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AHEADシリーズ
終わりのクロニクルB〈上〉
[#地から2字上げ] 川上稔
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)必要|最低限《さいていげん》の明かりが灯《とも》る
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#底本「○○○」]
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終わりのクロニクル
著●川上稔 イラスト●さとやす(TENKY)
B【上】
――諸君、
それでは身構えたまえ、
認めるとはどういうことかを。
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The Ending Chronicle
Act.03
CHARACTER
.Name :飛場・竜司
.Class:後 輩
.Faith:お人よし
.Name :美 影
.Class:一般人???
.Faith:飛場のパートナー
.Name :シビュレ
.Name :獏
G-WORLD
・3rd―Gについて・
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金属と軽度の重力制御の概念を持つGである。
金属は生命を持ち、重量や硬度を変化されて重力制御で駆動する。
3rd―Gはその力を持って大型の武神や、多数の自動人形を生産し、概念戦争当時は覇を得ようとした。
3rd―Gは巨大な浮遊大陸の集合体である。
そこに住む人々は数千年単位の長命で、一人一人が世界の概念を管理し、天候や時間の制御もある程度は行えていたとされる。
彼らは死ぬと冥府機構という設備によってその概念と意思を概念核に送られる。
概念核に収められた概念は新しい命が生まれると抽出されて受け継がれるが、定形の無い意思は個別抽出するのが難しいため、そのまま概念核に残り住む。
そのため概念核は入ったら出ることの出来ない冥府となっていた。
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CONTENTS
終わりのクロニクル 3ー上
プロット表
ボク達は過去を求めていく
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イラスト:さとやす(TENKY)
カバーデザイン:渡辺宏一(2725inc)
本文デザイン:TENKY
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序 章
『自問の旅往き』
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問いかけとはどうなるものか
行きて過ぎるか
行きて戻るか
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●
白く広い空間がある。
入り口である自動ドア二つを抜かし、密閉《みっぺい》されたような空間だ。約五十メートル四方の白い壁と床と天井には、それぞれ発光板が埋め込まれている。
入り口で光に照らされるプラカードにはこの場所の名が印字《いんじ 》されていた。
第九訓練室、と。
今、訓練室の中央には四つの人影があった。訓練終了後の一息を入れる者達だ。皆、それぞれの白と黒の装甲服《そうこうふく》姿で座り込み、手にした小さな手作り書類を見ている。
一番に口を開いたのは中央にいる体格のいい青年だった。彼は手に持った書類を掲げ、
「とりあえず三日後からの全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》夏期訓練合宿 世界がマイナスに傾いて滅びるまであと五ヶ月切ったので海行こうポロリもあるよ合宿 だが――、何だ馬鹿|佐山《さ やま》、手を上げて」
言葉の先を言わせることなく、手を上げた少年、佐山が口を開く。
「出雲《いずも》、珍しく同意出来るこの合宿名はいいとして、だ」
「解《わか》ってらあ。次の|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》をどうするか、だろ?」
彼の問いに、佐山は頷《うなず》いた。左に座るロングヘアの少女を見て、
「そろそろ動くべきだ。忙しくなると思うが、新庄《しんじょう》君は夏休みに何か予定はあるかね?」
「んー。新作のゲームとかクリアしておきたいけど。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の方が大事だよね」
新庄は苦笑する。向かいにいる二人を見て、
「風見《かざみ 》さん達はどうなの?」
「ええ、一応|無《な 》いかしら」
と答えたのは正面にいる少女、風見だ。ショートカットを掻《か 》き上げた彼女は、
「でも佐山、3rd―|G《ギア》がどこにいるか解ってるの? 一応、3rd―Gの自動人形達の幾《いく》らかは3rdが滅びたときにこっちに落っこちてきてて、今は保護されてるって話だけど。――他の3rd―Gの残党《ざんとう》主力がどこにいるか、なんて話は聞いたこと無いわよ?」
「それがいる場所の示唆《し さ 》を、御老体《ご ろうたい》から先日受けた。五年ほど前、倉敷《くらしき》方面で大規模な自弦振動《じ げんしんどう》の異常があったと」
「佐山君、倉敷っていうと……」
新庄が天井を見上げて考えると、すぐに風見が言葉を飛ばした。
「岡山《おかやま》。児島《こ じま》半島よ。――神州《しんしゅう》世界対応論だと確かにギリシャね。でも、そこに?」
「いや。……その後、すぐに岡山支部が調査に乗り出したそうだが、どこにも3rd―Gの存在は検知《けんち 》出来なかったそうだ。……が、行ってみればヒントくらいは残っているだろう。そして、その前にUCATに保護された自動人形達にも会っておきたいものだね」
成程《なるほど》なあ、と新庄はつぶやいた。
……3rd―|G《ギア》かあ。
ギリシャ神話のベースになったとされる、自動人形と武神《ぶ しん》という巨大|人型《ひとがた》兵器のGだ。
「概念核《がいねんかく》は二つに分かたれ、その一方はテュポーンっていうのが持ってるんだよね?」
「ああ、おそらくそのテュポーンってのは武神だろうよ」
だがな、と出雲《いずも》は言葉を続けた。頭を掻《か 》きつつ、
「だが、もう一方の概念核の半分はどこにあんのか解《わか》らねえ。……3rd―Gとなると下手《へた》すると武神相手だから分が悪いし、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》もなかなか難しくなってきたな」
その言葉に新庄《しんじょう》は頷《うなず》いた。
UCATでは、十年前の概念|活性化《かっせいか 》によって自動人形も武神も安定動作させることが可能となった。それまで、UCATでは人型機械用の概念空間を不安定にしか構築《こうちく》することが出来なかったのだ。ゆえに自動人形の開発も武神の開発もまだ手探りのところが多い。
「3rd―Gの主力|残党《ざんとう》が、テュポーンを持ってこの世界にいるのかな?」
「3rd崩壊《ほうかい》に巻き込まれていなければ、いるのだろう。おそらくは少数だろうがね」
「何で少数だって解るの?」
「単純な推測だよ。全く未活動というならば、動ける人員が少ない可能性が高い。それだけの判断だね」
佐山《さ やま》の告げた言葉に、ふと新庄は首を傾《かし》げた。思うのは一つのことだ。
じゃあさ、と前置きして、
「どうして3rd―Gは隠れてるんだろう? ……もし佐山君の言う通りに活動出来る人員が少ないなら、それこそ降伏する選択|肢《し 》もあるだろうし。そうでなければ動くよね?」
「答えは簡単だ。……やましいことがあるのだよ。姿を現せば、見つけた者に何らかの報復《ほうふく》などを受ける可能性がある、とかね。そのような、外に出たくない理由があるのだろう」
言った佐山はこちらを見た。そして出雲を見て、風見を見て、
「気をつけた方がいいだろう。おそらく、3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は一筋縄《ひとすじなわ》ではいかない」
「あのな、今までもマトモに話が進んだことがあったか……。誰かが馬鹿なおかげで」
出雲の言葉に佐山は深く頷いた。腕を組み、真剣な顔で、
「うむ。確かにそうだ。しかし出雲、自分のことを馬鹿などと言ってはいかんな。代わりに私が言ってやろう。く・そ・馬・鹿。どうかね? 貴様《き さま》の卑下《ひ げ 》の代わりになるかね?」
出雲は無視した。横の風見《かざみ 》にうんざりした半目《はんめ 》を向けて、
「俺、話を戻したいんだが強引に協力してくれ」
「うん、強引にいいわよ。――じゃ、とりあえず|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》より合宿ね。新庄は行く場所見た?」
「え? ううん? 毎年、合宿は行く場所ランダムだし、去年はいきなり恐山《おそれざん》イタコ訓練ツアーで滅入ったから、合宿予定は当日まで見ないようにしてるの。見た瞬間|諦《あきら》めつくように」
「じゃあ丁度《ちょうど》いいわ、佐山もどうせ同じでしょ」
風見《かざみ 》が栞《しおり》を手に笑みを見せた。彼女は、へへん、と眼《め》を細め、
「行くのはね。瀬《せ 》・戸《と 》・内《ない》・海《かい》・よっ。IAIの有する無人島。実験場っていう名目だけど、実際はUCATの訓練場なの。そして……、3rdと関係してそうな土地よね、佐山《さ やま》?」
問われた佐山は、すぐには反応しない。
だが、ややあってから佐山は一つ咳払《せきばら》いをし、憮然《ぶ ぜん》と告げた。
「いい場所だね」
何気ない口調《くちょう》で言う佐山を見て、新庄《しんじょう》は内心で苦笑した。
……実は嬉《うれ》しいんだろうなあ。
「何か3rd―|G《ギア》の事前調査が出来るかもね、佐山君」
「うむ。新庄君が言うならばそうしようかね。ただ――、風見、テント編成は?」
「ちょっと残念だけど新庄と佐山は別よ? 男子テントと女子テントに分かれるから」
「い、いや、別にボク、そんな残念ってわけじゃあ」
「私は残念だが、それ以上に、そのような編成だと一つ問題があるね」
佐山は静かに頷《うなず》き、
「別々になってしまっては、いつもの新庄君の身体《からだ》を確かめる作業が――」
「ぅわぁ――!!」
新庄は慌《あわ》てて佐山のネクタイを締め切った。眉を立て、佐山を軽く前後に揺らしながら、
「人前でそういうこと言うのやめようよっ。佐山君の倫理《りんり 》規定は外国並どころか動物並なんだと思うけど、で、でもボクそういうの大切にしたいし――、って佐山君、聞いてるの?」
「新庄、俺が馬鹿の代わりに答えてやろう。――酸欠《さんけつ》だ」
見ればネクタイを絞り切った先で佐山が無抵抗に幸せそうな顔をしている。
うわあ、と新庄は力を失って倒れてくる佐山を支えた。
しまった。やりすぎた。でもまあいいか。
佐山の頭上で、獏《ばく》が倒れた彼の真似《まね》をしている。それを見た出雲《いずも》が、
「しょうがねえな。まあ、馬鹿は放っておいて今日は先に帰るか。俺、最近、上の階のバッティングセンターの景品取るのに凝《こ 》ってるんだよな。あそこの景品は良いのが多くて千里《ち さと》が喜ぶし」
「でも覚《かく》、一度取ったものをもう一度取ってくるオオボケはやめて、……って、まあ流石《さすが》に佐山を捨てていくのは危険よ。次にここ使う人達が警戒《けいかい》するわ。ね? 新庄」
「うん、まあ、……そっちにとってはそういう扱いかなあ」
言って一息。見れば、相変わらず佐山は眠ったような状態のままでどうしようもない。新庄は、やや迷ってからストッキングの膝《ひざ》に彼の頭を乗せる。
そして新庄は佐山の頭から獏をつまんで自分の肩に。前を向けば、
「風見さん、何を感心したような顔してるの?」
「いや、新庄も自分からそういうのするんだなあ、って」
出雲《いずも》の左に正座で座る風見《かざみ 》が、自分の膝《ひざ》を叩《たた》く。
「膝|枕《まくら》」
「うん……」
新庄《しんじょう》は頷《うなず》いた。横に置いた長砲《ちょうほう》、|Ex―St《エグジスト》の刻印《こくいん》が入った白の杖《つえ》を見て、少し前のことを思い出す。数ヶ月、否、たった三月ほど前に初めてこうしたときのことを。
「佐山《さ やま》君、初めて会ったとき、こうして欲しがったから。……それに、先夜もちょっと頼まれたからね。佐山君、実はこうして甘えたいときもあるのかなあ、って」
「先夜って?」
「うん、佐山君とトランプやって大負けして、それで、あの……」
膝枕の他にも要求はいろいろあったが流石《さすが》に言いよどむ。
話を逸《そ 》らそう、と新庄は慌《あわ》てて笑みを作ると、
「さ、佐山君、カードはお祖父《じい》さん直伝《じきでん》だって言ってたんだよね、凄《すご》く強くて。ボク、ゲームでないと勝てないから。ほら、新作|格闘《かくとう》の バーチャ指導者2 で米国代表|使《つか》ってエリアルレイブとか、――ね?」
「千里《ち さと》……、今、誤魔化《ご ま か 》された匂《にお》いがするな……」
「うん……。そういうスメルが匂うわね……」
「ご、誤魔化《ご ま か 》してないよっ。誤魔化してないよっ」
手を否定に振りながら言うと、風見がややあってから苦笑した。
彼女は、仕方ない、という風に肩を竦《すく》め、視線を合わせてくる。
「まあいいわ。でも、……佐山らしいわね、カードに勝たないと甘えないってのは」
うん、と新庄も苦笑を返した。膝の上、目を閉じて動かない佐山の前髪を軽く掻《か 》き上げて、
「ボクはいつでもこうしてあげたいんだけど、……佐山君、そういうの苦手そうだし」
「そうか、いい話だな。……では千里、俺も実は甘えたいときがあるんだが、どうよ?」
「私の拳《こぶし》にでしょ? ええ、いいわよ? 右がいい? 左がいい? それとも両方?」
出雲が横に倒れて嘘《うそ》泣きをするのを無視した上で、新庄は訓練室を見回す。自分達以外がいないのを確認してから、
「シビュレさん達は?」
「何だか大城《おおしろ》さんと出ていったわよ。――誰かと会う用件があるって」
ふうん、と頷いた新庄は、手元にある合宿の栞《しおり》に目を向ける。そして膝の上で浅い息を繰り返す佐山の顔に目を向け、
「あのさ、でも佐山君、ちょっと最近|苛立《いらだ 》ってるよね。……|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の進行が遅いことに」
「2rd―|G《ギア》との交渉からこの二ヶ月間、上からの指示は訓練ばかりで、他のGと接触させようともしなかったのに、更に合宿に行けでしょ? せっかちな佐山にとっては苦痛よね」
「だがまあ、3rdに関係する土地の近くに合宿行け、ってのは大城|爺《じい》さんの計らいだろ」
と言ったのは出雲《いずも》だ。体を起こした彼は腕を組み、佐山《さ やま》を見てから、
「確かに、八叉《や また》をクリアしたあたりから俺達の活動に各国UCATからクレームがついた。ガキどもを訓練もさせずに危険地帯に向かわせてるってな。――特に米国UCATがうるせえ」
「米国は神州《しんしゅう》世界対応論によれば5th―|G《ギア》に関係してるものね。きっと過去に何らかの因縁《いんねん》があるのよ。……私達に交渉|主導権《しゅどうけん》とられて、5thとの交渉まで進められるのが嫌なんじゃない? 多分、5thとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》では何かツッコミ入れてくるわよ」
「面倒《めんどう》だね。世界って」
「あらあら解《わか》った気になっちゃって。でも面倒なのは世界じゃなくてそこに住む人間のプライドかもよ? ――私もそういうのってあるわ。新庄《しんじょう》にも、あるんじゃない?」
問いに対して、新庄は思う。確かにある気がするが、自分には本当に何があるだろうか、と。
その思いを確かめるように新圧は視線を落とした。こちらの膝《ひざ》の上、眠っている少年がいる。
彼の髪を指輪のついた右手で掻《か 》き上げると、風見《かざみ 》の問いへの答えは自然と出た。
「――うん、多分。ボクにもあるよ」
首を下に振った。そして対する風見が小さな笑みを見せた。
「佐山にもきっとあるわよ。――それが解っていて、苛立《いらだ 》つんでしょうね。お祖父《じい》さんのこともあるから、すぐに次のGとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》に取りかかりたいんでしょうけど」
風見の言葉に、新庄は頷《うなず》いた。そして一つのことを思い出す。
「でも、合宿も|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》もいいけど、夏休みの宿題もあるんだよね。……大量に」
「世界が滅びるかもしれないってのにノンキな話ね……」
「ボクもそう思うけど、大樹《おおき 》先生が一学期分の授業を実は教科書|間違《ま ちが》えてやっててね? 一昨日発覚して佐山君が査問《さ もん》委員会を設置したんだけど判決は うわー御免《ご めん》なさいねー って。……学校って、結構《けっこう》アバウトな組織なんだね?」
「ふふふ。安心して、新庄。私から見ると結構スリリングな組織みたいだから。――でも、新庄は初めてよね、そういうの。だったら今年だけよ。三年は宿題無いもの。受験だから」
最後の言葉に、新庄はふと顔を上げた。対する風見と出雲は自然体で、
「……どうしたの新庄? 興味ありげな顔で」
「うん。ちょっと思ったんだけどね? ……二人とも学校卒業したらどうするのかなあ、って」
「そりゃ当然、俺ぁ千里《ち さと》ガっ! ――ぜ、前文《ぜんぶん》途中だぞ!」
風見は、やかましい、とつぶやいた。また出雲が横に寝て嘘《うそ》泣き始めるのを無視して、
「……一応、上の大学入るつもりなのよね? でも|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》やってるっしょ? だから高校卒業したら、まあ、各地の大学に留学してみようかな、って。その頃に世界はどうなってるか解らないけれど、各国UCATは忙しいだろうしね。少しは手伝えればいいと、そう思ってるの」
覚《かく》も一緒よ、と小さな笑みとともに付け加えた風見に、新庄は言葉もない。
「考えてるんだ。意外だなあ……」
「アンタそれ感心の方向性が違う……」
「御《ご 》、御免《ご めん》。いや、でも、何て言うのかな」
「フォローすると逆に墓穴《ぼ けつ》掘るからやめときなさい。大体、フツーよ、フツー。アンタも来年になったら考えるわ、きっと。三年になって、自分の上がいなくなって、カレンダーの月日を少しでもめくったら考えることよ。教室の窓から外でも見つつね」
言って、風見《かざみ 》は、はっと気づいた顔する。慌《あわ》てて口元に笑みを遺《のこ》しながら、眉を軽く立て、
「何だかさっきから説教|臭《くさ》いことばっか言って悦《えつ》に浸《ひた》ってるわね。まあ、少しは先輩面《せんぱいづら》させといて。こんなこと、佐山《さ やま》の目の前じゃあ言えないものね」
「そうだね。……佐山君、意外と心配性だから。気を遣《つか》うと思う」
告げられ、新庄《しんじょう》は視線を下に。
見れば膝《ひざ》の上の佐山は動かず、自分もじっとしているだけだ。だがそれだけで笑みは出る。
そんなこちらを見て風見がやれやれというような吐息をついた。
彼女の横に倒れた出雲《いずも》も動かない。
静かだな、と新庄が思った。
そのときだ。いきなり、訓練室に音が響《ひび》き渡った。
「――警報?」
空気を貫《つらぬ》く高音の連続に、風見が立ち上がる。
続いて響くのは館内放送だ。
『えー、発令ですよー。現在ですね、ええと、日本の左側よりすごく大きな賢石《けんせき》反応が二つばかりいい勢いでこっちの方に飛んできてますー。ですから、えーと、特課《とっか 》、あと通常課? どっちも訓練中か待機中の実動は大至急《だいしきゅう》正面入り口まで集合して下さいねー』
大樹《おおき 》の声に新庄は慌てて佐山を見た。視線の先、佐山は目を開けていない。
だから新庄は声を放つ。
「佐山君! 佐山君! 起きて起きて! 大樹先生が変なこと言ってるから!」
しかし佐山は目を開けない。あああ、と慌てた新庄は、少し考えてから佐山の耳に、
「――先にお|風呂《ふろ》行くよー」
「待ちたまえ!」
佐山が小脇に洗面器を抱えた姿勢で飛び起きた。
●
月の出る夜空は、蒼《あお》の色を持っている。
空も大気も月明かりに落ちる影さえも蒼く、全てはお互いを溶け合わせている。
そのように溶けた蒼の下、森を頂く山渓《さんけい》の陰影《いんえい》がある。
そこから響くのは、山の底を流れる谷川のせせらぎと、森から聞こえる虫の音だ。
川の音は絶えることなく流れている。
だが、虫の音は違った。山の中、ときに虫の鳴き声が止まる場所がある。
虫の静寂《せいじゃく》。それはひとところにとどまらない。一定|範囲《はんい 》の沈黙《ちんもく》は山の中を通る外灯《がいとう》無しの道路を登り、山の中へと入っていく。
山道を行く沈黙の中には二つの人影があった。
落ち枝を踏みつつ歩く一人は白衣《はくい 》の老人で、
「何というか、なあ、シビュレ君、……少し休まんか?」
息を切らした彼の言葉に振り向くのは、白いサマーコートに身を包んだ金髪の女性だ。
彼女、シビュレは青い目を弓に細め、
「申し訳ありません大城《おおしろ》様。久しぶりなもので、つい急いでしまって」
「休む気は?」
「|Tes《テスタメント》.、――ありません」
笑顔の返答に大城は歩きながら空を見上げた。頭上の葉枝《は えだ》の向こうを眺《なが》め、
「何だか最近、わしの優先度が皆の中で低く……」
「Tes.、御安心|下《くだ》さい大城様。皆で低くすれば相対的には変わらなくなります」
「うわー! 詭弁《き べん》的に最新の老人|虐待《ぎゃくたい》を!」
叫ぶと、頭上を覆《おお》っていた葉群から鳥の鳴き声が響《ひび》いた。慌《あわ》てたような鳴き声には羽ばたきが幾つも続き、そしてシビュレが足を止めた。
大城が足を止めると、シビュレは笑みを消した顔でこちらを見ている。
大城は、頭上の鳴き声と羽ばたきが消えるのを待ってから、こう言った。
「……すまんなあ」
頭を下げ、ややあってから顔を上げると、するとそこにはもうシビュレがいなかった。
「ああっ、無視こそが一番ひどい仕打ちっ!」
大城は走り出す。
山道の切れるところは近い。森が開け、向こうに広がる夜空に飛び出せば、
「――旧飛場《きゅうひば 》道場、か」
言葉とともに大城が辿《たど》り着いたのは、月光の直下だった。
そこは広さ二十メートル四方の空間。足下は地面というには踏み固められ硬くなった場所だ。
だが、その地面は硬いままに荒れている。幾《いく》箇所か割れ目が出来、草が合間に生《は 》えた状態だ。
旧飛場道場。
「飛場家が戦後まで使用していた屋外道場、か……」
荒れた道場を見渡す大城は、道場の北側に人影を見た。それも二つ。
一つはシビュレの白いサマーコートの影。もう一つは白いTシャツに半パン姿の、
「飛場先生……」
「よ。何よ? 大城《おおしろ》のガキまで来たんかよ?」
飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》は月光の下で手を上げ、こちらを見た。
笑みの中、赤い左目が月光を照り返している。
「夏が始まろうってえ夜に、俺っちをこんな因縁《いんねん》ある場所に呼びつけてどうしたよ?」
「――はい。竜徹様、また始めるのですよ」
「始めるってえこたあ……、あの決着の、後《あと》処理か?」
竜徹の声に、月の光を浴びるシビュレが振り向いた。
遠く、電車の音が響《ひび》いてくる夜の中、彼女の顔は月に照らされる微笑だ。
「そうです、竜徹様。人の形を求めた戦いの残滓《ざんし 》を祓《はら》うのです」
彼女は言った。
「……3rd―|G《ギア》を滅ぼした力の担い手、元|護国課《ご こくか 》準尉《じゅんい》、飛場・竜徹様」
●
月光の下、大城は白衣《はくい 》の| 懐 《ふところ》から書類の束を出す。
クリップで閉じられた一部を竜徹に渡すと、真剣な顔を見せ、
「……何か空気堅いんで、冗談《じょうだん》言ってもいいですかなあ」
「ああ、いいんじゃねえの? でも詰まらなかったら腕一本な。決まり」
告げた言葉に大城が動きを止める。すると、シビュレが笑顔で大城に、
「大城様? 無理することはないですよ?」
「うわ腹立つ! 絶対に面白いこと言ってやるもんなあわし!」
「やめとけ坊主《ぼうず 》、腕が五本あっても足りねえぞ」
坊主、という言葉に大城が苦笑をした。どうしたものか、上いう表情を作って彼は頭を掻《か 》く。
「懐《なつ》かしいですなあ」
「オメエのこと、そう呼ぶ連中《れんちゅう》も少なくなったってことだあよ。俺ぁオメエが生まれたときのことも知ってんだ。宏昌《ひろまさ》が偉く喜んでたのもな。俺が――、二十四、宏昌が三十七だったか」
竜徹は受け取った書類をめくり出す。月の下で見れば小さい老人だ。だが、
「今年になって八十五|歳《さい》とは思えないほど、お元気ですな……」
「趙《ちょう》やジークフリートみてえな延齢《えんれい》もしてねえし、アブラムみてえに戦闘でいろいろな概念《がいねん》の近くにいるわけでもねえけどな。当時の影響《えいきょう》がやっぱ出てんだろうよ。――有《あ 》り難《がた》いことに女房のトシも同じだけんどな」
だが、と竜徹は言った。
「連中の中だと、俺かサンダーソンが一番におっ死ぬだろうさ」
彼の言葉に、隣《となり》に立つシビュレが目を伏せた。
目を閉じることで表情を消したと思っている彼女に、しかし竜徹は何も言わない。書類をめくりながら、
「明日、アレを回収に行くんかい? UCAT神田《かんだ 》研究所に」
「ええ、神田研究所に修復《しゅうふく》をさせておいたものを、明日、回収に。同行されますかな?」
「別にいいってよ今更《いまさら》。貧乏|根性《こんじょう》で持ち帰ったもんだし、薫《かおる》の管轄《かんかつ》だしな。――だがよ」
と竜徹《りゅうてつ》は顔を上げ、
「憶《おぼ》えてっか? アレはオメエらに引き渡す。その代わり」
「ええ、お孫さんの行動に関してUCATは一切|関知《かんち 》をしないと」
「へっ、素直でらしくねえな。十|歳《さい》で俺と一緒に女湯|覗《のぞ》いた出歯《で ば 》亀《かめ》気質はどうしたよ」
いやいや、と頭を掻《か 》いた大城《おおしろ》は、ふとシビュレを見て、
「シ、シビュレ君? 何を無言でメモとっておるのかなっ?」
「|Tes《テスタメント》.、――千里《ち さと》様が必要だそうですから」
「な、何のためにどういう内容のがっ!」
シビュレは無視した。いじけて体育座りを始めた大城を更に無視して、竜徹を見る。
「――ともあれ竜徹様、日本UCATは実利と取引を求めています。UCATは明日の回収物と引き替えに……」
「3rd―|G《ギア》の|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は一時|保留《ほりゅう》とする。――表向き、な」
竜徹の声に、沈黙《ちんもく》が来た。
静寂《せいじゃく》の風が吹く。その風に山の木々が揺れる中、竜徹の声が更に響《ひび》いた。
「3rd―Gには穢《けが》れがある。……それゆえ、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》をするべきではねえってこった。他国のUCATも、当時の生き残りが言ってんだろよ? もし3rd―Gを仲間として認めた場合、忌避《き ひ 》すべき事態が起きる、と」
「その穢れ、とは?」
「二つある。一つは| 公 《おおやけ》のこと、一つは個人的なこと、だ。――後者はそれこそ俺っちや3rd―Gの生き残りしか知らねえ筈《はず》。だからよ、……各国UCATが言うのは前者だな。……だが、どちらもそろそろ晴らせる。3rd―Gは近い内、二度目の滅びを迎えるからよ」
「それは……」
「そいつをこれから聞かせてやろうか。3rd―Gが今、おそらくどうなっているのか。そして俺達が今、どうしているのかを。それを聞いたら、オメエも少しは考えなければなるめえよ。……3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》ってのを、大人《おとな》としてな」
竜徹は口の端で笑う。
「しかし、どうだろうかよ? きっと、穢れの意味を知ったら、大人は3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を止めに入る。――が、御言《み こと》達はどうだろうなあ?」
「|Tes《テスタメント》.」
シビュレは、少し残念そうな顔で、しかし微笑した。
「……|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は、基本的に佐山《さ やま》様達の出来る範囲の自由|裁量《さいりょう》を認めております。佐山様達が自力で過去を見つけ、障壁《しょうへき》をクリアする中で竜徹《りゅうてつ》様のお孫さんと接触したら……」
「あの未熟《みじゅく》者達の行く末は変わるかい?」
|Tes《テスタメント》.、とシビュレはまた頷《うなず》いた。だが、その顔は笑みを持っている。
「竜徹様の行く末ごと変えてくると思いますよ? あの方達は未熱かもしれませんが、――でも、千里《ち さと》様はこの前お話してくれたんです。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が終わったらどうしようか、と」
微笑。
「既に御言《み こと》様達は世界とともに先へ行こうとし始めております。……それが、竜徹様の本意ではなくとも、です」
「……へへ、オメエさんはそういうところが鋭くていけねえ。――歳《とし》とったよな、俺っちも。ガキどもが危ない場所行くのを気遣《き づか》うようになっちまってる」
と、言った瞬間だ。
ふと、竜徹が顔に手を当てた。
「――――」
それは左目、紅の色を持つ目の位置だ。
彼の動きにシビュレが表情を緊《きん》に変え、大城《おおしろ》が振り向いた。
「――まさか」
「まさかじゃねえ。……あの馬鹿、マジにこっちまで戦闘《せんとう》引っ張ってきやがった」
「馬鹿とは――」
気付けよ、と竜徹は言った。眉を立て、しかし口に笑みを噛《か 》み締めながら、
「俺が認めた、――穢《けが》れの祓《はら》い手だ!」
●
月の下を、電車の光が東に流れていく。
青梅《おうめ》線、奥多摩《おくた ま 》発の上り列車だ。青梅に近い軍畑《いくさばた》の駅を出た電車は、多摩川《た ま がわ》沿いに東へ。
その光を見送ることが出来るのは、南に川を渡った沿いにある田園だ。
外灯《がいとう》無く、緑の稲穂《いなほ 》が月光に照らされる場所。草群《くさむら》の虫と田圃《たんぼ》の蛙《かえる》の鳴き声が響《ひび》く場所だ。
稲を揺らす風は山を下って川を渡ったもので、そこには涼しさがある。
月下の小風は田を渡り、電車を追うように下流へと。
だが、不意に風が踊った。
田圃の中央を行く砂利《じゃり》道の農道の上、そこに、今、一つの影があったからだ。
遠くにある駅の光を背にするのは、若い女性の影だ。
月光の下、左肩に掛け下げたベージュのスーツはよれよれで、砂利道を踏むパンプスの音は淡く乱れている。彼女は右手のバッグを軽く振り回し、
「あ〜」
と倦怠《けんたい》の声を挙げ、左手で髪を掻《か 》き上げた。
セミロングの前髪の下から現れるのは、頬《ほお》を赤くした顔だ。が、それには酒臭い吐息もついているし、困ったように寄せられた眉もついている。
と、髪を掻き上げる動きで、左肩から砂利《じゃり》道にスーツの上着が落ちた。
彼女は一瞬《いっしゅん》だけ身動きを止め、落ちたスーツを見た。
直後、彼女はいきなり腰を落とす。スーツの上に尻を落とし、胡座《あぐら》をかこうとして、
「――――」
タイトスカートの裾《すそ》が狭い。だから胡座を右の立て膝《ひざ》に変更。舌打《したう 》ちを一つ入れて、右に寄せたバッグを開けた。その中から取り出すのは一枚の紙、履歴書《り れきしょ》だ。
名前の欄《らん》には月読《つくよみ》・京《みやこ》とある。
彼女、京は履歴書を両手で構え、正しい読書|姿勢《し せい》のように前に突き出す。うい、と酔いのえずきを一つ出してから書面を見る。据《す 》わった目つきで、
「どーしたもんかよ。……母ちゃんうるせえだろうなあ。面接で何も言えなかったなんて」
ふと、視線は右へ、西の方を見る。青黒く映える奥多摩《おくた ま 》の山の中、小さいが、確かに幾《いく》つかの光の集合体がある。
「母ちゃんは言うけどな、IAIを紹介してやろうか、なーんて。……誰がコネ使うかって」
座ったまま、右手で髪を掻き上げ、京は履歴書に視線を向ける。
視線の先、履歴書は自分が今まで出した結果を明確に書いている。中学、高校、大学、所属の部活や免許の有無なども。
「だけど……」
と、京は右手を離し、バッグを漁《あさ》った。中から煙草《たばこ》を取り出し火をつける。
味のある煙を口に入れ、噛《か 》み、球《たま》に吐きだし、
「見て欲しいのはそこじゃねえんだけどなあ……」
視線が行くのは趣味、特技の欄だ。料理、工学、とボールペンの筆跡《ひっせき》がある。
それを見ながら彼女は思う。
……上手《うま》くいかねえもんだ。
「甘えは嫌だと気張ってみれば、七月半ば過ぎても就職決まらねえってか」
言いながら履歴書を左手で二つに折り、更には折り目をつけるように四つに折った。
バッグにしまい込み、吐息。くわえ煙草でそのまま背後の地面に身を倒す。
情《なさ》けねえ、と思いつつ、しかし煙草を手に取り、頭上の月に掲げる。
「元《もと》不良の京さんも、さすがに世間の厳しさに逃避《とうひ 》したくなるもんだぜ」
苦笑。煙草を弾《はじ》いて灰を落とすと、それは風に散った。
「何かいいことねえかなあ……。隕石《いんせき》落ちてきて今日行った会社が滅びるとか、白馬の王子が大金持ってプロポーズしてきて結婚直後に死ぬとか、家に帰るとメイドが多量にいて死ぬほど楽して生活出来るとか――」
下らねえ、と歯を見せて笑いつつ、だが、笑いはゆっくりと真顔《ま がお》になった。
「――一人前になりてえなあ」
つぶやいた、そのときだった。京《みやこ》の耳は一つの言葉を聞いた。
それは耳ではなく意志に響《ひび》く言葉。己の声に似た声で、
・――鉱物は命を持つ。
「……は?」
何だ今の言葉は、と、京は身体《からだ》を起こした。
誰かいるのか、という言葉はみなまで発されなかった。
自分の真横、右の大地の直近にそれが落ちてきたからだ。
「!?」
それは風の巨大な質量。轟音《ごうおん》と風に吹き飛ばされそうになった京が見上げたのは、
「隕石《いんせき》じゃなく……」
月光を浴びた白の巨人だ。
●
月下の田圃《たんぼ》[#底本「田園」]に、白の巨大な人影が立っている。
身長十メートルを超す巨大な白の鎧武者《よろいむしゃ》だ。
その足下に座り込む形となった京は、目の前に落ちてきた白の異常物が消えないことを悟ると、あたりをゆっくり見回した。
巨人の起こした風が抜けた後、周囲は一瞬《いっしゅん》で静かになっていた。
物音も、虫の音も、田圃の蛙《かえる》の鳴き声も全てが無い。
無音の静けさがあまりにも強いことに対し、怪訝《け げん》の二文字を京は感じた。まるで生命が全て失われたようだ、と。そして自分の真横に立つ巨人に対しては、怪訝以上の不可《ふ か 》解《かい》を感じた。
京は工学系の技術と知識を酔った頭に総《そう》動員させ、立ち上がり、
「アニメじゃねえんだから、どういう強度で立ってんだよこりゃあ……」
動かぬ白の巨人は手の届く距離にある。だから手で触れようと、一歩を近づいた。
すると、巨人の頭部で光が生まれた。
それは顔面とおぼしき位置にある目の光。色は黄色で、暖かみがあるな、と京は思う。
何かの起動の合図だろうか。だが、
……何か、見たことあるような眼《め》だよな。
どこでだろうか。いや、光る眼《め》など見たことはない。見たことがあるのは、雰囲気《ふんい き 》だ。
光が帯びた緩やかな、力弱い雰囲気。それを京《みやこ》は胸に感じる。
……何なんだろうか。
思いつつ、酔った頭は興味を優先させた。誘われるように、京は白の巨人に手を伸ばした。
触れようとした瞬間。
「――!」
不意に巨人が目の光を強くし、動作した。
それも京をいきなり避けるように、半歩を横にずれたのだ。
……逃げる。
小《しょう》動物が怯《おび》えたような反応についてくる音と風は、やはり強大なものだ。巨人が足を踏み込んだ田圃《たんぼ》からは、稲穂《いなほ 》が千切《ち ぎ 》れしなって草の波音を立て、足の沈んだ泥からはその体積|分《ぶん》だけの泥水が砂利《じゃり》道の上にあふれ出す。
離れた距離は約三メートル。やはり周囲からは虫の音も蛙《かえる》の鳴き声も聞こえない。
無音を感じながら、京は伸ばした腕と差し出した手指を見る。そしてその先にある巨人も。
彼女の視線の先、白の巨人はこちらを見下ろしていた。まるでうなだれるように。
「――――」
いきなり巨人が頭部から何か音を発した。男の声だ、と京は判断するが、何語かは解《わか》らない。
ただ、巨人はその一言だけで背を向けた。
「おい」
と京《みやこ》は声を掛け、はっ、と気づいた。
……何してんだよ、あたしゃ。
面接|落《お 》ちした帰り道に酒飲んでクダまいて、降りてきた白い巨人に待てと言う。
どこまで正常なんだろうか、と思ったときだ。巨人が次の動きを見せた。
背に担った大きな六枚|翼《よく》を展開する。
「うわ……」
背に広がるのは二対三組の主《しゅ》翼と補助翼だ。長さ五メートルは下らない主翼が広がり、フラップが上下する。その奥には現実にはあり得る筈《はず》のない翼内式《よくないしき》のスラスターが見えた。
それらはまるで生きているように広がり、月下に咲いた。
何だこれは、と京は思う。こんなものが有り得る筈がない、と。
だが現実感は現実自体の前に掻《か 》き消える。
開翼《かいよく》は月光に凛《りん》と冴《さ 》え、京の眼前でいきなり風が爆発した。
白の巨人が空に飛んだ。
「!」
両手を身体《からだ》の前に交差させたが、遅い。わずかに身体が浮き、しまった、と感じた瞬間《しゅんかん》には砂利《じゃり》道の上に尻から落ちていた。
衝撃《しょうげき》よりも、小石が尻に刺さった痛みが優先する。
が、京はすぐに風を掻き分けて立ち上がっていた。
京の目は見ていたのだ。飛び立つ瞬間、白の巨人がこちらに振り向いたのを。
黄色い光の目は、何か怯《おび》えているように見えた。
「…………」
その目に対し、口を開くが、何も言葉が出ない。何と言えばいいのか解《わか》らない。
何だろうか、このもどかしさは。だが、怯えを読み取れたということは、共感が自分の中にあるということだ。巨人の怯えと似たものが、自分の中に。
それは何だろうか。
答えの代わりに音が聞こえて来る。風を穿《うが》つような、籠《こも》った音だ。
天上、無音だった大空から風音が響《ひび》く。
京は空を見上げ、そして見た。白の巨人が飛んだ軌跡《き せき》として白の雲が夜に一本ある。だが、
「――っ!」
それは背後の空からいきなり来た。
風を穿つ轟音《ごうおん》とともに、頭上を高速に新しい影が抜けていく。
大風は荒《すさ》ぶる意志の証《あかし》とでも言うように、その影は京の頭上を通り過ぎながら連続加速。羽ばたきにも似た轟音《ごうおん》を連鎖《れんさ 》させて夜空を飛翔《ひしょう》した。
二度目の風を堪えながら京《みやこ》は見る。風と音を巻いて空に舞い上がっていく新たな風の正体は先ほどの白の巨人に似た巨人だと。
色は漆黒《しっこく》の闇色《やみいろ》。
黒の巨人が白の巨人を追い、夜空を駆け上っていく。
●
夜の空は冷たく澄んでいる。
大気の中を行く黒の巨人は、己の背部から伸びた鉄の四枚|翼《よく》を展開した。
二対二組の四メートルほどの翼《つばさ》は、上二枚が空へ、下二枚が地上側へと開翼《かいよく》する。
空気抵抗を起こす筈《はず》の動作は、しかしそれを生まない。翼の前部が放つ淡い光が大気を切り裂き、必要な分の空気だけを前部スリットから翼内部に蓄えていく。
続く翼の振り下ろしは、確実に大気を殴りつけた。
翼の後部スラスターから放たれた大気爆発は、鉄の巨体を上方へと加速した。
天上は一瞬《いっしゅん》でその距離感を無化《む か 》する場所となる。
上昇する黒の巨人の顔面部、鋭く赤い光が目として光った。
風の中、夜の中、空の中で黒の巨人は相手を発見した。
それは白の巨人。
天とも言える高さの上に、白の巨人の背が見えた。
向こうは上昇、だからこちらも更に上昇だ。
背の翼を羽ばたかせると同時、黒の巨人から音が響《ひび》いた。
顔面部の口から発される音は、声だ。
『このまま、自分で展開させた概念《がいねん》空間を出る気ですかね?』
自問のように問いかけたのは、少年とも青年とも言えぬ声だ。
その問いに答える声はすぐに来た。同じ黒の機体の口から、女性の音質《おんしつ》で、
『解《わか》らない。――だけど、これで終わりに出来るなら出すよ? 私達の破壊《は かい》兵器を』
一機の中で一組の男女が会話する。そして女性の声は、こう続いた。
『――神砕雷《ケラヴノス》!』
その名称に応じるように、動きが生まれた。
黒の右腕《みぎうで》外装に突如概念《とつじょがいねん》空間が展開し、神砕雷《ケラヴノス》と呼ばれた武器がパーツ分解状態で姿を現す。
初めに空間|射出《しゃしゅつ》されるのは槍《やり》のフレーム部分だ。フレーム下の爪が腕にロックをかけ、弾槍《だんそう》を発射するレールが合一し、次に空間射出された側部ガイドレールと上部カウンターヘッドが左右と上を包んで砲塔《ほうとう》を作り上げる。
続いて後部に現れたショックアブソーバが連結し、確定した内部に弾槍が入る。
弾槍《だんそう》は三本の槍《やり》で、それぞれ白の色に光っていた。| 雷 《いかずち》の色に。
最後に空間|射出《しゃしゅつ》されるのは十二連並びの鉄鋼ボルト。左右に六つずつ展開したボルトは一対ずつ勢いよく神砕雷《ケラヴノス》を穿《うが》ち、閉じ、固定し、鋼《はがね》の六重|奏《そう》で武器を揺るぎないものとする。
完成まで一瞬《いっしゅん》だ。
『出来たよ。――行ける!』
女性の声が響《ひび》いた瞬間《しゅんかん》。黒の巨人の頭上で異変《い へん》が起きた。
白の巨人が、月を天に置いた位置で身を| 翻 《ひるがえ》したのだ。それも、眼下のこちらに対して。
まるで後ろに倒れ込むような動作は、こちらに頭を下にして終了。
直後に白の巨人は羽ばたいた。
こちらへ、大地に向かって白の巨体が突っ込んでくる。
見れば白の巨体は、既に両肩に備えた剣の内、右の一本を左腰に構えていた。
『来る!』
しかし黒の巨人も飛翔《ひしょう》した。翼《つばさ》を大きく羽ばたき、悠然《ゆうぜん》と舞う。
と、音が響いた。それは黒の巨人の口から漏れる音楽。
少年の声で唄われる歌だ。
――Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
聖歌《せいか 》を緩やかに、響く音律に乗るように、黒の巨人は焦らず加速した。
――God's Son laughs, o how bright/神の子は笑う 何と明るく
速度が高速ならば接触は一瞬だ。
――Love from your holy lips shines clear,/貴方の聖なる唇から慈しみが輝き透き通る
重力|落下《らっか 》速度を超える降下と、引力に抗《あらが》う上昇がすれ違う。
――As the dawn of salvation draws near,/救いの朝 夜明けが近づくにつれて
左の一刀と右の槍が激突《げきとつ》した。
――Jeasus, Lord, with your birth/神の子 我が主よ 貴方の生誕とともに
『……行け!』
歌の末行を叫びに変えた槍が、一刀をたやすく砕き、しかし、
『――!!』
妙なことが起きた。
白の巨人が消え、そしていきなり横に現れたのだ。タイムラグ無しでこちらの右へと。
『また攻撃を喰われたのか!?』
少年の声が空中で強引《ごういん》に振り向きながら、
『美影《み かげ》さん。今のは――!?』
『駄目《だ め 》! ――もう攻撃来てる!』
確かに、彼女の言葉通り、既に白の巨人が剣を振り下ろしてきていた。
『瞬間《しゅんかん》移動でもなく、瞬間攻撃か……!』
たとえば瞬間移動では、移動後も動作は持続する。が、白の巨人は宙で消え、次の瞬間に現れたとき、既に攻撃を振りかぶっていた。
高速化や不可視化《ふ か し か 》や瞬間移動ではなく、まるでこちらの攻撃を奪ったかのように。
『どういう仕掛けだ……!?』
疑問の中、回避と攻撃が交差する。
撃音《げきおん》。
白の巨体の剣が、槍《やり》の基部となる射出機《しゃしゅつき》を弾《はじ》いていた。
そしてそのまま、白の巨人が黒の巨人に激突《げきとつ》する。
金属の破砕《は さい》音が空に響《ひび》いた。
苦悶《く もん》とも驚きとも言える音が両者から漏れ、激突の結果が出る。
身体《からだ》の大きさと加速において勝る白の巨体は、衝撃《しょうげき》の余韻《よ いん》を消すように身を回し、後は一直線に真下へ。しかし黒の巨人は胸部装甲と背翼《はいよく》部を砕かれた状態で宙に吹き飛ばされた。
高度が一気に下がり、地表が迫る。
『く』
黒の翼《つばさ》が展開した。大地の寸前で羽ばたき、真横に身体を飛ばし、しかし間に合わず、
『――っ!!』
脚《あし》で力任せに土の地面を蹴《け 》り飛ばし。更には翼を強引《ごういん》に一打ちして補正する。高速の水平|滑空《かっくう》状態に身を置き、約百メートル先を同じように地表すれすれで先行する白の巨人を追った。
『くそ……』
『御免《ご めん》。私が未完成だから』
彼女の言葉に少年は答えない。わずかな間を置いてから、女の声がまた響く。
『さっきのテュポーン……』
『見ましたが、何か?』
わずかな間を持ってから、自分に確認を取るような口調で女の声が告げる。
『目の色が、黄色かった。……さっきと違った。以前、戦ったときとも』
確かに、と少年がつぶやき、何故《なぜ》だと言うように黒の巨人が小首《こ くび》を傾《かし》げる。
しかし、迷いを断つように女の声が告げた。
『――テュポーンが速度を落としてる』
『? 何故です?』
『解《わか》らない、でも……!』
黒の巨人は彼女の言葉に頷《うなず》いた。
前に出る。一度地面を蹴り、身体を空に跳ね上げてから翼で羽ばたく。浅い角度から、しかし高速のダイブをかける動きだ。
突っ込んだ。迫る白の背に対して右腕の神砕雷《ケラヴノス》を振りかぶり、
『響《ひび》け砕きの雷撃《らいげき》よ!』
少年と女の声が重なると同時。光を帯びた杭槍《こうそう》が射出《しゃしゅつ》された。
そのときだ。白の巨人が慌《あわ》てた動きで滑空《かっくう》から振り向いた。こちらに向けて剣を投じる。
『何だ!?』
神砕雷《ケラヴノス》が剣を食う。一瞬《いっしゅん》で金属の刃《やいば》を砕き、空に散らせる。
だが黒の巨人は見た。白の武神《ぶ しん》の行く先に、
『……人!?』
白シャツにベージュ色のスカートを穿《は 》いた女性が、歩きながら空を見渡している。まるで自分達を見失い、探しているかのように。ゆっくりと首を回し、こちらを見て、
「――――」
彼女の顔が、接近するこちらと白の巨人を捉《とら》えた。その表情は驚き、青ざめたものだ。
そこまで見たとき、白の巨人が動いた。白の巨人は翼《つばさ》を全開し、速度を一気に落とすとともに身をかがめ、両腕を広げていた。
背後に迫る攻撃から、自分達を捜すように歩いていた女性を護《まも》るように。
追っ手である黒の巨人は、右腕を振り抜いた。白の巨人ではなく、外へと。
『くそ……!』
攻撃は白の巨人をぶち抜けない。
だが、放たれた槍《やり》からは雷撃が発射された。
光が二機の武神を包み、轟音《ごうおん》が響く。
●
焼かれ砕かれ、熱気を上げる砂利《じゃり》道の上、京《みやこ》は立っていた。
空から降ってきた強烈な光にまみれ、しかし彼女は目を閉じていなかった。
だから、京はずっと全てを見ていた。熱と光と温度のある風の中、微《かす》かに目に涙を浮かべ、震えながらも、だ。
始まりは、空を飛翔《ひしょう》していた白の巨人と黒の巨人がこちらに降下してきたことだった。
白の翼が眼前に立ったと同時、光が来た。
周囲を滝のような音がぐるりと走り抜け、光が全てを埋めた。そして熱を感じれる風が足下から吹き上がってきたのは解《わか》った。
あとはよく憶《おぼ》えていない。気がついたら、眼の前に白の巨人が立っていた。
……不用意にうろついてたあたしをかばったのか?
どういうことだと、意志だけではなく、口で言おうとして、しかし言葉が作れなかった。
唇が震えている。顔も、首も、身体《からだ》や膝《ひざ》も。
しかし目はじっと白の巨人を見上げていた。頭上にある白の巨人の顔面を。
黄色い光を放つ目が、そこにある筈《はず》だ。
京《みやこ》の思いに応えるように、巨人がわずかにうなだれる。その顔面に見えたのは、
……違う。
蒼白《そうはく》。
白の巨人の顔面に見えたのは黄色ではなく青の光だ。
京は思う。これは月光と同じ色の光だと。
続く瞬間《しゅんかん》で白の巨人が動いた。今までのうなだれを拒否するように、いきなり両の腕を浅く下に広げ、身をのけぞらせ、
「――!!」
吠《ほ 》えた。あ、とも、が、とも聞こえる吠え声は明らかに女性の声。先《さき》ほど聞いた男性の聞き取れぬ異国|風《ふう》の言葉でもない。純粋な、獣《けもの》のような、悲鳴のような声だ。
叫びは熱気を吹き飛ばし、空に浮かぶ月を露《あら》わにした。
全天が冷たく見える。その光景に京はぞくりとする寒気を得た。そして、一つの音を聞く。白の巨人の背後から、大気を震わす何かが再び近づいていることを。
「黒の……」
闇色《やみいろ》の巨人が来ている。砕かれた田圃《たんぼ》[#底本「田園」]すれすれの高度で、遥か、と言える距離を瞬間で詰めて、だ。既に黒の巨入は右の腕につけた槍《やり》を振りかぶっている。
お、という黒の雄叫《おたけ》びを京は聞いた。
応じるように白の巨人が叫びを止めた。右腕を前に、こちらに振り、
「――は?」
京は疑問|詞《し 》とともに、白の巨人に握られた。
あ、という間も無く、緊張《きんちょう》した身体《からだ》が鋼鉄《こうてつ》の指にくるまれた。
拘束《こうそく》。
持ち上げられるのは一瞬《いっしゅん》で、続く時間で半ば力任せに絞られる。
どういうことだ、と思う視界は、白の巨人とともに背後に振り向いた。
そして、後ろから来ていた黒の巨人に突き出される。
「人質《ひとじち》かよ……!?」
気を失いそうになりながら京は見た。こちらに突っ込んできていた黒の巨人が、自分を見て動きを止めたのを。
京は改めて思う。どういうことだろうか、と。
自分に怯《おび》えを見せた白の巨人は、自分を庇《かば》い、瞳の色を変えるとともに、自分を人質にした。
対する黒の巨人は、怯える白の巨人を追撃《ついげき》しつつも、自分を見て動きを止めた。
……どっちが良い方で、どっちが悪い方なんだよ?
鉄の五指に掴《つか》まれた身体《からだ》、肺からは空気が呼気《こ き 》として漏れ続け、なかなか吸うことが出来ない。息は荒く、視界がかすむ。
そして白の巨人が羽ばたいた。
身体が重くなったと思うなり、いつの間にか京《みやこ》は空にいた。
視界高度はもはや天の中だ。
頭上に大きな月がある。
青白い月の色。
それが、京の意識が途切れる前に確認したものだった。
●
黒の巨人は田圃《たんぼ》[#底本「田園」]の砂利《じゃり》道にたたずんでいた。
右腕につけた三連|槍《やり》を概念《がいねん》空間に分解《ぶんかい》収納し、右腕を下げた。
その後、明らかに黒の巨人は肩を落とす。
黒の頭部、顔面《がんめん》構造体の目が見る先には、二つのものが落ちていた。
遠くの砂利の上に転がるのは、丸まった女性もののスーツの上着と、黒いバッグだ。
沈黙《ちんもく》がわずかに続き、黒の巨体が声を放った。少年の声色《こわいろ》で、
『そろそろ概念空間が消えますが、出て追いますか? ……誰かを巻き込んでしまったし』
答える声は、かすかに小さなもの。女性の声で、
『駄目《だ め 》。……翼《つばさ》の方に力が上手《うま》く送れない』
そうですか、と少年の声が答えた。
同時。いきなり光が来た。それも頭上からの月光ではない。正面だ。
『!?』
白い光はまっすぐに黒の巨人の顔面を捉《とら》えた。
同じタイミングで、背後と左右から、顔と全身が照らされる。
そして黒の巨人は見る。光にかざした手の向こうに、幾《いく》つもの大きな影が並んでいるのを。
そしてその上に幾つもの人影が並んでいるのを。
『あれは――』
トレーラーだ。大型のトレーラーがバリケードとしてこちらを囲んでいる。
照らしてくるライトまでの距離は約十五メートル。ここまで近寄られて解《わか》らなかったのは、
『何らかの概念を使用した、ということですか……』
つぶやいた少年の声に、応じる者がいた。
トレーラーの上、人の並びの中央に立つのは一人の少年だ。白髪《はくはつ》の交じったオールバックの髪の下、鋭い顔つきがこちらを見て、
「定型的に言わせてもらうが君は包囲《ほうい 》されている! 抵抗したければしてみるといい。既に我々は馬鹿だが頑丈《がんじょう》なシールドと何でもブチ抜く美しい根性|砲撃《ほうげき》を用意しているぞ!」
「そのシールドってのは俺のことか糞野郎《くそや ろう》」
少年の左にいる体格のいい青年が巨大な剣を持ってつぶやく。
対し、少年の右にいる少女が、巨大な杖を抱えながら、
「あ、あのね? ボクの|Ex―St《エグジスト》は根性《こんじょう》で出力強くなるわけじゃないよ? 気合いだよ?」
「同じだー!」
皆のツッコミに少女が身を竦《すく》める。その肩を叩くのはやはり中央にいる鋭い顔の少年だ。
彼はこちらを、黒の巨人を見て、
「さて、どうするかね?」
答える声は、少年のものではなかった。女性の声が黒の巨人から、
『どうしよう……?』
一言の問いに、相対《あいたい》する者達が身構える。たった一人を除いて。
その一人とは、先程《さきほど》から声を放っている鋭い顔の少年だ。
彼は身構えず、ただ一つの動きをとる。
腕を浅く組み、左手を顎《あご》に当てたのだ。まるで、黒の武神《ぶ しん》を値踏《ね ぶ 》みするように。
「戦うかね?」
『やる気なんですか?』
「君|次第《し だい》だがね」
彼は頷《うなず》き、静かに言葉を続けた。
「――その場合、君には後悔してもらうことになるかもしれん」
一言に、黒の巨人は身動きをしない。ただ、少年の声がこうつぶやいた。
『参ったな……』
『リュージ君?』
『解除して下さい、美影《み かげ》さん。……この人達は敵じゃないです。味方でもないけれど』
一息。
『UCATですね?』
そうだ、と相手が頷く間に、黒の巨人が震えた。
腹部下側にある開閉ハッチが外側にオープンする。
中から地面に飛び出したのは小柄《こ がら》な人影だ。黒いジーンズに白のタンクトップをまとった少年。短い髪の下、額《ひたい》には白いバンダナが巻かれており、
「赤目《あかめ 》……」
囲む人々の間から挙がった声に、彼は困ったような笑みで応じた。
「祖父《そ ふ 》譲《ゆず》りなんですよ、この紅色《あかいろ》の目は。――そして、保護を要求します、と、これでいいのかな? うちの学校の生徒会の皆さん」
「……?」
幾《いく》らかの疑問と驚きの気配に対し、赤目《あかめ 》の少年は告げる。笑みを見せ、
「尊秋多《たかあきた 》学院一年F組、飛場《ひ ば 》・竜司《りゅうじ》。こちらの武神《ぶ しん》からこれより出てくるのは無所属の飛場・美影《み かげ》です。そこの佐山《さ やま》さんなら、僕のことを憶《おぼ》えているんじゃーないでしょーか? あの問題老人、飛場・竜徹《りゅうてつ》の孫を」
●
言いながら少年、飛場は両の手を上に。そして黒の巨体の足の間で身を止める。
上げていた腕を、彼は前にかざす。まるで何かを受け止めるように。
「美影さん」
彼がつぶやいた瞬間《しゅんかん》だった。黒の巨体が変形した。
否、それは変形というものではない。その全身が四肢《し し 》から順に内側へと折り畳まれ、歪《ゆが》み、虚空《こ くう》の中へと消えていく。
積み木を積むような音をたてながら、黒の機体はどこかへと。
消え去る直前。機体の背部が開き、中から一つの人影が産み落とされた。
その姿は女性のものだ。黒のTシャツに白のワンピースをまとった金髪の女性だった。
落ちる彼女、美影の身は、しかし下に構えた飛場の腕に収まって止まる。
美影は動かない。髪の乱れも直すことなく、深い息を繰り返しているだけ。
……大丈夫だろうか。
と、思った飛場は右手に湿りを感じた。じわりと熱いものが右手を濡《ぬ 》らし始めている。
その熱に息を詰めると同時、上から声が来る。
「怪我《け が 》をしているのかね? 治療《ちりょう》は――」
「いつもは自分達でしていますが、今日はそうもいきませんよね?」
彼は気付いている。周囲の皆の視線が彼女、美影に集まっていることを。
注目の原因は解《わか》る。彼女の見える肌《はだ》、首元や手が、人のものとは違っているのだ。それは人肌《ひとはだ》に似ている材質だが、関節《かんせつ》部は黒く、幾何学《き か がく》的にパターン化されている。
誰かの声が響《ひび》いた。
「……自動人形」
その声とともに深くなった沈黙《ちんもく》に、飛場は頷《うなず》かない。
代わりというように、佐山の声が救護《きゅうご》を指示する。
慌《あわ》てて動き始めた人影の群と足音に、飛場は一息をついた。
すぐに白服の救護班が来て白いシートを広げる。だから彼は美影を自分の背後の地面にゆっくりと下ろした。シートの上に寝かせ、両の手を腹の上で軽く組ませる。大丈夫だから、と一言《ひとこと》置くと、駆けつけた救護班の者達が笑みをくれた。
「大丈夫だとも」
その声に浮かぶ微笑は力無いものだ。だが、治療《ちりょう》器具の物音を聞きながら、飛場《ひ ば 》は顔を上げた。
背後に振り向き、赤い目を向け、
「有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。――出来ればいい医師を」
そして彼は周囲を見上げた。
一番先に気づくのは、佐山《さ やま》がこちらを見ていることだ。
「……全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》、ですよね?」
「ひょっとして、飛場先生から聞いていたのかね?」
「ええ、ちょっとだけよ、って前置きされて。何やら各|G《ギア》の| 恭 順 《きょうじゅん》を求めているとかで?」
「ああ、その通りだが、……君は、3rd―Gとの戦闘を行っているのかね?」
答えるべきかどうか、それを迷っている間に、佐山の言葉が来た。
「もし良ければ、というつもりもない。――理由はあるのだろうが、その戦闘をやめてくれないだろうか。3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》に差し支えるのでね」
「駄目《だ め 》です」
飛場は反射的に答えていた。眉を立て、
「3rd―Gは僕達の相手です。そして……、先輩《せんぱい》達には渡せません。もし3rd―Gの概念核《がいねんかく》が欲しいならば、僕達が3rd―Gとの決着をつけてからにして下さい」
「何故《なぜ》かね?」
「……穢《けが》れです」
とりあえずの言葉を飛場は告げた。言葉を選びながら、
「3rd―Gは穢れを持っています。先輩達が触れると穢れます。……だから、まず僕達がそれを祓《はら》います。その後は、僕達から概念核を渡しますから――」
「その間、放っておいて欲しい、と?」
飛場は首を下に振った。
すると、ややあってから、佐山が腕を組んだ。ふむ、と言う彼の頭上、いつの間にか昇っていた小さな動物が彼と同じポーズをすると同時。
「興味深い話だ。だが星占《ほしうらな》いによると、最近の私はやや短気でラッキーワードは いきりたつ で――」
「ま、待って下さいよ佐山君ー! 天文部のインチキ星占いで早まったらいけませんっ!」
と、トレーラーの向こうから声が響《ひび》いた。
眉をひそめた佐山を始め、皆がトレーラーの向こう、下に首を向ける。
飛場も、今のはどこかで聞いた声だな、と思いながら首を傾《かし》げる。
「あ、あのですねー。今、外で大城《おおしろ》さんから連絡があったんですけど……。そっちに飛場君いますかー!? いたら手を上げて下さいー!」
飛場《ひ ば 》は手を上げた。が、しばらくしてから、佐山《さ やま》がこちらを見て、またトレーラーの向こうに視線を落とし、
「そこから見えるのかね……?」
「み、見えてますよー!」
「では質問だ。今、飛場君の上げている手はどちらの手かね」
「え、ええと、ええとええと――、真ん中!」
「生物の進化を一からやり直したまえ。ともあれ何かね?」
ええ、と一息ついて声が聞こえた。
「そちらの飛場君と一緒にいる女性には、何も話すことなく確保だそーです! 何だか、事情が複雑というか、よく解《わか》んない話だったんですけど」
「ははははは、見事に役立たずで有《あ 》り難《がと》う大樹《おおき 》先生」
「てへへー、それほどでもないですよー」
どれほどだろうか、と思った飛場は、佐山の告げた名前から学校内の名物《めいぶつ》教師に思い至る。
ああ、あの先生も全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》なのか、と。
……世界は不安だなあ。
思っていると、佐山達がこちらを向いた。彼は無表情に、
「いろいろ聞きたいことがあったが、とりあえずここは組織|優先《ゆうせん》としておこうか」
「そうですね……」
と、ふと、飛場はこちらを囲む皆を見上げて見回した。
UCATの者達がいるが、全体的に若い者ばかりだ。女子は自分と同年代も多い。
佐山の横にいる少女もそうだ。生徒会の一員ではないようだが、
「あれ?」
どこかで彼女を見たことがある。飛場は首を傾《かし》げ、
……確かいつも佐山|先輩《せんぱい》の横にいる新庄《しんじょう》って人で……。
「男……」
つぶやいた自分の声に、飛場はぞくりと身体《からだ》を震わせた。
一瞬《いっしゅん》で全身の背面側に汗を噴《ふ 》いたこちらに対し、新庄が言葉を飛ばしてくる。
「どうしたの? 何だか顔色《かおいろ》悪いよ」
「え? あ、いいいいいや何というか。その」
飛場は誤魔化《ご ま か 》すためにあたりを見回した。女性|陣《じん》を見上げ、
「女性の皆さんの装甲服《そうこうふく》ですが……」
飛場は真面目《ま じ め》につぶやいた。
「下から見てるとスカート覗《のぞ》いてるみたいで。……そんなことが気になる僕、変態《へんたい》かなあって」
無言で無数の攻撃がぶち込まれた。
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終わりのクロニクル
いつまでもこうしていたいと思いつつ
もしも心がざわめいたら
そのときどうしていられるだろうか――。
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己を特殊だと思うのはもはや古い
己を平凡《へいぼん》だと思うのはもっと古い
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第一章
『朝の変化』
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いろいろなことが変わっていく
それを告げたのは始まりの朝
初夏の月が残る朝
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●
夏の朝の空気が、街を流れている。
日は昇り始めているが、朝霧《あさぎり》さえ漂う街道には、まだ車の通りが少ない。
だが、歩道には二つの影があった。浅い朝日を横に浴びているのは走る人影。黒いジャージを着込んだ少年と、白いジャージを着込んだ少女だ。
佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》だ。
二人は足取り軽く走り、街道|横《よこ》にある巨大な学校の中へと入っていく。
道はまず、正面通りの桜《さくら》並木から校庭を前に見つつ左へ九十度力ーブ。そして今度は左手に体育館を置きながら、右手側に第一普通校舎と衣笠《きぬがさ》書庫のある第二普通課校舎を通り過ぎる。
足はそのまま右に曲がって、第二普通校舎と第三普通校舎との間にある裏庭へ。
と、佐山がいきなり砂利《じゃり》道を半ば崩すようにラストスパート。
「うわ速いっ」
という背後の新庄に手を軽く振って、佐山は前へ。| 懐 《ふところ》の獏《ばく》を頭の上に乗せて行く。
足取りはすぐに第二普通校舎東側の非常階段へ入った。
二段抜かしで駆け上り、目指すは二階の踊り場だ。いつもの溜《た 》まり場、会議と密談《みつだん》の場所。
「――――」
辿《たど》り着いた。
眼前、手摺りの向こうには無人の校庭と朝日の昇る空が見渡せる。広い校庭の遠くには、卒業生達が作り上げた歴代|怪奇《かいき 》モニュメントのシルエットが幾《いく》つも見える。
……荘厳《そうごん》な風景だ。
佐山は一息ついてジャージの襟《えり》を緩めると、頭の上から獏が落ちていないことを確認した。そして懐からストップウオッチを出す。
液晶の時刻は午前五時五十分だ。時計の下の秒数|表示《ひょうじ》は、
「……半周で十四分か。まだまだ甘いな」
つぶやきながら、彼は背後にある階段の方に振り向いた。
すると新庄がやってきた。階段の折り返しを曲がってこちらを見上げ、
「あ」
と、視線を合わせた瞬間《しゅんかん》、力が抜けたように新庄の足取りが乱れた。
小さな驚きの声とともに、新庄は佐山の横に身を投げ出した。髪を汚さぬように抱いた新庄は、すぐに身体《からだ》を仰向《あおむ 》けに、
「はは。――何か気が緩んじゃった」
息を乱しながらも笑う新庄の横、佐山は両の手を前側に広げて腰を落とした姿勢だ。
……こちらに飛び込んでくると思ったのだが。
「……佐山《さ やま》君、何を虚空《こ くう》に身構えてるの?」
「いや、いろいろと上手《うま》くいかぬことはあるものだね」
首を傾《かし》げる新庄《しんじょう》に頷《うなず》きを見せてから、佐山は踊り場を見渡した。踊り場の壁には、朝方の光源で二つのものが浮かび上がっている。
佐山の指で壁の汚れに書かれた文字列だ。
1st―|G《ギア》・ファブニール改
2nd―G・八叉《や また》
二つ縦並《たてなら》びに書かれた文字に、佐山はふと目を細めた。すると眼下から、
「何かあるの?」
視線を落とすと、新庄が床に寝たまま、小汗《こ あせ》で額《ひたい》に貼《は 》り付いた前髪を掻《か 》き上げている。
彼女は顔を傾けて壁際《かべぎわ》を見るが、その位置からでは光の関係で文字が確認出来ない。
「……?」
首を傾げ、またこちらに視線を寄せた新庄に、佐山は笑みを見せる。
「何でもないよ、新庄君。気になるかね?」
うん、と頷き、新庄は身体《からだ》を起こした。眉尻《まゆじり》をわずかに下げ、
「何だか、左胸が痛んでいるときみたいな顔してたから」
「それは心配だね。――いい医者に行くとしようか」
「うん。……って佐山君の知ってる医者に行ったら駄目《だ め 》だよっ! そ、それよりそれより」
何故《なぜ》か新庄が慌《あわ》てて立ち上がる。走ったばかりの足、右の踵《かかと》で床を一回|蹴《け 》ってから、
「あ、あのね? 昨夜の飛場《ひ ば 》……、竜司《りゅうじ》君? どうするの?」
●
新庄の問いかけに、佐山は腕を組んだ。ふむ、と頷き、
「どうするか……、か」
「うん、どうするのかな――、って考えすぎたら駄目だよ佐山君っ! 特に朝は!」
「さっきから何を多量に焦っているのかね。普通に考え事をしてるだけなのだが」
「……佐山君、憶《おぼ》えておいて? 人間、無理なことがあるって」
「ははは大丈夫、私は完璧《かんぺき》だよ新庄君。――そこで何故|襟首《えりくび》を掴《つか》むのかね?」
「いや、ある意味完璧だよなあ、って」
まあまあ、と佐山は新庄に平手を出して制する。
半目《はんめ 》の新庄と、二人で手摺りに寄りかかりながら、
「ともあれ昨夜、結局あれから飛場少年との面会は許されなかった……、か」
思い出されるのは昨夜のことだ。飛場・竜徹《りゅうてつ》の孫を名乗る少年と、彼のパートナーである自動人形の女性は保護されてUCATに行き、そこから先は一切|不明《ふ めい》となっている。
彼が武神《ぶ しん》を用いて何と戦っていたのか。
現場の鑑識《かんしき》からは、白い装甲板《そうこうばん》の破片《は へん》が落ちていたと聞いた。
飛場《ひ ば 》の武神は黒だ。
「彼は白い武神と戦っていたことになる。……おそらくは3rd―|G《ギア》の」
「テュポーン、ってやつかなあ?」
「断言は出来ないが、可能性は高い。昨夜の飛場少年の武神は背に翼《つばさ》を持ち、戦闘を行っていた。地下でトリプルアクセルに挑戦してるUCATの武神とはレベルが違う。――そして、咋夜《さくや 》我々が出動することになった大樹《おおき 》先生の放送を憶《おぼ》えているかね?」
一息。
「……すごく大《 、》き《 、》な反応が二つある、と、大《 、》樹《 、》放送はそう言ったのだよ。……銃殺ものの駄洒落《だ じゃれ 》だね?」
「後半|無視《む し 》するよ? いいね? ――で、概念《がいねん》関係の設備を扱う大樹先生が すごく大きい っていうのは、それこそ概念|核《かく》クラスと考えていいってことかな……」
「だとしたら、白の側が3rd―Gの概念核の半分を出力に持つテュポーン。黒の側は出自《しゅつじ》不明だが、やはりどこかに概念核の半分を所持していることになる。彼がどのようにしてそんな武神を得たのかは謎《なぞ》だがね」
昨夜、そのあたりを知るために入り口のロビーで飛場達との接見《せっけん》待ちをしていると、アブラムがやって来て解散を命じられた。
……3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が未開始の状態で、関係者との接触は避けるべし。
それは、あの飛場という少年が3rd―Gと何らかの繋《つな》がりを持っているということだ。
「謎なのは、どうして彼と話もさせてもらえなかったか、ということだよね」
「つまり、彼の側に、我々が会ってはならない原因がある、と、上はそう判断したわけだ。何らかの理由で彼は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》への関係を拒否し、UCATも彼に近付くべきではない、と」
「穢《けが》れ、と彼は言っていたよね。それを自分達が祓《はら》う、と」
「そう。……だが、それを聞くことすら許されなかった」
昨夜、出雲《いずも》と風見《かざみ 》、そして新庄《しんじょう》と自分の四人はUCATを出た後、電車と単車に別れて青梅《おうめ》で合流。駅を降りたところのファーストフード店で今後の方針を話し合った。
昨夜の結論を佐山《さ やま》は改めて口にする。手摺りの上で腕を組み、
「UCATでは彼と私達の接触を認めない。だが我々としては彼の言う穢れの意味や、戦っていた相手のことを確かめたい。そして彼は同じ学校だ。彼と接触を持つことは出来る。……UCATはそのくらい気づいているだろう」
ならば、
「こっちは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》としてではなく、学生として動いてみようではないかね。最近、面白い後輩《こうはい》を見つけた。生徒会としては少し話を聞いてみたい、と。――彼の個人的なところも含めた話をね」
笑いを含めて告げた言葉に、横の新庄《しんじょう》は小さく苦笑した。
かすかに眉を緩めた顔が、横目でこちらを見て、
「命令|違反《い はん》だよ、それって」
「単なる生徒会活動だよ。……今頃、風見《かざみ 》が携帯で連絡しているだろう。飛場《ひ ば 》少年には、担任《たんにん》経由で生徒会から呼び出しが入るわけだ。――ちょっと校舎|裏《うら》に来い、と。ふふふ、風見にそう言われて逆らえる人間が学校内にどれだけいることか。期待だね? 新庄君」
「うん……、風見さん、新入生の間でも有名だよね。五月の全連祭《ぜんれんさい》の学バンで、出雲《いずも》さんを屋上特設ステージから下に蹴《け 》り落としたから」
「シャウトの勢いとか何とか言っていたな。一年生は慌《あわ》てたが、二、三年生にとってはお約束イベントだったのか風見コールとガンホーコールの入り交じる凄《すさ》まじいステージだった。風見も全曲|謡《うた》ってから池に落ちた出雲を拾いに行くところが慣れたものだ」
「……学校って、いい思い出も悪い思い出も出来る場所だね。ちなみに言葉選んでるよ?」
新庄は肩を竦《すく》めて吐息。手摺りを掴《つか》んで身体《からだ》を軽く伸ばし、
「でもさ、佐山君の方針としては、……次の|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は、やっぱり3rd―|G《ギア》になるの?」
問い掛けに、佐山はすぐに答えなかった。
一度、二つの文字列がある壁に視線を送り、そして頷《うなず》き、
「順番に行けばその通りだね。あとは……、今日の呼び出し次第だよ」
「そっか。どうなるかなあ……。でも相手が3rdだとしたらホントに武神《ぶ しん》が相手かあ……」
と、新庄がつぶやいたときだ。不意に彼女の身の回りに微風《び ふう》が吹いた。
「――あ」
新庄が髪を揺らして身を軽く捻《ひね》ると同時。白い水蒸気の霧が浅く漂う。
しかし次の瞬間《しゅんかん》には霧は消え、後には自分の身体《からだ》を緩く抱いた新庄がいるだけだ。新庄は頬《ほお》を薄く朱にして身を縮め、
「せ、切《せつ》になっちゃった……」
「別に顔を赤くするようなことではないと思うのだが」
新庄は首を横に振る。
「は、恥ずかしいよ……。やっぱり着ているもの選ぶときって、どっちの自分か決めちゃってるもの。佐山君と寮室《りょうしつ》いるときは運切《さだぎり》として気楽だけど、外にいるときは、やっぱり運《さだめ》か切のどっちかでしょ? 正体バラす前は昼にも運でいる必要あったから、女の子の格好《かっこう》する気構えがあったけど……」
「今は違う、かね?」
ん、と新庄は小さく頷いた。
「最近は寮《りょう》にいるから女の子の格好をさほどしてないせいもあるんだと思う。意識し過ぎなのかな? 予期せず切り替わると服装とか心構えが違うから、……裸になったような気がするの。前向いて歩けなくなるもの」
「UCATではいつも運《さだめ》君の装備で、たびたび夕刻から夜に掛けて訓練もしているが……」
「あれは、運《さだめ》用装備っていうより、ボク用装備って心構えなんだと思う。同じようにどっちだっていい服もあるよ? たとえばほら、寝間着《ね ま き 》とか。それとか、切り替わった後に、同じ服でも一度|着直《き なお》したりすると気楽かな。田宮《た みや》さん家《ち 》だと、洗面所とか使ってね」
言いながら、気づいたように新庄《しんじょう》が苦笑した。口元に片手を当て、
「有《あ 》り難《がと》うね。運切《さだぎり》でいいのに、未だに切《せつ》か運かなんて言ってるボクと一緒にいてくれて」
「一緒にいるだけで礼がいただけるならもっと一緒にいよう新庄君。――だが今、気分的には切君として裸の気分なのかね?」
「うん。胸のあたりとかお尻回りが……。寮《りょう》まで人に会いたくないなあ……」
言ってその部分をジャージの上から腕で隠《かく》す新庄に、佐山は頷《うなず》いた。
「解決方法はある」
「え? どういうの?」
「うむ。――ここで一度着直して気楽になることだよ、新庄君」
「……は?」
新庄は、ややあってから慌《あわ》てて、
「う、迂闊《う かつ》なこと言った! 忘れて! 忘れて佐山君! ボク、だだだ大丈夫だから!」
「気遣《き づか》い無用だ。君を精神的に裸で外に置いておくほど、私は無情ではない」
佐山は背を向けた。青い空を見て、両手を浅く広げ、
「さあ、私が背を向けている内に着直したまえ」
五秒待った。衣擦《きぬず 》れの音もしないので後ろに振り向くと、新庄が歩幅を小さく、抜き足差し足で先に階段を下りていくのが見えた。
「新庄君! 無理をすることはない!」
否、違う。佐山は新庄の意図に気づいた。階段の折り返しまで下る新庄に足音を消して駆け寄りながら、
「成程《なるほど》。階段の影で着直すというのかね? 確かに理に適《かな》った思考《し こう》だね、新庄君!」
「どーいう理だよっ!」
眉を立てて叫んだ新庄が足を止めて振り向いた。
と、そこに階段を駆け降りていた佐山は激突《げきとつ》した。
「え? あ、わ!」
転ぶ。階段を下へと。
そのとき佐山が行った判断は一つだった。新庄に怪我《け が 》をさせてはならないということと、新庄の着直しを手伝うということの、その二つの取捨《しゅしゃ》選択だ。
……どちらに――!
身体《からだ》が階段の下から、校舎の裏庭に転がり出た。
背中を打ったな、という思いとともに、空が見える。そして新庄《しんじょう》の顔も、だ。
眉をしかめ、目を閉じていた新庄は、仰向《あおむ 》けになったこちらの胸の上にしがみついている。
無事だ。だから佐山《さ やま》はつぶやいた。
「……良かった」
「よ、良くないよっ。怪我《け が 》したらどうするのっ?」
新庄が慌《あわ》てて身体を起こし、こちらを見た。その目に心配の色を見て、佐山は頷《うなず》く。両の手を上げて見せ、安堵《あんど 》を促《うなが》す口調で、
「私に怪我はない。新庄君もだ。……だから良かった、判断を過《あやま》たなくて」
「? 判断って?」
「うむ。新庄君に怪我をさせないようにするか、着直しを手伝うかの判断だ」
「物凄《ものすご》い落差のある判断だけど……、まあ、でも」
吐息が響《ひび》き、新庄の身体から緊張《きんちょう》が抜けた。温かく柔らかく、身体を再びこちらに預け、
「……うん、有《あ 》り難《がと》う」
「礼を言われるとは何よりだ。確かに判断は誤っていなかった。――両者|選択《せんたく》の判断は」
「え?」
疑問|詞《し 》を挙げた尻に触ると、下着の感触《かんしょく》がある。
と、胸の上にある新庄の顔が、一瞬《いっしゅん》驚きに青くなってから、次の瞬間《しゅんかん》で赤くなった。
「ちょ、ちょっと待って! 佐山君! ボクの下のジャージは!?」
「着替えるのにはまず脱ぐ必要があるだろう、新庄君」
それに、と、佐山は自分の頭の下にある、折り畳んだジャージのズボンを見せた。
「これがなければ頭を打っていただろうね。礼を言うよ、新庄君」
「うんうん。ボクも少し役に立てて嬉《うれ》しいよ? ――とっとと返して」
「では先に上も脱がねば」
「え? あ、や、やあっ、ジャージの上|脱《ぬ 》がそうとしないでよっ」
汗のにじんだ臍上《へそうえ》まで持ち上げたジャージは、焦りを帯びた新庄の手で下げられる。
「お、おおおおお落ちちち着つこう落ち着こう、佐山君」
「まずは君が落ち着く必要があると思うのだが。まあ、その間のことは私に任せたまえ」
え? と疑問詞を挙げた尻の下着に手を掛けて剥《む 》く。
「――っ!! だ、駄目《だ め 》! 下はもっと駄目っ! こんなとこじゃ駄目だよっ!」
新庄が急いで身体を起こした。
こちらの身体にまたがって、下着を脱がされるのを拒む。
しかし駄目と言われても、着直しを推奨《すいしょう》するこちらの行動に問題はない筈《はず》だ。逆に言えば、
「新庄君こそ……、何故《なぜ》そう慌《あわ》てて、自分が望んだことを| 翻 《ひるがえ》すのかね?」
「君がイカれてるからだよっ!!」
そのときだ。いきなり、横を、多重《たじゅう》の足音が通り過ぎていった。
早朝の朝練《あされん》。女子バレー部の青いジャージの列がかけ声とともに横を通り過ぎていく。
皆が微笑でこちらを見て一礼し、佐山《さ やま》も手を軽く振って礼を返す。
ややあってから足音が遠ざかり、新庄《しんじょう》がゆっくりと身を倒してきた。額《ひたい》をこちらの胸につき、
「……終わった。また、変な噂《うわさ》が広まるよ……」
「ふふふ、一般学徒は真相を知らないのだね。――優越感《ゆうえつかん》に満ちあふれるね私は」
「そーいう問題じゃないよ佐山君! どうするんだよ、ボクが女物の下着つけて佐山君を押し倒していた、なんて噂が広まったら!」
「噂ではなく事実だよ新庄君。私は歴史のためにも喜んで事実を受け入れる所存《しょぞん》だ」
「佐山歴史の捏造《ねつぞう》事実だよコレー!!」
新庄の言葉が響《ひび》くと同時。一つの電子音が響いた。
携帯電話だ。| 懐 《ふところ》から出して見ると、呼び出しはUCATからだ。はっとして顔を上げた新庄の目の前で、佐山は携帯を受信する。
「――私だ」
そして、
「何事かねシビュレ君? 今、新庄君の脱衣《だつい 》で忙しいのだが」
言うなり、いきなり首を絞められた。
●
薄暗い部屋の中、ベッドの上で一つの影が飛び起きていた。
影は、一人の少年だった。小柄《こ がら》で、寝間着《ね ま き 》は黒のTシャツに半パンという格好《かっこう》だ。短い髪の下、額には斜め一線の傷跡があり、その下の両目は常人《じょうじん》とは違う色をしている。
瞳が赤いのだ。
息荒くタオルケットを引き寄せ掻《か 》いた彼は、呆然《ぼうぜん》とも焦りとも言える表情で顔に手を当てる。
「――――」
胡座《あぐら》をかき、ベッドの上で身体《からだ》を前屈《まえかが》みに。寄せた眉の下で、瞳が部屋の中に焦点を絞る。
窓にはカーテンがかかっており、夏の朝の光はほとんど遮断《しゃだん》されている。
窓横《まどよこ》、側部に万力《まんりき》台をつけた机は金属加工の作業台だ。
机の横の本棚には幾《いく》つもの刀剣《とうけん》類や格闘術の専門書や、地図などがあった。
それ以外の部分、壁には至るところにベストや作業ズボンなどの衣服が掛かっている。どれも何年も使い込んだ風に汚れているものばかり。
机の上の壁に掛かった二枚の額《がく》だけが、その部屋の調度《ちょうど》物だ。
二枚の額の中身は卒業| 証 状 《しょうじょう》だ。小学校と中学校のもので、名前は飛場《ひ ば 》・竜司《りゅうじ》とある。
少年、飛場は己の名を見た。
「…………」
無言のまま、彼は顔に当てた両の指を動かす。額《ひたい》に触れ、ゆっくりと息を吐く。それも数分を掛けて、だ。
息を吐いている間に、額からこぼれた汗が指を伝って下に。
その感触《かんしょく》を拭《ぬぐ》うことなく、ふと、飛場は目を閉じた。息を吸い、口を開き、
「嫌な夢だったなあ……」
夢は、3rd―|G《ギア》の武神《ぶ しん》との戦闘の再現だった。
……あれは去年の戦闘だったか。
あの夜、自分と美影《み かげ》の操《あやつ》る黒の武神は、3rd―Gの本拠《ほんきょ》を探して西側の空、大阪方面あたりを飛んでいた。
自分達や、敵の武神は賢石《けんせき》によって概念《がいねん》空間を展開せずともこのGで行動出来る。
しかし3rd―Gは常に自分達を概念空間に取り込んで戦闘を行う。
3rd―Gの彼らと言葉を交わしたことはない。祖父が言うには、3rd―Gの生き残りはそのほとんどが自動人形であり、彼らの多くは|Low《ロ ウ》―Gで活動出来るようになっていないのだとのことだった。
目の前に現れた緑色の武神はおそらく自動人形による遠隔操縦《えんかくそうじゅう》で、戦闘は大阪|平野《へいや 》を概念空間に取り込んで行われた。
・――金属は生きている。
この概念の中、金属の身体《からだ》はそれこそ本当に生命を持つ。Low―Gでも活動出来るように賢石《けんせき》加工を受けた飛場達の武神でも、それは同じことだ。機械としての性能は飛躍《ひ やく》する。
本来の武神とは、一種の生命《せいめい》機械だ。
金属が生命を持つという概念の下、一個の生命である飛場の身体は武神の分解|機構《き こう》によって分解され、武神の各機構に流し込まれて同一化する。操縦《そうじゅう》するというよりも、自分の身体を武神に変えるような感覚だ。その仕組みはよく解《わか》っていないが、
……溶ける。
と、飛場はそう感覚している。
身長約八メートルの巨人の正体は、己の骨をフレームにし、筋肉はシリンダーや人工|筋肉《きんにく》に置き換え、感覚は素子《そ し 》にし、そして心は心のままにその力を扱う兵器だ。
それが武神だと、飛場は理解している。
飛場の武神が行っていた戦闘は、あの夜すぐに決着した。
地上にて剣を振るってきた緑の武神《ぶ しん》に対して、飛場《ひ ば 》は下がった。
口からは歌が漏れる。聖歌《せいか 》、清《きよ》しこの夜だ。
……思い出の歌だ。
美影《み かげ》が自動人形としてこの家に引き取られて来た夜、唄った歌。
美影を預け、それから仕事に出た父は帰ってこなかった。
あれから十年だ。
自分に染みついた歌を唄いながら、飛場は戦っていた。
敵の剣が最短距離の軌道を描いて飛んでくる。
まずは右、返して左へ横一閃《よこいっせん》に行き、こちらが距離を開けたら着地に突きを入れてくる。
タイミングはそこだ。
見るのは敵の剣ではなく、地面に落ちた月光の影。
立体|視《し 》せねば見切れぬ突きも、影を見れば二次元だ。高さだけを測り、飛場は敵の剣の下に身を飛び込ませる。
轟音《ごうおん》が走り、行為は成功した。
飛場の振った右|拳《こぶし》は、半《なか》ば強引《ごういん》に緑の武神《ぶ しん》を割り砕いた。装甲《そうこう》を裂き、内部の人工|筋肉《きんにく》やフレームを折り割って、胴体《どうたい》部を斜め一線にぶち抜く。
鳴るのは重《じゅう》金属の破砕音《は さいおん》だ。
相手が動かなくなると、飛場は払うように緑の武神を向こうへと蹴《け 》り倒す。
土砂《どしゃ》が崩れるような音とともに、緑の残骸《ざんがい》が月下に転がった。
……これで一息か。
そう思ったときだ。いきなり、それが来たのだ。
上空から右手側に降ってきたそれは、白い巨大な影だった。
かつて祖父から聞いたことがある。自分達の黒い武神と対《つい》で作られた武神が一機だけあると。
概念核《がいねんかく》の半分を出力|炉《ろ 》として用いる武神。テュポーンだ。
それだ、と一瞬《いっしゅん》で解《わか》った。
動きが違う。
……人が乗っている。
それを倒すことは操縦《そうじゅう》者を殺す可能性がある。
だが、飛場は反射的に攻撃を選択した。
既に敵がこちらへと突っ込んで来ていたからだ。
……やるのか!? 否、――やるしかないのか!
緑の武神の剣を拾い、迫る右の白い武神、テュポーンへと叩き込んだ。
左下段から逆袈裟《ぎゃくけさ 》を抜く銀線《ぎんせん》は、直線に近い弧《こ 》を描いて飛んだ。
もしかわされても、そのまま右の中段|構《がま》えをとって防御に出来る。
応じるように、踏み込んで来たテュポーンが右肩から己の武器を抜き打った。それは白い大剣《たいけん》。直型《ちょくがた》で分厚く、粘るような光をたたえた刃《やいば》だ。
動きは遠隔操縦《えんかくそうじゅう》型にあるような統制を持っておらず、力|任《まか》せの一撃《いちげき》だった。
攻撃と同時にテュポーンは吠《ほ 》えた。
『……!』
人が操縦している筈《はず》だ。が、それは人の声とは思えない声だった。
女性の声に似た声質《こえしつ》で、悲鳴とも怒声《ど せい》ともとれる声がこちらの全身を貫《つらぬ》いた。
飛場《ひ ば 》は全身に力を込めて叫びを弾《はじ》き返した。強引《ごういん》に無視を敢行《かんこう》する。
次の瞬間《しゅんかん》、こちらの剣と向こうの大剣が激突《げきとつ》した。
飛場は剣の握りを強く返し、二撃《に げき》目《め 》を突き込んだ。
相手の顔に見えるのは、鋭角な顔面《がんめん》構造体の中にある、青い光の目だ。
……月の光のようだな。
思うなり、お互いの剣が再びぶつかる。その筈《はず》だった。
不意に、妙なことが起きた。
白の武神《ぶ しん》が、いきなり消えたのだ。
「――!?」
次の瞬間。美影《み かげ》の声が響《ひび》いた。
『リュージ君! 右から攻撃来てる!』
音声|素子《そ し 》から漏れた美影の叫びに、飛場は動いていた。
『っ!!』
全てが再びスタートする。
頭の中にある何もかもが消え、身体《からだ》が反射|神経《しんけい》だけで動く。
とにかく何もないところ、前へと飛翔《ひしょう》した。
その判断が生を得た。
回避。
大剣が後ろから鉄の右|頬《ほお》をかすり、そして抜けた。
剣圧《けんあつ》の風を飛場は武神の肌《はだ》で感じる。こちらの首など寸断《すんだん》する豪剣《ごうけん》だ、と。
こちらが踏んだステップを追って来る足音が、高速に後ろから響く。
……どういうことだ!? こちらが攻撃した筈なのに……!
相手に攻撃順番を奪われていた。
だから飛場は振り向き身構える。先ほどの、謎《なぞ》とも言える消失を警戒《けいかい》し、構えは防御だ。
攻撃が来た。高速で、重く、連続し、だが普通の攻撃が。
上段からの剣を己の刃で右に弾けば、向こうは左翼《さ よく》から大気を爆発させて高速に身を一回転させ、旋回《せんかい》からの二発目を放ってくる。その強烈な横薙《よこなぎ》に対して背後に下がれば、白の武神は剣をわざと大きく空振りし、回す身体《からだ》で後ろ回し蹴《げ 》りを放ってくる。
大振《おおぶ 》りの攻撃を連続で繋《つな》げていく連撃《れんげき》は回転運動に近い。
だから飛場《ひ ば 》は回避《かいひ 》運動として一つの選択を行った。
『……!』
飛翔《ひしょう》した。
黒の武神《ぶ しん》は敵を上にかわし、後ろ側の空へ。朝に近い夜の中、月の浮かぶ空へと。
距離を空《あ 》けたが動きを止める気はない。相手が剣を旋回《せんかい》運動として放つならば、
『旋回を止める楔《くさび》を……!』
眼下で大剣《たいけん》を上段に回した白の武神に、飛場は手に持つ剣を投じた。
至近《し きん》とも言える距離で槍《やり》のように投じた刃《やいば》は、白の武神の顔面に。
しかし生じた金属音は、投げつけた剣が宙で砕かれた音だった。
だがそれでいい。
飛場は右の拳《こぶし》を振りかぶり、急《きゅう》降下を掛けた。
全身の重量を右拳に乗せたパワーダイブだ。激突《げきとつ》すればこちらの腕一本はイカれるが、相手の顔面構造体を砕くことは出来る。
『!!』
飛場は加速した。
行け。
飛場は右の拳を落下の中で振り下ろした。
瞬間《しゅんかん》。飛場は見た。
今度は明確だった。
目の前から白の武神が消えたのだ。
「――な」
先ほどと同じだ。剣が交わされなかったのと同じように、こちらの攻撃を無化する現象だ。
飛場は、一瞬《いっしゅん》前に起きたことを思い出す。
……自分が攻撃したなり、消えた向こうが死角《し かく》から攻撃をしてきた……!
『ならばまた死角から攻撃を……!?』
言葉より早く、攻撃という事実が来た。
だが、それは攻撃とは言えぬような攻撃だった。
飛場は、着地|寸前《すんぜん》の背を後ろから拳で飛ばされたのだ。
『!?』
それはまるで距離を開けるように、地面に伏せていろと言うような軽い打撃だった。
しかし攻撃のタイミングは異常だった。テュポーンが消えてからの一瞬の間には、拳を振りかぶる程度の時間も無かった筈《はず》だ。こちらが拳を受けたのはテュポーンが消えた直後に近い。
そんなタイミングでは攻撃を放てる筈《はず》がない。
あらゆる攻撃にとって、攻撃を発するための構えと、攻撃を届かせる動きは必須だ。そこには絶対に時間がついて回る。
だが、こちらが構えてから攻撃を放った瞬間《しゅんかん》、テュポーンは死角に出現して、構える時間すら無しで攻撃を放ってきた。
どういう原理か解《わか》らない。ただ解るのは、こちらの攻撃タイミングを奪われたということだ。
膝《ひざ》をついて大地に降りた黒の武神《ぶ しん》は、慌《あわ》てて立ち上がり、高速に前ヘステップを踏んだ。
そして身を回して、背後へ振り返った飛場《ひ ば 》は見た。空に白い影が浮いているのを。
それはテュポーンだった。先ほどまで自分がいた空中に、白の武神が背を向けて立っている。
……何だ、さっきの攻撃は……?
今の突き飛ばしが剣の一撃《いちげき》であったならば死んでいた。
『……警告《けいこく》か何かのつもりですか?』
飛場には何も解らせぬまま、テュポーンが首だけで振り返る。
飛場の視覚が見るのは、テュポーンの目だ。青白い、月と同じ色の光を宿していた目は、
『黄色く……』
黒の武神から漏れた飛場の声を肯定するように、テュポーンは顔を前に向けた。
直後。爆風《ばくふう》が起きた。
テュポーンが飛翔《ひしょう》したのだ。
手を伸ばすが間に合わない。追うことは出来ず、
『!』
テュポーンの大《だい》加速に振り切られた。
力があるというのに、追うは適《かな》わず、戦うも出来ず、
「く……」
そこで夢が覚めた。
一息をつき、飛場は目を開ける。
目の前にあるのは、月を天上に頂いた夜の空間ではなく、朝の光が入る狭い部屋だ。自分の部屋、戦うことを中心に作られた部屋だ。
「狭い部屋だよなあ」
額《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》い、傷に触れ、飛場はベッドから床に立つ。
足裏《あしうら》に伝わる板の間の感触《かんしょく》は、夢の中で感じた武神の足裏とは大きく違う。スケールが小さいが、しかし落ち着きを感じるものだ。
飛場はそのまま部屋を出る。ドアを開けて廊下に出るとここは二階。右手に下り階段があり、向かいは美影《み かげ》の部屋という、それだけの二階だ。
カーテンを掛けていない踊り場の窓からは、朝の光と小鳥の鳴き声が聞こえる。
飛場《ひ ば 》は吐息した。今更《いまさら》ながらに肩から力を抜く。向かいのドアを見て、
「起こさないとな、美影《み かげ》さんを……」
●
月読《つくよみ》・京《みやこ》の朝は早かったり遅かったりする。
大学四年ともなれば授業は少なく、履修時《りしゅうじ 》に昼近くの授業を選択することも可能だ。最近は就職活動で朝早く起きることもあるが、目覚まし時計が無ければ朝早く起きることはない。
そして今、目覚まし時計の音は聞こえない。
京は緩やかなまどろみの中、瞼《まぶた》を通して外の光を感じ、
……朝か。
と時刻を判断するが、今日は一日休みの筈《はず》だ。大学の授業は無いし就職課から呼ばれていることもなく、面接の予定もない。母親はIAIに仕事に出ているし、
……朝飯食って一息ついたらDVDでも借りに行くか。
最近レンタルの始まった恋愛ドラマ も、もう一回のプロポーズ が最近のお気に入りだ。主人公がハードストーカーで今回だけ今回だけと言いつつ毎度|執拗《しつよう》に迫るのは迫力がある。前回分で叩き切られた吊《つ 》り橋から谷底に落ちたが、あの程度で死ぬ筈はあるまい。
「借りられてなければいいけどよ……」
眠い声を口から出してみると、意外に確かな発声だ。これは身体《からだ》の方が目覚めているのだな、と京は思う。意識すれば、今、身体は柔らかい布団《ふとん》に包まれ、大きめの枕《まくら》に頭を載せていた。
そして京は気づく。うちの就寝《しゅうしん》装備は畳の万年|床《どこ》にソバ殻《がら》枕の筈だと。
「……?」
疑問の心が浮かぶが、どういう内容の疑問を思っていいものか解《わか》らない。今、自分は安心して寝ていて、しかし寝床が違う。これはどう疑問に思うことなのか。
更に、とでも言うように、一つの声が聞こえてきた。若い女性の声で、
「姫様? 昼食が用意出来ておりますよ」
聞こえた言葉は、何故《なぜ》か二重|音声《おんせい》のように変な言葉が被《かぶ》っていた。そちらの方はよく聞き取れないが、聞き取れた方の言葉の意味は解った。
「何だ姫っつーのは……」
疑問とともに、京は目を開けた。焦点が定まらぬ視界は、まず色を捉《とら》える。
白。
純白の広い天井がある。乾いた平面が二十畳ほどの広さで存在しており、四方には同じ素材で出来た壁がある。左手側、寝床から離れた壁には深い窓があり、外光が入ってきていた。自分が寝ているのはベッドで、白い艶《つや》やかな素材の布団が掛かっており、その右手側には、
「誰だアンタ……」
声と共に京《みやこ》が枕《まくら》から仰ぐことが出来たのは、
……ガイジン女?
金色のロングヘアに碧眼《へきがん》。年齢《ねんれい》はおそらく自分より一回り上で、着ている服は、
「……侍女《じ じょ》?」
しかもいるのは一人ではない。視線を下げて見れば、自分の寝ている場所と窓からの外光を邪魔《じゃま 》せぬように、数十は下らぬ人影がこちらを取り囲んでいた。それも、皆同じ服装で。
「……はァ?」
突然の状況に、京は周囲を見渡した。
侍女達の群は皆、こちらが目を開けたことに驚きと、喜びのような顔を見せている。
は、と皆が何かの期待を込めた吐息を漏らし、こちらに一歩を踏み出そうとした。だが、
「はい皆さん、お待ち下さいな」
と、先ほど聞こえた声が柔らかく皆を制する。
京が見るのは自分の寝床、ベッドの右横に立つ先ほどの年上《としうえ》侍女だった。
彼女は力を抜いた表情でこちらに顔を向けている。
見下ろすのではなく、顔を向けた姿勢。それに気づいた京は身体《からだ》を起こす。こちらの動作に皆が身動きしようとするが、隣《となり》の侍女は片手を軽く背の方に振って制した。
……コイツがアタマか。
思いながら起きあがると、身体《からだ》から布団《ふとん》が落ち、自分が裸だと気づいた。
「――うお! 全裸《ぜんら 》か!? 服は!?」
「はい。汚れが酷《ひど》かったので下着以外は処分いたしました。なお、検疫《けんえき》で姫様はクリーニングしてありますので姫様の汚れはありません」
は? と、言われた意味がよく解《わか》らない京《みやこ》は首を傾《かし》げた。すると侍女《じ じょ》は笑みを見せ、
「姫様は汚れてないので御安心|下《くだ》さい」
「あ、あのなあ、人に対してヨゴレとか言うんじゃねえっ。――それよりアンタ、名前は?」
「はい、モイラ1stです」
「――あ? もう一度」
京は髪を掻《か 》き上げ、片膝《かたひざ》立てて相手を見る。こちらの眉は全開でねじれているが、相手は笑みを崩しもせず、
「モイラというシリーズの第一号です。モイラ1st」
言葉には、やはり二重|音声《おんせい》で何か別の言語がかぶっているように聞こえた。が、人間がそんな発声を出来るわけもない。
……ラジオかテレビの音でもどっかから漏れてきてんのか。
思いながら、京は今聞いた言葉を頭の中で転がしてみる。
シリーズとか一号とかよく解らないが、外人の言うことだ。丁寧《ていねい》な口調であれ、日本語の解釈《かいしゃく》が間違っている可能性が高いと京は判断。哀《あわ》れな話だ日本|言語《げんご 》の深さよ万歳《ばんざい》。だとすると、
「あのさ、ここ、どこか外国の施設か何かか?」
「ええ、姫様から見たら異《い 》世界の施設です」
成程《なるほど》な、と京は頷《うなず》いた。
これは真性《しんせい》だ。どこか酔狂《すいきょう》な外人の屋敷《や しき》か何かに自分はいるのだ。
しかし何故《なぜ》こんなところに自分が、と考え、京は一つの事実に気づいた。
……昨夜の記憶《き おく》が……。
無い。
どういうことだろうか。
「どうかされましたか? 御脳《お のう》の配線がズレたとか?」
「違うって。あのさ? いいか? あたし、どーしてここにいるんだ?」
「ええ、昨夜、――泥酔《でいすい》されているところを発見されて確保、運ばれて来ました」
昨夜、という言葉の後にかすかな間があった。京は内心で口笛一つ。どういうことだと。
「――泥酔? 一応、新宿《しんじゅく》で飲んだけど、そのあたりは憶《おぼ》えてるんだけどよ」
「憶えて……、おられるんですか?」
ああ、と京は頷いた。相手の顔を見れば、微笑のままだ。が、逆にそれこそがおかしいと京は判断する。
相手に疑問で尋《たず》ねるとき、普通は表情を変えるものだ。
「大体あたしゃ酔い潰れるほどに飲むこたあ自分に許してねえんだよ。青梅《おうめ》行きの電車内で尻触《しりさわ》ってきた痴漢《ち かん》オヤジにローキックから連携の膝蹴《ひざげ 》りで電気アンマ入れたのもよく憶《おぼ》えてる。青梅でそいつ引きずり出して奥多摩《おくた ま 》行きに乗り換えたのも、軍畑《いくさばた》の駅で降りたのもな」
言い連ねながら記憶《き おく》を| 蘇 《よみがえ》らせていく。ただ言わなかったのは酒を飲んだ記憶のスタートラインだ。飲酒の理由、昨日の企業|面接《めんせつ》で面接官に言われた言葉だ。
……自分を証明出来るのかね? か。
出来ない、出来るわけがない、現場に出ていないのだから。だから飲んだ。
いいさ、過ぎたことだと、そう自分を納得させて記憶を蘇らせようとするが、しかし、
「――――」
京《みやこ》の言葉は止まっていた。
軍畑の駅を降りてからの記憶が消えている。自分の存在したという自覚が、
「どうしたっけか……」
「だから泥酔《でいすい》だと――」
「アンタ、ナメてんのか? それだきゃあ絶対ねえんだ」
言い切ると、モイラ1stは微笑を少しだけ緩めて問うてきた。
「どうしてですか?」
「約束したんだよ。――ずっと昔に」
京は短く言って、口を噤《つぐ》んだ。するとモイラ1stは追及せず、会釈《えしゃく》を寄越《よ こ 》してきた。
彼女は周囲の皆に聞かせるようにして、
「姫様はお疲れなのだと思います。食事はこちらにお持ちしましょうか」
「好きにしてくれや。あと、服も。――それと」
言いながら頭の中を探るが、しかし記憶は蘇らない。頭がスッキリしない気分があり、
「ヤニ。……あんだろ? 上等《じょうとう》なのが。目覚ましにキツイのくれるかい?」
「ヤニ?」
「あー、これだから外人はっ。……タバコだよ、シガー、否、シガレットか」
言うが、しかしモイラ1stは首を傾《かし》げた。対する京は、これは相当に言語が通じない国の連中だと内心で苦笑する。しょうがない、と口に何かくわえてるジェスチャーをして、
「ほら、紙に巻いてある細長いものでよ。あんだろ? こう、スパーっと」
「あるよー!」
声は皆の後ろ、入り口の方から響《ひび》いた。
勢いのいい声に顔を上げると、侍女《じ じょ》の波を割るようにして一人の少女が飛び出してきた。
やはり金色《きんいろ》の髪《かみ》の、こちらはセミロングの侍女だ。碧眼《へきがん》がこちらに近づいてきて、
「アイガイオンがもらってきたケーヒンの中にあったよ、これ! これじゃん!?」
差し出されたのは小さな紙箱から突き出された白い一本。
京《みやこ》はそれを引き抜きながら少女を見る。青い目の目立つ背の低い娘。自分より五|歳《さい》は年下だろうか。高校時代にこういう後輩《こうはい》がフリークでくっついてたなー、と思いながら、
「誰よ?」
「モイラ3rd! 姫様の記憶《き おく》を――、ぐ!」
モイラ1stが少女の顔を後ろから優しく強く抱え込んでロックした。
「申し訳《わけ》御座《ご ざ 》いません。末の妹です。学習|未熟《みじゅく》なままでロールアウトしておりまして」
「言ってる意味がよく解《わか》らねえが、まあ、ガキは元気な方がいいもんだぜ」
「ほら大姉《おおねえ》ちゃん! 元気でいいって褒《ほ 》められたよ!? いいじゃん!?」
「ふふ、3rd? 貴女《あなた》のは元気じゃなくてアッパーって言うんです。脳の思考《し こう》レベルを元気のレベルに落としなさい。またお尻《しり》叩かれて関節《かんせつ》外されたいんですか?」
ちぇー、というモイラ3rdと彼女を抱えるモイラ1stを見て、京は一息。
……随分《ずいぶん》と大《おお》所帯の場所だな。
しかし1stと3rdがいるならば2ndもいるのだろう。そしてこの施設の主人も。
どこにいるのだろう。
その、見えない、ということに釈然《しゃくぜん》としないものを感じながらも、京は肩から力を抜く。
「ここ、いつになったら出られるんだ?」
「ええ、あとで相談してみます。少々お待ち下さいね? 先に食事と服をお持ちします」
頼むぜ、と言いつつも、京は心から警戒《けいかい》を解かない。
……何か胡散《う さん》くせえなあ。
ともあれ燃料としてのタバコは手に入った。思考準備は完璧《かんぺき》だ。あとは火があれば脳にスイッチが入る。
タバコを口にくわえると誰かが火のついたライターでも出してくるだろうか。
皆がこちらを見ている中、京は手にしたものを口にくわえた。
周囲の視線を気に掛けつつ、空吸《からず 》いし、
「――って、馬鹿|野郎《や ろう》これシガレットチョコのしかも酢《す 》昆布《こんぶ 》味《あじ》じゃねえか! IAI製か――」
●
明るい部屋がそこにあった。
白いレースのカーテンは開かれ、窓は開いている。
窓際《まどぎわ》のベッドには人影はなく、向かいの机《つくえ》と椅子《い す 》にも誰もいない。
そんな部屋を覗《のぞ》いているのは一人の少年、飛場《ひ ば 》だ。
飛場は開き掛けたドアをノックして、
「美影《み かげ》さん……?」
いない。薄い緑色の絨毯《じゅうたん》の上にも人影はない。だから、
「美影《み かげ》さーん。出てこないと部屋を漁《あさ》りますよー」
と小さな声で呼びかけながら抜き足差し足で部屋に入る。
そしてまずはベッドの下を覗《のぞ》き込む。が、いない。
おかしいな、と飛場《ひ ば 》は左右を意味もなく見渡してから美影のベッドに手を乗せる。温度はまだ残っている。体温だ。温かいなあ、とのんびり思ってから慌《あわ》てて首を左右に振った。
「こ、これじゃあ激しく変態《へんたい》じゃないですかっ。いけないなあっ」
だが温かいなあ、と飛場は和《なご》む。さっきの夢で気分的に疲れていたこともある。飛場は美影のベッドの真横で正座して、一礼するように上半身で倒れ込んだ。
温《ぬく》い。ほのかに柑橘《かんきつ》系の匂《にお》いがして彼女の髪の匂いを思い出す。
十秒ほどそのままにしてから、飛場はゆるゆると名残《な ごり》惜しくも体を起こした。
背後の机《つくえ》の下を覗き込むが、やはりいない。そのまま机の上にふと視線を送り、
「…………」
飛場は机の上に三つのものを見た。
分厚《ぶ あつ》い日記帳と、太めの赤いシャープペンシルと、国語の教科書だ。教科書は中学一年のもの。上向きにされた裏面に書かれた名前は飛場・竜司《りゅうじ》だ。
それらを見た飛場は立ち上がる。表情に緩みではなく、微笑を置いて窓を見た。
窓側、ベランダに出ることは出来る。だが、
「脚《あし》の上手《うま》く動かない美影さんが、出ることはないか」
だから飛場は窓際《まどぎわ》に近寄り、しゃがみ込んだ。東側の窓枠のそば、カーテンが寄せられている。そして、カーテンの波の中に、沈み込んでいる人影があった。
美影だ。
金色の髪を手入れもせず、ただ自然に流した彼女は、白いワンピースの寝間着姿《ね ま きすがた》でレースのカーテンにくるまっている。
飛場は見る。彼女の首元を。
レースのカーテンと寝間着にくるまれた間から覗ける彼女の肌《はだ》には、色がある。
白に近い肌の色と、黒に近い色だ。黒の部分は首の腱《けん》を描き、皮膚《ひ ふ 》の下《した》筋肉と同じような構成で入っている。
そして、首元から胸元に掛けての位置。胸骨《きょうこつ》の上部あたりに、また一つの色があった。
青だ。
青い小さな小石が、その部分の肌《はだ》に食い込んでいる。
飛場は、朝日を柔らかく照り返す青い石を見た。
「……もう五年も、このままですか。身体《からだ》も、脚も、声も」
わずかにうつむき、
「僕が美影《み かげ》さんを護《まも》れず、……概念核《がいねんかく》を揃《そろ》えることも出来ないから」
言葉が小さく床に落ちた。
勝たなければ、と思う。戦いに勝って、この人を、
……どうするのだろうか。
戦いを終えたら、どうなるのか。
それが解《わか》らぬと言う事実は、飛場《ひ ば 》の表情を変えた。眉根《まゆね 》と口元を歪《ゆが》ませたものに。
同時。美影が微《かす》かに動いた。
それは小さな動作。瞼《まぶた》を開き、目の焦点を結ぶ動きだ。
はっと、飛場が表情を変えた。いつもの顔に。
そして黒い瞳がこちらを見る。
ややあってから、気づいたように、自分の朱の瞳と視線を合わせた。
美影はこちらに対して首を傾《かし》げる。何故《なぜ》、飛場がここにいるのかと。
だが彼女の表情はすぐに変わった。笑みに。小さな唇が動き、
「…………」
声が出ない。
その理由を飛場は解っている。彼女は声帯《せいたい》がまだ未熟なのだと。だから、
……武神《ぶ しん》に、僕と一緒に合一《ごういつ》しているときだけ喋《しゃべ》れる……。
美影は音のない声を発する。今まで、声が出るだろうかと一緒に訓練し続けている飛場は、彼女の唇の動きで言葉を読む。
『いういううー』
リュージ君。
『おーいあお?』
どうしたの?
まるで口移しのような言葉の読みに、飛場は頷《うなず》いた。
「昨夜、帰りが遅かったですからね。まだ寝てるんじゃないかと思って」
言って、飛場は彼女を包むカーテンをゆっくりとほどいた。中身の白い寝間着《ね ま き 》を剥《む 》くように出し、彼女の身体《からだ》、自分よりも身長のある肢体《し たい》を飛場は一息《ひといき》で抱え上げた。
美影は驚かない。いつものことだ。
……勝たないと。
少なくとも、この、いつものことを護るためには勝つことが必要だと思う。
だが、飛場はふと考える。昨夜と先夜に向かい合った白い武神、テュポーンのことを。
祖父から聞くには、あれが3rd―|G《ギア》最強の武神だという。
……瞬時《しゅんじ》に攻守を入れ替える術《すべ》を持つ武神……。
もしあれを連続して行われたら、勝てるかどうか解らない。
どうしたらいいのかと、そう思う視界の中で、美影《み かげ》が口を開いた。
『おーいあお?』
「え? あ、何でもないです。ちょっと考えごとで」
眉尻《まゆじり》を下げた美影に笑みを見せた。
そのときだ。ドアの方、階下から一人の女性の声が聞こえた。
「竜司《りゅうじ》さん? 学校から電話ですよ?」
「――は? 何です母さん」
「……あら、また美影さんの部屋に勝手に入って。いい? もう貴方《あなた》も大人なんだから」
「あー、はいはいはい、後で聞きますから聞きますから」
抱えた美影が小さな笑いを肩でする。
それを見ている間に、母の声が聞こえた。
「何だか担任の先生から経由で、生徒会が竜司さんに用があるって。昨夜のこと、って言えば解《わか》るらしいって、そういう話らしいわよ?」
続く母の声は、無表情に響《ひび》いた。
「……やっぱり鋭いみたいね。UCATの眷属《けんぞく》は」
[#改ページ]
第二章
『鋼の会合』
[#ここから3字下げ]
睨め睨め
まず面を合わせろ
そして当たるかすれ違え
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●
白い廊下、窓の無い壁には、代わりというように文字が書いてある。
BF2、と。
ここは日本UCAT地下二階、開発部の前の廊下だ。廊下の中央には休憩所としてのソファと自販機が数台ある。
そこに並ぶ紙コーヒーの自販機の前には、うつむき加減《か げん》で一人の女性が立っていた。
長い白髪《はくはつ》のかかる白衣《はくい 》の胸、そこに付けられた名札には月読《つくよみ》・史弦《し づる》とあった。
彼女は手にした紙コップから冷めたコーヒーを口に含み、
「……どーしたもんかねえ」
「どーしたんですの?」
と、女の声がいきなり真横から来た。月読が慌《あわ》てて振り向けば、廊下を歩いてくるのは、
「ディアナ・ゾーンブルク……」
「どうなさいましたの?」
黒いスーツに茶色い紙袋を抱えたディアナは、問い掛けつつも続けて口を開き、
「午後からは、神田《かんだ 》の方にゲオルギウスの検査機を取りに行くと聞きましたけど?」
「え? ――ああ、やっぱ上の方では話|広《ひろ》まってるのね。そう、大城《おおしろ》全部長が嫌がったんだけど、うちの若いのがエロいゲーム作る手伝いするってことを引き替えにね」
「謎《なぞ》の概念《がいねん》兵器は十八|禁《きん》ゲームと等価ですのね……」
「まあ大城|通貨《つうか 》だから。……それよりアンタの方は? 何でこんなとこに?」
コーヒーを一気に飲み出す月読に、ディアナは紙袋を抱きしめ、
「ええ、上の購買部で水着を買いましたので。帰り道にUCAT内を散策《さんさく》ですわ」
「水着か……。優雅《ゆうが 》ねえ」
「いえ、監査の仕事ですのよ? 全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》が明後日《あ さ っ て》から瀬戸内海《せ と ないかい》に合宿だそうですから、ついていくんですの。――仕事ですのよ? し・ご・と。丁寧《ていねい》に言うと、お・し・ご・と」
「優雅な御仕事ねえ……」
「……信じてもらえませんの?」
「信じる以前に紙袋から浮き輪がはみ出してるけど?」
「ち、違いますわよっ。これは寝そべってジュース飲むためのビーチマットですのっ」
「優雅にもほどがあるわっ!」
月読は叫んで吐息。紙袋の中身を整え直しているディアナを見て、
「――私もあと五|歳《さい》くらい若かったらついていくんだけどねえ」
「あ、あの、聞き間違いでしょうか? 何か桁《けた》が違う数字が聞こえましたけど?」
「そこで笑え。でもアンタや趙《ちょう》先生見てると思うわね。延齢《えんれい》や不老化も悪くないかって。あたしゃUCAT入ったときにゃもう婆《ばあ》さん予備軍だったしねえ」
「……ふふ。でも、決めていたのでしょう? この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》とともにあると」
ディアナの言葉に、ややあってから月読《つくよみ》は頷《うなず》いた。目を細め、
「そうね、娘もいるし、……不老化とか出来ないわよ、あたしゃ」
聞いているんでしょう? と月読は言った。
「あたしの娘がさらわれた、って。噂《うわさ》では3rdの白い武神《ぶ しん》、テュポーンって話。それがさらったんじゃないかってんだけど……、見る目がないのか、うちの娘をさらうなんてねえ?」
問い掛けに対してディアナは無言。だが、彼女は表情をわずかに緩めた。
眉尻《まゆじり》を下げ、会釈《えしゃく》を一つ。
「私、子供はおりませんので貴女《あなた》のことを理解は出来ませんけど……」
「いいわよ。女|同士《どうし 》なら通じるものもあるでしょ」
月読は苦笑で返す。
「咋夜の飛来物《ひ らいぶつ》が落ちた現場に、あの子の荷物と上着が遺《のこ》されていたってね。概念《がいねん》空間に乱入者として取り込まれたんだと思うけど……」
「…………」
「そんな顔しなさんな。大丈夫よ。簡単に死ぬような子じゃないわ。――あれだけ親に逆らって好き放題《ほうだい》やって来た馬鹿|娘《むすめ》なんだから、一人になっても何とかしてるでしょ」
「心配されてますのね」
「そういうことにしといて頂戴《ちょうだい》」
月読が苦笑を濃くして、ディアナが頷《うなず》いた。
そのときだ。一人の女の声が、こう響《ひび》いた。
「お二人とも、あまり3rd―G関連のことを口外《こうがい》されない方が宜《よろ》しいかと判断します」
今度の声の持ち主は、
「|Sf《エスエフ》?」
ディアナが首を傾《かし》げて周囲を見回す。すると、確かにSfがいた。
それも、自販機の間に横向きにはさまって。
「……あ、あの、Sf? 日本語フォーマットされたときに変なクセを憶《おぼ》えちゃったのかしら? そんな狭いところに引き込もって、何してますの?」
「|Tes《テ ス》.、私は至《いたる》様の全状況を監視《かんし 》する役目を持っておりますが、その感知|範囲《はんい 》内から先ほど至様が動きました。屋上の隅《すみ》で空を眺《なが》めてらっしゃると判断します」
「その位置が、感知範囲のぎりぎり?」
「Tes.、危ないところだったと判断します。ゴミ捨てに地下| 焼 却 《しょうきゃく》場からの帰りでしたが、ここに入るのがもう少し遅れていれば至様を初ロストするところでした」
月読が、自販機の間にはさまったSfと、隣《となり》のディアナを交互に見て、
「独逸《ドイツ》製は優秀ねえ……」
「そ、そちらのフォーマットのせいでしょう?」
ディアナは否定のために手を振ってそう告げる。|Sf《エスエフ》に目を向け、
「至《いたる》君に声かけて屋上から動かしましょうか?」
「|Tes《テ ス》.、ですがそれには及ばないと判断します。統計上、至様は同じ行動を続けることがありませんのでしばらくしたら私室に降りてくると判断します。それまで待機《たいき 》実行です。――おそらく、至様のこの不規則な移動は次の|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》のための思考《し こう》準備によるものですので」
「考えごとをするときは外に出る。……昔通りですのね」
ディアナの言葉に、Sfは自販機の間から小首《こ くび》を傾《かし》げた。
「その情報は記録の価値《か ち 》があります」
「知らなかったんですの? 皆でいろいろ息詰まったとき、よく外に引っ張り出されたんですの。……至君と私のよく知る人に」
その人は、と月読《つくよみ》が放ち掛けた問いに、ディアナは力を抜いた笑みを返した。
「退《しりぞ》かぬことを選び続けるならば、いずれ辿《たど》り着くところにおられます。Sfも、そのことを憶《おぼ》えておきなさいな。そして、至君をもう一人にしないようにね」
「Tes.、今後は至様が思考をする時期は離れぬよう善処《ぜんしょ》いたします」
Sfは自販機の間から一礼して、
「――待つことには無限の耐久がありますが、離れることは自我が許可いたしませんので」
●
太陽が中天《ちゅうてん》に高く差している。
日差しの降る下、幾《いく》つもの大きな建物が並んでいる。
建物の群れは学校の校舎の連なりだ。広大な敷地をもって受け止める日差しの下、校舎の間を夏服|姿《すがた》の学生達が歩いている。
多くの者達の行先は寮《りょう》や、部《ぶ 》活動の場だ。手には返却されたテストを持っている者もいる。
そんな中、敷地中央にある校舎の前に座り込んでいる者達がいた。
校舎から大きく突き出した図書室の前、芝生《しばふ》の上に座るのは四人。男子の制服が三人に、女子の制服が一人だ。
佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》に、出雲《いずも》と風見《かざみ 》という四人組だ。
四人の中央には大きめの重箱《じゅうばこ》と、小さめの重箱が展開されている。
四人の内、まず傍《かたわ》らに黒のバインダーを置いた新庄が、小さな重箱を手に取った。中のコロッケを箸《はし》でつまみ、右にいる佐山に差し出し、
「はい、佐山君。今日は中身から作ってみたんだよ?」
コロッケを口に入れてもらった佐山は、よく噛《か 》んで飲み込んだ。
ちょっと心配そうな相手の顔を前に、彼は少し考え、しかしその後に、
「――うむ。新庄《しんじょう》君、極上な味だね」
「わ。嬉《うれ》しいなあ。誰かが原因の朝の嫌な噂《うわさ》、自分の中では吹き飛んじゃうね」
新庄は笑みを見せる。新しいコロッケを箸《はし》でつまんで、
「これとかね? 食堂の隅《すみ》借りて作ってるときにトメお婆《ばあ》さんが隠し味だって言って変な葉っぱ入れてくれたんだよ? ベランダでしか栽培《さいばい》出来ないんだって」
「成程《なるほど》。あの食堂に固定《こ てい》客がいる理由が明確に解《わか》った気がするね。深くは知りたくないが」
日差しの下、気持ちよく笑う佐山《さ やま》と、頬《ほお》を少し赤くしている新庄がいる。
彼らと向かい合って座る風見《かざみ 》と出雲《いずも》は、半目《はんめ 》で目の前の二人を見て、
「事情を知ってるとは言え、……男子制服でイチャつかれると変な空間に紛《まぎ》れ込んだような」
「朝に変な噂|広《ひろ》められておいて、昼になったらこれだからな」
二人は首を傾《かし》げるが、目の前の新庄は気にせず佐山に食料を与えていく。
と、横を通り過ぎていく学生の内、幾人《いくにん》かの女子達が彼女に頭を下げていった。
「風見|先輩《せんぱい》、こんにちは〜」
風見は顔を上げて会釈《えしゃく》を一つ。向こうもまた礼を返して去っていく。
うんうんと頷《うなず》く風見の横、並んで座る出雲が感心したように、
「人徳《じんとく》あるな」
「ふふ、覚《かく》や佐山を止められるのは私だけだものね……」
と、また風見|宛《あて》の挨拶《あいさつ》が来た。通り過ぎようとした制服|着崩《き くず》し型の男子学生数名が、
「あっ……。か、風見さん、お早う御座《ご ざ 》いますッ!」
言うなり、彼らは皆、潰した鞄《かばん》で顔を隠して高速に立ち去っていく。
彼らが去った後、残るのは風だけだ。
ややあってから、風見の横に座る出雲が無表情に頷いた。
「……千里《ち さと》、俺は何があってもオマエの味方だから素直に理由を話してみろ」
「どういう意味よっ。――あんまり酷《ひど》いことはしてないわよ?」
え、と声を挙げたのは新庄だ。自分の鼻を押さえ、鼻から何かが落ちるジェスチャーで、
「だばだば?」
「新庄君、可愛《かわい》く擬音《ぎ おん》で話してもあまりソフトにはならないのでやめたまえ。――それより風見、昨夜の件だが」
昨夜の、という言葉に、風見が身動きを止めた。
彼女はわずかな間を置いてからあたりを見回し、頷く。
「飛場《ひ ば 》・竜司《りゅうじ》でしょ? 大丈夫、担任《たんにん》通して招集かけたから。すぐ来るわよ、ここに。それよりも……、朝に来たでしょ? シビュレからの連絡」
一息《ひといき》。
「――月読《つくよみ》部長の娘がさらわれた、って」
●
風見《かざみ 》のセリフを聞きながら新庄《しんじょう》は顔を上げる。
「昨夜、飛場《ひ ば 》って人達がやっていた戦闘で、だよね?」
「そう。昨夜の概念《がいねん》空間内の遺留品《いりゅうひん》から、そこに月読部長の娘がいたことが確定されたわ。そしてその事実を知っていたのは、おそらく飛場・竜司《りゅうじ》ね。彼はUCATに確保されてから、その情報を伝えていたんだと思うわ」
苦笑をこぼす。
「現場に残っていた白い装甲片《そうこうへん》と大樹《おおき 》先生の見立てから、飛場・竜司の機体と彼の相手は概念|核《かく》級の力を持っているとされる、と。だから、飛場の方はよく解《わか》らないけど、おそらく相手はテュポーン。これでとりあえず3rdの残党が存在する確証が出来たってことよね。――それと、アンタ達には別件も行ってるって、シビュレが言ってたわ」
「うん。あったよ、佐山《さ やま》君が追加|連絡《れんらく》受けてた」
こちらの言葉に、佐山と頭上の獏《ばく》が頷《うなず》いた。
「――ゲオルギウスの検分《けんぶん》のための検査機と、何やら重要な物の引き取り立ち会い役として、私と新庄君は月読部長と共にUCAT神田《かんだ 》研究所に行くように、と」
「ゲオルギウスを検分させてくれるの? でも何で機械の引き取り程度に新庄まで?」
「……おそらく、私の3rdへの興味を少しでも逸《そ 》らすつもりだろう。私が何らかの理由をつけて立ち会いを拒否しても、新庄君は断れまい。――よって私も行くことになる」
「う……。た、確かにボク、頼まれた仕事は断れないけど……」
「つまり、新庄は佐山の囮《おとり》か……」
「覚《かく》、そういう言い方やめなさい。――餌《えさ》って言うのよ? フツー」
「フ、フツーじゃなくていいよっ!」
その言葉に、佐山が横で最もらしく首を横に振った。
「新庄君。人間、平凡に普通が一番だよ? ――その見本として私を見てみたまえ」
「うん、佐山君を見てると確かに普通が一番かもね……」
こっちの発言意図が通じているのか、彼は深く頷きながら腕を組み、
「ともあれ、3rd―|G《ギア》の|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が始まってもいないのに、3rd―Gと個人で敵対している少年と出会い、あまつさえ3rd側による誘拐《ゆうかい》事件まで発覚した。……日本UCATとしては各国UCATにあらぬ誤解《ご かい》や介入《かいにゅう》の言い訳を与えないためにも――」
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》が動いて、問題ごとになるべく関わって欲しくない、ってことよね? ……昨夜に飛場が言っていた、穢《けが》れっていうのも含めて。少し時間をおけ、と」
「そう。だが、それと同時に期待もされているのではないかね。今日、こうして飛場少年を呼びつけてみても、私達には何らの介入《かいにゅう》も無い。神田《かんだ 》に行くのも私と新庄《しんじょう》君だけだ。……出雲《いずも》と風見《かざみ 》、君達は自由に動いていいということだよ、これは」
佐山《さ やま》の告げる口調には、珍しく明らかな苛立《いらだ 》ちがある。表情にも、わずかな険《けん》を感じる。
そんな彼を見て、新庄は心の中に笑みを得た。
……やっぱり自分が率先《そっせん》しで情報とか集めたいんだ……。
だから新庄は指輪をつけた己の右手を彼の左|肘《ひじ》に絡めた。
「御飯、食べようよ?」
「……うむ」
と頷《うなず》いた佐山は、一度目を伏せただけで表情をいつもの無表情に変えた。ちょっと強引《ごういん》に付き合わせてしまっているかな、と思っていると、彼の方から目を合わせてきた。
「そう言えば、風見、新庄君に何やら渡すものがあったのではないかね?」
「え? ボク、風見さんから何かもらうものあったっけ?」
問い掛け、新庄は思う。何かあったろうか、と。
ややあってから、あ、と肩を上げ風見に拒否の手を振る。
「あ、いいよいいよ気にしないで! この前、買い物付き合ってくれた御礼にUCATの食堂で生乳《なまちち》牛丼|奢《おご》ったんだけど、あのくらいならボク、損害になってないから!」
「千里《ち さと》、最近ウエストラインを気にしていたのは……」
「ち、違うわよっ。あの夜は帰ってからちゃんと校舎周り走ったものっ」
風見は出雲に弁明しつつ、| 懐 《ふところ》から封筒を一つ。おそるおそる受け取った新庄は、
「開けていい?」
「駄目《だ め 》だと言ったらどうするつもりかね新庄君。――それは君のためにあるものだよ」
佐山の言葉に、新庄はわずかな迷いを持ってから封を開いた。
中から出した書類を読む。その内容は、
「……ボクを、生徒会の書記《しょき 》に任命する?」
顔がすぐ驚きになって、わずかに熱を持つのが解《わか》る。
……うわ、これって……。
「選挙|無視《む し 》のコネ任命だよね? やったあ」
「新庄君、猜疑《さいぎ 》と喜びのどちらかにしたまえ。――風見、説明を」
「ええ、確かに選挙無視だけどね、生徒会|権限《けんげん》の一つ、任命権の行使に寄るものよ。今年度は書記以下の空《あ 》きポジションが多いのよね。選挙のときに辞退が多くて」
「へえ、そうなんだ」
「うむ。昨年、どこかの女子生徒が演説会の最中、頭は悪いが身体《からだ》のデカイ立候補者に跳び蹴《げ 》り入れてね。直後、波が引くように立候補者達が棄権《き けん》を……」
「へえ、……そ、そうなんだ」
「その頷《うなず》きのタメはどんな意味を持ってるのかしら?」
笑顔の問いに新庄《しんじょう》は、ひ、と身を竦《すく》めた。対する風見《かざみ 》は構うことなく、
「書記《しょき 》、……受ける? 不服なら他にもいろいろ役職あるわよ? 総務とか管理とか生き物係とか負け犬とか。何なら、受けない、ってのもあるわよ?」
問いかけの口調は諭《さと》すようなもの。
その言葉を受けた新庄は、わずかに迷いを得た。目が見るのは傍《かたわ》らにある黒いバインダーだ。
……これに費やす時間を削るだけの価値《か ち 》って、あるのかなあ……?
「ええと、あのね? 書記って、……何するの?」
「そうねえ。――議事進行をメモったりするだけよ。覚《かく》の通訳は私がするから安心して」
「今、俺の人間性がしれっと汚された気がするというかマジにしたろ絶対」
「はははそんなことをホザくならば現人類が読める字を書きたまえ馬鹿|原人《げんじん》」
「ははは人間性が崩れまくったヤツぁ気楽でいいな精神|未来《み らい》系」
「こういう人外《じんがい》どもの躾《しつけ》も私がするから気にしなくていいわよ?」
男二人の冷めた視線を受けながら、風見は平然と言葉を続ける。
「それにね? 新庄、アンタが入ってくれると、生徒会会議と称して|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の話が出来るのよ。図書室借り切ったりしてね。大樹《おおき 》先生も呼べるし、いい感じじゃない?」
苦笑。
「この学校が私達の基地になるのよね」
「あ……」
という閃《ひらめ》きの声から、すぐに答えは出た。
……小説のアイデアになるし、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》のためにもなるよね?
都合《つ ごう》いい考え方かな、と思いながらも、首は前のめりに下に振られる。
「じゃ、じゃあボク、書記《しょき 》やるよ」
「いいのかね新庄《しんじょう》君? 頭のおかしな会長や暴力会計と共にいると悪い噂《うわさ》が立つぞ」
「佐山《さ やま》君、何かもう一人欠けてる気がするんだけど……」
「はは、当然だよ新庄君。――自らを礼賛《らいさん》するわけにはいかないではないか」
正面、半目《はんめ 》になった風見《かざみ 》が佐山を無視して腕時計を見た。
「――と、そろそろ出る時間じゃないの? 二人とも。失《う 》せてらっしゃい佐山。こっちは飛場《ひ ば 》からいろいろ聞いたら買い物行って来るわ。明後日《あ さ っ て》からの合宿の用意のために」
成程《なるほど》、と佐山が立ち上がる。新庄も立ち上がり、彼と並ぼうとしたときだ。
ふと、新庄は妙な色を見た。花の色、鮮やかな血の色に似た、赤の色だ。
芝生《しばふ》の屋外にありうべからざる色は、
「――目?」
振り返れば、自分達の横、芝生に面した道路に一台の単車が止まっていた。サイドカー付きの単車にまたがる背は、一人の少年だ。
短髪に白いバンダナを巻いた後ろ姿は、確かにこちらを見ていた。それも、紅色《あかいろ》の両の瞳をもって。
飛場・竜司《りゅうじ》だ。彼は困ったような笑みをこちらに向け、
「……そんなわけで来ましたけどー」
言った瞬間《しゅんかん》だ。新庄は佐山の頭上にいる獏《ばく》が身動きをとったのを見た。
過去が来る。
●
「――――」
新庄は、いつの間にか緑の木々に左右を挟まれた道路に立っていた。
自分は今、視覚と聴覚だけの存在になっている。
……過去だね。
ここは山の中。目の前にある下りの道路は土の路面だ。茶色い土にはタイヤによる轍《わだち》があり、雑草もところどころに生《は 》えている。
……ここはどこだろう?
あたりを見回すと、視界の左右に人工物が見えた。
柱。松ヤニで固めた木の柱が二本、道路の左右に立っている。
柱の前面は縦に割られており、平滑面《へいかつめん》には木彫りに漆《うるし》を流し込んだ文字がある。
「――出雲《いずも》航空技術研究所、東京支社」
ならばここは、
「護国課《ご こくか 》の入りロ……!」
意識で確認するように叫ぶと、鼓動《こ どう》が高鳴った。
この先が護国課だとすれば、新庄《しんじょう》の興味が向くのは一つの事実だ。それは、
……ボクと同じ姓《かばね》の人がいる筈《はず》。
護国課時代に衣笠《きぬがさ》教授の助手をしていたが、UCATの頃には記録が無くなっていた人物だ。自分と同じ姓をしており、佐山《さ やま》の祖父である佐山・薫《かおる》とも繋《つな》がりのある人物だ。そして、
……ひょっとしたら、ボクの肉親に繋がる人かも……。
思い、新庄は意識を前に進ませようとした。ここは過去の再現で、再生《さいせい》限界がどこにあるのかは解《わか》らないが、この先にある護国課に行けばその人がいるかもしれない。
「見てみたい」
と、そうつぶやき、新庄は自分の本心を改めて知る。
……ボクは、求めているんだ。
何を、という自問に明確な答えはない。青臭《あおくさ》い言葉ばかりが思いつき、しかし、その思いを捨てる気だけが来ない。
だから新庄は前に一歩を踏み出した。だが、
「……?」
耳に聞こえてきた音に、新庄は動きを止めていた。
背後、山の下の方から何かが来る。いや、音の正体はよく解る。車だ。それも十数台という量の車輪やシャシーの金属音が揺れて響《ひび》いてくる。
……何の車?
振り向いた視界は、車列の正体を見た。
緑の群。ジープやトラックの整列だ。
先頭にあるジープは、平たいボンネットに白地で星のマークをつけていた。
米軍だ。
だが妙だ、と新庄は思う。ジープに乗っているのは複数の男達だが、着ている軍服がおかしいと感じた。その違和《い わ 》感《かん》を上手《うま》く言うことが出来ない新庄だったが、車列が近づき彼らの姿が明確に見えてくるにつれ、答えを得た。
「……あ」
彼らの衣服。一人一人が着ているジャケットの肩につくワッペンだ。
そこには青の盾章《けんしょう》に、白の両|翼《よく》に挟まれたラインの群が引いてある。
UCATだ。
よく見れば、ジープに乗る彼らや、後ろのトラックにいる皆は、雑多《ざった 》な人種で編成されていた。だとすれば彼らは、
「連合軍|側《がわ》のUCATが、米国UCATに率《ひき》いられて……」
占領《せんりょう》軍としての体裁《ていさい》をもって、車列はこちらに近づいてくる。
……どうなるの?
新庄《しんじょう》は、護国課《ご こくか 》とUCATの由来《ゆ らい》を知っている。だがそれは、護国課が日本UCATになった、という、それだけのことだ。
その際に何があったのか、新庄は知らない。
知らないままに車列が来る。二つの柱によって作られた入り口を越えるために。
排気音が来た。
そして迫る車列に新庄の視覚が轢《ひ 》かれそうになったときだ。
いきなり、空から眼前に一つのものが落ちてきた。
それは銀色をしており、長い刃《やいば》の形をしていた。
日本刀。
反り身の一刀は勢いよく新庄の目の前に突き立った。土を削《けず》る音がして、
「!」
ジープの助手席に座っていた老兵《ろうへい》が片手を振り上げる。
彼の動きに応じるように、車列の群が停止音を上げた。全ての車がブレーキを軋《きし》ませ、車体を揺らし、土の路面を剥《む 》き削りながら制動を掛ける。
十数台の停車音に森林の葉が揺れ、さざめきをたてた。
直後。新庄の耳は風の音を聞いた。背後の道から不意の風が来たのだ。
はっとして振り向いた目は、一つの影の動きを見る。
緑色の単車だ。軍用の巨大な単車が、
「――はは!」
笑い声とともに横向きに、両輪を滑らせてこちらに突っ込んでくる。
運転しているのは小柄《こ がら》な青年。短い髪を高速の風に揺らし、
「お出ましか米軍! いや、――俺っちらの場所を奪いに来たんだ。同業だろうな!?」
言葉とともに彼は滑る単車の手前に足をついた。勢いよく落とした踵《かかと》を軸《じく》に、
「……あらよっと!」
単車が新庄の目の前で一回転した。
高速のスピンはしかし百八十度で決を採ったように止まった。
青年の位置は、先に突き立った日本刀の手前側。刃を挟み、車列の群と視線を合わせることの出来る位置だ。
彼は単車を両足で支え、黒い瞳で車列の群を見る。そして、
「やんのかよぅ?」
目を細めてつぶやきながら、単車から降りた。
足音が響《ひび》く。土を踏む軍靴《ぐんか 》の足音が。
同時。全てが動いた。
車列|先頭《せんとう》のジープと、後ろに並ぶトラックの荷台に座っていた者達が立ち上がったのだ。新庄《しんじょう》は見る。彼らの中には女性も多くいることと、
……武器が……。
彼らが握っている武器は、銃器もだが、剣や槍《やり》、そして盾《たて》が多かった。どれも従来の刀剣類《とうけんるい》とは違い、剥《む 》き出しのコードや部品やタンクによって改造されたものばかりだ。
未熟な技術ではあるが、|機 殻《カウリング》による改造兵器だ。
そしてジープの助手席にいた老兵《ろうへい》が車から降りた。彼はやはり一本の槍を手にしながら、
「明け渡しを願おう」
言葉には英語が被《かぶ》って聞こえている。丁寧《ていねい》だが、有無《う む 》を言わせぬ口調だ。
しかし対する青年は笑みを消さない。
「何言ってるか解《わか》らねえってんだよなあ、毛唐《け とう》の爺《じい》ちゃん」
老兵の槍が微動《び どう》した。
すると、一つの音が生まれた。青年の乗ってきた単車のハンドル近く。右側だけついていたバックミラーが宙に舞ったのだ。
「――米国UCAT代表、セイル・ノースウインド。我が北風は鋼《はがね》をも貫《つらぬ》くぞ」
「へえ、何か不思議《ふ し ぎ 》な技じゃねえのかよう」
青年は笑みを消さない。
「……何かアンタの言ってることが解る気がするねえ。つまり、アンタ今、こう言ったんだ」
老兵の顔を指さし、
「おおよくぞやってきたかっこういいわかものよ!」
言った瞬間《しゅんかん》だ。車列の上に立っていた影が皆、一斉《いっせい》に飛び降りた。数十どころか百は下らぬ武器の担い手達が、道路や森の中に降り立ち、身構える。
響き渡るのは重なる着地の足音と、身構えられる武器の金属音だ。
だが、彼らの威圧《い あつ》に負けぬ力が道の奥から来た。
いきなり、単車の青年の背後に巨大な影が落ちたのだ。
「――!!」
影についてくるのは超《ちょう》重量物の落下音。地面を割り砕いて立つそれを、新庄の視覚は見た。
……武神《ぶ しん》。
皆が息を飲む音が聞こえる中、青年と単車の背後に白銀の人型《ひとがた》機械が立っていた。全高は約八メートル。姿は女性の鎧武者《よろいむしゃ》に近く、背には二対二組で四枚の翼《つばさ》がある。
既に武神《ぶ しん》は両手に細身の長剣《ちょうけん》を握っていた。
駆動音《く どうおん》とともに背中の翼が動き、地上での行動を取りやすいように折り畳まれていく。
対する兵士達は一人として身動きをとれなかった。彼らは歯を噛《か 》む表情で単車の青年と背後の武神を眺《なが》めている。
だが、槍《やり》を手にした老兵《ろうへい》の表情だけは違った。彼は口の端に笑みを置いたまま、青年を見ていたのだ。そして、対する青年も同じ表情をして彼を見ている。
焦《じ 》れるような時間が続き、しかし、不意に終わった。
白銀の武神が身を浅く前に屈《かが》めたのだ。
続く時間の中で、武神の背から右肩に細身《ほそみ 》の人影が上がってくる。
女性だ。金色の髪を背後に流した若い女。眉《まゆ》太く意志の強そうな顔を新庄《しんじょう》は見て、一つの色に気づいた。
……瞳の色が……。
赤い。深紅《しんく 》とも言える色が、ひそめられた眉の下で青年を見ている。
白いシャツとフレアスカートの裾《すそ》が風にはためく中、薄い口が開き、
「あまり遊ぶな。――飛場《ひ ば 》」
片言《かたこと》口調の日本語もだが、告げられた名前に新庄は意識を震わせた。
……飛場って、飛場先生?
だが、おかしいところがある。飛場・竜徹《りゅうてつ》は、その左目を深紅に染めていた筈《はず》だ。それこそ、今、武神の肩上に立つ彼女の目のように。
どういうことだ、と新庄は思う。
自問の答えを得られぬまま、女性が更に口を開いた。
「そちらに私と同等《どうとう》戦力はいるか? いれば私が相手をする。いなければ飛場が相手をする」
「――貴女《あなた》は?」
問うたのは先ほどの老人、ノースウインドだ。綺麗《き れい》な日本語に、青年が口を歪《ゆが》めた。何だ日本語|解《わか》ってんじゃねえか、という彼の言葉に、女性が苦笑した。
「――私はレア。3rd―|G《ギア》からの亡命者《ぼうめいしゃ》だ。そして亡命先は日本、護国課《ご こくか 》と決めている。もしも私の居《い 》場所を奪うというならば、同等戦力が無くとも相手をしよう」
「……!」
レアと名乗った女性の言葉に、老兵が笑みを強くした。
同時。飛場の横に一つの黒い影が立った。黒の長衣《ちょうい》をまとった長身を新庄は知っている。
……ジークフリートさん……!
若いジークフリートはまるで木々の影から生《は 》えたように、緩やかな動きで飛場の隣《となり》に並ぶ。見れば、黒の手袋をはめたジークフリートの手には既に数枚の紙がある。
彼の姿と手の紙片を見た老兵《ろうへい》が、笑みの表情で問い掛けた。
「ジークフリート・ゾーンブルクか!?」
「初に御目《お め 》に掛かる、ノースウインド閣下《かっか 》。大方《おおかた》、私が本国に送った調査書を読んだのだうう? ――だがこの状況は早計《そうけい》だ」
「確かにそのようだ。だが、これで解《わか》った。――この場所こそが、世界の欲するところだと」
ノースウインドが告げ、飛場《ひ ば 》が腕を組んで頷《うなず》いた。
「確かにそうだろうな。だけんどよく考えてくれよ北風|爺《じい》さんよう。――出雲《いずも》航空技研|護国課《ご こくか 》は、今は偉い人に仕えてるけんどよ、手放されたら、別のものに仕えるつもりなんだぜ」
「それは、何だ?」
答えたのは飛場ではない。レアと名乗った女性だ。彼女は凛《りん》と響《ひび》く声で、
「決まっているだろう。この世界だ。何もない、最下層の、だからこそ何もかもある世界!」
皆の見る先、新庄《しんじょう》は頭上を振り仰ぐ。赤い瞳の女性が笑みを見せていた。こちらを見下ろすのではなく、顔を向け、皆を見渡し、彼女はこう告げた。
「私はこの世界に逃れてきた。己の概念《がいねん》を冥府《タルタロス》に捨て、一《いち》個人として。……だが扱いは捕虜《ほ りょ》ではなく客人で、誤解も衝突《しょうとつ》もあったが、今は兵士であることを自ら望んでここにいる! この世界のために。そして――」
レアは周囲を見渡した。青い空に、木々があり、大地があり、そよぐ風がある。風に笑みを送って彼女はゆっくりと己の腹に右手を当てた。再度|眼下《がんか 》の彼らに視線を送り、
「――ここにいる子と、共にあるために、だ。……既に我らは戦いの準備を始めている。我らと共にあるならば話をしよう。だが少しでも我らを妨げるならば、敵になると知れ!」
「レア、オメエ、何か俺達より偉そうなんだけんどよ……。薫《かおる》に日本語|教材《きょうざい》用意させたのは間違ってたかなあ……」
「はは、まだるっこしいのだよ男達のしていることは。母親|準備《じゅんび》期間中の女は即断《そくだん》即決|優先《ゆうせん》。悔しかったら酸っぱいものでも持ってくるといい。――いいか? そこの軍隊。答えよ」
声が笑みとともに響く。
「――貴様《き さま》らの中に、私の子の味方になりたい者はいるか!?」
轟《とどろ》いた言葉が、過去の終了の合図だった。
急速に視界と聴覚が闇《やみ》に落ちていく中、新庄はレアの言葉を思う。
……私の、子?
六十年も前のことだ。その子が生きているとしたら、どうなっているのだろうか。
3rd―|G《ギア》の人間の子孫《し そん》など、UCATに長くいる新庄も聞いたことがない。何しろ3rd―Gは武神《ぶ しん》と自動人形の|G《ギア》と聞くことはあるが、
「人がいるって事実を目の前にしたのは、よく考えたら初めてだよね……」
佐山《さ やま》君が言った通りに人が少ないGだったのだろうな、と考えても解りはしない。解っていくのはこれからなのだろう。これから佐山《さ やま》達と共に動いていけば、滅びと一緒に解《わか》る筈《はず》。
だが、と新庄《しんじょう》は思う。
……もし、あの人の子孫《し そん》が今も生きているならば……。
該当《がいとう》種族がいない自分と同じように、親を知らぬ自分と同じように、
「何かを迷っていたりするのかな……」
●
過去から醒《さ 》めた新庄は、
「――――」
息を吸い、目の前の景色に集中した。
ここは中庭、芝生《しばふ》の上で、周囲には出雲《いずも》と風見《かざみ 》に佐山がおり、飛場《ひ ば 》がいる。
周囲には学校帰りの生徒達が多く歩いており、時間は数秒も経過していない。
は、と息を吐き、新庄はあたりを見回す。風景はそのままで、呆然《ぼうぜん》としたような顔の風見と出雲がいるが、既に過去を何度も見ている佐山は、
「……今のが、飛場先生や3rd―|G《ギア》の接点の一つか」
左胸に手を当てた彼は、吐息をつきながら飛場を見る。
「3rd―Gからの亡命《ぼうめい》者がいたのかね」
「ええ、今みたいに見たのは初めてですけど。しかし……」
と答えたのは、単車の上で青ざめた顔をした飛場だ。彼は力無く頷《うなず》き、単車から降りる。こちらに近づいて、しかしあと一歩の距離で足を止めた。
「今のは、何ですか?」
問いに、佐山が肩の上の獏《ばく》をつまんで見せた。
獏は左右を見渡していたが、皆の注目に気付くと不意にうなだれ眠り始めた。
飼い主の佐山は深く頷き、
「……もうお解りだろう」
「解りませんよっ!」
「では簡単に言おう。聞いたら驚きたまえ。準備はいいかね? この獏が過去を見せるのだよ」
「あ、成程《なるほど》ー。……って、う、うわあ! 驚きですねえ! ビックリですよ!?」
しらじらしい、と新庄が半目《はんめ 》になる眼前で、佐山が満足げに首を下に振った。
「飛場先生は随分《ずいぶん》と若かったが、飛場少年、どことなく君に似ていたね?」
「それは僕が老人になったらああなるという暗喩《あんゆ 》ですか……?」
うん、と飛場の言葉に新庄は頷いた。佐山の肩を叩いて、
「諦《あきら》めた方がいいよ? この佐山君も話聞いてるとどんどんお爺《じい》さん似になってるし」
「――新庄君! それは失敬《しっけい》な判断だ。誰があんな口先八丁《くちさきはっちょう》で人を小《こ 》馬鹿にした物言いしかしない自己中心|老人《ろうじん》になると言うのかね?」
問い掛けに皆がうつむき静かになった。
その静けさに佐山《さ やま》は一つ頷《うなず》き、こちらに笑みを見せる。ゆっくりと両腕を広げ、
「さあ、見たまえ。皆も私に無言で同意してくれている」
「いきなり結論言うけど一度病院行った方がいいよ……?」
佐山が何か言い出す前に、新庄《しんじょう》は飛場《ひ ば 》を見た。すると飛場も意図を悟ったのか、
「え、ええと、それでですね」
と、飛場が慌《あわ》てて皆を見渡してくる。
新庄は飛場の表情を見た。慌てながらもわずかに眉を下げたそれは、何を言うべきか言わざるべきかを迷う表情だ。
つい最近まで自分もずっとしていたような顔に、新庄は首を傾《かし》げていた。眉尻《まゆじり》を下げ、
「……何か、言いたいことがあるんだよね?」
「え? ……あ、はい、先輩《せんぱい》達は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》というのを行っているそうですね」
「そうだが、何かね? ――3rd―|G《ギア》との|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》はやめてくれ、と?」
「その通りです。3rd―Gを滅ぼした祖父を持つ者として御願いします」
飛場の即答《そくとう》には、言ってしまったな、という安堵感《あんど かん》もついてきた。
彼の言葉に、新庄も含めた皆が、その意図を計ってわずかに沈黙《ちんもく》する。だがすぐに、
「ま、まあ、ちょっと待ちなさいよ。3rd―Gを祖父が滅ぼしたとか、いきなりすぎるわよ」
風見《かざみ 》の慌てた制止はよく解《わか》る。まず、昨夜に聞いたその言葉の理由が知りたい。
……だからゆっくり話をしよう。
新庄は半《なか》ば腰を上げて口を開いた。
「竜司《りゅうじ》君、……うん、飛場先生と区別するためにそう呼ぶね? で、竜司君、こっちのGの人だよね? それがどうして3rd―Gとボク達の交渉を止めるの?」
発した疑問を、頷きとともに佐山が補足する。
「飛場先生の悪行千万《あくぎょうせんばん》については後日|言及《げんきゅう》するとして、まず穢《けが》れと言うからには大層な理由があるのだろう? 昨夜の状況を見れば解るとも。自動人形を連れた君がおり、その祖父は元|護国課《ご こくか 》で……、しかしUCATの力を借りずに戦っている。テュポーンとね」
佐山の言葉、特に最後の一言に飛場の表情が変わった。
わずかに眉をひそめた顔。それに対して無表情な佐山が更に言う。
「そして彼に関するな、とUCATは表向きそう告げた。つまり、君の戦いに関係すると我々にとってマイナスだ、と、そういうことだ。その要因を告げに来たのだね? 飛場少年」
「え、ええ。……長い話になりますし、先輩達がどう判断されるかは別ですが」
ただ、これは確実です、と飛場は言った。
「もしも3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を行い、彼らを従えることになったら……、そのとき、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の名は穢《けが》れたものとなります」
●
「穢れ、って……?」
風見《かざみ 》の問いに、飛場《ひ ば 》は頷《うなず》いた。
「僕達が祓《はら》う穢れは二つあります。――今日はその一つを話しに来ました」
「随分《ずいぶん》ともったいぶった話だね」
「自分でもそう思います。ですけど、……穢れるつもりでいても、本当に穢れと向き合ったとき、どうなるかは解《わか》りませんから」
「つまり、私達をテストするわけね? 本当の穢れに対し、私達がまず覚悟《かくご 》を持てるかどうか、――軽い穢れを今日話してみようって思ったわけだ」
風見は苦笑した。ナメられたものね、と。
だが、そう告げる視界の中で、飛場は苦笑するだけだ。
彼の笑みを見て、風見は思う。
……苦い笑みね。
今まで何度も同じことを思ってきた人間だけが作れる笑みだろう。仕方ない、と、そう思ってきた者だけが。
出来れば彼の言葉を聞いて話し合ってみたいと思うが、用のある者もいる。
ねえ、と風見は腕時計を佐山《さ やま》に見せる。すると、佐山がゆっくりと頷いた。
「飛場少年、すまないが今日の君のテストはそちらの風見と出雲《いずも》に頼みたい。――私と新庄《しんじょう》君はこれから出る用向きがあるのでね」
「――その用向きは、僕の話よりも重要ですか?」
「私に話すということが、そちらの出雲や風見に話すことよりも重要かね? そちらの過激《か げき》型暴力夫婦は私より先に|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》に関わっていた者達だ」
「あ、そ、そうなんですか。すいません」
飛場は慌《あわ》ててこちらに一礼する。
自分が苦笑する横で、出雲がもっともらしそうに腕を組んで頷いた。
「見ろ佐山、最近の後輩《こうはい》は礼儀正しいぞ」
「飛場少年、礼儀とは消費物だ。ちゃんと相手を見て使いたまえ。――たとえば私に全額だ」
あー、と判断不能になった飛場に、新庄が無理に作った笑みを向ける。
「あ、あんまし気にしない方がいいよ? 変な人ばかりだけど」
「あ、そ、そうですか……」
という飛場の視線が新庄の腕に止まった。
風見は、新庄の腕が佐山の腕に絡みついてるのに気づくと、
「あらあらお熱い」
「え? あ! ぅあわ! と、こ、これはその……」
「ははは、新庄《しんじょう》君、何を照れているのかね。私達の真実を何も知らない者など無関係だよ」
「場を混乱させるようなこと言わないでよっ!!」
見れば、飛場《ひ ば 》は半目《はんめ 》の上目《うわめ 》遣《づか》いで腰を退《ひ》き、佐山《さ やま》達から後ろに下がろうとしている。
……何してんだか。
飛場の肩を風見《かざみ 》は立ち上がりながら叩いた。やれやれという笑みで手を浅く広げ、
「解《わか》る? 誰が一番|健全《けんぜん》かつまともか」
「……消去法なんですね」
「何か言った?」
いえいえ、と飛場が首を振った。そのときだ。
「ちょっと待て、飛場」
といきなり出雲《いずも》が立ち上がった。風見は、出雲が飛場と視線を合わせるのを見る。
「とりあえずこれから衣笠《きぬがさ》書庫で話し合うが……、お前、俺達をテストするって言ったな?」
「ええ、すいませんけど」
「謝る必要はねえ。俺もこれからお前をテストするからな。……お前がどういう人間かを」
え? と飛場は首を傾《かし》げ、しかし浅い身構えを取る。
そんな彼に対し、腕を組んだ姿勢の出雲は前に出た。出雲の身長は約一九〇、飛場はおそらく一六〇だろう。その視線差で何を問うのか、と思った風見の眼前て、出雲が口を開く。
「テストは簡単だ。飛場、さっきの過去で……、見たか?」
やや横目で行われた出雲の問いに、飛場が目つきを変えた。鋭《えい》の一字に、だ。
しかし彼はややあってから、慌《あわ》てて首を横に振った。口を開いて出る言葉は、
「な、何も見てませんよ? 僕は。……そんなテストだなんていきなり、何のことか」
両手を雨が降ってきたかのように広げるポーズの飛場に、風見は思う。
……コイツは何かを見たな。
その思いを解っているかのように、出雲は更に問うた。飛場の肩を叩いて視線を合わせ、
「やはり見たな? 過去の中で俺と同じものを」
「い、いえ何も見てませんよ」
「いいや、下から見えた筈《はず》だ。――ちらりと見えた感じ、青だったな!?」
「違いますよ白ですよ! 何となくしっかり見ましたから!」
反射的な飛場の応答に、皆の動きが停止した。
沈黙《ちんもく》があり、風が吹き、さらに数秒おいてから、
「――あ」
しまった、という飛場の声に、出雲は何度も納得《なっとく》したように首を下に振る。
解《わか》っている、解っている、と。
そして彼は腕を組み、もっともらしそうな口調で、
「お前は見所がある。今後も精進《しょうじん》し――」
と、風見《かざみ 》が右脚を振ると出雲《いずも》の姿が消えた。
わずかな空白。
そして、左の方から何か人体のようなものが壁に当たった激突音《げきとつおん》が聞こえてきたが、もはやこちらの気にすることではない。慣れたものだ。
「さて」
と皆を見ると、左の方を見ていた顔が一斉《いっせい》にこちらを向いた。
見れば佐山《さ やま》の肩の獏《ばく》も身体《からだ》を硬直させてこちらを見ている。
……初めて視線が合ったわね、この子と。
ちょっと嬉《うれ》しい。だから言うことは言っておこう。
「ねえ? 今度から、女性が出てくる過去を見せるときは、覚《かく》がいないときにしてね?」
顔に浮かべた笑みに、獏が慌《あわ》てて何度も頷《うなず》いた。
よしよし、と風見が手を伸ばして獏を撫《な 》でると、獏は総毛《そうけ 》立《だ 》たせて身を任せた。
佐山の横の新庄《しんじょう》が引きつった笑みで、
「よ、よく考えると風見さんが獏を撫でたのって初めてじゃないかなあ。――良かったね」
「ふふ、やっぱり動物って相手の心を読むのね。今私、すっごく落ち着いてるもの。――そうしてないとやってらんないぐらいに」
佐山は敢えてコメントしない方針なのか、肩に貼《は 》り付いた獏を剥《は 》がし、胸に納める。
そして新庄は慌てた動きで佐山の腕を取り、飛場《ひ ば 》とこちらを交互に見た。
「ええと、……どうするの? か、風見さんは竜司《りゅうじ》君の相手だよね」
「え? ええっ? 相手って、ぼ、僕|壊《こわ》れちゃいますよっ!」
「ふふふ。照れなくていいのよ一年生。――大丈夫、あまり痛くないから」
と風見は先ほどから変わらない笑顔のまま、右手の五指に骨音《ほねおと》つけて佐山に視線を向けた。
「そっちの二人は好きにして来なさいよ。こっちは尋問《じんもん》、――って御免《ご めん》そうじゃないか、つまりは強制事情|聴取《ちょうしゅ》、――でもないか。ええと、そうねえ、簡単に言うと……」
うん、と飛場に頷きこう言った。
「――吐いてもらうわよ一切合切《いっさいがっさい》、テストとか穢《けが》れとやらも何もかも、それでいい?」
問いに、飛場は総毛を立たせてがくがく首を下に振った。
●
昼の日差しが入る白い廊下がある。
そこを歩くのは背の高い侍女《じ じょ》の姿。月読《つくよみ》・京《みやこ》の相手をしたモイラ1stだ。
彼女は装飾《そうしょく》のついた金属製のストレッチャーを歩かせている。テーブル状の上板に載っているのは半球状の蓋《ふた》がついた銀皿《ぎんざら》だ。
彼女の行く廊下から見える窓の外には、森があり、斜面があり、街がある。小さなビルや民家が密集した街並だ。モイラ1stはそちらをちらりと見て、目を細める。
「……姫様は、あちらに戻ったとき、私達のことなど憶《おぼ》えていないのでしょうね」
言った瞬間《しゅんかん》だ。
「そうとは限らないだろう」
と、やや低い女の声が響《ひび》いた。モイラ1stがゆっくり振り返ると、背後の壁にいつの間にか二つの影が立っていた。見えるのは赤いスーツを着込んだ長身の女性と、Tシャツジーンズに青いエプロンをまとった巨漢《きょかん》だ。モイラ1stは二人に視線を当て、
「ギュエス様に、……アイガイオン様ですか。アイガイオン様は御《お 》仕事中で?」
アイガイオンと呼ばれた巨漢は、短く刈り込まれた金髪《きんぱつ》を掻《か 》き上げ、自分の服装を見た。厚手の生地《き じ 》で出来た青のエプロンには、白字で 八百《やお》竜《りゅう》 とある。
「仕方なかろ。――仕事中、配送の途中で寄ったんだ。姫様が目覚めたと聞いたからよ」
「来るなと言ったのだがな。身体《からだ》がデカイだけで邪魔《じゃま 》でかなわん」
横の女性、黒のショートカットを小首《こ くび》で横に振るギュエスに、アイガイオンは言う。
「だけどコットスが自慢しやがるのよ。――今度の姫様を一番に見たと。何しろテュポーンに連れてこられたとき、一番先に見るのは下のアイツだからな」
「だがモイラ1st、何故《なぜ》、テュポーンはあんな女性をさらった?」
問いに、モイラ1stは小首を傾《かし》げた。
「整備の侍女《じ じょ》に寄れば、テュポーンの背部に強烈な焦熱痕《しょうねつこん》があったそうです。――神砕雷《ケラヴノス》の」
「激突《げきとつ》したのか、あの黒の武神《ぶ しん》と……。それで、初めての打撃に驚き、人質《ひとじち》を取るような行動に出た、と、そんなところなのか?」
でしょうね、とモイラ1stが言ったときだ。ふと、今度は男の声が響いた。
「ヘカトンケイル三人組としては、興味があるのかい?」
言葉を飛ばしたのは廊下の奥の壁。そこに力無くより掛かっている一人の青年だ。
白い衣に、長い金の長髪。彼に向かってモイラ1stが眉を上げる。
「アポルオン様、お起きになられて宜《よろ》しいのですか?」
「なかなか騒がしくてね。いつもベッドと庭に縛《しば》り付けられているよりは面白そうだ」
彼は身体《からだ》を壁から剥《は 》がし、黄色い瞳を動かした。
力を抜いた笑みをモイラ1stの運ぶ食器に向け、
「目覚めたのかい?」
「元気のいい方です。アポルオン様」
事実を教えるようなモイラ1stの口調に、ギュエスが首を捻《ひね》った。
「空《から》威張《い ば 》りかもしれんぞ。今まで、ここに迷ってきた連中は全てそうだった」
と、彼女はそう言って、しかしすぐに表情を変えた。
顔から険《けん》の色を抜き、反省の判断を示す吐息を作る。
「悪かった。――貴女《あなた》達にとっては、これは滅多《めった 》に無い楽しみなのにな」
「お気遣《き づか》いなさらなくても大丈夫です。事実ですから。でも……」
モイラ1stは首を傾《かし》げた。んー、と言葉を選び、
「端的《たんてき》に言って、モイラ3rdと楽しく施《ほどこ》した記憶《き おく》操作が破られてしまいました」
「確率《かくりつ》的に無いことではないだろう。――貴女が封印《ふういん》し、モイラ3rdが紡《つむ》いだ部分が相手の大事なことであった場合、当然のように拒否が入り、封印も紡ぎも消える。違うか?」
「ええ、ですが封印はまだ生きておりますので、新しい姫様は、その部分の記憶が 無い と思っておられます。モイラ3rdの紡ぎがもっと捻《ひね》ってあったら良かったのかもしれません」
「? モイラ3rdは何を紡いだのだ? 姫はこの国の東側からここまで連れてこられたのだ。繋《つな》ぐ造成《ぞうせい》記憶は並のものでは辻褄《つじつま》が合うまい」
ええ、とモイラ1stは真剣な顔で頷《うなず》いた。
「話は簡単です。姫様が新宿《しんじゅく》という駅から乗った電車が突然|空飛《そらと 》ぶ円盤《えんばん》に攫《さら》われ、車内の人間は皆、宇宙人の身体《しんたい》検査を受けるのです。そして座高《ざ こう》を高く誤測された姫様は激怒《げきど 》パンチでリトルグレイを殴り回してブリッジを制圧し、叫びます。 ――ハワイへ行け! 。ですが円盤はダッチロールを起こし岡山《おかやま》へ! タイトルは 裸の姫|様《さま》宇宙編・地球《テ ラ》へ…… ですね?」
「事件はあるがヒロインがいないな……」
「いえ、こういうのは主人公の姫様がパワーヒロインも兼ねるんです。ちゃんと半《なか》ばでは無意味に肩ばかり洗うシャワーシーンも必須です。勉強したんですから、数少ない資料で」
成程《なるほど》な、と腕を組んで頷くアイガイオンとアポルオンの横、ギュエスは怪訝《け げん》に眉をひそめ、
「ともあれその勉強も何故《なぜ》か弾《はじ》かれた。……紡ぎの二度目をするか?」
ギュエスの問いに、モイラ1stは更にうつむいた。やや[#底本「やああって」]あってから、
「難しいかと思います。モイラ3rdの紡ぎは私の記憶|封印《ふういん》の上に施されますが、今は中途半端《ちゅうとはんぱ》にそれを消された空白が残っている筈《はず》です。無理にまた紡ぎ変えようとすれば――」
「記憶が圧迫されて壊れ、人格が砕かれるかも、か。……人間とは厄介《やっかい》なものだな」
言って、ギュエスはアポルオンに慌《あわ》てて振り向く。
「――申し訳|御座《ご ざ 》いません。アポルオン様が厄介《やっかい》だということでは」
「いや、実際厄介だよなあ。何もしないし役立たないし」
黙ったギュエスの脇腹《わきばら》をアイガイオンが太い肘《ひじ》で突く。
モイラ1stは苦笑。彼らを見てから、アポルオンを見て、
「繊細《せんさい》だ、と、そういうことなのですよ」
「うむ、その通りだ。流石《さすが》だモイラ1st。――それで、アポルオン様、モイラ2ndが言うには体調が最近は良いそうですから、今日は外に出られますか?」
「主人が人形に気遣《き づか》われてるな。……まあ、外はうろついてるよ、適当に」
アポルオンは苦笑する。そのときだ。
廊下の向こうから一人の侍女《じ じょ》がやって来た。小走《こ ばし》りの動きに焦りを見たモイラ1stが、
「廊下は走るものではありません、43th。どうしました?」
はい、と頷《うなず》いた侍女、43thはモイラ1stの前に片膝《かたひざ》をついた。頭を下げ、
「申し訳|御座《ご ざ 》いません。姫様が――、脱走されました!」
脱走? と声を挙げたのはモイラ1stではなくギュエスだ。
頷《うなず》いた侍女が胸元から出したのは一枚の布。枕《まくら》のカバーだ。そこには茶色いもので太い字が書かれている。
「モイラ3rdの差し上げたチョコで書いたのですね。文字は――」
小さく詰めたように笑いを一つ。その後でギュエスを見て、
「世話になった、ですって」
「嬉《うれ》しそうだな、モイラ1st。こうなることが解《わか》っていたのか?」
さあ、とモイラ1stは首を傾《かし》げる。怪訝《け げん》そうな顔のギュエスや、わずかに驚き顔の男二人に対し、自分でも解らないといった風にこう言った。
「でも、私は言いましたよ。……元気な方だと」
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第三章
『光の匂い』
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月は見えず日も見えず
だがその存在は感じられる
まるで高く咲き誇っているかのように
[#ここで字下げ終わり]
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●
京《みやこ》は広い廊下を走っていた。
服は白いシーツを肩と腰で結んだだけ。軽装もいいところだが、……その分|走《はし》れるってね。
しかし、白壁と赤い絨毯《じゅうたん》の廊下を走って思うことは一つだ。
「ヤニは止《や 》めよう……!」
息が早速《さっそく》切れる。
不良で鳴らした昔はそれこそ一晩中の追いかけっこも勝利者だった筈《はず》なのに、随分《ずいぶん》と自分は劣化《れっか 》したものだと京は思う。
走る行き先はとにかく階下。先ほど部屋の窓から見た外は、どこかの街だった。
ここは山の上、森の中に立っている施設らしい。部屋のあった高さはおそらく地上八階で、上があるかは確かめていない。
……しかしここは何の施設だ。
地方の大企業だろうか。
埃《ほこり》一つ無く、窓を持たぬ幅四メートルほどの白い廊下は、結構《けっこう》な距離で続いている。
京は走りながら外の街並を思い出した。小規模のビルと、古い街並が同居する場所だ。
おそらくは歴史のある土地だろう。
遠く、大型の建物が幾《いく》つか見えたが駅ビルかホテルに違いない。が、街には奈良《な ら 》や京都《きょうと》という程の区画整理の跡も見えず、金沢《かなざわ》あたりのように緑も無い。
「でも、どっかで見たような雰囲気《ふんい き 》なんだよな……」
どこだったろうか。首を傾《かし》げて走っていると、向こうから足音が来た。
京は回避《かいひ 》のために曲がり角を一つ曲がってやりすごす。すると向こうのT字路を侍女《じ じょ》達数人が走り抜けていった。京は壁に身体《からだ》をつけて一息ついて、
……今出るのは危険だな。
と思い、弱気の想像力を走らせる。こんな侍女施設を造る変態《へんたい》企業にとっ捕まったらどうなることか、と。
わずかな間、とっ捕まって侍女|姿《すがた》に改造された自分を京は想像した。頭に浮かぶ姿は床に片膝《かたひざ》ついて座り込み、煙草《たばこ》をふかしているものだ。
ケ、と京は舌打《したう 》ち一つ。壁を見ると、そこには幾つかの額《がく》があった。
「……?」
見ると枚数は三枚。どれも写真ではなく油絵風の絵画で、描かれているのは肖像《しょうぞう》だ。
一番左には白髪《はくはつ》の老人。中央には金の髪と顎髭《あごひげ》を蓄えた体格のいい初老《しょろう》の男。右には金の長髪を頂いた細面《ほそおもて》の若い女性がいる。
この建物の持ち主達かと思ったが、
……だとしたらやっぱりガイジンか?
額《がく》の中の女性の笑み、青白い瞳に目を合わせて京《みやこ》は首を傾《かし》げた。すると同時に、
「ん?」
京は、左|脚《あし》を下から軽く叩くものがあることに気づいた。
何かがいる。
そのことと自分の油断《ゆ だん》に京は一瞬《いっしゅん》どきりとする。
即座《そくざ 》に視線を左に向け、浅く身構えて見たものは、
「……水飲み機?」
正式名称は何だったろうか。学食の隅《すみ》などに置いてあるボタン式の給水機に似たものだ。
……出が悪いのでバシバシ叩くと空高く出っぱなしになるヤツだ。
それが、そこにいた。
白と茶色で作られた機械は、腰の高さからこちらを見上げている。
それも、じっと、静かに、だ。
……見上げて……、る?
自分の思考《し こう》に首を傾げながら、京は壁に掛かった額の前で機械を見る。
と、こちらの動きに合わせるように、給水機も長い金属の身体《からだ》を軽く曲げて身を傾げた。
「……?」
何かおかしい。何がだろうか。いや、
……おかしいところがデカ過ぎて気づいてねえだけだ。
京は思って、自分が今《いま》無視している事実を確認するため、手を伸ばした。
と、機械は自らすり寄ってきて、こちらの手に身を触れさせた。その金属のボディは、間違いなく身をすりつける犬のように曲がり、
「甘えてる……?」
感想を疑問でつぶやいて、京は腰を落とす。そして、今度はゆっくりと両手で機械に触れた。
と、機械は嬉《うれ》しそうに身を左右に緩くスイング。尻尾《しっぽ》があったら振っている動きだな、と京は全体を撫《な 》で回し、鉄のような素材で出来ていることを確認する。
……機械だ。
腰を落としたまま京は一歩を下がった。
と、機械が設置部を歪《ゆが》ませ、その仲縮《しんしゅく》運動で寄ってくる。
そしてまたこちらに寄り添った給水機は、嬉しそうに身を傾げた。
「……新技術の試作品か」
京は顎《あご》を手に当てつぶやく。
試しに給水機の頭を撫でると、給水機は撫でられてる部分を手に寄せてくる。随分《ずいぶん》と人なつこいな、と思いながら京《みやこ》は試しに給水機のボタンを押した。
上部の縁《ふち》から水が出る。手を当てると冷たく、単なる水だ。
給水機は、水をこぼさぬようにじっとしたまま、こちらが飲むのを待っている。
だから京は水を飲んでみた、
「――――」
普通だ。よく冷えているという以外、走った喉《のど》にはいいな、と思うしかない。が、
「ありがとな」
と機械の頭を軽く撫《な 》でると、機械は一礼した。
給水機は嬉《うれ》しそうに身を揺らすと、背を向けた。そして足を伸び縮みさせながら去っていく。
京は立ち上がりながら首を傾《かし》げた。
……何だ、あの機械。
金属だが、生きているようだった。そう思った瞬間《しゅんかん》。
「――!」
何かが頭の中で動いた。そんな気がした。
……ぇ?
何か、忘れているようで思い出せないものが、頭の中で動いた。
記憶《き おく》だ。思い出そうとしても、何故《なぜ》か、頭の中から出てこない記憶がある。
濃い忘却《ぼうきゃく》だ。
金属が生きている、と、先ほど思った言葉に対し、何を思い出せばいいのか解《わか》らない。
だが、京は悟る。その記憶の在処《ざいしょ》は昨夜の中にあると。企業|面接《めんせつ》で失敗し、酒を飲んで帰った後、軍畑《いくさばた》の駅から降りて家路《いえじ 》についた自分は、
「…………」
壁に背を付き、頭に手を当て考える。
……あれは……。
何かが記憶の底から出てきそうだ。
「あ」
次の瞬間|脳裏《のうり 》に浮かんだのは、何故か灰色の宇宙人を鉄拳殴打《てっけんおうだ 》している自分の映像だった。
腰の入った打撃がリトルグレイに入る。
一発、二発、三発、いい手応えがあり、リトルグレイが赦《ゆる》してくれとタップをするが、
「――違う。ってか何だこのB級な記憶」
訳の解らない映像を無視して京は思う。蓋《ふた》がある、と。
それは記憶を封じている蓋だ。その蓋の向こうから、本当の自分が叫んでいるような感覚がある。今の欠落した自分ではなく、何もかもを了解《りょうかい》している自分がそこにいるのではないかと。
……何かきっかけが欲しい。
蓋《ふた》を開ける鍵《かぎ》となるきっかけだ。
うん、と京《みやこ》が頷《うなず》いたときだ。
「あ! 発見しました! ゼウス様達の肖像画《しょうぞうが》の前です!」
と、向こうのT字路から侍女《じ じょ》姿が三つ現れた。
京は舌打《したう 》ちで回頭《かいとう》。通路を来る相手の位置は右、左、右だな、と一瞬《いっしゅん》で見切りをつける。
水は飲んだし一息もついたし記憶《き おく》の真相を知りたいと思ってもいる。
負ける要素はどこにもありはしない。
だから京は身構えた。立つラインは中央だ。そこから全員を順番に相手する。
一人目の右の侍女は無手《む て 》、二人目の左は箒《ほうき》を手に、三人目はやはり無手だ。
一人目が体当たりでもしてこちらを止め、二人目が棒で牽制《けんせい》か打撃、その間に三人目で押さえつけるという戦法か。
彼女達に対し、まず、京は後ろに大きく一歩を跳んだ。
「お待ちを!」
言葉とともに相手が速度を上げてくる。
だが、京は相手に向き合ったまま背後へ跳躍《ちょうやく》。
更なるバックステップで一人目、金髪《きんぱつ》の少女と速度をわずかに合わせた。
対する侍女が口を開き、眉を歪《ゆが》めて叫び問う。
「何故《なぜ》、私達の下から逃れようとなさいます!」
彼女の疑問の意味が、京には一瞬|解《わか》らなかった。相手が告げた意味はまるで、
……あたしに離れて欲しくねえみてえだな。
ふと、京は過去のことを思い出す。ずっと昔のことを。
かつての夜の中、どこかへ行こうとする男性の身体《からだ》、京は作業服の脇にしがみついていた。自分はまだ見てくれ通りの子供で、頭を撫《な 》でられても納得《なっとく》しなかった。
離れたくないとはそういうことだ。
十年も前の感情を思い出し、しかし京は後ろへ下がりながら言葉を返す。
「――納得いかねえのさ。自分の現状に!」
相手は応じない。捕まえる、という表情を持って踏み込んできた。
彼我《ひ が 》の距離が間近に迫り、侍女の右腕がこちらの胸元に伸びてきた。
相手の手が届く距離になったときだ。不意に京は動いた。
バックステップの速度を落したのだ。
相対《そうたい》速度の変化によるいきなりの接近に、相手が驚きの表情を見せた。
瞬間《しゅんかん》。京は少女が出してきた手を上に押し払う。
「――あっ」
と空《あ 》いた脇に京は身体を入れた。
肩を相手の脇に差し込む形で浅いタックルを入れ、細い身体《からだ》を確保する。そしてこちらに飛び込んできていた勢いを利用して肩に担《かつ》ぐと、背筋《はいきん》頼りに身を仰《の》け反《ぞ 》らせ、
「!」
再び強くバックステップ。
肩の相手が息を飲んでいる間に、京《みやこ》は右に身体《からだ》を旋回《せんかい》した。
爪先《つまさき》一つで身を回せば、
「左!」
左側に来ていた箒《ほうき》の侍女《じ じょ》に、抱えていた身体を放った。
受け止められるように上へ放った身体を、箒の侍女は一瞬呆然《いっしゅんぼうぜん》と見た。
だから京は叫んだ。
「受け止めろ!」
「あ、はい!」
箒の侍女が箒を捨てた直後。京は旋回を完全に終えた。
回した身体は今、彼女達の方、自分の本来行くべき方向を向いている。
ゆえにバックステップはここで終了、今度は前に向かってスタートだ。
後ろに向かっていた運動力を、京は全て足裏に叩き込む。前へ。胸を床に付けるように傾け、床を蹴《け 》り抜き、一歩目から全力|疾走《しっそう》を行使する。
跳ぶように走った。
左手側、放った金髪《きんぱつ》を箒を捨てた侍女が受け止めるのを確認。即座《そくざ 》に通り過ぎるが、金髪の侍女も箒の侍女もすぐに動けるものではない。
二人脱落。
京は最後の一人に向かう。
が、相手はもこちらの動きを見ていた。三人目の黒髪《くろかみ》の侍女は、足を止めて身構えたのだ。
……いい判断じゃねえか!
動いていればこちらがその力を利用するだけのこと。止まっていれば、こちらの戦術は減る。
……だが甘い。
京は走りを止めることなく前へ。そして宙にあるものに手を伸ばした。
二人目の侍女が放り投げた箒だ。
右手にとって指運《し うん》で回し、振りかぶる。白い壁をブラシの先端で削《けず》り、
「そらそらそらぁ――!」
叫び迫る声と音に、相手が身を竦《すく》めた。
が、最後の侍女である彼女は、退《ひ》かない。どのような判断を下したのか、こちらの振りかぶった箒を見ると、白い手袋をつけた両手を前に構えた。
受け止めて、次の行動に出るつもりだ。
絶対に止めるという身構えだな、と京《みやこ》は思う。
……いい子達じゃねえの。
笑みが口の端に漏れる。こういうのが自分の仲間に多くいれば、関東くらいは制覇《せいは 》出来たかもしれねえな、と。そんな思いとともに、京は箒《ほうき》を振り下ろした。相手の頭上へと。
応じるように、黒髪《くろかみ》の侍女《じ じょ》が腰を落とし、防御の構えを取った。
直後。
「コレやるよ。あたし、掃除|苦手《にがて 》だから」
と、京は前に箒を軽く放った。
侍女が、眼前に浮いた箒の柄《え 》を見た。
「――え?」
自分の方を宙に流れてくる柄を、侍女は反射的に手に取った。
だからゲームは終わりだ。即座《そくざ 》に京は彼女の脇を通り抜ける。今までよりも強い加速で。はっと気づいた侍女が振りむくより早く、高速に、だ。
一気に抜く。
視線すらも追いつかせず、京はT字路に出た。右だ。そちらが建物の端に近い。
振り向くのと腰を落とすのは同時。足を踏むのと身体《からだ》を右に飛ばすのも同時だ。
右の廊下は無人で、こちらに行けと空気が告げている。
風があるのだ。停滞した室内の風ではなく、外から入る冷たい風の流れが。
走りながら、腕を振りながら、京は思考《し こう》を戻した。
……しかし、さっきの記憶《き おく》は何なんだ? 昨夜の、思い出せない記憶は。
おぼろげながらに、何かが思い出されつつある。
何だろう。心に浮かぶものは、
「色……?」
一瞬《いっしゅん》、夜というキーワードから月を閃《ひらめ》いた。青白い月、昨夜は確か満月に近い月が見えていた筈《はず》だ。だが、
……違う。
青白い、という色ではない。自分がたまに思い浮かべようとしているのは。
何だろう、と思った瞬間《しゅんかん》だ。その色が見えた。
正面。非常口があり、換気のためか開いていた。その開いた口の向こうに見えるのは外界の光、黄色を帯びた太陽の光の色だ。
「!」
それが正解だった。
見たい色、記憶の中にある断片《だんぺん》の色、あの色は何の意味を持っていただろうか。
昨夜、夜の中だというのに、自分はどこに日の光を見たのか。
疑問の思いを持って京《みやこ》は走った。もはや階段ではなく、非常口へ。
同時。非常口の右前にある内階段の下から、小さい人影が来た。
モイラ3rdだ。彼女もこちらを止めようとするのか。白い手袋の両手を前に突き出して階段を駆け上がってくる。
対する京は、しかしモイラ3rdを気にしない。背の低く幼い侍女《じ じょ》の手がこちらに届くより早く、自分は非常口に到達する。その筈《はず》だった。
「どーん!!」
というモイラ3rdの嬉《うれ》しそうな声とともに、京は右下から吹っ飛ばされた。
……は?
右下半身に、水の| 塊 《かたまり》がぶつかったような衝撃《しょうげき》があった。が、それよりも驚きが勝る。
何故《なぜ》ならば、モイラ3rdはまだ階段を昇り切っておらず、手も届いていなかったのだから。
どういうことだ、と思うより早く、全ての運動力は結果を作り出した。
非常口から外へ、地上八階の空中へと。
●
非常口にあるリフトの棚《さく》を越え、宙に投げ出された京がまず見たのは、空だった。
視界は仰向《あおむ 》け。そこから見える前方には青の色があり、雲もある。
広いな、と思う視界が仰《の》け反《ぞ 》って行き、街が見えてきた。
それは平たい街だった。視界の中、高地は自分のいる建物を置く山くらいしか無く、あとは真っ平らな土地にビルや民家《みんか 》が密集して並んでいる。見れば山の逆面の方には神社もあった。
どこかで見たような、という思いは、街並の一点に収束した。
ここから見て南側、そこにある街並の一角がL字形に古い。それもどことなく人工的な古さだ。白壁と瓦《かわら》屋根が並ぶ中、教科書で見たような洋風建築まである。あれは、
……倉敷《くらしき》?
高校のときに修学旅行で来た場所だ。あの古い街並は美観地区。だとすれば向こうのデカい建物は美術館か。ほんの数年前のことなのに、土産《みやげ》でカブトガニの剥製《はくせい》を買ったくらいしかよく憶《おぼ》えていない。
「だけど多分そうだ、ここは……」
と、視界の動きが不意に止まった。
投げ出され、今が上昇の最高点。これから落下だ。
身体《からだ》の力が不意に失われ、背中が下に引っ張られるような感覚が来る。
……死ぬのかなあ。
と、気楽に考え、体から力を抜いた。
頭の中、いろいろなことを思い出す。過去のこと、秘めていた記憶《き おく》を。
まず思い出すのは小学校の頃のことだ。布ケースに入れた笛と紙ボールで野球をしていたことがあった。思い切り空振りしたらケース内部で笛がパーツ分離して吹き口が射出《しゃしゅつ》。ピッチャーの額《ひたい》に吹き口がカウンターで激突《げきとつ》して三日月の傷が出来たっけか。当然、相手は病院送りだ。
中学校の頃にはこんな色気づいた話もあった。いいな、と思っていた野球部の先輩《せんぱい》の練習を見ていたときだ。足下に転がって来たボールを自分的|女投《おんなな》げで返したら太陽の逆光に入り、先輩がうつむいた直後に野球|帽《ぼう》の脳天《のうてん》にあるボタン部に硬球が激突《げきとつ》。そのまま先輩が帽子《ぼうし 》の下から流血し、膝《ひざ》から崩れて大地に倒れたのはまことに驚いたものだ。
「――って、ロクな思い出ねえじゃねえかっ!」
京《みやこ》は我に返ってじたばたした。しかし手が掻《か 》くのは虚空《こ くう》でしかない。
周囲、掴《つか》まるものは何もないのだろうか、と見回す。
仰向《あおむ 》けになった視界は、街を見て、それから逆を向いて建物を見た。
白い建築物。それは巨大な石の| 塊 《かたまり》だった。
磨き抜かれ、硝子《ガラス》のように光を反射する石の建物。その造形は地面から地上六階分くらいまでは倉庫のような巨大な鉄扉《てっぴ 》を持ち、その上に居住フロアを四階分|載《の 》せたものだ。居住フロアの頭は浅い三角屋根で、そこから得られる全体形状は、
「神殿《しんでん》みてえじゃねえか……」
そこまで思考《し こう》が入ったときだ。いきなり全身に衝撃《しょうげき》が来た。
「!」
地面にはまだ遥か早い筈《はず》だ。そんな空中での驚きは、尻と背中、そして脚《あし》に伝わってくる着地の衝撃と、それを吸収しようとする降下によるもの。
一体何が、と京は痺《しび》れた身体《からだ》を起こす。動きを止めた眼下、自分が尻を載せているのは、
「手……?」
形状は手だ。しかし、大きさが違う。人間の手は少なくとも一メートルに渡るような大きさを持っていないし、青くもなければ、樹脂材《じゅし ざい》のような硬さも持っていない。
「これは――」
心の中、妙な既視《き し 》感《かん》とともに京は青い手の手首側を見た。
視線の先で、神殿|様《よう》の扉が開いていた。そこから突き出した青の腕は、高さにして地上高三階あたりの高さを持っている。
扉の向こうから、腕の持ち主が出てきた。
それは、青い鎧《よろい》をまとった巨大な武者《む しゃ》だった。
身長約十メートル。巨大な腕の関節《かんせつ》などは全て樹脂材のようなものでコーティングされているが、生物としての脈動感《みゃくどうかん》は感じない。
だから京は自分を支える巨体をこう定義する。
「ロボットだなんて、アニメかこれは……」
つぶやきながら、しかし京《みやこ》は相手の顔を見た。金属を組み合わせて作った顔面《がんめん》構造部の中、目のあるところにある光は緑色で、微《かす》かな瞬きを繰り返していた。
そんな武者《む しゃ》の目の光を見ながら、京は一つの思いを得た。
……違う。
何が違うのか、と思ったときだ。
「――――」
京は不意に一つのものを見た。青い鎧武者《よろいむしゃ》の向こう、奥にあるもの。
それは格納庫《かくのうこ 》らしき中にある、白い巨大な鎧武者だ。
青い巨人よりも一回り大きな身体《からだ》は、直立姿勢で支持用のハンガーにはまり込んでいる。ハンガー側面にある縦長の黒い穴には、青白い文字が浮かび込んでいた。
文字の形は見たことがないものだ。異《い 》文化の文字だとしか解《わか》らない。が、意味は解った。ハンガー側面にはこう表示されているのだ。
Typhon、と。
言葉の意味は解らないが、それが白の巨人の名前、機体名だというのは解った。
そして京は思い出す。
「昨夜」
記憶《き おく》は一瞬《いっしゅん》で| 蘇 《よみがえ》る。過去のこと、秘めていた記憶が。
まず初めに思い出したのは己のことだ。
……面接に失敗して……。
昨夜、軍畑《いくさばた》の駅から降りた自分は、確かに田圃《たんぼ》の中の砂利道《じゃり みち》でクダをまき、そして、
「このアニメロボみたいなのの戦闘に巻き込まれて……」
記憶を連ねて再生する行為は、一つの動きを作っていた。
頭上を見上げる動作だ。
「!」
髪が乱れることも構わず仰いだ青空は、その中央に一つの光を持っていた。
太陽光。
黄色を帯びたような暖かい光に、京は過去を思い出す。昨夜、自分の前に降り立った白い巨大な鎧武者と、その武者の瞳の色を。そして、あのとき感じた、
……感情……。
それは何だろうか。
解らない。
ただ、急速な記憶のリフレインに全身が呆然《ぼうぜん》としている。
落下から救われたことも含め、緊張《きんちょう》が緩み、動けず、青の手の上にへたり込んだ。
応じるように青の腕が下降を始めた。ゆっくりと、緩やかに。こちらを傷つけぬように。
「……あ」
京《みやこ》は下に視線を向ける。
すると、眼下には大勢の人影があった。侍女《じ じょ》達の姿だ。
モイラ1stの姿があり、モイラ3rdの姿があり、そして同じ色の髪をショートカットにして一人だけそっぽを向いた姿もある。あれがモイラ2ndだろうか。
他にも多くの侍女達が、皆、こちらを見上げて安堵《あんど 》の顔をしている。そして、
……期待の表情も、だな。
まるで、自分が救《たす》かったことで、何か楽しいことが続くとでもいうような顔だ。
対する京は、彼女達の表情に吐息をついた。
何故《なぜ》、自分のような者に対して、彼女達はそんな表情を見せるのだろうか、と。
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第四章
『迎えの入口』
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世界一杯の疑問がそこにある
そこは望まれていくところか
望んでいくところか
[#ここで字下げ終わり]
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●
午後の山風は夏の初めでも涼しいままだ。
震えも歪《ゆが》みもない無垢《む く 》な風を浴びられる場所は山の中でも川面《かわも 》でもない。
高い位置。奥多摩《おくた ま 》の山中に建つ、日本UCATの輸送|管理棟《かんり とう》屋上がそれだ。
今、屋上の端には一つの人影がある。
初夏の日差しも気に掛けぬ黒スーツ姿は、白い髪を風になびかせたまま。
サングラスが見る眼下には、長大な滑走路《かっそうろ 》とUCATから出る道路があるだけだ。
視線は動いて遠く東の方を見るが、滑走路|横《よこ》の道路や、IAIの敷地とここを分ける谷道《たにみち》にも、今は何もない。
「行ってしまったな」
無表情につぶやいたときだ。眼下から女の声がした。
「あらあら至《いたる》君、お姫様と王子様のお見送りですの?」
「帰れ独逸《ドイツ》魔女《ま じょ》」
即答に対し、屋上の縁《ふち》より人影が上がってきた。それも外壁に立った姿勢で。
壁を歩き、屋上の縁にワンステップで乗ってきたのは黒いスーツ姿の女性だ。灰色の柔らかいロングヘアを風になびかせているのは、
「ディアナか。何しに来た、というかちゃんと非常口から来い」
「いえ、浸《ひた》っているようでしたから。――何か恥ずかしいセンチメンタルな一言でも漏らさないかと潜《ひそ》んでましたの。非常口から来たらドアの音でバレちゃいますでしょう?」
「ほほう、それで俺は何か奇態《き たい》な発言をしたか? このイモリ女」
「験担《げんかつ》ぎに家守《ヤモリ》の方が良いですわね」
ディアナは笑みを見せ、屋上の縁で軽く身を回す。
「至君、随分《ずいぶん》と| 仰 《おっしゃ》ってましたわ。――もはや私達しか知らないことを」
「ほう。……俺は何も喋っていなかったつもりだが」
「無言は意志のお喋りですのよ?」
ディアナは即答。そして笑みを濃くし、目を無くす。
「懐《なつ》かしいですわね。こうやって至君を苛《いじ》めるのも」
「忘れろ。そして失《う 》せろ。その方がお前のためだ、ディアナ・ゾーンブルク」
至は吐息。
「あのどうしようもなく下らなく、どうしようもなく酔っぱらい、どうしようもなくイカレ千切《ち ぎ 》れ、そしてどうしようもなく濃密《のうみつ》だった全ては俺が一人で持っていく。……お前は何も知らない振りをしてればいい。そうすれば誰も何も知らないまま終わる」
「意地汚い独占ですのね。それは至君が五大頂《ごだいちょう》ではなく、そばで全てを見ることとなったからですの? そして、……あのとき泣き叫んだからですの?」
言った瞬間《しゅんかん》だ。
いきなり、という動きで至《いたる》が右の腕を横に振り抜いた。
鉄杖《てつづえ》を持つ腕は、ディアナの脚《あし》を一閃《いっせん》する。
だが、ディアナは至の打撃を回避《かいひ 》した。軽く、屋上の外へと身を振り出すことで。
一歩。
たったそれだけの動きで、ディアナは屋上の縁《ふち》から外へ。建物の外壁に足を着く。
彼女は身を一瞬《いっしゅん》だけ水平に倒し、身体《からだ》を振ってまた屋上の縁へと。
そしてディアナは見た。屋上の床を作るセメントの上に、至が倒れているのを。
あらあら、と腕を浅く組んだディアナは、笑みのまま、
「杖を振ったら倒れるに決まってるじゃありませんの。助け起こしはしませんわよ? 下からスカートの中見えたら恥ずかしいですもの」
「独逸《ドイツ》UCATは羞恥心《しゅうちしん》も賢石《けんせき》加工で不老化出来るようだな。――とにかく失《う 》せろ。俺の諸処《しょしょ》に対する本日の耐久力はもはや品切れだ。下らないことや下らないヤツが多すぎてな」
「そんなに下らないなら、何故《なぜ》、見送りますの?」
と、ディアナは| 懐 《ふところ》からハンカチを一枚取り出した。
茶色|模様《も よう》の薄布《うすぬの》を広げ、指で下に押す。と、風が吹いているのに布は揺るぐことなく下に落ち、屋上の縁に乗った。
ディアナは、軽い動作でハンカチの上に腰を落とす。足を組み、
「……まあ、彼らが気にならない筈《はず》がありませんものね」
「はン、この世界に生きる人間は自分と同じ考えだと思っている口調だな」
「あら、たとえば私はこの風を涼しいと思いますし過去を懐《なつ》かしいと思いますわ」
「ほう、たとえば俺はこの風を煩《わずら》わしいと思うし過去を忌《い 》まわしいと思ってるさ」
「同じじゃないですの」
「どこがだ」
「感情を動かしてますわ」
至は沈黙《ちんもく》し、ディアナは一息。笑みを苦笑に変え、
「ホント、苛《いじ》めるのが面白い人ですわね」
言ったときだ。屋上に上がってくる非常口の扉が開き、小さな影がやってきた。
|Sf《エスエフ》だ。
●
風の中、Sfは小走りに至の方に近づきながら、ディアナに一礼。
「至様の移動に関し、要《い》らぬ余計な御《ご 》配慮《はいりょ》を有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います」
「いえ、これは違いますのよ? 至《いたる》君で遊びたかっただけですの」
「|Tes《テ ス》.、では今の発言と感謝の意を取り消します」
「…………」
ディアナが半目《はんめ 》で至を見ると、至は身体《からだ》を起こしながら、
「そっちの仕様《し よう》だろう? 独逸《ドイツ》人」
「この期《ご 》に及んで言い訳ですの……?」
至は無視して|Sf《エスエフ》の助けを借りずに立ち上がる。ふらつく身体を鉄杖《てつづえ》で支えると、その右脇をSfが抱えて支えを補強した。Sfはまたディアナを見て、
「私がいない間、至様の御世話《お せ わ 》を?」
「いえ、そんなことは全然」
「Tes.、それは良い判断だと判断します。至様の御世話を認められているのは独逸UCAT製のSfのみですので、もし他の方がされた場合、取引理論によって私がその方に何らかの御世話をしなければならなくなります」
「あ、私、今思い出したんですが、さっきやっぱり至君にいろいろ御世話した気が」
Tes.、とSfは頷《うなず》き、
「ではディアナ様にはお返しとして御夕食を御運びいたします。本日のメニューは味のない味噌ラーメンと歯応《は ごた》えのないクラッカーですので御期待下さい」
「そんな夕食いりませんわよっ。――至君も何を哀《あわ》れそうな目でこちらを見るんですのっ」
Sfは小首《こ くび》を傾《かし》げてディアナを見て、至を見る。そして、
「先ほど、佐山《さ やま》様と新庄《しんじょう》様と月読《つくよみ》開発部長が神田《かんだ 》研究所に出ました」
「行きたいか? あの場所には3rd―|G《ギア》の繋《つな》がりとして、お前の親戚《しんせき》のようなものもいる」
「いえ、私の所属は日本UCAT内《ない》至様|専属《せんぞく》です。私に家族は認識されておりません。それに、……3rd―Gは自動人形だけではなく、武神《ぶ しん》の世界でもあった筈《はず》です」
Sfの言う知識に、ディアナが喜びの笑みで拍手を送る。
「よく憶《おぼ》えてましたわね。偉いですわよっ」
「Tes.、有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。独逸UCATが誇るSfは賞賛されたことを忘れませんので御安心下さい。不平不満は自動的に却下《きゃっか》されますが。――しかし」
「全く言動が繋がっていないが、しかし、何だ?」
Sfは再び小首を傾げた。
「Tes.、3rd―Gの話と聞くと、常に武神か自動人形だと記憶《き おく》しております。が、人間はどうなのでしょうか? 私は自動人形です。人に作られたものです。武神も同じです。人に作られたものです。――では3rd―Gの人とは? どこにおられるのでしょうか?」
問いに、ディアナが目を細めた。組んだ脚《あし》、膝《ひざ》の上で頬杖《ほおづえ》をついて至を見る。
「この洞察《どうさつ》力はうちの仕様ですのよ?」
「日本UCATの日本語フォーマットのおかげだろうが」
「|Tes《テ ス》.、では公平にジャンケン勝負で。最初はグー……、何故《なぜ》お二人とも最初からパーを出されるのでしょうか」
|Sf《エスエフ》の見渡す視線の先、二人の男と女はそれぞれ吐息。
それが終わる頃に、至《いたる》はSfにこう告げた。
「――世界にはいろいろあるということだSf。ある意味、現代世界の進化の先かもしれんな、3rd―|G《ギア》は」
「進化の先……?」
「それはすぐ解《わか》る。いや、神田《かんだ 》にいる連中が教えてくれる。何もかも無力だとな」
至は鉄杖《てつづえ》の先で、屋上のコンクリートを強く突いた。
「そこで解るだろう。何故、3rd―Gが急速に滅びたのかも」
●
東京の中央を東西に走る高架《こうか 》道路がある。
中央高速道。上下合計四車線の長大なアスファルトの連なりだ。
戦後に建築された大型道路の上は、休むことなく車や単車が移動していく。
午後入り際の日差しの下、道路上を東へ急ぐ車列は都心に入ってすぐに高速四号と名の変わった高架を行き、新宿《しんじゅく》で幾《いく》つかの緑と地下を抜け、千代田《ち よ だ 》区で都心|環状《かんじょう》線に合流する。
環状線を北回りに行けばすぐに地下に潜《もぐ》る。それが地上に出れば、位置は皇居《こうきょ》の北側だ。皇居と並んで見える武道館《ぶ どうかん》の間を東へ行けば、そこにある土地を神田と呼ぶ。
高速からの降り口をくぐり、神田の通りを行く車列。その中には、一つの巨大な形があった。
黄色いトレーラーだ。カーゴはパレットを底にした密閉《みっぺい》型で、全体はトレーラーカーゴというよりもクロウラーに近い。そして側面にはIAIのエンブレムが入っている。
トレーラーの牽引《けんいん》車は四人乗り。運転席では月読《つくよみ》がハンドルをとっていた。
彼女は後部座席に座る佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》にバックミラーで視線を送る。UCATに置いてあった灰色のスーツに着替えた佐山と目を合わせ、
「さーて、ドライブどうだったかしらねえ? あまり問題なかったでしょ?」
「少し問題があったがそれだけで充分|過《す 》ぎるほどだ。先ほどこちらを強引《ごういん》に抜かそうとした黒塗りの外車はどうなった?」
「さあ。危ないからちゃんと軽く外に弾《はじ》いたと思うけどねえ」
月読はしれっとそう言って、ギア操作。三度ほど入れ間違えながら苦笑する。
「ま、そんなひどい運転じゃなかったと思うけどね。お隣《となり》さんなんて静かなもんじゃない」
そうだろうか、と佐山は左の新庄を見る。
シートベルトを締めた新庄は、UCATに着替えを置いていないので学校の夏服|姿《すがた》だ。
今、新庄《しんじょう》は傍《かたわ》らに黒のバインダーを置き、無表情にまっすぐ前を見ていた。
新庄は無言で、その身体《からだ》は車体の揺れに身を任せて不規則に力無く大きく揺れている。特に首の揺れは折れているかのようだ。
……これは――。
気絶《き ぜつ》している。
「し、新庄君、目を醒《さ 》ましたまえっ」
佐山《さ やま》が肩を掴《つか》んで揺らすが反応がない。佐山は、はっと気づき、
「これはいかん。――心臓マッサージが必要だ!」
「今アンタ三つくらい飛躍してない?」
無視して新庄の胸のボタンを外すと、果たして新庄は目を開けた。眠そうな顔で、
「あ、佐山君、おはよ……、って何を弾《はじ》けてるんだよいきなり! ボク今は切《せつ》だよ!?」
「何を言っているのかね。心臓マッサージに切君も運《さだめ》君も関係はなく、どちらであろうと私は等しく揉《も 》むだけだ。――しかし確かに胸パットは邪魔《じゃま 》だね?」
「あああもーどこからツッコミ入れていいのか起点が解《わか》らないよっ」
「では遠慮《えんりょ》無く」
待てー! と新庄が叫んだと同時。右折に入った。
運転席の月読《つくよみ》がハンドルを思い切り回すと、牽引《けんいん》車の下部についた六輪《ろくりん》がそれぞれ旋回駆動《せんかいく どう》を行い、信地に近い曲線|軌道《き どう》を作り出す。
外部|拡声器《かくせいき 》から女性風の合成音で右折|警告《けいこく》が流れ出す。
『右に、曲がります、それもかなり』
次に生まれるのは巨大な旋回運動だ。
あ、と声を漏らす新庄の向こう、分厚《ぶ あつ》い後部|窓《まど》の外は回っている。
連結《れんけつ》しているカーゴの、密閉《みっぺい》パレットが影となって見えた。
……あのように巨大なものに何を運び込むのか。
密閉、ということに、佐山は一つの推理を得た。そのまま新庄の膝《ひざ》に頭を乗せ、
「――武神《ぶ しん》かね? 検査機以外に引き取りに行くのは」
「御名答《ご めいとう》ねえ変態《へんたい》色男」
旋回終了と同時に、窓の外の空が止まり、補足の問いが来た。
「うちの娘が攫《さら》われたってのは知ってるでしょ? 昨夜、現場に行ったそうね」
「残っていた武神の乗り手は私のいる学校の生徒と、自動人形だった。――相手は? 我々は3rd―|G《ギア》のテュポーンと考えているが」
「開発部の邪推《じゃすい》も同じよ。大体、昨夜アンタ達が出場する直前、開発部に検証が来たのよねえ。西から飛来《ひ らい》する巨大な賢石《けんせき》反応二つの自弦《じ げん》振動パターンを解析《かいせき》出来るか、って」
一息。
「金属と慣性《かんせい》制御の概念《がいねん》。――UCAT内にいる自動人形達が有するものと同じなのよね。知ってる? これから行く神田《かんだ 》の研究所にいるのよ。……3rdからの亡命者《ぼうめいしゃ》達が」
「亡命者? 自動人形が?」
新庄《しんじょう》の問いに、月読《つくよみ》は頷《うなず》いた。
「そう。彼女達は多くを語らないけど、幾《いく》つかの事実はハッキリしてるのよね。3rd―|G《ギア》が滅びたとき、ほとんどの門の展開が不安定で、多くの自動人形がこの世界に投げ出されたこと。そして、この世界に落ちた自動人形達は各地で 発見 されたけど、3rd―G内部用に作られていたため、UCATに回収されても十年前の概念《がいねん》活性化まで機動《き どう》出来なかったこと」
そして、と月読は言った。バックミラーでこちらを見て、
「3rd―Gの自動人形は最低でも二つの能力を持つわ。行動補助のための強力な重力|制御《せいぎょ》と、同じ型式ならば無線での意思|疎通《そ つう》をね。後者があるため、保護された自動人形達は自分達以外の3rd―G主力がこの日本のどこかに存在すると知っている。概念空間で隔てられて通信会話は出来なくても、その存在を感じてるみたい」
「だったら何で亡命を? 仲間達が救いに来るとは考えなかったの?」
新庄の問いに答えたのは、佐山《さ やま》だ。
「――自分達が、3rd主力に対する人質《ひとじち》になることを怖れたのだろうか。敵側として認識をされれば、3rd主力は自分達に関係なく行動出来る。違うかね? 月読部長」
「ええ。噂《うわさ》ではどうやらそうみたいねえ。――戦闘系Gの自動人形らしい話でしょ?」
「でも、だとしたら、交渉抜きの戦闘があることを前提にしてるの……? 彼らは」
「自動人形達も実際のところは解《わか》っていないだろう。だが、自動人形達の知る3rd―G主力は、自分達の世界が滅びたところで降伏《こうふく》するような連中ではないということだ。自動人形は記憶《き おく》の中にそれを彫り込まれているのだね?」
新庄の膝《ひざ》に寝て問う佐山に、バックミラーの月読が頷いた。
その頷きを横目で見て、佐山が更に告げる。
「|Low《ロ ウ》―Gの概念空間は作りが甘く、十年前まで自動人形達を満足に動かしていくことが出来なかった。だが、3rd―Gの主力の方はどうだったのだろうね? 彼らがテュポーンを利用して概念空間を作ることが出来れば、……彼らは六十年前から動き、しかしずっと隠れ潜《ひそ》んでいたことになる」
佐山がバックミラーから下に視線を傾けて見れば、大きなフロントガラスの向こうに白い建物が見えた。閉じた鉄の正門の向こうにある病院のような立体は、
「あれが神田の研究所、最近はうちが警備してたこともあったっけ。――でも佐山・御言《み こと》、アンタ、今日ここに呼びつけられたことを不服と思っているんじゃないの?」
「そうとも。今日、あの昨夜の武神《ぶ しん》の乗り手と面会するつもりだったのだから」
「まあ、こっちはゲオルギウスの方を調べておくから。――今日は自動人形相手にいろいろと聞き出してみるといいんじゃないのかねえ。あたしら相手にやったように」
「成程《なるほど》。――確かに、人外《じんがい》相手は私の得意|分野《ぶんや 》になりつつあるな」
「あたしは人外?」
「人を宿して産める女性は、人の範疇《はんちゅう》を超えているということは出来ないかね?」
問うて、数秒の沈黙《ちんもく》が過ぎた。
すると、佐山《さ やま》の肩を小さくつつく力が生まれた。
新庄《しんじょう》だ。佐山の視界の中、新庄がわずかに頬《ほお》を赤く染めてこちらを見ている。
「あのね佐山君、その問いでふと思ったんだけど」
と小声で、眉尻《まゆじり》を下げ、
「ボク、こんな身体《からだ》だけど、そういうことが出来るようになるかな……?」
迷った口調の問いに、佐山は新庄の膝《ひざ》の上からまっすぐ答えた。
「出来るとも」
告げた言葉に、新庄が目を細めた。
「――そうだといいなあ」
「大丈夫だとも。絶対に」
「……そう?」
「そうだとも、何しろ私が協力するのだから」
「う、うん、もうちょい言葉を選んで欲しいけど……」
新庄は赤くした顔を隠すように首を竦《すく》めた。
今までよりも更に小声で、有《あ 》り難《がと》う、と言い、
「今度、そのあたりをもうちょっと勉強してみるね。……そしたらまた相談するから」
「うむ。頑張ろう」
「頑張ろうって……、その、何かズレて来てる気が」
まさか、と前置きして、佐山はこう告げた。
「――私達が頑張れば、人の範疇どころか神をも超える」
「え? あ、ま、待った! やっぱり何か今、突然上の方に通り過ぎてるよ!」
焦った叫びに、対する佐山が眉をひそめた。
「何かね新庄君? 今、私は的確なプランを練っていたのだが」
「プラン言うの止《や 》めようよっ!!」
叫びと同時。
・――金属とは死んでいない。
いきなり聞こえた文字に、佐山が身体を起こした。
「……概念《がいねん》か!」
「切り替え早くて何よりね。……ともあれ、お出迎えのようねえ」
トレーラーがゆっくりと速度を落としていく。
慣性《かんせい》の揺れの上、ほ、と安堵《あんど 》の息をついた新庄《しんじょう》と共に、佐山《さ やま》は運転席側を振り向き窓を見た。
相変わらずフロントグラスからは白い建物が見えている。
だが三つだけ先ほどと違っているものがあった。
「何か変な感じねえ、……アレ」
一つは、鉄の正門が全開になっていること。
続く一つは、正門前に作業服の機能を持った侍女《じ じょ》服|姿《すがた》が数十の数で並び、身構えていること。
そして最後の一つは、彼女達の背後に緑色の巨大な鎧武者《よろいむしゃ》、武神《ぶ しん》が立っていることだ。
立ち並ぶ侍女達の中から一人が前に出た。
赤毛の侍女だ。
彼女の正面、十五メートルの距離にトレーラーは止まる。
対する赤毛の彼女は不意に手を動かした。自分の襟首《えりくび》に手を当て、
「――――」
と開襟《かいきん》の動きで首を見せた。
そこにあるのは、首の骨肉《ほねにく》ではない。
機械の接続部だ。
ソケット同士を上下に繋《つな》いだような形状の接続部が、ワイヤーをもって鎖骨《さ こつ》と頭部を繋いでいる。それを見た新庄《しんじょう》が息を飲み、
「……自動人形」
対する少女、赤毛の自動人形はこちらに視線を向けてきた。
| 榿 色 《だいだいいろ》の瞳が鋭くこちらを見上げ、
「ようこそ、しかし、お帰り下さい」
声は叫びではないが、車内に届くものだ。
静かに染みるような声は、更に言葉を紡《つむ》ぎ続ける。
「御仕事とは思いますが佐山《さ やま》の眷属《けんぞく》がいるとなれば話は別です。3rd―|G《ギア》の自動人形として、佐山の眷属にお願い申し上げます。――貴方《あなた》には会わせてはならない者がここにおります。ゆえにお帰り下さい。さもなくば……」
動きが生まれた。
彼女達の背後にいた巨大な鎧武者《よろいむしゃ》が前に足を進めたのだ。
概念《がいねん》の下、金属の身は肉体の柔軟をもって緩やかに、しかし重さをもって駆動《く どう》する。
一歩が重《じゅう》金属の音とともに前に出た。そして二歩目も、三歩目も、四歩目で武神《ぶ しん》は自動人形達の前、先に出た赤毛の人形の横に至る。
巨大な足が肩幅に開かれ、腕が左右に浅く広げられる。
戦闘にいつでも入れる自由な姿勢だ。
だが、その動きを見届けもせず、赤毛の自動人形は告げた。
「――お帰り下さい。そして二度と3rd―Gに興味を持たれぬようお願いいたします。3rd―Gとともにあろうとすることは、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を穢《けが》すものですから」
●
京《みやこ》は元の部屋に戻されようとしていた。
モイラ1stに手を引かれ、通用口からエレベーターのようなものに乗って数秒すれば、すぐに先ほど叩き落とされた非常口の近くだった。
どうしたものか、と京は思う。無言のモイラ1stはこちらがしたことに何の咎《とが》めも放たず、他の侍女《じ じょ》達をつけずに自分といる。無防備で無処罰《む しょばつ》というのは、こちらに対して敵意がないという意思|表示《ひょうじ》だ。
……危害を加えないので逃げないで欲しい、か。
と、元の部屋の前で、モイラ1stが振り向いた。
彼女の表情は浅い笑みで、先に白い取っ手無しのドアをくぐり、部屋の中へと入っていく。
「姫様、どうぞこちらへ」
彼女の言葉に、京《みやこ》は問うていた。ドアに手を掛け、
「アンタ、先に部屋入って、あたしがいきなりドアを閉じて逃げ出したらどーすんだ?」
「言っているくらいでは、実際にされないと思っております」
「ほほう、マジにやったらどうする気だ?」
「どうぞ御自由に」
京はドアを勢いよく閉じた。
意外にもドアはいい衝撃《しょうげき》音をたて、京の気分を満足させる。
……どうする?
思い、しかし京はドアを閉じ、動かない。向こうがこちらを試すなら、こちらも向こうを試すだけだ。逃げる気はない。ただ、相手はどう反応するかが見たい。
先ほど見た侍女《じ じょ》達を総動員して来るか。モイラ1stが一人で追って来るか。どちらにしてもこちらを束縛《そくばく》しようということだ。無防備と処罰《しょばつ》のスタイルも、束縛の二字の前には無意味なものだ。反抗心には事欠かない。だが、
「…………」
一向に動きがない。中にいるモイラ1stが声を放った気配も無ければ、先ほどの音に気づいて侍女達が動き出した音もない。
だから京は試すようにドアの前から離れた。足下、赤い絨毯《じゅうたん》に対して故意《こ い 》に足音を立ててみるが、中からも外からも反応はない。
だから京は歩いてみた。幾《いく》つかの曲がり角を曲がれば、先ほどの非常口だ。さっきは結構《けっこう》走ったつもりだが、こうしてみると短い距離だ。
非常口は開きっ放しだった。
歩く。非常口から来る光も風も夏のものだが、風の方にどことなく違和《い わ 》感《かん》がある。
それは何だろうと思い、
……街の匂《にお》いがねえんだ。
風の中に、街が生む筈《はず》のかすかな熱気や息苦しさや、排気ガスなどによる煙たさがない。
何だろうかここは。よく考えてみれば、さっき自分を地面に下ろし、また格納庫《かくのうこ 》に入っていった巨人もそうだ。あんなものが建物の中から姿を現せば外にはバレる筈だ。
……何だここは。
京は視線を上げる。非常口から見えるのは倉敷《くらしき》の街だ。
……現実の筈なんだが。
京は非常口に出てみた。階段はなく、手摺りに囲まれたリフトがそこにあった。
リフトのレールは、下の格納庫の扉を避けるように左右を回っている。
今、格納庫の扉は閉じていて、青の巨人は見えない。当然、あの白の巨人も。
「…………」
ふと、手摺りから身を乗り出して遠くの街を見ていた京《みやこ》は、あることに気づいた。
眼下、格納庫《かくのうこ 》の前にある広さ二十メートル四方の土の広場の向こう、広葉樹《こうようじゅ》を主体とした森の中に、一人の男が立っていることに。
白い衣服をまとった青年だ。こちらに向けた背には、自分よりも長い金の長髪が下がっている。その身体《からだ》はこちらに振り向くことなく、ただ森の中にたたずみ、向こうを見ていた。
「――街を、か」
あの青年はここの人間だろうか。
先ほど逃げだそうとしたとき、廊下の額《がく》の中にはあんなシルエットはいなかった。額に飾られているのが故人《こ じん》だとしたら、眼下の彼こそが今の主人だろうか。
もしそうだとしたならば、いろいろと心に浮かぶ疑念《ぎ ねん》を晴らしてくれるかもしれない。
リフトを操作し、下に降りようと思った京は、しかし動きを止める。
周囲には、やはり動きがない。自分を追ってくる動きも、咎《とが》める声も。
「……くそ。どういうつもりだ」
眼下に見える後ろ姿に未練《み れん》を感じながらも、京は廊下を戻っていく。大股《おおまた》で辿《たど》り着いたドアを勢いよく聞け、
「何してんだ一体!? あと、何なんだ? ここと、アンタらはっ!?」
問うて見た眼前。ベッドの前にテーブルを出したモイラ1stが、持ち込んでいたストレッチャーから食器を並べている。モイラ1stは笑みで振り向き、
「――用意、もう少々掛かりますので、もう少し外を見て来られても大丈夫ですよ?」
「…………」
京はモイラ1stに詰め寄った。表情に険《けん》があると自分でも解《わか》る。
額《ひたい》がぶつかるような距離にまで迫り、心に用意した言葉を放つ。
「アンタらさ、あたしみたいなのの振る舞いに、怒るときはねえのかよ?」
「姫様は何か私どもに悪意を働かれましたか?」
モイラ1stは問う。
「私どもを破壊しようとか、そういう行為を」
それは、と言いかけた京は、自分の行為を思い出す。
少なくとも、こちらに害意《がいい 》をぶつけてこない相手を殴るのは仁義《じんぎ 》にもとる。
だが、京は一つ首を傾《かし》げた。
「――破壊、ってのは穏便《おんびん》な言い方じゃねえな。どうしてそこまで日本語|甘《あま》い? 下のデカいロボットとかもそうだけどよ、何かここ、変だろう?」
「変ではありませんよ。当然のことですから」
と、モイラ1stは食事の用意をする手を止めた。
首元のスカーフと襟《えり》に手を当て、スカーフを抜いていく。
「ここは姫様のいた世界とは異相《い そう》存在する仮の異《い 》世界。概念《がいねん》空間と呼ばれる場所です。詳細は後でご説明いたしますが、私どもはその中だけの住人であり――」
胸元まで一気に開かれた襟《えり》には、見えるべきものが見えなかった。
首、鎖骨《さ こつ》、胸という血肉《けつにく》と骨によるものが、そこには無かったのだ。
あるのは操《あやつ》り人形のように関節部《かんせつぶ 》を丸くして繋《つな》げた白のパーツのみ。
「人を模《も 》した血肉に金属と陶器のフレーム、そして関節部はワイヤーと樹脂《じゅし 》材による身体《からだ》。これが私ども自動人形です」
モイラ1stは笑みを濃くした。電球のソケットのような形状の首の上、ワイヤーの動きで首を傾《かし》げ、
「これで御信用いただけますか? 姫様」
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第五章
『機械の足音』
[#ここから3字下げ]
瞳を閉じても穿つ音の違いが解る
同じところも解る
だから厄介で――
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●
神田《かんだ 》、ビル街の間にある広い空間に風が吹く。
風はこの世界の風ではなく、匂《にお》いの薄い異《い 》世界の風だ。
わずかに金属の匂いが感じられる風を浴び、自動人形達が立っている。
彼女達の先頭、武神《ぶ しん》とともに立つ赤毛の自動人形は、相手の動きを見ていた。
十五メートルの距離をとって止まったトレーラーの前には一人の少年が立っている。灰色のスーツに身を包んだ少年だ。
「……佐山《さ やま》・御言《み こと》様ですね?」
彼女は問うた。
「降りられてどうされるおつもりでしょう? 私どもはお帰りをお願いした筈《はず》ですが」
「そんなことは関係あるまい。――ただ、君の名を聞いておこう」
「聞いてどうされます?」
「交渉をするだけだ。……君の言う穢《けが》れとは、どういう意味なのか。それを知り、祓《はら》う方法を得るための交渉を」
成程《なるほど》、と赤毛の侍女《じ じょ》は頷《うなず》いた。
話を円滑《えんかつ》に進めるためにも、答えるべきだと判断する。
「――八号、それが私の認識です」
八号は頷いた。
「穢れを知りたいと| 仰 《おっしゃ》いましたね?」
「二度は言わん。三度も言わん。よく憶《おぼ》えておきたまえ」
「了解《りょうかい》です。が、こちらは穢れの内容をお話しすることは出来ません。……知れば不用意な興味を持ち、取り返しのつかぬことになるだけです。3rd―|G《ギア》は不可《ふ か 》侵《しん》である、と、そう思ってお帰り頂きたいと思います」
「知れば取り返しのつかぬことになるか。そのようなこと、誰にも解《わか》らないと思うがね?」
佐山の問いに、尤《もっと》もだという判断で頷きながら、八号は答えた。
表現方法を選択し、
「泥水《どろみず》に足を入れ、汚れぬ者はいますか? ……それを止めるのが私どもの気遣《き づか》いです」
その言葉に、佐山が笑みを見せた。
「気遣いで人を追い返すか。――今、UCATを裏切り、3rd―|G《ギア》に戻った自動人形よ」
彼の言葉に、背後の者達が微《かす》かな身動きを立てた。牽制《けんせい》するように。
が、八号は制した。右手を軽く上げて皆を鎮《しず》めると、
「何故《なぜ》、私どもが今、UCATを裏切っていると?」
「幾《いく》つかの言葉を交わしても|Tes《テスタメント》.という返事がない。……自動入形とは、私の知るものは特殊であるが、基本的に自己の定義に堅実な筈《はず》だ。ならば|Tes《テスタメント》.と言えぬ君達は、今、UCATから外れている」
「成程《なるほど》。――確かに今、私どもの中でTes.という返答の重要性は下がっております。そしてそれがどういうことか、解《わか》りますか?」
「UCATではない君達が表に出ているということは、今、神田《かんだ 》研究所は君達によって制圧されていると、そう考えていいのだろう? そして……」
佐山《さ やま》は告げてきた。
「何らかの条件付けで、君達の亡命《ぼうめい》定義は3rd―|G《ギア》定義に切り替わった。その条件とは、……何かね?」
「はい。自動人形としての連帯|防衛《ぼうえい》本能です。――定義切り替えの条件は佐山様が来ること。そのことによって私どもには確実に害が成される。そう考えております」
「その害とは?」
「この神田研究所|内《ない》自動人形|群《ぐん》における身内の問題です。……お答えは出来ません」
「ゆえに、穢《けが》れという言葉をもって、私を追い返すと?」
そうです、と八号は告げた。
「既に交渉は始まっております。――佐山様がお帰り頂くか」
言いながら、八号は両手を振った。
その動きで両の袖口《そでぐち》から出たのは、黒い金属の部品群だ。
拳銃《けんじゅう》。
銃身、グリップ、駆動《く どう》機構部、弾倉《だんそう》部が空中にこぼれ、
「――ここで破壊されるか、二択《に たく》の交渉です」
金属の銃器は重力|制御《せいぎょ》によって空中で組み上げられていく。
その重なりと締め付けは一瞬《いっしゅん》で金属の飛沫《しぶき》音を上げ、結果として二|丁《ちょう》の拳銃が彼女の両手に飛び込んだ。
両《りょう》拳銃をホールドし、
「かつて私どもは今と同じ構えである方を迎えました。六十年前にこちらへ落ちた私どもはここに集められましたが、概念《がいねん》活性化で十年前に目覚《め ざ 》めたとき、ここを制圧したのです」
八号は踵《かかと》で地面を突いた。
そこで生まれた金属音を合図とするように、彼女の横に立つ武神《ぶ しん》が動いた。腰に差している二刀《に とう》をそれぞれ左右の手に引き抜いたのだ。
金属が放たれる音を耳に、八号は告げる。
「そして交渉の末、私どもはここを住処《すみか》とすることにしました。――しかし今、同じような結果を頂くわけにはいきません。お帰り下さい交渉役よ。3rd―Gの穢れに触れぬため、制圧した神田研究所の者達の無事のため、そして我らの仲間に害をなされぬために……」
「成程《なるほど》」
と相手の声が響《ひび》いた。
「穢《けが》れへの気遣《き づか》いと、人質《ひとじち》と、仲間への害、この三種が私に帰れと言うための交渉材料かね」
「その三種で、充分だと判断します」
「充分だ。――打ち崩して道を開けさせるには申し分ない」
告げると同時、佐山《さ やま》が動いた。
彼がスーツの裾《すそ》から両手で引き抜いたのは、一|丁《ちょう》の散弾銃《さんだんじゅう》と短《たん》機関銃だ。
左手に散弾銃を、右手に短機関銃を持ち、佐山は軽く広げて見せた。
「――では、これからその交渉材料を、一つの言葉を基礎に破棄《は き 》しよう」
「それは……」
簡単だ、と彼が告げた。
「佐山の姓《かばね》は悪役を任ずる。至極《し ごく》当然のことだよ、自動人形君」
●
佐山は思う。面倒《めんどう》なことだ、と。
……本当に面倒なことだ。
既に3rd―|G《ギア》と戦っている者がいる。それも年下で、間違いなく未熟者で、覚悟《かくご 》も揺れているような者だ。
しかし必死に戦っている。何かにしがみつくように。何らかの理由をもって。こちらを気遣うように遠ざける気構えさえ持っている。
だから佐山は思う。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の交渉役として、
……彼以上に必死となり、3rd―Gと向き合わねばならないというのに。
「こんなところで邪魔《じゃま 》をするかね自動人形。君達がいた世界を知ろうというのに」
「私どもの世界だからこそ……」
「不可《ふ か 》侵《しん》という言葉を使う者が 私どもの などと言うな」
佐山は両手に銃を下げ、前に歩き出す。
「絶対に触れられぬものに私《し 》も公《こう》も他人の区別も無い。そこにあるのは自分の足場すら確固出来ずに閉じた世界だ。――が、世界とは本来、開かれたもののことなのだよ」
だから、
「不可侵な世界など存在しない」
佐山は左手に握った散弾銃を空に振った。青の空を仰ぎ、
「不可侵の檻《おり》から見る空は安全だ。風は安全だ。大地は安全だ。夜と昼も安全だ。だがその壁を隔てたところにいる者の必死さに触れることは出来まい。それで我々を気遣いするか偽善《ぎ ぜん》の自動人形君。……硝子《ガラス》箱の中から気遣われて喜ぶのは子供だけだぞ」
歩みを止めずに苦笑すると、八号が問うてきた。
「しかし、泥に汚れて喜ぶのも子供と判断します。――大人はそれを忌避《き ひ 》するものではありませんか?」
第一の交渉材料か、と佐山《さ やま》は思う。
……交渉開始だな。
頷《うなず》き、佐山は口を開いた。
「大人は泥を忌避する、か」
「違いますか? 違うと言い切るのみのお答えはおやめ下さい。御理由を」
「成程《なるほど》。では言おう。――違う、と」
苦笑。
「残念だが大人には二種類あるのだよ自動人形君。泥に汚れて鬱《うつ》になる者と、泥に汚れた自分を笑える者だ。そして笑える者には更に二種類ある。――誰かにそれを叱《しか》られて鬱になる者と、叱られても笑い飛ばせる者だ。……いいかね?」
問いかけ、佐山は前へ行く。距離を十メートルに詰め、
「君達の言う穢《けが》れがどのようなものかは解《わか》らない。だが、穢れを汚れとせず、別のものとして捉《とら》えようとする者達がいることも確かだ」
「それが貴方《あなた》だと?」
どうだろうか。佐山は首を傾《かし》げた。
「私ではないかもしれない」
「では……!」
「だが世界は私だけではない。少なくとも私の世界には正逆《せいぎゃく》の人もいる。馬鹿なSM夫妻や変態《へんたい》老人やオトボケ教師や我らの仲間や敵や、そうでない者達も大勢だ」
そして、
「今までに死んだ者や、これから生まれてくる者達も、――私の味方《み かた》だ」
告げた言葉に、八号が表情を変えた。
眉をフラットに、完全に表情を消したのだ。
その無表情の意味は一つでしかない。
……交渉材料が変わる。
第一の交渉材料の検討は終わったのだ。相手がどう判断したかは解らない。交渉を全て終え、相手と手を取り合うまで気を抜く必要はない。
果たして、歩いて距離を更に詰めると八号が問うてきた。彼女は拳銃《けんじゅう》を持った左手を上げ、
「では、神田《かんだ 》研究所の職員はどうされますか?」
問いに対する答えは、第一の交渉材料のときよりも簡単だ。
佐山は歩きながら肩を竦《すく》め、
「どうも何も、既に殺されているかもしれないのに、私が何かを言う必要があるかね?」
「では、彼らの無事を確認出来たならば?」
問いとともに、八号が左に上げた拳銃《けんじゅう》のトリガーを絞った。
銃声が空に抜ける。
と、それを合図に、研究所のドアが開いた。
硝子《ガラス》扉の向こうから出てくるのは、両手を上げた作業服の男達だ。見れば、外に出てきた者だけではなく、奥の暗がりの中にも大勢の人影がある。
真剣な顔つきの彼らを遠く背後に置き、八号は左手を下ろして告げる。
「私どもの射撃《しゃげき》性能は正確無比です。如何《いかが》致しましょう?」
「成程《なるほど》。では私は彼らに一言を告げるだけだ」
「それは?」
「――頑張れ、と。それだけだよ」
佐山《さ やま》は考える。当然のことだろう、と。
「私は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を終えるためにここにいる。では、神田《かんだ 》研究所の職員は捕らわれているのが仕事かね? 違うだろう? ならば彼らは彼らでやりたまえ。私は私で、だ」
「……彼らが死んでも構わないと?」
「死んだら困る。だが、死ぬかどうかは彼らの責任だ。――私がどんな判断を下そうとも、彼らは他人に生を預けるべきではない。君達の手に掛かって死にたくないならば、私の判断でも死ぬべきではない。そういうことだよ」
「詭弁《き べん》と判断します」
「だが私は前に進んでいる。世界は詭弁ではなく、事実で回ると知るがいい」
距離を五メートルまで詰める。
と、八号の眉が動いた。撃《う 》つかどうかを決めようとしている。が、判断は即決《そっけつ》ではない。
迷っている。だから、
……彼らを撃つかね?
苦笑を一つこぼし、佐山は言葉を送ることにした。では、と前置きして、
「――最後の交渉材料の破棄《は き 》といこうではないかね」
その言葉に、八号が眉をフラットに戻した。
こちらと視線を合わせ、わずかに視線を伏せる。一瞬《いっしゅん》だけ背後の所員達に目を向け、
「――お気遣《き づか》い有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います」
「おやおや、私はこの交渉が面倒《めんどう》なので急ぎたいだけだよ。君が礼を感じることはない」
「了解《りょうかい》しました。……では、最後の交渉材料の検討ですが――」
「ああ。君は、私が行けば君らの誰かが害を受けると言ったね?」
既に八号との距離は三メートル。
そこで佐山《さ やま》は左腕の散弾銃《さんだんじゅう》をいきなり前に振り上げた。
八号に狙いを定める。
「答えはこうだ」
無表情に告げる。
「今ここで君を破壊すれば、それすら厭《いと》わぬことの証明になるだろうか」
告げた瞬間《しゅんかん》だ。
八号が動いた。目を見開き、
「!!」
勢いよく左手を再び振り上げたのだ。
そしてこちらが反応するより早く。それが来た。
風だ。頭上から、武神《ぶ しん》が風巻く一刀《いっとう》を叩きつけてきたのだ。
同時。
金属音が響《ひび》き、武神が宙《ちゅう》へと舞った。
「――――」
快音をもって武神の胸部|装甲《そうこう》板を砕いたのは、背後から飛んできた一条《いちじょう》の白い光だった。
佐山は振り返りもせず、口元に笑みを浮かべた。
「見事だ。新庄《しんじょう》君」
●
新庄はトレーラーの屋根上で、|Ex―St《エグジスト》を構えていた。
UCATを出るときに急ぎ用意したもので、月読《つくよみ》がいなければ佐山の持っている武器ともども持ち出しすら適《かな》わなかっただろう。
集中で使った頭の重さを感じながら、新庄は肩上《けんじょう》のEx―Stを下に降ろす。
武神の転倒音が聞こえた。
重《じゅう》金属の倒れる音は、まるで楽器を無《む 》作為《さくい 》に打ち鳴らしたような音だ。
それを自分の成果と納得《なっとく》しながら、新庄は視線を落とす。
右下、眼下では月読がドア窓に箱乗《はこの 》りで座っている。彼女は佐山の方を見ながら、
「さあ、どうなるかしらねえ。……あの馬鹿《ば か 》少年、3rd―|G《ギア》の自動人形がいるならば戦闘の可能性もある、なんて言い出したときはどうなることかと思ったけど」
そうですね、と新庄は頷《うなず》いた。
「|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》って、そういうものかもしれませんよね。……戦後の関係を見直すのであるならば、一からやり直しと考えることも出来るから」
新庄はEx―Stを抱えた。背後、カーゴに積んできたEx―Stの収納ケースに分解して入れ直そうとすると、
「そんなことはあたしに任せときなさいな。――アンタは早く彼の場所へ」
「え?」
「彼を止められるのは、彼の少ない自制心か、アンタだけでしょ?」
言われた言葉を新庄《しんじょう》は考えた。ややあってから苦笑し、
「そうだといいなあ……」
つぶやいたときだ。トレーラーの正面側、佐山《さ やま》のいる側から音が響《ひび》いた。
銃声だ。それも、一つ二つというものではなく、多重の音だ。
新庄は振り返り、叫んだ。
「――佐山君!」
●
武神《ぶ しん》の転倒音と同時に、佐山は八号が叫ぶのを聞いた。
「護《まも》れ!」
何を護るか、八号は告げなかった。
ただ、彼女の叫びを合図とするように、佐山に対し、左右から自動人形が四体ずつ前に跳躍《ちょうやく》してきた。
侍女《じ じょ》服を| 翻 《ひるがえ》し、手に手に武器を持った者達がこちらを半円《はんえん》で囲む。
だが、既に佐山は動いていた。
前へと。
弧を組む相手の位置関係を見て思うことは一つだ。
……同士|討《う 》ちを避けて間を空《あ 》けているな。
相手とこちらの武器は同種。銃器というものだ。
ならば、勝敗を決めるものは、攻撃力|以外《い がい》の要素だ。
それは三つある。
一つは速度。
次の一つは位置。
続く最後の一つは心理だ。
それらを叶《かな》えるものを戦術や戦法という。
そして佐山は二年前まで田宮《た みや》家にいた。その家は元々|侠家《きょうか》を名乗る家で、銃器はあり、
……祖父の仕込みもある……!
だから佐山は迷わず前に出た。至近《し きん》距離で、腕の立つ集団との銃撃《じゅうげき》戦だ。距離はほとんど関係がない。今、関係があるのは距離ではなく、
……まずは位置だ!
こちらに有利な位置と相手にとって不利な位置はどこか。
それは敵一人の眼前だ。そこならば他の敵は同士|討《う 》ちを避けて撃《う 》つことが出来なくなる。
正面、右から三人目の黒髪《くろかみ》の侍女《じ じょ》が、左の手の拳銃《けんじゅう》をこちらに振り上げていく。
見たところ拳銃を持つのは彼女のみ。
そして長さのない武器が一番初めに射撃《しゃげき》姿勢に入りやすい。
だから佐山は彼女を優先。黒髪の| 懐 間際《ふところまぎわ》まで一気に飛び込んだ。
あとは速度がものを言う。
飛び込みの勢いを消さず、佐山《さ やま》は左手の散弾銃《さんだんじゅう》で、彼女の銃を持った腕を左に払った。
「!?」
軽い衝撃《しょうげき》で彼女の腕が左に開く。
その腕に右から四人目が動きを阻害《そ がい》されて出遅れた。
そして佐山は身を左に飛ばし、たたらを踏んだ右四人目の脇へと飛び込んだ。
三人目の、拳銃を持った手を上に払いながら、四人目の空《あ 》いた横腹《よこばら》に左の肘《ひじ》をぶち込んだ。
「!」
四人目が身をくの字に折って倒れていく。
まず一人脱落。
対して右から二人目と、右から五人目が短《たん》機関銃を振り上げてきた。
腕を払われた三人目と、倒れていく四人目の間にいるこちらを挟撃《きょうげき》する動きだ。
だが遅い。肘を放つために曲げた左腕の先、散弾銃の銃口は右に向いており、右の短機関銃は左腕の下をくぐって左へ銃口を向けている。
腕を抱くように交差し、両銃の弾丸《だんがん》を発射。
命中が二つ。
二人目と五人目が左右に吹き飛んだ。正面の四人目も含めてこれで三人脱落。
しかし、既に右から一人目と、六、七、八人目という左の三人が動いていた。
右から一つ、左から三つの銃口が既に振り上げられており、
「――ん!」
声とともに生まれた銃声はやはり四つ。一発は右からで三発は左からだ。
弾丸が来る。そして正面からは開かれた腕を戻す三人目の侍女がいる。
佐山は急ぎ前に出ながら、両の腕の交差を戻した。
上に跳ね飛ばしながら戻す腕の交差は、その交差点で三人目の腕を再び上に弾《はじ》く。
「……っ」
金属音が響《ひび》き、三人目が手にしていた拳銃が空に舞い上がった。
彼女の身体《からだ》ががら空《あ 》きとなる。
今や腕を開いて前に出た佐山は、背後を四発の銃弾《じゅうだん》が抜けていくのを音で確認。
そのまま踏み込みの右脚《みぎあし》を上げ、三人目の右《みぎ》横腹へ膝《ひざ》を入れた。
蹴撃《しゅうげき》。
三人目が吹き飛び、四人脱落。
膝蹴《ひざげ 》りの反動で佐山《さ やま》は右後ろに旋回《せんかい》する。
その際に佐山は見た。彼女達の向こうにいる八号を。
「――待っていたまえ!」
必ず相手をしてもらおう。
思う心にはかすかな苛立《いらだ 》ちがある。何故《なぜ》、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》代表である自分が、3rd―|G《ギア》代表でもない自動人形達とぶつかり合う必要があるのかと。
半《なか》ばそれを望んでいたことを自覚しつつも、佐山は思う。
……彼女達も必死なのか。
その理由を知りたいと、知るべきだと、内心で二度の頷《うなず》きを入れた佐山は、右への旋回からそちらへの跳躍《ちょうやく》を入れた。一気に右へと走り込む。
右に残っているのは、右から数えて一人目の侍女《じ じょ》だけだ。
茶色い髪の彼女は、こちらから見て右の手の| 長 銃 《ちょうじゅう》を振り上げた。
彼女の| 照 準 《しょうじゅん》がつくと同時に、佐山は己の短《たん》機関銃をやはり右に振り抜いた。
直後に彼女が引き金を絞り切った。
銃身が激突《げきとつ》して彼女の腕が右に開くのと、長銃が火を噴《ふ 》くのは同時。
銃声が顔面の右横を抜け、髪が弾丸《だんがん》の擦過《さっか 》を受ける。が、当たりはしていない。
佐山は踏み込む。右の短機関銃で相手の長銃を押さえながら、左の散弾銃《さんだんじゅう》を構えた。
が、今度は彼女が防御した。
彼女は下がりながら、こちらの散弾銃を空《あ 》いた手で上に払う。
それだけではない。
彼女はこちらの散弾銃を払い上げ、そこで銃身を掴《つか》んだのだ。
奪われぬよう、佐山は散弾銃を引く。
が、そこで佐山は痛みを得た。左|拳《こぶし》の幻痛《げんつう》だ。過去の痛みに佐山は眉をひそめ、
「……!」
力|任《まか》せに散弾銃が引き抜かれた。
眼前《がんぜん》の侍女、こちらの散弾銃を手にした侍女が笑みを見せた。
取った銃を背後に投げ捨て、こちらの背後へ向かって、
「撃《う 》て!」
叫びに佐山は振り向かない。
目の前の彼女の望みは解《わか》る。こちらを足止めし、己ごと背後の三人に撃たせる気だ。
佐山は思う。
……フザけた判断だ!
「己を犠牲《ぎ せい》にするのが人形の判断か!」
だから佐山《さ やま》は動いた。この人形を仲間に撃《う 》たせてなるものか。死を成果とするなど、
……絶対に!
絶対にその思惑《おもわく》を叶《かな》えさせるわけにはいかない。
今、武器は右手の短《たん》機関銃のみだ。この銃で彼女の| 長 銃 《ちょうじゅう》を押さえている。
だが佐山は、右手から短機関銃を離した。
武器を失う。が、
「――銃だけではない」
何事かと目を見開いた侍女《じ じょ》の| 懐 《ふところ》に飛び込むなり、彼女の下腹《か ふく》に肘《ひじ》を入れた。
打音が響《ひび》き、相手が吹き飛んだ。
長銃と、自分が落とした短機関銃が地面に落ちるのを見ながら、佐山は身を背後に回す。
振り返れば、残る三人がこちらにライフルを構えている。
相手が狙いを付け、引き金を絞ろうとした。
その瞬間《しゅんかん》、佐山は眼前《がんぜん》に左手を突き出し広げた。
無手《む て 》の左手。だが、そこに落ちてきたものがある。
拳銃《けんじゅう》だ。
先ほど、左から三人目の手から、交差した腕で弾《はじ》いた拳銃が落ちてきた。
確保と同時に射撃《しゃげき》。
音が響《ひび》く。
対する三人の内、中央の一人が吹き飛ぶ。残る左右が撃《う 》ってきたが、弾丸《だんがん》は横を通過した。
同時、背後の地面で金属音が響いた。
こちらが手離した短機関銃と、肘を入れて倒した侍女の長銃が地面で跳ねる音だ。
佐山は手の拳銃を手首のスナップで頭上に弾いた。
腰を落としながら両手を背後へ振れば、地面に跳ねた短機関銃と長銃が両の手に来た。
前に振り上げ射撃。
残る二人が直撃《ちょくげき》を受け、背後へと倒れる。
八人が沈んだ。
だが、佐山は息を整えもしない。両手の銃を捨て、頭上に弾いた拳銃を左手で取り直す。
見るのは右側にいる一人だ。
八号。
●
「――!」
佐山は走った。
対する八号も高速で動いた。
両手の拳銃《けんじゅう》を振り上げ、こちらの顔面を狙おうとする。
「本気ですよ!」
空気を貫《つらぬ》くような叫びに、しかし佐山《さ やま》は構わなかった。前に出る。
だが、間に合わない。わずかな差で八号が拳銃を振り上げ切ろうとする。こちらの顔面の中央を狙うため、両の拳銃を左右に重ねるようにと。
「……これが貴方《あなた》の判断でしょうか!?」
叫びに応えるように佐山は動作した。
最後の一歩を走り込む左|脚《あし》。その膝《ひざ》をかち上げ、脛《すね》から先で直上の天を突いたのだ。
「……っ!」
振り上げ切られようとした八号の両手が、こちらの膝を左右から挟んだ。
彼女の両手が止まった。
「!?」
同時に佐山は身体《からだ》を前に倒す。振り上げた膝に額《ひたい》を当てる。
膝を挟む両銃の間に顔が入った。
そして八号が引き金を絞った。
こちらの顔の左右を抜けるのは銃声だ。
だが当然、当たりはしない。佐山がかち上げた左足を踵《かかと》下ろしとして振り下ろすのと、八号が慌《あわ》てて下がるのは同じタイミング。
そしてそのまま佐山は前に出た。八号を追う。
身体を前に運ぶ勢いを消さず、佐山は振り下ろす左足を大きく前に強く踏み込んだ。もはや八号と激突《げきとつ》する位置まで身を入れると、驚きの顔をした彼女が見える。
同じタイミングで、左足がアスファルトに着地し、踏み込みを確定した。
それを震脚《しんきゃく》として、佐山は至近の八号に左の銃の先端をポイントする。
瞬間《しゅんかん》。
「――佐山君!」
聞こえたのは新庄《しんじょう》の声だ。
だから佐山は動く。銃を手放し、
「結論を言おう」
言葉とともに、佐山は八号のウエストを下から肩で抱きかかえた。
「あ……!」
一気に持ち上げると、軽いものだ。
苦笑とともに、数歩を前に軽く歩いて速度を落とし、佐山は立ち止まった。
肩の上でじたばたする八号の脚《あし》を両手で抱え封じ、佐山は告げた。
「忘れるところであったね。人形は、抱えて大事にするものだ」
そして、
「私はそういう思考《し こう》を尊重するよ?」
●
告げた言葉に、わずかな間だけ八号が動きを止めた。
しかし彼女はすぐにまた、思い出したように暴れだした。
「な、何の意があってこんな……!?」
「静かにしたまえ。仲間の目の前で敗北の儀式《ぎ しき》を行われたいのかね?」
「敗北の儀式というと……」
「お人形さんごっこだ」
佐山《さ やま》は頷《うなず》き、周囲で身構えた自動人形達に言う。
「一度|全裸《ぜんら 》に剥《む 》いた後で考えうる限り華美《か び 》な衣装《いしょう》で拘束《こうそく》。その上で台座などに身動きを封じた後、泥や葉っぱで制作した偽造《ぎ ぞう》食料を楽しげに食べていただくことになる。歌も謡《うた》おう。ハイホー、ハイホーと。――質素《しっそ 》で奉仕《ほうし 》をモットーとする自動人形には耐え難い苦痛だろうね?」
問い掛けに八号が息を詰め、周囲の自動人形達が、ひ、と一歩を下がった。
佐山は彼女達|皆《みな》に頷き、
「何ならば、その後で硝子《ガラス》張りの箱に入れて眠るまでオルゴールを延々と鳴らすというサービスもつけるが、どうかね?」
「ほ、本気ですか? そのようなことをされれば|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は敗者|虐待《ぎゃくたい》の噂《うわさ》を……」
「何、君達|次第《し だい》だと言っておこう。私は個人の意見を認める民主主義者でね。逆らう者には民主主義に則《のっと》った個人的な私刑《し けい》を与える所存《しょぞん》だ。――どうかね?」
問いに、八号が動きを止めた。周囲の自動人形達も、動きを止めていた。
沈黙《ちんもく》。
静けさが風の存在を思い出させる中、佐山は自分の身体《からだ》を意識で確認する。
右の額《ひたい》から下る熱は血だろう。汗が浮き出し、心地よい疲れがある。
そして、耳は一つの音を聞いた。背後からの足音だ。
息を入れながら後ろへと振り返れば、安堵《あんど 》の表情を浮かべた新庄《しんじょう》が走ってくる。
新庄は頷き、眉尻《まゆじり》を下げた笑みを見せた。こちらは大丈夫だと。相手の方を向いてくれと。
だから佐山は前を向いた。身構えた自動人形達の群に、それぞれ、一人ずつ視線を合わせ、それからゆっくりと肩の八号を下ろす。
見れば、赤い髪を乱した彼女は、肩から力を抜いた無表情だ。うつむき、
「……理不《り ふ 》尽《じん》と判断します」
八号が告げる。
「何故《なぜ》……、佐山《さ やま》様の言葉を聞かされねばならないのでしょうか」
「答えは簡単だ。――聞かせた上で、新しい答えを得たいからだ」
佐山は告げる。
「君達は己の答えを持っている。だが、他に納得《なっとく》出来る答えはないだろうか。そのために私は言葉を聞かせ、こう言うのだ。……君達も私と共に新しい答えを考えて欲しいと」
「ですが……」
判断がつかないのか、八号は同じ言葉を繰り返す。
「ですが……!」
言葉が複製された。そのときだ。
「――充分だと判断します」
新しい声が響《ひび》いた。
自動人形達が、八号までも振り向くのは、正門の向こうだ。神田《かんだ 》研究所の白い建物の前、そこに、無数の人影がある。
それらは神田研究所の職員や作業員達だが、先頭に立っている一人だけが違う。金髪の侍女《じ じょ》服|姿《すがた》の少女の俗称《ぞくしょう》を、隣《となり》に立った新庄《しんじょう》が告げる。
「自動人形……?」
|Tes《テスタメント》.、と彼女は頷《うなず》いた。
「ここの自動人形の長《ちょう》を務める四号と申します」
と、彼女は無表情に告げた。
「仲間がお恥ずかしいところをお見せしました。佐山様が、彼女達の戦闘能力に失望されてなければいいのですが」
「いや、久しぶりの実戦として、いい相手だった」
言いながら佐山は周囲を見た。
自分が倒した者達は、ゆっくりと体を起こしつつある。
「君達がUCATの侍女服を着ていて良かった。防弾《ぼうだん》加工くらいはあると思っていたのでね」
「お見事です。こちらも了解《りょうかい》いたしました。新しく現れた交渉役も、また、私どもを強引《ごういん》に振り向かせる者だと。――ならばこちらへお越し下さい」
四号は告げた。
「話せるところまでお話しし、お見せしましょう。3rd―|G《ギア》の穢《けが》れと、その滅びの話を。ずっとお待ちしておりました。――そちらの佐山様の御祖父《ご そ ふ 》様が私達にこの場を宛《あて》がって下さってから、十年を」
祖父、という言葉に、佐山は自らの軋《きし》みを悟る。
「――――」
思わず右手を当てた左胸、ポケットから獏《ばく》が慌《あわ》てて出てきて肩に乗る。そして掴《つか》んだ左胸の痛みと鼓動《こ どう》に、佐山《さ やま》はしかし無表情に息を吸った。
「……祖父が、君達を?」
「|Tes《テスタメント》.、十年前の概念《がいねん》活性化で目覚めた際、私どもはここを制圧しましたが、その一方で問題を二つ抱えておりました。……一つは、人をお手伝いすることを基礎|記憶《き おく》に彫り込まれた私どもは、保護《ほ ご 》対象になって御世話《お せ わ 》されてしまうと、その自己|矛盾《むじゅん》を拒否するために活動停止をしてしまうこと。もう一つは、この世界で誰かの御世話をすることは、3rd―|G《ギア》を裏切ることになることです」
頷《うなず》く四号は、笑みのまま、
「ですから、十年前、私達の制圧を解除する交渉役として訪れた佐山|翁《おう》は、こう命令されたのです。3rd―Gを裏切るのではなく、有事《ゆうじ 》の際に彼らの負担にならぬように|Low《ロ ウ》―Gに亡命し、ここに住まう人々を主人とせよと」
「だからここで働くことを? 十年ずっとかね?」
「Tes.、そしてお待ちしておりました。……佐山翁が、たびたび口にする、出来の悪い孫《まご》のことを。ですから、もう少々、人形の未練《み れん》におつき合い下さい」
彼女は一礼した。
「これより私の方からも過去の展開と、試験をさせて頂きたいと思います。佐山様がどういう方なのか、出来が悪いのか否かを、……かつて佐山翁と交渉したこの私から」
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第六章
『駆動の問い掛け』
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まずの疑問はどこに行くか
問いは行きつ戻りつ
己を試して振り返る
[#ここで字下げ終わり]
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●
終業式一日前、午後に入った衣笠《きぬがさ》書庫の中では学生の数も少なくなる。
校庭から聞こえるのは運動系の部活が放つ掛け声やボールの打たれる音。
それらの音を背景に、三人の人影が書庫中央のテーブルから動かない。
布の日本地図を広げたテーブルについているのは出雲《いずも》と風見《かざみ 》と、飛場《ひ ば 》だ。
三人の内、飛場がまず、風見に対し、真剣な顔で確認するようにこう言った。
「……ぶたないですよね?」
「……あのね? アンタ何をいきなりな前提《ぜんてい》してんのよ。悪いことしなきゃ殴らないわよ?」
「え? そ、そうなんですか。おかしいなあ、皆の噂《うわさ》と違うなあ……」
何度も首を傾《かし》げる飛場を見て、風見はホントに殴ってやろうかとテーブルの下で拳《こぶし》を握る。
と、飛場は何かの気配を察知《さっち 》したのか、慌《あわ》てた笑顔で、
「あ、す、すいません。それでですね?」
「うん。なあに?」
「ええとですね。まず、3rd―|G《ギア》の穢《けが》れの説明の前に、……とりあえずその歴史から軽く始めた方がいいですよね?」
そうね、と相槌《あいづち》をして促《うなが》すと、飛場はテーブルの上にあるメモを手に取った。彼は重ねて取ったボールペンで、こちらの方を窺《うかが》いながらメモの裏の白紙部分に図形を書いていく。
それは幾《いく》つかの浮き島のようなものだった。
「――ええと、実はコレ断面で。3rd―Gというのは巨大な浮遊《ふ ゆう》大陸群だったって話です」
飛場はボールペンの尻で図形の中央を突く。
「昔は海もあったそうですが、もともとこんな地形だから人の数は少なかった。そして3rd―Gの人々は長命《ちょうめい》で、世界を支える概念《がいねん》を特殊能力として一つずつ持っていたそうです。つまり彼らの寿命《じゅみょう》は数千年あり、一人一人が世界を支える力を配分され、持っていた、と」
「配分って言うと?」
「ええ、概念|核《かく》を細分化したものを、生まれるときに刷り込まれるんだそうです。人と言うより、人型《ひとがた》の概念になるわけですね」
「じゃあ死んだら、その概念を| 抽 出 《ちゅうしゅつ》でもして返すんだ」
「それだけじゃなかったみたいですよ。話によると一つ設備があったそうです。概念の持ち主だった者の意思を、概念核に納める設備が。……これ、どういう意味か解《わか》ります?」
答えたのは出雲だった。つまらなさそうな口調で、
「概念核を冥界《めいかい》にするってことだろ? 概念持ったヤツが死んだら、そいつの残存《ざんぞん》意思と概念を概念核に納めるわけだ。そして新しい命が生まれたら、概念はそいつに刷り込むためにリサイクルされるが、意思はそのまま概念核に蓄積《ちくせき》される。人工|冥府《タルタロス》だな」
「ええ、だから3rd―|G《ギア》では概念核《がいねんかく》を冥府《タルタロス》と呼び、そこに送る設備を冥府機構《タルタロスマキナ》と呼んでいたそうですよ」
笑みで告げられる飛場《ひ ば 》の言葉に、風見《かざみ 》は考える。そういう技術があったということは、
「……3rd―Gって随分《ずいぶん》進んだ世界だったのね」
「ええ。……それゆえに文明は高密度に一極集中で進化したわけです。――世界は自分達の思い通りに改造出来、足りない人の手を増やすためには自動人形を生み、人の力を増すために自分達を模《も 》した機械を作った。武神《ぶ しん》の操縦《そうじゅう》方法、知ってますか?」
風見はUCATの地下で動いている機械を思う。人型《ひとがた》の大型機械。UCATが実験用として作っているのは主に遠隔《えんかく》操縦型だが、本来のものは、
「人間が一体化するってヤツよね」
「そうです。金属を生物化出来るがゆえ、――武神はその内部に人間と同等の機関を持っていて、搭乗《とうじょう》者を分解して中に取り込むんです」
飛場は右手を上げ、軽く回す。図書館の緩い空気を掻《か 》き混ぜて、
「乗っている、というよりも、巨大になった自分に、各種|装甲《そうこう》類や強化パーツとかがくっついた感覚ですよ。破損《は そん》すれば再構成された自分に傷としてフィードバックしますしね」
と飛場は真剣な顔で言ってから、不意に苦笑。理解されないですよねー、と頷《うなず》いた。
そんな彼を見て、風見は思う。こいつはおそらく、今まで存分に戦闘を行ってきたのだろう、と。自分のスタンスを理解されないこともあると、そう知っているのだから。
……理解出来ればいいけど。
と風見は内心で吐息して、
「で、さっきの続き、3rd―Gの滅びって? どんな感じ?」
「ええ、この浮遊《ふ ゆう》大陸文明ですが、ある一つのことを契機に、文明が進化し始めます」
「概念戦争か」
「そうです。――自分達の世界の概念と崩壊《ほうかい》時刻を理解したとき、3rd―Gは思うわけですね。自分達の持っている文明と概念は強力で有利だと。ですが……」
飛場は頭を掻いた。やや迷ってから、
「3rd―Gの文明は、先ほど言ったことが原因で袋小路《ふくろこうじ》に入っていくんです」
「袋小路……?」
こちらの言葉に、飛場は顔を上げた。こちらと、横の出雲《いずも》を見比べるように見て、
「人口って、どうやって増やします?」
問いに、風見と出雲は沈黙《ちんもく》した。
呼吸五つくらいの間を持ってから、出雲が前を見たまま右手をゆっくり上げ、
「千里《ち さと》先生、ハッキリとエロスに答えていいですかよ?」
「……解《わか》ってるなら言う必要ないんじゃない?」
うーむ、と唸《うな》って手を下げた出雲《いずも》に、飛場《ひ ば 》がゆっくりと拳《こぶし》を握って同意を示す。
「いい感じです出雲|先輩《せんぱい》。先輩は噂《うわさ》通りの人ですね」
「そうか、ならば敬《うやま》え、頑張れ。――最近は俺の価値《か ち 》を認めないのが多くて困るよな。って千里《ち さと》、何を嫌そうな顔して俺を見る」
「いやもうどーでもいいけど。で、飛場《ひ ば 》君、いや、――もう飛場でいいや何となく」
「な、何故《なぜ》呼びつけでいいんですかっ。可愛《かわい》い後輩《こうはい》ですよ?」
風見《かざみ 》は無視することにした。
「んでね? 飛場、人口を増やすことが3rd―|G《ギア》の滅びと何の関係あるの?」
「ええ、動物は、その数を増やすにはある一定数以上が必要だと言いますよね。では、その数が概念《がいねん》戦争以前まで、ぎりぎりだったとしたならば?」
一息。
「元々、世界を保てる分の概念と同数しか人はいなかったんです。……それが戦争したら?」
飛場の問いに、風見は身動きを止めた。待てよ、と早計《そうけい》を頭の中で戒《いまし》めながら、
「……ちょっと待って、普通、人口増加の奨励《しょうれい》くらいするわよね、戦争前には」
「概念戦争って喧嘩《けんか 》は、自ら気づかなければ、いきなり向こうから売られるもんですよ。3rd―Gがそうだったそうです。――3rdに侵攻《しんこう》してきた9thの軍隊は武神《ぶ しん》や自動人形達によって阻《はば》まれましたが、3rd―Gは焦った。防備を固めるか、戦争に向かうかで」
「じゃあ」
と、風見は考えた。天井を見て出る結論は、吐息《と いき》付きのものだ。
「3rd―Gは戦争に向かったのね。……人口が減少するより早く、ケリをつけようと」
「ええ。当時の王の名はクロノス。……自動人形や武神製作に優れ、人口低下を防ぐために更なる延齢《えんれい》技術も作り上げたと聞きます。そして侵攻用に冥府機構《タルタロスマキナ》を改造しました。死んでいなくても人々から概念を外せるように、と。そうしないと、住人の半数が外のGに侵攻したら3rd―Gが崩壊《ほうかい》してしまいますからね」
だけど、と飛場は肩を竦《すく》める。
「だけどクロノスは人々の不安を抑え切れず――、息子《むすこ》にその地位を纂奪《さんだつ》されました」
「息子の名はゼウスか。――ギリシャ神話によれば、確かにクロノスはゼウスによって王位を蹴落《け お 》とされ、その後、ゼウスの下で戦いや享楽《きょうらく》の文化が生まれる」
出雲が口の端に笑みを作り、目の前の地図に手を寄せた。
指さすのは瀬戸《せ と 》内《うち》地方。岡山《おかやま》の児島《こ じま》半島だ。
「ここにあるだろう穢《けが》れってのは、それか? 戦いや、享楽っていうヤツ」
「近いですね。……ただ、戦争のために生まれた場合、それはどういうものとなるでしょう」
飛場は言う。
「ここからが本題です」
●
勉強は苦手だな、と京《みやこ》は思う。
ベッドの上に片膝《かたひざ》ついて座り込んだ京は、頭を掻《か 》きつつ前を見る。
前方、食事の終わったストレッチャーを挟んでモイラ1stがいる。
モイラ1stは腰を屈《かが》め、両手でストレッチャーの上に一つのものを立てていた。
それはB4サイズの薄い板の束で、こちら側には絵が描いてある。絵の内容は彼女達の世界が滅びていく様《さま》というやつで、後ろ側には読み上げるための解説が書いてある。
紙芝居《かみしばい 》だ。
モイラ1stが言うには、自分達の仲間が外に出た際、学習施設でこのようなものを使って社会勉強していたのを見たとのことだ。
……どこの幼稚《ようち 》園に忍び込んだんだ。
ひょっとしたら物凄《ものすご》く昔、昭和がまだ中頃のことなのかもしれない。彼女達の話が本当なら、六十年ほど前に| 遡 《さかのぼ》ってもいい筈《はず》だ。
ふと昔のことを思う目の前で、モイラ1stが板をめくる。
一人の男、ゼウスとかいう王が人々に指示しているところだった。
クレヨンで描いたような粗《あら》い絵だったが、ゼウスという王は廊下で見た額《がく》の中の一人だった。金の顎髭《あごひげ》をたくわえた男だ。
その絵の向こう、モイラ1stが微笑で口を開き、
「さて、おうさまはやるきマンマンです。 わはは、うめよふやせよ ということで、かぞくでもこどもつくってオッケーになりました」
「おいおいいきなりエキサイティングだが楽しい口調で言うことじゃねえぞ!」
「だって事実ですので……。あ、お菓子切れました?」
「まだあるよ、このシガレットガム」
そうですか、と笑顔で言ったモイラ1stがめくった板には牢《ろう》の絵があった、牢の内部は何かの研究施設らしきもの。それを背景に、白髪《はくはつ》の老人がいた。廊下にあった額《がく》の一人と同じルックスだ。彼が鉄柵《てつさく》を猿のように掴《つか》んでる絵で、
「ですがひとのかずはへっていきます。ほかのせかいのぶんめいしんかそくどをナメてたせいもありますが、ゆうへいされてたクロノスさまがいうには かぞくはやっぱダメなのー! とのことです。でもじっさいはせんそうがはじまってしんでいくひともおおかったのです」
どこにツッコミを入れようか、京が迷っている内に板がめくられた。
「けっていだは9ばんめのせかいがこちらのたいりくをひとつはかいしたことでした。 くらえいかりのとっこうぼんばー! どかーんどかーん」
「おいおい口調と違ってどうして絵がこれだけ精細《せいさい》なんだよっ! 人吹っ飛んでるぞ!」
「いえ、皆で手分けして描いたらモイラ2ndがとても上手《じょうず》で」
板がめくられ、先ほどのゼウスと数人の人間が描かれる。
「せんそうがながびくにつれ、なぜかひとびとはこどもがつくれなくなりました。しゅのげんかいなのかへたれなのかよくわかりませんが、こどもをうむことのできるおんなも、おとこも、どんどんすくなくなっていったのです。そしてたいりくをうしなったせかいはばらんすをくずしてくだけはじめました」
板がめくられる。椅子《い す 》に座るゼウスを描き、
「おうさまはくのうしました。くろーんぎじゅつもためしたのですが、あまいのか、くろーんはこどもをつくるのうりょくをえることができませんでした。そしてひとびとのかずがへり、じぶんのかぞくくらいしかいなくなったとき、おうさまはけつろんしたのです」
「何を?」
と、つい京《みやこ》は問うていた。ややあってから、自分の問い掛けの意味にはっとする。自分が、3rd―|G《ギア》に興味を持ちつつあることに。
見れば板の向こうからモイラ1stが笑みを向けていた。彼女が板をめくると、そこには先ほど見たような巨大なロボットが列を成していた。
モイラ1stは言う。
「こどもをうめないにんげんは、がいねんをいしとともにめいふにうつし、からだはきかいといったいかしてたたかうことを。こどもをうめるにんげんは、なんとしてでもこのせかいのにんげんをうみ、このせかいをそんぞくさせるためにきょうりょくすることを」
板がめくられ、四人の男女が描かれる。一人はゼウスで、一人はクロノスで、残り二人は若い男女だ。二人とも金の長髪を頂いているが、青年の目は黄色く、女性の目は赤かった。
その女性も男性も廊下の額《がく》の中にいなかった。だが、男性の方は、
……あれ?
リフトから下を見たとき、森の中にいたシルエットに似ていた。
だが、女性の方には全く思い当たるフシがない。
廊下の額の中にいる女性は、青白い瞳をしていた筈《はず》だ。
彼らの背後には、クロノス以外、それぞれのロボットがあった。ゼウスの背後には灰色のロポットが。若者の背後には青白いロボットが。女性の背後には白銀《はくぎん》色のロボットが。
「のこったすうめいのにんげんもきかいとなりました。ひととしてのこったのはよにんだけ、おうさまと、そのむすこのアポルオンさまと、おうさまにつかえていたレアさまと、ゆうへいされていたクロノスさまです。レアさまはおうさまのこどもをいただいておりました」
そして、モイラ1stはセリフを続けた。
ここだけは、まるで試すように静かな声で。
「――レアさまのこどもはおんなのこになるとわかりました。もし、レアさまのこどもがこどもをつくれるからだであったならば、おうさまはそのこをけんきゅうちゅうだったしんがたのくろーんぎじゅつでふくせいし、このせかいのひとびとをたいりょうにつくるつもりでした」
その話を聞く京《みやこ》の手から、一つのものが床に落ちた。
煙草《たばこ》代わりに指でもてあそんでいたシガレットガムだ。
紙包みの一本が落ちるのにも構わず、
「おい」
と、自分でもよく解《わか》らない声で京はつぶやいていた。
……やべえ。
と思いながら、ひどく静かな、しかし震える声で京は問うた。
「つまり、あ、あれか? 王様ってのはよ……」
「何でしょう?」
問うてくるモイラ1stに、京は口を開いた。思わずガムを落とした反応の、その根本《こんぽん》となる感情を胸に、京は言う。
「……あのよ? アンタ達の王様は、これから生まれてくる子供が、もし目に叶《かな》うようだったら、――クローン複製のサンプルにしようって考えたのか?」
問いかけの答えは、聞きたくないものだった。
「はい」
モイラ1stは微笑で言う。
「その場合、子供は保存|槽《そう》の中で幼体《ようたい》のまま停齢《ていれい》処理を施《ほどこ》されます。まだ成長が可能性に満ちている段階で成長を止め、細胞を摘出《てきしゅつ》し、それを別で停齢|解除《かいじょ》して成長させ――」
「止《や 》めろ!」
京《みやこ》は叫んだ。頭の中で思い出されるのは昨日《きのう》のこと。| 就 職 《しゅうしょく》試験の面接でのことだ。あのとき、向こうはこちらをどう捉《とら》えていただろうか。
……その他大勢の、部品のように。
被害|妄想《もうそう》だ、と思い、京は己の思いを払拭《ふっしょく》するようにベッドの上で立ち上がった。
「どうせレアって女の子供は王様って野郎《や ろう》との子供なんだろうが! テメエのガキだろ? どうしてそんな子供の意志を無視した、フザケたことをしやがるんだ!」
「――フザケたことではありません」
モイラ1stが断言した。彼女の言葉の内容に京は気持ちを破裂しそうになるが、それを抑制するのはモイラ1stの微笑が止まっていたことと、その凛《りん》とした声だ。
「一つの世界が滅びようとしていたのです。そこで行われる判断は二つあります。どんな手を使っても生き残ろうとするか、諦《あきら》めて滅びるか」
モイラ1stは問う。静かに、しかしはっきりと。
「前者を選ぼうとしたこと。もしくは選ぶ人を前にしたことはありませんか? 姫様」
●
地下という場所がある。
しかし暗い密閉《みっぺい》ではない。そこは掘削《くっさく》で得られる自由空間を存分に使った地下整備場だ。
数百メートル四方の広いコンクリートのフロアには、人がおり、光があり、音がある。
壁にある黒い文字はUCATのロゴと、神田《かんだ 》研究所というゴシック体。
奥多摩《おくた ま 》のUCATとは違い、広大なフロアを吹き抜けにした地下空間の中、パーティションによって研究ブロックが分けられている。それぞれの広いパーティション内部には様々なものと音があった。
「今、地下一階は主に武神《ぶ しん》関係を。地下二階は概念《がいねん》空間|発生《はっせい》原理の研究中です」
グラインダーの音や溶接の匂《にお》いの中、パーティションの中央通りを佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》は歩いている。
目の前を先導《せんどう》するのは作業用|侍女《じ じょ》服の自動人形、四号だ。
四号はゲオルギウスの検査機を受け取る月読《つくよみ》に別の侍女をあて、こちらの案内を買って出ていた。歩きながら彼女が話すのは3rd―|G《ギア》の滅びのいきさつだ。
「――ゼウス様は、どうやっても生き残る道を選んだのです」
と、四号が振り向いた。短い金髪の下、無表情に口を開き、
「お解《わか》りですか? 3rd―Gの穢《けが》れが」
問いかけに、佐山《さ やま》は横の新庄《しんじょう》が頷《うなず》くのを見る。
バインダーを頼るように抱きしめた新庄の顔は、わずかに青くなっている。
……やはり新庄君にはキツいタイプの話だろうな。人間を道具|扱《あつか》いするというのは。
だから、佐山は率先《そっせん》して自ら口を開いた。
「つまり……、こういうことかね? 3rd―|G《ギア》は、概念《がいねん》戦争を生き延びるため、同族結婚や人体改造など、身内を人とは思えぬ扱いに処した、と」
「どのようなご想像をされても、事実以下でしょう。……3rd―Gはその方面の技術に関して、当時は全G中一番でした」
目を伏せ、
「今、佐山様が| 仰 《おっしゃ》られたことは初期段階で行われた方法の一つです。貴族《き ぞく》以外の者は大体がそのようにされました。逆らった者の多くは冥府機構《タルタロスマキナ》に送られ、抜け殻《がら》となった身体《からだ》から内臓を| 抽 出 《ちゅうしゅつ》、残りの部分は武神《ぶ しん》に固定化され、仮の意思を添付《てんぷ 》されて戦闘に狩り出されました」
「その言葉には一部|訂正《ていせい》が必要だね。……逆らった者の多くは、ではないだろう?」
佐山は告げた。
「そのGが滅びるには、概念|核《かく》の半分以上を失う必要がある。……だが、3rd―Gの概念は、……住人一人一人が一つずつ持っていたのではなかったかね? 概念核の半分以上を失うには、住人の半数以上が冥府《タルタロス》に送られ、――概念核として| 一 塊 《ひとかたまり》になっていなければならない」
新庄が息を飲む音が聞こえた。
だが、新庄の気づいた事実を、佐山は敢えて断言する。
「3rd―Gの王は、ほぼ全ての住人の命を奪って冥府《タルタロス》に送ったのかね……?」
「|Tes《テスタメント》.、御名答です」
そして、
「ですが佐山様、3rd―Gの行いについて、今まで挙げられた以上のことを言えますか」
「当然だとも」
佐山は失笑《しっしょう》混じりに応じた。
……簡単な話だ。
「生き延びるために何でもする者が、自分達のGだけで済ませる筈《はず》がない。――3rd―Gは他のGにも手を伸ばした筈《はず》だ。人を攫《さら》い、分解し、改造し、自分達が生き延びる部品にしようとした筈だ。違うかね?」
「Tes.。……ではお解《わか》りですね? 3rd―Gの穢《けが》れの意味が」
「――つまりは、人を人と思わぬ、| 虐 殺 《ホロコースト》の禁忌《きんき 》に触れたGか」
佐山の言葉に、四号は頷き告げる。
わずかに視線を下に落とし、
「この事実、少なくとも3rdより上の|G《ギア》、特に敵対した9thには知られております。そして当時、3rd―|G《ギア》はこのように呼ばれていたのですよ。 戦いと享楽《きょうらく》のG と。――戦うための武神《ぶ しん》と、子を強引《ごういん》に生産することを皮肉《ひ にく》されたのですが……」
目を伏せ、
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》が3rd―Gを仲間に引き入れることは、過去の禁忌《きんき 》を引き入れることになります。自分達のGの住民を部品として扱い、あまつさえ他Gの者達を同じに扱った。当時、3rd―Gと戦った者達は、その武神や自動人形の部品に親族の一部が使われていると知り、率先《そっせん》して潰しに掛かったのですよ」
「だがそれは|Low《ロ ウ》―Gによって果たされた」
「|Tes《テスタメント》.、ですからその滅びに関してはLow―Gを賞賛する声もあると聞きます。が、……今、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》が3rd―Gを認めようとしたならば?」
「それってつまり……、他のGの恨みを受けるっていうことだよね?」
「Tes.、自分達のGの住人を殺し尽くした所業《しょぎょう》に対する不気味さと、他Gの住人を部品として欲した非道《ひ どう》さは、不信の影として3rd―Gに残っております。――その穢《けが》れを祓《はら》わずに|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は行えないでしょう」
「――械れを祓う、か」
佐山《さ やま》は思う。飛場《ひ ば 》の言っていた穢れの意味と、彼が決着を望む意味を。
……何故《なぜ》、彼は自分が穢れを祓うと言ったのか。
滅びたGの、置きみやげとも言うべき禁忌を完全に祓うには、どうするのか。
いきついた答えを、佐山は述べた。ならば、と前置きし、
「いるのだね? 3rd―Gの生き残りが。そして未だ、戦いは終わっていないのだね? 生き延びようとする3rd―Gと、その穢れを祓う飛場の戦いは」
「Tes.。その戦いの始まりを佐山様は見られたでしょうか?」
四号の台詞《せりふ》が響《ひび》いた。
「――穢れを嫌い、Low―Gに亡命したレア様の姿を」
●
モイラ1stの言葉は重ねられた。
「生き延びるために、必死となり、そして穢れたわけです」
彼女の言葉に、向き合う京《みやこ》は肩に力を入れたまま、吐息する。
「アンタの王様は、手段を選ばなかったわけだ……。人を人として扱わねえことで」
納得《なっとく》出来ることではない。だが、自分が指導者だったらどうだろうか。そしてもし自分が3rd―Gの一般人で、上にいる権力者から無力を告げられたとき、
……どうする?
京は昨日の記憶《き おく》、面接の記憶の続きを思い出す。
いつもは声高く偉そうに叫んでいても、昨日、面接官の履歴《り れき》書を見た判断に、自分は何も言えなかったのだ。
……貴女《あなた》がうちで出来ることはないね、か。
モイラ1stが言うには、3rd―|G《ギア》で子を作れない者は、武神《ぶ しん》という機械に強制で合一《ごういつ》させられたという。
何も出来なければ冥府《タルタロス》送りにされる世界に対し、今の自分の境遇《きょうぐう》は気楽だと思う。
……だけど、一人の人間として認められなかったのは同じだよな。
相手を間違っていると思いながら、それを証明出来るだけの力があるか、自信がない。
そんなときどうするか。
「どうするんだよ」
「え?」
とモイラ1stに言われ、京《みやこ》はつい口から自問を放っていたことに気づく。
あ、と顔を上げて見れば、モイラ1stがこちらを笑みで見ていた。
格好《かっこう》悪い、と自分を素直に評して、京はうろたえる。ああいかんな、と。
「あ、あのさ、何とかならねえのかよ。そんな、頭の悪いヤツの下でよ」
「ええ。――だから、手段を選ばなかった方が、一人いらっしゃるのです」
と、モイラ1stは微笑を戻すと板をめくった。そこには、巨大な黒い闇《やみ》をくぐる白銀《はくぎん》色のロボットがいた。細身《ほそみ 》の機体は女性に見えて、
「ところがレアさまはうらぎりました」
「……え?」
京の疑問|詞《し 》に、モイラは会釈《えしゃく》で応じた。板の裏に目を向け、
「こどもをうばわれるときまったレアさまはほかのせかいへのがれたのです。――いちばんよわく、あいてにされていなかったさいかそうのせかいへ。そこならばあんぜんだと」
最下層。
それはここの世界だと、京は前提《ぜんてい》事項として聞かされていた。
「――――」
京は、ふと、ベッドに腰を落としていた。
目の前の絵とモイラ1stの言葉に、身体《からだ》の力が抜けていた。
どうしてだ、と描かれた白銀のロボットの絵に対して問うが、答えはない。
だが、答えが無い分、問いは消えない。
……どうしてここ――を。
選んだ? 否《いや》違う。正面から問うならばこうだ。
……何故《なぜ》、行動しようと思った?
現在を拒否する自分の意思を、どうしてそこまで信用出来た?
その疑問を京《みやこ》は問うが、無論、答えはない。
ただ、モイラ1stの声が聞こえた。白銀《はくぎん》のロボットの立ち去る音を、
「ばびゅ〜ん」
「いやだからアンタそういうのやめろって」
言いつつ、京は吐息。片膝《かたひざ》を立てて、モイラ1stがめくっていく板に目を向けた。
真剣な目を。
●
地下空間の中、整備や研究開発の現場を侍女《じ じょ》姿が歩いていく。
金属の溶接音や削擦《さくさつ》音に重ねるように、彼女の言葉が響《ひび》く。
「穢《けが》れを嫌ってレア様は|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に参りました。そして3rd―Gの王たるゼウス様達は、レア様の亡命後、9th―Gと同盟を結びました」
彼女の言葉を聞くのは、後ろに続く佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》だ。
そして佐山が、告げられた事実に問い掛ける。
「……自分達の世界を破壊しようとした9th―Gと、組んだのかね?」
「戦時中|有《あ 》り得《う》る判断ですので説明を続けます。そしてゼウス様はレア様の子を奪還《だっかん》したならば、己も冥府《タルタロス》に入ってアポルオン様に後を譲《ゆず》り、助言役として己の思考《し こう》をコピーした武神《ぶ しん》を用意することに決めておりました」
「それで……、何を?」
悪い予感を感じながらも、新庄は問うた。
四号が静かに頷《うなず》き、言葉を作る。
「アポルオン様に、全Gに対しての侵攻《しんこう》を開始させるつもりだったのです。既に最強武神であるテュポーンの素体《そ たい》は命令を受けたクロノス様が作り上げておりましたし、武装としては破壊兵器である神砕雷《ケラヴノス》が開発されていました。――どちらも概念《がいねん》核を収めたものです」
え? と新庄は四号の言葉を考えた。
今、さりげない口調の中に二つの情報があった。一つは、行方《ゆくえ》不明だった概念|核《かく》の半分の在りかが神砕雷という武器の中にあると解《わか》ったこと。もう一つは、
……テュポーンが侵攻用だったとしたら、
「概念核の半分を持ったテュポーンが、更にもう一つの概念核を封じた神砕雷《ケラヴノス》っていうのを持って3rd―Gから出たら、3rd―Gは完全に滅びちゃうよ」
「それでいいのですよ。……3rd―Gは己のGを捨てるつもりだったのですから」
と、四号は足を止めると右手を振り、床を軽く指さした。この世界自体を。
彼女は笑みで、
「ゼウス様は、概念を持たず、それゆえに他の全Gから見捨てられ、相手にもされなかったこの|Low《ロ ウ》―|G《ギア》を新しい足場にしようとしたのですよ」
息を飲んだ新庄の眼前。四号は更に言葉を続ける。
「対し、Low―Gの人々とレア様は、幾《いく》つかの誤解はありましたが、一つの事件を機に協働するようになります。――レア様の子が生まれたことです」
「その子は? その子はどうなったの?」
と問うたのは新庄《しんじょう》だ。が、四号は答えなかった。
無言で背を向け、彼女はまた歩き出す。このフロアの端、壁にある鉄の大《おお》扉の前へと。
……教えたくない情報なのかな?
レアの姿を過去で見てから、少し考えていたことがある。
だから、大扉へと連れて行く背に、新庄は試すような口調で再び問うていた。
「3rd―Gの人って長命《ちょうめい》なんだよね? もし3rd―Gの子が今、生きているとしたら、どれくらいなんだろう?」
「たかだか六十年。もし3rd―Gの人間ならば幼年期でしょう」
「そっか……」
と、簡潔《かんけつ》な答えに新庄は歩きながら頷《うなず》いた。
そして新庄はふと思った。美影《み かげ》のことを。
美影。
昨夜、黒い武神《ぶ しん》から吐き出されて飛場《ひ ば 》に抱きかかえられた自動人形の女性だ。事件の中心にいる飛場のそばにいる女性でもある。
武神のサポート役、と自分達は思っていたが、
……何か引っかかるね。
新庄は想像だけで思う。今まで検討しなかった事実を、だ。
考える。もしも、
……もしも彼女こそが、端役《は やく》じゃなく、事件の中心なのだとしたら?
そして、
……もしも竜司《りゅうじ》君が、彼女を護《まも》るためにそばに置いているのだとしたら?
自分と佐山《さ やま》が共に戦場にあるように。
だとすれば、それほどまでに大事な彼女の正体とは何だろうか。
……レアさんの子。
飛躍《ひ やく》した思考《し こう》は、ややあってから、
「――――」
首を横に振る動きで、新庄は己の思考を組み直した。
彼女は自動人形だ。人ではない。
そして昨夜、彼女は黒の武神の口から、飛場に対して落ち着いた反応をしていたことにも思い至る。四号の言うような幼児とは違う、あれは考えた応答だった。
ならば人でもなければ幼児でもない、と、新庄《しんじょう》は二つの否定を彼女に当てはめる。
しかし、新庄はふと、一つの事実に行き当たった。
……あれ?
美影《み かげ》という名前だ。
その名を先夜《せんや 》以前に、どこかで聞いたことがある。それも最近だ。
……どこでだろう?
自問を遮断《しゃだん》するように四号が問うてきた。
「何か、ご質問がおありでしょうか?」
●
四号は歩きながら新庄を見ていた。左右のパーティションから重力術で工具や資材を運ぶ仲間達が、ちらちらと目を向けているのが視界の隅《すみ》に入る。
……お静かに。
共通|記憶《き おく》でそう告げて、四号は新庄の言葉を待った。
佐山《さ やま》の姓《かばね》を持つ少年の横、新庄は黒いバインダーを抱え、
「あ、あのね?」
息を整え、新庄はこう言った。
「あのね? ボク達が昨夜会った飛場《ひ ば 》っていう人は、3rd―|G《ギア》の穢《けが》れを祓《はら》うって言ってたんだよ。でも今、3rd―Gの歴史の話を聞いていて、ボクはこう思ったんだ。――穢れを祓うには権利がいるって。……たとえば、護国課《ご こくか 》時代には3rd―Gの穢れを嫌って亡命したレアさんがいたから、だから|Low《ロ ウ》―Gには3rd―Gに関わる大義名分《たいぎ めいぶん》があったんだものね」
成程《なるほど》、と四号は会釈《えしゃく》を作った。
権利関係の問題を出してくるとは興味深いと、四号はそう判断する。
ここからどのように話題を繋《つな》げ、自分の情報を引き出そうというのか。
「――続きをどうぞ」
促《うなが》すと、新庄は頷《うなず》いた。バインダー越しに胸に手を当て、
「今、飛場の竜司《りゅうじ》君が持っている大義名分って何だろうね? お祖父《じい》さんが3rd―Gを滅ぼしたことも勿論《もちろん》だけど……、それ以上のものがあるとしたらどうだろう?」
言いながら、新庄が胸に当てた手を下げ、自分を支えるように身体《からだ》を抱いた。
その仕草《し ぐさ》から四号は新庄の骨格を予測する。男性に見えるが、女性の確率も高い、と。
いろいろと新庄へのデータを構築《こうちく》し直している間に、新庄が言葉を選びながら口を開く。
「その場合……、竜司君と一緒にいるあの人はレアさんと同等の立場か、少なくとも、3rd―Gの穢れを嫌う側だよね。あの人、見かけは自動人形だけど、実は何らかの理由でああいう身体《からだ》の人間なのだとしたら――」
……成程《なるほど》。
「それは推測ですね」
四号は新庄《しんじょう》の言葉を遮断《しゃだん》した。
新庄が知りたいのは、昨夜、飛場《ひ ば 》の眷属《けんぞく》と共にいたという自動人形のことだろう。
教えてもいいが、試験をしよう。こちらの投げかけるヒントに新庄は気づくだろうか。
四号は無表情を作り、首を傾《かし》げ、問うてみた。
「宜《よろ》しいですか? 何故《なぜ》、彼女を人だと思うのです?」
四号は、己の疑問に答えを見た。新庄の表情が変わったのだ。
……気づかれましたか。
無表情を作ったままの眼前で、新庄がかすかな笑みを見せる。安堵《あんど 》の笑みを。
「――四号さんの質問、こっちを試してるよね?」
「何のことでしょうか?」
「あからさま過ぎるよ。だって今、四号さんはこう言ったよね。何故、彼女を人だと思うのか、って。でもボクは……」
答えが来た。
「その人が女だなんて一度も言っていないよ?」
●
新庄は緊張《きんちょう》を抜く一息をついた。四号に対して首を傾げ、
「……知っているんだね? 気に掛かっているんだね? ボクの言う自動人形、美影《み かげ》さんが」
問いかけはまっすぐに四号に飛ぶ。だが、
「――――」
四号は浅く前髪を掻《か 》き上げた。それだけで彼女は無言の間を作り、一息を床に落とす。
落ちた息が床に溶けた頃に、四号はこちらを見た。無表情な目で。
「竜司《りゅうじ》君、という男性と一緒ならば女性だと思った。そう考えることは不可能ではありません。今、新庄様と佐山《さ やま》様が一緒におられるように」
即答したのは佐山だ。
「残念だね四号君。今、新庄君は男の子だよ」
佐山が言うと、四号が慌《あわ》てた動きでこちらを見た。
ひょっとして自分の事実は奥多摩《おくた ま 》のUCATにしか伝わっていないのかもしれない。いや、よく考えると、
……共に活動する奥多摩のUCAT以外に知らせても意味のないことかなあ。
成程、と内心で頷《うなず》き、新庄は自分の姿を見た。
今は学校の夏服で、中身は切《せつ》として男の子だ。だが、
「女の子に見えるかなあ。……た、確かめて見る?」
「新庄《しんじょう》君、無理に思い切ることはない」
「いや、だって、四号さんにそういうこともあるよって……」
「ふむ。では四号君、よく見ていたまえ。私が新庄君の勇気を応援《おうえん》しよう」
と、後ろからいきなりベルトを外された。慌《あわ》てて肘《ひじ》をぶち込むと、
「――っ、な、何をするのかね新庄君! 心外《しんがい》だねこれは」
「何マジに驚いた顔してるんだよっ。…[#底本「スペースあり」]…って、あ、四号さん、御免《ご めん》ね騒がしくて」
「いえ、結構《けっこう》です。有り得ないことではありませんので」
「ふむ、その有り得ぬことを予測出来なかったとは、新庄君、まずは君の勝ちだ」
「喜んでいいのかなあ……」
肩を落とした自分の方に、四号が視線を合わせてきた。
「ともあれ新庄様、先ほど告げた美影《み かげ》という名に関して問いかけます。――もし美影様をレア様の子だと証明したいならば、その出生《しゅっせい》を少しでも明確にする必要があります。六十年前に美影様という存在がいた証拠《しょうこ》は?」
「あるよ」
新庄は即答で頷《うなず》いた。
六十年前という言葉。それに対して思い出したことがある。
……美影っていう名にどこで憶《おぼ》えがあったのか。
つい最近、二ヶ月ほど前に知ったことだ。戦うために得た過去が、答えを教えてくれていた。
「かつて……」
言う。
「かつて2nd―|G《ギア》の八叉《や また》を封じる際、作られた荒王《すさおう》の制御《せいぎょ》機械には、変な寝台みたいなものが付いてたよね。その制御方式を開発者は美影式と名付けていた。――きっと、そこに寝かされていたんだよ、美影という名の自動人形が」
「ですが、彼女がレア様の子だという証拠は……」
「無いよね」
新庄は言った。
無い。それは確かなことだ。だけど、
「だけどそれはこれから確かめることだよね。――何故《なぜ》、|Low《ロ ウ》―Gに亡命したレアさんの子が自動人形に改造されたのか。何故、3rd―Gの人である彼女が、六十年後の今に幼児ではなく、ちゃんと成長をしているのか。……確かめたいよ、ボクは。それじゃ駄目《だ め 》?」
こちらの言葉に、四号は変化を見せた。
表情を、無表情から、別の無表情に変えたのだ。
………えっ?
解《わか》らない。四号が己の判断で作った表情の意味が読み取れない。
それはどうとも言えぬほどの小さな変化だ。言葉にするならば、
……優しい、のかな。
張りつめた雰囲気《ふんい き 》はない。ごく自然な表情だ、と新庄《しんじょう》は思い、それがどうして出来たのかに気づく。
……顔の傾きだ。
無表情|自体《じ たい》は変わっていない。だが、視線を上げ、正面からこちらを見る顔は、わずかな笑みを持っているように見える。
人形だけが作ることの出来る表情に、新庄はこう思う。
……こっちをちゃんと向いてくれたんだね。
その思いに答えるように、四号が口を開いた。
「どうしても、――3rd―|G《ギア》への興味を捨てるつもりはありませんか?」
「捨てるように見えるかね?」
問うたのは佐山《さ やま》だ。彼の手が伸びてきて、こちらの指輪がある手を取った。
彼は言う。前に半歩を出て、
「ここから先は私の仕事だ新庄君。だから今度は私から問おう、四号君。……先ほど君が告げた穢《けが》れに対し、今、私達は退《しりぞ》くように見えているかね? もしそうでないならば試してもらおうか。私達が穢れを祓《はら》うことが出来るかどうかを」
「試すとは……?」
「私達は幾《いく》つかの戦いを抜けてきた。――だが、武神《ぶ しん》を身体《からだ》として扱う神々や人形との戦闘の力を私達は得ていない。今日、ここに受け取りに来たものは、そのための力の一つなのだろう? 私達に力を与えようと、御老体《ご ろうたい》達が画策《かくさく》したわけだ」
一息。
「八号君達には既に試験をさせてもらった。君の試験はまだだったね? 四号君。そして私は力を受け取り、更には聞きたいことがある。美影《み かげ》という自動人形のこともだが、3rd―Gの生き残り達について」
背を半分見せる佐山の手、こちらの右手を握った左手から、力が来た。
だから新庄は彼の手を握り返す。強く、答えを通じ合わせるように。
手肌《て はだ》が歪《ゆが》み、そして四号の言葉が来た。
「成程《なるほど》。では試させていただくことにしましょう。ですが、一つだけ言わせていただきます」
「何をかね?」
「……これ以上の答えは、私どもも知りたいことなのです。3rd―Gがどのようにして滅びたのか。そしで、他の主力達はどのようにしているのか。私どもが気づいたときには世界は滅び始め、各地に作られた門に飛び込むことしか出来なかったのですから」
四号は眉尻《まゆじり》を下げ、残念の表情をした。
「決戦《けっせん》当日までについて私どもが知っているのは、レア様の子が奪還《だっかん》され、ゼウス様が意思をコピーした武神《ぶ しん》を遺《のこ》して冥府《タルタロス》に落ちるときにクロノス様も冥府《タルタロス》送りとなったこと。そして最後の戦闘があったとき、3rd―|G《ギア》の中央|神殿《しんでん》にいたのはアポルオン様と、美影《み かげ》様だけだったということです」
「ならば他の主力は今、そのアポルオンを主人にしている筈《はず》だね。そこに何か疑問が?」
「|Tes《テスタメント》.、……アポルオン様は、ゼウス様と違って和平《わ へい》派《は 》だったのです」
●
告げられた言葉を新庄《しんじょう》が理解するには、ある程度の間が必要だった。
……和平派? 3rd―Gの次期王が?
新庄は思う。その人が生きていれば、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は出来るんじゃないか、と。
そして、数秒という時間をもって、四号がこう言った。
「あの方は3rd―Gを嫌っておられました。妹のアルテミス様が子供を作れないと解《わか》ったとき、冥府《タルタロス》送りにするのを拒み、ゼウス様と衝突《しょうとつ》されたほどです。……|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》があるならば、それこそ喜んで受け、武神を持ち出して戦闘するようなことは無い筈です」
四号の言葉と顔はうつむきだ。
新庄は、見たことのないアポルオンという男性を、ふと思う。
……自動人形さん達に信頼されていたんだろうなあ……。
だから問う。つまり、と前置きして、
「四号さんの疑問って、こういうことだよね? 何故《なぜ》、和平派のアポルオンが率《ひき》いている筈の主力が、隠れ、戦いを望むのかって」
「Tes.、それ以外にもう一つあります。そして昨夜、テュポーンが飛来し、人を攫《さら》ったという話を聞きましたが、何故、アポルオン様はテュポーンに乗ってそんなことをされたのでしょうか? あれは確かにアポルオン様の専用機体ですが……」
首を横に振り、
「それ以前の機体は、冥府《タルタロス》に落ちることを拒んだアルテミス様の身体《からだ》を素体《そ たい》として作られていたものです。ゼウス様がアポルオン様とクロノス様への見せしめのために、アルテミス様の意思を冥府機構《タルタロスマキナ》に落とし、残った身体を部品として処理させたのです」
言葉を失ったこちらの眼前で、四号がわずかに首を横に振った。
「――ですから、妹がこうなったのは自分の責任だと、絶対に手放さないと、妹思いのアポルオン様はそう| 仰 《おっしゃ》っていたのですよ」
「その機体が破壊されたのではないのかね? 最後の戦闘で」
「武神《ぶ しん》が破壊されれば搭乗者《とうじょうしゃ》も死亡します。――アポルオン様が生きている限り、あの青白い、アルテミス様の機体は無事な筈《はず》です」
一息。
「答えを探って下さい。何か理由があるのです。私達の知る穢《けが》れを超える、第二の穢れが。――クロノス様が作り上げた四種の自動人形の内、三種、テュポーンの守護と警備を行う戦闘型自動人形ヘカトンケイル三体と、人々の記憶《き おく》操作と管理のために作られたモイラ三体と、私ども量産型が、……それこそ私達の知らぬ穢れのために戦っているかと」
と、四号は前を見た。進行方向、行く先には壁がある。
壁には巨大な鉄扉《てっぴ 》が付いていた。
彼女は前に数歩を急ぎ、足音も立てずに踵《かかと》で身をこちらに回す。
「この奥に私達が貴方《あなた》がたに与える力があります、全ての答えを得ていただくための力が。ですが、――今更《いまさら》ではありますが、それを与えるための試験と参りましょう」
「成程《なるほど》。では、その試験とは?」
ええ、と四号は言った。
「意思の確認、です」
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第七章
『軋みの番人』
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花は何故枯れるのか
そこにいて咲き続けぬのは何故か
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●
鉄の巨大な扉がある。
神田《かんだ 》研究所の地下、金属の溶接や切削《せっさく》音や、火花の匂《にお》いが漂う中だ。フロアの端、運搬《うんぱん》通路の行く先にあるのは、高さ四メートル、幅八メートルは下らない鉄のスライド扉だ。
両開き式の扉の前にいるのは三人。
自動人形の四号と、彼女に連れられてきた佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》だ。
佐山と新庄の背後は研究所の作業スペースで、多くの人々と自動人形が働いている。
正面の四号は隔壁《かくへき》扉の前に立つと、こちらを通行止めするように軽く足を開いた。
笑みの顔で、
「さあ、試験と参りましょう」
と四号は言った。背後へ両の手を広げ、隔壁のロックを掴《つか》む。
彼女の視線はまっすぐこちらを見ている。
「もしお答えを正しくいただけないならば、お帰り下さい。――この奥にあるものは私どもにとって大事な恨みの具現。引き渡すかどうかは私の判断に委《ゆだ》ねられております」
「は、判断って……、何を問うの?」
横、新庄が焦った声で問い掛けるが、四号は笑みを返すだけだ。
だから佐山は一歩を前に出た。
「ここは悪役を欲しているのだよ、新庄君。穢《けが》れに踏み込んでいける見事な悪役を。……君が問うても答えはあるまい」
こちらの言葉に、四号が頷《うなず》いた。Tes《テスタメント》.、と静かに前置きして、
「問い掛けは一つです。3rd―|G《ギア》の人々は長命《ちょうめい》で、この世界においては神話と重ねられており、事実、その文明は天候や天体を操《あやつ》り、巨大な武神《ぶ しん》を武器としていました」
「神のような、と言いたいが、実際は悪魔《あくま 》のようだね」
「Tes.」
四号は否定をしない。そして彼女はゆっくりと言葉を作った。
「……もし|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を行うならば、その悪魔と戦うことになり、ひいては仲間と迎えることになります。――が、全能《ぜんのう》に近く、万力《ばんりょく》を持つ悪魔に逆らい、仲間とし、他Gの者達に忌避《き ひ 》感を抱かせるという行為を、人の世界の代表はどうお思いですか?」
ふむ、と佐山は頷《うなず》いた。結論は一つしかない。
「――下らない問いだ」
●
佐山は左腕を軽く、しかし服の肘《ひじ》に音たてて振り上げる。
布を打つ音が強く響《ひび》いた。
その音を合図とするように、背後から響いていた作業の音がゆっくりと消えていく。
皆がこちらを向くのが解《わか》る。動きを止め、耳を澄ませている気配が伝わってくる。
自分達の眼前では、四号が扉を護《まも》るように両の腕を広げ、じっとしている。
全ては無音が支配する。
だが、静けさが生む張りつめた空気の中で、佐山《さ やま》はゆっくりと手を下ろした。
そして佐山は声を生む。
「悪魔《あくま 》に逆らい従えようとすることをどう思うか、か。――改めて言うが、下らない問いだ」
「そうですか? それは殺人者を家族に迎えようということですが。……佐山様は大丈夫でも、他の家族の方は?」
四号の目がこちらの左を見た。そこには新庄《しんじょう》がいる。
対する新庄は視線をまず四号に返してから、自分の方に向けてくる。表情は眉尻《まゆじり》を下げたもので、口元は無理に笑おうとしているが、出来ないでいる。
「あ、あのさ、佐山君。政治的に見てどうなの? ボクが言うことじゃないかもしれないけど、ボク以外の多くの他|G《ギア》の人達の中には、3rd―Gに家族を殺された人もいるよね? 戦争で殺されたんじゃなくて、攫《さら》われて、実験のために殺された人が」
「| 恭 順 《きょうじゅん》させる場合、その遺族《い ぞく》のための補償《ほしょう》なども必要となるかと思いますが」
成程《なるほど》、と佐山は思った。
……この質問の背景には、やはり今後の他Gとの交渉が視野に入っているのだな。
だが、とも佐山は思う。
「それらのことを私が考えていないと思ったのかね? 新庄君」
問うと、新庄は表情を変えた。眉を上げ、顔を上げ、
「や、やっぱりちゃんと考えてたの? 佐山君」
「ははは、当然、――考えてなどいないとも」
え、と新庄が表情を固めた。
背後から伝わる全ての雰囲気《ふんい き 》が堅くなり、正面では四号が表情を無くす。
しかし、全ての感情が無くなっていく空気に向かって、佐山は告げた。
「そんなこと、今更《いまさら》改めて考えるべきことかね」
左腕を再び振る。袖《そで》に音をたて、跳ね上げた腕で髪を掻《か 》き上げ、
「|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》。それにおいて3rd―Gと交渉し、恭順させるのは我々だ。――他のGではない。何故《なぜ》、他のGの言うことを聞く必要があるのかね? 世界は我々の下で平等になるのだよ?」
「それは――」
言葉を詰めた新庄より先に、四号が問うた。
「|Low《ロ ウ》―Gが全てのGの上に立ち、支配者となるということですか? 佐山様は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を、そのように捉《とら》えていると?」
「見誤ってもらっては困る」
佐山《さ やま》は言う。
「全ての|G《ギア》を| 恭 順 《きょうじゅん》させていく、それは今までどのGも為《な 》しえなかったことだ。それを為す事は、|Low《ロ ウ》―G以外の全てのGを等位《とうい 》にするということになる。――つまり、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》はどう行っても自動的にLow―Gを他の全Gの上に置くものとなる。……だから私はその状態で全Gを集め、一つのことを行おうと思っている」
「それは?」
という四号の問い掛けに、佐山は迷い無く即答した。
「上に立ったLow―Gを、他の全Gに恭順させることだ」
「――――」
「方法は解《わか》らない。いつ行えばいいものかも。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》自体が終わるものなのかも。だが、それを行えば必ず全ては平等となる。全てのGを恭順させた過去と引き替えに、Low―Gは全てのGの負の責任を抱えて降りていく。――そして、それでいい」
●
四号は目の前に立つ少年の言葉を聞いていた。
周囲、パーティションからこちらを覗《のぞ》き見る皆も、自分と同じように身動きすらしない。
……Low―Gを恭順させる?
疑問に答えるように、佐山が言葉を続けた。
「四号君、君は言ったね? 悪魔《あくま 》や神に逆らい、従えることをどう思うのかと。だが勘違《かんちが》いするな。悪魔や神も種族の一《いち》分類に過ぎん。能力差はあるとしても、君らと同じだ、自動人形諸君。何を怖れることがあろうか」
「……彼らと貴方《あなた》達にとっての能力差が、蟻《あり》と人のようなものだとしても?」
「酒場で横にいれば肩を叩いて一杯おごるだろうさ」
佐山が、上げた左腕を下げていく。こちらに来るのは問い掛けだ。
「悪魔や神とは何かね? 人を誘い堕《お 》とす者か? 全知《ぜんち 》全能の支配者か? そんな悪魔や神など、力があるだけの使用人だ」
佐山が苦笑を漏らした。おそらくその苦笑は、自分で言う言葉の内容に対して、だ。
四号は彼の笑みに、ふと、懐《なつ》かしさを感じた。
かつて、同じ笑みをする人がいた、と。
だから問うた。
「佐山様は、その使用人をどうされるおつもりでしょうか?」
「そうだね。もしそんな風にして悪魔や神と怖れ崇《あが》められている連中がいるならば、殴り倒して目を醒《さ 》まさせてやるだけだ。もっと楽しいことが世にはあるぞ、と。――そう、堕落《だ らく》や全知《ぜんち 》全能など捨て去り、それこそ君達に預けて貰《もら》った方が楽というものだ」
「――私ども、に?」
「君達は人に仕えるのだろう?」
佐山《さ やま》は言った。
「悪魔《あくま 》や神がその全知全能を君達に預け、人になる。これは素晴らしいことではないのかね? 君達はもはや己の能力に限界を感じることなく、人に仕えられるぞ。大体、悪魔や神は信仰で作られる。つまりは人工物だ。ならば人工物である君達がそうなっても異論《い ろん》はあるまい」
言った台詞《せりふ》に、ふと、四号は表情を変えてしまった。
機能が働いたのだ。感情機能として、思考《し こう》の連結《れんけつ》結果が一つの反応を選んだせいで。
笑みが生まれた。思わず、くすりと小さく笑い声さえたて、
「|Tes《テスタメント》.、声をたてて申し訳|御座《ご ざ 》いません。――滅多《めった 》に使わぬものですから」
「自己点検のためにはいいことだ」
言って、佐山が下げた左手を前に差し出してきた。自分の方に向かって、だ。
彼はまっすぐ告げてくる。
「さあ、この手をとり、空《あ 》いた手で背後の扉を開けてくれたまえ。それこそが君の仕事だ誇りある自動人形君。我々は扉の向こうにあるものを得て、君達の知らぬ過去を調べて戦いに行く。――勘違《かんちが》いの悪魔や神々といずれ酒席を共にするために」
「共に、ですか?」
「そのために我々はいるのだよ。酒席はきっと賑《にぎ》やかだろう。全ての|G《ギア》の勘違いが集《つど》い、そして給仕は君達だ。出来れば君達もその席では笑って貰えると有《あ 》り難《がた》いのだが」
「そうですか」
四号は、頷《うなず》いた。
「きっと楽しいことになると、そう判断いたします」
機能が働く。笑みの機能だ。滅多《めった 》に使わぬ機能を使えて貴重だとする判断とは別に、これは何故《なぜ》か機械らしくないという判断も動く。
この笑みは、感情機能でいう何という反応だったろうか。頬《ほお》に熱が来て、目が緩む笑みだ。
解《わか》らない。ただ佐山以外の他者に見られたくない笑みだ、と少し顔をうつむいた。
頭脳に| 蘇 《よみがえ》るのは、かつて同じことをした記録。
十年前、同じ機能を自分に使わせた人は、一人の少年のことをよく話していた。足りないヤツだと述べてはいたが、そのときには必ず笑みがついてきた。
最近、彼は亡くなり、代わりに、自分の中に気になることが一つあった。
……あの少年はどんな人になっただろうか。
四号は思う。自分が今、浮かべている笑みはどういうものだろうか、と。
そして目を伏せ、彼女は告げた。
「ようこそ、3rd―|G《ギア》の問いかけの入り口へ。――佐山《さ やま》・御言《み こと》様」
●
四号が告げた言葉とともに、間が生まれた。
だが、佐山は急《せ》かさない。手を更に差し出すこともなければ、言葉を放つこともない。
そして、向かい合う四号は動かない。両の手を背後に広げたまま、笑みのまま。
微《かす》かにうつむき目を伏せたまま。
「…………」
沈黙《ちんもく》があり、数呼吸の間をもって、動きが生まれた。
動きは、四号が作ったものではない。佐山が作ったものでも、新庄《しんじょう》が作ったものでもない。
後ろ、手を差し出す自分の背後から、小柄《こ がら》な影が幾《いく》つもやってきたのだ。
自動人形達だ。
合計数十名の白動人形達がゆっくりとした歩みでこちらを取り囲み、幾らかの者達が前へ、隔壁《かくへき》扉の方へと歩み寄った。
何事か、と眉をひそめた佐山の右で、新庄が小さく身を震わせた。
新庄が見ているのは正面、数名の自動人形に取り囲まれた四号だ。
「あの人……」
言われ、佐山《さ やま》も気づいた。目の前にいる四号が、
「動かない……?」
四号は動いていない。
見れば、先ほどまであった人形としての身動きさえも消え、全身が固定されたかのような張りつめた状態で固まっている。
扉に当たった手も、先導した脚《あし》も、幾度《いくど 》か傾《かし》げられた首も、表情も、もはや動かない。
自動人形は全ての機能を自己停止し、二度と動かなくなっていた。
「――ど、どうしてだよっ?」
自問に近い新庄《しんじょう》の叫びが響《ひび》き、周囲は無音だと知らされる。その眼前で、四号に寄り添った自動人形が振り向く。
八号だ。彼女は赤毛を揺らし、首を横に振る。四号はもう動いていない、と。
佐山は問うた。
「八号君、君が私に対して言った言葉があったな。――私が来ることで仲間が害《がい》されると」
「|Tes《テスタメント》.」
「……何故《なぜ》かね? 何故、四号君は自分を害した?」
問い掛けながら、佐山は右の手を左の胸に当てた。
微《かす》かな軋《きし》みを前奏《ぜんそう》に、視界の中央で八号がこちらを見た。無表情に、しかし静かに。
「……十年前、この場所を制圧したとき、四号は交渉に当たりました。そして3rd―|G《ギア》を裏切る形で亡命の手はずを整えた彼女は、その裏切りの責任を自壊《じ かい》で払おうとしましたが、止められたのです」
「人形の自壊を、誰が、どのように止めた?」
「Tes.、……役目を与えられたのです。ある方が、自分に仕えるようにと。――そしてその役目が今終わったのです。佐山様達の通過を認めることで」
「その役目を与えた人って、……まさか」
新庄の言葉に答えたのは、佐山だった。
「私の祖父だ」
「Tes.。――先ほどの四号の問いがありましたね? かつて、佐山|翁《おう》は同じ問い掛けに答えられたのです。その後、佐山翁はこの奥にある、概念《がいねん》戦争直後から封じてきたものに対し、四号に改めてその守りを頼んだのです。五十年自分達が封じてきたものを、改めて預けると。だから、お前の認める者以外を通すなと」
佐山は軋んだ。
く、と声を飲むと新庄が右から身体《からだ》を抱えてくれる。
服を通して伝わる温かさと柔らかさに、何とか息を整えて、
「――――」
大丈夫だ。額《ひたい》に湿りを浮かばせ、しかし佐山《さ やま》は身体《からだ》の緊張《きんちょう》を解く。
「大丈夫だよ。新庄《しんじょう》君」
まだ力の上手《うま》く入らぬ右手を胸から外し、新庄の身体を一度引き寄せた。
ん、と新庄が身を寄せ、こちらを支えてくれた。
佐山は床に改めて立ち、前を見る。
そこに扉があり、その前に、一人の、もはや動かぬ自動人形がいた。
「…………」
誰もが無言だ。
静かな空気の中、佐山は新庄から離れ、四号に歩み寄る。と、言葉が来た。
台詞《せりふ》を放つのは四号の横に立つ赤毛の自動人形だ。
「佐山様。佐山|翁《おう》はたびたびここに来ては、彼女に勧めていたのです、役目を終えた後、別の主人につくことを。ですが、彼女は己の判断を遵守《じゅんしゅ》しました」
首を傾《かし》げ、
「何故《なぜ》でしょうか。人間という、心のある種族には解《わか》りますか?」
「この状況から解るのは一つの馬鹿げた事実だけだ。――彼女は人を見る目がない、と」
「|Tes《テスタメント》.、……佐山翁と同じことを| 仰 《おっしゃ》るんですね」
そうか、と佐山は胸のうずきを堪《こら》えながら問う。
「かつて交渉のときに送られた彼女の問いに、祖父は何と答えた?」
「四号にお聞き下さい。二人の佐山様の答えを聞いた四号に」
見れば彼女の肌《はだ》は人形の硬質《こうしつ》で、もはや動かない。
だが、彼女の口元には一つのものがあった。
笑みだ。動かぬ笑みがそこに残っている。
それを視界の中央に置きながら、佐山は改めて左の胸に手を当てた。
「感謝する」
一息をつき、無表情に彼女の顔を見た。
「ただ残念なのは、こちらの手を取り、自ら扉を開けてもらえぬことだが――」
言いつつ、佐山は気づいた。四号がこちらの手を取らなかった理由を。
背後に広げられた四号の両の手指は、扉のロックに添えられていた。
だが、彼女の指は、もはやロックを掴《つか》んではいなかった。
見れば扉は既に開いていた。
……確かに彼女はこう言ったのだな。―― ようこそ と。
「――見事な仕事だ」
だから佐山は左手を振り上げた。左右と背後にいる自動人形達に対して叫びを放つ。
「開門を行う」
「|Tes《テスタメント》.!」
自動人形達の頷《うなず》きの中、佐山《さ やま》は前に出た。
四号の頭上に両手を掲げ、隔壁《かくへき》扉の隙間《すきま 》に手指を当て、差し込んだ。
開くか? という問いかけは頭の中で一瞬《いっしゅん》にして消し飛ぶ。
自動人形は扉に手を触れなかった。よく出来た自動人形がそうしたということは、……既に開く準備は出来ている。
腕を両外に開けば、果たして門は瞬時《しゅんじ》に全開した。
「!」
鉄門がレールを走る音は轟音《ごうおん》に等しく、戸袋《とぶくろ》に鋼鉄が激突《げきとつ》する音は打撃音に通じる。
風が来る。正面からの解放の風が。そして重なり来るのは照明の光だ。
一歩を下がった佐山は、見た。
両手を広げた四号が、風に衣服をなびかせ、照明の逆光《ぎゃっこう》に立っている。
笑みを浮かべ、身動きせぬままに。そして彼女の向こうにそれがあった。
照明に照らされ、全長十メートルはあるカーゴに乗っているのは、
「黒の武神《ぶ しん》……!」
昨夜見たものに似た機体。
横から、先ほど四号に寄り添っていた八号が声を飛ばす。
「――概念《がいねん》戦争時代に回収された3rd―|G《ギア》の武神をベースに作られた機体、|Low《ロ ウ》―G製としては唯一《ゆいいつ》の、賢石《けんせき》により概念空間|外《がい》でも活動可能な武神、荒人改《すさひとかい》です。二度の大破《たいは 》と一度の中破《ちゅうは》をはね除《の 》けて現存する、3rd―Gにとって過去の死神《しにがみ》たる武神!」
死神、と呼ばれた鉄の姿を確認したときだ。
ふと、左胸をくすぐるものがあった。
獏だ。
●
鉄門を開いた佐山の背後、新庄《しんじょう》は獏が彼の肩に上がるのを確認した。
……過去が来る。
一度となく得た体験は、その前触《まえぶ 》れを完全に察知《さっち 》した。そして身体《からだ》の全感覚は己の察知力を証明する。過去を、視界に展開することによって。
目の前に広がった過去の時刻は早朝|未明《み めい》。そこは薄暗く、そして雨が降っていた。
場所はどこかの山の中だ。周囲にはただただ雨の音と山並の影があり、はっきりと確認出来るのは足下だけだ。
大地として、切り開かれた二十メートル四方の空《あ 》き地があるだけ。
その地面は踏み固められていたが、しかし、地表大部分を大きく砕かれていた。
小規模な戦場となっていたのだ。
……これは――。
闇《やみ》に近い視界の中、まず二つの巨大な影が見えてきた。
一つは地面に砕かれた黒い武神《ぶ しん》だ。荒人《すさひと》と白字で書かれた翼《つばさ》と右腕は折られ、胴体《どうたい》部の装甲《そうこう》板も内側に折れ曲がり、胸に食い込んでいる。
もう一つは白銀《はくぎん》の武神だ。黒の武神の前に立っていたであろう身は、その胴体部を切断されていた。分かたれた機体の上下はその上から更に打撃|圧《あつ》でひしゃげており、切断部と身体《からだ》の各部からは油や潤滑《じゅんかつ》液のようなものが流れ出している。
新庄《しんじょう》は知っている。武神が受けたダメージは搭乗《とうじょう》者に返るのだと。
「あの白銀の乗り手はレアさんの筈《はず》――」
その結果を思うより早く、一つの動きが生まれた。
黒の武神の影から、一人の男が身を上げたのだ。
小柄《こ がら》な青年、飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》だ。陸軍の兵服をラフに着込んだ姿は右の腕をだらりと下げたまま、雨に打たれ、脚《あし》を引きずりながらも前に出た。彼の向かって左目は刃《やいば》で裂かれたような傷で縦に潰れており、残る右目も頭部からの血で視界を定かにしていない。
だが、竜徹の隻眼《せきがん》が見るものは二つ、彼の更に前方に立つ巨大な二つの影だ。それは、
「灰色と蒼白《そうはく》の武神……!」
黒の武神よりも、白銀の武神よりも、一回り巨大な二機の武神が闇に立っている。
灰色と、蒼白。どちらも四枚|翼《よく》を展開した巨体だが、灰色の方が右手に黒い油の付いた一刀を下げ、左手には、一つの音を持っていた。
赤子《あかご 》の泣き声だ。
雨の大気に響《ひび》く泣き声が、灰色の巨人の左手の平から響いている。
そして新庄の視界は見た。布の端切《は ぎ 》れを縫《ぬ 》い合わせて作った産着《うぶぎ 》の中、赤い瞳《ひとみ》の赤子《あかご 》が涙をこぼして泣いている。
あ、という音を伸ばして断続させる泣き声に、竜徹が身を前に出す。
動かぬ右腕を左の手で抱え、灰色と蒼白の武神を見上げ、
「それが……、それが王達の選択か!?」
灰色の武神は言葉で答えない。ただ、蒼白の武神が灰色の武神をわずかに見上げた。
まるで何かを窺《うかが》うように。
直後、答えるように灰色の武神が動いた。右腕の剣を振り上げ、竜徹に向かって、
「――!」
風が断ち切られて刃が落下する。
同時。竜徹の目の前で倒れ伏していた白銀の武神が動いた。切断された上半身部分だけが、まるで生き物のように、力任せに右の腕を振り上げたのだ。
快音は破壊とともに。白銀《はくぎん》の武神《ぶ しん》の右|肘《ひじ》から先が刃《やいば》の衝撃《しょうげき》で破裂する。だが、跳ねるように動いた白銀の上半身はその身を灰色の武神に激突《げきとつ》させた。
無論、それ以上の動きはない。
地響《じ ひび》きと泥水《どろみず》の飛沫《しぶき》をたてて再び地面に頽《くずお》れた白銀の武神に、竜徹《りゅうてつ》が声を挙げる。雨を含み、泣きそうな声で、
「レア!」
答えはない。ただ、対する灰色の武神は、足下に転がった自銀の武神を確かに見た。
一瞥《いちべつ》し、灰色の手指にまとわりついた白銀の武神の油を眺《なが》め、
『――――』
機械の唸《うな》りとも、吐息ともとれる音を漏らす。
そうしている間に、灰色と蒼白《そうはく》の武神の背後に闇《やみ》が生まれた。黒い闇だ。周囲の闇とは違い、まるで固体化したような闇だった。それは一瞬《いっしゅん》で広がり、灰色の武神を包むように広がる。
門だ。
灰色の武神は左手にある泣き声を掲げ、門に身を沈めた。
行く先は3rd―|G《ギア》、成すべきことは成したというように、もはや竜徹には目もくれない。
続き、蒼白の武神が背を向けた。だが、わずかに動きを止め、
『――――』
何かを告げた。
そして、巨体の消滅は風の一吹《ひとふ 》きをもって行われた。
後に残るのは砕かれた地面と二機の武神の残骸《ざんがい》と、竜徹のみ。
未明の空の下、彼は膝《ひざ》をつく。うなだれ、身体《からだ》を前に折り、呻《うめ》きを挙げた。
響き漏れる苦鳴《く めい》の声に、新庄《しんじょう》の意識は耳を閉じようとした。が、出来る筈《はず》もない。
「赦《ゆる》しゃしねぇ……」
叫びは泣きの音へと変わり続いた。だが、過去は急速に終わりを迎えようとしていた。閉じることの出来ない視覚が、見せるものは見せたと言わんばかりに暗くなっていく。
そして過去が切り替わる。
……え?
終わるのではない。移行したのだ。次へ、まだ見せるべきものがあるとでも言うように。
視界が変わる。それは暗転《あんてん》ではなく、移動するように。世界が変化する。
●
佐山《さ やま》の眼前《がんぜん》に広がった二度目の過去は、霧に沈んだ薄暗い倉庫だった。
古い、ということが第一印象の広い倉庫だ。それも年代が古いというだけではなく、使い古された倉庫という意味もつけて、だ。
その倉庫は窓|硝子《ガラス》も扉もなく、床はコンクリートを敷いただけのものだった。床のコンクリートは重量物の擦過《さっか 》で削られ、平らな面の方が少ないくらいだ。
倉庫の床、中央には大きな山のようなものがある。
山は未明の薄闇《うすやみ》と霧の中に沈んでいる。
しかし、未明の闇は、倉庫内にあるものの形を浮き上がらせていた。
それは武神《ぶ しん》の残骸《ざんがい》だった。白銀《はくぎん》の残骸と黒の残骸だ。白銀の方は胴体《どうたい》の上下が両断されており、四肢《し し 》も砕かれている。が、横に並ぶ黒の武神は胴体部と右腕の破砕《は さい》以外はほぼ無事だ。
そして、二機の武神の影から、三つの人影が現れた。
歩き、武神の具合を確かめるようにしているのは先頭の一人だ。
彼を佐山《さ やま》は知っていた。
「大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》……」
続いて、武神から目を逸《そ 》らして歩いてくるのは飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》だ。
彼は左の目に包帯《ほうたい》を巻き、右の腕をやはり包帯で吊《つ 》っていた。
竜徹は無言で背後を見る。彼の向けた目の先、最後に来たのは一人の老人だった。白い長衣《ちょうい》の背中は大きく曲がっており、白髪《はくはつ》と白髭《しろひげ》が同じ長さで前にたれている。
歩きはゆっくりだが、目に力があるのを佐山は認めた。
彼はじっと二機の武神を見て、不意に足を止めた。
「面白い工夫だ」
声には別の言語が重なっていた。
誰だろうか、という思いに、足を止めた宏昌が振り返る。
「有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。武神の本場の、第一人者にそう言っていただけるとは。クロノス王」
「王とは言っても前《ぜん》王だよ」
老人、クロノスは詰まらなさそうにつぶやいた。
「今はこうして、息子《むすこ》の隙《すき》を見て|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に来るしかない男だ」
「初めて会うのがこのような現場とは勿体《もったい》ないものです。お帰りはすぐでしたね。今日は何の御用で? まさかレアさんの看取《み と 》りだけではないですよね?」
「ああ、レアはちゃんと概念《がいねん》を冥府《タルタロス》に分解《ぶんかい》送付してからこちらに来た。遺骸《い がい》に意思は残らぬだろうから、レアを看取《み と 》る意味はない。……こちらの世界の人間として処分してくれ」
そしてクロノスは告げた。長衣の襟《えり》を正し、
「言うべきことは二つある。一つは、3rd―Gが9th―Gと同盟を結び、その戦闘先をここ、――貴様《き さま》らのいるこの場所に決定したことだ」
彼の言葉に、宏昌と竜徹が身動きを止めた。
竜徹が包帯の隻眼《せきがん》でクロノスを見るが、老人は何も言わない。
ただ、宏昌《ひろまさ》が眼鏡《めがね》を鼻の上に持ち上げ、
「――勝てますか? 僕達の工夫で」
「無理だな。機竜《きりゅう》や概念《がいねん》兵器を持っているようだが、同じレベルなら相打ち。低ければ負けだ。――そして彼らが来るのは、きっとこの世界が春になる頃だ。重要物は分散し、女《おんな》子供は避難させておくがいい。そして、死んでも良いか、その戦場の残骸《ざんがい》を拾いたい者だけが残れ」
成程《なるほど》、と宏昌が頷《うなず》いたときだ。
なあ、と竜徹《りゅうてつ》が声を飛ばした。そして彼はゆっくりと息を吸って、クロノスに向き合う。
竜徹の顔からは表情が消えていた。彼は力無いまま、言葉を落すようにこう尋《たず》ねた。
「ゼウスとアポルオンの野郎《や ろう》は来るのかい?」
「勝てんぞ」
「来るのかって聞いてんだよう、俺ぁよ」
「――来る。が、アポルオンは神殿《しんでん》待機だ。レアを殺せずゼウスの手を煩《わずら》わせたからな」
そうか、と竜徹は表情を作った。口の端に歯を見せたのだ。
「アポルオンが来ねえのは残念だけどよ。また開かれるよな? オメエさんが来たような、一人送るだけで閉じるような門と違って、……武神《ぶ しん》を行き来させられるくらいの門が」
「……何故《なぜ》、そこまでしようと思う?」
何をする気だとは、もはやクロノスは問わなかった。
が、彼の問い掛けに反応したのは竜徹ではなかった。
宏昌《ひろまさ》だ。彼は竜徹の横から、その動かぬ右肩を敢えて掴《つか》んだ。
「――飛場《ひ ば 》、やめておいた方がいい。お前はそばにいる人間のことも少しは見てやれ」
「解《わか》ってらあ」
竜徹は言う。
「だから、けじめってもんがいるだろうよ? 宏昌、オメエ、子供がいるだろ? やたら健康だけど頭の悪そうなのが。あのガキの名前、どうしてつけたよ?」
「……何事でも一番であるといいな、と。そう、健康においても馬鹿においても」
「は。やっぱ|Low《ロ ウ》―|G《ギア》生まれだと、そういう実利《じつり 》に向くよな。きっと俺もそうだ。子供が生まれたら何かを成せるよう意味づけようとする」
だけどよ、と彼は言った。宏昌の手を左の手で払い、笑みを見せる。
「レアは娘に美影《み かげ》と名付けた。生まれたとき、夜明けの中、俺ん家《ち 》の裏の露天《ろ てん》道場の小屋から見えた外の世界が、そう見えたんだと。単に日が昇るだけの風景なのにな。……だが、3rd―Gにはそれすらも無かったと。――だから子はLow―Gの子であると、いつか彼女が思い出せるように、そう名付けたと」
だから、
「美影は俺達の世界の人間だ。取り戻す、絶対に」
「どうだろうな」
と、クロノスの声が倉庫に響《ひび》いた次の瞬間《しゅんかん》だ。
竜徹《りゅうてつ》が動いていた。彼は左の手でクロノスの襟首《えりくび》を掴《つか》み、
「オメエがどう言おうと俺の知ったことか……! 敵が来るならば来ればいい、今度はこっちから行く番だ。それだけの――」
「それだけのことではない。美影《み かげ》に関してはな」
「何がだ!?」
「美影は子供を作れぬ身体《からだ》だった」
クロノスが、こぼすように台詞《せりふ》を告げた。
な、と竜徹と宏昌《ひろまさ》が言葉を失う。目を見開いた竜徹の手が力を失い、クロノスが襟を外す。
「ゼウスは私に彼女の検査をさせたよ。遺伝子《い でんし 》レベルで成長の先を見据《み す 》えたところ、やはり彼女は子を産めぬ人間として成長することが解《わか》った」
告げられた台詞。それが空気に馴染《な じ 》み、理解されるまで数秒を要した。
続く反応を生んだのは、竜徹だった。
は、という声を挙げた竜徹が、まず肩を震わせた。
その震えは数度|無言《む ごん》で、しかしすぐに声をつけ、身を前に倒したものとなり、
「はは……! ば、馬鹿じゃねえのかよう、あのゼウスって野郎《や ろう》は。あれだけ大騒ぎしてこっちの世界に乗り込んできて、女殺して、手に入れた娘は子が作れねえ、か。――3rd―|G《ギア》は滅びるじゃねえのかよ! アポルオンとかいうのがいても、相手がいねえんじゃ!」
「だから私がその相手を作ることとなった。――美影を使ってな」
「何……」
と身構えた竜徹の身体が、不意に横に崩れた。
打音とともに膝《ひざ》をついた竜徹の背後に立つのは、やはり宏昌だ。彼は手にした鉄棒を肩に担《にな》い、クロノスに笑顔を見せる。
「失礼。どうも最近の猿は血圧が高いようです。代わりに話をお聞きしましょう。どういうことなんでしょう? ――子を産めぬ母体の改造技術が完成したと?」
「いや、違う。私が昨今《さっこん》手を染めていたのは自動人形だよ」
「それは?」
「性能的には重力術をオミットしただけの自動人形だ。……ただ、人に進化するがね」
彼の言葉の意味に、宏昌が言葉を失った。対するクロノスは小さく自嘲《じちょう》の笑みを浮かべ、
「金属が生命を持つ。それゆえ、金属は生命として進化し、人にもなれるはずだ。そのために設計した自動人形が完成した。ここに来る直前、その自動人形に美影を管理体として移植《いしょく》してきたよ。そして手術は成功した。――今、美影は子を産めぬ身体を捨て、子を産めるようになるかもしれぬ自動人形の中にいる」
宏昌《ひろまさ》が沈黙《ちんもく》し、息を整えた竜徹《りゅうてつ》がゆっくりと起きあがる。
彼は瞬時《しゅんじ》に動いた。体を起こしながら宏昌の手の鉄棒を取り、
「どこまで| 弄 《もてあそ》ぶ気だってんだよ……っ!」
全力を込めて鉄棒をクロノスに振り下ろす。
踏み込んだ狙いは脳天《のうてん》。直撃《ちょくげき》だ。が、
「――――」
竜徹は鉄棒を止めていた。棒はクロノスの額《ひたい》、皮《かわ》一枚で止まっている。
が、老人はもはや自分を打とうとした武器を見ていない。彼が見るのはその担《にな》い手だ。
「打たないのか」
「――打てばゼウスの野郎《や ろう》が何か気づくだろうよ。そうなると、美影《み かげ》の命があぶねえ」
「打てないのではないか? ……我々と同類になりたくないと」
は、と息を放って竜徹はクロノスを肘《ひじ》で突き飛ばした。
クロノスは二歩のたたらを踏み、しかし堪《こら》える。そして老人は一瞬《いっしゅん》竜徹を見た。眉を歪《ゆが》め、肩に力を込めたままの竜徹を。そして彼は口を開く。
「面白い」
頷《うなず》き、感心したような顔で、
「面白いな、人間というものは。――はは。特にこの|G《ギア》の人間は面白い!」
頬《ほお》に皺《しわ》の寄った手を当てた。はは、と声を挙げる唇に触り、
「笑うべきか、こういうときは? すまん、しばらくぶりで、何もかも忘れていてな。はは、だが面白い。久しく面白いぞ人間よ」
「そういうオメエだって人間だろうが。俺の攻撃見ておいて、よけもしねえ。死んでもいいと思ってやがったろうよ? 甘え話だ」
竜徹はクロノスから視線を外すと、横を見た、己の武神《ぶ しん》を。
「ジジイ、待っとけよう? 俺ぁ必ずそっちに行く。もしオメエを殺すなら、そのときだ」
「生きて来れるとは思えないが」
うるせえとっとと帰れ、と竜徹は言った。そして、
「宏昌、オメエの方も2nd―Gとイチャイチャして忙しいだろうがよ。俺っちの荒人《すさひと》を改造するの手伝えや。美影を連れて戻れたらオメエの仕事を評価して恩《おん》を返してやるからよう」
「身勝手《み がって 》な話だな。恩返しはきっと、最悪の形になるぞ。……僕の方も、八叉《や また》の相手でなりふり構えなくなっているのだから」
宏昌は苦笑し、クロノスを見た。
「だが行かせますよ、クロノス前《ぜん》王、この猿を3rd―Gへと」
一息。
「確かに美影は|Low《ロ ウ》―Gの子です。彼女が生まれたからレアさんは僕達と協働することになり、概念《がいねん》戦争の情報を与えてくれて、機竜《きりゅう》ショートル3に5th―|G《ギア》の道を開かせてくれた。……僕達は彼女とその家族を無視することは出来ません」
「馬鹿なGだな。最下層に相応《ふさわ》しい」
「だから笑えるんじゃねえのかよう」
クロノスは頷《うなず》き、歩き出した。外へ、まだ暗い未明へと。
「――後で、遣《つか》いを寄越《よ こ 》す。その機体を貴様《き さま》らが改造するにも程度がしれているからな」
「感謝しねえぞ」
いいとも、と告げた老人の姿が、倉庫の入り口をくぐった。
霧の中、未明の青黒い世界の中に彼の姿は溶けていく。
「残念だ。レアが見たこの世界を、……見られぬまま帰ることになるとは。そして、一つだけ御節介《お せっかい》を教えてやろう」
一拍の間が空《あ 》き、
「美影《み かげ》の進化の行く先は、なるべくこの|Low《ロ ウ》―Gの人間に合わせるようにした。――進化が始まれば我々のように長命《ちょうめい》でもなく、自然を扱う概念も持たない。無力な母だ。ただ、守護のために、現在製作中のテュポーンの予備機体を与えることになっているがね」
「オメエ……、元から美影をこのGの人間だと……」
「遊びだ。その証拠《しょうこ》に一つゲームを授《さず》けよう。その予備機体の完成後、3rd―Gの概念|核《かく》の半分はテュポーンに、残り半分はテュポーンの武装である神砕雷《ケラヴノス》に収められ、私とゼウスは冥府《タルタロス》に落ちる」
「何!? あの野郎《や ろう》、勝ち逃げする気か!?」
「だから意思をコピーする。3rd―Gの助言役として、灰色の武神にぜウスの意思を、な。そして、神砕雷《ケラヴノス》をテュポーンではなく、美影に与える予備機体へ封じよう」
「な……」
「3rd―Gを破壊したければ美影を奪いに来い。だが美影は赤子《あかご 》だ。どうやってアポルオン率《ひき》いる武神《ぶ しん》軍を蹴散《け ち 》らし、泣き叫ぶ赤子を黙らせて連れて行けるのか。それがゲームだ。今まで多くの命を| 弄 《もてあそ》んできた私の。――最後の遊びだ」
倉庫の中にクロノスの台詞《せりふ》が溶けていく。
そして、過去がゆっくりと溶け出した。闇《やみ》に、無へと。
過去が終わるのを見ていた佐山《さ やま》は、ふとつぶやいていた。
「美影君が……、全ての中心か」
●
木で出来た階段がある。
朱色《しゅいろ》の天井灯に照らされた、狭い階段だ。広く見せるために吹き抜けで、一度だけ螺旋《ら せん》を描いている他は、太い手摺りが左右にあるだけ。
木の踏み場の中程《なかほど》には、灯火《とうか 》に照らされて一つの影が落ちている。
影は金の髪を持つ女性のものだった。
黒のタートルネックの長《なが》Tシャツと白のワンピースを着た彼女は階段に横座りした姿勢。今は肘《ひじ》より上の段に日記帳を置いて書き物|中《ちゅう》だ。
日記帳の白い面に書かれていくのは文字の羅列《ら れつ》だった。
「今日の出来事|飛場《ひ ば 》・美影《み かげ》」
字はやや力が入り過ぎているが、整っている。
美影は手指を覆《おお》う白い手袋を見て、文字を見て、頷《うなず》いた。ページを過去にめくって、自分の名前を見比べた。
昨日の字と一昨日《おととい》の字は、今日の字によく似ている。
美影はページを一気にめくっていく。分厚い日記帳を過去へ過去へと。間にはたまに写真が挟み込まれていたり、彼女の書いた絵がある。
絵は精細《せいさい》だった。まるで写真を白黒に落としたかのような鉛筆画だ。
それらを見る美影の顔が微《かす》かに曇る。自分の手指を見、しかし過去へとページをたぐる。
初めの頃は今年の一月のものだ。
見れば書かれているのは鏡割《かがみわ》りの話題だった。そこに書かれている文字と、今の文字を比べてみる。
果たして、過去の字には漢字が今よりも少ないことが見て取れた。勉強したからだが、難しい漢字が過去には存在していない。そして、
『いあいえい』
字が綺麗《き れい》。
見れば、過去の中では幾つかの字が今よりも精細だ。まるで印刷物から写したかのように。
「…………」
美影は右手を見た。字を書く手を覆う手袋を。
彼女はゆっくりと、左手を手袋に載せた。そして手袋を外していく。
白い布の下から出てきたのは、やはり肌色《はだいろ》というには白い手指だった。関節《かんせつ》部や| 掌 《てのひら》側に黒い樹脂《じゅし 》材のような素材を残した手指は、
『うおう』
動く。精密《せいみつ》に、それこそ彼女が思うとおりに。
眉尻《まゆじり》を下げた美影は、肩を落とす。
だが、彼女は片手で日記をめくり直した。
ページを今に戻し、美影は下げた肩から更に力を抜く。吐息して、つまんだシャーペンの先で日記帳を軽く何度もつつき、
『あんあおう……』
頑張ろう。
頷《うなず》くと、肩に力が戻った。シャーペンを掴《つか》み直し、今日の記録をつけていく。
……今日は何があったかな。
書くことはたくさんある。声の代わり、音の代わりだ。
毎日|飛場《ひ ば 》に時間かけて自分の唇を読ませるよりも、日記に書いて渡し、読んでもらった方が彼の邪魔《じゃま 》にならないでいいと、美影《み かげ》はそう思っている。
それが習慣付き、飛場が日記を音読《おんどく》し、自分が真似《まね》をして口を動かすのが、目下《もっか 》のところ、最新の発声訓練だ。
……朝、起きたらリュージ君がいた。
こういうことを日記に書くと飛場は何故《なぜ》か慌《あわ》てる。前に、いつもしてもらっている風呂《ふろ》場でのボディ洗浄《せんじょう》のことを書いたらものすごく慌てた。自分の腕や手指はまだ上手《うま》く動かなくて、身体《からだ》も堅い。誰かにそうしてもらわねば駄目《だ め 》だし、飛場にそれをしてもらうのが安堵《あんど 》出来る。だから当然のことなのに。
どうしてだろうか。彼のお母さんは自分はまだ女性として身体も意志も成長していないのだという。だがそれなら、未熟で未完成な自分に対して飛場が何を焦るのか、美影には解《わか》らない。
美影は書いていく。今日のこと。それは朝のこと。午前のこと。昼のこと。午後のこと。夕方のこと。夜のこと。これからのこと。そして必ず忘れてはいけないのは、
『おぅおおっああ』
どう思ったか。何かに対し、どう思ったか。
どうだろう。
これはよく解らないときがある。今日はいろいろ思っていたら眠れなくなり、カーテンにくるまりながら朝日を待っていたら寝てしまった。起きたときには明るかった。これは何をどう思うべきだろうか。飛場が来て、起こしてくれて、
「嬉《うれ》しかった」
と、素直に言葉が書けて美影はそのことも嬉しかったと付け加えた。
文面の中、時間|軸《じく》は行ったり来たりして、| 注 釈 《ちゅうしゃく》も多い。
だが書くことはたくさんある。まるで何かを吐き出すようにページを埋めていく。
夕方、飛場から電話があった。学校という場所で、先輩《せんぱい》という身分の人達に、自分達のことを話したのだという。3rd―|G《ギア》の二つの穢《けが》れの内、一つを話したと。
先輩という者達には、まだ飛場がちゃんと話したことのないサヤマとシンジョという者もいて、そちらは飛場が言うには恐るべき実践《じっせん》ハードゲイの二人組なのだとか。美影にはよく解らないことだが、飛場の声が恐怖で震えているのは滅多《めった 》にないことだ。おっかないな、と美影は思う。
彼らとは、明日の朝に会って、また話をするつもりだと彼は言っていた。
そのとき、自分も会ってみたらどうだろうか、と。飛場《ひ ば 》は言葉を句切りながらそう告げた。
彼が考え込んでいるときの口調だ、と美影《み かげ》は思う。
実のところ、美影は、3rd―|G《ギア》との戦いのことをどう扱っていいか決めかねている。
自分の身体《からだ》は人間に進化するものだ。
しかし、五年前のある事件を機にそれは停まっている。
初めての3rd―Gとの戦闘があり、黒の武神《ぶ しん》を、初めて呼び出したときだ。
進化はそこで停まり、いろいろ試した結果、
……概念核《がいねんかく》が半分しか無いから。
という仮定を飛場が立てた。自分が神砕雷《ケラヴノス》に所有する3rd―Gの概念核の半分とは別に、3rd―Gの最強機体が有する残り半分がある。それを手に入れて自分のものとしない限り、残りの進化は訪れないのではないかと。
対する相手はこちらの身体を欲している。3rd―Gの人間として、最後の母体として。
だが、母、という言葉の意味が美影にはよく解《わか》らない。
子供が産めて、料理が作れて、他人の世話が出来ることだろうか、とも思うが、飛場の母親を見ていると、自分がああいう風によく気付きよく動く人間になれるとは思えない。
自分は声もなく、満足に歩くことも出来ず、この世界のこともよく知らない。
『おおううんあおぅ……』
どうするんだろう。
その答えを、美影はこんな風に予感している。
……自分には出来ないのかもしれない。
誰にも、飛場にも言ったことのない思考《し こう》。
飛場が近くにいればいいと思っている。進化とか、母親とか、そういうものではなく、ただ彼がそばにいてくれれば、いろいろなものを共に見ていければそれでいいと。
だが、彼は自分を進化させるため、護《まも》るために戦っている。
どうしてだろうか。解らない。だが彼が傷つくのは嫌だから、呼び出した武神の受けたダメージは自分だけにフィードバックさせている。
先日の翼《つばさ》のダメージは、自分の右背の肩胛骨《けんこうこつ》あたりに残っている。自動人形ならば破損《は そん》というべきものも、進化で得た骨肉《こつにく》には傷として残り、自然|治癒《ち ゆ 》が元通りに戻してしまう。
それくらいしか、彼の手助けは出来ない。
「…………」
美影は思う。今の思考を書くべきだろうか、と。
飛場は心配するだろうか。未完成で未熟な自分は、何もかもさらけ出して判断を仰ぐべきだろうか。
と、音がした。
「?」
階下、ドアの開く音がした。玄関に入ってくる足音は今年の四月から新しくなった靴の音、飛場《ひ ば 》の学校行きの靴音だ。
……行こう。
美影《み かげ》は階段の壁に手をついた。手摺りを掴《つか》んで身体《からだ》を引き上げ、腰を捻《ひね》って背を曲げ、肩を手摺りより上に持って行く。
行こう。彼は自分が座っているのを見つけるとすぐ抱きかかえて運んでしまう。そんな気遣《き づか》いはいいのに、従ってしまう自分が嫌だ。
……ああ。
美影は思う。彼に何かされると嬉《うれ》しいのは、甘えているのだろうかと。
立ち上がる。
震える脚《あし》、力の入らぬ膝《ひざ》で立ち、手摺りを掴んでみれば視界は高い。
初めてこうしたときは、あまりの高さに驚いたと、そう思いながら、美影は階段を下に降りていく。ゆっくりと、ゆっくりと。階下で靴を脱いでいる彼のところへと。
いつものように。
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第八章
『夜の往き人』
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問うて答えぬものは
だからこそ動く
答えられず問うものも――
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●
そこは広い食堂だった。百メートル四方はある白い空間の中、ほぼ同じ長さを持ったテーブルが一つあり、天井からの照明がその上を照らしている。
照明の下、白い衣服をまとった女性がいた。
黒髪《くろかみ》が映える姿は京《みやこ》のものだ。彼女は椅子《い す 》に足を組んで座り、腕を組んで前を見ている。足は小刻《こ きざ》みに上下しており、足下の床に座ったモイラ3rdが、
「姫様キンチョーしてんの?」
「禁煙の禁断《きんだん》症状だよっ。……ああもう、どっかに爪楊枝《つまようじ 》でもねえか」
「ツマヨージ?」
と言って首を傾《かし》げたモイラ3rdは、閃《ひらめ》いたように立ち上がり、奥に走っていく。
向こうは厨房《ちゅうぼう》だ。入り口に立つ自動人形二人がモイラ3rdを避けて見送る。そんな光景を見た京は、どうしたものかと頭を掻《か 》く。
目の前、フォークやスプーンにナイフがあるが、何故《なぜ》か箸《はし》に蓮華《れんげ 》もある。
ついでによく見れば蓮華は子供用で最近流行の児童アニメ マンガはじめて装甲《そうこう》歩兵《ほ へい》 の主人公である隼人《はやと 》少尉《しょうい》と、マスコット装甲服であるボトムタンの絵がプリントされていた。
最近メカづいてるな、と京は思い、おそらくこのテーブルのは、本か何かで読んだこっちの世界の真似《まね》なんだろうな、と更に思う。
気遣《き づか》いされている。その一方で感じることは一つ。
……メシはまだか。
随分《ずいぶん》と時間を掛けるな、と思っていると、厨房からモイラ3rdが走ってきた。両手で掲げているのは涙滴《るいてき》型の半透明容器で、
「姫様! 持ってきたよー! ツマヨージ!」
「それはマヨネーズだ馬鹿っ! 吸えねえよっ」
やってきた金髪《きんぱつ》の頭にカウンターでチョップを一発。
「ぬあっ! ちょ、ちょっと間違えただけじゃん!? そうじゃん!?」
「ちょっとじゃねえっ! マヨしか合ってねえよっ!」
そういう問題だろうか、と自分でも思いつつ、とりあえずマヨネーズを奪って食卓に置いておく。するとモイラ3rdが首を傾げ、
「戻さなくていいの?」
「もし出たものが不味《まず》かった場合でもコレがあればあたしゃ食える」
「へえ、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の文化って凄《すご》いね!」
「当ったりめえだろ、凄いだろ!」
しかしメシは遅い。京はテーブルに片肘《かたひじ》ついて頬杖《ほおづえ》ついて、ふとした疑問を問うてみる。
「そういやあモイラ3rd、……2ndってのは来ねえのか?」
「うーん、中姉《ちゅうねえ》ちゃんだけどさ、ちょっと人が苦手なんだって。昔は違ったんだけど」
「は?」
首を傾《かし》げると、モイラ3rdも、うーんと唸《うな》って首を傾げた。
難しい問題でもあるのだろう。そうか、と頷《うなず》き、悪いことを聞いたな、と京《みやこ》は思う。そちらを見ることなくモイラ3rdの頭に手を伸ばして撫《な 》でた。
「わはは、クロノス様と同じことするね」
「そういうもんか。……あと、一つ聞きたいんだけどよ。ここの主人、メシには来るのか?」
先ほど、モイラの説明は、レアの子が3rd―|G《ギア》に戻ってきて、ゼウスとクロノスが冥府《タルタロス》に落ちたところで終わっていた。
レアは戻ってこなかったが、何か口には出来ぬ事情があるのだろうと京は思う。
レアの子の名前は解《わか》らずじまいだ。穢《けが》れた名前としてゼウスが公表を控えたとのことだが、生きているか死んでいるかも解らない。
……嫌な大人がよくする猜疑《さいぎ 》だな。
だが、最終決戦|次第《し だい》では、3rd―Gの人間としてアポルオンという男とレアの子が生きていてもおかしくない。昼に見た金の長髪の後ろ姿は、どちらかのものだろうか。
どうよ? という再びの問い掛けに、モイラ3rdは頷いた。
「来るんじゃないかな? ――今日はテュポーンも静かだし」
「テュポーン? あれか? 昨夜、あたしをひっ掴《つか》んで振り回した白いロボット」
「え? ああ、うん、アレ。私達、大嫌いなんだけど」
「……ここの主人が乗り回してんのか?」
「違う違う。アポルオン様はヘタレだから」
言われた名前に、京は眉を上げた。
「いるのか? アポルオン」
問いに、へ? とモイラ3rdは首を傾げた。当然という顔つきで、
「そりゃいるよ。生きてるじゃん? でもヘタレだから戦闘とか今ちょっと自発的に出来ないっぽいんだよね。だからテュポーンを動かしてるのは別の人、そんな感じ?」
確かにそうだろうな、と京は内心で頷いた。
モイラ1stは紙芝居《かみしばい 》の続きでこんなことを言っていた。
……冥府《タルタロス》送りを拒んで武神《ぶ しん》にされた妹がいる、ってか。
紙芝居にあった、あの青白い武神がアポルオンの機体だろう。だとすれば、
「……別の乗り手って、レアの子供か? 他にもいるのか?」
あー、とモイラ3rdが困ったような声を出す。
「それも違うかなー。……レア様の子は、ここにはいないんだ。大姉《おおねえ》ちゃんは説明しなかったかもしれないけど。いろいろあってね。そしてテュポーン動かしてんのは――」
「出来ましたよ!」
と、凛《りん》と響《ひび》いたのはモイラ1stの声だ。モイラ3rdがびくりと肩を震わせたのを見ると、今の声は中断の意を含んでいたらしい。
……わけあり、か。
客人としては首を突っ込まない方が良いだろうな、と京《みやこ》は考える。そしてこちらの陰に隠れたモイラ3rdに苦笑しながら、ストレッチャーを歩かせてくるモイラ1stを見る。
自分で急ぎ歩くストレッチャーに乗っているのは、大型の鉄の丸蓋《まるぶた》だ。半径にして一メートル近くある。それを前に置いたモイラ1stは笑みで、
「お時間かけて申し訳ございませんでした。姫様|専用《せんよう》ということで、今日はアイガイオン様が急ぎ持ってきた具材で奮発《ふんぱつ》しましたので」
「中身は?」
「当てていただけますか?」
問われ、京は考えた。どうせ向こうの文化の料理だろう、と。当たる筈《はず》もない。だが、共通するようなものはある筈だ。解《わか》りやすくて大きそうで値段の高そうなものから言ってみる。
「ステーキ250g」
「ん〜、ちょっと違います」
「フライの盛り合わせ」
「あ、それもちょっと」
「天麩羅《てんぷ ら 》Bセット」
「姫様? 油っこいのばかりですけど……? あと、Bセットって何でしょう?」
学食だ、と答えそうになって京は我慢。あと、大きな蓋を必要とするようなものといえば何だろうか。豚の丸焼きなどはいささか行き過ぎだろう。
「んー……、ちっと解らんなあ」
言うと、モイラ1stは笑みの色を変えた。明らかに喜びと見える色を顔に作り、鉄蓋《てつぶた》を手に取ると一気に持ち上げる。大量の蒸気とともに出たのは、
「じゃ〜ん! カニスキです!」
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》こんなの解るか! ってか今は夏だぞっ」
「カニ……、嫌いですか? 日本の名料理とアイガイオン様の本に書いてありましたが……」
「いや、カニは好きだがよ。何つーか……、ギリシャ神話が……、その……」
ぶつくさ言い始めたこちらに対して、モイラ1stは穴あきのオタマを差し出してくる。
京がつい立ち上がって赤い柄《え 》を受け取ると、オタマは一礼してから背筋《せ すじ》を伸ばした。
結構|礼儀《れいぎ 》正しいオタマだな、と京が思った時だ。
不意に照明が京のところを残して全て落ちた。どこからかドラムの連打が始まり、
「はーい、姫様によるオタマの入刀《にゅうとう》です〜!」
「こ、こらっ! どこの結婚式場|覗《のぞ》いてこんな知識を仕入れやがった! あと女がタマ入れるとか言うんじゃねえっ!」
照明が戻り、残念そうなモイラ1stとドラム打ちの自動人形が残った。
対する京《みやこ》はやれやれと吐息。
すると、不意に食堂の入り口から一つの影が入ってきた。白い衣をまとった金髪の男性。
アポルオンだ。
●
食堂の中、たたずむ自動人形達に笑みと片手を上げ、彼は来る。
金の長髪をなびかせるのは、優面《やさおもて》の顔の持ち主だ。
昼に見た後ろ姿を前から見直せば、確かにこういう造形だろうな、と京は思う。
……廊下の額《がく》で見た女に似てるな。
あの額の女性が、妹のアルテミスだろうか。
暗い話になりそうだな、と京は思う。詮索《せんさく》は止《や 》めよう、と。
だから気分を変えるために、歩いてくるアポルオンをちらりと見た。その上で隣《となり》のモイラ1stに耳打ちする。
「こっちの言葉、通じんのか?」
「私どもの言葉が通じていれば大丈夫です。言語共通化の概念《がいねん》が働いておりますから」
意思|疎通《そ つう》は上手《うま》く行ってない気がするが、と京は内心でつぶやいてみる。
そんなこちらの内心を気遣《き づか》ったのか、モイラ1stが笑みを緩めて会釈《えしゃく》した。
「大丈夫です。大体、アポルオン様はアイガイオン様が持ってくるこちらの本などを読まれて勉強されましたから。――コニチワー、コレイクラー、ハラキリーなど日本が誇る万国《ばんこく》語をたしなまれております」
「この期《ご 》に及んで国辱《こくじょく》かっ!」
モイラ1stは笑みで無視した。
「ともあれ王族です。こちらの世界に合わせた、礼儀《れいぎ 》正しい最上級の挨拶《あいさつ》がありますよ」
王族、という言葉に京は一瞬《いっしゅん》身を固めた。
だが、ケ、と舌打《したう 》ち一つでいつもの調子を取り戻す。
そして三《さん》呼吸。カニの匂《にお》いが鼻から口に降りてくる間に、アポルオンが前に立った。
長身だ。いつも背丈《せ たけ》順でクラスの最後に並んだ自分よりも視線二つは高い。金の長髪はセンス古すぎねえかと思いながらも、細面《ほそおもて》の顔を見て、いい男だとも思う。そんな自分の中、
……あれ?
疑問が生じた。何だろうか、この、
……懐《なつ》かしいような。
この感覚は何だろう、と京《みやこ》は右手にオタマを持ったまま首を傾《かし》げた。
「――あ」
気づく。目の前で、力無く、病弱とも言える笑みを見せて立つ青年の目だ。
彼の目の色は、昨夜見た白の武神《ぶ しん》と同じ、黄色い目をしていた。
直後。不意に背筋《せ すじ》が震えた。
京の背筋を、熱を持った震えが下から上になぞり上げたのだ。
「!」
何かに気づいたときに来る震えを、何と呼ぶべきか京は知らない。
だが、昨夜の記憶《き おく》がより鮮明になると同時に、思い出した。
あの武神の目の色を見て、自分が言葉に出来ぬ感情を抱いたことを。
あれは何だったか。
今、眼前に立つアポルオンの目は同じ色をしている。だから、
……あの感情を与えてくれるか?
問いかけは、しかし叶《かな》えられなかった。
彼が身動き取れぬこちらに、苦笑に近い笑みを見せ、目を伏せたからだ。
アポルオンは笑みの顔で両手を広げる。
来るのは挨拶《あいさつ》だ。彼は優雅《ゆうが 》な動きで頭を下げながら、
「――ヨメに来ないか!?」
下げられた頭の中央に、反射的な動きで京は右のオタマを打ち付けた。
凛々《り り 》しい金属音が高く響《ひび》く。
●
3rd―|G《ギア》の本拠《ほんきょ》は、夜の闇《やみ》に沈んでいた。
月光を受けて青白く浮かび上がる白亜《はくあ 》の建物の下、壁に小さな影が立っている。
ギュエスという名の自動人形だ。
月夜の下では彼女のスーツもその赤を暗く沈ませている。
「…………」
ギュエスは、ふと、夜風に顔を上げた。頭上を見上げると光がある。
背後にある巨大な格納庫《かくのうこ 》の扉の上。四階分ある居住《きょじゅう》階層の最上層に光が灯《とも》っているのだ。
「珍しいことだ」
とギュエスはつぶやく。あの場所には食堂があるのだよな、と。
今、中では昨夜に連れてこられた姫を中心に、モイラ達が働いているだろう。
変な金属音が聞こえた気もするが、食堂からそんなものが聞こえる筈《はず》がないとギュエスは聴覚素子《ちょうかくそし 》の劣化《れっか 》を疑う。
先ほど、アイガイオンやコットスを含めた紹介が中庭であった。
侍女《じ じょ》達を見ていると、今度の姫はモイラ達に受けがいい。2ndはまだ近寄りがたいのか、紹介のときにはいなかったようだが、他の者達は概《おおむ》ね好意的に見ている。今日の脱走騒ぎのことも、彼女の態度も何もかも。
「私達に遠慮《えんりょ》がありません、か」
苦笑した。いいことだ、と判断する。そのままいいことが続けばいいが、と。
「いつもならば記憶《き おく》を失わせ、三日ほどで外に返すが……、今回は初の状況だ。場合によっては、モイラ達の見ぬところで私達が始末《し まつ》するしかないかもしれんな」
モイラ達の非難は確実と判断するが、記憶を持った人間が外に出る危険の方が重要だ。判断結果は必要ならば後者を優先と出た。自分達はここの警護《けいご 》役なのだから、と。
と、物音がした。前方|左《ひだり》約十度、地面が斜面にかかるあたりの茂みに動態《どうたい》反応がある。闇《やみ》を見透かす目でギュエスは相手のシルエットを確認。口を開いて出る言葉は、
「 軍 のハジか」
「うむ。その通り、その通りだよギュエス。久しい、随分《ずいぶん》と久しいことだ」
茂みを大げさに掻《か 》き分けて姿を現したのは、茶色い肌《はだ》をした長身の初老《しょろう》だ。頭に白い布を巻いた姿は細身だが、脱いだ麻のジャケットを右に担《にな》う肩幅は充分にある。彼はサスペンダーで吊《つ 》った麻のトルーザーで草を分けながら、
「さて本日も情報などいろいろ持ってきたが、――いるかね? いや、絶対いるだろう?」
「当然だ」
ギュエスは腕を組みながらつぶやく。老人の左目、黒い眼帯《がんたい》で覆《おお》われた方を見つつ、
「言うことだけ言って早々《そうそう》に立ち去れ、9th―|G《ギア》の元《もと》大将軍。9th―Gが滅びて以来、何をしていたかと思えば五年前にふらりと現れて 軍 とやらを組織したなど……」
「行動原理が複雑。いや、それこそ人間の機微《き び 》というやつだよギュエス。――君らはこの周辺から動かぬから知らないのだな? この国で十年前に何があったか、かつて十のGが滅びてから、何がどうなったのか。そうだろ? ん?」
「興味を持つ必要もない。3rd―Gが滅びてから五十数年、我々は、たった一つの希望にかけて自ら機能停止しなかったのだ。――3rd―Gの人間が、生存している、と」
ギュエスの言葉に、ハジが足を止めた。ギュエスから距離三メートル。月光の真下に身をさらすようにハジは立つ。
だが、彼が隻眼《せきがん》の視線を送るのはギュエスではない。彼女の横にある格納庫《かくのうこ 》の大《おお》扉だ。
「生存、か」
ハジは口元に手を当てた。目に笑みを浮かべ、
「その希望が叶《かな》ったのは、五年前、私がここを見つけたからだな? そうだろ? 君達が得られなかった物資と、賢石《けんせき》を集め――」
「恩着《おんき 》せがましいぞ。我らが主人を目覚めさせる代償《だいしょう》。それを払う約束は五年前に交わした筈《はず》だ。我々は約束を破る機械ではない」
一息とともに、ギュエスはハジを睨《にら》み、
「――もし3rd―Gの概念核《がいねんかく》が不要となったならば、それを出力|炉《ろ 》としているテュポーンの残骸《ざんがい》を引き渡すと。……武神《ぶ しん》勢力のほとんどない 軍 らしい話だな」
「それは叶《かな》えられそうかね? たとえば……、テュポーンの敗北で」
と、ギュエスがいきなり手を上げた。
右手だ。その手が光を帯びている。五指の付け根に指輪が埋め込まれているのだ。
人差し指がハジの方を向くと同時。
「――!」
ハジが右後ろに身を| 翻 《ひるがえ》した。
彼の動きを追うように、銀色の弧《こ 》が闇《やみ》を叩き斬《き 》った。
風を割る音はハジの顔前で制止する。
音の正体は一本の長剣《ちょうけん》だった。長さ一メートルは下らない剣が、空中に止まっている。
ハジが自分を向いた刃《やいば》の先端を見て、
「また恐ろしい――」
と言う表情が変わった。左目を覆《おお》っていた眼帯《がんたい》の紐《ひも》が、断ち切られていたのだ。
無言となったハジの顔から、黒の眼帯が落ちる。ハジの顔は驚きから、怒りとも笑いともつかぬものに変わり、
「!」
ハジが短く鋭い叫びを挙げた。
●
ギュエスの目の前で起きた動きは、一瞬《いっしゅん》のものだった。
ハジの左手が落ちる眼帯を押さえたと同時。彼の右手が跳ね上がった。
それだけでギュエスの剣が砕け散った。否、それだけではない。剣があった場所から、空気すらも音をたてて破砕《は さい》し、こちらへ――、
「な……!?」
何? という声より早くギュエスは防護《ぼうご 》を選択。
両の五指を広げると、その動きに合わせてスーツの長裾《ながすそ》から六本の剣が射出《しゃしゅつ》された。軟質《なんしつ》金属で出来た刃はスーツの曲面に合わせて曲がっていたが、重力|制御《せいぎょ》の応用で| 凝 縮 《ぎょうしゅく》固定。それぞれ全てが硬質《こうしつ》な長剣に変化した。
「――せあっ!!」
振り下ろした両手と六本の剣は、その軌道《き どう》中央で迫る空気の破砕《は さい》と激突《げきとつ》した。
金属音が響《ひび》く。
砕け散る六本の刃《やいば》は一瞬《いっしゅん》で塵《ちり》に。それは構わない。仮にも一つの|G《ギア》の攻撃力を束ねていた男を相手にしているのだ。優先事項は勝利よりも回避のための時間|稼《かせ》ぎと、
「何の力だ! これは……!」
ギュエスの目は力の正体を見極めようとして、
……分解? 否、破砕の概念《がいねん》とも違う。ここまで消し去るのは。
そこまでだった。回避せねば全損《ぜんそん》するという判断が見えた。
だからギュエスは背部《はいぶ 》に重力を置いて身を強引《ごういん》に右後ろに振り回す。
赤いヒールに土の飛沫《しぶき》をたてて、ギュエスは下がった。移動距離四メートルで身体《からだ》は白の壁に触れそうになるが、危険を告げる警報《けいほう》は頭脳《ず のう》の中で鳴りっぱなしだ。
横に飛ぶ。
直後。先ほどまで自分のいた空間にそれが来た。
それは、音としては連撃《れんげき》の音を持っていた。
破砕撃。
空気を砕いた不可視《ふ か し 》の力は、高層を保つ白亜《はくあ 》の壁を大きく穿《うが》った。それはまるで杭《くい》打つような打撃|痕《あと》と音をもって十八連続。壁の破片《は へん》は全て塵《ちり》と消え、後には何も残らない。
「……これは」
動きを止めたギュエスの左。壁に残るのはまるで巨大な獣《けもの》の牙痕《が こん》のような穴だけだ。穴はいびつな、研《と 》ぎ味の悪い大槍《おおやり》をぶち込んだ痕《あと》に見える。
「――すまんな」
と響《ひび》いた声にギュエスは振り向いた。
先ほどと同じ位置にハジがいた。が、その左目は今、眼帯《がんたい》ではなく、髪を隠していた白布をずらして巻き隠されている。彼は口元に手を当て、
「ビジネスに来たというのに、もう少し、あと少しで君を無くしてしまうところだった。少なくとも君達が負けるまでは、何だ、そう、ビジネスパートナーでいたいものだ。そうだろ?」
問いに、ギュエスは答えない。スーツの裾《すそ》、剣はあと三本引き抜けることを確かめ、
「――今の力は? まさか9th―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》か?」
「ビジネスかな? その問いかけは」
問い返し、しかしハジは目に笑みを作った。
「まあ、あの程度ならサービスとして教えよう。心づくしのサ――ヴィス、いいかね? あれは概念核ではないよ。私の概念兵器で、本体はここには無い」
と、口元から手を外し、白布で隠した目をその指で軽く叩く。
「言い換えれば、怨恨《えんこん》だ」
苦笑し、その笑みをまたハジは隠す。だが、苦笑は更に強くなり、くく、という声の漏れとなった。もはやハジの身は前に折られ、はは、と声が響く。
「失敬《しっけい》、失敬だね本当に。ギュエス、感謝するよビジネスパートナーとして以上に。今ので久しぶりに思い出した。9th―Gが敗《やぶ》れてからどうしていたのか、何故《なぜ》 軍 を作ったのか。君は行動原理が解《わか》らないと言ったな? そうだな? だが、これほど解りやすいこともない」
ハジは身体《からだ》を起こした。口元に手を当てたまま、
「悪党を滅ぼすのだよ。――悪役と偽《いつわ》って、己の悪を誤魔化《ご ま か 》そうとしている悪党どもを。過去に幾《いく》つものGを滅ぼそうとして果たせなかったこの悪党|未遂《み すい》が」
「随分《ずいぶん》と酔っぱらった意見だ。何のためにそれを成す? 私怨《し えん》か?」
違う、とハジは断言した。
「前にも言ったろう? このGを、本当に、本当の者達に受け継がせると」
「それは、どういう意味だ?」
問いに、ハジは答えない。首を横に振り、
「その意味が知りたければ、ギュエス、決めて欲しいものだ。軍 に合流すると」
「――は、結局はそれか。無理だ。そして意味がない。我々が望むのは単に平和な生活だ。自動人形達が仕えるアポルオン様が無事であるならば、それでいい」
おや、とハジは言った。
「では平和を望む君達が、たびたび出撃《しゅつげき》しているのは何故《なぜ》だね?」
「それは――」
やはり気づかれていたか、という思いを読んだように、ハジが言う。
「その格納庫《かくのうこ 》内部にあるテュポーンは、出力|炉《ろ 》に概念核《がいねんかく》の半分を使用している。だが、半分だ。半分で動くように設計されている。しかし君達はこう思っているのだろう? もし残りの半分を手に入れ、組み込むことができれば、アポルオンを――」
ギュエスはハジの言葉を危険と判断した。ここは概念空間内で、彼の言葉が外に漏れることはないが、
……外で漏らさぬよう、脅《おど》しの意味でも……!
スーツの長剣《ちょうけん》は残り三本。適《かな》う相手かどうか、判断力は十割敗北を叩きだしているが、自己|保存《ほ ぞん》判断のカットを入れれば捨て身の行動は取れる。だから――、
「待て!」
ハジが叫んで右手を前に出した。ギュエスは腰の後ろに両手を回した姿勢で動作を止める。
こちらの睨《にら》んだ視線の先、ハジは左の手も前に出して、軽く振ってみせる。
「――機密《き みつ》事項だったな? ん。すまん、つい、つい言いたくなってしまうのでね」
「次は首を飛ばす」
言って手を戻す。自己保存判断のカットを内心で戻さぬまま、
「大体、戦闘と言っても最近は遠隔操縦《えんかくそうじゅう》の囮《おとり》を出させ、あの黒の武神《ぶ しん》が出てくる位置を探っているだけだ。それすらも我々ヘカトンケイルがアポルオン様に構わず独自で行っていること。それに……、我々が望まずともテュポーンは動く。己に欠けたもの、残りの概念核を求めて、な」
そうか、とハジは頷《うなず》いた。一息ついて、
「ではようやく本題に入ろうか」
「前振《まえふ 》りが長すぎる。それでよく一組織の長《ちょう》を務められるな」
「掴《つか》みがいいからだよ。要は初めの三十秒だ。三十秒。トークは達者《たっしゃ》なのが指導者の資格だぞ。違うか? ん? それに、軍 を組織してから十年、人材は育った。近い内に我々はUCATを攻略するとも」
一方的に述べた後で、ハジは苦笑を一つ。そして告げた。
「では本題だ。昨日、テュポーンが東へと飛んだな? とうとう残りの概念核を我慢出来なくなり、君達をも振り切って飛んだ。そして迎撃《げいげき》した相手は――」
「解《わか》っている。戻ってきたテュポーンにあったのは神砕雷《ケラヴノス》の命中|痕《こん》だ。あの、黒の武神が激突《げきとつ》したのだろう」
「そう、そして黒の武神は、UCATと合流した」
「――何?」
こちらの疑問に、ハジは目を細める。
「この情報は得ていないだろう? かつて3rd―|G《ギア》を滅ぼした武神《ぶ しん》の乗り手が所属していた組織が、今、3rd―Gと戦う武神の乗り手に接触したのだよ。そして、……UCATの瀬戸内海《せ と ないかい》にある訓練場に、最近は灯《あか》りがつくようになったそうだな。人が来ても大丈夫なように」
告げられる言葉に、ギュエスは下唇を噛《か 》んだ。
……昨夜のテュポーンの移動|痕《こん》をつけられていなければいいが。
どちらにしろ、黒の武神はたびたびこちらの方に侵攻《しんこう》してきていた。先に攻撃を行ったのは自分達だが、向こうにも戦闘の理由があるのだろう。
……特に、黒の武神は、訳ありだからな。
内心の思いに、動作として頷《うなず》きを一つ。
「礼を言おう」
と言って、視線を上げたときだ。
既に、そこにはハジの姿はなかった。来たときと違い、足音さえもたてずに、だ。
と、近くの茂みの向こうから男の声が響《ひび》いた。
「逃げられたな。折角《せっかく》、ナイター観戦を我慢して張っていたというのに」
茂みを掻《か 》き分けて現れたのは巨体。山岳ベストに作業ズボンという姿は、八百屋《や お や》のロゴが入った手ぬぐいを腰に下げている。彼は舌打《したう 》ちしてあたりを見回し、
「阪神《はんしん》勝ったかなあ……」
「お前も染まってきたな。それより、……どうだ? ハジの見立ては」
「ああ、お前と立ち回るときも、こちらの方には足を踏み込まなかった。来れば武神並の重力術で四肢《し し 》を叩き潰そうと思っていたが――」
「| 憤 《いきどお》るなよアイガイオン、ああ見えて、9th―Gの大将軍だ。全てを聖戦《せいせん》と名付け、死を怖れぬ英雄神の加護《か ご 》受けた者達の住む純《じゅん》戦闘系G、9th―Gの、な。神の力を蓄えた者達を爆弾とする攻撃法で我らの土地は沈んだ。その指揮《し き 》を平然ととったのはあの男だぞ」
ギュエスは腰の三剣《さんけん》を重力術で引き抜く、目の前に浮かべ、
「私とても、出来ればこの剣で……」
というギュエスの言葉が止まった。どうした、というアイガイオンの眼前に、ギュエスは三本の剣を指先に掲げて見せた。
宙に止まった三剣は、柄《つか》しか存在していなかった。刃《やいば》は軟質《なんしつ》金属だというのに砕かれ、塵《ちり》も残らず消えていたのだ。
「先ほどの一撃《いちげき》を、制御して届かせていたのか……」
これは警告だ、とギュエスは思う。本気になれば、いつでも消し去れたのだ、と。
成程《なるほど》、とギュエスはつぶやいた。
「 軍 とて我々の味方《み かた》ではない。当然のことだが、少し甘えがあったと判断する。――我々の道は我々で切り開くべきか」
「どうする?」
「上の食事が終わり次第、コットスと私の方の整備をモイラ達に頼もう。昨日のテュポーンを見るに、拳《こぶし》の装甲《そうこう》には黒の武神《ぶ しん》の破片《は へん》がついていた。――向こうは無傷《む きず》ではない。UCATとの接触も考えると攻めるならば早い内だ」
断言する。
「明日の早朝。黒の武神を討《う 》ち、出来れば確保するぞ。――3rd―|G《ギア》の人類のために」
[#改ページ]
第九章
『神の望むもの』
[#ここから3字下げ]
大きく出たなと思ってみるが
結局考えることは同じだ
ただ住む空の違うだけ
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
●
夜の川がある。
東京の西、秋川《あきがわ》市の南側を東西に流れる秋川だ。市の名称ともなっている川は、その北側には多くの田畑や空《あ 》き地を持ち、南側の山並には幾《いく》つもの住宅地を構えている。
住宅地並びの中央あたり、神社|脇《わき》の山裾《やますそ》に赤い屋根の家がある。
表札《ひょうさつ》の黒文字にあるのは風見《かざみ 》という姓《かばね》だ。
夜の陰影《いんえい》の下、台所の窓には明かりがついている。
そこから聞こえる音と会話は夕食独特のものだ。
中はキッチン。六畳ほどの中央に木のテーブルがあり、風見家の三人が椅子《い す 》に座っている。
だが、風見の両親は食事中だが、風見|本人《ほんにん》は違う。彼女はテーブルに備えられたもう一つの客用椅子に大きめのザックを載せて荷作りをしている。
茶碗《ちゃわん》の米にフリカケを掛ける父親が、
「明後日《あ さ っ て》の朝に出るなら、明日は帰ってきてもいいんじゃないか? パパは哀《かな》しいなあ」
「集合場所が学校だもん。万が一のこと考えると明日は寮《りょう》にいた方がいいじゃない。どうせ父さんも明日は企画の仕事なんでしょ?」
「うん。明日はゲーム企画で ファーザープリンセス2 の話し合いなんだ。1では十二人のパパがいて、十一人はダンディ系で何らかのプロなんだけど、一人だけ阪神《はんしん》ファンでラリリで酔っぱらいでパチンカーでぐでんぐでんっていうのがいて、でもこれがまた人気あってねえ」
「また妙な企画を……。大変ねー……」
「千里《ち さと》の合宿だって大変だろう? 子供も大人も同じだよ、やっぱり」
子供、と言われることに風見は笑みを得る。
……うちくらいね、そういう感じの扱いをしてくれるのは。
「まあとりあえず、頑張ってくるわ。明日は帰って来られなくて御免《ご めん》ね」
親の心|子知《こ し 》らずなのかな、と思いもするが、そういう風に思うということは、親の心を知っているのではないだろうか、とも考える。だけどこれは自己|弁護《べんご 》かもね、とも。
大体、明日の朝に早く出るには理由がある。
明日の早朝、飛場《ひ ば 》の家を佐山《さ やま》達と訪ねるのだ。
衣笠《きぬがさ》書庫で問われた第一の穢《けが》れへの覚悟《かくご 》の答えに対し、風見達の答えは決まっていた。
……どうにかするしかないじゃない。
そして風見は、佐山達の意見が聞きたいと言ったのだ。
だがこちらも明後日には訓練合宿の予定があるため、会うのは明日の朝と決めた。神田《かんだ 》から帰る途中の佐山にも連絡をしたが、OKだという。
明日は早いな、と、風見はそんなことを思いつつ荷物を詰める。ザックのスペースには空きを作るが、その理由は簡単だ。そこに入れるものは、
「お土産《みやげ》、何がいい?」
問いかけに、母親が顎《あご》に指たてて考えて、
「う〜ん、千里《ち さと》が無事に帰ってくるならママはそれでいいわよ? それに、大体のお土産はパパが昔に出張した際に買ってきてるものね。――二階の天井からぶら下がってる巨大な人型《ひとがた》カブトガニとか、増えたら困るでしょう? 張り倒すわよ?」
「あ、あの、母さん? 私、そんな非常識なもの買ってこないわよ?」
「そうだよママ、大体あれは土産じゃなくてパパが関西限定|特撮《とくさつ》番組 超人|粛正《しゅくせい》ソウカツ で初めて着た記念すべき縫《ぬ 》いぐるみなんだから」
「あれは主題歌|凄《すご》かったよね。――雷光〜ひぃいらめぇく〜電気ぃー椅子《い す 》ぅ〜、だったっけ? でも、今更《いまさら》親の謎を追及するけど、どーしてそんなもんがうちにあるの?」
ああ、と父親は腕を組み、
「撮影終わって噴水《ふんすい》のそばに座ってたら脱水《だっすい》症状|起《お 》こしてね。そのまま噴水の中に倒れ込んでしまったんだよ。皆、見てたんだけど はははカブトガニが泳いでら ってね。死ぬとこだった。――で、乾かして再利用しようとしたら番組が打ち切られて戻すに戻せなくてなあ」
「また打ち切りかい……。どういう内容だったのよ」
「うん、いい質問だ。せっかちな現代っ子に合わせて、ソウカツが番組開始七秒で必殺|検挙《けんきょ》ビーム撃《う 》って拷問自供《ごうもんじきょう》をとり、残り二十五分で相手の悪事の事後|検証《けんしょう》を行うんだ。 物証を探せ! って。でも現実は厳しいから、たまに粛正が間違いだったりもするんだなあ」
「それじゃあ駄目《だ め 》でしょっ!」
「いや、その場合は番組の最後にソウカツが やあ皆! ソウカツだよ! 今日は誤殺《ご さつ》をしてしまったようだね! 誠に遺憾《い かん》だと思うよ! って明るく謝罪を行うから大丈夫。でも子供達には背景《はいけい》世界が複雑でウケが悪かったのかなあ」
「子供達じゃなくて諸処《しょしょ》の団体にウケが悪かったんだと思う……」
もはや嫌なことは聞かないようにしよう。ええと、洗面用具に、海で泳ぐとなると下着は倍いるかなー、あとは――、
「千里? パパはちょっと頭おかしいけど、ちゃんと話を聞いてあげないと駄目よ? 一人でぶつぶつ言ってると危険なだけになっちゃうでしょう?」
「あ、あの、母さんが聞いてあげるという選択|肢《し 》は……?」
「千里。パパは千里に話しているんだぞっ。どうでもいいことを!」
「きゃあ〜、パパ締めるときは締めるのねっ、どうでもいいけど!」
ははは、と笑い合う両親を見て風見は一息。やはりこの親には一生勝てまい、と。
しかし、今度は母親が問うてくる。
「でも、瀬戸内海《せ と ないかい》の孤島に生徒会|合宿《がっしゅく》なんて、大丈夫? 千里以外の他の人達は」
「出来れば私の心配して欲しいんだけど……」
「千里《ち さと》は大丈夫よ。この前、ジャンル 生《い 》け賛《にえ》 の宗教|勧誘《かんゆう》の人達が来たから頼んでおいたもの、私のために祈らず娘のために御願いしますって」
「やーめーてーよ母さんっ!」
「千里、こういう言葉を知っているかい? 一人は皆のために、あとは知らない」
風見《かざみ 》はうなだれた。目の前に開いているザックの口に少し頭を突っ込んでみるが、向こうに逃げ場はないようだ。来たれ都合《つ ごう》のいい概念《がいねん》空間。
「千里? 閉じ込もってどうしたの? ママ、そんな遊び教えたつもりないわよ?」
「教えられたんじゃなくて環境から自然と生まれたのよ」
そう、と母親は頷《うなず》いた。
「でも、無人島《む じんとう》から出るの?」
「いやいや全く。……何かあるの? 向こうの方に」
「ママはいい人だから、少し気兼ねがあるんだよ、関西に」
もう、と母は父を横目で見て一息。珍しく眉尻《まゆじり》を下げて、
「関西|大震災《だいしんさい》、あったでしょう?」
「千里が子供の頃だよなあ、あれは。一年後に、チャリティコンサートの企画をやったんだ」
「パパ、フォローするつもりなら黙ってて。ママが言いますから」
改めて一息。母は、こちらの目を見て表情を緩めた。そして告げた。
「あのときね。ママはまだ、自分にこだわって唄《うた》わなかったの。――馬鹿な話でしょ? ママのこだわりに関係なく、歌を聴きに来たいと思う人はいるでしょうに」
いきなり聞かされた言葉に、風見は動きを止めた。
荷物を入れる自分のポーズは相手の話を聞く姿勢ではないと思い、慌《あわ》てて背筋《せ すじ》を伸ばす。
だけどどう言うべきか。子としてちゃんとしたことを言いたいけど、
「……後悔してる?」
過去をほじくるような問いかけだな、と思う自分に、しかし母は笑みで首を横に振った。
「そう思いはするけど、その一方で、自分を偽《いつわ》って唄ってもいけないと思うの。要は、ママがこだわりに縛《しば》られてるのがいけないのよね。それがある内は、唄っても悔いになるし、唄わなくても悔いになるから。……御免《ご めん》ねパパ、我が侭《まま》で」
「でも、ママは年末のイベントに参加してくれるそうだよ、千里」
風見が母を見ると、彼女は肩を竦《すく》めた。
「さて、ママの偽りはどうなるでしょう? ――と、それより話|戻《もど》しましょう? 千里も早く荷物をまとめちゃいなさい」
うん、と風見は顔を上げ、考える。どうにかして気分を変えた上で、まともな話を両親から出させる方法はないか、と。
瀬戸内海《せ と ないかい》方面はおそらくタブーだ。嫌な過去が出る。だとすれば、
「そういえばさ……」
過去を考え、地中海《ちちゅうかい》方面を思い、神州《しんしゅう》日本対応論を頭に浮かべつつ、
「ギリシャって、行ったことある?」
問いに、父と母は顔を見合わせた。
「行きたいのかい? 今度企画があるんだ オリンポス三十六|房《ぼう》 ってぐあっ!」
「あ、御免《ご めん》、手が滑って目覚まし時計を前に落としちゃった」
「駄目《だ め 》よ千里《ち さと》、パパをしこたま殴っていいのはママだけですからね」
「うんうん。でも、その分だと行ったことあるんだ。神話とか詳しい?」
「また神話かい? 最近の世界史授業はそんなとこまで掘り下げるのかあ」
そうなのよ、と頷《うなず》くと、父親は腕を組んで感心したように唸《うな》った。隣《となり》の母親は首を傾《かし》げているが、こちらに確かめることはない。
と、父親が問うてきた。
「神話の、何が聞きたい?」
●
父親の問いかけに、風見《かざみ 》は内心で安堵《あんど 》する。肩から力を抜き、
「そうねえ。竜《りゅう》とか、神剣《しんけん》とか、――あ、ほ、ほら、前にも日本神話で聞いたでしょ? あんなことをちょっと教えてくれる?」
ふうむ、と父親が腕を更に深く組んだ。横の母親が壁時計を見て、
「二十秒〜」
「うわあキツイなあママ! 焦って心臓バクバクいっちゃうよ!」
父親はひとしきり喜んだ後で、さて、と言った。
「じゃあ竜について噺《はなし》をしようか。――星座などにポピユラーなギリシャ神話だけどね」
「うん」
「実はあまり、今あるイメージの竜を持っていないんだ。ほとんどが多頭の蛇《へび》や、大蛇《だいじゃ》という異形《いぎょう》種でね。他は蛇のテクスチャを持った人型《ひとがた》の神ばかりだね。たとえば蛇の毛髪《もうはつ》を持ったメデューサもだけど、ギリシャ神話の怪物達は多くにおいて巨人などの人間ベースだ。――戦争の多かったあの地域では、人こそが怪物なのかもね」
「じゃあ、ギリシャ神話に明確な竜や神剣ってのは、無いの?」
「いや、一応はあるよ。竜は人が敵《かな》わないイメージの具現だ。つまり、巨人達ですら敵わないものが、ギリシャ神話では大竜《たいりゅう》として扱われる。――それがテュポーンだ」
「巨人が敵わないテュポーンって……」
「スペルがTYPHONだよ」
あ、と風見《かざみ 》は声を挙げた。今まで気づかなかったが、言われてみれば台風だ。
「明確に形の見えない風たる台風は、その中心に渦巻く竜《りゅう》がいると思われていた。このテュポーンはギリシャ神話《しんわ 》最大級の化け物で、無数の竜頭《りゅうとう》を持った胴人尾竜《どうじんびりゅう》の異形《いぎょう》竜だ。彼は主神《しゅしん》ゼウスを一度は倒した後、策略《さくりゃく》によって火山の下に封じられた。そのときに用いられたのがゼウス必殺の神槍《しんそう》である天雷《てんらい》だ。だが」
苦笑。
「テュポーンを策にはめたのは運命を| 司 《つかさど》るモイラの三姉妹。よく考えると、運命を味方にして、火山と| 雷 《いかずち》という力をもっても、封じることしか出来なかったんだよなあ」
「倒せなかったの……?」
「そうさ。ある意味、ギリシャ神話最大の問題だろうね。問いかけは簡単だ。――どうすれば父なる神ゼウスですら倒せなかったテュポーンを倒すことが出来るのだろうか」
父の気楽な言葉に、風見は声もない。
3rd―|G《ギア》にはテュポーンという武神《ぶ しん》があるという。そして飛場《ひ ば 》は、二度その機体とぶつかったことがあると。
だが、飛場はテュポーンを倒せなかった。
白の巨大な武神は、一瞬《いっしゅん》で己の攻守を変えるのだという。
……歩法《ほ ほう》とも違う。
2nd―Gの歩法ではないかと、実は出雲《いずも》が飛場に対してそれを行っている。狭い書庫の中で、よく知らぬ相手ではあったが彼はそれを行った。
が、飛場は違うと言った。歩法では、移動時間がある、と。そして瞬間《しゅんかん》移動でも無い証拠《しょうこ》に、テュポーンは消えた瞬間にはもう攻撃に入れるのだと。
風すら超える何かの力だ。
「そんなものをもし倒すとしたら……」
ついつぶやいたこちらの言葉に、そうだなあ、と父親は腕を組んだまま天井を見上げた。
「答えはあるよ」
「……え?」
「よく考えて御覧《ご らん》。ゼウスはテュポーンを封じた。そして世界を繁栄《はんえい》させた。何故《なぜ》だろうね? 何故、自分に倒せない怪物に背を向けて、世界に目を向けたんだろうか」
問いかけられる意味が、風見にはよく解《わか》らない。
もはや最強の神でも倒せなかった竜を、倒す方法があるとでも言うのだろうか。
眉をひそめ、首を傾《かし》げたこちらに対し、父親は笑みで頷《うなず》いた。
「よく考えて御覧。合宿先は瀬戸内海《せ と ないかい》だろ? 同じような内海に面したギリシャに思いを馳《は 》せるにはいいさ」
つぶやく父親に、しかし風見は感心の吐息。タオルを畳んでザックに入れながら、
「やっぱ凄《すご》いわうちの親」
その言葉に両親が、わあいとハイタッチ。
いつもながらに、この親には一生勝てまいと風見《かざみ 》は思う。
●
月の夜の下。
京《みやこ》はモイラ1stと共に非常口に出ていた。
高い位置だ。食堂からモイラ1stが酒と称するものを持ち出せば、あとは月見で飲むだけだ。カニ鍋《なべ》の残った具材の幾《いく》つかを肴《さかな》に焼かせ、京はモイラ1stを右に置いて酒を飲む。
月の光は青白い。
眼下の格納庫《かくのうこ 》扉はその隙間《すきま 》から細い光を出しているが、月見を邪魔《じゃま 》するほどではない。
先ほど、入れてもらえるかと言ったらやんわり拒絶された。
「――その場合は、少し片づけが必要ですね」
何か訳ありだな、という思考《し こう》を慰《なぐさ》めるように酒が来る。だから飲む。
コップはアルミらしい金属で、口を着けると照れたのか微妙《びみょう》に柔らかくなる。
……変な世界だ。
視線をめぐらせれば、遠く、倉敷《くらしき》の夜景が見える。既に時刻は九時を過ぎている。修学旅行のときの記憶《き おく》によれば、閉じるのは早い町だ。先ほどまで見えていた市街北側にあるテーマパークの明かりも、今はほとんど消えている。
ふむ、と京は頷《うなず》き、
「さっき沈めたあのボンボン兄ちゃん、大丈夫か?」
「アポルオン様ですね? ええ、モイラ2ndの見立てによれば大丈夫だそうです」
出てきた名前に京は思い出す。食堂に入ってきて、他の侍女《じ じょ》達とアポルオンの襟首掴《えりくびつか》んで運んでいった侍女のことを。短い金髪に、青い目で、しかしこちらを見もしなかった。
……嫌われてるのか?
思うと、モイラ1stが応えるように首を横に振った。京は眉を上げ、
「心が読めるわけじゃねえよな」
「ええ。ですが、姫様は素直ですから、表情から判別しやすいです」
「馬鹿言え、ヒネクレ者だぜ」
言うが、モイラ1stは笑みを送ってくるだけだ。
対する京は吐息で頬杖《ほおづえ》をつくことしかできない。空を見上げれば月があり、
「なあ。あたしゃ、つまりはここから出れねえわけだろ?」
「――はい。申し訳|御座《ご ざ 》いません」
一息|分《ぶん》の間を持ってから、モイラ1stが告げた。
「そしてまた重ね重ね申し訳|御座《ご ざ 》いませんが、私どもの抱えている問題が一段落するまで、姫様をお帰しすることが出来ません。……姫様の記憶《き おく》が戻ってしまったことが原因なのですが」
「あたしの記憶を紡《つむ》ぐことは、もう出来ないのか?」
「無理に二度行えば干渉《かんしょう》して、――場合によっては廃人《はいじん》となります。ですから……、私どもの問題が一段落するまで共にいて頂きたいと思います」
今日聞いた話を総合すると、3rd―|G《ギア》はこの世界のUCATという組織に降伏していないらしい。そしてまた、UCATとも別の、自分が見た黒い武神《ぶ しん》との戦闘が続いているのだとも聞いた。
両者は決着を求めているのだろう、と京《みやこ》は思う。
「大変な話だな」
「……何がですか?」
「アンタら、世界|云々賭《うんぬんか 》けてんだ。スゲエことだぜ。あたしなんか目じゃねえよな」
吐息をついて月を見る。月光、青白い光、自分の姓《かばね》に通じるものだ。
その色を見て、京は思う。あの白い武神の目の色が伝えてきた意味を。青白い光ではなく、黄色い光が与えてきた感情を。
……あれは、何なんだろうな。
自分にだけ解《わか》るものなのか。そうだと嬉《うれ》しいのだろうか、それとも悲しいのだろうか。何もかも解らないな、と京は考える。何しろ出会った昨夜でさえ、
……あの白い武神は、いきなりこっちをひっ掴《つか》んで攫《さら》いやがって……。
目を青白くした白の武神は、それまでと違う勢いの動きを見せた。
何故《なぜ》だろうか。ふと気になって、
「あの白い武神、名前、モイラ3rdから聞いたんだけど、テュポーンだっけか?」
「……そうですが、どうかなさいましたか? あの武神が、初めて合う攻撃に怯《おび》えて姫様を人質《ひとじち》にとってしまったことでしたら、私が乗り手の代わりに謝りたいと思います」
いや、と京は首を傾《かし》げた。場をもてあますように、半《なか》ば無理に口を開き、
「あの白い武神と話が出来たらな、って。――ああ、操縦《そうじゅう》者に会えばいいんだろうけど、どうせ会わせてくれねえんだろ?」
「――はい。テュポーンは機密《き みつ》の多い機体ですので。……姫様の記憶を失わせることができれば、会っていただくことの許可を出しますけれど」
言葉の終わりは笑みに近く、京はカップを差し出し酒を貰《もら》う。
「いろいろ不自由多くて申し訳御座いません。ただ、その代わり、姫様がここにおられる間、私どもは自由に使役《し えき》していただいて結構《けっこう》です」
「おいおい尋常《じんじょう》じゃねえな。脱げって言ったら脱ぐか?」
「関節《かんせつ》に興味がおありですか?」
スカーフに手を当てたモイラ1stに、京《みやこ》は慌《あわ》てて手を出して制する。
こいつは本気だ、と京は思う。素直と言うより馬鹿かもなあ、と。
「あのなあ、私ども、って何人いるんだ?」
「私達モイラの称呼《しょうこ》がついた1stから3rdまでの三体を主に、六十三体。それぞれナンバーがついておりますが、もとは百二十体の大所帯《おおじょたい》だったので連番というわけではありません」
「番号で呼べって? アンタら三人はまだモイラってのがあるからいいが……」
「ですが、名を頂くような不遜《ふ そん》なことは出来ません」
モイラ1stの言葉に、京は首を傾《かし》げる。
「うちの母ちゃん言うぜ。機械だろうが何だろうが、ナンバーだけじゃあなく、称呼《しょうこ》なりなんなりの名が要るってな。……ここは機械が生きてる世界だろう? 生きてるのに、何で死んだ数え方をする?」
「ですが……、どうしたらいいのでしょう?」
自分より明らかに年長のモイラ1stに眉を下げて問われ、京は困った。
「何か自分で名前つけたらどうだ? アンタ侍女《じ じょ》長なんだろ? 何ならアンタがつけたら?」
「んー……。六十三体ですよね。この国の五十音組み合わせだと二列にするだけで充分間に合いますね。……じゃあ解《わか》りやすくゲルとかググとか」
「やめれ。もうちょい可愛《かわい》いのねえのか?」
「んー。姫様思いつきません?」
言われて考える。たまにゲームするとき、選ぶのは女《おんな》主人公だ。
が、京はいつも実名プレイだ。自分の名前を付けたキャラクターがレベルを上げて、ラストダンジョン級の敵も指先一つでダウンさせるのは非常に気持ちがいい。
「気持ちいいんじゃ駄目《だ め 》だ」
「気持ちいい名前って、あるんですか?」
「実名プレイをすれば解る」
どうしたもんか、と自分で思っていると、不意に背後から光が来た。振り向けば光の中に立っているのは、身長二メートルを超える巨漢《きょかん》だ。青いエプロンをつけているのは、
「アイガイオン様、どうなされました?」
ああ、と頷《うなず》いたアイガイオンは、こちらを見ると、
「新しい姫様も一緒か。これはまた随分《ずいぶん》と――、ううむ、堂々とされているな」
「言葉選ぶなよオッサン。……そのエプロン、この世界に八百屋《や お や》あんのか?」
言うと、アイガイオンは笑った。ははは、と声を空に響《ひび》かせ、
「俺とギュエスは外からの物資《ぶっし 》補給もやっててな。俺は特に外の世界が気に入っていて、駅前の方に住んでるわけだ」
「で? 八百屋の手伝いか?」
言って、ふと、京《みやこ》は一つの事実に気づいた。モイラ1stの侍女《じ じょ》服を見て、
「こいつらの服装、まさかオッサンが選んで外から持ってきたのか?」
「ん? 何か間違ったか? 料理とかで使用出来る服を探して、町中の大きな食堂の倉庫から夜更《よ ふ 》けに拝借《はいしゃく》してきたものだが」
「マニアなレストランに深夜|泥棒《どろぼう》入ってんじゃねえーっ!」
「まあまあ姫様、私ども、結構《けっこう》気に入っておりますから。……可愛《かわい》いですよね? 私」
「……一応聞いておくけどよ、アンタ何|歳《さい》?」
「んー。毎日ある程度フォーマットしてますから零歳《れいさい》ですね」
「卑怯《ひきょう》な女だ……」
「機械は長持ちしますから。部品交換など行えば永遠に生きますよ」
そういうモイラ1stは、アイガイオンに振り向いた。
「アイガイオン様、何か御用ですか?」
「ああ、明朝に出ることにした。――手すきの者はコットスやギュエスの方の準備を頼む」
「コットスっつーと……」
「白昼《はくちゅう》ダイブした姫様を受け止めた方です。……あの大きさで、自動人形なんですよ」
へえ、と京は言いながら、アイガイオンの告げた言葉を思う。
出る、というのはどこかに行くということだけではあるまい。
「戦争、しにいくのか?」
「……姫様も見たはずだな? あの黒い武神《ぶ しん》を。あれは3rd―|G《ギア》を滅ぼした者だ。俺達が赦すわけにはいかない」
「だが、乗ってるのは、あたしの側の人間だよな?」
アイガイオンとモイラ1stは顔を見合わせた。モイラ1stが何かを言おうとして、しかし言葉を選び、
「姫様。私どもとて、あの黒い武神を殺したいとは考えておりません。……いろいろな理由を含み、出来れば保護したいと考えております」
「口を出すな、って裏で言ってるのが聞こえるぜ」
京《みやこ》は苦笑。
「確かに、事情や可能性をいろいろ聞くと、それが出来るか出来ないかとか、口を出したくなるもんだ。あたしゃ、六十年前のことも何も知らないし、当事者の子孫《し そん》でもねえのにな。……外の世界からの客、ってのはわきまえてるつもりだよ」
京は先夜に見た黒い武神を記憶《き おく》に上らせる。テュポーンを追いつめようとした黒の巨体は、あの雷撃《らいげき》も含めて強力だったが、
……テュポーンは防ぎ切ったよな。
黒の武神が優勢というわけではない。体格などの差を思うに、おそらく、という前置きつきで、実は黒の武神の方が劣勢《れっせい》なのではないかと京は思う。
……必死の攻撃か。
黒の武神の乗り手は、目の前にいる者達のように、やはり何かの事情があるのだろう。そのように思いを馳《は 》せることしか出来ない自分が言えることは、
「――仲良くやんな」
「え?」
「昔、ある人が言ったのさ。他の連中に馴染《な じ 》めないあたしに。……どうせ馴染めないなら、それこそ仲良くやんな、って。馴染めないって解《わか》ってるんだから、ぶつかろうとすることにこそ逆らい、本心から仲良くしな、って。――あたしはこうなっちまったけどね」
苦笑。
「だけどアンタら、おそらく何千年もそうしてきたアンタらに言うのも何だけどさ、もし、そういうこと考えてないなら、してみてもいいんじゃねえの? ちなみにコレ、説教な」
と、言ってから、京は前を見る。
アイガイオンとモイラ1stがじっと、かすかに驚いたような顔でこちらを見ていて、
「――変な面《つら》してんじゃねえよ。酒」
「あ、はい、どうぞ」
「そうそう並々入れる。それで、ええと、何だオッサン、人見て笑ってんじゃねえよ」
「いや面白い。こちらの世界の人間は本当に面白いな、姫よ」
「姫やめろ。――あたしゃ客人だ。京《みやこ》でいい。大体、姫っつったら主人の嫁《よめ》だぞ」
主人と言えば、先ほど京が一撃《いちげき》で沈めた青年だ。頼りねえ男だな、と思いながらも、彼の目の色、あの武神《ぶ しん》と同じ黄色の光を脳裏《のうり 》に浮かべた。
「まあ、客として、いろいろ思うところもあるか。……少しはアンタ達の刺激になってやるよ。オッサン、八百屋《や お や》に勤めてるなら、明日の朝、使えるか?」
「明日は早朝から出るが、何か要り用なら、店主に書き置きをしておこう。――昼には戻れるはずだ、多分」
「オーケイ働く男はいい男だ。そして内助《ないじょ》の功《こう》はいい女のすることだモイラ1st、いいか? 二つ用意してくれ。このオッサンに渡すためのメモと、アンタら全員の紹介になる書類」
「はい。――今すぐに」
と、モイラ1stが立ち上がった。京も立ち上がり、眼前の手摺りに寄りかかった。
金属製の手摺りはこちらの体を受け止め、緩く曲線に変形する。
意外と柔らかい世界だ、と京は思いながら夜空を見る。
天上にたたずむ月に向かって、
「明日から微妙《びみょう》に忙しくなる、か」
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第十章
『疑問の邂逅』
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さあ問え疑問を尽きるまで
それが終わればもはや答えは二つ
解き往き果たすか諦め沈むか言葉もない
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●
狭い部屋がある。
六|畳《じょう》一間に四畳のキッチンがついた部屋だ。部屋のどこにも窓はないが、壁《かべ》自体が外光をかすかに通し、外の未明の緩やかな光を送ってくる。
淡い陰影《いんえい》が生むのは、床に散らかった本やCDや、ミネラルウォーターの空瓶《あきびん》の立体だ。
それらの中央には、一つ、巨大なものがあった。
直径二メートルは下らないドーナツ状の物体だ。材質はビニル製で、ドーナツ状の中心部にある円形スペースには、水が三十センチほどの深さまで浸《ひた》されている。
子供用のビニルプールだ。
プールを浸す水の中には人影が一つ寝ていた。
身体《からだ》を丸め、左向きに眠るのは女性。人よりも長く横に伸びた耳の根本《ね もと》、寝顔は水の中に入っている。寝間着《ね ま き 》代わりのYシャツも、茶色い髪もずぶ濡《ぬ 》れだが、水の上に出た彼女の肩と腹までのラインは、非常にゆっくりとしたリズムで上下していた。
「…………」
ふと、水が動き、その下で足がもぞついた。縮まった足裏はプールの内壁を軽く蹴《け 》る。
側面にマジックで おおき と書かれたプールは波紋《は もん》を多重に。
細かい波が水から出た耳に当たると、水の下で彼女、大樹《おおき 》はくすぐったそうな寝顔をする。
そのときだ。
不意に電子音が部屋に響《ひび》いた。薄暗い光と、肌寒《はださむ》いような空気を裂く音はキッチンからだ。使われずに積まれた鍋《なべ》を載せるコンロの上、携帯電話が赤いランプを点滅させている。
音に、大樹は動いた。
眠ったまま長い耳を閉じたのだ。聞こえる音を拒否するように。
「ん〜……」
しかし、電子音は相変わらずキッチンから鳴っている。
そのまま数分。更にぼうっとした時間を掛け、彼女は閉じていた耳をゆっくり立てた。
片耳を完全に水から出し、音がまだ確かに聞こえることを確認すると、
「…………」
眉を寄せて、水の中であからさまに不機嫌《ふ き げん》な顔を表現。
だが、それでも大樹は起きあがる。
「ふぃ〜……?」
緩い水|飛沫《しぶき》と波音の上、寝惚《ね ぼ 》けた頭は濡れそぼった髪すら掻《か 》き上げず、Yシャツを素肌《す はだ》に貼《は 》り付かせたままだ。力の無い目は眼前の水面に揺れるアヒルの玩具《おもちゃ》を見つめている。
しかし電子音は相変わらずキッチンから鳴っている。
五月蝿《う る さ》いですねー、と大樹《おおき 》は寝惚《ね ぼ 》け眼《まなこ》でゆっくり立ちあがった。水|飛沫《しぶき》を落としながら、
「ねむ……」
一度ふらつき、しかし髪を掻《か 》き上げて前に一歩。足を踏んだ木の床は、大樹の肌《はだ》から落ちた水を一瞬《いっしゅん》で吸収した。そのまま七歩で大樹はキッチンに辿《たど》り着く、携帯電話を手に取れば、
『大樹様ですか? 全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》のシビュレです』
あー、と大樹は思う。頭がうまく働いていない。こういうとき、どう言うんでしたっけか。
「あうぁー」
漏れた声に向こうが頷《うなず》いた。そんな感じがした。
『|Tes《テスタメント》.、今日はお早い起床《きしょう》ですね。昨日より七分ほど早くなっております』
褒《ほ 》められた。わあい、と内心で思っているが、身体《からだ》がついてこない。佐山《さ やま》君達は朝からいつもテンション高いけど、ああいう風になれたらいいですねー。
……でもちょっといやかもー。
思っていると少しずつ頭が働いてきたらしい。へへへへへと力の入らない笑みを浮かべながら、大樹は問うた。
「えーと、どーしたんですかー?」
『Tes.。宜《よろ》しいですか?』
「んー、何となくよろしいですよー」
『Tes.、では用件を手短《てみじか》に述べます。――遅刻です。急いでUCATまで来て下さい』
はえ? と大樹は横を見た。キッチンの壁に掛けられた時計は、
『大樹様、キッチンの時計は三ヶ月前から二時半で止まったままです。電池交換しないといけませんねー、と御自分で| 仰 《おっしゃ》っていましたが、今の時刻はどうでしょうか?』
「二時半ですねー」
『Tes.、実際時間は約二時間プラスなさって下さい。既に大城《おおしろ》様も来られております』
「え? 四時半? 学校行くの七時ですよぅ。あと、何で学校に大城さんが?」
問うと、向こうが数秒の間を持った。咳払《せきばら》いが一つ聞こえて、
『先週から、関西方面のUCATとともに、ここ日本UCAT本部は賢石《けんせき》反応の監視《かんし 》態勢をとっております。――全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》としてもそれを手伝うわけですが、概念《がいねん》関係の操作は大樹様の担当かと。そして大樹様の担当は朝と夜の四時から七時かと』
「そんな話、ありましたっけ?」
『Tes.。初日のミーティングと、毎朝この時間帯に一度ずつ。今日は関西の方から微弱な反応が検出されているとのことで。――また何か飛来物《ひ らいぶつ》の可能性があると言われています』
「はあ、そーなんですか。でも、私、そんな仕事、してましたっけ?」
『Tes.、いつもですとあと五分ほどで、最近追加されたその仕事に毎朝出ていることを思い出されます。その上で大樹様はいつも、御免《ご めん》なさい、と叫ばれますが』
「へー、そーなんですかー……、って御免《ご めん》なさいー!!」
『幾分《いくぶん》早かったですね? 目が覚めましたでしょうか』
目が覚めた。大樹《おおき 》は慌《あわ》てて携帯電話を肩に挟み、
「だ、大丈夫ですよー! もう出ました!」
『大樹様、蕎麦《そば》屋ですか』
「いえいえいえいえ」
言いながら、大樹は通勤用のヒールを履《は 》く。ここまで大《だい》遅刻だとUCATの仕事は七時よりももう少し頑張《がんば 》っておく必要があるだろう。その後で遅刻|覚悟《かくご 》で学校に行こうと心に決める。
でも大丈夫だろうか。今日は一学期の最終日だ。もし自分が遅刻したり、出ないことがあったら、あの子達だけで円滑にHRなどを進められるだろうか。新聞で読んだが最近の子供は集団生活に疎《うと》くてすぐ間違いを起こすという。自分の生徒に限ってとは思うが、
「心配ですよー。特に一部が」
本気でつぶやきながらヒールを装着。ドアを開けて外に出た。
外は森。いきなりの山道だ。朝の空気と光が、周囲の森の木々を通して身体《からだ》にしみる。
視線で振り向く背後にあるのは巨大な壁。木で出来た壁面だ。
振り仰げば、森の中に塔《とう》のような巨木が立っている。幹の直径二十メートルを下らないこの巨木こそが大樹の家であり、
「大きくなりましたねー、私」
根本《ね もと》についたドアの中には、新聞広告で見たアパートをモデルにした居室《きょしつ》がある。意識を持って外に出られるようになってから内部に作り出したもので、自分と子体自弦《こ たいじ げん》振動の等しい空間だ。アパート住まいと生徒達には言っているが、他の者にはドアも見えず、まず中に入ることも出来ないようだ。それでも何故《なぜ》かゴキブリは発生するが。
何はともあれ戸締まりは忘れずに。幹に備えつけられた試作型の電波|仲介機《ちゅうかいき》も切っておく。
そして大樹はいつも鍵《かぎ》を入れている腰のポケットに手を当て、
「あれ?」
無い。鍵が無いどころかポケットが無い。ポケットをどこに落としただろうと思っていると、肩の携帯電話から声が響《ひび》いた。
『大樹様。――いつものように、着替えを忘れてます』
●
早朝の街道を二つの人影と一台の単車が移動していく。
空は快晴。東からの日差しを横から受けるようにして、彼らは南に。
歩道に寄せた単車をクラッチ切って足で進ませているのは出雲《いずも》だ。Tシャツにパーカー姿という彼の後ろには、大きなザックを抱えた風見《かざみ 》がいる。
彼らに対し、横の歩道を行くのは制服|姿《すがた》の佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》だ。
佐山が見る腕時計、胸から獏《ばく》が覗《のぞ》き見る文字盤はまだ七時前を指している。
「しかし、飛場《ひ ば 》少年も早朝に我々を呼びつけるとは。……風見《かざみ 》が怖くないのだろうか」
「いいか千里《ち さと》、すぐには蹴《け 》るな。反動で単車が車道に倒れる」
「あのね覚《かく》、まだ何もしようとしてないわよ?」
まだ? と言った新庄に風見が目を向ける。新庄は慌《あわ》てて両の| 掌 《てのひら》を振って、
「な、何でもない、何でもないよ? これから? とか疑問に思ったりしてないよ? そ、それよりさ、その、あの、……竜司《りゅうじ》君は、ホントに朝に来いって言ったの?」
「人通りのあまり無い時間を選んだんじゃない? 何か見せたいものがあるって、そんなことを言っていたわよ」
ふうん、と新庄が頷《うなず》いた。小首を傾《かし》げて、
「それで、彼、どんな感じの人だったの?」
問い掛けに、風見がつと空を仰いだ。遠くを見る目で、
「おとなしそうに見えて、ありゃ結構《けっこう》殴る必要があるような……」
「千里、何でも打撃で表現するのはやめれ。それさえなけりゃイイ女なんだぞ?」
「も、もう、変な褒《ほ 》め方しないでよっ」
照れ隠しの左フックが出雲《いずも》の側頭《そくとう》部にぶち込まれた。
悲鳴ではなく、ふ、という気まずい声とともに出雲が単車ごと車道側に倒れていく。
あ、と声を挙げた風見は脱出しているが、出雲は大の字に道路へ伸びた。
直後。彼の髪を、12トンタイプの大型ダンプのタイヤがかすって走り去っていく。それも法定《ほうてい》速度を超えた高速で。
排気音と地響《じ ひび》きと風に、出雲が慌てて立ち上がり、
「うお! ば、馬鹿|野郎《や ろう》、イチャついて死ぬところだったぞ!」
「それはまた凄《すさ》まじい死因だね」
佐山は吐息。両の| 掌 《てのひら》を肩の左右にまで上げ、
「貴様《き さま》ら破廉恥《は れんち 》夫婦の現状を見ていると、将来が心配になってしまうよ私は」
「へえ……、佐山君、他人の心配する余裕《よ ゆう》があるんだあ……」
新庄が作り笑みで言っている間に、出雲が単車を起こす。彼はストッパーなどが折れてないかを確認の上、再びまたがって一息。御免《ご めん》と言って風見がタンデムに座るのを見てから、
「ともあれ飛場だろ? 佐山の方が詳しいんじゃねえか? 飛場道場ってとこで同門だろ?」
「私は中学からあの奇異《き い 》なる道場に顔を出したが、……年に一度か二度、すれ違うくらいだ。他の古株《ふるかぶ》道場生の話に寄れば、彼は飛場先生から特別時間を得て技を教えられているとか」
佐山は思い出す。先夜《せんや 》の黒い武神《ぶ しん》を。
「しかし、話してみてどう思ったかね? 単刀《たんとう》| 直 入 《ちょくにゅう》に聞こう。――彼は危険かね?」
「どうかしら? 話した感じ、悪っていうより、――人が好すぎる風ではあったわよ? あれ、間違いなく、頼めば缶コーヒーを買ってくるタイプ。強制では従わないけど」
風見《かざみ 》の最後の一言に、佐山《さ やま》は苦笑した。
「そういう手合いが一番恐ろしいのだがね。一線を引いている人間こそが」
「他にもあるぜ」
出雲《いずも》が頷《うなず》いた。彼は肩を竦《すく》め、
「あのコゾー、昨日の話し合いが終わった後にケータイ掛けてやがった。相手のこと、美影《み かげ》って呼んでたからな」
「それって……」
「ああ、やや工ロいところはあるが大事な女が一番だ。俺と同じだ。気が合うな!」
「アンタはややエロじゃなくて激《げき》エロでしょうがっ!」
もはや佐山は風見の叫びと行動を無視した。新庄《しんじょう》の肩を抱き前へ。背後から肉を打つ打撃音と金属のひしゃげる音とダンプが連続して通過していく音が来るが、佐山は気にしない。
「さ、佐山君? 後ろで形容しがたい凄《すご》い音が。どびゃっ、とか、べきゃっ、とか」
「新庄君、擬音《ぎ おん》に頼るのはやめたまえ。ついでに言うと残虐《ざんぎゃく》過ぎるので描写の練習にもならないだろう。さあ、前を向いて行こう。……飛場《ひ ば 》家はそろそろだと思うのだが、どうかね?」
こちらの腕の中で新庄は吐息。困ったように肩を竦め、ふとあたりを見回す。
腕の中に抱えていたバインダーから一枚の市街地図を出し、
「ええと、飛場って人の家だよね? うん、このあたり、……学校から結構《けっこう》近いんだ」
言ったときだ。前方から単車の音が来た。
新庄と共に前を見ると、そこにはサイドカーつきの単車に乗った少年がいた。
「あれ? 原川《はらかわ》君」
よう、とサイドカーつきの単車を止めた少年、同クラスの原川が振り向いた。波打つ黒髪《くろかみ》を後ろに流した茶色い肌《はだ》は、制服をラフに着込んだ姿で、
「どうしたんだ? 朝から二人で」
「世界を救うために生徒会の仕事だ」
「それは御大層《ご たいそう》な話だな。しかしアンタ達だけか? 変態《へんたい》会長と暴力会計は?」
問われ、佐山は背後を振り返った。道路からはいつの間にか出雲と風見と単車の姿が消えており、今は歩道|横《よこ》の公園の茂みからマウントパンチ特有の鈍い打撃音が聞こえてくる。よく見れば茂みの下から生《は 》えている出雲の足は打撃音に合わせて不規則に揺れていた。
佐山は原川に視線を戻し、
「彼らは忙しいようだ」
「……佐山・御言《み こと》、アンタが言うと嘘《うそ》に聞こえないからタチが悪いな」
苦笑で返した原川は、新庄に目を向けた。こちらと交互に見て、
「仲良くやってるみたいだな?」
「ははは、それはもう、毎晩|新庄《しんじょう》君に自分の身体《からだ》を自覚してもら」
「ぅわあー!! だから人前では無しだよっ!」
ネクタイを根本《ね もと》まで引き絞られた。
笑っている最中だったせいか、いきなり視界が揺らめいてきたが、佐山《さ やま》は急いで新庄の手を解除。必死にこちらを締め落とそうとしてくる新庄と、手とネクタイの取り合いを開始する。
と、新庄がこちらの手を捌《さば》きながら、
「は、原川《はらかわ》君は、何でこっちから? 家、もうちょっと向こうじゃなかったっけ?」
「新庄君、犯罪者は自分がしでかした土地を迂回《う かい》するようになるのだよ」
「勝手なこと言うな佐山・御言《み こと》。――後輩《こうはい》に部品渡す必要があったんでな。飛場《ひ ば 》ってんだ」
原川の台詞《せりふ》に、新庄がネクタイを取ろうとする手を止めた。
が、新庄はこちらに視線を送ってから一つ頷《うなず》いただけ。すぐに原川の方に目を向け、
「じゃ、じゃあ、これから原川君は学校? 今日は終業式だけど、早くない?」
「早いけどな。自動車研の方、俺の持ち分を片づけて、今日は終業式終わったら即バイトだ」
「ふうん。……でも、先日の帰りのHR、サボって説明聞かなかったからバイト許可証シール貰《もら》ってないでしょ? 原川君の分、大樹《おおき 》先生が持ってるから取りに行った方がいいよ? でないと大樹先生、何で自分がそれ持ってるのか忘れて教卓《きょうたく》とかに貼《は 》り始めるから」
「子供かあの先生は。まあ、許可証無しでもバイトは出来るさ新庄・切《せつ》」
原川は苦笑で返す。ブレスレットのついた腕を嫌そうに軽く振りながら、
「それより、話の通じるアンタらから、大樹先生に病院訪ねるのはやめるよう言っておいてくれ。俺が学校で勉強やってないのが母親にバレる。……ついでに帰り道が解《わか》らなくなってバイト中の俺を携帯で呼びつけるのもやめるようにな」
「そんなことは自分で言いたまえ、原川。それが生徒の役目だ」
そうかい、と原川は苦笑混じりに単車を前に。通り過ぎつつ、
「あと、一ついいか? 往来《おうらい》で肩抱くときは人目《ひとめ 》気にしろよ。世の中は俺だけじゃないぜ」
言葉に、横にいる新庄が肩を竦《すく》めて顔を赤くした。対する佐山は首を一つ下に振り、
「大丈夫だ。――私に照れの感情はない」
「恥知《はじし 》らずって言うんだよそれっ!」
まあまあ、と佐山は新庄の肩を抱いて前に足を運び出す。遠ざかっていく排気音を背後に歩き出すと、すぐに一つの光景を目にすることとなった。
建ち並ぶ二階屋住宅の中の一軒。青い屋根の建物の前に、単車を磨《みが》いている少年がいたのだ。
そして、彼の傍《かたわ》らには、車|椅子《い す 》に座った一人の女性がいる。金の長髪をなびかせた女性が。
佐山は飛場に近づいていく。すると飛場もすぐに自分達に気づき、あ、と顔を上げた。
彼は慌《あわ》てて立ち上がり、こちらに向かって一礼する。
と、腕の中にいる新庄《しんじょう》がこちらに小声で囁《ささや》いた。
「あまり変なこと言ったら駄目《だ め 》だよ? 初めて話すようなもんなんだから、ちゃんと共通の話題から切り出していったりしなきゃ……。ほら、バイクとか、佐山《さ やま》君、解《わか》るよね?」
「ああ、その点なら大丈夫だ。――共通の話題ならちゃんと持っている」
ほ、と安堵《あんど 》の一息をついた新庄に、佐山は頷《うなず》き一つ。
彼は飛場《ひ ば 》に片手を軽く上げた。つとめて爽《さわ》やかに、共通の話題から挨拶《あいさつ》に入る。
「おはよう! ややエロい飛場・竜司《りゅうじ》君! 私は知っている、君がややエロいと。だが安心したまえ、私も男だ! ゆえに心おきなく語――、おい飛場少年! 何を逃げだすのかね!」
いきなり横から襟首《えりくび》を絞られた。
●
奥多摩《おくた ま 》地下のUCAT、地下二階の開発部と武装庫は早朝だというのに動きに満ちていた。
原因は開発部にだけ流された大樹《おおき 》の放送だ。
『えーとですね。何だか秋川《あきがわ》市あたりに賢石《けんせき》効果出てるんですよー。それも三つ。何か怪しいんでちょっと装備とか用意しておいてもらえると有《あ 》り難《がた》いんですけどー』
その声に反応したのは、徹夜でPCをいじっていた月読《つくよみ》だ。
彼女は立ち上がり、既にパーティションの中で身構えた皆を誘うようにこう言った。
「さて、――大樹女史はあんな感じだけど、実は相当ヤバい可能性もあるわよ? 準《じゅん》待機状態で対|概念《がいねん》戦闘用|地上《ちじょう》装備を用意なさい! 概念空間|突入《とつにゅう》もあり得るから| 強 襲 《きょうしゅう》型!」
応《おう》、という多重の声に月読は指を一つ鳴らし、歩き出す。廊下へ出る大《おお》扉へと。
パーティションから出てついてくる皆に飛ばす声は、指示の叫びだ。
「開発部内|待機《たいき 》状態は第三! 有事《ゆうじ 》にはどの部隊が選出されるか解らないから搬送《はんそう》訓練のつもりで必要なものは優先搬送しときなさい! あと、手空《て す 》きのものは武装庫の掃除《そうじ 》! 全《ぜん》搬送なんて当分起きないんだから今の内よ、パレット類の隙間《すきま 》に突っ込める掃除機を用意!」
言葉とともに月読は廊下への大扉を勢いよく開いた。同時、背後に集まっていた皆が走り出す。行き先は、武器庫や整備班のいるフロアや、搬送リフトルームだ。部屋に残る者達は輸送に関する部署全てに連絡を取り、組織としての潤滑《じゅんかつ》役を果たす。
廊下の壁が順次展開されて、搬送リフトルームまで延びる搬送補助用レールを引き出す一方、廊下に出た月読を中心に内部と外部への班分けが組まれていく。
その間にも、皆は各《かく》武装庫の扉を開け、内部のガレージから武器パレットをレールに乗せて送って出す。大型パレットは倉庫中央の地上直通搬送レールにセットされると、高速で己を欲する者達の場へと急ぐ。レールの擦過《さっか 》音をもって、急ぎ地上の待機所へと。
「ほら急ぎなさい! そこ! 解凍《かいとう》必要なものはすぐ大型オーブンに突っ込みなさい!」
月読が言えば、周囲の皆がそれぞれの方向に走り出す。
いい感じねえ、と彼女がつぶやいたときだ。不意に横を鹿島《か しま》が通り過ぎた。刀剣《とうけん》類の主任である鹿島は、やはり徹夜《てつや 》明けで頭を掻《か 》きつつ刀剣担当の者達の方へと。
「あ、鹿島!」
「――あ、はい、何ですか?」
問い掛けた彼は、しかしすぐに、はっと気づいた顔で| 懐 《ふところ》からノートPCを出す。
「あ、解《わか》りました月読《つくよみ》部長! この緊張《きんちょう》感を和《なご》ませるためにうちの晴美《はるみ 》の生育状況が見たいんですね? ほ、ほらここに晴美が玩具《おもちゃ》に興味を持つ貴重な仰天《ぎょうてん》映像が!」
月読は固まった笑顔のまま、ノートPCを右手の人差し指と親指だけで強靭《きょうじん》にホールド。そのまま手首のスナップ一つで床に叩き付けた。
「あ――っ! さっき折角《せっかく》編集した 今日の晴ちゃん がっ!」
「やかましい。緊急|事態《じ たい》中に何やってんのっ。それより、ええと、あー、そのー……」
「熱田《あつた 》ですか?」
「あ、そうそう。あの馬鹿は?」
「あの生き物なら三日前から新潟《にいがた》の方に」
「あ? 何か出たの?」
「ええ、アイデアが。――日本海が呼んでいるとか」
「行くなら冬に行けっ! 折角|武神《ぶ しん》相手にぶつけて血ダルマにしてやろうと思ったのにねえ」
言うと、鹿島が眼鏡《めがね》を鼻の上に上げた。真剣な顔で、
「武神ですか?」
「|Tes《テスタメント》.」
と、いきなりの涼しい声が、周囲の動きを無視するように響《ひび》いた。
その声、皆が月読を先頭に振り向いた先は通路の入り口だ。そこにに立つのは一人の女性だ。
「整備部のシビュレ……」
「Tes.、ですが今は全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の一員として参りました」
シビュレは歩いてくる。白い装甲服《そうこうふく》は既に身にまとわれ、歩みによってスカートの裾《すそ》が| 翻 《ひるがえ》り、風を切る。
「宜《よろ》しいですか? 先ほど全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の大樹《おおき 》が適当に機械を操作中、秋川《あきがわ》市方面に賢石《けんせき》反応を見つけました。数は三、どれも武神級のようです。――3rd―|G《ギア》の戦闘用自動人形、ヘカトンケイルと断定いたしました」
「断定? どうやって? 子体自弦《こ たいじ げん》振動の照合《しょうごう》確認したの?」
「Tes.、――私の判断です」
シビュレは笑みとともに、月読の横を通過した。
彼女は右手をゆっくりと振り上げながら、
「地下五階、十八区から私のパレットを引き出して下さい。あとは運搬《うんぱん》の人員用で結構《けっこう》です」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。地下五階って……」
「驚くことはありません。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が進めばいずれ多用することになる場所です。――全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》用武装庫。それすらも、大城《おおしろ》様の管理区下、地下何階かにあるか解《わか》らないゲオルギウスや、他|概念《がいねん》核兵器の保管庫より甘いものですが」
シビュレは笑みで月読《つくよみ》に振り向き、会釈《えしゃく》する。身動きを止めた全員に対し、
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の権限をもって宣言いたします。――このたびは確実に概念空間内での戦闘となるでしょう。それを制するために参ります。御助力を」
●
新庄《しんじょう》は佐山《さ やま》と共に飛場《ひ ば 》家の横にいた。
横と言っても裏《うら》路地に近い場所だ。植木と柵《さく》に囲まれた飛場家とブロック塀《べい》の隣家《りんか 》の間は、二メートルほどの土の地面だ。
こちらより一歩前に出た佐山が、薄暗い路地を見渡し、
「こんなところで会談とは、何かやましいことでもあるのかね? ややエロい飛場少年」
正面、慌《あわ》てて車|椅子《い す 》の彼女を押してここに入ってきた飛場は、肩で息をしている。その顔は半目《はんめ 》でこちらを見るもので、
「ど、どこからそんな情報を。昨日の過去におけるスカート覗《のぞ》きは微妙《びみょう》な好奇心《こうき しん》ですよ」
「でもさあ……、よく考えるとそこの美影《み かげ》さんのお母さんのスカート覗いたんだよね……」
「新庄君、それを言ってはいけない。ああいう年頃の少年はね? 女性を意識すると胸が高鳴るという、純真と言えば聞こえはいいが、手堅《て がた》く言うと、――犬並だね?」
「ハイそこコソコソ喋《しゃべ》らないっ!」
新庄が見れば、振り返った飛場を、車椅子の美影が怪訝《け げん》そうな顔で見ている。
美影が抱えていた歩くための杖、それで突つかれた飛場は、慌てた笑顔を彼女に向け、
「あ、あの人達は何かいろいろ誤解してますから。ね? ね? 美影さん」
騙《だま》してるなあ、と新庄は半目でつぶやき、しかし首を傾《かし》げた。佐山の左に並びながら、
「ええと、そちらの女性が美影さんだよね?」
問われた飛場は、ええ、と言いながら車椅子の彼女を自分達に向けた。位置を正して、
「と、そうです。……聞いているみたいですね? この人のいきさつを」
「うん。六十年前に、生まれたんだよね? それで、向こうの世界でクロノスさんに……」
本当に? と確認の意志を込めて問うたときだ。
車椅子の女性、美影が力のない表情で首を傾げ、飛場を見た。
彼女はこちらではなく飛場に口を開く。口の動きはやや大きめで、音はない。このあたりも昨日に風見《かざみ 》から電話経由で聞いている。美影は進化が完全ではないのだと。
美影が何かを告げ終えた。対する飛場は首を傾げて見せ、
「見せますか?」
問い掛けに、美影《み かげ》は頷《うなず》き一つで動いた。
美影が改めてこちらに身体《からだ》を向けた。着ている衣服は白いタートルネックにベージュのワンピース。どちらもサイズはやや大きめで、ダブついてさえ見える。
そして美影は右の手を上げる。そこにはめられた白い手袋を、自ら脱ぎ取る。
その動きで手袋の下から出たものの名を、新庄《しんじょう》はつぶやいていた。
「人形……」
美影の右手は、白に近いベージュ色の素材で出来ていた。関節|伸縮《しんしゅく》部をかすかに黒く彩《いろど》られた素材の質感は、UCATの装甲《そうこう》服についている軟質アーマーと同じようなものだ。手肌《て はだ》は手指の動きに合わせて黒い曲線を作り上げる。
そのまま美影は無言をもって、タートルネックの襟首《えりくび》を下げた。
首も同様だった。伸縮部が多いため、首と胸骨《きょうこつ》を結ぶ場所はほとんど黒い色だ。
美影が無表情に口を開き、何かを言った。それを読んだ飛場《ひ ば 》が横から彼女の言葉を放つ。
「これ以上は必要ですか? ……過去の事実を確認するために」
静かに響《ひび》いた飛場の言葉の内容に、新庄は反射的に首を横に振った。身体《からだ》を見られることの怖れはよく知っているつもりだ。
「人に進化する自動人形の身体だよね……」
新庄は言葉を詰めて思う。
昨夜に見た過去。そこで告げられた台詞《せりふ》が確かならば、彼女にはクロノスがテュポーンの予備機体となる武神《ぶ しん》を与えていた筈《はず》だ。
そして、こちらの閉じた言葉を察したのか、飛場が頷いた。
「……美影さんは、爺《じい》さんの荒人改《すさひとかい》をモデルにした武神、テュポーンの予備機体である荒帝《すさみかど》を預けられています。クロノスによって、美影さんの身体が展開出来る概念《がいねん》空間へと」
一息。
「ただ、進化を不安定にしないためにも荒帝内部には概念|核《かく》の欠片《かけら》がありません。概念核の半分は、荒帝の特殊武装である神砕雷《ケラヴノス》に封じられています。ギリシャ神話で、ゼウスがテュポーンを封じる際に用いたという天雷《てんらい》ですね」
彼の言葉に、右に立つ佐山《さ やま》が反応した。待ったというように軽く左手を掲げ、
「荒帝、か。名を聞くのは初めてだね。……ならばいい機会だ」
話題を変える合図のように、左手の指を鳴らし。
「ここで、突然ではあるが、3rd―|G《ギア》の最終決戦について教えてもらえないだろうか」
新庄は、はっとする。
昨日《きのう》の四号という自動人形が遺《のこ》した言葉だ。
……3rd―|G《ギア》の滅びについて、彼女達も知らぬことがあるって……。
彼はそれを追おうとしている。
振り向いた視線の先、佐山《さ やま》が無表情に告げた。
「何しろ昨日いろいろ情報を得たが、そのあたりが不明確でね。知っておきたいのだよ」
●
佐山は、自分の問いに飛場《ひ ば 》が眉をひそめたのを見る。彼は小首を傾《かし》げ、
「何故《なぜ》です? いきなりそんなことを」
問いに対し、精細《せいさい》を答える必要はない。
「ある人に頼まれてね。そして私も知りたい。3rd―|G《ギア》が何故、未だに戦っているのかと。話によれば3rd―Gの生き残りであるアポルオンは和平《わ へい》派《は 》だったそうだが――」
「馬鹿な」
こちらの言葉を遮断《しゃだん》するように、失笑《しっしょう》付きで飛場が答えた。
「だったら何です? まさかこう思ってないでしょうね? 3rd―Gが戦うのは、概念核《がいねんかく》を得て美影《み かげ》さんの進化を促《うなが》そうとしている僕達が攻撃を仕掛けているからだ、と」
「そういう考え方もあるだろうね」
「言いがかりですよ。五年前、向こうの方から喧嘩《けんか 》を売って来たんです。いきなり目の前に現れた武神《ぶ しん》にぶっ飛ばされて、美影さんが初めて荒帝《すさみかど》を呼びだし……」
飛場がわずかにうつむき、額《ひたい》の白いバンダナに手を当てた。
「……っ、すいません。それ以上は言えません。――ただ、それ以来ずっとこっちは喧嘩を売られっぱなしです。最近になって、わざと関西方面の空を飛んで敵を呼び寄せたりもしてますが、3rd―Gの本拠《ほんきょ》地などは岡山《おかやま》方面ということ以外、解《わか》らず仕舞《じ ま 》いです」
成程《なるほど》、と佐山は頷《うなず》いた。
妙な話だな、と、佐山は今更《いまさら》ながらに四号が疑問に思っていた重さを知る。
五年も前から彼の戦いが始まっていて、そのままだということは、その間、一度も交渉の機会が無かったということだ。アポルオンが和平派ならば、何故に先に攻撃を仕掛け、そして状況を改善しないまま戦いを許しているのか。これが周囲の者の独断専行《どくだんせんこう》だとしたならば、
……アポルオンの下に入っている者達に、主人の意向よりも攻撃を重視する理由がある、ということだろうか。
解らないな、と佐山は思考《し こう》を止めた。これ以上の推測は危険だ、と。
視線を戻すと、飛場が浅く頭を下げた。すいません、と。
「……あと、さっきの質問ですが、爺《じい》さんの代の話は僕もよく知らないんです。知っているのは3rdに乗り込んでいった爺さんが大破《たいは 》した荒人改《すさひとかい》を抱えて荒帝で帰還《き かん》したことと、……その後、荒王《すさおう》とかいう大きな機械の制御器に美影さんの反射機構を仲介《ちゅうかい》させたことくらいで」
ええ、と頷き、
「それから十年前まで、美影《み かげ》さんがどこで眠っていたのかも知らないんです」
「では、3rd―|G《ギア》の最終|戦闘《せんとう》の結果は?」
「結果は知っていますが、経緯《けいい 》は知りません」
「結果を教えてもらえるかね?」
「たとえば?」
慎重《しんちょう》だな、と佐山《さ やま》は思い、そこに手応えを感じる。だから一気に問うた。
「私が聞きたいのは、アポルオンがどうなったか、だよ。当時彼は青白い機体に乗っていた筈《はず》だ。今、彼|専用《せんよう》のテュポーンが動いているが、彼はどうして乗り換えた?」
問いに、一瞬《いっしゅん》だけ飛場《ひ ば 》は迷った。しかし、ややあってから、
「どうしてかなんて、僕も知りませんよ」
大げさに肩を竦《すく》めた飛場の応答に、佐山は内心で頷《うなず》いた。
新庄《しんじょう》が左から肘《ひじ》で脇腹《わきばら》をつついてくる。こちらにだけ聞こえる声で、
「話、そらされちゃったね。――でも一気に攻め過ぎだよ」
「いや、今の応答でいろいろと確信が得られた。充分だ」
飛場少年は見事に餌《えさ》に食いついた。その内容は後で話し、賞賛を得よう。
……新庄君に褒《ほ 》められるのは嬉《うれ》しいことだ。
とりあえず怪訝《け げん》な目でこちらを見ている飛場に、佐山は、さて、と言い、
「では、話を変えようか」
「そうしていただけると救《たす》かります」
「うむ。……そちらの美影君だが、昔のことは憶《おぼ》えていないのだね?」
問い掛けると、美影は頷いた。
佐山は見る。美影の頷きに、新庄が眉尻《まゆじり》を下げるのを。
……新庄君も昔のことを憶えていないから、か。
ともに親のことを知らず、しかし、新庄は昨日、美影の母親を見た。それが新庄の眉を下げる原因だろうか。
だから佐山は飛場に尋《たず》ねた。
「昨目に見た過去のことを、美影君に話したかね?」
「ええ。あれについては有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。……美影さんの母親の貴重な記録でしたよね」
飛場の言葉に、新庄が下げていた眉尻をわずか戻した。
随分《ずいぶん》とお節介《せっかい》だな、と佐山は思う。新庄君が心配せずとも、彼女には適役《てきやく》がいるのに。
その上で、佐山は飛場に告げる。
「では、一つ言おう。――私達は過去を見ることの出来る力を持っている。では、過去を見せることを君達相手の交渉材料に使っていいかね?」
その問いに、左に立つ新庄が身を震わせた。
「さ、佐山《さ やま》君!」
それだけはしてはならないという、焦りと感情をむき出しにして新庄《しんじょう》が叫んだ。
「駄目《だ め 》だよ! 他人の過去だよ!? 知りたいことだよ? それにつけ込むなんて……」
「おやおや、交渉ごとをナメないで欲しいね新庄君。――つけ込むのではない」
佐山は新庄の顔を覗《のぞ》き込んだ。目を逸《そ 》らさず、まっすぐに、
「私達にも知りたいことがある。それを彼が交渉材料に使った場合、つけ込まれていると考えるのかね? 新庄君。――取引|価値《か ち 》が等しい場合、それは立派な交渉材料だ」
「で、でも……」
口元を歪《ゆが》め、こちらの左腕を強く掴《つか》んできて、
「ボク、そんな取引は嫌だよぅ……」
告げる声は震えていて、目尻《め じり》にじわりと何かが浮いてきた。
泣かれて方針を変えるようではどうしようもない。こちらは主義|続行《ぞっこう》だ。
だが、佐山は涙を浮かべる新庄に対し、笑みを浮かべてしまう。内心の安堵《あんど 》を得ながら、
「それが君の正しさだ、新庄君」
え? という言葉とともに、新庄のこちらを掴む手から力が抜けた。
一息という感覚を持って、佐山は右手で髪を掻《か 》き上げた。新庄が息を落ち着けるのを待ち、
「――では少し言葉を変えてみようか、新庄君」
言って、佐山はまた飛場《ひ ば 》を見た。微《かす》かに緊張《きんちょう》している飛場に対し、
「こういう言い方はどうだろうか? 私達と協働すれば、君達はきっと過去を見ることが出来る。……どうするかね飛場少年。何も得ぬまま、私達の妨害《ぼうがい》を受けつつ3rd―|G《ギア》と戦うか、過去を見つつ、私達の行動に口出しをしながら3rd―Gと戦うか。どちらにするかね?」
頷《うなず》き、
「仲間に誘っているよ、私は」
●
……仲間?
新庄は佐山の言葉を口の中でつぶやき転がし、意味を飲んだ。
……竜司《りゅうじ》君を仲間にする?
それはどういうことか。まずはプラス要因を考える。
第一に、UCATに武神《ぶ しん》の戦力が追加される。
第二に、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の人員が増え、護国課《ご こくか 》への人脈《じんみゃく》も増える。
第三に、同年代、特に後輩《こうはい》さんが増えて嬉《うれ》しいなあ。
対するマイナス要素はどうだろうか。
第一に、部外者を迎えることに不安がある。
第二に、自分の正体など知られてしまって大丈夫だろうか。
第三に、風見《かざみ 》の打撃による被害や出雲《いずも》と佐山《さ やま》の悪影響《あくえいきょう》を受けないだろうか。
新庄《しんじょう》はプラスとマイナスを比較した。プラス分は問題ない。マイナス分は、一は今後|次第《し だい》だろう。二はこちらがどう思うかの問題でもある。三は我慢してもらおう。ならば、
「佐山君。……ちょっと見直した。あ、いや、ちょっと、ホントにちょっとだからね?」
「はははもっと莫大《ばくだい》に褒《ほ 》めてくれても構わないよ? 最近は私に対する誤解が多くて満足メーターの許容量が余っていてね。それで、だ、飛場《ひ ば 》少年」
「な、何ですか」
美影《み かげ》の前に出て浅く身構えた飛場に、新庄は内心で驚く。随分《ずいぶん》と自然に、大事な人を護《まも》るんだな、と思い、横の佐山を見る。が、彼は今、飛場の方に集中だ。
「いいかね飛場少年。今、私達の仲間になると何ともれなく生徒会に入会出来るぞ。ポストは会計|補佐《ほ さ 》あたりはどうだろうか」
「そ、そんな、会計補佐なんて、校内最大戦力のすぐそばじゃないですか!」
「ある意味、権力のすぐ近くだ。――自分で左右《さゆう 》出来ないがね。まあ、君なら大丈夫だと思うよ。飛場君。――君なら攻撃を避けられる」
「僕の言ったこと一度も否定しないんですね……」
「気にするな。では飛場少年、私の為《ため》に以下の中からどれかを選びたまえ。――A・私の下僕《げ ぼく》になる。B・佐山様の下僕にしてくださいと言う。C・これから一生私の言うことをきく」
「答えはDの、どれも嫌です馬鹿|野郎《や ろう》、ってのはどうでしょうか」
飛場が、頭を掻《か 》きつつ、
「ともあれ、仲間になるかって話ですが、実際どうしたもんですかねー……」
●
飛場は告げてから、美影を見た。振り返って覗《のぞ》き見る彼女の顔は、わずかに眉尻《まゆじり》を下げたもので、浅くうつむいてもいる。
少しの警戒《けいかい》があるな、と飛場は思う。
自分達だけの秘密だったものを、このところは人によく見せたり話すことになっている。
美影は鷹揚《おうよう》に自分の身体《からだ》を見せたりするが、本心ではやはり少なからず考えていることもあるだろう。そのあたり、忘れないようにしないとな、と飛場は思う。
先夜も、保護先であるUCATにて、白衣《はくい 》の老人と、黒服|白髪《はくはつ》の青年と侍女《じ じょ》にもいろいろなことを話した。その上で美影が手を見せると、侍女も自分の腕を見せた。
……変わった組織だったな。
と飛場は思う。自動人形が人とともにいる組織か、と。
……その中にいれば、美影さんも自由に振る舞えるかなあ……。
そう思い、しかし飛場《ひ ば 》は首を小さく横に振った。決断が早計《そうけい》だ、と。
「今のところ僕が望むことは一つです。――3rd―|G《ギア》とは僕達が先約だと解《わか》って欲しいと」
何しろ、と前置きして飛場は告げた。
「美影《み かげ》さんが目覚め、五年ほどしてから連中が襲《おそ》ってくるようになりました。昔は迎撃《げいげき》で精一杯《せいいっぱい》でしたが、何機も遠隔操縦《えんかくそうじゅう》の武神《ぶ しん》達を倒して……、ようやく大物が出るようになりました」
「だから、彼らは君の獲物《え もの》だ、と?」
飛場は頷《うなず》く。体を起こし、車|椅子《い す 》の後ろに回ってハンドルに手を掛ける。
眼前、座った美影の不自由な脚《あし》を見つつ、
「僕達は3rd―Gの概念核《がいねんかく》の半分を持っています。残り半分を向こうが持っている。それを手に入れれば、美影さんは――」
「人になれるかもしれない」
新庄《しんじょう》が言葉とともに、自分の身体《からだ》を浅く抱くのが見えた。何気ない動きだが、向こうにも何か通じるものがあったのだろう。飛場の視界の中、新庄は佐山《さ やま》を見て、
「……どうするの? 概念核の半分をこの人達が持っていたら、3rd―G側の持ってる概念核の半分を得ても|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は終わらないよ?」
問いかけに、ふむ、と佐山が腕を組んだ。
「……どうしたものだろうかね。どちらかが、どう折れるか、という話のようだが」
佐山の言葉とともに、沈黙《ちんもく》が来る。
重い沈黙だな、と飛場は考える。どちらも我を譲《ゆず》る気はないだろう。
……参ったなあ……。
しみじみ思ったときだ。不意に、小さな動きが生まれた。
佐山の肩の上にいた小さな動物が、腕を組んだ佐山と同じ動きをしたのだ。
それを見ていた美影が肩を震わせた。彼女は、可笑《お か 》しい、という笑みを息でこぼす。
「…………」
まるで場にそぐわぬ笑みだったが、美影が笑うのは珍しいことだ。だからつい、彼女を車椅子越しに支える飛場も笑みを得た。
しかし、笑みの原因の近くにいる佐山と新庄は、それに気づかない。しばらくしてから、
「あ」
と新庄が笑みで気づき、佐山が気づいた。獏《ばく》が二人を交互に見て、短い腕を更に深く組む。
「獏も話に加わりたいのだろう。きっとね」
佐山が苦笑。そして彼が何気なく軽く広げた足が、何かを蹴《け 》った。
「……む?」
下を見た佐山の視線の先、自宅を囲む植木の根本《ね もと》。三十センチほどの長さを持った鉄杭《てっくい》のようなものが転がっている。
「これは何かね?」
「ええ、賢石《けんせき》を入れた防護《ぼうご 》用のハーケンです。効果は機械類の出力|抑制《よくせい》。効果|範囲《はんい 》が狭いので僕達は避けられますが、武神《ぶ しん》クラスだと面倒《めんどう》でしょう」
「土地空間用の護符《ご ふ 》か」
「そうです。でも近所の犬猫がよく掘り出すんですよね」
戻しておかないとな、と拾い上げたハーケンを見たとき、飛場《ひ ば 》は表情を変えた。
ハーケンの頭部が砕かれていたからだ。
え? と新庄《しんじょう》が声を挙げると同時、佐山《さ やま》が告げる。
「最近の犬や猫は元気なものだね。試し割りもするようだ」
「ええ、驚きです。――ってそんな馬鹿な!」
はっとして見回すと、家の周囲の植木の下に、ハーケンが転がっている。傍目《はため 》には解《わか》らないように、しかし全ては地面から引き出され、
「砕かれてる……」
背筋《せ すじ》に、冷たいと感じられる震えが来た。佐山があたりを見回し、
「その概念《がいねん》は武神限定かね?」
「美影《み かげ》さんのことを考慮《こうりょ》して、主に大型物へ効果を出す仕様《し よう》です」
「では武神ではなく自動人形がいればいいわけだ。――|Low《ロ ウ》―|G《ギア》で動ける自動人形が。そして楔《くさび》が引き抜かれたならば」
「武神が来る!?」
そして飛場は見た。植木の向こうにある自宅の前、母親|不在《ふ ざい》で誰もいない家のドア前に、二つの人影があるのを。
一人は赤いスーツをまとった黒髪《くろかみ》の女性。もう一人は八百屋《や お や》のエプロンをつけた巨漢《きょかん》だ。
前に出ていた女性の方が一歩を横に退《ひ》き、巨漢の方に顎《あご》をしゃくる。
しまった、と飛場が身構えたときだ。
巨漢の方が、背を曲げ、インターホンを押した。低い声で、
「奥さん、3rd―Gです。――戦闘の方、お届けっす」
直後。赤いスーツの女性が両の腕を振り上げた。
そして飛場は見る。彼女の背後に巨大な剣が出現したのを。
鉈《なた》のように四角い刃《やいば》は全長で五メートルを下らず、その数は左右の宙に合計六本。
「――!」
女性が叫ぶのに応じるように、剣と彼女の間に赤い影が出現した。
「武神!?」
新庄が挙げた声を合図とするように、六本の剣が飛場の家に叩き込まれた。
一瞬《いっしゅん》の内に生じた攻撃に、家が叩き砕かれ、爆発する。
「……!」
いきなりの出来事に、飛場《ひ ば 》は身構えた。
戦いだ、と思う心は、自分のパートナーを選ぼうとした。手を伸ばし、美影《み かげ》の手を取ろうとする。だが、その手は空中を掻《か 》いた。
家屋《か おく》爆発の、木の焦《こ 》げたような匂《にお》いと、飛び散る残骸《ざんがい》と煙の中、飛場は美影を見る。
しかし、そこに美影はいなかった。空《から》の車|椅子《い す 》と杖があるだけだ。
「……え?」
どうしてだ、という呆然《ぼうぜん》が生まれたのは、今までそんなことがあり得なかったからだ。
長年共にいた筈《はず》の存在が、どこに、何故《なぜ》消えたのか。その理由は、
「何をしている飛場少年。3rd―|G《ギア》は誘拐《ゆうかい》趣味があるのか、今度は美影君を攫《さら》ったぞ。剣を家に叩き込むと同時に、概念《がいねん》空間を広げて美影君だけを取り込んだのだ!」
爆風と煙を手を振るだけで払い、佐山《さ やま》が叫んだ。目の前にある空白の車椅子を指さし、
「――彼女はそこにいて君を待っている。概念空間に入り、戦う用意をしたまえ!」
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序 章
『自問の旅往き』
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追い立てろ追い立てろ
空の下を速度の中で
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●
青空の下。まだ街が起動し切っていない朝の時間に、一つの動きが生まれていた。
場所は砕かれた青[#底本「赤い」]い屋根の二階屋の正面、動きを生むのは二台の単車とアイドリング調整を続けている少年達だ。
単車は飛場《ひ ば 》と出雲《いずも》のもの。どちらも旧式だが一リッター級の車種で、二台も並べば爆音は低いドラム音のように響《ひび》き渡る。出雲と共に飛場の単車のサイドカーを外した佐山《さ やま》が、手持ち無沙汰《ぶ さ た 》にしている新庄《しんじょう》の方に歩み寄った。
「飛場少年は?」
「ご近所|挨拶《あいさつ》中、とりあえずガス爆発で地下車庫が陥没《かんぼつ》したって言ってるよ」
「仕事に出た母親と警察にはUCATから連絡が行く、か。すぐに偽装《ぎ そう》したパトカー達が来る手筈《て はず》になっている。あとは、――我々か」
「佐山! 新庄! こっちの準備は出来たわよ! どうするの!?」
頬《ほお》を油で汚した風見《かざみ 》が単車のそばで立ち上がる。
彼女の問い掛ける視線に応じたのは、しかし佐山達ではなかった。佐山の携帯電話だ。
皆が顔を向ける中央で、佐山は手を軽く掲げて黒い携帯を取る。音声を外部側に回し、
「私だ。新庄君にその他二名もいる」
『はいはい|Tes《テ ス》.Tes.、こちらは先生ですよー』
「おやどうしたのかね大樹《おおき 》先生。今から遅刻の予告かね? 随分《ずいぶん》と早い。ははは、――一学期最終日に遅刻とはどういう了見《りょうけん》かね?」
『そーじゃなくてですねー。えーと、そちらにきわめて大型の概念《がいねん》空間出来てません?』
大樹の言葉に、皆が視線の力を強くした。
吹いてきた未明の風の中、佐山は大樹に問い掛けた。
「ふむ。……ひょっとして朝からちゃんと仕事中なのかね、大樹先生。――おめでとう、今、貴女《あなた》は常人《じょうじん》への階段を一つ上った。これから五段くらい転げ落ちないか心配だが」
『うわー! いつもいつも佐山君はー! もー先生プンプン怒りますよー!』
「怒ってみたまえ」
『プンプン!』
「気が済んだかね?」
『Tes.ですよー』
右隣《みぎどなり》にいた新庄が、怪訝《け げん》な顔で己の頭を指さし、その指を回しだした。が、佐山は気にしない。そんなことは昨年から承知《しょうち》の上だ。
「では大樹先生、詳細を頼む。今、おそらく我々はその目の前にいる」
『あ、はいはい。何か雰囲気《ふんい き 》的に3rd―|G《ギア》っぽいんですよー。それで今、シビュレさんが出撃準備をしています。とりあえずそっちはですね? 自弦《じ げん》時計、皆さん持ってますかー?』
佐山《さ やま》が己の時計、UCATの黒い腕時計を見た。新庄《しんじょう》も、風見《かざみ 》も、だが、
「――あ?」
と首を前に傾《かし》げた出雲《いずも》が、何もつけていない両手を見せる。
彼は口の端に引きつった笑みを作り、
「……やべえかな。でもつけてこいって言われてねえしなあ」
「一応フォローのために言うけど、覚《かく》は出撃時《しゅつげきじ》以外、時計も携帯もまず持たないのよね……」
「ははは、現代文明を拒否する男は奥多摩《おくた ま 》の山奥に行ったらどうかね? 倫理《りんり 》を拒否した老人と時間感覚を拒否した教師が野生の中に住んでいるぞ」
『せ、先生はちゃんと朝起きられますよー』
皆が大樹《おおき 》の意見を無視した。
どうしよう、と風見が腕を組んだときだ。新庄が自分の時計を前に差し出し、
「出雲さん、ボクのを使えばいいんじゃないかな?」
言葉に、皆が新庄を見た。
全員の、?という視線に、新庄は身を小さくしながら、
「あ、あのね? よく考えると解《わか》るんだけど、ボク、多分、中に入ってもすることないんだよ。|Ex―St《エグジスト》がないと射撃《しゃげき》出来ないわけだし。だから、ほら、その」
「何を言っているのかね新庄君。君がいれば私のやる気は当人比《とうにんひ 》で八倍は上がる!」
「新庄、これ以上佐山が跳ね上がらない内に時計を頂戴《ちょうだい》」
「え? ……どうして風見さんがボクのを?」
「当然だ新庄君。君の腕時計が出雲のムサい腕に巻かれて出雲ウイルスに冒《おか》されたらどうする気かね? 君が変にいやらしくなるなど……、素晴らしいかもしれないね?」
「うん、そこのおかしい男がそんなこと言うだろうと思ったから」
そうだね、と新庄は風見に時計を渡した。
そして風見は自分の時計を出雲に渡す。
それから彼女は、新庄の腕時計をはめて出雲に見せた。手を竜頭《りゅうず》に当てると、
「いい? 覚、一度、自動登録された子体《こ たい》自弦振動を初期化しときましょう。こう、ここのスイッチを――、あ、そこじゃなくて、……あん、もう、違うでしょ? そう、そこを奥まで」
「……往来《おうらい》で朝から何を言っているのかね君達は」
「え? ――と、よし、あとは初めてつけたときと同じで最新のを自動に読み込むから」
風見と出雲が時計をつけた手を軽くひねり、はめ込みを確認する。
佐山が頷《うなず》く横で、しかし新庄は不安げな顔だ。
「どうしたの? 新庄」
うん、と頷く新庄が背後に振り向く。と、そこに一つの人影がやってきた。
飛場《ひ ば 》だ。ブルゾンにゴーグルを追加で装備した彼は、真剣な顔で、
「どうします? ……僕は、美影《み かげ》さんの荒帝《すさみかど》がないと概念《がいねん》空間に入れないんですが」
問い掛けに対し、即答《そくとう》した者がいた。佐山《さ やま》だ。
「私の腕時計を使いたまえ飛場少年。君は恐らく出雲《いずも》より正常だろう」
「後半|意味《い み 》不明ですが、……いいんですか? 佐山|先輩《せんぱい》、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の代表でしょう?」
「後ろの高機動型SM夫婦は荒事《あらごと》担当だ。そして先ほどの連中を見ても、概念|核《かく》の所持者には見えん。よって交渉は無しだ。好きに暴れて好きに大事なものを取り返してくるといい。そして私は――、この時計を貸すことで君に恩を売る。悪い話ではあるまい?」
問い掛けに、ややあってから飛場が苦笑した。参ったな、と笑みで言い、時計を受け取る。
「恩を売る、って言ったら駄目《だ め 》なんですよ。――で、これを?」
「ああ、こう、ここのスイッチを――、あ、そこではなくて、……あ、いや、違う。そう、そこ、そこだ。そこを奥まで」
「佐山君、今、進行形で頭おかしくなってるよ……」
む? と佐山が振り向いたときだ。飛場が腕時計の操作を終えた。
同時に、佐山の携帯が大樹《おおき 》の声を放つ。
『あ、こっちに最新の子体自弦《こ たいじ げん》振動が来ましたー。一人知らない子がいますね? それと風見《かざみ 》さんは子体自弦振動|見《み 》たカンジ胃《い 》が荒れてるようですが、深夜の間食《かんしょく》は禁止ですよー』
「当たってるわ……」
嫌そうな顔で腹を押さえた風見を見て、佐山が納得《なっとく》したように頷《うなず》いた。
「では大樹先生、彼らを中に入れられるかね?」
『はいはい。これからUCATの方で概念空間に干渉《かんしょう》をかけますからねー。目的は腕時計の持ち主を中に入れることと、シビュレさんを中に入れる準備です。向こう側が作ったものなので腕時計は外さないで下さいね。安定がずれるとどうなるか解《わか》りませんし』
シビュレが、というところで、風見が表情を堅くした。
隣《となり》の出雲が彼女の背を叩くと、風見は一つ頷く。いつもの表情を取り戻し、
「私達の武器は?」
『|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》も|G―Sp《ガ ス プ》2も|Ex―St《エグジスト》もシビュレさんが今、輸送ヘリに搭載《とうさい》しようとしてるみたいです。そしてシビュレさんが到着の際、そこから得た概念空間の詳細データを元に、時計無しでも佐山君達が中に入れるようにします。いいですかー?』
佐山が|Tes《テスタメント》.と言い、携帯の向こうで大樹が言葉を続けた。
『概念空間は変形型ってやつだそーで、基本的に直径二キロの逆さにした……、漏斗《ろうと 》状? で、その漏斗の先端部は高度約十五キロに達しているそーです。敵はいつも発見を逃れるため、高度十二、三キロのあたりで|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の空を移動しているんだとか』
「概念《がいねん》空間の内部が見えぬとなれば、……連中がどこから出るか待ち構えることも出来ない、か。内部でカタをつけるしか無いな」
『シビュレさんは佐山《さ やま》君達と合流の後、北西側から入ります。出雲《いずも》君達は――』
「行くわよ。当然、南側から挟撃《きょうげき》しましょう」
と、風見《かざみ 》が出雲の単車にまたがった。タンデムに尻をずらす風見は、
「先生、シビュレに言っておいて、私達の武器は発着場にパレット開いて置いておけ、って」
『え? そーなんですか?』
「ええ、あの子達は可愛《かわい》いから。構って欲しくて寄ってくるのよ。それと……、飛場《ひ ば 》――武器は持ってる?」
「ええ。賢石《けんせき》つきの刀とかが。父の遺《のこ》していたものですが」
「父……?」
風見の問いに、飛場は困ったような笑みを見せる。
「何をしていた人か、僕にもよく解《わか》りませんけどね。十年前、いきなりうちに美影《み かげ》さんを預かってきて、その晩にどこかへ行ってしまいました。――あの関西|大震災《だいしんさい》があった夜に」
告げられた最後の言葉に、ふと、佐山が左胸に手を当てた。
風見や出雲が表情を堅くする中で、新庄《しんじょう》が佐山に寄り添う。そしてそれだけで、佐山は左の胸から手を離した。大丈夫だ、と言う佐山の顔色は、わずかに青い。
だが、飛場は怪訝《け げん》な顔をしながらも、佐山に頷《うなず》きを見せる。
「……では、行きましょーか。そして、この戦いの後、また話を続けましょう」
一息。
「僕達の戦いと貴方《あなた》達の戦いが、穢《けが》れとともに噛《か 》み合うかどうかを」
●
無人の街道を、二つの人影が移動している。
朝の陽光を浴びながら、幹線《かんせん》道路を北に行くのは男女の二人組。
赤いスーツのギュエスとアイガイオンだ。
二人はアスファルトを蹴《け 》り、高速に北へと向かう。移動は高速で、走る動きで大気を切る。わずか一歩で街灯から街灯の間、数メートルを跳躍《ちょうやく》する走りだ。
速い。
無人となって動かないまばらな車の間を突き抜けるように通り過ぎ、彼らは北に急ぐ。
前を走るのはギュエスで、続き走るアイガイオンの前方、やや上の宙には、白いワンピースの女性が子供のように丸まって浮いている。
重力|制御《せいぎょ》で運ばれている美影だ。
目を伏せ、動かなくなった彼女をアイガイオンが見る。ひっ掻《か 》き傷のある頬《ほお》を緩め、
「随分《ずいぶん》抵抗されたものだ」
「気を失わせるまで、相方《あいかた》が救いに来ると信じていた。――人か?」
ギュエスの問いに、アイガイオンは美影《み かげ》の首元を見た。
「……否。モイラ2ndに見せねば解《わか》らないが、俺の知る人間とはこういう身体《からだ》ではない」
「私もだ」
言うギュエスは、走りながら右手を頬《ほお》に当てた。やはり彼女の頬にも四筋《よ すじ》のひっ掻《か 》き傷がある。が、ギュエスが傷に指を当てて引くと、傷は消えた。
「確保するのが遅れた。ここまでコットスを来させるか」
「お前の武神《ぶ しん》に乗る方が速いだろう?」
「私のは短時間しか出せん。――私が至らぬ機械だからだが、敵が追ってくるかもしれない状況では、力は残しておきたい」
堅実だな、とアイガイオンの言葉が響《ひび》いた瞬間《しゅんかん》だ。
頭上を前から後ろに光が突き抜けた。四条《よんじょう》の光芒《こうぼう》は約《やく》数秒続いて彼らの背後に抜け、
「……コットスの砲撃《ほうげき》か!」
着弾《ちゃくだん》の直前、アイガイオンが美影を抱え、ギュエスと共に前へと跳躍《ちょうやく》した。
同じタイミングで背後から響くのは、岩を割るような爆発音。
跳んだ二人の足下を掬《すく》うように、強風が背後から襲《おそ》ってくる。壁のような圧《あつ》をもった風だ。その風を背で受け、二人は更に前に飛ぶ。空中でギュエスが後ろに振り向きながら、
「コットス! いきなりの砲撃《ほうげき》は何のためだ!?」
『敵《てき》接近』
聞こえた通信音声に、ギュエスは視界を強くもつ。
空中で振り向いた視界が確認するのは背後の動き。
砲撃が激突《げきとつ》した幹線《かんせん》道路の爆煙《ばくえん》と尾を引く破片群《は へんぐん》の散らばりだ。
何もいない。その筈《はず》だった。が、煙を突き破ってこちらに来るものがある。
それは二台の単車だった。この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》で道路をよく走っている機械だ。車種にもよるが加速力があり、少人数を運搬《うんぱん》するには的確な機械だということをギュエスは知っている。
しかも、見える二台は高速性も備えた大《だい》排気量車だ。
片方に乗る男女は知った顔ではない。だが、彼らと並んでくるのは、
「――飛場《ひ ば 》の眷属《けんぞく》か!」
ギュエスは、宙《ちゅう》踊る風の中で判断を重ね、相手に対する危険度を跳ね上げていく。
敵は機動性有り。高速性有り。対人レベルの概念《がいねん》兵器|所有《しょゆう》可能性有り。戦闘|経験《けいけん》有り。概念|戦闘《せんとう》に対する知識有り。そして目的意識有り。
対策は厳然《げんぜん》たる判断の下《もと》に下される。
機動性と高速性はそれを使用出来ない場所に誘えばいい。概念兵器があるならばそれを超える力を出せばいい。戦闘経験と知識ではこちらは数千年を繰り返している。そして目的意識があるならば、それを逸《そ 》らせばいい。
着地と同時にギュエスは叫んだ。
「アイガイオン!」
おう、と巨体が道路の右を見た。
そこには巨大な建物群がある。尊秋多《たかあきた 》学院、と書かれた正門入り口を持つ巨大施設だ。
「――ここで決着をつけよう!」
そしてギュエスは| 懐 《ふところ》から| 掌 《てのひら》大の鉄板を一枚出した。表面に青い鉱石が埋め込まれた鋼《はがね》の鉄板だ。それを手にした彼女は、アイガイオンと共に施設の正門へ飛び込みながら笑う。
笑みは高速で追ってくる二台の単車へ。
風を受け、急のコーナーリングに後輪を滑らせながら追走する二台。その内、一組の男女が乗った方に、ギュエスは振り返って声を送る。
「まず部外者にはここで脱落してもらおうか! そのためにこの賢石《けんせき》板で――」
後ろ向きにバックステップで走り、鉄板を振り上げ、ギュエスは叫んだ。
「――概念追加を施《ほどこ》す!」
次の瞬間《しゅんかん》、彼女の持つ鋼の小板が弾《はじ》け、応じるように世界が変わった。
変化は一瞬《いっしゅん》で、ギュエス達の望む方へと。
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あとがき
ちょっと間が空《あ 》いてしまいましたが『終わりのクロニクルB〈上〉』をお届けいたします。
何とも長い話ですが、お付き合い下さいまして有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。ちゃんと最後まで書いていければいいなあ、と、そんなことを思っていたりする昨今《さっこん》で。
ともあれ@とAを下地《したじ 》に、Bで少しずつ話が動き出しました。それぞれのスタンスとか過去の繋《つな》がりとか、今後はそちらもメインに絡んできて更に話が長く……、なるかなあ。
しかし最近、ようやく肩の力|抜《ぬ 》いて書いていけるようになったかなあ、と。まだまだ難しいのですが、そういうのも含めて今後の課題が山積みです。ともあれ頑張っていきますので宜《よろ》しくお願いいたします。
ってわけでいつものようにチャットをしてみんとす。
「読んだ?」
『他の先輩《せんぱい》のあとがき見てて思いましたけど、どうも読まなくてもいいみたいですね』
「正しい風習《ふうしゅう》を守らないと呪《のろ》いが掛かるので心しとけよ」
『呪いって何ですか?』
「夜に寝苦《ね ぐる》しくて目覚めると枕元《まくらもと》で俺がトマトジュース飲みながらファミコンやってる幻影《げんえい》を見るようになる。その時の俺の台詞《せりふ》は 今の当たってるって! だからちゃんと頷《うなず》くように」
『嫌な風景なので勘弁《かんべん》してください。でもキャラ、とうとう出ましたね。先輩好きだから』
「何がだよ」
『モイラ一番』
「別に自動人形ならとっくに出てるっしょ」
『いや、金髪|巨乳《きょにゅう》が。好きだなあ』
「ああ、オマエも巨乳とか、そういう単語を使うようになったか……。変わったなあ……」
『うわ予想と違う反応!』
「あのなあオマエ、大体アレは人形だからな? そこらへんの感覚が他とは違うんだ。――なんて言うと思ったか馬鹿|野郎《や ろう》。要は浪漫《ろ まん》だ。ぎゅんぎゅん回せ!!」
『ああそれですそれ。その捨て身を期待してたんすよ』
「応えられて何よりだが最近ここらへんのネタも使い回しだよな。今後は別ネタ考えよう。オマエみたいに十|歳《さい》以下じゃないと駄目《だ め 》とか言うのだとインパクトあるんだけどなあ」
『先輩! これ俺の彼女も目ー通すんですから嘘《うそ》つくのはやめて下さい!! 俺そろそろ結婚考えてんですから赤子《あかご 》はよくても幼女はマズイっすよ』
「どっちもマズイから安心しとけ。大体、全国的に広まっていいことじゃないか。後悔しろ」
『俺、某《ぼう》先輩に 次は君を推挙《すいきょ》したから覚悟《かくご 》しときなさいよ って言われたときから悪い予感してたんですよね……。裏切らない人だなあ』
「どうでもいいけどあの男は俺が風邪《かぜ》ひいてるときに乗り込んできて猫の話とゲームの話だけして帰った極《ごく》悪人だからな」
『ああ、うちにも来ましたよ。三十になるので儀《ぎ 》として同人を始めようと思います、って』
「何を三十路《み そ じ》バンジーしてんだあの男。ろくな人間いないよな、周囲に。――オマエもか!」
『先輩《せんぱい》、瞬発《しゅんぱつ》ギレはやめて下さい。それより何ですか次巻のデータにある〈中〉って』
「ちゅう」
『可愛《かわい》く言ったつもりでも文字データだから通じませんって。〈下〉じゃないんですか!?』
まあ気にするな。
で、今回はゲーム龍虎《りゅうこ》の拳《けん》から Art of Fight (これ、訳すと 闘いの美学 だと思ってるのはわしだけでしょーか。単に背景してない音楽は賛否《さんぴ 》あると思いますが、熱量的にはいい感じです)を聞きつつ校正してましたが、
「一体誰が戦いを望んでいるのだろうか」
とか考えてもみたり。
ともあれ次巻ですね。六月には出ますので少々お待ち下さい。
平成十六年二月 花粉《か ふん》が近い朝っぱら
[#地付き]川上《かわかみ》 稔《みのる》
[#改ページ]
[#改ページ]
|AHEAD《ア ヘ ッ ド》シリーズ
終わりのクロニクルB〈上〉
発 行 二〇〇四年四月二十五日 初版発行
著 者 川上 稔
発行者 佐藤辰男
発行所 株式会社メディアワークス
[#地付き]校正 2007.02.25