TITLE : のほほん雑記帳
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〓“のほほん〓”とは何か?
ボクはほぼ毎晩悪夢を見る。
明け方五時ごろ、スズメがピュンピュコと鳴き、牛乳配達の兄ちゃんがガタガタ道行くころ、嫌な夢にうなされて起きるのだ。
夢のパターンはさまざまだ。
巨大化したおりも政夫に焼き印を押される。
テレビの本番中に突然頭髪がすべて抜ける。
母が大量のきなこもちをバスタブぐらいにでかいタッパーに入れて持ってきて「喰え! たんと喰え、賢二!」とボクにつめ寄る。
筋肉少女帯が「イ《※》カ天」に出て審査員のグーフィー森さんにこきおろされる。
……その夢のどこが怖いのだと問われると困ってしまうのだが、夢とはそういうものである。こうして文にするとアンポンタンでも、見ているうちは本当に脂汗が出るほどに恐ろしい。
ボクはひどい小心者で、いろいろなものが怖い。暴力、貧乏、病気、失恋、人気の下降、死、そして落語なら最後にここで「まんじゅう怖い」というところなのだろうが、ボクの場合は「漠然と人生」が怖いのだ。
生きていくということがなんだか不安で仕方ない。
夜毎のイメージは、人生に対するモコモコとした不安が夢として表れたものなのだろう。
人生は大いなる漠然とした不安との夫婦生活だ。どこへ逃げても逃げ場は無く、眠っても悪夢となって悪妻はやってくる。悪妻からは逃れられない。だから、むしろ自分から悪妻と付き合うようにして、何とか彼女を手なづけてしまえばいいのだ。生きることから逃げないようにして、何とか折り合いをつけるようにするのだ。
折り合いのついた状態を〓“のほほん〓”と言う。
のほほん、のほほん、のほほんと生きたい。
今朝もまた、森本レオさんに殺される夢を見た。
ああ、いつか我に、大いなるのほほんの日々を!
※ 「イカすバンド天国」 バンドブームの真っただ中に放送された素人バンドがバトルをくり広げるテレビ番組。フライングキッズ、ブランキー・ジェット・シティ、たま、人間椅子、池田貴族、等々……多くのミュージシャンに、デビューのきっかけを与えた。
目 次
〓“のほほん〓”とは何か?
PART1 のほほん的生活のすすめ
湖のそばで犬と暮らす日々。
猿と化す
初恋みたいなもん
大槻ABC「接吻、愛撫篇」の1
大槻ABC「接吻、愛撫篇」の2
大槻ABC Cの巻
大槻ABC その後の仁義なき日々
ネコの目をよく見てみると……
踊る情感欠落人間
男性諸君! 本当に「尻」でよいのか?
ストリップは心地良い退屈を与えてくれる
亀三郎フィバる!
バンドブームとは〓“夏〓”だったのだ、多分。
有頂天死すともナゴム魂は死なず!
ロックのヒール
オーケン、映画を見る
ポルノ映画館を出ると、街は黄金色だった
「!(アイ、オウ)」
女子大生と焼肉を!
タイのオヤジは三杯の丼を置いた
チェンマイのミルクシェイクは至福の一杯
東京ドームに集まった美しきバカ
「あんた達のことは一生忘れん」
テンション上げて不安を蹴ちらせ=
ボクって何?
蓄えた方がいいよ。
君は「天動説の女」になれるか=
ミザリーな人々
うちのバンドに関わった人たちって……
公園でうたた寝をするのだ
PART2 のほほん風人間のすすめ
欲望という名の天才、三柴江戸蔵ってなんだ=
UFOを見た演歌歌手、山本譲二ってなんだ=
ロックを歌い続けるミック・ジャガーってなんだ=
この世ならぬ存在と対面するチャネラーってなんだ=
「ロックンロール大魔人」を唄う小魔人ってなんだ=
この世に三人いる、オオツキケンヂってなんだ=
ウルトラセブンで性に目覚めた大槻ケンヂってなんだ=
PART3 のほほん流読書のすすめ
淡々と文語体で綴る戦争のはらわたの部分
『戦艦大和』
タイトルでぶっ飛ぶが、中身は意外や人間ドラマ
『宇宙人の死体写真集』
本に体温があるならば、〓“38℃〓”はいく熱苦しさ
『馬車は走る』
錬金術師、サギ師、魔術師、奇行の人のオンパレード
『妖人奇人館』
鋼鉄の肉体をもつ喧嘩おたくが説く喧嘩必勝法
『ザ・喧嘩学』
〓“早くなんとかしないと〓”と焦っているあなたへ……
『アイ・アム・ヒッピー』
マンガ界の大映テレビ ホラーコミックで笑え
『妖怪屋敷』
通称〓“ピカソ君〓”は、今どんな絵を描いてるかな?
『悪霊』
浪人時代の僕はダメ人間の主人公に自分を見た=
『パノラマ島奇談』
持ってるとヤバイ デンジャラスな本=
『地球の歩き方』
危ないドラッグ本を読むのは気弱な読書好き?
『ドラッグ・内面への旅』
また出た= 前作を凌ぐ まごうことなき奇書=
『宇宙人の死体写真集2』
イライラ気分を和らげる〓“ノドカ本〓”の一押し作品
『日本細末端真実紀行』
自称超能力者たちのうさんくさい魅力が好き
『UFO超能力大図鑑』
「5冊100円」の山から見つけた「なんだこりゃ=」
『裸で覚えるゴルフ入門』
いつかこの人の下で働きたいと思っていた……
『家出のすすめ』
できれば十代のうちに読んでおきたい一冊
『高校時代』
ケンカ本の元祖は対猛獣シミュレーションあり
『大山カラテ もし戦わば』
美しくてグロテスクな独自の美意識を楽しめ=
『マーク・ボラン詩集』
〓“いい話〓”というものもたまには読んでみるべし
『赤毛のアン』
カンヅメになって執筆したのが懐かしいなぁ
『オーケンののほほんと熱い国へ行く』
読書嫌いの女の子にこの一冊を紹介しよう
『犬神家の一族』
オカシクも哀しみ漂う杉作さんの青春マンガ
『卒業 さらば、ワイルドターキーメン』
満員電車の中で読みながら泣いてしまったゾ
『青春デンデケデケデケ』
おセンチな半自伝的青春エッセイに涙涙なのだ
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
最終回はウルトラマンの150億倍以上感動的だ=
『デビルマン』
〓“私は世界一不幸よ〓”の気持ちに欠かせぬ太宰
『晩年』
奇妙を気取り社会に反抗する少女たちのバイブル
『ドグラ・マグラ』
同世代には共通の初体験的文庫本
『人間の証明』
過激で懐の深い短歌はお坊さんの「絶叫」だ
『絶叫、福島泰樹總集篇』
天才は忘れた頃にやって来る 喜んでいる暇はない。まず、読め!
『供花』
世界の三島の『仮面の告白』 こいつはスゲー! スゴスギル!
『仮面の告白』
PART4 ミュージック・ヌンチャク!
英国の人気バンド、オアシスの巻
『エマニエル夫人』サントラ盤
天才ギタリスト、パット・メセニー
ソラミミ裏流行歌、クイーン
キース・ジャレットの巻
トーキング・ヘッズの巻
ジェスロ・タルの巻
カーペンターズの巻
アバ(ABA)の巻
レッド・ホット・チリペッパーズの巻
ナイト・レンジャーの巻
『小さな恋のメロディ』の巻
実は、ちっともノホホンとしてないボクだけど……
文庫版あとがき
PART1 のほほん的生活のすすめ
のほほんと暮らそう
のほほんと生きるには、まず小事を気にしないことである。
雨が降ろうがヤリが降ろうが気にせずドードーとして生きたいものだ(しかし、冷静に考えたなら、やっぱりヤリが降ってきたなら、ちょっと気にした方がよいかもしれんな)。
「豪快」という言葉があるが、のほほんとはちょっと違う。豪快のいきつく先はせいぜい目白のドンとか政界のトラなんてあたりだ。究極ののほほん者は段違いにレベルが高い。
例えばバカボンの親父。彼は真ののほほん者である。「西から昇ったお日様が東へ沈む。これでいーのだ」
本来東から昇る太陽が西から昇る。つまり地球の自転が逆転した、これは天変地異に他ならない。全然良かない!
それでも「これでいーのだ」とすべてを肯定するバカパワー。これこそのほほんの極みである。あまり知られていないことだが「バ《※》カボン」とはヒンドゥー語で形而上的な尊い存在を指す言葉である。
※ しかし、仏語の「バカボンド」からという説もあり。
湖のそばで犬と暮らす日々。
山中湖のスタジオでニューアルバムの曲作りをすることになったのは、人里離れた所で作業に集中するためだ……というのは建て前で、実のところはメンバーに遅刻常習者がいるための苦肉の策なのだ。
一時間、二時間の遅刻は当たり前、ヘタすれば来ない日もあり、翌日になって「寝ていたら悪魔が来て行くなといったんだ」などというヨーロピアンサタニックメタルの訳詞のごとき言い訳をかますこの男を他のメンバーの生活タイムに合わせるには、合宿という半強制的手段しかなかったのだ。そんなたわけた理由で訪れた山中湖だが、来てみりゃそれはそれで楽しかったりする。
筋少メンバー・スタッフ総勢九名、男ばっかしの共同生活は何やら男子高校の部活合宿めいて、酒は飲むはメシは食うは性欲はたまるは曲は出来ないはのガッシガッシ的モンモン生活なのだ。
特に娯楽設備なき湖畔の森で我々に残された唯一の楽しみは「食う」ことだ。しかも食いたい時に食うバンドマンならではの不規則生活がここでは通用しない。メシの時間は決まっていて、我々は母の料理を待つ子供のようにスキッ腹を抱えまんじりともせずその時を待たねばならないのだ。食事が出る直前十分間がこんなに長いものだったとは。腹はグーとマンガのような音を立て、口内には食物を摂取せんとだ液がたまり、ボクはハシを指に喰い込む程強く握りしめ、「食ってやる! たんまり食ってやる!」と、秋田のナマハゲじみた言葉を心の中でつぶやくのだ。
真っ白な、ほっこりとしたご飯が食卓に置かれるやいなや、我々は食った、ただひたすらに食った。お徳用のワサビ振りかけはリレーのバトンと化し我らの食卓上をかけめぐった。
「ウマイ、ウマイなぁ」
「ううん、困った、いくらでも食える、太るなぁ、でもウマイ、困った」
男ばかりがハグハグとただメシを食う姿はどことなくわびしい。
ところで山中湖スタジオには四匹の野良犬が居ついていて、きゃつらはいつもメシ食う男共の後ろ姿を、ガラス越しにじいっと見つめるのだ。その様は我々の十倍はわびしい。食い残した魚の頭などを持って歩み寄れば、きゃつらはウーワーとだらしなくうなり尾っぽを力の限り振って「おくれよ! おくれよ!」と舌を伸ばすのだ。その様はさらに哀れこの上なく、かつ可愛らしく、たわむれに寄りくる一匹の喉をなでれば、そいつは「うっふ〜ん」とでもいうように目を細め、よく見れば白目までむいてのコーコツ状態、さらにグイッと喉をつかむと、犬めは拒みもせずオレの力のままにひっくり返って汚れた腹を御開帳するではないか。
「えーい犬道にもおとるこのバカ犬が! てめえには犬としての誇りってもんがねえのかねえのか! ブルーフ・オブ・ザ・ドッグ=犬の証明はねえのか」
あまりにも可愛らしいものを目にするとついいじめたくなるボクは、犬めの腹に魚の頭をバッシッと投げつける。腹にあたったそれはポヨンとバウンドして地面にころがる、かたわらの小犬がうれしそうにくわえて逃げた。
……「湖のそばで犬と暮らしたい」
現実と戦おうとしない世捨て人きどりがよく理想として口にする台《※》詞だ。
ボクもよく言う(ボクの場合は「犬」じゃなくて「ネコ」だが)。
ネガティブな言葉だけれど、ボクはこの言葉を、理想を捨て切れないでいる。そうやってノホホンとした暮しをしてみたいとよく思う。あとにも出てくるが、人生はやはり恐怖であり、戦ってないとすぐにボロ雑巾のようにされてしまうおっかないものだと思うから、本当は「湖のそばで犬と暮らす」などと言ってる余裕はありゃしない。
さてだったらどうすればいいか、思うに、「湖のそばで犬と暮らすために人生を戦えばいい」のではないかしらん?
例によって一人禅問答のようなことを言ってるな、オレ。スマヌ。
山中湖では何冊かの本を読んだ。歌詞を作る前には必ず読書をすることにしているのだ。時々それらの作品に影響され過ぎて「そのまんまやないか」とつっ込まれても返答のしようがない詞を書いてしまうのが難だが、やはり一《ひと》仕事の前には本を読みたい。今回は読みかけだった『青春デンデケデケデケ』は別として、ハズレの無いように以前に一度読んだものを持ってきた。江戸川乱歩に寺山修司に中島らもという、特にボクの大好きな作家ばかりだ。
江戸川乱歩はもちろん日本推理小説界の手塚治虫ともいうべき巨人だが、この人は天才というよりはむしろ鬼才で、時々「何? コレ」というようなヒドイ話を書いてしまう。特に少年向けに書いた物には言葉を飲むメチャクチャなトリックが満載だったりする。
少年探偵が怪しげな男を追いかける。薄暗いあき地に逃げた男は少年の前でやおら服を脱ぎ始める。すると! 彼の体は透明ではないか。それどころか手や足がバラバラに分かれ、そいつが宙をフワリフワリと踊り出すではないか! 一体=
明智小五郎名探偵が恐るべきそのトリックを解明する。驚くなかれ、あき地で怪しげな男は人形とすりかわり、数人の手下がつりざおに糸を垂らし、バラバラのうでや足をあやつっていたのだ!
「おめーら大の大人が他にやることねえのかああっ=」と、これを読んだ時、子供心にもボクは怒った記憶がある。そんなバカげた話を書きながら乱歩はもう一方で『パノラマ島奇談』という世界でも類を見ない美しい物語を書いてもいるのだ。そういうパラノイアじみたところも含め、ボクは乱歩が大好きだ。
それに対し、中島らもさんという人は、どの作品を読んでもハズレがない、全て笑えて泣けて文句なく面白いのだ。個人的に一番好きなのは『僕が踏まれた街と僕に踏まれた街』だ。らもさんの半自伝的エッセイである。
また個人的に、ボクは、この「半自伝的エッセイ」というのに弱い。さらにそこに「青春」という字がつくともうたまらないものがある。どんなたわけた人生を送った人であっても、「半自伝的青春エッセイ」を書かせればそれなりに読めるものだと思う。青春つーのはそれほど深いつーことやなぁ、ウンウン……で、その半自伝……の中島らも版だ、面白くないわけがない。で読むとやっぱり面白い。この本は後半になるにつれて、つまり十代の話より二十代あたりの話になるにつれて暗い、しんみりとしたムードがただよってくるのだ。ボードレールにハマっていたらもさんの大学生時代は、人生のエアーポケットじみた空虚感にさいなまれていて、それが十代のボク自身をいやおうなく思い出させ、泣ける。
らもさんが、自殺してしまった友人に触れた一章がある。
「どんなにボロボロの人生でも生きていてよかったと思う夜が一晩でもあるはずだ、それを思えばなんとか生きていける。だからあいつも死ななきゃよかったのに」
というようなことをらもさんは彼に対し書いている。
ボクはこれを読むとどんな時でも場所でも涙腺がゆるんでしまう。パブロフの犬みたいに。キザやなぁとは思いながらグググッと鼻の奥に込み上げてくるものを感じる。
生きていてよかったと思う夜がいつ訪れるのか、それとも訪れることなく死んでしまうのか、あるいはその夜はもう来ていて、それに気づかないだけなのか、よくわからないけれど、湖で犬と暮らすノホホンとした日々がいつかは訪れると信じていれば、たいがいのことはなんとかなるような気がする。
どんなにボロい人生が待っているとしても、それを思えばとりあえずボクはなんとかやっていける。
※ あの、似たような歌詞を唄っているミュージシャンがいるのですが、けしてその人のことを言ってるわけじゃなくてよ。あれはいい唄です。
猿と化す
金沢にいる。
ツアー中である。
疲れている。
並の疲労感ではない。というか、若者の疲労感ではない。朝、体がいうことをきかないのだ。そして、うっすらとあけたまぶたの上空五十センチに、「過労死」「ポックリ病」といった言葉がディズニーランドのダンボのごとく、クルクルと旋回するのだ。なんとか起きて本日のライブ会場へと向かうのだが、どうにも体が重い。それでもライブ中はウヒョーウヒョーとかけずりまわり、時々点滅する脳内カラータイマーのエネルギー切れ表示を感じつつも、「いや、まだまだ。プロレスラー大仁田厚の死にもの狂いを思い出せっ!」と自らに喝を入れ、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ 不入リノ日ニモメゲズ。またウヒョーウヒョーとステージをかけずりまわるのだ。
……そして打ち上げへとなだれこむ。
一体いつの日からだろうか、どんなに疲労状態にあろうと、適量のビールを体内に流入することによって、多幸感を得られるようになってしまったのは? 俗に、酒飲みがよく言う「楽になる」というやつだ。楽になってそのままバッタリ眠ってしまえばよいのだが、楽になる快感を知ってしまったものの定番マニュアル通り、明日の疲労をものともせず、酒宴の席においてさえ僕はウヒョーウヒョーとやってしまう訳だ。
翌日、やはり肉体は精神を覆う棺桶と化している。エドガー・アラン・ポーもびっくりの〓“早すぎた埋葬〓”状態である。墓地と化したビジネスホテルの一室の、その上空には、ハゲタカならぬ「過労死」「ポックリ病」の言葉が、今日もまたクルクルと輪を描くのだ。
こんな日々が約三ケ月も続くのだ。
ほんまにいつか死にまっせ。
とはいえ、やはり「旅」である。麻薬的な快楽がそこにはある。家を離れ、毎日違った土地の風に吹かれるというのは、並々ならぬ楽しさがある。「旅は人を賢人にはしない」というのも事実だが、とりあえずいろいろと勉強にはなる。トボトボ見知らぬ街を歩き、あやしげなジジババの営む喫茶店に入る。〓“名物〓”ドードーとそうメニューにしるされているカツカレーを注文してみる。食ってみる。……甘い……。それ以上食う気にもならず、いたしかたなく窓の外を見れば、いつしか雪。「ンーマンダム」、チャールズ・ブロンソンならずとも一言うなりたくなるグッドなシチュエイションではないか。ついつい今後の自分などということを考えてみたりする。
「……とりあえずバンドブームも去った。これからミュージシャンの間では湾岸戦争をもはるかに凌ぐサバイバルウォーの時代が始まるだろう。俺は?……GSブームの時、残ったのはジュリーのようにずば抜けて唄の上手い奴、ショーケンのようなカリスマ、そして井上順、マチャアキ、ムッシュかまやつの様なキャラクターのある人々であった。フォークブームもまたしかり、陽水の様な天才、カリスマの拓郎、そしてキャラクターの泉谷、である。つまり、残る存在というのはいつの世も、『天才、カリスマ、キャラクター』この三種類である。ということだ。僕は当然『キャラクター』でサバイバルを決めるしかないだろう。だがサバイバルにどれだけの意味があるのであろう。去りゆく者程美しいのではないか、いやそれは負けおしみに過ぎないし……」
そんな事をじっくり考えれるのも、旅の良さである。
旅は人間をハイにする。
鉄人レースのトップランナーは、あまりの競技の過酷さ故、脳内麻薬が脳に注入されるという。それで彼らはレース終了後もあんだけヘラヘラしていられるのだが、ツアーにおいても似たものがある。
先日、京都のライブで、ギターがトラブルをおこし、次の曲へ行けなくなってしまった。ボーカリストとして、なんとかMCで間をつながなければならない。お客はみな「おもしろおかしいMC」を期待しているし。メンバーはみな、「オレ知らんもんね」という表情を決め込んでいる。まさに四面楚歌、ニッチもサッチもどうにもブルドッグ、ハァッ! の状況である。どうする= どうしょうもない! しかしどうにかせねば! ……その時自分の中で何かがはじけとんだのだ。そして脳内麻薬が注入される、じゅうるるじゅうるるという音を俺は確かに聞いた。そして、次の瞬間、あろうことか、この大槻は、数千の目が見守るステージ上で、いくら間もたせのためとはいえ、なにを思ったか。
お猿のマネを始めたのだ。
仮にもロッカーという職種の人間が、マルセ太郎の千分の一の芸人魂も持ち合わせていないくせに、お猿のマネを始めたのだ。モキーモキー!
とりあえずその場は盛り上がり、ギターのトラブルも解消し、ライブは再開となり、その日はおおいに盛り上がった。
あの時のことを思い出すと、僕はいまでも顔から火がでそうになる。長旅の疲れがお猿となって爆発したのであろうか。それにしても……だ。
旅は人を賢人にはしない。
しかし、お猿にすることはあるのである!
ツアーはまだまだ続く。
僕が再びお猿化するのは、はたしてどの土地であろうか。
「モキー、モキキキキー!」
初恋みたいなもん
高校時代のボクが秘かに恋心のようなものを抱いていた女性はけっして美人ではなかった。少し茶色がかった髪をストレートに肩のあたりまで伸ばし、銀のふちの眼鏡をかけていた。彼女はいつもつまらなそうな、ふてくされているような、なんだかあたし困っちゃったなぁという表情をしていた。ボクはそのアンニュイ……とでもいうか、アンダーグラウンドな映画に出演していたころの桃井かおりのような表情に恋をしていたのだ。
一時期、彼女はボクの斜め前の席に座っていた。彼女はいつも頬づえをつき、教師の声を聞くでもなく、ただボンヤリと黒板を見つめていた。ボクは授業中はほとんど机につっ伏して眠っているか、平井和正の小説でも読んでいるか、どちらにせよ自分の中に逃げ込んで、どうにか退屈な時間をやり過ごすような奴だったが、彼女に近い席にいた一時期だけは、彼女の真ン丸い頭だとか、窓から差し込む午後の日射しを受けて時折キラリと光る銀ブチ眼鏡だとか、その奥で「困ったなあ」と言っている(ように見える)黒目がちな瞳を盗み見ることに至福の喜びを感じるという、かなり女性にとっては要注意的アヤシゲ野郎と化していた。
彼女は、時々フッと教室からいなくなることがあった。
特に午前中の三時間目あたり、昼休みまでもかなり間のある、だらけた雰囲気が生徒達を支配する頃になると、姿を消してしまうのだ。三時間目が始まり、遅ればせながら教室にもどると彼女がいない。アレレどうしたのかなと思えば四時間目にはまた斜め前の席にちょこんと彼女はいて、いつものように「困ったなあ」という顔をして再びボンヤリと黒板を見つめているのだ。
ボクの通っていた学校は都内のはずれにあり、周りはキャベツ畑と住宅街が広がるばかりで、茶《さ》店《てん》の一つも無いような、遊びたい盛りの高校生にとっては面白くもなんともない環境にあった。不得意な体育や数学の授業になると、よく教室を脱け出し、その何もいいことのない学校周辺を、教師に見つからぬようにほっつき歩いた。とりとめのないことを想像しながらただ散歩するのが好きだったから、遊ぶところのないさびれた街をうろつくことがそんなにつまらなくはなかった。いつか書こうと思いながら、まだ一行も手をつけていない小説の構想や、自動書記のように書き出すと、とりとめもなく長くなってしまう詩をどうやってまとめようか、そんなことを考えながらホテホテとキャベツ畑の横を通り抜けるのは、自分にとって教室でいつ役に立つのかもわからない授業を聞くよりも数倍も有意義なことであると思っていたのだ。
彼女のことも時には考えた。
スッと教室からいなくなってしまう彼女も、こうやってキャベツ畑の横を通り過ごして退屈な時をやり過ごしているのだろうか。
あてどもなく、心に映るたわいもない夢想を頭の上に乗っけて、空白の三時間目を誰の物でもない、自分の時間にするためにさびれた街をうろついているのだろうか。
もしそうならば、その時の彼女は退屈な教室では見せたことのない、生き生きとした表情を顔一杯に浮かべているに違いない。そう思うと、ボクはうれしくなって、畑のキャベツをサッカーボールのようにボコン! と蹴っ飛ばしたりするのであった。
その頃のボクは今思うに、彼女を「仲間」であって欲しいと思っていたのだ。
つまらなそうな、困ってしまっているような彼女の表情の意味を、「お仕着せ的学校教育、および退屈的日常への絶望感」によるものである。と、ボクは勝手に解釈していた。
だがそれは、他ならぬこのボクがその頃思いつづけていた悩みである。
ボクはこの退屈な教室の中に、自分と同じ憤りを抱く者がいて欲しいと無意識の内に思い、どういうわけかいつもつまらなそうな表情をしている少女に、もしかしたら彼女こそが同胞ではあるまいかなどという、失笑ものの思い込みをしてしまっていたのだ。
実際のところ、彼女とボクは高校在学中に一度たりとて会話らしい会話をかわしていない。
ある時、ボクは筆記用具を忘れてきてしまい、いきなり教師が黒板に書き出した試験範囲を写すために、床に落ちていたシャーペンの芯で教科書の隅に何とか書き込もうと悪戦苦闘していた。すると、トントンとボクの頭をこづく者がいた。
顔を上げるとそこには「あんたみっともないことやめなさいよ」とでもいいたげな表情の彼女がいた。
「これ、使いなよ」
そう言って彼女はポイッとシャーペンをボクに投げてよこした。あの時の、みじめな思いをボクはきっと一生忘れることはないなと思う。彼女がボクに対して何か語りかけたというのは、この一回きりであった。それ程にボクは彼女のことを知らないのだ。それなのに彼女を自分と同じ社会への怒りを持つ同志であるなどと勝手な思い込みを抱いていたのだ。
「ああ勘違い!」
でも、恋愛ってそーゆーものなんじゃないかなぁと最近思うのだ。
誰かに恋をする。それは相手に自分の理想を投影して夢を見ることなのではないだろうか、そうして運よく両想いとなった時、お互いに理想からかけ離れていく相手にショックを受けるのだ。そこから、それでもまだ相手を想う気持ちが確保できるなら、その恋は初めてころがり始めるのだろう。
ところで、ボクのこの恋のようなものは最近になってオチがついた。
彼女は、実は腹痛に悩んでいたらしいのだ。
「なんだか困ったなあ」というあの表情は、つまりお腹が痛くて困っていたわけである。空白の三時間目も、彼女は夢想しながらキャベツ畑を歩いているのではなく、たんに保健室で休んでいたらしいということを、ボクは当時の同級生から聞いた。昔の笑い話ならここで一発ギャフン! とうならねばならんのだろうな。
本当にうなるぞ、
ギャフン!
大槻ABC「接吻、愛撫篇」の1
竹の子族出身のアイドル、通称「ヒロ君」こと沖田浩之さんのデビュー曲は衝撃的だった。
「E気持ち」(!)
E気持ち。……かつて若者の性体験を示す俗語があった。なんと異性との接触をアルファベットで表記するのだ。A(キス)B(ペッティング)C(セックス)。このABCをすなわち十代の追求する三大快楽とみなし、ABC=快楽=いい気持ち……ABCでいい気持ち……ABCDE気持ち……と、「笑点」のレギュラー落語家、木久蔵師匠でさえも瞬時には思いつくまい絶妙なダジャレによって形成された日本歌謡曲史に永遠に残るであろうあんまりなタイトルである。
しかも「E気持ち」という言葉はサビにも使われているのだ。
ヒロ君は彼独特の鼻づまり唄法で、そしてコックリさんがとりついたかのごときあの吊り目で唄い上げるのだ。
「ハ〜ン、Eぃ気もぉちぃ」
聞いている方は実に気持ちが悪い。
さて、今回は私の「E気持ち」体験。つまりABC。接吻、愛撫、初体験について、きわめて赤裸々に語ってみたい。初セックスまでの我が道のり、それはモーゼが迷えるユダヤの民を導いた太古の旅のように、長き道のりであった。特に最初の接吻までが長かった。生まれてから十九年もかかってしまった。
接吻への憧れはものごころついたころからあった。はたして唇と唇を合わせレロレロするというのはいかなる快感のあるものであろうかと幼き大槻は想像をめぐらした。いつか来るであろう女性との接吻の機会にそなえ、練習しておく必要があるのではないかと真剣に考えた。友達にもらった石野真子等身大ポスターの顔部分を切り取り、それを地球儀にはりつけてみた。そうすると真子の顔は地球儀の丸みを得て、まるで本当の顔面のように凹凸ができるではないか。
「真子、キスしてもいいかい?」
当時、スポーツ刈りで半ズボンをはいて、おまけに肥満体だったボクは、精一杯の渋い声を作り、そっとささやいた。……地球儀に。
「キス、させてくれよ」
そして熱く燃えるおのが唇をムチュリと押し当て、さらにベロをつき出しレロレロとなめまわしたのだ。……地球儀を。
真子の真っ赤なリップはツルツルとすべった。当たり前だ。紙だからな。
中学を卒業し、高校生になっても、ボクは女の子とキスをする機会にはめぐりあえなかった。それどころか、女の子と話をすることもできない内向的な男になってしまい、「オレは一生童貞で終わるんじゃなかろうか、キスすらもできないで死ぬんじゃないだろーか」という想いにとりつかれていた。自分は人とは違う何かを持っている人間だ、という変なプライドを持っていたボクにとって、女性とコミュニケーションが取れないことは、とても深刻なコンプレックスだった。どんなにいい出来事が身の周りに起きても、自分で満足のいく詩が書けた時でも、自分の中のもう一人の自分が「でもお前は女にもてないだろ」と耳元でそっとつぶやくのだ。そうするとボクはもうガクリと落ち込んでしまい、何もかも手につかなくなってしまう。そんなことがよくあった。
ある日教室の隅で、自分の見た映画についての感想などをまとめたノートを一人シコシコ作っていた時、近くの席にいた女子達が、でっかい声で彼氏とのセックスについて語り出した。
「で、タカオって体つきダンサーみたいでさあ。もうすごいのよ腰が。動く動く」
それを聞いて、ボクは生きているのがバカらしくなった。映画を見たり本を読んだり、そんなことでは何の得にもならない知識を吸収して、せめて他人との差異をつけようと努力している自分の生き方が、最低に不毛であると悟った。
一万本映画を見るより、女の子と一度キスをした方がエライ、と思った。
映画ノートはその日を最後につけるのをやめた。
だが高校を卒業すると共に、ボクの女性としゃべれない病はピタリと直ってしまったのだ。理由はいろいろあったのだろうけど、長くなるのでここでは省く。
ともかくボクは女の子とおしゃべりが出来るようになった。まだペース配分がわからず、「今日は生理?」とか余計な発言をしておこられたりすることもあったけど、やっとボクにも春が来たのだ。
そしてついに待望の彼女というものもできた。
彼女……彼女……ああいい言葉だぁ……と、その頃ボクは何度心の中でつぶやいただろうか。
ボクの初めての「彼女」になってくれた素敵な女性はA子さんといって、カールのCMに出てくるカエルのケロ太によく似た女子高生だった。
優しくていい子だった。
彼女はボクのバンドをよく見に来ていて、そこで知り合った。悪くいえば「ワンフに手を出した」ってやつだ。言い訳がましいが当時のボクは恋人にするなら自分のファンの子が一番良いと思っていた。自分の表現活動を大好きでいてくれる女性がボクは好きだ。どんなにかわいくても自分の仕事に興味を持ってくれない女性とはつき合いたくない。幼児的な自己中心発想だとはわかっているけどそう思う……。
それはさておき、彼女をデートに誘った。
渋谷公会堂で植木等とナ《※》ンバーワンバンドのコンサートを見た。どこかの企業のイベントで、ライブの前には文化人によるトークショーがあった。司会者がトークのテーマを口に出した時、ボクはとてつもなく恥ずかしくなった。テーマは「初めてのデート」というものであった。初めてのデート真っ最中にこれは照れる。今日の緊張と喜びをステージ上の文化人達に見すかされてしまったようでこっ恥ずかしい。ドギマギしていると、横の彼女がやたらに話しかけてくる。それもステージのトークとはまったく関係ない話題ばかりをしかけてくるのだ。無理に話を盛り上げようとしてわけのわからないことまで言っている。話しているうちにわかった。彼女はステージから気をそらそうとしているのだ。
彼女もこれが初デートなのだ。
コンサートの帰り道、家まで彼女を送った。駅から彼女の家まではかなり遠かったが、話の途切れることはなかった。ボクは十九年間の女性との穴を一挙に埋めるようにひたすらにしゃべりまくった。
二度目のデートの帰り、彼女を送る道すがら、思い切って、決然と、肩を抱いた。季節は夏、彼女の汗ばんだむき出しの肩に、ボクのさらに汗ばんだ手のひらがペタリとはりついた。
彼女がコクンとボクにしなだれた。
夏の星空の元、ボクは、「肩を抱いて歩くのって何てむずかしいんだ」と、素朴な驚きに満ちあふれた。
即席二人三脚状態は歩調を合わすこともままならず、そして恥ずかしながら、ボクはその時ボッキしていた。二人三脚+ポコチンボッキ状態。これは車イスの刑事アイアンサイドが歩き出すよりも動きがむずかしい。二人はまるで壊れたロボットガニのようにヨロメキながら夜の街を歩いた。
三度目のデートでは、彼女の家の前で、そっと彼女を抱きしめた。
彼女はボクより頭ひとつ小さく、抱きしめるとボクの目のすぐ下につむじが見えた。
四度目のデートの帰り、彼女をつれて友人の家にいった。しばらくたわいもない話をしていると、急に友人は「アッ!」と立ち上がり、「オレ、ちょっと買い物に行ってくるわ」と言ってそそくさと出ていってしまった。
とり残されたボクと彼女。
十分後、電話が鳴った。友人だった。
「オレ今日マルオんとこ泊まるから、大槻がんばれよ、な」
〓“親友〓”という言葉がボクの脳裏をよぎった。電話を切り、ふり向くと、彼女はうつむいていた。
「いよいよ」だな、そう思うと、体が震えた。
※ DJ小林克也氏率いるロックバンド。
大槻ABC「接吻、愛撫篇」の2
「あいつ、マルオんちに行っちゃったって」
露骨にオドオドとしたボクの言葉に、彼女は「ふうん」と言ったきりだった。
友人がかけっ放しにしていったレッド・ツェッペリンの「ミスティー・マウンテン・ホップ」がスピーカーからのんきに流れていた。
「何なんだよな、あいつ……」
「何なのかしらねぇ……」
しばし沈黙。
手持ちぶさたのボクは、友人の本棚から「ロッキン・オン」を取り出し、表紙のデヴィッド・ボウイを見るともなく見ていた。
「ああ! もうこんな時間なんだぁ」
彼女がまるで、新大陸でも発見したかのようにビックリした声でいった。
「あ、十一時か、え、どうする、帰る?」
言ってからしまったと思った。「帰らしてどうすんじゃ」と自分をののしった。
「え、うーん、今から帰ってもなぁ」
彼女が右45《o 》45o上方を見ながら言った。
「あ、じゃ、泊まってきゃいいじゃん」
言ってから再びしまった、と思った。「はやまるなオレ」と自分をののしった。
しかし意外にも、右45《o 》45oの角度を見上げながら、彼女はいとも簡単に、
「そうする」
と言った。
かつてジュリーはあの美声で「背中まで45分」と歌った。大人の男と女がホテルのバーで出会い、お互いに酔いしれ、男が女の背中のジッパーに手をかけるまでかかった時間が45分。というコイキなラブソングである。
アダルトな紳士と淑女なら、あるいは本当に45分という短時間もあり得るだろう。だが、まだ十代のモンモンたる少年少女達はこうはいかない。ボクが彼女の背に腕をまわすまで、それから三時間以上の時を必要とした。
手持ちぶさたでめくっていた「ロッキン・オン」を、彼女が「それなぁに」と言いながら近付き、ボクの横にピタッと添うまでが一時間。
ボクが「ロッキン・オン」誌に載ったミュージシャン達を一人一人彼女に解説し、それに対し「ふんふん」とうなずいていた彼女がやがて、「そんなことはどうでもいいのよ」と言うふうにボクの手を取り「オーチャンの手って大きいね」(ヒーッ、呼ぶなよ、オレを、オーチャンと)などと鳥肌の立つようなことを言うまでに二時間、ここでムンズとばかりに彼女を抱きしめムチューとかチュバチュバとかやっちまえば話は早いのだが、ボクは我が下半身に鎮座ましましたポコチンと共に、あたかも超合金Zのように全身が固くなっていて身動きが取れなかったのだ。
彼女はさらにボクに身を寄せた。
花の香りがした。
シャンプーはティモテだろうか。
「あたしねぇ……」
この日何十回目かの沈黙を破り、彼女が話しかけた。
「あたしねぇ」
「何?」
「あたし、キスってしたことなぁーい」
賢明なる読者諸君、特に男子諸君に問いたい。君は彼女にこんなことを言われて、瞬時にして明解かつ正直なコメントをアンサーすることが出来るか?……オレはできなんだ。その時、彼女のプルトニウム爆弾型問題発言に対し、ぼくの発した言葉は、「笑点」のこん平師匠でさえ思いつくまい程に間が抜けていた。
「オ、オレだって、キスしたことないよ」
と、ボクは言ったのだ。
「本当ォ?」
と彼女は驚いて見せた。
「イヤ本当」
「してみたいなぁ。キス」
ボクはぐぐぐぐうっと込み上げてくる何かを必死におさえつつ、精一杯の冷静さを装って、さらにまぬけなこの一言を彼女に告げた。
「じゃ、オレがしてやるよ」(今、書いててサブイボが立ちました。昔のこととはいえ、ヒー)
友人が去ってから三時間が過ぎていた。彼女の背に腕を絡め、なるべく静かに抱きよせた。彼女は瞑想でもしているように瞳を閉じていた。十五センチまで近づいたティモテの香り。思い切って、高い所から飛び降りる自殺者の心境で、彼女の半開きの唇にボクは自分の唇を重ねた。
ゼリーのようなヌメリとした感触があった。
ああ、オレは今キスというものをしている。
そう思うが実感はともなわず、ただ脳裏をスウッと、懐しき地球儀に貼られた石野真子の、丸くゆがんだ顔が通り過ぎたのであった。
その夜、いわゆるペッティングまで行った。
彼女のタンクトップは、引っぱるとスポンと脱げた。
ブラジャーのホックをはずさねばと思うのだが、背中にホックが見つからない。「ホックは? ホックは?」と心であせるボクに、彼女はエヘヘと笑い「前、前」と言った。
フロント・ホックのブラジャーという物も、この夜、生まれて初めてボクは見た。
プチンとフロント・ホックははずれ、ブラが左右に飛んだ。ボクは映画『十戒』の、海が奇蹟によって左右に分かれるシーンを連想した。
目の前におっぱい。
「今、オレの目の前に二つのおっぱいがある」
ものごころついたころより、夢にまで見たオナゴのおっぱいは、暗い部屋の中で、幻のようにぼんやりと光って見えた。
さわった。さわった。ムニュリとしていた。
「くすぐったい」
と彼女が言った。
彼女は、唇と唇を重ねることによって得られる陶酔感が気に入ったらしく、さかんにキスをせがんだ。
裸の背に腕をまわし、唇を寄せた。
なるべく二人の間にスキ間のできぬように、少しずつ絡めた腕の力を強め、やがてピッタリとお互いの肌を密着させた。
彼女の体はやわらかく熱く、「大きな赤ん坊」を抱いているようだった。
ボクは、ただひたすら驚いていた。
彼女という人間の、香り、熱、声、重み、感触、そういったひとつひとつに「何てこった」と驚いていた。
それまでボクが恋いこがれ、モンモンとしたエロリビドーのエジキにしてきた、テレビやグラビアの女達と、実際に今ボクの腕の中にある女性とは、まったく異なる物であるという事実に目からウロコの落ちる思いであった。
今、瞳を閉じ唇を重ねている女性には、テレビやグラビアでは決して感じられない、香りや熱や声や重みや感触や、その他さまざまな「生きていることの躍動」があるのだ。つまり、彼女は命を持った一つの生物なのだ。
このことは、わずか半径五センチ程度の狭い世界観で十八年間を生きてきた自分にとっては大変な事件であった。
今まで性欲の対象としてしか見ていなかった世の中の多くの女性達も、どうやら彼女同様みんな「一人の人間」であるらしいのだ。
それぞれに人格があり、それぞれに生きてきた世界を背負ってきた人生がある。
彼女の裸の体は、そのことを教えてくれた。
自分を中心に社会があるのではなく、社会を中心にクルクルとその周りをまわる自分がある。地動説から天動説というこの世の真実をボクが知るきっかけは、大きな赤ン坊のような、彼女の裸体だった。
――彼女の背にまわしていた腕を、ソロソロと下の方へのばしていった。丸いおしりをまさぐり、表側の、いわゆるあの部分へ至ろうとした時、彼女は「ダメッ!」と叫び、ボクの手を思いっきりはたいた。
「この世はそんな甘いもんじゃない」
という真実も、彼女は身をもってボクに教えてくれたわけか。
大槻ABC Cの巻
A子さんとは一年もつき合わずに別れた。
地動説というこの世の真理を教えてくれた人生の師であるというのに、ボクは彼女のエキセントリック過ぎる魅力に疲れてしまい、彼女から逃げだしてしまった。
彼女とは結局セックスにも至らず、童貞のまま十九歳になっていた。
A子さんの後、B子さんという二つ年下の女の子ともつき合ったのだが、残念ながら最後の一線を越える前に振られた。彼女はいいとこの生まれで、超一流大学にストレート合格、それに対しボクは二浪の身。デート代にもことかく赤貧洗うがごとしのバンド野郎。「そんなことは二人の仲に関係無い!」とつっ込みを入れた純愛主義者よ、君は世間を知らない。実際はそんなことでも、女が男に三行半を下す理由に十分なり得るのだ。
バイト代をはたき、丸井で二十回払いのローンで買ったアクセサリーをプレゼントした日に、お別れを告げられた。
「トホホ」というのはこういう時に使う言葉だろうな。渋谷のセンター街を、一人「トホホ、トホホ」と泣きながら歩いた。
そんなわけで童貞状態が続いたわけだが、この頃から筋肉少女帯が一部で評判になりつつあった。バンドブームの発端となったインディーズブームが盛り上がりを見せ、インディーズ御《※1》三家などと呼ばれて破竹の勢いだった有頂天と仲良しバンドの筋少まで、「カリスマ大槻モ《※2》ヨコ率いる変態天才集団」などという支離滅裂なキャプション付きで情報誌に載るようになっていたのだ。動員も増え、「神に祈ってでも悪魔に魂を売ってでも、せめて女の子とお話でいいから接してみたい」と思っていたモンモンリビドー少年は、いつの間にか一部女の子達から憧れの目で見つめられるようになってしまった。いい事だ。
その中に、C子さんという女性がいた。
C子さんは色白でほっそりとした、かよわい風情漂う女性だったが、実は大胆な人だった。
その頃ライブがはねた後、ライブハウスの周りに居残った女の子達と話すのが至福の喜びだった。「女の子と話せない病」を克服したばかりだったから、これ以上のリハビリはなかった。女の子達の中にいたC子さんは、一緒に写真を撮ってと言った。写真を撮ると彼女は、「今度飲みに行きましょうよ」と言った。女の子にそう言われて断る理由はない。アドレスを交換し、翌日にはもう渋谷で会う約束を決めていた。
この頃のボクは、いじめられっこが中学を転校し、誰も自分のことを知らない新しい学校で登校初日に大暴れし、いじめっことしてデビューする、そんな感じだった。十何年か、女の子と会話すら出来ず、性妄想の闇の中であがいていた男は、バンドでちょっと人気の出たのをいいことに、突如として大胆になってしまったのだ。
意気揚々と待ち合わせのハチ公前に向かった。
大人っぽい服を着た彼女とお酒を飲みに行った。
彼女は素敵な女性だった。
たわいもない話をした。会話が途切れると、彼女はフッと笑った。このフッの絶妙なる間が素敵なのだ。ボクはグイグイと酒を飲み、彼女も早いピッチで飲んでいた。お酒でほんのりと彼女の肌が赤くなり、気がつくともう一時近かった。
店を出た。もう電車はない。大胆デビューしたとはいえ、こういう状況には慣れていなかった。この場合、どうしたものだろうか、タクシーを拾うか、もう一軒とりあえずいこうか、さまざまに策を練っていると、彼女が言った。
「ねぇ大槻君」
「ん?」
「こういう時ってさぁ」
「え」
「大体決まってるものじゃない」
「は?」
「こういう風になったら大体どっかに泊まるんじゃない」
ガチャーン! と、頭の中で鉄のトビラが開いたような気がした。
「そういうもんなの? 大体?」と彼女に聞きたくてたまらなかったがまさか本当に聞くわけにもいかず、「ううん……ねぇ」とかお茶をにごして、こういう場合「大体」の人がそうするように、ラブホテルの林立する円山町方面へと進行方向を変えた。
――ホテル「カサディドゥエ」の室内はシンプルだった。ポルノ映画に出てくる極彩色の回転式ウォーターベッドだとか、ブランコのついた透明風呂もなかった。
「けっこう地味なんだなぁ」
言ってからハッとした。こういうことに慣れていないことがわかっちゃうじゃないか。
彼女は気にする様子もなく、ベッドに腰を降ろし「タバコ吸っていい?」と聞いた。
「あ、ハイ」
と、ボクはもうすっかり弱気になって、かしこまった返事をした。
その夜、彼女の絶妙なるリードにより、きわめてスムーズにボクは童貞を捨てた。
翌日の朝、道玄坂を二人でくだっていると、彼女がついとボクの手を握った。
「私、手をつなぐの好きよ」
彼女は子供のように笑っていった。昨夜の大人な彼女を知っているだけに、その言葉には二万トンの重みを感じた。
道玄坂には、ゴミ箱をあさりに来た真っ黒なカラスが群れをなしていた。ガーガーと嫌な声で鳴くカラスに囲まれ、ボクは複雑な思いにとらわれていた。
「女って一体?」
と素朴かつ重要な疑問を抱いていたのだ。
くり返すが、十代までのボクは女の子と口もきけないモンモン野郎であった。接する機会がないだけに、女性に対して勝手なイメージを持っていたのだ。それは、エロスの権化として、また百八十度正反対に、永遠なる処女性を持つ聖なる存在、としてだ。
きのうまで洟もひっかけられなかった男が、たかだかロックバンドで注目されるようになったくらいで、今度は女の子の方からアプローチを受けるようになる。これは地獄から天国に行ってノホホンと温泉につかるぐらいけっこうなことだけれど、自分の存在って、そして異性って何だ? と疑問を抱かずにはいられない大いなる疑問的人生の転換でもあった。
バンドをやってなかったら、C子さんははたしてボクを見ただろうか。彼女に限らずライブに集う女の子達はどうだ。人気って何だ? ボクがずっと恋いこがれていた「女」って一体何なのだ。
弱冠十九歳のボクは、渋谷のカラスを見ながら、この時恐ろしく間違った結論に達してしまう。
「女は聖なる存在なんかじゃない、女の子なんて、くだらんよ」
十九歳の夏、いきなりな人生の転換に自己崩壊状態にあったボクは、恐るべきトンチキ大誤解をしてしまったのだ。それはまた、かつて洟も引っかけてくれなかった女性に対しての、ささやかな復讐のつもりだったのかもしれない。
若さゆえのこととは言っても、この一時期のにわかテング女性蔑視状態は、人生のエアポケットだったと思う。
「女呼んでもんで抱いていい気持ち」……往年のサザンオールスターズの曲名じみた馬鹿者オーケンの考えはそれからしばらく続く。
しばらく、と言っても、そんなに長くはなかった。女の子はそんなくだらない存在では無いということを教えてくれた女性が現れたのだ。
その運命の女性は、D子さんといった。
※1 有頂天、ラフィン・ノーズ、ウィラードの三バンドが併せてこう呼ばれていた。
※2 インディーズの頃 名乗っていた芸名。
大槻ABC その後の仁義なき日々
「D子さん、ああD子さんD子さん」
彼女と別れて数年もたった今でも、彼女を思い出すと、ボクは松尾芭蕉のようにただ彼女の名をつぶやかずにいられない。
「あの時、私がリングに上がり力道山と戦っていたならば、プロレスの歴史は大きくかわっていただろう」と、極真空手の大山倍達は『空手バカ一代』の中で語っている。
同様に、私は本書の中でこう言いたい。
「あの時、D子さんと出会っていなかったら、私のその後の人生はまったく違うものになっていたであろう」と。
あの時とは、C子さんと別れて数ケ月後、新宿にあるロフトでライブをした日のことだ。当時のギタリストで、今はソフトバレエのサポートなんかをやっている石塚君とロフト前で立ち話をしていると、子供が初対面の人に会って恥ずかしくてしょうがない、でもうれしいというような様子でトコトコと近づいてきた女の子があった。
「あー大槻さんですかぁ」
と彼女は言った。体はボクの方を向きながら、首をかしげて、斜めの方向を見て話すヘンな子だった。
「ミニコミを作ってるんで今度取材させて下さいね」
「いいけど何で横向きながらしゃべるの?」
ボクが尋ねると、彼女は相変わらず横を向いたまま「いーじゃない」と笑った。笑うと目が線になってしまう。「いーじゃない」の「いー」とのばす感じが可愛いなぁとその時ボクは思った。彼女が去った後、ゴーカイで気のいい石塚は、
「おー大槻、いーじゃんあの子、やっちゃえよ、やっちゃえ」
と言って、ワハハハハと笑った。
それからしばらくして、ミニコミで取材に来たD子さんとボクは、45分とは言えないけれど、かなりの速さで恋におちた。
恋をする場合、いろんなパターンがあるけれど、大きく二つにわかれると思う。勝手な思い込みを相手に投影し、つき合うようになって現実の相手とのギャップに気付き、それでも好きで、ギャップをお互いに埋め合いながら最初のイメージに近づいていく、そうして二人で不完全から完全な型へと未来を作っていく恋。
そしてもう一つは、出会った時からお互いが、これ以上にはないという程にピッタリの相手にめぐり合ったと考え、逆に、「出会っていなかった」、つまり二人が共に生きていなかった、二人が出会う以前の時代の穴を、埋めていくような恋。
ボクとD子さんの恋は、後の方だった。
例えば彼女に江戸川乱歩の本を貸す、すると次にあった時には別の乱歩の本をかかえた彼女が「なんで今まで江戸川乱歩読まなかったんだろう私」と本当に不思議そうな顔をするのだ。
逆に彼女からディズニーの音楽を集めたテープを借りたボクは、次に彼女に会うと、「スゴイ、何でこんなよいものを知らなかったんだオレは!」と興奮しながら彼女に言った。
そうやって、お互いがまだ会っていなかった頃の穴を二人で埋めるようなつき合いをしているうちに、ボクの「女呼んでもんで抱いていい気持ち」的女性蔑視アンドもてなかった頃の女性への復讐なんて思いは、氷の溶けるように無くなってしまった。
女性ならではの、好きな異性に対する献身的なまでの愛情というものを、彼女とつき合って初めて知った。そういうものが現実に女性の心の中にあることを、ボクは知り心の底から驚いた。
半径五センチの小さな世界にいたボクの女性像は、彼女と出会ったことによってやっとまともなものになったのだ。
性妄想の対象としてしか考えていなかった女性。接する機会が無かったために、娼婦性と処女性の二つの要素でしか考えられなかった女性が、A子さんという女性と実際に接してみたことでそれ以外の多種多様な人格を持つ生き物だという当たり前の事実にボクは気付き、その後バンドによりモンモンから百八十度逆の立場になり、大人な女性C子さんとのおつき合いで一時「女なんてこんなもんさ」と勘違いした時期もあったものの、真打ちD子さんの登場により、「女性ってのはスゴイ」というまたまた当たり前の事実にやっとたどり着いたわけだ。
「君のためならいいよ」
「君がうれしいなら私もうれしいよ」
と言う言葉でもって接してくれるD子さんの献身的愛に、ボクはコメント不可能な程のよろこびを感じた。
読書好きな彼女はいつも本を読んでいた。
待ち合わせの喫茶店に遅れて行くと、彼女は眉間にしわを寄せて本に没頭していた。(ククッ。フォークっぽいぜ)
「ゴメンゴメンおくれたなぁ」
「いいよ、本読んでたから」
「D子、今は何読んでる?」
「村上春樹」
「それはちょっと通俗で恥ずかしいと思うぞ」
「偏見よ。インテリぶる女の子のおもちゃになってるけど、読んでみるといいよ」
彼女の読んでいたのは村上春樹の『村上朝日堂』というエッセイだった。
「フムフム。『総てのネコには当たりとはずれがある』……か」
「ね、いいこというでしょ。ネコって当たりはずれあるもんね」
「D子んちのネコは」
「ウチのネコはハズレね。バカネコよ」
「当たりかはずれかどうしてわかるんだよ」
「このあいだウチの子の舌を引っぱってひっくり返してみたの」
「何だそれ」
「そうしたらね、『ハズレ』って小っちゃな字で書いてあったの。アイスの景品みたいに」
そんなことを言ってケラケラ笑う、彼女のヘンテコな感性にボクはいかれていた。
二人が出会うまでの穴を埋めていく作業の中で、ボクは彼女から多大な影響を受けた。
公園でうたた寝をし、よく本を読み、好きな作家のお墓まいりに行く、なるべく野菜を食べ、まだ行ったことのない暑い国へ思いをはせる。相手の言ったささいな言葉を忘れず、なるべく多くの詩を書く。
今ボクのやっていることの何分の一かは、彼女と出会っていなければなかっただろう。
いろいろなことを彼女との日々の中から学習したのだ。
彼女から教わった最後の教訓は、なんだかとっても哀しいものになってしまった。それは、
「好き同士であっても、別れなければならない時もあるのだ」
という、奥様向けメロドラマの定番台詞が、実は本当にあることで、それはボクと彼女の間においても、あり得ることだったという現実の重さであった。
ネコの目をよく見てみると……
扉を開けると〓“ニャー〓”と声が聞こえた。
僕のベッドの上にネコはちょこんと座っていた。
少しだけ開けておいたサッシの間から忍びこんで来たどこかのノラだろう。ノラのくせに真っ白くてふくふくしたそいつは、ジーッと僕を見つめている。不意の訪問者はお前じゃないか、なんだその新聞勧誘員を見るような目付きはエッ? オイ! ホレホレこいつめ、とノドをなでてやる。多分はたから見たら今の僕は「これ以上はないであろう」至福の笑みを浮かべているのだろうな。
僕はネコが好きだ。
まずあのオナカが好きだ。ほわほわというかペニョペニョというか、なんとも形容しがたいあの曲線が好きだ。しかも呼吸のたびにそのほわペニョがゆっくりふくらんだりへっこんだりする様は、よいなあ。潮の満ち干きを連想する。きっと潮の満ち干きがそうであるように、ネコのオナカも天空にぽっかりと浮かぶ月の引力の影響で、ふくらんだりへっこんだりしているんぢゃないかしらん? 思わずつっついてみたくなる。先をよく研《と》いだメスでチョンチョンつついてみたくなる。ちょっと力を入れすぎると、水を入れた風船みたいに〓“プン〓”と小さな音をたてて、中に溜まってるものが流れ出してきそうだ。臓物じゃなくてケシの花がサラサラと流れ出してきたりするのも、美しくてよいなあ。
夜のネコが好きだ。夜がなんのためにあるかと問うならば、これは暗黒街の住人のためでも、「苦節二十三年、この歌に賭けてます」の演歌歌手のためでも、ましてやパパとママの三ケ月に一度のセックスのためでもなく、夜はやはりネコのためにあるのであって、だから月夜の細い一本道で人間とネコが対峙した場合は、すみやかに人は道をあけ、夜の帝王であらせられるところのネコ様をお通ししてさしあげねばならないのだ。それがルールというものだ。と思う。
ネコの目、あれはどこを見ているのか? ネコには人に見えない、この世ならざる別の世界が見えるのだ。なんてことは誰でも言うわけだけど、真剣に「さて何を?」と問われたなら、さてどんな世界を見ているのだろう? クトゥルーの神々か? 丹波哲郎の大霊界か? はたまた平井和正の内的宇宙でも見えるんだろうか?
きっと別に特別な世界を見ているわけではないのだ。ただ、「これからボク(ワタシ)はどうなるんだろう」とネコは思っているだけなのだ。
以前、付き合っていた女の子が子ネコをもらいに行くというので、ついて行ったことがある。その子はケーキの小箱を持って、待ち合わせの場所の銀行の前に立っていた。小一時間もそこで二人は子ネコの来るのを待った。その子はネコの名前は何としよう、ねえどうしようか。ネコがなつかなかったらどうしよう、ねえどうしようか。鼻だけ真っ黒なブスネコだったらどうしようねえどうする? とさかんに尋ねてくる。僕が、ああどうしようか、こうしたらどう? と答えても、彼女はまったく聞いてない風で、〓“どうしよう、ねえどうしよう〓”と繰り返していた。
いかにも〓“オバさん〓”といったオバさんに抱かれて子ネコはやって来た。鼻だけ真っ黒のブスネコではなかった。かわいかった。見ているだけでスーパーニコニコしてしまいそうなチビメスネコである。彼女はネコをオバさんから受け取ると「ウヒーかわいいよー」と言いながらしゃがみ込んでしまった。
オバさん、お礼のカステラを受け取って帰っていった(そうか、今にして思えばカステラ一箱であいつは売買されたわけだ)。
「あれ、ぢゃあそのケーキの小箱は何?」
「これはね、この子を入れるために持って来たの」
ネコをケーキの小箱に入れて、陽のかたむきかけた商店街を僕と彼女はトボトボと歩いた。お買物のオバさん達でゴタゴタゴタと賑わう商店街の駅へ続く道を、二人と一匹で歩いてゆく。
「ねえ名前はどうしよう、ごはんはどうしよう、どうしようかしらねえ」
彼女はニコニコしながら幾分早い足取り。今にも意気揚々とネコ入り小箱を持ったまま大腕をふるいそうで、僕はそんな彼女をハラハラしながら見ていた。
「ねえ、どうしよう、どうしようかしらねえ」
その頃の僕といえば、やっとこ入った大学は中退寸前で、趣味でやっていたバンドがどういうわけかプロデビューするのしないのでもめていて、おまけにアルバイトもクビになって、なによりも彼女とうまくいかなくなりかけていた。「あたしネコを飼おうと思うの」それはいいねえと言いながら、離婚まぎわの夫婦が「赤ちゃんでもいれば」といってるみたいだなあ、なあんて思ってもいた。彼女ぢゃないけど、これから僕はどうしよう、どうしよう、どうなるのかな、と悩める若者であった。
「ねえってばどうしようか? どうしようかねえ」
「うんどうしようか、直接ネコに聞いてごらんよ。……そうだ、ネコに聞いたら何かわかるかもしれない」
「それはいいわねえ」
彼女がケーキの小箱をちょこっと開けると、ビックリ箱みたいにネコの頭が飛び出した。「アハハ、この子に何聞いてもだめみたいねえ」
彼女は嬉しくってしょうがないよあたしゃあ、って顔をして僕に言った。
「だってこの子、『これからボクはどうなるんだろう』って目をしてるんだもの……」
踊る情感欠落人間
ボクはダメ人間である。
こんなことを言って自分を卑下して女の子の同情を買おうとか、すきあらばそのついでにオッパイもんじゃおうとかそんなのではない。本当にダメ人間なのだ。
小学校の時は先生に「お前は腐った魚の目をしている」と言われ、中学ではまた先生から「お前は人生でいっつもビリッケツだ!」とのありがたい言葉をいただいたこともある王道を行くダメ人間なのだ(ちなみに検尿を出すのが遅れただけでそう言われたのだ。教育って……)。
ではどこがどうダメなのかといえばこれは自分でもわかっている。
一部の情感が欠落しているのだ。
女性を慈しみ、愛しく思い、できるならいつも一緒にいたい、共有する時間を一秒でも長くいたい、という、恋愛に不可欠な情感が生まれつき欠けているようなのだ。
このことに気付いたのはもうずい分と前のことだ。その頃、ボクには結婚まで真剣に考えた女性がいた。
彼女はミニコミを作っている人で、インディーズで人気の出だしたボクをインタビューしに来て、それで出会った。新宿の、ロフトというライブハウスの楽屋であった(このくだりフォークっぽいな)。
人の目をまともに正面から見ることのできない、やや自閉的なところのある彼女は不思議なムードに満ちていた。うつむくとまったく表情の見えなくなってしまう長く黒い髪。笑うとやっぱりなくなってしまう黒目がちの瞳を、ボクはどきどきしながら見つめた。
彼女も、はじめてあったばかりのボクを、好きになってくれたようだった。
インタビューの数日後、彼女は交通事故に遭い入院してしまった。江戸川乱歩と寺山修司の文庫本を抱え、お見舞に行くと、彼女は体だけこっちを向いて、顔はちょっとそっぽを向いて「あー、来たー」と言って照れ臭そうに笑った。
笑うとやっぱり目がなかった。
それからボクと彼女はデートを重ねるようになり、すぐにお互いの家を行き来するようになり、そのうち「なんだかいついっても大槻の家には女がいるなあ」と男友達に突っ込まれる状況となった。電気グルーブの卓球君に「ケンちゃん、のどにキスマークついてるよ、このぉ」などとひやかされたりもした。その頃ボクは実家の一室に住んでいたわけだから、父や母も気づいていないわけはないはずなのだが、やんわりと注意を受けるということもなかったのは、家庭内で一言もしゃべらない不気味根暗な息子にやっと訪れた至福の時を、暖かく見守ってやろうというイキなはからいだったのだろうか。そういえば、捨てようと思って廊下に置いておいた本の山を彼女が整理してくれていた時、バッタリと帰って来た父と遭遇したことがある。「あ」とか言って彼女とすれ違った父は、そのまま自室に引っこんでしまった。その後、父はボクにこう質ねた。
「賢二、あれは古本屋さんか?」
ただ単に、息子の至福の時など気づいちゃいなかったのかもしれない。
彼女は読書とネコと公園が好きで、デートは本屋か公園が多かった。新宿の紀伊國屋書店へ行って椎名誠の新刊を探したり、日比谷公園で二人して野良ネコの白いお腹を小枝でプニュプニュつついて遊んでいたりすると、なんともいいようのない安堵感があり、きっとこうして一生を共にするのだろうなあと思ったりもした。
ポカポカとした春の公園をよく二人で歩いた。
しかし、ボクと彼女がうまくいかなくなるのに、あまり時間はかからなかったのだ。
原因の大部分はボクにある。ある時から、ボクは彼女に対し、セックスはおろか、彼女の体を抱きしめてあげることや、キスまでがまったくできなくなってしまったのだ。
そういう行為すべてに嫌悪感を感じてしまい、彼女のあたたかな背に腕をまわしても、うれしくないのだ。むしろ、つらくなってしまったのだ。
まだ十代後半だった彼女にとってそれは単に自分に対する愛情が減ってしまったからだとしか思えなかったろう。ある日、彼女は泣いてるような笑ってるような顔をして、それでも何とか冗談っぽく声色をつくろって、
「なんでキスをしてくれないのだ?」
と聞いた。
一生に一度だけ超能力がつかえるとしたら、ボクは迷わずこの時この場所から消え去ることにその機会を使っただろう。
彼女はそれからしばらくして自殺を図った。彼女の家に電話をすると、受話器を取った彼女の母は、「聞いてませんか?」と言った。
「ハ?」
「酔っぱらって手首を切りましてね。今はもう大丈夫。家で寝てますけどねぇ……」
公衆電話のコードのように、ボクの頭の中はらせん状にグルグルとまわった。
それでもボクは、彼女の肉体を抱きしめることができなかったのだ。
手首に白い包帯を巻いた彼女と天気の良い日に公園で会った。
「この間、サザエさんを見たのね」と彼女は語り出した。
「カツオが言うのよ、『父さん、たまには母さんを連れて梅でも見に行けよ』って、ナミヘイとフネは『それもいいな』とか言って二人で水戸に梅を見に行くの」
彼女は決心したようにボクの目を正面から見つめ、
「私達もああなれたらいいね」
と小さく言った。
今思うとおそらく、ボクのスキンシップ恐怖症は、最初に述べた、恋愛に不可欠な情感が欠けていることによりおこった心の病的状態なのではなかったかと思う。ボクは女性に接近しようとする時、多くの若い男性がそうであるように、第一の目的をセックスと考える。自分のエロリビドーにつき動かされ、女性の性的フェロモンに導かれてアプローチを仕掛けるのだ。そうして第一の目的に到達したなら、そこから恋愛の情感につき動かされ、「いつも一緒にいたい」と思うようになるのが普通だ。ところがボクの場合、エロリビドーが満たされると、恋愛の情感には行かず、もっと別の側面から女性を見守るようになってしまう。それは、年上の者が幼い者を保護してあげようというような気持ちである。父が娘を思う気持ちだと思って欲しい。ボクは女性に対し、エロリビドーと父性愛でしかつき合うことができないのだ。父性愛に目覚め過ぎるとエロリビドーにブレーキがかかる。まさに近親相姦を本能で拒む父親のように、彼女に対する性的スキンシップの一切ができなくなってしまったのだ。生理学的なことはとんとわからないけど、父性ホルモン的体内物質の分泌異常かなんかだろうか。オナニーに燃えたモンモンたる日々からやっと逃れたと思ったら、今度はフェロモンとホルモンのやっぱりモンモンコンビに悩まされたというわけか。
なんてシャレを言ってる場合じゃない。
彼女の「はやくナミヘイとフネみたいになりたい」発言は、老境に達すればこんな肉体的接触について悩まなくてすむ。早く二人ともジーさんバーさんになって、そんなことに悩まされず梅でも見に行きたい。という、まだ十代の女の子にはあまりに哀しい願いだった。
けれど、二人がナミヘイとフネの年齢に達するまでには気の遠くなる程の時間が必要なわけで、結局その長すぎる時を埋めるすべも無く、ボクと彼女は別れてしまった。
全ては情感の欠けたダメ人間のボクがいけなかったのだ。
それから数年は、梅を見る度に彼女の笑うとなくなってしまう瞳を思い出して泣けた。梅の咲く公園を歩けなかった。梅が散り、桜が咲くと、ボクはホッとした。
男性諸君! 本当に「尻」でよいのか?
「女性の体のどの部分に性欲が湧くか?」なるアンケートを二十代の男性にしたところ、圧倒的支持を得てドードーベスト1に輝いたのは「尻」であったとゆう。
誰がどの部分に興奮しようともそれは勝手だ。日本は民主国家なのだから……だが。
だが「尻」はイカンと思う。僕は。
十代の日々、我々リビドーモンモン男達はまだ見ぬ異性の裸体を思って日々を過ごしていた。日が昇り日が沈み月が空にほえる二十四時間の内、約二十三時間はそのために費やしていたといっても過言ではなかろう。
まさにリビドー詰肉袋といったところか。
「女体の神秘か、神秘の女体か……」修行僧の読経のようにつぶやきながら小銭をにぎりしめ歩く月明りの夜道にモーゼのごとくそびえるエロ本の自販機。「あぁ……、エロ本自販機の、サイレンだサイレンだサイレンだ……」
女体に対しての「思ひ」はやがて、そのもの全体についてから、そのものの各パーツへの「思ひ」へとトランスフォームしていった。「妄想」がそれ自体をまだ見ぬ内に肥大し細分化してしまったのだ。少年達は語り合う。「汗がしっとりと浮かび始めたうなじ」について、「決して太すぎず、しかしまったりと丸みを帯びた太もも」について、そして「ふいに降る夕立の雨水が、二秒だけひっかかりそうなさ骨」について……。熱く熱く、おのれのリビドーの業火を人に語ることによって少しでもしずめようと……。
――たしかに、その時にも「尻」について熱く語る者はあった。あったが、しかし彼の語る「尻」には美意識があった。そう、「尻」が悪いのではない。問題なのは美意識だ。
ここから言うことは、全てボクの独断と偏見以外の何物でもない。説明不足と怒られる読者もおられるだろうが、こう思うんだからしかたがない。
そういった意味も含めてあえて言いたい。
二十代の男が語る「尻」には美意識が無い!
二十代の男が「女のどこが良いか」と問われて、一言「尻」とはき捨てる。その態度には少年の日の女体によせる「思ひ」はもうない。「女なんて、女体なんぞそんなものよ」といったあきらめが顔をのぞかせる。ひいては人生に対するなげやりさが感じられる。「何もそこまで」と突っ込んだ君よ、友よ。君はわかっていない。生きることへの意気込みは、まず「性欲」にあらわれるものなのだ。誰が女のどの部分を好むかで、その男の生きることへ対する思いは一目瞭然となるのだ、と思う……多分。
「あきらめ」ならばまだよかろう。それよりも恐いのは性欲に対してすら「安定」を求める心だ。今までこだわっていたものを捨て「尻」を好む。「U《※》WFもいいけどやっぱ馬場さんのプロレスが安心してみられていいよ」「野球? よくわかんないから、まぁ巨人にしとくよ」。それは冒険をさけ、あたりさわりなさを望むふがいなき心ではないのか?
「尻」に、もし花言葉があるなら(あるわけねーけどさぁ)、それは「保守安定」であろう(何かムチャクチャいっとるがあんまり気にすんな、そーゆー日もあるぜ、ハハハ)。
※ 『馬場のプロレスはショー。我らこそが真のプロレス!』と過激発言をかましたアントニオ猪木に対し、『猪木プロレスもまたショー、我らこそが真の』と言い放った前田日明により設立されたプロレス団体。イデオロギー闘争により解散。今はもうない。
ストリップは心地良い退屈を与えてくれる
小春日和の午後に吉祥寺で電車を降りて、丸井の横の小道を百メートル程も歩くと、素晴らしく美しい光景を見ることができる。
小道のはずれは階段になっていて、数段下るとそこからは井の頭公園だ。階段からは公園に長々と横たわる池が見える。池の水面は日の光を受けキラリキラリと、まるで音が聞こえてきそうなほどに輝いているのだ。高価な宝石を思わせて輝く池が「やーやーよく来たね」と迎えてくれるのだ。
じーさんだったらすかさず「ああいい塩梅だよ」とうなずき俳句の一つもひねるだろう。心の落ち着く光景である。
まだじーさんではないボクもここへ来るといー塩梅になる。歌詞の一つもひねりたくなる。ひそひそ話のような木の葉を踏む音色だとか、空の上を飛行機が行き過ぎ、しばしの間の後に聞こえてくるゴーンという通過音だとかが、「創作意欲」っちゅーもんをかきたててくれちゃうわけだなこれが。
「いー塩梅」とはつまり心の安定を指す。
この本のあとの方では、舌の根も乾かぬ内に「人生に必要なのはテンションなのだ」と力説したりもするのだが、やっぱり人間「リラックス」は大事だ。
ボクがリラックスの場として活用している最上の場が公園なのだ。自然があり、人々がホノボノとしていて、第一金がかからない。まったくこの上ない場所もあったもんだ。
だが最近、公園とはまた違った意味でいー塩梅になることができる場所をボクは見つけた。そこには自然はない。集う人々は限りなくうさんくさい。何より金がかかる。それでも確実にボクの心を平静にさせてくれるその場所は浅草にある。名をロック座という。
ロック座と聞いて思いあたる人のほとんどは少年読者であろう。女はわかるまいて。
そう、ロック座とはつまりストリップで有名なロック座のことだ。
ストリップを見にいこうと思ったのは、東スポ紙か何かで見たロック座の広告に工藤ひとみさんの名を見つけたからだ。ひとみさんはいつも悲しげな目つきをしたAV女優で、ボクは彼女の「困ったなァ顔」と、それとうらはらに勝気そうな彼女の台詞まわしにかなりイカれていた。ファンになった。「彼女がストリップに出演するということは彼女を生で見れるということか!」コロンブスの卵に驚いた人々のようにボクも驚いた。早起きしてロック座にかけつけた。料金は七千円だった。憧れのアイドルを間近にするというのは金がかかるなァ、と、ボクはファンの女の子達の気持ちが少しわかったような気がした。
ひとみさんはもちろん素晴らしくて、ボクはそれだけで七千円取り返した気分になったわけだが、それ以上にこのロック座という場所が気に入った。
ロック座は日本のストリップ劇場の中でも特別によい設備を持っている。ストリップといって人々が想像するだろう「いなたい」雰囲気も無いわけではないが、ずっときれいだ。音響、照明もかなりのものである。「マナ板ショー」「放尿ショー」といったえげつないことはここでは無い。二時間のステージ中、十数人の踊り子さん達がただ踊り、ただ脱ぐ、それだけで二時間がもってしまうのは、彼女達が自分の踊りと体、そしてそれを見せるということに限りない誇りを持っているからだ。
自信に満ちた人というのはその存在だけで美しい。
自信に裏打ちされた彼らの身のこなし、一つ一つがまるで宝石だ。
おお見よ! 肉体をくねくねと軟体動物のようにふるわせながら、彼女は今脱いだパンティーを手首に巻きつけるのだ。視線は一度たりともその白き布を見ることなく、だが確実にクルクルとパンティーは彼女の手首にリストバンドと化して巻きついてゆくのだ。
芸だ、これこそが技術だ。
ボクはその光景をただひたすらに黙して語らず見つめるのみ。
ボクの瞳は女の裸体を前にしても燃えてはいない。
遠く遠く、いつか見た地平を見ているようなその瞳はつまりリラックスの状態を意味している。
信じられないかもしれないが、ストリップはボクの心を興奮させるのではなく、安定させる。
女性の裸というのは、それだけで見るものにリラクゼーション作用をもたらすようだ。
そして女性の裸はさまざまな事象を連想させる魔術の物だ。イマジネーションの原点だ。
「たゆたうふくらはぎは子供のころに見た野生のけもの」「鳥肌の立った胸のあたりは食べそこなった甘い物――ああそれは昔ボクに内緒で友によって食べられた――」「なめらかな背をころがる髪の数千本は青春の頃の憤り」そんな風に彼女の体の一部一部が連想の発端となって、際限なくイメージは広がってゆくのだ。
彼女らは一人一人ステージに立つとしばらくの間服を着たまま踊り、音楽が変わるとその身を包む衣を脱ぎ、音楽と共に高まっていく心の動きを踊りによって表現していく。エクスタシーのさまが音楽と踊りとそして彼女自身がぴたり一致した時に訪れれば、それは全ての表現活動の中でも最上の部類に入る感動的なパフォーマンスになりえるのだ。
しかし宗教画のキリスト復活を思わせるその至高のストリップに出会えるのはまれだ。
ストリップはそういう素晴らしい時を持っていながら全体としては適度に退屈だ。
心地のよい退屈なのだ。
退屈にのまれることなく、無駄な時間の間で有意義ないろいろのことを考えることができる、ほど良い退屈なのだ。
井の頭公園の輝く池のように、ピカピカとまぶしいネックレスをつけたストリッパーの裸を見ながら、この退屈は何かに似ているなとボクは思った。
音楽がブルージーなギターに変わった時、「あーそうか」と気づいた。
ブルージーなギターでボクはデ《※》イブ・ギルモアを思い起こし、そして気付いたのだ。
ストリップのゆるやかな退屈、そして時々訪れる高鳴る情感は、ピンク・フロイドの音楽にとてもよく似ているのだ。
あの、長ったらしいスピード感のまるでない、ほどよい退屈が寄せてはかえす波みたいに流れ続けるいにしえのプログレバンド、ピンク・フロイドに感動の振り幅がそっくりなのだ。
ピンク・フロイドは大好きだった。十代の頃毎晩のように『狂気』『炎――あなたがここにいてほしい』『アニマルズ』『ウォール』などの名盤を聴いた。聴いていると心が静まり、いろんなことを考えた。ピンク・フロイドはそのころ、ボクのイメージの基であった。
公園、ストリップ、ピンク・フロイド、ボクの想像の原点となるものの共通項はどうやら、心地良い退屈であるらしい。
心地良い退屈を与えてくれるものは他にもあるだろうか、多分あるだろうけれど、とりあえず今はストリップが最上の策である。
※ ピンク・フロイドのギタリスト。
亀三郎フィバる!
ディスコ「ゴールド」に行ってきた。
僕はディスコだとかクラブだとか、流行最先端風俗にとんとうとい人間である。特に〓“踊る〓”という行為がダメなのだ。幼少のころより、「踊り」というものは、強制されて、しかたなくやるものという認識がある。お遊戯、フォークダンス、創作ダンス、体育の授業において、それらはつねに悩みの種であり、娯楽からはかけ離れたものであり、男子の数が女子の人数を上まわっていた我がクラスでは、あまった男子共は、同性どうし脂ぎった手をそっと握り合い、右に三歩、左に三歩、クルッとまわって片足上げて、〓タッタタラリラダンスを踊ろう。という、やっていても見ていてもまったく美しくない光景が展開されてしまうのだった。そしてこの、悲劇の男子小学生達は、いつも「背の高い」生徒達の受け持ちであった。「背の高い」。今ならば彼氏にしたい絶対条件に必ずや入るであろうそんな特権も、ダンスの授業においては大どんでん返しか一気に被差別の対象となってしまうわけだ。
悲しいことに、僕は小学生の頃より背が高かった。
今でも「踊り」という同級生のやけに湿った感触が手のひらによみがえって、イヤ〜な気分になる。
そんな僕が何故ゴールドなどに行ったかというと、そのゴールドに、「占い」のスペースを持っていらっしゃる方と対談を通して知り合い、その方が御案内して下さったという訳だ。
リズムをとりながらさっそうとダンスフロアーへつながる階段をかけのぼるその人の後ろを、まるで犬のように、完全なるおのぼりさんの大槻はついていった。
「本当にみんな踊ってるー」
と、いうのが我がディスコ内視察第一声である。いやいやマヌケではあるが、本当にビックラこいちゃったんだよあたしゃ。
轟音の中で、みんなニコニコしながら踊っているのである。先に述べた事情から、「踊り」という行為と「ニコニコ」が結びつかない僕にとって、これはショックであった。ズンドコズビズバと踊りまくっている人々を見る限りでは、どうやら「踊り」という行為は楽しいものであるらしいのだ。
ほとんど、大槻亀三郎七十三歳、無職。といった文章になってしまった。読者諸君よ。亀三郎じーさんは世の中いろいろだなと痛感しちまっただよ。デスコっちゅーのはスゴカとこばい。わしゃあ毒っ気に圧倒されて便所にいっただよ。そしたらあんれまー、黒い下着姿の異人さんが二人おっただよ。あいや失敬御婦人用でしたか、と思っただども、わし以外にも男はおるのじゃ。こりゃまどーゆーことだべなー思っとったら、その異人さん、あんたあれだ、おカマでねーの、見上げるばかりのでっかいおカマさんが二人、靴とパンツとオッパイバンドしかつけてねーんじゃよ。なにごとかー! わしゃぽかーんと口あけとったんじゃ、ほしたらま、その異人さん接吻始めおったんじゃよ! もうチューチュー音ば立てて、舌ば吸いおっとるとじゃよ。はー、世の中いろいろじゃなあ。くわばらくわばら。
それでも日ごろから、「書を捨てよ街へ出よう」をモットーとする大槻亀三郎七十三歳は、書ならぬ便所を捨て、カオスとにぎわうダンスフロアーへ向かったのだ。右手にカンビールを握りしめ、決死の覚悟、さながら危険を買う男イーブル・クニーブル、もしくは二代目引田天功の精神で、おのれの肉体をハウスビートとサイケなライティングの洪水の中に投じたのだ!
ズンドコズンドコズビズバパパパー
ドンドコスットコドコボコスボボ――ン
懐かしのアニメ「じゃんぐる黒兵衛」のテーマではない。ハウスサウンドは僕に、このように聞こえたのだ。
ズンスコボビボンオッペケボコスコ
楽しさはまだわからない。ビールをグビリとあおる。
ボンスコボコボコスットコスココン
まだ楽しくならない。さらにビールをグビリ。
ボボンコボコボンオッペケオペーン
ステッテスコスコシコシコボヨヨン
まだだ。さらにビールをングング。
ボボンコスコスコボヨンチョハデベー
ボンポンボコスコホテッペチョイナチョイナ
まだだ!
……いや、待て!
我が肉体の中で、何らかの変化が訪れようとしていた。
この……この興奮はなんだ。ビートがライトが、全身を包んでゆくのがわかる。悲しい思い出、水っぽい同級生の、あの感触が消えてゆく。
ボンスコボコボン
これが……
スットコホモポン
これが……
ボンスコボコボンスコスコスッポポ
これが……
これがフィーバーというものか=
その時、亀三郎の理性のタガはふっ飛んだ。
亀三郎の腰が大きくグラインドを始めた。
亀三郎に、ジョン・トラボルタの魂が宿った。
ボンスコスココン
ドンドコボヨヨヨン
熱くダンシングしながら、ニヤリと笑い、亀三郎はつぶやいた。
「サタデーナイトはノン・ストップ! てとこかな…」
ともかく、ダンストラウマに二十数年間さいなまれていたボクだが、この夜、なんだかノッた。ただたんに酔っぱらっとったのかもしれんが、つかの間フィーバーしてしまった。
なんでもやってみるものですね。
バンドブームとは〓“夏〓”だったのだ、多分。
「俺は関係なかったもんね」
何十人ものミュージシャンがそういう態度をいくら取ってみても、
それでも確実に「バンドブーム」は存在したのだ。
そしてまたそれは確実に、終わりを告げたのだ。
もう一つ言うなら、
実際、ブームに影響を受けなかったバンドマンは一人としていなかったはずである。
僕も渦中の一人であった。
インディーズブームから始まってイカ天終了に至るまでを、波の中にいて流れを肌で感じながら体験することができた。
小さなきっかけをいろいろな人が大きなものにしようと努力し、そこにさまざまな各自のおもわく、ねたみ、虚栄心、そういったものがからみ、いつしか巨大な資本力と、ファンの低年齢化によるブームそのものの通俗化によって、大きくなりすぎて身動きとれなくなった観賞用の魚みたいに沈んでいくさまを、一部始終を見守ることができた。
『とても素晴らしい経験だった』
いや、これは皮肉でも嫌味でもなんでもなく、僕は今本心でそう思う。
思春期の少年少女達は常に、つまらない日常から自分を救い出し、遠く高く放り投げてくれる何か面白い存在を求めてさまよっている。時代によってそれは戦争であったり学生運動であったりヒッピーであったり暴走族であったりするわけだが、一九八九年から一九九一年にかけて、何故かしら彼らの目は日本のバンド、というものに集中した。この「何故かしら」という部分を分析すると、それこそそれだけで一冊本が書けてしまうのでここでは置いておくが、ともかく、少年少女達の前にロックバンドのお兄さん達は、あたかも救世主のように映ってしまったのだ。
そういえば、髪を垂直にダイエースプレーで立て、上げ底のクツをはき、エレキギターを持って、特殊メイクのような化粧をして、扇情的な歌を絶叫するロックバンドマンの姿って、まるで少年マンガのヒーローそのものじゃあないか。かくいう僕も似たようなことをしていたのだけど、最近になるまでそのイメージの安っぽさに何の疑いも持ってはいなかった。多分僕は熱に浮かされていたのだろう。この微熱状態こそがつまりブームだったんだ。
ブームが終わり、少年少女達は自分達のヒーローを捨て、少し大人になって去っていく。
彼らが去っていった理由のひとつは、ヒーロー側が彼らの要求に対し、忠実に過ぎたことであろう。
例えば少女達は、ヒーローに美しくあってほしいと願う。彼女達はあまりに純心であり、性に対しても自分達とまったく異なる肉体を持ったものには拒絶してしまう。それは生理であるから仕方がない。ところが、ヒーローの側までがそれに合わせて化粧の中に自らの性を閉じ込める必要はなかったのではないだろうか。
化粧や着かざることが悪かったといっているのではない。
ハッキリと言ってしまえば、子供向きにつくられたものを子供は喜ばないということだ。
彼らが欲したのは、「大人が作った大人のためのもの」であったのだ。
それに対し、多くのバンドマンが「大人」を仮想敵にすることによって、彼らとコミュニケーションを取ろうとしていたのだ。まったく失笑されても文句はいえない。
多くのバンドマンにとって、楽器を持ち歌を叫び、そして背広は着ない。そうしていることが自分はまだ大人ではないのだ、という認識を持たせてしまったのだが、それは勘違いというものだ。
こう書いている僕もそういった人々を笑えない。
ある日ハタと気付くと、少年少女達の要求に答えなければと四苦八苦している自分がいたのだ。
しばし反省。
ニッコリ笑って空を見上げて、そしてこう思う。
「いやいやあれはあれでもう終わったことなのだ。
バンドブームとは僕にとって〓“夏〓”だったのだ。それも飛びきり暑くて短い一瞬の夏だったのだ。
『稲《※》村ジェーン』の広告文みたいだけど本当にそうだったのだ。
ものすごい偶然がいくつも重なってその季節が訪れ、さらにものすごい奇跡が重なることによって、僕はその夏の中に飛び込むことができたのだ。感謝こそすれ、いつまでも恥じることでもない」
さてこれから、
さてこれからどうしたものか。
どっちにころんでも面白けりゃいいってもんです。
※ 桑田佳祐監督による映画。
有頂天死すともナゴム魂は死なず!
有頂天と筋肉少女帯のライブデビューは一緒だった。
新宿明治通り沿いに今もある、小さなライブハウス「スタジオジャム」でバンド結成初コンサートを行ったのだ。
有頂天のボーカリスト、通称〓“ケラさん〓”は、筋少のベーシスト内田雄一郎の「学校の先輩」であった。内田が所属していた美術部に、ケラさんのファンという女《※1》の子がいて、彼女がケラさんにボクと内田のやっているバンドのテープを渡したことがきっかけとなって、有頂天と筋少のジョイントライブが決まったわけだ。
ライブを目前に、高円寺の南口、キャバレーの二階にあった練習スタジオ、シットインでリハーサルをしていると、我々の様子を見に、ケラさんはポケットに両手をつっ込み、首を左右にユラユラと振りながら、「よお」とか言ってふいに姿を現すのだった。
ケラさんは小脇に「DOLL」だの「フールズメイト」だのをかかえ、
「こないだB《※2》OYに行ったらア《※3》レルギーの宙也がいたなぁ」
などということをボソリとつぶやく、ロック青年であった。
そのころのライブハウスシーンは今よりも全然マイナーで、インディーズという言葉もまだなく、アマチュアバンドが自費でレコードを作ればそれはズバリ「自主制作」と呼ばれてた時代、それらを手に入れるには通信販売か、一部輸入レコード屋、果てはまだかろうじて生き残っていたロック喫茶でのみ、買うことができた。そんな状態だったから、わざわざ金と時間をかけて自主制作盤を買う人々というのは、よっぽどのスキ者か、今でいうならおたくなロック者か、どちらにせよまだまだアンダーグラウンドなシーンであり、知る人ぞ知る「裏ロック界」のような状況であったといえる。
「裏ロック界」はボクの憧れだった。
暗黒大陸じゃがたら、オートモッド、あぶらだこ、タコ、町田町蔵と人民オリンピックショー、サディーサッズ、非常階段、スターリン。
輸入レコード屋の片隅に置かれたミニコミ雑誌に、質の悪い印刷で載るそれらのバンドの、バンド名以上にドロドログチャグチャとしたステージ写真に、メジャーのフィールドにいるロックバンドにはない〓“気〓”のようなものを感じて、「これぞロック本来の姿だ、カオスだ!」と納得していたのだ。
今にして思えば、あの思い入れというのは、結局単に想像力だったのだなと思う。それらのバンドの音楽よりも、バンドを取りまくハッキリとしない状態、つまりアンダーグラウンド的なものが、その頃のボクのまだ何者にもなっていない自分自身に、ピッタリとはまっていたのだと思う。
ザラザラした安っぽいロック雑誌の一ページに載る、まるで宇宙人の死体写真か何かのように、判然としないアングラロッカー達のライブ写真は、ハッキリしないだけに無限の想像力をかき立ててくれたのだ。
ファミコンゲームの無機質な画面にさえ、果てしない想像力を膨らませてしまえるのが子供の特殊な能力だ。
ボクもまた、ボンヤリとした闇に包まれた「裏ロック界」に、ロマンみたいなものを感じていたのだ。
その後、実際に体験した裏ロック界は、はっきり言うとそれほどたいしたものでもなかった。情報が少ないだけに、それが人から人へ伝わるうちに伝言ゲームの要領で大きなものに変化し、ただの気のいいロック兄ちゃんが酔っぱらって大騒ぎしたくらいの出来事が「カリスマ」や「伝説的事件」に大化けしてしまうトリックというのをイヤというほど見てしまった。
トリックに身をゆだねることを良しとし、井の中のカワズ状態に満足している「カリスマ」達もいた(先にあげた人々は別、彼らは本物)。
「だめだ、こりゃ」
と思った。
「この世界にいたらオレもいつか井の中のカリスマにされてしまう」
と考えた。
自分のアンダーグラウンド的な歌詞や音楽を見つめ直す必要があると思った。
心の中の何だかわからない生ゴミのような宝石のようなドロドロしたものを連記する自分の方法では、広い世界の人々の胸を打つことは不可能だ。ではどうしようと考えた時に、ボクはそこに「笑い」の要素を加えてみてはどうだろうかと思った。
例えば親しい人との別れにおいても、何一つ前向きな行動を起こせず、ただ呆然とわかれを傍観してしまうようなダメ人間についての曲を作ろうとする時、ただ単にその男のダメさを書きつらねるだけではいけない。それでは単にアングラなのだ。広い世界では受け入れてはもらえないのだ。
そこで「笑い」の要素を加えてみる。
「ダメな人間、何ひとつできない人間」という「芸風」で活躍している素晴らしきコメディアン高木ブーさんを歌詞の中のこの男と絡めてみるのだ。
「何もできないで別れを見ているオレは」
という歌詞、ここまではアングラでもメジャーでもある普通の言葉だ。この後に何を持ってくるかで井の中のカワズで終わるかメジャーの方向に進んでいけるかが決まるのだとボクは思った。
そして思い切って、「オレは高木ブーだ」という言葉を書き加えた。
メジャーで受け入れられるためには、自分の訴えるべき言葉をそのままさらけ出すだけではなく、広い人々に受け入れられる要素で、トゲだらけの言葉をコーティングする必要がある。
この作業を「魂を売った」「自分を捨てた」と思うアーティストは、自分のプライドは守れるけど売れない。
売れなくてもそっちの方が清いとは思う、美しいとも思うけど、ボクは魂を売る方を選んだ。ハッキリしない世界にとどまらず、よりクリアーな世界をのぞいてみたかったからだ。
読者の十代のみなさんは、このボクの選択をどう思いますか? ボクに限らずメジャーの世界で活動する人なら誰しもがあえて取り入れた選択を、良しと認めてくれますか? それとも不純な奴と思いますか?
どちらにせよ、これに似た選択はいつか読者の十代の皆さんにも迫ってくるものなのだぞ。
さて話は戻って、
二つ年上で、ライブハウスのブッキングも自分で決めてしまい、「裏ロック界」の住人達とも面識のあるケラさんは、そのころのボクには、まるでマンガ家を目差す少年にとっての「寺田ヒロオ」ぐらいには見えた(わからぬ人はスマぬが藤子不二雄の『まんが道』を読んでくれたまえ。お手数ですが)。
それからポンと十年が過ぎて、有頂天は中野サンプラザで解散した。
ラストの大曲「愛のまるやけ」を、裏ロック界崩壊のレクイエムとして聞いたボクはただの若年寄か?
※1 彼女は現在マンガ家として活躍中。
※2 高円寺にあるパンク、インディーズを扱うレコード店、かつては喫茶店だった。
※3 その後「DE‐LAX」を結成。現在はソロ活動中のボーカリスト宙也さんのこと。彼は昔「アレルギー」というニューウエイブバンドをやっていた。
ロックのヒール
プロレスラーの大仁田厚さんに初めて会った時のことである。
大仁田さんは雄弁な人で、初対面の僕に熱く、そしてまた一方的に、自分のプロレスに対する思いを語ってくれるのであった。
「僕はFMW(大仁田さんが主催するプロレス団体)を創った時、五《※》万円しか持ってなかったんです。好きなことやろうってやつは貧乏なもんですよ。大槻さん、あんただって貧乏でしょ=」
「は、はい」
「僕のプロレスは邪道だって馬鹿にされることもある。でもいつか皆わかってくれるはずですよ。いや、わからせてみせますよ。大槻さん、あなたも『高木ブー』とか歌ってやっぱり馬鹿にされてるわけでしょっ=」
「は、はい!」
平成の生傷男、なる異名を持つ巨漢の大仁田さんに断定されて、「いいえ」と答えられる人間はそういないだろう。僕も思わず「おっしゃる通り」と言うように、ハイハイとうなずくばかりであった。
だが大仁田さんが次にこう同意を求めた時、僕は素直にうなずくことができなかった。
「でもね、貧乏だろうと馬鹿にされようと僕はプロレスを愛している。好きで好きでどうしようもないんです。だからやめないんだ。大槻さん、あなたも音楽が、ロックが好きで好きでしょうがないでしょ、愛してるからやめられないんでしょう=」
なぜバンドをやっているのか? と問われた時、いつも僕は明確に答えが出せないでいる。「ロック、音楽が好きで好きで愛しているから」でないことだけは確かだ。
映画、本、詩、そして音楽。そういった創作活動の中で、音楽というジャンルに対して僕はあまり思い入れがない。といっても、嫌いな訳ではない。音楽、特にロックを聞いてかっこいいな、いい曲だな、とは思うし、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」に涙した十代の日、なんてのもやはりある。それでも「好きで好きで」「愛している」といった言葉は当てはまらないのだ。
「ロック、音楽のためになら死ねる」人間にはなれないなと思う。
それではなぜバンドを始めたかというと、これには答えが出せる。きっかけはYMOを代表とするテクノブームだった。デザイナー、役者、などを本業とする、即席ミュージシャンがそのころ大流行のスペースインベーダーよろしくロック界に突如増殖しはじめた。彼らは従来のロック概念を根底からくつがえすようなコスチューム、パフォーマンスでもってロック界を大いにゆさぶったものだ。
僕はこの〓“ゆさぶり〓”にホレたのだ。
彼らの音楽よりも、彼らの黒船の襲来を思わせる異人ぶりに圧倒され、自分もああいうことをやってみたい、と。それでバンドを組んだ訳である。そんな不純動機を持つ僕であるから、音楽を「愛し」、ロックが「好きでたまらない」ミュージシャンと話をすると、僕とは違うなぁ、と思ってしまう。
彼らに対して僕はいつも、そういう〓“音楽、ロックを愛する感情〓”が持てて「うらやましい」と思う反面、「そんなもんかねぇ」とも思い、自分が音楽、ロックを愛せないことをバンドマンのはしくれとして「恥ずかしく」思いつつ、それほど思い入れを持たない自分がロックの世界でそこそこやっていることにおいて、彼らに対し妙な優越感を持ってもいる。複雑である。
では逆に彼らは、僕のような者がバンドをやっていることに対してどのように思っているのだろう。
客観的に考えてあまりよくは思われていないのではないだろうか。
日本ロック界において例えば僕のような者というのは、真面目に日々体をきたえ、命がけで試合にとり組んでいた新日本プロレスのレスラー達の中にいきなり元横綱の肩書きをひっさげて乱入し、初試合でメインを張ったはいいがブーイングの嵐を受け、あたりをひっかきまわし、果ては新日本のエース長州力とケンカして「しょせんプロレスですから」という捨てゼリフを残して他団体に移っていった、あの北尾光司氏のような存在なのかもしれない。
どんな世界にもベビーフェイスとヒールが存在する。北尾選手は無意識のうちに、ヒールとしてのレスラーではなく、プロレス界のヒールになってしまった。さしずめ、この僕は、ロック界のヒールなのかもしれない。
※ 本当は、その五万も借金だったらしい。
オーケン、映画を見る
渋谷に映画を見に行った。チケット売り場で金を出そうとポッケに手をつっ込みモゾモゾしている僕に、売り場の女の子はニッコリ笑ってこう言った。
「筋少の大槻さんでしょ、私ファンなんです」女の子はスッと招待券を差し出した。タダで映画を見られてうれしかったが、ちょっと複雑な気持ちだった。それというのもこの映画館には苦い思い出があるのだ。
僕は、何かうまくいかない事があると、無性に映画を見たくなるという変な癖がある。どうにも落ち込んだ時にフラッと映画館に入り暗い闇の中でスクリーンと対峙していると不思議に落ち着く。それは簡単に言えば現実逃避なのだが、鬱的気分の時に見る映画は僕の精神の深い所に入ってくるし僕もそういう時には映し出される物語の奥深くまで入っていける。中・高校時代、慢性的鬱状態にあった僕は暇さえあれば映画館に逃げこんでいた。鬱的気分は膝丈程の水深の、コールタールの沼だ。映画館の座席にすわっている二時間だけその沼の黒いドロドロが引いてくれるのだ。
そんな時に見た映画のいくつかは今も鮮明に僕の中に焼きついて消えない。
『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』『太陽を盗んだ男』『フルーツバスケット』『ハウス』、中野名画座、高田馬場パール座、中野武蔵野館(思い出の名画座たちのほとんどがもうなくなってしまった)、今はなき小屋に逃げ込んで見たそれらをたまにテレビの深夜劇場で見る事がある。そうするとなんだかこうジワジワとうずくのだ。胸が。それらを見た時の心の痛みが思い出されてうずくのだよズキズキと。
中三の受験間際には『ロッキー2』を見に行った。その日、つまらないことで教師に「お前は人生でいつもビリだ」という強力な一言を言われて、ひどく落ち込んでいて何か力の湧きそうなものを見たかったのだ。月末で親からもらった小遣いも残りすくなく、後四百円くらいどうしてもたりない、それでも家中の十円玉をかき集めて渋谷に向かった。チケット売り場で十円玉をぶちまけ「百円、二百円」と数え出すと当たり前だが売り場のお姉さんは絶対0度の冷たい視線で僕をにらんだ。後ろにならんだ大学生風のカップルもまた露骨に嫌な顔だ。「この中坊が」サーファー風の大学生はわざと聞こえる小さな声で言った。連れの女がケタケタと笑った。
「ウルセィ、俺はお前らみたいに映画をセックスの前菜にするために来たんぢゃねえんだぞ! スクリーンは俺にとって宗教なんだぞ、映画館の闇の中でスクリーンに映し出される憎しみ、喜び、悲しみ、笑い、恋愛、戦争、人生、そいつを見る事は俺にとっての儀式なんだぞ! お前ら、スクリーンは見えても映画は見えちゃいないんだ!」
その日はイライラして映画に乗り切れず、煮え切らぬまま映画館を出た、チケット売り場を通り過ぎる時チラッと売り場の姉ちゃんと目が合った。彼女は確かに「ふんっ」と言った。
あれから何年もたち、チケット売り場で暖かくむかえてもらえるようにもなった僕だが(もちろん売り場の人は代わってました)映画に対する気持ちというのはあまりかわっていない。さすがに「映画は宗教だ!」なんて大上段に構えなくなったけど、やはり映画を見るというのは自分にとってとても重要なイベントだと思う。だから、なるべく一人で見るようにしているし、嫌な事が続くと映画館に足が向くのも昔のままだ。
ちょっと前、長年一緒にやっていたメンバーが脱退を表明した時にも、かけ込むように映画を見に出かけた。憤りと今後の不安を胸に、悶々としながら見た一本の映画。その題名はズバリこういう物であった。
『バカヤロー!』
ポルノ映画館を出ると、街は黄金色だった
初めてポルノ映画を見に行ったのは、高校一年生、十五歳の時だ。夏休みであった。
練馬にある映画館の前に行くと、そこには待ち合わせた友人達の、明らかに祖父の物を無断借用したと思われるスーツ姿があった。十八歳未満に見られぬよう各々努力してきたつもりなのだろうが、「火に油をそそぐ」とはまさにこのことか! あきれかえる僕。しかしそんな自分も手にしたスポーツバッグの中に、護身用のハサミを仕込んでいた。ポルノ映画館には、そこを仕切るツッパリ学生が必ずいて他校の生徒が入ってくるとカツアゲされるのだ、というまことしやかな伝説を信じ切っていたのだ。
薄汚ない、すえた臭いの漂うその劇場で見たポルノ映画のタイトルを今だにおぼえている。
『〓1ポルノ・ジェニファー・ウエルズ』『痴漢透明人間』『悶絶暴行魔』
「桃源郷とはこういうことをいうのか」十五の夏休みはその日から、ポルノ三昧の日々と化したのであった。
中野、池袋、高田馬場、ぶっ壊れかけた自転車のペダルをヒーコラとこいで、汗だくになって、昼メシ抜いて金つくって、ただひたすらにポルノ映画館を渡り歩いた。
ポルノ映画とは、人生の縮図をぎゅうっとさらに握りつぶし、六十分間という非常に短い時間にまとめて、それをエロチシズムという、とてもわかりやすい要素でデコレーションしたものである。確か僕はそんな風にポルノを定義していたように思う。女性の裸というのは作品に接する切り口にすぎないのだ。その裏にかくれひそんでいる作品の本質を見てとらなければ、真のポルノウォッチャーにはなれない。などとへ理屈をこねながら、スクリーンに映し出される超巨大なオッパイに脳と下腹部をヘロヘロのグチョングチョンにされていたのだ。
三本立てを見終わって外に出ると、夏の夕暮れの、黄金に染まった街を、トボトボと自転車を止めたガードレールの向こうまで歩いていくのだ。街は会社帰りのサラリーマンと学校帰りの女子高生であふれ、これがスクリーンの上だったら彼ら彼女らは一斉にパンツをおろし、アヘアヘ始めるはずなのだが、そんな事の起こるわけは当然なく、街はあまりに道徳的。一人モンモンと歩く僕はそんな時、徹底的な自己嫌悪と太宰治読者のようなナルシシズムで思うのだ。
「……オレの人生って一体……むなしすぎる……」
あれから時は過ぎ、街にはアダルトビデオがあふれ、にっかつもポルノを作らなくなり、僕も全くそのての映画館に通わなくなった。
レコーディングで中野を歩いた時、何度となく足を運んだポルノ映画館の前を通った。看板は出ているが窓口は閉ざされている。そうかついに閉館しちまったのか。軽い感傷気分にひたりながらもよく見ると、そこには「入場券は二階自動販売機で」のハリガミがあった。吸い込まれるように僕は階段を登っていた。女優の等身大ポスター、雑誌が乱雑に積まれた待合室、そして、すえた臭いのしみ込んだ椅子、何ひとつ変わっていない。五〜六人程いる客もそのうちわけは老人、営業さぼりサラリーマン、行くあてない大学生、興奮しまくっているニキビ面というように、もしかしたら彼らはみな十年もここに座り続けているのではないかとさえ思える不動のメンツ。そして映画は……これがまた例によって例のごとく裸と人生と不条理を百二十パーセント濃縮ジュースにした高校時代に何十本と見た、あの、あのまんまのポルノ映画がそこにはあったのだ!
誰にも期待されず、注目を浴びることもなく、それでも創作されている作品がある。そして創作している人がいる。この事実を考えると僕は底の見えない井戸をのぞいているような、ちょっといやな気持ちになる。
自分だっていつかその井戸の中で、誰も水を汲みにこないかもしれないのに、井戸を掘り続ける。何かを創作しつづけることになるかもしれないのだ。
三本立てを見終えて、そんなことを考えながら映画館の階段を降りると、それでも街はやはり、ポルノに通いつめていた時と同じように黄金に染まっていたのであった。
「!(アイ、オウ)」
高校を卒業して六年もたつのに、今だに試験の夢を見る。数学のテストが始まるというのに、夢の中の僕は何一つ予習をしていないのだ。答案用紙が配られる、そこに並ぶ数式は、焼肉屋のハングル語メニューより理解不能だ。頭をかかえて途方にくれる。「途方にくれる……確か英語にすると、AT A LOSS……だったかな、全然違ったっけかな……ハッ! 違う、今は数学のテストじゃあないか」どうしよう、どうしたものかと周りを見渡せばいつのまにか僕はサルガッソー海の底にいて、隣席の女子生徒の長い髪はダイエースプレーで立てたかのように逆立ち、ゆらゆらと踊っている。彼女は僕を見て、
「君は留年するのよ」と空気の泡をはきながらいった。
この手の夢は大体いつも、ここらへんで終了する。目覚ましのベルを止めながら僕は、「ああよかった、もう学生じゃないんだよな、試験も留年も今のオレには関係ないんだよな」と胸をなでおろすのだ。
一説によると「試験の夢」というのは、現在において何か新しい試練に対する不安がある時に、自分を安心させるために見るのだという。「試験に落ちる、どうしよう」というところで目覚め「ああ夢か、もう試験なんて受けなくていい年じゃないか」と思うことによって、今現在を「そんなに悪いもんでもないぜ」と思わせてくれるのだという。
最近たて続けに試験の夢を見る。
夢の原因=新しい試練、それが一体何かはよくわかっている。
映画だ。
役者として僕は今映画を撮っている最中なのだ。共演はあの柴田恭兵さんと少年隊のニッキ、それに岡部まりさん。「どーしてそこに大槻が出てくんだよ!」と言われる前にオレが聞きたいぜ、といったキャスティングなのである。以前にも、チョイ役や、ビデオ映画への出演など、映像作品にかかわった事はあるのだが、いわゆる「ホンペン」への本格的出演は今回が初めてだ。しかも自分で言ってしまってはどうしようもないのだが、僕は「大根」なんである。演技というものが、とてもとても苦手なのだ。僕の芝居(と言えるシロモノじゃないけど)を見た友人は「性格俳優の性格が見えない」と言った。名言である。TMNの宇都宮さんの演技を百倍ぎこちなくしたら僕になる。といえばその恐ろしさの程がわかっていただけるだろう。
――そりゃあ試験の夢も見るわけだな。
じゃあなんで出演することにしたのか。本当は一度はお断りしたのだ。しかし「日を改めて、もう一度お話ししましょう」ということになり、その改めた日の午前中、僕は病院へ行った。実は父が入院していて、見舞いに行ったのだ。総合病院の殺風景なロビーで父と会った。
久しぶりに見た父は、まるで老人になっていた。
手術のための薬がのどに残ってしまったらしく、しゃべり声はまるでダースベイダーのようだ。もともとやせてはいたが、まるで干物みたくなってしまっていた。
「具合は……」
「ああ、まあ……どうだ、ラジオの方は……」
「ああ、まあ……」
「ああ……そうか」
「ああ……」
ろくに会話などしたことがなかったので、どうにも間がもたない。
「あ……んと、で、どう?」
「……なにがだ……」
「ああ……いや……」
「ああ……」
「うん……」
「そうか……」
まるで馬場と笠智衆の会話だ。
数十秒の間の後、いたたまれなくなったのだろう、ダースベイダーの声で父は言った。
「ケンヂ……もう帰れ!」
何か僕もホッとするものがあった。
帰る間際、ふと思い出して「映画の話がきたけど断ったよ」と言うと、父は「なんでそんないい話やらないんだ。何故なんでもやってみようとしないんだ?」と、とても不思議そうな顔をした。
病院を出てトボトボ五百メートルぐらい歩いた所で、ふとその言葉を思い出した。
「うん、そりゃまあ、そうかもしれんな」
と思った。さらに坂道をトボトボと下りながら、再び思った。
「そりゃま、そうだわな……」
午後、プロデューサーの秋元康さんと再び会う。
「やっぱり、やらせてもらいますよ」
僕の言葉に秋元さんはニコリと笑った。彼は笑うと、さらに林家こぶ平にクリソツだった。僕もニコリと笑い返した。ニコニコと微笑み合う二人の横に「この野郎、またコロコロ言うこと変えやがって、しばくどしまいにゃ、スケヂュールどーすんだよ、オラ!」といった、京河・能野両マネージャーの、苦虫を銀紙で巻いてナンプラーつけて噛み潰したような顔があった。
女子大生と焼肉を!
学園祭ツアーと映画の撮影が見事に重なってしまった。ライブをやってない日は撮影を、撮影のない日はライブを、その合間に取材やラジオetcを…なんとかスケヂュールをやりくりしていくのだが、潮が砂の城を徐々にけずっていくがごとく、睡眠時間が減らされてゆく。
人間寝ないとハイになる。
深夜四時までみっちり働いて、翌日七時起床、などという時もパッチリと目が覚める。
撮影では午前中から全力疾走シーンがあったりする。全力で走る、なんて高校時代以来じゃなかろうか。ヨーィスタート、睡眠不足が走る走る、腿はパンパン、ヒザは大笑い。頭の中はもうアドレナリン分泌しまくりの天然ドーピング状態、今のオレにくらべたらベン・ジョンソンの薬物使用などツッパリのアンパンのレベルにさえ達しまい。
カーット! 「すいませーんもう一度お願いしまーす」「なにがいけねえんだ=」「スイマセーン、ヘリコプター飛んでる音が入っちゃってえ」「コラ! そんなもの撃ち落としとけよ!」
監督もどうやら睡眠不足ハイになっているようだ…。
監督も大変だが、助監督のハードさたるやスサマヂキものである。彼らはいかに罵倒されようともその特攻精神を失いはしない。オイ、そこ通行人止めとけと言われれば、ヤクザが来ようが機動隊が来ようが「スイマセーン」の一言を武器にいどんでゆく。大型ダンプの前に仁王立ちする彼らを見ていると、僕は思わず往年のTVドラマ「どっこい大作」を思い出してしまうのだ。
助監督の一人に「センバさん」という、たっぷりとアゴひげをたくわえた男がいる。目つきもちょっとウツロっぽくてコワイ。諸星大二郎のマンガに出てくる開明獣によく顔が似ている。僕はテッキリ彼のことを三十五歳と読んでいたのだが、なんと二十三歳であった。最近巷でウワサの四十一歳寿命説を確定づけるような男である。撮影で何かトラブルがあるとセンバさんは「スイマセーン」と出演者に事情説明にくる。この時の彼のポーズがまたコワイ。上体を160《o 》160oぐらい前屈させ、両手は自分のつま先をつかむがごとく下にたらし、そんでも顔はキッと出演者を見上げ、当人は精一杯申シ訳ナイ! というつもりなんだろうけど、人には「何かウツロだなこの人は」としか思えない表情で、「スイマセーン、ちょっとカメラの方が…」とか言うのだ。低姿勢も度がすぎると異様なものになる。この日も、撮影が終わり、控え室でワイワイニコニコとやっていると、突然フスマが思い切りよくパーンと開いて、水泳の飛び込み体勢になった男が、その姿勢のままノゾゾゾゾゾゾ! という感じですりよってきたのだ。もちろんそれはセンバさんなわけだが、その異様なる姿は助監督というより、まるで楳図かずお描くところの「未来人間」のようであった。コ、コワイ。
「スイマセン、リテイクです」
センバさんはそう告げるとクルリと向きをかえ、ノゾゾゾゾゾゾゾゾゾと控え室を出ていった。……コ、コワイ。
撮影は結局深夜までかかった。翌日は福島の女子大でコンサートである。
女子大、ということでやはり期待はふくらむ、ライブの盛り上がり、ではもちろんない、
打ち上げだ。
学園祭実行委員の女子大生軍団を混じえての盛大な宴会、いや宴《うたげ》。それはもう合法的酒池肉林、まさに学園天国ヘーイヘイヘイヘーイヘイ状態に違いない。聞けば焼き肉屋がセッティング済みであるという。イーヂャナイイーヂャナイ。焼き肉アンド女子大生軍団、小島功「ヒゲとボイン」をもしのぐ絶妙のコンビネーションである。酒も肴もうまいにこしたこたないわな、ウシウシ。
だがしかし、女子大生軍団は来なかった。会場の撤収作業に忙しかったのか。それとも我々のエロリビドーに気付いたのか。実行委員代表の女子約一名を宴会に派遣しただけで軍団はついに現れはしなかった。
そしてまるでスケープゴートのように現れた実行委員代表の女子大生……彼女は、女子大生という言葉からだれしもが連想する=好奇心旺盛、芸能人に弱い、ちょっぴりエッチ、といったイメージとは、まったく別次元に属する女性であった。
素朴……とでもいおうか、ルックス、醸し出す雰囲気、どれをとってもNHKドラマ「おしん」を思わせる女子大生……いや「娘さん」であった。
女子大生軍団との狂宴が夢と消え、打ち上げは「ただ黙々と肉を焼き、ビールをくみかわす会」へとごく自然に主旨をかえていった。
僕もまた、淡々と肉を焼き、ビールをついだ。
やおら、娘さんが言った。
「……大槻さん……」
「ハ……?」
「あの……わたし……」
何かを思いつめた目。どうした、娘さん?
「あの……わたし……」
「はィ……」
まさか娘さんは、秘めたる大槻への愛を告白しようとでも言うのだろうか。ピンと張りつめた空気が焼き肉屋を支配する。
「あ……あの……」
「ハッ、ハイ……」
「……カルビ焼きましょうか?」
「笑点」並みのつまらないオチでスマヌ。
娘さんが焼くカルビが、ジュージューと小気味良い音をたてる。
明日はまた、撮影だ。
タイのオヤジは三杯の丼を置いた
タイに行ってきた。
バンコクのドンアムン空港へは午後四時ごろに着いた。
空港を一歩出るとまるで柔道の裸じめの様な熱風が僕を包む。
気温三十五度。快晴。
やや西に傾き始めた日差しはジリジリと肌を焼く。歩き出して五分もたたないのにぶわっと汗が吹き出すが不快感はない。不思議になつかしさを感じさせる暑さ―遠い夏休みを思い出させる暑さ。ただ違うのは熱風とともに体を包む独特の香りだ。甘ったるい熟れすぎのフルーツみたいな香り。
歩道橋を越えて鉄道の駅へ向かう。そのわずか六百メートル程の間に僕はもうカルチャーショックに頭がクラクラしていた。タイの持つ独特な迫力に「やられて」しまったのだ。
得体の知れない肉やらフルーツやらを雑然と置いた屋台がひしめき合い歩く余地もない。歩く余地もないはずなのに人々がうろつきまわっている。ジジババガキオンナオッサンオバハンワカゾウアカチャン。人間だけではない。足元をかすめて走り去るのは犬だ猫だネズミだアリだ。突如轟くドバババな爆音に驚きふり向けばモーターバイクが一直線に突進してくる。間一髪横っ飛びに逃げる僕を一瞥もせずザ・ライダーはドババババと人の波をかきわけ遠ざかっていった。
何だここは=
「ヤバイとこに来ちゃったのかも知れない」正直その時の僕は多少ビビッていた。それでそんなことを口に出してしまったのだけど……でもタイはホントーにソートーにヤバイとこだったのよ。イヤイヤ。
ホテルに荷物を置きとりあえずメシでも食うかと僕、それにマネージャーの能野哲彦はチャイナタウンに向かった。チャイナタウンはバンコクの中心地ホアランポーの駅のわりとそばにある。駅のそばとはいっても夜になるとあたりは真ッ暗になってしまう。月明りの道を歩くこと十分。角を曲がるといきなりチャイナタウンのメインストリート、ヤワラーに出た。通りの両側は屋台で埋め尽くされ、歩道はもちろん車道にまで丸イスとテーブルが並び、人々はメシを食い酒をくみかわす。エビ・カニ・ブタ肉・鳥肉・焼きメシ・焼きソバ・肉マン・トムヤムクン(タイスープ)。ナムプラーはタイのしょうゆ。ピリッとすっぱく辛い。酒はメコン。ウィスキーだけど味はジンに近い。ビールならシンハービール。メコンもシンガーもアルコール度が高い。甘い物はうんと甘く、辛い物はうんと辛く。酒は強く、タイ人の舌はハッキリしてるね。
僕と能野も車道にはみ出た丸イスに座りシンガービールを飲んだ。
「ングング。プハー」
「ングング。プハー」
「うまいなァ」
「うまいなァ」
ここまでは二人きっちりユニゾンである。
一呼吸して能野は「感極まった!」というよーにいった。
「んー、『ブレードランナー』の世界だ」
リドリー・スコット監督が『ブレードランナー』で描いた近未来都市は東洋人と屋台がひしめき合う混沌と幻想の街であった。リドリー・スコットは歌舞伎町をモデルにしたと何かのインタビューで語っていたが、ここバンコクチャイナタウンは歌舞伎町の十倍あの映画に近い。タイ語と中国語と英語の入り混じったナゾのネオンがあやしく明滅をくりかえし、あたりの人々の顔をすべて悪人風に照らし出す。例によって犬と猫とネズミとアリと、今回はゴキブリまでが参加して足元を徘徊する。
『ブレード〜』の中でハリソン・フォードが日本人のジジーにそばをオーダーするシーンがある。
「三つだ」
「ノー、二つで十分ね」
「いや三つだ」
「ノー、二つで十分ね」
「三つだ」
「わかって下さいヨー」
この、まるで禅問答のごときわけわからん会話が一時僕の周りで流行ったことがある。
見れば屋台にはタイ風のそば(ナーミーバーム)もある。
おもむろに指を三本立て、『ブレードランナー』のハリソン・フォードを気取って屋台のオヤジに言ってみる。
「三つだ」
オヤジは無言でうなずくとそばをつくり始めた。
十五分後、僕の目の前には三杯のドンブリが置かれた。
オヤジはやはり『ブレードランナー』を見てはいなかったのだ。アタリマエだけど……。トホホ。
三杯のドンブリを目前に僕は、これから八日間の旅行中に起こるであろう事件の数々を思って、また少しビビッていたのであった。
チェンマイのミルクシェイクは至福の一杯
「それにしても名古屋の人は、何故に手羽先を食べさせたがるのであろうか?」と素朴な疑問をいだきつつ、僕も手羽先は好きだ。手羽先はコショウがふってあり、十個も食べると無性にビールが飲みたくなる。それは「飲みたい」程度の欲求ではなく、あたかも砂漠の真ン中で乗っていたラクダが死に、もうこのままじゃ死んじゃうという状態のアラビアのロレンスが、死ぬ前に一杯でいいから水をくれ! ぐらいにただただ冷たいビールが飲みたくなるのだ。
ングングとビールを飲めば、また手羽先が食べたくなる。手羽先を食べれば再び全身全霊がビールを要求する。
ビール→手羽先→ビール→手羽先……と、名古屋に行く度にボクは人間永久機関になってしまうわけだ。
ほんで今日はその名古屋にいる。
名古屋パルコにあるクラブクアトロ、その楽屋で筋肉少女帯のリハーサルを待っているところだ。
クラブクアトロというのは、さすがパルコ内にあるだけあって、とてもおしゃれな外装になっている。しかし楽屋の方はというと、「やっぱり楽屋は楽屋っスから」という経営者の方針があってのことか、実に小ぢんまりとしている。
「大槻おめぇじゃまだよ」
となじられた僕は、その隅っこでさらに小ぢんまりとこのコラムを書いている。
「大槻さん、ライブ後の飲みもんは何がいいっすか?」
サブマネージャーのアトー君が、背中ごしに尋ねた。
「……んーとねぇ……」
振り向いた僕は答えにつまる。
「コーラっすか?」
「ああ……コーラねぇウーン」
「ビールでしょうね」
「ビールねぇ……んーと……まあねぇ」
ユージューフダンに曖昧に受け答えをした後、
「何でもいいや」
と言ってしまう。
『ライブ後に飲むコップ一杯の飲み物』
こう書くと、さぞかしうまそうに聞こえるのだが、激しく動き、がなりながらステージ中も冷たい物を飲んでしまうため、胃が荒れて、『至福の一杯』には決してならない。
確かに充実感の中で飲む何かは、またひとつちがった味わいがあるものだが、それでも手羽先の後のビール程はうまくない。
では『至福の一杯』とはどんな飲み物だろう。
思い出すのは、タイのチェンマイで飲んだミルクシェイクだ。
その日、チェンマイは暑く、気温は四十度近くあった。僕は先日偶然に出会った日本人旅行者の泊まっているという、「ポンポンゲストハウス」を見つけるため、炎天下の中をさまよっていた。かげろうでゆらめくアスファルトの上を、いろんなことを考えながら歩いていた。旅というのは、決して人を「賢人」にはしないけど、日常の中では思いつかない、とにかくさまざまなことを考えさせる。それこそ「自分トハ何デアルカ?」とか「自分ノ生キル道ハドコニアリヤ?」なんていうことまで考えさせてくれる。
歩いても歩いても「ポンポンゲストハウス」は見つからなかった。そのうち頭痛がしてきた。軽い日射病状態になってしまったのだ。体中の水分が抜けたようで、そのまま路上に倒れそうになり、あわてて食堂に難を逃れた。
そこで一杯のミルクシェイクを僕は飲んだ。
うまかった。
肉体の疲れと、旅の解放感と、それに人生について考えていたという状況(スゴイ文章だ)、そこに一発のカミナリの直撃みたいな、ひんやりと冷たく、容赦無く甘いミルクシェイクがのどをなだらかにすべり落ちていったのだ。
一口飲み、僕はふと「海が見たい」などということを思った。ミルクシェイクのとろける甘さが、いわゆる「トロピカル」を連想させたのだ。ほんでもって僕はその夜、夜行列車に乗って、本当に海を見に行ってしまったのだ。
人をそこまで「その気」にさせてしまったチェンマイのミルクシェイクこそ、ボクにとっての「至福の一杯」なのだ。
東京ドームに集まった美しきバカ
先日、私の元に一通の手紙が届いた。愛らしい便箋に青いインクでこう書かれていた。
「私は大槻さんの大ファンです。ルックス、詩、ちょっとH《エツチ》なとこまでみんな好きです。でも一つだけやなところがあるんです。それはすぐプロレスの話をすること。プロレスなんてあんなバカみたいなもんに夢中なんてガッカリなの……」
ありがとう。もち上げるだけもち上げといてその後に大どんでん返しを持ってくるあたり、フフ、流石だ。しかしベイベー、ユーのレターにはビッグなミステイクがあるぜ。
「プロレスなんてバカみたい」だと?
「無知の知」も知らぬ女めがっ。
プロレスは「バカみたい」では断じてない! プロレスはズバリ「バカ」そのものなのだ。
一九九〇年二月十日、東京ドーム。「バカ」を見るために集いし老若男女、その数、実に六万三千! ドーム動員記録だという。バカ強し! バカ強し!
試合は第一試合から熱く燃えたぎった。特に第二試合に出場した覆面レスラー「獣神サンダーライガ(!)」(何という大げさな名だ)の、この日のためにあつらえたコスチュームの華麗なることと言ったら…私はアニメおたくのコスプレを思い出さずにはいられなかった。ちなみに、ウワサではライガーの正体は、「山田」という、リングネームとは百八十度逆の、実に素朴な名を持つ青年であるらしい。「山田」がどうしたら「獣神サンダーライガー」になるんじゃ。また、この日プロレスデビューの北尾光司選手は黄色いショートタイツに鋲打ち皮ジャン、レイバンのサングラスという、「グアム島へ社員旅行に来た石原軍団」のごときスタイルで登場、「入れ墨獣クラッシャー・バンバンビガロ(!)」(これまたオーバーな)と対戦するも五分で息切れ状態。「やっぱ、元横綱でもプロレスじゃ通用せんなぁ」と六万三千のプロレス信者をニコニコさせる見事なデビューを果たした。そして、圧巻はやはり「燃える闘魂」アントニオ〓“カリスマ〓”猪木であろう。国会議員にしてレスラーという、もうシュールもダダも通り越した肩書きを持つこの男、当然メインイベントに登場したものの、二足のわらじと、老いの悲しさよ。辛くも試合には勝ったがパワーの衰えは隠すすべもなく、観客は神話の破壊を目の当たりにガックリと肩を落とした。
「さらば猪木」
「さらば燃える闘魂」
声にならぬ声が、ビッグエッグを包んだ。まるでレクイエム……猪木がマイクを持った。
「……今日は立ってるのが精一杯でした……」
もういい! もういいんだよアントン……。
「……ですが、私は死ぬまで戦うつもりです」
……もう、よせ! みじめになるだけじゃないか……。
「……そこでみなさーん! 私が勝った時にやるポーズを、一、二の三でやろうじゃないですかぁぁっ! 御唱和下さい!」
一瞬あっけに取られた六万三千人、超満員観衆のキョトン顔を気にもとめず、猪木は間髪入れずカウントを叫び始めた。
「イーチ! ニィー! サーン!」
次の刹《せつ》那《な》、呆然としていた六万三千人も右拳を空高く突き上げ、声の限りにおたけびをあげた!
「ダアアアアアアアアアアアアアアアアアッ=」
見事なり。見事なりアントニオ猪木! 観客は彼に「カタルシス」を求めていた。勝敗の行方や華麗な技などさておき、カリスマがカリスマとしてリングに立ち、言葉ではいい表すことのできない猪木独特の「空気」でもって東京ドームを支配してさえくれればそれで満足なのだ。六万三千人は、日ごろのストレスを猪木のカリスマ性を支持することによって発散したかったのだ。精神をカリスマによって解放されたかったのだ。だが試合でそれを観衆に与えられなかったことを悟った猪木は、即座に状況を判断し、寸時にしてそれを別の方法で我々に与えてくれたわけだ。しかも神聖にして侵《おか》すべからず勝利の時だけに見せる「決め」のポーズ「ダアアアアッ!」を、「御唱和下さい!」の一言で、まるでサラリーマン宴会における「三三七拍子」のレベルにまで自らを下げて……なんという自己犠牲。追い込まれても追い込まれても最後には逆転技で勝つ、猪木のレスリングスタイルそのものではないかっ。
全ての試合が終わり、リング上は無人となった。ドームの中で四角いジャングルはポツンとあまりに小さく見えた。あのわずか六メートル四方の舞台に人生がある。
プロレスなんぞに命を捧げてしまった者達の確かにバカな人生がある。
バカは美しい。
バカはグレートだ。
「あんた達のことは一生忘れん」
一九九一年八月十七日、九州は佐賀県鳥栖で行われた、プロレスとロックのジョイントイベント、その名も「炎のバトル」に我が筋肉少女帯も参加してきた。
JR鳥栖駅前のなーんもないダダっ広いあき地にドドーンとステージが組まれ、さらに客席とステージの間にドドドーンとプロレスのリングが設置され、なんと四万八千八百九十一人の観衆がズドドドドーンとこのイベントを観戦すべく集ったのだ。
お客さんのうちわけは、ロックファン、プロレスファンが半分、後の半分は「何かへんなことやってっから話のタネに見てみっか」的なノリの人々であった。
参加したバンドは筋少の他に、泉谷しげる&ルーザー、アンジー、ブルーハーツ、長澤義塾、対するプロレスは大仁田厚選手率いるFMWという団体だ。
プロレスを知らない人でも、大仁田厚という名は聞いたことがあるのではないだろうか。「涙のカリスマ」と呼ばれるこの男、普段は人のよさそうなガタイのいいアンちゃんといった雰囲気なのだが、ひと度リングに上がるや、まるで人形浄瑠璃のごとく人相が一変、かの大映特撮スペクタル『大魔人』もまっ青の悪鬼の形相となり、血と汗と洟水とそして涙、体内の分泌物を総動員してゴンヌズバーッ! と暴れまわる姿は神々しいまでの迫力なのだ。
この日、イベントラストを飾ったのは大仁田厚VSサンボ浅子の「ノーロープ有刺鉄線爆破マッチ」であった。
ロープのかわりに有刺鉄線を張りめぐらし(これだけでもソートー痛い)、そこに二百ボルトの電流を流す(イタいゾー)、さらに無数の爆薬が仕掛けられ、触れればすぐ爆発するのだ(ヒ〜、ヒ〜)。その中でプロレスをしなければいかんのだ。う〜ん何もそこまで。
テーマ曲が流れ、ゆっくりとリングへ向かう大仁田選手を間近で見ることができた。
ビッグマッチ直前のレスラーが放つエネルギーというか、目に見えぬ圧倒的なオーラのようなものに誇張抜きで全身に寒気のようなゾクッとする感覚をおぼえた。大仁田さんは、レスラーの中でも身長の高い方ではないのだが、その時の彼は雲つく大男に見えた。
大仁田選手が有刺鉄線をかいくぐりリングに立つと、すでにリング上で彼を待ちかまえていたサンボ浅子選手が、赤子のように顔をクシャクシャにして泣き出した。
試合前にいったいどうしちゃったんだと思った人も多数いたと思うが、浅子選手は大仁田選手の弟分的存在であり、いわばこのデスマッチは弟が兄に挑む究極の兄弟対決なのである。さらにFMWにおいて、爆破マッチのリングに上れるということは、メインエベンターとして認められた証しでもある。そういったいろいろな要素があって彼は感極まってしまったのだろう。
まあそれは一言で言っちゃえば「スポ根」なわけだけど、むくつけき大男が感情を押さえきれず泣いてしまう姿というのは、ウムを言わさぬ感動があって、「スポ根」も悪いもんじゃあないなぁと思う。
試合は大仁田選手の荒技DDT三連発で決着がついた。
ピクリとも動かなくなった浅子選手を抱えながら大仁田選手がまた泣くんだなこれが。
そしてイベントのしめということで、挨拶をするべく大仁田選手と、若手レスラーに肩を貸されてサンボ浅子選手は、リングからステージへの坂道を上り始めた。
僕はこの時、FMWの選手達、それに各バンドのミュージシャンと共にすでにステージ上にいたので、坂道を上る二人のレスラーを正面から見ることができた。
四万八千八百九十一人の、まさに人の海が百八十度にドカーンと広がり、今流されたばかりの血でまだらに染まったリングが荒波にもまれる小船のように浮かんで見える。難破したその小船から、血だらけ汗だらけ涙まみれの大男が二人、一歩一歩踏みしめながら、目をむき歯をくいしばり、やっとたどりついた大地に上陸すべく、ズンズンとこちらに向かって歩いて来るのだ。
それはもうなんちゅうか本中華、『ベンハー』も『スパルタカス』も『十戒』も裸足で逃げ出す、ミケランジェロでもダリでも描き切れぬだろう大超絶壮大無比今世紀最大級の感動的な光景として僕の目には映った。
つめかけた報道陣にプロレスに対する熱い思いを怒鳴りまくった後、大仁田選手は僕らバンドの方に歩み寄り、ブルーハーツの甲本ヒロト君の手をガッシと握って、さっきまでとはうってかわった小さな低い声で、こう言った。
「あんた達のことは一生忘れん」
ああ
ああいい言葉だなあ。
今こうして書いていても涙腺がゆるんでしまう。
人間というのはつねに、自分の存在を何らかの形で認めてもらおうと願う生き物だと思う。社会から存在を認められない人生は闇であり、認められなかった者の多くは不幸にも犯罪という形で自分の存在を証明しようとするのだ。
相手の存在を認める言葉として、あの時大仁田選手の言った言葉以上のものはちょっとないだろう。
あの場のムードと、大仁田選手のキャラクターとがピッタリと一致して、普通だったら赤面ものの言葉からきれいに〓“くさみ〓”が消え、しかもヒロト君というまたグッドなキャラクターもいい味出して、究極の殺し文句、
「あんた達のことは一生忘れん」
は、百二十パーセントの魅力で僕の心に深々とつき刺さったわけだ。
詩をかく者として、いつかあれぐらいのインパクトを持つキャッチーなフレーズをボソリとつぶやいてみたいものだ、と僕は思った。
テンション上げて不安を蹴ちらせ=
人生は恐怖だ。
ボクの心の奥底には、いつも不安感がある。
この世にある、不幸と呼ぶべきもの、事故、病気、死、失恋、その他数えきれないそういうやつらが、今すぐにでも襲ってくるのではないかという根拠の無い、漠然とした心配で時々、ワアアッっと大声を上げそうになる。ライブのステージ上で大声を上げると、束の間波は引いていくのだが、この困った悩みはそれでも完全に解消されることはなく、明日までに書かなければならない百八十枚の卒業レポートを抱えた大学四年生のように、日々ビクビクしながらボクは生きているのだ。
なんだかよくわからない漠然とした不安。
現代を生きるほぼ全ての人が、多かれ少なかれこのやっかいなやつを心の隅では意識しながら生活しているのではないか。
この本を読む十代の少女達もまた例外ではないだろう(そうじゃないですか?)。
中原中也の詩にこんなのがある。
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて いたが、
音は きこえぬ 高きが ゆえに。
確か「曇天」というタイトルだったと思う。僕はこの詩を初めて読んだ時、これこそが「なんだかわからない〜不安」を現しているのではないかと驚いた。詩はさらにこう続く。
手繰りとろうと僕はしたが
綱もなければそれも叶《かな》はず
旗ははたはたはためくばかり
空の奥処に舞い入るごとく
この「黒旗」の示すものが、僕の推測通り「漠然とした不幸への不安」を現しているのか否かは、作者ではないのでハッキリと断言はできない。もし、まったく別の比喩であったとしても、背筋のヒンヤリとする、深い絶望感に満ちた名作である。もし仮に僕の思う通りのものを表現した詩でもあるなら、ちょっとこれ以上上手い詩はないだろう。
僕はつい最近まで、この「黒い旗」から逃れるには、言葉通り逃避することによってのみそれは可能であると考え、ともかく逃げようとしていた。自分の作品にもその傾向はハッキリと現れ、筋肉少女帯のアルバム『サーカス団パノラマ島へ帰る』でピークに達した。全編にわたり「ここから逃げたい」「どこかにあるはずの安住の地へ行くのだ」と歌い続ける自分の歌詞には、今となると、我がことながら不気味なものを感じる。
「誰も詩など聞いてはないし」
この世界がみな作り物なら
港につながれたサーカス団の
あの船に乗って
流れてゆこう
パノラマ島へ帰ろう
(「パノラマ島へ帰る」より)
心が病んでいる人の作った詩だな、と思う。
しかし生き馬の目を抜くロック業界。流石に逃げているだけではらちがあかない。ニッチもサッチもブルドッグになってしまうことにタッチの差で気付いた僕は、漠然とした不安という黒旗から逃れる別の対策を考えることにした。
あれこれ悩む
ノホホンとした日曜の真昼前にドロドロと悩む
人生は恐怖だ
だから考える
どうすれば不安に打ち勝てるのかと日々考える。
考えが過ぎ、まとまらず、頭の中がメリーゴーラウンドのようにグルグルと回り出し、そのうち目に映る全てのものに実在感を感じなくなってしまった。
今にして思えばあれは一種の精神の疲労だったのだろう。
総天然色で回転するメリーゴーラウンドの頭となった僕は、空より舞い落ちる黒い旗にクルリと体を包まれ、不安感のかたまり、まるで北の湖深く沈むまりものように緑色の球型に固まってしまった。
イヤ〜な気分がしばらく続いたわけだ。
僕をこの状態から救ってくれたのは、意外にも「お仕事」であった。
十日に放送を終了した、僕がパーソナリティーを務めていたラジオ番組である。
深夜一時から二時間、ぶっつけの生で放送するこのプログラムを、ろくな芸もない男が乗り切るには、ともかく自分のテンションを上げっぱなしにするより手段はなかった。
ただひと口にテンションを上げるとは言っても、やはり私的なことで暗い気分の日もあり、なかなか簡単なことではない。
それでも放送のある月曜日は確実にやって来るのだ。
テンションを、上げざるを、えない。
毎週、毎週そんなことをくり返すうちに、不思議なことに気がつく。放送開始約一時間程前から、放送終了深夜三時、さらに眠りにつく明け方五時ごろまで、霧の晴れたようにサッパリと「黒い旗」の存在を忘れることが出来るのだ。
そこで、ハタと気がついた。
人生は恐怖だ。
それに打ち勝つのは、打ち負かすために必要なのは、テンションではないか。
つねにテンションを上げていれば、「黒い旗」も容易に近付くことはできないのだ。
テンションを上げて生きよう。
僕は、あまり人にメッセージを伝えるのが好きな方ではないのだが、この場合はむしろ「ちょっといい事に気付いて」それを人に言いたくて仕方ないおせっかいな男の気持ちなのだ。
いい事を教えてやろう。
人生の恐怖と不安とそして空高くはためく黒旗から逃れたいなら、
テンションを上げて生きたまえ!
ナチュラルハイでつっ走ったラジオは、一年と四ケ月で終わった。
自分のしてきた仕事の中でも、最上級の、一生の誇りにできる充実した仕事であった。
最終回終了後、深夜三時半、六本木の飲み屋で打ち上げる。
しんみりとした酒になると思いきや参加者一同ただのヨッパライと化し、イヒイヒと意味なく大いに笑う。
だがそれもよし、テンションが高ければ勝ち! だ!
ボクって何?
今月もまた、あわただしく終わった。八月だとゆうのに海に行くこともなく。レコーディングやリハやライブやテレビだのラジオだのしているうちに、どうやら夏も終わってしまったようだ。空しいので『八月の濡れた砂』をそっと口ずさんでみる「あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの…」…ああ、空しさに拍車がかかってしまった。
といっても、仕事で忙しいのを恨んでいるわけではない。忙しいのは良いことだ。と最近は思うようにしている。忙しいということは、僕を必要としている人間が存在する。ということであり、それはまた、僕がこの世に存在しているということも証明してくれている。自分の存在を確認したい。自分は確かにこの世界に生きてきて、そしてまたこの後も生きていくということを実感したい。と僕に限らず皆思っているのではないだろうか。三日だけでも日記をつけてみたり、落ちそうにない領収書を財布の中にギュウギュウ詰めていたり。絶対に連絡などしそうもない人の電話番号をアドレス帳に控えたりするのは、存在確認のための無意識な行為ではないだろうか。学校で人気がなく浮いた立場の人間が〓“おたく〓”になるのも、人とのかかわり合いの中で自己確認できなかった彼らが、アニメや怪獣等に関する物についての所有量や知識量の中に、自己の存在確認を求めるためなのかもしれない。かくいう僕も、高校時代クラスに溶け込めず、読書、映画鑑賞量、そして日記にそれを求めていたなあ。今その日記を読み返すと面白いんだよ。これが、とにかく一日の内にあったどんなこまかい事ももらすまいと書いてあって。『〇月×日、通学途中、老人のホモカップルとすれちがう』なんていう「だからどうした!」みたいな事まで書いてあってなかなか笑える。たまに(年に一回あるかないか)女子とグループで遊んだ日なんかもう大変で。その時入った喫茶店での席の並びまで、なんと図解入りで書いてあったりするのには流石にもうトホホホ……。嬉しかったんだな、よっぽど……。とはいえ、トホホ。
存在確認の為には人は殺人もするそうだ。よくある猟奇連続殺人事件というのは、誰か一人を殺してしまった犯人が、その罪の重さ故に、自己崩壊心理に陥ってしまい、それを克服する為に再度人を殺し、過去の殺人という罪を確認し、その行為によってまた自己存在を確認する。それの繰り返しなのだそうだ。
日記やアニメや古切手収集で自己の存在を確認する者もいれば、殺人で確認する奴もいる。そういえば、かの江戸川乱歩は自分が生まれてから四十数歳に至るまでを表す克明な年表を作っていたという。人生いろいろ、自己存在確認もいろいろだね。
さて、仕事量の他にも、今僕が自己存在を確認できるものがある。それは、
「金」だ。
「通帳の額」なのだ。
「銭ゲバ!」と罵るなら罵れ、僕は月末になると通帳を見てイヒイヒ、ウヒヒヒヒ、モキモキー! と、あたかも天王寺の猿のごとく至福の笑い声をあげるのが、現在のハッピータイムなのだ。
「人間、金が欲しいかっていったら、そりゃ欲しいですよ!」と正論をあえてぶちかましたのは、一《※》億円を拾った大貫さんであった。大貫さんと一字違いのこのオレも、やはり彼と同意見だ。
金は、いい。
何より心に余裕が出る。どんなに評論家にコケにされようとも、女に振られようとも、友に裏切られようと。
「でも貯金があるもーん」と心の中でつぶやいたならスーパーニコニコだ。
物が買える。当たり前だがこれはすごいことだ。まだインディーズの頃、ライブが終わって腹をすかして歩いていると、焼肉屋からなんともうまそうな肉を焼くにおい。……しかしオレには金がない。「ああいつか自費で焼肉が食えたなら」
自慢ではないが(自慢する程でもないが)現在のオレなら、タン塩だろーがカルビだろーがユッケだろーがポポンのポーンだ! ワッハッハ。サンチュだってたのんじゃうぞ。マッハッハ。ざまーみろあの頃のオレめ。マッハッハ。
ハッいけない。話がずれてしまった。そう自己存在確認である。仕事量よりも金よりももっと重要な自己存在確認できるものが僕にはあるのだ。それは「詩」だ。
詩を書いた後の充実感はタン塩よりうまい。極寒の地で喰うナベ料理よりももっと熱くまさに、
「まったりとして、それでいてコクがあり」といったところか。
「自分はやはりここにある」と詩を書いた後に一番感じられる。
なんにせよ、「術《すべ》」があるというのはよいものだ。
※ 「大貫さん」という人が、なんと一億円の入ったバッグを捨う、という事件が実際にあった。彼は落とし主の現れなかったお金を警察にもらいにいく時、なぜだかジョギングのかっこうをして走って現れた。不思議なキャラクターの方であった。
蓄えた方がいいよ。
自分の創作能力が、いつか枯れてなくなってしまうのではないか。何かを創作することを職業とする人、あるいは仕事ではなくても、創作することが生きる上で非常に重要な位置にある人々にとって、こういった恐怖はつねに存在する。まるで、自分にはよくなついているけれど、実は狂犬病の犬を飼っているような気分である。
人が創作ということを始めるには、その人のなかに物を創り出すだけの蓄えが必要だ。蓄えは人によってちがっていて、それはその人の読んできた本の数々であったり、映画であったり、マンガだったり、絵画だったり、詩であったりする。
蓄えはそういった「作品」ばかりとは限らない。中学の時、歩いて日本を一周した事だったり、学生運動で友人が機動隊に撲殺された事であったり、六歳の時、広島のおじいちゃん家の納屋で、ロリコン男にいたずらされたトラウマが蓄えだったりすることもある。が、蓄えが全てエキセントリックな事件とはまた限らない。ある人にとっては、浪人時代の怠惰に過ごした一年間、その予備校とパチンコ屋と名画座と下宿の往復が、一番の蓄えであったりするものだろう。ともかく、蓄えなくして創作活動は始まらないのだ。
僕にとっての蓄えとはなんだろう。
まず思い浮かぶのは、多大なる影響を与えてくれた「作品」の数々だ。
『あばしり一家』『魔王ダンテ』等の永井豪マンガ。中でも「少年マガジン」連載の『デビルマン』(TVアニメとは別物)最終回が、僕のその後の人生を決定づけたといってもいい。その時僕は七歳だったが、勧善懲悪に終わらない物語を読むのは初めてだったのだ。
僕のおどろ趣味を決定づけたのは、江戸川乱歩に代表される怪奇探偵小説である。双葉社から出版された、鮎川哲也編、その名もズバリ『怪奇探偵小説集全三巻』はかなりきた。「怪奇製造人」「踊る一寸法師」「死体蝋燭」「生きている腸」「恋人を喰べる話」「五体の積木」「怪船人魚号」「眠り男羅次郎」……こうしてタイトルを連記しているだけで、今でも胸がドキドキする。「蛞蝓妄想譜」、「窖地獄」、小学生にはもちろんこんな字が読めるわけもなく(今でも読めんぞ)、それでもその読めない事がまた果てしない空想を呼んだものだ。小酒井不木、大下宇陀児、そして江戸川乱歩。作家の名までが怪しい。一話に一カット、イラストがついている。これが実に寿司におけるワサビかしょう油かというぐらいにはまっていて僕は大好きだったのだが、それが花輪和一の手によるものと知ったのは、つい最近である。昔からこういうスタイルだったのね、花輪さんって。
「女性と会話ができなかった」なんて事もまた、僕にとっては立派な蓄えになった。会話する機会がなかったのではない。中学、高校ともに共学校だ。バンドもやっていた。しかし、同級生の女子が語りかけてくると僕は、なんだかもうダメ人間になってしまって、ただ彼女の発するその言葉が、なるべく他愛ない挨拶程度であることを、ただひたすらに願うのみであった。それは「純情」などということでは決してなく、女性を前にすると僕の全身は性的妄想でパンパンの、腐臭漂う一塊の肉袋と化してしまうのだ。
パブロフの犬の様にポコチンが大きくなってしまうんだよ、本当にもうこの俺は!
ただ面前の彼女が僕のこの悪臭に気づかないでほしいと、そればかりを思ってビクビクしていたのだ。
性欲を性行為なしに発散する(昇華)方法というのを、高校の保健体育の教科書で読んだことがある。スポーツをする。芸術的活動をするなどと、いかにもなことが書いてあってあまり感心しないのだが。でもふと思うと、僕がバンドを始めたきっかけというのは、実の所、性欲をなんとか違う事で発散させようという試みだったのかもしれない。ライブハウスに出始めた頃の僕のかっこうといえば、顔をうどん粉で白くぬり、ヨレヨレのステテコに中学校の初老教師の様なジャージなどというとんでもなく汚いものであった。それは「ロックミュージシャンはいつもかっこいい存在であり、自分をよく見せようとするものである」という大前提への、僕なりの反抗のつもりであった。そのかっこうでステージであばれ、「何あの人、かっこ悪くて汚らしくてイヤよあたしィ!」などと美人の女性客にいわれようものなら、僕はシメシメと思ったものだ。
しかしこれも今にして思うと、そんなかっこうで女性に嫌われることによって僕は「あぁ女性とコミュニケーションがとれた」と思いたかったのかもしれない。
またそういうふうに女性に罵倒され、蔑まれる事に、一種の性的な悦びを感じていたのかもしれない。
立派な性的倒錯である(自慢すんなよ)。
ただ僕は今この事を恥とは思わない。そういった倒錯の日々があった事も、また蓄えなのだと思う。
蓄えが枯渇する、という事はやはりあるのだろうか。
つねに蓄えなければ、と思う。
君は「天動説の女」になれるか=
トンデモナイ女の子がいた。
ボクがちょっと前によくつるんで遊びまわっていた友人は本当にトンデもなかった。
彼女にはものの道理というものが通用しないのだ。常識という言葉も彼女の前ではまるで意味をなさない。
さらに二代目引田天功をもしのぐ命知らずときた。
そして仕上げに世間知らずがまぶされるのだからタイシタもんだ。
彼女の奇行をあげていったらキリが無い。
軽いところを二、三紹介しようか。
例えば彼女がライブハウスに行く。しかもハードコアパンクやノイズ、スラッシュメタルなんかの危なっかしげなやつだ。
モヒカンやスキンヘッドのたむろする小屋へ彼女はトボトボと出かけ、一番後ろでケラケラと笑いながらライブを見る。
彼女に言わせると、「ノイズとかスラッシュバンドのがなり立てる唱い方が私の笑いのツボをおすの」だそうだ。
ライブ後、いつのまにか打ち上げに潜り込んでしまう。パンクスの少年に
「おい酒つげよ!」
と髪をグイグイ引っ張られてもエヘエヘと笑っている。やけにガタイのいい外《※》人パンクス達が彼女に近づき、ちょっと車に乗れよと言う。ここで恐ろしいことに彼女は乗ってしまうわけだ。犯されて海に捨てられても知らんぞオレは! ……運よく、というか彼らは見かけによらず単に明るい連中で、ビールを飲んでゲラゲラと笑っている。車は高速に乗り、いつまでたっても止る様子はない。
「どこに行くの?」と聞く彼女に外人パンクスはニコニコ笑い、
「オーサカ!」と答えた。
ヒョコヒョコついていく彼女も問題だが、見も知らぬ娘を自分たちの関西ツアーに同行させてしまうそいつらもそいつらだ、どいつもこいつも。
彼女は大阪旅行をタダで満喫し、外人パンクス達と再会を約束し、お家に帰ったそうだ。
といっても、彼女はいわゆるツッパリ(古い)とかヤンキーとか、そういうたぐいの不良娘然とはしていない。彼女自身にも、反社会性なんていうポリシーはない。アナキストでもノーフューチャーでもない。
単にトンデモないのだ。
とある場所で待ち合わせた時のこと。珍しく遅刻もせずに現れた彼女は、
「やあやあ」とかいって上機嫌だ。しばらく話したあと、ふと「ここまで何で来たの?」と尋ねると彼女は、「タクシー」と言ってから「アッ!」と何かに気付いた表情。
「何だ?」
「え」
「お金払ってないや。タクシー、私お金持ってなかったからさ、大槻君に借りようと思ってたんだ。でも忘れてたよ」
彼女が来てからすでに二十分以上過ぎている。
「ちょ、ちょっと、オレ払ってくるよ」
あわてて立ち上がるボクに、彼女がノンビリと言った。
「平気じゃない。気にしてないと思うよ」
そーゆー問題かっ!
といっても、彼女はただのバカではない。バカではないとは言い切れないが、それ以上に、越えちゃっているのだ。
一銭のお金も持たず店に入り、無傷で帰って来ることが彼女には何度かあった。店内にいたお客達が、彼女の分を立て替えるのだ。彼らにこびへつらったわけでも、まして色仕掛けで迫ったわけでもないのに、魔法のように、店内に居合わせた客が彼女の飲み代を払ってしまうのだ。そういう時でも彼女は、
「ありがと」
と短く言って、お客達を一度も振り返ることなく店を出ていくのだ。
彼女は遅刻魔だ。バンド内に遅刻常習者がいて、待たされることにはなれっこのボクでさえ毎日ウンザリさせられた。
「今日は遅れないって、遅れるわけないじゃん」
といった彼女は、その日も二時間以上待ち合わせの時刻を過ぎても現れなかった。まさかとは思いつつ電話をすれば彼女しっかりとまだ家にいた。
「御免なさい。風邪薬飲んだら腰が抜けちゃって」
アンタは薬を初めて飲んだ未開人か。
「すぐに行くから。三十分で行くから」
しかし彼女は現れたのはそれから一時間半後であった。
待ち合わせの店はすでにシャッターをしめ、ボクは寒空の中で震えながら待った。
「御免御免」といってノタラノタラやって来た彼女にボクはあらん限りの言葉を叩きつけた。
「バカアホ! 人でなし! 人間失格! アンポンタン! ウカレポンチキ! 踊るダメ人間=」
最初は神妙に聞いていた彼女だが、そのうちぶんむくれてソッポを向くではないか。ついに怒り心頭に達したボクは「おのれ!」とばかりに彼女の首をグイッと締めあげた。みるみる彼女の表情が崩れ、瞳に涙があふれ、すぐにそれはポロンポロンとほおを伝いこぼれ落ちた。
「あ、泣くことないでしょうよ」あわてるボクの面前で、彼女が大声で泣き出した。
「ビエエエエエエエエエエエエエエン=」
オマエはマンガか=
アニメに出てくる泣き虫小僧のように泣くのだこの娘は。
あわれボクは三時間半待たされた上に今度はなだめすかしたりをさらに一時間。こっちが泣きたいよと思いながら、
「アンタは世界が自分を中心に回ってると思ってるんだろ」と皮肉を込めて言うと、彼女はまだヒックヒックとしゃくりあげながら、しかしキッパリとこう言った。
「当たり前じゃない、私が世界の中心なのよ!」
……その時はその一言をテーマとしてまた一時間議論が続いたわけだが、あれから数年もたった今思う。
彼女は「天動説の女」だったのだ。
十代の頃、少年少女は自分の半径五メートルほどの狭いテリトリーで生きている。年を重ねるにつれ、テリトリーは徐々に広がり、それに従って彼らは知るのだ。
この世は地動説だということを。
自分を中心に社会があるのではなく、本当は自分は社会という太陽の回りをまわる衛星のひとつに過ぎないのだということを。
自分が社会の中心とする天動説を捨て、地動説を認めるということは、大人になるということだ。
日本のロックは未だに「大人になりたくない」というコンセプトの下に成り立っているものが多い。大人にならない言い訳として「大人」を「体制」に置き換え敵対視する。
しかし、二十六歳になってやっと最近わかってきた。どうやら、どうやら全ての少年少女はいつか大人にならなければいけないようだ。それは全ての人々の義務であるようだ。そして必ずしも「大人」=「体制」=「汚い」という図式は成り立たないことも事実のようだ。そんなに単純なものではない。十代の少年少女達を相手にするロッカー達(ボクも含め)は、この事実を包み隠さず彼らに教えるべきだと思う。
それでも大人になりたくない、大人は体制であり汚いものだと思う少年少女達は、試しに大人になってみればよい(無責任デアル)。
しかし、だ。
何事にも例外はある。
天動説をかたくなに信じ、そのままに生きる彼女のような娘もいることはいるのだ。本当に大人が嫌なら彼女のように生きたらよいのかもしれない。ムズカシイゾ。生まれ持った素質が必要だ。なにしろボクは彼女以外に天動説でこの世と渡り合っている人間をほとんど見たことがない。天動説を捨てきれずにいる彼女以外の人々は、みな精神的にいかれている。地動説という真理に薄々気づきながらそれを認めきれずにいる人は心が病んでいる。自分の嘘を知っているから無理が生ずるのだ。妄想に逃げ込みこの世を拒絶する。
大人になりたくないと訴える少年少女よ、君は彼女のように、妄想に逃げるのではなく天動説を自分のものに取りこみ生きてゆく自信があるのか=
オレはダメだったなぁ。
※ その後、「なんてバンドの人?」と聞くと、「なんか『ナパームどうした』っていってたよ」と彼女は言った。おいおい! 「ナパーム・デス」か? 有名だぞ。
ミザリーな人々
スティーヴン・キングの『ミザリー』は、後味の悪いブラックユーモアだ。
思い入れ過剰のファンにいじめぬかれる人気小説家の話なのだが、このいじめ方たるや何とも容赦なく、なんたって足まで切断してしまうのだからいやはやどうにも読んでいて辛いものがあり、「これはブラックユーモアだよな」と自分に言い聞かせることによって僕は読み通すことができた。それにしても、 〓“ 1 〓” のことを 〓“ 60 〓” ぐらいにこと細かに描写するキングの文体でいじめが続くものだから、ブラックユーモアと思ってはいても、やはり読んでいて痛苦しい。そこで僕は頭の中で、この小説の登場人物をなるべく笑えるキャスティングに置き換えてみることにした。
アニー=塩沢とき
ポール・シェルダン=稲川淳二
あるいは樹木希林さんがアニーにはあっているかもしれない。稲川淳二さんのキャスティングについて誰も文句ないんではなかろうか。もし彼がスケジュールがどうしても合わなかった場合に限り、高田純次さんというのもあるかもしれない。
さて、このキャスティングイメージで読んでいくと、足切断、親指切断などのイヤーなシーンも、なんとなく笑えて読めるからよい。ぜひ稲川、塩沢コンビでの『ミザリー』連続ドラマ化=「プロ野球ニュース」の後、十一時半から二十分間、全五回完結が見てみたいもんである。
『ミザリー』の面白さ、恐ろしさは、「いじめ役」であるアニーの、度を越した思い入れ過剰にある。人気作家ポールのファンである彼女は、ポールの作風が変わることがどうにもユルセナイ。そこで彼を監禁し、自分のためのみの作品を書かせようとするわけだ。
ポール・シェルダン=スティーヴン・キングの恐怖が僕にはよくわかる。僕はロックバンドを職としているのだが、作家同様「ファン」というものがいる。それはとても嬉しいことである。だがファンの中に時として「アニー」的キャラクターの持ち主が存在することも、やはりあるのだ。
「アニー」は何とか近づこうとする。コンサート会場の受付で親戚、友人の名を騙り、楽屋に忍び込もうとする。「花屋です」と言った者もいた。「出前を届けにきました」などといって御丁寧に岡持を持ってきた人までいたな。
「アニー」にとって、タレントにプライベートはない。某ミュージシャンは夜中にふと人の気配に目を覚ますと、枕元に「アニー」がちょこんと正座していたという。ニコニコ笑っていたそうだ。これはヘタなことを言ったら殺されるかもしれんと思った彼は、その子にお茶を入れ、夜明けまで世間話をしたそうだ。なんだかマヌケだ。また別のミュージシャンは、ホテルで寝ていると窓が風もないのにガタガタと音を立てるのを不審に思い、サッとカーテンをあけたところ……そこにはまるで巨大な女郎蜘蛛の様に窓のサンにしがみつく「アニー」の姿があったという。ちなみに彼の部屋は五階である! 手がすべれば彼女は死ぬ。呆然とする彼に、「アニー」はチュッと投げキッスをしたそうだ。まさに「蜘蛛女のキッス」。ウィリアム・ハートもビックリ! である。
「アニー」はユルサナイ。自分の好きなタレントが少しでもイメージとはずれるのをユルサナイ、のだ。以前僕のバンドで主要メンバーが脱退することになり、そのお別れツアーで、某ライブハウスに演奏しに行った時のこと。ライブは大変盛り上がり、お客さんがニコニコしながらピョコピョコ飛び跳ねている中に、ひとりだけ一曲目からずっと僕をにらんでいる少女がいた。そのにらみ方がまた「メンチを切る」「ガンをたれる」といったたぐいであるため、どうにも気になってしょうがない。よく見ると口元も何かつぶやいているようだ。あまり気になるので、歌いながらその子が何を言っているのか聞こうと頭を近づけてみると……
「オマエガワルイ……オマエガワルイ……オマエガ……」
と彼女は繰り返し続けていたのだ。どうやらメンバーが脱退するのはオマエのせいだ。「オマエガワルイ」ということなのだろう。彼女はその日のライブ中、約二時間ずっと「オマエガワルイ」を繰り返していた。んな事言われてもなあ……。
「アニー」は思い込む。自分がタレントに会ったことがなくても、「アニー」とタレントは「アニー」の中で、恋人ということになっていたりする。香川県のアニーから来た手紙を紹介しよう。
「……ライブで見たあなたは私の想像していた人とはまるで違いました。かっこ悪かった。でも県民ホールの楽屋に私を呼んでくれて嬉しかった。結局は私のあさはかさを悟られて嫌われてしまったけれど。あなたと二日の間一緒にいられたことは……」
何だかなあ、である。
だって僕が香川県でライブをやったことはまだないのだ……。
うちのバンドに関わった人たちって……
筋肉少女帯を結成して十年が経つ。筋少はコロコロとメンバーのかわるバンドで、一度でも関わった人の総数は、なんと二十四人。本当にいろんな人達がいた。音楽をキッパリやめた人もいる。ミュージシャンとしてそれなりの位置に立つ人もいる。消息知れずの人もいる。筋肉少女帯という人の集いに参加した人々が、それぞれ今ではまったく違った道を歩んでいるのだ。なんだか不思議だ。
けれど、彼ら二十四人には一つの共通点がある。みんな人格は違っても、ボクから見て一つだけ同じところがある。
それは、「みんなヘン」という共通点だ。
二十四人。どいつもこいつも「ヘン」な人々が何故だか我がバンドには集まってしまう。
例えば内田雄一郎。彼は唯一のオリジナルメンバーで、十年という長い歳月を共に過ごしてしまったいわゆる腐れ縁的人物なのだが、彼とは出会いからして「ヘン」だった。
中学一年の時、初めて彼と会ったボクは、場をなごませようと、先日見た近所の火事について語っていた。
「いやあ、大火事でさア、煙なんかゴンゴン立っちゃって、ありゃ家にいた奴は確実に死んでるねぇ、黒コゲじゃん、アハハ」
黙って聞いていた内田の顔が心なしかくもっている。どうしたのだろうと思っていると、やがて内田は静かにこう告げた。
「……あれは、ボクの家だよ……」
――内田は、一言で言ってボーッとした男だ。言葉少なく、いつも深く人生を考えているような雰囲気がある。ところがそれは実に雰囲気だけで、たまに口を開くととんでも無い大ボケをかますことがある。
中学の学園祭でクイズをやった時のこと、
「行きたい星を100人に聞きました。さて一位は」という質問が出題された。「火星」「金星」などと答える学友たち。内田が答える番になった。
内田はやはり静かに、そして重々しくこう言った。
「……箱根」
――彼のボケは天然のものであると思うが、それにしても年をとるごとにボケの回数が増えている。若年性アルツハイマーではないかとボクは心配している。また彼は、年をとるごとに寡黙さも増している。誰が興奮して話しかけても「ほう」とか、「それはそれは」という老人的一言でかたづけてしまうのだ。この理由については長い付き合いの中でボクなりに推理ができる。多分彼は、語ることを最小限にひかえることによって、会話のアヤからくる不必要なトラブルを避けているのではないだろうか。寡黙は、彼なりの処世術なのだ。でもこんなこと書くと後で「それは違うよオーケン」とか言われるのでこれ以上はやめとこう。
三年程筋少に在籍していた三柴江戸蔵。彼ほどの天才、そして「ヘン」な人間をボクは知らない。彼のピアノの技は、聞く者の心全てを揺さぶる素晴らしいものだが、それ以上に彼の破天荒な行動はボクの心を揺さぶった。
ある日、三柴君から電話があった。ビデオムービーを作ったから見に来いという。駆けつけたボクと内田の前で上映された『欲望という名の男』と題したその映画は、筆絶に尽くしがたいインパクトで我々を圧倒した。
冒頭、障子が映っている。
パカンと勢いよくそれが開かれる。
と、現れたのはむくつけき男のシリ。
肛門までしっかりと映しだされたきったねえシリなのだ。
「ギャー! 誰だこのシリはぁ=」
思わず悲鳴を上げたボクを見て、満面の笑みを浮かべて三柴君は言った。
「ガッハッハ! オレだよオレ」
その後も彼が全裸でピアノを弾きまくる様子だとか、やっぱり全裸で街を歩いている彼の姿だとかそんなのばっかし。呆然とするボクと内田を横に、『欲望という名の男』三柴君は「どーだ! 面白ぇか?」と言って笑い続けるのであった。
しかし一応彼の名誉のために言っておくが、そんな奇人でありながら、三柴君はピアニストとしては本当に天才的な人物で、他人思いの優しい男である。
奇人といえば、ほんの短い間だけギタリストとして参加していたK君は、本当に奇人であった。
彼はいつも一人言をつぶやいていて、それが何というか、常人ではとても思いつくまい四次元の一人言なのだ。
例えば何か不満な出来事があった時、彼は「まったくもうまったくもう」とつぶやき始める。聞いていると、その言葉が変化を始めるのだ。
「まったくもう……ったくもう……たくもうたくもう」
このへんは解かる。問題はその後だ。
「たくもう……たくもう……たこもう……たこモー……たこモー……たこモー……たこモー!」
「まったくもう」がいつのまにか「たこモー」という呪文じみた言葉にメタモルフォーゼしていくのだ。そして、しばらく「たこモー」をくり返した後、彼は決定的な一言を口にする。
「たこモー!……たこはモーって泣かないにい」
これをツアー中、狭い機材車の中で聞く身になって欲しい。
彼は、他メンバーの徹底的なイジメにあい、筋少を去っていった。その後、筋少のローディーが彼を訪ねると、K君は彼に、「うちの仏壇を拝んでいかないか」と誘ったそうな。
橘高文彦の筋少加入は、単に新メンバーの参加というよりも、ボクのフィールドにいわゆる「ヘビメタ」の人が始めて入りこんできたという意味を持っていた。
「H 《ハード》 R《ロツク》・《・》H 《ヘビイ》 M《メタル》」という様式にこだわり、「アンプはマーシャルを三段積みしなければいけない」などということにこだわる彼の姿はカルチャーショックだった。また彼ほど酒に飲まれる人間にボクは初めて会った。
ある時、打ち上げでマンガの話で盛り上がっていたボクと内田のところにやって来た橘高は、「君達、何でマンガの話ばっかりしてるんだ。ロックの話をしろよ」と叫び、そして泣き出したのだ。何なんだアンタは=
彼は酔うと喜怒哀楽全ての感情が出る男なのだ(怒りながら笑って泣く彼の姿をその後何度か見ている)。それからというもの、ボクと内田は「橘高の前でマンガの話、特に『ア《※》ストロ球団』について語るのは止めよう」と決めた。
枚数の関係で書けなかったが、太田明、本城聡章を始め、筋少に参加した二十四人はいずれ劣らぬヘンな人達だった。
ボクはこんなヘンな二十四人と一時期を共に行動したことをうれしく思う。そしてボクがいつかあの世へ召される時、脳裏に浮かぶ走馬燈が、彼らとのヘンテコな日々のダイジェストシーンであったら、もっとうれしい。
※ スペクタクル野球マンガの金字塔! たかが野球の試合で死人も出る。「殺人L字ボール」「ジャコビニ流星打法」「スカイラブ投法」等々……SFも勝てぬサイバー魔球が飛びかうバカマンガ。必読!
公園でうたた寝をするのだ
公園が好きだ。
日比谷、井の頭、代々木、新宿御苑……等、世界一猥雑な都市東京の中に一体どうしてこんな牧歌的空間が数多くありえるのだろう。
ポッカリと時間が空いたなら公園でうたた寝をしたい。
背中が芝生で汚れるのはそんなに悪いことぢゃない。ゴロリと寝っころがったら、まるで一昔前のフォークシンガーみたいに、雲の行く末をただボンヤリと目で追うのだ。小一時間もそうやっていると、いつしか僕は軽い瞑想状態に落ち入ってしまう。心の中に住むしかめっ面の男との禅問答が始まる。
「何故雲は流れるか=」
「それは人の行く果てとどう違っているのか=」
しかめっ面の男は矢つぎ早に難問を浴びせかけてくる。僕は必死になって考えるのだけど、なんとも難しすぎて、そのうちああもうどうでもいいやあ、と投げ出してしまう。それでもかろうじて「雲も人も行く果ては月面のクレーターぢゃあないかしらん」と答えてみる。しかめっ面の男がにやっと笑う。
公園はいいなあと思う。バイブラサウンドやタンキングなどよりも瞑想効果があるように思うし、芝生の上や池のほとりで自分を軽いロウの状態にしていると、得体のしれない不安感も静かにとけてゆくのがよくわかる。カラオケやディスコなどよりよっぽどストレス発散になるのではないか。「アンアン」だか「ノンノ」だかで、「クラビングはもう古い、これからの女はパーキング(これはもちろん造語です。車を停めとくこととは関係ないぞ)」なんて特集をやったら受けるんぢゃないかな。だってどんな最先端女性でも、やっぱり〓“彼氏とお弁当持って公園でのほほん〓”みたいのには普遍的にあこがれるものでしょう? (そんな事ないのかな)でもそんな特集組んでも広告とれないか、もうかるのって貸ボート屋くらいだもんな。
てな事を思っている間にも雲は流れてゆく。流れゆく雲はいろいろな形に姿を変える。象→ソロモン王→たこ八郎→文化なべ→ランボルギーニ
僕の真上にきたところで、雲は一人の男の顔を形づくった。彫りの深い白人男性、マンテル大尉の顔を。
アメリカ空軍トーマス・F・マンテル大尉は史上初の「宇宙人に撃墜された男」だ。一九六〇年代、まだUFOがそれほど人々に知られていなかったころ、軍用機で飛行中のマンテル大尉から地上管制塔に異常な通信が送られてきた。〓“ものすごいスピードでジグザグに飛ぶ輝く物体を発見、自分はそれを追っている〓”と言うのだ。〓“その物体はまるでコーヒー皿のような形をしている、フライング・ソーサーだ!〓”マンテル大尉は空飛ぶ円盤をしばらく追跡したものの、結局見失い「基地に戻る」との通信を管制塔に送ってきた。――しかしマンテルは現在に至るまで帰還していない。
数日後、軍の捜索隊は、太平洋上に散らばったマンテル機の残骸を発見した。
「宇宙人に殺されたに違いない!」人々はそう語り合った。
……本当のところマンテルは〓“何〓”を追いかけたのだろう。UFO、いわゆる未確認飛行物体には遠い星の人々が乗っているのだ。というのは過去の定説であり、現在ではUFO研究家の多くがこの説に対して否定的見解を持っているという。実際UFO目撃事件のほぼ九十パーセントは自然現象などの誤認に過ぎないらしい。最近流行のコ《※》ンタクティーと呼ばれる人達も、形をかえた霊媒(今から何十年も前にそのトリックはすべて暴かれている)のような者ではないかと言われている。
マンテルもやはり自然現象か何かを追っかけて事故にあったのだろうか。
「宇宙人に撃墜された男」名誉なのか不名誉なのか判断しかねるが、マンテルが数奇な人生の終わり方をしたことだけは誰しも認めざるを得ない。
「どんなにつらいことがあっても人工衛星に乗せられて宇宙で死んだライカ犬よりはましだ」と言った人がいる。それもやだけど「宇宙人に撃墜された男」ってのも、なかなか悲しいな。死んで数十年後に「宇宙人はいなかった、あれは事故死だ」ってのは、さらに悲しいな。死の価値が下がっちゃったみたいぢゃないか、こういうのを〓“むくわれない〓”と言うんだろう。
ところで、僕はどういうふうに死んでゆくのだろう。
もしも宇宙人に殺されるのなら太平洋上より代々木公園の芝生の上がいい。それなら納得して眠れる気がする。
マンテル雲は僕の上を通過して南の空の果てに低く静かに流れていった。きっとこのまま月のクレーターまで飛んでいくのだ。
さようならマンテル大尉。
※ 異星人と交信できる人。
窓の外に聞こえる箒の音と吐き気で目が醒めた。
脳の中に昨晩呑んだアルコヲルが澱のように溜まっているのを感ず。
煙草を探すが、遠い。
昨日もまたとおに〆切の過ぎた原稿を書かずに酒をくらってしまった。
最早編集者からの催促の架電もかかってこないが、今日あたり何か言ってきそうだ。
少し書き始めるとするか。
歯を磨く。吐き気がする。
やはり筆が進まず庭に出る。
構想を練り直す。
何も浮かんでこない。
思い浮かぶは、銀座辺りのカフェーの女給たちのことだ。
書き終えたら豪遊しませう、と言っていた編集者の顔をちらりと思ふ。
書斎に移ればよいかしらと思えども、やはり筆は進まない。
そうだ、アルバイトでやっている漫画雑誌からの〆切も今日だった。
前号は落としてしまっていたからやばい。
漫画は筆が進む。
小一時間で三頁の短編を描き終えた。
何か安心した気分になった。
煙草を買いに表にでる。
出掛けようとすると丁度雨が降り出した。
牛込から早稲田に抜ける通りを横切る。
銀行、湯屋、活動写真館と並ぶ道の裏にある公園へ入る。
池の鴨と戯れる束の間の安らぎ。
小説のことを思ふと頭が痛いので考えぬようにするが、重い雨を見ていると気が滅入る。
才能は枯渇したのか。
あ丶、太宰はん。 家に戻ると書生に何処に行っていたのかを咎められる。
副業でやっている音楽活動の取材が入っていたそうだ。
慌てて化粧をしてもらう。
簡単なインタヴューの後アンケートに答える。
「どういう老後を迎えたいですか」「のほほん」
五十問も聞いてきたので疲れたが撮影でポォズをとった。
ついに恐れていた架電がかかってきた。
今日中に書かないと一週間出版社のあの牢獄のような部屋に かんづめだと言ふ。銀座のカフェーにも行かせない、とも。
書庫に閉じ籠もり資料を探す。
探せど気になっていた文献は見つからないが気にせず、
幾度と読み返した乱歩先生の小説をまた読み耽る。
古本の虫干もしなければと気になる。 結局原稿は二枚書いただけだが、まあよい。
暗くなったので、カフェーに出掛ける。
銀座は知ってる人に会いそうなので近場の神楽坂に行くとする。
此の間から来ているあの娘に会いたいということもある。
銀座辺りの女給と比べると此処らの女給たちは純朴で正直なのが良い。
酔うほどに眠くなってきた。
明日からかんづめか、やれやれ。
あ丶酔生夢死。 平成文士のアンケート
1.生年月日は?  S41・2・6
2.血液型は?  B
3.出身地は?  東京
4.スリーサイズをおしえてください。  悪魔のようなデブ
5.好きな色は?  赤
6.好きなスポーツは?  不得意
7.好きな食べ物は?  タコス
8.嫌いな食べ物は?  トマト、キュウリ、
9.世の中でいちばんこわいものは?  死ぬこと
10.持病はありますか?その特効薬は?  慢性鼻炎 点鼻薬
11.好きな下着は?  デカパン
12.OFFの日は何をしていますか?  綜密なスケジュールを組み、それにそって行動する。
13.バンドを始めたきっかけは?  何かやらねばとあせって
14.現在の日本の音楽業界、ロックシーンについて思うことは?  義理を通せば道理が通らぬの日々
15.自作曲の中で一番好きな曲は?  死んでいく牛はモー(未発表)
16.メンバーに言いたいことは?  私をもっと尊えよ
17.今後の活動方針、あるいは今後音楽でめざしていくものは?
18.自分の声をどう思いますか?  もっと美声になりたいです
19.自分の容姿をどう思いますか?  下半身が恥ずかしい
20.今までの人生でいちばん恥かしかったことは?  悪いことをすると必ずばれる、その瞬間。
21.幼少時の思い出で心に残っていることは?  性の目覚め、オナニーの創世記ですじゃ
22.今までで一番印象に残っている映画は?  今関あきよし監督の自主製作映画「フルーツバスケット」
23.寝る時は何を着て寝ますか?  パンツ
24.好きな女の人のタイプは?  丸っこくて不必要なヒラヒラのついた服を着てる子。
25.好きな男のタイプは? 角刈、ふんどし、祭り好きの兄貴(毛薄)
26.SEXはスキですか?  オナニーの方が好きです
27.日頃、どんな夢をよく見ますか?  悪夢が多い。必らず総天然色
28.尊敬してる人は?  王選手
29.大嫌いなヤツは?  イライラしてるときの自分
30.賞罰は?  なし。
31.年収は?  毎年所得税番付に「大槻ケンヂ」という人が載ってるけあれは別人。
32.伴侶に望むものは?  老後に一緒に梅を見に行きたい
33.あなたの宗教観は?  無宗教
34.透明人間になれたら何をしますか?  痴漢
35.どういう老後を迎えたいですか?  ノホホン
36.最近の愛読書は?  中島らも
37.最近の愛聴盤は?  「レジェンド」『ボブ・マーリー』
38.好きな芸能人は?  ストリッパーの本田翔子さんを始め15、6人
39.親友は誰ですか?  誰かな
40.今いちばん欲しいものは?  永遠の健康
41.最近、気になっている事は?  健康
42.生まれかわったら何になりたいですか?  美少女
43.日本の行く末はどうなると思いますか?  大丈夫。だまってオレについてこい。
44.今の自分をどう思いますか?  よく働いている。
45.自分を動物にたとえるなら?  なんでしょう。
46.世の中のダメ人間にひと言。  自己愛のおぼれるべからず
47.1つだけ願いが叶うとしたら何にしますか?  長生きがしたい。
48.人生の信念を3つあげて下さい。  「つらいのは自分だけではない」「いつか朝もくる」「つらくとも生きよ」
49.こういうアンケートで何を質問してほしいですか?  ミーハーなのがいいですね
50ファンのみなさんにメッセージを。  長生きしたいです。
PART2 のほほん風人間のすすめ
のほほん的人間に君はなれるか?
君の周りにのほほん者はいるか?
小事を気にせず、それどころか大事も気にせず、どんな逆境にあっても「のほほんのほほん」とほくそ笑むドカベンの微笑三太郎のような、あるいは枯れきったナイスガイ、笠智衆のような男はいるか?
オレの周りには…いねぇなあ。
昔、まだ日本が旧ロシアと国交の無かった時代に、単身乗り込んで行って神戸とロシアのある町との姉妹都市契約を結んで来た男がいたという。彼はいつもニコニコと笑い、神戸でロシア人と会うと誰かれなくおごってやり、支払いはすべて神戸市長にまわしてしまったのだそうだ。この男などかなりののほほん者に思えるが、さにあらず、単にどこかが狂っていたのだ。彼の無責任的行動は、すべて躁病による奇行であったのだ。のほほんの正体見たり、躁病患者、である。
やはり常人がのほほん者として生きるのは不可能なのであろうか?
ああ、それでもいつか、我にのほほんを。
欲望という名の天才、
三柴江戸蔵ってなんだ=
SF小説『アルジャーノンに花束を』の主人公は最初精神薄弱者として登場する。が、脳の外科手術を受けたことによって彼はIQ57から徐々にIQ300くらいの超天才青年となる。それにより、薄弱者だった彼にとって神にも匹敵する存在であった人々が、やがてせいぜい学校の先生ぐらいになり、そのうち友人程度、しまいには赤ん坊ぐらいにしか彼には思えなくなってしまうのだ。
『アルジャーノン』を読んでいてふと我が友人、ピアニスト三柴江戸蔵を思い出した。別に三柴君が精神薄弱者だったわけではない。確かに全裸でピアノを弾きまくる様をビデオに収め、『欲望という男』なるタイトルを付けて友人に公開したりと奇行の目立つ奴ではあるが、脳手術を受ける程ではない。むしろ彼のピアノ・テクニックを知る者は口を揃えて「天才」と呼ぶ、まるで天才バカボンのような男なのだ。三柴君は僕のバンドに三年間いた。奇行はすれどやはり「音楽命」の彼と、音楽は表現活動の一部と割り切っている僕が、三年も行動を共にできたのは、ポリシーは違ってもお互いの才能を認め合っていたからだろう。
そのバランスもバンドがデビューしたことで崩れてしまった。デビューしてからの三柴君の音楽的成長はまさに破竹の勢い、僕などまるで足元にも及ばなくなっちまったのだ。僕がバンドの売り方なんか考えているのに彼は、『アルジャーノン』の主人公みたく一気に、「知識の丘」に登りつめていたわけだ。
セカンド・アルバム録音最終日に彼は「ぬけるよ」と僕に告げた。
友達でも夫婦でもバンドでも、長く続けるのに必要なのは同じくらいのスピードで成長していく事なのかもしれない。それがズレはじめた時、さびしいけれど先に成長した側が相手に別れを告げなければならないのだ。
ところで先日、三柴君と電話で話したのだが、彼は最近ハンガリーに旅行し、その時に『欲望という名の男2』を撮影したとうれしそうに語ってくれた――。そうゆうとこは変わってないのね。
UFOを見た演歌歌手、
山本譲二ってなんだ=
賢明な読者諸君ならすでにご存じであろう。あの衝撃の「山本譲二UFO激撮事件」を! その日、山本譲二は妻、娘と夕食の準備をしていたとゆう。そんなほんわかムードを引き裂くがごとくそれは出現した。金属的に輝く物体が窓の向こう夕暮れの空高く浮かんでいたのだ。
「UFOだ! ママ8ミリビデオ持ってきなさい」こうしてUFOは山本氏の震える手により激撮された。この映像はテレビのワイドショー番組で放送され、お茶の間に戦慄と驚愕の嵐を巻き起こした。私もこれを見たのだが「わ〜これちゃんと写ってるかなど〜も山本譲二で〜す」などと恐るべき事件の渦中にある人とは思えぬ山本氏の冷静にして余裕のある態度にモーレツな感動を覚えた。
しかし何よりもここで注目すべきは、この事件が史上初の演歌歌手によるUFO撮影事件であることだ。演歌対UFO。まさに水と油。もはやシュールとも呼べる組み合わせだ。かつてUFOの目撃者といえばド田舎に住んでる人の良さそうな農夫、あるいは怪しげな著作を二、三冊持つ貧乏物理学者と、相場が決まっていたものだ。それを思うとこの「演歌歌手山本譲二」によるUFO目撃はじつに革命的事件であるといえよう。ナイス譲二さん!
私は想う。UFOにもペレストロイカが訪れたのだ! 先にのべた様に今までUFOは目撃者を特定していた。たぶん自分の存在を小出しにするためだ! しかし最近の世界情勢(民主化するソ連など)を重んじたUFO=宇宙人は、より多くの人々に存在を知らせる必要性を感じ始めたのだろう。
不特定多数の人間がUFOを目撃できる日は近い。
トビ職対UFO。ダフ屋対UFO、ヘビメタ対UFO、矢切りの渡し対UFO、またぎ対UFO、イタコ対UFO、ディスコの黒服対UFO。異種格闘技戦さながらの組み合わせが可能になる日はもう目の前だ。
演歌歌手山本譲二がその口火を切ったのだ。
ロックを歌い続ける
ミック・ジャガーってなんだ=
ミック・ジャガーは冷めていた。
待ちに待ったローリング・ストーンズ来日公演、九日間東京ドームは、今や死語である「興奮のるつぼ」と化した。大フィーバー、まさに恐竜死語「熱気ムンムン」と化したのだ。
しかしミック・ジャガーは冷めていた。俺にはミックが「かったるそう」に見えた。
当たり前だ。二十数年もの長期にわたって「おなじみのゴキゲンなナンバー」を唄わされてきたのだ。「お仕事」と割り切っても、苦行である。
ロック・ミュージシャンの仕事は、一般に思われているよりウンと地味でつまらない。よく「好きな事やってお金もらえるんだからいいな」とうらやむ人がいる。だが好きな事をやるためにその何倍の好きぢゃない事をやらねばならないか……(グチです、スマヌ)。
「ライブの間はなりきっていればいいから楽さ、だけど楽屋に戻ると見た事もない人々の笑顔に囲まれて『オイのジョニーのためにサインを』なんてのに付き合わなきゃいけないんだ。まったくウンザリさ。このインタビューの事も、ついさっきまで知らなかったんだぜ」
これがあのキング・オブ・ロックの発言であろうか、ただのグチぢゃねえか(!) 二十数年ころがり続けてきた男のこれが本音であるならば、一体ロックって何だ? SEX, DRUG, ROCK'N ROLL が幻想に過ぎない事なぞもうみんな知っている。それにしても彼の発言から浮び上がってくる言葉はズバリ、BUSINESS。そんだけぢゃないか。
ステージ中、太極拳風のパフォーマンスをするミックを見て久本雅美さんは「岡八郎みたいだ」と言って笑った。だが、二十数年「サティスファクション」を唄い続けるミックと、「くっさあ」を二十数年やり続ける岡八郎との間に、果たして哀しみの差はあるのだろうかと思い、僕は笑うことができなかったのであった。
この世ならぬ存在と対面する
チャネラーってなんだ=
「チャネラー」を御存知か?
「チャネラー」とは宇宙の大意志、神、〇×星人、そういった目に見えぬ存在と思念によって交信している人々である。
「ああ丹波哲郎みたいな人ね」と思う人もあろうが、それはまるで違う。丹波哲郎さんは、数々の文献、証言を自分なりにまとめて「霊界」を想像しているに過ぎない。これに対してチャネラーは直接この世ならぬ存在と対面していると主張する人々だ。スポーツライターとスポーツ選手ぐらいの差はある。
ところが、そういう世界と直接かかわっているはずの、このチャネラーの話というのが不思議なことに丹波哲郎の霊界話程に説得力を持たないのだ。それは丹波氏の「大霊界」にしてもチャネラーの語る「大意志」「〇×星人」にしても、「本当かね?」と眉に唾したくなるのは同じなのだが、チャネラーの話の方が圧倒的に荒唐無稽なためだ。
例えばAさんという自称チャネラーがいる。彼は、ある日彼の店を訪れた自称「〇×星人」によってチャネラーにされたという。チャネラーになったAさんは月に数日〇×星の方に「行っている」んだそうだ。「この前も行ったんだけどさ。ちょうど〇×星のオリンピックやってたんだよ。うん、地球代表ってことで開会式に出てきたよ。地球人は俺のほかに田中絹代とヘレン・ケラーがいたなぁ」。こんな話を真顔でされた時、君ならなんと言う。Aさんに限らずチャネラーの人々には「まるで信じられぬ話を『まあそんな大した話じゃないよ』という風に話す」といった共通点がある。彼らにとっては、どんな不思議なことも日常の範囲中なのでたいしたことではないのだろう。この世ならぬ存在と交信するなどということも、確かにそれが日常になってしまえば本人にとって驚くべきことではなくなるのかもしれない。しかし、だ。オリンピックと言えば地球でだって大イベントではないか。それにご招待されたのだ、もっと大げさに語ってもいいじゃないか。第一それじゃなきゃ〇×星人の立場が無いゼ。
「ロックンロール大魔人」を唄う
小魔人ってなんだ=
「小魔人」という歌手を見たのは数年前いにしえのB級歌手専門テレビ「若原瞳のラブリー10+1」においてだ。男は四十過ぎのオッサンだった。男は鎧兜を着けていた、のみならず男はまるでクリスマスツリーのごときデコレーションを兜に施していた。男は自分を「小魔人」と名乗った。'50S風のビートが流れ出し小魔人は唄い始めた。曲名は「ロックンロール大魔人」! まるでダダ、まるでシュール。後にも先にも小魔人をテレビで見たのはそれ一回きりであった。彗星のように彼は現れ、そして消えた。数多くの謎を残したまま。なぜ「小魔人」なのだ? なぜ「ロックンロール大魔人」なのだ? なぜ鎧兜なのだ? なぜ'50S調なのだ? なぜ電飾なのだ?
歌を唄うものは皆、名を選び、曲を選び、衣装を選ぶ。それは歌をきわ立たせるための……言うなれば調味料だ。素材と調味料のバランスがあってこそ名曲は名曲となり歌手は歌手たりえるのだ。だがしかし、小魔人にはこの方法論が通用しない。あまりにもバランスのとれていない名、曲、衣装。どれをとっても目茶苦茶や。彼は一体何を言わんとしたのか?
そもそも小魔人と名乗るこのオッサン一体誰やねん?
「この世には永遠に解けぬ謎が存在する」。小魔人もまたその一つとあきらめていた矢先、先日私は小魔人に関する驚くべき情報を友人M君より入手した。なんとM君は数年前に小魔人に会ったことがあるというのだ。
M君が喫茶店でバイトしていた時だ。一見ヤーサン風のお客がコーヒーを注文した。その客は長髪のM君を見てこういったという。
「音楽やってるのかい? 俺はディレクターをやってんだ。俺が一声かけりゃレコードなんぞすぐ出せる。この間なんか俺が唄っちまったよ。コミカルで聞きやすいぞ、ホレ」客はM君に一枚のレコードを差し出した。
「ロックンロール大魔人」を……。
私がこの話を聞きもっとも驚いたのは「コミカルで聞きやすい」という部分だ。大いなるギミックの下に隠されたあまりにストレートな本質。小魔人はダダでもシュールでもなかった。単なるロックを知らない勘違いしたオッサンだったのだ。
チャンチャン。
この世に三人いる、
オオツキケンヂってなんだ=
「高額所得税番付」いわゆる長者番付に載ってしまった。誰が? このオレが。某スポーツ紙。芸能部門においてチェッカーズのモクの1位下、ケーシー高峰の1位上という、なんだか複雑な位置に我が名はあった。『大槻ケンヂ(筋肉少女帯)』「オレは長者様だったのか……」
瞬時にして私の脳裏には長者様ロッカー大槻のイメージが広がった。会場を埋め尽くす子供達。手をのばし叫ぶオーディエンス。「大槻さまぁ! 長者さまぁ!」
熱狂を受け大槻が悠然と登場する。アマゾネス美女四人のかつぐ御輿に乗った長者様は輝く金のコスチューム。両手にはワシ掴みにした一万円札の束だ。長者はそれをちぎっては投げちぎっては投げ……。
だがしかし、この「大槻長者報道」にはオチがあった。誰もが予測可能、往年の「カックラキン大放送」を思い出さずにはいられない程予定調和な展開が用意されていたのだ。
「高額所得者大槻ケンヂ」とは同姓同名の別人であった。つまり誤報なわけね。
長者番付を私の友人は酒場で聞き、その瞬間「酒がまずくなった」そうだ。そしてすぐにそれが誤報と知るや一転して「美酒に酔いしれた」そうだ。できるなら奴に苦い酒をもっと飲ませてやりたかったぜっ、浴びるほどになぁっ。
ところで自分と同姓同名の男を僕はもう一人知っている。中学一年の時、ボーッとラヂオを聞いていると、こんなニュースが聞こえてきたのだ。
「〇×県〇×町のゴルフ場で落雷があり、グリーンにでていた会社員オオツキケンヂさん〇歳が直撃を受け、即死しました……」
長者番付に名を連ねるオオツキケンヂ、バンドやってるオオツキケンヂ、そして、落雷で命を絶ったオオツキケンヂ、人生いろいろ。とはいえ子供の頃は皆「オーケン」と呼ばれていただろうこの三人の運命、ここまで違ってしまうとは、神よ、あなたはやはり気まぐれだ……。オー、マイ、ゴッドだよねぇ。
ウルトラセブンで性に目覚めた
大槻ケンヂってなんだ=
僕の「性への目覚め」は『ウルトラセブン』だった。湖畔でボーグ星人と戦うウルトラセブン。劣勢だ。組みひしがれてもがくセブン、その真っ赤なエナメル質の体が水にぬれてヌラヌラと光る。その輝きに幼きころの僕は何かを感じたのだ…。こんな野郎は他にはいまい。と妙な自信を持っていたのだが、人生いろいろ、「性の目覚め」もいろいろ、いたのである、そんな野郎が、他に二人も。
数年前、とあるライブハウスの楽屋でテレビを見ていた。僕、そして対バンのメンバー二人と。
そのとき「セブン」が始まった。真紅のエナメル質が戦う……水に濡れ……。
「オナニーしたくなるなあ」確かにうしろの男はそう言った。僕ともう一人のヘビメタ風がクルリと声の主を振り返る。ニール・ヤングに似たそいつは「あっ、やべ」とうつむいた。その彼に向かってヘビメタ風が信じられぬ一言を発した。「君もか!」
何たるドグラマグラ的展開であろうか、まったくの偶然に集まった三人の若者、生まれも育ちも音楽の指向も違うこの三人の、しかしそのリビドーの発端に共通性のあろうとは!
結局、人間の趣味嗜好というものは幼年期に決まってしまうという。それを考えると「セブン」が性の扉をたたくことも納得がいく。現代の二十代にとって、幼年期に多大な影響を受けたのは、親、友人をもはるかにしのぐ存在である「テレビ」なのだから。
ライブハウスの楽屋にいたあの三人が「セブン」で覚醒したように、「仮面ライダー」の手術シーンでSMに目覚めた者もいるだろう。「キューティーハニー」の変身シーンには誰もがうずいたはずだ。「ゴレンジャー」で複数SEXに、「いなかっぺ大将」でふんどしマニアに、その後なった者もいるかもしれない。
同志よ! 今こそ「性の目覚め映画祭」を開催しようではないか、上映作品は全て「セブン」や「ライダー」だ。人々にとっては子供向け番組であろうとも、我々にとってそれらは極上のポルノムービーとなりえるのだ。
PART3 のほほん流読書のすすめ
面白本とは?
高校時代に一度だけ激怒したことがある。
授業中、隠し読みしていた本を教師に奪い取られた時だ。学校生活になんの意味も見出せず、教室内透明人間と化していたボクにとって、授業中にコッソリ読む文庫本の中の虚構世界こそが現実だった。そして「聖域」みたいに思っていた。
イッセー尾形が演じるような定番インテリ数学教師は、奪い取った一冊を自分の足元にバシリと投げ落とし、つま先で蹴飛ばしてみせた。
殴ってやろうかと思った。
ただ、そういった故尾崎豊的な社会への反抗の仕方がさすがに恥ずかしかったのと、足げにされたその書物が山上たつひこ著『がきデカ2巻』であったという事実がボクを思いとどまらせ、ボクは握った拳を机にゴンゴンとぶつけただけで、おし黙った。
あの時に教師を殴って、「がきデカ」の虚構世界を守るために現実を放棄する勇気がオレにあったならなぁと今でも思う。
あれ以来、ボクにとっての面白本とは、「この本のためなら教師を殴れる」かどうかが基準になっている。
淡々と文語体で綴る
戦争のはらわたの部分
『戦艦大和』 吉田 満
まさかこんなタイトルの本を自分が読むとは思わなかった。
おまけに心が打ち震えるような感動を読後に覚えることになるなんて、まったく夢にも思わなんだ。
きっかけは、今となっては何だかもう昔のことのようにも思える湾岸戦争の、くどい程くり返された映像である。
あの、夜空を燃えつくさんばかりに縦横無尽に飛びかっていたミサイルの輝きである。
みんなあれをどう思って見ました?
もちろん戦争賛美主義ではないけれど、「戦争かぁ、やっぱやんないにこしたことはないんとちがうの?」程度の反戦主義である僕は、あの花火のように飛びかう砲弾の映像を、正直言うと、「なんてきれいなんだろか、大スペクタルだ」後ろめたい気持ちも含めて、そんなふうに思いながら見ていたのだ。
でもそれは僕だけではないはずだ。
多国籍軍のハイテク兵器の、なんとカッチョイイことか、それに対するイラク軍の、毒ガス使用の嘘、ヒール的キャラクター十二分なフセインを代表とする、まるで初来日間近の悪役レスラーのような怪しさ。「戦争はいけない」そんなことはわかっていても、はたから見る分には戦争は、やっぱり面白いのだ。誰でも知ってるけどあまり大きな声では言えないそれは事実なのだ。なんたって日本にいる分には痛くもかゆくもないんだから。海外旅行のパックがつぶれて困るぐらいの被害しか、湾岸戦争において、我々多くの日本人は受けなかったのである。
「戦争小説を読んでみよう」僕がそんなことを思い立ったのも、戦争とは何ぞや? 何故戦争はくりかえされるのか? なんてことを深く考察しようとしたわけではなく、「どうやら戦争ものって読んでて燃えそうだなぁ」そう考えてのことであった。バイオレンスノベルを読むような気持ちだ。やはりと言うか、同じようなことを考える人が僕のほかにもたくさんいたようで、いろいろな雑誌で「今、戦争を読め!」「戦争を知りたい・そのためのベストブック10冊」みたいな特集が組まれていた。日本人ってみんな呑気な悪い奴である。
吉田満著『戦艦大和』は、そういった特集に必ず名を連ねていた。
昭和十九年、副電測士として「大和」に乗船した吉田氏は、出撃、戦闘、そして大和沈没に至るまでを身をもって体験し、奇跡としかいいようのない生還をへて、終戦の直後、ほとんど一日でこのノンフィクションを書き上げたという。
この作品の素晴らしさ、恐ろしさ、それこそ超ド級戦艦並みの圧倒的なパワーを、一体どう書いたら解ってもらえるだろうか。
吉田氏の文章は文語体で、ただひたすらにありのままの事実だけを記していく。偵察機により大和の行動が全て敵国につつ抜けだったこと、出撃前夜、遠く陸岸に祖国の桜の咲くを見つけ、先を争って双眼鏡をのぞきこんだこと、門出の盃を落とした若き少尉のこと、沈没間近、船の傾斜を立て直すため、数百の戦友がまだ残る右舷各室に海水を注入し、瞬時にしてその命を奪ったこと、海に投げだされた戦友が、サメの餌食となり海中に没したこと、発狂した者のこと、羅針盤に体を縛りつけ、望んで大和と運命を共にした者のこと、それら全てのエピソードが、ハードボイルド小説のように押し殺したムードで一つ一つ切り取られてゆく。
CNNの報道フィルムでは見られない、戦争のはらわたの部分が、一冊の文庫本の中にあった。
多国籍軍に、赤子のように泣きながら降伏を訴えたイラク兵達を、もう絶対に笑って見られなくなる本である。
戦争って、やっぱりそうとう痛くて悲惨で恐いらしい。それでもなくならないのは何故だろう。
この本の中で、吉田満氏は日本へもどるやすぐに、再び特攻隊配属を志願する。……人間って一体……。
タイトルでぶっ飛ぶが、
中身は意外や人間ドラマ
『宇宙人の死体写真集』 中村省三 編・著
初回から「とらばーゆ」の読者には、およそ縁のなさそうな本ばかりを紹介しているこのコラム。今回は特に極め付けの一冊を取り上げたい。
中村省三編・著『宇宙人の死体写真集』。「宇宙人写真集」ならまだわかる。「死体写真集」でも軽いジャブといったところだろう。だが、この二つの要素が合体した時、1《ワン》+《プラス》1《ワン》は2《ツー》にとどまることなく、矢吹ジョーのノ《※》ーガード戦法とクロスカウンターをもしのぐインパクトでわれわれの脳《のう》髄《ずい》に迫りくるのだ。
「うちゅうじんのしたいしゃしんしゅう=」と声に出して叫んでいただきたい。あなたの中で理性のタガがぶっ飛ぶこと間違いなしだ。実に趣のあるというか、オイシイ題名ではないか。シンプルでありながら、そのタイトルの奥にある果てしない流れを想起させるではないか。この題名に匹敵するものと言ったら、それこそドストエフスキー『罪と罰』あるいはパパ・ヘミングウェイ『老人と海』ぐらいのものではあるまいか。
本書はまた、その内容においても噴き上がるマグマのごとき壮大なエネルギーを内包している。「写真集」とタイトルされながら、ほとんどを宇宙人のイラストで構成しているという恐るべきギミック。また目撃者の手によるそのイラストの、ピカソもダリも裸足で逃げ出すダイナミックすぎるナイスな描写力。そして何よりも、宇宙人の死体写真なぞ、わずか三枚しかないのに「写真集」と銘打つドードーたる姿勢の見事なること。
なんて、おちょくりながらも、僕はこの本をかなり気に入っている。
写真に写された、あるいはイラストに描かれた宇宙人もさることながら、それ以上に目撃者とされる人々に興味が湧くのだ。
たとえばイタリア人の鉄工所技師ジャンピエロ・モングッチ氏は、休暇で訪れていたセルセン氷河でUFOと宇宙人の写真撮影に成功。一躍時の人となった。しかし数ケ月後、トリック写真であることが判明。その手口は、アルプスを背景に、ボール紙でできた人形の宇宙人を撮影しただけの、とても稚《ち》拙《せつ》なものであった。モングッチ氏は職場をクビ、社会的にも抹殺状態となってしまう。
米アラバマ州の警察署長グリーンホウ氏は、UFO着陸の通報を聞くや、パトカーで駆けつけ、ロボット型の宇宙人をカメラに収める。しかしそれも、消防士のユニフォームを使っての、誰かのいたずらであったことが後にわかる。グリーンホウ氏は警察署長を辞任、妻とも離婚、騒ぎの責任を取ったわけだ。
モングッチ氏にしても、グリーンホウ署長にしても、なんというか、笑うに笑えない悲喜劇の主人公を演じてしまったのである。
彼らのほかにも、この本の中には、さまざまな自称宇宙人遭遇者たちが登場する。明らかにデッチ上げとわかるもの、妄想狂じみた人もいる。薬物使用時の幻覚症例とそっくりなケースも多い。彼らは「宇宙人と遭遇した」と社会に対して告げたことで、その後、それぞれの人生に、とても大きな変化を強いられることになった。
人生の「転機」が、卒業や恋愛や、転職といった誰しもが経験するようなものではなく、それが「宇宙人との遭遇」などという、つかみどころのない、とんでもない、よくわからない事件であるというのは、これはもう、文学の領域ではないだろうか。
圧倒的に面白い、面白すぎてちょっと哀しくなってしまう、モングッチ氏やグリーンホウ署長の、ああ人間ドラマ……である。
今こうやって書いている僕だって、それを読んでるあなただって、あと数分後に「人生の転機」が、それも「宇宙人との遭遇」クラスのシュールな事件が待ちかまえていない、とは言い切れないのだ。
そうっと振り向いてごらんなさい。
あなたの後ろになぜか水野晴郎がいて「やあ、映画っていいですね、ところで僕と相撲取りませんか?」と言うことだって、絶対ないとは……ねえか。
※ 別名「両手ブラリン戦法」両手をたらし、全くのノーガードで対戦相手をみつめるジョー。「ガード」の意味をまるで理解していないおバカさんである。
本に体温があるならば、
〓“38℃〓”はいく熱苦しさ
『馬車は走る』 沢木耕太郎
インドに行ってきた。
三大都市のひとつであるカルカッタを一言で言い表すなら、それはズバリ、
「アホ」である。
街の大通りは、人間と車と人力車とであふれかえり、そのゴチャゴチャとした通りのわずかなスキマを、日本でならよっぽどの田舎でない限り見ることのないだろう「野良牛」が、気温四十度以上のうだるような熱さに拍車をかけるように、のったらのったらむさ苦しく歩いてゆくのだ。
街のどこに行っても乞食がいる。彼らには悲惨さのかけらもなく、バクシーシ(お恵み)を拒むと「ったく最近の旅行者は財布の口が固くていけねーや」てなことをヒンドゥー語でつぶやきながら、そこいらのドブ水でジャバジャバと体を洗い始めたりする。その横では年老いた野良犬が昼寝を…しているのかと思えば、それは三日前にすでに息絶えていて、腐り方は、レアーの状態。どろんとした両の眼を天空高くギンギンギラギラ容赦なく照りつけるお日さまに向けている。
バスはもちろん冷房なし、それでも乗車率百六十パーセント、乗り切れないインド人は、指の力だけで窓の外ワクにしがみつくという、ほとんど往年の千葉真一状態。
どいつもこいつもギリギリの状況にいながら、何故だかノホホンと暮らしているのだ。
これを「アホ」といわずして何と呼ぼう。
アホの街カルカッタにしっくり合う本とはいったいどんな作家の筆によるものであろうか。
この炎天下である。やはり肩のこらないオモシロ本だろうなと思い、東海林さだおなどを読み始めたのだがどうもちがう、熱さにもうろうとする頭が、いつもなら楽しくてしょうがないショージ君の軽い文体を受けつけないのだ。熱さが勝ってしまうのだ。
それならばとバックパックの中から取り出した一冊の文庫本は、沢木耕太郎『馬車は走る』。「三《※》浦和義、石原慎太郎ら六人の男と人生の断面を鋭く抉《えぐ》る人物フィクション」と紹介文にある通り、ルポライター沢木耕太郎による人間観察記である。重い内容である。もしも本に体温があるなら、摂氏三十八度ぐらいはいくであろう本である。
熱っ苦しいのだ。
夏のインドでさらにそんな熱っ苦しい本を読んだら、それこそバテてぶったおれてしまうんではなかろうかと思いながらページをめくった。
不思議なことに、これがスラスラと読めてしまう。
もちろん沢木さんの絶妙な筆の力によるところもあるのだが、それにしてもダラダラと汗をかきながら熱い文章を読むという、一見、苦行に近い読書が、とても気持ちがよいのである。
そういえば、インド人はチャイというロイヤルミルクティーのようなお茶をよく飲んでいる。熱くって甘くって、こんなもん熱いところで飲むもんかと思えるのだが、これが実に美味い。ひと口飲むと、ジワリと汗が吹き出し、気化熱というのだろうか、一瞬フワリと涼しくなるのだ。
インドで読む『馬車は走る』は、まさに読むチャイなのであった。
三浦和義についての、まるでよくできた犯罪小説のエピローグのようなルポを読み終え本を閉じ、顔をあげると、そこはカルカッタ。
世界一邪悪な街とまで呼ばれる魔都。
金持ちもいる。
乞食もいる。
一生家を持たず、通りの隅で死んでゆく者がいる。
遠く離れた日本では、妻殺しの疑いで追われている者もいる。
インドにしろ日本にしろ、人間の一生はカオスだ。
※ サッカー選手ではなく、保険金目当ての殺人容疑で服役中の人物。
錬金術師、サギ師、魔術師、
奇行の人のオンパレード
『妖人奇人館』 澁澤龍彦
あなたのまわりに「奇行の人」はいるだろうか?
この場合「私ってちょっとかわってるからぁ」などと言ったりする人は除外する。また口には出さずとも、そういったそぶりが端ばしに見られる人も同様に外したい。
「奇行の人」の第一条件は「自分を異常だと自覚していない」ことである。
他人にはとても理解しがたい趣味・くせ・野望! 「奇行の人」であるためにはそういったものを持っていなければならない。
「大橋巨泉のおっかけ」「加勢大周モンゴル人化計画」
そのぐらいわけのわからないことを実践している「奇行の人」が自分の周辺にもしいたならば、かなりうざったいかもしれないが、日々の退屈な生活も、少しはスリリングになるのではないだろうか。
澁澤龍彦『妖人奇人館』は、占星術師、錬金術師、サギ師、殺し屋、魔術師といった、まさに奇行の人々、その謎に満ちた生涯を紹介する人物エッセイだ。登場するのは怪僧ラスプーチン、カリオストロ、パラケルスス、切り裂きジャック、ノストラダムスなど、どれをとってもいずれおとならぬ妖人奇人たちである。
たとえばその昔、ロンドンを恐怖のドン底に落としいれた切り裂きジャック、その真犯人と思われるモンタギュー・ジョン・ドルーイットの職業は、弁護士であった。王立外科医の父を持ち、本人もオックスフォード大学出身、その栄光の裏で夜な夜な淫売婦殺しに精を出していたというわけだ。小学校の校長がコソコソSMクラブに行くのとは格がちがう。本《マ》気《ジ》である。
貧農の息子であったラスプーチンは、皇帝の子の病を霊力で治し、宮廷入りを果たす。いつも数人の女をはべらせ、食事の後、汚れた指を彼がさし出すと、女たちは争ってその指先をなめたという。死にざまもゴーカイであった。青酸カリ入りのお菓子とぶどう酒をペロリとたいらげても死なず、さらに四発の弾丸を打たれてもまだ死なず、銀の燭台でめった打ちにされ、ロシアの冷たい河に投げ込まれてやっと絶命したという。まるでターミネーターみたいなヤツではないか。
十八世紀の魔術師サン・ジェルマン(パン屋さんみたいな名前だ)伯爵の奇行は、ホラをふいて世人を煙にまくことであった。彼の言うところによると、自分は二千年もの昔から生き続けていて、霊薬によって、死のうとしても死ねない体になっているのだという。実際おどろくべき知識を持っていたようなのだが、キリストが水を酒に変える奇行を行った時にも、自分はそこにいた、なんてことを言ってはばからなかったという。彼の弟子たちもすっとぼけていて、「お前の主人は嘘つきだ」と言われると、「お許しください、私は伯爵にお仕えしてまだ三百年にしかならないのでございます」と答えたそうだ。
まったく落語じゃないんだから。
この本に出てくる奇人たちが活躍したのは今から百年以上も昔のことだ。彼らのように破天荒な人生をおくる人物は、平成の日本にはまずいないだろう。
管理された現代においては、奇行のスケールが小さくなるのも、いたしかたないことなのかもしれない。
ところでこの本の巻末には、「倒錯の性」というエッセイも収録されている。いわゆる「変態的」とされる性倒錯についての一文で、その用語が列記されているのだが、とんでもないものもあって興味深い。
クレプトラグニア(窃盗行為と結びついた性的満足)、ピロラグニア(放火によって惹起される性的満足)などである。とても常人には理解しがたい「エッチ」ではないか。
「サドマゾぐらいなら大丈夫なんだけどなあ」なんてことをふと思った人は、やっぱり「奇行の人」には、まだまだなれそうもない普通人なのだな。
鋼鉄の肉体をもつ
喧嘩おたくが説く喧嘩必勝法
『ザ・喧嘩学』 堀辺正史
格闘技が好きだ。
と言ってもする方ではなく見る方である。また自分が格闘家となって世界の強豪たちと戦う姿を想像するのも楽しい。
僕はもういい大人の年齢なのだが、真剣に「もし前田日明とこの俺が戦うならば」なんてことを二時間ぐらい考えていたりする。アホである。そんなヒマがあったら本の一冊も読めてしまう。「最強の格闘技とはなんぞや=」なんてことを考え始めたらこれはもう夜明けを見ること必至だ。
頭の中で「ひとり朝まで生テレビ」が始まってしまうのだ。
「一撃必殺か?」「連打か?」「打撃技か?」「関節技か?」「顔面攻撃なき格闘技は実戦向きと言えないのではないか?」
空想は果てしなく広がり、興奮のあまり机に手投一発!
「ちぇぇすとおお!」次の瞬間には、赤くはれてきた自分の手を握り「いってぇよー」と情けない声を上げる。まるで二十年前のギャグマンガのような小生である。
こんな奴はそういないだろうと思っていたら……いたのである。しかもこの人は僕なぞと違って本気なのだ。寝る時間も惜しんで最強の格闘技とは何かを問い続け、そしてついに「喧嘩芸骨法」を創り出した、堀辺正史氏だ。
奈良時代から伝わる古武道骨法の継承者であるという堀辺氏は、伝統的武道の実戦性に疑問を抱き、自ら実戦し喧嘩を渡り歩くことによって、骨法をより実戦的にアレンジし、武道ではない、その名も「喧嘩芸」と名を付けた新しい骨法を創始した。
彼の著した『ザ・喧嘩学』はその体験の中からえた彼なりの喧嘩哲学、そして数多くの喧嘩、勝負のいくつかを記した一冊である。
飯より喧嘩が好きだという堀辺氏の言葉には「男の美学」などという硬派の人間にありがちな気恥ずかしさもあるのだが、彼のすばらしいところは、そういった情緒のみに流されることなく、極めて冷静に「喧嘩における必勝法」を論理的に考えていることだ。その研究熱心さはいい意味で「おたく」と言える。
鋼鉄の肉体におたく心。これは強い。
格闘技ファンには興味つきない。そうでない人にはまったく理解できない堀辺正史著『ザ・喧嘩学』である。
〓“早くなんとかしないと〓”
と焦っているあなたへ……
『アイ・アム・ヒッピー』 山田塊也
「第三書館」の出版する何冊かの本は、どれもこれも危険な香りがただよっている。
『マリファナ・ナウ』『チョコレートからヘロインまで』『ドラッグ・内面への旅』――いいのかなぁこういうの出して――そう思いながらも、ドラッグカルチャーには興味はあるが、勝新太郎のように実践する勇気はまったくない僕などは、これらの本を読むことで仮のドラッグ体験を楽しんでいるわけだ。本なら何冊読んでもつかまんないもんね。
ところでドラッグといえばヒッピーを思い起こす人も多いだろう。先日見た報道番組によると、奄美群島にあるヒッピー村が立き退きをせまられ、追放派の島民との間で、険悪な戦いが続いているという。
『アイ・アム・ヒッピー 日本のヒッピームーヴメント'60―'90』は、そのヒッピー村「無我理道場」創設の中心的人物であり、五十歳を超えた今も、自由人であり続ける山田塊也さんの半自伝的エッセイである。
この本の第一行はこんな出だしで始まる。
「ぼくは焦っていた。『早くなんとかしないと〓“ただの人間〓”で終わりかねない』と」
そう思いながら〓“ただの人間〓”で終わってしまうのが世の常だが、山田氏は違っていた。まず二十三歳で会社を辞めた。時は折りしも激動の六十年代、彼が初めて東京にたどり着いた日、安保闘争はクライマックスに達し、国会議事堂前の激突で女子大生が殺された。そんな時代である。
「何かせねば」と焦る山田氏は吸い寄せられるように当時日本の文化的中心地であった新宿で似顔絵書きの仕事を始める。
新宿で彼の目をひいたのは、長髪、Gパンの一種異様な若者たちであった。ビートニックと呼ばれる彼らと、山田氏は何故か話が合った。
そしていつのまにかビートニックの群れへと同化し、二十八歳で、他人から雇われること、そして上昇志向を断ち切るために、野宿と物乞いとゴミ箱あさりの旅に出たのである。
この本に記されている、山田氏の思想的な部分……たとえば反天皇制であるとか……には、僕は反対も賛成もしない。
ただ彼の、窮地に追い込まれようとも自分の信念に忠実であろうとする姿勢には、まったく頭が下がるばかりである。
マンガ界の大映テレビ
ホラーコミックで笑え
『妖怪屋敷』 好美のぼる
友人に「B級恐怖マンガ」の収集家がいる。
ひばり書房、立風書房などから出版されている、けっして芸術性あふれるとはいいかねるホラーマンガの数々を、その友人に借りて読んでみたのだが、いやーこれが面白い。
『呪いの顔がチチチとまた呼ぶ』『学校で夜、幽霊が!』『たたりの夜泣き地蔵』『呪いのウロコ少女』
B級恐怖マンガの最大の魅力とは、おどろおどろしいそのタイトルとはうらはらに、どれを読んでもちぃーとも怖くないところだろう。それどころか、あまりに破綻したストーリー展開、何考えてんだかさっぱり理解不能なキャラクターたちの行動。時代を逆行した独特なペンタッチ、それらが混然一体となり、一種異様な面白世界を構築しているのだ。
中でも好美のぼるという人の作品が抜きん出てスゴイ。天才だ。いや天才をも超越した天才バカボンの領域に達しているといっても過言ではなかろう。とにかく一気に読ませる、そしてパタンと本を閉じ、読者のすべてがまったく同じ感想を口にするのだ。
「なんでそーなるの=」
まさに総読者萩本欽一《 キ ン ち や ん》状態! 二郎さんもトビマストビマスである。
好美のぼるの代表作を挙げるならば、やはり『妖怪屋敷』ではないだろうか。
ヒョンなことから古いお屋敷に紛れ込んだ男が見たものは、屋敷に潜む妖怪亡者の群れであった! 脱出を図る男の目前に、次から次へと、ごていねいなことに一匹ずつ恐ろしい姿を現す妖怪。見開き右ページを逃げる男、左ページを妖怪、というように、好美のぼるは非常に合理的なダンドリでこの複雑なシーンを描いてゆく。右ページ男「ムム、次はどんな化物だ!」左ページ妖怪「ワハハ! ワシは妖怪〇〇じゃあ!」右ページ男「なあんだツマラン、次はどいつだ?」左ページ妖怪「ホホホ! ワタシは妖怪××よ!」右ページ男「ウアア! 次は何だあ=」
この調子で単行本の約半分が進むのだ。誰もが考えつかぬ。いや、考えても普通は単純すぎて使わぬ技法を好美はあえて使用したのだ。好美はマンガ界のゴダールか= 何も考えとらんのか? その謎こそが唯一の恐怖だったりして。
通称〓“ピカソ君〓”は、今
どんな絵を描いてるかな?
『悪霊』 粕谷栄市
デザイン学校に通っていたことがある。クラスメイトはどいつもこいつもひとくせある連中だった。そのなかでも特に変わっていたのは、いつもボロボロのジーンズ姿の通称〓“ピカソ君〓”だ。彼はどんなテーマの課題が出ようとも、画用紙いっぱいにただただ絵の具をぶちまけるのだ。構成も何もあったものではない、まるでウルトラQのオープニングのような絵しか描かないのだ。講師も彼にはサジを投げてしまい、「君は来るべきところを誤ってるよ」と言った。
夏休みが終わり、しばらくして彼は学校にこなくなった。
「創作する」ということは、自分の感じたさまざまな心の動きを、詩であるとか絵であるとかあるいは音楽であるとか、そういったものに置き換える作業だと僕は思う。
ピカソ君は、その作業の選択を誤ってしまったのだ。
彼の絵はバクハツしていたけれど、何かを伝えようとする思いだけは、ヒシヒシと感じられたような気がする。
粕谷栄市詩集『悪霊』は、パッと読んだだけではまるでピカソ君の絵のようにぶっとんだ印象を受ける。
猿を殺して紙幣に換えることを自分の仕事として選ぶ男、四月になったら海辺のひなびた街へ行って、そこで少女を犯そうと夢想する男、そういったおどろおどろしくもどこか哀しい人物を語る粕谷栄市散文詩は、どれを読んでも不可思議としかいいようのない、まさに無限の色を言葉に換えて、原稿用紙にぶちまけたような、シュールな空間として感じられる。
しかし読み進めるうちに、ピカソ君と決定的な違いに気付く。粕谷栄市さんの選択した作業〓“詩〓”は、彼にとって実にピッタリはまったものであり、自分のいわんとすることを十二分に伝える手段となっている。ピカソ君みたいに道を誤ることなく、適した表現方法を見つけることのできた粕谷氏は、どんなに暗い詩を書こうともしあわせな人間だと思う。彼に限らず、自分に合う表現の仕方を見つけることのできた人はそれだけでしあわせと言えるのではないか。
ピカソ君はその後、それを探すことができたのだろうか。それともまだ、あのヘンテコ絵を描き続けているのだろうか。それはそれでスゴイことだと思うけど……。
浪人時代の僕はダメ人間
の主人公に自分を見た=
『パノラマ島奇談』 江戸川乱歩
一番好きな小説をあげろと問われたら、迷わず江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』と言う。
最初に読んだのは小学生のころで、その後二年に一度ぐらい再読していたのだが、高校を卒業し通い始めたデザイン専門学校を半年でやめ、大学浪人中と称して高円寺あたりをフラフラしていた時代に、予備校の自習室で読んだ『パノラマ島奇談』は心と体にガツンと極真空手の鉄拳を食らったような衝撃があった。
『パノラマ』の主人公、人見広介は、何かまっとうな職業について世間なみの生活を送ろうなどとは考えていなかった。彼は、この世について何も経験していないうちから、もうすでにこの世に飽きはてていたのである。
妄想の中に生き、空想の日々を送ることで、彼は生きるということに満足してしまい、何ら生産的なことをしようとはしなかった。
要するにダメ人間である。浪人中の僕も、ほとんど人見広介のようなことを感じながら日々を送っていたダメ人間だったから「これはオレだ」そう思いながら読んでいくと、何度か読んでいたこの小説が、今までより何倍もの密度を持った物語として読め、今まで気付かなかった細部に至るまでが、ギラギラと輝きをまして感じられた。
人見広介は、ある日自分とそっくりな大富豪の存在を知り、彼になりきって巨万の富を得る。そして島を買い取り、そこに今まで自分が夢想の中で創り上げていた楽園を現実のものとして築くのだが、やがて富豪の妻に替え玉だということがばれ、彼女の口を封じるために殺害したことから、彼の夢であったパノラマ島は、崩壊してしまうのであった。
まるでおとぎ話のようなストーリーなのだが、「ですます」調で語られるダメ人間、人見広介の自分の妄想にやがて食われてしまう哀れな一生が何度読んでも切ない。
ダメ人間だった彼が、自分の夢想が現実となってゆくに従い、夢とうつつの区別がつかなくなり、物語のラスト、彼の死に際に、彼の妄想は文字通り彼の肉体ごと爆発して、パノラマ島の夜にくだけ散るのだ。
オレもこんなふうに爆発して生きられたらな、と暗い浪人生の僕は熱く熱く思った。
持ってるとヤバイ
デンジャラスな本=
『地球の歩き方』
バンコクにカオサンロードという安宿街がある。そこで、宿を探すためにウロウロしていると、長髪にTシャツと短パン、焼き鳥をくわえた、ひと目で長期滞在者とわかる日本人にいきなり声をかけられた。
「君の持ってる本ね、それヤバイよ」
異国の地で出会った同国人に対する最初の言葉としては、ずい分とぶしつけではないか、それでもその男は「こんにちは」でも「日本人でしょ?」でもなく、続けてこういうのだ。
「世界中どこ行っても、その本持ってる奴はカモにされるぜ、旅のシロートだって言ってるようなものだからな、あぶないぜ」
持っているだけでカモにされてしまうデンジャラスな本っていったい? 何のことはない、その時僕が手にしていたのは、旅行ガイドブック『地球の歩き方』のタイ編である。
この旅行ガイドは、タイ編のほかに世界各国七十〜八十冊も出ている。インド・タイ・中国編等は、いわゆるバックパッカーの必須アイテムになっていて、背中にバックパック、右手に「歩き方」を持って、露骨にキンチョーしながら安宿街を歩く若者がそれらの国にはけっこういる。焼き鳥男に声をかけられた時の僕がまさにその姿だったのだ。「持ってるとヤバイ」などと言われても、この本は海外をひとりでさまようのに必要不可欠な情報を満載しているベンリ本である。
「持ってない」のもまたとても「ヤバイ」のである。いったいどうすればいいというのだ? そのことを男にたずねると、彼は無言で短パンの尻ポケットから、幾重にも折りたたんだ紙を取り出した。広げると、それは「歩き方」から切りぬいた一ページだった。
「こうやって必要な部分だけ切り取って持ち歩くんだよ」
『地球の歩き方』はガイドブックなのだが、読んでいるだけで本当に行ったこともない異国の地を放浪しているような気分にさせてくれるので、わが家には十五冊もの、いまだ見ぬ場所のガイドブックが部屋のあちこちに散らばっている。
この先、十五冊の「歩き方」、そのうちいったい何ページが切り抜かれ、折りたたまれて僕のポケットに収まるのだろうか。
いつかこれらの国に、僕は行くことができるのだろうか、それこそ兼高かおるさんのように、世界を見て回ってみたいものだと思う。
危ないドラッグ本を読むのは
気弱な読書好き?
『ドラッグ・内面への旅』 真中史雄
それにしても第三書館の〓“ドラッグ・カルチャーシリーズ〓”というのはスゴイ。
『マリファナ・ナウ』『マリファナ・ハイ』『チョコレートからヘロインまで』『ドラッグ・内面への旅』『ガマの油からLSDまで』『マリファナ・トリップ』『実話・コカイン密売最前線』『マリファナ物語』ときたもんだ(しかしマリファナ物語ってタイトルは、ちょっと安易なんじゃないだろうか。『岳物語』じゃないんだからさ)。
K町の某書店にはこのドラッグシリーズがズラリと並んだ棚があり、その光景はなかなかに威圧的で、思わず「店長、いいんスかこーゆーの売って=」と声をかけたくなる。
もし本当に、その店のオーナーにたずねたなら、多分彼はニッコリ笑ってこう言うだろう。
「いーんです! だってただの本だもの。いくら読んだって誰も何も言えやしないよ」
そりゃそうだ。
とにかくこれだけ何冊も出ているということは、このドラッグ・カルチャーシリーズ、秘かに人気があるのは間違いない。で、ドラッグシリーズを読む読者とはいったいどのような人々なのだろうか。
僕が推測するに、彼らは気の弱い読書好きなのだ。願望を、本を読むことで満足させようとするタイプなのではないか。ドラッグに興味はあっても、かの勝新みたいにはなりたくない。そこで、浮気したくてもできない奥さまがハーレクインロマンスを読むように、また、実はSMの趣味を持つお固い仕事の人がフランス書院文庫を読むように、彼らはドラッグカルチャーシリーズを読み、仮のトリップ体験をすることによって、この社会の内では問題アリな自分の願望を満足させているのだ。
このことは、気の弱い読書好きの代表であるこの僕が言っているのだから間違いはない。
真中史雄著『ドラッグ・内面への旅』は、真中氏がインド・ネパールを放浪する中で体験したあらゆるドラッグについて「どんな感じだったか」を克明に記した一冊である。アヘンから覚醒剤まで真中氏の追求は徹底している。ドラッグシリーズの中でも特に面白い本で、気弱な読書好きも十分満足だ。巻末には「インド・ネパールのドラッグ旅行案内」まで載っている。い・いーんすか店長さんこんなもん売って=
「いーんです。ただの本ですよ」
また出た= 前作を凌ぐ
まごうことなき奇書=
『宇宙人の死体写真集2』 中村省三 編・著
嗚呼それにしても……
嗚呼こんなことが……
私は今、一冊の本を手に取りそして絶句している。
本を持つ手はワナワナと震え喜びとも恐れともつかぬ感情に、脳内ではエンドルフィンが滝のごとく分泌しまくっている。
これほどまでに私を打ちのめし驚嘆せしめる本のタイトルを君は知りたいか= 知りたいのか= ならば教えよう、ババーン(ドラの音)
中村省三編・著『宇宙人の死体写真集2』だ。
ううむ・しかし……近年まれに見るカルト本『宇宙人の死体写真集』については、以前コラムでも紹介した。そのド不気味な面白さについて私が熱く語ったことを、まだご記憶の読者もいることと思う。ううむしかし……だ、まさか第二弾が出るとは、どこの誰が想像し得たであろうか。
ともかく、『宇宙人の死体写真集2』は出版され、そして今私の手の中にある。本書は前作以上に不可思議な書物となっている。
数々のUFO目撃例、宇宙人遭遇事件がセンセーショナルに取り上げられている。確かに宇宙人の死体らしき写真も三枚載るには載っている。
「写真集とタイトルしてるのに三枚ってのはちょっと少ないんじゃないの?」
と、すかさず投げかけた君よ、友よ、君はまだこの本の真のミステリーを知らない。
この三枚の写真についてそれぞれ、中村氏は恐るべきコメントを載せている。
「しかしこの宇宙人の死体と思われたものは、実は模型だったのだ!」
「実はイトマキエイの死骸であったのだ!」
「実はお猿の毛をそってシッポを切ったものであったのだ!」
と。
賢明なる読者諸君ならもうお気付きであろう。本書には実のところ、宇宙人の死体写真など始めから載ってはいないのだ。そしてこの事実を、著者自らが本書の中で暴いているのだ。
なんという、まるで夢野久作『ドグラ・マグラ』をもしのぐウルトラパラドックス。
まごうことなき奇書である。
こんな面白い本があるから本屋巡りはやめられない。
パート3の登場を心より願う。
イライラ気分を和らげる
〓“ノドカ本〓”の一押し作品
『日本細末端真実紀行』 椎名 誠
ノドカ本というのがある。
精神安定本とでもいうか、読んで字のごとく、ノドカな気分にさせてくれる本のことだ。
あれやこれやに追いまわされて、どうにもストレスだらけとなった時、つかの間ノホホンとさせてくれる本の存在というのはエライ。
僕の場合、ノドカ本マンガ部門代表は、ズバリ『ちびまる子ちゃん』だったりする。
公に発表するのもなんだか恥ずかしいんだけどね。でもまる子ちゃんや丸尾君や、忘れちゃいけないおじいちゃんたちのなんてことはない日常を読んでいると、確実にイライラした気分が和らいでくるのだから大したものだと思う。
さてノドカ本活字部門のほうはというと、やはり椎名誠さんの『日本細末端真実紀行』を第一に推したい。
タイトルどおりの旅《たび》本《ぼん》なわけだが、人跡未踏の山奥に行ったり、無人の島で滝に打たれたりとか、そんなスゴイ旅はこの本にない。椎名誠さんが、たとえば神戸異人館、倉敷美観地区、渋谷スペイン通り、千葉のダム湖、あるいは札幌のキャバレーなんていう、どうということもない場所へ行って「ここはヨイ」「ここは、ドーにもオレはユルセンゾ」といった率直な感想を記しているのだ。
特別にドラマチックなことが起こるわけでもないのにズズズイッと読んでしまう。そして読後には「ムムム、やはり旅とはよいものだ」などとシミジミ思わせてくれる不思議な魅力をこの本は持っているのだ。
なんてことはない旅について書かれた本がどうしてこんなに面白いのかと思う。仕事柄、僕は日本中を旅して回っている。旅をしている間は、やはりそんなに大したことも起こらないもんである。しかし旅を終え、家に帰ってしばらくすると、何も起こらなかったとはいえ、それでもいくつかのエピソードが頭の中で蛍の光みたいにぼんやりと輝いて思える。そうするとまた、あの旅に出たいなと思う。
『日本細末端真実紀行』には、そんな、「なんてことはない旅」だからこその良さ、みたいなものがあるんだよな。
まる子ちゃんや、『日本細末端〜』の持つ「なんてことはないさ」こそが、ノドカ本にとっての、一番の必要条件なのだ。
自称超能力者たちの
うさんくさい魅力が好き
『UFO超能力大図鑑』 はた万次郎
「UFO呼び」で有名な秋山さんという人がいる。テレパシーで宇宙人と交信し、そしてUFOを呼び寄せるこの「UFO呼び」、君は信じるか= と問われるならば私はゼーンゼン信じないもんね。ならばその理由を百字以内で述べよと問われたら、すかさずこう答える。
「そば屋の出前だってなかなかこねえってのにわざわざ宇宙人さんが呼ばれて飛び出てジャジャジャーンと来るかってんだい」
私はこの持論を証明するため、自分のラヂオ番組で「UFO呼び」ならぬ「秋山さん呼び」を行った。二時間の放送中、何度となく「秋山さん秋山さんいらっしゃいましたらスタジオまでおこし下さい」と電波を送ったのだが、結局彼は現れてくれなかった。
宇宙人でも地球人でも、人にはそれぞれに都合というものがあり、個人の呼び出しでわざわざ出向く程ヒマではない、ということがこの実験によって明らかになったのだ。
とはいえ、私は秋山さんのような、一言で言えばうさんくさい人物が大好きだ。彼に限らず世間一般の半信半疑な視線を浴びながらも我が道を行く自称超能力者達にとても興味がある。
人々に疑われながらも生きるというのは、自分の存在意義を問われるということだ。それに耐えて生きる自称超能力者達は、よほど自分に自信があるか単に鈍感なのか、ともかく驚くべきバイタリティの持ち主である。
はた万次郎著『UFO超能力大図鑑』には、秋山さんを始め、チャネラー、イタコといった「本当かなあ、でもウソとも言い切れないしなあ」的人物が次から次へと登場し、それぞれにユニークとしか言いようのないパーソナリティを見せてくれる。著者であるはた万次郎さんの視点も、この手の本にありがちなバキバキの肯定派ではなく、七十パーセントは信じてもいいけど三十パーセントはやっぱり疑っちゃうなあ、という実に一般的な位置にあり、のほほんとしたはたさんのマンガもうまくマッチして、不思議心も遊び心も十分に満たしてくれるオモシロ本となっている。この本を読むと、やはり自称超能力者達が常日頃から疑惑の視線の中で生きていることがわかる。それでも人格崩壊もせずにやっていけるパワーというのは、言ってみればそれこそが超能力と呼べるものなのではないだろうか。
「5冊100円」の山から
見つけた「なんだこりゃ=」
『裸で覚えるゴルフ入門』
私の住んでいる街には何故だか古本屋が何軒もあり、休日にそれらをのぞいて歩くのは実に楽しい。特に店頭に乱雑な状態で積み上げられた「5冊100円」の駄本の中から、往年の大ベストセラーであるとか、少年時代に読んだ思い出の物語を見つけ出す喜びというのは、なかなかにステキなものだ。そして時には、理解しがたい本に出会うこともある。「なんだこりゃ=」と思わず店先で声に出して叫んでしまいそうになる本を見つけることもある。
今回紹介する一冊も、古本屋巡りの中で出会った。それこそミステリーサークルも裸足で逃げ出す奇怪極まりない「奇本」である。
『裸で覚えるゴルフ入門』(!)
何故裸でゴルフを覚えなければならないのだ= 著者はこの素朴にして大いなる読者の疑問に答えようとはしない。本書はゴルフの技術について極めて真面目に書かれた入門の書である。お色気ウッフ〜ンな一行のあるわけではない。ただ…ただゴルフ指導のモデル嬢が一糸まとわぬおヌードおっぴろげ状態であることのみが他のゴルフ入門書と異なる一点の、そして決定的な違いなのだ。そして奇妙なことに、この違いについての明確なる説明が本書にはないのだ! ただ前書きに「この本は初心者向きなので、とくにヌードを使いわかりやすく表現した」とあるだけなのだ。
いったいこの『裸で覚えるゴルフ入門』の著者とは、いかなる人物なのであろうか? 賢明なる読者諸君の多くはそう思うであろう。残念ながら、私は諸君らの質問に答えて差し上げることができない。なぜならこの奇本には、著者名すら明記されてはいないからだ。まさに「詠み人知らず」ともいうべきこの本の背表紙にはタイトルが表記されているだけだ。作家として自分の名を世に広めたい、そんなペンを持つ者なら誰しもが持つエゴイズムをあえて捨ててまで、著者は人々に「ゴルフは裸の女を見て覚えるべし!」と伝えたかったのだろうか?
修行僧にも似たストイックな著者の精神に、私は涙を禁じ得ない。
しかし、著者の「熱き思い」は古本屋の店頭の、5冊100円のひとつとなって、ほこりにまみれ、今もくすぶったままなのだ。これを悲劇と言わずして何を悲劇と言おう。
いつかこの人の下で
働きたいと思っていた……
『家出のすすめ』 寺山修司
『家出のすすめ』を初めて読んだのは、確か高校一年の頃だ。寺山修司の名は知っていたけれど、それは「アングラの人」といった程度の知識で、どんなエッセイを書いているのかはまったく知らなかった。ただ十代半ばの僕にとって、『家出のすすめ』というタイトルには、背表紙を見た瞬間に、手に取らずにはいられない刺激的な響きが感じられたのだ。
古本屋で買ったその文庫本を近所のテレビゲーム喫茶で一挙に読んだ。あとがき、解説までを読み終えるのに一時間とかからなかっただろう。それほどに強力な魅力を持つ一冊を読み終え、頭をあげた時には流石《さすが》にクラクラとめまいを覚え、すでに冷めきったホットチョコレートを僕はチューチューとすすった。
詩人、ボクシングファン、劇作家、青森県人、ブリジット・バルドォのファン、競馬狂、様々な顔を持つ寺山修司は単に「アングラの人」ではなく、誰もが見過ごしてしまうような、日常の中の小さな出来事をピックアップして、それにとても深い意味付けをして紙の上に閉じ込めてしまう、言葉の魔術師だった。
例えば、テレビアニメ「サザエさん」はパジャマを着て寝る。ネグリジェを着ることはない。という書き出しで語る「サザエさんの性生活」と題された一章では、話は性の解放という問題にまで発展し、「サザエさんが現代に生きる資格なんて、娼婦にでもなる以外にはないのだ」と一刀両断にしてしまう小気味良さで、まったく目からウロコが二枚も三枚も落ちてしまう。「ああ、こういう考え方もあったのね」言われてみて初めて、ハタとヒザをたたくオドロキ本なのだ。
翌日すぐに書店へ駆け込み、寺山修司のエッセイを数冊買った。『書を捨てよ、街に出よう』『幸福論』どれを読んでも「ウーンそう来るか」「アッ、こういう考えもありか!」ハッとさせてくれる。そして目からウロコをポロポロと落としてくれる。
寺山修司というのは本当にスゴイ人だ。いつかこの人の下で働いてみたい、などと想っていたら、彼は数年後に亡くなってしまった。
高尾にある彼の墓へ、数年前にお参りに行った。
墓石と並んで写真を撮った。
できれば十代のうちに
読んでおきたい一冊
『高校時代』 三田誠広
「青春」という言葉からあなたは何を思い起こすだろうか?
……と、いきなり「MYポエム」誌の常連投稿者「夢遊人」氏のような書き出しでゴメン。
謝りつつも再び問いたい、青春といって何を連想しますか? 涙、汗、努力など、西城秀樹的な単語を並べる人がやはり多いのではないかと思う。実はオレもそうだ。
では「青春とは何か?」と問われて、それは〇〇である! と即答できる人はあまりいないだろう。オレも出来ん。
誰の言葉か忘れてしまったのだが、何かの本で「青春とは無名であることだ」とあった。
ナルホドそれは言えてるなあと思う。涙、汗、努力、そういった言葉を口にする、そして実際に努力し、その過程に汗を流し、その果てに涙を流す、書いていても気恥ずかしくなるこんなことを、「無名でない」……それなりの地位ある社会人はドードーと出来なかったりするものだ。
やれば気持ちイーのにね。
「無名である」……つまりまだ何者でもない、まだ自分が何であるか暗中模索の状態を「青春」と呼び、それは努力と汗と涙で構成されている。
「青春とは無名であること」とはそういう意味なのだろう。ウンウンそーだ、その通りだ、と、最近めっきり若年寄り化したオレが一人納得しながら、今回御紹介する一冊はこれだ。
『高校時代』……味も素っ気もないタイトルだ。そして、読み進めれば、題名以上に淡々とした内容なのである。
名門高校に入学した主人公が、さまざまな友人に出会う中で、自分の将来に悩み、学校を中退するまでの様子が、著者のあとがきにある通り「小説らしい筋立てや、過度のロマンチシズムを排除」した筆致で書かれているのだ。時代は昭和三十九年から四十年にかけて、学園紛争が巷をにぎわす頃、主人公は「自分は何をしたいのだろうか、これからどうすべきなのだろうか」と悩み、たくさんの小説を読み、その結果として高校中退を決意する。
その様子には汗も涙もそれほどの努力も見られないけれど、「無名であること」という青春の持つ狂おしい程のもどかしさが、抑えた文章から抑えきれない迫力で迫ってくる『高校時代』は大名作だと思う。
できれば十代のうちに読んでおきたい一冊だ。
ケンカ本の元祖は対猛獣
シミュレーションあり
『大山カラテ もし戦わば』 大山倍達
「ケンカ本」が好きだ。
そんなジャンルがあるのかと問うならばズバリそれは存在する。嘘だと思うなら、大きな書店のスポーツ関係の書棚を見渡して欲しい。何冊かの格闘技について書かれた本があるだろう。その数冊を読むと、それらが実は、一応体裁はスポーツ指導の本となっているものの、本当のところ、著者のケンカ体験談を中心にまとめられた、まさにケンカ本であることがわかるだろう。強くなりたいと願う読者は、「手に刃物を持った十数人の暴漢と素手で渡りあった」なんていうケンカ体験記にコーフンし、自室でコッソリと、分解写真にある「猫足立ち」をまねして悦に入ってみるのだ。オレみたいに。
格闘技指導書の売り上げは、技術指導のページの出来よりも、いかに著者のケンカ体験がものすごいかで決まる。
現在出ているケンカ本の中で群を抜いて面白いのは、骨法の創始者・堀辺正史や、合気道の開祖・植芝盛平のものであると思うが、さてケンカ本の元祖は誰かと問うならば、この人をおいて他にはないだろう。
極真空手会館〓“ゴッドハンド〓”こと大山倍達である。
ゴッドハンドのケンカ本は何冊かある。その中でもウームこれはとうならせられるのはこの一冊。『大山カラテ もし戦わば』
タイトル通り、もし大山カラテが他の格闘技、あるいは凶器と戦ったらどうなるか、ゴッドハンド自らが語る実戦ケンカ本だ。ケンカ本の魅力が「もし自分がケンカしたらどうするかなあ」という読者の「If」を、シミュレーションさせてくれることにあるとすれば、この本の主旨はピタリと読者の要求を満たしていると思う。
ところがゴッドハンドの方は、そんな読者を喜ばせることでは満足しないのだ。彼の自分に投げかける「If」の炎はとどまることを知らず、「もし戦わば」と仮想する敵は、格闘技、凶器をもはるかに飛びこえ、とんでもない方向へと突進していくのだ。
ゴッドハンドは第二章「われ猛獣と戦わば」において、もし大山カラテがライオン、ヒョウ、熊、ゴリラ(!)と戦わばどうなるのかと、極めて真剣に悩むのである。いやはや、神と呼ばれる人はやはり、根本的に考え方が違うのだなあと痛感させられる一冊。
……それにしてもゴリラと戦おうと思うか、君は?
美しくてグロテスクな
独自の美意識を楽しめ=
『マーク・ボラン詩集』
「テレグラムサム」「ゲット イット オン」などのヒット曲を持つ、七十年代に活躍したT‐REXというバンドがある。
ツアーで北海道に行った時、青森駅そばのレコード店でT‐REXの『スライダー』を買った。列車移動の暇つぶしに何枚か選んだCDの一枚だった。
海峡線というローカルなムードただよう列車に揺られながら『スライダー』を聴いた。ゴトゴトと田舎の風景の中を走る海峡線。簡単なリフの連続と、非常に覚えやすいサビメロディーがタラタラと続く、やけにノホホンとしたT‐REXのサウンド。二つのリズムが上手い具合にピタリとはまって、ボクはとても心地良い気分で北への旅を満喫することができた。
ボーカリスト、マーク・ボランの名を取って、通称「ボラン・ブギ」と呼ばれるT‐REXの音楽は、ジャンルとしてはロックでも「ノルゼ熱いぜ!」とか、「ほえるマーシャルアンプ! 戦慄のサソリ軍団今ここに復活」といったたぐいの、体育会系先輩そのリフ最高っスよオッス! なものでは無い。むしろ、放課後の美術研究部で一人油絵に立ち向かう美少女の眼光ギラリ! なのである。知的で、美しくて、グロテスクな、ほのかに燃えるロックなのだ。決して高く燃え上がることのない、けれども燃え尽きることなく妖しく輝き続けたT‐REXの魅力を決定付けていたのは、踏んづけられた雨ガエル、あるいは寝起きの日吉ミミのような、不可思議な声のボーカリスト、マーク・ボランの存在感だ。
きれいなもの、汚ないもの、賢いもの、愚《おろか》なもの、カッコイイもの、カッコ悪いもの。それらを判断するのは、人それぞれが持つ美意識に他ならない。マーク・ボランはその美意識に徹底的にこだわった男だ。
彼の詩は魔法と奇っ怪な動物とブギへの偏愛で、まるでゴッタ煮でドロドロなスープみたいだ。おそらく本人にしか解らないだろう、美意識のみで書き飛ばしたような詩を、良いと思うかつまらないと思うか、それを判断するのは読者の美意識。
「三十歳までに私は死ぬ」と呟いていた彼は、事故で本当に三十歳の誕生日を目前に死んだ。
彼の死を哀れむか、これぞロックだ! カッコいいと思うか、それを判断するのもまたそれぞれの美意識だろう。
〓“いい話〓”というものも
たまには読んでみるべし
『赤毛のアン』 モンゴメリ
時々、自分の読書傾向とまったく噛み合わない本を読んでみたくなることがある。書店の棚にズラリと並ぶ、まだ読んだことのない本の背表紙、その中でも、特に自分とは縁のなさそうなものをエイヤッ! と引き抜き読んだならば、その一冊が今までの日常から自分を遠く高く放り投げてくれるきっかけになるかもしれないのだ。そう思うと、なんだかドキドキする。
ドキドキしながらも、そんな本はまた次の機会でいいや、と結局は安心して読めそうな、適度に自分を楽しませてくれそうな本を買ってしまうものだ。「いやイカン! イカンのだ、安定を求めて何の読書か、何の人生か!」激しく自己を律し、オレは先日、ついに買った。自分の読書傾向と、それこそ天と地との差もあろうかという一冊の文庫本を買った。
モンゴメリ著『赤毛のアン』だ。
いやー流石に少女文学のパイオニアにして、今だに女の子達の間で根強い人気を持つ「アン」を書店のレジに持っていく時は、照れ臭さにおもわず顔をふせてしまったですよホント。
「いやね、オレが読むわけじゃないっすよ、ちょっとね、妹に頼まれちゃってねぇ」などと、一人しらじらしい演技をしながら手に入れた『赤毛のアン』、絶対に自分が読みそうにないものにあえてチャレンジしてみようと、半分はシャレのつもりで選んだ「アン」だが、読んでみてブッタマげた。
「オ! 面白いじゃねえか=」
プリンス・エドワード島に住む老兄妹に、手違いで引きとられた少女、まっ赤な髪の、やせっぽちの孤児アンが、やがて聡明な娘へと成長していくまでの物語……なんて、説明するまでもないか、「とらばーゆ」の女性読者なら、もうすでに読んでいることでしょうね。
「アン」は性善説に基づいて書かれた小説である。登場人物の総てがやさしい心を持ち、アンはそんな人々のあったかさに包まれてスックスックと育つのだ。「みんないい人」それは物語の中だからこそあり得るウソッパチなのだけど、『赤毛のアン』にはもしかしたらそんな世界もどこかにあるのかもしれないと思わせるだけの説得力がある。
「ええ話や」とオレは感動した。
「なんでも読んでみるもんだな」
とオレは思った。
カンヅメになって執筆
したのが懐かしいなぁ
『オーケンののほほんと熱い国へ行く』 大槻ケンヂ
スマヌ、今回は自分の宣伝だ。オレの書いたインド・タイ旅行記、その名も『オーケンののほほんと熱い国へ行く』が、発売になった。
その日オレは、初孫の運動会を見に行くような、なんとなく不安でそれでいて実にしみじみとうれしい気分でもって近所の書店へと急いだ。思えばこの一冊を書き上げるのにどれだけテマヒマのかかったことか、発売が三月ほど遅れたのは他ならぬオレのズボラこの上ない性格による。執筆(ウ〜ン作家のようだ)終盤には、ホテルにカンヅメになって(ウ〜ン、文豪のようだ)ひいこら書いたのも今となっては懐かしい思い出だ。ちなみにカンヅメというのは「缶詰め」ではなく「館詰め」と書くのだそうだ。
――館詰めになったホテルの、オレの隣室には、四十代後半だろうか、さえない中年男が泊まっていた。やせたその男と給湯所で何度か会った。男はオレと目が合うと、照れ臭そうに笑い、数本のビールを買い込むと、いそいそと自室にもどっていった。
その夜二時ごろ、シングルのはずの隣室に来訪者があった。しばらくして押し殺した男と女の声が薄い壁ごしに聞こえてきた。どうやら口論をしているらしく、時々男をののしる女の声がハッキリと聞き取れた。二人のケンカは明け方にまでおよび、オレはその声をバックに、ガンジス川で沐浴した時のことをちびた鉛筆で綴っていた。
書店の棚にチョコンと置かれた、まだできたての自分の本、その表紙を指でナデナデしてみれば、執筆中のそんなエピソードが次から次へと浮かんでくるではないか。
感無量というやつだ。この本はオレがインド・タイをホトホトと旅し、いったいどんな目にあったかを、素朴に正直に思うまま綴った、エッセイ風旅行記とでもいうか、まあそんな本なのだ。現地でオレの写した写真や、イラストなんてぇのも載っている。
うむむ、自分の本を宣伝するというのは、なかなか難しいなあ。
ともかく買って損はさせない自信がありますので読んでみてくださいな。
ちなみにこの本が売れたならオレは第二弾『オ《※》ーケンのノホホンと熱い湯につかる』という温泉旅行本を書くつもりでいる。
※ 結局この企画は没。かわりに『オーケンののほほんと行きそうでいかないとこへ行こう』が発売された。第三弾『ノホホン、チンクェチュント』は、'97年現在出版待機中。
読書嫌いの女の子に
この一冊を紹介しよう
『犬神家の一族』 横溝正史
年頃の女性にとって、意中の男性に自分の好きな作家の名を告げるのは一つの賭けであると思う。
相手が読書家だったらなおのことよく考えてから言わないと、偏見の目で見られてしまうかもしれないからだ。
「赤川次郎が好きです」と言えば「俗っぽいな」と思われるかもしれない。「最近は、村上春樹ね」などと言ったら「こいつは実は本読まねぇ奴だな」と裏読みされてしまうかもしれない。どちらも本当は偏見なのだけれど。かといって、昔教科書で読んだだけの武者小路実篤の名など出した日にゃあ、知性派に見られるどころか「若年寄」の一言でかたづけられてしまうのがオチである。
もし、あまり読書に興味を持てないまま大人になり、そして恋に落ちた男性が超読書家であったら、彼女は一体誰の名を「マイフェイバリット」として告げればよいのだろう。
一つの手段として、トンデモナイ作家の名を挙げるというのがある。相手の予想をはるかに上まわる出会い頭のトリッキーパンチを喰らわせるのだ。例えばアイザック・アシモフといったSFの巨人の名がいきなり恋する女性の口から告げられたら、これは男としては驚くし、「意外にキャパが広い女性だな」と感心もする。「ラブクラフトが好き」なんてのもブキミでよろしい。「柴田錬三郎いいよね」というのもかなりギョッとさせられるな。ついでに「シバレンが」なんて言ってみるのもイカスと思うゾ。ともかく、男性にとって、自分がイメージしていた以外の本を彼女が読んでいるというのは結構ショックがあるものだし、それはまたうれしいショックなのだよね。
「で、でも私、本なんて一冊も読んだことないんだもん」と、悩む人もあるかもしれない。御安心めされい! オレが取って置きを御紹介しよう。
横溝正史だ。
そう、あの金田一耕助シリーズの横溝正史だ。
どんなに本を読んだことのない人でも、テレビで何度も放送された『犬神家の一族』なら見たことがあるだろう。映画になった金田一物はかなり原作に忠実なので彼氏のチェックにも大丈夫。意外性も十分過ぎる程十分だ。さあ、自信を持って「やっぱり横溝ね、あたしは」と彼氏に告げよう!
その一言で、嫌われちゃったりして……。
オカシクも哀しみ漂う
杉作さんの青春マンガ
『卒業 さらば、ワイルドターキーメン』 杉作J太郎
「週刊プレイボーイ」のライバル誌ともいえる「平凡パンチ」という雑誌が数年前まであった。
ヌードグラビアあり新車情報ありのいわゆる青年向け娯楽誌だ。この「平凡パンチ」、売り上げが落ちてくるに従って内容がどんどん変化していった。グラビアは芸術性よりハレンチ度を優先し、新車情報は風俗情報に取って代わった。一言でいえばお下劣路線に軌道修正して売り上げ挽回をはかったわけだ。しかし結局「パンチ」は再び日の目を見ることなく休刊に追いやられ、「パンチザウルス」と名を変え新たに出発したのだが、「パンチ」のお下劣度をさらに二倍増強したこのアヤシゲな週刊誌も、志半ばにして約一年程で休刊となり今だに復活の日は訪れていない。万人の支持を得られなかった後期「パンチ」、そして「ザウルス」。悲劇の兄弟雑誌に実は一部熱烈支持者がいたことは今だにあまり知られていない。ほとんどヤケクソ気味の無道徳な編集方針に、毎週目からウロコが飛び出まくっていたオレのような奴らのいたことを当時のパンチ、ザウルス編集者は知らねぇだろうなぁ…。
特にオレが気に入っていたのは、杉作J太郎なる奇妙な名の男が書く映画についてのコラムだ。彼の紹介する映画は例えば『直撃! 殺人拳』あるいは『沖縄ヤクザ戦争』などという、「パンチ」、「ザウルス」同様、文化史上決して残ることのない、語り継がれることもなさそうな超B級作品に限られていた。そんなハグレ映画達をまるでルイス・ブニュエルについてでも語るように熱い文章で紹介する彼のコラムには異様なオモシロさがあり、オレは一時期杉作さんの文体をマネしていくつかの原稿を書いたほどだ。
杉作J太郎さんはマンガ家でもある。「ガロ」という、やはり大衆よりも一部に熱烈な支持者を持つマンガ雑誌で連載物を描いていた。彼の『卒業 さらば、ワイルドターキーメン』は、杉作さん自身の高校時代をテーマにしたノスタルジックな青春マンガである。校内のハグレ者ばかりが集まる三年一組の不良男達が、卒業を間近にそれぞれ心の中の十代的モンモン気分をチロチロと燃やす。オカシクも哀しみ漂う佳作なのだ。
これを読むと、ハグレ少年であった杉作さんが、やはりハグレた映画たちを愛する気持ちがよくわかる。
満員電車の中で
読みながら泣いてしまったゾ
『青春デンデケデケデケ』 芦原すなお
直木賞受賞作、芦原すなお『青春デンデケデケデケ』を紹介しよう。
面白かった。
泣けた……以上。
……で終わっちゃやっぱりまずいよね。でもこの『青春デンデケデケデケ』は、読後に「面白かった」「感動した」と声を大にして誰かに伝えたくなる、そしてそれ以外のことをあえてあれこれ言っても仕方ないほどの痛快オススメ本なのだ。
これはバンドの物語だ。
田舎町に住む主人公の少年は、ある日深夜のポピュラーソング・リクエスト番組から流れてきた「デンデケデケデケ〜!」という電気音に心の隅までいかれてしまう、それはベンチャーズの「パイプライン」のイントロ、エレキギターのトレモロ・グリッサンド奏法だった。エレキの音にいかれた彼はバンドを組もうと決心する。なんとかメンバーを集めたものの肝心のエレキギターを買うお金も無い高校生達は、夏休みをバイトにあて機材を揃え、その後も四苦八苦の末に初ステージへこぎつける。しかしやがて卒業を間近に、バンドは自然消滅、彼らはそれぞれの道を歩むことになる。
個人的なことなのだが、僕も十代の頃にロックというものに目覚め、仲間を集めてバンドを組んだ。ほとんどこの小説の主人公と同じような青春を送っていたのだ。違うことといえば僕が何故か今だにバンドマンであることと、頭の先から衝撃を与えてくれたのがベンチャーズではなくKISSというグループだったことぐらいだ。そんなわけで、とても普通の気持ちでこの小説に接することはできず、読んでいて何度となく泣けてきて困った。特にやっとの思いで手に入れたドラム・セットをバンドのメンバーが正座をしてつくづくと眺めるシーンがあり、そこで一人がこぼれる涙をぬぐいながら「これ叩いてもえんやろか? なんか叩くの悪い気がするんじゃ」とつぶやくのだ。
それに対し主人公は「真心こめて叩くんならえんとちがうか」と答えるのだ。
その台詞を読んでから「しまった!」と思った。涙のツボを太い親指でグイグイ押されたように泣けてきてしまったのだ。
本を読んで泣くのは悪いことではない、ただ問題なのは、その時僕が満員電車の中でこの小説を読んでいたという事実だ。
おセンチな半自伝的青春
エッセイに涙涙なのだ
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』 中島らも
中島らもにハズレ無し。
彼の著作はどれも面白い。エッセイ、小説、そして人生相談にいたるまでが例外なく「タン!」と手を打ち「ううむ、こいつぁいいやね」と一節小唄でもうなりたくなる面白さなのだから愛読者としてはうれしくなる。
アル中をテーマにした傑作小説『今夜、すべてのバーで』が彼の代表作として広く認知されつつあるようだ。個人的には『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』がオレは好きだ。
これはらもさんの十代半ばから大学卒業のころまでを振り返って綴った半自伝的エッセイで、青春の持つ楽しさと感傷とはっきりしない不安感とその他モロモロのモンモン的気分を、「らも節」とでも呼ぶべき炊きたてのご飯みたいなホッコリとした笑いで包み込んだ愛すべき一冊なのだ。
再び個人的な話になる。オレは「半自伝的エッセイ」というジャンルにとても弱い。さらにそこに「青春」という言葉がつくともうタマラナイ、青春の頃を顧みて綴られた随筆は、どんなジャンルの作家が書いてもひどくおセンチなものになる。オレはつまりおセンチに弱いのだ。
おセンチは良い。センチメンタルの中でホロリと流す涙は多感な年頃にある少女達の特権では無いはずだ。あの楽しき精神浄化の喜びを少女に独占されてなるものか! 立て男達よ! 同志よ! おセンチを我らの手に= ……ハッ、いかん、つい興奮してしまった。ともかく、それほどに好きなジャンルである半自伝的青春エッセイのしかも中島らも版なのだ。面白くないわけがない。で、読んでみればやっぱり面白い。で、泣ける。センチメンタリズムに。
らもさんが自殺してしまった友人について触れた一章がある。そこで彼は――。
どんなにボロボロな人生を送っても生きていてよかったと思える夜が一回くらいはあるはずだ、それがあれば生きていける、だからあいつもいきてりゃよかったのに。
というようなことを書いている。……キザやなぁと思いながら、おセンチやなぁと思いつつも、三度《たび》個人的に言えば、オレは泣けて泣けて仕方なかった。
最終回はウルトラマンの
150億倍以上感動的だ=
『デビルマン』 永井豪とダイナミックプロ
かつてウルトラマンが宇宙恐竜ゼットンによってその命を絶たれた時、つまりヒーロードラマ史上おそらく初めてだったろう「英雄の敗北」がテレビに映し出された時、少年達は言葉を失くし、ただガク然とブラウン管を見つめるのみだったという。
彼らが呆然自失したのも無理はない。「ウルトラマンが負けた!」それは自分達の愛する者が物語の中でさえ死という全ての終わりを避けることが出来なかったというクソリアリズムだ。万能のヒーローですら死ぬということは、こんな無力なボクらもやっぱり死ぬんだなと少年達は呟いたのだ。そしてもう一つのショックは「勧善懲悪で終わらない物語」の存在である。まるで洗脳のように少年達は「正義は勝つ」と親や先生に教え込まれてきた。その事を最も実践していた男がスペシウム光線返しによって負けてしまった。「正義が勝たないこともある」のだ。世の中は理想だけでは渡っていけない。少年達はこれから自分を待ちかまえている一筋縄では行かない現実の扉に気付き、その向うに果てしない恐怖と期待を抱いたのだ。
それ程に少年達の自我覚醒に役立ったウルトラマン最終話を、僕は残念ながらリアルタイムで見ることができなかった。ものごころついた頃には「ウルトラマンは最終回で負けた」という事実が既成のものとして脳にインプットされてあったので、呆然自失する機会もなかった。
かわりに僕の場合は『デビルマン』という作品によって覚醒させられた。
テレビアニメの方ではなく、その原作として「少年マガジン」に連載されていた永井豪とダイナミックプロの『デビルマン』は、少年が成長していく過程で学ぶべきさまざまなこの世の事実が宝の山のように詰まった名作である。この本もまた勧善懲悪に終わらない作品だが、血と悪夢と絶望感に彩られたその最終回のインパクトはウルトラマンの150億倍以上に感動的であり、少年時代の僕が持っていた「いいこと、悪いこと」「面白いもの、そうでないもの」の価値判断を一挙に覆してくれた。「正義が必ずしも勝たない」のは当然のこと、それ以前に「何が正義かと断言することなど誰にもできない」という愕然とすべき主題を聖書の黙示録に絡めた大作『デビルマン』は、発表から十年過ぎた今も少年達を覚醒し続けているはずだ。
〓“私は世界一不幸よ〓”の
気持ちに欠かせぬ太宰
『晩年』 太宰 治
十代の頃、暗黒青春映画が好きだった。
『真夜中のカーボーイ』『ファイブ・イージー・ピーセズ』『スケアクロウ』……社会から疎外された若者の姿を描いたアメリカンニューシネマと呼ばれるそれらの作品は、いずれもお先真っ暗な内容で、見終わるとドーッと疲れた。またニューシネマの影響が色濃く見られる古い日本の青春映画、例えば『青春の殺人者』等の作品もまた、どうにもこうにもやりきれない若者を描いたものばかりで、見た僕はドドーッと疲労感を背負って映画館を後にしなければならなかった。
それでも昼メシ代を抜いてまでそういう映画を見に行っていたのは、その「見た後にドーッとくる疲労感」を味わいたかったからなのだ。
十代の悩み多き少年にとって、やり場の無い憤りを胸いっぱいに抱いた主人公達の姿は、とても他人事には思えず、そして明るさのかけらも無いラストシーンも、まるで自分の将来を暗示しているように思え、深く深く映画の中に埋没するように見終えた後、薄暗い映画館を出る時のあの疲労感。
あれはしかし、快感であった。
暗い青春の頃に暗い青春映画を見てさらに暗い気分に浸る。そうして「オレはダメだ! ダメダメダメ人間だ!」と徹底した自虐的気分に陥るのは、かえって心地が良かったのだ。センチメンタルな少女がおセンチな少女マンガを読んでさらにおセンチな気分になり「私は宇宙一不幸よ!」と涙を流す時の気持ちだと言えばわかってもらえるだろうか。
つまりは自分に酔っていたのだ。暗黒青春映画は自虐的ナルシズムのほろ酔い気分を味わわせてくれる、ちょっと歪んだ精神浄化ムービーだった。
暗黒青春の小説版と言えばやはり太宰治か。
あんまり本を読まなそうな人でも「高校時代は太宰が好きだった」などと発言することが多い。彼らもまた「自虐的ナルシズム」に酔った口なのだろう。
短編集『晩年』に収録されている「逆行」に、粗野な百姓にぶん撲られる嫌味なインテリ気取りの話がある。プライドも何も粉々に打ち砕かれる彼は、だが確かに自虐的ナルシズムに酔いしれている。
撲られながら、彼もまた精神浄化の喜びを味わっていたのではないだろうか。
奇妙を気取り社会に反抗
する少女たちのバイブル
『ドグラ・マグラ』 夢野久作
親、学校、会社、そういう社会から自分の存在が認められていないという思いにとらわれている人はたくさんいる。
特にまだ大人ではない少年少女のほとんどはこの思いの中にいるのだろう。
社会に認められない自分よりも、自分を認めようとしない社会の方に否があるのだと彼らは考え、いろいろな形で反抗をしてみせるわけだ。
「社会は汚ない、くだらない、オレは(私は)この腐れきった世の中を拒否してみせる」
と反社会を気取りながら、その実、そうやって反抗することで、少しでも社会から目をかけられたい、気付いて欲しいというのが反抗少年少女達の秘かな本音だ。
反抗の仕方はさまざまで、音楽に興味のあるものならパンクに走る。芝居の素養のある者なら、アングラ劇団に飛び込む、地方都市に住む特にとりえのない者ならツッパリになる。それぞれに適した反抗の仕方を見つけるのだ。
その中に、「奇妙な人を気取る」という方法がある。これはやや自閉的でインテリ願望のある少女に多くみられる反抗の手段である。自分を認めない社会に対し、社会に適応している人々とは違う精神状態を持っている自分というのが彼女達の存在証明になるのだ。といっても、人と違った才能を彼女達が本当に持っているわけではない。ツッパリ少年がヤクザに憧れてパンチパーマをあててみるように、彼女達は「いってしまったような目つき」や「不可解な言動」で、奇妙な人を気取ってみせるわけだ。
七、八年前のライブハウスにはそんな少女達がけっこういて自分がいかに奇妙な人であるかというのを自慢しあったりしていた。自分がいかに社会に不適応であるかということを語りながら、心の隅ではどうしたら適応できるのかということを彼女達は語り合っていたのだ。
奇妙な人を気取る女の子達が、必ずといっていい程に読んでいる本があった。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』だ。奇妙ということばでしか表現のしようのないこの物語は、妄想と現実が複雑に絡み合い、読後にもミステリーばかりが残る不思議な長編だ。
日本幻想小説の頂点『ドグラ・マグラ』は、現在もたくさんいるだろう奇妙な人を気取って社会に反抗しようとする少女達の聖書だ。
同世代には共通の
初体験的文庫本
『人間の証明』 森村誠一
僕は昭和四十一年生まれ。この世代のロック好きは、ほぼ全員がKISSとYMOの洗礼を受けている。その後、好むジャンルは変わっても、同世代の人間には共通の初体験もの……ロックで言えばKISS的なものが必ず存在するものだ。では、本、もっとしぼって文庫本でKISS、YMOに該当する一冊は何だろう? それは多分、森村誠一の『人間の証明』ではないかと思うのだ。僕たちの世代が小学六年……ちょうど「そろそろ俺も大人の気分で文庫本を買ってみようかな」と思うころ、ジャスト・タイミングでベストセラーとなったこのブ厚いミステリーを、いったい何人の少年が最後まで読み通せたのかな? 僕は読書が大好きだったから、もちろん読破したよ。
過激で懐の深い短歌は
お坊さんの「絶叫」だ
『絶叫、福島泰樹總集篇』
中原中也の詩や自作の短歌を、バンドサウンドをバックに朗読する「短歌絶叫コンサート」。このパフォーマンスをもう何年も定期的に開いている福島泰樹さんという人物がいる。
がなりたてるように、ふりしぼるように言葉を吐き出す坊主頭の福島さんの本業は実際にお坊さんだ。テレビで見た絶叫の模様は、「短歌」と聞いて人々がイメージするノホホンとしたジーさんの日曜趣味などからはかけ離れた、もっと過激で破壊的な迫力をもつものだ。表現の仕方としては遠藤みちろうさんのやっているパンクに近いような気がした。とてもインパクトがあった。
一緒にお仕事ができぬものかと思い、レコーディングに参加していただきたいのですがと人づてに連絡を取ると、福島さんは二つ返事でOKをして下さり、数日後、ビール片手に現れ、「イヤー! 初めまして」と差し出す右手はがっしりと力強く笑顔は青空のようにカラリとしていて、一目で何かただ者ではない大人物の雰囲気を醸し出しているのだ。「これ、僕の本です」と言って差し出された本は電話帳ほども大きく重く、『絶叫』と表紙には記されていた。
一息にビールをあけた彼は懐から今度はウィスキーのポケット瓶を取り出し「飲まんとね」と言ってチビチビやりだした。
「スラッシュメタル風の曲に福島さんの短歌朗読を織りまぜ、今までどこにもなかったようなロックを作り出そうと思うんですよ」と語る僕を見て、彼はウンウンとうなずき、ユラリとスタジオに入った。
自作の歌と中也の詩を一編。福島さんの重い声色がツーバス高速ヘビーメタルに乗ってスピーカーから流れ出した途端に計画の成功を僕は知った。
福島さんはウィスキーのポケット瓶を残したまま、ニコニコとまた風のように去っていった。それをチビチビとやりながら読んだ『絶叫』は、短歌などまるで知らぬ僕などでもグッとくる、感傷と男のダンディズム……つまりはハードボイルドを感じさせる一冊だった。
いいかげん酔いの回ってきたころ、試しに一首ひねってみたのだが、多分福島さんに聞かせたら「それは川柳だよ」と笑われそうな代物にしかならないのであった。
天才は忘れた頃にやって来る
喜んでいる暇はない。まず、読め!
『供花』町田町蔵詩集
今から十年ほど前、まだ日本のロック界がメジャーとマイナーにくっきり区分けされていた頃。日比谷の野外音楽堂で「天国注射の昼」と題されたアンダーグラウンドミュージシャン達のライブイベントが開催された。その模様はビデオとして発売され、タコ、グンジョーガクレヨンといった今となっては幻のロックバンドの演奏シーンを見ることができる。若くして亡くなられたJAGATARAのボーカリスト、江戸アケミさんの姿もある。やたらにアクの強いロッカー達の中で、ボクの目を最も引きつけたのは、人民オリンピックショウのボーカリスト、町田町蔵さんだ。
町田さんのパフォーマンスは圧巻だった。
フリーキーなバンドの音に妖しく絡みつく彼の歌声は、首を絞められた売春婦が断末魔の救いを求めているような、聴く人々の心を決して心地良くはしない、そのくせ一度聴いたらまたいつか聴きたくなってしまうまさに魔的な音色なのだ。その奇妙な喉をふりしぼってシュールで奇っ怪なフレーズを吐き出す彼の不気味さったらなかった。
しかし何といってもすごいのは彼の目なのだ。
普通の人には見えない透明な蟻を追うように、彼の大きな瞳がグルリグルリと蠢く様をああ一体何にたとえたらいいだろう。町田さん程説得力のある眼光を僕は他に知らない。昔「他局を見ると頭が痛くなる」と視聴者を脅迫していた初代引田天功だって及ばないぞ。
アンダーグラウンドシーンには、天才、カリスマと称される人物がたくさんいるが、それは情報量の少なさが生んだ誤りであることが多い。たいしたことのないパフォーマーでも、情報が人から人へと伝わるうちに、伝言ゲームのように大きな話として広がり、大人物ということになってしまうのだ。もちろん中には本当の天才もいる。
町田さんは当然後者だ。
デビューした十代の頃から天才、カリスマと言われ続けてきた町田さんは、彼を大きく評価する人々をあざ笑うかのようにマイペースを崩さない。そして人々が忘れかけた頃にドーンとシーンに出現するのだ。
突如、そんな彼が詩集を発表した。忘れた頃にまた天才が舞い戻ってきたのだ。喜んでいる時ではない、まず、読め!
世界の三島の『仮面の告白』
こいつはスゲー! スゴスギル!
『仮面の告白』 三島由紀夫
思えばオレの十代は性欲との戦いであった。活火山のマグマのように湧き上がるリビドーを押さえることいかんともしがたく、女性誌でこんなことを書くのはちょっとはばかれるのだが……オレはやたらとマスターベーション、まあ何というかオナニーと呼ばれる行為をくり返した。
恥ずかしい。だが真実だ。
人が小説を創作しようとする時、少年期に運命のように自分を襲った事件を元に書くことはとても多い。オレにとって性欲と戦ったあの恥ずかしい日々はまさに事件だった。いかに恥ずべきものであってもオレはいつかこのことをテーマに何か書こう……いや、書かざる得ないと考えていた。
そして最近、ついに書いている。今、「月刊カドカワ」で連載している「グミ・チョコレート・パイン」という小説がそれだ。オレはモンモンとした性欲太郎の日々を包み隠さず書いた。書いた後で自分で読み、よくぞここまで書いた、オレよえらいぞと思い友人にも読ませた。しかし彼は、パタリと本をとじこう言った。
「お前、三島の『仮面の告白』読んだことあるか?」
無いよと答える俺に彼は「じゃ読め」とつぶやき去っていった。
さっそく読んだ。
世界の三島とオレごときを同一線上に並べるようでおこがましいのだが、
負けた。そう思った。
『仮面の告白』には、主人公に置きかえてはあるものの三島が少年期にどんな性欲を持ち、そしてどんな風にそれを……その……処理してたというか……ええい! つまりどんなオナニーを彼がしていたのかがゴンヌズバーと書かれているではないか。〓“筋骨隆々たるマッチョを拷問して腹かっさばいてやりたい、そう思うとオレはモーレツに興奮するのだ〓”というようなトンデモないことを彼はドードーと、恥ずかしいなんてレベルではない自分の性妄想をドカンと読者の面前にさらし、なおかつそこに威厳すらあるのだ。スゲーや。
オナニーというとっても恥ずかしーテーマさえ文学の金字塔にしてしまったのだ。
そして最後には腹まで切ってしまったのだ。
スゲー。スゴスギル。
PART4 ミュージック・ヌンチャク!
英国の人気バンド、オアシスの巻
「世界ロックケンカ王者・決定戦」が開催されたなら、日本代表は果たして誰? まず浮かぶのはジョー山中、安岡力也さんといったあたりだが、お二人とも打撃系(ボクシング・キック)であるため、ノー・ルールのバーリトゥード・マッチであった場合には、寝技系のロッカーに苦戦をしいられるであろう。「炎達」と書いて「ファイヤーズ」のボーカル・的場浩司さんはかなりの柔道使いらしい。腕ひしぎ逆十字に期待がもてる。筋肉少女帯のギタリスト橘高文彦も空手有段者! が、「子供の頃、チビッコ空手の初段だった」ア〜駄目だこりゃ。ロッカーで空手家なのにチビッコ空手。アンガス・ヤングとチビッコ・マッチか?
経歴、ウェイト等から考えて、やはり日本代表はナイトホークスの青木秀一さんであろう。なんたって自衛隊体力測定〓1の経歴を持つミュージシャンなのだ。彼と海外のケンカ王とのバトル。ぜひ見たい。
青木VSデイブ・リー・ロス
青木VSヘンリー・ロリンズ(強そ〜)
青木VSマノウォー(アハハ)
等々、夢は尽きない。本当ならぜひ「唄うアンドレ・ザ・ジャイアント」ことマウンテンのレスリー・ウェストとサンダ対ガイラばりの死闘をくり広げてほしかったところだが……。
さてオアシス。絶対に弱そうだ。しかし、ビートルズ・テイストを散りばめつつ、明るさの中につねに寂しさを感じさせる音づくりは実に確信犯的に巧妙で、こういう輩にケンカやらすとチンケな手を使って意外に強かったりする。こっそり毒盛ったりとかな。気をつけろ青木さん!
『エマニエル夫人』サントラ盤
マンガ『空手バカ一代』がきっかけとなって格闘技、武道家を志した者たちのことを、俗に「空手バカ一代直撃世代」と呼ぶ。
文芸エロ映画『エマニエル夫人』で性欲に目覚め、その後、いつまでたっても煩悩から解脱できずにいるバカヤロ共が、現在二十代後半から三十代にかけてゴロゴロといる。「エマニエル直撃世代」である。私も含めた「エマニエル世代人」は、あの仏語でうにゅうにゅと唄われるテーマ曲を聴いただけで、カウパー液くらいはピュッピュッと出てしまう情けなきパブロフの犬だ。中には、エマニエルのフェロモンに浸りたいがためだけにサントラを購入するオタンチンもいる。私だ。
十数年ぶりに聞いて驚いた。なんと随所にキング・クリムゾンのかなり露骨なパクリを聴くことができるのだ。九曲目「愛のエマニエル」のエンディングはまんま「太陽と戦慄PART2」のキメと同じ。十二曲目「愛のエマニエル(ヴァリィエイション)」と十六曲目その名も「強姦」の二曲は「太陽と戦慄PART2」のパクリ……というよりこりゃコピーだ。忠実な。『エマニエル夫人』の音楽を担当したピエール・バシェルなる人物。よほどのクリムゾン・フリークか、でなけりゃネタ切れだったのだろう。
もしやロバート・フリップが実はムッツリスケベ(死語)で、エマニエルに愚息昇天。思わずサントラを、パクッた! なんてことはなかろうかとも一瞬思ったが、そんな面白いことはないようだ。パクったのはピエール。ピエール瀧は電グル。
天才ギタリスト、パット・メセニー
パット・メセニーと言えば「清涼」というイメージがある。色にたとえるなら緑。それも青葉しげれる初夏の丘。高校時代、夜が明けるまで青臭い人生論を戦わせた僕の友人は大のメセニー・フリークで、人生論の背後にはいつも「ザ・ファースト・サークル」の雄大な調べが流れていた。だから僕にとってのメセニーは「青春」の色も持つ。いずれにせよせちがらい日常のクサクサを一時だが浄化させてくれる作用がメセニーのサウンドにはある。
先日、「究極のピアネス」と帯にコピーの記されたメセニーの『ゼロ・トレランス・フォー・サイレンス』を買ったのも、日常を離れ、清涼にして緑の音で心を癒《いや》されたい。そんな想いからであった。
ところがなーんだこのCD=
俺はデッキがぶっこわれたんかと耳を疑った。『ゼロ〜』のサウンドを字で表すならズバリこうだ。
バヨ〜ン! ビヨヨヨ〜ン! ピキッピキッ! ペロロ〜ン= パレポレペーピキペッブヨ〜ン! ブヨブヨ〜ン! (CD最後まで続く)
全編チューニングのずれたギターの一人ノイズ大会。天才の手による「わかる人にはわかる」彼岸の境地と讃えることもできようが、初めてエレキ手にした中坊がうれしくて目茶苦茶弾いているテープを無理矢理聴かされているような気にもなる。僕をはじめ一聴した人々がまず思う感想は「だ、大丈夫かパット=」であろう。癒しどころか人の心乱しまくりのCD『ゼロ〜』。
どうしたんだパット? 悩みでもあんのかパット? ラリってんのかパット= パッとサイデリア。小林亜星。
ソラミミ裏流行歌、クイーン
誰が仕組んだわけでもないのに、まるで「口さけ女」のフォークロアのごとく、少年たちの間に浸透し、口ずさまれる歌というのがある。例えば小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の替え歌がそれに当たる。
〓瀬戸わんたん 日暮れ天丼 夕波小な味噌ラーメン……
というアレだ。または「レインボーマン」の替え歌で〓インドの山奥でんでんでんろく豆うまい豆……というのもあった。二曲とも昭和三十九〜四十二年頃に生まれた子供たちにとっては、「裏流行歌」である。
先日、昭和四十年生まれのルミ子のダンナ大澄賢也さんに替え歌版「瀬戸の花嫁」について尋ねたところ、しっかり「よ〜く歌ってましたよそれ!」だそうで驚いた。人生とは真に不思議な時の流れだ。
ところで、裏流行歌に洋楽はあっただろうか? 記憶の糸をたどってみたい。真っ先に思い出されるのはクイーンの「キラー・クイーン 空耳版」だろう。我が世代のほとんど総ての者が、この曲のサビを今でもズバリこう歌う。
〓キラ〜・クイ〜ン、がんば〜れタブチ〜!
タブチとは元阪神タイガースの主砲、田淵幸一のこと。独特なキャラクターの持ち主であることから「がんばれ= タブチ君」というマンガの主人公ともなっている。
一体なぜ、僕も含め昭和三十〜四十二世代にこのような邦洋裏流行歌が生まれたのであろうか? 当コラムでは民俗学的見地から徹底的な検証を試みてみたいと思ったがメンド臭いのでやめた。謎だクイーン。ナ〜ウ、コマーシャル(古墳語)。
キース・ジャレットの巻
ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンの曲に直訳の日本語をのせて歌う……「王様」ならずとも、これは総《すべ》てのロック者が少年期に試みた戯《たわむ》れである。もうひとつ、この手の遊びに、インストゥルメンタルの楽曲に勝手に詞をのせて歌う、というのがあった。YMOや高中正義などがかっこうのエジキにされたものだ。十代のころ、僕は空手バカボンというユニットでYMOの「ライディーン」に「テクノ〜テクノライディ〜ン コンピューターをセットしろ〜」などと好き放題な詞をのせ歌い、かつ自主製作レコードをYMOの了承なしに発売した上、さらに、ドードーと「作詞作曲 空手バカボン」とジャケットにクレジットした立派な犯罪者だ。若気の至りっちゅーことでひとつ、許して教授。
キース・ジャレットの「マイ・ソング」に自作詞をのせてよく歌っていたのは同級生のMだった。うんと歳上の女性に思いを寄せていた彼は、ノスタルジックなメロディーに「〓風よ雲よ思い出よ 君は歳上、僕は十六」とこっ恥ずかしい詞をせて、遠い目をして自虐的に笑ってみせたりした。僕はそれを見て「アホかお前は」と言いながらゲラゲラ笑ったものだ。
久しぶりに「マイ・ソング」を聴いたら、自然とMの詞が思い出された。
〓風よ雲よ思い出よ 君は歳上、僕は十六
「いい詞じゃねえか」と今にして気付いた。素直だ。嘘がない。
最近、Mが結婚したと聞いた。奥さんはもちろん「歳上」の彼女ではなかった。
でも、いい詞だ。
トーキング・ヘッズの巻
僕が高校時代に筋肉少女帯を組んだ理由のひとつは、ファンクがやりたかったからだ。〓“サディスティック・ミカ・バンド〓”や〓“暗黒大陸じゃがたら〓”、そして〓“トーキング・ヘッズ〓”の『リメイン・イン・ライト』などの、黒人ではなく東洋人や白人が演奏するファンクに感動。「こーゆーのやりてー!」と思っていたのだ。しかし今の筋少は、ファンク的要素はあるものの、客観的に聴いてハードロック・バンドである。なぜファンク・バンドにならなかったかと問えば、答えは実にマヌケな高校時代の僕の無知にある。
あの頃、僕は「ファンク」ということばを知らなかったのだ(失笑)。
だから新曲を作ろうと集まっても、やりたいものを説明できなかったのだ。
「えっと、ホラ、あるじゃん、ベースがずっと同じことを弾いててさ、あんまりメロディーなくて、たまに合の手のはいる長い曲」
「え? 何だそれ? 合の手? 大槻の言ってるのは音頭のことか?」
などとまるで会話にならない。
それでもなお口で説明しながらでき上がった曲が、今では筋少の代表曲である「釈迦」だ。確かに、一定のリズムで合の手も入るのだが、これがどう聴いても、ハードロックなのである。音楽専門誌では「ディープ・パープルの『ハイウェイスター』に似ている」と書かれた。ファンクのつもりがリッチー・ブラックモアとは……。
ファンクとハードロックの合体ジャンル「ミクスチャー・ロック」が誕生するより何年も昔の話だ。
ジェスロ・タルの巻
東京タワーが調子ぶっこいている! いや正確に言うなら、「東京タワー名物蝋《ろう》人形館の責任者は調子ぶっこいていて実にイカしている!」だ。取材で訪れた東京タワー蝋人形館に、フランク・ザッパの人形を見つけてタマげたのが四年前。「責任者がロック好きなもので……」との、あまりに単純な理由に輪をかけてタマげたものだが、ロック好き責任者は四年の間に本当に好き勝手にやっていたようだ。現在ザッパの他に、キース・エマーソン、ピーター・ガブリエル、ロバート・フリップ、さらにはトニー・アイオミなどの七十年代ロッカーたちが鎮座まします、その光景は音楽の殿堂というよりまるで怪獣墓場のようで不気味でもある。――愛するミュージシャンたちを蝋人形にして、半永久的に自分の管理化に置く――考えて見れば江戸川乱歩の小説のようなことをやっとるわけだな、蝋人形館責任者氏は。実にゴージャス&デカダンスな趣味である。イカす。実益もかねてるし、一応。
我らがヒーローの居並ぶロック・コーナーの横はグリムやアンデルセンなど、童話をテーマにしたメルヘン・コーナーとなっていて、まず目に入るのが編み上げブーツに鳥の巣頭でフルートを吹くハーメルンの笛吹き人形……と思ってよく見たらオオッ! ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンであった。ねらいか? ロックという幻想から童話という幻想への橋渡し役として、あまりにもハマリ過ぎの配置に笑った。館内にはサバスの「パラノイド」がかかっていてこれまたハマリ過ぎである。
カーペンターズの巻
みうらじゅんさんの新刊『マリッジ』発売記念ライブに出演した。
楽屋に集まったのは泉麻人、田口トモロヲ、山田五郎さん他、みうらさんいわく「揃《そろ》いも揃ったバカオヤジ」軍団。この場合の「バカ」は決して頭が足らないの意味ではない。社会とギリギリの境界で折り合いをつけながら、悔い改めつつも遊んで生きてる自由でタフな男たちと、解釈するのが正しい。
自由な男たちの楽屋での議論。四捨五入すれば全員四十歳とはとうてい思えない彼らの熱いディスカッションの内容を再録しよう。
「カーペンターズって兄妹で結婚してたよな?」
「えっ、そんなのありなの?」
「いや、オレも聞いたことあるぞ、スウェーデン行ってしたんや」
「スウェーデン!」
「スウェーデン!」
「スウェーデン言うたらフリーセックスの国や、馬とでもやれるそうやで、近親結婚もバッチリや」
「馬と! 本当かなー」
「いや、俺も大学の頃『ヤングフォーク』でカーペンターズ結婚の記事、見たような気がするゾ」
「カーペンターズがスウェーデン行ったら、そりゃやるだろう」
「やらしーなー、カーペンターズ」
「やらしーなー、でも本当?」
「ホンマやて、ちょっと大槻君、君まだ若いんだから調べといてよ」
なぜ若さがカーペンターズ近親結婚の真偽を調査する理由になるのか理解できないが、尊敬すべきバカオヤジの皆さんに頼まれたからには仕方ない。調べます。
アバ(ABA)の巻
前回で「カーペンターズがスウェーデンで結婚したという話は真実か否か?」を検証すると公言したのだが……これがどうも冗談ではすまない話であるらしい。すると「近親相姦」という実に重いテーマを扱うことになり、当コラムの主旨を大きく逸脱してしまう。だからカーペンターズ結婚問題はやめ。すまん。
話を「スウェーデン」に変えよう。
十代の読者にはピンとこないと思うが、その昔「スウェーデン・セックス王国説」というものがあり、とにかくスウェーデンに行けば、そこはフリーセックスOK、女どころか、馬とも山《や》羊《ぎ》ともやれる!(やってどうする)ってんで、童貞男に「行きたい国は?」と問うなら即答「スウェーデン!」と返ってきたものである。スウェーデンのポップ・グループ「アバ」の四人が二組の夫婦であると判明したときはすかさず「じゃあスワッピングしとるんかっ=」「4P! いやらし〜」と興奮したものである。
……また大きく主旨を逸脱したようだ。
アバ最盛期七十年代後半、来日したレインボウのリッチー・ブラックモアが、インタビューに答えて「今いちばん注目すべき音楽はアバだ」と豪語したときには、ハードロッカーらしからぬ趣味に、当時のロック少年一斉にズッコケたものだ。ステージで「キル・ザ・キング」を激《げき》弾《び》きする男が家に帰ったら「ヴーレ・ヴー」やら「チキチータ」聴いている図はあんまりだ。
しかし今にして思えば、彼のアバ支持は、八十年代のハードロック・ポップス化を予言する先見の明であった。感心する。
レッド・ホット・チリペッパーズの巻
筋肉少女帯はミクスチャー・ロック・バンドである。パンク、ヘビーメタル、フォーク、プログレ、ありとあらゆるジャンルが渾然一体となった、いわば音楽版異種格闘技オリンピックのようなバンドなのである。マンガ『空手戦争』もビックリである。などという千人にひとりしかわからぬであろうたとえはさておき。
なぜこのようなバンドになったのかと問わば、ズバリ、メンバーひとりひとりの音楽の趣味志向がまるで違ったからなのである。すると当然、「パクリ」も各々がさまざまなジャンルから持ちよることになる。
たとえばストーンズがやりたい、とか、ビートルズになりたいとか、ルーツと目標がハッキリしたバンドならおのずとパクリのネタも限定されてくるところだが、筋肉少女帯の場合、無限だ。無限……心強い響きである。全然いばれることではないが。
パクリネタが無限だと、時として、パクリだと気付かぬまま歌い続けているメンバーも中にはいて……俺だよ。
先日、街を歩いていたら筋少の曲が流れていたので「おお」と驚いていたら、何と歌い出したのが俺でないうえ、しかも英語だったのには驚いた。「筋少も外人さんにパクられるようになったか、感心感心」と思っていたら逆だった。
筋少の曲「世界の果て」はレッド・ホット・チリペッパーズの「ハイヤー・グラウンド」にクリソツ……イヤ、こりゃ同じ曲だよオイオイ。
一度、筋少曲の〓“元曲〓”を調査してみようと思う。次号で報告。
ナイト・レンジャーの巻
前回で、筋肉少女帯のルーツ……というか、今までにパクった元曲を一挙に公開する! と宣言した。一番手っ取り早い方法はやはり、パクった本人に聞くことであろうと思いメンバーに聞いたら「あれはパクリじゃない! ヒントを得ただけだ!」とか「パクったんじゃない! 原曲に捧げたんだ。オマージュだ」とか「シブがき隊の『Zokkon命《ラブ》』とナイト・レンジャーの『ドント・テル・ミー・ユー・ラブ・ミー』の前奏ぐらいまったく同じならパクリと認めるが、俺の曲はそんなに似ていない」だの、アレコレ言われて怒られてしまった。これだからミュージシャンって真面目で嫌だなー。いーじゃん、邦楽ロックの存在自体が洋モノのパクリなんだからさー、と、ブツクサ言っていたら、
「大槻こそなんだ! お前こそパクったことあるだろう。まず自分のことを白状しろ」と、また怒られた。
しかし、わたくし、サザエでございます……じゃなかった。しかしわたくし、神に誓って言うが、洋楽をパクって作曲したことは一度たりともない。
自慢にもならないが……邦楽ならある。
筋少の「日本の米」と言う曲を作った時、密かに矢野顕子さんの「春先小紅」をパクった……つもりだったのだが、結局、まったくちがうメロディーになった。パクったはずなのにア然とするほど似てない。これは多分、僕にまったく音感がないからなのだろうと思う。
パクリ上手。音感なくてパクリ下手。罪深きはどちらなのか? 意見のわかれるところだが、情けなさで言えば、わたくし、大槻でございますのほうが決定的に情けないねどうも。
『小さな恋のメロディ』の巻
「ちー恋」などと省略して呼びたくはないものである。長ったらしくとも正確にその名を挙げたい。
『小さな恋のメロディ』と。
トレーシー・ハイド主演の映画『小さな恋のメロディ』は、青春映画の金字塔であり恋愛映画の定番でありロリコン者のバイブルであり、また、音楽と映像の同調は、ハッキリと現在のプロモ・ビデオのパイオニアであると断言できる。
さらに補足するなら、と言うか、僕にとってはこの点が何より重要なのであるが、『小さな恋のメロディ』のサウンドトラック盤は、プログレッシブ・ロックなのである。
とは言っても別に、変則拍子や「混《こん》沌《とん》は我が墓碑銘〜」などといった大仰なポエムがそこにあるわけではない。フォーク、ゴーゴー、など、さまざまな種類のサウンドが聴けるものの、あくまでオーソドックスな楽曲のオムニバスであり、詞も、心揺れ動く十代少女への優しさに満ち溢《あふ》れている。けっして「宮殿」だの「教典」だの言ったプログレ用語は出てこない。
それでもプログレなのは、変拍子や大仰さとともにプログレの重要なポイントであるコンセプト性がとても高い点にある。聴けばわかるが見事である。表現者のはしくれとして言うならこれスゴイことなんである。狂気や無惨といった色調でアルバムに統一感を出すのは、わりと簡単なのだ。対して、優しさや愛《いと》おしさでアルバムをひとつの色にまとめていく作業は困難を極める。前者の代表作をピンク・フロイドの『狂気』とするなら本作は後者の代表である。もっと評価されてしかるべきだ。
実は、ちっともノホホンとしてないボクだけど……
これは、ボクが今まであちこちに書いた雑文と、新たに書き下ろしたものを集めた本です。
一番古い文章は三年以上も昔のもので、今読むと「何言ってんだあ」と本人自ら突っ込みたくなるようなシロモノだったりもしますが、その頃の自分の考えが出ているので、あえて掲載してしまいました。
それにしてもこれを読むと、ボクがいつも何かに怯え、過去を後悔し、あちこちに謝ってばかりいる小心者だということがよくわかって面白いのです。
ちっともノホホンとなんかしていない。
ノホホンと生きる。
というのはボクの究極の希望です。
不安無き日々、ラジウム温泉の湧く田舎町でヘラヘラしながら過ごす毎日がいつか来ないだろうかと心の底からいつも願っています。
自殺ぐせのある友人がいまして、ボクはそいつと、そして自分から永遠に生きることの恐怖と不安が去るような考え方ができぬものかと思いめぐらし、「生きなければいけないと思うからつらい、逆に生きることに対して高飛車に、『生きてあげようかな』と思えばいいのだ」という考えに達し、「生きてあげようかな」という歌を作ったりもしました。
けっこう気にいってたんだけど、その話を取材でしたら、
「それは大槻さん、自殺ぐせのある友人を諭す自分に酔ってるだけなんじゃないですか」というキッツーイ、ファンからのお手紙をいただきまして、やっぱり何だかトホホな日々です。
いつか本当にノホホンとした日々が訪れた時に、再びこの本を読んでみたいと思っています。
最後に、JICCの河合さん、晝間さん、事務所のアトポンとヒサポン、メイクのテッちゃん、スタイリストの方々、カメラマンさん、その他大勢の、この本を作るに当たって協力してくれた皆さん、ありがとう。
皆さんにもいつかノホホンの日々を。
文庫版あとがき
あとがきというものは、書き始めるとさまざまな想いがムクムクと湧き上がり、やたらと長くなってしまうので、極めて事務的にまとめます。
本書は一九九二年に発売されたエッセイ集『のほほん雑《の》記《お》帳《と》』に、新たにいくつかのエッセイを加えた本ですって本当に事務的だねこれじゃ。
エッセイ集としては、一番最初に出版された本です。数年振りに読み返したのですが、サクサク読めてとても面白かった。特に、大槻ABCのあたりは、我ながら「アンタよく書くねー」とアキレてしまいました。ついでに当時を思い出してシミジミしちゃったりなんかして、そう言えばD子さんとはその後……って書き始めると長くなっちゃうんだよね。
ポンと空いた時間、旅や仕事の合い間に、あまり頭を使わず、ほどよい深さで読書を楽しみたい総ての人々にとって、この本はズバリはまると思います。
面白いので読んでくださいよ。
本来なら、一《ひと》方《かた》一《ひと》方《かた》お名前を挙げていかねばならないところなのですが、それだけで一冊の本になってしまうので、申し訳ありませんが……本書を刊行するにあたってお世話になった総ての皆さん。どうもありがとうございました。
みなさんが、のほほんとした日々を送ることのできるよう。
本書は一九九二年七月に宝島社より刊行された単行本に加筆・訂正したものです。
のほほん雑《の》記《お》帳《と》
大《おお》槻《つき》ケンヂ
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平成13年9月14日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社  角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
Kendi OTSUKI 2001
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『のほほん雑記帳』平成9年4月25日初版発行
平成10年12月15日9版発行