TITLE : 新興宗教オモイデ教
新興宗教オモイデ教
大槻ケンヂ
-------------------------------------------------------------------------------
角川e文庫
本作品の全部または一部を無断で複製、転載、配信、送信したり、ホームページ上に転載することを禁止します。また、本作品の内容を無断で改変、改ざん等を行うことも禁止します。
本作品購入時にご承諾いただいた規約により、有償・無償にかかわらず本作品を第三者に譲渡することはできません。
目 次
第1章 誘流メグマ祈呪術
第2章 自分BOX
第3章 神猟塚聖陽心霊治療塾
第4章 僕の爆弾
第5章 中 間
第6章 トー・コンエとなつみさん
あとがき
第1章 誘流メグマ祈呪術
僕の隣の座席には、一カ月前までなつみさんという女生徒がいた。内向的な僕はまったく彼女と話せなかった。それでも一度だけ僕がペンを忘れてオロオロしている時になつみさんがふいに話しかけてきたことがある。
「ねえ、あなたはどうやら筆記用具をみんなおうちに忘れてきちゃったみたいねぇ、どうするつもり? 先生もうじき黒板を消しちゃうよ。試験範囲だってよ、絶対出るってよ。私、シャーペン貸さないよ。だって返ってこなさそうなんだもん。なあに、ノートも持ってきてないの。どうするの? 書くもの何もなくて。フフフ……そうだ。私、ボンナイフ持ってる。貸してあげようか。ノートのかわりがあんたの腕で、シャーペンがわりはボンナイフ。ギリギリギリギリ刻みなさいよ。そうすりゃあなたぐらいボーッとした人でも絶対忘れないでしょう」
そんなことを言って小型ナイフを僕に放ってよこした。僕がどう対応したものか解らず、ただボンナイフの薄い刃を出したり引っこめたりしていると、なつみさんはちょっと小馬鹿にしたような、まるで自分の掘った落とし穴に落っこちた子供を見た時のような顔をしてニンマリと笑うのだ。そして、
「ウソよ、ハイ、貸したげる」と言って、今度は僕に、シャーペンとレポート用紙を放ってよこした。
なつみさんは安そうな指環を左の人差し指にいつもはめていて、授業中退屈になると、よくその指環を外して弄《もてあそ》んでいた。指環にはちっちゃな、何かよくわからないキラキラ光るものがその表面に十個くらいもついていて、なつみさんの指の間で時々輝いた。なつみさんは指環で遊びながら、ちっちゃな声で、歌うように、独り言をつぶやくのだ。
「私はつまんないぞ……私はつまんないんだ。あたしはね、つまんないよっ」
そんな時、決まってなつみさんは「なんだか困ったことになっちゃったよ」という表情をする。僕はそんな彼女を見つめる。気づかれないように。だけど網膜に彼女の「困ったなぁ」が残像になっていつまでも残るように、顔は正面を向いて、眼球だけを思いっ切り彼女の方に向けてジツと盗み見る。
僕はパッとしない奴だから、友達はいない。だから休み時間は人気のない旧校舎の水飲み場で過ごす。ずっと水道の水で手を洗って過ごす。何も考えないようにして、ただ水流に手をかざしていると、不思議と落ちつく。友達なんかいなくてもいいよなあと思う。みんないつも群れやがって、どいつもこいつも公園の鳩《はと》みたいに群れやがって、あいつらきっと誰かが笛を吹いたら一列になってついていくんだ。誰かがジルバを踊り出したら全員で踊るんだ。タンゴを踊ればタンゴタンゴタンゴだ。シュタイセーの無い奴《やつ》らなんか大嫌いだ。友達なんかぁいらないと僕は思う。でも、なつみさんだけは違う。あの人だけはジルバもタンゴも踊らない気がする。きっと阿《あ》鼻《び》叫《きよう》喚《かん》の最《さ》中《なか》にも、少し離れた所にふわりといて、体育座りをしながら、「なんだか困ったことになっちゃったよ」と小首をかしげているような、そういう気がする。
そのなつみさんが急に学校をやめてしまったのが一カ月ほど前、九月の終りだった。
彼女は精神に異常を来《きた》し、高校を中退してしまったのだ。
彼女がおかしくなりだしたのは夏休みがあけてすぐ、女子の間でこんな噂《うわさ》がささやかれるようになってからだ。
「なつみの奴、数学の前川とできてるらしいよ」
「ええっ、だってあいつ妻子持ちじゃないっけ?」
「なんかなつみのお腹に前川の子供がいるって話よ。あっ、堕《お》ろしたって言ったっけかな?」
「本当? 本当? 本当に? でも馬鹿よね、なつみも。前川なんてただのオヤジじゃん。なつみって頭良さそうに見えんのに、ありがちな人生歩んじゃってんのねぇ」
なつみさんがその前川という三十過ぎで妻子持ちの数学教師を愛してしまったという噂は、信じたくないが本当のことだった。
二学期になってから、彼女は授業中ずっと指環を弄ぶようになった。何度も何度もコロコロと机の上でそれをころがしながら、時々小さくつぶやきだすようになった。
「アタシツマンナイアタシツマンナイ……アタシツマンナイアタシツマンナイ……アタシツマンナイアタシツマンナイ」
多分あの指環は前川にもらったものなのだろう。左手の薬指ではなく人差し指にそれをはめていたのは、前川の妻に申し訳ない気持ちがあったからかもしれない。
「アタシツマンナイアタシツマンナイアタシツマンナイアタシツマンナイ」
こわれたオモチャみたいにつぶやき続ける彼女のことを、やがてクラスの皆は薄気味悪く思うようになった。
「なつみ最近変じゃん。前川にふられたショックで頭おかしくなっちゃったんじゃないの?」
「ねえ見てよ、なつみまた言ってる、ホラ、指環ころがしながらアタシツマンナイアタシツマンナイって……絶対変だよアレ。お医者さん呼んだ方がいいよぉ。うちのおじさんが発狂した時もああだったよ。いきなり家に上がり込んできて『ラジオで俺《おれ》の悪口を言っただろう!』なんて叫びだして大変だったんだから。なつみそっくりだよ。あん時のおじさんの目付きに……」
「ああ気持ち悪い。まだ言ってるよ、なつみ。あたしちょっと注意してくるよ。気味悪いから独り言やめろっていってきてやるよ」
「や、やめなよ、ねえ。やめなよ」
「なつみっ! ねぇ、なつみ! あんたいいかげんになさいよ。みんな気味悪がってんだからね。ちょっとなつみ聞いてんの、こっち向きなさいよぉ、なつみっ」
なつみさんは指環を弄ぶ手をピタリと止めて、静かにふり返った。
ひい、と小さな悲鳴を上げて、おせっかいな同級生は後ずさった。
なつみさんの瞳《ひとみ》は、どろりとしていた。
沼の底から満月の夜にだけ息を吸いに浮かびあがる、鯰《ナマズ》のような彼女の瞳は、何も見てはいなかった。
誰の目にも彼女の精神が崩壊しているのは明らかだった。
その日のうちになつみさんは病院に収容され、しばらく校内はその話題で持ち切りとなったのだが、数週間後、彼女の父親が退学届を持って学校を訪れた。
父親の話によると、なつみさんはすぐに退院したのだが、その後「オモイデ教」なる新興宗教に入信してしまったというのだ。
「ええ、何だかもう、家内も私も途方に暮れちまいましたよ、本当に。一人っ子なもんで甘やかして育てたのが悪かったんでしょうかねぇ、本当にもう。『学校はやめる。私は生きる場所を見つけた』とか何だとか言って聞かないんですよ。信者の方達も毎日説得に来ましてね。最初は冗談じゃないって言ってやったんすけども、お話を伺《うかが》ってると良い方達でねえ。学校にいかすより娘にとっちゃいいのかなぁと思いまして……あ、いえ、先生には本当にお世話になったと思ってますよ……へへ」
小さな理髪店を営むなつみさんの父親は、そう言って肩をすぼめて見せた。
なつみさんが入院したことも、学校をやめたことも、オモイデ教に入信したことも、みんなショックだったけれど、いちばんつらいのは、その全ての原因が、前川という一人の俗物のためであるということだ。前川は意味のない男だ。僕の目にはそう映る。陸上部の顧問である彼は過去に国体の県予選に出場し、一万メートル走で、後に野球選手となった某と競った思い出を、何度も生徒に語って聞かす、そんな男だった。自信ありげな笑い。ハイトーンでハ、ハ、ハ、と笑う。普段の声はテノール。耳をふさいでもしみ込んでくるテノール。俗物俗物俗物……前川は俗物だ。
その俗物を、なつみさんは愛し、狂い、果ては宗教に救いを求めたのだ。
それでも僕は、なつみさんを嫌いになれないでいた。
冬が来る直前に、なつみさんに再会した。
十一月のある日、オモイデ教の信者達がJR某駅で合唱している所を、僕は偶然通りかかったのだ。彼らは好奇の視線を浴びながら、あるいは無関心の人々が足早に行き過ぎる目前で、男も女も揃《そろ》いの赤い中国服のようなものを着て、オモイデ教のテーマ曲らしき歌を唄《うた》っていた。
『貴方様を感じます
虫《むし》は人間だ!
魚は人間だ!
両生類は人間だ!
月は人間だ!
大地、地球が人間だ!
それでも人間、人間 何だ?
私に瞳は二つある けれども何も見えません
ホン・ラガトエー 瞳を捨てて
私の中に 入って下さい
ホン・ラガトエー、シイ・セゾ・ミコヨ』
合唱する信者の中に彼女はいた。彼女は僕に気づくと、唄っている隣の信者に何か耳打ちしてから、こちらに小走りに寄ってきた。
「お久しぶり……隣の席の……あなたでしょ。すぐわかったわ」
僕は無言、相変わらず彼女の前では喋《しやべ》れない。
「あの、いきなりで悪いんですけど、ちょっと時間ありません? オモイデについてお話ししたいの。あっ、オモイデっていっても、それは『教え』のことよ。『思い出』じゃないのよ、フフ、よく間違われるのよね、私とあなたに『思い出』なんてないものね、ハハハ……」
駅前の喫茶店で、なつみさんと向かい合って座る。日は西に傾きかけ、なつみさんの横顔を真っ赤に染めている。なつみさんの頬《ほお》に、うっすらと産毛があるのに気づく。金色に輝いている。僕はココア、なつみさんはハーブティー。一口飲んで、彼女は語りだした。
「前川先生のこと……聞きたいでしょう。クラスじゃ噂《うわさ》だったものねえ、あれ、本当だよ」
どうってことはないよ、といったふうに彼女はニッと笑ってみせた。
「私と彼できてたの。抱かれたのよ、私あの人に。いろんな夜にいろんなとこでね。私の頭が変になっちゃったのもあの人のせいよ。ああ、また人のせいにしちゃった。『何があっても自分の業《ごう》によるもの』よね……これ、オモイデで教わったのよ。頭がおかしくなってる時はね、ラジオが聞こえるの、頭の中にラジオがあってね、玉置宏みたいな声のアナウンサーがずっとしゃべってるの。『みんながお前をツマラナイ女だと言ってるぞ』って、教えてくれるのよ、ゴテーネーにさ。入院もするわよね。アハハ。あなたもあの頃の私、怖かったでしょ。……そんでね。病院のお医者様の一人がオモイデ信者だったの。オモイデのこといっぱい教わったわ。その前に私のことを先生にいっぱい話したの。前川先生のこととかね。あの人は来世じゃ猿にもどるそうよ。アハハ、おかしいじゃない。あの気取り屋がお猿になっちゃうのよ、アハハ。……でね。お医者様にオモイデについて教わったわけ」
彼女はまた一口ハーブティーを飲むと、カップを持った手の人差し指をピンと立てて、「こっからがオモイデ教についての説明だからよく聞いて欲しいんだよね」と言った。
「オモイデをお創《つく》りになったのは、トー・コンエ様といってね。まだ四十そこそこのお若い方なの。本名は小山っていうんだけど、トー様は、三十五まで売れないオペラ歌手だったの。パートはバリトン。時々勉強会で素敵なお声を聞かして下さるわ。身長百六十センチぐらいで、小柄なお方なんだけど、遠い国まで届いてしまいそうな、よく通るお声の持主。私それ聞くと震えが止まらなくなっちゃって、お兄ちゃんが食中毒で死んだ時だって泣かなかった私なのにウルウルきちゃうのよ。……でね。トー様は上野の不忍池をお散歩中に覚《かく》醒《せい》なさったのよ。お気付きになったの。大宇宙の意志、ホン・ラガトエー様の存在に。不忍池の蓮《はす》の花を何気なくトー様が見ていると、急に花の色が流れてしたたり落ちだしたんですって。そして色の落ちた蓮の花が生きてるみたいに動きだしたんですって。ビックリしているトー様の足下にすり寄って来た猫のお腹がパックリと割れて、赤いバラの花が溢《あふ》れだしたり、空が墜ちてきたり、突然トー様の周りに異常がおこったの。トー様は『これは自分の頭がおかしくなったんだ』と思ったそうよ。そりゃそうよね。ところがその時よ、ホン・ラガトエー様のお声がトー様の頭の中に響きだしたの」
僕はすでに、彼女の話についていけなくなっていた。それでもなつみさんは、そんなことおかまいなしに勢いづいて語るのだった。
「それは静寂の夜に鳴ったチューブラーベルのようなお声だったんですって。あんな素敵なお声のトー様がそう言うぐらいだから、よっぽどなのよね。ホン様はトー様に御自分の存在について語られて、トー様を、〓“御自分の考えを世に伝える者〓”に任命したの。つまりトー様は、ホン様のコンタクティーになられたのよ」
「……それは、宇宙人と交信するとか……そういうやつ?」
「えっ? 違うよ。ホン様は宇宙人なんかじゃない。そんな特定の場所にいる人じゃないの。常に在るものなのよ。〓“共にいるもの〓”なの」
「……はあ……」
「でね。ホン様は〓“善《よ》きもの、悪《あ》しきものを識別するもの〓”なのよ。この宇宙は善きものと悪しきものに二分できるんだって。その二者の絶えることなき争いこそがこの世界なんですって。幻魔大戦みたいでしょ。ホン様は悪しきものをやっつけて、善きもののみで成り立つ宇宙をお創りになろうとしているのよ。残された時間はわずかなんですって。
トー様はその日からオモイデ教設立のために歌手もやめて、毎日足を棒にして資金作りに奔走したの。で、運よく新型タワシの特許を持ってる資産家の方がスポンサーについて下さったの。今じゃオモイデの信者は数百人もいるのよ」
オモイデについて語るうちに興奮してきたのか、彼女の声はいつもよりうわずっていた。
「退院してすぐ、お医者様に連れられてオモイデの勉強会に行ったの。最初はちょっと覗《のぞ》いてみるだけのつもりだったんだけど、帰る時にはもう信者になるって決めちゃった。だって学校なんかより全然いい所なんだもん。学校みたいに話したくない奴《やつ》と話す必要がないのよ。初めて会ったばかりなのに、みんな……十歳の男の子から八十五の詩人までいるの。その時は十人ぐらいいたかな……みんな私の話を聞いて泣くのよ。『あんたの心が見える』っていって。そんなことって生まれて初めてだったからちょっと困ったけど、うれしくってね……。お父さんに退学届を出してもらって、オモイデの合宿に参加したの。合宿はきつかった。正座して『私ハ悪シキ人間デス』って一日十二時間言いつづけるの。それが終わると二人一組になって、一人がもう一人に『オ前ホン様ノ子』って三時間叫び続けるの。それを交替で六時間。それを十日間くり返すの。本当につらかった。指導師の方達も鬼《おに》みたいだった。でもね、最後の夜はパーティーだったの。みんなでハーブティーで乾杯してね。泣いたな。まるで赤ちゃんにもどったみたいに泣いた。鬼みたいだった指導師がニコニコ笑って肩を抱いてくれるの。みんなでワンワン泣いてたの。そしたらね。扉が開いて、小柄な男の人が教歌を歌いながら入ってきたの。トー・コンエ様がいらして下さったのよ。まるでロックコンサートみたいに、みんな彼の名を呼んだわ。トー様はバリトンの美声でおっしゃったのよ。『あなた達は今日から真の信者です。これからホン様と共に、悪しきものを追放してゆきましょう』って」
なつみさんは興奮を静めるためか、ハーブティーを一口啜《すす》った。こくん、とノドが鳴った。
「人間における悪しきものって、どんな人のことだと思う?……あのね、簡単なの。つまんない人のことなの。付和雷同する人。鳩《はと》みたいに群れたがる人達のことなの」
「……誰かがジルバを踊り出したら、すぐ一緒になって踊り出すような人達?」
「えっ……ハハハ……あなた面白いたとえするねっ。でもまあそうよ。そういう人達がこの宇宙を悪くしているってトー様は言ったわ。そうよね、環境汚染なんかだって考えてみればそうだもんね。……でね。そういう人達をやっつけるためにね。オモイデでは電波を使うの」
「電波……?」
「そう。ね、よく頭のいかれちゃった人が〓“電波がオレを殺そうとしている〓”とか〓“ラジオで○×を殺せと命令するんだ〓”とか言うじゃない。あたしも一時そうだったけど、あの電波。……人をおかしくする電波っていうのはね、本当に存在するの。電波っていうか宇宙線みたいなもんなんだけど、それは確かにあって、精神的に疲労してる人や、麻薬中毒者の人がそれにやられちゃって、トドメをさされるわけよ。オモイデで難度修業を積んだ人はこの電波――メグマ波って呼んでるんだけど――それを自由に操作できるのよ。誘流メグマ祈《き》呪《じゆ》術《じゆつ》っていうの。オモイデで悪しき者、つまらない人間と選定した奴《やつ》に術をかけてやるの。一週間もすると発狂しちゃうのよ……フフ……そうやって一人一人悪しきものを宇宙から……まず人間の中から消してゆくの」
「まるでSFだ……」
いよいよ途方もないことになってきた彼女の話に僕があきれていると、額に小さな縦《たて》皺《じわ》を浮かべ、なつみさんは言った。
「ああやっぱり信じてもらえないね。でもね。私も誘流メグマ祈呪術を使えるようになったのよ。わずか一カ月修業しただけでね。私は高校中退だけどオモイデじゃエリートなのよ」
「本当につまんない奴を狂わせるの?」
「そうよ。あなたには誰か狂ってほしい人っている?」
なつみさんがニンマリと笑った。なつかしい笑顔だ。でもそれは僕にボンナイフを投げてよこしたあの可《か》愛《わい》らしい笑いではなくて、笑っているのに無表情なその顔は、人に何か売りつけようとする人がよく見せるそれに酷似していた。
彼女は望みどおり確かに変わったのだ。彼女はそれをオモイデ教のおかげだと思っているだろうけれど、僕はそう思わない。彼女はつまらない男に何度もいろんな夜にいろんなところで抱かれてそうして変わっただけなのだ。そう思うと、急に涙が出そうになり、僕はあわててうつむいた。
「誰を狂わしたいの?」
うつむいたまま少し考えてから僕は言った。
「前川」
「えっ?」
「前川をダメにしてほしい」
なつみさんは、それを聞いてしばらくの間ハーブティーのカップに目を落としていた。そして再び顔をあげると、びっくりしたみたいに真丸い目をして、こう言った。
「わかった。やってあげる。あの人〓“つまんない人間〓”だものね。あたしが最初にオモイデの教えに感動したのも、悪しきものから宇宙を守るなんてことより、悪しきものをあの人にたとえていただけなのよね。つまらない人間をこの世からなくすって聞いて、それじゃあの人も消えてなくなるんだなって思ったのよ。ホン様を信じトー様についていけばあの人を私の中から消してくださるんだって……それがうれしかったのよ。でもまだあの人消えていない。……わかった、やってあげる。あの人をダメにするわ。ねえ、そのかわり、あなたオモイデに入信してね。一人でも多く欲しいのよ。あなた変わってるもの。普通の人じゃなさそうだしね。……前川先生本当にダメになったら私を信じてくれるでしょ。そうしたら入信してね、約束よ。……でも……でもさ……なんであなた前川先生をダメにしたいの?……何かあの人に恨みでもあるの?」
それから一週間が過ぎた。僕は教室で前川の授業を受けている。彼は発狂もせず、相変わらず国体予選の話をしてハ、ハ、ハとテノールで笑っている。誘流メグマ祈呪術の話が真実だとしたら、結局なつみさんは〓“あの人〓”を殺せなかったということになる。なつみさんは、つまらない男に捨てられて、うさんくさい新興宗教に救いを求めて、それでも男を忘れずにいる、どこにでもいる〓“つまらない女〓”だったということになる。ただ僕が、彼女の「困ったなぁ」という表情を深読みしていたに過ぎないのだ。「彼女だけは違う」と思い込んでいただけだったのだ。
「じゃ今日はこれで終り」前川の声と同時に授業終了のチャイムが鳴った。
水飲み場へ行こう、そしてただひたすらに手を洗おう。
もう誰も好きになったりしない。
僕が席を立った。
と、その時だった。
一度教室を出た前川が、再びツカツカと教壇に登ったのだ。前川はよく通る声で、「チョット待て、言い忘れたことがある」と言った。
前川の顔が青ざめていった。汗が浮かんでいる。深く息を吸い、教室中に響くテノールが、一気にこう叫んだ。
「最近、ラジオや電波を使って、俺《おれ》を誹《ひ》謗《ぼう》中傷する者がいる! オレに『早く狂え』と脳髄に直接毒電波を送る者がいる! 誰だぁ〓 名乗り出ろお!」
一斉にシーンとする生徒達。
生徒達を見渡す前川のその目は、まるで鯰のようにどろりとしていた……。
第2章 自分BOX
新興宗教団体「オモイデ教」の事務所は、意外にも僕の住んでいるA町から私鉄に乗って二駅という、目と鼻の先ぐらいの距離にあった。不動産屋、法律事務所などがいくつか入った五階建ての雑居ビルの一室。
「MIND・オモイデ」
輸入盤レコード屋みたいなせこい表札が掲げてあるドアをあけると、やけにフカフカとした絨《じゆう》毯《たん》の敷かれた室内で、若者が数人、五つあるテーブルと雑然と積みあげられた厚い本の山の間を、いそいそと動きまわっていた。彼らはみな、ワンポイントの赤が入った服を着ている。そして壁も絨毯も、積みあげられた本の背表紙もまた、同じ色……ワインとあずきの中間ぐらいの赤で統一されていたが、毒々しさはない。宗教団体というよりは、自然保護団体の事務所といった感じの明るい雰囲気だった。
「ああ、やっと来たね。迷っちゃったでしょう。あたし間違えてパン屋さんの角を右なんて言っちゃったから。とりあえずお上がりよ」
玄関口につっ立っている僕に気付いたなつみさんが、スリッパをペタペタいわせながら近寄ってきて言った。ヨイショとしゃがんで、僕にもスリッパを出してくれて(スリッパも赤いのだ)応接室に案内した。
なつみさんは教師との失恋がきっかけで学校を中退し、現在はこのオモイデ教の信者として家も出て、宗教第一の生活を送っている、僕の元同級生だ。
「何飲む?」
「いや、別に……」
「ハーブティーにしなよ、オモイデはお酒は禁じられてるのね、そのかわりパーティーなんかの時にはみんなでハーブティーをいただくの。そしてトー様にバリトンの唄《うた》声《ごえ》を聴かせていただくの」
「あの人?」
「え?」
「あの壁にかかってる人」
応接室の壁には、赤い人民服の様な物を着て、曖《あい》昧《まい》な笑顔を浮かべた四十過ぎの男の肖像画があった。
「そう、オモイデ教教祖トー・コンエ様」
「教祖の絵にしちゃ随分小さいね。壁一面あってもよさそうなもんだけど」
「ハデな事がお嫌いなのよ。あなたも会えばわかるって」
「でもハーブティーでパーティーか……」
「何よ」
「とても人を呪《のろ》い狂わせる宗教のやることとは思えない」
僕がそう言うと、なつみさんは目を丸くして口ごもった。
彼女が何か言い返そうとした時、応接室のドアが勢いよく開き、髭《ひげ》面《づら》、長髪の男がニュッと顔を出したと思うと、一気に怒鳴り出した。
「コラァ! なっちゃん、あかんやないか、教典もお題目テープも出しっぱなしやぞお! ちゃんと管理せんと、教祖さん、お嘆きになるぞお!」
男はそこまで言ってから、僕の存在に気付き、
「なんや、お客さんか、いらっしゃい」
とくるりと表情を変え、ニコニコと僕に挨《あい》拶《さつ》をするのだった。
「中間君、そんなに怒ることないじゃない。大事な入信希望者が驚いちゃってるわよ」
「あいや、なっちゃん、こりゃえろうスンマセンな。ほお、このいたいけな少年を、なっちゃんは怪しげな新興宗教団体の餌《え》食《じき》にしてしまおうというわけやねえ」
なつみさんがそれを聞いてケラケラと笑った。
宗教に入っている若い信者同士には、クラブ活動を共にする者達に似た連帯感があると聞くが、彼女の笑顔にはまさにそんな雰囲気を感じさせるものがあった。中間と呼ばれた二十代後半の長髪男は、オモイデにおいて、さしずめ愉快なOB、といった役どころなのだろう。
「ほいじゃ、ボクが入信について説明しよか」
ひょうきんOB氏は、なつみさんの横にドッカと坐《すわ》った。
「えっとまず……なっちゃんがオルグしてきたいうことは、同級生かなんか?」
「ええ……まあ」
「ふむふむ、そんでなっちゃんに口説かれた訳やな」
「いえ、負けたんです」
「負けた……はあ?」
「賭《か》けに負けて、それで入ることになったんです」
「なんのこっちゃさっぱりわからん。なっちゃん、この少年と何を賭けたんや?」
なつみさんが、困っちゃったなあという表情をした。そして、エヘヘと小さく笑って言った。
「誘流メグマ祈《き》呪《じゆ》術《じゆつ》が本当にあるかどうか、賭けたのよ」
中間の顔色がサッと険しくなった。
「なんやて……なっちゃん……」
「誘流メグマ祈呪術が本当にあるって解ったら僕はオモイデに入ってやる、ってこの少年君が言ったのよ! だからあたしは……」
「アホンダラァッ!」
中間はビックリ箱から飛び出す人形の様に勢いよく立ちあがり、なつみさんをどやしつけた。
「なんでそんな機密事項を信者以外の人間に言ったりするんや! 遊びとちゃうでえ」
「だって、だって、いいじゃない、どうせ信者になったらいずれ知ることなんだし」
「アホ! メグマのこというたら、その実態はオモイデ内でも上の人間しか知らんのやぞ。それをおまえは、いくらトー様も認めたエリートとはいえな、ちょっといい気になってんのと違う……ウグッ!」
なつみさんが骨法ばりの鮮やかな平手打ちを中間の横っ面にジャストミートさせた。目を丸くして次の言葉を探している中間を置いて、頬《ほお》をふくらませたなつみさんはプイっと部屋から飛び出していった。
中間はまたドッカと椅《い》子《す》に坐《すわ》り、下を向いてしばし憮《ぶ》然《ぜん》としていたが、やがて顔を上げた時には、もう人なつっこい笑顔を浮かべていた。
「……あいつ、学校でもあんなだった?」
「いえ、でも、なつみさんはクラスにいた時よりも、なんていうか、楽しそうですね中間……さんとケンカしても、なんか兄妹ゲンカを見てるみたいで」
「ハハ、アホな。時に少年、君の名は?」
「あ、僕ですか、八尾二郎といいます」
「ジロちゃんか、ジロちゃん飲める?」
「えっ」
「酒。飲める?」
「少し……なら」
「『ポセイドンの目覚め』ちゅうアナクロな店が近所にあってな、ほいで中間君はジロちゃんとそこで飲みたいと思うわけや」
そう言いながら僕の荷物を持ってズンズン部屋を出て行こうとする。あわてて追いかける僕を厳しく見返し、
「機密事項を知られちまったからな、生きて帰す訳にはいかんのだよ」
そう言ってから、今度は顔をクシャクシャにして笑った。
薄暗い山小屋風な造りの『ポセイドンの目覚め』。その隅のテーブルで、ビールのグラスを両手で握りながら、中間は一人クックッと声を殺して笑っている。
「クックッ……ニール・ヤングや」
「あっ……BGM」
「今時、ニール・ヤングやで。少年、品書き見てみい」
LPレコードに白マジックでオーダーが書いてあった。レーベルを見ると『ドアーズ、LAウーマン』とある。
「ドラッグ・カルチャーをひきずっとるんやろねぇ。嫌だねぇ、アナクロは」
中間は肩までの長髪に髭《ひげ》、長身でやせていて、マーブル柄のシャツを着ていた。自分のほうこそよっぽどアナクロである。
「LSDで得る悟りも、宗教で得る悟りも同じことやっていうけど、だったらボクは『教え』を選ぶね。ドラッグは悟りのネガや、ポジは宗教。な?」
「はあ」
「で、その宗教やけど、どのぐらい知ってんの?」
「メグマ?」
「そ」
「誘流メグマ祈呪術は、オモイデ教の選ばれた信者だけが使える技術。大気中にある、人を発狂させる宇宙線『メグマ波』を操作して、教団が『悪しき者』と認めた人間の精神を崩壊させ、狂人にしてしまう……いわゆる『呪《のろ》い』……」
中間はふえーっとため息をついて、店員に、
「バーボン、ダブルロック!」と叫んだ。
「ジロちゃん、それ信じとるの?」
「見ちゃったから」
なつみさんがメグマ術をかけると約束した、彼女の元恋人の教師前川は、確かに僕の見ている目の前で、発狂したのだ。偶然というにはあまりに奇妙な一致である。
「その前川ちゅう男も難儀やね、賭《か》けの対象にされとった訳か。元恋人をねえ。愛と憎しみ裏表やね。なっちゃんならやりかねん。ほんま可愛い顔してあいつは鬼《おに》やっ」
「なつみさんは、本当にそんな魔術みたいなことを?」
「ああ、あの子はすごい、オモイデのエリートやからな。あの子一人で何人の『悪しき者』を狂わせられるのやら」
「まるで暗黒テロ教団ですね」
「オモイデのポリシーには、ジロちゃん、アンチかい?」
「悪しき者=凡《ぼん》庸《よう》な人々をこの世から一掃する」まったくもってデタラメでアナーキーなポリシーのオモイデ教。メグマ術なる誇大妄想とも思える術の修得に真面目に取り組む信者達、バリトンの唄《うた》声《ごえ》を聴かせてくれるという教祖トー・コンエ、そして、教えのために全てをなげうったなつみさん。それらの要素が僕の中でいろんな色となって混ざりあい、しかも一色にならずにいる。
「でも嫌いやないやろ。賭けなんてのは言い訳で、ほんまはつまんない者は消しちまえっちゅうオモイデにひかれとるんや」
「…………」
「なっちゃんはな、メグマだけやのうて、特殊な才能持っとるんや。人を見つけてくる才能や」
「どんな」
「誘流メグマ祈呪術を使える人間」
「って、じゃ、僕も」
「多分」
「信じられない」
「いずれわかるて。なっちゃんが連れて来たんや、絶対やろ。せやからボクもキミにこんだけ腹割って話しとるわけ」
「中間さんはどうなの?」
「何がや?」
「メグマ」
「メグマ? 使えるよ。使ったこともある。せやな、少年、あんたはなっちゃんの連れてきた男、いうなれば幹部候補生や。よっしゃ、もっと腹割ったろ。ボクのメグマ祈呪術体験記聞かしてあげるよ。その前に酒やな。お兄ちゃーん」
「ね、なつみさんが、お酒はオモイデじゃ……」
「ええやんそんなの、あんな、教祖様けっこうアバウトやねん。へへ、お兄さーん、バーボンダブル、もとい、トリプルや!」
「あだなが、ゾンって奴《やつ》がおって」
中間はバーボンを一口あおると、語り出した。
「こいがかわいそうな奴やねん。ボクがまだ大学五年の頃やから、けっこう昔のことやな」
中間は、大阪にある二流の芸術大学に通っていた。といっても、授業にはほとんど出ず、その名も「フォークギター研究会」という名のサークルに入り、一日中部室にたむろしていた。
「フォークギターなんか持ってる奴おらんかったよ。実質はエレキ研究会や。ボクもレスポールをマーシャル直結で轟《ごう》音《おん》弾《ひ》きや。ガーン! ってな。変な奴ばっかおるロック部でな、まずまともなバンド組んでる奴がいない。ハードロック、パンク、AOR、そんなのおらんのよ。スカもレゲエもそりゃなんじゃいってな。ジロちゃんって、どんなの聴く?」
「クリムゾンとか」
「ほう、ロバフリやんな。だったら多少気持ち解ってくれるかもなあ。あんな、ボクらノイズ・ミュージックやってたんよ」
「メロディもリズムも無視して、楽器弾きまくってワメきちらすだけの、あれですか」
「しばいたろか! そんな単純やないねん、ボクは命かけとったんよ。あんな、バンド名『自分BOX』や。おっ、笑ろたな、笑ろたな。ええやん『自分BOX』、ほんまにしばくで。
ええバンドやった。ボクがギター、それにヴォーカルとパフォーマンスのゾン。このゾンちゅうのがとんでもない奴でな、バンドが轟音でインプロビゼーションやるわけや、ほしたらゾンが飛びでてきて、ライヴハウスめちゃくちゃにしよる。全裸、放尿、ケンカ、そんなの毎日。女の客引きずりあげてな、猿のマスクをかぶせてな。逃げ出したところを生卵ぶっつけまくるんや、エテ公が逃げたぞ! 言うてな。止めに入った客の頭マイクでどついて血だらけや。そしたらゾンが、どーもスイマセン、ワビ入れさしてもらいます。言うて、ボンナイフで自分の額を十文字に切るんや。ハハ、ゾンも血だらけ、まったく意味ないねん。
意味ないねん、ゾンの行動は、ほんま。アホやねん。けど可《か》愛《わい》い奴《やつ》やった。友達ボクしかおらへんねん。ボクがまだ授業に出てる頃や、隣の席に、やけに色の白い、女の子みたいにまつげの長いキャシャな男が坐《すわ》ったんや。それがゾンやった」
中間の目付きはバーボンのために、そろそろあやしくなっていた。虚ろなその目で僕を見つめ、照れたように、
「君は、ちょっとゾンに似てるなあ」などと言った。
中間の隣に坐ったゾンは、ボンナイフを取り出し、鉛筆を削り出した。その動作が中間には「エロティック」に見えたのだという。
「こうな、左手で鉛筆の尻《しり》のほうを中指と親指で軽くおさえるんや、生まれたての小犬を殺さんようにふわりと抱くみたいに。右手のボンナイフは小刻みに震わせて、そして、針《しん》は細く細く、ぷすりとほっぺたを刺したら突きぬけてしまうぐらいに鋭く研ぐんや。ほいで、ゾンはノートに絵を描き始める。ノートいっぱいに何やぐちゃぐちゃした絵を描いてる。最初は、臓物の絵を描いてるのかと思ってな、覗《のぞ》き込んだんや、そしたら臓物やない。蓮《はす》や、咲き乱れる蓮の花の絵なんや。そしてその花の間から、両目だけがないたくさんの坊さんがにじり出てきようとしている。そんなけったいな絵やった。なんや胃の奥にコールタールを流し込まれてるような、嫌な絵やった。けれどもボクは思ったね、こいつは仲間や。
ボクそのころは仲間を探しとった。この世は、この世の大半の人間は、しょーもない! 自分が生きとることに対して何も問いかけようともしない。どいつもこいつも頭があって、手があって足があって、くるぶしがあって、でもそれだけや。顔のない人間ばっかりや。顔もないくせに耳は二つもありやがる。ボクはノイズやってでかい音出して、まずそいつらの聴覚をコナゴナにしてしまおうと思っとったんや!」
中間の舌はもつれ、その言葉は聞きとりづらかった。中間はいきなり僕の手をテーブルの下で握った。痛いほど強く握りしめながら、「ゾンに似とるなあ」と低くつぶやいてからパッと離した。
「バンドにゾンが欲しいと直感したんや。顔のない耳をつぶすためには、凡《ぼん》庸《よう》な人間……そう、オモイデでいう悪しき者にゲロ吐くためには、この女みたいな顔したものすごい絵を描く男が必要だと、ボクは直感したんや」
中間は授業終了後、すぐに彼に話しかけた。彼は、中間の話を聞いているのかいないのか、『ハァ』とか『ウン』しか喋ろうとはしない。いらだった中間は明日、自分達のライヴがあるから絶対に来い、と言って、けったいな絵を描く男のポケツトに『自分BOX』のチラシをねじ込んだ。
フォークギター研究会の中に、彼を知る者があった。矢崎というその男は、中間、あれはだめだ、と言った後、自分の頭の横で指をクルクルと回し、「あいつ、パーや」と言った。
「パーってなんや」
「オレあいつと同じ、デザインの授業とっとるんやけどな、あいつみんなにゾンって呼ばれてるんや」
「ゾンて」
「ゾンビのゾンや。何考えとんのかわからん。今二年生やけどな。二年になったころから、ちょっと頭いかれちまったみたいなんや。そっちの病院に出入りしとるらしいで。あと、あれや、宗教に入れ込んどるらしいで。本当、変でな、熱い、寒いをデザインで表すって課題でな、ゾンの絵な、熱いのほうは蓮の花いっぱい描いてきてな。で、寒いのほうは、坊主やねん。目のない坊主や。ほんまにあれはおかしいで、中間」
さすがに、それを聞いて中間も、これは見込み違いだったかな、と思ったという。
ところがライヴ当日、リハーサルが終わり、ウナギの寝床のように狭っ苦しい楽屋で中間が一服していると、ふらりと、ゾンはやって来た。
「来たよ、何したらいい?」
一瞬、気圧された中間であったが、吸っていたタバコをすぐにもみ消すと、言った。
「人を殺してもかまわん。とにかくおまえの絵みたいに狂い咲きしてくれ。歌なんぞうたわんでいい、腹の底にたまっとるお前のリビドーだかトラウマだか坊さんだか、ようわからんけど、そいつをステージで吐き出してみてくれ。言葉が出んのだったら、お母ちゃんとでもオメコとでも叫んどってくれ。そうや、好きな女いてるか? そいつの名前叫んどってくれ、ミヨコだろうとモモエだろうと、とにかくゲロ吐きまくるように叫んどってくれ!」
――氷はすでに溶け、バーボンのグラスにはえび茶色のドロリとした液体が沈んでいる。中間は指でそれをかき回しながら、『自分BOX』フューチャリング「ゾン」初ライヴを思い出していた。
「ボクのレスポールはトレブルもボリュームも、もちろんフルレヴェルや、マーシャル直結でな。ピック使わへんねん。『老人と海』の文庫本ぐらいな厚さのガラス板や、そいつで弦をひっかくんや、シュワーン、ギュワーンいうてな。鼓膜破れるでぇ。ほんでゾンや、あいつ最初マイク・スタンドの前で棒立ちしとった。けどな、ボクが耳元で『蓮《はす》の花見せてくれよ!』言うた途端や、『ごぅおわわわ!』本当に臓物吐き出すような奇声を発して、痙《けい》攣《れん》しながら床をころがりだしたんや。うぐぅおおおお、うわあああて叫びながら、手足パタンパタンいわせてはいずりまわるんや。モヒカンのハードコアも客でおったけど、完全に呑《の》まれて目ェ白黒させてたわ。ボク、もううれしくてねぇ。のたうつゾンは何かで切ったのか、破れたシャツからのぞく肩が血だらけや。それでものたうつんや。ボクは、ゾンは人間やないなあ思うて、でもなんだろ思うて、そや、こいつは芋《いも》虫《むし》や、蛾《が》になる前の幼虫や、芋虫に火がついて暴れとるんや、思うて、早よ蛾になってしまえ、お前は毒蛾や、その毒だらけの羽から降る鱗《りん》粉《ぷん》で、凡《ぼん》庸《よう》な者どもを殺しつくしてくれえ。この世の果てまで翔《と》んでいけ、ゾン! 思いながらレスポールかきむしったんや」
しかしライヴが終わり、楽屋に戻ると、ゾンは元のゾンビのゾンに戻ってしまった。自分の肩から流れ落ちる血を見て、不思議そうな顔をしていた。なんだかこういうものを久しぶりに見たな、とつぶやいた。また来てくれるやろな、という中間の問いに、帰ってもいい? と逆に聞いた。中間が答えに窮していると、ゾンは青白い頬《ほお》に浮かんではしたたる汗をふこうともせず、ゆらりと、落書きだらけの階段を降り始めた。一歩一歩、小さな子供の様に歩を確かめながら、不器用に、ゾンは長い階段を降りていった。
ゾンはそれから、『自分BOX』のギグ当日になると、どこからともなくふらりとやって来るようになった。そして火のついた芋虫、永遠に脱皮できぬ地獄苦を見せつける一匹の芋虫となって、ステージ上をのたうち、叫び、時には自分のシャツをひきちぎり、全裸になって、総立ちの客席に頭から飛び込んでいくのだ。客を殴り、そして殴られ、鮮血で顔面の半分を真っ赤に染めながらも、ゾンは美しかった。中間はレスポールをかきむしりながら、狂い咲くゾンを見て、ああ、やっぱりこいつは人間やないなあと思った。人間やない。ボクはゾンを仲間や、考えとったけど、そんなレヴェルやない。もっと尊いお方や。そう思うと鼻の奥がツンとなり、涙が溢《あふ》れてくるのだった。
波うつ客の海から、ゾンがステージにはいあがろうとしていた。金髪の男に肩をつかまれ、ふり切れずもがいている。
中間はレスポールをふりあげ、それを金髪男の頭にガツンとたたきつけた。ビュツと額からシャワーの様に血を噴いて、男は腰から崩れ落ちた。
『ゾン! はよ上がってこい! はよ上がって、こいつらみんな殺してくれ! ゾン! ゾン!』
中間の叫びに、ゾンは血まみれの顔で、ニツコリと微《ほほ》笑《え》んでみせた。中間の初めて見るゾンの笑顔は、生まれたままの赤子の無邪気さで、血まみれでも、蓮の花のように美しかった。
「せやけどステージ降りるとまたいつものゾンビのゾンに逆もどりや。何言うてもウンとかハァとかしか言わん。自分の身上なぞ絶対話さん。けど噂《うわさ》によると、実家はド貧乏なのに、けっこういいマンションに一人暮らししてるって話や。ともかくナゾの多い奴《やつ》やった。宗教に入っとるってのはほんまで、ホラ、信者百万とも二百万ともいわれとるA教や。だけど、一度ギグでお経絶叫しだしてな。終わってから、あんなもん効用あるかいな? って聞いたら、ないよ、ただの言葉の羅列だよ。経文なんて、なんて言いよる。全然不信心なんや。
でもわからん奴やったけど、ゾンさえおったら、『自分BOX』のコンセプトはバッチリや。凡庸な奴らどもの耳も目も脳髄も全部ぶっつぶせるんや。ゾンは『自分BOX』の最終兵器やった」
『自分BOX』、そしてゾンの噂はすぐに関西アンダーグラウンドに広まった。ギグはどこも超満員となり、人々はゾンを恐《おそ》れ、憧《あこが》れ、カリスマの一挙一動を見逃すまいと目を見開いた。しかし、ゾンのあまりに過激なパフォーマンスが災いして、わずか十回のギグを最終に、バンドはどこのライヴハウスにも出演を拒否される始末となった。
「出るとこなくなって腐っとった時や、ゾンが、こんなのがあるけど、出てみない。てチラシを渡しおる。ゾンが提案をした! たまげながらチラシを見ると、A教の宗教祭のチラシや。ゾン、何の冗談や? いや冗談じゃないよ。信者が加入してるバンドは出れるんだ。オレ、コネあるし。アホか! 何でボクらがそんなとこ出なあかんの? このドアホ! 言うたら、ゾンが言うんや。
つまんない人間の耳をつぶしてやりたいんだろ? A教の信者は、みんなつまんない奴らだよ。自分の弱さを認めないで鳩《はと》みたいに群れてるんだ。誰かがジルバを踊り出したら、みんな一斉にジルバを踊り出す。そんな奴らの耳をつぶすのも面白いと思うよ。
なるほど、さすがゾンや、宗教つぶしか、こらオモロイわ、ボク思うてな。ゾンにダンドリ組ませて、チンケな R《リズム》 &《アンド》 B《ブルース》 のデモテープでっち上げて審査通過して、宗教祭のステージに立ったんや。
郊外の野外ステージ、二、三千人は来とったな。どいつもこいつも幸せそうな顔して、なるほど、これは凡《ぼん》庸《よう》の群れや、今からこいつらに轟《ごう》音《おん》ぶちまけてやれんのかと思うたら武者震いがしたわ。ゾンは相変わらずや、楽屋になっとったテント小屋の隅にじっと立っとる。そこへな、魚の鱗《うろこ》みたいにテラテラ光る七三分けのオッサンがいきなり来て、ゾンの肩抱いて、何や耳元で話しかけたんや、嫌らしい笑い浮かべてな。ゾンはいつものようにウンとかハァしか言わん。オッサンはしばらく話しとったが、そのうち急に不機嫌な顔になって、いい加減にしろ! って怒鳴って出て行きおった。ゾン、あれ誰? 聞くと、A教の幹部だよ、何で怒ってんのかね、スッとぼけて答えおった。
ボクらの出番は、しょうもないハワイアンバンドの後やった。これまたしょうもない司会者が、軽快なロックを聴かせてくれます、『自分BOX』って紹介して下さったよ」
マーシャルにレスポールを直結して、中間は右手を高々と上げた。晴天、握ったガラス板がギラリと光る。一呼吸おいて、思いっ切り振り降ろした。恐竜の咆《ほう》哮《こう》にも似た電気音が、信者達ののんびりムードを一撃で破壊した。ザワめき出す客席、中間はギターをかきむしりながら口元で「我奇襲に成功せりや」とつぶやいた。真夏だというのに、ゾロリと長いコートを着たゾンが、かげろうのようにステージ中央へと向かう。マイクを両手で握り、カッと太陽を見据え、ゾンが叫ぶ。慟《どう》哭《こく》、例えようもない獣性の言《こと》霊《だま》が、ゾンの口から放出を始める。怒り、悲しみ、負のパワーのみが客席を重油の膜で覆い尽くす。「止《や》めろ!」叫ぶ者がいる。耳を塞《ふさ》ぐ者がいる。黙って席を立つ者もいる。それらの人々に、極めて平等に、ゾンは対《たい》峙《じ》していた。
「すごかった、ゾンの叫びがどこまでも広がってくんや。ボク、もう感動してもうてな。ゾンはもう蛾《が》になってもうた。羽をパタパタさせて、鱗《りん》粉《ぷん》で世界を狂い死にさせる気や。ゾン、ボクも連れてってくれよ、思うたら今度は悲しくなって、なんや泣けてもうて……ところがな、ゾンがふいに叫ぶのをピタリとやめたんや。どないした思うて見ると、ゾンがコートからなにかギラギラ光るもんを出したんや。プリズムみたいに輝いてる。ビール瓶やった。口元に紙がつっ込んである。何や見たことあるな思うて、ハッと気づいた、火炎瓶や! ゾン、何する! ゾンは反対の手にしっかりライター持っとる。火をつけた。火炎瓶を持つ右腕を高々と上げよった。太陽が反射して光っとる。痛いくらい眩《まぶ》しい。ゾンが火炎ビンを!」
「やめろ! ゾン」
中間がゾンの腰に飛びついた。火炎瓶はゴロゴロとステージをころがり、火のついたままゴトンと芝生の客席に落ちた。波が引くように逃げて行く信者達。だが一人の老人信者がトボトボと瓶に歩み寄り、草履の底で火を踏み消した。
「ゾンはそのまま精神病院行きや。二カ月もせんうちにそこを脱走して、いまだに行方不明や。『自分BOX』も解散。ボクはレスポールも人にあげてしもた。何や自分がアホらしくなってな。凡庸な奴《やつ》らの耳をぶっつぶす、なんていっても所詮ただのお遊びや、ゾンみたいに火炎瓶投げるなんてできんからね。音楽は地球をひとつにしても地球を燃やせやしないもんなあ、と思うたらアホらしくなってな。……ゾン、すごい奴やった。ボクと違って、本気でこの世をつぶそうとして……ところがや」
中間はその後、ゾンの身上を調べてみた。
ゾンは幼い頃に両親を亡くし、祖父の紹介で、A教の幹部にあずけられた。あの日、ゾンに話しかけていた中年男である。男には、普通でない性癖があった。
「ゾンはあの男に〓“育てられた〓”わけやな、幼いころからあのテラテラ光る薄気味の悪い七三分けのオッサンに手取り足取りされてきたわけや。ゾンのけったいな精神状態は、あの男に十年以上にわたって受けてきた性的暴力のせいや。
ゾンにとっての憎むべきこの世というんは、つまりあの男のことやったんやろな。なんのことはない、ゾンはやっぱりただの芋虫だったんや。あんな男一人から逃げられんで、それでこの世を憎み、自分のカラの中に逃げ込んでいたわけや。A教の信者とちっとも変わらん芋虫のゾンや」
中間はそこですまなそうな顔をした。
「……けどな、悪いことしたわ、なんでボク、あいつが火炎瓶投げようとしたの止めたんやろなぁって。もしあの日、火炎瓶が燃えとったら、ゾンはあの男の世界から逃げられたんやろなぁ、ゾンは蛾に脱皮できたんやろなぁ」
「中間さんがメグマ術をかけた相手って」
「そう、あのA教幹部の少年愛中年や。ボクは噂《うわさ》でオモイデのメグマ術の話を聞いてな。これならギターと違って、ほんまに凡庸……悪しき者どもをつぶせるのか、そう思うてオモイデに人ったんや、不純やろ。習練積んで、なっちゃんと違うて半年かかったけどメグマ覚えて……あいつを狂わせた」
「それは、ゾンて人の葬い合戦?」
「なーんやろねぇ、別にボクがあの男を狂人にしたからって、それでゾンが蛾になれるわけでもないんやしねぇ。やっぱりゾンが自分でなんとかしてこそ解放があるわけやしねぇ、なーんやねぇ……」
中間はしばらく宙を見つめていたが、やがてクスリと笑って、
「だからつまり……ヤキモチとちゃう?」と言った。
「あの幹部の中年に、ジェラシーを感じとった訳って、ミもフタもないなあ」
そして、君はほんまにゾンに似とるよ! と叫び、顔をクシャクシャにして、いつまでもいつまでも、笑い続けた。
店を出たころにはすっかり深夜になっていた。
中間はひどく酔ってしまったらしく、テレビドラマに出てくる酔っぱらいのような足取りで、人気のない道を歩いていく。
「あの、僕もう帰りますから」
フラついている中間の背にそう言うと、彼は振り向きざまにウオオ! と吠《ほ》えてみせた。
「おう、ジロー、わかるでぇ、その目や、目ぇ見ればわかる。お前の心がわかるんや」
そのあまりに時代がかった科白《 せ り ふ》に笑いをこらえていると、彼はさらに力んだ表情で言った。
「お前はゾンと一緒や、芋《いも》虫《むし》や。なんや得体のしれない化け物が心の中にあるんや。そいつを放つ方法を知らんとこまでゾンと一緒や。ボクはそういう奴見るとほうっておけんのや。ジロー、気に入ったで。また会おうや、今度はボクの方から会いにいったるわあ」
そうして二、三度頭の上で大きく手を振ると、またよたつきながら去っていった。暗《くら》闇《やみ》の中にその姿が飲み込まれる直前にもう一度振り返り、
「お前、気に入ったでぇ!」
と中間は叫んだ。
第3章 神猟塚聖陽心霊治療塾
化学の授業は特に退屈だ。
初老の教師は、教室内にいる誰一人として自分の話を聞いていないことを知っている。ヘモグロビンの説明から、いつしか話題は、一カ月前に急死した自分の息子のことへと移っていった。
「おい、いつまで寝てる、学校に遅れるぞ、先生はそう言って息子をゆさぶったんだ。そしたらね……息してないんだよ。ポックリ病ってえやつでね。そうそう、死にぞこないの私の母がね、『あたしゃきのう、夜中に孫の部屋から、木魚をたたくような音を聞いたよ、ポックリポックリいう音をね』と言ったんだ。ポックリ病だからってポックリって音がするわけないだろ、って、先生はお通夜の席だというのに大笑いしてな、顰《ひん》蹙《しゆく》を買っちまったよ。でもおかしいだろ、ハハ」
もちろん彼のブラックジョーク(なんだろうな多分)に反応する者は無く、教師もそれでよしとし、一瞬開かれたかに思われた妙な「開」の扉もすぐにピタリと閉じられてしまい、化学の授業はさらにさらに退屈な時を刻んでゆく。
僕は窓の外を見ていた。
校庭の真ん中に男が立っている。男は長髪に髭《ひげ》面《づら》、ヒョロリと背が高く、信じられないことにベルボトムのジーンズを着用している。三階にいる僕を見上げるその顔は、遠目にも人なつっこい笑顔なのがわかる。男が大声で叫んだ。
「ジーローちゃーん、あーそーぼー!」
教室の何人かが声に気づき、窓の外を眺めた。前の席の男が「ジローって、八尾、おめえのこと?」と聞いた。あわてて僕は手を振り否定したが、校庭にたたずむ冗談みたいなファッションの男は、しっかりとフルネームで僕の名を呼んでくれるのであった。
「ハチオジローくーん! 裏門で待ってるからなー、授業終わったらちゃんと来てやー、たのむでええ!」
裏門にとめたボロボロのミニクーパー。窓からは時代おくれのヒッピーみたいな中間の顔がヒョイと飛び出している。
「ジローちゃーん、はよ乗って」
「乗ってって、でもまだ六時間目が……」
「ガッコーがためになったためしあるか? ジローが勉強するからかて、ごっつう面白いことが今からあるのよ。はよ乗って、はよ乗っちゃって!」
言われるままに、僕は助手席に座っていた。中間の運転するミニクーパーは、街を越え、橋を渡り、海沿いの道をもう小一時間は走っている。カーステレオから聴こえてくるのはアバンギャルドな大インプロビゼーション大会だ。
「カンのエグバミヤシや。カンいうても、愛は勝つ〜なんちゅうだっさいもんとちゃうで。ドイツのボッコボコバンドや」
「中間さん、さっきからけっこう走ってるけど……」
「なんや、さぼったこと気にしとるんか。あんなジロー、教室は舞台や、授業は芝居や。数学のできる奴《やつ》はその時間は主役、美術のできるもんはその時間だけ主役、何もできん奴はずっと脇《わき》役《やく》。ジロちゃん何かできるか? できんやろ、だからボクが舞台からおろしてあげたわけや。感謝されてもいいくらいや」
「そんなことじゃなくて! いったいどこへ向かってるんですか?」
「どこへ? うん、そやなあ」
中間は口《くち》髭《ひげ》をなでると、マジメな顔で、
「地獄の一丁目」
と言った。そしてすぐにシワクチャの笑顔を浮かべ、
「嘘《うそ》や、A町まで行くんや」
「そこに何か?」
「神猟塚聖陽ちゅう大げさな名前の奴がおってな。悪霊払い、御先祖供養、難病治療、未来占い、その他妖しげなことならなんでもしますっちゅう、いわゆる拝み屋さんだ」
「オモイデ教の人?」
「ちゃうて、逆や、オモイデにとって敵なんや。A町みたいなイナカ町で細々とやっとればいいもんを、最近の超能力ブームにのって勢力拡大しおってな。そんだけならまだしも、そうとうアコギなことしとるらしいんや。詳しいことは知らん。けど教祖さん、トー・コンエ様はえろうお怒りになっとって、僕を呼んでな、言うたんや。『中間君、メグマ術、かけておあげなさい』落ち着いた、例のバリトンの美声でな。ニッコリほほえんで言うんや、『神猟塚聖陽は、〓“悪しき者〓”であると、ホン・ラガトエー様から今朝〓“神電波〓”がありました。聖陽は腐った林《りん》檎《ご》です。早く、つみ取っておあげなさい』てな」
冬の陽はもう傾き始め、左に広がる海は銅のようににぶく輝いている。逆光でよくは見えないのだが、中間は無理に無表情をつくろうとしているようだ。多分、僕がするであろう質問を警戒してのことだろう。それでも、僕は、やはり尋ねた。
「中間さん、自分に縁も恨《うら》みもない人間にメグマ術かけて狂人にして、平気なの?」
それが考える時の癖なのか、中間は口髭をいじり始めた。
「あーねー、そこが大きな問題なんよ。某宗教の輸血拒否を例にとるまでもなく、他人には異常に見えても、信者にとっては不思議じゃない、むしろ当然てことがあるわけなんや。確かにメグマで人を狂わす、恐《おそ》ろしいことやな。でもそんじゃ戦争、ありゃ何だ? 大義名分こじつけとるけど、言うてみりゃ国が金出しての人の殺しあいやないか? 要は自分にとっていらんもんをこの世からなくす作業や」
「それは問題のすりかえだよ」
「シャラーップ! 何が別なもんかい。要はあれや、真理は一つやないってことや、モラルだのルールだの、歯止めは一人一人基準が違うんや。それを最大公約数で甘っちょろくまとめたんが法律や。けどな、そんなもんクソくらえや。でっぱった奴もへっこんだ奴もおるんや、ひっくるめられてたまるかい。ボクにはボクの道徳があるんや。そこで行きあたったのがオモイデや、『生きていてもしょーもない人間は確かにいる。だったらそいつらをこの世から消しちまおうやないか』なんちゅーわかりやすい教え、ボクにうってつけの教えやないの。そして、ジローにとってもなあ」
中間の顔は夕《ゆう》陽《ひ》を浴びて赤く燃えていた。真正面を向いたまま、ニヤニヤしている。
「ジロー、なっちゃんが見つけてきた君は、絶対にメグマ使えるようになるよ。いらん人間をメグマでコロリや。楽しいでぇ。ジロー、パッとやろうやあ。ボクとジローとで、この世界燃やし尽くしたろやないの、今度こそ本当に燃やし尽くせる。だって君はゾンの生き霊やもん。また二人でコンビ組もうやない。『自分BOX』復活や! イヤッホウ!」
中間は思いっきりアクセルを踏み込んだ。いつの間にか車は海を過ぎ、トンネルの続く山道を走っていた。日が沈み、いくつかのトンネルを抜けた時、右手にA町の灯りが見えた。
「神猟塚聖陽心霊治療塾」は、人口三万程の小さなA町の中で、明らかに異彩を放っている。大理石の門構え、ギリシャの神殿を思わせる大仰な造り。
「建てもんで住んどる人間はわかるんや。聖陽ってのは小心さをハッタリで隠すタイプやろな」
僕の手を引っぱり、中間はいつものズーズーしさで、「やっとるか? ちょっときたで」などと言いながら受付を通りすぎ、内装は意外と地味な、予備校を思わせる治療塾内を奥へ奥へと進み、行き止まりにある「塾長 霊事修道場」と記された扉の前に立った。扉には鍵《かぎ》がかかっておらず、僕が引くとスルリと開いた。ガランとした、だだっ広い畳部屋の真ん中には、待ちかまえていたかのように、いたずらっぽい笑みを浮かべて正座をしている一人の少女がいた。
なつみさんである。
「中間君! 遅いよ。だから電車で行こうって言ったのに」
「なっちゃん、そりゃないで。八尾君にメグマ祈呪術を見せてあげるんだ、中間君連れてきてよ、ってなっちゃんが言うたから、わざわざボクは……」
なつみさんは騒ぐ中間をよそに、僕を見て、そーゆーことだから、楽しみにしててね、そう言って、ウフフフと笑った。
神猟塚聖陽はほどなく現れた。僕と中間、そしてなつみさんの前に静かに座り、あなた達は嘘《うそ》ついてるでしょう? いきなりそう言った。
「悪霊払いをお願いしたいだなんて、嘘でしょう」
二十代後半といったところだろうか。地味なデザインの白いワンピースを着ている。装身具もつけてはいない。痩《や》せぎすの肉体を包み込むような長い黒髪。一点を見つめて動かぬ瞳《ひとみ》。美しい女《ひと》だ。
「ここしばらく、よくない念が私の周りで嫌な羽音を立てていました。それはそう、本当に羽音という感じ。それでどうなるというわけではないけれど、わずらわしくて。あれはあなた達の仕業なのでしょう? あれは……何という術なのですか?」
聖陽の語りには抑揚がまるでなかった。そんなこと本当はどうでもいいのだけれど、といった語り口調。中間の言うあこぎな拝み屋などには見えない。骨《こつ》董《とう》屋の隅に置かれたまま、忘れさられた人形のような女だな。僕がそんなことを思っていると、ふいに聖陽が笑みを浮かべ、
「よくそんなふうに言われるのよ」と言った。
ぎょっとした僕を見て、今度は口元を手で軽く隠しながら、彼女は笑った。
「ウフフ、ご免なさいね。あなたの〓“イメージ〓”があんまりマンガチックだったから。ああ私ね、ちょっとだけ、人の心が読めるんですよ」
横で中間が「手ごわいでぇ」とつぶやくのが聞こえた。人に心を読まれるというのは、あまり気持ちのいいものじゃあないんだな。「笑うと可愛い人だな」そう思ったことも、彼女には読まれてしまったのだろうか。そう思うと、自分でも顔が赤くなるのがわかって、僕は目をふせてしまった。
「それじゃ、あの羽音がどんな術によるものか、言わなくてもわかります?」
なつみさんの挑発にも聖陽の表情は変わらない。試してみるわと言い、数十秒の沈黙の後、
「……メグマ……ユーリュー……メグマ……キ……キ……ジュジュ……ツ? ああ……誘流メグマ祈呪術……あなた達、オモイデさんの信者ですね」と言った。
「イヤアアアッ! お見事ォ!」
中間が頭のてっぺんから出るような声で叫ぶ。聖陽に対し深々と頭を下げた。
「イヤイヤまいりましたわ、そこまでわかってらっしゃるとは小生も、ホンマ、脱帽ですわ、ついでに脱毛してもええぐらいですわ。こりゃまずこちらから仁義切らしてもらいますわ。この私メが中間有村いいまして、オモイデの、まあ特攻隊長みたいなもんでして、ここにいるのは、なつみちゅー、見てのとおりのブサイクな娘で、それでも当宗教一のメグマ術の使い手です。ほんでここにおるのが……何やろ。有望新人見習い中のジロー、まあ今日はオブザーバーですわ」そこで中間は顔を上げ、
「我々、本日はお姉さんのお命頂戴に参上いたしました」真顔で言った。
聖陽はそんな中間をしばらくじっと見すえていたが、やがて、ふっと口を開いた。
「……メグマ術については……確か誰かから聞いたことがありました。人を狂わす呪《じゆ》術《じゆつ》だそうね。一日に数回、羽の音を聞いたわ。耳の奥の方に黒い大きな、テラテラ光る虫が住みついたのかと思ってたわ。その虫は突き出した角に赤いひもが結んであって、右の耳にいる虫と左の耳にいる虫は、その一本の糸で連絡を取り合う。右の虫が何か嫌な声を聞くと、早くあいつに知らせなきゃって、羽をブルブル震わせて、糸を伝わる震えは、私の脳の中で螺《ら》旋《せん》状《じよう》にまわって、なかなかもう一匹に届かない。そんなふうな嫌な音だったけど……そう、あれはあなた達の〓“念〓”だったわけね」
「はいその通りです。メグマいうのは、一人一殺が基本。メグマ専用の場所において、一日数回念じます。通常やったら十日もあればコロリといきます。特にこのなつみいう娘はもはや達人。どんなマッチョマンであろうとこの子にかかれば一発発狂!………なはずなんやけど……弁慶に泣きどころ、猪木にガラスのアゴのあるように、メグマにも弱点があるんですわ。何分メンタルな技なもんで、相手が特殊な能力を持ってる場合は、直接対決せねばならんのですわ。姉さんみたいな霊能力業界の方には弱いんや」
「この場で、この……なつみさん? あなたが私に術をかけるの? 私、狂人にされてしまうの……そう。それも……いいわね」
本当にそれもいいかもね。聖陽はもう一度そうくり返した。そのぶっきらぼうな、自分と自分をとりまく世界にほとほとあいそがつきたような無気力さに、僕は、教室で指輪を弄びながら「私つまんない」とつぶやいていた頃のなつみさんの面影を見たような気がした。そして、中間が語ったゾンという人間もまた、こんなふうにぶっきらぼうな、抑揚のない語り方をしたんだろうなと思った。
「私にそのメグマ術をかけろと命じたのは、オモイデの教祖さん? 何といったかしら、トー……トー・コンエ様? 中間さん、そう?」
「ええ」
「そう、理由は……あれね。うちのバックにある教団についての悪い噂《うわさ》……お金のこととか、政治結社との裏取り引きとか、末端構成員によるリンチ殺人事件……そういったことでしょう。〓“悪しき者〓”でしたっけ、トー・コンエさんから見たら私はまったくそういう者なんでしょうね。でもね。言い訳じゃあないけど、私はただの御《み》輿《こし》なのよ。私に少しばかし、人と違ったおかしな力があったばっかりに、いろんな人間が寄ってきてね、生き神様生き神様っておだてられてね。いい気になってたつもりはなかったんだけど、私のこの不思議な能力は、きっと人を苦しみの湖から救いあげてあげるためのものなんだわ、なあんてね、思ったのが間違いよ。人の悩みを聞いて、成仏できない霊に体を貸して、そんなことをしているうちに、私は何も変わらないのに、私をとりまく人間の数だけが増えていった。私が始めたことなのに、もう私の手におえない世界にいつのまにかいたのよ」
「ほう、するってえとお姉さんは、気付いたら偉い立場にある自分に驚いたと」
「そうね、そんなところね。人のせいにしちゃいけないけれどね。結局は自分の業ですものね。でもね、私だって子供のころは普通の人だったのよ。ある日自分に特別な力が授けられるまではねぇ」
聖陽はふと遠くを見るような目をした。そして、そんな自分がおかしくなったのか、クックッと笑った。
「ねぇ、あなた達、本当に私をメグマ術で狂わせるつもり?」
「ハイ」
中間が答えると、聖陽はポツリと「そうなったらしづはどう思うかしらねぇ」と言った。
「今、何て?……しづがどうとかって……」
「あら中間さん耳がいいんですね。聞こえましたか……ええ、私の親友にしづっていう名の人がいたんですけど、あたしがおかしくなったら彼女どう思うかなあって」
「はあ、その人、そのしづって人はお姉さんにとって何か特別な人なんですか、立ち入ったことやけど」
「フフフフ、人に呪《のろ》いをかけにきて立ち入ったも何もないでしょう、フフフ」
「はあ、すんません、ごもっともですわ」
「特別な人……ね、そう、特別な人よあの子は。つい先日殺されてしまったけれどもね」
「おもしろそうな話ですね、聞かせてもらえません?」
「えっ? しづの話を? だってあなた達は」
「ええまあ、確かにお姉さんのお命頂戴にきたんですわ。せやけどお姉さんはこれから狂人にされてしまうかもしれんいうのに、何や『そんなことどうってことないわ』って風情《ふぜい》や。馬の耳に念仏っちゅうか、冷めてるっちゅうか、こんなお人に会ったんは初めてや。とても興味が湧《わ》きますんや。で、そのクールさの裏には、その、しづって人が一枚噛《か》んでるみたいや。興味あるわ、聞いてみたいわ。どうです、ここで会うたのも何かの縁や、ちょっとそのしづさんのお話きかせてもらえんやろか?」
真顔でそんなことを言う中間を、聖陽はきょとんとして見つめていたが、やがてクスクスと笑い出した。
「本当におかしな人だわね、いいわよ、何かの縁ですものね。お話ししましょうか」
「私には親友と呼べる人が一人だけいた。しづちゃんといって、小学校からの幼なじみ。私がはじめて自分の力に気づいた時も、しづちゃんはそばにいた。学校の帰り道、しづちゃんと工場の脇《わき》の長い道を歩いていた。あたりに人影はなく、工場から聞こえてくるガチャンガチャンという音だけが響いていた。その金属音が、ふいに私の頭の中で急にすごいスピードでまわり始めたのよ。グワーングワーン、まるで打ちならされる教会の鐘の中に入ってるみたいなすごい音。遠くでしづちゃんの心配そうな声がしている。ふいに暗転。気がつくと倒れた私のそばでしづちゃんが泣きじゃくっていたの。
『しづちゃん、私もう大丈夫よ。泣かないでよ』
『陽子ちゃんが死んじゃうかと思った。陽子ちゃん死んじゃったら、しづも死んじゃうからね』そう言いながら泣きじゃくる彼女の背後に、ふと人影が見えたのよ。十メートルぐらい離れた電柱の陰に、背広を着た中年の男の人がこっちをのぞいて立っているのが。その顔には見覚えがある。『しづちゃんのお父さんだ!』しづちゃんはふり返ったものの、キョロキョロしていたわ。えっどこ? 誰もいないじゃない。いるよ、ほらそこ、私が指差した先には、確かにしづちゃんのお父さんがいた。……だけどその人は、いつもしづちゃんの家でカレーを作ってくれる時の優しい笑顔は浮かべてなくて、色のない顔をして、悲しい、うらめしい顔をしていて……私、これは見ちゃあいけないものなんだって直感した。
『しづちゃん帰ろ!』私が彼女に泣きながら訴えたその時……」
おじさんの形をした〓“もの〓”がいきなり路上にはいつくばった。
両腕を赤子のように振りまわし、何とか前進しようとしている。アスファルトに爪を立て、硬い路面を力まかせに引っかいている。ぶちり。爪が剥《は》がれ、幾筋もの血のラインを刻みながら、ぶっ壊れたゼンマイ仕掛けが近づいてくる。ゆっくりと、しかし確実に。
その身を震わせ、色の無い顔をして、
しづ、行かないでくれ
しづ、行かないでくれ
しづ、しづ
しづ、しづ
ゼンマイ仕掛けは、ひたすらに娘の名を呼びつづけていた。
恐《おそ》ろしさのあまり、幼き日の聖陽は友達の手をひいて走り出した。走りながら、もしかしたらみんな夢じゃないかしら、と思い、ふり返るがやはりゼンマイ仕掛けはそこにいた。
そいつの顔は、涙で濡《ぬ》れていた。
「その夜、家に電話があって、しづちゃんのお母さんからで……しづちゃんのお父さんがトラックに下半身をひかれて……お亡くなりになったって。その事があってからよ。私におかしな能力、霊が見えたりするようになったのは。そのことでいじめられたりもしたけど、いつもしづちゃんが助けてくれた。私達いいコンビだったのよ。私に後ろ盾がつき、いつのまにか組織が大きくなっていったけど、彼女はいつもそばにいて、私も信頼していた。教団のお金のことなんかもまかせていたわ。……でもね。結局裏切られちゃったのよ。簡単にいうと持ち逃げね。男に貢ぐためですって。この年になってこんなこと言って、大笑いされるかもしれないけど、ショックだった。私は十五でこういう世界に入っちゃったから、そういうの全然なかったんですよ。しづも……彼女もそうなんだろうなって勝手に思い込んでて……だっていっつも一緒にいたから……。
しづの隠れ家はすぐわかって、私が行ったんだけど、玄関口で彼女はこう言った。
『あんた達みたいな狂人の世界はまっぴらよ。私は、もっと普通に生きたいの。人の群れの中に隠れ、人と同じように普通に生きたいの。あんたの狂気さが、ちょっとかわいそうに思えておせっかいしてるうちに、いつのまにかこんなことになってしまったのよ!』
しづはその後、教団と裏取り引きしている政治結社の、その下請けみたいな右翼団体のチンピラの凶器によって、男ともども殺されてしまったのよ。
しづちゃん……しづちゃん、いつだったか、陽子が死んだらあたしも死ぬ……なんて言ったけど、結局先に死んでしまった。ねえ、なつみさん。あなた、私を本当の狂人にしてくれるの?」
神猟塚聖陽は、うれしそうに尋ねた。
「私は今、狂人達の世界にいる。もう一回あなたに狂わせてもらったら、それは正常になるってことかもね。本当に狂わしてくれるの?」
なつみさんは聖陽に気圧されたのか、ほとんど聞こえない声で「ええ」とだけ答えた。
「なつみさん、ひとつ聞いていい」
「はい……」
「あなた、初対面の、恨《うら》みもない人間を、教祖様の命だからといって、なぜ狂わせたりできるの?」
「…………」
「読んでいい? 心」
「…………」
「ジロー君はギャラリーだからあれだけど、中間さんの心はさっき見てしまったわ」
「あらら、で、なんてでました?」
「あなたは悪いけど、狂犬病ね。じゃなかったら昔のサムライ、みたいな人よ。修羅場が好きでしょうがない、おさえてもおさえても、狂った世界が好きでしかたないのよ。最前線の街に生まれてこなかったことがくやしいのよ。人を傷つけるかわりに、自分がどんな痛い目にあってもかまわない。サディストでマゾヒスト、真性の変態さんね」
「あちゃー、言うてくれるわぁ、そんだけ言うより、一言『ロックンロール!』て言うてえな」
「ご免なさいね。……で、なつみさん」
聖陽が細い腕をのばし、そっとなつみさんの胸にふれた。
「あ……」
「ご免なさいね。こうすると良く読めるのよ」
聖陽はそう言って瞳《ひとみ》を閉じ、沈黙してしまった。なつみさんも神妙な顔をしている。彼女が以前よく見せた『なんだか困ったことになっちゃったな』という表情をして、自分の胸に置かれた聖陽の指先を凝視していた。
ほっ、と小さくため息をついて、聖陽がなつみさんの胸から手を離した。ほくそ笑んでいる。
「何がおかしいんですか?」
「あ、いえ、そう、なつみさん、あなた……」
「何ですか」
「全て教祖様のためなのですね」
なつみさんは、唇をぎゅっと噛《か》んだ。
「それがどんなに理屈になっていなくても、トー・コンエさんがそれを望むのなら、あなたは……」
「…………」
「人を愛する心っていうのは、とても鮮やかな色彩で私には見えるのですよ。ちょうど、夜の浜辺に水に濡《ぬ》れた鏡を置いて、そこに映し出すお月様のようにね。その人をどんなふうに愛しているかで、月は満ちたり欠けたり明るかったり、闇だけが広がる新月の晩であったり……あなたの教祖様を思う心は……クレーターまではっきりと見える満月として見えるわ」
「…………」
「なつみさん、これっていうのは……弟子が師に対する尊敬の思いとは違いますね?」
なつみさんは黙っていた。黙って、上目づかいに、聖陽の唇のあたりにさだまらぬ視線を投げかけている。
「一度だけ、しづの心にもあなたみたいに満月の輝く夜があった。私、彼女だけは〓“読まない〓”ようにしていたんだけれど……しづがヤクザに刺されて、死ぬ間際に私の手を握ってね、血まみれの自分の胸に置いたのよ。陽子なにが見える? って彼女は聞いた。
『月よ、しづ、大きな満月が見える』
『星は? 陽子、星は見える?』
『いいえ、月だけ、怖いぐらいの藍《あい》色《いろ》の中に、月だけが満ちていて……』
『それは陽子の月よ。月はいつだって輝いていたのよ、いつも満ちていて、欠けたことなんか一度だってなかった。
一度だってなかったのよ』
私の手を握っていたしづの力がだんだん弱くなって……しづは息を引き取った。
彼女は死ぬまで知らなかった。私の指令で自分が殺されたことを。組織を守ってゆくためには、そうする以外になかった……」
時計の針はすでに十時をさしていた。
おそらく職員も皆帰ったのだろう、この建物自体が、眠ったように静かだ。
よく見ると、聖陽はひとつだけ装身具を身につけていた。右の耳に、小さなピアスをしている。
ピアスは、苦痛に歪《ゆが》む男の顔が彫ってあった。
「理由はわかりました。さあ、メグマ祈呪術とやら、私にかけてごらんなさい。それほどまでに私を狂人にしたいなら、やってごらんなさいよ。でもね、私にも〓“力〓”があります。もしかしたらなつみさん、あなたの方が壊れてしまうかもしれなくってよ」
なつみさんの誘流メグマ祈呪術に対し、彼女が何らかの〓“力〓”を持って対抗しようとしているようには、僕には見えなかった。
それどころか「いったいどんなことをするの?」とのん気になつみさんに尋ねたりもした。
「かける相手が何かの特殊能力を持っている場合、あるいは精神的にスキの無い場合、メグマはなかなかかけられないんです。そういう時は直接相手と接触を持ちます」
「うん……」
「心にスキをつくらせるんです」
「どうやって?」
「相手の心の傷に触れるんです。……っていうか、傷をえぐり出すんです。そうするとどんな霊能者でも、賢者でも、炎天下のチョコレートみたいにもろくなってしまう」
「どうするの?」
「傷を、その人の傷を、その人の口から告白させるんです」
「誘導術みたいなもので?」
「薬を使う時もあります。私は……オモイデでいうバナマシワッラ法を使います」
「なあに、それ」
「相手の体の一部に触れて、私が対自核力を送り込みます。その力が相手の神経組織に影響を及ぼして、心の傷を自白させるんです」
いきなり、聖陽がなつみの手に自分の指をからめた。なつみの手のひらを、細い五本の指がぎゅっと握りしめた。
「これでいいのね、なつみさん、さあ早く」
つながった、なつみと聖陽の手の数センチ上に、ボッ、ボッ、ボッ、と三回、紫色のほのかな炎が躍った。『始まったでぇ』中間が僕の横でブルブルッと震えた。
勝負はあっけなくついたようだった。
聖陽の瞳《ひとみ》が、みるみる色をなくしていった。
「メグマがなつみを介して聖陽の脳に伝わったんや……」
「もう、狂ってしまったのかな?」
「まだや、なつみの対自核力でこれから聖陽は、自分の生涯で一番醜い思い出を語らせられるんや。一番知られたくない心の傷をな」
「どんなことだろう」
「しづってえ女のことやろなあ」
ほどなく、聖陽は語りだした。静かな、抑揚のない声で……。
「しづちゃんのお父さんは学校の帰り道になると、きまって電信柱の陰にいた。私としづちゃんが通り過ぎるのを、何もできずに見送るのよ。熟れすぎて落ちてしまった柿の実のような、ドロドロの両足を引きずって、一ミリでも二ミリでも、娘ににじり寄ろうとして、十本の指だけがアスファルトの上で、いつまでもいつまでも、見苦しいほどに蠢《うごめ》いていた。十本の指は意志のある虫《むし》、虫、虫、虫。十匹の虫は重すぎる獲物を持てあまして、どこにも行けないでただ蠢いているばかり。獲物には七三分けの頭がついていて、その顔は……いつも泣きっ面。
しづ、行かないでくれ
しづ、お父さんに気づいてくれ
ロボツトみたいに決まった台詞《 せ り ふ》のくり返し。
娘が自分に気づかないでいると、今度は私の方を怒りに満ちた目でにらむのよ。
『お前、俺《おれ》が見えるのだろう、何《な》故《ぜ》しづに教えてやらない! どうしてそんなに嫌な目で俺を見る! 俺が汚いか、俺が哀れか、お前の親友に、こんな醜い父のいることが、そんなに恥ずかしいのか〓 俺が泣き続ける姿は、そんなに悍《おぞま》しいか! 見ろ! 俺を見ろ! 最愛なる者に気づいてもらえない恐怖に、永遠に焼き尽くされる亡者の姿を、さあ好きなだけ見ろ!』
私に霊が見える能力があることを、しづに打ちあけた時、彼女は最初にこう言ったのよ。
『お父さんに会わせて。陽子ちゃん、お父さんに会わせてよ』
私はしづに、あの醜い亡者となってしまった父を見せたくなかった。しづの心に汚れがつくことを、私は許せなかった。
電柱の亡者を、私は霊達の世界へ追いやってしまった。餓鬼の形相で私の除霊を逃れようとした亡者も、最後にはあきらめたのか、しづに……しづにいつまでも私を忘れないでくれと伝えて下さい……と言って、この世から消えていった。
しづちゃんに私は、おじさんはもう天国に行っちゃったから会えないのよ、と言った。
そして……。
『おじさんは、父さんのことはもう忘れなさい、しづ……って言ってたよ』そういうふうに、私は彼女に言ったのよ」
聖陽の一点を見つめて動かぬ瞳《ひとみ》に、涙があふれていた。ゆっくりと、白い頬を流れる。
しづ
しづ
しづ
呪《じゆ》文《もん》のように、しづの名を綴《つづ》りはじめた。
しづ
しづ
しづ
「そろそろやな、とどめさしたれ」
中間が初めて見せる険しい表情で、なつみさんをうながした。
なつみさんは聖陽の手をひき離した。
なつみさんの指先が空を切る。
二度、三度、彼女の右の指先は空中に文字を描く。
深く深く息を吸い、一《ひと》呼吸おいて息をはく。
独特の呼吸法。
そしてわずかに震える声で、オモイデの神々を讃え始めるのだった。
「ホン・ラガトエー、あなた様の意志のままに、くるいのさとにわがみのはてるまで、くるいのわがみにくるいのめぐまのもゆるまで、ホン・ラガトエー、シイ・セゾ・ミコヨ、ホン・ラガトエーイニミシユニヨシ、イヌシミニユニヨミツ。
ヨーグ
ヨーグ
ヨーグ」
聖陽の瞳がどろりとにごった。彼女は眠るように狂気の中にとけこんでいった。
正座したまま、静かにうつむいていた。
その姿は、あどけない童女を思わせた。
彼女を残して、僕らは修道場をそっと脱け出し、中間のミニクーパーに乗り込んだ。
しばらくの間、誰もしゃべらなかった。
バックミラーに大仰なギリシャの神殿を思わせる建物が映し出されていた。
振り向くと、その上空には、巨大な満月が浮かんでいた。
藍《あい》色《いろ》の夜空に、クレーターまでがはっきりと見えるほどに巨大な満月が、神猟塚聖陽心霊治療塾を、煌《こう》々《こう》と闇《やみ》の中に照らし続けていた。
第4章 僕の爆弾
「どや? ジロー」
〓“ポセイドンの目覚め〓”のカウンターでバーボンをなめながら、中間がじっと僕を見ている。
「どや、って、何がどやですか?」
「オモイデやがな、メグマ術やがな。拝み屋の姉さんを狂人にするとこ目《ま》のあたりにしたやろ。どや? ジロー、オモイデ教の、メグマ術の幹部候補生としての君の率直な感想、コメントを求めとるんやないか。どや? ジロー、どう思うとるの? 君」
「どうって……」
店に設置してあるテレビから、プロレスの実況がけたたましく響いている。アナクロ・ロックの愛好者であるポセイドンのマスターは、それ以上にプロレスマニアであるらしく、中間と僕には目もくれず、テレビの前でクギ付けになっていた。
「おお! ダイナマイト・キッドやないか、ちょっと老けたなあアイツも……ま、そんなことはおいといて、ジロちゃん、ボクは確信したよ、君がスゴ腕やいうことを。なっちやんが聖陽に技かけたやろ。ボクもメグマ術師やからわかったんや、あん時なっちやんのメグマはレッドゾーン振り切れんばかりに強なっとった。何でやと思う?
「さあ?」
「ジローのせいや」
「……わかんない」
「君が横にいたおかげで、メグマ波をより多く呼べたんや。もちろん君は意識しとらんかったろうけどな、スゴイことやで、あんな一瞬でメグマを呼んでしまうとはなあ。この間の神猟塚聖陽を廃人にした、その半分は君のせいやで」
「でも僕は何も……」
「言うなれば君はあの時ターボ・エンジンの役割をしとったんや。なつみのメグマ術を、君はそばにおるだけで加速させた。ヒュー! 末恐ろしいガキやで、ほんま。けどええなあ、スカウトマンの血が騒ぐで、なあジロー、ボクと一緒にやろやないか、どや?」
ハイボールが効いてきたのか、中間の声がやけに耳ざわりだ。
中間、ゾン、オモイデ教、前川、神猟塚聖陽、トー・コンエ、教室、ミニクーパー、ポセイドンの目覚め、鳩《はと》のように群れる悪しき者、そしてなつみさん。
いろいろな色の糸がプールの底に沈んで、僕は今その中で溺《おぼ》れかけている。
頭の中を整理しなければいけない。
どこから始めよう。
そう、憎しみだ。そこから始まったのだ。
僕は、自分を取りまく者達全てに、平等に、憎しみを抱いて暮らしていたのだ。偉いとされている人のパレードを、アホ面下げて、小旗を振って、わずか数秒のために人だかりをつくって、そんな自分を疑わない、悪いとも思っちゃいない、つまらないとも感じていない、恥じることもない、自らの命を絶つ勇気もない。そんな人間達のこの世界が、そしてそんな世界のやはり一員である自分が、僕は憎くてしかたがなかったのだ。
いつか、足がもげる程に自転車のペダルをこいで、どこか遠いところへ逃げよう。
逃げた街で、目も口も耳もこわれた人の様に暮らすのだ。
西日しか射さない部屋にこもって、爆弾を作ろう。
世界を燃やしつくし、壊しつくし、逃げまどう子供たちの耳たぶを焼き切り、はむかおうとするサラリーマンのワイシャツのボタンを噴き出す臓物ではじき飛ばし、奥さんの乳房をくり抜いて、義父の口の中へつっ込み、老人をアザラシと交尾させ、顔から無数のキノコが生えた赤子を産み落とさせる。
そんな爆弾を作る日まで、昼も夜もなく、銀ブチのピカピカ光る眼鏡をかけて、一心不乱に作業に没頭しよう。
爆弾ができたら、また自転車のペダルを猛烈にこいで、学校に乗りつける。
フットボールのタッチダウンみたいに、僕の爆弾を、僕の机の上に思いっ切りたたきつけるのだ。
秒読みはわざと十から数える。十秒の間、みんなは僕を遠まきに見つめながら、うわ言みたいに哀願するのだ。「助けてくれ、なぜこんな目にあうのかわからない」
「爆発したら、お前も死ぬんだぞ!」
「でも、お前らも死ぬんだろ」と僕は答える。
「爆弾」のことを思う時、僕は自分がハッとする程熱くなっていることに気づく。血に、何かネットリしたものを加えたような体液が、下腹部に集まってくる。
「爆弾」を思った日は、必ず眠りの中になつみさんが現れた。
なつみさんは制服の、スカートの端をつまむと、自分の口元に持ってゆき、それをそっと噛《か》んだ。なつみさんの薄く青い血の筋が浮き出た両の足が、正座した僕の顔前にある。
なつみさんはスカートの端をくわえたまま立て膝《ひざ》をつく。
僕の手をつかみ、自分のうちももにそれをあてがう。
皮膚の内側を通る、血液の動きが指の腹に聞こえる。
とくり とくり
とくり とくり
血液が心臓に登ってゆく、その流れにそって、うちももにあてた指をゆっくりと上にはわせてゆく。その動きが行き止まる寸前、なつみさんがふと唇を開く。パラシュートみたいに落下してきたスカートが、僕の腕を覆う。
小馬鹿にしたように、彼女が笑う。
『爆弾って何よ? 君にはそんなものつくれないと思うよ』
「おう! 少年! ジロー、どないした。何ポケッとしとるんや?」
「えっ……ああ、ゴメン」
「未成年やなあ、酔っぱらってもうたんか?」
「や、大丈夫、平気平気。ところで中間さんさあ」
「なに?」
「聖陽が中間さんの心読んだけど、あれって当たってる?」
「なんや、まだこっちの質問も終わっとらんちゅうに。まええわ、そやな『修羅場が好きで仕方ない、サドでマゾの変態』ってか、ま、当たっとるわな。ボクなあ、殺し合いとかそんなのメチャクチャ好っきやねん。うちのオヤジ大酒飲みでなあ、ほんでオフクロに殺されたんや。ボクがまだ十にもならん頃や。もうすぐ夕飯ちゅう時やった。弟とテーブルの前で待っとったんよ、ビーフシチューのうまいにおいがしとった。腹グーグーなったわ、ほんまに。まだかいな思とったら、なんやワーワーギャーギャー台所の方から聞こえてくる。何やろ思って見に行ったらな……オヤジは喉にナイフ立てて血だらけや。ビーフシチューの鍋も倒れとって、ごっつう気色悪い色で床一面ドロドロやった。オフクロは呆《ぼう》然《ぜん》とつっ立っとる。なんやわからんけどずいぶんと昔からもめとったのが、ついに爆発しての修羅場っちゅうことらしいんやけど、くわしくは知らん。ともかくオヤジは死んでオフクロ刑務所、弟も……あいつもものごころついたと同時に自殺しちまった。強烈なトラウマやね。ところがどういうわけか、そういうもんに拒否反応示さんのや。逆にな、常にそうゆう場所にいないと気がすまんようになってもうた。メグマ術はなあ、そんなボクにぴったりな術なんや。あれで人の心ん中をビーフシチューみたいにグチャグチャにしてやるとな、ハハハ、スッキリするんや」
そう言ってニヤニヤと笑う中間を、不気味だと思わない僕は、もう半分オモイデ教に足を踏み入れてしまったからなのだろうか。いやそれよりも、僕はうらやましいのだ。爆弾を、誘流メグマ祈呪術という、自分の爆弾を持っている彼が。
中間によると、僕には潜在的にメグマを使う力が強くある、という。誘流メグマ祈呪術こそが、あの夢想の中でいつも不定形な僕の爆弾なのだろうか。
「聖陽がなっちゃんの心も読んだやろ、あれも図星やな」
「教祖……トー・コンエって人を好きなばかりに、メグマで他人をボロボロにするのもかまわないってわけ?」
「そんなもんやろ、愛っちゅうのは。いや、なっちゃんの場合、あれは恋やな。それも極度に盲目的なやつや、身も心も教祖さんのことしか考えてへんのや。ま、いくらメグマの使い手っちゅうても子供やからね。一《いち》途《ず》なわけやね。教祖様のためなら死ねる、なんて思っとんのとちゃうか?」
「教祖って、どんな人なの?」
「うーん、まあ不思議な人やね。話は面白いよ。なんせあの人のためなら他人を発狂させてもかまわないって人が、なつみちゃん含めて九人いるからなあ」
「九人って、メグマ術師はじゃあ、それに中間さんいれて十人いるんだ」
「ジロちゃんもいれたら十一人や。『十一人の侍』、そんな映画もあったねえ」
「中間さんとなつみさんは別として、じゃあその八人はみんな教祖様のために?」
「っていうか、オモイデの教義にのっとってってことやな……。でも、ほんま言うとな、ボクあいつら気色悪いねん。そりゃ教祖様はよくできた人や、オモイデかてオモロイとこや。けどな、みんなあまりに盲目的すぎるんや。教祖さんのためオモイデのため、口開けばそれしか言わん。なっちゃんみたいな純粋さとも違う。ボクみたいに〓“狂わせ〓”をエンジョイしとるわけでもない。なんというか、あやつり人形みたいなんやなあ。宗教はコワイねぇ、ボクが言うのも変やけど」
「僕はどんなにメグマの力があったって、教祖のために人を狂わせたくなんてしたくないんだけどな」
「わかっとるよ、そんなこと。なんでボクがこんなに君のことを引きずり込もうとしとるか、ぶっちゃけて言うわ。それはな、君の目や」
「ゾンって人に似てるって言いたいの?」
「まあそれもある。ほんとにそっくりや、あと自殺したボクの弟にもな。わかるんや、その目は、憎んどる目や、何かをぶっ壊したい目や、心の中にいつもはっきりせんもんがいて、そいつがあばれとるやろ、外へ出せえ、外へ出せえ言うて、赤子みたいに腹の内側蹴っとるやろ。ボクはそういう目を見るとほっておけんのや、ゾンもそうやった。この世を爆発させるだけの力があるのにそのすべを知らん奴《やつ》見ると、もどかしくてたまらんのや。何とかそいつに力を出してもろてやな、ボクの前に、あのビーフシチューと血の混じった地獄よりもグチャグチャでドロドロな修羅場を広げてほしい。ボクはそのためなら何でもする。そいつにいっつもくっついてフォローしてやりたいんや。第二の男でありたいんや。アントニオ猪木に坂口征二がいつもおったように、八尾二郎にこの中間有村が、いつもおらんとあかんのよ! あんたにはものすごいメグマの力があるんやで! 何でもかんでもぶち壊せるんやで、どや! ジロー、どや〓」
もしかしたら……心の中にそうささやく者があった。もしかしたら……。
「誘流メグマ祈呪術は、僕の爆弾……」
中間がタバコに火をつけた、薄暗いカウンターがほのかに輝く、その炎の中に、なつみさんの小馬鹿にした笑顔が浮かんだように見えた。一瞬にして消える間に、なつみさんはまた、
『爆弾って何よ? 君にはそんなものつくれないと思うよ』と言った。
「まあ一朝一夕に決められんとは思うけどな、ジロー、考えといてや」
「…………」
「ほらまたダンマリや。ようしゃべらんとこまでゾンに似とるなあ。せやからなあ、もったないて、そんだけの力があるのにやなあ。ただぼやっと教室の椅《い》子《す》あっためとるなんてあれやぞ、アインシュタインが肉体労働やっとるようなもんやで。ムダムダ、時間のムダやがな。性格俳優がこってこてのお笑いやってるような……」
と、中間が淡々と語り始めたその時であった。
「ふざけんなチクショー!」
黙々とプロレスを観ていたはずのマスターが、やおらミュージック・マガジンをテレビに投げつけたのだ。
飛び上がって驚いた中間は、バーボンを自慢のベルボトムにぶっかけてしまった。
「あららら、何やねん、マスター、ひっかけちゃったじゃないのー」
「ああ、ごめんごめん、だって中間ちゃん、ふざけてんだぜぇ」
マスターは謝りつつも、ふんまんやるかたないといった様子。
「ボクふざけとらんでしょがあ」
「ちがうのよ、中間ちゃんじゃなくてさあ、テレビよ、テレビ」
先程まで熱戦が展開されていたブラウン管には、レスラーではなく、マイクを持った背広姿のアナウンサーが映し出されていた。男はやや緊張で声を高くしながら、何かを訴えている。後方には白いビルと、あわただしく右へ左へ飛びかう警官の姿が見える。
「マスター、何やの、この騒ぎ?」
「なんだか知らねえけどさ、いきなりプロレスの途中ですが現場から中継ですとか言いやがってさ、三沢とジャンボの頂上対決の途中だぜえ! チャンピオン決定戦だってのによ! ああふざけてやがるよ、宗教だかなんだか知らねえけどよお!」
「宗教?」
「なんだかよお、宗教の信者が百人ばかりビルの屋上にたてこもってんだよ。神のお告げがあったとかいって、火たいてお祈りしてんだってよ。そんだけならいいんだけどよ、三十人ばかし自分の体に火つけて飛び降りたんだと!」
アナウンサーが「ああ! また一人!」と叫ぶその後方に、火だるまで屋上の柵を乗り越えようとする者の姿が映し出された。カメラが揺れながらズームをしぼる。男は何か声にならぬ声を上げながら、線香花火の火玉のように、ぼとりと落ちていった。悲鳴と怒号が交錯し、また画面が大きく揺れる。レポーターが泣きべその顔を気にもせずに叫びつづけている。
「ただ今、屋上を占領している信者達からの声明が届きました。『ここに集まった者達は皆、直接に大信宝連護来地様のメツセージを授かった者である。護来地様は来たるべきアルモグドの日にそなえ、自らの肉体を業火にゆだねることを私達に命じた。私達は護来地様の御心を喜びとしていただき、ここに集う者達である』……ええ、ただいまこの信者達の教祖である……A教の教祖である藤堂氏も説得のため、こちらへ向かっている模様です!」
「A教やて〓 聞いたかジロー、今たしかにA教っていうたな」
「A教って、あのゾンって人がいた」
「せや、ボクがメグマかけてやった奴《やつ》も一人おった宗教や。けどA教いうたら巨大マンモス宗教団体やで、わけのわからない新興宗教団体と違って管理されたとこやで、頭のネジとんだ奴やオカルトかぶれがもぐり込むとこやないで。なんでこんな……」
また一人、炎につつまれながら落ちてゆく者の姿が映し出された。
「ああ……今の女だったなあ……こりゃあ狂人だよ、中間ちゃん」
お楽しみを中断されて怒っていたマスターも、食い入るようにテレビを観ている。
「マスター! 今日つけといて」
中間はタバコの箱をぐっと握りつぶすと、いきなり立ち上がった。
「中間さん、どうする気?」
「行くでえジロー! あれはA教のB市支部や、タクシーで五分もかからん、かけつけるんや」
中間は猿のように歯をむき出し笑っていた。うれしくてしょうがない、そういう顔をしていた。
「なにがどうなっとるのかわからんがなあ、感じるんや。ボクとジローを呼んどる! 修羅場や! 修羅場の神さんがボクとジローのコンビ……プロレスでいうなら最強タッグのボクらを呼んどるんや! はよ来いやあ言うて手招きしとるでえ! 行こやないかジロー、はよあの修羅場にレッツゴーや。呼ばれて飛びでてジャジャジャジャーンや! とりあえずメグマの件はいったんおいとくわ。カバン持ったか? 財布忘れんなよ。行くでえ、ジロー〓」
タクシーで乗りつけたA教支部の建物の周辺は、すでに警察と報道関係者と野次馬でごった返していた。
A教の信者達だろうか、「○×に会わせろ!」「警察じゃどうにもならん」と叫びながら警官隊ともみ合っている者達もいる。一心に合掌しながら、A教のビルに向かって祈る者もいる。ビルにはサーチライトがいくつも照射され、闇《やみ》の中に照らし出された部分だけが、真昼のように明るい。
屋上に、数人の人影が見えた。男も女もいる。皆、ついさっきまで事務の仕事をしていたような、普段の姿でいる。
タクシーの中で聞いたニュースによると、彼らは支部で働いていた信者達ということだ。彼らはいつもと変わった様子はなかったという。ところが夕方、勤務終了の五時を過ぎた頃から、物も言わずに屋上に登ってゆく者達が現れた。その数は徐々に増え、一時間もする頃には百人にも達した。
そのうちの一人が、A教の神を讃える経を唱え始めると、それはすぐ、他の信者達に、感染するように広がっていった。
「ウヨトウゲーシーゴライウヨトウーノー、ノーウヨーケエシイゴライウヨトエヨー」
彼らの祈りの声は徐々に大きくなり、やがて叫びとなり、息つく間もなく早くなり、
「ウウヨウトウゲエシーゴーライー」
興奮が最高潮に達した時、トランス状態になった信者の一人が屋上の柵を乗り越え、地上へと肉体を自ら投げたのだ。
それから信者達は、机や椅《い》子《す》を屋上に積み上げ、ガソリンをまき火をはなった。そうしてそのまわりでまた祈り始め、一時間に五人ないし八人の割合で、ガソリンをかぶり、自分の体を火につつみ、死出の旅へと向かう者達が現れたということだ。
「こんなことじゃなんも見えんなあ、ジロー、もっと前行こうやあ!」
中間は野次馬をかきわけてズンズン中へ入っていこうとする。あわてて彼の後をついていったが、僕らはすぐ警官に止められてしまった。
「こらあっ! そこのヒゲとガキ、そっから先は行っちゃいかん!」
いかめしい顔の中年警官が立ちはだかった。
「ええやないですか、ボクらかて税金払っとるんやしい」
中間はペコペコとお辞儀をして、コメディに出てくる大阪商人のようにもみ手をしながら警官にすり寄った。
「お前! なめてんのか!」
おちょくられたと思った警官が中間の襟首をグイッとつかんだ。
中間はあわてる様子もなく、彼の手首を握る。
「あっ!」
警官は一声叫ぶと、感電したかのように全身をブルッと震わせ、中間に手首を持たれたまま直立不動で硬直してしまった。
「おっちゃん、ボクらもっとええ席で見たいねん」
「……ハイ……」
「特等席用意してもらえるかあ?」
「……ハイ……」
中年警官は目を見開いて一点を凝視したまま、中間の言葉にうなずくばかりであった。額には脂汗が光っている。
「中間さん、この人に何したんだ?」
「ジロちゃん、メグマはこういう使い道もあるんよ。聖陽みたいなのと違って、この程度の人間なら、ごく微量のメグマ波を当てるだけで数分間言いなりにできるのよ。いまこのおっさんは、いわばロボトミー手術でおとなしくされているようなもんなのよ、でくのぼうや。おっさん、ボクとこのジロちゃんはあの屋上にいるもんの……そうやなあ……ま、関係者や、そうあんたの上司に言って、はよもっと見えるところに連れてって、ええな!」
でくのぼう警官の案内で、僕らはA教の幹部と思われる人々が、不安気に屋上を見上げている一角に通された。
幹部達は口々に「一体なぜ?」「まるでわからん」「何のつもりだ」とつぶやきながら、狂乱の屋上を見上げている。
屋上の柵の前には、二十名程の人々が横一列に並んでいた。
サーチライトに照らされる彼らの顔がヌラヌラと光っている。ガソリンをかぶっているのだ。
彼らはみな一様にうつむき、黙し、微動だにしない。朽ち果てたかかしの墓場のようだ。時々強い風が吹き、何人かいる女性のスカートをたくし上げる。
彼らの背後に炎が見える。炎からは、くすんだ色の煙がうず巻きながら天空の月へと加速度的に舞い上がってゆく。
僕の前にいたA教幹部がふり向き、ヒステリックに叫んだ。
「さっきあの火ん中に十人飛びこんだ。あの煙はそいつらの燃えカスだ。ったく! 一体なんでこんなことを? 君、君はあの信者の親類か? あの中に君の父さんか姉さんでもいるのか? もしそうなら大声で言ってやりなさいー バカなことはやめろって言ってあげなさい! そんなことをしていたら教祖様がお嘆きに……ああっ、教祖様ァッ!」
男の叫びとともに、どよめきが起こった。幹部達の群れが、ドドドッと右に左に大きく揺れる。
「教祖様ァ!」
「藤堂様ァ!」
彼らは親を見つけた迷い子のように叫ぶのだった。
「おもろなってきたなあ、A教教祖藤堂徳浪寺のおでましやあ」
人々の波が左右にパックリと割れ、その間を警官達に囲まれながら、私服姿の小柄な老人がよろめきながら歩み来るのが見えた。
「教祖様ァ!」
「教祖様ァ!」
幹部達がこぶしを振り上げ叫ぶ。救世主の到来のようだ。
だが、僕の目に映った藤堂は、疲れ果てやつれきった、かわいそうな老人にしか見えない。
「中間さん、あれで教祖? 何もできそうにないじゃないか」
「そや、なんもできん、だからええんや」
「ていうと?」
「聖陽と同じや。なんもできん奴《やつ》いるから、そいつを神《み》輿《こし》にしとけば、まわりの悪《あく》どい奴が悪どいことできるって訳や」
藤堂に拡声器が渡された。幹部連中が口を閉ざす。
藤堂が何か言ったが、拡声器からは音が出ない。気づかずしゃべり続ける藤堂から、幹部の一人が拡声器を取り上げ、スイッチを入れ直してまた渡した。警官達から失笑がもれる。
藤堂は気を取り直し、屋上の我が信者達に拡声器を向ける。
「……みなさああん。みなさんの行為は、A教の教えにそむくものですうう」
その声はみっともないぐらい震え、間が抜けていた。
「他の信者達にもおぉ、わるいぃ、えいきょうを、あたえるものですうぅ、おりてぇ……おりていらっしゃあぁぁい」
横で警官の一人が、「おいぼれ」と小声でつぶやいた。
「おりてくださあい。みんなおいのりしてぇ、あなたたちの無事をおいのりしてるんですうぅ。おりてぇ……おりてぇくださあぁぁい」
屋上の柵前に並んだ者達は、彼の声が聞こえているのかいないのか、あいかわらずピクリともしない。うつむき、ただ風に吹かれ続けている。
「おりてくださぁぁい……」
藤堂の声はうわずっていた。
「おりてくださああい! グッ……」
老人の目に涙があふれ、それはすぐに深い幾筋もの皺《しわ》にそって流れ落ちた。
「なんでそんなことしてるんだああ! おりてくれええ、言うこときいてくれええ」
老人の手はガタガタと震え、顔はもはや涙と鼻水とで見るも無惨な状態だ。
「おりろおおお! やめろおお!」
一際大きな声で叫んだかと思うと、藤堂は力尽きたのか、その場にへなへなと坐り込んでしまった。
「あかんわ。老人は大切にせないかんよ。それより見てみい、屋上の信者達の、ほら一番右の奴が顔上げとるでえ」
その男は呆《ほう》気《け》た顔で、一人正面を向いていた。遠目にも蝋のように青ざめているのがわかる。男は背広の胸ポケットをさぐっていたが、やがて何かキラリと光る小さな物を取り出した。
「ライター持っとるなぁ」
僕はライターよりも、見開いた男の両の目が気になっていた。その目は、光がなく、どろりとして、まるで沼の底深く棲《す》む鯰の様な色をしていた。あの目には記憶がある。なつみさんによって狂人にされた教師の前川と同じ目だ。
「中間さん、あの目、見える?」
「おう、気づいとるわ、とっくに気づいとる。あの目は……メグマ術をかけられたもんの目や」
男のライターに気づいた人々から、恐《おそ》れおののくざわめきが広がった。
「このビルの周囲を、さっきからすごい量のメグマ波が飛びかっとる。今まで感じたこともない量や。誰かが、誰か知らんがあいつらに誘流メグマ祈呪術をかけたらしいな」
「オモイデの人? まさか、なつみさん……」
「いや違う、それやったらすでにボクんとこに情報きとるやろうし、第一なっちゃんでも……オモイデのメグマ術師が全員かかっても、こんな人数にいっぺんにメグマかけるのは不可能や」
「じゃあ、いったい……」
「わからん、さっぱりわからん。ただ、強力なメグマ術師がオモイデ以外にあらわれたことは確かやな。そいつは……まあ多分敵やろな。しゃれにならん敵やろなあ」
警官の怒号と信者の悲鳴が交錯する。
「おい、消防車であいつらに放水しろ!」
「バカヤロー! 水の勢いで落ちちまうだろうがあっ!」
屋上の上、ライターを持つ男の右手が高々とあがる。
「中間さん、大丈夫なの? 聖陽の時みたいに僕がメグマを増幅させてはいないのかな?」
「いや、あいつらがメグマかけられたのは数時間前やろ。そん時じゃないからそれは安心やけどな。あかん、ありゃやるでぇ」
ウオーッ! というどよめきが周りから起こるのと、屋上の上に鮮やかな炎が浮かびあがったのは、ほぼ同時であった。
一人を蛇のように丸飲みした炎は、それでも食い足らないのか、横へ横へ、次々と屋上の狂人達をもその巨大なふところへと吸収していった。
ジャングルを焼き尽くすナパーム弾のごとく、炎は、右から左へと二十数人の信者を闇《やみ》の中にまばゆいばかりに照らし出し、そして燃え尽くしてゆくのだった。
「……スゴイわあ……なんか、A教ビルの屋上でビヤガーデンやってるみたいやあ。きれいやなあー。ジロちゃん、予想通りあいつらにメグマかけたのがオモイデの敵やとしたら……次はボクらがああなるかもしれんなあ……」
中間を見ると、思った通り彼は笑っていた。
「おもろくなってきたなあ。たまらんわ。こりゃあ早いとこジローにメグマのかけかた教えとかんとなあ……ジロー、もう君の意志とは別んとこで事態は急速に進展しとるようやで。四の五のいっとる場合やないで、ほんま」
炎の尾を引きながら、何人かが落下していった。信者達も、警官もただ呆《ぼう》然《ぜん》とその恐ろしくも滑《こつ》稽《けい》な光景を見つめるばかりだった。
「でも……いったい誰がこんなこと……」
「A教にうらみをもっとる奴やろか。ゾンみたいに、A教の信者に火炎ビン投げつけたろう思っとる奴やないか……。ほんまに……いったいどこのどいつや」
その時、背後から中間の肩をたたく者があった。
ふり向いた中間の顔に、驚きと喜びと恐怖とが入りまじった、不思議な表情が浮かんだ。
中間は肩を叩《たた》いた男……高そうなスーツを着こなし、黒髪を後ろになでつけた、彫りの深い端正な顔だちの男を見つめたまま、しばし硬直していた。
中間の発した言葉は、驚くべき一言であった。
「……ゾン……お前! ゾンやないかっ」
ゾンと呼ばれたその男はニコリと笑った。
「久しぶりだね、中間さん」
そして屋上を指差し、こんなことを言うのだった。
「あれね、オレがやったんだ。オレがあの人達に、誘流メグマ祈呪術をね、かけたんだよ」
悲鳴
怒号
サイレン
そして祈りの声が入り乱れるA教支部の前で、静止しているのは僕達だけだった。
錯乱したA教信者達が、警官の制止を振り払い、支部の建物へと一斉に走り出したのだ。いつの間に集まったのか、信者の数は千人近くにもなっていた。暴徒と化した彼らと警官隊との間で、あちらこちらで小《こ》競《ぜ》り合いが発生している。
まだ幼さの残る若い警官が、露骨にパニックの表情を浮かべ、警棒を握りしめたまま、信者達の群れに囲まれている。
「こ、ここから先へは行っちやいけない! さがって、さがりなさい!」
そう叫んだ直後、若い警官は信者の一人に体当りをくらわされ、ヨロヨロと地べたに倒れた。顔面を痛打し、どす黒い鼻血が流れ出す。その上を何人もの信者達が踏みつけてゆく。
何とか起き上がった警官は、泥と血にまみれながら吐き捨てるように、
「ちくしょう……この狂人どもが」
警棒をもう一度ギュッと握りしめ、信者の群れへと走り込んだ。
「行くなっていってるだろうがあ!」
背後から、自分に体当りした屈強な男をはがいじめにしようとする。
男はからめてきた警官の腕をねじり上げ、振り返りざまに拳《こぶし》を警官のみぞおちへ食い込ませた。
「おうぐうぇぇ!」
若い警官は体をくの字に曲げ、激しく嘔吐する。
男の拳が、警官の顔面を真正面からとらえる。
ぐごっと、嫌な音を立て、鼻骨が砕ける。
苦痛のあまり、むしろ笑っているような顔になった若い警官は腰のホルダーに手を伸ばす。
「やれんのかよ、この犬!」
「うるさいうるさい、ウルセー、てめえら狂人じゃねーかー、バカにすんなよー、バカにすんじゃねーよー!」
銃声はあたりの騒ぎにかき消された。しかし、弾丸は正確に男の頭部を貫いていた。
男の眼球が吹き飛びむき出しになったピンク色の肉壁の奥から、とめどもなく鮮血があふれ出す。
「バカにすんじゃねーよー、バカにすんじゃねーよー、バカにすんじゃねー」
「中間さん、あんたの大好きな修羅場だよ」
阿鼻叫喚の最中だというのに、押し殺した声で、色白の美しい顔立ちの青年……ゾンは中間に話しかけた。
中間は、まだ信じられないといった顔のまま、ポカンと口を開けゾンを見つめている。
「もうじき機動隊が来る。催涙弾の水平打ちが始まらないうちにこの場を離れた方がいい」
もみ合っている警官隊と信者達をチラと横目で見てゾンが言った。
「車を用意してある。ついてきてくれ」
呆《ぼう》然《ぜん》としている中間と僕を置いて、ゾンは人の流れに逆らって歩き出した。
横で中間がやっと口をきいた。
「……ゾンやでぇ、ジロちゃん、あいつ……ゾンの奴《やつ》生きとったんやなぁ。あいつ……しかも、あいつ、あんなに喋《しやべ》れるようになって、今だけでゾンの一年分の声聞いたでぇ……」
「中間さんどうする?」
「ついてくに決まっとるやろ」
「だってもしあの人の言った通り、A教にメグマかけたのがゾンだとしたら」
「ええやん、面白いやん……いや、面白過ぎやでえ、ジロー、お前もボクも、どうやらすでに修羅場行き超特急に乗り込んでしまったみたいやなあ、ヘッヘヘ、こりゃもう戻れへんよ。永久になあ」
「中間さん、どこから聞きたい?」
ハンドルを握りながらゾンは助手席の中間に語りかけた。
「どっからて……せやなあ、いつ免許とったの?」
ゾンはウフフと笑った。後部座席からで表情は見えないが、その様子から、ゾンも中間も、再会を心の中で喜んでいるのが感じとれた。
「あいかわらずだ、中間さんのそういうノリ」
「けどお前はなんやかわったようやなぁ」
「そう?」
「失語症は治ったんか?」
「中間さん程のおしゃべりにはなれなかったけどね。……それはいいから何でも聞いてよ」
「何でもってなあ……何やありすぎて、ジロちゃん何かある?」
「あの……とりあえずこの車はどこへ?」
「ああ……オモイデ教に君達を送ってやろうと思ってね。ちょっと近すぎるんで、遠まわりしながらね」
それを間いて、拍子抜けしながらも、内心ホッとした。修羅場行きの電車も、今の段階ではまだ快速といった程度なのかもしれない。
「ゾン、A教の集会、あの日からどないしてたんや?」
「ああ……精神病院に入れられて……ところがそこはA教の手がかかったところだったんだ。
オレはそこでひどい目にあったよ。狂人と呼ばれてぶん殴られて、飯もろくに食えず、そして薬づけだ。例の……オレの親がわりのあいつが毎日きて、オレの鼻をつまんで、濁った色の液体を無理矢理飲ませて下さったよ。薬を飲まされると気持ちよくてねえ。オレはあいつの、ブヨブヨとしたやわらかい肉体に抱かれながら、毎晩、軟体動物の王様の、その花嫁になる夢を見ていたよ。盛んな結婚式が毎晩だ。手のない奴《やつ》や、顔半分腐り落ちた奴や、両の目の白濁した参列者がオレと軟体動物の王を祝福してくれるんだ。
そして軟体動物にオレは抱かれるんだ。
二つに裂かれた青黒いやつの舌がオレの肉体のどこといわずなめまわす。
オレにはわかるんだ。そうされていくうちにオレの目が、老犬の様に牛乳みたいな色に濁ってゆくのが。
目の前にビニールのカーテンがかかって、そのうち何も見えなくなっていく。
外の世界が見えなくなるかわりに、自分の中が何《な》故《ぜ》だかよく見えるようになるんだ。
オレの内側には、無数の子供の首がつまっていたんだ。
それは薬による幻覚だったのかもしれない。
だけれどオレは確かに見たんだ。
拳《こぶし》ぐらいに小さくなった、四歳ぐらいの子供の首が百も二百も光合成する植物のようにまぶたを開いたり閉じたりして。
その子供達の瞳《ひとみ》は黒目の部分がやっぱりなくて、あふれ出しそうなぐらいの真っ白なんだ」
赤信号で車が停車すると、ゾンはタバコを口にくわえた。中間がライターの火を差し出し、タバコも吸えるようになったんか、大人《 お と な》やなと言った。
「その軟体動物の王様がある夜からパツタリと病院に来なくなった。そして驚いたことに、数週間後、あの男は暴れ出さないようにそでのない服を着せられ、猿ぐつわを咬《か》まされた凶暴性の重度精神異常者になっていた」
バックミラーに映る中間の表情がピクリと動く。
「あいつは結局、病院の壁に頭から突っ込んで死んだそうだよ。こう、自分の頭を後ろから押えつけてね。A教の念仏を唱えながら何度も何度も、きつつきみたいに壁に頭をたたきつけて、骨と血と脳と、小さな無数の肉片を部屋じゅうに散乱させてくたばりやがった」
「ゾン、そん時にはまだメグマの存在は知らなかったんやろ?」
「ああもちろん、だからあいつの発狂はまるで理解できなかったよ。オレみたいな狂人をほっといて狂い死ぬとはね。どこまでも自分中心な男だなとその時は思ってたよ」
「ゾン、あの男はオレがやったんや。メグマかけてな」
「わかってるよそんな事」
「どう思うとるの?」
「別に」
「その件に関して」
「別に」
「ゾン、何かあるやろ」
「…………」
ゾンが沈黙すると、中間は「かわっとらんな」と言って笑った。
「まあええわ、続き聞かしてくれよ」
「ああ……あいつが死んで、薬づけをまぬがれたオレは、ある日、看護人の喉《のど》に隠し持っていたフォークをつき立てて脱走した。
それから逃亡の日々がしばらく続いて……中間さん、逃げてる間、オレ何やって食ってたと思う?」
「……何やろな。わからんなあ……」
「男《だん》娼《しよう》」
「ダンショー?」
「男娼……男色を売る男、つまり売春だよ」
「ハッハッハ、そうかゾン、お前オカマでもうけとったんか、ハッハッハ」
「人気あったんだぜ、なかなか。青年ガ島ってのがあってね、ホモの成金や医者、政治家が小舟に乗ってね、男娼を買いに行く小島っていうのがあるんだ。男娼達は舟着場に一列に正座して頭を下げて、そいつらを歓迎するのさ、金持ち達はそこでお気に入りを探すんだ。ひとりで三人までOKでね、島の中で二晩か三晩、楽しむだけ楽しんで帰っていくわけさ」
「お前そんなとこにおったんか」
「絶対の隠れ家ではあったしね。面白いところだったよ、男娼のほとんどがジャンキーでね。その中にいつも首輪をしているまだ十五歳の奴《やつ》がいて、そいつがうれしそうにオレに話しかけるんだ。『京都から来たお医者様の犬にしてもらったよ』ってね。『僕のために、金閣寺の庭園に大きな犬小屋を作ってくれるって。僕はそこで鎖につながれて一生を送るんだ』本当にうれしそうに言うんだ。と言ったってその医者も三日すれば帰ってゆく、もちろん奴は置いてけぼりさ、奴はがっくり悲しんでね。そんなことが二、三度あったあと、そいつは完全にシャブでいかれちまった。虚ろな目をして、オレに自分の首に巻きつけた鎖を持たして、『ゾンさん、お散歩に連れてって下さい』と頼むんだ。しょうがないから散歩さしてやったよ。本物の犬みたいにはしゃいでたな。それから奴は、その島で犬として扱われるようになったんだな。
いつも公衆便所の水道パイプに鎖でつながれて、気がむいた奴が食いもんをやり、暇な奴が散歩に連れてってやり、服は着ず、人間の言葉もそのうち完全にしゃべれなくなった。寝て食って散歩して、時々獣《じゆう》姦《かん》趣《しゆ》味《み》の変態金持ちと交尾して一日が終わる。そんな奴についたあだ名が『パブロフの犬』さ」
「おもろい話やなあ! ジロちゃんどや、ついてこれるか? このノリに。これがゾンや」
赤子がはしゃぐように助手席のシートの上で、中間はドカドカと足を踏みならした。
「そんでそんで? ゾンはそこでどんなだったんだよ」
「拾われたんだ。買い取られて東京へ行った」
「誰に? 弁護士か? 大学教授か?」
「宗教団体の教祖」
「ウワアアッハハハハハハ〓」
もう耐えられんといったように爆笑する中間。身をよじって涙さえ流している。
「イヒヒヒ、あんまり笑わせんといてくれよ、イヒヒヒ、お前本当に好かれるなあ。宗教のホモ野郎に」
「ああ、別にオレが好きなわけじゃないんだけどなあ」
「イッヒヒ、まあええわ、そんでどこの組のもんやそいつは?」
「義和尊神教」
「義和尊……神教……」
中間の笑いがピタリと止まった。
「知っとるで、バリバリの右翼団体『国紅宙会』がバックについとるとこや、そしてそのまた背後にいるのは、民自党元総裁、目黒のドンこと撮列重蔵やな」
「そしてその撮列重蔵が極秘裏に、対極左テロのために創設したのが、国紅宙会の特務機関『桜の光』」
「『桜の光』? 対テロリスト?」
「撮列重蔵は学者でもある。五年ほど前、彼は素晴しい発見をしたんだよ。人間の精神を崩壊させる……メグマ波をね」
車はどことも知れない闇《やみ》の中を静かに走り続けていた。時々対向車のヘッドライトが浮かびあがり、たちまちのうちに後方へふき飛んでいった。
「国粋主義者の撮列は、メグマ波を公表することをせず、左翼過激派完全排除、極左殲《せん》滅《めつ》に使用すべく研究を始めたんだ。その結果、メグマ波は修練を積んだ人間の形《けい》而《じ》上《じよう》の力としかいいようのない不可思議な心の動きによってのみ操作が可能であるとわかったんだよ。撮列は、彼のおかかえ霊能力者、そして相談役である、通称「拝み屋ジョー」という物乞のような男に、メグマ波を操作させることになんとか成功させ、彼を教祖とした「義和尊神教」をつくったんだ。義和尊神教は、メグマ術者発見、養成のためのいわば隠れ蓑《みの》になっているわけだ。
メグマの存在をもしも政府にかぎつけられたらこれはことだ。自衛隊一個師団以上の力が、ひとりのメグマ術師にはあるわけだからな。いや、その軍事的威力ははかりしれないといってもいいだろう。遠隔地からの要人暗殺までが現実となるんだ。世界中の軍部が欲しがるだろう。いずれ隠しても隠しきれないことになると悟った撮列は、これを隠すよりも、新興宗教団体の妖しい奥義として、真《ま》面《じ》目《め》な視線を浴びることのない、極めてうさんくさい超能力、オカルトのたぐいとして世間的に見せかけようとしたわけだ。葉っぱを森に隠したわけだよ」
「お前はそこでメグマを習得したんやな」
「撮列はあの島の常連だったんだ。ある日、ボロボロの法衣をまとった薄汚い若者を連れて来たんだ。そいつはオレを見るなり『ボス、こいついけるぜ』と言った。それが拝み屋ジョーだったんだ。
オレはちょっとした金をもらい義和尊神教に引き取られた。オレはもう人生を投げていたからね、ヒョコヒョコついていったよ。そこでジョーはオレにメグマを与えてくれた」
「実に興味深いやないか。メグマ習得の方法は、そっちではどないなっとるんや? オモイデとどう違っとるんや?」
「同じだよ、『気付けばいい』だけのことさ。断食、座禅、山ごもり、そういった過激な荒行を毎日繰り返して、自分を徹底的に追いつめてゆくなかで、メグマ波の存在、そしてそれを感じることのできる自分の精神に気付けばいいだけのことだ。まあそこに至るまで地獄の修行が続くわけだけどね」
「お前みたいな奴《やつ》が、逃げ出しもせんと従順に、その拝み屋ジョーってえのの言う通り修行を積むなんて、考えられんことやけどなあ」
「見たんだよ、ジョーがメグマで、一度に百人の過激派を狂人にするところをね。鉄パイプを持ってジョーを襲いにきた連中が、放たれたメグマによって一斉に狂人になるのをね。オレとジョーの目前で、死にもの狂いの内ゲバを展開して下さったよ。……それを見た時にね、生まれてからずっとオレの視界を覆っていたカーテンがむしり取られたような気がした。迷宮の入り口がやっと見つかったんだなとオレは悟った。耳を同志に食いちぎられた過激派の泣きわめくサイレンみたいな声が、まるでオレの覚《かく》醒《せい》を祝福する賛美歌に聞こえた。崩れ落ちてゆくものたちの声が、泣き叫び、助けを乞い、絶望に打ちひしがれながら朽ち果て消えさってゆくものたちの声がもっともっとオレは聞きたい。何かをそんなにまで欲したのは実に初めてのことだったんだ。そのためにメグマというものがどうしても必要ならば、オレは全てを投げうってでもそいつが欲しいと思ったんだ」
「右翼の飼い犬になってもか?」
「あんただってオモイデの犬じゃないか!」
中間は何か言いかけたが言葉は発せず、かわりに折れ曲がったタバコに火をつけると口にくわえた。
ガラムタバコの気だるい匂《にお》いがたちこめる。
さっきまであれほど雄弁だったゾンも、無表情でただハンドルを握っている。
僕にはもうわかっていた。
ゾンにしても、中間にしても、必要なのはただメグマの力なのだ。
血に飢えたヒルのようなこの二人の男は、ジャンキーさながら、たえず自分達を血の海という天国に高く高く放り投げてくれるメグマという力が狂おしいほどに欲しいのだ。そしてそれを欲するあまり、宗教、右翼、そういったものの犬となりはててしまった我が身のおろかさには気付きつつも、そこからすでに脱け出せない人間になっている。
「オレがこんなに話すことができるようになったのは、初めてメグマで人を狂わせた時だったよ。左翼系の大学教授の脳を、三歳児程度の知能にしてやったよ。さっきまで難しいことをいっていた紳士がいきなりハイハイしながらすり寄って来る光景を見ていたら、生まれて初めて腹の底から笑いが込み上げてきた。それからだよ、スラスラ言葉が口をついて出てくるようになったのは」
「ハハハ、そりゃゾンやなくても笑うで。……おおっと! なんやあ!」
いきなりゾンがハンドルを切った。
タイヤをきしませ車はUターンする。
「な、なんやゾン、頭ぶつけたやないか!」
「中間さん、それからジローだっけ? そろそろオモイデ教のビルに戻ろうか。帰りがてら、本題を話さなくちゃならない」
「本題?」
「中間さんのいうとおり、オレは今右翼団体国紅宙会特務部隊『桜の光』、そこの犬をやっているわけだ。『桜の光』はメグマによる極左テロリスト抹殺のために創設されたわけだが、実はもうひとつある使命を持った部隊なんだ」
「なんや?」
「全てのメグマ術師は国紅宙会の管理の下にあるべし、それ以外は認めるべからず、敵とみなし、『桜の光』はこれを全力をもって排除すべし、殺し尽し焼き尽すべし 〓 」
「なるほど、右翼以外のメグマは皇国の荒廃につながるというわけやな。おもろいなぁ『悪しき者』をメグマで消し尽す、オモイデと発想は一緒やないか。A教の件はどうなっとるの? あいつら全員がメグマ術師なわけやなかったんやろが」
「ああ、A教B市支部に一人だけ、力を持ちそうな男がいたんだよ。芽は早いうちにつんでおこうと思ってね。メグマを使って殺した」
「じゃあその一人を殺すためにあんだけのA教信者を巻きぞえにしたんか?」
「ちょっと派手すぎたかな?」
「……ええんとちゃう、なかなかおもろい見せもんやったで。ボクは……好っきやなぁ」
車はゆるやかなスピードで走り続けていた。不思議と信号にもつかまらず、安定した速度でオモイデ教事務所のあるビルヘと近づいている。
事務所にはなつみさんがいるはずだ。
そういえばオモイデに入信して以来、彼女は教室にいた時のような退屈そうな表情を見せなくなった。
『退屈でしかたない。私を誰もかまってくれないのは何《な》故《ぜ》かしら』
そんな表情を見せなくなった。
自分の放つメグマによって、泣き叫びながら、あるいは眠るように狂気の淵に沈んでゆく者達を見る時、なつみさんはどんな顔をしているのだろうか。
聖陽を狂人にした時のなつみさんには、そこからは何も読みとることのできない能面のような無の表情があるだけだった。
彼女は中間やゾンのように、餌《えさ》にむしゃぶりつく娘ではないはずだ。
なつみさんにとってメグマとは、いったいどういう意味を持つ力なのだろうか。
巨大なトレーラーが僕の乗る車を追い越していった。
サイドガラスがビリビリと震える。
まだ見ぬオモイデ教教祖、なつみの愛するトー・コンエのしのび笑いが、トレーラーの轟《ごう》音《おん》に乗って、耳の奥に響いたような気がした。
「あんたらのところの教祖さんも、そうとうなメグマ術師らしいね。トー・コンエだけは俺がやるって、ジョーは息まいてるよ」
「……そうか、それじゃあトー様以外の者を狂わせるのは……それはゾン、お前の担当ってわけか……お前、ボクらを敵にまわす自信あるの?」
ゾンは中間の問いには答えず、チラリと腕時計に目を落とした。
「あと……あと一時間の間で、オモイデの全メグマ術師を集合させることは可能かな?」
「何〓……そうか……よおし、責任を持って集めて差し上げるわ。もっとも教祖さんはパトロンの接待で北海道に行っとるから無理やけどな」
「それも下調べ済みさ。オモイデには十人のメグマ術師がいるはずだね」
「後ろのジローを入れたら十一人や。ゾン、お前んとこは何人で出入りかけるつもりなんや?」
「オレひとり」
「本気か? ガキの使いやあらへんで?」
「さっきの見ただろ?」
炎の尾を引きながらゆっくりと落ちてゆくA教信者達の姿が僕の目にフラッシュバックする。
「今から一時間後きっかりに、誘流メグマをあんたの所へ放つ。きっかり一時間後だ」
「ゾン……」
目下の者を励ますように、中間はゾンの肩を二度たたいた。
横顔が笑っている。
とてもうれしそうに笑っている。
「ゾン! OKや、きっかり一時間後やな。OKや、そのかわりな、ゾン、最高の修羅場見せてくれよ。自分BOXのギグ程度やったらほんまに怒るでえ、グッチャグッチャのベッチャベッチャのやつ見せてくれよなあ。ええで、ボクは相手になるでえ。お前がようやっと心んなかの化けもんを吐き出すスベを見つけたんや、めっちゃうれしいわ! オモイデの十一人の気が狂うか、ゾンの気が狂うか、どのみちいつかは死ぬんや、一気に勝負つけようやないか! なっ! アッハッハッハッハ」
ゾンの肩を、中間のごつい手が力強く握りしめる。爪の先が白くなる。
「ゾン、もうオモイデは目の前や、降ろしてくれ、こっからは歩いてゆく」
静かに車は止まった。車を出ると、生ぬるい風が吹いていた。中間がウインドウを軽くたたく。ゾンが振り向いた。
「ゾン、やっぱお前はええなあ」
何も答えず、ゾンの車は出てゆく。
遠ざかるテールランプの灯りを僕と中間はただぼんやりと見送る。
「ジローどや? ええ男やろゾンは」
「…………」
「ジローどうする? 帰ってもええんやで。何もせんと、明日からまた教室の椅《い》子《す》に座ることもできるんやで……」
ただ僕はなつみさんのことを考えていた。
『爆弾って何よ? 君にはそんなものつくれないと思うよ』
その言葉はなつみさんの口から聞かされたものではない。
僕は夢想の中でしか、彼女について、本当のところを知らない。
彼女が何を思い、教師前川を愛し、狂い、何を思い教室を捨ててオモイデに逃げたのか。そしてトー・コンエを愛するあまり、幾人もの人間を狂気の闇《やみ》の中に葬り去った。
その心のうちの何ひとつとして僕は知らない。
ゾンのメグマによって、もしかしたら彼女自身も、永遠に精神の迷路の中へと姿を消してしまうかもしれない。
何ひとつ僕の知らぬままに。
――爆弾って何よ、君にはそんなものつくれないと思うよ――
「ジローどうする? 帰るか?」
「……いや、いこうと思う」
「そうか、よし、すぐにオモイデのメグマ術師を叩《たた》きおこそうやないか、ハハハ、ジロちやん、またオモロなってきたなあ、ハハハ、狂人になるってどんな気持ちやろうなあ、ボク、ホンマにこれ以上アホになれるんやろか? えらい不安やでえホンマ! ハハハ、アッハッハ」
高らかに笑いながら、すでに中間は生ぬるい風に乗って走り出していた。
寝ぼけまなこのなつみさんは、中間が怒鳴りながら事情を説明しても、ただボンヤリと僕達を見つめるばかりだった。
「だあから! はよ電話して、メグマ使えるもんを集合させなあかんて!」
「中間君、また酔ってるの?」
「あかん、低血圧の女はこれだから嫌いや、ジロー、なつみを頼む、ボクは片っぱしから電話入れるわ」
むしるように受話器を取る中間、ボタンを押すその指が小刻みに震えている。
「なつみ! ボクのこの震える指を見てみい。冗談言ってるんやないのがわかるやろ、このボクが震えとるんやで。喜びと恐怖となんやかんやが入り混じってどうにも震えが止まらんのや、見てみい!」
「八尾君、中間さんの言ってること本当なの、本当にあと一時間でオモイデにメグマ波が襲いかかってくるの?」
なつみさんの大きな瞳《ひとみ》が僕を見つめた。
「だから本当や言うとるやろ! はよ顔洗って目ぇさませ、なんのための泊り込みや!」
事の重大さに気付いたなつみが、あわててデスクの上の書類をなぎ払い、受話器をつかむ。
「伊藤と柳はこっちがかける。アドレス帳なしで思い出せる奴は誰や?」
「えっと……林田さんと森口さん」
「よし、すぐたたき起こせ、事情は来てから説明するといえ」
「はいっ!」
「栗本は多分彼女の家におるやろ、なつみがかけてくれ」
「はい」
「栗本になあ、出てくる前に必ず女にお別れを言うようにと言っておけ!」
「……うん、わかった」
時計は深夜二時十分を指していた。
ゾンは一時間後にメグマを放出すると言った。
三時きっかり。
あと五十分。
爪の先が白くなるほど強く受話器を握りしめ、あせる自分を落ち着けるために低く話し続けるなつみの額に、フーと汗のしずくが流れ落ちた。
頬《ほお》が上気し、唇がやけに赤く染まり、震えているのか、小さくカチカチと歯の鳴る音さえ聞こえる。
彼女はあきらかに怯《おび》えていた。
「はやく出て……いないの……」
何度コールしても反応がない電話線の向こうにいる者に対して舌打ちをする。
「はやく……はやく……はやくはやく……」
祈るようにくり返すなつみ。
「はやくはやくはやく……ああ、トー様がこんな時にいないなんて……トー様、トー様」
瞳に涙があふれ出す。
「トー様……トー様……トー様……」
なつみのつぶやきは、いつしか本当の祈りに変わっていった。
オモイデ教メグマ術師の総てが勢《せい》揃《ぞろ》いしたのは、驚くべきことにそれから二十分たらずであった。もしもの時にそなえ、事務所から歩いてこられる距離で生活をしていたのだ。
集まった八人の男達は皆二十歳そこそこの若者であった。恋人のところから駆けつけた栗本という男が最年少で、僕やなつみと同じ年であるという。
「なっちゃんゴメン、すぐ電話に出られなくて」
いたずらっ子のように頭をポリポリかきながら栗本は頭を下げた。
「本当よ! 一体何してたっていうのよ」
栗本は上目づかいになつみをのぞき、ニヤニヤしながら、
「セックス」と言った。
中間の説明を聞き終えても、八人の男達はあまり動じることがなかった。
しばしの沈黙の後、実直そうな風貌の柳という男が口を開いた。
「これは聖戦ですね」
柳は十人のメグマ師を見渡し、静かに言った。
「オモイデ、そしてトー様を守るために、私達は戦うのです。死をも恐《おそ》れずオモイデのために戦うのです。まさに聖戦ではありませんか。力の限り戦おうじゃないですか」
柳の表情は恍《こう》惚《こつ》としていた。彼の言葉にうなずく八人の男達、そしてなつみさんまでもが、『オモイデのため、トー様のため』『聖戦』などという時代錯誤なセリフに酔いしれたような表情を浮かべていた。
『あいつらまるでオモイデのあやつり人形なんや』いつか聞いた中間の声が思い起こされた。
その中間は、眉《み》間《けん》に深い皺《しわ》を寄せ、なんとも読み取れない顔をしていたが、突然思い出したかのように壁の時計を見上げた。
「二時五十五分か……あと五分……あと五分でこのオモイデ教事務所が戦場と化すわけやなあ。凶とでるか吉とでるか、どのみち修羅場や、オモロなってきたなあ」
そうして不敵に笑おうとしたが、その笑みは凍りついたように、声にはならなかった。
メグマ術師達は訓練された兵士のように、ゾンの来襲に備えるべく事務所内を動きまわる。
銀ブチ眼鏡の柳が指揮を取っていた。
「伊藤君、林田、なんとかトー様に連絡を取ってくれ、森口、錯乱者がでた時のために刃物をひとまとめにして隠しておいてくれ、中間さん、あんたゾンって奴《やつ》が今どこにいるのか見当がつかないか?」
「あかん、わからんよ」
「そうか、なつみ君、義和尊神教と連絡は取れたか?」
「ダメ、ずっと留守電」
「栗本、国紅宙会の方は〓」
「こんな夜中になに寝ぼけとんじゃオラァ! 桜の光? なんじゃそりゃ卒業式かァ! 寝さらせー! って言われました」
「そうか……」
柳は下唇をぐっと噛《か》み、上目づかいに時計を見上げた。
深夜二時五十七分。
残り時間三分弱。
「みんな作業を止めて、ここに集まって」
九人のメグマ術師が柳をアーチ型に取り囲む。
僕は居所なく、手近の椅《い》子《す》に腰かけた。
柳は皆をザッと見渡し、彼らの後方にある富士山銀行のカレンダーを見つめながら言った。
「どうやら開戦は避けられぬ事実のようです、我々は目に見えぬ糸によってこのオモイデ、トー・コンエ様の下に集まった者達です。我々はオモイデによって、メグマという絶対の力を授かりました。そしてトー様、ホン・ラガトエー様のためにのみこの偉大なる力を使うことを心に決めたのです。そうですね〓」
柳の問いに、九人は声を揃《そろ》えハイと叫んだ。紅一点であるなつみさんの声だけが、やけにハッキリと響いた。
「我々はトー様によって生きることの喜びを教えられた、そうですね〓」
「ハイッ!」
「トー様のためならなんでもできますね〓」
「ハイッ!」
「死をも恐れませんね!」
「ハイッ!」
彼らの声は徐々にクレッシェンドしていった。
叫ぶうちに興奮したのかなつみさんは大粒の涙を流している。
誰もが熱に浮かされた顔をしていた。
トー・コンエの名を柳が口にするたびに、メグマ師達の体が小刻みに震え、彼らはエクスタシーに昇りつめるかのように、より大きな声を上げるのだ。
なつみさんはスカートの裾《すそ》をぎゅうっと握りしめ、体をわずかに弓なりにそらせ、そして瞳《ひとみ》を閉じ、あごを少し上げ、いつもよりオクターブ高い声で泣きながら答えるのだ。
「トー様の意のままですね」
「ハイ!」
「トー様にその身をゆだねますね」
「……ハイッ!」
中間を見れば、彼も一緒になってハイハイと答えてはいたが、その瞳は他のメグマ師達とは違って極めて冷静に見えた。
「わかりました。皆の心が一つであるとわかりました。後……後一分たらずで敵のメグマ波が来ます。皆知ってるように、メグマ波にとって一番壁となるのは、相手の平常心です。落ちついた心にメグマ波はかけにくい、心を真っ白にして、ただメグマが行き過ぎるのを待ちましょう。反撃は、相手のメグマを一度やりすごして、ゾンという男の居場所をつきとめてからにします」
柳がそう言うと、その場にあぐらをかいた。他のメグマ師達もそれに従う。
「ジロー、お前もこっち来い」
中間が僕の手を引っぱり、自分となつみさんの間に僕を座らせる。
時計の針は残り二十五秒を切っていた。
「なあジロちゃん」
「何?」
「どっちが勝つやろな?」
あと二十秒、
「さあ……」
「どっちでもええんや」
「え?」
あと十五秒、
「ほんまいうとどっちが勝ってもボクはうれしい」
「どういうこと?」
十秒、
「生きてたら後で教えてやるよ」
五秒、
四…三…二…一、
秒針は文字盤の真上を左から右にゆっくり通過していった。
それから針が静かに回転し、もう一度頂上に達しても、オモイデ教事務所には何ひとつ変化は訪れなかった。
「みんな大丈夫……?」
なつみさんがつぶやき、皆の顔を見渡す。平常心を保つためとはいえ、彼女と中間以外のメグマ師達は、驚く程似通った顔をしていた。自分の意志よりも、自分が信ずる人に命ぜられることに喜びを持つ、命ぜられることで自らの存在を確認できる。……そうだ教室にたくさんいたあいつらと同じ顔じゃないか。
こんな連中と僕は今、生死を共にしようとしているのか……中間も、なつみさんも……。
「あ……」
ふとなつみさんが何かを思い出したような声をあげた。
「……来た……」
「どないした、なっちゃん!」
「来た……ねえみんなどうしよう。ものすごい……津波みたいに来るよ」
「なつみ君、メグマを感じたのかい? オイみんな、感じるか?」
柳に対しメグマ師道は首を振る。
なつみさんが抱えるように耳をふさいだ。
「どうしよう助けて! すごい速さでこっちへ! ああ! こんなの初めて! 助けて! ヒィイ!」
泣き叫んだ、赤子のように、
何とかしてあげなければ、
無意識のうちに僕はなつみさんを抱きしめていた。
温かな肌の感触。
細い首筋の香り。
僕の五感に彼女が伝わるそのスピードよりも歴然と早く、
それはオモイデ教の十一人を襲った。
衝撃!
ガツーン! と、十階の窓から鉄の箱に閉じこめられたまま地面に叩《たた》きつけられたようなショックが全身を貫く。
毛穴という毛穴から全ての血液が流れ出してしまいそうな痛みが走った。
まさに目に見えぬ津波のようなものが、事務所の壁をつきぬけ、突然光の速さで襲って来たのだ!
「来たあ! すごいメグマや、みんな落ちつけ」
中間の声が耳の奥で爆発して聞こえる。
みみみみんな落ち落ち落ちつけけけけけ!
言葉がネズミ花火となって頭の中を飛びまわる。
「ジロー、しっかりせえ!」
ジジジジロジロジロししししっかりりり!
今度は百人の小人になった言葉が僕の脳髄に食らいつく。
「キャアアアアア!」
なつみが僕の腕の中でガクガクと痙《けい》攣《れん》し始めた。
「ウグググ、死ぬっ!」
「グゥアアアア! 体が裂ける!」
メグマ師達の苦《く》悶《もん》の声があちこちから聞こえる。
脳内の小人達が容赦なく、その並びの悪い犬歯をどこといわず突き立てる。
その度に死んだ方がまだましというほどの痛みが襲う。
腕のなかの少女はすでに気を失い、もたれかかる彼女の肉体が、鉄のように重く焼けるように熱い。
熱は苦しみをまた増殖させ、
そして限界を超えた。
意識が遠のく、
死ぬのか〓
なつみさんを抱きながら僕は死ぬのか〓
いいじゃないか、
幸せじゃないか。
彼女のことを何もわからぬままだけれど。
もういいじゃないか、
一緒に死ねるんだ。
――簡単なことだったんだ。
この世界を僕の爆弾で燃やし尽すよりも、
僕がこの世界から消えてしまえばいい。
結局は同じことだ、
なぜ気付かなかったんだろう、
死ぬまぎわにわかるなんて、
でも、もう、どうせ死ぬのだ。
なつみも僕も、ここで死ぬんだ。
見れば、彼女は白目をむいて失神していた。
そのことを笑ってやろうとした時、
フッと闇《やみ》の底に僕は落ちていった。
……なつみさんが笑っている。
右手に光り輝く銀色の魚を持って笑っている。
魚ではない、あれはナイフだ。
それにしてもギラギラまぶしいナイフだ。
彼女は笑ったままナイフを自分の胸に、まるでケーキでも切るようにつき立てる。
そのまま一気に腹に向かって切り裂いてゆく。
なつみさんの裂かれた腹から無限の数の、
黄色い虫がはい出す。
足の長い、クラゲに似た虫だ。
この虫を一匹残らず彼女の体にもどさないと、彼女は確実に死ぬのだ。
虫は素早くて、つかまえても手の中から逃げてゆく。
僕は半分泣きながら、クラゲ虫を追っているうちに、高いビルの上から落ちてしまう。
地面にたたきつけられる直前、誰かが力強く僕の腕を握った。
「ジロー! しっかりせい、まだアホになっとらんやろなあ!」
目の前に、見なれた中間の髭《ひげ》面《づら》があった。
「おおお! ジロちゃん、やっと目ぇ覚ましたか!」
「あ……中間さん……」
見渡せば、メグマ師達は皆床につっ伏していた。中間と、紙のように青白くなった柳のみが、僕を心配そうに見守っている。
「……いったい……何があったんだ。中間さん」
「みんな気ぃ失っとるよ、すごいメグマのパワーやった」
時計は三時十三分を指していた。
「わずか十分たらずで、対メグマ波訓練を受けている我々がこれ程のダメージを受けるなんて……ゾンって奴《やつ》はバケモノか〓」
柳は明らかに落ちつきを失っていた。フラフラと立ちあがると、他のメグマ師達の体を揺すぶり「起きろ! 起きてくれ!」と上ずった声で叫び続けた。
「なつみさんは?」
「わからん、オモイデ一のメグマ師やからな、まだイカれてはおらんやろ、気を失っとるだけや。しかしジロちゃん、君はやはり思った通りの大物やな、なんともないんか?」
「うん……ちょっと頭がクラクラするけど……」
「横浜! 井口! 大丈夫か!」
柳がうれしそうに大声を上げた。
ほぼ同時に、なつみ、そして最年少の栗本以外のメグマ師達がモゾモゾと身を起こし出したのだ。
「おお! お前らも持ちこたえたんやなぁ!」
中間も顔をクシャクシャにして笑った。
安堵のあまり笑いながら涙を流す柳、張りつめた空気がほころぶ。
しかし、
六人のメグマ師達がゆっくりと立ち上がり、その瞳《ひとみ》を僕達に向けた時、
再び空気は音も無く凍りついた。
彼らの目の色は一様に、
沼の底の鯰《ナマズ》みたいにどろりとしているではないか。
「柳! こっちへ逃げろ、そいつらもういかれとるでぇ!」
腰を抜かした柳が幼児のようにはいつくばったまま僕と中間の方に逃げようとする。
すでに狂人と化したらしい六人は、そんな柳を追うわけでもなくただその場に、放置されたマネキンのように突っ立っている。
「み、みんな、目を覚ませ! 正気に戻ってくれ!」
「無駄や柳、あの目ぇ見てみい、ボクらにゃ忘れたくても忘れられん、まさにメグマでいかれたもんの目やないか」
「あの人達……僕らをどうするつもりだろう」
「ゾンしだいや、有能なメグマ師は、相手を凶暴にしたり、廃人にしたり意のままや。ゾンがあの六人を使ってボクらを殺させようとすればそれも出来る」
「やるかな?」
「わからん、ゾンもさっきの攻撃でかなりの力を使ったはずや、ボクらは強かったからかからんかった。二回目の攻撃をしかけるより内ゲバ起こしてつぶした方が楽は楽やな」
六人の狂人達は、無言のまま動こうともしない。
「こらボケ! 狂人、なんとか言うてみい!」
中間の叫びをきっかけとしたかのように、狂人達が一斉に右手を上げ天を指した。「わわ、な、なんや、なにする気やねん!」
ヒイィと柳が悲鳴を上げる。
狂人達はその指を自分の右目の下に置くと、ベロリと舌を出した。
「あん……なんやねん?」
「中間さん……これって……」
「アッカンベー……のポーズやろな」
確かに僕達の目の前には、小バカにしたように舌を出した六人の男達がいた。
「これって……ゾンがやらせてるわけ……メグマで……」
「ああ……ゾンの奴、どこでこんなしょーもないボケ覚えたんやろなぁ……コラ! 狂人ども! たいがいにせえよ! なめとんのかコラ!」
それでも六人はアッカンベーをしたまま突っ立っている。
よく見れば彼らの体はブルブルと震えていた。
「オイ中間さん、あれ! あれ!」
何かに気づいた柳が彼らを指さす。
「ああ……血ぃやなぁ」
六人の口から、真っ赤な血がどくどくとあふれ始めていた。
「舌を……舌を噛《か》み切ろうとしてるぞぉ!」
男達はそれぞれの舌を噛み切ろうと歯を立てていたのだ。舌は別の生きもののように痙《けい》攣《れん》している。上へ下へ、断末魔のダンスを踊っている。
最後に大きく身を打ち震わせて、完全な別の生物と化した舌は、ぼとり、ぼとりと床に落ちて、それでもしばらくのたうちまわっていたが、やがてピクリとも動かなくなった。
「ウグェェェ!」
柳が嘔《おう》吐《と》する。中間が小さく「ゾンやるなぁ」とつぶやく。
最後の男の舌は、半分ちぎれた状態で男の口からだらりとたれ下がっていた。軟体動物のように細長くのびたそいつも、プツリと音を立て結局落下していった。
口から下に血のシャワーを流す六人の男達が僕達を見つめていた。
「もういい、みんな、みんなもう死んでくれえ!」
柳の願いが通じたように、六人はがくりとひざをつき、どすっと前のめりに一斉にくずれ落ちた。
彼らと交代するように、栗本が身を起こした。
「栗本ぉ……お前までアホになってもうたか……」
栗本は血の海と化した床に立てひざをつきこちらを色の無いどろりとした目で見つめながら、静かに語り出した。
「オレ……さっきまで恋人のところにいました。中間さんにも柳さんにも会わせましたよね、中間さんが『ええやんええやん、オッパイもみがいあるやん』と言ってくれたあいつですよ……あいつ……本当は恋人じゃないんです……いえ、付き合ってはいるんスけど……あいつ……あいつ本当いうと、実の姉なんですよ……姉の方から誘ったんスよ、本当っス。両親が死んで二人でこっちに出てきたんです。姉の言葉いまでも覚えてます。『あんたが頭の中で姉さんのこと何度も犯してること知ってるよ』……そう言ったんスよ、オレそれ聞いたらなんだか自分でもどうしようもない気持ちになって……ヘヘヘ……でもね、一度犯《や》っちまったら女なんて弱いっスね。ヘヘヘ……へへへ……あいつ……姉ちゃんはね……立ったままされるのが好きなんスよ……ヘヘヘ……ヒヘヘ……ヘッヘヘヘ……」
唇をひきつらせながら、栗本は笑い続けた。
横に広がった彼の口から、赤黒い舌が、ゆっくりと姿を現した。
そして栗本の舌は、ギロチンで切断されたかのように勢いよくちぎれて飛んだ。
血の海が静かに僕の足元まで侵入してくる。
まだ横たわったままの、なつみさんの髪までそれは赤く染めてゆく。
奇妙な静寂。
ガラムの匂《にお》いが鼻をくすぐる。
ふうっと息を吐き、タバコをくわえたまま中間は言った。
「どうやらゾンは、あくまでメグマで勝負しようというつもりらしいな」
ごそごそとポケットを探っていたかと思うと、ナイフを取り出した。
「ゾンの二次攻撃が始まる前に言っとくことがあるんや」
「な、なんのことだ中間君」
「柳……聞いてくれよ、ジロちゃんも聞いてくれ。ボクなぁ、本当いうとトー・コンエなんて信じとらんのや」
「中間君、いったい何を言い出すんだ!」
「僕はただメグマを完全に使えるようになるまでここにいようと決めとったんよ。オモイデを利用してただけなんよ」
「中間君いいかげんに……」
「シャラップ、最後まで聞いてぇな、ボクはメグマを完全に使えるようになったらな、オモイデ抜け出して、単独のメグマ師、ソロメグマニストになって、見さかいなくメグマで人狂わして、この世をグッチョグッチョにしたろ思うとるんよ。だがな、一人ではようやらん」
中間が僕を見た。
「ボクは一人ではやらん、もう一人だけパートナー、相棒が欲しいんや。この世を燃やし尽すには相棒が必要なんや、それは理屈やない、ボクの美学や。この世を燃やし尽す時は、ボクのそばに誰かがいてほしい」
「何を言ってるんだこんな時に」
「聞いてぇな、そいつは昔ゾンやった。今でもゾン以上の相棒はおらんやろと思う。けどな、なっちゃんの連れてきた君、ジロちゃん、もしかしたら君こそがボクの恋人かもしれんのや……対メグマ訓練を受けとらんであのゾンの攻撃を受けて、ピンピンしとる。ジローおまえのパワーはゾン以上かもしれんなぁ」
「……だから何だっていうんだ中間さん……」
「試してみたいんや、ゾンと、ジロちゃんをな、サシで勝負さしてみたいんや。勝った方を……ボクは永遠の恋人にしようと思う」
「中間君……君まで狂ってしまったのか?」
「ちゃうわ、ぼくはもともとアホやって言うとるやろ、そう簡単にこれ以上ならんわ。柳よ、今言うたことみんなほんまやでぇ、ボク、メグマ目当てにオモイデ入っただけなんや、トー・コンエなんて山師みたいなおっさん、信じとらんのよ。大体あんなオッサン……」
「止めろ! 中間! それ以上トー様をバカにするな!」
血相を変えた柳は中間につかみかかろうとしたが、血にすべりその場に倒れる。
「死ねや、柳」
中間が柳の後頭部にナイフを深々と突き立てた。
「中間さん! 何てことを……」
ゆっくりと中間が振り返った。
「ジ・ロ・ちゃん」
にんまりと笑った。
「ボクの目ぇ見てみい、どや、メグマで狂ったもんとはちゃうやろ、もっと……そや、ナチュラルなアホの目やろ、ジロちゃん、メグマは恐《おそ》ろしい力や、けど偉大な力や、新興宗教だの右翼だののもんにしとくのもったいないわ。どや、ジロちゃん、ゾンとサシで勝負してくれへんか? 勝った方とボクは組みたいんや」
「何……何勝手なこと言ってるんだ! なんでその人を殺す必要があるんだ?」
「だから言うとるやろ、これからゾンの二次攻撃が来る、そん時、ゾンとジローのタイマン勝負に邪魔を入れたくないんや」
うれしくてしかたないのだろう、中間は歯をむき出しにしてにやついている。
「ゾンがメグマしかけるいうた時に思いついたんや、多分ゾンの力をもってしても、ボクとなっちゃんは一遍にはやれんやろ、ジローがもし本当に大メグマ師になる人間やったら助かるやろ。もしあかんかったら、ぼくはすぐゾンに寝返るつもりやった。……けどジローは大丈夫やった、ピンピンしとる。ヘッヘ、いったいゾンとジローと、ボクはどっち恋人にしたらええやろうか?」
「あんたと組む気なんかないよ!」
「ま、それは後でな、どのみち二次攻撃は避けられん、戦うしかないんやでジロー」
腹の底からドス黒い何かが猛烈な勢いで込み上げてきた。それが怒りだと自覚する前に僕は中間の顔面を殴りつけていた。
ひっくり返った中間は、まだ気を失っているなつみの上に倒れ込んだ。
「ハッハハハハ、ジロちゃん、なっちゃんはボク殺さへんでぇ、だってジロちゃんは、なっちゃんが好っきでたまらんのやろお?」
もう一発殴ってやろうと立ちあがった僕は血に足を取られた。
おもいきり床に頭をぶつけ、顔をしかめながら目を上げると、十センチ前に苦《く》悶《もん》の表情を浮かべたまま果てている柳の青ざめた顔が転がっていた。
恐怖に怯《おび》える僕を中間はヒステリックに嘲《あざ》け笑っていたが、ふいに真顔になって言った。
「ジロー、ボクも君も似たもん同士や、なんだかわからん心の中のバケモンが出よう出ようともがいとるんや。誘流メグマ祈呪術こそが、そのバケモンを解き放ってやれる唯一の手段なんやぁ、欲しいやろ? なあジロー」
中間は顔を僕に向けたまま胸のポケットに、指を入れた。
小さな紙片をつまみ出す。
それは一枚の小さな切手だった。
「ゾンとサシで戦ういうてもジローがメグマ使わんかったら勝負にならん。メグマを得るためには激しい修業を修めなければできない」
中間が切手を持つ手を二度三度振った。
「けどな、これがあれば、メグマはすぐに得られるかもしれんのや」
「その切手で……」
「ただの切手とちゃうでぇ、どこへでも行ける切手や」
中間が切手を僕に渡した。切手は何のことはない、梅の絵柄であった。どこかの手紙からはがしたのか、スタンプが押されている。
「何も考えんと、それを飲み込んでみいや」
まるで訳のわからない事の展開に無言でいると、中間が怒鳴った。
「はよせんかい! ゾンのメグマが近づいとるぞぉ! 感じんのか? あれに襲われたらおしまいやぞぉ! はよその切手食わんかい!」
「…………」
「なつみも狂人にされるんやぞおっ!」
その時だ、
ものすごい衝撃が再び僕達を襲った。
ははははよよよおお食食食食食えええ!
中間の声が無数の針となり耳の穴から一気に脳髄へと突き刺さる。
さっきよりも強い、人が知覚できる全ての苦しみをはるかに超えた痛みが全身を切り裂く。
食食食食食えええええ!
中間の手によって、どこへでも行ける切手が僕の口の中へねじ込まれた。
ごくりとそれを飲み込む。
きききききき……けけけけ!
中間が耳のそばで怒鳴っている。
ジジジロロロロききききけけけ!
痛みにいかれた聴覚はそれを理解できない。
ききききづづけけけぇぇ!
「きづけ〓」
何を気付けというのだ。
中間が白目をむき血の床にぶっ倒れた。体が自分の意志と離れてゆく。面白いように自分の足が痙《けい》攣《れん》する。痙攣は全身を覆う。
再び意識が遠のいてゆく。
――薄れてゆく視界に人影が映った。――いつのまに入ってきたのだ。
笑いもせず、少し悲しげな顔をした、ゾンが僕と中間を見降ろしていた。
「ゾン……やっと来たんか……」
中間の問いに、ゾンは無言だった。
「ゾン……やっと来たんやなぁ……」
中間はメグマの力が弱まったのを感じた。ゾンはただじっと彼を見下ろしていた。
あれから何年も経ったが、少女のような色の白さはまるで変わっていないなと中間は思った。
「ゾン……どうするつもりや」
無言のゾンに再び問いかけた。
「なんで黙っとる? またゾンビのゾンに戻ったんか」
ゾンが笑った。
いつだったか自分BOXのライヴの最中に、初めて見せた時のように、生まれたままの赤子の無邪気さで彼は笑った。
「あの時はお前、血まみれやったなぁ……今度はボクが血の海に沈むんやろなぁ」
「中間さん」
「なんや……」
「オレはアンタが好きだよ」
「そうか」
「あんたを殺さずにすむ手段はないだろうかと思ってここへ来た」
「止《や》めとけよ、殺《や》るなら殺れや」
ゾンはまた黙った。
人形のようにつっ立っているゾンに中間は「変わっとらんなぁ」と言った。
「ゾン、どや、ボクと組まへんか」
中間はそう言いながら、ゾンへ手を伸ばした。
ゾンはその指先を、ただじっと見つめていた。
――また夢だ。僕はまた夢を見ているのだ。
丘の上の草原に、忘れられたアドレス帳のように、中間の生首が風に吹かれていた。
中間は例によってニヤリと笑いながら、
「はよ気付けよジロちゃん」
「何を……」
「はよ気付けよ……」
首をかしげる僕の頭にポーンとゴムボールがぶつかり、はね返ってスポリと手の中に収まった。ボールには白い文字で「メグマ」と書いてあった。
中間が「それや!」と言って、歯をむいた。
電撃のようにゾンの言葉が蘇《よみが》える。
「同じだよ、『気付けばいい』だけのことさ。自分を追いつめてゆくなかで、メグマ波の存在、そしてそれを感じることのできる自分の精神に気付けばいいだけのことだ」
そうか、そういうことか、再びボールを見ると、「メグマ」の文字は赤く変色していた。
百メートル程遠くにゾンが悲しげな顔のまま立っている。
僕は背を思いっ切りそらせ片足を高く上げ、振りかぶって、手の中のゴムボールをゾンめがけて放り投げた。
勢いよくそれは弧をえがき、ゾンの胸のあたりに命中した。
ゾンの首がぽろりともげる。
悲しげな顔のまま、首は坂道をゴロゴロと転がり、大きな岩に当たると、トマトのように簡単につぶれてしまった。
「そうや、それでええんや! カッカッカ」
中間が腹話術の人形のマネをして、ケタケタと高らかに笑った……。
「ジロちゃん! ジロちゃん!」
何度か頬《ほお》を張られ、痛みに目覚めると、中間がのぞき込んでいた。
瞳《ひとみ》がチクチクと痛む、事務所内がやけに明るい。
「もう朝やでぇ」
中間の疲れ切った顔のあちこちに、乾きかけた血が付着している。メグマ術師八人の死体を、差し込む朝日が容赦なく照らしている。なつみさんは……横たわったままだ。
「なっちゃん一度目ぇ覚まして、血の海見てまた気ぃ失ったんよ」
「いったい……どうなったんだ……」
「ジローが勝ったんや」
中間は無表情だった。もうどうだってええわとつぶやき、
「勝利を確信したゾンがな、来たんよ、あいつアホや『なんか中間さんは狂わせきれないよ』甘ったるいこと言いおって、ボクもついホロリときてなぁ『そうか、せやったらボクと組もう、やっぱりゾンが相棒や』言うてな、ゾンの手ぇ握って、体抱きしめてな、『自分BOX復活やな!』言うて喜んだ時や……、アホのジロちゃん……君がいきなりすごい量のメグマを放出したんや!」
「…………」
「みんなアホや! どいつもこいつも、ゾンもジローもこのボクもアホばっかりや、何でこううまくいかんのやろう!」
「中間さん、あんたボクを裏切ろうとしたんだな」
「裏切るも何もあるかい。言った通りや。てっきりゾンの逃げきりやと思ったからあいつと組もうとしたんや。そしたらドタンバでジローの逆転サヨナラや。まったくかなわんわ」
怒りも何も通り越して、僕はただ黙り込んでしまった。今はただ、狂人にならずに生きのびたことでホッとしていたかった。
「あの切手が本当に効果があるとはなあ。ボクも驚きや!」
「切手……ああ、あれは一体?」
「リゼリグ酸ジエチルアミド」
「何……?」
「リゼリグ酸ジエチルアミド、つまりLSDのことや。LSDがさっきの切手にたっぷり染み込ませてあったんや……LSDがなぁ、強力な幻覚剤や、人間を一時的に狂人にする薬や。メグマ修得のための荒行は、つまり一時的に精神を悟りの状態に追い込む修行なんや、ボク、思ったんや、それだったら薬つかって一時的に悟りの状態にしても同じことやないかってなぁ。当りやったな。ジローの耳元でずっと『はよ気付けぇ!』言うとったんや、無意識の内にその言葉の意味を君は理解したわけや。やっぱり君はとてつもないメグマの天才や!」
「ゾンは……」
僕が尋ねると、中間は両手で頭を抱えた。
「ジローのメグマで廃人や」
「何も覚えていない……」
「気絶しながらも無意識にやりおったんや。ジローはすごかったでぇ、一発やった。みるみるゾンの顔に恐怖の表情が浮かんだと思ったら……いきなりあいつ……」
「…………」
「自分の指で両目くりぬいて、泣き叫びながら飛び出していったわ、『サラバ』を言うヒマも無しにや。あれはもうだめや……」
中間の瞳に涙があふれていた。
「ジロちゃんもタイミングが悪いわ……」
下を向き、しばし嗚《お》咽《えつ》する。
「ゾン……ゾン……」
しかしきっぱりと顔を上げて、中間はニコリと笑って僕に言った。
「ところでジロちゃん、さっきの話やけど、どや? やっぱりボクとコンビ組まへんか?」
第5章 中 間
「見てみいこの雑誌、オモイデのことデカデカのっとるでぇ」
人気の無い、工場の裏の道にとめたミニクーパーの運転席で中間は、二つ折りにした週刊誌を読んでいた。
「狂気の自殺集団オモイデ教を追う! ってか……」
窓の外に雑誌をほうり投げて、もう二十本目にもなるタバコに火をつけた。そして、ふうっと青い煙をはき、小さくせき込んだ。
「あかん、このボクがタバコにむせるなんて、どないしたんやろな」
「やつれてるよ中間さん、取り調べってそんなにきついの?」
僕が尋ねると、彼は助手席に座っている僕のひざを軽くはじき「アホな」と言って笑った。
「あんなもん、メグマ修得の荒行にくらべたらなんでもあらへんよ」
中間はここ数日、重要参考人として警察の取り調べを受けていた。「新興宗教団体集団自殺事件」の参考人としてである。
「マッポは何が何やらさっぱりわかっとらんよ。そりゃまあそうやけどな、あやしげな宗教の信者が七人も舌噛《か》んで死んで、さらに頭にナイフ立てて死んどるのまでおったらな、そりゃ真相が知りたくなるのも人情やな」
オモイデ教事務所での惨劇は、その日のうちに警察の知るところとなった。おびただしい血は階下にある不動産事務所の天井にまでドス黒いしみをつくり、朝早く出社してきた女子事務員がそれを見つけ、あわてて一一〇番してしまったのだ。その三時間程前、僕と中間、そしてやっと目覚めたなつみさんの三人は、ゾンの攻撃から逃れた安《あん》堵《ど》感を味わう間もなく、この地獄絵図のような状態を、いったいどうしたものかと頭をかかえていた。
「ジロー、お前は家へ帰れ、お前はまだ正式な信者やないし、ここへ出入りしとることもほとんど知られとらんからな、警察にも気付かれんやろうし、『桜の光』にもまだマークされてないはずや。さっさと家に帰って血のついたその服はよ捨てちまえ」
「中間さんはどうするんだよ」
「ボクはいるよ、大丈夫や、話でっちあげるのは得意やからな」
突然怯《おび》えた猿のような表情をつくり中間は「け、刑事さん、本当です。い、いきなりみんな錯乱しだしたんです。神について語っているうちにみ、みんな熱くなってきて、結論としてボクらみんな神への罪が深すぎる、だから死のういうことになって、ボ、ボクは止めたんですけど、一人が舌噛み切ったら、みんなその気になってしまって、な、なかにはオレの頭をこのナイフで突いてくれなんていい出す人までいて、ボ、ボクあまりのことに失神してしまって……目覚めたらこんなことになってたんですよお! ど、どうしたらいいんですかぁ!」などとオーバーに演技してみせてからまた元にもどり、「こんなこと言っとけば大丈夫やろ」と笑った。
「問題はなっちゃんやなぁ」
なつみは目覚めてしばらく、信者達の無惨な姿を見て号泣していたが、そのころにはただ、空中に不思議な虫でも見つけたような、きょとんとした表情をして壁にもたれていた。
「なっちゃんはとりあえず友達の家にでも隠れるのがいい、そや、ほら柳が勧誘してきた女子大生、あいつ口固そうやったな、あいつん家《ち》にでも行ったったらどや、おいなつみ、聞いとんのか?」
中間が彼女の肩を軽く突いた。なつみさんは能面のような表情のままこくんと小さくうなずいた。
僕となつみさんがこっそりと事務所を抜け出した後すぐに、入れ換わるように二人の警官が現れ、オモイデ教事務所のインターホンを鳴らしたのだ。
あれから一週間が経ち、中間はあのデタラメな作りごとを、もう何十回と取り調べの刑事に語って聞かせているのだ。
「マッポもええかげん頭混乱しとるわ」
「なつみさんは?」
「相変わらず行方不明や」
なつみさんは、どこかへ行ってしまった。
あの日、早朝の、まだ明けきらぬ街を、僕となつみさんは人目につかぬように歩いた。
茫然としている彼女の手を握り、平静を装ってなるだけゆっくり歩こうとした。しかしいくつかの小路を曲がり、新聞配達や、会社に急ぐ人々とすれ違うごとに、僕は自分でも気付かぬうちに早足になっていた。
なつみさんは僕の歩く速さについてこれずに何度か転んだ。
つんのめって、二、三歩水中を歩むようにユラユラとよろめいてから、僕の手を握ったまま倒れてしまうのだ。
その度に起こしてやるのだが、彼女はありがとうと言うでもなく、僕の早足を怒るわけでもなく、じっと、すりむいて赤く血のにじんだ自分のひじを不思議そうに見つめ、見つめながら僕に「行こ」とうながしたりもした。そしてまたしばらく歩くと、再びアスファルトの路上に倒れ込んでしまうのだった。
中年のサラリーマンが足を止め「大丈夫なのか?」と言った。僕は「平気です平気です」と答えながら、自分が不自然な笑みを浮かべていることが解ってとても恥ずかしく、こういうのを途方に暮れるというのだな、などとボンヤリ考えていると、何度目かに立ち上がったなつみさんが、またひじを見つめながら言った。
「もういい、あたしひとりで行けるよ」
「ああ、でも一応送っていくことになってるからさ」
「いいったら、あたし……行くよ」
彼女のひじから、赤い血の糸が手首の方へ向かってつうと流れていった。彼女は、その流れを見つめたままで「さよなら」と言った。
クルリと背を向け、朝日が直接差し込むビルとビルの間の細い道を、しかられた子供みたいに背を丸め足を引きずり、自分のひじを見つめながら、その長い道を一度も振り返ることなく歩いていった。
それっきりなつみさんは消息を絶ってしまったのだ。
「多分あの人と駆け落ちしたんやろな」
あの日以来、オモイデに対する本音を自ら暴いた中間は、トー・コンエをあの人、と、そう呼んでいた。
「狂人宗教の教祖、美少女信者と共に失踪! 絵にかいたようやないか」
事件後、トー・コンエは行方をくらましていた。中間の言うとおり、おそらくなつみさんとともに、どこか遠くへ逃亡してしまったらしいのだ。マスコミはこぞってこのスキャンダルを面白オカシく書き立て、オモイデ教、あるいはトー・コンエの名は、今やひとつの流行語とまでなっていた。
「オレも有名になったわ。さっきな、ここ来る前、茶店でモーニング食っとったらウェイトレスにな、あの〜、オモイデ教の方でしょ? サインして下さいって言われたよ、ホンマオモロイわ」
少しもオカシくなさそうに中間は言った。
「ジロー、ちょっと歩こか」
車を降り、僕と中間は工場の脇の道を歩いた。夕暮れで、僕達は長い影を引きずりながら歩いた。しばらく行くと小さな公園があり、空き缶のいくつも浮いた池があった。
「それでやな……」
夕《ゆう》陽《ひ》に反射して輝く水面をながめながら彼は言った。
「もう聞きあきた言葉やと思うけどな、どやジロー、ボクと組まへんか?」
「またそれ?」
「またそれや、ボクそれしかないもん。とにかくな、ボクはジローのパワーを目のあたりに見たんや。ホンマにスゴかったで。あの、バケモノみたいに強いゾンの肉体を、ジローのメグマがひと飲みで飲み込んでしまったんや。ジローの手にかかったら、ゾンなんて食虫植物に出くわした芋《いも》虫《むし》みたいなもんや。何度でも言わせてもらうで、ジロー、君はスゴイわ。ジローさえおったらこの世を、ホンマにホンマにグッチャグッチャにできるんやで。どやジロー、ボクと組まへんか?」
だがそう言って僕を誘う中間の言い方には、以前程の迫力はなかった。
緑色の水面に映る中間の表情は明らかにやつれて、さえなかった。
「ほんとのこと言えよ中間さん」
「ほんとのことって何や?」
「ホンマのことだよ」
「だから何やねん」
「ゾンと僕を闘わせたことだよ。今になって悔やんでいるんじゃないのか?」
中間は何も言わなかった。何も言わず水面を見つめていた。
「あんたの言う通り、僕がゾン以上のパワーを持っていたとしても、結局あんたに必要なのはゾンなんだよ」
「そんなことなんでわかるんや」
「わかるよ、そんなこと」
「そうか、そらわかるやろな……」
落ち着かない時の彼のくせで、タバコをくわえたが、あいにくライターをどこかへ落としてしまったらしく、チッと舌打ちしてタバコを池にほうり投げた。
「今でもよく夢に見るんや」
「何?」
「夢や、嫌な夢や。徹夜続きで、ふっと眠ってしまった時なんかに必ず見るんや。A教での自分BOXライヴの夢や。ボクはレスポールを持っとる。ガラス板で弦をムチャクチャにひっかいとる。ダイレクトにつなげたマーシャルの音はフルボリュームでハウリングしまくりや。夢やから音が目に見えるんや、それは花や、血ィより一直線の赤い花なんや。ジロー、知っとるか? この世は色と光と音のためにある。その全てを持っとるのが花なんや。その花はボクのマーシャルから無数に飛び立って空に舞い狂う。ひらひらと踊りながらA教の信者数万人の上に静かに落ちていくんや。花に触れたとたんに信者は死ぬ、確実に死ぬ。年寄りも若いのも、扶養家族がいようと永遠の愛を誓い合った恋人同士であろうと、あまねく全ての人間はボクのマーシャルから飛び散った赤い花に触れて死んでゆくんや。夢とはいえホンマに痛快この上ない話や。アンタも死ね。ホラ君も死ね、オラオラ、ギターを弾いてやるからはよ楽になれや!
遠く遠く地平線の彼方までA教信者はぎっしりつまっとる。無数の黒い頭が、海辺に棲《す》むわけのわからん生き物みたいにうごめいとる。その上から赤い花の、色と光と音の集合体である赤い花の雨を降らしてやるんや、ボクのギターでみんな死んでゆくんやで、本来ロックンロールとはこうあるべきなんやなぁ。ジロちゃん。
ふと横を見ると、マイクスタンドを前にして立ちすくむゾンがいる。しょぽくれた顔や。『どうしたゾン〓 見てみい、これがロックや! シェケナベイベーや! キーポン・ロッキンロールや、ワハハハハハハ!』
ボクが叫んでもゾンはボケッと突っ立っとるだけや。
『ゾン! ゾン! どないしたんやゾン! はよあいつらに向かっていつもみたく狂い咲いてくれよ、いつもどおりパッと咲いてラフレシアみたいにエログロナンセンスなおまえ見せてくれんとあかんでぇ、ワハハハハ』
するとゾンは、あの時とまったく同じ要領で、ゆっくりとふところから、陽の光を受けキラキラと輝く火炎瓶を取り出すんや。呆《あつ》気《け》にとられているボクの隣でゾンは、火のついたそれを、ひとかたまりになって巨大なウニみたいにみえる信者の群れに、ほうり投げようとするんや。パッと気付いたボクは、許しをこう小悪党みたいに両手を差し出し大声で叫んでしまう。
『ゾン、よせ!』ってな」
そこまで一気に語ると中間は、さっきのことを忘れたのか再びタバコを口にくわえた。
「ああ……火ィないんか、ま、ええわ」
「中間さん、その夢のどこがそんなに謙でたまらないのか、僕にはわからないよ」
「あいかわらずジローはアホやな、けどもっとアホなんはボクや、ボクはアホ中のアホや、なんでボクは夢の中でまでゾンがしようとしたことを止めてしまったんやろうな」
「火炎瓶を投げたこと?」
「せや……そのことや……ボクは、前も話したように、ボクのオヤジがオフクロに刺し殺されて以来、この世を見限った。このくだらん世界のなかでまっとうに生きることをやめた。そうした時からボクは一人ぼっちになったんや、つらいでぇ、一人っちゅうのは、自分で村八分の人生を選んだのはええけどな、その元気がみなぎっとってもそれでもやはり一人ぼっちは、なんというかその、つまりさみしいんや……そんな時ゾンに会ったんや、地獄で仏ならぬバケモノを見出したんや、こいつとならやれる、こいつとつるめば、この世界を表と裏さかさまにしてやれると思ってなあ。それでボクはゾンに近づいて、つまりどうしたかというと……つまり……」
中間はガリガリと爪を立て頭をかきながら、照れた笑いを浮かべて言った。
「つまりボクはゾンを自分の色に染めようとしたんや」
言ってからおかしくなったのか、しばらくイヒヒヒと笑った。
「ヒヒヒ、つまりそういうことや。ボクの色にゾンを染めようとしたはいいが、あいつはそんなやわなオンナ……ちゃうわ、やわなオトコやなかったってわけや。たかだかボクは、自分BOXのロックでこの世をつぶすなんてほざいて、まるで中学生のガキみたいなことを言っとったアホやったのに、ゾンはいつのまにか右手に火炎瓶を持ち出してきたわけや。
あの時、ボクがタックルせんかったら、あの後どうなっとったやろうなぁ、夢を見るたびにそれが悔やまれるんや。
ジロー、前に言ったやろ、あいつは蛾《が》になろうとしてなりきれんで、醜く地面を這《は》いつくばるだけの芋《いも》虫《むし》やってな。
あの時、あいつが火炎瓶を思いっ切りほうり投げとったら、あいつは蛾になることができたんや……蛾になって、この世の全てを……」
「グッチャグッチャにしてやれたはずなんだろ?」
「せや、それや、ジローちゃん最近あげ足とり上《う》手《ま》くなったなあ。ハハ、やな奴《やつ》になったわ……」
あきらめきれないのか中間は、まだしきりにライターを探している。
「あかん……ないわ。タバコがないとボクは生きたここちがしないんや」
「ゴメン、持ってない」
「ああ、いいよ……えと、何だっけ?」
「ゾンのこと」
「ああせや、ゾンや、あいつがメグマ術師になって帰った時の驚き、ジロちゃんわかる?」
「うれしそうにも見えた」
「うれしそうか……ええ言葉やな」
「中間さん」
「何や?」
「どうしてすぐゾンと組もうとしなかったんだ? どうせオモイデなんてメグマの力を得るために入ったんだろ、だったらどうしてゾンが帰って来た時すぐに奴と組まなかったんだよ」
「何でやろねえ……メグマという、自分を解放する手段を知ったあいつの、ホンマの力を見てみたかったんやろうな」
「…………」
「自分BOXをやっていたころは、ゾンもボクも、まだ世をすねたただのガキやった。それが一緒にライヴを重ねているうちに、ゾンだけが加速度的に、どんどんと頂上へ向かって走り始めてしまったんや。
ゾンが火炎瓶を手にした時、その差はどうしようもないくらいに開いてしまった。『はよ蛾になってこの世を燃やし尽してくれ』なんて口ではいいながら、実際にあいつがその高みに登り始めると、ボクは恐《おそ》ろしくなって、あわててそれを止めようとしたんや」
「恐ろしくなってって、何が?」
「ゾンに置いてかれるのが怖くてしかたなかったんやろな。
あんなぁジロちゃん、友達でも恋人でもなんでもそうやけど、同じスピードで歩いていかんと人と人は続かんもんなのよ。
ボクはゾンが消えてからオモイデに入信した。それはズバリ誘流メグマ祈呪術を修得するためや。レスポールを捨てメグマを得ることで、ボクはゾンにつけられてしまった距離を縮めようと思ったわけや」
中間は水面をのぞきこんだ。陽《ひ》はもうすでに沈み、水面には彼の影は映らなかった。
「ジロー、笑うなよ」
中間は何も映らない水面を見つめながらもう一度だけ「ホンマに笑うなよ」と言った。
「メグマの力を得て、口先だけじゃなくホンマに人を狂わせられる人間になっておいたら、つまりゾンと同レヴェルの人間になっておったら、もしまたゾンと出会うことになっても、今度こそもっともっと長く、二人で、この世をグッチャグッチャのベッチャベッチャの修羅場にするために、生きていけると思ったんや」
中間はボソリと、
「ボクってホンマ純情なんやなあ」
などと言った。
「ところがや、ゾンの奴、戻ってきたらまたボクより一枚も二枚も上手になってるやないか、またボクは置いてけぼりや、そう思ったら何ともいえん気持ちになってなあ、いったいどんだけの差をつけられたもんか、試してみようと思ったんや」
こともなげにそう言った。
「そのために柳を殺してまで、僕とゾンを闘わせようとしたのか? ゾンの力を試すために?」
「せや、その通りや、ゾンのいない間に、ボクはジローに会って、もしかしたらこの少年がゾンのかわりになってくれるかもしれんとも思った」
「…………」
「けどやっぱりあかんかった。ジローはジロー、ゾンはゾンや、ゾンが君のメグマの前に敗れ、自分の目ン玉くりぬいて出ていくまで、ボクはそのことに気付かなかったんや。笑うなよジロちゃん、笑ったらあかんでぇジロちゃん、結局ボクは、どうやらゾンやないとあかんみたいや」
笑うなよと自分で言いながら中間は、クククッと声を噛《か》み殺して笑った。
そして顔を上げまだニヤニヤとしながら、別にもうそんなことどうでもいいのだけれどといった投げやりな口調で、
「なあ、もう一度だけ聞くわ、ボクと組まへんか?」と言った。
ボクがただ首を左右に小さく振ると中間は、
「せやろな、そらそうやろな」
と、一人ウンウンとうなずいた。
「もうボクは、何かどうでもよくなってしもたよ。オモイデのこともメグマのこともジローのことも、グッチャグッチャのベッチャベッチャにしてやるはずだったこの世界のことも、今はなんだかなあって感じやわ。引っぱり出してきた中学校の記念アルバムをぼんやりながめて、どうしても二、三人名前を思い出せないでいるような、そんなしょげた気分や」
「これからどうする気?」
「知らん、とりあえず君はメグマ術師になったんや、ボクと組まんのやったら君がその力をどう使おうとこの先まったく勝手や」
僕の体の中にメグマの力がある。自分の中の何か得体の知れない抑圧されたものが、今ではメグマという力となって僕の中にある。
この力があれば、僕は高く遠いところへ自分をほうり投げることができるのだ。
その思いはしかし、僕をとき放ちはしなかった。中間のように、この世界をいつか腐ったトマトのようにしてしまおうという思いも僕の中には確かにあったが、それとメグマとは何《な》故《ぜ》かしら重ならずに別々の物として存在していた。お互いに毒々しいまでの色を持ちながら、二色は混じり合おうとせず、同じ流れの中にあっても、絶えずだんだらの渦を巻いて、やがて離れていってしまう。そんな気がした。
「いきなりそんな力を持って困っとるやろう?」
「本当に僕はメグマを得たんだろうか」
「確かや、ゾンを狂わせた時の自分の心の動きを覚えとるか?」
「〓“気付く〓”ことだろ」
「それや、そしてジローは〓“気付いた〓”わけや、自転車と同じや、乗れてしまうと、何でこんなことに気付かなかったんだろうと思う。そして一度乗れるようになったらその感覚は一生離れることはない、メグマは一生ジローと共にあるやろな」
「実感がないよ」
「今はそんなのん気にいうとるけどな、いずれ嫌でも自らメグマを使う日が来るよ、ジロちゃん」
またしても中間はタバコを口にくわえ、ライターのないことに気付き、ケッと言いながらタバコを池に捨てた。
「『桜の光』もいつか君の存在に気付くやろ、トー・コンエにしても今は隠れとるが、この先どうでてくるかわからんしな」
「中間さんはこれからどうする気なんだよ」
「せやからボクはもうどうでもええんや、疲れてしまったわ……あの人……トー・コンエやないけど、ちょっと遠くへトンズラしようと思っとる。『桜の光』にとってもボクはやっかいな人物やからね。たぶんゾンを殺ったのはボクとなつみの仕業だとやつらは思っとるはずや、あいつらから逃げる意味も含めてな、ちょっと脱走しようと思っとる」
それから僕たちは、その小さな池の周りを二周程歩いた。
中間は歩きながら、自分の持っていたレスポールがいかにオールドとして価値のあるものであるかということを得々と僕に語った。
「でも人にあげてもうたわ。ああ、ジロちゃんにあげればよかったなあ」
「でも僕はギターなんか弾けないよ」
「何言うとる! 世界一のメグマ術師やないか」
とわけのわからないことを言って、中間はいつものように、顔をクシャクシャにしていつまでも笑った。
笑いすぎてせき込み、中間はゼーゼーと息を荒げた。
「グホッ、どうも調子悪いな、それはそうとボクもう行くよ」
「ああ」
「今度ジロちゃんと会う時は、多分君は何かとてつもない人間になっとるような気がするわ、心の中のバケモノを発露する手段を、メグマ以外にも見つけとるやろう。そしてボクはまた、ゾンだけやなくジローにも差をつけられるわけやな。ハハハ」
ふと立ち止まり、右手を差し出した。
「こんな夜の公園で男同士握手するのも変な光景やけどな。お別れや、ハハ、握手しようやジロー」
僕が手を握ると、中間は力をこめるでもなく、すぐに手を引っこめた。そしてもう一度、「お別れやな」
と言った。
僕はこの風貌から性格まで全てデタラメな、しかもヒトゴロシのこの男に、不思議な親しみを感じていた。僕が初めて自分の中に読み取った感覚であり、簡単に言えば、それはいわゆる「友情」といったものであったのかもしれない。僕が無言でいると、中間は池の方に顔を向けた。
「小さくて小汚い水たまりやなあ、こんなところにいたら気が滅入ってくるわ。この池はまるでボクの心や、そうやボクの心はこんな小さな池にすぎんのや」
そしてまた、忘れたのかタバコを口にくわえ、ライターのないことに気づくと、人なつっこく笑って中間は僕に言った。
「しかもこの池にはもう、ボクのタバコに火をつけるものさえおらんのやからな」
数カ月が過ぎた。
中間は本当にそれから姿を消してしまった。
マスコミはなんとかして、中間やトー・コンエ、そしてなつみさんを探し出そうとしていたが、行方はまったくわからなかった。
新興宗教オモイデ教は、自然消滅的に解散してしまった。
そのことを僕は自分の部屋で、深夜のラジオ番組によって知った。
軽薄なミュージシャン崩れのディスクジョッキーが、フリートークのネタとしてその事実を教えてくれた。
全てが夢のように終わったのだ。
あの数週間の、ジェットコースターに乗せられたような日々が終わったのだ。
何の感動もなかった。
誘流メグマ祈呪術が僕の中にあるのかどうかも、もうどうでもいいことのように思われた。
学校にも、数週間行っていなかった。
最後に登校した日、教室の椅《い》子《す》に座り、同年代の人間達と、教師の会話を、僕はひとつももらすまいと聞いた。
何ひとつ頭に入らなかった。言葉のひとつひとつが、僕にたどりつく直前に意味をなさなくなり、ポロポロとこぼれていくのを、ただ僕は無感動にながめていたのだ。
六時間目の途中に、教師が黒板に向かって説明を書き始めたスキを見て、後ろのドアから出ていこうとした僕に、今まで一度も口をきいたことのない女生徒が、「いったいどこへ行くの?」と、ちょっと怒った顔で聞いた。「いや、すぐ帰って来る」と答えたぼくは、それから今まで座席に戻ってはいない。
自分の部屋の、天井にはりついた虫みたいなしみを、一日中みつめる日々が過ぎた。
じっとみつめていると、その虫は微妙に動いているように見えた。眼球を右に寄せれば右に、左に寄せればそちらの方に、かすかに身を震わせているように見えた。僕は一日の大半を、視線でその虫を追うことに費やしていた。
天井の虫を追いかけていると、雨の音が聞こえた。
一定の音量で降り続ける雨の音を、僕はラジオを消し、耳をそばだてて聞いていた。
目をつぶると雨の心地よい金属的な音が僕を包みこむ。
雨の音の中に、赤く細い糸のように、異なる響きがあった。
はっきりとした音としてではなく、直接、脳にしびれた感覚を伝えてくるその響きこそ、忘れることのできない、まさにメグマに他ならなかった。
メグマの力を持つ者がこの近くにいる。
「『桜の光』も、やがてジローの存在に気付くやろなぁ」
中間の言葉がよみがえる。
僕はあわてて起き上がり、その力を放つ者の姿を見ようと、サッシを少しだけ開け、すき間に顔を近づけた。
雨の中に、濡《ぬ》れながらなつみさんが立っていた。
第6章 トー・コンエとなつみさん
「八尾君、降りてきてよ」
と、なつみさんは言った。
雨の中で、少しいらだった様子の彼女は、
「八尾君、降りてきなさいよ」
と繰り返した。
そっと家を脱け出し、彼女に歩み寄った。
彼女の濡《ぬ》れた髪の何本かが頬《ほお》にへばりつき、その先端は色を失った唇の端にかろうじてひっかかっていた。寒さのせいか、小刻みに肩が震えている。
ビニールの傘を手渡すと、彼女はそれを不思議そうに見つめた。
「さしたら……傘……」
彼女は「あ」と小声でつぶやき、ゆっくりと傘を開いた。
「今気付いたわ!」
「何を?」
「傘をね……傘を持ってないって、今気付いた」
ぼんやりと足元を流れていく雨水を見つめ、彼女が笑った。
濡れたシャツが胸元に密着し、かすかな胸の隆起や、鎖骨の線をくっきりと際立たせている。
「ああ、ゴメン、タオルとかあればよかったかな」
「別に、いらない。それより、来て」
「どこへ?」
僕が尋ねるより早く、彼女は歩き出していた。右の足を、少し引きずるようにして、大通りの方向へ歩いて行こうとする。
チラリと振り返りながら彼女は僕に言った。
「八尾君、トー様に会ってあげて!」
タクシーのヘッドライトが彼女の顔を真っ白に照らし出した。なつみさんは傘を持たない方の腕を高く差し出し車を止めた。
タクシーのシートに深々ともたれ、なつみさんは遠ざかる風景をながめていた。
赤や青や緑の、きらびやかな輝きがふいに現れ、すごい速さで後方に飛びすぎる様子を、あきもせず眺めている。放心しているのかと思うと、時々運転手に方向を指示したりもするのだが、またすぐに車窓に額を当て、流れてゆく光のラインを目で追っていた。
車は渋滞にもはまらず、雨の中を彼女の告げた千葉方面へ向かって疾走していた。
窓の外を見つめたまま、なつみさんが「ごめんね」と言った。
「……なんかあたし八尾君を引っぱりまわしてるね。オモイデに誘ったことといい、今度のことといい、迷惑ばっかりかけている」
なんと答えていいものかまったく思いつかず、僕が黙っていると、彼女は初めてこちらに顔を向けて、
「人がいいよね、八尾君って」
と言った。
そんなことを言われても腹さえ立たず、「それよりトー・コンエはどうしているんだ?」と僕は聞いた。
「おびえているわ」
「桜の光が報復に来ることを?」
「うん」
「君はどう思ってる、怖い?」
「あたしは……それよりもトー様のことが心配で。自分でも不思議、自分以外の人間をこんなにまで思ったことってなかったから」
「今までどうしてたんだよ」
「逃げてた……あの日あたしは羽田に行ったの。待ち合いロビーで何も知らないトー様は『何だなつみ君、わざわざ出迎えに来てくれたのかい?』なんてうれしそうにしてたわ。でもすぐにわたしの顔色が普通じゃないことに気付いて……事情を説明するとトー様は、今まで見たこともない程に取り乱して、私の手を強く握りながら『なつみ、逃げよう』と言ったのよ」
「うれしかっただろう」
言ってしまってから、自分の言葉に唖《あ》然《ぜん》として、僕は思わず彼女から目をそらせてしまった。なつみさんは別に気にした様子もなく、こくりとうなずいて「うん、うれしかった」と子供みたいにつぶやいた。
「それでね、そのまま列車に飛び乗ってわたし達、南の方へ行ったの。なんという地名かは知らない。さびれた街を過ぎ、車を降りて歩いてゆくと山道になって、膝丈程の雑草が生い茂った道を三十分も登って山の頂に出た。右手に荒い波が続く海が見えた。そこでトー様は唄《うた》をうたってくれたわ。海までも響くようなバリトンの唄声に、わたしはしばらく聴きいった。それからまた山道を下っていくと、奇妙な山小屋があったの。屋根といわず壁といわず、びっしりと墨文字で何かが書かれている。よく見ると『精神電波の侵入を禁ずる』『俺《おれ》の脳に直接話しかけるのはいけない』そんな得体の知れない言葉が、虫のはったようなヘタな字で書き込んであったのよ」
「精神電波……メグマのことかな」
「ええ……それでわたしは気味が悪いんでトー様の後ろにひっついていたんだけど、トー様はいきなり小屋のドアをノックもせずに開き、『いるのかラオジ!』と叫んだのよ。小屋の中は昼だというのに真っ暗で、何か床の上で黒い物がモゾモゾ動いていたかと思うと、そいつが立ちあがり、わたし達に向かってゆっくり近づいてきた。
差し込む光に照らし出された彼の顔には、墨文字がびっしりと書き込まれていたわ。
『ラオジ久しぶりだな』とトー様が男の肩をたたいた。ラオジと呼ばれた男は、肌着一枚の醜く太った大男で、まだ年は若そうなのに頭髪がほとんどなく、『精神電波ユルスマジ』なんて、鏡を見て書いたのか、左右逆の字が書いてある顔に頭の悪そうな薄笑いを浮かべて『トー様、お久しぶりでありまする』と言ったわ」
「いったいそいつは……」
「どうやら以前にオモイデの信者だったらしいの。トー様に後で聞いた話によると、メグマ習得のために行を積んでいる途中で、発狂してしまった人なのよ。メグマ術の恐《おそ》ろしさを学んでいくうちに、その恐ろしさに耐えられなくなってしまったのよ。『電波が襲う、ラジオで俺をバカにしている』なんて騒ぎ出して、それでオモイデを離れ、その山で一人廃人生活を送っている人なの」
「すごい隠れ家を見つけたもんだなあ」
「ついおとといまでそこにいたの。ラオジはやさしい男で、何かと世話を焼いてくれた。食事まで作ってくれて、お礼だよと言ってトー様はラオジに唄を聴かせてあげるの。ラオジはそうすると涙を滝のように流しながら『うれしいうれしいうれしいうれしい』って繰り返しながら、土下座をして手を合わせて、額をトー様の膝《ひざ》に押しあてて、バカみたいに喜ぶのよ。
トー様もわたしも、ここなら安心だと思っていたわ。昼のうちは二人で海を見に行ってただぼんやりと波の行方を追って、それで半日が終わるの。日が暮れたらラオジの作った乏しいけれど意外にいける料理を食べて、お礼にトー様がオペラを唄って、ラオジが泣いて……。
こんなことを言ってはいけないかもしれないけど……楽しかった。生まれてからこんなに楽しい日々は無かったな。でも長くは続かなかったのよ」
なつみさんの髪はまだ濡《ぬ》れていた。かき上げようとする彼女の指に、まるで生き物のようにそれはからみついた。
「そこもどうやら桜の光に見つかってしまったようなの。あいつら汚い! まずラオジをやったのよ。ある朝起きると……ラオジはいつも料理を作ってくれる時に使う包丁でお腹を十文字に切り裂いていた。それでもまだ息の残っていたラオジは、『トー様、電波来た、電波来た、怖いです』と言いながら死んでいったのよ」
なつみさんは嘔《は》き捨てるようにそう言うと、鼻のあたりを手で押さえ、横を向き額を窓ガラスに押しあて、また黙りこんでしまった。
車は人気のない道で止まった。左《ひだり》脇《わき》には荒れた土地が広がり、ビル建設予定と書かれた掲示板が雑草の中に傾いて立っている。荒地の向こう、闇《やみ》の奥に、うすぼんやりとした灯が見えた。
「あそこにトー様がいるの、あたしと八尾君をずっと待ってるわ」
有刺鉄線をかいくぐり、荒地に足を踏みいれた。雨を吸い軟らかくなった土に足を取られながらトー・コンエの待つところへ二人は向かった。途中、何度かなつみさんは転びそうになり、その度に僕は彼女を支えなければならなかった。自分にいら立ったのか、なつみさんはビニール傘をポンと投げ捨てた。
百メートル程歩いたところにプレハブ小屋があった。安っぽい、いかにもな作りの小屋だ。一時は教祖とまで言われた男の隠れ家にしては、あまりに貧相であった。
なつみさんはドアを小さくたたき「あたしです」と言った。
鍵《かぎ》を開ける音がして、やがて扉が静かに開いたが、誰も姿を現しはしなかった。「八尾君入ろう」なつみさんの後ろについて小屋に入った。
天井からぶら下がった、あまりワット数の高くないらしい電球があたりを赤っぽく染めていた。なつみさんがかたづけたのだろう、逃亡の果てにしては室内は整理されていた。部屋の隅に二組の布団がたたまれ、小さなテーブルには1リットルサイズのウーロン茶ボトルが置かれていた。
トー・コンエは背中を向けて、部屋の中央に正座していた。
「帰りました。八尾君も来てくれました」
なつみさんの言葉に、トー・コンエは静かに振り向いた。
オモイデ教事務所にある肖像画より数段劣る、さえない中年男がそこにいた。
それは窮地に追い込まれた疲れからとは見えなかった。輪郭のハッキリとしない幼い顔である。目の下には好色そうなたるみが浮かび、厚い唇は軟体動物を思わせるいやらしさがあり、後ろになでつけた髪は油でもつけているのかテカテカと光っている。全体にじっとりと湿った、赤ん坊がそのまま大きくなったような、そんな印象を僕は受けていた。
これが本当になつみさんの愛する男なのか、キツネにつままれたような思いで見ていると、トー・コンエは正座は崩さずに体ごとこちらを向き、なつみさんに「おかえり」と言った。僕を見て「こんにちは……あ、いや今晩は」と頭を下げた。
「トー様、八尾君も一応は信者よ。そんな頭を下げないでよ」
なつみさんに言われてトー・コンエは頭をポリポリと掻《か》き、「あ、ああそうだったな」と言った。
まるでしかられた子供みたいなしぐさだった。
僕はトー・コンエの正面に座った。なつみさんは彼の横に、寄りそうように腰を降ろした。
「すまんがなつみ、八尾君と二人で話をしたいんだ。少し席をはずして欲しい。裏にもう一棟プレハブがあるだろう、そこへ行っていてくれないか」
トー・コンエがそう言うと、なつみさんは一瞬何か言おうとしたが、結局は「うん」とうなずき小屋を出ていった。
裸電球の灯りに照らされ、長い影を背負いながら、僕とトー・コンエは向かい合った。
見れば見るほど、彼には威厳というものがなかった。こんな男を、信者達、そして何よりなつみさんは、何《な》故《ぜ》あれ程までにカリスマとして敬っていたのだろうか。
「……意外にちんけな奴《やつ》だと思ってるでしょ?」
ふいにトー・コンエが言った。心を読んだのか?
「フフフ、そんな不思議そうな顔をしないで下さい、別に読心術を使ったわけじゃない。私が使えるのはメグマだけですよ」
トー・コンエは笑みを浮かべながら「そう、私はどうせメグマだけの男なんスよ」と独り言のようにつぶやいた。
「こんな力を持っちまったばっかりに、とんだことになっちまった」
自《じ》嘲《ちよう》ぎみに言って、チッと舌打ちをした。
「何故、僕を呼んだんですか?」
「メグマだよメグマ、君、相当の使い手なんだってね」
「……さあ」
「君を雇いたいんだよ。知ってると思うが私と彼女は危険な状態にある、そして私の育てたメグマ師達はもういない。残ってるのは君だけなんだよ。頼むよ! 助けてくれよ!」
この男は一体何なのだ? メグマ術師達は、これから死ぬかもしれないという時に、彼の名を、心を込めて連呼していた。なつみさんなどは涙まで流して……しかし、今、目の前にいるこの小柄な男からは、小心そうな、小悪党のようなイメージ以外まったく僕には感じとれないのだ。
「あんたは、いったいどんな人なんですか?」
「え? ああ……やっぱり驚いてるんだろう。皆の言う話と実際の私があんまり違うんで」
「ええ」
「私が、私が一体どんな人間かって? そんなもんこっちが聞きたいよ!」
彼の自嘲気味な言葉の端々に人をいらだたせる響きがあった。ムッとしている僕に気づいたトー・コンエは「聞きたいなら教えるよ」と言ってから語り始めた。
「私は本当言うとね、宗教家でもなんでもない、ただの山師だ。でなけりゃゴロツキだったんだよ。それがある日ね、上野の不忍池を散歩している時だ、いきなり、いきなりだよ、ガツーンと衝撃が全身を走ったんだ。その感覚っていうのは口じゃ説明できないけどな、ま、〓“力〓”を感じたってやつかな。よくあるだろう、普通に生活してた主婦がある日突然神がかりになっちまったなんてのが。まさにあれだよ、理屈じゃない。ともかく〓“力〓”を感じて次の瞬間にはもう、私は空中にある、人を狂わせる波を操作できる自分の存在に気がついたんだ。それからだよ。私の人生がおかしくなりだしたのは」
逃亡の中にあっても、トー・コンエは高そうな背広を着ていた。趣味の悪い派手なその服は、薄汚れ皺《しわ》だらけだった。両の袖《そで》をひじまでまくり上げ、むき出しになった腕には金色に光る、やけに文字盤の大きなディズニーの時計がはめられていた。
トー・コンエは正座を崩しあぐらをかいた。そして、ディズニーの時計をはめた右手でポンポンと膝《ひざ》をたたく。それはくせなのか、落ち着かない性格を表すその動作を、彼は止めようとしなかった。
「さてこの力を……仮にメグマと名付けたこの力を何に使おうかと思ってね、いろいろと考えたよ。取りあえず、三人程発狂させてやった。なあに、そのころ勤めていた小さな会社の、いけすかない連中をちょいとやっただけのことさ、いわばデモンストレーションみたいなもんですよ。
メグマでね、金を得ることも考えたよ。そりゃ人間金が欲しいかっていったら欲しいですよ。でもね、それは二の次。それより私は子供のころからの夢を現実のものにしようとしたんだ」
「夢?」
「いや妄想といった方がいいかもしれない。私には子供の頃から夢想癖があってね、体の弱かった私は、外で遊ぶこともなく暗い部屋に閉じこもって、じっと空想にふけるのが無上の喜びだったんだ。私の父はそれなりの権威を持つ男でね、ずる賢い男だった。幾度も妻を替えてね、家には毎日いろんな種類の人間達が出入りしていた。どいつもこいつも得体の知れない小悪党だったよ。私は父やそいつら皆を拒絶して妄想のなかに逃げ込んだんだ。思うことはいつも同じだったよ、この世の人間をまず振りわけるんだ。鳥をオスメスで分けるみたいに、要る人間、要らない人間に分けてゆくんだよ。そうすると結局、要る人間は数百人に満たないんだ。そして選ばれた者達と私は船に乗るんだ。クリスマスツリーのように輝く巨大な客船だよ。船はゆるやかに波間を切って進んで行くんだ。夢想の中で私はオペラ歌手になっている。タキシードにちょこんと蝶《ちよう》ネクタイをして、まるでアメリカン・コミックに出てくるキャラクターみたいにステッキまで持って、アヒルのようにヒョコヒョコと船内を歩きまわるんだ。私に会うと人々は笑いながら『ご機嫌よう』と声をかけてくる。そして満月の天空高く昇る夜にはパーティーを催すんだ。数百人の中には玉乗りや、ナイフ投げなんかのできる奴もいる。腹話術師だっている。私が壇上で〓“乾杯〓”をしたあと、みんなは白々と夜が明けるまで大いに飲み、歌い、選ばれた者の喜びを満喫するんだ」
夢想を語るトー・コンエの瞳《ひとみ》は興奮に潤み、その童顔は一層子供じみて見えた。あざのつきそうな程強く膝をたたきながら、彼はさらに声を大きくして語った。
「船は長いこと航海した後、とある島に流れ着くんだ。その島で私達は町をつくる、小さな町だ。見世物小屋のテントを中心に街をつくる。私を中心とした、私を傷つける者のいない理想の街だ。私を嫌う者のいない素敵な街なんだよ。
……幼い頃、その街を思う時だけが私にとって唯一生きている時間だったんだ。やがて歳をとり、少年期を過ぎ、大人《おとな》といわれる人間になってからも、その町の幻影は私から離れることがなかった。それどころか、町の道から道、そこに住む者達の性格までが、ハッキリとした映像となって私の心に刻まれ始めたのだ。歳を重ねるにつれて、私の現実に対する嫌悪感もまたふくれ上がっていった。私はこの世を経験する前に、それをわかったような気になって、そして失望してしまっていた。日がな一日、あてどもなくうろつき、あの町の人々と頭の中で会話して、頭の中でパーティーを開くことで、何とかその日その日を生きていく人間になっていたんだ。
私を嫌う者のいない、傷つける者のいない町。
メグマの力を得た時、私はそれが夢に終わらないかもしれないと思ったんだ」
「それでオモイデを?」
「そうだ、要る人間を私の元に集わせたかったんだよ。そのために一番手っとり早い方法が宗教だったんだよ」
「……だけどわからない、僕はあんたに何の魅力も感じない、それなのに何であれだけの人々があんなにもあんたを信じたのか」
「それはねぇ……」
幼児のような中年男トー・コンエは、秘密を打ちあける時に子供達が見せる嫌らしい笑いを浮かべ、「それは僕の唄《うた》を聴いてもらえばわかる」と言った。深く息を吸い、彼は唄い出した。
誰も詩など聞いてないし
この世界が皆、作りものなら
青い月夜に緑の色の
マストを広げて旅に出ようか
パノラマ島へ帰ろう
確かにその唄声はバリトンの響きであったが、なつみさんのいうような感動的なシロモノからは程遠かった。ひしゃげたその声は、聴く者の力を吸い取るようなひどい声だった。
「どうだい、聴いていて嫌な気持ちになる声だろ?」
「上《う》手《ま》くはないと思う」
「ところがオモイデに入信すると、麻薬のようにウットリできる声に聴こえてしまうんだよ。私が昔、歌手だったなんてウソッパチも信じられてしまうようになるんだ」
トー・コンエは意味ありげに僕を見た。すぐに僕はその言葉の意味を理解することができた。
「メグマを使うんだろ?」
「ほお、よく解ったね。その通りだ。私は今まで会ってきた全ての人間を、要る人間要らない人間にわけてきた。だが歳をとるにつれ、要る人間というのは皆無に等しい状態となったんだよ。今までは『要る』の集合に合った者も、言葉を交すうちに不要な汚物になり下がっていった。
結局、あまねく全ての人間は不要だという念に私はとらわれたんだ。
そこで私は発想をガラリと変えてみたんだ。つまり要る要らないを選ぶのではなく、オモイデに近づいた者達の中から数人を選び、微弱なメグマをかけることによって、私好みの人間を創ってしまおうと思ったんだよ。私のこのヘタクソな唄《うた》声《ごえ》を、美しいと感じる人間を、メグマの力でつくり出そうと決めたんだ」
「オモイデの、あんたを尊敬する人達はあんたのメグマで、つまり洗脳されていたわけなんだな。柳や栗本や、死んでいったメグマ術師達も……」
「そうだよ」
トー・コンエがうなずいた。この、赤子がそのまま成長したような男は、人一倍の孤独感を持っている。その心の穴を埋めるために、彼はメグマを、ひどくひどくゆがんだ形で使用しているのだ。
「メグマの力を使って、私を傷つけることのない、愛だけで私を見る者達が生まれたんだ」
うっとりとトー・コンエは言った。
「中間さんも洗脳されていたのか?」
「中間……」
その名を口にした時、トー・コンエは懐かしそうな表情を見せた。
「いや……中間にはメグマをかけなかった」
「なぜ」
「――彼は――『私を愛するメグマ』もかけていないのに、私のこのヘタクソな唄を唯一人ほめてくれたんだよ。彼が初めてオモイデ事務所に来た時だ、あいにく私以外いなかった。いきなり入ってきた中間に気づかず、私は一人でオペラを唄っていた。物音に振り向くと中間がいた、私はひどく動揺してしまった。私は何よりも唄うことを愛していたのだが、聴いた通りのひどい声でね、子供の頃そのことで母にしかられたことがある。私はメグマをかけた者以外の前では決して唄わぬことに決めていたのだよ。それを見られてしまった。『嫌な唄だろう?』と中間に尋ねたんだ。するとあいつはニヤリと笑いながら『ええんとちゃいます、僕は耳ざわりな唄は大好きや、人を嫌な気分にさせるっちゅうのは、そんだけで存在感のある唄なんやないですか』と言ったんだ」
中間さんの言いそうなことだな、と僕は思った。中間の顔がとても懐かしく思い出された。
「そんな言葉を聞いたのは初めてだった。私はなんだか彼を気に入ってしまってね、彼には……メグマをかけなかった。もしかしたらこの男なら、メグマをかけずとも私を解ってくれるのではと思ったのだよ。しかし皮肉なもので、結局あいつがオモイデ崩壊を招いたようなものだからな……失敗したよ、あいつも私にとって要らない人間だったんだ」
トー・コンエはこの時、自分を納得させようと強くうなずき、また膝《ひざ》をポンポンとたたいた。
「彼女には……なつみさんにはメグマをかけているのか?」
自分で声が震えているのが解った。トー・コンエは薄ら笑いを浮かべながら首を左右に振った。
「いや、かけていない。彼女はメグマなしで私を愛してくれる唯一人の人間だ」
雨に濡《ぬ》れながら立ちつくすなつみさんの映像がふっと思い出された。
黙ってしまった僕に、トー・コンエはまたすがるような表情を見せて言った。
「それはそうと君、助けてくれよ! 頼むよ、桜の光に対するには、君のようなメグマ師が必要なんだよ」
「あんたを助けて何の意味が僕にある!」
怒鳴りつけていた。その勢いに自分で驚いた。僕はどうやら怒っているらしい。それがどういう理由かは、自分で解りたくはなかった。
「私を助けるということは、つまりなつみを助けるということなんだぞ!」
「断る、僕はあんたが嫌いだ」
その言葉に、彼の表情がサッと青白くなった。ヒステリックな怒りが充血した目に一気に燃え上がった。
「嫌ったな! オレを嫌ったな! お前もか! お前も嫌うのか!」
両の拳《こぶし》をガンガンと自分の膝《ひざ》にたたきつけて彼は怒鳴りちちす。その様子はまるでイヤイヤをする子供そのものだった。
「いいのか! オレが桜の光にやられたら、なつみもやられちまうんだぞ。お前あの女のことを好きなんだろ。なつみが言ってたぞ、八尾君あたしのこと好きだから、きっと言う通りにしてくれるわってなぁ!」
自分の中で何かが崩れていくような音を聞いた。それと同時に、メグマの力が僕の周りに、すごい勢いで集結するのを感じた。
トー・コンエが怯《おび》えた。
「よ、よせよ、よせよ! なんてメグマの量だ……わかった、謝るよ、と、ともかく私を助けないと、なつみは狂っちまうんだぞ、あの子を助けたいだろ、な、だったら私を……」
「あんたは嘘《うそ》を言ってる」
「何?」
「あんたはなつみにメグマをかけてる。自分を愛するように洗脳しているだろう」
「なぜそう思う」
「彼女があんたを愛するはずがない」
ヒーッ! とトー・コンエが絹を裂くような悲鳴を上げた。怒りと悲しみとが彼の幼児みたいな顔に複雑に交差し、流れ出した涙が彼の醜さを一層際立たせた。
「そうだよ、たっぷりメグマをかけてやったよ! 何日もかけてな、オレのことを愛する女にしてやったんだ! 悪いか! それが悪いのか! だったら教えてくれよ、オレはどうしたらあの女に愛されることができたっていうんだ〓」
「彼女を連れて行くよ、僕がメグマを使ってなつみさんを正気にもどしてやるんだ」
トー・コンエの背後にメグマが集結した。しかしそれは勢いがなく、とても僕を狂わせる量とは思えなかった。彼はがっくりと肩を落し、言った。
「そうか……それならいいだろう、メグマを使って、彼女に真実の私を見せてやれよ。そうしたら彼女はすぐに逃げて行くんだろうな。だがな、正気になったあの女が、今度はお前を愛するって保証は無いんだぞ。それともあれか、やっぱりメグマを使って、自分を愛するようにするつもりか?」
「そんなことはしない!」
「いや、するよ、だってお前あの女とやりたいだろ? やりたくて仕方ないんだろ? 私はやったよ、メグマを使ってね、あの女をちょっとした色情狂にしてやったんだ。私とのセックスがないと耐えられない肉体にしてやったんだよ。あいつはいいぞ、何でもするぞ、犬になれといえば、一日中犬になって、私の体のどこといわずなめまわすんだ。小便を飲めと言えば喜んでしゃぶりついてくるんだ、お願いですお願いですもっとして下さい、気持ちのよいことをお願いですもっとして下さいトー様と泣きながら哀願するんだ。口汚くののしってやると、ヒーヒー言いながら歓喜のあえぎ声を上げ、そして頂点へ向かっていつまでも腰を振るんだ、そういうケダモノにしてやったんだよ。どうだいいいだろう、ヘヘヘ、お前の考えはわかってるよ、私からあの女を奪って、結局するこた一緒だ、メグマを使っていいなりにしたいんだ、メグマの力が無いと、お前は女一人ものにできないかたわだ、私と一緒だ! ハハハ、お前も私と一緒じゃないか! ハハハハハハハハハハ」
僕は黙って立ち上がった。そのまま小屋を出ていこうとする僕の背で、トー・コンエの笑いが虚しく響いた。扉を閉める直前、彼は「本当に行ってしまうのか?」と、弱々しく言った。
裏にあるプレハブの戸をノックすると、バスタオル一枚に身を包んだなつみさんが扉を開けた。
「ああこんなかっこうでゴメンね、濡《ぬ》れて風邪ひきそうだったから……」
なつみさんの体はとても薄く、力のないものに見えた。
「ねえどうなったの、私達を助けてくれるんでしょう?」
僕は、何も答えられなかったし、何も考えることができなかった。彼女の、冷えて色をなくした唇を見ながら、ただここから立ち去りたいと願っていた。
「ねえ」
もう一度開いたなつみさんの唇が、一瞬、水辺に棲《す》むぬめりとした生物に見えた。僕は、視線をそらした。うつむきながら、彼女に言った。
「協力できないんだ、帰らせてもらう」
そのまま、顔を上げず、僕は彼女に背を向けて歩き出した。
「八尾君!」
振り向くと、なつみは微笑んでいた。
「八尾君、いろいろゴメンね、それで……ありがとうね。教室で……君ともっと話しとけばよかったって、あたし今思っているところ、本当に迷惑ばかりかけちゃったね。あたし、八尾君みたいな人けっこう好きだったよ」
そう言って彼女は手を振った。
ぬかるみに足を取られながら、何度か転びながら、一度も振り返ることなく、僕は荒地を走った。有刺鉄線をくぐり、人気の無い車道に出て、そのままどこまでもどこまでも全速力で走った、いっそ力尽きてぶっ倒れてしまえばいいのにと思うのだが、どんなに走っても僕の足はまるで自分から離れた生き物のように動きを止めようとしない。息が切れ心臓が破裂しそうになりながら、狂ったように濡れたアスファルトを蹴《け》って僕はただひたすらに走りつづけた。
途中、一人の男とすれ違った。
男はボロボロの法衣を身にまとっていた。
義和尊神教教祖、通称「拝み屋ジョー」は、一瞬にして僕の視界を通り過ぎていった。
それからひと月がたった。
失《しつ》踪《そう》していた新興宗教団体の教祖トー・コンエと、彼と共に行方をくらましていた美少女信者の心中自殺事件は、くだらない週刊誌やテレビ番組の大きな話題となっていた。
工場跡のプレハブ小屋から発見された二人の死体は、折り重なるように転がっていたという。検死の結果、お互いの喉《のど》を噛《か》み切っての壮絶な死にざまだったようですと、青ざめた顔のレポーターがテレビで伝えていた。
二人は全裸であった。死の直前、二人は愛し合っていたのだ。
それがトー・コンエの洗脳によるものだとはいえ、拝み屋ジョーのメグマで死を迎えるまでの束の間、なつみさんはトー・コンエに抱かれて、きっと幸せだったのだ。
オモイデ教の噂《うわさ》が巷《ちまた》に流れなくなった頃、僕は教室に帰った。
何も聞かず、何もしゃべらず、そうして教室の隅でじっとしているのは、心地良かった。
休み時間になると、僕は水飲み場へ行って手を洗い、流れ落ちてゆく水をじっと見つめた。
メグマの力は、その後に一度だけ使った。学校の帰りに、以前なつみさんと再会した駅前で、選挙の応援演説をしている撮列重蔵を見たのだ。
それを見た僕は、怒りを押しとどめることが出来なかった。
メグマを放つと、撮列はマイクを持った左手をガタガタ震わせ、選挙カーからころげ落ちた。頭骨のくだける音を、僕は確かに聞いた。
一度だけ、中間から電話があった。
「ジロちゃんどないしとる、ボクは今想像もつかん遠いところにおるよ、元気や」
オモイデやなつみさんやゾンの話は一切せず、たわいのない世間話をした。
「いつかまた会いに行くわ、そん時はボクもな、ジロちゃんと同じくらい大物になっとる予定や」
そう言って、電話の向こうの彼は、ゲラゲラ笑った。
教室では時が止まったように静かに過ぎてゆく。
放課後、僕は美術室へ入りびたり、原色の絵の具をキャンバスにぬりたくった。
その絵を見た、校内で一番年老いた美術教師は、
「爆弾みたいな絵だな」
と言った。
絵の具で汚れた手を、また水道で洗う。いくつもの色が混ざりながら流れ落ち、渦を巻いて吸い込まれて行くのを見つめ、見つめながら、声を出さずに、僕は少しだけ泣いた。
あとがき
読んでくださって本当にありがとうございます。
月刊カドカワの杉岡さんより小説を書きなさいといわれた時には正直逃げちゃおうかと思いました。
「ハァ、小説っスか」
「そう、小説」
「ハァー、あのエッセイとかじゃダメスかね?」
「ううん、ミュージシャンのエッセイってのもありがちだからねえ。大丈夫、書けるってば。編集長の見城も太鼓判をおしてたよ」
小説というものはやはり、食うや食わずの、赤貧洗うがごとき文学青年が自律神経失調症を抱え込みながら、青森の寒村に住む母トメ六十四歳の送ってくれたみかん箱の上に積まれた原稿用紙を一日二十時間にらみながら、マス目を埋めてゆく……そんなもんなんじゃなかろーかと思っていたオレですから、杉岡さんの「書けるってば」という軽い響きには驚かされました。
そして、
「そうスかぁ、じゃちょっとやってみます」などとさらに軽いノリで引き受け、一冊書いてしまった我身のさらにさらに軽い人間性にはただただ恥じ入るばかりです。
あいすみません。
でも読んでくれてありがとね。
この『オモイデ教』、本当は「必殺! シリーズ」のような話になる予定だったんです。なつみとボクと中間さんが超能力仕事人として毎回「悪しきもの」達を狂人化させていく。そんな痛快バイオレンス小説にするつもりが、ゾンというキャラクターが出てきたあたりで流れがかわってしまい、その後は毎回書いている本人も、この話がどうなってゆくのかよくわからんという実に困ったことになってしまい、最終回を書き上げた後、「なるほど、こういう話だったのか」とはじめて作者が納得する始末。
『オモイデ教』を行きあたりばったりにしてしまった問題の人物、ゾンビのゾンですが彼にはモデルがいます。といっても一人ではなく複数の人達が彼の原型となっています。
オレが本業であるバンドを始めたのは今から一昔も前、日本のロックがまだまだ商業として成立しなかった頃でした。インディーズなどという言葉もまだなく、アンダーグラウンド的活動をしているミュージシャンの情報は、輸入レコード屋の片隅に置かれたミニコミの、宇宙人の死体写真のように判然としないライヴ写真とライヴレポートぐらいしかありませんでした。
財団法人じゃがたら、スターリンなどというバンド名がそこには並び、ライヴにおける過激さというか、トンデモなさが書かれてありました。
「じゃがたらの江戸アケミ、ライヴ中にカミソリで額を自ら切り半失神!」
「スターリンの遠藤ミチロウ、豚の頭を客席に投げつけ、さらに殴りかかり大乱闘」
これは東スポのプロレス記事ではありません。ロックバンドのライヴレポートなんです。
その頃のライヴハウス・シーンというのは、今から思うと全くわけがわからないのですが「なんかデタラメなことやった奴が勝ち」みたいな雰囲気があり、みんな競ってムチャクチャをやっていました。
例えばギズムの横山サケビさんという人はガスバーナーを持ってステージに現れ、お客の鞄を焼いてしまったし、ハナタラシの山塚アイさんは電気カッターで自分の足を数センチも切り、「あの時は痛かった」という名文句を残しました。今は役者として大河ドラマにも出ている田口トモロウさんは、ガガーリンというバンドをやっている時、ステージ中にゲロをはき、そのことを店の人に注意されると「スイマセン」と謝まり、今度はウンチをしました。
他にもステージ上に本物の露出狂中年を引っぱり出す奴、ネコを殺す奴、ウサギを殺す奴、ライヴ最中に出前を取る奴、楽器持ってこない奴、ライヴハウスの壁をつき破って、ブルドーザーで乗り込んでくる奴、ムチ持ってる奴、その他モロモロ……。
あの頃って、いったいなんだったんでしょうか。
高校生だったオレはブルブル震えながら、本当に怖かったので、たまにだけど、そういったドグラマグラなライヴを見に行ったり、また、オレもすでに自分のバンドでライヴハウスに出演していたので、対バンとしてそれらの人々を見ていました。
彼らのパフォーマンスは、はた目には奇妙でも、当時のオレにはとてもわかりやすいものに見えました。
彼らは結局、自分の中のリビドーだかトラウマだかなんだかよくわからない、グチャグチャした生ゴミのような、宝石のような、とにかくよくわからないものをさらけ出そうと七転八倒している。オレにはそう見えたんです。
その発露の手段が足を切ったりゲロをはいたりであり、そのことをする最良の場所があの頃のライブハウスであり、パンク・ロックというジャンルだったのではないでしょうか。
一つの解釈ですが、オレはそう思って彼らを見ていました。
ゾンという人物は、先に挙げた得体の知れない爆弾のような男達の集合体です。
あぶらだこのヒロトモさん、人民オリンピックショーの町田町蔵さん、あげていったらキリが無い狂い咲きロッカーの合体野郎な人です。
なつみにもモデルはいて、これはまた、オレのかつての恋人から全然関係のない、街でスレ違ったような人まで、さまざまな女性の集合体です。もちろん女優さんやタレントさんもモデルになっていて、一人だけ実名を挙げておきましょうか。アダルトビデオ女優で今はストリッパーの工藤ひとみさんという人です。
中間には特にモデルとなる人物はいないのですが、彼の「ガラス板ひっかきノイズレイプ奏法」は、またかつてどこかのライヴハウスでオレが実際に見たものを使わせてもらいました。確か、古館徹夫さんというギタリストでした。古館さん、勝手に借用してゴメン。
主人公の僕や、トー・コンエ、ちょっとしか出てこない拝み屋ジョーなんかにも、モデルはいたりするのですが、それはまた、いつかの機会に……。
ともかく、読んで下さってアリガトウ。私のようなものに小説を書く機会を与えてくれた月カドの見城さん、杉岡さん、印税も入らぬのにいろいろお世話になった事務所の方々、皆にも深くお礼を述べたく思います。
では、
また。
一九九二年一月
大槻ケンジ 本作品は一九九二年二月刊行の自社単行本を文庫化したものです。 新《しん》興《こう》 宗《しゆう》教《きよう》オモイデ教《きよう》
大《おお》槻《つき》ケンヂ
-------------------------------------------------------------------------------
平成14年2月8日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社  角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
(C) Kendi OTSUKI 2002
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『新興宗教オモイデ教』平成 5年4月10日 初版発行
平成13年1月30日17版発行