TITLE : きまぐれ博物誌
きまぐれ博物誌
星 新一
-------------------------------------------------------------------------------
角川e文庫
本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。
本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。
目 次
思考の麻痺
笑顔とうやむや
小さな地球
屋根に絵を
夜 空
注 意
習 字
きめにくい事態
団体無用論
クールな未来
塩についての疑問
官吏学
一日コンピューターマン
不眠症
知的興味
公団住宅
進化したむくい
万年筆
時 間
バックミラー
公害・十年後の東京
ゴルフ
タバコ
新しい妖精
読書遍歴
ロケット進化論
安心感
乳 歯
印刷機の未来
寝台車
SFの視点
感激の味
カンニング
ある作曲
恥と笑い
せまいながらも(空間の多重利用について)
新聞の読み方
祖 父
映像の微妙さ
人間の描写
SFの友人たち
三億円の犯人
透明な笑い
カー・スリープ
医薬とコンピューター
賭けごと
ゼ ロ
酒のにおい
クレジット
未来のあなた
平和学
箱根の山
誤 解
ローマ字と漢字
メロディーと郷愁
幸福の公式
四角な宇宙
あとがき
思考の麻痺
ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。
以上は私が友人たちに出した年賀状の文面である。地球という惑星は、空間的に大変な距離を動いている。地球はできてから四十五億年になるという。九億四千万キロに四十五億をかけると、いままでに地球の移動した総合計の距離となる。計算してみようかと思ったが、途中でゼロをつけまちがえるにきまっているのでやめてしまった。とにかく気の遠くなるような数だ。航空機の事故などがあると、各種の乗り物の走行距離による事故率の記事がのる。そのどれとくらべても、地球の安全性は無限大である。マッハ九十三という数に驚くこともない。スピード感とは相対的なもので、比較するものがなければ、どうということもない。
しかし一方、社会の変化となると、必ずしも安全とは保証できない。先日、三億円を巧妙に奪取した事件があり、世の人びとは爽《そう》快《かい》感のようなものを覚えた。私もまたそう思いかけて気づいたのだが、これは道徳不感症である。悪をにくまず、むしろ賛美する風潮がひろまったわけで、このスピード感には驚く必要があるようだ。時の流れに身をまかせきっていると、その感覚が麻《ま》痺《ひ》する。たまには岸にあがり、流れをみつめるべきだろう。
三億円には保険がついていたからかまわないとの説がある。交通事故の死者の増大にもみな不感症になりかけているが、保険金や補償金の態勢がととのえばいいとの考え方なのだろうか。そのうち公害保険なるものが完備すれば、健康がむしばまれることについても、私たちは不感症になってゆくにちがいない。そして、やがて戦争保険とかができ、損害をつぐなえる態勢がととのえば……。
笑顔とうやむや
吉田茂がユーモラスな人物だったことは、死去の際の特集記事で、いまや世に広く知られている。「動物園へ行かなくてもサルは国会でたくさん見ることができる」などとの、ぬけぬけした発言があった。自分も議員であり、しかもその党首なのだから、あきらかにユーモアでありウイットである。
だが、この発言がなされた当時の新聞報道を私は覚えている。けっしてユーモアと扱っていなかった。不祥事扱いの記事で、野党幹部の反論がのっていた。おそらく記者が「首相が議員はサルだといっています。ご感想は」と持ちかけたにちがいない。その反論のほうは少しも覚えていない。面白くもおかしくもない公式的なものだったからだ。
そのころを境にしてのようだが、その後はどの大臣も、公式の席であまり面白い発言をしなくなった。新聞には時どき「日本の為政者は外国にくらべてユーモアがない」などとの主張がのるが、当然のことであろう。こんな状態にしておいて言えといっても、それは無理だ。ユーモアとは故意に曲解しようとすれば、どうにでもなるものなのだ。
大臣だろうが都知事だろうが、だれも顔はこぼれんばかりににこにこ、発言は神経質なほど用心ぶかい。かかるスタイルが完成した。私はこんな異様でユーモラスなものはないと思うのだが、どうでしょう。
デビューしたばかりの若い芸能人は、時たま個性的で傑作な発言をする。だが週刊誌で大きくスキャンダル扱いされ、シュクンとなり、やがて顔で笑ってお口はうやむやという処世術を身につけてゆく。人間的成長、大物になったのだ。
政治家がいけないのでもない。芸能人、新聞記者、芸能週刊誌などがいけないのでもない。これが国民性なのだ。笑顔とうやむや。外国人が日本人から受ける第一印象もこれのはずである。
小さな地球
いまの人類は三十四億。三十年後の二十一世紀に入るころは倍にふえるそうだ。地球上が満員電車なみのラッシュになる日も、そう遠くはない。おそろしいことだが、おれの知ったことか。
なんとか人口爆発をくいとめたところで、やはり問題は残る。現在、二十億人はあわれな生活をしているわけだが、これをアメリカの生活水準に高めるのがまた大変。資料によると、鉱物資源は現在の世界生産額の百倍が必要だという。銅、鉛、亜鉛などの鉱脈はその前に枯《こ》渇《かつ》するという。全人類がアメリカなみの生活になるのは絵に描いたモチということらしい。おれの知ったことか。
それでも、しゃにむにそれに突進するとなると、極度に含有量の低い鉱石に大量のエネルギーをぶちこみ、しぼり出さなければならない。このエネルギー源に石油を使ったら、やはり数年で枯渇する。
かりに資源がなんとかそろったとしても、製品にせねばならぬ。その過程でどれだけの公害が出ることか。全世界が四日市や東京のごとくなるにちがいない。糸川英夫氏の説によると、二十一世紀には全海水が汚染され、水中植物が全滅し、炭素同化作用がとまり、空気中から酸素が失われるとのことだ。
そういうものかもしれないが、おれの知ったことか、目先の繁栄のほうが大事だ。みなのそういう考え方に支えられているため、この進路が変わることはあるまい。ブレーキをかけろなどと主張したら、袋だたきにされる。景気のいい未来論だけが横行する理由。
人類の強大な欲望にくらべたら、海洋は水たまりのごとく小さく、資源は小石のようだ。昨今このことが気になって気分が沈みがちである。精神衛生によくない。くよくよしないほうがいいのだろう。おれの知ったことか。だれかがなんとかしてくれるだろう。地球史上もっともいい時代に生れあわせた幸運を、すなおに感謝すればいいのだ。
屋根に絵を
工場の騒音がうるさくて付近の住民が迷惑している。だが交渉してもらちがあかない。そこで、ひとりがその騒音を録音し、郊外に住む工場主の家のそばで、夜中に同じ音量で再生してみせた。効果てきめん、工場の騒音はぴたりとおさまった。
以前になにかで読んだアメリカでの実話である。やり方がいかにも気がきいている。また工場主のほうにも感心させられる。自分の勝手さにすぐ気がついた。社会の一員だとの自覚が、ゆきとどいているわけであろう。
わが国では最近、日照権問題が世をにぎわしている。高層ビルがそばにたてられ、日かげになってしまった家の住人の被害についてである。記事やテレビで見聞すると、抗議しても相手にされず、気の毒なものだ。泣き寝入りが多いらしい。
そのような人は、自宅の屋根に絵を描いたらどうであろう。舌を出しアカンベエをしている顔を大きく描くのである。ガイコツでもいい。絵がへたならばナチのマークでもかまわない。うまければヌード美人というてもある。ビルのほうから「美観をさまたげて困るからやめてくれ」とたのみにきたら、対等な交渉に移れるというものだ。
都市が高層ビル化する傾向は時代の流れかもしれない。しかし、他人の迷惑に知らん顔するのが時の流れであってはならない。適正な補償は払うべきだ。
そこで、屋根の絵作戦を提案したわけなのだが、どうも心配でもある。アメリカの例のようにユーモアとスマートのうちにはこばず、いやがらせに熱中したり、補償金でごねようという下等なやつが出るかもしれぬからだ。結局は社会の一員であることへの自覚の問題である。考えてみると、こういう面への教育も基盤もまったくないのだ。国民性の問題かもしれない。だが、それならそれで、これだけはみなであらためるよう心がけるべきではないだろうか。
夜 空
ある雑誌に大望遠鏡で夜空をうつしたみごとなカラー写真がのっていた。都会の空気はにごり、肉眼では星々をながめにくくなったので、このほうがいい。色とりどりの砂をまきちらしたように美しい。そのかなたにはアンドロメダ星雲。それこそ無数の星が煙のごとくに集っている。なんという広大さ、すがすがしさ……。
と感激すれば普通なのだろうが、ながめているうちにこんな想像がわいてきた。あのなかには文明を持った住民のいる星も多いにちがいない。そこではイデオロギーの争いもあるだろうし、人種問題の悩みだってあるだろう。核兵器の恐怖にふるえているかもしれぬ。どの星でも住民たちはみな、他人には道徳的であるよう求め、自分は巧妙に立ち回ってもうけようとあくせくしているにちがいない。
美と秩序と愛にみちた星は何億に一つもあるかどうかわからぬ。地球より文明が進んでいれば、ごたごたはもっと陰《いん》にこもり、いやらしくなっているはずだ。文明とはそういうものではないだろうか。そんな星々が宇宙にはこんなにあるのだ。
そう思うにつれ、この天文写真がぞっとするものに見えてきた。うらみつらみ、悲劇と苦痛の感情がみなぎっているようだ。星をあおいで物思いにふけるのを、純情で歌謡曲的で好ましいことと考えている人があるかもしれぬが、類型的で無知と想像力欠如のあらわれというべきであろう。知らぬが仏。そんなおめでたいことで、なにが宇宙時代だ。
あの星では事故が続発しているかもしれぬ。こっちの星は病気か戦争。そう考えはじめると、私は夜空を見あげるのがいやになった。もっとも、スモッグで星がよく見えないおかげで、ノイローゼにまでは進行しないでいる。
以上、あまのじゃく的な発想の過程を紹介したしだい。
注 意
たとえばテレビに食中毒についての番組があったとする。いろいろの実例をあげたあと「冷蔵庫も必ずしも万全でないのですから、おたがいによく注意しましょう」といった言葉で結びになるのが通例である。まことにもっともな話だ。新聞や婦人雑誌などの、世の中にはこんなこともあるといったたぐいの記事も、終りには大部分「注意しましょう」とくっついている。まあ、もっともな話であろう。
最近はビルの工事が多い。そこには「頭上注意」の札が出ている。上からなにかが落ちてきて当ったら、注意をしなかった通行人にも責任の一部があるという意味なのだろうか。ビルの工事現場は、たいてい足もとにも注意を払わねばならない。そのうえ横からはトラックが出入りする。上下前後左右に、同時に超人的な注意を必要とするのである。
いや、工事中のビルでなくても、なにかが落下してくることはよくある。交通事故に注意を払わなければならぬことは、いうまでもない。たいていの人は外出の時、その目的のことより途中の交通事故のほうに、より多くの神経を使っているはずである。
健康にも注意し、へんだと思ったらすぐ医者にみてもらわねばならぬ。自分ばかりでなく、家族の健康についても同様。子供の不良化も注意して、いち早く発見せねばならぬ。乗り物に乗る時は釣銭のいらぬよう注意。乗ったらスリに注意。買物の時は品質に注意、釣銭があってるかに注意、にせ札に注意。
来客はドアをあける前に注意。にせ集金人かもしれぬから証明書に注意。機械だって絶対でないからメーターにも注意。寝る前には戸じまり火のもとに注意。ホテルでは非常口に注意。めんどうだから、この程度にする。
以上は個人生活に限ったが、そのほか国政に注意、地方政治に注意、世界情勢に注意、天気予報に注意、文明の進歩におくれぬよう注意。いったい、なにが文明の進歩だ。時代が進むにつれ、注意すべき事柄がごそっとふえる。この調子だと、近い将来、私たちは注意という怪物の重圧に押しつぶされ、滅亡するにちがいない。最後にもうひとつだけつけ加える。注意の連続で精神の緊張をつづけすぎないよう注意。
わが国の経済的繁栄は、数字の上ではすばらしいものだそうだ。だが、無形のものを軽視する国民性をいいことに、注意というていさいのいい名でなにもかも私たちにしわ寄せされ、そのおかげで繁栄の形になっているのかもしれない。もし注意というものが数字であらわせるとしたら、私たちの支払っているその総合計は大変な量になるだろう。繁栄の数からそれを引いたら、あとにはほとんど残らぬことになるにちがいない。
いまや私たち、総注意人間である。ただひとつの救いは、まだ総注意人物でないという点であろうか。
習 字
最近の大学生には頭の変なのが多いという。しかし病的なものは少数で、大部分はノイローゼのたぐいにちがいない。自己を意識しすぎ、周囲とのギャップを大きく気にし、必要以上に悩むのである。だが、それでいいのではないかと思う。青春とはもともと暗く不器用なもので、明るくかっこよくスイスイしたものは、商業主義の作りあげた虚像にすぎない。かりにそんなのがいたとしても、あまり価値のある存在とは思えない。
専門家でもないのになんでこんなことを言うのかというと、私の体験からである。私も大学生時代にそんなふうになった。当時はまだノイローゼの語はなく、神経衰弱といっていたようだ。えたいのしれぬ不安感にとりつかれ、ひどくなると緑色の夢を見た。理性では根拠のない雑念とわかっているのだが、ふりきれないのである。しかも、そんな内心を他人に知らせまいとし、さらに苦痛が高まるというしかけである。
持てあましたあげく、私は意を決してその方面の医者を訪れた。そして、こう告げられたのである。
「毎日かかさず習字をしなさい」
もっと療法らしい療法を期待していたので、習字とは意外だった。しかし、私はその指示に従い、スズリや手本をそろえ、とりかかった。はじめてみると、習字にはたしかに雑念を払う作用がある。それに字とは、あせって書こうとしても決して書けないものである。心のなかのむりなスピードが、本来あるべきスピードに自然と落される。つまり、いらいらしたものが消えてゆくのである。
上達が目的でなく採点してもらうわけでもないので、字はいっこうにうまくならなかったが、習字によってノイローゼ症状が軽くなったのは事実である。そのご再発もしていない。いまではむしろ、なつかしい思い出だ。
私の小学生時代は戦前で、習字の時間というものがあったが、いっこうに面白くなかった。ちかごろ復活したそうで、小学生に対して同情にたえない。教えるのなら万年筆による手紙の書き方のほうがいいように思う。
しかし、私が大学時代に自発的にやった習字の効用は、大いにみとめる。現在は一段とせかせかした時代になっている。そのなかで自己の精神のバランスを保つために、若い人びとに習字をすすめたい気分である。
話は少しそれるが、字に関して気のついたことをもうひとつ。印鑑は古いというわけか、サインだけですむのが流行している。小切手まで印が不要になった。それならそれで、一方、個性的な字を書くような教育がなされていなければいけないのではないだろうか。
変な平等主義が世にあり、個性を伸ばすのには遠慮がいり、模範答案的なものがほめられる風潮。文字は性格のあらわれだ。だれもがロボットのごとく、みな個性のない字の署名をするような基盤で、なにがサイン時代だろう。
きめにくい事態
心臓の移植が話題となっている。なにか盲点をつかれた感じである。人工衛星とか原子炉とか電子計算機とか、先行者のあとを追っかけるのも必要だが、このようなまったく新しい分野に他に先んじて手をつける人もなくてはならない。この点にだれも言及しないのは不満な気がした。もっとも、私も発言の機会があったのだが、そこに思いいたらなかったのだから、文句はいえない。
ある週刊誌が電話で意見を求めてきた。これが普及したらどうなるでしょう、という。
「未来では心臓に抵当権が設定されるかもしれませんね。心臓の相場が立つかもしれない。だが、大量の人工流産が日常化している日本人には、生命について論じる資格がないんじゃないですか」などと、私は思いつくまましゃべったあと「すぐ直面する問題がありますよ。ノーベル賞級の頭脳を持った学者が死にかけている。一方、治療不能の白痴がいる。心臓を移して頭脳を救うべきか、です」
すると、週刊誌の人は「あなたならどうします」と聞いてきた。私は「頭脳を救うほうが」と言いかけたが、あわててつけ足した。「ここは取り消して下さい。危険思想の持ち主と非難されてしまう」
おかげで記事にならなかったが、これについて私はまだ考えつづけている。もしケネディの暗殺が心臓への銃撃であり、もし真犯人がすぐ逮捕された場合、その心臓を移すべきだったか、などと空想してみるのである。
空想しているうちに、ひとつの新聞記事が目にとまった。統計によると本年も交通事故により、確実に数十万人の死傷者が出るというのである。しかし文明生活のためには犠牲もやむをえないという形である。それが危険思想でないのなら、ノーベル賞級の頭脳を救うことも許されていいように思える。いったい、生命は私有財産か、公共財産か。
考えるということは、これから最も重要なものとなるにちがいない。今まではさほど考えなくてもよかった。時間をかければ、やがて妥当な結論なるものが出てきたからだ。だが、科学の進歩がこう早くなると、そのひまがない。といって、この種の判断を計算機にまかせるわけにもいかないのである。
待てよ、計算機にまかせてなぜいけない。これまた考えるべき対象である。世の中の現象は、人類に考えることを求めてひしめいているようだ。これに負けて思考を放棄したら、未来は暗黒以外のなにものでもない。
ついでに、考えるべき種をもうひとつ。数年前、イスラエルがアイヒマンを捕えて処刑した。それについて「あんなやつは殺すのが当然だ」か「あんな裁判は不当だ」かの意見が出てもよかったはずだが、少しも議論にならなかった。そして、イスラエルのナチ残党狩りは、いまだに世界で公然と継続中である。もし、あした日本でアイヒマン二号が逮捕されたとしたら……。
団体無用論
ニューヨーク世界博はモーゼスという強引な性格の老人が全責任者となり、各方面と大げんかをしながら一切の指揮をとったので、なんとか成功した。このじいさん、開幕前に「入場料金の割引は一切しない」と言い、これでもひともんちゃく起したそうである。だがニューヨーク市の主張に負け、ついに子供割引をみとめたという。がんこな人だが、見識があるともいえる。その時の論争の詳細を知りたいと思う。通念とはなっていても、入場料割引の根拠や原理について、私にはわからぬ点がいろいろとあるのである。
先日万国博の本部から入場料割引の率について意見を求めてきた。モーゼス老は入場収入を高めようと割引を拒否し、わが国では同じ目的のために、当り前のように割引作戦を採用する。世の中はさまざまだ。
私は、団体割引は一切するなと答えておいた。どうせそうはならないだろうが、一応は言っておかなければならない。そもそも団体ぐらい不愉快なものはないからだ。遠足などの小学生団体の電車にいっしょに乗りあわせると経験することだが、そのさわがしさといったらない。ひとりひとりはいい子なのだが、集団となるとかくも狂気の状態となる。家族とともに来る子どもは大いに割り引いてもいいが、団体となると考えものだ。
中学生や高校生の修学旅行の無茶さわぎが時おり新聞をにぎわすが、この点、戦前とくらべ少しも進歩していない。戦後の教育は民主的な社会のマナーを身につけることに重点が置かれたそうだが、昨今の大学生を見ると首をかしげざるをえない。もしかしたら、これは教育の手におえない、民族性というものなのかもしれない。同情論をとなえたい人は、温泉地で傍《ぼう》若《じやく》無《ぶ》人《じん》の酔っぱらい団体客のとなりの部屋にとまってみてからにすべきだ。
私たち個人は良識あるおとなしい性格でも、集団となるとオオカミ男のごとく変身する。団体の恥はかき捨てという現象である。圧力団体が横暴だと非難はするが、その一員となれば私だってどう変化するかなんともいえない。だれもがそうであろう。とすれば、こういうものだと冷静にみとめ、団体への警戒をするほうが賢明といえよう。制服という言葉に反発する人は多いようだが、団体となると、なにもかもまかり通るのである。この二つの根本は同じことじゃないのかしらん。だから、制服への反発もいつ逆転するかしれたものじゃない。
何日にも及ぶお祭り的な行事や催し物の際に、無団体デーでも作ってもらうとありがたい。正規の料金を払った客が、割引の団体にじゃまもの扱いされるのはいい気分でない。わが国では古来、お祭りとは狂的な状態になりやすい空気である。そこに団体という条件が加わる。事故の原因はたいていそれだ。それにしても、この現象は注意や自戒で防げることなのであろうか。悲しいことだが、そうでないような気がしてならない。
クールな未来
コンピューターの解説書を読むと、たいていでている。一秒に三十万回以上の足し算をやってのける、一秒に十二万字の文を読み処理する、といったたぐいである。
これと同じことを人間がやるとしたら、大きな事務所を作り、かなりの人員をそこに押しこまねばならぬはずである。それだけの人数がいれば、なかには性格のあわないやつだっているはずだ。けんかだってやるだろう。美人だが能率のあがらぬ女も、不美人だが能力のある女もいるだろう。ヒステリーだって発生する。
統制をとるために、どなりつける上役も必要だ。それに不満な連中は一派を作る。ぐちは飲み屋まで延長され、酒癖の悪いのはあばれる。帰宅すれば給料や昇進をめぐって夫人と口論がおこり、子供が泣き、面白くなくてよそに女を作り……。
人間関係とはかくもうるさく、やっかいなものなのだ。これだけの全部の声を集めて、圧縮し、耳で聞いたらどうなるだろう。想像しただけで頭がおかしくなりそうである。
と書くと、コンピューターのよさをあらためて認識する人が出るにちがいない。爽快にしてクールなしろものである。しかし、私はあまのじゃくだから、いやなこともつけ加える。コンピューターは戦争計画だってやるのである。
むかしだったら戦争となると、まず国内で論議がなされる。金がかかるの、祖国の威信だの、人道問題だの、すったもんだのすえに開戦となる。作戦だって、ああだこうだと歴戦の将軍たちが論じあったものだ。
しかしコンピューターなら、音もなく瞬時にそれが進行し、ミサイルの発射となるわけである。禅でもやって、生死の悟《さと》りを開いておかねば、といった気分になる。
デジタル型コンピューターは、一九四六年にはじめてアメリカで作られた。原子炉より誕生はあとの癖に、その拡散と普及のスピードははるかに早い。
あれよあれよという感じで、どうなるのか、見当もつかない人が大部分だろう。人間たちのその沈黙のなかを、コンピューターは今も静かに繁殖しつづけているのである。
塩についての疑問
海水は約二・八パーセントの塩分を含んでいる。したがって人体は海水に浮くということになっているそうだが、私はだめなのである。いくらかは泳げるのだが、手足を休めると沈んでしまう。だから、海では背の立たない深さのところには決して行かない。
私は塩せんべいだのバターピーナッツだの塩からいものが好きで、体内に塩分が多く、そのため比重が大きいので海水に浮かないのかもしれない。もちろん、これは冗談。体内の塩分がそうふえることはありえない。私の海への恐怖心のせいであろう。しかし、それにしても、じたばたするとなぜ人体は海に沈んでしまうのだろう。比重は軽いはずなのに。私にとっていまだになぞである。
海の水というものは、とほうもない量だ。ある学者の計算だと、海水を地球の人口に均等に配分すると、一人あたり約一千億ガロンになるという。これに二・八パーセントを掛けると、一人あたりの塩分は二十八億ガロンということになる。塩資源のなくなる心配は、人類は当分のあいだしなくていいようだ。
塩が人間の生存に不可欠であることはだれでも知っている。ものの本によると、一日十数グラムは最低必要量であるそうだ。とすれば、海岸や岩塩産出地帯でない奥地に住んでいた原始人は、どうやって補給していたのであろうか。
内陸地方の太古の農耕種族は、塩を交易で入手していたという。当り前のことだが、そうなると、農耕の発生と商業の発生は同時ということになる。いや、商業のほうが少し早くなくてはならない。はたしてそうだったのだろうか。
肉食をしていれば、塩は菜食の時より少なくてすみ、肉にも塩分が含まれているので、なんとかなったとも考えられる。原始人はすべて肉食だったのかもしれない。
これで一応の解決にはなるが、食肉となる動物は、塩分をどうしていたのだろう。他の動物を食って、その塩分をとっていたのだろうか。しかし、草食性の動物というやつもある。そいつらは植物から塩分をとっていたとしか考えられない。人間の場合だと菜食の時には塩分をたくさん必要とするが、動物の場合はそうでないのだろうか。このへんも私にとっては疑問である。
自然界における塩の循環はどんなしくみになっているのだろう。水における蒸発、雲、雨という循環は、巨大な蒸《じよう》 溜《りゆう》 装置である。真水の雨が地表を流れ、塩を海にはこびこむ。海に塩があるのはそのためだ。植物が地中の塩分を蓄積したところで、それはどんどん海へと洗い流されてゆくはずである。
だが依然として陸上の自然界に塩が存在するのは、いかなる原因によるものだろう。海の波のしぶきが微細な粉となって風にのり、内陸地方にまで送られているのであろうか。それは相当な量なのであろうか。
原始人の前の段階は類《るい》人《じん》猿《えん》であった。サルは塩分をどうやって補給していたのだろう。果実など食べていて充分だったのだろうか。
サルにはおたがいにノミを取りあうという習慣がある。毛をなでながら、なにかを口に入れるごとき動作のことである。科学三行知識のたぐいの記事によると、あれはノミを取っているのではなく、汗の結晶、すなわち塩分を口にしているのだそうである。
しかし、最近さかんになったサル社会の研究によると、あれはサルにおける敬意の表現だという説がある。指につばをつけ相手の毛をなで、ととのえているのである。
この両説はともに真実なのかもしれない。敬意の動作と塩分の補給がもちつもたれつで、ああなったのかもしれない。となると、礼儀の発生はサル時代にさかのぼり、その原因は塩であったということにもなる。人間が上役に礼儀をつくすのは、上役がサラリーをくれるからで、それと同様といえそうだ。なおサラリーの語源は塩という意味だそうである。
しかし、子分に毛をなでつけさせいい気分になっていたボスザルは、塩の補給をどうやっていたのであろう。結晶するほどの汗である。ボスであるからには力が強くなければならず、筋肉をたくさん活動させれば、それだけ塩分を必要とするはずである。人間でも筋肉労働者は塩分をより多く必要としている。
ボスザルがやがて地位をあけわたすのは、体内の塩分を出しつくし、その不足によるのかもしれない。政権交代だの革命だのの原型も、もとをただせば塩であるということにならぬものだろうか。
血液を吸う生物には、カだのノミだの、ヒルだの吸血コウモリなどがある。こいつらは塩分が目的なのだろうか。生物界における塩分の循環などはどうなっているのだろう。
塩分について考えはじめたら、疑問ばかりがぞろぞろ出てきた。これらの疑問のなかにはばかげたのもまざっていることだろう。どれがばかげていて、どれが一考に価するものかを、そのうち博識の友人に聞いてまわるつもりである。笑われるかもしれない。だが、私には疑問を抱く能力がまだ残っていることはたしかなわけで、その点だけは安んじていいようである。
官吏学
「官吏学摘要」という厚い本がある。私の机のすぐそばの本棚においてある。私がこれからの人生で官庁につとめる可能性はまったく考えられないし、私の書く小説の資料として役だつものでもない。だが、この本はずっとおいてあるのである。
といって、べつに奇異なことでもなんでもない。私の亡父の著になる本だからである。父をしのぶために飾ってあるようなもので、めったに開くこともない。いずれ通読したいとは考えているが、まだ当分はむりなようだ。
この本はその名のごとく摘要であって、もとの「官吏学」なるものは、四巻から成る計四千五百ページに及ぶたいへんなものだ。「摘要」はそれを一冊にダイジェストした本だが、それでも一千三百ページを越えている。発行は大正十三年、序文によると、七年がかりで仕上げたことになっている。
内容はというと、官吏学とはすなわち管理学であるとの緒言にはじまり、官吏の語義、日本はじめ世界各国の官吏制度の現状、歴史、待遇、特典などが解説されている。ぱらぱらとページをめくると、骨相についての章もあり、人相のために立身しそこねた例なども記してあった。明智光秀のことである。
性格学の紹介から、人の上に立つ者を分析した章もあり、その当時に流行した「人身磁気学」なる新説も書き加えられている。まあ、早くいえば、官吏に関するすべての百科事典といったものに当りそうだ。
もちろん、亡父がひとりでやったことではなく、何名かを使ってその企画総指揮をやってまとめたわけである。しかし、それにしても大変なエネルギーとしか言いようがない。
私の亡父は星 一《はじめ》といい、若いころアメリカで苦学した。帰国してから製薬業に着手し、大正の七年ごろには大発展の軌道にのりはじめた。そこまではいいのだが、監督官庁である当時の内務省衛生局からさまざまな妨害を受けはじめ、それとの闘争がはてしなくつづくことになったのである。
私は一昨年、そのことを調べて「人民は弱し官吏は強し」という本にまとめた。冷静に筆を進めたつもりだが、書いている途中私はむかついてならなかった。民間をいじめる気になれば、こうまで徹底的にやれるという見本である。
もっとも、大正時代は政党政治の全盛期で、やることが露骨で、現代の常識をあてはめるわけにはいかないといえる。だが、それにしてもひどいものだ。すでに与えた許可を権限で取りあげ、法令を作って既存の権利を奪い、商売がたきの他社をあからさまに応援し、むちゃくちゃである。最後には警察力まで使われる。
それが十年以上にわたってつづくのだから、官吏の執念ぶかさには驚かされる。と同時に、それにつきあって戦いつづけた亡父にもまた感心せざるをえない。
普通の神経だったら、いいかげんであきらめるか、降伏するか、妥協するか、左翼に走るかするところだが、亡父はますます元気いっぱいで争ったのである。このままつづければ破産するとわかっていながらも争い、ついには法人個人ともに破産宣告となり、それでもまだ争っていた。
国家を相手とする訴訟マニアというのは、本業の片手間だから気楽なところもある。だが、営業をしながら、その監督官庁の行政府と争うのは容易でない。
私は書きながら、いささかふしぎだった。これだけのエネルギーをうみ出したもとはなんだったのであろうか、と。官庁がこんなであってはならぬ、それを是正する使命感のようなものだったのだろうと私は想像し、その線でまとめあげたのだが、それだけではなかったような気もするのである。
父は酒もタバコものまず、道楽もなかった。もしかしたら、官庁を相手に争うことが、一種の趣味になってしまったのかもしれない。いやいやながらの使命感だけでは、こうはつづかないだろう。すべては私の生れる前のことで私は知らないが、当時を知る人の話だと、朝は楽しげに起きていたという。ふしぎな性格である。
「官吏学」なる本は、こういった時期に書かれたのである。官庁を相手に議論をつづけるには、興奮して感情的に叫ぶだけでは、なんの実績もあげられない。万全の準備をもってかからなければならない。そんな必要に迫られて収集した資料が、この本となったわけであろう。
釣や競馬や麻雀に熱中のあまり、それらについての本を書く人はよくある。早くいえば、その対象が官吏となった形であろう。
ページをめくると、さまざまなことがのっている。ルソーやソクラテスをはじめ、官吏についてのたくさんの格言が出てくるかと思えば、支配者の女性関係が統治に悪影響を及ぼした実例も紹介されている。
豆外電のたぐいもある。ある英国人がオーストラリアに出かけ、独身を通して不毛の荒野の開拓に一生をささげた。石けんでからだを洗ったこともなく、ひたすら節約をつづけ、死後には当時の金で二千万円の金が残ったという。だが相続人がなく、それは国庫におさめられた。ロンドン・タイムスは「大英帝国はこのような無名の英雄で築かれているのだ」と賞賛したそうである。
こういったたぐいを頭に入れ、議論のあいまに連発したのだろうから、相手をさせられた官吏もたまったものではなかったろう。
毎日毎日の議論の予習復習が整理され「官吏学」の本となったらしい。時には、本を書くために議論をやったこともあったにちがいない。そして、できあがったら議論相手の官庁にくばってまわったそうだから、むこうもめんくらったことだろう。もはや、こんな性格の者はあらわれないことと思う。
官吏への文句をあげれば、きりがない。不親切である、能率が悪い、責任のがれ、心からの謝罪をしない、恩きせがましい、などかずかずある。
私は自由業のおかげで、ほとんど官庁と接触がないが、それでも同様の体験はいくつかある。いつだったか、あまりのことに腹を立て、コッパ役人をもじってコッパ公務員という新語を作り、友人たちに披《ひ》露《ろう》した。こんな語を聞いたら、官吏は怒るだろうか、それとも反省するだろうか。
しかし、こういった不満はだれしも抱いている感情であり、いまさら列挙したところでしょうがない。ふんまんをぶちまけるのは一時的にいい気持ちだが、それはなんの結果ももたらさないのである。また、考えてみれば、官吏をこう仕上げたのも、官庁の目をごまかして不当なうまい汁を吸おうという人がいるからでもある。ニワトリと卵のようなものだ。
そんなことより、合理的な管理学を検討するほうが先決であろう。この分野がどのていど研究されているのか知らないが、あまり私たちの耳目にふれない。未来学などいまや時代の花形だが、官吏学のほうがむしろ重要なのではないだろうか。
電子計算機の導入なども未来への課題だろうが、うそ発見機を改良し性能の高いものを作り、官庁へ導入することも、やはり同様に重要なことであろう。でたらめな書類を提出した国民は、それにより窓口ですぐ判別される。不正官吏は定期検査ですぐ発見され、やめさせられる。能率的なことではないか。
しかし、実現には各方面からの強い抵抗があるにちがいない。それなら、その抵抗の原因や理由はどこにあるのか、といったことも官吏学の研究題目になるわけである。
私は納税者として支出予算の増大は好まないが、官吏学会については、国家が金を出して作ってもいいのではないかと思っている。
一日コンピューターマン
「なにか体験してみたいことはありませんか。なんでも手はずは整えます」
と、「週刊読売」から電話がかかってきた。私は提案する。
「一日成り金というのはどうでしょう。人知の限りを尽して金を湯水のごとく遊興に費すのです。それとも、トピック的なのがいいのでしたら、心臓移植手術はどうでしょう。患者を用意していただければ……」
「そんなふざけたのは困ります。もっとまじめなのはありませんか」
それではと、首相のボデーガードを提案したら、それもぐあいが悪いと告げられた。そういうものかもしれない。警備体制をまじめに描写し、正確に記録したら、暗殺手引書にもなりかねないわけである。そんなことで事件が誘発されたら、私だっていい気分ではない。
しばらく考えさせてもらうことにし、いい案もないまま困っていると、夜中に小松左京から電話がかかってきた。彼は親切な男で、なにか面白い情報に接すると、大阪からわざわざ知らせてくれるのである。今回は外電関係のニュース。
「アメリカのベル電話会社がストにはいったそうだ。しかし、そのとたん、開発されたばかりの長距離電話自動交換機が、全性能を発揮しはじめた。四十年間は事故を起さないという保証つきの装置だそうだ。労組はあわてる。だが、もっとあわてたのは経営者側。人間不要がはっきりしてしまう。たちまち歩み寄りが成立し、スト解消……」
「そいつは傑作だ」
と私は答える。意外な事件はみな傑作なのである。ひとむかし前ならSFになるような話が、現実の世界に侵入しはじめている。コンピューター革命が徐々に進行しつつあるようだ。新聞紙面のコンピューター関係の記事もふえる一方。しかし、こんなニュースに接すると、人はどう感じるのだろうか。
「働かないで生活できる日も遠くはないらしいぞ」と喜ぶ人と「全人類が失業してしまうのではないか」と心配する人とがあるのではなかろうか。革命後の政権は、楽観党と悲観党との二大政党によって争われることになるのかもしれない。私はどちらを支持したものだろうか。
「では、コンピューターとデートでもしてみますか」
と私は言った。編集部はそれでいいと言う。だが、なんとなく気おくれがしないこともない。恥をさらすことになるが、私は電気に弱いのである。できるのはソケットをなおすことぐらいだ。
しかし、そうびくびくすることもあるまい。マクルーハン先生が、テレビ文明を大いに論じているが、彼だって、テレビの修理はできないにちがいない。ヒッピー現象を論ずる人だって、LSDの成分を知ってはいないのだ。
かくして私は、読売新聞社の電子計算機室を訪れた。
コンピューターとは本来、計算する人の意味である。それを装置の名にしてしまったわけだが、こんどはそれを操作する人をなんと呼ぶかが問題となる。コンピューターマンという語ができている。いささか混乱の感がある。
わが国でも、コンピューターとか、電子計算機とか、略して電算機とか、さらにちぢめて電算だけで片づけるとか、さまざまな呼び名がある。執筆者のほうは、スマートで書きやすいコンピューターの語を使いたがり、新聞記事は字数の少なくてすむ電算機を使っている。
早いところ統一すべきではないだろうか。国語審議会は、こういう点も取り上げるべきだ。
世の中には、電子計算機とコンピューターを別のものと思っている人だって、たくさんいる。ほんとの話。
部屋にはいると、係の人が何人か集り、装置のふたをあけ、検査器のようなもので調べていた。これが日課のひとつなのだそうである。週に一回、大がかりな点検をやり、毎日一時間かけて、検査を繰り返すことになっている。
演算装置とやらのなかを、おそるおそるのぞいてみる。トランジスターかパラメトロンらしきものの、こまかくいっぱいに並んだ板が、何層もおさめられている。その板の裏面は、細い電線コードが複雑にからみあった感じで、びっしりとはりめぐらされてあった。そのほか、名も知れぬ部品がうじゃうじゃある。
「この細いコードを一本、そっとちょんぎったら、どうなるでしょう」
「そんなことをしては困りますよ。だからこそ、点検をこれだけ綿密にやっているのです」
正確さが生命の装置である。人為的なものは論外としても、接触不良の個所があって事故を起しては大変なのである。しかし、コードを一本ちょんぎったらどうなるかの疑問には、答えてもらえなかった。
このような入念な点検は、安心感を与えてくれるが、私のようなしろうとには、不安感をも与えるのである。毎日、お医者にかかっている人間のようではないか。
私もコンピューターの解説書を何冊か読んだが、このような、しろうとの疑問点に触れたのはない。よらしむべし知らしむべからず、といった印象を受ける。弱点は弱点として、はっきりしてもらいたいものだ。自動的に計算された電話料金の請求が多すぎるとかいう苦情が、ときどき新聞にのるが、なんとなくすっきりしない。そのうち、国会の大臣答弁にも「私は間違っていなかった。計算機の事故でした。まことに遺憾に存じます」というのが出ないとも限らない。
解説書への不満をもうひとつ。たいてい、最新式のコンピューターは、一秒に三十万回以上の足し算をやってのけるとか、一つの情報の因子は、百万分の一秒という電流に乗せられるとか書いてある。
なぜ、こう大きな数を使いたがるのだろう。性能の驚異を強調したいねらいはわかるが、一方、多くの人への心理的抵抗をうみだしている。日常的感覚から飛び離れた数字というものは、とかく敬遠されやすい。なんとかならないものであろうか。
コンピューターの記憶部分は磁気テープである。テープレコーダー用のを大きくしたような感じのものだ。社員ひとりの入社からの給与の変化、異動昇進などの経歴は、テープ一センチにおさまってしまうという。
「人生とはテープ一センチなりか」
といった感慨でも浮べばいいのだろうが、私はSFを読みすぎているためか、なんとも思わぬ。人間だれも、もとをただせば、顕微鏡でやっとわかる大きさの生殖細胞である。かさで判断するのはよくない。
そもそも、いままでの書類や帳簿の山といった形のほうが異常だったのかもしれない。テープの記録は瞬時に取り出せる。紛失でうやむやになることもない。そして正確となれば、個人の尊重ともいえるわけである。
もっとも「うやむや」とか「過去を水に流す」とかいう現象を、日本的美徳だったとすれば、それらも消えてゆくわけで、悲しむべきことと言わねばならぬ。
データの記録には、パンチカードを用いることもある。穴のあいたカードのことで、それをつくる係がキーパンチャー。
吸音壁に囲まれた部屋のなかで、若い女性たちが、キーの文字など目にもとめず、機関銃のごとく打っている。一時間に一万の速さだそうである。
私も試みてみたが、キーにしるされている数字をひとつひとつながめ、たどたどしくてみっともないことおびただしい。彼女たちに尊敬の念をいだく。みな十六歳から二十五歳ぐらいまで。恋愛したり結婚したりすると、能率が落ちるそうである。
となると、ここの女性たちには恋人がいないことになる。このあいだ、テレビを見ていたら、アメリカの大企業で何百人という女性たちが、パンチ作業をしていた。だれも恋愛をしていないことになる。
コンピューター時代になり、恋愛の形も変わってきたというべきなのであろう。ホットからクールへの変質である。むかしのような、胸の火を燃やして恋わずらいになる、という現象も、また消えてゆくのである。なんだか残念でならない。
キーパンチャーは一時間打って、十五分休む。二人一組でまったく同じ作業をやり、あとで照合機にかけるから、パンチのやりそこないという誤りは発生しない。
心配性の私は、それを知ってほっとする。
このカードをパンチする作業は、データを数字に翻訳することである。コンピューターにはカード読み取り装置がついており、与えられたカードを一分間に七百枚のスピードで処理する。
現在、各官庁にコンピューターが導入されつつあり、それは能率化のため、いいことだ。しかし、日本を各地域に分けて分類するとき、それにつける番号が役所により、それぞれ違うそうである。
東京を中心に若い番号からはじまる役所もあれば、北のほうから一、二、三とはじまり、南に向かうのもあるという。国勢調査用、電電公社用、国鉄用、選挙事務用と、統一がないのだ。七月一日から郵便が番号制になったが、これまた独自の分類番号になっている。能率化のなかの非能率というべきか。
私の好きなある外国の科学者の言葉に「機械がいくら人間に迫ろうが、それはこわくない。人間が機械のようになる傾向がおそろしい」というのがある。そんなことになるのではなかろうか。むかしは、住所姓名だけでたりたのが、将来は各官庁用の自分の番号を、たくさん覚えておかなくてはならなくなる。どっちがコンピューターだ。
さて、演算装置や記憶テープ装置に囲まれ、中央に操作テーブルがある。大型のタイプライターのごときもので、許可を得てキーをたたいてみた。
各種のキーがあるが、あまり妙なところを押し、高価な装置がこわれた、などとおこられては困る。
あたりさわりのなさそうなのを、そっと押すにとどめる。
そばでは多数のランプが点滅し、いい気分である。しろうとには意味ありげに映るが、装置のどの部分が使われているかを示すものだそうだ。係の人に質問をする。
「コンピューターを使いこなせるようになるには、どれくらいかかりますか」
「まあ一年ぐらいでしょう」
コンピューターは、人間が一生かかる計算を、あっというまにやってのける。それなのに、使いこなすための一年という期間を、三十秒にはちぢめてくれない。これがすなわち、ソフトウエアである。まったく妙な言葉だ。
はじめてこの語を目にした時、やわらかい服のことかと思った。コンピューター用語とわかってからも、装置にかけるカバーかなにかのことだろうと思ったものだ。しかし、ウエアのつづりが違い、品物の意味。活用する技術のことなのである。
一方、ハードウエア、かたい品物とは、コンピューター関係の装置およびその性能のことなのである。たとえていえば、自動車をハードウエアとすれば、運転技術がソフトウエア。
「どうだい、そのごの恋愛の進行は」
「いや、すごいハードウエアなんだが、ソフトウエアがだめでね」
といった会話がはやるようになるかもしれない。美女が存在しているのだが、どう扱っていいのかわからず、さっぱりものにならないという意味である。
それにしても、無形の技術に、やわらかい品物と名づけたのは面白い。アメリカで開発された当初から、扱い方も金銭に価値すべきだと認められたからであろう。
そこへゆくと、わが国には、技術とかアイデアとか頭脳の働きには金を払う必要などないとの伝統がある。考えてみると、日本文化というものは、おそろしく物質万能である。わが国のコンピューターの販売普及で、ここに最大の難点があるらしい。
どの社も利用技術に金を払いたがらず、メーカー側はやむをえず、アフターサービスの形で、本体の価格に含めることになる。
しかし、最近の新聞によると、電電公社が新しい目的のためのコンピューター購入にさいし、ソフトウエアを一億円と評価して、本体とは別にメーカーに支払ったという。
これは画期的な出来事といえる。人間の頭脳が、コンピューターのオマケでなくなりはじめた。大きく報道した新聞がほとんどなかったのは残念でならない。電算汚職などより、はるかに、喜ばしい事態であろう。
もっとコンピューターをいじりまわしてみたいのだが、ソフトウエアのない私では、どうにもならぬ。扱いなれた人を通して、その様子をうかがうことにする。
「競馬の予想はできませんか」
「馬の体重、タイム、負担重量、ワク順、騎手、過去の勝敗、調教状態などのデータを入れてやってみましたが、確実な予想はできません。勝つ決め手がなんなのかはっきりしませんし、調教状態というものが数字にあらわしにくくてダメなのです」
数量化できない要素があると、コンピューターでもお手上げである。私たちも「きょうは調子がいいぞ」などと言うが、完全好調に比べて何十パーセントぐらいかとなると、自分のことながら戸惑ってしまう。まして馬だ。正確な予想は、当分むりらしい。
「株価の予想はどうでしょう」
「できたとしても、公表したとたん、株価が変動しはじめます。的中しないでしょう」
昭和三十九年に経済企画庁が、コンピューターで大がかりに景気予測をやったが、みごとにはずれた。原因はいろいろあるが、公表されたものを参考に、未来の先取り、つまり抜けがけでもうけようとした連中の多かったことがそのひとつらしい。
これまた、コンピューターの手におえない分野である。
「コンピューターは、肉体労働をも軽減するでしょうか」
「ひとつの例として、国鉄に車両連結手という職種があります。貨物列車を編成する時、貨車を誘導する係です。飛び乗ったり飛び降りたり、危険でもあり、熟練を要する。雨や嵐だといって休むわけにいかない……」
あまり労働条件がよくないので、なりてがない。しかし、近いうちにコンピューターが機関車をリモコンで動かし、無人化されるようになるそうである。
そのほか、いろいろな分野で大幅に労働を軽減している。それでいて、コンピューター導入を原因とする労働争議は、わが国ではまだ一件も発生していない。
意外な気もするが、勤務条件がそれによって悪化した例がないのである。また、各企業が膨張期にあり、慢性的人手不足が続いているためである。それぞれの個人のなかには、長いあいだ親しんできた仕事から配置転換させられ、内心で感傷にひたった人があったとしても……。
「コンピューター時代になると、ちょっとの故障でも大混乱になりませんか」
「その対策もあるのです。たとえば、国鉄の切符自動予約装置。本部は秋葉原で、各駅の切符売り場の窓口とは、電話線と信号線の二本で連絡しています。また、二台のコンピューターが、並行して同じ仕事をしている。ですから、一方の線が切れ、一台が故障しても大丈夫なのです」
私の心配は、また解消した。一台を衆議院とすれば、もう一台は参議院というわけであろう。
いまや銀行も、全国どの支店でも、ひとつの通帳で出し入れができるようになった。これも、本店のコンピューターとすべて連絡されているおかげである。銀行というと帳簿を連想するが、もはや記録はテープで、めざましい能率化である。
いつだったか、日本資本主義をやっつけるんだと、銀行へダイナマイトを持ち込んだ変な男の事件があった。つかまったからいいようなものの、計画的にコンピューターを爆破でもしたら、それこそ金融界が大混乱におちいるのではないだろうか。べつに、そそのかすつもりではない。心配性のSF作家の空想である。
もちろん、銀行は、万一にそなえて複数台のコンピューターを使っており、保安態勢も万全にちがいない。しかし、各企業では、手薄なところもあるようである。このような時代になると、大金庫のなかの現金などより、コンピューターと記録テープのほうが、はるかに貴重なはずである。窓からほうり込まれた一発の手投げ弾で企業が倒産では、なさけないことになる。
「コンピューターが悪用されることはないでしょうか」
「アメリカでは、脱税の監査にコンピューターを使っています。一方、民間の商店や個人に依頼されている税理士たちが、共同してコンピューターをそなえ、このへんまでなら申告が認められるという限度を算出しているそうです。コンピューター同士のかけひきという形です」
悪人の集団には人数に限界があり、コンピューターを入手できるほどの犯罪組織はちょっとない。だが、警察はつぎつぎとそなえつけられる。これからは犯罪者側に不利な時代になりそうである。
「コンピューターに過大な期待をいだいている人が多いようですが……」
「早く正確に計算する装置で人間に使われてはじめて性能を発揮するものです。その点、ガスや水道と本質は同じです」
私たち日本人は、神の意識をまるで持たない。それはそれでいいのだが、その空白を埋めるために、科学をあがめ、コンピューターに万能のお告げを期待し、神の座にすえたがる。
その風潮に迎合したほうが安易なので、そんな印象を与えるような書き方をした記事が時たまある。危険な傾向というべきだろう。あくまで、便利な装置であることを忘れないようにせねばならぬ。
また、便利な装置必ずしも幸福をもたらすとは限らない。ふえすぎた自動車がいい例である。コンピューター時代となると、情報の収集、処理、利用が飛躍的にスピード化され、それで社会が発展はするのだが、その発展は、坂をころがる雪ダルマのように、加速される一方となるのではないだろうか。
目まぐるしく出現し、すぐ古びてゆく無数の商品。人に要求されるたえまない勉強。この連続を、いい生活と呼び、幸福と呼んでいいのであろうか。
私にはよくわからない。私が心配性のためなのか、だれも悲観的な説を出さないことへのアマノジャクのためなのか、私はいずれすごいパニックが来るような気がしてならない。
アメリカにおけるコンピューターの分野の開拓者、ウィナー博士は「いずれは難破する船に乗り込んだようなものだ」と言っているという。彼らが神の意識とともに、終末思想をも持っていることによる予感であろう。
アマノジャクであり、心配性の私も、それにならい、にがいジョークをひとつ考えついた。
〈コンピューターは、五十人の人間が徹夜で二百年かかってやる仕事を、二十秒で片づける。その割合なら、ゆっくり使えば、あと五十万年はある人類という種族の寿命を、二百年ぐらいで片づけてしまうかもしれない〉
不眠症
世の中には寝つきの悪い人が何パーセントかいるにちがいない。私もまたそうである。私の表情はどちらかというと子供っぽく、他人にはすやすや眠るように見えるらしいが、現実はちがうのである。眠ればあどけない寝顔になるだろうが、そこに至るのが一苦労。どうしているのかというと睡眠薬である。
大学卒業以来ほとんど欠かさず飲みつづけだ。まさに習慣性である。だが中毒ではないようだ。量のほうもほとんどふえていないからである。飲んだことで安心する。睡眠薬を飲んだ。そのうちきいてくるぞ、ほらだんだんきいてきた、眠くなるはずだ、眠くなってきた、眠い、というしかけである。自己暗示というわけだろう。気のせいである。しかし、この気のせいというやつは、なかなか微妙で、まことにあつかいにくいしろものである。
不眠症なら眠らなければいい、などとよく雑誌などに書いてある。しかし、それで全快した人があるのだろうか。私は自由業であり、つぎの日に定時に出勤することもない。しかし、眠くなるまでそのままというわけにもいかないのだ。そもそも、眠くなるまで雑念もなく平然と待てる人は、はじめから不眠症などにはならないのじゃないかしらん。
ただ待っていても、少しも眠くならず、雑念だけがわいてくる。これでやっと眠れたとしても、目ざめがとんでもない時刻になるにちがいない。午前中の電話は家人がメモしておいてくれるが、午後にはその返事を私がかけなくてはならない。それに食事も変な時間になる。それでずらされ、夜の食事時刻も移動することになる。家の者によけいな手間がかかる。原稿を書く時間もまたずれ、それが終ってから寝るとなると、そのつぎの目ざめはさらにめちゃくちゃになる。家庭生活を破壊しかねない。
こう雑念がひろがるのである。酒を飲んでもいいのだが、酔いを越えてさめかけると、頭がかえってさえてしまう。そのあとはいかに飲んでもだめなのだ。結局、えいめんどくさいと、睡眠薬を口にほうりこむということになる。安あがりで簡便な解決法だ。
もちろん、中毒ではないにしても睡眠薬がよくないことは承知である。健康にいいはずがない。また眠っているあいだに地震などがあったら、逃げおくれる可能性も大きい。なんとかしたいとは思うのだが、ほかに方法もないのである。
ひとつ一週間ほどひまを作って、温泉地の静かな旅館にでも滞在してみようかとも思う。仕事を考えず、眠くなるまで眠らない生活とやらを試みるわけである。
というところまでは決心するのだが、そんなことのできる旅館があるだろうか。旅館やホテルは家庭以上に時刻の制約がある。夕方ちかくに起きて軽い食事をしようとしても、そうはいかない。夜中に空腹となっても、どうにも方法がない。また、夜中や朝には遊べないのである。室の掃除時間が不規則だと、旅館の人がいやな顔をするだろう。しなくても、内心ではぶつぶつ言うか不審の念をいだくにちがいない。そんなこと気にするなとの意見もあるだろうが、気にならぬような人は不眠に無縁の人である。
それに、ひとりではひまを持てあます。遊び相手に友人を連れて行けば、そいつの立場を考慮し、眠る時刻をあわせなければならない。あれこれ考えあわせ、転地療法には希望が持てないのである。
どうやら根本は、私が世のしくみにあわないのである。朝おきて、昼に仕事をし、夕方に遊び、夜に眠る、それを二十四時間周期でくりかえすというのが世の大勢。私がずれているのだ。流行語を借用すれば、反体制の人間ということになる。体制側に言わせれば、おまえが悪いんだということだろうが、こっちに言わせれば、悪いのは体制側である。多数をたのんで勝手に秩序を作りやがって。
にくむべき体制である。できることなら根こそぎ破壊してやりたい。しかし、破壊のあとにどう建設すればいいかとなると、これは難問である。世の人びとが私にあわせ、私の目ざめとともに起床し仕事をし、私が眠くなる時に眠ってほしい。その時刻は毎日きまったものではないだろうが。
不可能なことだ。それに私には角棒を振りまわしてくれる同志もいない。仕方ないので、投石がわりに口に睡眠薬を投げこむことになってしまうのである。
知的興味
病原菌を殺す化学薬品のしくみを書いた本を読んだ。その菌の栄養物とよく似た構造を持つ化合物なのである。だから、菌はそれを体内に取り入れる。しかし、構造が少し違っているため、体内の生理機能に乗らず、本体をだめにしてしまうのである。
私は読んで非常に興味を覚えた。これにいろいろ寓《ぐう》意《い》を持たせることもできるわけだが、この知識自体が面白くてならないのである。なぜ、こういうことを学校で教えないのであろう。断言はできないが、現在においても、学校では物事の暗記が主力となっているのではないだろうか。学問とは理解であり、暗記ではないはずである。暗記が学問の面白さを大いにそこなっているようである。
学問とは本質的に面白いものではないかと思う。それを知らせてくれるのが教育の第一の目標ではないだろうか。冗談をいって生徒を笑わせたり、悩みごとを親身になって、相談に乗ってくれる先生も、たしかに好ましい存在だ。しかし、学問への知的興味を刺激し、それを啓発してくれる先生に及ぶものはないのではないかと私は考えている。
公団住宅
公営団地なるものがある。その数はぞくぞくとふえつつある。私はあまり外出しないが、時たま郊外などを通ると、高層アパートのむやみと密集したのに出くわし、目を丸くすることがある。すなわち公営団地だ。そんなのをながめていると、なんとなく妙な気分になるのである。
住んだことのない私が団地を論ずるのは変かもしれない。もっとも、類似した経験はある。東京都住宅公社の高層アパートに何年か住んだ。
公社が公団その他とどうちがうのかは知らない。しかし私の場合、前任者にまとまった金を払って引きつぎ、出る時はつぎに入る人から、それより少し多い金を取ることができた。つまり、住人がその部屋の所有者であるという形式なのだった。
ところが、公営団地はそうなっていないらしい。早くいえば間借りである。そして、その家賃が民営のにくらべてはなはだしく安いのが特長である。政府の手によって税金がまわされているからだ。なぜ一般人のおさめた税金で、ある特定の人の家賃の補助をしなければならぬのか、考えてみるとどうもおかしい。この矛《む》盾《じゆん》を分析し、鋭い批判を加えたいところだが、まとまらない。データが不足だし、私の頭があまり論理的でないからだろう。
それはともかく、現在においては、団地に住めるのは非常な幸運である。特権階級だ。自己の努力で、特権階級にのしあがった人なら、それはそれでいい。だが、入居のクジに当っただけで特権階級になれるというのは、ちょっとおかしくはないか。現代ではクジ運の強いことも実力の一つなのかもしれぬ。
しかし、べつにうらやましがっているのではない。彼らは幸運であると同時に、それにしばられて身動きできないのである。つまり、非常に安い家賃という特権を捨てて、よそへ移る気になれないのだ。自己の所有でもない住居の、目に見えぬ糸にがんじがらめにしばられてしまっている。
他の地方の新天地で一転換をするチャンスがあっても、この特権を捨てるのが惜しく、その実行にふみ切るのをためらう。団地の自宅がコンパスの脚の一本になり、その円から出られない。そんな状態でただただ人生をすごしてゆく人が多いのではないだろうか。
また、団地サイズという語があるとおり部屋の大きさは寸づまりである。それなのに、食生活の向上によって、むかしにくらべ体格は驚異的に大きくなる一方である。ガラスびんのなかでヒナを育てるという残酷な行為があるが、なにかそれを連想させる。
カモイには必ずおでこがぶつかるという結果になる。つねに頭上を気にしていなければならない。いつも頭上を気にしつづけると、精神まで卑屈になるのではないだろうか。そして、体格がよくなればなるほど、その相対的な圧迫感は高まる一方なのである。
限られた空間のなかで大きくなるのは、住人の体位ばかりではない。物品もそうだ。日本でむかしから使われていたチャブ台という便利なものがあるのに、なぜか人はあまり使いたがらない。空間をむだに占領するテーブルや椅子を入れたがる。これが近代的というわけなのである。
日本における近代的とは、すべてこのようにムード的で不便なものなのだ。
そのほか、テレビ、洗濯機、冷蔵庫は必需品である。さらにステレオや百科事典など、販売攻勢に負けるたびに貴重な空間が奪われてゆく。
日本では人口調節が成功したと言われるが、団地のせいにちがいない。子供を作ろうにもすでに物品が場所を占めていて、もはや空間にその余地がないのだ。
せまいところで夫婦が顔をつきあわせているため、倦《けん》怠《たい》期も早くくるが、離婚にまでは進みにくい。ほかに住居を見出せないからだ。低家賃の団地に住むという幸運は、すべての事柄に優先し、みずからをしばりあげているのである。
低家賃ということは、それだけ金がたまることを意味する。だが独立住宅を買えるほどの額にはならない。資金をためて事業をはじめる気にもならない。豪華なものを買い込もうにも、空間に限りがある。旅行ブームという現象はこのためかもしれない。
教育ママなるものの発生の原因も、またここにある。ほかに金の使い道がないからだ。教育というものは、いかに押しこんでも、それで子供の頭が大きくふくれたりはしない。
かくして、使い道の限られた貯金がむなしくふえる。しかし、そのうちインフレで貯金の実質がへってゆくのである。へったぶんがどこへ行くのか知らないが、だれかがもうけるわけであろう。そのもうけが税金となって、また新しく団地が建ち、多くの希望者のなかから、クジ運の強いという実力を持った人が入居するのである。
そして公営団地はぞくぞくと建つが、地方から都市への人口の流入はそれを上まわる。限りない悪循環といえそうである。
柔軟な精神と未来への大きな可能性を持ちながらも、若い夫婦は団地居住の幸運をめざすのである。そして、クジに当ればそこを長い冬ごもりの場所ときめ、二度と外界へはばたこうとしない。
こうしてみると、団地とは現代の鋳《い》型《がた》といえそうである。建築関係の人に聞くと、未来においては、住宅は不動産であってはならず動産であるべきだと主張する。いつでも自由に移転できるのが望ましいという。
しかし、現実にはそれと逆の方向に進んでいる。人生をある地点に固定化するという傾向だ。近い将来に改善されそうなようすもない。現代の矛盾の典型のようだ。
しかし、ではどうすればいいのかとなると、私は頭が散漫で、残念ながらこれ以上の展開ができない。疑点の指摘にとどまるしだいである。
進化したむくい
「進化した猿たち」という本の第一章で、私はアメリカの死刑漫画を大量に紹介したが、書く時はいささか緊張した。「世の中には笑いものにしていいことと悪いことがある」と、進化した猿愛護協会あたりから抗議が来るかもしれぬと心配したからである。
しかし、そんなこともなく、といって死刑制度検討委員会の委員になってくれとのたのみも来ず、また死刑漫画ブームにもならない。好ましい状態である。世の中に精神的余裕ができた証拠で、ユーモアがユーモアとして通用するようになったわけであろう。
おかげで私も落ち着いて収集をつづけることができる。もっとも私のコレクションの本命は孤島を舞台にした漫画だが、それはあまりに多く、いまだに未整理。ここに拾遺の形で取りあげるのにまにあわぬ。そこで、そのごの収集のなかの死刑物の追加紹介をする。恥ずかしいことだが、もしかしたら私は内心、死刑が好きなのかもしれない。いや、もしかしたらあなただって……。
銃殺の好きなふとった王様を描いた漫画がある。まず体重のふえるのが面白くなく、レンガの壁の前に体重計を引き出し、ものものしく銃殺にする。反逆者の処刑も普通の方法ではあきたと、柱にしばった囚人の上に、大きな石をヒモでつるさせる。そして銃殺隊には、そのヒモをねらえと命じるのである。命中すれば石が落下し、囚人をつぶすのだ。
銃殺マニアとなると、さらに手がこんでくる。シーソーの一端に石を落下させ、他端にのっている囚人を空中に飛ばせるのもある。銃殺隊はクレー射撃のようにそれをうつのだ。ひどい話だが、それをとぼけたタッチで絵にしている。深刻なことをユーモラスに仕上げてある点に、私はいつも感心する。くだらぬことを深刻に大げさに扱ったものが、世の中に多すぎるせいであろう。
処刑寸前、囚人が最後の願いで豪華な食事をする図はよくある。いつまでも口をもぐもぐやっている囚人をながめ、看守がいらいらした口調でこう話しあっているのがある。「あいつ三時間もねばっているぞ。最後の肉をかみつづけ、まだ食事がすまないのだそうだ」
デザートにチューインガムを注文するのも、いいかもしれない。いかなる状態をもって、チューインガムを食べ終ったと称するのか。
最後の願いで女性を求めるのもよくあるが、その新アイデア。刑務所長の夫人を指名するのである。あとで知って所長が怒るが、看守は「前例のないことですが、なるべく希望をかなえてやれとの、所長の方針に従ったまでで……」
これを逆にした構図のもの。処刑囚の美女が銃殺隊長に最後の望みをささやき、隊長は赤くなりながら、まんざらでもない表情になる。つまり、隊長と愛のひとときを持ちたいというわけ。
しかし、その希望をかなえてやったりすると、いざという時、隊員たちが銃をいっせいに隊長にむけることになる。ひとりじめはずるいとの不満の爆発である。
銃殺隊の隊長が囚人に、こう注意しているのもある。「おい、ふるえるのをやめろ。部下たちがねらいにくいと困っている」
また「気楽にしろ、おれの部下たちは射撃のへたなやつばかりだ。急所をはずれるにきまっているから、死ぬまでに時間はたっぷりあるぞ」などという、すさまじいのもある。だが、さっと死なせるのと、じわじわ死なせるのとどちらがヒューマニズムかとなると、これは大問題。安楽死の論議ともからんでくる。
三日かけてなぶり殺しにすると言われたら、人は即座の死のほうを望むだろう。しかし、一年がかりとなると、こっちのほうを選ぶにちがいない。結局は時間の長さの問題なのだろうか。その境目は何日ぐらいのところにあるのだろう。一枚の漫画も、けっこう考える種となってくれる。
最後の願いで、首つり台の下にトランポリンを置かせるのに成功した死刑囚もある。ぴょんぴょんはねて、してやったりという表情。しかし、永久にそうしてもいられないわけで、漫画とはいえ気になることだ。
処刑寸前の知事からの電話という光景は、映画では使い古されているが、漫画にはこんな劇的なのがある。電話を受けた看守が叫ぶのだ。「知事が言ってます。自分が真犯人だと自白すると……」
これと逆なのもある。「知事からの電話で、まて、電気イスのスイッチはおれに入れさせろとの命令です」と看守が言っているのだ。助命嘆願書を読み、凶行の悪質さを知った知事が、かんかんになったのである。
処刑の前に弁護士がやってきて、囚人にこう言っているのもある。「手をつくしたが、助命は無理です。しかし、喜んで下さい。あなたの犯罪物語を、一流映画会社に高く売りつけるのに成功しましたよ」
銃殺の号令寸前、どこからか入ってきた子供が、ゴムのパチンコで石を囚人に命中させている図もある。あどけないいたずら小僧も、こんなところに出現すると異様である。
ギロチンに交通標識をとりつけた妙な構図のもある。この種の漫画ののっているのは紙質の悪いパルプ雑誌で印刷がかすれて文字がよく読めない。しかし矢印を上にむけ〈天国行〉、下にむけて〈地獄行〉なんてのをつけたら、ユーモラスになる。
銃殺隊長が囚人の胸に〈当ったらおなぐさみ〉と書いた札をぶらさげているのもある。それを見て囚人も、きゃあきゃあ笑っている。殺すほうも殺されるほうも、こう人間ばなれしてくると、たよりない気分になってしまう。
ガス室に囚人を押しこみながら「早いとこ、こいつを満タンにしてくれ」と自動車あつかいをする看守。ガス室の壁に「化学は人類の生活を高める」とのポスターのはってあるもの。電気イスのそばの壁に「おすわりになるのにチップは不要」と書いたもの。
病死寸前の死刑囚。所長あわてて医者を呼び「処刑の時刻なんですよ、先生。カンフル注射かなにかで、電気椅子までもたせて下さい」と、まさに官僚的そのもの。
電気椅子にすわらされた囚人に、看守「あいにく停電なんだ。おまえ、自分でこれを回せ」と手回し式発電機を渡している図もある。
言語道断なものばかりだ。しかし漫画を怒ってみても仕方ない。死刑という制度の存在が原因である。さらにさかのぼれば、死刑にあたいする犯罪をおかすやつの存在がいけないのだ。そんな犯罪をうみだす要素のある社会がいかんのだ。そんな社会を作った人類がいかんのだ。猿から進化したのがいかんのだ。いずれにせよ、私のせいではないことはたしかだ。
最後にひとつ、ほろりとする構図のもの。ギロチン係がペットの鳥に「おまえも、このごろはエサが少なくてかわいそうだな」と悲しげに話しかけている。人間は不完全なしろものだが、愛情を持っている。うえた鳥に寄せるこの思い。いうまでもなく、その鳥とはこの場合ハゲタカなのだが……。
万年筆
なんで読み、いつどこの国で起ったことかも忘れてしまったが、心に残る実話があった。外国の軍隊がある町に乗りこんで来たのである。司令官が市長と会見ということになる。部下を従え、軍服姿でものものしくあらわれた司令官、席につくとともに、腰の拳銃をはずしてテーブルの上に置く。癖なのか演出なのかはわからないが、威圧感を高めることはたしかである。すると、それに応ずるかのように、市長はほほえみながら、背広のポケットから万年筆を出し、同じようにテーブルの上に置いた……。
「ペンは剣よりも強し」という言葉があるが、一対一の勝負ではペンが優勢とはいえない。しかし、武器は同じ時間の限られた空間にしか、その力は及ばない。これに反して、ペンは過去の人物を再現することもできれば、未来を描くこともできる。文明を伝えるのもぺンによってである。人類の最大の発明は文字であり、私たちの今日の生活は筆記具の先によって築かれたとも言えるのである。
アメリカの推理作家ウールリッチの短編に「万年筆」というのがある。爆薬をしかけた万年筆をギャングが作って持っているのだが、それがすられ、まわりまわって自滅する運命のいたずらの話だ。文字の読めないギャングが万年筆にやられるという点が面白い。しかし、万年筆を爆薬をしかけるとか密輸容器に使うなど、もってのほかだ。私は万年筆型のなんとかいうしろものには、どうも好感がいだけない。神聖なるものがみるみる減ってゆく現代ではあるが、だからこそ、万年筆の形は万年筆だけであってほしいのである。
こういってはなんだが、私の原稿はきれいなものである。字がうまいというわけではないが、いったん下書きをして、清書をするからだ。注文の多くが枚数の指定された短編であり、それにぴたりとおさめるには、どうしてもそういうことになってしまう。能率がいいとはいえないが、仕方のないことだ。
下書きは鉛筆かボールペンでやる。アイデアを模索する段階で、ここが最も苦しい。だが、それがすみ万年筆で清書する時は、これは楽しい。たいていの神話では、はじめに神が出現し、もやもやしたところに天地を作り、最後に仕上げとして人間をお作りになったことになっている。その人間を作る時の気分と似たようなものではないかと思う。だから、清書の途中でインキが切れ、字がかすれたりすると不快になる。楽しみをじゃまされたようなのだ。しかし、モンブランの万年筆には軸に透明な窓がついており、その心配がなくてありがたい。きめのこまかいくふうである。ちょっとした発明ではあるが、それによってどれだけ多くの人の不快さを消したか、はかりしれないことだろう。
使いなれた万年筆ぐらい、私にとって親密なものはない。買いたてはどこかぎこちないが、しばらくたつと、もはや肉体の一部のようだ。私は外出の時に万年筆を持たない。書斎でないと原稿を書けないせいもあるが、紛失するのをなによりも恐れるからである。そとで必要な時には、他人のをかりる。しかし私のは決して他人に使わせないのである。この点いささか自分勝手だが、なんと思われても、これだけはあらためない。そのため、先が摩滅して使えなくなっても、捨てる気になれない。私の魂が宿っているような気がするからである。
時 間
かつて青春時代、ある女性とデイトしたことがあった。待ちあわせの場所へ行く、約束のほぼ十分前に行くのが私の習慣である。待つ間に私は彼女の美点ばかりを数えあげた。この世に彼女にまさる存在はないのではないかと思えてくる。だが定刻になってもあらわれない。
私の心のなかには、その時刻を境にし、今度は彼女の欠点が浮びはじめた。またひとつ、またひとつと浮び、四十分後にやっと出現した時には、世にこんないやな女はいないのではないかと、私はきわめて不快になっていた。時間には妙な作用があるものだ。
そのころは若く一本気だったせいでもあるが、もともと私は時間にうるさい性格である。
私の親友に共通する特徴をあげれば、時間厳守の点である。ルーズなやつとは、つきあう気になれない。そしてこのように時間に神経質だから、私がSFのたぐいを書くようになったのかもしれない。
SFにはたいてい時間の要素がからんでいる。異なる時代へ旅をするタイムマシン。不老長寿の薬品。進化を加速して新しい生物を作る。人工冬眠で未来へ行く。光速飛行で帰郷すると浦島太郎のごとくなっている。一生が七日間という人間の物語などはかなさと奇妙さのまざった変な気分にさせられる。
平均約七十年という私たちの人生は、はかないものなのだろうか。一回転に二億年かかるという銀河にくらべたら、とるにたらない瞬間だ。しかし一方、光速で三センチ飛んで消滅してしまう素粒子もある。光速とは一秒に三十万キロメートル。それで三センチを飛ぶ時間だから、想像を絶した寿命である。私はこの素粒子のことを考えるたびに、人生がいかに長いかを感じるのである。
人類の文化は今や時間というテーマと取り組みはじめているようである。カメラの発明、蓄音機からテープレコーダーへの進歩などは、いずれも時間を越えて記録を伝達する行為である。古生物の化石から千年前の降水量や、二十一万年前の海の平均水温なども判明した。
高速で地球を回る人工衛星のなかの時計は、地上のにくらべて三十億秒について一秒だけおくれるという。この程度の時間のずれを測定する装置があるそうだから、驚異としかいいようがない。電子計算機のなかでは、情報の一因子は百万分の一秒で処理される。巨大な時間から極微な時間まで、科学はさらに開発を進めることだろう。
未来社会についての解説書などを読むと、空間や物質の利用ばかりがいやにくわしく書かれている。しかし時間の開発の方がもっと重要で、しかも興味のある問題だと思う。
なにが生れてくるのか想像もつかないからだ。それにしても、私たちの寿命の方はどうなるだろう。医学の進歩はそれをのばしてくれつつあるが、他方ではふえる一方の公害や事故がちぢめつつある。天使と悪魔との戦いのようである。願わくば天使のほうが勝利をしめますように。
バックミラー
形容をすれば、こんなふうになるのではないかと思う。私たちは一つの乗物にのって、未来へと進んでいるのである。しかし、この乗物、後方を見る鏡であるバックミラーはついているが、前方を直接に見とおすのは不可能なのだ。
いままではこれでよかった。前方になにか障害物があって、それにぶつかったとしても、スピードがゆるかったから、たいした事故も起さない。ハンドルを切ってそろそろと進めば、さほどのこともなかった。
例をあげれば、飛行船。人間はかつて飛行船なるものを発明したが、その初期に爆発の惨事が発生し、数十名が死亡した。人びとは飛行船への警戒心をいだき、その開発を中止した。だが、より便利な飛行機の発達をうながすことにもなった。無理やり飛行船を普及させていたら、人的・物的な損害はかなりなものになったにちがいない。
また、人間は病気への各種の治療薬を考え出したが、有害なもの無効なものは淘《とう》汰《た》され、有効なものだけが残った。普及の速度がゆるやかだったから、犠牲が少なくてすんだのである。
しかし、現代はあらゆる面でスピードがついている。開発から普及まで、あっという間だ。私たちの乗っている未来へ進む乗物には、非常な加速度がついている。だから、なにかにぶつかったら、被害は大きいのである。前方が見とおせるのなら避けることもできよう。だが、たよりはバックミラーだけなのだから、どう考えても不安だ。
サリドマイドという薬品の副作用は、かなり普及してから判明した。大型タンカーが難破し、その油の流出による被害のひどさは、起ってみてはじめてわかった。
未来においては、この種のことがもっと大がかりに起りかねないのである。未来学なるものがうまれたのも、このような状況のためである。バックミラーにうつる光景、すなわち、これまでのあらゆるデータを集めて整理し、それによって未来を予測し、未来への進行を少しでも安全にしようというのである。
核兵器の貯蔵庫が大地震にみまわれたらどうなるか。人類の宇宙進出にともなって、未知の病原菌が地球に持ちこまれるということは考えられないか。新型自家用ヘリコプターの開発で、道路が無用の長物と化すのはいつごろか。どれも大変な問題で、各種の分野を総合しなければ答を出しにくい。また、答が出ても正確とは断言できない。
そして、検討すべき問題の件数はふえる一方、複雑になる一方なのである。手を抜くことは許されない。どんな混乱がおこるかわからないのだ。考えてみると、危機一髪の時代である。最もいい方法は進歩にブレーキをかけることだが、それはできない。
人間のエゴイズムのためである。だれもが他人に負けまいと必死だ。最近は「未来の先取り」などというていさいのいい言葉が使われているが、早くいえば「ぬけがけ」あるいは「ひとを出し抜く」である。それに、進歩こそいいことであり幸福の源泉であるとの、盲目的な信仰が定着している。したがって、スピードの加速はすごくなるばかり。危険は限りなく高まりつづける。
公害・十年後の東京
あなたは、いま、十年後の東京に住んでいる。三十六歳の男性。会社へつとめている生活だ。なぜそこに住み、なぜそんな生活をしているのか、考えてみもしない。もっとも、これはなにも今に限ったことでない。十年前だって、十五年前だって、そんなことを考えたことはなかったはずだ。ばかばかしいし、いそがしいし、ほかにもっと考えるべきことがたくさんあるような気がして。気がするだけなのだが……。
夢のあとをたどるように回想すれば、中学生のころにだったか、そんなことを考えた時があった。ぼくはなぜここに存在しているのだろうと。すばらしいテーマのように思え、ぞくぞくしたものだが、すぐゆきづまりあきらめてしまった。それからずっと、あなたはこのたぐいについて考えるのをやめている。賢明なことなのだ。考えたって結論が出てくるわけでもないのだから。
あなたは、まもなく目をさます。ほら、枕もとで目ざまし時計が鳴りはじめた。最初のうちは低くゆっくりした音なのだが、断続しながら高く激しい音になってゆく。心理学の原理を応用した、自然のめざめをもたらす効果があるという。本当かどうかはわからないが、そう広告をしているし、みなが買うからあなたも買ったのだ。そう信じていれば、それだけ精神衛生にもいいわけだろう。
あなたは音を耳にし、あわてて目をさまし、気がついて後悔する。きょうは土曜日で休日だったのだ。週休二日制。数年前からあなたの会社もそうなった。だが、身についた習慣はなかなか抜けきらない。このような感ちがいを時どきやる。苦笑い。前の晩、眠る前に目ざましのベルが鳴らないようにしておくんだったなあ……。
あなたは手をのばしてベルをとめ、また寝床にもぐりこむ。そして、うつらうつらしながら、きのうのことを思いかえす。つとめ先の会社における、きのうの午後。苦情を持ちこんできた来客との応対で、いいかげん疲れてしまった。数名の主婦がやってきて、製品への抗議を持ちこんだのだ。あなたはまず、ていねいな口調で聞いた。
「どんなご用でございましょう」
「おたくの製品の品質についてでございますわ。きれいな塗料がぬってございますわね。見たところは美しくなっておりますけれど、有害物質を含んでるんじゃないかと……」
あなたは礼儀正しく答えた。
「ご心配なさらぬよう。当社は品質第一、慎重な会社でございます。官庁の検査ずみの塗料で、いままで被害の苦情など、ひとつもございませんでした。それとも、なにか根拠あってのことでございましょうか」
「もちろんですわ。塗料の部分をナイフでひっかき、ヒヨコのえさにまぜたんですわ。そうしたら二羽ほど死んでしまいました。あきらかに有害です。もし、この塗料がはげ、粉が飛び、料理に入ったら。それが赤ん坊のいる家庭だったらと想像すると、あたしたち、からだのふるえる思いがして……」
女たちに強い口調で言われ、あなたはむっとするが、そんなことは表情に出せない。
「そういうこともございましょうが、ヒヨコと人間とはちがいましょう。また塗料をはがして料理に入れるなどということは……」
とんでもない女たちだ。ヒヨコの死因だって、なんだかわかるものか。化学書を開いて説明したっていいんだが、そんなことで理解してはくれまい。どなりつけたいが、そうもできない。つっぱなすと、さわぎは大きくなるばかり、会社の立場もある。あなたはいらいらし、苦悩の表情を浮べる。だが、正義の味方のご婦人たちは容赦してくれない。
「企業のかたは、すぐそうおっしゃる。問題をすりかえようとなさる。あたしたちが申しあげたいのは、有毒かどうかなのです。あきらかに有毒ですわ。あなた、その塗料をお飲みになる勇気がございますか。ないでしょう。家庭内でそのような毒と、あたしたちが同居しているという点を見つめていただかないと……」
あなたは、くどくどあやまる。そとはちょっと寒い日だが、この応接室は暖房がよくきき、換気装置からはすがすがしい空気が流れている。しかし、体内や精神の調節まではおよばない。冷や汗が流れ、胸がむかつき、ジャングルにとり残されたような心細さだ。泣きたくなり、少し涙が出た。自分のみじめさにだ。
それをみとめたのか、女たちはやっと軟化してくれた。あなたは室を出て伝票を切り、社の製品セットを人数だけ持って戻ってきて、おみやげがわりに渡す。女のひとりが言う。
「こんな高価なものは、いただけませんわ。わかっていただければ、いいんですの」
「いえ、当社として貴重なご注意をいただいたお礼です。消費者からのご意見による品質向上、新製品開発。益ははかりしれません。この程度のお礼では申しわけないほどで……」
「それじゃ、遠慮なくいただくわ……」
女たちはにこやかになり、笑いながら帰っていった。あなたは見送ったあと、腹を立てた。オオカミが来たとさわいでもうけるやつらめ。ごろつき女の恐喝屋どもめ。流行の先端をゆく知能犯だ。おまえらの亭主は、どんな仕事をしているんだ。おもしろくない。あの塗料は無害なのだが、有害なものにかえてやりたいくらいだ。
あなたは上役に口頭で報告する。上役はそれを聞き流して終り。絶対に無害かどうかはわからないが、この塗料で死ぬやつなんかあるものか。あったって十年に一人ぐらいだろう。万一、塗料の種類をべつなのにするなんてなったら、大変なことだ。ストックを捨て、宣伝をやりなおし、赤字を出し、社の利益は落ち、ボーナスがへる。あげくのはて、意見を出した当事者はみなにうらまれる。値上げをすれば文句の手紙が、株価が下がればへそくりを損したとうらみの手紙が、どっと送られてくる。
なににもましていやなのは、下請けの責任の場合だ。品質維持のため冷酷に言い渡さなければならない。だが、たいてい中小企業で、その改善ができず、どうにもならずに倒産するのをながめていなければならない。肩をたたき「きみたちにも生きる権利はある、少しぐらいの有害は、みなで苦しみをわかちあうべきなんだ。適当にやれよ」と人情を示してやりたい。それができればなあ……。
会社からの帰途、あなたはバーへ寄った。会社でいやなことがあった日には、帰りに飲むことにしているのだ。不満を家に持ち帰ってくすぶらせるより、そとで燃焼させてしまったほうが家庭の平和のためにはいいのだ。また、ストレスを発散させないでおくのは、からだによくない。しかし、つとめのある日はほとんど、帰りに飲んでしまう。つまり、毎日なにかしら会社でいやなことがあるのだ。いつからこんな習慣になってしまったのだろう。
職場でかっとなることなしにすんでいるのは、帰りに酒を飲んでいるからだろう。昇給もまあ順調だ。だが、昇給分は飲み代に消えてゆくようだ。ばかげているようだが、これが文明というものだろうとあなたは思う。
大衆的なバーだ。会社づとめらしい女性もけっこう飲んでいる。くだをまいている女もいる。彼女たちも毎日の仕事では、いやな思いをしているのだろうな。それとも、恋人がいないという、世の不公平さへのやり場のない不満をまぎらそうとしているのだろうか。人口密度がふえ社会の複雑さがますにつれ、人間関係はわずらわしさを高める一方なのだ。そのはけ口は、だれも指示してくれない。
女性のアルコール中毒がふえはじめたといわれたのは十年前だ。そのご、順調にふえつづけ、いまにおよんでいる。男女同権のあらわれだ。この傾向は今後もつづくだろう。減少する理由などない。総アル中も、やがては達成されることだろう。
これも公害なのだろうなと、あなたは思う。坂をころがりながら大きくなる雪ダルマのようだ。大勢がよからぬ方角へ進んでいるとわかっていながら、規制ができないのだ。アル中への対策立法の論議もあったのだが、みんなが茶化し、笑いのうちにうやむやになった。各人の自制心に訴えるべき問題だと、たち消えになったのだ。自制心がないからこそアル中になるのだし、アル中だからこそ自制心がないのではないか。企業からの圧力があったのかもしれぬ。茶化された議員は、もはや二度と立法を主張しないだろう。笑われるのは不快なものだ。だが、なにが笑いごとなのだろう。賭博よりおそろしいのに。いまに酒税の増収分でたてられたアル中の病院が、各地に大量に並ぶことだろう。
しかし、おれはアル中にはならないだろう。なぜって、それは、その、いままでアル中になったことがないからさ。
あなたは、それでもいい気分になり、なんとか家に帰りつく。通勤のための時間は、けっこうかかる。妻子はさきに眠っていた。酔いが少しさめてしまったし、あなたはまだ飲みたりない思いで、棚から酒のびんをおろす。それから、精神休養薬の錠剤を飲む。だが、寝床に入って眠ろうとしたとたん、なんだか目がさえてきた。起きているべき時に眠くなり、眠るべき時に目がさえる。ひるまの婦人たちとの会話が思い出され、また腹が立ってくる。あなたは起きあがって、もう一錠を口のなかに入れ、酒で飲みこむ。よく眠らなければならない。あしたは土曜で休日なのだ……。
というわけだったのだが、目ざましが鳴らないようボタンを押しておくのを忘れてしまった。だから、いまのあなたは、よく眠ろうという期待が裏切られた形で、面白くない。自分がいけなかったのだ。
あなたは目をこすり、窓のほうをながめて、どきりとする。窓ガラスの外側に、昆虫が二匹とまっていた。ピンクと黄色のまだらの腹がこっちをむき、いやな色だ。それを見て、あなたは幻覚かと思ったのだ。
小説でアル中の幻覚について読んだことがあった。まさか、自分にも起るとは。しかし、いまはとくに飲みたいとも感じていない。とすると、精神休養剤の副作用のほうなのだろうか。もちろん、あなたは医師の指示で服用しているのではない。コマーシャルでおぼえたのだ。それに、会社の上役が飲んでいるという話を聞いて、まねをしたくなったのだ。こういう精神休養剤を飲まなければならぬまで頭を酷使しているのは、上役だけじゃないんだ。
ひとのうわさでは、しだいに量がふえて中毒し、入院に至ることだってあるという。あなたはそう量をふやしてはいないが、心のどこかで不安がっている。急性の中毒ははっきりとあらわれ、治療しやすいからいい。しかし、こう少しずつ連用していると、じわじわと副作用がたまって、予告なしに幻覚症状がでることだってあるかもしれない。あの変な昆虫がそうなのかも……。
あなたは起きあがり、窓のそばに行き、おそるおそるガラスをたたいてみる。昆虫が動いたので、ほっとする。幻覚ではなかったのだ。
「ことしはこの虫がはやるのかなあ」
あなたはつぶやく。ここ数年、時どき変な虫が一時的に都会にふえる。ずいぶん前だったが、毒のあるガが一地域に大発生したことがあった。住宅の暖房化が進んで、冬もカが飛びまわるようになってからだいぶたつ。人類のほろんだあとは、虫たちの天下になるんだろうかと、あなたは考える。原爆を受けた広島や長崎の町、その直後の惨《さん》澹《たん》たる地上を、アリたちは平然とはいまわっていたそうだからなあ。
あなたはなにかで読んだ、バッタの大発生という現象のことを思い出す。アラビア、インド、ソ連などでそれがおこる。空を暗くするほどの大群が飛来し、夜に地上におりると、十センチもつもるという。この種の現象は熱帯のジャングルなどでは起らず、さほど暑くない乾いた砂漠地に多い。つまり、より強力な天敵がいないので繁殖のさまたげられることがないからだ。
そして、現在の大都市。道路やビルが増加の一途をたどり、コンクリートでおおわれたひろがりが直径百数十キロになろうとしている。まさに乾いた大砂漠地帯と同じなのだ。公園や庭が点在してはいるが、人工の植物帯で天敵がいるわけではない。昆虫の大発生に好都合になってしまった。
そのうえ、農薬の使用が大発生に一役をかってもいる。自然界の生物系のバランスがくずれ、予想もしなかった虫がとつぜんふえはじめる。都市圏周辺の農林地帯でそれが起り、こっちへとふえながらやってくる。なにがどうふえるのか、コンピューターをもってしても予測できない。
それでも害虫のほうが全滅すればいいのだが、一時的にへるだけで、すぐもとに戻る。しかも、農薬への耐性をそなえ、高濃度あるいは新しい薬でないとびくともしなくなっている。このいたちごっこはずっとつづいているのだ。農薬は食品にも付着し、人間のほうをむしばんでしまう。この点の解決される時代はいつ来るのだろうか。
なんとか初期のうちに計画をたて、都市という大砂漠を作らなければよかったのにと、あなたは思う。しかし、すぐ苦笑いする。なにも知らぬ初期に、都市を大きくひろげるなとの説を聞いたら、腹を立てたはずなのだ。人には好きな所に住む権利があるとか、不当だとかさわいだだろう。あとから反省するからこそ後悔なのだ。ことのはじめにあるのは楽観だけ。人はそれを明るい希望という。
都市周辺のグリーンベルト地帯なんてのも、計画はいつのまにかけしとんでしまった。庶民の住宅が大事なのだ。都市に残っていた空地も、文化、芸術、科学とかいうもっともらしい看板をかかげたビルでつぶされていった。コンクリ地帯がひろがると、スモッグを作る大気の逆転層が生じやすくなるのだ。スモッグこそ文化と芸術と科学の成果。
ネズミやゴキブリも、この都会の目に見えないところでどんどんふえ、大型になっているのだなと、あなたは身ぶるいする。ゴミ処理の問題は、いかに改善しいかに能率的にしても、食品のくずのふえる速度には及ばないのだ。ネズミやゴキブリはもはや物かげにおさまりきれなくなり、ある地区ではあたりかまわずあふれ出しているという。数年後にはどうなるのだろう。
おそるべきことだな。だが、おれがどうすればいいのだ。大変なことなら、だれかがやってくれるだろう。おれはちゃんと地方税を納めているのだ。
しかし、ネズミにしろ、ゴキブリ、カ、さっきの毒々しい昆虫など、ふえるやつっていうのは、どうしていやな感じの生物ばかりなのだろう。コウノトリにしろ、トキにしろ、チョウにしろ、美しい生物はつぎつぎにへってゆく。
あなたは起きたついでに顔を洗いにゆく。鏡にうつる顔。いい顔いろではない。疲労がしみついているという感じだ。目も充血して赤い。涙の成分が変化したのだろうか。鼻毛ものびているが、これを切るとごみを吸いこむことになってしまうのだろうな。しかし、これでいいのだ。肌の色つやがよく、にこにこと健康そのものに輝いていたら、他人はどう思うだろう。心配ごとがなく、仕事に頭脳を使わず、責任感があまりない人物との印象を与えるにきまっている。昇進できず、仲間はずれにされてしまうのだ。若さの消えた深刻そうな顔の色、これこそ都会生活のパスポート。他人から異端者扱いされない保護色なのだ。
皮膚のつや、頭痛、疲労、心臓、胃などの症状は、情緒中枢によってひきおこされるという。その情緒中枢は対人関係、騒音、通勤の混雑、その他もろもろの不快なことによっていためつけられているのだ。となると、健康なやつは情緒中枢がおかしいのか、なにかうまいことをやっているかだろう。いじめたってかまうものか。情緒中枢がおかしいのなら、いじめられても平気だろう。うまいことをしているのだったら、平等の原則に反する。
あなたは顔を洗い終り、うがいをする。のどの健康にはこれと宣伝しているうがい薬だ。のどのぐあいがずっとおかしい。薬のメーカーが大気中にひそかにガスを放出してるのじゃないかと邪推したくなる。やはり、情緒中枢のせいなんだろうな。それとも、大気汚染が進んだのだろうか。あるいはアルコールのせいか、コーヒーのせいか、食品添加物のせいか、食品に付着してる農薬のせいか、タバコのせいか、年齢のせいか、新しいビールスによる流行病か、抗生物質の乱用がうみだしたバクテリアのせいか、遺伝体質なのか……。
思い当ることだらけだ。すべてのせいなのだろう。人を柱にしばりつけ、大ぜいが石をぶつけて殺す残酷な私刑のようなものだ。だれの投げたどの石が命を奪ったのか、判定のしようがない。現実にこんな犯罪が起ったらどうなるだろう。殺す側の人数がぐっとふえれば、だれが犯人ときめられず、無罪となってしまうのではないだろうか。殺人は存在すれど無罪。無罪ということは、また起るという意味なのだ。ひどいものだなあと、あなたは顔をしかめる。長い時間をかけてあなたはその私刑を受けているのだ。
あなたは妻子といっしょに朝食をとる。五歳になる娘がいう。
「パパ、早いのね。お休みなんでしょ」
「目がさめてしまったのさ」
「目がさめたとき見る夢は……」
娘が変な声で言う。奥さんが、このごろはやっている歌だと説明してくれる。コマーシャル・ソングなのだろう。
あなたは牛乳を飲む。好きではないが、からだにいいだろうと思っているのだ。むかし放射能が牧草をとおって牛乳にまざるなんて説があったが、そのごどうなのだろう。農薬もそうだとの説があったようだが、あれはお茶の葉っぱだったかな。毎日毎日、刺激的に編集された新聞紙面を見ていると、なにもかもごちゃごちゃになり、わからなくなり、もうどうでもよくなる。清浄野菜でないのにそう称して売った悪徳業者の記事は、いつごろのことだったか……。
忘れることは長生きの秘《ひ》訣《けつ》。本当に有害ならだれかがさわぎ、だれかがなんとかしてくれるはずだ。個人で注意しろと言われたって、どうにもならぬ。
あなたは新聞をのぞき、家庭用の有害食品検知器開発中とのニュースを見る。できたら、どこの家庭でも買うだろう。命にかかわることなのだ。だが、買ったら買ったで、責任までしょいこむのだ。交通事故の場合の、歩行者も不注意というのと同じ論法。また、どうせ検知器にかからぬ有害物を開発し、添加するやつだって出現するというものだ。
「しあわせだなあ」
あなたは大声を出す。この瞬間まで、家族がなんとか生きてきた。いま、こうして五体満足で生きている。それがなにか輝かしい奇跡、すばらしい幸運のように思えたのだ。
妻がびっくりし、あなたはてれくさくなり、前の皿の食物をどんどん口に運ぶ。毒食らわば皿までだ。関連ない形容だなと少し笑う。
あなたは別荘地をちょっと持っている。だいぶ前に無理して月賦で買ったものだ。かつて未来ビジョンがはやったころ、都市の住民は週末には別荘地で新鮮さをとりもどす、だれもがそうなるなどと本で読まされた。あなたは先見の明をほころうと、その未来の日にそなえて買ったのだ。そんな人はあなただけじゃなかったんだが……。
しかし、交通を保証するとはだれも言わなかった。みなが週末に別荘へ行くためには、列車を十倍に増発し、五十メートル幅の道路を各地に何本も建設しなければならないのだ。いまは家族づれではとても行けない。行くのは混雑に快感をおぼえる若者たちぐらいのものだ。いつの日か、楽に行けるような日が来るのだろうか。だが、そうなればなったで、都会の人ごみがそのまま移るだけじゃないのか。
しかし、あなたは後悔していない。空気のいい土地を持っているということは、それだけで気分がいい。夜の夢のなかでは、しばしばそこへ行っているではないか。そんな夢を見た朝は、こころよいめざめなのだ。
「あなた、フィルターの掃除をしてよ」
と妻が言う。空気清浄化装置のことだ。別荘地に家をたてる計画をのばしたので、そのかわりに買ったものだ。汚染された空気をきれいにして室内に入れてくれる。たえずモーターが動きつづけ、その役割をはたしてくれている。
あなたはスイッチを切る。うなりがとまり、静寂という字がふと頭に浮んだりする。いつもこれだけの静かさを犠牲にしていたんだな。だが汚れた空気よりはまだいい。
フタを取り、合成繊維でできたフィルターをはずす。ほこりがべったりついている。こうも空気が汚れているのかとの思いでいやな気になるが、これを吸いこまないですんだとの思いでほっともする。
これを見たら、買わずにはいられなくなる。あなたも数年前、カラーテレビによるコマーシャルでそれを見せられ、たちまち買った。生命防衛の必需品なのだ。このメーカーは工場を各地に作り、大量生産をし驚異の成長をとげた。人びとがこの購入に使った金額を合計したら、気が遠くなるほどになる。大気汚染防止に使ったら、おつりがくるだろう。だが、そうもいかないところが公害なんだ。
フィルターについた、ねとねとしたもの。自動車がスピードを落した時に出す、ぜんそくのもとになるとかいう物質は、これなのだろうか。フィルターは洗えば何回も使えるのだが、あなたは捨ててしまう。新しいほうが吸着力が強いだろうと思うからだ。捨てたフィルターはどうなるのだろう。どこかへ運ばれて焼却されるのだろうか。その時には、有害ガスが空中に散るんだろうな。
「広告を見ると、新しいフィルターが開発されたそうよ。こんどのはべつな物質を除去するんですって。自動車がスピードを出すと、チッソの酸化物を出す。それは低速の時のガスよりひどく、肺に入ると、ひだのあいだにたまって、水にとけず……」
妻は新聞を見て、おそろしい症状を読む。まるで脅迫だなと、あなたは感じる。金を出すか、死かだ。だが、買わねばなるまい。他人がみな買い、うちがおくれるのは不愉快だ。だしぬかれるのは恥辱。他人をだしぬくのが都会生活におけるなんともいえぬ快楽なのだ。
フィルターが二枚になるわけか。それだけモーターに力が加わり、音も高くなるのだろうな。防音装置も買わなければだめかもしれない。電気代もかさむだろう。その電力のために、石油だか石炭だかがより多く燃やされるんだろうな。原子力発電なのだろうか。放射能は大丈夫なのだろうか。あなたは原子力のなんたるかを、いまだに知らない。感覚的にとらえ、びくびくしているのだ。もっとも、時間をさいて解説書を読んでみても、日常生活にべつにプラスになるわけでもない。
そういえば、水道の蛇《じや》口《ぐち》につける高精密フィルターが近く発売されるとか宣伝がされていた。どこか当てると、似たような製品がつぎつぎ出る。二十一世紀は公害産業の時代かもしれない。みなさんの生存を保護してあげますから金を払えだ。むかしのアメリカ、カポネたちギャングのやりかたと同じ。いまに、台所のガスの栓につけるフィルターなども作られるだろう。鍵穴用のフィルターが出現するかもしれない。家の外部と通ずる部分には、すべて関所がもうけられるのだ。鬼は外、福は内。
水道の蛇口につけるフィルターもいいが、水そのものは出つづけてくれるんだろうな。夏になるといつも水の出が悪くなる。一年ごとにひどくなってゆくようだ。地下水脈はかれ、井戸を掘ってもどこからも出ない。海水を淡水にする研究が進んでいるそうだが、そんな大工場はどこに作るんだろう。用地などありはしない。あったとしても、近海の汚染された海水では毒が残るんじゃないだろうか。それとも、何百キロも沖の海水を運んでくるのだろうか。高価なものにつくだろうな。プールの入場料なんかいくらぐらいになるのだろう。
いっそのこと、科学が進んでいるのなら、台風を本土に誘導してくる方法ぐらい研究したらどうなんだろう。水資源をふやすには、いちばん安上りのはずだ。土木工事がどこも万全であった上での話だが……。
「ちょっと雑誌を買いに行ってくる」
あなたは外出する。そとで隣家の老人に会い、あなたはあいさつする。
「こんにちは。どちらへ……」
「日課の散歩ですよ。停年退職したあとは運動不足になりそうなのでね」
「家にいれば運動不足、そとに出るとよごれた空気。どちらが健康的かわかりませんねえ。天は二物を与えずですね。適当な運動場でもあればいいんでしょうが」
あなたはなげき、相手は言う。
「運動場なんかだめですよ。腕っぷしの強そうな少数の若者に占領され、野球をやられ、不愉快になるだけです。ボールをぶつけられ、ガラスが割られ、泣寝入りのスポーツ公害です。本人はいい気なもので、いやなものですなあ。趣味から生ずる公害はふえる一方。スポーツカーやバイクの音。山や野でちらかす空びんのたぐい。あたりかまわぬ楽器の音、ドイツの都市では公共の場所でトランジスターラジオを鳴らすのが禁止されているそうですがね……」
「冬の列車のスキー用具。ゴルフの大きなバッグ。捨てネコ。犬のはなし飼いが子供にかみつく。趣味は人を盲目にしますな。犯罪の動機は、むかしは生活苦だったが、いまは趣味を楽しむ金ほしさになってしまった……」
道ばたで中学生ぐらいの男の子が二人、なにやらやっている。あなたはふしぎがり、小声で老人に聞いてみる。
「なにしてるんでしょう」
「最近はやりの催眠術ごっこですよ。週刊誌やテレビがとりあげたので、たちまちはやりはじめた。むかしのシンナー遊びとちがって、材料不用なので防ぎようがない。発生はアメリカのようですな。外国の安易な風俗はみんな入ってくるが、外国のきびしい点はまるで入ってこない。わが国は世界の安易さの吹きだまりみたいなものです」
「あれ、いい気分なんでしょうか」
「あなたは幸福だと暗示をかけあうんだそうです。だから、かかれば幸福感にひたれるんでしょう。年少の連中は、妙なものを考え出しますよ。しかし、あんなことをくりかえしていると、普通の刺激には満足できなくなり、変質者がふえてくるんでしょうな」
「しかし、ああでもしないと、かすかな幸福感も味わえないとは、今の少年たちに同情すべきかもしれませんね」
あなたが言うと、老人は首をかしげた。
「どうですかねえ。なぜ不幸なんです。戦時中のほうが青少年に好環境だったと思いますか。戦後の、焼けあとを飢えがおおっていた時のほうが、それとも十年前あたりがよかったとおっしゃりたいんですか。幸福の見本はどこにもない。あるのは不幸だとの暗示だけです」
「われわれは、みな暗示にかかりやすくなっているんでしょうかね」
あなたはつぶやきながら老人と別れる。テレビの発達により、人は多くの知識を持つようになり、なんでも理解しているような気分になっている。だが、それは観念的にとどまり、体験によって得たものではないのだ。だから、知っている範囲については、わりと冷静な判断が下せるかもしれない。しかし、それ以外となるとまるでうぶなのだ。どんな暗示にも、たやすくひっかかる。新しい事態にぶつかると、あなたはとまどい、あたふたするのだ。持っている知識の多さにくらべ、自信はあまりにも少ないのだ。新説や流行に引きまわされる。情報時代の公害といえよう。
新説や流行ならまだいい。予期しなかった災害がもし起ったら、あなたは非常にあわてるにちがいない。大地震が起ったとする。放送局が故障し沈黙する。だれも指示してくれる人がない。どこかで火の手があがったりすると、ふだんの冷静さがいっぺんに消え、前後を失う。混乱は洪水のようにひろがるだろう。
しかし、そのような不吉な想像を、あなたはすぐ押えつける。そんなことは起りっこないさ。いままで起らなかったのだから。起ったにしても、どうにかなるだろう。どうにもならなければ、死ねばいいんだ。
地震や大火にそなえて、小さいけれども広場があちこちに作られつつある。だが、そんなところは自動車の不法駐車場になっているのだ。大火の時には必要かもしれないが、そうでない時は駐車に使ってもいいじゃないか。一台ぐらい、の論理なのだ。かたいことを言うなと、警察に注意されると逆にくってかかる。災害を大きくする手伝いのようなものだ。地下駐車場が火事になったらどうなるか、だれも知らない。
知らぬが仏。知ってから総反省、総点検すればいいじゃないか。建物の多くは不燃性になったが、都市のなかの可燃物の総量はむかしの何倍にもなっていることなど、知らないほうがその日その日をやすらかにすごせる。
あなたは買物をして帰りかける。遠くで自動車のぶつかりあう音がし、救急車のサイレンの音がつづく。事故が起ったらしい。交通事故による被害者は十年前の倍になっている。すなわち年間、死者三万人、負傷者三百万人だ。だが、みんな無神経。十年前だって無神経だったのだ。それに保険が完備してしまった。ほとんどがそれで片がつく。保険金に支払った総計を道路改善に使っていたら死傷者も少なく、経済的だったと思うが、そうもいかないのが公害なのだろう。
あなたは歩きながら、買った雑誌をのぞく。公害保険の提唱といった記事がのっている。本末転倒じゃないかと思いかけるが、ないよりはましだろうと考えなおす。これが政治というものだろう。
この十年間、なんにも改善されていない。与党の政治家は、公害は票にならないといいかげんなあつかい。野党の政治家も大差ない。はなやかな扇動の要素に欠けているからだ。基地の公害のようにわかりやすければべつだが、複雑な因子のからみあった都市公害は、勇ましさが不足なのだ。妥協の産物で公害保険なんてことになってくる。
もっとも、有権者のほうだって文句もいえない。公害の公約を投票の基準にした人なんか、ほとんどいないのだ。公害追放を期待して投票したりしては、自分の意識が低いような気がして恥ずかしい。それに、公害がどうなっているのか、よくわからないのだ。大気のなかの有毒ガスを吸いつづけたので、頭がぼけてしまったのかもしれない。時どき思い出したようにマスコミがキャンペーンをしたが、線香花火、一週間もすると忘れてしまう。大金の強盗、芸能人のスキャンダル、遠い国の革命のほうが面白く、熱中のしがいがあるというものだ。多くの人は公害保険のニュースを、いいことだと受けとるだろう。公害中毒による不感症。
学者は現状の分析をするだけ。予想や警告をへたにやって、ちがっていたら恥をかくからだ。建築関係者は派手なビルばかりたてている。官庁はなわばりを守って慎重である。自然愛好家やノスタルジア趣味の人の発言は笑いものになるばかり。だいたい学校では公害について教えていない。科学や進歩は神聖なりとの共通意識に反するからなのだろう。神のない国で、科学という信仰の対象を失ったらことなのだ。
協力して高射砲をうつどころではない。公害防止は高射砲で飛行機をうちおとす作業のようなものだ。機の位置を正確に見さだめ、それをねらって引金を引いてもだめだ。弾丸がそこへ到達する時には、機はずっと先へ行っている。命中するようもっと先へ砲をむけようとしたら、大笑いされるにきまっている。
「二十一世紀のはじめには、地球の酸素はなくなってしまうだろう」と言った学者がかつてあった。有毒廃液が海に流れこみ、その化学作用で海中の植物が死滅する。炭素同化作用がとまり、大気中から酸素が失われてしまうのだ。その発言を、だれが本気でうけとったろう。
だが、大勢はその道を進んでいる。かつて低開発国と称された国々が、工業化の軌道にのりはじめた。やがては全人類がアメリカなみの生活になるかもしれない。しかし、その過程でどれぐらいの公害が出るだろう。都市公害の問題が世界的な規模に拡大してゆくのに、そう年月はかからないはずだ。
工業化や技術革新のスピードが早すぎる。頭では理解しても、実感としてはぴんとこない。ゆるやかな時代だったら、まちがいをあらためる余裕もあった。しかし、もう試行錯誤をやっていられないのだ。そんな状況のなかで、やっているのは錯誤だけ。
あなたはつぶやく。困ったことだ。それなら早いところ、国連と大国とが計画を立てて、自制すべきだ。われわれの国の知ったことか。どうしようもないじゃないか。要領よく立ち回ってもうけたほうがいい。企業の海外進出をどんどんやって公害をよそに押しつけるとか……。
「ただいま……」と、あなたは家に帰る。自分の部屋に入り、テレビをつける。大きな画面のカラーテレビ。エレクトロニクスの進歩で、鮮明きわまる画像、窓からそとをのぞいているようだ。良質の立体音響がすばらしい。あなたはやわらかい長椅子に横たわり、パイプをくゆらせる。妻が紅茶を運んでくる。マイホームだなあ。精神がくつろぐ。
チャンネルをまわすと、SF物をやっていた。ブラッドベリ原作の「訪問者」だ。荒れはてた景色の火星が舞台になっていた。未来のある時代、火星は地球からの不治の公害病患者が送られてくる場所になっているのだ。その患者たちは、鼻や爪や耳から血を流しつづけ、あわれにも徐々に死んでゆく……。
あなたは架空の物語と知りつつ、妙にひきつけられ、ついに見てしまう。かわいそうに、あんなことになる前に火星に移住してくるべきなんだ。
そして、自分にひきくらべ、都会から逃げ出したほうがいいのかなと思う。しかし、すぐ頭を振る。なぜ、それが自分でなくてはならないのだ。他人たちが出ていってくれたほうがいい。おれは都会が好きなんだ。刺激的な遊び場がいっぱいあるし、なんとなく高級な感じがする。これで公害さえなければなあ……。
ひどくなる一方の公害。だれかに怒りをぶつけたいが、ためらいをおぼえる。あなたはその原因に気がつく。自分にもその責任の一端があるのだ。会社や自宅の快適な暖房、捨てた残飯、乗る車の排気ガス、つとめ先の会社だって、なんらかの公害を出しているはずだ。被害者かもしれないが、加害者でもあるといううしろめたさ。加害者かもしれないが、立派な被害者だといういらだたしさ。公害を発生させないと生きていけないし、発生させると命をちぢめる。公害を発生させながら作られた製品、それらを買うのを拒否したら、どの程度の生活になるのだろう……。
どろ沼かアリ地獄に落ちたように、少しずつ沈んで破滅にむかってゆく。北欧のネズミに似た小動物レミングのようだ。やつらは大繁殖して海に飛びこんで溺《でき》死《し》する。こっちは都会という海に飛びこむのだ。こういうものなんだ。散る桜のこる桜も散る桜、進むも地獄しりぞくも地獄、あなたの好きな悲壮美のある文句。ちょっとしんみりする。
しかし、つぎにはやけ気味になる。面白いじゃないか。もっとひどくなるという。そうなると、そんな国を侵略しようなんて国もなくなるだろう。有毒ガスがただよい、騒音にあふれ、へんな昆虫がうごめき、いつ大災害で混乱するかもしれない国だ。だれが侵略したがる。中立と平和をまもるのは軍備ではない、公害なのだ。あなたは乾いた笑い声をもらす。
われわれはそのなかで強くなるのだ。きびしい自然淘汰、試練なのだ。適者がそこで生き残り、環境の変化をからだで克服し、新しい人類となって、つぎのさらに高い文明期を築く。あなたは雄大な空想にひたる。自分とその家族だけは生き残ると思いこんでいる。
その時、いやなせきが出る。あなたは現実にひきもどされ、なにか不安になり、またうがいをしにゆく。それから精神休養剤を飲み、紅茶のなかにウイスキーをたらす。テレビはとぼけたドラマになっている。しだいに気分がやすらかになり、休日のおだやかなムードのなかを静かに時間が流れてゆく。
(一九六九年三月十六日号「朝日ジャーナル」)
ゴルフ
ある雑誌の編集長で町田勝彦さんという人がいて、彼が私に強引にゴルフをやらせた。はじめてクラブなるものを握ったのである。その体験を私が話題にすると、ある友人は「それはいいことだ」と言い、ある友人は「あんなものに深入りするな」と、いずれも真剣に忠告してくれる、どちらももっともな論拠があり、私はいまだにきめかねている。ゴルフ自体より、その是非論を聞きまわるほうが、なんだか面白くなってきた。
タバコ
1 「妙な味」
タバコを吸う習慣など身につけなければよかったと思う。少なくとも益のないことはたしかなようだ。時どきやめようと決心をしかけるが、どうにもならない。
茶の間で子供と遊んだり、新聞を見たりする時にはなくても平気なのだが、原稿を書くため机にむかうと、つい手が伸びてしまう。アイデアが浮ばない時もすぐ浮んだ時も、タバコをくわえてしまうのだ。
私がタバコを吸いはじめたのは、旧制高校時代、昭和十八年ごろである。当時タバコは配給制度。だが、うちでは父が吸わないので、配給がたまる一方。そして、ほかにはなんの娯楽もない戦争中だ。くわえて火をつけてみたくなるのも当然だった。
そのうち、キザミが配給になることもあった。それを吸うためにキセルを買った。両端に真《しん》鍮《ちゆう》の金具のついたやつである。若い学生が自宅でキセルをくわえ、思いついて真鍮部分をみがいて光らせたり、コヨリでヤニを取ったりする姿は、旗本退屈男の小型版のようである。だが、これが緊迫した戦局下の光景であった。ほかの者も大差なかったのではないだろうか。
日本のキザミというのは、タバコの葉が細く均一にそろえられ、世界に類のない芸術的なものなのだそうだ。やわらかい味で悪くない。キザミは害が少ないとかで、転向しようかと考えているが、ヤニの掃除がやっかいである。物資豊富の時代となったのだから、使い捨てのキセルといった品でも出現してくれないものだろうか。
終戦直後にはオール真鍮製のシガレット・ホールダーが街にあふれた。タバコをむだなく吸おうという需要と、軍需工場の転換とがあいまった商品である。ネジ式の結合で、分解して掃除するのも簡単だった。なつかしい風俗である。いつのまにか姿を消したが、そのうち古道具屋をあさって入手し、保存しておこうと思っている。
大学は農芸化学科に通学した。化学分析の実験など随分した。いつか試薬をピペットで吸いあげている時、なにかのはずみでそれが口のなかに入ってしまった。たしか硫酸銅の溶液だったと思う。毒でもなく、飲みこんだわけでもなく、水で口をすすいだ。
そのあと、なにげなくタバコを吸ったのだが、口のなかにはなんともいえぬ甘い味がひろがった。口中に硫酸銅が残っており、それとタバコとの作用だったのだろう。
面白い現象と思い、研究すればサッカリンに匹敵する新物質が発見できるかもしれぬ感じだったが、目先の実験のほうがはるかに重要なので、ついそのままになってしまった。だが考えてみれば、タバコを原料に甘味剤を作っても、商品として引きあう可能性はない。よけいな寄り道をしなくて賢明だった。
やはり大学時代に「タバコをやめるには、硝酸銀の溶液でうがいをし、そのあとで吸ってみるといい」と友人が教えてくれた。どうなるのかとの好奇心があり、薬品も実験室にあった。やってみると、形容しがたいいやな味となるのだ。これを繰りかえしたら、タバコぎらいになるかもしれない。
こんな実験があるので、銀と銅とをくらべた場合、価格の点では銀に軍配があがるだろうが、味の点では銅のほうが私は好感を抱いている。こんな感想の主は、めったにいないにちがいない。
2 ある空想
ある人物が敵側のスパイであると判明する。当局は緊張するが、すぐ逮捕はしない。監視をつづけ、仲間に連絡するところをねらい、二人ともつかまえたほうが賢明だからだ。
しかし、そのスパイ、喫茶店で一日中パイプをくゆらせているばかり。それなのに、秘密はいつのまにか伝わってしまうのだ。情報部のベテランも首をかしげる。
あとで解明されるわけだが、そのスパイはパイプの煙によって、インディアンの使う煙信号と同じことをやり、それで仲間に情報を連絡していたというわけ。
という短編小説があった。現実にそんなことが可能かどうかはべつとして、奇想天外なアイデアである。
これで連想するのだが、煙の信号もタバコもインディアンの発明である。彼らは煙のたぐいが好きなのかもしれない。もしヨーロッパ人による新大陸の発見がもっとおそかったら、インディアンたちは煙の文化をさらに進歩させていたかもしれない。
煙を袋につめることで、気球や飛行船を開発したにちがいない。煙を大量に発生させれば煙幕になる。薬草を大がかりに栽培し、それで煙を作れば毒ガスになり、吸った者の戦意を低下させる。雨雲にある種の煙を立ちのぼらせると人工雨となる。
そうなってからコロンブスがやってきたのだったら、負けることはない。船をぶんどり、案内させてヨーロッパへと攻めこんでゆく。油断をついてノルマンジーヘ上陸。
「アトランティスの住民が攻めてきた」
と人びとはあわてふためくばかり。そのなかをインディアンたちは、奇声をあげながら荒しまわる。各国とも貢《みつぎ》物《もの》をささげ、命ごいをし、属国となる。
こうなっていたら、世界歴史もぐんと面白くなっていただろう。あわれなヨーロッパの住民たちのつぶやく言葉は「植民地主義反対、ヤンキー・ゴーホーム」
3 漫画の構図
アメリカの一《ひと》齣《こま》漫画の収集が私の趣味となっている。なかでも特に重点をおいているのが、無人島に人物が漂着するというテーマのものだ。マニアの通例として、ひねったアイデアのものでないと満足しなくなってくる。
こんなのがあった。難破して数人の男が島に流れつく。
しかし、さいわいなことに船荷であった大きなタバコの箱もいっしょなのだ。喫煙の楽しみだけは確保された。それなのに、である。マッチは一本だけ。そのため、それで火をつけた男が一本を吸い終ると、つぎの男が吸いはじめる。夜になっても、ゆっくりとは眠れない。火種をたやさないよう、交代で吸いつづけねばならぬのだ。文字通りのチェイン・スモーカー。中止したら喫煙の楽しみが味わえなくなり、といって、このままでは義務であって楽しみではない。奇妙なる状態。よくもこんな漫画のアイデアを考えついたものだ。
死刑を題材にした漫画にも、よくタバコが登場する。最後の一服というやつである。銃殺隊長が囚人にむかって「タバコを吸い終るまで待ってやろう、普通のとロングサイズのとどっちがいいか」と聞いている図はよくある。長いほうがいいにきまっている。
囚人のなかには隊長の言葉じりをとらえ、一本と限定しなかったぞ、と大量に運ばせて何本も吸うやつがある。必死になって無限に吸いつづけている図は悲劇的な笑いだ。
変なライターを描いた漫画があった。大型のライターのふたをとると、なかから手が出てきて、その手がマッチをつけ「さあ、どうぞ」とさし出すのである。
亭主がぼんやりとタバコを吸っているとその煙がグラマー美人の形になる。夫人がそれを見て、
「あなた、なに考えてるの」
そのうちひまを見て、タバコをテーマにした漫画を抜き出し、整理してみようと思う。煙と人生との関連で、なにか新発見ができるかもしれない。
4 火気に注意
大学時代に私は農芸化学科を専攻した。さまざまな実験室があり、地階のひとつにエーテル蒸溜室があった。エーテルとは植物などのなかから、ある種の物質を抽出するのに使用する液体。きわめて引火性が高く、その室は防火のためコンクリートの壁でかこまれ、もちろん火気注意である。
大学に遊びに出かけたりし、その室の前を通ると、ある教授がなにかの時になさった打ちあけ話を思い出してしまう。
その先生がエーテル蒸溜をやっていた。研究テーマで頭がいっぱいで、無意識のうちにタバコを吸っていた。
そのうち、くわえていたシガレット・ホールダーから、火のついたタバコがぽろりと抜けて落ちた。ホールダーにしっかりはまっていなかったのだろう。そして、その下にはエーテルの入ったビーカーがあった……。
ことの重大さにはっとしたが、もはや手おくれ。しかし、エーテルの液に落ちたタバコは、ジッと音をたてて消えてしまったというのである。
この話を私は鮮明におぼえているし、聞いていて手に汗をにぎったことまで思い出す。しかし、本当に聞いたのかどうかとなると、なんだか急にあやふやになるのだ。
そんなことがあるのだろうか。かりに寒い日だったとしても、エーテルは気化しやすい液体である。あとで調べたら水だったというのでは、印象に残る話ではない。それに、初心者ならいざしらず、専門の教授がいくら呆《ぼう》然《ぜん》としていたとしても、そんな軽率なことをするとは考えられない。
検討するにつれ、しだいにおかしくなる。たしかめてみたい気がするのだが、その話をなさった教授がどなただったか、どうしても思い出せないのだ。怪談みたいである。火気注意の札を見ているうちに、私の頭のなかに描かれた白昼夢だったのかもしれない。いやに現実的なはっきりした記憶なのだが……。
5 指
私にはひとつの癖がある。タバコを中指と薬指のあいだにはさんで吸うのである。
原因を話すとこうである。十数年前の冬、かぜをひいてのどがはれあがった。タバコの煙がのどを通らない。むりに吸っても苦しくなるばかり。
よし、タバコをやめてやれ、と決心した。若いころというものは、いとも簡単に大決心をしてしまう。そして、あとで後悔するのが普通である。
しかし、かぜがなおり健康になると、またタバコがなつかしくなる。「きょうも元気だ、タバコがうまい」なんていうコマーシャルが流れてくる。吸いたくてたまらないが、自分の決心のことを考えると、気がとがめる。そこで、あやしげなる理屈をこねあげた。
たしかにタバコを吸わない誓いをしたが、人さし指と中指とのあいだにはさんで吸わないという意味であって、それ以外の方法でならいいのである。
めちゃくちゃに苦しい言い訳だが、けろりと決心をひるがえすよりは、まだしも良心的である。というのもあやしげな理屈だ。
というわけで、中指と薬指のあいだにはさんで吸ったのである。まったく、その時の一服はうまかった。からだの内部における煙への触感といったものがあった。
それ以来ずっとその吸い方である。はじめのうちはぎこちなかったがいまはすっかり身についた。無意識のうちにタバコをそこへはさむ。友人たちも、だれもそのことに気づかないほどだ。
さて、今後のことである。そのうちまた私は禁煙をこころみるかもしれない。そして、そのあとで禁を破ってタバコを吸いはじめる時は、薬指と小指とのあいだにはさむことになるだろう。ちょっとやってみると、まことにおかしい。しかし、問題はそのつぎの段階である。小指と親指とでタバコをつまんで吸うかっこうとなると……。
6 マッチ
マッチの豊富なる点においては、わが国は世界一のようだ。喫茶店のテーブルの上には、いつもおいてある。ホテルでも同様。レストランで会計をしたついでに三個ばかりポケットに入れても、文句は言われない。
銀行へ行ってマッチを五個ほど持ち出しても、ありがとうございますだ。これが金だったら、たとえ十円でもとっつかまるにちがいない。わが国におけるマッチは、空気や水のごとき存在である。
だが、ヨーロッパに行くと、そうはいかない。無料のマッチはどこにもない。あるのかもしれぬが、旅行者ごときにはわからない。
もっとも、それへの予備知識が私になかったわけではない。ニューヨークの空港からパリ行きの便に乗る時、送りに来てくれた義弟が注意してくれた。ヨーロッパではマッチが手に入らないぞと、自分の使いかけのライターにオイルをたっぷり入れ、私にくれた。こういうのをきめこまかな親切という。
ところがである。パリについて一日もたたないうちに、ライターの石が終りとなった。これにはうんざり。空港で買ったタバコは大量にあれど、吸うことができない。ライターの石のことをフランス語でなんというのかわからず、買うことができない。
「マッチ」という大きな看板の出ているところへ行ったら「パリ・マッチ」という週刊誌を売っている店だった。言葉の不自由な旅行者の悲劇である。
街を歩きまわったあげく、みやげ物店でフォルクスワーゲンの広告入りのマッチを、かなり高い金で買った。広告マッチを買うことになるとは……。
かくして、やっと一服できパリの風物が目にうつりはじめたというわけである。もっとも、この広告マッチ、針のように細いが丈夫な美しい軸で、それがきっちりと入っていて、ちょっときれいなものではあった。
7 終戦のころ
私のような年代の者にとって、画期的な思い出のひとつは終戦である。そのなかで最も鮮明なのは、アメリカタバコのラッキー・ストライクだ。
進駐軍から流れ、われわれの手に入った。そのデザインの新鮮さ、包装の紙のよさ、封を切るとたちのぼる甘いにおい。戦時中という、いろどりのない時期が去って、ぱっと花が咲いたという印象を受けた。
初期のころは、若い米兵が道ばたに立ち、公然と売ったりしていた。戦時中には、闇《やみ》商売というと人目をしのんでやるものだとの、うしろめたい感じがあったが、その米兵の姿には、いやにさっぱりしたものがあった。
その闇値だが、私の記憶している限りにおいて、最初の相場は一箱二十円であった。しばらくのあいだ、その値段が全国的に通用したようだ。私の友人にとぼけたやつがあり、戦時中に買わされた国債を持ち出し、米兵にむかって「これは高額紙幣である。普通の紙幣よりぐんと大きい。金銭の単位は百倍なのだ」と説明し、だまして、タバコをごそっと買ったやつがあった。
はなはだ痛快な事件だが、あとでだまされたと気づいた米兵、腹を立て、だれかにやつ当りして不祥事件をおこしたかもしれない。終戦後しばらくは混乱期だったのだ。
それはともかく、私が興味を持つのは、最初に成立した一箱二十円という相場である。いかなる根拠でこのような線に落ち着いたのだろうか。日米間の経済関係はまるでなく、これが最初の接触といえるのだ。国産タバコの闇値あたりが基準となったのだろうか。私としては、民衆の感覚でぱっときまってしまったように思えてならないのだが。
そのご、円とドルとの為替レートが暫定的にきまり発表されたが、それによると、アメリカタバコの闇値が、けっこう妥当なところになるのだった。むしろ私には、タバコの相場が基準となって、為替レートがきまったように思えてならない。もしそうだったとすれば、戦後の記録の上からも、タバコの歴史の上からも、重要なことといえそうである。そのへんのくわしい事情を知りたいような気がしてならない。
新しい妖精
かつて私は、合理性だけが世を支配し、夢が一掃された未来の悲劇を短編に書いた。「お花のなかには小さな妖精がいるのね」などとつぶやく子供は、好ましからざる性格の主とみとめられ、連行されてしまうのである。
これを書いたころ私はまだ独身で、幼児がはたしてこんなことを考えるものかどうか、あまり確信はなかった。
いまの私には幼女が二人ある。上の子は五歳だが、昨年、トランジスターラジオをイヤホーンで聞きながら、私にこんなことを言った。「このなかに、おじちゃんがはいっているの」
これには驚いた。チューリップとラジオの差はあるが、まあ同じ発想である。私の作品のなかの、夢のない社会だったら、むちゃなことを考えるやつだと、連行されることになったかもしれない。
しかし、この場合、どう答えたらいいのだろうか。花のなかに妖精のいないことは、花を切り開いてなっとくさせることができる。そのついでに、植物とはなにかの、ごく初歩的な知識を教えることもできる。
ところが、ラジオはそうもいかない。分解して妖精めいたものの存在しないのを示すことはできる。しかし、アナウンサーの声はどう説明したらいいのだろうか。小学生になればまだしも、四歳ぐらいの子に電波をのみこませるのは不可能である。植物についてとはわけがちがうのだ。
けっきょく私は「うむ」とうなっただけ。それ以上返答を追究されなくて助かった。
しかし、そのあとがある。しばらく前に、わが家でカラーテレビを買った。もっと早く買えばよかったというのが感想である。貯金のある人は、自動車購入の目的をカラーテレビに切り換えるべきだ。しまったとは思わないはずだし、少なくともテレビは人を殺さぬ。
話が横道にそれ、カラー礼賛になったが、それを見ながら、また子供が言った。
「あのガラスをはずせば、むこうの世界へ行けるの」ときた。世界という語ではなく、そんな意味のべつな言葉だったかもしれない。いずれにせよ、まじめな口調であった。まじめな顔での冗談を言う能力が子供にあるかどうか私は知らないが、まあ、ないであろう。
実際、色つきテレビは、ふとそんな感じにさせるものを持っている。映画館で見るカラー映画とちがい、テレビには人を引きこむようなリアルさがある。この点、私は流行のマックルーハン理論に同感である。
それはともかく、この質問にも答えようがない。「行けない」と教えるのは簡単だが、ではなぜそこに景色があるのかとなると、こっちは頭をかかえるばかりである。そこへゆくと、ロケットなど単純なものだ。花火を使えば、いちおうの解説ができる。
これからは、電子レンジだのなんだの、エレクトロニクスの製品が、つぎつぎと家庭内にはいってくる。コンピューターのたぐいだって、近い将来には家庭用品となりかねない。そして、子供の興味もそこにむくはずである。それに対し、なんらかの準備が必要のような気がしてきた。
いっそのこと、電気妖精だとか、エレクトロ・コビトといったものを作りあげてみようかと考えている。やっかいなことは、みなそのせいにしてしまうのである。
しかし、まったくのでたらめでもない。あとで電気の概念に抵抗なく結びつくよう、注意ぶかく性格の設定をしておくのである。こうしておけば、妖精を殺してその上に科学を築かなくてすみ、「妖精ってこのことだったのね」と連続させることができそうだ。
いささか功利的な気もするが、そもそも妖精とは、現象を手っとり早く解説するために発生したものと思う。その意味で、現代は新しい妖精がもっともっと生れていいような気がしてならない。
読書遍歴
昭和十四年に小学校を卒業した。そのころの東京は静かだった。私の住んでいた本郷の住宅地のあたりはとくに静かだった。ラジオはNHKだけで、それもごく早い時刻に終りになったし、子供むけの番組などはほとんどなかった。
夜、ねどこに入ってから、江戸川乱歩、海野十三、山中峯太郎の作品などを読む時は、胸の高鳴る思いがした。ほかに気の散ることがなかったためだろう。読書などというものではない。その作品の世界に入りこんだのだ。寒さの描写してあるところでは寒けがし、暑さのところではふとんをはねのけた。マックルーハンによるとテレビが触覚文化で活字はそうでないそうだが、必ずしもそんなことはないようである。
講談社で出していた「少年講談」は全巻をそろえ、学校から帰るとくりかえして読み、ついには全部のストーリーを暗記してしまった。そのころは今日とちがい、本は消耗品ではなかったのだ。私のような体験の主は多いのではないだろうか。
中学に入ると、たまたまうちにあった「楚《そ》人《じん》冠《かん》全集」というのが面白いことを発見し、それにとりつかれた。私の父が著者と知りあいであり、その関係で贈呈されたか買わされたかしたのであろう。
楚人冠とは本名・杉村広太郎。朝日新聞の人。博学であり、外国生活の経験が長く、思考が柔軟で感覚が鋭敏で、上品なユーモアがみなぎっている。身辺のエッセイや旅行記が主だが「現代新聞学」といった巻もあった。題名はかたくるしいが、わかりやすく知的な面白さはすばらしかった。
むずかしい文章は決して使わないが、それでいて自己の感想をすっかり読者に送りこむ。絶妙としかいいようがない。私には、いいなと思うと物事に耽《たん》溺《でき》する性格があるようで、この全集をずいぶん長いあいだ読みふけった。学校での作文に、その文体のイミテーションがしぜんにあらわれてしまったほどだ。ついには本ががたがたになってしまった。
この本が私に与えた影響は甚大である。私がいま、難解で晦《かい》渋《じゆう》な文章が書けず、書く気にもならないのはそのためである。また難解で晦渋な文にお目にかかると、ニセモノじゃないかとまず疑うようになったのも、そのためである。ユーモアには教養と上品さがなければならない、借り物の思想をふりまわすべきでない、押しつけがましいのはいけない、人生における感覚を大切にすべきだ、といったことを知ったのもこの本である。
楚人冠という人がどのていどの評価を受けているのか、私は知らない。だがそんなことはどうでもいいことだ。変に再評価などされないほうがいい。新版など出て他人に読まれるとしゃくである。中学時代、この本にめぐりあったことで私は満足である。読書遍歴はここで終りにしたいくらいだ。
昭和十八年に旧制高校に入った。いま考えると、ふしぎな時代である。娯楽的なものはなんにもなくなり、学生は工場へ動員され、なにかむやみと時間をもてあます形になった。
一方、うちには昭和初期に発売されたいわゆる円本という、日本および世界の文学全集があった。ほかに読むものがないので仕方なく、それを片っぱしから読んでいった。そんな条件でもそろわなかったら、私はこれらに接することはなかったろう。空襲と食料不足のなかで泉《いずみ》鏡《きよう》花《か》の作や「椿姫」など、まったくそぐわないが、ほかに本がないのだし、頭に入らざるをえなかった。
戦争が終ると、本や雑誌がどっと出た。娯楽雑誌となるとカストリ雑誌のたぐいだし、高級なものはいやに観念的で、いささか読書意欲は減退した。もう少し戦争が長びいてくれたら、私は死んだかも知れないが、古典のすべてを熟読しつくせたにちがいない。
そのころぼろぼろになるまで読みふけった本は碁の定石集である。読書といえるかどうかわからないが、内容を頭におさめようと必死になりながらページをめくりつづけたことは事実である。ふつうの読書と同様、あるいはそれ以上に私の思考方法に影響を及ぼしているようだ。
昭和二十七年に父が死んだ。その会社の経営を引きついだはいいが、営業不振と借金の山でどうしようもなかった。私の人生において、この数年間のようないやな体験は、今後も二度とおこらないであろう。いずれ作品にまとめたいと思っているので、ここでは省略。
当時、私は創作をいくつか書いた。税金の競売延期の嘆願書や、債権者に待ってもらうための文書である。架空の事業計画をこしらえあげ、相手を信用させるための悠《ゆう》々《ゆう》たる調子を文に含め、それとなく同情を求め、ボロをおおいかくす。なにしろ相手は海千山千の冷静な読者なのだ。
いまは控えも残っていないが、私の最高の傑作ではなかったかと思う。全才能を傾け真剣にとりくんだフィクションである。こんな条件にでも追い込まれなかったら、こうまで心血をそそぎこむはずがない。
変な読書遍歴になってしまった。どうみても文学的ではない。当然のことで、私は作家になろうなどと、そのころまで一回も考えたことがなかったのだ。
しかし、会社を人手に渡し、解放されると、なにか心に大きな空虚ができた。そこにあらわれたのがSFである。かぜをひいたある夜、ブラッドベリの「火星年代記」を読み、たちまちその宇宙に包みこまれてしまった。この本とのめぐりあいがもう少し前後にずれていたら、私はSFを書きはじめたかどうかわからない。
私の場合、なにもかも運命である。時どき、SF作家志望の若い人から「将来、作家になるには、どんな本を読んだらいいでしょう」などと質問される。そのたびに私は、答えようもなく困ってしまうのである。
ロケット進化論
「そこに山があるから登るのだ」という言葉がある。登ってみたいとの衝動の意味だ。それをもじった「そこに月があるからめざすのだ」という文句が宇宙進出の解説によく使われた。だが現状ではあきらかに「競争相手の国に負けられないから、月や火星、金星をめざすのだ」である。いつのまにか本末が転倒してしまった。
ロケットは異端の科学者と軍との結びつきによって開発されたものだ。V1号とかミサイルとか称されたころは、武器以外のなにものでもない。そのご打上げられた各種の人工衛星は、軍事的な役目も持ってはいるが、武器らしい色彩がだいぶ薄れた。そして今では、軍事面はそっちのけ、国家の威信を示すための競争用具となった。象徴である。これがロケットの進化論。
そこで私はいじわるな空想をする。参加したくてもできない、わが国のような大国にあらざる国々が、ひそかに申しあわせて、米ソの競争をあおるのである。宇宙進出で少しでも差をつけたほうの国を「世界一の国だ」とオーバーにほめたたえるのだ。すると、おくれをとった国は意地でも追い抜くだろう。そこへ雨のように「やはり底力は貴国のほうが上です」と祝電を送る。
負けたほうは、こんどこそと無理をしてでも火星をめざすにちがいない。あるいは金星、木星へとがんばる。勝負事をやっているうちに頭へ血がのぼり、妻子をほうり出し、みさかいがなくなるという例はよくある。いかに費用がかかろうが、やめるにやめられぬ。
そして気がついた時には、米ソとも国力を使いはたし、国民が飢えに泣いているのである。破産国になった米ソに、もったいぶって経済援助をしてやるのなど、ちょっといい気分にちがいない。
安心感
わが家はなんということもない平凡な木造家屋である。子供が二人になった時に、二階を増築した。私には心配性なところがあり、子供が階段でころぶと危険だからと、手すりをとりつけてもらった。
その手すりに子供がつかまったのは、ほんの短期間。いまでは私のほうが利用している。中年ぶとりというやつで、階段をあがるのが軽々とはいかなくなったのだ。それと作家という職業は運動不足になりがちで、運動神経に自信がなくなった。そんなわけで、足をふみはずさぬよう、手すりの愛用は私のほうとなった。なさけない話だ。
まあ、そんなことはどうでもいい。二階を明るい部屋にしようと、南のほうに大きな窓をあけさせた。さしていいながめとはいえぬが、陽がさしこんで爽快である。
しかし、その窓を見ているうちに、またも心配になってきた。万一、子供がここから落ちたらと、心配になってきたのである。床から一メートルぐらいの高さにある窓なので、くるりと落ちかねない。時たまそんな事故の新聞記事などがあり、どうも気になる。
そこで大工さんにたのみ、丈夫な鉄製の格子をとりつけてもらった。子供がつかまったぐらいでは、びくともしないやつをである。これなら安心であろう。
というわけだったが、またも心配性が起ってきた。火事のことだ。しらぬまに火事になり、二階で寝ていたか、二階に逃げあがった場合である。普通なら窓から脱出できる。しかし、こうも丈夫な格子がついていては、逃げ出しようがない。焼死しないとも限らぬのである。そんな新聞記事を時たま見る。なにも好んでそんな惨事にあうことはない。
気にしているうちに、なにかの広告を見て知り、火災報知器をとりつけた。温度が上がるとベルが鳴るやつである。それを数か所に設備し、いちおう安心するに至った。
なぜいちおうなのかというと、はたしてこの装置、効能書き通りに作用するのかどうか、心のすみに疑念を持っていたからである。ところがある日、ものすごい響きが家じゅうに鳴りわたった。なにごとならんと驚いたら、家内が風呂場のガスのたき口の換気扇をつけ忘れ、そのへんの室温が上昇したからだとわかった。たしかにベルはなるのだ。
これで一連の不安は、ほとんど解消したというわけ。安心感を入手するのは、けっこう手間のかかるものである。
乳 歯
じつは私、病気へのひそかなあこがれを持っている。病気になれば、いやなやつには会わずにすみ、好ましい友人だけが見舞いにきてくれる。働かなくても許され、みな無条件で同情してくれる。
だが現実は、頑健でもなく疲労感もあるのだが、病気らしい病気はしたことがない。病気あこがれ症状だけがひどくなるばかり。かなり重症らしいのだが、だれも同情してくれない。
持病ではないが、私にはうまれつき歯に欠陥がある。前歯と犬歯とのあいだに、左右二本ずつ小さな歯が並んでいる。普通の人は一本ずつのはずである。「つまり歯の数が多いわけだな」と思う人があるかもしれないが、じつはその逆。少ないのである。そこの永久歯がはえてこず、乳歯がいまだに残っているのだ。四十歳をすぎ、いまだに乳歯があるなんて、ていさいのいい話じゃない。
私の笑い顔が子供っぽいのは、そのためである。作品が子供っぽいのも、そのためである。歯医者にレントゲンで調べてもらったら「永久歯は永久にはえませんよ」と告げられた。一生おとなになれないのだ。私がなにか大事件をひきおこしたら、この欲求不満のあらわれと論評し、大いに同情してもらいたいものだ。
しかし、人類学者の説によると「人類は進化にともない、かたいものを食わなくてすむようになり、歯の数がへる傾向にある」とのことだ。早くうまれすぎた未来人ともいえるわけで、こう言いかえるとかっこうがつく。
印刷機の未来
小説を書いていて最もやっかいなのは、三人以上が会話をしているシーンだ。これはだれの発言かが、わかるように書かねばならない。日本にはありがたいことに男言葉、女言葉、敬語という便利なものがあり、ある程度は説明の省略ができる。だが、英語となると、その点まことにお気の毒。省略もできないのである。これを話題にし、私はある時、
「やがて会話の部分は、人物別に異なる色で印刷されるようになるかもしれない」
と言った。男の会話は青系統、女は赤系統、性格によって色調を変えれば、小説の型式も文字通り一段と多彩になるのではないだろうか。技術的には現在でも可能だろうが、問題は採算である。進歩には新しい分野の開発も必要だが、いかに安く大衆化するかの研究も忘れないでもらいたいものだ。
最近はにおいのついた印刷がある。広告やグラビアに使われているようだ。この調子だと、将来においては薬品の霧を立ちのぼらせる印刷物が出現するかもしれない。ページを開くと、読者はそれを吸いこみ、薬の作用で大笑いしたり、涙を流したりするのである。そうなってくれると、作者のほうも助かる。少し手を抜いても、読者が反応してくれるからだ。もちろん手を抜かなければ、その相乗効果で、大名作となるにちがいない。スリラー物など、内容でドキドキ、薬でドキドキというわけである。
マックルーハンは活字媒体のことを、グーテンベルグ世界とかいっている。考えてみると、活字媒体ぐらいむかしと変化していないものはない。爆発的な科学技術の進歩のなかにあって、意外に型にはまったままのようだ。これからは、新しいくふうが加えられ、わくを破るのではないだろうか。
一般に機械というものは、大衆への普及の道をたどるのが宿命のようである。飛行機も自動車も映写機も、今やだれもが所有し操作できる時代だ。電子計算機さえ、電話を通じて各家庭で利用できるようになるらしい。
印刷機もそうなってくれるのではないだろうか。これからは情報の時代。また情報交換は人類の本能でもある。マスコミの発達はいいことだが、それは画一的で一方通行になりやすい。そのバランスをとるためにも、個人の意見の増幅が必要となるわけである。
個人がだれも小さな雑誌を作り、やりとりするようになるといいと思う。作った当人も満足や快感が味わえ、欲求不満も消える。未来の趣味として最有力のものではないだろうか。同時に、社会もバラエティに富んだものとなるだろう。
家庭用の万能印刷機があれば、さぞ生活が楽しくなるだろう。冷蔵庫のドアなど、自分で好きな印刷をすればいい。自動車や壁紙も同様。家じゅうを好きな模様で統一できるのである。服の模様を家にあわせたものに印刷することもできれば、服にあわせて家じゅうを印刷することもできるのである。
未来の住居や家具が規格化されるのはやむをえないことだろう。だからこそ、色彩や模様で個性を示したくなるわけである。模様縫いのできるミシンの程度に、そんな印刷機が普及してもらいたいものだ。
そんな印刷機ができたら、にせ札が出回って大変だと言う人があるかもしれない。しかし、そんな時代になれば、紙幣は今よりもっと豪華になるはずだ。私は今の紙幣は安っぽすぎると思っている。特殊な金属でも使った荘重華麗な紙幣が出現してもいい。
また、未来は電子計算機とクレジットカードで、現金不要の時代になるともいわれている。だとすれば、家庭用印刷機が普及してもふつごうはないと思われる。もっとも、私のごとき作家商売はいささか困ることになりかねない。無断の海賊版がどんどん出まわると、印税がとりにくくなるからである。
寝台車
実地調査のたぐいを必要としない小説を書いているので、私はあまり旅行をしないほうである。旅でよかったのは、二年半ほど前に列車で福岡まで行った時のことだ。そこで開催された博覧会の仕事のためである。ジェット機なら一時間。それで行くつもりだったのだが、その少し前に羽田での三回連続の事故。いささか臆病になり、列車に変更したというしだい。
夕方の六時に東京発の寝台車。子供のころに乗って以来二十年ぶりで、なつかしさの念がわきあがった。日常の仕事もここまでは追いかけてこない。切り離された小宇宙である。小さな電灯がともり、ゴトゴトいう震動がこころよく伝わってくる。駅にとまるたびごとにホームから聞こえてくる声も旅情をそそる。
鉄道の胎内にいだかれたようだ。しばらく本を読んでいたが、やがて眠ってしまった。私は、きわめて寝つきの悪い性格だが、寝台車はゆりかごとなり、私を幼時につれもどしてくれた。
ぐっすり眠って目がさめると、朝。列車は瀬戸内海のそばを走っており、車窓には静かな海、美しい島々、帆をかけた小舟などがながめられた。他の乗客たちは別に知己ではないが、一夜を共に同じ車両ですごしたという意識のためか、眠い顔を見せあったためか、肩をたたきあいたいような気分。人数があまり多くないのもいい。
これこそ旅だ、列車の楽しさだ、と思った。福岡での仕事は面白いものでなく、なんにも覚えてないが、寝台車についてはいまだに印象に残っている。こんどの夏には熊本へ行く予定だが、またこの寝台車で行くつもりだ。旅の本質は産業からレジャーへと変わりつつある。ビジネス旅行から楽しみの旅へと、人びとの目的が移るのである。この寝台車のムードは、今後ますます貴重さを示すだろう。廃止されては悲しいのだ。
費用をきりつめ団体を作り、目的地へさっと行ってさっと戻る旅行の好きな人もいるだろう。だが私のように、道中をも楽しみたい人もあるのである。趣味や娯楽は、能率や画一化とは完全に別方向のものだ。寝台車は採算がとれないというのなら、引きあうだけの料金を喜んで払う。
楽しみを求めて、競馬やバーやゴルフに、せっせと働いて得た金を使う人がある。寝台車をその対象とする人だってあるはずだし、現に私のごとく存在するのだから。
SFの視点
大学の先生をしている友人がいる。大学紛争のさかんだったころ彼が私にこんな話をした。なぜ大学解体を主張するのかと全共闘の学生に聞いたところ「科学の進歩は人間を不幸にするばかりだ、それにブレーキをかけるためだ」との答がかえってきたという。本気か冗談か、その場の空気を知らぬ私にはわからないが、内心おおいに面白いと思った。そこでSF作家仲間にふれてまわった。「根源的問いかけというもの、なんのことかわかったぞ。早くいえばSFだ」
ぐっとさかのぼった問題となると、あやふやになる。ファシズムが悪の代名詞、民主主義が善の代名詞としてわが国に定着してから久しい。しかし、なぜそうなのかの解説となると私にはできない。あなたはどうです。そういうムードがあるだけである。根源的問いかけの洗礼を受けてないから、現実には定でも着でもない。
先日、早川書房刊の「アンドロメダ病原体」というアメリカのSFを読んだ。小説としての完成度は別として、主題は実に面白い。未知の伝染性病原菌が人工衛星に付着し、地上に落下したらどうするかというのである。原爆でその地域を焼《しよう》灼《しやく》(病組織を焼いて破壊する外科的治療法)すれば、ひろがりを防げる。米国の無人地帯ならそう問題はないが、それが大都市だったらどう、中立国あるいは共産圏の大都市だったらどうなるとの仮定がのべられ、焼灼作戦の決定責任者をだれにするかの問題にもふれている。
そんなことありっこないさと目をつぶったのでは答にならぬ。やはり根源的問いかけである。大学問題解決はいいが、せっかく芽ばえた問いかけの炎まで消えてしまうのは、いささか残念だ。まあまあ穏便ことなかれムードのなかに鋭い刃物を突っこまれるのを、われわれは好まぬようである。たとえばネパールの衛生向上、それで死亡率が低下し貧民が増加しているとの話はほうぼうで聞くが、決して大きな話題にはならない。
根源的問いかけの重要性はさらにます一方であり、その対象となるものも多くなる一方である。そこにSFの意義がある。投石やゲバ棒とともにでなく、それを娯楽化して提供するのがSF作家の役目だと思う。
娯楽化というと物議をかもしそうだが、真正面からホットに叫んでも、だれも耳を傾けてくれぬ。ぬるま湯ムードをかきまわしそうなものへの抵抗は、わが国では特に強い。娯楽化以外に方法はないようだし、だからこそ私はSFを書いている。また、娯楽化することによって、根源的問いかけの日常化ができるのではなかろうか。鬼ごっこで遊んでおけば、いざ本物の追跡の時にも役立つはずである。そして問いかけが習慣化すれば、えたいのしれぬヒューマニズムというものも、しだいに明確化し、いままでより身近なものになるにちがいない。
SFの古典にH・G・ウェルズの「宇宙戦争」がある。面白い小説つまり娯楽なのだが、それまでの人類至上主義をくつがえし、人間は宇宙では卑小で異質な存在かもしれぬとの大変な問いかけを、万人にさきがけてやってのけた。だからこそSFであり名作なのである。当時の読者の大部分は軽く読みとばし、筋もすぐ忘れただろうが、主題だけは頭のどこかにひっかかっていた。そのため、そのご「火星人来襲」というラジオドラマで、全米が混乱するといった事態がひきおこされたのだ。また一面、人の意識を宇宙へむけさせ今日の基礎を作ったわけでもある。
野田昌宏著の「宇宙船野郎」という本には、宇宙進出を夢みた人びとの系譜が書かれており、興味深かった。大砲から発射された弾丸に乗って月へ行くというSFを最初に書いたのはジュール・ヴェルヌ。その作品を読んだあるアメリカの少年が、今世紀のはじめにとんでもない問いかけを思いついた。地面にむけて大砲をぶっぱなし、その反動で大砲を上昇させる手はないかと。この少年がゴダードであり、これがアポロを成功させた三段ロケットの着想のもとだそうである。
名作と称されるSFには、問いかけ、あるいはそれを誘発するものが含まれている。これがSFの命で、作者がその心がけを失った時に作品が形《けい》骸《がい》化する。書いているほうも面白くないし、読む側も同様。このところアメリカのSFに面白いのが少ない。しっかりしろと声をかけたいところだが、その言葉は私自身にもむけなければならぬ。現代はぼやぼやしていると、どこへ突っ走るかわからぬ時代。なにかを見つけたら、非常ベルは鳴るのが役目だ。ひとがそれをどう聞くかは別問題としても。問いかけの種はたくさんあるし、なにも大問題である必要はない。すでに大問題になっているのは、もはや大問題ではないのだ。対象もさることながら、忘れてならないのは問いかけるという姿勢なのである。
いま私がかりに駅前広場に立って「原爆反対」と絶叫したら、人びとはどう反応するだろう。変な目で見られるか無視されるかのどちらかだろう。抱きついて涙を流して賛成してくれる人は出現しないだろうし、いたらその人も変人あつかいされる。スローガンだろうがコマーシャルだろうが、あまりくりかえされるとこんなふうになる。人間とはそういう動物らしい。
アメリカのSF作家ロバート・ブロックが「こわれた夜明け」という短編を書いている。核戦争のあと死の灰がただよい、もはやどこにも逃げ場はない。その燃えるビルのなかで、軍司令官が「わが国は勝ったのだ」と満足の笑い声をあげている話である。これを読みかえすたびに、私はいつも絶望的な気分になる。ブロックは一流作家と評価もされていず、反戦主義者でもないのだが、私に核戦争の恐怖を感じさせる点で、この一作は百万人の絶叫にまさっている。規格化された情報でないからだ。
規格化への抵抗は、根源的問いかけとともに、こんごのSFの課題である。ゲバ学生も問いかけまではよかったのだが、行動のほうが規格化におちいり、影がうすれてしまった。他山の石としてSF作家の自戒すべき点。
現代は情報の氾《はん》濫《らん》時代だそうだが、われわれはいっこうにアップアップという気分にならない。情報は大量なのだろうが、処理され規格化されているからである。どこかでクーデターが起ったとする。わかったような気分にさせる解説がつき、新聞は「事態はなお流動的」と書き、テレビニュースは「成り行きが注目されます」で、多くの人びとは「よくあることか」とつぶやき、ちっとも驚かぬ。規格化の情報が、規格化された思考回路を通り抜けて行くだけ。
先日ちょっと驚いたことがあった。少年雑誌の原稿に、なにげなく「不景気な」との形容を使ったら、いまの若い者に通じないから別な話にしてくれと編集者に言われたのだ。そうかもしれないなと、私はそれに従った。若い人の頭には、不景気という思考回路はできてないのだ。与えられつづける情報で滑りがよくなるのは、繁栄思考の回路ばかり。私もその規格化に手を貸したことになる。思い出すと良心がとがめ、いずれ罪ほろぼしに不景気SFを書くつもりでいる。
「機械がいくら人間に迫ろうが、それはいい。人間が機械のごとくなる傾向のほうが問題である」とは、ある学者の言葉。わが国にはそのおそれがある。歩行者優先のはずが、現実は車がわがもの顔である。機械に生活をあわせるのが好きなのだ。コンピューターは非常に高価な装置なのだから、その計算しやすいように、たとえ不便でも人間のほうががまんすべきだとなる。「あなた、もっと型にはまって分類しやすいようになって下さい。統制を乱すと、コンピューターがめんどうみてくれませんよ」となれば、まさに人生ツアーの団体旅行だ。「コンピューター時代への心がまえを持とう」とはよく耳にする言葉。だが、どんな心がまえを持てばいいのかとなると、だれも教えてくれない。たまに書いてあると、コンピューターごのみの人間になってうまく立ち回るべきだといったたぐいである。
それはともかく、人間でなくてはできぬ分野の重要性が増すことはたしかだろう。政治がそのひとつで、だから政治家をもっと尊重し優遇すべきだと私は思うが、そんな発言をしたら反発されるにきまっている。既成の規格化した感情の回路に反するからである。そのため優秀な人材は政治家にならず、政治家はますます規格化し小粒になってゆくのではなかろうか。
これが世の流れとなると、規格化への反抗のしがいもあるというものだ。しかし、その反抗が、規格化された反抗であっては意味がない。SF作家の腕のふるいどころである。これから重要なのは情報ではなく、新しい思考回路の提供といえる。整理された情報はいくらでもあるが、その分類境界を無視し新回路を作るこころみをするのに、SFほど適当なものはない。SFの評価はここできまる。男と女を出し、くっつけたりはなしたりし、タイムマシンか宇宙船を配置しておけば、むかしはそれでSFになった。だが今後はそうもいかぬ。あれだけ全盛だったテレビのSF物が消えてしまった。規格化のせいだ。
昨今の欧米のSFはやや沈滞ぎみだが、英国の若い作家たちに〓"新しい波〓"という運動があり、物理現象のエントロピーと社会現象を組みあわせた作品などが出ている。成功しているとは思えないが、新しい思考回路を作りSFの本質に活力を注ぎこもうという意気は、ひしひしと感じられる。
もっと鋭いSF論を展開すべきなのだが、自分が作家のひとりであると、どうもいけない。わが身にむちうっているような気分である。
感激の味
戦中派なので、私は食えればありがたいとの考えであった。それに、うまいまずいなど男は言うべきでないとの、古風なところもあった。そのため、味の随筆をたのまれるといつも困っていたのだが、今回はちがう。
先日、大阪で調理師学校の校長をなさっている辻静雄さんのお宅で、ごちそうになるという機会をえた。つまり、コックさんたちの先生である。そのかたが、わが国で作れる最高級のフランス料理を味わわせて下さるというわけ。
いささか気おくれがしたし、卓の上には銀の食器、陶器はリニモージェ・ボワイエ、グラスはサンルイと、聞くだに高級な発音に身ぶるいさえもした。しかし、辻さんが気さくな人なので、私たちもくつろげた。
まず、デリス・ド・ソーモン・ラクーショ。これは鮭をすりつぶして丸め、煮た料理。これに二種のソースをかけるのだが、その説明をうかがうと、ただただ驚くばかり。
ソース・アメリケーヌは伊勢エビの殻をたたきつぶし、ニンニク、玉ネギ、トマトとともにいためる。それにコニャックをかけ、火をつけて燃やし、魚のだし汁を入れ、コトコト煮たものを漉《こ》して作るのだそうである。
ソース・ベアルネーズのほうは、卵黄と溶かしたバターをあわせた温かいマヨネーズのごときもので、それにエストラゴン(にがよもぎ)やパセリのみじん切りを入れたもの。
味はそれこそ絶妙としか言いようがない。その時、同席の友人の小松左京は「あす死んでも惜しくないような気分だ」と言った。もっとも彼はあとになって「死んでもいいなんて言わなかった」と否定しているが、私はたしかに聞いた。もしかしたら、彼の舌が美味に感じて勝手に動き、その言葉をしゃべったのかもしれぬ。
あるいは、世にこのような美味の快楽があると知って、人生に執着心が起ったのかもしれない。私もまたそうである。生きていることの意義を教えられた思いであった。
つぎにアーモンドのポタージュ。フランスの田園風の料理だそうで、肉のだし汁と牛乳とクリーム、それにアーモンドのすりつぶしたのを加えて作ったつめたいスープ。
口にするまでどんな味か想像もつかなかったが、アーモンドの香気が微妙に調和し、夢心地になるような気分。
そのあとも各種の料理が出たのだが、絶妙とか微妙としか形容できない。作家を商売としているのに、味の形容となると、かくもなさけないことになる。
あらためて感じさせられたが、味というものは、人類が長いあいだかかって開発した大変な文化である。辻さんは毎日新聞社から「舌の世界史」という本を出しておられ、それを拝見すると、ソースの製法だけでも、前述の如き複雑なたぐいが、たくさん紹介されている。そのひとつひとつの製法確立の過程で、どれだけの試行錯誤があったのかと想像すると、驚異でもある。美味を築きあげたという形である。
これまで私は味にさほど関心がなかったが、それをひっくりかえされた。過去を反省しているのである。私たち日本人は、自然環境のせいか体質のせいか、歴史のせいか、複雑微妙に味を作りあげる執念に欠けていた。未来への繁栄という目標のなかで、味覚の充実にもっと重点を置いてもいいようだ。高層ビルやカラーテレビや自動車だけが繁栄ではない。
カンニング
私は昭和八年に小学校へかよいはじめた。うちにラジオなるものがそなえつけられたのもそのころである。昭和十一年の二・二六事件の時、ラジオが「銃声がしたら壁の裏側にかくれなさい」と告げていたのを覚えている。
中学生の時に太平洋戦争がはじまった。銃剣術などをやらされたものだ。旧制高校の時は東京空襲の時代。焼け跡がふえていった。大学一年の時に終戦。昭和二十三年に卒業。
こうしるしてみると、私の通学時期と、世の中に娯楽のなかった時代とが、ちょうど重なっている。もう少し早くうまれていたら、出征し戦死したかもしれないが、古きよき時代をもっと味わえもしただろう。
つまり、ただただ学校へ通いつづけ、勉強をしていたことになる。勤労動員はあったが、遊びはなかった。しかし、べつに残念とも思わない。自己の性格を考えてみるに、私はさほど意志が強固でもなく、学問への情熱に燃えた人間でもない。それがまあ、なんとか大学の理科系を出て、そのあいだに、世には学問という知的興味にみちた世界のあることを知ったのである。ほかにすることがなかったおかげといえよう。
社会に手っとり早い娯楽が充満している時代だったら、そうもいかなかったろう。その点、現代の学生はえらいと思う。遊びたい誘惑をみずから押えつけ、勉学にはげんでいるのだから。私がおそくうまれ、現代の学生となったとしたら、途中で脱落するか、わけもわからないまま形だけの卒業というところだろう。運命のおかげである。
学校といえば試験がつきものだ。ずいぶんたくさん答案を書いてきたものである。私は出席率はいいほうで、ノートはとってあるが、帰宅して読みかえさないというタイプであった。したがって、試験日が迫ると、いつもあたふたした。そこで考えたのが、カンニングである。だが、ノートを机の下でひろげるなどというのは下策だ。ばれるにきまっている。やるのなら、ノート半ページ分ぐらいの一枚におさめ、さっとのぞくようにしなければならぬ。
私は試験前になると、いつもその作成に熱中した。ダイジェストするのである。しかも、それは一目ですぐわかるよう、簡明に整理された形でなければならない。だが、この作業はやってみると容易でない。理解のあいまいな個所があると、半ページ大の紙にはおさまらないからである。
それでも、試験日にまにあわせるよう、苦心してそれをまとめあげる。カンニング・ペーパーの完成である。ポケットにしのばせると、なんという安心感。先生だって、五秒ぐらいの油断はするはずだ。そのすきにのぞけば、なんとかなる。ごりやく確実のオマモリを所有している気分である。
しかし、そなえあれば憂いなしで、現実に活用する羽目になったことはなかった。圧縮の過程ですべて頭におさまってしまったからであろう。
試験なるものの存在の可否は、私にはわからない。しかし科目によっては、その学期に習ったことを短く要約させ、いかに個性的にそれをやるかで、試験に代えてもいいのではないかと思う。だが、そうなればなったで、そのつらさに悲鳴をあげる学生も出てくるにちがいない。私はカンニングというスリルで楽しみながらやってしまったが……。
ある作曲
コンピューターによる作曲という記事を見て、もはやそこまで来たかとびっくりした。しかし、くわしく読むと、既成の曲をデータとして入れ、コンピューターはその各部分をまぜあわせ、取り出したにすぎないということのようだ。坂本九はそれを歌ってみて「盗作の曲のようだ」と感想をのべたそうだ。
盗作のようだどころか、明白な盗作である。人間の場合だと無意識とか偶然の一致とか、いちがいに責められぬ。だがコンピューターの場合はそうはいえぬ。おかしいではないか。人をひいたのは車であって運転者に責任はないというのと同様の、むちゃな現象だ。データとして無断で使われたメロディーの作曲者は、告訴すべきである。コンピューター自体の個性や独創性など、ひとかけらも加わっていないのだから。
恥と笑い
恥をかくのはいやなものだ。「聞くは一時の恥、聞かざるは一生の損」との名言があるが、恥をみとめたうえの議論である。先生に対して的はずれの質問をし、教室じゅうの笑いものになった経験は、多くの人がもっているにちがいない。私にもあるが、思い出しても顔が赤くなる。疑問点をがまんしていたほうがよかったような気にもなる。教育の障害の一つはここにあるようだ。
わが国は恥の文化だそうである。そのせいか、質問の技術はいっこうに進歩しない。テレビの司会者がゲストにする質問は、進行へのあいづちか、ゲストをひきたてるおべっかである。国会での議員の質問は自己宣伝以外のなにものでもない。上役に対して変な質問をすると、遠まわしの批判かとかんぐられ、根にもたれたりする。相手を困らせる質問は非礼とされ、とっぴな質問は当人の格を下げる。ことほどさように、わが国においては微妙に感情とからみあっている。
一方、秀才タイプが敬遠され、きらわれ、人びとから遊離するのも、このような気分を知らないからではないだろうか。孤立するためさらに秀才タイプになり、世間しらずになってゆく。このへんの分析がもっとなされていいのではなかろうか。人間間の情報交換は、ムードを伴うもののようだ。
しかし、ティーチング・マシンなるものの普及する未来においては、これらの風潮も変り、感情に無縁の形で知識を吸収できることになるわけであろう。みんなが秀才タイプになってしまうわけだが、いいことかどうか。
恥をかかなくなるかわりに、他人の恥を大笑いする楽しみもなくなってしまう。前者の消失はいいことだが、後者は残しておきたい。ティーチング・マシンには、とっぴな問答をくりこんでおく必要があると思う。だが、とっぴな問答というやつは、人工的には作れず、入念に収集する以外にない。たぶん現在なされていないだろうが、大切なことであると思う。
とっぴな問答、恥、笑いというものは、アイデアへの感覚なのである。私も時には百科事典をひく。将来は情報サービスとやらでボタンを押せば求める項目がさっと電送されることになるのだろう。しかし、面白くもおかしくもない。百科事典の楽しさは、不必要なとなりの項目が目にはいるところにある。先日〈手術〉の項をひき、その歴史などを読み妙な気分になったあと、次の項目の〈呪《じゆ》術《じゆつ》〉をついでに読み、恐怖小説のアイデアを得た。いかにも人間のいとなみという感じにひたれた。
また私は、アメリカの一《ひと》齣《こま》漫画の収集をやっており、趣味としている。孤島、医者、泥棒、ロボットなど、さまざまなテーマがあり、それで分類をするのである。しかし、孤島にロボットのいる図とか、からみあった場合があり、そんな時にはさがし出すのに大さわぎ、部屋中にちらかしたりする。カードにでも記入して整然と索引でも作っておけばいいのだろうが、いまだにそれをやっていない。
めんどくさいからでもあるが、この大さわぎのなかに楽しみがあり、あらためて笑いを発見し、アイデアのもとになるからである。
太古の海のなかで、さまざまな物質が接触しあい、離合集散し、そこから原始生命が生れた。
現代は情報の海、コンピューターによる整理はもちろん必要だが、整理されすぎるのも心配である。このかねあいが今後の重要な課題なのだろうし、そこまでは私にもわかるのだが、どうすればいいのかとなると正直なところ見当もつかぬ。
私にはまだついこのあいだのことのように思えるのだが、戦争が終ってから、もう何十年もたっている。私の夢に出てくる光景で最も多いのは、その終戦直後のことである。あたり一面ほとんど焼野原で遠くまで見わたすことができ、道路はがらすきという状態だった。現在とまったく反対なので、そのため夢にあらわれやすいのかもしれない。
終戦後まもなくのころ、私は日本橋の上に長いあいだ立ちどまり、下の水面をながめつづけたことがあった。投身しようとしたのではない。川に魚が泳いでいたからである。
すみきった水のなかを、名前はわからないが、小さく細長い魚がむれをなして泳いでいた。これは私の追憶のなかで、鮮明な映像となって残っている。その気になって魚類図鑑で調べれば「あ、これだ」と今でも指摘できると思う。
当時は汚水や廃水がどこからも出なかったためである。その後、日本橋付近の川は汚れほうだいに汚れ、なんともいえぬ悪臭も立ちはじめた。魚どころのさわぎではない。あげくのはて、川そのものも埋められ、すべては幻のごとく消え去ってしまった。
わが家の話になるが、深い井戸があり、モーターでくみあげて良質の水をいつでも使うことができた。数年前の異常渇水の時も、水には少しも不自由しなかった。毎年、夏になると水洗便所の床がびしょびしょになり、ふしぎに思ったものである。やがて原因が判明した。井戸水を使用するため床のタイルが冷え、空気中の水分が凝結するためだった。
かくのごとき生活だったのだが、ついにその井戸の水もかれる時がきた。そばに地下鉄線が開通したからである。
子供のころにはだれも水遊びが好きだが、おとなになるとやらなくなる。この人間におけるのと同様に、社会も成長するにつれて、水との縁が薄くなってゆく傾向があるように思えるのである。
すなわち、わが家もいまや消毒薬くさい水道の水を使うようになった。また、裏の細い道も舗装され水たまりもなくなった。乗り物や衣服の進歩で雨にぬれることもない。私たちの生活で、天然の水に触れることがほとんどなくなってきたのである。
夏になると私は大磯に出かけるが、そこには海岸に有料大プールができ、人びとは消毒した水のなかで泳いでいる。変なものだが、溺《おぼ》れる心配のないことはたしかだ。私もまたそこで泳ぐ。
こういう傾向を考えてみると、これが進化というものらしいのである。原始生命は約二十億年前に、海のなかで発生した。それ以来、魚類、ハチュウ類、ホニュウ類と、しだいに水から離脱し、そのたびに一段と高度な生物となってきた。この大きな流れが、私たちの周囲で今も進行中のようである。
むかしは床のゾウキンがけという仕事が、家庭内で毎日欠かせない作業であった。現在、それを毎日やっている家がどれくらいあるだろうか。ほとんどないにちがいない。
乾燥インスタント食品の普及はめざましい。余分な水分を除くことで、保存性を向上させたのである。電化製品の花形であるルーム・クーラーは、空気中から湿気を除き、それで爽快感を高めてくれるのだ。
超音波皿洗い器というクーラーのつぎに普及しそうな装置は、あまり水を必要とせずに皿をきれいにしてくれる。近い将来においては、高圧空気利用のトイレの時代がくるという。空気で流してしまうもので、空洗便所というわけであろう。
こういった生活面ばかりでなく、産業面でも水はしだいに重要さを失ってゆくのではなかろうか。このあいだ原子力発電所を見学した時に、説明を聞いて感心した。小規模な原子力発電所であっても、巨大なダムの水力発電所より多くの電力を作り出せるのである。
宇宙開発が進んでおり、この調子だと、人類が大量に宇宙へ進出する時代も空想的な未来ではなさそうである。宇宙船のなか、あるいは月や火星の宇宙基地では、人は排《はい》泄《せつ》物《ぶつ》から回収した水を飲むことになる。ほかに水を入手する方法がないからだ。
私などは、理屈ではどうということはないとわかっていても、心理的抵抗があって平然と飲めそうにない。つまり、内心に水への偏見やノスタルジアを多分に残しているからである。進化の途中にあるからだ。
やがては、火星に地球人が大ぜい移住することになろう。彼らを火星人と称することになるわけだろうが、彼らは水から一段と離脱したといえることはたしかだ。進化である。
そうなると、彼ら火星人は、地球に残った者たちを、ホニュウ類がハチュウ類を見る目つきでながめるにちがいない。
せまいながらも(空間の多重利用について)
日曜日の午前。エヌ氏の家庭は平穏だった。壁に飾られている絵は、きょうはモネの複製。額縁にしかけがあり、毎日べつな絵にかわるのである。芸術への感覚と親しみとを深めてくれる。
小学生の息子は、勉強机にむかいティーチング・マシンを使って自習していた。夫人はピアノをひいていた。小型ピアノとステレオとテレビとを一つにまとめた装置で、団地むけに開発されたものだ。息子も夫人も耳に密着したヘッドホーンを利用し、音を部屋じゅうにまきちらすことはない。
エヌ氏は友人のところに電話をかけ、電話機に電子碁盤のコードをさしこみ、碁を打っていた。こうすると、おたがいに家にいながら勝負を楽しめるのだ。彼は一局でやめ、部屋のすみの情報整理機のスイッチを入れた。いまの勝負の経過と結果とを記録したのだ。
つぎに彼は健康診断器を使い、自分の心電図や血圧を測定した。その数値を情報整理機に入れると「正常です」との答が出てきた。
室内の空気はこころよい。窓の電子冷暖房装置がつねに適温に保っていてくれているからだ。それに付属するフィルターは、外部の空気に含まれる排気ガスや細菌をとりのぞいてくれている。さらに、そのご開発されたフィルター自動取り換え装置、モーター音防止装置なども買ってとりつけてあるため、いささかごたごたした形になっている。しかし、清潔で能率的で静かではあるのだ。
「昔にくらべ、便利な品がいっぱい作られるようになった。しかし、住居そのものは依然として2DKなんだからなあ……」
エヌ氏はため息をつく。所得はふえたが、せまさだけはどうしようもない。それに日曜も午後ともなると、さまざまな製品を売りこみに、セールスマンがいれかわりたちかわり押しよせてくる。早くもドアにベルの音がし、そのひとりがあらわれた。
「ぜひこれを。玄関にとりつける詐欺師見やぶり装置でございます。うそ発見機を高度に改良したもので、誇大宣伝のセールスマンが訪れますと、赤いランプがついて警戒信号を発します。だまされることなしです」
エヌ氏がことわろうとする前に、夫人がそばから口を出した。
「あら、おとなりでは以前からとりつけている品よ。うちだけないんじゃあ、みっともないわ。あなた、買いましょうよ」
「しかたない、好きなようにしろ……」
エヌ氏はうなずいた。議論したところで、結局は買うことになるのだ。しかし、これがあると、これ以上変なものを売りつけられないですむようになるかもしれない。
またべつなセールスマンが訪れてきた。
「室内用運動機はいかがです。わが社が総力をあげ極端に小型化したものでございます。使う時には大きくても、しまう時にはボタンひとつでかくも小型。ふとりすぎが防げます。ふとることは部屋をせまくすることで、絶対に避けねばなりません」
「ふーん……」
エヌ氏は詐欺師見やぶり装置をそっとのぞいた。警戒の標示ではない。彼はそれを買ってしまった。そして夫人に言う。
「台所のすみにおく場所はなかったかな」
「なにいってるの。このあいだ食品の有害色素検出機を買ったでしょ。冷蔵庫、皿洗い機、電子レンジ、瞬間乾燥消毒機。必要品で満員よ。洗面所には洗濯機、整髪機、太陽灯、マッサージ機。お風呂のそばには石けん吹付け自動洗身機がおいてあるし……」
「じゃあ、こっちでおき場所をさがそう」
エヌ氏はイスの下をのぞいた。そこにはボートの箱があった。ゴム製のレジャー用大型ボートだが、空気を抜くと旅行鞄ぐらいになるものだ。彼は押入れのなかの品を並べかえ、なんとかそれのしまい場所を作った。またセールスマンがやってきた。エヌ氏は機先を制して言う。
「たとえ金貨製造機だろうが、不老不死の装置だろうが、絶対なにも買わない。これ以上買ったら、人間のいる場所がなくなる」
「そのようなご家庭に、ぴったりの品。物品整理機でございます。容積計算をやり、押入れの品をきっちり整理しなおし、余分な空間を必ずうみだしてくれるという……」
余分な空間を作ってくれるとの魅力的な文句に説得され、エヌ氏はまた買わされた。さっそく使ってみると、押入れ内の配置のむだがなくなり、いくらかの空間ができた。しかし、そこにいまの装置を入れたら、押入れはふたたびいっぱいになってしまった。
くやしがったエヌ氏が飛びあがったとたん、天井から下っている芳香発生機に頭をぶつけた。季節の花のかおりを室内にただよわせてくれる装置なのだ。天井にもさまざまなものがくっついている。たとえばボタンを押すことにより、洋酒セットだとか、非常来客用豪華ハンモックなどがおりてくるのだ。
またもセールスマンがやってきた。
「すばらしい品でございます」
「なんであろうと、おことわりだ」
「しかし、ごらんになるだけでも。これこそ科学の成果でございます。空気に作用し、人工的に蜃《しん》気《き》楼《ろう》現象をおこすものです。つまり、あたりの光景が望遠鏡を逆にのぞいたように、遠く小さくなってくる。ひろびろとした感じが味わえるというわけでございます」
ためしに装置をとりつけてスイッチを入れると、説明のとおり部屋がひろく見え、すがすがしい解放感めいたものを味わえた。エヌ氏は代金を払いながらつぶやく。
「すごい新製品が開発されたなあ。昔は戦争が科学の発達をうながすなどと言われていたらしいが、いまは住宅のせまさが科学を進めているというわけか……」
新聞の読み方
このところずっと、家にとじこもりの日常である。私の小説は実地調査に行かなくても書けるたぐいだし、用もないのに外出するのもめんどくさい。原稿を書かない時は、ねそべって新聞をながめる生活。SF作家だからといって、身辺に珍奇さはなにもない。これでは随筆の材料の発生するわけがない。病気ででもあれば闘病日録という、よくあるたぐいの随筆が書けるのだが、あいにくと病気でもない。困ったものですな。
しかし、新聞というやつ、ひまにあかせてすみずみまで熟読すると、いろいろと妙な発見ができる。「わが社の製品の煙探知器が、アポロに使用されて月へ行った」と宣伝した火災報知器会社があったという。競争会社が怪しんでNASAに問いあわせると、アポロの性能は万全で火災のおそれなどまったくなく、そんなのは使ってないとの回答。
そうだろうな。アポロのなかで火災報知器が鳴り、乗員が消火器をふりまわすなんて、あまりに原始的だ。かくして誇大広告と認定され、公正取引委員会からおしかりをこうむったという記事。こういった、アポロあやかり事件の各種を収集したら、さぞ面白いだろうと思うが、やはりめんどくさい。
それでも私は、昭和三十二年のソ連人工衛星第一号についての新聞雑誌の記事のうち、漫画や小話やあやかりさわぎなどは、全部切り抜いて保存している。いま読みかえすと、なんともばかばかしい感じである。今回のアポロさわぎも、もう十年もしないうちに、それと同じくらい古くむなしい思い出となるにちがいない。
それはそうと、公正取引委員会というものは、誇大広告を取り締る機関らしい。正義と弱者の味方、主婦連あたりからは大いにたよりにされているようだ。しっかりたのむ。
そう思いながら、新聞のべつなページを見ると、銀行の広告がのっている。定期預金をすると、五年でこんなにふえる、十年ではこんなだと、グラフ入りで解説している。魅力的な話だ。おれももっとかせいで、定期預金をふやそうかなという気になる。広告に説得力があるせいか、こっちが暗示にかかりやすいのか、どっちかなのだろう。
広告欄の上の経済面の記事を見ると、物価の値上りは年に五から六パーセントの率がつづくであろうと、もっともらしい文章で書かれている。この傾向はやむをえないことらしいのだ。やむをえないのかもしれないが、定期預金の利息を上まわっているのである。
定期預金をすると、数字の上ではたしかにふえるのだが、実質は少しもふえない。むしろへってゆくのである。これなんか大変な不当標示、誇大広告だろうと思うが、公正取引委員会が乗り出すという話は聞いたことがない。私は銀行を非難する気は少しもないが、こういう誇大広告を堂々と放任しておく公取は、職務怠慢ではないかと思う。
銀行のような大企業には遠慮し、中小企業の苦しまぎれの商売をいじめる。世の中によくある話で、仕方のないことかもしれぬ。しかし、そういう機関を正義や弱者の味方と買いかぶる人たちがいるとなると、いささか悲しくなる。しっかりしてくれ。
さて、新聞のべつなページに目をうつすと、税の記事がでている。給与生活者の税が高すぎるというのである。ほんとうにそうなら、なんとかすべきで、正論である。しかし、そのあとがふしぎである。銀行預金の利息にもっと税をかけろというのである。私は預金などたいしてないから平気だが、その根拠の理解に苦しむ。
前述のごとく、預金者は物価上昇によって損がふえてゆくしかけである。預金者とはほかに才覚のない、人のいい連中。わが国の経済は、そいつらの犠牲でもっているのではなかろうか。一億円の預金をし、利息をとっているやつがいたとしても、そいつだって利息をうわまわる実質元金の減少という損をしているのだ。うらやましいどころか、ざまみろである。かわいそうなものだ。だが、そんな主張は新聞のどこにものっていない。
銀行利息をうんと優遇したらどうだろう。投機的に土地を買いしめた連中が、それをたたき売って銀行に財産をもどす。地価も暴落するかもしれん。しかし、だれもそんな説は主張しないようだ。さしさわりがあるからかもしれない。
万国博のタイムカプセルには、現在の新聞もそのなかにおさめられるという。未来人がそれをあけ、こういう新聞を読む光景を想像すると、楽しくてならない。学者たちが集り、一九七〇年の日本の経済はどうなっていたのだろうと、大議論を展開するのではないだろうか。公取、税制、銀行などの役割について、首をかしげるにちがいない。
結局「そのころのやつは、どこか狂っていたのだろう」ということになる。タイムカプセルには手紙も封入すべきだ。「おかしな点は狂っていたからだとお考え下さい」と書いておく。われわれの子孫である未来人の議論の手間を、いくらかは軽くしてあげられるというものだ。
祖 父
子供のころ、父が破産した。
破産というとものがなしいイメージがあるが、強制和議、いまでいう会社更生法のようなものが適用され、父は毎日、車で会社へ出かけていた。
しかし、私財はすべて競売され、そのため私たちは母方の祖父の家に同居していた。本郷にある庭の広い家で、静かだった。私はみじめな思い出を持たなくてすんだのだ。
その祖父は小金井良精といい、東大医学部の名誉教授。なかなか厳格な先生だったそうだが、孫の私にやさしかったのはもちろんである。しかし、私は祖父が大笑いするのを見たことがなかった。やはり、本心から厳格だったのであろう。
ドイツに留学した明治時代の学者の典型と呼んでいいようだ。祖父の専門は解剖学と人類学。子供だった私は、祖父の書斎でよく遊んだものだ。
十畳ほどの和室で、壁の棚には洋書がぎっしり並び、人間の頭蓋骨が二つほど置いてあった。標本のためよごれはなく、私はバネでつけてある下アゴを動かし、すなわち口をパクパクさせておもちゃにした。
押入れの奥に箱があったので、なんだろうとあけてみると、そこにも頭蓋骨が入っていたりした。なあんだと、私はもとにしまう。今に至るまで、私は人骨に対し特殊な感情を抱いたことがない。
「これは、このあいだ掘ってきた、古代の日本人の骨だ。頭のここのところが、こうなっているのが特徴だよ」
祖父が私に解説したこともあった。だが、小学生の私にはわかりっこない。孫に対して、ほかに話題を知らないのである。純粋な学者とは、こういうものなのであろう。
私の記憶によると、老齢なのに祖父はよく旅行へ出かけた。北海道などが多かったようだ。古いアイヌの骨の発掘のためである。母が私に言ったことがある。
「おじいさんの研究はよくわからないけど、骨の小さなかけらを見ただけで、人間のどの部分のか、すぐに当ててしまうのよ」
医学を学べば、それくらいは初歩的な知識なのかもしれないが、私にとって、それは偉大な能力のように思えた。
祖父の研究をひと口に言えば、日本の各地から発掘される古代人骨をくまなく調べ、日本民族の成立をときあかそうというものである。
私はそのうち、祖父の論文を系統的に読んでみようと思っている。日本民族の成立よりも、祖父が明治時代に、なぜこのようなテーマに手をつけたかの点に興味があるのである。もっとも、読んで私に理解できるかどうかはわからないが。
子供のころのある夏、祖父と私とはある谷川で遊んだ。その時、祖父はセキフを作ってくれた。石斧と書くのだということは、あとになって知った。
丸みのある平べったい石を拾い、その一端を岩でこすり、刃をつけるのである。私の作ったのは妙な形で稚《ち》拙《せつ》きわまりなかったが、祖父のは刃の部分が一直線で、しかも鋭く、美しくすらあった。私が祖父を心から尊敬したのは、この時である。後年、博物館で本物の古代石斧を見たが、祖父の作ったのとまったく同じで、なつかしかった。
「むかしの人は、これで動物の皮をはいだのだ」
そう教えてくれた。これなら私にも理解できる。私はこの新知識を小学校で友人に話したが、だれも受け付けなかった。そのころ、教科書は神話ばかりで、こんなことは、みなにとってべつな次元のことだったのだ。
祖父は徹底したジャーナリズムぎらいで、論文や学術講義以外に、なにかを書いたり話したりしたことがなかった。いまになって考えてみると、話せば神話を否定するというわけで、不敬罪かなにかにひっかかり、といって、説に糖衣をつけられない性格だったのであろう。
祖父は昭和十九年に八十九歳で死亡した。祖父への思い出はつきない。作品に書きたいとも思っているが、資料集めにまだ時間がかかりそうだ。この祖父の影響で、私も実証科学的な思考になったかというと、そうでもない。私の父はこれと反対の性格だったのである。
私の父は明治時代にアメリカに留学しているが、昭和十二年ごろになって、とつぜん奇妙な説を考えつき、それを本にまとめあげた。神とは進歩のことであり、協力は神の命令、神の働きは移るという現象だというもの。そして、三種の神器は真善美の象徴であり、日本は〈お母さんの創った国〉である、欧米は〈お父さんの創った国〉だというのである。
人生観とも哲学とも、宗教とも史観ともつかないものだ。私にはいちおう理解できるのだが、その解説はべつの機会にゆずる。
古代の日本という言葉を聞くと、私は祖父のこと、亡父のことを交互に追憶しはじめてしまうのである。
映像の微妙さ
ある日、フジテレビのビジョン討論会という番組に出た。テレビは何回出てもなれず、苦手なのだが、時たまなんということなしに承諾してしまう。
テーマは「映像文化か活字文化か」で、それにちょっと興味を感じたせいかもしれない。東商ホールを会場としての公開録画で、百人あまりの聴衆があった。
活字派と映像派との討論という形式。映像派の大将は大宅壮一氏で、はじまる前に「少し変じゃありませんか」とからかわれたりしていた。むりな分け方で、私は活字派になっているが、べつにテレビ否定派ではない。むしろテレビ愛好者だ。しかし、そこが演出である。
私の意見は「文化は抽象によって進歩してきた。いくら水に接してもH2 2Oの概念は得られず、(a + b)3 3, E=mc22 など映像だけでは手におえない。将来も、電子計算機と共存してゆくには、記号化の能力が必要だ。文字もまた記号である」といったところである。映像派の主張は、テレビの持つ迫真性、現実性、記録性、明快さなどの点である。しかし私は、ここにも疑問を持つ。羽田の全学連の乱闘などは、テレビによってさわぎが一段と大げさな形で伝達されているように思えるのである。
テレビカメラがむけられていると自覚すると、学生たちは、視聴者の期待する全学連像を示そうと、大あばれする。テレビカメラは激しい部分だけをねらって追う。学生たちがおとなしく笑っていたら、人びとが「なんだ面白くない」とチャンネルを切り換えてしまうからである。カメラへの迎合、なれあいで作られた虚像、事実ではあっても真実ではないような気がする。
活字のほうは、私以外の二人ともマックルーハン批判の発言をした。私としては、マックルーハン理論は、そのユニークさの点で大いに好意的である。論の当否はべつとして、独創的な仮説はわが国でははなはだ冷遇される。残念なことだ。彼の理論など、もっと前に日本でだれかが唱えていていいはずの考え方である。
討論の途中、マイクが会場にまわされ、聴衆のなかから意見が求められた。若い人が大部分だったが、そのほとんどが「活字文化は大切にしなければならぬ」というもの。
いささか意外。映像派はがっかりし、劣勢を予想していた活字派は力をもりかえした。私もちょっとふしぎに思った。テレビが好きと大ぜいの前で発言するのには、ためらいを感ずるものであろうか、とも考えてみた。
しかし、やがて気がついた。討論会の前に映画の試写があったのである。人を集めるには、それぐらいのサービスをつけなければならないのだ。
その映画は「華氏四五一」という、私の好きなSF作家ブラッドベリの原作。原作の感傷性は薄れていたが、冷たい新鮮さがあり、映画としては佳品である。テレビがすべてを支配するようになった未来を舞台に、本はすべて焼かれ、本の所持者が犯罪人扱いをされるという文明批評的な物語である。活字文化の映像文化に対する優位を主張する話を、映像文化のひとつである映画にしたという、この点ややこしいものである。
局はこの映画の封切りとマックルーハンの流行とにひっかけて、この企画を作ったらしい。その当日に私はその試写をやることを知っており、だから気がついたのである。
録画終了後、そのことを話すと、映像派の人は「それが原因にきまっている」と、くやしがった。しかし、考えてみると、ことはまことに複雑である。
会場の人たちの意見が活字支持の一色にぬりつぶされたのは、映画という映像の作用がいかに強いかを立証している。しかし、一般の視聴者はそんなことを少しも知らず「そういうものか。いまの若い人たちは意外に活字支持が多いらしい。やはり読書は重要だ」と、ほとんどの人が感じたにちがいない。それはテレビという映像媒体の力である。
こんがらかって、なにがどうなっているのかわからなくなってきたが、要するに映像による伝達とは、かように微妙なのである。これは今後の課題として、もっと論じられるべきことだろうと思う。
人間の描写
いつのころだれが言い出したのか知らないが、小説とは人間を描くものだそうである。奇をてらうのが好きな私も、この点は同感である。評判のいい小説を読むと、なるほどそのとおりである。しかし、ここにひとつの疑問がある。人間と人物とは必ずしも同義語でない。人物をリアルに描写し人間性を探究するのもひとつの方法だろうが、唯一ではないはずだ。ストーリーそのものによっても人間性のある面を浮き彫りにできるはずだ。こう考えたのが私の出発点である。
もっとも、これはべつに独創的なことではない。アメリカの短編ミステリーは大部分このタイプである。人物を不特定の個人とし、その描写よりも物語の構成に重点がおかれている。そして人間とはかくも妙な事件を起しかねない存在なのかと、読者に感じさせる形である。おろかしさとか、執念のすさまじさとか、虚栄の深さとかが、それでとらえられているのである。もちろん、あまり効果をあげていない作品もたくさんあるが、それは仕方のないことだ。
この手法に興味を持ち、私はとりかかったわけである。ある人には歓迎されたが、はじめのころは「話は面白いが、主人公の年齢や容姿がさっぱりわからぬ」と首をかしげた編集者もあった。わが国ではこの種のものは、あまりに少なかったのである。今でもそうだ。
時たまこの原因を考えてみる。並べればたくさんあるが、小学校の教育がそのひとつではないかと思える。最近のことはわからないが、わが国の作文の授業では、遠足なり家庭生活なりを、ありのままに目に見えるように書くといい点がもらえ、模範答案となる。これに反しアメリカでは、友だちを招いてのパーティーの席上で面白い物語を作りあげて話した子供が、人気者となるのではなかろうか。作家を発生させる土壌のちがいである。
この日本式の手法だと、どうしても行事や時事風俗と関連ができ、アメリカ式手法だと時事風俗からの離脱という傾向がでてくる。私は外国漫画のコレクションが趣味だが、ここにもその差ははっきりあらわれている。
どちらがいいかは、だれにも断定できないことであろう。作者や読者の好みの問題である。しかし、新しい試みのほうがやって楽しい。かくして私は、よくいえば抵抗の多い道、悪くいえば競争の少ない道を選んで今日に及んだ。SFという飛躍した舞台での物語となると、この手法をとらざるをえない点があるからでもある。
しかし、道をいささか突っ走りすぎたきらいもある。すなわち人物描写に反発するあまり、主人公がほとんど点と化してしまった。私がよく登場させるエヌ氏のたぐいである。なぜNとローマ字を使わないかというと、日本字にまざると目立って調和しないからである。なぜ他のアルファベットを使わぬかというと、この発音が最も地味だからである。また、なぜ名前らしい名を使わぬかというと、日本人の名はそれによって人物の性格や年齢が規定されかねないからである。貫禄のある名とか美人めいた名というのは、たしかに存在するようだ。
作品の主人公の点化が進むと、一方、物語の構成へのくふうが反比例して強く要求され、いっそうつらくなる。このタイプは作品が古びにくいかわり、発表の時点ではパンチの力が他にくらべ薄くなりがちで、それを補わなければならぬのである。
こうなると小説と呼ぶより寓《ぐう》話《わ》である。余談になるが、寓が当用漢字にないのは不便でならない。なんと言いかえたらいいのだろう。国語審議会は日本から寓話を追放したいらしい。
当初は意識してなかったが、いまや寓話の復興が私の目標である。それには時事風俗を排除しなければならず、流行語も使わぬようにせねばならぬ。大部分はなんとかなるが、困るのはアパートだ。マンションとかコーポとかビラとか新語が続出し、それぞれ意味がちがう。定着してくれるのかどうかも不明。
風刺小説ならべつだが寓話となると、現代のわが国はまったく作りにくい。最も困るのは金額である。私は作品中では、大金とか、わずかな金とのみ記し、金額ははっきり書かない。百万円の盗難と書くのはいいが、いつインフレで価値が下がるかもしれず、また逆にデノミネーションで二ケタも価値が上昇しないとも限らぬ。重版のたびに金額部分を訂正するのでは寓話にならぬ。しかし、こんなにデノミに気をくばりながら書いている作家は、ほかにいないのではないだろうか。時事風俗から離脱するには、普通の人以上に時事風俗に神経質でなければならないともいえる。
こんな私を神経質すぎると言う人もある。私もまたそうかもしれないと思っている。そのうち、この自己規制を破り、なにか新分野へ作風を広げてみたいと模索中といったところなのである。
SFの友人たち
深夜のレストランで数名の男が、妙なものを食べながら話しあっている。イクラをワンタンの皮で包んだようなもの、ヤシの木の芽のサラダのたぐいである。そして冷やしたワインを飲む。
深刻な顔でひそひそと語りあっていたかと思うと、とつぜん笑いだす。このようなのを見かけたら、私たち、すなわちSF作家たちであると思ってよろしい。
「これからの日本はどうなるのだろうか。どうあるべきか」
が話題になったりする。国家目標をどこに求むべきか。憂うべきことが多すぎるではないか。それを数えあげているうちに、深刻な表情にならざるをえないのである。
「いっそのこと、新規まきなおし、いったん解散して新会社を作って再出発したほうがいいのかもしれない」
「解散するのなら売ってくれ、という外国があるかもしれないぞ」
「槍の先に白いふわふわをつけたヤッコさんスタイルのチンドン屋隊を編成する。それに世界をまわらせ、日本売りますと宣伝したらどうだろう。いい買手が出るだろう」
「なぜそんなスタイルにするのだ」
「売国奴だから」
笑うことになるのである。余談だが、先日、荒正人氏にうかがった話によると、古代ギリシャ・ローマ時代では、重大事件を決定するには会議を二回ひらいたそうである。一回はまじめな会議だが、一回は酒を飲みながらの、ばかばなしムードの会議。より完全な結論を得るための知恵である。
国を国連に売りつけたらどうだろう。米ソが大型合併をやったらどうなるだろう。わが国の神話にも国引き物語というのがあったようだ。などと、話題はさらに発展するのである。私の子供のころの記憶だが、独ソ不可侵条約の時の政府のあわてぶりといったらなかった。きっと、あのころのおえらがたは、ばかばなしのたぐいをしなかったので、思考が硬直していたのだろう。
わが国には、ばかばなしを許容する空気がない。常識の枠内で深刻になるのが神聖なのである。ユーモアの断片を抜きだし、まじめに非難する人が多すぎる。ために、私たちも声をひそめて話しあわなくてはならぬのである。困ったことだ。
「いのち短しタスキに長し」
という迷文句を作り出したこともあった。しばらくあと、どう伝わったのか、少年雑誌のお笑いページのキャッチフレーズにこれが使われていた。こんなジョークは無断で使われてもかまわないが、はたして今の少年に通じるのだろうか。「いのち短し恋せよ乙女」と「帯に短しタスキに長し」との二つの古い文句を知ってなければ、面白くもおかしくもないはずである。
「ケネディ死すともオナシス死せず」
というのも同じような発想の産物。私たちSF作家はおたがいの知識レベルを知りつくしているから、いかなるジョークが通じるか暗黙の了解があるわけである。
議論がふり出しにもどると「アラクマさんになった」と言う。落語に「蜘《く》蛛《も》駕《かご》」というのがあり、そのなかの酔っぱらいの登場人物、ひとしきりしゃべると「あら、熊さん」と、また最初からやりなおす。時間の渦《うず》に巻きこまれたようなSF的な話で、みな傑作とみとめている。このいわれを知らなかったら、どうにもならない。解説をしたりしたら腰くだけである。笑うにもけっこう勉強が必要なようである。
この仲間は小松左京をはじめ、筒井康隆、豊田有恒、平井和正、矢野徹、大伴昌司などである。最近は雑誌がふえ、それぞれ交友録のごとき随筆ページがあり、ほかの人がすでにどこかに書いているかもしれないが、仕方ない。新聞記事と同じである。
このごろは麻雀なるものをはじめた。豊田有恒は頭がよく、一目みてあがり点をさっと計算してくれる。トヨピューターとの別名がある。麻雀の点の計算に関しては、コンピューターより早いにちがいない。
「これは大変な才能だから、テレビの万国びっくりショーに出場させよう」
と私が感心したら、みなにばかにされた。麻雀の強い人は、だれでもそれぐらいはできるのだそうだ。ことほどさように、私たちの麻雀レベルは低い。だが、へたでもかまわない。作品がへたでなければいいのである。
「東きたりなば南遠からじ」とか「アンコ入りの肉マンだ」とか、愚にもつかぬ発言のほうに重点がある。麻雀ジョークをどこか週刊誌で募集すればいいのに。いい企画と思う。矢野徹は字《じ》牌《ぱい》が好きで、むやみと風牌や字牌を集めたがる。「彼はグーテンベルグ銀河系の宇宙人じゃないか」となるわけだが、これはマックルーハンの著作のパロディ。
しかし、おたがいのあいだでしか通用しない文句が発生すると、せまい閉鎖グループになりかねない。感心しないことだ。もっと幅ひろく、政治家とでもつきあうべきかもしれぬ。だが、感心しないことだとそれぞれが意識していれば、それでよいのであろう。
SFには特有の術語ごときものがあり、それが普及の障害になっていることは世界的な傾向である。だが、私の友人たちは作品にそれらを持ちこんでいない。事態を冷静に見ているからである。
それにしても、麻雀の時に、なぜ冷静になれないのだろう。昨年末に熱海にみなで行った時、私は小松左京に緑《リユー》一《イー》色《ソー》をふりこんでしまった。緑色の牌だけであがる役満である。うまれてはじめての経験で、私は「きゃっ」と叫んだ。
そして、新年そうそう、私の目の前でこんどは平井和正が豊田有恒に、やはり緑一色をふりこんだ。これさいわいと、私は「だれでもあがれる緑一色」という文句を作りだした。「だれでももらえる勲一等」といった感じである。
三億円の犯人
三億円の犯人はエヌ氏にちがいないとぴんときて、おれは訪問した。彼はあわてることなく、口止め料として三万円をくれた。
少ないなと思ったが、その理由はすぐにわかった。いろいろなやつが訪問してくるのだ。刑事らしきやつ、新聞記者、運転手、作家、会社員、学生、教授、自衛隊員、外人などが、どこからか聞きつけて口止め料をせしめにくるのだ。となると、一人当り三万円ぐらいにせざるをえないのだろう。
おれは義理人情にあついので、金をもらったからにはあくまで秘密をまもってやる。
だが、やがてエヌ氏から印刷の手紙が来た。
〈口止め料を持ってったやつが、ついに一万人に達した。あの三億円を使いはたしたのだ。面白くない。やけくそだ。おまえたちをみな恐《きよう》喝《かつ》で訴えてやる〉
おれたちはあわて、集って相談し、なんとか思いとどまってくれとたのみにいった。彼は「それならもう一回やるから犯行を手伝ってくれ」と言う。仕方ない。おれたち一万人はみなで協力した。成功するのが当然だ。
十億円奪わるのニュースが世をにぎわす。おれは数日ほどして、エヌ氏を訪れた。だが転居先不明。彼もそれほどばかではなかった。
透明な笑い
こんなことを書いてもあまり理解してもらえないだろうと思うが、昭和十九年前後の戦争末期のころ、私たちは笑ってばかりいたようである。私たちといっても私の友人関係だから、東京在住の学生、十代の終りぐらいの年齢の男子ということになる。愚にもつかぬことを話し、笑っている者が多かった。
勤労動員で工場にも行った。そこには女学生たちも来ていたが、彼女たちは戦局悪化とともにしだいにきまじめになり、ひとりも笑わなかった。私たちより上の年代の連中はみな戦争に行き、笑うどころではなかったことだろう。私たちより下の年代は、疎開派ということになるのだろうが、その手記のたぐいを読むと、育ちざかりで空腹にせめられ、笑うどころではなかったらしい。
戦争中に笑ってたのは私の年代だけのようだ。少年戦車兵だの、予科練だの、学徒出陣だので東京をはなれる者が、学友や知人などに出た。それらの送別会に家を訪問したこともあったが、だれも笑っていた。深刻さも悲壮感も気負いもない。そういった感情をぐっと押さえ、顔で笑って心で泣いて、というのでもない。もちろん、明朗な笑いでもない。だが、なにかしら上品なところがあった。透明な笑いとでも称したいところである。
いま、学徒出陣の古いニュース映画をテレビなどで見ると、重苦しい悲痛感におそわれるが、それはそのごの悲惨な経過を知っているからであり、それを逆算して出発点に結びつけているからであろう。出陣の時の彼らの多くは、友人との送別会で透明に笑っていたのだと思う。こんなことは好戦派、反戦派いずれにとってもつごうが悪いわけで、記録としても残りにくい。
小次郎との試合にむかう武蔵は必勝の信念の顔であり、日本海海戦の三笠艦上の東郷元帥はにこやか。フィリッピンを撤退する時のマッカーサーは不敵な表情。いずれも結果から逆算したもので、私はまるで信用しない。
そんなことはともかく、そのころは空腹も笑いのたねになった。軍事教練で行軍をした夜、だれだったか突然「はらへった、はらへった」とボルガの舟唄の曲で歌いだしたのである。そのすっとんきょうさに、みな大笑い。いま考えると、かえってふきげんになりそうなものだが、そんなのはひとりもいなかった。腹を立てるより腹をかかえるほうが、腹のためにはよかったのだろう。じたばたしてもどうにもならぬことを、だれもが知っていた。
私は徴兵検査を本籍地の田舎で受けた。東京でも受けられたのだが、この機会に親類に寄って飯にありつこうと思ったのである。その時も集った青年たち、ふざけあっていた。私は人みしりするたちだが、その時はいっしょになって大笑いした。私の年代は、地方の青年も透明に笑ってたようだ。徴兵検査官までからからと笑っていた。
あのころの友人たちと会うと、私の年代のものは決して軍歌を歌わず、ひたすらあの乾燥した笑いをなつかしむのである。
くりかえすようだが、こんなことを言っても、だれも半信半疑だろうな。戦後になり太宰治の「右大臣実朝」のなかに、「平家は滅亡が近いゆえに明るい」といった意味の文章があり、いやに印象的だった。これは戦時中の作品であり、それと無縁ではないだろう。あきらめとヤケとは、一種の明るさをともなうものなのだ。
少し前に読んだ小さな記事が、いまだに頭にひっかかっている。戦争末期の南方の孤島。米軍は島づたいに反攻してきたのだが、その攻撃を受けずに飛びこされ、とり残された島のわが守備隊。彼らは毎日毎日、冗談を言いあってからからと笑いあっていたという。いつやられるかもしれず、やられないかもしれず、といって勝つみこみはない。心身が透明になって笑い声だけが飛びかっている。私にはそのありさまがよく想像できるのだ。
もはや二度とあんな笑いは味わえないだろうが、私にはなつかしく、私の作風に関連もしているようだ。もっと分析してみたいが、まだ資料不足。神道のムードの一面から川柳に至る、泥くさくない日本の性格の一種がそこにみつかるような気もする。閉鎖的、非肉体的、非生命的、非エネルギー的、そんなふうな笑いなのである。
そこへゆくと、いまはやりのブラック・ユーモアには戦後的なにおいが濃いようだ。黒っぽく、肉体的で、生命的で、エネルギーがあり、それらを人間が持てあましている。この差異について、ひまをみて検討してみようかと思っている。
カー・スリープ
この世の中でなにが気持いいといって、自動車のなかで眠るのにまさることはないであろう。
私はきわめて寝付きの悪い性質で、家では眠るまでひと苦労である。自分でも持てあましている。
それにもかかわらず自動車でゆられると、昼だろうが夜だろうが、たちまち眠くなるのである。なんともいえぬ気持ちのよさだ。震動のせいかもしれぬし、心理学でいう胎内復帰願望がかなえられたような気分になるせいかもしれない。ぐっすりと眠れる。
一年ほど前、友人の小松左京と山陰のほうを旅行した。大阪駅でタクシーに乗り、鳥取まで十時間ちかくの行程。まったくよく眠った。目がさめるとばか話をし、缶入りビールを飲み、笑っているとまたうとうとと眠くなる。
自動車の旅はいい。眠り続けていても、下車しそこなうことがないのである。目ざめるたびにあたりの景色が一変している。ながめのいい所でクルマを停めてもらい、大きくあくびをする。健康そのものだ。
費用は少しかさむが、眠りを買ったつもりの私にとっては安いものだ。
山陰地方の道路は良くなった。風景もいい。あとの二日もクルマで見物して回り、広島を通って大阪へ戻った。なにが不眠症だ。しかし、自宅へ帰って寝床へはいったとたん、また目がさえはじめた。
かつて、ある雑誌の仕事で下北半島へ行った。本州の最北端。やはり道路は大部分が舗装されていた。冬の下北は雪と曇《どん》天《てん》の地かと思っていたが、粉雪がぱらつく程度で晴れ間も多い。
風はきわめて冷たいが、陽が差しこむとクルマのなかは暑いぐらいになる。ぐっすりと満ち足りた眠りがとれた。
すなわち、私の夢は金ができたら理想的な自動車を注文することである。シートは柔らかく深く、足をのばせる空間があり、足を乗せる台もある。
ただただ寝ごこち良さのために設計されたクルマである。そして日本じゅうのみならず、世界じゅうを走り続けるのだ。ホテルなど不要である。
クルマより運転係への費用のほうがたいへんに違いない。ロボットの運転手ぐらい、早くできてもよさそうなものだ。科学の進歩がもどかしい思いである。自動車の存在意義は、乗っている者に快い眠りをもたらす以外に、どんな利点があるというのだ。
医薬とコンピューター
アメリカの統計によると、現在よく使われている薬の七十五パーセントは、わずか十年前には存在していなかったものだという。すなわち新薬が加速度的に開発され、種類が十年で四倍にふえているのだ。また現在の医薬品の生産販売高の総計は、二十年前にくらべて約十倍になっているという。つぎつぎによい薬が出現し、すばらしいスピードで普及しているのである。
いま医薬品の分野は、二十一世紀にかけての最有望産業のひとつに成長しつつある。いうまでもないことだが、より快適な人生をすごしたい、かけがえのない天与の生命を時間的に質的に空間的により充実させたいという、私たち人類の願いのあらわれである。
医薬の歴史は長いが、その歩みは決して速いものではなかった。しかし、ここ三十年ほどの技術革新の波は、医薬品の内容を大きく変化させた。三十年前には痛みを除くとか熱を下げるとか、あらわれた症状を取る作用のものが大部分だった。だが、いまの医薬品は症状の原因そのものを消滅させる。根本からの治療なのだ。
新しいワクチンやサルファ剤や抗生物質は、各種の感染症に対しはかりしれない効力を示してくれた。どれほど多くの生命がこれで救われていることだろう。そして、いま、生命をおびやかす残された三つの大きな敵、ガンと心臓病と脳卒中にむかっての挑戦がなされつつある。そのなかで第一の目標となっているのがガンである。
個々の面では明るい収穫をあげつづけているにもかかわらず、ガンについてのきめ手はまだ確立されていない。しかし、医薬の関係者はコンピューターを新しく戦列に加え、最後の追い込みにかかろうとしている。
ガンについての既知のデータをすべてコンピューターに入れ、その疫学をあきらかにしようというのだ。ガンの発生する条件をつきとめ、それをさまたげる機構をみつけるのである。人間の手でやるとかなりの時間を要する段階だが、コンピューターはそれを驚異的に短縮してくれる。完全な勝利の日がそう遠くないことを、私たちは期待していいといえよう。
それと同様な方法により、心臓病や脳卒中のベールをはがし、本質を解明し、予防や治療の薬が作られ、日常的に普及するのもまもなくであろう。
新しい抗生物質を発見しても、やがて菌のほうが耐性を持って効果がうすれる。このいたちごっこはよく話題になるが、いまやその公式がわかりかけてきている。コンピューターの威力により、その悪循環がたち切られるのも五年以内であろうといわれている。
それらとは別な意味においても、医薬品の分野でのコンピューターの重要性は高まる一方である。ねずみ算のごとくにふえる新物質、爆発的に増加している文献。それらを整理し、必要な資料を瞬間に取り出しうる態勢のことである。それが完備すると、研究がむだなく利用され、データの見落しがなくなり、新しい理論がうかびあがり、創造力が効果的に回転する。
微妙な人体と無限の物質との最良の関連があきらかになり、医薬品は理想的なものへと近づいてゆく。
またコンピューターは、新薬合成の過程にも能率化をもたらす。物質と物質とがどう反応するかの情報を記憶させておけば、試行錯誤の重複がなくなり、その利益ははかりしれない。すなわち、病気の原因の追究、その治療法の決定、そのための薬の発見、さらにその製造法の確立、これらの経路をスムーズにたどれるのである。
コンピューターは医薬の恩恵を受ける側の人びとにも役立つ。医薬は適正な量が適正な診断のもとに使われて最大の効果を示す。コンピューターが医療面に普及すれば、病気の早期発見とともに、各人の体重にあったきめのこまかい医薬の使用がなされ、より完全なものとなってゆくのだ。
直接に生命をおびやかす病気の制圧ができたとしても、医薬品の使命はそれで一段落するというわけではない。のばされた人生をさらに楽しくすることが課題であり、重要な目標はまだまだ多い。たとえば、死につながらないとはいっても虫歯、視力の障害、水虫、毛髪、ふとりすぎ、インフルエンザ、身長を伸ばす希望、アル中など、苦痛であることに変りはない。
それらをより完全に、より容易にコントロールするのが人類の期待であり、今世紀中には医薬品がそれをかなえてくれるであろう。
また、社会の急速な変化は、いつどんな医薬の需要をひき起すかわからない。それにそなえて予見開発とでも呼ぶべきことも必要となる。一例をあげれば、武田薬品工業は数年前にニコリン(コリン誘導体)という名の意識障害の薬を開発した。頭の手術や外傷の治療に使うものである。研究に着手した時点はさほどでもなかったが、交通事故の激増した現在、その貢献の度合はくらべものにならないほど大きくなっている。
将来に発生するかもしれぬ公害への研究をもしておかねばならないという点、社会のひずみを埋める役割も、また医薬品がひきうけているといえよう。そして、人口調節。これは未来の地球の飢餓、混乱、戦争を防ぐためにも、現代に課せられた問題である。避妊薬の改良は世界の安定にもつながっている。
それに、長寿と健康だけでは人生といえない。豊かさがなくてはならぬ。においや味へのあくなきあこがれも、また人間の夢である。嗅覚や味覚の解明を進め、新しいさまざまな香料や調味料にみちた生活環境をきずくのも医薬品の使命のひとつなのだ。
そのような末端の感覚ばかりでなく、二十一世紀には大脳の生理とそれへの薬品についての知識を、人類は手にするにちがいない。精神疾患が一掃され、頭をよくし、記憶力を向上させることも自由になろう。そのころになると、老化防止の機構もあきらかになるかもしれぬ。成長の調節法がみつかれば、失った手足や臓器を再生することも夢ではないのだ。さらにそのつぎの時代には、遺伝因子の調節さえも可能にし、人類をむりなく進化させるという飛躍にとりかからないとも限らないのである。
こうながめてみると、医薬の分野は未来にむかっていかに多くの課題をかかえているかがわかる。すでに完成して未来図を描きにくい業種とちがい、医薬品は未来図が多すぎる形である。人間の限りない意欲の集中している分野だからであり、すべてはこれからなのだ。これが原動力となり、とどまるところを知らぬ発展が約束されている。同時に、その扱いを慎重にしなければならぬことはいうまでもない。
そして、その反面で、企業間の競争もまたきびしいものとなってゆくであろう。新製品を開発しつづけないとおくれをとるのである。自由化の時代となると、わが国の医薬品産業は米国の企業を相手に争わなければならない。
賭けごと
テレビや映画や物語でふしぎでならないのは、賭《か》けの勝負がつごうよく展開することである。主人公のハンサムな青年は、西部劇であろうと、時代物であろうと、スパイ物であろうと、ここ一番という時には必ず勝つことになっている。野球物だと、三点リードされた九回裏の二死後、主人公は必ず満塁ホーマーを打つ。これがくりかえされると潜在意識のなかで型が形成され、おれは悪人じゃないから賭けに勝つはずだ、などと思い込んでしまう。そして負け、ハンサムでなかったのが原因かもしれぬと反省したりするのである。よくない傾向である。正義の味方だろうが、ころりと負けるのが賭けであり、そこが面白いのではないか。文部省は検閲を復活し、この種の作品を取り締まるべきだ。このままだと、論理無用の必勝の信念のたぐいが出現し、またぞろ戦争をはじめかねない。
などと賭けに関する意見を述べたが、私はほとんど賭けをやらない。花札など、ルールは簡単なものだそうだが、いじったこともなく、やる気にもならない。これは私が賭けぎらいだからではなく、その機会にめぐまれなかったからだろう。麻雀も大学時代にちょっとやったが、そのご最近までやらなかった。身辺がごたごたし、それに忙殺されたためである。麻雀は普通の会社づとめで、すぐ四人そろう環境でないとだめなようである。
私は勝負事をきらいではない。碁にはかなり熱中した。碁会所にぶらりと行けば、たいてい相手がいるからである。まったくの他人でおたがいに情け容赦なく打ち、実力はつく。素人二段の免状を持っている。碁の面白さは、そのバラエティのひろさにある。序盤で失着をやっても、小さな利のつみ重ねで損失をとり戻せる点もいい。奇手を放って相手を面くらわせるのは、邪道かもしれないが愉快である。そして終盤近く、このままだと少差で負けと計算したあと、のるかそるかの一発勝負を開始する時のスリルもいい。ここに賭けの醍《だい》醐《ご》味《み》があるのではないかと思う。ルールの簡単なゲームでは味わえないものであろう。また、碁には性格がはっきり出る点もいい。碁はメディアのひとつである。しかし、その碁も最近はちょっとごぶさたである。執筆のほうが優先するし、小説を書くのもまた大変な賭けであるからだ。というわけで、まあ健全な状態といえそうである。
ゼ ロ
ゼロというものには、なにやら無気味さがあるようだ。こんなになった原因のひとつは、スパイ物の流行であろう。007である。小数点なしにゼロが書かれ、しかも二つも並ぶと、日常見なれていなかっただけに、異様だ。作者のフレミングが、これを殺人公認の情報部員の標示とした点、さらに効果的だった。
007の喜劇版と意識して制作されたナポレオン・ソロはいいとして、そのご小説、映画、テレビ、子供漫画にゼロゼロ物がどっと出現した。悲しくなるほど安易な物まねで、関係者の頭脳ゼロを見せつけられる思いである。
ゼロが緊張感をもたらすのは、ロケット発射の「スリー、ツー、ワン、ゼロ」という秒読みが頭にあったせいでもあろう。いや、それ以前に原爆実験の秒読みでも、それが使われていた。原爆製造の物語「ゼロの暁《あかつき》」という本がだいぶ前に出ている。ロケットも原爆も、たいへんな費用と技術とをその一瞬に結集し、成果を賭けるのがゼロ・アワーで、驚異と恐怖が迫ってくるのももっともである。
人類ははるかむかしから、ゼロとか無とかに潜在的なおそれを抱きつづけてきたわけであろう。火を利用する以前の人類にとって、暗黒の夜は無そのものだったにちがいない。認識できない周囲のなかで、時をすごさねばならず、時には猛獣などの災厄にさえ襲われる。きっといやな気分だったはずだ。
夜の暗黒のなかで恐怖と警戒心が結びついて、想像力が伸ばされる。妄想だの信仰心だの、言語だの文明だの、いろいろなものがそこからうまれた。無のなかで、無が原因となって、人類文明が発生したといえるかもしれない。
人間が無にとじこめられる怪談を、ウィリアム・テンという作家が書いている。欧米においては十三という数がきらわれ、ビルにはそんな階がなく、十二階の上は十四階になっているのが多い。
しかし、ある日、その存在しないはずの十三階をそっくり借りたいという変な男が、ビルの管理人のところにあらわれるのである。「それは無理です」とことわるが、相手は「料金は払う」という。ビルの社長に連絡すると「お客第一だ、金になるのなら契約しろ」との指示。借り主は家具を運びこみ〈未知無形不可能問題の専門店〉なるものをはじめる。人びとが忙しげに出入りする。
管理人はようすを知りたくてならないが、どうしてもその階へたどりつけない。しかし、店じまいで引越しの日、立ち会う権利があると主張し、連れていってもらったはいいが、そのまま出られなくなってしまうのだ。存在しない階から出られるわけがない。ゼロの空間につかまってしまったのである。
余談だが、わが国にはべつに十三へのタブーはない。だが、新しくできた霞が関の高層ビルでは、十三階は機械置場となっており、うまい処理だ。ここでは十三階は存在するのだが、一般人は行けず、管理人だけが行けるという形である。
タイムマシンとは、H・G・ウェルズが小説のなかで発明した空想的SF的な機械で、それに乗ると、過去や未来に行けるというしろものだ。
これに乗って未来へ行き大活躍をする映画があったが、そのポスターの「三十万年後へ五日間で往復」というのは、いまだに気になる文句である。機械には出発した日時へ戻る性能もあるはずだ。一日で往復、一時間で往復もできる。しかし、ぴしりと出発時へ戻った場合、時間的ゼロのなかに大活躍が含まれることになり、変な気分である。
そもそも、タイムマシンというものが異様なのだ。過去へ出かけてクレオパトラの鼻を傷つけたとすれば、帰りついた現在の世界はちがう歴史を持つちがう社会のはずである。そんな世界はどこに存在しているのだろう。もとの世界はどこへ消えるのだろう。
こんなことから、他の次元にはべつな世界が無数にあるという、アイデアの物語がうまれた。異次元物とか多次元物とか呼ばれる。私たちには認識できない無の空間に、世界が実存するというのだ。
なにかのかげんでそこへ迷いこんでしまった主人公が、核戦争後の荒廃の光景を見たり理想的な社会に接して感激したりするのである。時にはその他次元から、この世界への侵略が開始されたりする。
ブラッドベリの短編「ゼロ・アワー」では、幼い子供たちが妙なしかけを作り、他次元から青い影のようなやつらを呼び出し、おとなたちを驚かす。詩的で恐怖感のある物語だ。
いったい、完全な無というのはあるのだろうか。存在しないことが無なのだろうか。物質的な無でも、空間があっては無と呼べないのだろうか。私たちは無という言葉や概念を持っているが、それは無の存在を信じているからか。こうなると、理屈をもてあそぶような話になってしまう。
アシモフというSF作家にして科学者でもある人がいるが、そのエッセイは、知的興味を刺激されるものばかりである。そのなかに、こんな解説があった。無の存在を示すものだ。
まず、物質をぐっと圧縮するとどうなるかというものである。実験室の人工的なものでは限られた圧縮しかできない。だが、宇宙では超圧縮の現象が存在する。たとえば太陽の中心部。これはまわりからの巨大な圧力で、物質が高度に圧縮された状態である。
これの度がさらに進むことがある。物質の最小単位は原子で、原子核のまわりを電子がまわっている。その電子が核に押しつけられてしまうのだ。
こういう超密度の恒星が白色矮《わい》星《せい》。そんな星は一立方インチ当り、つまり角砂糖ほどの大きさで六トンという重さになっている。想像を絶したような話だが、全天の星の三パーセントはこの種のものなのだそうだ。
このへんまでは天文学の解説書にのっているが、もっとすごくなったらどうなるのだろうというのである。
太陽ぐらいの星が直径六・五キロメートルほどに収縮したとする。そうなると、重力があまりに強く、いかなるものも光速をもってしても、その表面から脱出できない。光の粒子も飛び出せず、つまり光らないのだ。放射線の粒子も出ず、熱も出ず、爆発することもなく、重力を伝える重力子も出ず、なんにも出ないのだ。
かくのごとくなってしまった星は、存在を立証することが不可能になる。他とかかわりあうことができない。宇宙から消失したのと同じで、たとえ私たちの目前にあったとしても無害を通り越した無縁な状態だという。
まさに怪談である。これは五十年以上も前にシュワルツシルドという物理学者によって作られた仮説だそうだが、私はアシモフの本で教えられ、ときどき思い出して妙な気分になる。現実に存在しながら無なのである。神がかりの珍説でもなく、でたらめな夢想でもなく、科学的で論理的なのだ。人間にとっての無の世界に、超高密度の物体がいくつもあるなんて……。
一方、三十年ほど前から、カップとかホイルとかいう天文学者たちによって、物質というものは、なにもない宇宙空間から、たえまなく作り出されているのだとの説がとなえられている。いかにして無から出現するのかは不明だが、こう仮定すると、宇宙についての説明がより合理的にできるのだそうだ。
こうなってくると、なにが無でなにが有なのか、わからなくなってくる。まさに神秘だ。科学は神秘を消すどころか、ますます神秘を作り出しているようだ。暗闇の無から抜け出した原始人のように、また新しい人生観に私たちは、飛躍するというわけなのだろう。
酒のにおい
子供のころの思い出だが、むかしは酒屋というものがあった。いまだってあるじゃないかとの反論が出るだろうが、ちがいがあるのだ。むかしは酒屋の前を通ると、独特のにおいがただよっていたものだ。回想すると、なつかしさがわいてくる。
最近はお酒も醤油もびんヅメになってしまったせいであろう。あるいは私がおとなになり、自分でもさかんに飲むようになって、においに鈍感になったためかもしれない。
私の父は若いころは大酒飲みだったそうだが、中年で禁酒し、私の幼年時代にはわが家に酒のかおりはまったくなかった。だから酒のにおいに敏感だったのかもしれない。また大声をあげる酔っぱらいは異人種のごとく思え、恐怖したものだ。
旧制高校時代にも私は酒を飲まなかった。もっとも、私ばかりでなく同じ世代の者はすべてそうだった。戦争末期でどこにも酒などなかったのだ。
大学では農芸化学を学んだ。農産加工とか発酵といった分野で、アルコールもそれに含まれる。
終戦になった解放感もあり、大学生とはもともとそういうところがあり、友人たちが酒らしきものを作りはじめた。
アルコールをどこからともなく入手してくるやつがあり、メチルかどうかの検査もできるし、さらには澱《でん》粉《ぷん》を糖化し発酵させることも実験室でできた。妙な味ではあったが。
これが私の酒を飲みはじめた最初である。スタートはおそかったが、体質的には飲めるほうであり、徐々に酒に親しみはじめたというわけである。
酒の味がわかるようになるにつれ、出まわる酒の品質がよくなってきたのだから、幸運の経歴といえそうである。だが、子供のころの印象が強いせいか、酒癖の悪いやつは大きらいである。いうまでもなく、私もそうはならない。気持よくなって失礼して眠ることはあるが、それ以上のことはない。酒は周囲を楽しくさせ、自分を楽しませるものなのだ。そうしなかったら、酒の神のばちがあたるにちがいない。
クレジット
普通の英和辞典には、信用とか名誉とかの意味しかのっていないはずである。しかし、SFでクレジットというと、未来における貨幣単位のことである。たとえば、五万クレジットでロケットを買い、宇宙旅行へ出かけるといったぐあいである。円に換算していくらぐらいになるのか気になるが、どうもよくわからない。そもそも、量産時代の中古ロケットがどれくらいするものか見当もつかないのだから、仕方のないことだ。幻の貨幣単位である。Crと略すこともある。
アメリカのSF作家たち、未来社会や宇宙にまでドルを通用させるのに気がひけてか、全世界共通の貨幣単位としてこれを考え出した。ほかの呼称にはお目にかからない。
全世界に通用する、安定した通貨が使えるようになったら、どんなにいいだろう。能率的でもある。そのような気分が、このクレジットという貨幣単位にこめられている。
また、コンピューターが普及し、銀行や商店などの連絡網が作られ、現金不要の時代となるとの空想もよく小説に書かれた。もっとも、最近ではこれが実現化しつつあるようだ。そうなれば、大金を落したとか財布をすられたという事件もなくなり、ずいぶん気楽なこととなるだろう。
だが、強盗などはどうなるのだろうか。通行人を襲っても所持金はない。銀行や商店に侵入してもコンピューターが動いているだけでは、どうしようもない。いい傾向とは思うが、拳銃をふりまわし札束をひっつかむというテレビや映画の犯罪物がなくなり、ちょっと味気なくなるのではないかと、私は妙な点を心配している。
私には意外と古風なところがあり、男子たるものは金銭のことを軽々しく口にしない、という感覚を持っている。私以外にも、こんな人は多いことだろう。封建時代のなごりである。
金銭というと貨幣を連想し、それから、その発散する執念のようなイメージを感じてしまうからであろう。だが、コンピューター時代ともなれば、こういった古くさい印象は薄れてゆくにちがいない。
また、経済が成長し社会保障がととのうにつれ、金銭は生存のためにあるというより、人生を積極的に楽しむためにあるとの形になりつつある。執念のイメージといったものも、やがてはまったく消えてしまうだろう。
考えてみると、お金というものの持つ意味が、いま、大きく変化しつつあるようである。有史以来、人間はお金に使われてきたようなものだが、これからの未来では、人間がはっきりと主人公になるのである。新しい文明の世紀が開けるといってもいい。
だが、いい気になったりとまどったりしていると、ふたたびお金に使われる時代に逆戻りしかねない。未来にむかっての、お金についての新しい心構えの研究が、そろそろはじまらなくてはならないような気がする。
未来のあなた
朝おきる。二日酔いで頭が痛い。
コーヒーをがぶ飲みする。コーヒー園での殺虫剤が強力になったのか、舌がしびれる。しかし、そんなこと気にしてちゃ、この世で生活してられない。
新聞の経済欄を見る。おれの持ってる株が暴落している。各国の経済戦争の激化のせいだ。戦局に一進一退はつきものなのだ。おもしれえったらないぜ。
窓のそとを、どす黒い霧が流れている。工場や車の排気によるスモッグだ。硫黄だの鉛だの、変な化合物の微粒子が、むやみと空中にただよっている。防止対策は進んでいるが、生産上昇や車の増加、人口過密化のスピードのほうがぐんと早いのだから仕方ない。おもしれえったらないじゃないか。
上のほうから轟《ごう》音《おん》が、雷雨のごとく降ってくる。都市の上に縦横に作られた高速道路は、車でぎっしりだ。その上をモノレール。その上は自家用機。もっと上空は超音速ジャンボ機が間断なく飛んでいるからだ。
スピードこそ神であり、いかすことであり、大衆のあこがれなのだから仕方ねえ。高速道路で事故を起したのだろう。車が降ってきた。おもしれえったらないわい。
おれは外出する。残飯をあさってぶくぶくにふとったネズミが、のそのそ歩いている。ピストル型空気銃でうつと、ころりと死んだ。上空から待ってましたとばかり、カラスのむれが舞いおりてきて、それを食べはじめた。
ネズミの味をカラスにおぼえさせた成果なのだ。道はきれいになる。まったく、自然界の驚異といったところだ。
道ばたで青年が「ファシズム万歳、カンパお願いします」と叫んでいる。きのうはアナーキストだったやつだ。きっと新種の幻覚剤を飲み、思考が一変したのだろう。
通りがかった半裸の大女が、その青年を「男のくせに、でかいつらをするな」と、なぐりとばした。完全な女上位の時代。男がいかに過激思想を叫んでも、スズメのさえずりのようなもの。おもしれえったらないじゃないか。
おれのポケットのなかで小型電話が鳴った。情報会社からの無電サービスだ。軍艦マーチとともに「あなたの持ち株が十倍に値上がりしました」と知らせてくれた。ふん。どうせ、すぐ下がるさ。
横町からオートバイが飛び出してきて、おれをはねとばした。おれはビルの壁にたたきつけられ、腹のあたりがぐしゃりと音をたてた。しめた、これで二日ほど会社を休めるというものだ。
救急ヘリコプターが飛んできて、おれを病院へ運んでくれた。病院では音楽をかなでて歓迎してくれた。
「あなたは、本年、百万人目の事故にあった人です。おめでとう」
スポンサーからの商品の山。
医者はおれのからだの内部を調べ、人工臓器の分解掃除をやり、こわれた部分を取りかえてくれた。いまや、だれでもそうなっている時代なのだ。脳さえ残っていれば、あとはすべてもとにもどる。
そして、脳は特殊金属製のヘルメットで包まれ完全に保護されているので、決してやられることはない。つまり、だれも死ぬなんてことはないのだ。だから、事故や公害なんか少しもこわいことはないというわけ。
人間、死なないという保証があれば、周囲はごたごたしているほうが面白い。もっと、すさまじくなってくれないかな。かりに世の中が平穏そのものだったら、無限の時間のなかで退屈を持てあまし、自分で頭のヘルメットをはずし、むりやり自殺してしまうやつらが続出するということになる。
平和学
戦争とはなにかなど、知らないほうがいいのである。戦争をまるで知らない世代が育ってきたのは、いいことだ。遠からず日本に、戦争を知っているものはいなくなる。世界じゅうがそうなれば申し分ない。人類が五十年間だけ、なんとしてでも戦争を休めば、戦争の体験者は消え、戦争という習慣をここで断ち切ることができるのではなかろうか。
そんな小説を私はかつて書いた。戦争という概念を強引に一掃するのだ。辞書やマスコミに戦争という語が出るのを禁止し、いかなる芸術品でも文学でも、戦争に関連したものは捨ててしまうのである。このSFを書きながら、極端すぎるかなとも思ったが、あとで考えると、ほかに方法はないようなのだ。
人は戦争についての知識を子孫に伝えるべきでない。かくも悲惨なことだと説明つきであってもだ。ムードは時とともに消え去り、そのうち人間は低能でない限り、じゃあ勝つほうにまわればいい気分だろうと考えはじめるにきまっている。それなら勝つ方法はなんだとなり、好奇心を肥料に種子は育つ一方となる。
にもかかわらず、党利党略、売名、商業主義で依然として戦争の語はばらまかれつづけている。よくない。各国が話しあい、戦争に関する記念日を暦から消すべきではないか。戦勝記念日でお祝いをやる国があれば、それをうらやましがる国だって出るのが当然。敗戦記念日もそれと表裏の関係である。古人の言葉に「愛の反対は憎悪でなく無関心である」というのがある。
人類はあまりにも長く、戦争にあけくれてきた。戦争こそ正常という考え方が、心の底にひそんでいる。人類の文化遺産のなかで、戦争に関した本や記録や研究は山のようにある。しかし、平和とはなにかの問題にとりくんだ本は、驚くほど少ない。ユートピア論はないこともないが、戦争文献の精密さにくらべると、粗雑そのものである。いかに平和がおくれた分野か、あらためて気づく。
戦争はたいへんなことで平和は安易だと考えている人がいそうだが、逆ではなかろうか。平和のほうがはるかにたいへんなことであろう。戦争は病気、平和とは健康のようなものだ。病気になるのは簡単だが、健康保持はたえざる注意と努力を必要とする。
「戦争反対、平和」と呪《じゆ》文《もん》のごとくとなえただけでは、平和はやってこない。「病気反対、健康」と祈るだけでは無意味なのと同様である。
「あなたは平和主義者か」とアンケートを送ってくるやつがあるが、どうかしている。「ノー」との答があると予想しているのだろうか。平和という言葉になにやらむなしい語感があるのは、私たちが平和の実体を知らず、その概念を持たないからである。公害問題には、人間にとって好ましい環境とはなにかの基礎常識があるから、わりと具体的に論じることができるのである。
ではどうすればいいのかとなるわけだが、平和学なるものを作るべきではないかと私は思う。世界平和とはどんな状態のことかを、あらゆる分野の知識を総合して組み立ててみるのである。いまはその目標さえ定まってない。平和はただのムードではなく、はっきりした青写真であるべきだ。
しかし、その結果として出てくる世界平和の状態とは、決して安易なものではないだろう。各人が予想もしなかった、かなりの精神的、物質的な負担が要求されるかもしれない。おそらく戦争よりはるかに難事業であろう。その二つをくらべて人類は「それでも平和を選択する」と断言するかどうか。
箱根の山
夏に家族づれで箱根に行った。箱根で数日間をすごすのが、毎年の夏の行事となっている。昨年は姥《うば》子《こ》のホテルにとまったが、ことしは元箱根のほう。
箱根は俗化していないところがいい。近代化もしてもらいたくないのだが、これは私の勝手というべきだろう。湖尻のほうにはいい散歩道ができていて、近代化の欠点がおぎなわれてもいるのである。この散歩道は林や高原に作られ、車を通さず、手入れもゆきとどいていて、申し分ない。これからの観光地や保養地は、散歩道完備を看板にするようになるだろう。私が箱根に来る理由の一つは、これがあるからである。
安心して歩けない場所へは、私は行かないことにしている。私の亡父の郷里は東北だが、このあいだ十年ぶりぐらいで訪れ、あまりのかわりように驚いた。久しぶりに来たのだから、風景を頭におさめようと散歩に出たのだが、自動車のものすごさにふるえあがった。
都会ではガードレールというと、車と歩道の境にあって安全の役目を果してくれるものだが、田舎ではちがうのである。道の両側にあって、自動車と呼応して歩行者を押しつぶすためのものらしい。懐旧の情などにひたって歩いていたら、死んでしまう。
箱根で私の最も好きなのは、霧である。濃い霧が流れるように部屋に入ってこないと、箱根へ来た気がしない、からりと晴れて遠くの山の木まで見えるのも悪くないが、霧には劣る。天然現象のなかでは、霧ほどロマンチックなものはほかにあるまい。
子供を連れて駒ガ嶽へのぼる。のぼるといってもケーブルカーである。子供づれでなければ歩いてのぼりたいのだが、そうもいかない。また、歩いてのぼる道など、もはやないのかもしれない。
ケーブルカーはスリルがあって面白い。いつ切れて落ちるかというスリルである。私の知人で、ある観光地でケーブルカー会社をやっている人がある。慎重な性格の人で、安全性についてはメーカーにくどいほどたしかめ、自分でもこれなら大丈夫と確信した上で営業をはじめた。
しかし、それなのに事故がおき、死者が出たのである。世の中に絶対安全なものなどない。それを知っているからこそ、私はスリルが楽しめるのである。ケーブルカーの安全を盲信し、なかでふざけるやつがあるが、これはスリルを楽しむのではなく、気ちがいとしか思えない。
駒ガ嶽の上にはなんにもない。休業中のスケートのサーキットのようなものがある。なにか荒涼としていて、手持ちぶさただ。しかし、霧が流れてきてくれるので、救いになる。山の頂では霧ができたり消えたりするが、それをながめているだけで満足なのである。
駒ガ嶽から芦の湯のほうにおり、そこの旅館で休む。「あいにくと満員です」と告げられるが、休むだけだと言うと、こころよく部屋に案内してくれた。古いつくりの旅館で、獅子文六の「箱根山」の舞台になったという。その映画のスチールも飾ってある。この小説は新聞連載で私も楽しく読んだ。
食事をし、温泉に入り、ぼんやりと庭をながめる。苔《こけ》が厚く、びっしりとはえている。箱根で霧についで好きなのは苔である。苔にはなにか神秘的なムードがある。東京のわが家の庭にも、一面に苔をはやすことはできないものだろうか。湿気が充分なら、育つのではないだろうか。そのうち調べて、試みてみようかと思っている。趣味として高級な気がする。私には流行の趣味を人まねして趣味にする趣味はない。
二日ほどたち、子供がプールで泳ぎたいと言いだす。いまの子供は、時どきとんでもない要求を持ちだす。仕方がないので、小《こ》涌《わき》谷の小涌園に行く。けっこう大きいプールだが、かなりこんでいる。そばの救助監視台の上には、外人の青年がのっかっている。
外人留学生のアルバイトなのであろう。どうせ働かせるのならフロントにでも置いたほうがよさそうに思えるが、日本語が下手なのかもしれない。だったら、使いようがない。プールの監視係なら、言語は不要である。なるほどと思う。日本人なら退屈でいらいらしそうな仕事を、のんびりとつとめている。
私は家内と子供をそこに残し、強《ごう》羅《ら》まで歩いてゆく。強羅には戦前、別荘があり、非常になつかしい地なのである。子供のころの思い出はそこに集中している。私が箱根を好む理由でもある。
小涌谷から二の平までの道は、むかしは林と畑で、トウモロコシなどが育っていた。夜はおばけが出そうな感じだったが、いまや一変し、商店が並んだ街なかの道路である。
しかし、二の平の駅はむかしのまま。どういうわけか、登山電車の駅は強羅も含めて、みなむかしのままである。私はそこが好きなのだ。
二の平から強羅への道も、いまは自動車が通っているが、むかしは細いものだった。岩のあいだから、泉がわきだしたりしていた。そして、小さな川にかけた橋。川には赤ちゃけた岩がごろごろしている。子供のころ、よく水遊びしたものである。
また、初夏には蛍がとびかっていた。たしかこのあたりに、ワサビの畑があったような気がする。木立ちのなかの、つめたい水のなかで栽培するのである。白く小さなカニがはっていた。少年の日の幻のような気もする。
おもかげがそこなわれているのは、近代化のためだけではない。かつての早雲山のがけくずれのためでもある。あの被害の直後はひどいものだったが、いまは木がはえたりして、少しずつ目立たなくなってゆきつつある。
強羅を歩きまわり、ずいぶん写真をとった。むかしのなごりを見つけると、シャッターを切る。駅、郵便局、旅館など、戦前の姿を残しているものは、まだかなりある。他人には無価値でも、私には貴重な思い出だ。
むかい側には大文字山、すなわち明星岳がある。その形だけはかわっていないし、これだけはかわることもないだろう。ながめていると、少年時代の追憶が限りなくわいてくる。私が箱根へ来たがるのも、むりもないことといえよう。
誤 解
古典落語のなかでの最高の傑作は「こんにゃく問答」ではないかと思う。一方の男は仏教の哲理を論じているつもりなのに、もう一方はコンニャクにけちをつけられたと受け取り、怒る。情報の伝達がいいかげんだと、かくのごとく珍妙な笑いが発生するのだ。
しかし、考えてみると、小説や物語の筋を分析すると、このたぐいが大部分のようである。たとえば、女は男に愛されていると思いこんでいるが、男のほうはそうでない。この男と女を逆にしても同様だが、これすなわち悲恋物語。恋人に会えるはずだと旅をして出かけるが、すでに相手はそこにいない。メロドラマのすれちがいである。
忠臣とばかり思いこんでいたらあにはからんや悪人というのは、時代劇のお家騒動。まさかあいつが犯人とは、と驚くのは推理小説。どれもこれも情報の流れ方によどみがあるために成立している。ドラマ作成の秘訣である。
なにも物語に限ったことではない。実生活にもなんと多いことか。「うちの子に限って」と泣く親。「まさかあの会社が倒産するとは」となげくへそくり投資家。「この製品は必ず売れると思ったのに」と頭を抱える工場主。「この観光地はすいてると思ったのに」と家族づれで出かけてきて混雑にがっかりする者。「知らぬは亭主ばかりなり」という川柳の現象はむかしからある。
人生における悲劇というやつは、その多くが情報不足なのであった。そして、いまや驚異的なスピードで情報革命が進行中である。情報産業のサービスがきめこまかく行きとどき、だれもが日常的にそれを使いこなすようになる近い未来の日には、悲劇は大幅に減少するにちがいないと思われる。すれちがいのメロドラマなど、まっさきに昔がたりになることだろう。
物語作家は根本的に変質を迫られるにちがいない。作家が困るぐらいはたいした問題でもないが、社会がそのように向上することは、やはり大問題のようである。人生の同意語でもあった、さまざまな雑事雑念。それらから解放された精神エネルギーをどう私たちが使うかである。
ローマ字と漢字
ロスアンゼルスに旅行して感心したのは、道路のすばらしさである。幅がひろく立体交差で、日本から来るとその点は夢のようだ。大型車が高速で走っている。だが、乗っている人たちは、みなつまらなそうな顔でハンドルを握っている。わが国の高速道路を走るとくい顔のスピード狂とくらべると、面白い対象である。
ある在留邦人に聞いたことだが、車の性能がよくなりスピードが高まると、標識の地名が読みにくくて困るそうだ。スペルの最初の字と最後の字をさっと見て、適当に曲る。やりそこなうと戻るには次の立体交差まで行かなければならない。表音文字であるローマ字の不便さである。
私はこの現象に興味を持ち、インダストリアル・デザイナーの泉真也氏に会った時に話題とした。彼はその方面の専門家で、説明もくわしい。いわく、
「その通りで、日本人がKYOTOというローマ字を読むには一・二秒かかる。キョウトと片仮名で書いてあると〇・二秒。漢字で京都なら○・○一秒。ローマ字より百倍以上も早く読める」
驚くべき差である。車を走らせていて「危険」の文字があったら、われわれは危の字が目にはいったとたんにブレーキをかける。英語国民だったらどうであろうか。この点においては、表意文字のほうが便利である。
交通標識の記号を全世界共通にしようとの動きがあるが、これは新しい表意文字の開発といえそうである。電子計算機に読み取らせるには表音文字のほうがいいが、スピード時代に生きる人間にとっては、表意文字のほうがいいのである。未来の人たちは、この調和をどう解決するか、興味のある問題だ。
カナタイプというのが作られているらしく、それを使った手紙などが商社から来ることがある。しかし、これほど読みにくいものはない。頭のなかで、いちいち漢字に翻訳しながら目を走らせなければならないのだ。労力の強制で、こんな失礼なことはない。文字というものは読むための存在性のほうが、書くためよりはるかに大きい。
印刷機発明の以前なら、書く労力も問題にはなった。だが、多量印刷時代となると、書くほうは一人、読むほうは大ぜいである。一人の手間をはぶくために、その苦痛を増幅して大ぜいの人に押しつけるのだから、科学の悪用といえそうである。それにしても、カナタイプの字体というものは、どうしてこう親しみにくいのだろう。
メロディーと郷愁
〈勝って来るぞと勇ましく〉ではじまる歌詞の「露営の歌」という軍国歌謡がある。けじめにうるさい人の説によると、軍歌とは軍隊内で行事の時などに正式に歌うのを許されているもののことで「歩兵の本領」や「敵は幾万」のたぐいである。「麦と兵隊」のごとく、民間で作られて流行したのは軍国歌謡と称すべきものなのだそうだ。そういえばそういうものかもしれない。いまになっては、どうでもいいことのようだが……。
それはともかく、私の小学生時代にこの歌が大流行した。昭和十年代の初期である。レコードの売上げ新記録ができたという。おそらくそれは事実だろう。わが家でもその一枚を買ったのだから。当時は厳格な家庭が多く、わが家もそうだったわけで、流行歌のレコードを買うなど、とんでもない話だった。というわけで「露営の歌」はわが家で買った最初のレコードともいえる。それを手回し式蓄音機にかけ、何度もくりかえし聞いたことを、いまでもはっきり覚えている。
なんてお古い話だなどと、私をばかにしては困る。いまの若い人だって、カラーテレビを買った第一日目のことは、忘れられぬ思い出として、一生ずっと頭に残るはずである。
名曲のせいだろう、この歌はいまだに生命を保ちつづけている。中年の人はこの曲を聞くと、さまざまな追憶がわきあがってくるだろう。なつかしのメロディーとなると、たいてい登場する。
最近あるテレビ局にリバイバル歌手によるリバイバル曲の番組があり、霧島昇がこれを歌っていた。前記のレコードに吹き込んだ歌手である。それを聞いていて私は違和感をおぼえた。なぜなら、明るく勇壮な歌いかたなのである。そういえば私が少年の日にレコードに聞きほれた時、哀愁ムードはまるで感じなかった。これが原型なのである。
しかし私がふと口ずさんだり、中年の酔っぱらいが歌ったりする「露営の歌」は哀愁の極、痛切にして悲しみにみちている。戦意高揚の歌として出現したが、歌いつがれているうちに、いつのまにか戦いの悲しさが強調されてきた。霧島昇の原型にくらべ、だいぶ変化している。面白い現象である。
「コンバット」というテレビ番組の戦争映画があり、勇壮なマーチではじまるが、終りには同じメロディーが悲しみをもってかなでられ、効果をあげていた。まったく戦争というもの、最初はいつも景気がいいが、終ったあととなると、むなしさのみがのこる。
子供のころの夢はよく見るが、夢のなかでなつかしのメロディーを聞くことはない。私が音に鈍感なせいだろうか。多くの人も同様ではないのだろうか。作曲家の伝記には夢で楽想を得た話がよくあるのだが……。
においという感覚も、記憶と妙な結びつきをしているそうだ。においに接してこれはなんだとの判定はつくが、例えばバラの花のにおいを回想しろと言われても、大部分の人には不可能だという。そういえばそうみたいだ。しかし、なつかしいにおいというものはたしかにあり、それをかぐと、さっと昔を思い出したりする人は多いのではなかろうか。
人間の大脳内において、においやメロディーや映像などと記憶との関連には、神秘なものがある。やがては解明され、郷愁のメカニズムを私たちが手にするようになるのだろうか。それとも永遠の神秘なのだろうか。
幸福の公式
世の中、のんきな仕事などないようである。作家だって例外ではない。通勤の苦《く》行《ぎよう》がないかわり、物語をでっちあげるという苦痛がある。こんな小話がある。
「出産の苦痛は、男の人にはわからないでしょうね」と女が言うと、作家である亭主が答えていわく「なにいってやがる。出産は存在してるものを出すだけだから簡単だ。こっちは、なんにもないところから出すのだから、もっとたいへんだ」
きたない話になって恐縮だが、酒を飲みすぎて吐く時、胃のなかのものをいっしょに吐くのは、そう苦しくない。しかし、胃がからっぽになったにもかかわらず、さらに吐き気がこみあげてくる苦しさといったらない。頭がからっぽであり、締切りの日が近づいてくる時の気分もまたかくのごとしである。
何回くりかえしても、いっこうに慣れない。あいかわらず苦しく、締切りはつぎつぎと押しよせてくる。なにもかも忘れ、しばらく休めたらどんなにいいだろうとあこがれる。
「それなら、注文を断わればいいじゃないか」と言われる。その通りだ。私もそれを試みたことがある。また、とくに断わらなくても、原稿の注文がとぎれ、空白状態ができることも時たまある。
ゆっくり休めるわけで、待望の状態となるわけだが、ちっともいい気分にならない。それまで仕事で押さえられていた雑念がわきあがってくるのだ。からだのちょっとした不調が、いやに気になる。大病の前兆かと悩み、医者に出かけたりする。ノイローゼの傾向である。社会や人生というものは、考えれば考えるほど絶望的になるようにできているらしく、悲観的な気分になる一方だ。ろくなことはひとつもない。
しかし、そのうち小説の注文が来たりし、近づく締切りを気にしながら、からっぽの頭をさらに圧縮し、なんとか結晶を取り出そうと苦しみはじめる。すると、あのいまわしい鬱《うつ》病《びよう》 的ノイローゼ状態がどこかへ消えてしまうのだ。私はまた、「なんでこんなに無理に苦しんで仕事をしなければならぬのだ、少しゆっくり休みたい」とぶつくさ言いながら毎日をすごすという、健康な生活にもどる。
この傾向は、だれにでもあるのではなかろうか。若い人が「ごたごたした日常から、しばらく抜け出したい。ひとり山奥へ行って、孤独になり人生を見つめたい」などと、本気でそれを実行したりする。だが、いざそうなると、無変化に三日とがまんしきれなくなり、発狂寸前のような気分で帰ってくるはずである。それでこりるかと思うと、さにあらず、またそのうち同じことを考えはじめる。人間とは、心のなかで矛《む》盾《じゆん》を持てあましている動物といえそうだ。
なまじっか想像力があるからいけないのだろう。山のあなたの遠いかなたには、平和としあわせがみちている地があるはずだとか、いい気なことを考える。私たちは理屈を無視し、幸福の幻影を作りあげぬと気がすまない。
未来についても、また同様。なんとなく幸福がありそうな錯覚をいだく。現在の身辺にある複雑な人間関係、それから脱け出した自分を想像してしまうからだろう。私たちの空想する未来には、いやなやつ、虫の好かぬやつは、いないのだ。本当は、そんなのがいなくなることなど決してないのに。
アンブローズ・ビアスというむかしの作家は、未来を定義して「すべて仕事がうまくゆき、友人がつねに忠実で、われわれの幸福が確実なものとなる一時期」と言っている。人間のひとのよさを皮肉っているのだ。
万国博を見物すると、未来生活の夢の部屋といったものがある。なにもかも自動的にやってくれる装置が並んでいる。風呂にはいりたいと思えば、からだを動かすことなくそれができ、やわらかなものの上にねそべり、テレビをながめていればいい生活。また、未来都市というものは、公害も交通難もなく、気象さえ人工制御されるという。
そんなのに住み、世界が平和で、だれもが善意にあふれた人ばかりとなったら、みななにを考えて毎日をすごすのだろう。一日や二日なら楽しいだろうが、それが限りなくつづくのである。SFのテーマのひとつである。幸福にはちがいないだろうが、自己の死の問題を見つめねばならず、雑事でごまかし、気をまぎらすこともできず、かえって内面はつらい人生になるのではなかろうか。
「小《こ》言《ごと》念仏」という落語だったと思うが、口やかましく、なにかに文句をつけてないと気のすまぬ人物。ある日、身辺から文句のたねが消え「おれが小言をいえないじゃないか」と困るのがオチ。まったく、どうすればいいのだ、である。
幸福は幻影、万一それが実現したとしても、ろくなことにならない。それじゃあ身もふたもないことになるが、さにあらずだ。
おとぎ話や冒険物語の主人公は、どれも最後は「二人は結ばれ、それからしあわせな一生を送りました」となっている。大事件が片づき、平穏そのもの、限りなくつづく典型的なしあわせ。退屈か、頭がぼけるかのどっちかのはずだ。先日来、この点が気になってしようがなかったが、やっとわかった。つまり、物語の主人公たちは、それまでにドラマチックな活躍をしている。その追憶を持っているのだ。たしかに、これは確実な幸福である。
というわけで、私なりの幸福の公式ができあがった。つまり、人は未来に幸福の幻影をいだき、それをたよりに現在を「いやだなあ」とつぶやきながら、あくせく生きてゆく。すると、いつのまにかそれが集積され、過去の追憶となる。それをかみしめることが幸福であるというわけ。
四角な宇宙
大学時代には時どき麻雀をやっていたが、卒業したあと昭和二十七年におやじが死んでから、私はパイをいじらなくなった。べつに殊勝な心からではない。父の仕事のあとしまつに忙殺されたためであり、それが一段落してからは碁に熱中したためであり、作家となってからは手ごろな相手がまわりにいなかったからである。
ところが最近、若いSF作家のあいだで、だれが火元か知らぬが、麻雀がはやりだした。私はただそばで見物していただけだが、ある夜、ひとり欠けた穴埋めのため、なにげなく加わった。まったく魔がさした瞬間といえよう。私はリーチをかけ、ドラ入りの四暗刻をつもった。リーチなんかかけることもないのだが、リーチもドラも知らない旧式の麻雀歴しかなかったのだから、いたしかたない。
それが病みつきとなり、月に二回ほどやるようになった。それからはあまり勝たない。月に二回では多いとはいえないが、みな自由業であり、SF作家には物事にとめどなく耽《たん》溺《でき》する性癖があり、はじめたら最後、十八時間以上にわたってつづいたりする。
酒を飲んだり、コーヒーを飲んだり、精神復活剤を飲んだりし、ばかげたジョークを飛ばしながらつづけるのである。こんな楽しいひとときはない。みなさほど強くなく、勝負にこだわってえげつなさを発揮する者もいないからである。
勝抜きトーナメント戦というのはよくあるが、勝敗によってでなく、気があい、いっしょに遊んでいて楽しい気分になるという条件での淘汰ということだってある。人生とはそんなものであろう。性格のあわぬいやなやつは排除され、ムードが共通しジョークの通じあう連中だけが自然に残る。
かくして残った四人が、エアコンディションの完備した室内で麻雀をするとしたら、これ以上のことはないと思う。エアコンディションも、タバコの煙が少しこもるていどの完備である。そのほうが感じが出るからだ。こうなると、そこには四角な小宇宙が形成されたといってもいい。そとでなにが起ろうと、それは異次元での出来事だ。
窓のそとでなにかざわめきが高まったとする。テレビでもつけてみろ、とだれかが言い、それによってニュース速報を知る。
〈有数の大企業であるG社が不渡りを出し、その関連銀行への取り付けさわぎに発展しました。この不安はさらに……〉
しかし、麻雀の四人は言う。
「うるさいな。大きな手でテンパイしたのだ。気が散るからテレビを切ってくれ」
「や、これはすまん」
もちろん麻雀のほうが重要なことなのだ。どこが不渡りを出そうが、自分が満貫であがれるかどうかのほうが、個人にとってははるかに切実なはずである。だれかがジョークを飛ばす。
「東《トン》きたりなば、南《ナン》遠からじ……」
麻雀むけのジョークというのがある。さっと発せられ、さっと通り抜け、あとに笑いを残すものである。思考を要求する考え落ちのたぐいは不適当だ。不適当もなにも、麻雀をやりながら伏線をはりめぐらした小話を考え出すやつもなく、それをじっくり聞いて感心するやつもない。麻雀という四角な宇宙には、現在という一瞬があるだけで、時間の幅、すなわち過去や未来など存在しないのだ。
どこかで車のサイレンが響く。
「消防車きたりなば、火事遠からじ、か」
だれかが言う。しかし、あまりサイレンがつづくので、またテレビをつけてみる。取り付けさわぎが発展し、銀行の前で人びとがわめいている。例によって、学生のむれと警官のむれとが加わり、それに輪をかけている。サイレンは警官隊輸送車のものだったようだ。
「学生きたりなば、警官遠からじ、か。そんなことより、麻雀だ麻雀だ」
テレビが切られ、パイの音がつづく。ツキの風の吹きまわしで、ひとりが大きく沈む。
「まるで、これは取り付けさわぎだ」
取り付けについての冗談が出る。しかし、そのうち取り付けとは、無一文の連中には無縁で金持ちが損する現象であると気づき、ばかばかしくなってジョークも他に移る。
ひとりに電話がかかってくる。革命の時が迫った、同志とともに決起してくれ、との内容である。しかし、その当人は電話口で、どうしても行けぬと出まかせの言いわけでことわる。当りちらしながら戻ってくる。
「やぼなやつだ。ひとのテンパイじゃまするやつは馬にけられて死ねばいいんだ」
「しかし、きみが革命グループに属していたとは知らなかったな」
「グループのやつらだって、おれが麻雀マニアとは知らなかったろう。そういうものさ。おたがいさまだ」
麻雀は進行する。こんどは、べつな一人に電話がかかってくる。右翼的な団体から、ぜひ行動に加わってくれとのさそいだ。やはり言を左右してことわる。
「きょうはどうかしているぞ。どうして、そとの連中はこう同じようなことを思いつくのだろう。赤きたりなば、白遠からじか……」
中《チユン》を捨てると白をつもり、他の役もあってみごと満貫。この四角い小宇宙は活気づく。ここの活気と、なごやかさと、楽しさ。そとにくらべ、どちらが好ましいかはいうまでもないことだ。
どこかで銃声がする。だれかがそれにつづけ、なにげなく「ばん、ばん」と口まねをする。他の者にたしなめられる。
「ポンとまちがえるぞ。気をつけてくれ」
「いよいよ、クーデターらしいな」
クーデターが話題になる。二・二六事件の時、遊廓にとまりこんでいた作家があったそうだと、だれかがうろ覚えの知識を話す。
「二・二六事件の時に、ふつか酔いだったやつもいたにちがいない」
「めしを食ってたやつもいる」
「トイレに入っていたやつもいる」
「ひそかにエロ本を読んでたやつだって、いたにちがいない」
「われわれはここで知的ゲームの麻雀をやっている。高級なものだ」
「しかし、なんで人は麻雀をやるのだろう」
「人いわく、そこにパイがあるからだ。パイいわく、ひと麻雀す、ゆえにわれあり……」
麻雀はつづき、点棒が動く。ひとりが不意に仕事を思い出し「すっかり忘れていた」と電話をかける。そして、にこにこと戻ってきて言う。
「電話してみたら、むこうは接収されちゃってた。しめしめだ。心おきなく麻雀がつづけられる」
空腹を感じた者があり、出前を取り寄せるべく電話をするが、それどころじゃないとことわられ、おこられる。
しかし、麻雀はさらに佳境に入る。腹になにかをつめこまないほうが、頭がさえ勘もよくなり、みな大きな手が出来はじめるのだ。こうなると、食事と麻雀とどちらを選ぶかといえば、わかりきったことだ。
「すごいテンパイだ。これであがったら、天地がひっくりかえるぞ」
それがあがる。とたんに大音響。そとで爆弾が炸《さく》裂《れつ》したのだ。電気が消える。みなは窓ぎわに卓を移してつづける。やがて夕やみが迫ってくるが、そんなことはだれも気にしない。麻雀に熱がこもるにつれ、神経はさらに鋭くなり、心眼が開き、暗やみでもパイの見わけがつけられるのだ。
〈そとへ出ないで下さい……〉
拡声機の車が告げながら走ってゆく。
「なにを当り前のことを言っている。銃剣をつきつけられたって、だれが卓から離れて外へ出てなんかやるものか」
そして、夜がふけ、夜があける。まぶしさのため、窓にシャッターをおろす。依然として麻雀はつづくのである。
ヘリコプターが機銃掃射をしようが、戦闘機が急降下し爆弾を落とそうが、物事に没入している時には騒音など気にならないものだ。
「ぴっから、ちゃっから、どんがらりんと振り込んじまったぜ」
「戦争きたりなば、平和遠からじ、さ」
「そのギャグは、もうあきたぞ」
さらに麻雀の時が流れ、夕方となり、夜となり、朝となり……。いや、好ましいことへ熱中していると、日時など消失するのだ。
ここを訪れる者もなく、ここから出てゆく者もない。麻雀だけがはてしなくつづく。この四角な小宇宙は外界を拒否しているのだ。となると、外界だってこの小宇宙を無視する。外界にとって、この四人は存在していないのだ。
と、まあ、こんなストーリーを考えついた。悪くないようである。人物や細部の描写にくふうをこらせば、時代を象徴する感じの作品に仕上がるかもしれない。
そこで書きはじめたのだが、どうも思うように筆が進まぬ。なぜかと考えてみると、麻雀にあるらしい。麻雀をやらぬ人には、なんのことやら理解してもらえないのである。反発を受けるかもしれない。これは私の執筆方針にあわぬのである。
しかし、作家が商売ともなると、このまま捨ててしまうのも惜しい。麻雀にかえてべつな小道具を出し、人物の数もへらして短編に書きあげた。普遍性のあるものにはなったが、迫力は予想したより少しへったかもしれぬ。しかし、それは仕方のないことだ。方針は尊重する主義なのである。
あとがき
最初にまとめた私のエッセイ集は「きまぐれ星のメモ」で、昭和四十三年五月に読売新聞社より刊行された。現在は角川文庫に収録されている。私の作品がはじめて商業誌にのったのが昭和三十二年の秋(三十歳)だから、作家になってからの十年間のエッセイがそれにおさまっている。まったく、少ないものである。
なんとかこの道で食ってゆけるようにと、もっぱら小説に力をそそいでいたのである。また、エッセイとは、あるていど名が知られるようにならないと、注文がこないものなのだ。
昭和三十六年にはガガーリン少佐の乗った初の人間衛星が地球の大気圏外を回ったり、三十九年には東京大阪間に新幹線が開通したりしたが「それをあつかったショート・ショートを」といった依頼が多く、論評的なエッセイを書く機会はあまりなかった。
それに、短編の書き方はいくらかわかりかけてきたが、エッセイとなるとどう書いていいのか見当もつかなかった。妙な話だが、当時は事実そうだったのである。短編小説となると、執筆の参考にと、古今東西をとわず読みあさり、碁の基本定石をおぼえるごとく頭にたたきこむようつとめた。しかし、すぐれたエッセイや社会評論などを熱心に読むひまはなかったのである。
そのためかどうか、追憶、私なりの考え方、身辺雑記のたぐいが多い。社会風俗や時事問題にふれたものは、ほとんどない。いま読みかえしても、さほど古びていないようだ。もっとも、昭和三十九年に書いた海外旅行記だけはべつである。海外旅行がまだ一般化していなかった時期で、いまではだいぶ事情が変っている。
二冊目のエッセイ集がこの「きまぐれ博物誌」で、昭和四十六年の一月に河出書房新社より刊行された。つまり、昭和四十三年から四十五年までの三年間に書いたものである。
読みかえしてみて、まずその量の多さに、われながら驚いた。今回、角川文庫に収録するに際して、二冊に分けなければならなかった。世の中にはもっとたくさんエッセイを書く作家もあるが、他人のことはどうでもいい。まったく、よく書いたものだ。
なぜそうなったかというと、ひとつには好調だったといえそうである。四十三年は四十一歳。気力も体力も充分で、無理がきいた。このころ、ある雑誌に「声の網」という長編を連載したし「進化した猿たち」というアメリカの漫画の分類紹介のエッセイの連載もやっていた。そのほか、短編の注文はたいていこなしていた。働きざかりだったわけである。
また、世の情勢が私へのエッセイの注文をふやした。私が作家になって以来、日本は徐々に経済成長をつづけ、それが当然という考え方が定着してきた。コンピューターが普及しはじめ、レジャーブーム、未来ビジョンという言葉が使われるようになり、昭和四十三年ごろには、マスコミがバラ色の未来論をさかんにとりあげることとなった。そして、四十四年にはアポロ11号によって、人類がはじめて月へ着陸した。さらに、四十五年は大阪における万国博覧会である。
日本じゅうがだれもかれも、なにかに酔っていた時期である。いま思い出しても、いろいろと楽しかった。私はSFと未来論とは別物だという考えの主だったが、注文するほうは、おかまいなし。そんなたぐいのエッセイの依頼がいろいろとあった。
それに応じて書いたわけだが、私はあまのじゃくな性格である。バラ色未来学に調子をあわせるのも気が進まず、けちをつけるようなことのほうが多かった。公害を強調したりしたのもそのためである。いま読めば常識的かもしれないが、そのころはまだ、軽く考えている人が大部分だった。
「きまぐれ博物誌・続」には、下北半島への旅行記が収録されている。そのご、むつ湾ではホタテ貝の養殖がさかんになり、そのあげく原子力船の母港を返上することになった。みなさん、ご存知の通りである。しかし、訪れた当時の印象ということで、文庫におさめるに際し、削除せずそのままのせることにした。エッセイ集に手を加えはじめたら、きりがなくなってしまう。
すなわち、本書は昭和四十三、四、五の三年間、社会はにぎやかであり、私も働きざかりであった時期のメモとして読んでいただきたいというわけです。
昭和五十一年五月
著 者
きまぐれ博《はく》物《ぶつ》誌《し》
星《ほし》 新《しん》一《いち》
-------------------------------------------------------------------------------
平成14年4月12日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社  角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
(C) Shin-ichi HOSHI 2002
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『きまぐれ博物誌』昭和51年6月10日初版発行