平穏で、人間はまるで動かなくなるにちがいない。
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カンヅメへの進化
カン・フラワーなるものが市販されている。カンヅメの花のことである。といって花そのものをカンヅメにしたわけではない。草花の種と、肥料を含んだ清潔な土とをカンヅメにしたもので、カンキリであけ、水をやれば、発芽して育ち、そして花をつけるのである。
じつに気のきいた思いつき。しゃくにさわるぐらいスマートだ。第一に便利である。いまの私たちが家で草花を育てようと思った場合、かりに庭があったとしても、そう簡単ではないのだ。種の袋にこれこれの肥料をやれなどと印刷してあるが、どこで売っているのか、少量でも売ってくれるのか、どんな濃度でやればいいのか、多くの人は知らないのだ。その過程をはぶいてくれる。
第二に本物である点だ。造花のホンコン・フラワーはますます精巧になり、においさえもついたのがあるが、しょせんは作り物。成長という動的な変化を楽しむことはできない。花は好きだがひまもなくめんどうくさい。それに土のある庭もない。こういう時間的空間的な障害を克服し、そこに花を咲かせてくれるのだ。
第三には確実な点。種を庭にまくとスズメがつついたり、子供がふみつぶしたり、水をやり忘れたりだが、カン・フラワーとなると安全である。これが普及すれば生活にうるおいが加わるわけで、いいことであろう。
しかし、草花の側の立場で考えてみると、どういうことになるだろうか。これが進化の一段階のように思えるのだ。動物の場合、魚だのハチュウ類においては、卵生で繁殖している。卵はうみっぱなし、あとはひとりでに卵からかえり、ひとりでに育つ。さらに進化した鳥類となると、居住環境がより悪化しているため、卵をあたためてやらねばならないが、その程度ですんでいる。
しかし、これがホニュウ類となると、氷河期をきりぬけ、さらにきびしい環境でも繁殖できるように胎生となったのである。母体内で保護し、栄養を補給し、かなりのところまで面倒をみてやらなければならない。これが進化である。進化とは、より悪い環境で生存できる能力を身につけることなのだ。
カン・フラワーは、草花におけるこれと同様な進化といえそうである。種だけでほうり出されても、ひとりではやっていけない世の中。かりに都市の上空から飛行機で種をまきちらした場合、花をつけるまでに至るのは、その何パーセントぐらいだろう。むなしくコンクリートの上に落ちたり、車につぶされたり、汚染水をあびたりで、きわめて微々たるものにちがいない。
かくのごとくあわれな環境だ。草花も胎生にならざるをえない。といって草花自身がその能力を身につける時間的余裕もない。もしかしたらカン・フラワーの考案者は草花の精にたのまれ、その進化を手伝ってあげたのかもしれない。ハナサカジイサンに匹敵する、心やさしき物語だ。しかし、国乱れて忠臣あらわれ、ドライな世だからこそ心やさしきアイデアが出るのだ。あんまりいい状態ではないようである。
ことは草花だけではない。いまや私たちの生活はカンヅメ時代。カンヅメ食品をよく食べるということではない。みながカンヅメ化する傾向にあるという意味だ。団地の小さな住居もカンヅメのようなものだ。苦心して買うマイカーもまたカンヅメのごとし。ヘルメットの流行も同様である。小学生たちが学校の往復に黄色いヘルメットをかぶっている写真などを見ると、こうまでしないと人間も成長できなくなったのかと、胸の痛む思いだ。
生活と外界とのあいだに、丈夫な物質の膜を張らないと、どんな災害にあうかわからないのだ。テレビニュースなどブラウン管のガラスをへだてて見物しているからいいようなものの、あの光景を現場に見に行ったら、命がいくつあってもたりないだろう。なにかをへだててでないと、身に危険がおよぶ。新鮮な語感の文句を使えば、保護空間の開発とでもなるのだろうが、どう言いかえたってなさけない状態には変りない。
外界には鬼がうじゃうじゃ。みずからカンヅメのなかにとじこもり、鬼は外福は内とつぶやきながら暮してゆくのである。そして、つぶやく本人も、他人にとっては鬼に相当するのだ。いやな気分。私はカンヅメの草花になりたい。冷凍室の片すみで時の流れをやりすごし、おだやかな未来に目ざめたいものだ。多くの人はこんな心境ではないだろうか。
人間の胎児をカンヅメにしておいて、両親は生活に余裕ができたらそれから出して育てる。そんな夢だか悪夢だかを考える人もでるだろうし、科学はすぐ現実化してしまうのではないだろうか。また事故にあっても凶悪犯におそわれても絶対に大丈夫なんていう、軽便なヨロイが作られ普及するかもしれない。喜んでいいのかどうかは、なんともいえないが。
世の環境が悪くなり、それに適応するためカンヅメ人間がふえてくる。一生を装置に包まれた胎生ですごすのだ。これも生物進化の悲しい宿命なのであろう。いやもおうもないのかもしれない。カンヅメ人間時代に対処する心構えを論ずべき時期なのかもしれない。カンヅメで重要な部分はなにか。それはレッテルである。レッテルのないカンヅメはどうしようもない。いかに他人のレッテルを見わけ、いかに自分のレッテルを作るかである。これを情報社会と称するのだろうし、魅力的な語感でもあるが、私には環境悪化のあらわれとしか思えないのである。
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万国博短評
万国博は大にぎわいのようである。私は友人の小松左京の案内で開幕前に少しのぞいたし、開会当日はある雑誌社の取材で見物した。その日、空中ビュッフェ一番乗りをこころみたが、あとで他の場所のそれが事故を起したと知り、冷や汗をかいた。
数年前にニューヨーク世界博を見物したが、その時の日本館はみじめだった。国内には好評の報道しか伝えられなかったが、実情は大恥の失敗作である。モントリオールの万国博は知らないが、見た友人の話だと日本館は宣伝臭が強くて、やはりあんまりいい出来とはいえなかったようだ。
それがこんどの大阪万博では、みごとに及第点。前二回の日本館を見ている外人が来たら、想像の何十倍というできばえに驚くはずである。ここ数年間の日本の繁栄の幅は、たしかにすごいものだ。毎日を日本ですごしている私たちにはさほど実感がないが、やはり発展は高速度だ。私が案内したノールウェー人は、極東でこんなことがなされている事実を信じられないような表情だった。
恥をさらさずにすんだといえる。しかし、それと表裏をなす現象だが、日本関係のパビリオンはどれも優等生的な模範答案のようになってしまい、ユーモアがないのである。万博見物をすると疲れるが、それは歩きまわるためでなく、ユーモアがないための精神的疲労でもある。有益で高度な情報の氾濫は決して悪いことではないが、人間を疲れさせ、あとになにも印象を残さない。
万博見物をし、なるほどわれわれにはユーモアが欠けていたと気づけば、それはひとつの収穫である。つぎの目標として浮きあがってくるのだ。情報時代のつぎはユーモアの時代との予兆がそこにある。ユーモアとは人間に特有の瞬間的な総合判断の感覚で、今後は大いに再検討されるべきもののようだ。
もっとも、国内企業館のうちリコー館はアイデアとユーモアが抜群。私は故市村清社長に関してよく知らないが、これから察するになかなかの人物だったようである。
会場に不足しているもう一つの要素は、ペーソスである。お祭りにはペーソスがあってこそそのムードが高揚され、ぐっと胸にこみあげる感激となる。万博計画の初期には「東京オリンピック閉会式の、あの感じを基調にする」などと言われていたが、その根本であるペーソスはどこかに消えてしまった。
メキシコ館ではマリアッチ楽団が毎日演奏をやっている。メキシコ音楽というやつ、明るいなかに哀愁があり、じつにいい。日本関係の館が人間不在であったと気づくのだ。ペーソスもまた再検討すべき重要な問題のようだ。生存の実感といったところ。
われわれが過去から受けつぐべきものはペーソスで、未来に目ざすべきはユーモア。情報なんかくそくらえと言うつもりはないが、ユーモアとペーソスがなくて、なにが情報、なにが人間だである。
それにしても万博の入場者は連日相当なもののようだ。行列と忍耐ということらしい。そこで気づくのは、なぜ各パビリオンとも人間を館内に導入する方式でなくてはならなかったのかの点だ。入場料を取るのなら、無料見物防止のために館内陳列の意味もある。しかし、パビリオンはどこも無料。無意味な混雑。館内有料時代の先入観のなごりが出てしまったわけである。
無料時代には閉鎖空間の必要はない。開放空間にむけてデパートのショーウィンドー形式にすべきであった。アポロ、ヴォストーク、月の石など、外部の広場にむけて飾れば、より大ぜいの人に見てもらえるはずである。といっても、目玉商品をえさに人びとを呼びこみ、愚にもつかぬ国威発揚品をいやおうなしに見せるのが作戦だったとしたら、そうもいかないかもしれぬ。けちくさい精神を切捨てる決意は、人間にとってユーモアやペーソスの復興以上に至難なことかもしれない。
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にっぽん人間関係用語辞典
アズカル・アズケル[#「アズカル・アズケル」はゴシック体]
犬の場合。「おあずけ」と命じ「よし」と声をかけるまでエサを食べさせぬこと。
人の場合。やはり行為や結論を延期すること。
いよいよ命をかけた血みどろの決闘が開始されようとしている。だが、ご当人たちは内心、なんでこんなのっぴきならない羽目になったのだろうと後悔している。また見物人も、外国とちがって、激突のあげく勝敗の明白になることをあまり好まない。
そこへあらわれた、いや、おびき寄せられた人物こそいい迷惑。「この争いはあずかる」と言わざるをえず、解決の役を押しつけられてしまう。どちらか一方を勝たせるわけにもいかず、結局は損をすることになっている。大物になった気分を味わった代償である。
イッピキオオカミ[#「イッピキオオカミ」はゴシック体]
周囲の者たちから、なんの利用価値もないとの判定を下された者。本人は「こんなとこばかりが世界じゃない。よそにはおれを歓迎してくれるところもあるさ」と遍歴に出る。しかし、どこへ行っても状況に大差なく、やがて名実ともに一匹狼となる。
といって、完全に集団から離脱し、荒野をさすらったのでは一匹狼の意味をなさない。集団のまわりをうろちょろし「コブタどもなんか、こわくない」と歌うのである。
一匹狼になるのはかくのごとく容易で、また一匹狼の名も、すごみがあって悪くない。したがって、最近その数は増加の傾向にある。彼らはその生存効率化のため、コンビを組み、トリオとなり、イッピキオオカミズというグループサウンズを作る。はては一匹狼助け合い大連合なるものを組織することともなろう。
そして、そのなかから、なんの利用価値もないとの判定を下される者が出る……。
ウヤムヤ[#「ウヤムヤ」はゴシック体]
解決困難の時に用いられる、最高の解決方法。たそがれの霧のごとく、にじんだ墨のごとく、芸術的でもある。線的思考、点的思考のつぎに来る、より次元の高いもの。
解決後は関係者みな泣き寝入りの状態となる。科学的には、だれか利益を得た者が存在しなくてはならないのだが、うまくやった者はすぐ忘れてしまうから、やはり全員泣き寝入りである。すなわち、「うやむやにされた」とぼやく者はあるが「うやむやにしてやった」と、とくいがる者はいないのである。
といっても、忘却や無とはまったくちがう現象で、当人の頭から損失の記憶の消えることはない。しかし、八回ほども泣き寝入りすれば、やがてこつを身につけ、うやむやで一回ぐらいは受益者になれるというものだ。
カ オ[#「カ オ」はゴシック体]
男性の首から上についている部分の前面。その位置のため、つぶされたり、よごされたりすることしばしばである。わきの下あたりについていたら、さぞ面白かったであろうと思われる。
いっこうに美的なものでも、尊厳にみちたものでもないが、だからこそ、意識して大切にするのであろう。「おれはがまんしてやってもいいのだが、このよごされた顔はどうしてくれる」と言う。
一般的傾向として、つらの皮は厚くなりつつあり、整形美容の技巧も進み、今後は以前ほど問題にならなくなるものと思われる。
アメリカへ行った代議士がメMy face does not standモと叫んで通じなかったという伝説があるが、その相手のアメリカ人は、心情を充分に察しているくせにポーカーフェイスをしたのであろうとの解釈もある。
クロマク[#「クロマク」はゴシック体]
トッポ・ジージョなるネズミ人形があたかも生きているごとく動くのは、黒をバックに黒衣の人形師があやつっているからである。人間の目は不完全で、黒色光線を識別する視神経を持たぬため、かくのごとくあわれな現象が起る。
実社会でもほぼ同様だが、あやつるほうもあやつられるほうも人間という点がちがう。黒幕の側は「すべておれの成果」とほこらしくなり、動いた側も「すべておれの実力」とほこらしくなる。喜びを二倍に増幅でき、きわめて高度な文明といえよう。
しかし、ある夜ひとり目ざめ「おれの行動はすべて黒幕の指示なのかもしれぬ」などと思案してはならぬ。じたばたすれば、幕は黒と白の縞模様《しまもよう》となり、人生の幕ともなりかねない。
グ チ[#「グ チ」はゴシック体]
生活上あるいは精神的に、なにか欠陥のある者の使う、一種のチューインガム。たえず口を動かしてグチを試みることによって、精神の安定が保たれるという効用がある。
自分のために自作自演するバックグラウンド・ミュージックでもある。作曲者本人は大変な名曲と酔いしれているのだが、その意図や効果が他人に伝達されることはまったくない。第一に、真剣に耳を傾けてくれる相手が存在しないこと。第二に、耳を傾けてくれる者があったとしても、相手は自己の幸運の確認に役立たせ、快感を得てしまうのである。
真に効果的なグチは、精神的金銭的に余裕のある人のみがこぼせる。金持ちと、金を借りに来た人との会話の場合、ぐちのみごとさの点では、いつも金持ちの側に軍配があがる。
サカズキ[#「サカズキ」はゴシック体]
太古においてはおたがいの血をすすりあったものだが、血よりも味のいい酒という液体の発見以来、杯を用いる風習が普及した。痛くない点でも進歩である。
日本人は、人間というものを信用しない。すべての他人および自分自身を信用しないのである。したがって契約の精神が皆無という、たぐいまれな特質を持っている。万事うまくいっているとはいうものの、それではあまりにもかっこうがつかないので、杯をもてあそぶことにより、その空白を埋めているのである。
欧米の秘密結社にあっては、ものものしい入会儀式がおこなわれているという。だが、日本の公然にしてあいまいな結社にあっては、容積数立方センチの液体入れでたりるのである。質量ともに劣るが、数でははるかにまさる。杯をやりとりした回数を総合計すれば無限ともいえるほどで、それによっておぎなわれている。
ス ジ[#「ス ジ」はゴシック体]
落語に、腹中に入ったやつがいろんな筋を引っぱると、クシャミ、笑い、泣きなどの生理現象があらわれるというのがある。配線回路の意であり、それを電気発見以前に予見したという点、偉大な思想というべきであろう。
世の中がこみいってくると、筋への信仰が高まる。どこかに筋というものがあり、それにうまく乗れば目的地へ最短の時間と距離で行きつけるにちがいない、との考え方である。だが、そんなチャンネルはどこにもないのだ。
よく「やってあげてもいいが、筋を通してもらいたい」という、明快にして確固たる言葉が使われるが、それはただの拒絶の意味である。出なおして筋を通すとは、一段と相手に利益をもたらす形にして再訪することなのだ。
ゼンショ[#「ゼンショ」はゴシック体]
「まだ報告は受けてない。事実とすれば大変だ。まことに遺憾に存じます。さっそく調べて善処する」という調子のいい歌があるそうだ。
時期方法を明示しなくていいという、当事者にとってはありがたいもの。要求する側も、これ以上に悪くさせぬとの保障の意と解し、あまり過大な期待をいだかない。善処の約束をめぐって、あとで大げんかという、やぼな例はいまだない。
最近は「積極的にとりくむ」とか「前むきの姿勢で検討」などの言葉も用いられるが、内容は同じ。
善処とは本来は仏教用語で、来世に生れるよいところのことだそうだ。となると、生きているあいだに善処に接することはできないわけである。
最近の大学生のなかには全暑≠ニ書くのがいる。汗をふきながら答弁している姿から、まったく暑い≠ニ覚えこんだのだろう。困った傾向だ。文部大臣、どうしてくれる。はい、さっそく調べて……。
ナキドコロ[#「ナキドコロ」はゴシック体]
泣きどころが皆無だと、敬して遠ざけられる。泣きどころばかりだと、一人前の扱いを受けぬ。共同生活をするに際し、適宜な量を持っていなければならぬもの。
恐喝《きようかつ》の種にされる弱味とも似ているようだが、本質はちがう。泣きどころを突かれた当人は、一種の快感をも同時にあじわっているという点である。
大部分の日本人は泣かれることが泣きどころで、なんでもいいから泣いていれば、事態は必ず好転する。罪一等が減ぜられるのである。死刑は懲役ですみ、懲役は罰金ですみ、罰金はただになり、ただはいくらか金をもらえることになる。
ただし、外国人を相手にする場合は、まずそいつの笑いどころを知るほうが、ことはスムーズにはこぶようである。
ナワバリ[#「ナワバリ」はゴシック体]
オーバーのさらに外側に着る衣服。それにより、危険が身に迫るのを防げる。
すなわち、つごうの悪いこと損になることの入ってくるのを許さないというライン。だが、ナワバリ内の住民も、もうかる時にはラインを越えてどんどん出かけるが、いやなことはそのラインで足をとめる。したがって、ナワバリ内部が天国のようになるのは当然といえよう。
ナワバリ・ラインはナワもはってなければ、標識もなく、地図もなく、所在が見わけにくいようであるが、意外と簡単にわかる。勝手に行動してみて、なにかいやがらせを受ければ、他のナワバリにふみこんだということなのである。
世にナワバリの存在を非難する人は多いが「では、まずご自分のナワバリを撤廃なさったら」と言われると、非常にいやな表情になるのが一般である。
ハナミチ[#「ハナミチ」はゴシック体]
道路事情は人生社会における場合のほうがもっと大変で、快適な道はほんの一部。大部分の者は通る道にめぐまれず、細い悪路。幸運な者においても、ごく短期間しか許されない。これを花道と称する。
少しでも長くそこを通ろうとする者は、実力と運でたどりついた者であっても、たちまち石を投げつけられ、引きずりおろされ、大衆の残酷娯楽ショーに供せられる。
かくのごとく、通行ははなはだ困難で、ほとんどがおなさけによる引退用である。死刑囚の処刑前夜の、豪華な食事のようなもの。
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神 聖
戦前に幼年期、少年期を過ごしたことのある私のような者は、たいてい食物を神聖視するしつけを受けている。神聖さのなかでは特に米が上位にあった。
お米を捨てると目がつぶれる、などということを教えられた。また「お米を一粒作るには一年かかる」などとも言われた。「では二粒なら二年ですか」という幼稚なジョークもあったが、おとなの前で口にすべきではないと、だれでも知っていた。
わが家ではそうでなかったが、食事前に手を合わせる家庭も多かった。外国にも食前の祈りというのはあるが、それは神への感謝。わが国のは食物そのものへの儀礼のようである。
お米の神聖さは戦局の悪化、食料の欠乏とともにますます高まり、まさに神の座についた形だった。高価とか貴重などより、はるかに上の感じだった。もっとも、このころが絶頂。
文字の神聖さというのも存在した。書物を重ねて踏み台にするなど、もってのほかの行為だった。本を大切にするのはいいことである。古本屋にも高く売れる。パルプ資源の保存にもなる。それに、足でけって遊んだ本を読んでも、頭に入れて身につけるのは困難であろう。足には脳細胞がないのだ。戦前には、ばかばかしい内容の本というものがなかったが、そのせいかもしれぬ。最近くだらぬ本が多くなったのは、本を足でけっとばす人がふえたからであろうか。くだらぬ本がふえたから、けっとばしたくもなるのであろうか。
現在の私はきわめて慎重な人間だが、戦前は軽々しい性格であった。少年だったから当然である。学校の運動会の時、さわいだ勢いにのり「審判がだめだぞ」と声をあげた。すると友人に「審判は神聖だ、悪口を言ってはいかん」とたしなめられた。私も反省した。だが、戦後になると審判は神聖でなくなり、権威は下落した。プロレスでは審判がリングの外に放り出される。野球の審判は選手にこづかれる。
小説を読んで知ったことだが、アメリカでは「アンパイアを殺せ」というのが、野球場観客のシュプレヒコールの決まり文句のひとつになっているらしい。もちろん、判定への不満の表明で、本当に殺されるに至ったのはいないらしい。だが、それにしてもぶっそうなことだ。
時代の激変にあって、多くの語に価値の変動があった。むかしは重みを持っていたのに、吹けば飛ぶような語感になってしまったのも多い。
だが、ぜんぜん変らないものもある。すなわち神聖なる語だ。神聖の旗のもとにあるものは一変したが、神聖という語そのものは依然として神聖なのである。神聖≠ネる語に接し、うすよごれた、いやらしい、見せかけ、愚劣などといった連想を持つ人はいない。時代や環境を超越し、さんぜんと輝いている。
すなわち、人は神聖なるものの存在を信じているからである。神聖は必要なのだ。ヴォルテールの言に「神というものが存在しなかったら、それを創造する必要があろう」というのがある。むしろ、必要が神を生みだしたというべきかもしれない。唯物主義の国では、唯物主義が神聖となる。どこへ行っても神聖は必要なのだ。
神聖は時間の節約にもなる。こましゃくれた子供に「宇宙はどうしてできたの」と質問された場合ほど、神のありがたさが身にしみる時はない。「神さまがお作りになられた」との万能の切り札を持っていれば、いつでもけりをつけることができるのだ。
幾何学の公理も神聖である。「三角形の二辺の和は他の一辺より長い」など、はたしてそうであろうかなどと思索にふけりはじめたら、前進は永久に始まらない。公理なる語はもともと、神聖のような意味から出たものだという。
生命を粗末にしてはいけない、ひとりの生命は地球より重い、などという。地球上の生物の進化、何億年とかかって、生存に適し生命力の強いものが生き残った。生きのびようという現象が生命なのである。生命はなぜ貴重かと考え始めたらきりがない。公理で神聖だからと片づけておくほうがいい。
しかし、公理だの生命の大切さなどは、あまりに自明で、さほど神聖なるムードが感じられない。神聖ムードには、どこか不合理めいたものを含んでいなければならないのだ。
「不合理ゆえに、我信ず」という名言を残した古人がある。合理的なものは理解をすればそれにてたりる。「テレビはエレクトロニクスの作用であることを、私は信じて疑わない」などと大声で言明したら、ばかと思われるに決まっている。しかし、不合理めいたものであり、それを受け入れなければならないとなると、神聖なものに祭りあげ、信ずる以外にないのである。
戦後においてかずかずのタブーが取り払われたが、セックスなどはその大きなひとつかもしれない。むかしは良風美俗という万人の認める神聖なわくがあったが、それがなくなったのだ。それ以来今日まで、タケノコの皮をはぐように、タブーを一枚ずつ売って金にしてきた。国産接吻映画第一作など、大変な騒ぎだった。アマゾンの「裸族」の記録映画などは、今ならばからしくて見られたものではないが、押すな押すなのさわぎだった。
業者はセックスの神聖の売りぐいの味をおぼえ、観客もタケノコの皮をはぐ味をしめた。路線が確立されると、あとは簡単。と言いたいところだが、ある点で壁にぶち当った。一般良識なるものによって、加速が押さえられたのである。
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かくしてセックスの神聖さの内堀が埋められ、最後の城壁もうち破られた。そして、今やほとんど売りつくした。小説雑誌をのぞくと、同性愛や近親|相姦《そうかん》など日常である。だが、神聖さの失われたところ、背徳の刺激もないのである。
検閲でひっかかったの、ローマ法王庁で禁書になったのとあおろうとしても、そこにはもはや草一本もないことを皆が知っている。終末である。過去の実績をたよりに、利益を予定してセックス産業に投資をしようとする者は、パニックを警戒しなければなるまい。
目先のきく人は、他の神聖さに目をつけている。つぎはどれの売りぐいをはじめようかというわけである。現在進行中なのはプライバシーの売りぐい。
プライバシーの語は新しいが、のぞき趣味が下劣だとの意識はむかしからあった。なぜという理由以前の問題だった。すなわち私事の神聖さである。私事の暴露で利益をあげる雑誌がふえてきた。小説でもそうである。他人にさきがけてもうけねばならない。
セックスの神聖さを破るには、芸術という神聖さが利用された。プライバシーの壁を破るには、社会正義という神聖さが利用される。こんなことが許されていいでしょうか、という調子である。
収賄《しゆうわい》など不正な金銭所得はたしかに糾弾《きゆうだん》されるべきではあるが、その金を女につぎこんだの、ばくちをやったの、酒を飲んだの、珍奇なペットを高価で買ったの、などという点を広く伝達するのはどうであろうか。収賄や恐喝でもうけた金でも、施設に寄付すれば立派ということになってしまう。変なことだ。もともと、大衆の興味は二号や秘密のばくちのほうにあるので、収賄は二の次なのである。プライバシーの暴露が目標なのであって、大義名分などは早くいえばどうでもいいのだ。
この傾向は今のところ止めようがない。テレビにもこのたぐいの番組がふえてきた。売りつくし、人びとが不感症になるまでは続くだろう。
さきごろ翻訳のでたドイツの小説に「詐欺師の楽園」というのがあった。ヨーロッパの小国を舞台に、名画を偽造する架空の物語。偽造というより、古典派の巨匠をでっちあげてしまうのだ。古い伝記やら、住居の跡や、それについての評論集まで作りあげてしまうのである。
美術品を神におきかえ、画商や美術評論家を神官におきかえれば、ヨーロッパ社会がうきぼりになるというわけであろう。と同時に、美術品についての大衆の信仰を風刺していることはもちろんである。
偽造という行為は、芸術の神聖さを食いつぶす商売。将来は巧妙になり、さらに発展するかもしれない。これで芸術の神聖さの座がゆらげば、さきに芸術にねじふせられたセックスの神聖は、いいつらの皮。死んでも死にきれまい。
わが国においては、神の概念がないといっていい。映画でおなじみのように、欧米では法廷で聖書に手をのせて宣誓する。わが国の法廷では「良心に誓って真実を申し述べます」とかの文句を朗読させられる。しかし、誓うとは絶対者を認めた上での行為である。神のいないところで誓ってみても無意味だろうと思うのだが、といってほかに適当な方法もないのだろう。
欧米だと偽証は大変な罪だが、わが国ではさほどでもない。恩人を裏切って証言などしたら、非難される。恩の神聖さのほうが、誓いの神聖度より強いのである。
高性能のうそ発見器の開発に努力するほうがよほど国情にあっていると思うが、この点は欧米にならってまだまだである。近代化の遅れた分野といえる。
科学を神のかわりに祭りあげようとの風潮が、わが国には昔からある。文明開化期においては、科学は万能の学問と思えたにちがいない。科学を徹底的に無視した宗教があってもいいと思うが、わが国にそんなのはない。
少年にとって科学はまさに神である。敗戦によって、これはいっそう高まった。山下奉文将軍はフィリピンで処刑される時「敗因は」と聞かれ「サイエンス」と答えたという。
航空機や原爆やレーダーなどによって、科学の差を思い知らされた。理屈ぬきである。西洋のことわざ「力は正義なり」には抵抗を感じるわれわれも「科学は正義なり」と変えると、すらすらと受け入れてしまう。そういう基盤があったのだ。
ペニシリンは戦後に一時期を作った神聖なる物質だった。DDTにも少しだが神聖ムードがあった。科学といえば人類の宝。特に医学は群を抜いている。野口英世は尊敬する人物の横綱クラスである。もっとも、私も野口英世には好意を持っている。最近、プライバシー暴露的な批判もあるようだが、業績とそれとは別個だと思うからである。
だが、このところ科学の神聖さもおかしくなりはじめた。その最初が原爆の放射能。しかし、原子力は未来の偉大なエネルギー源でもあることを否定もできない。科学の神聖さをそのままにし、この現象を処理するため、ひとつの工夫があみだされた。
たたり、ごりやくの解釈である。悪用しようとすると、科学の神がお怒りあそばされ、罰としてたたりを示される。だが、われらの心正しければ、ごりやくがもたらされるというわけである。みごとな論理だ。原子力艦は放射能を出すが、原子力商船は出さないのかということにもなるが、それくらいはなんとかごまかせる。
だが、もはやその論理ではおっつかなくなった。自動車の激増による事故の上昇である。モータリゼーションというやつは、科学の神のみ心に添うはずであり、われわれにも悪心はない。だが、あらわれた現象は死傷者である。ぼろが出はじめたのだ。
科学の神は斜陽をあびて退場しつつある、だが、長いあいだ親しんだ神だ。それだけになごり惜しく、科学の神のなかにも、真に神の名に値するかたがいらっしゃるのではないかの思いをたちきれない。
コンピューターがそれだ。多くの記事をみると、これからの万能の神に押しあげようとの信者たちの悲願がよくわかる。だが、コンピューターの技術者は、「コンピューターはただの便利な機械にすぎず、それ以上のものではない」と必死の弁明を繰り返しているのである。
矛盾しているようだが、賢明なことだ。やがては没落する神の座におかれるより、ほっといてもらったほうがいいのだ。なお、私は、将来においてコンピューター普及による大パニックを予感している者である。
戦後において神聖の座についたものに、科学のほかには金銭がある。むかしからその資格はあったのだが、武士道精神の残光によって、そうもならなかった。しかし、その制約が失われると、神の座にのしあがった。
しかし、神聖に仕上げるにはムード作りがいる。繁栄、平和、向上、しあわせ、安定、たのしさ、その他の夢のような語で荘厳に飾りたてられた。そして、マイホームなる神聖さが完成した。まさに神聖である。マイホーム主義なる言葉があるが、主義なんてものではない。理屈とは違うのだ。それを超越したものである。
マイホームを批判し原稿料のたぐいをかせぐ人がでてきたが、議論で神聖にたちむかえるものではない。しかし、マイホーム批判屋はいい商売である。神聖さは当分のあいだゆるがず、したがって失業となることもないからだ。その神聖さのゆらぐのは、やはり商業主義に骨までしゃぶられたあとであろう。
マイホームの神聖感は、国家的規模にまで拡大されている。外国でエコノミック・アニマルと称されようが、首相がトランジスターの商人とけなされようが、神聖さの前には無力である。そのニュースでいやな気分になった人はいないはずだ。むしろ誇りである。
わが首相が反省し「国民に耐乏してもらっても、世界のために金を使う」などとは言いっこないし、言ったとしたら、私たちはみながっかりするのである。神聖をけがすことなのだ。
東京オリンピックも神聖だった。聖火が空に燃えた。ただのタイマツを聖火とはなんだとの意見もあったが、新聞社とは短い語を使いたがるものなのである。それはともかく、オリンピックを神聖の座にすえたがる社会情勢でもあったのである。
戦後の苦しい時期を乗り切り、なんとか繁栄した形になってきた。戦争のいやな思い出を、我も彼も忘れかけた。ここらでお客を招いて、お祭りをする。お客とかお祭りとかは、これまた神聖と密接なつながりがある。むりなくブームへ盛りあがった。
万国博はどうなるであろうか。なにかもうひとつ欠けた感じである。オリンピックの夢をもう一度という無理なのである。しかし、夢というやつは、見ようとしてもそうはいかない。人工的に神聖の座に押しあげることが可能かどうかの実験である。私は不可能とは思わないが、そのためにはかなりの努力を要すること確実であろう。
列挙すればきりがないので、以下は簡単に片づける。むかしは労働も神聖の座にあった。これこそ永久政権と思われていたのだが、最近は風向きがおかしくなった。特に筋肉労働の転落はいちじるしい。質的にも量的にも激減してしまったのだ。
かわってのしあがったのが、レジャーや趣味のたぐいである。レジャーのためにやむをえず仕事をする形であり、趣味が人格に優先する時代でもある。
そして、教育。私は教育とは神聖でもなんでもなく、重要な情報産業と規定するのがいいのではないかと思っているが、この神聖さへの帰依者《きえしや》は多い。教育ママの増加がそれを示している。教育パパだってけっこういる。これを投資とか、エゴイズムとか、代償行為とか論ずる人があるが、神聖への陶酔と献金と理解すべきであろう。批判などではびくともしない。
宇宙もここ十年ほど神聖だった。人工衛星があがるとともに、それまでの無関心連中は信者に一変した。壮挙であり、科学技術であり、進歩であり、新時代の開幕であり、その他もろもろの光彩を放った。
しかし、気象衛星やテレビ中継衛星などのごりやくを限界として、そろそろ下り坂に入りはじめた。「そこに山があるから登るのだ」を延長し「そこに月があるから行くのだ」という、神聖を背景にした議論も怪しくなってきた。月があるから行くのではなく、対立国に負けるのがいやだから行かざるをえないのだ。この実情が、もうだいぶ明白になってきたからである。
未来なる語も今のところ神聖である。しかし、これまでの例のごとく、神聖になったとたん商業主義による食いつぶしが始まるのである。企業宣伝の手助けに堕落しつつある。「未来」と聞けば「ああ宣伝だな」と反応する人が大部分になるのも間近い。
以上、いささか思いつくままに書いた感もあるが、神聖そのものについての私見を述べる。神聖とは社会の山ではないだろうか。山とはご存知のように、地殻に力が働き、褶曲《しゆうきよく》によってできあがったものだ。アンバランスな力によって生れたヒズミの結果である。
人間がみなロボットのごとく合理的ならば、社会にヒズミも発生せず、神聖という山もできてはこない。しかし、悲しいことにか喜ぶべきことにか、人は矛盾を持っており、そうはならないのである。そして面白いことには、われわれ人間なるものは、神聖という山ができあがると、それを崩すという商売にとりかかる。売りぐいなのである。
かつて終戦当時、平和なる語がどんなに純な輝きを持っていたことだろう。だが、いまや党利党略の手段。また、平和運動を看板にした押売りまで出没している。うす汚れてけちくさいイメージしかない。だれのせいでもない。人間とはそういうものなのだ。
人びとは血まなこになって、どこかに神聖の山はないかと捜し求めている。そして、適当なのをみつけると、最初は遠慮がちに、やがては事務的に能率的に、それを削って金にかえる作業を進める。ぐずぐずしていたら他人にやられてしまうからだ。そんなことをしているうちに、また社会のどこかにヒズミが発生し、山ができあがってくるのだ。そして、また……。
悲しい宿命のような感じがしないだろうか。そう。サイの河原の物語の逆のようなものである。サイの河原では死者たちが積み上げた小石の山を、やってきた鬼たちがつき崩す。この繰り返しだ。しかし、この鬼たちの不当を、声を大にしてなじった説は聞いたことがない。鬼たちの行為が、なにか意味ありげに思えるからではないだろうか。
私たちがこの世で、神聖という山を削り、金にして食っている。良心はとがめるが、だれもやめようとしない。このバランスをとるために、サイの河原があるのかもしれないのである。存在しなければならないのだ。
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下北半島
わかりやすく鮮明な看板があるということは、よしあしである。フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリなどのため、日本は外国に対し誤解とはいかないまでも、理解され方の不足みたいな形になっている点があるのではないだろうか。下北半島における恐山の存在も、またそんな感じだ。七月末のお祭りの日には、テレビは毎年のようにこの霊場のありさまを放送する。それはいいことであり、人目をひきつける要素も強いが、強すぎるのだ。視聴者は、下北とはそういう地帯なのかと思いこんでしまう。下北半島の中心のむつ市がどんなところなのか、知らない人が多いというのが実情であろう。冬の下北となると、なおさらである。私もまたそうであった。
東北本線を野辺地《のへじ》で乗りかえ、大湊《おおみなと》線でさらに北へ進むと、むつ市に至る。この線と並行し、完全舗装の自動車道路もある。快適な道で、むつ・はまなすラインと称する。左に海をながめながら陸奥《むつ》湾ぞいに走り、所要時間はほぼ六十分。うっすらと雪がつもり、明るい。明るいのは雪の反映のためであり、雲が厚くないためでもある。雲は粉雪をぱらつかせるかと思うと、たちまち晴れ、青空のもとで風に吹きあげられた雪がキラキラと美しく舞ったりもする。気まぐれな天候。そして風はつめたい。
ここにおいてつめたく気まぐれなのは、天候だけではないのである。過去十年間ちかく下北を翻弄《ほんろう》した大製鉄所のいきさつも、またそうといえよう。
明治以来の海軍の基地の町であった大湊と、田名部《たなぶ》町とが合併してできたのが、むつ市である。つまり戦前は軍事機密の問題がからまり、下北地方はあまり調査がなされなかった。戦後となり調査に手がつけられて、無尽蔵ともいえる砂鉄資源があきらかになった。砂鉄を原料とすると、良質な鉄ができるのである。
ここに銑鉄から鋼鉄まで一貫作業で生産する大製鉄所を建設したらどうだろう。港湾もあり立地条件がいい。巨大な工業都市へ発展するのだ。その動きのはじまったのが昭和三十二年。政府も乗り気になり、計画はさらに具体化し、昭和三十八年には「むつ製鉄株式会社」が設立された。政府出資の東北開発株式会社と、三菱系の鉄鋼関係の四社の協力によるものだ。まさに下北開発の万能の救世主の出現である。
むつ市と青森県は受入れ態勢づくりに専心した。工場敷地をたくさん造成し、港や道路を改修し、工業高校を新設し、病院を増築し、合計七億円ちかい資金をつぎこんだ。社会党系の市長は、中央との接触に支障あってはと自民党に入党した。かず限りない陳情。この実現促進は万事に優先しておこなわれた。
かくして製鉄会社が発足し、夢の実現まであと一足となったのだが、昭和三十九年の秋に至って、事業として採算があわないと三菱系がとつぜん手を引き、この計画は煙のごとく、あっというまに消えさってしまった。技術革新により、砂鉄原料でなくても良質の鉄ができるようになった。鉄鋼価格の値下がり、既存業者の妨害などが原因だという。縁談がまとまり結納がかわされ、世帯道具を買いととのえた段階までいって破談になったような形である。ひどいものだ。政治不信におちいらざるをえぬ。テレビは恐山ばかり放送しないで、これをドキュメンタリーにした番組を制作すべきだろう。このほうがはるかに悲しく、無常の風、身につまされる物語である。
地元にとっては政治不信を通りこし、ショックによる虚脱状態といったところであった。これにたずさわっていた青森県知事、むつ市長はあいついで死去したという。この製鉄所計画一本に目標をしぼっていたため、ほかの開発案はなく、それを考え出す気力もおこらず、そのご三年ほどは呆然としたうちに過ぎていった。こうして十年ちかくの年月が空費されたわけである。
そのつぐないという意味もあって、下北地方は政府によって国定公園に指定された。また、はまなすラインの完全舗装がなされた。いい道路でバスも走っている。しかし、そうなればなったで、大湊線は赤字線だから廃止しようとの声が、国鉄のなかにあがりはじめているという。地元ではいま廃止反対の運動がさかんである。赤字は感心しないことであり、国鉄と政府とはべつだといっても、あまりにドライすぎる。いくらなんでもとの同情心がおこってくる。
むつ市の名は、すこし前にも新聞に大きくあつかわれた。原子力船の定係港、すなわち母港として指定されたのである。原子力船の燃料補給、修理、乗員訓練などをおこなう基地のことだ。昨年の八月になんの予告もなしに発表され、地元の人びともびっくりした。横浜が第一候補だったが住民の反対でだめになり、その代替として急に指定されたというのがいきさつである。
製鉄の夢の消えた呆然がつづいていたため、むつ市はすなおにそれを受け入れた。もちろんいくらかの不安は感じたが、学者をまねいて質問点をただし、安全性と将来性をなっとくしたのである。ひょうたんから駒が出たような成り行きだが、むつ市はこれによって未来への扉の鍵を手にしたといえると思う。エネルギー革命は人類を原子力の利用へとむかわせている。原子力はより安全でより日常的なものへと進む一方である。大型船はすべて原子力という時代も、そう遠くはないのだ。
むつ市は十勝沖地震でかなりの被害をこうむったが、母港の建設がすんでからでなかったのは、不幸中のさいわいといえよう。地震の教訓をいかすことで、それは安全度の保証ともなるのである。
東海村についで、ここを第二の原子力センターにしたいとの意欲もめばえている。だが、期待を裏切られつづけのむつ市は、こんな心配をしているのである。原子力の時代になったらなったで、中央の港が以前の反対の口をぬぐって、定係港の指定をかっさらおうとするのではないかと。まったく、中央の都市の連中は勝手なやつばかりなのだ。
以上のいくつかのことでわかるように、下北の人は人柄がいい。その人柄のよさを示す例を、さらにひとつあげる。
新しい産業がまだ確立せず、半農半漁といっても、気象条件にめぐまれず農も漁も高収益をあげられない。したがって、男たちの多くは東京や北海道方面へと出かせぎに行かねばならぬ実情である。しかし、他の地方に多くある、出ていったきり蒸発してしまうという例が少ないのだ。みな冬には帰郷し、ここですごすのである。安易さにおぼれない、芯《しん》に強さをひめた性格といえよう。
冬に帰郷した男たちの多くは、失業保険ですごしているという。失業保険は青森県の第四次産業だとの冗談もあるそうだ。いいことではないが、これへの非難はできない。郷土を無責任に見捨てようとしないあらわれである。もう少し見まもってあげるべきであろう。
むつ市とその周辺は、このように長い年月を迷いのうちに空費した。しかし、これからはすべてが逆に、いいほうへとむかうのではないかと思われる。人柄がよく、愛郷心があり、過疎地帯にもならず、公害がまったく発生していない。このような条件の地は、日本には少なくなっているのだ。
なにもかもこれからがスタート。どの方向へも進むことができる。他の地方都市のなかには、目先の流行を追い先走って工業化を進めたはいいが、いまや半身不随となり後悔しているところが多く、方向転換にも手おくれ、不健康という代償を払いつづけている。そこへいくと、むつ市は柔軟である。どのような進路をとるかについて、無限の選択が許されているのである。いかなる明日を築くことも自由である。非常に高価な権利といえよう。これを大切にあつかってもらいたいものだ。
むつ市は新しい動きをはじめようとしている。少し寝すぎはしたが、早く起きた連中の失敗を参考に、より賢明な行動をとれるのだ。
製鉄所を予想して造成された、海岸ぞいの広大な用地。ここには企業誘致第一号として、厚木ナイロンの工場が作られた。ナイロンの原糸を運んできて、機械で加工し、ストッキングにするのである。近代的で清潔な工場の内部は、ひろびろとしていて、あたたかく、そとの寒さがうそのようだ。主として中学卒の若い女性が数百人で作業をしている。パートタイムの従業員もおり、それだけ市の労力開発に寄与しているわけである。また、なににもまして、この工場からは有害ガスや汚染水がまったくでない点がすばらしい。
公害をともなう企業の拒否ということが、市の方針になりつつある。うらやましいことだ。助役さんは言う。「ここの夜、とくに冬の夜空の星はみごとです。都会からきたかたは、地平線までずっと星が美しく見えると驚きますよ」
助役さんはつづける。「下北地方だけは永遠にきれいに保ちたい。しかし、農家の男たちが他に出かせぎに行く必要を、一日も早くなくしたい」と。そのため、木材利用工業などの誘致も計画中とのことである。
そして、いま進行中の分野に牛がある。牧畜の振興である。昨年の秋に、アメリカやカナダからヘアフォード種の肉牛を輸入し、近郊の繁殖育成牧場にそれが百頭ちかくいる。茶色をしていて、顔と腹の部分が白いという見なれない牛である。いずれも妊娠した雌牛ばかり。つぎつぎと子牛が生れている。胎児の時にここに移された子牛は、それだけここの風土に早くなれるわけであろう。
牛たちは雪の戸外にかたまっている。粉雪をあびながらほっぽりだされている状態で、見るからに寒そうだ。同情したくなるが、この種類は寒さにつよく、粗食にたえるのが特長だという。欠点としては湿度に弱く、湿気にあうと病気になりやすいそうだが、下北には梅雨がなくちょうどいいのである。ここはカナダと気候が似ており、見とおしは有望であるとのことだ。
乳牛だと搾乳《さくにゆう》などに手数がかかり、農家の副業としては五頭が限度となる。しかし、肉牛ならそれがない。下北の八割をしめる国有林を利用できる。林のなかに放牧し、フンは木の肥料ともなり、いずれにもいい効果をあげられるそうだ。やがては一万頭にふやし、下北のビフテキ肉という名をひろめたいというのが関係者の夢である。そして、実現可能なことのようだ。食生活向上への世の傾向は、肉への需要を高める一方であろう。むつ市は下北全域の開発への責任をも負っているわけで、他の市にくらべかくのごとく苦労も多い。
なお、市街地から少しはなれたところには、斗南丘《となみがおか》酪農協同組合というのが以前よりあり、順調に運営されている。ここは乳牛専門で一軒あたり二十頭ほどを飼い、広い牧場や並木など日本ばなれした風景を展開している。牧場は公害をともなわなくていい。
むつ市の特長としては、海上自衛隊の基地でもあることを付記しなければならない。戦前の軍港時代からの関係で、市とはなんのいざこざもない。現在、二千人の隊員がおり、艦艇やヘリコプターがある。地震のさいには大いに活躍したし、台風の季節に多い水害にも心強い存在である。また漁船の救助もおこなっている。下北のためにあるような感じで、ずいぶん役に立っているようだ。
大湊の基地は、むつ市の富士山ともいえる釜臥《かまふせ》山のふもと、海に細長くつき出た岬にかかえられた港で、景色がいい。ここは白鳥の渡来地としても有名であり、冬季に四百羽ほどがやってくる。鋼鉄製の艦艇のまわりをスワンたちが静かに泳いでいる図は、その対照の妙に微笑させられてしまう。
スワンと軍艦。なんとなく童話的なムードがある。そういえば、半島の西南端のサルも童話的である。日本のサルの最北の一群なのだが、住みたくてここにいるのではない。夏の季節にいい気になって、南の本土から北上したサルたちである。寒くなって南へもどろうとしたが、東をまわることを知らず、行きどまりとなり、仕方なくこうなってしまったのだ。かわいそうな動物物語。いまは餌づけがこころみられている。
カモシカが北海道へ海を泳いで渡っていったという話もある。古い話で信頼性もうすいが、カモシカのむれが一列になって、海峡を泳ぐのを見たというのである。先頭のが疲れると、列のうしろにつき、進んでいったという。夢幻的な光景だ。
カモシカは今でもおり、天然記念物に指定されている。近くできる自動車道路には、カモシカ・ラインとか名づけられるそうだ。カモシカの数をふやし、一ヵ所に集め、だれにも見物できるようにできないものだろうか。私は見たい。テンやムササビもそうなったらいい。童話的な一大自然動物園となるわけである。
そのほか、下北の観光資源は豊富である。ヒバの林はあり、ブッポウソウは鳴くし、きれいな川では釣ができる。肉牛が林のなかで放牧されるようになったら、ほかでは見られない景色となろう。温泉もあり、景勝地も多い。北端の岬は北海道の函館とフェリーで結ばれ、一時間半である。
このようなことが知られてきて、観光客は昨年五十万人、本年は百万人が予想されている。そして、むつ市が起点となって旅行者が遊ぶ。いま、自動車道路が各方面にむけて作られつつある。これからはレジャー時代。観光客の伸びは相当なものであろう。へたな企業よりはるかに有望で、収益もある。そのためには観光客用の施設をさらに整備しなければならず、といって、安易に急ぐと他の観光地のごとく俗化しかねないというわけで、そのバランスに関係者は苦心をしているようだ。
きれいな開発が進み、童話的牧歌的なムードが洗練されて、恐山がそれらのなかのひとつとして調和するようになれば、それこそ万人のふるさと、夢の国である。一方、清潔な企業をえらんで誘致し、原子力で未来への繁栄の保証もある。この軌道にのりつつあるということは理想に近いことのようだ。
大製鉄所の夢の破れたのは残念にはちがいないが、あれが実現していたよりいい結果になったという日の早いことを祈りたい。意外に早いのではないだろうか。最後にちょっとした不安をつけ加えれば、交通事故への歩行者の保護である。全国的な現象で下北に限ったことではないが、道路が整備されるとマイカーの大群が押しよせ、事故の増大はあっというまである。この公害に関してだけはいやな予感がする。
[#地付き](一九六九年二月)
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奇現象評論家
われわれの友人のなかに斎藤守弘という博学きわまる人物がいる。空飛ぶ円盤とか霊魂とか、世界の奇現象にくわしく、少年誌などに「ふしぎだが本当だ」といった題でずいぶん紹介している。普通の筆者なら紹介にとどまるが、彼はその先まで論ずるのである。
たとえば「黄金の卵をうむニワトリ」の存在について、彼はその可能性を最先端の科学理論を駆使して説明し、みなを煙に巻く。そのあげく「百五十円で元素転換機ができるのだ」と宣言したりするのである。なるほど、そのニワトリのヒナをふやして育てれば、それくらいの費用で黄金製造機が入手できることにもなるわけである。
しかし、発言があまり教祖的であるため、その説が人から人へ伝わるうちに「百五十円のサイクロトロン」になり、「百五十円の原子炉」になり、はては「異次元世界の地図を子供雑誌の付録につける」となり、世をまどわすような形になってしまうのだ。
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文章修業
文章修業について書くのは、考えてみると、まことに容易でないことだ。かりに苦心を重ねたことを書きつらねたとする。しかし、その文章を読者がいま読んでいるというわけなのである。
「なんだ、修業の結果がこんな程度なのか。ふん……」
と、つぶやかれるかもしれないのだ。読者とはそういうものなのである。いや、そうあるべきではないかと思う。じつは、かつて私がそうだったのである。
私の二十代の後半、すなわち昭和二十五年から三十年ごろにかけて、世の中はまだ繁栄時代に入っていず、テレビもはじまっていなかった。私は独身であり、極度にひまをもてあました状態であった。
そのころは巡回貸し雑誌業なる商売があった。家々を回って雑誌を貸し、三日ほどたってとりにきて、貸したのを引きあげ、べつな雑誌をおいてゆく商売なのである。安い料金でたくさんの雑誌を読むことができる。月おくれの雑誌だとさらに料金が安かったが、汚れもひどく、そこまで節約する気にはなれなかった。最近はこの商売を見かけないようだが、みな生活に余裕ができたためだろう。
私はそれに加入した。何口も加入したのである。かくして月に二十数種の雑誌がとどけられることになった。
文芸雑誌もあり、中間小説誌もあり、さらに通俗的な娯楽雑誌もあった。あのころはトルー・ストーリーの日本語版なんてのもあった。ついでに映画雑誌やリーダーズ・ダイジェストまで含めた。
それらを片っぱしから読んだのである。貸し雑誌で読むのはいいことだ。買った雑誌だと、あした読んでもいいのだと一日のばしになりかねない。しかし、これだと当人が読もうが読むまいが、三日たつと引きあげられてしまうのである。
読みもしないのに持って行かれ、料金を払うぐらいしゃくなことはない。わずかな金とはいえ、人間とは無意味な損失をきらうものらしい。というわけで、なかば意地で読んだのである。おもしろい作品もあったが、つまらない作品もたくさんあった。
「いったい、このどこがおもしろいのだ。こんなくだらないものを、なぜおれが読まなければならぬのだ……」
と腹を立てながら読んだりした。料金を払うからには、読まねば損なのである。いま回想すると、まったく変なものだ。一冊の雑誌にどれくらいの作品がのっていただろうか。その二十数種、掛ける十二ヵ月、掛ける五年である。若くてひまを持てあましていた時期だから、そんなことがやれたのだろう。
そして、つまらない作品を読み終るたびに、私は考えた。なぜつまらないのだろうと。作品自体に責任のある場合と、読者である私のほうに責任のある場合と、二つあったようだ。いかに名作であっても、私の好みにあわなければ、つまらないという結果がうまれる。ひとつひとつについて、私はそれを確認した。自分の好みについての確認である。
批評家がいかにほめ、世の多くの読者がさわいだ作品であっても、私の好みにあわなければ、それは確実につまらない作品なのだ。
名作との評判につられて読み、そういうものかと感じたり、よさのわからないのは自分のせいかと思う人も多いらしい。しかし、そんなことは私においてはないのである。ムードに影響されることは絶対にない。
自分本位の読者である。これがいいとか悪いとかを論じてみてもはじまらない。大量の読書のあげく、こんなふうな性格になってしまったのである。頑固なものだ。しかし、これが個性とか独自の観察眼とかいうものかもしれないのである。
そのご運命が変り、私は小説を書くようになった。昭和三十二年にたまたま同人雑誌にのせた作品、それが江戸川乱歩先生にみとめられ「宝石」に掲載されたのである。それをきっかけに、注文も少しずつくるようになった。
だが、私の好みはきまっている。「こんなふうなものを書けば当ります」と忠告してくれる人もあったが、好みに反した作風のものを書くのは私にできないのである。文章もまた同様。乱読時代に好みにあう文章と、どうしても肌にあわぬ文章とがきまってしまった。自分の好みの文章でしか書けないのだ。
修業といえるかどうかわからないが、これが今までの経過。世の中には私の作品の傾向をきらいな人もいることだろう。そのような人は少なければいいなとは思うが、かつて読者であった自分をかえりみると、文句をいえる義理ではないのである。
いまさら説明することもないだろうが、創作の過程は、まずアイデアがうかび、それが具体的な物語に発展し、あるいは発展させ、文章によって作品にまとまる。アイデアは私の好みの奥からうまれ、物語も好みに従って展開し、文章もまた好みの文章以外のなにものでもない。すべては私の好み、すなわち個性と関連し結びついているのだ。
文章とは表情のようなものではないかと思う。その人の性格や人生のあらわれである。
人のいい人物にずるそうな目つきをやれといっても限界があるし、めぐまれた陽気な人に悲しみにみちた表情をやれといってもむりだ。人生体験の集積なのである。
表情術といったものは存在しないだろう。いかに技巧をこらして笑ったり泣いたりしても、とんでもない時にそれをやったのでは、すべてぶちこわしである。当人がおかしいと感じた時に笑い、悲しいと感じた時に泣く。それが表情なのだ。
文章もそのようなものだろうと思う。なによりもまず自分自身の個性をはっきりすべきで、表情はあとからついてくる。
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SFにおけるプラス・アルファ
プラス・アルファについて語ろうと思う。本来はプラス・エックスが正しい。この語が輸入された当時、外人の書くのをのぞきこんだ人が、|X《エツクス》 と |α《アルフア》 と読みちがえたため、アルファのほうが定着してしまった。まぎらわしい字を書いた外人がいけないのか、そそっかしい日本人がいけないのか。いずれにせよ珍事件だ。野球ではαがXに訂正されたが、一般はまだそのままである。外国SFの題に「明日プラスX」というのがあり、それが正しいのだが、ここでは慣習に従ってアルファの言葉を用いる。まったく、やっかいなことだ。
SFはアイデアとストーリーと描写とから成り、これがそろえば形はととのう。しかし、それだけではだめなのである。そこにプラス・アルファがなければならない。作者のほうも、締切りや金銭や虚名のために書いているわけだが、それだけではない。プラス・アルファがなければ、おそらく一行も書けないはずである。たとえ無理に書いたとしても、読者を引きつける力を持たないものとなる。あらためて今さら論ずるまでもないことかもしれないが……。
普通の小説においては、作者が自己の心情をそこに表現するのは比較的容易である。読者のほうでもアルファを感受しやすい。しかし、SFとなると、フィクションつまり作り物であるため、なまの形であらわれにくい。これが通念だが、私の意見では普通の小説以上に、かえって明確にあらわれるのではないかと思う。べつに逆説をとなえようというわけではない。
このところ遠ざかっているが、私はかつて碁に熱中し、二段の免状を持っている。碁の面白さは、純粋に頭脳と計算と実力だけによるゲームでありながら、そこに性格があらわに出てしまう点である。
一般に女性が男性に比しはるかに戦闘的な性格であることは、碁を打ってみてはじめてわかった。なんとなく、あるいは書物によって、女性のすごさを知ったような気分になっている人は多いだろうが、碁をやってみると、実感となって迫ってくる。
上品な美人と打ったことがある。しとやかな物ごしであり、手紙の文にも女らしさがただよっている人だ。だが、盤上では気の強さが燃えるのである。なさけ容赦なく強い手で攻めてくる。人はだれでも、日常生活や外見や交際などでは推察できない。時にはまったく逆でもある性格を心の奥に秘めている。それが抽象的な勝負の場において、裸にされてしまうのである。
これと同様なことが、SFにも言えそうに思える。普通の小説の場合は、作者が読者に心情を伝えやすいのだが、また幻惑しやすいともいえる。衣裳や演技があるていど通用するのである。だが、純フィクションであるSFとなると、そのごまかしができない。アルファの正体がはっきり出てしまうのである。私がここで自己のアルファを失い、他からの借り物で延命をはかろうとしても、すぐに見破られ、読者にそっぽをむかれてしまうことだろう。
SFの世界は意外にきびしく、SFの読者はこわい。普通小説の作家が片手間に書いたSFや、ブームに乗ってやれとばかりに書いたSFは黙殺されてしまう。SFのコツや泣かせ所を知らないからだという説もあるが、私はそうは思わない。SFにはコツも泣かせ所もない。あるものは作家のアルファだけである。スマートに三振する選手より、なりふりかまわずボールをたたく選手のほうが本物だ。もっとも、本物が上達するにつれスマートになる場合もあろうが、それは二次的な問題である。
私のいうアルファとはこの点である。べつな表現をすれば、作者の個性、独自の味という言葉になる。もっと早くいえば、好ききらいの要因のことである。SFの読者はそれぞれ、好きな作家を持っている。SFファンがファンという形で存在するのは、SF作品にアルファがはっきりあらわれるからであろう。自己の好むアルファを、すぐに発見できるからだ。
また、SF界の特徴のひとつに、きらいな作家の存在という現象がある。ブラッドベリには愛好者が多いが、彼のアルファをきらう人も多いらしい。私もまた、ある外国作家のSFをきらいである。普通の分野の場合、きらいなら読まなければいいのだが、SFの場合は、わざわざそれに接触して「きらいだ」と叫ぶのである。
私もまた、大きらいな外国作家の作品を途中で投げ出そうともせずに読み「たしかにおれとは肌があわぬ」と毎回つぶやく。まったく異常な現象だ。魚ぎらいの人が、料理屋で魚料理を注文して食べ終り「まずい」と文句をつけている図など想像できない。
これはつまり、SFというもの自体の持つ大きなアルファのためなのである。これについて、また各作家のアルファについて、いずれ私は分析を試みたいと思っている。しかし、その前に自己のアルファをもっと発揮した作品を書かねばならない。二段の腕前の者が本因坊クラスの棋風を論じては、やはり時期尚早ということになってしまう。
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笑いの効用
かつてロケット競争でソ連にたちおくれ、アメリカがあせっていた時期があった。こんな笑い話がはやったという。基地関係者の幼い息子が「パパ、ぼく数えかたをおぼえたよ。三、二、一、ゼロ、や、また失敗だ」。
発射失敗の笑い話は、まだ各種あったようだ。しかし、そんなふうに笑いながらも、ついにアポロを打ち上げ、11号の乗員たちは地上とユーモラスな交信をしたし、12号となるとその笑いの度はさらに強くなった。帰還を迎えたニクソン大統領の会話も、またユーモアにあふれていた。人類の月到達は笑いによってなしとげられたといえそうだ。
フレドリック・ブラウンというSF作家はこう論じている。人間とアリとはどこがちがうか。類似点はいくらもある。住居を建設し、食料を貯蔵し、戦争もする。集団で社会的な生活もする。決定的な差異はただひとつ、アリが笑わないという点。そのためアリの社会は無変化で永遠の静止である。だが笑いを知る人類の社会は動的で、悪化する場合もあるが、進歩の可能性もまたそこにある。人間から笑いが失われたら、未来への変化もなくなるとの指摘である。
科学が進むとすべてが自動機械化され、人間疎外がおこって不幸になるとの説があるが、先進国アメリカの例では、科学と笑いとは相互作用で進んでいるようだ。進歩がもたつき生活が不幸なのは、笑いの押さえられた国のほうである。以前に南米のインディオの記録映画を見たが、彼らはにこりともせず単調な音楽にあわせ、なにが面白いのかわからない感じで踊りつづけていた。衰退とか終末とかの印象そのものだった。
それなら繁栄を築きつつあるわが国においてはどうかとの問題となる。議論はいろいろあるだろうが、昔にくらべればはるかに笑うようになっていると思える。生活の向上と比例しているようだ。
講演もコマーシャルもユーモアがなければ人をひきつけられないようになったし、くそまじめな絶叫は敬遠される。深刻ドラマよりお笑い番組のほうがずっと視聴率も高い。いい傾向である。たとえ低俗でも、笑いのない状態にくらべればどんなにいいことか。低俗は洗練に変化する可能性を持っている。みなが笑うようになったのは精神的な余裕のためであり、その余裕こそ知的発展のささえなのである。
政治など公的な場の笑いはまだ不足だが、それは言葉じりをとらえ他人を失脚させるのが好きな国民性、それへの警戒意識のためであろう。だが、やがては反省され、改善されてゆくのではなかろうか。それよりも問題なのは、笑いの普及という現象はあっても、大部分が受け身の笑いであるという点だ。専門家が生産し媒体《ばいたい》でばらまかれる笑いばかり。自己が参加し他に笑いをふりまく技術となると、未熟である。多くの人は小話を何百何千と見聞しているが、他人に話して笑わせる習慣が身についてない。欧米人にくらべて劣るといわざるをえない。
個人対個人のコミュニケーションが未発達なのだ。だが、これは国民性によるものではなく、社会基盤のせいである。アメリカはさまざまな人種の混合で、しかも流動的な社会。個人個人のあいだに潤滑油が必要である。笑いの技術を身につけざるをえない。見知らぬ人とも気にくわぬやつとも接触しなければならず、黙っているわけにもいかない。冗談のひとつもしゃべらねばならないのである。
アメリカの小話やジョークには、毒や痛烈さを含んだものがない。それはこのためである。他人との接触でそんなのを口にしたら、潤滑油の役に立たない。わが国の笑いには強い皮肉を含んだものが多いが、それは当てこすった相手と会わなくてもすむ社会構造だったからである。うしろめたさのある後進的なにおいがする。
しかし、これからは情報時代。ホモ・モーベンスとかで、人は動きまわり人との接触はさらに多角的になる傾向がある。定着的で閉鎖的な生活ではすまなくなる。いままでならひとつの集団のなかで、他の集団や他の地方の者を笑いものにすることも可能だった。だが集団や地方の壁がとりはらわれると、そういう低次の笑いは通用しなくなる。笑いの技術を個人単位で身につけねばならず、もっと日常的な必需品となるだろう。いやおうなしである。わが国の笑いの将来に対し、私は楽観的な期待を持っている。
笑いの技術修得が義務となり、それができぬ者は落後者。なにがいいのだと反論したくなる人もあろう。だが逆を考えてみればいい。官庁やレストラン、どこへ行っても無表情、面白くないからこっちも同様、かわす会話はつっけんどんという世より、いいではないか。笑いの感覚のない者が社会から脱落しても、それはやむをえないことだ。
かつての池田首相のごとき暴言みたいだから、まじめな解説を加えることにする。これからの社会はさらに複雑になり、情報は質量ともにふえるはずである。そのなかで自己や世の大勢を見失いかねない。しかし、笑いがその防止作用をすると思えるのである。ちょっとつじつまがあわぬようだ、なにか矛盾があるようだ。これを感知すると理屈での分析をする前に、まず人間はおかしさを感じ笑いの反応を示すはずだ。笑いは、ひずみの存在と問題点の発見である。しかるのちに検討や解明という知的な動きがはじまる。
笑いは人類がそなえている極度に微妙な感覚のようだ。一種の直観力。私たちはさほどに評価していないが、さして力もない動物である人類が万物の霊長となれたのは、この瞬間的な総合判断の能力のおかげ。これがなかったら進化の過程で脱落したにちがいない。また、未来においてとんでもない破局に走るのを回避できるとしたら、やはりこの能力の発揮によってであろうと思えるのである。
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改良発明
「改良発明は永遠|無窮《むきゆう》なることを知り、たえずそれにむかって企図を怠るなかれ」
これは私の亡父の言葉である。父はこの種の文句を作るのが好きで、大量に作った。全部を集めたら、ちょっとした本になりそうである。
いずれも体験や人生観がにじみでていて、よくできている。しかし、こう大量になると、いささか多すぎる。過ぎたるは及ばざるがごとしで、私は持てあまし、ほとんど、身についても覚えてもいない。しかし、右の文句だけは例外で、時たま思い出すのである。
私は作家であり、空想的な物語が専門である。この分野は調べる手間が不要なかわり、アイデアを必ずひとつ盛り込まなければならない。その苦しみは、おそらく他人にはわからないであろう。途中で、才能がつきたかとあきらめかけたり、アイデアなど無限に存在するものではないと思ったりする。
そんな時に、この文句が頭に浮んできて、着想への最後の壁を越えられるのである。まさしく父の遺訓のおかげだ。父はこれを知ったら「あれだけ名言を作ったのに、ひとつしか役立てないとは」と、あきれるだろうか。「ひとつでも役立てばいいのだ」と満足するだろうか。
進歩が無限なものかどうかは、私も知らない。しかし、おなじ賭けるのなら、無限のほうに賭けたほうがいいと思う。人生が楽しくなるだけでも利益であろう。
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宅地造成宇宙版
「さあ、いよいよ新しい宅地造成の工事にとりかかる。ここが建設の基礎となる……」
現場の総責任者である私は、設計図を片手に、地面に印をつけた。しかし、手がふるえる。はたしてうまく完成するだろうか。経験豊富とはいえ、こういう造成工事ははじめてなのだ。
ここは宇宙の空間、いま私がいるのは直径二十キロメートルの小惑星。これを人間の住める環境にし上げようというのだ。
二十一世紀。地球の自然改造はほぼやりつくした。つぎは新しい世界。宇宙空間に人類の生活圏を拡大しようというのである。
「どこから手をつけますか」
宇宙服に身をかためた部下のひとりが言った。私は指示する。
「内部を空洞にするのだ。この設計図のごとく、ハチの巣のようにする」
「はい……」
それが開始された。小惑星というのは巨大な岩石の塊《かたまり》。各種の精巧な建設機械が働き、穴をうがちはじめた。的確で力強い動きだが、轟音はしない。空気がないからだ。しかし、地面を伝わってくる震動はからだにひびき、建設工事に特有の緊張感と興奮は味わうことができる。
作業は予想以上にはかどった。地球上とちがって重力がないからだ。掘り出された岩石は、あたりの空間にただよっている。大きな魚に似た砕石機が、泳ぐように動きまわり、それを食べている。
砕いて細かくし、内部でセメントとまぜ一定の大きさのブロックを作って排出するのだ。それを小惑星の表面に並べ、接着剤でくっつけてゆくと、簡単にビルができる。重力がないので、倒れる心配はまったくない。
こうして作られたビルは倉庫用である。人間が居住するのは小惑星の内部なのだ。
内部をくり抜く作業は進んでいった。地球上の都市は平面的だが、小惑星内に作られる都市は何層にも使え、機能的であり利点は多い。高層ビルを有機的に結合した感じなのだ。私は言う。
「水道完備にしなければならぬ。水の採集班はどうした」
「まもなく帰ってきます」
やがて、宇宙船が戻ってきた。無数の氷塊から成る彗星《すいせい》を追いかけ、大量の水を採集してきたのだ。これはそとの倉庫におさめる。この水を分解すれば酸素も得られる。
木星へ出かけ気体を採集してきた宇宙船も帰還した。これからチッソを取り出し、酸素とまぜれば、地球の大気と同じものができあがる。それで小惑星の内部をみたすのだ。
「水道完備、ガス見込みですんだのはむかしのこと。見込みではいかん。エネルギー源もととのえておかねばならぬ。鉱石係はどうした」
「そろそろ到着するはずです」
他の小惑星からウラン鉱が運ばれてくる。これを原料に原子炉を動かせば、エネルギーの問題は解決する。原子炉は小惑星の表面にとりつけられる。かりに事故が起っても、人びとは内部に住んでいるから、被害の及ぶことはない。
「だいぶ出来あがってきたな。つぎには、日照良、というキャッチフレーズを現実にしなければならない」
小惑星の表面に、いくつもの大型反射鏡がとりつけられる。それは各所につくられた採光用の窓を通して、内部の居住区へとみちびかれる。原子力で電気は十分なのだが、人は太陽の光をあびたがるものだ。また、この日光は内部の温室内の菜園にも送られる。そのほうが収穫物の味がよくなる。
「ほぼ完成に近づいたな。最後の仕上げだ。交通便、眺望絶佳にとりかかろう」
私は指示する。つまり、小惑星にロケット噴射装置をとりつけて移動させ、地球と火星との中間にはこぼうというのだ。地球に近いことはなにかと便利だし、地球とその周囲をまわる月をながめられるというのは、居住者にとって気持ちのいいことだ。
かくして、スポーム完成。スポーム(spome)とは空間(space)と住居(home)の合成語だ。物質の出入りがなくても人間が生存できる体系のことである。アメリカのSF作家アイザック・アシモフの作った新語。ここにおいては、呼吸した空気はたえず浄化され、排泄物は分解されて合成食、あるいは菜園や家畜飼育場をへてふたたび食料にされる。それに使われるエネルギーは原子炉からうみだされる。物質は循環し、無限に役立つ。地球を小型にしたものといえる。
地球で居住者の募集がおこなわれた。宇宙船で見物客がたくさんやってくる。そして、なかを見るなり、すぐ契約をする。たちまち売り切れそうなので、私はあわてて自分用に一区画を予約する。あとで値上がりするのは確実だ。
たしかに、ここは住みごこちがいいところなのだ。地震や火山噴火の心配がない。台風や津波の心配もない。温度はいつもほどよく、そとは上下左右に星が光り、スモッグで空がかすんでいるなんてこともないのだ。
安全そのもの。かりに大きな隕石《いんせき》がむかってきたとしても、ロケットを噴射して移動させれば、容易にかわすことができるのだ。
入居した住人たちは、みな満足してくれた。だが、やがて文句が出た。地球のテレビを、そのまま見たいというのだ。なるほど、人間は物質のみにて生くるにあらずだ。
大いそぎで地球との中間に、電波中継衛星を浮し、それで要求をみたす。これでいうことなし。好評のため、さらにいくつものスポーム建設計画がたてられ、それは量産態勢に入った。このような小惑星は火星と木星とのあいだにまだたくさんあり、いくらでも作ることができる。
遠くない将来、無数のスポームが太陽系内に浮び、それぞれに人類が住みつく。人々はその生活になれ、新しい世紀をきずくのである。そして、そのつぎの世紀には、太陽系外へむかって、より大きな飛躍をはじめることになるかもしれない。
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映画「猿の惑星」
「猿の惑星」について書くからには、原作を読まねばならぬのだがどうもその気になれない。この原作者、ピエール・ブールのSFは、あまり私の肌にあわないからだ。
たとえば、彼はSFファンにささげる≠ニいう副題をつけた「愛と重力」なる短編を書いている。しかし、無重力状態の人工衛星のなかで男女が新婚の夜をすごすという、わが国では三流漫画週刊誌でしかお目にかかれないようなアイデア。
また、日本人が月へ一番乗りをする長編も書いている。帰還の成算がなく各国がためらっているすきに、特攻隊式に日本の科学者が到着し、そこで切腹して果てるという筋である。
こんなたぐいの話を、てれもせず大まじめで書くところに妙な味があるといえないこともないのだが、SFとは別なものであろう。悲しくなる。
しかし、ブールはかつて評判になった映画「戦場にかける橋」の原作者でもあり、これは意外と思う人もあろう。つまり、すぐれた普通小説の作家なのだが、SFを余技で書くのである。私はそういうのをあまり好まない。
わが国でもSFブームなどの声で、そのうち普通小説の作家がSFを書くようになるだろうが、最も始末に困るものである。どこかピントが狂った作品になる。
といって、映画の「猿の惑星」がつまらないというわけではない。SF映画の最近の傑作といっていい。なぜそうなったかというと、脚色のロッド・サーリングのおかげである。テレビの「ミステリー・ゾーン」の製作者といえば、いまさら説明は不要。彼はSFのピントのあわせ方を知りつくしている。
都筑道夫氏はサーリングのことを「どんなつまらない話でも面白く見せてしまう大才能」と評しているが、まったくその通り。彼のムードが全編にみなぎり「ミステリー・ゾーン」のカラー・ワイド版といったものになっている。
もっとも、二時間近い上映時間はサーリングの手にあまったか、いささか冗長な点なきにしもあらず。半分にちぢめたら大変な名作となったと思うが、そうもいかないところが映画なのだろう。
映画の出だしがいい。宇宙空間を飛ぶ宇宙船の内部からはじまるのである。むかしの宇宙物の映画では、出発前をごたごたと描写し、うんざりさせられたものだ。また、特撮で空間を飛ぶ宇宙船を出さぬ点もいい。SF映画の手法も進歩したものである。
同種のことだが、光速に近い飛行による時間のずれのことを、あまりくどくど説明されない点も助かった。むかしの国産のSF映画だと、たいてい途中で白衣を着た学者があらわれ、解説を一席試みる。ここで私はいつも、そらぞらしい気分になってしまうのである。
時の流れを、冬眠器の故障でひとり老化させるという画面で簡潔に描いたのもいい。しろうとのSF作家は、えてしてこんな個所をくわしく書きたがり、どうしようもない作となるのだ。
そして、未知の惑星への着陸。私は宇宙映画ではこの瞬間がいちばん好きだ。長い旅の終りであり同時に、すべてのはじまりでもある。結婚式のようなものだ。
それから猿が人間を支配する社会へ入るわけだが、この猿のメーキャップが、じつによくできている。すぐに模倣がでるにちがいない。つまらん感想だが、猿の鼻の下はいやに長い。そこにヒゲのない点に私ははじめて気がついた。きっと、猿はカミソリを持っていないから、ヒゲがはえてこないのだろう。
原作者のピエール・ブールは大戦中に東南アジアで日本への抵抗運動をやったそうである。異人種との問題に関心があるのは、東洋人と接したためで、この発想はそんなところからうまれたのだろう。
ブールの心の底では、この猿は日本人を意味しているのかもしれない。あまり、いい気分ではないが、サーリングの手にかかれば、そんなことは少しも感じさせられない。
小松左京の指摘だが、ダーウィンが進化論を発表し、人間は猿の同類から進化したと主張した時、欧米では大変なさわぎになった。しかし進化論が日本に紹介された時、憤然とした者は皆無。
私たちは宗教のないためか、頭が柔軟なためか、人間の尊厳など気にしないためか、猿に親近感があるためか、進化論になんの抵抗も持たない。そういえば、欧米には猿を主役にした童話や漫画映画のたぐいは少ないようである。
また、私たちは、輪廻転生《りんねてんせい》といった考え方を知っているせいか、地位が逆転しようが、さほど驚かぬ。人間が作物を荒すのなら、猿がそれをやっつけても当り前のように思えるのである。頭が柔軟すぎるのかもしれぬ。しかし、欧米の人たちは、猿の支配にかなりの恐怖を感じるにちがいない。ちょっと、うらやましいような気もする。
考えてみれば、現在の私たち、金銭に支配され、テレビに支配され、酒に支配され、上役に支配され、妻子に支配され、やがてはコンピューターに支配されようとしている。
出世欲に支配されてあくせくする者、金銭の誘惑に支配されて汚職没落する者、美女の色香に支配されて破滅する者もあれば、自動車に支配されて事故死する者もある世の中だ。猿に支配されたからどうだというのだ。
しかし、こんなことは見終ってしばらくしての意見。見ている時はけっこう面白い。いったい、この物語の結末をどうしめくくるのかへの興味で引きずられる。そして、やはりサーリング調の意外な結末。意外といっても、とってつけたようなものではなく、うまく結んである。途中の伏線がみんな生かされ、現代社会への風刺もきいている。
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処女作
昭和二十五年ごろ。大学を出たての私は、なんということなく旧制の大学院にかよっていた。友人どうしでサークルを作り、ダンスパーティなどを開いていた。文化的なにおいもつけるべきだと、ガリ版刷りの新聞のごときものが作られ、私はそれに短い小説を書いた。
「狐のためいき」という題で、清純哀切にして新鮮、幻想的にして風刺もあり、ある心理的な事情で化けることのできない狐の物語なのである。名作と称すべきであろう。
なぜこう自慢するのかというと、もはやその現物がないからだ。当時の友人で、それを保存してるやつもいないだろう。いかに自慢しても、だれも反論できないというわけ。
そのご父が死亡し、借金だらけの仕事をひきつぎ、身辺騒然。小説どころのさわぎではなくなったが、ある時ふと発想が浮び、短編をひとつ書きあげ、某雑誌の投稿欄に送ってみたが、みごと没。世の中、そう甘くないと思い知らされた。
それは控えがとってあり、のちに作家となり締切りが迫って困った時、それを書きなおして雑誌社に渡したら、掲載して原稿料を送ってくれた。「小さな十字架の話」という作品で、私の「ようこそ地球さん」という短編集に収録してある。私の作品群のなかでこれだけが異色、首をかしげる読者もいるだろうが、以上のごとき事情のせいである。
公式的に私の処女作は「セキストラ」である。これが「宝石」にのり、私の作家としての道がひらけた。それにつづいて書いたのが「ボッコちゃん」という、酒のみの美人ロボットの話。これは自分でも気に入っており、そのごのショート・ショートの原型でもある。自己にふさわしい作風を発見した。自分ではこの作を、すべての出発点と思っている。私の今日あるは「ボッコちゃん」のおかげである。
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北海道
大正十二年にドイツからフリッツ・ハーバー博士が来日した。空中窒素の固定法、すなわち空気から肥料を作る方法を開発した化学者である。私の亡父はそのころ製薬業をやっており、前からの知人でもあったので、ハーバー博士の案内役となって日本じゅうをいっしょにまわった。北海道に行った時、博士はその雄大さに感激し、こういったそうである。
「ここは将来、かならず日本の工業発展の基地になるところだ。資源も多い。日本政府はここを住みよくし、人口をふやし、開発を急ぐべきだ。自分がもう十年若かったら、この地で大いに働いてみたい」
そして、ガス肥料といったものを造れば、農産物の収穫はぐっとふやせる、などと話がはずんだそうである。気体肥料とは奇妙な空想だが、空中窒素固定法の発明者の言となると、現実感がある。労力を大幅にへらすガス肥料が完成し、北海道の農業生産が高まる未来図を想像すると、いささか楽しくなる。
そのハーバー博士の感化がよみがえったためか、私の父は昭和二十年の終戦後に、北海道で事業をおこすべく、よく出張旅行にでかけた。私は学生だったが、休暇の時にいっしょに連れていってもらったこともあった。だが、当時は列車がものすごくこみ、時間もかかった。上野から釧路まで丸三日もかかった。しかし、焼けあとばかりの東京から来ると、心の洗われるような気分だった。
父は何回か北海道へ出かけていたが、昭和二十二年の冬に札幌の宿で脳溢血で倒れた。そのしらせを受け、さっそく私と母がでかけたが、交通事情は依然として悪く、連絡船へのりかえる時の夜の待合室はむやみと寒く、心細い思いがしたものだ。なんとかたどりつき、病状がさほどでもないことを知るまでは、気が気でなかった。
私はあまり旅行をしないほうだが、昨年の夏に友人と北海道をまわった。羽田から千歳まであっという間で、むかしのことがうそのようだ。列車も快適になり、道路はよくなり、すばらしい発展である。
最も印象に残ったのは網走のそばの空港におりた時だ。まわりから肌を押しつつんでくれた冷気には、歓声をあげたくなった。来てよかったという一瞬である。
網走にはアイヌ博物館があり、同行の友人は退屈そうだったが、私には興味深かった。なつかしいといったほうがいいかもしれない。
私の母方の祖父は小金井良精といい、東大教授で解剖学者であった。明治二十一年から数次にわたって北海道旅行をし、アイヌの人類学的研究をはじめたのである。馬にのってアイヌ部落の全部をまわったという。
私はその祖父と幼時ずっと同じ家で暮していたので、なつかしいのである。そのうち祖父のことを小説に書きたいと思っているが、それには祖父の学術論文を読まねばならず、まだのびのびになっている。
アイヌと書いたが、祖父が生きていたら「アイノと呼べ」と訂正を要求されただろう。このほうが正確な発音に近いのだそうで、話す時も論文も、みなアイノとなっている。網走の博物館で、私はそんなことを回想した。
明治二十年ごろの北海道はどんなだったのだろうか。その当時の人は、将来こんなに発展しようとは、だれひとり考えなかったにちがいない。それと同じく、百年後の北海道の姿は、いまの私たちの想像を絶したものになるにちがいない。
遠からず海底トンネルで本州とつながるだろうし、そうなると、東京大阪間の新幹線のごとく、旅行者が大量に送りこまれるにちがいない。空港だってふえるだろうし、高層ビルのホテルがずらりと並ぶことになろう。
産業の成長にともない、各地に工場ができるだろう。スモッグもひどくなるにきまっている。排気ガスが野山にひろがり、森林の樹木はどんどん枯れてゆく。海岸には大腸菌がうようよし、河川はよごれ、サケは一匹も泳がなくなる。もちろん野生の熊は絶滅し、その前に白鳥やツルが消えてしまう。
国道の自動車は混雑で渋滞し、いらいらしたドライバーが事故をおこし、パトカーと救急車が走りまわる。千歳から札幌までは地下鉄かモノレールのほうが早いということになりかねない。
湖水には毒々しいネオンをつけた遊覧船がぎっしり。大雪山にはロープウェイがつき、頂上にキャバレーとパチンコ屋ができ、景色のいいところは別荘分譲で売りつくされる。
いじわるな空想だろうか。ロサンゼルスだって、フロンティア時代にはニューヨークを抜く大都会になるとは思いもしなかったろう。しかも、科学技術の進歩のスピードは加速されているのだ。私の体験でも、終戦直後の日本橋で、たくさんの魚が泳いでいるのを見ている。いまはその川も、よごれたあげく埋められてしまった。野ばなしのむくいである。
公害というものは、どうしようもなくなるまで、手のつけられることがない。対策が必要と気がつく時には、もう収拾のつかない状態なのである。
北海道の関係者は、慎重な未来図を持っているのだろうか。私の空想がただの悪夢であってほしいのだが、わが国民性だの政治だのから考えて、ことによったらもっとひどくなるのではと、心配でならぬのである。
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フクちゃん論
一九五五年に CARTOON TREASURY という本がアメリカで出版されている。書名の意味は〈漫画の宝庫〉で、世界じゅうの漫画の傑作をたくさん集めたアンソロジーである。そのころ私は外国漫画の収集に興味を持ちはじめていたので、ためらうことなく買い、愛蔵するに至ったしだい。わが国からは「フクちゃん」が三編収録されている。
外国漫画のなかにまざっている「フクちゃん」を見て気がつくことは、この笑いには禅のムードがある点だ。といっても、私は禅のなんたるかを知らず、むかし「フクちゃん」で禅を意識したこともない。欧米を旅行した時は、私を日本人とみてか何回も「ゼン」と話しかけられ、語学力の貧弱もあいまって、そのたびにねをあげた。ついには、そばの外人がいつ「ゼン」と言い出すかと、いささかノイローゼぎみになったものだ。
しかし、外国人の頭にあるゼンについてのイメージは、なんとか想像がつくような気もする。つまり「フクちゃん」の笑いなのである。いわくいいがたし、端倪《たんげい》すべからざる、分析不能、されど笑いという効果を歴然と示している。この米国版のアンソロジーで「フクちゃん」を見て、ゼンへの興味を持ちはじめた外国人もかなりあるのではなかろうか。じつは私も、なるほど自分は神秘なるゼンの国の住人なのだなと、これで気づき、禅の入門書でも読んでみようかという心境になりかけている。隆一先生には一度しかお目にかかったことがないが、第一印象は、やはり禅僧であった。しかし、これは私の先入観のせいかもしれぬ。
このように「フクちゃん」は空間を越えて外国にも理解されているが、さらに驚くべきことは、時間をも超越している点だ。私は大正十五年生れ。子供のころから新聞でケンちゃんやフクちゃんとおなじみであった。わが少年期はフクちゃんとともにあった。普通だとこのたぐいはノスタルジアの対象なのだが、「フクちゃん」にそれを感じる人はあまりいまい。いまだにつきあいつづけであり、戦前のをいま読みなおしても新鮮なのである。SFには時空連続体という怪しげな用語があり、私にもなんのことやらわからないのだが、もしかしたら隆一漫画のことかもしれぬ。すべてを超越しながら、すべてに接触している。やっぱり禅的だな。
アメリカの漫画の多くは、未来においてコンピューターが発達すれば、それで創《つく》れないこともないように思える。しかし、隆一漫画はいかなる超コンピューターをもってしても不可能にちがいない。
「フクちゃん」の四|駒《こま》のうち、あとの二駒を手でかくし、結末を想像できるかというと、まるでできない。手でかくすのを最後の一駒にしてみても、やはり同様。水平思考を身につける頭の体操としてすすめたいところだが、やめたほうがいい。劣等感にとらわれるばっかりである。私はオチについて少しは研究してきたつもりだったが、その自信がぐらついてきた。
着眼と風格、長期にわたる安定性、余裕があり余分なものがなく、さりげなさとむりのなさ、極限の袋小路に迷いこまず、ムードの泥沼にもふみこまない。熱狂せずニヒルのごとくでありながら、あたたかみがある。このつきざる泉を一口で形容するとなると、禅としか呼びようがないのではなかろうか。すなわち論評不可能なのである。
しかし、私としてはその秘密の一端なりとも解明したいという思いを押さえきれぬ。ずいぶん考えてはみたのだが、いまだに手のつけようがない。そして、わずかに発見した特徴はおんなをお描きにならぬ点である。女性は登場してもおんなは登場しないのである。ということは、隆一漫画が禅だからであり、それはつまり……。
つかみかけた結論は、たちまち時空連続体をすり抜けて、どこかへと消えていってしまった。
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幻想的回想
私は幼時を本郷駒込ですごした。しっとりと落ち着いた住宅地で、近くには吉祥寺というお寺があり、八百屋お七にゆかりがある。春の花祭りにはよく出かけた。また、団子坂も遠くなく、菊人形を見た記憶がかすかにある。上富士には道ばたに長い藤棚《ふじだな》があり、花が美しかった。明治のなごりの残る、古きよき時代のムードに触れたことは、私の大切な思い出である。羅宇《らお》屋や定斎《じようさい》屋もよく家のそばを通った。
窓から空を見あげると、澄んだ空を二羽の鶴が舞っていたこともあった。どこから飛んできたのと母に私が聞くと、皇居のなかからでしょう、と教えられた。昭和の初期のころで、当時はそんなこともあったのだ。
これから少し記憶があやしくなるのだが、ある秋の日、弟と庭で遊んでいると、たくさんのトンボが、列をなして空を横切っていった。赤トンボだったと思う。おびただしい数で、川のようになって、あとからあとから限りなく飛んでゆくのである。
こんな現象は実際にあるものだろうか。幼い日の幻想だったような気もする。しかし、なんとかうち落してやろうと、弟とともに、庭の土をまるめて投げたことは、はっきりと覚えている。いくらやっても当らなかった。トンボたちは、あい変らず南から北へと飛びつづけていた。どこへ行ったのだろう。
私は庭の芝生にねそべり、よく空をみあげた。ある日、空が二つに区切られたのを見た。空の中央の一直線を境に、一方が青空、一方が雲なのである。私は「ここからこっちの人は晴、ここからむこうの人は曇」と、つぶやいた。これはよくある天然現象なのかもしれない。しかし、無心に空を見上げることをしなくなってから、もうずいぶんになる。また、むりにひまを作って空を見上げても、わいてくるのは雑念だけである。
幼いころ、かぜをひいたことがあった。弟たちにうつるといけないというので、ひとりだけべつな部屋に寝かされた。その夜、起きあがって小さな窓ごしに庭を見ると、暗い芝生の上で、ぼんやりと丸く白いようなものが二つ、じゃれあうように動いていた。本当はそんなものを見ず、熱のための夢だったのかもしれない。あるいは、近所の犬が入ってきたのかもしれない。だが私には、この世のものでないように見えた。あれがおばけというものかもしれないな、と感じたのだが、その時はなぜかこわくなかった。
幼時の印象となると、まず、これらのことが浮んでくる。現実的なことではないのだ。幼児というものは、おとなが考えるよりもっと幻想的に物事を感じとるもののようである。昨今の子供だって、やはり同様であろう。私はもう一度、幼くないこのドライな都会のなかに、幻想の世界を見いだしたいと思っている。しかし、もはやむりなことなのだ。
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新種の妖怪
核弾頭つきのミサイルというやつは、考えただけでもいやな気分になる。しかし、これは子供にも理解できる恐怖である。理解できるということは、妖怪の条件とはいえないようだ。核兵器を問題にするのなら、こういうぶっそうなものを武器として開発し、量産し、いつでも発射できるよう配置した人間とその集団のほうが、はるかに不可解な存在だ。
人類を何回も絶滅できる量がすでにありながら、持ちたがっている国がまだまだある。とどまるところを知らない。国家というものがあるためである。国家のあることで、どんなに大きく不合理なムダがなされていることか。科学技術のめざましい発展のまえに、国家なるものはすでに消滅しているべきなのかもしれない。
二十一世紀になっても、いまと大差なく国家なる形態が存続していたら、それこそ前世紀の亡霊である。最大の妖怪といえそうだ。
国家を妖怪の横綱とすれば、大関はコンピューターであろうか。コンピューターの語に接したとき、多くの人は内心でうさんくささと不安めいたものを感じながら、錦《にしき》の御旗《みはた》に刃むかうようで、それを口にできない。
実体が理解できない不安である。そして、この妖怪がどこまで成長し、どこまで力をそなえ、どう生活とかかわりあってくるのかわからないのだから落ち着かない。また、コンピューター関係者が楽観いっぽうの解説ばかりやるから、人びとはかえって警戒する。といって、どう警戒していいのかわからないのだから、まさに妖怪の条件をそなえているといえそうである。
英国のクラークというSF作家は、コンピューターによる全世界電話回線網ができたとたんそれが意思を持って社会が大混乱におちいるという短編を書いている。彼はエレクトロニクスの権威で、人工衛星による世界中継放送を最初に主張した学者でもあるが、やはりコンピューターの妖怪性を予感し、こんな作品を書いたわけであろう。
このあいだ突如として発生した妖怪には心臓移植というのがある。人工衛星のときも、はじめは打ち上げた数をかぞえていた人があったが、すぐにあきらめてしまった。心臓移植も手術された人が何人になったか、もうだれも気にもとめなくなった。
最初のうちは人道的な見地からの議論が出かけたが、その結論も出ないまま、手術はふえるいっぽうである。現実の大勢には逆らえず、議論をぶんなげてしまったのではないかと邪推もしたくなる。
そのうち移植は心臓のみにとどまらなくなる。死体はすべて培養液中か冷凍室に保存され、むだなく活用されるようになるかもしれない。すなわち、心臓も他人のもの、脳の一部も肝臓も生殖器も同様という、ほうぼうからのよせ集め人間が珍しくなくなってしまうのである。
怪奇映画の主役の、フランケンシュタインの怪物が普通になってしまうのだ。平均寿命がいまよりはるかにのびるわけで、それはそれで悪くないと思うのだが、論議なしに、なしくずしに現実となってしまう点が妖怪である。
論議されながらも、手がつけられずに成長する妖怪もある。都市がそれだ。さまざまな意見が出ているが、打つ手よりも膨張の速度のほうがはるかに上まわっている。
勤め先での仕事に匹敵するエネルギーと時間を、通勤に費してしまうなど、どうみても正常ではない。正常ではないとだれもが知っていながらどうにもならないのは、やはり、都市が新しい妖怪のひとつだからだろう。
都市という妖怪は、公害をはじめいろいろな現象をうみ出す点でしまつにおえない。自閉症という気の毒な幼い患者が問題になっているが、都市化に関連があるのではないだろうか。交通戦争のなか、めまぐるしい流行、うるさく複雑な対人関係。できるものなら自分も外界との関係を断ち、殻に閉じこもりたいと考えている人は多いはずである。
街頭で瞑想《めいそう》にふけるヒッピー族のたぐいは目につくからまだ安心だが、人目につかない自宅で、ひっそりと自己の殻に閉じこもるのが静かにふえはじめているとなると、やはり一種の恐怖である。
マイホーム主義というのが、すでに家族単位の自閉症であろう。土壌はできているのだ。もう少し進めば、マイ自分主義とでもいうのが出現してくるにちがいない。社会になにが起ろうが、肉親になにが起ろうが平然として無感動というのである。そのこと自体もぞっとするが、なしくずしにそんな時代に進む経路のほうがはるかにこわい。
現象の進む速度があまりに速く、いいか悪いかの検討が追いつかないというのが危険なのである。しかも、悪かったらあらためればいいという従来の考え方があてはまらないのだ。
自然界のバランス破壊なども、二十一世紀の妖怪のひとつかもしれない。寒帯地方開発のため、海峡をふさいだり山脈をけずったりして温暖化に成功したはいいが、全世界の気象が狂い、他の地方の農業が全滅ということだって起りかねない。失敗だったとわかっても手おくれというしかけである。
最近の都会地では、暖房の普及でカがふえてきた。そのため、カを食うガマガエルもふえつつあるとかいう話だ。やがてはそのガマガエルを追って、ヘビがそのへんに出没しはじめるかもしれぬ。各家庭では、その対策としてナメクジを飼育し用意することになるかもしれぬ。そして、そのナメクジが……。
大風が吹けばオケ屋がもうかるという江戸小話があるが、われわれは形を変えたそれをやっているような気がしてならない。
うそ発見器の正確で簡便なのが普及しはじめたら、社会には一種のパニックがおとずれるにちがいない。つぎに、人間の考える知恵はきまっているから、うそ発見器でばれないように、うそをつく薬が出まわるにちがいない。それを防止するために、法律が作られる。その違反者の裁判での証言を確認するには……。
深く複雑になる生活面での多極化現象に、私たちはどこまでついていけるのだろうか。ついていくだけがせいいっぱいで、戦争どころではなくなればありがたいのだが……。
ありがたいことでもあるが、もしかしたらこの平和というやつが、二十一世紀最大の妖怪にのしあがるかもしれない。
人類は有史以来、闘争にあけくれてきた。平和な時期がなかったわけでもないが、それはつぎの戦いへの準備期間。みとめたくはないが、戦いのほうが正常であった。
そんな人類がはじめて真の平和に直面したら、大いにとまどうにちがいない。どこに刺激を求めることになるのだろう。全人類の向上という漠然《ばくぜん》とした目標だけで、個人が競争心や意欲を燃やして本当に努力するだろうか。そうあってほしいとはわかりきっているが、現実にそうなるのだろうか。
平和という妖怪をどう取り扱うかが、二十一世紀の人類の大きな課題となりそうである。やりそこなったら、もはやどうしようもない。
宇宙人来襲はSFでおなじみの恐怖だが、その逆もまた恐怖のようである。すなわち、人類が宇宙進出をし、太陽系の惑星を調査しつくしたはいいが、生命の痕跡《こんせき》もないとわかる。それと同時に、他の太陽系までは到達不可能という科学の限界を知るのである。
宇宙のなかでの人類の孤独感を痛いほど思い知らされるのである。この感情は処理しようもない。最外側の惑星の冥王星《めいおうせい》の上に立ち「どこかの宇宙人、悪意のあるのでも凶暴のでもいいから、やってきてくれ」と、むなしく絶叫する二十一あるいは二十二世紀の人類を想像すると、なんとなくむなしくなってくる。
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非常用カプセル
人類というものは、私たちが考えているよりはるかに強健な生物のようである。地球上に出現して以来、何十万年だか何百万年だかを、なんとか生きてきた。
ノアの大洪水の時には、彼の一族数人だけになったが、そのほかにさほどの危機はなかった。中世ヨーロッパのペストの大流行も、理屈だと人類全滅になるはずだが、そうはならなかった。むしろ、それを境に産業革命がおこり、より発展してしまったのだから、他の動物にすればいまいましい思いだろう。
敗戦直後の日本も、あわれなものだった。住むに家なく餓死者は出るし、世界最低の生活水準だったのではなかろうか。それが今ではGNP世界第二位とかいうさわぎ。他国民にいまいましく思われているにちがいない。知識や情報があり、それを活用できれば、単純な要素の災厄は克服してしまう。
問題は複雑な要素の災厄がおこった場合と人類の持つ潜在的な復元力がいつまでもつかという点ではなかろうか。
将来において大戦争以上に気がかりなのはコンピューターの進歩と普及である。それは便利にはちがいないのだが、その裏には危険性もひめられている。
現在はまだコンピューターの故障の時、人手で処理できる経験者が残っているから大さわぎだけですむが、つぎの世代になったらそうもいかない。
木の棒と板、あるいはヒウチ石を与えられ、さあこれで火をおこしてみろと言われても、私にはできない。大部分の人は野菜のタネを見わけられないはずである。身ぢかなことでは、テレビの構造もアスピリンの製法も知らない。それですんでいるのだし、なにも知らないで生きていられるのは気楽だが、それだけ危険性もましているのである。基本的な知識はなんでもコンピューターに押しつけ、人間の頭にはそのたぐいがまったく入っていないという時代だって、来るにちがいない。
そんな時、世界的なコンピューター事故が起ったら、えらいことだ。人びとは何日間を生きのびられるだろう。戦争以上に悲劇であろう。未来版ノアの洪水である。おそらく私もそこでおぼれ死ぬだろうし、ほとんどの人も……。
コンピュートピアを夢みながら、一方で危機を作っている形だ。そのための非常装置を作っておくべきだ。つまり原始的なタイムカプセルである。その内容物は、ヒウチ石とその使い方、主要作物のタネ、レンズとガラスの作り方、そんなたぐいの品々である。それを掘り出してあけることにより、年月さえかければまた文明の再出発もできるというわけ。万博用の大がかりで高級のタイムカプセルもいいが、こんな計画を本気になって考えてもいいのではないかと、私はいささか心配なのである。
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思い出のレコード
大学一年の時に終戦になった。そのころのことを回想すると、毎日時間をもてあましていた。今はあっというまに一日が過ぎてゆくが、当時は一日がいやに長かった。
朝は八時に大学に登校し、講義を受け、午後は実験をした。理科系だったので、ぼやぼやしていては卒業できないのである。帰りには映画を見たりした。週に二回ぐらいは映画館に行った。大学までは片道一時間。それだけで一日がつぶれそうなものだが、まだまだ時間をもてあましていた。
なにかすることはないものかと考えているうちに、わが家にピアノのあることに気づいた。奇跡的に戦災をまぬがれたので、ぼろピアノながら残っていたというわけである。
こいつをひけるようになれば、いい気分にちがいない。なにかをおっぱじめるという場合は、最後の成果を想像し、その夢に酔うのが一般であろう。私もまた同様。ある友人にたのみ、手ほどきを受けることにした。
すなわち、バイエル練習曲である。やさしいようで、むずかしいというしろものだ。やさしい点についての解説は不要であろう。むずかしさの点のほうの解説は、このさい必要だろう。私に音楽的な才能がなかったからだ。それに戦前生れの者は、音楽的教育などまるで受けていない。学校でやったのは唱歌ぐらいなものだ。先天的にも、後天的にも、基盤がなんにもなかったのだ。
それでも、決意は決意。しばらくつづけてみたが、思わしくない。子供がバイエルを習うときは、曲がからだにしみこむという感じであろう。だが、二十歳をすぎてとりかかると、なまじっか頭が働くからよくない。つまり、楽譜をピアノのキーに移すだけなのである。たとえれば、タイプライターをたたくごとし。なんにも身につかず、からだを音符の列がとおりすぎてゆくだけ。メロディもおぼえられず、あんまり面白いものではない。
そんなころ、古レコード屋で、井口基成の演奏によるバイエルだったかツェルニーだったかのレコードを見つけて買った。小さな盤で数枚一組のもの。私にとっては面白くない初歩の練習曲が、こうもすばらしいものだったかと、目をみはる思いだった。
そのレコードを聴き、しかるのちにピアノにむかい、独習することにした。いくらか気力をとり戻した形である。だが、それもしばらくのあいだ。レコードの名演奏にくらべ、私がいかにへたくそか思い知らされる。自己嫌悪におちいる一方だ。子供とちがい、なまじっか鑑賞能力があるからいけないのだ。
そのうち、ツェルニーの十何番かにいたり、教える友人もさじを投げ、私もついにやる気をなくし、それですべてが終りとなった。わが家のどこかにあるはずで、バイエルだったかツェルニーだったか、レコードをさがしてたしかめようとしたが、半日かかっても見つからなかった。
このところ、うちの小学生の娘がピアノでバイエルをひいている。その曲を耳にすると、あのころのことが自然に思い出されてくる。
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道 楽
実生活の役に立っては、道楽と呼べないようである。このあいだまではアメリカの一齣漫画の収集に熱中していたが、分類整理し、本にまとめるに至っては、もはや無意味の熱狂という楽しさが薄れつつある。
最近発明した愚行に、語呂合せがある。「三大Qとはなになにだか知っているか。オバキュー、モンテスキュー、バーベキューだ」
といった調子。語尾が似ていて、まるでちがうものを三つ集めるのである。ハナサカジイサン、チンパンジイサン、ファンタジイサンで三大ジイサンというのもある。
ばかばかしいこと、おびただしい。アメリカには「最も役に立たないことの研究」に対し、毎年ひとつ資金を出すという財団があるそうである。応募してみる価値があるかもしれない。
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女性への視点
「なんだか世の中に美人が少なくなったようだなあ。美少女なんてのも、むかしはもっとたくさんいたような気がするが、このごろ、とんとお目にかからない」
という声を、よく耳にする。たしかに、そういえばそうである。いかに社会の変化が急激でも、人間の顔までそう急に変るわけがない。となると、私の精神が老化し、美人への関心が薄くなったのか。いやいや、こう感じているのは、私だけではないのである。
といって、美人が絶滅したわけではない。友人の小松左京の案内で、京都の祇園に行った時、目をみはるようにきれいな芸者さんがいた。二十歳ぐらいだが、形容しがたいムードをまきちらし、おどりを見せてくれた。
かくのごとく、いるところにはいるのだが、そういうのにお目にかかる率が、むかしにくらべてぐっと減っている。いったい、この原因はどこにあるのだろうか。
といった問題をこのあいだから考察していたわけだが、ある日、やっと思い当った。すなわち、ミニ・スカートのせいである。あの流行以来、このようなことになったのだ。
それ以前における男性は、道を歩いて女性とすれちがうと「いまの女は美人だったなあ」と内心でつぶやいたものだ。もちろん「たいした美人じゃなかったな」と考えることもある。また、なにも路上に限ることもない。電車内においても、むかい側の席の女をちらとながめて、同様の感想をいだいたものだ。
しかるに、ミニ時代になってからは、それが一変した。「すごいミニだったなあ」であり「たいしてミニじゃなかったな」であるという感想になった。車内においても同様。つまり、顔のほうを見なくなってしまったのだ。
女性の顔を、男性が見なくなってしまったのである。美人はむかしと同じく一定の率で存在はしているのだが、ミニに気をとられ、顔のほうにまで注意が及ばなくなってしまったのであろう。
もしトップレス時代にでもなったら、男はだれも女の顔を見なくなり、美人という語が消えてしまうかもしれない。江戸小話。夜そとから帰ってきた若者がみなに「いまそこで、若い女のはだかまいりとすれちがった」と言う。みなが「で、美人だったか」と聞くと、それに答えて「顔までは見なかった」。
似たようなのは、アメリカの漫画にもある。作りかけた料理の味つけに失敗してしまった夫人。そこへ亭主の帰宅の声。夫人は大急ぎで裸になり「おかえりなさい」と迎えるのである。亭主それに気をとられ、味覚のほうがごまかされてしまう。
というようなしだいで、ミニの流行によってとくをしているのは不美人。損をしているのは美人といえそうだ。大きなサングラスだの、キラキラピカピカの金色装身具の流行も、それらで損しているのは美人である。男の視線が分散してしまう。美醜の平等化でけっこうなことなのかもしれないが、どうもあじけない傾向である。
美人だけは、ミニもサングラスも金ピカもやめ、顔の部分を浮き立たせるべきではなかろうか。なぜそうしないのか、じつに理解に苦しむ点なのだが、そこが理屈で割り切れぬ流行の支配力というわけなのだろう。
しかし、不美人はいつまでもミニでいてほしい。男性としては、どこを観賞していいのか困ってしまうのである。
だいぶ以前のことになるが、ニューヨークで世界博というのが開催された。万国博のごときもよおしである。その時の日本館は、思い出しても悲しくなるような哀れなできばえであった。
しかるに、アメリカ人のあいだでは、さして悪評でなかった。これまた不可解でしようがなかったが、やがてわかった。日本館のホステスたちの和服のおかげである。その美しさに、アメリカ人たちは気をとられ、展示物のつまらなさに目が行かなかった。人間の視点は、まったく主催者の予想しなかったほうにむけられることが多い。
和服のどこがそんなにいいのかについて、アメリカ人の意見はこうである。中近東や東南アジアの女性の服には、どこか崩れた淫蕩《いんとう》な感じがあるが、和服にはそれがなく、きよらかな清潔さがある、と。なるほど、そういえばそうだなと私は思った。
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きまり文句
時事風俗的なことにあまり関心はないが、このあいだ新聞を見ていたら、頭にひっかかる記事があった。全学連の一派に関することである。なんという派か名は忘れた。私の時事音痴を示すいい例だ。かりに過激派としておく。どの派もみな過激派じゃないかなとも思うが、それにこだわっていたら、話がちっとも進展しない。
さて、事件の記事のことだが、その過激派の本拠を警察が捜索したら、燐酸コデインという麻薬が発見された。闇値《やみね》にすれば大変な金額になるそれを押収し、麻薬法違反で調査を開始したという経過である。
そういえば、その記事を読んだと思い出す人もあるかもしれない。そして、大部分の人はこう感じたにちがいない。おそろしいことだ。目的のためには手段を選ばない。やつら、麻薬にも手を出すとは。一方で悲惨な中毒患者を作り出し、なにが革命だ。けしからん。想像力のある人は、裏にどこか外国がからんでいて、麻薬の形で資金援助がなされているようだな、うさんくさいとうなずいただろう。
記事の文面からそう受け取るのは、当然といえよう。しかも、いささかの知識があると、これに関してだけは、過激派にちょっと同情したくなるのである。
闇値が大変な金額になるという点。麻薬犯の記事にはいつも、末端小売値にグラム数を掛けた合計金額が、大げさに書かれている。流通の中間段階でそんな計算をやるのはおかしいと思うが、以前にも私が指摘したことだし、ここでは省略する。
で、その燐酸コデインなる薬だが、すごみのある語感に反し、なんということもない薬である。たいていの家庭にあると思う。すなわち、セキドメの薬。そのビンのレッテルの成分表を見ると、この名がでているはずだ。
それなら麻薬じゃないのか、と反問したくなる人もあるだろう。だが、麻薬は麻薬。といっても、いわゆる麻薬的な中毒作用はなく、セキドメとしての効能を示すだけ。正式には家庭麻薬と称されている。
そんなのを麻薬あつかいすることないじゃないかと、疑問を持つ人もあるだろう。なぜこの燐酸コデインが麻薬に指定されているかというと、モルヒネの誘導体だからだ。つまり、モルヒネから作られるのである。
それなら、やっぱりぶっそうだ。手を加えればモルヒネに戻せるだろうと考える人もあろう。しかし、それは灰が紙に戻らぬごとく不可能なのである。もしそれが可能ならば、悪知恵にたけた麻薬団が見のがしているわけがない。薬局でセキドメ薬をどんどん買い込み、燐酸コデインを抽出し、モルヒネに戻し、中毒者に売って巨利を博しているはずだ。それができないからこそ、だれでも薬局で買えるのである。
だが、モルヒネが原料なので、その原料管理を厳正にする必要上、これを麻薬に指定してあるというわけで、セキドメという製剤にしてないのを持っていると罰せられる。
前述の闇値なるものも、一工程前のモルヒネに戻せればの話である。その秘法を暴かれるのが専門の過激派に開発できたとは思えない。また、苦心して密輸入したモルヒネを、わざわざつまらぬ燐酸コデインに加工したとすれば、正気のさたではない。対立する一派か、警察の手先かが、そっとコデインを手渡し、過激派の連中はそれにまんまとひっかかったとの推理も成り立つ。化学知識のない新聞記者が、それを大げさにする。お気の毒にと言わざるをえない。
なぜ私がこんなことを解説したかというと、十数年前に同様な目にあったからである。そのころ私は製薬会社を経営していた。社員のひとりが、会社とは無関係に燐酸コデインの粉末を持っていて、だれかの密告で麻薬法違反によりとっつかまった。警察まわりの新聞記者が会社へ飛んできた。そこで私は以上の説明をし、麻薬法違反かもしれぬが、決して危険な重大事ではないと説明した。記者がうなずいて聞いていたので、私はいちおう安心していたのだが、夕刊を見たら記事は前述の過激派のごとき扱いで、がっかりした。友人たちから「大変な巻きぞえをくったな」となぐさめられ、そのたびに私は、この説明を何度となくくりかえしたものだ。
なお、コデインは化学名メチルモルヒネ。そこまで私が記者に説明し、記事にその名が使われていたら、友人たちから完全に絶交を言い渡されたにちがいない。
いずれまた、だれかが同じ手にひっかかり、大げさな記事にされて泣くのではなかろうか。
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迎 合
大衆のマスコミへの迎合という傾向がある。「マスコミの大衆への迎合」の誤りではないから誤解しないように。
何年か前になるが、あるテレビ局で番組に催眠術をとりあげた。そのとき私は、SF作家ということでその被験者の一員として参加した。こんな機会でもないと体験できぬ。術者はある大学の先生で、この権威らしい。
「さあ、まぶたが重くなります。しぜんと両手がくっつきます……」
などと言う。無我の境に近づき、催眠状態に入りそうな気分にはなったのだが、ばかなディレクターめ、小声でカメラへの指示をつづけている。その声が気になって、まるでかからない。あとで聞くと出席者一同、だれも術にかかっていなかった。しかし、みなもっともらしく、命令どおりにからだを動かし、あたかも催眠術にかかったごとくつとめ、その録画がうまくできあがった。
途中で目をあけたりしたら、録画がだめになる。他の出席者や局に迷惑をかける。へたなことをしたら二度とお座敷がかからなくなる。そういった心理の結果である。
いまやマスコミ時代。マスコミに顔や名を出せるなら、なにを犠牲にしてもと思っている人も多い。となると、それへの迎合もしたくなるというものだ。
私は寝坊で朝のニュースショーをめったに見ないが、たまに旅先などで見た限りでは、そこに出演している主婦たち、みなそのようである。このような晴れの舞台、できればもう一度。そのためには、局のお気に召す発言をしなければならぬ。模範答案。自己の主張などそっちのけ、もともと主張などないのかもしれぬが、つまり、ひたすらそれに努力しているようだ。
私の友人に野田宏一郎という子供番組の担当者がいるが、彼の話。「五台の自転車がある。欲しい人はその理由を書いて局に送れ、審査の上、進呈するとテレビで放送した。すると、子供からどっと投書があった。どれも似た内容。父が交通事故で死に、ぼくはアルバイトをしなければならない。そのために自転車がいると」
その投書の主は、調べてみるとみな父親が健在。マスコミの気に入りそうな答を察知し、それにあわせて模範答案を作った形。だが、そこは子供、もうひとひねりまでは考えなかったというわけだ。
新聞の投書欄も同じだろう。その採用傾向を調べ、それにあわせた内容のが多いのじゃないかしらん。掲載になる魅力は、没になってもいいから自己の意見を投書したという満足度より、はるかに大きいはずである。
テレビの対談番組で激論する連中、激論が局の期待と察知して、それにこたえてああやってるのじゃないだろうか。全学連のあばれかた、新聞に迎合し記事になりやすいようにやってるのじゃないだろうか。報道からの黙殺ぐらい悲しいことはないものな。
この現象、迎合というと悪みたいだが、われわれ日本人にはすぐ理解できる。だれもがそうなのだ。それなら少しも問題ではない。みながこの機微を知っているとなると、大変なこととはいえないからだ。
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未知の分野
このあいだ作曲家の林光氏と対談した時に、いかなる原因や経過で人類が音楽を持つに至ったのかを質問した。定説はないとのことであった。ときの声、狩のときの声、呪いの声などがもとという説、通信手段が最初という説、といった各説があるが、はっきりしてないそうだ。
私は鳥や虫の声を人類がまねしてみたのが最初ではないかと思っていた。だが、鳥や虫の声は歌と称されはするが、われわれのいう音楽とは異質なような気もする。
音というものは形跡が残りにくく、調べにくい事柄である。それにしても、起源をあいまいにしておくなんて、音楽関係者も少し怠慢だなあと思いかけたのだが、考えてみると私も大差ない。小説の発生を他人から聞かれたら、やはりいいかげんな返答しかできないのである。
自分がそれで生活していながら、根本的な問題となると、まことにたよりない。大きななぞの上にのっているようなものだ。そして、知らなくても不便を感じないのだから、おかしなものだ。かえって妙な疑問を持ち出したりすると、変に思われたりする。
以前に平野|威馬雄《いまお》氏からうかがった話を思い出す。都内のある神社の縁日に店を出していた易者に、ポケットのなかの紙幣の番号を見ることなく当てられ、びっくりしたそうである。すごい超能力者だと、急いである週刊誌の編集部の知人に電話をする。しかし、その返事はこうだったそうだ。「そんなたぐいはよくありますよ。それより、東京タワーの傾いているという話題のほうが大事件です」
私は東京タワーが倒れようが、さほど驚かぬ。超能力の実在の証明のほうが大問題だと思うが、これは各人の好みに属することなのであろう。世の中には枠内でのなぞに興味を持つ人と、枠外のほうに関心を示す人と二通りあるようである。
どちらがいいとは断言できない。音楽や小説の起源など知らなくても、それらの鑑賞をさまたげられはしない。超能力も、それが自分でもできるようになれるのならべつだが、さもなければどうということもない。割りきって片づけるほうが現実的でもある。
しかし、現代は現実的になりすぎているようでもある。科学教育の普及のためかもしれない。科学は段階的に進むもので、未知の分野に空想を飛躍させることはない。それは当然なのだが、その反面、科学はすべてを解明しているとの錯覚を持たされてしまうものだ。だから、もはやたいしたなぞなど残っていないと思っている人も多い。
私の子供のころ、地球など太陽系惑星の成因は、太陽から飛び出したのがはじまりで、最初は熱く徐々にひえたのだと教えられた。現在の解説書によると、宇宙物質の集合ででき最初はつめたかったと書いてある。
十何年か前には英国の天文学者が、宇宙空間はたえまなく物質をうみだしているとの新説を出し、世人をうならせた。だが最近に至って、彼自身でその説を取り消しているとかいう話だ。
むかしはラジウム温泉はからだにいいとされていたが、いまや放射能というとみな不安がる。医学の分野でも療法が逆になってしまったのがある。睡眠不足は健康の大敵とばかり思っていたが、昨今のニュースによると、眠りすぎるほうが害だとでていた。
科学とは仮説であり、時とともに変化すべきもので、変ったからといって価値が下がるわけではない。だが受け取る側は、それぞれの時点における定説を真理として信じてしまいやすい。人間とは大自然のなぞの一端をわずかに模索している存在だと感じている人は少ないのではないだろうか。
現代のなぞというと、多くの人はつぎのようなことを連想するにちがいない。
空飛ぶ円盤が目撃され、地面に焼けあとを作った。ヒマラヤの山中には雪男がいるらしい。スコットランドのネス湖には大怪獣がひそんでいる。
村の住民や船の乗客が、原因もなしにそろって消え去った。金の卵をうむガチョウが出現した。催眠術で記憶をどんどん逆行させたら前世のことをしゃべりだした。ブードゥー教には呪いで人を殺す秘法がある。涙を流す聖像がある。イギリスの古城には代々すみついている幽霊がある……。
こちらは話題として面白く、未知の領域への好奇心をかきたててくれる。これらは現象としてのなぞと呼ぶべきであろうか。
このたぐいのなかで私がとくに興味を持つのは、超心理学的な現象である。虫のしらせとか、夢での予知とか、透視とかのことである。自分にもそれに似た体験があり、かなりの人が存在しうることだと信じている。デューク大学では科学的に実験をし、現象としてみとめられることを立証している。
つまり、データはわりと豊富なのだ。つぎは、どういう仮説を立ててこれらを体系づけるかである。ここで大きな壁にぶち当り、ゆきづまっているという形のようだ。ということは、私たちにも仮説を立てる機会が残されているというわけだ。
クイズやパズルのうんと高級なやつなのだ。模範答案を出すのではなく、独創的な仮説を立てるのが目標である。うまい仮説が立てられたら、世界じゅうをあっと言わせること確実だ。私も時どき、ひまがあると頭をひねってみるのだが、うまいアイデアが出ない。
空間そのものがある特殊な性質を持つと仮定したらどうだろうという仮説があるらしい。空間に一種の記憶能力がそなわっていて、過去の人物をそこに再現するという説。装置いらずの天然ビデオテープといったところだ。しかし、この説のおかしい点は、地球は自転しているのだから、そのずれによって、インディアンの幽霊が日本に出てもいいはずなのにという疑問である。
空間ではなく植物の作用かもしれない。最近、植物に意識があるという怪説があらわれたが、もしそれが本当なら、植物を媒体として遠隔テレパシーも起りうるわけである。雑誌社などで賞金を出して募集したら、あるいは珍答案が集るかもしれない。そして、最も奇妙なものが、あんがい巧みにすべてを包んだ解明となるかもしれぬのである。
しかし、人間に超心理の能力があったとしても、それは失われつつあるのかもしれない。エレクトロニクスが進み、通信網、X線、精密測定機などが存在するからには、遠隔の地に意志を伝えるテレパシー能力も、価値の点ではさほど貴重とはいえないのではないだろうか。
現象としてのなぞより、原理としてのなぞのほうがこれからは問題のようである。人間や社会を動かす法則などである。流行などもそのひとつ。
かつてフラフープなる遊びが爆発的にはやったことがあり、昨今はエレキギターが世をおおっている。そのもの自体は神秘でもないのだが、それを出現させ流行させた法則はだれにもわからない。出現後はもっともらしい解説がなされるが、それさえもあまり明快とはいえない。流行の法則はなぞなのだ。いや、人間社会そのものが、なぞの大海にただようものなのであろう。
女心はなぞである、などとよく言われる。女性にとっては、乱闘をやったり戦争をおっぱじめたりする男の意地なるものはなぞであろう。子供にとっては、勝手きわまるおとなの行動はなぞである。おとなにとっては、子供の気まぐれは理解できない。
人間というものがすでになぞなのだ。世界の金言集などを見ると、矛盾する言葉がいっぱい並んでいる。かかる不可解なものの集合である家庭にしろ、社会にしろ、国家にしろ、なぞでないはずがない。
これまではなぞというと自然科学的なものが主だったが、これからは社会科学的なものに焦点が移るだろう。社会がよくないという言葉がいやというほど使われているが、人間社会がなぞにみちたままほっておかれているからであろう。そのなぞにたちむかうためには、もっと身辺や日常のなぞの指摘がさかんにならなければならない。それには、なぞへの感覚といったものを、私たちが鋭くするよう心がける必要があるのではないだろうか。
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都 市
終戦前後のころの東京は、空気は清浄で道路はがらすき、いたるところにある空地には、みどりの草が一面にはえていた。しかし当時は、いつになったら都会らしい都会になるのだろうと、大いに不満だったものだ。
それが今では、うそのように一変した。「すばらしい発展ぶりだ」と感じる人と「極端に無計画なむちゃくちゃな町で、都市とは呼べない」と言う人と、二通りあるようだ。しかし私は、この二つは同じ意味のように思えるのである。
わが国民性は、秩序ある計画のもとではなにひとつする気になれないものなのだ。そのうえ苦痛でもある。あってなきがごとき規則、野ばなし抜けがけ、拙速と気まぐれ、それらの条件のもとでのみ、むやみと活気が発揮され、しかも生きがいを感じるのである。もし東京に都市計画の強力きわまる統制があったとしたら、隆盛ぶりは現在の半分程度にとどまり、いっぽう不平の声は今の二倍も高いはずである。これでいいのだとはもちろん言えないが、相対的に考えれば現状もやむをえないというところであろうか。
しかし、いささか調子に乗りすぎている。緑地をコンクリートやビルでぬりつぶす傾向も、とどまるところをしらない。それもオリンピックとか文化会館とか、芸術とか科学なんとかとか、もっともらしい看板のもとにやられるのだから悲しくなる。なにが文化だ。
先日テレビのニュースショーに引っぱり出された。水道管破裂さわぎの直後で、出席の大ぜいの主婦たちが、その被害について口ぐちに訴えていた。そのあと司会者が私に、都市の改善案について質問してきた。おざなりの答もできるが、それでは面白くない。私はこう言った。
「改善の必要はありません。むしろうんと住みにくくすべきでしょう」
注釈を加えれば「ハトを満腹させることができるか」という問題と同じなのである。鳥カゴのなかのハトなら可能だが、広場のハトは不可能である。なぜならいくらエサをまいても、どこからともなくハトがあらわれてくるからだ。都市も同様。もし東京の交通問題が解決し、公害もなく天災にも万全、失業もなく物価も安い、教育環境もいい、などということに万一なったとしたら、どうなるだろう。他の地方から当然、人びとがどっと流入してくる。つまり好環境は永久に完成しないことになる。
代議士の定員が都市で少ないと、その是正を求める声があるが、そんなことをしたら、ますます人口の都市流入の度がひどくなる。いっそのこと、都市の代議士定員をへらしたらどうだろう。
江戸時代に都市問題がなかったのは、町から人を追い出す「人返し」という政策を幕府がおこなったからである。パリはいい街だが、それは人口流入を制限しているからで、そうでない都市は世界どこでも、たいてい難問を抱えこんでいるはずである。
現在そうもできぬというのなら、住みよくしないまま都民税をうんと高くしたらどうであろう。私もプラスマイナスを検討し、東京から出る気になると思う。それぐらい強力なことでもやってもらわないと、だれも腰をあげない。「思いきった都市計画をやれ、公共のための土地の収用をためらうな」と論理的で勢いのいい発言をする人も、それが自分の不動産に及ぶとなると、たちまち顔をしかめる。人情とはかくのごとく、いいかげんなものなのだ。それの集合が都市である。こんなやっかいな怪物はほかにあるまい。
私は第三次大戦など少しもこわくない。核ミサイルのボタンを押せば一瞬のうちに世界がどうなるかは子供でも理解していることで、そんな事態は人間が正気である限り起りえないからだ。都市の未来のほうがはるかにこわい。ことが複雑であるうえに、一時まにあわせのムードのなかで、正気とも狂気ともきめようがないまま、じわじわと深みに落ちこんでゆくからである。
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アイデアと情報とエネルギー
小説を書くのを商売とするようになってから、ほぼ十年になる。私の場合は短編が多いので、むやみと数がある。最初のころは、そのうちなれて楽になるだろうと予想していたが、いっこうにそうならない。もっとも、SFとか架空のミステリーとかいうものは、実地を調査取材して書くものではない。書斎にこもって作りあげる分野である。
つまり、無から有を作り出すわけで、これが簡単に出来るものだったら、世の中にこんなうまい仕事はなく、ばちがあたる。私の作品には、なにかひとつアイデアが必要なのである。
それが容易でない。机にむかって、精神を何時間も集中しつづけるのである。そのあげくに、やっとうまれてくる。ごく時たま、ぱっとアイデアが浮んでくれることもあるが、そんなのは何パーセントかで、たいていは苦痛の果てである。
精神のエネルギーがどんどん燃やされてゆく感じである。こんなところでエネルギーという語を使っていいのかどうかわからないがそれが実感なのだ。
このあいだ、心理学科を出てやはりSF作家になっている友人に「思考のエネルギーはどこから出てくるのか」と聞いてみたが、彼も知らなかった。作家になるようだから、あまり学校で勉強しなかったのだろう。あるいは、科学もそこまでまだ解きあかしていないのかもしれない。
私は自然科学の出身なので、筋肉のエネルギーがどのようなしくみになっているかは習った。ATPとかいう物質が関与するのである。脳の細胞では、ビタミンB群、グルタミン酸などが関係しているそうだが、完全には明らかになっていないらしい。そのうちくわしく調べてみようと思っている。
思考エネルギーが消費されているという感覚は、脳のどこでどのように思考するのだろうか、また、フロイト学説による思考エネルギー論も知りたいものだ。
エジソンの有名な言葉に「発明は一パーセントの霊感と九十九パーセントの発汗より成る」というのがある。彼の実感なのであろう。おそらく、頭をしぼりにしぼり、各種の発明をなしとげたにちがいない。世の人びとは、発明というものは、才能さえあれば苦労なしに出てくるものに思っている。それへの抗議の気持ちもこめられているわけだろう。
エジソンは発明をやりすぎた。発明品を蓄音機ひとつぐらいにとどめておけば、もっと尊敬され、小学校の教科書にのったかもしれない。世のおろかな大衆の理解を越え、あまりにも努力をしすぎたのだ。彼に不運な点があったとすれば、ここである。
このごろはアイデア開発ばやりで、その方法を書いた本がけっこう出ている。二、三冊読んでみたが、どうもものたりない。あまりにすっきりと書かれているのだ。アイデアはそんなことではうまれない。指導書どおりやってうまれた異色のアイデアの例など、ないのではないか。どろどろと精神エネルギーを燃やしつくさねばならないのである。
といったことやなにかで、このごろ私は「アイデアはエネルギーなり」との説を立てている。
アイデア盗用は非難される行為である。私も二回ほどその被害を受けたが、じつにいやな気分だ。アイデアは無形のもので金銭に換算できないなどと思っている人があるが、そんなことはない。エネルギーの裏付けのあるものなのである。
そんなことを考えているうちに、情報もエネルギーではないかと思えはじめた。そのうち、これを主題に長編を書いてみようと考えているところだ。
話が横道にそれるが、アメリカのF・ブラウンという作家の「沈黙と叫び」という作品の出だしに、こんなのがある。
森の奥のような、聞いている人がひとりもいない場所で木が倒れた場合、音がしたことになるかどうか。聞く人がいなければ音は存在しない。いや、その有無にかかわらず音は存在している。この議論である。
私は初耳だったが、アメリカでは昔からよく引用される問題らしい。この作品では、それから発展し、森の奥で木が倒れたが、そばにいたのが耳の不自由な男だったらどうだろうとの妙な議論になり、本当にそうなのか、よそおっているのかわからない容疑者が登場する。そこが故意の殺人か事故かのわかれ目になるのである。
エネルギーの場合も、これと同様なことがいえるのではないだろうか。石油というものが存在する。しかし、そばにいる男がその利用法の知識を持っていなかったとしたら、はたして石油をエネルギー資源と呼べるであろうか、となるわけである。
知識があって、はじめてエネルギーとなる。また、その知識が他に伝えられ、つまり情報が他でエネルギーをうみだすのである。他の場所にあった石油をエネルギー化したと呼ぶのが正しいのだろうが、石油と接することで知識のエネルギーが発揮されたと称してもいいように思う。
原子エネルギーも同じ。この例のほうがわかりやすいかもしれない。原爆開発のマンハッタン計画の時、アメリカ政府は機密保持のため、さぞ厳重な警戒をしたにちがいない。戦後も原爆の機密を外国に流したため、死刑に処せられた学者があった。
その一方、ウランの資源はさほど警戒体制の下にはなかった。もっとも、全世界のウラン資源を完全に支配することは不可能だ。まさに情報のほうがエネルギーで、資源のほうは触媒《しよくばい》のようなものである。
学術スパイや産業スパイを処罰する基礎が現在ではあやふやらしいが、情報はエネルギーなりが定説になれば、その迷いは消える。明治時代だかに、盗電をやったやつがあり、これを盗みの犯行とみとめるかどうか、法廷で大問題になったそうである。その結果、電気は財物とみなすと刑法に条文が追加されることになったという。
現代はエネルギーの時代であると言われる。べつに新しい意見ではないが、情報はエネルギーなりとの考えの上に立てば、そのすさまじさがさらにはっきりする。
活字や電波によるマスコミは、情報を何万、何十万倍にふやしているわけで、エネルギーの増幅器である。もちろん、学校における教育も、それと同様の作用をしている。
情報によってムダを省く方法をひとつ知ったとする。やはりエネルギーの獲得であろう。それよりなによりも、テレビドラマひとつを考えてみるといい。私にも経験があるが、番組ひとつにどれだけのエネルギーがつぎこまれていることか。原作、脚本、出演者、音楽、演出、どれも大変なエネルギーである。
それがテレビによって、家庭内に送られてくるのだ。こうなると、媒体はエネルギーなりとの仮説も成り立ちそうだ。
無線による電力の輸送は実用可能かどうかといった問題がむかしからあるが、現代ではすでに、無線によって大量のエネルギーがばらまかれているのである。ひとむかし前にくらべたら、想像を絶したことであろう。
つまり、現代の私たちは、エネルギーの洪水のなかにいるのである。以上、まことに珍説で、まともな人が聞いたら一笑に付することだろう。しろうとは、とんでもないことを言いだすものだと。
しかし、そこがSFの便利なとこで、怪しげな飛躍が許されるし、むしろそれがなければならないのである。そして、いかなる必然でこんな時代になったか、今後どうなるかを小説にしようというのである。はたしてうまくまとまるかはわからないが……。
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ひとつぐらい
先日、国鉄が全国の赤字線を発表し、そのうちの駅のいくつかを無人駅にしようという計画を打ち出した時、地元では「ひとりぐらい駅員を置いてもいいじゃないか」との声が続出した。新聞もそれに好意的な報道でした。
しかし、以前にある運輸大臣が「ひとつぐらい急行をとめる駅をふやしたっていいじゃないか」と言い、マスコミにたたかれて辞職したのと、発想のもとは同じなんですね。上の好むところ、下これにならう。いや、下の好むところ、上これにならうですかね。「ひとつぐらい」の好きな私たちの性格をもっと分析すると、論文が書けそうな気もします。
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断 絶
断絶という流行語は、人間どうしは全面的に理解しあえるものだとの幻想を信じている連中の使う言葉ですよ。人間はもともと断絶しているものだと思っていれば、他人がかすかな理解や友情を持ってくれると、それだけで大感激します。このほうが精神衛生にもいいんじゃないでしょうか。
断絶とさわいで欲求不満をあおりたて、なにか利益をあげようとする商業主義のにおいがする。断絶成金なんてのが、どっかにいるんじゃないかなあ。
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子供のオモチャ
他人の商売の分野にけちをつけるのもどうかと思うんですが、子供のオモチャって意外とバラエティが貧困ですね。おとなの感覚を押しつけてるみたいなとこがある。既成の物品のミニチュア版ばかりです。もっと子供の連想や空想の側からの製品があってもいい。
たとえば、こんなのはどうでしょう。組立式の簡単な箱です。しかし、それは椅子にもなれば、人形の家にもなる。すわってそれにむかえば机にもなる。さらに温泉ごっこの風呂にも、バーごっこのカウンター、強盗ごっこの金庫にも使える。車をとりつければ乗り物にもなり、もちろんオモチャ箱にもなる。子供はもっと各種の利用法を考え出すでしょう。折りたたみ式だから、団地の住宅内でもかさばらない。こういう多目的なのが作られてもいいんじゃないでしょうか。
しかし、そんな万能製品が出ると、子供がなかなかあきなくて、オモチャ産業は利益をあげにくくなるかもしれませんな。
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不愉快な状態のとき
それを発散させず、じっと心にためておくと、小説のアイデアに育ってくれます。不愉快なことは不愉快ですが、不愉快なことがなくなったら小説が書けなくなり、これまた不愉快でしょう。矛盾です。
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臓器移植
そのうち肝臓だのなんだのに、値段がつき、抵当権だって設定されるかもしれない。そうなると、シェークスピアの「ベニスの商人」は偉大な予言と再認識されかねない。
輸血用の血を供出するのがいいこととされているのは、血はどんどんできてくるからですかね。交通事故で他人を傷つけた者に対しては、一定量の血の供出を義務づけたらどうでしょう。
臓器移植の是非は、われわれには急にきめられないようなムードがある。態度保留で外国のようすをながめ、結局その大勢にあとから従うなんてことになるんでしょうね。核兵器など、ほかの例とおんなじことです。
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人類の支配
胎外受精とか、遺伝子コントロールとか、脳科学の進歩とか、科学ニュースがあるたびに、新聞社から電話がかかってくるんですよ。「この技術がさらに進み、悪用されたら、全人類を完全に支配する独裁者が出現するんじゃありませんか」とね。
えらい飛躍だけど、さらに飛躍させたら、かりに全人類を完全に支配する独裁者が出たとして、そいつ、なにが面白いんでしょうね。なにもかも思い通りになるとなったら、プラモデルのむれと遊んでるようなもので、興奮も感激もない。なにがしかの反抗者をわざわざ作り出すことになるんじゃないでしょうか、楽しむために。
飛躍に飛躍をつぎたすと、抽象的な夢物語みたいな話になっちゃいますな。
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ロケットの発射
ロケットの発射のテレビや新聞を見て、いつも思うんですが、どれもこれも同じ大きさにうつっている。国産の小型のやつも、アポロのごとき巨大なやつも、発射直後の空中における写真では、まるで同じに感じられます。といって、大きさに比例させたら、アポロは画面からはみだし、国産のはかすかな点となり、そうもできんでしょうし。
写真しか見ず、解説記事も読まない世人のなかには、国産ロケットもアポロも、大きさにあまり差がないと思いこんでる人が、けっこういるんじゃありませんか。
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宇宙空間の水
地球の大気圏外の宇宙空間で、体温ぐらいのバケツ一杯ほどの水を、ロケットのそとへ投げ捨てたらどうなるんでしょう。真空だから、一瞬のうちに蒸発してしまいそうにも思える。しかし、氷点下二百何十度ということから考えると、たちまち凍るような気もする。どっちなんでしょう。(科学者と対談するたびにこの質問をするが、いまだに明快な答を得ていない)
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月の開発
アメリカ大陸はコロンブスによって発見されたわけですが、その時、まず学者たちの管理にまかせ、よく調査してからなんていってたら、USAはいまだに成立せず、どうにもこうにもならなかったでしょうな。
月もそれと同様。だれでもいいからそこへ到着し、地面に手を加えて住みついたら、五キロ四方は無条件でその当人のものとなる。そんなふうに野放しのとりきめをしたら、予想以上に開発のスピードは増すんじゃないかな。
それにしても、南極はどうなってるんですか。学者の研究のオモチャになって、民衆と関係のないところで忘れ去られつつある。南極にホテルぐらい作り、観光客が行けるようにしたっていいでしょうに。
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勲 章
人類初の月着陸をやってのけたアポロ11号の乗員に文化勲章をおくったことについて、批判めいた声もあるようですね。動物園のお猿電車のお猿と大差ないじゃないかと。科学の成果の上に乗っかっただけだとか。なるほど、フォン・ブラウン博士におくるべきかもしれない。だが、それだとV2号の設計者という点がからんで、ぐあいが悪いんでしょうな。
他人や先人の成果の上に乗って、それを少し進めたのでは価値がないとなると、ノーベル賞の科学部門のなかにも、それに相当する人が出てくるかもしれない。いや、科学とは大部分そういうものでしょう。
ノーベル賞をもらった、ペニシリンの発見者のアレキサンダー・フレミング。発見そのものはとくに高度といえないかもしれないが、この独創的な着眼はコロンブスの新大陸発見に比すべき、画期的なもの。医薬品としての効果もすばらしく、彼のノーベル賞は文句ないところだと思います。
しかし、問題はストレプトマイシンの発見でノーベル賞をもらったワックスマンです。この結核新薬の有効さはいまさら説明するまでもありません。だが、その手法はフレミングの延長上にあるわけです。フレミングは青カビのなかから偶然にペニシリンを発見した。ワックスマンは微生物をしらみつぶしに調べ、土壌菌のなかでストレプトマイシンを出すのを探し出した。
その努力たるや大変なものだったでしょう。それと、アポロ乗員の努力をくらべてみて、質的に差があるかどうか。むずかしいところです。賞や勲章というものは、出すほうもけっこう頭を使うんでしょうね。
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アポロ13号
宇宙空間でかなりの事故を起しながらも、アポロ13号はなんとか帰還できた。もし帰還できなかったら、事故原因が不明のままになるわけで、その点よろこばしいことです。
アポロの乗員たちの地上との交信を聞いていると、冗談の多いのに感心させられる。恐怖やパニックには伝染性があり、それを防ぐためにも冗談は必要だとのことです。これは私たち日本人に最も欠けている要素で、冗談を身につける修業が今後の課題になってくるんじゃないでしょうか。
アポロ13号の帰還のテレビ中継。胸をどきどきさせて徹夜で見つめた人も多いんでしょうね。そして、翌日は睡眠不足となり、交通事故もいつもよりふえ、死者の数がはねあがったかもしれない。この人命の収支計算は、どうなるんでしょうか。
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ビデオ・カセット
テープによって映像が好きな時に見られるようになる。いい面ばかりとはいえないんじゃないでしょうか。いまの私なんか、テレビで名画劇場なんかあると、つぎにいつ見ることができるかわからないと、時間をやりくりして見てしまう。しかし、これがカセットになり、好きな時に見られるとなると、はたして見るかどうか。いつでも見られるとなると、安心感でかえって見なくなるんじゃないでしょうか。
われわれが新聞や週刊誌をいやに熱心に読むのは、二度とこれを読む機会はないだろうとの気分が底にあるからかもしれない。文庫の古典名作となると、いつでも読めるという安心感で、なかなか読まない。
ちょっと話題がずれますが、放送によるテレビのいい点は、共通の話題を作ることです。「きのうのあの番組は面白かったな」というぐあいに。カセット時代に入ったら、会話のきっかけが減るんじゃありませんか。
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寝床公害
外国帰りの人が映画やスライドをとってきて、知人に見せたりする。これを見物させられる苦痛は、あまり指摘されてないけど、かなりなものでしょう。外国に行かない人は、外国に関心がないか、行きたくても行けないか、二つの型のいずれかでしょう。そのどっちにとっても、それを義理でいやおうなしに見せられるのは、不快なものです。
このたぐいの公害が、未来にはふえるんじゃないでしょうか。落語の「寝床」です。一億総「寝床」だ。
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スピード
東海道に散歩専用の道ができるそうで、この計画はずいぶん好評のようだけど、はたして利用者はたくさん出るでしょうか。われわれにはスピードへの信仰みたいなのがある。「スピードだけの旅はあじけない」とだれも口では言うが、みんな新幹線や航空を利用している。
散歩専用道ができても、やがて自転車も走れるようにしろとなり、オートバイもとなり、ついには自動車も通せとなり……。
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騒 音
ジェット機の騒音のけしからん点は、機内においては静かだということです。乗客たちも騒音をがまんしているというのなら、まだ同情もできるんですが。
内部の静かさを強調している自動車もあるが、あれも困り物ですね。防音完備というわけでしょう。そこに音をとどかせようと、他の車の警笛の音をそれだけ大きくしなければならない。悪循環のはじまりでしょう。
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ご飯のカンヅメ
ご飯のカンヅメがよく売れているという。たいた米をカンヅメにしてあるので、温めればすぐ食べられる。米を買ってきてたくよりかなり割高だが、その便利さがうけてるというわけでしょうね。
考えてみると、人類が稲という植物を栽培しはじめてから、ものすごい年月がたっているが、その調理法についてはほとんど進歩していない。生活の他の分野では、めざましい進歩があるのに、米の調理法はそのまま。このもどかしさが、ご飯のカンヅメの愛好者の心の底にあるんじゃないでしょうか。
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あいまい標語
交通の標語に「安全へ人も車もゆずりあい」とかいうのがあるけど、かえって危険なんじゃないでしょうか。むこうがゆずると思ってて、ゆずらなかったら、事故発生ですよ。ここは車が優先、ここは人が優先と、すべてはっきりさせておくべきです。古風ムードの礼節、それはそれでいいんですが、非情なメカニズムのなかに持ちこむのはどうも感心しません。
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進歩不感症
私の小学生のころにアルマイトなるものが製品として出現した。アルミの弁当箱にくらべ高級で上質で、これぞ科学の進歩の成果と、大変ありがたい気分になったものです。
丹那トンネルができたのもそのころで、科学のありがたさが身にしみる思いでした。
しかし、昨今のごとく進歩が多種多方面になると、ありがたみもうすれる。進歩が当然という気分になり、時には進歩のおそさにけちをつけたりもする。大きな変りようです。
もし進歩の神なるものがあるとすれば、さぞ面白くない気分でしょう。あっというような公害や事故を起し、目にもの見せてくれようといった気にもなるというものです。
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ビールのびん
ビールのびんを見るたびに思うんですが、古くさい感じがしますな。形も色もレッテルの形も、あまりぱっとしない。外見の点では、コカコーラに劣ります。
生産設備をいまさら変えられないからなんでしょうが、ということは、未来|永劫《えいごう》このビールびんとつきあわなくちゃならんわけですか。
ビールびんの容量も、はたしてあれが適当なのかどうか。コーラは自動販売機でガチャンと出して飲むのに、ちょうどいい量です。そんなことから、小びんのビールの生産がはじめられたわけでしょうが、この時、なぜびんの形についての検討をやらなかったんでしょう。
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ホテル
私たち日本人は、外国から各種のものを輸入するが、それを日本的なものに改良するのを特技としている。カツドンとか、電気釜とか独自なものを作りあげる。
しかし、ホテルに関しては、そういうことがないようですな。日本的な性格にあわず、お客がたえずまごつく個所があっても、絶対に改良しない。ホテルとはわが国における、神聖なもののひとつです。
和風旅館だと、お客はあれこれ文句をつけるが、ホテルとなるとそれをやらない。かりに非がホテル側にあっても、お客のほうがあきらめてしまう。ホテルに対する遠慮のない悪口をどんどん出させ、試験的に体質改善をやってみるホテルはないもんでしょうか。どんなふうに変りますかな……。
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有望な職業
私が大学に入ったのは、第二次大戦末期の昭和十八年。その時に石油科学というのができ、奨学金つきで学生を求めたが、そんなのを専攻しても将来性はなさそうだと、まるで人気がなかった。しかし、戦後になってみると、需要最大といっていい分野に一変した。
このあいだ、どこかのアンケートで「未来の有望な職業は」というのがきたんで「検事」と返事を出しといたわけです。案外、人間の悪に関連したこんな職業が、浜の真砂《まさご》はつきるとも、永久に安定した仕事かもしれませんな。あんまり感心した未来図じゃないけど。
SFを私が書きはじめたころなんか、そんなのに手を出すなという環境でしたものね。絶対に有望保証つきなんてもの、ないんじゃないでしょうか。
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教育の画一化
あるていどは教育の画一化も必要なんじゃないでしょうか。あまり子供のころから変にあるひとつのことばかりに熱中させると、その分野で才能を示すかもしれないけど、先へ行って困ることも考えられます。
たとえば、昆虫好きな子供に、そればかりに熱中させる。たいした学者にはならないんじゃないかな。それに並行して、いやいやながらでも、むりに社会学を勉強させておく。それだと、昆虫学と社会学の関連の上に、なにか新理論を発見するかもしれない。
個性を伸ばすなんてことより、専門化はなるべくおくらしたほうがいいような気がします。私が小説を書いていて、学生時代にいやいや勉強したことが、意外と役立ったりしている。中学生から「将来SF作家になりたいので、ほかの勉強の手を抜いて、SFの研究に熱中したいがどうでしょう」なんて手紙のくることがある。熱意はわかるけど、これはいけませんな。
どの勉強も面白くてしようがない。将来、なにを専攻したものか迷ってしまう。まあ、そんな人はいないでしょうが、もしいたら、つかまえてきて強引にSF作家にしたいものだな。すごい作品を書くかもしれない。
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君が代
江戸時代の狂歌に、
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君が代は千代に八千代に八千鉾《やちほこ》のやすらにといで針となるまで
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というのがあるんですよ。国歌として制定される前ですから、狂歌にしてもべつに怒られもしなかったのでしょう。しかし、発想を逆にしたこんな狂歌が作られたというのは、もととなった和歌が、当時すでにかなり有名なものだったからでしょうね。
鉾をそっとといで針にするのは、すごい時間がかかるんだろうな。しかし、この狂歌、もとの和歌がなかったら、ちっとも面白くない。科学的なつまらなさです。そこへゆくと国歌のほうは、常識を超越した飛躍があり、まことにすばらしい。われらの祖先に、こんな思考をする人があったとは……。
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ロボット探検隊
未知の惑星を探検する場合、人間とロボットのいずれを派遣するか。人間のほうがいいにきまっているが、人間というやつは帰還してから「おれはえらいんだ」と、いばりちらしかねない。
ロボットなら、そんなことしないでしょうな。いや、するかな。いばりちらすロボットなんて出現したら、かなわんだろうな。
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コンピューターの基本回路
社会が複雑になるにつれ、コンピューターによる管理はやむをえない傾向でしょう。しかし、インドのコンピューターには、牛を食っちゃいかんという基本データが、当然のこととして入れられるんじゃないでしょうか。
回教国のには、ブタを食うなとか、禁酒や断食の行事が基本回路として入れられる。イスラエルのにはユダヤ教のタブー、共産圏の国にはそれなりのタブーが。
こうなると、各国の断層が大きくなる一方。あとで、どう調整するんでしょうか。変なことが心配です。
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アシモフによるロボット三原則
〈ロボットは人間の命令に服し、人間に危害を加えず、それらに反しない限り自己の維持をなすべし〉
なんとか、このアシモフの三原則の矛盾を突けないものかと考えてるんです。
核ミサイルの発射室に、気ちがいが入ってきて、ボタンをいじりはじめた。ロボットがそれに気づいたら、どうするだろう。間髪をいれずに射殺すべきだと思うがな。
また、こんな場合はどうだろう。がけにつなが一本たれていて、その途中にロボットがしがみついている。そして、その下のほうには人間がしがみついている。だけど、つなはその重みにたえきれず、切れかかっている。人間には上にのぼる力がもはや残っていない。その場合、ロボットはつなを切り、人間を落すことになるんじゃないかな。無意味な共倒れの道をロボットがえらぶはずはないでしょうし。
ロボットが一台五億円とする。一方、どうしようもない犯罪者がいる。どちらかしか助けられないとなると、一般的な感情として考えちゃうんじゃないかな。ロボットの基本性格には、簡単に割りきれないものがあるようです。
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ハイジャック
亡命のからんだ飛行機の乗っ取りってやつは、どうも困るんですな。いまのところはいいですよ。なんとなく人道的な、一種の慣習みたいなものができている。
しかし、これが悪用されたらことでしょう。対立国にむかって「乗っ取られた、犯人はそちらに亡命したがっている」と連絡する。ところが、これが仕組まれた作戦。かくしてその国の上空にうまうまと侵入し、核兵器を投下する。迎撃のしようもない、完全な奇襲です。第三次大戦のしょっぱなには、こんな手が使われるんじゃないでしょうか。
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面白くない小説
かつてある時期、することがないので小説ばかり読んでました。面白くない小説が多いんですが、ほかにすることがないんで仕方ない。やけみたいなもんです。
しかし、そのうち、なぜ面白くないのか、私の趣味にあわない点はどこか、と考えながら読むようになった。どこをどう変えればいいかと、妙な読み方をはじめたわけです。そうすると、面白くない小説を読むのも、いくらかは楽しくなった。作家となるのに、少しは役立ったかもしれませんな。
どうせ世の中、面白くないことが多いんですから、避けようとしてもきりがありません。それより、どこがどう面白くないのか、どうなおせば面白くなるかを考えてみるのも、時には必要なんじゃないでしょうか。
子供が「そんなの面白くないな」と言ったら、どこが面白くないのか考えさせる習慣をつけさせるといいかもしれない。創造力を具体的なものにする技術のひとつでしょう。
人間、面白さのなかにあると、どこに面白さがあるのか考えにくい。楽しむほうに頭がみんないっちゃうわけです。
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SFの短編の書き方
「どうやってSFをお書きになるのですか」
と質問されて、ロッド・サーリングは、こう答えている。
「なくなったヘミングウェイも言っています。小説を書くのは簡単だ。タイプに紙をはさんでキイをたたけばいいのです」
また私の知る限りでは、ハインラインもアシモフもブラウンも、これと似たりよったりの答をやっている。そのほかの作家も、おそらく大差ないことを答えているにちがいない。どうやらこの種の問答は、作家なるものが地球上に出現して以来、あきることなく繰り返されてきたものらしい。
皮肉な作風のボーモントは、このテーマで短編を書いた。「魔術師」という名作がそれである。人びとの羨望《せんぼう》の的である旅まわりの老いた奇術師。それが子供たちにせがまれた末、ついにつぎつぎと手品の種明しをやってしまう。だがあとに残ったものは、幻滅と失望だけなのである。
「黙っているほうがおたがいのためでしょう」と逃げている形だ。
はぐらかすことのできない作家、ブラッドベリはこう答えている。
「執筆とはつらい仕事で、落胆や胸のはりさける思いの連続だ。作品を書くための近道をよく聞かれるが、それは、書きつづけ、学びつづけ、そしてまた書きつづける以外にはない」
SF作家ではないが、自信家のイアン・フレミングの場合はこうだ。
「ベストセラーを作る唯一の秘訣は簡単だ。読者がページをめくり続けるようにすればいい」
どれもこれも要領をえない。小説技法の秘密をもらしたら飯の食いあげになるから、作家シンジケートが共同戦線を張って防衛しているのではないか、などと気をまわしてはいけない。すでに秘訣は公開されているのだ。以上の問答のなかで、すべてに共通した点がある。
すなわち、質問する側は「容易にできるものなら自分もやってみよう」という気楽な心境である。だが、これに反して答える側は「楽であろうとなかろうと自分は小説を書くのだ」といった意欲、あるいは自己に課した義務感のようなものを持っている。これなくしては、タバコをやめる法、異性を獲得する法と同じく、事態は一歩も前進しない。
心構えについてはこれぐらいにして、ここでは短編作法について、もっと突っ込んだ解説をしなければならない。ヒッチコック・マガジン日本版に「ショート・ショートの書き方」というのがのったことがあった。この分野の傑作集をまとめたり、書き方の本を出しているロバート・オバーファーストという人の著書の紹介である。それによると、
「まず四十枚の短編を考え、それを十枚にすっきりと圧縮すればいい」
のだそうだ。いささか無責任な発言だ。しかし、アメリカの小学校では、むかしからこんな授業がおこなわれている。たとえば、まず歴史の教科書を五ページほど読ませ、つぎに生徒たちにその内容を百語にまとめさせ、良くできたものを先生が読みあげて教えるのである。このような基盤があるため、オバーファーストもあっさりとかたづけたのだろう。わが国では、演説や祝辞や弔辞など、長いほうがありがたいという概念が広まっていて、圧縮技術は独学で工夫しなければならず、困ったことである。私が文部大臣になれば……。
話が脱線しかけたが、オバーファースト氏もこれではいくらか気がとがめるのか、もう少し詳しく解説し、売り物になるショート・ショートの三要素をあげている。
一、新鮮なアイデア
二、完全なプロット
三、意外な結末
この三つである。
それくらいは言われなくてもわかっている。どうすれば、その条件をそなえた作が書けるか知りたいんだ。こんな不満の高まった人も多いことだろう。なんだか、宇宙の有限性を説明した天文書を読んでいる時と同じ、わかったような、納得できないような気分である。もう一歩ふみこんでもらいたいところだ。
そこで、一歩をふみこむ。まず、新鮮なアイデアについて。アイデアの必要なことの説明は、省略しても文句は出ないことと思う。SFファンのなかには、新鮮きわまるアイデアをお持ちのかたが多いはずである。質の点では、プロないしセミプロの作家のそれと大差ないにちがいない。あるいは、もっと高度かもしれない。ちがうのは量の点である。プロやセミプロは締切りが来れば、それを編集者に引き渡さなければならない。たとえば、野生の果実と、果樹園のとの差といえそうだ。
では、アイデア栽培園を作るにはどうしたらいいのだろう。アイデアのうまれる原理を調べ、それに従って育てればいいわけである。しかし、そんな原理があるのだろうか。
ある。これを明瞭《めいりよう》に分析した文がある。アシモフの書いた「空想天文学入門」のなかの「とほうもない思いつき」という章である。小説をも含めたアシモフの既紹介の全作品のなかで、私はこれに最大の感銘を受けた。それまで無意識にやってきたことを、はっきりと解明された思いがしたからだ。もっとも、この章は科学的発見について論じているが、小説の場合にあてはめても同じである。
お持ちのかたは読みなおしてごらんになるといい。しかし、お持ちでないかたのために、私がここに圧縮して要約する。
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一、知識の断片を、できるだけ多く、広く、バラエティに富んでそなえていること
二、その断片を手ぎわよく組み合せ、検討してみること
三、その組合せの結果がどうなるかを、すぐに見透してみること
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といった三条件だ。だが、これだけでは抽象的で、無味乾燥の感がある。実例を二つばかりあげてみよう。
短編の名手F・ブラウンに「血」という作品がある。彼は頭のなかにタイムマシン、吸血鬼、植物人間という知識の断片を持っていた。そして、これらを組み合せて検討してみた。それから、この組合せが読者を面白がらせるだろうとの見透しをつけた。
シェクリイには「王さまの御所望」というのがある。時間旅行、電気製品、アトランティスの三つの断片を組み合せて新鮮なアイデアに仕立てたのだ。
その他の作品については、ひまな時に読みかえし、大部分がこの三条件にのっとっていることを確認なさってみると参考になると思う。もちろん、アイデアによらない短編だってありうるわけだが、それは割愛する。いまは、この三原則をもっと具体的に解説したほうがいいようだ。
一、知識の断片について。要するに本を読むなり、人生経験を経るなりして、知識の断片をふやすことだ。多ければ多いほど、組合せの範囲も広くなり、新鮮なものの発生率も高くなる計算である。しかし、知識の断片を得るはじから、すぐに忘れてしまうという性格の人は問題外である。
SFを書くからには、SFはもちろんのこと、他の分野の作も読んだほうがいい。そのいい例が、ブラッドベリ。彼はSFとセンチメンタリズムとを組み合せることを初めてやってのけた。またわが国では松本清張が、探偵小説においてタブーであった社会的事件との組合せを試みた。もし両氏がSFや探偵小説だけの読者であったら、この組合せは発生しなかったにちがいない。人によっては批判もあるだろうが、その成果と功績についてはみとめなければならない。
二、組合せと、その検討について。アシモフの説によると、人間の心のなかでは無意識のうちに、でたらめの形での組合せが絶えずおこなわれているそうだ。私の場合も、まず雑然とした組合せが浮ぶ。それを書きとめるわけである。
幽霊と催眠術。友情と動物園。月賦と殺し屋。ドラムと鬼。チョウチンとツリガネ。まばたきと変装。左利きのサル。裏がえしの憲法。やとわれた怪物……。
メモの大部分はこんな調子である。書きとる前の段階で、もっと多くの組合せがなされ、フルイにかけられているらしいのだが、自分でもよくわからない。つぎに、これらのメモをにらみながら、頭を抱えて最もものになりそうなのを検討するのが第一着手である。意識するしない、メモを取る取らないの差はあっても、SF作家は大差ないことをやっているのだろうと思う。ブラウンは金魚という一語から長編の発端を作り、発展させる技術を公開しているが、短編の場合はこの方法ではなかろうか。
なお、組合せの例として簡単な断片ばかりあげたが、断片でなく、もっと大きな塊、複合体でもいいことはもちろんである。
「組合せなら、百科事典を電子計算機に覚えさせ、それでやればいい」とのSF的な意見を言いたい人もあるだろう。しかし、社会の下積みの人間の悲哀などは、百科事典にのっていない項目である。
また、かりにそれらをも全部記号化でき、組合せをやらせるとしても、ものになりそうなものをピックアップすることは、当分のあいだ機械化できそうにない。なぜなら、その公式がないからである。公式があるとすれば、それはもはや新鮮ではないことになり、一種の矛盾を含んでいるからだ。
新鮮な組合せとは、公式でないもの、既存の常識や感覚にないもの、つまり、組み合せるものの間がかけはなれていればいるほどいいのである。
前述の、知識の断片が豊富で、範囲の広い必要性はここにある。
そして、組合せの検討の時には、わくにとらわれない気持ちでのぞまなければならない。作品を読んで、これはSFだ、これはファンタジーだと分類することは自由だが、この段階では意識しないほうがいい。むかし南米では、白金を含んだ鉱石を、金とまぎらわしいからとの理由で海に捨てたそうだ。鉛でも銅でも、鉱石は掘っておくことだ。用途はあとで考えればいい。
最近は各分野で、ブレーン・ストーミングというのがなされている。会合した人びとが、思いつくままの提案をすることである。このさいの第一の鉄則として「どんなばかげた案にもケチをつけるな」というのがある。まして、小説を作るのはひとりでの作業だ。恥ずかしがることは少しもない。思いきった組合せを試みるべきだ。この過程でいかに多くの、愚かでなさけなく、唾棄《だき》すべき、低劣で無残な組合せをやっても、作品にしなければいいのだ。そして、気のきいた組み合せだけをピックアップして発表していれば、他人には素晴しい人間として通用する。これは短編に限らず、芸術家だろうが、学者だろうが、みなそうなのだから気を大きく持つべきだ。
といっても、わくを超えた組合せを作るのは、けっして楽なことではない。やってみるとよくわかる。常識のわくというものは、恐ろしいほど強力である。
なお、アイデアをいくつか得た場合、そのなかの最良のものを使うべきだ。もったいないからと次善のを使う習慣がつくと、いろいろと感心しない副作用が派生する。
三、組合せの結果について。組合せの時に取り払った常識のわくを、ここでは再び取り戻さなければならない。組み合せた結果が、ある効果を示すものかどうか、冷静に研究する段階なのだから。
よく「SF作家は頭がおかしいんじゃないか」と聞かれることがある。そのたびに、「とんでもない。あなた以上に健全な常識の持ち主ですよ」と答えることにしている。健全な常識がなかったら、どうして、常識のわくを破ったアイデアだけが取り出せるだろうか。製品のなかから規格品を選出する時も、規格外のを取り出す時も、規格についての認識を必要とする点では同じことだ。
いうまでもないことだが、作品を多く読んでおかなければならない。自分では規格外と思っても、すでに書かれていては、規格品になってしまう。といって、読んでばかりいては書く時間がなくなる。打ち明けたところ、ここが最も苦しい点だ。不老不死の血がほしくなる。
余談になるが私がタイムマシン物とロボット物をあまり書かないのは、既存の作品があまりに多く、それとの重複を恐れるからである。なお、読む場合も書く場合も好きなテーマはマッド・サイエンティスト物。この分野を軽蔑する人が多いようだが、だからこそ興味の持ちがいもあるというものだ。
さて、これでアイデア発生の原理は終り。いくらか参考になっただろうか。わかったような、当り前のことを言われたような気分ではないだろうか。しかし、どのSF作家をもってしても、これ以上のことは言えないと思う。天来の啓示で一瞬のうちに得たアイデアも、スローモーション・カメラで引き伸ばせば、ほぼこのような動きになるのではないだろうか。
もっとも、混乱するといけないので書き残したことはある。いまの順序を逆にたどる場合である。たとえば、効果のムードを先に思いつき、それを最大限に示す組合せを求める時などだ。なんでもいいから金をためたいという感情がある。これを宇宙的、時間的に極端に拡大できないものだろうか。その効果的な組合せを求めて、知識の断片をいじりまわす……といったたぐいだ。しかしこれをやる場合も、基本的な順序での習慣をまず身につけておいたほうが、能率的におこなえるし、新鮮なものが得られるように思う。安易な道を選ぼうとしないほうがいい。また、この方法を使う時には、プロットの問題もからんでくる。
そろそろ次に移る。プロットすなわち筋と、意外な結果についてである。この二つをまとめて論じることにする。
これは私見だが、アイデアよりプロットのほうを重視すべきだと考えている。SFは飛躍した舞台での物語であり、アイデアこそ生命であることを充分に承知しての意見である。
その理由の第一。プロットを作る方法を持っていれば、アイデアが効果的に生かせるからだ。アイデアを発見しても、ストーリーにならなくてあきらめるのは、もどかしいことだ。言いたいことがありながら外国語の会話が未熟で、歯ぎしりする時の気分である。新発見のアイデアも図面にして特許庁へ出願しなければ、第三者に主張できない。
私もせっぱつまった時、数年前のメモを取り出し、当時はあきらめていたアイデアが生気を取りもどし、ほっとすることがある。プロットの作り方になれてきたおかげであろう。
理由の第二。プロットの大事なのは、SF短編だからこそである。推理小説は必然的に結末へむかって収束する形式である。トリックを思いついたからには、うまいへたはあっても、終りで手のつけようのなくなることはあまりない。
しかし、SFのアイデアはそれ自体、収束より発展にむかう傾向を本質的に含んでいる。頭のおかしな学者がある装置を作りあげた。宇宙人が新手の作戦で乗りこんできた。男性だけを殺す毒薬が完成した……。
どれもほうっておけば、無限にひろがり発展をつづけるアイデアである。発端からすでに、あばれ馬だ。長編に仕立てるのなら話はべつだが、短編にまとめようとするからには、第一行から終結に至るまで、構成のことを片時も頭から離してはならない。
SF短編の魅力の一つは、拡大性を持ったアイデアを、物語の面でしぼりあげることにもあるようだ。相反する力の釣合いとでもいった感じである。
理由の第三。書き加えるまでもないことだろうが、架空の話だからである。架空でつじつまがあわなければ、夢そのもの、酔っぱらいのたわごと、麻薬での幻覚と同じことだ。
ところで、いよいよプロットの技法を解説しなければならない立場になった。あいにく外国の作家の発言を知らない。発言しているのかもしれないが、読んでいないのだ。したがって、個人的な体験からの意見となる。あるいは、もっと簡便適切な方法があるのかもしれないが、この際いたしかたない。他人から質問された時、私はこう答えることにしているのだ。
「小話を覚えてみたらいいと思います」
雑誌や週刊誌にのっている小話だ。たいていの人は何百編か何千編かを読んだことがあるはずだ。だが「なんでもいいから、今ひとつ話して聞かせてくれ」となると、目を白黒させることになるのではないだろうか。
ついでだから、小話をひとつ引用する。
ひとりの気ちがいが、長いヒモを引きずって歩いていた。警官が呼びとめてたずねた。
「そんなものを引きずって、なにをしているのですか」
「透明人間をさがしているんです」
「さがしてどうするのですか」
「この引っぱっている犬を、かえしてやろうと思いましてね」(河盛好蔵訳編『ふらんす小咄大全』所載)
こんなたぐいの小話には、相当数お目にかかっているはずなのだが、大部分の人は簡単に読みとばしてしまっている。なかには「SF的な発想だな」とうなずく人もあるだろうし、ハサミを手に切り抜く人もあるかもしれない。また、この面白さを分析しようと試みる人もいるだろうし、欠陥を指摘しようとする人もあるだろう。だが、いずれも私に言わせると不合格。
分類したり理屈をこねたりせず「よし、これを覚えておいて、だれかに話してやろう」と、すぐ頭にたたき込む人が合格である。このへんが分岐点となっているのではないだろうか。冒頭に記したことと重複するが、意欲の問題である。たとえば「自分はユーモアが理解できる」で満足しないで「自分でユーモラスになってやろう」と志すかどうかなのだ。
しかし、決心することはたやすいが、小話を覚え他人に話すことは、初めのうちは容易ではない。さらに相手を面白がらせることは、一段と困難である。なぜ困難なのか。その理由を短編作法と関連させながら、いくつかあげてみることにする。
第一の理由。他人とはめったに感心してくれぬ存在だからだ。この現実に直面し、実感することはいいことだ。当人がいくら苦労したからといって、相手には感心しなければならない義務はない。世の中を甘く見てはいけない。
第二の理由。話し方がうまくないのである。さあ話すぞ、と意気ごんだら効果はあがらない。また、まわりくどくてもいけない。何回もやっているうちに、その要領のようなものが身についてくる。このように結果を感受し、つぎの動きを加減することを、オートメーションの術語でフィード・バックとかいうそうだ。機械ごときに負けてはいられない。また前述の透明人間の小話を他人に話す時、途中で透明人間の解説を加えてみるといい。なぜいいかといえば、それ以後、二度とそんなことをやる気がしなくなるからだ。
第三の理由。相手がすでに知っている場合が多い。つまり、平凡なのである。途中まで話すと「そのオチはこうだろう」と、さえぎる人物が出現する。世の中にはいかにエチケットを知らぬ、冷酷な人物が多いかを、身にしみて感じるはずである。だが、くじけてはならぬ。これが修業というものだ。記憶の量を少しでも多くふやさなければならない。十編より二十編、百編より二百編のほうがいいことはいうまでもない。受験勉強をした時のことを考えれば、はるかに楽なはずである。
第四の理由。強引に持ち出すからである。持ち出したければ、さりげなく話題を誘導しなければならない。小説の書き出しのこつのようなものである。まあ、大体こんなところだろう。
これらの原因に身をもって気づき、なんとか克服できるようになれば、プロットを構成する一因子を体得できたことになる。こつを覚えたというわけだ。記憶するのも初めのうちは面倒だが、ある量を越えるとそれほどでもなくなり、自分でも作れるようになる。
ご苦労さまなことである。考えてみれば、ばかばかしい行為かもしれない。しかし This is a pen. や 2+2=4 というばかげた段階を通過しなければ、語学や数学も上達しないのと同じだろう。碁の上達には定石を覚える以外に方法のないのとも同じである。
以上、小話を例にとったが、それに限ることはない。気に入った短編を読み終えた時は、その感激を日記に書いたりしていないで、二分間ほどを費し、筋を要約して記憶する習慣をつけると非常に役に立つ。最初にちょっと触れたが、圧縮技術を身につける必要がここにある。なぜ要約して記憶しなければならないのか。要約しないで丸暗記するのは大変ではないか。また、名短編と見えても、皮をはぎ肉を落し、骨だけにすると小話ほどでないものがあるのに気づく。劣等感も消えるではないか。もっとも作品の価値はプロットだけにあるのではないことはいうまでもないが。
なお「小話を覚えるのはいいが、そのまま作品に使いたくなるのでは」と懸念する人があるかもしれない。だが、それは当人の性格であろう。既存のは意地でも避けてやる、という勢いさえあれば、新しいプロットも開発できる。一回や二回なら流用してもいいだろうが、それをやると習慣になり、平凡化への坂を下らなければならない。その覚悟があってなら自由であろう。
余談になるが、プロット技術を身につける修業としての小話を記憶する方法。アメリカの作家がこれに、なぜだれもが言及していないのか、ちょっとふしぎである。だが、考えてみると、アメリカではそれが常識になっているためかもしれない。パーティの盛んな国で、そこに出席する時の必需品なのだ。会の前夜、夫婦で必死になって小話を暗記している光景が、映画や小説に時どき見られる。こんな環境で「小説を書くにはまず小話を覚えろ」などと口にしたら、おかしなことになる。またこういった連中が読者なのだから、作者もプロットに工夫をこらさなければならないだろう。輸入品を迎え討つことの困難さは、SF短編においても他の産業と大差ないようだ。
これでプロット関係も終りである。さきに記したアイデア編と適切に組み合せれば、なんとか短編が書けることだけは私が保証する。しかし、名作ができるかどうかまでは保証できない。名作かどうかをきめるのは読者であり、編集者であり、批評家であり、売行きを集計する出版社営業部員であって、作家はどうしようもないことだ。
また、書いた本人がどんな個性、どんな人生観、どんな観察眼を持ち、それらをどう物語に仮託するかの問題もある。どんな描写を好み、どんな文体を確立するかの問題もある。作品の価値を決定するのは、むしろこれらのほうである。さらには、その社会、時代という環境の影響も大きいにちがいない。こうなってくると、もう私などの力では解説できるものではない。
アシモフも書いていたが、幸運の作用を持ち出さなければならないのかもしれない。しかし、人事を尽して天命を待つ、という意味から、普遍性があると思われる技法を紹介したしだいである。ほんの少しでも、なにかの参考になったであろうか。
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博物誌
この本を出す話が河出書房からあった時、題名を「きまぐれ博物誌」にしようと思った。なぜと聞かれても困ってしまう。売り場でネクタイを選ぶようなもので、好みとムードと、その時のきまぐれの三者合議による決定にすぎない。
博物誌というと、だれでもルナールの作品を連想する。これには岸田国士の名訳があり、その〈まえがき〉のなかの解説で、訳者はこんなことを書いている。
ルナールは自然観察を好んだが、このような短文形式でまとめる意図は、著者自身にもなかったのではなかろうか。しかし「ちっちゃなものを書くルナール」という名声が、彼をますます「小さなもの」のなかに閉じこめたことは、争うべからざる事実である
ああ、なんということだ。
といった意味ありげな引用はこれくらいにして、百科事典で調べた博物誌の説明を少ししておく。博物誌のなんたるかを知らずに、あいつは書名にしやがった、なんて思われたらしゃくだからだ。
博物学とは要するに、動物学、植物学、鉱物学の総称である。人間にとって自然とはなにかだ。しかし、詩歌や小説のような関連ではなく、その有用性の面からのとりあげかたである。美術館と博物館との差である。
最古の博物誌はローマ時代の学者プリニウスの手によるもので、三十七巻におよぶ書物だそうだ。「自然は一切のものを、人間に使用させるために作った」というテーマが基本になっているという。つまり、自然界利用のハンドブックだ。
歴史上もうひとつ有名なのは、十八世紀のフランス人ビュフォンによる博物誌。これまた四十四巻という大変なもの。このなかにはダーウィンにはるかにさきがけて進化論のめばえがみられ、それでも有名になっている。また、地球の年齢を七万四千年と推定している。自然界をなんとか合理的に整理しようとこころみたあげくの、苦心の仮定。
ヘミングウェイは「死者の博物誌」という短編を書いているが、その冒頭に、聞いたこともない博物誌の書名が三つも引用されている。欧米では自然観察が、ひとつの作品分野を作りあげているようだ。博物誌の歴史など調べてみたら、ちょっと面白そうだ。わが国では最近、私の友人の馬場喜敬が「博物誌」という本を出した。文学の素養と自然への愛好が融合した、しっとりとした内容のものである。
話は前にもどるが、ルナールの作は博物誌のなかで異端といえそうである。博物館より美術館のほうに傾きすぎている。だが、これが最も有名になってしまった。ルナールの意図に反したかもしれないが、もっと迷惑したのは博物誌という名前のほうかもしれない。しかし、こう定義が崩れてくれば、私がこの書名に使ってもかまわないといえそうである。以上、それとなき弁解。
この本は、ここ数年間に私の書いた小説以外のものを集めたものである。コント風のものもいくつか入っているが、時事風俗にからんだものは小説集のほうに入れない方針なので、ここにおさまっているというしだい。巻末のほうに〈しゃべり言葉〉の文があるが、これはアンケートなどで意見を求められた時のものである。
ところどころに内容の重複している個所があり、気がとがめもするのだが、そこは私の頭のなかで特に関心のあることでもあるので、ご了承いただきたい。
ついでにつけ加えると、私はルナールも守っていた博物誌の定義を、ここでさらに大きく崩している。人や社会や機械などのほうに視線がむきすぎている。しかし、世の中がこうなってくれば、それらを自然の構成員とみとめざるをえないのではなかろうか。
余談になるが、中国・晋の時代に張華という人が「博物志」という随筆集を出している。これには酒に酔って千日も眠ったやつの話とか、仙人とか、自然界にこだわらず社会事件まで書かれているそうである。人間と自然のあいだに一線を引こうなどと、かたいことを考えないのが東洋人のいいところだ。
そのため本来ならこの本には「博物誌」でなく「博物志」と名づけるべきなのだが、それをやると「誌」と「志」はどうちがうのだと、何度も私は同じ質問ぜめにあうこととなる。「聊斎志異」や「三国志」のごとく使われ、辞書を引くと、志は〈書きしるす〉の意味とでている。誌とどこがちがうのか、私にもよくわからない。その調査にとりかかってもいいのだが、きりがなくなる。ご了承下さいで終らせてもらったほうがよさそうである。
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『きまぐれ博物誌・続』昭和51年6月10日初版発行