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源氏の男はみんなサイテー
―― 親子小説としての源氏物語 ――
大塚ひかり
目 次
はじめに
――親子小説としての源氏物語
第一章 光源氏の家庭環境[#「第一章 光源氏の家庭環境」はゴシック体]
桐壺院《きりつぼのいん》◆苦しみの源流
光源氏《ひかるげんじ》1◆「魔性の男」という発明
光源氏《ひかるげんじ》2◆「年を取る光源氏」の残酷
頭中将《とうのちゆうじよう》◆女を持ち腐れさせる男
朱雀院《すざくいん》◆ホモ疑惑のミカド
第二章 ダメになっていく息子達[#「第二章 ダメになっていく息子達」はゴシック体]
夕霧《ゆうぎり》1◆揺らぐ光源氏の世界
柏木《かしわぎ》◆自滅する息子
夕霧《ゆうぎり》2◆俗物化していく息子
第三章 サイテー夫達の右往左往[#「第三章 サイテー夫達の右往左往」はゴシック体]
大夫監《たいふのげん》◆セックスしたくない男ナンバー1
鬚黒《ひげくろ》◆異形の夫
螢宮《ほたるのみや》と冷泉帝《れいぜいてい》◆なよなよ男への幻滅
伊予介《いよのすけ》◆都合のいい夫のうっとうしさ
第四章 娘をもつ父達の物語[#「第四章 娘をもつ父達の物語」はゴシック体]
明石《あかし》の入道《にゆうどう》◆蒸発する父
八《はち》の宮《みや》◆成仏できなかった父
常陸介《ひたちのすけ》と左近少将《さこんのしようしよう》◆堂々とサイテーな男達
第五章 大人になれない第四世代[#「第五章 大人になれない第四世代」はゴシック体]
――桐壺帝から数えて[#「――桐壺帝から数えて」はゴシック体]
薫《かおる》1◆損なわれた者
薫《かおる》2◆寂しい男
薫《かおる》3◆それていく心
第六章 失われた自分を求めて[#「第六章 失われた自分を求めて」はゴシック体]
横川《よかわ》の僧都《そうず》1◆疑似家族という実験
横川《よかわ》の僧都《そうず》2◆暴かない人
源氏物語の幸福感
おわりに[#「おわりに」はゴシック体]
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はじめに――親子小説としての源氏物語[#「はじめに――親子小説としての源氏物語」はゴシック体]
そんなに何度も『源氏』を読んでいて、よほど好きなんですねとよく言われるが、そのたびに私は答えていた。
「『源氏』は古典の中では嫌いなほうなんです」
とくに『源氏』の女が嫌いだった。なんでこの人達は、こんなに男が嫌いなの? セックスを罪悪みたいに思っているの? うじうじ悩んでばかりいるの? と考えては、紫式部の道徳観は平安時代にしては特殊だなーと思っていた。
男達も嫌いだった。計算高くて権威主義で自分勝手で嘘つきで、『源氏』の男はイヤな奴ばかり。で、一九九六年から『鳩よ!』という雑誌で「『源氏』の男はみんなサイテー」という連載をやった。
ところが、なのだ。連載も回を重ねるうちに、私の中で変化が起きた。かつてないほど『源氏』に対する親近感が湧いてしまったのだ。
光源氏礼讃的な従来の風潮への反発もあって、『源氏』の男達をけなしながら、
「ではなぜ『源氏』の男はこんなにサイテーなのか?」
と考えた時、彼らの根にある親子関係というのに思いが至った。『源氏』の男達は、親子関係の中でとらえて初めて、その男女関係も理解できること、『源氏』では、母より父に実在感があることなどが、確信できるようになった。
すると今まで『源氏』に関して感じていた疑問やイライラにすぱーんと整理がついて、ついでに紫式部という、現代とは婚姻制度も社会の仕組みも違う千年前に生きていた、たった一人の個性的な女性の作った作品を以て、やっぱり今も昔も男と女は同じなんだよね、と結論づけることに感じていた詭弁や欺瞞の感じが消えて、ああ人は変わらないのだと、素直に思えるようになった。それは同時に、『源氏』の人達と同じように、親子関係の中で支配し支配されながら、親をも自分をも受け入れようとしている自分自身を認めることでもあった。
嫌い嫌いと言いながら、私が『源氏』から離れられないのは、『源氏』が物凄く面白いからだと思っていたが、違った。私を最も強く支配しながら、私が怖くて見ようとしなかった問題をはらんでいたからだ。逆に言うと、そんな『源氏』に、ほーら、図星と、自分でも気づかなかった内面を見透かされるようで、「私は『源氏』が嫌い」ということにしていたのだと思う。
『源氏』の男女関係を語ることは、『源氏』の親子関係を語ること。単に女の扱いがサイテーというだけでは、『源氏』の男達は見えてこないのよね。と思い至って、もう一度『源氏』を初めから読み返してみると、たしかにそれは、主人公の光源氏の物語からではなく、その両親の物語から、書き起こされていたのである。
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第一章 光源氏の家庭環境[#「第一章 光源氏の家庭環境」はゴシック体]
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桐壺院《きりつぼのいん》◆苦しみの源流[#「桐壺院《きりつぼのいん》◆苦しみの源流」はゴシック体]
親達の物語[#「親達の物語」はゴシック体]
『源氏物語』は、一人の女の物語から語り起こされる。
「昔むかし、多くのお妃達がミカドにお仕えする中に、大した身分でもないのに、ミカドに特別愛されている女がおりました」
大勢の妃をさしおいて、女はミカドに愛される。従来の物語ならここでハッピーエンドだ。しかし『源氏』のその女は幸せにならない。
女は強い後ろ盾のない身でミカドに愛されたため、他の妃達にいじめられ、ストレスから病気がちとなる。するとミカドはいよいよ女をいとおしみ、そのうち女が玉のような皇子を生むと、ますます寵愛は深まる一方。御座所近くに部屋を構える妃をどかせ、その部屋を女に与えたので、それにつけても貴族達の非難と妃達の怨念は高まっていく。
ミカドという極上の身分の男に熱愛され、皇子を生むという幸運が、逆に女を追いつめ、「宮廷での味方はミカド一人」というほどに孤立させていく。
やがて皇子が三歳になった夏、女は体調を崩し、しきりに母の待つ実家に帰りたいと訴えるが、ミカドは女の病気には慣れっこになっていて、また女と一刻も離れたくないので、どうしても許そうとしない。女は見る見る衰弱し、実家の母の訴えでやっとのことで帰宅が許されるが、それでも女と別れ難いミカドは、女の部屋に入りこみ、弱って口もきけない女に、
「私を置いて行かないでくれ」
と泣きすがる。すると女は、苦しい息の下から初めて口を開く。
「これが最期の別れと思うと悲しい。私が行きたいのは死出の道ではなく生きる道だったのです(かぎりとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり)。こんなことになると知っていたら……」
そう言い残して、女は実家に着いた直後、手遅れになって死んでしまう。
この女と男、桐壺更衣《きりつぼのこうい》と桐壺帝《きりつぼのみかど》が、光源氏の両親であった。
愛で女を殺した男[#「愛で女を殺した男」はゴシック体]
この物語を紫式部が紡ぎ出した平安中期、父は、娘をミカドと結婚させ、生ませた子供の後見役として、政権を握っていた。性愛という最も個人的な営みが政権につながるという当時の政治の仕組みの中では、政権につながらないミカドの性愛は凶器にしかならなかった。そんな時代の悲劇を、紫式部は巻頭でえぐり出していた。
色恋を優雅に楽しむように見えて、その実、権力欲のためには「愛は二の次」という、当時の上流貴族。恋と美の風流を謳う宮廷でこそ、「個人の愛」が最も踏みつけにされていたことを、告発していた。
が、『源氏』が常に現代的なのは、そうした時代的な悲劇が、桐壺帝という個人の悲劇として描かれ、さらにその苦悩が、子供や孫、曾孫といった子孫達に受け継がれ繰り返されていくところだ。
「自分は人より高い身分に生まれ、前例のないほど高い地位にのぼりつめた。けれど悲しい思いも人一倍で、味気なく、満たされない人生だった。その満たされなさと引き換えに、思ったよりも長生きしているのかもしれない」
桐壺帝の愛息子《まなむすこ》の光源氏が言えば、彼の美貌の妻、紫《むらさき》の上《うえ》は答える。
「はかない身の上の私の身には、今の暮らしは過ぎた境遇にはた目には見えるでしょう。でも実のところ、我慢できないほどの嘆きばかりがつのっていくのですが、その嘆きがかえって自らの生きる支えとなっているのでしょうか」
ここには、貧困や暴力はない。富と美と栄華が満ちあふれている。なのに、そこに生きる人は「満たされない」と言う。
そんなバカな。贅沢な。そう一喝されても仕方のない「贅沢な不幸」。中世や戦争中に『源氏』がうとまれたのは、不倫話が多すぎるとか、天皇に対する不敬といった道徳的な問題だけでなく、飢えが日常になったそうした時代には、いい気なものとしか言いようのない、不幸の贅沢感ゆえだと思う。
しかしこの贅沢な不幸は、飢えと違って、食べ物があれば解決するという希望もないし、戦争と違って、いつ終わるという展望もない。しかも、『源氏』の人々は一人ひとり不幸でありながら、互いの不幸を分かり合うことはない。『源氏』には、不幸の連帯感さえない。一見、光源氏の嘆きに通じる紫の上のセリフは実は、
「私に比べればあなたは幸せだ。実家同然の気楽なこの家で、この僕に最も愛されているのだから」
という先のセリフに続く光源氏の言葉に答えたものだった。結婚二十年目の相思相愛の夫婦にして、絶望的なまでの、このズレ。それを終わらせるのは死しかないのではと思われるほどの、決定的なズレ。
そのすべての原形が、光源氏の両親の物語に、ある。喪失の悲しみ、身代わりの女、愛のすれ違いと孤独、「生きたい」と虫の息で訴える女と、「共に死にたい」と赤子のように泣いてしがみつく男のズレ。その男の深く激しい渇き。
しかも紫式部は、愛する女に死なれた男を、単なる時代や社会の犠牲者としては描かなかった。紫式部は桐壺帝を、愛する女を殺した男として、はっきり何度も告発する。
「なまじな御寵愛ゆえかえって女は気苦労が絶えない」
「ミカドの見苦しいまでの御寵愛のせいで、いじめたり妬んだりしたものの、女の人柄がしっとりと優しかったことなどを、ミカドの女房なども思い出しては懐かしがっている」
というふうに、折あるごとに、ミカドの愛が、女の都合も構わずに女を支配しようとするエゴイスティックな激しさを帯びたものとして、
「それが愛なの? 本当に愛なの?」
という非難をこめて描かれる。
そしてダメ押しに、なんと紫式部は、その死後、彼を、地獄に落としてしまうのだ。
人を愛することが、非難の対象になる世界。人を愛することで、人の恨みを買い、かえって愛する人を死なせてしまう世界。そしてついには、地獄に落ちてしまう世界。
『源氏』の主人公光源氏は、そんな世界で生まれた。
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光源氏《ひかるげんじ》1◆「魔性の男」という発明[#「光源氏《ひかるげんじ》1◆「魔性の男」という発明」はゴシック体]
「魔性の男」という発明[#「「魔性の男」という発明」はゴシック体]
「運命の女」「魔性の女」という言い方はあっても、「運命の男」「魔性の男」という言い方はない。
それは、女は男によって運命を変えられない、女を骨抜きにするほどの男がいないという意味ではなく、女にとって男は現実であり、生活であるから、だろうか……。
紫式部の天才は数あれど、その一つは「魔性の男」の発明にあるだろう。男の美貌が政権を握る実戦力となった母系社会の古代日本でも、多くの男の心をとろかし、破滅させた『竹取物語』のかぐや姫や、『宇津保物語《うつほものがたり》』のあて宮のような「魔性の女」はいても、その逆は見られない。
それが『源氏』で初めて、絶世の美貌の男によって、女達の運命が狂わされていくという発想の物語が生まれる。光源氏という美男子が、女性遍歴を繰り返しながらのし上がっていくという平安物語空前の発想。しかもそれは、とても必然的な物語の流れの中で生まれた。
三歳で母を亡くした光源氏は、六歳で祖母を亡くす。母系社会の名残りの強い当時、母方の親戚のいない彼は、皇子は母の実家で育つという当時の慣例に反し、父のいる宮廷に引き取られた。母が父の愛を一身に集め、そのため女達にいじめられた宮廷。男と女の愛憎が母を殺した宮廷に、光源氏は、父をたった一人の味方として投げこまれる。
そんな彼に紫式部は、彼が物語の主人公として生きていくための無敵の武器……美貌を与える。
彼の美貌は、
「どんなに屈強な武士も仇敵も、見ればほほ笑まずにはいられない」
ほどの、破格のものだった。この、破格の美貌が、女が力をもつ宮廷で、どれほどの威力を発揮したか。
母を憎む敵だらけの宮廷に投げこまれた不運の光源氏は、彼を愛する父によって、どの妃の部屋に行くときも常に伴われた。そして母と違って、行く先々で女達に歓迎された。上流女性は、成人男性に顔を見せない当時。六つ七つの彼は、
「実に面白く手応えのある遊び相手」
として、すべての妃や女房達に愛された。
「今は誰も、この子を憎むことはできまい。母君がいないということでだけでも可愛がって下さい」
桐壺帝はそう言って、更衣を最も憎んでいた、第一皇子の母の弘徽殿《こきでん》のもとにも彼を伴ったが、弘徽殿でさえ、この幼な子を、遠ざけることはできなかった。
母のカタキを討つように、すべての女達を味方につけていくコドモ時代の光源氏。それはまさしく「魔性の男」としか言いようのない魅力の持ち主として描かれているのだった。
恋の狩人への変身[#「恋の狩人への変身」はゴシック体]
コドモ時代の光源氏は、コドモであるのをいいことに、父のすべての妃達の姿を見、女を見る目が肥えていった。
妃達はそれぞれに美しかった。彼が中でも惹かれたのは、
「亡き母君によう似ておられます」
と女房が言っていた藤壺《ふじつぼ》だった。藤壺は、桐壺帝が更衣を亡くした悲しみを紛らすために入内《じゆだい》させた妃だった。光源氏は母の顔は忘れていたが、子供心にしみじみと懐かしく、
「いつもおそばに参りたい。近くで姿を拝見したい」
と切に思うようになった。父の桐壺帝も、藤壺に、
「馴々しい無礼者と思わずに、この子を可愛がってやって下さい。この子と死んだ更衣は、顔つきや目元がそっくりなので、更衣に似ているあなたとこの子が親子のように見えても、おかしなことではないのです」
そう言って、二人の接近を積極的に推進した。
光源氏は藤壺に、ちょっとした花や紅葉をプレゼントするなどして、コドモながらに好意を示すようになったので、いったんは彼を許した弘徽殿は、藤壺とも仲が険悪なところへ、もとからの更衣への憎しみがよみがえって、光源氏を目障りに思うようになった。
光源氏は藤壺に惹かれることで、初めて女の敵を作った。そして十二歳になって元服すると、父帝の計らいで、四歳年上の左大臣の一人娘|葵《あおい》の上《うえ》と結婚した。葵の上はもとはと言えば弘徽殿が息子の妃に狙っていた娘だった上、さらに息子のお妃候補の朧月夜《おぼろづきよ》をも光源氏に犯されるなどして、弘徽殿はますます光源氏を憎み、これがのち須磨流謫《すまるたく》という、若き日の光源氏の試練につながるのだが。ともあれ、当面の光源氏には、父帝のほかに、新たに時の左大臣という権勢家の味方ができた。
けれど必ずしも光源氏はこの新しい味方を歓迎しなかった。当時の貴族の結婚は、夫が妻の実家に通い、妻の実家から経済的な援助を受けながら、やがて夫婦で独立するというものだったので、光源氏も婿として左大臣邸に通うことになったが、実質的な実家である内裏で過ごしがちだった。それを妻の実家では、
「まだ十二歳なのだから、ほかに女がいるからというわけでもあるまい」
と解釈して咎めもしなかったが、実は彼には、心に強く思う女がいた。
五歳年上の継母の藤壺のことが忘れられなかったのだ。
「あんな人と結婚したい。葵の上はとてもきれいで、いかにも深窓の姫君だが気に入らない」
と思っては、内裏でのイベントでは、藤壺の琴に笛を合わせ、心を通わせていた。心を通わせてはいたが、体を交えることはできないのはもちろん、以前のように顔を合わせることもできなかった。成人した光源氏に藤壺が顔を見せられないのは当然だし、何より彼女はミカドの愛妃で、光源氏の継母という、禁断の女だった。
光源氏にとって満たされない日々が続いた。やがて彼は、十七歳という発情期を迎えると、かなわぬ思いに、つのる欲求不満を埋めるため、恋の狩人と化していく。
今まで無意識に彼を宮廷で生かす武器となっていた美貌。その威力を、光源氏自身が意識的に試す時が来たのだ。
若き日のサイテーな彼[#「若き日のサイテーな彼」はゴシック体]
若い頃の光源氏は、とにかくかっこいい。行きずりの女に、
「ずっとあなたが好きだった」
などと言うかと思えば、
「僕は誰からも許された身だから、騒いでも無駄。静かにして」
と、初対面の女とセックスする。自分の美貌を見たら、ミカドの愛息子という地位を知ったら、拒む女はいないという自信に満ちあふれている。
しかも、そんなふうに、あっちの女こっちの女と、色恋ばかりにうつつを抜かすようでいながら、知らぬまに官位もうなぎ登り。力まずして東大に受かり、遊んでばかりいるように見えて、軽がる一流企業に就職、気がつけば幹部候補という、エリート街道まっしぐらの男なのである。
(画像省略)
そんな彼は、恋にのめりこんでも、恋で人生を誤るようなヘマはしない。
好きになったら負けだ、と誰かが言っていたが、光源氏は「負け知らず」である。藤壺以外は心底好きにならないんだから、これは強い。強いというか、残酷だ。藤壺以外の女と寝ると、そちらに気持ちが移るのではなく、気持ちは藤壺に置いたまま、体だけを動かしている。だから、弘徽殿腹の兄の妃となった朧月夜《おぼろづきよ》と寝ても、
「尻軽な女。藤壺とは大違いだな」
と感じてしまうし、愛妻の紫の上と寝ても、
「ああ、なんて藤壺そっくりなんだ」
と嬉しくなる。光源氏にとって、藤壺以外の女は、紫の上でさえ「藤壺の代用品」だ。藤壺が心のストッパーとなって、光源氏の心に他の女が入りこむのを防いでいるのである。
だからだろう。藤壺以外の女を、彼は、まるでモノのように扱う。
たとえば軒端荻《のきばのおぎ》である。配下の受領《ずりよう》の妻である空蝉《うつせみ》を狙って寝室に忍びこんだ彼は、寝ていた相手が空蝉ではなく、彼女の継子の軒端荻と知ると、
「あの可愛い人なら、まぁいっか」
(彼女の容姿は空蝉を覗き見したついでにチェック済みである)とヤってしまう。ヤってしまったあとは、
「僕の身分柄、気軽に会えないと思うと悲しいな。でも待っててね。また来るから」
とでまかせを言って気をもたせておきながら、
「この女なら、誰かと結婚しても、いつでもヤらしてくれそうだな」
とタカをくくって、ほったらかしにする。ヤリニゲである。それでいて彼女の結婚を知ると、
「ひどいじゃないか。死ぬほど君を愛している僕の気持ちを知ってるの?」
とラブレターを出す。しかも心の中では、
「この手紙を彼女の夫が見たら、僕との関係がバレちゃうな。でも相手がこの光源氏と分かれば、夫も許してくれよう」
などと勝手なことを思う。軒端荻の立場や気持ちなど微塵も考えちゃいないのだ。
光源氏にとって、好きでもない受領の娘の軒端荻なんか、心をもたない肉のカタマリ同然なのだ。
では、
「会わないでいる昼のうちも、夜が待ち遠しくてたまらない」
というほど彼を執着させた夕顔《ゆうがお》は、どうかというと。彼女との関わり方にこそ、光源氏のイヤらしさというか、残酷さが、浮き彫りにされてくるのだから、どうしようもない。
なにしろ彼女と出会った場所が、小家がちな住宅地。で、
「どうせ大した身分の女じゃあるまい」
と踏んだ彼は、素性を隠すため変装した上、覆面までして夜な夜な彼女の家に通う。
「僕みたいな高貴な身分だと、人目がうるさくて大変なんだよね。だから、おおごとにはしたくないの。こっそり楽しんで終わりにしたいんだよね」
と考えていたのだ。女と真面目につき合うつもりは、はなから、なかったのだ。相手が名家のお嬢様ならいざしらず、
「このていどの身分の女に夢中になっている、と世間に知られると、みっともない」
という気持ちも働いていた。
しかし、いくら相手の身分が低くても、親が健在で財産や勢力もある場合、「娘をどうしてくれる」とか「子供が生まれたら、認知しろ」などと、面倒なことを主張されがちだ。
もちろん身分の低い者など、彼にとってはヒトのうちに入らないのだから、そんな奴らの言うことなんぞ、へでもない。が、「面倒なこと」はイヤである。そういう奴らに悪い噂を立てられるのも。だから、こういう手合いは、できれば避けたい。
光源氏の老獪なところは、このあたりのリサーチも抜け目なくしている点だ。彼は召使に、
「あの女のこと、調べといてよ」
と命令し、夕顔が天涯孤独な女ということが明らかになった上で、初めて自ら足を運ぶ。
ちゃーんと自分の逃げ場を用意周到に確保しているわけである。
「金持ちでキザな坊っちゃんVS貧乏で素朴、でも根は優しい男」という、昔の漫画に出てくる「対立の図式」に組みこまれた、金持ち男のような若き日の光源氏……。貧乏男が貧乏にめげず、明るく努力する傍らで、気ままに振る舞う金持ち男という役どころで、ふつう主役にならないタイプである。
それが『源氏』では、この金持ち男が主役で、さんざんわがまま言って、女を抱いて、あげく女は死んでしまう。
「もっと気楽な場所に行こう。こんなところじゃ疲れちゃうよ」
と、女を人目につかないところに誘ってセックスしていたら、
「どうして私のところへ来ないで、こんなつまんない女と寝ているの?」
と高貴な女に責められる夢を見る。その夢から覚めた直後、隣に寝ていた夕顔は死んでしまうのだ。
この奇怪な夢から、夕顔の死因は、嫉妬に狂う六条御息所《ろくじようのみやすどころ》に取り殺されたため、ということになっているのだが。ほんとのところは分からない。事実はただ、
「寂しい廃屋に女を誘ってヤりまくったあと、疲れてうとうとしているうちに、女が死んでいた」
ということ。血気盛んな十七歳の光源氏の激しいセックスのせいで、ひ弱な夕顔が心臓発作を起こしたのでは?と私などは思っているが、とにかく廃屋などに光源氏が誘いさえしなければ、夕顔は死なずに済んだ。つまり夕顔は光源氏が殺したも同然なのである。
そのことを光源氏自身、誰よりもよく心得ていて、彼はこの一件で自分が世間に責められることを最も恐れた。召使も、
「ご心配には及びません。私がじきじき指図して万事取り計らっておりますので、世間には決して漏れません」
などという慰め方をする。が、光源氏は安心できない。
「そう思うようにはしているんだけど、気ままな浮気心で慰み物にして、人を死なせてしまったという非難を受けるに違いない。それがすごく辛いんだ。お前の家族にも言わないでくれ」
そして、
「大丈夫。葬儀の坊さん連中にも、みな事実とは違ったふうに言い繕っておりますから」
と、召使が言うに及んで、やっと一安心。すると急に悲しみがこみ上げてきて、
「やっぱりもう一度、あの人の亡骸に会いたい」
と言い出し、お忍び姿で、死体を安置した場所に赴くのだった。
このへんの彼の言動は、わがまま貴族の面目躍如という感じ。ちなみに、そこで、
「人目も構わず号泣した」光源氏は、屋敷に戻ると、心労のため二十日間寝こむ。その後、夕顔の死に目に居合わせた、彼女の乳母子《めのとご》である女房を呼び寄せ、口止めのため自分の召使にする。その結果、残されたほかの召使達は、何も知らされぬまま、帰らぬ女主人を延々と待つハメになってしまうのだ。
当の光源氏はというと、健康を取り戻してから、しばらくすると、
「ああ夕顔が忘れられない。どこかに気兼ねのいらない身分の、可愛い人はいないかな」
と、ムシのいいことを考えて、また女漁りを再開する。
ほんとに女を愛して忘れられないのなら、桐壺更衣を亡くした時の桐壺帝のように、
「今は誰とも顔を会わせたくない」
という状態になるのがふつうだろうに。まあ、そういう桐壺帝も、数年後には「桐壺更衣に似た人を」というんで、藤壺を「ぜひ」と入内させたのだが。そもそも「誰かに似た人を」という発想が、女に対して失礼ではないか。
とにかく泣こうがわめこうが、夕顔は、光源氏と関わることで、十九の若さで死んでしまう。そしてこれを皮切りに、光源氏の周囲の女達は次々と死んでいくのである。
光源氏は人殺し[#「光源氏は人殺し」はゴシック体]
光源氏は人殺しである。
といっても、彼が直接殺しに手を染めたわけではない。妻と愛人が争って殺しが起きた、その殺人は、女にだらしない夫が犯したようなもの、といったレベルを含めて言っているのだが。それにしても、光源氏が原因で死んでいった人達は少なくない。
廃屋で変死した恋人の夕顔。愛人六条御息所の生霊に取り殺された正妻葵の上。その御息所は、死後も、紫の上を危篤にしたり、女三《おんなさん》の宮《みや》を出家させるなど、光源氏の大切な女達を次々と奪っていくという設定だ。それももとをたどれば、すべて光源氏の無責任な態度が原因だった。未亡人となった御息所に、
「お願いだから僕と結婚して」
としつこく迫り、落としたあとは、いつまでたっても正式な結婚をしない。果ては、御息所が光源氏より七歳年上なのを気にしているのを逆手にとって、
「その気持ちに遠慮してんだよ、僕は」
というポーズを世間に見せる。
「僕達はヤることはヤった。でも御息所は迷っている。七つも年下の僕なんかと結婚したいとは思わないみたい」
と。御息所が、遊びで彼とつき合ったとでも言うのだろうか。故大臣のお嬢様であり、前坊《ぜんぼう》(前皇太子)の未亡人という、やんごとない彼女の面目を、光源氏は丸潰れにしてしまうのだ。
そのくせ、きっぱり別れるわけでもなく、
「しかるべき時の相談相手としては、これほど優れた女性はいない」
などと言って、思い出したように訪問し、訪問すれば、それが義務であるかのように、きっちりセックスするのだから、女としてはたまらない。御息所は、慢性的なうつ状態に追いこまれてしまう。そんな時である。光源氏の正妻の葵の上の妊娠を知り、
「もうあの人とは別れよう。その前にひと目、姿を見ておこう」
と出かけた先で、葵の上の一行に、車をめちゃくちゃに壊されたのは……。
莫大な資産と、高い身分と、当代一の教養を兼ね備えた御息所だ。光源氏と関わりさえしなければ、穏やかな晩年を過ごせたろうに。苦悩の御息所の魂は、無意識のうちに、葵の上を取り殺すに至る。
けれど、憎まれてもうとまれても、最後まで光源氏に未練を残した御息所は、
「娘をよろしくお願いします。ただ絶対に、娘にだけは手を出さないで」
と、故前坊との間にできた一人娘を彼に託して死んでいく。娘は光源氏の養女となり、その関係で、光源氏は、広大な御息所の邸宅を我がものにする。のちに補修して、自分の妻達を住まわせた「六条院」、晩年の光源氏の呼び名ともなった「六条院」こそ、ほかならぬ御息所の邸宅跡であった。
住み慣れた土地に、生前自分を苦しめた、しかし愛しい男がほかの女を集めてイチャイチャしているのだから、化けて出たくなっても無理はない。六条院に住む女達に、御息所の死霊の魔の手が伸びたのも、もとはと言えば光源氏のせいというのは、こういうことだ。
愛しすぎて、愛する女を殺してしまった桐壺帝。その息子の光源氏もまた女と関われば関わるほど、女を苦しめ、死へと追いつめていった。御息所は光源氏に対する愛執の罪で、死後は地獄に落ちてしまうが、光源氏が最も愛した藤壺もまた、彼のせいで死後、地獄に落ちたという設定になっている。
それは光源氏が、紫の上と寝ている晩だった。紫の上は藤壺の姪。藤壺に瓜二つだったので、母なし子の彼女を十歳の頃、光源氏は拉致同然に連れてきて妻にしていた。その紫の上が、自分の浮気な態度にすねたので、「あなただけだ」と慰めるうちに、光源氏は藤壺を思い出していた。そして、
「藤壺に似た紫の上以外の女に、やはり心を分けることはできない」
と、改めて紫の上への思いを確認。同時に彼女に、藤壺の思い出話を語っていた。
「故藤壺|中宮《ちゆうぐう》は、おおっぴらに才気を見せたりはなさらぬものの、いざという時頼りになって、ちょっとしたことも理想的に成し遂げるお方でした。ああ、この世にあれほどの方がほかにいるだろうか。優雅でおっとりして。それでいてすごく知的なところがまたとないほどだったのに」
そんなふうに語ったその夜、なかなか寝つくことができなかった光源氏の前に、夢ともなく、ほのかに藤壺が現れて「すごく恨む様子で」こう言った。
「絶対人に言わないと約束したのに、浮き名が明るみになってしまって恥ずかしい。苦しい目に遭うにつけても、あなたのことが恨めしい」と。
いささか見当違いの藤壺の死霊の恨みに光源氏は答えようとするが、金縛りのようになって動けない。翌朝、夢の意味をたどるうち、「あの一つのこと」つまり自分との「密事」で、愛する藤壺が地獄に落ちてしまったことを悟る。
実は、藤壺を諦めきれぬ彼は、ほかの女達を抱く一方で、藤壺の生前、何度か彼女を無理やり犯していた。その結果、藤壺は不義の子を妊娠し、夫の桐壺帝をだまして、その子を夫の子と思わせ、のちに冷泉帝《れいぜいてい》として即位までさせていたのである。
その罪で、藤壺は地獄に落ちた。そして「紫の上にその密事を漏らした」という思い過ごしによる恨みで、光源氏の夢に現れた。あなたのせいで、私は地獄でこんなに苦しんでいるのに、あなたはいい気に、愛妻との寝物語に、私の思い出話を語っている!……。
光源氏は、死んだ藤壺の気持ちをたどるうち、たまらなく悲しくなった。
「知る人もない世界にたった一人っきりでおられる彼女をなんとかして訪ねて行って、私が代わりに地獄の責め苦を受けたい」
と思いつめた。そして、
「死んだら藤壺と同じ蓮《はちす》に」
と思いながら、
「いや、どんなにあの方を追い求めても、あの方の姿を見つけられぬまま、三途の川をさまようだけだろう。あの方と私は、夫婦ではないのだから」
と切なく思い返す。
紫の上を妻にしたのも、六条御息所に惹かれたのも、空蝉や朧月夜を犯したのも、藤壺と瓜二つであるとか、年上の貴婦人であるとか、人の継母であるとか、藤壺の隣の局にいたとか、すべて藤壺が原点にあった。
その原点に操られるように、光源氏は女達に恋し、数人の女と結婚もする。もちろん藤壺ともヤることはヤった。
相手が后だろうが、父の妻であろうが、思いを伝え、セックスしようとする。この積極性が色好み≠スるゆえんであり、こういうところがあるから、私は、光源氏を嫌いになりきることができない。好きな気持ちを我慢しない。これははっきり言って、彼の長所だと思うのだが、しかしそのことによって幸せになった女はいなかった。
藤壺のこの夢の一件が、心によほどこたえたのか。それ以来、女に対する光源氏の態度は、責任あるものとなっていく。つまり、
「一度関係した女、とくに身寄りのない女は決して見捨てず、夫となって、生活の世話をする」
という「ありがたい男」に変身するのだが。
実は、この頃から、なのだ。光源氏が、モテなくなっていくのは……。
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光源氏《ひかるげんじ》2◆「年を取る光源氏」の残酷[#「光源氏《ひかるげんじ》2◆「年を取る光源氏」の残酷」はゴシック体]
光源氏の美貌の変遷[#「光源氏の美貌の変遷」はゴシック体]
美貌美貌と言うけれど、光源氏はどんな容貌の持ち主として、『源氏』に描かれているのか。
たとえば十八歳の彼は、
「くつろいだ姿がまた素晴らしく、女にして抱いてみたい」
という女性的な美貌をもちながら、
「背は高く痩せている」
というモデルのような外見だった。もちろん顔は、
「この世のものとも思えない」
「こんな美しいお姿をもちながら、この煩わしい日本の末の世に、生まれ合わせてしまったのかと思うと悲しい」
と人に言われるような神々しい美形。それが三十をすぎる頃になると、
「痩せてそびえるような細身の体型が、横幅とも少し釣り合うようになった」
中年になって肉がついてくる。そして三十も半ばをすぎる頃から、
「どこまでも若く美しい」
「人の親とは思えぬ若さと優美さ」
というふうに、「若さ」が強調されるようになる。
それが四十をすぎ、女三の宮を正妻に迎え、彼女を柏木《かしわぎ》に寝取られるあたりから、彼の美貌の形容はぱたりととぎれる。あとは、
「歌声が魅力的である」
といった容貌以外の長所を褒めた箇所がぽつぽつと見えるだけで、五十二歳頃で死ぬ直前の容貌が、
「昔の光るような美しさが、さらに輝きを増して、比類なく見えた」
とあるのを最後に、光源氏の容貌の描写は終わる。
私はかつて『源氏』の身体描写が、『源氏』以前の物語と比べると、いかに緻密で、キャラクターや身分と連動しているかというテーマで『「源氏物語」の身体測定』(三交社、のち加筆訂正し、『「ブス論」で読む源氏物語』講談社+α文庫)という本を書いたが、同じ光源氏でも、こうして年を取ると共に、その容貌が変化していく様子がきめ細かく描かれるさまは、さすが『源氏』という気がする。何よりも、あの美しかった光源氏から、「美しい」という形容をもぎ取って、五十すぎまで生かしておくという残酷。そして最後の最後で「昔よりもっと美しくなっていた」と落とす悲しさ。紫式部の「天才」は、「魔性の男」を生むだけでなく、さらにその男に年を取らせてしまったこと。光源氏の後半生は、そんなふうに思えるような苦く悲しいものであった。
とにかくもてない中年の彼[#「とにかくもてない中年の彼」はゴシック体]
あまたの恋愛遍歴を経た光源氏は、三十二歳で、藤壺の死に目に遭う前後から、
「一度関係した女、とくに身寄りのない女とは必ず結婚し、生活の世話をする」
という男になる。そして結婚すれば、
「絶対離婚しない男」
になる。
六条御息所との結婚を引き伸ばし、軒端荻をヤリニゲし、夕顔を見殺しにした、十代の気ままな恋の狩人の姿は、そこにはない。三十路に入った光源氏は、中年にふさわしい責任感を身につけたかに見える。
しかしでは、そんな男を夫にもった妻達が、私ってほんとに幸せだわと満足していたかというと、まったくそうではない。彼女達の心は年月と共に夫から離れていく。そして面白いことに、妻以外の女達の心も、中年以降の光源氏に近づくことはない。
光源氏は、もてなくなるのだ。
養女の秋好中宮《あきこのむちゆうぐう》を口説けば、「はぁー」と漏れるため息や、去ったあとの残り香さえうとまし=c…ヤらしい、と嫌われる。いい年こいて香をこんなにたきしめるから、私の部屋にあちこち匂いが移っちゃって。くっさーと、若い中宮は気分が悪くなって寝こんでしまう。それほど嫌われたとは知らない彼は、
「彼女は冷泉帝の后だしな。人にばれて、私の立場がまずくなっても……」
と諦めるが。こういう「あやにくな関係」で本領発揮する彼だからこそ、父の后の藤壺や、兄の妃の朧月夜とつき合ったりもしていたのだ。藤壺との秘密の息子である冷泉帝の后に目をつけたのは、いかにも光源氏らしいのに、ここにきてこれほど嫌われるのは一体なぜ?と、二人のやり取りを読み返すと、光源氏の口説き文句がサイテーなのだ。
まず彼女の母六条御息所との思い出話で相手を引きこんだところで、彼は切り出す。
「一時期須磨に流されて落ちぶれたとき、いろいろ願っていたことが今、少しずつ実現しているんですよ。たとえば妻の花散里《はなちるさと》。あの人は気の毒な境遇で、ずっと気になっていたんですが、屋敷に迎えることができて一安心です。でもこの人とは気心も知れて、すごくさっぱりとした関係で……」
と、私生活を語ったあと、
「こうして政界に復帰して、ミカドのお世話ができるのは、大して嬉しくも感じないくせに、好きな女を見ると、心が動揺してしまうんだよね」
と唐突に口調が情熱的に。そして畳みかけるように、
「私がものすごく我慢をしながら、あなたとミカドのお世話をしているって、ご存じなんですか? せめてあはれとだに=c…ああかわいそうとだけでも……言ってもらわなかったら、どんなに張り合いのないことでしょう」
と、一気に訴えるのである。要するに、
@ 自分は今成功して、かわいそうな女を妻に迎える思いやりもある
A しかし妻とは、していない
B 権力も空しい
C その空しい仕事を我慢しているのもあなたのため
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というわけだ。まとめる私も空しい。そんな押しつけがましく言われても。彼女も好きでミカドの后になったわけじゃない。もとはと言えば、
「自分の息のかかった女を后にして、権力を握ろう」
という光源氏の陰謀で后にさせられたんだから。それをいまさら権力なんて空しいとか好きとか言われても……。中宮にすれば、そんな気持ちである。妻の中でも、末摘花《すえつむはな》と並ぶブス妻の花散里を引き合いに出すところも、あざとい。よくこんな口説き方で、今まで何人もの女をモノにしてきたものだとあきれるが、とにかく光源氏は中宮に振られ、今度はいとこの朝顔《あさがお》の宮《みや》に近づく。が、
「六条御息所みたいになるのはイヤ」
と考えた宮に、やっぱりあっさり振られてしまう。
振られた理由も分からないまま、彼が次に目をつけたのが玉鬘《たまかずら》で、やはり嫌われてしまうのだが。彼女に対する光源氏の仕打ちというのがこれまたサイテーなのだ。
ファザーファッカー光源氏[#「ファザーファッカー光源氏」はゴシック体]
玉鬘は、夕顔と頭中将《とうのちゆうじよう》の娘で、夕顔死後は、親に知られず田舎暮らしをしていたが、ひょんなことから光源氏の養女となる。六条御息所の娘だった秋好中宮と同じパターンである。
三十以降の光源氏は「もと恋人の娘」にやたら執着して、養女として手元に置いて、
「さすが親子だ、そっくりだなー」
と昔の恋人を懐かしみつつ、スキあらば口説いていた。昔を懐かしむというのがすでにおじさんだが、その懐かしみ方が、えげつない。
玉鬘を頭中将の娘と知りながら引き取った彼は、
「こんな美人の娘がいると知ったら、あいつ、さぞ喜ぶだろうな」
と思うくせに、教えてあげない。
「秘密の関係を楽しみたい」
という魂胆があったからだ。で、表向きは「二人は実の親子」ということにして、玉鬘の部屋に入り浸っていた。
そんな夏のある日。いつものように玉鬘を訪ねた光源氏は、その色っぽい姿に、思わずごくっと息を飲む。暑い日なので、玉鬘の着衣は単衣《ひとえ》だった。単衣とは薄絹の着物一枚のことで、つまりシースルー。だから体の線がスケスケで、当時の絵巻物を見ると、乳房まで丸見えだ。当時はブラジャーなんかないから。しかも女盛りの二十二歳。三十六の光源氏がたまらずその手を握ってみると、ぴちぴちときめこまかな肌。
なほえこそ忍ぶまじけれ=c…やはりもう我慢できそうにない……と声に出した彼は、素早くその場で下着姿になり、玉鬘の隣にぴたっと横になる。
貴族女性がめったに人、とくに男に顔を見せない当時。これはヤったも同然の状態。だから玉鬘は、
「イヤよこんなの。こんなヤらしいこと、ほんとの親ならしないでしょう」
と抵抗する。すると、光源氏はこう言うのだ。
「相手が赤の他人でさえ、世間の常識じゃあ、女はみんな体を許すものなんだよ。なのに、こんなに長年つき合って、裸くらい見せたって、どうしてイヤなことがあるの?」と。
「水臭いなぁ親子じゃないか」
というわけだ。ムチャな理屈である。しかも「長年」といっても、出会ってまだ半年なのに。それでいて、
「人に怪しまれるとまずいから」
と早めに部屋を出た彼は、
「絶対人に言うなよ」
という一言を決して忘れない。養女という相手の弱い立場を利用してセクハラした上の、とどめの脅迫。サイテーである。そしていったん告白したあとは、中年男の図々しさ。開き直って、ちょくちょく玉鬘の部屋に体をいじりに来る。それがイヤでたまらない玉鬘は、ストレスで病気になってしまう。それを光源氏は、
「頭が良くても、こういうところは処女だなぁ。お堅いねぇ」
と、くすっと笑ってしまうのだった。
一方で彼は「父」として、彼女に届いたラブレターをすべて開封点検、
「男への手紙はこう書くもんだ」
と返事のアドバイスまでしていた。玉鬘が無視すると、
「仕方ない。パパが書いてやるか」
と自分で文面を考えて、勝手に返事を出してしまう。
彼の悪ふざけはその後もエスカレートして、玉鬘の姿をわざと彼女の求婚者に見せて、男の反応を観察しては、
「ふふふ、あんなに興奮して」
と楽しみながら、
「あー私まで感じてきてしまった」
と玉鬘の部屋を訪れては、おもちゃにしていた。それにつけても玉鬘は、
「本当のお父さんに会いたい」
と切望するのだが。そんな気持ちを知ってか知らずか、光源氏は、
「君の父上は、私の息子(夕霧)を嫌って婿にしてくれないんだよ。輝くばかりに栄える藤原一族の中に、皇族は入れたくないのかな。心外だねぇ」
と、実父の悪口を聞かせるのだった。
このあたりから光源氏は、玉鬘と実父の再会を阻む、悪役めいた色を帯びてくる。そんな光源氏が、
「そろそろ彼女の将来も考えてやらなくちゃ。でも、できれば一生、手元に置いて、ちょくちょく楽しみたいんだがなぁ」
と考えて思いついたのが、藤壺との不義の子冷泉帝と彼女を結婚させること。当時の天皇妃は、天皇のお呼びがあるとき以外は、実家にいることも多かったので、
「普通の男と結婚させるより、二人っきりで会える機会が多いしな。それに、男を知ってからのほうが、こっちも口説きやすいし」
と踏んだわけだ。彼はもちろん玉鬘の結婚後も関係を続けるつもりだった。そして、そういうつもりの女を息子にあてがって、共に楽しもうって魂胆なんだから、いよいよひひ爺である。
が、そんな彼の野望も空しく、結局は玉鬘は入内寸前に他の男に犯され、光源氏のもとを去る。
物語の流れはすでに光源氏の思い通りには運ばなくなっているのである。
妻にも見放されて[#「妻にも見放されて」はゴシック体]
三十代に入ったとたん、新たな恋の展開が、ぴたっととまった光源氏は、既存の妻にも、そっぽを向かれだす。
たとえば花散里は当時四人いた妻達の中では、末摘花の次にブスである。で、紫の上や明石《あかし》の君《きみ》というきれいどころの妻がいる光源氏は、彼女とはセックスを怠っていたのだが。彼女の主催によるイベントがあった夜、
「ああ、やっぱりここは休まるなぁ」
などと言いながら、珍しくちょっかいを出そうとする。若い女に拒まれて、
「こいつなら、断らないだろう」
と、ブス妻に慰めを求めたわけだ。
ところが、さんざん一人寝に慣らされた花散里は、
「今日はどういう風の吹き回し? 私なんかのところに泊まるなんて」
と言いながら、いつものように二人の間についたてを立ててさっさと寝てしまう。若い頃、さんざん女遊びで妻を泣かせた男が、もてなくなってから、妻にすり寄っても、妻の心も体も開かない、といういい例である。
そうこうするうち、もう一人の古妻の明石の君が生んだ姫君が、東宮に入内。姫に最高のお妃教育を受けさせるために、
「身分の低い母親のそばではダメだ」
と考えた光源氏によって、ずーっと娘と別居させられていた明石の君は、入内を機に、姫と再会する。そしてつき人となることを許される。明石の君は「この日のために我慢して夫と夫婦でいたのよ」とばかり、姫にぴたっと張りついて、夫の光源氏とはやはり、夫婦の営みは減っていく。
となると残るは末摘花と、藤壺似の美女紫の上だが。ブスで貧乏、頭もとろい末摘花には、夫というより生活保護者の立場で接してきた光源氏にとって、心身共に実質的な妻は紫の上だけとなる。
中年になって、すっかりもてなくなった彼のもとに残ったのは、結局、紫の上一人だったのだ。
実は昔からもてなかった彼[#「実は昔からもてなかった彼」はゴシック体]
しかし、そもそもそんなに彼はもてたのか。という問題がある。
実は彼は昔からもてなかったのでは?と思って、若い頃の女関係を洗い出してみると、
「垣間見→手紙のやり取りで互いの意思確認→性交→結婚」
という平安貴族のオーソドックスな段取りを踏んだケースは皆無に近い。ほとんどが、
「いきなり侵入→イヤがる女を犯す」
というパターンなのだ。
それでも若く美しい頃は、女達もつき合ってくれたが、さしもの光源氏も中年以降は美貌も衰える。加えて藤壺の死で、心のストッパーが外れ、賤しい心のガツガツが、表面に出てきたのだろう。それで女達は、
「なんだ、こんなつまらない男だったのか」
と気づく。光源氏の魅力は、
「藤壺に見られている、藤壺に会いたい」
という心の賜物だったのだ。で、そういう魅力のもとをなくした、カスな中年男に、
「君が気の毒だから離婚しない」
なんて態度を取られても、軽蔑したくなるだけ。しかもそもそもが、ムリヤリ犯された末の結婚。光源氏の妻達は彼のサイテーさに、実は犯された「その日」から、体で気づいていたのである。
けれど、光源氏の愛妻として、他を圧して君臨していた紫の上だけは「その日」のことを忘れていた。だから、明石の君もいなくなって、残るはブスばかり。これからは私の天下だわ、と明るい希望に燃えていた。
自分の地位が、埋め立て地より緩い基盤の上に立つとも知らず。
光源氏の悪魔の選択[#「光源氏の悪魔の選択」はゴシック体]
てんでもてないまま、四十路を迎えた光源氏は、異母兄の朱雀院《すざくいん》の愛娘女三の宮を、新たに正妻に迎える。
当時十四、五歳の女三の宮と彼が結婚したのは、表向きは、
「この子は母も亡くしたし、私も出家したいから、親代わりになってくれ」
という兄朱雀院の強い要請のためだ。光源氏自身、それまで正妻格だった紫の上には、
「院があまりに熱心で断れなくて」
と言い訳している。けれど実は、わりと二つ返事で結婚を引き受けていたのだ。三十以来、黒星続きの女性関係で、新たな女に飢えていたこともあるが、何より女三の宮の「血筋」に彼は、血迷った。
宮は、藤壺の姪だった。
「彼女もさぞ藤壺に似て美人だろう」
そう思ったため、紫の上をさしおいて、宮を正妻として迎えたのだ。
この光源氏の選択は二つのことを意味している。一つは彼が、藤壺の死から八年経った当時もまだ、彼女を忘れられなかったこと。もう一つは、この時点まで、紫の上でさえ、彼にとっては「藤壺の代用品」にすぎなかったことだ。
ときに紫の上は三十二歳。
「藤壺一号も古びたことだし、ここらで二号が欲しいなぁ」
はっきり言えば、そんな感覚で、光源氏は女三の宮を迎えた。
しかし宮は、代用品にもならなかった。光源氏はこのとき初めて、
「思えば紫の上は、素晴らしい女だった。私は彼女を好きだったんだ!」
と気づく。けれど同じ頃、紫の上も気づいてしまうのだ。
「私はたしかに愛されてきた。でもその愛は、他の女を正妻に迎えるていどのあやういものだったのだ。しかも気づいてみれば、私が頼れるものは、そのあやうい愛だけなのだ」と。
そして、
「彼の愛が冷めないうちに出家してしまおう」
と、光源氏に出家を願い出る。が、
「他の女と比べたら君は幸せだ。そんな気楽な身分で、何の不満があるの」
と却下され、彼女はさらに気づいてしまう。
「私には、人生を選ぶ余地さえなかったんだ」
「結婚だって、したくてしたんじゃない。十歳の頃、わけも分からず連れて来られて、十四歳で犯されたのだ。それが私はイヤでたまらなかったんだ」と。
悪役としての光源氏[#「悪役としての光源氏」はゴシック体]
「その日」のことを思い出した紫の上の心は急速に夫から離れていく。けれど愛し合った長い年月は、彼女に完全に夫を憎ませることはできない。
「いったい、どうしたら」
と悩むうち、紫の上は病気になる。あわてた光源氏がつきっきりで看病しているスキに、今度は中年以降の唯一の成果である女三の宮が、息子の友人の柏木に寝取られてしまう。
と、これだけなら、
「光源氏も結局はかわいそうなおじさんだね」
で終わってしまうのだが。愛する桐壺更衣を失った桐壺院が単なる被害者としては描かれなかったように、光源氏もまた妻を寝取られた被害者でとどまることはない。次つぎ襲うろくでもない出来事に、ぼろぼろになった光源氏は、
「これも若い頃の罪の報いなのか」
と、過ぎし日の藤壺との不倫を思う。そして、
「父の桐壺院ももしかしたら、心ではそれと知りながら、知らず顔を装っていたのではないか」
という「恐ろしい発想」にたどり着く。もしも父が自分と藤壺の不倫を知っていて見ぬふりをしていたとしたら……。実際、院は、光源氏の藤壺に対する好意を知りながら、積極的に二人を近づけてもいた。それは父の寛大さというよりはむしろ、父にとって「愛妃を寝取られる悔しさ」よりも、「愛妃を息子と共有できる喜び」のほうが勝っていたのかもしれない、という新しい発想につながる発見でもある。
そして桐壺院が知ってて愛妃を息子と共有していたのが事実だとすると、光源氏が、息子の冷泉帝の愛妃秋好中宮を犯そうとしたり、玉鬘を息子の冷泉帝と共有しようとした、一連の行動の意味も、何となく透けて見えてくる。
つまり二人とも、女より、愛する女の生んだ息子が可愛かった。そして「息子が愛する女」を共有することで、息子とつながっていたかった。
そんな考え方を、光源氏のたどり着いた「恐ろしい発想」は、指し示してもいるだろう。
と、それはあくまで私の推測にすぎないが、この「恐ろしい発想」は物語では、光源氏にかえって深い反省を促している。
「それにしても、あの時のことは恐ろしく、あるまじき過ちだった。あれを思えば、私も柏木と女三の宮の恋を、責めることはできないのだ」
が。そう思うそばから彼は、二人を責めずにいられなかった。愛する息子とは女を共有できても、愛してもいない柏木と女を共有するいわれはない。光源氏はまず女三の宮に、
「私はお前の不倫を知っているぞ」
と告げる。
「私が何も知らぬと思うなよ。しかし私もお前も立場がある。人には黙っていてやる」
と言って、以前に増して彼女のもとに近づかなくなる。
次に彼の目は、柏木に向けられる。彼は、不倫を知られて逃げ回る柏木を無理に宴会に誘い出し、興が深まった頃、おもむろに言った。
「君、今、私を見て、笑ったね?」
言いがかりである。恐縮して笑うどころではない柏木を前に、なおも光源氏はしつこく責めた。
「君はそんなふうに、老いた私を笑っているが、なぁにもうじきだよ。歳月は逆さまに流れないのだから。すぐに君も年を取るんだよ」
と。そして、ぎろりと柏木をにらんだ。
このショックで柏木は気分が悪くなり、
「あの人ににらまれたら、僕の将来、ないも同然」
と悲観して、衰弱して死んでしまうのだ。
何も死ぬことは……という読者の当惑をよそに、柏木の死は徹底的に美化されていく。それによって作者紫式部はこう言っているのだ。
「イヤな奴でしょう、光源氏って。桐壺院はもしかしたら、光源氏と藤壺のことを知っていながら黙っていたのかもしれないのに、自分は黙っちゃいられない。自分だって若い頃さんざん人の妻を取ったくせに、自分がされると黙っちゃいられない。彼は愛する若い二人を引き裂く人殺しなのよ」と。
つまり、
「さあ皆さん、もう彼は完璧に悪役です」
とはっきり表明しているのだ。玉鬘のときが予告篇なら、今度は本番。で、光源氏は、女三の宮にもねちねちイヤミを繰り返し、
「この先こんなことが続くのは我慢できない」
と耐えかねた宮は、柏木の子|薫《かおる》を出産後、出家してしまう。すると、今まであんなに、
「女三の宮はしょーもない。紫の上とは比べ物にならない」
とバカにしていたくせに、急に惜しくなって、
「戻って来て」
とすがりつくが、もう遅い。
「あーやっぱり分かってくれるのは紫の上だけだぁ」
と、古妻のもとへ戻ろうとしたとたん、紫の上は死んでしまう。一人減り二人減りしていた妻は、ここに至って、「そして誰もいなくなった」のだ。
取り残された光源氏は独り述懐する。
「こうして一人寝をしても過ごせた世の中を、はかなくもかかずりあっていたことだ」
けれどそう思うそばから寂しくなって、紫の上の可愛がっていた中将《ちゆうじよう》の君《きみ》という女房をベッドに侍らせ、今度は彼女相手に愚痴る。
「この世では不足なものはまったくなさそうな高い身分に生まれながら、人よりずっと不幸だ、と思うことも絶えなかった。愛欲というのははかなく辛いものだと分からせようと、仏が用意した運命なのに、それを無視して生きてきたために、こんな人生の終わり頃になって、手ひどい結末に遭おうとは」
関わった女達は、すべて死ぬか出家することで、彼のもとを去っていった。母、祖母、夕顔、葵の上、六条御息所、藤壺、紫の上は死に、朧月夜、源典侍《げんのないしのすけ》、空蝉や女三の宮は出家した。明石の君は娘にべったりだし、ブス妻二人は独りの暮らしに慣れて、夫を寄せつける雰囲気ではない。
相手になってくれるのは、昔、歯牙《しが》にもかけなかった賤しい女房だけ……という孤独地獄の晩年。彼は、花を見ても紅葉を見ても何の感動も覚えない、抜け殻のような老人となって、家に籠もりきりになった。
そして御仏名《おぶつみよう》……年の暮れに一年の罪を懺悔して消滅させる法会……の日に、久びさに人前に姿を現した五十二歳の光源氏は、
「昔の光るような美しさが、さらに輝きを増して、比類なく見えた」
と、物語では実に十一年ぶりに、その美しさを描写される。
やがて大晦日になり、孫の匂宮《におうみや》が、
「大晦日の鬼やらいの時に、どうやって大きな音が出るようにしようかな」
と無邪気に走り回るのを見ると、
「もうこの可愛い姿も見られないのか」
と思いながら、光源氏は歌を詠む。
「悩んでいるうちに、月日は過ぎていった。その月日の流れも知らぬ間に、この一年も私の人生も、今日で終わってしまうのか」(もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間《ま》に年もわが世もけふや尽きぬる)
それ以降『源氏物語』には、生きた光源氏が姿を見せることはない。『源氏』は、光源氏の匂宮への思いを語ることで、新しい世代が織り成す物語を予言しつつ、光源氏を、静かに物語から消していく。その後、彼が物語に現れるのは、
「光源氏亡きあと、その美貌を受け継ぐような人は、子孫達の中についに現れることはなかった」
という、伝説の光る君≠ニしてであった。
光源氏の子孫達は、美貌という武器なしに、父のつかめなかった幸せを探し求めなければならない。
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頭中将《とうのちゆうじよう》◆女を持ち腐れさせる男[#「頭中将《とうのちゆうじよう》◆女を持ち腐れさせる男」はゴシック体]
寝取られてしまう男[#「寝取られてしまう男」はゴシック体]
光源氏の父方のいとこにして、正妻葵の上の兄という間柄から、義兄でもある頭中将は、一見、文句のつけ難い男である。
摂関家のお坊ちゃまという恵まれた境遇にある上、学問にも励んだので、政治の実務にはとても有能だ。しかも『源氏』の主要人物には珍しく「男気」というか「男っぽさ」というものを身に備えている。
光源氏が、継母の弘徽殿大后《こきでんのおおぎさき》ににらまれて、須磨で謹慎していた時、男達の誰もが弘徽殿にはばかって、光源氏と絶交したにもかかわらず、彼は果敢にも、須磨に光源氏を訪ねている。友達思いのこの男気は、武家物語なら、文句なしの主人公になれたキャラクターだろう。
だが。恋より男の友情を大事にするような頭中将みたいな体育会系タイプは、その律義さゆえに、恋にドラマを引き起こさない。
しかるに『源氏』のテーマは恋。男と女のすれ違いである。そこでは、友達の妻や恋人を寝取ってしまう、情念の文系タイプでなければ、主役は張れない。
で、当然ながら頭中将は、女を「寝取られる」情けない男として、光源氏の引き立て役に甘んじることになる。
憂愁の美女と勘違いして追いかけ回した末摘花(実は光源氏が一目見て「かわいそうに……」と絶句した古典空前のブス)は、光源氏に取られてしまうし、妹の葵の上づきの女房に思いを寄せても、相手にされない。『源氏』によると彼女は、
「頭中将が熱心に言い寄ってくるのには見向きもしないくせに、光源氏がほんのときたま見せる情けに引かれて、離れられなくなってしまった」という。
彼は光源氏と寝た女と聞くと、スケベ婆で有名な六十近い源典侍《げんのないしのすけ》まで口説き、しかも皮肉なことにこの彼女とはベッドインに成功してしまうが、その彼女にさえ、
「つれない光源氏様の代わりに……と思ってつき合い始めたが、やはり会いたいのは光源氏様だけ」
と内心、嫌われてしまう。背も高いし家柄もいいのに、もてないのだ。
そんな頭中将が獲得した唯一のましな女が夕顔で、彼女との間には玉鬘という可愛い娘までできたのだが。まぬけなことに、逃げられてしまう。といっても嫌われたわけではないらしく、彼が雑談で、部下や光源氏達に、
しれ者=c…バカな女……の話をしましょうか、と語ったところによると、
「親もなく、生活も不如意で、一途に自分を頼っているような感じだった」
しかも、たまにしか来ない頭中将を恨むわけでもなく、
「一生懸命、妻らしく振る舞おうと取り繕っていた」
ところが頭中将は、そんなけなげな女の態度にかえって安心しきって、しばらくほうっておいたところ、姿を消されてしまう。それが弘徽殿大后の妹でもある自分の正妻のしわざと知るのは、後日のこと。正妻に脅された愛人が、部屋を引っ越したというわけである。頭中将は言う。
「こっちがいとしく思っている時に、うるさいくらいつきまとってくれれば、こんなふうに行方知らずにはさせなかったのに」と。
で、「バカな女」というわけだ。
照れ隠しにしても、勝手な言い分である。とくに「こっちがいとしく思っている時に」という言い回しに、大貴族らしい自己中心的な性格が透けて見える。そして、
「私はようやく忘れかけていますが、あの女は今も、私のことを思って胸を焦がす夜もあるのでは?と思うのです」
と言うに至っては、バカはあんたじゃない?という感じ。♪別れてもぉ好きな人というのは、たぶん男の心理を歌ったもので、女は目の前にいない男のことは、わりと簡単に忘れがちである。とくに新しい男ができようものなら、体に染みついた古い男の記憶は一挙に一掃され、細胞から生まれ変わってしまう。ここらへんが分かっていない頭中将は、女の身になって考えられない、男性本位の思考の人と言えるだろう。
目の前にいない一人の男を思い続けて悶々とするほど、女は執念深くもないし、暇でもないということは、他ならぬ彼の言う夕顔が、証明してくれる。
夕顔はある日、光源氏に発見される。その際、彼は、スケベ者特有のカンで、
「もしや、これが頭中将の言うバカな女かも」
と直感する。男気のある奴なら、そう思えば、頭中将に報告するのだろうが、彼は、
「それならよけい面白い」
と、いっそう燃えて夕顔を抱く。王朝ものではこういう男が主役に抜擢《ばつてき》されるのだ。
夕顔は、いい女だった。
「夜が待ちきれない」
と光源氏を溺れさせるほど。覆面をして素性も明かさず夜な夜な犯しにくる彼を、
「やっぱりヘン。なんか怖い」
と恨むものの、
「死んでも一緒だよ」
などと言われると本気にする様子は、とても男ずれしているように見えない。それでいて光源氏が、
「こうして顔を見せるのも、露に濡れた夕顔の花がきっかけだったよね(夕露に紐とく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ)。どう? 露の光は」
と自信たっぷりに覆面を取ると、
「光るように見えた、夕顔の上露は、たそがれどきの見間違いでした(光ありと見し夕顔の上露《うわつゆ》はたそかれ時の空目《そらめ》なりけり)」
と小洒落た歌を詠んでくる。
「それほどでもないじゃん」
というわけだ。すれているかと思えば無垢。無垢かと思えば、恋を知り尽くした中年女のよう。ここかと思えばまたあちら、というとらえどころのなさに、光源氏は、
「あなたをもっと知り尽くしたい!」
と夢中になってしまう。
頭中将にとっては「バカな女」でも、光源氏が抱くと、男を狂わす「魔性の女」の資質が引き出されたわけである。ということは、頭中将の妻の時は「宝の持ち腐れ」状態だったのだ。
頭中将というのはどうも、もてない男特有のズボラさがあったようで、男の本能の命じるままに、女を追っかけ回すものの、手に入れると大事にしない。それどころかダメにしてしまう。ゴリラが蝶を追いかけたものの、無骨な手で乱暴につかんで、グシャリとつぶしてしまうような、そんなガサツなところが、彼の女の扱い方には、ある。
だいいち子まで成した女を、正妻から守りきれないとは、こんな男と不倫したら、えらい目に遭うという証拠。
結局、女は妻一人で手一杯、複数の妻や愛人をもつ器量に欠けている。王朝の恋の物語では、好色な主役の引き立て役にしかなりえないキャラクターなのだ。
じゃあ彼が家庭向きの男で、いいお父さんかというと、これがそうでもない。彼の女扱いのまずさは、娘達の処遇に関してこそ、ぴしゃりと当てはまるのである。
娘を見捨てる父[#「娘を見捨てる父」はゴシック体]
律義者の子沢山と言うが、彼は娘だけでも四人以上いた。弘徽殿大后の妹である正妻に生ませた弘徽殿|女御《にようご》、夕顔に生ませた玉鬘、その他、雲居雁《くもいのかり》、近江《おうみ》の君《きみ》などだ。
が、把握していたのは弘徽殿女御と雲居雁の二人だけ。しかも自分の手元で育てていたのは正妻腹の女御一人である。あちこちで惜しみなくタネをふりまいたはいいが、夕顔のケースのようにズボラなことをしているうちに、回収できなくなっていたのである。
ところが再三言うように、当時の政治の仕組みは、娘に天皇の子を生ませ、その子の後見役として政治の実権を握るというものだから、一族繁栄に娘は不可欠。そこをわきまえた光源氏はだから、身分の低い明石の君が遠い明石で生んだ娘を引き取って、みっちりお后教育をして、政治の布石に役立てている。足りない分は、養女まで取って補っていた。その養女秋好中宮によって、冷泉帝の后の位を奪われ、今また新しい養女玉鬘が社交界で評判になり始めたので、頭中将は思い出したように、急に「娘、娘」と騒ぎだすようになる。そして、
「私の隠し子を探してくれ」
と息子達に頼む。親子の情で、娘に会いたいわけではない。はっきり息子達に言っているように、
「数少ない大事な道具の一つをなくしたことが悔しい」
という、散ってしまった娘達を政治のコマにしたい一心からであった。
今の日本なら家庭争議どころか、政治家がそんなことをしたら、大スキャンダルになるところだが。それをスキャンダルと思うのは、現代人の感覚で、頭中将の息子達は、積極的に「異母姉妹」を探し回る。まだ見ぬ彼女が首尾よくお后にでもなれば、自分達の栄華にもつながるからだ。
それはそういう時代の現実というのを反映しているのだろうが、そういうことをはっきりちゃんと書いてしまう紫式部というのは、凄いと思う。
で、頭中将が探し出したのが、近江の君という娘なのだが。これがメチャメチャ育ちが悪い、という設定になっている。
「便所掃除でも何でもやります」
なんて早口で言うかと思えば、貴公子に、
「私とどう?」
と色目を使う。どう繕っても、お后候補など無理なタマなのだ。それが、「髪もきれいで、けっこう美人」というんだから、惜しいじゃないか。最初からちゃんと仕こんでいれば、どんな素晴らしい姫になったか知れないのに。頭中将というのは、妻も娘も、有効利用のできない人。女を腐らせてしまう男なのだった。
あげく、近江の君をもて余した彼は、使用人として、娘の弘徽殿女御に押しつける。近江の君は、お育ちのいい腹違いの姉や兄達にバカにされる日々を送ることになる。彼女も彼女で、何でもすると言ったわりに、望みがでかくて、女房階級では最高位の「尚侍《ないしのかみ》」になりたいと言い出す。光源氏の養女となっていた玉鬘が、父の頭中将と親子の対面を果たし、朝廷から尚侍に任命されたことを知って、「自分も」と考えたのだ。
「そのために、下賤の者も嫌がる仕事を、気安くまめにいそいそと懸命にこなして、『尚侍にお引き立てを』と、姉の女御にせっついた」
というのだから、図々しくもけなげである。当時の尚侍は、しばしばミカドの妃も兼ねた、高貴で美貌の姫君の名誉職のようなものになっていて、現に玉鬘も、冷泉帝への入内《じゆだい》の下準備として任命されていた。つまり努力したからといってなれるものではないのに、勤務に励む彼女の姿は、滑稽ながら、哀れを誘う。
ところが父の頭中将は、そうした尚侍任命の内実を教えて諦めさせるどころか、
「なんでこの父に早く言ってくれないの。私が朝廷に申し上げたら、どんなことだって通るんだから。今からでも履歴書を作りなさい。長歌などの素養があれば、もっと有利だ。がんばれ」
と、もっともらしく嘘のハッパをかける。本気にした近江の君が、
「和歌ならなんとかできるかも。ほんとにほんとにありがとう!」
と手を合わせて感謝する姿を、
「むしゃくしゃする時は、近江の君を見ると気が紛れるなー」
と、あとで笑い者にするのだった。
庶民の間で、地味でも楽しく暮らしていた近江の君を引っ張り出したあげく、その人生を弄ぶ頭中将は、父とも思えぬサイテー男だろう。
それにしても、同じ頭中将の劣り腹の娘で、しかも早くに母を亡くし、適齢期に父の住む上流社会に投げこまれるという点でも共通している玉鬘と近江の君の、その後の運命の極端な隔たり。片や、大勢の求婚者を集め、尚侍まで出世するという夢のようなシンデレラストーリーを歩む玉鬘に対し、片や、育ちの悪さを一族にバカにされ、異母姉の召使にされてしまう近江の君。しかし普通に考えれば、田舎育ちの娘がいきなり上流社会に放りこまれても、機知に富んだ会話もできなきゃ、召使を使うこともできないのだから、近江の君こそがリアルなシンデレラなのだ。そうした現実を押さえた上で、なお語られる玉鬘のシンデレラストーリーというのは、頭中将の娘扱いの失敗に対して、光源氏の娘扱いの成功を、物語ってもいるのだろう。
体育会系男の女々しさと律義さ[#「体育会系男の女々しさと律義さ」はゴシック体]
頭中将はどうも、その場の感情につき動かされて、先の展望なしに行動する男のようで、それがうまく転ぶと、
「噂が立って、罪をかぶっても、かまうもんか」
と、流謫《るたく》の友を訪ねるという「美談」が成立したりするのだが。実はこの時だって、あとで世間の噂が気になり、翌朝には急ぎ帰京しているのである。
ただ、こんな展望のない性格でも、恋愛下手ゆえに、恋の犠牲者は少ない。代わりに犠牲になるのが娘達、というわけなのだ。
彼は、雲居雁という娘も、手元に置かず、自分の母に押しつけていた。ところが彼女が、光源氏の息子の夕霧《ゆうぎり》と相思相愛の仲になっていると知ると、娘の教育を放棄していた自分のことは棚に上げ、
「母上の監督が不行き届きだから」
と、母を責めだす。そして、政治のコマほしさ半分、娘の異性交遊を「知らぬは親ばかりなり」だった腹立たしさ半分で、
「雲居雁は連れてくよ」
と引き取って、若い二人の仲を引き裂いてしまう。
といっても展望がないもんだから、彼女を后にすることもできず、家で腐らせてしまうのは、近江の君の時と同じ。そのうち夕霧に縁談話が持ち上がると、
「あいつが熱心な時に、うんと言ってれば……」
と娘の前で泣いてしまう。彼は女々しい人でもあるのだった。一見、とても男っぽいのは、根が女々しいので、男らしくあろうと気を張っているせいなのだろう。そんな彼の本質を、光源氏は見抜いていて、幾多の障害を乗り越えて、雲居雁の婿になった息子夕霧にアドバイスする。
「頭中将にあまり気を許して、いい気になってはいけないよ。彼は一見おおらかで太っ腹な気性に見えるが、内心はそんなに男らしくもないし、一癖あって、つき合いにくいところのある人なんだから」
体育会系男の意外な女々しさと執念深さを、紫式部は見抜いていたのだった。
しかしそんな彼は、体育会系の男らしく、律義者だった。冠婚葬祭のタイミングは外さず、約束を守る男だった。けれどそれも、光源氏に言わせると、「物事を大袈裟に考える」彼の性格からきているという。親切一つするにしても、心からしたくてするというより、「そうしなくてはいけない」という強迫観念に駆られて、やっているようなところがある、というのだ。
だから、ふだんは母など訪ねもしないで、子供を押しつけたあげく、その教育にケチをつけたりするくせに、父の法事とか母の五十歳の祝いとか、貴族社会で「しなくてはいけない」とされることは盛大にやって、親孝行したつもりになる。もちろん当の母親は、ありがたくも何ともなくて、
「あの子は細やかな情がない」
と孫にもらしたりするのだった。
私の父がこのタイプで、ふだんは子供に無関心なくせに、こっちがゆっくりしたい時に限って、
「さぁ、今日はサイクリングだ」
などと突然言い出し、藤沢から鎌倉まで自転車をこがされたりしたものだ。当然、四季折々のイベントには力を入れる。本人が信者なこともあり、とくにクリスマスはキャンドルサービスから賛美歌合唱まで、家族を巻きこんで祝うのはもちろん、ある雛祭には、ほしくもないのに、折り紙で六段飾りのお雛様を作ってくれたこともある。記念撮影も好きで、あらゆる行事に一緒に映っているので、アルバムだけ見ると、どんな子煩悩なお父さんかと思われるのだが。子供にすれば、ちっとも可愛がられた気がしない。
そんな父がまた律義者で、会社は定年まで皆勤。不思議と会社を休まなくてはいけないほどの風邪も引かなかったのだ。
そういえば光源氏は「咳病《しわぶきやみ》」とか「瘧病《わらわやみ》」とかしょっちゅう病気になってるのに、頭中将が寝こむ場面は一度もない。息子の柏木が死んだ時だけは、やつれてヒゲも伸び放題で病人のようになるのだが。律義な彼がただ一度、亡き人のための仏事の儀式も、
「する気になれない」
と悲嘆に沈んだこの息子の死こそ、皮肉なことに、ほかならぬ彼の律義さが、招いたものだった……。
律義者の権威主義[#「律義者の権威主義」はゴシック体]
頭中将の息子の柏木は、光源氏の晩年の正妻女三の宮を寝取る。ところが、それが光源氏の知るところとなり、怖くて出社拒否に陥り、まして光源氏の屋敷には足も向けられなくなってしまう。そんなある日。
「朱雀院の五十の祝いの予行練習をするから来て下さい」
と光源氏から連絡がある。もちろん柏木は断ろうとするが、それを、儀式を重んじる律義な頭中将が、諫めるのだ。
「大した病気じゃないんだから我慢して行きなさい」と。
父に似て律義な柏木は、父の言葉には背けないと、市場へと向かう牛のように重い足取りで光源氏邸へ赴く。そこで案の定、光源氏にいじめられ、
「あの人ににらまれたら僕の人生おしまい」
と悲観して死んでしまうのだ。頭中将の律義さが息子の死を招いたというのは、こういうことだ。
もしも彼に、
「ふだん真面目な息子がどうしてこんなに嫌がるんだろう」とか、
「儀式なんかより気持ちが大切だ」
という心があれば、息子をこんなに早く死なせることはなかったかもしれない。
頭中将は形式主義なのだ。法事とか誕生会を「する」ことばかりに気をとられ、その裏に潜む悲しみだとか喜びという「人の感情」に気を払わない。だから、
「皇女でなければ結婚しない」
と言う息子を、「皇女ならいいってもんじゃないぞ」と諭すどころか、
「息子が皇女と結婚すれば、私にとっても名誉なこと」
と奔走した。その結果、息子は落葉《おちば》の宮《みや》と結婚するが、
「同じ皇女でも、更衣より身分の高い女御が生んだ女三の宮がいい」
と、更衣の生んだ妻だけでは満足できずに、人妻である女三の宮を犯してしまう。
かくて物語は悲劇へと突き進む。それもこれも、彼らが親子して、
「とにかく皇女がいい、それも少しでも血筋のいい皇女が」
とばかり考えて、相手の人柄や気持ちを二の次にしていたからだろう。儀式を重んじる形式主義の人は、血筋を重んじる権威主義の人でもあったのだ。
こうした彼の権威主義は、裏を返せば「皇族には勝てない」というコンプレックスから来る。とくに若い頃から光源氏に、性的にも政治的にも負け続けてきた彼は、
「光源氏に一歩でも近づきたい」
という気持ちがあった。実はその光源氏だって大した男でなかったことは、えげつない女漁りを見れば分かるのに、「高いものは上等」みたいな、田舎くさい権威主義のために、それが見えなくなっていたのだ。
そんな頭中将は、柏木の死後、甥であり、息子の親友だった夕霧に、こう言って泣く。
「息子は朝廷にも大事にされ、やっと一人前になって、官位が昇るにつれて部下も増えてきた。それで、息子の死を惜しむ人も大勢いるようです」
「でも私が悲しいのは」
と彼は続ける。
「そういう人望や名声があった息子の死じゃないんです。ただ、とくに人と変わるところのなかったありのままの息子の様子(原文みづからのありさま=jが恋しい。息子そのものが、たまらなく恋しくて悲しいのです」
地位と名声があった息子が恋しいのではない、と、わざわざ断る彼の言葉には、かえって根強い権威主義が感じられるだろう。
けれどそれだけに、その悲しみには真実味があって、彼を一途にサイテーな父とは言えないあわれさが、にじんでいる。どんな親でも頭中将になりうるという共感と、頭中将にさえなれないかもという反省を、呼び覚ますリアリティが感じられるのだ。
要するに彼は等身大。凡人なのである、光源氏と比べると。妻一人で手一杯で、子供達とは断絶してて、でも、娘に恋人ができると、むやみに反対したり、息子の良縁を自分の誉れと思ったりする。しかも律義で仕事熱心で。これっていかにも日本の父、それも、うちの父親世代の父ではないか。
こういうお父さんが日本の高度成長を担ってきたんで、当時の貴族社会でも発展の担い手だったんだろう。
でも、妻と娘は腐らせちゃう。それは今も同じで、妻と娘なんか腐って臭《にお》ってる人もいるのではないか。で、腐った娘はおらんかねーと、若くてきれいな光源氏みたいな男に食べられてしまう。そして父は一人泣く、と。こういう平凡なお父さんが、日本をダメにしたという言い方もできるんだよなー。と、腐った娘は思ったりもする。
頭中将による光源氏批判[#「頭中将による光源氏批判」はゴシック体]
ちなみに頭中将の末裔は、柏木の死もあって先細りである。ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たるで、たくさん子種を仕こみながら、そのほとんどをムダにした報いなのだろう。死んだあとのことはどうでもいいと言えばそれまでだが、藤原氏の全盛時代に、藤原氏の先細りを描くとは、それを藤原氏(道長とその娘彰子中宮)のバックアップで世に広げるとは、紫式部も大した女だ。
紫式部は、娘扱いにおいても光源氏の引き立て役に徹した頭中将に、一方では、光源氏の教育方針への批判もさせている。
「光源氏が娘にお妃教育を施す時に常に心がけていることというのは、これという突出した才能を身につけさせないこと。そして万事に不得意なことはないように、ゆったりとした躾をすることらしい」
光源氏は、今でいう「おタク」タイプではなく、オールラウンドな知識の持ち主に、娘を教育しているのだと頭中将は言い、それを、
「なるほどもっともなことだが」
と評しながら、
「しかし」
と言う。
「人間なら、性格にも行動にも、はっきりとした好みというのがあるものなのだから、しぜんと個性というのが出てくるはずじゃないか」と。
紫式部は、頭中将の口を借りて、光源氏の画一的な中庸教育を、非人間的だと批判しているのだ。
表向きは光源氏の引き立て役に見せながら、一方で、彼を通じて光源氏批判、つまり理想的な上流貴族というのを批判する。あるいはそれは、娘から三人の后を立てた主人藤原道長の女子教育に対する、遠回しの批判かもしれない。
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朱雀院《すざくいん》◆ホモ疑惑のミカド[#「朱雀院《すざくいん》◆ホモ疑惑のミカド」はゴシック体]
朱雀院は弘徽殿大后《こきでんのおおぎさき》の長男である。
光源氏の異母兄でもある彼は、光源氏のもう一人の兄……義兄の頭中将と並んで、あらゆる面で光源氏の引き立て役だ。そして、同じ引き立て役でも、あらゆる面で、頭中将とは正反対の人だ。
まず彼は頭中将が憧れ続けた皇族のトップ、ミカドの第一皇子という生まれである。しかも母の弘徽殿は権門の家柄。姿形も「女にしてみたいほど優美」で、性格も優しい。
なのに、もてない。というより、「これは」と思った女はことごとく弟の光源氏に取られてしまう。まず皇太子時代。母の弘徽殿が、「息子の妃に」と打診していた左大臣家の葵の上が、光源氏の正妻に。さらにお妃候補の朧月夜も、光源氏に先取りされる。その後も前斎宮《さきのさいぐう》への求婚を光源氏に阻まれたりもするのだが。朱雀院の不思議なところは、そうまでされても、この弟を、決して責めないことなのだ。
比べられる男[#「比べられる男」はゴシック体]
朱雀院は、光源氏がこの世に生まれ落ちて以来、この三歳年下の弟にあらゆる面で比較され続ける。そしてこの弟というのが、
「こんな人もこの世に生まれるものなのか」
と、きれいなモノを見慣れた貴族も驚く美貌と魅力の持ち主だから、比べられるほうはたまらない。一時は父の桐壺院まで、第一皇子の彼をさしおいて、
「弟の光源氏を皇太子に」
と本気で考えたほどだ。けれど光源氏の母が早死にした上、朱雀院の母の弘徽殿が権門の家柄なので、やむなく彼を皇太子に立てたのである。でも父が本当に可愛いのは光源氏だから、連れ歩くのは弟の彼だけ。朱雀院のお妃候補だった葵の上が光源氏の妻になったのも、
「皇太子にしてやれなかったから、せめて妻だけでも最高の条件の女をあてがってやりたい。後見人のいない光源氏に強力な味方をつけてやりたい」
と思う父の根回しがあったからなのだ。父は常に光源氏を中心にものを考えていたから、長男の朱雀院の結婚など、どうでもよかった。ただ朱雀院の母の弘徽殿には右大臣家というバックがあるし、第一皇子の母として世間からも重んじられているから、
「大事にしないとまずいよなー、世間の手前」
と思って、立てていただけだ。つまり内心では、弘徽殿母子のことは見捨てていたのである。
自虐の人[#「自虐の人」はゴシック体]
幼い頃から、父にも世間にも、光源氏と比べられ続けた彼は、大人になると、今度は妻にまで、光源氏と比べられるハメになる。比べられて、いつもおとしめられるのは、彼のほうだった。
光源氏は、父がせっかくあてがってくれた葵の上を気に入らず、それと知らずに、またも兄のお妃候補の朧月夜を犯した。彼女は弘徽殿の末の妹で、一か月後には朱雀院に入内が予定されていた。しかしそこは、性のモラルがゆるやかな平安時代のこと。朧月夜の姉の弘徽殿は、「かまやしないさ」と、強硬に朧月夜を息子の妃にしようとするが。肝心の朧月夜が、うんと言わない。
「あの時以来、光源氏が忘れられない」
と言う。その上、父の右大臣まで、
「いいじゃないか。あちらさんの正妻の葵の上も亡くなったんだし。天下の光源氏の正妻なら悪くはないぞ」
みたいなことを言い出す。弘徽殿はほとんど意地になって、
「宮仕えだって何が悪いことがあるもんですか」
と、強引に妹を入内させる。
ところが入内後も朧月夜は光源氏が忘れられない。夫の朱雀院と光源氏を天秤にかけると、圧倒的に気持ちは光源氏にあった。それで、そんな気持ちのまにまに光源氏と密会を続けた。
そのことに、朱雀院は気づいてしまう。気づいてしまって、「ああやっぱり」と思う。「無理もない」と思う。
「光源氏は兄の私よりずっと優れた人間だ。女が好きになるのも無理はない」
そして、
「今始まったことではないし、似合いの二人なんだから」
と、強いて思うようにして二人の仲を黙認する。しかも弟に会うと、
「斎宮(のちの前斎宮、そして秋好中宮)って素敵だね」
などと、自分から女の話題を振って、彼をリラックスさせようとする。僕にはほかにも好きな人がいるんだから、朧月夜のことは気にしないで……というわけだ。
しかし結局、これが弘徽殿の知るところとなり、光源氏を須磨に追いやってしまうのだが。朱雀院はと言えば、なおもこっそりラブレターを交わす朧月夜と光源氏の仲に気づきながら、
「亡き父は、あれほど弟を可愛がっていたのに、彼の須磨行きを阻止できなかった。私にはバチが当たるだろう」
と、かえって朧月夜の前で涙ぐんでしまう。もとはと言えば、この妻と弟の不倫のせいで、引き起こされた事件なのに、悪いのは自分とばかりに、己を責めてみせるのだ。
どうも朱雀院という人は、自分を責めるのが好きなのか。弟が須磨から帰京して、政権交替の予感に「心細い」と泣く朧月夜を、こんなふうに慰めたりもする。
「あなたは昔から私を弟の光源氏より軽く見ているが、私はあなたのことだけがいとしく気にかかるんだ。私が退位したあとは、私より優れたあの人と念願かなって結婚できるねぇ。でも。あなたを思う気持ちだけは、あの人とは比べものにならないくらい強いんだよ。そう思うことさえ、あなたのためを思うと辛くって」
僕が弟のようにステキじゃなくてすまないねぇ。でも弟と結婚しても、僕ほど愛してくれないよ。かわいそうに……というわけだ。自分で自分を弟と比較することで、自分のダメさ加減を再確認するような自虐的なセリフである。ひがんでいるのか、嫉妬しているのか、哀れんでいるのか。でも、言われたほうは、こういうの、けっこうイヤじゃないかも……と思わせるような、もって回った愛情表現でもある。彼は涙さえ見せながらさらに言う。
「なぜ僕の子を生んでくれないの? 残念だな。あの人とは、今すぐにでも子供ができるんじゃない? あーシャクにさわる。でも、いくらあの人が優れた人だからって、身分に限りがあるんだから、生まれた子供は臣下として育てなくてはならないね」
ここまでくると対話というより独り言だ。まだ分からぬ先のことまで勝手にシミュレーションして悔しがっているんだから、自分で自分を縛って鞭打つ一人SMの世界である。
「弟とはすぐ子供ができてしまうのでは」と自虐にもだえつつも、「でも僕はミカド。どんなダメ男でもミカド。だから子供は皇族。でも、あいつの子供はただの臣下。ざま見ろ」なんて、MだけでなくSも入っている。
だいたい妻にこんなふうに愚痴るくらいなら、「浮気はやめろ」と言えばいいのに、そうは言わない。しかも彼の言葉に、真っ赤になって涙をこぼす妻の姿を「可愛いな」と内心楽しんでさえもいる。そんな朱雀院は、さすが光源氏の兄だけあって、単なる気弱なダメ男とは思えないような、底知れなさを感じさせる。
いったい、朱雀院というのは、どこまで本気で女が好きなのか。
「もう煩わしいことはイヤ」
と自分からミカドをやめた直後、朧月夜に愛を誓ったその舌の根も乾かぬうちに、前斎宮(のちの秋好中宮)に熱心に求婚。これに失敗すると、
「もう一度、天皇に返り咲きたい。そうすりゃ彼女も僕の妃になるだろうに」
と、ミカドの身分がモノを言っていた昔に戻りたいと思う。
ミカドという身分に頼って女を得ようという発想も浅ましいが、やっぱミカドやめるんじゃなかったなーと思うきっかけが「好きな女を妻にできないから」というのも情けない。
ちなみに彼は前斎宮に一目惚れしていたのだが、光源氏はそうと知りつつ、彼女を自分の不義の子の冷泉帝の妃にしてしまう。つまり朱雀院は、葵の上、朧月夜に続いて、またしても、狙った女を光源氏に奪われたわけだ。なのに、怒るでもなく、
「生きるって辛い。きっと長生きできないな。出家しちゃおうかな」
と世をはかなんでみせる。そのうち病気がちになって、ほんとに出家してしまう。
妻の浮気を黙認し、好きな前斎宮を簡単に諦め、出家後は、女のことなどケロッと忘れたかのように修行に励む朱雀院は、やはりただ者ではない。
そんな彼が一度だけ、
「出家の修行も手につかないほど」
動揺したできごとがある。娘女三の宮の結婚問題である。
朱雀院の決断[#「朱雀院の決断」はゴシック体]
朱雀院は出家する前に、愛娘女三の宮を結婚させようと考えていた。で、「誰がいい?」と連日のように、周囲に相談したあげく、十四、五の娘を四十歳の弟光源氏に縁づけた。
ところが娘は、光源氏に愛されなかった。そうと知った朱雀院は、今までついぞ見せなかった、激しい動揺にとらわれるのだ。原文によると、
いかなるにかと御胸つぶれて=c…どういうことだ?と胸がつぶれて……出家修行もままならなくなる。が、もう遅い。宮は夫に愛されないまま、男子を出産したあげく、
「どうしてもお父様にお会いしたい。会って出家させてほしい」
と手紙をよこしてくる。いてもたってもいられなくなった朱雀院は、
「人に非難されても構うもんか」
と、仏の修行をほっぽらかし、光源氏を訪れるのである。
ミカドの位にあった人が、たとえ相手が弟でも、臣下の家に行くなど、一生に何度もあることではない。しかも娘のためとはいえ、いつもの彼とは別人のような行動の早さ。その上彼は、この時初めて弟に反論する。「出家したい」と泣く女三の宮を前にして、
「ここ数日ずっとこんな調子なんですが、物の怪にたぶらかされて、こういう考えを起こすということもあるらしいので、耳を貸さなかったのです」
と弁解する弟に、彼はこう言うのだ。
「物の怪の教えだとしても、それに従って事態が悪化するならやめるべきだろうが、こんなに弱っている人が、ぎりぎりの状態で願っていることを聞き流すのは、あとで後悔することになって、かわいそうではあるまいか」
と。言いながら、彼は考えもする。
「あんなに信頼して任せたことを引き受けたくせに、大して愛情を注ぐわけでもなく、期待外れな夫婦仲だということは聞いてはいたが。それを面と向かって責めるわけにもいかないので、ずっと悔しく思っていたのだ。別れさせるにはこれがいい機会かもしれない」
何をされても「悪いのは自分」と思い続けていた彼が、光源氏に初めて怒りの感情を覚える。それが早いか、言う。
「じゃあ出家の儀式を始めようか」
驚いたのは光源氏である。ちょっと待って、なんでこんなに急なんだよ、と、日頃、冷たくしていたことも忘れて宮が惜しくなる。それに、これじゃあ自分が宮を出家に追いこんだみたいじゃないか。こっちは精一杯、大事にしてやったのに。と、自分の誠意を兄にアピールするつもりもあって、彼はあわてて女三の宮に向かって訴える。
「どうして老い先短い私を捨てて、そんなふうに決めちゃうの? 少し落ち着いて、薬でも飲んで、何か食べなくちゃ。体が弱ってたら、出家したって、仏の修行もできないよ」
けれど宮と朱雀院は、光源氏がうろたえるほど、態度を硬くしていって、出家を遂げてしまう。
人に流され、後悔ばかりしているかに見えた朱雀院には珍しい、この決断の早さはどこから来るのか。と考えたとき、彼の心に秘められた「ある思い」につき当たるのである。
ホモ疑惑の男[#「ホモ疑惑の男」はゴシック体]
秘められた朱雀院の思いとは。ズバリ、弟への恋心である。つまり彼は光源氏を好きだった。そう考えると、今までのことが何もかもつじつまが合ってくる。
好きだから、女に強引になれなかった。妻との仲も咎めなかった。むしろ妻を通じて、弟と愛し愛されるようなバーチャル感覚を楽しんでいた。その妻も老朽化して、今度は女三の宮という娘を通じて、弟と関わろうとした。彼は、娘の婿選びの際、他の候補者の名が出るたびに「身分が低い」だの「まじめすぎる」だのと難癖をつけていた。なのに、光源氏の話題が出ると、
「ほんとに彼は素敵な人だ」
と身を乗り出して、
「光るとは、これを言うのかって美貌だもん。前世がよっぽど良かったんだね。あんな素晴らしい人見たことない」
と絶賛する。さらに、
「娘を結婚させるなら、同じことなら、あの人に触れさせたいものだ。いくばくもない一生の間に、そういう満ち足りた思いを味わいたいものだ」
と、喋りは熱を帯びていって、
「私が女だったら、同じ兄弟でも、必ず言い寄って関係を結んでいただろう」
とまで言い及んでいた。言ってから、言いすぎた……と思ったのか、
「若い時などはそう思った」
とつけ加えて、
「男の私がこう思うのだから、まして女がだまされるのは無理もない」
と言いながら、心の中で朧月夜のことを思い出していた。こうして彼は、女三の宮の婿に光源氏を選ぶよう、周囲に仕向けていった……。
なのに娘は愛されなかった。そのことは、まるで自分が愛されないかのように彼を苦しめたに違いない。だから仏の修行も放り出すほど取り乱してしまう。そして初めて光源氏を責め、「出家したい」と泣く娘に同調する。
実は、夫婦関係がまずくなると、出家をほのめかすのは当時の常套で、『蜻蛉日記《かげろうにつき》』の作者も、夫が浮気すると「出家してやる」と寺に籠っていた。振られた女が「死んでやる」と手首を切るふりをするのに近い、いわば「狂言出家」というやつで、宮はともかく、朱雀院にはそういう脅しの気持ちもあって、光源氏のもとにやってきたのだろう。
ところが、目の前で取り乱す弟を見ているうちに、彼の気持ちは変わっていく。愛してもないのに付け焼き刃的な親切を見せながら、「私のせいじゃないんです」と言わんばかりに、あわてる光源氏。その姿に彼は、失望とともに、ひそかな優越感を覚えたに違いない。「自分が一生かなわないと思っていた男の、これが正体か」と、初めて彼に「勝った」という気がしたに違いない。さらに「出家しないで」と泣く弟へのサディスティックな気持ちも手伝い、娘の出家を決意した。愛されなかった朱雀院の、それが最後のプライドだったとも言えよう。
以上のことを彼がどれだけ意識していたかはともかく、たとえ無意識にでも、彼が、娘の体を使って、叶わぬ自分の夢を実現しようとしていたことが興味深い。父のホモな恋心の犠牲にされた娘もいい迷惑で、朱雀院はとんでもない父ということになろうが。
こういう「子供に人生を託す」みたいな生き方は、昭和ヒトケタあたりの、抑圧された世代の母親によく見られるもので、男親には珍しいのでは? そう思ったとき、朱雀院の愛のあり方が、すごく母性的なことに気づくのだ。
母性愛の父[#「母性愛の父」はゴシック体]
朱雀院はどちらかというと、父性の愛の人というより、母性の愛の人だと思う。
「学校行きたくない」と泣く子供に、「将来のためには行ったほうがいい」と正論を吐くのが父性愛なら、「行きたくないなら行かなきゃいいさ」と抱き締めてやる母性愛が、彼にはある。夫婦の建前や兄弟のしがらみ、世間体など一切無視して、娘の感情を最優先した朱雀院は、「大した病気じゃないんだから」と嫌がる息子を光源氏の屋敷に行かせて死なせてしまった頭中将とは、正反対のタイプなのだ。
けれど、彼がそこまで娘に思い入れできるのは、娘と自分を同一視しているせいもある。娘=自分と思うからこそ、自分の夢を託すこともするし、辛い思いはさせまいと思う。こういうのを俗に「愚かしいまでの母の愛」なんて言うのだろうが、実は一種の自己愛にすぎないのである。まぁ、自己愛だからこそ強いっていうのもあって、出家後の女三の宮に、竹の子や山芋などの食べ物を送り、
「同じ出家の者同士、共に極楽へ行きましょうね。修行、頑張って」
などと手紙を添える心づかいなど、おふくろさんそのものだし。そんな父に、
「私も父上のもとに行きたい」
と女三の宮も懐《なつ》いている。何より彼女は、夫婦の不仲を打ち明けるほど、父を頼りにしているのだ。
これはこれで、ひところ話題になった母子癒着や一卵性母娘といった問題を彷彿とさせるが。少なくともこうした親子の交流は、光源氏とか、娘と断絶していた頭中将には見られないもので、たとえ娘の体で自分の人生を生きようとしたサイテーなホモ父であろうとも、娘にとってはいいお母さん、いや、いいお父さんだったのだ。
ついでに言うと、朱雀院のこうした母性の源は、父親不在で、強い母に溺愛&支配された家庭環境にあるんだろう。若い後妻と、彼女が生んだ弟ばかり可愛がる父。疎外された古妻と長男は、古妻=母親の強烈な支配力のもとで、結びつきを深めていく……。こういう環境が、一人でモノを決められないとか、卑屈なまでに優しい、などの朱雀院の弱さを生んだ反面、根っこのところでは意外にしぶとい強さにつながったのだろう。
朱雀院には、弱者ならではの、しなしなした強さみたいなものがあって、弟とは比べ物にならないと言われながら、ちゃんとミカドになってしまうし、優柔不断なようでいながら、ミカドの位を自分でさっさと降りてしまう。
「長生きしそうにない」
とか言って出家したわりには、五十をすぎてもぴんぴんしてるし、何より最後の最後のところで光源氏に「勝って」しまう。「思い通りにならない」と嘆きながら、結局思い通りにしちゃうタイプなのだ。晩年も、紫の上を失った光源氏のようにはどーんと落ちこむこともなく、しっかりとした心と体で迎えたようだ。
その愛され方が、ゆがんでようが曲がってようが、とにかく母に愛された。そういう人のしぶとさが、朱雀院にはあると私は思う。
実在する朱雀院[#「実在する朱雀院」はゴシック体]
ところで朱雀院というのは、冷泉院と並び、譲位後のミカドの住む御所の呼び名である。つまりこの二つは普通名詞だった。『源氏物語』に出てくるミカドの名が朱雀院と冷泉院であるのは、このためだ。
一方、両院の名は実在したミカドの「院号」でもある。〇〇天皇という〇〇は、ミカドの死後つけられるもので、死後、朱雀と冷泉という院号をつけられたミカドが実在する。これは凄いことではないか。『源氏』の生まれた時代のたかだか五十年前に実在した天皇が名指しで登場し、朱雀院などは妻を寝取られたりするんだから。しかも朱雀院は曰くつきの天皇で、歴史物語の『大鏡《おおかがみ》』によると、生後三年は、窓も開けず、夜も昼も灯をともし、帳《とばり》の中で育てられたという。藤原氏に無実の罪を着せられて非業の死を遂げた菅原道真《すがわらのみちざね》の祟りを防ぐためである。
そんな朱雀院は、ひ弱ながらも「非常に優しい」男に育つが、彼には三歳年下の弟がいた。そして、弟を可愛がる母を喜ばせようと、弟に皇位を譲ってしまう。この弟が、英君の誉れ高い村上帝である。
この譲位をあとで朱雀院は後悔し、天皇に返り咲くための祈祷をしたという怪しげな噂も立った。そして一人娘の昌子内親王をとても可愛がっていて、「弟に入内させたい」と思っていたものの、「まだ幼なすぎる」と躊躇するうちに、崩御してしまうのだった。
そんな朱雀院の弟の村上帝は、
「性格もよく、学問芸能に優れ、情け深くて、すごく魅力的」な人で、
「愛する人もそうでない人もまんべんなく可愛がって、差別しなかった」
という模範的な帝王学の女の愛し方をした。そのため妃同士の仲もよく、表面上はとても優雅に過ごしていた。
といった史実は有名で、角栄とくれば金権政治というイメージのように、当時の人の脳裏にはしみついていた。
つまり朱雀院という名の天皇には、
「母に気をつかって、優秀な弟の村上帝にうっかり皇位を譲った人」
というイメージがある。だから当時の人は『源氏』にその名を発見すると、
「てことは、その弟の光源氏は村上帝?」
と解釈する。もちろん光源氏のモデルは村上帝一人ではないが、
「光源氏はミカドになってもおかしくない立場にいるんだ」
という印象は、読者に残る。『巨人の星』に川上監督が登場するように、紫式部は、当時の人なら誰もが知ってる史実や事実の力を借りた、ドキュメント的な登場人物の起用で、イメージ作りの助けとしていたわけだ。
こういう手法は物語のあちこちに仕掛けられていて、光源氏の憧れの「藤壺」なんて、紫式部の女主人の彰子の呼び名である。虚構の藤壺の素晴らしさは、現実の彰子の賞賛につながり、現実の彰子の繁栄は、虚構の藤壺の権力と成功を予感させる。『源氏』では事実が虚構とタイアップして、独自の世界を作り上げるのだ。
けれど、現実に決して媚びることのないのも『源氏』の特徴で、虚構の藤壺には、なんと、「継子の光源氏との間に不義の子を生んでしまう」というショッキングな展開が用意されている。
しかもこの不義の子の冷泉帝も、前に書いた通り、実在した天皇の名前。それも、花山《かざん》天皇と並ぶ精神障害の人で、
「冷泉院の狂いよりは、花山院の狂いのほうが始末に負えない」
と人が言ったのを聞いて、藤原道長は、
「ずいぶん気の毒なことを言うね」
と言いつつもいといみじうわらはせ給けり≠ツまり「爆笑なさった」という。もっとも冷泉院が死んだのは一〇一一年だから、『源氏』が成立したといわれる一〇〇八年にはまだ「冷泉」という院号はなかったことになる。が、成立年代はもっとあとだという説もあり、だとすると、冷泉院死後、意識的にその名を採用したという考えもありうるだろう。
どうも紫式部が物語に起用した、実在の名をもつ天皇は、ろくなのがいないようだ。立派な天皇様の名を、后が不倫したり、不義の子を生む『源氏』に拝借するのは恐れ多いと遠慮したのだろうか。いずれにしても平安朝の天皇は、意外と気軽な存在で、今の政治家や芸能人に近い感覚だったのだろう。だから『源氏』にも、不倫の末の隠し子だとかホモ疑惑なんてワイドショーネタが満載なのかもしれない。
ちなみに『大鏡』によると、
「冷泉院の時代になってから、何といっても、暗い時代になったような気持ちがした。世の中が下降線をたどり始めたのも、その時からである」という。
『源氏』の成立は、もちろん『大鏡』の成立よりも前のことだから、当時の人は、『源氏』に冷泉帝が登場したからといって、「これで時代も下り坂か」と認識するまではいかなかったろう。ただ、
「あーあのちょっとおかしい方……」
というくらいの見方で、その行く末を興味津々で見守るていどだったろう。
けれど、光源氏の人生には、罪の子の冷泉帝を生み出した「因果応報」として、正妻女三の宮の罪の子薫を我が子として育てなければならないという「若菜」の巻の暗転が用意されているのは明らかで、『源氏』でもまた、冷泉帝の登場は、物語の暗い行く末を暗示するものであることに、変わりはない。
物ごとの原因と結果をきちっと見通す天才は、ときにこんな予言めいた筋書きを描くから、文学というのは面白い。
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第二章 ダメになっていく息子達[#「第二章 ダメになっていく息子達」はゴシック体]
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夕霧《ゆうぎり》1◆揺らぐ光源氏の世界[#「夕霧《ゆうぎり》1◆揺らぐ光源氏の世界」はゴシック体]
息子達の物語という発想[#「息子達の物語という発想」はゴシック体]
光源氏の物語の前にその両親の物語を置いた紫式部は、光源氏が中年に至ると、その息子達の物語を描き始める。とくに光源氏の長男夕霧と、頭中将の長男柏木が、父達の関係をなぞるようにして、絡み合いを見せていく。
もっとも光源氏には、夕霧が生まれる前に、継母の藤壺との間に生まれた不義の子冷泉帝がいるから、夕霧は実は次男である。そして彼らの父達も、光源氏=次男、頭中将=長男だったから、次男と長男の友情が、二代にわたって花開くわけだ。
この夕霧と柏木は、父親同士がそうであったように、いとこ同士で親友でライバルでもあった。とくに女性を巡る鞘当ては、
「昔の光源氏と頭中将の関係に似ている」
と『源氏』は言う。
紫式部はなぜ光源氏の物語にとどまることなく、その息子達の物語を綴ろうと発想したのか。父達と似た関係をもつ二人の息子達は、いかなる道を歩んでいくのだろう。
「恨まれる光源氏」の誕生[#「「恨まれる光源氏」の誕生」はゴシック体]
光源氏の息子夕霧が、物語に本格的に登場するのは、父と同じ十二歳で元服を迎える年のことだ。
息子の元服にあたり、父の光源氏は非常に厳しい教育方針を取った。光源氏ほどの地位にもなれば、親の七光で夕霧にいきなり四位という高い位を授けることもできたが、あえて六位という低い位をあてがった上、大学に入学させることにした。これには世間は仰天した。六位もさることながら、当時の大学というのは、学問でしか出世が期待できない貧乏貴族の行くところで、夕霧のような大貴族とは無縁の施設だったからである。
おまけに光源氏は、夕霧を、自分の屋敷に引き取った。生まれたとたんに母の葵の上を亡くした夕霧は、当時の慣例通りにそのまま母の実家の大宮邸に住んでいたが、
「大宮は昼夜、夕霧を可愛がって、いまだに子供扱いばかりしているので、そんな所では、勉学に励むことはできまい」
と言って、彼を祖母=大宮から引き離した。夕霧が生まれ育った大宮邸を訪れることができるのは、父の光源氏によって杓子定規にも「月に三回」と制限された。
誕生と共に母葵の上を亡くすという喪失の体験をした夕霧は、のっけから、父によって厳しい試練を与えられた。それはあとで触れるように、光源氏なりに息子を思ってのことだったが、十二歳まで父と離れて暮らしていた夕霧に父の心など分かるはずもなく、彼はただ父を恨んだ。
「父上はひどい。こんなに苦しい思いをしなくても、高い位にのぼって世間に重んじられている人はいるのに」と。
恨みながらも、根が真面目な性格なので、よく我慢して勉学に励み、トップクラスの学生となって、光源氏を喜ばせた。
が、夕霧の心は晴れなかった。彼は、二歳年上の頭中将の娘、雲居雁《くもいのかり》と相思相愛の恋仲だった。二人は同じ大宮邸で暮らすいとこ同士だった。当時、子供は母方で暮らすのが普通だったが、雲居雁は母が再婚して、再婚相手の子供が大勢できたため、その仲間に入れるのは不憫であるからと、父方の祖母の大宮邸に引き取られていた。幼な馴染みの二人は思春期になると、森が自然発火するように、恋をした。大宮邸に月に三度しか行けないということは、この恋人と会えるのも月に三度ということだった。
夕霧はこうして父によって、位を低く抑えられ、苦しい学問をさせられ、祖母の愛を奪われ、恋人と引き離されるという、教育に名を借りた虐待にも似た仕打ちを、一度に受けることになる。
ほかの大貴族の子弟達が恋にうつつを抜かす傍ら、楽しいはずの青春時代を、慣れぬ父邸での学問に費やす夕霧にとって、唯一の慰めは、月に三度の恋人との逢瀬だった。
しかしその逢瀬さえ、じきに許されぬものとなる。二人の仲を知った雲居雁の父の頭中将が、その交際に反対したのだ。
「いとこ同士の結婚なんて珍しくもないと世間では思うだろう。それでなくても光源氏には、長女の弘徽殿女御の件でも痛い目に遭わされているのだ。場合によってはこの姫を入内させてはどうかと思っていたのに。シャクにさわる」
光源氏は冷泉帝の後宮に養女の前斎宮(のちの秋好中宮)を入れた。それによって、もとからいた頭中将の娘の弘徽殿女御(弘徽殿大后の姪である)は冷遇されるようになった。頭中将はそれを恨んでいた。それで、それまで母の大宮に押しつけて見向きもしなかった雲居雁を、急に自邸に引き取ってしまうのだ。
こうなると、光源氏と頭中将の友情って何だったのか……ということになる。
それにもまして、相手の親に、それも頼みの母方の伯父に、結婚を反対された十二歳の夕霧の傷心というのが気になってくる。おまけに彼は、大宮邸から父邸へ引っ越す直前の夜、雲居雁の乳母によって、
「姫の最初の男が六位ふぜいの身分なんて」
と、聞こえよがしに侮辱されてしまう。夕霧は、その年の暮れ、こぼれる涙を隠しながら、祖母の大宮に訴えた。
「おじい様が生きていらしたら、冗談でも人にバカにされることなどなかったでしょうに。父は正真正銘の実の親だけど、ほんとに他人行儀に私を遠ざけているので、おそばにも気安く近づくことができないのです」
夕霧は、自分と恋人を引き裂いた伯父の頭中将より、むしろ父の光源氏を恨んだ。それは、誕生以来、一貫して冷淡だった父光源氏への夕霧の恨みが……まるで光源氏とついに心を交わすことなく死んだ母葵の上の恨みが遺伝子に組みこまれたかのように……根深かったためでもあるが。何より作者の紫式部が、
「人に恨まれる光源氏」
というのを、描きたかったからだろう。
というのもこの時点まで、光源氏は常に読者を味方につけていた。弘徽殿大后という彼を憎むカタキ役はいたが、桐壺更衣いじめの先頭に立ち、光源氏失脚を陰謀した権力者の彼女は、あくまで光源氏を引き立てる悪役だった。彼女に憎まれれば憎まれるほど、いじめられればいじめられるほど、読者の共感は光源氏に集まった。
それがここにきて、青春の楽しみも肉親の愛も父に奪われながら、それでも言いつけ通りに猛勉強をする、十二歳のけなげな母なし子を登場させ、その少年に光源氏を恨ませることで、一転して、読者の共感を光源氏からそらす。
光源氏を中心に回っていた世界に、初めて揺さぶりがかけられるのだ。
相対化される光源氏的世界[#「相対化される光源氏的世界」はゴシック体]
幼い恋を裂かれた夕霧は、心では雲居雁を思い、性欲は中流貴族の娘にぶつけながら、十五歳の秋を迎えた。そして、父を恨むだけでなく、批判する目をもつようになる。
「野分《のわき》」の巻は、一巻丸ごと、この十五歳の少年の目を通じて見た光源氏の物語である。
野分とは台風のことで、この巻には常にこの烈風が吹き荒れている。
その風におびえる父の妻子を見舞い、彼女達と接する父を覗き見ることで、十二歳で初めて同じ敷地に住むようになった父の生活というのを、夕霧は知るようになる。
父の屋敷は、中でいくつかの邸宅に分かれていて、それぞれの邸宅には、父の妻達や養女が女主人として住んでいた。夕霧は最初、父のいる紫の上の邸宅に行った。そこで彼は、野分によって吹き上げられた屏風の奥に、「ものに紛れようもないほど気高く美しく、その美しさが、さっとこちらの顔にもふりかかるような」絶世の美女を見る。それが、初めて見る父の愛妻紫の上だった。夕霧は終生、彼女の面影が心に焼きつくほどの強烈なインパクトを受けるが、そこは父と違って真面目な彼のこと。父の敷地をいったん離れ、二番目に見舞った祖母の大宮邸で、夜もすがら紫の上を思いながらも、
「あるまじき恋だ。まったく恐ろしいことだ」
と、必死で思いをかき消そうとする。しかしそう思うそばから紫の上の面影が何度も浮かんできては、
「これまでも、きっとこれからも、二人とないほど美しい人だった。あんな人がいるのに、なんで花散里のような人が同じ妻として肩を並べているのだろう。まるで比較にならないではないか。かわいそうに」
と、花散里に思いが及ぶ。花散里は末摘花と並ぶ、光源氏のブス妻で、
「こんなブスなら息子とも過ちはあるまい」
というので、光源氏は彼女を、自邸に引き取った夕霧の養母にしていた。そんな関係で、夕霧は彼女に同情的になっていたのだが、その一方で、
「こんな美人妻がいながら、花散里のようなブス妻を見捨てぬ父というのは、どうしてなかなか、ただ者ではないな」
と、改めて父の底知れなさを評価する、賢く真面目な夕霧ではあった。その真面目さによって、美しき継母を犯してしまうという、父光源氏と同じ失敗は、からくも回避される。
住み慣れた祖母の家で頭を冷やした夕霧は、再び父の敷地に戻り、秋好中宮邸を見舞い、明石の君邸を覗き、花散里邸を見舞う。そしてそこで、再び驚きの光景を目撃することになる。
そこには、
「目のさめるような美しい姫君」
が座っていた。その姫君を、父が抱き寄せて、姫のほうも「いやいや」をしながら、どう見てもただならぬ仲という雰囲気で寄り添っていた。それを覗き見た夕霧は仰天した。なぜならその姫は、先日、父に「長く生き別れていた娘」つまり夕霧にとっては「実の姉」として紹介された玉鬘だったからだ。
あなうたて=c…あーイヤだ、と夕霧は思う。
「なんなんだこれは。全く抜け目のない父だ。実の娘でも、生まれた時から育てていないと、こんなスケベな気持ちになれるものか」
とあきれたあとで、
「それも無理もない」
と、紫の上にも匹敵する玉鬘の美貌に驚嘆しながら、
「でも」
と思う。
あなうとまし=c…あー汚らわしい、と。
思春期の少年にとっては、親のエッチな面を見ることだけでもショックなのに、ましてそれが父と姉のエッチなのだから、真面目な夕霧でなくても、刺激は強かろう。
夕霧はのちに玉鬘が頭中将の娘と知ると、この時のことを、
「なるほどそうだったのか!」
と合点することになるのだが。一時的でも、光源氏の側にあった視点が、息子の夕霧に転移することで、
「イヤらしくて汚らわしい光源氏」
という見方が物語に生まれた意味は大きい。夕霧のショックは、継母との不倫さえ、光源氏の苦悩を通じて描くことで、共感すべきものとして美化されてきた光源氏の性愛というのが、実はとんでもなく異常で汚らわしいものだったかもしれないという考え方もありなんだよと読者に教えている。
その後、花散里を見舞い、妹の明石の姫君を見舞いついでに覗き見した夕霧は、しだいに憂鬱な気持ちになって、離ればなれの雲居雁に、『源氏』によると「妙に型にはまった小賢しい歌」を詠み、その歌に「風に吹き乱れた刈萱《かるかや》」を添えて贈る。刈萱を詠んだこんな古歌の意味をこめるために……。
「真面目にしていても何の良いこともない。この刈萱のように、さあ、思い切り乱れようよ(まめなれどよき名も立たず刈萱のいざ乱れなむしどろもどろに)」
こうして光源氏の妻子達を一巡した夕霧は、
「こんな人達を心に任せて明け暮れ拝見したいものだ。息子なんだから、それも許されてしかるべきなのに、事ごとに自分をのけ者にする父が恨めしい」
と、再び「父を恨む息子」になり、最後はホームグラウンドの大宮邸に参上。
「きれいな若い女房達はここにもいるが、物腰も雰囲気もファッションも、栄華の渦中にある父邸の女房達とは、比較にならないな」
と思いながら、
「でも、美貌の尼女房達が、黒い袈裟をまとって身をやつしているのも、こういう場所柄では、ぐっとくるよなぁ」
と、出家した祖母に仕える女房達も、まんざらではないという気になる。別の世界を見て、初めて自分の生まれ育った世界の良さを確認したわけだが、夕霧にとっての別の世界とは、実の父の住む世界なのだから、この父と息子の隔たりの大きさを物語っていよう。
ともあれ、それまで絶対的だった光源氏的な世界が、夕霧によって見つめられ、疑問が呈されることによって、相対化されていく「野分」の巻の意味は大きい。しかもそれが、親の世界から足を踏み出そうとする、思春期の息子によって行われるというところに、『源氏』の並々ならぬリアリティと、時代を越えた説得力がある。
この、実の息子によって発見された光源氏的世界の揺らぎは、やがて、息子の親友の柏木によって、決定的なものとなっていく。
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柏木《かしわぎ》◆自滅する息子[#「柏木《かしわぎ》◆自滅する息子」はゴシック体]
早死にする男[#「早死にする男」はゴシック体]
五十、六十まで生き長らえる『源氏』の男達に対し、『源氏』のとくに主要な女君達は早死にが多い。夕顔十九歳。葵の上二十六歳。六条御息所三十六歳。藤壺三十七歳。四十三歳で死ぬ紫の上などは、長生きの部類に入るとも言える。
一方、笑われ役の源典侍は、七十一、二歳になってもまだまだ元気なので、
「こんなに長生きする人もいるのに、藤壺の亡くなったお年の若さ」
と、光源氏は改めて藤壺を亡くした悲しみをかみしめているし、同じように悪役の弘徽殿大后の老いた気配に触れた時も、
「こんなに長生きする人もいるのに」
と、藤壺の早すぎる死を「無念に」思っている。
『源氏』には佳人薄命の法則というか、長生きするのはろくでもない人で、まともな人間は早死にするという法則があって、かつ、ろくでもない人の老醜を見て、若くして死んだ素晴らしい人達を哀悼するという仕組みがある。ここからしても、長生きを運命づけられている『源氏』の男達が、紫式部の頭の中では、限りなく悪役に近いことが知られる。
そんな『源氏』にあって、三十二歳で死ぬ柏木は、唯一の「早死にする男」である。それも女三の宮を犯してまもなく、それを知った夫の光源氏におびえて衰弱死するという、かわいそうな人生を歩んだ人だ。
摂関家の長男という恵まれた環境に生まれ、「将来は世の柱となる人」と一目置かれていただけに、「その死を惜しまぬ人はない」という『源氏』最高の賛辞を浴びて死んでいった人でもある。
そんな彼が、初めて物語に姿を見せるのは、光源氏の養女の玉鬘に、異母姉とも知らず、
「好きです」
なんて歌を贈って求婚してしまうシーンである。もちろんじきに真相を知って結婚を諦めるのだが。これがミソのつき始めとなって、次に目をつけた女三の宮をも、光源氏にさらわれる。しかも光源氏は、大して宮に愛情を注いでないらしい。それにつけても、
「自分だったら」
と悔しさはつのる一方なのだった。そんなところへもってきて、蹴鞠《けまり》の会で、宮の姿を見たのが運の尽き。宮への思いが執念となった柏木は、父の尽力で、宮の異母姉の落葉の宮を妻にしたあとも、彼女を諦めることができない。そして宮の侍女を手なずけて、寝室に侵入。
「数ならぬ身の私ではございますが、ずっとお慕いしてました。けれど人数ならぬ身分の低さという一点のために、人より深い志が空しくなってしまったことを悔しく思っておりました。年月と共にその悔しさは消えるどころか、無念にも、また我ながら気味悪いほどにも、せつなくも、いろいろな思いが加わって深まって、我慢できなくなって、こうして大それた振る舞いをお目にかけてしまいました。あはれ≠ニだけでもおっしゃって下さい。そうすれば、それを承って帰ります」
と迫るうち、とうとう女三の宮を犯してしまう。蹴鞠の会で宮を見て以来、実に六年後。女三の宮二十一、二歳、柏木三十一、二歳、光源氏は四十七歳の初夏のことであった。
「悪役」光源氏の引き立て役[#「「悪役」光源氏の引き立て役」はゴシック体]
と、これだけなら単なる強姦魔だが。彼はそのあと急速に「かわいそうな男」としてクローズアップされていく。
柏木がせつなく胸を焦がして苦しんだ六年という歳月の長さに比べ、夢のような時間はわずかだった。初めて逢った日からほんの二か月足らずで、二人の関係は光源氏にバレてしまうのだ。しかも宮は、彼の子供を妊娠。柏木が、光源氏に嫌味を言われたショックで寝こんでいると、宮が出産後、出家したという知らせが入る。悲観した柏木の病状は急転し、最後の最後まで女三の宮に、
「あはれ≠ニだけでもおっしゃって下さい」
と懇願するが、その言葉も得られないままに、泡が消えるように命尽きてしまうのである。
時に柏木三十二、三歳。あまりに早い彼の死を惜しまぬ人はいなかった。事の真相も知らずに、
「私が死ねば良かった」
と泣き惑う両親の頭中将夫妻をはじめ、時のミカド、朱雀院、彼を死に追いやった光源氏でさえ、
「あんなに気高く立派な青年だったのに、自分から身を滅ぼしてしまった」
と涙に暮れる。女三の宮との一件などさらさら知らない妻の落葉の宮も、
「優しく礼儀正しくて、申し分なく私に仕えてくれたのに」
と思うので、はた目にも気の毒なほど悲しみに沈む。彼の大それた心を最後まで許すことのなかった女三の宮も、さすがに悲しくて泣いてしまう。そのあっけない死は、社会現象にまで発展し、
あはれ、衛門督《えもんのかみ》(柏木の官名)
という言葉が流行。愛する女三の宮に一度もあはれ≠ニ言ってもらえなかった柏木は死後、下級官僚や老女房にまで慕われて、あはれ≠ニその死を惜しまれる。
このように、死が近づくにつれ理想化されていく柏木だが。その背後には、「悪役」としての晩年の光源氏を際立たせるという作者の意図があることを忘れてはいけない。そうした意図は、浮気のバレた妻に対する光源氏の言動に、強く現れている。
「あなたは男が口から出任せで言い寄るのを本気にする人だから」とか、
「私みたいな老いぼれは見慣れてバカにしているんでしょう」とか、
「あなたの父上も先が長くないんだから心配かけてはダメだ」とか。
顔を見れば、嫌味を言わない時はない。といって離婚するでもなく、人の見ている前では一転して、「お加減どうですか?」とか「もっと召し上がりなさい」などと優しい言葉をかける。そのくせ人に聞こえぬ小声で、
「別に私は今すぐにでも出家しても構わぬ身なのですよ。ただ、あなたの父上にあなたの世話を頼まれたから、我慢しているだけです」
と恩着せがましいセリフ。あなたのことは愛していないが、義理があるから面倒見ているだけ、というわけだ。
かつて物語では決して語られることのなかった主人公の、人間臭いと言うにはあまりに陰険な一面。それを描くことによって、しまいには、すべての妻に見捨てられ、そして死に後れ、孤独な死を迎える光源氏の最期につなげていく。そのためにこそ、彼に葬られる柏木は、早死にする人でなければならなかった。万民にその死が惜しまれる「いい人」でなければならなかったのだ。
柏木のサイテーな一面[#「柏木のサイテーな一面」はゴシック体]
けれど実は、その柏木も、物語の初めのほうでは、光源氏以上にサイテー男の横顔を見せていた。彼は、玉鬘に求婚した同じ頃、「政治のコマにしたいから」という父頭中将の命を受け、異母姉妹の近江の君を探し出していた。これが、政治のコマになどなりようのない、育ちの悪い女だったことは、頭中将の項で紹介したが、そうと分かると、先頭に立って近江の君をいびっていたのは、ほかならぬ柏木なのだ。玉鬘が女官の中では最高位の尚侍《ないしのかみ》のポストを賜ったと聞いた近江の君が、
「尚侍は私のほうが前から希望していたのに」
と兄弟を責めると、柏木は、
「あの人には、人に大事にされるワケがあるんでしょう、あなたと違って。尚侍に空きが出たら、私のほうこそ志願しようと思っていたくらいだ」
と言い返す。尚侍が女だけの官職と知りながら近江の君をおちょくっているのだ。怒った近江の君が、
「おせっかいに私を引き取っておきながらバカにして。ここは並の人では生きていけないお屋敷だ。ああ恐ろしい」
とにらむと、いったんはひるむものの。
「岩をも砕くあなたの意気ごみなら大丈夫。いつか希望も叶うさ」
と、からかう弟に乗じて、
「天の岩屋戸にでも、籠ってくれたほうが、見苦しくなくていいのに」
と追い討ちをかけて、とうとう泣かしてしまう。
当初の柏木は、全然いい人じゃなかったのだ。そしてそうした彼の一面は、冷泉帝への入内が予定されていた姉の玉鬘が、鬚黒大将《ひげくろのたいしよう》の子を生んだ時、
「同じことならミカドの子だとよかったのに」
と嘆いたことにも現れている。あくまで権力志向。だから女三の宮にも執拗にこだわった。というのも宮は、同じ皇女といっても、高貴な女御を母にもち、父の朱雀院をはじめ、異母兄弟の今上帝《きんじようてい》にも重んじられる、社会的地位の高い内親王だった。彼は、その異母姉の落葉の宮を妻に迎えてすら、
「身分の低い更衣が生んだ姉宮より、高貴な女御の生んだ女三の宮が良かったのに」
と不満がり、
「落葉をなんで拾ったんだろう」
と、ぼやいていたのである。ここから落葉の宮≠ニいう通称も生まれた。何より、寝ていた女三の宮を襲ったのは、許されぬ悪人ぶりではある。宮が最後まであはれ≠ニ言わなかったのも当然なのである。
彼はまた変態じみたところもあった。蹴鞠の会で、女三の宮を見ることができたのは、宮の飼い猫の綱が引っかかり(当時の猫は貴重品のためか、綱をつけられていた)、御簾《みす》が引き上げられたためだ。丸見えになった部屋の奥には、小柄で細くて、髪の美しい、若く可愛い女が、立っていた。
柏木はもちろん、その場にいた夕霧にも、それが女三の宮であるとすぐ分かった。女が、ほかの女達よりひときわ軽装だったからだ。女房なら高貴な人の前では礼装のはずだからである。いい身分の女が几帳《きちよう》の内にも隠れずに、しかも立って蹴鞠を見ているとは、どんなにはしたないことか知れないのに、のぼせた柏木はそんなことには気が回らずに、宮に夢中になる。そして、
「宮の姿を見せてくれた猫を、どうにかして手に入れたい」
と、猫好きの東宮の威を借りて、宮の猫を召し上げると、一つふとんに寝て、夜が明けるや、世話に取りかかる。宮の身代わりに猫を妻にして奉仕しているのだ。猫のほうもすっかりなついて、
ねうねう
と鳴くのが柏木には、
「寝よう寝よう」
と聞こえる。
「ずいぶん積極的だねぇ」
などとささやきながら猫を懐に入れて、撫でさすって、ぼうっとしているので、女房達にも気味悪がられてしまうのだった。
そんな変態じみた日々を送るうち、彼は独身のまま三十を迎える。十二で結婚した光源氏、十八でやっと雲居雁との結婚にこぎつける夕霧と比べても、当時としては長すぎる独身生活だった。
(画像省略)
彼はロリコンの気《ケ》もあったろう。三十一、二で結婚後、女三の宮の寝室に忍びこんだ時点では、
「ただ好きな気持ちだけでも伝えたい」
とかしこまるだけで、犯すことまでは考えていなかった柏木をその気にさせたのは、宮の幼さだった。突然の闖入者に、こちらが気後れするような威厳もなく、声も出せずに、なよなよと頼りなげにおびえる可憐な気配だった。そういうところが光源氏には物足りなかったのだが、柏木にとっては逆にさかしく思ひしづむる心=c…自制心……を奪う誘因となって、とうとう宮を押し倒し、
「このままどこかに宮を拉致して、自分も世間から消えてしまいたい」
と無我夢中になってしまったと『源氏』は言う。
こんな柏木を見ていると、彼は、「権威」を身にまとわなくては安心していられないほど、弱い男だったのでは……と思えてくる。だから宴会の席で光源氏ににらまれただけで、
「僕の人生、おしまいだ」
と起き上がれなくなってしまったのだろう。そして、
「死ねば許してくれるだろう」
と死に逃げこんだ。
彼は一見、恋に殉じた純な男のようでいながら、実は、人の目が気になって仕方ない、気弱な男だったのだ。
こうした柏木のもろさは、死の間際には、
「穏やかで、長男らしく面倒見の良い気性だったので、同母兄弟はもちろん、異母兄弟にも親のように頼りにされていた」とか、
「すべての人に慕われる優しい人柄だった」
という賞賛の声にかき消され、あからさまには指摘されないが。何も知らない世間と違って、いとこで義理の弟で、親友でもある夕霧だけは、さすがに気がついていて、
「うわべは実に落ち着いていて、何を考えているのか分からないほどだが、少し弱いところがあって、優しすぎたから、こんなことになったのだろう。たとえ辛くても、あるまじきことに心を乱し、命までなくしてしまうとは、相手のためにも気の毒だし、自分のためにもバカバカしい。しかるべき前世の因縁とはいえ、まったく軽率でつまらないことだ」
と心の中で批判している。彼は、女三の宮が蹴鞠の会でうっかり姿を見せた時も、
「可愛いようだが、あんまり心もとないじゃないか」
とちょっと軽蔑していたのだ。そんな女三の宮に惹かれる柏木のことも……。
その夕霧が、いざ、あやにくな恋の主役になると、最もぶざまな醜態をさらすのは、実践に弱い評論家のようで、いささか情けないのだが……。
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夕霧《ゆうぎり》2◆俗物化していく息子[#「夕霧《ゆうぎり》2◆俗物化していく息子」はゴシック体]
夕霧の「恋」[#「夕霧の「恋」」はゴシック体]
雲居雁との交際を頭中将に反対されていた夕霧は、二人を可愛がってくれた祖母大宮の死をきっかけに十八歳で結婚を許される。子供もたくさんでき、父に押しつけられた学問の成果か、政治の実務でも辣腕を振るっていた。女性関係は父に似ず、相変わらず真面目一徹で、紫の上、玉鬘など心動かされた女はいたものの、いずれも妻の雲居雁にはばかって我慢した。
その我慢が、結婚十一年目、柏木の未亡人を訪れるうちに、ぶちっと音をたてて切れる。三十歳を前にして、よりによって親友柏木の未亡人である落葉の宮に恋してしまうのだ。
親友の未亡人との恋。しかも相手は皇女様……シチュエーションだけなら、ものすごくロマンチックな展開を予感させるのだが。夕霧にかかると、これ、ほんとに光源氏の息子なの?という、トンマな勘違い男の物語になってしまう。
夕霧が、落葉の宮と知り合って、何くれと世話をするようになって三年目。宮に恋情を訴える。
「こうしていつも伺って、ご用を承るようになって、もう何年になりますか。いまだに人づてのご挨拶しかさせてもらえないなんて、こんな屈辱に慣れていないもんですから。年も若くて身分も気軽だった頃に、色恋で修業を積んでいれば、こんなにぎこちない思いをしなくて済んだのでしょうが」
今どき処女を売り物にする女なんていないと思うが、平安時代には女性経験の少なさを自慢する男がいたのだろうか。男がウブさを売り物にして何になるんだろう。まぁ夕霧の場合、それも事実だから仕方ないが、それならウブな男らしく謙虚にしていればいいのに、そこは中年大貴族の図々しさ。夕霧は、宮があからさまに帰ってほしそうにしているのに、日が暮れるまで居座って、
「あたりも暗くなったし、霧がたちこめてきて、帰り道が分からなくて」
などとトボけたことを言いながら、いきなり宮の部屋に入ってしまう。で、宮は本気でイヤだから、さらに障子の奥へ逃げる。すると夕霧は障子ごしに言う。
「あなたも大人気《オトナゲ》ないですね。恋を胸にしまっておけない私にも責任はありますが、これ以上のことは絶対、お許しがなければ致しませんから」と。
もうすでに何のお許しもないのに、女の嫌がることをしていながら、「お許しがなければしません」とは。しかもそう言いながら、なおも障子を押さえて夕霧の侵入を阻《はば》む宮に、畳みかける。
「こんなに深い私の気持ちを分かって下さらぬとは、かえってお心の浅さが知られます。こんな、世間知らずなほど、愚かで安心な男は、ほかにいませんよ。私みたいな男のことは、身分の低い女などは、バカな奴だと笑って冷たくしたりするものですが」
世間知らずな男の良さを、あなたほどの人が分からないとは……と言うのだ。分かるか、そんなもの!である。それでもひたすら我慢して彼の言葉を聞く宮に、さらに夕霧はこんな一言をかます。
「あなただって、男をまったく知らないわけでもないでしょうが」
お前も処女じゃあるまいに……なんて。そうか、夕霧は、大学で儒教を勉強しすぎて、処女性を尊いものと思うから、「僕ってウブなの※[#ハート白、unicode2661]」というのが自慢になると思ったわけか。だから「お前は処女じゃないんだろ」というセリフが出てくる。お前は処女じゃないんだから、もう女として価値が下がっているんだから、お高くとまんなよ、っていうことだ。
もちろんそんな無神経なセリフを言われてしまった落葉の宮はますます心を閉ざすだけ。
「私だけが男女の仲を知っているからといって、あなたと男女の仲になったのでは?という濡れ衣を着せられるのは真っ平です(われのみやうき世を知れるためしにて濡れそふ袖の名をくたすべき)」
という歌を詠む。私は確かに男を知っている、でも、だからって、あなたと関係をもっただなんて人に思われたくないの、帰ってちょうだい!
が、それを聞いた夕霧は、ふっと小さく笑って言った。
「私が濡れ衣を着せなくたって、すでに落ちたあなたの評判は消せるものじゃないさ。いいかげんその気になりなさい」
そう言って、月明かりのほうに宮を引きずって、顔を見ようとするのだから、宮はあきれて言葉もない。この男には何を言っても通じないのだ……と。夕霧はといえば、拒まれ続けた明くる朝、
「そっちがその気なら、僕だって、強硬手段に訴えちゃうかもしれないからね」
と捨てゼリフして、その後も恩着せがましい態度で迫るわ、落葉の宮の屋敷に居座るわするうちに、宮の母が死亡。経済的に不如意になった宮の親戚や召使を手なずけた末、鍵をかけて立て籠る宮の部屋に侵入し、
「身投げするつもりで、僕の深い気持ちに飛びこんでおいで」
などと、めちゃくちゃなことを言いながら、明け方になって、抵抗する力もなくした宮を、犯してしまうのだった。
遺伝と環境――『源氏』の親子を作るもの[#「遺伝と環境――『源氏』の親子を作るもの」はゴシック体]
夕霧は、女の気持ちがみじんも分からぬ男のようだ。自分が力をこめて口説けば口説くほど、女が引いて行くのが、つかめていない。
父の光源氏も若い頃は、やたらと女を襲ったものだが、女の気持ちはお構いなしの、こんなみっともない迫り方はしなかった。
夕霧は、顔こそ光源氏そっくりの貴公子でも、やってることはストーカーと変わらない。のちに、もとからの妻雲居雁と落葉の宮のもとで、きっちり一月の半分ずつを過ごすようになったという後日談も、凄い。平成のマニュアル世代顔負けの、融通のきかない実直さではないか。
紫式部は、なんでこんな男を、よりによって光源氏の息子として設定したのだろう。夕霧はなんでこんな男になってしまったのだろう。
考えられるのは、夕霧を育んだ環境である。
我慢我慢の暗い青春のツケが、三十を目前にした中年男の爆発と、思いやりのない融通のきかない性格を生んだ、と。
ということは、夕霧の性格は、彼にガリ勉を強いた父の光源氏に原因があるということになる。光源氏の厳しい教育方針は、従来、
「当時の身分社会にあっては近代的かつ画期的な発想である」
と、評価されているが、成長していくに従って、弱い者に情け容赦のない尊大な権力者に変貌していく夕霧の描写を見ていると、
「光源氏の夕霧教育は失敗だった」
と、結局これが言いたくて、紫式部は夕霧を発明したのではないか?とさえ思えてくる。
もちろん十二歳まで父と別居していたため、人格形成の大事な時期に、父の薫陶《くんとう》を受けなかったというのもあろう。が、母系制の名残りが強かった当時、父親不在の家庭はゴマンとあったわけで、そういう家庭の息子達は、母方の祖父や伯父達をお手本にして、父性を培っていた。夕霧にとって、その伯父というのが頭中将だったというところにも、問題があるかもしれない。
夕霧が十二歳まで住んでいた祖母の大宮邸は、頭中将の実家でもあった。頭中将は結婚して、当時の慣習通り妻の家に通ったが、弘徽殿の四番目の妹でもある正妻とは不仲で、とくに結婚当初の何年間かは、実家にいることが多かった。ということは頭中将は、息子の柏木よりも、むしろ甥の夕霧と共にいることが多かった。夕霧と頭中将の関係の深さは物語の随所に散見され、たとえば夕霧が試験で才能を発揮すると、まず伯父の頭中将が泣き、父の光源氏はそれにもらい泣きするというエピソードなどがあげられる。当時の夕霧にとっては、別居生活の長い父の光源氏より、実家を共にする伯父の頭中将のほうが、「男親」という実感があっただろう。十二歳以降の父の教育もさることながら、夕霧には、十二歳まで彼を取り巻いていた母方の影響が、色濃く出たのかもしれない。
その母方の家には、もとより母はなく、母には姉妹がなかったから、祖母と乳母だけが母代わりだった。好きな女に、ストーカーまがいのしつこさを見せたのも、乳幼児時代に思いきり母親にまとわりつくことができなかった欲求不満が出たのかもしれない。
面白いのは、光源氏と夕霧、頭中将と柏木という二組の親子は、むしろ光源氏―柏木、頭中将―夕霧、という形で血筋が受け継がれるかのように、たがいちがいに似たところを見せている点だ。
「男っぽくて、短気でものものしい性格、でも律義で、学問に力を入れたので、政治の実務に長けている」頭中将は、中年になると、「そびえるような長身に肉もついて、大臣にふさわしい貫禄」になる。
その息子の柏木は、短気な父と違って「落ち着いて優美な性格」。夕霧よりは五、六歳年上なものの「若く見えて、なよなよとしている」のも、男っぽく威厳にあふれた父とは対照的である。
一方の光源氏は、絶世の美貌もさることながら、「いつまでたっても大きな子供がいるようにも、重い位に就いているようにも見えない若々しさと優美さ」が身上。ただ、芸事ばかりで、学問はさせてもらえなかったせいか、「政治家としては、ちょっとなよなよしすぎ」と頭中将などは思っていた。
他方、息子の夕霧は「融通がきかないくらいマジメで、学問もしっかり修めている上、男っぽい」。そのため政治の実務は得意だが、「音楽などの情緒的な分野は性に合わない」し、歌も型通りのものしか詠めない。年を取っても若々しかった父と違って、中年以降は「どっしりと、そびえるような長身で、とても貫禄があって」、若い者には「近寄り難くてものものしい」と思われるほどの威厳を備えるに至る。
「子供の少ないことが悩み」の光源氏に対して、十二人の子宝に恵まれる夕霧。やはり十人近い子をもつ頭中将と、名目上は一人の子供も残さぬ柏木。子供の数まで、親子で正反対なのだ。それゆえ親子関係をひっくり返すと、そっくり……という面白い構図が出来上がる。
こうした構図は子供達が育った実家の環境のほか、「恋に身をやつす男」と「そうでない男」の違いとして理解することができるだろう。
けれどそれ以上に、光源氏と頭中将という良きライバルでもある二人の親は、相手の姿に「自分にはない理想の一面」を見たということが考えられる。それで、我が子にはそうした相手の理想の部分が投影するよう教育したのではないか。
光源氏が息子を大学にやったのは、自分自身が父帝のこんな考え……あまり学問のできる人は幸福と長寿が得られない……という考えによって、過度の学問を禁じられた反動に加え、
「私のような浮気な暮らしを見習わないでほしい。私と違って『まじめな役人』になってほしい」
と願ったからである。
そんな願いを託されて、学問に励む夕霧を、伯父の頭中将は、
「学問が過ぎるのも考えものだよ」
と批判して、
「たまには勉強以外のこともしなくては。笛の音にも、昔の賢人の教えはこもっているものです」
と笛を与えるのだが。そう言う彼は、光源氏と違って、若い頃、学問に精を出したため、典型的な「まじめな役人」になっているのだ。
その頭中将が、
「息子が皇女の婿になったら、どんなにか私のためにも面目あって嬉しいことか」
と、息子のために皇女を求めて奔走したのは、皇族の光源氏が、息子の結婚相手の身分にほとんど無頓着だったのと大きな違いである。藤原氏の頭中将は、母は皇女だが、自分自身は皇女を妻にできなかったことにコンプレックスがあったのだろう。それを息子によって埋めようとした。そして結果的に、より尊い血筋へのこだわりのために、大事な息子を失ってしまう。
失ったあげく、甥であり娘婿であり、息子の親友でもあった夕霧に、訴える。
「私が悲しいのは、世間一般の人望や官位があった息子の死ではない」と。
息子にたくさん期待をかけていたが、今となっては、ただありのままの息子が恋しいと頭中将は気づく。が、気づいても、息子が破滅した今となっては、すべてが遅い。
光源氏もまた、なのである。光源氏もまた、
「私の浮気癖を真似るな」
と、スパルタ教育に意欲を燃やし、結婚十二年もの間、妻一筋の夕霧を、
「自分の浮気な評判を挽回してくれた」
と誇らしく思っていたのだが。落葉の宮との一件がもち上がると、
「頭中将もどう思うだろう」
と、夕霧にも落葉の宮にも舅にあたる親友の意向を気にかけつつ、
「あれほどマジメな息子が言い出したことだ。注意しても聞き入れまい。どうせ聞き入れられぬなら言うのも無駄だ」
と、失望にも似た苦い諦めの境地に達する。
親は子に、自分が果たせなかったものを求め、子はそれに反発しながらも、無意識のうちに親の望みに応えようとする。そして身をあやまち、ときに親の期待とは正反対のねじれた結果を招いてしまう。そうして獲得した子供の世界が、親の世界と比べてどれだけましかというと、場合によっては親以下だったりする。そんな悲しい親子の仕組みが『源氏』にはある。
紫式部が息子を、それもダメになっていく息子を描いたのは、良くも悪くも、親の与える子供への影響力の大きさというのを、しっかり見据えておきたかったから、という気がする。
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第三章 サイテー夫達の右往左往[#「第三章 サイテー夫達の右往左往」はゴシック体]
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大夫監《たいふのげん》◆セックスしたくない男ナンバー1[#「大夫監《たいふのげん》◆セックスしたくない男ナンバー1」はゴシック体]
父に捨てられた娘の物語[#「父に捨てられた娘の物語」はゴシック体]
『源氏』には何人かの「娘を見捨てる父」が登場する。母を亡くした紫の上を放置する式部卿宮《しきぶきようのみや》。女房が生んだ浮舟を決して認知しない八《はち》の宮《みや》……。一人の夫が何人もの妻をもてた一夫多妻の当時、必然的に父より母の数が多くなる上、生まれた子供は母の実家で育つ母系社会の名残りが強い時代、それは、現実の社会現象を色濃く反映するものだった。
しかし、母から娘へ家土地が伝承された上、娘にミカドの子を生ませ、その子の後見役として父が政権を握る平安時代、娘というのは、政治の重要な戦力でもあったわけで、息子を見捨てる父に比べれば、娘を見捨てる父はぐっと少なかったはずだ。なのに『源氏』では、父に捨てられる子供の性別は、圧倒的に息子より娘が多い。その平均値をとくに高めた父として、すでに頭中将を紹介したが、これは、その頭中将が最初に捨てた玉鬘の、その後の物語である。
玉鬘の母は、十九歳で死んだ夕顔だ。夕顔は頭中将の愛人だったが、正妻の圧力で行方をくらました。その先で光源氏と出会い、性交したが、デート中、変死。玉鬘は母なし子となるが、母の社会的地位が低かったため、光源氏はもちろん頭中将さえ、残された彼女を本気で探そうとしない。やがて母夕顔の乳母の夫が筑紫《つくし》に赴任することになり、幼い玉鬘も連れて行かれる。玉鬘は、摂関家の家柄の父をもちながら、受領《ずりよう》階級の乳母夫婦に、九州という田舎で育てられることになる。
父に見捨てられた娘が、その後、いかなる運命をたどることになるのか。四歳の筑紫行き以来、ずっと潜伏していた娘の消息が、物語に浮上してくるのは、娘が美しい女に成長し、たくさんの求婚者達を集める適齢期になってから、のことだ。
玉鬘《たまかずら》の求婚者達の容貌[#「玉鬘《たまかずら》の求婚者達の容貌」はゴシック体]
玉鬘は、『源氏』の女君の中では、最も多くの男達に言い寄られている。
九州の田舎武士から、摂関貴族、親王、ミカドまで。風流な男、無粋な男、愚かな男、マジメな男、美男子、ブ男……と、『源氏』に見えるほとんどすべてのタイプの男が「見本市」のように、彼女の求婚者には顔を並べている。言い寄る男との関係も、赤の他人から、いとこ、養父、兄弟と様ざま。この多様さは、求婚者の容貌についても当てはまる。
玉鬘の求婚劇について語る前に、ぜひとも触れておかねばならないのは、『源氏』の男達を容貌で大別すると、二つのタイプがあるということだ。ほっそり優雅な「女にしてみたいような美貌」を称えられる華奢タイプと、「がっちり色黒で男っぽい」とされるマッチョタイプである。
『源氏』を生んだ紫式部の時代、光源氏を筆頭とする前者のタイプが理想的とされていたのはいうまでもない。身分的にも、華奢系は皇族などの高貴なタイプで、マッチョ系は受領や武士など下賤な者という設定だ。たとえ身分が高くても、恋とは無縁の無骨な実務派だったりする。男と女の愛欲を描く『源氏』にあって、藤壺や紫の上、女三の宮といった主流の女君達の夫や愛人もしくは求婚者達は、当然、華奢系の男で固められることになるのだが。
主流の女性群に属しながら、玉鬘は、唯一、華奢・マッチョ両系統の男達に言い寄られているのだ。
玉鬘にこれほど多彩な男が群がった理由としては、美貌だったこと。実父頭中将、養父光源氏という、極上の後見者がいたこと。そして何よりも、早くに母を亡くし、父にも見捨てられ、乳母に田舎で育てられるという、出自のわりに賤しい生い立ちをしていることが挙げられる。
父に捨てられた娘は、その下賤な育ちのために、下賤なマッチョ系の男に、つけ入られるという試練を受けなければならなかったのだ。
大夫監《たいふのげん》という男[#「大夫監《たいふのげん》という男」はゴシック体]
『源氏』五十四帖の中で、「玉鬘十帖《たまかずらじゆうじよう》」と呼ばれる十巻にわたる(「玉鬘」から「真木柱《まきばしら》」の巻まで)玉鬘の求婚譚は、筑紫滞在時代に始まる。「乳母夫婦の孫娘」と世間には公表していた彼女の美貌が口コミで漏れて、土地の好き者が集まってきたのである。この時すでに、頼みの乳母の夫は故人。玉鬘は、ますます心細い境遇に落ちぶれていたが、乳母達は、
「高貴な玉鬘が田舎者に言い寄られるだけでも縁起でもない」
と思うので、
「見た目はともかく、姫の体にはひどい障害があるので、結婚させずに尼にするつもりです」
と言い触らしていた。それで、大方の田舎者は引っこんだのだが、一人どうしても諦めない男がいた。大夫監である。
この大夫監(以下、ゲン)というのが、都の貴族の想像を絶するキャラクターとして設定してある。
まず「行動力」が凄い。その頃、玉鬘一行は、筑紫から肥前(佐賀、長崎)に移り住んでいたが、玉鬘を「尼にする」と聞いて、いてもたってもいられなくなったゲンは、自分の住む肥後の国(熊本)から、肥前の国に強引に越境。玉鬘邸に日の高いうちから乗りこんで来る。『源氏』によると、
「恋する男は夜に紛れて来るものなのに」
「マナー知らず」なのである。しかしバカではない。それどころか現地の最有力者である。大夫監とは大宰府《だざいふ》の三等官で、次官の乳母の夫=少弐《しように》には配下に当たるのだが、その官職は、現地を治めやすくするために、土着の勢力者に便宜上、朝廷が与えたものだから、実権は三等官が上であることも多い。ゲンも、京都からぽっと派遣された乳母の夫などとは比較にならない現地の人脈と政治力と財力を握っていた。そのため玉鬘側も気をつかい、一家の長である年老いた乳母が応対に出る。が、ゲンは彼女の言葉もろくに聞かずに、一方的に喋りまくる。
「故少弐殿がとても情け深くてご立派でいらしたので、どうにかして仲良く致したいと思っておりましたが、そんな気持ちを示すことができないうちに、悲しいことに亡くなってしまいました。少弐殿の代わりに、こちらの姫に一生懸命お仕えしようと、元気を出して今日は強引に来てしまいました」
「お喋り」なのである。なのであるが、さすが、
「彼ににらまれたら、この地では少しも身動きできない」
というほどの実力者。どこで聞いたか、玉鬘の出生の秘密を知っていて、
「姫はお血筋が特別だとか。かたじけないことです。ご主人様と思って、頭のてっぺんに押し頂いて大事にお世話するつもりです」
とドスの効いたしわがれ声で言う。姫のためなら奴隷になっても構わぬという口ぶりである。そして乳母が話すスキを全く与えないまま、
「乳母殿も拙者と姫の結婚を渋っておられるようですが、それは拙者がつまらぬ女どもをたくさん妻にしているのを、お聞きになってイヤがっておられるのでしょう?」
と、聞いてもいない自分の家庭状況を喋り出す。
「それはそうとして」
と、旧妻達とは別れる意思はないらしいことを示しつつ、
「どうして、そやつらを姫と同列に扱いましょう。我が君を、后の位にも劣らぬように、お仕え致す所存ですのに」
と、勝手に忠誠を誓う。乳母は内心迷惑で仕方ないものの、
「機嫌を損ねたら、何をされるか分からない」
と思うので(ヤクザの親分みたいなもんだなゲンは)、
「とんでもない。そうおっしゃって下さるのはほんとに幸せと存じますが、運の悪い姫なのでしょうか。はばかることがございまして、なんで人様の妻になどなれようかと人知れず嘆いておりますようで」
と、やんわり断ろうとする。都の貴族の感覚なら(呼ばれもしないのに押しかけて来たこと自体、すでに貴族の感覚ではないのだが)、「ここまで言うんじゃ、よっぽど嫌われているんだな、これは断る口実だな」と悟るはずで、乳母もそれを期待していたのだが、相手は貴族の論理が通用しない田舎武士である。
「全然遠慮はいりませんよ!」
と、まったくめげる様子はない。
「たとえ目がつぶれ、足が折れていようとも、拙者の力で治してしんぜよう。国中の神仏は拙者の言うなりでおられますからな」
と無神経なことを言って得意になっている。そして気圧《けお》される乳母に、結婚の日取りまで宣告。ついでに舌足らずな歌を詠み、
「拙者を田舎者だという噂もあるが、賤しい民ではありません。都の人といっても、なんぼのもんじゃ(原文都の人とても何ばかりかあらむ=j。拙者は何でも知っておりますぞ。バカになさんなよ」
と凄みながら、もう一首詠もうとするが、結局詠めずに、立ち去るのである。
セックスしたくない男[#「セックスしたくない男」はゴシック体]
強引で、自分勝手でお喋りで、無教養なくせに自信過剰で、都への強いコンプレックスがありながら傲慢。見た目は、
「三十歳ほどで背が高く、貫禄たっぷりに太っていて、見苦しくはないが、田舎武士と思うせいか心なしうとましく、荒々しい立ち居振る舞いは見るも忌まわしく感じられる。顔の色つやも健康そう」
平安貴族の美意識から言うと、ゲンはまさに「負の権化」である。紫式部は、よりによって、なんでこんな男を、玉鬘の最初の求婚者として登場させたのか?
そいつがしかも、「無骨な心の中にも、いささかスケベな心があって」、美貌の女を集めて見む≠ツまり「セックスしよう」と企んでいるのだから、『源氏』に言わせると「気色悪い」。それで、美貌の評判の上、「都から来た高貴な血筋の姫君」である玉鬘に熱心に言い寄った。
「拙者を田舎者だという噂もあるが」などのセリフからも分かるように、都への強いコンプレックスが、そうさせたのだろう。
このへんの、玉鬘への異常なまでのゲンの執着については、「玉鬘を通じて摂関家の縁続きになろうという政治的な野望もあったのでは」という説もあるが、それはあるまい。だって、このとき玉鬘は、父に認知されていないのだし、だいいち彼には「この一帯の実力者」という自負があった。「天下は取った、足りないのは高貴な血筋」というわけで、天下統一後、高貴な女達を漁った豊臣秀吉の感覚だったと思うのだ。
そんな下剋上な男が、貴族にバカにされるのは言うまでもない。女に好かれないことも。彼の言ってることは、一見「あなたじゃなくちゃイヤだ」だが、ほんとのところ「高貴なお姫様を組み伏せたい」なんだから。つまり、「お姫様なら誰でもいい」わけで、そんな男と、まともな女が結婚したがらないのは当然なのである。
もちろん玉鬘もこのゲンを、
「死んでしまいたい」
ほどうとましく思う。そして、
「姫がそう思うのももっともだ」
と乳母達も思ったので、ゲンとの結婚式の前に、九州を脱出する。
乳母の子供達の中には、ゲンに寝返る者もいたが、現地でできた夫や妻子を捨ててまでつき従う者もいた。ゲンと玉鬘が結婚するということは、そうまでして逃げるのも無理はないほどの危機的状況として、『源氏』ではとらえられているのである。
それほどゲンというのは、見た目的にも性格的にも身分的にも、当時の貴族女性にとって、結婚したくない男だった。もっと言えば「嫌いな男」「セックスしたくない男」だった。玉鬘達は帰京後も、何かにつけて、
「ゲンの息づかいや気配を思い出すのも忌まわしいこと限りない」
と思い出している。「息づかい」という表現が、ああいう男は生理的にダメ!という貴族女性の気持ちを表しているではないか。セックスしたくない男の面目躍如という感じである。
面白いのは、そんな忌み嫌われるべきゲンが、九州一円に鳴り響く実力者ということで、こうした欠点は、少なくとも地方武士の世界では、権力の妨げにならないことを物語っていることだ。女社会の貴族と違って、男社会の武士の世界では、強引でたくましくて、ちょっと単純なゲンのような男は、かえって「いい男」であり、ひょっとすると「いいだんなさん」でさえあるかもしれない。何よりもゲンの一件があればこそ、玉鬘達は万難を排して上京する決意もついた。
「夫も死んでしまったし、姫のことを父君の頭中将(当時は内大臣)に知らせるためにも、京に行かなくては」
と思いつつ、馴染んだ土地も離れ難いし、資金もないし……と、上京を先延ばしにしていた乳母達に、九州脱出を決意させたのは、ほかならぬゲンだった。九州を脱出したおかげで、玉鬘は実父とも巡り合えたんだし、悪い一方の男ではないのでは?と私などはつい思ってしまう。『源氏』自体にも、そう思わせる幅というか、余地が残されていて、玉鬘一行がシュラシュシュシューと船で京に逃げたとも知らず、玉鬘との結婚を心待ちにしているに違いないゲンは、それはそれで哀れを誘う。
しかも、京の都で玉鬘を待ち受けている男達が、ゲンに比べてどれほどましかというと、心もとない限りなんだから……。
都の貴族も結局ゲン並み[#「都の貴族も結局ゲン並み」はゴシック体]
上京した玉鬘一行は、今は光源氏に仕える、夕顔の縁者に思いがけず遭遇する。そのつてで、ひとまず光源氏の屋敷に引き取られた玉鬘だが。そのとたん、彼女のもとには、九州にいた時以上に多くの男達が群がり、男絡みのさらなる苦労に見舞われる。一難去ってまた一難。それもそのはずで、光源氏が彼女を引き取った動機というのが、
「この女をタネに、うちの屋敷に出入りする好き者どもの心を乱そう」
なんだから。
「ふだんは気取ってうちの屋敷に集まってくる、好き者どもの本心を見たい」
というのである。
その思惑通り、玉鬘が来て以来、光源氏の屋敷には、光源氏の弟の螢宮《ほたるのみや》、東宮の伯父の鬚黒《ひげくろ》大将、光源氏の妻紫の上の兄の左兵衛督《さひようえのかみ》など、求婚者が山のように押しかけていた。玉鬘を光源氏の実子と思いこんでいる柏木も、姉とも知らず、熱心な求婚者の一人となっていた。
こんなに多くの男達が集まったのは、彼らが玉鬘の美貌を垣間見たためではない。「光源氏の娘」と思うからだ。光源氏の婿になって、朝廷の信任厚い一族の仲間入りをしたい、その莫大な富や権勢の恩恵にあずかりたい、と思うから。要するに、光源氏の娘なら「誰でもいい」わけで、ここにきて男達の思惑は、「高貴な姫君なら誰でもいい」と思ったゲンと一致する。そうした男達の下心を光源氏は百も承知だから、
「お前達は、玉鬘じゃなくて、私の権勢が欲しいんだろう。けれど、玉鬘の美貌を見たら、そんな下心など吹っ飛ぶぞ」
と、螢の光で玉鬘の姿を、とくに熱心な螢宮に見せつける。そんな光源氏自身、玉鬘の美貌に魅入られていて、スキあらばその体を狙っていた。かといって、とことん真剣に愛を訴えるというわけでもなく、玉鬘に男達からラブレターが来ると、
「思った通りの成り行きになったな」
とほくそ笑みつつ手紙を読み、
「返事を書け」
と玉鬘に勧める。そのくせ、
「自分を『お母さん』と思って頼って下さい」
と無茶なことを言いながら、
「もう我慢できない」
と服を脱いで玉鬘の体を愛撫する。しかも彼は当初、玉鬘を「実の娘」と公表していたから、彼女の部屋に入り浸っても誰も変に思わない。エスカレートするセクハラのために玉鬘は病気になり、
「ゲンのうとましさとは比べ物にならないにしてもまったく異常でイヤらしいお方」
と、ついには、あのゲンを引き合いに出すほどうとましく思う。「ゲンと比べると、光源氏は、なんて素敵な方!」と感激するのではなくて、「ゲンもイヤだが、光源氏もイヤだ」と思うのである。
まさにこのひと言を言うためにこそ、紫式部はゲンというサイテー男を登場させたのだろう。どこから見ても王朝貴族の理想像である光源氏には、ただイヤな男と言うよりは、田舎者で無神経で無骨でお喋りで見た目も悪い、セックスしたくない男ナンバー1のゲンを引き合いに出したほうが、ずっとインパクトがあるからだ。
光源氏も結局はゲンと同類……玉鬘の求婚譚の構想には、そんな紫式部の思いが、隠されているということを、ここで頭に入れておくべきだ。「都の人といっても、なんぼのもんじゃ」というゲンのセリフは、都の読者には正面きって言うことのできない紫式部の本音を、実は、こっそり代弁しているものかもしれないのである。
さて。光源氏が玉鬘にイヤらしいことをしている間にも、求婚者達は毎日のように光源氏の屋敷に集まっていた。光源氏は、満足だった。
「スケベな男達の本心を見たい。退屈なあまり、そんなことを願っていたのだが、それが叶ったような気がするよ」
と、玉鬘にささやきもした。人の心をおもちゃにしようというのだから、退屈貴族の道楽もここに極まれり。が、玉鬘の魅力に、しだいにそのお遊びも苦しいものになりつつあった彼は、
「ほかの男に渡したくない。だがこのままこの屋敷に閉じこめていては、玉鬘がさすがに気の毒だ」
と思い始め、不義の子の冷泉帝に入内させることを思いつく。玉鬘が我が子と結婚すれば、普通の男と結婚するより、自分の支配下に置きやすいと考えたからだ。それに、
「男を知ってくれたほうが、こっちも何かとやりやすいから」
というスケベな下心もあった。
その下準備として、まず光源氏は、玉鬘に冷泉帝を見せた。
「ミカドの美しい姿を見たら、きっと宮仕えしたいと思うに違いない」
と考えたのだ。
光源氏の思惑通り、玉鬘は、冷泉帝の「ほかの男とは同じ目鼻とは思えぬ輝くような美貌」に、「宮仕えもまんざらではない」気持ちになる。前にもましていやらしくなる光源氏のセクハラから「逃げたい」という思いもあった。
やがて、光源氏が玉鬘入内の下準備の第二段階として、頭中将に、
「玉鬘はあなたの子だ」
と教えると、実父=頭中将、養父=光源氏というゴージャスな条件に釣られて、求婚劇はますます熱を帯びた。それまで「弟」として圏外にあった光源氏の息子の夕霧まで言い寄ってきた。ついには光源氏の根回しで、彼の隠し子の冷泉帝も「尚侍《ないしのかみ》としての宮仕え」を勧めてくる。尚侍と言えば当時、ミカドの妃として愛されることも多い官職で、もちろん光源氏もそれを期待していた。
が、入内話が具体的になってくると、玉鬘本人はしだいに不安になってきた。
「冷泉帝には、妹の弘徽殿女御や、義姉の秋好中宮(光源氏養女)がすでに仕えていらっしゃる。宮仕えすれば、ミカドの愛を姉妹で争うことになって、何かにつけて気苦労が絶えないだろう。かといって、このままここにいれば、光源氏のセクハラは続くだろう」
と、人知れず悩んでいた。
そんなところへ、夕霧が来訪。
「父の光源氏からの内密の伝言です」
と嘘をつき、人払いをして、何を言うかと思えば、
「実は、冷泉帝は尋常ではないスケベなお方だから用心なさい、と父が申しておりました」
なんだから、玉鬘も返す言葉がなく、ため息をつくばかり。ため息もつきたくなるわなぁ……その姿がしかし、夕霧の目には、「とっても可憐できれいに」見えるので、どこに隠していたのやら、不意に蘭の花を取り出して、二人を隔てる御簾《みす》のスキ間から差し入れたかと思うと、花を手に取る玉鬘の手を、すばやく握って離さない。そして、
「僕達は、同じ血を引く親戚同士じゃないか。申し訳ていどでも、お情けをかけて下さいよ。鎮めようのない私の気持ちを分かって頂きたいのです」
と訴える。夕霧の母の葵の上と、玉鬘の父の頭中将は兄妹で、つまり二人はいとこ同士だから、
「ちょっとくらい、いいじゃないか」
と迫ったのだ。そりゃあ意味が違うんじゃないか? もっとも、いとこ同士の結婚というのは当時非常にポピュラーで、夕霧ものち、やはり頭中将の娘で、いとこの雲居雁と結婚している。また、彼はこの直後、父の光源氏に、
「冷泉帝の後宮で苦労させるより、螢宮と結婚させたほうがいいのでは?」
と、玉鬘の結婚相手について論じているから、本気で迫ったわけではなく、「美女がいれば、とりあえず口説く」という平安貴族式の礼儀に従っただけかもしれない。
しかしそんな夕霧も、『源氏』ではまめ人《びと》=iまじめ人間)で通っているんだから、平安貴族男性には、イタリア男も勝てまい。夕霧でさえこうなんだから、色好みで名高い螢宮など、ほかの求婚者達の恋にかける情熱は、推して知るべし、なのである。
諦めない男達[#「諦めない男達」はゴシック体]
玉鬘の冷泉帝への入内が内定してから、彼女の求婚者達は、
「その前に、ぜがひでも彼女を我がものに」
と、玉鬘の女房や兄弟など、思いつく限りのつてをたどって、恋のラストスパートをかけていた。
いかにも平安時代である。ミカドへの入内が決まった女を、「その前にどうにかしよう」なんて、戦前なら不敬罪だろう。それが、みんながみんな、当たり前のようにそう思い、『源氏』も当然のようにそう書いている。夕霧が恋心を打ち明けたのも、
「彼女がミカドの女になったら、容易に男女の関係になれないから、その前にあわよくば」
という期待があったためだ。
「男女のことは前世からの約束事」
という仏教思想を、
「だから、何があっても仕方ない」
と、自分に都合のいいように解釈していた平安貴族って、今よりずっと奔放な恋愛をしていたのかも、とさえ思える。そんな考え方を逆手にとって、女を犯したあげく、
「前世からの宿世《すくせ》≠セもん」
と居直るずるい男というのが、『源氏』の描いた男達で、こういう時代も、女にとってはいいことばかりじゃなかったんだろうなーとも思われるのだが。
それを地で行くようなできごとが、出仕間近の十月のある日、勃発する。玉鬘を強引に犯す男が現れたのだ。鬚が濃く男っぽいマッチョな見た目のために、求婚者の中では玉鬘に最も嫌われていた男、『源氏』では鬚黒≠ニ呼ばれる大貫族である。
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鬚黒《ひげくろ》◆異形の夫[#「鬚黒《ひげくろ》◆異形の夫」はゴシック体]
近代日本には、美貌と才能は両立しないというような信仰があったのか、私の母親世代(昭和ヒト桁)くらいまでは、「仕事のできる女はブス」というような風潮があった。それが、美人が奥様業界だけでなく、社会に進出するようになった現代、美人で仕事もできる女性は当たり前に存在するようになった。
同じように、かつて日本には、「色男、金と力はなかりけり」という言葉があった。それが今は、女に好かれる色男達がカネも力もプライドも誇りうる時代になってきた。「あらいい男」という女の嗜好が社会を動かす力をもち、そんな女性的な価値観が、社会全般で優勢になってきたのである。
「美しく、しかも仕事もできなくては」という大変な時代になったものだが、これは『源氏』の生まれた平安中期と一脈通じている。『源氏』作者の紫式部の生きた時代も、女も男も美しくなければ、貴族社会で生きていくのは難しかった。
「顔色が悪く、毛深くて、すごいブ男」(『栄花物語』)
の藤原道兼は宮廷女房に総スカンを食らい、『枕草子』の清少納言が、
「すごくきれいで優美」
と称えた藤原道隆は女房の人気者となって宮廷に君臨する。栄華を極めた道長も、
「見た目はもちろん、性格も傑出している」(『大鏡』)
ために、大臣夫人の姑や、姉の皇后に可愛がられ、そのバックアップで、政治の実権を握る。
絶世の美男の光源氏が、富も権力も手に入れるという『源氏』の設定は、紫式部の時代には、夢見がちな少女漫画とは違う、強いリアリティをもっていたのである。
ところがそんな時代、紫式部は一つの実験とも言える大胆な設定を打ち出した。
「玉鬘十帖」と言われる巻々のヒロインを演じる玉鬘に、当時の常識的な男の理想像とはおよそかけ離れた男を、夫としてあてがったのだ。
鬚黒と玉鬘の結婚[#「鬚黒と玉鬘の結婚」はゴシック体]
鬚黒は、『源氏』の貴族達の中では異形の男である。公式行事に参加する彼を、車中から見た玉鬘は思う。
「色黒で鬚が多くて、全然心が惹かれない」と。
恋がモチーフの『源氏』では、光源氏や朱雀院や冷泉帝といった、女受けする優美ななよなよ男が主流で、マッチョな彼は案の定、当面のヒロイン玉鬘に「気に入らない」と切り捨てられる。
ところが、よりによってその鬚黒と、玉鬘は結ばれることになる。冷泉帝への入内寸前に、女房の手引きで鬚黒が彼女の寝所に忍びこみ、結婚の運びとなってしまう。
この展開は、当時の読者にとって、驚きと失望のダブルパンチだろう。
『源氏』以前の物語のヒロインや、重要な女君の夫は、美しい優男と決まっている。それは、女の好みがもともとそういうものな上、そうした「女性的な好み」が、平安貴族の間では「社会の好み」でもあったからだが、玉鬘と鬚黒の結婚は、そうした当時の好みを見事に裏切るものだ。そして裏切られた読者の失望を先取りするように、「ブ男」の鬚黒と結婚した玉鬘は、落ちこんだ。
「自分の運命は、思いがけなく情けないものだった」
と、暗く沈んでいった。無理もない。と、当時の読者は思ったであろう。そうした読者を慰めるように、『源氏』は二人のその後を綴っていく。
「鬚黒は玉鬘にぞっこんで、落ちこむ彼女を、仕事も休んで懸命に慰めた」と。
鬚黒は、その無骨な容貌にふさわしく、好色なことが不慣れな実直者だった。玉鬘当人の気持ちはどうあれ、彼はすっかり玉鬘の虜《とりこ》になった。冷泉帝への入内を予定していた光源氏は、
「納得できない」
と悔しがったが、実父の頭中将は、
「かえってよかった。冷泉帝にはすでに弘徽殿女御がいるのだから、私としても、玉鬘をどれだけ応援できるか自信がなかったのだから」
と、こっそり人に打ち明けてもいた。
鬚黒との結婚は、読者の思うほど悲惨なものではなくて、玉鬘にとってより良い選択だったのではないか? そう思わせるようなトーンが、『源氏』にはある。
が、それはそれとして、一方で、その結婚はたいへんな悲劇を招いてもいた、ということを『源氏』は書き落とさない。
この結婚で打撃を受けたのは、玉鬘よりも、むしろ鬚黒の妻子達だった。
一夫多妻の当時、三十二、三歳の鬚黒には当然すでに正妻があり、彼女との間に子供がいた。彼らは鬚黒が新しい妻にのめりこめばのめりこむほど、追い詰められていった。
(画像省略)
もとの妻……北の方には、時折正気をなくして暴れる心違《こころたが》ひの病≠ェあった。けれどふだんはおとなしい上、親王の正妻腹のお嬢様という高貴な身分なので、鬚黒もそれなりに優遇していたのだが。何しろ新しい妻は美人である。
「華やかで、一点の曇りもなく、どこからどこまで、みずみずしい美しさできらきらとして、いつまでも見つめていたい」
ような最上級の美女である。しかも、
「手つきはふっくらぴちぴちとして、肌がきめ細か」な上、
「すらっと伸びやか」
な体つき。その魅力は、目の肥えた光源氏さえ虜にしたことで立証済みである。
対する北の方は、美形だが、
「肌につやがなく」
「とても小柄な上、心違ひ≠フ持病のために痩せ衰え、ひ弱」
という貧弱な体型。鬚黒よりも三、四歳年上の、三十五、六歳の北の方が、二十三歳のとびきりの美女に、かなうわけがないではないか。おまけにこの美女には、光源氏と頭中将という二人の最高権力者達がバックについている。鬚黒の心はすっかり玉鬘に移ろい果て、玉鬘の住む光源氏の屋敷に通い婚する煩わしさから、
「彼女を屋敷に迎えよう」
と決意する。妻子が住む同じ屋敷に住まわせようというのである。
怒ったのは、北の方当人よりも、その親の式部卿宮《しきぶきようのみや》夫妻だ。
「自分達の目の黒いうちは、夫の言いなりになることはない」
と娘を実家に連れ戻そうとする。それを知って、今度は鬚黒がうろたえる。
「冗談じゃない。こんなごたごたがあちらさんに知れたら、世間体が悪いじゃないか」と。
そして長いこと、夫婦の会話もなかった北の方に切り出す。
「昨日今日の浅い仲の夫婦さえ、高貴な身分の人はみんな我慢しながら夫婦生活を続けているんですよ。まして私達は長年の夫婦。人とは違うあなただが、ずっと夫婦でい続けようと、我慢しながら私は過ごしてきたんです。なのに、私のように我慢強くないあなたは、私を嫌いになったのですか?」
病気のあんたに今まで我慢してやったんだから、私がほかに妻をもつことくらい大目に見てもいいではないか。これしきのことが我慢できないなんて、私を好きじゃないんだね?と、相手の弱みにつけこんで、逆恨みしているのだ。ひと言も発しない北の方に、薄ら笑いを浮かべながら鬚黒は続ける。
「あなたの父上も軽率だよ。あなたを連れ戻そうなんて本気で考えているんですかね。それともただ私を懲らしめたいだけなんでしょうか」
これには北の方もムッとして、
「私のことをボケだのカスだの言うのは無理もありませんが、父を悪く言うのは、父に伝わればお気の毒でしょう。私のせいでバカにされたようで」
と泣いてしまう。すると鬚黒は、
「人聞きの悪い。私はただ、万事ご立派なあちらさんに、あなたが嫉妬しているなんて噂が漏れたら申し訳ないと思うから、玉鬘と仲良くしてほしいのです。あなたが実家に帰っても忘れません。いずれにしても、今さらあなたへの愛情が薄れることはないでしょうが、世間の物笑いにならぬように、お互い協力しましょうよ」
と懇願口調になる。世間に笑われるのはあなたもイヤでしょう? イヤならおとなしくしろと脅迫しているのだ。「実家に帰るのは軽率」と言いながら、「実家に帰っても忘れません」と妻が帰ることを前提としているところにも、自分からは別れようとは言わないものの、北の方とは別れたくて仕方がないという彼の本音が、にじみ出ていよう。
マジメ人間の残酷[#「マジメ人間の残酷」はゴシック体]
たとえばあなたの夫に愛人ができて、その女が若くてきれいでお嬢様だったらイヤだろう。そのうえ夫がその女を「家に迎えるから、仲良くやってくれ」と言い、「あなたが騒ぐと、向こうの親が気を悪くする」と、あなたやあなたの両親より、女の親に気をつかったら、どんなに不愉快なことだろう。その不愉快な仕打ちを、鬚黒は北の方にする。
ところが北の方は、そんな夫を強く責めはしない。それどころか、女を迎えるまでのわずかな間も待ちきれず、雪の日にまで女に会いに行く夫のために、女房を指図して、着物に香をたきしめてやるんだから、けなげではないか。しかも夫は、妻がたきしめた香りだけでは心もとないのか、さらに自分で袖の中にまで小さな香炉《こうろ》を入れて、念入りに香りを移している。
無骨な鬚黒が柄にもなくめかしこむ様子は滑稽だが、北の方の目には、
「とても男らしく、気後れするほど立派な姿」
と映るのも、哀れである。外は雪が降り、夫はおしゃれに熱中し、よれよれの着物をまとった北の方は、無言でそれを眺めている。静かな、けれど重い時間が、二人の間には流れていた。と、にわかに北の方は立ち上がり、香炉を取ると、素早く夫の背後に回って、さっと中の灰を浴びせかけたのだ。
こらえにこらえた心が爆発して、心違ひ≠フ発作が起きたのである。細かい灰が目や鼻や髪にまで入りこんだ鬚黒は、愛想の尽きる思いになるが、
「例によって物の怪が、北の方を人に嫌わせるために、やっているのだ」
と、女房達はかえって北の方を気の毒に思う(当時、原因不明の病気は物の怪のせいとされた)。作者紫式部の筆はあくまで北の方に同情的なのだ。
といって鬚黒に一方的に無情なわけでもない。物の怪退散の祈祷を受けてわめき騒ぐ北の方の声に、
「これでは夫がイヤになるのも無理はない」
と同情する。同情しながらも、その日、新妻のもとに行くのを断念した鬚黒が、「せめて玉鬘を引き取るまでの間だけでも静かにしていてくれないか」……そう祈った、と書くのを忘れない。玉鬘が来てしまえばこっちのもんだから、あとは泣くなりわめくなりしてくれ、と鬚黒は思っている。つまり鬚黒が気に病んでいるのは玉鬘の思惑ではない。まして北の方の病状などではない。玉鬘のバックに控える光源氏や頭中将にあれこれ言われて、この結婚が台無しになるのを心配している。彼らににらまれることを一番恐れている。ということを、作者はしっかり書き留める。
そして夕方になると、ためらうことなく玉鬘のいる光源氏邸に向かい、何日も家に帰らない鬚黒。それを知った北の方の両親は、彼の留守中、娘を実家に連れ戻す。
「子供達もいることだし、世間体もみっともない」
そう思った鬚黒は、さっそく北の方の実家に赴くが。
「娘は風邪で会えない」
と冷たくあしらわれたことをいいことに、その後二度と再び、妻を迎えに行こうとはしない。妻を迎えに行ったのはあくまでポーズだったのだ。
この冷たさは、『源氏』の男達の中にあって異例である。たとえば光源氏は、紫の上という愛妻がいても、末摘花や花散里というブス妻達を見捨てなかった。頭中将の息子の柏木も、命をかけて女三の宮を思いながら、妻の落葉の宮にそれを気づかせない配慮があった。その柏木が死に、未亡人となった落葉の宮に通い始めた夕霧も、一時は怒って実家に帰った妻の雲居雁と、結局はうまくやっている。もちろん落葉の宮も妻の一人として、皇女にふさわしい扱いをする。
複数の妻達となだらかな夫婦生活を送ること。それが一夫多妻を保っていた平安貴族男性の当然の義務なのだ。なのに鬚黒は、東宮を甥にもつ大貴族の身で、この貴族の掟を守らない。長年の妻の嘆きも思いやろうとしない。『源氏』によると、
「鬚黒はマジメ一徹で融通のきかぬ性格なので、人の気持ちを逆撫ですることが多かった」
と言うが、マジメな男が中年になって爆発すると、歯止めがきかなくなるという、いい例なのだろう。
そしてマジメさは、貴族間では決して褒められた美徳ではない。『源氏』は鬚黒を非難して言う。
「これが、もの柔らかで、情にひかれやすい好色者なら、何かにつけて人の気持ちを推しはかり、思いやることもあるのだが」
と。こういう柔軟性こそが、貴族に求められる資質。マジメさよりも優しさが「貴族らしさ」というものなのである。
しかも鬚黒は、マジメであっても、マメではない。
「女のもとへ隠れて通うような振る舞いは不慣れで辛いので」
玉鬘を自邸に迎えることにした……そう『源氏』が言うように、恋にまつわる面倒が嫌いなため、北の方以外に通う妻こそなかったが、自邸で働く召使達とは関係していた。手近な女で性欲を処理していたのだ。これまた「色好み」を美徳とする平安貴族の価値観からは外れている。そして、れっきとした妻もないがしろにした鬚黒だ。こうした「お手つき女」に対しては、こう思うだけだ。
「俺はなんでこんな女と寝ちまったんだろう」
鬚黒の、昔の女に対する仕打ちは、恋に不慣れな男の危険性、マジメ男の冷酷さ、心変わりした男の残酷さなどを思い知らせてくれる。
鬚黒の愛と打算――光源氏的世界の崩壊[#「鬚黒の愛と打算――光源氏的世界の崩壊」はゴシック体]
女には冷たい鬚黒ではあったが、彼がほかの大貴族と少し違う点は、娘に対する愛情だった。鬚黒には北の方との間に真木柱という一人娘と二人の息子達がいた。その子供達を全員、北の方は実家に連れ去ったが、鬚黒はとりわけ娘を可愛がっていたので、
「せめて姫にだけでも会わせてくれ」
と申し入れた。が、宮家ではかえって息子達を解放し、姫だけに会わせなかった。
鬚黒は泣いた。泣いて娘を恋しがった。
「お前を、恋しい姫の身代わりと思うことにしよう」
と、娘に似た息子の頭を撫でた。お前を可愛いお姉ちゃんの代わりに……などと言われたら、今の男の子ならムッとしそうだが、同じ子供でも親の愛情の多寡によって歴然と差別されて当然、それも、いずれ人の婿となって家を出る息子より、婿を迎えて家を継いでいた娘のほうが大事にされて当然だった当時、この鬚黒の言葉も自然に受け止められたことだろう。
鬚黒は、頑として娘と会わせてくれない宮家に対し、経済的には変わらぬ援助を続けた。娘のほうも大のパパっ子だったので、
「お父様に会いたい」
と思う。そして、宮家の人々が父を悪く言うのをたまらなく「悲しい」と思い、自由に父の家と往復する弟達から、優しく明るい玉鬘の話を耳にするにつけ、
「羨ましい。自由にならない女の身が悔しい」
と、父に愛されている継母を慕わしく思う。その娘心はいささかゲンキンではあるし、娘が大事な政治の道具であった当時、鬚黒の思いを言葉通りに受け止めるのも危険かもしれない。が、生き別れの娘を迎え取るのにも、「大事な政治のコマをなくして悔しい」と父に言わせて憚らない『源氏』にしては、珍しく麗しい父と娘の交流が、ここにはある。
宮家のほうでも、鬚黒を憎みながら、こうした彼の実直さを認めてはいたのか。
「あんなマジメな男が自分から浮気しようなんて思いつくはずがない」
と、北の方の母=大北の方は言い、恨みは玉鬘の養父光源氏と、妻の紫の上に向けられる(実父の頭中将でないところに注意)。
というのも実は、鬚黒の北の方というのは、紫の上の「腹違いの姉」なのだ。つまり大北の方にとって、紫の上は継子である。そして定番通り、継子は継母に憎まれていた。継子の夫も憎まれていた。大北の方は言う。
「光源氏は、自分が使い古した女を捨てがてら、実直で浮気などしそうにない鬚黒に体よく押しつけたのだ」と。
一方、北の方の父式部卿宮は紫の上の実父である。しかし娘に冷たい父である。紫の上の母の死後は、娘の面倒をろくに見ず、娘婿の光源氏が須磨で謹慎したときは、権力者の弘徽殿大后にはばかって、婿はもちろん娘との交流も絶っていた。彼には負い目があるだけに、物言いは控え目だ。
「世間から何の非難もされない人の悪口は言うな。賢いあの人は、前々からこんな仕返しをしたいと思っていたに違いないのだ。そんなふうににらまれてしまった私の不運なのだよ。さりげなく須麿流謫の時の返報を今しているんだろう」
と諦め口調である。
いずれにしても自分達を痛い目に遭わせる者がいるとしたら、それは紫の上につながる光源氏しかないと二人は思う。玉鬘と鬚黒の結婚は、もともとしっくりしなかった、式部卿宮と光源氏の確執を決定的にしてしまうのだった。
しかし実は、宮家の推測に反して、二人の結婚を計画したのは、玉鬘の養父の光源氏ではありえなかった。光源氏は、冷泉帝への入内を画策したことからも分かるように、鬚黒との結婚には終始反対だったのだ。それに対して実父の頭中将は、「鬚黒なら不足はない」と乗り気だった。鬚黒は、そんな二人の思惑を鋭く読み取り、
「実父さえうんと言えばOKだ」
と、早い時期から、光源氏を無視して、頭中将のほうに正式に結婚を申しこんでいた。
頭中将はというと、
「鬚黒に娘を許してやりたいが、冷泉帝への入内を考えている光源氏の手前もあるし」
と悩んでいた。
そんな時、玉鬘のベッドルームへの鬚黒侵入事件が発生するのである。
もう一度、鬚黒と玉鬘の結婚のいきさつを振り返ってみよう。
「ミカドに知れたら恐れ多い。しばらくは世間に知られぬようにしよう。そう光源氏は諫めたが、鬚黒は隠しきれなかった」
これが、二人の結婚を描いた「真木柱」の巻の冒頭。ついで玉鬘が「私は運が悪い」と嘆いたこと。そんな玉鬘を、鬚黒が仕事もせずに慰めたこと。光源氏は不満に思いながらも、
「誰もが許してしまったことなので、今さら異を唱えるわけにもいかなくなった」
といういきさつが駆け足で語られる。二人が結婚に至る「馴れ初め」は具体的には何一つ描かれない。
その謎の一端が解けるのは、十年後、光源氏が正妻女三の宮と柏木の不義を知った時。
「女三の宮に比べると、玉鬘はどんなに賢かったことか」
と回想する場面で、だ。
「あの鬚黒が、浅はかな女房と協力して押し入ったときも、きっぱり拒絶したということを世間にアピールした上で、あらためて許されたという形にもっていって、自分から進んでのあやまちではないことにしたんだっけ」
光源氏は思い出す。これが事実なら、玉鬘は鬚黒に強姦されたのではないのかもしれない。あるいは強姦されたとしても、「とにかく自分は拒んだ」というスタンスを保ったまま、周囲の許可に従って、鬚黒と結ばれたことになる。むろん許したのは頭中将だろう。光源氏が「誰もが許してしまったこと」と残念がったのは、主導権が彼になかったことを示している。鬚黒を玉鬘の寝室に導いた女房がお咎めなしだったのも、頭中将の息がかかっていた証拠。北の方の両親は「黒幕は光源氏」と見ていたが、裏で糸を引いていたのはむしろ頭中将だったのだ。
なぜ鬚黒と頭中将は手を組んだのか。鬚黒は東宮の唯一の母方の伯父だ。ミカドの母方が政権を握る当時にあって、次期政権の座が予定されている。しかし予定は未定。というのも当時は、いったん東宮に決まっても、権勢家の都合で廃太子にされることもあった。現実に、三条帝の皇子敦明親王も、紫式部が仕える藤原道長に東宮を降ろされている。東宮の伯父だからといって政権が約束されていたわけではないのだ。
だからこそ鬚黒は現権力者と手を組む必要があった。鬚黒が最初、式部卿宮の娘と結婚したのも、宮が冷泉帝の唯一の母方伯父だったためだろう。ところが宮は、娘の王女御《おうにようご》が、光源氏の養女秋好中宮に皇后の座をさらわれるなど、現政権の担い手たりえなかった。そこで新たに現政権とのコネを求める必要があった。現政権のトップは光源氏と頭中将だ。だから光源氏の娘という触れこみの玉鬘に、鬚黒は飛びついた。ところがこの玉鬘の実父が頭中将と分かったので、急遽、頭中将のほうに近づいた。頭中将のほうでも、次期政権の担い手と手を握っておけば、ミカドが代替わりしても地位は安泰だから、これを歓迎した。かくて鬚黒は、玉鬘との既成事実を自ら吹聴して回り、結婚の地固めをした。
マジメな男鬚黒は、政略結婚を繰り返す、抜け目ない男でもあったのだ。
舅の式部卿宮は、こうした彼の性格を見抜いていたのか。鬚黒が北の方を迎えに宮家を訪れた時、娘にこう言っている。
「時世におもねるあの男の性格は、今始まったことではない。待ったところで何も変わらないのだ」
肝心なのは、実父のほうが養父よりも決定権があるという常識的な鬚黒の見解が現実のものとなって、光源氏の思惑はことごとく外れてしまったということ。この結婚のせいで、式部卿宮だけでなく、
「ミカドや螢宮にも恨まれてしまった」
と、光源氏が嘆いていることだ。
夕霧という息子によって相対化された光源氏的世界は、ここにきて頭中将の逆襲という形で、崩壊しつつあった。光源氏万能時代は、もはや終わりを告げようとしていた。鬚黒が、玉鬘は頭中将の実子と分かったとたん、光源氏をあからさまに無視したのも、こうした世の趨勢を敏感に感じとっていたからかもしれない。
女を暗くする男[#「女を暗くする男」はゴシック体]
計算高い鬚黒に誤算があったとしたら、玉鬘に本気でほれたことだ。ほれたからこそ、妻への冷酷さが浮き彫りになるという皮肉な結果につながった。北の方にとっては不運だが、愛された玉鬘が幸運かというと、必ずしもそうとは言えない。
玉鬘は、結婚早々、夫と旧妻のゴタゴタで、すっかり憂鬱になってしまう。しかもせっかく尚侍という栄えある職に任命されても、夫は出仕を許してくれない。それでやむなく在宅勤務をするが、彼女の部屋に、宮廷から来た部下の女房達が出入りする際も、つまり仕事中も、夫はまとわりついてそばを離れない。
「全くイヤんなっちゃう」
と玉鬘は思う。
「光源氏はどう思っているかしら。螢宮はあんなに私のことを思って優しくして下さったのに」
と思うと、恥ずかしくも悔しい気持ちになって、もともと陽気な性格なのに、笑顔も見せなくなる。光源氏も周囲の女房も気の毒がって玉鬘の出仕を勧めるが、夫の鬚黒が「うん」と言わない。
「美しい妻を出仕させるのは不安だ」
と思うからだ。しかしやがて「ある一計」を思いついた鬚黒は、ついに出仕を許す。とはいえ、そこは平安朝の宮廷。彼女の出仕を知るや、昔の求婚者の螢宮はさっそく恨みのラブレターを寄せ、冷泉帝は、
「私達はこれ以上、深くなれない間柄なのですか」
と迫ってくる。こうした動きに鬚黒は、いてもたってもいられなくなって、頭中将の協力を得て、妻を早々に退出させてしまう。そのついでに彼女を光源氏邸から自邸に移してしまうのだ(それまで鬚黒は自邸から玉鬘のいる光源氏邸に「通い婚」していた)。
これが、鬚黒の「ある一計」だった。
頭中将もこれにはちょっとムッとした。
「なんだか略式すぎるよなー」
と感じた。良家の子女の結婚は、まず夫が妻の実家に通い、何年かして夫婦で独立するのが普通で、妻が夫の家に迎えられるのは、女の身分が低いとか、身寄りがないとか、貧乏というケースだった。それで形式主義の彼としては、娘や我が家をバカにされたような気持ちがしたのだが、
「こんなことで、鬚黒との間にヒビが入ってもまずい」
と思うので、鬚黒の好きにさせた。
一方、光源氏は「してやられた」と思う。世の中が彼の思い通りに動く時代はすでに終わっていた。完全に鬚黒のペースにはめられていた。
当の玉鬘は、といえば、
「冷泉帝と話していたでしょ」
と夫がひどく嫉妬するのも、
「貴族らしくもない」
と思うので、出仕前より不機嫌になる。冗談も通じない夫に、彼女が思い出すのは、かつてあれほど「イヤらしい」と嫌った光源氏のこと。
「思えば彼は面白みのある人だった。こんなクソマジメな男と結婚してしまった私は、なんて不幸なんだろう」
と悲しくなり、光源氏から手紙をもらうと、涙さえ出てくる。たび重なる彼の手紙に、
「実の親でもないくせに」
とつぶやく夫も憎い。
「ご返事は書けそうにありません」
と言うと、
「じゃあ僕が」
と代筆を買って出る夫も腹立たしい。夫の見ている前では返事が書きにくいから「あっちへ行って」というつもりで言ったのに、真意を察せぬ夫の鈍さが憎いのである。
愛していても、愛してなくても、妻の気持ちを汲もうとしないという点では、鬚黒は同じなのだった。仕事を邪魔され、男と話したと言っては嫉妬され家に閉じこめられ、しかも面白みのない夫ときては、玉鬘でなくても暗くなる。結婚三十三年目。すでに未亡人になっていた五十六歳の玉鬘は、見た目こそ「変わらず若く美しい」ものの、「目元がにこやかすぎるのが、気高い美貌を殺いでいる」と言われたほどの昔の明るさは、どこへやら。娘の婿選びに失敗し、出世の遅い息子達を見るにつけ、
「夫さえ生きていたら」
というのが口癖の、愚痴っぽいオバハンになっていた。そして、娘のかつての求婚者である、夕霧の息子の出世を見るにつけ、
「いい気なものよ。世の中をなめて、官位など何とも思わず過ごしている。夫さえいたら、うちの息子達だって、あの子達のように恋にうつつを抜かすこともできるのに」
と恨む玉鬘の姿には、光源氏も舌を巻くほど聡明だった、かつての面影は見当たらない。
それもこれも夫の鬚黒が、
「いささか情に乏しくマジメすぎて、人に恨みを買っていた関係からか、死後は親しく屋敷に通う者もない」
つまり味方が少なかった上、玉鬘自身も、嫉妬深い夫のせいでつき合いが狭くなっていたためだ。玉鬘の華麗な求婚譚の果てには、苦く寂しい現実が待っていたのだった。
処女に感激するマッチョ[#「処女に感激するマッチョ」はゴシック体]
ここまで読むと、あーやっぱりマッチョはダメだー。男は華奢系、と読者は思うかもしれない。しかし鬚黒には、必ずしもそうとは言い切れない、微妙な評価の揺れというのがある。
『源氏』というのは、たとえば弘徽殿なら「意地が悪い」とか、頭中将なら「義理堅いが権威主義」とか、物語での評価がわりと安定していて、その後大きく外れることはないのだが、こと鬚黒に関する限り、良くも悪くも評価が分かれているのだ。
まず、彼に対して低い評価を与えているのは、光源氏、玉鬘、鬚黒の北の方、その父の式部卿宮だ。
鬚黒が玉鬘に求婚すると、光源氏は思っていた。
「鬚黒などですら、世間では一目置いているが、玉鬘の婿としては物足りないだろう」
玉鬘もその容貌や面白みのない性格を、積極的に「気に入らない」としていた。鬚黒の北の方などは、妻子を放り出して玉鬘に熱中する鬚黒を、
「継子物語の父でさえ、子供に薄情になるのは妻が死んでからなのに、現に妻の見ている前で子供を放置するなんて、継子物語の父以下だ。親といっても形ばかりではないか」
と決めつけていた。その父の式部卿宮に至っては、
「時世におもねるあの男の性格は、今始まったことではない」
とさえ酷評する。
これが、彼の肩をもつ頭中将、鬚黒の子供達、北の方の母=大北の方にかかると、こんな具合。
「人柄も申し分ないし、未来の朝廷の担い手となる人だから、不都合なことは何もない」
と頭中将は思い、
「あんなマジメな男が自分から浮気しようなんて思いつくはずがない」
と、大北の方は言う。
また鬚黒の長女真木柱は、母に連れられて宮家に行く時も、
「お父様に会わないでは暮らしていけない。ここを離れるのはイヤ」
と、泣いて父を慕う。
アンチ鬚黒派では「ヤボで計算高くて、父としても形ばかりの冷酷な鬚黒」が、鬚黒派では「実直で人柄も良く、子供に好かれる鬚黒」というふうに、まるで別人のような評価を見せる。
そして『源氏』では、この鬚黒派の意見が通り、しかし結局は、アンチ鬚黒派が非難した鬚黒の性格が、子孫を不幸にしたという結末に落ち着いている。
やはり、このへん、マッチョという時代の好みに合わない男を、玉鬘というヒロイン級の美女に割り当てるという、物語史上空前の試みを実現する中で、読者を説得していかなければならないというプレッシャーが、こうした分裂する人間像につながったのかもしれない。
それはそうと、鬚黒に関して私が一番印象的なのは、玉鬘と結婚したとき彼女が処女だったことを知って、
あり難うあはれ=c…めったにないことと感激……したことだ。
結婚前まで処女でいる女がめったにない、という意味ではない。
鬚黒としては、光源氏は好色者だし、玉鬘ほどの美女がそういう光源氏の養女となって、何もないはずはないと思っていたし、世間もそのように噂していた。しかし、にもかかわらず玉鬘は潔白だった。それに感激した。つまり鬚黒が感激した「めったにないこと」というのは、
「好色な養父に犯されない養女はめったにない」
ということだ。そんなことに感激するとは、美女が養父に犯されるというのは、よほどありふれたことだったのだろうか。
いずれにしても、「処女を喜ぶ男」というのは、『源氏』にも『源氏』以前の物語にも、鬚黒をおいてほかにはいない。光源氏なんて、朧月夜が処女と知ると、
「これが人妻だったらもっと燃えるのに」
などと思ったほどで、最も愛した藤壺は父の寵妃だし、「こんなの初めて」というほど溺れた夕顔も子持ちの人妻だった。
処女であるとかそうでないとかは、光源氏の眼中にはほとんどなく、それは『源氏』以前の平安物語の主人公も同じだった。
それが鬚黒に至り、明らかに違う人種がここに出てきたなーという感じがするのだ。
鬚黒は、玉鬘が処女であることを知り、「感激した」だけでなく、
「ますます玉鬘を好きになった」
という。そして、そんな鬚黒を作者の紫式部は、
「それももっともだ」
と評する。
鬚黒みたいな気に食わないブ男に最初にヤられるくらいなら、光源氏とヤっておけばよかった……という考え方も「あり」なのに、処女に感激するという新人類の感性に肩入れしているのだ。
作者よ、鬚黒を喜ばせてどーする。紫式部、一体、どっちの味方なんだ? ここにきて当時の『源氏』読者は、光源氏の単なる引き立て役に見えた鬚黒に対する、作者の意外な思い入れに気づいて、かつてない新しい価値観に、無意識のうちに絡めとられていったことだろう。マッチョな男も意外と可愛いのではないか? 玉鬘の結婚もまんざら失敗とは言えないのではいか?と。
読者は何より、並み居る華奢系を押し退けて、マッチョな鬚黒というかつてない異形の夫を玉鬘にあてがった紫式部の意図を思うべきなのだ。
紫式部が、彼の容貌を「玉鬘は気に入らない」と書いたあとで、
「なんで男の顔が、化粧した女の色つやに似るわけがあろう。とても理不尽なことを、若い女は軽蔑のタネにする」
と、「女性的な美」を基準としていた王朝の美意識に、こっそり異を唱えた理由を考えるべきなのだ。
紫式部の鬚黒への肩入れは、何を意味するのか。大夫監というマッチョに始まり、鬚黒というマッチョに終わる玉鬘の求婚譚には、作者のいかなる思いがこめられるのか。次項で考えてみたい。
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螢宮《ほたるのみや》と冷泉帝《れいぜいてい》◆なよなよ男への幻滅[#「螢宮《ほたるのみや》と冷泉帝《れいぜいてい》◆なよなよ男への幻滅」はゴシック体]
『源氏』以前の物語では、鬚黒タイプのマッチョな男は、下賤な端役と決まっていた。『源氏』でも、前半では、優美な貴公子の引き立て役だった。それが、光源氏の中年期に重なる、玉鬘十帖と呼ばれる巻々では、大夫監や鬚黒が「ヒロインの求婚者」という重要な地位を占めるに至る。しかも並み居る貴公子を出し抜いてヒロインを得るという、大逆転が語られる。紫式部はなぜ、王朝文学の常識を覆す、こんな設定を発明したのか。貴公子達は鬚黒に比べて、そんなにひどい男だったのか。
花嫁の父に嫌われる男[#「花嫁の父に嫌われる男」はゴシック体]
玉鬘の有力花婿候補として、最初に物語に現れたのは、光源氏の異母弟の螢宮だ。玉鬘という美貌の養女を手に入れた時、光源氏は真っ先に彼を思い浮かべたものだ。
「こんな娘がいると人に知らせて、螢宮などの、我が家を気に入っている男の心を惑わしてみたい。好き者どもがマジメぶって、この屋敷に足を運ぶのも、目当ての女がいないからだ。玉鬘を目一杯大事にしてやって、すました顔とは裏腹の人の本性を見てやろう」
玉鬘をタネに、はやる弟の心を見たいとは、道楽もここに極まれりだが。動機はともかく、そんな光源氏の思惑のせいで、螢宮は、玉鬘の花婿候補の中で一頭地を抜きんでることになる。
続々と届く求婚者達からのラブレターの中で、とくに螢宮の手紙には、
「少しでも嗜みのある女は、あの宮と文通するといい。一癖あって面白いよ」
と光源氏は勧め、玉鬘が無視すると、勝手に色良い返事を出してしまう。こうして何も知らない玉鬘のもとに、螢宮をおびき寄せた光源氏は、闇の中に螢を放って、玉鬘の姿を見せつける。しかも、首尾よく螢が放たれたあとは、その場を立ち去ってしまう。これでは、宮に玉鬘を「犯して下さい」と言っているようなものではないか。
平安時代、高貴な女は親子兄弟以外の男に姿を見せなかった。そんな女を他人の男が「見る」というのはイコール「セックス」を意味していた。男達は、女の顔も知らないで、世評や家柄だけで「結婚してくれ」と言っていたわけで、実際見た(=セックスした)ら、思っていたよりずっと印象が良かったという近まさり=A逆に期待ほどではなかったという近劣り≠ネんて恐ろしい慣用句もあったほど。のちに玉鬘の夫となった鬚黒でさえ、彼女の部屋に無理やり押し入ったその夜が初対面である。螢宮がいかに特別扱いされていたか、分かるだろう。
彼はまた、当の玉鬘にも憎からず思われていた。冷泉帝への入内が決定後、求婚者達から殺到したラブレターの中で、玉鬘は彼にだけ、
「あなたのこと忘れません」
という返事を出している。入内寸前に鬚黒に犯されて結婚したあとも、
「宮は優しい人だった、私を愛してくれていた」
と思い出しては、結婚を悔しがっていた。養父のくせにセクハラを仕掛ける光源氏、寝こみを襲った夫にひきかえ、螢の光で自分を見た夜でさえ、何もしないで帰った宮に、好印象を抱いていたのだ。
にもかかわらず彼は、常に最終面接に残りながら、決して内定を取れない求職者のように、ドタンバで振り出しに戻る男だった。結局、玉鬘は、養父の光源氏の画策で入内が決まり、さらに入内寸前に、実父の頭中将と組んだ鬚黒と結ばれることになる。そして三年後、朱雀院の女三の宮との縁談に期待した螢宮は、またしても「最終選考」の段階で候補から外されてしまう。
なぜ彼は黒星続きなんだろう。その答えを、作者は相手の女性の父親の口から語らせる。
螢宮は、本人よりも、その父に評判の悪い男だったのだ。
光源氏は玉鬘に言う。
「あの人はすごく色好みで、通う女もたくさんいると聞くし、召使にも大勢手をつけているらしい。そんな男に飽きられずに夫婦でいるのも大変だよ」
また朱雀院は娘の乳母に言う。
「人品は無難なんだがね。身内の悪口は言いたくないが、あまりになよなよと風流すぎて気取っているから重みに欠けて、少々軽率な印象が強い。やはりそういう人は大して頼りにならないからね」
こうして父達の反対に遭い、結婚し損なった螢宮は、さすがに世の中がイヤになり、「いい笑いものだよ」と落ちこむものの。
「だからって、このまま甘えて過ごしてばかりもいられない」
と一念発起。玉鬘への未練もあったのだろう、彼女には継子に当たる、鬚黒の長女真木柱に求婚するのだが。今度も父の鬚黒が反対する。理由は、
「すごく好色な人だから」
というものであった。
要するに、
「好色でなよなよしてて風流すぎるからイヤ」
というのが、彼らの反対理由なのだが。実はこれ、すべて平安貴族の美徳である。つまり、理由になっていないのだ。
不幸な結婚[#「不幸な結婚」はゴシック体]
色好みで優しくて、書画・香道、音楽の道に至るまで、「世にもまれな名人」で、顔はそれほどでもないが、「優美な雰囲気は光源氏そっくり」という王朝貴公子の典型螢宮。そんな彼が、花嫁の父に嫌われるのは、
「典型的な王朝貴公子であるがゆえ」
という奇妙な理屈が、『源氏』にはある。
しかし、そんな理屈をストレートに語ったところで、王朝時代の読者には通用しない。だから紫式部は、自分の理屈を通すために、「不幸な結婚」というディテールを用意する。
真木柱に求婚した螢宮は、父の反対にもかかわらず、この結婚を承諾されるのだ。
承諾したのは、祖父の式部卿宮だった。父の鬚黒は、真木柱の母とは離婚したために、娘に対する発言権をなくしていた。母の北の方は、心違《こころたが》ひ≠フ病が悪化して娘の世話どころではない。そこで、おじい様の判断に委ねられたわけだ。宮の結婚が成功したのは、この縁談だけが、父の意向が反映されなかったためで、逆に言うと、鬚黒に決定権があれば、この結婚もおジャンになっていただろう。また、式部卿宮も螢宮も、玉鬘との結婚問題で、共に鬚黒を恨んでいたことも無視できない。
「大事な娘は、ミカドの次には、親王達に差し上げるのがふさわしい。堅実な一般人をもてはやす今の風潮は下品だね」
という式部卿宮の言い分は、経済的に堅実な一般人である鬚黒と玉鬘への当てこすりだろう。螢宮に孫娘を許したのも、彼らへの対抗心があればこそで、つまり特殊なケースだったのだ。
ところが、この結婚生活は、幸せなものとは言えなかった。
晴れて真木柱との結婚を許された螢宮は、
「なんだ、あっけないな」
と思う。文通を繰り返し、何度も家に足を運んで、やっと許されてこそ、女を得る喜びもあるというもの。恋の恨みを言う間もないほど簡単にOKされたのでは、つまらない、というのである。それでも相手の身分柄、今さら言い逃れもできないので、通い始めてはみるものの、どうも気に入らない。近劣り≠ニいうのではないが、
「昔の妻と違う」
と思う。
と、ここで初めて螢宮の心の内が明かされるのだが、彼は実は、死んだ妻のことが忘れられなかった。そこで、
「昔の妻に似た人と結婚したい」
と思っていた。ということは、玉鬘がいくら美人でも、やはり「妻に似ていない」という理由で、うまくいかなかった可能性もある。二人の噂を耳にした玉鬘は、
「もしも私が真木柱のような目に遭っていたら、父達は何と思ったろう」
と胸をなで下ろす思いになる。この感想によって「ね? 玉鬘は螢宮と結婚しなくて良かったでしょう?」と、紫式部は読者に念押ししているわけだ。
彼に対する厳しい評価はなおも綴られていく。父の鬚黒は、
「だから言わんこっちゃない。ひどい浮気性の宮なんだから」
と不快になる。真木柱の祖母である式部卿宮の妻=大北の方などは、
「親王は、妻一人を愛してくれるのが、派手な暮らしができない慰めと思っていたのに」
と聞こえよがしに、悪口を言う。親王なんて貧乏なんだから、妻を愛してくれなきゃ何の取り柄もない、というのだ。自分だって式部卿宮という親王を夫にもつわけだから、これは夫への当てつけでもあるのだろうか。実は式部卿宮夫妻は、以前、柏木に縁談を申しこんでいた。柏木といえば、頭中将の長男で、摂関家の御曹司。「派手な暮らし」ができる一般人の藤原氏である。その彼に断られたので、螢宮の求婚をOKしたという事情があった。「堅実な一般人をもてはやす今の風潮は下品」という式部卿宮の先の言葉は一種の負け惜しみで、本音は彼らも、お金持ちが好きなのだ。
風流人の正体[#「風流人の正体」はゴシック体]
親王は、金がない。あっても実務能力に欠け、それを維持するだけの生活力がない。これは、『源氏』に貫かれている、一種、常識に近い認識である。家土地は娘が相続していた当時、ミカドになる当てのない男性皇族は、とくに貧乏になりがちだった。
桐壺帝が、母を亡くした息子の光源氏を親王にせず、あえて「源氏」の姓を与えたのも、
「母方の後見もない親王にして、不安定な暮らしをさせたくない。一般人として、朝廷の補佐をするほうが、将来も安心」
と考えたからだ。そして摂関家の姫君である葵の上を妻にあてがうことで、豊かな暮らしと権力を約束してやった。それもこれも光源氏が桐壺帝の「秘蔵っ子」だったからで、同じ息子でも螢宮にはさしたる愛情もないために、簡単に親王にしてしまったのだろう。
通常、親王も一般貴族と同様、母の実家で養育されるが、『源氏』には宮の母の話はとくに出てこないから、さして有力な一族でもあるまい。
だから、なのか。宮は結婚相手に経済力を求めていたようだ。宮が求婚した真木柱のプロフィールを作者はこう紹介する。
「祖父の式部卿宮の名声はたいへんなもので、冷泉帝の信任も格別である。時流に敏感な宮でもあり、光源氏と頭中将の次には、世間の人も一目置いている。父の鬚黒大将も次期政権の重鎮となるべき人なので、姫の評判は、どうして軽いはずがあろう」
式部卿宮は、須磨流謫の一件で、光源氏ににらまれてうだつが上がらなかったはずなのに、ここでは一転、評価が高まっている。それは、彼の孫娘に近づいた螢宮の「下心」を暗示するためにほかなるまい。こうした彼の下心は、実はこれまでも語られていて、光源氏が彼に玉鬘を見せたのも、
「私の娘と思うから、宮もこんなに熱心なのだ。これほどまでの美貌とは思ってもいないだろう」
と考えたからだ。頭中将も当初、玉鬘の噂を聞いたとき、娘とも知らず言っている。
「螢宮などが熱心に求婚しているのは、光源氏に名声があるからだ。人の心なんて、みんなそんなものだよ。実は大した娘でもあるまいさ」
時流におもねる宮の気性はわりと有名だったのだ。ここで宮の結婚&求婚歴を振り返ってみよう。
@ まず彼は、のちに「彼女に似た人を」と思い出す妻と結婚。彼女は、かの弘徽殿大后の妹で、当時、東宮だった朱雀院には叔母に当たる。
A @の女性に死別後、求婚した玉鬘は、現政権のトップ頭中将を実父、光源氏を養父にもっていた。
B 次に求婚した女三の宮は、朱雀院の最愛の娘であり、死んだ藤壺女御にとっては一人娘なので、両親からの莫大な相続が期待できる(ちなみに彼女の求婚者はほかに柏木、夕霧、冷泉帝などで、玉鬘の求婚者とほとんど同じメンバーだった)。
[#ここで字下げ終わり]
みんな金持ちや権勢家の娘達だ。風流人で名高い彼は、実は権門好き・お宝好きの、時流に弱い男だったのだ。というか、風流だからこそ、時流に弱くなったのだろう。貧乏皇族の彼が、女っ気のある風流な暮らしを保つには、人の資産に頼らざるを得ないからだ。
そういえば彼は、同族になめられているようなところがあって、朱雀院は彼を娘の花婿候補から外しているし、さんざん彼の心を弄んだ光源氏は、螢宮がいざ正式に求婚してくると、
「冷泉帝の仰せを伺ってから、決めさせて下さい」
と、はぐらかしている。玉鬘と鬚黒との結婚が決まったときも、
「いろんな人が私を恨んでいるようだが、螢宮は思いやりの深い人なので、事情を話せば納得してくれよう」
と軽く考えていた。彼らにとって宮は、
「くみしやすいが、頼りない」
男なのだったが、それは、宮の経済事情のせいなのではないか。
真木柱に求婚した時、宮は思っていた。「このまま甘えてもいられない」と。これはつまり、光源氏など裕福な兄達に頼る暮らしはほどほどにして、金持ちの妻を見つけなきゃ……という意味だろう。これ以上兄さんの世話になるのは心苦しいよ、と、彼なりに気をつかっていたわけだが、どこまでいってもヒモとしてしか生きられないのが、藤原時代の皇族の悲しさ。その結果、風流な暮らしを維持するために、お金持ちや権力者とお近づきになるという、最も無風流なことになってしまう。
光源氏が「見たい」と思った人の本性とは、つまりそうした貧乏風流人の、矛盾の生臭さ……たとえば頭中将や鬚黒のように、政界の泥沼の中で自らの手を汚す潔さのない生臭さなのだろう。螢宮が娘の父に結婚を反対される理由もたぶんここにある、と私は思う。
「金がないなら浮気すんな」という大北の方の言い分は、貧乏なくせに風流を気取るのはもうよしたら……という作者の本音がこめられているような気がする。
紫式部は王朝貴公子が嫌い[#「紫式部は王朝貴公子が嫌い」はゴシック体]
では裕福なら、風流で色好みでもOKかというと、そうでもないようで、六条御息所は、当代一の風流人で、しかも莫大な資産の持ち主でありながら、「執念深い性格がイヤ」と主人公の光源氏に嫌われている。光源氏自身、女遍歴の果て、寂しい晩年を余儀なくされたのは、色好みに対する作者の悪意と偏見を反映していよう。
紫式部は色好みとか風流が嫌いなのだ。それを良しとする王朝貴公子が嫌いなのだ。
そう思わないと、この物語での御息所の不運や、螢宮の評価の低さは説明できない。
玉鬘の筆跡を見た螢宮に、作者はこう思わせている。
「もうちょっと字に風情があるといいんだけど」
風流人だけに、女への注文もうるさい。しかし、そんな彼の筆跡を、作者はこう評しているのだ。
「大したことのない筆跡を、おしゃれに並べることで、すっきりうまくまとめている」
ここから浮かび上がるのは、実力もないくせに、人の批判はいっぱしな軽薄男である。
彼は光源氏の筆跡を、
「目もくらむようです」
と褒めちぎってもいて、紫式部に、
「何ごとにもこだわって、もったいぶった人なので、ほんとに大袈裟に素晴らしがる」
と決めつけられている。時代劇などで、オーホホホと甲高い声で笑うイヤミな貴族の原型が、ここにあるという感じである。そういえば、紫式部は、落ちぶれたもとライバルの清少納言を、日記でおとしめているのだった。
「こんなふうに人と違ってみせたがる風流人は、何の変哲もないつまらぬことでも、むやみに感動したがって、いちいち風情を見つけようとするうちに、おのずと軽薄なこともしでかすのでしょう。そんな人の行く末はろくなもんじゃありません」
本命冷泉帝のその後[#「本命冷泉帝のその後」はゴシック体]
玉鬘の花婿候補の本命冷泉帝も、典型的な王朝貴公子だった。人妻となった玉鬘が尚侍《ないしのかみ》として参内すると、
「噂には聞いてはいたが、これほどとは」
と、内心、その美貌に驚嘆しながら、
「このたびのあなたの昇進からも、私の気持ちは伝わっていると思っていましたが、何のお礼もないとは、あなたは人に何をしてもらっても当たり前という性格なんですね」
と、恩に着せた上で、
「僕達は深い関係になれないの?」
と迫ってくる。玉鬘は以前、冷泉帝の姿を公式行事で拝見したとき、
「光源氏よりも素敵だわ」
と、好感をもっていたのだが。本気で口説く冷泉帝を目の前にすると、
「男はみんな同じだわ。夫のいる身で、あるまじきことも起きかねない」
と怖くなって宮中をあとにする。玉鬘二十四歳、冷泉帝は二十歳の春のことであった。
が。いつまでも死んだ妻を忘れぬ螢宮といい、父の妻藤壺の面影を引きずる光源氏といい、好色者は叶わぬ恋ほど執念深さを増すものなのだろうか。冷泉帝は、退位後、すでに冷泉院≠ニなっていた四十四で、親子ほども年の離れた、玉鬘の娘に結婚を申しこんでいる。『源氏』によると、
「玉鬘のことを今も諦めきれず、何かにかこつけて会えないものかと思案を巡らした末、姫君を妃にほしいなどという無理を言い出したのだった」
この時、玉鬘は四十八歳の未亡人である。平安女性は四十を越えても恋や再婚をすることも珍しくないが、それにしてもえらいご執心ではないか。玉鬘の娘は、時のミカドからも求婚されていたが、玉鬘自身、かつて見た美貌の冷泉院に、未練があったのか。
「私は運悪く人妻になって、彼を落胆させてしまったが、娘を差し上げれば、私のことを少しは許してくれるかもしれない」
と思って、冷泉院に入内させる。娘は案の定、寵愛を集めるのだが。院の妃は、玉鬘の妹弘徽殿女御、義姉秋好中宮といった近親者で占められていた。五十三歳の中宮を筆頭に、いずれも姥盛りの妃達の中に、二十歳そこそこの女が乗りこんできて夫を奪ったら、親戚なだけに憎しみも倍増しようというもの。娘は宮中でいじめられ、実家に下がりがちになる。
しかも冷泉院は、異母兄八の宮(実は叔父)の二人の姫達にも目をつけて、
「彼女達を引き取りたいな。光源氏が晩年、女三の宮を妻にしたように」
などと考えている。玉鬘は嘆くのだった。
「世の中にはもっと気楽な夫婦生活を送る女も多いでしょうに。よほどの恵まれた人でない限り、宮仕えなど思い立つべきものではなかったのだ」
自身、冷泉帝への入内が予定されていた彼女のこの感慨はイコール、
「母もない、田舎育ちの私が入内などしなくて良かった」ということだろう。
継子の真木柱と、実の娘と。玉鬘の娘達の人生は、もしもあの人達と結婚していたら……という、玉鬘の心に湧いたかすかな未練を、母の代わりになぞったあげく、やはり鬚黒で良かったのだという確認の旅だったと言える。こうして作者は、マッチョな男と美女という、王朝文学にかつてない意外な組み合わせの結婚を、読者に納得させるのだった。
マッチョ系の勝利の意味[#「マッチョ系の勝利の意味」はゴシック体]
さて。光源氏という美男子が富も地位も手に入れるという設定、そしてそういう男と結婚した女達が満ち足りず、光源氏自身も愛に飢えているという設定は、もう、一足飛びに「現代的」だったが。いわゆる玉鬘十帖に出てくる男達というのは、どうも現代以前の「近代的」に退化しちゃったようなところがあるっていうのが、今の私の感想だ。
鬚黒は顔は無骨で不器用だけど、富も地位もあって妻思いというのは、一昔前の少年漫画みたいだし、螢宮は都会的で紳士だけど誠意と金がないって、もろ「色男、金と力はなかりけり」の世界だ。で、光源氏の血を引く美貌のミカドの冷泉帝が、中年以降は色に狂ってどうしようもなくなった、なんて設定も、何もかも完璧な人間なんていないのさという悪しき平等主義の賜物みたいで、ちょっとひがみっぽくて私はイヤだ。
が、今見ると、当たり前のようで面白みのないこういう設定こそ、美と恋の至上主義だった当時はかえって新鮮味があったのだろう。人によっては、というより紫式部自身にとっては、快哉を叫びたいほどの小気味良いものだったかもしれない。
玉鬘の物語では、螢宮、冷泉帝といった、光源氏と同系列の王朝貴公子が敗北した。しかも「押しが弱いくせに未練がましい性格」の持ち主としておとしめられた。
たぶん紫式部は、宮廷でイヤというほど彼らを見たのだろう。優しい顔に隠された計算高さや、風雅の裏の生臭さを。どうしようもなく女好きなくせに、女を見下した一面を。そして思ったに違いない……これなら無骨なうちの夫や父のほうがまだまし、と。
紫式部の家族は、『源氏』でマッチョな容貌を与えられている受領階級に属すのだ。
そして『源氏』のマッチョな男達は、「粘り強さ」と「行動力」、「変化」の人として描かれる。
思い出してほしい。玉鬘に障害があるとの噂に、すべての田舎の好き者達が諦めた時、ゲンこと大夫監だけが、国境を越えて求婚に来たことを。鬚黒もまたミカドの婚約者であるという障害を乗り越えて、玉鬘の寝所に押し入った。そして玉鬘が九州から脱出するきっかけを作ったのがゲンなら、玉鬘を光源氏の屋敷から切り離したのが鬚黒だった。閉塞状況を打開するとき、力を発揮するのがマッチョなのだ。
このマッチョの系譜は言うまでもなく、武士の世のヒーローにつながっていく。玉鬘十帖で見られた逆転劇は、『源氏』誕生から二百年と経たないうちに現実のものとなり、マッチョが優美な貴公子に代わって君臨する武士の世の中が来る。『源氏』では、鬚黒特異の特徴である「処女に感激する」性格なんてのも、儒教思想の蔓延した江戸時代では、当たり前になるんである。
マッチョに始まり、マッチョに終わる玉鬘の求婚譚は、今でこそ、ほかの光源氏の物語に比べて古くさいものの、紫式部の時代には「現代的」を越えて「未来的」でさえあった。
『源氏』に描かれる「なよなよ男」の零落は、
「なよなよ貴族はもううんざり」
という作者の本音とともに、来るべき皇族や貴族の零落を暗示していたのだ。
ともあれ、鬚黒に代表される先進の人物像は、『源氏』では、受領階級の男達に受け継がれていく。
そして玉鬘の求婚譚で投げかけられた、
「カッコいいなよなよ貴族か、ダサいマッチョか」
という一大テーマは、
「好色な大貴族か、自分一人を愛してくれるさえない受領階級か」
という身分問題に集約され、蒸し返されていくのだった。
[#改ページ]
伊予介《いよのすけ》◆都合のいい夫のうっとうしさ[#「伊予介《いよのすけ》◆都合のいい夫のうっとうしさ」はゴシック体]
受領《ずりよう》、浮上[#「受領《ずりよう》、浮上」はゴシック体]
昔の絵巻物を見ると、高貴な人は、男女を問わず、みんな同じ顔をしている。色白で、ひき目かぎ鼻の、のっぺりとした女顔。しかも無表情。ほとんど喜怒哀楽の感じられない、いわゆる能面のような顔つきだ。ところがこれが、武士や下級僧、職人といった庶民となると、男はちゃんと精悍な男の顔をしているし、馬面《うまづら》、鬚面《ひげづら》、エラ張り顔に団子鼻、デブと見た目のバラエティも豊富。顎が外れるほど大笑いしている奴もいれば、怒りで火を吹くような目つきの奴もいる。実に表情豊かなのである。
もちろん『源氏』を読むと、光源氏や頭中将、朱雀院といった、絵巻物ではのっぺり顔の貴族達にも、いろんなタイプがあるのだなーと思い知らされるのだが。それでもやっぱり彼らの多くは、絵に描いたような女顔の美形で、日々の稼ぎの心配もなく、恋に明け暮れながらも、知らぬ間に位を極めているという、庶民から見ると、夢のような人生を送っている。地を這うようなリアリティという点ではヒケをとっているし、貴族の子女を対象とした『源氏』にそんな要素を取り入れる必要も、当面はなかったのだった。
そんな『源氏』にもしかし、絵巻物の庶民のような、個性的な容貌をした男達がいる。「色黒でヒゲが濃い」鬚黒がその一人だ。彼はミカドを甥にもつ大貴族だが、絵巻物なら間違いなく庶民として描かれただろう。「庶民の容貌をもつ大貴族」を生み出したところが、作者紫式部の新しさである。
彼女はまた、『源氏』以前の物語では、脚光を浴びることのなかった「庶民の容貌をもった中〜下層貴族」をも多く登場させている。中央政府から地方に派遣され、政務を執る「受領」と呼ばれる階級の人々だ。
空蝉《うつせみ》というお姫様[#「空蝉《うつせみ》というお姫様」はゴシック体]
『源氏』の受領にはいくつかの特徴がある。家族ぐるみで登場すること。夫は妻一人を愛し、妻は夫に対して「お姫様」のように君臨していること。妻は光源氏のような優雅な貴公子と接すると、
「こんなダサい夫をもった私は、なんて不幸なんだろう」
と嘆くことである。これは大貴族の鬚黒と妻玉鬘の関係とそっくりで、『源氏』では、庶民の顔をもつ男達は、身分を問わず、同じような夫婦関係をたどるようだ。
物語に最初に登場する受領階級の女空蝉も、夫の伊予介《いよのすけ》、継子の紀伊守《きのかみ》や軒端荻《のきばのおぎ》、弟の小君《こぎみ》といった家族と共に登場する。そして、夫に並ぶ者なき正妻として大事にされているにもかかわらず、夫婦生活を嘆いていた。
空蝉は初めから受領階級だったわけではない。上流に近い中流貴族だった父に、
「桐壺帝に入内させよう」
と大切に育てられていたが、父の死で没落。自分より身分が低く、しかも父親ほどの年齢の受領伊予介の後妻になる。受領は地方勤務で蓄財できるため、なまじな大貴族より贅沢な暮らしをする者もあった。伊予介もおそらく財力に物を言わせて空蝉を妻にしたのだろう。そのせいか、空蝉には常に、
「自分の結婚はこんなはずではない。今の自分の暮らしは本当ではない」
という不満感があった。夫のことを、
「ほんとにヤボでイヤんなる」
と軽蔑していた。
そんな空蝉が、夫の赴任中、光源氏に犯されてしまう。
事の起こりは、光源氏が、伊予介の息子紀伊守の屋敷に「方違《かたたが》え」に訪れるところから始まる。方違えとは、陰陽道《おんみようどう》の説による風習で、外出の方角が悪い場合、前夜に別の方角へ行って泊まり、改めて目的地へ行くことだ。夏のその日、宮中から、正妻の葵の上がいる左大臣家へ赴いた彼は、召使から、
「今日はこちらは方角が悪うございます。左大臣家に親しくお仕えしている紀伊守の家が、最近、川の水を庭に引いて涼しいですよ」
と教えられる。
「いいな、それ。暑くてだるいから、牛ごと中に入れる所にしたいんだよね」
と光源氏は即賛成、紀伊守の屋敷に向かう。「牛ごと中に入れる所」とは、門で牛車を降りずに玄関先まで乗り入れることのできる、いわば土足で入れる気楽な家のこと。受領というのは、光源氏のような大貴族にとって、そういう階級なのである。
その気楽な受領の家に着いた光源氏一行の態度は、傍若無人である。
「急なお越しで」
と困惑する紀伊守をよそに、光源氏の召使達は、評判の川のせせらぎが見下ろせる特等席に陣取って、早くも酒盛りを始める。当の光源氏は、接待に右往左往する紀伊守をゆったりと眺めながら、
「伊予介の妻は、プライドの高い女と聞いていたが、どこにいるのかな」
と考えていた。この妻が空蝉で、夫が赴任中の彼女は、何かの都合で、継子の紀伊守邸に滞在していた。それを光源氏はかねて聞いていたのだ。光源氏は、紀伊守に尋ねた。
「お前も不似合いな母をもったものだね。伊予介は妻にかしずいているか? 主人と思っているだろうな」
「もちろんです。内々の主人と思っているようでございます」
「で、どこにいるんだ、お前の継母は」
「まだそのへんにいるんじゃないでしょうか」
と紀伊守が答え、事実、光源氏の寝所のすぐそばにいた空蝉は、光源氏に犯されてしまう。
不運を絵に描いたような女だが、彼女こそ、『源氏』で最もお姫様ライフを貫いた人なのである。
しもべのように仕える夫を侮り、子作りも拒否し、任地にも従わない空蝉は、光源氏に犯されると、人妻の身を無念がった。
「なんて美しい人なのかしら。これほどイヤな身のほどに決まってしまわない、娘時代のままで、こうしたお情けを戴けたなら」
しかし、
「こんな、何の展望もない行きずりの情事では、どうしようもない」
と思うので、二度と光源氏を受け入れない。受け入れないが、
「このまま終わるのも辛すぎる」
とも考えていた。そのくせ、継娘の軒端荻と共に寝ていたところへ、光源氏が忍びこんでくると、軒端荻がみすみす犯されるのを見捨てて逃げ出してしまう。そしてこの時も、自分の着ていた薄衣《うすぎぬ》をそっと脱ぎ捨てて、部屋に残しておくことを忘れない。これを見つけた光源氏は、成り行きで犯した軒端荻はそっちのけに、もち帰った薄衣を抱き締めて、そこに染みついた空蝉の体臭を懐かしむのだった。
空蝉は、たった一度のセックスで、絶世の貴公子光源氏を執着させてしまう。光源氏だけではない。伊予介の死後、継子の紀伊守まで気のあるそぶりを見せてくる。まさにもてもて状態、魔性の女である。もちろん、光源氏をさえ二度と受け入れなかった空蝉だ。
「残りの長い人生をどうやって生活していくおつもりか」
という紀伊守のおためごかしの恨み言をよそに、さっさと出家。光源氏の妻でも養女でもないのに、いつのまにか屋敷に引き取られ、仏道三昧の日々を送る。しかも出会いからすでに十九年も経った頃でも、光源氏はなおも尼姿の彼女に未練がある。
「尼になってしまった、もう手の届かない人になってしまったのだ」
と思うと、いっそう見捨て難く思う。けれど空蝉は、光源氏が気後れするほどの奥ゆかしさを漂わせることで、彼を自制させ、男女関係で心を乱すことのない暮らしを貫く。
もとより子供のいない彼女には、所帯やつれもなければ、子供絡みの心配事もない。藤壺、六条御息所、紫の上、女三の宮といった美女達が、光源氏の女関係や不義の子の存在のせいで、身も心もぼろぼろになっていくのを尻目に、優雅で静かなお姫様ライフを守り抜く。
(画像省略)
では、そんな空蝉が、どれほどの美女かというと、なんと『源氏』でも指折りのブスなのだ。光源氏が垣間見た空蝉の容貌は、
「目が少しはれた感じで、鼻などもすっきりしてなくて年寄りみたいで(鷲鼻?)、つややかな美しさもない。どちらかというと悪いほうの顔」
であった。それを、
「実にセンスのよい身だしなみで、美人の軒端荻よりも、魅力的な雰囲気を漂わせていた」
カラダがいいわけでもない。小柄で痩せていて、彼女とセックスしたあと光源氏は、
見ざらましかば口惜しからまし=c…ヤらなかったら残念だったろう、と思うものの。
「大したことはないが、いい感じの中流女性だな」
くらいの感想しかなかった。それが、のち、思いのほかに頑強に拒絶されるうちに、意地も手伝って執着が増していったのだ。
ブスな魔性の女というのは、逆にリアルな感じもするが。同じブスでも、妻として光源氏に引き取られた末摘花が、終始、夫にバカにされていたのや、花散里が夫婦生活もそこそこに、ほかの女の生んだ子供の教育を押しつけられていたのと比べると、空蝉がいかに優遇されているかが分かる。落ちぶれ貴族でブスだけどもてもて、男達にちゃっかり生活の保障をさせながらも、その見返りに男に体を任せたり、家事の奉仕もしない。どんなお嬢様にも最後には、夫の浮気や、オバサン化、望まない妊娠といった「不運」が用意されている『源氏』にあって、空蝉は、別格扱いなのである。
都合のいい男[#「都合のいい男」はゴシック体]
それにつけても興味深いのは、空蝉の夫伊予介の役どころである。妻にバカにされ、単身赴任中に、妻や娘ばかりか、義理の息子まで犯されてしまう。光源氏は、空蝉の寝所に手引きさせるため、彼女の弟の小君とまで、同性愛の関係を結んで手なずけていた。伊予介の家族は、光源氏によってまさに「総嘗め」というか、食い散らかされたわけである。
伊予介は果たしてそのことを知っていたのだろうか。知っていたとしたら、どんな気持ちでいたのか、ぜひとも聞いてみたいところだが。紫式部はそのキャラクターをこと細かに書きこみはしない。ただ、娘の軒端荻を「世間に比類のないほど」可愛がっていたこと、妻の空蝉に召使のように仕えていたこと、けれど空蝉は「こんな結婚をした我が身は不運」と嘆いていたことを繰り返す。ああ、それでも妻を愛する夫とは、どんな男なんだろう……読者の関心が高まったところで、作者は不意に、伊予介を任地から一時帰京させる。京に着いた彼は、主人筋である光源氏のもとに直行。夫と間男のご対面である。さぞ劇的な展開があるのかと思えば、何のことはない。対面は淡々と進み、伊予介のセリフも気持ちも一切語られることはない。彼の容貌と、それを見た光源氏の感想が綴られるだけだ。光源氏の目に映った彼の容貌は、
「船路で少し日に焼けて、やつれた旅姿はとてもがっしりとして気に入らない。けれど、人品卑しからぬ雰囲気で、顔はふけているが、こぎれいで、並々ならぬ風格がある」
というもの。「がっしり」してるのが「気に入らない」というのは、それが、女性的な美に価値を置く、貴族の常識に反するため。「顔はふけている」というのは、苦労人のせいだろうか。とにかく、どっしりとした貫禄のある、大人の男だったのだ。それを見た光源氏は一瞬、冗談の一つも言いたくなるが、すぐに思い返して、
「わけもなく、まぶしい気持ち」
になる。つまり、まぶしくて顔向けできないような気恥ずかしさに襲われて、
「こんな実直そうな大人をバカにするなんて、愚かで後ろめたいことだ」
と反省する。反省するところが、若き日の光源氏の可愛いところだが。彼の反省は「伊予介をバカにする妻=空蝉は愚かだ」という解釈の余地を読者に与えてもいよう。とにかくここで「伊予介は、人がバカにしていいような水準の男ではない」ということが読者に示される。しかも伊予介が帰京したのは、娘を結婚させるため、そして妻を任国に迎えるためだった、と作者は言う。ということは、息子の紀伊守か女房あたりから事情を聞きつけた上での上京だった可能性もある。彼は、娘や若妻の情事に、人並みに心を痛めていたという憶測も成り立つのである。
そんな伊予介の肉声が、初めて読者に伝えられるのは、光源氏と空蝉の出会いから十二年後、彼の死の間際のことだ。伊予介は息子達に、空蝉のことばかり遺言する。
「万事、この方のお気持ちに任せ、私の在世中に変わらずお仕えせよ」
と。けれど、空蝉は、
「私はなんて不運なの? あなたにさえ先立たれては、この先どんなに落ちぶれてしまうことか」
と嘆くばかり。それを見た伊予介は、
「何とかして、この方のために魂を残しておくことができたら。我が子など当てにならぬのだから」
と、その身をひたすら案じながら、息を引き取る。いつまでも、どこまでいっても、恥ずかしいほど妻に都合のいい伊予介なのだった。
伊予介のモデル[#「伊予介のモデル」はゴシック体]
何でも言うこと聞いてくれるし、浮気もしないし、妻の情事は大目に見てくれる(彼がそれを知っていたという確証はないが)。紫式部はなぜこんな男を、空蝉にあてがったのか。
実は空蝉は古来、住まいや家族構成などから、作者の紫式部がモデルと言われている。
紫式部も父ほども年上の受領の後妻で、同世代の継子がいた。そして空蝉と同じく未亡人になったし、光源氏のモデルの一人でもあった道長の妾と伝えられている。何より空蝉のいた紀伊守邸のある中川という土地は、紫式部の屋敷跡がある場所だ。また彼女の夫は衛門府《えもんふ》の役人だったが、空蝉の死んだ父も衛門府の長官という設定だ。
もちろん紫式部は宮仕えに出、空蝉は出家したという違いはあるし、空蝉のほうが高貴な出身だが、紫式部の曾祖父は娘を醍醐天皇に入内させてもいるし、数代前は、主人の道長と同じ先祖なので、「落ちぶれた」という意識は強かったろう。けれど、それは彼女の夫も同様で、言ってみれば、当時の少なからぬ貴族が紫式部ていどには落ちぶれ貴族だったわけだが、その文才ゆえに道長やミカドにも一目置かれた紫式部だ。気持ちとしては「同じ受領ふぜいの夫なんて。天才の私が」的なものがあったろう。実際、紫式部には、身分に似合わぬ鼻持ちならぬところがあったようで、歌集には、
「こんなに落ちこむような身のほどのくせに、ご大層に貴婦人ぶっているね」
と人に言われたことが記されている。
『源氏』の登場人物は少なからず作者や周囲の人達がモデルにされているが、空蝉とその夫ほど、もろに紫式部の私生活を彷彿とさせる人達はいない。光源氏をうとむ女の多い中、空蝉だけは、
「本当は光源氏の気持ちに応えたくて仕方ないのだが、人妻の身ではどうしようもない」
と、かなりはっきりと彼に好意をもっているように描かれている点も気になる。もしや当時、「光源氏のモデルは道長、空蝉のモデルは紫式部」ということが周知の事実となっていて、紫式部はそれを踏まえた上で、物語を通じて、パトロンの道長に、ご主人様の好意に応えられぬ言い訳+サービスの投げキッスを贈ったつもりだったのかもしれない。
ライバルサロンの女房だった清少納言を「没落して当然」とこき下ろし、別の有力サロンにいた兄嫁を、明らかにそれと分かるように、スケベな老女源典侍のモデルにして、辞職の憂き目に追いやった式部の性格からすると、考えられることではある。
しかしならばなおさら、『源氏』での空蝉の優遇ぶりは、なにか非常に気恥ずかしいものがある。身近な人を不幸な女のモデルにさんざんしておきながら、自分はこんなにおいしい役のモデルとは。
空蝉は、『源氏』に描かれる、光源氏の最初のベッドシーンの相手でもある。空蝉はいわば、光源氏の女遍歴の「練習台」のような形で抱かれるのだが。もしも空蝉のモデルが紫式部なら、物語上の光源氏の「最初の女」を自分にしたわけで、ユーモアを超えて図々しい。
あるいは、空蝉=愚か者という発想の余地を残したのは、式部のせめてもの恥じらいだったのか? ならば伊予介とは何か。式部の理想の夫なのか。それとも彼女の夫や父がこんな性格だったのか。
紫式部の夫は、一途に妻を思う伊予介と違って、子供を生ませた女だけでも四人もいる好色男である。性格も個性的で、質素な服装で行く慣習になっていた御岳《みたけ》参詣を、
「御岳の仏が質素にしろと言ってるわけじゃなし」
と、わざとド派手な格好で敢行。バチが当たるとおびえる人々を尻目に、かえって栄転して世間を驚かせている。彼は、伊予介と同じく妻の父親ほどの年齢だったが、静かに耐えるイメージの伊予介とは正反対のキャラクターだ。
一方、紫式部の父は教養あふれる学者受領だったが、兄より学問のできる紫式部に、「君が男だったら」と嘆いたり、就職活動を有利に運ぶために、お涙頂戴の漢詩を作ってミカドに送ったりする、ちょっと暗めの印象の人。結婚三年で死別した夫の赴任に従う機会のなかった式部も、父の赴任先には伴われている。女関係も地味なようで、彼のほうが、伊予介のイメージに近いかもしれない。
が、いずれにしても、どちらかが伊予介のモデルであるとは、見定めようもない。
そもそも、なぜ紫式部が空蝉を物語に登場させたかというと、光源氏という男の存在にリアリティを添えるためだった。紫式部は空蝉と光源氏の恋を一通り語ったあと、締めくくっている。
「こういうごたごたを、光源氏は人目を気にして秘密にしていた。それが気の毒なので、書くのを控えていたのだが、『いくらミカドの皇子だからって、どうして実際会った人までが大袈裟に褒めてばかりいるの? 作り事だ』と決めつける読者がいるので書いたのです」
つまり空蝉の物語は、「光源氏を実在の人物らしく見せること」「実話らしく見せること」が目的で生まれたわけで、作者としては、しぜんと自分の周囲に目を向けることになったのだろう。リアリティを追求するつもりが、かえって夢のようなもてもて女の物語になってしまったところに、紫式部の自己愛のようなものが感じられるが。
モデル云々ということで言えば、紫式部とか夫とか、特定の誰かが、空蝉や伊予介のモデルというよりは、「受領としての紫式部の家族全体が空蝉一家のモデル」になったと私は考えている。伊予介達が、光源氏に何をされても文句が言えなかったのは、彼らの就職が、大貴族の意向にかかっていたからだ。光源氏は空蝉の家族に服を与えたり、出世の手助けをしてやっている。紫式部の父も、大貴族の道長の奔走が功を奏して、いったん決まった淡路守から越前守へ昇進した。当時の国は規模や条件から大・上・中・下の四段階に分かれていて、下国の淡路から大国の越前に振り替えられるというのは、市長から知事になるような躍進である(ちなみに彼にポストを奪われた元の越前守は、悲嘆のあまり病死する)。ひょっとして当時独身だった紫式部と道長の間にすでに愛人関係があって、それが影響したのかもしれない。現に『蜻蛉日記』の作者の父などは、作者を、大貴族の兼家(道長の父)に差し出した代わりに、大国の陸奥を任されている。
いい国の受領になるためには、大貴族の後押しが不可欠だっただけに、受領達は一家をあげて大貴族に奉仕せざるをえなかった。『源氏』の受領が家族そろって登場するのは、こうした受領の性格のためかもしれない。そしてそんな受領としての体験を、紫式部は空蝉一家に投影していたように思う。
もう一人の桐壺帝[#「もう一人の桐壺帝」はゴシック体]
話がそれた。なぜ伊予介のような男を空蝉にあてがったのか、だった。
『源氏』の受領、とくに男達は、光源氏のような恋する男としてよりは、夫や子供や親として、つまり家族の構成員としての顔が目立つ。伊予介が最初に物語に現れたのも、紀伊守の父としてだった。女受けしないマッチョな容貌を運命づけられた受領の男は、堅実な家庭人として登場するしかないとも言えるが、家庭人としての伊予介は、様ざまな問題を抱えてもいた。彼をなめきった妻、そんな後妻に言いなりの父を冷たく見つめる息子達。光源氏に両親のことを尋ねられた紀伊守は「父は母を主人と思っている」と答えながらも、こうつけ加えていた。
「好色なことだと、私をはじめ家の者は承知しかねているんですが」
と。伊予介自身、臨終の際、「我が子など当てにならぬ」と思っていた。
彼ら親子の間には、空蝉という女を挟んで、深いミゾが見られる。
しかも紀伊守は、若き継母に恋心を抱く継子でもあった。
まるで父桐壺帝の妻藤壺を慕う継子光源氏のように……。
『源氏』には、似たような人間関係のもとで主題が繰り返されることで、ああでもないこうでもない、と試行錯誤の末、そこにこめられる意味がしだいに深まり増幅されていくという構造がある。
たとえば変死した天涯孤独の夕顔は、光源氏に経済的な庇護を受けなかった場合の、もう一人の紫の上の成れの果てと見ることもできるし、父に見捨てられた末、幽閉同然の状態で家族にバカにされる近江の君は、もう一人の玉鬘と見ることもできる。
同じように、伊予介をもう一人の桐壺帝、空蝉をもう一人の藤壺、そして紀伊守をもう一人の光源氏と見ることで、描かれなかった藤壺なり光源氏の気持ちを、そこに読み取ることができる。
光源氏の父桐壺帝は、藤壺を桐壺更衣の後釜に据え、娘のように可愛がり、そして愛した。と、『源氏』は言う。けれど、桐壺帝に対する藤壺の気持ちは一切描かれない。その、描かれなかった藤壺の気持ちが、空蝉によって、描かれている。
つまり藤壺もまた空蝉のように、
「年取った夫がイヤ」
と思っていた。さらに、
「スケベな継子もイヤ」
と思っていた。思いながらも、藤壺は光源氏に犯され、二人の間には冷泉帝という不義の子までできてしまった……。
が、空蝉は、藤壺と違って継子を受け入れなかった。
「老受領と結婚しただけでも不運なのに、このうえ継子の妻にされるなんてヤなこった」
と、即、出家した。紀伊守と空蝉は、
「女は夫婦生活がイヤだった。夫も継子も嫌いだった」
ということを明らかにすると、さっさと物語から退場させられるのだ。
注目すべきは、空蝉が、伊予介の妻だった自分を、最後の最後まで「不運」と感じていたことだ。
私はこれまで伊予介を、タカビシャなお姫様である空蝉の被害者のように書いてきたが、実際に『源氏』で被害者として描かれているのは、終始、空蝉のほうなのだ。
家事は完璧、浮気も黙認、遅い帰りも寝ずに待っているできすぎた妻(そんな妻、今はいまいが)が、夫にとって息詰まる存在であろうように、文字通り「召使」のような伊予介は空蝉にとって、うっとうしい存在だったのかもしれない。だいたい、こうした夫の一途さが、継子の反発を招いたのだし、夫がこれでは、妻は浮気の一つも気軽にできない。空蝉が光源氏に二度となびかなかったのは、
「受領の後妻ふぜいに、光源氏が本気になるわけがない。のめりこんだら自分が不幸になる」
と判断したためだが、あるいはこうした夫の性格も考慮してのことではないか。夫なしでは生活できない落ちぶれ貴族ならではの、リアルな選択がそこにある。
しかし本当は、妻っていうのは、いくら優しい夫がいても、光源氏のような男と一度は恋をしてみたい。紫式部は一つには、そんな女の本質を物語るために、伊予介のような夫を作り出したのではないか。けれど、それだとあんまり妻が極道に見えるので、「夫の身分が低くて年寄り」という逃げ道を作ったのだろう。そんな、あからさまにパトロンな夫では、妻が浮気しても仕方がない、と読者は大目に見るからだ。紫式部は空蝉を悪者にしたくなかったのだろう。
恐ろしいのは、一途な愛が相手を縛り、かえって重荷になることもある……そんな真理をも、この伊予介が物語っていることだ。愛で妻を殺した夫という、桐壺帝の主題の繰り返しが、ここにもある。
そして、夫の愛に支えられたお姫様の地位は、夫が死ねば失われてしまう。それは鬚黒の死後、来訪者のまばらな屋敷で「夫さえ生きていれば」と嘆いた玉鬘によって明らかだ。空蝉のように経済力がない場合、夫の死どころか、心変わり一つで、姫から奴隷になりかねない。空蝉が生涯お姫様の地位を保てたのは、男の愛を拒み続けたためだ。伊予介のような「良き夫」にしてなお、女を救えぬ設定にした紫式部の心情を思うと、心に冷たい風が吹く思いになる。
結局、この一家は、伊予介の死、空蝉の出家などで空中分解してしまったが、紫式部は以後も続々と受領の家族を登場させることで、大貴族と受領の力関係、そして様ざまなリアルな家庭問題を描き出していく。
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第四章 娘をもつ父達の物語[#「第四章 娘をもつ父達の物語」はゴシック体]
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明石《あかし》の入道《にゆうどう》◆蒸発する父[#「明石《あかし》の入道《にゆうどう》◆蒸発する父」はゴシック体]
親子小説としての『源氏物語』[#「親子小説としての『源氏物語』」はゴシック体]
『源氏』は恋愛小説としてもさることながら、親子小説として読んでも楽しめるのではないか。私がそう思うようになったのは、『鳩よ!』の連載も、ちょうど伊予介の段にさしかかった頃のことだ。
『源氏』には様ざまな男女の形がある。それは、様ざまな親子関係に根づいている。玉鬘が無骨な鬚黒と結ばれたのは、貴公子達に弄ばれた母夕顔の反動とも受け取れるし、夕霧が幼な馴染みの雲居雁との恋を貫いた背景には、愛のない結婚を強いられた両親(光源氏と葵の上)の不幸な夫婦の歴史が見え隠れする。光源氏が継母の藤壺に惹かれたのも、母桐壺更衣や父桐壺帝との親子関係を抜きに語れない。『源氏』の親子関係は、こうした読み方も許されるほど、念入りに描かれているのだ。
これは、慣れない地方生活で、家族の結束を要する受領階級に属す紫式部自身、都で多くの家庭を渡り歩く一夫多妻の上流貴族よりも、夫婦親子というものを考えやすい立場にあったであろうこと、母系社会から父系社会に移り変わる中で、別居婚から同居婚が増え、家族の関係が密になってきたという事情もあろう。
もちろん家族としての彼らの在り方は現代とはかなり違うが、似た点も多い。たとえば『源氏』には子供を産む女が少ない。『源氏』の主要な女君二十三人の子供の平均数は一・二人。とくに光源氏の妻の子供の平均数は〇・五人という、現代に勝る少子社会である。当時は一夫多妻だから、父から見ると子供の数は多いはずだが、それでも光源氏の子供は三人だ。妻や愛人の数からすると、異常な少なさである。
そこから吹き出してくる問題も今と重なるものがあって、『源氏』には娘の拒食症、過度な母子癒着、近親姦など、現代にも通じる家庭問題があふれ返っている。
家族形態の変化の途上にあたる当時、親子の形が以前より狭い関係で閉じていく中で、「家族の崩壊」が言われる現代と似た状況が、あちこちで起こっていたことの、これは反映かもしれない。
と、ここで誤解のないように言っておきたいのだが。
家族の崩壊、家族の崩壊と言われて久しいが、私は、問題は、物理的に家族がバラバラになることよりも、子供の数が少なくなって、さらに核家族化などによって、家族の構成員が少なくなって、家族の関係が窒息しそうなほど密になっていく、他人との関わりが薄まる一方の社会の中で、家族だけで「閉じていくこと」ではないかと思っている。こういう家族の形態を指して、つまりあくまでも旧来の家族形態が崩壊したという意味で、世間は「家族の崩壊」と称しているのであって、決して家族という形自体が、崩壊しているわけではないと思う。
私としては、閉じていく一方の家族などいっそ崩壊してしまえばいい、拒食症などの諸問題も、実はこうした鎖国状態のような家族の形から発生しているのだから、と思うわけで、『源氏』にはまさにこうした家族の形と家庭問題が、あふれ返っていると考えているのだが。
親子小説としての『源氏』が、人の苦悩を見せながら、その苦悩が親子関係と強い相関関係があるということをはっきり意識しだすのは、物語も終盤に近づいてから。光源氏の孫世代が活躍する宇治十帖に至ってからだ。
しかしもちろんそれ以前にも、親の考えや生き方が子供の人生を支配するという形で、親子の問題は再三描かれてきた。その顕著な例が、明石親子である。
娘と一体化する父[#「娘と一体化する父」はゴシック体]
空蝉という受領一家によって、後妻を迎えた父と子供達の確執、継母と継子の愛憎、大貴族との損得関係を描いた紫式部は、さらに明石一家という受領の家族を登場させる。
この家族は空蝉一家と違って、明石の入道という強力な個性の家父長のもと、強い結束を示していた。そして娘に光源氏の姫を生ませることで、一族からミカドの母を出すという、受領にとっては夢のような栄華を実現する。
明石一族の栄華。それは、光源氏と明石の君との結婚、手っ取り早く言うと性的交渉に始まる。それを達成するために、半生を賭けた男こそ、明石の君の父、明石の入道なのである。
入道は世のひがもの=c…天下の変人で、都の人とは交らひ=c…交際もせず、赴任先の土地の人からも疎外されていた。それは常識ではとうてい考えられない彼の行動のためだ。彼は大臣の家柄でありながら、都での出世に見切りをつけて、自ら受領を望んで地方生活を送っていた。そのくせ、
「私が落ちぶれているだけでも不本意なのだ。せめて娘は」
と、明石の君には、都の高貴な男との結婚を望み、
「もしも私に死に後れ、その望みが叶わないときは、海に身を投げよ」
と常に遺言していた。
入道にとって明石の君は、四十すぎに生まれた、当時としては大変な晩年の子供、しかも後にも先にも彼女だけという一人娘である。その大事な娘に、彼はお家再興の夢をかけていたのである。これだけならただの頭のおかしい人で終わっていたはずだが、彼の住む明石にほど近い須磨に、政争に破れた光源氏が退いたことで、入道の夢物語は、にわかに実現に向けて動き出す。光源氏は入道のいとこ桐壺更衣の息子であった。
「彼がこの地に流されたのも娘との因縁のためだ。彼こそ娘と結ばれるべき運命の貴公子なんだ」
と独り合点した入道は、「バカじゃないの?」と諫める妻の尼君を振り切って須磨の浦に小舟で漂着。
「夢のお告げによって参りました」
と称して、まんまと光源氏を明石に迎えてしまう。そして都を思って琴を奏でる光源氏の部屋に侵入。持参した自分の楽器でいつのまにか合奏するうちに、
「琴は女が優しくしどけなく弾くのがいいのだ」
と、ぽろっと漏らした光源氏の言葉を、待ってましたと引き受け、
「いるんですよ。その琴の上手な女がうちに」
と、問わず語りに娘のことを打ち明ける。
「実はですね、あなた様がこの地に仮そめにでもいらしたのは、もしや長年、この老法師がお祈りしている神仏が哀れんで遣わして下さったのではと思うのです。というのも、この十八年というもの、ずっと住吉神社に、娘が都の高貴な人と結婚できるように祈ってまいりました。その祈りが叶えられぬまま、私が死ぬようなことがあれば、娘には海に飛びこめとまで言い聞かせているんですよ」
と泣きながら言う。このとき入道は六十前後。光源氏にしてみれば、見知らぬ土地で、数にも入れていなかった変人の親戚に泣く泣く言われても……という感じだが、『源氏』によると、
「落ちこんでいた時」
でもあり、また入道と娘の噂にかねてから好奇心を抱いていた彼は、
「心細き一人寝の慰めにでも」
と承諾する。光源氏から娘へのラブレターをせしめた入道は、くびすを返して娘のもとへ。気乗りのしない娘に代わって、返事を代作し、さすがの光源氏をも呆れさせてしまう。そして娘の部屋を輝くばかりに磨き立て、
「もったいないほどの月夜ですな。こんな日にこそ娘をあなたに差し上げたい」
と光源氏を娘の部屋に導くのである。
娘の結婚にかける彼の執念は異常なものがあるが、物語の先を読んだ読者は、さらに彼の異常さに慄然とすることだろう。光源氏を迎えた明石の君は、「何の用意もなく、くつろいでいたところへ、こんなふうに意外な事態になったので、仕方なしに、近くの部屋の中に逃げこんで閉じ籠ってしまった」(もちろん彼女は結局犯される)というのだ。ということは、入道は、光源氏の来訪を本人に知らせていなかったのである。このあたり、光源氏が養女玉鬘に螢宮を近づけるシーンに酷似する。これで入道が娘にセクハラを仕掛けたら、光源氏さながらのファザーファッカーだが、娘と自分を異常なまでに同一視している入道は、娘と光源氏の結婚後は、ひたすら娘の身になって、光源氏の動向に一喜一憂する。光源氏の訪れがないと娘が嘆くと、
「ほんとにどうしたんだろうね」
と、彼のお出でを仏に願い、光源氏が朝廷に許されて帰京することになると、娘と共に別れを惜しむ。二人の気持ちは、そんなふうにぴたりと寄り添う形で描かれていって、とうとう別れの日になると、明石の君は引っこんで、入道の悲しみばかりが前面に押し出されてくる。
「私がこんなことを言うのも好き者じみておりますが、思い出して下さる時がありましたら」
と入道は泣き崩れ、光源氏の帰京後は、放心状態になってしまうという、明石の君と入道がすり変わっているような奇妙な図式が出来上がる。
それを受ける光源氏の気持ちも、明石の君より入道のほうに向いていて、別れに際して、
「明石の君とはまた会うこともありましょうが、それよりも入道殿とお別れするのが悲しい」
などと泣き、明石の君が姫君を出産したと知ると、
「入道はさぞ大切に可愛がっているだろうな」
と、真っ先に入道の気持ちを思いやる。
その後も入道は、母が重要な役割を果たすはずの出産子育てに至るまで、全面的に明石の君の気持ちを代弁。明石の君の人生は、完璧に父に支配され、デザインされていく。
ところが、姫君を自分の手元でファーストレディに育てたいと思う光源氏によって、姫君が京に迎えられることになると、一転して入道は退場。明石の君の母の尼君が躍り出てくる。そして彼女の冷静な判断によって、姫君を正妻格の紫の上に譲る時点から、その姫君が晴れて東宮に入内して皇子=未来のミカドを生む時点まで、入道は忘れられた存在になる。同時に娘の明石の君も、姫君の母として以外は、とりたてて触れられることはなくなるのである。
蒸発する父[#「蒸発する父」はゴシック体]
入道が再び物語でクローズアップされるのは、明石の君が、入内した姫の世話係として十年ぶりに姫と再会、姫の皇子出産に、喜びもひとしおのある晩のことだ。彼女は母の尼君経由で、明石から一通の手紙を受け取る。
「私は孫娘の皇子出産を深く喜んでいる。なぜかというと……」
と、入道の手紙は綴られていた。
「妻があなたを妊娠中、私は夢を見た。あなたが太陽と月を生むが、私自身はその光に当たらず、小舟に乗って西方浄土を目指して漕いで行く、という夢を。その夢を見て以来、『生きる希望がわいた』と私は思ったが、さてどうやって、そんな幸運を待ち受けようかと思案した結果、受領になることにした。そのかいあって望み通りの運勢に巡り合えたことが喜ばしい」
手紙にはそんな趣旨のことが書かれていた。これを読んだ明石の君は、感動するとともに驚いた。
「では父は、こんなはかない夢を信じて、高望みをしていたのか」
と。人との交らひ≠絶ってまで受領に落ちぶれたのも、高貴な人以外とは結婚するなと頑張ったのも、すべては父が三十二年前に見た、ただ一度の夢が発端だったのだ。入道の手紙はこう閉じられていた。
「私の生死は気にしないで下さい。ただご自分を神仏の化身と思って、私のために功徳を積んで下さい。この世の栄華につけても、後の世のことを忘れぬよう。彼岸でまたお会いしましょう」
手紙を持参した使者によると、入道は手紙を書いた三日後、六十人余りの仏弟子達と家族に財産を分与すると、深山に身を隠し、消息を絶ったという。それは自殺にも似た、現世からの蒸発だった。
入道の退場によって、明石の物語も収束に向かう。ということは、明石の物語は、光源氏の妻としての明石の君の物語以上に、明石の君の父としての、この奇妙な男の物語だった。ということが明らかにされるのである。
教祖様としての父[#「教祖様としての父」はゴシック体]
世間からは変人のレッテルを貼られ、家族にも気安く扱われていた入道。そんな入道に実は重大な夢の秘密があったという『源氏』の設定は、日常に潜む不条理を物語るようで、不気味でもある。
しかも入道は、夢の実現をただじっと待っていただけではない。実現に向けて着々と準備をしていたのだ。と言うと、とても前向きな感じだが、娘を光源氏に差し出すくだりなどは、どう見ても、夢のお告げのシナリオ通りの人生を、自分にも、また娘にも演じることを強いていたとしか思えない。そして最終的には、夢で見たように、西方浄土を目指して蒸発してしまう。これでは、予言は実行するものだと称して社会問題を引き起こしたどこかの教祖と紙一重ではないか。
そういえば、知る人もない須磨で逼塞する光源氏のもとへ彼が小舟で赴いたのは「この世の終わりか」というほどの暴風雨の翌朝だった。ただでさえ落ちこみがちな流謫《るたく》暮らしの上、自然の脅威で心身が弱っている折も折、「神仏」とか「夢のお告げ」をもち出して、娘との結婚を宿命的なものであるかのように洗脳してしまう。都にいたら、娘のことなど歯牙にもかけなかったであろう貴公子を、婿に迎えるまでの彼の手口は見事としか言いようがない。変人の彼に六十人もの仏弟子が集まったのも、経済力もさることながら、こうした教祖様的な素質のせいかもしれない。少なくとも手紙を読んで感動した明石の君は、父のマインドコントロールにはまり続けていたとは言える。結婚前の彼女は、
「高貴な人は私のことなど物の数にも入れてはくれまい」
と思う一方で、
「でも身分相応な結婚もしたくない。親に先立たれたら尼になるか、海の底にでも入ってしまおう」
と、父の言葉通りの決意をしていた。光源氏に口説かれた時も、
「世間一般のつまらぬ身分の田舎者なら、こうしてかりそめに都から来た人にも、簡単に身を許すかもしれないが、自分なら数にも入らぬ身分でそんなことをすれば、すごく苦しむだろう」
と、卑下する中にも「自分はそこらの田舎者とは違うのだ」という自負をのぞかせていた。娘は父の夢に知らず知らずのうちに染まり、父の野望に支配されてきた。入道の手紙は、そんな娘に向けた、最後で最強のマインドコントロールでもあったのだ。
彼は手紙の最後で「ご自分を神仏の化身と思って」と娘を励ます。励まされた娘は、父との決別に涙しながらも、「この夢の話が本当なら、我らの未来は間違いないのだ」と行く末を頼もしく感じている。そして未来を信じる明石の君は、高貴な姫君の母にふさわしく身を処して、見事、入道の悲願を達成する。めでたしめでたし、なのではあるが。
現代人としては、そんなインチキ教祖の夢を実現させていいのか?という疑問もある。いや、インチキ教祖というのは私が勝手に思っているだけで、紫式部は、変人のはずの入道を、思いのほか好意的に扱ってもいる。
光源氏の目に映る入道はこんなふうに描かれていた。
「年は取っているが、実にこぎれいで、仏の修行者にふさわしく理想的に痩せている。変わり者でとぼけたところはあるものの、大臣家の出身という素性のせいか、昔のできごとを良く知っていて、見苦しくもなく教養もある」
しかも入道は、最終的にすべてを捨てて蒸発することで、富や現世への執着をすぱっと断ち切って見せた。初めはバカにしていた光源氏も、この見事な彼の身の処し方を、
「聖人顔したお偉い僧侶達よりも、何かと世の中にかかずりあっていたかに見えた入道のほうが、心の奥では、すっかり極楽浄土の住人になっていたのですね」
と褒めている。もちろん、これは明石の君に向けた言葉だから、半分はお世辞だろう。しかし、最も世俗の泥にまみれた、ぎらぎらの野心家に見えた入道が、実は最も浄土に近い男だったとは、いささかもち上げすぎではないか?
紫式部はなぜ入道をそんなふうに描くのか。その謎に答えるには、夢のお告げを得た入道が、なぜ受領になろうと思いついたのかという謎について、思いを巡らさねばならない。
明石の入道のリアリティ[#「明石の入道のリアリティ」はゴシック体]
都での官僚の身分を捨て、地方の受領に下ることが、なぜ幸運を待ち受ける準備となるのか? ずばり受領はカネになるからだ。
当時、受領は「倒れるところにも土をつかむ」と言われるほど、強欲の代名詞とされていた。そして強欲を発揮すれば、地方勤務の間に莫大な富をためこむことができた。そんな彼らもしかし、公私ともに大貴族に奉仕しなければ、その地位は保てない。
逆に言うと、そうした奉仕がなければ、いかに大貴族でも贅沢はできないし、娘を宮廷に入内させる費用も賄えなかった。入道はそこに目をつけた。大貴族を釣るには富が一番だ、富さえあれば、受領だって一族からミカドを出すことができる、と。かくて受領となって、過酷な取り立てで領民の恨みを買いながらも、蓄財に励んでいたところへ、光源氏というおあつらえ向きのタネ馬がやってきた。彼には両親がいない。権門の正妻葵の上とも死別した。今は不遇だが、才能と人望がある。ひとつ、この男に賭けてみようじゃないか……。
彼が受領になったのは、大貴族が受領の富を当てにするという図式を逆手にとったわけである。
見方を変えれば、明石一族の物語は、当時すでに、受領の財力に寄生しなければならないほどに衰退していた大貴族の権威とか、彼らの間に横行していた一種の物質至上主義を反映していたとも言える。物質至上主義の果ての宗教……って、まんま現代ではあるが。
強欲受領の典型だった入道の風貌を思いのほか上品に描き、決して悪者にしなかった紫式部の心の中には、本当に強欲なのは、彼らの稼ぎを当てにする高級官僚=大貴族では?という問いかけと糾弾、そしてそんな彼らに媚びを売らねばならない受領への哀れみと共感が秘められているように思う。
が、その一方で、紫式部は、大貴族の光源氏には、こうも思わせていた。
「明石の君は見るたびに一流の貴婦人になっていく。これが、世間一般の目立たぬ受領の娘なら、妻として、姫君の母として、何の差支えがあろう。現にそういう例も世間にはある。ただ彼女の場合、世にも珍しい変人の父親の評判が、困りものなのだ」と。
問題は、身分よりもむしろ入道の人柄にあったと彼は思っていたのである。そのことに明石一族の誰一人として気づかないのは面白い。お腹を痛めた姫君を紫の上に託さなければならなかったのも、すべて受領という口惜しい階級のせいだと彼らは信じていた。身分さえ人並みならばと忍従の日々を送っていた。顔さえ良ければ、金さえあれば「もてるのに」と、もたざる美貌や金に過剰な期待をするブスや貧乏人のように。それは当人達にしてみれば、自分達の不遇なのは人格のせいだとするよりは、顔や財力や身分のせいにしたほうがプライドが傷つかずに済むからであるが、しかし実は、と紫式部は言ってしまう。実は、身を落としてまで蓄財に励み、娘の縁談を推進してきた入道こそがネックだった、娘にとって邪魔な存在だったのだと。
たしかに、都でも噂になるほどの変人など、他人でいる分には面白いが、親戚づき合いするとなると、光源氏でなくても腰が引けよう。まして悪い噂が政治生命を脅かすこともある大貴族ならなおさらだ。そんな残酷な現実を、彼女はぺろっと見せてしまう。
ではよりによって、なんでそんな変人を、主人公の大事な一人娘の外戚に、紫式部は選んだのか。それは、光源氏のためにこそ、ぜひとも彼が変人でなくてはならなかったからだ。変人でもなければ、栄華を目前にして蒸発するなどという奇行には走らないからだ。そしてそういう奇行に走らずに、親戚顔をして権勢を振るう受領など、大貴族には要らないからだ。紫式部はのち、光源氏の晩年の息子の薫(実は女三の宮と柏木の不義の子)に、言わせている。
「受領との親戚づき合いなんて、ぞっとしない」と。
受領の財力はほしい、その財力を最も効率的に獲得する方法は結婚だ、でも親戚づき合いはしたくない……紫式部は、そんな大貴族の本音を見透かすように、明石の入道を設定した。「夢のお告げ」なんて言葉が平気で出てくる明石の物語が、オカルトに道を踏み外さないのは、こうしたリアリティの追求があればこそ、なのだ。
明石の尼君の役割[#「明石の尼君の役割」はゴシック体]
リアリティということで言えば、受領一族からミカドの母を出すという夢のような栄華も、精緻な必然性の積み重ねでできていることが分かる。
紫式部は真剣に考えたのだろう。受領階級の娘が、大貴族の男にもバカにされない極上の身分にのぼりつめるには、どうしたらいいか。受領の娘がいきなりミカドの皇后になるのはまず無理だ。では、親子ローンみたいに、数代にわたって夢を実現することにしよう。それには娘が大貴族の妻として姫を生んで、その姫がミカドに入内して、皇子を生むというのが最短距離だ。しかし、母の身分が、子供の地位を大きく左右する母系社会の平安中期。受領の生んだ子供は、正妻の生んだ子供の召使のような扱いを受けるのが落ちだ。
だからまず、紫式部は正妻の葵の上を殺した。正妻の生んだ子供は、決して妃になれない男の子にした。そして次なる正妻格の紫の上には、子供を生ませなかった。
こうして受領の娘が入りこむ余地を作っておいて、しかも受領の娘とは、正式な結婚という形式を取るようにした。明石の入道は、ただやみくもに娘を光源氏にあてがったわけではない。
「簡単に娘を光源氏にお見せして、もしも人並みに扱われぬようなことにでもなれば、どんなにか悲しい思いをしよう」
と不安を抱いてもいた。だからこそ、
「なんとか工夫して娘をこちらへ遣わせ」
と言うばかりで、自分から娘のもとに赴こうとは夢にも思っていなかった光源氏の言葉をかわし、「男が女のもとに通う」という当時の正式な結婚の形をまがりなりにも実現した。
実は当初、光源氏には、
「受領ふぜいに婿扱いされたくない」
という思いがあったので、
「向こうから近づいてきたら、仕方なしに戴いたという形にしよう」
と考えて、なかなか腰を上げようとしなかった。しかし女が男のもとへ出向くというのは、当時としては召使ふぜいの女のすることで、入道は「それだけは絶対に避けたい」と思っていた。単に娘が不憫だからというのではない。娘が生むはずの姫の将来に傷がついては……とそこまで入道は考えていた。
晴れて娘が光源氏の姫を生んだあとは、姫を正妻格の紫の上に預けることで箔をつけ、受領時代に貯めた莫大な富で、お妃教育と入内の費用を賄った。そうしてやっと受領から后が出、その后が皇子を生むという幸運にたどり着いた。
並のエネルギーではない。そうまでするエネルギーは、並の受領にはない。そこで、紫式部は入道の身分を、もと大臣の家柄に設定する。順調に行けば、彼も大臣になれたはずだが、のちに光源氏によって明かされるところによると、父の大臣のときに政治的な事件があって、入道の代には出世の見こみがなくなっていたという。入道には、「失われた過去の栄光」というのがあって、お家再興の強力な野望を抱く必然性があった。
このようにして、『源氏』の時代にはすでに珍しくなっていた(紫式部の父親世代までは、まだあった)受領の栄華は、達成された。
そして達成後も、めでたしめでたしで終わるのではなく、受領が築いた栄華ならではの悲哀を関係者にもたらしていた、ということを紫式部は決して書き忘れることはない。
入道からの手紙に心打たれる明石の君に、入道の推進する野望計画に常に異を唱えていた母の尼君は、こう言って水を差していた。
「あなたのおかげで、身に余る晴れがましいことも体験させてもらいましたが、悲しい思いも人一倍でした。住み慣れた都をあとにして須磨に下ったときは、なんて不運な我が身と思ったものですが、こんなに離れ離れになる夫婦仲とは思いもよりませんでした。あの人は昔から変わったところのある人でしたが、若い頃の私達は、いつも助け合って信頼し合ってきたのです。姫君の幸運はこの上ない喜びですが、あの人ともう二度と会えないまま別れ別れになってしまうなんて」
母の言葉に、明石の君も一瞬、正気を取り戻したのだろう。
「明るい未来のことなんて知らない。日陰者の私なんか、どんな名誉も表立って味わうことなどできないのだから」
と号泣する。その明石の君に、
「姫君はどうしておられます? どうしたら会えるのでしょう」
とすがる尼君。受領の身分を恥じる明石の君によって、受領の妻である尼君は、たった一人の孫娘とも満足に会わせてもらえなかったのだ。
空蝉の果たせなかった受領階級の女の夢は、父と一体化した明石の君によって実現された。しかしそれによって家族はバラバラになり、空しさが残った。奇妙な父の物語は、そんなまっとうな物語でもあった。ということを、尼君の存在は明らかにしてくれる。
断罪される父[#「断罪される父」はゴシック体]
明石一族の物語は実は怖いくらいまっとうな物語だった。しかしならばなおのこと、私にはある不満が残る。明石の君を洗脳し、男をあてがい、忍従の人生を歩ませた、いわば人生を乗っ取った父親を、紫式部はどうして断罪しなかったのか、と。あるいは蒸発という死によって断罪したという見方もできるかもしれないが、それは断罪と言うには、あまりにカッコ良すぎる。
娘の体を通して理想の人生を生きようとする親。これは朱雀院と女三の宮の関係にも見られることだが、こういう親子関係のもとに育った娘はどんな結婚生活を営むのか、とても気になる。女三の宮は結局、夫の光源氏と離婚状態になるが、明石の君の場合、光源氏との関係は、一言で言うと「他人行儀」だった。
「身分の低い自分が夫と馴れ合えば、いずれ召使のような扱いを受けるだろう。たまに会うからこそ夫も自分を大事にしてくれるのだ」
と考えた彼女は、夫とは努めて距離を置いてつき合うようにした。狙い通り、夫は彼女を身分よりは厚遇するが、二人は、紫の上と光源氏のように気を許し合うこともなければ、葵の上と光源氏のようにいがみ合うこともない、ただ姫君を通じて結ばれるだけの、無難な夫婦であり続けた。しかしこれは、彼女のような親子関係をもつ娘としては、まだしもましな夫婦の形かもしれない。
というのも近年、一卵性母娘と呼ばれる人達に、娘の摂食障害や母への暴力、結婚後のセックスレスや離婚など、様ざまなひずみが起きているという(『アエラ』一九九六年八月五日号)。この母娘は、似たもの同士の仲良し親子として、ひところもてはやされた人達のことで、『源氏』の朱雀院親子や明石の入道親子に近いものがあると思う。『源氏』の場合、一卵性母娘ならぬ父娘になってしまうところが、娘にミカドを生ませて父が権勢を握る平安時代ならではだが。背景に、少子化とか近隣社会からの孤立といった、現代と似た事情があるのは興味深い。
しかも、こうしたひずみが発生するケースは、娘が母からの自立を模索しているという意味で、まだ救いがあるのに対して、親のお人形のままで仲良し親子を続けるケースのほうが事態は深刻なのだという。何らかの原因で親子が分離した時に精神障害を起こすなど、ひずみがドカッとくるからだ。
私としては、その、ひずんだ明石の君を見てみたかった。夫とのセックスを拒み、ずたずたになって、「みんなお前のせいだ!」と父を罵る彼女を見たかった。そしてすべての欲望を捨てて蒸発するような、カッコいい入道でなく、遅れてきた娘の反抗期にうろたえ、立ち尽くし、絶望する入道の姿を見てみたかった。
けれど入道と分離された明石の君は、クールな母の尼君がいたおかげだろうか、精神障害になることもなく、静かに物語から消えていく。そして、自分の人生を、親から取り戻すための娘の旅はその後、大君や浮舟といった、宇治十帖の女達に受け継がれていく。
一方、入道のような、娘を支配する父もまた、継父や実父、夫などに形を変えながら、繰り返し登場する。そしてやがて、紫式部はそんな父を、文字通り地獄に落とすことで、はっきり断罪するようになるのである。
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八《はち》の宮《みや》◆成仏できなかった父[#「八《はち》の宮《みや》◆成仏できなかった父」はゴシック体]
弘徽殿《こきでん》――継母の系譜[#「弘徽殿《こきでん》――継母の系譜」はゴシック体]
『源氏』には母の面影が薄い。
『源氏』には子供を生む女が少ない上、実母と実子が暮らすケースが少ない。
代わりにあるのは強烈な継母のイメージである。
とくに光源氏の物語では、この継母が重要な役割を担っていて、光源氏に愛される藤壺はじめ、明石の姫君に慕われる紫の上、継子紀伊守に横恋慕される空蝉、継娘真木柱に憧れられる玉鬘など、かつての継子いじめする継母とは一線を画す「憧れの対象としての継母」の活躍が目立っていた。
紫式部にはどうも実の親というものへの懐疑のようなものがあって、父に関しても、実父頭中将より、継父光源氏がよく玉鬘を助けるといった設定が目立つのだが。
こういう継母賛美の傾向に対して、父系家族にはつき物の「意地悪な継母」の役回りを帯びる継母もまた厳然と『源氏』には存在する。
その代表が、弘徽殿大后《こきでんのおおぎさき》だった。
弘徽殿大后は、定番通り、継子の光源氏をいじめた。ただし『源氏』以前のやみくもな継子いじめの物語と違って、彼女のいじめにはれっきとした理由があった。
夫は光源氏の母桐壺更衣ばかり愛し、その死後は更衣そっくりな若妻藤壺を迎えた。すべてにおいて息子に勝る更衣の忘れ形見の光源氏は、この若妻に懐《なつ》いただけでなく、息子の婚約者を奪った。弘徽殿が怒るのも当然だ。夫や継子に疎外された弘徽殿は、圧倒的な支配力で実子の朱雀院を牽制した上で、継子光源氏を須磨流謫に追いやってしまう。
もちろん光源氏はやがて須磨から召還され、弘徽殿は失脚。母系の系譜から見れば弘徽殿は、桐壺更衣の血筋を引く光源氏や明石の君(彼女の父入道は更衣のいとこである)といった勝利者の、完全な引き立て役だった。
ところが、光源氏的世界が崩壊しだした「若菜」巻以降、それまで絶対的だった光源氏的世界の闇を照らす形で台頭しだすのは、すべて弘徽殿の系譜上の人々だ。
晩年の光源氏に決定的な打撃を与えた朱雀院と女三の宮は、
「ついに光源氏を抹殺できなかった」
と悔しがった弘徽殿の長男と孫。
光源氏死後、物語は宇治十帖に引き継がれるが、その男主人公の薫は、弘徽殿の曾孫だ。
薫はやがて八の宮という男を父のように敬愛し、やがてその三人の娘達に心を惑わされていくが、その八の宮もまた、弘徽殿の系譜上にあった。
作者の紫式部は「橋姫《はしひめ》」巻の冒頭で、八の宮をこう紹介する。
そのころ、世に数まへられたまはぬ古宮《ふるみや》おはしけり=c…世間に無視されていた老皇子がいた、と。
桐壺帝の第八皇子として生まれた彼は、母方の家柄もよく、藤壺の生んだ冷泉帝(実父は光源氏)が東宮の頃、彼に対抗すべく、弘徽殿大后によって東宮候補に擁立されたこともある。が、須磨から帰京した光源氏の力で冷泉帝が即位すると、なまじ弘徽殿に肩入れされたばかりに、後見者にさえ見放され、上流社会での交らひ=c…交際からも疎外され、世間から忘れられてしまう。
彼はただ、大臣家出身の北の方を支えに生きていたが、その妻も、二人目の姫君を生んで死去。娘の乳母も逃げ出す極貧状態のなか、敷地ばかりはだだっ広いお屋敷で、よれよれの服を着て、自ら子育てに励んでいた。ところがまもなく京の屋敷が炎上。もとより再建の費用もない宮は、宇治の別荘に引越すことになる。物語は、京から宇治へ舞台を移し、世に言う「宇治十帖《うじじゆうじよう》」が始まるのである。
このように、宇治十帖の最初の主要人物である八の宮は、不運の人として設定されている。しかも彼には、不運をはねかえすほどの甲斐性もない。『源氏』によると、
「あきれるほど上品でおっとりとした女のやう≠ネ人なので」
たくさんあった先祖の財産も散逸させてしまう。
「自分が女だったら、こんな男に抱かれたい」とか「こいつを女にして、抱いてみたい」などといった性倒錯的な言い回しの多い『源氏』だが、「女のように世間知らずな父」と評されるのは、この宮だけだ。宮は、資産を運営維持する能力すらない。兄の螢宮のように、財産目当てに裕福な女と再婚するくらいのしたたかさがあればまだしも、政争に破れて以来、厭世的になっていた宮は、
「いまさら一般人のような真似は御免だ」
と、その気もない。
彼にできるのは、母も乳母も継母すらいない二人の娘達を育てることだけであった。これはこれで大変なことで、女のような八の宮は、自らが実母に代わって子育てをする「継母のような父」でもあった。物語が、いや『源氏』でさえ、描いたことのない、父に育てられた娘達がいかなる運命をたどることになるのか。映画「クレイマークレイマー」を千年先取りした親子小説『源氏』は、同時代の世界中の文学が体験したことのない、未知の領域にすべり出して行く。
閉じていく家族[#「閉じていく家族」はゴシック体]
桐壺帝と光源氏などの「父と息子」、明石の入道と明石の君などの「父と娘」という、父系の親子関係に焦点を当ててきた紫式部は、宇治十帖で「(継)母のような父と娘達」という新しい父系の親子関係を作り出した。
この親子は、宇治の山里に籠りきりになって、召使も最小限の、徹底的に他者を排除した状態で、肩寄せあって暮らしていた。
父は、娘がいるということを世間に隠していた。
しかも、裕福な大貴族の姫にも劣らぬ娘達の美貌を、喜ぶどころか、
「いっそ不器量ならよかったのに」
と悲しんだ。これは、「美しい娘は家を興す」と言われた平安時代でなくても、異様なものがある。
娘が生んだ子供の後見役として父が権勢を握った平安時代。逆に言うと、娘がいなければ男が権勢を振るえなかった平安時代。政治の貴重な駒たる娘の存在は、誕生と共に、乳母《めのと》や女房達を通じて世間にアピールされていた。たとえば前に紹介した明石の入道の場合、彼の娘の噂は、
「高貴な男と結婚できなければ海に身を投げよ」
という入道の教育方針と共に、都に鳴り響いていた。そして光源氏が須磨に流れてくると、涙ぐましい努力の末に、娘を彼と結婚させ、やがて生まれた姫君によって、一族からミカドを出すことを期待した。「天下の変人」と呼ばれた入道だが、娘を一族繁栄のカナメと見なす思考回路は、典型的な平安貴族の父のそれだった。彼に比べれば、八の宮の所業は、娘の結婚すら阻むもので、宮こそ、入道を上回る変人であるとも言える。
「娘を政治に利用しない」ばかりか、「娘がブスならよかったと思う」父親。娘の将来をまるで考えていないかに見える八の宮は、しかし、厄年を迎えて、思っていた。
「出家したい。だがそうすれば、残された姫達はどうなる。『理想的な男』ではなくても、外聞の悪くないていどの身分で、誠実に姫の後見をしてくれる人がいれば、見て見ぬふりをして、結婚を許してやるんだが」
八の宮は、娘を結婚させたくない、と思っているわけではないらしかった。できれば娘を「理想的な男」と結婚させたいと思っていた。
しかし「理想的な男」どころか、「外聞の悪くないていどの身分」の男さえ、
「熱心に姫を探し求めては来なかった」
と紫式部は続ける。
当然だ。母系社会の名残りが強い当時、新婚家庭の経済は、妻の実家が担っていた。夫は、妻の実家に通うか住みこむかして、妻の資産で生活しながら朝廷での地位を高めていく。そして朝廷で得た政治力で妻の資産を守りつつ、自分にも経済力がついた頃、夫婦は独立する……というのが、貴族夫婦のあり方だった。ただしこれは正妻夫婦のケースで、その他大勢の妻は、財産のあるしかるべき人なら実家で夫の来るのを待ち、下賤な女や貧乏人は夫の家つまり正妻の家や、夫の実家に引き取られる。
要するに、妻問い婚や婿取り婚という、当時におけるまともな結婚をするには、妻方に相応の経済力が要求されるわけで、宇治で貧窮生活を送る宮家の姫には叶わぬ夢、ということ。貴公子がお遊びで声をかけることや、成り上がり者が、高貴な血筋目当てに言い寄ることはあるが、八の宮は、こうした手合いははなから相手にしなかった。ということは、結婚を諦めざるをえない。ならば、娘がいると人に知らせて何になる。いい加減な男の求愛に煩わされるだけ無駄ではないか。宮が娘の存在を隠していたのは、こうしたリアルな台所事情と親王としてのプライドゆえだった。
だが本当は、身分に恥じない結婚をさせてやれたら、どんなにいいか。こんなに美しいのに結婚できぬ娘の不憫さよ……。
いっそブスなら、という宮の思いの陰には、こんな本音が隠されていたのである。
現状とかけ離れた本音に縛られた父と、娘達は、孤絶した宇治の山里で、自分を閉じていくばかりだった。
ところが厄年を迎え、諦めかけていた宮の心に変化が生じる。それは出家願望が強まったせいもあるが、具体的に一人の青年が目の前に現れたからだ。異母兄光源氏の子、宮には甥に当たる薫(実父は柏木)と交際の機会を得て、ミカドや上皇(冷泉院)の信望厚く、真面目な薫が娘の婿になってくれたらと、宮は強く願うようになる。けれど薫と宮は、この世を厭って、極楽往生を目指す仏教仲間。結婚なんて俗っぽいことに薫は興味もないだろうと宮は思いこみ、はっきり言い出しかねていた。
実は宮は、政争で破れて以来、ずっと出家を志していた。だが妻の生前は「愛する妻と別れ難いため」、死後は「残された姫を養育するために」果たせずにいた。が、法師同然の暮らしぶりから、世間は彼を俗聖《ぞくひじり》=c…在家の聖人と呼び、宮自身、近所に住む、唯一の親しい僧侶……宇治山《うじやま》の阿闍梨《あじやり》にこう言っていた。
「心だけは極楽浄土の蓮華の上に昇ったように高く保って、濁りなき極楽の池にも住めそうな気がするのですが、姫達を見捨てるのが気がかりなばかりに、出家できずにいるのです」
そんな自他共に認める聖人が、彼の生き方を慕う青年に、女=娘を勧めるというのは変な話で、だから宮は、薫ほどではなくても「外聞の悪くないていどの男なら」と思ったのだろう。
しかし、心は極楽に住むはずの宮が、こんな通俗的な価値観による結婚を娘に望むのも妙なことではある。彼の不幸は、そういう自分の矛盾を自覚していない点にあった。
八の宮の矛盾[#「八の宮の矛盾」はゴシック体]
前途有望な薫が、世間に見放された古宮と親交を結ぶようになったのは、宮が「心ばかりは極楽浄土」と語った例の阿闍梨が冷泉院に参上の折、宮の噂を報告したのがきっかけだった。それを聞いた二十歳の薫は、
「私だってこの世がイヤでたまらないのだ。出家せずに聖人になる方法を、宮に会って聞きたい」
と思い、四十九歳の冷泉院は宮が隠している姫達に興味を抱き、まずは父宮に当たり障りのない歌を贈ってみる。若い薫が老皇子に惹かれ、年長の院が姫達に食指を動かすという図も面白いが、自分の異母弟であり、かつての政敵でもある院の手紙を受け取った宮の反応も面白い。彼は、
「さほどではない身分の人の使者さえまれな山里に、なんと珍しいと大喜びなさって、精一杯に使者をもてなし」
院の歌に返歌する。
「すっかり澄みきった心で、ここに住み着いたわけではありませんが、世を憂きものと厭い、宇治山に仮住まいをしております(あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ)」
これを見た院は、
「やはりこの世に恨みが残っていたのだ」と、
いとほしく
……気の毒に思う。
紫式部は、宮が自分では「心は極楽」のつもりでいた……としながら、冷泉院の目を通じては、「この世=権力への思いを断てぬ未練な男」という宮の一面を見せる。つまりこの宮を、「自分を知らない、いい気な男」として設定しているのだ。
そういう宮の側面は、娘の措置に関しても、しだいに頭をもたげてくる。彼は、薫との親交が始まって三年が経つ頃、こう切り出す。
「私が死んだら、姫達をしかるべきついでに訪ねて、お見捨てにならない人の中に加えて下さい」
そして、
「この世に私がいる限り、変わらぬ志を御覧いただきたい」
という薫の答えを、
うれし
と思い、おつき合いのきっかけにでもなればと、
「琴を聞かせてさしあげよ」
と娘達を促し、
「あとは若い人同士で」
と、自分は「仏間」へ籠ってしまう。琴を糸口に娘に男を近づかせるのは、明石の入道が娘を光源氏に勧めたやり口とそっくりで、ここで、光源氏のように薫が行動していれば、話は違っていたのだろう。が、薫は、宮の言葉だけで領《りよう》じたる心地《ここち》=c…娘を征服した気持ちになって、その夜はあっさり帰ってしまう。
一方、宮は、娘の件が片づいたと安心したとたん、急に死の不安を覚え、例の阿闍梨がいる山寺に参籠するのだが。その直前に、娘達にこんな遺言をする。
「私の死後は、私だけでなく、亡き母上のためにも、不名誉な行動は慎しむように。滅多なことで男の言葉を信じて、宇治の山里を離れてはいけない。自分達は人とは違った宿命をもつ身と諦めて、ここで生涯を終える覚悟を決めなさい。年月なんて気のもちようで何ということもなく過ぎてしまうもの。とくに女は、世間とのつき合いを絶って逼塞し、人の非難を避けるのが一番だ」
なんと宮は、薫には姫をよろしくと言いながら、姫には世間とつき合うな=結婚するなと言っているのだ。
あるいは宮にしてみれば、薫にはただ、経済的な援助を頼んだだけのつもりだったのかもしれない。しかし、ならばなぜ、わざわざ姫と彼の親交の機会を作ったのか?
そもそも宮は、本気で娘のことを考えていたのだろうか。遺言は、娘を思ってというよりは家名を思ってのものだ。それは、家名に恥じない生き方が、娘にとっても人の非難をかわすことになるのだから良しとしても、娘にまで自分と同じように、厭世的な生活を強いるとは……。彼はむしろ、娘達が取り残されても、しっかりやっていけるだけの財産や自立心を養ってやるべきではなかったか。
姫を託された薫にしても、当時二十二、三の若者で、しかも現役バリバリの高級官僚だ。いくら信仰深くても、六十がらみの人生の敗北者である宮のように、独身でいることが許されるわけがない。そして誰かと結婚すれば、妻でもない宇治の姫達を援助する義理などないではないか。薫が姫達と結婚の形を取るにしても、一人の男を共有することになる娘達の立場、そして姉妹を同時に託された薫の立場はどうなるのだろう。そもそも仏教仲間の薫に娘を押しつけておきながら、自分一人だけ仏の修行をしようというのはムシが良すぎないか。
結局のところ八の宮は、娘のことも薫のことも本気で考えていなかったのではないか。もしかしたら、彼はただバカなだけかもしれない。バカだから、いくら本気で考えても、つじつまが合わなくなる。そういえば、紫式部は彼をこんなふうに紹介してもいた。
「この宮は、父の桐壺帝にも母の女御にも早くに死別したので、はかばかしい後見人もなく、学問などもちゃんと修めていない。まして世間を渡る知恵はどうして知っていよう」
宮は娘を利用しなかったのでなく、できなかったのだ。できるほどの知恵も論理的な思考も覚悟もない。しかもそのことに彼自身は、気づいていなかったのだ。
八の宮を、同じく零落し、京を離れた明石の入道と比較してみよう。
彼らは共に「なまじな結婚ならするな」と言った。つまり現状に見合わぬ高望みの縁談を望んだところは同じだった。違うのは、この極端な結婚観のために、彼らが何をしたかである。
明石の入道は行動した。必要なのは富と見定めて、自ら落ちるところまで落ちて経済力を培った。都の人に笑われ、現地の人に憎まれながら、一族繁栄という、世俗の欲望の極みに向けて、なりふり構わず驀進《ばくしん》した。
一方、宮は何もしなかった。娘共ども隠者のように暮らし、自らの再婚話にも耳を貸そうとしない。
「私は出家したいのだ。娘にかかずりあっていることだけでも心外で残念なのに。今さら俗人の真似ができるか」と。
そのくせ「心だけは聖」と自負する彼が、聖らしく世俗の望みを諦めていたかというと、実は世を恨み、娘に世俗的な結婚を望んでいた。出家したい、娘も気になる、これ以上身を落としたくない、娘の結婚相手の質も落としたくない……相入れぬ様ざまな欲望をどれも諦めきれない宮が最後にしたことは、自分と同じような後ろ向きな生き方を、娘に押しつけることだった。
「自分達は人とは違った宿命をもつ身と諦めて」逼塞せよという彼の遺言を、「ご自分を神仏の化身と思って」栄華を信じよとした入道の最後の手紙の文句と比べてみるがいい。
甲斐性のない、ただ高貴なだけの皇族から、地位も名誉ももぎ取って、人里離れた宇治という試験管に入れたら、どうなるか。八の宮は、そんな実験にも似た純粋培養的な閉鎖性の中で、追い詰められた末、矛盾の化け物になってしまった。
「聖人顔したお偉い僧侶達よりも、何かと世の中にかかずりあっていたかに見えた入道のほうが、心はすっかり極楽浄土に通い住んでいたのですね」
この、いささか褒めすぎとも見えた光源氏の入道賛美は、実は、深いところで、八の宮の生き方の批判になっていた、ということが、読者には思い知らされよう。
(継)母のような父は、権力を望まない父でも、父母の長所を合わせもつ父でもない。母にも父にもなりきれず、権力を望みながら得られずに、世=他人を恨む、半端な生き物だった。
成仏できない八の宮[#「成仏できない八の宮」はゴシック体]
入道と八の宮の決定的な差はその末路にあった。早々に出家の願いを遂げ、娘を玉の輿に乗せた入道は、子孫の繁栄を見定めると、妻子に別れの手紙をしたためて山に消えた。彼の孫娘はその後、中宮の身分に昇りつめ、光源氏の建てた六条院は、入道の末裔で満ちあふれることになる。
一方、八の宮は、同じように死の予感を覚えて娘達に遺言をして山寺に籠るものの、山でにわかに発病すると、娘達に会いたがる。ところが例の知り合いの阿闍梨は、
「今こそ現世への執着を捨てねば」
と、娘との面会を許さない。山に足留めを食らう形となった宮は、念願の出家も、娘との最後の対面も果たさぬまま、とうとう死んでしまう。姫達は、
「せめて死に顔だけでも見たい」
と願うが、阿闍梨は、
「父上のためにも執着は禁物」
と、つっぱねる。
親子は互いに後ろ髪を引かれながら、死によって分かたれた、かに見えた。
ところが宮の一周忌が過ぎた頃、阿闍梨は、姫達に思いがけないことを告げる。
「故宮は今頃いずこにおわすのか。あれほど熱心に仏道に励んでおられたのだから、きっと極楽に往生なさったに違いない。そう思っていましたら、先日、夢に宮を見たのです」
阿闍梨によると、夢の八の宮は、
「娘のことが気にかかるあまり成仏できなかった、そう思うととても悔やしい。助けてくれ」
と言った。
それで阿闍梨は弟子達に念仏を唱えさせるほか、
「思い当たることがあって」
常不軽《じようふきよう》の礼拝を命じたと言う。『源氏』が語るのはこれだけだが、実は常不軽とは「常に軽蔑された男」という意味の、法華経に出てくる人物だ。
「私はあなた方を軽蔑しない。あなた方は皆、仏になるためのきっかけを作ってくれるからです」
と人を拝んで回り、増上慢《ぞうじようまん》(悟ってもいないのに悟ったと誇る人)達に、逆に軽蔑された男。しかし最後には、自分を軽蔑して地獄に落ちた増上慢達を悟りに導いた男。この故事にちなんだ礼拝を阿闍梨はさせた。宮は、自分が成仏できぬのは娘が気がかりなためと、最後まで人のせいにしたが、阿闍梨は宮に、増上慢=傲慢の罪を見てとった。ということを、常不軽の文字によって、紫式部は示しているのだ。
この世で不幸な八の宮は、来世の幸せを願っていた。彼はだが、悟りもしないで聖を称する傲慢の罪によって、死後の世界をさすらうことになった。死んでも癒されぬ無残な心を、宮に用意した紫式部はしかも、彼が同情の対象にとどまることさえ許さない。
「宇治を出るな」という宮の遺言を忠実に守り、薫の熱心な求婚を拒んだ長女の大君《おおいぎみ》は、
「ものを少しも召し上がらない」病気になって、父の死から一年後、自殺的な死を遂げる。一方、匂宮という貴公子を受け入れ、宇治を離れた次女の中《なか》の君《きみ》のほうは、匂宮の第一子を生む。父の言いつけを守った長女は死に、守らなかった次女は、世間から「幸せ者」と呼ばれる身の上になった……。同じように娘を呪縛しても、一途に現世の栄華を目指した明石の入道は、己に従う娘に幸運をもたらしたが、迷える宮の魂は、死をもたらした。父によっては、その言いつけを守る娘は死ぬこともある。紫式部はそう言っているのだ。
あるいは、明石の家族達が破滅しないで済んだのは、八の宮と同じように世間との交らひ≠避けながらも、その住居が人家もまれな山奥でなく、人気《ひとけ》の多い開放的な海辺だったためもあるかもしれない。『源氏』によると、出家したのに山に籠らぬ入道は、都の人に、
「ますます変わっている」
と思われていたが、
「深き山里は人気がなくて気味が悪くて、妻子が気の毒だし、自分も気が晴れない」
というので、あえて海辺を選んだという。変人ながらも、根っこのところで人好きで、妻子に対する思いやりの深い入道の性格が、結局は家族を閉鎖地獄から救ったのだ。また明石家には入道のほかに、明石の尼君という冷静な母がいたこと。早いうちに、家族が物理的にバラバラになることで、かえって構成員達に冷静に家族を見直す機会が与えられたことも、八の宮的な悲劇を避けられた要因かもしれない。
と言うと、八の宮の破滅の原因が環境論にそれていきそうだが、紫式部はダメ押しをするかのように、宮の死から二年たった頃、驚愕の新事実を暴露する。聖人を自称していた八の宮に、実は、浮舟《うきふね》という劣り腹の三女がいたこと。宮は彼女の誕生を煩わしく思い、認知を拒んで、母親ともども打ち捨てたこと。聖同然の暮らしをするようになったのも、この娘の誕生に懲りたためだったこと……まるで死者に鞭打つように、成仏できぬのも自業自得だと言わんばかりに、紫式部は暴き続ける。政争の被害者である、女のように世間知らずな父に、冷酷な、加害者の顔があったことを。
父に捨てられた浮舟はその後どのような男女関係を築いていくのだろう。
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常陸介《ひたちのすけ》と左近少将《さこんのしようしよう》◆堂々とサイテーな男達[#「常陸介《ひたちのすけ》と左近少将《さこんのしようしよう》◆堂々とサイテーな男達」はゴシック体]
平安時代の父というもの[#「平安時代の父というもの」はゴシック体]
最近、テレビにご対面番組が増えているが(一九九六年末現在)、多いのは、小さい頃に生き別れになった親を、自分も親世代になった子供が捜すというケース。そのとき決まり文句のように子供が親に呼びかける言葉は「恨んでない」である。恨んでないから出てきてほしいというわけで、その必死の訴えには涙を誘われるが、司会者が「お母さん、〇〇君は少しも恨んでないそうです」と、依頼人の発言を先取りしたりすると、とたんに心が引いてしまう。そう言わせるテレビの体質や、親に捨てられてなお「恨んでないよ」と子供に言わせて泣きたがっている、残酷な世間というものを見せつけられて、身につまされてしまうのだ。
この平和な時代に、親子の生き別れなんてものが、毎週番組ができてしまうほど存在するということ自体、驚異的だが。一夫多妻の平安貴族の間でも、子供が父と離れて暮らすのが当たり前だった母系社会が崩れだしたため、こうしたご対面劇は増えていたと思われる。『源氏』にも玉鬘と父頭中将のご対面シーンがあったし、『源氏』の二十〜三十年前に書かれた『蜻蛉日記』という手記《ノンフイクシヨン》にも、作者の夫が、昔、捨てた女が生み落とした子供と、涙の対面をする箇所がある。これらはいずれもワケあって、親のほうから子供を探している点が現代と違うところだが、ここでもやはり子供達は、自分や母を放置していた父を恨まない。玉鬘などは、父が琴の名手と知ると、琴を聞き覚えたい一心で、セクハラを働く養父の光源氏にもあえて寄り添っていた。
が、玉鬘が慕う実の父が、養父よりどれだけましだったか。頭中将が隠し子を捜す決意をしたのは、
「数少ない政治の道具を失うのが残念」
と考えたからだ。『蜻蛉日記』のケースにおいては、父は子供の存在さえ忘れていたのであって、子供を引き取ったのは、男子しか生めなかった作者が将来を悲観して、老後の面倒を見てもらおうと意図したためだ(通常、家土地は娘が相続し、親の面倒を見た)。そして離れかけていた夫の愛を、他人の子供にすがってでも取り戻そうとしたためだった。しかし娘と引き合わされた実父=作者の夫は、
「あなたの子です」
と言われても、
「どの女の?」
と聞き返す始末。その後、涙の対面劇がとってつけたように展開するが、作者への夫の愛は戻らず、実の娘の暮らす作者の屋敷にも、その足は途絶えてしまう。
母系社会が崩れ出したとはいえ、母系社会的な価値観は根強く貴族を支配していた当時、父親なんてそのていどのものだった。そして、紫式部はそのていどの父を物語に映し出した。式部卿宮は光源氏が須磨に流謫の折、弘徽殿大后をはばかって、光源氏の妻である実の娘の紫の上との連絡を絶ってしまうし、後年の玉鬘を支援したのは、実父の頭中将一族より、養父の光源氏の末裔だった。
『源氏』のそこここに顔を覗かせていた、この手の冷淡な父親像は、宇治十帖の八の宮に至って、はっきりとその形を結ぶ。正確には、宮の隠し子の浮舟の登場によって浮き彫りにされる。
浮舟《うきふね》、登場[#「浮舟《うきふね》、登場」はゴシック体]
浮舟の存在が読者に明かされるのは、唐突である。
八の宮の長女の大君《おおいぎみ》を忘れられない薫は、皇女と結婚したあとも、大君の妹の中の君を、姉の代わりに口説いていた。しかし今は匂宮の妻として、妊娠中の身でもある彼女は、
「何とかして薫の心を自分からそらしたい」
と、不意に一人の女の存在を打ち明ける。
「この世にいるとも知らなかった人が、父宮の死後、訪ねてきた。その女は、自分よりずっと姉上に似ている」と。
予想もしなかった彼女の発言に薫は、
「なんでそんな大事なことを今まで隠していたのか」
と詰め寄るが、中の君は、
「亡き父上の面目を汚すから」
と、女の詳しい素性については口を閉ざす。この女が、八の宮の三女、浮舟だ。
八の宮家に仕えていた弁《べん》の尼《あま》という老女房が、薫に語ったところによると、浮舟誕生のいきさつはこうだ。宮がまだ京に住んでいた頃、北の方を亡くしてまもなく、家に仕えていた中将の君という上臈《じようろう》女房とこっそりつき合っていた。そのうち女房が女の子を生むと、八の宮は無性に面倒で煩わしいと思うようになり、二度と女房を近づけなかった。宮が聖《ひじり》同然の暮らしをするようになったのも実は、浮舟の誕生に懲りたためだった。女房は居辛くなり、受領の妻となって地方に下ったが、上京の折、宮の周辺にも、
「あの時の子は無事である」
由をほのめかした。しかし宮は、
「そんな連絡は今後一切してはならぬ」
と言い放ったので、それっきりになっていた。
光源氏は我が子ならぬ薫に冷淡な態度をとったが、八の宮は実の娘にも冷酷だった。
現代のご対面番組では、たとえ自分で捨てた子供でも、自分を慕って探してくれれば、涙を流して抱擁するというのに、八の宮は、浮舟の認知ばかりか、その名を耳にするのさえ拒み、一切をなかったことにしようとした。
それは必ずしも浮舟が劣り腹のためだけではあるまい。浮舟の母の中将の君は、女房といっても、宮の北の方の姪で上臈だった。身分的には、明石の君と大差はない。しかし宮は、明石の君の生んだ姫君を大事に育てた光源氏と違って、中将の君の生んだ浮舟を打ち捨てた。それは一つには彼が、
「世間に忘れられた古宮」
だからだろう。もし彼が光源氏のように前途有望な身なら、浮舟のことも大事にしたに違いない。権力者頭中将が、寄る辺ない夕顔に生ませた玉鬘を「貴重な政治の道具」として、相応の待遇をしたように。宮が浮舟をことさら遠ざけたのは、政治の道具を必要とする地位もなければ、子供を養う財力も精力もなかったためだ。大君や中の君にさえ、「かかずりあっていることだけでも心外なのだ」と考え、出家を望んだ宮にあるのは、現実逃避の願いだけだった。宮にはまた、そうせざるを得ない心の闇があったようで、それはおそらく宮自身、父の桐壺院に顧みられぬ息子だったということに起因するのだろう。この桐壺院が、宮と同じ「成仏できない父」として、物語のかなり早い段階に現れるのは興味深いことで、それについてはいずれ触れるつもりだが。どんな理由にせよ、八の宮は、浮舟には、非情な父だった。
にもかかわらず、浮舟は父を恨まない。
「せめてお墓だけでもお参りしたい」
と、異母姉の中の君に打診したりした。千年前から、子供は自分を捨てた親を恨ませてもらえないのかと胸が痛くなるが、そんな親子の対面を許さなかったのは紫式部らしい。再会するにせよせぬにせよ、問題なのはあとの心の処理のほうで、おとぎ話のような涙の再会劇を作って、めでたしめでたしと幕を引くよりは、会えなかった場合の人生を追うほうが現実的だし、当時の物語としては斬新だ。似たように父と疎遠な娘でも、都で完璧な教育を受けた紫の上、実父との再会&玉の輿を果たした玉鬘などの敷居の高い女達と違って、地方育ちの女房の私生児浮舟に、読者は気安く自分を重ねる用意ができたことだろう。
そんな浮舟が、実際に読者の前に姿を見せるのは、薫の目を通じてである。八の宮邸を大君供養のための寺に改築するため、宇治に赴いた薫は、向こうから、牛車がやって来るのを見る。それは一台の女車《おんなぐるま》、腰に武器を携えた荒々しい東男《あずまおとこ》やおつきの者を大勢引き連れた、いかにも裕福な女の乗り物だった。その女車が、
橋より今渡り来る見ゆ
……たった今、宇治橋を渡って来るのが見えた。浮舟は、その女車に乗っていた。
薄情な継父[#「薄情な継父」はゴシック体]
浮舟は父の墓参を望むだけでなく、父の足跡を慕い、長谷詣《はせもう》での行き帰りの中宿《なかやど》りには、宮が住んでいた宇治の屋敷跡に立ち寄るようになっていた。薫が目撃した女車はその時の一行だ。
長谷というのは、母の中将の君が浮舟の良縁を願い、お参りさせていた長谷観音のこと。
中将の君は、受領の夫との間に生まれた子供達とは比較にならぬほど浮舟を愛し、その幸せを願っていたのである。『源氏』によると、
明け暮れまもりて、撫でかしづくこと限りなし
……片時も目を離さずに撫でるように可愛がって大切にしていた。それは浮舟がほかの子供達とは同列にできぬ美貌と気品をもっていたからで、また夫が継子である浮舟を他人扱いし、差別することへの反動でもあった。浮舟が亡き実父を理想化し、
「一目会いたかった」
と慕っていたのは、継父が彼女に対して薄情なせいもあるのだろう。
継父は、常陸介《ひたちのすけ》と呼ばれる。
この端役のプロフィールを、紫式部はいつになく詳細に綴る。彼の先祖は上流貴族に属していた。親戚も賤しい人はおらず、たび重なる受領経験で蓄えた莫大な富があったので、身分よりはプライドが高く、家の中も贅沢に飾って、いっぱしの風流人を気取っていた。しかしそれにしては、
荒らかに田舎びたる心ぞつきたりける
……粗野で田舎臭い根性がしみついていた。若い頃から東国に埋もれて暮らしていたために、なまりがひどい。権勢に弱く、万事につけて、
隙間《すきま》なき心
……抜け目のなさがある。琴や笛の道は疎く、弓を実にうまく引く。財力にひかれ、集まってきた若く見目よき女房達にきらびやかな衣装を着せて、下手な歌会をするなど、目を背けたいような、悪趣味な暮らしぶりである。
同じ受領でも、見るからに思慮深かった伊予介(空蝉の夫)や、都の人にも負けない趣味の良さがあった、つまり富の使い道を知っていた明石の入道とは、まったく異なる人物造型がなされているのだ。
紫式部は続いて、そんな常陸介の財産目当てに、婿になろうと押しかけてくる求婚者達を紹介するが、中ではましと思える男として左近少将《さこんのしようしよう》をクローズアップする。
左近少将は二十二、三の若者で、性格も落ち着いていて、学問もあるという評判だった。財力はないが、以前、通っていた女性とも縁が切れ、熱心に婿にしてくれと言い寄っていた。中将の君は、
「この男なら、浮舟の婿としても納得がいく」
と思う。彼をベストと考えたわけではない。
「こんな所へ婿になろうと来てくれるのは、彼ていどの身分の男が限界だろう」
と、現状に鑑みて妥協したのだった。
分かりやすくサイテーな男達[#「分かりやすくサイテーな男達」はゴシック体]
左近少将の父は大将だった。大将といえば近衛府《このえふ》の長官で、高級貴族の官職である。そんな家柄の男が、どうして受領ふぜいの婿になろうとしたか。理由はじきに分かるが、ともあれ中将の君は一人勝手に浮舟の縁談を進めていた。良い調度品は浮舟の結婚道具に確保しておいて、できの悪いほうを、
「こちらのほうがモノが良いのよ」
と夫に押しつけた。物の価値が分からぬ夫は、目利きから見ればガラクタ同然の調度品を、実の娘達の部屋にありったけ並べ、娘は調度品に埋もれて目だけをのぞかせていた。常陸介はまた時代遅れの家庭教師を雇い、娘達に琴や琵琶を習わせて悦に入っていたが、宮家の上臈女房だった中将の君は耳が肥えているので、相手にもしない。常陸介は、
「私の娘をバカになさって」
と怒ったが、その娘は中将の君の娘でもあった。下品な夫の血を引くと思うだけで、我が子ながら見下げた気持ちになるのだろうか。同じ腹を痛めた子供でも、中将の君は、介との間に生まれた子と、宮の血を引く浮舟を、はっきり差別していた。もっとも当時の親というのは、彼女に限らず、お気に入りの子は大事にするが、そうでない子は他人任せにするのが普通だった。母だからといって、すべての子供を平等に愛するはずというのは、近代に入ってからの幻想にすぎない。中将の君は古代の多くの母がそうであるように、お気に入りの浮舟の結婚支度に専念していたのだが、そこへ思いがけない一報が入る。左近少将が、浮舟との結婚を、
「破談にしたい」
と言ってきたのである。それだけではない。彼は、中将の君がふだんあれほどバカにしていた介との間にできた娘のほうの、
「婿になりたい」
と言う。仲人に語った少将の言い分はこうであった。
「浮舟が常陸介の継子とは知らなかった。こんな所に婿として通うなんて、ただでさえ世間体の悪いことなのだ。私は、常陸介に自分の後見者《パトロン》になってもらいたい。そう思って近づいたのだ。顔かたちの優れた女がほしいと思ってのことではない。上品で美しい女など、願えば簡単に得られるだろう。しかし、貧しいくせに雅びを好む人の成れの果ては、小綺麗でもないし、人に人とも思われないものだ。そのことを私は知っているから、少々人にそしられたって、安穏に暮らすことを願っているのだ。常陸介さえオッケーなら、実の娘に結婚を申しこみたい」
実は少将は、父の大将を亡くし、母方の後見もない、孤児であった。たとえ家柄は高くても、母方の親戚同士が助け合う母系制の崩れつつあった当時、孤児は生きにくかった。そこで財産のある介に近づいた。だから浮舟が介の継子と知ると、無責任な仲人の勧めもあって、より財産の分配が期待できる実子に乗り換えることにしたのだ。
(画像省略)
悲しんだのは中将の君。喜んだのは常陸介である。
介は常づね自分をバカにする妻に「ざまぁ見ろ」とばかり反撃する。
「素晴らしいあなたのお嬢様をほしがる貴公子はいないようだね。下賤で不細工な私の娘を、相手はご所望なんですと。あなたは私をのけ者にして、周到に企んでいらしたようだが、先方ではもともとその気もなかったんだ」
腹黒い仲人に丸めこまれた介は、日頃のうっぷんもあって無神経に言いつのる。そして少将には、
「それがし、命ある限り、頭のてっぺんに押し頂いて、あなたにお仕え致しましょう。たとえ死んでも、遺産はみんなあなたの妻になる娘にやるつもりです。娘のことを誠心誠意大事に思って下さるのなら、大臣の位を買えるほどの財宝だって、うちで揃わぬものはありません」
と悪徳商人のようなことを言い放つ。
左近少将ははっきりと「お前らの財産が目当てなんだ」と言い、常陸介は、家柄のある相手が財産目当てで自分を選んでくれたことに快哉を叫ぶ。
伊予介や明石の入道の段階では、成金に対する恥じらいがあったが、ここに至って、成金? どこが悪い、金目当ての結婚? 大いに結構! という開き直りがある。堂々と物質主義、堂々と無神経、堂々と下品な人間像……それだけにどこか爽快でさえある人間像が、ここにある。
この、分かりやすくサイテーな男達は、中将の君の嘆きをよそに、浮舟との結婚の日取りもそのままに、実の娘との婚儀を進める。中将の君は、情けなさと悔しさで、娘の結婚の世話も放棄して、浮舟の部屋に籠るのだった。
薫、急浮上[#「薫、急浮上」はゴシック体]
中将の君は、浮舟の乳母と二人して、浮舟の身を嘆いていた。
「私はこの子のゆかりと思う人のためには、命も投げ出す覚悟でいたのに。まぁ、あの婿も夫も似合いの連中なんだから、勝手にやるがいいでしょうが、もうこんな所にいるのもイヤ」
乳母のほうも一緒になって、
「かえって良かったかもしれませんよ。あんな情けない男と一緒にならなくて。私の姫は、もっと思慮深く、心ある方にお見せしたいものです」
と言いながら、そういえばと言葉をつなぐ。
「薫の大将殿のご様子とお顔をちらりと拝見したのですが、ほんに命が延びる気持ちでした。その方がまた、姫に心を寄せておられるとのこと。この際、決心なさったら」
実は、中の君の口から浮舟の存在を知った薫は、弁の尼を通じて、浮舟を所望していた。といっても正式な求婚ではないし、薫としては、
「受領の継子ごときに夢中になっていると思われるのは、世間体が悪い」
と考えていたので、浮舟側には手紙も出していなかった。中将の君は、
「とても現実的な話とは思えない」
と尻ごみし、熱心に結婚を望んでいた左近少将との縁談を進めていた。それがご破算になったので、改めて薫の存在が浮上したのである。が、乗り気の乳母に、中将の君は、
あな恐ろしや
……なんて恐ろしい!と強く反論する。
「あの殿は、ありきたりの人とは結婚しないとのたまって、右大臣殿、按察《あぜちの》大納言、式部卿宮などがとても熱心に縁談をほのめかしていらしたのを聞き流して、ミカドの愛娘を妻にした方ですよ。そんな方がどれほどの女性なら本気になるでしょう。母君の女三の宮様のお屋敷に女房として仕えさせておいて、時どき会ってやろうくらいには思うでしょうが、どんなにご立派な御殿でも、それは辛いこと。二心《ふたごころ》なからん人=c…一人の女を守る人が一番です。我が身でも知りました。故宮は実に優美でご立派で魅力的でいらしたけれど、私のことを人の数にも入れて下さらなかったので、どんなに情けなく辛かったか。常陸介は思いやりのない不細工な人ながら、私一筋だから安心して暮らしてこれたのです。折々の無神経な仕打ちは憎らしいものの、喧嘩をしても、納得できない点ははっきりさせてきたので、嘆かわしいとか恨めしいということもないのです」
中将の君は、あれほどバカにしていた夫の常陸介と過ごす今のほうが、八の宮のもとに仕えていた頃より幸せであるとして、娘と薫の結婚を、
「とんでもない」
と一蹴する。しかし、それも、
「高貴で雅びで気後れするような人のそばにいても、我が身が物の数にも入らぬ身分では、何のかいもない。すべてのことは我が身から、なのだから」
という、続きのセリフからも分かるように、身のほどゆえの諦めからくる判断だった。内心では、
「八の宮が浮舟を認知さえしていたら、薫の求婚にも応じていたのに」
と悔しく思っていたのである。
そんな折も折、介が、浮舟の部屋にどかどかと乗りこんで来る。そして、
「こちらにはきれいな女房もたくさんいるし、調度も新しいようだ。当座は貸して下さい」
と一方的にまくし立て、中将の君が浮舟のために揃えた調度を部屋ごと取り上げてしまう。
中将の君は愕然とした。たった今、
「八の宮よりは介がまし」
と乳母に語った直後なだけに、彼女の失望は大きかった。夫に抗議する気にもなれず、ただ黙って成り行きを見つめていた。そんな彼女に介は、
「あなたがここまで冷たい人とは。同じ娘なんだから、いくらなんでもこうまで見放すとは思わなかった」
と文句を言いながら、置き場のないほどの食べ物や、東国産の粗悪な絹を取り散らかして、実の娘に迎えた少将を歓待しまくった。貧乏な少将は満足し、元婚約者=浮舟の部屋に陣取る娘のもとに、厚顔無恥にも通い始める。
中将の君の嘆きは怒りに転じた。
「このままでは浮舟が哀れすぎる。夫も少将も、浮舟を人並みに扱う親類がいないのでバカにしているのだ」
無神経な夫達への恨みが、浮舟を認知しなかった宮への恨みと重なって、彼女は不意に、宮の次女の中の君に、浮舟を託すことを思いつく。
「あちらには浮舟を世話する義務があるのだ。夫や少将も、宮家とつき合いのあるところを見せつけてやれば、浮舟を見直すに違いない」
中将の君は、夫達を見返してやりたい一心で、中の君の屋敷に強引に押しかけてしまう。
だが。もともと彼らの存在さえも認めなかった宮家にとって、彼らが歓迎されざる客であることに変わりはない。中将の君はそこでさらに自尊心を傷つけられることになるのを悟るべきなのに、夫や婿への怒りが先立ち、そんなことにも気づかない。
当の浮舟はというと、憧れのお姉様のそばに行けると思うと、かえって少将との破談をうれし
と思うだけで、母や乳母の気苦労にも、この訪問のもつ意味にも、思いを巡らすことはできない。
それぞれに愚かな母と娘はそこで、貴公子達……匂宮と薫に出会う。母は己の辛い体験も忘れ、
「こんな素敵な男達なら年に一度の逢瀬だって素晴らしいだろう」
と、娘の結婚に夢をつなぎ、母の圧力を拒む甲斐性もない娘は、母の二の舞いの人生を歩みだす。浮舟に、顔も知らない父宮を懐かしむ余裕は、もうなかった。
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第五章 大人になれない第四世代[#「第五章 大人になれない第四世代」はゴシック体]
――桐壺帝から数えて[#「――桐壺帝から数えて」はゴシック体]
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薫《かおる》1◆損なわれた者[#「薫《かおる》1◆損なわれた者」はゴシック体]
女房の視線[#「女房の視線」はゴシック体]
『源氏物語』は、女房の話し言葉で書かれている。そして女房と思しき語り手が、光源氏をはじめとする貴人達の生活を読者にリポートするという形で、物語が綴られている。
『源氏』には常に女房の視線があり、言葉があった。そして女房言葉で話す語り手とは別に、主要な女君、男君に仕える多くの女房達が登場した。
彼女達は影のように主人に寄り添って、時に主人の恋を助け、時に主人を裏切り、展開される人間模様に深みとリアリティを与えたが、主人を越えて脚光を浴びることはなかった。
それが宇治十帖に至ると、がぜん女房の存在が矢面に出てくる。これは『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫)でも触れたように、宇治十帖で、嗅覚や触覚といった、視覚以外の「闇の感触」が強くなっていくことと関連するようにも思うのだが。それまで主人の思惑に寄り添うようにしていた語り手が、宇治十帖では反乱を起こしたように、自身の見解を強く主張し始めると共に、物語における女房の比重が非常に強くなってくる。それは逆に、光源氏や六条御息所のような、カリスマ性で物語をぐいぐい切り拓いていく主人達が消えたこと、つまり主人達のパワーダウン、等身大化を物語ってもいるのだろう。『源氏』が成立した平安中期は、時代が下ると共に人々の質が衰えるという末法思想が流行していたが、まさに神なき末代。女房自身が物語を紡ぎ出さざるをえないような状況が、宇治十帖には来てしまったのだ。
たとえば中将の君である。
中将の君と呼ばれる女房は、六条御息所や紫の上、玉鬘の長女に仕える女房として、それまでも数人登場していた。彼女達は女主人の手足のように動き、女主人の頭のように考えた。そして多くは女主人の代わりに、男君の性のはけ口にされた。紫の上亡きあとの、光源氏の最後の愛人も中将の君だった。が、彼女達が、そうした境遇について思いを漏らすことはないし、そんな彼女達の成れの果てを、物語が語ることはなかった。
宇治十帖の中将の君もまた、他の中将の君達と同じく、死んだ北の方の身代わりに八の宮に抱かれた。ところが彼女は、浮舟を妊娠すると、ボロ切れのように捨てられた。そうした物語が、単なる女房の身の上話としてでなく、八の宮という主人に聖暮らしを決意させ、浮舟という『源氏』最後のヒロインの人生を支配する「物語」として語られる。
その時、人の物語を語るだけだった女房の口が、自分の物語を語るために開き、人の人生を見るだけだった女房の目が、自分の人生を生きるために見開いた。
物語は、初めて中将の君の心を語り、その人生に目を向けることになった。
中将の君は、中の君の住む屋敷で、別世界のような光景を見る。
そこには、自分を捨てた故八の宮の愛娘中の君がいて、優雅に若君の世話をしていた。若君の父は、今上帝《きんじようてい》の愛息子《まなむすこ》の匂宮だった。そんな貴公子の妻に収まって、いかにも別格という感じで、そこにいる中の君を見て、中将の君は、
「羨ましい」
と思う。そしてそう思う自分を、
あはれ
とも。
実は彼女はここに来る前に、浮舟の乳母に語っていた。
「貴人の妻となった中の君は、世間からは幸《さいわ》ひ人《びと》=c…幸運児と言われているが、悩みの絶えないご様子を見ると、二心《ふたごころ》なからん人=c…自分だけを愛してくれる男がやっぱり一番だと思う」
いかにも女房らしい嫉妬と諦めの入り交じったような、俗なセリフではあった。
中の君の夫の匂宮は、人も知る色好みな上に、権門の夕霧の娘婿として、夕霧邸に通う身でもあった。中の君は幸運だが、二心のない夫をもった私のほうが、女としては幸せ。中将の君にはそんな優越感があった。その優越感が、実際に中の君を見て揺らぎだす。そして改めて、受領の後妻という我が境涯、婿や夫にもコケにされる我が身のほどが、不当なものに思えてくる。
「私だって故北の方とは他人ではない。それを、女房だったというだけで、八の宮に人間扱いされなかったせいで、人にもバカにされている」
そう思うと、頭を下げてここにやって来たことがシャクでもある。中将の君は、八の宮の北の方の姪で、中の君とはいとこ同士だ。中の君を見て、同族としてのプライドがむくむくとわいてきた彼女は、次に匂宮を、
「見たい」
と思い、ものの隙間から覗き見た。その姿は桜を折ったように華麗で美しく、彼の前には大勢の男達がひざまずいていた。しかも男達は、自分が頼みとする夫の常陸介よりも、姿も身分もはるかに上に見える。屋敷には夫の先妻腹である自分の継子もいたが、宮のそばにも寄れずにかしこまっていた。
あはれ、こは何人《なにびと》ぞ=c…ああ、この人はどういう人なのだ! 中将の君は驚嘆した。
「こんなお方のそばにいられる素晴らしさ。いくら立派な男でも辛い思いをするならイヤだと思いこんでいた私がバカだった。このご威勢、このご容貌なら、七夕のように年に一度の逢瀬だって大したことだ」
貧しかった故八の宮を見て、皇族の世界を知ったつもりでいた中将の君は、匂宮家のリッチな様子にも驚いた。しかもそのリッチは、受領の成金リッチと違って、人も調度も食膳もすべて上品で特別な、本物のリッチ……。
「受領の身分では、いくら贅を尽くしたつもりでも、限界があったのだ」
ここでの暮らしと比べたら、家も家族も、自分のもっているものすべて、ゴミやがらくたのようで、悲しかった。そのとき彼女の心に稲妻のように浮舟が浮かぶ。
「我が娘だって」
「我が娘だって高貴な方と並べて何の遜色があろう。同じ我が子でも、宮の血を引くこの子は特別なのだ。今からでも遅くない。理想は高くもたなければ」
中将の君は、最後のプライドの拠り所として娘の存在を思い出し、その将来について一晩中、思いを巡らせた。
薫、登場[#「薫、登場」はゴシック体]
明くる朝。中将の君が再び宮を覗き見ると、日も高くなった頃、朝から屋敷に参上していた人達がやっとお目通りがかない、何か申し上げていた。中にとくに目立ちもしない男がいて、
「ほらあれが、受領に婿入りした少将よ」
「このお屋敷の人は彼の噂なんか口にもしないわよ」
と女房達にバカにされていた。その男こそ、浮舟との婚約を破棄し、財産目当てで実子に乗り換えた左近少将ではないか。こんな男を娘の無難な結婚相手と思っていたとは。中将の君は自分に腹が立った。こんな男を有り難がっている受領の世界なんてもう真っ平。浮舟だけはそこから抜け出して、上流の世界で生きてほしい。そう思った彼女は、中の君に訴えた。
「娘の浮舟は、故宮に冷たく無情に見捨てられたせいで、人にもバカにされていらっしゃいますが、こうしてあなたとお目にかかり、お話しさせていただくと、昔の辛さも慰みます。お名残り惜しうは存じますが、ろくでもない卑しい者達が私の帰りを待ちわびていましょう。こんな境遇に身をやつすのは情けないことと、身を以て思い知らされますので、せめて浮舟はあなたにすっかりお任せして、私は関わらないことにします」
中将の君の言葉にはトゲがある。皇族と受領の身分差を越えた、ふてぶてしさがある。それは彼女が、自分達の零落は八の宮のせいだと恨んでいるからだ。宮の娘であり、しかも社会的に成功した中の君は、罪滅ぼしの意味でも、浮舟を彼らの住む世界に引き上げてやって当然という腹があるからだ。
一方、中の君のほうには、
「亡き父宮は、浮舟達を家族と認めたわけではない。必要以上に親しくするのは危険だ」
という警戒心がある。彼女は、
「なるほど上流社会にふさわしい見苦しくない人ならいいけれど」
と浮舟を見ると、亡き姉の大君と不思議なほど似ている。
「姉の身代わりを求めている人=薫に見せたいものだ」
中の君が思った折も折、内裏に出仕した匂宮と入れ替えに、薫の来訪が告げられる。
「どれ拝見するとしましょうか」
匂宮ほどの人を見たあとでは、何を見ても驚かないよ。余裕しゃくしゃくで覗き見た中将の君はしかし、大勢のお供に守られた薫の威勢に、息を飲んだ。
あなめでた=c…なんとお見事な!
優美で小綺麗で、気後れするほどの気品。これぞ理想の男ではないか。
「娘は並の人に見せるのは惜しい器量なのに、野蛮人ばかり見慣れたせいで、少将ごときを大した者のように思っていたことが悔しい」
中将の君の心は、決まった。
「試しに浮舟を委ねてみては」
と水を向ける中の君に、
「数ならぬ身では」
と不安を見せつつも、
「その不安を解消するのもお心しだい」……娘が薫に大事にされるか否かはあなたの出方一つだと、半ば脅すように娘を委ね、常陸介邸に帰ろうとする。煩わしくなった中の君は、
「将来のことは分かりませんから」
と言ったきり口をつぐみ、当の浮舟は、母と異母姉の会談に同席しながらも、自身の意見を語ることはない。語ろうにも彼女は薫のことなど何も知らないのだが、知っていたところで、語るべき意見などなかったであろう。憧れのお姉様の屋敷に行けることになって、左近少将との破談をうれし≠ニ思った浮舟は、この時も思うだけだった。
「母と離れるのは心細いが今風で楽しそうな姉上の近くに少しでもいられるのはやはり嬉しい」と。
敗北者の系譜[#「敗北者の系譜」はゴシック体]
浮舟の知らない薫をしかし、『源氏』の読者はすでに知っている。薫がどうやってこの世に出てきたか。浮舟と出会う前に、何をしてきたかを。
薫は女三の宮と柏木の不義の子であった。柏木は頭中将の長男である。
そして頭中将の一族は、政治的にも異性関係でも、あらゆるジャンルで主人公の光源氏一族に「負ける人」として設定されている。ただし彼らの位置づけは、物語の進展と共に移ろい、四十歳までの光源氏を描く『源氏』では、ひたすら光源氏一族の勝利の引き立て役だったが、二代目の夕霧VS柏木世代が台頭する「若菜」の巻以降では、敗北者である彼らに「かわいそうな人達」としてスポットが当てられる。
柏木は女三の宮との結婚を熱望するが果たせず、諦め切れずに宮を犯して、薫が誕生。二人の不義に気づいた光源氏を恐れて、柏木は衰弱死、女三の宮は出家する。『源氏』は死によって、敗北する頭中将一族の悲しみを美化するが、それは、光源氏一族の、加害者としての一面を照射するためで、この段階では彼らはまだ脇役にすぎない。
それが、匂宮と薫という、光源氏と頭中将にはそれぞれ孫世代が活躍する宇治十帖では、ついに主役の座が、血筋の上では負ける頭中将一族=薫に移るのだ。
『源氏』最後の男主人公の薫は、母方もまた敗北者の系譜にあった。母の女三の宮は朱雀院の娘で、つまり薫は、弘徽殿の曾孫に当たる。
一方、彼のライバルの匂宮は、父方から見ると薫と同じく弘徽殿の曾孫だが、母方をたどると、弘徽殿に蔑まれた桐壺更衣の曾孫であった。
(画像省略)
「若菜」以降、光源氏に手痛い打撃を与えた弘徽殿の系譜は、宇治十帖に至ると、まるで亡霊のように復活して、物語を紡ぎ出す。けれど、あくまで敗北者である彼らは、光源氏の子孫達にどこまでもかなわぬ二番手として、屈折の人生を歩き続ける。彼らには、もはや弘徽殿にあったような、
「絶対更衣を許すものか。なんとしてでも光源氏を失脚させてやる」
という「何くそ精神」がない。ただうじうじと、ああすればよかった、こうすればよかったと過去にこだわり、心は自分の内へと向かうだけ。その心の内には、ただぽっかりと大きな空洞があるだけ。
紫式部は『源氏』最後の男主人公として敗北者の末裔を抜擢したが、もはやその悲しみを美化しない。敗北者のぶざまさもそのままに、彼らはなぜ敗北するのかという「負けのからくり」をあぶり出しながら、その心の傷や屈折を見せていく。
敗北が、人をいかに損なうか。
紫式部は千年前、誰一人として発想しなかった問題を、敗北の血を重ねた薫という人間によって、見せてくれる……。
父方も母方も共に敗北者の系譜上にあるという、かつてない主人公の薫は、かつてない暗い人生観の持ち主に育っていた。
彼は成長すると、世間的には位を極めた光源氏の晩年の子として、婿に望む人は引きも切らなかったが、結婚を先延ばしにした。
「私には普通の男と違ってすきずきしき心=<Xケベな心は、ない」
というのが彼の口癖だった。インポだったわけではない。召使ふぜいのお手つき女は大勢いたが、恋愛に値する高貴な女性は、
「なまじ関わっては、未練が残って、将来、出家するときに困るだろう」
と、自分から遠ざけていたのである。彼は、『源氏』はもちろん物語史上でも空前の根暗な性格をもつ、「恋愛すまいとする」主人公だった。この主人公の感覚は、平常時の男のものではない。たとえば源平の乱のような、戦国時代の非常時の男の感覚だ。あした戦場で死ぬかもしれないから、人を好きになるのはよそうという、有事に備えた自己防衛……。薫の心の中では、だらだらと先の見えない戦争が起きていて、その心の戦争の根っこには、顔も知らない実父柏木、自分をうとんじた継父光源氏、自分の出生を憎み出家した母女三の宮といった親達の影がちらついていた。
薫は、周囲のひそひそ話などから、物心つく頃には、出生の秘密に薄々気づいていた。しかし真偽を人に確かめるすべもなく、
世をかへても=c…いったん死んで、死後の世界に生まれ変わってでも、実父に巡り合いたいという気持ちにとらわれていた。
彼が若くして出家に憧れたのも、
世の中を深くあぢきなきもの=c…この世なんてつくづくつまらないものだと思っていたからで、『源氏』によると、その憂鬱感の根っこには、常に自分の出生の闇がとぐろを巻いていて、それが彼の生活を支配していたのだ。
そんな彼はある日、冷泉院に参上した宇治の僧侶から、俗聖《ぞくひじり》=八の宮の存在を知る。
「私こそ、この世を味気無いものと痛感しながら、八の宮のように人目に立つほど仏の修行に励むわけでもなく、無為に過ごしてきてしまった」
と思った薫は、
「出家しないで聖《ひじり》になる方法を知りたい」
と考える。この世はつまらぬ、出家したいとは思うものの、なかなか踏ん切りがつかぬまま、二十歳を迎えていた薫は、今の地位や身分を捨てぬまま、心の平安を得る方法があるなら、それを知りたいものだと、さっそく八の宮に交際を申しこむ。
八の宮は、薫にとって父親ほどの年齢だったが、妙に気が合って、二人は無二の法《のり》の友=c…仏教友達となった。薫は常に、
「八の宮に会いたい」
と思うようになり、暇がなくて会えない時は、
恋しく
感じるまでになる。俗聖への憧れが、父親的なものへの憧れとパックになって、宇治に足を運ぶこと三年。宮の不在に来合わせた薫は、宮が世間から隠していた娘達……大君と中の君を覗き見る。そしてこの時から、一見、申し分ない貴公子薫の、敗北者としてのぶざまさが、読者の前に暴かれていく。
欲望を認めない男[#「欲望を認めない男」はゴシック体]
八の宮の姫達を見た薫は思った。
「こんなに世間離れした暮らしをしていながら、なんと優雅な姫君達なんだ」
そして、
「世間一般のイヤらしい口説き文句とは切り離して、私の話を聞いてくれませんか?」
と、応対に出た長女の大君に、喋り続けた。
「その手のことは、わざわざ勧める人がいても、その気にならない頑固者なんです。ただ退屈な日々の話を聞いていただいたり、このように世間から逼塞しているあなたの孤独を慰めるためにも、文通ていどのおつき合いができたら、どんなに嬉しいか」
女にのめりこんだら負けだ……と思う薫は、自分の気持ちを偽った。これは恋ではないと、女にも自分にも言い聞かせようとすればするほど、しかし、恋に絡めとられていくというような、苦しい展開が待っていた。大君は答えに窮して、代わりに弁という老女房を応対に出した。この弁の母というのが奇遇にも柏木の乳母だった。つまり柏木の乳兄弟である弁は何かを知っていそうだったが、初対面のこととて詳しいことは聞けなかった。
「ここに来れば父のことが聞けるかもしれない」
と思うと同時に、
「姫達も思ったよりずっといい女だった」
そう思うと、薫はますます宇治が気になった。彼はいてもたってもいられなくなって、親友の匂宮を訪ねた。恋の相談をしに行ったのではない。
「そういえば匂宮が『こんな人里離れた所で、いい女を発見できたら面白いのに』と夢みたいなことを言っていたが、この姫達のことを大袈裟に言って、彼の心を惑わしてやろう」
そう考え、自他共に認める「好き者」の匂宮に、法の友である八の宮の秘蔵娘の存在を、教えに出向いたのだ。わざわざ親友をけしかけて、自分がまだ落としてもいない女に、近づけようとは。そんなに女に恋することが怖いのか。ああ、自分は女を好きになりそうだ、お願いだから手遅れにならぬうちに、俺から女を奪って……とでもいうのだろうか。
しかし彼は一方で、八の宮に「姫達をよろしく」と託されてもいた。それで彼女達をおのがもの≠ニ頼みにもしていた。そして思った通り、匂宮がまだ見ぬ姫達に夢中になると、
「今のような浮気な有様では、姫との仲立ちは致しかねます」
とじらしながら、宮の焦りを、
をかし
と思う。
「あなたがほしくてたまらぬ姫達は僕のものなのさ」
と優越感に浸った上で、
「でも僕はまったく焦ってない。我ながらやっぱ僕は人と違うなぁ。女に対する欲望が薄いんだよね」
としみじみと思う。
自分にはスケベな心はない。女で身を滅ぼした父とは違うんだ。薫はそれを確認したかった。好きな女を宮に紹介することで、彼を支配下に置き、女ごときで揺るがぬ自分の心をも確認したい。薫には、そうしなくてはいられないほど、女性にのめりこむことへの強い恐れがあり、光源氏の正統の血を引く匂宮へのコンプレックスがあった。
あるいは、世間離れしたうぶな姫達に、百戦錬磨の色男の宮をけしかけて、その成り行きを見てみたい、そんな好奇心もあったかもしれない。
いずれにしても、自分は冷静に構えていればいいのだ。八の宮の許可もあるのだし、姫達は放っておいても自分になびくはず。薫はそう思っていた。
が、姫達はなびかなかった。八の宮が死んでますます薫をお客様扱いするようになった。そんな姫達に、さすがに薫は焦ってくる。「姫を我がものに」という心の底の欲望が突き上げてくる。
自分にはスケベな心はないという信念と、わき上がるスケベな欲望と。両者の折り合いをつけるために薫がしたことは、欲望に、大義名分をつけることであった。
薫は大君に切り出す。「匂宮が」と。
「匂宮が私を恨むのです。姫が冷たいのは、お前の仲介の仕方がまずいからだ、と再三文句を言うのです。なぜそんなにすげなくなさるのですか? 人は彼のことを浮気者のように言いますが、心の底は不思議に深い男です」
ああ見えてもあいつはいい奴だ、というのだ。「だからあなたさえその気なら、宮との結婚のために私は尽力しましょう」と。ところが大君が答えに詰まると、彼はこうつけ加える。
「必ずしもあなたが困ることはないのです。宮が好きなのは妹の中の君のほうなのだから」
そして、
「宮を妹さんに案内しがてら、一足先に私達が仲良くしましょうか(つららとぢ駒ふみしだく山川をしるべしがてらまづやわたらむ)」
と誘う。これを聞くと、大君は、ものしうなりて=c…不快になって黙りこんでしまうが、友達をダシに使った、こんな人を試すような口説き方では、大君でなくてもものし≠セろう。
薫は決して「あなたが好きだ」とは言わない。女性に対する性愛の欲望が、自分にあることを認めたがらない。あげく、自分を女から遠ざけていた「出生の秘密」さえ、彼女に迫る口実に動員する。
宇治に通い詰めるようになった薫は、やがて、例の弁から、父母の密通の事実を聞き出す。そして女三の宮が柏木にあてた手紙五、六通と、柏木が宮に出せずじまいになっていた最期の手紙を、見せてもらう。長いこと確認したかった出生の真相を知った薫の気持ちはしかし、晴れるどころか塞がるばかりだった。何の屈託もない尼姿の母を見るにつけても、
「誰にも言えない」
という孤独感は深まり、仕事へ行く気にもなれない。その足はますます宇治に向かい、そこで弁の話を聞くにつれ、
「弁は姫達にも秘密を漏らしているのでは?」
という恐怖感に襲われる。その恐怖感が、大君への執着とドッキングすると、
「それにつけてもますます姫達と他人で終わらせてはなるまい」
と、秘密漏洩の恐怖を、原文によると、姫達に近づくつま=c…糸口にしてしまうのだ。
心の中に、性愛の欲望以外の理由を見出ださないと、好きな女に近づけない。そしてそういう理由を口実にしないと、好きな女を口説けない。それが、損なわれた者……薫の悲しいさがだ。逆に言うと、そうまでしても口説きたいほど、女への執着は実は強かった。「私にはスケベな心はない」という彼の口癖は、そんな自分に言い聞かせている、無意識の自戒かもしれない。けれど、そんな自戒を必要とする回りくどい男が、女に好かれるはずはないのだった。
損なわれた者達の群れ[#「損なわれた者達の群れ」はゴシック体]
薫は挫折を知っているようで挫折を知らない。愛を知っているようで、愛を知らない。
今まで女を好きになるまいと思いながら、好きでもない女達を抱いていた薫は、自分が好きにさえなれば、女は自分を好きになると、どこかで思っていたのではないか。それが初めて女を好きになってみて、思いがけず、その女の強い抵抗にあった。戸惑った彼は極端な行動に出た。八の宮の一周忌が過ぎた頃、彼はついに大君の寝所に押し入る。けれど大君は、
「こんな気持ちがありながら真面目ぶっていたとは」
と、薫を、うとましく℃vい、次に彼が侵入した時は、一緒に寝ていた妹の中の君を置き去りにして逃げ出してしまう。
大君としては「自分より若くて美しい妹を」と勧めたつもりだったが、大君を諦め切れない薫は、匂宮をそそのかし、なんと中の君を犯させてしまう。
「中の君が宮とくっつけば、大君も諦めてその気になってくれるだろう」
と目論んだからだ。事の成り行きを悟った大君は、
「私をバカになさっているのですか」
と言ったきり、怒りで言葉を失う。それでも薫は、
「女がその気になるまでは」
と、彼女を犯しはしなかった。が、大君がその気になることはついになく、中の君と結婚した匂宮が、夕霧の娘婿になるにつけても、男性不信は深まって、「ものを少しも食べない」病で死んでしまう。
薫はその後、ミカドのたっての要請で女二の宮と結婚するが、一方で、大君の面影を宿す中の君に接近。薫のしつこさに辟易した中の君は、
「匂宮の浮気な心より、薫の執念深さのほうがずっと苦痛」
と迷惑がって、
「私より亡き姉にそっくりな人がいる」
と、苦し紛れに、ろくに面識もない劣り腹の妹を紹介する。
これが浮舟で、つまり薫は、長女から次女、次女から三女へとたらい回しにされるのだ。
自分の欲望をひた隠しながら、欲望を実現するために、友人に女を襲わせるような無責任なエゴイストはうとまれて当然だが。よく見ると、宇治十帖では、誰もが薫的でもある。
孤児の中の君は、ただでさえ不安定な妻の座を、薫の横槍で失うことを恐れ、彼に顔も知らない妹を勧める女だった。彼女が中将の君に浮舟を託された時、「見苦しくない人なら」と祈ったのは、それまでまともに浮舟を見たことがない証拠。しかも浮舟には、不要な男をおためごかしで勧めていた。
迫る薫に妹を押しつけた大君も、「妹の幸せのために」と称していたが、「自分だけは男絡みの苦労をしたくない」というのが本音だった。
浮舟と薫の縁談を中の君に託した中将の君さえ、同じ穴のむじなである。
彼女は薫が、姉妹の間でたらい回しにされた「損なわれた者」であることを知らない。
彼女はただ見たにすぎない。薫という男が、自分が知り得る最も華やかな世界で認められた、とびきりの貴公子であるということを。それだけで、皇女を妻にもつこの貴公子に、可愛い娘をあてがうことにした。
いや実は、彼女は知ってもいたのである。薫が大君の人形《ひとがた》=c…身代わりに、娘を欲しがっていることを。中の君邸で、
「ちょうど今その人形が来ている」
と中の君が言い、それを受けた薫が、
恋しき瀬々《せぜ》のなでものにせむ
……大君が恋しい時の慰み物にしよう、と言っているのを、覗き見ていた彼女は聞いていたのである。
それでもあえて「娘の幸せ」の名のもとに、薫と娘の縁談を志したのは、彼女自身の欲望のためだった。中の君邸の光景を見て、崩れ落ちていく、自分のプライドを支えるためだった。
宇治十帖は、そうした「損なわれた者」達が織り成す、暗い欲望の物語だった。
浮舟は中の君の屋敷を訪ね、そんな欲望の吹き溜まりに、投げこまれた。
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薫《かおる》2◆寂しい男[#「薫《かおる》2◆寂しい男」はゴシック体]
分裂する男[#「分裂する男」はゴシック体]
『源氏』の研究者は口を揃えて、薫を「分かりにくい人」と言う。それは、彼の意識と行動があまりにも分裂しているからだろう。
世の中を深くあぢきなきもの≠ノ思い、我はすきずきしき心などなき人≠ニ言いながら、一方で大君の寝所に押し入ったり、大君死後は、すでに匂宮の妻となった中の君にストーカー並の執着を見せる。中の君を匂宮に「譲ったこと」が悔しく思われて、
「大君と中の君の両方を妻にしたところで、咎める人もいなかったのに」
という思いで頭がいっぱいになる。それも中の君に心が移ったわけではない。
「大君の形見としては中の君ほど最適な女はいない」
と思うからだ。
そして大君の死後一年近く経った頃、いつものように匂宮の不在を狙って中の君を訪ねた薫は、こんな奇怪な思いつきを打ち明ける。
「亡き人に似た人形《ひとがた》を作ったり肖像画を描いて、勤行《ごんぎよう》したいと思うようになりました」
観音像や釈迦像ならぬ大君人形を宇治に安置して、それを拝みながら、仏道三昧したいというのだ。つまらぬこの世や女への執着がないと言う男の、言葉とは裏腹の、凄まじいまでの女への執着ぶりは不気味ですらある。
中の君も怖くなったのだろう。
「人形《ひとがた》と言えば、ほんとに妙な、思いがけないことを思い出しました」
と、異母妹の浮舟の存在を打ち明ける。
そして一方で、浮舟の母中将の君には薫のことをこう勧める。
思ひそめつること、執念《しゆうね》きまで
……思い立ったことは執念深いほど……変えない性格でいらっしゃる。つまり、いったん好きになった女は、絶対嫌いにならぬ人だから、捨てられる心配はないよ。試しに浮舟を委ねてみては?と。ものは言い様とはこのことだろう。
中の君の言うように、謳い文句とは裏腹に、人一倍、女に執念深い薫は、自分では思い捨てたつもりのこの世の栄華にも、強い執着をもっていた。
夕霧右大臣をはじめとする貴族の娘との縁談を蹴った彼は、今上帝《きんじようてい》の愛娘である女二の宮との結婚は、拒まなかった。
「結婚なんて性に合わないのに、不本意だよ」
とぼやきながら、
「これが后腹《きさきばら》なら」
と夢想した。女御が生んだ女二の宮より、いっそう高貴な中宮の生んだ、姉の女一の宮なら良かったのに、と。そして夕霧に婿取《むこど》られた匂宮の盛大な披露宴に列席すると、
「もとはと言えば、この縁談は私にもちかけられたのだ。宮と同列に扱われるのだから、私の評判も悪くはないのだろう」
と心おごり≠オて、いつものように寝ざめがちなるつれづれ≠紛らわすために、女房のふとんにもぐりこむ。
心と言葉、言葉と行動が、見事なまでにずれているのだ。
だから、言動のあとには必ず後悔が襲ってくる。自分に嘘をついて行動しているのだから当然だが、薫はそうした自己矛盾に気づく気配もなければ、認めるそぶりもない。
宇治十帖に堂々とサイテーな男達が多いのは、薫のこうした偽善性を逆照射するため?と思われるほど、見ていて本当にイライラさせられる男なのだ。
紫式部も書きながら、さすがにイラついてきたのだろう。宇治十帖には、至るところに作者の嘆きがほとばしっている。人妻となった中の君に迫り、拒まれた薫は、
「彼女だって匂宮に捨てられたら私を頼ってくるだろう。そうなっても、今さら正式の妻にはできないが、こっそり通う忍び妻としては、これ以上の女はいまい」
と思った。そう書いた直後、作者は続ける。あんなに誠実そうな顔をしていても、
男といふものの心憂《こころう》かりけることよ=c…男というのはつくづく情けないよ。
そして中の君が匂宮の子を生むと、
「大君がこんな子を生んでくれていたら」
と思うだけで、妻の女二の宮に子供が生まれてほしいとは微塵も思わぬ薫の心を、かく女々《めめ》しくねぢけて=c…こんなに女々しくひねくれ者のように……書くのは気の毒だが、それほどひどい男なら、ミカドの信任が厚いわけはないから、仕事はできる人なのでしょう、と開き直る。
だが。それでもこの時点の薫の描写には、どこか作者の同情が感じられた。常に行動によって裏切られていく、彼の聖人めいた口ぶりは、
「生まれ変わっても実父と巡り合いたい」
という心の叫びが免罪符となって、糾弾を免れていた。
彼がはっきりサイテー男として位置づけられるのは、それまでぽつーんぽつーんと物語に投げこまれていた浮舟や匂宮と、関わり始めてから、なのだ。
薫と浮舟、そして匂宮[#「薫と浮舟、そして匂宮」はゴシック体]
中の君に浮舟を勧められた薫は、乗り気でないふりを装いながら、浮舟を犯す機会を狙っていた。
「受領の継子ふぜいに求婚するのもみっともないし、中の君にゲンキンな男と思われるのもイヤだ。でも会ってみたい」
と思っていた。そして母中将の君の不在をついて、浮舟を犯した。翌日には、宇治に彼女を連行し、大君を思って切ない夜に、足を運んで浮舟を抱いた。浮舟を大君に少しでも近づけようと、大君の得意だった琴を取り出した。だが。
「田舎育ちの受領の娘が琴など弾けるわけがあるまい」
そう思うと悔しくて、
「なんでそんな田舎に長年、住んでいらしたの?」
と理不尽に問うた。
「東《あずま》の国にいたのだからあはれ、わがつま≠ニいう名の琴……和琴《わごん》はいくらなんでも弾けるよね?」
と皮肉りもした。
浮舟は気後れするばかりで答える言葉もない。薫は、
「物足りない」
と思うが、
「物足りないくらいのほうが、身代わりとしては教えがいがある」
と思い直しもした。
薫は浮舟を、妻でも恋人さえでなく、あくまで人形《ひとがた》≠ニして扱った。大君とは「相手がうんと言うまでは」とセックスを控え、中の君ともぎりぎりのところで一線を越えずにこらえていた薫は、浮舟とは会ったその日にセックスした。「私はスケベじゃない」といういつもの口説き文句さえ使わなかった。それでいて、そんな人形《ひとがた》を抱くのさえ、あれこれ理屈をつけずにいられなかった。
「身分柄、容易に会いに行けないが、浮舟は寂しがっているだろうな。でももともと山里の慰め≠ニして囲った女なんだから、少し日数のかかりそうな用事を作って会いに行けばいいさ」
彼は、大君の供養のために、八の宮の屋敷跡に建てた寺の法会などにかこつけて、浮舟を抱きに行った。大君にとってはとんだ供養だが、とにかく薫の本性は、人形《ひとがた》である浮舟との関係においてさらけ出された。
それを読者に暴いてみせたのは、匂宮だった。
世間体を気にする薫は、親友の匂宮にさえ浮舟のことを隠していたのだが。匂宮に取り入って、出世を目論む学者官僚が、その存在を知って、匂宮に漏らしてしまう。すると匂宮は、
いとをかし
と思って、こう言うのだ。
「面白いじゃないか。偉そうに人より誠実ぶっている奴に限って、人の思いも寄らない陰険なたくらみをしていたというわけだよ」
匂宮のこのセリフには、なにか「快哉」といったトーンがある。これが言いたかったのよ!という紫式部の心の叫びが感じられる。惜しいのは、セリフの相手が薫ではなく学者官僚だったことだ。もしも匂宮が薫に直接こういう批判をぶつけていたら、そして二人が喧嘩でもしたら、宇治十帖にも少しはさわやかな風が吹いていただろうに。匂宮は、友達を批判するよりも、「その女とやりたい」という欲望を最優先させて、一路、宇治へ向かい、薫を装って浮舟を犯してしまう。
で、この時、相手の浮舟が、そんな匂宮を憎むというなら、薫にも名誉挽回の余地があったかもしれない。
だが。宇治十帖では、運命の岐れ路は、常に悪いほうへとそれていく。浮舟の心は匂宮に吸い寄せられてしまうのだ。
強姦された女が相手を好きになるなんて、ちゃちなアダルトビデオじゃあるまいし、とあきれるが。実は、二人が会うのはこれが初めてではなかった。浮舟が中の君のもとに身を寄せた頃、匂宮は彼女を新入り女房と間違って、犯そうとしたことがあった。
美貌の女房には、必ず手をつける色好みな匂宮のこと。小柄でほっそりとして、驚くほど可憐な浮舟を見逃すはずはなく、乳母や女房が制止するのも構わず突き進もうとしたのだが、折しも匂宮の母である明石の中宮発病の知らせに、阻まれたのだった。
これをきっかけに浮舟は、母によって中の君の屋敷から避難させられ、その避難場所を訪れた薫によってなし崩しに囲われたという事情があった。そうとは知らない匂宮は、以来、浮舟の行方を探し続けていたのである。だから浮舟と会えた時は、興奮のあまり自分の立場も世間の思惑も忘れ果てた。翌朝、ことの顛末を知った女房達に、
「今日は母君が、物詣《ものもう》でにお連れするためにお迎えに来ます。早くお引き取りを」
とたしなめられても、
「私は今までずーっと彼女を思い続けてバカになったから、人が何と言おうと知ったことではない」
と開き直り、
「母君には生理が始まったとでも言っておけ」
と帰ろうとしない。浮舟は生理になったからお迎え無用、物詣では延期しろというのだ。
今上帝と明石の中宮に愛されて育った美貌の彼は、怖い者なしだった。すべてにおいて薫と対照的だった。女をすぐに好きになり、好きな女は必ず犯した。犯すだけでなく、女に自分を好いてもらおうと全力投球した。「今日は雪だから」と薫が手紙だけで済ませば、「雪だからこそ」と女に会いに行った。黙っていても人を惹きつける美貌の身を、いっそう好ましく見せようと、爛漫の笑顔で女を包み、艶やかな言葉で女を抱いた。こうして初めは強いて犯された中の君も彼の魅力に籠絡され、匂宮も、
「結婚するなら権門の姫君」
という母明石の中宮の反対を押し切って、孤児の中の君を妻にした。
「中の君と結婚するとしても忍び妻にしかできない」
と考えた薫とは対照的に、好きな女には誠実な一面をもつ宮でもあった。
そんな匂宮は、恋に身分関係をもちこんでもったいぶっている薫と違って、浮舟にも恋する男の顔を見せた。
「長年つれそった女達も皆、あなた一人とひきかえに捨ててしまいたい」
「一刻も会わないでは死んでしまう」
匂宮はとり乱し、浮舟が洗面の水を差し出すと、
「あなたが先に洗ったら?」
と勧めた。すると女は……匂宮と関係した浮舟を、作者は初めてここで女≠ニ呼ぶのだが……、
「愛されるって、こういうことかしら」
と思いこんでしまう。一人の女として愛されていると信じこんでしまうのだ。
薫の前では萎縮して何も喋れなかった浮舟も、匂宮とはよく喋った。祖父の光源氏に似て絵の得意な宮が、男女が寝ている絵を書いて、
「いつもこうしていたい」
と泣くと、浮舟は筆を取ってこんな意味の歌を書いた。
「あなたの愛も、いつか終わりが来るのでは? はかない命のように(心をばなげかざらまし命のみさだめなき世とおもはましかば)」
「誰の心変わりを見て、そう思うの?」
宮が薫との馴れ初めを聞きたがると、
「とても言えないことを、そんなにおっしゃるなんて」
と、すねてもみせた。そして犯された夜から二日目の、匂宮が帰京する朝には、限りなくあはれ=c…どうしようもないほど男が恋しくなって、涙を落とすまでになる。
自分を強姦した男と、丸二日間過ごしただけで、恋の悦びを知りそめる。そんな非現実的な設定が通用するくらい、浮舟は愛に飢えていた。「ご主人様」である薫によって、非人間的な仕打ちを受けていたのだ。
寂しい男[#「寂しい男」はゴシック体]
『源氏』には、「身代わり」の系譜というのがある。光源氏が藤壺の代わりに妻にした紫の上、夕霧が雲居雁と結婚できなかった頃、通い始めた藤典侍《とうないしのすけ》などだ。彼らの場合、男達は初めから愛する人の身代わりを探していたわけではない。光源氏が紫の上を、
「藤壺の身代わりに」
と思いついたのは、彼女を初めて垣間見た時、
「なぜ自分はこんなにこの少女を見つめずにいられないのだろう」
と不思議に思ううち、少女の面差しが愛する藤壺に生き写しであることに気づいたからだ。
そうして迎えた身代わりに、男達は共感のようなものも感じていた。才学にたけた夕霧は、正妻の雲居雁にはない典侍の才知に舌を巻いたし、光源氏には、紫の上を藤壺に重ねる気持ちとは別に、「自分達は同じ母なし子」という仲間意識があった。
が、はなから大君の人形《ひとがた》を求め、会う前から浮舟を「身代わり」に予定していた薫に、浮舟への、そうした仲間意識は微塵も見られない。
これは思えば奇妙なことでもある。
薫は浮舟と同じように実父の顔を知らない。ならば光源氏式に言えば、同じ「父なし子」としての共感を、浮舟に覚えてもいいではないか。いくら劣り腹とはいえ、愛する大君と同じ父のタネではないか。正妻腹でないのは紫の上も同じである。なのに光源氏は紫の上を厚遇し、薫は浮舟を冷遇する。
「父にも認知されなかった、受領の継子に夢中になるのは、みっともない」
と思う……。
この差はあるいは、勝つ者と負ける者の差なのかもしれない。恵まれない境遇の女達に、現実ならあり得ないような幸運をもたらす超人的な勝利者、光源氏。対する薫の、敗北者ならではの弱さ、損なわれた者ならではの孤独の深さを物語るのかもしれない。
薫と浮舟はたしかに実父を知らぬ点で共通するが、浮舟には気丈な母の中将の君がいたし、その母の口から、
「あなたの本当の父上はとても高貴な宮様だったのよ」
と聞かされていた。
一方、薫の誕生と共に出家した薫の母女三の宮は、息子をかえって「親のように」頼る、子供のような母だったし、そんな母に実父の素性など口が裂けても確かめ得なかった。何より浮舟と違って、薫の実父柏木の身分は名目上の父光源氏の身分を下回っていた。
柏木が女三の宮との結婚を許されなかったのも、「皇女の婿としては身分が今一つ」だったからだ。父頭中将の尽力で、劣り腹の女二の宮(落葉の宮)との結婚を果たした柏木だが、彼のもとに生まれたら、光源氏の子として生まれたほどの名声は得られなかったろう。そんな負い目がコンプレックスとなって、自分と似た境遇でありながら、実父の地位が義父よりも高く、しかも自分よりは身分が低い浮舟への、傲慢な態度となって現れた……。
子育てを放棄した幼稚な母、秘密に満ちた家庭、表面的には親子関係を取り繕いながら、実は妻も息子も見捨てていた継父、死んだ実父のトラウマ……薫の成育環境はまさにひと頃はやりのアダルトチルドレンそのもので、薫というのは分かりにくい男に見えて実は、現代人にとっては非常に分かりやすい、見え透いた男なのではないか。
彼が世間体を異常なほど気にかけたのも、他人の評価によってしか自分を確認できないほど自分がないといわれる、アダルトチルドレンの指向を示すと共に、自分の地位が、その出生の秘密が公になれば、とたんに砕け散るほどの、はかないものと、無意識に感じていたからだろう。
「スケベじゃない」「この世に執着がない」と執拗に性欲や名誉欲を否定しないではいられないのも、運命づけられた敗北の悲しみを和らげるために、体をうねる「負けの遺伝子」が、あらかじめ、それらに執着はないと言わせている。
「どうせ負けるのだ。欲しても仕方ないのだ」
と、思わせているのかもしれない。
でもいくら自分の中の、父を破滅に追いやった要素を否定しても、彼の思考回路は怖いほど父と瓜二つだった。
「女御が生んだ女二の宮より、中宮の生んだ女一の宮なら」
という薫の内心は、
「更衣腹《こういばら》の女二の宮より女御腹《にようごばら》の女三の宮が良かった」
と悔しがった実父柏木そのものだ。それは権威を身にまとわずにいられないほどの自信のなさの現れでもあった。ということが、親子関係という視点から見ると、ありありと浮き彫りにされる。薫一人だけ見れば、分裂気味の複雑な人間像に思えるが、その負けの系譜上に置いてみると、そういう薫の性癖は「必然」として理解できる。
匂宮や薫を目撃した中将の君は、今の自分の生活をゴミやがらくたのように感じたが、豪華絢爛な世界に生きる自分の根が、そこにないと知る薫は、自分自身がゴミやがらくたのように思えてくるのを抑えるので精一杯だったかもしれない。
そしてそんな心の内を、誰にも明かすことのできない彼は、たしかにとてつもなく孤独で、この世がつまらなかったろう。「私はスケベじゃない」と好きな女を口説いた彼は、ひょっとして、女にさえも友情を求めるほど孤独だったのではないか。
かつてなびかぬ大君をもて余した彼は、老女房の弁に語ったものだ。
「姫への気持ちは、世間にありがちな軟弱なものではない。じかにお会いして、無常な世の中の話をしたり、心の中を互いに打ち明けたいだけだ。私は親しい兄弟もなく本当に寂しい。感動したこと、おかしかったこと、悲しかったこと……その時どきで感じていることを、誰にも言わずに心にしまって生きているので、さすがに不安なのだ。姉の明石の中宮には、ご身分柄、馴々しく思いをぶつけることはできず、母の女三の宮も、出家の身なので、たやすく近づくことができない。その他の女性は皆とても遠い存在に思えて、気詰まりで恐ろしく、心の底から頼みとする人がいなくて心細いのだ」
自分はとてつもなく寂しい。そして女が恐ろしい。でも大君は違う。彼女なら自分の寂しさを分かってくれる。
その思いこみは怖いものがあるが、この率直さを弁だけでなく、当の大君にも発揮していれば、彼の女性関係も少しは実りあるものになったかもしれない。が、彼は、大君のような、好きな女を前にすると、回りくどい表現しかできなかった。彼がはなから「身代わり」を求め、浮舟と身代わりを越えたつき合いをしなかったのも、生ま身の優れた女性と思うと、素直に自分の思いや欲望をぶつけられぬためかもしれない。
が、それにしたって、単なる世間話の相手なら、老人でも男でもいいのだ。それを若い女にまで求めるのは、彼に同性の仲間が少ないからだ。
社会の落伍者の八の宮と親交をもったのも、宮廷には心を開ける相手がいなかったからだ。その八の宮の姫君を匂宮に紹介したのも、数少ない友達である彼の心を引き止めておくためだろう。目的は違うが、匂宮が喜びそうな女=浮舟のネタを提供することで、彼に取り入った学者官僚のように。
そうまでして友達の歓心を引き、「話し相手になって」と女に求婚する薫の孤独は、「恋人探し」と称して「援助交際」に走る女子高生より深いかもしれない。
しかも女達は、そんな彼をいとうるさく∞わづらはしく℃vって拒み、唯一の友達の匂宮は、彼がやっと手に入れた可愛い人形《ひとがた》≠奪ってしまう。
やがてその事実……匂宮と浮舟の関係を知った時、さらに深まる孤独感……「誰も自分を分かってくれない」という寂しさに、薫はどう折り合いをつけていくのだろう。
[#改ページ]
薫《かおる》3◆それていく心[#「薫《かおる》3◆それていく心」はゴシック体]
それていく心[#「それていく心」はゴシック体]
心と言葉、言葉と行動が見事なまでにずれている。それが薫の特徴だった。ところが浮舟が、自分を強姦した匂宮を愛し始めて以来、薫の中にあった「ずれ」が、物語世界全体に波及する。そこにあった「ずれ」が、さらに進んで、人間関係が、それていく。
匂宮と会えばセックスしていた浮舟は、薫を見ると、暗い面持ちになった。
「こうして薫と会っていると知ったら、匂宮はどう思うかしら」
薫の囲い者の身で匂宮と通じた罪よりも、匂宮を慕いつつ薫に抱かれる後ろめたさを悲しんだ。ところがそんな浮舟に、薫はかつてない魅力を感じる。
「ここ数か月で、以前とは比べ物にならぬほど成熟したな。私を思ってよほど寂しかったのだろう」
匂宮によって開拓された浮舟の色気を、自分の手柄のように喜び、ついに、
「あなたを京に迎えてあげよう」
と告げる。妻に限りなく近い、れっきとした「愛人」に昇格させてやろうというのだ。もちろん浮舟は、喜ばない。
「あなたのために隠れ家を用意した」
という匂宮の言葉を思い出し、
「でも私はそこに行けない」
と思うと、涙が出た。薫はといえば、初めて自分の前で感情を表した浮舟に、恋に似た気持ちにさえなって、大君を恋した時の、切なさを思い出していた。
男は、過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は、今より添ひたる身のうさを嘆き加へて、かたみにもの思はし=c…男は過去の悲しい恋を思い出し、女は今後の苦悩を思って、互いに物思いは尽きない……向かい合う男女の心はすれ違い、そのままそれていく。
男女だけではない。親子の心も、それていった。
「こうなったら、しばらく母の所に身を寄せて、気持ちの整理をするしかない」
浮舟は考えたが、左近少将と結婚した娘の出産が迫る常陸介邸に、浮舟を迎えるのを不憫に思った母の中将の君は、自分から宇治に出向いた。そして、ものも食べずに臥せる娘を見て、
「物詣《ものもう》でに行けなかったのだから妊娠ではないわね」
と言った。物詣での予定を、生理だからと偽ってキャンセルし、匂宮とセックスしていた浮舟は、母の顔をまともに見ることもできなかった。
「薫の殿から、女房の衣装まで細ごまとお心づかいいただいて」
はしゃぐ乳母《めのと》を見ても、
「この人達にとても本当のことは言えない」
と気分は滅入っていった。
そこへ弁の尼が来た。彼女はもと八の宮家の女房で、宇治に残って主家の菩提を弔っていた。主人に忠実な老女と、主人を恨む中将の君。もとは同僚でも、二人の会話はとげとげしい。弁の尼は、薫との結婚を控えた浮舟を前にして、言った。
「大君が生きていらしたら、薫の殿の奥様として幸せになっていたでしょうに」
……大君さえ生きていれば浮舟の玉の輿もなかったとでも言いたげなセリフに中将の君はムッとする。
「浮舟が京にお移りになれば、私達がここに来ることはあるまい。この機会にゆっくり昔話でも」
……私の娘の浮舟だって、あんたが大事がっている死んだ大君とは他人じゃない、高貴な娘なんだ。薫の妻になって京に迎えられたら、誰がわざわざあんたのいる宇治になど来るもんか。中将の君が反撃すると、弁も負けてはいない。
「尼の私が何を話してもお役に立ちますまい。そう思ってこちらには参りませんでしたが、いざ京に行かれるとなると、寂しい反面、これでやっと姫も落ち着かれると嬉しくもございますの。ご立派な薫の殿が姫を求める気持ち、生半可なものではないと私も申しましたはず」
……浮舟に薫を紹介したのは誰だっけ?……弁が恩を着せると、
「先のことは分かりませんが、当面は殿もお見捨てにならぬと言って下さるにつけ、ご恩は感謝しております。匂宮の奥様も姫のことは気にかけて下さったのですが、思いも寄らぬことがあって」
……本当ならあんたがいなくても中の君が仲介してくれたさ……中将の君がやり返す。これを聞くと、浮舟が中の君邸で匂宮に犯されそうになった一件を知る弁は、くすっと小さく笑って言った。
「匂宮は忙しいほどの女好きで、まともな女房は働きにくいようですよ。奥様の中の君はできた方ですが、宮になびく女房を憎むのが困ると、誰それが言っておりました」
……匂宮と怪しい噂のあるあんたの娘なんか、中の君に憎まれこそすれ、世話など見てもらえないよ。
まさに丁々発止。自身、女房の紫式部も、実際にこの手の会話を聞いたことがあったのか。言葉づかいは丁寧だが、相手の痛い所をズバッと突く、海千山千のもと女房の面目躍如といったえぐい会話である。しかしこうした会話に免疫のない浮舟は、それを額面通りに受け取ってしまう。
「女房でさえ憎まれるのだから、まして妹の私は」
と身がすくむ。その直後、追い討ちをかけるように、母が弁の尼に言った。
「その奥様というのも他人ではございませんからね。もしも浮舟が匂宮と変なことになったら、いくら可愛い娘でもこうして会ってなどいませんよ」
中将の君にしてみれば、うちの娘は匂宮になびいてはいない、中の君に憎まれる筋合いなどないのだ、娘と匂宮に何かあったかのような勘ぐりはやめてちょうだい……と言いたいために、大袈裟な言い回しになったのであろうが、浮舟はこの一言に、内臓が破裂しそうになる。初めて「死にたい」と思う。匂宮とのことが知れたら、憧れのお姉様に嫌われるのはもちろん、母にまで見捨てられてしまう!
それでも最後の力を絞って、帰ろうとする母に、
「私も一緒に」
と浮舟は言った。けれど母は、
「あなたが京にお移りになっても、こっそり会いに参りますよ。私のような卑しい母が行っては、あなたのために申し訳ないのですが」
と泣きながら帰ってしまう。浮舟の最後の頼みの綱は、ここでぷつんと絶たれた。
京に移る日は近づいていった。準備のために薫の使者は盛んに宇治に通い、薫の動向を知った匂宮も頻繁に手紙を通わせた。こうして二人の男の使者は、しきりに宇治を行き交って、ついに鉢合わせする。それをきっかけに、匂宮と浮舟の関係が薫に知れてしまうのだ。
真実を知った薫は真っ先に思う。
「恐ろしい宮だ」
そして、
「中の君をどんなにか恋しく思っていたのに、我慢していた自分は偉い」
と思い、思うそばから後悔した。
「我慢していた自分はなんと愚かだったのか」
匂宮が、我が浮舟を犯していたのだから、自分も彼の妻の中の君を犯してしまえばよかった、と。
匂宮……中の君、と駆け巡る心が、浮舟に行き着いたのは、最後だった。
「いじらしそうに見えて実は浮気な女だったのだ。匂宮とはお似合いだ。いっそ譲ってしまおうか」
薫は一瞬考えるが、すぐに、
「もともと大事にしていた女ならともかく、そうじゃないのだから、このまま囲い者にしておこう。まったく会わないとしたら、やはり恋しくなるだろうし」
思い直して、浮舟に手紙を書いた。
「あなたが浮気したとも知らず、私を待っているものとばかり思っていた。私を世間の笑い者にしないでくれ」
薫は浮舟が惜しくなっていた。見向きもしなかったおもちゃを、ほかの子がほしがったとたん、抱えこもうとする子供のように。けれどそんな薫の本心を知らぬ浮舟は、この手紙を見て、
「もうダメだ」
と思う。匂宮との秘密を知る二人の側近女房達も動揺し、
「こうなったら薫か匂宮か、どちらか一人を選ぶべきだ」
と迫る。が、浮舟はどちらも選べなかった。
「宮の気持ちも嬉しいが、長年頼みにしてきた薫とも別れたくない」
と思う。側近女房はダメ押しするように、言った。
「東国では、一人の女を巡って男達が殺し合いをした例もあるのですよ」
浮舟の苦悩は、
「薫の手下が匂宮を殺してしまうのでは?」
という具体的な不安感に転じた。
「どちらの男を選んでも、どちらかの男に惨事は起きる。私が死ぬのが一番だ」
浮舟は決意した。
「あなたのことが気がかりです。京へお移りになるのも間近ですが、あなたの言う通り、ここに少しの間でもお迎え致しましょう」
そんな母の手紙が宇治に届いたのは、浮舟が失踪した翌朝のことであった。
奇妙な親友[#「奇妙な親友」はゴシック体]
宇治十帖ではすべてがそれていく。男女の心、親子の心、主人と召使の心、そして友達の心さえも。
入水をほのめかした歌によって、浮舟の死を自殺と断定した家族は、遺体のない葬式をあげた。二人の男に死因は伏せられたが、彼らの反応は対照的だった。薫は、後悔した。
「どうしてもっと会っておかなかったのか」
もっとやっておけばよかった、とも受け取れるその後悔が、
「自分は女のせいで、どこまでも苦しむ運命だったのだ。これも道心を起こさせるための仏の方便なのか」
と、信奉する宗教に飛んでしまうところが、自己中心の彼ならでは。
こうして彼は自分の悲しみを、女や仏のせいにして、孤独と向き合うことを避けていった。
一方、匂宮はただ泣き続けた。彼の悲しみは、世の騒ぎ=c…貴族社会を揺るがす事件……にさえなった。悲嘆のあまり病の床に倒れた彼を、貴族達が原因も知らずに競って見舞いに行くと、
「こんなに皆が行くんだから、自分一人、大した身分でもない人の死を悲しんで閉じ籠っていては、かっこ悪い」
そう考えて薫も見舞いに行った。妻が死んで、夫が間男に弔問に行くような、奇妙な展開……。
特別に匂宮との面会を許された薫は、痛々しいほど落ちこむ匂宮を見ると、浮舟を失った悲しみも忘れて思う。
「やっぱりね。浮舟とデキていたのだ。寝取られた私をさぞかしバカだと思っていよう」
対する匂宮は、
「浮舟はこの人とつき合っていた。この人は浮舟の形見なのだ」
目の前の薫まで懐かしくなって、しみじみ見つめずにいられない。
二人の男は、互いに向き合いながら、心は別の次元にいた。そして、どこまでもそれていく心のままで、薫は、初めて浮舟のことを打ち明けた。
「こんな女がいた。いい女だから、あなたにもいずれ回してあげようと思っていた。もっとも、すでにお目に触れる機会もあったかもしれない。あなたの屋敷にも出入りする縁故のある人だったから」
薫としては、精一杯の皮肉のつもりだろう。私の愛人を奪ったつもりでいい気になるな。私はそんな女のことなど、ちっとも大事じゃないもんね。いずれあんたに譲ってやろうと思っていたくらいなんだから……そんな負け惜しみを言わずにいられないくらい、浮舟に執着していたとも言える。が、負け惜しみにしても、むごい言葉だ。帰邸した薫は、
「これほど匂宮に思われていたとは。してみると浮舟の運勢も大したものだったのだ」
と改めて浮舟を見直すが、それだけ以前は浮舟を軽んじていたのだろう。人が大事にしだすと惜しくなるのは、中の君が人妻になったとたん、
「匂宮に譲って損した」
と悔やんだ時と同じ。しかも初めのうちは、「大君の形見に」と思っていたくせに、いつのまにか、
「私だって中の君が好きだったのに」
に変わっている。そんな薫はまた、今になって思うのだった。
「私だってミカドの娘を妻にもちながら、浮舟を思う気持ちは負けなかったのに」
女が好きかどうかさえ、他人の反応……それも匂宮やミカドのような権威ある他人の反応……によって確認しなくては認識できない。自分の気持ちに確信がないのだ。
こう書くと、薫一人がサイテーのようだが、実は、初めのうちこそ浮舟をお姫様扱いしていた匂宮も、その身分のほどや気弱な性格が知れてくると、
「この女を女房として、姉の女一の宮に差し上げたら、姉は喜ぶだろう」
などと思っていた。
こうして情熱のさめた女を、彼はすでに数人姉に押しつけていた。彼女達は、宮と関係したものの、彼を通わす地位や財力、愛人として囲われる寵愛もないために、女房として働きながら、セックスの相手もするというお抱え娼婦のような女達だった。匂宮が事件になるほど浮舟の死を悲しんだのは、あくまで彼女が死んだからで、生きていればやがて飽きられて、同じ運命を辿ったかもしれぬ。
それにしたって、浮舟の死後、男達の間に何も起きないのは、見事なほどではないか。薫がちくりと皮肉を言っただけで、二人は対立も喧嘩さえもしない。二人の刃傷沙汰を恐れて「死ぬしかない」と思い詰めた浮舟の哀れさ。死んでしまった彼女の愚かさ。
思えば二人の関係は初めから奇妙なものだった。幼い頃から兄弟同様に育ち、女を紹介するほど親しいかと思うと、心の底では、
「スケベな宮だ。私は女などでは動揺しない」
と優越感に浸ったり、
「中の君と離婚すればいいのに」
と相手の不幸を願ったりする。匂宮は匂宮で、親友の愛人を犯して、謝るどころか、
「薫も妻の中の君と浮気しているのでは?」
と、自分のスケベな心を基準に邪推する。邪推するが、その思いを薫にぶつけることはない。
二人の間に横たわるのは、「幼な馴染みの男の友情」といった口当たりの良いものではなく、嫉妬や不信感や優越感だ。そうしたものを抱えこみながら、口に出せず、しかしつるまずにいられない。それが親友だ、大貴族なのだという見方もあるだろう。けれど、光源氏と頭中将、夕霧と柏木といった、歴代の親友達と比べると、彼らの関係がいかにも薄っぺらに見えるのはどうしようもない。その薄い関係に浮舟は加わったが、ヒビを入れることもできなかったのだ。
その後の男達[#「その後の男達」はゴシック体]
浮舟の死後、男達は変わらなかった。
匂宮はやがて手近な女を口説いては、熱しやすく冷めやすい本性をさらけ出し、薫は相変わらず女とは奇妙な接し方しかできなかった。自分にはよそよそしく、匂宮には馴々しい女房達に、
「どいつもこいつも女はどうして匂宮に」
と腹を立てた。
「本当に心の深い女は私のほうになびくはず。でも、そんなにできた女というのは、この世には滅多にいないし」
と都合のいい解釈をした。そして憧れの女一の宮の代わりに、彼女に仕える女房を抱き、垣間見た女一の宮と同じ格好を、その異母妹である妻女二の宮にさせたりした。
実は薫は、八の宮の娘達と関わる以前から、一貫して匂宮の姉の女一の宮を思い続けていたのだ。初めて中の君を垣間見た時は、
「女一の宮もこんな華やかなタイプか」
とため息を漏らし、大君に求婚した頃も、姉の明石の中宮(女一の宮の母)を見ては、
「女一の宮もこのように美しいのだろう。声だけでも聞きたい」
と思っていた。浮舟の四十九日も過ぎた頃、その憧れの宮を垣間見た彼は、帰宅すると、
「暑いねぇ。もっと薄いお召し物にしたら? 女はたまにふだんと違う物を着ると風情が出るよ」
などと理屈をつけて、女房にあつらえさせた肌がスケスケのシースルーを、嫌がる妻に手ずから着せ、女房達に氷を割らせて、妻の手にもたせてみる。つまり女一の宮を見た時の状況とまったく同じ場面を再現する。そして、
「姉妹なのに似てないなぁ」
と、自分の運に自信をなくすものの、じきに、
「私の母の女三の宮だって、女一の宮に劣る身分ではない。私の運勢は大したものなのだ」
と我が身を慰める。前世の行いが現世の運勢を決めるという仏教説を信じる平安貴族にとって、運勢の善し悪しは、アイデンティティーに関わる大問題だった。運勢がいい人は前世に善行を積んだ人として尊敬されていたからだ。しかしそれにしても、
「女二の宮だけでなく、姉の女一の宮も妻にできたら、もっと運がよかったのに」
と夢見る薫というのは、つくづくとんでもない奴だ。とんでもないが、そんな夢想を決して実行に移さない。移さないが、その欲望を、ほかのどうでもいいような女にそらしてしまうところに、彼の屈折がある。親殺しを夢見ながら果たせず、代わりに行きずりの他人を殺してしまうような、目的のずれがあるのだ。
「薫2」でも触れたように『源氏』には身代わりの系譜というのがある。光源氏や夕霧は、藤壺や雲居雁の身代わりに、紫の上や藤典侍を抱いた。そして藤壺や雲居雁も抱いた。けれど薫は、大君の身代わりの浮舟は抱くが、大君は抱かない。まして女一の宮とは手も握らない。光源氏達は「好きな女」とも「好きな女の身代わり」ともセックスしたが、薫は「身代わり」としかしない。薫にとってセックスの相手は誰もが「誰かの身代わり」で、高貴な妻の女二の宮さえ、女一の宮の身代わりなのだ。
「これは身代わりにすぎないのだ」
と見下さないと、女を抱けないほど、自己評価が低い。自分に自信がないのである。
憧れの女一の宮を犯す勇気もなく、手が届くと思った女達=大君や中の君にも逃げられ、やっと手に入れたお気に入りの身代わり=浮舟を失った薫は、女房や妻といった女達を抱いては、亡き浮舟への執着をつのらせていった。そして浮舟の側近女房から、その死が自殺であったことを聞き出した彼は、浮舟の母に手紙をやった。
「浮舟の弟妹達が朝廷にお仕えする時は、必ず後援してやる」と。
「あんな連中との親戚づき合いなどぞっとしないが、ミカドだって受領の娘を愛することもあるではないか。まして私は臣下だし、人に非難されるほど夢中になったわけでもない。一人の娘を亡くして悲しむ親心に、子供のおかげで面目が立ったと思わせるくらいの心づかいは見せてやらねば」
と考えたからだ。世間体を気づかう薫ならではの思いやりだった。
手紙を読んだ中将の君は泣いた。実の娘の出産でてんやわんやの夫の常陸介は、そんな彼女を、
「この忙しい時に」
と怒ったが、事情を知って態度を豹変させた。
「浮舟はなんと素晴らしい幸運を捨てて亡くなったことか。薫の殿には私も仕えてはきたが、そばにも寄れない気高い方なのだ。子供達のことを気にかけて下さるとは頼もしい」
と喜んだ。受領の任官は、薫のような大貴族の意向に左右される。彼の後援を取りつけたことは、生活と地位の保証をしてもらったも同然だった。
「薫と浮舟のことは京に迎えられて面目が立ってから知らせよう」
そう思って夫に伏せていた中将の君は、夫の喜ぶ姿を見ると、
「まして浮舟が生きていたら!」
と、のたうって泣いた。介も初めて少し泣いた。
「しかし」
と、紫式部はつけ加えることを忘れない。
「浮舟が生きていれば、こんな連中を薫が気にするわけはない。死んだからこそ目をかけるのだ」と。
彼ら受領と薫の心はやはり交わることはないのだった。
コミュニケーション不毛地帯[#「コミュニケーション不毛地帯」はゴシック体]
浮舟の遺族への手厚い保護にも見られるように、物質的な援助は惜しまない、これは薫の大きな特徴だった。何不自由のない暮らしをしていた大貴族の彼が異常なほど人の懐具合を思いやる理由を、紫式部は説明する。
「八の宮の窮乏を見て、貧乏の惨めさを知ったから」
しかし私には、どうもそれだけの理由とは思えない。彼は八の宮にも、宮の死後の大君にも、匂宮との結婚後の中の君にも、富をばらまいた。その思いやりは、思いやられる側を支配した。八の宮は薫に娘達を託し、娘達はしつこい薫に冷たくできずに、長女は次女、次女は三女と、人身御供のように身代わりの女を差し出すことで、薫の援助を確保した。つまり薫は利用されていたのだが、そのことを薫は知らない。中の君に浮舟を紹介されると、
「私がしつこくつきまとうのから逃れるためだ」
と気づくものの、
「それでもすげなくしないのは、さすがに私の気持ちを理解してくれているからだろう」
そう思うと、心がときめいた。と『源氏』は言う。
そうとでも思わなければ、人生辛くてやっていけない、というのはあるが。しかし本当に、彼は知らなかったのか。富が人の心をなびかすことを。富だけが人を自分につなぎとめていることを。それらの富をもたらすのは、今現在の自分の地位であることを。こうしたことを無意識のうちに知っていたからこそ、人一倍世間体を気づかうのではないか……。
彼はまた富を介してしか親達と接してこなかった。名目上の父光源氏は、彼の誕生を喜ばなかった。
あな口惜しや=c…ああ無念だなぁ……と思うだけだった。それでも、薫の誕生祝いなど、折々の儀式だけはちゃんとして、父としての世間体をかろうじて保っていた。
母の女三の宮も不義の子を生んだ運命を呪い、薫誕生の五十日目の祝いを待たずに、出家した。
実父の顔も知らず、彼の誕生と共に仏間に籠った母に甘えることもできず、名目上の父である光源氏の築いた絢爛豪華な六条院で育てられた彼は、物質を満たすだけの可愛がられ方しかしてこなかった。それで人と関わろうとしても、物質を介したコミュニケーションしかできなくなっていたのではないか。たとえば寂しくて泣いた時、抱いてあやしてもらえずに、玩具をあてがわれるような、ずれた対応をされ続けた結果、物を買ったり食事を奢ったりすることで、人をつなぎとめておこうとするようなつき合い方しかできなくなっていたのでは? 根っこには、やはり親子関係があったと思うのだ。
もちろんこうした関係を許す背景には、物に支配される人の存在というのがある。
中将の君が娘を薫に託したのは、大貴族の威勢に圧倒されたからだし、常陸介が浮舟の死を悼んだのも、彼女を通じて薫の恩恵にあずかれると予感したからだ。天涯孤独の八の宮が、「娘達を薫に」と思いついたのも、薫の気前の良さに惹かれたからだし、大君が薫をわづらはしく℃vいながら突き放さず、代わりに中の君を勧めたのも、薫の援助がとぎれることを恐れたからだ。
中の君が浮舟を薫に紹介したのも同じ理由だった。新婚家庭の経済は妻が担っていた当時、匂宮の屋敷をもらい受けて住んでいた中の君はただでさえ肩身が狭い。まして衣食など日常の出費を夫に頼るわけにもいかず、孤児の彼女は「娘をよろしく」という父の遺言を守って援助してくれる薫にすがるしかなかった。薫はといえば、親友の妻を口説いた後ろめたさもあって、いっそう援助を怠らない。そんな便利な薫を手放したくない中の君は、浮舟を彼にあてがうことで、薫の援助を確保した。
こうした物欲本位のコミュニケーションを優先させて、本音を隠しているうちに、自分の本音まで分からなくなって、心がそれていく。それが宇治十帖のイライラのもと、孤独感のもとだと思うのだ。
何だかとても今的で、日本人的ではないか? 宇治十帖の暗さは、今の日本の暗さかもしれない。
なんで紫式部は千年前にこんな物語を書いてしまったのか。書かずにいられなかったのか。そんな疑問を抱えたまま物語を読み進んでいくと、終わりの見えない救いのなさ、この物語はどこに行くのだろうという不安感もピークに達する「蜻蛉《かげろう》」の巻がすぎ、最終巻の「夢浮橋《ゆめのうきはし》」を残すのみの「手習《てならい》」の巻にたどり着いた時、暗い物語を繰っていた紫式部の手が、いったんぱっと放される。すると暗闇に、ぽつっと光の穴が差すように、物語は、不思議な明るさを帯び始める。
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第六章 失われた自分を求めて[#「第六章 失われた自分を求めて」はゴシック体]
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横川《よかわ》の僧都《そうず》1◆疑似家族という実験[#「横川《よかわ》の僧都《そうず》1◆疑似家族という実験」はゴシック体]
いと尊き人[#「いと尊き人」はゴシック体]
時代が下るほど人間がダメになっていく、世の中が衰えていくという、平安中期に流行った末法思想の影響だろうか、宇治十帖にはろくな人間がいなかった。
それは八の宮やその娘達、薫や匂宮、中将の君といったメインの人物だけではない。
孤児の中の君と結婚しようとする匂宮に、
「好きな女がいるなら召人にして、正式の結婚は権門の姫となさい」
そう勧めた母の明石の中宮。匂宮を薫と間違えて浮舟に導きながら、立場が危うくなるのを恐れ、母にも乳母にも報告しない側近女房達。上司のデートまでセッティングして出世を期待した学者官僚。
宇治十帖では、すべての登場人物が、孤独なエゴイストだった。
そしてそこではまた、多くの人達が悲惨に死んでいった。八の宮が娘に会えぬまま死に、大君がものをまったく食べなくなって死に、浮舟は二人の男の板挟みになって自殺する。
読めば読むほどうんざりする、陰々滅々とした世界になるのだ。
それが「手習」の巻にくると、一気に世界が変わる。ぱっと視界が開け、長い夜に朝日が差しこむような、不思議な明るさを帯びてくる。何か生気が感じられるのだが、その多くは横川《よかわ》の僧都《そうず》というキャラクターに負っているだろう。
「手習」の書き出しは、こうだ。
そのころ横川に、なにがし僧都とかいひて、いと尊き人住みけり
これまで物語を織り成してきた光源氏の血筋、そして頭中将や弘徽殿の血筋ともまったく無縁の、一人の高僧の存在がここに語られる。その高僧を紫式部は、いと尊き人=c…非常に立派な人……と言う。今まで『源氏』の主要人物には決して与えなかったこの形容を、いきなり授かった高僧は、『源氏』に出てきたどんな僧侶にもない人間性の持ち主として描かれる。
彼には八十すぎの母尼と五十ばかりの妹尼がいた。彼女達は、長谷詣《はせもう》での帰り、母尼の容態が悪くなったので、僧都に連絡した。僧都は肉親の危篤に急ぎ♂。川の山を降りた。重病の八の宮に「この世の執着を絶て」と説いて、娘に会わせなかった宇治山の阿闍梨にはない人情が僧都にはあった。
そして紫式部の言葉によれば、惜しむべくもあらぬ人=c…死んだって惜しげはないほど年取った母尼……の命を助けるために懸命に加持祈祷をする。宿の主が、
「死人を出して家を汚したくない」
と言えば、
「それももっとも」
と、俗人の気持ちを思いやって宿を出る。そうして宇治院という、故朱雀院の領有していた廃院に移った一行は、うっそうとした木の根っこに白い物が広がっているのを発見する。
近寄るとそれは、つやつやとした髪の長い女で、大木の堅い根もとに座って、激しく泣いていた。魔物かとおびえる弟子達を尻目に、女を観察した僧都はきっぱりと言った。
これは人なり=c…これは人だ。
「決して怪しいものではない。もしや死んだ人を捨てておいたのが生き返ったのかもしれない」
彼の判断にしかし、弟子は反論した。
「なんでそんな人をここに捨てるわけがあるんです? たとえ人だとしても、狐や木霊《こだま》の類いに騙されて連れて来られたのでしょう。まずいですよ、こんな女に関わるのは。穢《けが》れますよ」
平安貴族は汚れ、とりわけ死の汚れを非常に恐れていた。それは伝染するものと考えられていたからだ。また、
「女は男を堕落させる罪深い生き物」
という仏教の女性観からしても、こんな得体の知れない女に関わるのは、弟子達はごめんだった。
「雨もひどくなりそうです。このままだと死んでしまうでしょう。垣根の外に運び出しましょう」
死にそうだから中へ入れようというのではない。外へ捨ててしまおうというのだ。死の汚れを厭う当時、召使などの低い身分の者は死にそうになると暇を出され、引き取り手のない者は生きたまま道に捨てられた。『今昔物語集』には、家族にさえ、生きているうちに外に捨てられた貴婦人の話、「犬に食い殺されない場所に捨てて下さい」と願った侍女の話もある。瀕死の女を放り出そうという弟子の言葉は、僧侶としては冷酷だが、当時の貴族社会では常識でもあった。が、僧都は言った。
まことの人のかたちなり=c…正真正銘の人の形をしているではないか。
「その命が絶えるのをみすみす見殺しにするのはひどいことだ。池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿をさえ、人に捕らえられて死にそうなのをみすみす助けないとしたら、実に悲しいことだろう。人の命というのは決して長いものではないが、残りの命がたとえ一日でも、大切にしなくてはいけない。鬼や神に取り憑かれたのであれ、人に追われ、人に騙されたのであれ、この人は非業の死を遂げるしかない者なのだろうが、仏は必ずお救いになられるだろう」
なんと心洗われる言葉。宇治十帖の暗さ、揃いも揃って俗物な登場人物達にうんざりしていた読者はここで、救われたような思いになるに違いない。
しかも僧都はそうした理想論を唱えるだけでなく、実践の人でもあった。
「しばらく薬湯を飲ませるなどして、助かるかどうか試してみよう」
回復した母尼と、小野という山里の家に戻った妹尼に、女の看病を託した。そして、女がたまに意識を取り戻しても、
「私は生きていても不用の人=c…用のない人間……です。川に突き落として下さい」
と言うばかりだと聞くと、自身も女のために加持祈祷した。当時、原因不明の病は「物の怪」が起こすと信じられ、それを祈祷によって「よりまし」と呼ばれる身代わりに移せば、病が治るとされていたからだ。素性も知れない女のために、朝廷の依頼さえ断わって祈祷に専念する僧都に、弟子達は異議を唱えたが、僧都は言った。
「私は罪深く恥知らずな法師で、戒律もたくさん破ってきた。しかし女に関する過失はまだ犯したことがない。齢六十を越え、人に非難を受けるとしたら、それも運命なのだろう」
『源氏』には多くの僧侶達が登場した。光源氏に紫の上の素性を語った北山の僧都、冷泉帝に彼の出生の秘密を明かした夜居《よい》の僧都、薫に八の宮の娘の存在を教えた宇治山の阿闍梨……。高貴な女は父や兄弟という近親者や夫以外には顔を見せなかった平安時代、貴人のそば近くに侍り、物の怪退散の祈祷という、家族や個人の闇を見やすい立場にあった僧侶は、家庭の秘密を知る人であり、暴く人であった。読者から見れば、物語の謎を解く人でもあった。
しかし彼らは皆、そうした秘密を喋ることで、登場人物の足を引っ張りながら、冷酷に宗教の論理を振り回しては、俗人の心を苦しめた。横川の僧都は、そうした僧達と一線を画す、自由な魂の持ち主として、荒廃した宇治十帖に舞い降りた。
今まで必ず悪いほうへとそれていた物語は、この尊き人の登場で、必ず好転する。彼に発見された謎の女は必ず助かる。読者はそんな明るい予感を覚えながら、残り少ない物語を読み進むであろう。
疑似家族という実験[#「疑似家族という実験」はゴシック体]
僧都の祈祷は始まった。すると今までまったく姿を見せなかった物の怪が現れた。
「自分はこんな所に来て、このように調伏されるような身ではない」
物の怪は……正確に言うと……物の怪を移された「よりまし」は言った。
「自分は昔は修行を積んだ法師だったが、些細な恨みをこの世に残して漂ううちに、いい女がたくさんいる屋敷に住みついて、片方の女は取り殺したが、この女は自分から死にたがっていたのにつけこんで取り憑いたのだ。しかし観音が二重三重に守っておられたので僧都に負けた。今は退散しよう」
「お前は何者だ」
僧都は問うたが、よりましの体力が尽きて物の怪の正体は聞けずじまいだった。が、生前は法師だった男がこの世を恨んで死霊となった、その死霊が「いい女がたくさんいる屋敷」=八の宮邸に住みついて、「片方の女」=大君を取り殺したということが明らかになった。宇治十帖の舞台はいつからか、この亡霊に支配されるようになっていたのである。亡霊に操られる闇の物語だったのが、妖怪変化が鶏の声で朝日を恐れて退散するように、僧都の祈祷の声で退散した。僧都もまた、『源氏』の他の僧侶達と同じように、物語の謎を解こうとする人だったが、物の怪の正体が不明のままなので、この謎のもつ意味は、僧都にも読者にも分からなかった。
謎の意味は謎のままとして、とにかくここで、「自分から死にたがっていた」一人の女が意識を回復した。女は記憶喪失になっていたが、読者にはその正体の察しがつくように描かれている。
八の宮の屋敷跡に住まわされていた「この女」は、浮舟であった。
自殺を図った浮舟は生きていたのだ。彼女自身は自分が誰なのか、どこに住んでいたかも忘れていたが、やがて過去を思い出すと、かえって暗く沈んでいった。
「尼にして」
と繰り返し、妹尼に素性を聞かれても、
「生きていると人に知られたくない。聞きつける人がいたら困る」
と泣くばかり。数年前に娘を亡くしたことがきっかけで出家した妹尼は、事情を知りたいのは山々だが、死んだ娘より容貌も雰囲気も優れた浮舟を失いたくない一心で、結局は、身分も名前も知らない浮舟の好きなようにさせた。
家を捨て、男を捨てた浮舟と、娘を亡くし、俗世を捨てた妹尼は、実の親子のように暮らすようになった。母のない子と、子のない母の、奇妙な他人家族が営まれていった。そしてそこに通う僧都は、実の父親以上の愛と包容力で、父の愛を知らない浮舟を包みこんだ。
千年前。紫式部という天才は、親子の因果関係を描いた末、血縁を越えた家族のようなもの……「疑似家族」という実験を試みた。
この家族の均衡を乱したのは、またしても一人の男……中将という、浮舟の母と同じ名で呼ばれる若者だった。
浮舟の勘違い、浮舟の出家[#「浮舟の勘違い、浮舟の出家」はゴシック体]
中将は、妹尼の死んだ娘の婿で、近衛府の次官、つまり大将を務める薫に次ぐ地位にある、かなりの家柄だった。年も薫と同じ二十七、八のこの男が、浮舟の後ろ姿を垣間見て好奇心をもった。高貴な女は人に顔を見せない当時、後ろ姿を見ただけで、男はときめいてしまうのだ。
男には横川で僧侶をする弟がいた。この弟を見舞うついでに、昔の姑を久しぶりに訪ねた彼は、
「弟の山籠りが羨ましくて始終訪ねているのですが、一緒に連れて行けとつきまとう仲間達に邪魔されて、こちらにはなかなか来れませんで」
と無沙汰を詫びた。
「山籠りが羨ましいなんて、流行り文句の口真似に聞こえますよ」
……今の若い人は口ではみんなそう言うのね。妹尼はからかった。世のはかなさを嘆いて隠遁生活に憧れてみせるのは実は、薫に限らず、当時の若者の流行だったのだ。もちろんそれは妹尼の言うように口先だけで、その舌の根も乾かぬうちに「あの若い女は誰?」と水を向けるいい加減さも薫と同じだが、しかしそんな薫の縮小版のような中将に、妹尼は好意的だった。
「同じことなら昔のように……」
浮舟を娘婿と結婚させて、娘の代わりに世話をしたいと考えた。
小野の山里も、浮舟にとって危険な場所になりつつあった。やがて、母中将の君の留守をついて、浮舟を犯しに来た薫のように、母代わりの妹尼が物詣でに行った隙を狙い、中将がやってきた。
「いっそ死んだ者として誰にも見られず誰にも聞かれず、忘れられたままで終わってしまいたい」
と思う浮舟は、母尼の部屋に逃げこんだ。彼女はもはや昔のように簡単に男に犯されるような女ではなくなっていた。そして老尼達の雷のようないびきの中で、自分が生まれた時から今までのことを、眠れぬまま考えていた。
「私は父宮の顔も知らぬまま遥かな東国で何年もの歳月を過ごし、たまさかに、お近づきになれた姉上とも交際が絶えてしまったが、薫のおかげでようやく人生も明るくなろうかという時、すべてを台無しにしてしまった。それももとはと言えば匂宮を少しでも恋しく思った私の心がバカだったのだ」
浮舟は、自分を強姦した匂宮に、こよなく飽きにたる=c…すっかり嫌気が差した。一方で薫を理想化する心がわき上がってきた。
「初めから薄い愛情ではあったが、薫は穏やかに接してくれた。この時も、あの時だって、薫のほうが宮よりも格段に優れていたではないか」
「その優れた男に」
と浮舟は思う。
「こうして生き長らえていることを知られた時の恥ずかしさは、匂宮に知られる時よりも深刻に違いない」と。
後世の薫観の混乱は、このへんの浮舟の気持ちが大きく影響しているのだろう。もちろん語り手の紫式部が、この浮舟の薫観を「勘違い」としていることは、直後の薫の描き方からも分かるのだが、とにかくこの「勘違い」が起爆剤となって、浮舟は出家を決意する。
浮舟は、翌朝、小野に立ち寄った僧都に訴えた。
「どうしても世間並みに生きていく自信がないのです。世間並みに生きようとすれば、どうしてもこの世に踏みとどまれそうにないのです。やはり何としても尼にして下さい」
ふだんの寡黙な様子からは考えられぬほど熱心に執拗に訴える浮舟に、僧都は不思議な気持ちにさえなった。
「なぜなんだろう。なぜ、これほどの美貌に生まれついた身を、厭わしく思うようになったのか。物の怪も『自分から死にたがっていた』と言っていたが」
僧都は不可解ではあったが、「しかるべきわけがあるのだろう。いったんは悪霊に魅入られた人だ。このままでは危険かもしれない」と考えて、
「明日から宮廷の祈祷が始まりますので、それが終わってから」
と承知する。が、浮舟はなおも食い下がった。妹尼が帰ってきたら必ず邪魔される、このチャンスを逃しては出家できない……浮舟は激しく泣きだした。
「本当に気分が悪いのです。これ以上悪くなると、尼になる頃には手遅れになって死んでしまいます。やはりどうしても今日」
情にもろい僧都はその涙を見ると、かわいそうになった。妹尼が帰宅したのは、出家の儀式もすっかり終わった翌日のことであった。
通い合う心、すれ違う心[#「通い合う心、すれ違う心」はゴシック体]
母がいないと何もできず、男達のなすがままに犯され、苦しくなると死に逃げこんでいた頼りない浮舟が、初めて自分の意思で願い、その願いを遂げた。たとえそれが「勘違い」から起きたことでも、出家を願うこと自体、決して悪いことではない、と紫式部が考えていたであろうことは、かつて女三の宮が出家を願ったとき、「物の怪がそそのかしているのだ」と反対する光源氏に、朱雀院をしてこう反論させていることからも推測できる。
「たとえ物の怪の勧めでも、それに屈することが悪いことならともかく、こんなに弱ってしまった人が、ぎりぎりの状態で願っていることを聞き流してしまうのは、あとで後悔することになる」
紫式部は、悪魔にだまされて出家したのだとしても良いではないかという一つの見識を、物語で示していたのだ。
そして、出家を遂げた浮舟は、実際、
「生きていたかいがあった。これでやっと男と結婚しなくて済む」
と思うと胸が晴れる気持ちになった。が、妹尼は、
「ほんとにあなたはどうしようもない人ね」
と泣いた。泣きながらも、さっそく袈裟を作って浮舟に着せた。妹尼は、浮舟の深い絶望を知る人ではないが、母親的なエゴと同量の、母親的な優しさをもっていた。僧都はさらに大きな優しさで浮舟を包んでくれた。
「私が死んだらどう生活するの」
と責める妹尼と違って、
「私が生きている限りはお仕えします。何の心配がいるものですか」
今さっき宮廷から賜わったばかりの上等の絹や綾をそっくりくれながら言った。
「現世の栄華に執着して暮らす人ならともかく、こうして林の中で仏のお勤めをなされる身で、何を恨んだり恥ずかしがったりすることがありましょう。命は薄い葉っぱのようにはかないのだから」
これを聞いた浮舟は、
思ふやうにも言い聞かせたまふかな
……私の願う通りに言い聞かせてくれるなぁ……と思う。
宇治十帖が始まって以来ずっと、それていくだけだった人の心が今、身を不用の人と厭う二十二、三の小娘と、六十すぎの高僧の間で、初めて通い合う。
男もいない、召使もいない、父母も乳母も兄弟もいない。誰一人として知る人のない別世界のような尼僧の世界。その世界は意外にも、今まで浮舟を囲んでいた家族の世界では得られなかった共感をもたらしてくれた。浮舟は尼になることで、その見知らぬ別世界の一員になった。その呼び名の如く、行方も知れず漂う小舟のような浮舟にも、ついに心の平安がもたらされたかに見えた。
が、綻びは、思わぬところで始まっていた。
実は、浮舟を出家させた僧都は、翌日、女一の宮の病気平癒のために、宮廷に祈祷に行った。そして宮の母の明石の中宮に、
「宮様の物の怪、実に執念深うございました」
などと話すついでに、
「執念深いと言えば、こんな物の怪が……」
と、宇治で見つけた女に憑いた物の怪の話をした。それをそばで聞いていたのが、薫の愛人である、女一の宮づきの女房だった。
魂のリハビリのような「手習」の巻が終わり、いよいよ最終章「夢浮橋」に突入すると、物語は慌しい動きを見せる。女房から、浮舟らしき女の生存情報をキャッチした薫は、横川を訪ね、僧都に浮舟のことを尋ねた。ミカドの信任厚い薫の訪れを喜び、大騒ぎで歓待していた僧都は、
「しまった」
と胸がつぶれる気持ちになった。
朝廷のお召しも断わって浮舟の祈祷に没頭する僧都は、女一の宮の病気の祈祷にも全力投球する人であり、気高い貴公子を目の前にすると、恐縮してしまう人でもあった。それは良く言えば真正直で感受性が強いということでもあったが、それが今は裏目に出つつあった。
「すでに確かな筋から確認したのだろう」
僧都は観念して今までのいきさつを告白した。
「では本当に生きていたのか」
涙ぐむ薫に、
「これほど思っておられるものを、この世では死人も同然の尼にしてしまった」
と気の毒にさえなった。彼の人間性が仇となりつつあった。
「悪い物の怪に取り憑かれたのでしょう。高貴な女性と拝見しますが、どんな間違いがあってここまで零落されたのか」
僧都が問うと、
「ちょっとした皇族筋とでも言いましょうか。もとより私もれっきとした妻と考えていたわけではありません。些細なことから始まった縁でしたが、ここまで落ちぶれる身分の人とは思いませんでした。私としては、彼女が出家してこの世の罪が軽くなるのは結構なことと思うのですが」
この期に及んでも、浮舟への執着を隠そうとする薫は、言った。
母なる人なむ
……彼女の母が……悲しんでいるので、浮舟のことを教えてやりたい。だから浮舟に会わせてくれ。
薫の気持ちを、
いとあはれ
と思った僧都はしかし、
「あなたから、こういう者が探しに来たと浮舟に一筆書いてやって下さい」
薫に頼まれると、さすがに言った。
「そんなことをしたら、私は罪を得ることになる。ご自分で行って、直接おっしゃって下さい」
出家の身で、尼になった女性に、男を引き合わせることの罪深さを僧都は恐れた。
けれど薫はうち笑ひて=c…ふっと小さく笑って……言った。
「罪を得るですって? 私は今まで出家しなかったのが不思議なくらいなのだ。幼い頃から仏を思う志が深かったものの、母の女三の宮が心細そうに私一人を頼みにしているので、果たせずにいた。そうして世の中にかかずりあううちに、知らぬ間に地位も高くなって、やむをえず女性とも結婚してはいるが、公私につけて逃れられない事情のある時以外は、仏の禁じていることには背くまいと謹んできた。心の中は聖に劣らぬものを。まして、こんなたわいもないことで、重い罪を作るなど断じてありえない。疑ってはいけない。ただ事情を聞いて、かわいそうな母の思いを晴らしてやろうと思うだけなのです」
ここにきて薫のサイテーさは、悪魔的な輝きさえ帯びる。母に出家を妨げられたと言い、たかが囲い者の浮舟ごときで罪など作らぬと言い、浮舟の母の嘆きにかこつけて、尼となった浮舟に近づこうとする薫のセリフに、僧都は、いとど尊きこと=c…ひとしおご立派なことで……とうなずく。このセリフの出現で、物語における「尊さ」の意味が微妙にずれた瞬間、僧都の目に、薫が連れてきた美しい男の子がとまる。僧都はその男の子を褒める。その褒め言葉を、すかさず受けて薫は言った。
「この童《わらわ》にことづけて、浮舟に意向を伝えて下さい」
僧都は悪魔の誘いにあっけなく負けた。浮舟に手紙を書いて、
「時どき山に遊びにおいで」
と童に託した。宇治に住みつく死霊から浮舟を救った彼は、生霊のようにつきまとう薫から女を守るどころか、童の美しさに目がくらみ、その仲介をすることになる。
「今朝ここに薫の大将殿が見えて、あなたのご様子をお尋ねになったので、一部始終を詳しく申し上げました。殿の深いご寵愛に背いて、賤しい山がつの中で出家なさったとは。かえって仏の責めを受けるようなことだと殿から承って驚きました。今となっては仕方ありません。もとからの運勢に外れることのないよう、殿の愛執の罪を晴らして差し上げて下さい。一日の出家の功徳ははかり知れないものなので、やはり仏をご信頼なさいますよう」
出家の功徳は一日だって絶大だから、仏を信じて還俗《げんぞく》……尼から一般人に戻り、薫の欲望を満たすことで彼の迷いを冷ましてやれ。僧都は浮舟への手紙で言う。
この人だけは違う、初めてまともな人が現れたという読者の期待は、最後の最後で裏切られる。いと尊き人である彼も、結局、今までの僧侶と同じだった。
「女に惹かれる男が悪いのではない。男を執着させ、性的に堕落させる女が罪深いのだ」という仏教的な女性観から逃れられなかった。そして浮舟の存在を、薫の属す宮廷に漏らすだけでなく、男女の橋渡しさえすることになった。善意に解釈すれば、人のいい僧都が薫に丸めこまれたという見方もできる。が、それにしたって人を救うべき高僧の彼が、結局は体制側について、浮舟の深い孤独を理解し得ないという設定は、僧侶に対する紫式部の深い絶望、女色は捨てても男色は捨て切れぬことも含めた、仏教界に対する痛烈な批判となっていよう。横川の僧都は、当時の仏教界の実力者だった源信がモデルと言われるが、いと尊き人は、不用の人を救い得ない。それが、紫式部の下した結論だった。
その頃、浮舟は小野の山里で、庭園の遣り水に飛び違う螢を眺めていた。その螢の光がものものしいほどの光の束となって、横川の山道を通り抜け、あたりはまた暗くなった。
光の束は、横川を去る薫の一行だった。浮舟の住む世界を、再び闇が覆い始めていた。
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横川《よかわ》の僧都《そうず》2◆暴かない人[#「横川《よかわ》の僧都《そうず》2◆暴かない人」はゴシック体]
僧都の手紙を受け取った浮舟は、使いの童を見て泣いた。物語では小君《こぎみ》と呼ばれる美しい童は浮舟の異父弟だった。薫は肉親の情に訴えて、浮舟と接触を試みたのだが、浮舟は目の前の妹尼に言った。
「私を発見なさった時、さぞ世にも不思議なことと御覧になったでしょうが、あのまま私は正気をなくし、魂も別ものになってしまったのか、昔のことは一向に思い出せないのです。私が覚えていることといえば、私にはただ一人の親がいたということ。その人だけが、なんとか私を幸せにしたいと真剣に思っていたことだけです。その人がもし生きているなら、その一人の人……母とだけ私は会いたい。僧都がおっしゃる人などには、絶対知られたくありません」
妹尼は、
「無理ですよ。いずれはばれてしまうことだし、薫の殿はいい加減に扱える方ではないのです」
そう言って、小君を中に通してしまう。浮舟は仕方なく几帳を隔てて、小君の持参した薫の手紙を読んだ。そこにはこうあった。
「言いようもないほど様ざまの重い罪を犯したあなたの心は、僧都に免じて許してあげるとして、今は夢のようなこれまでのいきさつだけでも聞きたいと焦る私の心が、我ながらけしからんと思う。まして人目にはどんなにか」
浮舟は、手紙を読むと突っ伏して泣いた。泣き悶えながらしかし、
「気分がかき乱れるように苦しい」
と、妹尼に手紙を突き返し、弟との対面も避けた。
「あまり非常識では、おそばにおります私達にもお咎めがあります」
妹尼は、薫の威勢を恐れて怒り出すが、浮舟は夜具を頭からかぶり、それっきり物も言わない。今か今かと待っていた薫は、小君の不首尾に興ざめし、
「なまじ使いなどやらねばよかった」
と悔やみながら、あらゆる可能性を考えてみた。その結果、
「ほかの男に囲われてしまったのだろうか」
自分の経験から勘ぐった。と、ここで『源氏』は終わる。男と女は最後までそれた心のまま、男は最後までサイテーのまま、そんな男のいない世界で、一人の女が、誰にも理解されぬまま生きていこうとする。そこで物語は終わってしまうのだ。
父の亡霊[#「父の亡霊」はゴシック体]
『源氏』には、桐壺帝から数えて四世代の男達が登場した。どんな男となら女は幸せになれるだろう。女はどのように振る舞えば、男と幸せに暮らせるのだろう。紫式部はたぶんそんなふうに、女の幸せを追求しようとして、様ざまな階級、様ざまな容貌、様ざまな性格、様ざまな関係のカップルを用意した。
そして最後に、女は男を変えることはできない、男も女を変えることはできないと言う。あの人でもないこの人でもない……と、男達を品定めした結果、もう男によって自分を測るのはよそうとばかり、「男女の共生」を諦め、「男なき世界」に救いを求める。
「男なき世界」とは、恋人や夫のない世界というだけでなく、子供を生まない、これ以上、親子の再生産をしない、家族をもたないという孤独な世界でもある。
紫式部は、なぜそんな世界を以て物語を終わらせたのか。そもそもこれで女は救われるのか?
様ざまな疑問が湧いてくるが、そのラストには不思議な明るさが漂うのは確かだ。
親や男に翻弄され、自殺を図るほど苦しみ抜いた女が、やっと自分の意思で歩き始めた、人間としての蘇生の明るさ。男達がサイテーであればあるほど、彼らからおさらばできたという解放の明るさ。これでやっと生きる自分を受け入れることができるという自己肯定の明るさがある。
そしてこの最後の明るさこそが、最もラストを輝かせるものだろう。
最後の手紙で薫は浮舟を「罪深い」と言い、それを「許してやる」と言ったが、浮舟の苦しみは、薫に許してもらえぬことではなくて、自分で自分を許せないことにあったからだ。
自殺の前後、浮舟は再三言っていた。
「自分がイヤだ、情けない」
「私は生きていても不用の人……用のない人間だ」
その徹底した自己否定は、彼女を助けた横川の僧都に、「これほどの美貌をもちながら、なぜ」と不思議がられたほどだ。
浮舟がここまで自分を否定するに至ったのは、男との関係が引き金だったが、根は親子関係にあった。
「この子だけは幸せに」という言葉の裏で、母に人生を乗っ取られていた浮舟は、適齢期になって、母の言うままに男を迎え入れた。しかし、「お前なんて知らない」と父に捨てられた娘でもある浮舟は、男に大事にされなかった。男達は浮舟を知れば知るほど、
「これは大事にしなくてもいい女だ」
と合点した。
その時浮舟の心に、一つの考えが浮かんだ。
「私は生まれてくるべきではなかった。私は不用の人間なのだ」
この考えにつけこんで、浮舟を死の淵に引きずりこんだのが、法師≠フ霊だった。
実は私は昔から、物語では正体の明かされない、この法師の霊が何者なのか、ずっと気になっていた。『源氏』にはいくつかの霊が出現するが、光源氏の愛する女達を殺したのは六条御息所などと、分かるように書いてある。けれどこの法師の霊だけは、
「この世に恨みを残して死んだ修行僧が、八の宮邸に住み着いたもの」
という曖昧な書かれ方しかしていない。
彼はひょっとして、浮舟のまだ見ぬ父の八の宮を暗示するのではないか。俗聖と称して、死後、成仏できずにいた八の宮が、紫式部の頭にはあったのでは?
というのも『源氏』には、成仏できない父がもう一人いる。
光源氏の父桐壺院である。光源氏の見た夢で、彼が語ったところによると、
「ミカドとしての失政はなかったが、知らず知らずのうちに犯した罪があったので」
その罪を償うために、地獄に沈んでいた。
地獄に落ちたミカドの説話としては醍醐帝の例があって、桐壺院はこのミカドがモデルとされる。主人公の父帝を地獄に落とす物語が宮廷で読まれるとは、平安時代も凄い時代だが(右翼とかいなかったのね)、光源氏の父としての桐壺院は八の宮と違い、息子のために周到な人生設計をしてやった。無品《むほん》親王の外戚《げさく》の寄せなきにては漂はさじ=c…光源氏を位階のない親王にして、母方の親戚の後見もない、ふらついた状態にはすまいと考え、臣下に下すことで、ミカドの補佐として権勢を握る道を開いてやった。葵の上と結婚させ、権門の後見をつけてやった。彼は光源氏に対しては良き父であった。しかしそんな彼も、他の皇子達には冷たかった。彼に放置された八の宮は、外戚もなく世に漂うという、彼が光源氏に関して懸念していた人生を地で行くことになった。この意味で彼の悲惨な人生は、兄光源氏の歩まざるもう一つの人生だった。父に顧みられなかった八の宮が、娘達を人生のお荷物としか感じることができなかったのは当然とも言える。
桐壺院はしかも、長男の朱雀院に対しては、死後、「祟る父」にさえなった。朱雀院が母弘徽殿の反対を押し切って、須磨の光源氏を召還したのは、光源氏の措置について、亡き父に叱責された夢を見て以来、眼病を患ったからだ。紫式部は物語の早い段階で、父というのは、実の子に祟って病気にするくらい、やりかねないと言っているのである。
もっとも物語をよく読むと、作者は、桐壺院の夢や祟りを、「光源氏を頼む」という父の遺言を破った朱雀院の罪悪感という、生きた人間の心の問題によって解釈する余地も残しているわけで、現代人はそこに別の意味を見出だすこともできる。つまり朱雀院の見た夢も眼病も、父に対する彼の負い目からくるもので、祟りなどではないということ。祟りではないが、それを招いたのは、紛れもない父だということ。親というのは、死んでも子供の心を呪縛するほどの強い影響力をもつということだ。それは、桐壺院のような最高の地位にある父だけでなく、社会の落伍者の父であっても同様であることは、「宇治を離れるな」という八の宮の遺言に忠実であろうとするあまり、死んでしまった大君の例を見ても分かる。
宇治に住んで、大君を殺し、浮舟を自殺未遂に追いやった法師の霊とは、そのように死んでも子供を支配し続ける親の幻影だ。
これが私の考えすぎではないことは、紫式部が、「後妻に取り憑いた前妻の物の怪を、法師が責める絵を見て」こんな歌を詠んでいたことからも分かる。
亡き人にかごとをかけてわづらふもおのが心の鬼にやはあらぬ=i『紫式部集』)
……後妻の病気を亡き前妻のせいにして苦しむのも、おのが心に巣食う鬼、自分自身の罪の意識のせいではないか。
罪悪感という目に見えない意識の力を認識していた紫式部は、父に対する子供達の無意識の憎しみが、父を地獄に落としたということさえ構想していたかもしれない。法師の物の怪には、親離れ、子離れの寓意が含まれていると私は思う。
家族の闇を暴かない人[#「家族の闇を暴かない人」はゴシック体]
さて、そのように自分の人生を奪われていた浮舟は、薫に匂宮との関係がばれ、
「こうなったら二人のどちらかを」
と側近女房に迫られた時、思っていた。
「私は別にどちらの男のほうが好きというわけでもないのに」
せっぱ詰まった浮舟は、
「私は別に結婚なんてしたくなかった」
と気づく。その浮舟が、
「匂宮とのことが母にばれたら、母にも見捨てられてしまう」
という恐怖感で、
「私は別に生まれてこなくてもよかったのではないか」
と思う寸前にまで追いこまれる。
「私一人死んだって何も惜しくない。母だっていずれ私のことなど忘れてしまうだろう」
と自殺を図る。それが果たせず、僧都の祈祷で法師の霊が取り払われると、女は、父による死の呪縛から解き放たれる。そして意識を回復すると見えてくる。男のせいじゃなかったんだ、自分なんだ、
「私が苦しい目に遭うのも、みんな男を好きになった自分の心がいけないからだ」
と分かって母を思う。家族も男も体も記憶も、他人に支配されていた心身というのをいったん殺した上で、もう一度生まれ変わった体で、乳房を求める生まれたての赤子のようにあらためて母を思う。
母だけは真剣に自分を思ってくれていた。母なりに精一杯やってくれていた。「愛されていた」と自分で信じることが、親を許し、「自分」を受け入れて、「生きよう」という気持ちにつながった……。
快挙である。
彼女がここまでたどり着けたのは、やはり何といっても横川の僧都のおかげだろう。
『源氏』の僧侶達は、家族の闇を知り、暴く人であった。読者から見れば、物語の謎を解く人でもあった。しかし僧都は、浮舟の物の怪に「お前は何者だ」と問うたが、物の怪は消えてしまったので、物の怪と浮舟の関係、浮舟の抱える心の闇などは、今回に限って謎のままだった。横川の僧都に限っては、家族の闇を暴かない人だった。
なぜ、紫式部は彼をこういう人にしたのだろう、と考えると、それは浮舟が、
「暴かない人」
を必要としていたからだ。
「暴かない人」は「裁かない人」でもある。
自殺を図るほどまでに損なわれた人間が、寂しくても一人で生きていこうと決意するまでには、いったん死んで、男も親も家族も身分も、親が背負っていたトラウマもすべて殺さなければならなかった。そしてそういう「素《ス》の自分」がこの世で生きていける、この世に受け入れてもらえると確信するには、そういう自分を受け入れてくれる人間が必要だった。
家族を捨て、男を捨て、記憶をなくして、真っ白になって木の下でうずくまっていた浮舟にとっては、氏も素性も事情も何も聞くことなく、何も裁くことなく、今そこに倒れて泣いている自分を助け起こし、食べ物を与え、傷の手当てをしてくれる僧都のような人が必要だったのだ。僧都が、それまで登場したどんな登場人物とも血縁関係がなかったのは、あらかじめ浮舟に関する知識がまったくない人をこそ、浮舟が必要としていたからだ。いい年をして、赤子のように無条件で受け入れる人が必要なほど、愛に渇いていたからだ。
薫の登場、そして小君という美童の登場で、思わぬ弱点を見せてしまった僧都だが、素性も知れない浮舟の秘密を暴かず、しかも裁くことなく出家させ、「生活の心配はしなくていい」とまで受け入れてやった功績は大きい。
その役割を果たすのは本来、まっさらな状態で生まれてくる赤子を抱く親のはずだが、浮舟の場合、それをしたのは親ではなく、赤の他人だった。それでも最後に浮舟が思ったのは、自分を救ってくれた他人ではなく母だった……思えば思うほど、『源氏』は深く自分というものについて、そして親であるということについて、考えさせられる物語ではある。紫式部が法師の霊の正体をあえて謎のままにしたのは、こういうことを、読者に考えさせるためかもしれない。
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源氏物語の幸福感[#「源氏物語の幸福感」はゴシック体]
幸福な結末[#「幸福な結末」はゴシック体]
最近のおとぎ話はなんでこんなにハッピーエンドなの?と娘の絵本を見ていると気味が悪くなる。瓜子姫に化けた天の邪鬼は叱られるだけだし、舌切り雀の悪いお婆さんは改心して殺されない。でも私が幼い頃、父に読み聞かせられた民話では、天の邪鬼は首を切られてキビ畑に捨てられたし、悪いお婆さんは大きなつづらから飛び出した毒虫に刺されて死んでしまった。
子供に聞かせるにはたしかに残酷な結末だったが、死や憎しみというのが一切排除された今のおとぎ話を子供に聞かせ続けることのほうが、場合によっては残酷なことも多いと思う。
というのも私は、絵に描いたような幸せ家族に育った。母は私が中学に上がるまで専業主婦で、本人曰く「子供に滅私奉公した」。私の小さい頃、父は、私の記憶では、週の半分近くは家で夕飯をとり、週末ごとに海や山に家族を伴った。私が大学生になっても年賀状には家族の集合写真を載せる、家族はいつも一緒にいるのが正しいという家だった。
にもかかわらずというか、だからというか、私は家が嫌いだった。うちみたいな幸せ家族はいないという気負いのようなものが親側にあるのが、今思うと、息苦しかった。父の暴力が絶えないとか、母が家にいないといった、いわゆる崩壊家庭で、子供がおかしくなるとよく言われるが、うちのような家庭に育って、じわじわと精神不安になって、しかもそれを人に言うと、「甘えている」とか「贅沢」などと非難されるだけなので、誰にも分かってもらえない……という気持ちを抱えたまま、心を閉じていく人は案外多いのではないか。
そんな私の心を慰めたのが、幼い頃、父に読み聞かされていた昔ながらの結末の民話だった。父は、母の妊娠を知ると、岩波少年文庫と未来社の民話シリーズを買い揃え、私の誕生を手ぐすねひいて待っていた。このうち、小学生の頃、強制的に読まされたあげく、「クララはどうしてあの時泣いたのかな? 嬉しかったのかな?」などと読後の感想をしつこく聞かれた少年文庫のほうは、長じると二度とページを開く気になれなかったが、幼稚園にも上がらぬ頃に毎晩読み聞かせてくれた民話は、今の仕事を選んだのも民話のおかげと思うほど、体に染みて血肉になった。
わずかに営む仕事が救いの私だから、すでに民話は私を救っていると言えるが、何より心が憎しみで一杯になって、自分がイヤでたまらなくなった時、民話の残酷な結末は、ああ昔から、殺したいほど人を憎んじゃうのが人間だよな、人は最後まで分かり合えないこともあるよな、とあらためて実感させてくれて、これでいい、生きていようと思わせてくれた。逆に言うと、そんなことが救いになるほど、私の家では憎悪と死が排除されていた。人の悪口は父にとっては絶対悪だったし(でも共産党の悪口は凄かった)、三歳になるかならぬ頃、祖父が死んだ時、
「子供は見てはいけない」
と母が私を棺から遠ざけたことを今もはっきり覚えている。
そんな家にあって、あんな残酷な結末の民話を、父が幼い子供に夜ごとに読み聞かせていたのは、今思うと、父なりに、息苦しい幸せ家族の中で、無意識にバランスを取っていたのかとも思う。
で、『源氏』のラストなのだ。
様ざまなカップルが現れた末、男は「ほかに男でもできたのかなー」とぼやき、女は「男なき世界」で生きていく……。男女の間には物凄い勘違いが働いているかもしれない。それを見ぬふりをして、生きたまま、あるいは心中という形で、結ばれたことにする凡百の恋愛文学と違って、『源氏』は現実の勘違いに目を見据えたまま終わる。
ここには恋のロマンのかけらもない。
永遠の愛なんてものを夢見ることができるほど、一般人にとって恋が縁遠くなった中世以来、このラストは尻切れトンボと言われ、「未完である」とか「続きがあったが散逸した」などと憶測された。
しかし。憎い人を殺す……そんな民話の結末が、民話が生まれた時代の人にとってはハッピーエンドだったかもしれないように、『源氏』のラストも、自殺したいほど苦しんだ人にとっては、ハッピーエンドではないか。
もちろん私も、初めて『源氏』を読んだ十代の頃は、別の意味で、なにこのラスト……と思った。
浮舟はなんてバカなの。若くて金持ちでハンサムな男達を尻目に、なんで自殺なんかするの。せっかく薫が縒りを戻そうというのになんで断るのと。ところが社会人となり妻となってから読み返すうち、こんな男達じゃあ別れたくもなるわなぁという共感に変わっていった。ただ何も自殺を図らなくてもという思いだけは残っていた。けれど子供を生んで、いかに子供が親に支配されているか、私がいかに親に支配されていたかを知って、それも消えた。浮舟は男のために自殺したんじゃなくて、自分で言っていたように「自分がイヤ」「自分は不用の人間」という思いのために死んだ。そのことが、まっすぐに見えてきたからだ。そして、氏素性も知れぬ自分を受け入れてくれる尼僧に出会い、やがて自分を受け入れて生きていくことにした……という浮舟の変化が手にとるように分かってきたからだ。
というわけで『源氏』はハッピーエンドなのだが、正直言って、そう書いたそばから、うそーという心の声が我が身に響くのを抑えようがない。『源氏』はたしかにハッピーエンドだ。しかしそれはあくまで浮舟という女から見てのことで、紫式部の救いの手は、男女の間で隔たりすぎているのではないか。殺されてしまった天の邪鬼や悪いお婆さんへの郷愁が、「みんな幸せになりましたとさ」という不気味な今のおとぎ話と紙一重であることは百も承知ながら、サイテー男の薫はいったいどうなるの?という気がかりを捨て切れないのである。
薫、再び[#「薫、再び」はゴシック体]
薫と浮舟はある意味で、似た者同士だった。薫もまた実父柏木の亡霊に支配され、出家を願い、一方で子供のような母女三の宮を思うあまり出家を遂げられないでいた。彼は浮舟と同じように孤独で自分がなかったが、最後まで身代わりの女としかつき合えず、孤独を受け入れることができなかった。
コンプレックスの塊のようでいながらプライドが高く、嘘つきで変態で執念深くて偽善者で権威主義でマザコン。薫はつくづくサイテーな男だったが、今振り返って、『源氏』の中で私が一番気になる人間といえば薫なのだ。
そう思って薫について調べてみると、奇妙なことに、近代以前に彼をサイテーと言った女がいない。むしろ、
「私も浮舟みたいに宇治に囲われて、年に一度でも薫みたいな素敵な男を通わせたい」(『更級日記』)
といった好意的な意見が目立つ。
なかでも驚いたのは、『源氏』成立から約二百年後、鎌倉初期に書かれた『無名草子』が薫のことを、
「返す返す素晴らしい人」
「物語にも現実にも、昔も今も、これほどの人は滅多にいない」
とまで絶賛していること。『無名草子』の著者と伝えられる俊成卿女《しゆんぜいきようのむすめ》と言えば、中世歌壇の大御所藤原俊成の孫娘で、自身、一流歌人として活躍した人だ。私の手元にある「日本人なら誰もが知っていなければならない古典の名詩をこの一冊に」という謳い文句の名歌集に歌が載るほどの女である。
そんな偉い女に、ここまで絶賛されてしまう薫。そして偉くもない私に物語空前のサイテー男呼ばわりされる薫。良くも悪くもなぜ彼はこれほど人の関心を引くのか。そして私はなぜ彼をサイテーと気づいてしまうのか。彼の不思議な吸引力は、この本の出発点とも言える、そんな問題に、私を立ち返らせてくれる。
男達のリアリティ[#「男達のリアリティ」はゴシック体]
『源氏』は「女の物語」と言われ、葵の上や空蝉や六条御息所といった女達に現代女性を重ねる試みがあちこちでなされている。
けれど私は昔から「『源氏』は女の物語」と言い切ることに抵抗があった。『源氏』は女の物語であるのと同じくらい、男の物語でもあるのではないかという思いを抱き続けていた。そんな私が『源氏』の男を書こうと思いついたのは、『源氏』のリアリティについて考えていた時だ。
『源氏』の設定はリアルである。主人公の光源氏は美男だが、天人の化身だったりする『源氏』以前の主人公と違って、病気もすれば死にもする生身の人間だ。人物設定もブスありデブありブ男あり。キャラクターと連動した身体描写のリアリティはまさに空前で、それをもとに『「源氏物語」の身体測定』(三交社、のち書き直して『「ブス論」で読む源氏物語』講談社+α文庫)という本が一冊書けたほどだ。
そして何といっても『源氏』のリアリティが真骨頂を発揮するのは、男達の描写においてであった。我慢強く、人の悪口も言わない、優等生の多い女達に比べ、『源氏』の男達はいわゆる悪人はいないものの、スケベで勝手で権威主義で、情けない。
だからこそ彼らのえげつなさは、ときに生き生きと、ときにひしひしと胸に迫るものがある。
複数の異性と関係を結び、宮仕えの同僚と異性の話に盛り上がり、夜の街を徘徊する男達……。一方、勤めに出たこともなく、不倫しても、相談する友達もないまま、我が身をさいなむ『源氏』の女達。今の女性が、どちらにすんなり共感を覚えるかといったら、間違いなく前者だろう。
宇治十帖になると、女房という劣った階級の人達が前面に出てくることもあって、事情は違ってくるのだが、総じて紫式部の女性の描き方は好意的で、女達は真人間《まにんげん》が多い。対する男性には憎悪にも似た筆致が感じられ、それだけに生なましい欲望や偽善が浮き彫りにされている。だからこそ私などはかえってそこに父を夫を、それ以上に、私自身を、感じてしまう。物質的な欲望も、女も地位もすべて満たされてなお、欲しいものだけが得られないと嘆く光源氏のバカさ加減、砂漠で水を求めるように愛を求めながら、権威主義や嘘を捨てられない薫のカッコ悪さに、いとおしささえ感じてしまう。
じっさい『源氏』をよく読むと、紫式部は、そういう読み方もできるような男達の描き方をしてもいるのだ。
母系社会の名残りの強い当時、母と祖母という、母方の親戚をまず奪うことで、読者の絶対的な同情を、光源氏に確保した紫式部は、薫のことも単純にサイテーとは言わない。式部は最初に彼の苦悩をもってくる。「生まれ変わってでも実の父に会いたい」「寂しい」という人間的な悲しみをもってくる。初めのうちはそのように薫に悩ませて、自分を取り戻してくれることに期待していたのが、やがて、あんたのことはもううんざりだ、と浮舟一辺倒になった感じがする。
なぜ紫式部はこんな男を作ったんだろう。作っておきながら見捨てたんだろう。そう思って『紫式部日記』を読むと、まさに薫的としか言い様のない人達の存在に気がつく。
薫に似た人――平成の平安化[#「薫に似た人――平成の平安化」はゴシック体]
日記によると、彼女の仕える中宮彰子のサロンは、貴族達から「無風流でつまらない」と噂されていた。それを認めた上で、紫式部は内部批判も兼ねて、そうした外部の声に弁明する。
「たしかにうちの中宮に仕える上臈女房は、引っこみ思案で、ろくに客の応対もできない」
「それは、ひたすら事を起こさぬように過ごすのを無難なことと中宮が思し召されるのを、うち子めいたる=c…子供っぽいお嬢さん女房達が見習ううちに、こんな気風になったと私は解釈する」
「しかも今時の貴公子方というのが、人になびきやすい人ばっかりで、中宮御所では皆マジメ人間になっている」
要するに中宮の女房は融通がきかずに子供っぽい上、ことなかれ主義が蔓延し、周囲の男も迎合して、それを助長している。こんな傾向を中宮のためにも見苦しく思っているというのだが、この槍玉に上がった人達の性格は、まさに薫的ではないか。
紫式部はラスト近くに中将という男を登場させることで、この世のはかなさを嘆き、仏道修行に憧れることが当時の流行だったと教えてくれるが、流行に左右されるばかりで、自分のない、自己保身に長けた、薫的な若者が増加していたことを、日記は彷彿とさせてくれる。
しかし日記を読むと分かるのは、そうした当時の若者以上に、式部自身が薫的だということだ。
何を見ても憂鬱。どこにいても不幸……日記の式部はそんな人だ。泳ぐ水鳥を見れば、
「楽しそうに見えて、実は私のように辛いのだろう」
と思い、ミカドの輿を担ぐ人夫の苦しげな姿を見れば、
「なんて苦しそうな。私も彼と同じだ」
と思う。中宮彰子の皇子出産という、主人の栄光の瞬間に立ち会っても、
「素晴らしいこと、面白いことを見聞きするにつけても、出家したいという日頃の思いばかり強まって、面倒くさくなって、苦しくなるばかり」
と言い、実家に帰れば、
「別世界に来たような感覚がいっそうつのって、もの悲し」
くなる。どこにも居場所がない彼女は、同僚女房が、
「さすが内裏。里なら今頃寝てる時間なのに、男達が女房の部屋を訪ねる靴音のうるさいこと」
と色めかしく言うのを聞いて、詠嘆する。
「年が暮れ、私の年も老けていく。夜ふけの風の音を聞いていると、心の中が寒くなってくる(としくれてわがよふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな)」
「この世はつまらない」と嘆く薫がここにいる。
そんな紫式部は、人と、異性と、関わる前に、自分自身と折り合うのが精一杯の生きにくさに苦しみながら、表面上はおっとり穏やかな言動を作る仮面の女でもあった。この、心と現実の分裂が、さらに彼女を苦しめた。紫式部はこんな歌も詠んでいる。
「数にも入らぬ自分の心のままには我が身はならないが、我が身に支配されるのが心なのだった(数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり)」(『紫式部集』)
「せめて心だけでもどんな身の上になれば、思い通りになるのだろう。どんな身の上になっても思い通りにならないと知ってはいるが、諦めきれない(心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず)」(同)
紫式部は「心」と「身」を対立するものとしてはっきり意識した上で、身が自由にならない、そしてそんな不自由な身に支配されて、心まで思い通りにならないと嘆く。こうした紫式部の屈折は、当代一の貴公子の身の上と、ぐちゃぐちゃな内面とに引き裂かれた薫の心身に、重なるものがある。もっと言うと現代人に重なるものがあるというのが私の言い分で、死の汚れへの極端な忌避とか、身体的な現実感の喪失とか、拒食症とか自殺未遂とか宗教の流行とか保守化とか、平成は平安化していると私はしつこく思っている。
たとえば『源氏』の柏木が、同じ皇女でも更衣腹より女御腹と言い、薫が、女御腹よりは中宮腹と思う、そんなわずかな身分差にこだわって汲々とする彼らの様子は、現代人には奇妙に見える。けれど、紫式部の生きた平安中期は、そのわずかな差が、繁栄と没落の岐れ路を決めた。権力闘争が、藤原氏という「一族内」に、さらに一族の中でも北家という「一門内」に、紫式部の時代にはさらに北家の中でも、道長家の兄弟という「家族内」で争われていた当時、差別化はますます狭い範囲の中で熾烈になっていた。誰もが物質的には豊かで、教養もあるという僅差の中で勝負しなければならなかった。それで、ただでさえ閉鎖的な貴族社会では、宮廷内での大人のいじめが横行し、髪が抜けるほどのストレスで職場を去っていく女房達が絶えなかった。こういうと、誰もが千年前のできごととは思えないのではないか。誰もが似たような家に住み、ものを食う中で、少しの持ち物や趣味や学校の差が仲良しグループを形作っていて、広いようでますます狭くなる世界で喘ぐ現代の日本人にとって、平安貴族の苦悩は人ごとではあるまい。
それほど『源氏』をはじめとした平安中期の文学や日記に見える貴族の苦悩は「現代的」で、そんな現代的な苦悩を最も敏感に感じていた紫式部は、一方でこうも言うのだ。
「でもだからといって、自分の心がすさんでいるとだけは思うまい」
「風の涼しい夕暮れは、うまくもない琴をかき鳴らしては、琴にこめられた嘆きの色を思い知る人もいるのでは?と思い、退屈で仕方ない時は、亡き夫の残した漢籍をひもといている」
そしておっとりとした仮面の顔を、「お高く止まってる」と人に非難されると、
「ひどいわね。他人は私を人とも思わなくても、自分で自分を見捨てていいわけがないでしょう(わりなしや人こそ人といはざらめみづから身をや思ひ捨つべき)」(『紫式部集』)
と反論の歌を詠む。
紫式部が薫と違うのは、自分の不幸を嘆くだけでなく、なんとか生き生きと生きようとしてあがく人でもあったことで、そのあがきの一つが物語を書くことだった。
もっとも宗教に憧れた薫だって、あがいていると言えば言えるわけで、当時の若者に仏教が流行ったのも、昨今の若者が自分探しと称してニューヨークに留学するようなものかもしれない。
ただ『源氏』では、あがいたあげく、「こう生きたい」と思う自分をよりストレートに体現したのは女達で、紫式部が「おさらばしたい」、捨てたい自分を投影させたのは、男達だった……。
光源氏のモデルは在原業平だ、いや道長だというモデル論は中世の昔からあるが、その意味で彼は男紫式部、紛れもない「負の紫式部」でもあった。『源氏』の男達は、紫式部を男にしたようなイヤな奴らであり、ラストで男達を見捨てたのは、そのイヤな自分と決別したかったからだ。
問題は、なぜイヤな自分を男のほうに託したかであるが、これは紫式部が女であったことのほかに、その同性愛的な性格と関係があるのかもしれない。何より当時の時代背景が、見逃せないと思う。
分かりにくい不幸、分かりにくい幸福[#「分かりにくい不幸、分かりにくい幸福」はゴシック体]
自分は不幸だが、心がすさんでいるとだけは思うまい……そんなふうに自分を励まし、漢籍をひもといたりする。紫式部はそんなふうに日記に書いたが、実はその記述には続きがある。
「漢籍なんか読んでいるから奥様は幸薄いのです」
侍女達にそう陰口されたというのだ。
当時としては晩婚の二十七、八という年で、親ほどの年の夫と結婚し、娘が生まれたとたんに夫に死に別れ、心ならずも宮仕えに出たという式部の境遇……それを指して、
「こんな難しいものばかり読んでいるから、そんな不幸になる」
と侍女達は言ったのだが。ここに「不幸な結婚=女の不幸」という図式があるのを見逃せない。侍女達は、女の幸不幸は結婚生活にあると言っているのだ。
これを以て「昔の女はみんなそうだった」とうなずいてはいけない。父から息子に財産が継承される父系社会と違って、母から娘へ財産が継承される古代日本の母系社会では、女の幸せは結婚だけではない。夫婦は別居婚、しかも生まれた子供は母方氏族が育ててくれるので、女は一人の男や子育てに縛られなかった。女には、あるいは宮廷歌人として、あるいは領主として、あるいは男達を渡り歩く色好みとしての幸せもあった。
それが、母系社会が崩れだしてくると、女の生きる道が狭まってくる。女の財産権と地位は低下して、女に課せられるモラルも、男に都合のいい、厳しいものとなっていく。
紫式部の生きた平安中期は、母系社会から父系社会、貴族社会から武家社会に移ろうとする境目にあって、女達が、最後の光芒といった感じで輝いていた時代だった。清少納言が日本初のエッセイを書き、和泉式部が歌壇を飾り、赤染衛門が『大鏡』に先行する日本初の歴史物語『栄花物語』を書く。そして紫式部は文字通り空前の物語を。
その輝きの下で、高貴な女は人前から姿を隠され、噂や垣間見で、男にアプローチされて性を知った。あるいは、娘とミカドをまぐ合わせ、子供を生ませ、つまり娘の体を使って父が政権を握るという政略結婚の道具になった。それによって個人の恋愛の力は地に落ちたが、にもかかわらず、失われつつある恋愛を取り戻そうとするかのように、貴族の間では、恋愛を美化する恋愛至上主義が謳われていた。
紫式部はこんな時代に反発してこう問いかけた。それが恋愛なの? 女の顔も見ないで男は恋ができるの? 女はそれで男が好きになるの? 男に愛されさえすれば幸せなの? その男がこんな奴らでも? というので生まれたのが、紫式部の「悪の化身」でもあった『源氏』のサイテー男達であり、彼らとの関わりを通じて、
「私は別に結婚したくなかったんだ」
という女の気持ちが見えてきて、やがてそれが、
「私は別に生まれてこなくてもよかったのではないか?」
という思いと絡まり合いながら、平安中期という時代の境目に生きる人達にとっての新しい幸福感というのが浮かび上がってきたのが『源氏物語』だったと思う。
そして、この新しい幸福感の追求こそ、『源氏』の目的だった。
そもそも『源氏』は、ミカドという当時最高の身分の夫から「この上もなく愛された女」が、この上もなく愛されたゆえに、死んでしまったところから始まる。女は、夫に愛されすぎたため、他の妃達にいじめられ、ストレスで病気になる。あげく「少しの間も離れたくない」という夫に引き止められ、手遅れになって死ぬ。この女こそ光源氏の母、桐壺更衣であった。
高貴な男との結婚も出産も女を幸せにはしない。たとえ限りなく愛されたとしても……そう『源氏』はオープニングで宣言していた。
『源氏』にはもともと、世間的な幸不幸の価値基準からみると、贅沢な!と一喝されるだけの、「分かりにくい不幸」というのがあった。
光源氏の妻達の不幸が、世俗的には分かりにくいものであるのと同様、ラストヒロイン浮舟の救いと幸福感もまた分かりにくい。少なくとも俊成卿女には分からなかった。だから、
「浮舟が匂宮になびいたのは、薫のせいではない、浮舟が淫乱なのがよくないからだ」
「ひと思いに死ねばよかったのに、生き返ったのが興ざめ」
とまで言い切ることができた。彼女はすでに父系社会が根を張り出した、力と道徳の時代に生きる女であったから。
けれど彼女が分からない『源氏』の幸福感は、現代人にとっては、残酷な民話の結末がハッピーエンドだと言われるよりは、ずっと分かりやすいに違いない。
要するに『源氏』の男は、どんなましな男でも、そしてどんなにサイテー男でも、女を不幸にはしない。もちろん幸福にもしない。誰も私を変えられない、支配できないというのが『源氏』の結論なのだから。
私はなぜ不幸なのか。
『源氏物語』は、この問いを見つけ、この問いに答えるための長い長い、世代の旅の物語であった。
はじめ『源氏』は、自分を不幸だと思う女達を描いた。そして女達の不幸は、夫や父といった男達がもたらすという視点で描かれてきた。それが宇治十帖あたりに至り、
「不幸は人のせいなのか?」
という、これまでも紫式部の中にあったかすかな疑問がぷっくりと物語の表面に顔を出した。それまで自明のことであるかのように「男のせい」にされてきた女の不幸。その不幸を逆に、薫という男側に演じさせることで、
「なぜ私は不幸なのか?」
という基本的な問いを発見した。そのように心に問うた末、薫は不幸を女のせいにした。当時隆盛を見せた仏教思想が、男が堕落するのを女の罪深さのせいにしたように。
ところがここに、
「自分の不幸は、自分のせいなのだ」
と自覚する女が登場する。自覚した女浮舟は家族を捨て、男を捨てた。その結末は一見暗く寂しい。
けれど、現世の幸不幸は前世からの決まりごとという宿命思想が蔓延していた平安中期、彼女の認識は、実は恐ろしく画期的な希望に満ちたものだ。それは、幸福もまた、自分でつかめるということでもあるのだから。
逆に言うと、そんな当たり前のことを確認するために、紫式部という天才が五十四帖費やさなくてはならない過酷な時代が平安中期だったわけで、そういう時代に生きた、貧困や暴力からほど遠い貴族達の人生の「過酷さ」に気づいてしまう私というのも、たぶん同じように過酷な時代に生きているのだろう。
違うのは、平安中期は、その過酷さがとくに女性に向けられていたことだ。女性とりわけ貴族女性は、母系社会の崩壊の中で、男に愛されて子供を生んで家を繁栄させる女は幸せ、そこからはみ出た女は不幸という、狭まる幸福観に押し潰されそうになっていた。紫式部自身そうだった。『源氏』が新しいハッピーエンドを、とくに女性に用意したのはこのためだった。
そんな時代、『源氏』のラストが女にとってどんなに救いになったか。子供にとって逃げ場のない幸せ家族の息苦しさを知る私には分かる。けれど一方で、そんな家族を離れ、ダメ妻、ダメ母であることを許されている今の私には、そして男ばかりに「サイテー」を押しつける必要のない現代に生きる私には、薫だって私、私のようにサイテーなんだとも分かる。だから夢の浮橋≠渡った浮舟よりも、橋のたもとでうろつく薫が気になる。僕って最後まで女には苦労させられるのよねーと、何でも人のせいにしてぼやいている、薫が気になって仕方がない。
それは、息苦しいほどの幸せ家族の中で、夜ごと幼い私に、昔ながらの民話を聞かせてくれた父の、渇きのようなものが、今になって気になっているのと、どこかでつながっているのかもしれない。
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おわりに[#「おわりに」はゴシック体]
優等生であることはつまらない。
父が山師だったとか、子供がいじめにあうと、いじめた子供の家にすっとんで行って、相手の腕をへし折ったなどという話を、どうしようもない父のエピソードとして、作家が語っているのを聞くと、
「学校のお勉強はできるけど、つまんない女」
とつくづく自分を思う私は、いつも羨ましいと思っていた。
そして私がこんなに面白みのない人間なのも、面白い文章が書けないのも、親が面白みがないのだから仕方ない。この先もきっと面白みのない人生を送るんだとしても、親だって面白くなさそうな人生、送っているのだから仕方ない、と思っていた。もちろん頭では、
「自分の気のもちようなのだ。いい年をして、何でも親のせいにしてはいけない」
と強く思っていたが、出てくる言葉や行動はいつも、一定のパターンを外れることはできなかった。そのパターンが親の支配下で育ったものであることを、ここ三年、妊娠出産子育てを経て、自分自身が親になっていくという体験をすることで、しかと認識できた。この三年ほど、自分や親や子供、家族の人間関係について、苦しみ悶えた年月はなかった。
そんな私にとって、
「結局は自分自身なのだ」
と結論づけた『源氏』のラストが、この上もない救いになったのは言うまでもない。
『源氏』は子供が親にいかに支配されるか、を描きながら、最後の最後で、子供の不幸を親のせいにはしなかった。
それは親にとっての「逃げ」ではなく、かつては子供でもあった親自身にとっても、救いなのだ、と私は感じた。この不幸な感じ、満たされない感じが、ほかの誰のせいでもなく、自分のせいだと思えたら、どんなに心が楽になるか。それは、どんな親のもとに生まれついても、どんな育ち方をしても、自分で自分の不幸や幸福感を、コントロールできるということなのだから。
自分の力で幸せはつかめる。たとえつかめないのが現実にしても、『源氏』の底には、こういう自分を信じようとする、愛そうとする気持ちがある(この気持ちに籠る、いじらしいほどのけなげさを思えば、父性の復権なんて流行り言葉も、男運なんて昔ながらの言い回しも、クソ食らえだ)。
この意味で『源氏』は、愛の物語だった。親子関係と恋愛関係という、愛という同じ穴のむじなに生きる人達の物語だった。
優れた親子小説であることは、優れた恋愛小説であることと矛盾しない。『源氏』に親子を読むことは、『源氏』に恋を読むことでもある。そしてそれは、読み手自身の恋や親子関係に重なって、読み手の心をほぐし開いていく。幸せって何?という問いかけをはらみながら。
一九九七年十月
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文庫版あとがき[#「文庫版あとがき」はゴシック体]
いくつになってもなかなか大人になったという実感をもてないでいた私が、妊娠して、生もうかどうしようか迷っていたとき、最終的に「生もう」と決断したのは、『源氏物語』を書いた紫式部だって子供を生んだんだから…という思いからだった。というと不遜なようだが、じっさいのところ、人の親になる自信がなかったのである。
そうして生んでみて、案の定、さまざまな厄介な感情に襲われていた頃、雑誌「鳩よ!」で連載を始めることになった。
親子関係という視点をカラダで得ることが出来た私は、当然のように『源氏物語』に「親子関係」を見ていた。
早いものであれから八年。乳児だった娘も小学四年生だ。私はといえば、子供を生んでももてなかった大人の実感が、去年、自分を生み育てた母が倒れて、初めてもてた次第である。とはいえ、あくまで自分の実感だから、はたから見れば、まだまだ子供かもしれないのだが…。
文庫化にあたっては、単行本では叶わなかった、とがしやすたかさんのイラスト挿入が実現した上、米原万里さんの解説も頂いて、嬉しさもひとしおである(編集部註)。お買い上げいただいた方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
二〇〇四年四月
[#地付き]大塚ひかり
大塚ひかり(おおつか・ひかり)
一九六一年神奈川県生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学で日本史学を専攻。著書に『太古、ブスは女神だった』『感情を出せない源氏の人びと』『面白いほどよくわかる源氏物語』『「ブス論」で読む源氏物語』『カラダで感じる源氏物語』『いつから私は「対象外の女」』『もっと知りたい源氏物語』などがある。
本作品は一九九七年一一月、マガジンハウスより刊行され、二〇〇四年六月、ちくま文庫に収録された。