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AHEADシリーズ
終わりのクロニクルA〈上〉
[#地から2字上げ] 川上稔
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)必要|最低限《さいていげん》の明かりが灯《とも》る
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#底本「○○○」]
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終わりのクロニクル
著●川上稔 イラスト●さとやす(TENKY)
A【上】
――諸君。
次なる終わりを知ろう。
己の足元を固めるために。
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The Ending Chronicle
Act.02
CHARACTER
.Name :出雲・覚
.Class:生徒会会長
.Faith:出雲家嫡男
.Name :風見・千里
.Class:生徒会会計
.Faith:暴力型抑制女房
.Name :鹿島・奈津
.Name :獏
G-WORLD
・2nd―Gについて・
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2nd―Gとは名前に力が与えられるGである。
万物がそれぞれ概念核の下において個々の名前を持ち、その名に従って自然を営むことで、生物を含む環境を作り上げた。
後に2nd―Gの人々は概念核の存在に気づいてそれを利用しようとした。
だが己の名を持ち意志を有する概念核は、この世界を高度制御する手段を得るために管理システムとして改造されることを許可したが、その意志の尊重を求めた。
そして概念核が管理システムとなった後、2nd―Gは一個のバイオスフィアとなった。
管理システムが与えた名により、全環境を統治する世界。
人々は管理システムと対話する管理者を中心に一個の国家を形成。
己の名に従って役職を得、自然と一体化した繁栄を築き上げていた。
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終わりのクロニクル 2ー下
プロット表
 序 章『偽証の始まり』
 第一章『焔の二人』
 第二章『過去の戒め』
 第三章『俯瞰の経過』
 第四章『不断の問い』
 第五章『相互の紹介』
 第六章『かつての礼賛』
 第七章『虚偽の隣人』
 第八章『答えの始まり』
 第九章『遮断の知覚』
 第十章『偽証の呼びかけ』
 第十一章『雨の音降り』
 第十二章『午前の企画』
 第十三章『花咲の世』
 あとがき
ボクが迷うことを恐れぬように
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イラスト:さとやす(TENKY)
カバーデザイン:渡辺宏一(2725inc)
本文デザイン:TENKY
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序章
『偽証の始まり』
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始まりが終わりを告げる矛盾
その風の行き路はどこなのか
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天上は夜の色に黒く、しかし、星を見せていない。
ここは東京。人の動きが空気を揺らし、人工の明るさが夜空から星を掻《か》き消す街だ。
街並みの中、音が聞こえる。
それは堅い音。鉄の先端がアスファルトの地面を打つ音だ。
音には声もついてきた。
「|Sf《エスエフ》、どうだ? 夜の東京、神田《かんだ》は」
声を放つのは黒いスーツを着込んだ白髪《はくはつ》の男。彼は鉄杖《てつづえ》をついて夜の道路を歩きつつ、傍《かたわ》らにいる白髪の侍女《じじょ》、Sfに告げる。
彼の言葉を受けたSfは、くるりと身を回して周囲を見ると、
「歩道に人多く、大通りに車もありますが、どれも駅《えき》方面に向かうものばかりと判断します」
「ほほう。その理由は解《わか》るか? 御聡明《ごそうめい》な自動人形として」
「|Tes《テ ス》.、帰宅を急いでいるのだと判断します。至《いたる》様」
そうか、と頷《うなず》いた白髪の男、至の前でSfは足を止めた。
「――どうした馬鹿人形、主人の行く手を阻《はば》むつもりか」
見ればSfは両手を前に差し出している。小さな手が持つのは、
「何だその一枚の小さな紙と、印鑑《いんかん》は」
「解りやすく説明しますと 至様の御要求|達成《たっせい》良かったねポイントカード です。二十ポイントたまるごとに自画《じが》自賛《じさん》することが出来ます。いつもは自分で捺印《なついん》しているのですが、これで二十ポイントなので至様|自《みずか》らお願いします」
至は半目《はんめ》で紙カードと印鑑を手に取り捺印。
「この変な|SD顔《エスディーがお》の印《しるし》は――」
「至様の顔ですが、何か? 製作はUCAT開発部によるものです」
Sfはカードを受け取ると、一礼。
「少しの間、御失礼を」
と言って、右の手の平で自分の頭を撫《な》でた。そして、手を下ろすと無表情に、
「Tes.、――完了です」
「一度でいいのか? 謙虚《けんきょ》なことだな」
「御要求でしたならば何度でも」
「一度でいい。あと、人前《ひとまえ》でするな。……何事かと思われる」
「Tes.、では人前ではなく至様の前だけで行います」
「ほう、残念ながら俺は人だぞ?」
「それが至様の御要求ですので」
彼女の言葉に至《いたる》は何も言わない。
彼はまた歩き出す。その脚《あし》と杖が選ぶのは通りを外れた道。
大通りから離れ、帰宅を急ぐ人々から離れるように彼は歩いていく。
「至様、こちらにあるのは……」
「ああ、お前も調整に来たことがあるだろう」
至が足を止めた先、街の中に広いスペースをとった大きな白い建物がある。
「表向きは病院だが、中身は日本UCATの東京研究所、奥多摩《おくたま》の開発部と連動して動く場所だ。今は対3rd用に武神《ぶしん》の改修などしているそうだな」
「今日は何のためにここに?」
|Sf《エスエフ》が問うと、至は| 懐 《ふところ》から一通の封筒を出した。
「これを、一人の男に手渡さねばならん。この日本の神話のベースとなった2nd―|G《ギア》の血を引く者にな」
「2nd―Gの血を……?」
「ああ。……2nd―G最強の軍神《ぐんしん》であり、剣工《けんこう》である鹿島《かしま》の名を持つ者が、今夜は奥多摩のUCATを出てここに来ているのでな」
「別に明日にでも、彼がUCATに戻られたときに手渡せば宜《よろ》しいのでは?」
「ものごとには雰囲気《ふんいき》というものが大事だ。よく憶《おぼ》えておけ、Sf」
「|Tes《テ ス》.、何事も無駄《むだ》は大事という考えですね。理解しました」
至は懐に封筒を収め、白い建物に向かって歩き出す。
Sfは彼の歩みに遅れることなくついてくる。
「……しかし、その鹿島様とはどのような方なのでしょうか?」
「ふむ。遠回しに答えてやるが、……2nd―Gについて聞きたいか?」
「いえあまり」
「では聞かせてやろう」
至は歩みを緩めることなく、口元に笑みを浮かべ、
「六十年前、2nd―Gは全G中最も早く、出雲《いずも》航空技研|護国課《ごこくか》に与《くみ》した」
「それは聞いたことがあります。2nd―Gを制御する概念核《がいねんかく》管理システムが概念戦争の長期化で暴走、炎竜八叉《えんりゅうやまた》になったため、休戦を結んで救《たす》けを求めに来たと」
「ああ、しかし救《すく》いは間に合わず、2nd―Gは炎竜八叉に焼かれて滅んだ。……そして八叉は終戦後の四十六年、この|Low《ロ ウ》―Gにて封印《ふういん》されることとなる。Low―Gのとある技術者が作った超大型|人型《ひとがた》機械と――」
一息。
「鹿島の祖父が作った剣によって、な。だが」
「だが、何でしょうか?」
「だが、封印《ふういん》の際、炎竜八叉《えんりゅうやまた》は己を暴走させた2nd―|G《ギア》の人間を信用せず、|Low《ロ ウ》―Gのとある技術者の言葉を信じて封印されたという。……本来2nd―Gの一部の者に受け継がれてきた八叉|制御《せいぎょ》の権利は、八叉の信用を失ったが故に、Low―Gに奪われたんだな」
至《いたる》は苦笑とともに告げた。
「しかし、その言葉をもって八叉の封印に成功したLow―Gのとある技術者は、……八叉封印の際、炎竜の熱で一人焼け死んだ」
「では、八叉を封印するための言葉は、今、誰に受け継がれているのですか?」
「鹿島《かしま》家の人間だけだ」
「|Tes《テスタメント》.、故に鹿島様に会いに行くのですね。2nd―Gの概念核《がいねんかく》を解放するには、八叉を制御する必要がありますので」
そう言って|Sf《エスエフ》は前を見た。つられるように至も前を見た。
もはや目の前となった白亜《はくあ》の建物の前。人通りのない通りにおでん屋の屋台が出ている。
「あのおでん屋はUCATの偽装《ぎそう》屋台ですね。警備の出張用セントラルステーションです」
そして今、屋台の椅子《いす》には一人の男が腰かけていた。
それは作業服に白衣《はくい》を着込んだ眼鏡《めがね》の男。年は三十そこらか、線の細い背が、狭いカウンターに置かれたノートPCの画面に向いていた。
彼に近づいていく足取りの中、Sfがわずかに目を細めた。彼女は、ややあってから、
「――Tes.、子体自弦《こたいじげん》振動を照合《しょうごう》確認しました。日本UCAT開発部所属、鹿島・昭緒《あきお》。階級は主任。両親、祖父母|共《とも》に純血の2nd―Gです。が」
「が?」
「体格的に見て、最強の軍神《ぐんしん》に相応《ふさわ》しいとは――」
「見えませんよね、やっぱり」
声とともに、屋台のカウンターから男が立ち上がった。
男、鹿島は力を抜いた姿勢で立つと、至とSfの方を向いて微笑した。
彼は数歩を踏んで、二人の目の前に立つ。
「有《あ》り難《がた》いことです。僕を軍神と思わぬ人がいてくれるのは」
鹿島は軽く一礼。対する至の代わりにSfが頭を下げ、しかし、眉をひそめた。
彼女の表情に気づいた鹿島が首を傾《かし》げ、
「何を思案してるのかな?」
「Tes.、――鹿島様が、私に褒《ほ》められなかったことを有り難いと言われたのは、何故《なぜ》でしょうか?」
「それは僕が力を嫌ってるからだよ。……僕自身の力を、ね」
「そういうことだ。|Sf《エスエフ》、あまり疑問に思うな。彼は開発部の人間だぞ、難癖《なんくせ》付けて仲間割れでもしたいのか」
「至《いたる》様に仲間がいるという事実を私は存じておりません」
「ほほう。最近の自動人形は主人の人格否定をナチュラルに行うようだな……」
その問答に、鹿島《かしま》がふと気づいたように笑みを見せた。
「ああ、ひょっとして……、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の大城《おおしろ》監督ですね? ――今日は何用で?」
「君にちょっとした用だよ。そちらの邪魔《じゃま》ではないかな? 話によると、| 機 殻 剣 《カウリングソード》の試用も兼ね、しつこい賊《ぞく》を討《う》つための警備だとか」
「ええ、不気味なことに、各地の研究施設が最近|襲《おそ》われてますよね、所属不明の連中に。――今夜は僕と友人の熱田《あつた》でここの警備をするんですが、僕だけ早く着いてしまって」
と、鹿島は右手を上げた。手には先ほどカウンターに置いていたノートPCがある。
開かれる液晶画面を見て至は問う。
「暇つぶしを兼ね、鹿島の名において| 機 殻 剣 《カウリングソード》の研究をしていたのか?」
「いえ、僕は八年前に製作からは身を引きました。先ほどから時間を潰すために見ていたのは撮影した娘の動画です。まだ四ヶ月なんですが可愛《かわい》さ抜群《ばつぐん》で、ほら」
画面に広がって動き出した幼子《おさなご》の映像に、至は|Sf《エスエフ》の肩を掴《つか》んでさりげなく前に出す。
Sfは画面に映った幼子と、ショートカットの女性を見て、
「姿形照合《しけいしょうごう》不能です。……この女性と子供は|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の方でしょうか」
「大学時代の同級生でね。妻は奈津《なつ》、子供は晴美《はるみ》。あ、ほら、そろそろ晴美が手を上に上げますよー、ほらほらほらわあ上げた、可愛い〜」
「至様、どのように反応すれば宜《よろ》しいのでしょうか」
「褒《ほ》め称《たた》えろ」
「|Tes《テ ス》.、――鹿島様、晴美様はよく出来たと判断します」
「どうもどうも。……それでまあ、今日は僕に何用で?」
「ああ、鹿島君、話は簡単だ。遠回しに言うと、――全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》をどう思うだろうかな?」
突然の問いかけに、鹿島は困ったような笑みをする。が、少しの間をもってから、
「ええ、物凄《ものすご》いと思いますよ」
鹿島は肩を竦《すく》めて告げた。
「概念核《がいねんかく》使用の反則兵器を持ち、各部の優秀な人員を揃《そろ》え――、そして実績としては1st―Gを| 恭 順 《きょうじゅん》させた。見事なものだと思います」
「では、君の力と対比して、どうかな? 鹿島君」
至の言葉に、鹿島が笑みを止めた。だが、至は言う。
「八年前、君が己で打った| 機 殻 剣 《カウリングソード》は、出雲の|V―Sw《ヴイズイ》に匹敵《ひってき》する力を放ったという」
「あれは……、そのとき壊れました」
鹿島《かしま》が無表情に告げる。
と、鹿島の雰囲気《ふんいき》に何を思ったのか、|Sf《エスエフ》が動いた。素早い身動きで至《いたる》と鹿島の間に入り、
「申し訳|御座《ござ》いません。鹿島様、肩に力が――」
というSfの言葉が途中で止まった。いつの間にかSfの頭に鹿島の手が載っていたのだ。
無表情を更に堅くするSfの正面。鹿島は吐息《といき》とともに会釈《えしゃく》した。
彼はSfの頭を撫《な》でつつ、
「御免《ごめん》ね。君の主人に害を働くつもりはないよ」
「では、撫でるのをおやめ下さい」
と、Sfは| 懐 《ふところ》から紙製のカードを差しだし、
「撫でたい場合はこちらをどうぞ。二十ポイント分私がお役に立つと撫でることが可能です」
「これは有《あ》り難《がと》う。……と、それでですね? 解《わか》って欲しいんですが、僕は八年前の事故で己の力を封じることにしたんです。剣を作る力も、振るう力も。――今日は一体|何《なん》の用ですか大城《おおしろ》監督。まさか僕の過去を蒸《む》し返すために来たんじゃないですよね?」
「嬉《うれ》しいことにその通りだ。驚いてもいいぞ?」
至は苦笑をつけて頷《うなず》いた。懐から先ほどの白い封筒を一つ出す。
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》、次の交渉相手は2nd―|G《ギア》だ。開発部長の月読《つくよみ》は君を代表にすると言ったよ」
「――――」
「もはや|Low《ロ ウ》―Gに| 恭 順 《きょうじゅん》した2nd―Gが、今更《いまさら》何を望むのか。そして、力を封じた軍神《ぐんしん》が何を望むのか、見せて欲しいものだな」
身動きを止めた鹿島に対し、至は頭を下げる。
そして、彼の動きに合わせ、前に立つSfも頭を下げる。
彼らの動きの中、夜の中、一礼とともに鉄杖《てつづえ》が一つ打たれ、声が響《ひび》いた。
「亡き佐山翁《さやまおう》の望み、過去の贖罪《しょくざい》のため、君が何らかの答えを求めて全竜交渉《レヴァイアサンロード》に参加されることを。――我々|一同《いちどう》望んでいるよ」
夜の闇を多く染み込ませることが出来る土地とは、海ではなく、街でもない。
森だ。
東京の森。
それは都心から遙か西、遠く奥多摩《おくたま》の土地にある。
月の下、夜空の下、広がっているのは闇を含んだ木々の背だ。
黒き森の中、一ヵ所だけ、闇ではなく、空の月光を受ける場所がある。
それは、静かにたたずむ白亜《はくあ》の建物の並び。
総合企業、IAIの東京支社だ。
そしてIAIの背後、更に谷の奥に、一つの長い滑走路と、白の建物がある。
IAIの輸送管理棟。それが日本UCATの本拠《ほんきょ》だ。
今、その建物のロビーに明かりがついていた。
白い光が満ちるロビーの天井は高く、壁には一枚の絵が掛かっていた。
二メートル四方はある額装《がくそう》の油絵は聖母が泣く子を抱いている絵。その絵の下には、金属プレートで六つの英詩《えいし》が彫り込まれている。
聖歌《せいか》、清しこの夜の英訳だ。
そして絵画の下、赤絨毯《あかじゅうたん》のロビーにいるのは二人の人間。
一人は黒髪《くろかみ》の少女。黒のTシャツと白のデニムワンピースを着た姿はソファに座り、向かいに座る老人に言葉を送っている。
対する白髪《はくはつ》に白衣《はくい》の老人は、身振り手振りと笑みを用いて話す少女の言葉を、やはり笑みで聞く。
少女が両手を上にあげて、笑みを強くして、
「それで佐山《さやま》君って凄《すご》いんだよ、大城《おおしろ》さん。反射|神経《しんけい》訓練、ボクが一ヶ月かかったのを一週間だもの。ちょっと頭おかしいところあるけど基本的には凄い人だと思う」
「元々、御言《みこと》君は飛場《ひば》道場という頭のおかしい道場で修行しとったからなあ。……いずれ新庄《しんじょう》君にも話してくれるだろうよ。昔に何があったのかも」
うん、と頷き、新庄・運《さだめ》は上げていた手を下ろす。
対する大城は、少し頬《ほお》の上気してる新庄に、
「今、御言君は?」
「うん、佐山君は今月から学校始まって生徒会とかで訓練時間を消化し切れてないから、今日は遅くまでやっていくって。……元気だよね」
わずかに眉を下げ、壁に掛かる絵を見た。
口を軽く開き、英詩の一行目をつぶやく。
その後で新庄は視線を落とし、
「佐山君、左腕の怪我《けが》はもう完治してるみたい。だからそろそろ、……切《せつ》の役目も終わりかな。もう、佐山君の助けを切がする必要なくなるから」
そして、静かな口調で新庄は言った。
「……切が佐山君の前から消えれば、ボクの嘘《うそ》が半分《はんぶん》無くなることになるんだね」
「いいのかな? 切君が御言君と別れて」
問われ、新庄は面《おもて》を上げた。黒い瞳《ひとみ》で大城を見てから、笑みを作る。
「上出来だったと思うよ。本来なら、ボクも、……切も、このUCATから出てはいけない人間だもの。それが学校に行けて、大事な人と一緒にいられた。充分|過《す》ぎるんじゃないかな」
頷《うなず》き、
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》が終わったら、もう、佐山《さやま》君がボクと一緒にいる理由もないしね。……そうなったら、ボクの方も佐山君とお別れかな?」
新庄《しんじょう》の言葉は問いかけで終わる。
その言葉を聞いた大城《おおしろ》は、ふむ、と腕を組んだ。
「新庄君。もし……、もしもだな?」
「ん? 何? 大城さん」
「もし佐山君が、全竜交渉《レヴァイアサンロード》の後も、新庄君と共にいたいと言ったらどうするかなあ」
問いに、少し考えてから新庄は頬《ほお》を赤くした。
「な、無いよ無いよそれは。佐山君がボクと一緒にいるのは、ボク達が本気を出して全竜交渉《レヴァイアサンロード》に向かっていくためだもの。そういうことを都合《つごう》良く考えたら駄目《だめ》だよ。それに……」
「それに?」
「ずっとそばにいられたら、ボクがついてる嘘《うそ》が本当にバレちゃうよ。佐山君、聡《さと》いし。今でも充分|危険《きけん》なのに。……もしボクの嘘がバレたら、ボクは佐山君から避けられると思う」
新庄は、自分の身体《からだ》を浅く抱いた。
どうしたものか、という雰囲気《ふんいき》で吐息を一つ。
「ボクは嘘をついているから、佐山君と一緒にいられるんだよ。解《わか》るよね? 大城さん。ボクの嘘の理由を知っている大城さんや他の人達が、どんなにボクを大事にしてくれるか」
大城は、ややあってから頷いた。深い息をつき、ソファに浅く座り直す。
そのときだ。ロビーの外、管理棟の横から排気音が響《ひび》く。
新庄と大城が大窓《おおまど》の外を見ると、車のライトが三つ、光跡《こうせき》を描いて下の方、IAIの方へと走り去っていくところだった。
「――そういえば、夕方にも屋台に偽装《ぎそう》したトラックが出ていったけど、あれは何の仕事?」
「ああ、UCAT東京研究所、神田《かんだ》にあるの知っておるだろう? 概念《がいねん》空間|発生《はっせい》装置の研究や、武神《ぶしん》の改修作業などしとるんじゃが、最近ちょっと、中のもの目当てのちょっかいがあってな。少し警備を強化することにした」
「警備って……、どこかの特課《とっか》?」
「いや、開発部でな。2nd―|G《ギア》の連中が新型の| 機 殻 剣 《カウリングソード》の調整やら何やらで実戦テストが欲しいとか。開発部の月読《つくよみ》部長には毎度|装備《そうび》類《るい》で世話になっておるから逆らえんでなあ」
「ふうん……。2nd―Gって、日本UCATに馴化《じゅんか》して、帰化《きか》完了したGだよね、日本の文化のベースになったと言われるG」
「そう、日本人と全く見分けもつかんよ。ときたま年長者が2nd―Gの歴史を下に伝える講習会をやっとるが、それがなければ完全に|Low《ロ ウ》―Gの住人じゃろ」
その言葉に新庄はまた、ふうん、と頷き、窓の外を見た。
自分の姿を薄く映す大窓《おおまど》の向こう。もはや遠ざかっていく車のライトは見えない。
ただ、窓に映った自分が見えた。
そこにあるのは、思いの外眉尻《ほかまゆじり》の下がった表情だ。
新庄《しんじょう》は窓に映る自分に対して首を傾《かし》げ、
「ボクも、……自分自身に完全|馴化《じゅんか》出来たらなあ」
東京|神田《かんだ》、UCAT東京研究所の周囲には今、深夜の静けさが満ちていた。
東京という街が、街灯の光を残して短い眠りにつく時間だ。
だが、そんな眠りを妨げるように、白亜《はくあ》の建物の周囲から音が生まれた。
音は三つ。
一つは並木の葉を散らす風の音。もう一つは高い金属音。そして最後の一つは歌。
一つ目は春の終わりを告げる風の名残《なごり》であり、二つ目は戦闘の始まりを告げる剣戟音《けんげきおん》であり、三つ目は調子|外《はず》れな男の声によるものだ。
「さようなら〜をあんのひっとにー! せーいけん一発|締《し》ぃめおっとしい〜!」
響《ひび》く歌は、風が絶えても剣の音ともにやむことなく。
声と音の響きはUCAT東京研究所を離れ、ビル群の間を抜けていく。
歌うのは影。
民家すらない機能的な街並みを縫《ぬ》うように、一つの影が歌いながら動いていた。
その影に幾つかの影が躍りかかり、重なり、しかし吹き飛び倒れる。
「なみっだ流してあんのひっとは〜、わっかれっを告っげるっのタップを三回〜!」
先から走り続ける影は倒れない。
影は己の速度を緩めることなく、通りを抜け、並木の間を縫い、建物の間を突っ切っていく。
そして合計で七度の接触を終え、七つの影が倒され、ワンコーラスが終わった後だ。
歌を終えた影が、建物の間から通りに飛び出した。
外灯の下で足を止める。
その姿は、UCATの白い戦闘用コートに身を包んだ青年だった。
金に染めた短髪の下、ひそめた眉と細い目が前を見ている。
「やってらんねえ。やってらんねえな、コレは。演歌《えんか》も品切れだし、……燃料が必要だ」
言いつつ、右手を肩へと掲げる。滑り止めの黒い手甲《てこう》がついた右手は、一本の剣を手にしていた。白い機殻《カウリング》が施されたその表面には 7STAR と黒のマークがある。
彼は無造作《むぞうさ》に剣を右肩と首に挟み、両の手で| 懐 《ふところ》を漁《あさ》る。
そのときだ。彼の首元からノイズつきの男の声がした。
『熱田《あつた》。| 機 殻 剣 《カウリングソード》からデータが来てないぞ。――何をしている?』
問いが発されるのは通信用の小型フォンマイク。熱田《あつた》と呼ばれた青年は眉をひそめて、
「今、授業をサボってニコるトコだ、鹿島《かしま》」
『ニコる?』
「煙草《たばこ》吸うってことだ、鹿島。ヤニるとかモクるより明るく前向きだろがよ?」
『大部分|無視《むし》して言わせてもらうが仕事中は禁煙だ。健康のためにも僕が箱で与えた禁煙ガムを食え。そうすると喜ばれるぞ、――僕に』
「テメエは子供生まれたら禁煙入りやがって。その上|俺《おれ》の健康を管理してどうするつもりだ。それよかとりあえず俺の戦闘兼リサイタルを鑑賞《かんしょう》に来い。感動するぞ」
『感動か……、確かに感情が動くことを感動と言うよな、その種類に構わず』
「馬鹿|野郎《やろう》。モニタに映した女房子供の画像を凝視《ぎょうし》してるよか遙かにまともだぞコノヤロウ」
『凝視? 違うなそれは。――愛《あい》でいると言うんだ』
「同じだ馬鹿|親《おや》っ」
『ははは、いい褒《ほ》め言葉だ熱田。それより後で話があるから帰りは電車でつき合えよ』
「何だよ、話って」
『全竜交渉《レヴァイアサンロード》について、だ。わざわざあの大城《おおしろ》監督が書類|持参《じさん》してきてくれたよ。月読《つくよみ》部長が僕に全権を任せるらしい。――正直、どうしたものかと思ってるんだけど』
「お前、八年前に積極性を損失してっからなあ……」
やれやれと熱田は無視。
しかし、彼が| 懐 《ふところ》から出した手は、細身《ほそみ》のガムの包みを持っていた。
UCATマークの入った禁煙ガムだ。表面には線路を走りながら目を見開いて笑う男の絵がプリント、商品名には 危険者トーマス禁煙ガム とある。
「……鹿島。あっさりと答えろ。これを企画したテメエのセンスはどうなってやがる」
『おそらく、まっすぐ上に伸びている』
「方向が傾いてねえか? おい。左上とかに」
『何を言ってる。そんなに危険者トーマス嫌いか? ……子供は皆、好きなのにな』
「あのな、ガキは禁煙しねえんだよ。もっと大人《おとな》向けのエロスとバイオレンスの刺激あふれる禁煙ガムを用意出来ねえのか? 女教師わくわく禁煙ガムとか」
『落ち着け。そんなもの作ったら一般市場で販売出来なくなるじゃないか』
「……おいおい正気かおめでたパパ。このガム、一般に回す気か?」
『IAI製品として出すらしい。版権元《はんけんもと》のチェックが厳しかったぞ。笑顔が甘い、と』
頷《うなず》きもせず、熱田は通信機のスイッチを切った。首に挟んでいた剣を手に取り、空を眺《なが》め、
「嫌な会話は忘れよう……」
と、ガムを噛《か》む。
「塩鮭味《しおじゃけあじ》か。米が欲しくなるぜ……」
頷《うなず》きつぶやき、ゆっくりとあたりを見渡す。
と、いつの間にか、熱田《あつた》は囲まれていた。
熱田を中心とする外灯の明かり、その周囲に、幾つかの影が立っている。
数は四人。どれも黒い長衣《ちょうい》に身を包んだ男達だ。
熱田の視線の先、四人は皆、己の身の一部を本来の形とは違うものにしていた。
「はは、テメエら、3rd―|G《ギア》伝来の機甲型《きこうがた》人体改造ってヤツか。自動人形にくっつけといた方がいいんじゃねえの? そういう玩具《おもちゃ》は。 ――どこのGの連中よ、テメエら」
問いに、無言で男達が身構える。が、熱田は右腕に白の剣を下げ、
「いけねえな、その態度はいけねえよ、道理がなってねえ。いいか馬鹿|共《ども》。俺に問われたら答えるもんだ。もう一度問うぞ。――テメエらアレか? 最近|噂《うわさ》の、どこのGにも所属してない 軍 とかいう連中か?」
無言が返る。が、熱田はガムを噛《か》みながら目と口元に笑みを浮かべる。
「UCAT東京研究所で改修中の武神《ぶしん》を奪いに来たってだろ? 大勢で夜這《よば》い掛けて、俺一人相手に残ったのはたったコレだけ。――詰まらねえ、シケた話だ。とっとと帰んな」
次の瞬間《しゅんかん》、熱田の身が動いていた。
無造作《むぞうさ》という動きで、熱田は右手側へ一歩を踏む。
彼の動きは速かった。
熱田の足の行く先にいるのは、右手側、両腕を機械化した黒服|姿《すがた》の兵士。
黒服の兵士は慌《あわ》てた動きで、金属の両腕をガード態勢に。
間に合わない。
対する熱田は既に必要な距離を詰めている。
直後。彼の| 機 殻 剣 《カウリングソード》が黒服の胸前《むねまえ》を薙《な》いだ。
それだけをもって、黒服の両腕が氷のように破砕《はさい》した。
「――!」
無言の叫びを放った黒服の口に、熱田が| 懐 《ふところ》からガムを出してねじ込む。
「子供に人気だぜ敗北|初心《しょしん》者」
味の感想も聞かず、がら空《あ》きの身体《からだ》に蹴《け》りを直撃《ちょくげき》。
両腕を失った黒服が倒れ、金属音を響《ひび》かせる。
だが熱田は相手を見ない。踵《きびす》を返して残りの三人を視界に含め、
「安心しろ、殺しゃしねえ。――鹿島《かしま》がうるさいんでな、そのあたり」
熱田の言葉に、ほう、と頷《うなず》く声がした。
距離十メートルをもって対する三人の内、中央に立つ両|義腕《ぎわん》の男だ。
「UCATの中に、一人、イカれた武人《ぶじん》がいると聞いたことがある。日本神話のベースとなった2nd―|G《ギア》における剣神《けんしん》の家系、――姓《かばね》を熱田《あつた》、名を雪人《ゆきひと》と言ったか」
「おう、よく知ってるじゃねえか。テメエは物|解《わか》り良さそうだな」
「――何を言っている。UCATに最も早く与《くみ》した惰弱《だじゃく》なGの末裔《まつえい》が!」
「うるせえな。六十年も昔の、俺のオヤジだって知らねえことを口にすんのか? いけねえな、そりゃ道理がなってねえ。――大体、与したってのはどういう了見《りょうけん》だ馬鹿|野郎《やろう》」
いいか?と 熱田は前置きし、
「この日本の文化。特にエロスとバイオレンスは2nd―Gが元になってんだよ。俺達の祖先は与したんじゃねえ。原住民の前に慈悲《じひ》深く降臨《こうりん》してやったんだ。――馬ァ鹿」
放たれる言葉と口調に、相手三人が顔色《かおいろ》を失った。
が、一呼吸の後、先ほどの台詞《せりふ》を放った男が言う。
「ではやはり、2nd―Gは全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対して協力的だと、そう見ていいのか? 八叉《やまた》を封印《ふういん》した神剣十拳《しんけんとつか》は、超大型|人型《ひとがた》機械|荒王《すさおう》とともにUCATに管理されているという。――ならば今進行しつつある全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対し」
「2nd―GはUCATに| 恭 順 《きょうじゅん》する、と?」
熱田は言う。そりゃどうだかな、と。
「戦後六十年、俺達はこの国に馴染《なじ》んでる。だが|Low《ロ ウ》―Gは俺達の真理を知っちゃいねえ」
「……真理?」
「八叉を制御する言葉だ。それは八叉を封印したLow―Gの技術者が、その際に死ぬことでLow―Gに受け継がれなかった。今それを知ってるのは俺の友人、鹿島《かしま》だけだ」
ならば、
「――今のLow―Gは、八叉を制御できねえってことだ」
頷《うなず》き、熱田は三人を見回してこう言った。
「よし、このくらいでいいだろう。今日はよく喋《しゃべ》った。じゃあ斬《き》るぞ」
熱田の見回す視線の先。顔を引きつらせた敵は、右に一人、正面に一人、左に一人。
「何だ、いい顔出来るじゃねえか。褒美《ほうび》に今から面白いものを見せてやる」
「何……?」
「まあ見てろ、見えるなら、な」
言ったなり、熱田が歩き出した。右手側の一人に向かって。
彼は無造作《むぞうさ》に、足音も消さずに歩いていく。が、相手は反応しない。まるで熱田が見えていないのか、ただ、彼の接近を待っている。
そのまま熱田は相手に近づいた。
ややあってから相手が慌《あわ》てた。目の前の熱田が見えていないように左右を見回し、
「――お、おい、さっきの馬鹿は一体どこに」
という呼びかけは途中で断たれた。
熱田《あつた》が斬《き》ったのだ。
「殺しゃしねえ。――ゆっくり味わえ」
熱田は斬った相手の口にガムをねじ込み、背後、左の一人に振り向く。
そこでも同じことが起きた。
熱田が振り向くなり、左の一人が熱田を見失ったのだ。
彼は目の前にいる熱田が見えぬように、左右を確認し、腰をかがめて、
「ど、どこに――!」
という声も途中で断たれた。
熱田が左に六歩を進み、斬ったのだ。
熱田はやはり、斬った相手の口にガムを詰め込んだ。
左右の両者どちらも、斬られるまで反応出来なかった。
後に残ったのは、熱田が丸めて捨てる包み紙二つだ。
「家に帰ったら子供に教えてやれ。近日発売だと」
言葉とともに、熱田は中央に残った一人の前に立つ。彼の顔は退屈そのもので、
「さて、何を血の気失った顔してんだ猿。まだ血抜きは終わってねえぞ? それとも何か? 俺のこと殺人|鬼《き》か何かと思ってビビり入ってんじゃねえだろうな?」
| 機 殻 剣 《カウリングソード》を眼前に構えた。
白鉄《はくてつ》の剣先《けんさき》、相手は刃《やいば》の先端を見てわずかにのけぞり、しかしつぶやく。
「今の技……」
「2nd―|G《ギア》の 歩法《ほほう》 ってやつだ。相手の知覚を脱して接近し、命を奪う。日本神話にもあるだろう? 暗殺のために敵に接近する話が。――この程度、2nd―Gで有名な連中なら誰でも行うぜ」
「それほどの技と力を持ち、隷属《れいぞく》するのか?」
「うるせえな馬鹿。……俺ァ実はな、大事な女が|Low《ロ ウ》―Gの人間でよ。それ一つだけが、まあ、何だ、大事なものってわけだな、おい」
熱田は苦笑。気づいたように照れの笑みを見せ、頭を掻《か》き、
「ば、馬鹿|野郎《やろう》、その場のノリで恥ずかしいこと言わせんじゃねえよっ」
言うなり、熱田は目の前の腹に膝《ひざ》をぶち込んだ。
機械の腕と生身《なまみ》の体が打撃音で転がり、そして動かない。
熱田は、あーあ、と吐息を一つ。倒れた四つの影を見て、こう言った。
「ちゃんと掃除して帰れよ? あと、ガムは路上に吐き捨てるな。――いいな?」
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終わりのクロニクル
積み重なるように
全てはゆっくりと動き出していて
求めるべきところへ行ければいいと――。
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ここにいていいだろうか、とは尋《たず》ねない。
ここにいようと、そう決めた。
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第一章『焔の二人』
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誰かが何かを問うていて
では自分は如何すべきなのか
何も解らず何も決まらず
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佐山《さやま》・御言《みこと》は夢を見ていた。
視点のある場所は巨大な木造《もくぞう》建築物内部。自分の視覚があるのはその中央だ。
建物内部の構造は神社の内部に似ている。
が、規模が違う。天井までは雄《ゆう》に三十メートルを有し、空を覗《のぞ》ける入り口の横幅は五十メートルを軽く越えている。
……見知らぬ建物だな。やはり夢か……。
視覚を動かして見た入り口。その向こうにあるのは赤い空。燃えてゆらめく空だ。
これは火の夢か、と佐山は思う。
炎《ほのお》と陽炎《かげろう》が空を覆《おお》い、火《ひ》の粉《こ》が雨として降り注ぐ夢。
空襲《くうしゅう》だろうか、と佐山は考え、それは違うな、と考え直す。聴覚に響《ひび》く音は飛行機の通過音や焼夷弾《しょういだん》の降る風切り音ではない。遠雷《えんらい》のように響く獣《けもの》の咆哮《ほうこう》だ。
大気を掻《か》きむしる獣の声。
そんな吠声《ほうせい》が空から響くにつれ、建物に一つの動きが生まれた。
正面、入り口の左右から、大きな門が閉じ始めたのだ。
閉じ行く門の隙間《すきま》。そこから向こうを佐山は凝視《ぎょうし》した。
赤い空の下、視点は高い。ここは山の上かどこからしい。
そして見晴らす眼下は、空と同じく一面|火《ひ》の海《うみ》だった。
元々は畑や森や、村があり、遠くの山並みがあったのだろう。しかし今、それらは全て朱の色の起伏となっており、崩れるたびに空へと火の粉を舞い上げる。
ふと、佐山は気づく。閉じゆく門の向こう、一人の女がいることに。
こちらに背を向けているのは老女。白の貫頭衣《かんとうい》に黄色の外套《がいとう》を軽くまとった黒髪《くろかみ》の女だ。
すると佐山の視界の背後、建物の奥から入り口に向かい、二人の男が走り出た。
一人、先行するのは汚れた白衣《はくい》をまとった男性。眼鏡《めがね》を掛けた中年だ。
彼の足が向く先は閉じゆく門の方。こちらに背を向けて立つ女のところだ。
続いて二人目は、黒の貫頭衣をまとった小柄《こがら》な男だった。
彼は白衣の男を追い駆けていた。
佐山は見る。黒衣《こくい》の男が白衣の姿に追いつくなり、その身を地面に押し倒したのを。
外が燃え、獣の咆哮が響く中、二人の男の転ぶ音が一つ。
白衣の男が叫んだ。押さえつける黒衣にではなく、閉じゆく門の向こうに。
「駄目《だめ》だ……! 貴女《あなた》は、貴女は指導者なのだろう!? 何故《なぜ》にここで死を選ぶ!」
言葉に、外に立つ姿は振り向かない。代わりというように黒衣の男が叫ぶ。
「これは決まりごとだ! そういうものなのだ……!」
しかし、と問いかけを放とうとした白衣《はくい》の男は、言葉を止めた。
彼を上から腕と膝《ひざ》で押さえつける黒衣《こくい》の男が、顔を伏せていたからだ。
無言となった二人に、ふと通る声が返る。外、閉じていく門の向こうからだ。
「軍神《ぐんしん》よ、彼を頼みます」
何も言わず、黒衣の男が頷《うなず》いた。
その間にも門は閉じゆく。空いた隙間《すきま》が一メートルを切ろうとする。
だが、女の声は届く。
「異なる|G《ギア》、我らと繋《つな》がる国から来た技術者よ。これは元々、我々の撒《ま》いた種なのです。――きっと八叉《やまた》はこの世界を飲み込んだら、いずれこの門を伝って君達の世界へと行くでしょう」
彼女の言葉に、白衣の男が顔を上げた。
「私が……、私の力がもっとあったならば。もっと決断が早かったならば……!」
そうですね、と老女の声は返る。そして笑みの口調すら含み、言葉は告げられる。
「誰もがそう思っているでしょう。ここに辿《たど》り着けなかった者も、ここに辿り着けた者も。だが、君と同じように、私達の力も無かったのです。……君は、君のGを護《まも》りなさい」
そして、
「護れますか? 貴方《あなた》は。――自らの世界を、滅びから」
問いに、白衣の男は答えることが出来ない。ただ、押さえつけられたまま歯を噛《か》みしめた。
門が閉じる動きに同期して、周囲の壁が闇に染まっていく。
黒衣の男がつぶやく。
「いいか? そちらの世界に、この神殿《しんでん》内部、収容出来た二千名が移動する。――八百万《やおよろず》と言われたかつての栄華《えいが》は疲弊《ひへい》で喪失《そうしつ》し、今や世界も失うわけだ……!」
く、と白衣の男が喉《のど》を鳴らした。
歪《ゆが》めた顔は閉じる門を向く。同じように、佐山《さやま》の視覚もそちらを見る。
わずかな隙間の向こうに見えるのは、老女の一人身構えた姿。
彼女の身が向く方向。細く切り取られて見える空には今、一つの炎《ほのお》が浮かんでいた。
炎の形は竜。八つの首を持った炎の蛇竜《じゃりゅう》だ。
その全長は軽く一キロを超過し、更に伸長しつつある。
空踊る朱の身はこちらを見て、八つの顎《あご》を開いた。
直後。声が聞こえた。
門の向こうにいる女の声だ。それは抑揚《よくよう》を持ち、謳《うた》われる。
「私には――」
と、音律の始まりが響《ひび》いた直後。門が轟音《ごうおん》とともに閉じた。
外光が失われ、全てが暗転《あんてん》していく中、門の外から声が響《ひび》く。
新しい声。先ほどの女の声とは違う。もっと強大で、震えを持った音声だ。それは、
……竜の問いだ。
言葉ではない。
それは獣《けもの》の問いかけ。感情と意志のみが作れる抑揚《よくよう》を持った叫び。
竜の慟哭《どうこく》だ。
竜の声として響《ひび》き、天より降る叫び。
それは問いの意味を持っている。
「――!!」
問うている。
そして強《し》いている。
答えを。そして滅びを。
叫びが解答と滅びの両者を求め、空間を貫《つらぬ》いた。
同時。何もかもが闇に満ちた。
次の瞬間《しゅんかん》、佐山《さやま》は、悲鳴と| 憤 《いきどお》りの混じった長い叫びを聞いた。
耳に聞こえた叫びを苦悶《くもん》と感じたとき、佐山の見る映像と音は終わった。
佐山は目覚めていた。
早朝の空気は冷たく、上がってきたばかりの陽光は白さを感じるまぶしさだ。
寮《りょう》のベッドの上、身体《からだ》は起き上がっている。
が、夢の残滓《ざんし》が頭の中に強く残っており、少し現実感が無い。
寝ぼけた視覚が焦点を結ぶ前に、夢を思い出す。
世界が燃えていき、多くのものが失われ、最後に自分達は突き放された。そんな夢。
……あれは異《い》世界、|G《ギア》の滅びか?
「随分《ずいぶん》と重いものだったが。……だとすれば、そんなものを見た理由は」
佐山は無言で頭の上に手を伸ばした。髪の上に乗っている柔らかい感触《かんしょく》は、獏《ばく》だ。
薄い毛に覆《おお》われた四足獣《しそくじゅう》。手にとって見れば、細目を伏せて眠っている。
間違いなく、過去を見せたのはこの動物だ。
そして、佐山は自分の傍《かたわ》らに手を伸ばした。
そこに本がある筈《はず》だ。衣笠《きぬがさ》・天恭《てんきょう》の著による世界各地の伝承《でんしょう》や神話をまとめた調査書。
……昨夜読んだ本に獏が反応して、過去をたぐり寄せてきたのだろうな。
本の巻数は二巻目、日本神話の調査書だ。
佐山は天井を眺《なが》めて思う。夢で見た滅びは2nd―Gのものだろう、と。
と、本を取ろうとした手が、温かく柔らかいものに触れた。
「……ひ」
感触《かんしょく》には声も着いてきた。
佐山《さやま》は何事かと、下を確認。焦点を結んだ視界は、自分を覆《おお》う布団《ふとん》を見る。
その筈《はず》だった。
しかし何故《なぜ》か今、自分の前には尻が突き出されて横たわっていた。
左、降りる梯子《はしご》の方にはじたばたとする素脚《すあし》が空《くう》を掻《か》き、右、壁際には腰までめくれたシャツの背が見える。両者の中央では白い下着の張った尻が、
「や、あ、ちょ……」
慌《あわ》てた声と揺れる髪、そして目の前でもぞつく丸い双肌《もろはだ》を見て、佐山は眠気|混《ま》じりに言う。
「何をいきなりフルーティな行為に及んでいるのかね、新庄《しんじょう》君」
「そ、そっちがいきなり起き上がるから! 折角《せっかく》起こそうとしたのに」
成程《なるほど》、と佐山はつぶやいた。まだ醒《さ》めきっていない頭で、
「私が起き上がったとき、ベッドに乗り上がってきていた新庄の身を巻き込んだのか……」
「な、何を朝っぱらから落ち着いて分析してるんだよ!」
「では慌てて分析しよう。――おお! し、尻だね新庄君っ!」
「おかしくならないでいいから助けてよっ!」
ふむ、と佐山は目の前で上下する尻を見た。おもむろに確かな声で、
「美しい……」
「な、何? 何か微妙《びみょう》に変なこと言った!?」
「当然のことを言ったまでだ。まあ、君こそ落ち着きたまえ、まずは身体《からだ》を起こそう」
「え? ――って、あ! や、やだ、駄目《だめ》、お尻《しり》触らないで!」
「触っているのではない。掴《つか》んでいるのだ……!」
「同じだよっ! 寝ぼけて――、あっ、だ、駄目、下着引っ張らないで! お尻に……!」
「それでは何を掴んでどうやって起こせと」
ええと、とつぶやきながら、新庄《しんじょう》が首でこちらに振り向いた。
見れば、頬《ほお》赤く、困った顔と視線が合う。
新庄が、どうしよう、と脚《あし》で暴れるのをやめたときだ。
ベッドの縁《ふち》から宙に浮いた脚の重みで、新庄が下に落ちそうになる。
「うわ……!」
慌《あわ》てたウエストを佐山は両腕でキャッチした。
全ては一瞬。
佐山は腕の中の新庄を仰向《あおむ》けにして、膝《ひざ》の上に座らせる。
新庄は二、三度足を空回りさせた後、
「……ん」
と横抱《よこだ》きになった姿勢て吐息。
見れば、上気《じょうき》の色に染まった顔が、こちらを見上げている。
「……ご、御免《ごめん》ね、朝から騒いで」
「気にすることはない。他人に起こされるのも一つの幸いだからね」
「そう?」
「いつも私より早く起きている君には無縁《むえん》か。――今度、逆にしてみるかね?」
「佐山君は、僕をどうやって起こすの?」
「うむ、確実なところを狙うなら、――早朝ボデープレスとか、起きるまで添い寝でストロベリートークを延々《えんえん》続けるとか、あるね?」
「無いよ」
視線を逸《そ》らして即答した新庄は、吐息一つでこちらの腕から出る。
梯子《はしご》に足をかけると怪訝《けげん》な顔で振り向き、
「ええと、……とにかく目覚めたなら朝御飯《あさごはん》、学食のテラスで頂こうか?」
「ああ、今日のモーニングメニューはトロロ蕎麦《そば》とメロンソーダのフロート付きだったか」
「また奇態《きたい》な組み合わせのサービスが……」
首を傾《かし》げつつ、薄い背と揺れる黒髪《くろかみ》が梯子を降りていく。
そんな新庄の背を見ながら、佐山は一つの事実に気づく。先ほど新庄を抱き上げたとき、包帯《ほうたい》が巻かれた左腕に痛みを感じなかったことに。
……そろそろ完治《かんち》か。
この怪我《けが》が治ったら、新庄《しんじょう》がこの学校にいる理由は無くなる。
ふと、それを残念だと思い、苦笑する。
そういう思いを抱くということは、
……新庄君を、近しい存在だと認めているということだ。
ではもし、新庄が立ち去るときが来たならば、どうするか。
「――――」
新庄・切《せつ》とは、かつて、風の吹く夜の中で約束を交わしている。
「君がここにいたくないと思ったとき、君を想うならば君を嫌おう……」
悪役として、と自分にだけ聞える声でつぶやき、佐山は頷《うなず》いた。
そして彼は、右手に分厚いハードカバーを掴《つか》み、身体《からだ》を布団《ふとん》から出した。
六時半を過ぎれば、街は明るい光に満ちている。
そんな街の中、早くから動き続けているのは交通路だ。
駅。
東京を東西に横断する中央線。東から三つ目の御茶《おちゃ》ノ水《みず》駅に、早朝の下り電車が入ってきた。
朝であるため、乗り込む人々は少ない。
一両目に入って座る影は二つ。
警備の帰りとなった鹿島《かしま》と熱田《あつた》だ。
鹿島は、眼鏡《めがね》を掛けると膝《ひざ》の上にノートPCを広げる。
彼はそのまま右の熱田を見ずに、
「……熱田。お前、よくその格好《かっこう》で電車に乗る気になるな。コスプレみたいだぞ」
「テメエこそ、母ちゃんみたいな気遣《きづか》い見せる前に作業着|白衣《はくい》という変態《へんたい》ファッションをどうにかしとけ。家で女房《にょうぼう》は何も言わねえのかよ」
「奈津《なつ》さんは仕事に理解のある人でね」
「|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の人間にしちゃあよく出来たもんだな。――相変わらずか?」
「ああ、相変わらず、僕はUCATのことを彼女に話していない。大学時代と変わらないままだ。僕はIAIの一部署《いちぶしょ》で適当な出世コースを歩んでる、ということになってる」
青年、鹿島はタッチパネルを操作して、画面上に幾つかのプログラムを走らせる。
「まあ子供も生まれて思わずサイトを立ち上げてしまうような生活だ。見ろ、うちの子の動画を。ほらほら、そろそろ泣くぞ泣くぞ、わあ泣いた。可愛《かわい》い〜」
「泣かすぞこの馬鹿|親《おや》」
「馬鹿とは何だ。こんなに可愛いのに。何ならもう一度言ってやろう。――可愛いぞ」
「そこが馬鹿だっつーんだよ馬鹿。乳幼児《にゅうようじ》なんてどう見ても猿《さる》同然だぞ」
熱田《あつた》の言葉に、鹿島《かしま》は笑顔で白い歯を見せ、
「猿? 言ったな? 言ったな? でも僕は現状とても幸福なのでそんなこと言われても怒る気にならないんだよなあ。逆にこの可愛《かわい》さが解《わか》らないお前を哀《あわ》れに思うよ熱田」
「いけねえ話だ。テメエは人として大事な感情を失った……」
「ははは悪い悪い。昔は馬鹿|親《おや》見て笑ってたけど、いざ自分に子供生まれるといきなりビデオカメラ買って帰宅したりするから、本当に馬鹿だよなあ」
と、電車のドアが閉じた。一度揺れて、動き出す。
その動きの中、鹿島はパソコン上から動画を閉じて、
「しかし熱田、先ほど、結局|全員《ぜんいん》逃がしたな? インチキ正義の味方だな、お前」
「馬鹿|野郎《やろう》。悪党はキャッチアンドリリースが基本だ。そうしねえと斬《き》れる相手がどんどん少なくなっちまう」
「母親はお前にどういう躾《しつけ》を?」
「自分に正直でありますように」
「見事な教育だ。子育ての参考にするよ」
吐息を一つ。
さて、という言葉とともに鹿島は表情を変えた。それも、わずかに緊《きん》の字に。
「――あの連中は、何だ? どうも単一|G《ギア》の勢力ではないようだけど。気味悪いな」
「知るか。俺にとっては平等に敵だ。氏名|年齢《ねんれい》住所職業|聞《き》いてから斬れとか言うなよ?」
熱田は吐息。コートのポケットに手を突っ込み、足を通路に投げ出し、
「しかしテメエ、結局、こんな| 機 殻 剣 《カウリングソード》の調整だけでやっていくつもりかよ?」
「製作は向いていないって八年前の事故で解ったよ。父も農具作りつつ農家してるんだぞ」
「毎年米もらって悪いよなあ、テメエのオヤジには……。だが、テメエのジジイは2nd―G最高の剣工《けんこう》だろが? ……やっぱ、人を斬るものを直接作るのは、未だためらうか?」
「頷《うなず》くことにしておくよ」
鹿島は前を見たまま、平坦《へいたん》につぶやく。
「僕は力を持っている。だが使わないと決めた。その方が気楽だ。……家族には教えられない。他のGの帰化者《きかしゃ》達も、やっぱりそういうものがあると思うよ」
言いつつ、鹿島は考える。そして苦笑とともに告げた。
「――この話題も、もう何度目だろうな」
学内食堂の二階は、朝練《あされん》の学生も少なく、静かだった。
洋風に調度された窓際《まどぎわ》、空気の入れ換えのために窓は開いている。
そこから入ってくるのは冷たい空気と、運動系の部活が朝練《あされん》でたてる音やかけ声。そして、
「何だか釘《くぎ》を打つ音とか、電子ギターの音が響《ひび》いてるよ」
「連休に行う春期学園祭、全連祭《ぜんれんさい》の準備だよ。――会計の風見《かざみ》、知っているね? あの打撃女だ。彼女達もエレキバンドを出すとかで練習している筈《はず》だね」
佐山《さやま》と新庄《しんじょう》は、二人でそれぞれモーニングセットのトレイを抱えて窓際《まどぎわ》の席に。
そこには既に自分達の荷物が置いてある。
「ね。佐山君は、今日あたり、またバイト?」
UCATを知らぬ切《せつ》には、UCATに行くことをIAIへのバイトとして伝えてある。
だから佐山は頷《うなず》いた。頭の中、今朝《けさ》見た夢のことを思い返しながら、
「そうだね。今日あたり、出る用があると思う」
言いながらテーブルに辿《たど》り着いた。
そして、佐山は下ろした視線に一つのものを見た。
窓際に並ぶテーブル、新庄の座る側に革バッグがあり、ルーズリーフの束が載っている。
来るときに、新庄が寮室《りょうしつ》の机にあったのをひっつかんで来たものだ。
散らかったルーズリーフの積み重なりに首を傾《かし》げると、
「だ、駄目《だめ》だよっ! 見ちゃ駄目!」
新庄が慌《あわ》てて座席に駆け寄り、トレイを投げるように置いた。
うわ、と自分の行為に声を挙げる新庄は、しかし荷物の上のルーズリーフに覆《おお》い被《かぶ》さる。
半《なか》ば転ぶような姿勢てトレイを正しつつ、 新庄はこちらを見た。表情は眉尻《まゆじり》を下げたもので、
「み、見た?」
「いや、何かタイトルのようなものが羅列《られつ》してあったようだが」
「……それ以上、見えてない?」
記憶《きおく》を思い返してみるが、一瞬《いっしゅん》では文字内容を認識できなかった。
だが、新庄の焦りから大体は予測できる、
「これはやはり、何かいやらしいことを書いて……」
「ないよ、ってか、やはり、って何?」
「最近、即答《そくとう》ツッコミが増えたようだね? 新庄君」
「いや、佐山君のペースに巻き込まれるのは危険だから」
「私は……、寂しいよ?」
「そ、そのくらいが丁度《ちょうど》いいとボクは思うよ? ほらほら、一緒に御飯も食べるし御風呂《おふろ》も入ってあげるし、ほら、モーニングのソーダフロートからサクランボあげるし。――ほうら、サクランボニつ〜。これで寂しくないよね? ね?」
「……物凄《ものすご》く幼稚にごまかされているように思うのだが」
言いながら佐山《さやま》はサクランボニつになったソーダフロートを見る。
……まあ、これはこれでいいものかもしれん。
真剣にそう思って自分のトレイを置くと、対する新庄《しんじょう》は肩の力を抜いて安堵《あんど》の吐息。
先ほどのルーズリーフの束を鞄《かばん》の中、黒いバインダーに詰め込んでいく。
しまわれていく紙束。それを見る佐山は椅子《いす》に座りながら問うた。
「しかし、このところ毎晩遅く、そして毎朝早くに何か作業しているのは、それかね?」
問いに新庄は振り向いた。わずかに視線を逸《そ》らし、困ったように、
「……うん」
「そうか。だが、あまり無理しないように頑張りたまえ。君のような人は、健康管理が大切だからね。キツイときがあったら相談したまえ、いい病院を紹介しよう」
「興味|本位《ほんい》で聞くけどどんな病院?」
「ああ、田宮《たみや》家が使用する病院でね、どんな意気地《いくじ》なしもそこに行くと三時間くらいは勇敢《ゆうかん》になって戻ってくる。その後に三日くらい落ち込んだままになるが」
「それ絶対何かマズイことしてるって」
新庄は吐息。だが、すぐに椅子に座って身を竦《すく》めた。
「御免《ごめん》ね」
「? 何か謝ることが?」
「あ、いや、だってさっき、何だか慌《あわ》てて拒否しちゃったみたいで」
「そんなことはない。私の方が悪かった。君のものを盗み見るところだったのだから」
「……うん、でも、御免」
言った後に、新庄は仕方なさそうな顔で、
「確かに佐山君、頭がおかしくて突発的な奇行《きこう》や犯行《はんこう》に及んだりするけど、他人のことや、秘密に関しては堅いもんね」
「……何やら前提《ぜんてい》が間違っているような気がするのだが」
「そ、そうかな? でも皆《みな》言ってるよ? 天動型《てんどうがた》佐山宇宙|所属《しょぞく》の馬鹿|野郎《やろう》って」
「ふむ。前半は当然としても、成績優秀な私に馬鹿野郎というのは解せん話だね……」
「いや、馬鹿にもいろいろ意味あるし、……ってか前半オッケーって?」
おや、と佐山は首を傾《かし》げ、
「本気にしたのかね新庄君。安心したまえ。冗談《じょうだん》だ。大体、今更《いまさら》天動説など」
「あ、あははは、そ、そうだよね? 佐山君、たまに佐山|時空《じくう》に入るから焦っちゃったよ」
「ああ、大丈夫だよ新庄君。――中世以来、世界はちゃんと地動説《ちどうせつ》で私が太陽だ」
「え!? な、何? 今何か最後に言った?」
「ははは小さいことだよ新庄君。気にせず行こう」
佐山は笑って、ふと、窓の外を見た。
既に緑の葉をつけた桜が並ぶ学生|寮前《りょうまえ》。職員や来賓《らいひん》用の駐車場がある。
そして佐山《さやま》は、駐車場の砂利《じゃり》の上を一人の女性が歩いているのを見た。
それは銀色に近い波打つブロンドに、肩の膨《ふく》らんだ黒のツーピースを着込んだ女性。
ロングタイトの裾《すそ》が、線を結ぶような足取りによって、規則正しく揺れている。
佐山が彼女から視線を外そうとしたときだ。
不意に彼女が動いた。
一瞬《いっしゅん》でその身はこちらに振り返り、弓にしなった目を向けてきた。
目が合う。
まるで気づかれたかのような反応。そのことに対し、佐山はわずかに息を飲む。
ここから彼女まで距離差三十メートルは下らない。しかもこちらは背後だ。
しかし、彼女の青い目は確かな視線を返し、振り返った顔は微笑を濃くしている。
その笑みに佐山は眉をひそめ、だがすぐに表情を改めると一つの応答を作った。
佐山は、悠然《ゆうぜん》の笑みを作り、向こうに返したのだ。
すると、こちらを見ていた彼女が応答をした。
「――――」
それは破顔《はがん》だった。己の微笑を崩し、まるでこちらの答えを喜ぶような顔。
そんな快い笑いをもって彼女は背を向け、また歩き出す。
正面、何も気づかぬ新庄《しんじょう》が首を傾《かし》げ、
「……どうしたの?」
「挨拶《あいさつ》、かな? 快い笑みの交換を望まれたので、返したのだよ、新庄君」
佐山は思う。これはまた何かが始まるな、と。
早朝の光を浴びる砂利の上、黒のツーピースに身を包んだ女性は快い吐息をこぼした。
「いい反応ですわね。照れたら可愛《かわい》いのに。それとも……、私の正体を察したのかしら?」
目を細くして、彼女は歩いていく。砂利道の上を、高いヒールで足音も立てずに。
ここから見えるのは三年次普通校舎の背だ。
「さて行きましょう、――衣笠《きぬがさ》書庫の司書《ししょ》、ジークフリート・ゾーンブルクの下へ」
校舎の形状を眺《なが》めた彼女は、吐息をつくように言う。
「……|Low《ロ ウ》―|G《ギア》のあり方を見据《みす》えていくために、ね」
「僕達は、このLow―Gでどう生きていくべきなんだろうか、か」
電車の中、鹿島は思う。本当に、この疑問を何度|自問《じもん》しただろうか、と。
横の熱田《あつた》が天井を眺めてつぶやいた。
「なまじっか、この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の人間に近いから、困るってわけだな。もうちょい気楽に考えてみたらどうだ?」
「僕も昔は気楽に考えていたよ。祖父の遺言《ゆいごん》を追いかけるためにね。でも……、八年前の事故で思い知った。大事なものを失いかけて、自分の力を認められなくなった」
目を伏せれば思い出すことが出来る。
八年前の、ある雨の晩のことだ。
当時、自分は| 機 殻 剣 《カウリングソード》を製作していた。
とある| 機 殻 剣 《カウリングソード》の出来に喜んだ自分は、UCATに近い山中の実験場に一人|赴《おもむ》き、
……事故を起こした。
かつての結果と、一つの感情はよく憶《おぼ》えている。
夜の中、眼前にあったのは、山の上から見下ろす土砂《どしゃ》の崩落《ほうらく》。
雨に打たれる自分は、砕けた| 機 殻 剣 《カウリングソード》の柄《つか》を手に、その大規模《だいきぼ》崩落に駆け寄っていた。
そのとき自分の中にあった感情。それを鹿島は憶えている。
……優越だ。
未完成で、なおこれだけ力のある| 機 殻 剣 《カウリングソード》を作れたという昂《たかぶ》りの感情。
だが、鹿島の感情は、次の瞬間《しゅんかん》に冷めていた。
数十メートル眼下、流れ出た山の斜面の下から一つの声が聞えたのだ。
定かではない闇の向こうから聞こえたのは、悲鳴だった。
恐怖に震えた悲鳴。その悲鳴が響《ひび》く源は、土砂に埋まった――、
「――!」
鼓動《こどう》を跳ね上げ、鹿島《かしま》は目を開けた。
身体《からだ》に浮いた汗の感覚は、しかし、ここが電車内だという事実に醒《さ》めていく。
熱田《あつた》がこちらを覗《のぞ》き込んでいた。
「大丈夫か馬鹿|野郎《やろう》。あまり過去に浸《ひた》るな。いいことじゃねえぞ」
「ああ、……でも、ついやってしまうんだよなあ」
「そういうときは女房《にょうぼう》の乳でも思い出しとけ」
言われた通り、鹿島は素直に思い出した。
「ああ、いいなあ。そうだよなあ」
「電車内なのに虚空《こくう》を手でこね出すんじゃねえっ! 思い出すだけにしろ馬鹿!」
「い、いや、そう言ってもな、ハッキリ言うが、奈津《なつ》さんの胸は落ち着くんだぞ」
「あのな、ハッキリ言うが、軍神《ぐんしん》のくせにエロいノロけをカマすな馬鹿。で……、何だ? 話があるから俺を電車なんかに乗せたんじゃねえのかよ?」
「あ、そうだそうだ、ちょっと待ってくれ」
という鹿島の言葉とともに、電車が揺れた。
速度が落ち始めて数秒もすれば、次の駅、四谷《よつや》だ。
乗客はいない。わずかに冷たい晩春の朝風が入ってくるだけだ。
そしてまた扉が閉じると同時。鹿島《かしま》は| | 懐 《ふところ》から白い封書を取り出した。
「あの大城《おおしろ》監督からのものだ。月読《つくよみ》部長が僕に全権《ぜんけん》預けるそうでね」
「寄越《よこ》してみ。月読ババアの厄介《やっかい》払いだっけか? 確か中身は――」
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》だよ」
熱田《あつた》の嫌そうな顔に鹿島は苦笑。
この友人は非常にこちらの気分を代弁《だいべん》してくれる。
……その分、僕は大人《おとな》振れるのだけど。
「――2nd―|G《ギア》の概念《がいねん》解放の用意をしろ、と来たよ」
「何だ何だ? 書類はこれか。ええと何だって? ぜ、ぜ、全」
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》だ。そのくらい読めよ。ちょっとびっくりしたぞ」
「う、うるせえな。読むの面倒《めんどう》だから説明してみろや」
「ああ、交渉の方法などはこちらに一任だそうだ。2nd―Gのリーダーは月読部長だけど、忙しいからこっちに回ってきたと、そんな言い訳もついてる」
「あの月読のババア、面倒な仕事を押しつけてきやがったな……」
言っている間に、電車の速度が落ち始めた。次の新宿《しんじゅく》が近い。
「と、テメエはここで乗り換えか。女房《にょうぼう》子供に挨拶《あいさつ》してからUCATに来るんだろ?」
ああ、と相槌《あいづち》を打ちながら、鹿島は熱田から封書を受け取った。
「しかし、本当に僕達が全竜交渉《レヴァイアサンロード》を行ってもいいのかな?」
「何でだ?」
問いに、鹿島はすぐに答えない。鹿島はノートパソコンを閉じ、封書を懐に入れる。
……どう言えば、解《わか》りやすいだろうか。
考えている間に、窓の外、明るい新宿駅のホームがこちらを受け止めるように流れてきた。
「あの事故もだけど……、それ以前に、僕には全竜交渉《レヴァイアサンロード》に興味を持つ理由はない」
「ああ、お前のジジイの遺言《ゆいごん》、か」
「そう。祖父の遺言。……かつて八叉《やまた》を封じる剣を打った祖父の遺言は、九年前にもはや無駄《むだ》になった。八叉を抑えるために作られた大型|人型《ひとがた》機械、荒王《すさおう》を僕達が検査したときにね」
疲れたように吐息。
「……2nd―Gの概念《がいねん》解放を行うということは、あの二つが眠る概念空間にまた入り、十拳《とつか》の封印《ふういん》を解いて八叉を呼び出す気なんだろう」
「だが、と言いたげな口調だぜ」
熱田の言葉に、鹿島は苦笑した。
電車が金属の車輪に音立てて止まろうとする。
そんな音と揺れの中、鹿島《かしま》は言う。ずっと昔から思っていたことを。
「たとえば僕やお前は、概念《がいねん》戦争を知らない。月読《つくよみ》部長もね。だとしたら僕達……、いや、僕に、概念解放などを| 司 《つかさど》る権利があるだろうか?」
一息。
「僕はこの|G《ギア》に何の恨みも、そして感謝もないんだよ? この世界に生まれ、この世界で生活していて当然なんだから。――どうなんだろう? 僕達は」
こちらの問いかけに、対する熱田《あつた》は眉をひそめた。
「あのな、めんどくせえこと考えるなよ。祭りだと思え。派手にやりゃいいじゃねえか」
「……お前のその性格は非常に羨《うらや》ましいと思うときがあるぞ」
「いつもはどう思ってるんだ」
「哀《あわ》れに決まっているだろう。何故《なぜ》こんな動物が生まれてしまったのかと」
「コノヤロ、女房《にょうぼう》に告げ口すんぞ、テメエの旦那《だんな》は人を哀れみつつ仕事をしてやがるって」
鹿島はやれやれと頷《うなず》き、立ち上がった。
「大丈夫。――奈津《なつ》さんは仕事に理解のある人でね」
「つまりは……、あんまり仕事に興味ねえんだな?」
鹿島は座席の柱を掴《つか》み、熱田に振り返った。笑みを浮かべ、
「有《あ》り難《がた》いことだよ」
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第二章『過去の戒め』
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ものを得るためには原動力が要るという
それは欲求というものか
それともうしろめたさか
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鹿島《かしま》の帰宅とは、電車とバスの連なりだ。
山手線《やまのてせん》、高田馬場《たかだのばば》駅から、黄色い電車で西武田無《せいぶたなし》駅まで約三十分。
朝を過ぎ、午前の日差しが差す白壁《しらかべ》の駅を南口から降りる。
そして向台《むこうだい》公園行きのバスに乗り、石神井《しゃくじい》川の近くで降りれば自宅はすぐそこ。
わずかに冷えた空気の中、背後に石神井川と小さな林を背負った平屋が、鹿島の自宅だ。
「……軽く寝てからUCATに行くかな」
視線の先、鉄柵《てっさく》に囲まれた赤屋根の家がある。
鉄柵の向こうにある狭い庭には、花を抱いたひな壇《だん》が見えていた。
作業着|姿《すがた》の鹿島は、家の玄関の前で足を止めて一息。視線を下にして襟《えり》を正す。
と、不意に目の前に動きが生まれた。
ドアが小さな音をたてて開いたのだ。
外に比べて薄暗い玄関の中、そこに立つのは女性が一人。
鹿島の目に見えるのはまず色彩だ。
短い髪の黒、白のシャツに黒いジーンズ、そして白い肌《はだ》。
細い黒目がこちらを見て、唇とともに笑んでいる。
「足音が聞こえましたから。……大学時代から外したこと無いですよね? 足音当て」
彼女に対する鹿島は自然と顔に笑みを浮かべ、頷《うなず》き、
「――ただいま、奈津《なつ》さん」
「お帰りなさい、昭緒《あきお》さん」
彼女、奈津はそれから一歩を引いて、家の主人を迎え入れる。
「夜勤の方、お疲れさまです。今日は、また?」
「食べてから寝るよ。で、それから出勤――。悪い旦那《だんな》だね」
奈津は、太りますよ、と言いつつも目が無くなる微笑を見せる。
くく、という喉《のど》鳴らすような彼女の小さな笑み。機嫌《きげん》がいいときの証拠《しょうこ》となる笑みに、少しのおかしみさえ感じて鹿島も小さく笑う。
家に入れば、自然と一息が出た。
「やっぱ家が落ち着くね。……奈津さん、晴美《はるみ》は?」
「寝てますよ。見るならお風呂《ふろ》の後ですね。お湯は入ってますから、……どちらにします?」
「ああ、じゃあ食事を先に。――この格好《かっこう》でいいかな?」
「ここは仕事場ではありませんよ」
奈津は笑みの目のままきっぱりと、
「昭緒さんのお仕事のおかげでここをいただいてますけど、だからこそ、ここではお仕事から離れて下さいね。――晴《はる》ちゃんだってお父さんにそう言いますよ、きっと」
「晴美《はるみ》を持ち出されるとかなわないなあ」
とりあえず降伏の証《あかし》に仕事着を脱いで着替えよう。ジャージか何かあっただろうか。
「ジャージは箪笥《たんす》の横です。待ってて下さいね? 今、御味噌汁《おみそしる》が温まりますから」
有《あ》り難《がと》うと言うことは忘れずに、鹿島は玄関から磨《す》りガラスの戸を開いて居間へ。
左側、庭に出る大窓《おおまど》は開かれていて、室内には醒《さ》めるような明るさがある。
その光の中、まず中央に座卓《ざたく》型のテーブルが一つある。
右には箪笥、左奥には寝室に通じる襖《ふすま》の前に本棚が一つ。
そして手前、入り口の左にあるテレビは今、ニュースを映している。
ニュースの内容は技術関係のことだ。
最近はこういう情報が多くなったと鹿島は思う。
このところ思い出したかのように技術が発展するのは、マイナス概念《がいねん》に対抗すべく、各|G《ギア》のプラス概念が活性化した余波《よは》だろうか。
「……だがまだ現実はそこまで芳醇《ほうじゅん》じゃないさ」
苦笑とともに鹿島は着替えを開始。
台所からは奈津の声が聞こえる。
「そういえば、朝、昭緒《あきお》さんの義父《おとう》様と義母《おかあ》様から白菜《はくさい》が届きました」
「じゃあ、テーブルの上の小鉢《こばち》は今日中に片づけておこうか」
「漬《つ》けておくから大丈夫ですよ。幾《いく》らかは御味噌汁の具にしましたし。……パートの方には評判なんですよ、うちの御漬《おつ》け物。激ウマとかゲロウマとか、……最近の表現は難しいですね」
わずかな吐息が台所から聞こえた。
「でも、いつも御《お》野菜などいただいたり、御《お》世話になりっぱなしですね」
「そうだね。しかしうちの親は好きでやってるわけだし。奈津さんのこと気に入ってるしね。僕一人だったら絶対|何《なに》も送ってこないだろうに……」
「真剣な口調なので詳細コメント避けますが、でも、最近は御野菜も高いんですよ? ……やっぱり、私が気を遣《つか》わせているんでしょうか? うちの親は未だに私達のこと――」
「好きでやっているって、僕は言ったよ、奈津さん」
「……はい。でも有り難いことです。この、今使ってる包丁《ほうちょう》のことも」
「包丁?」
問うと、奈津はそれまでの口調と違い、少し戸惑《とまど》ったような言い方で、
「ええ、この、今私が使っている包丁もですが……、義父様の手が加わった刃物《はもの》は、何か違う気がするんです」
「親父《おやじ》はちょっと配線|違《ちが》った人間だからなあ……。ああ、母親の方も」
「いえ、否定はしませんけど、でもあの、そうではなくて。私が怖がらずに使えますし……、婚約したときに義父《おとう》様にこの包丁《ほうちょう》をいただいてから、私、刃物類《はものるい》で自分の手など傷つけたことがないんですよ。針《はり》仕事や雑事などしでいても。……まるでこの包丁がお守りのようで」
軍神鹿島《ぐんしんかしま》の名を持つ者が賢石《けんせき》含みで手を入れているのだから、当然と言えば当然だ。
神の手が入った刃《やいば》は護符《ごふ》となり、それを持つ者には、下位の刃が傷を付けることは出来ない。
が、2nd―|G《ギア》のことを知らない奈津《なつ》に対して、鹿島はしらばっくれるしかない。
「昭緒《あきお》さんのお家って本当に、鹿島様――、天神《てんじん》様の名の通りですよね?」
「天神様と同列とは親父《おやじ》が喜ぶなあ」
「でも前に御《ご》実家に御伺《おうかが》いしましたけど、天神様との繋《つな》がりはなかったですね。……私、大学時代に鹿島天神の大剣《たいけん》を研究したことありますから、義父様が刃《やいば》を研《と》がれると| 仰 《おっしゃ》ったときはまさかと思ったんですけど」
吐息が聞こえた。次に来るのは何度も聞いた台詞《せりふ》。
「――私の実家の姓《かばね》とは大違いです」
「高木《たかぎ》は高木でいいと思うよ。天に届く意味だし」
送った言葉に、奈津の返答はない。
……これはしまったか、な?
と思いつつ、鹿島《かしま》は正面の本棚を見る。
最上段、奈津《なつ》 とシールが貼《は》られた棚にあるのは、日本神話の研究書など、全て彼女の学生時代の残滓《ざんし》だ。
並んでいるタイトルには、鹿島にとって懐《なつ》かしいものもある。
……工学系の僕が、2nd―|G《ギア》を知るために古代研究のゼミを掛け持ちして。
この棚にあるのと同じ本を使ってレポートなどを書いたものだ。
「そしてそこで奈津さんと出会って、か……」
告げる声は自分にしか聞こえない小声。
「今、充分に幸せだよな」
奈津が台所から出てこないことを視線で確認。鹿島は本棚から一冊を取ってみる。
奥。棚の奥板に貼《は》り付く形で薄い本が二冊見える。
絵本だ。
古ぼけた年代物の内訳は、スサノオ神話とヤマトタケルの神話の二冊。作者は、
「……たかぎ・まさみち、か」
……いつか、彼女はその名を認めるのだろうか。
そして鹿島は着替え終えるとカーテンを開け、床に座り込む。
台所から陶器《とうき》の軽く当たる音がして、
「――今日も、熱田《あつた》さんは一緒じゃないんですか?」
「最近は電車で帰ることが多いよ。免許の点数少ないというか、残り一点らしい」
「そうなんですか。……でも、余計なこととは思いますが、熱田さんは結婚される気とか無いんですか? 最近は本当、うちに来られませんけど」
「何やら想う人はいるらしいよ。高校時代の同級生で、今は警備会社の社長か何かをやってるらしい。――あと、熱田が来ないのは、幼子《おさなご》は苦手《にがて》だからだって」
「まあ。子供みたいなことを」
「子供以前というか、人間以前のようなヤツだけどね……」
「せっかくの御《ご》友人に、そんな言い方したら駄目《だめ》ですよ?」
「それ、熱田が猿並《さるなみ》だってのを否定してないんだけど……」
「そ、そうですか?」
と、困りを含んだ声とともに、奈津が入ってきた。
奈津が手にした大きめの盆《ぼん》には、湯飲みの他、味噌汁《みそしる》の椀《わん》や茶碗《ちゃわん》が二つずつ。
そして底の深い大皿《おおざら》には、
「ロールキャベツではありませんけど、白菜《はくさい》で昨夜残った挽肉《ひきにく》を包んでみました。箸《はし》は通ると思います」
見ると、白湯《はくとう》系のスープに、色の少し抜けた緑の長い包みが二つ。
「朝、食べてなかったのか?」
「昭緒《あきお》さんは必ず戻って来ますから。あと、晴《はる》ちゃんにはちゃんとお乳をあげましたから、安心して下さいね?」
奈津《なつ》は小さく笑う。目を細めて横に座り、
「それとも、見たかったですか?」
ああ、という鹿島《かしま》の返事に、奈津《なつ》はわずかに頬《ほお》を赤くした。
じれったいような雰囲気《ふんいき》が生まれる。
そのときだ。
テレビのニュースが天気予報に変わった。
天気図は夕方から、
「雨みたいですね……。お外はこんな晴れているのに」
「早く帰るよ。雨の夜に、奈津さんを放っておけないから」
鹿島が奈津を見ると、彼女の表情から笑みが消えていた。
奈津は手の動きを止め、雨を告げる天気図にじっと視線を向けている。
動かない。
だから鹿島は、無言で蝿帳《はいちょう》をテーブルから取り上げた。
その動き。かすかに揺れた空気と蝿帳の白さに、奈津が身を震わせた。
「す、すいません」
奈津が慌《あわ》てて小鉢《こばち》の蓋《ふた》を開け、小皿を用意する。
そのときにはもう、表情はいつもの通りだ。
「大丈夫です。最近は傘《かさ》があれば外に出られますし……。それより御飯《ごはん》を」
テレビから天気図が消え、地方の映像が流れ始めた。
画面の中にあるのは山間の水田。そこで早稲《わせ》を田植えする準備が進んでいる。
その映像を見て奈津は安堵《あんど》の一息。茶碗《ちゃわん》を手に取りながら、
「田植え……、早いんですね、最近は。義父《おとう》様達の方もそろそろだと思いますけど」
「手伝いは去年で懲《こ》りたよ」
すると、力無い笑みで奈津が茶碗を差し出してきた。
有《あ》り難《がと》う、と鹿島は差し出された茶碗を受け取る。
碗にあるのは鹿島の実家、奥多摩《おくたま》の農家で採れた米。そして、
「……でも、出来れば今年も自分達が手伝ったお米をいただきたいです」
そう言って碗を差し出す彼女の手に鹿島は触れた。
鹿島が触れた奈津の手、左の指には、あるものが欠けている。
小指と薬指が無いのだ。
午前の終わり近く、尊秋多《たかあきた》学院は四時限目に入っていた。
授業中といっても、この時期、尊秋多学院は全連祭《ぜんれんさい》という春期学園祭の準備に入る。
そうなれば学校中のどこであっても、授業|免除証《めんじょしょう》を持つ者達が臨戦《りんせん》態勢だ。
大通りからグラウンド、そして学生|寮《りょう》から学食まで、舗装《ほそう》道路や砂利道《じゃりみち》の上を各団体の構成員が荷物や食料を抱えて走り回っている。
そんな風に動く彼らを見渡す視線があった。
二年次普通校舎の非常階段二階。
踊り場の上に座っているのは、上着を脱いで良い体格のシャツ姿を見せる出雲《いずも》と、広げたシートに手作りの三段|弁当《ベんとう》を広げている風見《かざみ》だ。
そして今、彼らの目の前に一人の少女が座っていた。
春の日差しの下、制服の冬服を着込んだプラチナブロンドの少女。
肩には小鳥、傍《かたわ》らには黒猫を一匹連れた彼女の名を、風見が呼ぶ。
「ブレンヒルト、……そういうわけで美術部の提出書類は?」
少女、ブレンヒルトは一枚の紙を渡す。
美術部の祭用《まつりよう》出店資料だ。
風見は傍らから紙束が挟まれたバインダーを持ち上げ、中にある一例と見比べる。
書き込みや捺印《なついん》に欠損《けっそん》事項が無いかを確認し、
「書類に不備はないけど、……前衛《ぜんえい》芸術|焼鳥屋《やきとりや》 カドミウム2005 って何? 有害物質?」
「多数決で決まったことよ。――凄《すご》いわ」
「凄いの?」
「ええ」
「どういう感じに……?」
「ちょっとね、調味料が、こう、緑色で、一撃《いちげき》必殺っぽくて……」
「おい千里《ちさと》、それ以上聞くと犯罪に巻き込まれるぞ」
風見が慌《あわ》てて前のめりになっていた身体《からだ》を起こすと、ブレンヒルトは苦笑。
「来たら御馳走《ごちそう》するって、後輩《こうはい》が言ってたわよ」
「いいわいいわ別に。――でもブレンヒルト、鳥を飼ってて焼鳥屋は、キツくない?」
「そうね。まあ多数決で決定したことだし、部長としては問題あるけど、仕入れも調理もなるべく関わらない方針よ。会計だけやるつもり」
「難しいところね。……でも、焼鳥屋は法外《ほうがい》に儲《もう》かるから稼《かせ》いでおくといいわ」
「詳しいじゃねえか」
「父さんがこういうの好きでね。町内会の祭りで出すのよ、店を。一本五十円で売っても原価は二十円よ。一日三万円前後の利益出るんだから。ムキになって猿のように焼きまくるわ」
「ふうん。――風見《かざみ》の父親はどういう人なの? 猿のような人?」
「だったらもうちょい扱いやすかったかもねー」
「何だそのやれやれ雰囲気《ふんいき》の吐息は」
「いや、実は母さんが歌唱力はあるけど商売|下手《べた》な売れない昭和アイドルでね、父さん、学生時代からのつき合いで、一時は母さんのマネージャーやってたらしいのよ」
風見は苦笑。
「でも私、母さんが歌ってるの聞かせてもらったことないのよね。恥ずかしがって当時の写真を隠すし、懐《なつ》かしの歌番組なんか流れるとすぐにチャンネル変えるから」
「うちらの部屋のテレビでも見ねえのは何でだ? すぐにチャンネル変えるだろ」
「本人が隠してるものを見るわけにはいかないでしょーが」
そういうもんか、と出雲《いずも》は頷《うなず》く。ブレンヒルトも、ふうん、と首を下に。
対する風見は受け取った書類をバインダーに挟みながら、
「ともあれ……、どう? 1st―|G《ギア》の方は」
「居留地《きょりゅうち》の拡大が決まったわ」
「そうなの? 遂《つい》に?」
「まだ内部情報だけど、独逸《ドイツ》UCATに受け入れ場所が出来るみたい。維持費など、欧州側UCATが折半《せっぱん》するみたいよ? 技術共有化を前提《ぜんてい》にね。受け入れは二世以上の世代のみ限定だけど。……それでも充分だわ」
「へえ、1st―Gにとっては独逸の森の中は良い場所でしょうね」
「私は初期世代だから、帰化《きか》は出来ても行けないのが残念だわ」
「ああう御免《ごめん》、……余計なこと言ったわね」
「いいのよ。マイナス概念《がいねん》を封じるために概念解放を行えば、このGに1st―Gの概念が少しずつ浸透《しんとう》していく。そうなれば、いずれ、居留地の狭さからは解放されるでしょう」
微笑。
「……勿論《もちろん》、このGの一般|民《みん》に見つからぬ土地に住まうことになるでしょうけどね」
ブレンヒルトの台詞《せりふ》。その最後の言葉に、風見の動きが止まっていた。
沈黙《ちんもく》。
何を言おうかという迷いが続き、風見は黙り込む。
と、黙した風見の腿《もも》を小さく叩くものがいた。
ブレンヒルトの黒猫だ。
鳴き声一つ、小首《こくび》を捻《ひね》って窺《うかが》い見る猫目《ねこめ》に、風見はややあってから笑みを返す。
「だんまりに気を遣《つか》ってくれたの?」
問いに黒猫は目を細め、風見《かざみ》の腿《もも》に上がろうとする。
が、ブレンヒルトが無言でそれを阻止した。
彼女は黒猫の尾を掴《つか》んで引き寄せ、
「哀《あわ》れむ必要はないわ、風見」
「あ、いや、別に哀れんでは、ってか猫が――」
「猫はいいから。……とにかく私にはそう思えたの」
ブレンヒルトは猫を尻尾《しっぽ》で吊るして微笑を見せる。
「だから言っておくわ、……私達は現状を良くすることを考えている。そのことだけを憶《おぼ》えておいて頂戴《ちょうだい》」
「ファーゾルトとかも、同じこと考えて頑張ってんだろ?」
「そうね、ただ彼、ファーフナーとは最近|仲《なか》が悪いみたいだけど」
「そうなの?」
ええ、とブレンヒルトが頷《うなず》いた。考えるような口調で、
「半竜《はんりゅう》は喧嘩《けんか》が派手なのよ。甲殻《こうかく》が硬いから並の攻撃だとダメージ入らないでしょう?」
「あの……、ブレンヒルト? 親子喧嘩で ダメージ入れる って、どういうレベル?」
「あら、それがフツーじゃないの……?」
「千里《ちさと》、1st―|G《ギア》はどうやら常識がオマエ向きらしい」
「どーいう意味よっ! このっ! このっ! このっ!」
「そうね風見、今の貴女《あなた》くらいがフツーでしょう?」
「俺はそうは思わねえぞイテテ腕が妙な方向にっ」
ブレンヒルトは苦笑し、出雲《いずも》の悲鳴を耳に立ち上がる。
肩に小鳥を、手には猫を逆さに下げて。
立つと同時。四時限目の終了を告げるチャイムが鳴った。
「昼休みね……。じゃ、これから図書室に寄った後、屋台の製作を手伝いに行くわ」
「部員は皆、授業|免除証《めんじょしょう》を持ってる?」
「ええ、でももっとしっかり作らないと駄目《だめ》よ。無茶苦茶《むちゃくちゃ》偽造《ぎぞう》出来るわ、あれ」
「そ、そこまで頭が回る連中にゃあ好きにさせとくのが特権ってもんだろ」
脇を極められながらの出雲の言葉に、ブレンヒルトは小さく笑った。
彼の横、非常口の扉に手を掛け、
「その余裕《よゆう》で頑張りなさい。……次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》も、ね」
ブレンヒルトが告げたときだった。
非常口が向こうから開き、一人の少年が現れた。
佐山《さやま》だ。
彼は左手を一度振って髪を掻《か》き上げると、
「ふむ。……これはまた珍しい組み合わせでいるものだね」
「そっちこそ一人か? 新庄《しんじょう》・切《せつ》と一緒じゃねえのかよ?」
問われ、佐山《さやま》はやれやれと吐息。諭《さと》すような口調で、
「いつも一緒というわけではない。今は、生徒会の仕事だと言ってあるのでね。……新庄君は学食に行くついで、私の分の昼食も買ってきてくれるそうだ。有《あ》り難《がた》い」
と、告げた彼の背後。不意に一つの影が追加された。
「どーもー。元気ですかー」
大樹《おおき》だ。彼女は満面の笑顔で、
「あ、皆|揃《そろ》ってますね? 御飯《ごはん》もあっていー感じですが――」
頷《うなず》き、
「次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》の話を、そろそろしましょーか。……佐山君、ここに来たってことは決めてるんでしょう? 次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》をどの|G《ギア》と行うかを、ね」
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第三章
『俯瞰の経過』
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疑問は生じて答えは見えず
ただ手を伸ばすことは許されて
だから諦めきれない
[#ここで字下げ終わり]
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教室にして縦四つ分、横二つ分という広さを持つ衣笠《きぬがさ》書庫。
昼休みの時間、ここは学生の姿で溢《あふ》れる。書庫内はハードカバーだけではなく、文庫類も揃《そろ》っているからだ。
古いものも、新しいものも、等しく目に触れて手に取られていく。
しかし、書庫内にいる生徒達の視線は、己の本に向かっていない。
皆の目が向く先は入り口|脇《わき》のカウンター。
そこに二つの影があった。
一つは長身の老人。白シャツに黒ベストのトルーザーという姿は司書《ししょ》のジークフリートだ。
もう一つはやはり長身の女性。黒のスーツに身を包んだ身体《からだ》は、銀色に近いブロンドのロングヘアで飾られている。
皆の視線は、好奇《こうき》と興味の色を持って女性の方に注がれる。
しかし、彼女の目は皆に向かない。カウンターの奥、連絡用の大きなホワイトボードに背をつけた彼女は、微笑の碧眼《へきがん》を書庫内|全域《ぜんいき》に向けていた。
青の瞳の下、薄く朱の引かれた唇が小さく動く。
すると小さな声が、カウンターのジークフリートに飛んだ。
「――お邪魔《じゃま》かしら?」
「解《わか》っているなら出ていきたまえ」
ジークフリートの応答は、カウンターの書類にペンを入れながらのものだ。
二人はお互いにしか聞こえない声で言葉を交わす。
「随分《ずいぶん》と久しぶりに来るけど変わってませんのね」
「何十年ぶりだ?」
「非道《ひど》いですわ、たったの十年とちょっとですのよ」
「どちらにしろ私の知らぬ領域《りょういき》だ。ディアナ、君とは違う」
ディアナと呼ばれた彼女は、返答の代わりに口元の笑みを深くする。
彼女の視線が向くのは、書庫中央付近。神話学の棚がある位置だ。
「日本における神話学の権威《けんい》、衣笠《きぬがさ》・天恭《てんきょう》。……この学校の創設者にして、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の概念《がいねん》戦争の開始を促《うなが》した日本人ですね」
「物知りで結構《けっこう》なことだ」
「ふふ。私、左利きだからこの人の本、ありがたかったですわ。レポートまとめるとき、右手でページをめくって左手でノートに書き込んで、ね」
だが、ジークフリートはディアナに振り向くこともなく、
「何の用で来た? 自分はもう、現役を退《ひ》いているが」
「あら、魔法使いに引退なんて言葉はあり得ませんのに。大体、1st―|G《ギア》の者達と戦闘を行った話も聞いてますのよ? 私」
「あれは1st―Gに対する罪滅《つみほろ》ぼしだ。他のGは知ったことではない。――何の用だ」
最後の一言に込められた力に、ディアナは肩を落として吐息を一つ。
「警告《けいこく》のようなものですわ。――疾《はや》く去りなさい。竜を諫《いさ》める交渉に関われば、最後に残ったこのGにすら居《い》場所がなくなる、と」
「……?」
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》も、彼らについた1st―Gも、もはや戻れませんわ……」
その言葉にジークフリートが振り向いた。が、彼女は表情を変えることなく、笑みのまま、
「用はそれだけですのよ。同じことを何度も言うような女じゃありませんの」
小さく舌を出して見せると、書庫内に向けた目を細めた。
「私がよく出入りしていた頃に比べて、本の流れは変わったのかしら?」
「今の人気作は 解決|辻斬《つじぎ》り| 侍 《ざむらい》 シリーズだ。たまに解決しないまま我慢できずに斬《き》ることがあるが、そこが人間的で魅力《みりょく》あるのだと。……君がいた当時の人気作は?」
「ええ、私は読みませんでしたけど、猟奇《りょうき》戦国ものの どきどきバロンちゃん が」
「それならば現在百七十巻まで蔵書《ぞうしょ》している。量が増えたので新調したばかりの 猟奇・ファンシー のコーナーが占領《せんりょう》されてしまった。最新作は ナバロンでどきどき だったか」
「第二次大戦行っちゃったのね。私の頃は三巻とか四巻でモンゴルあたりでしたのに……」
ディアナはしみじみとつぶやき、また神話関係の棚を見る。
と、彼女の視線が細まった。
「……本が一冊無いですわね。2nd―Gに対応する日本神話の本が」
「昨日《きのう》貸し出された。――佐山《さやま》の姓《かばね》を持つ少年に」
告げられた言葉に、ディアナが表情を苦笑に変えた。そうですの、とつぶやき、
「では、次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》は……、面白くなりそうですわね」
「何……?」
ディアナはかすかに苦《にが》い笑みをもって告げる。
「彼らは2nd―Gに対したとき、ある問題と向き合う筈《はず》ですわ。私達がかつてぶつかったような問題。――交渉という、その言葉の意味を」
「あの佐山は、それを超えていけると思うか?」
「解《わか》りませんわ。ただ、彼は笑みをもって答えられる人間でした」
彼女の視線の行く先、図書室の入り口の前、一つの小さな影がある。
ドアの横で身を伏せ、こちらをじっと見ている黒猫の影が。
その姿を認め、彼女は口を開く。嬉《うれ》しそうな口調で、
「笑みで全てを始めた少年は、その問題とどう向き合うんでしょうね……?」
非常階段の踊り場にて、佐山《さやま》は、出雲《いずも》達に向かって夢の中で見た世界の滅びを告げていた。
「あれば2nd―|G《ギア》だった、と判断している」
「成程《なるほど》な、確かに2nd―Gの世界観は日本神話だ」
「神州《しんしゅう》世界|対応論《たいおうろん》で言うと伊豆《いず》諸島が今度の舞台か?」
「いや、今、2nd―Gの者達は皆、奥多摩《おくたま》方面に住んでる」
佐山の視界の中、出雲は床に広げられた重箱《じゅうばこ》から鶏肉《とりにく》をつまみ、
「2nd―Gについて、どのくらい知ってるよ?」
「いや全く。……君達はどうなのかね?」
「えーと、私が知ってるのは、……名前が力を持つG、ってことかしら?」
先生は? と問うた風見《かざみ》の視線の先。大樹《おおき》が真剣な顔で高速に重箱の中身を消費している。
「せ、先生? そんなマジ顔で食べまくらなくても、後で包んであげますから、ほら、ちょっと。あと、ジャムパンで煮物を食べるのはどーかと……」
「そ、そんなこと言われても、……ジャムパンは美味《おい》しいですよっ」
振り向いた大樹の断言に、佐山が頷《うなず》く。
「美味《うま》いのは解《わか》ったのでこちらの話に加わりたまえ」
「あのね佐山《さやま》君、先生はもっと余裕《よゆう》を持って生きた方が良いと思うんだけどな」
「先ほどから余裕無く食料|摂取《せっしゅ》しているのは誰かね欠食《けっしょく》教師。……それより答えたまえ。2nd―|G《ギア》について何か知ってることはあるかね?」
「うーん……。UCATの装備品など作る開発部の人達が、2nd―Gの子孫《しそん》だった筈《はず》ですね。さっき風見《かざみ》さんが言った名前ってのはどーいうことか、先生よく解《わか》らないんですけど」
名前が力を持つ、という風見の言葉を、佐山は考える。
「つまりは、……名づけることが、対象の力となる、ということかね?」
こちらの問い。それに対し、出雲《いずも》は首を縦に振る。
「そう、剣には剣の名を、人には人の名を与えて、初めてそのものとなる。たとえば剣に|武 雷 剣《タケミカヅチノツルギ》と名付ければ、その剣は雷《いかずち》になるのではなく、雷撃《らいげき》能力を持つ剣となる」
「単なる剣は存在せず、ナンタラの剣と名付けることで、必ず能力付加がされる、か」
ならば、と佐山は考える。
「2nd―Gの者は、名に宿る力を自分の能力として使える、と?」
「ああ、2nd―Gってのは、そういう| 超 常 《ちょうじょう》能力を持った連中が住む、ドデカい大型生態系存続《バイオスフィア》システムだったらしい」
バイオスフィアという言葉に、佐山と風見がそれぞれ、ほう、とか、へえ、と感嘆《かんたん》。
横の大樹《おおき》が、ややあってから慌《あわ》てて、
「あ、知ってます、知ってますよ?」
「ほほう。では言ってみたまえ、大樹先生」
「ほら、アレですよね? 何て言うんでしたっけ、ほら、えーと、えーと」
「…………」
「な、何ですか佐山君、先生に向かってその疑いの眼差《まなざ》しはー!」
佐山は無視した。代わりに、風見が笑顔で大樹の肩を叩く。
「大樹先生、バイオスフィアってのは簡単に言うと箱庭みたいな世界のことですよー。その中できっちりと生態系が循環存続《じゅんかんそんぞく》出来るっていう、そういうものなんですよー」
「か、風見さんの口調が子供対象なのは何でですかあっ」
今度は風見が無視した。
「じゃあ覚《かく》、そんな力を持った人達の住む世界が、どうして八叉《やまた》なんて竜に滅ぼされたの?」
「ああ、バイオスフィアを管理していた意思あるシステム、2nd―Gの概念核《がいねんかく》が八叉になったのさ」
出雲の言葉に佐山は眉をひそめた。見れば風見もわずかに身を固くしている。
対する出雲が頭を掻《か》き、
「管理システムは人々を護《まも》るために耐えたらしい。管理者の一族がなだめすかしてな。だが、管理システムは、世界を保つために出力を抑えきれなくなった。一種のメルトダウンだ」
「つまり……、世界を保とうとして、しかし耐え切れず、世界を滅ぼす羽目《はめ》になったのか」
「ああ、暴走で高熱の竜と化した八叉《やまた》は人々を恨んだ。自分がこのような姿になったのも、自分が人々と世界を滅ぼすことになったのも、それこそ全て、己が護《まも》る対象のせいだと」
やれやれというように彼は吐息。
「2nd―|G《ギア》は滅び、しかし話によると、2nd―Gの生き残りとUCATは協同して、八叉をこの東京で封じたらしい」
「確かにまあ、東京って言っても、概念《がいねん》空間を張った中で 門 を開けば何も外部に漏れることはないものね。でも……、八叉ねえ」
スサノオ神話だな、と佐山《さやま》はつぶやく。
「八つの首と尾を持つ巨大な蛇。日本神話ではスサノオの策略《さくりゃく》で酒を飲み、眠ったところを十拳剣《とつかのつるぎ》によって首を撥《は》ねられた。その際、体内から草薙《くさなぎ》の剣を出したことになっている」
「佐山が見た夢がマジなら、デカブツだぜ。んなものをどうやって抑え込んだんだかな。それに、よく考えてみろ」
「……八叉は殺されていない、か」
「そう、八叉は封じられただけなんだ。――まだ生きているんだぜ」
出雲《いずも》の最後の台詞《せりふ》に、皆が身動きを止めた。
対する出雲は言葉を続ける。
「この東京のどこかに未だ巨大な概念空間が存在し、……その中に八叉はいる」
「だとしたら問題は、その概念空間がどこにあるか、か」
「ま、聞けば教えてくれるだろうよ。他にも、その封印《ふういん》時の情報とか欲しいからな。――千里《ちさと》、午後になったら仕事を下に任せてUCATに行くか」
「そうね。そうやって調べて、全竜交渉《レヴァイアサンロード》に繋《つな》げようか」
と、風見《かざみ》が言ったときだ。ふと、大樹《おおき》が首を傾《かし》げて問うてきた。
「ええと、風見さん、あのですね?」
「ん? 何です? 大樹先生」
えーと、と前置きして、大樹は問うた。不思議《ふしぎ》そうな口調で、
「どうして……、2nd―Gの人達と全竜交渉《レヴァイアサンロード》しなくてはならないんですか?」
大樹の問いかけ。その意味が、佐山には一瞬解《いっしゅんわか》らなかった。
大樹は首を傾《かし》げたまま、箸《はし》を動かして椎茸《しいたけ》をつまみ、
「あにょでひゅね」
「飲み込んでから喋《しゃべ》りたまえ。そう、ゆっくり噛《か》んで、飲んで。――で、どういうことかね」
「んあ、――はいはいはい。あのですね、今、UCATでは2nd―Gの方達は主に開発部に回って概念《がいねん》兵器の作製やら何やらを行っています。技術集団なんですよー」
「うん、日本語に問題はない。安心して続けたまえ」
「はいはい、何か引っかかりますが、えーと、……2nd―|G《ギア》の人達は身体《しんたい》能力、外見ともに日本人と変わりはありません。既に帰化《きか》している人達がほとんどです。それなのに――」
「何故《なぜ》、全竜交渉《レヴァイアサンロード》などを今更《いまさら》、と?」
確かにそうだな、と佐山《さやま》は思う。
既に仲間と化している者達に対して、過去の因縁《いんねん》を蒸《む》し返してどうするのか。
大樹《おおき》は更に言葉を続ける。
「もし交渉をするならば、簡単なように見えて実は相当|難《むずか》しいんじゃないのかなー、と先生は思います。だって、2nd―Gは交渉と引き替えに得るものが無いんですから」
「じゃあよ、こっちが金とか土地ってのを引き替えに――」
「対等の者同士がそんなことをして、今後も同じようでいられると思いますか? 出雲《いずも》君が風見《かざみ》さんに何かしてあげたとき、風見さんがいきなりお金を渡してきたらどうします?」
出雲は沈黙《ちんもく》した。
大樹は、御免《ごめん》ね、と出雲に言ってこちらを見た。浅く眉尻《まゆじり》を下げ、
「下手《へた》な交渉は、今の2nd―Gと|Low《ロ ウ》―Gの関係に波風《なみかぜ》を立てることになりますよ? 2nd―Gとの全竜交渉《レヴァイアサンロード》は、1st―Gのときと違って、ものごとを収めるための全竜交渉《レヴァイアサンロード》ではないような気がします。強《し》いて言うならば――」
大樹は考え、
「強いて――」
更に考え、ええと、と箸《はし》で額《ひたい》をつつき、
「あー、ここまで出てるんですけどー、あー、うあー」
「おい、誰か助けてやれ」
「ふむ。たとえばこういうのはどうかね? ものごとを見直すための全竜交渉《レヴァイアサンロード》というのは」
「あ! そう、それがいいですねー! 流石《さすが》は佐山君、私の生徒だけはありますよー。って何を無視して遠くの空を眺《なが》めてるんですかっ」
「ああ、いや、変な言葉が聞こえてきそうだったものでね……」
こちらの向かいに座る風見が肩を竦《すく》め、
「……まあともあれ、戦後六十年、私達と同じような人種だとしたら……。概念《がいねん》戦争のことを知ってる人の方が少ないわよね、きっと。大樹先生の言う通り、交渉ってのも大変だわ」
「つまり、私に課せられた問題は、……まず彼らとの交渉の意味を考えること、か」
こちらの言葉に、風見が視線を上げた。
空。青の色の中を黒い鳥のような影がゆっくり移動している。
隣街《となりまち》の横田《よこた》基地から上がった飛行機だ。
ふと気付けば、皆がその飛行機を見上げていた。
ややあってから吐息が一つ。
出雲《いずも》だ。彼はやれやれ口調で、
「こりゃホントに、調べてみなけりゃあ駄目《だめ》だろうな。本当に2nd―|G《ギア》はそういうノリなのかどうか。そして――、2nd―Gは過去に何をもって|Low《ロ ウ》―Gに準じたのか、と」
「そうね、覚《かく》。彼らとの過去に何があったのかを知らないと、交渉も何もあったもんじゃないわ。……じゃ、私達は午後からUCATに向かおっか。佐山《さやま》は?」
大樹《おおき》が顔を上げた。
「駄目ですよー。佐山君は掃除当番もありますし、絶対に午後最後の授業出てもらいます」
「……午後最後の授業って何? 佐山」
「大樹先生の英語だ。……そして私の受け持つ内容は、大樹先生の通訳と授業の円滑化《えんかつか》だ」
「ああ、成程《なるほど》、大樹先生の授業だもんね……」
「ええ、佐山君が協力的だとクラスの皆も親切で」
「親切と書いて服従《ふくじゅう》と読む、と……」
「そ、そんなことないですよー。皆|一斉《いっせい》に返事するし頼まなくてもお茶持ってくるし」
「それを服従って言うんです!!」
風見《かざみ》の叫びが空に突き抜けるように響《ひび》き渡った。
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第四章
『不断の問い』
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再び始まるいつものこと
いつもの疑問といつもの動き
そしていつもの非日常
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午後の学校は、昼食を通過した後ということもあり、自然と賑《にぎ》やかになる。
巨大な敷地に数多くの校舎帯を持つ尊秋多《たかあきた》学院でもそれは変わらない。
二年次普通校舎内、二年D組。佐山のクラスは、帰りのHRの時間を迎えていた。
が、教室の中では大樹《おおき》の授業が未だに続いている。
「皆|御免《ごめん》なさいねー。先生いつも授業遅くってー」
皆がためらいなく頷《うなず》く中、教室の最後列中央で佐山《さやま》が言う。
「安心したまえ。皆、去年一年で慣れているから」
「そう? 皆|偉《えら》いですねー。でもでも、凄《すご》いことに、四月の学力テストではうちのクラスが一番だったんです。実は先生、教え方|上手《うま》い?」
「確かに。生徒の自主性に任せた良い授業だと思うね」
「そう?」
「教員が寝坊《ねぼう》で遅刻したり教科書を忘れたり訳を間違えたり自分で書いた板書《ばんしょ》が読めなかったりもすれば生徒は自分から学ばざるを得ない。……見事な授業だ」
「……今、褒《ほ》めてる?」
「ははは、そう聞こえたならば大樹先生はとても幸せな人だ。先行予約でおめでとう」
「わあい結果論的に褒められましたよー」
笑顔で言う大樹を、生徒は皆、脅威《きょうい》の目で見る。
背を向け、向かいの列にプリントを渡していく彼女に佐山は頷き一つ。
大樹を見て思う。こういう人材が世界を救うために働いているのだな、と。
周囲、皆はそんな恐ろしいことを知らないだろう。
優越感《ゆうえっかん》はない。
自分たちのしていることは、何も知られていないのだ。
同じように、第二次大戦頃に概念《がいねん》戦争があったことも、何もかも知られていない。
そのことから、佐山はふと、昼に大樹が言ったことを思い出す。
……どうして、2nd―|G《ギア》の人達と全竜交渉《レヴァイアサンロード》しなくてはならないんですか、か。
2nd―Gの者達は、どうなのだろうか。やはり同じような思いなのか。
出雲《いずも》は昼休みに別れる際、こう言っていた。
……2nd―Gの実情や概念が知りたければ、UCATの開発部に行け、か。
彼らは、全竜交渉《レヴァイアサンロード》という言葉に対し、仲間なのか、敵となるものなのか。
「ふむ」
と佐山は腕を組む。
やはり、授業を終えたらUCATへと行くべきだろう。
今週はまだ訓練の予定時間を修めていない。2nd―|G《ギア》の者と会ってみたいし、先行して調べに入った風見《かざみ》達の意見を聞く必要もある。それに、
……行けば、新庄《しんじょう》・運《さだめ》君にも逢《あ》えるだろうか。
そう考え、自分の意志を決めた。
UCATに行こう、と。
そして、決めたならば、一言を告げておくべき人がいる。
右|隣《どなり》の席。長い黒髪《くろかみ》を首の後ろでまとめた新庄・切《せつ》だ。
新庄は、机の上に覆《おお》い被《かぶ》さるようにして何か書き物をしているのかと思えば、
……寝ているのか。
起こすため、ルーズリーフの上に伏せる新庄の肩を叩こうとした。
と、そのときだ。眠る新庄が眉根《まゆね》を詰めて声を漏らした。それはか細い寝言で、
「あ……、だ、駄目《だめ》だよ佐山《さやま》君っ……」
佐山は反射的な動きで| 懐 《ふところ》から携帯録音機を出した。
急げ、と思う。編集は間に合うだろうか。前の記録に上書《うわが》きしないだろうか。
焦りを帯びた動きでスイッチを入れて構えるのと、新庄が机に手指の爪を立てるのは同時。
「もっと、もっと熱くしてからでしょ……?」
新庄が、は、と身をよじり、
「だ、だからそんな硬いの、い、いけないよ、ボク……!」
「ふむ、何がいけないのかね?」
「や……」
「や?」
「焼き肉――!」
叫びとともに、新庄が机と椅子《いす》を蹴飛《けと》ばすようにして勢いよく立ち上がった。
布の筆箱が落ち、机の上からルーズリーフの幾枚《いくまい》かが床に散る。
直後。注視の静けさが新庄に向いた。
一拍の間が空き、その後に佐山が、
「……一体どういうエキサイティングな夢を見ていたのかね?」
「え? あ、いや、佐山君が肉肉《にくにく》野菜|肉《にく》野菜っていう順番を固持《こじ》して、でもボクは野菜野菜|肉肉《にくにく》野菜がいいって言ったら、佐山君、ボクに無理矢理《むりやり》生焼け野菜を……、って、夢?」
問うた新庄はあたりを見回し、周囲の視線を確認。
うわ、と声を挙げた。
状況が把握できたらしい。佐山は頷《うなず》き、
「ともあれ自力で目覚めたようで何よりだ」
「録音機持ってマジ顔してても説得力|無《な》いよっ! 何を録音したんだよっ」
「脳内焼き肉の実況中継だが……。ははは、安心したまえ、有効に使うから」
「だ、駄目《だめ》っ、無茶苦茶《むちゃくちゃ》悪い予感がするからこっちに寄越《よこ》してっ」
「あー、お二人さん。先生、まだ授業してるんですけどー」
大樹《おおき》の声に、新庄《しんじょう》はそのまま顔を赤くした。
しかし次の瞬間《しゅんかん》、新庄はちらりと時計を見ると首を傾《かし》げ、
「あれ……? ホントにどうして、まだ授業してるんです……、か?」
「うわー、自分で言ってなんですけど先生それクリティカルー!!」
ともあれ、と大樹は笑顔の会釈《えしゃく》を一つ。新庄を指さして、
「御寝坊《おねぼう》さんはいけませんよー」
その言葉に、皆が頷《うなず》きこう言った。
「毎回授業に遅刻するアンタが言えたことかっ!!」
午後の日差しが、傾いて森を照らす。
ここは奥多摩《おくたま》。駅から更に奥へと至る山並みだ。
森を頂く山の中、青梅《おうめ》街道から連なる道路が曲線を描いて流れている。
道路は山の稜線《りょうせん》と川に沿い、自然の赴《おもむ》くままに。
だがしかし、道路の曲線が一ヵ所だけV字に跳ねる場所があった。
道路が跳ねて避けるのは一つの山だ。雑草が生え、しかし木の無い山。
大規模な土砂《どしゃ》崩れの跡だ。
南北に、幅百メートル、長さ二百メートルに渡る土の堆積《たいせき》。
その後ろ、高さ百メートルほどの小山は、砕かれた面の地層を剥《む》き出しにしている。
そんな地層の頂上に、今、一つの人影があった。
白衣《はくい》の青年。鹿島《かしま》だ。
彼は作業着に白衣という姿で、眼鏡《めがね》の奥の目を前に向けていた。
向かいの山と、森の起伏が見える向こう、幾《いく》つかの白い建築物がある。
「晴れているからよく見えるなあ。――IAIが」
……いつもここからは、よく見える。
そして空もよく見える。
鹿島は草原に座り込み、青の空を見上げた。
ここは実家に近い場所。天を見れば、一人の人間のことを思い出す。
「昔は、よく爺《じい》さんにくっついて遊んでいたっけか」
言葉によってなされる行為は過去の回想だ。
……爺さんか……。
鹿島《かしま》の祖父は概念《がいねん》戦争を生き残った者だった。
優れた刀剣工《とうけんこう》という話だったが、鹿島が幼かった頃には引退していた。訪ねてくる友人は年々減り、父はその技術を継いでいたが、跡を継がずに農業の道を選んでいた。
縁側《えんがわ》でよく、祖父から2nd―|G《ギア》の話を聞いたことがある。
|Low《ロ ウ》―Gの学校に通っていた鹿島には、祖父の話してくれる異《い》世界の話は現実のものとは思えなかった。
祖父の言う戦争の話。それはこのLow―Gで起きた第二次大戦とは違う戦争の話だ。
しかし、多くの人の名前が出てきて、戦いがあり、多くのものが失われた。
剣を打ち振り、弾丸《だんがん》が飛び、大きな船や竜が出る。それらとともにこんな話を聞いた。
「カシマというのはこの世界に来たときに得た、最高の軍神《ぐんしん》の意。帝《みかど》様とまではいかないが、刃《やいば》持つ道具を通じて天と言葉を交わすことの出来る名だよ」
そんな話を空想混じりの戦争話だと思いつつ、だが、一つの疑問があった。
……祖父は、どのようして戦争が終わったのかを教えてくれなかった。
いくら聞いても笑うだけで、ただ、こう言うのだ。
「そんなこたあ、いいとしようや」
何故《なぜ》、いいのか? そして哀《かな》しげに笑うのか。
中学に入った頃に自分がこの世界の人間とは違うことを告げられ、その疑問は疑念となった。
両親の話では、2nd―Gが八叉《やまた》によって滅びる際、人々は繋《つな》がりのあったこのLow―Gに避難をし、そして巨大な人型《ひとがた》兵器と剣を作って八叉を封印《ふういん》したのだと言う。
祖父は、八叉の封印に関して重要な位置にいたらしい。2nd―Gの概念核である八叉を封じる剣を作り、人型機械の制御に関わったのだとか。
それは事実だ。UCATに入り、調べた結果として解《わか》っている。
だが、疑念は残っている。
たとえば、祖父は生前、自らをLow―Gの字で鹿島と言わず、カシマと呼んだ。
……Low―Gに完全に染まろうとしなかった爺《じい》さんの戦争は、本当に終わっていたのか。
真実が解《わか》らない。そして、真実に最も近づいたのは、UCATに入ってからではない。
十三年前の夜のこと。
「……爺さんが、亡くなったときのことだ」
鹿島は、軽く目を伏せた。自分の起点となった過去を思い出すために。
暗くなった視界の中、鹿島は、木造の古い民家の中にいた。
実家の居間だ。
高い天井や壁、太い柱や鴨居《かもい》は黒くすすけて汚れている。どの木材も幹のうねりをわずかに残しており、それらを照らす明かりは天井から吊るされた電球一つという風情《ふぜい》。
外は夜。冬の風が厳しい夜だった。
畳《たたみ》の上に敷かれた布団《ふとん》に、一人のやせ細った老人が寝ている。
祖父だ。
薄い髪をいただく顔の色は黄色くなっており、目は天井のあらぬ位置を見据《みす》えていた。
鹿島《かしま》は思う。あのとき、自分は祖父の手を握りしめていただろうかと。
憶《おぼ》えているのは、両親が自分の身体《からだ》を背後から押さえつけようとしていること。
静かにさせておくんだ、とか、刺激するな、という声が聞こえる。が、一番憶えているのは、
「妄執《もうしゅう》だ……! お前が親父《おやじ》の罪につき合うこたあねえんだぞ!」
その言葉に、鹿島は改めて思い出す。
ああ、あのとき自分は、確かに祖父の手を握っていたのだ、と。
祖父にはまだこちらの手を握り返す力はあり、口は確かに言葉を紡《つむ》いでいた。
「昭緒《あきお》」
名を呼ぶ声に、鹿島は背後の父と母を手で払った。そして祖父の顔に己の顔を近づける。
何を言ったか憶えていない。だが、返る言葉は憶えている。
「お前の父のように生きるのもいい」
だが、
「だが昭緒、もし、もし何か疑問に思うならば、出雲《いずも》社へ行け、そこにUCATという組織がある。そして――」
祖父は息を詰めた。
が、鹿島はそれを許さなかった。空いた手が老人の襟首《えりくび》を掴《つか》んでいた。
「話せよ! 何だよ一体! 今までずっと我慢してたんだろ!? 亡くした友人のことは語れても、自分のことは何も語らず……! ――UCAT! そこに行き、何をするんだ!?」
問いに、まず一つの単語が返ってきた。
「……立川《たちかわ》」
立川? と掴んだ襟首の向こう。老人が頷《うなず》いたように見えた。息を一つつき、
「飛行場だ、そこに巨大な……」
言われた意味を当時は解《わか》らなかった。
「巨大な……? 何か、何かがあるんだな!? とにかくそこに行けばいいんだな!?」
「そうだ、頭部|艦橋《かんきょう》、正面のボックスに、ある、……それを、渡さねば」
「誰に、誰に何を渡すんだよ!?」
問いに老人は答えず、別の言葉を告げた。それは、
「名前?」
鹿島の問いに、祖父は頷きもせず、ただかすかな息で告げた。
「八叉《やまた》を制御するための言葉、2nd―|G《ギア》の真理だ」
「――!?」
「それを持ち、行け……」
息を飲んだ鹿島《かしま》の正面。祖父が目を動かした。
彼の視線は天の一点を見ていた。そして瞳が焦点を結ぶのは上から覗《のぞ》き込む鹿島ではない。
もっと遠く、向こうにあるものだ。
視線の力を緩めることなく、老人は一言を告げた。
「赦《ゆる》してくれるか」
それが最期《さいご》だった。
老人の細身《ほそみ》が小さく震えた。
終わりの鼓動《こどう》。その一打ちが、掴《つか》んだ襟首《えりくび》と握った手から伝わってきて、鹿島は応じるように身を震わせた。
それが鹿島の持つ記憶《きおく》。ずっと昔の一夜のことだ。
何かいろいろ忘れているかもしれないが、一つ残った疑念は消えることがない。
……爺《じい》さんの戦争は、本当に終わっていたのだろうか。
思い、目を開け、立ち上がる。
眼下にあるのは、土砂《どしゃ》崩れの斜面だ。
土の広がりの中、一点に鹿島は目をとめた。斜面の中腹、やや下側に一つの色彩がある。
白。
それは塗装された金属の色だ。
白い中型のバスが、斜面の中、取り出されぬまま横転《おうてん》体勢て埋まっているのだ。
鹿島は土砂崩れに沈む白のバスを見て、こうつぶやいた。
「だが、僕の戦争は……、もう終わっているんだよな」
放課後の教室内。
掃除を終えた佐山《さやま》と新庄《しんじょう》は、他の掃除当番が帰り支度《したく》を進める中で言葉を交わしていた。
佐山は鞄《かばん》に教科書を入れながら。
対する新庄は脚《あし》の間に手を入れてうつむいた姿勢で、
「あ、あのさ、佐山君、さっきは、……御免《ごめん》ね」
「ん? 何のことかね?」
「ボクが、その、寝ぼけてたとき……、変な夢のこと口走ったよね?」
ああ、そんなことか、と佐山は内心で苦笑した。
「いや、別に変な夢ではなかったと思うがね? 新庄君」
「そ、そう? 変じゃなかった?」
安堵《あんど》の笑みに頷《うなず》き、佐山《さやま》は| 懐 《ふところ》から携帯録音機を出してスイッチオン。
『だ、だからそんな硬いの、い、いけないよ、ボク……!』
「ははは、何も変なところはないね?」
「充分|変《へん》だよっ! こ、こらっ、抵抗しないで録音機をこっちに……!」
「落ち着きたまえ新庄《しんじょう》君。別に誰かに咎《とが》められたわけでもないだろう? 違うかね?」
「そ、それはそうだけど……」
萎縮《いしゅく》したように、新庄は身を小さくする。
「――気にすることはない。大樹《おおき》先生の自爆《じばく》の方が目立ったしね。勿論《もちろん》、大樹先生が新庄君のフォローのために自爆したとも考えられるが、その確率《かくりつ》は私にも計上できぬほど低い」
「今ボク、言いくるめられてる?」
「違う。――前向きに胡麻化《ごまか》しているのだ」
「それを言いくるめるって言うんだよっ。……もう」
「もう、……何かね? 新庄君?」
う〜ん、と新庄は唸《うな》ってから、脚《あし》の間に入れていた手を上げた。
「あのね、さっきのことだけど」
と、新庄は机の上のルーズリーフの束をゆっくり掴《つか》んだ。それを胸の前に抱いて、
「朝も、さっきも、ボクがこのところ何してるか、……知りたい?」
ふむ、と佐山は頷いた。
そして思う。複雑な人だ、と。
朝の拒否のこと、HRで迷惑《めいわく》を掛けたと思っていること、この二つのことから、
……私に話しておいた方がいいと思ったのか。
「成程《なるほど》。何なら録音機も再び用意しよう。――さあ、吐きたまえ」
「て、丁寧《ていねい》な尋問《じんもん》調はやめようよ」
「ふむ。――では何はともあれ聞いてみたい。話してくれるかね?」
「うん。じゃあ、ちょっと聞くけど、……佐山君、小説って読む?」
「読むとも」
「たとえば?」
「衣笠《きぬがさ》書庫にある小説の類《たぐい》は、陳列《ちんれつ》してあるものに限るが去年の夏期休暇までに全て読破《どくは》した。知識は狙って仕入れるが、物語は乱読《らんどく》派でね」
そうなんだ、と新庄が肩から少し力を抜いた。
「ど、どんなのが面白かったかなあ? やっぱり辻斬《つじぎ》り| 侍 《ざむらい》?」
「あれは辻斬るだけで無個性|極《きわ》まりない。……読んでいて、本気になれるものでなければね」
言いつつ、佐山は内心で苦笑した。向かい合い、本気になるべき物語か、と。
そしてふと気づく。
新庄《しんじょう》が話そうとしているものの正体を。
だから佐山《さやま》は、新庄の手にあるものを指し、こう言った。
「成程《なるほど》。新庄君、……君はそういったものを書こうとしているのだね?」
新庄は顔を上げた。
佐山の切れ長の目が、笑みも浮かべずにこちらを見ていた。
彼の言ったことは図星《ずぼし》だ。腕の中に抱きしめたルーズリーフの束は、
「幾《いく》つもの物語に触れ、自分も書いてみたいと、もっと面白いものがあるんじゃないかと、自分ならこうしたのにと、そう思った。――そんな思いの証拠《しょうこ》が、その紙束《かみたば》というわけだね」
「……うん」
頷《うなず》き、だが新庄は再びうつむいた。
視界の中にあるのは彼の足下。ああ、意外と上履《うわば》きが汚れているな、と思いながら、
「でもまだ本気で書いたことはないんだ……。ボクは、自分に何か足りない気がして」
「足りない? 何がかね? 一般常識かね? それとも冷静さや客観性かね?」
「御免《ごめん》その問い全部佐山君に返す……。で、面倒《めんどう》だから話進めると、ボク、いつもいつも、書くのを途中でやめちゃってね。今《いま》準備してるのもひょっとしたら……」
「ふむ」
佐山が頷き、しかし、ややあってからこう問うてきた。
「では、新庄君が今、それを私に話すのは何故《なぜ》かね?」
「佐山君には話しておいた方がいいかな、って」
「何故かね?」
問われて新庄は考えた。朝の拒否のことや、さっきのHRでのことを。
すまないと思い、誤解《ごかい》がないようにと思う。だが、
……何故、誤解がないようにしたいんだろう。
思ったときには、ふと、口から言葉が出ていた。
「ボクのこと、知っておいて欲しいから……」
言葉を連ねて、ふと気づく。何言ってるんだろうか、と。
顔が何故か熱くなった。
つと、新庄は佐山を窺《うかが》うように視線を上げた。そして前髪《まえがみ》の間から窺い見た佐山は、何故か目に笑みを浮かべていた。彼は一つの頷きとともに、
「それが物を語ると言うことだ、新庄君。――忘れないでいてくれたまえ、その姿勢を」
「え?」
疑問詞に、しかし佐山は応えてくれない。ただ、彼はこう言った。
「今は、どういうものを書いているのかね? 出会いの期待に胸躍《むねおど》る猟奇《りょうき》殺人事件かね?」
「そんな新ジャンル書けないってば。……今はさ、ちょっと日本神話を調べてるの」
「ほう、それは奇遇《きぐう》だ。私も少し調べていてね」
「知ってるよ? 昨夜、この学校|創《つく》った人の神話研究書を読んでいたでしょ?」
「ああ、よく気づいていたね。――私は少々、スサノオと八叉《やまた》の大蛇《おろち》に関して調べていくつもりなのだが、君として、何かアドバイスはあるかね?」
問われ、新庄《しんじょう》は少し考えた。
「う〜ん。……たとえば、剣と英雄のことかなあ」
「剣と英雄?」
「うん、日本神話には何本かの神剣《しんけん》が出てくるんだよ。一番メジャーなのは草薙《くさなぎ》、次が八叉の大蛇を倒した十拳剣《とつかのつるぎ》、そしてマイナーな布都御魂《ふつのみたま》。その内、――大事なのは草薙」
新庄は、資料で調べた知識を頭の中に浮かべ、
「草薙は主神《しゅしん》アマテラスに献上《けんじょう》され、そのとき、何故《なぜ》か叢雲《むらくも》の剣と名前を変えるの」
そして、
「その後、草薙を手にすることになるのは人の御代《みだい》の時代、ヤマトタケル。スサノオに並ぶ英雄だよね。小碓《おうす》と名乗っていた彼は日本統一のため、まずは九州、クマソに向かい、クマソタケルと親しくなり、――でも、騙《だま》し討《う》ちにするんだよ」
「女性に変装して近づき、殺すのだったな。そのとき、クマソタケルから、己を倒した英雄として、ヤマトタケルの名をいただく。違うかね?」
「うん。二人とも個性あるよね。……スサノオは乱暴者で神々から嫌われたけど、自分には正直だった。しかしヤマトタケルは違うんだよね。勇敢《ゆうかん》で慕《した》われたけど――」
「嘘《うそ》に生きた、か」
その言葉に、ふと、新庄は動きを止めた。ややあってから、頷《うなず》く。
……嘘、か。
目は佐山の左腕を見る。
包帯《ほうたい》は巻いてあるが、その下の腕は完治《かんち》しているだろう。
もうそろそろ、自分はこの人の前から去らなければならない。
そんなことを思いつつ、新庄は意志とは無関係な言葉を放つ。
「佐山君はどちらかというと、スサノオのタイプだよね?」
「神と同列に考えてもらえるとは光栄だ」
佐山が微笑して、新庄も笑みを作る。
が、ややあってから、新庄は口を開いた。
出る言葉は、ここ最近、少し考えていること。
きっと、佐山《さやま》への罪悪感《ざいあくかん》と、自分を知って欲しい思いの原因。
その意思は、角度を変えた表現で唇からこぼれた。
「佐山君。――もし、ボクがヤマトタケルだったら、どうする?」
放課後。掃除の時間が終わった時間。
学内は全て、午後|半《なか》ばの日差しとともに、新しい音に満ちていく。
音として生まれるのは部活のたてるかけ声や、ボールの弾《はず》む音。それらに重なるように聞こえる全連祭《ぜんれんさい》準備の工作音《こうさくおん》だ。
だが、それらの音が響《ひび》かぬ場所が学内には幾《いく》つか在る。
その中の一つ、三年次普通校舎の東横《ひがしよこ》。
一階を教材倉庫として持つここは、人通りも少ない場所だ。
校舎が作る青黒い影の中、一人の女性が立っていた。
それは長身に黒のスーツを身にまとったディアナだ。
彼女は髪を掻《か》き上げ、ふと校舎の方を見る。
校舎に入る昇降口にあるのは、来賓《らいひん》用のスリッパ入れ。その横に立つのは、
「何か御用ですの?」
声の飛ぶ先、一人の少女がいた。
約五メートルの距離をとって昇降口に立《た》つのは、灰色の髪を持つ制服|姿《すがた》。肩には青と黒の小鳥を乗せ、足下には、
「衣笠《きぬがさ》書庫で見かけた猫ちゃんですのね」
ディアナは頬《ほお》に左手を添え、吐息をつくようにつぶやいた。
眉尻《まゆじり》をわずかに下げ、少女の顔、鋭い目つきをした| 紫 《むらさき》の瞳《ひとみ》を見る。
「一体、どんな御用ですの? ――1st―|G《ギア》の方が、ね」
「知ってたの? 話が早いわね」
少女は無表情に、ウエストの高さで浅く腕を組んだ。
「猫から聞いたわ。――ジークフリートに全竜交渉《レヴァイアサンロード》には近寄るな、と、そんなことを言ったそうね。貴女《あなた》、おそらくUCAT関係者でしょう? 一体、何を考えているの?」
対するディアナは苦笑。
「あら、何故《なぜ》そんなことを気に掛けられるんですの? 貴女は彼らに負けたのでしょう?」
「負けはした、が、彼らがいたからこそ得たものもあるのよ。もし貴女が彼らに――」
「害をなすとしたらどうされますの? ……ブレンヒルト・シルトちゃん」
最後の言葉に、ブレンヒルトは無表情のまま、組んでいた腕を解いた。
右の手の中、青い石が握られている。
手の動きは静かに、しかし早く正確。石の軌跡《きせき》が宙に文字を描く。
「舐《な》められたものね。小娘風情《こむすめふぜい》に少女|扱《あつか》いされるとは」
「あら、小娘だなんて。私も随分《ずいぶん》若く見えるものですわね。……でも、出来ればディアナと名前で呼んでいただきたいですわ。貴女《あなた》とは親しく出来そうですし」
言葉に答えるように、ブレンヒルトの右手から白い光が走った。
その形状は鎖《くさり》の一輪。
直径三十センチはある光の楕円《だえん》が、いきなり高速で前へと飛んだ。
行く先は相手の首。
そして細い頸部《けいぶ》に縛鎖《ばくさ》が入る直前。対するディアナの左手が動いた。
手指が波打つ髪に差し込まれる。
直後。引き抜かれたのは細い紙の短冊《たんざく》だ。
「――!」
紙が光の鎖を受けた。
響《ひび》くのは金属音。跳ねるのは小さな風の飛沫《しぶき》。
そして残るのは、ディアナの短冊に生まれた焦《こ》げ跡の一文字だ。
「|Kette《鎖》 ……。女性にそんなものを振るうなんて、あまりいい趣味ではありませんわね。それとも、お年を召《め》されるとそのような御趣味に?」
ディアナは目を細め、身体《からだ》を軽く抱いて締める。口元は笑みのまま、
「ともあれ確かなのは一つのことですわ。――馬鹿は言葉じゃ解《わか》りませんよね?」
「その台詞《せりふ》はどちらのためのもの? ディアナ」
「ええ、おそらくは――」
続く言葉とともに、動きが生まれた。
「――世界のために」
佐山《さやま》は、新庄《しんじょう》の問いに眉をひそめた。どういう意味だろうかと思いながら、
「……どうする、とは?」
「そのままだよ。ボクがヤマトタケルだったら、佐山君はどうする?」
言葉に佐山は、ふむ、と頷《うなず》いた。
わずかに考え、真剣な表情で新庄の肩を叩くと、
「――病院に行こうか。いきなり前世|系《けい》の話だからね」
「い、いや、それはまた思わぬ角度からの反応を」
「ははは、警戒《けいかい》することはない。いい脳の医者を紹介しよう。何、大丈夫、少しちくりとするだけだからね。保養所もいいところを紹介しよう。そうなると私は看病役《かんびょうやく》か。軽井沢《かるいざわ》のサナトリウム、文学的だね……。高原、広い空、静かな夜、ああ、ああ!」
「だから何を遠く見てクネクネ脳内ドラマ展開してるんだよっ」
半目《はんめ》で睨《にら》んできた新庄《しんじょう》は、しかしすぐやれやれ顔に。
「でもまあ、……御免《ごめん》、確かに変なこと言った」
と困ったような笑みを見せる。
正直、新庄がいきなり言った意味は、解《わか》らないでもない。
ヤマトタケルが嘘《うそ》に生きたと言ったばかりだ。
新庄が彼と己を重ねると言うことは、
……何か、嘘があるのだろうか。新庄君には。
それも、こちらの対処を聞いておきたいような嘘だ。軽い嘘ではあるまい。
……突然それを告げた理由は、先ほど言った言葉通りだろう。
自分を知って欲しいと。
そして、こちらの左腕が完治《かんち》しつつある以上、別れのときも近い。
……それまでに、新庄君は、何かを伝えようと迷っているのだろうか。
嘘 というその言葉。
知りたいと思うが、今、新庄は困ったような笑みを見せるだけだ。
問うても返答は無いだろう。
だから佐山《さやま》は言葉を選び、こう言った。
「――いいかね? 新庄君。否《いな》、いいと決めよう」
「え? な、何? いきなり」
「うむ。……いろいろあるとは思うのだが、何かきっかけがあったら、言ってくれたまえ」
対する新庄は、こちらの言葉にわずかに驚きの顔を見せた。
その表情を見た佐山は、自分の思いが正しかったことを悟る。
そして新庄は、こちらの思いを裏付けるように、安堵《あんど》の表情を作り、
「……うん。それがいいね」
「そう、だが気をつけたまえ、新庄君、私は悪役だ。君に対しても、ね。……だから」
「うん。ボクがどんなに誘っても、なびいちゃ駄目《だめ》だよ? 佐山君。佐山君が心を動かしていいのは、ボクが自分から何かを告げようと本気になったとき、……そうだよね」
「その通りだ。そのとき私は悪役として、君の基準として、向き合おう」
告げた台詞《せりふ》に対し、新庄は吐息した。安堵の色の吐息を。
「うん。……苦労を掛けるね、佐山君」
お互い様だろう、と言うと、新庄は表情を苦笑に変える。
だから佐山も苦笑を一つ。気分を変えるように、鞄《かばん》の中に教科書類を入れていく。
が、ふと、佐山は手を止めた。
日本地図帳。
それを手にした佐山《さやま》は、ふと、机の上に東京全図を広げた。
……今頃、風見《かざみ》達は2nd―|G《ギア》の情報を手に入れているだろうか。
たとえば、そう、八叉《やまた》がどこに封印《ふういん》されているのかを。
すると横の新庄《しんじょう》が広げられた地図帳を見て、
「東京に、何かあるの……?」
「ああ、少し、これから調べ物をする必要があってね。そう、たとえば、……この東京で巨大なものが自由に暴れられる場所があるとしたら、それほどこだろうか、と」
「な、何だか怪獣《かいじゅう》映画みたいなこと言うんだね。――公園、と言いたいけど、公園って、結構《けっこう》木々とか小山があって自由に暴れられないね。もっと平たいところかな? 飛行場とか」
「飛行場か。……しかし、東京に飛行場は無いようなものだが」
佐山の台詞《せりふ》に、教室の窓際《まどぎわ》から声が飛んできた。
「横田《よこた》基地があるだろう」
佐山は、新庄と共に首を伸ばして視線を左へ。
窓際、それも教室の後ろの側の窓に、一つの背がある。
桟《さん》の部分に座るのは制服の上着を脱いだ中肉中背《ちゅうにくちゅうぜい》。
ダブついたズボンの上に裾《すそ》を広げたシャツを着込むのは、やや赤茶けた肌の少年だ。
彫りの深い顔が波打つ黒髪《くろかみ》とともに振り向き、
「何をイカれた会話してるんだ? さっきから」
サングラスの奥、青い目の問いに佐山が答える。
「そのままの問いだ、原川《はらかわ》。貴様《きさま》は何を?」
「ああ、大樹《おおき》先生が昨日この窓|壊《こわ》したろ。破壊者|本人《ほんにん》に頼まれてそれの修繕《しゅうぜん》だ」
「……普通に開けただけなのに何故《なぜ》か窓が落ちたっけ」
「下の花壇《かだん》に突き刺さって前衛《ぜんえい》芸術みたいだったな。俺、自動車|研《けん》だから専門じゃないんだが。――まあそれより、横田に用があるなら入れてやろうか? 俺、中でバイトしてるから」
「いや、用があるのは横田基地ではない。戦前の飛行場で――」
佐山はつぶやき、ふと、地図帳を机の上に広げた。
ある。戦前は大型の飛行場が東京にあったのだ。
佐山が勢いよく東京西側の拡大地図を開くと、原川の声が飛んできた。
「立川《たちかわ》か」
「そうだ。流石《さすが》はバイト主義で学校を抜けて基地に行くだけはあるな、ダン・原川。――この東京にもかつて軍事《ぐんじ》飛行場があった。立川飛行場。現《げん》昭和記念公園だ。戦前から存在した空港であり、そして」
佐山は地図帳に載せた己の手指を動した。
昭和記念公園前、線路が走っている。
それは立川《たちかわ》から出るJR青梅《おうめ》線だ。青梅線はそのまま西に延び、直通で奥多摩《おくたま》に向かう。UCATのある奥多摩へと。
「成程《なるほど》」
と佐山《さやま》がつぶやいた。
そのときだ。一つ、音が響《ひび》いた。
金属的な音。
原川が、手元の工具《こうぐ》を落としたのかとあたりの床を見る。
怪訝《けげん》という雰囲気《ふんいき》。そんな中、佐山は一人動いていた。立ち上がり、
「硝子《ガラス》の割れる音か……」
「ど、どうしたの? 佐山君。硝子って、何?」
すまない、と佐山は自分の黒革鞄《くろかわかばん》を新庄《しんじょう》に手渡す。
「申し訳ないが寮《りょう》まで持っていって欲しい。私はこのまま所用を終えたら、すぐにバイトへ向かおうと思っているのでね」
「所用……?」
黒革の鞄を受け取りながらの問いに、佐山は一つ頷《うなず》いた。
「後《あと》片付けだ」
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第五章
『相互の紹介』
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過去に問いかけ追い立てるのは今
今に答えを護り阻むは過去
どちらこそが魔の印象か
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ブレンヒルトとディアナの戦闘は、校舎内に場所を移していた。
三年次普通校舎の一階。廊下の硝子《ガラス》が連続して割れていく。
その微細《びさい》な欠片《かけら》をくぐって動くのは二つの影だ。
東からは来賓《らいひん》用スリッパを履《は》いたディアナが、右手にパンプスを提《さ》げて前へ。
西からはブレンヒルトが動きを放ち、光の字による力を飛ばす。
戦闘の流れは、基本的にブレンヒルトが攻撃を撃《う》ち、ディアナがそれを受けるもの。
だが、押されているのはブレンヒルトの方だ。
人気のない西日の廊下に、光の走る風音と、文字を砕く飛沫《しぶき》が鳴る。
ブレンヒルトは肩に鳥を乗せたまま、足下に猫を従えたまま、身を沈めて前に出る。
そして相手を見据《みす》えてこう思う。
……この女、何を考えているのか……!
読み切れない。
気にするな、と思うその一方で、相手の思惑《おもわく》を知る必要を感じている。
あの女はジークフリートに対しこう言ったのだ。
全竜交渉《レヴァイアサンロード》から、早く立ち去り身を退《ひ》けと。
……そして、もはや全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》と我々1st―|G《ギア》は退けぬと言った!
自分達が何から退くことが出来ないのか。
問うて答えるものではないだろう。全竜交渉《レヴァイアサンロード》に深く関わる者であれば、尚更《なおさら》だ。
あの交渉に関係する者は誰も彼も、確実に真実を隠し、事実だけを前に出そうとする。
だからブレンヒルトは問うために前に出る。
足音二つで相手の| 懐 《ふところ》に入った。
「……っ!」
右手の石が文字を書く。
文字は 鉄管《てっかん》 の意。
鉄棒より軽く木杖《きづえ》より硬い。生まれた光は全長二メートルの武器となる。
攻撃。
目の前に立つ長身のディアナ。狙うのは彼女の脚《あし》、灰色のストッキングの足下だ。
踏み込んだ膝《ひざ》を前にすることでリーチを追加。鉄管の腹で相手の臑《すね》を右から打つ。
瞬間《しゅんかん》。
「あらあら」
とディアナが攻撃を避けようとした。
彼女が逃れる方向はブレンヒルトから見て左。ステップを踏む足の行く先は廊下の窓側だ。
だがブレンヒルトの鉄管《てっかん》は壁にまで届く長さを持つ。壁際《かべぎわ》に立ったとしても、
……避けれまい!
直後。ディアナが一つの動きを見せた。窓のある壁にスリッパの足を着き、
「外から見えちゃうかしら」
そのまま窓|硝子《ガラス》の上を歩き、天井へと回った。
「――!」
避けられたことよりも、相手の動きにブレンヒルトは身を起こした。
驚いた。
その事実は戦闘において危険を示す。
だからブレンヒルトは反射的な動きで背後へ跳んだ。
重さのある光の鉄管を宙に捨て、バネ仕掛けのような動きで後ろへと大跳躍《だいちょうやく》。
見れば、天井に立った相手が、こちらに一歩を踏み込んでいた。
彼女はブレンヒルトが宙に捨てた光の鉄管に左手を伸ばし、
「お片付けしないと駄目《だめ》でしょう」
紙片《しへん》にそれを吸い込んだ。
同じタイミングでブレンヒルトは着地。木製タイルの床に足裏《あしうら》を軽く滑らせながら、
「賢石《けんせき》? 天井に貼《は》り付くのは」
「ええ、術式《じゅつしき》によるちょっとした引力操作ですのよ」
「どのような?」
「さあ? 私が知っているのはこの力を呼び出す術式のみ。理論などはとてもとても」
と彼女は逆さまに苦笑。
「強《し》いて言うならば、この|G《ギア》が過去に貴女《あなた》達のGと接触して文化を得たとき、わずかな賢石とともに得た術式ですの。賢石を触媒《しょくばい》に、文字を鍵《かぎ》として力を呼び出すこの方法を――」
ディアナは左の手を上げた。純白の紙片が一枚|挟《はさ》まっている。
「――魔法と、見下《みくだ》した名で| 仰 《おっしゃ》る方もおられますわ」
「そう。私はまた、天井に貼り付くのは貴女の特殊能力かと思ったわ。カエルかヤモリの」
その言葉に、相手の笑みが濃くなるのをブレンヒルトは確認。
ブレンヒルトは構えを低く、左を前にした姿勢をとった。
「ならばその魔法とやらを本家《ほんけ》の術者《じゅつしゃ》が見てあげるわ」
続く動きは頷《うなず》き、左手を前に上げるもの。そして手指を上に、手招きして、
「さ、来なさい。ディアナちゃん」
その呼びかけに、ディアナが応じた。
彼女は天井に立ったまま、軽く頭を下げ、
「――では」
と前に、こちらに来た。
廊下という直線上で、戦闘は激化する。
始まりは、ディアナが天井を駆けたこと。
彼女は右の手にパンプスを提げ、左の手に紙片《しへん》を持ったまま。
浅く身を沈めて行くディアナの左手、紙は親指の爪を立てるだけで黒の色が浮く。
賢石《けんせき》加工された感圧紙《かんあつし》だ。
そして紙片に爪で書き連ねられるのは文様《もんよう》。
描かれた文様は火のイメージ。ゆえに紙が燃える。
そして同時に行われるのは火の投射《とうしゃ》。
炎弾《えんだん》。
「――|Brand《火炎》 !」
火が両者の中間距離で一抱《ひとかか》えほどの固まりに変化した。
当たる。
その直前、ブレンヒルトが身を沈めた。
笑み一つ。宙に書かれる文字の意は、
「鉄板」
直後。ブレンヒルトの右腕の先で炎《ほのお》が砕け爆《は》ぜた。
散るのは感圧の紙片。
炎を裂いたのは、ブレンヒルトの右手に生まれた光の鉄板だ。
攻撃を受け切った。が、その事実はあれど、まだブレンヒルトは表情を緊張《きんちょう》のまま。
応えるように敵が来た。
ブレンヒルトの正面、踏み込んだディアナが走りの一歩を更に追加。
彼女は左腕を背後に回し、後ろ髪を大きく梳《す》き上げた。
宙に広がるディアナの髪。
髪の中から舞うのは白い欠片《かけら》だ。
それは紙の連なり。乱れ舞った紙片は十六枚。既に全て文様が連ねてある。
矢。
「――|Pfeil《矢》!」
合計十六の先鋭《せんえい》が宙を飛ぶ。その行く先はやはりブレンヒルトだ。
叩きつけるような弧《こ》を描き、鉄の矢が飛翔《ひしょう》した。
快速。
しかしブレンヒルトは、一つの態度を見せた。
苦笑したのだ。
苦《にが》い笑みには言葉もついてきた。
「力の具現で済ませてもいいものを、実像の段階にまで具現化するのね?」
「貴女《あなた》達の|G《ギア》よりも劣っていたからこそ、貴女達よりも優れたものになろうとした。我が国は完璧《かんぺき》主義者の群ですしね。――素晴らしいことですのよ?」
そう、と頷《うなず》くなり、ブレンヒルトは宙に字を書き矢を受けた。
光の鉄ネジを十六個。
宙に生まれた角ビスの散らばりは、鉄の重量をもって鏃《やじり》を受けた。
ネジは自律で駆動《くどう》する。
マイナスのネジ山に鏃が食い込むなり、全てのネジは己が身を宙で跳躍《ちょうやく》。
ネジが望む動きは螺旋《らせん》運動に他ならない。
矢の軌道は変化した。
全ては身をよじるように回転しながら、ブレンヒルトの背後へと。
外れた力は天井や床を徹甲《てっこう》する。
突き立つ音が十六連続すると同時。ディアナの走りが間合いを詰めた。
距離約三メートル。一歩を踏んで手を伸ばせば襟首《えりくび》を掴《つか》める位置だ。
しかしなおディアナは身を振った。
右に身体《からだ》を捻《ひね》りながら、髪を掻《か》き上げるのは左の手。
波打つ髪の中、仕込んだ紙筒《かみづつ》がほどけ、外へと展開しようとする。
「それ以外に技がないの?」
ブレンヒルトが問うた。
「二度ネタは潰しても構わないでしょうね……!?」
ブレンヒルトは勝機《しょうき》と悟る。
正面、ディアナの髪が走り、紙片《しへん》が舞った。
対するブレンヒルトは前に出た。ディアナの動きを潰すために。
紙片を飛ばすとき、ディアナの手は髪を梳《す》き、身はがら空《あ》きとなる。
そのタイミングで| 懐 《ふところ》に飛び込めば後はどうにでもなる。
……答えてもらおう。
一体何を考えて全竜交渉《レヴァイアサンロード》を危険と判断するのかを。
ブレンヒルトは前進する。
そのときだ。ブレンヒルトは、自分の腹に一つの感触《かんしょく》を得た。
何か、硬いものが当たった痛み。
「――――」
それは光の鉄管《てっかん》だった。
見れば、ディアナの右手が、今、パンプスではなく一つの紙片を握っていた。
紙に書いてあるのはEisenrohr、――鉄管の一字だ。
ブレンヒルトが書き作った鉄管。
それを吸い込んだ紙片が、いつの間にかディアナの右手にあった。
そしてブレンヒルトは気づく。
ディアナの周囲、髪から舞った紙片には、何も書かれていないと。
「髪はフェイント。……二度ネタじゃないんですのよ?」
笑みとともに、腹部に重みが来た。
「!」
鉄管ごと、ブレンヒルトは背後へと投じられた。
軽い身体が宙に浮き、ディアナと距離が離れる。
……何故《なぜ》。
何故に距離を離して逃がすのか。
着地し、光の鉄管が床に落ち行く中、叫びが聞こえた。足下にいる黒猫の叫びだ。
「ブレンヒルト! ……周りを!」
視界の中、四方の壁と床と天井の全てに、あるものが突き刺さっていた。
先ほどこちらが弾《はじ》いたディアナの鉄矢《てつや》だ。
見れば、鉄の矢には文様《もんよう》が彫り込んである。術式《じゅつしき》発動の文様が。
「これはまさか。術式とやらを矢に――」
「ええ、力を実像まで具現化したから出来る技。実像の矢は、そのまま別の術式の触媒《しょくばい》となりますのよ。――貴女《あなた》達1st―|G《ギア》のように、力の具現で終わらせていては不可能な技ですの」
ディアナの言葉を合図に、十六の矢が光を放った。
ブレンヒルトが選ぶのは回避運動しかない。
だが、首にいきなりの痛みが来た。
「!?」
見れば、ディアナがこちらに左の手を向けていた。
差し出した手の中には白い煙を上げる白紙が一枚。そしてこちらの首に掛かったのは、
「――|Kette《鎖》。お返ししますわ。縛鎖《ばくさ》に動けぬまま、後発《こうはつ》の術式を頂きあそばせ」
笑みをもって、ディアナが告げた。
「|Schlag《雷打》――。天然パーマにおなりなさい」
言葉とともに、廊下に雷撃《らいげき》が炸裂《さくれつ》した。
風見《かざみ》と出雲《いずも》は、UCATの地下四階に来ていた。
白い廊下を歩く二人の隣《となり》、女性の姿が一つある。
UCATの白い装甲《そうこう》服に、スカートや袖《そで》を完全装備した女性。柔らかそうな金の長髪を後ろに流すのは、
「シビュレでさえ、第二資料室ってのに入るのは初めて?」
「|Tes《テスタメント》.、千里《ちさと》様、あの場所は、各部長クラスでも理由がなければ入れません」
「そんな中に入る許可が出るとはね……。全竜交渉《レヴァイアサンロード》ってそんな重要なのかしら? 大城《おおしろ》さんに聞いても答えないだろうしなー」
風見の言葉を聞いたシビュレは微笑。青の瞳《ひとみ》が頷《うなず》き、
「でも千里様、何故《なぜ》に2nd―Gを調べようと? 開発部の皆様には、|G―Sp《ガ ス プ》2の管理や調整などでよく会われるのでは?」
「ああ、まあ簡単に言うとさ。……そこそこ親しいから、改めて、失礼|無《な》いようにね、と」
風見が困ったように自分の考えをまとめて述べると、シビュレが目を弓に細めた。
「では、あまり余計なことは詮索《せんさく》はせずとも宜《よろ》しいのではありませんか? ――こうお考え下さい。親しい人々のことや、新しい知識に触れられることが純粋に楽しみだと」
「いや、私、調べものは純粋に苦手《にがて》でさあ……」
「致命的ですね」
「うわ! 何か単純に断ち切られた気が! 今気づいたけど、やっぱ私|馬鹿《ばか》なのねー!?」
「お、落ち着いて下さい千里《ちさと》様っ。つい口が滑って本音を」
「本音って言ったー!」
「あああ、出雲《いずも》様、な、何かフォローの一言を」
「おう、――千里! 馬鹿だって嘆《なげ》くことねえぞ! 俺のようにな!」
最後の一言に風見《かざみ》は正拳《せいけん》を叩き込んだ。
「ああ落ち着いた。ともあれ人間開き直ったら終わりね。……でも今回かなりシビュレが頼りってか何てーか。これ終えたらすぐ訓練室入るけど、やっぱり私は訓練の方が気楽だわー」
と、風見の声とともに廊下の終端《しゅうたん》が見えた。
何もない。単に白い壁のある行き止まりだ。だが、
・――見えぬところに真実がある。
声が響《ひび》いた。
「!」
そして三人が身につける黒の腕時計に、聞こえた声と同じ赤文字が走る。
腕時計から伝わる軽い衝撃《しょうげき》に、風見が身を震わせた。
直後。三人の眼前にいきなり広大な空間が広がった。
巻き起こる風と焼けた大気の匂《にお》い。そして大量の煙。
圧《あつ》と波のある風の中、銀色の髪が踊った。ディアナの髪だ。
爆発の中心、煙巻《けむりま》く風に目を細めながら、しかし彼女は微笑を絶やさない。
……さあ、どうでしょうか?
「今のを凌《しの》いだならば――」
告げる視線の先。煙の幕が波打ち開けていく。
そこに一つの人影があった。制服|姿《すがた》の少女。それも、見たところ無傷《むきず》だ。
ディアナは笑みを濃くして告げた。
「――|Herrich《上 出 来》!」
ディアナは見る。
廊下の中央、左手を首の鎖《くさり》にかけ、右手を上に掲げた少女がいる。
ブレンヒルト。
無表情に彼女が掲げた右手の周囲、雷《いかずち》を防いだ理由がある。
鉄板と鉄ネジが、鉄管《てっかん》と鉄鎖《てっさ》が、全て右手の周囲に浮いていた。まるで彼女を覆《おお》うように。
雷撃《らいげき》の方向を逸《そ》らし、直撃《ちょくげき》を逸らすには、鉄 という力の具現で叶《かな》えることが出来る。
あとは一瞬《いっしゅん》の判断だ。
そして次の戦闘の始まりを、ディアナはその目で見て、耳で聞く。
それも、ブレンヒルトの右手が書く文字と、唇が紡《つむ》ぐ言葉によって、だ。
「其《そ》は敵を打つものなり」
ブレンヒルトの手の先、宙で鉄板が回り、フレームとなる。
「其は敵を狙うものなり」
宙で鉄管が回り、砲身《ほうしん》となる。
「其はいと硬きものなり」
宙で鉄ネジが走り、フレームと砲身を接続していく。
「其は我に従うものなり」
宙で外した鎖《くさり》が連続|複製《ふくせい》され、砲身の根本《ねもと》に仕込まれた。
そしてブレンヒルトが無表情な顔を上げ、最後の一字を書く。
滑空砲《かっくうほう》
ディアナの視界の中央。噛《か》み合った部品達が連動し、己の形を正しいものへと変えていく。
出来上がるのは鉄の長砲《ちょうほう》だ。
1st―|G《ギア》の者が書く文字とは、対象の全てを制する力。
「――全てはそれを作るための布石《ふせき》ですの?」
「ふン。後発《こうはつ》が哀《あわ》れにも頑張ってるんだから、先達《せんだつ》が手を抜いてはいけないでしょう? 食らいなさい、ヴォータン王国が出来る以前から使用されていた攻城《こうじょう》兵器よ」
言って、ブレンヒルトが| 懐 《ふところ》から文庫本を一つ取り出した。
本はフレーム下部の弾倉受《だんそうう》けにセット。
対するディアナは口元に新しい笑みを浮かべ、左手を髪に差し込んだ。
直後。ブレンヒルトはためらいなくアンカーを引いた。
空間が、打ち震えた。
そんな感覚とともに風見《かざみ》達の眼前に広がったのは、果ての見えない巨大な書庫だった。
白の天井は低く、所々にある蛍光灯《けいこうとう》の光が下の書架《しょか》を照らす。
その光の下、並ぶ書架は全て安物《やすもの》の鉄フレーム製。だが、中にあるのは大量の書類だ。
図面、レポート、覚え書き、契約書、各種|票類《ひょうるい》。それらが大量に収められた書架は、三人の目の前からずっと遠くまで続いている。
うわ、と一歩を引こうとした風見《かざみ》の背を、押しとどめる手がある。
シビュレだ。彼女は首を横に振り、
「下がれば元の世界です」
「じゃ、やるしかないね。……資料相手に概念《がいねん》戦闘、って考えるべきかしら?」
「そう考えるのが千里《ちさと》様らしいと思います」
シビュレは微笑。彼女は眼前の広大な書庫を見つつ、口を開いた。
「護国課《ごこくか》時代、概念空間の実験として多くの地下施設が作られ、それはUCATの施設が出来たときに引き継がれました。そのうち幾つかは――」
「トップクラスの連中しか知らないって話よね。最下層の更に下に空間があるとか、いろいろ噂《うわさ》はあるわ。……だとするとここは?」
「|Tes《テスタメント》.、護国課時代、最も早くに作られた書庫がベースとなっているそうです。現実世界に既存した資料が衣笠《きぬがさ》書庫にあるならば、ここは実戦で得た知識や、そこから派生した知識の蓄積です」
成程《なるほど》ねえ、と風見は頷《うなず》いた。感心した顔であたりを見回し、
「余程《よほど》のことがない限りは明かさない情報がここにあるわけか……」
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》の御威光《ごいこう》権限《けんげん》ってわけだ」
出雲《いずも》が前に出て、書架《しょか》を軽く叩いた。
知識と記憶《きおく》を並べた棚は、大柄《おおがら》な彼の手にも揺るぎない。
「――許可をくれた大城《おおしろ》さんに感謝するのは当分先になりそうね。シビュレ、手伝って、2nd―|G《ギア》の滅びについての関係資料を見つけましょう。……私達の相手を見据《みす》えるために」
「Tes.、尽力《じんりょく》いたします」
シビュレは前に一歩、こちらに対して微笑つきで頭を下げ、
「参りましょう。親しき人々、2nd―Gの情報を得に。――微力《びりょく》ではありますが、私の情報| 収 集 《しゅうしゅう》能力を発揮します」
「――発揮せよ威の力!」
叫びに重なるのは廊下を貫《つらぬ》く破壊の激音《げきおん》。
ブレンヒルトの砲撃《ほうげき》とディアナの術式《じゅつしき》は、両者の中間点で一つの変化を受けた。
その変化とは更なる破壊だ。
両の打撃が壊されたのだ、何者かによって。
双力《そうりょく》の消滅《しょうめつ》で生まれるのは爆圧《ばくあつ》の一字しかない。
「……!」
廊下に風と火花が炸裂《さくれつ》した。
走るのはまず大気の圧力と熱。後に付いてくるのは灰色の煙と、硝子《ガラス》の割れ散る音。
風に押されるように、ブレンヒルトとディアナは服を| 翻 《ひるがえ》して後ろに跳躍《ちょうやく》。
そして、共に合わせたような動きで両者の間を見る。
既に二人の持っていた砲台《ほうだい》と紙片《しへん》は消え失《う》せている。
では何がそれぞれの攻撃を砕いたのか。
見据《みす》える二人の視線の先、風に舞い広がる煙が渦のように旋回《せんかい》して飛散《ひさん》。
その中央に破壊者の正体があった。
それは一人の男だった。
片膝《かたひざ》をついた姿勢て身構えているのは長身の老人だ。禿頭《とくとう》の下、黒のベストから伸ばした両手は、革《かわ》手袋の手の平を二人の女に向けている。
ブレンヒルトが老人を見て、眉をひそめた。
「ジークフリート……」
「両者、そこまでだ」
言葉に応じるように風が収まっていく。が、二人の魔女は身動きを取らない。
ただ、動く者が一人いた。
それは中央ロビーの方から歩いてくる人影。制服を隙なく着込んだ少年だ。
左右に白髪《はくはつ》を持つオールバックの髪の下、切れ長の目がブレンヒルトを見て、ジークフリートを見て、ディアナを見た。
「お手数《てすう》済まない、ゾーンブルク翁《おう》。平和主義の私ではどうにもならぬようなのでね」
「虚偽《きょぎ》は無視するとして、確かに適任《てきにん》がいればそれに任せるのが得策だ、佐山《さやま》・御言《みこと》」
「ああ。……だが皆に問いたい。これは一体、どういうことなのかね?」
問いかけ、佐山はディアナを見た。
彼の視線を受けたディアナは、残念そうに吐息。
「もう少しでしたのに、叔父《おじ》様」
「それはこっちの」
台詞《せりふ》よ、と言いかけたブレンヒルトの唇が途中で止まる。代わりに出た言葉は、
「……叔父様?」
ええ、とディアナは頷《うなず》いた。そして彼女は佐山の方へと身を向けた。
一度|踵《かかと》を合わせて直立し、顔から笑みをなくすと、
「|Tes《テスタメント》.、独逸《ドイツ》UCATより本日付けで派遣されましたディアナ・ゾーンブルクと申します。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》に対する欧州UCAT監査官《かんさかん》として、また――」
ブレンヒルトを見て、
「――1st―|G《ギア》の独逸UCAT受け入れ立会人として参りました」
「成程《なるほど》、ゾーンブルク翁の姪《めい》が御出陣《ごしゅつじん》、というわけか」
「はン。曽姪《ひいめい》くらいの外見のくせに」
「叔父《おじ》様が不老長生術《ふろうちょうせいじゅつ》を高めてくれたおかげですわ。ただ、私は不老なだけで、長生するようには設定しておりませんけど」
「どちらにしろ私にとっては小娘《こむすめ》ね。――で? どうするの? 貴女《あなた》が1st―|G《ギア》の受け入れ立会人だろうと、私は構わないわ。勝負を続ける?」
足下、黒猫が首を横に振りまくるが、ブレンヒルトは気にしない。
彼女は無表情に、
「――1st―Gの皆も私を支持ずるわよ。相手の権威《けんい》を見て退《ひ》くのは流儀《りゅうぎ》に反す、と」
彼女の言葉に、ディアナは顔に笑みを作った。そして首を横に振り、
「残念ですが、私の方から退かせていただきますわ。……万が一でも、私が持つ記憶《きおく》を見せるようなことになっては、全ての過去に申し訳ないので」
「臆病《おくびょう》ね。でも安心したわ。――負けたときに約束を守れる女って、あまりいないもの」
両者が、どちらともなく、小さな笑みを漏らした。
そんな二つの微笑の間でジークフリートがやれやれと立ち上がる。
「ともあれ1st―Gのために仲良くしたまえ。それに関しては」
首元のネクタイを緩め、
「不断の努力を要求する」
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第六章
『かつての礼賛』
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世界の入り口は驚くほど近くにある
振り向くか振り仰ぐか
迎え上手な境界は自分の足元に
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大城《おおしろ》・至《いたる》は、午後になってから目を覚ました。
ここはいつもの私室ではなく、UCATの建物の屋上だ。
寝ているのは大きめの日傘《ひがさ》の下、布製のリクライニングチェアに毛布付き。
横には天体望遠鏡と、
「|Sf《エスエフ》、ノート相手に何をしているんだ? お前」
「|Tes《テ ス》.、昨夜見せていただいた天体の記録を」
「ほほう。真っ暗な場所を見せて ほうらダークマターだ とやった記憶《きおく》しかないんだが」
体を起こしてみれば、Sfは日傘の下でノートを真っ黒に塗り潰している。
「おいこら。……俺が悪いのか?」
「これが至様の御要求ですので」
至は髪を掻《か》き上げ、天体望遠鏡に手を載せる。
「……昼間の星でも見るか」
「Tes.、有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います。これで色鉛筆の別の色が使えます」
「何色を使う気だ」
「Tes.、青だけを」
「ほう、空しか見えないと思ってるな。――根性《こんじょう》悪い独逸《ドイツ》製に星は存在すると教えてやろう」
告げられた至の言葉。それに対して、Sfは首を傾《かし》げた。
「天体は……、宜《よろ》しいのですか?」
「少なくとも、俺にとっては無意味なものだ。憶《おぼ》えておけ、そういうものには興味があると」
Tes.、と頷《うなず》いたSfに、至は問う。
「俺が昨夜から寝ている間、何かあったか?」
「事務課からの連絡では、――佐山《さやま》様が2nd―|G《ギア》代表との面会を求めているそうです」
「は。まだ相互契約もしていないのに事前調査と来たか。俺の所に来る気配は?」
「Tes.、皆無《かいむ》と見ます。既に先行して風見《かざみ》様と出雲《いずも》様がシビュレ様と第二資料室に入られております。ゆえに、彼らと後に合流するものと判断します」
そうか、と至は嬉《うれ》しそうに頷《うなず》いた。
「皆で仲良く過去をほじくり返し、自分達が全てを知っていく錯覚《さっかく》を得るといい」
苦笑。
「2nd―Gは、我々と似ているが、それゆえ、――心を開かんぞ」
佐山は大城《おおしろ》と共にUCATの廊下を歩いていた。
2nd―|G《ギア》との面会を行うためだ。
彼が独自に面会を選択したのは、風見《かざみ》達が資料|検分《けんぶん》中ということからの判断だが、
「しかし開発部はほとんど徹夜組で現在は就寝《しゅうしん》中。――全竜交渉《レヴァイアサンロード》代表となるべき者は、まだ出社していない、と? では、彼らとの面会は当分無理なのかね?」
廊下で歩きながら問えば、大城《おおしろ》は頷《うなず》きを返す。
「だからまあ、開発部長を紹介しよう。2nd―Gの概念《がいねん》も体験しておくべきであろう?」
「確かに」
と言う二人の踵《かかと》が、音をたてて止まった。
そこはUCAT内地下二階、通常課《つうじょうか》第一武器庫。
自動ドアのカメラが大城を見ただけで開く。
「ほらほら、見たかな御言《みこと》君。わし、VIP扱いだろ? 尊敬してみんかな?」
「わあ凄《すご》い。――宜《よろ》しいかね?」
大城は無視して目の前の闇をくぐった。
佐山《さやま》も目の前の闇をくぐる。
と、声が聞えた。
・――名は力を与える。
佐山は左腕につけた時計に赤い文字が走るのを確認。
そして、つと前を見た。
すると、眼前にはいつの間にか薄暗い倉庫があった。
青白い光を放つ天井の下、果てしなく並ぶスチール製の棚にあるのは剣だ。
鞘《さや》ごと棚に固定された剣が、無数に冷たく陳列《ちんれつ》されている。
それらの武器の海を前に、照明に照らされた大城が振り向いた。
「……いいかな? 今ここでは、わしらが持つ名前が、もうそれだけで力を持っておる」
「ふむ。ならば、佐山、という場合は?」
「うーん。一説によれば、佐山は領地を示す言葉だからなあ。特殊能力ではなく、そういう地位を持つ人ということだな。わしの場合は大城と言うことから、堅牢《けんろう》の意味も持つ」
と、大城は| 懐 《ふところ》からカッターナイフを取り出した。
自分の手首に押し当て、それから一閃《いっせん》するが、
「ほら何ともない」
「ほう。驚きだね。しかし普段からカッター持ち歩いている人間が長《ちょう》という組織もどうかと思うのだが。通報されるぞ? それに、――御老体《ごろうたい》の今の論には誤りがあるだろう」
言葉とともに、佐山は大城のカッターを取り上げる。
直後。佐山はその刃《は》で自分の腕を一閃した。
「ああっ! 御言《みこと》君が最近|流行《りゅうこう》めいたことをっ」
言いながら、何故《なぜ》か右の親指を立てる大城《おおしろ》。彼に、佐山《さやま》は斬《き》りつけた右腕を見せた。
が、そこには傷がついていない。ただ、何かを押しつけたような赤い痕《あと》があるだけだ。
「このカッターナイフ、市販品《しはんひん》で固有の 名前 が無いのだろうね」
と、佐山は| 懐 《ふところ》からペンを取り出す。カッターの刃《は》に 刃 と書き、
「1st―|G《ギア》ではこれで刃《やいば》となった」
そして今度は大城の腹部をためらい無く刺した。
「うわあー! な、何する御言君!」
「――叫ぶことではない。服が切れただけだ。中身は悔しいことに大丈夫のようだね。やはりナンタラのカッターなどと名付けなければ駄目《だめ》なのか。……少々、制約が厳しいようだが」
つぶやいた声に答えたのは、半目《はんめ》でこちらを見る大城ではなかった。
答えたのは、武器庫の奥から響《ひび》く女の楽しそうな声だった。
「まあそういうこと。……でも、無茶苦茶《むちゃくちゃ》するわねえ、全竜交渉《レヴァイアサンロード》の担い手は」
告げる言葉は苦笑付き。隣《となり》の大城が、辺りを見回して頭を掻《か》き、
「おおい、月読《つくよみ》部長、ちょっと2nd―Gの勉強のため、出て来てくれんか?」
「ああちょっと待って。若い子の前に出るんだったら化粧しないと」
「不要であろうに」
と言った大城が、いきなり背後に吹き飛んだ。
打撃音。
何事か、と思った佐山は、一つの光を見ていた。
自動ドアの向こうに大城を叩き込んだ、青白い光。
だが、それはすぐに消える。
「あれは――」
「気になる? いいことね、注意力があるのは。それがために命を落とすこともあるけど」
言葉がいきなり直近から聞こえた。
左。振り向いた佐山はそこに一つの影を見る。
薄闇《うすやみ》の中に立つのは白衣姿《はくいすがた》の初老《しょろう》の女性。細目がこちらを向き、
「いいわねえ。2nd―Gに興味を持ってくれてるの?」
一息。
「ならば開発部部長、月読・史弦《しづる》が少し教えてあげましょうか。2nd―Gの概念《がいねん》を」
第二資料室の中は広かった。
白い床の上、灰色の書架《しょか》の間。風見《かざみ》は両腕に幾《いく》つかのコピー紙の束を抱えてうろうろと。
並んでいるだけに見える書架《しょか》も、側面を見ると内容区分が成されている。
「更には同じ内容の書架|帯《たい》の中で、年代区分や細分化か……」
風見《かざみ》が今いるのは、従業員|履歴《りれき》の項だ。
現在UCATに所属する2nd―|G《ギア》の者達。彼らのデータがここにある。
書類は全てここにあるものをマスターとして、資料室内部にあるコピー機で複製《ふくせい》を取って外に持ち出す決まりだ。
しかし、何らかの概念《がいねん》が働いているのか、一部の資料はコピー機を通すと複製の一部が黒く塗り潰された状態になった。
「目に見えぬものに真実がある、ってね」
他、幾《いく》つかの情報は、目に見えても頭の中に残らなかったり、読もうとすると違う文章に認識が変わるようになっているらしい。
かつて収支《しゅうし》書類を盗み読むために忍び込んだ男がいたが、彼が帰宅して気づいてみると、脳には収支内容ではなく、病弱な義妹《ぎまい》の話が二十六話分|刷《す》り込まれていたという。
風見は、その男とは大城《おおしろ》のことだろうと予測しながら、
「逆に忍び込みたがるヤツが増えそうな気もするけど……。まあ、持ち出そうにも自弦《じげん》振動を変更することが出来なければ不可能。持ち出し許可されているのは指定のコピー用紙に印刷したものだけ、か」
風見は思う。
……佐山《さやま》なら概念のルールの落とし穴を見つけて、情報を持ち出すかな。
「するだろうなー……」
苦笑。うちの後輩《こうはい》はなかなか手癖《てくせ》が悪いし、手段と目的ならば目的を優先する。
だが、と風見は思い直す。
……新庄《しんじょう》がいたら、どうかしら。
あの新庄|姉弟《してい》は、佐山の奇行のストッパーになっている。
1st―Gとの戦闘の際の運《さだめ》もだったが、学生生活においても、新庄・切《せつ》が佐山の代わりに何かをしたり、言動に忠告や制止を入れるシーンが多い。
実のところ、風見は新庄のことをよく知らない。
運と会ったのは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》に編成されたときで、切と初めて会ったのは春休みだ。それ以前は、UCATに囲われている新庄という者がいると、そんなことを聞いたことがある程度。
だが、よくは解《わか》らないが、姉と弟、共にそばにいる佐山が何の詮索《せんさく》もしない。
……きっと何か理由があって、新庄がいるだけで充分なのかな。
自分と出雲《いずも》も、同じようなものだ。
お互いの家や、家族は知っているが、両親のいきさつなどは大部分が未知の情報だ。
知らぬままで大丈夫だというのは、今のままで充分だということだろうか。
「どうだろう」
風見《かざみ》は考えながら、こうつぶやく。
「相手のことは知らなくていいと思えても、……自分のことを解《わか》って欲しいとは思うのよね。それも、親しくなればなるほど」
……新庄《しんじょう》が抱えている秘密の部分は、私達なんかより大きいだろうし。
箱入りの姉弟《してい》ならば、その思いは強いだろう。
「でも、新庄は自分の秘密を明かしていけるのかしら……」
大事な秘密を明かせず、黙り続けることに対し、罪悪感《ざいあくかん》を得なければいいのだが。
と、そんなことを考えたときだ。
遠く、シビュレの声が聞こえてきた。
「千里《ちさと》様ぁー」
呼ぶ声に、風見は肩を竦《すく》めて棚を見る。
困ったことに、こっちが担当する資料はまだ集まっていない。
……つーかシビュレが早すぎ。
相対的に遅れた資料集めを恥じる気は無い。だがシビュレがこちらの名前を連呼《れんこ》するのは非常に胃に悪い。
「ええと、あの、千里様ぁー」
「はいはいちょっと待ってねー」
一分と保《も》たない言い訳だな、と思いつつ風見は前を見る。
目の前、従業員|履歴《りれき》はUCAT各部ごとに並んでいる。
書類を覆《おお》うクリアファイルの縁《ふち》、書架《しょか》番号を見つつ、風見はファイルを手に取っていく。
と、そこで風見は一つの事実に気づいた。
「ファイルが……」
「無《ね》ぇ年代があるだろ?」
右手側から聞こえた出雲《いずも》の声に、風見は振り向いた。
見れば、2nd―|G《ギア》による概念《がいねん》兵器の開発資料。十センチ厚はあるコピーを手にした出雲が、こちらを見つつ首を傾《かし》げていた。
風見は目の前にある一部空白の棚と、出雲の手の資料を見て、
「確かに空白の年代があるけど……、アンタのその手の資料は?」
「ああ、シビュレに集めてもらっ――、いてて! いきなり蹴《け》りかこの女っ」
「やかましい。楽をしようとする男は甲斐性《かいしょう》無しになるわよ」
しかし、シビュレの能力の高さはどうしたことか。
「情報の使い手よね。シビュレ――、名前の元は女神《めがみ》の名だっけか」
「|Cybele《キ ュ ベ レ》、名付けた人は誰なんだろうな?」
「さあ? UCAT関係だと思うんだけどね。……どんな人なのか」
「千里《ちさと》様ぁー」
「あ、御免《ごめん》、邪魔《じゃま》が入ったからもうちょっと待ってねー」
「邪魔ですかぁー?」
「凄《すご》い邪魔ぁー、って覚《かく》、何そんな嫌そうな顔してんのっ」
出雲《いずも》の顔を無視してシビュレの声が来た。
「千里様ぁー。ならばお探しもののお手伝いをいたしましょうかー」
うわ良い提案、と頷《うなず》きそうになって、風見《かざみ》は言葉を飲む。
……駄目《だめ》だ駄目だ今日は頼んで来てもらったんだから、これ以上の手伝いはさせられない。
確かにいつも、訓練のときにお茶とかお菓子とか持って来てもらっている。
いや、希《まれ》に弁当まで作ってもらってる気がするぞ。それも私が教えた料理で。
……いかん、越されつつある。初めて気づいたどうしよう。
「千里、何かすげえ葛藤《かっとう》してるようなんだが、認めた方が楽なこともあるぞ……」
「うるさい。今のアンタの一言で方針を決めたわ」
うむ。甘えてなるものか。ここは断固《だんこ》として断ろう、と思ったときだ。
「そちらに行きますねー」
その言葉に、風見は肩を落として天井を見た。
くそー、と思っていると、横にやってきた出雲が、
「シビュレは意外とこっちのこと考えねえタイプだな。でもこれで千里も俺と同じ怠惰《たいだ》空間に引きずり込まれたわけだ。わはは、怠惰ビームと甘え光線でだらけ死ぬがいい」
「無視して言うけどまさかアンタのときも同じ要領《ようりょう》?」
「横に並ばれて目的資料ズバズバ引き抜かれて笑顔で積まれたらどうしようもねえだろ」
「……人の助けになるのが好きだもんね、シビュレは」
「無差別|爆撃《ばくげき》なのが怖いがな。――そういうの嫌う連中や、自分でやらなきゃいけないこともあるから、そんなときは千里がちょっと引っ張ってやれよ」
うん、と風見は頷く。そして、
「でも覚、さっきの話の続き。空白の年代があるって、……。どういうこと?」
「ああ。……幾《いく》つかの棚を見てたんだがよ。言った通り、中身が空白の棚がある。そこには幾《いく》枚かの廃棄《はいき》資料が残ってるだけでな。まさか第三資料庫なんてのがあって、重要資料は――」
「そちらに移送したということはありません」
背後、聞こえてきたのはシビュレの声と足音だ。
振り向いた風見の視線の先。ヒールの足音とともに、シビュレが書架《しょか》を回ってきた。
「整備部にある概念《がいねん》空間設備の整備記録から見て、ここと同じタイプの概念空間はUCATの中に存在しません」
シビュレは言葉を続ける。
「一応、大体の棚に目を通しましたけど、この第二資料室も、やはり空白の年代が出来てしまっているようですね」
「第二資料室……、も?」
「|Tes《テスタメント》.、――UCATには、知られてはならない過去があるのでしょう」
薄暗い武器庫の中、佐山《さやま》の眼前に朱色《しゅいろ》の光が漏れた。
光の源は月読《つくよみ》が手にした剣。マットブラック仕様の刃《やいば》が赤い炎《ほのお》を噴《ふ》き出している。
彼女は自負《じふ》の顔でこちらを見て、
「これが通常課《つうじょうか》用装備の一つである| 機 殻 剣 《カウリングソード》・火迦具土《ヒノカグツチ》。賢石《けんせき》によって、通常時は高熱で金属をも押し切る刃になるけど……。この概念《がいねん》空間では名前の通りに火を噴くわ」
「この炎を操《あやつ》ることは?」
「剣神《けんしん》の名前を持つか、熟練《じゅくれん》者ならば出来るでしょうねえ」
と、月読は刃を見せる。己の火に照らされた刃には 一郎丸《いちろうまる》 という字がある。
「名前として成立させるため、ナンバー表記もこんな感じよ」
「徹底しているね。だが、名前で力を呼ぶのは不便ではないかね? 1st―|G《ギア》の文字概念に比べ、随分《ずいぶん》と制約がありそうだが」
「1st―Gは制約があまり無かったから、文字の記録を上手《うま》く残せなかったのよ?」
月読は苦笑する。剣を鞘《さや》にしまいながら、
「2nd―Gでは、力の担《にな》い手が正しく決まっていたの。力はそれを持つ者によって管理され、放つ場合は最高力。――技術職能の分化が進んだGだったのよ、2nd―Gは」
「では、全竜交渉《レヴァイアサンロード》の2nd―G代表となるのは……」
「ええ、相当な力を持った男よ。2nd―G最高の軍神《ぐんしん》にして剣工《けんこう》、鹿島《かしま》・昭緒《あきお》」
「彼が私との交渉を?」
問い、そして、佐山は更に心に浮かんだ一つの問いを重ねる。
「軍神を代表にするということは、我々との全竜交渉《レヴァイアサンロード》が戦闘になると思っているのかね?」
「可能性としては否定出来ないでしょ?」
言いながら、しかし月読は表情を変えた。眉尻《まゆじり》を下げ、天を見るのは困り顔。
「でもどうかしら? 彼が全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対して本気になってくれるといいんだけどねえ……」
「? 交渉する気が起きないのかね。――既に2nd―Gは|Low《ロ ウ》―Gに等しいとして」
昼に得た疑問を、佐山は試すように月読にぶつけた。
だが、月読は解答を寄越《よこ》さない。
「……いろいろと理由もあるのよ。でも、だからこそ、鹿島を私は代表に選んだわ。佐山君? これから空《あ》いてる時間はあるの?」
「後で仲間と訓練で落ち合い、2nd―|G《ギア》の情報交換をするつもりだ。その検討の後、外に飛ばされた御老体《ごろうたい》に2nd―Gとの全竜交渉《レヴァイアサンロード》を行うかどうか、決定を告げる」
「そ。じゃあ急がなくてもいいわね。……でも、近い内に鹿島《かしま》と会っておくといいわ。そうすれば、君が懸念《けねん》している2nd―Gの問題と対面出来るでしょうから」
微笑の言葉。それに対し、佐山《さやま》は問うた。
「月読《つくよみ》部長。一ついいかね? その、2nd―Gの問題についてだが」
「何かしら?」
問い返しに、佐山は改めて一つのことを思う。昼に大樹《おおき》から聞いた言葉を。
「――2nd―Gの人間は、この世界の人間とあまり変わりがないという。では貴女《あなた》はどう思っているかね? 自分達が|Low《ロ ウ》―Gにもはや完全|帰化《きか》していると、そう思っているかね?」
そうねえ、と月読は考えた。一拍の間を置いてから、剣を、棚にしまい、
「自分が2nd―Gだと知らず、概念《がいねん》に触れたことのない人間は、何の疑問も無くそう思うでしょうねえ。何しろ、私の娘なんかがそんな感じだし」
「成程《なるほど》。では、貴女《あなた》達は違う、そういうことかね?」
「んー。どうかしら? 人それぞれ。力があっても、意志がどう思うか、ってのもあるしね。でも私の場合は、この力を子に伝える気はないけど、―― 有用 だと思って生きてるわ」
そして、月読は己の言葉に一つの答えを追加した。
口元の微笑を濃くしたのだ。
「何ならその有用さ加減《かげん》を体験学習してく? 2nd―Gの 名前 の力ってのを」
言うなり、月読が右手の指を鳴らした。
直後。佐山は頭上からそれが来たのを悟る。
振り仰いで見たものは光。先ほど大城《おおしろ》を叩き飛ばした青白く太い光線だ。
落下の光に身構えた佐山に、月読の声が飛ぶ。
「月を読み、月光を操《あやつ》るがゆえの月読。ここの薄闇《うすやみ》は月下の環境を模していて、光は全て私の味方。――これが2nd―G元皇族《もとこうぞく》の名が持つ力よ」
言葉とともに光が来る。
反射的に佐山は動いていた。月読と距離をとるよう背後に。だが、
「光が――」
床に落ちるはずの光が、いきなり弧《こ》を描いて曲がった。
床面すれすれでうねり跳ね上がった光は、こちらの腹を狙っている。
狭い棚と棚の間。佐山に回避は出来ない。
月読が笑みをやめて告げた。
「もしそれを凌《しの》いだならば、私達に対して少しは理解があると認めましょうかねえ。――そして、その場合は、ご褒美《ほうび》として一つの技を見せてあげるわ」
一息。
「2nd―|G《ギア》が、己の概念《がいねん》の力|無《な》しに使用する、……対異《たいい》世界用|戦闘術《せんとうじゅつ》を」
立ち並ぶ資料棚を前に、シビュレは風見《かざみ》と出雲《いずも》に口を開く。
「――ここだけでなく、公開されている第一資料室も、実は一部の資料が廃棄《はいき》されております。年代的に見て一九八五年から一九九五年前後。正確には九六年のものも大半が」
告げられた年号。それを風見は知っている。
「このGのマイナス概念が活性化を始めた九五年から、その十年前まで……?」
「|Tes《テスタメント》.、関西|大震災《だいしんさい》の前十年間ほどです。……聞いたことがありますね。あの震災で犠牲《ぎせい》者を多く出したとき、UCATの情報が表に露見《ろけん》しそうになったため、査察《ささつ》や内部告発を避ける目的で資料を廃棄した。一部の方は、UCAT空白期と呼んでいるそうです」
「重要資料は元から無い方が安全、ってか。確かにここの情報セキュリティは異常だけどな」
「そうなの? やっぱり」
わずかな不安を得た問いに、出雲は頷《うなず》く。ああ、と前置きし、
「さっき没収《ぼっしゅう》資料のエロ本を見たんだが中身がイマイチ頭に入ってこなくてなあ……」
「……しみじみと馬鹿を言うのはやめない?」
「千里《ちさと》様、それがいつもの出雲様ですよ? まともなこと言う方がおかしいんですから」
「なあ二人とも? 今、俺は何かを否定されてるかい?」
爽《さわ》やかに告げた出雲の言葉は無視された。
「ともあれシビュレ、手伝いありがとね。……いろいろ集まったものねー」
「これから訓練ですよね? それが終わるまでにいろいろ整理しておきます」
ありがと、と改めて言って、風見は吐息。
「でもシビュレ、空白期なんてものがあるとしたら、……断絶《だんぜつ》してるんだね、私達と上の人達って。佐山《さやま》や覚《かく》は、祖父のことを知る前に祖父は亡くなってしまい――」
横の出雲を見て、
「父親のことを調べようとしても、資料が無い」
「……別に親父《おやじ》のことなんか調べようとしてねぇよ」
「はいはいそういうことにしとこうね。一人でうろうろしてた癖《くせ》に」
半目《はんめ》になった出雲の頭をよしよしと撫《な》で、風見は彼から資料を受け取る。
そして手にしたコピー資料。それは過去における2nd―Gの概念|兵器《へいき》開発資料だ。
少し古びた紙のトップにあるのは、
「武神《ぶしん》……?」
A4サイズという中に印刷されているのは、人型《ひとがた》機械の全体|概要図《がいようず》。
掠《かす》れた線のコピーを見る背後、シビュレが覗《のぞ》き込んできて、
「随分《ずいぶん》と無骨《ぶこつ》なデザインです。3rd直系ではありませんね、これは」
「古いんでしょ。ほら、年代が一九四五年って……」
自分でつぶやいた言葉の意味に、風見《かざみ》は気づく。一瞬《いっしゅん》息を飲み、
「日本UCAT発足の年じゃないの!」
迫ってくる月光の一撃《いちげき》に対し、佐山《さやま》はまず一つの動きを見せた。
天井。そこにある青白い光の並びを見たのだ。
それは月光の灯火。
武器庫に降る微《かす》かな光を確認するなり、佐山は前に出た。
対する月読《つくよみ》が、わずかな驚きを顔に出し、
「……受け止める気? 吹っ飛ばされるわよ!?」
「そんなことはせんよ!」
眼前、もはや直撃《ちょくげき》に近い光線を佐山は見据《みす》えた。
そして佐山は左腕を振り上げる。
その動き一つで上着を脱ぎ捨て、ポケットの獏《ばく》を頭に乗せ、
「これが月光であるならば――」
正面からの光線に対し、佐山は上着をかぶせた。
全ては一瞬。
「月光とは月から遮断《しゃだん》されれば届かなくなるものだ!」
上着によって天井の光から遮断された光線は、明らかに減衰《げんすい》した。
同時。佐山は月光を包んだ上着に蹴《け》りをぶち込んだ。
着弾《ちゃくだん》の音は飛沫音《しぶきおん》に近い。
上着の下から飛び散るのは月光の粒子《りゅうし》。
そして、そこで光が消えた。
上着が床に落ちる。が、構うことなく、佐山は動きを続行。
月読に対して、佐山は更に一歩を飛び込んだのだ。
……見せてもらおうか。2nd―|G《ギア》の、対異《たいい》世界用|戦闘術《せんとうじゅつ》を!
左足から踏み込み、右足の蹴りを放つ。狙いは下段。避けにくい足下を深く狙う。
相手が女だろうと年寄りだろうと関係ない。
「それが戦うということなのだから」
佐山は蹴《け》り込んだ。
瞬間《しゅんかん》。有りうべからざる異変が生じた。 眼前から、月読《つくよみ》の姿がいきなり消えたのだ。
「!?」
蹴《け》り脚《あし》が空を切り、佐山は身構える。
彼女はどこだ、と後ろに振り向こうとしたときだ。
「上着、落としちゃいけないねえ。交渉役が」
背後からの声にステップを入れて振り向くと、先ほど落とした上着が突き出されていた。
ゆっくりと受け取る上着と、突き出された腕の向こうには月読がいる。
月読が上着を差し出してきたタイミングから、佐山は彼女の移動時間を逆算《ぎゃくさん》。
「私が蹴りを放って見失った後……。歩きで背後に回り、上着を拾った?」
その間、彼女はこちらの視覚から消えていた。
どういうことだ、と思う眼前で、月読が苦笑する。
「不思議《ふしぎ》でしょう? 2nd―|G《ギア》は、こういう、概念《がいねん》無しで使える術を編み出したのよ。戦いを望んだとき、――勝つために」
彼女は心底嬉《しんそこうれ》しいという顔で、こう言った。
「貴方《あなた》達はこれからあたしらの過去を調べるんでしょ? その後に……、いい交渉が出来ると有《あ》り難《がた》いわねえ」
風見《かざみ》は見た。手にした概略図《がいりゃくず》に描かれた人型《ひとがた》機械を。
巨大なシリンダーやボルトで艦船《かんせん》の胴体《どうたい》部を結び合わせたような鉄《てつ》巨人。胴体はシンプルなT字型だが、左右の脚や腕は玩具《おもちゃ》のように大きく太い。
今の時代、UCATが実戦投入を始めた武神《ぶしん》ですら、もっと人に近い形をしている。
「八叉封印《やまたふういん》用人型機械、名称 荒王《すさおう》 、|Low《ロ ウ》、2nd共同開発……、中枢《ちゅうすう》形式・美影《みかげ》型?」
ふと、美影という言葉に、背後のシビュレが息を飲んだ、そんな気がした。
が、風見は詮索《せんさく》しない。話したければ話すだろう。
そんな自分に内心で苦笑して、風見は掠《かす》れたコピーの文字を見ていく。
日本UCAT発足の時期、どのレベルのものが作られたのか。
「建造計画|発起《ほっき》は一九四五年三月十二日、完成は翌《よく》四六年八月、か。終戦の半年くらい前に発起してたのね。……日本が空襲《くうしゅう》とか食らいまくってる時期によくやるわ」
「2nd―Gとの共同開発ということは、この人型機械が動けるのは武神達の世界である3rd―Gの概念下ではなく、2nd―Gの概念下なのでしょう。――ゆえに武神ではなく 人型機械 なのでしょうね」
「成程《なるほど》ね」
と風見《かざみ》は頷《うなず》き、荒王《すさおう》の周囲に書かれた寸法表を見る。掠《かす》れた字で書かれるのは、
「乗員数約二〇〇人。全高約五〇〇……」
言葉が続かなくなった。目で見える数字情報に、ちょっと頭が着いてこない。
「……何よこれ? 全高約五〇〇米、って。米《こめ》五百|粒《つぶ》?」
「違います。全高五百メートルということです、千里《ちさと》様」
「あのね、シビュレ、いくら概念《がいねん》空間あったとしても、そんな馬鹿げたデカブツが――」
「あるんだろよ、ここに資料が残ってるってことは」
と横に立つ出雲《いずも》が言った。彼は一息ついてこちらと視線を合わせると、
「ひょっとして、常識的|思考《しこう》なんてものに縛《しば》られてやしねぇよな?」
「あ、当たり前でしょう?」
「じゃあ八叉《やまた》の封印《ふういん》とともにこの東京のどこかにいるんだぜ、そのデカブツはな。それに、まだまだ驚くべき情報ってのがあるだろ、そのコピー」
出雲はこちらに身を寄せ、コピーの上の一点を指さした。
荒王の艦長《かんちょう》と、副《ふく》艦長の名がある。
「艦長は、大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》。副艦長は、カシマ。解《わか》るだろ? UCATの繋《つな》がりが」
「カシマってのは誰か解らないけど、……大城って、要するに」
「ああ、こういうことだ。……全ては繋がってるんだ。六十年前と、今は」
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第七章
『虚偽の隣人』
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見えぬ何かの問いはしかし思いは出来
それは風運ぶ花の匂いのように
心の中にありだから心動かすもの
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月読《つくよみ》と別れた佐山《さやま》は、UCAT地下三階の訓練施設に入っていた。
今いるのは更衣室《こういしつ》。概念《がいねん》空間で何層にも別れた場所の一つだ。
内部はシャワールームと隣接《りんせつ》した長さ二十メートルほどの部屋。
壁際《かべぎわ》には、白く乾いた素材で出来た背の高いロッカーが林立《りんりつ》している。
ここに来る前、廊下に倒れていた大城《おおしろ》を拾い上げ、佐山《さやま》はこう告げた。
風見《かざみ》達と訓練室で合流の後、2nd―|G《ギア》との全竜交渉《レヴァイアサンロード》を行う気が自分達にあるかどうかを決めたい、と。
だがそう告げつつも、既に自分には彼らと交渉をする気が出てきている。
……興味がある。どのような交渉を我々が行うべきなのか。
2nd―Gの全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対する意志は、まだ見えていない。
それを知ってみたいと思うし、
「あの月読部長とやらが使った技……」
あれは何だったのか。
好奇心《こうきしん》でものごとを追うのは、危険なことだと解《わか》っている。
が、興味の感情を止められる筈《はず》もない。
受付で風見達が先に訓練室に入ったと聞いた。出来れば訓練を早めに切り上げ、諸処《しょしょ》に対する意見を交換したいところだ。
いろいろなことを思いつつ、佐山は頭上に獏《ばく》をセット。そして着替えていく。
「既に皆、準備運動のブラジル体操など終えてしまっただろうか……」
眼前、ロッカーの表面にある名前は、出雲《いずも》、ボルドマン、そして佐山だけだ。
ここは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の貸し切り状態で、それは女性側も似たようなものだと風見が言っていた。ただ、風見が言うには、新庄《しんじょう》だけ扱いが違うのだという。
新庄は更に別の、九つめの女子更衣室を使用しているのだが、そこはUCATでいうとVIPレベルの人が使う場所なのだとか。
「風見はこう言っていたな。秘蔵《ひぞう》っ子《こ》なのかも、……と」
確かにUCATの中からあまり出たことがないような箱入りだ。
いろいろと理由もあるのだろう、と佐山は内心で頷《うなず》き、着替えを終える。
白と黒を基調とした薄手の装甲服《そうこうふく》の内訳は、ほぼ全身を覆《おお》うタイツとシャツに、ベストとパンツを着用するもの。
左手、中指の指輪を目に留めつつ、アームバンドを着用。
「ゲオルギウスは、まだ与えられず、と」
1st―Gとの戦闘で大城から預けられた手甲《てこう》。
母が見つけたとされる謎《なぞ》の概念《がいねん》兵器は、あの後に大城《おおしろ》達の管理に戻った。
不明な点が多いため、それが妥当な扱いだろうと佐山《さやま》は思う。
左手の指輪を見て数秒。
しかし佐山は首を横に振った。
胸に来たかすかな痛みを堪《こら》え、思いを変える。
今、とらわれるべき思考《しこう》は他にある。
| 公 《おおやけ》においては、2nd―|G《ギア》の者達とどういう全竜交渉《レヴァイアサンロード》になるのかということ。
私においては、
……左手の負傷が完治《かんち》したら、切《せつ》君が私のそばからいなくなるということ。
どちらも、必ず相対《あいたい》しなければならないことだ。
ふと、学校を出る前にあった新庄《しんじょう》との会話を記憶《きおく》に浮かべる。
放課後の教室で、新庄はうつむきためらい、小説を書こうとしていることを告げ、己をヤマトタケルになぞらえた。
どれも、何かを伝えようとしている心の表れだ。
……もし新庄君が本気になったら、私はちゃんと向き合わねばな。
「うむ」
頷《うなず》き一つで佐山は思考をストップ。そして歩き出す。
足は数歩で、白いスライド式の自動ドアの前に立つ。この向こうが訓練室だ。
ドアから電子音が響《ひび》くと同時、声が聞こえた。
・――人は己の力を過信《かしん》しない。
自分が信じた力が、過信ではなく己のものとなる。
そんな概念がドアのこちら側、更衣室《こういしつ》と訓練室を結び、両者を同じものとする。
直後。ドアが開いた。
向こうにあるのは白い壁と床、そして天井に覆《おお》われた三十メートル四方の空間。
その筈《はず》だった。
佐山の視界にまず見えたのは、広い空間ではなく、妙なものだった。
それは、白い|装甲服《そうこうふく》をまとった身体《からだ》。
空中に仰向《あおむ》けになった姿勢て、一人の大柄《おおがら》な男がこちらへと吹っ飛んできている。
一瞬《いっしゅん》の中でよく見れば、飛行している身体の正体は出雲《いずも》だった。
「ほほう、天賦《てんぶ》の奇行《きこう》が極まり、ついには空を飛ぶようになったか、出雲」
「佐山《さやま》!? ちょっと! 馬鹿言ってないで! 危ないから受け止めて!」
おや風見《かざみ》か、と佐山は思う。
……よく暴力を振るう風見が、何故《なぜ》受け止めろと?
出雲《いずも》が飛んでいるのは、彼女の仕業《しわざ》ではないのだろうか。
しかしよく見れば、出雲の吹っ飛び方はいつもと違う。
「風見の吹っ飛ばし方とは何かこう、味が、そう、まったりと濃厚《のうこう》な……」
「だから吹っ飛んでるのは危険だから受け止めなさいって! 吹っ飛ばすわよ!?」
佐山は即座《そくざ》に了解《りょうかい》した。
「出雲のような男を抱き留めるのは性《しょう》に合わぬが――」
佐山は真剣に身構え、飛んでくる出雲を見た。
向こうは軌道的にやや上を狙ってくる。こちらはもっと下がらねば駄目《だめ》だ。
ふむ、と足を後ろに広げるため、佐山は一歩を大きく下がった。
直後。下がった佐山にドアのセンサーが反応をロスト。瞬間《しゅんかん》的な動きでドアが閉じた。
「おや?」
つぶやきと同時に、閉じたドアの向こう側で、
「ぐぼ!?」
豚のような悲鳴に打撃音が重なり、扉が震動した。
音の余波《よは》がロッカーを揺らし、歯の根が合わぬような軋《きし》みを奏《かな》でる。
「…………」
佐山は動かない。受け止めの身構えのまま、沈黙《ちんもく》した扉を見る。
いろいろ思うところはあったが、吐息一つで忘れることにした。
「人間、ままならぬこともあるものだ」
やれやれ、とドアの前に立つ。一度|認識《にんしき》しているため、すぐにドアは開く。
すると、出雲が頭から血を流して立っていた。
「――何だ、無事なのかね。人類にとって残念なことだ」
「こ、この野郎《やろう》! どこが無事に見えるんだ馬鹿佐山!」
「それだけ元気ならば充分|無事《ぶじ》だろう。死んでなければ貴様《きさま》は無事だ、出雲」
「死んでいたら?」
問いに、佐山は考えた。ややあってから頭上の獏《ばく》と一緒に手を打ち、
「軽傷だね?」
「……あのな、馬鹿。これからオマエのためになることを具体的に言っていいか?」
「何かね? 褒《ほ》め称《たた》えるなら大仕事の後の方が嬉《うれ》しいのだが」
「一度病院|行《ゆ》け」
「これはまた失礼なことを言う男だね、ははは、前代|未聞《みもん》だ糞《くそ》野郎」
「わはは、お前ほどでもねえぞこの外道野郎《げどうやろう》。それよりもな」
と出雲《いずも》は立ち上がり、訓練室の一角を見た。
佐山《さやま》から見て奥の左|隅《すみ》。風見《かざみ》の隣《となり》に三つの人影があった。
一つは白の装甲服《そうこうふく》にスカート類などをつけた金髪の女性、シビュレのものだ。
もう一つは、白の装甲《そうこう》服をまとい、大きな鉄製の長杖《ながづえ》を手にした新庄《しんじょう》のものだ。
そして最後の一つ。
それは、黒の装甲服とスカート、そして黒の三角|帽子《ぼうし》をかぶった女性だった。
肩の膨《ふく》らんだ袖《そで》の先、一本の竹箒《たけぼうき》を手にした彼女を、佐山は知っている。
「ディアナ・ゾーンブルク……」
「あら、ようやく来られましたのね? 聞いた話ですと、2nd―|G《ギア》の月読《つくよみ》部長と会っていたそうですが、――ひょっとして既に2nd―Gとの交渉など、決定しました?」
「いや、まだだ。この訓練の後、それを御老体《ごろうたい》に話そうかと思っていたのだがね」
そうですの。と、ディアナは安堵《あんど》の声で告げた。
「ではまだ、2nd―Gについて、かすかな疑問を得た程度ですわね?」
「それが、何か?」
「ええ。彼らと迂闊《うかつ》な交渉を行わないように、一つ、教えておくことがありますの。貴方《あなた》がこれから行う全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対して、――とても大事なことを」
尊秋多《たかあきた》学院、三年次普通校舎一階の廊下。
夕焼けの光は、硝子《ガラス》の無い窓から入る。
壁際《かべぎわ》で腰をかがめていた大樹《おおき》は、ちりとりと箒を手に後ろへ振り向く。
背後。自分と同じような装備を手にしたジークフリートがいる。
「そろそろいい塩梅《あんばい》ですかー?」
尋《たず》ねると、ジークフリートは箒を動かす手を止めた。
ふむ、と窓の桟《さん》に指を走らせ、
「まだ汚れが残っているな……」
「それはさっきの喧嘩《けんか》によるものじゃないですってば」
大樹は疲れた吐息とともにあたりを見回す。
彼女の目が見るのは、窓の硝子を失い、焦《こ》げ付いた廊下だ。
口から漏れる感想は、角度を変えて事実を捉《とら》えたもの。
「ジークフリートさん。さっきのディアナさんって、何者なんです?」
「私の姪《めい》だが?」
「そーじゃなくてですね」
大樹《おおき》はちりとりにある硝子《ガラス》の破片を見る。
「あの人、佐山《さやま》君達にとって、どーいう人になるんですか?」
眉尻《まゆじり》を下げて告げられた問いかけ。それに対し、ジークフリートはまず沈黙《ちんもく》した。
彼の無言に大樹は振り返り、小首《こくび》を傾《かし》げる。
と、見下ろす彼から疑問が投げかけられた。
「何故《なぜ》? そんなことを問うのだ?」
対する大樹は、笑みになる。そしてこう答えた。
「そりゃ佐山君達が、私の教え子だからですよ」
当然という口調で、
「気になりますって」
「そうか」
と、ジークフリートが表情を変えた。
微笑したのだ。
それ以上に本心を見せることなく、魔法使いは言う。
「私も詳しいことは知らされていないが、あのディアナは、一九八〇年代から日本UCATに来ていた。術式《じゅつしき》の顧問《こもん》としてな。それも……、九五年末まで」
「それって……、あの大震災《だいしんさい》のときまで、ですか?」
そうだ、とジークフリートは答えた。
「初期UCATにて八大竜王《はちだいりゅうおう》と呼ばれた我々と同じように、大震災以前の旧UCATには五大頂《ごだいちょう》と呼ばれる者達がいたらしい。ディアナはその一人だ。……当時、何らかのために各|G《ギア》の戦闘法などを学び、使いこなそうとしていたらしい」
「だとしたら、彼女の実力ってこんなものじゃあ……」
大樹は廊下を見た。窓は失われ、一部|焦《こ》げているが、しかし、それ以上の破壊はない。
ただ、ジークフリートは頷《うなず》き、こう言った。
「1st―G本場の力に対し、借り物ではない己の実力を試したかったのか。――だが、おそらくまだ本気ではあるまい。先ほど、学校を出るときにこう言っていた」
一息。
「私達の跡を継ぐものに、教えることがある、と」
訓練と称する模擬戦《もぎせん》を、新庄《しんじょう》は驚きの目で見ていた。
あの佐山《さやま》が、
「手も足も出ない……」
つぶやく視線の先、佐山がバックステップを連発して訓練室の床を移動する。
追うのは黒の装甲服《そうこうふく》に三角|帽子《ぼうし》の女性。ディアナと名乗った独逸《ドイツ》UCATの女性だ。
彼女とは今日が初見《しょけん》。
女子|更衣室《こういしつ》で着替え終わったとき、いきなり入って来たのには驚いた。
……スタイル無茶苦茶《むちゃくちゃ》いいし……。
新庄《しんじょう》はすぐに訓練室に出たため、着替えながらの会話など無かった。
が、出ていくときに受けた挨拶《あいさつ》代わりの会釈《えしゃく》は、雰囲気《ふんいき》の悪くないものだった。
悪人ではない。そう思う自分は容易《たやす》いのだろうか。
だが、とにかく今、その女性が佐山《さやま》を追いつめているのは確かなことだ。
動きは徒歩。武器は箒《ほうき》。
ディアナはただ歩き、箒で佐山の脚《あし》を払おうとする。
することといえば、それだけだ。箒を掃《は》く動きは大振りで、徒歩の歩きもゆったりとしたもの。何の術式《じゅつしき》も使用せず、しかし、
「――佐山君! 前! 来てるよ!」
真っ正面から接近していくディアナに、剣を手にした佐山は何故《なぜ》か動かない。
今もこちらの飛ばした声に一瞬《いっしゅん》遅れてから、
「――――」
はっと、正面で立ち止まったディアナに目の焦点を絞《しぼ》った。
対するディアナが小首《こくび》を傾《かし》げ、
「どうなさいましたの?」
わずかに眉を立て、佐山が左に身を跳ばす。
一瞬遅れて、佐山のいた位置をディアナが箒で掃いた。
竹のブラシが床をこする音が一つ。
こちらの左手側に立っていた風見《かざみ》が、ふと声を漏らした。
「覚《かく》はあの箒でやられたのよね。箒|一掃《ひとふ》きで大の男を吹っ飛ばすなんて、何者?」
問いに、風見の左にいたシビュレが首を傾げる。
「あの方、新庄さんがいつも使っておられる更衣室に入られたんですよね? だとしたら、やはり大城《おおしろ》様、至《いたる》様あたりと親しい方かと思います」
でしょうね、と腕を組む風見の視線を、新庄は目で追う。
視線の向く先、ディアナがまた歩いて佐山との距離を詰めていた。
その光景に対し、風見が舌打ちを絡め、
「――佐山はどうして何も出来ないのかしら?」
「うーん……。多分、何か術があるんじゃないかな? 体術系の何かが」
「魔法とかじゃなくて、体術?」
「うん。上手《うま》くは言えないけれど、あの人は何の術式も、概念《がいねん》も使用してないんだよね。だとしたら、工夫《くふう》を込めた体術を用いてるんだと思う」
そう言う新庄《しんじょう》が見ている限り、ディアナは普通に歩いている。
しかしまた佐山《さやま》がディアナを見失い、
「で、ディアナさんが脚《あし》を止めると気づくんだ……」
言葉通りのことが起き、佐山はバックステップで移動。
そんな光景の連続を見ていて、ふと、新庄は先ほどの自分の台詞《せりふ》を思った。
それは、佐山がディアナに気づく直前、ディアナが歩みを止めるということ。
……まさか、佐山君は、ディアナさんに気づいて退避《たいひ》してるんじゃなくて。
「ディアナさんがわざと足を止めて気づかせてる……?」
「だとしたら曲者《くせもの》ね。あのディアナって人は、待ってるのよ。佐山が諦《あきら》めるのを」
風見の言葉に、新庄はつい叫んでいた。
「しっかりー、佐山君ー!」
と、応えるように佐山がこちらに跳躍《ちょうやく》した。
距離約五メートル。その距離をもって、佐山は新庄に声を掛けた。
「新庄君」
いきなりの指名に、新庄が反応出来なかった。だから再び、
「――新庄君」
「え? な、何?」
佐山は一つ頷《うなず》き、
「私は今、少々|困惑《こんわく》しているらしい。落ち着くために――」
「尻を出せとか言うのは二度ネタだから無しだよ?」
「…………」
「な、何を黙って考え込んでるんだよっ」
意外と厳しい人だ、と佐山は納得《なっとく》。ともあれ、と前置きして、
「新庄君、戦いの話だ。――先ほど君は私に声を掛けたね? ディアナが近づいていると」
「うん。……佐山君にはディアナさんが見えてなかったみたいだから」
「実際、見えていない」
え? と新庄が声を挙げる。
「ね、ねえ、佐山君、どういうこと? 脳の配線のズレがまさか視覚にまで影響《えいきょう》を?」
「君とはあとでよく話をする必要が出来たが、今は省《はぶ》こう。――ただ、君には見えているのだね? 新庄君」
「う、うん、風見《かざみ》さん達にも見えてるよ」
成程《なるほど》、と佐山《さやま》は頷《うなず》いた。
解《わか》ったことがある。
ディアナが用いている技は、月読《つくよみ》が用いたものと同種のものだ。
どういう技か解らぬまま、しかし佐山は分析を開始する。
「彼女の仕掛けは私|限定《げんてい》。どこかに消えているわけではない、私の五感に感じられなくなっている、そういうことか……」
そして、
「風見《かざみ》、答えをいただこう。出雲《いずも》は、どのように負けた?」
「それは……、ええと、相手に向かってこう右横に身構えて――」
「相手が動いた瞬間《しゅんかん》、前方に一撃《いちげき》を入れた、違うかね?」
「そう、でも、余裕《よゆう》でかわされて、あとはアンタの見た通りよ」
成程、と佐山は頷く。と、背後の新庄《しんじょう》が問うてきた。
「何とか出来るの? 佐山君、相手が見えてないんでしょう?」
「見えていないんじゃない。見えなくさせられているのだよ、きっと」
自嘲《じちょう》の笑みを床に落とし、考える。
相手の技の原理はまだ不明だ。だが、
「それでも方法はある。見えなくなる敵を討《う》つ方法が」
佐山は告げて、| 機 殻 剣 《カウリングソード》を左手一本で右腰に構えた。
取る姿勢は切《き》っ先《さき》を下げた居合《いあい》の姿勢。
彼は前を見る。距離十メートルを置いて相対《あいたい》するディアナの笑みを。
彼女は先ほど自分に教えることがあると言った。
それは、この技のことなのか。
……それとも、まだ何かあるのか。
新庄の視界の中、佐山の雰囲気《ふんいき》が変わった。
彼の背が集中で軽く緊張《きんちょう》したのだ。
もはや声を掛けられる雰囲気《ふんいき》ではなく、何かあれば動きが出る。だが横の風見は、
「マズイわね。さっき覚《かく》がやられたのと同じじゃない。構えが違うだけで」
「ど、どういうこと?」
「覚も動きを止めて身構えていたでしょ? 解る? 見えないものを攻撃する方法って」
考える。が、佐山とディアナの相対《あいたい》を見るからに、もはや時間はない。
だから新庄は言った。
「御免《ごめん》、教えて」
「ええ、覚《かく》が考えたのはきっとこういうこと。見えなくなる敵を攻撃するには、見えなくなったときにこそ攻撃すればいいって」
「つまり……、消えたならば、逆に目の前に来ているっていうことだよね?」
「|Tes《テスタメント》.、ですが見ておりますと、ディアナ様が佐山《さやま》様の視界から消えるのは、佐山様に対して約七歩の距離からです」
七歩の移動距離を新庄《しんじょう》は脳内|換算《かんさん》。すぐに顔を引きつらせる。
「解《わか》る? 新庄。七歩っていったら約四メートル前後。それだけあれば外に回り込むのも立ち止まるのも自由よ。でも、こちらは相手がどう動くかなんて解《わか》らないから、闇雲《やみくも》に攻撃を叩き込むしかない。だから覚は|V―Sw《ヴイズイ》を、こう、バット振るようにして……」
風見《かざみ》が訓練室の右|隅《すみ》を見た。
白い壁には一つの巨大な刃物《はもの》が突き刺さっている。
V―Swだ。コンソールは生きており、そこに浮かぶ文字は、
『サビシイノ』
風見はやれやれと、
「二次形態まで展開出来れば良かったんだけどね」
告げる言葉には吐息が混じっていた。
どうしよう、と新庄は思う。先ほどのように、自分がディアナの動きを佐山に伝えることは可能だ。だが、
……佐山君は、方法はある、って言ったよね。
新庄は佐山の背を見た。
彼は動かず、じっと相手を待っている。
だから新庄はもはや何も言わず、待った。
佐山と同じように、全ての始まりを。
ディアナは佐山の構えを見て、首を傾《かし》げた。
先ほど掃《は》き飛ばした出雲《いずも》と構えが違う。
出雲はバットのように| 機 殻 剣 《カウリングソード》を両手で構えたが、佐山は左手の| 機 殻 剣 《カウリングソード》を右腰に溜《た》めている。
居合《いあい》の構えを、ディアナはテニスのバックハンドの構えのようだと見る。
いろいろ考えているのだろう。
だが、とディアナは思う。
……それでは通じませんのに。
理由はある。
その理由が佐山《さやま》に解《わか》っていれば、今まで逃げ回ってばかりいなかった筈《はず》だ。
だからディアナは思う。貴方《あなた》の考えは根本から間違っている、と。だが、
「忠告《ちゅうこく》無しですわよ?」
ディアナは思う。未熟な者は、敗北の後すぐに成長がある、と。
今、背後のドア前に座る出雲《いずも》は、敗北に価値《かち》を求めず、悔しがったり首を傾《かし》げている。
それでいい。
敗北を美化せず抗《あらが》おうとする者ほど、次が怖い。
ディアナはふと、自分の装甲服《そうこうふく》の胸を見た。そこにあるのは、
「……独逸《ドイツ》UCATのインシグニア」
バッジの図形は、左右に分かれた独逸を十字で結んだもの。
そんな図形を見ながら、ディアナは告げる。
「佐山・御言《みこと》君? きっと貴方は今、幾《いく》つかの問いに直面しておりますわね? 全竜交渉《レヴァイアサンロード》の交渉役として、2nd―|G《ギア》とどう相対《あいたい》すべきか。また……」
「また?」
「新庄という人と、どう相対していくか」
告げた言葉に、佐山は表情を変えずに無言。だが、その無反応こそが雄弁《ゆうべん》な答えだ。
だから一息。こう言った。
「これから貴方《あなた》に敗北を捧げます」
対する佐山《さやま》の答えは、簡単だった。彼はこう断言したのだ。
「不可能だ」
「ふふ。……頼もしいですわね。たとえ打ちのめされてもそう言えますの?」
「打ちのめされる程度ならば、過去に祖父や他の連中に幾度《いくど》と無く食らっている」
無表情に佐山は告げた。
「精神においても、私は過去以上に軋《きし》みを受けるものがない。ゆえに私は死のうとも敗北を認めない。いずれ、という前置きをしてでも、必ず勝つ」
「――|Herrich《上 出 来》」
ディアナは口元に微笑を浮かべた。それも、心からのものを。
「ではひとまずの敗北を、貴方に与えるのではなく、預けます。宜《よろ》しいですか?」
「ふむ。ならば、――|Tes《テスタメント》.、というべきか。返却は利子つきかね?」
「Tes.、貴方の敵にお返し下さいな。そして、敗北を預かる間、それが何故《なぜ》起きたのかをお考えなさいな。そうすれば、面白いことが解《わか》ると思いますわ」
「面白いこと? 先ほど言った、2nd―|G《ギア》と……、新庄《しんじょう》君との相対《あいたい》についてかね?」
「それを探るのが貴方の役目ですのよ? そして、私のテストです」
頷《うなず》き、
「こちらの技さえ見切れない未熟な全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》が、しかし少しは見所《みどころ》があるのか。……それをこれからテストしますのよ?」
笑みが、口元で更に濃くなる。良い笑みですわ、と自分で思う。
笑顔が生まれる全ての事物は、必ず快く決着するに決まっている。
そう思いながら、ディアナは箒《ほうき》を手に前に出た。
「問いかけ。それは試験であり疑問であり謎《なぞ》かけであり求道《きゅうどう》であり探求でありそして確実に抵抗の意志を示すものです」
歩き、
「――思いませ問いかけを。己に疑問符を打ち、抗《あらが》うために」
言葉とともに、ディアナは佐山へと身を進める。
佐山は魔女の前進を見た。
彼女の歩幅にして今は距離十二歩。
すぐに足音が十一を割り、ヒールが十を切る。
九を数え、八を数え、七を数えればそこから先は向こうの領域《りょういき》だ。
自然な歩みで七歩目が踏まれた。
それと同時に、佐山の五感からディアナの存在が消えた。
否《いな》、と佐山《さやま》は思う。
視界の中、やや右にディアナが見えている。
見えているが頭の中で察知《さっち》出来ない。
足音も気配も存在はしているが、しかし、五感がそれを認めない。
……これは……。
知覚がずれている感覚。ただ、笑みとともにディアナが六歩の距離に近づいた。
ぞくりときた。
今まで、バックステップの動きを取ったのはこのタイミングだ。
ここでディアナが足を止めたから、知覚が戻ってきた。
が、もはやディアナは足を止めない。
来る。
回避すべきかどうか、一瞬《いっしゅん》の迷いが来る。
この回避する迷いを、先ほどの出雲《いずも》は逆に攻撃へ転化したのだろう。
回避を拒否した彼の行動は賞賛《しょうさん》に値すると、佐山は内心でそう思う。
だが、結局、出雲の攻撃は避けられて吹っ飛ばされた。
七歩分、約四メートルの距離とは、近接《きんせつ》攻撃のほぼ全てを回避出来る範囲《はんい》と言っていい。
そんな事実を前提に、今《いま》自分は、目の前に見えている筈《はず》のディアナを捉《とら》えねばならない。
どうすればいいのか? その疑問に対し、佐山は一つの方法で答えた。
新庄《しんじょう》は見た。佐山がいきなり前へ、ディアナへと踏み込んだのを。
あ、という声を、新庄は思わず挙げる。
佐山の意図が解《わか》った。
「見えぬまま戦う……」
見えぬということは、消えるということではない。
相手はいるのだ。
だから、相手が攻撃範囲の外から回ってくるならば、自ら距離を詰めればいい。
佐山が選んだのはそういう方法だ。そして、彼は更に動きを続けていた。
踏み込んだ佐山の右手が、正面へとかざされる。
正面から歩いてきたディアナが、彼の手に制止を掛けられた。
前に歩けなくなったディアナは回避を選択。身体《からだ》が踏み込みの初動《しょどう》で揺れた。
同時、佐山の左手が| 機 殻 剣 《カウリングソード》を放った。白の弧《こ》は右腰から正面へ。
「――!」
相手が見えなくても、幾《いく》つかの動きで誘導《ゆうどう》は出来る。
正面からの動きを止めれば、相手の行く先は確実に左右。
そして右腰から走る剣の弧《こ》は、左で最も大きく伸びることになる。だとすれば、……相手が回避するならば、右に……!
ディアナが剣の外側へ回り込み、佐山《さやま》の右に入った。
魔女は刃《やいば》を悠然《ゆうぜん》と回避する。
しかし、新庄はもう一つの笑みを見た。佐山の口元に浮いた笑みを。
新庄《しんじょう》は彼の微笑に思い当たる。佐山の主《しゅ》武器は剣ではなく、
「せ……っ!!」
佐山の右|脚《あし》から、右にいるディアナに向かって高速の蹴《け》りが飛んだ。
格闘。それを修める者だけが放つ腰を入れた蹴りだ。
全ては一瞬《いっしゅん》。
脚の描くシャープな軌道が黒装束《くろしょうぞく》の魔女に激突《げきとつ》し、衝撃《しょうげき》音が走った。
打撃の応えを、佐山は脚に感じた。しかし、それは、
「直撃《ちょくげき》では――」
「ありませんわ。――自惚《うぬぼ》れが過ぎますわよ。現状の貴方《あなた》にしてはよく出来た方ですけど」
ディアナが見えた。
黒の魔女は、痛みを得た素振《そぶ》りもなければ、衝撃を受けた様子《ようす》もない。
見れば、こちらの脚は、ディアナに当たっていない。
脚が打つのは、彼女が左手で前に掲げた箒《ほうき》の柄だ。
「…………」
彼女の姿勢は身構えもせず、ただ箒の左手を前に差し出しただけ。それはまるで、……前もって立てられた箒を、こちらの脚が打ったように見える……。
「解《わか》っておりましたもの」
「解っていた……?」
「御免《ごめん》なさいね。貴方の攻撃を受ける前に吹き飛ばすことも可能だったのですけど、それでは納得《なっとく》出来ませんものね? ――貴方が選択した方法では通じないと言うことが」
そして、ディアナは佐山の戦術を言った。
「貴方が選んだ方法は、……機先《きせん》を制し、己の思い通りに人を誘導する、それですわよね? でもそれは、貴方の考え方を理解出来る人には通じませんのよ?」
ディアナが箒を引いた。応じるように佐山は足を下ろす。
お互い、どちらともなく吐息をついた、次の瞬間《しゅんかん》。
「!」
佐山《さやま》がいきなり左の蹴《け》りを放った。
高速。そして気が抜けた瞬間《しゅんかん》を狙った不意の一撃《いちげき》だ。
だが、
「甘いですのね」
佐山の蹴りは、当然であるかのように、ディアナの箒《ほうき》の柄《え》に阻まれていた。
その事実に、佐山は眉をひそめた。
対するディアナは笑みの顔で、
「お解《わか》りですわね?」
佐山には解っている。彼女の箒がいつの間にかディアナの左手から右手に移っていることを。
箒の移動は、彼女の歩みと同じように、知覚出来なかった。
どういうことか。
解らないということが、よく解っている。
ディアナが告げた。
「もし私のようなことが出来る敵が現れたら、貴方《あなた》も、背後の人達も、終わりですわね」
言葉を聞き、噛《か》んだ奥歯《おくば》の間から、軋《きし》むような問いが生まれていた。
「何故《なぜ》……」
「何故?」
佐山は息を捨てるように、問うた。
「何故、見えているのに、見えないのか……」
|Tes《テスタメント》.、とディアナが顔を上げた。眉尻《まゆじり》を戻し、力を抜き、本当の笑みを見せる。
「日本人らしい矛盾の問いかけですわね。確か……、日本神話において、ヤマトタケルという方がこのような方法を用いて相手を倒した筈《はず》ですわ。――相手に疑わせず、近寄り、討《う》つ」
「……!」
佐山は思い出す。新庄《しんじょう》・切《せつ》が放課後に告げた台詞《せりふ》の一つを。
……もし、ボクがヤマトタケルだったならば……?
何か嘘《うそ》がある、とは考えた。
そして、その言葉に対して、自分はある応えを返していた筈《はず》だ。
それは、放課後に新庄・切と交わした一つの約束。
……新庄君が本気で何かを告げようとしたとき、自分は向き合おう、と。
あのとき告げた、向き合う、という言葉。
己の言葉の意味を、佐山は改めて思い知る。
新庄との約束も、ディアナとのこの訓練も、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に馴化《じゅんか》した2nd―Gと、どのような全竜交渉《レヴァイアサンロード》を行うべきか考えることも。
全ては同じことだ。
ちゃんと向き合えねば、何かを失う。
だから佐山《さやま》は頷《うなず》いた。
口を開き、先ほどの疑問を言い換えて、佐山は新たな疑問を作る。
「何故《なぜ》、見えているはずの君が見えていないのか……?」
それは相手の真の姿と向き合うための問いかけ。確信に値する問いかけだ。
無論、対するディアナは、こちらの思いを知る筈《はず》もない。
しかしそれでも、彼女は応じるように首を下に振った。
「|Tes《テスタメント》.、考えなさい。貴方《あなた》の前に立つもの全てと向き合い、見過ごさぬために。……そのための疑問に抗《あらが》うことが、貴方達の功徳《くどく》です」
言葉が聞こえた。
そう思ったときには、佐山の視界に白いものが見えていた。
それは、天井だ。
いつ吹き飛ばされたのか、解《わか》らない。
佐山は思う。そのことさえも、問いなのだろうかと。
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第八章
『答えの始まり』
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気づかぬ過去は動いて目覚め
その短い歴史で
縛鎖に等しい繋がりを果たしていく
[#ここで字下げ終わり]
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UCAT地下二階。
整備|格納室《かくのうしつ》や武器庫と隣接《りんせつ》した区画に、概念《がいねん》兵器開発部がある。
開発部の敷地は大別して四つに分かれている。設計室と制作室と実験室、そして倉庫だ。
設計室。五十メートル四方の広い空間は個別パーティションに分かれている。
そのパーティションの中。鹿島《かしま》は月読《つくよみ》と荒王《すさおう》の概略図《がいりゃくず》を見ていた。
自分が土砂《どしゃ》崩れを眺《なが》めている間、月読は全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の代表と面会していたらしい。
そして、彼の仲間が第二資料室に入ったという情報も聞いた。
「面白い子達ねえ」
という前置きをもって話し合われるのは、昔《むかし》語りだ。
彼らが手にしたであろう荒王の資料。それを見つつ、月読が言う。
「たった九年前なのに懐《なつ》かしいわね。あたしの下で開発部が再編成されたばかりだったっけ。アンタ、入社|配属《はいぞく》されるなり 立川《たちかわ》に何があるんですか なんて言い出して。あたしだってUCATに来たばかりだったから何も知らなかったのよね、そんなこと」
月読の苦笑に、鹿島も苦笑を返す。
「そうですね。それで上に交渉し、第二資料室に入った月読部長が資料を手に入れてきたわけです。――元《もと》立川飛行場、現昭和記念公園の概念《がいねん》空間にある荒王の資料を」
「だけど……、荒王はアンタの期待に応えることが出来なかった」
そうですね、とまた鹿島は言った。
荒王の元へは、かつて一度、赴《おもむ》いたことがある。
「……荒王の検査は、関西|大震災《だいしんさい》以降に新編成された開発部の初《はつ》仕事でした。――ですが」
鹿島はノートPC上に一枚の画像を映す。
それは写真。青空を背景に、雲を頭にまとった巨大な人影が立っている。
全高五〇〇メートル超過の巨大な影。
だがそれは、全体のフォルムをわずかに歪《ゆが》ませていた。
「そう、よく考えれば解《わか》ることです。九年前の当時であっても、荒王が稼働したのはそれより約五十年も前。そして荒王は超高温の八叉《やまた》と相対《あいたい》し、足止めすることを目的として作られた人型《ひとがた》機械です。――使用された兵器は、末路《まつろ》を必ず迎える」
ノートPCの操作を行い、画像を拡大した。
被写体、逆光《ぎゃっこう》にたたずむ荒王が大写《おおうつ》しになる。
その巨大な四肢《しし》と身体《からだ》、黒ずんだ表面|装甲《そうこう》の一部は溶解を起こし、頭部|艦橋《かんきょう》に至ってはえぐられたように消滅していた。
「祖父が死の間際《まぎわ》に告げた頭部艦橋のボックスなど、存在している影もない」
砕かれた頭部|艦橋《かんきょう》。
鉄が溶解《ようかい》して出来た十五メートル四方のステージにあるのは、床に突き立つ一本の影。
一メートル半近くの長さを持つ鉄の直線は、
「艦橋跡にあったのは、祖父の作った八叉封印《やまたふういん》用| 機 殻 剣 《カウリングソード》、十拳《とつか》。あれだけです」
液晶モニタにつぶやくと、背後から吐息が聞こえた。
「結構《けっこう》手続き踏んだのにね。UCAT管理下とは言え、各国UCATの許可を得たりして」
言葉が近づいてくる。月読《つくよみ》が、背後からこちらのモニタを覗《のぞ》き込んでいるのだ。
そして彼女は過去を懐《なつ》かしむように。
「……ともあれそれ以後アンタは概念《がいねん》兵器の研究に移り、でも、本格的な開発と設計からはすぐに手を引いたのよね。今は調整の鬼として、新型の実用化チェックだけ」
「……だけ、じゃなくて、他にも仕事してますよ? 変なガムの企画とか」
「でも、2nd―|G《ギア》の力、鹿島《かしま》の名を使用する仕事は避けてるわよね? ――やっぱり、八年前に起きたあの崩落《ほうらく》事故のこと、気にしてる?」
確認する口調の問いに、鹿島はやはり答えない。ただ、別の言葉で、こう告げた。
「今は他に、興味がありますから」
モニタに写っているのは、荒王《すさおう》の画像だけではない。
幼子《おさなご》や、妻の写真画像。
するとまた、月読《つくよみ》が苦笑した。
「はは、家族には敵《かな》わない、か」
「月読部長は、どうなんですか? 前任者のことを――」
「ああ、旦那《だんな》のことね。どうだろう? あたしゃあの人が何か遺《のこ》していたものが見つかるといいと思っているけど、あの人がいた頃の資料は全部空白の彼方《かなた》って状態だしね。……IAIにいた私に何も言わず、何やってたんだか」
液晶モニタを見たままの鹿島は、月読に軽く肩を叩かれる。まるで元気づけるように。
「まあ、子供に夢中《むちゅう》になるのはいいもんよ。でもアンタ、自分も誰かの子供だってこと忘れないようにね。うちの娘なんか就職活動|遅《おく》れまくりで説明会ばかり行っててね。家に帰るとメシ風呂《ふろ》寝るの三|拍子《びょうし》で翌朝ソッコ出撃《しゅつげき》よ。艦載機《かんさいき》じゃないんだからゆっくりすりゃいいのに」
「月読部長の娘さんはF14ですか……。でも、月読部長は娘さんにUCATはおろか2nd―Gのことも言ってませんよね? |Low《ロ ウ》―Gに準じているわけですが――」
「だったらアンタ、疑問に思ってたりする? どうして、Low―Gの住人であろうとする自分に対し、この偏屈《へんくつ》部長は全竜交渉《レヴァイアサンロード》の権限を預けるんだろうかって」
「それは――」
と言葉を作りかけた鹿島は、しかし、
「――――」
ややあってから、首を縦に振った。
応じるように、もう一度肩が叩かれた。先ほどより軽く、柔らかく。
「いい? 鹿島《かしま》。あたしゃ今年で五十歳。延齢《えんれい》だってやってない。だから開発の前線はあと十年もやってられないと思う。これからのメインは貴方《あなた》達、戦争を全く知らず、更には若い世代よ。だからこそ、ここでちょっと考えておくのって大事だと思うのよね」
「考えるといっても、僕は既に、祖父の遺言《ゆいごん》も、自分の力も――」
ふと立ち上がりかけた鹿島は、月読《つくよみ》の顔を見て動きを止めた。
月読は相変わらずパーティションの入り口に立っている。ただ、柔和《にゅうわ》な顔つきで。
その顔を見ていると、自分の中の言葉が失われた。
参ったな、と鹿島は沈黙《ちんもく》。ただ腰を落として彼女の言葉を待つ。
すると月読は、そんなこちらを見て仕方なさそうに微笑した。
「いいわねえ、その女性の言葉を待つ姿。奥さんが羨《うらや》ましいわ〜」
「……部長、失礼ですが猫|撫《な》で声が経年劣化《けいねんれっか》を」
「チェックすんな。――でも考えてみなさい、2nd―|G《ギア》としての自分達の姿勢を。それに」
「それに?」
「きっと荒王《すさおう》と深く関われるのは、これが最後よ」
「無意味ですよ。荒王にはもはや祖父達がいた跡などなく、ただ、十拳《とつか》があるだけです」
と、鹿島はノートパソコンを操作した。一つのテキストファイルを展開する。
かつて調べて行き着いた一つの記録。このUCATから2nd―Gが離れない理由だ。
「記録にあったのは、一つの事実です。荒王の艦長《かんちょう》が八叉《やまた》に制御の言葉を告げて十拳に封印《ふういん》し、しかし自分は死んだという。――そんな事実だけです」
「彼の死によって、八叉封印の言葉は|Low《ロ ウ》―Gから失われた、か」
月読が吐息とともにつぶやく。
「何とも難しい話ねえ。かつて八叉封印を行ったLow―Gの技術者が死なずに、その言葉をLow―Gに遺《のこ》してくれたならば、……私達はLow―Gに完全| 恭 順 《きょうじゅん》出来るものを」
ええ、と頷《うなず》き、鹿島は告げた。その技術者の名を。
「大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》。……UCAT全部長である大城・一夫《かずお》氏の親であり、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》監督の大城・至《いたる》氏の祖父であり、――2nd―Gを救えず、僕の祖父に恨まれた男です」
苦笑とともに、鹿島は言った。
「もちろん、僕はそんな恨みを受け継いではいませんけどね。でも」
「でも?」
鸚鵡返《おうむがえ》しの問い。それに対して鹿島は困ったような笑みを見せ、こう言った。
「だからこそ、自分を決めがたいんですよね……」
佐山《さやま》は大城《おおしろ》・一夫《かずお》と共にまたUCATの廊下を歩いていた。
先ほどの訓練室でディアナが去った後、佐山は皆に一つのことを話した。彼女の使った不可解《ふかかい》な技と似たものを、月読《つくよみ》が使ったということを。
すると、全員一致で次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》は2nd―|G《ギア》と決まった。
「何か誘導《ゆうどう》されてるかもしれないけれどさ。ちょっと悔しいわよね。解《わか》らないのって」
風見《かざみ》の台詞《せりふ》が、皆の総意《そうい》だ。
佐山においては、どのような交渉をすべきかという興味もある。
新庄《しんじょう》は射撃《しゃげき》実技の追加訓練と言って訓練室に残ったが、風見達が手に入れた資料をまとめた後、食堂で落ち合う約束をしてある。
今、自分がなすべきは、大城に2nd―Gとの全竜交渉《レヴァイアサンロード》をすると告げることだ。
だが今、大城は隣《となり》を早足で前を歩いていく。
スーツ姿の佐山は大城と並び、
「御老体《ごろうたい》。先ほどと違い、ちょっと急ぎすぎではないかね?」
「いやいや試作品のテストだしなあ」
と、腰につけたデジタル式の歩数計《ほすうけい》を見せる。
黄色いプラスチックの本体には液晶がついており、デフォルメされた少女が何かを崇《あが》めるダンスを踊っている。それもトランス状態で。
「いろいろ言いたいことはあるが、UCAT開発にしてはまだまともなものだね」
「UCAT開発と言うても表に出るときはIAI製品でな。そりゃ滅多《めった》なもんは作れんよ」
「商品名は?」
問いに対し、大城は自信ありげに右の親指を上げ、
「デジタル歩数計の マンボちゃん と言う。キャラ的には秘教《ひきょう》のシャーマンでな」
「ほほう、随分《ずいぶん》と直接的なネーミングだね」
「うむ。ホントは女の子だから 子 をつけたかったのだが、あっさり却下《きゃっか》されてなあ」
「その方が世のためだ。しかし、そんな歩数計、今更《いまさら》どこにでもあると思うが」
「ちょいと工夫があってな。マンボちゃんは意外にシュートな性格なんだな。設定歩数に満たぬままで立ち止まったりすると、シャーマンパワーで叱《しか》ってくれる」
「興味|本位《ほんい》で聞くがどんなパワーかね?」
「スタンスティック並の電撃《でんげき》が完全充電で十七回」
「ふむ、歩くのをサボると路上で悶絶《もんぜつ》か。行軍《こうぐん》訓練中の海兵隊にでも売るつもりかね」
「大丈夫。普通、滅多《めった》なことでは足を止めるようなことにはならんし、緊張感《きんちょうかん》でダイエット効果も促進《そくしん》というやつでな。ほら、こうして歩いておっても大丈夫だろ?」
佐山《さやま》は考え、御老体《ごろうたい》、と声を掛ける。
「試験は今のところ、どこで行ったかね?」
「UCAT内だがな?」
「……一つ聞きたいのだが、良いかね?」
「何かな?」
問われた佐山は歩きながら天井を見上げ、ややあってから真剣な顔で、
「信号機や踏切というものの存在を、知っているかね?」
問われた大城《おおしろ》は歩きながら天井を見上げ、ややあってから真剣な顔で、
「どうしよう?」
「ほほう、ようやく真理に行き着いたかね。さあ、当面の問題は彼方《かなた》に見える自動ドアだ。電撃《でんげき》までの判断は何秒で行われる?」
「マ、マンボちゃん短気でなあ。一秒立ち止まるといきなり来るでな」
「では方向転換だ。急ぎUターンして戻る方針で行こう」
「残念ながらマンボちゃんは不退転《ふたいてん》でな。そういうことすると怒るのだよ。――って、あああマジにドア近づいてきとるぞ! 御言《みこと》君! 先に行って開けてくれんか!」
「ならば話を変えるが次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》は2nd―|G《ギア》ということで宜《よろ》しいか」
「話変えすぎ、ってか早くしてくれ! 後五十メートルも無いぞ!」
ふむ、と佐山は頷《うなず》き、
「――では改めて質問したいことがある。素直に答えたまえ」
「そんな場合かあっ! ああっ、新庄《しんじょう》君がいてくれたら救《たす》けてくれるのになあ。――やはり訓練中かの? 新庄君は」
「そうだ。何やら射撃《しゃげき》訓練と言っていたが……、そんなに訓練が必要なのかね?」
言うと、対する大城は焦りの顔に、しかし笑みを浮かべた。
「む、昔から練習では好成績でな、新庄君は。問題は本番で、――ためらい、撃《う》てなくなる」
「それは……」
「1st―Gの戦闘以降、ある程度は改善されたようではあるがなあ。しかし……、開発部から来る|Ex―St《エグジスト》の出力記録を見るからに、まだ完全ではないようでな」
佐山は、1st―Gとの戦闘の記憶《きおく》を思い出す。あのとき、新庄の攻撃はファブニール改と対等に渡り合えるほどの力を持っていた。
「本来ならばあれ以上の力を発揮《はっき》出来ると? では何が新庄君の力を抑えているのかね?」
「何か理由を聞いておるかね?」
佐山はわずかに考え、
「――記憶《きおく》が無いと。六歳以前の記憶が」
「成程《なるほど》、それもある。しかし、もっと大きな理由があるでな」
「……大きな、理由?」
大城《おおしろ》は頷《うなず》いた。御言《みこと》君、と諭《さと》すように前置きし、
「解《わか》っておらんようだな、御言君らしいと言えばらしいか」
「それは……」
何だ、と言いかけ、佐山《さやま》は一つの言葉を思い出す。
……ヒントは、……ヤマトタケル、だろうか。
新庄《しんじょう》・切《せつ》は、自分の 嘘《うそ》 をそう告げた。
新庄・運《さだめ》にもそのようなものがあるのだろうか。
佐山は、ふむ、と頷《うなず》き、
「もし私が新庄君の力を抑えている理由を解《わか》らねば、私は新庄君に、クマソタケルのように殺される。――と、貴方《あなた》はそう思うかね?」
問うても、大城は答えない。
だが、佐山は思いを進める。クマソタケルがヤマトタケルに殺された方法を。
「女装して目の前にいるのに、見破れず、本当の姿を見えていなかったから……」
先ほどディアナと戦ったときに思った言葉。
……何故《なぜ》、見えているはずの君が見えていないのか……。
そこから、佐山は一つの事実を閃《ひらめ》いた。
それは、新庄・切《せつ》と運《さだめ》にかつてまとわりついていた疑念だ。
「ああ、成程《なるほど》。これは盲点《もうてん》だった……」
「新庄君が全力を出し切れない理由が、解ったかな? 御言君」
「解ったとも。流石《さすが》は聡明《そうめい》な私だね?」
「後半どうでもいいから要点を答えてくれんか?」
「機嫌《きげん》がいいので|Tes《テスタメント》.と言おう。――つまり」
佐山は自信をもって告げた。
「……新庄君は女装しているのだね? 切君が、運君として」
「御言君……」
「何かね? その不審《ふしん》なものを見るような目は」
「……意外と御言君、深くものを考えずに直接|結論《けつろん》出すタイプだな?」
「いつ私がそんな短絡思考《たんらくしこう》をしたというのかね? そんなこと言うと張り倒すぞ」
「今も充分短絡しておるだろうがっ!」
佐山は、まあまあと大城を手で制し、
「ともあれ私は油断《ゆだん》していたようだ、新庄君に対して……」
佐山は考える。以前に銭湯《せんとう》の中で新庄・切が男かどうかを確認したことはあるが、……しかし、運君が女かどうかを確認したことはなかったな。
今まで新庄《しんじょう》・運《さだめ》の胸は見たことがあったが、あれこそUCATのトリックかもしれない。
……だとしたならば、恐ろしい技術力だ。
佐山《さやま》は冷や汗とともに思う。しっかり触れて確かめておくべきだった、と。
何故《なぜ》今まで、この一月あまり、おもむろに揉《も》んだりしようと思わなかったのか。
……不覚《ふかく》だ。
「み、御言《みこと》君、今、何事か真剣に考えておるようだがな。一言《ひとこと》忠告しておくぞ」
「何かね?」
「犯罪行為は――、めっ」
「ははははは、存在自体が犯罪のような御老体《ごろうたい》が何を馬鹿なことを。大体この賢い私が、まさかそんなことをすると思うのかね?」
「は、ははは、そ、そうだよなあ。いくら御言君でもなあ」
「そうだとも。――話せば解《わか》る」
「い、今何か言ったかな?」
「いや別に。それより御老体。前を見るといい」
大城《おおしろ》は何か言いたそうな顔で前を向き、しかしすぐに慌《あわ》て顔で、
「うわ! 自動ドアまで三十メートル切っとるぞ! 御言君! 早く開けてくれんか!」
「では御老体。新庄君の問題は有意義な脱線だった。これから本論だ。質問と行こう」
「うわ無視か! ともあれ質問行かなくていい気がするんだがなあー!」
「しない。――では残り二十五メートル、落ち着いて私の話を聞きたまえ。まず第一の質問は御老体の親族が2nd―|G《ギア》の崩壊《ほうかい》に関わっていなかったかということだ」
「関わってた関わってた! 2nd―Gに技術者として赴《おもむ》いたんだな、これが!」
「何故なのか、心ゆくまで詳しく言いたまえ」
「ど、どのくらいかなっ!?」
焦った問いに、佐山はやや考えてから、こう答えた。
「あと二十メートル分くらいだろうか」
「無視して言うと、八叉《やまた》の制御が2nd―Gの技術では不可能になったからでな! ゆえに、他Gの技術者の力を借り、2nd―Gとは別《べつ》視点の発想で解決出来んかと考えたんだ! しかし――、あああドアまで十メートル切るぞおい! 早く早く早く!」
「一つ質問するが、私が聞くべきことを聞く前にドアを開けると思うかね?」
「うわ腹立つ反応だな! ええと、ともあれ父は間に合わなかった! だから避難した技術者達に恨まれつつも、大型の人型《ひとがた》機械や封印《ふういん》用の剣を作り、八叉を迎撃《げいげき》したわけだ!」
「では最後、――それらの機械の称呼《しょうこ》は?」
「大型人型機械が荒王《すさおう》! 封印用の| 機 殻 剣 《カウリングソード》は十拳《とつか》だ!」
「成程《なるほど》これで聞くことは聞いた。では、次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》は2nd―Gでいいかね?」
「いいからいいから早くー!」
随分《ずいぶん》と適当な返答だね、と答えて佐山《さやま》はドアに急ぐ。
大城《おおしろ》が安堵《あんど》の吐息をつくと同時。ドアが開く。
が、そこには大柄《おおがら》な障害物が二つ立っていた。
それは、二つの人影だった。
UCAT施設の地上部。
輸送管理棟に偽装《ぎそう》された建物の五階に、一つの私室がある。
書類やゴミが散乱するその部屋の中、書類が積まれた大机《おおつくえ》の向こうに人影が一つ。
それは、椅子《いす》に座った黒スーツにサングラスの男だ。
彼は手に地方新聞を。
しかし目は文字|面《づら》を追うだけで、読んでいる気配はない。
紙面を折って裏側を出し、白髪《はくはつ》を掻《か》き上げる。
「――――」
と、彼は不意に顔を上げた。
音。部屋のドアの前に、小さな足音が響《ひび》いたのだ。
即座《そくざ》。彼は手にしていた新聞を畳み、ドアの近くに放り投げる。
新聞が乾いた音を立てて床に落ちた。
直後。私室の扉が開いた。
入ってくるのは黒いワンピースに白のエプロンをまとった侍女《じじょ》だ。
彼女の手はカップの載った銀色のトレイを。
だが、彼女の視線は中にいる男を確認しない。まるで、彼がいることが当然だと言うように。
そして彼女が前に一歩を踏んだときだ。
無表情な視線が足下の新聞に気づいた。片手で拾い上げ、
「至《いたる》様、本日の朝刊が届いております。お読みになられますか?」
「見出しは何だ? |Sf《エスエフ》」
「|Tes《テ ス》.、夜の新宿、ヤクザ抗争で本紙記者もドッキリ昇天《しょうてん》! だそうです」
「いらん、そこに捨てておけ」
「Tes.」
一度白い短髪を揺らしただけで、Sfが床に散乱した書類の上をそのまま歩いてくる。
が、彼女が歩く書類の上には足跡は残らず、紙一枚と揺れることがない。
Sfは至の前に辿《たど》り着くと、手にした銀色のトレイを差し出した。
「至様、コーヒーをお持ちしました」
「いらん」
「|Tes《テ ス》.、言ってみただけですのでご安心下さい。ここに捨てますか?」
「前に捨てろと言ったらお前は本当に床に捨てたな」
「Tes.、あれは私がここにきて二週間目のことでした。この記憶《きおく》は深層《しんそう》五度の確認を行いましたので間違いは御座《ござ》いません」
「ああ、俺も憶《おぼ》えているよ。結局俺が床を拭《ふ》く羽目《はめ》になって、初めてお前を分解《ぶんかい》してやろうかと思った記念すべき日だ。高性能な機械は言ったことをちゃんとやるから素晴《すば》らしいな」
「Tes.、二週間で分解整備とは至《いたる》様は几帳面《きちょうめん》だと判断します。ですが御安心下さい。独逸《ドイツ》UCATの誇る|Sf《エスエフ》は内部を自動クリーニングするので666年保証です」
「ほほう、自動クリーニングなんて、そんな機能があったのか?」
Tes.と頷《うなず》いたSfは、自分の手首を軽く回してみせ、
「夜、することがないときに自分でパーツを外してブラシで丹念《たんねん》に」
「それがお前の言う自動という意味か。とにかくコーヒーはいらん、お前が代理で飲んどけ」
「消化機能はありませんので飲めません」
「そうか、じゃあやっぱり飲もう。残念だなあ、オマエが味の解《わか》らない機械だったとは」
至は笑みでSfを見た。Sfは無表情に、
「喜んでいただけて幸いです。ごゆっくりどうぞ」
「……よくよく思うが不良品のお前に嫌味《いやみ》は通じないのか?」
「|Tes《テ ス》.、それが至《いたる》様のお望みだと判断しております。方針変更なされたのならば感情機能を追加することも出来ますが?」
「感情機能か。つけるとどうなる?」
|Sf《エスエフ》は少し考えた、その後に首を傾《かし》げ、
「Tes.、つけると邪魔《じゃま》になります。普通は内蔵《ないぞう》します」
「……内蔵したらどうなるか言ってみろ」
「Tes.、内蔵すると感情を持つようになります」
「たとえば」
「理不尽《りふじん》な命令を得ても笑顔で対応したり主人が嫌味でも亡くなったときに涙を流せます」
「それこそ感情機能ではなくロボット機能だ問題製品め」
至はSfの差し出すカップを手に取り、口に運ぶ。
そんな彼を見て、Sfが無表情にまた首を傾げる。
「コーヒーはお飲みになることが可能なのですか?」
「水にカフェインと香料に色素が入ってるだけのものだ。毒物に等しいと言っても過言《かごん》ではないだろう。俺は…嫌いだが」
「では何故《なぜ》、飲まれるのですか?」
「お前が飲めないと言ったからだ、Sf。お前のせいだぞ」
「|Tes《テ ス》.、ではこれから毎食後にいただいてくることにします」
「何故? 主人への不要な気遣《きづか》いか?」
「それが至様の御要求だからです」
無表情に言うSfの、その顔を至は改めて見る。ややあってから、カップを掲げ、
「――次に持ってくるときは色の無いものをもってこい。色素が口に残る」
そして己の白髪《はくはつ》を掻《か》き上げ、
「色や味、意味のないものしか俺は受け入れられん」
Tes.、とSfが会釈《えしゃく》した。
直後、至の眼前《がんぜん》でSfが素早く身を回していた。
「……!」
高速で身体《からだ》が向くのは入り口。動くのは差し出したトレイを掴《つか》む両手の内、右の手だ。
私室の入り口。そこに向かって上げられた彼女の右手が、一丁《いっちょう》の黒い拳銃《けんじゅう》を握っていた。
そして至は見る。私室の入り口に、一人の女性が立っているのを。
黒のスーツに身を包んだ長身の女性。
既に閉じたドアの前で、彼女は長い銀色の髪を揺らしながら、軽く手を上げ、
「あらあら、まさか入っただけで気づかれるなんて、誤算でしたわね」
おどけた口調に、しかし|Sf《エスエフ》は姿勢を変えない。
左手にトレイを、右手に拳銃《けんじゅう》を構えたまま、
「強力な賢石《けんせき》反応があります。所属《しょぞく》不明。自己紹介を希望します。制限時間十五秒」
「あらあらまあまあ。――ねえ、至《いたる》君。この子に何か言ってあげたら?」
至は吐息。
「とてつもなく招かれざる客だ。|Sf《エスエフ》、俺の御要求通りにしろ」
「あら、十年ぶりなのに非道《ひど》い対応ですのね。Sf? 製作に関わった人の顔、忘れたの?」
「私は日本UCATで再調整の際、一度日本語フォーマットをされています」
「えー? 嘘《うそ》!」
女性がいきなり驚きの顔で、口元に手を当てた。
「で、ではまさか、私がメモリの隅《すみ》に隠しておいたアニメ版 ヒムラーさん も全部消えちゃってますの!? ――レアものの ゲッベルスおおあわて が!」
「今|検索《けんさく》したところ、深層《しんそう》第五層にある余剰《よじょう》メモリに莫大《ばくだい》な空白を発見いたしました。それが痕跡《こんせき》だと判断します」
「ああ、折角《せっかく》回収に来ましたのに……」
「おいSf、本格的に排除していいぞ」
Sfが無言で拳銃を構え直す。
対する女性は慌てて手を小さく振り、
「本当に冗談《じょうだん》通じないんですのね。それが一人だけじゃなくて二人になってどうする気?」
苦笑とともに、唇が名乗りを上げた。
「独逸《ドイツ》UCAT所属、ディアナ・ゾーンブルク。――|Damit Gut《よ ろ し い》?」
地下三階の廊下で、佐山《さやま》は目の前に立つ障害物二人を見た。
一人は白の装甲服《そうこうふく》にベストを着込んだ禿頭《とくとう》の初老《しょろう》黒人。
1st―|G《ギア》との戦闘時に会ったことがある。一般隊との連携《れんけい》を受け持つボルドマンだ。
もう一人は未見《みけん》。
白の装甲服にサンドイエローの戦闘用コートを着込んだ大柄《おおがら》なアラブ風の老人だ。
彼の、ターバンのような布を巻いた頭がこちらに向いた。
老いてはいるが身長二メートル近い体躯《たいく》の上、眼光は充分に鋭い。
白の眉と、長い白髭《しろひげ》が動き、
「佐山……?」
という低い声が響《ひび》いた。
その直後。不意に、佐山は左胸の軋《きし》みを感じる。
何故《なぜ》か、と考えた佐山《さやま》は彼の視線に気づく。こちらを見ているはずの彼の視線が、……私ではないものを見ている……?
まるでこちらを見て、過去の何かを思い出すような、そんな視線。
そのことに気づいたとき、胸の軋《きし》みが強くなり、
「どいてくれんかアブラム!」
大城《おおしろ》の悲鳴のような声が聞こえた。
見れば、白衣《はくい》の痩躯《そうく》はドアまで距離三歩のところに近づいてきている。
アブラムと呼ばれたアラブ風の男は、横に退《ひ》こうとして、
「…………」
ボルドマンの巨躯《きょく》と並ぶ二人で、ドアのスペースはいっぱいだ。動けない。
その事実を確認して、佐山は大城を見た。そして佐山は一つ頷《うなず》き、
「とても残念なことだ」
「本心でそう思っておらんだろうがっ!」
叫びに応じるように、通路|横《よこ》の扉が開いた。
一瞬《いっしゅん》見えた向こうは何もない。闇の空間だ。
だが佐山は知っている。その闇の中は概念《がいねん》空間の事務フロアだと。
そして不意に、闇の中から一人の老人が飛び出してきた。
長い黒髪《くろかみ》の痩躯。1st―|G《ギア》の戦闘に赴《おもむ》くときにヘリのナビをしていた四吉《よんきち》という老人だ。
焦った動きで中から出てきた四吉と入れ替わりに、大城が事務フロアの中に飛び込む。
マンボちゃんは不退転《ふたいてん》ではあるが、直角移動は許されるらしい。
すぐにドアが閉じ、四吉が戸惑《とまど》ったように、
「――ええと、これは、一体《いったい》何事で?」
「いや、単なる老人のレクリエーションだ。歩かねば毒素《どくそ》が抜けないようでね」
「|Tes《テスタメント》.、と、では私はこれにて!」
四吉は急いで佐山達が歩いてきた方向へと走っていく。
佐山は吐息。胸の軋みが消えたことを確認すると、前を見る。
ドアのこちら側に一歩を進んだ二人の巨躯の内、ボルドマンが横のアブラムを示して、
「隊長、と呼ぼうか、佐山・御言《みこと》。こちらは自分ら実動部の長《ちょう》、アブラム・メサム部長だ。初見《しょけん》であるな?」
「実動部部長となると、実動部|特課《とっか》である全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の統括《とうかつ》を?」
問うと、アブラムが口を開いた。低くはっきりした声で、
「いや、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は実質上、独立|権限《けんげん》だ。統括というと監督の大城・至《いたる》か、先ほどの――、一夫《かずお》の方が私よりも発言権を持つ」
彼はそう言うと、日に焼けた顔を歪《ゆが》めた。笑みの形に、
「宜《よろ》しく。君らのバックアップ、他の実動部員を統括する実動部長のアブラム・メサムだ。連携《れんけい》に関してはそちらのボルドマンの係となっているな?」
|Tes《テスタメント》.、と佐山《さやま》は応じる。
既にアブラムの視線には、先ほどの軋《きし》みを感じない。
そして彼はこちらの返答に軽く会釈《えしゃく》すると、歩き出した。コートの裾《すそ》が| 翻 《ひるがえ》り、
「次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》は2nd―|G《ギア》か?」
「その予定で動いている」
こちらの口調に、アブラムの苦笑が聞こえた。
聞こえた笑みに佐山は思い出す。あのジークフリートも皇居《こうきょ》での戦闘の後、こちらの物言いに同じ反応をしたことを。ならば、
「メサム部長は、――UCATの初期メンバーだったのかね?」
「Tes.」
「……初期UCATには衣笠《きぬがさ》教授をトップに、出雲《いずも》と私の祖父に、御老体《ごろうたい》の父と、ジークフリートがいたという。他、主力は何人が?」
「私を含めて四人、と答えておこうか。合計八人、衣笠・天恭《てんきょう》の下に集《つど》ったのは誰も彼もが私以上のはみ出し者ばかりだったよ。そして君が求めれば……、彼らと必ず繋《つな》がっていく」
「その四人の中に、新庄《しんじょう》という名は?」
「――無い」
答えは即座《そくざ》の断定。
予測出来た答えだ。ファーゾルトから聞いた通り、護国課《ごこくか》にあった新庄という名は、UCATに入ってから失われている。
どういうことか解《わか》りはしない。
だが、アブラムの言う通りだ。求めれば、必ず繋がっていくだろう。
立ち去る足音とともに、振り向かぬアブラムの声が聞こえた。
「明日《あした》、立川《たちかわ》の昭和記念公園に来れるか?」
佐山は眉をひそめた。
その場所は学校で話題にしたばかり、そして先ほど訓練後に風見《かざみ》から聞いた話によれば、
「そこに巨大な人型《ひとがた》機械とやらが?」
「――Tes.、そこに、この|Low《ロ ウ》―Gを八叉《やまた》から救った二つの機械があるのだ。一つは全高五〇〇メートル超過《ちょうか》の荒王《すさおう》。もう一つは、――神剣十拳《しんけんとつか》だ」
「やはり、……スサノオ伝承《でんしょう》の通りか」
「そう。十拳の内部、そこに八叉は概念《がいねん》核ごと閉じ込められている。明日、荒王周辺の概念空間の調整を行うと、これから開発部に進言しに行くつもりだ。……君はそこで2nd―Gの代表と事前交渉を行ってはどうだろうか」
「――|Tes《テスタメント》.」
答えにアブラムは振り向かない。
ただ、フォローするようにボルドマンが振り向き、軽く右手を上げた。
別れの合図。
だから佐山《さやま》は彼らに背を向けた。そのときだ。
横にある事務課の闇の中から、一人の老人が飛び出してきた。
白い長髪の痩躯《そうく》、白衣《はくい》を身にまとっているのは、
「前に医務室で会った二順《にじゅん》という方だね? 急いでどこへ?」
「あ、これは佐山様。――うちの末弟《まつてい》を見かけませんでしたか?」
「四吉《よんきち》氏かね? 彼ならば先ほど、急いで向こう、あちらの方に駆けて行ったが」
左様《さよう》で、と頷《うなず》くなり、二順は| 懐 《ふところ》から携帯電話を取り出すと、
「兄者《あにじゃ》、三明《みつあき》に連携《れんけい》をお願い申す。あの痴《し》れ者《もの》はおそらく二階へと」
「……何事かね? 一体」
「ええ、あの痴れ者が、また我々に抜け駆けで自分のキャラを立てようとしまして。今回は語尾《ごび》に ゲルゲ をつけるでゲルゲとかいう塩梅《あんばい》で。――兄としてこれから制裁《せいさい》を」
「ふむ。四兄弟ともなると足並みを揃《そろ》えるのが大変そうだね」
「左様で。あ、兄者がやって来ました。何やら青竜刀《せいりゅうとう》を持ってますな。……では私はこれで」
兄の方を見ないようにしながら、佐山は急ぎ問う。
どうでもいいことが一つあった。
「すまない。先ほど、痴《ち》の最上級を持つ老人が中に駆け込んだはずだが」
「痴の最上級はやはりチェストですかな。ああ、無理に笑わなくても結構《けっこう》で御座《ござ》います。つまりは大城《おおしろ》様のことですな? 先ほど中に半狂乱《はんきょうらん》で駆け込んできたのですが」
「が?」
「女子職員が前に立ってお茶を差し出したら足を止めて飲んだ上でいきなり倒れまして。今、倒れたまま、五秒に一度ほど痙攣《けいれん》を。皆、新しい遊びだろうと放っておいてます」
「それがいい。十七回で終わる遊びだ。帯電《たいでん》が終わったら拾いに行くとしよう」
では、と二順が走り去っていく。
その足音を聞きながら、佐山はやれやれと吐息。
「どうしてここはいつも賑《にぎ》やかなのか……」
大城・至《いたる》の私室の中ではわずかな沈黙《ちんもく》が訪れていた。
それを作るのはディアナと向き合う|Sf《エスエフ》だ。
ディアナの自己紹介が終わると同時、Sfがディアナに向けた視線を細め、
「――――」
そして不意に拳銃《けんじゅう》を下ろし、
「……|Tes《テ ス》.、子体自弦《こたいじげん》震動を照合《しょうごう》確認しました。ディアナ・ゾーンブルク、独逸《ドイツ》UCAT、階級は課長、女性、年齢《ねんれい》は」
「言わなくていいんですのよー。いい子ですからねー」
ディアナはすぐに|Sf《エスエフ》のそばに来て抱き寄せ、頭や頬《ほお》を撫《な》で回し始める。
この部屋の主《あるじ》である至《いたる》は吐息。半目《はんめ》でディアナを見上げ、
「何しに来た古い独逸人。俺の現状を眺《なが》めに来たのか」
「最近の日本人は感動の再会という言葉を知ってらっしゃいます?」
「では、俺に過去を思い出させに来たのか? 忘れもしない過去を」
至の声から、抑揚《よくよう》が消えた。
同時、頭を撫でられていたSfがディアナの手を軽く払う。
彼女は半歩動いてディアナと至の間に入り、
「所持品《しょじひん》検査をさせていただきます」
「御主人様の御要求ですの?」
「|Tes《テ ス》.、それと同時に私の判断です。ただ、危険物がないと判断されても御安心されないように宜《よろ》しく御願いいたします、ディアナ様。――言葉が危険である今日この頃です」
そう、とディアナは髪や肩などをSfの細い手指で叩かれながら吐息。
笑みを無くし、
「至君と昔《むかし》話は、まだ出来ませんのね」
「俺が死んだらするといい。俺ではなく、中身のない彼らの墓にでも向かって」
ディアナは頷《うなず》かない。
彼女は笑みを消したまま、
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》、……面白いメンバー構成ですのね」
「ほほう、会ったか。どうする気だ? かつて 母猫《ははねこ》 と呼ばれた独逸最高の魔女は。――俺たちのときのように、逆らう馬鹿は叩き潰すか?」
ディアナはやはり頷かない。彼女はただ、唇に薄い笑みを一つ浮かべた。
「相変わらずですのね。でも安心しましたわ。また貴方《あなた》のお父さんと、貴方の手が存分《ぞんぶん》に裏で動いているのが解《わか》りましたもの。……全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》としてあれだけのメンバーを揃《そろ》えてくるなんて。そして、今後、もっと揃えて来るんでしょう?」
「どうしてそう言い切れる?」
「さっきアブラム部長を見ましたわ。――遠くからですけど、珍しく笑顔で」
「……笑っていたか」
「Tes.、あの人があんな顔をするのは昔話をするときぐらい。御本人|曰《いわ》く、偽《いつわ》りの身だから、本当の八人のことを語るのが嬉《うれ》しいのだそうですけど」
一つ頷《うなず》き、
「いずれ完全に集めるのでしょう? 初期UCATで八大竜王《はちだいりゅうおう》とさえ呼ばれた世界の滅ぼし手と、衣笠《きぬがさ》・天恭《てんきょう》の九人。その彼らの後継《こうけい》となり、更には私達の先に行く人材を」
「――はン、俺には何のことか解《わか》らんな。さっぱりだ」
「|Tes《テスタメント》.、いいですわよ、その物言いでも。解るのは私達だけ、いえ、貴方《あなた》だけですものね。……かつてを忘れようと努めた私と違い、貴方は未だ現役なのですから」
言う。
「でも一つだけ約束して下さいな。彼らを私達のようにはしないと。そして、彼らには未来を与えると。……それがいただけるなら、私は全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》に全面協力しましょう」
「約束は出来ん。だが協力しろ。全面ではなくていいから」
無表情な物言いに、ディアナは肩を落とした。
わざとらしい吐息もつけて、
「複雑な人ですわね。女が約束を求めたら応じるものですのよ?」
「俺が必要なのは約束ではなく、俺が何もしなくていいように働く連中だけだよ。駆け引きは無しだ。 母猫《ははねこ》 は玩具《おもちゃ》で遊ぶ許可を家の主《あるじ》に求めないだろう? お前の仕事は何だ?」
「とりあえず彼らを何度も負かそうと思いますわ」
「ほう、既に気分良くやってきた顔だな」
どちらともなく、苦笑が漏れた。
ディアナは頷き、
「でもこれからも、もっともっと、訓練に顔を出して、ことあるごとに負けていただきますわ。――彼らに時間はなく、実戦での敗北は許されないのですから」
「負けて再起するものだけが強くなれる、か。独逸《ドイツ》UCATの信条だな」
「日本だって同じ道を歩んでますのよ。今の時代、惰弱《だじゃく》が尊ばれているようですけど」
「自分|探《さが》しを自己の内面で決着出来る幸福な国だ。そんなやり方では、自分に都合《つごう》のいい自己しか見つからないというのにな。哲学の本場から見たらお笑いだろう?」
ディアナはやはり頷かない。ただ、笑みの顔で至《いたる》を見て、
「Tes.、少し、安心しましたわ」
「|Sf《エスエフ》が自己|解釈《かいしゃく》で真面目《まじめ》に仕事をしていることか」
「ええ、と言っておきましょうか。……まだ再会したばかりですしね」
そしてディアナは正面、Sfを見下ろす。
「ねえ、Sf?」
「何でしょうか?」
ええと、と告げるディアナの眉尻《まゆじり》はかすかに下がったもの。
困り顔として解《わか》りやすい表情を顔に浮かべ、ディアナは首を傾《かし》げた。
身体《からだ》に触れてくる|Sf《エスエフ》を見つめ、
「さっきから何で、……私のお乳《ちち》をこねてますの?」
「|Tes《テ ス》.、これだけ無意味に大きいと中に何かが入っている疑いが」
「その女の場合はナパーム燃料でも入ってるから気をつけろ」
「自前《じまえ》ですわよっ」
Tes.と言いつつも触れるSfに、至《いたる》が声を掛ける。
「Sf、賢石《けんせき》反応で概念《がいねん》兵器を探してるならスカだぞ。その女、不老《ふろう》の若作りで自分の身体を加工してるからな。趙《ちょう》先生と同じで全身に賢石反応が出る」
「Tes.、得心《とくしん》いたしました。それで特に顎《あご》や胸や下腹《したはら》に賢石反応が――」
「余計なことまで言わなくていいんですのよー、ほらほら可愛《かわい》いですねー」
Sfを無理矢理《むりやり》抱きしめて頭を撫《な》でるディアナは、そのまま半目《はんめ》で至を見た。
彼女は口を横に開き、
「……この子、フォーマット時に変なものインストールしてません?」
至は頷《うなず》きもせず、こう言った。
「そちらの仕様《しよう》だろうが」
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第九章
『遮断の知覚』』
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気付けと命令するのは心
では立ち上がり
ではどうすべきなのか
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UCAT地下一階。地上|搬出《はんしゅつ》口に近い位置に、大型食堂がある。
百メートル四方の食堂の中はほぼ満員だ。人で埋まった八人掛けのテーブルと椅子《いす》に、観葉樹《かんようじゅ》に見せかけた空調機械や自動販売機が並ぶ。
天井に一定|間隔《かんかく》で張り付く時計は午後六時十五分。時刻は夜に向かいつつある。
人の声や足音が重なる中、ほぼ中央に位置するテーブルにいるのは、佐山《さやま》達と、
「ご、御免《ごめん》、ちょっと着替えるのに遅れちゃって」
私服|姿《すがた》の新庄《しんじょう》だ。
白シャツにオレンジのスカートという姿の新庄は、手にドリア定食の盆《ぼん》を持っている。
空《あ》いている席は佐山の横。そこに座った新庄は、改めてテーブルの面々を見渡す。
私服に着替えているのは自分の他、肩に獏《ばく》を乗せた佐山に出雲《いずも》と風見《かざみ》だ。シビュレは相変わらずのまま。皆、それぞれの食事を前に、風見達が持ってきたコピーを手にしている。
コピーを佐山から渡して見せてもらえば、それは2nd―|G《ギア》と、
「大きな人型《ひとがた》機械に、八叉《やまた》を封じた| 機 殻 剣 《カウリングソード》……」
「どれも2nd―Gの技術のものだ。そして」
「そして?」
「――荒王《すさおう》の建造《けんぞう》計画開始は一九四五年三月十二日、か」
ふむ、と佐山は自分がつぶやいた日付を考えている。
「何かあったの? 佐山君」
「いや、少し気に留めておくことがあっただけだ。確信出来たら言おう」
佐山の言葉に新庄は頷《うなず》いた。そして自分も紙をめくり、頭に知識を収めていく。
ふと気づくと、横、佐山がこちらを見ていた。
「……何? ボクの顔に何かついてる?」
「ああ、目と鼻と口と毛が」
「ありふれたネタだけど最後がちょっと新しかったね。……で、何?」
問うと、佐山がわずかに思考《しこう》の沈黙《ちんもく》を見せた。
そして珍しいことに、何か言いあぐねたのか。
「……いや、何でもない。先程《さきほど》、御老体《ごろうたい》と話していて気づいたことがあるのだが、どうすべきか、自分でも少々考え中でね」
そうなんだ、と新庄は追及せずに頷く。
ただ、少しだけ鼓動《こどう》が速くなった。
自分も、考えていることがあるからだ。
それは、昨夜に大城《おおしろ》と話したこと。
……嘘《うそ》。
その、たった一字の単語を、今、気にかけている自分がいる。
……佐山《さやま》君が言いかけたのは、そのことなのかな?
自分から嘘について話したことはない。だが、佐山君は鋭いから、と新庄《しんじょう》は思う。
こちらが隠している真実を、いきなり問われたらどうしようか。
「――――」
そう思い、しかし慌《あわ》てて新庄は頭を左右に振った。
今は自分のことを考えるべき時間ではない。
「ええと」
とそれらしく聞こえる前置きつきで、新庄は資料を見ていく。
元々、本は読む方だ。字ばかりの資料でも、すぐに気を奪われた。
初めて知ることは多い。
荒王《すさおう》の艦長《かんちょう》職に大城《おおしろ》の父らしき名前があることに驚いた。
そしてまた荒王の巨大さにも驚いた。
そういった驚きに導かれるように、新庄は料理が冷めることも気にせず資料を一気読み。
途中、佐山が開発部長の月読《つくよみ》に会った話も詳しく聞く。
十五分前後の時間を経《へ》て、全てを読み終えた。
一息。
紙の背丈《せたけ》を整えながら、皆の紙のめくり具合を確認。
シビュレは何度も一から読み直して暗記中。風見《かざみ》は紙をめくったり戻したり。出雲《いずも》は、
「な、何で目を開けて寝てるの……? 風見さん」
「ウケがとれると思ってるのよ。でもほら、覚《かく》、ビールがぬるくなるわよ。――ほら」
と軽く頬《ほお》を叩いても出雲は無反応だ。
熟睡《じゅくすい》らしい。だから風見は疲れたように吐息。
「ねえ、覚。起きて。ほら、ほら、おーい、ほら、――オルァっ!」
「ごがっ! ……あ、な、何だ? 何か顔に弾《はじ》けるような衝撃《しょうげき》が」
「何言ってるのよ、ほら、ビール」
「あ、ああ、悪いな千里《ちさと》。でも何か釈然《しゃくぜん》としねえんだが……」
新庄は内心で、うわー、とか思いつつ、紙を整え終わる。
と、横で同じように書類を整えた佐山が、
「UCATには情報の空白期間がある、か。――新庄君、ソースを取ってもらえるかね?」
「あ、はいはい。佐山君、天麩羅《てんぷら》にソースかけるんだ……」
「田宮《たみや》家では醤油《しょうゆ》ばかりでね。学生|寮《りょう》に入って反動が来た」
ふうん、と頷《うなず》いた新庄はホワイトドリアにサラダとスープを一つ。正面のシビュレはパンにホワイトシチュー。隣《となり》の風見《かざみ》と出雲《いずも》は焼き肉定食で、出雲は更にビール付き。
こちらの視線に気づいたのか、出雲が泡《あわ》の浮いたグラスを掲げて見せ、
「一応、二十歳《はたち》過ぎてるしな、俺」
横の風見が何も言わずに肉をつまみ始め、シビュレがただ小さく会釈《えしゃく》した。
と、新庄《しんじょう》は興味|本位《ほんい》で問うていた。
「二人は、どうやって知り合ったの?」
「やめておきたまえ新庄君。二人には二人なりのバイオレンスな理由があるのだ、きっと」
「佐山《さやま》、お気遣《きづか》い嬉《うれ》しいけど一体どうして欲しいのかしら?」
笑顔で両の指を鳴らす風見に、佐山がつと視線を逸《そ》らす。
「でも新庄、いきなり何で?」
「うん。二人がどうやって今の関係になったのか、……少し興味があるかな、って」
嘘《うそ》という言葉と、隣《となり》の佐山を思いながら新庄は告げた。
と、応えるように、出雲が空になったグラスを置く。彼は一息ついて、
「そうだな。まあ話してもいいか。……いいだろ千里《ちさと》」
「うーん。……覚《かく》がいいならいいわよ?」
「じゃ、じゃあ話してくれるの?」
「ああ。――あれは忘れもしねえ。確か、ええと、そうだ、ある夏の、雪が降った日でな」
「いきなり忘れている馬鹿は放っておいて風見が話したまえ」
「そうねえ……」
思案《しあん》の間は、佐山が肩の獏《ばく》に煮物を与える分だけ続く。
ふむ、と鼻を鳴らし、風見は口を開いた。
「……簡単に言うとね、覚は10thの姫と出雲社社長の間に生まれた子なのよ。で、10thの和平派が作った近畿《きんき》地方の居留地《きょりゅうち》に預けられていたんだけど、戻ってくるとき、出雲家に怨恨《えんこん》あった6th―|G《ギア》の人達に襲われてね」
「それで俺が負傷したのを千里が拾ったわけだ。凄《すご》かったんだぜ、あの頃の千里は」
「やだ覚、そんな、凄いだなんて」
「ああ、怪我《けが》してる俺を女子|寮《りょう》連れてきたら、夏場だってのに部屋がねえからって」
「え? ま、まさか、いきなり自分の部屋に?」
「いや、校舎|裏《うら》のワックス倉庫に叩き込んで半日《はんにち》忘れ去っていてな」
「おいこら覚」
「俺は怪我の痛みと脱水《だっすい》症状と気化したワックスの密室で発狂《はっきょう》寸前まで――、こ、こら千里、嘘《うそ》じゃねえぞ。拳《こぶし》を構えるのは道理を伴ってねえ。事実|隠蔽《いんぺい》だ」
ち、と舌を鳴らす風見に、新庄はぽかんと口を開け、
「風見さんって……」
「その先を言ったらどうなるかしら?」
笑顔で言われて、新庄《しんじょう》は慌《あわ》てて首を横に振る。
そして周囲を見れば、広い食堂内にいる幾《いく》らかが出雲《いずも》と風見《かざみ》の声に耳を傾けていた。
目の前、風見はそんな皆を見渡し、椅子《いす》に浅く腰掛け直す。
「たった二年前のことよ。――私はそこでまあ、佐山《さやま》、アンタと同じような状況。覚《かく》がUCATに引き取られて、忘れ物届けに行こうとしたら、6th―|G《ギア》との戦闘に巻き込まれたわ」
「6th―Gの大将格《たいしょうかく》はボルドマン、UCATに運搬《うんぱん》途中だった|G―Sp《ガ ス プ》と、試作品だった|X―Wi《エクシヴイ》の争奪戦《そうだつせん》だったが……」
「どちらも、概念《がいねん》空間に落ちた私の目の前にあるんだもん。トレーラー横転《おうてん》しててさ」
「その後、6th―Gの概念核はUCATに譲渡《じょうと》され、用意されていた|V―Sw《ヴイズイ》に収められた。あとまあいろいろあったが……、6thと10thの全竜交渉《レヴァイアサンロード》は、実質、そのときに決着しちまってるんだ」
新庄は見る。目の前の三人と、自分達を囲むUCAT職員達の視線を。
それぞれが真剣な表情をこちらに向け、視線が合うと会釈《えしゃく》を返す。
横の佐山が煮物をつまみ、
「酒を飲むよりも、そういう話をした方が大人《おとな》に見えるものだな」
「うん、いつもそう見えないからね。見直した。ちゃんと出雲さんって呼ばないとね」
「覚、今、アンタの人格否定がごく自然に行われているけど」
「そうなのか。詳しいことはよく解《わか》らねえが新庄、俺のことを尊敬してもいいぞ」
どうしたものかと新庄は佐山を窺《うかが》う。と、佐山が促《うなが》すように頷《うなず》き、
「正直に、心に浮かんだ言葉をハッキリ言うといい」
「だ、駄目《だめ》だよっ、それ言ったら風見さんに非道《ひど》いコトされるよボク」
告げた言葉。それに対してシビュレが真剣な顔を挙げてこう言った。
「新庄様? 失礼ですが、千里《ちさと》様はちゃんと命は残しておかれますよ?」
「どういう意図の日本語か計りがたいが、風見、――人生しくじったと思うことはないかね?」
「別に覚といるときだけなんだけどなー……。それに、今夜は実家に戻るから常人《じょうじん》生活よ」
ほう、と佐山が言い、へえ、と新庄は言う。対する風見は、
「いつもは日曜日に帰ってるんだけどね。これからちょっと忙しくなりそうだから金曜の今日に帰って明日《あした》からは寮《りょう》に| 常 駐 《じょうちゅう》するわよ。明日、行くんでしょ? 昭和記念公園」
「ああ、そのつもりだ。事前交渉として、いろいろ思うところがある」
「ふうん。……でもホントに、あの公園に全高五〇〇メートルの人型《ひとがた》機械があるのかしら? 私、中学のときはよく部活のマラソンとかで走ってたんだけど」
風見の言葉に応えたのは、佐山達ではなかった。
佐山の背後、ゆっくりと動いた空気の流れとともに、一人の男の声がする。
「あるよ」
と来た声は更に続き、
「明日《あした》見に行くならば、この東京の現実を見据《みす》えてくるといい」
え? という疑問|詞《し》とともに新庄《しんじょう》は振り向いた。
左。
そちらに対して風見《かざみ》達が身構える動きと、出雲《いずも》がビールを注ぐ音が響《ひび》く。
テーブルの左|縁《ふち》。そこにいつの間にか、一人の男がいた。
作業着の上に白衣《はくい》を着込んだ眼鏡《めがね》の青年。
彼は右|脇《わき》にノートパソコンを挟み、左脇に弁当箱を持って立っている。
黒い瞳が嫌味《いやみ》ない色でこちらを見て、
「2nd―|G《ギア》の鹿島《かしま》・昭緒《あきお》。――僕が2nd―Gの概念《がいねん》解放に立ち会う代表になった」
告げられた言葉に、皆が息を浅く飲む。
月読《つくよみ》が佐山《さやま》に告げた軍神《ぐんしん》の名。
そして先ほど見た資料、巨大な人型《ひとがた》機械の副艦長《ふくかんちょう》の姓《かばね》はカシマというのではなかったか。
……まさか。
という思いは、おそらく間違いではあるまい。右手側、佐山が己の雰囲気《ふんいき》を緊《きん》に変えるのを感じながら、新庄は思う。
……次の全竜交渉《レヴァイアサンロード》が、始まったんだね。
頷《うなず》くように、鹿島と名乗った男はこう言った。
「さて、どういう形で 全竜交渉《レヴァイアサンロード》 を行おうか?」
まるで遊びにでも行こうかという気楽な問いかけ。
それに対して応じたのは、佐山だった。
彼の対応は、まず、疑問から。
「全竜交渉《レヴァイアサンロード》というが、君達の概念核は、用意出来ているのかね?」
「ああ、それはもう在処《ざいしょ》がハッキリしている。2nd―Gの概念核の変異《へんい》した姿、炎竜八叉《えんりゅうやまた》は、荒王《すさおう》の艦橋《かんきょう》部に突き立てられた神剣十拳《しんけんとつか》に封じられているのさ」
もう知っているんじゃないのかな? と鹿島は、自分達が持つ書類に視線を向け、
「あとは僕達がどのような交渉をするのか。そして君が八叉に認められるかどうか」
一息。
「それだけが問題となる」
夜の街の中に、その森はあった。
一見は広大な森。
だが、森の前、南側の駅に面した位置には、大規模《だいきぼ》駐車場がある。
駐車場に構えられた看板にあるのは昭和記念公園という六つの漢字。
ここは国営の自然公園だ。
駐車場に立っている大時計は時刻午後七時半を差す。
既に公園は閉園《へいえん》している。
今、夜闇《よやみ》にあるのは木々の森と、アスファルトの細道。
広大な空間を遠く望めば、大型プールや休憩《きゅうけい》施設などが闇に沈んで見える。
ふと、南側から列車の音が響《ひび》いてきた。
JR西立川《にしたちかわ》駅を通過する電車の音だ。
音は静かに、人工の森の中へと入り、染み込んでくる。
誰も聞くはずのない音。だが今、その音を聞く人影があった。
閉園した公園の中、昼はサイクリングコースとして使用される道路の上に、二つの女性の影がある。
一人は長身の少女。直立するシルエットは黒髪《くろかみ》を頭の後ろで結《ゆ》ったもので、黒シャツに白のベストという姿が闇に映《は》える。
彼女は、闇の中にただ立っている。
すると、背後から早歩きで一人の少女がやって来た。
背の低い少女だ。黒のロングヘアの下、白のブラウスに黒のベストという姿。
黒目がちの視線が、前に立つ少女を見上げ、
「歩くの速いですよ命刻《みこく》義姉《ねえ》さん、追いつけないです」
「だから来るなと言ったのだ、詩乃《しの》、まだまだ歩くぞ」
長身の少女、命刻の言葉に、追いついてきた詩乃は吐息。残念そうな口調で、
「折角《せっかく》、1st―|G《ギア》の隠《かく》れ家《が》を訪ねて以来のハイキングだと思ったのに……」
「……詩乃の脳内辞書《のうないじしょ》ではハイキングの意味がズレているらしいな」
「じゃあ、ハイキングの定義って何です?」
「晴れた日曜日に手作りの弁当を持って歌を謡《うた》いながら山野《さんや》を駆けめぐることだ。粋《いき》だろう。怠惰《たいだ》な休日に塩の握り飯《めし》だけを持って、軍歌|斉唱《せいしょう》しつつ山岳|縦走《じゅうそう》なのだから」
「何だかそれもズレているような気がするんですが。命刻義姉さんも実は知らないですね?」
「な、何を言う。 |高地の王者《ハ イ キ ン グ》 と言うからにはそのくらい当然だ」
「ふうん……」
「何だその目は」
「いえ別に――、いひゃいいひゃい! 頬《ほお》引っ張らないでー!」
命刻は詩乃の両|頬《ほお》を離して吐息。
「ともあれ今夜は感傷《かんしょう》重視の散歩だ。今回私達は、2nd―Gと接触しないからな」
「それほど、2nd―|G《ギア》はUCATと密接しているんですか?」
「ああ、ハジ義父《とう》さんとしては、接触を持つことでUCATに私達の情報が流れる危険性が高いと判断したのだ。そして」
命刻《みこく》は背後、進行方向へと身を向けた。
「もはや2nd―Gは|Low《ロ ウ》―Gの住人だから、接触しても仲間に引き込めぬと」
「惜《お》しいですよね。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の|V―Sw《ヴイズイ》を作ったのも、素体《そたい》だけだった|G―Sp《ガ ス プ》をG―Sp2に改造したのも、日本UCATの開発部なのに」
「それだけではない。ここにある十拳《とつか》、八叉《やまた》を封印《ふういん》した| 機 殻 剣 《カウリングソード》も、2nd―Gによるものだ」
と命刻は言って歩き出す。数歩目で、後ろから足音がついてきて、
「で、でも、どうしてその十拳を奪わないんです? ここの概念《がいねん》空間の中にあるなら、忍び込んで取ってくればいいじゃないですか。命刻|義姉《ねえ》さんなら、出来るでしょう?」
「一応、UCATの管理下にあるんだがな、ここは。概念空間に越境《えっきょう》すれば自弦《じげん》振動の変化から気づかれる可能性もある。私一人で奪ってくるのは難しいだろう」
それに、と命刻は告げた。
「八叉を解放する手段も、封印する手段も、2nd―Gの一部の人間に伝えられているだけだと言う。――つまり、十拳を得ても、私達にはどうしようもない」
「その解放や、封印手段というのは……」
「何かの言葉だと聞く。ただ、それも2nd―Gの帝《みかど》に通じる者が行い、正しき解答を述べる者がいなければ駄目《だめ》だ。だが私達 軍 には、2nd―Gの有力者も、その解答を知る者もいない。……八方《はっぽう》ふさがりでな」
そうですか、と背後の声が残念そうに。
対する命刻は苦笑。歩きながら頭上《ずじょう》を見た。
森の中、木々の上に見える空には星がある。
「ともあれ今日は気楽にしていろ。散歩が目的だ」
「はい。……でも、この先にあるんですね?」
「ああ、感傷があるのだよ。――2nd―Gの技術の粋《すい》、荒王《すさおう》と十拳が」
鹿島《かしま》と名乗った男は、テーブルの端、通路側に椅子《いす》を持ってきて座った。佐山《さやま》から見て新庄《しんじょう》を挟んだ向こうだ。
彼が広げた弁当箱は洋風の手作り弁当。
佐山は、林檎《りんご》の皮が兎《うさぎ》になっているのを見て、彼の家人《かじん》の作品だろうと判断する。
食事をしつつの鹿島の話は、今までの自分達の調査を補足するものだった。
彼は概要《がいよう》を話し、コロッケを喉《のど》に通した上で、言葉を終える。
「――そして君達の言う通り、八叉《やまた》は概念《がいねん》空間の中で未だ十拳《とつか》に封印《ふういん》されたままだよ」
「しかし、東京で封印するとは思い切ったことだ……」
「その封印は、君のお爺《じい》さんが理論を構築《こうちく》したものだと聞いている」
不意の一言。
自分が知らぬ祖父の過去に、佐山《さやま》は左の胸を押さえた。
すると、こちらの動きに応じるように、胸が軋《きし》み始めた。
「――く」
漏れた声に鹿島《かしま》が眉を動かし、こちらを見た。
彼はプラスチック製の箸《はし》を止め、
「どうしたんだ? 病気か?」
慌《あわ》てた声の問いに、新庄《しんじょう》が肩を震わせて振り向いた。眉尻《まゆじり》の下がった顔に佐山は痛みを感じながらも苦笑。
差し伸べられる新庄の手に体重を預け、安堵《あんど》を得る。
息が詰まっているため、唇の動きで言葉を告げた。
それを見た新庄が鹿島に首を向け、
「気にしないでいいって」
佐山は頷《うなず》き、気を楽にして息を吸う。
体を起こす。
見れば風見《かざみ》と出雲《いずも》、シビュレがわずかに姿勢を正していた。
彼らがこちらを気にしていたという事実に、佐山は更に身を楽にする。
そして彼は鹿島に告げた。
「身内《みうち》の過去のことを聞くと、軋むのだよ」
「難儀《なんぎ》だね。……身内の過去か」
安堵の吐息で目を細めた鹿島に、佐山は思う。
やはり彼も、何か身内や、己の過去に考えることがあるのだろうかと。
そして佐山は更に思う。
……何も無い者などいないか。
「――では、話をしてもらえるかね? 先ほど、貴方《あなた》はこういう意味のことを言った。2nd―|G《ギア》の概念核である八叉の在処《ざいしょ》は、荒王《すさおう》頭部|艦橋《かんきょう》に突き立つ十拳だと。そして、あとは自分達がどのような交渉をするのか、そして我々が八叉に認められるかが問題だと」
だが、
「認められるとは……、どういうことかね?」
こちらの疑問に対し、鹿島は困ったような顔で髪を掻《か》き上げた。
「単刀直入《たんとうちょくにゅう》に言おうか。2nd―Gの概念核は管理システムと同調|暴走《ぼうそう》して八叉になってしまった。ゆえに、もし概念《がいねん》核を手に入れようとしたら――」
「したら?」
「君は八叉《やまた》の許可を得なければならない。八叉の問いに答え、理解を得なければ」
「では、八叉と私が交渉するのか」
「いや、仲介《ちゅうかい》役が必要だ。八叉は人語《じんご》を話さないからね。――僕が代わりに問うんだ。八叉を制御する言葉を、一つの問いかけとしてね」
問いかけ? と問うたのは風見《かざみ》だ。対する鹿島《かしま》はそちらに一度視線を送り、
「八叉は一つの問いの答えを求めている。かつて一度それに答えた者がいたが、八叉|封印《ふういん》の際に焼かれて死亡した。つまり、封印は出来たが、答えを知る者が死んでしまったんだ」
「私に望まれているのは、八叉を一度解放した上で、八叉の問いに答えて| 恭 順 《きょうじゅん》させ、しかも死ぬなということか」
頷《うなず》く鹿島を見て、佐山《さやま》は肩の獏《ばく》に視線を一度だけ送る。
「八叉の問いは、過去の映像として見た」
「どんな問いだった?」
問いに佐山は夢で見た過去の映像を思い出す。
閉じていく門の向こう、炎《ほのお》の海から響《ひび》いたのは、
「叫びだった。竜の……、意志が伝わる響きだった」
「答えは見たかい?」
「いや、竜の問いと同時に夢の中で 門 が閉じた」
それは良かった、と鹿島は微笑。
「八叉の問いと答えは、2nd―|G《ギア》の帝《みかど》と技術長に伝えられていたものだ。……| 機 殻 剣 《カウリングソード》十拳《とつか》の制作者であったカシマの家系、つまり今は僕に、ね」
そして彼は弁当からまたコロッケをつまみ、飲み込んだ上で、
「では、どうしたものだろう? もし、君が2nd―Gとの全竜交渉《レヴァイアサンロード》を行うならば、……僕達は全竜交渉《レヴァイアサンロード》として、何を引き替えに交渉すべきだろうか」
彼の言葉に、ふと、テーブルにつく皆が身動きを停めた。
沈黙《ちんもく》。
その静けさの中、佐山は思う。ここからが本論なのだと。
肩の獏《ばく》が雰囲気《ふんいき》を察知《さっち》したのか、新庄《しんじょう》や風見達の方に顔を向け、首を傾《かし》げる。
対する鹿島はテーブルに肘《ひじ》を着き、両の手指を顔の高さで絡めた。
「いいかい? 僕達2nd―Gの人間は既に帰化《きか》しており、この世界の住人として違和感《いわかん》なく生活出来る。そして現状で充分満足していて、何かの波を立てるようなことも望んでいない。ならば今回は、君のお爺《じい》さんの遺言《ゆいごん》を無視して、全竜交渉《レヴァイアサンロード》などせず――」
「貴方《あなた》が私に、無条件で八叉の問いの答えを教えた方が……、楽ではあるね」
誘うように告げた佐山《さやま》の言葉に、ややあってから鹿島《かしま》は頷《うなず》いた。
「そうだね。……その方が楽だよね?」
森の中、歩く命刻《みこく》と詩乃《しの》は、言葉を交わしていた。
「まだですか? 荒王《すさおう》は」
「もう少しだ。――詩乃は、ここに来るのは初めてだったか」
「今更《いまさら》気づかないで下さい……」
詩乃は吐息。空気が冷たくなってきたのか、襟《えり》を寄せ、
「初めて来ました。ここ。何度か電車の中から見ていましたけど」
「ふむ。――まあ、実は私も二度目だ。一度、竜美《たつみ》に連れられて夜に来たことがあるな。三月末からは、夜九時くらいまで花見用に夜も開くんだ、ここは」
「あ、私、それ知らないです。命刻|義姉《ねえ》さんずるい」
「そう言うな、もう七年近く前だ。詩乃はまだ幼かったから、確か寝てしまっていたと思う。……ハジ義父《とう》さんが言ったんだ、竜美と二人でこの世界の一面を見てくるといい、と」
最後の言葉に、詩乃がかすかに眉尻《まゆじり》を下げた。
「竜美さんは、ちょっと未練《みれん》あったもんね。……この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に」
「私達とは少し違う流れがあったからな」
そうですね、と告げた詩乃は、顔を上げ、
「でも、どうして今日、ここに来たんです?」
「感傷《かんしょう》の散歩だと、そう言っただろう?」
「その感傷って、何なんです?」
問われ、命刻はわずかに眉を歪《ゆが》めた。面倒《めんどう》なことだという顔で、
「ここに存在する概念《がいねん》空間には荒王がある。が、発見される危険が伴うので中には入らない」
「はい」
「だが、それを見ることなく、ただ思いを馳《は》せるのは、……大切なことだと思うのだ」
一息。
「ここでは確かに戦いがあった。――そしてその後、どうなっているのか。それを思うことなく過去を語るようになっては、いけないだろう?」
問いに、詩乃が横に並んだ。表情は力を緩めたもので。
「……そうですね」
「同意ならば、耳を澄ませるといい。詩乃、お前の力ならば、この世界がどうなったのかが明確に解《わか》るはずだ」
はい、と詩乃が歩きながら、あたりを、木々の闇の中を見回すと、
「…………」
沈黙《ちんもく》の後、苦笑した。
「どうした? 詩乃《しの》」
「皆、寝てますよ。木々も草花も、鳥や獣《けもの》も」
「解《わか》るか? 昼に来られるならば、そうした方が良いのだろうが」
「いえ。昼間の明るい内より、朝方に来てみたいですね。その方が皆、元気ですから」
成程《なるほど》、と命刻《みこく》は静かに周囲を見渡す。
「皆、気づいているだろうか。自分達の住処《すみか》が人間の管理によるものだと」
命刻はそう言って、穏《おだ》やかな視線を空に向けた。
「気づかれていないならば、それは、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の管理がよく出来ている証拠《しょうこ》なのだが」
「管理していることが、悪いことだと思いますか?」
「良い管理は悪い自由よりいいことだ。だが、――戦いさえなければ、そんなものは生まれず、ただの自然があっただろうにな」
命刻の視線の先、夜空の中を小さな光が移動している。横田《よこた》基地から飛び立った飛行機だ。
「この昭和記念公園、元々は旧《きゅう》日本軍の陸軍《りくぐん》が所有していた飛行場だそうだ」
「立川《たちかわ》飛行場ですよね。プロペラ機が宙返りするのがやっとの時代のお話」
「そう。それが戦後に米軍に接収《せっしゅう》され、その際にUCATの手で大型の概念《がいねん》空間を設けることになった。そして一九四六年、UCATはその概念空間で八叉《やまた》の封印《ふういん》に成功。六九年に八叉の封印が安定したことが解ると、米軍はここを飛行場として使うことを止めた」
一息を入れ、
「七五年には昭和天皇|即位《そくい》五十周年事業として、日本のお偉いさん達が一つのことを決めたのだ。生き残ったこのLow―Gと、滅びたGのため、八叉封印の概念空間を大公園で鎮霊《ちんれい》することに、な」
「この公園は、つまり……」
「ああ、七七年に米軍が立川基地を返還《へんかん》すると一気に調査と開発が進み、八三年には飛行場だった場所が丘すら持つ大型の自然公園に変わった。水場があり、緑があり、手入れと管理を受け、生き残ったものが生の享受《きょうじゅ》を我知らずと謳《うた》うことが出来る場所。これは、――まさに巨大な慰霊地《いれいち》だよ」
森が開け、大きな池が見えた。ボート乗り場を持つ池の上、幾つも浮いている影は眠りについて首を畳む鴨《かも》の群だ。
命刻が足を止めた。そして言う。
「ここだ」
一息。
「ここに荒王《すさおう》がある」
どうしたものか、と、そんな意図を持つ鹿島《かしま》の言葉とともに、小さな音が響《ひび》いた。
皆が見たのは、出雲《いずも》の手元。空《から》になったグラスがテーブルに置かれる音だ。
周囲、食堂にはざわめきや椅子《いす》の動く音などが響《ひび》いている。
だが、佐山《さやま》とその周囲には、思案《しあん》と停滞の生む静けさがある。
「どうしたものか」
改めて鹿島が放った言葉に佐山は思う。
……ここで八叉《やまた》の問いに答えを聞きたいと言えば、聞かせてくれるだろうか。
これは駆け引きだ、と判断する。
きっと答えを聞くことは出来る。だが、それをしたら、
……この鹿島という男は、私を見切るのではないか。
おそらく、信用は得られまい。
佐山は鹿島の作業着とノートパソコンを見て、内心で頷《うなず》いた。
技術者とは職人|気質《かたぎ》なのだ、と。
だから聞くことは出来ない。
だが、交渉して聞こうにも、2nd―|G《ギア》は現状に満足している。
……これを考えるということが、2nd―Gと向き合うということか。
思い、佐山が腕を組んだときだ。
己の右、横にいきなり気配を感じた。
「……!」
振り向いた視線の先、すぐ横の空《あ》いていた席に、一人の男が腰掛けている。金に染めた短髪の男、痩躯《そうく》を白の戦闘用コートに包んだ彼は、既に| 丼 《どんぶり》の蕎麦《そば》を半《なか》ば片づけている。
彼はこちらを見ない。蓮華《れんげ》を使って月見《つきみ》の卵を口に入れると、ゆっくりと丼を口につけ、つゆを飲み始めた。
そのときになって、風見《かざみ》が彼に気付いた。
「な……」
続いて出雲が、新庄《しんじょう》が、シビュレが気付き、慌《あわ》てて顔を向ける。
だが、派手な音をたててつゆをすする男はこちらを見もしない。
皆がじっと彼を見た。そのときだ。鹿島の声が響《ひび》く。
「歩法《ほほう》はやめておけ、熱田《あつた》」
熱田と呼ばれた男が、つゆを半ばまですすり終え、丼から顔を上げた。
そしてこちらを、直近《ちょっきん》で見る。黒い瞳が弓にしなり、鹿島の方を見て、
「おい鹿島」
鰹《かつお》の匂《にお》いがする息を吐き、
「他の誰が何と言おうと、口先で全てが終わるのはいけねえな」
彼の言葉に、佐山《さやま》は眉をひそめた。
2nd―|G《ギア》にもこういう者がいるのか、と半《なか》ば驚き、半ば呆《あき》れつつ、
「それを決めるのは貴様《きさま》ではない」
と言った直後だ。
「あ」
と風見《かざみ》が声を挙げた。
何事か、という問いはすぐに答えで返される。
熱田《あつた》の手にある箸《はし》に、見慣れたものがつままれていた。
獏《ばく》だ。
熱田はこちらを見たまま、獏を| 丼 《どんぶり》の上に移動させ、
「ぽちゃん」
落とした。その上で箸を拳《こぶし》で握って回し、汁に渦をたてる。
「どうだ坊主《ぼうず》、お前のペットがこんな目に遭《あ》って――」
熱田の言葉が進む間、獏は丼の中を高速に回っていた。が、しかし、渦の中心点まで来ると前|脚《あし》を上に上げてバレリーナのように旋回《せんかい》を開始。
対する佐山が首を傾《かし》げ、
「こんな目に遭って……、何かね」
疑問を聞いた熱田は眉をひそめ、獏を見て、
「楽しそうじゃねえか……」
「刹那《せつな》的な生き物なので何事も享楽《きょうらく》だ。わくわくマゾ気質なのだよ」
そのときになって新庄《しんじょう》が身を震わせた。
「な、何|和《なご》んでるんだよ佐山君っ! 嫌がらせなんだから取り戻さないと!」
焦りを帯びた声の調子に佐山は悟る。新庄君は、今になって、獏に気づいたのだと。
そして佐山はもう一つの事実に気づく、この熱田という男の行動は、……月読《つくよみ》部長やディアナが見せた技と同じものか……。
思った瞬間《しゅんかん》。佐山は動いた。
熱田の持つ丼の中に右手を叩き込んだのだ。
「――――」
いきなりの動き。そうでなければならない。
相手がこちらの知覚外で動き出すより早く、不意打《ふいう》ちで叩く。
右手が丼の中の蓮華《れんげ》をはじき、獏を掴《つか》み、蕎麦《そば》のつゆを跳ね上げた。
直後。熱田が歯を見せる笑みを作る。
「面白え」
言葉が飛んだと同時。
いつの間にか、右手を突っ込んだ| 丼 《どんぶり》が床に投げ捨てられていた。
右手にいたはずの獏《ばく》が消えている。
見れば熱田《あつた》の箸《はし》の先にまた獏がつままれていた。
熱田が笑みを見せ、獏を掲げる。
「どうよ?」
問いに、佐山《さやま》は自分の右手を見た。スーツの右|袖《そで》は茶色く湿り、湯気《ゆげ》を立てている。
「成程《なるほど》、知覚外に出るのは一瞬《いっしゅん》で出来るようだな」
「随分《ずいぶん》と余裕《よゆう》じゃねえか」
「当たり前だ。私の余裕の大きさは天に等しいよ?」
佐山は言った。笑みを見せ、
「そしてその余裕から親切に言うが、――投げ捨てた丼をよく見た方がいい」
は? と熱田が箸で獏をつまんだまま、下を見た。
タイルの床に丼が転がり、つゆをこぼしている。だが、そこには一つの物が足りない。
「まさか――」
熱田がつぶやいたときだ。
上からそれが落ちてきた。
蓮華《れんげ》。
「無作為《むさくい》に、派手な動きで右手を叩き込んだわけではない」
手で弾《はじ》き上げられて落ちてきた蓮華は、熱田の構える箸に当たる。
かすかな力が箸に加わり、熱田が一瞬そちらを見た。
それが隙だ。
次の瞬間、佐山は右手で獏を箸から弾いていた。
弾く方向はこちらの背後。そして熱田が追ってこれぬよう、彼の方に一歩を踏む。
対する熱田はわずかに摸を見て、苦笑した。
「どこに弾いてんだ? テーブルに落ちるぜ」
「心配無用だ。何もかも貴様《きさま》の上を行っている」
言葉とともに、背後で獏が受け止められる音がした。
佐山は首の動きで後ろに振り向く。
そして佐山は確認した。
獏を両手で受け止めたのは、
「おっと」
やはり鹿島《かしま》だ。彼はやれやれ顔で獏を手に、
「すまない。仲間が迷惑《めいわく》を掛けた。後で洗ってやってくれ。その服も」
吐息|混《ま》じりに言う鹿島《かしま》は、熱田《あつた》を見た。
「あのな、一体何しに来た?」
「餓鬼《がき》どもが、どのくらいで頭に火ィつけて怒るか見に来たのさ」
熱田の声に、ふと佐山《さやま》は鹿島と視線を合わせた。
このような挑発《ちょうはつ》行動があるということは、逆に言えば、
「――2nd―|G《ギア》は、本当に、我々とどういう交渉をするか、決めあぐねているのだな」
「情《なさ》けないことにね」
と、鹿島は白衣《はくい》の裾《すそ》で獏《ばく》を拭《ぬぐ》ってからテーブルに載せる。そして肩を竦《すく》め、
「僕、鹿島は、2nd―Gでは最強の軍神《ぐんしん》であり、剣工《けんこう》の家系だ。でも、そうは見えないだろ? ……これが現状なんだよ。2nd―Gの大半《たいはん》は、己が本当に2nd―Gなのか解《わか》らなくなってしまっているんだ」
その言葉に、声を挙げた者がいた。
「違うだうが!」
熱田だ。
鹿島の言葉と熱田の叫びに、新庄《しんじょう》は息を飲んだ。
熱田は声を挙げる。
「2nd―Gの大半はそうかもしれねえ。でも、お前は自分の力を隠し――」
そこまでだった。
熱田はそこで言葉を飲み、全身に力を込めて何かを堪《こら》えた。
そんな熱田の台詞《せりふ》に、新庄は鹿島のことを思う。
……自分の力を、隠しているの?
何故《なぜ》? という内心の問いに答えはない。
そして解るのは、
……この熱田という人は、鹿島さんが自分より上だと認めてるんだ……。
熱田という男の実力は今見たばかりだ。
知覚外からの歩法《ほほう》。
訓練室でディアナが相手一人と限定していたのに対し、熱田というこの男は違う。
下手《へた》をすると、この食堂内|全《すべ》ての者の知覚から外れることが出来るかもしれない。
現に、全竜交渉《レヴァイアサンロード》で前衛を務める風見《かざみ》や出雲《いずも》、佐山でさえ、熱田を知覚出来なくなっている。
それほどの男が認める鹿島は、自らをこう言った。
……自分が2nd―Gの人間なのか、解らない、と……。
どうしてだろう。
どうして力があるのに、認めることが出来ないのか。
それは自分自身に対する疑問だ。
その理由は解《わか》っている。
……嘘《うそ》があるから。
かつて大城《おおしろ》に告げた言葉を、新庄《しんじょう》は胸に飲んだ。
そして、別の言葉で、新庄は問うていた。
「ひょっとして、――鹿島《かしま》さんは何か嘘《うそ》をついているの?」
声が食堂に響《ひび》いた。
だが新庄は迷わない。
まるで自分に問いかけるように、動きを止めた熱田《あつた》と鹿島の両方を見渡し、問いかけた。
「その嘘のために、鹿島さんは、……自分が2nd―|G《ギア》の人間だと思えないの?」
告げた言葉に返ってきたのは二つの動き。
沈黙《ちんもく》と、
「……知った口をきくんじゃねえ!!」
熱田の叫びが食堂を走った。
そして彼が身構えると同時、応じるように動く者がいた。
それは、出雲《いずも》だった。
命刻《みこく》は、空の星々の明かりを映す水面《みなも》を見る。
前、人工の湖面を渡ってきた夜風が、自分の身体《からだ》の横を抜けていく。風の行く先は背後の森の中で、枝葉《えだは》がかすかに揺れてさざめきの音をたてる。
と、不意に命刻の耳が、周囲にある自然の物音とは違うものを聞いた。
詩《うた》だ。聖歌《せいか》、清しこの夜。
「Silent night Holy night――/静かな夜よ 清し夜よ――」
周囲の静けさを破らぬ澄んだ声に振り向けば、詩乃《しの》がうつむき、小さく口を開いている。
謳《うた》うと言うよりも口ずさみ、区切るように告げる言葉。
緩い春の夜風が、声を流し、大気に染み通らせる。
「Promised to spare all mankind――/人の全てを赦《ゆる》すと約束したことを――。
Promised to spare all mankind――/人の全てを赦《ゆる》すと約束したことを――」
詩が終わり、そして詩乃が顔を上げた。
命刻の視線の先、詩乃の黒目がちの瞳が水面を見る。
彼女の細い手がこちらに伸びてきた。
命刻《みこく》は、詩乃《しの》に左|袖《そで》の後ろを掴《つか》まれる。その弱い力に、命刻はかすかに息を飲み、
「……解《わか》るか?」
「ええ、私には解ります。……確かにこの池ですね。荒王《すさおう》がいるのは」
ああ、と命刻は頷《うなず》き、改めて静かな水面《みなも》を見た。夜の闇の下、同じ色をもってたたずむ水の広がりには、波一つ立ってはいない。
「炎竜八叉《えんりゅうやまた》を抑える意味もあり、荒王が立つ位置と重なるここには水場が用意された。概念《がいねん》空間内でも、封印《ふういん》後、荒王周辺は湖が構えられたと聞く」
横、詩乃が周囲を見渡す気配がある。
周りにあるのは人工の森と湖。
「……2nd―|G《ギア》はバイオスフィアだと聞きました。ここも同じようなものですよね」
「これが、多くの犠牲《ぎせい》を払って|Low《ロ ウ》―Gが手に入れたものの一つだ。平和な空間、だが、平和をもはや人工で作らねば自覚出来ない皮肉《ひにく》はどうしたものか」
「…………」
「私達が来れるのはここまでだ。だが詩乃、今、この平穏《へいおん》な空気を見て思ったことを憶《おぼ》えておくといい。たとえどうあれ、ここは、今という時間にとって有《あ》り難《がた》い場所なのだから」
「――はい」
詩乃の頷きに命刻は会釈《えしゃく》を返す。
「……しかし、ハジ義父《とう》さんも言っていたが、2nd―Gの住人を我々 軍 に引き抜けないというのは少し惜しいことだな」
「人間関係って難しいですよね。1st―Gの人達とは仲良くなれませんでしたし」
「まあ、ハジ義父さんが外連味《けれんみ》濃すぎなのがいかんのだが。……警戒《けいかい》させて喜んでいるフシが多分にあるからな。自重《じちょう》してもらわねば」
言うと、袖を握る手に力が込められた。
「死んだかと思いました」
その言葉に、数秒おいてから命刻は反応。
「ファブニール改の砲撃《ほうげき》を受けたことか。また古いことを」
「死んだかと思いました」
もう一度、同じ口調で同じ言葉。だから、命刻は告げる。
「大丈夫だ。私は死なない。……だからお前も心配するな、詩乃」
そして命刻は、詩乃に掴まれた手を上げた。
左の手指、わずかな硬さを持った剣士《けんし》の手を、詩乃の頭に載せる。
袖《そで》から離れぬ詩乃の手に命刻は苦笑。
「な、何がおかしいんですか?」
「私の手を掴んで自分の頭を撫《な》でさせているように見える」
軽く目を見開いた詩乃《しの》は、赤くなって手を離す。
そんな詩乃の髪を命刻《みこく》は手で梳《す》き、撫《な》でた。眉から力を抜き、
「もう少し大人《おとな》になったらどうだ」
「なりたいと思ってなれるものじゃないですよ」
指を胸前《むねまえ》から首に上げ、襟《えり》の中に浅く入れる。
首元、金の鎖《くさり》がある。指は爪で鎖を絡め取り、下から飾りを引き上げた。
小さな青い石。わずかな光を放っているそれを見て、詩乃は吐息。
「私のも、命刻|義姉《ねえ》さんみたいに身体《からだ》に――」
「詩乃」
命刻はその一言で詩乃の言葉を止めた。続いて口を開き、
「きっといつか、お前には何か捨てるときが来る。奪われるのではなく、捨てるときが」
「…………」
「何しろ私達は、いろいろなものを抱えすぎているからな。全ての世界のために」
だが、と命刻は告げた。
「捨てれるものが多ければ多いほど、その人は幸いだったということだ。そして、その後も、同じように幸いを得られるということだ。だから、何もかも、己のものにしようと思うな」
「そんな、不確かな未来のことを……」
「不確かだが、今、お前が多くのものを持っているのは確かだ。少なくとも私よりも」
命刻は詩乃の頭を平手《ひらて》で二、三度軽く叩く。眉尻《まゆじり》を下げたまま笑みを作り、
「まあ、こんな哲学|問答《もんどう》をしていても考え込むばかりで頭は悪くなる一方だ。……一つ、大人の仕事をしてみるのはどうだ?」
え? と詩乃は顔を上げた。赤くなって、手指を絡めて揉《も》みながら、
「あ、あの、大人の仕事って、その、ええと、……い、いやらしいこととかっ?」
「違う。……アレックスを整備してる連中が読む新聞にはロクなことが載ってないな」
「え? でも、世の中の課長や部長さんは皆いやらしい人ばかりで被害者はいつも女《おんな》係長で」
「それは一部の小説の話だろうが。ついでに言うとゴールインは部下の美男子《びなんし》とだがな」
「命刻義姉さんだって読んでるじゃないですかあっ」
しまった、と小声でつぶやき、とりあえず命刻は詩乃の頭を平手で軽く何度も叩く。
「や、あ、ご、ごまかしてますっ」
「よく聞け詩乃。2nd―|G《ギア》との共闘《きょうとう》は不可能だ。が、そんなときにこそすべきことがある」
命刻が言うと、詩乃は頭に上げかけていたガードの手を止めた。
「すべきことって、その、何かの任務のために、……いやらしいこと?」
「オヤジから離れろ。大体お前、洗濯物《せんたくもの》の量が少ない子供に興味を持つ男がいると思うか」
「最近ではそういう方も結構《けっこう》いるって新聞にありましたけど」
「じゃあ彼ら相手に何か任務をやってみるか?」
詩乃《しの》は慌《あわ》てた動きで首を横に振った。命刻《みこく》は頷《うなず》き、
「それでいい。……だてにお前がベッドの下にベタベタの少女漫画を隠しているのを知らぬ私ではない。ただ、私やハジ義父《とう》さんが出来ないからって、ビデオの予約時に密《ひそ》かに任侠《にんきょう》映画を録《と》るように仕組むのはそろそろやめとけ。ん? どうした? そんな赤い顔して」
「プ、プライバシーの侵害ですっ! 大体、命刻|義姉《ねえ》さんだって月刊 急所の打ち方 なんて直接的な本を隠れて読んでるじゃないですかっ。やましくないならどうして隠すんですか?」
「姉心《あねごころ》だ。今月特集の 鼻下《びか》のおいしい殴り方 なんて、見ただけでお前は卒倒《そっとう》するぞ」
言葉を聞いただけで、う、と退《ひ》いた詩乃に、命刻は腕を組んで吐息。
「とにかくこういうときにはすべきことがある。明日、ハジ義父さんに進言してみよう」
最後の台詞《せりふ》に、詩乃はわずかな驚きの顔を作る。
「な、何を? そんなに大事なことなんですか?」
ああ、と前置きして、命刻は告げた。
「――休暇だ」
「さて」
と言って立ち上がった出雲《いずも》に、熱田《あつた》が視線を向ける。
「――はン。どうした御曹司《おんぞうし》。愛人連れて酒飲んで、権力と金で使用人ごときの俺様を吹き飛ばそうってか? いい身分じゃねえかよ。どうだ? その通りにするか?」
「さあな」
出雲はそれだけを返答に佐山《さやま》を見ると、
「佐山、新庄《しんじょう》連れて下がってろ。俺の持ち場だ。そしてついでに」
顔の高さで手を横に伸ばし、何気ない口調でこう言った。
「余興《よきょう》で呼ぶぞ。俺の武器を」
ほう、と熱田が頷き、| 懐 《ふところ》に右手を入れた。
佐山がテーブルの獏《ばく》を拾い、新庄の肩を抱いて一歩下がる。
同時、鹿島《かしま》が声を挙げた。わずかに眉を立て、
「――熱田」
「数秒|寄越《よこ》せ。軽いレクリエーションだ」
告げるなり、熱田は歯を剥《む》いて笑う。
「6th―|G《ギア》の|V―Sw《ヴイズイ》かよ。一度手合わせしてみたかったんだよな。やっぱアレかよ。概念《がいねん》核の力で、ここに飛んできたらクレーターの一つでも出来るか?」
いいねえ、と熱田は言って、いきなり出雲の横に顔を向けた。
「こそこそすんな愛人! テメエの武器も呼びたきゃ呼べ! どうせこのガキ一人じゃ俺の相手になんかなんねえんだぞ!」
熱田《あつた》の視線の先、風見《かざみ》が口元を結んで立ち上がる。立った両の腕には、いつの間にかアームバンドが着けられていた。そして風見は、出雲《いずも》の傍《かたわ》らに歩み寄ると、
「覚《かく》」
と出雲の顎《あご》に手を当て、うつむかせ、
「――――」
唇を重ねた。
そして三秒という時間をもってから、風見は出雲から離れ、彼と同じように手を上げる。
「どこが愛人? 目え腐ってるんじゃない? これから泣かすからね」
おお、といつの間にか周囲を囲んでいた人垣《ひとがき》から声が漏れる。横の出雲が頷《うなず》き、
「どうだ、これで愛人じゃねえと解《わか》らねえようなら次はもっと凄《すご》いことを――、ぐおっ!」
「あ、悪い、何故《なぜ》か肘《ひじ》入っちゃった。鳩尾《みぞおち》? 御免《ごめん》ね覚」
ううむ、と周囲の人垣から低い音調のうめきが漏れる。
対する熱田は、相変わらず口元に笑みを浮かべたままだ。
概念《がいねん》核を使用した概念兵器二つ、それらを擁《よう》する二人を相手に、楽《らく》という表情。
その顔と同じ口調で、熱田の声が響《ひび》いた。
「は、一つ教えておいてやる。俺の動作を| 司 《つかさど》る方法、これは2nd―|G《ギア》に伝わる戦闘|歩法《ほほう》でな。2nd―|G《ギア》の有力者や、これを知るUCATの実力者なら大体は使える技だ」
そして、
「見てくたばれ」
声とともに、食堂にいる全ての者から、熱田の姿が見えなくなった。
出雲と風見の目も、熱田を捉《とら》えられぬまま細くなり、
「!」
口を開き、お互いの武器の名を呼ぼうとした。
全てが動く。
その直前に、全てを制止させる動きが入った。
「そこまでにしておこうよ」
困り顔の鹿島《かしま》だ。
食堂の中、身構えて向かい合う出雲と風見に、熱田がいる。
そして鹿島は、いつの間にか両者の間に立っていた。
しかも鹿島の右手は熱田の顔をホールドしている。その行動を見て、風見が呆然《ぼうぜん》と告げた。
「あの歩法を超えて、……相手の首だって取れるじゃない」
告げた意味を理解した皆が、かすかに息を飲んだ。
だが、鹿島《かしま》は頷《うなず》きもしない。肩を落とし、熱田《あつた》の顔から手を外し、
「すまないな、熱田。お前なりの気遣《きづか》いだと思うんだけどさ」
そして鹿島は風見《かざみ》と出雲《いずも》を見て、佐山《さやま》と新庄《しんじょう》を見て、
「すまない。――まとまりが悪くてね」
「いや、仲は良さそうで何よりだ。だが――、全竜交渉《レヴァイアサンロード》はどうすべきだろうか?」
「そうだなあ……」
鹿島は困ったような顔で、
「少し時間をもらえると有《あ》り難《がた》いかな。――そして、僕が何かを本気で決めたら、そのときは答えて欲しい。現状、これでは駄目《だめ》かな?」
鹿島の告げた言葉。それに対し、ふと、佐山が目を細めた。試すような口調で、
「私は、待つだけでいいのかね?」
「どうだろう。ただ……」
鹿島は新庄に目を向け、言葉を選びながらこう告げた。
「そこの彼女が言った 嘘《うそ》 という言葉を、出来れば少し考えて欲しいかな。僕が決める何かは、きっと、そこから生まれるものだから。――大切なものを失わないために、ね」
最後の言葉に、鹿島の前に立つ熱田が歯を噛《か》んだ。
「それじゃあ結論出てるようなもんじゃねえか……」
鹿島は何も言わない。
だから佐山は頷《うなず》いた。
「|Tes《テスタメント》.、と言うべきか。確かに私も待つだけなどとは勘弁《かんべん》ならん。いろいろ考え、2nd―|G《ギア》と向き合いたいと思っている」
「向き合う……?」
鹿島の問いに、佐山は頷いた。
「ああそうだ」
彼は口を開き、ゆっくりと、自分に刻むような口調で告げる。
「今、私は2nd―Gとの全竜交渉《レヴァイアサンロード》をこう考えているのだよ。……今後|全《すべ》てのGや、何もかもと向き合っていくために必要なものだと」
放たれた台詞《せりふ》。それに正面から向かい合う鹿島は、わずかに驚きの顔を見せた。
が、彼はすぐに表情を落ち着きに改め、感想を述べる。
「君は……、勇敢《ゆうかん》だなあ」
「いや、先ほど決めたばかりのことなんだがね?」
佐山の言葉に鹿島は苦笑。
対する佐山は微笑し、左手の肘《ひじ》からを先を振り上げた。皆を見渡し、
「ではこれから全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は、2nd―Gの歴史や八叉封印《やまたふういん》について改めて調べていくことにする。それが、君達をちゃんと見据《みす》える第一歩だ。――出来ることならば、明日の事前|交渉《こうしょう》を経《へ》て、お互いが良い位置で向き合えることを期待するよ」
「そうだね。君が言う良い位置に行くのは僕じゃないかもしれないけど、……今、僕は君の言葉に、Tes《テスタメント》.と頷《うなず》こう」
鹿島《かしま》が笑みでそう言った。そのときだ。
「あらあら、上手《うま》くまとまったの? ひょっとして……」
と、不意に女の声が響《ひび》いた。
皆が振り向くのは食堂の入り口。開きっぱなしの大扉《おおとびら》に肩を預けた初老《しょろう》の女性がいる。
月読《つくよみ》だ。
彼女、痩躯《そうく》の白衣《はくい》は低く構えていた身を起こした。白髪《はくはつ》交じりのセミロングを手で梳《す》き直し、こちらに歩いてくる。
と、熱田《あつた》が一歩下がった。
応じるように、月読も一息。細目《ほそめ》の上の眉を立てもせず、
「さて、交渉前だしね、そのへんにしとくのがいいわねえ、やんちゃな子供達」
そして、と前置きして、彼女は佐山《さやま》の方を見た。
「すまないわね、馬鹿が多くて。とりあえずこの男は減給《げんきゅう》処分にしとくから許して頂戴《ちょうだい》。それで、――いいわよね?」
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第十章
『偽証の呼びかけ』
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嘘という言葉は相手を見初めて成立する
あとは秘め事
己にもたれた咲き頃待ちの真
[#ここで字下げ終わり]
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佐山《さやま》と新庄《しんじょう》は訓練室前の更衣室《こういしつ》にいた。
更衣室の出口近くにあるベンチで、佐山は新しいシャツに着替えていた。
現状は全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の権限《けんげん》使用で短い時間の貸し切り状態。夜なので訓練室の利用者|待《ま》ちもほとんどなく、三十分ほどの使用許可が出た。
左|隣《どなり》に座る新庄を見れば、獏《ばく》をタオルで揉《も》んでいる。
細目《ほそめ》でされるがままの獏に新庄は、
「石けん臭くなっちゃったかな? 御免《ごめん》ね」
と苦笑。困ったような笑みをこちらに向けてくる。
しかし、新庄の笑みはそこまでだった。
ふう、と新庄は肩を落とし、うつむいた。
そして新庄は顔を上げてこない。
下を向く新庄を見た佐山は思う。今日はこういう光景をよく見ている気がするな、と。
切《せつ》にしろ、運《さだめ》にしろ、通じているところがあるのだろうか。
と、こちらの思いを止めるように、新庄の口から吐息|混《ま》じりの言葉が漏れる
「……御免ね」
「何を謝るのかね」
佐山は首を傾《かし》げた。
新庄の謝罪の理由は何となく解《わか》っている。だが、
「私達にまだ対処出来ない力を、2nd―|G《ギア》の者が持っていた。それだけではないのかね?」
誰も何もできない状況だったものを、新庄一人が謝ることはない。
しかし、新庄はこちらの意図を悟っているのか、首を小さく横に振った。
「それもあるけど……、御免、ちょっと違うんだ。ほら、さっきボクが鹿島《かしま》さんに質問したことが、熱田《あつた》さんをエキサイトさせたじゃない」
吐息。
「考え無しだったし、その後、ボク、何も出来なかったし……」
「いずれ何か出来るようになる。近い内に、一緒に私の師匠《ししょう》のところに行ってみよう」
え? と新庄が顔を上げた。
疑問の表情に佐山は笑みを返し、
「飛場《ひば》道場。私の武道の先生でね。祖父の友人だ。行くと間違いなくブン投げられるから、機嫌《きげん》取りの土産《みやげ》でも持って行かねばならないな」
佐山は昔のことをふと思い出す。
どうしても敵《かな》わなかった存在というものは、確かにある。
背の低い老人。向かって左の目が赤い色をしているのが特徴だ。
今でも健在《けんざい》だろうか、と考え、大丈夫だろうと判断する。
祖父とは違い、彼は山の中を毎日|駆《か》けめぐっているような人間だ。
「――ただ、飛場《ひば》先生も相当に偏屈《へんくつ》だから、ヒントすら教えてもらえない可能性が高い。だが彼ならば、あの歩法《ほほう》を聞いただけで再現出来ると思う」
そうなんだ、と感心したように頷《うなず》いた新庄《しんじょう》が、視線を動かす。
ふと、新庄の目の行く先がこちらの左腕に固定された。
そして佐山《さやま》も見る。白いシャツに覆《おお》われた自分の左腕を。
シャツの下、腕にある傷はほぼ完治《かんち》している。
その傷に対し、新庄がわずかに目を伏せて言う。
「そろそろ、切《せつ》を帰らせる頃だね」
いきなりの台詞《せりふ》に、佐山はしかし無表情を保つ。
新庄の言葉もだが、告げられた口調の静けさが気になっていた。
……暗くなる前に、私がいつもの気軽なトークで気を紛《まぎ》らわさなければ……。
しかし、どういう話題を出すべきか。
使命感に促《うなが》されるように、佐山は思考《しこう》した。
学食の新メニューであるスイカラーメンの話は通じるだろうか。いや、学生バンドのリハーサルで風見《かざみ》が出雲《いずも》をナチュラルに二階から突き落としたのはどうか。いや、ここは逆に新庄・切の明るい話題として尻など愛《め》でる話は――、
……選択|肢《し》が多すぎるか――!
「さ、佐山君? 何か凄《すご》く葛藤《かっとう》してるみたいなんだけど……」
「ああ、気にすることはない。私が熟考《じゅっこう》しているのはいつものことだよ、新庄君」
「……要するに、いつも考えすぎでおかしくなってるんだね」
何故《なぜ》か話がズレている気がする。
どうしてだろうか、と佐山は考えた。
ともあれ強引《ごういん》に軌道《きどう》修正。小さな咳払《せきばら》いを一つした上で、
「しかし、……切君が帰っても、また会うことは出来るのだろう?」
え? とこちらの言葉に新庄が身を震わせた。
自分の告げる意味を解《わか》らせるように、佐山は己の言葉を重ねていく。
「切君も君と同じUCATの用意した場所に住んでいるのならば、訓練の帰りなどに――」
「あ、会わない方がいいよ」
新庄のうつむいた断言がすぐに返ってきた。対する佐山はかすかに首を傾《かし》げ、
「何故|君《きみ》が――」
それを決めるのか。そう言いそうになって、佐山は言葉を停止。この新庄という姉弟《してい》には、
……UCATもかなりの気遣《きづか》いを見せている。
何か訳ありなのだろうか。だから佐山《さやま》は別の言葉で思いを告げる。
「切《せつ》君に決めてもらうのはどうだろうか」
「こういう言い方悪いかもしれないけど……、ボクの言ったこと、信用出来ない?」
「そうではない。本人の意思を尊重出来る環境なら、そうして欲しいということだ」
「………」
「それとも君は……、私に信用されていないと思っているかね?」
「うん」
「しかし私は君を信用している」
「じゃ、じゃあもしボクがここで不治《ふち》の心臓の病だなんて言ったら信じる?」
「信じよう」
「ホ、ホントに?」
「ああ、その場合は医者から良い心臓マッサージ法を伝授《でんじゅ》してもらい、――私自ら揉《も》むとも」
「何を真剣に奇言《きげん》述べて虚空《こくう》揉んでるんだよっ」
叫びと沈黙《ちんもく》。そして新庄《しんじょう》は、あーあ、と吐息。
だが、生まれた静けさを自分の責任と思ったのか、新庄はタオルで獏《ばく》をこねながら、
「あ、あのね? ボク、佐山君のこと、凄《すご》く、凄く大事な人だと思ってるよ? 本当だよ?」
「どのくらいかね?」
「大城《おおしろ》さんより上」
「それはあまり高くない気がするのだが……」
「ええと、じゃあ、ぶっちゃけ言うと、――ボクの見知らぬ両親のすぐ次くらいに」
「成程《なるほど》、有《あ》り難《がと》う」
あ、いえいえ、と新庄はこちらを見ずに頭を下げ、でも、と言って手を止めた。
「でも、……あのね? 佐山君」
「何かね?」
問うと、新庄が下唇を噛《か》んだ。顔赤く、目をそらしながらこう告げる。
「あまり、ボクを信用しないで欲しいんだ……」
何故《なぜ》かね、と佐山は問わなかった。
新庄は、こちらの問いを待つように沈黙を作るが、しかし、首を横に振った。
決めた。と、そういう思いが見える震えた動きで、新庄が口を開く。
「ボク、さっき鹿島《かしま》さんに問うたよね? 嘘《うそ》をついてるから2nd―|G《ギア》の人間と思えないのか、って。――あれは、ボクに言ったようなものなんだよ」
一息。
「……ボクは佐山君に嘘をついてるから」
出雲《いずも》と風見《かざみ》は、夜の奥多摩《おくたま》を南進《なんしん》していた。
単車《たんしゃ》、古めの黒いカワサキは夜風を切って秋川《あきがわ》へと向かう。
背筋《せすじ》を伸ばして落ち着いた運転を見せる出雲も、その背に浅くしがみつく風見も、ヘルメットをかぶっていない。二人のヘルメットはタンデム横に掛かって仲良く揺れている。代わりに身につけているのは、
「防護用の賢石《けんせき》……」
と、風見が左腕につけたアンクレットを見る。そこには小さな青い石が一つ。
「確かにこの賢石の効果、メットより堅いんだけど、……公私《こうし》混同じゃないかしら」
「まあ、月読《つくよみ》部長が皆にくれたんだ。いいんじゃねえのか? たまには喧嘩《けんか》もするもんだ」
「口止め料ってとこでしょうけど、佐山《さやま》はどうかしらね。ものをもらって許せる犬コロタイプじゃないわよ、あの男は」
だろうな、と出雲は頷《うなず》き、
「左曲がる」
きついコーナーだ。風見は、大きな背の向こうにある夜闇《よやみ》へと目を運ぶ。短い髪が右に流れて身体《からだ》が傾き、ああ、ここはいつもこうして曲がるコーナーだな、と思う。
左、渓流《けいりゅう》の水音を聞きながら、風見は出雲の背に身を寄せて、
「家まで送ってくれる?」
「いいぜ、俺、千里《ちさと》の親父《おやじ》さんは結構《けっこう》気に入ってるしなあ」
「先々週、二人でガパガパ食って飲むから母さん驚いてたわよ」
「いや、あれは勝負を掛けられたからしょうがねえだろ。昔もそうだったな。二年前も」
「娘をかどわかす男を退治《たいじ》するつもりだったのよ。企画本業のくせに頑張っちゃって」
「結局二階のベランダからフルネルソンの自爆でダブルノックアウトだったなあ、ははは。俺、一般人に負傷もらったのって親父さんだけだぞ」
「母さんはその光景をビデオに撮ってて未だに見せてくれるわよ。広東《かんとん》語の詩《うた》吹き込んで」
ほう、と言う声とともに車体の傾きが直り、風が彼の背を越えて来る。その中で風見は吐息。
「父さんにしてみれば、いい酒飲み友達出来たと思ってるわねー……」
「企画の仕事でいつも飲んでるんじゃねえのか?」
「覚《かく》とは仕事とか関係無しで飲めるからいいんじゃないの?」
「そういうもんか。――まあ、よく考えたら、千里の話だけで飲めるわけだし、仲間だな」
「……こら。私のどんなネタであんな派手に盛り上がってたの? 素直に言いなさい」
「それはまあ、いかに千里が人として優秀で誉《ほま》れ高く――、いててて! せ、背骨|攻《ぜ》めか!」
「うるさい、実は少し聞いてたんだからね。人が何歳まで親と風呂《ふろ》入ってたとか」
「ああ、中学二年までだったか。親父《おやじ》さんは寂しいと言ってたなあ。だから今度《こんど》写真|撮《と》って持っていくか。夕方はひまわりの女|風呂《ぶろ》は人いないから――、あががっ! やめろやめろ、賢石《けんせき》の効果をここで試すことになるぞ千里《ちさと》!」
首を絞《し》めていた腕を、風見《かざみ》は吐息とともに緩める。
身体《からだ》をやや起こした姿勢、彼の肩越しに進行方向が見えた。
夜空と、それを遮《さえぎ》るように光を落とす外灯。
周囲は森の闇が流れ、下方からは渓流《けいりゅう》の音が聞こえてくる。
風見は出雲《いずも》の首に絡めていた手を彼の胸の方に落とし、
「あのさ、今日、食堂であのまま戦ってたら、どうなったかな」
「負けただろ」
「そう思う? やっぱ」
「でも解《わか》ってただろ? 佐山《さやま》は動かなかった。そして俺達を止めなかった。全竜交渉《レヴァイアサンロード》のリーダー役がそういう態度をとったってことは、俺達に戦えってことだ」
出雲は言う。
「佐山はこう思ってるんじゃねえのかな。――満ち足りた状態から何かを得るには、何らかの波風が必要だと」
「それを新庄《しんじょう》は止められなかったね、いつもストッパー役なのに。……大丈夫かな。あれから、佐山についていってあげるように言ったけど、新庄、何か考え込んでるみたいだったわ」
「新庄か。……正直、ちょっと解り難《にく》いところがあるよな」
「陰口みたいで嫌だけど、その点は認めるわ。――運《さだめ》の方も、切《せつ》の方も、何となく、距離があるわね、私達とは。佐山がくっついてるせいかもしれないけど」
「何か理由があるってことだ。……そして、その理由に近づけるのは、きっと佐山だけだ」
「言い切るわね」
ああ、と頷《うなず》き、出雲は言う。
「――俺だって二年前、千里に拾われたとき、千里としか話したくなかったもんな。意志を届ける相手ってのは、普通、結局一人にしか絞《しぼ》れねえんじゃねえかな」
告げられた言葉の内容。それに対し風見は、え、と声を放つが、返答はない。
風見は困る。
彼の意志に何か言おうと思っても、言葉がない。
だから、とりあえず彼の胸を後ろから浅く抱きしめる。
すると応じるように出雲の声が聞こえた。
「ともあれ俺達は帰ろう。明日からが本番だ。何せ今日、鹿島《かしま》ってのから八叉《やまた》の答えどころか、問いすら聞かずに終わっちまった」
そして彼は、告げた。
「右、山越え入るぞ」
車体が傾き、風が変わる。山の下に溜《た》まる風ではなく、空から降りてくる風に。
ふと、風見《かざみ》は風の匂《にお》いに眉をひそめていた。
「……問いを聞かぬまま雨が降る、か」
佐山《さやま》は新庄《しんじょう》の言葉に問いを返していた。
「嘘《うそ》……、とは?」
「言わなければ、駄目《だめ》?」
問う表情と口調は、焦りを帯びたもの。
急がないで、と、そう言われているようで、佐山は一度言葉を飲む。
ややあってから、
……この言葉ならば大丈夫だろうか。
と、一つの問いかけを佐山は新庄に送る。
「それは、どのような嘘かね?」
問いに、新庄は肩から力を抜いた。どのように言うべきか、それを考えて、
「あのね、言いにくいんだけど。……その嘘があるから、ボクは佐山君と一緒にいられるの」
そして、
「その嘘がないと、皆がボクを変な目で見て、貴重品《きちょうひん》扱いしたりするの。もう、ずっと昔からボクの嘘を知る人はそうだったから、だから――」
「私がそうなってしまうかと、そう思っているのだね?」
新庄は首を下に振った。そして、
「切《せつ》も……、同じだよ?」
対する佐山は、そうか、と頷《うなず》いた。
……やはり、嘘があるのか。
自分が向き合うべきもの。
それを捉《とら》えたことに対し、佐山は安堵《あんど》の吐息を一つ。
……しかし、どのような嘘があるというのか。
考え、そして佐山は不意にあることを思い出した。
「……そうだ」
「え?」
先ほど、新庄の嘘について、一つの予測をたてたばかりではないか。
良い機会だ、と佐山は思う。
ひょっとしたら新庄の言う 嘘 を、ここで解除出来るかもしれない、と。
「新庄《しんじょう》君。一つ確かめたいことがあるのだが、いいだろうか?」
「え? うん、いいよ?」
疑問の顔で、しかし| 了 承 《りょうしょう》が得られた。そのことに笑顔を作ると、佐山《さやま》はこう言った。
「脱いでくれたまえ」
「は!?」
新庄の言葉に佐山は頷《うなず》いた。
「君の嘘《うそ》という言葉に関係するかもしれないが、一つの疑問を私は持っている」
「な、何? ……あ、いや、とにかく佐山君、まず、落ち着いてくれる?」
「私は常に冷静なのだが?」
「うんうんそうだね。でも、息を深く吸って、吐いて、――はい、じゃ、佐山君、何かいきなり実行する前に、考えを言ってみてくれる?」
遠回りを経《へ》た問いに、佐山は自信を持ってこう言った。
「新庄・運《さだめ》君。実は君の正体は、――女装した新庄・切《せつ》君だ」
告げた言葉。それに対し、新庄が一瞬《いっしゅん》だけ息を飲みかけ、しかし眉をひそめ、半目《はんめ》になり、あー、と視線を逸《そ》らして、
「……どうしたものかなこの人は」
「ははは、そう照れることはない。世の中、いろいろな趣味があるのだから」
「そーじゃなくてさ」
新庄は、うなだれながらこちらの肩に手を置いてきた。
「そんな単純な嘘じゃないよ、僕の嘘。それに、いい? ボク、運は女だよ?」
「女なのかね?」
「見て解《わか》らない?」
「では見せてもらおうか」
「え? ちょ、ちょっと!」
身を引くように立ち上がった新庄の腰から、スカートが落ちた。
「あ、あれ? って、いつの間に!」
「君が先ほど| 了 承 《りょうしょう》したとき、既に留《と》め具《ぐ》を外しておいた。祖父|直伝《じきでん》の技でね」
佐山はスカートを手に取り、ベンチに座ったまま新庄を見上げる。
「見せてもらえるね?」
「ちょっと、ちょっと待って? 何か今、ここ、ひょっとして佐山空間?」
「何をワケの解らないことを。そんなものある筈《はず》がないではないかね」
言うと、新庄は醒《さ》めた顔を横に向け、
「ああ、住人ほど自分の住んでるところを解《わか》ってないって言うよね……」
「何やら哲学的な話をしているようだが……」
「してないよっ」
と新庄《しんじょう》が両の腕を握って構えたときだ。新庄のシャツの前が開き、胸の下着がずり落ちた。
「え? ――あ、何? ど、どうやって!」
「指運《しうん》で一瞬《いっしゅん》に全て外すのも祖父|直伝《じきでん》の技だ。……胸のもフロント式で何よりだね」
「そ、そういうものなの?」
「うむ、リア式のを前から外すのは大変でね、祖父と二人で修練《しゅうれん》したものだ。中一の夏の夜だったか、祖父がサルマタ一丁《いっちょう》でリア式のブラを付けて来て、二人で汗まみれになって特訓《とっくん》したのだよ。……その際、脚《あし》がもつれて二人で畳《たたみ》の上に転んでね」
「夏の夜に、女物の下着を付けた老人と一緒に転がる少年……」
「ふふふ、物音に慌《あわ》てて入ってきた遼子《りょうこ》には、三日間|口《くち》をきいてもらえなかったなあ」
「奇異《きい》なる昔《むかし》話をしみじみ言ってないでさ、佐山《さやま》君、スカート返してくれる?」
「いいとも。――だがその前に見せてもらおうか」
言うと、新庄は表情を凍らせて、
「さ、佐山君? あのね? 今気づいたんだけど、……ボクの声、届いてない?」
「いや、届いているとも。ただ、確かめる方が先なのでね」
「い、言ったでしょ? ボク女だって。それに、ボクの嘘《うそ》はそんなこととは違うって」
「しかし君は、先ほど| 了 承 《りょうしょう》したね?」
「何をするか言わなかったじゃないかあっ! ボ、ボク、佐山君を信用してるのに!」
その言葉に、佐山は頷《うなず》いた。
「ならば私をそのまま信用して欲しい。――私は君の嘘に辿《たど》り着く前に、自分の中の疑念を払っておきたい。……君とちゃんと向き合うために」
ボクと? と新庄はつぶやき、眉尻《まゆじり》を下げた。
「ホ、ホントに? 信用していいの?」
「私が君を裏切ったことがあるかね?」
「予想外の行為に及んだことは星の数ほど……」
新庄はうつむき、頬《ほお》を赤くした。困ったような顔で、
「変なコトしない? いや、言っても無駄《むだ》だよね? ね? だから、あの、その」
新庄は乱れたシャツと胸を抱き、
「こ、これ以上脱がしたら駄目《だめ》だよ?」
「成程《なるほど》、君の方から行動指定というわけか。了承しよう」
新庄は、ほ、と一息。こちらのシャツの胸ポケットに獏《ばく》を差し込み、
「でも、これからどうやって確かめるの? ボクが女だって。ボク、これ以上見せないよ?」
「では触れてみるしかないね」
「じゃあ、たとえば指先で優しく――」
「そう、わし掴《づか》みとか」
「全然ニュアンス違うよっ! ……いい? 使っていいのは指と| 掌 《てのひら》で、触れるだけだよ?」
新庄《しんじょう》は語調|強《つよ》めに言いながら、しかし、おずおずと一歩を近寄る。
「佐山《さやま》君にだけだからね?」
困り顔の新庄がシャツの襟《えり》を立て、下着を横にずらす。
衣服の奥で新庄の胸が露《あら》わになった。
かすかに汗ばんだ肌の丸みが、吐息による肩の揺れに合わせて上下している。
新庄は困ったような顔のまま、こちらに胸を浅く張って、
「さ、触っていいよ?」
ふむ、と佐山は頷《うなず》き、新庄に手を伸ばした。
そしておもむろに右腕で背を抱き、頬《ほお》と耳を胸に当て、左手を、
「え? あ、ちょ、ちょっと! 脚《あし》の間に差し込むのは有害だよっ!」
「触れていいと言ったのは誰かね?」
だって、と言う新庄の鼓動《こどう》が、肌を通して耳に聞こえてくる。
「静かにしてくれたまえ。鼓動の音を聞きたいのでね」
聞こえる音は、やや速いが、以前に聞いたものと同じだ。
あのときと同じように、頬《ほお》には体温とかすかな汗を感じる。そして新庄《しんじょう》の甘い息も同じ。
だが、どれも新庄・切《せつ》から感じたものにも似ている。
だから佐山《さやま》は左手に意識を寄せた。
新庄の脚《あし》の間に入れた左手。手指や| 掌 《てのひら》に伝わる感触《かんしょく》と温かさと質感に、
「あ……、ちょ、やあ」
声と震えに佐山は無言。調査の安定化、という言葉を脳裏《のうり》に書きつつ、新庄の背に回していた右手を動かした。宙をさまよう新庄の両腕をとり、こちらの背に回させる。
「佐山君……」
新庄の両腕がこちらの体を抱くような形になった。これでいい。
そして左手指に伝わる感触を改めて思考《しこう》するが、……無い?
男なら当然ある筈《はず》のものが、そこには無かった。
佐山は一ヶ月ほど前の銭湯《せんとう》 永世《えいせい》ひまわり のときを思い出した。
あのとき、新庄・切をおもむろに掴《つか》んだ感触を手に| 蘇 《よみがえ》らせるが、しかし、今、
……無い、か? おかしい、そんな筈は――。
「ん、ちょ、ちょっと! 力入れちゃ駄目《だめ》だよっ……」
新庄が腰をもぞつかせた。脚を寄り合わせ、こちらの手がこれ以上動かないようにして、
「ね、ねえ、佐山君、は、早くやめよう? もう解《わか》ったでしょ? ね?」
胸の肌肉《はだにく》を通して、新庄の問いが響《ひび》いてくる。
そして佐山は内心の愕然《がくぜん》とともに、一つの事実を認めた。
確かに無い、と。だが、
……そんな馬鹿な。私の予測が外れることなど無い筈だ……。
その思いは、疑問となって出た。
「新庄君。何かがおかしいと私は思う。しかし、……何がだろうか」
「君がだよっ!!」
佐山は無視した。
そしてまた思考する。
……だとしたならば、新庄君の嘘《うそ》とは何だろうか。
ここに、確かに新庄・運《さだめ》が女性だという確信がある。
「あ、力を入れたら……」
しかし、以前に確認した新庄・切は、間違いなく男だった。
「お願い、こんなことしてちゃ駄目だよ。変なことしてるよ、ボク達……」
だとすればこちらの早とちりだろうか。
「あ、脚《あし》の間から手を抜いてよ。お願いだからっ、ってか聞こえてる?」
ううむ、と佐山《さやま》は唸《うな》った。
「ううむ、って佐山君、何か変なことあったの? ボクの体か……、自分の頭に」
「む? それはまた失礼なことをいきなり言うものだね、新庄《しんじょう》君」
「あ、正気に戻った。……じゃ、じゃあ、ほら、その左手を」
迷ったような声に、佐山は目の前を見る。
新庄の太股《ふともも》の間、ややずれた下着の下側に自分の手が差し込まれている。
それを見て、佐山は一つの事実に気づいた。既に自分の調査は終わっているのに、
「新庄君、一体いつまで私の手を股《もも》の間に挟んでいるのかね? ――ぐおっ!」
「だ、誰のせいだよっ!」
「ふ、ふふふ、こちらの首を抱えて膝《ひざ》とは、なかなか出来るね新庄君……」
新庄はこちらを抱く腕をほどかない。こちらから腕の絡みを外そうとすると、
「駄目《だめ》。また何か変なことしそう。動かないで、ってか動くと膝」
「落ち着きたまえ、新庄君」
「じゃ、じゃあ、落ち着くようなこと言ってよ」
ふうむ、と佐山は頷《うなず》いた。
「先日、夜寝ようとしてベッドの二段目に上がろうとしたときにだね。つい下段で寝ている切《せつ》君の尻に気をとられたら、梯子《はしご》に思い切り右足の小指を――」
「うわー! 二重に落ち着けなくなったからその話無しだよっ!」
成程《なるほど》、と佐山は一息。しばらく考えてから、先ほど思ったことをそのまま告げる。
「君が言っている嘘《うそ》と、私の疑念は、……違ったようだね」
言うと、新庄の顔がわずかな驚きを持った。
「珍しく物|解《わか》りがいいんだね……」
「何か根本的なところで誤解があると思うのだが」
と、新庄の腕の絡みに触れると、それはほどけた。
立ち上がれば、先ほどまでこちらを見ていた顔はうつむきの姿勢だったと解る。
今、目の前にあるのは震える肩、細い身体《からだ》、それを佐山はためらいなく抱き寄せた。
「あ……」
「すまない。だが、私の中の誤解《ごかい》は無くなった」
「いや、ここで無くなってもまた第二第三の誤解が突発的に……」
「無いと断言しよう。……だから、いつか話してくれるかね? 君の嘘を」
問いに、新庄が身を竦《すく》めた。そしてややあってから、新庄は首を横に振った。
「言いたくないけど、……その嘘から醒《さ》めたら、佐山君はボクから離れていくと思う」
「話してもらえないと、離れていくかどうかも解らないと思うのだが」
「でも話せば、嘘《うそ》から醒《さ》めるのは確定だよ? ボクは、それが怖い」
成程《なるほど》、と佐山《さやま》は頷《うなず》いた。
「言うんじゃなかったかなあ……。もう全竜交渉《レヴァイアサンロード》は始まっていて、ボク達は動き出していて、今更《いまさら》……、ボクは佐山君と仲違《なかたが》いなんてしたくないのに……」
新庄《しんじょう》の言葉に対して、佐山は何も言えない。新庄の嘘を知らないのだから。
しかし新庄はすぐに顔を上げた。
こちらの腕をとき、一歩を後ろに下がって、
「な、何か違う話しようよ?」
うむ、と佐山は頷き、考える。何か楽しい話はあっただろうか。
あった。これはいける、と佐山は新庄の目を見た。その黒い瞳を見つめて、
「自分の所属する学校で、全連祭《ぜんれんさい》という小規模《しょうきぼ》学園祭が行われるのだが――」
「あ、……せ、切《せつ》から聞いてるよ。人柱《ひとばしら》立てたりミノ踊りする奇祭《きさい》なんだよね? 大丈夫?」
「切君には私の真に迫った冗談《じょうだん》が通じなかったようで残念だ。ともあれその祭が、明後日《あさって》から行われる。――来てみてはどうかね?」
「え? いいの?」
「いいとも。部外者とて入ることが可能な学園都市だ。切君の姉ならば充分に権利はある」
言葉に、新庄の顔が明るくなる。だが、
「切君も含めて三人で全連祭を見るというのはどうだろうか。私自ら案内するのだが」
その言葉に、新庄はふと困ったような顔を見せた。
「あ、あの、出来ればその、二人が――」
言いかけ、首を横に振った。肩を落とし、
「御免《ごめん》、また嘘つくところだった」
「嘘? 新庄君が、私と祭を見たいということかね?」
「ううん、見たいのは本当。でも、それを理由に嘘つこうとした」
新庄は言って、眉尻《まゆじり》を下げた笑みを見せる。
「有《あ》り難《がと》う。でも、ちょっと考えさせて。それと……、これだけは約束しておくね」
「約束……、とは?」
「うん。――これから、出来るだけ、不必要な嘘はつかないようにするって」
嘘か、と佐山は思う。
その意味を、いつかこの人から聞けるのだろうかと。
直後。
不意に横のドアが開いた。そして、
「お二人さん? シャツの着替えだけなのに占有《せんゆう》し過ぎですって、呼びに来ましたわよ?」
と、更衣室《こういしつ》にディアナが入ってきた。
半裸《はんら》の新庄《しんじょう》と、その前に立っていた佐山《さやま》は、ディアナを見た。
と、ディアナの笑みがいきなり頬《ほお》染めたものとなり、
「あ、あらあらまあまあっ!」
頬に右手が当たると同時。
彼女の左手が神速《しんそく》の勢いで壁にあった外部インターホンを押した。
ボタンは迷わず緊急《きんきゅう》全館放送用で、
『まあっ! 若い二人がこんなことをっ……!』
一瞬《いっしゅん》の沈黙《ちんもく》。
その後に佐山と新庄が顔を見合わせて、佐山が頷《うなず》いた。笑顔で、
「これで公認だね、新庄君ぐおっ!」
「こんな公認やだよボクっ!」
膝《ひざ》を入れて新庄が叫び、佐山が床に倒れ込む。
すると放送が一つ入った。
『え、ただいまー、え、訓練室の停止信号入りましたー。緊急放送ー。お客様が道を踏み外したとの情報ですー。え、係員が確認のため現場に向かっておりますのでー。え、皆様お座席そのままでー、少々お待ちーくだーさいー』
新庄が慌《あわ》てて衣服を着込み始めた。
秋川《あきがわ》市の西側。夜の明かりが灯《とも》る屋敷《やしき》が一つ。
田宮《たみや》家の屋敷だ。屋敷の外に面した障子《しょうじ》は内側からの光で白く外を照らす。
だが、広い庭には幾頭《いくとう》かの細身《ほそみ》の黒犬がいるだけで、人影はない。
犬達は庭に設置された監視《かんし》カメラや、センサー類とともに屋敷を守る。
しかし、今、屋敷の正門側の警備に就《つ》く犬達は、一つの対処を迫られていた。
木造の門が向こうから激しく叩かれている。そして声もする。女の声だ。
「こらあっ! 孝司《こうじ》ー! お姉ちゃんを閉め出すとは何考えてるのっ!」
門の向こう、外から響《ひび》くのは屋敷の現主人、田宮・遼子《りょうこ》の声だ。それを聞く犬達は数頭で困ったようにうろうろしつつ、向こうから叩かれる門を見ている。
と、犬達はいきなり門の向こうから小さな連射音《れんしゃおん》を聞いた。
応じるように、屋敷の方から高速で電子メロディが連発する。
直後、門の向こうからノイズ音が響いた。インターホンの音声で孝司の声が、
『ピンポン連射はやめてくれ姉さん。古株《ふるかぶ》のグエン爺《じい》さんがベトナムのトラウマを思い出して痙攣《けいれん》起こし始めた。爺さん保険証持ってないんだから長く続くと危険だ』
「あ、御免《ごめん》孝司。お姉ちゃんつい自分のことに夢中《むちゅう》になっちゃった」
はあ、とインターホンの通話音声が吐息する。遼子《りょうこ》は応じるように、
「でも孝司《こうじ》、お父さんとお母さんがラドンセンターに浮き輪持って泊まり行ったからって、こんな放置プレイは許さないからねっ」
『父さんと母さんがいても自分はやるよ姉さん。食事中にコップの水を三度もこぼす人間には躾《しつけ》が必要だからね』
「あ、あれはお姉ちゃんじゃなくてお姉ちゃんの肘《ひじ》がいけないのっ」
『……姉さん、まず三つのことを考えてくれる? 第一は言い訳しないこと。第二は反省すること。第三はまともになること。最後は無理かもしれないけど、どうだろう?』
「え? 何? 数が多くてお姉ちゃん解《わか》んない。ちゃんとお姉ちゃんに解るように説明して」
そう言うと、何故《なぜ》か向こうが沈黙《ちんもく》した。だから遼子はやや考えて、
「えーと、……若だと説明出来る?」
『若は笑って済ませてしまうだろうね。姉さんには甘いから』
「それが普通の反応なのー。女の子は大事に扱うものなのー」
『女の……、子? 御免、姉さん何歳?』
「何しらばっくれてるの十八歳よ? 憶《おぼ》えておきなさいっ」
『じゃあ自分は十四歳だ。ははは、明日《あした》から中学校に行かないといけないね』
「こ、孝司がおかしくなったあ」
『御免姉さん、今《いま》突然このインターホンの回線を物理|切断《せつだん》したくなったけど、いいかい?』
「うんいいよ。でも何で?」
『姉さんがそんなだからっ、って叫んでいいかい?』
「またまた、似合《にあ》わないからやめときなさいっ。――あ、ホントに切ったあっ。孝司ー!!」
再び始まった門の連打に犬達が顔を見合わせる。すると、
「ペスっ!」
と、犬の群の中で、リーダー格の一匹が耳を立てた。
「ペスっ! ちょっとこっち来なさいっ!」
何事だろうという顔で歩き出すペスに、周囲の犬達が恐る恐る道を開ける。門の前に辿《たど》り着いたペスは小さく一鳴《ひとな》きして尻尾《しっぽ》を下に振る。と、向こうから遼子の低い声が、
「――開けて」
ペスは動きを止めた。するとまた遼子の声が、
「出来るわよね? ね?」
ペスは慌《あわ》てた動きで首を左右に振った。後ろに振り向くと、先ほどまで集まっていた黒犬の群はかき消えている。近くの茂みや庭石の影から尻尾や耳が覗《のぞ》いて動かないのは何故《なぜ》だろう。
「ほら、早く早く。く〜ん、く〜ん」
奇声《きせい》を唸《うな》りだした上に、門の下側を爪で引っ掻《か》く音までする。
ペスが尻尾《しっぽ》を股《また》の間に挟んで、足音を消しながら下がろうとした。そのときだ。
遠く、二つの音が聞こえてきた。
一つはやたらと甲高《かんだか》い単車《たんしゃ》の排気音。もう一つは、その排気音のアクセルワークに合わせて響《ひび》いてくる男の歌声だ。調子っ外《ぱず》れな声が遠くから、
「燃え〜る〜、おと〜この〜、股間《こかん》に急所|蹴《げ》り〜!!」
と、門を叩く音が止まり、遼子《りょうこ》の疑問|詞《し》が響いた。
「……あれ? 雪人《ゆきひと》君?」
門の前に止まった改造バイクに、遼子は振り向いた。
門前の外灯に照らされたバイクはライト三つ装着のチョッパーハンドル。
背もたれシートに座るのは、熱田《あつた》・雪人だ。
「おお、酔っぱらいかと思ったら遼子か」
「雪人君、久しぶり〜」
白のサマーコートに身を包んだ熱田が、アイドリング状態の単車を足で転がし接近開始。
彼はサングラスを掛けただけの顔を遼子に向け、
「久しぶりじゃねえか。景気はどうよ」
「うん、テキトーに。で、何? 雪人君は、また偶然通りかかったの?」
「そういうことだ。テメエは何やってんだ?」
「閉め出しー」
と、遼子は思い出したように背後の門を叩く。熱田は単車のアイドリングを止めもせず、
「三十近い女を締め出す弟も弟だが、テメエも何やってんだ。蹴《け》り開けてやろうか?」
「駄目《だめ》っ。ルール上、破壊《はかい》活動|無《な》しにどっちが折れるかの勝負なのよっ。でもこーして騒いでるといつも孝司《こうじ》の方が折れて開けてくれるの。今のところ負け知らず」
と、遼子は首で振り向き、
「今日は何で偶然通りかかったの?」
「ああ、ちとイヤなことあってな」
「パチンコで負けたの? 雪人君、授業サボって制服|姿《すがた》で行ってたもんね。でも何か食べ物もらってきてるなら遼子さんに頂戴《ちょうだい》っ。いつものようにクッキーいいなあ」
「ねえよそんなの。大体パチンコはもう卒業した」
「そ、そんなの雪人君じゃないっ!! クッキーくれないなんて無|価値《かち》男!」
「人の価値を餌《えさ》くれるかどうかで決めるんじゃねえっ!」
遼子は、うーん、と唸《うな》り、
「じゃ、次は持ってきてねっ。で、何? イヤなことって」
「ああ、仕事でよ。まあ、ちと派手《はで》にやれそうな要件が出来てたんだけどな」
「雪人《ゆきひと》君、仕事してたんだ……」
「テメエの脳内《のうない》設定だと俺はどういうキャラだ」
「ん? 見たままだよ? 雪人君もまだまだ自分|解《わか》ってないなっ。遼子《りょうこ》さんなんかもう見た目そのままに生きてるんだからねっ」
でも仕事って? と遼子が首を傾《かし》げる。熱田《あつた》は苦笑し、
「まあ危険物取り扱いみたいなもんだ。ろくでもねえことだぜホントによ」
「悪いこと?」
問われた熱田は遼子を見た。
遼子はわずかに眉を下げ、首を傾げている。対する熱田はやれやれと吐息し、
「安心しとけよ馬鹿。学生時代とは違う、――今の俺は正義の味方だぜ」
「え? 雪人君が正義? ……組織に脳|改造《かいぞう》でもされたの?」
「馬鹿|野郎《やろう》。目覚めた、って言え。ただまあ、今日の俺は仲間がウダウダ言ってるせいで少しばかりストレス入ってるって塩梅《あんばい》でな」
「ふうん、大変だね。……でも雪人君が正義の味方かあ。世の中終わりだねっ」
「違えねえ。ちと甘いところもあるが、生死|境界線《きょうかいせん》上で偉く充実してやがるさ」
「ふうん、うちの若と同じようなものね」
「若……?」
うん、と遼子が頷《うなず》いた。
「前に話したことなかったっけ? うちが御《お》世話してる佐山《さやま》家の若」
「聞いたことがあったか……」
「昔だから憶《おぼ》えてないでしょ? 遼子さんが惚《ほ》れた唯一《ゆいいつ》の相手、佐山・浅犠《あさぎ》さんの息子《むすこ》さん。ほんの前まで子供みたいだったのに、このごろ急に大人《おとな》っぽくなっちゃって。……やっぱり何だか危険物を扱うバイトとかしてるって」
一息。
「佐山・御言《みこと》って言うの。知ってる?」
「――――」
遼子の言葉を聞く熱田の顔が、一瞬《いっしゅん》変わった。楽《らく》から緊《きん》へ。
しかし遼子は言葉を続け、熱田は無言でその声を聞く。学校に住み込んでいる佐山の子息《しそく》が、学校からまたよく遊びに来るようになったことや、新庄《しんじょう》という友人が出来たことなど。
「――もう、浅犠さんにそっくりなのよ。これがもう」
という遼子の顔は笑みで、頬《ほお》にはわずかな朱が差している。
そして遼子は、ふと気づいたように、
「あ、御免《ごめん》、雪人君の知らない人の話をしちゃったね」
「構わねえ。――だが、少し危険っぽいんじゃねえかな」
「何が?」
「その佐山《さやま》・御言《みこと》、もし俺みたいな仕事のバイトしてんだったら危険だぜ。何しろ、ちとした弾《はず》みで死ぬこともある。あまり勧められたもんじゃあねえ、いけねえ話だ」
「ふうん。でも、同じような仕事なら、どっかで会うかもしれないね。そのときに危険なことしようとしていたら、――止めてあげてね?」
ああ、と熱田《あつた》は言った。そして何かを我慢《がまん》するように遼子《りょうこ》から視線を逸《そ》らし、
「んじゃ行くぜ。――いい話も聞けたしな」
「遼子さんは昔からいいことしか言わないのよっ」
違ぇねえ、と熱田は苦笑。
「そろそろ雨が降るから中入れてもらっとけ。風邪《かぜ》ひくぞ」
彼の言葉に遼子が宙に手をかざす。と、| 掌 《てのひら》に小さな滴《しずく》が一つ落ちた。
「ほら降ってきた。じゃ、遼子……、またな」
うん、と頷《うなず》いた遼子の眼前、熱田はアクセルを捻《ひね》って単車を前に。
点滅する四連テールランプは、闇の向こうに排気音と歌声付きで消えていく。
一人残された遼子は、空を見上げてからまた門を叩き始めた。
「ペス? ペスー! 逃げたのねっ!? 去勢《きょせい》してやるーっ!!」
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第十一章
『雨の音降り』
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雨の中
檻の中
そして嘘の中で
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鹿島《かしま》は、夜に降る雨の中を帰宅していた。
だが、会社からの帰り道ではなく、一人での帰宅でもない。
今は、奈津《なつ》のパートするスーパーからの帰り道だ。
右にはやはり傘《かさ》を差す奈津がおり、自分の腕には晴美《はるみ》が抱かれている。
晴美は幼児用の前抱え型バケットバッグに入っている。筒型《つつがた》の布袋《ぬのぶくろ》に子供を収め、上下に渡るストラップを背に回すことで子供を身体《からだ》の前に抱えるものだ。
左手の握力が弱い奈津のものだが、今は鹿島がストラップを首に掛ける形で使用。晴美は抱えたバケットの中でタオルに包まれて眠っている。
晴美を抱く鹿島は鼻歌《はなうた》混じりの歩みだが、横、奈津は少しうなだれて力|無《な》い歩み。
下向きに口を開いて出る言葉は、もう何度目だろうか、同じ言葉を同じ口調で、
「もう、何というか、本当にすいません……」
「謝ることじゃないさ、誰かが勘違《かんちが》いして奈津さんの傘を持っていったんだから」
「それでもやはり、いけません。家の主人の帰宅に間に合わず、あまつさえ迎えに来てもらうことになるなんて」
奈津はきっぱり言って、やはり少しうなだれる。夜目《よめ》にも白いデニムのシャツは力無い。
うなだれ、傘の中央に身を寄せるようにして歩く奈津を見て鹿島は思う。
まるで叱《しか》られた子犬のようだ、と。
思わず漏れた小さな笑みに、奈津が顔を向けた。困ったような顔で、
「いけませんからね? 本当ですよ?」
「はいはい。でも、持っていかれた傘って?」
「盗まれたらいけないと思って、ビニル傘を。……逆に忘れ物の傘と思われたようです」
「今度は名札《なふだ》付きのやつでも買おうか」
「あ、でしたら浅草《あさくさ》にいい傘を作るお店があるんですよ。そこで――」
という言葉が、止まる。彼女は首を横に振って、
「家計《かけい》優先です」
「残念の吐息つきで言うことじゃないって。少しくらいならいいんじゃない?」
「いえ、それに……、あの店はうちの両親の行きつけですし」
そう、と鹿島は頷《うなず》くだけ。肩を引き寄せてやるべきかと思うが、あいにくこちらの両手は埋まっていてどうしようもない。
そのどうしようもない間に、奈津が言葉を作った。
「でも、今日は驚きました。昭緒《あきお》さん、よく私がスーパーにいるって解《わか》りましたね」
「いや、それは……、結構《けっこう》当てずっぽうで」
「ふふ、少しは慌《あわ》てて下さいましたか?」
うん、と答えると、奈津《なつ》は少し驚いた顔をした。鹿島《かしま》は内心|困《こま》りながら、
「実は相当に慌てたよ。帰宅して、玄関が向こうから開かなかったのは久しぶりだから」
「……|御産《おさん》で緊急《きんきゅう》入院して以来でしたね。すいませんでした」
「携帯電話を持つべきなのかなあ……」
「昭緒《あきお》さんは持った方がいいかもしれませんね。私の方は平気ですし、それに、私、こう見えても電話|魔《ま》ですから、携帯電話を持つと通話料が大変なことになると思います」
そう言って、奈津は、笑みの顔で娘を覗《のぞ》き込む。
「しかしよく寝てますね。昭緒さんがいると泣かないんです、知ってました? 当家の鹿島大明神《かしまだいみょうじん》は一家|安泰《あんたい》の加護《かご》も持つようですね」
「奈津さんだって鹿島の家の人だよ。だとしたら、晴美《はるみ》が泣かないのは僕達二人が揃《そろ》っているときなんだと思うよ、多分」
「有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います」
笑みで礼を言うところだろうかと鹿島は思い、彼女を見る。
奈津の首元、光るものがある。銀色の短い鎖《くさり》に結びつけられた指輪だ。
すると、不意に鹿島は右の腕、傘《かさ》を持つ袖《そで》を引かれた。
奈津の左手がこちらの白衣《はくい》の袖を掴《つか》んでいる。三本だけの手指が、力|無《な》く。
彼女の顔は前を向いたまま。少し眉を緩めた表情。ただ、口が開き、
「でも、今日は本当に嬉《うれ》しかったです。呼んでもいないのに迎えに来ていただけて」
眉尻《まゆじり》が下がった。
「昭緒さんは、いつも私を救《たす》けて下さいますね」
「それは――」
と鹿島は口を開き、しかし、言うべき言葉が思いつかない。
救ける という奈津の言葉を肯定するべきか、否定するべきか。
どちらが彼女にとって正しく、自分にとって間違いではないか、解《わか》らない。
……解らないな。
不明の思いは当然の沈黙《ちんもく》となり、ただ、奈津が眉尻《まゆじり》を下げたまま小さく笑む。
そのときだ。
鹿島の腕の中、晴美の小さな四肢《しし》が震えた。
鹿島が身を停めた瞬間《しゅんかん》。鹿島と奈津の身が十字路にさしかかる。
そして右手側に見えたのは光。自動車のライト。
それはこちらに曲がり、インコーナーを削るように来て、
「――――」
奈津の傘が雨に落ちた。
UCATの本拠《ほんきょ》、管理輸送|棟《とう》に偽装《ぎそう》された建物は、折からの雨を浴びていた。
一階、ロビーでは地を打つ飛沫《しぶき》を見ることが出来る。
窓際のソファ、夜雨を眺《なが》める絶好《ぜっこう》の場所に座っているのは、新庄《しんじょう》だ。
向かいには白衣《はくい》の大城《おおしろ》がおり、二人で窓の向こう、闇を下から跳ね上げるような白い水の踊りを見る。
「凄《すご》いなあ……」
「春が終わるからなあ。季節の変わり目の雨だろう。雨が止んでしばらくすれば、じきに田植えをする時期になる、か」
ふむ、という大城の吐息を新庄は聞いた。
意味ありげな吐息だな、と窓から視線をずらして大城を見ると、
「何を親指|上《あ》げてるんだよ、大城さん……」
「いや、何、新庄君、……男子|更衣室《こういしつ》で御言《みこと》君と二人っきりだったそうだなあ」
「いやらしいことなんかしてないよ。ディアナさんのせいで何か噂《うわさ》になってるけど」
即座《そくざ》の返答に大城は、まあっ、とわざとらしく顔を手で覆《おお》って、
「そんな、そんな弾《はじ》けた意見を言うようになっておるとはっ」
「だからクネクネしなくていいって」
「……つまらんなあ。ノリが悪いのはイカンことだな、新庄君」
「そんなことより用がないなら私室に戻って女の子が出てくるゲームの続きしたら?  大阪|難波《なんば》ストリート だっけ? 前にオカマにひっかかったとか言ってショックで早退したよね」
「うわいきなりセメント意見に暴露《ばくろ》ネタかっ!」
とりあえず新庄は無視。頬杖《ほおづえ》を着いて窓を見る。窓には奥の壁にある聖母《せいぼ》の絵画が窓に映り込んでいる。そして下に映った自分は、雨を眺めていて、まるで小説か何かのヒロインのようにキマっているかと思えば、
「単に眠そうに見えるだけだね……」
ふむ、という大城の吐息を新庄は聞いた。
またかな、と思い、そちらを見ると、
「――――」
大城は、しっかりとソファに座り、こちらを見ていた。口が開き、
「嘘《うそ》を……、御言《みこと》君に告げたのかな?」
問いに、新庄はゆっくりと首を横に振った。
「でも、切《せつ》と一緒に嘘をついてるって、そのことは言っちゃったんだ」
「そうか」
頷《うなず》き、そうかと、大城《おおしろ》はまた言った。
他に言葉はやってこない。だから、どうしたものかと、新庄《しんじょう》は首を傾《かし》げ、
「ボクは、どうしたらいいんだろう?」
「わしに相談しない方がいいと思うんだがなあ」
「何で?」
「……相談というのは、答えを早く出してしまうものだからだよ。解《わか》るかな?」
「うん。でもそれを望んで相談するんじゃないの?」
「ではここでわしと相談して、解決のヒントでも得たとする。だけどそんな新庄君に対し、御言《みこと》君は誰とも相談せず、新庄君の嘘《うそ》のことを考えているのではないかな?」
問われ、新庄は考えた。だが、三度考えてみても、
「うん……。絶対、佐山《さやま》君は他の人に相談しないと思う」
だから、
「ボクだけ急ぐな、ってこと?」
「御言君にも準備の時間を与えてくれと、そういうことだよ。新庄君を受け止めるための」
言われ、新庄は小さく身を震わせた。
更衣室《こういしつ》で佐山はこう言っていたのだ。
……ボクと、ちゃんと向き合う、と。
その言葉の意味を、新庄は心の底に置く。
「新庄君。……御言君と一緒に考えていくといい。位置や座標《ざひょう》的に一緒ではなく、時間として一緒に、離れていても共に考えて、な。どうするかは、その後|決《き》めなさい」
うん、と頷いた新庄の正面で、大城がソファに浅く座る。浅い大《だい》の字に身を広げ、
「しかし、姉が運《さだめ》で、弟が切《せつ》か。……至《いたる》の阿呆《あほう》も余計なことを考える」
「でも、その名前で、ボクはずっと守られてきたよ」
「だから今、困っておるんだよな? うむ、大変なことではあるなあ?」
「ひ、他人事《ひとごと》みたいに……」
「だって他人事だもーんもーんもーん」
「うわ腹立つー!」
わはは、と大城は右の親指を上げて笑い、ゆっくりと窓を見る。
雨。それも先程《さきほど》より激しくなっている。
ふと、新庄は大城の表情が変わるのを見た。
険《けん》の色。それを見た新庄は小首《こくび》を傾《かし》げ、
「雨に何か嫌な思い出でもあるの? 浴びると煙を上げて溶けるとか」
「わしゃ妖怪《ようかい》か。……いやな、新庄君、憶《おぼ》えておらんかな、八年前の夜、三つ向こうの山で崩落《ほうらく》事故があったこと」
「……憶《おぼ》えてる、かな? あれだよね、非常事態だから救助に行こうって皆が出ていったんだけど、大城《おおしろ》さんだけ宿舎で熟睡《じゅくすい》してて、あとで至《いたる》さんに張り倒されたっていう、アレ」
「よ、余計なところばっかり憶えてるなあっ」
「うん。事故自体はよく憶えてないけど、至さんが襟首掴《えりくびつか》んでボディーブロー連打する横で、|Sf《エスエフ》さんがお茶入れてくれたのは憶えてる……。クッキー美味《おい》しかったなあ。子供心には事故の悲惨《ひさん》さよりも楽しいことの方がインパクトあるんだね、やっぱり」
「あれでわしの肋骨《ろっこつ》が折れたのは楽しいことか。わしの方はこういう雨のたびに左|脇《わき》がシクシクと痛むんじゃがなあ……」
肩を落とした大城に、新庄《しんじょう》が御免《ごめん》御免と二度言った。
「酷《ひど》い崩落《ほうらく》事故だったんだってね。確か、奥の方に向かうバスが巻き込まれたとか」
「そう、たった一人の乗客が重傷を負った。大学院生の女性でな、奥で発掘が始まった縄文《じょうもん》時代の遺跡《いせき》を見に行くつもりだったようだ、とか、そんなことを至が言っておったか」
「その人は……?」
「割れた硝子《ガラス》で左の手を大怪我《おおけが》してな。だがそのことよりも……、バスの中で身体《からだ》を泥に押さえ込まれて身動き出来ず、二時間ほど雨に打たれっぱなしだったのが随分《ずいぶん》と堪《こた》えたらしい。雨の日に外に出られなくなり、――大学院を辞《や》めたと聞いた」
大城の台詞《せりふ》に、新庄は自分の表情が変わるのに気づく。眉尻《まゆじり》が下がり、何かを言おうとする。
が、それより早く、大城が口を開いた。
「あの崩落事故が、実はUCATのせいだったとしたら、どうするかな?」
「……え?」
「当時、UCATは再編期でな。2nd―|G《ギア》の者達を中心とした開発部はほぼ総入れ替えで、まずは皆の足並みを揃《そろ》える必要があったんだな。ゆえに2nd―Gの概念《がいねん》核である八叉《やまた》を封じた荒王《すさおう》の調査を行ったが――、荒王の艦橋部《かんきょうぶ》の破損《はそん》状況を見るに、今、ここで得られるものはないと解《わか》った」
「そ、それで……? 次に何を?」
「2nd―Gは技術者集団でな。強力な概念兵器の研究に入った。……当時から既に、概念核を使用した概念兵器との戦闘を想定《そうてい》しておってな。今、出雲《いずも》君や風見《かざみ》君が用いるような、あのレベルのものを、当時、自分達で一から作り出そうとしておったんだな」
吐息。
「そして、実験場には」
「ま、まさか、それって――」
「ああ、あの事故現場だよ。……2nd―Gが素体《そたい》部を打った骨組みだけの| 機 殻 剣 《カウリングソード》が、出力|制御《せいぎょ》出来ずに山を断ち切った。折からの雨で緩みもあったのだろうが……、あれだけの力を振るえるのは、出雲君の|V―Sw《ヴイズイ》にしても第二形態が必要だろうなあ」
新庄《しんじょう》は息を飲む。
今日、熱田《あつた》という男は、出雲《いずも》と風見《かざみ》に対して全く物|怖《お》じしなかったが、
……あの二人が持つような武器を、彼らは目指していたんだ……。
「で、でもそれって……、要するに、UCATは罪に問われなかったんだよね?」
「そう。事故で、しかも表に出すことのできん組織のことだ。――裏から手を回して経済援助をすることくらいしか出来んかったな」
「そ、そうじゃなくて」
思わず立ち上がっていた。
「罪は……、償《つぐな》ったの?」
「どうであろうな?」
と大城《おおしろ》は首を傾《かし》げた。
「ともあれその後、2nd―|G《ギア》の概念《がいねん》兵器研究は、出力重視から操作性重視に転換してな。|V―Sw《ヴイズイ》や|G―Sp《ガ ス プ》2、新庄君の|Ex―St《エグジスト》は結構《けっこう》特例品なんだな。……また、事故を引き起こした技術者は開発から身を退《ひ》き、出力調整の研究に入った。そして」
「そして?」
「彼は、先ほど話に挙げた重傷の女性と学生時代に知り合いだったらしく、事故の後、結婚したそうだ。月読《つくよみ》部長が言うには、UCATのことを話せぬままだが、今年の初めには子供も生まれたとか」
「……事故の責任を、とったってこと?」
「責任? そんなものがどこにあるのかな?」
大城は言った。
「UCATのことを彼女に伝えることは出来ん。ならば、彼女は事故の真相を知らぬままだ。……責任など、どこにあるのかな?」
「それは……」
何か言いかけた新庄に、大城が、まあまあ、と両手を上げる。
そして新庄は気づく。自分はこの話題がひどく気に掛かっている、と。
……似ているからだ。
嘘《うそ》をつき、それを明かすことが佐山《さやま》を傷つけるかもしれない自分と。
嘘をつき、それを明かさぬまま共に居続けるその技術者と。
「…………」
口に手を当て沈黙《ちんもく》したこちらに対し、大城が吐息をついた。
「御言《みこと》君|風《ふう》に言うとこんなところだろう。――自分の罪を贖《あがな》うつもりで、ただ罪と延々つき合っているだけではないか、と」
でも、どうだろうと新庄は思う。自分だったらどうするだろうか。
ふと思った。
……まさか、その技術者って……。
「誰? その技術者は」
「――鹿島《かしま》・昭緒《あきお》」
「……!」
知っている。そのことに、大城《おおしろ》も首を下に振って、
「食堂で会ったであろう? 2nd―|G《ギア》の交渉役となる」
新庄《しんじょう》は、ふと、膝《ひざ》から力が抜けたことを悟った。ソファに尻を着くように座り込む。
食堂の一件のとき、自分は彼に嘘《うそ》をついているのかと言ったが、
……あの人は、自分の大事な人のために嘘をつき続けているんだ……。
自分が傷つけたことを隠して、ずっと、ずっとそばにいる。
それが彼の選択したこと。そして、
「ボクは……」
顔が青ざめているのが自分でも解《わか》る。
正面、視界の中央で、大城が会釈《えしゃく》した。
「義理と人情。2nd―Gらしいというか、日本人らしいというか。難しいところだなあ。新庄君、2nd―Gは日本神話の世界だが、日本神話には対照的な二人の英雄がいることを知っているだろう……?」
「スサノオと、ヤマトタケルだよね?」
そう、と大城は笑みで頷《うなず》いた。
「日本神話というのは深いものだよなあ。……暴れ者で嫌われていたが正直に生きた英雄と、美しく慕《した》われたが嘘に生きた英雄と、その二つを有しておる。ただ」
「ただ?」
「スサノオは英雄となった後も、生涯を暴風神《ぼうふうしん》スサノオとして通した。――だがヤマトタケルは元々|小碓《おうす》と名乗っていたが、クマソを滅ぼしたとき、クマソタケルからタケルという名をもらい、以後、それを変えなかった。……これを彼らなりのけじめの取り方と考えるのはどうであろうかな?」
彼の言葉に、どきりとした。
だが、新庄はやや考えでから頷きを一つ。
我《われ》知らず、過去の二人の英雄に思いが走る。
己のやり方を通して、名を変えずに生きた者と、変えて生きた者。
……もしも。
もしも二人が出会っていたら、どうなっただろうか。
思案《しあん》が走り、目の前が見えていないような感覚がある。耳にホワイトノイズのような音として雨音を聞いていたが、ふと、そこに大城《おおしろ》の言葉が割り込んできた。
「ともあれ今日は帰りなさい。|Sf《エスエフ》君に車を出してもらおうか。――君の戻るべき場所へと」
鹿島《かしま》は夜闇《よやみ》の中で雨の音を聞いていた。
左腕の中では幼子《おさなご》の呼吸を感じ、右手の先では傘《かさ》を打つ雨の響《ひび》きを感じる。
そして右腕の中、一人の女性の震えと鼓動《こどう》を感じた。
奈津《なつ》。
車のライトの接近に、傘を持つ腕で抱き寄せた身体《からだ》。
彼女の身は、今、こちらの腕の中、| 懐 《ふところ》にしがみついている。
既に車のライトはこちらに気づく様子《ようす》もなく通り過ぎ、今は音も聞こえない。
だが、奈津は未だにこちらに伝わる鼓動を持ち、身にしがみついてくる。
「大丈夫」
鹿島は、奈津を安心させるために右腕に力を込める。
しかし奈津は安堵《あんど》を得ない。右腕で抱き寄せても、
「……ん」
吐息を漏らし、抱き寄せた分、強くしがみついてくる。
まるで、抱き寄せられたことで、更に近づく許可を得たように。
彼女の右手は、幼子《おさなご》を抱く左腕を覆《おお》うように絡み、彼女の左手は、
「――――」
白衣《はくい》の背を掻《か》くように掴《つか》み、そしてまた離れると、別の箇所を掴む。
何度も何度も、その拙《つたな》い行為は繰り返され、そして止まない。
力の入りにくい左手では、どこかを掴んでも握りしめた実感が無いのだろう。
鹿島《かしま》は既《すで》に傘《かさ》と子を手にしている以上、奈津《なつ》の手を握り返せない。
そして奈津は、不意に声を挙げた。
「雨、嫌《いや》あ……」
胸に押しつけられた声が震えていた。鹿島はわずかにどきりとして、
「奈津さん」
「嫌なの……」
言葉とともに、奈津は涙をこぼし始めた。
「嫌なのお……」
うつむき震えてしがみつく姿はまるで子供だ。鹿島は身を屈《かが》め、更に奈津を引き寄せ、
「嫌だよね」
奈津は頷《うなず》き、か、と息を吸い、背を掻《か》く左手に力を込め、
「昭緒《あきお》さん――」
「ここにいるよ、晴美《はるみ》も、ここにいるよ」
言いつつ、鹿島はあたりを見る。奈津の傘は、
……あった。
赤い傘は、車に煽《あお》り飛ばされ、道路の中央に転がっている。
外灯の明かりに浮かぶ傘のシルエットは、逆さまになったもの。骨が二、三本折れたのか、丸い形が崩れていた。使い物にはならないだろう。
大変だ、と鹿島は改めて思う。
傘は一本。奈津も、晴美も、雨に当てるわけにはいかない。
胸の中、奈津の肩の震えが荒い息の上下になっていた。
少しは落ち着いたのか。
屈めた背が雨に濡《ぬ》れ、冷たい。胸に抱いた二つの命から伝わる熱とは大違いだ。
だが、
……これは僕の責任なのだから。
彼女達の望む通りに。
安らかなればそのままに、震えるならばそれを止めると。
思い出す。
かつて、八年前の雨の日のことを。
……自分達の力を甘く見ていた。
結果は、かつてのあの瞬間《しゅんかん》と、目の前にある全てだ。
破壊の力に酔いしれた一瞬《いっしゅん》は、すぐに自分のしでかしたことに対する焦りに変わった。
雨の中、救助が来るまで数時間。
泥を掻《か》き分けた中から取り上げたのは、久しぶりに会う同級生の欠けた手だった。
今、その手を取ることの出来ない鹿島《かしま》は、ただ呼びかける。
「……奈津《なつ》さん」
あの頃、学生時代は名字《みょうじ》を呼んでいた。
高木《たかぎ》という、東京にはよくある姓《かばね》。
同じ姓となった今、鹿島は彼女の名前を呼ぶ。
「奈津さん」
鹿島は呼びかけつつ思う。
……この人は本当のことを知らない。
「奈津さん」
……この人はUCATのことを知らない。
奈津がゆっくりと顔を上げた。
……この人は2nd―|G《ギア》のことを知らない。
奈津は、まだ涙をこぼしていた。
……この人は僕のことを知らない。
鹿島は頷《うなず》き、奈津の背から腕を軽く放す。
……だが――。
身を震わせた奈津に、鹿島は左腕の晴美《はるみ》を差し出した。
……この人達のためならば、僕は何でもしよう。
奈津がこちらの顔と晴美の顔を見比べ、そしてこちらに頷き、晴美を選んだ。
彼女は右手で幼子《おさなご》を包んだバケットを支え、こちらの首からストラップを外す。
そして奈津は自分の首にストラップを掛けると、晴美をバケットごと腕で抱え込む。
と、晴美が目を開けた。うつむいた涙目《なみだめ》の奈津と視線を合わせ、
「あ――」
と声を挙げる。その表情は笑みのもの。
すると、鹿島の腕の中で、奈津が微笑した。
奈津は、ん、と晴美に確認するように身を緩く上下。子供の息を呼ぶように揺らす。
するとまた晴美は、
「あ――」
という声に続き、あ、とも、ひゃ、とも聞こえる淡い笑い声を響《ひび》かせた。
対する奈津《なつ》は頷《うなず》きを晴美《はるみ》に見せ、
「いい子ね……」
吐息とともにそう言う頃には、いつもの彼女だ。
……ただ、頬《ほお》の上気《じょうき》と目尻《めじり》の湿《しめ》りが余計だけれども。
そんなことを思いつつ、鹿島《かしま》は安堵《あんど》の吐息を内心でつく。
良かった、と。
「じゃ、傘《かさ》を拾って帰ろうと思うけど、前を歩いてくれるかな?」
問いに、奈津は顔を上げた。こちらの顔と、頭上《ずじょう》にさし伸べられた傘を見て、
「私達に合わせて腰を屈《かが》めてると、御《お》背中が――」
はっ、と気づいて、
「も、もう濡《ぬ》れちゃってますよね……」
「でも、奈津さんも晴美も雨に当てるわけにはいかないよ」
「有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います。で、ですけど、一家の主《あるじ》を雨に打たせるのも……」
奈津は困った顔をした。
が、すぐに彼女は晴美を抱えたまま腰を屈め、こちらを見た。
「あの……」
「だっこ?」
言うと、奈津は顔を赤くして、しかし否定しない。
困った妻がいたものだ。
だが鹿島は望み通りにする。
赤面《せきめん》もするが、少なくとも自分に対する言い訳は充分にある。
この人達のためならば何でもしようと決めているのだから。
鹿島は腰を落とし、傘の右腕と空《あ》いた左腕を、晴美を抱く奈津の背と尻の下に回す。
それ、と抱き上げると、
「きゃ」
軽い。かつてもそう感じただろうか。そういえば結婚式のときと、晴美を身ごもったときも喜んでこうしたっけか。
そうだ。あのときも、軽く、そして大事だと思った。
花束のようなものだ。
見れば、右腕の傘は彼女と自分を空から隠し、三人の誰《だれ》も雨に濡れることはない。
胸の中にいる二人の内、大きい方が笑みを浮かべ、
「ビデオ持ってくれば良かったですね。晴ちゃんが大きくなったらこんなの無理ですから」
「恥ずかしいよ」
「大丈夫ですよ、私達しか見ませんから」
それもそうか、と鹿島《かしま》は頷《うなず》く。
あとは急ぐだけ。奈津《なつ》に手を伸ばしてもらい、傘《かさ》を拾ったら、家までここから三百メートルほど。腕の力は保《も》つだろう。
歩き出す。腕の中、二つの微笑を得て。
その笑みに、己の笑みを返しながら鹿島は思う。
全竜交渉《レヴァイアサンロード》。
僕はどのように関わるべきなのか。
食堂で熱田《あつた》はこう言った。
……もう結論出たようなもの、か。
確かにその通りかもしれない。
雨の音を聞いていると思い出す。
かつての事故のことと、その原因となる刃《やいば》を創《つく》った自分の力のことを。
あれが自分の本当の力。
……僕が否定すべき力だ。
しかし、内心で吐息をつき、鹿島はこう思う。
あの力を、どうして自分は忘れることが出来ないのだろうか、と。
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第十二章
『午前の企画』
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居心地のいい場所へようこそ
風の流れる天つ行き路
人の戻るはその地の草よ
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風見《かざみ》家の朝は土日でも早い。
企画業の父親には、自分で決めた休日はあっても、定休日はないからだ。
一応、風見が帰宅を告げた口は休みにしてくれることが多いが、今日の帰宅は急の決定だったため、父親は朝七時から朝食開始。
風見は頭の中にある眠気の上に、家族の義務という重しを置いて朝食に参加する。
六畳間のシステムキッチンに入ると、中はいつも通りの綺麗《きれい》さだ。
そしてテーブルの上には朝食のサンドイッチ素材と、カップのスープがある。
奥、テーブルについている両親がこちらを見た。
母親が、あら、と長い髪を揺らしながら腰を上げ、
「何飲むの?」
「コーヒー、コーヒーだよなあ、千里《ちさと》」
横の父親。皿の上にサンドイッチを組み上げていく手を止め、眼鏡《めがね》がこちらを見た。
「眠いのにちゃんと朝|御飯《ごはん》に起きてきてくれてパパは嬉《うれ》しいぞお」
「ああ、うん、紅茶」
今のはどっちへの返答だろうかと自分で思いつつ、風見は椅子《いす》に座る。
目の前、ちょっと残念そうな顔の父親が、テーブルの上に手を伸ばす。
テーブルの上、皿が幾枚《いくまい》かあり、レタスや薄焼き卵、ハムにタマネギやトマトが並ぶ。
バイキング形式でパンに積み上げ、それをサンドイッチにするのが風見|家式《けしき》だ。
「でもお父さん、それ積み過ぎ」
「そ、そうかなあ。そうかもしれないなあ。でもこれが楽しいんだよ」
「いくつになっても子供なのよねぇ……」
十センチ厚で積まれた素材を見つつ、母親が困ったように吐息。
ティーポットを用意する母の青いシャツ姿と、自分で積んだサンドイッチを前に腕組みする灰色のパーカーに、風見は家に帰ってきたことを今更《いまさら》実感。
「お母さんも着替えてるってことは、二人でどこか行くの?」
「ああ、ママもちょっと現場にね」
その一言で目が覚めた。
肩が震えるのが自分で解《わか》る。今頃になって朝の空気の冷たさを肌で感じつつ、
「また、謳《うた》うの?」
「ついていくだけですよ?」
少し注意の意味を含んだ声。だが、父親は、
「でも、年末にクリスマスの合同コンサートの企画もあるんだ。メインどころは当然、スポンサーの選んだ人達になるけど、ゲストはまだ枠が余っていてね。どうしようかと」
ふうん、と頷《うなず》き、風見《かざみ》は紅茶を入れる母親を見る。
紅茶を入れる母の動きは普段通りで、風見には母の考えていることが解《わか》らない。
……いつもの戯言《たわごと》だと思ってるのかしら……?
ただ、父親はどことなく嬉《うれ》しそうな表情で、おそらく本気だ。自分で積んだサンドイッチを上のものから食べ始める意味不明なあたりも、いつも通りで間違いない。
と、紅茶の入ったカップが来る。そしてパンが二枚載った皿もやってくる。
風見はマーガリンをパンの表面に塗りつつ。
「うちの両親、頑張ってるよねえ……」
「千里《ちさと》の方はどうなの? 出雲《いずも》君とは上手《うま》く行ってるの?」
薮蛇《やぶへび》もいいところだ。風見が、あー、と考えたところで、父親が頷き、
「ちゃんと彼も連れてきなさい。家の前で追い返すんじゃなくて」
「いや追い返してはいないんだけど……」
「でも蹴《け》り飛ばして帰したのよね? 千里。ママは見てたのよ?」
椅子《いす》に座って問う母親は、笑みだが、目が笑っていない。だから風見は大人《おとな》しく、
「……来週はそのまま家の中に入れます」
ようし、と両親が笑顔でハイタッチするのを見て、
……どーしてあの馬鹿|人気《にんき》あるかな。
と風見は内心で吐息。既に母親は鼻歌つきで、
「来週はコロッケにしましょうね。パパも出雲君も競争でバカスカ飲み食いするから。たっぷり作れるものがいいでしょ。白にカレーとクリームで、激辛《げきから》ワサビは不意打《ふいう》ちレアね」
「いいなあ、千切りキャベツもたっぷりだといいなあ。今度こそどちらが優《すぐ》れた男か白黒つけてあげないといけないもんなあ。ママ、私は頑張るよ! 意味もなく!」
「きゃあパパ格好《かっこう》いい〜! 意味もなく」
「あ、あの、私の御両親? まだ今週も終わってないのに来週の話をするのは……」
「ん? 何か言った? 千里? もう一度言ってもいいわよ?」
「いえ何も御座《ござ》いませんってか母さん最近目つき怖いって」
「いいからいいから。来週、千里は出雲君の応援をしなきゃな。ほら、ここで両親チームと娘|婿《むこ》チームの二派に分かれての対立|構図《こうず》が無意味に出来たから、つまりは――」
「御免《ごめん》、お父さん、今度は何の企画? それ」
父親はわずかに天井を見て、
「先週の猜疑《さいぎ》教育番組 ……できるかね? で使ったネタかな。今、パパは検閲《けんえつ》打ち切り食らったアニメ ゲバラさん の代用企画考えてるんだ」
「いろいろ無視して言うけど代用企画って何?」
「うん、昭和の時代にカルト流行したアレトルマンシリーズの続編でね。アレトルマン・セメントの流れをくんでアレトルマン・シュートをやる。第一回目からシュートが怪獣《かいじゅう》の握手を拒否してマウントで三分|殴《なぐ》り続けるんだ。タップしてもやめません。派手だぞお」
「どうせ第二回では怪獣がバックをとってはがいじめで三分耐えようとするんでしょ」
「何で解《わか》るんだ。さすがは私の娘だなあ。そう、そこで返し技に目覚めたシュートが、段々と正統派プロレスを学んでいくんだな。その学ぶ場所がアレトル養成《ようせい》基地である マンの穴 」
「それ別の角度から打ち切り要請来るからヤバいと思う」
うーん、と父親は腕を組んで考え込む。
風見《かざみ》は、そんな彼に母親が紅茶を注《つ》ぐのを見るが、そのカップに元々入っていたのはコーヒーではなかったか。思わず冷や汗をかくが、しかし父親は、
「――美味《うま》い。ママの入れる紅茶は美味いなあ」
この親には一生勝てまい。そのことを再確認した風見は、自分も将来こうなるんだろうかと思考《しこう》。
しかし、そんな思いを無視して父親が問うてくる。
「どうした考え込んで。学校関係で難しいことや嫌なことがあったら話してみなさい。父さんは全く力になれないがだからどうした」
どうしたものか。とりあえず言うことは一つ。
「じゃあまず落ち着いて二人とも。朝食なんだし」
吐息。二人に遅れてサンドイッチを作り出す。まずは薄焼き卵、レタス、マヨネーズで、
「ジャムに塩|昆布《こんぶ》に山芋《やまいも》――、が! ち、千里《ちさと》! 家庭内暴力はいけないなあっ!」
「お母さん、どうにかして」
「パパ、――めっ」
それだけかいと思ったが、見れば父親が頭を抱えて本気でガクガク震えている。
風見はこれはこれで別の意味を持つ叱《しか》り方なのだと理解。
「千里、我慢してあげてね。貴女《あなた》が帰ってきたから、パパ、少し頭がおかしくなってるのよ」
「うん、……後半部はよく解る」
そしてふと、風見は父親の有効な使用方法を思いついた。
「ねえ父さん、昔の企画で日本神話とかのネタ、やったことある?」
するとこちらの呼びかけに父は顔を上げた。
「あ? ああ、あるとも」
「今、ちょっと覚《かく》や後輩《こうはい》達と調べてるんだけど、八叉《やまた》の大蛇《おろち》関連で何か面白い話知ってる?」
「うーん、八叉の大蛇ねえ。……いろいろあるからなあ。何かキーワードあるかな?」
「そうね……」
と顎《あご》に手を当て首を傾《かし》げ、ふと気づくと、母親が自分と同じポーズをとって考え込んでいた。しかし、向こうはこちらに気づいていない。そのことに風見《かざみ》は苦笑。
キーワード。何だろう。2nd―|G《ギア》という言葉はUCAT関係者ではない両親には通じない。
だとしたら、何だろう。2nd―G、そこの概念《がいねん》の特性は――、
「名前。……うん、名前って言うキーワードで、何か面白いネタはある?」
名前? と父親が問うて、顔を上げた。
彼の口元に笑みがあるのを見て、風見は当たりを引いた確信を得る。
「千里《ちさと》、八叉《やまた》の大蛇《おろち》の討伐《とうばつ》の話を言って御覧《ごらん》」
ええと、とつぶやき、風見は答える。
「地上に追放されたスサノオが、八叉の大蛇の生《い》け賛《にえ》になりげなクシナダヒメを見初《みそ》め、娶《めと》る約束の代わりに大蛇を酒で酔い潰して首をはねたのよね?」
「無茶苦茶《むちゃくちゃ》はしょったけど大体は合ってるかなあ」
「でしょ? 最近勉強したんだから。で、大蛇の首をはねたのが十拳《とつか》。でも首をはねている最中に剣が欠けて、何事かと思って探ると大蛇の中から一本の剣が出てきた。いい剣なので振ってみると周囲の草が簡単に断ち切れたという。これが草薙《くさなぎ》」
そして、
「スサノオはクシナダを娶り、出雲《いずも》地方に住み着き、後、子孫がアマテラスに草薙を献上《けんじょう》して神の復権をした、と。そういう話よね?」
ふむ、と父親は頷《うなず》いた。そして彼は、名前ね、とつぶやき、
「遠回しに行こう。――千里、古代日本では元服《げんぷく》などすると名前を変えた。そのこと、古文《こぶん》とかでも習ってるよな?」
うん、と頷くが、実はよく憶《おぼ》えていない。
だが、こちらの内心に父親は気づかず、よしよしと頷いている。
気づいているのは彼の横、こちらの表情を見て苦笑した母親だ。
この両親には一生勝てまい。と、そんな思いに応じるように、父親が問うた。
「……じゃ、千里、何で昔の人は名前を変えたんだと思う?」
「え?」
ストレートに解《わか》らない。だから考える。じっくりと思考《しこう》をこねて、
「成人した、から?」
「残念|惜《お》しい。ちょっと考えて御覧。日本神話では、たとえばヤマトタケルは敵であるクマソタケルを殺してヤマトタケルの名を頂く。成人イコール改名ではないよ」
だったらどういうことか。
考える視界の中、母親が身体《からだ》を小刻みに左右に揺らしている。その右手が何故《なぜ》か上に上がりそうになって、下げられるが、風見は無視。
考えて、意外に近くに答えがいたことに気づいた。
出雲《いずも》・覚《かく》。彼と初めて逢《あ》ったとき、彼は10th―|G《ギア》の言語を使用しており、言語と名前は違うものだった。その出雲が今、日本語を使用しているのは、
「――立場が変わったから?」
「御名答《ごめいとう》。そう、古代において、名前はそのものの役職や立場を指した。だから、それが変わると名前が変わる。先ほどの例で言うと、ヤマトタケルのタケルは英雄という意味。クマソの英雄クマソタケルは、自分を殺した少年に、ヤマトの英雄としての立場を与えたんだね」
その言葉に母親が、ち、と密《ひそ》かに指を鳴らすポーズをとる。
妻の仕草《しぐさ》に気づかぬ父親は、こちらに右手の指を三本立てた。
「ではそのことを憶《おぼ》えておいて、本論だよ。スサノオと八叉《やまた》の間には三つの謎《なぞ》がある」
薬指《くすりゆび》を折り、
「第一の謎は、八叉の大蛇《おろち》という名称は、役職や立場の名前ではないこと」
「……え?」
「よく考えて御覧《ごらん》。八叉の大蛇というのは――」
形状だ。そのことに気づいて、あ、と風見《かざみ》は声を挙げた。
「……八叉の名前が無いのは何故《なぜ》か、と?」
「そう。八叉の大蛇は、草薙《くさなぎ》の剣を生む重要な役を負いながら、立場も役職も、何も与えられていない。――ルールからは大きく外れている。では何故、八首《やつくび》の大蛇《だいじゃ》、日本神話における巨竜《きょりゅう》は、名前を与えられなかったのだろうね?」
次いで父親は中指《なかゆび》を折り、
「次の謎はスサノオだ」
解《わか》る。風見は先手《せんて》を打つように告げた。はい、と手を上げ、
「天界《てんかい》を追放された彼は、何故、スサノオの名のままなのか、でしょう?」
「――そう、人界《じんかい》に落ちていくことになったというのに、彼はそのままの名を保つ。それは何故か? 名のない大蛇と、名を変えぬ暴風《ぼうふう》の神がいて、更《さら》にもう一つの謎が生まれる」
「最後の謎は草薙剣でしょう?」
と言ったのは、母親だ。
風見と父親が視線を向けると、母親は肩を竦《すく》めて、御免《ごめん》なさい、と舌を出す。
しかし、風見には解らない。
「草薙が……、何なの?」
おやおや、と父親が笑みのような表情をこちらに向けた。
「そこから先は、皆で話し合ってみるといいなあ。……これ、昔に教育番組で取り上げようとしたら、相手にされなかったネタなんだよ。でも、何かネタになるといいなあ、千里《ちさと》」
いや、ネタどころではなく、
……充分だわ。
ヒントはあったけど、少しは自分で気づけることもあった。体育会|系《けい》の自分としては上出来か。そして皆で解くべき謎《なぞ》までもらって、
「帰ってきて良かったわ」
言うと、両親は笑顔でわあいとハイタッチ。
この両親には一生勝てまい。
まだ午前だというのに、鹿島《かしま》はUCATの食堂にいた。
夜勤|目覚《めざ》めが数名いるだけの静かな食堂に、
「何で僕が連れて来られるんだ? 熱田《あつた》。僕はまだ設計室に入ってもいないんだけど」
「ああ、そろそろテメエの家に実家から白菜が届く頃だと思ってな。だとすれば余った漬け物をお前は処理に入る。出せ」
と、戦闘服|姿《すがた》の熱田は、白米《はくまい》山盛りの| 丼 《どんぶり》に箸《はし》を差して身構えている。
「お前は漬け物だけで飯を食う気か」
「舐《な》めるな軍神《ぐんしん》。一汁一菜《いちじゅういっさい》、この言葉は確実に守っているぜ、その目でしかと見ろ」
と、| 懐 《ふところ》からテーブルに一つのものを置いた。
缶コーヒー。モーニングコーヒー・ゴッツと名付けられたUCATの缶には、モーニングのイメージか、裸エプロンの健康|執事《しつじ》が紅白のハイコントラストでプリントされている。
「それが一汁か。確かに色はちょっと味噌汁《みそしる》に似てるけどな。だけど、これに白菜で米を食うとなると、随分《ずいぶん》……、和洋|折衷《せっちゅう》の朝食だな」
「文句あんのかテメエ。――ケッ、随分と偉くなったじゃねえか」
「偉い、って意味|解《わか》ってるか? で、僕に一菜を出せと」
やれやれ、と鹿島は横に置いた鞄《かばん》の中から奈津《なつ》お手製の包みを出す。
「実は奈津さんも予測してたよ。ほら、お前が好きな桜の漬け物も入ってる」
「ああ、花弁を漬けたヤツか。ちと苦《にが》くて酒に合うんだよな。いいねえ。――テメエとは違って無茶苦茶《むちゃくちゃ》腹立つくらい良く出来た女房《にょうぼう》だなこん畜生《ちくしょう》」
「文句言ってるのか褒《ほ》めてるのかよく解らない日本語だな」
「馬鹿|野郎《やろう》。男が女を簡単に褒めるもんじゃねえんだよ」
「つまりは難しく褒めたんだな?」
「あ? あー、まあ、その、何だ? これは、えーとだな……、馬鹿野郎!」
「配線がどう繋《つな》がったのか不明だけど凄《すご》い結論だな。ともあれ奈津さんには言っておくよ」
「ああ、言っとけ言っとけ。コノヤロウ次もお願いします、って」
「お前の日本語は本当によく解らんなあ……」
と、鹿島は慣れた吐息。
気づくと熱田《あつた》はいつの間にかこちらの手にあったパックを開け、食事を開始している。
身内に歩法《ほほう》を使用することもなかろうに、と思うが、剣神《けんしん》熱田にとってはその歩法を使用する方が日常的なのかもしれないとも思う。
「美味《うま》いか?」
返答がないということは| 了 承 《りょうしょう》ということだ。
気づくと熱田の| 丼 《どんぶり》の中身が二杯目になっていた。漬け物|自体《じたい》はほとんど減ってない。
その勢いの、ついでとばかりに言葉が聞こえてきた。
「おい、全竜交渉《レヴァイアサンロード》どうするよ?」
「そうだなあ。……お前、やってみないか?」
おいおい、と熱田が箸《はし》を止め、
「やる気ねえのか」
「正直、あまり無いかなあ。昨日、ここでゴタゴタやって改めて気づいたけど、僕には2nd―|G《ギア》にこだわる理由が一つも無いんだよなあ……」
「しみじみ言ってねえでどうにかして理由つけろよ馬鹿」
「無理言うな。本当に理由がないんだよ。荒王《すさおう》の破損《はそん》を確認したときに祖父からの遺言《ゆいごん》も無意味になったし、今は家族もいる」
昨日の佐山《さやま》の言葉を思い出す。
……向き合う、か。
「真剣な彼らに対して、僕よりももっと適任がいるんじゃないかなあ……」
「だったらテメエ辞《や》めろ」
熱田は一息ついて、吐き捨てるように、
「UCAT辞めちまえ」
言われて、鹿島は少し考えた。熱田の意見は確かに、
「……ありかもなあ」
「おい」
「そんな顔するな熱田。いや、正直、僕のような根性《こんじょう》で、僕のような事情持ちで、僕のようなことを考えている人間は、ドロップアウトして逃げた方が気楽なんだろう」
辞めてしまえば悩む必要はない。しがみつく理由が無くなるのだから。
ふと父や母の生活を考える。剣工《けんこう》の道を選ばず農業を選び、ときに包丁《ほうちょう》や鎌《かま》などを手入れするという、そういう生活を。
両親から野菜を送られて奈津《なつ》は| 恐 縮 《きょうしゅく》するが、両親はそこに喜びを得ているだろう。
「――選択肢《せんたくし》が一つではない人間もいる。そういうことだよな」
「じゃあテメエはそうなのか? 鹿島《かしま》」
「どうだろう? ただ僕は八年前の事故で剣工《けんこう》の道から離れたよ。この手指は鏨《たがね》を握ることなく、完成品の追加《ついか》調整にキーボードを叩くだけだ」
それに、と鹿島は言った。テーブルを爪で軽く叩き、
「八年だぞ。あれ以来、僕は一切| 機 殻 剣 《カウリングソード》を作ってない。もし、引き際があるとしたら――」
「今か? 全竜交渉《レヴァイアサンロード》の交渉役として、何か大役《たいやく》を任される前に、逃げるってかよ?」
「ああ、そうだろう」
一息。
「何もかも、表には出せないことだ。僕は祖先から受け継いだ武器作りさえ子に話せない。辞《や》めるなら今だ。家族仲良く|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に馴染《なじ》んでいくさ。……僕はこのLow―Gの住人なのかどうか、迷っているけれど、子供はそんなことを思わないだろうし」
「だったらテメエ、前に言っていた2nd―Gの真理ってのはどうする気だ。あれを知ってるのはテメエの家系だけなんだろうがよ」
「月読《つくよみ》部長に伝えて判断を仰げば、それですむことだよ」
どうだ? と前を見ると、腰をかすかに上げた姿勢の熱田《あつた》がいる。
「テメエ、本気か?」
「どうだろうな? 今の会話は勢いで進んでいるからね。ただ――」
困ったものだ、と肩を落とす。
「考え込むよな。……どうしたらいいんだろうか、って」
それを聞いた熱田は舌打《したう》ち。腰を落とし、椅子《いす》に浅く腰掛ける。
「別に理由なんて無くたっていいじゃねえか。俺は理由が無くても人を斬《き》るのが楽しいぜ」
「お前、自分の脳の仕事に同意を求めてるぞ……」
鹿島は苦笑。すると熱田が目を細め、
「ほほう。テメエ、俺が全竜交渉《レヴァイアサンロード》にこだわる理由がねえと思ってるな?」
「ま、まさか、……あるのか?」
「そのタメは何だ馬鹿|野郎《やろう》。あるぜ一応。――惚《ほ》れた女関係でな」
「学生時代の同級生、か? 変な繋《つな》がりだな。まあ深く詮索《せんさく》しないが……、私怨《しえん》ぽいな」
「充分詮索してるじゃねえかっ」
熱田はうんざり顔で漬け物のパックを滑らせて寄越《よこ》す。
「? 何だ、いらないのか」
「軍神《ぐんしん》をたらし込んだ女の漬け物が食えるか馬鹿野郎」
「ははは良い女房《にょうぼう》が羨《うらや》ましいか」
「人の言葉が効きやしねえ……」
熱田は、け、と言葉を吐き捨て、缶コーヒーを口に付けると、
「荷物まとめてとっとと失《う》せろ負け犬|野郎《やろう》。下らねえ、下るところの全くねえ話だぜこれは。2nd―|G《ギア》最高の軍神《ぐんしん》であり剣工《けんこう》であったタケミカヅチの鹿島《かしま》家が、女房《にょうぼう》子供にほだされてドロップアウトかよ? マイホーム万歳《ばんざい》だ糞《くそ》」
「よくそこまで言葉が出るなあ」
熱田《あつた》は、ち、と舌打《したう》ちしてのけぞり、天井を見上げる。
そんな彼に鹿島は悪い気を覚えない。有《あ》り難《がた》い友人だと思い、
「まだドロップアウトかどうかは決まってないよ。ただ、全竜交渉《レヴァイアサンロード》に向かい合う気力がないだけでね。UCATの給料は良いし、やることやっておけば僕は家のローンも払えるわけだ。――ただ、そこに楽しさがなくて迷いがあるだけで」
へいへい、と熱田が体を起こし、また| 丼 《どんぶり》を手に取った。テーブルに備え付けられた調味料の並びから、塩だけとって米に振りかける。
「おい鹿島」
「何だい熱田。というか塩振りすぎだお前」
「馬鹿野郎。俺は低血圧で塩分が必要なんだ。知らねえのか?」
「初めて知ったぞ、全世界の人間は超低《ちょうてい》血圧なんだな。お前と相対《そうたい》的に見て」
「ああ言えばこう言う野郎だ。一応|餞別《せんべつ》代わりに聞いておいてやっけどな。じゃあ、2nd―Gの真理、八叉《やまた》の問いってのは何だ?」
「真理も問いも、まずは月読《つくよみ》部長に教えるさ」
「そんなに大事なもんなのかよ」
どうだろうなあ、と鹿島は首を傾《かし》げた。
「僕の祖先は代々それを教え聞いていた。だから、逆にその大事さを忘れてしまった。ゆえに2nd―G崩壊《ほうかい》の際、八叉は僕達の祖先が告げる答えを信用しなかった、と」
「じゃあ、無用の長物《ちょうぶつ》じゃねえか」
「――だけど、交渉の道具にはなるさ。|Low《ロ ウ》―Gは知りたいだろうからね」
鹿島は腕を組み、自分でも似合《にあ》わない台詞《せりふ》だと思いながら、
「大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》が、その命と引き替えに辿《たど》り着いた言葉。ゆえに彼を恨んでいた祖父が苦しみ、Low―Gに完全な服従を誓うことになった言葉だ。……価値《かち》はあるんだよ、きっと」
苦笑。鹿島はその笑みを消さずに言う。
「しかしそれから六十年。僕達はもはやLow―Gに染まりすぎててどうしたものか、と」
言い終えてみれば、熱田が箸《はし》の動きを止めてうんざり顔でこちらを見ている。
どうしてか、と思い、
……ああ、何か妙な笑みを浮かべているよな、僕は。
眉《まゆ》を力|無《な》く歪《ゆが》め、うつむき、しかし口元だけは笑む。
これはどういう名がつく笑みだろうかと、そんな思いを突くように、熱田《あつた》の声が聞こえた。
「まあ、もし辞《や》める気が収まらねえなら、ちょっと設計室の第三制作室に行っておけ」
「第三……」
ふと、鹿島《かしま》は眉をひそめた。
第三制作室。そこは開発部の中でも開《あ》かずの間《ま》となっている部屋だ。
それも、八年前のある夜から。
「あの中には、僕が封印《ふういん》した――」
「口に出せねえか? だが忘れてねえだろ? あの中に粗大《そだい》ゴミにも出せねえものがあるだろうがよ。テメエの手で封印された力ってやつがな」
ふと、そのときのことを思い出した。
八年前、奈津《なつ》を泥の中から救い出し、救助の車に乗せた後のこと。
あのとき、雨に濡《ぬ》れた身で、手指についた彼女の血を拭《ぬぐ》いもせず、自分は泥の中からあるものを引き上げていた。
二つに砕けた刃《やいば》のフレーム。それを、
……僕は確かに、出雲《いずも》の名を持つ企業の奥底に封印した。
「解《わか》ったか鹿島。あの中にあるのは俺に与えられる筈《はず》だったものだ。| 機 殻 剣 《カウリングソード》フツノ。封印された今でも、発される畏怖《いふ》の余波で新入り共が近づけねえ代物《しろもの》だ。もし辞めるなら――」
一息。
「あれは処分しておけ。俺がテメエに愛想《あいそう》を尽かせられるように」
制服|姿《すがた》の佐山《さやま》達は午前終わりの街の中を歩いていた。
行く先は佐山の実家代わりである田宮《たみや》家だ佐山、大樹《おおき》、新庄《しんじょう》・切《せつ》を先頭に、後ろにはクラスの有志が続く。
それぞれ皆、木の板やらペンキやら鉄パイプなどを抱えている。
横にいる新庄が後ろの行列を見て、
「四限の授業|潰《つぶ》して佐山君の御屋敷《おやしき》で屋台《やたい》とかの組み上げって……、何だか凄《すご》いね」
「大樹先生がものの見事に材料|発注《はっちゅう》を忘れていたのでね。――今日、私は所用で立川《たちかわ》まで出る用があるが、それまではつき合おう。何はともあれ急ぎ屋台は作らねば」
午後には昭和記念公園の概念《がいねん》空間で、2nd―|G《ギア》との事前交渉がある。
……あの、鹿島という青年は来るだろうか。
思う佐山の視界の中、先を行くのは大樹の背だ。
ブルゾン姿は、腕を振って陽気な鼻歌《はなうた》付き。
「さあて、佐山君の御屋敷での昼|御飯《ごはん》は豪勢《ごうせい》ですよ〜」
横の新庄がこちらの腕をつついてきた。何事かと思うと、
「……佐山《さやま》君、ああいう本心を漏らす発言、止めないの?」
「無理だ。止められるなら去年の内に止めている。残念だったと言うしかない……」
「苦労してるんだね……」
瞬間。大樹《おおき》がいきなり振り返った。笑顔で、
「全員参加と行きたかったんですけど、ちょっと無理でしたねー。クラブ活動の方の出店や、バイトで忙しい子も多いですから。原川《はらかわ》君なんかはすぐに単車で出ちゃいましたし」
大樹の言葉に佐山は背後を見る。ルーズリーフのバインダーを抱えた新庄《しんじょう》も釣《つ》られるように後ろを見た。こちらの視線の先、続く人数は三十人ほど。
「――でもクラスの七割くらいは来てるよね。こっちを優先して」
佐山の視界の中、新庄が感心したように大樹を見る。対する大樹は、しかし困り顔で、
「御免《ごめん》ね佐山君。この時期、ホントーなら飯盒炊爨《はんごうすいさん》とか移動教室とか海兵隊《かいへいたい》式強化合宿でクラスの親睦《しんぼく》を高めるもんなんですけどねー」
「一番最後のは有意義《ゆういぎ》に無視するとして、それらの代わりで田宮《たみや》家を利用していただけるなら良いことだよ、大樹先生」
「うんうん。それに佐山君のお家《うち》の方なら、屋台作る際のコツを詳しく知ってますしね」
新庄が首を傾《かし》げた。
「田宮さんのとこって、警備会社だよね? 建築とかもやってるの?」
「いや、何故《なぜ》かそういうのの専門家が多くてね。特に、四年ほど前に入社した中国系の金《キム》氏が移動屋台などを堅牢《けんろう》に作るのが上手《うま》い」
「へえ、そうなんだ」
「ああ、放っておくと防弾《ぼうだん》シールドや|衛星方位測定システム《G.   P.   S.》や脱出|艇《てい》を中に仕込もうとするのが困りものだが。――本格派だね? ははは」
「そ、それ屋台じゃなくて別の物作ろうとしてるよっ」
「でも去年のベスト屋台賞はうちがいただきましたよー」
「うむ。去年のは高速|巡航《じゅんこう》型で装甲《そうこう》を薄くしたのが功を奏《そう》したね。また、内部を電子|管制《かんせい》にしたため、指揮《しき》官と操縦《そうじゅう》者の二人でも大量人数を相手に出来たのが強かった」
「ご、御免《ごめん》、それ……何の話?」
「クレープ屋だが、知らないのかね? 常識だよ?」
「へえ、常識ってフライング出来るんだ……」
まあまあ、と佐山《さやま》は新庄《しんじょう》の肩を叩く。
見れば、少し不服そうな新庄の目がこちらを見上げている。
が、佐山は新庄の目より、抱えられているルーズリーフのバインダーに目を留めた。
新庄もこちらの視線に気づいたのか、守るようにバインダーを強く抱く。
「あ、あのね、これ、その、準備サボるために持ってきたわけじゃないよ?」
「手元から離したくないのかね?」
それもあるけど、と新庄は視線をうつむかせた。わずかに頬《ほお》を赤くして、
「プロット出来上がったから見て欲しいって、そう言ったら、……迷惑《めいわく》かなあ?」
「……何故《なぜ》、迷惑と?」
それは、と言って、新庄は周りを見た。
周囲、大樹《おおき》は既に前を向いて歌を続けているし、生徒達はそれぞれ親しいものと言葉を交わしている。誰もこちらを気にしてはいない。
すると、つと、新庄が身を寄せてきた。こちらにだけ聞こえる小声で、
「見てもらうと、解《わか》るかもしれない、って思うんだ。佐山君には」
「何がかね?」
問いに、新庄が一瞬《いっしゅん》だけ足を止めた。
うつむいた新庄の顔は、こちらを見ていない。
だから対する佐山は、新庄に確認するように問う。
「――読めば何かが解るかもしれない、と、そういうことなのだね?」
「う、うん」
新庄が顔を上げ、わずかに赤くなった顔を見せた。
その瞬間《しゅんかん》だ。
「――つ」
と肩を震わせ、新庄《しんじょう》が己の腹を抱いた。
新庄の身体《からだ》を竦《すく》めるような動きに、佐山《さやま》はその背を抱き、
「どうかしたのかね?」
「――あ、いや、だ、大丈夫」
上げてきた顔に、力のない笑みがある。
そして新庄は周囲の皆が自分を気に留めていないことを確認。その上で、
「た、たまにあるんだよ。一ヶ月に一度くらい定期的に。一日中、お腹の中がぐっと沈んだような感じになるの。……ここ最近、来てなかったんだけど、今、いきなり来た」
「ふむ。微妙《びみょう》な問題なので遠慮《えんりょ》がちに言うが、……生理かね?」
「……日本における遠慮《えんりょ》って言葉の意味、ひょっとしていつの間にか変わってる?」
新庄は吐息。
「大体ボクには無いよ、そんなの」
声を挙げた表情は、もはや無事なようだ。
だが、言葉の終わり、何故《なぜ》か眉が下がり、残念そうな表情に見えたのは気のせいか。
ともあれ佐山は一つ頷《うなず》き、
「ふむ。田宮《たみや》家についたら孝司《こうじ》に何か温かい飲み物でも頂くとしよう。また、遼子《りょうこ》がいい鎮痛剤《ちんつうざい》も持っていたはずだ。貰《もら》うといい」
「ボク、……あまり薬が効かない体質なんだけど」
「大丈夫。田宮家|秘伝《ひでん》のオリジナルで化学|添加物《てんかぶつ》は一切《いっさい》使用していない。遼子の話だと薬の成分の半分は 情《なさ》け容赦《ようしゃ》 で出来ているそうだ」
「残り半分は 絶対本気 だよね、それって。本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。前に試しで飲んだとき、気づいたら三日|経《た》っていて多くの人に囲まれていたが」
「大丈夫じゃないよそれはっ!」
新庄が吐息。そしてやれやれと肩を落として前を見た。
佐山も前を向く。
視界の中、正面、道が開けており、垣根《かきね》に囲まれた大きな平たいシルエットがある。
広い庭を持つ瓦葺《かわらぶ》きの屋敷《やしき》。田宮家だ。長大な垣根の上からは、植木や大石に池を持つ庭が見え、そこに居座《いすわ》るように広い屋敷がある。
ほう、という新庄の吐息は、安堵《あんど》とも感嘆《かんたん》ともとれるもの。
気づけば皆が足を止めていた。そして門の前に立った大樹《おおき》が、
「えーと。……ぅおりゃー」
と門を押しても、開かない。
何をする気だろうかと見守る佐山《さやま》と新庄《しんじょう》の目の前。? と首を傾《かし》げた大樹《おおき》の後ろ姿は、ややあってから気づいたように手を打った。門を叩き、
「たーのもー」
「……大樹先生、試しに聞いてみるが今は何時代かね?」
「え? こういう風に言うと自動で開くってテレビでやってましたよ、昨日」
「それは昨日の夜八時からのドラマ版|辻斬《つじぎ》り| 侍 《ざむらい》だ。――横にインターホンが見えないかね?」
あ、成程《なるほど》、と大樹が門横《もんよこ》のインターホンに指を当て、
「ぴんぽんぴんぽんぴぽぴぽ十六|連射《れんしゃ》あ〜あいたたた! 先生の頭を十六連射する生徒がどこにいますか佐山君!」
「やかましい。全人類の常識に掛けて二度と触らないように。いいかね?」
そう言った瞬間《しゅんかん》だ。
不意に、佐山は自分の右手側に気配を感じた。
利《き》き手ではない方に来るのは、身を寄せるような空気の動き。
「相変わらずじゃねえの、御言《みこと》」
嗄《か》れた声とともに、いきなり佐山の視界は青い空を見た。
宙に投げ飛ばされている。
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第十三章
『花咲の世』
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何かを伝える思いが待っている
待つ先は過去の花咲く背の後ろか
それとも今の花待つ腕の中か
[#ここで字下げ終わり]
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佐山《さやま》は宙に投げられた身を、慌《あわ》てず思考《しこう》した。
今は仰向《あおむ》け、身体《からだ》の回転はコンパクト。
意外と速い投げだ。
ならばこのまま身を捻《ひね》って両足を着くと、勢い余って転ぶことになる。
どうするべきか。
正解は身を捻ったところで、片足だけを着き、そして逆の足を前に投げ出すこと。
投げられた勢いで前に走るようなものだ。
だからそうした。
着地。
足音一つで逆の足を前に出し、回転の勢いで二歩目を踏む。
勢いは消えぬまでも制御は可能。爪先《つまさき》を捻ってターンし、相手の方に身体を向ける。
そして大きく背後にステップしながら、腰を落として二|撃目《げきめ》を牽制《けんせい》。
肩の獏《ばく》に手を伸ばすが、
――落ちていない。
確認とともに身構えた。
が、そこに来るべき相手の攻撃が無い。
「――――」
身構えからわずかな力を抜いて見た眼前《がんぜん》。
驚き顔の大樹《おおき》と新庄《しんじょう》の他、一つの小さな影がある。
それは黒のTシャツに山岳ベストをまとった老人。
白髪《はくはつ》の短髪の下、向かって左の目だけが赤い。
その色を確認したとき、佐山は彼の名を呼んだ。
「――飛場《ひば》先生」
よう、と言う飛場に、佐山は微笑で片手を上げる。
「お久しぶりだね不良老人。今日は一体何をしに山から下りて来られたのかね? 人語《じんご》を忘れたので取り戻しにかね?」
「テメエのイカれた敬語《けいご》もお久しぶりだぜ馬鹿|野郎《やろう》」
と老人、飛場も笑いながら片手を上げた。
「最近道場に来ねえと思ったら人並みの生活してんじゃねえの。今日は山菜《さんさい》のいいのが採れたから田宮《たみや》に持ってきたんだが、……そしたらお前が来ると聞いてな。ぶん殴ってやろうと」
彼の言葉に、横に来た新庄が袖《そで》を引く。
「師弟《してい》ってヤツだと思うんだけど、……仲、悪いの? 二人とも」
「そんなことはない。――張り倒したい程度に仲はいいとも。だろう? 飛場《ひば》先生」
「おう、いつもこんなものよ。なあ?」
という目が笑みを消し、こちらの身構えを見た。
唇だけが、ただ笑みのままで、
「友人出来て気が抜けてんのはだらしねえが、――ナマってはおらんようじゃねえの?」
UCAT開発部、設計室のパーティションの中、鹿島《かしま》は月読《つくよみ》と向かい合っていた。
既に設計室の人員は、自分達以外、昭和記念公園に向かっている。
無人《むじん》の設計室で、鹿島は月読と雑談を少し。
だが、家族話の途中で月読が不意に腕時計を見た。
「さて、……昨夜アブラム実動部長に言われたように、あたしゃこれから昭和記念公園行こうと思うけど」
「?」
「……昭和記念公園で全竜交渉《レヴァイアサンロード》の事前交渉をするんだけど、どうする? アンタ来る?」
「正直、あまり……」
肩を竦《すく》め、
「今日、彼は来ますか?」
「ああ、佐山《さやま》・御言《みこと》ね? そりゃ当然、来るだろうね。――鹿島から見て、彼は答えを導くことが出来ると思う?」
「解《わか》りません。ただ、当時、祖父が大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》に渡したのと同じものを与えようと思います。今日の事前交渉に、これを持っていって下さい」
鹿島はノートパソコンの中に手近なフロッピーを一枚入れた。
操作は一瞬《いっしゅん》。
データの一つをコピーし、イジェクト。
鹿島はフロッピーをラベル無しのケースに入れ、マーカーで字を書き込む。
2nd―|G《ギア》住人|名簿《めいぼ》、と。
「十拳《とつか》の材料となった八百万《やおよろず》の名前。そして、別ファイルで八叉《やまた》の問いも入ってます」
「十拳の……、材料?」
「ええ、十拳は、八叉を封印《ふういん》するに相応《ふさわ》しい力と容量を必要としました。ゆえに、その製造には名前を使用したんです。2nd―Gの住人、名前によってバイオスフィアと繋《つな》がっていた八百万の名を鉄に織り込むことで、ね。ただ――」
鹿島は諭《さと》すように会釈《えしゃく》を一つ。
「|Low《ロ ウ》―Gでの封印ということもあり、名前にはLow―Gのものを用いることにしたんです。つまり、今の僕達の名前ですね。……だからまず、祖父はこの名簿《めいぼ》をある人に渡し、その人が日本の社寺《しゃじ》などを調べ、八百万《やおよろず》に対応する名前を全て当ててくれたそうです」
「名を調べてくれたのは――、大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》ね?」
「そうです。……祖父は、彼が名を書き連ねた紙を見つつ、十拳《とつか》を打ったそうです」
一息。
「大城・宏昌は八叉《やまた》の問いの答えに辿《たど》り着きましたが、この名簿が発想のヒントになったんじゃないかと、僕はそう思ってます。だからこのフロッピーをあの少年に渡せば、条件は当時とほぼ同じ。彼は僕達の名を得て、問いを得ることになるわけです」
「……でも、彼はどう? 大城・宏昌が八叉|封印《ふういん》に命を賭《か》けたのに対し、そこまでのものを持っているように見えたかしら?」
「ええ。彼は2nd―|G《ギア》との全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対し、己を賭けるだけの価値を得ていると、僕はそう思いますよ」
昨日、彼はこんなことを言ったのだ。
今後|全《すべ》てのGと向き合うために、まず2nd―Gと全竜交渉《レヴァイアサンロード》をしたいと。
……彼は退《ひ》くことを選ばない。
そんな彼は、これからどうするのだろうか。
過去を知り、先人《せんじん》達の思いを知り、自分をそこに近づけようとするだろうか。
そして鹿島《かしま》は思い出す。
食堂で会ったとき、佐山が己の左胸を押さえたことを。
過去を知ると痛みを得る少年。
「――――」
ああ、そうか。
……彼は既に、過去すら受け入れているのか。
スサノオだな、と鹿島は思う。己に正直に、嘘《うそ》をつくことなく、何もかも得ていく。
対するとしたら、自分は何だろうか。
いや、正式に対峙《たいじ》してもいないのに考えるのは早計《そうけい》か。
そんなことを考えていると、ふと、月読《つくよみ》がこちらを見ていることに気づいた。
鹿島はフロッピーのことを思い出し、肩を竦《すく》めて差し出す。
月読がそれを受け取り苦笑。
逆の手でこちらの頭を叩き、
「思考《しこう》のハマり方が重症《じゅうしょう》ねえ。そのこと解《わか》ってる?」
そして、いきなりこう言った。
「UCATを辞《や》めたい、みたいなこともさっき耳にはさんだけど?」
突然の台詞《せりふ》に鹿島は慌《あわ》てた。頭を掻《か》き、
「バ、バラしたのは熱田《あつた》ですね? 変なところで口の軽いやつだなあ……」
「心配してもらってるんだからよしとしなさいな。……でも、本気?」
「いきなり辞表《じひょう》提出するようなことはしませんよ。UCATは結構《けっこう》給料いいから、家のローンを払って晴美《はるみ》の学費を稼《かせ》ぐくらいは」
「あら堅実《けんじつ》。まだ赤ん坊なのに、私立にでも入れるつもり?」
「どうですかね。でも、……ちょっと相談してみようと思いますよ、親父《おやじ》や母親に」
「子供を私立に入れること?」
「違います。僕と家族のことを、ですよ。……僕の進退《しんたい》は家計なんかに直接関わりますから」
「うーん確かにそうねえ。……じゃ、午後は早退して実家行ってきなさい」
月読《つくよみ》が苦笑を濃くする。やれやれという口調で、
「でも、ホントに考え込んでるのねえ」
「そりゃそうです。どーにもこーにも自分と2nd―|G《ギア》の接点が無いようで。だから――」
「アンタが伝え聞いている2nd―Gの真実、八叉《やまた》の問いの答えを私に告げて、自分は戦列から離れよう、と?」
「……そうした方がいいと思うんですよ。何しろ昨夜会ったあの佐山《さやま》という少年は、全竜交渉《レヴァイアサンロード》に対して己のスタンスを持っています。――佐山の姓《かばね》は悪役を任ずる、と。1st―Gを| 恭 順 《きょうじゅん》させたそのスタンスで、彼は僕らと向き合おうとしているんですよ?」
「勇猛《ゆうもう》なことねえ」
「ええ。でも彼に対して、今、己のスタンスがない僕が答えを出すとしたら……」
頷《うなず》き、
「あやふやな身で解《わか》ったようなことを言わず、態度を表さず、八叉|制御《せいぎょ》の言葉を誰かに預けて身を引くことです。――そう、たとえば月読部長に預けるとか」
……佐山というあの少年は、それをどう思うだろうか。
2nd―Gの歴史や、UCATとのつき合いを考えると、納得《なっとく》出来るだろうか。
ふと、自分に都合《つごう》のいい考えをしそうになって、鹿島《かしま》は考えるのをやめた。
対する月読が肩を竦《すく》めて吐息する。
だが彼女は、不意に表情を真剣なものにして、こう問うてきた。
「あのさ?」
「何です?」
その問い返しに、月読がわずかな沈黙《ちんもく》を作った。
ためらいを含む数秒。
それだけの時間をおいて、彼女はまるで観察するような目をこちらに向けてくる。
そして言いにくそうに、頭を掻《か》きつつ、
「鹿島さ、アンタ、今、自分が迷ってると思う?」
「ええ、そりゃもう」
なるべく気軽に言った言葉。
それに対し、月読《つくよみ》が一つの問いを返した。
鹿島《かしま》、と前置きし、問いが来る。
「……じゃあ、何故《なぜ》、そんなに迷っているの?」
奈津《なつ》は、電話中だった。
姿勢は左に窓を置いて正座したもの。
今、右腕は晴美《はるみ》をタオルに抱え、左手は力|無《な》く黒電話の受話器を掴《つか》んでいる。
目は音を消したテレビ画面の天気予報に向いていたが、雨のマークを見て伏せられる。
代わりと言うように、唇が動いた。
「ええ、いただいた御《お》野菜の方、有《あ》り難《がと》う御座《ござ》いました。早速《さっそく》いろいろ使わせていただきまして、――ええ、昭緒《あきお》さんはちょっと迷惑《めいわく》そうでしたけど」
小さく笑う。
「義父《おとう》様に御礼を言いたいのですけど……。え? チャンネル争いで腹が立ったから倉《くら》にカンキンした? そろそろ十二時間? いつも仲が宜《よろ》しいんですね。ふふ。ともあれ近い内に御挨拶《ごあいさつ》に伺《うかが》いたいと思います。そろそろ田植えの――、ええ、三日後からですか」
と、壁の方を見た。
奥の壁、カレンダーがあり、明日から数日は日付に赤ペンの丸が入っていない。
それを確認すると、奈津は受話器に戻り、
「大丈夫そうです。晴美も連れていけると思います。ただ、昭緒さんは何かと理由をつけて行きたがらないようですけど」
目を弓の形にして、奈津は腕の中を見る。
晴美は眠っている。
こちらの腕の中で、己の四肢《しし》を縮めるようにして。
「はい、晴美のことではいろいろとお世話になりました。抱き方から、心掛けなども……、昭緒さん、全て私が知ってたことだと思っているんです。――え? 旦那《だんな》に賢く思われてないと家計をいいように回せない? あと、出来ればちょっとの暴力もスパイス、ですか? 私、そちら方面は少し苦手《にがて》ですので……」
困りました、と言いつつ、奈津は苦笑。
だが、不意に彼女の眉は力|無《な》く下がる。
目をわずかにうつむかせ、
「でも……、昭緒さん、最近少し何かを考え込んでいるようで。私と結婚したこと――、あ、はい、すいません。でも、だとしたら、何なんでしょうか?」
小首《こくび》を傾《かし》げ、
「お仕事のことかと思うんですが、一方的に頼もしいお友達も職場におられますし……、義父《おとう》様や義母《おかあ》様の方で、何かお気づきのことは御座《ござ》いませんか?」
やや、間が空《あ》いた。
心細いと、そんな時間が過ぎた後、返事が来た。しかし返事を聞いた奈津《なつ》の表情は曇る。
「――解《わか》りませんか、やはり」
吐息しそうになって、電話に聞かせないよう、息を飲む。
「お仕事の方など、口を出さないことにしていますけど、心配になることは止められないものですね。昭緒《あきお》さん、責任を感じ過ぎる人ですから」
目は、受話器を持つ左手を見て、自分の首元を見る。指輪があしらわれた首飾りを。
「ええ、お気遣《きづか》い有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います。そうですね、昭緒さんが真面目《まじめ》な分、なるべく負担を掛けないようにしてあげたいと思います。……大体、想像はついているんです。昭緒さんが考えていることって」
数秒、その間を持ってから奈津は顔を上げ、頷《うなず》いた。
「ええ、自信があります」
言葉通りの表情で、わずかに顔を赤くし、
「昭緒さん、お仕事したいんでしょうね。もう三十過ぎで、考えるべき歳《とし》になっていると思うんです、自分の一生で出来ること、出来ないことを。――いえ、昭緒さんと結婚して、晴美《はるみ》が生まれてからそう思い出してるんです。高木《たかぎ》の家にいたままでは、世間《せけん》知らずで、何も考えすらしなかったと思います」
苦笑。
そして奈津《なつ》は眉を動かした。
腕の中、晴美が目を開けていた。軽く揺らすと目を細める。
「――あ、晴美が起きました。ええ、すいません、つき合わせてしまって。晴ちゃん?」
晴美の前に受話器を差し出すと、彼女は小さな手指を伸ばし、
「ぁ、は……」
と声を挙げる。奈津は笑みを得て、受話器を耳に当て、
「聞こえました?」
受話器の向こうからの応答に、笑みを緩めて、
「有り難う御座います。――ええ、いろいろなことに。――はい、では近い内になるべく昭緒さんも引っ張って行きますから。ええ、うちは女二人になりましたから、強いですよ」
一礼。笑みのまま、黒電話を引きよせて受話器を置く。
小さなベルの一音《いちおん》が響《ひび》き、静寂《せいじゃく》が部屋を満たす。
奈津《なつ》は腕の中の晴美《はるみ》を見ると、身体《からだ》を縁側《えんがわ》に向けた。
開けた大窓《おおまど》の向こう。狭い庭に並んだ棚の鉢植えは、その多くが花を咲き誇らせている。
白、青、紫、赤、朱、黄色、そしてまた白。
咲いていないのは、別の季節に咲く花だ。
「晴ちゃん? 春の花ですよ」
目は、咲く色のとりどりを見て、空を見る。
青にやや白が混じったような春の空は、南の方に雲が濃い。雨を呼ぶ雲だ。
薄黒い色の雲を見て、奈津は軽く下唇を噛《か》む。
ややあってからその唇を開き、
「雨が、……また降りますね」
月読《つくよみ》の問いかけ。
それは、何故《なぜ》そんなに迷うのかと、理由を尋《たず》ねる問いかけだった。
単純な言葉の羅列《られつ》であり、根本《こんぽん》を問う疑問。
だからこそ、鹿島《かしま》はすぐに答えを出せない。
わずかに目を伏せた。そして考える。
……何故、か。
答えよう、と鹿島は思った。今、自分の思考《しこう》を答えよう、と。
鹿島はまず、奈津のことを思い、
「僕は自分の力を否定していて――」
言った瞬間《しゅんかん》だ。
月読の言葉が来た。
「違うでしょ? アンタは自分の力を否定していない」
「――――」
告げられた台詞《せりふ》に、鹿島は思わず椅子《いす》を立っていた。
……何故。
「何故、僕が否定していないと? この八年、僕は――」
「迷ってきたわねえ」
視線の先、月読が嫌味《いやみ》の無い笑みを浮かべて立っている。
だけど、と彼女は言った。
「何故迷ってきたの? それは――、自分の力を否定出来ていないからでしょ? 否定出来ているなら、とっくにUCATを辞《や》めて家族仲良くやってる筈《はず》だものね?」
そして、
「迷っている今、見てしまったのよね? 迷いに抗《あらが》ってきた者を」
問いに、鹿島《かしま》には答える言葉がない。
月読《つくよみ》が吐息した。困った顔でやれやれと、
「憶《おぼ》えておきなさい。欲する力が強ければ強いほど、迷いは強くなるということを。……だから今、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》と、2nd―Gと、どちらも欲して選択出来ず、嘘《うそ》をつき続けているのよ。アンタは。でも」
「でも……?」
ふむ、と月読が腕を組んだ。
髪を掻《か》き上げ、
「それはきっと……、今の2nd―Gの現状よ」
言われた言葉に、鹿島は軽く身を震わせた。
「鹿島、よく考えることね? 貴方《あなた》の御両親は完全に馴化《じゅんか》して、Low―Gに対して嘘のない道を選んだ。でも、そういう選択を出来る者はあまりいないのよね。……私だって、娘にはUCATのことや2nd―Gのことを黙っているもの」
「…………」
「そういう意味で、貴方はこの全竜交渉《レヴァイアサンロード》の代表になる資格があるわ。――だから鹿島、何はともあれ焦らないこと。いつか必ず決めるときがくるわ。Low―Gを選ぶのか、2nd―Gを選ぶのか、はたまた別の道を選ぶのかが、ね。逆に言うと――」
「言うと?」
「そのときが来たと思うまで、自分で答えを出そうとしないこと。そして自分の答えが出ずに迷っている内は、絶対に八叉《やまた》制御の言葉を他人に預けようと思わないこと」
一息。確認するように月読がこう言った。
「――いいね?」
「|Tes《テスタメント》.……」
力無い肯定の言葉に、月読が肩を落としながら首を下に振る。
「じゃ、私はこれから立川《たちかわ》に行くから。佐山《さやま》・御言《みこと》には、貴方がいずれ必ず自分の答えを出すだろうと言っておくわ」
「有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います」
「そんな顔しなさんな。――一息ついたら実家に行って親に相談することね。ひょっとしたら、そこで答えに至る道が得られるかもしれないわよ? それと……」
と言って、月読は手のフロッピーを白衣《はくい》のポケットに入れた。
代わりに取り出してきたのは、一枚の白いカードだ。
「それは……?」
と問うこちらを月読は無視。
彼女は、デスクの上に白のカードを置いた。
「アンタの過去がそこにあるわ」
「まさか……!」
思わず身を引いて見たカードの名称は、制作室|通行証《つうこうしょう》。
そしてカードのナンバーは、若手が使う第一制作室を示す1でもなく、研究用の第二制作室を示す2でもない、
「第三制作室の……、3」
「ええ、そこにアンタが投げ出したものがある。投げ出して――、だからこそアンタが欲するものがね」
月読《つくよみ》が諭《さと》すように頷《うなず》き、
「迷いは答えを欲するために、答えは迷いを果たすために。――少しはその気があるなら、向き合ってみなさい。迷いと答えの中間にいるアンタが何を失っているのか解《わか》るだろうから」
台詞《せりふ》を置きさり、彼女は背を向ける。
立ち行く足音とともに、最後の一言が響《ひび》く。
「――そうするだけの価値《かち》があるわ」
午後十二時半、佐山《さやま》は田宮《たみや》家を抜け、駅へと歩いていた。
横には出雲《いずも》と風見《かざみ》が珍しく徒歩で並んでいる。出雲が言うには、
「千里《ちさと》が、幾《いく》つか謎《なぞ》に思うことがあるらしい」
事前交渉前に、電車の中でもいいから検討すべきことがあるのだと。
ゆえに飛場《ひば》や皆に途中で抜けることを告げたとき、新庄《しんじょう》が一つのものを渡してきた。
それは、新庄がずっと抱えてきた黒のルーズリーフバインダー。
手渡されるときの微《かす》かに怯《おび》えたような表情を、佐山は忘れていない。
いずれ必ず読むと、安堵《あんど》させるように約したバインダーは、今、佐山の腕の中にある。
頭上、空は晴れているが、遠くに雲が集まり、風も強い。
「だが、事前交渉にはいい天気だ。思わず鼻歌でヨーデルでも奏でたいね」
「おい馬鹿。ヨーデルはいいから答えろ。……お前的《まえてき》にはどうする気なんだ? この事前交渉を含む、2nd―|G《ギア》との全竜交渉《レヴァイアサンロード》は。向こう、あんましやる気ねえんだろ?」
「その問いへの答えは非情に簡単だ。答えるのでよく聞いておくように」
佐山は一息。空を見てこう告げた。
「彼らが怠惰《たいだ》な蛇《へび》なのか、伏臥《ふくが》する竜なのか、――期待を込めて相対《あいたい》していくだけだよ」
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あとがき
そんなわけで『終わりのクロニクルA〈上〉』をお届けいたします。
有《あ》り難《がた》いことに@が好評で、今後も書いていけそうです。奇跡《きせき》ではなかろうか……。
これも皆様のおかげですね、どうも有《あ》り難《がと》う御座《ござ》います。
今後とも頑張っていきますので、宜《よろ》しくお願いいたします。
と、ではまず今回の作中情報など少し。
昭和記念公園は実在の場所です(荒王《すさおう》はありませんが)。サイトもありますので、御《ご》興味ある方は御覧《ごらん》いただけると興味が広がるかな、とか。
なお、公園付近の未だ使用されてなかった元飛行場部分は、民間に渡ることが最近決まったりしています。自分がいつも使ってる路線の横にある廃線《はいせん》がその元飛行場への引き込み線だったりとか、調べてみると、場所や地名や、いろいろなところに過去からの名残《なごり》があるわけで。
前にも書きましたが、戦後六十年と言っても、いろいろあるのだなあ、と。
てとこで、友人とチャットなんぞしてみんとす。
「まず初めに聞いてみるが、読んだ?」
『ええ、私の方では目を通しましたが』
「が?」
『今回はあとがきの相手を各話ごとに変えるつもりで?』
「まあ毎度同じ奇人《きじん》では飽きるだろうし、オールスターのポロリもあるよということで」
『すいませんが私、常識人なので役に立たないかと』
「今|充分《じゅうぶん》役に立ったよ馬鹿者。それより感想、どーぞ」
『猫《ねこ》出ないんですか? 前の話ではたくさん出たのになあ。最悪ですこの本!』
「本の基準を猫に求めるんじゃねえっ!」
『だったら後は何ですかねえ……。切《せつ》君が寝ぼけて戯言《たわごと》を吐きますが、私も実は寝言《ねごと》が結構凄《けっこうすご》いらしいんですよ』
「知ってるよ。前にうちに泊まりに来たとき、横向きに寝ながらシャクトリ虫みたいな動きをして パイナップル〜、パイナップル〜! とかうめいてたろ。何だあれは」
『悪魔が取憑《とりつ》いたんじゃないですか?』
「とりあえず証言者はここにいるのでアンタの記憶《きおく》にある奇異《きい》な寝言をどうぞ」
『あ、いや、高校のとき、授業中に寝てたんですが、起きたら何故《なぜ》か机の間に血ダルマになって倒れてました』
「悪いけど寝言じゃないよそれ」
『いや、何だかいきなり 無重力ー! とか言って椅子《いす》から打ち上がったらしいですね。病院で怪我《けが》の原因聞かれたときが大変で。椅子《いす》を使って先生と二人で状況説明させられました』
「先生も嫌だったろうな……」
『二度とするなよ、って言われました。でも私、あまり打ち上げ時の覚えがないんですが。次にやったら自分的に初めてですね』
「するな馬鹿者。でも、うちでやったパイナップルはまだマトモな方だったのか……」
『意外とバリエーションがありますよね?』
無くていいよ。
さて、今は執筆《しっぴつ》時にBGMとして聞いていた姫神《ひめかみ》の 神々の詩《うた》 を聞きつつ校正終えたところですが、
「嘘《うそ》をついているのは誰なのだろうか」
とか考えてもみたり。
ともあれ下巻、各キャラ走り出すのを見ていきたいところではあります。
平成十五年六月 いきなり晴れた朝っぱら
[#地付き]|川上 稔《かわかみみのる》
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|AHEAD《ア ヘ ッ ド》シリーズ
終わりのクロニクルA〈上〉
発 行 二〇〇三年十月二十五日 初版発行
著 者 川上 稔
発行者 佐藤辰男
発行所 株式会社メディアワークス
[#地付き]校正 2007.02.17