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もういちど走り出そう
川島 誠
目 次
0 スタート
1 ミッドソール
2 LSD
3 ジャグジー
4 ストライド
5 ディップ
6 トラック
7 ヴィッテル
8 ハムストリング
9 コーナリング
10 インタヴァル
11 ハードル・クリアランス
12 メンタル・トレーニング
13 スタジアム
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0 スタート
スターティング・ブロックが、傾いてきた太陽の光線を反射して鈍く輝いていた。一度、膝《ひざ》の屈伸をしてから太腿《ふともも》を下から上へと叩《たた》く。
「位置について」
スターターの合図。
インターハイ、四〇〇メートル・ハードル決勝。高校生活の最後のレースだ。
オールウエザーのラバーのトラックにひかれたライン際に両手を固定する。そして脚を大きく後ろに蹴《け》り上げてからブロックに合わせる。
準決勝の時と比べて、スターティング・ブロックの位置を、こころもち、一センチほど前に出した。早い、そして強い飛び出しがしたかった。
スパイクの底のプラスティックとブロックの金属の当たる感触。
「用意」
腰を上げる。両手の真上に両肩がきた姿勢で停止する。足の裏をブロックに密着させる。できるだけロスのないように、水平方向への力を得なければならない。
ピストル。
強くスターティング・ブロックを蹴る。ひきつけた後ろ足で、すぐに第一歩、スパイクのピンが弾力のあるトラックをとらえる。
いいスタートだ。
徐々に加速、上体を起こす。外側のレーンを走る選手の背中が近づいてくる。距離がつまっているのだ。
一台目のハードルまでは四五メートル。このアプローチ走を二十二歩で走りきる。その間に、なめらかに最大速度まであげてスピードに乗らなければならない。
そう、ハードル種目で特に重要なのは、からだの調整力だ。ひとつひとつの動作をバランスよく、なめらかに行うためにはリラックスする必要がある。
コーナーに置かれた第一ハードルが近づく。最後の一歩は少しだけ短く、予定通りの歩数で右足で踏み切る。腰の回転に乗せて上半身を前傾させる。
そのときには、視線はすでに次のハードルをとらえていた。
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1 ミッドソール
新しいスポーツ・シューズに紐《ひも》を通すときというのは、なんともいい気分がする。革の刺激的な匂い。靴の内側に手を入れるとわかる、みずみずしく弾力のあるクッションで暖かくホールドされる感覚。
それは、どこかヴァージンの女の子と寝るときと似ている?
プラスティックが巻きつけられて固くなっている靴紐の先を、同じようにプラスティックで補強された穴に突き刺す。紐を通していくと、まだ一度も走ることに使われていないシューズが、だんだんと靴らしい形になっていく。
私は、少なくとも自分では処女だと主張していた三人の女の子との場合を思い出そうとしていた。記憶の底。
リビングのフローリングにすわり込んでいる私の視界を、妻が横切った。バスローブをはおっている。髪を上げて留めていて、壁際に設置されている間接照明からの柔らかな光線にさえも、彼女の濡《ぬ》れたうなじが一瞬きらめく。
ヒューッ、と口笛を吹いてもおかしくはないところなのだろう。ある種の安易につくられた青春映画の一場面、私が頬にニキビの少年ならば。
そう、彼女も、その三人のうちのひとりだったのだ。ワイングラスに注いでいるのは、シュウェップスだろうか。冷蔵庫のドアを閉じる音。
シャワーケープと呼ぶほうが正確な、ごく短い丈のバスローブなので、裾《すそ》から彼女のヘアがほんの少しだけのぞいていて、それとその下に続く彼女の脚は、たぶん最初に出会ったころからあまり変わっていないはずだ。
でも、私には、彼女とのことを思い出すのが、いちばん難しいかもしれない。
つやのある濃い色をした木の床の上に、紐を通し終わったシューズを置いた。美しい。靴というものは、それだけで間違いなく美しい。
それが、どこかのギャラリーに配するオブジェででもあるかのように、私は目の前に置かれた左右のシューズを微妙に動かし、位置を慎重に決定する。ヴァージンの女の子などという比喩《ひゆ》は、意味をなさなくなってしまった。
そうだ、言葉をあやつるのは、私の仕事ではない。私の職業は、歯科医だ。三十六歳にもうすぐ手がとどこうとしている歯科医。
だからといって、別にどうということはない。私は、二十代だとか三十代だとか、自分の年齢に必要以上の思いを込めるような、センチメンタルなタイプの人間ではない。アメリカでは三十六からをミドルエイジ、中年と呼ぶ習慣があると最近新聞で目にしたけれども。
もっとも、十代のころは、三十六歳の自分をイメージすることは出来なかった。人間は、きっと、そんなものなのだと思う。想像力というのは、現実に比べて絶対的に劣っているのだ。確かなのは、治療済みの歯に燦然《さんぜん》と輝くブリッジであり、きっちりと紐の通されたシューズなのだ。
シュー・レイシングには、主として四通りの方法があったはずだ。私は、常に穴の上から下へと左右均等に通していくやり方だった。
ここ数年、スポーツ・シューズを買うこともなかったのに、指が覚えていた。当時から細かい作業において比較的器用な動きを示し、現在は訓練の結果、私を職業人として成り立たせてくれている私の指が。
私は、高校では陸上競技部員だった。最終的に専門としたのは、四〇〇メートル・ハードルという一般にはあまり知られていない種目だ。
これも、短く口笛を吹いて、顔を左右に振ってみせるぐらいには値するだろう。陸上競技場のあの四〇〇メートルあるトラックを一周しながら、十台のハードルを越えるのだ。心臓や肺にとっても筋肉にとっても、ばかばかしいくらいに苛酷《かこく》で、まあ、ふつうは、わざわざやろうとは思わない種目だ。
そして、私は、その四〇〇メートル障害で、インターハイで三位に入賞した。十七歳のときのことだ。
それは、もう十八年も前になってしまった。ゴール脇の審判台が芝生に落としていた黒々と濃い影だとか、観客席の最上段で横になって見上げた空だとか、スタジアムの隅に回り込んで吹く風の匂いまでも覚えているというのに。
私の体力の、おそらくはピークであったろう十七歳。もちろん、トレーニングを再開することで、その時点に戻せると私が考えているわけではない。たとえ床の上に静かに展示されているシューズが、私の大脳のある部分を興奮させる刺激信号を送っていようと。
私は、片手にひとつずつ靴を持ち、玄関まで運んでいった。足を入れ、紐を結ぶ。娘のサンダル、小さな、この世のものとは思えないほど小さなサンダルをそっと隅に移し、スペースをつくった。
膝《ひざ》の屈伸。アキレス腱《けん》を伸ばす。足の甲が少し痛んだ。紐がきつく締まりすぎているような気もする。調整が必要だろうか。
ハイ・カットのシューズを選んだせいというだけではなくて、全体にすっぽりと包み込む感じが、私が現役だったころの靴より強い。
実は、スポーツ・ショップの棚を見渡したとき、私は大多数のシューズのカラーリングに同意できないでいた。
スタイルは良いのだ。色とその使い方、デザインの問題だ。派手というより、無駄な装飾が多い印象だった。
螢光色のタイプを避け、いま履いているホワイトと落ち着いたパープルのシューズを選択するまでには、ある程度の時間がかかっていた。私は、アシックスがまだ鬼塚タイガーと名乗っていたころのスパイク・シューズが持っていた、あの緊張感を覚えているのだ。
「無理しないでね」
妻は光沢のある白のシルクのパジャマを着ていた。ちょっとした動きにつれて、乳首のところだけがうっすらと濃くなったり薄くなったりするのがわかる。
彼女は、いまにも、あくびをしそうだった。かつて先頭でホームストレートに帰ってきてハードルを跨《また》ぎ越す私に、スタンドから声援を送っていたときの目を期待するのは、もちろん、贅沢《ぜいたく》なことなのだろう。
寝てていいよ。一時間ぐらい走るつもりだから、と言って、私は鍵《かぎ》を見せた。
「鳴らしてくれたら開けるのに」
彼女は、少し不満そうに、しかし、私に向かって軽く手を振る。深夜、久し振りに走り出そうとする夫に向かって。ドアを内側からロックしてくれる音がした。
私がわざわざキーを持って出たのは、マンションのオート・ロックのドアの前で解除を待つ数秒があまり好きではないからだ。それは、何か自分がとてもまぬけになった気にさせられる。
エレベーターを降り、エントランスを擦り抜け、夜の街に走り出た。一瞬に冷えた新鮮な空気に包まれる。
私の身長は一八六センチ、体重は七八キロ。十七歳のときの体重は、ほぼ六七キロ前後だった。だとすると一〇キロの余分な重さ、あの牛乳の紙パックを十本も背負って走っている。とんでもないことだ。
しかし、クッション性の良いミッドソールは、しっかりと私の体重を受け止め推進力に変換する。いまのところ高校のころとさほど変わらずに、軽く走れている気がするのだけれども。
全国大会の三位という成績は、スポーツ推薦での基準をいくつかの大学で満たしていた。実際に勧誘もあった。でも、私は、それ以上ランナーとして競技を続けるつもりはなかった。
そのインターハイでの順位ぐらいが自分の限界であることがわかっていたのだ。それだって、地域予選でのタイムからすれば、出来過ぎのレース展開だった。
競技から引退した翌年の春、歯学部を受験した時点で、私は、高校の同級生で歯科医のひとり娘である妻との結婚を決めていた。十八歳での決断だ。
なんという軽はずみな。
いや、私は、軽はずみだとは思わなかったし、今も、後悔はしていない。それなりの恋愛に関するいざこざがその後あったにせよ、大学を卒業して二年で私たちは結婚した。
彼女の父親の経営する歯科医院にしばらく勤務したあと、私は独立した。私鉄の駅のコンコースから直接に伸びる通路に面しているビルの最上階のフロアに、美容院かエステティックサロンと見間違うようなクリニックを開業したのだ。
虫歯の治療は当然の業務として、私はその予防、そして何よりも口腔《こうくう》内の美容に重点を置いた。いかに美しい歯と歯茎を作り上げ維持していくかということに。もちろん、保険外診療がかなりの割合を占める。
クリニックのある駅は、後背地として高級住宅街の拡がる丘陵を持っていた。婦人たちのティー・パーティで予約が取りにくいことが苦情として話題になるくらい、現在すでに私の店(と敢《あ》えて呼ぼう)は流行《はや》っている。
確かに、義父の診療所の分院の形式をとり、その顧客を継承できたという幸運はあった。私たちの業界では、口コミによる信用が商売の成否の大きな鍵となるのだから。
しかし、私は、私の手になる、時代の情勢に見合い地域に適合した経営方針、つまりはマーケティングの勝利を主張したいのだが。
仕事はうまくいっていた。妻は美しい。娘は健やかに成長しつつある。すべてが順調だった。
三台ある診療用のチェアーを飛び回る、サーカス的とも言えないこともない仕事を終えた私は、クリニックからの帰り道、ボルボのハンドルを握って微笑むことができた。
私の人生は成功だ。
そうだ、私は、ずっと、そう考えていたのだ。成功した人生。それも絵に描《か》いたような。いや、比喩などというものは、妻にまかせておこう。
ある日、いつもと同じように仕事から帰った私に向かって、彼女は言った。それが彼女の好みの赤ワインだったために今晩は適量を少し上回ってしまった、というときのように頬を染めて。
「ねえ、賞をとったのよ」
私は、彼女のお気に入りの映画か何かが、優秀作にでも選ばれたのだろうと思った。そんな選考が行われるシーズンだっただろうか、と考えていた。
「違うのよ。私なの。新人賞」
私は、妻が、小説を書いていることを全く知らなかった。
彼女は私に何も言わなかったし、原稿などというものがテーブルに置いてあったりして眼に触れることもなかった。彼女は、隠し通すという点においては完璧《かんぺき》だった。
「だって、恥ずかしいじゃない」
彼女は、さらりと、そう答えるだけだ。純文学の伝統のある新人賞だという。
純文学?
私は、小説は読まない。読むのは、当然、専門とする歯科医療の分野の書物や雑誌、紀要のたぐい。そして、趣味と呼ぶことができるのかもしれない建築や船に関するものが中心になっている。
私が欲しいのは事実、ファクトなのだ。フィクションには興味がない。
確かに妻は文学部に通っていた。英文科だったが、そんなことにはふつうは何の意味もないだろう。医学部や歯学部、あるいは工学部、教育学部のような職業に就くための実学的なものというのはわかる。
しかし、研究者の養成ということを除いたら(そして、おそらくその機能はほとんど果たしていない)女子大の英文科などというものは。
そんなに私はいぶかしそうにしていたのだろうか。
「これが、私が昔からしたかったことなのよ」
言い訳するように、彼女は、そう言った。
昔から、したかった? 私と出会った、高校生のあのころから?
一戸建ての並ぶ、いまは人通りも見られない住宅街を私は選んだ。私は夜の街が好きだった。明りがついていたりいなかったりする家々。角を曲がると、闇に溶け込むように静かに音楽が流れ出ていたりする。
陸上部員の私は、トレーニングとして、いつも、夜の街を走っていたのだ。それは、昼間のグラウンドでする練習とは、どこか本質的に異なっていた。夜の街を走る私は、何ものにも束縛されることのない、ただ走るためにのみつくられた肉体を持つ、ひとつの生き物だった。
私は、感傷的になっているわけではないだろう。それは、きっと、久し振りの心拍数の増加のせいだ。一歩一歩アスファルトを踏みしめ、私は走るという行為の持つ感覚を確認する。
あれは、地方ブロックの大会のレースのあとのことだった。
私は、その日、朝から微熱があり体調がすぐれなかった。その熱というのが、本当に私の身体に起きているなんらかの異変を示すものなのか。あるいは、試合を前にした緊張からくるものなのか。私は測りかねていた。
食事を摂《と》りながら、サブ・トラックでウォーミング・アップの一環のストレッチングをしながら、私は試合に集中できないでいた。そんなことは、競技生活で初めてだった。
しかし、結果としては、その決勝では二位にはいり、私は全国大会への出場権を得ることができた。県大会と比べたら、タイムはかなり見劣りするものであったけれど。
そのあと、私は、顧問には親戚《しんせき》の家に顔を出すとことわって、彼女が待っているホテルへと向かったのだ。顧問といっても、陸上競技の経験があるわけではない。スポーツが特に盛んではない県立高校の若い社会科の教師だった。
いいかげんな言い方をすれば、むしろ、そんな高校に間違って私のようなレヴェルの選手が現れてしまったことに、彼は戸惑っていたのではないだろうか。これは、いまの私の年齢になって言えることなのだが。
レースが終わってしまえば、たったひとり引率してきた選手である私が何をしようと、彼にはかまわない。むしろ、それは彼にとってもおそらくは望ましいことだったのだろう。私はすぐに外出を許された。
彼女の方では、クラスの女の子との旅行という理由で、その週末、家を出ていた。彼女は言っていたはずだ、おかあさん(というのは、もちろん、現在の私の義母のことだ)はね、あなたの応援に行くのに気づいてて知らないふりをしてるみたい。
スタジアムは城跡の運動公園内にあり、彼女のホテルは堀に面していた。私は急いでいたのだ。先に部屋に戻って待っている、と言っていた彼女に会おうと。
そのとき、私は、筋肉に張りはあったけれど、レースの疲労の蓄積は感じていなかった。むしろ、からだが軽くなった気がしていたのは、やはり、緊張からの解放だったのだろうか。橋を渡りながら眺めた、堀の緑に澱《よど》んだ水面を覚えている。
ノックすると、彼女の、どこか遠くで返事しているような声が聞こえた。私であることを確かめてから、彼女はドアを小さく開けて招きいれた。
「早くして」
と、かすれた声で。
そのまま廊下で立ちすくんでいる私の腕を引いた。万一、見られることを恐れたのだ。
彼女は全裸だった。
私は部屋の中にはいってはいるものの、入口のところで立ち止まったまま彼女を見つめていた。彼女の胸。下腹部に小さく固まっているように見える彼女のヘア。
すでに何回か彼女とのセックスはしていたけれど、私は、初めて彼女の裸を見たような気がした。
「わあお。インターハイ出場、おめでとう」
私の視線からのがれたかったのだろうか。彼女は、わざと大袈裟《おおげさ》にそんなふうに言うと、自分から私の首に腕を巻きつけて、キスした。
何が彼女をそんなに大胆にさせているのか、私にはわからなかった。
彼女は、
「ごほうびね」
その場にしゃがみ込むと、私のジーンズのファスナーに手をかけた。
私は、決勝が終わり、クーリング・ダウンをして表彰を受けたばかりだった。シャワーも浴びていない。
腰を引く私を押さえるようにして、彼女は初めて私のペニスを口に含んだ。
さて。
私は、ジョッグを切り上げようと思う。まだ予定の一時間には満たないかもしれない。けれども、もう、充分な汗だ。
私は、運動をしている自分がここちよかった。走っているころの私、十七歳の私でマンションに帰りたかった。
そんなにも、かつて私は妻を愛していたし、彼女も私を愛していたのだ。十八年前の私たち。
ドアのキーをそっと回転させた。娘を目覚めさせないために。忍び足で浴室にはいる。
シャワーを浴びているときから、私のペニスは硬直していた。今晩は、裸なのは私の方だ。私はバスタオルを軽くあてただけで夫婦の寝室に向かう。ペニスを勃起《ぼつき》させたまま。
私は笑いそうになっていた。深夜に一角獣のように(これも比喩《ひゆ》だ)なった私が、妻のもとへと急ぐ。ベッドに横になっている彼女を、私のペニスでピン・ホールドするのだ。昆虫採集の蝶《ちよう》のように(そして、もちろん、これも比喩だ)。
寝室のドアをあけて飛び込み、照明のスイッチをオンにした私の前に、彼女はいなかった。
サイド・テーブルにメモがあった。
「編集の方が近くに来られてて、是非ということなので出かけます。毬子は実家に預けます。すぐに帰れると思いますが」
マンションの駐車場の横を走って通りながら、私は彼女のプジョーがなくなってることに気づかなかったのだ。
あわてていたようで、妻のベッドの上には、選択に迷ったらしい服が、いくつか放り出されていた。名前は知らないが彼女が最近好んで用い出したコロンの香りが漂っている。
ベッドの足もとの方に置いてあった布地を、私は手にした。それはハンカチーフと間違えてしまいそうなシルクのパンティだった。つい先ほどまで身につけていたはずの。
十七歳の私だったなら、彼女の体温と湿度が残っているランジェリーでマスターベーションすることも可能だったかもしれない。
でも。
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2 LSD
斜面の緑を、長い時間にわたって鮮やかに際立たせていた陽射し。しかし、それも、あらゆるものの色を変化させる夕刻の瞬間を経て、すでに陰っていた。しばらくすると家々に明りがともりだすだろう。
古い開発のため樹木が多く残り、旧式の洋館の白い壁がその合間に見え隠れする丘陵を眺めるのが、私は好きだった。それはクリニックの大きくとられた窓いっぱいに拡がっている。
私は背筋を伸ばし、右手の甲で強く数回、腰椎《ようつい》のあたりを叩《たた》いた。白衣の上から。
カルテを二、三通、胸の前で抱えたアルバイトの大学生が、見ちゃいましたよ、と知らせるように、クスッと笑って通り過ぎた。
少し首を傾けて微笑むしぐさ、下手をしたら媚《こ》びを売っているようにもみえかねない危うい仕種《しぐさ》を、彼女がとても上品にすることに私はいつも感動していた。
私のクリニックには、歯科衛生士と、その他に彼女のように受付や簡単な事務の仕事を交代でしている大学生が数名いた。全員、十代の終わりから二十代の若い女性のスタッフだった。
そう、あくまで品がある、上品だというのが、私が彼女たちに対して持つ採用の第一の基準になっていた。手作業などが遅くてもかまわない。客の話を礼儀正しく辛抱強く聞き、相手の要望に的確に応じられること。これが、高収入層を対象としている私のクリニックに勤務する条件だ。
私は、もう一回、強く腰を叩いた。腰痛と呼ぶほどひどいものではない。だが、私の腰は、彼女たちと私の間での格好の冗談の対象になっていた。ああ、腰が痛いなんてね、もうすぐ三十六だから、中年だね。私はそんなふうに笑い返すことにしていた。
どんなに診療用のチェアーが改良されようと、歯科医の仕事は基本的に患者に対してかがみ込む姿勢を取り続けねばならない。ストレスは腰にたまる。
歯科医の会合では、実際、年齢とはあまり関係なく、腰のトラブルの話題が多かった。そういうとき、腰痛の経験者たちの多くは、我々の仕事は肉体労働だからね、と言い合っては話を終える。首だとか背中、下腹部のあたりに脂肪のべっとりとたまった肉をだぶつかせながら。
そんな会話の仲間に加わりたくない、というのも私が運動を再開した理由のひとつだったのだろうか。
「五時二〇分からの広田さんが、キャンセルになりました。あの、コーヒーでよろしかったでしょうか」
特徴のある高くて細い声、さっきのアルバイトの子だ。
ありがとう、と私が返事をすると、それまでの不安そうな表情が、瞬時に解ける。彼女の顔全体に、ぱっと喜びがひろがるのがわかる。
私のデスクにソーサーに載ったカップを置こうとして、前かがみになった彼女の淡いピンクの制服の隙間から、涼しげな白い肌がのぞいた。くっきりと浮かんだ美しい鎖骨を横切って、切れないでいるのが不思議なくらいに細いランジェリーの紐《ひも》が見える。
水野さんも、みんなと休憩にして、と私は声をかけた。コーヒーの香りが拡がる。
「あ、はい。すみません。そうさせていただきます」
彼女は銀のトレイを両手で持ち、私を見つめて会釈する。すでに彼女の鎖骨は白衣の下に隠されてしまったけれど、私の眼にはその残像が焼き付いている。
彼女は、クリニックに勤めはじめて、三か月ほどになるはずだ。週に勤務に入る回数はそう多くはないが、ミズノと親しみを込めて、呼びつけにされていて、歯科衛生士や他のアルバイトの大学生の間でも評判がよいようだった。
私の場合は、彼女に限らず、みなごくふつうに敬称をつけて名字を呼ぶことにしている。それは彼女たちとの距離を保つためだ。
独立してこのクリニックを開業してようやく二年、美容をメインとするシステムは現在のところ順調に作動していた。それほど年の離れていない女の子たちと仕事を円滑に運び、好調な状態を維持していくためには、私がちょっとは老成した雰囲気で事務的な態度を示す必要がある。
彼女たちに尊敬されたいとか、ましてや威張りたいわけではない。商売の上での都合なのだ。私と彼女たちが友だちのように馴《な》れ合っている雰囲気というのは、確実に患者に伝わるだろうから。
でも、私は、去っていく後ろ姿に、ミズノと呼んでみようかと、初めて思う。
髪を上げてまとめているときの彼女の耳の形の美しさも、清潔な印象を与える細くて長い指も、膝蓋骨《しつがいこつ》の存在が意識されないきれいな脚にも、とっくに気づいていたのだが。
しかし、ともかく、ここは私の職場だ。神聖な、などとは言わないが。
私はコーヒーを口に含む。苦みが強いタイプが私は好きだった。私は歯科医として、職業人として成功したい。デスクに重ねられた書類の束から、次に予定されている患者のカルテを取った。
窓から丘陵を眺めながら、私は考えていた。私がこの景色を楽しむのは、おそらく、それがヨーロッパのどこかを思わせるように美しいという理由からだけではないのだろう。いまでは、すっかり明りがともっている、その家々には私の顧客たちが暮らしているからなのだ。それぞれの歯を、毎日の咀嚼《そしやく》運動で、ごくわずかずつ磨耗させながら。
でも、もう、そういったことはいいだろう。仕事の時間は終わったのだ。
私は、ランニング用のシューズを履く。走るのを再開してから二足目のシューズ。最初に購入したものよりもまだ重くて、片足で三六〇グラムもある。
つまり、セイフティ・タイプの、底が厚くてクッション性と安定性をさらに重視したものに代えたのだ。ジョッグの距離を延ばすには、そうする必要があった。
こうやってビギナー向けのシューズを選択できるのが、私の偉いところではないだろうか。
そう考えて、私は微笑みたい気分になった。それが自分にとってどんなに不愉快なことであれ、現実を直視する能力が私にはある、という意味で偉いということなのだが。
たとえ、かつてインターハイの四〇〇メートル・ハードルで三位になったとしても、十八年間はまともに走ってはいなかった。現在の私は、ひとりの初心者のランナーに過ぎないのだ。過去の記憶から、タイムの更新をめざすレーサーのための靴を履いたなら、それはかなりの確率で故障を招く原因となるだろう。
この程度の、むしろ運動の理論からみれば自明なことで自分を褒めるような軽口を叩くのは、思慮深くあろうとする人間のすることではない。だが、ともかく、私の心は、それだけ浮き立っていたのだ。
もちろん、それは、勤務が終わり、ジョッグ用のシューズを履いたためだ。私は、紐を結びながら、さきほどの水野さんとの会話を思い出してしまう。
帰りの挨拶《あいさつ》をしにきた彼女は、
「今日、下に、先生のお車、なかったんじゃありません?」
と大きな目で言った。
そう。うちまで走って帰ることにしたから、と私は返事した。そのときには、すでに、私の顔の表情は緩んでいたのではないかと思う。
「えー。どのくらいかかるんですか?」
彼女は、身体をのけぞらせるように驚いてみせた。しなやかな、十九歳の、あの鎖骨から続く身体を。
それは勤務中にはない打ち解けた態度だった。クリニックが閉まり、患者がいなくなったことで、彼女は緊張から解放されたのだろう。
ユニフォームを脱いだこととも関係があるのかもしれない。いまの私のシューズの場合と同じように。ひとの気分というものは、身につけるものによってそのかなりの部分を規定されるのだろうか。
私は、クリニックから走って帰るというアイデアが、水野さんに話すことで、いっそう楽しい、卓抜なものに感じられだしていた。ひとりボルボのハンドルを握りながら、それを思いついたときよりも、ずっと。
「ここ、だいじょうぶです?」
彼女は、手を伸ばし、デスクに向かって事務処理をしていた私の腰に軽く触れた。彼女のウェーヴのかかった髪が、一瞬、私の肩から首にかけて走る。いままでにはないことだった。
ブラウスとミニスカートでカーディガンをかかえた彼女が、私のすぐ横に立っている。勤務中にはつけていなかった彼女の香りが感じられる。
私は、たぶん、平気。五〇分ぐらいはかかるかな、と答えた。
「お気をつけてくださいね。夜で車から見えないといけませんし」
彼女は、いつもの控え目で上品な彼女にもどっていた。私のことが本当に心配だ、という表情。でも、それは、彼女の持って生まれた性格の良さなのだろう。おそらく誰に対しても見せる態度なのだ。
そして、そういうことに気づくのが、私の偉いところなのだ。それが何になるのかは別にして。
私は、かがみ込み、クリニックの表のドアの、床にセットされる補助のロックに鍵《かぎ》をかけた。横で歯科衛生士の沢木さんが、おもしろそうにながめている。
私の全面的な信頼を得、クリニックの運営の細部にまで精通している(実際、アルバイトの女子大生に対する勤務の指示など、私の方が知らないことも多い)彼女にして、初めてウォームアップ・スーツ姿の私を眼にするわけだ。
一緒にビルの通路をエレベーターに向かう。
「私の車で伴走しましょうか? 駅伝みたいに」
彼女にせよ、水野さんにせよ、当然、私が現役のアスリートだったころのことは知らない。だから、その心配は無理もないのかもしれない。私にしてみれば、クリニックからマンションまでぐらいの距離は、すでに家の付近のジョッグで経験済みだ、と胸を張れるところなのだが。
しかし、水野さんには五〇分と言ってはみたものの、どのくらいかかるのかはわからなかった。実際、走り切れるかどうかも自信はなかった。距離が六、七キロあるのはかまわない。問題は、かなり急な上り坂が続くことなのだ。
私は手を振って沢木さんに別れを告げ、階段をいくつか駆け降りると、街に出た。
駅前とはいえ、最初から住宅地として開けた郊外の駅だった。商業ゾーンから一本はいるだけで、閑静な住宅街になる。車の通行も少ない。
いまは、ちょうど電車が着いたところなのか、結構、帰宅途中の人の流れがあった。私はそのひとたちの横を擦り抜け、追い抜くようにして走る。
できるだけリラックスするのだ。LSD(Long Slow Distance)でよいのだから。
かつて高校の陸上部時代に、私は左膝《ひだりひざ》の腱《けん》を痛めていた。ハードルを越え着地するときの衝撃のためらしかった。
だから、私は、走るのを再開したとき、膝には細心の注意を払っていた。ところが、距離と時間を延ばすにつれて、冗談の材料程度だったはずの腰の重苦しさが、徐々に現実の問題として不安になってきていた。
歯科医師会での病気自慢に参加しないのをひとつの目的としてエクササイズを始めて、それが逆に職業病を誘発してしまったというのなら情けない話だ。
しかし、私は、その左膝のせいでスポーツにおける障害には慣れていた。また、専門が口腔《こうくう》内とはいえ、身体について、それなりの学習を積んだ人間なのだ。様子を観察しながらトレーニングの強度を調節することは可能だろう。
帰りはクリニックから走ることにする、と私が言うと、妻は、
「なんで朝も走って行かないの?」
と、皮肉っぽかった。
昨夜のことだ。そう言いながら彼女は、原稿用紙を裏返した。
彼女の小説というものを、まだ、私は読ませてもらっていなかった。雑誌が出たら、それで読んで欲しい、と彼女は言う。
「原稿のコピーで、手書きの文字を見られるのは恥ずかしいのよ」
私に、お願いだから、と頼むように告げる彼女は、確かに恥ずかしそうにしていた。
そういう感じ方が小説を書く人間にとって自然なものなのか、それとも私の妻が特別なのか、いずれにせよ、私にはまったく想像が及ばない世界なのだが。
そして、新人賞が決まったばかりだというのに、彼女は、もう二作目を書いている。
彼女の言うように、行き帰りの両方とも走るのが理想かもしれない。でも、朝に走ったあとで、私は、私の考えるレヴェルでの治療が行えるかどうか、自信がなかった。
私は、今朝、私鉄の支線から接続駅で本線に乗り継ぎ、はるばるとクリニックにやって来たのだ。彼女のプジョーで送ってくれたなら、時間的には半分以下だったと思うのだが。
彼女がいつになく私に冷たかったのは、それまでに、ちょっとしたいさかいがあったためだった。それは、私が彼女の実家に顔を出さない、ということから始まった。世間によくある話だ。
私は、いま、義父に会いたいとは思わない。
義父は学生時代、陸上競技の選手だった。しかも、ハードルだ。
同じハードラーなら、それだけですぐにも心を許すような無邪気なところが、彼にはあった。それは、大人の男について、狭い範囲でしか知識を持っていなかった私を驚かせた。妻が私を義父に紹介した、高校生のころのことだ。
距離は違っていた。私は四〇〇メートル。彼の場合は、一〇〇メートルだったという。まだ一一〇になっていない時代。
そんなレギュレーションのレースがあったということさえ私は知らなかった。いま考えても、怪しい神話時代の話のように思える。
しかし、なんであれ、私たちはハードラーだ。(現時点では、もちろん、正確には、ハードラーだった、と言うべきだが。両者ともに)
義理の父と義理の息子の、ふたりのハードラー。娘しか持つことのできなかった男の長い間の夢を実現させた、ハードラーの息子?
しかし、義父と私は歯科医としての営業方針が異なっていた。
遅れていた内装の一部の工事がようやく完成し、設備の搬入を終えた日だった。それまで建設中のクリニックを訪れることのなかった義父は、ホテルのロビーのような待合室を落ち着かなそうに見渡した。
中間色のソファ。絞った音量の有線放送のBGMが流れる。
義父は、すぐに、診察室へと足を向けた。彼の興味は、私がリース契約をしたモリタの最新鋭の治療ユニットにしかなかったのだ。
彼は、全体を一瞥《いちべつ》する。
治療のための機械装置と患者が横たわるベッドからなるユニット。それらは機能的に無駄なくデザインされていて、ジェット戦闘機やモーターサイクルに通じる美しさがある。
当然、義父はドクターの立つポジションへと進んだ。エアタービン用のハンドピースを手にする。その持ち重りをみる。足元のペダル位置。
再び数歩さがり治療台の全景を確認する。
義父は、その属する世代としては、相当に立派な体格をしていた。加齢により腹が出ていたりもしなかった。その堂々とした体躯《たいく》を移動させる動きは、ふだんの食事などの日常の立ち居振るまいからすると、意外なほど的確にして敏速に感じられる。
彼は手を伸ばしライトをつけた。右手をかざして動かし、そして五〇センチメートルほど下に離して宙に置いた左手を見つめている。
私の妻だったなら、父親が何をしているのか理解不能だったかもしれない。彼は、ライトの反射を調べているのだ。
奥歯の治療などの場合、歯科医師が患者の上に大きくおおいかぶさらねばならないことがある。そのとき、医師の身体によって光をさえぎり患部が暗くならないように、ライトは乱反射を利用した無影灯になっている。その具合を実際に確認しているのだ。
私には、わかる。よくわかる。
そうだ。私たちは、ハードラーだった。しかし、いま、何よりも、私たちは、ともに歯科医なのだ。
彼の顔には、満足の笑みが浮かんだ。
だが、妻が彼女の車で義父を送ることになり、その助手席に乗り込むとき、彼が私の肩越しに「審美歯科」という看板を、なにか気持ちの悪いもののように見上げているのに、私は気づいていた。
「君のだんなさんは、よく働くね。あんなに野心的な子ではないと思っていたのだが」
ある日、義父は、妻に向かってそう言ったのだという。独立して一年が過ぎようというころだ。
野心的?
だったら、義父のことは何と呼ぶのだろう。彼の仕事場は、昔ながらの診療所だ。患者は公民館に備えつけられたようなスリッパを履かされ、待合室でセロハンテープで背表紙が補修された絵本を手にとる。
洗濯はされているにせよ、それまでの他の患者の治療によって生じた染みの残ったエプロンを首にかけられる。その生地は、長年の使用で硬化しているはずだ。
口を開けていて目にはいるのは、黄ばんだ天井と日に焼けたブラインド。ガタつく椅子。
確かに義父には、歯科医師としての熟練があった。彼の判断は速い。地域の患者たちから信頼も得ている。
その大きな恩恵に私がいまも与《あず》かっていることは、言っておかねばならないだろう。私のクリニックに通う年輩の患者の何割かとは、義父と義母の近況報告から治療にはいることが習慣化しているくらいなのだから。
しかし、それらをすべて認めた上で、私は、彼の歯科医療に対する考え方を批判したい。
義父は基本的に、パターナリズムのひとなのだ。
医師が患者を「診てあげる」という態度。あくまで家父長的に、患者があたかも彼のこどもたちであるかのように接する。すべてを自分にまかせなさい。そうすれば、悪いようにはしないから。
私は、患者とのコミュニケーションを可能な限り重視したいと思う。あらゆる情報を患者に開示する。
そして、相談の上で、その患者の求める処置を行う。決定権は、患者の側にあるのだ。患者の最大の利益のために奉仕する歯科医師。
いま、人々が歯科医に求めているのは、昔からの単なる治療ではないだろう。虫歯のう蝕《しよく》した部分を削り、その穴を埋める。悪くなった歯を抜き、差歯や入歯をセットする、といった。
美しい歯は、若さと健康の象徴となっているのだ。修理され咀嚼《そしやく》の役にたちさえすればいいというのではない。
人々は、自分の歯が美しくあってほしいという切実な願いを持っている。そうであるのなら、それに応《こた》えるのが歯科医師の役割ではないだろうか。
美を提供する場である私のクリニックは、当然、美しい場所であるべきだった。人々は、美しくなるために、また、それを維持するために、私のクリニックに足繁く訪れる。
私は、私の「審美歯科」を、あの怪しげな商法でときに物議をかもすエステティックサロンの一種とみなされても抵抗はない。
結局は、時代の問題なのだ。現在のスプリント・ハードルは、一番短い距離のハードル種目は、「ひゃくじゅっぱー」、一一〇メートル・ハードルなのだ。
私は、アメリカで流行しているテイースピアスを、私のクリニックでしてもいいと思っている。歯に天然のダイヤモンドなどの宝石類を埋め込む。
健康な歯にドリルで穴を開けて飾りを付けると言ったなら、義父は私を許さないだろう。ニコチンとアルコールの影響によるのか、感情が激したときには震えるようになった手を握り締め、怒りを抑えられないことだろう。私と義父との関係は、おそらくそこで決定的な終わりを迎えることになる。
義父は、私のクリニックの、最大の出資者だった。気の遠くなるようなローンの連帯保証人でもある。
私たちの方針の違いがはっきりする前に、義父はよく見もせずに契約書に判を押したのだ。私のクリニックの床面積あたりの建設費が、標準モデルの診療所の三倍を超えているのにも気づかずに。
走っていると、腰の重圧感はかえって薄らいでいくようだった。でも、そろそろ問題の上りがきつくなる。
歩いてもよいのだ。無理をせず、ゆっくりと走り体重を減少させることを、私は差し当たっての目標としていた。
有酸素運動をし、余分な脂肪を燃焼させる。高校時代のハードラーとしてのベスト体重にまで落とせるかどうかはわからないが。
妻が、私が最近顔を出していないと非難する彼女の実家。それは、彼女が生まれ育った家だった。かつての私は、そこに行くことを喜びとしていたのだ。
その家は、このあたりによく見られる、落ち着いた赤黒い色のレンガの塀をめぐらせた旧《ふる》い大きな洋館だった。診療所は別棟になっていた。
高校生の私は、同級生の彼女の家を訪れるのが、楽しかった。それは彼女との特別の関係を意味しているように思えたから。
両親が外国旅行に行っている留守に、彼女の家に上がり込んで泊まった夜があった。
私たちは、ふたりの身体を確認したかった。高校へも行かず、彼女のベッドで、応接間のソファで、風呂の中で、私たちは抱き合った。ずっと服を着ないで過ごした。
私たちは幼い動物だったのだ。彼女がつくる簡単な食事を摂《と》りながらも身体に触れあっていた。
私は覚えている。二晩を過ごしたあとで、そろそろ私が帰る時間を意識しだしたころだった。
ねえ、テレビつけようか、少し疲れた声でそう言って、彼女は私のペニスを引っ張った。それは彼女との摩擦によって熱くなり、痛みが走るようになっていた。
私と私の妻の住むマンションは、クリニックから見える丘ではなく、小さな川がつくる谷を越えてひとつ離れた斜面の中腹にある。
最後のアプローチはきつかった。腕を小さく強く振るようにして上る。息があがってくる。それでも、止まってしまう気にはならない。
私は戻りたいと思っているのだ。ふたりで彼女の家で昼夜を過ごした高校生のころに。仕事だとか親だとかの絡まない、ふたりだけのころに。
私は、彼女が小説を書き出したというのも、彼女が同じことを考えている、その現れなのだと思いたかった。どんな話なの、という私の問いに、彼女は恥ずかしそうに、ラヴストーリーと答えたのだから。
大腿四頭筋《だいたいしとうきん》が痛んだ。でも、ここを上れば、彼女が待っている。ドアを開けたら、私は彼女の鎖骨にキスをしようと思う。私が愛した彼女の鎖骨に。
私の人生は成功だ。
たぶん。
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3 ジャグジー
家に小説家がいる、それも自分の配偶者だ、ということが何を意味してるのか。ひとは、なってみるまでわからないだろう。そうなってみない方がいいよ、というアドヴァイスだけはできる。私の経験から。
雑誌は、昨日届いた。妻の新人賞の受賞作と、その選考経過が載っている雑誌だ。
私が、クリニックから走って帰った日だった。最近は、週に二、三回ぐらいのペースでそうすることにしていた。
出迎えた彼女は、その雑誌については何も触れなかった。もっとも、私はシャワーを急いでいたのだが。
彼女と私の夕食は、アルコールを摂《と》りながら長く続いた。それは、いつものことだった。しかし、いま考えれば、昨夜はふだんにもまして時間がかかっていたような気もする。
食後のチーズを食べているときだった。彼女は何も言わずに立ち上がり、出て行った。私は、娘の様子を見に行ったのだと思っていた。
家にいるときに彼女がよく着ているタイプの服装だった。スカートは長めでゆったり。高いところで絞られたウエストは細かった。上半身は薄い生地のシャツがぴったりと覆い、痩《や》せているわりには大きなバストが強調されていた。
つまりは、練習中のダンサーが、レオタードの上から腰に布を巻き付けているような感じだったのだ。彼女のからだに余分な肉がついていないのは、奇跡的だった。こどもをひとり産み、ダンスどころかほとんど運動もしていないのに。
あまり、そのままの格好で出て欲しくはないな。そのとき、私は、そう思って見ていた。クリーニング屋だとか酒屋だとか宗教の勧誘だとかの前には。
おそらく、走ったあとでのアルコールが急速に回りつつあったのだろう。夕刊を手にしながらも、すでに私は彼女の後ろ姿に、スカートと裏地の滑る手ざわりを予感していたのだ。
「今晩は、私が読み返すの。あなたは明日ね」
目を上げると、戻ってきた彼女は、左手に持った雑誌を私に向かって突き出すようにして立っていた。A5サイズの、分厚い、表紙になにやら淡い印象の抽象画のようなものが描かれた雑誌。
そして、右手には、再びたっぷりと注がれたワイングラス。
彼女の襟ぐりの広いTシャツからは、胸が大きく露出していた。私は、彼女と私との間に雑誌がはさみ込まれた気がした。
それで、今朝になってから、私はその雑誌を手にとったのだ。
奇妙なものだ。
ふだん、私は文芸誌などというものに注意を払ったことがなかった。こういうものが何種類ぐらいあるのか、だいたい近所の書店に置いてあるのかどうかさえ知らなかった。
いくつかの連載小説。あふれるほどの読み切りの短編。買った人間は、これを前から順に読んでいくのだろうか。
おびただしい数の物語の世界に、次々に入っては出る。そんなにもフィクションというものを必要としている人々の存在。
私には理解できなかった。しかし、現実にその物語のひとつとして、彼女の「作品」も載っているのだ。
それだけではない。写真まである。誌面の彼女は、緊張したときに見せる、ちょっと上を向いた、例の表情だ。私が二十年前から知っている。
クリニックが隔週で休みになる土曜日だった。ともかく、私には時間だけはあった。活字になるまでは決して見せてくれようとしなかった、彼女の書いたものを読むための。
壁を軽く蹴《け》った。反動で身体が水を押し分けるように進んでいく。ほとんど止まってしまうまで惰力で漂ってから、大きく腕を伸ばし水をつかむ。
温かい液体に身体の隅々まで包まれるのは、久し振りだった。それは、ほとんど新鮮と言っていいくらいの感覚。
運動を再開してから二か月になった。体重は簡単に四キロ落ち、そこで一進一退を繰り返していた。ベスト体重(より正確には、かつてのベスト体重)の六七キロには、まだ七キロは余分だった。
もっとも、そんな、高校生のころとの比較をするのなら、体重だけでは意味はあまりないだろう。筋肉は確実に落ち、脂肪に変わっているのだから。
ともあれ、私は、なんとジムの会員になってしまった。
これは、私にとっては、大きな変化だった。実は、私はこれまでフィットネス・クラブのようなものを馬鹿にしていたのだ。壁に向かって機械の上を走る。固定された自転車を漕《こ》ぐ。奴隷の労働のようにウエイトを上げ下げする。
私は、運動というものを、もっと自然なものと考えていた。それは、ほとんど道具を必要としない、単純な陸上競技というスポーツで培われたものなのかもしれない。走りたかったら、外を走ればいい。
そういったフィットネス・クラブは、肥満し成人病による死の恐怖にさらされるところまでいってしまったひとたちのためのもの。あるいは、あの、むしろスポーツとは無縁のボディビルダーたちの世界だと思っていたのだ。ダンベルを上げては、鏡に映った自分の裸体の筋肉の盛り上がりにうっとりとする。
もともと、四〇〇メートル・ハードルをしていたときから、私は、筋力トレーニングは好きではなかった。それは、必要のため、消化すべき練習のメニューのひとつに過ぎなかった。
汗の匂いのこもった体育館の、薄暗い二階。バーベルだとかマットだとかに親しみを感じることが可能だろうか。芝生の上を渡ってきた風に吹かれながら、トラックを先頭に立って駆け抜ける快感を知ってしまったら。
そうだ。私はかなり怠け者のランナーだったのだ。レースを極端に愛する。
四〇〇メートルのフラット・レースの走力は、当然、絶対的に重要だった。また、すばやくハードルを越えるためには、体操選手のような筋力や調整力を必要とする。
それらのための補強のトレーニングは、しないわけにはいかなかった。けれども、私は、ハードリングの技術を磨くことで記録を短縮したかった。言ってみれば、テクニックで勝つハードラーになりたかったのだ。
それなのに、いまや、私は、健康増進をめざす中高年のようにロング・ジョッグを始め、そして、こんどはマシンのあるジムだ。
私に起こった変化の原因は何なのか。そういうことをしてまでも、高校のころの身体に戻りたいとでもいうのか。私は、現在、それに対してはいろいろな答を自分で用意することができる。
けれど、結局のところ、私は不安だったのではないかと思う。
不安?
そう、彼女が小説を書いて賞をもらった、と聞いたときに感じた。さらに、その小説を書くことがずっと前から彼女がしたいことだったのだ、と聞いたときに感じた、不安。
それで、私は運動を再開したのだろう。
彼女は私に対して、それまで一度として小説などということは口にしていなかった。私が四〇〇メートル・ハードルを走り、スタンドで彼女が応援をしていたあのころから。
私は不安だった。
彼女が、いったいどんなものを書いたのかということが。そして、おそらくはそれ以上に、彼女が小説というものを書くような存在であったということが。
そして、その不安は的中したといっていいのだろう。
私は、もともとフィクションを読むような人間ではない。だから私の要約は間違っているかもしれない。文学作品が持つ奥に隠された意味、というようなものをつかめないでいるのかもしれない。
しかし、ともかく、表面的な、書いてある筋だけはわかる。それは、日本人の男と女がイタリアへ行き、好き放題して帰ってきては別れる、という話だった。
ふだんの私なら、すぐに放り出していたことだろう。私の妻である彼女が、その作者でなかったなら。
それは、飛行機の中での主人公の日本人の男女のセックスから始まっていた。露骨な、と呼んでいいような描写なのだろう。
けれども、ポルノとして私が興奮できるようなしろものではなかった。女性の立場から見た書き方のためなのだろうか。むしろ、即物的な感じがする。
イタリアの街の様子、美しい少年の物売りの声だとか食べ物の話、風景の描写(私には、どれも退屈だった)があり、それをつなぐのはセックスの場面。
男の背信行為に怒った女は(それがどうして裏切りになるのか、私にはよく読み取れなかった)、男の前でイタリア人の物売りの少年に抱かれる。
新人賞の選考委員のあるものは、こう書いていた。
はやりのSMや外国人とのセックス(私は、そんなものが流行している世界があることを知らなかった)を取り入れながら、押し流されないだけの確かな表現力がある。それは、おそらく記述から見てある程度は経験に基づくものなのであろうが、問題は、今後、実体験を離れたところでも、このようなリアルな描写が出来るかということである、と。
最初に私は、配偶者が小説家だなどという事態は、なってみるまでどんなことなのかわからないだろう、と言った。私も今日まではわからなかった。
出来れば、一生わからないままでいたいものだった。
彼女と私は、一年近く、付き合っていない時期があった。彼女が大学を卒業しようというころだ。
原因は、いまとなっては何だったのか、しっかりとは思い出せない。どこにでもあるような、例の恋愛のいざこざだ。取り立てて言うまでもない。
その間、私はかなりの数の女の子たちと遊んでいた。いや、遊ぶという表現はそぐわない気がする。それほど楽しいものでもなかったからだ。
ただ、女の子と見れば、ひとまずくどいてみた。結果など、どうでもよかった。
私はそんなとき、投げやりでさえあったと思う。(陸上競技の投擲《とうてき》種目にあるのは、「やり投げ」、ジャヴリン・スロウだ。しかし、こういう言葉に関する問題は、私ではなく彼女の領域に属する。私に言えることは、円盤であれ砲丸であれハンマーであれヤリであれ、残念ながら、私の投擲の才能には限りがあった、ということだけだ)
歯学部の学生という肩書きが効いたのかもしれなかった。単に相手を選ばなければ、そんなものだ、ということなのかもしれない。私は、ただ数をこなしていた。一〇〇メートル×二〇本、というプラクティスのように。
彼女のほうはどうしていたのか、私は積極的には聞かないでいた。しかし、高校の同級生なのだ。家も近ければ、友人関係も重なる。
ボーイフレンドとイタリアへ旅行に行っていた、という噂はすぐに私にも伝わっていた。つまりは、「ある程度は経験に基づく」?
私は、雑誌を彼女に返し、ジムに行ってくる、と言った。
彼女は、
「どうだった?」
と、感想を求めた。この私に向かってだ。
さあ、と私は曖昧《あいまい》に返事した。さあ、どうなんだろう。
「読み直すとね、恥ずかしくって。書き替えたいところばっかり」
彼女は頬を染め、目はあちこちと動いていた。書き替えたいというのは、私を気づかってではなく、明らかに彼女の作品の完成度のみを問題にしているようだった。
ラヴストーリーっていうのは、ぼくとのことではなかったんだね、と、私は言った。
彼女は、私の目を見た。驚いたように。いや、実際、驚いたのだろう。
それまで彼女の心は、作品の中をさまよい歩いていた。それが、急に現実に引き戻されたのだ。物語の(彼女の過去の記憶の?)時間から、私と対峙《たいじ》している、この現在の時の流れの中へと。
「そんなことないわ。基本的に創作だけど、あなたとのことがたくさん反映されてるわ」
私は、それ以上、何を言うべきかわからなかった。それで、ボルボのキーを取りに、自分の部屋に行った。
クロールからブレストに切り替える。私はかなり水泳には自信があった。高校の水泳大会では、水泳部員たちに勝って優勝したりもしていた。特に、バタフライは速かった。
けれど、それはパワーの勝利だった気がする。あのころの筋力と心肺機能をもってすれば、フォームなど二の次でタイムが出たのだろう。
これからは、ゆっくりと泳ぐこと、歩くように、呼吸するように泳ぐことを学ぼうと思う。おそらく、それは楽しいことだろう。この温かい液体に包まれ、ゆっくりと。
私の口腔に、何か苦いものがひろがる。不思議な感覚だ。それは、泳いでいる私の胸を締めつける。私の脳が、記憶を探り、それが何によってもたらされたのか、瞬時に判断する。すぐに、私は気づいてしまう。
彼女の小説のなかで、主人公の女は何回もアナル・セックスをしていた。選評のいう「リアルな描写」で。私は、他の女の子とならともかく、彼女とはその経験はなかった。つまり、どう解釈しようと、「あなたとのことが反映されてる」部分ではない。
これからも、スイムの最中に、水の固まりを両足で後ろに押すここちよい運動をしながら、いちいち、こんなことを考えなければならない。小説家を配偶者に持つというのは、きっと、そういうことなのだ。
私はプールから上がり、ゴーグルをはずして、ジャグジーに移った。
プールよりも少し水温が高い。私は思考を停止しようと思った。
からだを伸ばす。診療用のチェアーに横になり治療を待つ患者と同じだ。みずから働きかけることなく、すべて受け身になり待つ姿勢。目を閉じる。
患者になった私に声をかけたのは、エアタービンを手にした歯科医ではなかった。
「先生、やっぱり、先生ですよね。水野です」
もちろん、名前を聞かなくても、その高く細い声だけでアイデンティファイすることは可能だった。私のクリニックでアルバイトをしている大学生だった。私の関心が向かい始めている。
「いつも土曜日にいらっしゃってたんですか? ここでお目にかかるのは初めてですよね?」
私が見慣れていたのは、薄いピンクのユニフォームを着た彼女だった。
それよりも、私に対する治療にふさわしい格好だった、とまで言ってしまっていいのだろうか。すわっている私のすぐ前に、競泳用の水着を身につけた彼女が立っていた。
「あの、少し御一緒して、お話ししてよろしいでしょうか。先生はふだんお忙しくしてらして、あまりそういう機会がありませんでしょう?」
特徴のある美しい目で、少し首をかしげるようにして、彼女はそう言った。
私に断る理由などなかった。
彼女は、私の視線などまったく意識していないようだった。ゆっくりとジャグジー・プールに横ずわりになるとキャップをはずした。
私は三十五歳の開業歯科医だ。高校の同級生だった妻との間に娘がひとり。
平凡といえば平凡かもしれない。しかし、私は他人との比較を好むような人間ではない。
これで充分に満足していたのだ、妻が小説家というようなものになってしまう前は。
泡立つジャグジーの隣には、十九歳の彼女がいる。
それで?
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4 ストライド
突然の電話だった。
どこかで聞いたことのある声だ、ということだけは瞬間にわかったのだが。名前を聞いて、ひと呼吸が必要だった。
高校の陸上部時代の友人からだった。卒業後は、ほとんど連絡を取り合っていなかったのだ。
現在、商社に勤務していて、海外に二年ほど赴任しなければならなくなった。出発の時期が迫ってから、急に歯が痛み出したのだという。
いくつか近所の歯医者に当たってみたが、数日で治療を終えるという確約はしてくれない。困り果てたところで、おまえが歯医者になったことを思い出したのだ。同窓会名簿を探して電話した。なんとか急いで治してはくれないだろうか。
開業してからというもの、縁故をたどろうとする患者は多かった。母の華道の稽古《けいこ》仲間の従兄弟《いとこ》のその友だち、とかいうような人々。
私は、かなり丁寧に対応してきたと思う。彼や彼女たちの都合のいいように予約を調整し、時には私の労働時間を延長することもあった。
治療内容に関しては特別の待遇は有り得ないにせよ、なし得る限りの配慮はしているのだ。
「あなたを見てると、わかるわね」
ほとんど不定愁訴のような電話、患部について思い込みの自己診断を繰り返す長い電話の相手を私がようやく終えたときに、妻がそう言ったことがある。おそらくは、夜の十一時を回っていただろう。
「世界人類は、皆兄弟だってことがね。世界中のすべての人が、どこかであなたに繋《つな》がってるのよ」
確かに小説を書く前から、彼女には言葉に関して才能と呼べるものがあったのかもしれない。そう言いながらも、私の湯飲みにお茶を注いでくれてはいたのだが。
彼女の皮肉は、主として、父親と私との比較からくるのだ。ひとり娘として育った妻の前で、義父は、いつも英雄だったようだ。彼は、コネを求める電話は一切拒絶していたのだという。
「治したかったら診療所に来なさい、診てあげるからって、それだけ。冷たくってカッコイイって、こどもごころにも思ったわ」
義父の時代は終わったんだよ、と彼女に説明するだけの気力は、私には残っていなかった。耳には、五十を少し越えたぐらいの婦人の悩みを訴える声が、まだ鳴り響いていたのだから。
いまや歯科医というのは、れっきとした第三次産業なのだ。明らかなサービス業なのだ。便宜を図ることで顧客を確保する点では、美容院やレストランと本質的に同じだ。
野口英世だとかシュバイツァーのように、無知な患者に治療を施しては感謝され、神のように崇《あが》め奉られる歯科医。そのような存在に憧《あこが》れたことは、私には一度もない。
都市部では、昔ながらのふんぞりかえった態度で治療を行うクリニックは、遅かれ早かれ消えていく運命にあるだろう。病院の倒産は、もはや珍しいことではない。経営努力を怠り、競争力を失ったものが滅びるのは、健全な資本主義であり正しいことだと私は考えているのだ。
義父がこういったことを理解するとは、私には思えない。しかし、妻には少しはわかっていてもらいたいのだが。
「それが、ひでえ後れた国に行くんだからさあ」
と、元アスリートは、わざと差別意識を強調してみせた。
そうだ、こういうことを言いたがるやつだった。だいたい、三段跳びをしようなどというのは、どこか妙な人間が多い。あのお調子もののウィリー・バンクスが、世界記録を保持している種目なのだ。
「歯が痛いって泣いてたら、祈祷師《きとうし》が現れちゃったなんていうのは困るじゃないの」
私は、全く笑わずに、私のクリニックは審美歯科なのだが、とだけ言った。
すでに、彼の治療は引き受けようと決めていた。それで、別に、もったいぶって、デンタル・オフィスとしての業務内容の特殊性について言及したわけではない。
私は、愉快な気分になっていたのだ。久し振りの、高校の陸上部の友人との会話を楽しむ。
すると、彼は、聞き取れなかったようだった。
私は、美容歯科だ、と言い換えた。
「なんだ、それは? おはぐろでも塗るのか?」
彼は、電話の向こうで大きな声を出した。
私は、言葉をあやつる人間ではない。私の言うことは、ごく平凡なことばかりだ。それは軽度の咬合《こうごう》不全なんですよ、とか、ポーセレンは保険の対象外です。
正確さを、というか、間違って受け取られないこと、誤解されないことを第一のポイントにしていた。だから、かえって、言葉で遊ぶようなタイプの者に魅力を感じてしまうのかもしれない。
ともあれ、かつて三段跳びをしていた商社マンのくだらない冗談は、十七年の歳月を越えさせてくれた。
わかった、わかった。とにかく明日来い。おはぐろでもなんでも塗ってやる、と答え、私は電話を切った。
切ってから、おはぐろは酸化鉄を主成分としていて実は歯肉炎に効果があった、という説を思い出した。しかし、私は、そんなことを面白おかしくしゃべるような人間ではない。特に、自分の職業に関連することでは。
翌日、彼は、終業間際に現れた。汗をダラダラと流しながら。
それは見事なくらいだった。高校のころを知らなかったなら、私だって彼は三段跳びではなくて、円盤投げの選手だったと考えたことだろう。
「九〇キロ、いや、九二キロあるかな」
私が質問する前に、彼はそう言った。
顔の前で手を振って、
「そういうお仕事なのよ。毎日、飲んで食べて、飲んで」
そして、突き出た腹を押さえる。
私には、あとひとり患者が残っていた。真ん中のブース。ピンセットでコットンをはずすだけだ。軽く噛《か》むように言っておいたのだが、ずいぶんと強く噛み締めていたようだ。唾液《だえき》を吸い込んでいる。
付着してしまったコットンを、口の中を傷付けないように清掃した。本来、歯科衛生士にまかせてもいい作業なのだが、この患者は今日で終了する。長い時間をかけて私が確認をしたということが、安心感を与えることになるだろう。
きれいになりましたね。これでしばらくはだいじょうぶです。あとは前に言った歯の磨き方に注意して、大切にしてください。
手を洗っていると、
「四日しかないんだ。適当でいいんだぜ」
背中から、声をかけられた。
受付の手続きが済み、レントゲン室にはいるように案内されたのだ。彼は、ほとんど悲しそうな顔をして私の方を振り返っていたが、私は首を横に振った。
私のクリニックでは、初めて来院する患者には、必ず全部の歯のレントゲンを撮ることにしていた。矯正のような大掛かりな治療行為の場合は当然として、小さな虫歯の治療であっても。
その作業自体は簡単なものだ。患者は台の上に顎《あご》を固定するだけでよい。カメラの方が顔の回りを回転する。二、三分もすれば現像された写真が上がってくる。
X線の撮影をするのは、私の眼に自信がないからではない。内臓と違って歯は露出しているのだから、口を開けてもらいエキスプローラーの針の先でつつけば、だいたいのことはわかる。
もちろん、こんなことで保険の点数を稼ごうというわけでもない。それは、患者とのコミュニケーションを良好なものにするのが目的なのだ。
髑|髏《どくろ》の下の方の三分の一を切り取ったような自分の写真を前にすると、多くの患者は神妙になる。何か気持ちの悪いもの(しかし、それは、自分の身体の一部なのだ)を見てしまったかのようになる。
そこで、実際の口腔《こうくう》内の診察の結果とその写真を突き合わせて説明をすれば、話が具体的なものになり、治療計画が非常にたてやすくなるのだ。
現在、どこの歯がどの程度まで患っているのか。それをどういった方針で治療していくのか。私は一本一本の歯を指しながら説明する。
削ったあとの充填《じゆうてん》物としては何を選択するか。アマルガムかコンポジットレジン、あるいは昔ながらの金にするのか。
それぞれにかかる費用と、その充填物がどのくらいの期間持つのかを話す。見栄えの問題はどうか。メリット、デメリットを模型の歯型に組み込んだ充填物の実物を見て判断してもらうのだ。
お互いに満足がいく治療が行えるかどうかは、この段階でそのほとんどが決まるのだと私は思っている。結局は、インフォームド・コンセントということだ。よく考えてもらうために、その場で決定せずに一週間後に返事を、ということも多い。
まあ、今回は、インフォームド・コンセントということだけに限れば、確かにレントゲンは必要なかったかもしれない。元三段跳びのアスリートは、それに関心を示さずに、
「もう、おまえにすべてまかせる。一番いいようにしてくれ」
と、言うだけだった。
実際に診てみると、彼の歯の一本はう蝕《しよく》が歯髄近くにまで及んでいた。いわゆるC2とC3の間ぐらい。結構痛みがあるはずだ。他にも二本、C2がある。エナメル質がぼろぼろになっていて、エキスプローラーの針が象牙《ぞうげ》質まで届く。針の動きに合わせて、彼は挙《こぶし》を握り締めたり開いたりした。
じゃあ、削ろうか、と私は言った。
診療用のチェアーの上で、商社マンは落ち着かなく身じろぎをする。無影灯に眼を細め、まぶしそうに見上げる。
「おまえ、腕は確かなんだろうな」
たぶんね、と私は答えた。
時々、失敗することもあるけど。いや、エアタービンで舌を切り裂いちゃうなんていうのはよくあるな。
バキュームを持った、歯科衛生士の沢木さんが笑う。
彼女は、私のよいパートナーだった。作業が的確で、治療の先を予測し準備ができる、というだけではない。
私の補助役としての控え目な態度を守りながらも、彼女の小さな反応が、患者の心をとらえ、相互の信頼関係を醸し出すことがあった。歯科医師にはできない仕事だ。
「俺に、何か恨みがあったとかいうことはないか? あったら、いまのうちにあやまっとくぜ」
さあ、口を開けて、黙ってろよ、と私は言った。
ウイスキーのグラスに氷が響く音というのは、他の何にも代えがたい。一日の緊張がすべて弛緩《しかん》してゆく。
高校の陸上部の友人で元三段跳びのアスリートの商社マンで私の今日最後の患者は、治療後、一杯|奢《おご》ると言ってきかなかった。それで、私は自分の信ずる原則にみっつも反することになった。
ひとつは、飲酒運転をしないということ。今日はエクササイズとして走って帰る予定の日ではなかった。私のボルボでショットバーに乗りつけてしまった。
ふたつめは、これも酒がらみだ。治療直後の患者の飲酒を目の前で認めてしまったこと。口腔内の患部だけの問題ではない。歯の治療というのは、想像以上に体力を消耗するものなのだ。アルコールは控えねばならない。
そして、最後に、患者とはプライベートな付き合いをしないということ。まあ、これは、いい。
私の患者は、ダブルのソーダ割を一気に飲み干した。次に歯科医のもとを訪れるのより、アルコール依存症で入院する方が先かもしれない。
彼の歯は、少なくとも二年は持つだろう。その発展途上国に赴任しているという間は。
四日後の出発では、もっとも虫歯が進行している臼歯《きゆうし》を、通常の手順で治療しているだけの余裕はなかった。すなわち、リーマーで神経を除去してから保存、そして修復という時間のかかる作業。
幸運なことには、歯髄はそんなには痛んでいなかったので、消毒するにとどめた。彼の主張する二年は、それで保証できる。
他の二本も含め、削ったあとの充填には、コンポジットレジンを用いた。簡単に言ってしまえばプラスティックのようなものだ。金属のアマルガムより見た目はいい。
何よりも、歯科技工士を置かずに補綴《ほてい》物を外注している私のクリニックのようなところでは、一日で治療を終えるには、これが一番良い方法だった。
「しっかしなあ、おまえが歯医者になるとはなあ」
すでに何回目になるかわからないため息を、彼はついた。高校のころの誰彼の噂話(ふたりとも、かつての友人たちについて、あまりにも知らないことに驚き、むしろそのことを確認しあうかのようだった)が一段落するたびに、なのだ。
私は、そろそろ腰を上げる潮時だと思った。彼に酔いが回り始めているのは明らかだった。
そんな私の雰囲気を察したのだろうか、飲みたりないのであろう依存症患者は、急に言葉の調子を変えた。
「いや、そのね、歯医者っていう職業よりね、おまえ、あそこで、ああやって一日中仕事してるんだろう? あの静かな生活に耐えられるのか?」
静かな生活?
私は、そのような呼び方をしたことはなかった。
歯科医が基本的にタバコ屋の老人と同じだということは、私も認識していた。箱の中にいて、来る人を待っているという点に関しては。
「俺が言いたいのはな、おまえは、もっと、ずっと攻撃的なやつだったってことだぜ。あの十四歩やってたときなんてな、練習中は近づけないくらいピリピリしてた」
懐かしい数字だった。彼の口からそんな数字が出てくるとは、思ってもいなかった。
私はウイスキーを多めに口に含む。
「ふだんだってな、十四歩のストライドをからだに叩《たた》き込むんだって言って、リズム取って走ってたんだぜ。授業の合間に、教科書抱えて校舎の間で教室移動するときなんかまで。おまえ、覚えてないのか?」
十四歩というのは、四〇〇メートル・ハードルにおいての、ハードルとハードルとの間の歩数のことだった。
ハードル競技というのは不思議な種目だ。ハードル間の歩数と、それにともなうストライドがあらかじめ決定されているのだ。
一一〇メートル・ハードルでは、三歩。これは、日本の中学生からオリンピックの優勝者まで、全員同じだ。
四〇〇メートル・ハードルでは、ごく最近、世界の超一流の選手が何台かのインタヴァルを十二歩で走るようになったけれど、基本的には十三から十五歩。十七になってしまっては記録は望めない。
三五メートルあるハードル間を何歩でいくのか。スピードとリズムを保ったまま、できるだけ少ない歩数で走り抜くほど速いタイムになる。
しかし、四〇〇メートルという距離を走りながら、最初から最後まで十三歩で十台のハードルを越えていったのは、あのエドウィン・モーゼスが初めてだった。彼にして、ようやく可能になったのだ。
一八六センチという私の身長(より厳密には、脚長、しかもそのうちの下腿《かたい》長が問題になる)は、かなり有利なものだった。だが、私の筋持久力では、十三歩ではすぐに苦しくなり、三台目くらいから十五歩になってしまっていた。そのとたんに急にストライドがせばまり、スピードが落ちることになる。
それで、十四歩の練習を始めたのだった。
簡単なことではなかった。偶数歩というのは、踏切り足が変わることを意味する。それまで右足で踏み切ってハードルを越えていたのを、左でも跳べるようにしなければならなかった。
私は左足踏切りを練習した。そして、十四歩のストライドを覚えようとしていたのだ。当時、高校生で両足踏切りを成功させたのは、私を含めてほんの数名だったはずだ。それが、いま、何だというわけでもないのだが。
私は長い間、思い出にふけっていたのだろうか。肩をつかまれ、顔を寄せられて、かつての陸上部の友人の目が充血し、唇が震えているのに気づいた。
「おまえな、変な気分になることないか? 美容歯科で、患者は女ばっかりなんだろ。椅子だって、ベッドみたいになってて。女の口の中に手を突っ込んで指しゃぶられたら、フェラチオされてる気にならないか?」
それは慣れというものだ。医者が患者に対して、そんな気持ちを持つことはない、と短く答えた。
私は、まだ四〇〇メートル・ハードルのことを考えていたかったのだ。
「じゃあな、働いてる子はどうだ? よくもまあ、あんなにカワイイ子ばっかり集めたもんだな。それで、男はおまえだけなんだろ。そしたら……」
私は、従業員も同じことだ、職場というスペースでは、というようなことを言おうとした。しかし、私は、一瞬ためらってしまった。
それに気づかれた心配はないようだった。彼は、グラスを手に独自の世界をさまよっていた。すでに心は赴任先の祈祷師《きとうし》に向かっているのかもしれない。
それにしても。
静かな生活?
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5 ディップ
人生には、様々な可能性があるはずだ。無限とは言わないまでも。それが意識的であれ無意識的であれ、生まれた瞬間から、ひとは選択を始めているのだろう。
そのとき、思慮深い選択などというものは、本来あり得るのだろうか? マークシートを前にして、四個の選択肢を慎重に比較、較量《こうりよう》し吟味するような。
いや、そんなものではなかった。少なくとも私の場合は。
ある種の化学実験で長い時間をかけて沈殿物が試験管の底に集積するように、私には、いつのまにか、ふたつのものが残っていった気がする。熱中できるもの、情熱を傾けられるものとして。
そのひとつは、四〇〇メートル・ハードルという一種奇妙な種目だった。陸上競技はすべてのスポーツの基本だという。だが、いったい、誰が、人間の無酸素運動の限界である四〇〇メートルという距離を走りながら十台のハードルを越えねばならない、などというばかげたことを思いついたのだろう。
そして、ふたつめは、その競技を終えてから新たにトレーニングを開始した、歯科医という、これも、もしかしたら奇妙なのかもしれない職業。
しかし、結局のところ、そのたった、ふたつだけなのだろうか、私を規定するものは。
妻は、そこで小説を書くという選択をした。
「前からやりたかった、って言ったでしょ? そうよ。あのころには、そう思ってた。あなたと出会ったときにはね」
トーストにバターをたっぷりと塗りながら、スプレッドするというよりは盛り上げるようにしながら、彼女は言う。ごく何気ないこと、まるで、昨日の夕方に通り雨があったわね、というようなことをしゃべっているみたいに。
私は、高校生の、小説を書きたいとすでに考えていた彼女を考える。遠く、記憶を探る。
昼休みの中庭だ。私は、教室の窓から見下ろしている。その校舎の位置から判断すると、私も彼女も一年生のときのことだろう。芝生で弁当を広げる輪を形作っている、彼女と彼女の友人たち。(おそらくは同級生の、その友人たちのひとりひとりが誰であるのか、私には決定できない。現時点では、何人かの差し替えの可能な顔が思い浮かべられるだけだ)
高校生らしい、と言えば、そう言えるのだろうか。彼女たちは話に熱中し、盛んに笑い合う。サンドイッチのようなものを手にしている彼女の上体が揺れた。しかし、窓のところにいる私には、わずかな音でさえ伝わってこない。
彼女は、たぶん高校に入学したばかりの彼女は、あんなにも楽しそうに何を語っていたのだろう。いま彼女に訊《き》いてみたところで、もちろん、答が得られるはずはない。そして、また、そのときの、彼女を見ている私は、何を考えていたのか。
私たちは、彼女と私は、二十年前のある日、中庭の芝生と四階の教室という三〇メートルほどの距離をおいて、本当に存在していたのだろうか?
あるいは、それは、いま私の頭の中ではじめて結ばれた構図ではないのか。原稿用紙に向かう彼女の思考において、小説の一場面がそのように形成されるのかもしれないように。
私は、トーストを口にしようとしている私の妻を見る。私と彼女との距離は、いまは一メートル強にすぎない。
彼女が背にするバルコニーには、朝の光が溢《あふ》れている。ミルク・ティーの穏やかな香りのただよう食卓。彼女が、何かな、というように微笑む。
彼女は美しい。私は妻を愛している。高校生の彼女は、現在の彼女に重なり、溶けて消えていく。
私は、私のバター・ナイフを手に取った。最近になって、私はマーガリンに代えた。それも、生乳をブレンドしカロリーを普通のマーガリンの半分に抑えたというのがセールスポイントの。
なにも苦しいダイエットを始めようとしてわけではない。再び走り出してみると、なぜか、からだの方が自然にアルコールや脂肪を要求しなくなってきたのだ。
そして、私にも意外だったのだが、このマーガリンが、結構おいしい。クリーム・チーズを思わせる風味がある。でも、そう勧めても、彼女は試してみようともしなかった。
私は給食で懲りたの。マーガリンって、バターを買えないひとたちのための代用品の募集で発明されたのよ。クジラの油を固めたのが当選したの。ずっと人造バターって呼ばれてたらしいわよ、と不気味そうに眉《まゆ》をひそめた。
彼女は、マーガリンに関する、そんな私とは違ったタイプの知識を持っていても、やはり家政科ではなくて英文科の出身なのだ。価値判断の基準を「人造バター」という名前自体に置いている。目の前にある現物よりも、言葉に支配されているのだ。
「そのころから、実際に、書いてたりもしたの、少しだけだけど。私は、そういうシグナルを出してたつもりなんだけどなあ。あなたが陸上に夢中になってたから、気がつかなかったのよ」
彼女は、娘の口からこぼれ出てしまったものをガーゼでぬぐっている。
私は、まだ無限に近い可能性に満ちているのかもしれない肉体に向かって、訊いてみようかと思う。
毬子は、小説を書きたい? それとも、ハードルにする?
しかし、そうしたところで、娘は、ただ、ぷよぷよしているだけだろう。私の、いや、私と私の妻との間に生まれた娘。
ともあれ、彼女の新人賞受賞作は、話題を呼んでしまった。
文学の、というのか、それとも文壇のというべきなのだろうか。そういった世界で彼女の作品がどのように受け取られ、評価されているのかは、私にはわからない。
ただ、彼女は、マスコミ的にはある程度の注目を浴びたようだ。それは、おそらく、ふたつの点でだ。どちらも私の推測であり、彼女は否定するかもしれない。けれども、こういうことでは、私の方が冷静であり、判断力があると思う。
ひとつには、若い女性(私より誕生日が早い彼女は、それでもぎりぎりのところで三十五にとどまっている。そして、それは、この世界では若い部類に属するようだ)が、激しいセックス描写をした、という点で。
また、ひとつには、そのようなものを書いた若い女性である私の妻が(言いにくいことではあるが)私だけの意見ではなく、まあ、世間の基準においても美しかった、という点で。
取材が、かなりあった。新聞や雑誌。そして、エッセイなども含めて、新たな原稿の依頼。インタビューや打合わせのため、毬子を実家に預けて外出することも多くなった。
ところで、彼女の処女作が、私にとって到底受け入れがたいものだった、ということは前にも言ったとおりだ。しかし、それは、あくまで、ふたりの関係においての問題だった。
そう、彼女が大学生で、私と付き合っていなかった一時期。彼女が男友だちと行ったイタリア旅行をなぞっているように思えるストーリー。私の頭はずっとそこに固定されていた。
だから、妻が小説を書いたことがもたらす周囲への影響というものに、最初のうち私は考えが及ばなかった。掲載された文芸誌を手に、上気し、嬉《うれ》しそうにしている彼女を見ていたころには。
私の取った電話が、しばしば彼女あての仕事のものだった、などというのはかまわない。私が出ると相手が沈黙し、切るまでの短い時間に荒い息づかいが聞こえてしまった、などというのも、どうやって電話番号を知ったのかは気になるものの、一応許容しよう。(受話器を置いたあとで、私は、世間に流布している彼女の写真の総量ということに思いをめぐらせた。私自身、ベッドのぬくもりを忘れていない時刻、インクの匂いの強い新聞の片隅に、彼女を見つけることもあったのだから)
当惑したのは、クリニックでだった。
彼女の小説は、機を逃さないようにということなのだろうか、雑誌に発表されたあと案外に短期間で単行本として出版された。
その後のある日、私は患者のひとりに話しかけられたのだ。
「先生の奥様の御本、拝見させていただきましたわ」
それは、私にとっては、あまりに突然のことだった。当然、私の患者が読む可能性はあったはずなのに、私は予期していなかったのだ。
私のクリニックで、彼女の小説と私とが結びつけられる?
もし、その言葉を治療中に聞いたのなら、私はエアタービンのハンドピースを持つ手を滑らせ、一分間に約五〇万回という超高速で回転するバーで、婦人の頬に穴を開けていたかもしれない。もっとも、口腔《こうくう》内に器具を入れられながら、そんなことが言える患者は稀《まれ》だろうが。
「私みたいなおばあちゃんには、少々難解でしたけど。いえ、最近の文学についていくには、齢《とし》なんでしょうねえ」
知的な婦人だった。張りのある声をしていた。シックな装いには、いつも気品があった。
薄くレンズに彩色がほどこされた眼鏡と、首に巻いたスカーフとが忍び寄る老いを隠すのに役立っているのだろうとは推測できる。が、ひとはカルテの年齢を見たら、まず軽く十歳以上は若く見えることに驚くに違いない。
私の仕事は、彼女の残存する歯を最大限に生かすことだった。昔風の歯医者に通ったらすぐさま抜歯されるようなものであっても。
私にも、よくわからないのですよ。小説っていうのはダメなんです、私は、と、ゆっくりと、考え考え返事した。外注した義歯の仕上り具合を丁寧に確認するふりをしながら。
間違っていない。実際、私にはフィクションを読む習慣はないのだから。
私はそんなふうにして、ようやくのところで歯科医師としての職業的態度を維持した。額には恥ずかしさのあまりに冷や汗が浮かんでいたかもしれない。
できることなら、この上品な婦人には、はっきりと理解してもらいたかった。私だって、セックスについてあからさまに語ることを好むようなタイプの人間ではないことを。
しかし、「先生の奥様」は、その小説の中で、男と女がすぐに寝てしまうばかりか、肛門にペニスを突っ込むような描写ばかりしているのだ。
彼女は、ペンネームを使ってはいた。しかし、それは単に名字を彼女の旧姓にしただけだった。生まれてからの、より長い時間はそのペンネームの方で過ごしていたのだから、そちらで彼女を認識しているひとの数は多いことだろう。
数日後のことだった。
その患者を、私は苦手にしていた。顧客としては上得意とでも呼ぶべきなのだろうが。彼女との付き合いは、いやがおうでも長期にわたることになる。歯列矯正とラミネートベニアをするためには。
日本でも欧米なみに、歯の美しさが富を、階級を象徴する時代が来つつある。そのことに最も敏感になっているのは、贅《ぜい》を競う場に列することの多い、彼女のような四十代ぐらいの女性なのかもしれない。
実際に、彼女たちはそれだけの治療を切実に必要としている、とも言える。彼女たちがこどものころの日本は、栄養状態が良くなかった。また口内の衛生に対する関心は、現在からすれば恐ろしいほど低く、就寝前の歯磨きさえ励行されていなかったのだ。
残念ながら、当時の治療のレヴェルも低かった。彼女たちの貧弱な歯並びは、私たち歯科医の責任でもある。
あるいは、単に彼女たちにはそれだけの負担をできる資力がある、というだけのことなのかもしれない。彼女の場合、あまり考えたくないことだが、治療の総額は、ちょっとした高級車ぐらいに達するだろう。
その日はラミネートベニアの色合わせのための来院だった。彼女の歯は、やや黄ばんでいた。とは言っても、気にしなければ済む程度のものだ。
しかし、それは、美しくなるためにエステティックやらエアロビクスやらで磨きをかけた彼女の他のからだの部位とは、確かにバランスを欠いていた。
私の仕事は、彼女の歯の表面のエナメル質をごく薄く削り、セラミックを張り付けることだ。そうすれば、全く自然に健康的な白い歯に見えるようになる。審美歯科で、これから大いに需要が期待できる治療の分野だ。
セラミックの色を選ぶ相談をする前に、同時並行で行っている矯正の進み具合を診るためチェアーに横になってもらっていた。
私が彼女を苦手にしているのは、簡単に言ってしまえば、妙に女性的でクネクネとし、過度に怯《おび》えるところがあるからだった。
う蝕《しよく》した臼歯《きゆうし》の治療の時のことだった。私がエアタービンを口内に挿入するだけで彼女のからだは緊張し、舌は小刻みに震えた。
工業用ダイヤモンドをまぶしたバーの先端が回転をしながら歯に触れたとたん、彼女はグレーのエプロンを蹴《け》りのけた。それは患者ひとりひとりにクリーニングのパックを破っては掛けられるものだったのだが。
そして、私の手のエアタービンの動きに合わせるように身をくねらせ、全身を硬直させてこらえるのだった。腰を浮かせ、ミニのタイトスカートから出た光沢のあるストッキングに包まれた脚を開いて。
あるいは、削った穴に充填《じゆうてん》物を詰める前の仮封剤を押し込むときなど、それこそ身もだえをして私にしがみつくことさえあった。
これは、実は、私の技術に対する侮辱なのだ。
私のクリニックでは、当然のこととして、無痛治療を原則としている。注射器による浸潤麻酔の他に、より強い鎮静作用を得るため笑気ガスの用意もある。
しかし、麻酔というものが基本的には人体に対して極めて重大な毒性を持つものである以上、過度の使用は避けるべきだというのが私の考えだ。
だから、私が麻酔の必要はないと判断し、充分な説明を行い患者の同意を得て治療に取りかかっているというのに、そこで苦痛を訴えるとは。
それは、診断において私が患部の状況を過小評価したか、それとも、エキスプローラーなりエアタービンの先に取り付けたバーなりが誤った部位に接触したか。いずれにせよ、私のミスを意味することになる。
もともとデンタル・オフィスを限りなく快適な空間にすることに、私は力を注いでいるのだ。希望者にはスポーツ用のサングラスに似たアイマスクを着用してもらい、ヘッドホンのBGMで少しでも歯の掘削音が聞こえないようにする。
あるいはアロマテラピーを応用し、クリニック全体には森の香りを漂わせ、治療中に口内に噴射させるエアーにはペパーミントを混ぜた。
私は苛立《いらだ》っていたのだ。彼女に、そういったリラクセーション・システムの効果までも含めた全体を否定されている気がして。
だが、それが思い過ごしであったことが、その日にわかった。
歯科衛生士がブースからいなくなったとき、診療用のチェアーに横たわった彼女は、
「先生って、お強いんですね。読みましたよ」
と言って微笑んだ。
凍りついたように立ちすくんでしまった私を、彼女は潤んだ目で見上げた。
彼女の右手が伸び、白衣の上から私に触れた。濃い紅のマニキュアが施された彼女の指が、数回上下した。私のペニスを包み込み、形をなぞるようにしながら。
迂闊《うかつ》だったのだ、私が。
ひとは小説を実話として読むのだ。いや、もっと早くそのことに気づいているべきだったのだ。私自身がそのような読解を、一部ではしていたのだから。
小説は、主人公の女性の独白で構成されていた。その言葉づかいには、私はどうしても妻の肉声を感じざるを得なかった。
読者は、当然、主人公を私の妻だと思い、私がかつての妻の男友だちの面影を追わざるを得ない主人公の恋人は、事情を知らない読者にとっては、なんと私のことなのだ。
私に出来ることと言えば、妻の書いた小説をほとんど無視するような態度を取り続けることだけだった。アルバイトの大学生たちが貸し借りをしたのだと思う。クリニックのスタッフ・ルームのテーブルの隅に、私には他のものと間違うのが不可能なブルーの表紙が見えたことさえあったのだけれど。
しかし、読者の大きな誤解が解ける日がやって来た。
彼女が第二作を書いたのだ。私は、今度は雑誌の校正の段階で見せてもらった。それは、続編と言える短編だった。かつてイタリア旅行のあとで別れた男と再会する物語。
主人公の女性は、すでに医者と結婚し、幼い娘をひとりもうけていた。彼女は、そこでそれなりに悩むものの、結局は、肉体関係を持つことになる。昔のように、あるいは、昔以上に情熱的な。
私は彼女の部屋にはいっていった。大きなクリップで留められた、ばさばさとして持ち運ぶには適さない校正用のコピーの束をかかえて。
彼女はカーペットにすわってヨガをしていた。なんとかのアーサナとかいうやつだ。スポーツを好まない彼女の唯一の運動だった。
それらのポーズを初めて見たとき、私は陸上競技の準備の運動として、あるいは整理体操として行われるストレッチングに通じるものが多いのに驚いた。いま彼女の小説を読んだあとでは、それらにも体位を連想させられてしまいそうだったが。
上体をドアの反対方向にひねっていた彼女は、ゆっくりと振り返った。スタンドの光を背にして、ゆったりとしたシルクのナイトウェアに彼女のからだの線が、くっきりと透き通っていた。
「どう?」
そこで私は、主人公の夫の職業が医師であって、歯科医師でない彼女の想像力を賞賛すべきだったのだろうか。
私は黙っていた。
彼女は私の顔を見上げ、
「離婚したくなった?」
と訊《き》いた。両手の指を組み、そのまま上にあげ、背筋を伸ばす。
走ってくる、と言って、私はドアを閉めた。
夜の街に私は出た。もうこんな時間には肌寒さを感じさせる季節だ。だが、私はそんな冷気によって、ようやくリフレッシュされた。
運動を再開してから、からだの調子がどんどんよくなる。街の匂いにまで敏感になってきていた。逆に言えば、それまで、いかに多くのものを失っていたのか。
私は街灯の下にハードルを設定する。そこまでのストライドを目分量で計算し、アプローチ走にはいる。呼吸を一瞬止め、跨《また》ぎ越す。
久し振りのハードリング。フォームはともかくとして、上体を投げ出すディップの姿勢をとったことがここちよかった。
さて、結婚も離婚も、もちろん、はっきりとした人生における選択だ。そこには思慮深い選択というものが、ちゃんと存在しているはずだ。
しかし、いったい、何が?
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6 トラック
午後に小雨があって、それからずいぶんと冷え込んだようだった。寒冷前線が通ったのだろう。
もっとも、ビルの最上階の空調の完備されたクリニックの中にいる私は、いわば宙に浮かんだまま、大きく切り取られた窓という画面からの情報によって、それを推測しているに過ぎない。
青空が広がっていたのが、気がつくと一面が白く覆われていた。より濃い色の雲が西から東へ(窓の左から右へ)と流れ、そのうちに雨が降り出す。音もなく。
丘陵が彩度を落として水墨画のようになると、たとえ自動調節機能により室内の温度が変化していなくても、白衣の襟を合わせたい気分にさせられる。眼下の陸橋をいく人々の足取りを見れば、それはなおさらだ。
しかし、外部環境の変化は、また、人々によってもクリニックへと運ばれてくる。
アルバイトの大学生(今日は、ミズノと呼ばれている女の子の出勤する日ではなかった。そのことを私は知っていた)が、午後の勤務にスタッフ用のドアを開けて入ってくる。その彼女たちの表情で。
そして、比較的年輩の患者の挨拶《あいさつ》としての時候の言葉によっても、それらはもたらされる。
治療を行うユニットが設置されているブースのそれぞれは、通路とはドアで仕切らず、壁の一部が切り取られたようなオープン構造になっていた。そうすれば、ノブに触れた手を再び消毒しないで済む。器具などを両手に持っての移動も、容易になる。
患者の側にしてみれば、密室に閉じ込められることで恐怖心が増すのが避けられる利点がある。もちろん、プライヴァシー保護のため、よほど踏み込まねば中の様子は窺《うかが》えないようにできているが。
私は、そのブースの前を通りかかりながら、衛生士の沢木さんに向かって患者が話しているのを、今日は何回か耳にした。お昼まではお日さまが出ていてあんなにいい陽気でしたのに急に冷えましたね、というような。
十一月になるのだから、ある程度の気温の低下は当然のことだった。ひとはなぜ季節の移り変わりをこのようにも好んで語るのか。それが、クリニックを営んでいるうちに、私にもわかるようになってきた。
ある年齢に達すると、ひとつの季節には、その季節にそれまで起こってきた様々なものごとの記憶が伴われるようになるのだ。だから、ひとは変化をより深く味わう。
この初冬の前線の通過は、今日の出来事であって、今日のことではないのだ。そこには、数十回、どれひとつとして同じではない初冬が、背後に連なっている。
私より六歳年少の彼女は、そういったことをすでに理解しているのだろうか。何人かの患者の相手をすれば、彼女にとっては、それはほとんど同じの、言ってしまえばくだくだしい挨拶の繰り返しになっていたはずだ。
それを、彼女は、丁寧に受け答えしてくれていた。患者にエプロンをセットしながら。あるいは、歯の型をとるインプレッショントレイを用意し、切削用のアタッチメントを私が使いやすいように並べたりしながら。
スモールラウンド、ラウンドヘッド・クレンザー、ナイフエッジホイール、ラージインヴァーティッドコーン、そして、ミディアムテイパードコーン。
三部屋あるブースを移動しては準備をし、私の補助として治療にあたり、後片付けまでもする。それは、並大抵のことではない。
それらの仕事をこなしながら、彼女は、患者に見事と言っていい応対をしていたのだ。にこやかに、決していそがずに患者の言葉を聞き、相槌《あいづち》をうつ。
そういうとき、私が彼女について感心するのは、彼女がどんな患者であれ対等の人間として敬意をもって遇することだった。
これは当然と言えば、あまりに当然のことだ。しかし、大病院などで不愉快な思いをしたことはないだろうか。看護婦たちが、患者を、特に老人の患者を弱者としてこども扱いすることに。
彼女たちの身につけた職業的態度、ほとんど機械的な反応ぶりは、劣悪な労働条件にその原因をみるべきなのかもしれない。けれども、少なくとも私のクリニックでは、そのようなことがあって欲しくはなかった。
医療機関について使うには、不適切な表現だろうか。だが、私は、私のクリニックは、知的な場であって欲しいと思うのだ。彼女は、それに応《こた》えてくれていた。
私の場合は、立場上患者とは、お互いにどうしても治療に関する話が中心になった。患者たちは、彼女と話すことで診療を受ける緊張を和らげ、親しみのこもった人間的な扱いをする私のクリニックに満足を覚える。
そうだ、私は、今日はそのことで、あらためて彼女に感謝しようと思っていたのだ。結局、言いそびれ、彼女が先に帰る時刻になってしまったのだが。
私は、クリニックのドアに鍵《かぎ》をかけた。膝《ひざ》の屈伸を数回。エレベーターを使わず、ビルの階段を小走りで降りる。
からだは軽かった。今日のジョッグも快適だろう。ようやく、私も外に出られるのだ。寒さがいちだんと強まっているのであろう戸外に。
冬の寒さについては、私は気にしていなかった。もちろん、準備運動には、より長い時間をかける必要がある。腰や膝といった私の障害の生じやすい関節部への配慮だけでなく、縮みがちな筋を伸ばすストレッチの重要性が増す。
外気に体温が奪われることに関しては、現役のころに比べたら間違いなく厚くなっている皮下脂肪が役に立つかもしれない。しかし、寒さ自体には、私はもともと強い方だったのだ。ウォームアップ・スーツは、冬用に代えた。さらに冷えてきたとしても、あとはグラヴを着用するくらいで充分だろう。
冬季の練習では、積極的にサッカーやバスケットボールなどの球技を取り入れたものだった。近くのゴルフ場に忍び込んで、クロスカントリーをしたこともあった。いろいろ変化をつけようと、それなりの苦心はしたのだ。そうだ、トレーニングのために毎日が存在していたようなあのころ。
当時の走力とは到底比較にはならないだろうが、私は、勤務後のジョッグが楽にこなせるようになってきていた。自然と週あたりの走って帰る回数も増えている。
それは、おそらく、走っている間がいちばんものを考えるのに適している、ということとも関係しているのだろう。なぜなら、他の雑事に注意を奪われることなく、連続する一時間近くを占有できるのだから。
いや、一時間では、まだ不足していた。いまの私には、考えねばならないことが余りにも多かったのだ。
昨夜、私は妻の部屋をノックした。もう遅い時間だった。彼女は、机に向かい、原稿用紙を埋めていた。
最近は、私が先に眠ることが多かった。
深夜、というよりは明け方と呼ぶべき時刻に、彼女が隣のベッドにすべりこむのに気づくこともあった。そんなとき、私は、彼女に声をかけなかった。
彼女は、疲れていて、すぐに眠りに落ちるようだった。しばらくして、寝室にブランデーの香りが拡がるのを感じることもあった。私は、妻のベッド越しに、東に向いた窓のカーテンの隙間が白くなっていくのを知る。
それは三作目なのか、と私は尋ねた。彼女の背中に向かって。彼女は、雑誌に載るエッセイだ、と答えた。私を振り向いて。
たしかに、創作のときとは違って、彼女は私の目から原稿を隠そうとはしない。
「恋人や夫には言えない欲求不満について、なの。ばかばかしいでしょ。こんなのばっかり。私、社会評論家になっちゃいそうよ」
そう言いながら、彼女は楽しそうだった。世の中に向かって自分が何かを発信することに、喜びを見出しているのは確かだった。
新人賞を受賞してから、彼女は明るくなった。それは、独身のころのように、と言ってもいいのかもしれない。
それまで、彼女が鬱屈《うつくつ》した状態にあったときなど、私も気づかないわけではなかった。ただし、そうだとしても、私は、育児の疲れ、というようなわかりやすい根拠を、彼女に対してあてはめていたのだ。
幸せそうにしている彼女には、切り出しにくいことだった。しかし、私が彼女の部屋を訪問したのは、主婦の欲求不満について評論家に一般論を尋ねるのではなくて、私の妻に彼女の具体的な行動について問いただすためだったのだ。
私は訊《き》いた。大学のころに一緒にイタリアに行ったとかいう男と再会したのか、と。
彼女は笑いころげた。おかしくて、たまらない。
ひとしきり笑っても、まだ笑いたりないというようにして、言った。
「あれは、完全な創作。ひとつ目がああいう話だったでしょ? すぐ二作目を書けって言われて、思いつかないじゃない、簡単には。それで、前のときの気分が残ってたから、同じ主人公で続きだったらやれるって思ったのよ」
彼女の楽しそうな様子は変わらない。それは無邪気といっていいくらいだ。そう、何年も前から私が愛している、彼女の無邪気さ。
「離婚したくなった、って訊いたせい? あの、最初に読んでもらったときに。冗談だったのよ、あれは。あなたも、絶対、わかってくれてるんだと思ってたわ。だけど、あなたがそう推測するくらい、リアリティがあったっていうんなら嬉《うれ》しいなあ」
そして、彼女は付け加えた。
「心配させたのなら悪かったけど、あなたが、そういうことで私にまだ嫉妬《しつと》の感情を覚えてくれるんだったら、それは、もっと嬉しいわ」
そう、また、彼女の無邪気さだ。
しかし、私には、それでもなお訊きたいことがあった。
私は、小説というものはよくわからない。けれども、頭の中で彼女が考えてある物語を創り上げたということは、その主人公と同じような体験を彼女がしたいと思っていることにはならないのだろうか。そういう願望を持っているのだ、ということを直接に意味しているのではないのか。それが意識的であれ、無意識であれ。
でも、私は言うのをあきらめた。うまく伝えられそうになかったから。
代わりに、その男が小説を読んで電話をかけてきたらどう返事するのか、と訊いた。私は、政治家にインタヴューをして、言質《げんち》をとろうと一問一答を迫っている記者のようだった。
「そんなはず、ないわよ。最初の話だって、事実とは全然違うんだから。自分のことだなんて思わないわ」
と、彼女はあっさりと否定した。
納得できたわけではなかった。が、ともかく、私は用意してきたことを言った。これから小説を書くときには、主人公の設定を注意して欲しい。読んだひとが実話だと思ってしまうような筋書きは、避けてくれないだろうか、と。
そう、用意したのだ。ほぼ二週間かけて。
ジョッグの最中だけではない。バス・タブで、通勤の車の中で、そしてあまり認めたくないことだが、クリニックの診療の合間の短い時間にさえ、私は考えざるを得なかった。
その結実としての要求は、不当なものだっただろうか。将来を嘱望されているのかもしれない、新人の女流作家に対して持ち出すには。
彼女は黙っていた。黙っている彼女を私は見ていた。
受け入れるべきか、それとも拒否するべきか、迷っていたのだろうか、彼女は。
しばらくして、わかったわ、と答えた。
「私小説家だってみなされるのは、私も厭《いや》だし」
交差点を右折し、踏切を渡った。家に帰るいつものコースとは、逆に向かうことになる。私は、だらだらとした坂を下った。ペースが少し上がる。
七時を過ぎたばかりだが、この季節には完全に夜と同じだった。西の空にも、夕日の名残は見られない。
本来、まっすぐに家路を急ぐべきなのだろう。しかし、私は、私の通っていた、いや、私と私の妻の通っていた高校へ走って行ってみようと考えているのだ。もう、ずいぶんと足を運んでいない場所だ。
私は、自分がかつて在籍した高校の校舎を眺めて甘い過去の感傷に浸ったりするのは、私にふさわしいことではないと思っていた。いや、それは、いまでもそう思っている。
私は、ひとりの歯科医師として、過去を振り返ることなく、しっかりと前方を、未来を見つめ生きていきたい。だいたい、「甘い過去」などというものは、本当に存在するのだろうか。少なくとも、この私にとって。
そういった曖昧《あいまい》な概念の言葉を弄《もてあそ》ぶタイプの人間ではないのだ、私は。私が確信を持って言えるのは、一度虫歯になってしまった歯は二度とよくなることはない、ということだけだ。
C0と呼ばれるごく初期の段階を除いて、放っておいたらカルシウムが付着、再石灰化による硬化が起こり自然に治癒していた、などということはあり得ない。それが乳歯でないかぎり、ひとは過去において罹患《りかん》した部位を、一生背負って生きていく。
だとしたら、私は、いま、舌の先を犬歯の裏側に伸ばし、十数年前にう蝕《しよく》したエナメル質の痕跡《こんせき》を探ろうとしているのだろうか。
まあ、いいだろう。
なんであれ、私はLSDの距離をいつもの一・五倍ほどにするだけのことだ。そのコースの折り返し点が、私たちの高校だ。
それは、街の古い中心部にあった。本町という住所でもわかる。市の南部、海にほど近い、平坦な辺りだ。
いまは街全体が、丘陵の方に比重を移してしまった。その移行は、私たちが高校に入学する前から、徐々に進行していたようだ。
豊かな緑に囲まれた屋敷街(妻の実家は、その一画にある)として、かつては一部が開けているに過ぎなかった山側の一帯に、新しい住宅地が発達していった。行政による大規模なニュータウンの開発があったわけではない。
むしろ、画一的な区割りをとらず、また、従来のその屋敷街の延長として、あらかじめ高所得者層を対象として宅地化されたことが功を奏したのだろうか。近辺はいつの時点からか加速度的に発展した。
市の北部を通っている私鉄の各駅前(そのひとつに私のクリニックもある)や、あるいは、どちらかというと幹線道路沿いの風景が大きく変わっていった。
小規模の百貨店がいくつか進出した。趣向を凝らした建築が立ち並び、レストランやブティックがはいった。金融機関も新しい支店を丘陵部に設けた。
いままで何もなかったこと、歴史の存在しないことが、人工的で美しい街を造っていった。結婚しようとしていた私たちは、住居を求める際には迷わず丘陵部を条件とした。
JRが走り、役所や神社仏閣のたぐい、古くからの商店街などは残っている。けれども、高校のあたりを含んだ旧市街を訪れることは、特別な用事のある場合を除いてなくなっていた。
高校では、私は、すすんで陸上競技部にはいった。内部に知合いがいたとか、特別な勧誘にあったとかいうわけではなかった。
誘いなら、中学までしていたサッカー部からの方が強かった。そんなとき私は、チームプレーのスポーツはもうやめるんだ、と周りに説明していたはずだ。
結果をひとりで引き受けられるものをする、とまで口にしたかどうか。十五歳の少年のすることだ。そのような驕《おご》りも、いまとなれば微笑ましく思える。
客観的に見ても、中学生の私は、優秀なフォワードだったとは言えるだろう。一対一でのボールのキープ力。左足での扱い。何よりも、パスを受けるためにゴールサイドの空いているスペースに走り込む、そのスピードには自信があった。
高校のサッカーチームは、さして強くはなかった。私自身が新しいスポーツに気持ちが向いていたこともあったのだろう。
なににせよ、入学式の前の春休みの段階で私は部室を訪ね、練習に参加した。四月の初め、まだ授業も軌道に乗らず、オリエンテーションのたぐいがだらだらと続いているころには、私はすでに陸上部の一員として溶け込んでいた。
そんな時期の昼休みか放課後だったという。私は、ウエアを入れた大きなバッグから、シューズのはいった袋を出していたらしい。
「それ、何の靴?」
と、妻になることになる同級生の女の子が訊いた。
「スパイク」
「何の?」
「短距離」
「陸上部に入ったの?」
「うん」
と、いうような会話が、初めてふたりが口をきいたときだと彼女は言う。私はまったく記憶にないのだが。
なにしろ、クラスメイトの間での、意味のないような日常会話だ。
彼女がそんなことを言い出したのは、大学に入学してからだった。彼女が女子大の英文科に進み、私が歯学部にはいり、校内や登下校の時に自然に会えるわけではなくなった。私たちは、いかにもデートらしいデートを始めた。
すると、ふたりの付き合いの年月を確認する作業を、彼女は好むようになった。
ライヴで、会場が停電になったの覚えてるかな。そしたら、あなたが。高二の春に三組のカップルでスキーに行ったでしょ? ひどかったわ、雪が溶け出してて。文化祭の夜。あのときに校庭の隅であなたが言ったこと。
それから。次に。それで。
彼女の記憶力に、私は驚くばかりだった。やはり、彼女は、もともと物語を語る人間だったのだ。私たちの過ごした時間は、私にくらべたら数倍の密度で彼女の脳裏に刻み込まれている。
そして、グラスを前に、「最初に話したとき」を、とりわけ懐かしんだ。
私はね、その前から注目してたのよ。入学式から知ってたわ。あなたは、からだが大きくて、いるだけで目立ってたから。
そしたら、同じクラスになって、あなたは周囲のことなんか全然気にしないような感じのひとだったの。自分だけの世界にはいっちゃって、休み時間にもひとりで靴を眺めてたりしたのよ。
だが、私には内容的に信じられないところがある。私がスパイクを買ったのは、入部してある程度たってからのはずなのだ。私は道具からスポーツにはいることはない。種目の特性もわからないうちにスパイクを買うわけがない。
だから、彼女とそのような話をしたとしても、時期が一か月近くあとにずれるか、そんな早い時点だとしたら、スパイクではなくて、アップ用のシューズだったかのどちらかだ。
非常に論理的な、説得力のある説明だと私は思うのだが、彼女はどうしても譲ろうとしなかった。
うーうん、違うわ。あれは、始業式の次の次の日ぐらいよ。あなたの手の中でスパイクのピンが、何かの武器みたいで、ちょっと怖かったのよ。私、ぞくぞくしたから、よく覚えてる。
そう言って、カウンターの上からの小さなダウンライトの灯《あかり》をグラスのウイスキーに透過させた。それは、氷にあたって乱反射する。
目立っているというなら、私ではなく、彼女の方だった。
考えてみれば、高校のような閉鎖的な社会は奇妙なものだ。そういったところでは、いちばん人気の新入生、みたいなものがなぜか形成される。彼女は、私の学年のそういう女の子たちのひとりだった。
演劇部だとか放送研究会だとか映画部だとか、そんなところに出入りしていた。そして、上級生たちから人気があった。
もう、二十年も前の、こどものころの話なのだ。れっきとした職業人である、大のおとなが振り返ることではない。
しかし、いま、快調にジョッグをしていると、私にも次第によみがえってくる記憶があることがわかる。それは、一種のランナーズ・ハイなのだろうか。それとも、高校に近づいていくこのコースが、当時、彼女と歩いたことのある道だからなのだろうか。
ともかく、彼女は人気があった。いろいろな男と付き合っている、大学生とも、などという噂があった。高校一年の男たちにとって、大学に通い、車を持っているというのは、なんともかけはなれた存在に思えたものだ。
そんな子だったのだ、彼女は。
私たちの高校には制服がなかった。そして、彼女は格別変わった服を着ていなくても、他の女の子たちとはどこか違って見えた。
私にとって、彼女がまぶしくなかったと言えば、嘘になる。でも、どうということはなかったのだ。あくまで、クラスメイトのひとりでしかなかった。
一年の夏の終わりから、私は四〇〇メートル・ハードルを始めていたのだから。
短距離のグループに属して練習をしていて、私は、一〇〇や二〇〇よりも四〇〇に興味を持ちだしていた。肉体的にはひどく苦しいけれど、四〇〇メートルという種目では、トレーニングによって、タイムが目に見えて短縮されていっていた。
その記録会で、私は四〇〇である程度よいタイムを出していたのだと思う。OBに勧められたのだった。だったら、いっそのこと四パーをやってみたらどうか。長身も生かせるし。
言ってくれた本人は、軽い気持ちだったのかもしれない。しかし、私にとっては結果的に貴重なアドバイスだった。人生では、そういうこともあるのだ、と私はいまになってそのときのことを思う。私以外の人間にとっては、大袈裟《おおげさ》でナイーヴに過ぎると感じられるであろう感慨をこめて。
サッカーで養われたのなら、中学でやめてしまったそのスポーツに感謝すべきだった。私には、リズムとバランスがあるようだった。また、股関節《こかんせつ》の柔らかさが、滑らかなハードリングを可能にした。
年が明けた二年の春には、県大会で入賞しブロック大会に出場できた。これは、ちょっとしたことだった。そこでは準決勝を突破できなかったけれども。
翌年を目指して、私はトレーニングした。そして、例の十四歩のストライドと左右両足踏切りの練習を始めた。
そんなころ、なんとなく私たちは付き合いだしたのだ。そして、すぐに勢いで寝てしまった。そのとき私は彼女がヴァージンだったのに驚いた。
「いままで、そんな気にならなかったのよ。病気も怖かったし」
彼女はシーツの出血を、一生の恥だと思っているかのように説明した。
ベッドに座って毛布を巻き付けている、その剥《む》きだしの肩が美しいと私は思った。そう気づくと、その肩に唇で触れずにはいられなかった。
「あなただったら、健康そのものっていう感じじゃない?」
私の額を手で押し返しながら、そう彼女が私の耳にささやいたのを、私は、はっきりと覚えている。彼女が、まるで私のからだだけを愛しているような、妙な気分にさせられたから。
さて、結婚する前の、あのころのようなふたりに戻ることはできないのだろうか。私たちは。
私たちは、同じ映画を見て、笑い、泣いた。二時間電話で話すことができた。これといった話題がなくても。
ふたりの心が通じていたなどとは言わない。しかし、お互いに相手を知ろうと懸命になっていた。そして、何よりもお互いを求めあっていた。
いや、つまりは、簡単な、ごく平凡な言葉で表現できることなのだろう。そのくらいの単語は、私でも知っている。ふたりは恋愛をしていたのだ。そんな、あのころに戻る。
大通りから一歩入ると、道が細く、入り組んでいた。不意に曲線を描いたり、三叉路《さんさろ》があったりする。かつての用水路が暗渠《あんきよ》となったような道もあった。丘陵部とは違うところだ。
神社の境内を突っ切ると、高校への近道になる。私は薄暗い街灯を頼りに、敷石と玉砂利の道を丁寧に走る。こういうところで、着地で脚を捻《ひね》って怪我をしたくはなかった。
両側は、松並木になっていた。海岸が近いのを思わせる。
古木が倒れたままになっている鎮守の森は、陸上部でロング・ジョッグに出る前に準備運動をしたスペースだった。定期テストのあとで、ふざけ騒ぎながら、帰った道でもある。
私は神社の脇から、小さな流れにかかった橋を越えて路地にはいる。
ここを抜けると、幅の広い道にでる。その先、学校のフェンスの向こうには、私がハードルを並べたトラックがあるはずだった。
四〇〇メートル・ハードルなどという変わった種目をしているのは、当時の陸上部では私だけだった。私は、ストライドを覚えるために、ひとりで、いやになるほどそのコースを繰り返し往復したのだ。
私は立ち止まった。LSDの最中には、歩くことはあっても出来るだけ止まらないように、信号なども調節して渡っていたのだが。
そこには、私の走路だったグラウンドの端には、巨大な黒いマスが、固まりがあった。夜の闇の中で、そこだけひときわ黒くなっていた。
しかも、その黒い固まりは、揺れているのだ。
ゆっくりと、歩いて近づいていくにつれて、路地の両側の家が切れ、全体が見えてきた。巨大な固まりは、建設中の校舎であり、突き出た足場と風に吹かれるビニールシートだったのだ。
私は、突然思い出した。患者としてやってきた元三段跳びのジャンパーが言っていたことを。
しかし、それは、どんな文脈であったのだろう。彼もまた、かつて在籍した高校を見に来るような夜があったのだろうか。肥満した現在の彼の姿には、おそろしく似つかわしくないことではあるけれども。
彼は言っていたのだ。ひどく酔った口調で、我らの母校は改築中よお、と。
それは、こういうことだったのか。グラウンドの西の端に新校舎を建てる。
過去を振り返ること。感傷にふけること。それらがまったく無意味であることを証明するようなものだった。
右足に加え、左足踏切りのハードリングの練習をしながら私が見ていた景色は、半永久的に失われてしまったのだ。
もちろん、もともと過去に戻るなどというのが幻想に過ぎなかったのだ。私たちは、この現在に生きる以外にはない。
いつだって。
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7 ヴィッテル
それは私が望んだことではなかった。と言ったなら、ひとは冷笑するだろうか。ああ、そうなんですか、まったくねえ、と皮肉な微笑みを浮かべる。
それとも、言い訳するにもほどがある、と憤慨するのだろうか。
しかし、自分が望んでいないことが起こってしまう。しかも、それがあたかも私の強い意思が引き起こしたかのように起こる。そんなことが可能だったのだ。私は知らなかった。
私たちは、ジュース・バーでヴィッテルを飲んでいた。私の妻だったら、あきれたわ、というように首を大きく横に振ることだろう。男と女が、ふたりで向かい合って、水を飲むなんて。こどもじゃあるまいし。
そう、私たちは、こどもではなかった。そうだったなら、よかったのに。
ジムのバーは快適だった。空調がゆきとどいていて、プールの少し塩素の混ざった水の臭いや、鈍くこもったようなスカッシュ・コートの空気、あるいは、パウダー・ルームに拡がるローションの香料、それらすべてから隔離されていた。
斜めに切られた天井全体が自然光を取り入れているのも、室内なのに半分はオープンなスペースにいる気分にさせてくれる。
見て美しいのは当然のこととして、ある種の芸術的建築がそうであるようなひとを追い詰める要素がなく、中にいる人間をくつろがせてくれる空間。そういうところにいると、私は、それが成功していればいるほど落ち着かなくなる。
それは、私のクリニックとの比較を始めてしまうからだ。
ふんだんに予算を使ったとはいえ、ビルのテナントという制約は大きかった。もし、私の待合室に、この天井が採用できていたならば。
私は、ジムに対して軽い嫉妬《しつと》を覚えた。歯科医院とは別の産業であり、スペース効率の算出方法の基準がまったく異なるとわかってはいるのだが。
そして、たぶん、そんなことが本当にあり得るのかどうか心理学の専門家に尋ねてみないとわからないが、その同じ心の疼《うず》きが、私に妻の書いた小説の一場面を思い出させたのだろう。
新人賞を取った一作目の方だ。
イタリアに行った日本人の男女は、物珍しかった最初の一週間も過ぎると、旅先での憂鬱《ゆううつ》に襲われ出す。彼らはその解消のためのエクスカーションとして、カタロニアに足を延ばす。
イコン。ステンドグラス。降り注ぐ光。イスラムの影響を強く受けた宗教建築に、彼らは圧倒される。それに対抗する(どうして、そうすることで対抗できるのか、私にはまったく理解できなかったのだが)必要から、寺院の中で女は後ろ手で男のペニスをつかみ、まさぐり、引き出す。
そして、女(その一人称の文体から、私には、私の妻としか読めない)と男は、その場で(また、だ)セックスを始める。
私が、その、かつて私の妻とイタリアに行った男の存在を全然知らなかったのなら、もっと穏やかな心で彼女の小説を読むことも可能だったろう。
私は、その男の、およそのものの考え方や性格(そして体格!)をイメージすることができるのだ。それは、仲違いをしていた一年ののち私と妻との関係が復活したときに、彼女が私に話したからだ。彼女が一緒に旅行した、彼女の大学の助手をしていた男のことを。
私としては、喜んで聞くようなことではなかった。しかし、彼女は説明したがった。それは、「終わった恋」を報告することで、その時点での私への愛を表明しているつもりのようだった。
ともあれ、それらは、すべて本当に「終わった」ことだと私は考えていたのだ。彼女の小説に登場する主人公の恋人の男の描写が、私の持つその助手のイメージと一致するまでは。
物語は続く。
教会の椅子にすわった男の上に、髪を振り乱し、跨《また》がる女。人影のなかった聖堂に、ひとり、また、ひとりと、現地の人々が現れる。女は、男のペニスを自分の肛門《こうもん》に当て、腰をおろす。カタロニアの人々は、沈黙したまま、ふたりを取り囲み、見つめる。
ひどい話だ。冒涜《ぼうとく》的なだけだ。
それが、受賞の選評では、「海外を舞台に、我々日本人の現在を浮彫りにする象徴的シーンであった」などと評価されるのだ。
私には、文学という世界が、到底わからない。
彼女は、どうなのだろう。私の前で、透明な気泡がちりばめられたヴィッテルのグラスを持つ彼女は。
彼女は髪を切った。顎《あご》の線ぐらいまでの長さに。印象が一変する姿で最初に彼女が現れた日、クリニックの女の子たちは、スタッフ・ルームで彼女に尋ねていた。
なんで切ったの? あんなに長くてきれいだったのに。勇気がいるでしょ、そんなに短くするには。
そのとき、私には部屋を出て行かなければならない用事があり、彼女の返事を聞くことはできなかった。しかし髪を切るのに特別な理由が必要なのだろうか、と彼女たちのざわめきを背にしながら、私は考えていた。
歯列を矯正するときには、本来の正しい歯の並び方というものがある。その理想の歯列を目指して、根気よく歯を移動させていく。
大人になったら矯正はできない、と思い込んであきらめている患者は多い。が、そんなことはない。
第一小|臼歯《きゆうし》ぐらいの大きさの歯なら、一平方センチメートルあたり五〇グラム程度の力を半年ほどかけていれば、一〇ミリ近く移動する。適切な方法を採用しさえするなら、昔のように大袈裟《おおげさ》なワイヤーをくわえ続けることもなく、案外簡単に行える治療なのだ。
ただし、歯並びというものは顔の表情に絶対的な影響を及ぼす。だから、歯列矯正には患者本人の美意識の反映が必要であるし、実際にその相談には慎重に時間がかけられる。
が、やはりそこには、正しい歯の位置という厳然たる基準がある。髪を切るように、気軽に歯を移動してみるものはいないだろう。
ルーティン・ワークとしての事務仕事(外注している歯科技工の会社への書類作成)をこなしていた私に、そのあたりで電話がかかり、私の非生産的な思考は中断されたはずだ。私は、審美歯科医である自分の仕事と美容師のそれとを比較しようとしていた。正しい歯並び、正しい髪形。
しかし、私のかなり混乱した思考は、職業人としての自己のアイデンティティを求めるためのものではなかったのだ、といまになって私は気づいた。
クロールとブレスト・ストローク、それにバタフライを織り混ぜ、ゆっくりと三〇分泳いだ。そのあとのエアロビクスバイクでは、むしろ無酸素運動を積極的に取り入れてみた。約一時間のエクササイズで、私はリラックスできていたのかもしれない。
私が歯列矯正を引き合いにだして考えたりしたのは、彼女の短い髪を受け入れるのに、それだけの時間が必要だったからなのだ。
そして、いま、私は受け入れている、充分に。彼女の、ジュース・バーに先にすわっているであろう私を待たせないように急いだため完全には乾いていない短い髪を。
私は、行こうか、と言った。
彼女はうなずいた。
つまりは、やはり、私の意思だ。それは弁解のしようはない。
彼女のきっちりと左右対称の小陰唇。私の舌の先端がそれを捕らえる。一瞬、怯《おび》えたように震えた彼女の柔らかいそれは、私から逃げようとする。
彼女の息を詰めた、小さい声が聞こえる。私の右の耳には、閉じようとする彼女の左脚の太腿《ふともも》が強く押し付けられ、ふさがれているのだけれど。
彼女は手を伸ばし私の頭を押し返そうとする。あまり力がはいらないようだ。指で私の髪をすく。
私は顔を上げ、彼女の指を私の口に含む。中指。そして、人差し指も。それらは、保険証から記載事項を転記するとき、ずれないようにカルテに添えられていた彼女の指だ。
それらは、私の口の中で小さく、おずおずと動く。私は、彼女の中指の第二関節を軽く噛《か》む。
彼女の脚は、再び閉じられてしまった。
私は、這《は》い上がり、彼女の鎖骨にキスする。白衣の隙間からのぞいていたあの鎖骨に。
そのまま首に向かってずれていき舌を小さく動かすと、彼女はくすぐったそうにする。小さく笑う。
私は、私の歯科医院の設備を可能な限り充実させた。おそらく、歯科医がひとりで運営するクリニックとしては日本で最高のクラスであろう、と誇ることも可能だ。
しかし、最終的に問題になるのは、設備よりも人材であると私は考えていた。治療というのは、私が手を動かして患者に直接に施す技術的側面だけではない。
不安を覚え、かけてきた電話への、優しく適切な対応。すでに、そこから治療が始まっている。だから、アルバイトの大学生のスタッフの採用に際しては、私は沢木さんと一緒に丁寧な面接を行った。
品があり、患者の話をがまん強く聞ける落ち着きがあること。ひとに対して自然な敬意が払えること。そういったいくつかの条件が満たされているかどうかを私はチェックしていた。そのとき、私の好みなどのはいる余地はないはずだった。
ビジネス街でサラリーマン相手に商売するクリニックなら、派手で男好きのする女の子をすわらせておけばよい。私の場合は、主として女性を対象としている審美歯科なのだ。基準には、ある程度の年齢の婦人から不快感をもたれない、というのも含まれていた。
私は、そういうときの私情をはさまない冷静さには、昔から自信があったのだ。しかし、条件だとか基準などというものは、結局は主観的なものに過ぎないのかもしれない、と彼女の、十九歳のミズノと呼ばれる女の子の耳にキスしながら、私は初めて思った。
長い髪を上げていたときからその美しさに気づいていた耳の形。それには、すでに採用の面接の時点で無意識に影響されていたのかもしれないのだ。
それなら、歯列矯正にだって、それは当てはまるのだろうか。正しい歯並び、と言いながら、私は自分の好みの配列を求める。理想の歯列を提示するつもりで、私の好む表情が浮かべられるような歯並びを意識せずに勧めている。
つまりは、自分が好きな顔を生み出そうとしているのだ。
この街の女性たちが、みな私の治療を受けるようになる。私の好む顔の女性が街に増えていく。だったら、これはなかなか良い職業だと言える?
固く閉じられたままの彼女の脚と脚の間。私は捩《ね》じ込むように力を込めて舌を入れる。私の口が彼女のヘアを味わう。私の鼻がくすぐられる。
彼女の下腹部が波打った。
私は、彼女の脚と脚にはさまれた私の舌をとがらせて、彼女のクリトリスのあるあたりを上下させる。
彼女の右手、伸ばされた手を私の左手がつかむ。彼女も握り返す。
ジムで彼女に出会ったのは三回目だった。
マシンジムのバイクは、負荷を調節することで簡単に運動に変化をもたらすことが出来た。重い負荷で全力で漕《こ》ぐ。あるいは、軽くして高速で回転させる。
その機能に私は満足していたが、唯一ばかげていると思ったのは、ハンドルバーの部分にテレビ受像機が組み込まれていることだった。
運動をしながらテレビを見る。それは、アクティブとパッシブの正反対の行為の同時進行だ。
エクササイズの効果を高めるためには、精神の集中を必要とする。それなのに、私には信じられないことなのだが、かなりの利用者がテレビをオンにしていた。
自分が現在どんな運動をしようとしているのか、無酸素か有酸素運動か。どの部位の筋肉を鍛えようとしているのか。目的意識のない運動など、無意味なばかりか、害になることも当然あり得るのに。
しかし、今日は、私の集中力も怪しかった。バイクを漕ぎながらも、私の目は、スタジオでレッスンを受けている彼女の動きを追っていたのだから。
一時間前にしなやかに舞っていた彼女のからだは、いま、私の腕の中にある。美しい線を描いていた、伸縮性のある薄い最後の布地さえまとうことなく。
私は、私の両手で、そっと彼女の脚を開く。彼女の抵抗は弱まっている。
色素の沈着の少ない、健康な歯茎のようにピンク色をした彼女の小陰唇は、まだ閉じたままだ。
私は、私の唇を彼女の脚の間の唇に合わせる。私は、私の唇で彼女の唇をそっと押し広げる。
その合わせ目に私の舌をすべらせる。私の舌が、彼女の液体をすくう。
私は、彼女のからだでつくられた淡いヴィッテルを味わう。
私の舌が駆け上り、包皮につつまれた彼女のクリトリスを刺激する。私の舌が、少しずつ彼女の覆いをはがしていく。
私の舌に、彼女のクリトリスが固くなっていくのがわかる。
私の妻の小説は、性描写に溢《あふ》れていた。それも、比較的にノーマルとはみなされない行為が多かった。
主人公の女が、男の見ている前で、金で買ったイタリアの物売りの少年に抱かれる場面を私は覚えている。
女は、その少年に肛門《こうもん》を舐《な》めさせた。少年の顔に跨《また》がり、尻《しり》を振るようにして、何回も。
それは、私と彼女とのセックスでは行われたことがないものだった。私が求めたこともないし、彼女が要求したことも。
私と暮らしながら、(私と性交渉を持ちながら)、私の妻は私には話すことなく、このようなシーンを考え、書いていたのだ。
私は、彼女をうつぶせにする。
力の抜けてしまった彼女は、されるままになっている。彼女の背中の美しいカーヴ。
その中心を流れる背骨に沿って、私は私の舌を這わせる。私の目的地は河口だ。
私は、私の舌に力を込め、尖《とが》らせるようにして唇から出すと、彼女の尾骨の下部に開いた、彼女の窪《くぼ》みに突きたてた。
ボルボのドアを閉め、ロックした。スイッチを操作し、駐車場のシャッターを降ろす。
マンションのオート・ロックを解除するキーを差し込み、右に四五度回転させる。耳慣れた電子音とともにドアが開く。
郵便受けには、不動産の取引きに関する広告ビラが数枚入っていた。それに宅配ピザのメニュー。
妻宛ての美容院からのハガキには、バースデイ割引きの案内が印刷されていた。来月には彼女は三十六になる。
それらにくわえて夕刊もあることに、私は特に疑問を持たなかった。最近、執筆に熱中している妻は、郵便受けに興味を示さなくなっていたから。
玄関のドアを開けると、自動の照明がつく。
妻は現れなかった。毬子もいない。リビングにも寝室にも、彼女のメモは残されていなかった。
それは、これまでにないことだった。
私はウイスキーをグラスに注いだ。ストレートで口に含むと、舌に滲《し》みた。水野さんとのセックスのせいだった。
さて。
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8 ハムストリング
私が飲んだコーヒーのマグカップと、私の妻が飲んだミルク・ティーのポットとカップとソーサー。金属製の小さな、光輝く紅茶の葉受け。
トーストを載せた皿は、もちろん二枚。ガラスのサラダボール。それを取り分ける小皿。半熟たまごがうまくおさまるように、半球状にくぼんだ食器は何と呼んだらいいのだろう。
私は、私と私の妻のふたり分の朝食の食器を洗浄器にセットしている。
その仕事が私は好きだ。食べ物や飲み物の付着した食器を工夫して並べるのが。扉の前面の上部のコントロール・パネルを操作し、機械を作動させるのが。そして、再びドアが開いたとき、それらが洗われて清潔になって出てくるのが好きだ。
私は、食器の全体の量を判断し、配置を考慮し、最も効果的に洗浄できるようにする。
朝食はともかくとして、夕食の場合は配慮のあるなしで効果に大きな違いが生まれる、と私は信じている。油のついたものだけ別に予洗したり、噴射される水流の強い箇所に汚れの面を向けてセットしたり。
妻は、そんな私に、最初のうちはあきれていた。
「手で洗った方が早いんじゃないの? そんなに入れ方に苦労してるくらいなら」
意見の表明に関しては、彼女は率直さを尊んだ。おそらく、初めて出会ったころから。
そして、この場合、その意見は妥当とも言えた。私は、入れ忘れた菜箸《さいばし》を握り、くぐもった音をたてて動き出してしまったディッシュ・ウォッシャーを見つめていたりしたのだ。
キッチンが自分のテリトリーであり、それを私が侵している、というようなことで彼女が私の作業を好まなかったわけではないと思う。私たちは高校の同級生だ。お互いに、そのくらいのことはわかる。
きっと、単に邪魔だったのだ。洗浄器の大きな蓋《ふた》を開けたまま、しゃがみこみ、一度はセットした食器を移動させたりしている一八六センチで七八キロの固まりが。
しばらくすると、私という人間に対するあきらめが生じたのだろうか、逆に私の毎日の儀式を楽しんでいるように見えることもあった。横で私の丁寧な仕事ぶりを眺めながら、ナイフ・フォークを手渡してくれたりすることも。
もっとも、私の作業効率は当初より格段に進歩した。(最近は、エクササイズを再開することにより体重が五、六キロは減少し、障害物としてはわずかであれ小さくなった、というのは、この場合関係ないだろうか)
メインとなる数枚の大皿のたぐい、グラタンを作るための深いものや刺身をのせるまな板皿のようなものに注意を払いさえすればよい。そのあとのセッティングはシステマティックに出来るようになった。
そもそも、結婚することになりマンションを購入しようとしたとき、モデルルームで妻は憤慨したのだ。
「こんな、大袈裟《おおげさ》なキッチン、いらないわ。台所っていうのは、作業するスペースがあって、火と水まわりの位置の関係がちゃんとしてれば、それで充分なのよ」
私は、彼女の実家のキッチンを思い出そうとしていた。何回か足を踏み入れたことがある。彼女の家に食事に招かれたときに、片付けを手伝って。
旧《ふる》い造りの洋館だった。そのキッチンは、昼も夜も薄暗く、湿っているような印象だ。シンクに向かって食器を洗っている後ろ姿の彼女にそっと近づき、頬にキスしたことがあった。もちろん、彼女の家族の目を盗んでのことだ。
それは、おそらく、まだ高校生のころだったはずだ。そのときの彼女は、どんな反応を示したのだろうか。私には、その部分の記憶が欠落している。
ところで、私は、その、彼女の言う「大袈裟なキッチン」を、ひと目見ただけで、気に入ってしまっていた。あちこちにスイッチがある、コックピットのようなキッチン。
いくつかに分かれた手元の照明に大型の換気扇、ビルト・インの食器洗浄器だけではない。収納を兼ね、また、料理を載せる前の加温にも使える大きな乾燥機が両ウイングにある。
七面鳥が丸のまま回せそうなオーヴン。足元には局所暖房として温風が吹き出す。私は、基本的に機械というものが好きなのだ。
確かに、彼女が言うのは正しいのだろう。近辺の地価が高いため、マンションとしては異常なくらいの高価格になってしまっている。それを、むやみに付加価値的な設備を取り付けることで、購入者を魅《ひ》き付けようとしているのだ。
でも、私は好きだ。
ひとが快適に暮らせるようにするために考え出された機械装置。それらを私は肯定的にとらえたいと思う。多少、ギミックのように見えたところで。
たとえば、自動車のドア・ミラーがスイッチひとつで倒れる仕掛けはどうだろう。象のダンボのように耳を閉じる車。なんとも馬鹿げたイメージだ。
しかし、結局のところ、日本の狭い道で擦れ違うときなどに、案外に便利だと感じるひとは多いと思う。私のボルボには、ついていない装置なのだが。
「なによ、この浴室乾燥って。ここに、バス・タブの脇に、誰が洗濯物を干す気になんてなれるの?」
彼女は、新しいギミックを発見してしまった。
モデルルームのバスルームをぐるっと見渡し、指差しながら私に言った。案内をしてくれている販売会社員に聞こえないように、声をひそめて。
模造大理石を張り巡らした、あくまで豪華さを追及した浴槽と、天井の少し下に何気ないふりをして渡された物干しの棒。その組合わせは、悪趣味とまでは言わないが、奇妙なものだった。もちろん、それに気づけばの話だが。
そう、そのとおりだね。でもね、十年に一度ぐらいは、使いたいことがあるかもしれないよ。それに、これはオプションじゃないんだ。温風を出す装置を取りはずす方がお金がかかるんだ。
私は彼女をなだめた。
私には、新築物件であれ中古であれ、それまでいくつか見てきたなかで、彼女がこのマンションを第一候補として選択するだろうということがわかっていた。
日曜日で工事が休止している建設地。鉄骨が剥《む》きだしになっている荒々しい現場で、冷たい風に吹かれながら、眼下に広がる町並みと、その向こうに鈍く光る海を見ていた彼女のその横顔から。
すでに心のなかでは決めていて、そのうえで彼女は決心を固めるため、思い付く限りのマイナスポイントを挙げていたのだ。それが私にはわかっていた。
そして、私は、そういう彼女をいとしいと感じていた。
仮契約を済まし、モデルルームを後にするころには、暗くなっていた。駅からの距離を実感し、あたりの雰囲気を知るために車で来ていなかった私たちは、急な坂道を早足で下った。とりあえず、最初に目についた駅前の小さな焼鳥屋に入った。
その店は、私たちがここで暮らすようになってから半年ほどでつぶれてしまった。閉店を告げる張紙がされた引戸を見たとたん、その理由がすぐに納得できるような店でもあった。私たちだって、一回しか行っていない。
けれども、その一回は、マンションのモデルルームを訪ねた日の私たちにとっては、貴重な休息の場となってくれた店だった。
販売会社の、いかにも営業マンといった感じの人間とのやりとりにおけるちょっとした緊張や、むしろそれに付随する退屈、申し込む居室の選択を巡る興奮といったものを鎮めるための。あるいは、一緒に住み始める部屋の家具の配置について、早くもふたりで思いを巡らすためにも。
客の少ない、活気のない、カウンターだけの店で、熱く燗《かん》をした日本酒がからだに染み込むようだったのを私は覚えている。彼女は、よくしゃべった。私も笑った。
婚約していたころの私たち。もう、十年も前のことだ。
私は、洗剤を付属品のスプーンで計量して投入し、食器洗浄器のコントロール・パネルを押す。軽い汚れ。三〇分コース。
他に、標準の六〇分と、その二倍、二時間をかける念入りコースとがある。この三段階以外を選択するには、複雑なスイッチ操作が必要になる。すすぎや乾燥について、それぞれの時間をプログラミングする。
もちろん、私はそれらを実行してもいる。けれど、朝食の食器なら、このあらかじめ設定された短時間のコースで充分だ。
ドアを閉める音が聞こえた。
私の妻が、自分の部屋を出てくる。外出の用意が整ったのだ。
私たちが留守をしている間に、私の好きなディッシュ・ウォッシャーが、食器を清潔に洗い上げておいてくれる。
温室の空気は独特のものだ。少し湿っていて、そして、濃厚に植物の匂いがからめられている。入口の扉を開けてはいり、最初に吸い込むときには、抵抗がある。
それは、人間の動物としての本能に基づくのだろう、と前から私は考えていた。
古代において、森やジャングルというのは、安易に足を踏み入れることのできない恐怖の場所だったのではないだろうか。生い茂る植物に視野をさえぎられ、どこから敵が襲ってくるかわからない。そして、その恐れと警戒の心が、私たちの遺伝子に蓄積され記憶されている。
しかし、妻は、そんなことにはおかまいなしに、どんどん温室の奥に向かって歩いて行く。私とは違った系統のDNAを持つのだろうか。
昨日の午後、彼女は言った。なんとはなしに、突然、という感じが私にはしたのだが。
「明日、どこかに出かけようよ」
私はソファで建築のグラフ誌を見ていた。カラーの印刷は日本の本よりはるかに劣るけれど、アメリカの雑誌は、何か編集の方針がおおらかな感じで楽しめる。
私は、エクササイズを差し控えていた。
前日、ロング・ジョッグでクリニックから帰ってくるときに、ハムストリングにぴりっと電気が走るような異常があったからだ。私はその場でウォーキングに切り替えた。
しばらくは、ストレッチングと、ハムストリングに負荷のかからない部位の筋肉の補強運動で様子を見るつもりだった。
怪我を予防するには、とにかく無理をしない、というのが私の考えだ。ひとたび怪我と呼ぶようなレヴェルに達してしまった場合、三十五になっている私にとって、回復には時間がかかるだろう。
それに、なによりも、高校生のときのようにレースをしているわけではないのだ。トレーニングの計画に、インターハイという最終ゴールの設定はない。
私は、雑誌から顔を上げた。
彼女は、腰に手を当て、微笑んでいた。
「原稿が仕上がったのよ。いま、何にも追われてないの。久し振り」
そう、確かに、彼女はずっと追われていたのだろう、私の知らない何ものかに。
食事の時間や娘の世話をしなければならないときを除いて、部屋に引きこもっていることが多かった。
「今晩から、毬子は預けてきちゃおうよ。ちょっと、伸び伸びしたい。どうせ、なんだったっけ、あなたも、えーと」
ハムストリング、と私は言った、ゆっくりと。
彼女の、我が家の新進作家のヴォキャブラリィにはない言葉らしかった。そういうものなのだろうか。
たとえば、従来は歯槽膿漏《しそうのうろう》と呼ばれることが多かった歯周炎。その主因となる菌の、バクテロイデス・ジンジバリスを彼女が知らないのは当然のことだ。
それは、私たち、特定の分野に関わっているものだけが、感慨を込めて密《ひそ》かに取り交わす暗号のような言葉だ。
けれども、腱《けん》や筋肉に関しては、日常生活の場で、私は彼女に繰り返し説明してきたと思うのだが。
ともあれ、私たちは、日曜日をふたりで外出して過ごすことになった。そこで彼女が提案したのが植物園だったのだ。
冬の植物園の温室。それは、彼女の愛する場所だった。
春を先取りして、様々な花が咲き開く。彼女は、そのようなスペースを楽しむ。私が嫉妬《しつと》するぐらいに。
その嫉妬というのは、ふたつの面でだった。そんなにも、ある意味で私の存在よりも、彼女の心を捕らえているものがあるということ。
そして、もうひとつは、彼女が単に、とても植物園にいることを楽しめるということ。それ自体を私はうらやましく思った。
なぜなら、私の場合は、同じくらいの喜びを得ようとするなら、四〇〇メートル・ハードルをしなければならないのだ。日々の単調なトレーニング。
それなのに、彼女は、ただ、温室にいさえすればよい。
彼女は、様々な色のパンジーの前にしゃがみ込む。あと一か月もすれば、駅だとか銀行の自動ドアの脇のフラワーポットだとか、そのへんの道端でも見られるような、どうということはない、ありきたりの植物だ。
私は見ている。パンジーと、パンジーを見ている彼女とを。
植物園は、私たちのデート・コースのひとつだった。もちろん、彼女が誘うのに、私が従った。
初めて一緒に来た高校生のとき、私がカンナとダリアの区別もつかないことに、彼女は驚き、そして喜んだ。
そう、私が現在知っている花の名前の八〇%は、彼女に教えてもらったものだ。
それまでの私にとっては、「花」という普通名詞で充分だったのだ。彼女が腱や靱帯《じんたい》や筋肉について知らないように、私のヴォキャブラリィには花に関する言葉がなかった。
しかし、五月のバラ園での名前の氾濫《はんらん》には、彼女も笑っていた。なぜ、あれほどの、おびただしいほどの名前、品種改良者の自意識にあふれるネーミングが必要なのか。
私が新種のバラの栽培に成功したとき、花の前に置かれたプレートに記すだろうか。バクテロイデス・ジンジバリスなどと。
彼女は、先に行ってしまい、水槽に浮かぶ植物を見ている。何かを見つけたらしい。振り返って、手招きする。
日曜日。植物園の温室。
彼女は美しい。
私は、水槽のところで手を振っている彼女を何回も見たことがある気がする。
私たちは、高校生のころと比べて、何が同じで、何が変化したのだろうか。
彼女は小説を書くようになった。私に連絡を残さない外出をするようになった。そのことを、私は、咎《とが》めなくなった。
私は気づいていた。昨日、今日とエクササイズをしなかったのは、ハムストリングを傷つけることを恐れたためではなかったのだということを。
それよりも、私は怖かったのだ。ミズノとクリニックで呼ばれている女の子に、ジムで出会ってしまうことが。彼女と、そして、彼女のヴィッテルを飲んでしまうことが。
しかし、と、いま私は考える。私たちは、少なくとも私は、三〇分コースで済むのだろうか。
軽い汚れのコースで。
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9 コーナリング
右下の第一大|臼歯《きゆうし》が、熟れ過ぎた果実がもげるように歯茎からはずれ、口腔《こうくう》内にこぼれ落ちる。ゆっくりと、ほとんど抵抗もなく。
もろいものだ。
舌の先が、歯の抜けた跡をさぐる。そこには恐ろしいほど大きな空洞がひろがっている。
第一大臼歯は、人間が持ついちばん大きな歯であり、それなりのスペースを占めていても当然だ。また、舌の先の神経は敏感なため、わずかな変化でさえ非常に劇的に感じとる。
しかし、そういったことを理解してはいても、第一大臼歯の抜けた跡は予想以上に大きい。下顎《したあご》の一部に、からだのどの組織にも属することのない、巨大な空間が生じてしまった気がする。
臼歯を支えているはずの歯槽骨は溶融し、後退していた。典型的な末期歯周炎。
ソケット状になっている穴の底をさぐっていた舌が横に滑り、両側の残っている歯と歯(それらは正確には、前側が第二小臼歯、後側が第二大臼歯と呼ばれる)の間を通り抜け、頬の内側に触れて止まる。何かを発見したような、新鮮な感覚。そこは、いままで決して舌の先が当たることのなかった部位だからだ。
すると、その舌の動きに刺激されたかのように、奥側に位置している第二大臼歯が振動を始めた。前後への揺れと共に、少しずつ、少しずつ、持ち上がる。ふた股《また》に分かれた歯根部分が露出する。
やがて、先ほどの第一大臼歯と同じように、あっけなく、ポロっと脱落した。痛みは伴わない。
それがきっかけとなったのだろうか、続けて右の上の方の臼歯の部分の全体が揺れ始めた。舌がその動きを抑えようとすると、その努力を笑うかのように、左の上下でも、大臼歯や小臼歯が、それぞれの振動を開始する。
そして、それらは、次々とはずれ、口腔内にこぼれ落ちてくる。
私は、抜けた臼歯を吐き出そうと思うのだが、口を開くことが出来ない。いまや、私の口の中は、大小の臼歯で、いっぱいにものを頬張ったときのようになってしまった。
そうだ、これは、こどものころに、とうもろこしを食べていたときの感じだ。
私は、小さいころ、とうもろこしが好物だった。縁日の夜店や夏の海岸で? いや、違う。醤油《しようゆ》をつけ表面が焦げてつぶれるまで焼いたものではない。
家庭で、あの最近出ているハニーバンタムだとかピーターコーンだとかいう甘い品種ではなくて、もっと野生的なのを茹《ゆ》でたときのことだ。
ひとつひとつの粒がしっかりとしていて、みずみずしく輝いていた。こどものころの私は、とうもろこしの軸を回転させ、その粒を壊さないように、うまく前歯(というのは中切歯のことだ)で丸のままはずすのが好きだった。
あの歯ざわり。舌に乗ったときの感じ。
私は、とうもろこしの粒を口の中にいっぱいにためた。そして、もう頬張れないくらいになってから、それらの粒を味わった。食べ物をつかった、こどもらしい遊びだったのだ。
今は死んでしまった私の祖母は、私が食べた後のとうもろこしの軸がきれいなのを褒めてくれた。それがとても嬉《うれ》しかったことを、私は覚えている。
私は、私の口の中に頬張っているものを飲み込んだ。祖母の家で過ごした少年時代の夏休みのある日の夕方のように。
しかし、私の食道を通過して胃へと降りていったのは、とうもろこしの粒ではなく、明らかに、抜け落ちた私の臼歯だった。
目が覚めてからも、嫌な感覚が残っていた。口腔内での臼歯の振動。あるいは、固い物質が、ひっかかりながら食道を移動するのがわかる、その感触。
私は舌の先で、ひとつひとつの臼歯がちゃんと存在しているのを確認した。歯茎はストレートのウイスキーによって刺激され、焼かれたようになっていた。飲み過ぎだった。就寝前の量としては。
時計を見ると、眠りについてから一時間もたっていなかった。
私は歯科医だ。それが歯の抜け落ちる夢を見る。情けない話だ。
しかも、それは、いったい、いつからだったのだろう。これで四、五回目にはなる。こんなにも生々しかったのは初めてだったが。
隣のベッドには妻が横になっていた。フット・ライトの控え目な照明に、寝具にもぐりこんでこちらに背を向けている彼女のからだの形が浮かびあがっている。
彼女は寝室を愛していた。
結婚が決まり、ふたりで家具やカーテン、ブラインド、照明装置などの相談をしていたころ、彼女は寝室の設計には格段の熱意を示した。私は、そのほとんどを彼女の意見に従った。
結果として出来上がったものは、うすいブルーとグレーを主体とした硬質の、知的と言えば非常に知的であり、夜の休息の場としては冷ややかに過ぎるというのなら、まさにその通りの寝室となった。
結婚当初、訪ねてきたとき、私の母親は通りがかりにドアの隙間から部屋を一瞥《いちべつ》した。
親の世代の持つ新婚夫婦の寝室という概念がどんなものであるのか、私にはわからない。
母親も何も言わなかった。
ピンクや赤が多用されていたり、レースに刺繍《ししゆう》、そんなものなら私は願い下げだ。いっそのこと、天蓋《てんがい》のついたダブルベッドまでいってしまえば、楽しいかもしれないが。
ともかく、そのときの母親の表情からわかったのは、私たちの寝室のたたずまいは、彼女にとっては予想外のものだった、ということだけだ。
妻は、寝室をホテルの一室のようにしたかったのだ。
それも、装飾を多く施した、旧《ふる》くからの伝統を誇る重厚なホテルではなく、都市型の新しい(かといって、決して、豪華さを売物にしたけばけばしいタイプではない)ホテル。むしろ、最近は高原や海辺のリゾート地で見られるような、実質的で清潔な部屋を目指していた。
そして、その点においては、彼女の試みは成功したと言って差し支えないだろう。
セミダブルのベッドふたつと、その間に、読書用の照明の載った小さなテーブル。家具と呼べるものは、あとはフロアスタンドがあるだけだった。そのフット・ライトを下に組み込んだテーブルにしても、棚のスペースは、数冊の本と一本のウイスキー以上は似つかわしくないものだった。
彼女は寝室に余分なものを持ち込むことを拒んだ。この部屋に普通より過剰なものがあるとしたら、有線放送のシステムとその操作パネルぐらいのものだろう。
本来はリビングルームでしか聞けなかったのを、増設したのだ。マンションの販売会社では、オプションとして想定していない工事のようだった。
その交渉は、私も楽しんだ。私は直接にいくつかのメーカーからカタログを取り寄せ、比較したうえでBOSEのプリメインアンプとスピーカーを発注した。特にそのスピーカーを天井埋め込みにする工事費は、少ないものではなかったが。
そう、彼女は寝室を愛していたのだろう。
育児や原稿に忙しいときでも、寝室の掃除と、これもホテル流のベッド・メイキングだけは省略しなかった。夜、寝ようとするとき、いつも、しっかりとセットされた寝具を引き剥《は》がす儀式を行うのは、私にしても気持ちのよいことだった。
そんなとき、彼女が選択し流していた小さな音量のジャズ・ヴォーカルに、私は、単純ながら、結婚というものの喜びを感じていたのかもしれない。
彼女の愛する寝室で、眠っている私の妻を、歯の抜ける夢で眠りから覚めてしまった彼女の夫である私が見ている。
日付は変わってしまったけれど、数時間前には、私は、ホテル流ではなく実際にホテルの一室で、彼女よりもひと回り小さいからだを見つめていたのだ。
彼女は午後の勤務に入っていた。アルバイトの大学生の出勤と退勤の時間には、かなりの幅を持たせていた。それがクリニックの方針だった。
彼女たちには授業があり、遊びの予定がある。それらは、当然、私たちの仕事の側から見れば不規則なものだ。それなのに、たとえば厳密な二交替制、前半は八時三〇分から二時まで、後半は二時から七時三〇分までなどと決めてしまった場合、それに合わせるのは、容易ではないだろう。
それよりは、原則は原則として、あらかじめ申告をきちんとする限り、都合のつく時刻に来て働いてもらった方がよい。その方が、彼女たちも、その勤務時間中に行えていたはずの他の物事に心をひかれることなく、積極的に仕事に取り組める。
もちろん、そうすると、特定の時間にひとが不足することを避けるために、余裕を持った勤務体制をつくらなければならなくなり、人件費のコストは増加する。
しかし、それでも、短期間に彼女たちに辞められてしまい、また、最初から新人に仕事を覚えてもらうよりは、長い目で見れば安上がりだと私は考えていた。
出勤の予定である三時になる一五分ほど前に、オフィスに届いていた郵便物を抱えて彼女は入ってきた。時間を守り、また、一度決まった勤務の変更を申し出ることがないという点で、彼女はアルバイトの調整にあたっている沢木さんの評価が高かった。
たまたまデスクに向かっていた私に、彼女は挨拶《あいさつ》し、それらの郵便物を手渡した。特徴のある高くて細い声の調子も、大袈裟《おおげさ》ではないのに、しっかりと相手に対して敬愛の念を示すお辞儀の仕種も、その態度は、いつもとまったく変わりがなかったと思う。
変わった点があったとしたら、むしろ、私の方だったのかもしれない。
ひところよりはずいぶんと少なくなったとはいうものの、オフィス宛てに届くのは、ゴルフの会員権の案内をはじめとする、投資への誘いのダイレクトメールの山だった。それらを私は開封しないままごみ箱に放り込んでいて、不注意にも私信の葉書までも捨ててしまった。
私が見ていたのは郵便物ではなく、すでにスタッフ・ルームへ行ってしまってそこにはない彼女の指先だったのだろうか。私が軽く噛《か》んだときに震えた彼女の指。
気づいて拾い上げたそれは、高校時代の陸上部の友人からのエアメイルだった。
虫歯の治療をしておいてもらって感謝に堪えない。ここはひでえところだ。祈祷師《きとうし》だって住めないぜ。いまは雨季でサウナの中で生きてるようなもんだ。二年後にはスリムになって再会してみせる。勝負はそのとき。種目はロング・ジャンプだ。ふたりの実力がいちばん接近していたと思う。So Long。
私は、就職してでっぷりと太ってしまった元三段跳びの選手を思い浮かべた。
彼は、もともと跳躍が専門で、私は四〇〇メートル・ハードルなのに、走り幅跳びでの勝負はないだろう、はたして記録が接近などしていたかどうか、と考えて読み返して気づいた。ロングは、So Longとの駄《だ》洒|落《じやれ》だったのだ。そう、ロング。
別れ際、かなり酩酊《めいてい》して愚痴をこぼしていたときとは、うって変わった、あくまで元気な通信だった。それが商社マンとしての彼の人生のやり方なのだろう。
だったら、歯科医としての私の人生のやり方とは?
私たちは、彼女と私とは、ジムで落ち合った。
ロビーで待っているはずだったのだが、窓から見ていたようだった。すぐに駐車場に降りてきた。
私の腕の中で、クリニックではミズノと呼ばれている女の子のからだは、信じられないくらいに軽かった。まるで、存在していないかのように。
そんなにも、彼女は透明だったのだ。
彼女の細く長い首。その上に続く小さく引き締まった顎《あご》の形。私は最初の面接のときから、彼女の顎のスペースは、おとなの三十二本の永久歯を収納するのは不可能だろうと思っていた。
それが確認できたのは、今日が初めてだった。
私の下で、私のやや乱暴だったかもしれない動きに、彼女は軽く口を開いた。
そこは、きれいに歯列矯正されていた。横に生えてきたのであろう小|臼歯《きゆうし》を抜歯し、スペースを確保し全体を整えていた。乳歯から永久歯への生え変わりの時期に無理なく行われたようだった。
私は、彼女にキスする。私の目だけではなく、今度は私は私の舌で彼女の歯を確認する。もちろん、これは、ふだん患者に対してなされる診察ではない。
がまん出来なくなったように、水野さんの舌が私の舌をおずおずと探しにくる。それは、彼女の意思とは無関係だと私は知っている。
人間の舌は好奇心が強いものなのだ。口腔《こうくう》内に入ってくるものには、なんでも近づいて確認したがる性質がある。バキュームの先端で押さえておかなければ、掘削中のエアタービンにまで接近してくるのだ。
しかし、いま、彼女の舌は、私の舌と、滑り、からまる。私は、私の一回一回の動きを強くする。
彼女の背に回された私の腕の中で、彼女のからだが激しく震える。それは、私のからだの下でベッドに横になっているはずなのに、ほとんど宙に浮いてしまっている。
私は有線放送のスイッチを入れた。音量は、ごく小さく。私の妻を起こさないように。
操作から一瞬の間を置いて、流れ始める。ベースのソロのチャンネルになっていた。
水野さんを送って帰るとき、助手席の彼女は、ほとんどしゃべらなかった。口を開けることが出来ないくらい疲れているようだった。
私は私で、自分の考えの中に浸っていた。
私が初めて女の子を車に乗せたときのことを思い出していたのだ。大学に入学して最初の夏。
私は高校の同級生で、その後結婚することになる女の子を、ドライヴのデートをするために、家に迎えに行った。車は240だった。廃車寸前の状態のものを、知人から譲ってもらったのだ。
私は興奮していたし、女の子を乗せての慣れない運転ということで緊張もしていた。いい天気の日だった。暑くて、そして、気持ちのいい風が吹いていた。
私は幸せだった。おそらくは、横にいた、いまは私の妻になっている女の子も。
その日の、初めて車の中でした彼女とのキスを思い出そうとしながら、私はカーヴを切った。曲がるとき、路面に張り付くように前部から突き進むその動きが、いま運転しているのが240ではなく850であり、隣に座っているのが、あの日の妻ではなく水野さんなのだということを確認させた。
ボルボまでがFFになってしまう時代なのだ。
私は、ウイスキーをグラスに注いだ。
かつて、コーナリングといえば、私にとっては、四〇〇メートル障害のことだった。ハードル種目なのに曲走路があるというのは、ちょっとしたものなのだ。
人間は、空中を弧を描いて移動することは出来ない。コーナーをからだを内側に傾けて走りながら、いったん踏み切れば接線の方向に飛び出す。
しかも、ハードルのバーの上を斜めに通過するため、直線コースの場合とはフォームを変えなければならない。そのうえ、私はハードル間を十四歩でも走れるようにするために、左右両足踏切りでそれをやっていたのだ。
もう、十五年以上も前のことだ。
歯が抜ける夢というのは、精神分析の世界では、老化への恐怖を意味していることを私は知っていた。そのようなエピソード的な知識であれ、歯に関しては、私は専門家なのだ。
ボルボのコーナリング特性が問題なのではない。四〇〇メートル・ハードルのテクニックでもない。
曲がってしまったのだ。私たちは、確かに。ひとつの曲がり角を。
先にモラルを失ったのは君の方なのだ、君があの小説を書いたことからすべてが始まったのだ、と隣のベッドで背を向けて寝ている妻に、私は言いたかった。
しかし、そんなものは言い訳に過ぎない。それくらいの分別は、私にはある。
だが。
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10 インタヴァル
私は、クリニックのドアの鍵穴《かぎあな》にキーを差し込み、回した。いつもと違う、拍子抜けするような感触。
私は、逆方向に回した。金属の触れ合う音とともに、確実な手応《てごた》えでロックされる。
間違いない。私が開けようとしたとき、キーは空転したのだ。ドアの鍵は、開いていたのだ。
私はしゃがみ込んだ。そうではないことを願いながら、下部にある、もう一箇所の鍵穴にキーを差し込んだ。やはり、そこもロックされていなかった。
両方かけ忘れるということは、あり得ない。
開業のための基本構想でラフの設計を始めたとき、入口にはシャッターをつけて欲しいと私は要望した。その提案は、各店舗の通路に面した外観の統一に関わってくる問題であり、結局のところ、テナントビルを所有する会社から、やんわりとした拒絶を受けた。
管理が行き届いているから必要はない。これまでもさしたる事件は起こってないのですし、御心配には及びませんよ、というのがビル側の説明だった。
ドアを半分押し開けてクリニックの中をのぞき込みながら、私はそんな随分と前のやりとりを思い出した。
管理会社に届け出たものを除くと、キーを持っているのは、私以外には、ひとりしかいない。衛生士の沢木さんだけだ。
しかし、彼女がこんなに早い時間から来ているという可能性は、あまり考えられなかった。診療の開始までには、たっぷり一時間半はある。まだ、街は早朝の緊張が持続している時刻なのだ。
私は、オフィスの開け閉めは、原則として自分の仕事であると考えていて、実際にほとんど毎日、例外なくそうしてきた。どこかの商人の江戸時代から伝わる家訓に、主人が最初に店に出て最後に帰るべきだ、というような内容の記述があるとしたら、私はそれの模範的な遵守者だ、と言えないこともない。
だが、私の場合は、商いを行う上での昔気質の教訓に基づいているわけではない。単に好きなのだ、私は。職場である、このクリニックにいることが。
家にいるよりも、世界中のどこにいるよりも、私はこの場所にいる時が落ち着けた。だから、そこに朝早く来て夜に遅くまでいるというのは、私にとって自然であり、むしろ、それは楽しいことなのだ。
入口と通路。ホールのスペースの照明は点灯されていた。ひとの気配はしなかった。
私は、静かに物音を立てないようにして、受付のカウンターから待合室、診療用のブースと見て回った。
しかし、当然のこと、私がスタッフ・ルームのドアを開ける音は響いたのだろう。その奥にある更衣室の扉が、突然、開いた。
「あっ、先生だったんですか。いつも、こんなに早いんですか?」
私は驚いた。が、彼女が驚き、あわてていたのも確かだった。
私はすぐに彼女に背を向け、危ないからひとりだけのときは、表のドアに鍵をかけておいた方がいいよ、とだけ言って私の部屋に向かった。もし私が不法の侵入者だった場合、着替えの途中の彼女は、どうするつもりだったのだろう、と考えながら。
誰かがいることに気づき、明らかに急いで身につけたと思われる沢木さんの白衣には、乱れがあった。それは、いつもの慎み深い彼女には考えられないことだった。
そういうわけで、始業前に、私は彼女とふたりだけの、ゆっくりとしたお茶の時間を持つことになった。
彼女は、午前に予約の入っている患者の書類の準備が気になって、早く来たのだという。一週間前に初めて来院した患者のことだ。今日は、長期にわたる治療計画の契約書を作成する日になっていた。
支払いの仕組み、前金の割合と分割の方法、納入期限などについて、その患者の治療の進行予定に合わせ、金額を記入した書類を用意しておく必要があった。他にも、誓約書だとか指定銀行の振込用紙だとか。確かに、揃っていないと困るものは多かった。
しかし、通常の時間に出勤し、彼女の朝のふだんの業務を他の者に臨時に頼みさえすれば、慌ただしいにせよ、間に合わない仕事ではなかっただろうに。
立派な、見上げた責任感だ。私としては手放しで賞賛すべきことだった。
しかも、それは、今日に始まったことではないのだ。沢木さんは、もともと、私と一緒に義父の診療所に勤めていた。そのころから、彼女は常に自分の職務を責任を持って遂行しようとしていた。
ところが、彼女の説明してくれたところによると、今朝来てみたらその患者の契約に関する書類は、既にひとまとめになって封筒にはいっていたのだという。数日前、暇を見て、彼女自身がそのセットを作っておいたのだった。
昨晩ベッドのなかで考えていて、そのような準備をした気がしないでもなかったのだが、記憶が曖昧《あいまい》で心配で眠れなくなってしまった。とにかく、昨日の終業間際に急いでいて、いつもの、翌日のための確認の作業を怠ったのがいけなかった。
沢木さんは、そう言って自分のミス(クリニックにとっては、何のミスにもなっていない)を、とてもおかしそうに笑った。
そんな彼女の機能的な短い髪に、清潔な朝の光がブラインドをかいくぐっては、きらめいた。歯科衛生士として仕事に就くときには、彼女は、アクセサリーのたぐいはすべてはずしていた。でも、ごく控え目なピアスが光を反射しているのだということに、私はいま気づいた。
彼女は美しかった。私は、私が熱意を込めて運営している、美しくあってほしい私のクリニックに、彼女が所属していることに感謝した。
私は、彼女のいれてくれた、朝のおいしいミルク・ティーにくつろいでいたのだと思う。クリニックの開設時から勤務し、仕事に精通してくれている沢木さんと、珍しい時間帯にふたりだけの時を持ったことを楽しんでいたのかもしれない。
いや、正直に言おう。
やはり、彼女の姿、更衣室のドアを小さく開け、驚いた表情の彼女の、白衣からのぞいていた光沢のある肌に、私は影響されていたのだ。
私は、本来、その種の軽口を叩《たた》くタイプの人間ではないはずだった。それは、彼女が二十九歳の独身女性だというような条件とは無関係に、誰に対してであれ明確なセクシュアル・ハラスメントだ。
というよりも、だいいち、もともと、そんなに気のきいた冗談とも思えない。
昨日、それだけ急いでたのは、デートだったのかな、と私は訊《き》いた。
口に出してしまってから、ばかなことを言ったと、私はすぐに気づいた。私は、それがひとりごとであったかのように、彼女には何の返答も求めていないことを明らかにするために立ち上がった。
ちょうど、紅茶も飲み終えたところだった。
立ち上がり、伸びをした。さあ、今日も一日、元気に働こう、というように。
彼女も立ち上がった。
そして、私に、微笑んで言った。
「先生とミズノとは違いますよ」
表でドアが開く音がした。
アルバイトの大学生が出勤してきたのだ。診療開始まで、およそ三〇分。
一日の、ことのほか長く感じられた勤務も、もうすぐ終わる。
私は仕事の合間に、彼女のことを考えざるを得なかった。朝早くに一緒にミルク・ティーを飲んでしまった、沢木さんのことを。そして、彼女が私に言ったことを。
彼女は、かつて、私を、若先生という時代がかった、不気味な呼称で呼んでいた。それが、義父の診療所における私のスタンスをあまりに正確に表現していたためなのだろう。私は、その呼び方に慣れることができなかった。そのように公言することは避けたけれども。
私は歯学部を卒業し、そして、歯科医のひとり娘と結婚したのだ。それは、よくあるパターンと言える。双方の利益が一致する政略結婚のような縁組。
私たちの場合、ふたりが高校のころからつきあっていて、そこから私の進学が決まったというところが、ふつうとは大きく異なっているはずなのだけれど。
十七か十八の高校生の私たちが、将来について、どのくらいの展望を持っていたのか。いまとなっては、だいぶ怪しい気がする。
ただ、その時点で、特に志望する職業が私になかったことが、大きな要因だったのだろうとは思う。私が同級生の彼女を愛していることは、確かなことに感じられていたし。
いや、もうひとつ。重要なポイントを忘れたふりをしてはならない。
私は彼女の父親に(もちろん、現在の義父に)、ばくぜんとした好意を持っていたのだ。そして、好意を持つ彼が就いている、歯科医という職業に対しても。
それは妻を通じてのことなのだ、と言えないわけではないだろう。彼女は父親を尊敬していた。彼女の話す、日々のこまごまとしたこと。そこに彼の登場してくる頻度は、ふつうの父と娘からしたら高かったと思う。しかし、すべてを彼女の影響とするのはフェアではない。
私は、実際に、義父の診察を受けてもいるのだ。陸上部での練習中、ふとしたはずみで他の部員と交錯し強打した中切歯を診てもらった。私たちは、歯科医師と患者としての関係を、かつて持ったのだ。
もし、現在そのような必要が生じたとしたら、私は、間違いなく大学の同級生のところに行き、旧交をあたためることだろう。たとえその友人が不器用で、石膏《せつこう》模型の段階で単位取得に苦労していたのであれ。
結局のところ、私は、多くの理科系のコースにいる高校生がなんとなく工学部を受験するのとそれほど変わることなく、歯学部へと進んだのだ。
ともあれ、私たちは結婚した。予定通りに。姓は私の方のを名乗るにせよ、私は、明らかに後継者として、義父の経営する診療所に勤務を始めた。
私が駅前のビルに審美歯科を開業することにこだわった理由のひとつは、そういった定められた筋書きへの反発だったのだ、と、今になれば素直に認めることが出来る。
新しい仕事。義父の診療所をそのまま受け継ぐのではなく、自分の力で新しいことを始める。
ところが、沢木さんは、私と一緒に現在のクリニックに移籍してからも、私をときおり若先生と呼ぶことがあった。ここでは歯科医師はひとりしかいないのに。
習慣というのは、そんなものだ。無理もないことだった。私は文句を言ったりはしなかった。が、そんなとき、彼女を少しだけ疎ましく思うことがないわけではなかった。
そうだ。私は、むしろ、審美歯科設立の計画を進め始めたころは、彼女が義父の診療所から私のクリニックに移るというプランには賛成ではなかったのだ。
彼女は年齢的には私より六つ下だ。けれども、義父のもとで仕事を始めたのは私より早かった。つまり、診療所では、私の先輩なのだった。
別に、私がスタッフに威張っていたいために、彼女の移籍に消極的だったのではない。彼女の義父との強い繋《つな》がりが、私には好ましくなく映ったのだった。
彼女は、義父に信頼されていた。彼女の方でも義父を強く尊敬しているようだった。彼女が歯科衛生士として私のクリニックで働けば、そこでの情報が、私の仕事の進め方から経理の細部に至るまで、義父に筒抜けになってしまう。それを私は恐れたのだった。
だが、彼女は有能だった。私としても、新規開業に伴う不安がないわけではなかった。彼女がいてくれるなら。
そして、実際、彼女は私の期待に充分に応《こた》えてくれた。私は、最近は、彼女と義父とを結び付けてとらえることはなくなっていた。(彼女も、私への呼称に「若」という接頭辞のようなものをつけなくなった)
私は、彼女を、戦友のように考えていたのだと思う。クリニックを経営していくうえでの。
それは、沢木さんに女性としての魅力を感じない、というわけでは、まったくなかった。むしろ、その逆だ。
だが、比べてみるのもおかしな話だが、私は、妻とよりも彼女と過ごす時間の方が長いのだ。たとえ、彼女への関心が芽生えたとしても、私はそれを抑制すべきだろう。
職務上、彼女は私に敬語を使う。けれど、私たちは、対等な協力関係にある友人だと私は思っていた。
それが、今、彼女は私の秘密を知ったのだ。明らかに、私にその責任があるところの事件。
妻や義父に知られる問題は当然のこととして、私は、このクリニックに与える影響が気になった。それは、単純に、「バイトの子に手を出した」という行為なのだから。審美歯科という、やや特殊な医療機関を運営していくうえで、もちろん、マイナスにしかならない。
パートナーである彼女は、そのことを、どのように考えているだろうか。そして、他にも誰かが気づいているのだろうか?
彼女は、仕事中、ふだんと何も変わった様子は見せなかった。視線があっても表情に変化はなかった。朝、私と水野さんについて触れたことなど、忘れてしまったかのように。
皮肉なことだが、私が沢木さんを信頼したのも、彼女のそういう点だったのだ。彼女の仕事振りは安定していた。感情に流されることがなかった。
最後の患者の治療を終え、私は、彼女に、今日は少し残ってくれないか、と頼んだ。話したいことがあるから。
他のスタッフのいる前でだった。彼女の仕事上の立場を考えれば、それは、別に不自然なことではない。
彼女は、快く引き受けたように、私には思えた。
いざ向かい合ってみると、私は何を言ったらいいのか、わからなかった。こういう場合、まず、彼女がどのくらい知っているのか、探りを入れることから始めるべきなのだろうか。
しかし、そのような取引きの策略めいたことは、ばかげていてというのか、恥ずかしくてというのか、私と沢木さんとの関係において、出来る範疇《はんちゆう》の行為では、到底なかった。
私は、ともかく、彼女が示唆したことについて、何かコメントしようとした。そのときだった。
彼女の方が先に口を開いた。
「ミズノは、奥様に似てますものね」
私は、返事が出来なかった。
彼女の意図がわからなかった、というのは、もちろん、ある。だが、それよりも、単に、彼女の口から述べられたその内容が、私には意外で、驚きだったから。
水野さんが、私の妻に似ている?
私が黙っていることを、彼女はどう受け取ったのだろう。
再び、言った。私の方にかがみ込むようにし、唇を震わせながら。
「なぜ、ミズノなんです? 私ではなくて」
私は、気づいた。気づくべきではなかったのかもしれないのだが。
彼女は、彼女の短いスカートから伸びた美しい脚の上に、涙を、落としていた。
私は、膝《ひざ》の屈伸をした。何度も。丁寧に。アキレス腱《けん》を伸ばす。
股関節《こかんせつ》を、前後に、あるいは左右に限界まで開き、しばらく、そのままの位置で止める。
今日が走って帰る日に当たっていることを、私は幸運に思った。ロング・ジョッグで汗をかき、家に着いてすぐにシャワーを浴びれば、私のからだに移っているであろう、彼女の匂いを洗い流せるだろうから。
私は泣いている彼女を抱き締めた。それしか出来ることはなかった。そして、そこでとどまることも出来なかった。
私は、既に、水野さんと関係を持ったことで、生きていく規範としてのモラルを、すべて失ってしまったのだろうか。
夜の街へと走り出す。風にさらされることで清められる、などという幻想は持てない。
たぶん、彼女は、医師の持つ職業的な態度が好きなのだ。自分に下される指示、命令、それを快く感じる性格なのだ。
私は、考えた。だから、彼女は、あんなにも熱心に、責任感を持って仕事をするのだろう。
今日、彼女の口から、私は初めて知った。彼女が義父を慕っていて、それに気づいた義父が、そのために私のクリニックの開設を口実に彼女を遠ざけた(モラルだ!)のだろう、ということを。そして、彼女が、そのことをとても悲しんだということを。
力が抜け柔らかくなった彼女は、私の腕の中で、そんな説明をしたのだ。再び涙とともに。
衛生士の移籍に絡んで、私のまったく与《あず》かり知らないところで、そのような事情があったとは。
しかし、彼女は、そんなにも従属的な性格なのだろうか。ふたりの、義理の親子の関係にある歯科医師に、恋愛感情を抱いてしまう。
彼女は、自動車教習所の教官とだったら、誰とでも、容易に恋に落ちるのだろうか。
これまで大切な友人に思い、たったいま抱き合ってしまった女性に対する冷酷な表現が、私を苛立《いらだ》たせた。
角を曲がり、急に加速する。インタヴァル・トレーニングをしているように。
ポルノ雑誌の世界だ。高校の陸上部の部室に積まれていた、あの、変色し、挨《ほこり》をかぶった。
歯科医と看護婦(ではなくて、正確には歯科衛生士なのだが)が、クリニックのなかでセックスをする。
出来得ることなら、ふたりとも白衣を着たまま、診療用のチェアーの上で行うべきだったのだ。エアタービンやバキュームを彼女の性器に挿入して。あるいは、シリンジで高圧のエアを吹き込む。
私は何に対して、そんなにも腹が立ったのだろう。自分がしてしまった行為に? あるいは、その、自分がしたことは棚に上げて、この世の中が、そんなにも性的なものに満ち溢《あふ》れていることに対して?
私は、坂を一気に駆け上る。
私の運動能力は、相当改善されてきていた。セックスも影響を及ばすことは出来ない。
それが、せめてもの慰めになるのだろうか。
私は、マンションのドアを開け、迎えに出て来た毬子を抱き上げる。高く。また、高く。
喜んでいる娘の肉体は、まだ肉体ではない。永遠にそうならいいのに。
妻の腕に娘を返そうとしたときだった。私は、匂いに敏感な彼女に悟られまいとして、身を引きかげんにしていたのだ。
そのためだったのだろう。彼女の着ている服の襟は、決して特に開いたものではなかったのだから。
私から毬子を受け取るため、前屈みになった彼女の胸元が、私の位置から見えた。
そこには、明らかに、世間でキス・マークと呼ばれているところのものがあった。
少なくとも、私がつけたのではない、とだけは明言出来た。そんなことが出来てもしかたがないのだが。
セックスは、ここにまで満ち溢れていたのだ。
であるとしたら?
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11 ハードル・クリアランス
彼女は、小首をかしげる。もし不用意に触れたなら折れてしまいそうな彼女の細い首を支柱として、彼女の形の良い頭が二〇度ほど左に傾く。
それが、彼女のくせだ。
私は、いつそれを知ったのだろう。彼女が、最初にクリニックに面接に現れたときではないかもしれない。それにしても、おそらく数回の勤務のうちにだ。
そのころの緊張していた様子に比べたら、彼女も、ずいぶんと仕事に、そしてスタッフに慣れた、と言っていいだろう。しかし、彼女には、アルバイトの大学生の一部に残念ながら見られるような、悪い意味での馴《な》れは生じていなかった。
上品で、仕事に真剣で、患者や同僚からのちょっとした言葉にも過剰なくらい反応してしまう、少し怯《おび》えがちな、水野さん。
見つめられていることに、恥ずかしくなったのだろうか。彼女は私に微笑んで、紹興洒のグラスに手を伸ばす。彼女の唇が、温められた茶褐色の液体を包み込む。
いま、香り立つ酒に、彼女の舌はひたっているはずだ。アルコールが浸透する。
私は、すでに、その彼女の舌の動きを感じてしまう。私の胸にそっと唇を押し当て、その間から、ためらいがちに差し出される彼女の舌の先端。
私の耳に、彼女の、特徴のある細く高い声が届いた。それが、うん、おいしい、という言葉を形成していたのだと、しばらくしてから私は理解する。
ほら、こういう表現だ。
勤務中は当然のことだろう。だが、私とふたりだけになったときにでも、彼女は、私に対しての以前からの距離を変えようとしなかった。十九歳という彼女ぐらいの年齢では、むしろ珍しいくらいの、必要以上とも思われかねないほどの丁寧な言葉づかい。
それが、このような、くつろいだふとした瞬間、おそらくは親しい友人と、あるいは、彼女の家族との会話のような話し方になることがあった。私には、その彼女の逸脱ぶりが、落差が好ましかったのだが。
そうだ。クリニックにいるときの彼女の態度には、変化を発見することは不可能だろう。だとしたら、やはり、私の方だ。
沢木さんは言っていたのだ。最初に私の視線で、私と水野さんとのことを意識した、と。
私は、かつては私が職場の部下としてだけでなく大切な友人とも思っていて、そのことを話し合った夕方から何と呼ぶべきか難しくなってしまった、私のクリニックの有能な衛生士である女性のことを考える。
すると、その日の、それまでは白衣の下に隠されていた彼女の肉体が、裸像が、私の目の前に浮かび上がってきてしまう。
いったい、私は、何をしているのだろう。妻がいるというのに。
しかし、私は、頭を強く振る。
今は、すべてを忘れるしかない。私は、彼女と、水野さんと食事をしているのだ。
私の前で、彼女がスープを取り分ける。彼女は、大きなスプーンの入った大きな器を、私が取りやすいように押そうとする。それさえ、彼女の力には余る行為のように見える。
器のふちに添えられた彼女の細く長い指。そこに、私の知っている、別のいくつかの指のイメージが重なってゆく。
私は、また、考えてしまう。これまで、三十五歳の現在まで、私は何人の女の子と、何回、食事をしてきたのだろう、と。
そして、何人の女の子と、何回、寝て。
私は、850のアクセル・ペダルを、そっと踏む。エンジンの回転が、ゆっくりと上がっていく。私は、千五百から二千回転ぐらいの、DOHCが徐々に吹き上がるときのメカニカルな音が好きだ。
ここちよい響きとともに、しっかりとした車体が動き出す。
私が最初に所有した車は、同じボルボの240だった。それ以来、一台ホンダをはさんだものの、私は、結局、ボルボに戻ってしまった。
私がボルボに乗り続けている理由は、ごく単純なことだ。私は、車についての知識は、あまり持っていない。ただ、それが、いちばん安全だと聞いたからだ。
私は、歯科医なのだ。交通事故に遭遇した患者の歯の修復を手がけることもある。
顎《あご》自体は、大学病院などの口腔《こうくう》外科や整形外科で治療される。私の仕事は、簡単に言ってしまえば、修理されたあとの歯槽骨に歯を植え付ける作業だ。半導体のチップを基盤に埋め込むように。
将来的には、ドリルで骨に穴を開け、チタンにセラミック・コーティングをした人工歯根を直接歯槽骨にねじこみ、その上に歯冠をかぶせるインプラントが主流となるだろう。が、現状ではそれは実験的な段階であって、臨床に応用するにはリスクがあまりにも大きい。
また、個人のクリニックの手に負えるレヴェルの手術ではない。結局は、従来の手法で根気よく全体のバランスを考えて成型していくしかないのだ。
私は、人間のからだがどんなにもろいものなのかを充分に承知している。私には、治療を施す者としての驕《おご》りはないと思う。自分が患者の立場になる可能性を常に想定しているのだ。
それなら、そうなったときに、出来る限り治療が容易になる自動車に乗った方がいい。
そんな理由でボルボを運転しているうちに、私は、ひとつのことを感じはじめた。それは、ボルボには、おかしな言い方かもしれないが、モラルのようなものがある、ということだ。
重々しいドアの作りからミュート機能のついたラジオにいたるまで、すべてに安全が最優先されている。日本車のように、安定した技術が確立されていないのに流行から電子制御に走ったり、販売上の都合だけで無意味な装飾が施されたりすることがなかった。
しかし、と私は思う。それもいまとなっては皮肉なことだ。モラルのある車に、モラルを失ってしまった私が乗っているのだから。
彼女を送り届けたあと、ボルボの運転席でシート・ヒーターに暖められて家に向かいながら、私は、水野さんを、早くも忘れようとしている。
いや、もちろん、覚えてはいるのだ。私たちがしたことは、はっきりと記憶している。
ベッドで抱え上げた、彼女の、ほとんど私の腿《もも》ぐらいしかない細いウエスト。彼女のからだを私のからだの上に降ろそうとしたときの、彼女の狼狽《ろうばい》。
私は、倒れ込もうとする彼女の上体を、下から支えていなければならなかった。
あるいは、私の腰が、彼女の閉じようとする脚を押し開いて進むときの感覚。彼女の震え。
しかし、そういったときの彼女を、私のからだに残る印象や彼女のからだの動きではなくて、彼女自身を思い出そうとしても、それは出来なかった。
水野さんは透明だった。
私は、彼女と食事をし、彼女と抱き合った。
でも、それは。
私には、わかっていた。もう、終わりにすべきだった。水野さんのことも、沢木さんのことも。
夜の街を走る車は、外界から遮断されている。同じ道を通っても、ロング・ジョッグのときと、景色がまったく異なって見える。
遅くまで開いていて、そこだけがひときわ明るい花屋。メニューを拡げたボードが出ているレストラン。頑丈な鋼鉄で切り取られた空間が、私を乗せて静かに移動していく。
限界だった。それは、おそらく、私という人間をひとつの統合体として維持していくうえでの。
私は、出来るだけエゴイスティックに考えようと思った。私は最悪の選択をしたのだ。クリニック内で、ふたりの女性と関係を持つ。
それは、私の大切にしている審美歯科医院を、崩壊に導く行為だ。なんとも愚かな、絶対に避けるべきことだったのだ。私は、以前の私に戻らねばならない。
私は、思う。
結局のところ、私の妻が小説を書いたとき、すでに、こうなっていくことが、私には、見えていたのではないのか。
たとえば、自分のからだがダメージを受けるとき、それを予感することはないだろうか。それと同じことが、きっと、私に起こったのだ。
何時間も前からそんな気がしていたとか、あるいは、朝に目覚めたときからわかっていた、というような虫の知らせ的予知能力のことを言っているのではない。それは、瞬間のものだ。
スルー・パスを受けて、振り向きざまにシュートの体勢にはいったとき、相手側のディフェンダーが視界の片隅に飛び込んでくる。その途端に気づいた、というタイプの予感。
まだスイーパーの腰が沈み、再び伸び上がってきているわけではない。それでも、確実に、彼の左脚が、そのときにはすでにボールを離しているであろう自分のからだに向かって蹴《け》り出されるのが予想出来る。
そして、腹部を襲うはずのショックまでも、あらかじめ感じ取ってしまっているのだ。呼吸が止まり、痙攣《けいれん》する腹筋。
そして、不思議なことには、そんなときに、それまでの、こどものころからの怪我の記憶がよみがえってくることがある。たった、一瞬のうちには、そんな時間までもが存在するのだ。
ああ、前にも、こういうことが起こった。まったく忘れていたけれど、怪我というのは、こんなふうにしてするものだったのだ、とわかる。
そうだ。ダメージの予感から、現実の肉体の損傷に至るまでの、その間に覚える感情の呼び名としてもっとも似つかわしい言葉は、一種の、懐かしさ、なのだろう。
急な坂道を上り切り、左折しマンションのドライヴ・ウェイにはいる。ともあれ、家に着いてしまったのだ。これ以上時間をかせぐことは出来ない。
そう、時間をかせぐ。
はたして、そうとまで言い切ってしまってよいのか、本当に、それが正しいことなのかは、よくわからない。私が、水野さんと一緒にいたのは、クリニックから、まっすぐに家に帰ることが出来ないからだったのだろうか。私の妻と会ってしまうのを先に延ばしたかった?
私は、ひとつひとつの動作を、ゆっくりと、確実に行う。車庫のシャッターの開閉、マンションの入口のドアのオート・ロックの解除。エレベーターのスイッチの操作。
玄関のドアを、私は自分のキーで開けた。
私は、ただいま、と言う。小さな声で。それは、どこにいるのであれ、私の妻の耳には届かないだろう。
リビングとホールの間のドアが、ガチャリという音を立てる。スリッパの響き。ルースな感じのブルースが聞こえる。Bの12だっただろうか、このチャンネルは。
彼女は、バスローブを着ていた。髪は、まだ、しずくが落ちそうなくらい。
「ちょうどよかったわ。続けてはいる?」
と、彼女が私に訊《き》く。
私は、うん、と返事し、彼女と擦れ違う。少しばかり急ぐようにして。
毬子は、もう寝ているようだった。
私が風呂から出ると、彼女は、ソファで、シェリーを飲んでいた。テーブルにティオペペの黒い瓶。私のグラスも用意されている。
「お隣の裕也くんが、幼稚園でいじめられてるらしいの、っていうような話と、私の今日書いてた短編のストーリーと、どっちが聞きたい?」
彼女は、彼女のグラスを天井の照明にかざすようにして言う。明りのヴォリュウムは絞られていた。
私は、ティオペペを、自分のグラスにそそぐ。一瞬、私は、紹興酒の香りを思い出した。
昼に取った大黒屋の天麩羅《てんぷら》そばと、夜の竜王軒の海老のチリソース定食のどっちの話が聞きたい、と私は言った。
前者は事実に基づいている。後者は違う。別の店であれ、中華料理を食べたというのは確かなのだが。
私は、そう言ってしまってから、竜王軒の定休日がいつだったのかを思い出そうとした。それは、私のクリニックのあるビルのすぐ近くの店だ。彼女がそんなに通るとは思えないあたりではある。
私たちは、私と私の妻は、グラスを合わせる。
乾杯。
そうだ。でも、いったい、何に対して?
「でね、裕也くんのことで、お隣のママは、すごく心配して、ノイローゼに近くなってるらしいのよ。このマンションにも同じ組の子がいるでしょ。それで……」
私は、私の妻のバスローブを割って、手を入れる。
彼女のヘアが私の指にからむ。それは、水野さんのに比べると、より縮れているような気がする。
彼女は、脚を組んで私の指の侵入を妨げようとするが、それは間に合わない。ソファの背もたれに身をまかせ、眼を閉じる。
シェリーのグラスをこぼさないように、彼女は手に力を入れ注意して立てている。
私の指がとらえた彼女の湿り気は、私の指がした仕事ではなくて、彼女の入浴によるものだろう。
私は、水野さんに魅《ひ》かれた。
しかし、明らかに、私が愛しているのは、彼女の方だ、と私は思う。私の妻である彼女の方を。
彼女は、水野さんのように透明ではなかった。意味をたくさん背負っていた。
私たちは、高校生のころからつきあっているのだ。長い時間を一緒に過ごしてきた。誤解を避けずに言ってしまえば、彼女は、ある意味で、私そのものなのだ。
私の思考は混乱していた。私は指をそっと動かす。職業的に訓練された私の指を。
彼女のからだが揺れる。彼女は眼を開けて、私の腕をつかむ。
私は、彼女のグラスからシェリーを飲む。自分のグラスは左手に持ったまま。
私は、手を彼女の脚の間から抜くと、彼女を抱き寄せようとした。彼女のバスローブが乱れる。
私は、それを見ようと思ったわけではないのだ。私は見たくなかったのだ。
だが、私は、眼をはなすことが出来なかった。ひとたび気がついてしまうと。
私は見ていた。彼女の胸につけられ、消えずにいる痣《あざ》のようなものを。
それは、かつて、高校生の私が同級生だった彼女に残したときのものと、どちらが強くはっきりとしているだろうか。
陸上部の春の合宿に行く前に、たった一週間の別れを惜しんで、私は彼女にマークを残したのだった。
私は見ていた。そして、見ている私を、彼女は見ていた。
彼女と眼があったとき、私には、わかってしまった。私たちは、それくらいのことはお互いにわかるくらい、理解しあっているのだ。
彼女は、確かに、私が他の女性と関係を持っていることに気づいていた。
もう、私が隠すのは無理だろう。そして、私の妻も隠そうとはしないだろう。他に男がいることを。
私たちは、跨《また》ぎ越すことが出来るのだろうか。ハードルをクリアーするように。かつて十五年以上前の私が、インターハイで三位になったときのように軽やかにとは言わないまでも。
彼女の方から、口をひらいた。
「ねえ、いいの? このままで」
それは、まさに、私が言いたいことだった。
そう。いいのだろうか。
ふたりは、このままで。
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12 メンタル・トレーニング
私は、うなずいた。
そう、たいへんだったね。ご苦労さま。いや、別に、かまわない。気にしないでいい、そんなことは。
私は、彼女の払った努力に対して礼を述べ、受話器を置いた。テーブルにもどる。
沢木さんからの報告の電話だった。彼女の声は、相当に沈んでいた。彼女の責任では、まったくないことに関してであるのに。
それは、いつも人前では快活であろうとする彼女には珍しいことだった。
彼女は、私のクリニックでのアルバイトを辞めたいという大学生たちと会っていた。そして、彼女たちを翻意させようとする試みが不調に終わったことを告げてきたのだ。
それは、私が彼女に依頼したことではなかった。引き止めるための説得などというものは、本来、無意味だ、というのが私の考えだ。
もちろん、協議をする、ということは可能だ。しかし、彼女たちは、先週、ある程度の時間をかけて私と話し合っているのだ。
そして、その上で、もう辞めるという結論が出ているのに、それをなおも引き止めようとしても。
働きたいと思わないものが、交渉の結果として職務にとどまったところで、良い仕事が出来るはずはないだろう。
私の頭の中には、すでに新規募集の手筈《てはず》しかなかった。
「私から言ってみます、飲みにでも連れて行って。その方が、先生と話すより気楽でしょうから」
そんなふうに私に向かって言う彼女の口ぶりは、明るかった。何らかの成算があるかのように。
おそらく、それは、自身を励ますため、そして、何よりも、この話を初めに聞いた時点ではほとんど憤慨していた私を慰めようとする配慮があったのだろう。
彼女は、そのあとで、
「私の、仕事の割り振りとかに不満があるのかもしれないですし。あの子たちの本当のところが聞けたら」
と、付け加えた。
私には、問題は、決して、そのようなことではない、とわかっていた。
しかし、面倒なことをすすんで引き受けてくれようとする彼女に、あえて異を唱えてはならない、と私は考えた。彼女は、アルバイトの学生たちの勤務の調整をし、直接に指示を与えていた。そのため、今回の件に関しても、自分の責任の範囲とみなしているようだった。
私の見込みがどうであれ、最善を尽くそうとする彼女の意思を、わざわざ私がくじくようなことをすべきではなかった。私には、彼女のそんな熱心さが好ましかったのだから。
そして、その辞めようとしている大学生たちのなかには、水野さんが含まれているのに、そのことに気づいていないかのように私に見せる彼女の態度も。
私たちは、沢木さんと私は、一回、その水野さんのことを話した日に抱き合ってしまった。その後は、何もなかったかのように、ふたりともが日常の業務を遂行していた。
続いて欲しい、と私は思っていた。このままの状態が。
そうすれば、あれは偶然だった、という卑怯《ひきよう》な決まり文句に逃げ込むことが出来る。私は、そのような「偶然」を引き起こすタイプの人間でありたくはないのだが。
「いいひとが集まらなかった場合ね、いざとなったら、私がしようか?」
席にもどった私に、妻が言った。
私を少し下の角度から見上げるようにして微笑んでいる。食事も終わろうとしているときにかかってきた電話。彼女は、皿のクリームソースをパンにつける。
確かに、彼女は、歯科医の妻である前に、歯科医の娘だった。クリニックの雰囲気には、生まれながらにして慣れている。
実際に、高校や大学にいたころに義父の診療所で短期的に働いていたのも、私は知っていた。経験は充分すぎるほどあるのだ。
彼女は、薄手の黒のセーターを着ていた。ぴったりとしていて、胸が強調されている。その大きさや若々しい形は、賞賛に値するものだ。私としては、むしろ、アンダーバストの細さ、触れたときに贅肉《ぜいにく》の感じられない点を称《たた》えたいが。
大学生たちに混じって、彼女がクリニックの受付カウンターにすわっていたら、同じ年代に見えることはないにせよ、違和感はまったくないだろう。
そんな、街の小さな商店みたいなマネはしたくないなあ、家族経営なんて、と私は返事した。言ってしまってから、受けとり方によっては、それは義父に対する批判ともなり得る、と気づいた。
私は、グラスを手にする。
長い電話ではなかったのに、白ワインがあたたまってしまったように感じられた。香りが強くなっている。
それにね、募集すれば、すぐに応募はあると思う。だいじょうぶ。
私は、話題を切り替えるようにして、妻にそう説明した。
それは、確かにその通りなのだ。私のクリニックが提示する条件は、平均をかなり上回っている。
ただし、応募者の質は保証の限りではない。三人が同時に辞めてしまい、新人ばかりになるのも負担ではある。
しかし、アルバイトというものは、基本的にそういうものだ。入れ替わりがあるのが、通常の姿なのだ。
私は、気にはしていなかった。もちろん、彼女たちが辞めると言い出した、その理由の件は別にして。
それは、当初は、私に怒りをもたらし、現時点では、何か戦闘意欲のようなものを私にかきたてさせている。
「私も、敢《あ》えて働きたくはないわ。あなたのクリニックで。でも、母はね、結構、誇りにしてたみたいなんだけど。自分が父の診療所を時々手伝うってことを」
妻は、ボトルに残ったワインを、私のグラスに全部そそいでしまう。彼女のグラスは、空いているのに。
「あれは、なんだったんだろう。夫の役に立っているっていうのが嬉しいのか、それとも……」
彼女たち、私のクリニックでアルバイトをしている大学生たちが辞めたいと言い出した理由は、エイズが怖いから、ということだった。
歯科医療の現場が、エイズに限らず一般に肝炎のウィルスの感染の舞台となる可能性はある。患者から別の患者へと。あるいは、患者から、医療従事者へと。稀《まれ》には、医療従事者から患者へと。
ただし、それらは、ごくわずかの、非常に不注意な行為をした場合に限定される。歯髄の神経をとるリーマーなどの医療器具の消毒が不完全だという、およそミスどころではない基本的な職務の上での怠慢。あるいは、キャリアの患者に使用した注射針を、自分の指に刺してしまうようなアクシデント。
私は、アルバイトに対して、そんな感染の恐れがある業務に就かせることはなかった。彼女たちは、基本的には事務補助の仕事をしているに過ぎない。
医療廃棄物は、それとすぐにわかる容器に収納し、彼女たちが誤って触れることがないように、私と沢木さんとで充分な管理をしてきたのだ。
エイズのウィルスであるHIVは、キャリアの患者の体液によってのみ運ばれる。たとえエイズ患者が治療を受けに来たとしても、院内感染が問題になっているMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)のように、白衣やスリッパなどに付着し伝染するわけではないのだ。
私は、そういったことを、説明した。
そうだ。誇張された表現ではなく、本当に全力をあげて話したのだ。それでも、彼女たちは、頭でわかっても、なんとなく怖い、という。
つまりは、論理の世界ではないのだ。それならば、しかたがない。ひとまず、アルバイトは辞めてもらおう。
学生たちが、エイズへの恐怖に陥るということ。ひとりがどこかで聞いてきた、歯科医院は危ない、という情報が三人の間で共有され、パニックになる。
私は、やはり、腹を立てていたのだと思う。彼女たちに説明しながら。そして、そのことを沢木さんに、あるいは妻に告げながら。
それは、クリニックにとって、彼女たちが貴重な人材だというせいではなかった。確かに、彼女たちは、よく仕事をしてくれていた。必要な人間ではある。
しかし、妻にも言ったように、その補充は可能だ。そのこと以上に、ことは、抽象的な、大きな問題なのだ。大袈裟《おおげさ》ではなく、それは、歯科医療への挑戦なのだ、と、そのとき、私は思った。
患者の歯を治療する、しかも審美歯科として、生の側、美の側に奉仕すべき私のクリニックが、現状では有効な治療法を持たない、発病すれば確実に死に至る病の感染源として見られている。
私は、時間のたった今なら、少しは冷静になっている。よりディタッチした、客観的な立場から見ることも出来る。
たとえば、もともと医師や歯科医師という職業は、発生的には、いわゆる聖と賎《せん》を兼ね備えた側に属するものだったのだ、と言ってもいいだろう。
医療に携わる者は祈祷《きとう》や呪術(三段跳びの元アスリートよ、サウナのような赴任地で、どうしている!)の世界と不可分だったはずだ。農耕などの日常生活を営む者には理解できない魔術を駆使し、生と死を扱う。
そこにもどる日が来たと言ったら良いのだろうか。HIVというウィルスのおかげで。
医師や歯科医師は、差別を受ける。古代や中世のひとびとが死を忌んだのと同様に、エイズを新時代のけがれとみなす者たちによって。
ばかげた冗談を言っているのではない。彼女たちの、理屈ではわかっていても恐ろしい、という表現は、明らかに、常にすべての差別感情の根本にあるものだ。
私は、そんなことは許してはならないと思う。彼女たちの持つ誤った考え方、その感覚が世間に広まっていくのは阻止しなければならない。
あらゆる職業に対して差別があってはならない、というのは自明のことだ。皮革や食肉、葬儀などに関わるものに対してであれ、医療に従事する者に対してであれ。
いままで、地域の歯科医師会におけるエイズ対策の活動に、私は、必ずしも積極的でなかった。そのことを私は悔やむ。
私は、歯科医という一種奇妙なのかもしれない職業を、こんなにも愛していたのだった。
しかし、と私は思うのだ。
彼女が、水野さんが、それだけクリニックでの仕事を恐れるのなら、その管理者であり、直接に不特定多数の患者に接し、最も感染の危険率が高そうな私と、実際にセックスを、それもかなり激しいセックスを繰り返したことを、いまは、どのように考えているのだろうか。
リノリウムの床に、看護婦の靴音が反響した。
私たち、私と私の妻は、ふたりでエイズの検査を受けに来ている。私のクリニックでアルバイトが辞めるという騒ぎとは、まったく無関係に。
私たちは、その件が問題になる以前に決めていたのだ。お互いの、家庭外での性交渉が発覚したときのことだ。
HIVに感染しているのかいないのかを、抗体が作られ検査が可能になる三か月後、両者ともにチェックを実行しようと。
それは、私たちが再スタートをするための、ふたつの約束事のうちのひとつだった。
保健所へ行き、名前を伏せて受診する必要はなかった。夫婦が同時に検査するのだから。
私たちは、病院で、実名で、ふたり並んで血液の採取を受ける。
彼女は恐れなかった。待合室でも診察室でも、彼女は毅然《きぜん》としていた。
それは、私なら、まあ、当然とも言えた。職業的に医療と関わり、専門分野は異にするものの、それなりの教育を受け、実務経験もある。彼女は、そうではなかったのに。
さて、それぞれの期待値は無視することにして、単なる順列組合わせでは、四通りの可能性があるのは明らかだ。
すなわち、ふたりともHIVに感染している。私か妻かのどちらか一方が感染している。ふたりとも感染していない。
そのうち、ふたつの場合は、その結果がふたりに影響を及ぼさない。つまり、ふたりとも感染していない。あるいは、まったく反対に、どちらも陽性であった場合。
そうであるなら、ふつうにセックスをすれば良い。ただし、後者の場合は、娘の毬子がからんでくる。
彼女も検査を受けることになるだろう。そして、家族で彼女だけが陰性であった場合、幼児である彼女への感染を防ぐ配慮が、日常生活の重要な課題にはなる。
だが、もちろん、問題は、どちらか一方が感染しているときだ。
「どうかな。その場合、お互いに相手に恨みが残るかな」
妻は、言った。病院のベンチで。
「そういうことが起こらないひとと、寝ておいて欲しかったって」
さあ、どうだろう、と私は返事した。そのような気持ちになるかもしれないし、ならないのかもしれない。
たとえば、妻がHIVのキャリアであったとき、私はコンドームを装着すればよいわけだ。キスも、一応は、だいじょうぶだろう。
しかし、粘膜の直接の長時間にわたる接触は、慎重に避けねばならない。妻と読める人物が彼女の小説の中でしていたような。あるいは、私が水野さんとしたような。
もうひとつの約束というのは、私が提案したことだ。それは、エイズ検査のようなフィジカルな問題ではない。スポーツにおける、いわゆるメンタル・トレーニングを私なりに応用したものだ。
といっても、さして大袈裟なことをするわけではなく、いつも相手のことを考えるようにしよう、というただそれだけだった。まるで、小学校の教室の後ろの黒板に書いてある、今週の目標みたいな。
ただし、相手を考えるというのは、相手の肉体のことを考えるということだ。だから、ある意味で、同時にたいへんフィジカルだとも言えるのだが。
高校生で四〇〇メートル・ハードルをしていたころ、私は、レースで勝つための必要な訓練の一環として、メンタル・トレーニングを行っていた。成功するレースを頭の中でイメージしていたのだ。一日に数回にわたって。
架空のピストル音とともにスターティング・ブロックを蹴《け》る。タイミングのあったスタート。
加速しながら二十二歩で、一台目のハードルを理想的なフォームでクリアーする。そこからのハードル間の歩数は、四台目までは十三歩。そのあとは十四歩で、踏切り足は、一回ごとに左右交互になる。リズムを崩さないように。
最終ハードルからゴールまで、フォームをキープ。胸を突き出し、一位でテープを切ってゴールインする。
さて、私たちは、私と私の妻は、相手のことを考えた。高校生のころの出会いから現在に至るまでの、愛し合った日々におけるふたりの肉体。
メンタル・トレーニングの効果は、徐々に現れてきていた、と言って、おそらく誤りではないと思う。
私たちは、それまでよりも、自然なからだの触れ合いを求めるようになった。
テレビを見ながら、指をからめた。食後のブランデーを飲みながら、私はテーブルの下で脚を伸ばし、彼女のふくらはぎに触れる。出勤の前に玄関でキスする。
離れて置かれたセミダブルのベッドの片方にふたりで乗り、抱き合った。
HIVの検査が終わるまでは、セックスはしないでいよう、と私たちは決めていた。もちろん、コンドームを使えば、感染の恐れ自体はないだろう。しかし、検査後のセックスを、私たちは、すべての再スタートの象徴のように考えていたのだ。
その了解事項を、私は、昨夜、破りそうになった。服を取り去った彼女の上で。
彼女は、それを許さなかった。私は、彼女の手の中で射精した。それは何年ぶりのことだっただろうか。
名前を呼ばれ、料金を支払う。私たちのそれぞれの左の腕には、採血のあとを押さえた脱脂綿が。
検査の結果が出るまで、私たちにはまだ二週間の時間がある。
まだ。
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13 スタジアム
いつも思い出すのは、晴れている日のレースだった。
たとえば、それは、午後の診療中の、格別に意味のないふとした瞬間だったりする。
臼歯《きゆうし》に金属の充填《じゆうてん》物をセットし、安定させるため、脱脂綿を噛《か》んでもらった。そのまま、しばらく横になっているように指示し、患者の脇を離れる。
そして、隣のブースに向かっているとき、突然、スパイクでラバーのトラックの上を歩いている感触が、私によみがえってくる。
春というよりは、初夏の強い陽射しだった。
すり鉢状になったスタジアムの底を渡っていく風は、ひどくゆっくりとしていて、スタート・ラインに立ちスターターの指示を待つ私は、それをつかめそうな気がしている。その風が運んできているフィールドの芝生の匂いごと、一緒に。
スタートの位置はホームストレッチの端、周回コースの直線を延長したところにあるから、種目は一〇〇メートルだ。だとすると、きっとそれは、初めて陸上競技場のコースに立った日の記憶なのだろう。
高校一年。十五歳の私。
当時は、ごく平凡なスプリンターとして、一〇〇と二〇〇にエントリーしていた。初めてのレースのスタート。不思議なことには、緊張よりも、なぜか授業中に居眠りが始まるときのような感覚が、からだの内側から生じてきていた。
スターティング・ブロックに両足を合わせる。スパイクの裏に補強されているプラスティックと、ブロックの金属が接触する音がする。
しかし、その最初のレースは、スターターの発する「用意」の声に合わせて腰を上げたところで画像が途切れる。録画されている部分が終わり、ノイズになったビデオテープ。
ブースごとに設置された洗面台で手を洗っていた私は、我に返り、鏡の中の自分の顔を一瞬見つめる。そして、三十五歳で、歯科医師をしている現在の私に戻る。
あるいは、また、クリニックの薄いピンクに彩色された壁に、急にハードルのイメージが浮かび上がってくることもあった。
くっきりと白と黒に塗り分けられたNISHI製のハードル。それは、徐々に大きくなりながら、私の目の前へと近づいてくる。
その日も晴れていた。
私は、夏の太陽を背に受けている。人工的に着色された赤いラバーのトラックの表面では、私の影が私とともに走っていた。
三年生のときのインターハイの準決勝なのだろうか。私は、第二コーナーを、いちばん外側のレーンで加速していたから。
そのレースの前は、私は、気持ちを切り替えようと努力していたはずだ。8レーンを割り当てられたと知ったときの、その落胆した気分を切り替える。
四〇〇メートル・ハードルは、トラックを一周する。コーナーでの距離の差を解消するため、選手は階段状に刻まれたそれぞれの位置でスタートをすることになる。
8レーン、いちばん外のレーンの私は、他のランナーのはるか前方でスターティング・ブロックをトラックに打ち込まねばならなかった。彼らの視線を背中に感じながら。
ひとりで走るようなものなのだ。目標となる相手はいない。逆に全選手が私を見て追ってくることになる。
後方からスタートすれば、決勝に備えて余力を計算しながら、レーンを組み立てることも出来た。私の走らねばならない8レーンは、明らかに不利だった。
それを、私は、誰にもペースを乱されることなく練習通りに走れる良いレーンなのだ、と考えようとしていた。そして、カーヴの曲率も小さいのだから、と。
実際、三〇〇メートルを走り終え、ホームの直線に入って来るまで、私はその試合での全体における自分の位置がわからなかった。結局、そのまま、他の選手の背を見ることなく、ゴールへ駆け込んだ。
晴れの日のことばかり思い出してしまうというのは、過去の出来事を美化しようとする人間の精神の働きの一種と言えるのだろうか。
もちろん、私が、悪天候下での競技を経験したことがなかったというわけではない。それどころか、台風の接近を警告するラジオ・ニュースをテントの中で聞きながら、コールの時間を待ったこともある。
そして、それは、いまとなれば、楽しく思い出せることであるのだが。
台風の激しい風雨に加え、もうひとつ、悪条件が重なっていた。その競技場のトラックは、オールウエザーのラバーではなくて、アンツーカーだったのだ。排水は、到底不可能だった。
降りしきる雨がコースの表面にたまった水に跳ねていた。私たちは、スパイク・シューズの足首までつかりながらレースをした。
台風による横風をかわし、私はゴールに泳ぐようにして入った。本当に水泳をしたあとのように濡《ぬ》れながら。
そう、そのときの、さすがに人影がまばらなスタンドにも、彼女の姿があったはずだ。
今日と同じように。
レースをするよ、と、私は彼女に言った。
食事中、かなり唐突に。
彼女は、私の妻は、うなずいた。反応は、ただ、それだけだった。明日は午前中にジムに行くよ、と言ったとしても変わらないくらいの。
私としては、それなりの決意を込めた発言だったのだ。彼女には、もっと驚いて欲しかったのだが。
トレーニングを再開したとはいうものの、それまでの私は、健康増進を図る単なるジョガーでしかなかった。夜に家の周りの舗装路を走る。週に数回は、仕事場であるクリニックから走って帰る。
あるいは、ジムで泳ぎ、マシンをする。
レースというのは、レースなのだ。同じ走るというエクササイズに見えても、質が全然違う。
黙っている私に、そんな不満な様子を感じとったのだろうか。
彼女は言った。
「いつ始めるのかなって思ってたわ、ずっと。あなたは、レースをするひとだったもの。私が初めて会ったときから」
彼女は、ナイフ・フォークを器用に使って魚の身を骨からはずし、切り分ける。その技は、ちょっとしたものだ。
箸《はし》に関しては、その持ち方からはじまって、彼女は、お世辞にもうまいとは言えない。
「むしろね、なんで、大学に入って、四〇〇メートル・ハードルをしないでいられるのかって、不思議だったのよ。だって、あなたは、高校では、全国で三位の選手だったわけでしょ」
歯科医になる訓練がおもしろかったからだと思うけど、と私は答えた。
それは、間違っていないと思う。私は、大学での授業に結構熱心な学生だった。そして、その熱意は、一般教養的な科目ではなく、専門の教育にのみ限定されて向けられていた。
「この前、あなたは、モラルのことを言ってたでしょ。自分はモラルを失ったのかと思ったって」
彼女は、私の返事など聞いていないかのように話し続ける。フォークとナイフを動かしながら。
白ワインやバターで調理した魚を彼女は好む。それも悪くはない、と私は思う。
でも、実は、私は、一夜干しのようなものを軽くあぶったのも好きなのだが。
モラルについて、確かに私は彼女と話し合っていた。それは、HIVの検査の結果が出た日のことだ。
私と、私の妻の、ふたりぶんの陰性の証明書。いまどき役所でもあまり見られないような、半透明に近い薄い用紙に、数個の文字が記入され押印されていた。
それは、その内容しだいで引き起こされる事態の大きさに比べたら、あきれるほどそっけないものだった。
HIV。陰性。NEGATIVE。
そのとき、私は、私の証明書のぶんは、額に入れてクリニックに掲示しようかと、一瞬、考えた。歯科治療における感染を恐れる、あの、水野さんのような人々のために。
私は、まだ、腹を立てていたのだ。
しかし、そうすることは、キャリアである歯科医の営業の権利への侵害になる。医療の現場からエイズ感染者を排除しようという、明確な差別へとつながる発想だ。
それに、どちらかというと、そんなものがあると、クリニックが一種の風俗営業のように見えはしないか、と私は思った。私の愛するクリニックが。
その場合、私は、梅毒等の定期的な検診を義務づけられていた、かつての公認の娼婦《しようふ》のような存在なのだろうか。
彼女は、私の妻は、証明書を親指と人差し指でつまんで、ひらひらとさせた。
そして、
「まあ、よかったって言うべきよね。ひとまず」
と、言った。
そうだ、それから、モラルについての話になったのだ。それは、私から言い出したことだ。私が、私自身の行動を規制することについて。
これから先、私が他の女性(結局、私たちは、お互いのセックスの相手については尋ねなかったし、また、どちらも自分から触れようとはしなかった)と簡単に寝てしまわないために。
それは、もちろん、妻が私以外の男と性的な関係を持たないように、という話でもあったのだけれど。
「私、あれから考えたの。あなたにはね、昔からモラルなんてなかったのよ。あなたにあるのは、ただ、ルールなの。四〇〇メートルのコースで、十台のハードル跳び越えて出来るだけ速く走るっていう。あらかじめ決められている規則を守るのが、あなたは好きなのよ」
彼女は微笑む。
ワインに手を伸ばし、パンを食べる。彼女の食欲は旺盛だ。
「歯科医の仕事っていうのも、その延長にあるでしょ。削ったり、矯正したり、与えられた条件のもとでベストを尽くすっていうのが、あなたの好きなことなのよ」
ハードルは、彼女が言うように「跳び越え」てはならない、というのは、競技者がごく初歩的な段階で学ぶことだ。そうしたなら、大きなスピード・ロスを覚悟しなければならない。
「跨《また》ぎ越す」、あるいは、もっと積極的には、「走り越す」ものなのだ。
しかし、私がルールが好きだということ、ハードルの高さやその置かれる間隔といった、レギュレーションと呼んだ方が正確なものも含め、それらを私が好んでいるという彼女の指摘は、正しそうだった。おそらく、現在、私が就いている職業に関しても。
そう、彼女は正しかったのだろう。
だが、彼女がそこまで私を理解しているというのなら、もう少し注意をはらってくれてもよさそうなものだった。
私が、一夜干しを好んでいることに対しても。
ともあれ、私は、県陸協に個人加盟の申請をした。過去の競技歴の欄は空白にして。
かつての私の四〇〇メートル・ハードルの記録に意味はない。持ちタイムというのは、競技を継続しているアスリートのためのものなのだ。
私は、早速、日々のトレーニングに、スピード練習を取り入れた。ジョッグだけでは、ロードレースやクロスカントリーにしか出られない。
練習方法については、私には充分な知識があった。高校のときから、満足なコーチのいない陸上部で、私は自分で計画を作成していたのだ。
市の運動公園の外周路で、私は、三〇〇メートル、二〇〇メートル、一〇〇メートルというおおよその長さのコース設定をした。そこで、ウインドスプリントや全力走、あるいはインタヴァル、といった変化をつけたトレーニングを行った。少しずつ、決して、あせることなく。
そして、いま、私は、ウォームアップ・スーツを脱ぎ、スタート・ラインに向かう。十五歳の、初めてスタジアムに立った日と同じようでいて、まったく違うような。
私が、レースに復帰する最初の種目としてエントリーしたのは、八〇〇メートルだった。高校生のころだったら、すすんで走りたいとは思わなかった距離だ。
私の肉体は、有酸素運動的な部分から改善しつつあった。落ちてしまった筋力の回復は、並大抵のことではない。そして、怪我のことを考えると、私には、まだスパイクをはく自信がなかった。
となれば、現在の私がいちばんおもしろいレースが出来そうなのは、八〇〇だろうと判断したのだ。ロードの長距離用の軽量のシューズで走る八〇〇メートル。
妻は、私に、
「勝っちゃう?」
と、訊《き》いた。
サブ・トラックで、五〇メートルほどのダッシュをしてもどってきた私に向かって。毬子を抱きかかえ、笑いながら。
市民の愛好家のために開放されている、記録会のレースなのだ。順位は問題ではないし、各組によってレヴェルも全然違うはずだ。
それに、私は、将来的に四〇〇メートル・ハードルを走るためのトレーニングの一環として八〇〇を選んだのだ。マスターズのレースのための。
体育科の教員の採用試験では、一一〇メートル・ハードルが課されることが多いと聞く。それは、陸上競技に必要なほとんどの要素がテスト出来るからだ。
敏捷《びんしよう》性、筋力、柔軟性、そして、リラクセーションやバランス、リズム、タイミングなどの調整力。
ただし、そこには持久力だけが含まれていない。スプリント・ハードルは、完全な無酸素運動であるから。
それが必要になってくるのは、四〇〇メートル・ハードルだ。つまり、私が言いたいのは、四〇〇障害こそが、キング・オブ・トラック・アンド・フィールドなのだということだ。そして、陸上競技がすべてのスポーツの基本だというのが正しいとするなら、四〇〇メートル・ハードルは、キング・オブ・スポーツの名に値するのではないか。
私は、いま、レースに復帰する高揚感に包まれている。このくらいの独善的な宣言は許されるだろう。
四〇〇障害で必要とされる持久力は、速いスピードの持続だった。単純化すれば、六〇〇メートルを走り切るくらいの。ひとまず八〇〇に出てそういった能力を試し、次に、スパイクを履けるようになったら、一〇〇や二〇〇メートル、そして、四〇〇のフラット・レースに出場する。
その次には、ハードリングだ。あの、懐かしい、ディップ。
もちろん、かつての高校生のときのレースが再現できる、と考えているわけではない。私の肉体は、十七歳のそれではなく、三十五歳のそれなのだ。
だが、私は、きっと楽しめると思う。四十歳や五十歳になったときの四〇〇メートル・ハードルのレースが。そして、ハードラーでいつづける私自身のことを。
二分二〇秒ぐらいで走れるといいと思うんだけど、とだけ私は妻に答えた。
それは、高校生のころなら、走り終わってすぐにチームメイトと笑いあえるようなものであっても、現在の私には、かなりの数字だった。
「位置について」
私は、スタート・ラインにつけた足の方に体重をかけ、軽く前傾する。
ピストル。
オープンのコースで押し合う。様々な年代のランナーたちの集団。
巻き込まれないように、私は、外側に位置をとる。バック・ストレートに入ってから、徐々に前に出る。
スムーズな足の運び。調子はよかった。単に体重ということでは、私は、高校生でインターハイに出場したころと、ほとんど変わらなくなっていた。
そうだ。直線を走っていて、私は、思う。いま再びスタジアムにいるのだと。
昨夜、私は、私の妻を抱いた。レースの前の晩にセックスをしてもいいかどうか、少しだけためらったあとで。
それは、高校生のときには、わざわざしようとは思わなかったことなので、あらかじめ答を持っていないテーマだった。
私は、そんなにも嬉《うれ》しかったのだ。夕食のあとに彼女が見せてくれた、彼女の新しい短編が。それは、少年が教室でスパイクに紐《ひも》を通しているシーンから始まっていた。
読み終わった私に、彼女は、
「どう?」
と、ひとこと、訊いた。
彼女は、これまでになく、あっさりとした様子を装っていたのだと思う。私に背を向け、カーテンの隙間から街を見下ろしている。
高速道路の黄色いランプのつらなるむこうは海だ。夜の海がひろがっている。
練習内容に疑問なところが二箇所ある、ここのコーチは間抜けだな、と私は答えた。
彼女は、振り向くと、はいはい、わかりました、というように、大きく、数回、うなずく。
そのまま、私たちは抱き合った。
ホームの直線で、私は四位になっていた。ペースを維持しようと思う。スタンドのゴール前には、彼女と毬子がいるはずだった。
鐘。あと一周。
私が彼女の肛門《こうもん》に私のペニスを挿入しようとすると、彼女は強い抵抗を示した。しかし、私は押し切った。
眠りに落ちる前に、彼女は、私の腕の中で、想像していた以上に痛いのね、と言った。かすれた、疲れ果てた声で。
第二コーナーを抜けるところで、スピードが鈍ってきたふたりをかわす。私の前には、あとひとりのランナーがいるだけだった。その背中を追う。
私は、勝ちにいっていた。明らかに。私の妻が言うように。
それはレースをするものの本能なのかもしれなかった。このままゴールまで、果たしてもつのかどうか、まったく計算は出来なかったけれど。
私は、私の人生は成功だ、と思っていたのだ。おそらく、開設した審美歯科のクリニックが軌道にのった時点で。
だが、まだまだ、これから、いろいろなレースがある。生きていくことは、そんなに確定的なものではなかったのだ。それは、きっと、スタンドにいる彼女に訊いても同じ意見だろう。
私たちは、再びスタートを切ったのだ。新たなレースに向けて。成功だとか失敗だとか言うには早すぎる。
しかし、何はともあれ、私はハードラーなのだ。障害を越えることには慣れている。
そうだよね?
本書は一九九四年三月にマガジンハウスより刊行された単行本を文庫化したものです。
角川文庫『もういちど走り出そう』平成15年6月25日初版発行