大佛次郎
赤穂浪士赤穂浪士(下)
秋の庭
小野寺十内《おのでらじゆうない》は鉄ぶちの眼鏡をはずして袖裏で玉をふきながら、庭へ目を向けた。いつの間にか今日もくれかけていて、庭は夕ばえに明るいが、燈籠《とうろう》の後や木立の蔭はもう暗くなっていて、萩の花が白く点々としていた。
「これ」と、隣の部屋で静かに縫い物をしていた妻に声をかけた。
「そろそろ晩の支度をさっしゃい。母上も御退屈であろう」
「畏《かしこま》りました」
あるじの十内が六十歳でいて、九十歳の母が健在なのである。老人ばかりの家の、秋のたそがれは、いかにも静かだった。
十内は、妻が針箱を片づけ始めた音を聞きながら、水のように澄んだ高い空を軒端《のきば》越しに眺めていた。この京都には、瓦解《がかい》前に留守居役をして多年住んでいたことで、この空の色も、来る秋ごとに見なれていた。過ぎてしまえばずっと一年中忘れていて、季節が来て目につくようになって、昨日のことのように去年のことを思い出す、こころなつかしい京の秋であった。十内はこの一年間に起った主家の大変動を今更考えずにはいられない。年をとれば何かに過ぎたことがなつかしくなるものだった。
「去年、丹波から松茸《まつたけ》を届けて来たのは今頃ではなかったかの?」
「左様で御座いました」
静かな返事が聞えて来て、ふすまのむこうでも、その時の思い出にふけるらしく、ちょっとの間、もの音がやんでいる。細い虫の声が、どこからか、のぼって来た。
「もうそろそろ町に出ているだろう。母上へどうじゃ」
「今年は如何で御座いますか? 去年にくらべてお歯がお悪くなっておいでで御座いますから……」
「伺って見るがよい。笠の、やわらかいところだけ差し上げるように致せばよい」
十内は、机の上に置いた眼鏡の玉に、ひややかな空の色がうつっているのを見て、一年毎に衰えて行く母親の健康のことをさびしく考えた。
母親だけでない、自分もそうである。江戸にいる堀部弥兵衛老人も、ついこの間、半分冗談まじりに本望《ほんもう》を遂げるまでお互に達者でいられましょうかなといって来ている。十七も年長の弥兵衛老人から仲間扱いにされたのにはいささか苦笑を催したが、考えて見れば、自分もいつの間にか年寄りの部類に入っている。と思って、まだまだ本心は若い暢気《のんき》なもので仇討ちがいつになろうがいつまででも待っているつもりでいるのも、母が達者でいるからであろう。
親は有難いものだと思いながら十内は、痩《や》せて筋だらけの腕を杖にして、やっこらさと声を出して立ち上った。
伸びをしながら、
「五首ばかり出来たぞ、晩に見せてやろう。金槐集《きんかいしゆう》もいいな。読んでいる内に自分も詠《よ》みたくなったのだ」
「私も、今朝、すこしばかり、こしらえました」
「おやおや、これは、今夜の好い楽しみとなったな」
十内は、笑いながら、なげしから槍《やり》をおろして来て鞘《さや》を抜いている。日課であったから、妻女も別にこの物音を怪《あや》しむ様子はない。槍をかかえて庭へ降りると、ぴたりと姿勢を正して位取《くらいど》った。続いて上段、中段、下段とかえてりゅうりゅうとしごく。壮年の時から手なれていて、六十歳の今日も槍をとると、別人のように颯爽《さつそう》たる姿になる。枯れて、肉の落ちたからだが、この武器をあつかうために出来ているように力にあふれて軽快に動くのだった。白い穂《ほ》さきは、闇に縦横につらぬいて、見えない敵の姿を宙に一心に突きまくるのである。やがて、ひと息入れて縁へ戻って来た時は、白髪《しらが》のびんに湯気が立って、顔は朱に染まっているのだった。
妻女が、あんどんに灯を入れて、廊下へ運んで来た。
今まで十内の勢いに驚いて声をひそめていたらしい虫が、一時にまるで降るように庭の草むらに鳴きはじめている。
その時、玄関で、
「おたのもうす」と誰か声を掛けたのが聞えた。
客は、はるばると江戸から上って来た小山田庄左衛門《おやまだしようざえもん》だった。
庄左衛門は山科《やましな》を訪れて内蔵助がいなかったので、こちらをお尋ねしたといって、すすめられるままにあがって、あんどんを隔てて十内と向い合って坐った。
十内は、庄左衛門の顔に憔悴《しようすい》の色を認めながら、
「お疲れだったろう」といって、一度立って妻女に外を見廻らせるようにしてから、庄左衛門の話に耳を傾けた。十内は大坂の原惣《はらそう》右衛門《えもん》とならんで、この京方面で内蔵助《くらのすけ》に厚く用いられている。この人に話を通じて置けば、直《ただ》ちに内蔵助の耳に入るわけだった。
話が終ってから、酒が運び出される。松茸の焼ける匂いがふすまの間から漏《も》れて来る。
だが、庄左衛門は、なんだか、ずっと沈んだ顔色でいて、酒もあまり進まなく見えていた。
「虫の声がよく聞えますな?」
「京の秋は別だよ。あんたも、好い時候に来た」
酒の相手として十内は、静かでいて実に好い小父《おじ》さんだった。
「冬寒いのだけは閉口だけれど、なれて見れば平気さ。こたつにあたりながら磧《かわら》の千鳥を聞くのもなかなかいいものだ」
「太夫は?」と、庄左衛門がいい出した。
「そうだね、今夜あたりは、山科へ帰りはしないか? なに、会おうと思えば、いつでも会えるが、ただ人目がうるさいから、私などもなるべく離れている。太夫にしろ、その心持だろう……。けれど、あんたは直ぐ江戸へ引っ返すわけではなかろうな?」
「別に……きめておりません」と、いってから庄左衛門は急に興奮の色を顔にのぼして、言葉を継いだ。
「けれど、いつまで、待たされるものでしょうか? こうしているのは、実につらい……私ばかりではない、誰もこの心持でいるに違いありません」
「そりゃア私も同様さ」
十内は、相手の、むしろ悲しいような調子に驚かされて、目をあげてじっと見まもりながら、優しくこう答えた。
「太夫もそうだろう……」
「太夫も?」
「そうさ」
二人、無言の幾瞬間かがあって、庭の木立の蔭に灯影《ほかげ》の見える隣家で笑い声が聞えた。その時、庄左衛門は、わけもなく内蔵助が憎いような気持になっているのに気がついて、自分でも驚いた。これまでに嘗《かつ》てなかったことだし、また、とんでもないことだと思いながら、暫く息を殺しているように口をつぐんで、動いている自分の心持をじっと見詰めた。そこへ十内が杯《さかずき》をふくみながら、
「あの人は、信じていて大丈夫だ」と、ぽつりといったので、自分の心を見抜かれたように思って、顔をあかくした。
「それは……」
「いや、兎《と》に角《かく》、何といおうか、天晴《あつぱ》れ元禄男だな。あるいは、あんた達より新しいかも知れないよ。私も、この間ふと考えついたのだが、太夫が牡丹《ぼたん》が好きなことなどよくあの派手な気性を現していると思う。太夫と牡丹の花、実に似合っているじゃないか。今度の大望にしろ、まさに大芝居の感じがあるね」
「芝居!」
「そうだよ」と十内は、厳粛《げんしゆく》なくらいに答えた。
「われわれがやるとすれば、古い窮屈な心持から、ただあちらを討つというだけを考える。やり方もまた自然とそうなる。……それが精一杯なのだ。やろうと思ったところで、それ以上は出来ない。ところが太夫の計画によると、これを、もっと大きく、派手《はで》な仕事にしてしまう。芝居といったのはその点で、決して悪い意味でいっているのじゃない。つまり、求めてそうするのではなく、それだけにする余裕が自然とあの人にそなわっているわけだな。
これはわれわれにはどんなことがあっても出来ないことだ。近頃それに気がついたのだが、まあ、なんというか、月並の言葉で、器量のある人というのだろうな、及び難いことだよ」
庄左衛門には、十内の意味することがはっきりとわからなかった。これは、十内にいわせたら、やはり狭い心持で内蔵助の大きい人格の僅《わず》か一端だけに触れているせいだと、批評したかも知れないのだが、庄左衛門には、内蔵助のしていることに非難を向けたい心持が漠然と動いているのだった。
その心持を顔に出すまいとしていながら、そのために余計重苦しい気持になって、折角の酒もちっとも味がないのである。
十内は、にこにこしながら、
「だから、私は安心して待っている」というのだった。
次の朝……といって、もう午《ひる》に近く、内蔵助は、駕籠で、この十内を訪れて来た。どこかに宿酔《ふつかよい》のあとの残っている、どんよりとはれぼったい目付で、庭に一杯に差し込んでいる秋の日影をまぶしそうに避けて、
「やあ……」と、はにかんだように挨拶した。
十内も、にこにこして迎えて、自分で立って座蒲団《ざぶとん》を取りに行きながら、
「相変らず……ごさかんのようですな?」
「はははははは」
内蔵助は、明るい声を揚げて笑って、おうすを所望だといった。
十内の妻が、茶を立てて、ふくさに載《の》せて持って来る。
内蔵助は、さもうまそうに一喫《いつきつ》して、
「秋になりましたなあ」と、庭を向く。
十内も、明るい木立の上に澄んだ高い空に目をやった。
しんとした枝の間に、小鳥の動いているのが見える。日射は、やせた草の上に石をぬくめているのだった。
「秋は、きらいだ」
十内は、人のよさそうな微笑に枯れた顔をあかるくしながら、昨夜小山田庄左衛門が自分を説いた言葉を思い出していた。
「春でしょう。お好きなのは……太夫らしいお言葉だ」
ほう……というように内蔵助は相手の顔をのぞいて、
「そうなンです」と、自分の弱点ともいってよいところを別に隠さずに置ける相手の顔をうれしく見て、しずかに茶碗を置いた。
向いあっていて言葉の途切れることが多かった。といって、その隙《すき》に別段しらけた空虚がはいり込んで来ることもなく、つとめて話題を設ける必要も感じられない。この秋の庭をつつんでいる、もう小春の光に似たなごやかな空気がしっとりと座にあって、心は自然と楽しいのである。
「柳沢の……」と、やがて十内がいうと、
「ああ来ました」と、客は答えた。
それだけで、この話は済んでいて、あるじが静かにたばこをくゆらしていれば、客は、庭を眺めているのである。
「昨夜小山田が来ました」
ほう? というように客は振り返る。
「変った話がありましたか?」
「別に……」といってから、
「相変らずです。気の毒なくらいに、相変らずだ」
気の毒なくらいに……の言葉に内蔵助は微笑した。
それから暫くして、
「近く、江戸へ行って、よく話して来ます」
内蔵助は急に厳粛《げんしゆく》な顔付になって、こういっていた。
「明日にも立っていいと思うのだが……ただ、例の方が、うるさいのでね。が、それを苦にしていてもはじまりませぬから」
あるじも客も、また理解のこもったまなざしを向けあって、静かに笑った。
ぱっと、小鳥が飛んだ。
小山田庄左衛門は、小野寺十内に会って江戸の様子を知らせただけで、内蔵助には別に会おうともしなかった。内蔵助だけではなく誰にも会いたくないような気持がしていた。
これはいけないことだ。庄左衛門もこれを考えなかったわけではない。この妙にいらだたしいような人嫌いな心持は、一種の病気なのだ、と考えるように自分でも努めた。何がこんな心持にさせるのか? それも庄左衛門は、わかっていた。わかっていたとしても、これはどうにも出来ることではない。時日が過ぎて、この心の痛手をぬぐい去ってくれるのを待つよりほかはないのである。
幸……
あの、いたいたしい優《やさ》しい姿がまた庄左衛門の胸に蔭影を投げて悲痛を呼んでいた。女々《めめ》しい。武士として恥ずべきことだ。そのたびに、庄左衛門は、この叱責《しつせき》を繰り返すのである。
京の秋は沁《し》みるようだった。
祇園清水《ぎおんきよみず》のような賑やかな場所よりも、人のいない寺や野原へ自然と庄左衛門の足は向けられた。石の庭や、崩れた土塀にあたる秋らしい日の色が心をひいた。しかし、行って見ると、そこでもやはり気が落着かなかった。あたりの冴えた静けさが変に重苦しく圧迫的に感じられるのである。時雨《しぐれ》の通るのを寺の門に避けていたことがある。見詰めている内に砂が濡れて色が変って行った。そこから夕焼けの道を、のろい牛車について帰って来ると、田の中の池の敗蓮《やれはす》に赤とんぼが飛んでいた。こんな小さい景色までが、不思議と庄左衛門の頭に残った。
庄左衛門は、その内、ふと山科を訪ねて、うまく内蔵助に会った。
門を入って、落葉が風に舞っている並木道を行くと、右手の畑に内蔵助が主税《ちから》に手伝わせて、牡丹の根の土を掘り起しているのが見えた。主自身、着物の尻を端折《はしよ》って、鍬《くわ》をおろしていて、鍬の刃がきらり、きらりと陽に光っていた。
主税が庄左衛門の姿を認めて父親に知らせたので、内蔵助は鍬の手をやめて振り返って、笑いながら、つかつかと歩いて来た。
「さあ、おあがり、おあがり……よく来てくれた」
はだしだった内蔵助は、足を洗いに井戸へ廻っている。やがて、つるべの軋《きし》る音が聞えた。
庄左衛門は、庭について廻って、書院の縁に腰掛けて待った。
内蔵助が妻子を実家へ送り帰したことを庄左衛門も知っていた。そのせいばかりでなく、広い家の中は小暗くて静かだった。
しきりと百舌《もず》が鳴いていた。
「や、お待たせした」
主は、羽織《はおり》を着ながら出て来て、
「話は小野寺から聞いた。どうも、いろいろ有難う。私は、今夜江戸へ立つつもりでいる」
「江戸へ」
「うむ、久し振りで、皆にも逢うことが出来る。お墓へもまいるし、大学様の方のことも、なおよくその筋へ申し上げて来たいと思うのだ」
敵討ちの実現のために江戸へ上るのではないのだ。庄左衛門が疑いながら抱いた熱心な期待もくだかれていた。それだけではなく、変にゆったりと落着きはらっている内蔵助の態度が、庄左衛門には腹立たしかった。
庄左衛門はだまり込んでいた。
「あがったら、どうだ?」
「いや、すぐに失礼いたしますから」
内蔵助は黙った。
「小山田」と、やがて静かにいった。
「こだわっていてはいけないよ。もっと、気楽にしていてくれないか?」
「気楽に!」
思わず庄左衛門はこう叫んで、内蔵助を睨みすえていた。
「そうだとも」と主はいう。
「われわれにとって、なんのこともない仕事じゃアないか? あんたは、そうは考えられないか?」
「…………」
何かしら、しいんとしたものが、庄左衛門の心臓をぎゅっとつかんでいた。庄左衛門は、無言で歯をくいしばった。自分が涙を流そうとしているのがわかった。
「いや」と、振り切るようにして叫んだ。
「私は、そうは思いませぬ」
内蔵助はだまっていた。
ありがたいが、それはいいようで反って悪いのだといいたいところを、若者がこんな興奮している時にいっても多分わかってくれなかろうと思いながら、庭へ目を向けるのだった。
続月夜鴉
その晩、いつものように夕方からぶらりと伏見の墨染《すみぞめ》の廓《くるわ》へ来た内蔵助は、早速に女達や幇間《ほうかん》にかこまれて、酒を始めていた。そこへ、島原で二、三度会った津山《つやま》の小田切藤十郎、鎌田三七と名乗る相沢、岩瀬の二人が来て赤穂の太夫がおいでならば、お差支《さしつか》えなくば御同席願いたい、と申し入れて来た。
内蔵助は相変らずのもので、
「さあ、さあ」と招じ入れた。
相沢も岩瀬も、相当|地《じ》のある道楽者だし、酒の席の相手としては愉快な人間だった。内蔵助は、二人が柳沢の隠密だとしても別に警戒もしていないし、こりゃアなかなか面白い連中だと、かえって悦んだ様子で、至って気楽に笑い興じながら杯を重ねるのだった。
相沢は、三味線を取って、爪弾《つまび》きで何か小唄《こうた》をやった。さびのある声が、賑やかといっても、しっとりした秋の夜にまことにふさわしく流れた。
「やんや、やんや……」
内蔵助は唄の間、空の杯を持った指で膝の上で拍子をとっていて、唄が終ると賑やかにほめそやした。その杯は、直ちに相沢の手へ渡っている。
「どうも、驚きましたな、こんどは、私が……こりゃア自作です」
「やあ!」
相沢も、岩瀬も、興を催した。
内蔵助は、隣にいた幇間に何か目くばせして、三味線を膝へ取り上げた。
ぽつん、ぽつん……と、なれた手付で調子を合せる。
やがて唄い出そうとするもののように、すこし首を前に出して、目をつぶった。
いきな音色《ねいろ》で三味線が鳴りはじめた。つづいて、低い幽婉《ゆうえん》な声が唄い出している。
※[#歌記号]ふけて、くるわのよそおい見れば……宵《よい》のともしび、うちそむき寝の夢の花さえ散らす嵐のさそい来て……
しんみりと目を閉じ耳を傾けていた岩瀬が、あまりの声の美しさに驚いて、そっと目をあけて見ると、三味線は内蔵助がひいているのだが、歌っているのは、年寄りの幇間だった。しかし、おかしいことは、内蔵助が自分で歌っているように見せるために、微かに首を振りながら、頻《しき》りとくちびるを動かしている他愛ない様だった。
賑やかな合の手が入って歌は続いた。
※[#歌記号]閨《ねや》につれ出すつれびとおとこ、よそのさらばもなお哀れにて、裏の中戸を開くるしののめ、送る姿のひとえ帯、とけてほどけて寝乱れ髪の、黄楊《つげ》の……
達者な三味線はそれとして、さて、この暢気《のんき》に首を振り口を動かして歌っているまねをしている気楽人だ。これが赤穂あたりの国家老であろうか? いや、亡君の仇討ちの時機《じき》を狙っている人間だろうか? どこか大きな商人家《あきんどや》の気楽な若隠居で道楽の味は底の底まできわめ、いろ里の痴愚《ちぐ》の限りの中におのれの真のいのちを見ているとしか思われぬこの男が?
岩瀬が、怪しんで、鋭い目を光らしている間にも、歌は続いた。
※[#歌記号]つげの小櫛《おぐし》もさすが涙のばらばら袖に、こぼれて袖に、露のよすがのうきつとめ、こぼれて袖につらきよすがのうきつとめ
その、「うきつとめ」の言葉に、また節ににじむ哀切な調子に、柳沢の隠密岩瀬|勘解由《かげゆ》のすごい覚悟が再びかすかに目を見ひらいて来て、用心深く動きはじめた。
岩瀬は、内蔵助が上機嫌で三味線を置くのを待って、
「いや、どうも……こりゃア、まことにおそれ入りました。御自作と仰せられたが……傾城《けいせい》のうきおもいに託して、太夫御自身の御本心が自然とあらわれているのが、実に面白い。いや、さすがは、さすがは……」
「いやいや、ほんの座興に作りましたもの。左様におほめに与《あず》かっては、かえって痛み入ります。さとげしきと名をつけました」
「むむ……」
岩瀬は、いくらか酔ったように見せかけていて、うなずき方も大きかったし、またにわかに様子を改めた。
「気がつかぬことを致した」と、自分の軽率を後悔したようにいって、じろじろと座を見廻しはじめていた。
「あ、こりゃこりゃ、皆の者すこし遠慮いたしてくれい。太夫と、すこし内証ばなしがある」
(来たわい)内蔵助は腹が立った。
「これ、これ、小田切どの、そう改まっては面白うない。折角《せつかく》の酒じゃ。みなの者も、立つな。もっと賑やかに騒ぐ方がよい。それがよい、それがよい」
「ま……」
「いやいや」
わざと酔いに力をかりて、まだ女達を追おうとしている岩瀬の肩へ、内蔵助は腕をまわしておさえつけて、右手に持っていた杯を無理やり押しつけた。
「さ、受けた」
「む……」
杯を差しつけた手が鼻の先でふらふらしている。岩瀬は、けろりと何もかも忘れたように陽気にからだを動かしながら、それを受けたが、内蔵助の胸へ肩をもたれかけたままの姿勢である。
その、おさまった様子を見て、女達は揃って三味線をかき鳴らして、何かはやり唄を歌いはじめた。こどもが二人、扇《おうぎ》を取って舞いはじめた。
絹あんどんの灯の色が黄ばんで、人いきれに朦《もう》とした部屋の空気に、女達の手に撥《ばち》が一様に白く動いて、さまざまの音色の波が大きな鳥の羽ばたきを見ているようにわたった。青や紅の袖が動く、舞扇がひるがえる。見るともなくその色の律動を追い、聞くともなくその調べに耳を傾けている内に、いつものことだが、どんよりと、うすらもの憂い快さが内蔵助の手足を縛って来る。自分が抱き込んでいる男がこちらの秘密をさぐりに来た隠密だということも決して忘れてはいないが、何だかひどく遠いもののように感じられて来た。
しかし、この隠密は、この騒宴《そうえん》の中でも自分の役目を忘れていなかった。
「太夫」と、丁度内蔵助の耳が自分の目の前にあったのを見て、ひくくささやいた。
内蔵助は、杯に口をつけながら振り返って見て、岩瀬の、いやに真面目そうな目の色を見た。
「太夫は、われわれの期待どおりにやって下さるでしょうな」
「わかってる。わかってる」
うるさそうな返事だった。が、これは岩瀬がどきっとするような重大なものを含んでいた。
「い、いつ?」という。
「やあ」と、内蔵助は笑いながら岩瀬の肩をそっとはずして、立ち上った。立ち上って、よろりとして、
「今夜だ。今夜だ。ちょいと。……失礼」
これは、怪《あや》しみながらさしのぞいている岩瀬への挨拶で、障子をあけて廊下へ出て行っている。こどもの一人が立ちすぐ後に従った。
厠《かわや》へ行ったのであろう。こどもにたすけられながら、かなり不確かな足で障子の外を歩いて行くのを岩瀬はずっと見送っていたが、その目をそらした時、相沢と視線が合った。
内蔵助は、その足で庭から通りへ出て、辻駕籠を呼び止めた。こどもには、あの部屋へ帰るな、あとで人がきいたら島原へ行ったといえと、駕籠の中からいいつけた。
こどもは、行儀よく長い袂《たもと》を胸のところにそろえて立っていて、やさしくうなずいて見せた。駕籠が動き出してから内蔵助が振り返ってのぞいて見ると、まだ立ち去らずに軒あんどんの下にたたずんで見送っているのが見えた。
ふと、淡い哀愁がわいて胸をおかすのを感じながら、内蔵助はこれから小野寺十内の家へ寄って直ぐ立つ五十三次の旅のことを考えはじめたのだった。
やがて、
「どこか、その辺で水が飲めるところがあったら、とめてくれ。井戸でもよい」と、駕籠屋にいった。
五条あたりの路地裏の、しもたやらしい一軒の家の格子戸を、この深夜に音高くあけて飛び込んだ若い男がある。
堀田《ほつた》隼人《はやと》だった。
「帰んなすったか?」
奥のふすまの向うから、こう声をかけたのは、蜘蛛《くも》の陣十郎《じんじゆうろう》だった。
「親分」
隼人は、何か発見の悦びと焦躁《しようそう》にそわそわして襖《ふすま》をあけながら、
「大石が江戸へ下りますよ」
「ええ?」
陣十郎も意外だったらしく、ふとんの上に起きなおって、
「どうして、それが……」
「なアに、例の老人の家へ、いつになく侍が四、五人集まっているから、こりゃア変だと思っているとたった今、大石がどこからとなく駕籠で乗り込んで来ましたね。そりゃアいいが、玄関に新しい笠だのわらじだの、置いてあるし、ひょっとすると……と思って気が気でなかったんですが、やっぱり五人ですっかり旅支度をして出て行きました」
「ほう?」
陣十郎も次第にむずかしい顔になって来ている。
「まさか、いよいよやるというわけでもなかろうが……」
「が、なんとも限りません」
「むむ」と、組んで腕を解いて、
「とにかく、うっちゃって置くわけにも行くまい。堀田さん、こりゃア私等もすぐ出かけよう。いそがないでも瀬田あたりで追ッつけるだろう」
すぐと二人は、戸棚をあけて、旅支度にかかった。
陣十郎は脚絆《きやはん》のひもを結びながら、二階を見上げて、
「おい、金さん」と叫んだ。
返事はなく、大きないびきの声が聞えた。
「よく寝る男だ。置いてきぼりだぞ」
「あとの始末をたのむことにしましょうや。つれて行って役に立つ男でもなし」
「そうだな」と、道中差を腰に打ちこんで、鷹揚《おうよう》に襟《えり》を直しながら、
「多分、また直ぐ帰って来ることになるンだろう。そうでなかったら、飛脚《ひきやく》を出して呼ぶだけの話だ。留守をさせて遊ばせて置いてやるか」
隼人が置き手紙を書いて、二人は、すぐ外へ出ていた。
それから夜道をひた走りに走った。
間もなく蹴上《けあげ》を通り抜けて、日の岡の坂が近くなる頃にずっと行手に、かなりの人数の旅人が歩いて行くのがわかった。
隼人は胸をおどらした。
「あれらしい……」
「お前さんの顔は、あちらでは知っているかね?」
「いや、あの乞食さえいなければ大丈夫ですが……」
「そうでしたね」
陣十郎はうなずいた。
明るい月だ。
「こうつと……こりゃアどこかで駈け抜けて先へ江戸へ知らせることだね。そりゃアそうと、柳沢から来た例の連中はこれを知らないのだろうか?」
「知っていれば、われわれと同様、どこかその辺を歩いていることでしょうが……」
「乞食にとッつかまっているかも知れませんぞ。大体やり方が|へま《ヽヽ》だよ。隠密ともあろう者が、あんな身近まで行ったら、ばけの皮がはげずにいるものじゃアない」
陣十郎は、ずっと前の方を行く内蔵助たちから目を放さずに、例によってひどく自信のある様子でこういいながら、のっそのっそ歩いている。隼人は、注意深く、時々後を振り返って見た。
やがて道は鬱蒼《うつそう》として杉並木の中へ入って行った。
「いない? いないとはおかしい」
岩瀬がこういって騒ぎ出したのは内蔵助が立ち去って大分たってからのことだった。どこかその辺の人のいない部屋に酔いつぶれているのではないかといって探させたが、幾間もある揚屋《あげや》の中のどこにもいなかった。
岩瀬は、自分が話しかけたことがあったから、余計気になって、今度は内蔵助について行ったこどもを探し出させた。
島原へ駕籠で行った……というのである。なんだ気をもませる奴だと思いながら幾分か安心した。酒飲みには一所に腰を落着けて飲む者とそうでなく場所をかえる癖の者とある。まさかに内蔵助が急に江戸へ立ったろうとは気がつかなかった。
「われわれも引き揚げようか?」
二人は、駕籠を言いつけて賑やかな廓《くるわ》を出た。
「どうする? 升屋へ行くのか?」
後の駕籠から相沢がきいた。
「いや……そう、あざとくも立ち廻れまいて。それでなくても、今夜は、おれもすこしやり過ぎるくらいやった」と岩瀬が答えた。それから、二人ともだまって駕籠にゆられて行った。
わかってる。わかってる……この内蔵助の先刻の返事を、どう解釈したらいいだろうか? 岩瀬はどんよりと酔った頭で駕籠の背にもたれながら、いろいろと思案していた。どうも讐《かたき》を討つというのらしい。わかっているとは承知の意味であろう。としても、何かどうも頼りない返事のように思われる。酔って心の警戒がゆるんでいると見て、不意にきいたことだし、また、その刹那《せつな》内蔵助の顔にあらわれた心の影を、確かに自分は見のがしはしなかった。内蔵助は、うるさいものを追うようにして、あの返事をしたのである。
(こりゃア、ただ口さきばかりのことではなかったかな?)
が、どちらにしても、内蔵助から自分達の素姓《すじよう》を怪しまれるようなことはなかったろうと思う。例の升屋の若い者の話によれば、敵討ちを煽動《せんどう》に来る者が二人三人ではないらしいし、多分自分達もその仲間と見られたことであろう。赤穂の大石内蔵助といえば敵討ちと、すぐと浮かんで来るのが、だれにでもこりゃあたり前の話だ……
こう考えている内に、いつか、とろとろと眠った。
次の夕方、升屋へ人をやって尋ねたところ、内蔵助は前夜来なかったという。それから岩瀬も相沢も狼狽した。
山科の家を探って見たがいないらしい。
墨染《すみぞめ》には無論いない。
「ひょっとして、こりゃア江戸へ行ったのじゃあるまいな?」
最初何気なくこういい出したのが、段々と、そんなように思われて来た。
「とにかく、江戸へ下ったものなら、伏見の奉行へ届けが出ている筈だ。おれが行って聞いて来る」と、相沢がいい出す。
「そうだ。そうしてくれ。出し抜かれたとあっては、われわれの面目《めんもく》にかかわる」
岩瀬は異議がなかった。
すぐと相沢は支度して、宿から出ようとした。そこへ、升屋の久兵衛がはいって来ていた。
「大石様は変なところにいらっしゃるようですよ」
久兵衛は、こういって、二人を驚かした。ここで一歩かけ違って、久兵衛の来るのが遅れて、相沢が伏見へ行ったならば、内蔵助が公然と奉行所へ届け出て、江戸へ下ったことを二人は知ることが出来たのである。
二人は運が悪かった。
「変なところとは、どこだ?」
出て行こうとした相沢も一緒に部屋へ引き返してこう尋ねた。
「さればで御座います。ちょいとお話しにくいような、けったいなところで」と久兵衛は頭へ手をやった。
「手前もまだまいったことが御座いませぬが、話に聞きますところでは、よほど面白いところだそうで……」
「すると……やはり、色里《いろざと》か?」
「隠れ売女で御座りまするが……構えは並の町家で、女は置かず、お話次第でその辺の色好みの女房などを連れてまいるのだと申しまする」
「ほう……すれば、大石が、そんなところへ?」
「そのように聞いてまいりましたが、はっきりしたことは申し上げられませぬ。けれども時たま、つまりは御道楽が昂《こう》じてあたりまえのことでは面白くも可笑《おか》しくもなくなったせいで御座りましょうか、そんな方角へおいでになるようなお噂は以前から承っておりますし、多分あの家だろうというのを聞き込んでまいりましたから、あるいは、そちらか……と存じますが……」
「そりゃアどの辺なのだ?」
「なんなら御案内仕りますが……」
さあ……と幾分ためらったように岩瀬は相沢の顔を見て笑った。
「どうだ?」
「行って見ようぜ。面白かろうじゃアないか」
相沢は暢気《のんき》だ。
相変らずだなあ、というように岩瀬は苦笑いしたが、また、いつもの難しい不機嫌そうな顔付に戻っていた。
「しかし、あまり後を追っかけているように思われても困るから……」
「一緒にならなければいいだろう。見つかってしまったら仕方がない。珍しいところで、お目にかかりましたなぐらいで、済む話じゃないか?」
「そうも行くまいさ」
岩瀬は、こういってまた考え込んでいた。
「ほうっとけ、ほうっとけ。それでよかろうじゃないか? それとも誰かたのんでさぐりにはいってもらうのだな」
「誰をやる」
「久兵衛、貴様、どうだ?」
「さあ、手前は……どうも、まずう御座いますなあ」
「こりゃアもっともな話だろう。なアに金をやって遊ばしてやるのだから、やる人間に不自由することはないさ」
相沢が笑いながら、その人選を引き受けた。
まず安心というように落着きはらった二人に、その家のありかを教えてから久兵衛は外へ出た。
秋らしいしっとりとした光のつつんでいる、にぎやかな町をすこし歩いて行くと、いつかの乞食武士がふところ手をして辻に立っているのが見える。いそいでかたわらへ寄って行った。
「どうだった?」と、武士がにこにこしながらいう。
「へえ、代りの人間を見にやるって申しておりました」
「代りの人間?」
武士は、問い返して、当惑したように眉根を寄せた。
相沢と岩瀬は、人をやって、内蔵助がその妙な家にいるのを確かめた。妙な家は、下寺町にある。その男は、一夜をそこで過して腫《は》れぼったい目付をして帰って来たのだが、大石さんというお武士が来ているかと女に尋ねたら、来ているという返事だったというのである。
「なんだ、顔を見て来なかったのか?」
岩瀬はそれだけではまだ不安らしい様子で、こう咎《とが》めた。
男は、その家の構造が、客同士顔のあうことがないように、梯子段《はしごだん》も別なら廊下も別々になっているから、それが出来なかったと答えている。
相沢は暢気で、いるというなら確かだろうといい出した。それから男をつかまえて、その家の様子を根掘り葉掘り尋ねた。岩瀬も初めの内は苦い顔をしていたが、段々と話に惹《ひ》き込まれて相沢と一緒になって男をからかい始めていた。
それから二日ばかり過ぎた。依然として内蔵助は、島原へも撞木町《しゆもくまち》にも姿をあらわさない。
「まだ、あの家にしけ込んでいるだろうか?」
「左様さ。大分|永逗留《ながとうりゆう》だな?」
「すこし、おかしいと思う」
「じゃア行って見るか?」
相沢が、その妙な家を探検したがっていることは今にはじまったことではない。
その晩二人は、その男に教えられて、下寺町《しもでらまち》へ行った。家は、暗い淋しい路地の奥にあって、古い土塀《どべい》をめぐらし庭木のよく繁った相当な構えで、確かにこの家と聞いて来ながら二人がひょっと間違いではないかと思って躊躇《ちゆうちよ》を感じたくらい、ごくあたりまえの、いずれかの物持ちの別荘風に見えた。
「構うものか、入って見よう。違ったら、その時のことだ」
相沢が勇敢にこういい出して、扉をとざしている大門の脇の小さい耳門《くぐり》から、内へ入った。網代垣《あじろがき》の裾《すそ》に紅白の萩の花がこぼれている。玄関は大分奥になっているし、暗い上に妙に森《しん》としていて、岩瀬に心細く思わせた。
「大丈夫かな?」
「大丈夫だよ」
「だが、いやに静かだ。灯《ひ》もついていないじゃないか?」
相沢は、古いよごれた障子が二枚ぴたりと立ててある玄関に立って、声高く案内を求めた。返事はない。岩瀬は、すぐ脇に魚板《ぎよばん》が吊《つ》ってあるのを見付けて、相沢に指さした。
相沢は遠慮なく、これをたたいた。
ぼっと、障子にあかりの影がさして動いた。間もなく障子をあけて切髪の、被布《ひふ》を着た品《ひん》のいい女房が出て来て、つつましやかに三つ指を突いて迎えた。
「どちら様で御座いますか?」
岩瀬は相沢の顔を見る。
相沢は落着きはらって、五条の松屋治兵衛から聞いて来たのだが……と、この間|寄越《よこ》した男の名前をいった。その間に、先方ではそれとなくこちらの身なり様子を観察して、役人ではないと見届けていたらしい。
「左様で御座いましたか? さ、どうぞ」と遽《にわ》かに改まって、雪洞《ぼんぼり》を取り上げている。相沢は「どうだい」というように得意らしく岩瀬の顔を見送った。
狭い曲りくねった廊下が壁の間を通っていて、かなり行ってから梯子段の前へ出た。これも両側の壁へ袖のすれる狭いもので、のぼり詰めると、くぐって入る引き戸がある。その奥がまた直ぐ二重の戸になっていて、これを入ると初めて小ぢんまりした八畳の間へ出た。明取《あかりと》りの窓が細くつけてあるだけで、外界とはすっかり遮断《しやだん》して、いわば箱の中へ入ったような感じである。三尺の戸棚が一か所あって、多分そこに寝具が入れてあるのだろう――と相沢は頷いた――形ばかりの床の籠に秋草がいけて置いてあって、床の軸《じく》はわざと白紙のままだった。
岩瀬が珍しげに見廻して、入口の引き戸の内側に掛がねが付けてあるのを見付けている間に、相沢は、
「こりゃア静かだね?」といいながらも、女の容子を道楽者らしい大胆な目付で観察している。二十を二つ三つ出たところであろう。あくぬけて痩形《やせがた》の顔立ちで、首筋の長い、どこかに位が備わって馴染《なじ》みにくいようなところはあるが、笑って話したりしていると、細い目付や、受け口の唇に一種不思議な色気のこぼれる年増《としま》だった。
「よく、おいでくださいました」と、最初とは急に変ってなれなれしく初対面の挨拶をいって、戸棚をあけて内から、ちゃんと火の入った火鉢や、茶を出して来てすすめた。
戸棚に、火の入っている火鉢のあることに先《ま》ず二人は驚かされたが、やがて運び出された酒も肴《さかな》もみんな、ここから出て来るので、この戸棚の奥に仕掛けのあることがわかった。最後には、そこから二人の若い女が出て来て、めいめい客に寄り添って坐った。
「今夜は、いやに、しんとしているが、客は私達だけかね?」
岩瀬が、こう問いかけると、
「いいえ」と答えて、
「どちらさまのお話も外へは漏れないようになっております」
「そうらしいな。……どうだ、大石どのはまだおいでか?」
「はい。御存じでいらっしゃいますか?」
「なアに……遊びに行くさきで逢うのでね。いつの間にか逢えば座敷を一つにすることになった。あの人も、随分とやるからな……」
「まあ、どちらさんで……」
女房の問いには、不審らしいものがある。いくらか酔いに薄桜色に染まった目もとに、いたずらそうな笑いがこぼれていた。
「島原、撞木町……に限りはしない、都の色里のどこへ行っても見掛けないことはない」
「まあ、そんな……随分おかたそうにお見受けしていますけれど……」
「…………」
どうもおかしい、大石の人が違うように岩瀬には思われるのだった。
岩瀬は一人で気を揉《も》んだ。
「そりゃア別人ではないか、私の知っている大石どのなら、ちっとも堅い所などはないが……」
「なアに、ところによって堅く見せることもあろうさ」
相沢が傍から余計なことをいう。
そこへ例の戸棚の内側で、また人が来たらしく、ごそごそ戸を押す音がした。
予感といってよいようなものが働いて岩瀬に胸騒ぎをさせた。杯を口にふくんだまま妙に光った目を、じろりと向けた。戸棚の中の人間は、内側から戸をあけようとしているのである。がたがたと戸が揺れている。
その時、女将《おかみ》のいった言葉が岩瀬の不安に裏書を与えた。
「誰だろう?」と、これも不審そうにつぶやいて、
「だれ?」と、声をかける。
「あけてくれ」と内から答えて来た。
「大石だよ。誰か、私の友達が来ているというじゃないか?」
大石と名乗っていたが、しめ切った戸棚の中から聞えるばかりでなく、声は内蔵助とは違うように思われた。否、相沢は兎に角、岩瀬は人が違っていることを直覚して、はっと思っていたのだ。
しかし、その時、女将《おかみ》が戸をあけて、一人の若いたくましい侍の姿を見せていたのだった。
男達はお互に目を見合せて、暫くあっけに取られたように無言でいたが、先ず、戸棚から出て来た武士の方から口を切っている。
「や、これは!」と驚いた様子で、女将を振り返って、
「拙者のことを話していた方々というのは、この御両所か?」
「左様で御座いますよ」
女将は、この場の空気に変なものがあるのを漠然と感じながら、男達三人を見くらべて、どちらへ訊《き》くのでもなく、
「御懇意なので御座いますか?」といい出した。
「いや、違った。私のたずねる大石どのはこの御仁《ごじん》ではない」
岩瀬が、油断ない目付で相手を観察しながら、こういうと、戸棚から出て来た武士も、快活に笑いながら、
「いや、こりゃア失礼した。友達で私のことをきいている人があるというから、案内も立てずに入って来たのだが……こりゃア失敗だった。いずれの御藩中か存ぜぬが、失礼ひらに御容赦願いたい。大石六兵衛と申す、浪人者で御座る」
相沢も岩瀬も、不機嫌になりながら、この丁寧《ていねい》な挨拶に答えないわけには行かない。
「いや、そりゃアわれわれから御挨拶いたさねばならぬところで御座った。なるほど。この大石どのならば、お目にかかるのはわれわれも初めてだ」
「人違いで御座ったか? ははははははは……」
見れば、酒の機嫌もあるらしい。大石六兵衛という男は、まだ晴やかな笑声をあげている。
「だが、御両所、こうしてお目にかかったのも何かの御縁で御座ろう。お差支なくば御懇意の大石どのとは別に、この大石ともおつきあいくださるまいか?」
「結構で御座る」
岩瀬は、苦り切っていた。どうかしてここを立ちたい。内蔵助がいないとわかっては、こう暢気にはしていられないのである。だが、相手はそのまますわり込んで、一緒に飲もうと考えているらしいのだ。弱る。なかばは自分達が招いたことだが、これは弱った。
凡《およ》そ一刻《いつとき》ばかり過ぎて、三人は外へ出ていた。夜も月もともに冴えて、薄団着て寝た山の姿は暗い。三人は、森閑《しんかん》とした往来に影をひいて、黙って歩いていた。
相沢も岩瀬も気が滅入るだけだった。大石という男ひとりが上機嫌で、こちらの二人がどんな気持でいようが毛頭気にならないらしかった。これがいよいよ柳沢の隠密両人を憂鬱《ゆううつ》にさせた。早く別れようとしていて、放してくれる相手ではない。これから祇園《ぎおん》へ行こうというのである。
(逃げよう)
岩瀬は相沢へ目くばせした。
が、ひどく酔っているように見えて、大石はその危険を充分感じていたらしい。中々そんな隙を見せないでいる。やがて、月の磧《かわら》が広々と目の前にひろがった。水という水に、月影が映っていた。
内蔵助《くらのすけ》はどこへ行ったのだろう? これを考えると岩瀬は、やきもきせずにはいられない。ひょっと二人を出し抜いて江戸へ立ったものだったら、隠密としてはいって来た自分達の面目は丸漬《まるつぶ》れになる。あるいは、切腹して詫《わ》びをするよりほかはないだろう。暢気な相沢にしても、それだけは知っている筈だった。
「や、どう考えても拙者だけは失礼させて頂こう」
岩瀬は、また難しい顔付になって、立ち止った。
「なぜ? どうも思い切りの悪い方だな。御用事なら明朝でも宜《よろ》しかろうじゃないか? せっかくの今夜だ」
大石は、早くも岩瀬の袂《たもと》をつかんでいた。
「そう、嫌わなくともよいさ」
「いや、御同道|仕《つかまつ》りたいのは山々でも、とにかく私用ではなし、他人任せには出来ぬことだから、これで勘弁していただきたい。かわりにこの友人が残ってお相手する」
「野暮をいいたもうな。一人でも欠けては興がさめる。どんな大切な用事か存ぜぬが、それを控えてあの家へ行かれるくらいのものなら、明朝のことに御都合出来ぬわけはないだろう。さ、歩きたまえ」
「いや、……ま、今晩は……」
「いかんよ。私は、偶然のことからお近付きになれて、ひどく悦んでいるのだ。このいい気持を、ここまで来てこわしてもらいたくないな。いいさ、また飲みなおしたら、仕事なんぞ、忘れられると思うね。さ、行こう、行こう」
「そりゃア困る」
「御迷惑とは承知でお願いしているのだ」
いっかな、放そうとはしない。
岩瀬はじれた。
「そりゃア御無理だ。どんなことがあろうと私は帰る」
「ほう? 面白い。私は、どんなことがあろうと引き止めて見せる。あんたはなかなか愉快な人だ。いよいよ返せないぞ」
「…………」
岩瀬は、あきれはてたように再び口籠《くちごも》ったが、急に、荒々しく、とられた袖をはらって、
「御免!」と、短く叫んで、歩き出した。かたわらで岩瀬の権幕《けんまく》に驚いていた相沢も、急いで岩瀬に続きながらこれでなお大石という男がとめたらまず喧嘩になるなと思ったのが、意外に相手は後を追って来ることもなかった。
これは、こちらの権幕に驚いて、あっけに取られて何もしなかったのだろうか?
すこし行って振り返って見ると、顔は見えないが、大石という男は、依然として、磧のもとの場所の、月光の中に立っている。野良犬が一匹その足もとにかぎ寄るのが、相沢には見えた。
「変な奴だな」
相沢は、先へ行く岩瀬に追い付きながら、こう話しかけた。
武士道
「来たか?」
京から馳《は》せくだった堀田隼人の知らせを聞くなり、千坂兵部《ちさかひようぶ》はこう叫んだ。ぎょろりと大きな目が動いて、やがて一途《いちず》の光を点じてじいと止った。隼人は、兵部の顔を見ながら、京にいた頃狭い裏町の道具屋の店で見た古い面を思い出した。一筋一筋のかたい線が、見てくれは単調でいて、じっと見詰めている内に、その裏に圧縮して隠している無限の感動を、浮き上らせて来る不思議な細工《さいく》を。
兵部の顔を、瞬間に石にしたようにかたくしていた線も、やがて、おもむろにゆるんでほつれて行った。ただ、大きい目に添った光のみが、それから暫く消えないで、話の間も、ずっと遠い何かを見詰めているような感じを与えていた。
京を何日に立った? どこで、大石を追い越して来たか? 大石の連れはいくたりいたか? 道中をいそいでいる様子は見えなかったか?
短く鋭い口調《くちよう》でこう尋ねるのだった。
隼人は、一々、これに答えた。
「すると……途中に何事もなければ、江戸へ着くのは明後日の夕方であろう?……今夜が小田原、明日が神奈川|泊《どま》り。そうだ、明後日の夕方だ。どうだ?」
「その計算になりましょう」
「むむ」
兵部は、うなずいて、
「すると、私もあさっては、大石内蔵助の顔が見られるわけだな」とはじめて笑顔を見せた。
隼人は、疑っていた。
「大石は何のために出府《しゆつぷ》いたして来たもので御座りましょうか?」
「さればさ」
兵部は機嫌よく、
「他人のことだ。私にわかる筈がない」
「が、噂《うわさ》の……」
「敵討ちのことか? まあ、その目的で来たものではなかろうと思うな。だが、まんざら関係のないこともないだろう。油断はしていられない。しかし、これは、自然に世間に知れるまで他言は無用だぞ。わかったらその時のことで……それまでは、聞かせないで置く方がいい場合がある」
「畏《かしこま》りました」
「いや、御苦労だった。ゆっくり休んでいてもらおう」
兵部はこういって隼人をさがらせた。
隼人が出て行くと直ぐ用人を呼んで、小林平七を連れて来いと言い付けて置いて、自分は火鉢に片手をかざしたままの姿勢でじっと考え込んでいた。手が熱くなると裏をかえすだけで、そのほかは眉も動かさないのである。秋の日は、明り取りの窓の障子を染めているだけで、部屋のなかは静かだった。
(どうせ、知れずにはいまい)
兵部の考えは、ここへたどり着いていた。
隠して置いても大石の出府は、噂好きの市民の好奇心を必ず刺戟して、近頃いくらか鎮《しず》まったように見える敵討ちの噂が再燃する。それはいいとして、上野介どののみならず、お上までその旋風《せんぷう》の中に巻き入れられることであろう。悪いのは、それであった。これが、上野介どのの屋敷替えのことが円満に行っていたらよいのだが、この秋の初めに御公儀が取った措置は上野介どのに極めて不利なことになった。上野介どのに下されたのは、場所もあろうに本所《ほんじよ》松坂町のもと松平登之助のいた屋敷で、これは御公儀御用部屋の内でも非柳沢派の勢力が擡頭《たいとう》して柳沢吉保の専断《せんだん》を許さなかったせいにもよるが、世間の噂では御公儀も「上野介どのを討ちよいようにした」と噂するし、上野介どのはもとよりお上も、このことがあってから極端に神経的になっていられるのである。
この時期に大石の出府のことが上聞《じようぶん》に達したならば、無論ひととおりのことで済もうとは思われないのであった。出来るなら、隠して置いて、自分の手一つで全部を処置したい。しかし、これはどう考えても、望んで叶《かな》いそうもないことだった。
兵部の心持は、暗くけわしくなって来るだけだった。
小林平七は折悪しく他出していたので、日が暮れて暗くなってから兵部のところへ来た。兵部は食事をしていたが、
「待て」といって、平七をそれへ坐らせた。
皿の上には、かますの乾物《ひもの》がのせてあるだけだったが、これは肉のいいところは大方|膳《ぜん》の傍に坐っている黒猫が食べてしまった。主の箸《はし》は、肉をさいては、猫の鼻さきへ置いてやるのである。主は煮出した番茶を飯にかけてさらさらと食事を終えた。
「や、お待遠う」
「なにか……?」
「むむ」
主は、話の順序を考え込んでいるらしく、煙草をつまみながら、暫くだまっていたが、
「例の連中は、どうだろう?」
「…………」
「役に立ちそうか?」
これは、兵部が新規につのって抱えた腕達者の壮士《そうし》達のことだった。壮士達は長屋をもらって、一日中武芸をねっていたのである。
「左様……」
平七は、頭の中でかぞえていたが、
「皆伝《かいでん》以上の者は十人ばかりおります。これならば、どちらへ出しても辱しからぬ者のように存ぜられますが……」
「十人」と頷いて、
「軽率の者はいけない。どちらかといえば鈍重《どんじゆう》で、ただ御奉公に誠意のある者がほしい。批評なしに命令に従う者達だ。死ねといったら、なぜ? と問うことなしに、甘んじて死ぬことの出来る者達だ、新参《しんざん》の人間にこれを求めるのは難しいことだろうな? 君は、どう思う?」
平七は、この問に逢って当惑《とうわく》したような顔色をした。その様子を認めて、主は心に微笑した。これは、この、自分のことだけしか知らず、他人もまた自分と同じようにしか考えていない、とかたく信じている素朴で一本気な相手に、いささか無理な問いだったようである。可愛らしい男だ。兵部が今、求めているのは、この小林平七のように、主人のためには文字通り水火《すいか》を辞《じ》せぬ、素朴な気性を持った人間が正しくそれだった。
「小林」と、厳格に改まった口調で、兵部は言い足した。
「いよいよ赤穂の浪人達が松坂町へ乱入するかも知れないのだ。それについて、私は君をたよりに思っている。是非とも君にあちらへ行って、万一の時は働いてもらいたいのだ。君のほかに家中の者を人選して置いたが、新規召抱《しんきめしかか》えの者の中からだれを連れて行くかは、君がきめてもらいたい。あまりこのことが世間へ目立つのはどうかと思うから、人数も必要の限度に止めて置くつもりだ。それだけに君達の仕事は苦しかろうが……お上御孝道のためだ。やってくれるな」
「仰せまでもなきこと。平七、家門の冥加《みようが》に御座りまする」
「…………」
兵部は、輝いてうれしそうな、平七の悍《たく》ましい顔色を見詰めている中に、滅多にない深い感動が身内にのぼって来たのを感じて、無言になっていた。
「して、いつ頃から……?」と、平七はつつましく尋ねた。
「明日。私から一同に話すつもりでいるから、それから直ぐ、あちらへ移ってもらいたい。用意の万端は他の者にさせる。君達は身柄だけで気楽に本所へ行ってもらいたいのだ。今夜はこれで宜しい」
平七が、来たときと同じように黙々とさがって行った後に、兵部は、ひとりのこって、深沈とした夜にどこからとなく昇って来る虫の音を聞きながら、先刻から胸をひたしている沈んだ感動とたたかっていた。
お上の御孝道を立てる……ただ、それだけである。しかし上野介どのが、小林達にとって何であろうか? 世間の悪声は別として、愛すべきかれ等が一命をなげうって護るだけの因縁《いんねん》がどれだけあるのか? いや、そうではない。そう考えるのは悪いことだ。こう出来ている世間なのだ。これだけの因縁から、甘んじて死につくことの出来る人々を家来に持つ上杉こそ、万々歳と考えねばならぬのであろう。この生贄《いけにえ》があって初めて、社会の秩序が保たれているのである。
次の日の夜、付人《つけびと》達は本所松坂町の上野介の屋敷にひそかに移った。越えて翌日の朝、兵部は編笠《あみがさ》に面をつつんで飄然《ひようぜん》と屋敷から出た。これは、今日こそ江戸へ入る筈の、敵手大石内蔵助を迎えるためだった。
兵部は、泉岳寺《せんがくじ》へ行って、冷光院殿《れいこういんでん》浅野|内匠頭《たくみのかみ》の墓前にたたずんだ。この地下に眠る人の、短く不幸に終った一生のことが考えられる。墓前に花も新しいし、火は消えていてもよごれない線香の灰が石の上に残っている。大方、これは江戸に残っているもとの家臣達が手向《たむ》けたものであろう。兵部もこれに、寺男に携《たずさ》えさせて来た菊の花たばを置き、線香を捧げてから歩き出した。
秋の墓地は、すいた木立越しに漏《も》れるななめの光を受けて、静かに明るい。落葉をたく煙が、ひっそりと澄んだ空気に、もやのように低くたなびいているのだった。
兵部は、そこから海づたいに品川の宿の方へ歩いて行った。この道を来ることは確実であっても、一体いつ頃通るかわからない相手である。また、会って話をするわけでもなければ、ただ一応顔を見て置きたいと思う漠然たる動機から出て来た。それも見て置く必要があるというわけでもない。ただ、これまで一度も見たことのない敵手を見る。それだけの希望であった。
暫くして兵部は、また道を引き返して来て、高輪《たかなわ》の大木戸にある宿屋の縁台に腰をおろして一服はじめていた。
出て行く人、見送る人、また入って来る旅人、出迎えの者、どの宿屋も賑っていた。その中に兵部の注意を惹《ひ》いたのは、野袴《のばかま》をはいた二人連れの若い侍だった。誰れかを迎いに来たものらしく、先刻から杯を挙げながら八つ山の方角から来る旅人を頻《しき》りと見ているのである。兵部が考えたのは、ひょっとこの二人が赤穂の浪士で、ここで内蔵助を待っているのではないか、ということである。
そう考えて観察していると、どうもこの最初の臆断《おくだん》があたっているように思われるのみか、一人の羽織の襟がすべった時、ちらとのぞいて見えた衣服の紋が、兵部には浅野家の定紋鷹《じようもんたか》の羽《は》だったように感じられた。
そこへ、かねて言い付けて置いた堀田隼人が来た。
「あの連中も迎いに来ているのじゃないかと思う」
兵部は、そっとささやいた。
隼人も、ちらと振り返って見たが、顔色を動かして答えた。
「御推察のとおりです。あの左手にいるのは武林唯七という男です」
「ほう……では、いよいよ来ると見えるな。昨夜泊ったところから飛脚《ひきやく》ででも知らせて来たものと見える」
こういいながら兵部も、緊張した語気になっていた。
「しかし、君は、あの男をどうして知っているのだ? 見とがめられることはないのか?」
「服装《なり》も変っていますし、多分先方も覚えていないだろうと思います。ほんの一度会っただけの男ですから」
隼人は、こう答えながら、用心深く武林の方へ背を向けて、顔を見られぬようにした。
こうして小半刻《こはんとき》もまつ間もなく、向うの二人のところへ続々と浪人風の武士が集まって来て、やがて十人以上になって、酒を運ばせるやら縁台を寄せるやらして、にぎやかなことになっていた。
兵部は、いかめしい顔付で、煙草《たばこ》をくゆらしていたが、
「なかなかさかんだな」と、ひややかに呟いただけだった。
間もなく八つ山の方から、六人ばかりの同勢で入って来た旅の武士があった。例の連中がいそいで立ち上り、又隼人が「あの二番目の男が大石です」とささやいてくれる前に、兵部は、小柄でふとって暢気そうな内蔵助の姿をはっきりと認めていた。そして、内蔵助が出迎いの者に囲まれ一々挨拶している間中、無言で、笠の蔭に目を光らせてじいっと見詰めていた。
隼人は、かたわらにいて、その人がどういう風に感じているか知りたかったが、兵部の顔付はいつもどおり気むずかしく見えただけで、心持のことは遂に読み取るわけに行かなかった。
内蔵助は公然と江戸へ入って来たのだった。忽《たちま》ちこのことが世間の噂にのぼった。江戸では待ちに待った千両役者がいよいよ花道に姿をあらわしたように思って、間近い事件の展開に刮目《かつもく》しているのである。兵部が憂いていたことは、遂に起って来た。
綱憲《つなのり》から急に呼び出された時、兵部は、来たなと思って不機嫌になった。
綱憲は、元来病身で、すこし風邪《ふうじや》の気味があって四、五日来床についていたのだが、兵部が伺候《しこう》すると、待ち構えていたように、近う寄れといって、お人払いをいいつけた。
「兵部、浅野の浪士達が出府いたして来たことを存じているか?」
「存じております。大石内蔵助のほか五名ほどの人数に御座りまする」
兵部の返事は如何《いか》にもはっきりしていた。
綱憲は、それが不快だったらしく顔をしかめて、暫く無言でいたが、
「かねて、申しつけて置いたことに、手ぬかりはなかろうな」
「御安心なされませ。小林平七ほか十四名の者をあちらへ差し向けて置きまして御座りまする」
「十四人? 人数が不足ではないか?」
「しかし、これは、噂《うわさ》のようなことは先《ま》ずないことで御座りますし、よしあるにせよ、これだけの人数ならば、御信頼遊ばされて宜しかろうと存ぜられまする」
「したが、むこうは何人来るかわからぬことではないか? 浅野の家来は百人や二百人ではなかった筈だが」
「いや、恐れながら、その御心配も御無用のことと思われます。かようなことは人数の多い程|成就《じようじゆ》困難となります。ましてや、御政道あきらかに天下泰平の今日、左様な徒党を作ってお上お膝もとを騒がせるなど、誰れが考えましても以《もつ》てのほかのこと。大石にたとえ不逞《ふてい》の志が御座りましょうとも、天下に聞えた知恵者だけに、まずまず左様な愚なことは致しますまい」
「それは、そうかも知れぬが……」
綱憲は、まだ愁《うれ》い顔でいた。
「天下泰平というが、父上に憎しみを掛けてひそかに大石達を庇護《ひご》している人々もすくなくないことだ。柳沢どのがたのみにならぬことは過日の屋敷替えのことでもわかる。父上は、あの御気性ゆえにお味方がない。私一人をおたより遊ばされているのだ。兵部、これをよく、考えてくれい」
「勿体《もつたい》なき仰せに御座りまする」
「私はこの家の者となったが、骨肉の父上があのようにお悩み遊ばされているのを、子として、なんで見捨てて置けよう。兵部……私は父上を屋敷へお迎えしたいと思っているのだ。父上の御心のためにも、また私の安心のためにも、それが一番いいと思うのだが……たのむ、そのようにしてくれい」
「…………」
兵部は、いたましさに打たれて暫く無言でいた。枯れた顔に微《かす》かに血が潮《さ》した。
「それは……それは、なりませぬ」
押し切るようにこう答えた。
「ならぬ?」
「なりませぬ」
強い言葉でぐっとおさえた。
「なぜじゃ、なぜ、ならぬ? これ、兵部、これも私への忠義の一つじゃ。そちは、それをならぬというのか?」
綱憲はいつか身を起して、ふるえる膝に拳《こぶし》をかためていた。
真青《まつさお》になって烈しい光を目に宿している綱憲と、ひくく頭を垂れていながら、冬の日だまりの枯木のように微塵《みじん》ゆるがぬ兵部とを置いて、部屋の空気は凄いような沈黙に閉ざされていた。
この押し付けるような無言の境を、綱憲の息が短くせわしくきざんで行くのを、兵部は聞いていた。
「殿」と、顔をあげた。
「お家のために、それだけはなりませぬ。兵部が、御当家御代々への御奉公の途は、そのほかには御座りませぬ」といった。必死の気魄《きはく》が、この時兵部の貌《かお》に閃《ひらめ》いて見えた。
いう意味は綱憲の胸にもよくとおった。兵部は、綱憲が「自分への忠義」といったのに対し「御当家御代々への御奉公」といっている。兵部は、当主の綱憲一人に仕えているのではない。連綿《れんめん》たる上杉家の代々、その歴史と名誉とに仕えている。いや、もっと、はっきりといえば「家」に仕えていて、一人の綱憲に仕えているわけではない、というのである。
綱憲は、瞬間にかッとしたらしく顔色をかえたが、この強い気勢は僅《わず》かにあらわれただけで、忽《たちま》ち消えた。
「立て!」と、くじかれた心をかくそうとして、わざと烈しく、まるでたたきつけるようにいって、急に横を向いた。
兵部は直ぐと立たなかった。
そうして暫く無言でいたが、
「小林達は可憐なものに御座りまする。かれ等を御信頼遊ばされませ」といって静かに立った。
襖《ふすま》の外に、同じ家老職の色部《いろべ》又四郎安長が控えていたが、心配そうに兵部を見上げた。
兵部はこれにうるんだ目を向けて会釈《えしやく》して廊下へ出て行った。又四郎は、ひょっと兵部が切腹をするのではないかと疑って、自分も立って、溜《たま》りの間まで追って行った。
綱憲は、もとどおり横になって目を天井《てんじよう》に向けてあきながら、にわかに襲って来た寂しい気持を一々丹念に噛《か》みくだくようにして抑え付けていた。
今は、激昂も落ち、兵部の言葉は一語一語石のようにつめたく固い真実となって、胸に思いあたるのである。
兵部のいったとおりであろう。養子となって来たからは、家を先にして私情を後のものとせねばならぬであろう。
しかし「家」とは?
この、骨肉の情愛にまで立ち入って、これを贅《いけにえ》に求める「家」とは?
兵部の意見を正しいとしながら、綱憲は、漠然とこの疑いを残していた。
だが、やがて又四郎が引き返して来た時、綱憲は、
「兵部を見てやれ」と、短くいった。
又四郎は喜んで立って行ったが、この言葉を伝えがてら、この際|禍根《かこん》を絶つように大石を暗殺してはどうかと、自分の意見を話した。
兵部は、これにも首を振ってきっぱりと拒《こば》んだ。
「そりゃアかえって、こちらから喧嘩を仕掛けるようなものだ。そのためにかえってかれ等の結束がかたくなるだろう。あるいは大石の方では、それを待っているのじゃあるまいか? あまり悠々と構え過ぎているように思われるのだ……敵に廻しては実に肚《はら》の知れない薄気味の悪い人間だ。まず何もせずに、遠くから見ているよりほかはあるまい」
こういって、いつものように考え込んだむずかしい顔付に戻った。
岩瀬|勘解由《かげゆ》、相沢新之助の両人が、殆ど夜も寝ずに江戸へ帰って来たのは、内蔵助が堂々と旧藩士に迎えられて入府してから三日ばかり後のことであった。二人は、伏見の奉行所へ行って、内蔵助から旅行の届出があったのを知ると、今更のように狼狽して、その足で直ぐ東へ下ったのだった。二人が恐れていたのは、自分達の江戸へ入る前に赤穂浪士の復讐が決行せられることである。また、よし、そのことがなかったにしろ、隠密としての今度の失態は、まことに面目《めんぼく》のないことで、どんな咎《とが》めを受けても仕方がない話だったのである。
道中も、その話よりほかはなかった。江戸へ近づくにつれ、行きあう旅人や旅宿の噂ばなしに聴耳《ききみみ》を立てていたが、先ず、復讐のことがないらしくても、江戸へ入るまで不安は残っていた。気短かな相沢は、いつの間にか、勝手にしやがれという捨鉢《すてばち》な気持になっていて、岩瀬を困らしていた。
「御用人に会って、どういう風に話したらいいのだろう?」
「さればさ。私は、こう考えてみる。どうもあの男にかたきを討《う》とうなどというけな気な心持はないと思うのでね。それを、うまく話したらどうだ?」
「さあ、そうだろうか?」
「考えてみれば、かたきを討つくらいなら、こうおおっぴらに江戸へ来る筈はない。私たちを出し抜いたように伏見の役所も出し抜いて、こっそりと来る筈だ。それでなけりゃア出来る話ではなかろうではないか?」
「まあ、そりゃアそうだが……大丈夫かな」
「大丈夫でなかったら、その時逃げるだけの話だ。けれど、なんといってもお家には直接の関係はない事柄だし、お咎めがあってもたいしたことはないだろうから、はやまったことはしない方がいい。話はおれにまかして置いてくれ。けれど、兎に角大石の宿所ぐらい知っていないと具合が悪いが……江戸へ着いたら、すぐ、それを探すのだな」
二人は、割にわけなく大石の宿所を知ることが出来た。芝三田松本町の日傭頭《ひやといがしら》前川忠太夫の家である。忠太夫が、浅野家に多年出入りしていたので、その関係からこの家に宿を取ったらしかった。内蔵助は、この家にいて旧藩士の訪問を受け、相変らず平和で、気楽で、ちっとでも秘密があるようにも見えない。朗らかな日を送っているのだった。
「大丈夫だ」
岩瀬は、こう言って、相沢に力をつけ、用人|曽根権《そねごん》太夫《だゆう》の私宅を訪ねた。
「どうした? 殿が、御立腹になっておられるぞ」
権太夫の言葉は、二人を驚かした。
岩瀬は、内蔵助の放蕩振《ほうとうぶ》りを一々報告して、世間で考えているように復讐の計画など決して持っていないことを熱心に話して、今度の東下《あずまくだ》りでも、大学殿のお取り立て運動に来たのが主眼らしいから、御前へも左様|御披露《ごひろう》願いたいと、いった。
「そりゃア一応お取り次ぎするが、殿は昨日大石の出府のことを聞いて戻られて、あんた達の緩怠《かんたい》をひどくお怒り遊ばされ、帰り次第ひまをやれと仰せられている。だが、そう心配したものでもないことは、向後《こうご》手柄があるまで一時ひまをやる…………と仰せられたのだ」
権太夫は、奥歯に物のはさまったような口をきいて、じろりと、意味ありげな目付で二人を見た。
「わかるか?」
こういわれて、岩瀬は膝を打たぬばかりにうなずいた。
「畏《かしこま》りました」
「むむ」
権太夫は満足げに目を笑わして、
「それでいい、今日から、あんた達は当家の者ではない。御紋のついたものは、一切まとめてお取り上げになる。それも承知だろうな」というのだった。
内蔵助は誰にも機嫌よく会った。誰もこの人を咎めることは出来なかった。人徳というのであろう。会って話している裡《うち》に、この人なら任して置いて大丈夫だと自然と考えられて来るのである。そのためか険《けわ》しくなっていた江戸の同志の焦躁《しようそう》も、いくらかやわらげられたように見えた。
内蔵助が江戸にいる間に、同志の寄り合を催したのは、来て一週間目の十一月十日のことだった。
亭主の前川忠太夫が家の者に命じて、外に怪しい者の近寄るのを厳重にいましめて、同志の頭立った者のみ十人奥に集まった。奥の間には内蔵助、奥野|将監《しようげん》、河村伝兵衛、原|惣《そう》右衛門《えもん》、岡本次郎左衛門、次の間には潮田又之丞《うしおだまたのじよう》、中村勘助、大高源吾《おおたかげんご》、武林唯七、勝田|新左衛門《しんざえもん》、中村|清《せい》右衛門《えもん》、堀部安兵衛《ほりべやすべえ》、奥田|兵左衛門《へいざえもん》、高田|郡兵衛《ぐんべえ》がいならび、安兵衛が江戸の同志を代表して意見をいった。
「太夫は、大体いつ頃御決行の御意見か、今日はそれを伺い度《た》いものです」
「それは、他のこととは違って、時期を予《あらかじ》めきめることは出来ない。機会さえあったら、いつでも決行すべきであるが、兎に角あせって尚早《しようそう》に事を計って、大学様に累《るい》を及ぼしてはならぬ。人臣として、御家の御名跡を、これが立てられるようであったら立てなければならぬし、兎に角大学様の御安否を見届けるまで、軽率に動いてはいけない」
「けれども、それもいつまでも際限なく待っているというのは、士気の上においても如何かと存ぜられます。これは期限を定めて待つことにしては如何で御座りましょう。われわれの所存では来年三月が丁度まる一年にも相成りますし、多分それまでには大学様御閉門も免ぜられ、若《も》しそれまでに何も仰せなき時は、万事休すと見て敵状を見て決行いたす……として三月に期限をお許し願いたいのです。だらだらと延引いたしておるのでは、士気も衰えますことゆえ、なにとぞ三月とおきめ下さい」
安兵衛は熱心にこういった。
「三月……」
内蔵助は、腕を組んで、考え込んでいたが、
「それもよかろう。では、三月まではこのまま形勢を見て、それから準備にかかることにしよう」といった。
これを聞いた次の間の人々は、雀躍《こおどり》をしないばかりによろこんで、面を輝かした。
「では、来年三月になりましたならば……江戸は世間の耳目《じもく》をひく虞《おそれ》がござるゆえ、その際、早早上京いたし、重ねて御指揮を受けることに致します」と、安兵衛がいえば、内蔵助も頷いた。三月はまだ早過ぎると思うが、三月から準備にかかるという意味で、内蔵助は江戸の同志の主張を容れたのである。
内蔵助が世間の期待にそむいて間もなく京へ帰ってから、元禄十四年も押詰って十二月十二日に、吉良上野介は願いのまま隠居を許され、養子の左兵衛が家督《かとく》を継いだ。
「上野介殿が無事に隠居を許されたのは、最早御公儀が上野介殿に何のお咎めも御処分も加えない証拠だ」
江戸の同志は、また、あせり出した。急進派の原惣右衛門が大高源吾を連れて京に馳せ戻って来て、毎日のように山科の家を訪れて断行を促した。内蔵助は、この一徹な老人を撫《なだ》めるのに、腹の立つほど骨を折った。惣右衛門は大坂へ落着いてからも、幾度となく長い手紙を寄越して来ている。
吉田忠左衛門の発案で、上方にいる同志だけの集合を山科に催した。江戸の同志の急進論に従うべきか否《いな》やをきめよう、というのである。
この席でも内蔵助の意見は、例によって変らなかった。大学殿の御安否がきまらないことであるから、今日まだ時期ではないというのである。
原惣右衛門は、抑えていた不平を遂に爆発させた。
「太夫……」
「…………」
「御家御取立ての仰出がある時は、太夫は何となされますか? いや、その時は、なまじいにわれ等先方へ手の出しようがなくなるではありませぬか? やむを得ぬ事とあきらめることは惣右衛門は出来ませぬ。惣右衛門の存じ寄りは、大学殿、先君の御面目となるだけの御処分を見て腹掻《はらか》き切って死ぬか……あるいは、この際一挙に事を決して上野介殿の首級《しゆきゆう》を頂戴にあがるか、二つに一つじゃ。方々は何んと思召《おぼしめ》されてか?」
大高源吾、潮田又之丞、中村勘助などは、
「原氏の申されるところ御道理だ」「御同意、御同意」と叫んだ。
内蔵助は、自分にはかなり好い理解者であった惣右衛門が、急に変ったことを寂しいことに思って、黙然《もくねん》と腕を組んでいた。思慮ある年配の者でさえこれまでに熱狂しているとすれば、血気の若者達が動揺するのは無理ならぬことであった。
内蔵助は、無言でいたが、またいった。
「そりゃア私だって、同意だ。いざとなれば、志《こころざ》しのあるところを明らかにして腹を切る覚悟でいる。これは大学殿が充分われわれが満足する高知高禄《こうちこうろく》のお取立てあった時のことだ。……だが、これはむずかしい、また、なまじいのお取立てならば、御名跡を存して反ってお家の恥辱となることだし、その時はお家を潰《つぶ》す覚悟で、吉良家へ推参《すいさん》仕るだけの話ではないか? 待て、私が、こうして出来そうもないことを待っているというのは、万一それが叶《かな》うことがあろうかも知れぬと、はかない希望を持っているからだ。左様なものは捨てろといわれるだろう……また、私もどれ程これを捨てて、ひと思いにやってしまいたいか……そこは、なにも、方々と違いはない」
きっぱりとこういって穏かな顔付きで、座を見まわしたが、
「私が、これに期待を掛けているのは、これが臣子《しんし》の勤めだと思うからだ。たとえいうに足らぬわずかな機会であっても、われわれの我意によって、これを失してしまうのは如何《どう》か? 第一にこれを考える。次に、延引《えんいん》の理由としているものは、軍略上《ぐんりやくじよう》未だその時機でないと信じているからだ。ただ乱入する分ならいつでも出来ようが、今やっては恐らく十の中五つまでは本望を遂げることは難かしかろうと思う。左様なことがあっては拭い難き恥辱だ。これは万全を期して充分支度したい。私はこう思って自分でも抑制している。党の一致は破りたくない」
流石《さすが》に、惣右衛門も、内蔵助の意見が道理にかなっているのを認めないわけには行かなかったが、
「しかし、また延引といえば士気の沮喪《そそう》はまぬがれますまい」といって出た。
「それも致し方ないことだ」と内蔵助は答えた。
「延引によって変るような忠節ならば、あってもなくても同じことだろう。逆に、最後に残った者が真に頼るに足る人々だということは断言出来る。そういう人々が集まれば何事でも望んで成就しないことはなかろうと思う。どうだろう。この考え方はあやまっているだろうか? 意見があったら遠慮なく聞くことにしよう」
「いや」と惣右衛門は、それまでの自説を捨てるのを寧《むし》ろ悦んでいるように微笑しながら、列座の人々を見廻した。
分裂
本所松坂町の吉良上野介の屋敷とは、石を投げてとどく相生町《あいおいちよう》二丁目に、米屋五兵衛という店が出来て、米穀《べいこく》を中心に小切《こぎれ》を売っていた。主はもと富沢町で小切屋をしていたので、米屋は新しく店びらきをしたのだが、相変らず小切を売って、朴訥《ぼくとつ》で腰のひくいおとなしい性質が、付近の人々(中には吉良家の家中の者もいる)に可愛がられていた。
この主の五兵衛が、いつものように糠《ぬか》だらけになって米の袋をかついで、矢之倉富沢町の路地へ入って小さい家の裏木戸をあけた。
「こんにちは……毎度有難う存じます。米屋で御座います」
「おお」と茶の間から立って来たのは、堀部弥兵衛だった。
「こりゃアどうも……」と、恐縮そうに立って出て来て見ている間に、米屋は、草履《ぞうり》をぬいで上って米櫃《こめびつ》の中へさーッと音を立てて袋の米を流し込んだ。同志の一人、前原伊助だが、実を知っている弥兵衛には、両刀のない腰が変にさびしく見えるだけで、たれが見ても何年も糠だらけになって働いていた人間のように取れるのである。
「毎度まことに恐縮じゃ」
弥兵衛は歯の欠けた口をあけていった。
「そんな御挨拶はいりません」
伊助も笑って、そのまま上り端の板の間へ腰をおろしたが、
「その後何か変ったお話は御座いませんか?」
「ないのだ。春が来て、老人が棺桶《かんおけ》に近くなっただけだ」
「御冗談……」
「いや、そうでない、心細いよ。三月にかかるという話が、またぐずぐずに延引になるらしい。太夫は、私が一体いくつに成ったか忘れているらしい。考えれば考えるだけ気が気でない。失礼する。こちらへ入りたまえ」
弥兵衛は茶の間の炬燵《こたつ》の蒲団をまくって、両脚を突っ込んだ。
「けれど、粉だらけですから……」
「まあ、いいさ、話もある」
「じゃアお庭へ廻りましょう。その方がいいでしょう」
伊助は、家について廻って、南を向いた日あたりのいい縁側へ来た。
「年寄りのひと月というものは、若い者の五年や十年にあたるものだ。冷光院様《れいこういんさま》三年忌までには何とかするというのでは、断念して遠慮なく先へ死んでくれというのと同じことじゃないか?」
「いや御老体など、まことに矍鑠《かくしやく》たるものですから……」
「そうは、いっていられないのだ」
弥兵衛は不機嫌だった。
「どうも、太夫は昔から暢気すぎるよ。こういうことは思い立ったのが吉日で、ばたばたッとやってしまわないといけないのだ。去年の約束の三月期限がまた流れそうなので、若い連中が騒いでいる。結構なことだ、大いにやれと昨日も武庸《たけつね》に話したところだ。なんでも二十人同志がいれば、それで出来るから、ひと思いに自分達だけでやろうかという話が持ち上っているそうだ。武林、奥田、高田というような豪傑連だ。私も、その時は無論出て行く。あんたもやれ。太夫はいつまで待っても動きそうもない」
「さあ、それは……如何でしょうか? 私のさぐっただけでも、あちらでは三か所も見張所を置き、ずっと不寝番《ねずのばん》をしておるようなわけで、なかなか油断がありませぬから……その油断があちらに出るのを待っていられるのではありますまいか?」
伊助は、おとなしく、こういった。
「いくら、厳重に守備をかためたところで、当節のなまくら武士ども、一撃するのに手間は取れぬ。太夫は慎重に過ぎる。相手にもよるのだ。たかが高家の一屋敷を踏み潰すだけの話だ」
「お声が高う御座ります」
奥のふすまの蔭から、妻女がそッと注意した。
弥兵衛は顔をあかくしたが、年寄りとは思われず元気なものだった。
伊助はこの老人に充分の好意を感じながら静かに、自分の信じていることをのべた。
「けれども、出来ることならば、抜けがけ等のことがなく一人も漏《も》れなく同志が揃って本望を遂げたいもので御座ります。亡君三周忌の三月まで待つというお話も大学様の御進退さえ決定すれば、それまで待つこともないので御座りましょう。御老体も御自愛なさいませ」
伊助の思うところは穏かであった。
弥兵衛は、自分の年齢を三つに分けて、やっと近づく年少の伊助から、かえって思慮ある言葉を聞いたことに、すこし赤面した。しかし、これだって、伊助があと二十年や三十年はどんなことがあっても死ぬ危険がないからで、自然自分と違うのだ、と思うのだった。
「高田郡兵衛に会いなすったか? 一徹の人間だけに、太夫のすることが芝居気が強すぎると大分腹を立てていたよ。武士は武士らしく単刀直入的なるをよしとする組だ。上野介を斬ればいいだけの話を、妙に筋書《すじがき》沢山で大がかりにするのは、かえって本望の成就を危くしているというのだな。私は、これは、もっともな意見だと思うな。高田は年少だが、古武士の風格がある。質朴剛健《しつぼくごうけん》だ。太夫の遊興を高田がにがにがしく思っているのは、ありそうなことだな」
「安兵衛様も御同心《ごどうしん》で御座りますか?」
伊助は憂わしげにいった。
「無論だとも、大乗気《おおのりき》でいる。しかしあの男は思案深い質《たち》で、何かやるたびに考える癖があるからいけない。高田の馬場のことを考えると、まことに隔世《かくせい》の観があるな。あんな無鉄砲な乱暴者はちょっと他にはなかったよ」
それでも、婿《むこ》の安兵衛の話が出ると、老人はほくほくして得意らしいのである。
伊助の五兵衛は、弥兵衛の話をどうも困ったものだと聞いて、すっかり考え込んでいた。なさそうなことではない。上方の同志の意見をまとめて、内蔵助の代理に吉田忠左衛門、近松勘六の二人が、忠左衛門は篠崎《しのざき》太郎兵衛、勘六は森清助と変名して江戸の同志をなだめに来た頃から、すでにこの険悪な空気が同志の一部に生れて来た。武林唯七が、吉田、近松とは逆に上方の同志に一挙決行を遊説に行ったことも伊助は知っていた。同志の足並はみだれて来たのである。
無論、一部の抜けがけ等があっては、一大事である。これは何とかして、大きくひろがらない内にとめなければならないことだった。
伊助は、高田郡兵衛のところへ廻った。
成程玄関は下駄《げた》や、草履でふさがっているし、家の中には、客が集まっていて、何となく物々しい空気が漲《みなぎ》っていた。
郡兵衛を前にして、小山源五左衛門、進藤源四郎の二人が、小山は眉をひそめ、進藤は腕を組んで、むずかしい顔つきで頻《しき》りと何か話している様子だった。
伊助がはいっていった時、
「小山と私とで、一応京へ上り、太夫をいさめて来たいと思っている」と、進藤がいったので、これは大石内蔵助の遊び振りが問題になっているのだなと、伊助は直ぐにわかった。
別の室では、同じ題目が若者たちの話題を賑わしていた。
驚くのは、誰れにも内蔵助を非難する口《こう》ふんのあることである。
伊助の知っている限りでは、こういうことは、これまで一度だってなかった事だった。
これによってみても、党の人心のどんなに、激しく動揺してきたものかが、はっきりと判ったように思われた。
また伊助が見たところでは、ここへ集まっている人々だけを見ても、全部が高田郡兵衛のような、硬骨漢ばかりでないことがわかる。逆にどちらかというと、日和見《ひよりみ》の態度をとっているいかがわしい連中までが、大分集まって一緒に騒いでいるのである。
伊助は、大勢集まってやる仕事というものが、どんなにむずかしいものか、今更のように考えずにはいられなかった。人の数が多ければ、多い程有力のようでいて、これは、何か強い結合の力、言葉をかえていえば、統制の力がよく及んでいるかどうかによって、その強弱がきめられるのである。今のままでいけば、こうして、不純な分子はそれぞれ、いろいろの理由を設けて、だんだんと、敵討ちから遠ざかって行くのではないか、そして最後には今よりずっと数は少いが、大石内蔵助という大きな輪郭によって統制された勢力として残り、やがて本望を達するのであろう。こう考えて見ると、伊助はまだ楽観していいように思ったので、そのまま自分の米屋の店へ帰って来た。
それから、いつものように糠《ぬか》だらけになって働きながら、少しでも吉良家の内部の噂や評判等を、聞き漏らすまいとしていたのである。
そのうち神崎与五郎が、内蔵助の命令で京都から敵情偵察に出て来たので、伊助はよろこんで、これには専《もつぱ》ら麻布《あざぶ》の上杉家の内情を探ってもらうことにした。
上野介が上杉家へ引きとられるという話があったし、また上杉家でも、いざという時、直ぐにも繰り出す事の出来るよう大勢の壮士を養っているという説もあり、これらをも充分に、監視する必要があったわけである。
与五郎は、麻布谷町に住んで、美作《みまさか》屋善兵衛と名を改め、扇子《せんす》や団扇《うちわ》をかついで、毎日上杉家のお長屋を廻りはじめた。
この動揺は、京都大坂にまで及んでいた。江戸から上って来た武林唯七が、京都で大高源吾を憤慨のあまりなぐったという話が、遠く赤穂付近にいる人々の耳にも噂となって伝わった。なぐったのじゃない、面罵《めんば》しただけだと別の確からしい評判が知れて来る。どっちにしても、尋常なことではない。同志間の人気が次第にすさんで来たことが、これだけを見てもわかるのである。
内蔵助は相変らずだった。いや、前にまして、身持が放埒《ほうらつ》を極めて来ていて、充分信頼をささげている者達でさえ、眉を暗くするようなことが時折り起る。ある者は、内蔵助が酔って祇園のどぶの中にずぶ濡れに濡れてねむっていたのを助けあげていた。歌舞伎役者の瀬川竹之丞《せがわたけのじよう》などのやさ肩にもたれて人通りの多いところを上機嫌で歩いているのを見ることなど、珍しくない。姿も、いつの間にか両刀を捨てて町人同様の丸腰になっている。自分は最早世間を捨てたつもりでいるのだろうか、あるいは遊ぶ人間にありがちの伊達《だて》に渋くなったつもりだったろうか、人々は内蔵助が墨染《すみぞめ》のころもを着てほかは派手にきらびやかに着飾った幇間末社《ほうかんまつしや》を連れて歩いているのをよく見ていた。花に雨が降ると、このにぎやかな一団は色の蜘蛛手《くもで》にぱっと散ってそこらの軒下や木蔭に避ける。あるじの内蔵助一人は惜しげもなく雨に打たれて、ずっと遅れてはいって来て、何か冗談をいいながら、けむって行く花や松の姿を静かに眺めるのである。こういう時の内蔵助が評判になったのは当座だけのことだった。いつの間にか、内蔵助と遊びとは、離して考えられないもののようになって、見て「えらい極道《ごくどう》や」と軽い反感は起っても、今では京あたりの人間は内蔵助が亡君の仇《あだ》を討《う》つなどということは、先ずないというよりも、凡《およ》そ世の中で何よりもなさそうなことに考えて、眺めても感興をなくしているのだった。
江戸の急進派が画策《かくさく》した抜け駈け論は、ここへ伝わって来た。上方の同志は内蔵助をなかば信じ、なかば疑っている有様で、小野寺十内などがひとりこの分裂の傾向を憂いて、人々に軽挙のないよう奔走《ほんそう》していた。
「待て、待て、折角今まで待って今動いてはならぬ。太夫がああやって馬鹿なまねをやっていられるのだって本心じゃないぞ。結局の一挙の約束がある。あせるな、あせるな。もう直ぐだ」
十内は、大坂へ行ったり京へ行ったり、それはいそがしかった。
そんなことは知らず、江戸での計画はどんどん進められている。原惣右衛門にあてて来た安兵衛の手紙には、「人数に二十人はいらない、真実の者がその半分の十人いたら本望が遂げられそうに思われて来た。十人、これだけで充分だ」といって来ている。
「これは、いかん」
この手紙を見せてもらった十内は、事態がいよいよ急になったのを悟って、渋面を作って内蔵助のところへ行った。
内蔵助は存外平気だった。
「最初どおり私と一緒にやる気でない者には仕方がないから脱けてもらおう。連判状《れんぱんじよう》も大分古いものだし、一応みんなに返そうと思っていたところだ。他の理由でぬけたい者もあるだろう。断じて、ぬけないという者だけを、もとどおりにして他の者には一応|起請《きしよう》を返すことにした方がいい。御面倒ながら、そうして下さい」
十内は目をみはった。
今になって一々起請を返す?
同志の者がそれでなくても動揺して迷っている時に、これに、いよいよ分裂の勢いを助勢するものではないか? 内蔵助のやり方は、いつものことだが放胆《ほうたん》に過ぎるように思われる。
「それは如何かと思うが?……」
十内は厳粛《げんしゆく》な顔色になって、反対した。
「けれども脱けたがっている人が多いのだよ」と内蔵助は笑った。
「仲間に入っていれば浅野家お取立の時またお召抱えになるから、というだけの虫のいい理由で同志になった人々だって少なくない。また最初は亡君の御遺恨《ごいこん》をはらす覚悟から加盟した人々で、近頃になって、別の、生き方……とでもいうか、商人《あきんど》になることを考えている者、妻子のために一日でも長命したいと望んでいるものなど……こんな連中が段々と出て来たのは無理のない話で、この人々からいわせれば連判状は、あって迷惑なものに成っている。私は今度の計画には、一軍といってよいだけの人数は是非ほしいのだが、今のような多人数では、どうも、すこし多過ぎるようだ。そろそろ砂を洗い流して金だけを残そうかと思っている。私は決して皆の考えているような自由主義の男ではないし、いざ仕事となったら暴君で、どんな圧制《あつせい》でも仕事のためならやる。だから自分の采配《さいはい》に忠実な人達ざっと五十人が残れば、それでいいと思っているわけだ」
「それは、そうでしょうが、これだけは、しばらくお待ちになった方がいいように思う。兎に角今は時期ではない」
「そうかな。あまりうるさいから、すこし早目だが荒療治をやろうかと思ったのだが……」
「いけません、もう、すこしお待ち下さい。それより吉田、近松の両氏に飛脚《ひきやく》を立てて、堀部達を、もっとよくなだめさせましょう。同志全体の名目で強請して、断じて断りなく抜け駈けはしないと、先ず中心になっている四、五人に誓書を入れさせるのです」
「書くかな」
「書きます、吉田氏の老巧《ろうこう》な腕できっと書かせます。みんな正直な好い人達ですし、短気でおこりっぽいというだけで、別に太夫に悪意を持っているわけではないのですから」
「そりゃアそうだとも。いい人達だ」
内蔵助も、肉の豊かなあごをうなずかした。
帰る十内を散歩がてら途中まで送って出て、引き返して来ると、主税が走り出て来た。江戸から飛脚が来たというのである。
いそいで、内蔵助は上へあがった。手紙は江戸|木挽町《こびきちよう》の大学様お屋敷から来たものである。封を切る。内蔵助は颯《さつ》と顔色を変えた。
大学様は遂に知行《ちぎよう》お召上げの上、安芸《あき》へお預けときまったという。御左遷《ごさせん》である。いずれは御本家|復興《ふつこう》の恩命に接し、優曇華《うどんげ》の花咲くこともあろうと思われたこの君の上へ、御慈悲《おじひ》なきこの御沙汰は? 内蔵助が恥を忍んで願って来た御名跡のことも水の泡となった。浅野の御名は、この年から年々の武鑑《ぶかん》から消えるのである。
(そうかい?)
内蔵助は、うるんだ目を宙に放って、太い息をもらした。
やっぱり、こうなったか?……どうも、そんな気がしないでもなかった。まあ、成ってしまったことは仕様がないとして……さて……だ。
始めるかな。
ぼんやりと、昼あんどんは曇天《どんてん》の日の色を見て坐っている。
悪あがき
昼あんどんの大石内蔵助が、冷淡すぎるくらい茫然と感じたものを、千坂兵部は、全身の神経をとがらせて待ち構えていたものが来たように、大童《おおわらわ》になって立ち上ってこれを受け取ったのだった。
大学殿御左遷……聞くなり兵部の頭にひらめいたのは、いよいよ来るなという断定であった。内蔵助が今か今かと思わせるだけで今日まで動かずに来たのは、大学殿お取り立ての宿願があってのせいでなくて何であったろう? その希望が、今ここに無残に粉砕せられたのである。
立つ……
そうだ、こんどこそは、かれも猛然と立って満腔《まんこう》の不平不満憤激をたたきつけることであろう。眠れる獅子《しし》は、打たれて醒《さ》めた。兵部は更に新しい緊張に心をひきしめ、上方からの情報を待って油断なく手配をした。名人の碁のように、ずっと先の先まで烏鷺《うろ》の布置活殺が脳裡《あたま》に描かれているのである。
内蔵助の西上とともに再び京へ戻った堀田隼人からは、ひっきりなく内蔵助の動静を知らせて来ていたが、兵部が大学殿御左遷を期として当然起るだろうと期待していた変化は、遂《つい》に起って来そうにも見えないのだった。京都からの知らせでは内蔵助は相変らず酒色に身を持ち崩しているし、同志の者ともそのために幾分不和になっているらしいというのである。
兵部は、何がなしにあせった。
ある朝、例のお仙《せん》が呼び出されて何か話があったと思うと、お仙は、その日の内に京都の旅へ出た。兵部は珍しく松坂町の屋敷へ来て、あるじの方へは別段の挨拶もせず、付人達のいるお長屋の方へふらりと入った。すぐ後から、酒屋の亭主が四斗樽《しとだる》を車からおろして運び入れて来た。
「この長屋だ」
兵部が亭主にこういったのを聞いて、小林平七が顔を出してのぞいた。
「や、御家老……」と叫んで迎いに走り出て来る。
ひまなので、四、五人、平七のところに集って将棋《しようぎ》を差しながら雑談していたらしい。
「や、そのまま、そのまま」
こういいながら、兵部はあがった。
「一度見舞いに来たいと思っていて、何かと多忙なもので……しかし、みんな変りなくて結構だ。どうも今年の暑さは格別であったな」
無雑作に羽織をぬいで部屋の隅へ捨てながら、平常屋敷で会っている時の権式とくらべて実に意外なさばけた話しぶりだ。
小林達は立ったり坐ったり落着かないで、つめたい井戸水をくませて来たり、西瓜《すいか》を運んで来たりさせている。兵部も上機嫌でみやげの酒を出して、あとで皆して飲んでくれといった。
毎日何をしている。さぞ、退屈だろうと察している。何か不自由のことがあったら遠慮なく申し出てくれ、武芸の方の稽古《けいこ》は毎日やっているのか?
兵部は、いろいろと尋ねた。
平七達の方からも、まだ、やって来そうもありませんか、ときくと、
「さあ、もう、そう遠いことではないだろう。とにかく油断は大敵だから、いつも、今夜こそ討《う》ち入りがあると思って用心していてくれ。むこうでもいずれ隙《すき》をねらって来るつもりだろうから、油断は出来ない」といって笑った。
そこへ外へ誰かそそくさと走って来た者があると思うと、これは、兵部が来たと聞いて、驚いて迎いに出て来た多仲《たちゆう》だった。
「千坂氏、や、これは、これは御入来とは存ぜず、御案内も仕《つかまつ》らず御無礼仕りました。さ、さ、主人もお悦びにて、あちらでお待ちもうしていることなれば……」
「これは……拙者、今日は、小林達のもとへまいりましたのに……」
兵部は、迷惑そうにさえ見えた。
主屋《おもや》の方へ廻ると第一公式の客間へ通されて、小姓《こしよう》がうやうやしく茶菓を運んで来るし、上野介もにこにこしながら出て来て、下へも置かぬもてなし振りだ。兵部は、心中苦り切っていたが、それとは見せず、ただ口数すくなく、おとなしく相手に成っている。上野介の方では相変らず、赤穂《あこう》のあの字もいわない相手に、どういう風にして話し掛けたものか、やきもきしているのだった。小心で気弱いくせに、いつも虚勢を張って自分の弱点をのぞかせまいとする傲岸《ごうがん》な気性の一面から、自分からたのみ込むような形になるのを嫌った。
「そうじゃ」と如何にも急に思い出したように、
「浅野大学が安芸《あき》へお預けになったような噂を聞いたが、ありゃアまことだったのかな」
「左様に御座りまする」
兵部は、はっきりとこう答えただけで、この事件をどんな風に感じているのか、片鱗《へんりん》すらも覗かせないのである。
「いかんなあ」
上野介は、たより薄そうな顔付になってつぶやいた。
「どうも御公儀は、やりすぎる。そうまであの一家をいじめることはなかろうではないか? はは、迷惑するのはだれでもない、みんな私だぞ。今になって考えて見れば、あの時だって内匠頭を切腹させることはなかったのだ。気の毒に、短気というだけで、いい若い者を殺してしまったよ。なんとか好い方法があったろうに」
「左様に御座りまする」という。
上野介は、思わずおどおどしたような目付になって、客の顔をのぞいた。こちらにばかり話させて多くをいわない相手から、積極的な意見を期待しているのである。単刀直入的に、話の核心を持ち出せば、それでよいわけであったが、苛立《いらだ》っているだけで、それが滑《なめ》らかに舌へ乗って来ない。その不機嫌な心持がいつの間にか鬱《うつ》して、仮面《めん》のようにつめたく無感覚な兵部の顔付が一切の不快不満の原因になっているように信じられて来るのだった。
どういう人間なのだろう?
まさか、おれを個人的に嫌っているわけはなかろうと思うが……いやな奴だなあ。こんな人間が綱憲《つなのり》の家老をしていることはおれの不幸だった。意見なぞはない、凡庸の男なのだろうか? それにしてはどこか剛情らしいところがあるが……気味の悪い男だ。
上野介は、顔だけ愛想《あいそ》よく笑って見せながら、心の中で、こんな風に考えて、多仲と話している兵部をそれとなく見ているのだった。
兵部にも、そういう上野介の心の動き方があらましわかっていたようであるが、少将どのと自分との関係はこのままでいるのがよいのだと信じて、特にこの、変にねじけた空気をやわらげようともしないのだった。
「や、ごゆっくり」
上野介は不興をつつんで、こう挨拶して立って行ったが、間もなく兵部が帰ってから多仲が行って見ると、上野介はまだ真蒼になっておこっていた。
「帰ったのか? 実に不快な奴だ。折を見て綱憲に話して、国もとへ返させてしまわなければいかん。誠意などはまったくない奴だ」
「そう御立腹遊ばすことも御座いますまい。あれでなかなかこちら様のことを親切に考えている男で御座います。今もお上がお立ち遊ばしてからこちらから、何も訊《き》かぬ内にいろいろと意見を聞かせてくれました。腹のしっかりした人物で御座います」
「そうじゃない。彼奴《あいつ》がおれに悪意を持っていることは確かだ。綱憲が私を引き取ってくれるといったのに不承知をとなえたのも千坂だというではないか? たしかに私のことをよく思っている人間じゃない。そのくらいは、会っていればすぐわかる」
「左様で御座いましょうか……」
多仲も、上野介の興奮した様子を怪しんで見るのだった。
「そうだとも」といい切って、
「どんな話をして行ったのだ? 赤穂のことか?」
「左様で御座います」
多仲は兵部の如何にも自信のあるような、きびきびして気持のいい話振りを思い出さずにはいられなかった。
「いろいろと御注意くださいました」
「注意?」と、大きな目が動いて、
「注意……といえば、兵部の見込みもやはりかれ等が襲《おそ》って来そうだというのか?」
「とまではおっしゃいませんでしたが、万一の御用心に、ということで御座りました」
「相変らずの言分ではないか?」
上野介は急に冷たく嘲《あざ》けるような口吻《こうふん》をとりながら、渋面を作った。
「ていのよい遁辞《とんじ》だ。つまり私を引き取って匿《かく》まうだけの誠意がないから、左様なことはありませぬで通している。あったら、どうする? あったらどうする」と繰り返した。
「綱憲は親を見殺しにするつもりか? いやいや、あれはよくもののわかった男だから、つまり千坂が邪魔をしているのだ。私は、もう取る齢で、いつ殺されても惜しくないようなものだが、左兵衛のこともある。上杉と当家とは並の親戚ではない、一家も同様なのだぞ」
上野介の声はふるえを帯びた。
だが、千坂兵部がいい置いて行ったということが、まだ気になっている様子で、この興奮が過ぎると、また改めて、自分からその話に触れて来ていた。
「兵部は何をいっていたのだ?」
「万一の御用心に……」
多仲は、また、こういってしまってから、いそいでいいなおした。
「世間ではお上が上杉様のお屋敷へお移りになるように御評判申し上げているので、これは幸いだから、そのようにお見せかけになった方がいい。つまりお上がどちらにおいでか、はっきりしたことが世間に知れないようにしたいと申しますので、……お屋敷から外へお出ましになる折の御注意は無論のこと、滅多な者にお会い遊ばさぬよう、また、お下の者をお召抱えになるについても素姓《すじよう》を厳重に御吟味になって、これらの者の口からお屋敷内のことが一切外へ漏《も》れぬようにして頂きたいというお話で御座りました」
「むむ」
あたりまえのことだ……といいたくて気持は急に重苦しく沈んだ。それだけの話にすでに事態の切迫が感じられる。上野介は、赤穂浪士の復讐を最早必定のことのように考えて恐れている一方に、まさか……と思いなおして、これを、武器には縁遠い高家育ちで暴力や腕力に向けては極端に自分の無能を知っている臆病な心持が生んだ取越苦労で、結局は千坂兵部などのいうとおり「復讐などということは昔は知らず今はあり得ないこと」かも知れないというように馬鹿に暢気《のんき》に考える一面もあって、心持も絶えずこの明暗の境に右に行き左へ行きして動いていたのだが、兵部がそれまでの注意を与えて帰って行ったと聞くと、にわかに危険は現実の重みを加えて、小心な胸にかぶさって来たのだった。
自分の所在をわからなくする。
成程これは絶対の必要だった。ただ、愚痴にもそれまでにするくらいなら、何ゆえ上杉の家で匿《かく》まってくれないか、ということである。
上野介は、急に自分の無力を感じて、なさけなく淋しそうな顔付になった。今の自分の高齢《とし》になって、こんな思いをさせられるのでは、まったくやりきれないことである。それにしても千坂兵部のやり方が憎かった。あの男さえいなかったら、綱憲がいくらでも自分を護《まも》ってくれるだろうし、自分もこんなみじめな思いをしないで済むことだろうと思うのだった。
何かしら切迫したものが空気に感じられるようになって、赤穂の浪士達にも妙にあわただしい日が来た。大学殿御左遷と決定したことが、これまで表面だけでも静かだった池の水ににわかに波を立てたのである。「やれやれ、やっと来たぞ」復讐の時が近付いたことを喜んで、早くも浪宅の始末にかかる者もあれば「やはりそうだったか」と遂《つい》に再興の望みが失われたことを嘆き、自分達もいよいよ何とか身の振りを付けなければならなくなったことをこころさびしく考えて、気の合った同士|往《い》ったり来たりして涯《はて》しのない相談ごとに日をくらしている者もあった。
ただ一人、内蔵助はこの動揺をよそにして、これまでどおりの生活をしていた。ああやっていて、よく金が続くというのが世間の評判だった。廓遊《くるわあそ》びに湯水のように金をつかうし、地所のいい出ものがあれば、早速の必要はなくても買い入れる。誰れが見ても、赤穂あたりの国家老には身分不相応な金づかいである。その内、あれは一味の軍用金へ手を付けているのだと噂する者があって、人々は、成程《なるほど》とうなずくことが出来た。
内蔵助の浪費のお蔭を蒙《こうむ》っている者こそ黙っているが、ほかの者は武士の風上《かざかみ》に置き難《がた》き人間のように思って爪弾《つまはじ》きした。内蔵助は世間の人の心持の正直なのに微笑を感じながら、相変らず黙々と、楽しんで「自分の道」を歩いているのだった。旋風の中にいて、独りで工夫《くふう》しているのである。思案の結果は、遊び仲間で忠実な介添役を兼ねている小野寺十内に極めて短い言葉で伝えられ、十内はすぐと、これを心ある同志の者も気が付かずまた同志の者の騒ぎとは別に、着々と仕事を進めて行ったのである。
同志の者の動揺はやまなかった。
いざとなって怯《お》じ気《け》が出て、昨日まで過激論者で急に今のままで平静無事に妻子に囲まれて一生を終った方がいいように、考えはじめる者がある。「これからは町人の世の中だよ。変な義理がなくて面倒臭くないだけでもいいじゃないか」という者がある。だまって行方《ゆくえ》をくらます者が出来る。大学殿御左遷となり、いよいよ復讐のほかに道はないときまって、急にこれに背《そむ》く人々が出て来たのは、思えば変なことだった。
「そういうものだよ」
内蔵助は、茶屋の二階で脇息《きようそく》を枕にして天井《てんじよう》を睨《にら》みながら、十内の憤慨を制した。
「いろいろな尤《もつと》もらしい理屈や意見などは平穏無事の時のことだ。いざという場合になると人間は卑怯か卑怯でないかの二色に分けられる。なまじ知恵があったり学問のある上層の者が事変に際して無力になるのはそのためだ。われわれの場合でも、最後まで残るのは多分、お家のあった頃下積になっていて報《むく》いられるところも薄かった者が、大部分を占《し》めることになるだろうと思う。この人々は、頭はないが至誠がある。働く手を持っている。頭だけで御奉公している上層の人達と種族が違うわけだ。今浮足になっている連中が高禄《こうろく》の者に多いのは、この立派な証明になる。苦々しいことだが、いつの時代になっても、こうなるのが当然なのだろう」
内蔵助が黙ると、ぽつんぽつん遠い稽古《けいこ》三味線の音が流れて来て、真昼の二階の空気を余計乾いたものに感じさせた。
「が、腹が立ちますが……」と十内がいうと、
「無駄だろう」と笑った。
「私だってあまり人の悪口はいえない。私が遊びなしに一途にあのことを考えていられたろうか? それだけ不正直といわれても仕方がないわけだ」
「けれど太夫の遊びは、敵をいつわる役に立ったではありませんか?」
「そうらしいな」
内蔵助は苦笑した。
「私も、それを途中で気が付いたのだ。いよいよ申し訳ないことになるな。これで私が死んで後の世になったら、私の放蕩《ほうとう》が全部軍略によって計画されたという、恐ろしい話になるのじゃないか? はは、困ったね」といってから、相変らず仰向《あおむ》きに寝たままで暫く考え込んでいるらしかった。
堀田隼人は五条の隠れ家で、江戸から来た手紙をひろげて見ていた。
「ほう、こりゃア面白い」と口走った。
いつものように口重くだまり込んで、窓から外を見ていた蜘蛛の陣十郎が、この言葉を聞いて振り返った。
「何か、いいたよりがありましたか?」
「なアに、芸州《げいしゆう》へお預けになった浅野大学が江戸を立ったといいますのさ。この手紙より二日三日遅れて伏見《ふしみ》へ着く筈だから、よく見ていてくれという話です」
「もとの殿様の弟さんでしたね?」
「そうなのです。成程山科にいる大石がどんな風に動くか、こりゃア見ものだ」
隼人は、大乗気になっていた。
成程、旧主の弟、それも罪なくして配所の月を見ることになった路次に、旧臣で一藩の柱石と頼まれていた内蔵助がどんな態度でこれを迎え、どんな話が出るか? 境遇が非常なだけに、いつもは隠している内秘のことも自然と外にあらわれるかも知れないのである。内蔵助が大学に会ってその不遇を慰めるであろうことは充分期待出来るし、また、あるいは、一歩を進めて自分の向後の覚悟にいい及ぶ、というようなことがあるのが自然と見てよかった。
「どうやったものでしょうねえ? もう四、五日も間があれば、ばけ込んで宿屋へ住み込むことも出来るのだが……」
「まあ、大したことはありますまいよ」
陣十郎の口調は否定的だった。
「これまでどおりに遠巻きにして見ているだけでいいでしょう。我慢だけの仕事だね。あせったら駄目だ。相手が相手なのだから」
どちらかといえば熱のない口調だった。
隼人は、陣十郎が退屈して来ているのを知っていた。どっしりと落着いているようでいて瞬間瞬間に絶えず火花を散らしているようなこの男に、今の、のんべんぐうたらりとただ「見ている」生活が向かないのは当然のことだ。これはこの仕事に誘い込んだ隼人が近頃多少気の毒のように感じているところだった。千坂兵部は「見ているだけでいい」ときびしくいっていたし、陣十郎もこれが隠密として一番確実な途で、功をあせれば失敗する、動くなといった千坂さんは流石《さすが》見上げたものだとほめていたようなものだが、それも当の敵手の内蔵助の心持がはっきりとつかめれば、またそれで張りも出ようが、何しろ漠然としていて取付きようのない相手なので、未《いま》だに復讐の計画が一体あるのかないのかさえ時折疑わしくなって、何だか自分達が世にも馬鹿げた仕事をしているような浮かない心持になるのだった。「我慢ですよ」が、近頃の陣十郎の口癖だった。それも役目にしている隼人にはあきらめようもあるが、ほんの特志からといってよく片棒かついでいる陣十郎が、長い月日の間に投げた気持になるのは無理もないことと思われるのだった。
ただ、それと知って、隼人はさびしい。
「いったいどういう気なンですかねえ?」
「大石ですか?」
陣十郎は、こうきき返したが、急に笑って、
「どうやら、私などより一枚上の人間らしいことは、近頃はっきりとわかりましたよ。千坂さんも負けだね」と、ぽつりといい出して隼人を驚かした。
「役者が違う。千坂さんはいろいろな殻を背負っているが、あの人は、そんな厄介な荷物がない。いや、こりゃア主人持と浪人者との違いをいっているのじゃありませんよ。心持の上のことです。浪人だといえば大石は、生れながらの浪人者でしょう。主人があろうが国があろうが心持はいつも浪人者だったのに違いありません。御時世によったら国主大名になった男でしょうが、それにしても、あの男の本体はいつもまる裸の身軽いものだったのじゃありませんかしら」
「これはまた、ひどく感心なすったものですね?」
隼人は、軽く皮肉な口調でいった。
陣十郎は、黙って笑って見せたが、
「とにかく、ざらにある人間と違っています。形のきまっていないところが恐ろしいんだろうと思います。どれが正体かわかりようがない。見たところいろいろに変る全部のものが大石という一人の人間を作っているというよりほかはない。あのだだら遊びもかれの本心なのじゃありますまいか? 私はそう考えるようになっている。だからあの人間の一部をつかまえたところで、その裏側に隠れている別の大石内蔵助はわかりようがないのじゃありますまいか?」
「敵討《かたきう》ちは?」
「いつやるかわからないが、きっと、やると思いますね。気に入った女ならどこまでも追い詰めて自分のものにするあの粘《ねば》り強さと熱で必ず仕遂《しと》げることでしょうよ。誰が邪魔を入れようが所詮《しよせん》無駄だ。妨害が烈しくなればなるだけ、あの男は強くなる。吉良さまを米沢へ匿《かくま》ったところで、なかなか断念することはないでしょう。千坂さんが吉良様をお屋敷へ引き取らないというのは、多分それを睨んでいなさるからに違いない。上杉様のお屋敷の内で吉良様が討《う》たれたとあっては、これは上杉様のお名前がすたるだけでなくお家が立つか立たぬかという大した騒ぎになりますからね。それをあちらも考えていなさるのに違いない」
陣十郎は、煙管《きせる》の灰を落して、無言に戻ったが、ゆっくりした指尖《ゆびさき》で、また火皿を詰めながら、これも変に黙りこんでいる隼人を見て微笑した。
「ひどく、気が弱くなったものでしょう」
「そうです」
隼人はきっぱりといった。
「あなたらしくない」
「そうでもないンです。私も、また、相手がでかいとなると素直にひきさがりたくない方でしてね。かなわない敵だとわかると、余計やって見度《みた》い方です。だが、どうも、その手を封じられて、遠くから睨んでいるだけの仕事ですから、すこし、くさくさとして来ましたよ。むむ、そりゃアそうと、柳沢さまの連中も、ちっとも動かないじゃありませんか? あの連中こそ何でも出来る筈だが……」
「そっちの方は、いずれお仙どのから話があるでしょうが……こちらの方は」と隼人は、兵部の手紙を動かして、
「どうしましょうねえ?」
「左様……」
陣十郎は首をかしげていたが、
「私は大石は迎いに出まいと思うが……とにかく、どんな拾い物がないとも限らないし、出来るだけ厳重に見張ることにしましょう。金さんをやってお仙さんにも出てもらいましょう。あちらへも多分知らせが行っていると思うが……」といいかけたところへ、丁度門口《ちようどかどぐち》があいて、日傘《ひがさ》をつぼめたお仙が、炎天のにおいをさせてぱッと明るく入って来たところだった。
配所へ赴《おもむ》く浅野大学は、供廻りもすくなく淋しい旅を続けて、八月の初めに伏見に着いた。残暑はまだきびしいが、草にさす日の色に漸《ようや》く秋が感じられる頃である。人々は胸の中にも秋を感じて埃の白い乾いた道を、しめっぽく黙々として歩き続けている。当の大学は内匠頭の気弱い一面だけを持っていて、一家を見舞った不幸な遭遇《そうぐう》をまったくやむを得ないことのように考えて落着いていた。御公儀のむごい御沙汰に対しても初めから反感を抱きえない人である。こうなるようにと出来ていたものと信じて、心のはりもなく新しい境遇に従ったのだった。
山科の傍を通る時、風が強くて、付近に多い竹藪が、嵐の日の海草のように揉《も》み動かされていた。人々は埃を避けるために、幾度も立ち止って顔をそむけなければならなかった。
「大石内蔵助の邸《やしき》は、あのあたりに御座りまする」
家来の一人が、駕籠脇へ寄って、こういいながら、濛《もう》と埃に濁った近くの山の裾《すそ》をさして見せた。
大学は頷いただけである。
風の絶え間に、深閑《しんかん》と日のさしている野面《のづら》が見え、だらだらと登って松ばかりの山になる。人家はその日当りのいい勾配《こうばい》に、ところどころに樹木にかこまれて散らばっている。大学は、死んだ兄の家の家老の、小柄で、福々しくふとった姿を思い泛《うか》べ、今夜、伏見の宿へ自分の機嫌を伺いに出て来るだろうことも考えた。
あの男が、噂のとおり、兄の仇《かたき》を討《う》つ肚であるだろうか?
大学には、これが不思議なことのように思われた。ほかの人間ならば兎に角、大学の知っている内蔵助は、そんな思い切ったことを仕出来《しでか》す男とは思われなかった。また大学はそんな乱暴なことがあってはならないと考える。これ以上に事件があってもらいたくない。もう沢山だという気がしている。これが、浅野の親戚全体殊に宗家の意見だということも、大学は知っていた。
大石は、やって来て、どんな話をするだろうか? 或いは、その話を持ち出して来るのではないか? そっとして置いてもらいたい。おれは今の境遇に別に満足はしていないが、仕方がないと思ってあきらめている。
大学には、内蔵助を恐れるような気持が働いていた。
伏見の宿へ着くと、果して、大勢の旧臣が集まっていた。広島の宗家から、わざわざ出迎いに来た者達もいる。京大坂は勿論《もちろん》、播州《ばんしゆう》から出て来た者もある。国が破れ家が離散してから、こうして一家中の者が、主筋の者を中心にして顔を合せるのは、まったく久し振りのことだった。ただ、大学殿が配所へ向われる途中だということが人々の心を暗くしていたが、それだといっても昔の朋輩《ほうばい》とともに一つの歎きを分ち悲しみを共にすることは、静かな悦びである。御前《ごぜん》へ出てひくく頭を垂れただけで、後は襖《ふすま》に寄ってきちんと坐ったまま、いつまでも帰ろうとしない老人がいる。若い者達は、別室に集まって、今更のように主家の不幸を嘆じている。幾台もつけた百目ろうそくの灯は初秋の夜気にしめりながら、人々の出たり入ったりするのを明るく照らしている。
船奉行として広島から出迎いに派遣された進藤八郎右衛門が、
「大石氏が見えないが、なんとせられた?」と、大声でいい出したのは、夜も大分|更《ふ》けて、静かな蝋涙《ろうるい》が燭台《しよくだい》にしたたり落ちるように成ってからだった。誰れかが、太夫は風邪の気味があって遺憾ながら伺えない、といって来ていると答えた。人の注意が、自然とこちらの話に向けられた。
「病気?」
八郎右衛門は呟いた。
この進藤八郎右衛門は、進藤源四郎の伯父にあたって、内蔵助の家とも縁続きになっている。特に光ったところはないが、たたき上げたという感じのある宗家では重宝《ちようほう》に用いられている家来だった。
病気ならば致し方ないことだというような様子を見せたが、何かあきたらぬ心持が、八郎右衛門はじめ宗家の家来達の胸に残ったように見えた。座にあった進藤源四郎、奥野|将監《しようげん》、小山源五左衛門などは、中心の内蔵助が御機嫌伺いに出て来ないことを後めたいことに感じた。内蔵助の病気というのがただ口実だということを、この人々は知っているのだった。
源四郎は、将監にそっと囁《ささや》いた。
「太夫は……」
「さア、どうしたものであろうか?」
将監は苦々しく首を振った。
まさか病気と称《とな》えて、いつものように茶屋酒にひたっているのではあるまいが……内蔵助だけでない、小野寺も来ていない。原も来ていない。真先に出ていい筈の人間が大分来ていないのである。明朝出て来るつもりなのだろうか。それとも自分達には内密に何か計画があるのではないか? 将監は、近頃内蔵助と、自分との間が、どちらからとなく疎遠になって来ていることを考えていた。お互の生活が変ったせいというよりも、もっと何かがあって、自然と二人の関係をかえたように見える。将監は、薄々と、その原因が何にあるか感じていたが、それをはっきりと見極めることは躊躇《ちゆうちよ》を感じていた。手術をする必要がありながら、刀の触れる痛みを考えて、出来るだけこれを後廻しにしたがる病人の心持と同じことで、なまぬるい性格から痛いところには出来るだけさわらずに置きたかった。将監は心の一隅で内蔵助を恐れるようになっている。もとほど、しげしげと往来しないのは内蔵助の家を外にしての自堕落《じだらく》な生活のせいもある。が、むしろ、将監の、内蔵助と顔を合せるのを避けたい気持が原因になっていたようである。同志の中では内蔵助に次ぐ高禄を頂戴《ちようだい》して重く用いられていたことだし、もっと密接に往来して、共同の目的のために積極的に働かなければならない筈の将監はそれを感じていた。それでいて、内蔵助と会っていると、将監は話をいい加減にして早く逃げたい気持になるのである。
復讐の至誠については変りないのに、何が将監を反対の方向へ連れて行くのか?
将監は、ある時、九星の本を見ていて、急にこのことを考えた。人の運命をきめる星というものがあるのだろうか? 人と人との関係が、めいめいの星の強弱によってきめられる。将監は、内蔵助のことを考えて自分のことを考えた。これは内蔵助の星が強く自分の星が弱いので、おれがあの男の前へ出ると変に押され気味の気持になるのじゃないか?
その時は、自分のおぞましさを一笑して過ぎた。けれども妙なことには、その後ずっと、この星のことが、内蔵助と自分との関係を考える毎《ごと》に必らず頭に浮んで来て、心持を暗く支配するのである。二人のことが何もかも、これで解釈出来るように思われるのである。
(どうも負ける)
この一語が、自分一切の立場を説明しているように感じられた。
将監は自分の才能を信じているし至誠を信じていた。復讐の熱意にしろ決して人後に落ちはしない。しかも、これでいて内蔵助の前へ出ると、われながら腑甲斐《ふがい》ないくらい頭の働きが萎縮《いしゆく》し覚悟が動揺する。だまって暢気《のんき》な顔付をしている内蔵助が不思議に圧迫的にさえ感じられて、自分が醜く小さくさえなっていることがわかる。食われる……この感じだった。内蔵助の静かな貌《かお》の、内部に隠れている烈しい火が、まぶしいように思われるのである。
こうして奥野将監は、自分でも気が付かない内に、はなれるともなく内蔵助からはなれて来ている。そして内蔵助から離れることが、自分が熱心に志して来た目的から自然とはなれることになるのだということも、気付かずにいるのだった。この時も、内蔵助が大学殿の御機嫌伺いに出て来ないわけを自分が知らないのが、同志の手前ひどく気まずいことのように考えながら、内蔵助と自分との近頃の疎遠を思って、何かかぶせられたような憂鬱《ゆううつ》な気持になって来ているのだった。
そこへ進藤八郎右衛門が、
「ちょっと……」と、いって源四郎に目くばせして別室へ立って行くのが見えた。
「すこし、折入って話したいことがあるのでね」
八郎右衛門は振り返って、伯父《おじ》らしい口調を取った。
その話というのが何かしら重大な意味を持ったものだということが、源四郎にもわかった。二人は廊下について、人のいない灯のない部屋の前まで来た。
「ここが宜《よろ》しいでしょう」
源四郎が障子をあけると、その暗い中から思い掛けなく急に出て来た人間があった。もっそりとして二人には影が持ち上って来たように感じられた。
「御免くださいまし」
太い、しっかりした男の声でいった。
反射的に二人は道をあけて、殆ど袖と袖と触れあって廊下を遠ざかって行く、でっぷりした町人の後姿を見送った。
宿の、番頭か何か、ずるけて寝ていたのだろうぐらいに二人は考えた。蜘蛛の陣十郎はそのまま下駄を突ッ掛けて暗い庭へ姿を消した。
「あかりを持って来させましょうか?」
源四郎は暗い中に立ったままでいった。
八郎右衛門は、今通り魔のように出て行った陣十郎の姿から何となく無気味な感じを残していて、暗く陰気な部屋の中を見廻しながら、
「うむ」と同意した。
二人が窓をあけて、すぐ外の竹の葉の黒くおののいている内に、障子を明るく染めて行燈《あんどん》が運び込まれた。
「ほかのことじゃないが……」
八郎右衛門は、ひくい声でいい出した。
「実は、今度、私が選ばれて広島からこちらへ来たというのも、わけがあるのでね。私がお前の伯父でもあり大石と縁つづきなので、特に選ばれて来たのだ」
源四郎は、うなずいた。
「そういえば、たいていわかったろうが、お上はじめ広島では、お前達のことをいたく御心痛になっていられるわけだ」
源四郎はやはり無言で聞いていた。
八郎右衛門は、その様子を注意深く見詰めながら、
「一体、どうなっているのだ。あちらの方は?」といった。
無論復讐のことであった。源四郎は返事に窮した。事柄は同志の他へは厳しく秘密にせらるべきものであるし、その申し合せもある。
「さあ……如何相成りますことか手前には……」
「隠さなくてもいいさ。ほかの人間じゃないのだから。お前達に大切なことなら私だって充分そのつもりでいるからな。大石にも会ってききたいと思っていたのだが、病気で来ないというのだから、手がすいたら、こちらから訪ねて行って見ようと思ってる。……どうだ、お前から打ち明けてはくれまいかな?」
源四郎は気弱く答えた。
「手前一存では、何とも御返事いたしかねます」
「…………」
八郎右衛門は、不機嫌らしくだまり込んで、静かな秋の夜の部屋に油を吸って燃えて行く燈心を見詰めていたが、
「私の立場も考えてくれなけりゃア困る」と、いい出した。
「大体のことは、わかっているのだがね、お前との縁があるので、進藤ならよかろうというお眼鏡で、わざわざこちらへ来ることになった私だ。はっきりした話をしないで帰るわけには行かないな。敵討ちは、いつにきまったのだ? くどいようだが、決して他人に漏《も》らしはしない。申上げるとしてもお上だけだ。今もいったとおり、ひどく御心痛になっていられるのだからな」
老人らしい執拗《しつよう》にいい続ける八郎右衛門の声音には充分理解があるように感じられた。それにしても源四郎は、一存で同志の機密を漏らす勇気は欠いていた。源四郎が考えたのは、奥にいる小山源五左衛門、奥野将監などの人々のことだった。
また段々と不機嫌な顔付になるのを、努《つと》めて抑えて返事を待っていた八郎右衛門は、独存では返答致しかねるから、すこしの間猶予願いたいという甥の言葉に、仕方がないような顔付で同意した。
蜘蛛の陣十郎は、若い源四郎が立って行くのを、窓越しに見ていた。
奥野将監は、進藤源四郎から大体の話を聞かされて、どうしたものかと相談を受けた。将監も難しい顔色になって、直ぐとはっきりした返事が出来ないでいた。
しかし、八郎右衛門がそうまでいうことなら打ち明けて大事ないとも思われる。兎に角相手が御本家なのだから……将監は、いくらかためらいがちに、こういい出した。将監がこう答えたのには、奥の間にいる大学のことが頭にあって、主従という観念がいつもよりか昂《たか》められていたからである。将監ばかりでなく源四郎も、大学殿を中心にしてこの一夜を支配していた、妙に気弱く妥協的な空気に動かされていたので、将監のこの言葉を、もっともだというように考えた。
が、
「太夫は?」と、不審をとどめた。
内蔵助を同じ立場に置いたらどんな返答をするか、これがいくらか気掛かりだったからである。
将監は、この言葉を聞いた時、思わず不快らしく眉《まゆ》をひそめて、何かいおうとしたらしく唇を動かした。暫く無言でいて、
「とにかく、御本家だから……」と答えた。
自分が繰り返していったこの言葉が、思い掛けなく、将監を、遽《にわ》かに晴れやかな気分にさせた。
御本家……
それだ、それでいい訳《わけ》ではないか? 大石が何と批評するか知らないが、たとえ禄を離れても自分等は御主人のことをおろそかにしてはならない。万事がそれでなければいけない訳ではないか? これは誰れの前へ出ても憚《はばか》るところなく主張出来ることだし、また、そうあって然《しか》るべきことなのである。将監は、これまで自分がこの事実に気が付かなかったことをむしろ奇怪に思いながら、まるで目が醒めたもののように顔色をかがやかして、鷹揚《おうよう》な態度で力をこめていった。
「それでいいだろう」
源四郎は立って行って、八郎右衛門が待っている部屋へ戻って、はじめて復讐の計画を打ち明けた。
「ふうむ」
八郎右衛門は、深くうなずいて見せたが、顔色が変って、
「いつだね」と尋ねた。
「それが、まだ、はっきり致しておりませぬ。太夫の御指揮を待っておるようなわけなので」
源四郎は、こう答えた。
伯父は、だまり込んでいる。暗い顔である。窓の外の竹の葉がそよぐ音を載《の》せて、無言の時がやや続いた。
「そりゃアどうだろうな」
源四郎は、八郎右衛門が急に厳粛な口調でこういい出したのを聞いた。
「臣子の情としてさもあるべきことではあろうが、これは天下の大事、よく分別せねばならぬことだ。わが君が御憂慮遊ばされているのも実はそこだ」
これが、八郎右衛門が今度もたらした使命だった。言葉はちゃんと準備せられていた。八郎右衛門はずっと上押しの態度で、ぽつりぽつりと、さとすように話しはじめていた。
「血気にはやるのはよいとしても、宗家に禍《わざわい》するようなことは、冷光院殿の御遺志とは思われぬことで、忠義と思うてすることが反《かえ》って不忠となる。その理をよく考えなければなるまい。徒党を作るなど容易ならぬ儀じゃ。また今日において、左様な乱暴なことが出来る相談でないことぐらい、わからぬかな? 御公儀がだまって見ているものじゃない。つまり累《るい》を親戚一統に及ぼすというだけのことであって見れば、暴挙というよりほかはない。臣子として何よりも戒《いまし》むべきことではないか? 無分別にも程があろう」
源四郎は顔色をかえた。異議をはさみたい気持はあっても、伯父の権幕だけでも、気弱いかれを圧倒するのに充分だったし、とにもかくにも、御本家が後楯《うしろだて》となって威嚇《いかく》を加えているのだった。思わず、俯向《うつむ》かずにはいられなかった。
「内々の話だが……お上は、何とかして思い止らせたいと仰せられたのだぞ。それでも、やるか?」
八郎右衛門は語気を強めて、こうまでいったが、やがてまた言葉をやわらげて、
「お前から、一同によく話して見たらどうだ? 宗家ではかくかくの意見でいると、ただ話を取次ぐだけでもよい。それならばいいだろう。誰れが聞いても、もっともだと思うだろう。どうじゃ」
広間の方ではそろそろ人々の暇を告げて帰って行く気配がしている。窓の障子を蛾《が》がたたいていたが、すき間から飛び込んで来て、行燈《あんどん》にかかった。八郎右衛門は、扇子《せんす》を持ち直して、一撃して蛾をたたき落した。
風が落ちて夜霧がけやきのこずえを流れている。山科の家では、珍しく内蔵助の居間から灯影が外へ漏れていた。書見にあきたあるじは、そりかえってのびをして、火桶《ひおけ》のうもれ火に手をかざしながら、屋の棟《むね》をこめている秋の夜の静けさに暫《しばら》く耳をすましていた。しいんとして、遠いところまでつき抜けているような静けさだ、夜もまた、そう更《ふ》けてはいない筈であった。
あるじは、そう遠くもない伏見へこの日お着きになった大学殿のおもざしを、ぼんやりと頭の一角に思いうかべていた。
御兄弟のことで、さすがに亡き君によくぞ似通わせられたお姿である。この度の御遭遇のことが、やむを得なかったこととは思いながら、いたいたしく思われる。自分が一年有余の苦心もかいなく、またこの君もこの不遇を得られた。御由緒ある御家も、過去の光栄を昔語りにして、空しく亡《ほろ》びることであった。
はかない……
この感じは、これまで幾たびとなく内蔵助の胸をひたしたものである。あるじは最早これに涙を感じることもなかった。不幸な御兄弟のほかに、ともに瓦解《がかい》した幾千の不幸な人々のことを考えるのである。その人々が今夜は大学殿のお宿に大勢で集まっていることだろうと思う。宗家からの出迎いの人数もいよう。その人々をどんな空気が支配し、どんな話が出ることだろうか? 大学殿はじめ御親戚方の意見を鋭敏に察していた内蔵助には、その場へ出ていなくても、ぼんやりと予想出来るのだった。
御本家、御親戚がた……が、いんじゅんと思われるまでに消極的な態度でいて、将来自分達の計画を阻害するのに一致するであろうことは、内蔵助にはそもそもの初めから看破出来ていた。泰平は人の心から昔の覇気《はき》を失わしているし、元来物を所有するということは、それを失うまいとする心持を必ず伴って、自分がそれを失わずにいられる現在の境遇を、それが正しくあろうが正しくあるまいが、唯一無二のもののように思い込むことになる。領土があり位があって、平穏無事で行けばこれをなくすることのない御親戚がたのことである。内蔵助達の暴挙を嫌うのは、むしろ当然すぎることではないか? 親戚の家来共が、御公儀のお仕置きを不満として、国のおきてにさからって徒党を組む。その影響は親戚全体に及ばずにはいない。間違えばその渦中《かちゆう》におちいって赤穂と同じく城も領土もなくして断絶せねばならぬのである。
亡君の御実弟大学どのが、最早一挙を嫌っていられることは、大凡《おおよそ》わかっていた。御親戚がたからの圧迫があったせいにもよろうが、御気性である。御兄弟ながら、亡き君の勇壮活溌な御気性を持っていられぬのである。
一挙をさまたげようとする者は、上杉、吉良の讐家と御公儀ばかりではない、御親戚がたまでそれなのである。
内蔵助はこれを考えながら、お宿へ誰々が伺ったろうかと空想した。
多分何かむずかしい話が出たろうと思うと、苦い笑いがくちびるにのぼる。
ひとりである。
どの道を行くのも、常に、ひとりである。
内蔵助は、火箸《ひばし》を取って、火をかきおこしながら、淋しく更《ふ》けた秋の夜を聞いた。しまおうとしてつい軒端《のきば》に忘れてある風鈴《ふうりん》が、時折り雨戸の外にかすかな音をたてる。これと、縁の下に虫の音が、この一夜の静けさに深みを加えているのである。
主税《ちから》は何をしているのだろう?
ふと、内蔵助はこれを考えた。はなやかな燈《あかり》の下で女の肩に腕を廻わして泰平な心持でいる時にも、寂しいこの家でひとりでいる主税のことが、この父親の心をかすめて過ぎることがよくあった。さすがに極りの悪いような白けた気持になる。わが子には、何とも申し訳ないような気になって、人知れず閉口《へいこう》していたのである。
部屋にいた主税は、父親がのっそりとはいって来たのを見た。
「どうだ?」と、内蔵助はいって、坐った。
主税も、いくらかはにかんだように微笑して、書きかけていた手紙を伏せた。
「もう寝たらいい」
内蔵助は、胸にうかんで来た言葉を、そのまま口にのぼしながら、ひょっと主税の書いていた手紙が実家《さと》へ帰っている母親や弟達にあてたものではないかと考えた。
内蔵助は、それをきいて見ることをわざと避けた。何かしら、わが子に詫《わ》びなくてはいけないことがあるように考えられた。
父親は、きちんと片付いている部屋の内を見廻しながら、主税が何を感じて、何を考えて暮しているかあまり知らずにいる自分を、憎いように思った。この、父親の義務をおろそかにしている点では、自分がどんな非難を向けられても仕方がないように思われるのである。
「さびしくないか?」
父親は暫くして慈愛をこめていった。初めて、わが子の顔をまともに見た。
「いいえ」
主税は、やはりはにかんだように、こう答えてそっと身を動かした。
父は、「母や弟達に会いたくないか」という言葉を、咽喉《のど》まであふれさせていて、手のとどくところに重ねてあった本を、だまって膝の上にとり上げた。
これをひろげて見て、それが子供らしい努力の跡を不審紙や点で示してある論語の本なのを認めながら、父親は、夜毎にこの本を二人の間に置いて講釈してやった、さして遠くない過去のことを思い浮べないではいられなかった。その時分から見ると、この子は何と大人《おとな》びて来たことであろう。そうだ、丁度今の、吉千代《よしちよ》の齢だったのだな。可憐な姿が忘れられない。親の欲目にも特に秀《ひい》でて悧発《りはつ》だとは思われなかったが、ぼんやりしてのろいようでいて、一度食いついたら最後まで歯の力を緩《ゆる》めないような強情なところに、かえってたのもしく行末を約束しているものがあるように思われていた。まったくの、あどけない子供であったが……この一、二年の間に大人びて来たことは驚くべきことだった。おれのこの齢には、確かまだ、犬や小鳥が遊び相手で、いくさごっこが日課になっていたのだ。
だまってただ父親と一緒にいることが楽しげな主税を、内蔵助は感慨深く優しい目差しでくるんで眺めるのだった。何かいってからかおうとしたような微笑が自然と口もとを動かして来る。この齢では、ひと月が他の齢の一年にもあたるのではないか? いや、しかし……躯《からだ》よりも心持であった。躯は大きくなったというだけで、まだ如何にも子供っぽい無態《ぶざま》なところを残しているが、近頃の、心持の大人びたことは、どうだろう? それも、あの大変があってからだった。復讐のことが、行く手にさだめられてからのことだった。子供は子供なりに新鮮でいて、傷つき易《やす》い心の皮膚《ひふ》にかえって鋭敏に感じたのだな。
あどけなかった目が、大人のように濁ることはなしに、急に深い色をたたえるように成った。かなしげにくもっていることも間々《まま》ある。決しておれからは聞かせはしないが、同志の足並の不揃いなこと、急進穏和両党の軋轢《あつれき》、母や弟達と別れねばならぬ事情、……またおれの放蕩三昧《ほうとうざんまい》が……ものの影が池にうつるように、この子の心の水面に何かを投げずにはいなかったのだ。
知らなかったのではない。おれは気が付いていた……内蔵助は、非難に答えるもののように躍起《やつき》にこう思いながら、いじらしさにふるえて、次第にうるんで来る胸を淡い悔恨に似たものにくるんで、見詰めているのだった。
その心持は、やがて、だまって微笑しているだけの主税を眺めている内に、これまでに育った子供を殺すのだ、と思う心持に変った。
この子は何のために、漢籍《かんせき》を読み、何のために修養に精進《しようじん》するのか? その苦労をしてもしなくても、死は間近いところまで来ている。この若い樹のように強健に立派に育って来た肉体も、また、正しかろうと努《つと》めているみずみずしい精一杯の心持も、死神の氷のような手に握られて、瞬間にそのままに終るのではないか? この子は、そのことを考えていないのか? 大人はいい。武士というものの資格が、静かに死につくだけの覚悟を養うことにあると見てもよいし、風俗も習慣もこれが修養を助長するように出来ているのである。しかし子供は、それとは別ではなかろうか? まだ、それだけの覚悟を作る時間もあるまいに、この落着きさ加減は、恐らく死ということを知らないから来ているのではなかろうか?
内蔵助はいった。
「毎日、たいくつはしないか?」
「いいえ」と、主税は答えた。
「することが沢山御座いますから」
「なにが、そんなにある?」
「剣術……」
「それから?」
「主税は、父上のお供をしてまいるまでに、出来るだけ沢山御本を読んで置きたいので御座います。それから、ほかに、もっとすることが沢山あるような気がしております」
「…………」
そうだ、主税はいそがしかった。人が五十年かかってやることを、残った僅かの時日の間にしてしまわなければいけない。父親は、つくづくとこう考え、胸は、いじらしさに烈しく動いた。
いのちは、それを要求しているのだ。何かしら盲目な力が天地の間にあって、人の生命をおし進める。当人が知る知らないは別として、季節の推移と同じように盲目に規則正しく、生きとし生けるものが動かされているのではないか?
この人間の存在そのもののいじらしさに対する、何か強い力で打たれたような、またしみじみとひきいれられるような感動のもなかに、内蔵助は、ずっとはなれた昔のある事件を思い出していた。そうだ、今年で七年前のことになる、主税が八歳になって初めてお目見えにあがった時のことだった。なくなられた殿様が、松之丞《まつのじよう》は何が一番好きかとお聞きなって、この子が馬が好きだとお答えしたので、家へ戻ってから立派な月毛《つきげ》をお厩《うまや》から賜《たま》わったことがあった。
八歳の子供が、木や土で出来たのではない、ほんとうの馬をしかも立派な月毛を持つことだった。今でも、その時の、この子のよろこんで輝いた顔が目に見える。がその時主税のいった言葉が、あどけない言葉で、
「何といういい殿様でしょう」
を頻《しき》りと繰り返して、大きくなったらこの殿様のために死ぬのだという意味をいった。内蔵助は、その時同じようによろこんでいる中にも、八歳の子供が死ぬことを知っているのに思わず慄然《りつぜん》とし、そういうように出来ている社会に一種の不安を感じたのだった。
三つ子の魂百までもという。主税は、やはり、死ぬことなど、別に気にもとめていないのかも知れない。しかし、それとは離れて近づいて来ている死が、たとえ間接にでも影をさして、この子の生活をあわただしくしていることかと思うと、父親は胸の中で泣かずにはいられないのだった。
(そうだ、お父さんが悪かったな。もっとお前のことを、よく見てやるのだった。お前があと残りすくない日に出来るだけえらくなれるように、もっと、もっと、よく見てやるのだったな)と思うのだった。
本をあけて、不審紙のはってあるところを拾って見ていた父親は、暫くして、わからないところがあったら教えてやろうといって、ちょっと待てというように厠《かわや》に立って行った。久し振りのことである。主税は、顔を輝かして支度《したく》にかかった。
父親が、手を洗うために雨戸をあけた音がした。と、どたッと何か重いものが障子に倒れるすさまじい音がして、父親が、尋常でなく何か叫ぶ声が聞えた。
主税はおどり上った。
その間にも、ぱりぱりと障子の桟《さん》のくだける音がした。
廊下は真暗だった。星あかりとも霧の色ともつかぬ薄い光が、あま戸をあけた箇所から微かに漂い入って来ていて、そこに、倒れた障子の上でもみあっている父親と、もう一人の覆面《ふくめん》をした男の姿を浮かしていた。内蔵助は、敵の刀を持った腕をおさえ、男はこれを振りほどこうとしてもがいているのだった。
ものもいわず、主税は駈け寄りざまに、自分の刀を抜いていた。
「斬るな」
内蔵助の声が叫んだ。
主税にはその言葉の意味が判断しかねて、動作をおさえられた。
突然に、庭の外に鋭い口笛《くちぶえ》の声が聞えた。それと同時に、賊は内蔵助をはねのけ、追いすがる主税を威嚇《いかく》して、ころがるように庭へ飛び出していた。
内蔵助は、後を追おうとする主税の腕を、恐ろしい力でつかんで放さなかった。霧のとざしている庭が目の前にあった。親子は、無言でそれを見ていた。
賊が走り去った方角に、植込みがゆれ、木の枝の折れる音が遠ざかって行った。
「馬鹿な」
初めて、内蔵助はつぶやいた。
まだ動悸《どうき》している主税の胸に、しいんとしたものが食い込んだ。また父親が、最初の一撃を避けると同時に、賊を逃がしてやる心持になっていたことがわかった。「斬るな」も無論その意味だったのだろう。
「お怪我《けが》は」
「なかった」
うるさそうな返事だった。戸を寄せて、|さる《ヽヽ》をおろした。
主税は走り戻って、行燈《あんどん》をさげて来た。父親は普通の顔色で、格闘のあとを物語る腰が折れ桟がくだけた障子を見まもっていた。廊下の上には泥足のあとが一面についている。これは、現に賊の姿を見ていた時より、無気味に思われた。
「雑巾《ぞうきん》」
こういったので、主税が、急いで、それを取りに戻って来ると、父親は、破れ障子をかつぎ込んで行ったらしく、暗い納戸《なんど》から出て来た。
「何者ですか?」
「さあ、何者だろうな」
父親は微笑した。子供が落着いているのがうれしいらしかった。
「いい加減で宜《よろ》しい。あした、掃除させればいい。とんだものが舞い込んで来たな。もう来はしなかろう」
「…………」
「さあ、勉強だ」
父親のあとから、主税は歩き出した。自分よりずんぐりして背のひくい父親に対して、自分を強い護衛者のように空想して、少年らしく得意を感じていた。やがて、父子《おやこ》は、すこし以前のように、机を間に置いて、坐っていた。
講義が済んで、父親が、
「あしたも、やろう」といった時は、うれしそうに、にこにこした。
父親も、用がなくなったのに、暫くそうして坐っていた。そしてさあ寝ようという時になって、
「さっきの馬鹿が牡丹《ぼたん》畑へ入ったのだといけないから」というので、枝が折れていぬかを見に行くために、雪洞《ぼんぼり》をつけて二人は、暗い秋の庭へ出た。霧は地面にひくく垂れているだけで、目をあげると、薄くなだらかな輪郭だけ見える音羽山の空に、水煙のようにしろじろとした色の銀河が眺められた。
親子は、雪洞のはなやかな光につつまれて歩いている。内蔵助は立ち上って、しずかに菊の花壇をのぞいて見た。
主税は急に立ち止った。霧の中に、自分達の影でなく別の人影を見たからである。
主税は顔色をひきしめて、雪洞をあげて見た。
「なんだ?」
「誰れかいるようです」
子供の返事を聞いて、内蔵助もその方角の霧の中をさしのぞいた。誰れかが、見とがめられるのを恐れるように急いで立ち去る気配があった。そのあたりにやんでいた虫の声が、にわかに降るようにして起っている。二人が疑っている内に、もう外へ出ていたらしい。やがて姿を見せないで遠くから、はきはきした男の声がいった。
「失礼いたしました。御心配のない者です。おやすみください」
これは思いがけない挨拶だった。
「お待ちなさい」
内蔵助は呼び止めた。
「あんたに、すこしお話いたしたいことがある。いつか……とお見受けするのを待っていたところだ」
しかし外からはあわてたような返事が聞えた。
「いや、失礼いたします」
逃げるようにして歩きかけた。
「ま、お待ち」
内蔵助は、急いで呼び止めた。
「それでは困る。赤穂以来の御厚志に礼をいいたいのだ」
「御無用のことです。私が何を致しましたか?」
「…………」
「しかし今夜はお怪我もなくて幸いでした。ほんの一あし違いでした。こうと知ったら、そのままに捨て置きません」
「どちらの方角ですか? 杉ですか?」
上杉と、相手がさとり得る語調であった。
「いや、柳です」
「ほう。それまでに、思いつめて来ているのですか?」
「そうらしいようです。あの二人で万事の|けり《ヽヽ》をつける覚悟でいるように思われます。だが、腕はあっても肚《はら》のないかれ等に何が出来ましょうや」
男の笑うのが、生垣《いけがき》の繁《しげ》みの向うに聞えた。
「失礼いたします」
「いや、暫く」
また、内蔵助は呼び止めた。しかし男はそれを拒《こば》むようにまた笑って、すたすたと、立ち去った。
「どなたですか?」
だまっていた主税は、はじめて不審を口にのぼした。
「今の人か? お前は、津軽《つがる》の無人《むにん》小父《おじ》さんを知らなかったな? お前のひいおじい様の従弟《いとこ》で遠い親類だが、弘前《ひろさき》の津軽家へ御奉公なさっていられるが、もう頭をまるめて江戸で遊んでいらっしゃる。その方が私達のことを心配して、いって来ればおれが断ると知っているものだから、わざと何もいわずにあの人を寄越《よこ》して私達の味方してくれたらしい。たびたび聞いてやったが、小父さんから返事の来ないのが怪《あや》しいと思う。赤穂にいる時|華岳寺《かがくじ》の前でおれに助《すけ》太刀《だち》をしてくれたのもあの人だった。それからお前は気がついているかどうか? 時々夜なかにこの家のぐるりを、私達のねむりを妨《さまた》げないようにそっと見廻ってくれる人がある。あれも、あの親切な男のすることらしい。……ありがたい人だ」
主税は、眼を輝かして、無言でうなずいただけだった。
「何といっても名を名乗らない。どこから来たともいわない。それを聞かれるのを避けて。なるべくおれに逢わないようにしている。そんな人があるのだ。主税。あの人ばかりでない、まだ隠れた沢山の人の好意が私達をとりまいている。忘れてはいけないことだ」
父親は、霧にぬれながら、しみじみこういった。
「どれ、牡丹を見てやろうかな?」
「馬鹿を見た」
こう、にがにがしく吐き出すようにいって、柳沢の隠密相沢新之助は、どっかと坐った。連れの岩瀬|勘解由《かげゆ》は、気重い中にも一嵩《ひとかさ》老人振った余裕を残していて、
「まあ、いうな、いうな」と、いいながら、やれやれという姿で、自分の刀を床の間へ置いたあとで、相沢のも、受け取った。
「間が悪かったよ。まさか人が来ようとは思わなかった。武士だし、ひょっとすると大石を訊ねて来たのかと思ったのでな」
「人に気兼ねはいらなかったのだ。見張りなんかに立たずに一度に飛び込んで、ばたばた始末をつけたらよかったのだ」
「そりゃアそういったものだが……」
岩瀬は煙管《きせる》を出して吸口をふきながら、
「それだけおれも真逆《まさか》、貴公が初太刀を仕損じようとは思わなかったのだから……」
「…………」
「やめよう、やめよう、考えるだけ、ましゃくに合わぬ話だ」
すぱっ、すぱっと……煙の輪が宙に浮く。岩瀬も気疲れがしたような目付だ。一服すますと仰向けにごろりと寝て、まだふくれて黙り込んでいる相沢の顔を、半分からかい気味に下からのぞきながら慰めるような調子で話し掛けた。
「下し置かれた軍用金が尽きたわけじゃないし、まだまだそう、せくこともあるまいて。これが嚢中《のうちゆう》心細くなったようなら、そりゃア一思案だが、酒がよく食べ物がうまく、いや、なによりも女の美しい京にいて、そう窮屈に考えなくてもよさそうなものだ。貴公も、道楽者の癖に、存外しんは百姓だな。それとも江戸の女が恋しくなったのか? お照ぼうに言い付けてやろうか……」
「なアにを、いやあがる」
悪くはなかったらしい。相沢は、てれたようにこういって、自分も岩瀬とならんでころがって、細長い脛《すね》を伸ばした。
具合わるく、二人ながら、この、行儀《ぎようぎ》悪い姿勢でいるところへ、四本の脚《あし》の裾《すそ》にあたっている次の間とのさかいの襖《ふすま》が急にあいた。
帰らないのが普通なので、近頃は蒲団も敷かずに置く宿の女中が、寝惚眼《ねぼけまなこ》で出て来たとばかり思って二人とも起き上りもせずちょっと頭をもちあげたのだが、これは、いつか変な家で内蔵助と間違えて遭《あ》ってから二人にはひどく煙たくなっている武士だった。どこで二人がここにいると聞いて来たのか知らず、二人ながらどきッとして、はね起きずにはいられなかった。
この突然の闖入者《ちんにゆうしや》は精悍《せいかん》な面がまえに、唇をそらしてにやにやしているだけで、物をいわずに立っている。
「なンだ!」
反射的に相沢は叫んだ。
最初の驚きが去ると、相手の図々しさに、腹が立たずにはいなかった。相沢も思わずあわてて先刻自分が床の間へ置いた刀を二本つかみよせた。
「一言の挨拶もなく、ひとの部屋へ無礼であろう」
相手は相変らず突っ立ったまま、短いはっきりした言葉で初めて答えた。
「挨拶はする。磧《かわら》へ出てくれ」
「面白い」
相沢は、響きの音に応ずるが如く叫びながら、立ち上りざま羽織《はおり》をかなぐり捨てようとした。岩瀬の頭に急に思慮が戻って来たのはこの時のことである。
「待て、待て、相沢、はやまるな。お互の間に何の怨恨《えんこん》もなく、そんな乱暴な話はなかろうではないか? 控えなさい。私が応待する。また、こなたは、そんなに立腹せらるるのは、われわれ両人に何か粗相があったとでもいわるるのか? うう、何か思い違いであろう。話せばわかることじゃ。さ、一とまずそこへ、お坐り願いたいな」
「私が腹を立てていることか?」
男はいった。
「君等は、浅野の大石内蔵助の親しい友達だ、と私にいった」
「…………」
「その口の下から君達は今夜なにをした?」
岩瀬は、ぎょっとして目をみはった。この男があれを知っている。あのことで、こんなに腹を立てている。
「ふうむ」と薄く、息のようにつぶやいて、相沢の方を見た。相沢、これは、蒼ざめてけわしい目付をしてにらんでいるのだ。
「つまり……」と、岩瀬は、急に活路を見出したらしい。
「われわれが貴公に嘘をいったというので、そんなに腹を立てたのだな。そりゃア無理な話だろう」
「そうだ、おれ達が何をしようがこんな奴の知ったことじゃない。岩瀬、もう、物をいうな」
「いや、待て、待て。なかなか生《き》一本で愉快な人物じゃないか……そりゃアな、どんなに睦《むつ》まじい交際の中でも明日になって見れば、どう変るかわからない。だから、われわれが大石ともと親しくしていたのも真実ならば、うう、近頃仲たがいをしているのも真実で、決して貴公に嘘をいったわけではない。これなら、おわかりだろう?」
「わからない」
「わ、か、ら、な、い?……ま、ま、待て、待て、相沢。……おかしいな、これほど筋を立てて話しておわかりないのか? すると、貴公は……」
岩瀬は、急に鋭い目付になって、
「何か、わけがあって、大石の肩を持っているというわけか……」
これだ。これが、岩瀬がこれまでねばり強く落着きはらって、巧みに裏に隠していた狡猾《こうかつ》な思案であった。大石とこの男と、どんな関係にあるのか? それによって、傾城《けいせい》買いに浮身をやつしている大石の秘密の一端も知れる! 岩瀬は、この前内蔵助が自分達を出し抜いて東《あずま》へ下った時、例の変な家でこの男とあってから既に、何か裏面にからくりがあるやに疑っていたのだ。あるいは、此奴が大石の同志の一人で大石の身辺を護衛しているのではないか? 岩瀬は磧《かわら》へ出て斬り合うことも、もとより辞さない。相手がどのくらいの腕前か知らないが、こちらも相沢と二人、腕に自信もあるし、先方が入って来た刹那《せつな》から尋常ではすまないことと看破していて、わざと妥協的な態度に出で、最後になって急にこれをいったのだ。
相手はぐっと詰まったように見えた。それまで、いやに落着きはらって、薄気味わるく見せていた微笑が急に消えて、岩瀬に得意を感じさせたのも瞬間のことだった。
「そうだ」と男は、きっぱりとはねかえすような調子でいいきった。そこで三人は連れ立って、庭づたいに磧へ降りて行った。
磧の一部、短い芝の密生したところまで降りて、三人はいい合したように立ち止った。それから、無言で支度にかかった。霧はひくく地にたれていて、どちらを向いても薄墨のにじんだように模糊《もこ》とした景色があった。二人と一人とすこし離れて立った三人の影のように見える。この風のない秋の深夜に、ものの音といえば遠くない水のせせらぎばかりだった。
芝はつめたい露《つゆ》を含んでいる。はだしになっては、かえってすべる危険がありそうだった。岩瀬は一度ぬぎかけて草履《ぞうり》をまたはきしめた。相沢は、たすきを結びながら、きちんと行儀よく並べてぬいだ。ぬぐのはどうかと思われたが、自分より年下でまた無鉄砲なこの友人の余裕|綽々《しやくしやく》とした様子が心丈夫に眺められた。
やがて、三人は、芝生の中央へ進み出た。
目と目と、合う。その刹那に、霧のつめたく沈んだ宙に、三条の刀身が静かに抜き放たれた。
肌にしみるような静けさが、流れの音をのせてのぼって来た。互いに付け入る隙をうかがう敏捷《びんしよう》な生き物のように、刀尖《きつさき》は暗い宙にはいまわって、かすかにゆれている。ひたひたと、こまかい波のように双方からのぼって来るかと思うと、合って、じっと無気味な目を据《す》えて睨《にら》み合って静止する。
突然その一つがさっとあお白く閃《ひらめ》いて、一文字にぐっとおどり入る。その時初めて、刃のかみ合う音が起って、燃えた鉄のにおいがやみに散った。どうとばかり、地響きを打って相沢が地にたおれた。あせって、岩瀬が斬り込んだ。すぐ目の前に肉薄していた敵手の顔が、白いのどをのぞかせて反《そ》りかえったのが見えた。その刹那に、岩瀬は、空をきって、はずみで不覚に泳ぎながら、右の腕に火のような一撃を受けている。立直った時自分の手がもはや力をなくしているのを知った。
ただ、言葉に絶した狼狽が残った。あまり簡単に片付けられたのが、他人事《ひとごと》ではない癖にさながら夢のようで、生命の危険をもその瞬間にはまるで意識出来なかったように、茫然とした顔色だった。まさしく斬られたとばかり思われた相沢さえ、地面から起き上って来たのである。
男は、刀を引いて立っていたが、ひややかにこの二人を見詰めながらいった。
「大体こんなものだが、まだ相手になるか?」
「…………」
二人は、へこんだ。腹が立ちながら一言もないくらい他愛ない敗北だった。自分達の一生の間に、いつかこんな途方もなく馬鹿げて、悲惨な瞬間があろうとは誰れが予期出来たろう?
「殺せ!」と、相沢がわめいた。
「殺したっておれの手柄にはならない」
男はきっぱり答えた。
「おれの方では、貴様たちがこれまでどおりのことをしていたら、どんな危険があるかということを知らして置けば、それで充分なのだ」
「…………」
「よく考えたまえ。安っぽく死んでしまったらつまらないだろう」
相沢もだまっている。岩瀬もだまっている。男が、霧に凍《こお》った刀身を静かに懐紙でぬぐうのを、怒ったり絶望したりしながら見詰めているだけだった。
やがて、その懐紙は、芝生《しばふ》に白い花のように残された。男はそれ以上何もいわず、肩幅の大きい後姿を土手の上のやみに消したのだった。
「なんてえ、野郎だ」
こういうよりほかはないという様子で、なかば境遇を茶化して岩瀬がこういったのは、暫く二人が化石したように黙って突ッ立っていてからのことだった。
相沢も砂をかんだような顔付で苦笑したが、これはまだ黙っていた。
「怪我はなかったか」
「ないようにしてくれたんだ」
むしゃくしゃして、たまらないでたたき付けたような返事だった。
そういってから相沢は急に情《なさけ》なくなった。
「いい態《ざま》だ」
「いうな、いうな。命がありゃアなんだって出来る。彼奴だって、こうなったら捨てとくことは出来ない敵《かたき》だ、おれに恨《うら》まれたらどんなにものすごいか、まだ知らぬと見える」
「何をいっていなさるんだ。さあ帰ろう、帰ろう」
「まったくだ。夜露はからだの毒だ」
喋《しやべ》っている内はいい。その夜露にじっとりとぬれた重い草履をひきずりながら、二人は一歩一歩に暗くだまり込まずにはいられなかった。
なアんだい! と自分で自分に軽蔑が感じられた。なんと、子供のように軽くあしらわれたことであろう。相手の底抜けの強さにも驚くが、こっちの腑甲斐《ふがい》なかったことは、またどうだ? 泣くに泣けないという気持がこれに違いなかった。
「どうする?」
部屋に帰ってからも相沢は、落着かない様子《ようす》で、まるで自分の席がなくなってしまったように、棒のように突っ立ったままで、恐ろしくなるくらい生真面目な顔付でこういった。
「どうするって……どうも、こうもなかろうじゃないか? ゆっくり寝る。さて、おもむろに、謀《はかりごと》をめぐらすという所だろうな」
「…………」
「飲むか?」
「飲まぬ」
「飲んだ方がいいのだ。酒というものは、こういう時のためにあるのだ」
「えい、喋るな」
恐ろしい声を出して、相沢が急に叱咤《しつた》したので岩瀬は驚いたが、青筋を出していらいら動いている同僚の顔を見て狡猾に笑った。
「そう腹を立てることもなかろう。おれをしかるのは、すこし見当違いだ。もう怒ったところで始まるまい? なんでもない気で大きく構えているのさ。それが一番だろう。おれにまかして置けよ。おれの知恵袋で、悪いようにはしない。今夜のことだって後で考えて大笑いして済ませるようにしてやる。それならいいだろう」
「そう願いたいもんだ」
「信じられないか?」
「まあ、信じて置こうよ」と相沢も、いくらか興奮からさめて来たように妥協的な微笑を見せた。
「それでいいんだ。まあ、親船へ乗った気でいるんだな。寝よう」
二人は床に入った。
岩瀬は間もなく寝入ったらしくいびき声を聞かせたが、この男より興奮していた相沢は戸の外が白んで来るまで眠れなかった。醒めた時、もう雨戸はすっかりあけはなされて、底抜けの秋晴れの光が枕もとまで差し込んで来ていた。
隣の床を見ると、岩瀬はもう起きてかわやに出て行ったと見えて、いない。それから相沢が自分も起きて、この信頼すべき友人が、今朝暗い内に自分達の共同軍用金を全部ひっつかんで逐電《ちくてん》したと知ったのは、朝食の膳のすぐきに箸を付けている時だった。
小野寺十内の家の玄関に立って案内も乞《こ》わず、おずおずと内をのぞき込んでいる一人の、みすぼらしい老人がいた。
あるじの十内は、庭にいて、秋晴れの空の下で日課の槍を使っていた。鋭い気合がしんとした庭石にこだまを呼びそうに思われる。妻の丹女《たんじよ》も廊下に出て、齢をとってもさっそうたる夫の姿を熱心に頼もしげに見まもっていた。あれほど大切にしていた老母が去年の冬死んでから、夫婦はひどく力を落したが、この悲嘆の中にも自分達の行手にしっかりとさだめられている、共同の目的のことが念頭を去らずにいた。老母の臨終の言葉もそのことに触れて、夫婦の、最後の御奉公をいい置いたものだった。
客は、筒抜《つつぬ》けにもれて来る気合の声を聞いて、声をかけるのを余計ためらったように見え、そわそわと落着かない挙動を見せた。早い桜の落葉が地に散っている。山の木立がはっきりと見える明るい朝である。
十内の日課の、朝の部は終った。
座敷へ戻って、白湯《さゆ》を飲む、いつもと同じように、この世にも珍しく睦《むつ》まじい老夫婦が、礼儀を忘れない静かな口調で、この休息の時を楽しい雑談で過しにかかる。客は、この時になって、初めて声をかけた。
「おたのみもうす」
すぐ妻女が玄関に出た。
「小野寺氏は御在宅か?」
こういったのは、姿こそ変っているが昔の御家老|大野九郎兵衛《おおのくろべえ》だった。
妻女が取り次ぐと、十内も驚いた様子で、つかつかと玄関へ出て来た。
「これはお珍しい」
「一別以来で御座る」
九郎兵衛は、幾分なつかしげに、また思いなしか妙に哀れっぽい姿でこういった。
ともかくもと、内へ招《しよう》じ入れながら、十内も、今日この男が何で自分をたずねて来たのか不審に思うし、また、服装もよごれてみすぼらしい様子を目に止めたのだった。大野父子が国を逐電後、同じこの京へ来てどこかに住んでいるような噂《うわさ》があっても、こちらでも別段に気に留めて知ろうともせず、絶えて逢うこともなかったのだが、急にこの男がたずねて来たというのは、何か大切な用件がなくてはならないことだ。
座を改めて、
「いや、御健勝にて……」
「貴殿こそ……」
九郎兵衛は、昔|横柄《おうへい》だったのにも似ず、卑屈と思われるくらい腰をひくく、落着きのないせかせかした辞儀《じぎ》を繰り返した。
「丈夫は宜《よろ》しいが……御覧のとおりじゃ」といった。
「いや、すこしもお齢を召したように見えぬが……」
十内は、向いあって坐って、やはり昔の九郎兵衛の姿を見たのだった。
「そうはまいらぬ。何の楽しみもなく生きているのだから、変らずにはおりませぬ。つくづくと苦労で御座る」
「やはり、御子息と」
「左様さ」
ごくりと、茶を飲む様子まで変に貧乏臭かった。
「結構なお庭で御座るのう」
「…………」
こちらは、無言で、煙管の灰を落した。やはり九郎兵衛も、見かけは別として心持の方が先に年をとったのかも知れない。はりのない話し方が、来意がてんでわからないのと合せて、十内に茫漠としたもどかしさを感じさせた。
ただ無沙汰見舞いに来る筈はないし、何の用事だろう?
「太夫はごさかんで御座るのう」
九郎兵衛は感慨にたえぬように、こう、いった。
「お羨ましい事じゃ。それにひきかえて、わしは真《まこと》におはずかしい。もとより今日とても、これへ伺えた義理ではない。往来を歩いておっても昔の知人の姿を見ると、こそこそと犬のように路地へ逃げ込んで、なるべく逢わないで済むことばかり考えておるようなわけで……」
「左様にせらるることはない筈じゃ」
「いやいや、大野九郎兵衛は犬で御座る。畜生で御座る。各々方の御誠忠のほどを見るにつけ、卑怯に生れついたおのれが恨《うら》めしゅう御座るわ」
「…………」
あまり愉快な客ではないと最初からわかっていたのだが、十内は、当惑した。多分は手もとの苦しい生活から来たものであろうが、武士として口にすまじきことを平気でずばずばいうようになっているだけではない。おもては如何にも卑屈で恐縮し切っているように見えて、話していると、相手を妙に息苦しく圧迫するものがある。「太夫はごさかん」といったり、自分を犬畜生といい罵《ののし》る言葉に、皮肉のとげが含まれているようにも感じられて、却って自分の卑怯を看板にして図々しく押し出して来たような不快さがあった。
「それにお心付きになったのは、結構なことじゃ。しかし、左様に世間を狭くなさることもあるまいにの」
十内は、考えて、かなり冷やかに、こういっただけだった。
しかし九郎兵衛は、肩をまるめてうずくまったまま、泣くような顔付で笑って答えた。
「一番悪いことは、それと気がついて、何ともならぬ自分の気性じゃ。ただ、つくづくとなさけなく考えるだけで、どう出来るというのでもない」
「…………」
「やはり、犬のように、日蔭に隠れて住むよりほかは御座るまいか。ははははは……」
かれて、響きなく笑った。
十内は、何がなしに、かッとして来たのを辛《から》くも自制した。
恥を知らないのも、ここまで来れば充分であった。また、恥をなくすと人間は、却って変に図図しくなるものだったのである。
十内はだまっていて、しきりと煙管をはたいている。九郎兵衛は、口をきいていない時は長押《なげし》の槍を見上げたり、床の飾りを見たり、そこらを不作法な視線でかき廻しているのだったが、やがて、また、
「時に……」と、いった。
「例の方は、その後、大分話が進みましたかな?」といい出した。
「それ、高家の……」
「失礼ながら、御関係のないことであろう。また、私の口からは何も申し上げられない」
これは、きっぱりと、こう答えた。
「他言はつかまつるまい。そのくらいは手前もまた心得ている」
「いや、それよりも、今朝おいでの御用件の方を承《うけたま》わろうではありませぬか?」
十内は早く話を切り上げたかった。
しかし、九郎兵衛は、ながいながい話を始めた。長かったのは、この二年間自分がどんなに窮乏の生活をして来たかということで、結局は赤穂の宿屋におさえられている自分の身上《しんしよう》を取り返したいのだが、内蔵助の口添えがないと先方で引き渡してくれないから、十内から内蔵助へ何とか話して、自分の手に戻るようにしてくれというのだった。
十内は、あきれた。無論そんな申し出は、はねつけるよりほかはない。
「お断りしよう。私には、出来ないし、したくない」
「なに?」
九郎兵衛は大きな眼をむいた。様子が、十内の返事がひどく意外だったらしいのである。意外といえば、九郎兵衛のこの態度の方が十内にとってはずっと意外だった。
「出来んければ宜《よろ》しい。太夫に、じかに話すことにする」
内蔵助は、無言で客の言葉に耳を傾けていたが、客が何をいおうとしているのかわかると、途中から、それを聞くのをやめて、炉にさわやかにたぎっている釜《かま》の音に聞き入るようにした。
御本家、大学どの、御親戚|一統《いつとう》の思召し……この単語が、いくたび、三人の客の口から出て内蔵助の耳もとで、虻《あぶ》のようにうなったことであろう。追っても追っても耳のそばへうるさく戻って来るのである。これは、捨てて勝手にうならして置くより外はない、と主《あるじ》は思ったのである。
外はさびしいくらい明るく晴れ渡った午後である。
客は軍艦を三艘《さんぞう》並べたように立派に、ものものしく坐っていた。奥野将監、小山源五左衛門、進藤源四郎の三人である。お揃いで来たなと思うとこの話であった。御本家を始め御親戚方が、同志の計画を御心痛になっていられる。もっと温和な解決を希望していられるというのである。
「それは、そうかも知れませぬ」
内蔵助は、僅《わず》かに、こういった。
なお、よく考えてみましょうという言葉を聞いて、軍艦たちは、帰って行った。光が一枚一枚の葉を染める生垣《いけがき》の間を三人が出て行くのを見送りながら、内蔵助はにわかに不愉快になっていた。殊に、三人の中に、自分の伯父の小山源五左衛門の痩せた肩があることに淋しい気持にならずにはいなかった。何かしら、早くしなければならないというような焦躁が動いた。
しかし、炉端《ろばた》に戻ってぼんやりと外を眺めている中に、いつもの、ゆったりした気持に戻ることが出来た。この天井《てんじよう》の低く、壁の暗く、全体のくすんだ茶室は、中に坐っていて、明るい外をまるで別天地として眺められるのである。ここだけきりはなされた、いわば穴倉の中にぽつねんと坐っているようなものだった。
まあ、宜しい。卑怯者は退くことだ。
また、外部からの圧迫が強くなればなるだけ、同志の結束は堅くなるだろう。釜の蓋《ふた》をおさえればおさえるだけ、中の蒸気は凝集して|より《ヽヽ》強い力となって来る自然の理法である。今自分達をおさえようとしている御親戚がたも、最後にはそれが却って逆の働きをして、自分達の心願の成就に消極的に援助なさったことになったのをお心づきになるのだろう。
暗い炉端から明るく動いている木の葉を眺めながら、内蔵助は自分の胸の中にも明るく動いている木の葉を感じる。
(出来る、そうだ、出来る)
卒然《そつぜん》として、この感じが、胸にわいた。
これまでは、刻苦して運んで行くよりほかはないと信じていた道が、大願が叶《かな》うかどうかは、悉《ことごと》く自分達同志の努力の如何にあるものと思われて来た。それとは違って、あらゆる周囲の事情が、この大願のとどくように自然と協力してくれているのではないか? こう取るのは、楽観すぎる、あまい考え方であろうか? 内蔵助は一応これを反省した。そして、いやそうでないと思った。じっとして坐っていられなかったように、急に立ち上った。
その時、急に、庭に人影がさして、内蔵助を振り返らせた。
「手前で御座る」
大野九郎兵衛は、しゃがれ声でいった。目をあげて、内蔵助を見上げた。小柄な内蔵助が茶室の低い天井の下で、今日は馬鹿に大きく見えた。
内蔵助は、九郎兵衛を招じ入れて、話を聞いた。話は、廻りくどくて退屈だったが、好意を持って聞くことが出来た。内蔵助はたった今帰って行った三人の客――奥野、進藤、小山と九郎兵衛を区別して考えることは出来ないと信じた。今日まで同志として行動を共にして来て、急に臆病風に吹かれ今更のように御本家をかつぎまわって、それとなく一挙を中止させようとしている人々よりも、最初から弱虫で通っているこの老人の方が、ずっと正直だということも出来るのである。
内蔵助が、微笑をふくんで聞いている内に九郎兵衛は、癖で、うう……と呻《うな》るような合の手を、大切な箇所になるほど言葉の間にはさみながら、長い話をおえて、ここでもまた断られるのではないかというような不安な目付で、主の顔を見た。
「書きましょう」
主の返事は簡単だった。
九郎兵衛は、内蔵助が硯箱《すずりばこ》を出して墨をすりはじめたのを見て、思わずにこにこして躯《からだ》を動かさずにはいられなかった。
「いや、どうも……」と、ほっとした様子で膝をさすっていたが、
「おお、そうじゃ。小野寺がこちらへまいりませなんだか?」
筆を走らせていた内蔵助は首を振って、否《いな》と答えただけである。
「あの男は、どうも怪《け》しからん」
九郎兵衛は、前日十内を訪ねた時のことを思い出して憤慨を、新たにした。
「こちらへお話いたせば、いやもう、すぐこのようにわかっていただくことで……御清閑をお妨《さまた》げいたしたくなく、一応小野寺に取次をたのんだので御座るが、昔のよしみも忘れて、けんもほろろの挨拶で御座った。誰れのものでもない手前のものを引取ろうというのに、そんなことは出来ぬと、どうも乱暴千万な……あんな男ではなかったが」
「いや、そんな男ですよ」
主は、いくらか皮肉な目付をして笑いながら、いった。
「小野寺は、自分のもの誰れのものということを考えられない男だ。いわば自分のところにある財物は一時お上からお預かりしているものと見ているのじゃないかな。あなたの所有を認めないように、自分のものというのも認めていない。士《さむらい》はそうなくてはならぬものと信じている。私欲のない男だ」
「…………」
「そこで、あの男の考え方からいったら、あなたには、多分、その資格がないと見たのだろうか」
九郎兵衛は、言葉に詰まって、顔を赤くした。何よりも、内蔵助が自分に全《まつた》き好意を持っているわけではないということが、言葉の裏にわかって不安になった。
だが、内蔵助は、もとのように黙って静かに筆を走らしている。南の日を受けた障子に、とんぼがとまって、くっきりした影を描いているのが見える。坐っている九郎兵衛は背筋に汗の伝わるのを感じ、この部屋の空気が、雷雨の前のように急に重苦しいものに思われるのだった。
「これで宜《よろ》しいか?」
内蔵助は、認《したた》め終った書状を客に示した。客は、口の中で何かいって、こっくりを繰《く》り返しただけで、早く外へ出ることばかり考えていた。
間もなく、野道に差している夕日が京に帰る九郎兵衛の、苦虫を噛《か》み潰《つぶ》したような不機嫌な横顔にあたっていた。もう会わなくて済むのだと思う内蔵助以下の昔の朋輩《ほうばい》だけではなく、九郎兵衛は自分の命さえいとわしいものに感じているのだった。
堀部弥兵衛は、その日、朝から押入の中の本や古い書付を運び出して来て、縁に一杯の秋の日光にさらしている。去年、引っ越して来た時からそのまま手をつけず蔵《しま》ってあった事で、蓋をあけると湿気がつめたくにおった。それはいいとして、糊《のり》のかびたのや、しみがついて小孔《こあな》のあいたのが、葛籠《つづら》の底になる程出て来て、これまで年寄の物ぐさから蓋もあけずに置いたことが、今更残念に思われた。
それというほど貴重なものはないが、古い自分の日記や、また自分よりは早く死んだ親しい友達の手紙などがあって、その中のどの一つを取っても、弥兵衛に昔を思い出させぬものはなかった。単に季節の物を送り届けてやった受取りの、短い文言の手紙一本にも、その友人の風貌や自分との久しい交際ばかりでなく、その当時の自分達の生活が、毎日毎日をかこんでいた隣り近所のものの響きや匂いをのせ、静かに浮き上ってくるのである。その折の庭にあった一本の木犀《もくせい》の木も、よくも忘れていなかったと自分でも驚くくらい、思い出のなかにあの星のような花をつけ、沈んだ匂いを漂わせて、立ち上って来るのである。
七十六歳の、なんと剛情を張っても衰えている肉体が、この、なれない労働に疲れて来ると、弥兵衛は、自分も日だまりの、このなつかしい過去の亡霊たちの中に坐ってやすんだ。これこそ、年寄に一番ふさわしい仕事だったし、また武骨一辺と見られているこの老人には滅多に見られないことだった。
風もない、からりと底抜けに晴れわたった秋空だった。
弥兵衛の妻が、あまり静かになったので様子を覗きに来て、暗い襖《ふすま》の蔭から声をかけた。
「お済みでございましたか?」
「むむ」
眼鏡が、日を受けて、きらりと光った。振り向いた二つの玉の中に、弥兵衛の膝のぐるりを散らばっている古い書付が明るくうつっていた。
「暑いくらいだ」
「結構なお日よりでございます」
妻は、茶を入れに、鉄瓶《てつびん》のたぎっている茶の間へ戻った。それから弥兵衛の湯呑みを盆にのせて出て来ると、意外にも弥兵衛が、縁側に横ざまに倒れて、じいと動かずにいるので、はっと思った。
「もし……」
返事もなかった。妻は、弥兵衛をだき起して二度三度ゆさぶって見た。弥兵衛は目をあけていて、口を動かして何かいおうと努《つと》めているらしかった。
いつもは弥兵衛とはくらべものにならぬくらいの病弱な妻に不思議な力が湧いていた。すぐと、安兵衛の妻を呼んで蒲団《ふとん》を敷かせる。それから弥兵衛の足を持たせ、自分は羽交《はがい》に抱いて骨の硬《かた》い弥兵衛を抱き上げて搬《はこ》ぼうとした。弥兵衛は始終何かいおうとして焦立っているし、自分で蒲団まで匐《は》って行こうとする気力を持っていたが、この一徹の老人の努力は効《かい》がなく、妻と嫁のするのに委《まか》せるよりほかはなかった。利《き》かぬ気の老人は、それを残念に思ったようだったが、やがて、あきらめたように二人の力によって、蒲団の上に枯れ木のように横たわった。
額《ひたい》がひどく熱いので、手拭《てぬぐい》でひやす。医者を呼びにやる。不安と混雑が勝手から外へこぼれる。近所の酒屋の手代《てだい》が、安兵衛に急を知らせに麻布へ走って行ってくれる。
その間を、弥兵衛は、相変らず口がきけず、身動きもならず横たわって、ただ、じいと天井を睨んでいるのだった。
駈け付けて来た医者は、それまでに手拭を幾たびもしぼり替えて、頭を冷した家族の措置がよかったといってほめた。病気は卒中《そつちゆう》で、幸いと極めて軽いものだが、お齢だから三、四日はこの儘《まま》安静になすっていないと、また再発しないとも限らない。これが急激に来ると、その儘になることが多く、そうでないにしても身体が不随になるものだといって、すこし口がきけるようになっている弥兵衛の齢をきいて、七十六にもなると聞くと、感心したように見えた。
弥兵衛は、縛られたように蒲団の中にじっと横たわっていながら、ずっと怒ったような目付をして、医者を見詰めていた。話を聞いて見て、にわかに何だか見えない重い力で身体をおさえ付けられているような不自由さを感じて、滅多に身動きも出来ないような気持に支配されながら、顔が熱いだけで、精悍《せいかん》な気力はいつもどおりだった。いや、この医者の如何にもこちらの運命を見とおしたような口ぶりを聞いていると、むやみに腹が立って来て、用が済んだらさっさと帰ればよいのだと、思っているのだった。
「ともあれ、お静かに、気楽にしていらっしゃることで」と、医者は、病人と家族とに半分ずつ聞かせるようにして付け加えた。
「お気をお使いになることは何よりも禁物ですな。どんなことがあろうと、暢気《のんき》にしていらっしゃることですて。ひどくお喜びになるようなこともいけませんし、また、御立腹になるようなことは、決して、お耳に入れてはなりません。これは、よく……御注意にならないと……」
「おれは、もう、なおった」
突然に、病人が、こういい出した。
医者も、付添いの者も、意外なことだったので、あきれたように病人を見詰めた。
弥兵衛は、自分の言葉がうそでないことを証明して見せるために、独《ひと》りでもとどおり起き上って見せたかったのだ。しかし、肉体は、まだ、この希望に副《そ》うまでに回復していなかった。それが残念で弥兵衛は顔をゆるめながら、また、いった。
「おれア、まだ、死なんぞ」
妻も嫁も、これを聞くとひとしく、どきっとしていた。
弥兵衛がこの瞬間に復讐のことを考えていたことは確かだった。「死なんぞ」ではない。それまでは死なれないぞという意味なのである。弥兵衛はそれ以上何もいわなくなった。急に目をつぶって、だまり込んだのである。仰向いている顔に、深い感動と暗い影とが、萎《しぼ》んだ皮膏《ひふ》に皺《しわ》を濃《こ》くしていた。妻と嫁とは憂《うれ》いながら、これは、ただ病人の強情にあきれて気まずい顔になっている医者を送りに立って行った。
玄関まで出て医者がまだ何かいっているのを弥兵衛は、ぼんやりと耳にしていたが、今はもう一度腹を立てる力もなく急に気弱くなっていた。医者のいったことも、一々承認するよりほかはないものとして、釘《くぎ》を打ち込まれたように、胸に響いていたし、小山田庄左衛門の父親で自分には朋輩だった小山田|一閑《いつかん》のことが自然と思い出されていた。
一閑は、七歳年長の八十一歳だが、数年前この卒中の打撃から半身不随となって、床《とこ》についたきりでいる。忠義の志は人にすぐれて厚く、丈夫でさえあったなら一挙には先頭となって働く人物でいて、この身体がいう事をきかないばかりに、子供の庄左衛門に自分の分も働かせることにして、無念を忍んでいる様子が、顔をあわせるのも気の毒なくらいに思われていたのである。それと同じ呪《のろ》いを、今、自分が受けて、同志の人々から気の毒に思われるようになろうとは全く予期していなかった。いくら齢が齢でも、これはたまらない。腹も立つし、気も滅入るわけである。それが一番悪いという医者の忠告に、今は無条件に服従する気持になって、わが身ながらあぶなっかしくてひやひやしながらいたわろうとしていて、さて、これはいつまでも際限なく暗澹《あんたん》と考えずにはいられないことだった。
妻と嫁が戻って来てからも、弥兵衛は、一言もいわず、またいわせなかった。極端に不機嫌な顔付で、二人を威嚇《いかく》して、その間にも日かげの薄れて暗くなって行く天井と睨み合っているだけである。それも、間もなく、「あっちへ行け」というように、烈しく首を振って、二人を立たせてしまっていた。
安兵衛が駈け付けて来たのは、もう外が暗くなってからだった。安兵衛は、直ぐ病室へ入る前に養母《はは》と妻とが、不安そうにちいさくなっているのを見つけて、
「どうです?」と目を光らしながら、奥へは聞えぬ声で尋ねた。
まあ、今は落着いていらっしゃるけれど……といって、母親が、前後の事情と、医者の意見と、弥兵衛が強情で困ることを、かいつまんで話した。頷きながら注意深くきいていた安兵衛は、相変らずですなというように笑って、
「その分なら、かえって大丈夫でしょう」と、二人を励《はげ》まして、奥へ入って行った。
弥兵衛は睡っているように見えた。が、安兵衛が傍へ行ってそっと顔を差覗くと、瞼をあげて婿《むこ》を見ながら、笑って見せた。自分がこんなに成ったことをきまり悪がっているような、子供のように見える可憐な笑顔だった。
「どうなさいました?」
安兵衛は、この養父《ちち》に新しい愛着を感じながら、こういった。
「いや」と、弥兵衛も、安兵衛の顔を見て急に安心した模様で、落着いた返事を聞かせた。
「やられたよ」
「いけませんでしたなあ。私も驚きました。しかし、たいしたことがなかったのは何よりでした」
「何もそう騒ぐことはなかったのだ。そいつを、医者からして大袈裟《おおげさ》なことをいうから悪い」
「…………」
「七十八十にもなれば、家が古くなったようなもので、こわれやすくなるのはあたりまえの話だ。大切にしろは、いわなくったってわかっている」
「まあ、それはそうです」
安兵衛は、病人の強情なのに閉口《へいこう》しながら、いつもどおりさかんな気力でいるのが何よりもうれしかった。
「とにかく、御用心が何よりです」
「いや、有難う、もう心配はない……ほかの年寄りとは違う、あの方があるからな。それまでは誓って生きている。滅多に死んでたまるものか!」
こういいながら、弥兵衛の両眼には、動かない烈しい火が点じられた。
安兵衛は何かいおうとして、胸にひろがって来た感動に抑え付けられて無言でいた。うるんだ目を微笑させて繰り返してうなずいただけである。その、見ている前で弥兵衛はまた目をつぶった。行燈《あんどん》の灯影《ほかげ》が、枯れきった半面を彩《いろど》っているのである。瞼がかすかにふるえている。その下に隠れている不安な屈託を安兵衛はよく知っていたのである。
まだか? 山科から、まだ何もいって来ないか?
父親は、それをききたくて、口にはいえないでいる。いえないのは、こちらの返事が例によって否定的で、まだ何もいって来ませぬというのにあることを、またこれによって新しく味わうことになる苦い絶望の味を、恐れているからである。安兵衛は、まだ京にいて暢気に構えている内蔵助を恨めしく思わずにはいられなかった。
早くしてほしい。とにかく、ほかに望みがなく生きているこの父親の存生の中に是非、本望を遂《と》げたい。ただそれだけなのである。当人は「死なぬ」といっているが、端《はた》の者の心持でも、それまでは何とかしてこの可憐な父を殺したくない。
婿をかたわらに置いて安心したせいか、やがてうつらうつら睡り入った病人をみとりながら、安兵衛がしみじみと考えたのは、これであった。
「おい黒や、どけどけ。往来の邪魔になるぞ」
御近所の心|易立《やすだ》てに、敷居のところに寝ている犬にまで話し掛けて、前原伊助の米屋五兵衛は暖簾《のれん》をくぐって入った。
「今晩は」
「おや、いらっしゃいまし」
しきりと釜から蕎麦《そば》をしゃくい上げていたお内儀《かみ》さんが、湯気の中から伊助を見て愛想よく迎えれば、帳場にいた亭主も笑顔を向けて、
「ひえびえとしてまいりましたね」
「左様で御座いますよ。これからは、こちらさんの御季節ですね」
「へえ、どんなものですか……お風呂で御座いますか?」
もう、すっかり商人らしく、そつのない物腰で受けて、伊助は、畳んで頭にのせて来た濡手拭《ぬれてぬぐい》で、湯からあがり立てのゆでたように赤い額の汗を拭きながら、上《あが》り端《はな》へ腰をおろして、
「済みませんが、一本」
「畏《かしこま》りました。おあがりなさいましな」
「いいえ、ここで結構」と軽く頭をさげる。
伊助がこういいながらちらりと見たのは、上へあがって壁際に車座になって酒を飲んでいる五人づれの武士だった。風呂屋から帰り途《みち》に窓の格子《こうし》越しに、おや見た顔と、ちらりと覗いて見て――つい鼻の先に塀のある吉良の屋敷にいる武士たちと見ると、急に自分も入って見る気になったのだ。
五人が五人、ひょろひょろの高家の家来達に似つかぬ筋骨たくましい、いかつい面構えを並べたのは、もとより上杉の付人《つけびと》達と伊助はにらんだのだが……果して、言葉にひどい国訛《くになま》りがあって耳にさわる。殊《こと》に|す《ヽ》と|し《ヽ》の混同は米沢である。酒はもう大分まわっているらしかった。入ってきた伊助を、ちらと警戒するような目付で見たが、害のない人間と見たらしく、気にもとめずまた猪口《ちよく》を挙げて、一度途切った話を続けて行った。
「人間が出来ているというのか知らぬが、どうも、因循《いんじゆん》過ぎるよ」
「拙者が見たところでは、御家老から何か特に話があったのじゃないかと思われる。根は、豪快な実に活溌な人物なのだから……」
「そりゃアそうかも知れないが、もうちっと、羽目《はめ》をはずしてくれてもいいな。どうせ、いつ来るかわからない敵を待っているのだ。そのくらい大目に見てくれなければ、どうも腐るな。今のままでは、あまり、はりがなさすぎる。生きているような気がしないじゃないか? 人間って奴は、どうも毎日同じことをしていると、いいことはないのだ」
「そりゃアそうだ。そりゃアそうだ」
こう繰り返した男がいた。
「これから、さき、幾日したら、やって来るものかわかったものじゃない。あるいは来ないかも知れないのだろう」
「まあ、毎日、今日こそ来ると思って暮せたら、そりゃア何よりだがな。小林なんかは確かにそれだね。一日として気を緩《ゆる》めたことがない。十年一日の如しじゃ」
「人間の出来が違うのさ。まず以《もつ》て及び難しとして置くかな。だが、また先方だって幾人江戸へ入って来ているか知らないが、肝腎《かんじん》の親玉が動かないでいることだから、……今の内からこちらがそう気を張っていなくてもいいわけさ。あの男にいわせると、それが油断だというが……だがなあ、まさか、むこうにその計画があるのなら、大石が中へ入っていないわけがないだろう」
あくる朝、伊助が麻布谷町に神崎《かんざき》与五郎の美作屋《みまさかや》善兵衛を訪ねると、この善兵衛さんは丁度何か包みを抱えて外へ出て来たところで、門口《かどぐち》でぱったり逢《あ》った。
「お!」と、秋らしく高く晴れ渡った空の下で、二人が顔を見合わせて微笑した。どちらも縞物《しまもの》の着流しで、すっかり商人らしくなっているのが、毎度のことでも顔をあわせる毎に、てれ臭く、滑稽《こつけい》に思われたのである。
与五郎は、伊助がこんなに早く来たので、何かあったのだと察しながら、
「これは、いらっしゃいまし」と愛想よく迎えて、伊助と肩を並べながら、
「結構なお日和《ひより》で御座いますな」
「左様で御座りますな。どちらかへお出掛けのところじゃありませんか?」
「いえ、なアに、この上の、上杉様のお長屋へ」
「そりゃアとんだお邪魔をいたしますね」
「どう致しまして、さ、どうぞ……」
二人は、わざと躍起《やつき》に競争して商人らしい丁寧な言葉で話しながら、笑いたそうな顔付で、家の中へ入った。
「何か……」
「いや、そう大したことじゃ御座いませんがね」といって伊助は、昨夜近所の蕎麦屋《そばや》で上杉の付人《つけびと》を見たことをいった。
「五人でした。名前は、わかりようがありませんから……せめて、何か一目見てわかるような特徴を取って、勝手に名を付けて覚えて置くことにしたわけです。横びんに古い刀傷のあるのが一人、これは『傷』という名を付けてやった。それから顔の長い『胡瓜《きゆうり》』。痩せぎすの『骨』。次が『禿《はげ》』。最後が、大高源吾に似ているから『大高』、(大高が聞いたら立腹するだろうが)この五人、それから話の中に小林という男のことを頻《しき》りといっていましたが……」
「小林平七でしょう。あの家中では、名うての剛《ごう》の者です。小林も、じゃア本所へ行っていると見えますね。いや無論行っているだろう」
「その六人だけ分ったわけです。あと何人入っているか?」
「傷、胡瓜、骨、禿か、私も覚えて置きましょう……禿なんぞは大勢いないとも限らないし間違いそうですね。むこうでも符牒《ふちよう》で勘定されては、たまりますまいな」
与五郎の美作屋は笑った。
この丹念な友人は、こうやって、上杉の付人を、幾人でも見掛ける毎に一々勝手な名をつけて記憶して置いて、虱潰《しらみつぶ》しに付人の総数をさぐり出そうとしているのだ。笑いながら与五郎は、伊助の熱意に動かされずにはいられなかった。
「話の模様が、あの連中も、ひどくたいくつしているようでした。早く討ち入ってくれた方がいい、などといっていました。愉快じゃありませんか? 考えて見れば、どっちが辛抱強いか競争しているようなものですね。ただ、むこうのは主命で否応《いやおう》なくやっていることだから、つらいことではわれわれより上かも知れませんよ。こちらは、自分の好きでやっているだけでも気楽だ。――太夫が、ぬらくらして日を延引させているのも、先方に油断の出来るのを待っていられるのかも知れませんな。先の先まで見える方だから……」
伊助は、こういってから、
「そうだ、こちらの話はそれとして、そちらの方には何か好いたよりはありませぬか?」
「まだ、甚《はなは》だ曖昧《あいまい》なのですが、どうやら……あのお屋敷の内部に変動があるらしく、新しく米沢から出て来る人があるかと思うと、急に江戸を引き払って帰る者がある。様子が尋常《じんじよう》でないのです。今日もこれから出掛けて、なおよく様子をさぐって見たいと思っているのですが……」
「はて……」
伊助は急に眼を光らした。
「そりゃア、上野介どのを米沢へ引き取る支度ではあるまいか?」
神崎与五郎が上杉家の長屋を廻っている頃に、千坂兵部を訪ねて小林平七が本所から来ていた。使いが来て、平七に直ぐ来てくれというのであった。
兵部は、御前からさがって来たばかりのところで、肩ぎぬを着けたままの姿で、平七を迎えた。兵部は四、五日前に見た時よりもやつれているように見えた。
「御使者で御座りましたが……」
「いや、別に急ぐ用事があるわけでもなかったが、ちと相談があってな」
機嫌よくこういって、平七を進ませた。
しかし、兵部の顔には、何となく暗い影があって、つかれているようなところが見えていた。この人に、これを見るのは、珍しいことだった。
「あちらの方は、どうだ? 皆、変りないか? その内一度見舞に行きたいと思っていて、何かとつまらない用事に追われて無沙汰《ぶさた》にしている。別に病人もないのだな」
「は」
「不自由があったら何事でもいって出て欲しい。さぞかし退屈していることだろうと思っている。しかし、お手前がたが退屈していられる分には、お家のためには、こりゃア結構なことなのだ。そう思っていてもらうのだな。おれの方は、段々|面倒《めんどう》になって来るよ。ひどい御不興を蒙《こうむ》った」
冗談のように軽快に話して来ていて、兵部の言葉は、ここまで来て、まるでつまずいたように途切れて、平七の注意を惹《ひ》いた。
見れば、兵部は、にがい笑をくちびるの隅《すみ》にただよわせていた。
「無論、表面にあらわれるような事件があったわけではないが、おれのやることが、悉《ことごと》くお気に召さない様子なのだ。御聡明なお方であるが、御親子の情はまた別だ。そのために御不興であってみれば、まことに致し方ないことだが……小林、おれは近い内にお国へ返されることになるらしいのだ。まことに残念なことだ。……が、お上の仰せであってみれば、臣下としてお受けするよりほかはない」
平七は、事の意外に驚いた。殿と御家老とが上野介様のことでうまく折り合わない模様は、平七も薄々知っていたのだが、いつの間にか事情がそれまでに切迫して来ていようとはこれで初めて聞いたのである。
兵部は、この話をしてにわかに、これまでの経過を思い出したと見え、一層沈痛な顔付になって口をぎゅっと一文字に結んで、暫く無言でいた。
「まだそれと仰せ出でられたわけではないのだ。しかし遠からずそうなることは明らかだ。二十何年もおつき添いしていたおれは、殿のお心持がわからぬことはない。殿は、とうから、それを御命令になろうとして、おやさしいお心持から、家来のおれに御遠慮遊ばされていられた。おれは、それをよく知っていたのだ。しかし……ここで負けてはならぬと思う心持が、おれを引き止めてくれていた。お家のためだ。どんな仰せがあろうと、きっぱりとお断りして踏みとどまろうと……そこは年寄りの図々しさで……一図に考えても見たのだが……いつかおれは殿がお気の毒で見ていられない気持になった。ただならばよいが、本所が、たびたびのお手紙のみか、左兵衛様をお寄越《よこ》しになり、殿をきびしくお責めになっていられる。おいたいたしいのは殿だ。あちらと頑固《がんこ》なおれとに、勿体《もつたい》ないが、板ばさみとなって御心労遊ばされていられる。平七、どうじゃ、おれは、それを知りながら、平気らしくこの目で見ているのだぞ」
兵部は、こういって目を光らせた。
平七は、兵部が涙ぐんでいるのを見た。兵部の、枯れ木のように薄くやせた胸に、如何《いか》ばかりの心労が積み重ねられているかを思うと、何かしら尊い心持に打たれて面を伏せずにはいられなかった。また兵部が、こんなに心弱くなっているのを見るのも初めてのことなのである。平七は、暫くだまっていてから、武士らしい重い口調《くちよう》でいわずにはいられなかった。
「然《しか》しながら……千万御苦労には御座りますけれど、また殿より何の仰出《おおせいで》もない限りは、御自分から左様お心弱くなられるのは如何で御座りましょうか? いや、平七にはこう思われまする。たとい如何《いか》ように仰せ出でられましょうとも、御家老は、あくまでも江戸におとどまりなさらねばなりますまい。ただただお家のために御座りまする」
「しかし、なあ……」
兵部は嘆息した。
「それでよければ、おれも、無論、石にかじり付いてもいる。兵部の命一つ投げ出して済むことなら、気安いことだぞ。ところが、そうは行かぬのだ。一つの意見の相違が、時に、相手のすることなすことに逆らわずにはいられないようなけわしい心持に人間を追い詰めることがある。そこまでになれば、最早是非は力をなくして、ただ人間と人間との憎しみのみが残る。殿の、現在兵部を御覧遊ばされる目がそれだ。いつもならば、お快《こころよ》くお聞き遊ばされることも、御不快らしく拝せられる。おれのひがみではない。事実なのだ。今のままでは、おれが江戸に残っていたところで何がお家のおためになろう。兵部が望んでいることがかなわぬのみか、兵部がおるというだけで、殿は躍起《やつき》に反対の途をとられようと遊ばされる。おれも、今は、矢尽き刀折れた心持だ。疲れた……とはいわぬが、御奉公と信じてやったことが不忠となり、おれのいることがお家のためにならなくなったのではのう。察してくれ。泣くに泣けぬ心持というのが、これではなかろうか?」
「…………」
「ただ、おれが国詰になっても色部《いろべ》が後をつぐことであろうから、決して心残りはない。あの男はよくおれの胸中を知っていてくれるし、あの円転滑脱な性格が事局のためによい働きをすることと思うて安心している。またおれとて米沢へ籠《こも》ったとて倒れるまで御奉公に努めるこころだ。大石も最後になってから、おれ達の力量を必ず思い知るであろう。そうさせずには置かないつもりだ。ただそのために、殊にあんた達の御奉公が大切なのだ」
平七は、たのもしくうなずいた。薄い血の色が肉付のいい顔を彩《いろど》った。
「覚悟に御座りまする」
兵部は、じっと、刺すような目付で平七の顔を見詰めたまま、暫く何か思案を反芻《はんすう》している様子で、だまり込んでいたが、
「死んでくれ、なあ」と厳粛にいっていた。
この言葉は、心外だった様子である。平七は、うなずくかわりに無言でじっと見返しただけだった。
二人の目は、そのまま、宙に、見詰めあっていた。
「というのは、あんた達を見殺しにするよりほかに、お家を護《まも》るみちがない場合が、出来はせぬとも限らぬように思うからだ」と、兵部は、努めて、静かにいい出していた。
「それも承知していてくれるな?」
「仰せまでもなきことに御座りましょう」
平七は、きっぱりと答えた。
「それだけの覚悟を、ほかの者も持っていようかな。その場合に、あんた達は味方から見殺しにされるだけではない。世の中が挙《こぞ》ってあんた達を悪口|雑言《ぞうごん》することになるのだろうと思う。それでも、いさぎよく死んでくれますか?」
「どうおっしゃるのでしょう?」
平七には、兵部のいった意味がよくわからなかったらしかったが、考えて、心に浮かんだままのことを率直にいった。
「それが御奉公になるならば……誰れにも異存はなかろうかと思われます」
兵部は、感動を、ただ「かたじけない」という声ににじませて現しただけだった。そして、このことは、いずれまたくわしく話すことがあるだろう。ただこの上ともからだをいたわってくれといって、その日は別れた。
秋風
かつてあの剛毅《ごうき》な性格には見られなかった涙だけに、兵部のこの時の様子が小林平七には忘れられなかった。事態が容易ならず切迫して来ていることも初めてわかった。
上野介殿が、赤穂の浪人達の復讐を恐れて御主君(上杉)のお屋敷へ移りたく思召《おぼしめ》していること、そのため君には御実子にあたる左兵衛《さひようえ》殿がこれまでになく麻布をお訪ねになっていられたことは、松坂町の吉良邸《きらてい》にいて、平七の耳にも伝わらずにはいなかった。しかし、それによって主君と家老との関係が、それまでに険悪なものになっていようとは、まことに思いがけなかった。が、思えば、御家老が松の廊下のことがあって直ちに不吉に予想されたことが、一々起りつつある。上野介御父子は、御小心な気質によってひたすらに上杉のお家をたより、その結果は由緒ある十五万石のお家を、乞食同然の浪士達の矢おもてに立つことにさせようとしているのだ。国と国との争いならば、お家の武勇を輝かすことにもなろうが、取るにも足らぬ痩せ浪人達を相手に廻すのでは、勝って世間のもの笑い、負ければそれこそ恥辱を末代まで残すものといわねばならず、ほとほと始末に困る敵ではあった。
兵部の努力が、極力それを避けようとするのにあったことを平七は知っていた。この望ましからぬ事件の渦中にお家が吸い込まれることのないように舵《かじ》を取るのが、家老職おのれの責任と信じて懸命に奉公して来られたのだ。しかもその至誠にむくいられたものが、今日御自分から話されたとおりのものだったろうとは? お家の前途もさることながら、兵部の心を忍ぶだけでも、平七は、秋晴れの往来を歩いて帰りながら、暗澹《あんたん》たるおもいにとざされずにはいなかった。
兵部は、自分が退《しりぞ》いた方が、かえってこの難局を緩和してお家のためになるだろうといっていたのである。また国詰になるにしても裏面にあっても死力を尽すことを忘れまいと誓い、最後の勝利に確信を失わずにいるらしかった。これはせめてもの悦びであるが、それにしても兵部に去られるということは淋しい、心もとない。上野介殿父子のなさり様が腹立しくさえ思われて来るのである。
また平七は、「あんた達を見殺しにすることになるかも知れない」といった兵部の言葉の意味がまだ解けずにいたが、その意味を別に深くさぐろうともしなかった。兵部のやることなら、何か大きいものに寄りかかっているような安心があって、委《まか》せて置けるのである。ただ、それを今更思うにつけ、やがて兵部が江戸にいなくなるのだということが、特に淋しく胸にうかんで来るのだった。
平七は、両国橋を渡ろうとして、橋の袂《たもと》の茶店の縁台に、同じ付人の四、五人の者がいるのを認めた。向うでも一人が気が付いて、ほかの者も一せいに振り返った。平七は、その方へ歩いて行った。
「今、お帰りか?」
こういって迎えたのは、渋江《しぶえ》伝蔵という横びんに古い傷あとのある男で、腰を移して平七が腰掛けられるようにした。
「何か急に御用のようであったが……」
「なに、別段のこともなかった」
平七は、立ったままで、こう答えた。すぐ下をゆるい艪の音を聞かせて船が過ぎて行った。水が、明るくゆれている。
「各々《おのおの》がたは?」
「いや、あまり天気がよいので誘いあわせて、ぶらぶら出て来た」
渋江は、自分達が外出をなるべく避けなければいけなかったことを思い出して、いくらかきまり悪そうに、こう答えた。
平七はだまっていた。
「そうだ、あれを、小林氏におはなししたらどうだ?」と、一人がそばから渋江にいった。
「うむ」と、渋江もうなずいて、
「小林氏、面白い話があるのだ。どうやら、敵方の間者《かんじや》が屋敷の近所に入り込んでいる様なのだが……」
「誰れの話だ?」
平七は、別に驚きもせずに、聞き返した。
「なあに、定廻りの男で拙者の知っているのが注意してくれたのじゃ、どうやら、そうらしいというのだが」
渋江は、こう答えて、
「今も一同で話していたのだが、お屋敷の中へ箱詰になっているより、これから、そんな奴を探し出して、存分に懲《こら》してやろうというのだ」
「屋敷の中へ入って来ぬかぎりは捨てて置くがよろしい。われわれは、外へ出るのも控えねばならぬのだ。殊に左様な人間が立ち廻っているようならば、余計油断ならぬ」
「しかし、敵の間者と知って、捨てて置く法はないだろう」と、傍から別の男がやや気色《けしき》ばんでいった。
平七は、この連中が持っている不平らしい空気を感じた。一応はもっともなのである。いつ来るか、また、来るか来ないかわからない敵に備えて、狭い場所に毎日することもなく暮しているのでは、心持がけわしくなるのは自然のことだった。
これを考えて、平七が黙っていると、渋江が双方の気色を見て、とりなすように笑いながら、
「まあ、ここでは話が出来ない。丁度いいところで小林氏にお目にかかったのだから、御一緒に戻ろうじゃないか?」と、いって出た。
一同は揃って橋を渡った。
平七は、屋敷の近くまで来てから、渋江が並んでいた男に何かそっと囁《ささや》いたのを知っていたが、別に気にも留めないでいた。
しかし、外が薄暗くなってから平七が二、三の者と雑談をしていると、誰れか、
「来た、来た、来た」と、外から入って来て、あわただしく告げた者があった。そわそわ騒いでいるのは渋江たちである。
何が来たのか? 平七は、怪《あや》しみながら戸外を見て、米屋らしい男が米俵《こめだわら》をになって歩いて通るのを見た。
「なんだ?」
一人が立って行って、渋江にきくと、だまって見ていろというように目くばせした。平七には、この米屋が、さっきの話の間者だなとわかって、そんな男をむやみと屋敷へ呼び込んだ渋江達の軽率を不快に思いながら、様子を見ていた。
米屋五兵衛の前原伊助は、そんな罠《わな》があろうとは知らず、土間へ俵をおろして口をあけにかかった。
その間に一人がすべり出て、入口の戸をしめて、逃げ道を塞《ふさ》いだ。
戸をしめた時、伊助はちょっと振り返って、変なことをするなと気が付いた。次いで、大きな男達がぞろぞろ出て来た。初めて、自分がどんな羽目《はめ》に陥《おちい》ったか、わかった。わかったところで、どう出来るというのでもない。
だまって、俵をほぐしている。
その間に、ぐるりを、すっかり囲まれた。
米俵を解いている前原伊助も、また、これを囲んで立っている付人達も、無言でいて押し付けられるような静けさが、この土間から、天井のない屋の棟《むね》を閉じていた。
小林平七は、最早、相手がこちらの悪意を感付かずにいる筈はないのに、すこしの心の動揺も様子にあらわさないのを見て、よしこの男が渋江伝蔵のいうとおり赤穂浪人の間者だとしても、天晴《あつぱ》れな度胸だと思わずにいられなかった。
伊助は、仕方がないことだと思っているのだった。しかし、同志の者のために逃れなくてはいけない、と信じていた。
渋江は、今夜の筋書の作者だっただけに、充分得意を感じて、満足らしい薄ら笑いに口角を釣《つ》りながら、さて、これからどうやったものか? 余裕たっぷり工夫している様子だった。
その中に伊助は、米屋として、するだけのことをして終《しま》って、振り返った。
「こちらへ置きまして、宜《よろ》しゅう御座いましょうか?」
「ああ、いいよ」
渋江は一同の視線が自分に集まっているのを感じながら、優しくいった。
「まあ、一服して、話して行け」
「有り難う存じます」
伊助は、何か知らずかッとしたのをこらえて、手を揉《も》んで愛想よくお辞儀をした。無論この好意ある誘引に応ずるには、すこしでも神経が残っていては出来ないことだった。
「有り難う御座いました。また、どうぞ」
「あ、待て」
渋江は呼び止めた。
「一服して行けといっているのだ」
「…………」
「おい、煙草盆……を、取ってやれ」
「ほかさまへも、御注文をお届けいたすのが御座いまして……」
「まあ、いいよ。この節は夜が長いのだ。そう急ぐことはない。ここへ掛けなさい。ほうれ、このとおり一同もその方の話を聞きたがっている」
一同の笑い声の中に、伊助の米屋五兵衛はいった。
「おなぶりくださいましては、困ります」
「なぶりはしない、真剣だぞ」
渋江は、怒ったようにこういい放った。
「掛けろ」
ままよ……という気持が胸の中で、ばねのようにはね返ろうとしているのを、伊助は知っていた。それにしても、芝居をし続けている余裕がなくなって来ている。動作がぎこちなくなっていることもよくわかった。渋江の目が鋭く光って、これを見据えている。伊助は、こんな奴の手籠《てご》めになることが、死ぬより悔《くや》しかった。が、さて、どう出来るというのでもなかった。
「剛情な奴だな」
渋江は、この拷問《ごうもん》の手を替《か》えようとして、こういった。
「名前を聞こう。何という?」
「五兵衛に御座りますが……」
「屋号は米屋だろう。そりゃアとうから知っている。おれが聞きたいのは、貴殿が二本腰へ差していた折りの名前の方だ」
「御冗談……で、御座りましょう」
「馬鹿め!」
かッ! と痰《たん》を吐きかけたのだ。
面を蔽《おお》うて、伊助がにわかにがたがた慄《ふる》えた。渋江は、次の瞬間に相手が猛然と飛び掛かって来ることを予期して、片膝を浮かせ、太刀を引き寄せていた。しかし、伊助は慄えたまま、崩れるように土間《どま》に坐ってしまっていた。
「御無礼なことをなされます」
伊助が顔を挙げていったのは、僅《わず》かにこれだけであった。これがかれの示した唯一の抵抗だった。
「強情な奴だ」
渋江は、自分のやったことが相手に何も反応がなかったので、いら立ったように見える。
「いわぬというなら聞きようもある」と、目くばせした。
待っていたというように、三人ばかり竹刀《しない》や弓の折れたのを持って出て来た。
「おい」
こういったのは、それまでだまって見ていた小林平七である。
「そんなことやっても、無駄だろう」と冷笑するようにいった。
平七が指摘したのは、これまで見たところで、伊助がいくらたたかれようが打たれようが決して口をひらく人間ではないということだった。しかし、この言葉は、躍起になっている渋江達をかえって煽《あお》ったことになった。
伊助は落着きはらって、かれ等のすることを見ていた。縄《なわ》を持って来た者があったから、それに縛られた。それから折れた弓や竹刀の乱打を、恐れげもなく受けた。
自分さえ白状さえしなかったら、まったく証拠のないことだし、また、いくらかれ等が無謀でも自分を殺すまでのことはないだろうと思われた。それならばよいのである。それならば、どんな目にあおうと我慢して見せる。伊助は、これを考えただけではない。折角ここまで入って来たのだから、かねて志している付人の数を数えてやろうと思った。
ぴしっ、ぴしっと容赦《ようしや》ない打撃がくだった。
「手ぬるい!」
渋江は、傍にいて最初から無駄といった小林の手前も、坐って見ていられなかったと見え、自分も立ち上った。
伊助は、髪もみだれ、衣服の背も破れて、さすが凄まじい顔色になって、今はほかのことを考える余地もなく、歯を喰いしばって苦痛をこらえているだけだったが、渋江が傍へ寄って来たのを見て、思わずじっと睨み付けた。
渋江は、弓の折れたのを受け取ったところだが、急にそれをあげて、いやとばかり伊助の顔めがけて打ちおろした。
伊助は微かに叫んだ。土間に、両手で蔽うて突っ伏した顔に血の溢れるのが見えた。ぐるりを囲んで立っていて、渋江のあとから打とうと竹刀をあげかけていた者さえ、この凄惨《せいさん》な姿に思わず手を控えたのである。
「馬鹿め!」
渋江は、毒々しくいって、丁寧にもう一度かッと痰を吐きかけた。
「今夜はこれで帰らしてやる。したが、まだこの辺をうろうろしているなら何処でも痛い目を見せるぞ。くやしかったら仲間を連れて来い、いつでも相手になってやる」
伊助は、無念だったが、血を拭き苦痛をこらえて立ち上った。
麻布の神崎与五郎のところへ伊助から小僧が手紙を持って来た。与五郎がひらいて見ると、伊助は、その後に見た上杉の付人の数を知らせて来たのだった。例の、「骨」だの「禿」だの「胡瓜」だの、勝手な名前をつけられた六人のほかに、伊助は新しく七人の人数を算《かぞ》えて来ていた。どれにも、変な名前をつけて一々書き出してある。それを見ると伊助が前よりも辛辣《しんらつ》になっていることがわかる。前のは顔や容子《ようす》の特徴をとらえて、あの男独得のかいぎゃくを混えたものであったが、こんどのにはそんな笑いの影を消して、如何にも手きびしいものだった。「駄馬《だば》」、「痩犬《やせいぬ》」などはまだよかった。(しかしなぜただ「馬」や「犬」とはいわないでわざわざ駄の字をつけ、痩の字をつけたのか?)「のみ」「しらみ」「くそ虫」というのに至っては、どれが「のみ」どれが「しらみ」か、当人達を見ない与五郎には、恐らく区別出来ないことだろう。「右は、ただおのれの心おぼえに名付け置き候《そうろう》もの」と断り書はあっても、伊助の、上杉の付人たちに対する感情が、なんだか前の時と違って来たように思われるのだった。その理由と思われるものは、伊助の手紙には何も書いてない。単に、敵側でもどうやらこちらの策動を気づいたらしく考えられるから御油断あってはならない、と書いてあることに幾分不審をとどめただけである。敵側が間者の潜入にきびしく警戒するだろうことは当然のことで、特に伊助の忠告をまつまでもなく、与五郎もその点に充分油断のないつもりでいるのだ。
与五郎は直ぐと、堀部安兵衛をたずねて、伊助の手紙を見せた。
「十一人」
安兵衛は、付人の数に注目した。
「まだ、このほかに幾人か入っているだろうから……そうだな、二十人もいるのかな? 先方もなかなか用心がいい」
「しかし、こちらは……」
「そうだ。連判状どおり集まったら百何十人もあるわけだから、比較にならない。一度にふみつぶすことが出来るというものだ」
こういって、からからと笑った。もとより安兵衛は、わざと裏をいったのだ。無論連判に加った者が一人も漏《も》れなく集まるなどということは断じてない。一日一日と日を遅延させている内に、乾いた土の塊《かたまり》がぼろぼろ崩れるように、あの男こそ大丈夫と思われた人間が、一人二人ずつ「大分顔を見せないが」と思っている間にいつか行方がわからなくなっている。同志の半分も来ればいいと考えたのは、ひと月前のことだった。今は、こうやっていて四半分だけの人数が集まるかなと、それさえ疑わしく、今更人のこころのたのみ難いのが腹立たしいやら、悲しいことに思われていたのである。
安兵衛は、伊助の手紙を繰り返して読んでいたが、与五郎が感じたような不審は感ぜずに、そこへ並べて書いてある滑稽《こつけい》な名前を呼んで、面白がって興じ笑った。
「よく働いてくれる。間もなく、この連中の人数だけでなく、どのくらい使うかかぎだしてくれるかもしれないな」といって、
「それにしても、太夫だよ」と、いつもきまって落ちるところへ話を持って行きながら、与五郎と顔を見合せて苦笑した。
「相変らずですか?」
「相変らず、相変らず」と歌のように繰り返した。
与五郎は、上杉家で上野介を米沢へかくまおうとしているのではないかと、近頃自分が疑って頻《しき》りとその真疑を確かめようとあせっていることは、安兵衛には打ち明けずに辞し去った。
帰り途は、もう、とっぷりとくれていた。住居のある谷町は、崖を控えて低地になっているし、秋の夜霧がひややかに沈んでいる。与五郎は、別にあてどなしに、ただ、ひょっと何か思いがけない収穫でもありはしまいか、無精をして行かないでいてそれをのがすよりも、まず無駄とはわかっていても見廻るに越したことはないと、漫然とした思案から、わざわざ崖の上まであがって上杉家の外まわりを一度歩いて見たが、何事もなく、秋の夜はきわめて静かだった。この、つめたい星のまたたきを載《の》せて、寂寞《せきばく》とふけて行く闇の中に、今日前原伊助が警告して来た敵の魔手が、ひそかに自分をねらっていようとは、自分の家の中へ戻って、あんどんの燈芯《とうしん》に灯をともして見るまで、与五郎のさらに気がつかないところだった。
締りをあけて与五郎が家の中へ入る……と、そばの跡地から急に、黒い人影が立った。与五郎は、もう外へ出る用もないと見え、内側で戸締りの音をさせていた。その男は、これを見届けてから、そそくさと、どこかへ影を消した。
こんなこととは知らないで、与五郎は、手さぐりで行燈《あんどん》へ灯を入れて居間へ持ち出して来た。そして、その時はじめて、居間の中が自分が出て行った時と、何となく変っているのに気が付いたのだった。
不在中誰れかこの家の中へ入って来て家捜《やさが》しをしたのだ。物の位置が動かしてあるし、袋戸棚の戸が二寸ほどあいている。あけて見ると、手文庫のふたがはずれて、いつもきちんと入れてある文反古《ふみほご》の類が乱雑に掻《か》き廻したあとをとどめ、外へはみ出しているのである。与五郎は、顔をしかめながら、昼間の伊助の忠告を思い出した。敵方では、早くも、こちらの素姓《すじよう》を看破したものと見える。まことに油断は出来なかった。
しかし、この家を、たとい天井板をはがし床をめくったところで、証拠になるようなものは微塵《みじん》も見出すことが出来なかったろう。そのくらいの用意は常にしている。ただ、それだけに急に敵の嫌疑を招いたわけがわからなくて、与五郎は不安になった。ただ、あてずっぽに、この乱暴を働くわけがない。出入りの者の全体にわたって、これだけの吟味《ぎんみ》を始めたものだろうか、あるいは、誰れか同志の中で敵に内通して自分を売った者があるのではないか?
どんな奴が来てやったことか知らないが、不潔に手をつけた痕跡の残っているところを一々見廻って、与五郎は、さまざまに考えて見た。そして結局は、折角これまでに都合《つごう》よく運んで来た計画を断念して、また何か別の手段を工夫するよりほかはないのだと、思った。打撃はかなり大きいが、やむを得ないことだ。これまでが、あまり順当すぎた感じもなくもないが。さて、これからのことを考えると、やはり暗くならずにはいられなかった。
鉄瓶《てつびん》をおろして見ると、灰の中にすこしばかり火が残っていた。与五郎はこれを掘り起して、外を歩いて来て冷たくなった手をあたりながら暫くは、落着いて腰をおろすこともなく、ぼんやりと考え込んでいた。こうしていても、まだ、家の中のどこかに誰れか隠れているような心持がして、短い期間の住居であったが相当|馴染《なじ》んで落着いて来たこの家が、ひっそりとして暗い棟《むね》に無気味なものの影を漂わしているように、見られた。勝手裏のどぶ板を誰れか踏んだ微《かす》かな音が、与五郎の全身の注意を呼び醒《さま》したのもそのせいである。
(来たな!)
電流がつたわったように、咄嗟《とつさ》にこの感じが与五郎を立ち上らしていた。
間者として町人に化けて来たのについては、危険を無視してこの家に大小《だいしよう》を持って来ていなかった。護身のためには脇差が一振あるだけである。手早く、それを取るなり、行燈のそばに寄って灯を吹っ消した。それから、とっぷりと墨を流したように暗い闇の中にいて、中腰になって外の気配に耳を立てていた。
勝手口だけではない。表にもいる、庭の方へも廻っている。人数も二人や三人ではない。手ごわい相手と見るよりほかはない。
どこから逃げたらよいのだ?
外では、何か打ち合せている様子で、こそこそ、ひくい話声が聞えていたが、やがて、
「美作屋《みまさかや》さん、美作屋さん」と呼んで表の戸をたたいた。
与五郎は、何かしら躯が熱くなって考えていたが、仕方なく、
「はい」と答えた。
「どちら様で御座います?」
与五郎は、こういいながら、急に気が付いて、ふたをとって鉄瓶《てつびん》をさげて出て行った。
窓がある。あけたのは、そこの雨戸だった。
外にかたまっている黒い影が、戸口でなく窓をあけた与五郎の周到さに、不意を突かれて隠れる余裕もなくぎょっとしたらしく振り返ったのが見えた。どれも、頭巾《ずきん》を目深くかぶって両刀を佩《お》びた大男たちである。
「屋敷の者だが……すこし尋ねたいことがあって来た」
一人が、こういうと、別の男が、
「決して、あやしい者ではない」と言葉を添えた。
ところが大いにあやしい連中なのだ。これは、そういって出て来た当人達が充分自覚しているところだった。与五郎があっさりと、
「左様で御座いましたか? それは、何とも御苦労さまのことで御座います」といって、窓を閉めて、表の戸をあけに出て来たのが、かれ等には意外に思われたし、またそれだけ満足だった。
与五郎は、格子をあけて、がたぴしと戸の|さる《ヽヽ》をおろしていた。やがて、外の四人の満足と残酷の期待に酔った目の前の雨戸が動いて一尺ばかりあき、美作屋善兵衛の姿を瞬間に見せた。その瞬間である。何か白いものが目の前に躍《おど》った。はっとして身をひいた時、先頭にいた男は真向《まつこう》から、ほかの三人は頭巾や衣類の肩に、鉄瓶の煮湯をあびせかけられて、不覚に狼狽していた。
「や……」
猛然として殺到した時、入口の戸は、ぴしゃッとたてられた。
「無礼な奴!」
最早|さる《ヽヽ》も落してある。与五郎が丁寧《ていねい》に格子をしめた音を最後に、拳《こぶし》が飛んで、われよとばかり雨戸を打った。
「あけろ!」
「無礼なッ! 構わぬ。打ち破れ」
建物について誰れか走った。表口だけではなく勝手、庭口からも戸をあけようとして、がたびし揺さぶったり叩いたりしている。この騒ぎの中に与五郎は、音を聞かれることもなく、引窓をあけ、綱を攀《よ》じて、屋根の上へ出ていた。庭口の雨戸が一枚たおれる音がして、土足のまま人々は座敷へ駈け上ったようだった。
「いないぞ!」
「引窓があいている!」
与五郎は隣の屋根へ移って、どこへどう降りて逃れようか探していた。再び外へ走り出た人々は、冷たく冴えた星空の下に与五郎の姿を認めて、いそいで後を追って来た。
しかし、最早与五郎はまったくかれ等の機先を制していて、心持も平静に、安全な退路を選ぶことが出来た。暫くして、昼間一度訪ねて来た安兵衛の浪宅の前へ出て門を叩いた。安兵衛が不審に思って迎い入れると、与五郎は、
「やあ、やられたよ」と笑いながら仔細《しさい》を話した。
「そりゃア前原の方も、どんなことになっているか、わからない」
眉《まゆ》をひそめて聞いていた安兵衛は、急にこういい出した。
なるほど、これはそうだった。伊助が事情をはやくも看破し警告を寄せて来たというのは、同じ危害の手が伊助の身辺をも覘《ねら》っていたものといわなければならない。
二人は、不安になった。
翌朝は、町はずれまでずっと見とおせるような明るい秋晴れだった。堀部安兵衛と神崎与五郎が本所の伊助の店へ来て見ると、外がかッとあかるいのに、伊助の店だけ大戸をおろして、ひっそりとしていた。
二人は一層不安になりながら、くぐり戸を押していそいで内へ入ると、裏口から差し込んで来る弱い日光に、まったくふた目と見られない乱雑な有様が目に入った。戸障子は破れて倒れているし、商売ものの米は俵の腹を破られ、桶《おけ》の中からぶちまけられて土間に散らばっている。容易ならぬ狼藉《ろうぜき》が行われたことは明瞭だった。
与五郎が声を掛けると、いないかと思われた伊助が、無事な姿で奥から出て来た。
「どうしたことだ!」
二人は同時に叫んだ。叫ぶと一緒に、伊助の額から耳にかけて、なまなましい紫色の傷痕《きずあと》があるのに気が付いて、はっと思ったのだ。
伊助は、だまって、にやにやした。こんなことは何でもないという意味で笑ったのらしかったが、その恐しい傷があるせいで、もの凄いように思われた微笑だった。
「なアに、あれさ」と伊助はいった。
これだけで充分話は通じた。
「いつのことだ」
与五郎は、歯ぎしりしそうな権幕だった。
「あんたのところへ手紙をやったろう、あの前の晩からだ」
伊助の返事はこれだった。
伊助がこれだけの目にあって、手紙で何もいってこなかったことを責めたい気持が、与五郎を動かした。その時、それまでだまっていた安兵衛が口をひらいた。
「どんな具合だったのだ? それから聞こう」
伊助は、吉良の屋敷へ呼び込まれて罠《わな》にかかって手ごめにあったことから、その翌夜また三人ばかり今度は店へ押し掛けて、まだ立ち退《の》かぬかといって散々の狼藉を働き、店もあけられぬようにして帰って行ったことを、言葉短く話しをした。
「つまり、貴公を立ち退かせようというのだな?」
「殺さないところを見るとそうらしい」
伊助は笑った。
「だが、俺れアここにいるよ」
この言葉は二人を驚かした。
「しかし、先方が貴公の素姓を知ってしまったのなら……」
「構うものか! 以前が何であろうと、今は今だといえばそれだけの話だ。まさかそう毎日根気よくやって来て乱暴も出来まい。町方の目だってあることだ。いくら上杉十五万石でも御公儀お膝もとの構いなく、そんな乱暴は出来まい。おれアここにいる。おとなしく商売をつづけながら、奴等を睨んでいてやる」
伊助の言葉は、この迫害に屈しないさかんな意気のほかに流石《さすが》、無念が籠《こ》められていた。安兵衛も与五郎も同じように憤怒を感じて無言でいた。敵味方と分れては当然の仕打ちであろうが、上杉の付人達のやり方が武士らしくない点は蔽い得ないのである。
が、思慮が戻って来た時、安兵衛は伊助をなだめようとして、おだやかにいった。
「その我慢は、どうだろう?」
「我慢……かなあ」
きちんと、矢でも鉄砲でも何を持って来ようが動かないぞというように見えて、坐っていた伊助は、急に力弱く折れたように、こういって顔色を曇らせたが、
「そうじゃない!」と、きっぱりといった。
「おれは、なぐられようが、蹴《け》られようが別に痛くもかゆくもない。殺される心配はないのだから、いつまでもここにいるよ。まあ幾分意地もあるけれど、兎《と》に角《かく》おれがここに頑張っていた方が同志のためになるだろう」
「それはそうかも知れないが……」
安兵衛も与五郎も、この友人の鉄のように強固な意志に今更感じながら、このままにして置いたら、どんなことになるかわからないのが不安だった。
「また、ほかの方面で働いて戴くことも出来るわけだ。何も、この家をそこまで守っている必要はないだろう。第一、これじゃ商売が立って行くまい。小僧はどうした?」
「逃げた」
これは、もっとも至極な話だ。安兵衛も与五郎も、急におかしくなって微笑した。伊助も仕方がなくなったような顔付で、笑い出した。
「小僧がいなくなったら困るだろう?」
与五郎は、まだ笑いがとまらずに、こういい出した。
「なアに……小僧なんて、いなくたっていい。結構おれ一人でやれる」
「強情な男だな」
安兵衛は、真面目にこうつぶやいたが、急に何か思い立った様子で、ちょっと親父の家へ行って来るといって、与五郎を残して外へ出て行った。伊助も与五郎も、堀部弥兵衛が最近卒中で倒れたことを知っていたので、安兵衛が見舞いに寄るものと思って、別にこの行動を怪しむこともなかった。しかし、ざっと小半刻《こはんとき》も経《た》ってから、誰れか表から入って来たのでのぞいて見ると、見なれぬ商人風の大きな男で、しかもその笑っている顔が安兵衛だったのには、あきれて口がきけなかった。
「早変りだ」
安兵衛は、驚いている二人に、こういって肩をゆすって笑った。急に変った髪の形や、間にあわせ物らしい縞物《しまもの》の、袷《あわせ》のゆきや身たけの短く、つんつるてんといってもいい恰好《かつこう》が滑稽だった。だが、与五郎も伊助も、すぐとは笑うことも出来ず、まじまじと左右から安兵衛の顔を見詰めているのだった。
「どうするつもりだ」
「この家へ今日から奉公する」
安兵衛は、短いゆきを気にして引ッ張りながら、伊助を振り返って、何でもないような口調でこう答えていた。
「冗談ではない」
伊助は叫んでいた。
与五郎も初めて安兵衛の真意を知って、その意外に驚いたところだった。
「無論、冗談ではない」
安兵衛は、静かな微笑とともに、伊助の言葉を受けていた。
「おれは真面目だ……逃げた小僧の代りに、おれのような大僧が来たと思ってくれたらいいだろう。大僧で悪ければ番頭さんだ。ただこの番頭、甚《はなは》だ不調法者《ぶちようほうもの》で、御亭主と違って、すこし手荒いから、それだけ断って置く」
こういいながら、肉塊の隆起しているたくましい腕を、悠然とさすっているのだった。
町が暗くなる頃になって伊助の店は大戸をあけた。店の内《なか》はあかるく灯がともっている上にきちんと片づいて、破れた障子も白くはりかえてあるし、前夜の騒動の名ごりは跡を消して、米をつく音が陽気に勤勉に往来まで聞え、前を通ってのぞいてみると、帳場にいる亭主も、杵《きね》を踏んでいる番頭らしい男もぬかだらけになって、いそがしそうに動いているのが見えた。
伊助は帳場から安兵衛のしていることを眺めながら、ここにとどまろうとする自分の意地も結局、この友人の情にあつい突飛な計画によって、すっかり腰を折られてしまったのを考えた。安兵衛は、どうやら、上杉の付人達の乱暴をこらそうともくろんでいるらしいのである。そのことがあれば、安兵衛は勿論、伊助だってここにいられなくなるのは分りきった話だった。意地で飽くまでここに踏み止まって敵と睨み合っていようと思う自分を、安兵衛はこうやって強制的に連れて帰ろうとしているのだ。伊助は相変らずの堀部式なやり方だと思いながら、最早《もはや》これ以上の反抗をして我意をつらぬく気持は捨てていて、かえって、今亭主の席に坐っている自分が実は主人の境遇でなく、前垂《まえだ》れをかけた雇人のなりをしている安兵衛の方が支配者になっていることに滑稽を感じながら、成行《なりゆき》を待っているようなわけだった。
「おい」と、外に人通りの杜絶《とだ》えたのを見て、
「すこし、やすんだら、どうだ」
安兵衛は、そっと往来の方をうかがうように見たが、
「一服するかな」と、衣類についたぬかをはらいながら歩いて来た。
「来ないじゃないか?」
「まださ。そうよいの内から乱暴が出来たものじゃない」
「待つ身になるというやつか」
安兵衛の口から、こんな文句《もんく》を聞かされようとは意外だった。伊助は、思わず微笑を催《もよお》しながら、ふと急に真顔《まがお》に戻っていい出した。
「しかし……今夜ここで、やッつけるとなると、かえっておれ達の素姓を暴露するわけになって不都合になりはしまいか? そのくらいなら、おとなしく引き揚げた方がいい」
「素姓は、とっくに知れている。先方だって、まさか赤穂の浪人達に復讐の計画がないとは思っていまい。また、それは別としても、兎に角、腹が立つ」
安兵衛の言葉は、きっぱりとしているし、ふとい煙の棒が二本、鼻のあなから、むくむくとわいて流れるのが、怖ろしく戦闘的だ。
伊助は、笑いだした。
「まあ、やるか?」
「やるさ」
あたりまえのことだという口調だった。
ただ、残っている問題は、この店の後始末のことだった。これも安兵衛はひどく楽観していて、あとでゆっくり思案したらいいことだと、いうのである。
その話がまとまらない内に、のれんをくぐってぬっと入って来た男があった。これは前原伊助の命名によれば、「きゅうり」というあごのしゃくれた顔色の悪い男だった。
「米屋」といった。
「一俵《いつぴよう》、とどけてくれ。この先の吉良様のお長屋だ」
これは伊助と安兵衛にまったく意外と思われた言葉で、あきれたように相手の顔を見まもっているだけだったが、敵側の魂胆《こんたん》が、新しく来た安兵衛を引き出して、この間の伊助と同じ痛い目にあわそうとしているのだということはわかりきったことで、二人は皮肉な目を見合せ、伊助から、ただ今は手がふさがっておりますので、とおだやかに断って出た。
「持って来られぬというのか?」
「胡瓜」は、目をいからしたが、この男だって、自分の持って来た要求がまず容《い》れられるものではないと考えていたらしい。変に、にやにやして、二人を睨め廻していたが、やがて帰って行った。
これで済むものでないことはわかりきっていた。「来るぞ」というように二人は目を見合せて微笑した。伊助も、もう万事安兵衛のするとおりにしようと思っている。待つ間もなく怪しい人影が、店の前を行ったり来たりして、頻りと内をのぞく様子があった。
「戸をしめよう」
伊助がこういったので、安兵衛が外へ出て大戸をおろしにかかった。人影は遠のいて、左右の往来は遠くなるほど真黒なやみにとざされている。安兵衛は、狭い入口から店内へ戻って来たが、待つ間もなく外に足音が起って荒々しく入口の戸があき、覆面《ふくめん》をした大男がぞろぞろと土間へ入って来た。
五人。その手に、竹刀や弓の折れたのを提《さ》げているのが見える。その一語を発する前に、伊助は行燈《あんどん》を吹き消した。
同時に、手ばやく重い俵を抱えあげた安兵衛は、五人を狙《ねら》っていやとばかりこれを投げ付けていた。
驚いて叫ぶ声を埋めて、ずしーんと米俵は充実した重量で地響きをたてて落ちた。誰れか、腕か脚《あし》を下敷にされた様子で、悲鳴をあげるのが聞えた。この不意で猛烈な抵抗が上杉の付人達を遺憾《いかん》なく混乱に陥《おとしい》れた。安兵衛がこの有効な砲弾を三発まであびせる間に、伊助が心張棒《しんばりぼう》を握って、豹《ひよう》のように猛然とおどり掛かっていた。
やみの中で、どたばたとすさまじい闘いが続けられた。
付人の一人が、表口から外へ走り出たので気が付いて安兵衛が戸をしめて、残った四人を逃げられなくした。その四人の三人までが、さっきの砲弾にあたって、殆ど戦闘力をなくしているのだった。残った一人からはじめて全部を縛り上げてしまうことは、縄《なわ》はふんだんにあるし、伊助と安兵衛にとっては、苦もないことであった。
「あかりを!」
安兵衛が、こういって伊助が行燈に灯を入れると、苦痛と、無念さにあえぎながら床にもがいているみじめな四人の姿が明るく照らし出された。
「ひとり逃げた!」
「なに、大丈夫」
安兵衛は、表の締りを一応みてから、確信を籠《こ》めてからいい放って、今度は丁寧に四人の覆面《ふくめん》を一々|剥《は》いで行った。
「旦那、あかりを、もっと傍へおくんなさい。二本差しているけど本物のさむれえかの? しッ腰のねえ人達だ」
四人は激怒して、立とうとしたが、自由が利《き》かなかった。ただ、真蒼《まつさお》になってふるえて、目を光らせているだけだ。
安兵衛は、これをひややかに眺めながら、充分の余裕と芝居気を以て、わざと山出しの下男《げなん》のような口をきいた。
「旦那を痛い目にあわしたのは、どいつだ。おらの力でたたきなぐってくれべえ」
四人は、実際に強そうな安兵衛の太い腕と、それに握り緊《し》められている折れた弓とを心細く眺めるのだった。唯一のたよりは、辛《から》くも逃げて行った一人が、急を告げて早く加勢を寄越してくれることである。しかし、この期待は無駄ではなかった。吉良の屋敷の裏門から、こっそりと忍び出た黒い影が、群をなして、今、夜の町を走って来るのである。
前原伊助も実は、これを憂えていた。
小林平七は知らなかった。例の渋江伝蔵を先頭に七人の猛者《もさ》たちが、伊助の店へ押し掛けて来たのだ。
大戸は勿論、くぐり戸もひたと閉ざしてあって、手を掛けて見たが、錠《じよう》がおろしてあると見え、動かなかった。
「あけろ」
烈しく戸をたたいた。
しかし、内から笑い声が答えただけである。こちらは内にいる四人の運命を気遣《きづか》いながら、最早おさえ難い憤怒を発して、なんの、このくらいの町家なら踏み潰《つぶ》してしまえという勢いで、力を合せて肩を打ちつけ始めていた。借家らしい造作の薄い戸は、みしみし鳴って、間もなく容易にこわれそうに見えた。
が、その折からに、内から安兵衛の声で割鐘《われがね》のように叫び上げるのが聞えた。
「泥棒だ、泥棒だ!」
叫ぶだけではない、鍋《なべ》か釜《かま》をじゃかじゃかたたき鳴らし始めたのである。
ぎょっとしたように、上杉の付人たちは顔を見合せた。
「押込《おしこ》みじゃ。近所の衆、お出合い下され。押込みじゃ」
星の光の高くつめたいひっそりとした闇の夜であった。安兵衛の声は、二階へあがっていて、寝鎮《ねしず》まった筈の近所で、これを聞いて起きて騒ぐ気配が、渋江達にわかった。意外な出来事であった。賊ではない証明は難しいし、よしそれが出来たところで、町役人が出て来るようなことになれば、上杉の付人たる自分達の身分をいやでもあきらかにする必要が出来て、のっぴきならぬ羽目に陥ちる。さりとて内の四人を見捨てて引き上げることも出来ず、渋江はあたふたとした。
「泥棒だ、泥棒だ!」
声は大きくなるばかりだ。
渋江は、ものに憑《つ》かれたように、
「やれッ!」と指図して自分から躯を打ちつけて戸口を破りにかかった。町役人の来る前に、何でもこの戸を破って内の四人を救い出して逃げなければいけない、と考えたらしい。それに勢を得て、ほかの者も必死になって、大の男六、七人の力で戸は遂に破れた。
渋江は大刀の鞘《さや》をはらって駈け抜けて、憎い二人の姿を求めたが、二人ともに二階へあがっていて、狭い梯子《はしご》の上で、来るならば来いというふうに、からかうようにして見おろしているのである。渋江は切歯したが、何を投げつけられるかわからないし、またすこしも早く引き揚げる必要があったので、ほかの者がいきり立つのをなだめて、四人の者を外へ担ぎ出させた。
「馬鹿め!」
安兵衛は、梯子段の上に、担ぎあげた米俵に悠然と腰掛けて見おろしながら、首を前へ突き出して挑戦した。
付人達はどたばたして口惜《くや》しがった。
しかし渋江は、
「まあ、いい。相手になるな。相手になるな」と一同を制しながら、何か思案のある様子で、唇を噛みながら、刀を鞘におさめて、上の二人を幾度びか振り返って睨んだ。助けられたばかりの四人は、鍋墨《なべずみ》を塗られてふた目とは見られない顔付だったし、こすればこするほど黒くなるのは笑止《しようし》だった。
無論、このまま引き上げることが出来たものではない。渋江は急に立ち止って、そばにいた一人に目くばせした。その男が頷《うなず》いて直ぐと引っ返して行ったのは、なお安兵衛たちの行動を偵《うかが》うためであったであろう。
渋江は、鍋墨だらけになっている男たちを、舌打ちしないまでも苦々しく見ていたが、突慳貪《つつけんどん》に、
「よほど出来る様子か?」といった。
しおれきっていた四人は、悲惨な顔を見合せて、先ず一人が、
「われわれの不覚でした」といって出たあとから、ほかの者も口々に、自分達の失態が油断していたばかりのことから来ていて正当に立ち合ったら決して遅れを取るような敵ではなかった、と言明した。
渋江は、むッつりと不機嫌らしくだまり込んでいたが、そのまま屋敷へ戻ることをしないで傍の路地の入口に立ち止って、様子を見に行った男の帰りを待つことにした。鍋墨の四人は、そこの奥に井戸を見つけて、痛い足をひきずって争って顔を洗いに入っていった。やがて釣瓶綱《つるべづな》が夜ふけの静けさの中にきしり鳴った時、渋江は振り返っていらだったように、
「静かに」と叱咤した。
夜の町筋は、先刻の騒ぎを忘れたように森閑としてふけて行く。町役人が来た様子もないのである。一時驚いて起きて出た近隣の者も秋の夜の冷気に追われて、再び戸を閉め寝床に戻った様子である。
「小林氏に知れては、また、まずいが……」
渋江は、一緒にいた人々を振り返って、重苦しい口調で、こういい出した。
「乗り掛かった舟だ。どこまでも奴等をつけて、始末をつけようと思うが、御一同は、どう考える?」
「やりましょう」
待っていたというように、異口同音《いくどうおん》の声が答えた。
「たいくつしのぎに持って来いの仕事だ。それに一人でも二人でも敵の戦闘力を削ぐのは、これも御奉公の内だ」
一人が、こういう。
にわかに一同が元気になって、目を輝かした。
「斬ってもいいものでしょうか?」とだめを押すようにいって出た者がある。渋江が答える前に、脇から、
「勿論だ」という者があった。
渋江も笑って、
「そうだ。やるとすれば、そこまでやるのだが……ともあれ、手際よくやることだ。また脇から苦情が出ても面倒だろう」
渋江の言葉には、「何もするな」という千坂兵部の命令に反抗する心持がひらめいているのを、人々はさとり、また、これに充分同感することが出来た。
そこへ、安兵衛達を見張りに行っていた男が、急ぎ足で引っ返して来た。
「どうした?」
「二人揃って逃げ出しました」
「なに、どっちの方角だ?」
「狸堀《たぬきぼり》の方です」
有無《うむ》をいわず、人々は走り出した。間は二町とはなれていない。五分と走らない内に追い付くわけであった。
安兵衛と伊助が、敵にこのことがあるのを予期しない筈はなかった。しかし家の中に残っていても、夜があけるまでこの危険は去らないのである。かれ等も身分があるし、白昼になれば真逆この乱暴を繰り返すことはしないであろうが、何といっても夜明までにはまだ間のある今、敵がこのまま引き退《さが》ることはまずないことで、安兵衛も伊助も油断して眠るわけにはゆかないし、敵がこの次にはどんな強襲を試みるかわからないことだから、出来ることならば朝までどこかに避難する方が、より安全に思われたのである。
しかし、裏口からこっそりと路地へ出て抜裏づたいに通りへ出ると、間もなく背後の闇《やみ》の中で、多勢で追って来る気配が感じられた。
「来たじゃないか?」
「むむ」
安兵衛は、うるさいなと思ったが、今度こそは、子供だましの竹刀や弓の折れが襲って来るのではない。命が的《まと》になっているのだし、敵の勢力は、無論二人がいくら必死に闘っても敵し難いものだということはわかっていた。上杉家からわざわざ付人に寄越した人々だから、無論十五万石の家中での精鋭をすぐったものに違いない。奇計によらず正面からあたれば、勝敗の数はおのずから明らかである。
二人が走り出すと、背後でも、どっと走り出した様子だった。大川は近い。淋しい場所だし、深夜のことだ。追手は、しようと思うことは何でも出来るのである。二人は、これを感じた。背後からかぶさるように近付いて来る足音とともに、切迫した危急の感情がつめたく二人の心臓を握った。死ぬのは平気だが、ここで死んではたまらない。逃げる……ということのほかに、考えはなかった。
二人は、ひた走りに走って、川端へ出た。右するか? 左するか? こうなると思案は本能によるよりほかはない、夢中で二人は道を左にとった。
どこかへ隠れよう?
安兵衛は走りながらこれを考えていた。
路地、石置場、材木の蔭……目の前にあらわれて来るものを一々物色しながら、これならば安心と考えられるものはなくて一々|躊躇《ちゆうちよ》が感じられる。その間にも、追手の距離は詰めて来るのだ。
「し、しつこい奴等だ」
「やろう」
伊助は、こう叫んで立ち止ろうとしたが、安兵衛は、睨《にら》みつけるようにして駈け続けさせた。
「逃げられるだけ逃げるのだ。いい加減で思い切ってはいかん」といって、また、
「その辺で、別々に行こう」といった。
しかし、その機会さえつかむ前に、二人は、自分達の行手から誰か四、五人で歩いて来る者があるのに気が付いていた。
二人はぎょっとした。と、同時に先方でも、この真夜中に多勢に追われて来る人間を奇怪に思ったらしく立ち止った。四人づれの、武士だ。
(いけない)と思った。
が、その時、向うから驚いたように声を掛けて来た。
「堀部じゃないか?」
こういったのは、武士の中に、一人、坊主《ぼうず》あたまをして十徳《じつとく》を着て、がっしりした風采《ふうさい》に異彩を放っていた大入道《おおにゆうどう》だった。
「あ!」
安兵衛は歓喜の声を漏らしている。
その時、追手は僅か十間ばかり後まで来ていたのだ。
坊主は、鋭い目で素《す》ばやくこれを見て、通れというように道をひらいた。二人は死中に活を得た思いで挨拶をする余裕もなく走り過ぎた。
二人を通して、坊主は言葉短く、
「たのむよ」と左右を顧《かえり》みた。
その時すでに、どっと走り寄って来た上杉の付人達の前に、四人が道をふさいでいて、互いが烈しく体を打ち付けそうにして立ち止った。
渋江伝蔵は、自分の前に立ちふさがっている坊主を見た。
坊主は酔って眠りながら歩いて来たようにふところ手をして、目をつぶっている、その癖道をふさいでだまって動こうともしないのだ。かっとしながら、その間にも遠くはなれて行く二人のことが気になって、この無気味な人垣を破って進もうとした時、
「おれの前に立っているのは誰だ?」と、坊主が、依然として目をつむったまま太い声でいった。
変に、気味の悪い奴である。
渋江は毒気をぬかれて思わず身をひいた。
「誰だあ?」
坊主は、声を高めて、大喝《だいかつ》した。
愚弄《ぐろう》する気持なのはあきらかなのである。坊主はまだ懐手《ふところで》をして目をつぶったままでいた。
「通るならおれをよけて行け。おれは宅まで真直ぐに歩いて帰ることにきめたのだ」
渋江は喉を鳴らして、肩を突きあてた。坊主は肥っていたが皺《しわ》だらけで六十以上の老人に違いない。ひとたまりもなくけし飛ぶかと思うと、石の壁のように堅く、がっしとはねかえしていた。
騒然と、埃《ほこり》をまいて、上杉の付人たちは動いた。安兵衛と伊助を逸《いつ》した恨みは、この坊主と、連れの三人に向けられている。渋江伝蔵さえ思慮を失って、刀に手を掛けていた。
と見るなり坊主をあわせて、四人の者も颯《さつ》と動いて、かたわらの板塀を小楯《こだて》に構えていた。坊主は裾《すそ》をまくって脚《あし》を出していたが、緋縮緬《ひぢりめん》の腰巻が、闇にちらちらしていた。
双方は闇を隔てて、無言で睨《にら》み合う黒い垣根を作っていた。
その闇は、先刻《さつき》よりも薄れて来ていて、どこかで鶏の声がした。
渋江は、相手の構えから見て容易ならぬ敵だと察し、とんだ奴等の喧嘩《けんか》を買ったと思った。付け入る隙《すき》を得る前に、やがて間もなく世間が明るくなって来ることに不安があった。
「ゆけ」と、流石《さすが》、最後まで自分が残ることにして、ほかの者を退《しりぞ》かせた。
鶏がまた鳴いた。
「怨敵《おんてき》退散!」
坊主は、こう呶鳴《どな》って腰巻をばたばたふるった。
渋江は一度立ち止って、きっと振り返ったが、無念をおさえて、闇の中へ歩み去った。
しかし、これでおさまるべく見えたこの場の始末が、坊主が次に発した一語から急激な逆転をして遂《つい》に血を見ることになった。
「何者です?」と連れの一人が尋ねたのに、坊主は肩をゆさぶって、
「なアに……上杉家のお歴々《れきれき》さ」と答えたのである。
鞭《むち》で打たれたように渋江は急に振り返っていた。血相をかえていたのは、相手がこちらの主家の名をさしていたからである。と見て、付人の、ほかの者たちも一度に立ち止った。その、ぴたりと、術を掛けられたように静止した瞬間のことだった。
どっと、黒い塊《かたまり》を作って殺到して来たのだった。同時に刀身がつめたく閃《ひらめ》いた。
「やるかッ!」
叫んだのは坊主だったらしい。その声を消して、足音がみだれ鉄と鉄とがかみ合った。埃は立って、水のようにかすかに明るくなって来る河岸《かし》の空の下に冬を待っている柳の枝を烟《けむ》らせ、地に仆《たお》れた一人の躯をつつんだ。
音を聞いたらしく、近くの人家の雨戸をあける音が聞えた。
「逃げろ、逃げろ」
三人の味方の蔭に隠れて、坊主は叫んだ。そして自分が先ず模範を示して、身をひるがえして河岸づたいに走り出した。
渋江は、あせってぱっと突き入って、横に払われて狼狽《ろうばい》した。危急は左右にいた味方が救ってくれたが、この機会に、敵は予定の一歩をさがっていた。
最早手もとも明るく、双方の顔がはっきりと認められているばかりか、走り出て見物に立っている人影も遠くに見える。深入りしすぎたことは渋江を余計あせらした。無念ながら、これ以上この場に愚図愚図していることは出来ないのである。じりじりと詰め寄っていた凄まじい勢いも次第に挫《くじ》かれて来る。そのすきを見て、一度に刀をひいて走り去る敵をほんの申訳に追ったのみで切歯して立ち止った。
斬られた味方は、十間ばかり後の地にうめいているのだった。
一同は、これを扶《たす》け起して、人の目をまばゆく思いながら、自分達も引き揚げて行った。この時はもう大川の水が明るくなっていた。ただ向河岸の人家の雨戸はまだあいていなかった。
安兵衛と伊助は危いところをのがれた。
「誰だ? あの坊主は?」と、伊助が怪しんで訊《き》くと、安兵衛は、
「知らないのか?」と驚いた様子で、
「太夫《たゆう》の御親戚で大石無人《おおいしむにん》といわるる、津軽《つがる》の御藩中だ。入道《にゆうどう》して遊んでいられるが坊主じゃない。なかなかの豪傑だ。偶然あすこでお目にかかったのは、われわれの運がよかったからだ。私はまた、敵に先廻りされたのかと思って、驚いたが……」と、笑って、
「太夫に似て、老いて益々さかんな豪傑さ。けさも深川の帰りだったろう。しかしわれわれに代って喧嘩を買いはしなかったかな。やりかねない御仁《ごじん》だ」
二人は振り返って、しらじらとあけて来る大川の景色を見た。朝の風が二人の、鬢《びん》を爽《さわや》かに吹いた。
やがて、二人は川端につめたい水の吹き上げている井戸を見て、汗をふきに降りて行った。
大石無人が、ずんぐりした坊主頭を現したのは、三股《みつまた》に近い河岸の舟宿の外だった。おもてが閉っているのを見て、よく案内を心得たもので裏口へ廻って、燈籠《とうろう》があり落葉が散り敷いている庭へ入って行った。
「源八、源八」と大声で呶鳴《どな》った。
源八はこの家の屋号らしく、物置きの羽目《はめ》板に掛けてある艪《ろ》に、一々この二字が書いてある。声を聞いて、雨戸の一枚があいて、女将《おかみ》らしく、白粉気《おしろいけ》はないが、きりっとした顔立の女が顔を出したが、
「おや御前《ごぜん》」と驚いて、
「どう遊ばしました」
「帰って来た。寝かしてくれ」という。
「おひとり? お連れさんは?」
「あとから来るかも知れぬ」とうるさそうに聞えた。
女は、切長のはっきりした目を瞠《みは》ったが、すぐと内へ引っ返して、帯をしめて寝みだれた髪にも手をやりながら、またそそくさと出て来て戸をあけながら、
「だから、お泊りなさいましと申し上げましたのに。こどもたちも帰すのじゃありませんでした」
「寝るんだ。寝るんだ」と、案内を待たず真暗な二階へあがって、掃出しの窓から朝の光が差しこんでいるだけの薄暗い部屋の中へ入ると、坊主頭で畳の上へ大の字にころがった。
あとからあがって来た女将は、笑いながら戸棚をあけて、夜具を出して敷きにかかると、その間に鼾《いびき》をかいていたのは、余程眠かったと見える。女将は、そっとゆり起して蒲団の中へ移らせてから、水差しを取りに下へ降りて行ったが、また例の無人の連れが庭へはいって来たところだった。
「いらしってるか?」
「もうお寝《やす》みになりました」
おやおやというように三人は顔を見合せて苦笑した。上へあがりそうな気配がないので、女将がうながすと、いや私たちは勤めがあるからということで、
「お起きになったら、三人とも無事で帰ってまいったと、申し上げてくれ」といい置いて、外へ出て行った。
女将は、送り出してから、もう一度床へ入るために雨戸をしめた。もう川向うを朝の日ざしが染め、目醒《めざ》めた巷《ちまた》の騒音が、今朝もまた高く晴れ渡った秋空にのぼって聞えていたが、夜の遅いこの家などはまだ起きる時刻には遠いのである。
海辺町あたりから来る、むきみやの声が狭い道を通って行く。川には筏《いかだ》がおりて来る。深川も爽かな秋の朝の活気に目醒めて来て、町は賑《にぎわ》って来た。その中に、何か探している様子で立ち止って四辺《あたり》を見廻している若い悍《たくま》しい武士が一人いた。いつ京から帰って来たものか、これは赤穂時代から山科までずっと大石内蔵助の蔭身にそって、その身辺を護っていた若者だった。
「これ」と通りかかりの船頭を呼び止めて、
「舟宿の、源八というのが、この辺にある筈だが……」
「源八つぁん?」
船頭は目を剥《む》いて、
「源八つぁんなら、ここですよ」
「お目ざめで御座いますか?」
女将《おかみ》がそっと声を掛けると、大石無人は、ううむとのびをして枕を倒したが、まだもの憂《う》げにまぶたをあけなかった。
「さきほどからお客様がいらしって、お目ざめをお待ちで御座います」
「客?」
無人は目をあけて、
「私がここへ来ているのが知れる筈はないが……」
「お宅へおいでになって聞いていらしったのだそうでございます。宍戸《ししど》さまとおっしゃいました」
「宍戸?」と起きなおった。意外に思ったらしいのである。
しかし、落着いた声で、
「若い男か?」と尋ねた。何か、烈しい期待に燃えている様子で目に光が点じられた。すぐと起き上って、いそがしく下へ降りて行くと、客は招じ入れられた一間に端然と坐って待っていて、無人の姿を見るとこれも顔を輝かした。
「おお」と無人は、膝を突き合せないばかりに、向いあってぴたりと坐って、
「いつ?」
帰って来たか? という意味だったらしい。
「昨夜《ゆうべ》」と男は答えた。
直ぐと、無人はたたみ掛けて何かいおうとしたが、そこへ女将が入って来たので急に落着きがなく視線をそらして、
「あちらは、どうだ?」といった。
「面白かったろう。食べ物はうまいし、酒はいいし、美婦が多い」
「美人のお話はあとになさいまして」と女将は笑いながらいった。
「お顔をお洗いになりませんか?」
「むむ……今行くから支度《したく》をして置いてくれ」
「それから……」
「酒か? あたりまえのことだ。すぐ支度して……それから、女たちを集めてくれ。上方《かみがた》へ行って京美人を飽きるほど見て来られたお客様だ」
無人は、もどかしそうにこういって女将を追いやってから、外にたち聞く者はないか心を配っているらしく、暫く息を詰めて気配に耳を澄ましていたが、口数すくない客にこれまでより烈しく、ひきしまった顔を振り向けて、急に口をひらいた。
「なんで帰って来た」
「最早手前が京にいる必要がなくなったからです」
「なに、では、内蔵助が?」と思わずいって、じろりと襖の外へ目を向けたが、
「出府《しゆつぷ》いたしたのか?」と詰めるようにしていった。
客は、無人の気が早いのに辟易《へきえき》して微笑しながら、
「いや、あちらの方は、いよいよその支度にかかられて山科の方を引き払い、四条|金蓮寺《きんれんじ》の梅林庵に移られましたから、遅くも月の内にあちらを御出立と存ぜられます。が、御子息主税どのが急に先発なされることになられましたので、京の方は同志の有志も詰めていられることで心配はなし拙者は主税どのと前後致して戻ってまいりました」
「ふむ」
無人は、よろこばしげに息を呑《の》んで、ひきしめた顔をほころばした。
「そ、そりゃアお骨折だったな。そうか、いよいよ動きはじめたか? 待ってた。いや、待たされたわい。あの男なら大丈夫やると思っていたが、やはり気がかりでのう、肩がはって張り切っていたのだ。そうか主税が来たのか? まだ子供の筈だが……そうだ、十五歳だったな。内蔵助は一緒に連れて行く所存と見えるな。父より先発で乗り込んで来たとは嬉しい奴《やつ》だ。私はまだ見たことがないが、どんな子供だ? 役に立ちそうか? 父親に似ているか? あれに似たらちっぽけな子供だろうが」
「いや、どう致しまして……」と、客は主税の姿を思いうかべた風で、熱心にいった。
「手前より二、三寸。御老体よりは一尺ぐらい背たけも高いように思われます。子供どころか勇壮活溌な立派な御仁《ごじん》です」
「ふうむ?……な、なまいきな奴だなあ!」
主税は初めて江戸へ行くのだった。その江戸は主税の死場所になる筈だった。運よく行けば敵《かたき》を討《う》って後までも生きていることが出来ようが、それでも国法に逆ったことだから当然死ぬことになるのである。また運が悪ければ敵の首を見る前に斬死《きりじに》するか、あるいはそれよりももっと前に刺客の刃《やいば》にかかることであろうし、どう行っても死ぬのである。主税は亡君の仇上野介を討つことばかり力を入れて考えていたので、自分が死にに行くのだというのは、どちらかといえばおろそかにしていた。それをはっきりと知ったのは、先発として江戸へ下向《げこう》ときまってから、ある時二人が向いあって坐っていて父親がふと、
「弟たちに逢いたくないか?」と、いじらしさをつつんでいった時だった。
母と弟達は但馬《たじま》のおじい様のところにいるのである。
主税は目を輝かして、
「逢いたいと思います」と答えた。
「但馬へお暇乞《いとまご》いにまいっても宜《よろ》しゅう御座いましょうか?」
「それはお前の心持ち次第だ。しかし、行っても、何もいわない方がいいだろうと思う。面倒だからな」
「はい」
主税は、父の心中をよく了解しているように静かに答えた。
しかし内蔵助は、母や弟達に最後に一目あわしてやりたいと思ったのは、親の慈悲のようであって実は無慈悲なことになったのを憂《うれ》いていた。わが子ながらしっかりした男だが、母や弟達に会っていろいろに感じるだろうことは、また別で、何か残酷なことをしたような感じが胸を蔽《おお》うたのである。
しかし、主税は三日ばかり後に、思ったより元気よく帰って来た。
「行ってまいりました」
「むむ、どうだった?」
「おじい様も母上もお喜びくださいました。大三郎たちがとりついて放しませんので、困りました」
「むむ……江戸へ行くことはいわなかったのだな」
「はい……けれど、おじい様は御存じではなかったのでしょうか、帰るとき、しっかりやれよ、とそっとおっしゃいました。母上はだまっていらっしゃいましたが、お目を赤くしていらっしゃいました」
「そうかい、おじい様には多分わかったのだろう」と、いって、
「まあ、よかった」と、余り多くを聞かなかった。
主税は、昨日別れて来た母や弟達に自分がまたと会えなくなるのだということを、考えてみても、どうも、信じられなかった。またどこかで会うことが出来そうな気がするのである。だから父親が心配しているほど悲しくは思っていない。それよりも、生れてはじめて自分が大将になって出て行く旅のことに気をとられがちだった。
連れは間瀬久太夫《ませきゆうだゆう》老人、親戚の大石|瀬左衛門《せざえもん》に若党の加瀬村幸七の三人だったが、立つ間際に小野寺幸右衛門、茅野和助《かやのわすけ》、矢野伊助の三人が加わることになった。
江戸へ着いて宿をとったのは石町《こくちよう》三丁目の小山屋安兵衛のはなれ座敷であった。庭といってもこの辺のことだから広くない。作り方も京と違って何となく小ぢんまりと窮屈なのが、主税の目に佗しく映じた。近隣がすっかりたてこんでいて、坐っていて、往来の人の足音とも話声ともつかぬ騒音が絶えず聞えているのも、静かな山科から又寂しい秋の旅を続けて来た後に、もの珍しく思われる。況《いわ》んや、この大きな町に、蟻《あり》のように夥《おびただ》しくいる人々が、主税がいのちがけで考え詰めている目的とはまったく無関心に、各自の日々の営《いとな》みにいそがしくいる様子が、若い胸に茫漠とした寂寥《せきりよう》をそそるのであった。人の雑沓しているところへ出ると殊にそうなのである。この沢山の人々と自分との間に、目に見えない深い堀があるのが感じられる。自分が、違う星から来たようにさびしい気がするのである。
主税は外へ出るよりも宿にこもっていることを望んだ。
同じ、寂寥を、同志の者の誰も幾分か無意識に感じていたらしい。しかし、これはかえってお互の結束をかためる役をした。自分達だけは世間からはなれた特別な人間で、かたきを討《う》つためにのみ生れて来たというような考え方である、内蔵助が、「かたくなってはいけない」と危険に見ていた心の病的状態である。父親からはなれて江戸へ来た主税が、急に神経質に戦闘的になったのは、十五歳の少年として仕方がないことであろう。主税は、江戸へ着いた日の翌日あたりから早速、内蔵助のところへ手紙をやって、
「早く出ていらしってください」といってやった。
内蔵助は、仕様がない奴だ、と苦笑しながら強く心を動かされた。
江戸の同志は、主税が来たことをどんなに喜んだかわからない。
主税どのが来られたからには、いよいよ太夫も間もなく出府なさるだろう。誰しもこう考えて胸をおどらした。待ちあぐんでいた時期が愈々《いよいよ》到来することである。同志の往来が繁くなると同時に、一同の努力は敵の動静を探ることに向けられた。しかし、これはなかなかむずかしい仕事だった。殊に最近に前原伊助と神崎与五郎《かんざきよごろう》が、敵の積極的進出によって追われて来てから、一同は探索の手掛かりを失っていたといってよい。やるならば、まったく新しくやり直すのである。
その手段が問題であった。
吉良の屋敷では雇人《やといにん》の外出をとめたばかりか、出入りの者も身もとの確実な恩顧《おんこ》ある者に限って、なお奥の様子が絶対に外へ漏《も》れないようにしている。そこで伊助や与五郎の前例にならって同志の者が隠密《おんみつ》に入ることも不可能だし、また危険になっていた。
敵はこちらの計画を知って、闘志を固めた様子なのである。今度こそは、たとい半死半生の目にあっても還《かえ》されることはなさそうに思われる。どちらも命がけになっているのだった。
上野介どのは最早|本所《ほんじよ》にはいられぬ。とっくに上杉の屋敷へ引き取られている……などいう噂が同志の者を再三おびやかした。いても立ってもいられぬ心持というのはこれであろう。不安なことである。上杉の屋敷へ移るというだけでなく、自分達の知らぬ間に、先方は上野介を本国米沢へ隠すことがないともいえない。
(目を放してはいけない)
とにかく、それだけであった。
昼夜をわかたず同志の二、三の者が必ず本所にいて、讐家《しゆうか》の人の出入りに心をくばっていることにした。これさえ、甚《はなは》だ危険な仕事であった。いつ敵に襲われていのちをとられるか知れぬ一事を別にしても、味方の一挙が間近いことを敵にさとられては、功を一簣《いつき》に欠き、今日までの苦心が全部水の泡となることがないとはいえないのである。
仕事が、最初考えたように容易で一途の強襲によって苦もなく出来るものでなかったことが、すこしずつ皆にわかって来た。うまく行くだろうか? この不安さえ人々は感じ始めた。そう考えることはたまらないことだ。復讐の一事のほかに、いのちの意味をなくしているかれ等であった。
堀部弥兵衛はあの発作《ほつさ》があってから、床について十日ばかりじっとしていた。絶対安静なのである。今度衝動を受けたらそのままころりとゆくか半身不随になると、嘘かほんとうか知らないが医者にいわれていたのが、いつまでも頭にあった。死んではいけないのである。そこで、この強情我慢の老人も、今度という今度は、おとなしく医者の命令に従った。ただ便を蒲団の中で取ることだけは齢とともにつのって来ていた潔癖がゆるさないので、そうすることは悪いことだと自分でも知っており又充分不安を感じながら、いくら家人がとめようが、独《ひと》りではうようにして厠《かわや》へ通うのだった。
こういう状態にいて、養子の安兵衛がにわかにたよりになった。安兵衛もまた父のこの心持をくんで、いそがしい中になるべく都合《つごう》して訪ねて来て、同志の消息やまた準備の進行を、感情の激動を招くようなことは努めて避けて、この老人に話してやるのである。そして時には、ごくあたりさわりのない問題を持って来て、今こういう意見が出ておりますがどんなものでしょうか、この次までによく考えておいてくださいませんか、と宿題のようにして置いて帰って行く。終日寝て天井《てんじよう》をにらめている弥兵衛には、これはうれしいことで、子供が飴玉《あめだま》を永く舌のさきで弄《もてあそ》んでいるように、ゆっくりと一つの思案を頭の中でいじくって楽しむのである。それに疲れればいつでもそのままうとうと眠り入る。そして、また目が醒めると、それを新しく考え続けるのである。何よりも、こうして、床の中にいても、復讐のために何か役に立っているとは有難いことである。
その内、安兵衛が来る。
「どうでしょう? 先日のは」と、尋ねる。
「うむ」
老人はうれしそうで、ぽつりぽつりと自分の意見を話し出す。安兵衛が訪ねて来るのは人の目を恐れて、たいてい夜なので、秋は深くなっていたし、明るいともしびを囲んで静かに物語っている二人は、見た目に心地よく美しい親子であった。
安兵衛は、いつも強情な父親が、こうしてさすがに病気と齢には勝てなかったことを我慢の心にも認めずにはいられないで、いつもに似ずおとなしく寝ているのをひどく淋しいことに感じて、心から回復を念じているのだった。
「もう起きてもいいだろう?」
老人は十日ほどしてそろそろ我慢が出来なくなったように、こういい出した。
一同は頻《しき》りととめたのだが、逆《さか》らうとかえって意地を張る老人なので、安兵衛の意見で好むとおりにさせることにした。次の朝から弥兵衛は起きた。起きたといっても、丈夫な時にいつも坐っていた机の前に坐っているだけで、平気そうな顔をしていても、やはり内心は気味わるく、出来るだけ躯《からだ》をいたわろうとしているに違いなかった。
だが弥兵衛は、なげしにある槍に目をつけて、あしたあたり試みにこれをおろして使って見ようと考える。
この分では当夜どれだけの働きが出来るか危ぶまれるのである。しかし意地でも畳の上では死にたくない。一挙が延引に及んで、こちらの命がそれまでもたなかったら、幸いと吉良の屋敷は近いし、この槍を杖《つえ》に独りででもせめて敵地に乗り込んで死のうと思うのである。
当世風
小山田庄左衛門は、夢にうなされて、急に目をさました。からだは汗で気味わるく濡《ぬ》れている。夢だった。まず、よかったと、騒ぐ胸を鎮《しず》めるためにも、自分の今いるところを確かめようとしてあたりを見廻すのだった。
夢の中で、庄左衛門は、堀部安兵衛や武林唯七《たけばやしただしち》と一緒にいた。大石内蔵助父子もいた。ほかにも大勢知った顔が集まっていた。場所はどこだったろう。縁の外に日がかんかんあたっていて明るかったことだけは確かである。ひろい座敷で畳も綺麗だったし襖《ふすま》の引手に房《ふさ》がさがっていたようである。一同は身分の高下に応じて坐って何か評議をしていたのだったが、何故か庄左衛門一人に気をおいてこちらに聞えぬように低い声で話しているのが彼を気まずく思わせていた。なんでおれを除《の》け者にするのだ? これをいい出そうとして、その大広間の何かしら荘厳な森《しん》とした静けさが、不思議と圧迫的で、躊躇《ちゆうちよ》が感じられる。その間に人々は、三人四人と立って出て行くのだった。
「どこへ行く?」
庄左衛門は隣に坐っていた武林が立ち上ったので、こういった。が、なぜか武林は薄い笑いに口角《くちかど》をまげただけで、何も答えずに出て行っている。
一挙だ。いよいよ上野介殿の屋敷へ推参に及ぶのだ! 庄左衛門は咄嗟《とつさ》にこれを感じて身体《からだ》が熱くなった。立って自分も出て行こうとして、立つことはおろか身動き出来ないおのれを見た。目前で、人々は一人ずつ立って出て行くのであった。(外は真昼の明るさで、そんな無謀なことは出来ない筈とどうして気が付かなかったのか?)ただ、たまらない気がして身をもがいた。しかも、もがけばもがくだけ身体が動かなかった。何か恐ろしい力でおさえつけられたように、脂汗が流れてあらそっても自由が利《き》かなかった。
夢だった。
有明行燈《ありあけあんどん》の光は、しらけて、枕もとの屏風《びようぶ》を匐《は》い上っている。身のまわりはもとより、この家の棟《むね》を、更《ふ》けた夜気が籠めている。
女はいつのまにかいなくなっていて、枕がそっと片脇に片寄せてあるのと、その痕《あと》のある懐紙が枕もとの畳の上に残っているだけである。
酔いはまだ頭にどんよりと残っていた。これと、まだ消えないでいる今の夢のあと味が、みだれて心を揺り動かしている。なんという夢を見たことであろう。しかもこの床の上で。
おれは、これを悔いているのか? なる程ひと頃のおれとくらべれば確かに人が違った。酒は飲む。女は買う……なれど忠義のこころは忘れてはおらぬ。かた時とておのれが一挙にそむくことなど、思ったことはない。
太夫《たゆう》はどうだ?
何をしていようが、その時に出て行けばよいのだ……小山田庄左衛門は酒色に溺《おぼ》れようとまだ武士は棄《す》てぬ。
が、それにしては、今の夢は? このおびえて落着かぬ胸は?
廓《くるわ》の夜もふけていて、この静けさは朝に近い加減であろうか? 燈心の、つきた油を吸う淋しい音にも秋があった。さすが色町《いろまち》のことで、この時刻にも時折思い出したようにしんと、遠いようでいて、はっきりと外に聞える人のぞよめき、足音にも、何がなしに肌寒《はだざむ》い霧が感じられ、それらのものの音さえこの夜の寂しさをみだすことはなく、却《かえ》ってそれを深めているのだった。
庄左衛門は、手を伸ばして煙管をひろった。女の歌う何かの唄にあった、ままよ一服、という言葉が影のように心を過ぎて行った。煙草も、指さきにしめっている。よごれた屏風の面てをはいのぼる煙も、しみじみ見詰められる。
また酒が恋しかった。
女がいなくなっているのは、興ざめた話を無理に繕《つくろ》う苦労もなくてかえっていいが、酒はほしい。荒々しい酔いに心の屈託を払いのけてしまいたいのだ。
誰か梯子段を降りて行った。
まだ起きているのだろうか? ひそひそと人の話声がどこかでしている。それも途絶えてはまたはじまるのが耳ざわりだ。
帰ろうか? その辺に夜あかしで起きている店もあろうし、そこへ行けば勝手に飲める。と、思ってまた変に気持が重いので、火のない煙管を指の間にはさんでぼんやりとしている。そこへ、また今度は多勢で廊下を歩く音が聞えた。
庄左衛門には女が戻って来たのだとわかった。女はそっと、こちらの様子をうかがうように障子《しようじ》を細目にあけて見てから入って来た。庄左衛門は女の目が赤く泣きはらしているのを見た。
「どうしたんだ?」
「ええ?」
女は尋常でなくべたりと畳の上に坐った。
「花扇《はなおうぎ》さんが……お客様と……」
「…………」
庄左衛門は、泣きくずれた女を驚いて、見詰めた。
これは、ひどく突然だった。
「心中《しんじゆう》か?」
女は紙のように白い顔で頷いて見せた。
それをじっと見詰めながら庄左衛門の顔色も蒼ざめて来ていた。花扇という女なら、庄左衛門も時折見ていたばかりか、この女の妹分で陽気な気性《きしよう》で、誰にも可愛がられているやさしい女だった。宵《よい》にも廊下で明るい笑顔を見せて、草履《ぞうり》の音も陽気にすれ違って行った。
女は、あとからあとからと、とめどもなく涙を流していた。
どうしてだか知らない。ほかのお客様が騒ぐといけないから朝まで堅く口止めされているが、役人衆がそれとわからぬように来て検視《けんし》をして今帰って行った。自分とは一番仲好しだったので、そっと呼び出されて、今までいろいろ尋ねられていたのだと外へ泣き声の漏れるのを恐れながら、おろおろ声で話すのだった。
「死ななくても、よさそうなものだ」
庄左衛門は心からこういった。
「やはり金にでも困ったものだろうか?」
「知りません。でも、お金には不自由のない女《ひと》でした」
それなら義理か?
と庄左衛門は、行燈の灯影を見詰めた。
くらく淋しく沈んだ胸に、ふと夕やみの庭の隅に見付けた白い花のように、穂積《ほづみ》の娘|幸《さち》の姿が思いうかべられているのだった。
京から戻って来て、いくたびも躊躇《ちゆうちよ》は感じられながらやはり一番気になって、もとの四つ谷の家のあたりを歩いて、あの家の住人がとうに変っていたことと、また、幸が死んだことが決して自分の思いすごしでなかったことを庄左衛門は確かめたのだった。それからの酒である。人が変ったような漁色《ぎよしよく》の生活である。ただれるだけただれて良心もしびれ、また感情のすさむのをおのれから求めながら、幸《さち》のことを思い出すたびごとに、やはり暗い心持に胸を動かされたのだった。
思いきって泣いてしまったら、心の凝《こ》りが落ちそうな気がしていて、さて武士としての平素の修養がそれを妨《さまた》げていた。そんなことは女々《めめ》しい、笑うべきことだという考えがどこまでも付きまとって来る。これを振りはなしてしまったら、たしかに楽になる。あるいは逆にもっと心を烈しくしてどんな感情でも蹂躙《ふみにじ》って通る。女一人の涙が、死が、おれにとって何だ……と思うことである。もっと武士らしくすることであった。現在の苦痛をのがれるのにはこの二つの道よりほかはない。と知っていて、そのいずれにも徹し得ずに日を暮している。武士道は庄左衛門の弱いこころを咎《とが》める。また、こころは喘《あえ》ぎながら、庄左衛門に武士という殻《から》を脱いで、裸《はだか》の人間になってくれと悲しく訴える。この板ばさみの悩みを庄左衛門は酒にうずめた。色に溺《おぼ》れて忘れようとした。ただ肉の塊りとのみ感じられる女の身体はつかの間の酔いを呼ぶ役をするだけで、酒と何の選ぶところはなかったのだ。
だが、その女の一人が今夜死んだ。あたら若い命を、思う男と一緒に捨てた。
このことは、まだ庄左衛門の胸になまなましく残っている幸の死をまたしても思いおこさせるほかに、何がなしに暗澹《あんたん》とした心持をそそった。
「可哀そうに……」と、しみじみといったのも、今夜虚無の淵《ふち》に呑みこまれた花扇《はなおうぎ》のやさしい姿をいじらしいと思っただけではない。もっと深く、自分がたどっている途《みち》までが暗くかげって来ているのを感じたのである。
「刃物か?」といった。
「いいえ。何か飲んだらしいのです。生きているときとすこしも変っていないで、目をつぶって……息が聞えそうに、すこし唇をあけているんですの……ふたりとも固く抱きあっていたのを、はなれさせたのだといっていました……」
女は涙にぬれながら、こう話したが、急におびえた様子で庄左衛門にすがりついて膝に顔を伏せた。
そのはげしい動作が、庄左衛門を驚かした。涙が、息が、熱いものが、女の顔のあたっている部分の膝に火のように感じられた。庄左衛門は膝の上にゆれて根の崩れた黒髪を見詰めそのにおいをかぎながらじっとしていた。そうしていて女の腕に力が通って来ている。庄左衛門はどんよりと、その腕から女が今感じているものを自分も感じた。朋輩《ほうばい》の突然の死が与えた烈しい衝動は、女のこころにはじめはこらえられぬ嘆きであったが、今はそれがいつの間にか、その烈しさと衝動的な性質をのみ残してまったく別の感情になって波のようにわき上って来ているのだ。朋輩の死を通じておのれにもその死を漠然と感じたことが、反動としていのちの灼熱《しやくねつ》を狂気のように求めさせているのである。暫くして、顔をあげた女の目は、なかばものうげにとざされていながら、隠れて燃えてその躯を熱くしている火を伝えている。庄左衛門の手は機械のように意志なくして女の肩へかけたままでいた。
「私は、何もするなとあれほど堅くいって置いたのだ」
珍しく千坂兵部《ちさかひようぶ》は、憤怒を面《おもて》にあらわして叩《たた》きつけるように、こういっていた。付人の中の血気の連中が妄動して浅野側と小衝突をやったということが、かくも兵部の懊悩《おうのう》を呼んだのである。
兵部は、やつれて見えた。この数か月の心労のあとが深い皺《しわ》となってあらわれているのである。江戸家老を退《しりぞ》くことになって事務の万端を後任の色部又四郎に引継ぎを終ってから、まだ手廻りの取片付けもあって、国もとへ立つまで数日の余裕を静かな白金《しろがね》の下屋敷に移って疲労をやすめていたのだった。小林平七がもたらしたこの報告が、兵部をこんなに愕然とさせようとは思い掛けなかった。
木立の深い、この辺の、秋の夜はまことにひっそりとしていて、戸は閉めてあっても、どこからとなく灯《ひ》を求めて迷い込んで来る蛾《が》が障子《しようじ》を鈍い羽音でたたいて、部屋の内へ入ろうとしている。いつものように兵部の膝に眠っていた猫は、首をもたげてその音を聞いていたが、制《と》めようとする兵部の手をくぐって、羽音を追って障子の裾《すそ》について歩いていた。
「きたない!」
兵部は叱咤して、猫の頸《くび》をおさえた。猫は蛾に未練を残しながら、頸をちぢめて、まるくなってうずくまった。
「私は君等に死んでくれいとたのんだのだ、お家のために命をないものに思っていてくれいとたのんだのだ」
「それは……お言葉を伺うまでもないことです」
きっぱり平七は、こういって、睨むように兵部を見据《みす》えた。
「誰しも、お家のために死ぬるのを本望と致しておりましょう」
「そうじゃない。そうじゃない……」
兵部は叩きつけるように叫ぶのだ。
「貴様にはわからん」
「てんで、わかっていないのだ」と切歯した。
「何をですか?」
平七も確かに怒気を発していた。兵部は、もだくだして動かさずにはいられない自分の身体を抱きすくめるような姿で、腕を組んで目をぎらぎら光らせている。
無言である。蛾《が》の鈍い羽音がこの息詰まるような沈黙の瞬間に動いているだけである。
平七には、兵部が、何かいおうとしていえないでもどかしがっていることだけはわかる。しかし、それ以上、何をいおうとしているのかはてんでわからない。すくなくとも、兵部は胸にあることを打ち明けたくていて、それを直言する勇気を欠いていることだけはたしかなのだ。兵部の目の光は烈しく燃えるかと思うと、また力なく、まさに崩れんばかりに衰えて来る。この痩せて薄い胸に、旋風のように目まぐるしく様々の考えが一瞬の休む間もなく吹きあれていることも事実だ。兵部は唇をかんで、それをおさえているのだ。
「おれが、こういったら君は何と思う。もし赤穂浪人が乱入する折、君等は決して手向いしてはならぬ。だまって斬られてくれ、といったらなんとする」
これは意外な質問であった。いや、それよりも意外だったことは、小林平七に荒々しく振り向けた兵部の両眼から、見ている内にはらはらと涙が溢れ落ちて来たことだった。
その涙の下に凝集された意力が烈しい光となって、平七を見据えていた。平七はたじろぐまいとしながら、兵部の言葉に含まれている何か恐るべきものに強く打たれた。それが何かはまだ漠としていて、兵部が先刻からいおうとあせっていていい得ないことに触れたように思った。
「浪士乱入の折……斬られよと仰せられる……」と、一語毎に、じいっと考えながら、繰り返していった。
兵部は繰り返してうなずいた。
(そうだ、そうだ)というように見える。
兵部は膝の上に置いた手に汗を握っていた。自分の問いが条理をはずれていることも承知である。浪士乱入の当夜こそ、付人が付人として死力を尽して働かなければならぬのを、おのれは、抵抗をやめて斬られよというのである。恐らく小林はいうであろう。それならば付人をお向けになることはないのではありませぬか? と。
小林平七は、いつか兵部が「犬死をしてもらうことになるかも知れぬ」といった言葉を思い出していた。それと、今の質問とは、あきらかに連絡があるようである。それに思いあたった時に、平七は打たれたようにはっとした。
ひょっと……御家老は、上野介どのを敵《かたき》に討たせるまでの覚悟をしていられるのではないか? 殿には御実父にあたられる方を。
平七の目が光った。
「たとえだよ」
兵部は、平七の顔にあらわれた変化を読んで急にいった。
しかし、この声は、なるべく平気でいおうとした兵部の努力を裏切って、しわがれていた。兵部は咳《せき》ばらいをして、
「これは、たとえだ」と、繰り返した。
兵部は、平七が単純に考えることを恐れていたようである。しかし、平七は、兵部が何を考え何をいおうとしているのかを初めて知って、愕然としたところだった。
「それは……」と、思わず叫んだ。
その語気に反撥《はんぱつ》するようなものを聞くや否やに、兵部も、まるで躍《おど》り掛って組み伏せかねまじき勢いで叫んでいた。
「お家のためだ。お家のためだ」
「なりませぬ。なりませぬ」
「馬鹿!」
「…………」
二人はじっと睨《にら》み合ったままでいた。
平七は兵部を、兵部は平七を、つかみ殺しそうに見えた。
が、次第に、兵部は崩れて来た。それまでの烈しい目付が遽《にわ》かにゆらいで来たかと思うと、くちびるの隅《すみ》がつれ上った。涙はない。しかし、兵部は面を伏せて、膝に杖のように突っ張った腕の上で、やせた肩が、急な坂を駈け上って来た人のように、荒くせわしない呼吸《いき》にきざまれて顫《ふる》えているのだった。
「御家老……御家老」と、平七はいった。
こういいながら、平七はあわてて目頭《めがしら》をおさえた。兵部は、今にも畳の上に倒れそうに俯向《うつむ》いて来ているのだった。
「御家老……もののたとえに、左様に御真剣になられるのも……いかがなものに御座りましょうか……」と平七は、涙の中で笑おうとした。
兵部は、遂《つい》に畳の上にがばっと伏していた。
更《ふ》けてから、平七は白金の屋敷を辞した。秋の夜は暗い。平七の胸もまた暗いのである。
今通って来た感動がまだ平七を動かしていた。数日後に米沢へ帰る筈の兵部の心持を思うと淋しかった。国表《くにおもて》は、もう山に雪が降っていることであろう。長い冬の間の陰鬱《いんうつ》な空の色が見える。兵部は傷ついてこの空の下《もと》へ帰ることだ。せめて心持を烈しく持って、いつか自分でいったとおり飽くまで大石内蔵助と闘う覚悟でいてもらいたい。今夜のように心弱くなっていようとは、失意の人にはやむを得ぬ心持であろうけれど、平七には淋しく思われる。と同時に自分達付人の地位がこれからどんなに重大なものになるかを考えた。
お家の安全を期するためには、万一の折は上野介どのの首級《しゆきゆう》を敵に渡すことも辞さないというような意味に取ることを兵部が暗示したのは、上杉家がどんな危機に臨《のぞ》んでいるかを示しているばかりか、同時に、この危機にあたって付人たちがどんな重大な立場にあるかということを示している。つまりは、上杉としては付人を出す以上のことが出来ないのだ。というのは、主君の御孝道を全《まつた》からしめることがただ自分達付人たちにまかせられているということである。まことに渋江たちのように軽々しく鬱《うさ》を晴らそうと求めることは出来ない。私情を捨ててこの難関にあたるよりほかはないのである。
暗い道をたどりながら、次から次と、いろいろのことが平七の頭にうかんだ。何よりも、付人の一団をもっと強固にすることである。見わたしたところ腕前はあっても、これだけの忍耐を持ち得ぬものがある。渋江の如き軽率の者がそれだ。松坂町へ移ってからの数か月の試煉がこれまで気が付かなかった個人個人の性質を知らしてくれたのである。
歩いている内に平七は、向うから提灯《ちようちん》をさげた男が来るのを見ていた。道中姿の町人で、すたすたといそぎ足で来るのである。別に気に止めず、すれ違おうとした時に、
「お!」と、向うがこちらを見て驚いたように叫んで、
「小林さんでは御座いませんか?」といった。
平七が、立ち止って不審そうに見ると、男は笠をぬぎながら、
「久し振りですな」と歩み寄って来た。
これは、堀田《ほつた》隼人《はやと》の変った姿だ。
「お!」と驚きながら、平七は、隼人が上方《かみがた》へ行っていることは知っていたので、
「いつ?」
「なアに、今夜戻ってまいりました。これから千坂様へ御挨拶に伺うところで御座います。実は麻布の方へうかがいましたが、こちらだと仰有《おつしや》いますので、すぐ、その足でまいったようなわけで……」
「なにか急な……?」
平七には予感があって、こう尋ねた。
「いえ」
隼人は、提灯をあげて、用心深くあたりを見廻したが、低い声で、
「いよいよ、出てまいりましたよ」といったのは、無論大石内蔵助のことと知れた。
兵部は、暗い目付で、隼人を迎えた。
隼人が何で急に帰って来たか、聞かずともわかっていた。遂《つい》に、その時は来たのである。兵部が数日後に米沢へ立とうという今になってから敵手がいよいよ江戸へ下って来たとは、残酷なことであった。一人は失意を胸におさめて遠い雪国の米沢へ去ろうとする。一人は、かれの本舞台といってもよい晴れの場所へ悠然と姿をあらわしたのである。
兵部は、隼人の報告を聞いて、うなずいただけであった。
「そうか、そうか……」と、いった。
隼人は、京から箱根まで内蔵助の一行について来て、とにかくすこしでも早くこのことを知らせるために、ひとりだけ昼夜兼行で道をいそいで来たもので、旅の疲労が若い顔に出ていた。
兵部は何がなしにこの男にも、いたましい気持に打たれた。それから遠慮なく次へさがって休んでいてくれといった。しかし隼人がその言葉に従って、次へさがるとすぐ後を追って来て、いそがしくいろいろと事情をきいた。話している内に、山内《さんない》の鐘が深夜を告げた。
寝間には、とっくに床が敷いてあって、猫たちが先へ入っていたが、主《あるじ》は、ひとりになってからも再び書院に戻って、朝までそこにいた。間近く冬を控えた夜は肌寒い。それも兵部は感じないでいたのではないか? その黙然と影のように坐っている傍で、油の尽きた行燈に燈心が薄暗く燃えていた。
兵部が何よりも強く感じていたことは、自分のこれまでしていたことが悉く却ってお家のためにならなかったのではないか、という恐ろしい疑問であった。恐ろしい鞭が宙に見えた。幾十年前に死んだ父親が自分を叱咤しに、暗い壁の中から歩み出て来るように思われた。
つめたい膏汗《あぶらあせ》が脇の下から流れた。
因循《いんじゆん》、姑息……ありとある悪い言葉が自分のしたことにあてはまるように思われた。あまり大事を取ったことが結局、敵に活動の自由を与えたことになり、今日の上杉家の全く受動的な動きのとれぬ位置を招いたといえないだろうか? それとすれば兵部は死んでも眼がねむれない。大事はこれからだ、しかもおれはこの時に米沢へ帰ろうとしている。辞任の理由は、にくまれているおのれが退いて主君の心持を緩和《かんわ》し大局の安全を求めるというのにあったが、それはおれの口実で、実は、お上の我意に向って、おのれもまた我を貫ぬこうとして畢竟容《ひつきようい》れられぬ不満をこれによって示したのではないか?
今、去るのは卑怯である。
敵は来た。
今、去るのは卑怯である。
しかし、おのれは執《と》る道としては消極の一途《いつと》よりほかはなかった。それをとおすのである。理想の立場は、依然として上杉家を、この事件の渦《うず》からはなして置くことである。
相手は、狂犬のような奴《やつ》だ。隙さえあらば躍り掛かって無理やりに十五万石のお家と刺しちがえるぐらいの覚悟であろう。勿体《もつたい》ないが、少将どのは大石の眼中にはあるまい。大石が狙っているのは、こちらのお家なのだ。
いかん、いかん……やはり相手になってはいかん。万一の時は? そうだ、万一の時は……小林平七に思わず口走ったように、少将どのを殺してお家を助ける……いや、いかん、それは、いかん。それは断じてならん。
瓦《かわら》となって全《まつた》からんよりは、むしろ玉として砕《くだ》ける、大石をひと思いに殺すか?
兵部は、打たれたように急にかっと目をあけた。最早|欄間《らんま》のあたりは朝の色にぽっと白くなっているのであった。
「いいお天気……」と誰か若い女の声でいって、からころと刳下駄《くりげた》の音が敷石の上を堂の方へ行く。天気はいい。日本晴れで、からりとして、そそり立つ五重の塔の長い影がこのひろい境内《けいだい》に横たわっている。大石|無人《むにん》の坊主頭が茶屋の中に見える。無人は津軽家に禄高《ろくだか》三百石で用人格をつとめている間は郷左衛門《ごうざえもん》といった。今はその禄もつとめ向きの気苦労も捨てた暢気《のんき》な隠居の身、世間並にすれば茶でもやるか道具いじりでもしているところであろうが、持前の豪放で寛濶《かんかつ》な気性からそれで我慢出来ない。いつか堀部安兵衛が神崎与五郎に話したとおり、この無人はすることが万事大まかで、しかも派手《はで》好きなところが内蔵助と共通しているのは、この元禄《げんろく》というはなやかな時代の反映でもあったろうが、また確かに大石家の血筋に伝わっているものらしく見える。殊に、江戸に住んでいる無人は、内蔵助にある遠慮や計画がなくて、どこまでも、からっと筒抜けの、万事派手好みでがむしゃらで、喧嘩早くてまた仲直りも早い老人だった。
隠居してからは、殊に気ままになって、したい放題のことをして遊んでいる。また、こんな交際《つきあい》の好きな男も珍しく、仲間を作るのに階級の差別を設けなかったらしかった。無人が変な場所で変な人間に挨拶をされるのには連れになっている者が、よく吃驚《びつくり》させられる。武芸者は無論、作者、商人、役者などはいいとして、さかり場につきものの不良の徒の中にも「御隠居」で通っているくらいである。賑《にぎ》やかなことが好きで、各所の祭礼や、また何か催《もよお》しのある所へはきっと渋紙色の坊主頭を光らしてどこかに来ているのである。どこにも何もない時も、家にいることは滅多にない。いつも供には鎌髯奴《かまひげやつこ》を連れて「何か天下に事はないか」というように、さかり場や賑やかな往来をほっつき歩いているので、喧嘩でもあると仕儀によっては自分も一口買って出るし、それでなくても仲人の口をきくのに喧嘩の潮時《しおどき》をよく心得ているというのが、ほかの、どんなことより大層美徳のように思っているらしく、喧嘩掛引の呼吸をよく知っているということにも、当人がひどく自慢なのである。だからこの男だけは、身内の内蔵助に先年のような災難が起ったことを大いに祝福した一人だった。これを災難と思うのが間違いだ。思う存分に自分の力量を揮《ふる》う機会など滅多に与えられるものではない。それが出来たというのは富籖《とみくじ》にあたったようなもので、あだやおろそかに思ってはならぬ幸運だ、というのがその意見だった。この老人は、自分の身内からこの幸運にあたった人間が出たということを、愉快に思っているとともに、仕儀によっては自分も乗り出して采配《さいはい》をふるうぐらいの元気である。無論内蔵助がそんなことをたのんで来る人間でないと知っているが、他人ではないのだ、半口ぐらいのせてもよさそうなものだと、ひそかに不平に思っているくらいである。主税が先発して来たと知るといよいよ幕があくぞと、力瘤《ちからこぶ》を入れて、内蔵助が登場を待っていたのである。
天気はいい。
鳶《とび》が鳴いている。
無人は、奴《やつこ》を傍に待たせて、暢気《のんき》に髯《ひげ》を一本一本さぐりながら、今も内蔵助のことを考えているのだった。
「これは、御老体……」と、無人が緋縮緬《ひぢりめん》をのぞかせて片あぐらをかいている姿を、外を通りがかりに見つけて、入って来た男がいた。
「お」とこちらも膝を正して、
「こりゃ、珍しい。細井先生」
広沢《こうたく》、細井次郎太夫の、いつものとおりの堅くやせた形が入って来た。
「御参詣《ごさんけい》ですか?」
「いや」と笑う。
「たいくつして、誰かよい話相手はいないかと物色していたところです。どうも天下が泰平すぎる」
「ははははははは」
広沢は、相変らずこの隠居らしい言葉をさも愉快げに笑ったが、ふと、にわかに真顔に戻って、膝を進めた。
「泰平どころではありませぬ。御老体はまだ御存じないので御座るか? 大石どのがいよいよ出府されましたな」
「なに!」
無人は、愕然とした。
「そ、そりゃア……真実で御座るか?」
「なんで御老体をおかつぎ申そう。まだ、御存じなかったのでござるか?」
ふゥむ……というように無人は、驚きの目をみはったまま暫くうなっていた。
「そ、そりゃア怪《け》しからん。どこに宿を取っていますか? 出府いたしておって、私に一言《ひとこと》の挨拶もないとは不都合《ふつごう》な奴だ。押し掛けて行って、きつく談じてやらねばならぬ。どこにおります?」といったが、すぐと、
「いや、貴殿はそれをどこで御承知になったか?」
広沢は、この最後の問いに、警戒するような語気を感じて、ははあ、これはおれが柳沢の家中なので、大石の出府のことを早くも知ったことに疑念を抱いているのだなと、さとった。
広沢は、かねてから浪士たちの計画に心を寄せている。内蔵助の出府のことも、昨夜《ゆうべ》ふと逢《あ》った堀部安兵衛の口からひそかに打ち明けられたものだった。無論このことは家中の者にはもとより何人にも漏《も》らしてない。それだけは信頼してもらっていいのである。
広沢は、おだやかな口調で、そのとおりに答えた。
「ふゥむ」と、無人は、またうなった。
「しかし、御主人はかねて本所《ほんじよ》をかばっているように承わるが……大石が出府のために、また何かと浪人の取締りなど、厳重になるようなことが御座るまいか?」
「それを……手前も憂慮いたしております。が、臣下としてこれを申すのは如何かと思いますが、主人は世にもすぐれて聡明すぎるくらいな方で御座れば……世論の大勢の動くところに背《そむ》こうとは敢《あ》えてなさりませぬ。この点は大石どのもよく御承知であろう。世論が大石どのに有利ならば先ず御心配ほどのことはありますまい。手前も、君側にあって、その心得で、及ぶかぎりお味方致したく存じておりますが……さて、それとは別に上杉家の方は如何なものに御座りますか? むしろ、その方が心がかりに思われます。堀部氏にもこれを話して置きましたが、殊に大石どのの身辺を御用心なさるに越したことはありますまい」
「そ、そ、それじゃ」と、無人は癖で、思わずまた縁台の上に、あぐらをかきかけた。
ぱっと、鳩が、羽根をあかるく飛び起った。
大石内蔵助は十月七日に京都を出ていた。同行は、潮田又之丞《うしおだまたのじよう》、近松勘六《ちかまつかんろく》、菅谷半之丞《すがやはんのじよう》、早水藤左衛門《はやみとうざえもん》、三村次郎左衛門の五人に、若党|室井左六《むろいさろく》と中間《ちゆうげん》が二人である。内蔵助は日野家《ひのけ》用人|垣見五郎兵衛《かきみごろべえ》と称していた。絶えず身辺に目をつけている敵の間者に対しては名前を隠したところで無駄だと知っていたが、これは一緒に運んで行く長持二つを関所であらためられるのを避けるためである。
出発のことは、小野寺十内《おのでらじゆうない》と瀬尾孫左衛門《せおまござえもん》を先にやって、江戸の同志へ知らせた。なお、どこへ泊ったらいいかを考えて置いてくれと、言葉を添えてある。
江戸では、これは大変だと、相変らず内蔵助が暢気なのにあきれながら、皆で集まって相談した。とにかく、隠すのにはあまり大っぴらすぎる大将だから、人々は場所の選定に頭をなやました。
「いっそ市中がよかろう。どうせ隠して置けないのだし、また太夫《たゆう》が隠れようとはしないだろう」と、安兵衛や唯七などがいった。年寄連……殊に病後の身体をそれと聞いて乗り出して来て、一同をその無謀なのに驚嘆させた堀部弥兵衛などは、反対の意見だったが、安兵衛の言葉に内蔵助の物に動じないむっつりした風采《ふうさい》をたのもしく思い起しながら、楽しい微笑を感じたのだった。
「いや、そりゃアいかん」と、弥兵衛が膝を乗り出して、婿をたしなめた。
「隠れない御仁《ごじん》だから、端《はた》で出来るだけ隠して置かねばならぬ。無論市外がよい。鎌倉あたりがいいのだ」
「鎌倉では遠すぎるようだが、すぐ江戸へ入って人目についてはならん。どうせ、知れることであろうが、市外のどこかに、出来るだけ永く隠して置いて、様子を見て市中へ入られるようにするのが得策だろう」
これは吉田忠左衛門の意見であった。
「では、どちらへ?」
「さあ、それだ」と、忠左衛門は、急に、首をのばして座中を見廻しながら、
「富森氏《とみのもりうじ》が見えられぬようだが……御承知でもあろう、もと富森氏のいられた川崎在の家は如何か?」
「むむ」と、四、五人が一度にうなって、あれがいい、あれがいいといい出した。この人々は、川崎在|平間村《ひらまむら》の富森助右衛門が一時仮寓していた家を知っていた。助右衛門は家中離散の後、もと浅野家へ秣《まぐさ》を納め下掃除を請負《うけお》った始終出入りしていた平間村の百姓|軽部五兵衛《かるべごへえ》にすすめられ、その家の一部を借り村の子供を集めて、習字を教えてやっていたことがある。その後、助右衛門は構内に別に一棟《ひとむね》を建てて、そこに住まっていたが、近頃何かと不便なので、江戸へ出て麹町《こうじまち》にいるのだった。
忠左衛門が、知らない人々に、これを説明すると、一同もそれはいいといって賛成した。
すぐと、助右衛門に話があって、助右衛門は五兵衛の家へ行って、こんどおれの親戚で瀬尾というのが静かなところへ入りたいというから、ここへ連れて来る。主のほかに二、三人客がいつもあろうが宜《よろ》しくたのむと挨拶して、大工《だいく》を呼んで手入れにかからせた。家はまだ新しいし、そう狭くもないから四、五人は住めるが、とにかく垣根の外は、田畑で、夜道をすると狐火《きつねび》が見えようという田舎《いなか》だった。
鎌倉へ廻ってここで吉田忠左衛門に迎えられ、三日ばかり旧跡を見て歩いてから、内蔵助は、この家へ連れ込まれた。
「やあ、淋しいところだ」と、いうのが真先の言葉で、それを忠左衛門が江戸へ伝えた。太夫らしい言草だと、皆が笑った。
しかし、内蔵助は、ここへ落着いた。
内蔵助が出て来たことが、どんなに同志の士気を鼓舞《こぶ》してくれたことか知れない。あんまり大勢で出掛けては却って人目をひいていけないとお互に充分注意をしていて、それでも、入り代り立ち代りに平間村へ誰かが訪ねて来た。堀部安兵衛、大高源吾、神崎与五郎、片岡源五右衛門などは真先に来た方である。
誰も元気がいいのが、内蔵助はうれしかった。
「いつ頃、やります?」というのが、誰の口からも発せられた質問だった。
「やあ!」とそのたび毎に内蔵助は笑った。
「今度はそう待たせはしない。とにかく江戸にいて敵の動静で何か耳よりのことがあって、確実だとわかったら、まとめて私のところへ知らせてもらおう。なに、私も、遠からず江戸へ出るから」と、いって、相手によって、質問のように「あちらは確かに本所にいるのだね?」とか「千坂が国詰になったというが、もう江戸をたっているか?」とか、尋ねた。そういう態度に、内蔵助の意志が積極的に変って来ていることが、はっきりとわかった。いつの間にか、この江戸から五里ばかりはなれた平間村の一農家が軍令本部になっている。江戸にいる同志の者は喜んで、日夜奔走して、麻布の上杉家と本所の吉良の屋敷を中心に新しい情報を得るために、これまでより熱心に努力しはじめていた。
しかも、同時に、敵側にも異常に緊張した空気があるのが感じられた。「どうやら太夫の出府を知っているらしい」というのが、めいめいの一致した意見だった。上杉家、吉良家ともに、貝がふたをしめたようににわかに沈黙した。人の出入りを厳重に警《いまし》めて、内部のことはまったくわからないようになったのである。同志の者はいら立った。だが、内蔵助は、「これからだろう」と言葉短くいった。安兵衛たちは、自分達のこれまでしていたことが結局無駄だったのを知ったが、内蔵助がいることで落胆しなかった。敵は、いき物だった。毎日変るのである。その変化を見、すきをとらえて躍《おど》りかかるのである。
やはり太夫が出て来て初めて出来ることだと、安兵衛は唯七に話した。平間村で、内蔵助はひまさえあれば眠っていた。起きている時も客のない時もむっつりとだまり込んで、庭へ出て鶏小屋の前へ立ったり、構えの内をゆっくりと歩きまわるだけで、一緒にいる潮田又之丞や菅谷半之丞とも顔を合していて滅多に口をきくことがない。何か考え込んでいるような皺《しわ》が目立ってふえていた。
その間にも、ふいと足もとから鳥が起つように、急に、
「江戸へ行って来る」と、いい置いて、ふらりと、出て行くことがあった。笠《かさ》をかぶって面体《めんてい》を隠しているだけで、供を連れずに出て行くのである。
江戸へ入っても、ほかの者には知らせず、目ざした人間を訪ずれて、すぐその足で帰るらしい。多くは吉田忠左衛門、原惣右衛門、小野寺十内の三人に会うので、密議をすると直ぐ帰って来るのである。太夫が見えたと聞いて、ほかの者があとでびっくりするのだった。
これは危険なことだ。
内蔵助に注意する者があると、
「そうだったな?」といって苦笑する。しかし、行動はその後も相変らずだった。そこで吉田忠左衛門が内蔵助が来ると、すぐと誰かに知らせて、帰りはそっと蔭にそって護衛させるように謀《はか》った。
こうした或日のこと、内蔵助は江戸からの帰りに六郷《ろくごう》の渡しで向う岸にいる舟が戻って来るのを待っていた。もうたそがれかけていて、高く澄みわたった空に夕焼けの色が流れている。赤く火のように燃えている地平はるかに甲斐《かい》相模《さがみ》の山容が濃い紫色をして居並んでいる中に、富士の姿がくっきり描かれていた。
「もう雪がある」
内蔵助は目をみはったのである。
しかし、十月もやがて晦日《みそか》に近いのだし、先頃までゆたかな金色の波を揺さぶって出来秋を飾っていた稲田も、とりいれを終り、行儀のいい切株を残して蕭条《しようじよう》としていた。多分渋いのでいつまでも残されているのだろうと思われるが花火のように美しい柿の木のこずえに、鴉《からす》がとまっている。十一月、十二月これからは日がたつのも早いのである。
同志の者で、出て来るだけの人数はもうそれぞれ支度《したく》をして、江戸を中心に近在に潜伏《せんぷく》していた。奥州白河《おうしゆうしらかわ》に妻とともに行っていた中村勘助も知らせによって駈けつけて来ている。身持悪く先君御在世の頃お暇を賜《たま》わった不破数《ふわかず》右衛門《えもん》もその熱誠を示して新しく同志に加わることになった。いつでも、号令さえくだせばこれだけの者が動くのである。この準備があって、しかも未《ま》だ手が下せないのは、敵情がまだはっきりしないからであった。
仕事は、必勝の目算が立たなくては滅多に手を下すことが出来ないものだった。一度やって失敗したら再びやり直す……よし、それが後詰の別動隊を控えていたところで、これは不可能なことである。まして内蔵助には後詰がない。のるか、そるか、乾坤一擲《けんこんいつてき》の勝負であった。いささかの不安でもあれば、軽率に動くことは出来ないのである。万一を思ってこの後詰を置く必要を説く者もあったが、内蔵助は笑って取り合わなかった。その必要はない。また出来ないことだというのが、その腹だった。一時、誓書を入れた者の数は百五十人に達していたのが、いざという今日になって集まって来たのはその三分の一にすこし多いだけのことになっているのを見ても、真実「身を殺す」覚悟のある者は世間にそうあるものではない。武士とは、刀を二本差していることだけを以《もつ》て、ほかの人間から区別されるような憐《あわ》れなものではなかろう。また、扶持《ふち》をどれだけ受け、祖先にどんな手柄があったかということでもない。いつでもおのれの欲望も生命も、道のためになげうつことの出来る者だ。遺憾《いかん》ながら、その意味の武士は皆そうあって然《しか》るべき二本差した人々の中にすくなくなっている。武士が初め今の社会を作るにあたり功績があったことから、特に一つの階級を作って世の中の上層にあり庶人に臨むことになったとはいうものの、肉食をたしなむ者はけがれるの理、この制度は却って武士を廃《すた》らしたとともに、まことの武士としての資格が特権の制度の外にあることを実証した。庶人の中にも武士はいる。また同じ階級の中でも進藤、小山などの大身《たいしん》の者に卑怯者を出し同志の八分までが小身者《しようしんもの》から出ることになったのである。今の社会の防波堤として作られた制度が、まだ腐朽するどころか、形式として最も整然とした今日において、すでに逆にその崩壊を助けることになったのではないか?
世間は動いている。地方にあっても同じように崩れて行く。赤穂の武士階級の中に、せめて五十人の武士が残っていたとすれば幸いだったといおうか? 後詰を作ろうなどとは、望んで出来ぬことだった。あるいは、この度のことが、もう二十年三十年|経《へ》て後に起ったものとすれば、この五十人を得ることさえむずかしくなることかも知れぬのである。
そうだな、おれは運がよかったといおうか?
内蔵助は、目の前にゆたかに流れている川の水をぼんやりと眺めながら、これを考えた。いつ勝算が立つか、まだはっきりしないが、とにかく自分が失敗しようとは思っていない。むしろ「やって見せるとも」と、誰にでも言明したいような確信があるのである。
舟は来た。内蔵助はぞろぞろと茶店から降りて来たほかの客に混って、これへ乗った。いつの間に来ていたものか、例のお仙が、やはり同じ舟に乗り込んでいたのだった。
堀田隼人と蜘蛛の陣十郎は、同じ日の夕方に高輪《たかなわ》の大木戸を出て、東海道を川崎まで来た。川崎へ着いた頃には、もう大方の店舗《みせ》は大戸をおろしているし、いつも一番遅くまで起きている軒並の宿屋で、そろそろ火を落し、表の戸をしめにかかっている時分で、それでも、人の通るのを見掛けると、
「如何《いかが》さまで御座います?」と、縁台をかつぎ込みかけた手をやめて、未練に声を掛ける宿引もいた。
すたすたと、二人は、通りぬけて、途中から左へ折れた。すこし行くと小川などがあり寂しくなって、堀の内の権現《ごんげん》がある。その境内へ入ってから、きょろきょろあたりを見廻した。
「こちら……」
最早葉の大半を落して、星空に大きな箒《ほうき》を逆様にしたように立っていた神木の銀杏《いちよう》の蔭からお仙が白い顔を笑わして出て来た。
「お」
陣十郎は、歩み寄って、
「大分、待たせましたか?」
「ええ、かなり。でも、今まで宿《しゆく》を行ったり来たりしていたのですから」
「そりゃアお気の毒でしたね、あちらの方は?」
「すぐにも御案内いたしましょう」
「ほう」
陣十郎は、目をひろげて、笑いながら、
「なるほど、お仙さんの仕事は、それで済むわけだ。が、どんなものです。堀田さん。真直ぐに行ったものでしょうか?」
これに、隼人は、どっちでもいいというような返事をした。そこで、お仙の案内で、近道だというのでそばのやぶをぬけて、三人は境内から出ていた。
梟《ふくろう》が鳴いている。
ちらほらと、やぶや木立につつまれてある農家の間をぬけると、間もなく、一面に銀砂子《ぎんすなご》をまいたようにひろがった星空と、黒く、平らな田畑の眺めが、視界を埋めた。お仙は、この暗い道をまよいもせず二人を案内して行くのである。
「一体……」と陣十郎がいった。
「いくたりぐらい一緒にいるのですね?」
「三人です」
お仙は答えた。
「三人……いずれ、腕の利《き》いた連中なのだろう」
が、三人は、急にだまって、じっと、行手を見た。たれか路に立っているのである。構わず三人は歩いて行って、その男がその辺の者らしい百姓だったのを見て、安心して通り過ぎた。
「今頃、西瓜《すいか》の番人でもあるまいが……」
陣十郎が、こういったので、お仙はお愛想《あいそ》に笑顔を作った。ところが、これは冗談《じようだん》ではなく、陣十郎は、行き過ぎて幾たびか、その男の方を振り返って見ていた。隼人とお仙とを怪しませて、立ち止ったのは、その男が歩き出したからである。
「こりゃアいけない」と、陣十郎はいい出した。
「結構むこうでも用心していますぜ。……お仙さん、ほかの道がありますか? そっちを行って、また誰かいるとすりゃア正《まさ》しくそれだ」
三人は、畑を突っ切って、別の道へ出た。そして、ここでも、往来に向いた家の窓があいていて、三人が通ると、誰か内で起き上って首をのばしてのぞく者があった。
陣十郎は、舌打ちを聞かせた。
その翌朝も、からりと晴れた。
国詰になって米沢へ帰る千坂兵部は旅装を整え、家中の有志の者におくられて江戸を出ていた。本所へ行っている付人の中からも、小林平七と鳥井理《とりいり》右衛門《えもん》が千住まで送って来た。後任の江戸家老、色部又四郎も、わざわざ用人を見送りに寄越していた。
兵部は、いつもより快活で、始終微笑を含んでいる。しかし、その微笑や言動には、何かしら強《し》いて作っているようなところがあって、男らしい小林平七の胸に淋しいものを感じさせていた。
元来難しい顔をしているが、人の応待には、声は明るいし話に縦横の機知が溢れていて、決して、人をそらさない。今朝は特にそう見えた。特に、今度あの夥《おびただ》しい数の猫をどうやって始末するかについて兵部が苦労した話は、人を失笑させずにはいなかった。
「御時節がら浪人をつくるのは考えものだから、もと野良猫だった奴も捨てるわけには行かない。一度|扶持《ふち》をもらって安気に過ごしたとなると、畜生でももとの野良育ちの境涯に決して戻れるものではない。昔あった粗食の習慣やその他何事につけても抵抗力がなくなっていて、つまらぬことにつまずく。早死するというわけだ。だから、あとで捨てるくらいのものなら拾わぬことだと、私は思っている。そこで漏れなく、新しい主人を探して始末してやろうと思ったのだ。近頃こんなに手を焼いた仕事はなかった」と笑った。
「けれど、他家へ行ってよく、馴れますか……これまで、あまり大切になさっていられたのですから」と、いう者がいた。
「そりゃアすぐ馴れるよ。飯だ。飯さえ、きちんともらえたら、結構それで満足」
兵部の返事はこれだった。
米沢へは、例の譜代猫《ふだいねこ》だけ連れて行くのである。
千住の茶屋で、人々は別れた。平七と理右衛門だけが、兵部の目くばせを受けて、残った。
兵部は、荷物や、供の者を先へ立たせて自分独りだけ残った。
「よく来てくれたな」といった。
二人は、何か厳粛なものを感じた。黙礼した。
人々が立ち去ってから、兵部はまったく別の人のように、老《ふ》けた感じを与えていた。目が、皺《しわ》の中にたたみ込まれて、明るい外の光線をまぶしそうにしている。
「皆に宜敷《よろしく》といってくれい。一度こちらから訪ねるつもりでいたが、それも出来なかった。残念に思っている」といって、
「あとのことは何分たのむぞ」といった。
二人が、おごそかにそれを誓うと、兵部はうれしそうに笑った。
そうして、
「昨夜色部に会って、よく話して見た。色部も、よくわかってくれた。お家のことを案ずるまでのことはなかろう。今は、私も大いに安心している。麻布の方は色部にまかして置けるし、本所のことは君たちに願ったのだ。これで、いいわけではないか?」と、さも、重荷がおりたというように、肩を聳《そび》えさせて微笑したのだが、平七の目に映ったのは、その肩の、ひどく薄く、やせて、寒そうに見えることだった。やがて、限《き》りがない、そろそろ行こうという話で、三人は一緒に茶屋から立った。
裸になった並木の幹に、日が差している。どこかで、頻《しき》りと、百舌《もず》が鳴いている。
「たのむよ」というのが、いよいよ別れしなに兵部が話した最後の言葉であった。目と目を見合せて三人は、袂《たもと》を別《わか》った。
しかし、独りになって二、三町歩いてから、兵部は、急に立ち止った。荷物や供は、ずっと先へ行っているし、小林達の姿も、もう見えなくなっている。しかし、兵部は、かたわらの土手へあがって木の根にたたずみながら、誰か江戸の方角から来るのを待っている様子だった。
この葉を振るった並木の影をはっきりと土にしるしている街道を、さまざまの旅人や、近所の百姓たちがいそがしげに通って行った。
兵部が待っている人間は、まだ来ない。そこで、兵部は、木をめぐって、道と反対に、蕭条たる秋の野の目の前にひろがっている側《がわ》へ出た。
澄んだ秋の日射が、山に遠いこのひろびろとした空間を埋めている。木の根を選んで腰をおろして、煙草《たばこ》入れを取り出しながら、この眺めを見やった。遠い雑木林の中を人の通って行くのが黒い豆粒のようだ。兵部は、この日だまりにじっとして、永いこと待った。澄んだ空気の中に幾服かの煙草の煙がおどんで、気が付かぬ間に、薄らいで行って、消えた。
やがて、蜘蛛の陣十郎が来た。
二人は目を見合せてだまって一緒に歩き出した。
「どうだった?」と、兵部はいった。
「へえ、なかなか油断がないようです」
陣十郎の返事はこうだった。
兵部は、ちらと、憂鬱な表情をのぞかした。
そして、暫くしてから、
「さもあろう」といった。
それから陣十郎は昨夜《ゆうべ》隼人やお仙と一緒に平間村《ひらまむら》へ行った経過を、要領のいい、てきぱきとした言葉で物語った。
大石内蔵助がやっていることではないらしいが、付近の百姓が雇われ警戒に立っているらしいこと、それのみか、別に、素姓のわからない武士たちが五、六人ずつ、近くの農家にいて、いざという時は走り出るようにいつも支度している……というのだった。
兵部は目を光らした。
「浪人者か?」といった。
それは陣十郎にも、まだ、わかっていなかった。
兵部はまた、考え込むために黙った。
赤穂浪士の計画を、蔭にいて助ける者があるとすれば誰だろう? 戸田家《とだけ》か? 芸州《げいしゆう》か? いや、そんな腰のある親戚は、浅野家にないように思われる。
では……と、ほかを考えると、漠としてよりどころがなかった。
非常に大きい勢力のようにも考えられる。また少数の個人が集まって、ひそかに味方しているのではないかとも見くびられる。いずれにしても、かれ等とて公然とは出来ぬわけだ。赤穂浪士は、国法にそむいて暴力をふるおうとしている不逞《ふてい》の輩《やから》だ。これに力を添えたとなれば、無論その罪は問われて然るべきだ。
これを考えた時、兵部の面ににわかに血の色がさして輝いた。
何かの手段に訴えて、この事実を暴露させる。御公儀……殊《こと》にかねて上野介どのの肩を持っていられる柳沢出羽守《やなぎさわでわのかみ》どのが、なんで、これを黙視せられよう。
かねて睨《にら》んでいる赤穂浪士に打撃を与える理由が立派に得られるわけではないか? これに依《よ》って御公儀の権力が発動して、彼等の計画を阻止《そし》するものとすれば、大石とても身動きすら出来なくなるであろう。
これだ、これだ!
兵部は、やみの中に灯影を見つけたような心持だった。その灯はたちまち、光を加え、幅をひろげて、胸から外へ溢れ出ようとした。
じっと、それをおさえる……さて、落着いた声で陣十郎にいった。
「引き返そう。江戸へ戻るのだ」
乞食に身をやつして赤穂まで行った、あの宍戸寅之助《ししどとらのすけ》が、朝霧の品川本宿を歩いている。立ち止ったのは、だき茗荷《みようが》の紋《もん》を染め抜いた紺《こん》ののれんがさがっている家だった。のれんをくぐって入ると、家の中にはまだ夜の闇と静けさが残っていた。ねむそうな顔付で出て来た男に、寅之助は法体《ほつたい》の隠居はまだお寝みになっているかと尋ねた。
返事は、丁寧だったが、あたりまえのことをきくひとだ、というようなさげすみが感じられた。
寅之助は笑いながら、
「じゃアどこかでおれを寝かして呉《く》れ。お目醒めになったら起してくれるのだ」といった。
女はと、すすめようとすると、
「いらない。ねむいのだ」といった。
そこで当然の結果として、はしご段の下にある暗いあんどん部屋に入れられて、きたない夜具をあてがわれた。が、寅之助は、そんなことも平気だった。間もなく雷《かみなり》のようないびき声が聞え始めた。
すっかり明るくなってから、ゆり起されて大石|無人《むにん》の部屋へ行った。二階で、すぐ下まで潮《しお》が来ているので天井《てんじよう》に水の反射がきらきらゆれている。無人は、粋《いき》などてらを着込んで日の差し込んでいる縁に近く、派手なふとんの上にあぐらをかいて坐っていた。
「よお」と、いう。
娘のような若い女が、ひどく親切に傍《かたわら》にいるので、さすがにけむいような顔付でいる。
寅之助が笑いながら、
「如何でした?」といって、坐った。
「いやア……」
無人は、明るい海へ苦笑をそらして、
「とにかく、安房《あわ》上総《かずさ》が見える」と、突拍子《とつぴようし》もないことをいった。
寅之助は笑いをこらえた。
「せいせいとなさいましたか」
「あ、した、した。田舎《いなか》はいいな。二、三年寿命がのびるようだ。そりゃアそうと、酒はどうした?」
女が吸い付けてくれた銀の長きせるを器用に受けながら、振り返って腹ばいになった。
「ところで……」といった。
「変ったことがあったか?」
「ありました」
寅之助は、女が立つのを待った。
無人は、まぶしい光に目を糸のように細くしながら頬杖を突いてうっとりしたように黙りこんでいる。
ゆるい艪《ろ》の音が、すぐ下をあかるくのびやかに通って行った。
「花魁《おいらん》は……」と、女が立って行ったのを見て、無人は独りで急に笑いながらいった。
「夜中に、おれに、うどんをねだったぞ。それ、うどんうどんと、団扇《うちわ》をばたばたやって外へ来る奴だ。その時急に旅へ出た気になったな。成程ここは江戸の外だわい。……うどんはいいね。不びんになったぞ。あははははは……」と、笑って、ごろりとなる。
「さて、どうだ?」
話は、平間村の内蔵助の隠れ家のことであった。
宍戸寅之助は、京都で再三見掛けたことのある上杉の間者《かんじや》らしい者たちが、平間村へあらわれたことを知らせに来たのだった。
大石無人は、
(来たか?)というような目を光らせて、愉快そうに見えたが、きせるを指の間に挟《はさ》んで弄《もてあそ》びながら何かじっと考え込んだ様子で、口をつぐんだ。
「ただじゃ済むまい」といった。
寅之助は笑った。
無人は、酒が出たので、その前に坐った。
「構わねえから、来る奴をとっつかまえて溝《どぶ》の中へ叩《たた》っ込んじまえ。とにかく、なんだ、殺しては面倒《めんどう》だ。目立たないように、あっさりとやることさ。なんなら、おれも行ってもいい」
「まあ、そりゃア……」
「そう、見くびったものでもなかろうぜ。喧嘩のことならこれで名人の折紙がついているのだ。第一お前達じゃア腕っ節は強くても、たんかの切れるのが一人もいないじゃないか?」
「そりゃアそうかも知れませんが……かえってお出にならない方が無事でしょう。おいでになって、あまり景気がついても困りますから」
「あはははは、なんとも、こりゃアそのとおりだ。ところで、おれだって、喧嘩も不景気なのはぞっとしないからな」と、いい機嫌で、ぐっとほして、
「そりゃアそうと、あっさりと手際《てぎわ》よくやろうというのは、こりゃアかなりむずかしい仕事だぞ。尻《しり》の来るのは、どんなでかい尻でもびくともするもンじゃないが……あっちへ迷惑を掛けてはならぬ。それだよ。よく考えてやってもらおうぜ。とにかく事が目立たぬように、こんがりと、手際よくやるのだ。そうだなあ、やはりおれが出ようか? どうも、不安心だから……」
「それでは、いらっしゃいまし」
「うむ、行こう、もう何刻《なんどき》ごろだろう」
「午《ひる》をすこしまわっていましょう」
「じゃアまだ、ゆっくり出来るな、おりゃアひと風呂あびたいのだ。あんたもはいれ。ここは塩湯だ」
ざっと一刻《いつとき》ばかり後に無人と寅之助は、海沿いに街道をくだって行った。供には、例の、大男の鎌髯奴《かまひげやつこ》が尾《つ》いていて、行きあう旅びとを振り返らせていた。
やがて、鈴《すず》が森《もり》を通りすぎて、並木が漸《ようや》く海と別れようとするところで、寅之助は、松の根もとに腰掛けている熊谷笠《くまがいがさ》の侍に目をつけた。
どうも、どこかで見た人間のようであるが、後向きになっているし、顔が笠の蔭になっていてわからない。わからないままで、そこを通り過ぎようとした。
しかし、折から、その侍が急に立ち上ってこちらを呼び止めた。
「あいや、暫く……」
こういいながら、笠をとったのを見ると、余人ならぬ内蔵助であった。
「よおう」と、無人が叫んだ。
寅之助は、内蔵助に黙礼して、すこし退《しりぞ》いて立っていた。
「どちらへ?」
内蔵助はにこにこしていった。
「いや、ちょっと……なんだ……」
無人は、困ったようだった。
内蔵助は、無人たちの計画を感付いていたのではないか、笑っている目付に複雑な表情がのぞいている。
「ちょっと……平間村へ、では、ありませんか?」といった。
「いんや、いんや……」
無人は、急に首を振った。
「そんなことはない。平間村がどこにあるのかわしは知らぬ」
「それならば結構です。実は、もう、あすこは引きあげることにきめたのですから」
「え……」
無人の声には軽い失望があった。
「い、いつね?」
「今、これから」と内蔵助はいった。
「そこへ腰掛けている間に急に、それを考えたわけです。ところが、意外にもあなたがここへ来られた。殊《こと》に、あなたの矍鑠《かくしやく》たる御様子を拝見した時に、そうだ、そうしようと、すっかり決心が出来たわけです」
「へーえ。……私を見た時にね」
無人は閉口《へいこう》した。こいつ知っているんだと、はじめてはっきりわかった。寅之助の方を見るとこれも今の話を聞いたらしい。泛《うか》んで来た微笑を海へそらして、横向きに立っている。
「あは、はッ、はッ」
無人は、声を揚《あ》げて笑った。
「分っているのかい?」
「存じております。また忝《かたじ》けないことに思っております」
「いんや……」
無人は、すっかり、てれた様子で、
「な、なにも礼をいわれることじゃない。ほかの仲じゃアないし、それにおれのは、どっちかというと自分の楽しみでしていることだからな」と正直にまごまごして、早く、話題をそらそうとしているのだった。
「江戸へ行くってそりゃアいい。田舎はいかんよ、うどんだ、うどんだ」
田舎と、うどんとどんな関係があるのか知っている寅之助は、くすりとなったが、知らない内蔵助は怪訝《けげん》らしく、
「とにかく田舎では直ぐ目につきます、むしろ最初から公然と御府内《ごふない》へ入った方がよかった、と今になって気が付いたわけです。どうせ知れずにはいないことですから」
「すると、今度は、江戸では大っぴらにするつもりか?」
「隠れないで済めばいいのですが、これで、また始終看視されては何も出来なくなるから困りものだと思っています。とにかく、あっちが埒《らち》があかない……どのくらい待たなければいけないのか、てんでわからぬので、それまで隠れおおせるということは、不可能でしょう。まず、出来るだけは、どこかへもぐり込んでいるつもりですが……」
「それがいい、それがいい。……目を付けられたら、こりゃア面倒だよ。なんなら、私の屋敷へ来たらどうだ? むさくるしいところだが何とかする。誓って、われわれが護《まも》るつもりだが……」
「いや、お志《こころざし》は有難いが……やはりほかの場所の方が好都合でしょう。とにかく、あちらの所在さえあきらかになれば明日になりと……出来るわけですが、いや、思ったより困難な仕事です」
内蔵助の言葉は沁々《しみじみ》としている。一見何もしていないようでいて実はどのくらい心をいろいろに苦しめているかということは、一流の、相手をくるむような明るい微笑をも裏切る、疲れたような顔色で、それとわかるのだった。
無人もこれを感じて自然と顔をひきしめた。
むむ……と、頷くだけである。
「そうかなあ、そんなに難かしいのか……」
「難かしい」
内蔵助は淋しい顔付で笑った。
「決して、やさしいと思ってかかった仕事ではないが……むこうでもなかなかよく用心しています」
「しかし、なんのことがあろう。たかが高家だ」
無人は、いきまいてこういってから自分の言葉の軽率をはじて、注意深くあたりを見廻した。
気が付いて、寅之助は鎌髯奴《かまひげやつこ》を番に立たせ自分も反対の方角へ歩いて行って、通行の者に注意することにした。
内蔵助は、静かにいった。
「無論、それだけの覚悟はある。よし敵が味方に数倍する人数でいても、敢《あ》えて決する心持はある。しかし、あちらの所在がわからないのでは、手のくだしようもない。あちらでは特にそれを隠して外部から窺えぬようにしているのです。これは困る」
「…………」
無人は、今度はだまって、坊主首をうなずかせたばかりだった。
「三、四日前に、上杉の千坂兵部は国へ帰った。あるいは上野介どのを米沢へ匿《かく》まおうとしてひそかに連れ去るのではなかろうかと疑われた。三、四の者が、兵部の一行を尾《つ》けて行った、上野介どのがいないことを確かめて来たが、変なことには、当の兵部が荷物も供も置き放しにしていなくなったといいます。これを、どう解釈してよいのか? いや、迷わされますわい」
「うむ」
無人は腕を組んでいた。
「なるほど、そう聞けば至極もっともな話だな。そうか、敵の行き方がわからぬのか……それじゃ話にならぬ。なんとかいい方法がありそうなものだな。本所の方はあたって見たのか? 出入りの者などから聞くことは出来ぬのか?」
「不可能です」
内蔵助は、はっきりと、こう答えた。
「まあ、なんとかやる気だが……あの屋敷の内部にいる者でも奥のことはわからないらしい。わからぬように油断なくしているのです。そのために、穴倉を作って隠れているという話まで出た。これは真逆真実とは思われないが……万事その調子、むこうもびくびくしているだろうが、こちらもまた風声|鶴唳《かくれい》に驚くのたぐいです。まあ、なんとかなるでしょう。いや、必ずやって見せる。御老体にも高みから御覧になっていて頂きましょう」
「そ、そりゃア見ているどころの段じゃない。やれというなら何でもやるが……何とかしてわかりそうなものだなあ。ううむ」
「隠居でないと、簡単にわかることですが、どこへ行こうが何をしようが勝手な境涯にいる人間なので……」
「左様さ。むむ、こりゃアこうしたらどうだ。隠居だけに自然、茶や花の方をやっているだろう。その方へ手を廻してみたら、どうだ?」
「それも、大高などがやっていますが、さてどこまで成功しますか……いや、こりゃアとんだ長話になった。では、また江戸でお目にかかりましょう」
「むむ」
無人は、まだ別れたくないのだった。内蔵助が江戸へ行くことになれば、自分達が川崎在へ行く用向も自然と消えたわけである。しかし、最初それとは目的をあかさずにいただけに、ここで、じゃア一緒に行こうというわけにも行かず、寅之助の方を見たり、内蔵助を見たりしてまごまごしている内に、別れることになってしまった。
「さアてだ? どうするかな?」と、内蔵助の後姿が並木の間を遠ざかるのを見まもりながら、そばにいた寅之助に相談した。
折角意気込んで来た喧嘩をこのままで流してしまうのも無人には業腹《ごうはら》に思われるのだった。
千坂兵部が一度江戸を出て、また引き返してから後の行動は、上杉家の人々でさえも知らなかった。兵部は、痩せた体を、汐留《しおどめ》あたりの侘《わび》しい旅宿の一間に置いていた。兵部はそこから一歩も外へ出なかった。終日ひくい天井の下に、雨漏りのあとの黄ばんでいる壁に囲まれて坐っていて、じっと目を据えて考えているかと思うと、急に立ち上って、落着きなくそわそわと部屋の中を歩きまわる。その様子は、何か物に憑《つ》かれていると、たとえることも出来た。
蜘蛛の陣十郎のほかに、隼人も、それからもと松坂町へ付人に行っていてやめさせられた渋江伝蔵も、こっそりと訪ねて来て、何か話して帰った。
そのあくる晩、伝蔵のほかに三人の男が、川崎の宿へ入って来た。そして陣十郎と隼人に迎えられて、二人がいた茶屋の奥座敷で酒を飲みはじめた。
渋江伝蔵は、過日失敗して傷つけた面目《めんぼく》を回復する機会を、今度兵部が与えてくれたことを喜んでいた。今夜の一挙が兵部としては非常な英断だということもよくわかっている。場合によっては兵部は切腹する覚悟なのである。それによって御公儀の視聴を惹《ひ》き、浪士の取締りが厳重になれば、安いことだ……と、兵部は微笑の裡《うち》にほのめかしていた。伝蔵は、それを考えると、さすがに例になく心持が興奮して、今夜は酒もあまり進まないのだった。
堀田隼人は、また、兵部がここまで計画を推し進めて来たことは、あの人らしくないあわて方だと、つめたい心持で考えていた。
喧嘩を売る、一人二人斬って直ぐ逃げる。一方から手を廻して役人を繰り出させ、喧嘩の一方の当事者として赤穂方を調べさせる……
筋書は至極簡単だが、破綻《はたん》はいくらでも起り得ることである。しかも万一の時は兵部が責を負って切腹して、いよいよ事件を公然の事にするという。そこまで事情が行き詰まっているのだろうか? 隼人は、これを疑う。また兵部の切腹するということも、最初から、そんなことは起り得ないと見ていっていることではないか? こうも考えた。また赤穂浪士といい、またこの千坂兵部といい、簡単に自分の命をなげうってまで護ろうとしているこの主家とは一体何だろう? 一人の主人の癇癪《かんしやく》の発作《ほつさ》によって幾千人の者が路頭に迷う。また一人の強欲な老人の、いつ死んでも惜しくない命を護るために幾十人かの若者の血が流されようとする。この当然のこととして世の中に行われていることに、隼人は疑問の目を向けないわけには行かないのだった。しかし、そう考えていて隼人も、千坂兵部のために、これで幾たびもあぶない橋を渡って来ているし、またこれからも渡りそうに思われる。これは飯を食わしてもらっているからだと、隼人は自分で自分のために弁解する。また、この理由をおしひろげて、赤穂浪士が敵討《かたきう》ちを考えるのも、千坂兵部が必死でこれを防ごうとしているのも、つまりはそれなのじゃないかと考える。
隼人の目から見ると、どちらも馬鹿なことをしているように思われるのだった。
しかし、やがて夜も更《ふ》けて来て、この茶屋でも、とっくに台所の火を落して、女中たちは眠くてうるさそうな様子《ようす》を露骨に見せ始めていた。そこで、六人は、しめし合せて、陣十郎が勘定を済まして立ち上った。
もう十一月なのである。往来の絶えた宿場町には、寒い風が紙屑《かみくず》を追いかけているだけで、空は冷たい星のまたたきにさえ返っていた。
「すっかり夜分は冷えるようになって来ましたね」と、陣十郎が息を白く吐きながら、話しかけて来た。
平間村の近所へ来てから、例の警戒の目を恐れて、道でない畑や藪《やぶ》の中を拾って歩くことにした。大石のいる百姓家の傍まで行って一気に強襲する。出来れば内蔵助を、やむなくば一味の者二、三人を不意に斬って立ち退《の》くのである。近くの河岸に隼人が舟を支度して待つ。そこから対岸へ渡ってしまえば、先ず事は成功である。後は、蜘蛛の陣十郎が、付近の百姓を使って陣屋に訴人させる段取りであった。
途中から、隼人が、自分の任務に従うために一行と別れたので残りは五人になった。五人は、梨畑《なしばたけ》の棚の下を歩いて行った。
「ちょっと、お待ちなさい。手前が行って見てまいりましょう」
陣十郎は、こういって、一同を残して、ひとりで先へ出て行った。ひとりになると、この男は身軽だった。のっそりした身体付を庚申塚《こうしんづか》の蔭に立たせたかと思うと、畑の間のひろい路を平然として歩いて行くのだった。
内蔵助の隠れ家は、行手に黒くわだかまっている森の手前だった。陣十郎は、闇の中にその輪郭を確かめながら、暫く進んで、やがて急に立ち止りながら、
「はてな?」と疑わしく呟やいた。
例の、鋭敏に働く鼻が、この寂寞《せきばく》とした闇の中に何か異常な空気を嗅ぎ分けたのだった。何がなしに、こいつは変だぞと思うのだった。陣十郎は、例の見張りの者がいないのを知った。
これには原因がなくてはならない。
ひょっと、内蔵助がもうどこかへ引き上げたのではあるまいか?
これを考えると、いささかあせって来た。
間もなく、内蔵助の護衛と思われる壮士の合宿している百姓家の構えの中へ忍び込んで行った。
すっかり締めてある雨戸に身体を寄せて、そっと隙間に耳を寄せた。寝息一つ聞えないのである。いないのだ。
直《す》ぐと、戸の一枚をはずして内へ入って見た。
「ははあ、こりゃアひょっとすると、大石の方へ行っているのだな」
陣十郎は、この解釈をつけた。
さて、ゆっくりと、煙草《たばこ》を一服しながら考え込んだ。
どうやら先方で感付いたらしいぞ。こりゃア今夜は、うっかり行くと、逆にとんだ目にあうのじゃないか?
しかし、今夜はおやめなさいといってもきく連れではなかった。
まあ、おれも乗りかかった船だ。もう一肌《ひとはだ》ぬいで何とか目鼻をつけてやろうか?
静かに陣十郎は立ち上った。次に、その姿は大石の隠れ家の外へ現れて、がっしりした肩を雨戸にあて、内の様子を偵《うかが》っているのだった。
家の中は暗い、すっかり寝しずまっている様子だった。陣十郎の耳は獣の耳のように動いて、一々の、かすかな寝息を聞き取った。この部屋に寝ているのは、三人か四人である。
ははあ、ここで寝ているわけだな?
こう、判断を下した。
三人だろうか? 四人だろうか?
いや、どっちにしろ、こりゃア渋江さんたちには荷が勝ちすぎるようだな。
と、思案された。
そこを離れて、家について廻った。孟宗《もうそう》の藪《やぶ》があって、窓がある。どうやら、これが内蔵助の寝ている部屋らしかった。その庭に向いたぬれ縁にこれまでより注意して、はい上った。
それから敷居のところに耳をあてた。
高いいびきが、しずかな夜気をふるわしている。
よく寝ているようだ。
陣十郎は、にこりとした。
ここと、隣の護衛の連中の寝ている部屋との境《さかい》は、ふすまだろうか? 無論それがしめてあるとして、あけたてのすべりがいいかどうか? この恐るべき男の頭の中には、さまざまの境遇が旋風のようにはやく動いていた。が、最後にその活動が止った時、一つの光の芽を陣十郎に残していた。
ひょっとすると、出来るぞ。こりゃア。いや……出来る。それは、おれが独りで決行する場合だ。
暫く、陣十郎は、そのままじっと考えていた。風がこのぬれ縁の上にも、木の葉を散らしている。雨戸の向う側には、まだいびきの声が高く低く続いている。
やるのだ!
この男の覚悟は、咄嗟《とつさ》にかためられた。
そうするのが成就《じようじゆ》の唯一の機会だからである。蜘蛛といわれた陣十郎の、失敗の汚点のない過去が、勇気と確信とを与えてくれる。
静かに、ふところのあいくちの柄《え》を握って、抜き取った。左右の戸に両手をあててそっと押して、隙間に余裕を作った。次にあいくちの腹を敷居のところへあてて軽くこじると、わけなくその部分の戸が浮いた。
陣十郎はそのまま、暫く動かないで、いびきを聞いていたが、次に、すこし身を起したかと思うと、陣十郎の太ったからだは丁度その二枚戸の合せ目からすべり込んだといってよいほどなめらかに、戸もその位置のまま、ぬれ縁までずらしただけで、中へ消えていた。何という用心の悪いことであろう。戸の内側にある障子はあけはなしてあるのではないか?
部屋の中は、今自分がはずして入って来た、雨戸のすきまを漏れ入る外の薄い星あかりの筋をのけて、墨《すみ》か漆《うるし》のように暗かった。
暫く、陣十郎は、着物の前身をとおして、冷りとした畳の上にうずくまって、つい目の前の闇の中にまだ熄《や》まないでいるいびきを聞いていた。すこしずつ目はやみになれて来て、ふとんの輪郭だけがぽっと浮んで来た。
最早たれが成功を疑おう。
その背一面に抱きついている刺青《いれずみ》の女郎《じよろう》蜘蛛《ぐも》のように、陣十郎は、ひらりとおどりかかって掻巻《かいまき》の上にまたがるなり、同時にぐっと膝でしめて、片手で肩をおさえ片手のあいくちを振りおろしていた。僅か一尺五寸の間を鋭い刀は水のしたたりそうな切先を下にして一直線にくだったのだったが、その刹那に、左手でおさえた肩が、内蔵助の肩としてはあまり骨ばってやせすぎている年寄りの肩が、陣十郎をあっと思わせたのだった。
その驚きのゆえか? または最初の狙《ねら》いのあやまりか? 振りおろした切先がつらぬいたのは、三寸はずれてふとんの肉であった。同時に、陣十郎のからだは宙に浮いて、もんどり打って、投げ飛ばされていた。
「だれだあ?」
大喝《だいかつ》したのは、大石無人のわれ声であった。
無人が叫ぶ前に、襖《ふすま》一つ隔てた隣の部屋に寝ていた壮士達が、物音を聞いてはね起きていた。
一人がいそいで灯をつけにかかる。ほかの者は、追っ取刀で隣室へ飛び込んだ。
「いないよ」と、無人がいった。
「もう逃げた」
「もう……」
これは、一同には腑《ふ》に落ちないことだった。無人が呶鳴《どな》った時すでに、自分たちは襖に手を掛けていたのである。たったそれだけの間に逃げたというのは、わかりかねることだった。
しかし、雨戸一枚が、すこし傾《かたむ》いてはずれていた。これを倒さずに逃げたというのも奇怪ながら、逃げたとすれば、そこからに論はない。これを見て、直ぐ二人の者は外へ走り出して行った。
「なアに、もう間に合うものか?」
無人は、笑いながら見送って、
「とにかく、怖ろしく素迅《すば》しっこい奴だなあ」と、呆れたようにつぶやいた。
万一を思って残っていた宍戸寅之助《ししどとらのすけ》は、まだ半信半疑のように、無人を見詰めているのだった。
何といっても老人のことで、大分高くなっている血圧は今の不意の衝撃から無人を息苦しくしていた。無人は短くせまっている呼吸を若い者たちに見せまいとして、剛情我慢に、気をつかっていた。
「驚いたぞ。不覚にも、馬乗りになられてからはじめて気がついたのだが、よほど、ぐっすり眠っていたものと見えるな。こ、これ、見ろ。こいつだわい」
なるほど、匕首《あいくち》が一本残っていた。
「内蔵助なら正しくやられたところだ。どこも斬《き》られていないか?」
寅之助は、無人の咽喉《のど》をのぞいた。
「何ともありません」
「そうだろう」と、威張って答えた。
寅之助は微笑した。
「曲者《くせもの》をお投げになったようでしたが?」
「投げた。投げたと思ったら、おれの前をその障子が歩き出した。つまり、投げられた拍子《ひようし》に手にさわった障子をはずして、これをたてにして隠れて逃げおったのだ。機敏とも何とも呆れた奴だ」と、うなった。
「どんな奴か、御覧になりましたか?」
「見えるものか! 障子の蔭にいるのだ。むこうも、それを目的《めあて》だったのだろう。おれは飛びかかって、まんまと障子を抱かされたよ。これを払いのける間に、もういなくなっている。てんで、話にならん」
「いや、御無事で何よりでした」
「あたりまえのことをいう奴だ」
無人は、はじめて笑顔を見せた。
そこへ陣十郎の後を追って、駈け出して行った二人が戻って来たらしく外で、話し声が聞えたので、無人も寅之助も縁まで出て見た。
「どうした? いたか?」
二人のほかに、誰か別の男が一人いた。しかし、これはかねて見張りをたのんで置いた近所の百姓だった。
「残念ながら見えませんでした。が、この男の話では、まだこの、すこし先に変な武士どもがうろうろしているといいます。多分、その仲間だろうと思いますが」
「武士ではなかった。町人だ」
無人はいった。
「しかし、怪しい奴がいるというなら、行って見よう」
別の棟《むね》から起きて来ていた鎌髯奴《かまひげやつこ》が直ぐと草履《ぞうり》をそろえた。寅之助も、寝間着のまますぐ下へ降りて来た。無人は、縁の下から鍬《くわ》を出して柄だけ抜いて持った。
逃げた蜘蛛の陣十郎は、思い掛けないところに隠れて、無人たちの行動を見ていた。これは、主屋《おもや》に近くあるまぐさ小屋の窓である。
陣十郎は自分の失敗を羞《は》じて渋面を作っていた。もう、千坂兵部の前へ顔を出せないように思った。恥を知っている点では、人並以上の男だった。
内蔵助だと信じて自分が刺そうとした人間が、実はそうでなかったことが、いくらか気持を和《やわ》らげてくれたとしても、極《きま》りが悪かった。しかも、見ていると、暗くてよくわからないが、その男は年寄りのようである。
陣十郎は、さて、どうしたものかと考えながら、手にさわる藁屑《わらくず》を無意識にむしっていた。
その内無人たちの話し声が聞えて、一同ぞろぞろ出て行った。隠れて陣十郎を待っている渋江たちが見付かったらしいのである。衝突はどうしても免《まぬが》れ難い。しかし、これは内蔵助もいないのに、喧嘩したところで、何の役に立つものでない。それに、見たところでは、この坊主の一団たちはなかなか優勢である。早く味方に告げて逃がす工夫が必要であった。
そこで、陣十郎は身軽く窓から飛び降りて、今出て行った無人たちとは別の方角から外へ出て、梨棚の下へ走り込んだ。無人達より先へ出ることもこの男には苦もないことだった。
「渋江さん」
「お、どうだ」と、雑木林の中からごそごそ出て来た。
「いけねえ、いけねえ。大石はもうこっちにはいませんぜ。様子の違う変な奴等が、こちらを見つけて百姓の案内でやって来ます。すぐ引き揚げておくんなさい。こうなっては争っても無駄だ」
「どんな奴だ?」
「年寄りの坊主《ぼうず》です。えらいずく入《にゆう》だ」
「坊主!」
渋江たち四人は顔を見合せた。
「あいつじゃないか?」
無論それときまっていた。四人が松坂町にいた頃、安兵衛と伊助を追いかけて、深川《ふかがわ》で正面から打ち掛かって来られて、斬合《きりあ》いまでした悪たれ坊主だ。
「さ、早く。もう来ますぜ」
陣十郎は、せきたてた。
しかし、あの坊主が来ると聞いては、渋江もほかの者もちょいと動きにくい気持がした。
「どうだ?」と、一人がいった。
「むむ。一体、何人で来るのだ」
「人数は、百姓を入れて五人ですが、やめた方がよ御座んすよ」
「ところが、やめられないわけがあるのだ。相手がほかの人間なら兎も角、あの、ずく入が来るのなら、拙者《せつしや》は待っていることにする。どうだ?」と渋江がいうと、これに誰も異議がないらしかった。
「敵も味方も四人ずつなら、いいじゃないか」という者があった。
「ですがね、ここは引き揚げた方が利口でしょうよ。ほかの場合じゃないのだから」
陣十郎は、結果を恐れていて、熱心にこういったのだ。
しかし、この時、雑木を隔てて、
「ずく入とは、誰のことだ?」と無人の声が叫んでいた。
こちらは、うたれたようにはっとした。
もう来ていたのだ。
雑木林の向うに黒い影が動いた。
くすりと笑う者がある。
「足もとを」と、他の者に注意する声さえ聞えた。いやに落着いた連中だということが、こちらの頭に染《し》みた。しかし、
「お逃げなさい」と蜘蛛の陣十郎がまたいった時、この四人は憤《いきどお》ってその勧告を斥《しりぞ》けた。荒々しく下緒《さげお》を解いて襷《たすき》にかける者、刀の目釘《めくぎ》をしめす者、もうこうなっては一歩も後へ退《ひ》けないという覚悟らしかった。
陣十郎は仕方なく自分だけ、すこし退いて木の蔭に立った。その時すでに、雑木林の中からのそりと、海坊主のように黒い無人の影が出ていた。
一度に、こちらは身構えた。
しかも無人はこれを見て、気にも止めない様子で、あたりを見廻していたが、
「せまいじゃないか? もっと、ほかに好い場所があるだろう」と、いった。
「よかろう」と、渋江が元気よくいった。
坊主のあとから、その連れも姿を現した。武士が三人に、鎌髯奴が一人である。
「原っぱはないか? その辺に」
無人の言葉を聞いて、奴《やつこ》が、すぐそれを探しに出て行った。
こうして、敵味方が四人ずつ、何もせずに向い合っているのは奇怪なものだった。渋江たちは、わざと、平然としているように見せ掛けようとしていて、先方がいやに落着きはらっているのに妙に圧迫されるような感じがあって、ぎごちなく、肩を怒らして睨《にら》んでいることになった。
坊主は、丁度あった木の切株に腰掛けて片《かた》胡坐《あぐら》をかいて、こちらの様子を眺めていた。
「お前たちは、どこから来た?」といった。
「そっちからいえ」と、烈しく渋江が報《むく》いた。
「俺達か……俺達ア、この土地一帯から羽根田《はねだ》まで縄張《なわば》りにしている渡世人《とせいにん》だ」
ぬけぬけと、こう答えた。
「こちらにいる三人がつまり用心棒よ。なあ、そうだな」
「馬鹿をいえ。いつか、貴様とは深川で会っているぞ」
「なアるほど。そんなことがあったかな。ところで貴様の口からそれを聞いたので、どうやらお前たちの身もとがわかって来たわい。いおうか?」
こちらは、ぐっと詰まって、思わず刀へ手を掛けた。
「まあ、待てよ」と無人は、臆せず、いった。
「今、奴が場所を探しに行っているのだ。やるのなら、そっちへ行ってやった方が気持がいいだろう。喧嘩って奴も、気持よくやりてえものさ」
「奴はなんだ。お主が渡世人なら、あの鎌髯は何だ」
渋江は旨《うま》いことをいったと思ったのだが、無人には響かず、にやにやしていった。
「つまらないことをきくのう。若いの」
「返事が出来まい!」
「出来るて。あいつアおれの弟だ。屋敷奉公をしているくらいで、兄貴と違って堅い人間だ。可愛がってやってくれ。なあ、若えの」
「…………」
渋江は、腹が立ち過ぎて、わなわなふるえたのだった。
こんな口の減らない、どんな出たら目でも平気でいえるような坊主を相手に廻すにしては、渋江伝蔵だけでなくほかの三人もあまりに真剣に過ぎた。こちらが真面目になればなるだけ、向うは単語が豊富になって、舌が滑《なめ》らかに廻る様子である。
くやしいが、四人はだまり込んだ。
が、今に目に物を見せてやるぞの気魄《きはく》が、顔付に出た。
「そんな、いやな目付をするなよ。処がら、牡蠣《かき》じゃあるめえし」
「だまれ、だまれッ!」
渋江がまた躍気《やつき》になって、まんまと引っ張り出されて来た。
「ふゥむ、口に年貢《ねんぐ》でもかかるというのか?」
「…………」
「そりゃア江戸の近所じゃ聞かない話だ。多分ずっと北の国の話だろう?」
米沢《よねざわ》……
ぴかッと、四人の頭にこれがひらめいた。
一度に、どっと動こうとする気配が見えた。それを、無人は、
「待てよ」と、やんわりと肩でも軽くたたきそうな調子で、見事に殺《いな》した。
「そ、それ、おれの弟が帰って来た。いい場所が見つかったのだろう。待ちなさい。おとなしく待たっしゃい。……おい、どうだ? あったか?」と、戻って来た鎌髯奴の方を見た。そばにいきまいている四人なんぞ、てんで計算に入れていない様子だった。
「ねい」と、奴は、裸《はだか》の膝小僧を地面に突いた。
「いい弟御さまだ」と渋江が叫んで、一同でどっと笑った。
しかし、あきれたことには、坊主まで一緒になってげらげら高笑いしていたことだ。いや無人の笑声が一番自然で、それだけに一番大きかった。笑って置いて渋江たちはむかっ腹を立てた。
奴は、すぐ向うの水車小屋の脇にかなり広い空地のあることを知らせた。
「まず、行って見よう。お気に召すかどうかだ」と、無人がいった。
そこで四人ずつ敵味方が鎌髯奴の案内で、その空地へ行った。
雑木林を出ると、星の光のつめたい夜空がひろがっていた。水車小屋は、その下にこんもりと黒い森を背負っている。水利が悪く一帯に乾燥したこの土地では、夜は水門を閉じて運転を止めるらしく、水車も動かずにいた。空地はこれだけの人数の果し合に充分な広さを持っていた。中へ入ると、つめたく草の露が足に触れた。誰の息も白い。やがて朝には露が霜となって見出されることだろう。
「ここでよろしいか?」と、無人がいった。
「結構だ!」
渋江のこの声を合図に、霜よりもひややかな刀身が宙におどった。ぱっと、無人をはじめこちらの四人が飛びしさって身構えた。
「戒名《かいみよう》に注文はないか?」
無人が叫んだ。
こちらは返事を光る刀でした。
くゎんと無人の手から、持った鍬《くわ》の柄《え》がはね飛ばされていた。
直ぐそばにいた寅之助が身をすべらして無人をかばいながら、渋江伝蔵の必死の攻撃の正面に廻った。
その間に無人は草の中の鍬の柄を拾いに行った。この無人のために、一番弱そうに見える相手を一人残して置いて、寅之助以下の三人は、各々一人ずつの強敵を相手に火花を散らして闘っていた。さすがに腕前は立派な敵であった。
「殺すな!」
突然に無人が叫んだ言葉は、愈々《いよいよ》三人を受身の地位に置いた。そんな、細工の、うまうまと出来るような隙を見せる相手ではなかった。
殊に渋江伝蔵は、凄まじい勢いで寅之助を詰めて行っていた。
寅之助は、じりじりした。
無人も必死で闘っているらしかった。烈しい息づかいが、打ち合う音に時折中断されて聞えていた。
(斬っちまえ!)
寅之助は、決心した。
それまで押されて来た切先《きつさき》が、やおら動いて積極に転じた。
その時、無人の、
「済んだぞ」と、どなる声がして、駈け寄って来た。
渋江の構えに破綻《はたん》がのぞいた。寅之助がじわりと寄る。その時、無人の棒がうなり声を立てて飛んで来て、渋江の手もとへ飛び込んだ。
「あ!」と、渋江が叫んだ時、寅之助は刀身をひるがえして肩口へ烈しい峰打《みねう》ちをくれていた。
倒れるのを見て、二人は、すこし離れたところにいる味方の応援に駈けつけた。思ったほどでもなく、ここでも簡単に勝った。今まで八人が立って闘っていた原っぱに四人だけ残っていた。二人は逃れ、二人は草の中にうめいていた。
「やれやれ」と、無人が愉快そうに叫んだ。
「あっけのない勝負であったな」
「拙者たちも鍬《くわ》の柄を持って来るのでした」
「なアに、君等は真剣の方がよかったのだ。愉快だ。愉快だ」
「どうします、かれ等を」
「川があったろう。抛《ほう》り込んでしまえ。水がなければ水門をあけろ。それで死ぬ分には自分達の勝手だ。おい、金平。お前引きずって行け」
「はい」
鎌髯奴が、渋江の傍へ行った。
渋江は恐ろしい顔をしてこれを睨めつけていたが、突然、傍に落ちていた刀を拾ったのを見て、奴は後へ飛んだ。意外にもそのすきに渋江は刀を自分の腹へ突きたてたのだった。
「あ!」と四人はかけ寄った。
寅之助があわててとめようとすると、無人が、
「その儘《まま》、その儘」と叫んで、
「見上げた男だったのう」と、これまでとは、すっかり変った厳《おご》そかな声音《こわね》で、押し出すようにいった。
「介錯《かいしやく》しようか? 津軽《つがる》の大石無人、内蔵助の縁者だ。隠居前は三百石を頂戴していた」
渋江は、笑い顔を見せてうなずいた。
無人は、襟《えり》を正して、その後にまわり寅之助から刀を受け取って刀身に沿って目を走らせた。このすばやい一瞥《いちべつ》にも、明けようとする初冬の空の星がつめたい姿で、映っているのが見えた。
「御免!」といって立つ。
寅之助たちも粛然とした。
隼人は舟を支度して、岸へあがって待っていた。間もなく陣十郎が、ひとりで戻って来たのには驚かされた。
「どうしました」
「話にならないよ」
陣十郎は手を振った。
それから、その手で腹を切る真似《まね》をして、
「渋江さんは、これさ」
「え!」
「ほかの人達は来ませんでしたかね?」
「誰も」
「じゃア戸まどいして、見当違いへ行ったのだろう。どうも、さんざんだ」
「大石達にですか?」
「ところがそうでない。私もよせばよかったのに、抜け駈けというわけではなく、乗り込んだものさ。大石とばかり思って、馬乗りになって、ぷつりとやったと思ったら、すてーんだ。投げられたね。綺麗にもんどり打って。……そいつが大石には相違ないがムニンとかいう恐ろしい坊主でねえ。あとで渋江さんたちとやり合うのを聞いていましたけど、どうして喧嘩なんて本職だね。渋江さんたちと来ては、蔭で聞いていて、こっちが冷汗が流れるくらいのもの、いや、格段の違いさ。とんでもねえ雨降り坊主だが、敵ながらまったく見上げましたね」
「なんです、其奴《そいつ》は?」
「それがわからない。なんでも、あちらの親戚か何からしい。ほんものの大石と、入れ替わりさ。どうもこちらの手ぬかりでしたよ。まんまと出し抜かれたものだ」
「じゃア江戸へ?」
「そうだろうさ」
「…………」
隼人は、だまって、陣十郎の顔を見詰めるのだった。
汐留《しおどめ》の小さい旅籠《はたご》の二階に、雨漏りのあとのあるよごれた壁にかこまれて、今もこちらからの知らせの来るのを待っているに相違ない千坂兵部の面影が、影のように胸を過ぎて行ったのだった。
しかし、どうなろう?
隼人は、これを考えた。次にかなり事務的な口調《くちよう》でいった。
「どうします? もうすこし待って見ますか?」
「さあ、待っていたら夜があけるのじゃないかな。渋江さんはお気の毒だが、まだ後へ生き残った人よりしあわせかも知れない。ちょっと御家老さんの前へは顔が出せないだろう。私たちでさえきまりが悪いんだ」
「大石が江戸のどこに隠れたか探せば、また別の機会もありましょうさ。どうせ、仲間同士|往来《いきき》することだろうから、どこにいるかぐらい直ぐわかるでしょう」
「そりゃアわかる」と、陣十郎は答えた。
それから連れ立って舟へ乗って船頭に漕《こ》ぎだすように指図したところへ、土屋、亀井という生き残った二人が土手の上へ出て来て、危うく間に合った。この二人の興奮した様子を見て、隼人もはじめて今夜の敗北を現実のものに感じた。
主税は、内蔵助が平間村に来ていること、また時折江戸へ来て小野寺十内や原惣右衛門、吉田忠左衛門などに会っていることなどを聞いていたが、父親から直接に何もいって来ないので、自分から平間村に出掛けることも遠慮していた。だが、顔を見ないのは、気がかりなので、人には決していわなかったが、妙に落着かない心持でいた。
この十一月五日の晩には、そろそろ床《とこ》へ入ろうとしていたところへ、廊下に足音が聞えて、
「御免くださいまし」と、番頭が、障子をあけて、
「お連れさまがおいでで御座います」といった。
その後から、のっそりと父親が入って来たので、ほんとうに吃驚《びつくり》した。
「ほう」と、内蔵助は、にこにこした顔で主税を見てから、その視線を移して部屋の様子を見ながら、無雑作に行燈《あんどん》の脇に坐った。
(これがお前の部屋か?)というように見える。
番頭がさがって行ってから、
「今日からここに泊るよ」といったので、主税は夢のように思って悦んだ。
女中が、次の間で茶を入れている間に、内蔵助は主税に墨《すみ》をすらして、宿帳へ名を書いた。
(左内《さない》伯父《おじ》、垣見五郎兵衛《かきみごろべえ》)というのだった。これは、主税が、垣見左内と名乗っていることを知っていたからである。
「お前の伯父さんだ」といったので、父子水入らずの微笑をかわした。
主税の垣見左内は、何か訴訟《そしよう》があって江戸へ来ていることになっていた。だから伯父が応援に出て来たとしても怪《あや》しまれるわけはないのである。やがて、亭主が挨拶に出て来た時も、内蔵助はその意味のことをいって、当分自分も厄介になるし、また一緒に江戸見物に来た国の者が二人三人近い内にここへ来るから何分頼む、と話した。親子は、この晩久し振りで蒲団《ふとん》を並べて寝た。
翌朝になって、原田斧《はらだおの》右衛門《えもん》と名乗って潮田又之丞《うしおだまたのじよう》が、それから仙北十庵《せんぼくじゆうあん》と称して小野寺十内が来て一緒になった。若党の加瀬村幸七も来て、仲間が大勢になった。そこで裏に離室《はなれ》があったのを借りて、一同でそこへ移った。
十内が一緒になったのは、内蔵助と同志との連絡機関としてである。内蔵助があまり外へ出ない方がいいというのが、一同の意見で内蔵助もこれに同意した。主税は、もとよりこれを喜んでいるし、内蔵助も久し振りで子供と一緒に起居することになったのを、満足に思っている様子だった。
ざっと一か月半、二人ははなれていたのだった。別れていると長いようだが、これだけの時日の間に主税の大人《おとな》びて来たことは、父親でさえ驚いたくらいであった。
「また、大きくなったな」と、内蔵助が感心したようにいう時、主税は、これだけは稚《おさ》ない時と同じようにすこし羞《はにか》んで、むっつりと笑って見せるのである。子供の成長を考える時、父親の頭の中には過去のさまざまの場面が繰りひろげられている。それから丹波《たんば》にいるこの子の母親や、小さい弟や妹のことを考える。それから、急に黙って、指で机の角を軽く叩《たた》いている。
都会の騒音が、昼の間は絶えず、窓の外を塀越しに聞えて来る部屋《へや》だった。
壁一つ隔てた四畳半に小野寺十内老人が北向きの明り窓に机を据えて陣取っていた。十内老人は江戸へ来てから庭が狭いし、近隣の注意を惹《ひ》く危険があって、朝夕の日課にしていた槍が使えないのを遺憾《いかん》としている。しかし、これはその内に思う存分に生きた的《まと》を狙って突くことが出来るのである。それでなくとも、このたびの参謀格にあたっている老人は、いろいろと用事があって、終日この部屋にいるというようなことはないのだった。
部屋にいると、机に向ってきちんと坐ってたいてい手紙を書いていた。この老人ほど筆まめな人もすくないだろう。それも多くは京都に残っている老妻にあてたものであった。夫婦があれだけ大切にしていた母親は去年の冬死んで、家には妻の丹女《たんじよ》一人なのである。この老夫婦ほど仲睦《なかむつ》まじい人たちは、珍しい。二人は、自分たちに捧げられた運命を心静かに迎えて、文字どおり共白髪《ともしらが》まで何十年とはなれずに過ごして来た生活を、急に江戸と京都とに分けた。別れたら最早二度とこの世で会うことが出来ないのも承知で、妻は夫を送り、夫は妻を残して勇ましく東路《あずまじ》を下って来たのである。躯《からだ》は分れても心はいつまでも一つなのだ。また、やがてはもとのように一緒になれるのである。二人はこのことについて何も話さなかったが、それをめいめい堅く信じているし、また夫は妻が、妻は夫がこの信仰を持っていることをよく知っていたのだった。
十内は妻へいろいろのことを書いてやった。手紙には必ず歌をつけてやる。折返して妻からの返事には、やはり近詠《きんえい》の歌を書いて来る。三十一文字《みそひともじ》の詩の世界で、老いたる二人は、京都の家の庇《ひさし》の長い、庭の緑が漂い入っている座敷で、もの静かに向い合って坐っている時のように、お互の心の顔を見ることが出来る。妻はいつまでも夫の総《すべ》ての行為にやさしい是認を持っているし、夫はこの妻にはどんな片影でも楽しく打ち明けることが出来るのだった。
そこへ襖《ふすま》をあけて、内蔵助がいつもの、のどかな顔を見せると、十内は筆を置いて向きなおって、用談にかかる。気軽く腰を上げて出て行くのがよく見掛けられる。十内は、諸方に隠れている同志の者を訪れて太夫《たゆう》の指揮を伝え、また、こまかい報告を一々集めて帰って来て、内蔵助にこれを伝える。話が終ってひとりになると、また筆をとって歌をねるのである。
外は旧暦十一月の寒さで、屋根の上に冬曇《ふゆぐも》りの空が見え、晴れた夜も木枯《こが》らしが近くの路地の木戸をあおって鳴らしていることが多かった。この頃は毎夜のように同志の中で若い者たちが交替で、松坂町へ行って吉良家《きらけ》の様子を偵《うかが》っている。そこで十内の仕事もいそがしくなった。若い人々の苦労を考えると、こうして家の中にいてあたたかい蒲団にくるまっているのは、いくら自分が年寄っていても済まないような心持がする。だが、歌だけは、こうした境遇にいても、やはり捨てないでいるのだった。
「誰か来たようだ」と、赤埴源蔵《あかはにげんぞう》が急に立ち上る。連れの勝田新左衛門も路地の出口まで行って、左右の往来を覗いて見た。
屋根の上に十三日の月が冷たい輪郭《りんかく》を見せている。遠くで犬がないているほか、町は森閑としていてふけるとともに、月は段々と冴えて明るくなって来たように思われるのだった。
「足音がしたように思ったが……」と、源蔵は眉《まゆ》を動かした。
どこまでも、森としていて、動くものの気配はない。
「もう、なん刻《どき》ごろだろうか?」
「さあ……」と、新左衛門は、地面に曳いた自分の影を見てから、空の月を見上げた。
「四つは廻っているだろう。大分寒くなった。手が冷たいではないか?」
「霜が降っているのだろう、一昨日の晩はひどかった。立ち止ってじっとしているのがなかなかだったぞ」
「君は酒が飲めるのだから、支度してくればよかったのに」
「いや」と源蔵は笑った。
「そうも行かない。……どれ、もう一廻り、して見ようか?」
新左衛門もうなずいて、二人は、油断なく片側の蔭をひろって歩きはじめた。
上野介の屋敷は、一町とはなれないところにあって海鼠壁《なまこかべ》を月が濡《ぬ》らしていた。二人は、頭巾《ずきん》の蔭から鋭い眼をあげて、これを見た。
今夜も何も異常はなくて、報告らしい報告をもたらすことも出来ないらしい。この冷たい寒月の下にある屋敷は、貝が蓋《ふた》を閉じたように、外部との交通をきびしくして内のことを偵わせないのである。
(思いきって、のるかそるか、あたって見たらどうだ?)
この二人も無論だが、話して見ると誰も一度や二度はこう考えたものらしい。まったくいつまでこうして日を暮しているのか? その間には、今いるとしても上野介が他所《よそ》へ隠れてしまうことがないとはいえない。そのための毎夜の見張りとはいいながら、不安に思うよりほかはないことだった。現在でも最早上野介は米沢へ隠れたといわれても、そんなことはないと反対の証拠を挙《あ》げ得る者は、一人だっていないのである。
「一体……いるのだろうか?」と、新左衛門がひくい声でいい出した。源蔵は微かに笑った。
「君もそういうのか? 一昨日は毛利《もうり》が同じことをきいた」
「ふむ」
新左衛門も苦笑した。
そうだ。みんな一つことを考えているのだ。一つ不安にあがいているのだった。
二人は、高い塀を見上げた。
この内に仇《かたき》がいる……と推定しているのだ。それでいて、何も出来ない。何もわからない。もどかしさの限りである。はなれているとそうでもないが、現在仇の家を目《ま》のあたりに見ては、お互に笑ってはいても、狂暴な心持が胸に衝《つ》き上げて来るのである。
憂鬱《ゆううつ》に近い重苦しい気分で、二人は口をつぐんだ。犬がないた。間もなく吉良邸の塀がきれる。そこまで来た時、同時に二人は振り返って見た。人がいるなどとは毫《ごう》も考えなかったところへ、不意と誰か来た気配が感じられたのである。
その月光の中を歩み寄って来た老人は、同志の吉田忠左衛門だった。二人は、意外に思いながらも迎えた。
「どうなさいました」と、源蔵がいった。
「いや、……ちょいと出て来た」
忠左衛門は、あたりに憚《はばか》って声をひそめながら、いたわるような微笑で二人の若者をつつんだ。
「御苦労さまだね。私などには今夜は殊《こと》に沁《し》みるように思われるが……あんた達は毎晩のことで大変だろう」
二人は、私たちは若いから平気ですがといって、この老人が今夜わざわざここへ出て来たのが、無論自分たちの慰問のためばかりでないのを知っていて、その説明を待った。
忠左衛門は、それに気が付かなかったのだろうか? 指をあげて、
「回向院《えこういん》の裏へ出る道だね?」と、尋ねた。
「そうです。……しかし、御老体がなんでこんなに遅く……」と、新左衛門が不審を差した。
忠左衛門は、また笑った。
「なアに、この辺の案内を調べに来たのだ。太夫から話があってな。これで、今日の昼間から、この辺を歩いている」
「地の理を」
源蔵も新左衛門も目を輝かした。
「左様さ、さあ、皆さんは、皆さんの方の仕事をやって下さい。私は、まだ、こちらの側《がわ》の路地を見て来なければいけない」
「そりゃアどうも、……わざわざ御老体をわずらわさなくとも、お話してくださればわれわれで致しますものを」
「いや、このくらい、何でもないさ。老人には向いた仕事でな。ゆっくりと見て歩くだけのことだから……今夜は寒かろうと思ったから、用心に真綿を腹に巻いて来た。まあ、皆さんも風邪をひかぬようにさっしゃい」
「なに、われわれは大丈夫ですが、……宜しかったらお帰りに拙宅へお寄りになりませんか……むさくるしいところですが、すぐこの先の徳右衛門町一丁目です」
「そうそう杉野氏や武林氏と一緒だったね。いや、かたじけないが、今夜は堀部老人のところへ帰ることになっている。老人、炬燵《こたつ》を入れて待っているといっていたから、寄らないと立腹するだろう。今夜だけではない、当分毎晩通うつもりだから、その内訪ねるよ。みんなに宜《よろ》しくいってください」といって、二人に別れて歩き出した。
忠左衛門は、そこから回向院について橋の方へ出た。
当夜、上杉の屋敷から敵の後詰の者が駈け付けて来るとすれば、一体どの道を通って来るか? またそれを迎え撃《う》つには、どの地点がいいか?
この老人の頭を一杯にしているのは、こういう戦術上の問題であった。
道が二つに分れる毎に、これが解答も二つとなった。最初でまた最後であるべき当夜のことに、不測の変のなきよう一分のすきもない方略を立てるには、起り得るあらゆる場合を考えて出して置かなければならぬ。そのためには、どんな微細な地形の変化も一々心に止めて、これに応じた軍の進退駈け引を今から支度して置く必要があった。
月の明るい川端へ出ると、水を渡って来る風が刺すようだった。しかし、忠左衛門の目には、今ここにひっそりと墨絵《すみえ》の虹《にじ》のようにかかっている橋の上を、どっと橋板を踏み鳴らして黒い波のように寄せて来る上杉の後詰の同勢の姿が、なかばうつつに描かれている。橋を渡り詰めた敵は、どの道へ入るだろうか? 忠左衛門は頭をめぐらして、月あかりをたよりに、そこらにある横町の入口を一々|仔細《しさい》に眺める。そこには同志の者たちが槍の穂《ほ》を光らして、勇ましくこの敵を待っているわけである。静かに立ち止まって、その地点に歩み寄る。そしてまた立ち止まって目分量で町幅を計り、また実地に歩いて見て、そこから吉良の屋敷に至るまでの距離を、丹念《たんねん》に、歩数をかぞえて割り出して見るのだった。
この報告は、翌日になって細字で克明に書き入れをした図面とともに、内蔵助のところへもたらされた。内蔵助は黙々とこれを聴いていて、時々自分の意見をいうのだった。さて晩になると、忠左衛門は今度は橋を渡らずに舟で来る敵を迎えるために、昨夜《ゆうべ》よりも川風のつめたくなっている河岸へ、再び颯爽《さつそう》と出陣するのだった。
四、五日すると、図面は細字で真黒に埋められて来た。ただ一か所にまったく白い空地が残されている。これが忠左衛門を口惜《くや》しがらせた。肝腎《かんじん》の敵の屋敷が、実にその白紙の部分にあたっていたからである。
前原伊助の米屋五兵衛は、勇敢に相生町《あいおいちよう》の店へ戻った。
人々がいろいろにいって制《と》めたのだが、この男は肯《き》かなかった。
「あちらにさえいたら何かになりましょう」というだけに、一身上の危険を問題にしていないらしかった。小豆屋《あずきや》善兵衛《ぜんべえ》になっている神崎与五郎は、この男の強情な性質がいつかのことでかなり傷つけられて、余計かたくなになっているのを知っていて、
「では、私も一緒に行こう」といい出した。
伊助はこの申し出を拒《こば》もうとした。が、今度は与五郎が肯《き》かなかった。そこで、二人は一緒に久し振りで本所へ帰って、永くしめてあった店の戸をあけた。伊助が、おとくい先を廻って見ると、留守中に隣町の米屋にすっかり荒されていたが、「どうしたのだい?」といって、また注文してくれる家もあった。別に儲《もう》からなくてもいい米屋なのだから、お客の減ったことも平気だった、ただ近所でこの間の打毀《うちこわ》し騒ぎを知っていて、くどく、原因を聞く者があるのには閉口して、与五郎が専《もつぱ》らこの方の話し役になって、どうやら手前をつくろって、自分たちの身分をさとられないようにして置いた。
しかし、兎《と》も角《かく》もここでまた店をあけるということは、敵方から一つの挑戦と見られることに違いなかったし、どうせ、このままでは済むまいと考えられた。二人はいざという時の逃げ途と作戦とを準備して置いた。しかも三日四日と何事もなく済んで見ると、いささか案外な気持になった。
吉良の屋敷で、伊助が帰って来たのを知らぬ筈はない。知っていて何も仕掛けて来ないところを見ると……敵がこれまでとは別の考え方をしているのに違いないのである。それが何にせよ、二人には薄気味わるく思われることだった。
「どういうのだろう?」
「手を出すなという命令でも出たのかな。そういえば、この前の時のように付人《つけびと》らしい奴を見かけないが……まさか上野介どのがもうこちらにいなくなって、引き上げたのではあるまいな? どうも心がかりだ」
「むむ」
二人に、何よりも心配にも不安にもなることが、これだった。
敵方の、このいやに落着きはらった沈黙が、ただ最後の一戦を覚悟して、政略上の秘密主義から付人を外へ出さず、防衛の程度を外部へ漏らすまいとするのにあるならば、まだしもよいのである。こちらの気がつかぬ間に肝心の上野介どのをほかへ移してしまっていたのなら……これまでの同志の全部の苦心が水の泡《あわ》になることであった。
二人は、この不安を取り去ろうとして、努力した。吉良家へ出入りしている商人に近付いて、それとなく内部の様子を訊《き》こうとしたのである。しかし、この努力も無駄だった。高家では、出入りの商人たちへ、よほど厳重にいい含めて、屋敷の内部のことはどんな些細《ささい》なことでも他言を禁じているらしい。二人は露骨に怪訝《けげん》な目で見られるか、どっちとも分らぬあいまいな返事を得ただけであった。
不安は却って募《つの》るだけである。同志の一人|毛利小平太《もうりこへいた》が、この不安を打ち明けられた。
「内へ入って見たらいい」
小平太は無雑作にいった。
与五郎は笑った。
「そう出来れば誰も相談しやしない」
「出来ないのか?」
与五郎は、いつか伊助がどんな目にあったかを話すと、小平太はからからと笑った。
「違う、違う。おれのいうのは出入口のないところから入ることだよ。よし、今夜おれが行って見て来よう」
無謀なことをいう男であった。
その夜も、やがてあかつき近くなってから、それまでぐっすり眠っていた小平太が、梯子段《はしごだん》をみしみし踏んで降りて来た。
「じゃア行って来る」と、下に寝ていた与五郎と伊助に声を掛けた。
「よせよせ」
床《とこ》の中から与五郎が声を掛けた。
「そんな乱暴なことをして間違いがあると困る」
「間違いのない程度でやるよ。誰か見張りについて来てくれ」
小平太は、暗い中に立って笑いながら、こういった。
「よしたらいいだろう」と、伊助も声を掛けた。
「いや、そのためにここへ泊ったのだ。君らが不賛成ならおれ一人で行って来る。しかし梯子はないか?」
「梯子? 梯子を使うのか」
「そうさ、梯子なしに、あの塀を乗り越えるのはむずかしいだろう」
「そりゃアそうだが……よせよ」
「なら、いい。何もたのまない。君らの話があったから思い立ったというわけのものじゃない。おれは最初から、いつか、これをやる必要があると思っていたのだ」
「待て」と、伊助が帯を締め直しながら起きて来た。
「仕方がない。一緒に行ってやる」
「そう来るだろうと思った。さあ、梯子はどこにある」と、自分で裏口の戸をあけた。
つめたい月の光が差し込んで来た。
小平太は、無腰でいた。
「そうだな。……失礼して、よその梯子を借りた方がいいかも知れぬ。この辺に、大工《だいく》さんか何かいないか?」
「そりゃア難しいだろう。あっても外へ出してないだろう」
「じゃア内のだ。他《よそ》のがあると、逃げる時に都合がいいのだが……」
「内のだって、別にしるしはないし、捨てても惜しくない。すこし短くはないか?」
「なに、結構だ」
外は、あけがたの寒さで、梯子にも霜がつもっていたらしかった。平気で小平太はそれをかついだ。それから月の光を避《さ》けて、吉良邸の裏手の方へ廻った。
伊助がだまって見ていると、この男は黒い板塀になっている部分にこれを掛けて、抵抗を試みてから無雑作によじ上って行った。青味を帯びて形のくっきりとした片割月が天心にあって、忍び返しの木や屋根瓦をぬらしているのだった。
上まで出ると、小平太の躯《からだ》もすっかり明るく照らされた。下で見ている伊助は気が気でなかったが、これが成功すれば味方にとっては素晴らしい収穫になることだし、もう乗り掛かった船だと思って、だまって見まもっているのだった。その間に小平太は塀の向う側へ躯を没していた。
一秒、二秒……寂寞《せきばく》とした時間が過ぎて行った。犬は飼ってないのだろうか? 不審番はいないのだろうか? これを心配している内に、はっと思ったのは、塀の内でどこか戸をあけた音が、この寒月の夜の深沈たるなかに聞えたことだ。猶予《ゆうよ》なく、人の何事か叫ぶ声が聞えた。
しまったと伊助は思った。
人がばたばたと駈け出す音がしている。
「そっちだ、そっちだ」という声が、はっきりと聞えた。
無謀は最初からわかっていた計画だった。伊助は後悔しながら、小平太が無事で逃げてくれることを念じた。これが武運つたなく捕りでもしたら、助けに行くことは絶対に不可能である。これを思うと狼狽《ろうばい》せずにはいられなかった。
しかし、その間、塀の上にひょっこり人の頭が出ていた。
「逃げろ」と叫んだ。
小平太である。
気がついて伊助は、梯子をはずして肩にかついだ。そのまま一目散《いちもくさん》に走り出すと同時に、小平太が無事に飛び降りて後からかけて来る様子だった。この寒い晩だというのに、伊助は汗をかいて、狭い道で梯子をそこらにぶつけないように苦労していた。
「はははははは……」と、小平太が笑った。
「もう大丈夫だ。なアに追い駈けて来やしないさ。だが、いい恰好《かつこう》だぞ」
「冗談《じようだん》ではない」と、伊助はおこった。
「君は、すこし軽率だ」
「しかし、無事で済んだから、これでいいさ。付人はいるよ」
小平太は、愉快そうに、こういった。
「だまって歩く分には見付からずに済んだ。それでは、中が暗いし、わからないから、わざと音をさせて起してやったのだ。出た、出た、追っ取刀で七、八人走り出て来たぞ」
伊助は、あきれてこの男の顔を見詰めるのだった。
「乱暴な奴だな」と感嘆しながら、まだ追手が来そうな不安があって、頻《しき》りと振り向いて見た。が、吉良の屋敷は、寒月の下に再びひっそりとしていた。
二人は、もとのように梯子を床の下に隠して裏口からあがった。
「どうした」と、与五郎が心配そうに声を掛けて出て来た。
「どうしたもこうしたもない、毛利のやり方と来ては、まるで無茶苦茶だ。しかし、内へ入って来たことは事実だ」と、伊助が、すこし興奮も過ぎて、笑いながらいった。
「入って来た?」
与五郎も驚いたらしかった。
「どんなだった。特別の防備もしてなかったか?」
「ない。……しかし、付人たちはいた」
「ふむ、奥の方を見て来なかったのか? 上野介どのの寝所は?」
「そう、うまくは行かないよ。何だか、建物がごたごたしているし、はじめて行った場所だから、どこが何やら見当がつかない」と、小平太は答えた。
まことに、それには違いあるまい。与五郎も伊助も、この男の度胸《どきよう》にはあきれた。
「惜しかったな。敵の所在を第一に突き止めるべきだったのだ。しかし付人がいるところを見ると、まだ、他所へ移らずにいるものと見える」
「そうだよ、おれもそう思う」
「とにかく、堀部氏にこれを知らせた方がいいだろう」
何かしら、希望の光が行手に見えたような感じだった。
堀部安兵衛は、その朝素晴らしいものを手に入れた。松坂町の吉良の屋敷の図面なのである。安兵衛は、この屋敷の先住者に目をつけたのだ。上野介が役を退《ひ》いて呉服橋内からここへ移るまで旗本の松平登之助が住んでいた。普請《ふしん》も松平がしたのである。安兵衛はその時の大工の棟梁《とうりよう》を苦心して探していて、とうとう見付け出したのである。図面は袋戸棚《ふくろとだな》の奥に突っ込んであった古い反古《ほご》の中から出た。安兵衛は天にも昇《のぼ》る心持で、林町五丁目の浪宅へ戻って来たのである。
木村岡右衛門、横川勘平、小山田庄左衛門、中村清右衛門などがいて、この知らせを聞いて夢かとばかりよろこんだ。
この一枚のしわだらけの紙を囲んで、皆わくわくした。
「多少は建てましたところもあって、今とは違っているだろうが、それはこれからさぐって書き込めばいい」
安兵衛は自分の手柄を謙遜して、こういった。
「なアに大したものです。これさえあれば千人力でしょう」と、勘平は感動を抑えていった。
「早速、太夫に見せられた方がいい」
「そうだ。しかし、こちらにも一枚写しがほしい。小山田氏に写していただこうか?」
「畏《かしこま》りました」と、庄左衛門が、答えて、図面を取って机のわきへ寄った。
そこへ偶然、毛利小平太が帰って来た。
「毛利か、どこへ行っていた?」
「むむ」
小平太は笑いに濁して、直ぐ自分の部屋へ行こうとした。
勘平がこれを呼び止めた。
「いいものを見せてやる。目が醒めるぞ」と、庄左衛門が写している図面を得意で持って来た。
小平太は、不審そうに覗き込んで見たが、文字を読んで、
「松平様のお屋敷……なんだ、こりゃア……松平だれの屋敷だ?」
「松平登之助だが、今は吉良上野介という爺《じい》さんが住んでいる」
「え!」といって、顔をあかくしてじっと見た。
この屋敷なら小平太が前夜忍び込んだものだ。小平太の瞳はいそがしく動いて、自分が梯子を掛けて乗り越えた裏手の板塀の部分を見極め、それから自分が歩いた径路を熱心に追うのだった。
「大分違っているぞ」と、急にいい出して一同を驚かした。
「ここに、こんなひろい庭はない」
「なんだ、なんというのだ?」
「おれは、昨夜、このなかへ入って見て来たのだ」
「なんだと?」
「なアに、ほんの、ちょっとのぞいて来ただけだが……ここらには一棟あったようだ。確かだ」
「毛利、そりゃアほんとうか?」
「嘘はいわないが……悪かったなあ、こういうものが手に入るとわかっていたら、これを持って行って見て来ればよかったのだ。今度やるとすると、むこうも昨夜で懲《こ》りて用心することだろうから……誰が行ってもやりにくくなる。しまったなあ、悪いことをしてしまった」と、頭を掻《か》いて悄然《しようぜん》とした。
「毛利」
安兵衛が膝を進めた。
「とにかく、話せ。しまった、悪かったでは、わからない。なんで、また、どうやって、あのなかへ入ったのだ?」
「そりゃア白状するが……とにかく話す前に、あやまって置く。俺《お》れア軽率だった。上野介がいるかいないか見に行ったのだが。それがわからないから、付人がいるかどうか見てやれと思って、わざと奴等を起してやったのだ。むこうじゃこれから余計用心することになるだろう。俺れアなぜ、そいつに気がつかなかったのか!」
「ふむ」と安兵衛は、ちょっと気色ばんだ様子だったが、
「もっとくわしく話せ」と、おとなしくいった。
内蔵助は、安兵衛が手に入れた図面を吉田忠左衛門を通じて受け取った。二人が苦心して作り上げた松坂町付近の図に、初めて白紙の部分がなくなったのである。しかし吉良家ではどんな風に建物をつくりかえたか、それはわからないのである。人の噂《うわさ》では、浪士乱入の際の用意に床下に抜穴をつくり、壁が、がんどう返しになるような仕組みまでしてあると伝えられているくらいで、それを別としても付人たちの長屋も建て増してあろうし、また垣根を結いかえて、通れたところが通れなくなっているような個所もあるべきであった。
それが知りたい。それがわかり、上野介の寝所が知れ、上野介のいることがあきらかになれば、いつでも討ち入ることが出来る。また丹念な吉田忠左衛門老人は、その絵図を毎日|睨《にら》んで暮して、どの口からどうやって討ち入るか、人数兵力の加減を考えるであろうし、また上野介がいざとなって、どの通《みち》から逃げようとするか、いろいろの場合を想像し、その最も可能の多い見当もつき、従ってこちらの作戦もきめることが出来るのである。
毛利小平太の冒険談が、内蔵助をほほ笑ませた。
「もとから、そんな男だ。その割に気がちいさい」
「しかし、毛利をもう一度やって見ては如何でしょうか」と、十内が傍からいった。
「抜駈けをした罰か?」
内蔵助は笑った。
「それもいいだろう。どんな微細な知識でも今は入用なのだ」
「では、そう申してやりましょう」
「そうしてください。しかし命を大切にしろと特にいってやってください。一人でも惜しいのだ」と、内蔵助はいった。
十内は、直ぐ腰をあげて出て行った。
忠左衛門がなお熱心に地図をひらいて見ている中に、ふと内蔵助の視線は迷い出て、机の上に十内が書きかけたまま、不用意に置いて行った手紙のおもてにとまった。
そこもとの歌さてさて感じ入りまいらせ候、涙せきあえず、人の見る目も思いつつ、度々ぎんじ申し候、おくの歌まさり申すべく候、これにつけても必ず歌をばすてなくて、たえずよみ申さるべく候……
京にいる妻へあてた手紙であった。
悪いことをしたと思いながら、内蔵助の胸をひたしたものは、自分も島原祇園《しまばらぎおん》の朝帰りに度々訪れてよく知っている十内の京の家のまどいの姿であった。若いものの居ないために目につく派手な色はなくて、しかも底に水のように明るいものを持ったなごやかな空気である。静かな老人二人、落着いたお爺《じい》さんと、これに仕えている淑《しと》やかで品《ひん》のいいお婆さんと、浮世の風をよけたよその目も羨ましい、もの静かな住居であった。
「吉田、私の部屋へ行こう」
内蔵助はこういって立った。そして、何か自分たちが足を踏み入れるべきではない神聖な場所から出て来た人のように、静かにこの部屋の襖《ふすま》をとざしたのだった。
間もなく内蔵助は余計なことのように思いながら、書きたくなって、手紙を十内の妻にあてて送った。
いよいよ御そく災のよし、おりおり十内殿おたよりに承わり珍重に存じ候、ここもと十内どの一だんと御無事、拙者相宿にて昼夜心|易《やす》く申しだんじ、大慶《たいけい》に存じ候。すこしも煩わしきこと御座《ござ》なく候まま、御気遣いなされまじく候。前々申すとおり十内どの御一家がた、大勢お揃い、このたび忠志の御事、まことに御しんせつの御志、後代までの御外聞と、さてさて御うらやましく存じ候……
毛利小平太は大任を受けた。無鉄砲なくらい勇敢なこの男は喜んで、その晩から、行動に移った。しかし、予想どおり、吉良家では前夜の事件から急に警戒をきびしくした様子だった。夜番が廻っているから気を付けろと、昼の間に神崎与五郎から注意があった。小平太は昼の間寝て置くつもりでいたが、その行をさかんにするためにいろいろの連中が来るので、それも出来なかった。近所にいる堀部弥兵衛老人までが出て来て、しっかりやってくれ、といった。
夜になってから小平太は、小山田庄左衛門と一緒に浪宅を出て、まだ早いからというので、庄左衛門を誘って橋ぎわの小さい茶屋へあがって酒を飲んだ。小平太も今日は町人になりを変えているし、二人がさし合で酒を飲んでいても、別にこんな冒険をしに来た男たちだとは見えなかった。
小平太は自分が酒を好んでいるが、庄左衛門がこんなに酒を飲もうとは知らなかった。
「いつ、そんなに手をあげたのだ?」といった。庄左衛門は、
「いつってこともない」と笑った。
「大分遊んでいるそうじゃないか? 誰かいい先生が付いていると見えるな」
小平太がこういったが、庄左衛門は笑うだけだった。庄左衛門は、顔もいつの間にか違って、どことなく荒《すさ》んだ気色が見えていた。暫くして、
「どうせ、じき死ぬのだ。すこし勝手なこともやって見たい」と弁解のようにいった。
「そりゃアそうだ」と小平太は賛成した。
小平太はすこし酔っていたしまたいつもから、相手の感情に触れる話には、あまり自分を強く出さない性質を持っていた。
「けれど、私は今まで知らなかったことをいろいろ知った」と庄左衛門はいった。
「おれ達武士が戦場で死ぬように、浮かれ男もまた遊びのために平気で死ぬる。人間とは不思議なものだ。君は、吉原の花扇《はなおうぎ》という格子女郎が、客と心中した噂《うわさ》を知っているか?」
「知らんよ。馬鹿な話じゃないか!」
「そうともいいきれないよ」
庄左衛門は微笑した。
「私も、二人が思い合った末に何かの義理につまされて死んだのかと思っていた。ところが違う。意外な話だった。花扇は決してその客を好いていたのではない。ただ戯《たわむ》れのため命がけになったのだ」
酒が手伝っていたのではないが、庄左衛門の語気には妙に真剣なものがあって小平太を驚かした。
「私もはじめて聞いたのだが、唐土に妙な薬があって、服《の》めば命はないかわりに、この世の快楽で無上のものが得られるというのだ。つまり楽しみながら眠りにおちる時と同じように安々と死ねるのだな。花扇の客というのは、どこで手に入れたのかその薬を持っていた。花扇もその客に思いをかけているのではなく、そうやって死を賭《と》して感覚の喜びに酔うことに心を惹《ひ》かれたと見える。二人の死顔は世にも恍惚《こうこつ》としたものだったというのだ」
「馬鹿だ」
「けれど、まことに命をかけているのだ。真剣なのだ。死物狂いなのだ」
「くだらぬことのために」
「そうだ。そのとおりだ。しかし誰のためでもない自分の満足のためなんだぜ。世間への義理や、君のため、親のためというのではない、初めから終りまで自分のためだ」
庄左衛門は、いらだったようにこういうのだった。
「くだらぬといえるかな」
「いえる」
小平太はきっぱりいった。
「死を賭して何事かやれるというのは、それだけ考えれば立派なことだろうが、動機によってはその人間が馬鹿だという証拠になるだけのこともあろう。君はまるで主君のために身を捨て命を捨てる者と、けがらわしい遊女買いの果てに心中する者と、一緒にしているのじゃないか?」
「むむ」
苦しげに庄左衛門は顔をしかめて笑った。
「ま、よそう。君のように直ぐおこるのでは話にならない」
「おこるのが当然なことをいうからだ」
「まあ、いいよ。だから、やめよう。話せば話すだけ、君はおこるだけだ。酒もまずくなるだろう」
「よし、君が何をいおうがおこらないから、話せ。すこし君はどうかしているようだ。心配になったぞ」
「ふむ、話して、わるいところが見つかったら、君が医者の役をしてくれるか?」
庄左衛門の語気はもの静かであって、何かひややかなものを感じさせた。小平太が猪突的《ちよとつてき》な勇敢さを以て、人さまざまの心持の世界にも突入して来ようとするのに、わけなく反感を感じたばかりか、憐れむような気持さえ動いていたのである。
「そうしてくれれば有難いのだ」といった。
「…………」
小平太は庄左衛門の言葉に毒を感じて、すこしむっとした。
庄左衛門は急にいった。
「よそう。やはり、やめた方がいい。君のおこるのがこわいからではない。ぼんやり考えているだけのことが、話せば、はっきりして余計おれを苦しめるだろうからだ。それより杯《さかずき》をくれ」
「考えるのが苦しいというのは、そういう考え方が悪いと、自分で知っているからじゃないか?」
「そうでもない」
「…………」
「ただ、おれたちはあまり自分をなくし過ぎて来たと思う。しかし今度のことは、自分を没却しなければ出来ないことだ」
「そんな馬鹿なことがあるか? それでは君は、自分ではいやだが仕方なく同志に加わっているというのか? 小山田、そりゃア聞き捨てならぬことだぞ。お主が考えているのは、ちっぽけな小山田庄左衛門という人間のことだ。ちっぽけな自分のことだ、生きがいあるいのちというのは、自分を殺して、もっと大きないのちを生きることだ。われわれとしては、同志全体として生き、喜びも悲しみも分けて暮して、共同の目的に邁進《まいしん》することが、それだ。常に同志の一員として生きる、それ以外のことは考えぬことだ。みんな削《そ》いで落してしまうことだ」
「それを、おれも考えたよ」
庄左衛門はいった。
「その意味の命が生甲斐《いきがい》あるなら、赤穂一藩としての命より大きいものがまだいくつかある。おれは考える。その意味の命なら世間の人間の最大多数の幸福のために生きるのが一番いいわけだろう。これはおれには出来ないことだが……その大きい命の見地から見れば、今度のことは暴挙だろう」
「なにッ!」
「それ、おこったな。おれも恐ろしいことをいってしまった。こんなことはいいたくなかったのだ。おれだって亡君の御事を忘れているわけではない。ただ、そのほかにいろいろのことが考えられる。それなのだ。それだけなのだ。誤解してくれるな。おれもよき同志の一人になろうと、どんなに望んでいることか?」
庄左衛門は、意外なくらい沈んだ調子でこういってから、
「信用していてくれても大丈夫だ」と冗談のようにいった。
小平太はむずかしい顔をしていた。一度妙に白けてしまった酒は、庄左衛門が望んでいたようには救われることもなく終った。夜もふけていた。
「出よう」と、小平太からいい出して、二人は席を立った。
毛利小平太は別れてからなお、今の争論の余燼《よじん》を胸に感じていた。何だか、庄左衛門にいいまくられたような気持がして不満だった。別の問題ではなく、自分たちの武道の面目にかかわることであった。無論、真向からやっつけることが出来ると確信は持っていて、何となく議論では自分が負けたように感じられて、いらだった。つまり自分が口が下手《へた》なのであろう。はっきりといえそうに考えられることがいえず、もどかしくなるばかりでいて、かえってやり込められるのだ。
武士に何の理窟が要《い》ろう。
実行力、御奉公……ただ、それでいいのだ。言葉をなくして、ただ、やることだ。小山田はどうかしている。武士に大切な覚悟が動揺しているのだ。
小平太は、こう考えた。
しかし、この屈託も、吉良の屋敷が近くなるにつれ小平太の胸から、霧が消えたようになくなっていた。代って前夜よりも危険率の多い冒険を前に控えた人間にふさわしく、心持も五官も張りきって、いつもの充実した自分になった。小平太は、丁度あった天水桶《てんすいおけ》の蔭にうずくまって、暫く様子を見ていた。
氷をきりぬいたような月が、凍てて板のようになった夜空に、静かに動いていた。その光に屋根瓦が一枚一枚ぬれている。夜は寂《せき》ばくとして、地面をはう紙くずの音さえ聞えるくらいだった。小平太の耳は、塀の向う側を歩いて来る人の足音を聞いて、一層緊張した。
槍か棒のようなもので、地を突く音がしていた。
夜番が廻っているものらしい。
塀の上の松の枝に、提灯の灯影がうつっている。
それが消え、足音も遠ざかった。夜はもとのように寂寞とした。
(入るなら今だ!)
小平太は、急にこう考えた。夜番がまわるとしても、そう、しょっ中まわっているわけはない。やはり、時間がきめてあるのだろうから……
今夜は、はしごを支度して来ていない。小平太は、板塀へ、そっと飛びついて、肘《ひじ》をひねって忍《しの》び返《がえ》しの上へ首を出してのぞいた。雨戸を閉ざした黒い建物が幾棟かひっそりとしている。
(のぞくだけでも、いくらか、わかるのだな……)
こう考えたが、無論それで満足して帰る男ではなかった。見る人のいないのを見すまして、静かに上体をたぐり乗せて、大丈夫と見て内側へ降りた。
安兵衛が手に入れて来て小山田庄左衛門が写し取った古図面は、小平太の頭にはっきりと描かれていた。ここは、あの図の、ああ書いてあるとこだな……と思いながら、月あかりをたよりにじっと眺める。建物が新しいか古いかぐらいは、月あかりで充分読めるのだった。
(これはあの図になく新規に建てたものだ。付人の小屋であろう)
小平太は、足音をぬすんで、その建物について廻った。壁に耳をあてたが、内に人がいるかどうかはわからない。また、そっと、これから離れて次の棟を見上げた。
かたき、上野介の寝所はどこだろう? 果してここにいるのだろうか? これが第一の問題であった。胸をおどらせながらそれらしいのを物色して、大胆に一歩一歩と奥深く入って行った。折から、思いがけぬ間近いところに、急に人の足音が起った。
これには、さすがの不敵な男も、はっとしてその場に立ちすくんだ。
すぐ目の前の木戸があいて、大きな男が一人出て来た。
二人の目はぴたりと合った。小平太は鳥の飛び起つようにすばやく逃げようとした。その時、男の手は宙にひらめいて何か投げつけた。
走り去ろうとした小平太は、足に何かあたったように思ったが、逃げるのに夢中で気にもとめないでいた。
騒ぎを聞いて、方々から人々が起きて来た。
小平太は、自分の行手に夜番の者が駈けて来るのを見て、驚いて行きあたりばったりに、そばにあった建物についてめぐった。武器は短刀を一振支度しているだけだったので、いざとなった時、むかってかなわないのはわかっている。逃げられるだけ逃げるよりほかはなかった。
小平太は夢中で縁の下へもぐり込んだ。ちょっと安全なような気がして飛び込んでしまったのだが、さて、内に入ってから、かえって危険なことだったと気が付いた。床下などは第一に人が目をつけるところである。龕燈《がんどう》でも持ち出されたらそれきりだった。しかしそれと気が付いてからは、もう逃げるひまがなくなっていた。
いそぎ足で前を通って行く三、四人の、黒い裾が月影に見えた。
その時小平太は、膝のところが急に痛んだのでさわって見て、血が流れているのに気が付いた。傷も相当深く、さっき投げられたもので、やられたのに違いない。ふところに手拭《てぬぐい》があったので、これでかたく縛って置いて、短刀の鞘《さや》を捨てて、刃を口にくわえた。
「なるべく、静かに」と、いう者があった。
また、黒い人影が通りすぎた。
(なるべく静かに)
小平太は、思わず口の中でいってみた。
何で静かにする必要があるのだろう。自分たちの屋敷だ。そんな遠慮はいらないわけである。
ただ外聞を構っているのだろうか?
それとも、主人の眠りを妨げまいとするのだろうか?
この、後の考えになれた時、小平太は胸をおどらせた。
(ひょっとすると……こりゃア上野介どのがいるのだな)
もし、そうだったら……どうせ逃れられぬものなら、上野介殿に近づいて一《ひと》太刀《たち》むくいようか?
いやいや、それはならぬ。かねての申し合せに明らかにそれを禁じてある。逃げるのだ。どうにかして逃げるのだ。小平太は、あせりながら、外の様子をうかがって、すこしずつはい出して来た。
「縁の下を一応見た方がいい」
どこかで、こういっている声が聞えて来た。歩いて来る足音がした。龕燈の灯が見えた。
南無三! と小平太は思った。それと一緒にこの男は直ぐと次の行動に移っていた。それは月光の中へ走り出て、すこし先にある塀を乗り越えることだった。
小平太の姿を見た時、「いた!」というように、どっと人々は走り寄った。夢中で小平太は振り返って口にくわえていた短刀を先頭の男にたたきつけた。そして、地を蹴《け》って躍《おど》り上って塀に手を掛けた。その時はもう追手の持った棒の先端が、小平太の身体《からだ》にさわるまでに追い詰められていた。
なぐられて小平太は背をそらした。
塀の上で小平太の躯《からだ》はよろめいた。が、努力が、敵のいるこちら側へは落ちずにすむようにしてくれた。しかし落ちたのは、道路ではなく、どこかの屋敷の庭の内だった。かなり大きい屋敷が雨戸の裾を月にさらしていた。
小平太は、ほっとしながら塀一重向うで敵の騒いでいるのを聞いた。
「まわれ、外へまわれ」という声がしていた。
もとより、この屋敷の外へ廻って、門番を起して自分の身柄を引き渡してくれと話し込むつもりであろう。瞬間でも、逃げられたように信じたのは間違いだった。夜陰に塀を乗り越えて忍び入った者を、たれが賊として処分せずにいよう。
小平太は早く逃げることよりほかに考えなかった。表の方へまわろうとして、痛む身体を起して、庭を横切りかけた。その時、急に灯影が庭へ流れ落ちてその家の戸があいた。
「狼藉者《ろうぜきもの》」
ひくい威厳のある声が、走ろうとする小平太を叱咤《しつた》した。
小平太は威嚇《いかく》するようにして、振り返ってこの家の主らしい中年の品のいい男を睨《にら》みつけた。むこうでも、切長の目にまたたきもせず凝《じ》っと見詰めた。
次に、この男は、美しい腰元に差しつけさせていた絹張の雪洞《ぼんぼり》を自分が取った。その間も鋭い目を小平太からはなさないし、小平太が走り去るすきを得る前に、雪洞は主の手に渡っていた。小平太は、この男の悠々とした動作に憎悪を感じながら、なお明るく照らされることを考えて、屈辱を感じて動こうとした。
しかし、意外にも、主は雪洞を受け取ってから、これをふっと吹き消した。その時、門を叩く音が外から聞えた。
「控えていなさい」
主の言葉はやさしかったし、賊に向けていったとは思われず、静かで丁寧なものだった。小平太は耳を疑いながら、漠然と相手のなさけある志を感じた。
門を叩く音は歇《や》んだ。代って、廊下について、誰かいそがしく歩いて来る音がした。
消えた雪洞を持っていた主は、振り返って、
「弥五右衛門か?」といった。
「お目醒めで御座りましたか?」
用人は、嗄《しわが》れた声でこういって廊下に手を突いた。
「御隣家吉良様より、賊が境の塀を乗り越えてこちらへ入りましたによって、お引き渡しくださるか、お差支えなくばお屋敷内へ入って一応|検《あらた》めさせていただきたいとのことで御座りますが……」
「ことわれ」
主は、きっぱりといった。
「はッ」
「何者か入ってまいったゆえ、当屋敷では、隣家へ送り込まず斬《き》って捨てたといえ」
「左様に御返事いたして宜《よろ》しゅう御座りまするか?」
「よいから、いうのだ」と強くいった。
「かれ等が戻ったら誰かよこして、別に大原先生を呼んでくれ。粗相あって怪我をしたものがあるによって至急にと申せ」
小平太は感動した。
この家の主は、そのまま内へ入って再び姿を見せなかった。代って、この賊の名前もきかず身分も問わない静かな人々が、親切な手あてを小平太に加えた。こちらから名乗ろうとしても、主から命令があったらしく、この人々は慇懃《いんぎん》に遮《さえぎ》るのだ。
ふとった医者が裏口から入って来て手当をしてくれた。無理をして歩けない。小平太は、この人々の親切に、また隠れてこれを指図してくれたこの家の主の、人並ならぬ好意に深く動かされながら、礼を述べて立ち去ろうとした。
「その辺まで送って差し上げるように」
用人は、かたわらにいた屈強の男二人にこう命令してから、小平太に向って、
「あるじの言付で御座る」と、断った。
小平太は、それまでの好意はことわりたかったが、また考えて、無言で謝意を示してこれを受けることにした。
小平太が出て行ってから、用人はあるじの部屋へ報告に行った。
主はもう床に入っていたが、だまって話を聞いていて、
「隣では、こちらのいい分を聞いてだまって帰って行ったのか?」と、きいた。
如何にも吉良邸の人々はそうするよりほかはなかったのだ。そのとおり用人が答えると、主は、さげすんだようにほほえんで、
「死骸だけでもくれとはいわなかったか……高家だけあって、おとなしいものだな」といった。
小平太について外に出た侍たち二人は、小平太を間にはさんで、いざとなったら腰の刀を抜くばかりにして前後左右に気をくばって歩いていた。吉良の屋敷の者が、こちらの返事を不満に思って、その辺に待ち伏せしているように思われたのだが、その様子もなく、月も傾き、あけがたに近い往来はしんとして、つめたい影に塗りつぶされているだけだった。
月の方角から見て小平太は今の屋敷が吉良邸の北隣に当っているのを知った。さすれば、地図の上では西にあるのが旗本|土屋《つちや》主税《ちから》の屋敷、東にあるのが本多孫太郎という松平|兵部《ひようぶ》大輔《だゆう》の家老の屋敷だ。
(土屋どのであったか?)
小平太は、先刻のぼんぼりのぬしの、すらりとして威厳ある姿を思いうかべて、はじめて、その名をさとった。
あきらかに、あの人物は、自分を浅野の浪人と看破していられた。それでなければ、一旦《いつたん》狼藉者《ろうぜきもの》と呼ばわった者を、見て見ぬふりをするばかりか、名前も素姓も吟味せずに、この手あつい看護を加え、護衛までつけて引き取らせることはないわけである。なんたる有難い人物であろう。また、自分たちとしては、こういう人のあることを知るのは、どれだけ心強いことであろう。小平太は傷の痛みも忘れて、おもてを輝かしたのだった。
「何とも、かたじけのう御座りました」
小平太は、立ち止って二人の侍にいった。
「お屋敷へお戻りなされましたならば、御主人ならびに御一統様に厚くお礼を申し上げていただきたい。また改めてお礼にあがることも出来ようと存じますが、それまでは……」
「いや、心得えております」と、一人が遮って、その先をいわせなかった。そうして、くれぐれも礼を述べて立ち去る小平太を、その姿の見えなくなるまで、二人ともその場に立って見まもっていてくれた。
このことは、朝になって内蔵助に逐一《ちくいち》報告された。
「土屋どのか?」と、内蔵助はうなずいた。顔色こそ動かさなかったが、誰よりもこの男を感動させていた。武門が嘗《かつ》てなかった完成した形を作っていながら、なお早くも精神としては敗頽《はいたい》のきざしを見せている時代である。自分たちが自《みずか》ら任じている「古い武士」――又これこそいつまでも常に新しかるべき高貴なる精神の擁護者《ようごしや》が、ここにも一人いると知るだけでも、内蔵助はどんなにうれしかったろう。殊に、その人が吉良家と塀一重をへだてるのみの隣にいるとは、武士を制度の擁護者とした新しい武士道と、犠牲と忍従との昔からの武士道とが並び存する、この元禄《げんろく》の時世を皮肉に映しているものといってよかった。
小平太と別れた小山田庄左衛門も、ちょっとした行きがかりから自分たちが招いた口論を酒の酔にくるんで、胸に鬱《うつ》しさせていた。自分がずっと下手《したで》に出ていて、最初からどうせ話せば衝突すると見てなるべく避けるようにしていたことでいて、別れてから急にそうした自分が腹立たしく振り返られるのだった。
なぜ、もっと強くいってやらなかったのだ? 毛利が気色《けしき》ばんで問い詰めて来たことに、なぜ、はっきりと、そうだ、痴情《ちじよう》に溺《おぼ》れ死ぬのも、忠義のために死ぬのも同じだ。いや、他人のためでなく自分のために命をそそいで何事でも出来るものこそ、最も生甲斐あるいのちの生きたものだと、なぜ立派に答えなかったのだろうか?
多数を包含する命、個我を超えた命……はははははは、看板はいい。しかし、その見かたならば、生き方にもいろいろの等級が出来る。
赤穂一藩のためでない、天下の武道のために身を捨てる、というのか?
名目は、なんとでも立つ。
その武士道とは何だ?
武士とは何だ?
武士が、数からいえば、人間の幾分の一にあたるというのだ? もし、他人のために身を捨てることがよくて、また、その他人が数の多いほどいい――二人のためより五人のため、五人のためより百人千人のために命をなげうつのが更に立派なこととすれば、最も生甲斐あることは、世間の最大多数の幸福のために闘うことだ。この命をおのれのものとして生きることだ。
これは、確かに立派なことだ。一番生甲斐のある仕事だ。
しかし、も一つ確かなことは、この最大多数を占めているのが、両刀を差して四民の上にある武士ではない、ということだ。
なら……
小平太の議論は、まったくなってはいない。それこそ敵討ちをやめて、百姓や町人など世の下積みになっている最大多数の者の幸福のために、あれだけの熱情を以て命を捨ててあたるがよい。それから見れば敵討《かたきう》ちなど畢竟《ひつきよう》遊びだ。遊びとしても傾城《けいせい》買いよりずっと不正直な遊びであろう。
馬鹿な奴だ!
酒の酔いが節度を忘れさせ、荒々しく押し出して来る高笑いが、胸からゆり上げて、寂寞《せきばく》とした夜の往来に陰気な反響を呼んだ。
この冬の夜の月は中空にさえかえっていて、地上の、ものの影をくっきりと濃《こ》くしていた。庄左衛門の足もとにも、黒い影が倒れていて、主が足をよろめかせる毎に動き、荒々しく笑うごとにゆれた。
柳の影がある。
橋がある。
なぜか、今夜は、目に触れるものの姿がいつもと違って見える。そんなに酔っている訳はないが……不思議と、変った心持だ。知らぬ天地が、遽《にわ》かに目の前にひろがったように思われるのである。
だが、庄左衛門は知らぬ間に父親|一閑《いつかん》がいる家のそばまで来ていた。中気で半身不随になって生ける骸《むくろ》となって横になっている父親の姿と、病人のある家に特有の、薬のにおいをおどませてじめじめした陰鬱な空気が心に浮んで来て、知らずに顔をしかめさせた。
今父親に会いたくないような気がする。せっかくの、今夜の、烈しい気持や自信が、病父にあって譲歩しなければいけなくなることも考えられるし、また父親の病人らしいくどくどしい話が、今の気持ではとても我慢出来なくなりそうな恐ろしい予感があった。
庄左衛門は、ためらって立ち止っていた。かと思うと傍《かたわら》の路地へ道をそらして、やがて、月夜の河岸ぶちを、どこへというあてもなくあるいて行くのだった。
動かない川の水は黒くて、苫《とま》をかけた舟がところどころにひっそりと浮んでいる。月の光は人のいない河岸みちにいよいよさえていた。
手がつめたかった。肩にすこし寒気を感じて来たのは酔いがさめて来たからであろう。庄左衛門は酒が恋しくなった。灯影と、白い女の顔をそばに欲しかった。いろいろのうるさいことをまったく考えないで済むただれた酔いがほしかった。
どこへ行こう? いやそれよりも、ここはどこだろう?
立ち止って、あたりを見廻していると、少し先に橋があるのが見える。そこまで、又歩いて行って月明りに橋の名を読もうとして覗《のぞ》き込んだ。欄干に置いた手に霜がひやりとして、寒さが背筋にも走った。
橋の名は、月に蔭になっていたし消えていて読めなかった。柳の葉が地面に散っている。しかし、庄左衛門は、誰かそばでくっと笑ったのを感じて、顔をあげたのである。橋のなかほどに、欄干にもたれて立っている者がいた。女で、それが若そうだったし、月に蒼ざめたすらりとした姿だったので、無気味な感じに襲われて思わず見据えた。
幸《さち》!
思わず庄左衛門は叫ぶところだった。
しかし……死んだ筈のあの穂積《ほづみ》の娘、幸が、どうしてこんな場所にいよう。この反省はしていながら、庄左衛門は、烈しい感動から、歯がかちかち鳴りそうに顫《ふる》えていた、ただ飛び出しそうにみひらいた目は、その間も橋の上の姿に惹《ひ》き寄せられていて、瞬《またた》きもしなかったのだ。この庄左衛門を、幸の顔をしている女は両手を後に廻して欄干にもたれたままの姿勢で、これもじいっと見ていたが、やがて、静かに上体を前後にゆらゆら動かした。笑いだしたと見えて、月に蒼ざめた白い顔に、影が動くのが見えた。
「こわくはないんですよ。あたし、人間なんですから」と、いって来た。
声は幸のそれとは違っていた。甘えるように、あだっぽい響きを含んでいて、今、瞬間的に打たれた奇怪な心持から庄左衛門をぬけさせてくれた。けれど、それでも庄左衛門の心は、まだ驚きの目を瞠《みは》っていた。この女が幸でなかったにしろ、このよく似ている目鼻立は、目で見ていて信じられないことだった。庄左衛門の心は、幸にあっていた時と同じように騒いでいる。まるで夢を見ているような心持だった。
「いやですよ、そんなに見て」
女はまた笑った。
「あたし、ただ、すこし酔ってしまったので、さましに出ているだけなんですから……」
「そうじゃなかったのです」
初めて、庄左衛門は口をきいた。女がひろげたままでいる襟《えり》の中に肉のゆたかな白い胸が持ち上ってのぞいているのが見えた。しなやかな手が、いそいでこれを、しまったが、ちらと見ただけで、その厚味もふっくらとした弾力も、いきいきと男の心に触れる現実の感じを盛り上げていた。
「私の知っているひとに、実によく似ていたからです」
あら……というように、いたずららしく「幸の目」が笑った。
「どんな方?」
「どんなひとって……、もう、死んでしまったひとだけれど、ほんとうによく似ている、びっくりするくらいだ」
「まあ、それで、あんなに見詰めていらしったんですね」
「…………」
この話の間でも、庄左衛門は、実際何ともいえない心持で、わくわくする胸が声の調子をかえるのをそうさせまいと努めているのだった。いつの間にか、幸と交渉があった頃の一生懸命な心持にかえっているのだった。
やるせない溜息《ためいき》が口の中にあった。この皮肉な運命の悪戯《いたずら》は、悲しくもあり悦ばしくもあった。何ということだろう? 唯これだ。この感じ許《ばか》りが、大きな波のうねりのようにのぼって来るのがわかった。
「その、あたしに似ていらっしゃる方が、旦那《だんな》のなんだったんでしょう?」
「それよりは、お前さんだ」
庄左衛門は、さすがにこの女の素姓を怪しむようになっていた。
「うちがこの近所なのか?」
ええというように、目は相変らず笑いながら、形のいいあごが軽くうなずいて見せた。
しろうとじゃアない。これはわかっている。橋にもたれてそり身になった姿勢や、見も知らぬ庄左衛門へ見せるなれなれしい様子や、優しい顔に似ず酒に酔ったりしどけなくからむような物のいい振りにも、それとわかるものがある。この女をまた半分は昔の幸のような心持で見ている庄左衛門には、眺めていて不思議な心持だった。もっと初心《うぶ》で、つつましやかな乙女だった幸とそっくり同じ顔をした女が、これは何と自堕落《じだらく》に、あけすけに、淫蕩《いんとう》な目付をしていることだろう。庄左衛門の胸は何となく悲しかった。あの、神々しいくらいに思われた清らかな恋人が暫く会わぬ間に、すっかりこんなになったと見るような不思議な錯覚が、疑いながら頭を冒《おか》して来ていた。そして、この幸の堕落の原因が、誰でもなく自分にあるのだと、とてつもない考え方にさえ胸はうなずこうとしているのである。
女は、こちらから腕を伸ばしさえしたら、そのまま身を任せそうな目付をして、庄左衛門の顔をまつ毛の下からのぞき込んでいるのだった。
「風邪をひくぜ」と庄左衛門は、自分が急に寒さを感じていい出した。
女は、軽くさげすんだように目を笑わしただけだった。
その目付が男を動かした。
「お前の家へ連れて行かないか?」
庄左衛門は、急に大胆になって、こういい出した。いってしまってから、「これできまった」と幾分の後悔の苦い味を含んで振り返られる運命的な言葉だった。女はだまって歩き出した。庄左衛門もだまって、そのあとについて歩き出した。間もなく、せまい路地を入って、隣と棟《むね》を分けた二階屋の前へ出て、女が雨戸をあけて内へ入ったので、庄左衛門もあとから入って暗い土間に立った。その闇に、寒さが急に感じられた。
ほかに誰も人は出て来ないで、通されたのは二階の、四畳半の座敷だった。
「おあたんなさいな」と、女は庄左衛門にこたつをすすめた。そして庄左衛門が、落着かない様子で部屋のなかを見廻している中に、女は下へ降りて行って、自分で酒の支度をして来た。
「ほかに誰がいるんだね?」
「おッ母さんが」
「こうしていて構わないのだね」
「ええ」
女は、男のするとおりに手をとらせた。庄左衛門は、息を詰めながら女を引き寄せて、幸によく似た顔を無言でそれとなく、むさぼるように見詰めた。(お幸さん)この声が咽喉《のど》まで出て来ていて、思わずくちびるをふるわせた。
「だれ、あたしに似ているって」
女は、どんよりと、甘えるような声でこういいながら、庄左衛門の背にそっと腕をすべらし入れて、自分のからだの重味を男の膝に託した。
「いやなひと」
庄左衛門が見詰めていた白い顔は、紅にぬれたくちびるをひらいてこう叫んで、男の胸に深く埋められた。
「何て名前だ?」
「登勢《とせ》」
「お登勢さんか?」
「お幸《さち》さんて名に致しましょうよ。今夜から……」
「ああ、それもいいかもしれない」
「おや、心細いんですこと」
登勢は目を笑わした。
「さぞ、もとのお幸さんとも、こんな風に、いえ、もっとしつこく仲よくなさったことでしょうねえ。にくらしいったら……」
「そうじゃなかった」
庄左衛門は憂鬱に答えた。
「いいえ、どうですか……」
女は男の手をとって軽く弄《もてあそ》んでいたが、やがて、それを唇へ持って行って、子供が菓子をゆっくり楽しむように、一本一本の指さきへ白い歯をあてて、噛《か》みはじめるのだった。庄左衛門は手をひこうとした。しかし、その痛味が、この飽和しきってどんよりと半分ねむいような状態に、やがて不思議な快さとなって五体に伝わって来た。
庄左衛門はうっとりと目をねむった。口さえききたくなかった。ただ、どこまでもこのまま溺《おぼ》れて行くつもりだったのである。
これは不思議な感覚だった。清らかな思い出のみ残る幸の姿と、この放縦《ほうじゆう》で大胆な女と、重ね写真のように重なり合っている。かすれて別々のものに分けて考えられるかと思うと、まったく一人の人間になって感じられるのである。この衣を隔てて感じられる熱したからだは、あの、雨に悩む花のようにいじらしかった幸だろうか? この受け口の、あかくふくれたくちびるは? 輝いた目は?
この幸が、また、何と大胆に火のような言葉をささやくことであろう? この白いちいさい手は、はじることもなく如何ばかり露骨に振舞うことであろう? この、乳房《ちぶさ》が白い椀《わん》を二つ伏せたようにもり上っていて、深くせわしない息に動いている胸の中に、隠れている小さい心臓は、どんな罪悪にでも驚くことはないように思われるのである。
庄左衛門は、妖しいといってよい心持にゆられ続けて、一夜をこの家であかした。幻滅は朝の、しろじろとした光の中で、幸が手をのばして代価を求めた時に来た。この時、幸と登勢とはまったく別々に分れていた。庄左衛門は苦い味を口にふくんで路地から外へ出て来た。霜の白い朝のみちを歩きながら考えたことは、再びこの家に来まいということだった。清く悲しかった幸の思いでが、この女に逢って行く内に、きっとけがれて行くに違いないと、漠《ばく》と不安を感じたからである。また、復讐のことも庄左衛門の心からすっかり離れているわけではなかったし、この登勢という女と深間《ふかま》になることは、この理由からも恐ろしかった。女はただ一夜のもので、朝は、ぬぐったように顔さえ忘れ去ることの出来るものこそ、よいように考えられていた。その意味から、幸の顔をしていて忘れられない登勢は憎く、怖ろしかったのである。しかし、魔法はもう働いていて、抜き去ったと思う根を糸のように胸の蕊《しん》に残していた。
夜が来た。昼の間登勢を、幸からはっきりとはなしていた庄左衛門の頭にも、胸にも、からだにも、登勢と幸とが重なり合ってまったく一人になる時刻が来た。
庄左衛門は覚悟を裏切って、またこの路地を入って行った。そして、こうした幾夜を重ねて後に、女の本体が忽然《こつぜん》とわかることになった。
この家は登勢の母親のほかに、姿は見せないが男がいるらしいことは、庄左衛門も薄々知っていたがお目出たく、親類の者か何かだろうぐらいに考えていたのだ。この男が登勢のおとことして、はっきりと庄左衛門の前にあらわれたのは、ある時、忘れた煙草入れを取りに、一町ばかり出てから急に引っ返して来た時だった。下では寝ているらしかったので、庄左衛門は案内も乞《こ》わず二階へあがって行った。しかし、このはしご段を、煙草入れも取らずすぐと降りて来ることになった。
庄左衛門は、自分が何気なく入って行ったために、醜くうろたえていた男女の姿を忘れなかったし、自分のからだにしみている泥をこの時|殊《こと》にはっきりと感じて、もうこの家の敷居をまたぐことはしまいと思った。
庄左衛門は、清らかな幸の幻影をもっと覚悟たしかに護るべきだったのだ。それと気がついた時、幸の姿は、水の影のようにいくらすくっても指の間から漏《も》れる、果敢《はか》ないものになっていた。代って、胸の中の登勢が、放縦なからだつきで圧倒的な姿で突っ立っていた。いくら幸を呼び返そうとしても、その度《たび》に出て来るのは、幸ではなくて登勢だった。あるいはこれはけがれた姿の幸といってもよいだろう。幸はいつの間にか、すさんで来ていた。目も鼻も口も手も足も胸も腹も享楽になれて、自分だけでいるのでもない部屋で、素肌《すはだ》をあらわすことなどは平気だし、また自分の整った肉体が、男にどんな効果を与えるかも充分知っていて、そうすることにほこりを感じているのではないか?
この幸の、悲しい変りようを見まいとしていながら、庄左衛門はひきずられて来た。今だって、そうだ。はなれていると、心もからだもおそろしい空虚にむしばまれる。何かしら、こうしていられないと思う。この何にも手がつかない落着きがない心の状態は、屈従して登勢に会うよりほかに、なおるものではなかった。
数日後に、庄左衛門はまたこの家の二階へあがっていた。男が難かしい顔をしているので、その心にとり入ろうとしてか、登勢はいつもよりも一層美しいこびを見せた、庄左衛門が胸に持っていた烈しい自己嫌悪の情も、やがて、いつの間にか、女の匂いで息苦しいようなこの狭い部屋の天井に消えていて、あとには、いつもと同じことが行われた。
「この間の奴は客か?」と庄左衛門は、髪をなおしている女にいった。
くもった鏡の中で、女の顔がさげすんだように笑ったのが見えた。
「その内、お前を殺すことがありそうな気がする」
答えない女に、庄左衛門はわざと冗談のようにこういった。
「結構ですわね」と、登勢はそらして、鏡の中の自分の顔をのぞいた。
その、つめたいところが、庄左衛門の心を煽《あお》った。
(ほんとなんだぞ、おれのいっていることは)
庄左衛門はこういいかけていた。そして、いつかこの白い、細くてたくましい頸《くび》を挟《はさ》んでしめつけるに違いない自分の手が、膝の上で動いているのを感じた。
登勢は化粧をなおして振り返って、それまで置きざりにしてあったこたつの蒲団をまくって、火をのぞき込んだ。
「おあたりにならない? あったかで、いい気持ですわ」
「誰だい、あのひとは」
「あのひと? そんなことはいいじゃありませんか? こうしてふたりきりでいる時によそのひとのことなんか……今はこれでいいんじゃありませんか?」
そうだ。それが、当世風の生き方に違いなかったのである。
毛利小平太の冒険は失敗であったが、内蔵助の手もとにある吉良邸の絵図には、二、三の新しい訂正を加えることが出来た。同志の面に満足の微笑が浮んで、もうひと息だと思うのだった。
もう、ひと息。
さて、これが大変だった。
しかし、同志の者は、視界をつつむ霧のむこうに光明を感じている。自信がある。勇気がある。結束もまた、これまでに比べて、ずっとかたくなって来たように思われた。
すこし前、まだ内蔵助が平間村にいた頃に、党の者全体に訓令が出ていた。それに従って人々は着々と準備を進めて行った。
討入《うちい》り当夜の服装について訓令が命じているのは、以下のものである。今はこれを意訳して書くことにする。
一、打ち込みの時は黒い小袖《こそで》を用いることにする。帯の結び目は右の脇がいいと思う。下帯は前さがりがはずれないように注意して欲しい。それから股引《ももひき》、脚絆《きやはん》、わらじを用いることにする。なお、相印《あいじるし》、相言葉は追って知らせる筈である。
二、武器は銘々《めいめい》の随意の選択にまかせる。槍や半弓などを持って行く人々は一応知らせてほしい。
この訓令を見て、人々は、いよいよ自分たちの大願を遂《と》げる時期が近づいて来たことを切実に思って悦んだのだった。長い浪々の間にたくわえの金子《きんす》が尽きてかなり苦しい生活をしていた人人も多かったが、めいめいが手なれの得物は大切に手入れをして、いつでも使えるように用意が出来ていた。小袖、脚絆、もも引、わらじと全部揃えて一包みにしてあるのだ、今、町人や医者に姿を変えている人々が昔なつかしい武士の姿に戻る時が、この小袖を着る時である。この支度をしている時、誰も春を迎えるようなうららかな悦びを感じた。春……そうだ。誰が一生の間にこれだけの明るい春を持つことが出来よう。いのちの花が、この時、いっぱいに咲きほこるのである。ほんとうの生甲斐ある時間が、得られるのである。この世間に夥《おびただ》しく生きている人々は、いのちにひきずられてその日その日を過しているのだ。しかしわれ等は、いのちを支配する、われ等の運命は、われ等が作る。生きるにも死ぬにも。
そのうち内蔵助は吉田忠左衛門、原惣右衛門に命じて改めて神文《しんもん》を作らせ、同志の者を一人ずつ招いて最後の宣誓《せんせい》をさせることにした。よろこんで人々は出て来た。
ながく見なかった、珍しい顔もかぞえられた。
「むこうには一体何人ぐらい人間がいるのだろう?」
「百人よりすくないことはない」
「すると、一人が二人半の敵にむかえばいいわけですな」
小野寺十内が吉田忠左衛門と火桶《ひおけ》をかこんで暢気《のんき》な話をしている。
「ま、左様なものさ」といって笑いながら、忠左衛門は、灰の上に、吉良家の屋敷の図面を書いて、何かしきりと考え込んでいるのだ。
外は冬だ。木枯《こがら》しが、埃だらけの江戸の町のいらかの上を、叫びながら走っているのだった。
江戸座
その内に同志の者全体をはっとさせるような事件があった。その報告をもたらしたのは矢田五郎右衛門と早水藤左衛門《はやみとうざえもん》の二人である。両名は、讐《かたき》吉良上野介の顔を見て帰って来たのである。
矢田と早水は、麻布の上杉邸の看視を受け持って、何のあてもなく、付近をぶらぶら歩いていると、供廻りの数はすくなく質素な行列だが、強そうな武士が脇に三、四人付いているので、ふと目にとまった駕籠《かご》があった。虫が知らせるというのか、二人は同時にはっと思ったのだ。
駕籠が行く方角、二人が今、後ろにしている側に上杉家の正門がある。質素な割にものものしい護衛が付いていることといい、何だかこの駕籠が臭いと思われたのである。
躊躇《ちゆうちよ》を振り切って、早水が口早く囁《ささや》いた。
「土下座《どげざ》しろ。駕籠の戸をあけさせてやろうじゃないか?」
矢田も、早水の計画をさとって、頷《うなず》いて見せた。一般に行われている風習であるが、ある藩の者が、主人の家と親戚にあたる家の主人に往来であった時、こちらがこの作法を執《と》って礼をすると、先方ではまた駕籠をあけて答礼することになっていたのである。
駕籠は近づいた。護衛の武士たちの目が油断なくこちらの二人を見た。知らぬ顔で二人はしめし合せて、駕籠と行き違うところで、静かに土下座して待った。
計略はあたって、駕籠の中から老人の咳《せき》ばらいが聞えて、行列はちょっと止まった。そして二人が胸を躍《おど》らしている内に作法どおり供の者が駕籠の戸をあけて、痩せて目のぎょろりとした白髪《しらが》の老人が、身を起してのぞくのが見えた。
「いずれの方々かな?」と、いった。
上野介だ。不倶戴天《ふぐたいてん》の仇《かたき》だ。矢田も早水も激しく胸を打つものを感じながら、無念と殺気が面にあらわれるのを抑えて、矢田が機転よく努《つと》めて静かに答えた。
「松平肥前守《まつだいらひぜんのかみ》家中、身分の軽き者どもに御座りまする」
上野介は微笑して頷いて見せた。
さっと戸が引き寄せられて、駕籠が再び動き出した。
矢田も、早水も言葉もなく佇《たたず》んで、上野介の駕籠が上杉家の大門から内へ消えたのを見送った。右の手が動こうとして顫《ふる》えているのがわかった。
「やれたなあ!」と、早水が口走った。
きっと口を一文字に結んでいた矢田も頷いて見せた。
内蔵助から厳重に申し渡されたことに「一人の讐《かたき》にては無之《これなく》候間、独《ひと》り立って本意を遂《と》げ申すまじきこと」という箇条があって、二人の頭にしみ込んでいた。それにしても、目前数尺のところに敵を見て、二人の心ははやらずにはいられなかったのである。
その興奮が去ってから、この偶然な拾い物が同志にとってどんな重大なものかわかると、二人は勇んで引き返して来た。上野介はそのまま上杉家へ住むことになるのではあるまいか? これが大問題である。すぐと、上杉家の表門のみならず裏門へも変装した同志が見張りに出かけた。敵がまだ江戸にいるとわかっただけでもよろこびである。更にこれで本所へ帰ったことが確実になれば、残ることは一挙の決行のみであった。その日の、冬曇りの、雪でも降りそうな底冷えのする天気も、これを考えると、一同にはまったく何でもないことだった。
内蔵助は本石町《ほんごくちよう》の宿で夜半まで報告を待っていたが、朝になっての知らせは、上野介が上杉家へ入ったきり出て来ないので、同志の者がまだ見張りに立っているということだった。
ただ我が子の家へ来て一泊したものかどうか? 次の日は夜の来るのが待遠しかった。吉田忠左衛門も同じように感じたのであろう。見てまいりましょうといって出て行った。
忠左衛門が麻布へ来ると、富森助右衛門が歩いているのに出合った。人通りがなかったし、二人はちょっとの間立ち話を交わすことが出来た。
まだ出て来ない、という。
助右衛門は、今朝からこの辺を行ったり来たりしていて、俳諧《はいかい》友達の大高源吾が来て替ってくれたので、その辺へ食事に行くところだといった。
早い冬の日は暮れかけている。昨日《きのう》から持ち越しの曇り空が巷《ちまた》に暗くかぶさっているのだった。
「そりゃア御苦労だった。構わぬから早く行って何か食べてください」
忠左衛門は若者の努力に胸をうるませてこういって別れた。間もなく呉服屋にばけている源吾の姿も見かけたが、上杉家の長屋の前だったし、目礼をかわしただけで、我善坊《がぜんぼう》の谷へ降りて行った。この人々の真剣な努力を天は何と思っているのだろう? もし上野介がこのまま上杉家にとどまるものとしたら、小野寺十内がいっていたように一人が二人半にあたるだけでは済まなくなる。謙信《けんしん》以来武勇の名ある上杉家へ乱入するとなれば、味方の損傷はよいとしても、一挙の成就《じようじゆ》は余程危うくなるのである。内蔵助はこの点について何もいっていないが、心痛のほどはよくわかる。後詰を持たない自分達は結局|斬死《きりじに》を覚悟して乗り込むよりほかはなくなるのではなかろうか。
忠左衛門が降りて行く我善坊谷は、土地がひくいだけに暗くなっていて、人家の障子を灯影がいろどっているのだった。忠左衛門は飯倉《いいぐら》の通りへ出ようとして、向うから倉橋伝介《くらはしでんすけ》が来るのに出会った。
「お」と伝介は、以外な人を見た驚きのほかに、何かうれしいことがある様子で、にこにこして傍へ寄って来た。
「弾正大弼《だんじようのだいひつ》が病気だそうです」
「ほう?」
忠左衛門は、驚きながらかたわらへ寄った。
「どこで聞かれた」
「あの屋敷へ出入りの酒屋の話です。ひょっとすると、あちらもそれで来たのじゃありませぬか?」
「そうだな。そうであってくれると、まことに有難いが……確かな話かな?」
「ずっと悪かったといいますから……」
「それなら心配はないのだ。まったく、これじゃ、見張りに立っている諸君も大変だが、われわれも痩せる思いだ。そうであってくれるといいなあ。なお、よく調べていただきたい」と、頼み込んで別れた。
上杉綱憲《うえすぎつなのり》の病気が重体というのなら、実父の上野介が泊り込んで看護につとめることは、無論ないことではない。他家の不幸を喜ぶのは気の毒だが、まったく、それであってくれれば有難い。また綱憲が早くなおって、上野介が一日も早く本所《ほんじよ》の屋敷へ帰ってくれるのだといい。
(だがなあ、ここで、あの狸爺《たぬきおやじ》が、息子の病気をいいことに、このままこの屋敷へ住むなどということになったら、やはり同じことだ)
忠左衛門は帰って内蔵助にこれを話した。
「大丈夫だろう」
内蔵助は例によって、ものの明るい一面だけを見ていた。
「苦労しても同じことなら、考えるだけ損だ。待とう、待とう」
夜半になって報告が来た。上野介は今夜も帰らなかった、というのである。
上野介はどうしたのであろう? 三日四日と同志の者が不眠の夜を重ねていて、遂に上杉の屋敷から出て来るのを見られなかった。綱憲の病気がなお重態なのか? それとも、このまま本所へ帰らぬつもりなのか? いつまで経《た》ってもこの謎をめぐって、同志の者は心を痛めている。
その内に、細井広沢《ほそいこうたく》が堀部安兵衛をひそかに訪れて来て、いいにくそうにして、主人の柳沢が浪士たちの行動を気にしているから、なるべく慎重にしてくれといった。安兵衛はこの友人の立場をかねてから気の毒に思っているし、決して広沢が邪魔をするつもりでこんなことをいって来たのではないこともよく知っていた。それにしても、この際になってこの警告を聞こうとは、かなり落胆にあたいすることで、安兵衛は、腹が立ったように、広沢の顔を暫く見まもっていたのだった。
「やりすぎる、目にあまるとでもいうのだろうか? おれたちは、まだ足りないと思っているくらいなのだ」と思わずいった。
広沢は、悲しげに首を振った。
安兵衛も自分の言葉が、子供らしい怒りを節度なくほとばしらせたものだったのを反省して、はじたように口をつぐんだ。
広沢は、
「おれは、いいたくて来たのじゃない。なるべくならば、いわずに置きたかったのだ」と、いった。
安兵衛は重くうなずいて、
「いや、御厚志はよく存じておる」といった。
だが、意気込んでいる同志の者にとっては、このことがどんなに烈しい打撃になるかと思うと、安兵衛はやはり胸苦《むなぐる》しく思われた。
「上杉か吉良からか、何か話があった様子か?」といった。
広沢は目をあげて、
「そうらしいが、深いことはわからぬ。またいいたくもない」と答えて、
「おれの主人は気まぐれだ。急にこんなことをいい出したのには何か最近に原因があってのことと見ていいだろう。おれには見当がつかない。永くこの主人に仕えている気もなくなった」といって帰って行った。
内蔵助は、安兵衛からこの報告を聞いた時、さすがに難しい顔色になった。
「面倒だな」といったきりで、だまって考え込んだ。
「このことはわしにいう前に誰かに話したか? まだだな、よし、誰にも口外してくれるな。まさか徒党の罪名で私らを一挙にしばってしまうだけの決断はなかろう。その時はその時のことだ。そうなったら日本国中でも敵に廻してやるだけのことだ」
「そうです」
安兵衛は来る時の、重い気持が落ちて、胸がすーっとしたのを感じた。
内蔵助も笑った。
「だが、こんどの麻布の件がそれとさとられたに違いないな。わかったら先方でも出て来ない筈だ。方法をかえた方がいいだろう。まあ考えて置こう」といって、同志の者に柳沢の態度を知らせることはよくないとかたく口止めした。
しかし、広沢はよくこのことを知らせてくれたのである。この際になって、当局者が烈しい干渉《かんしよう》を試みたとすれば、折角揃っている同志の足並がまた動揺しないとも限らないことであった。内蔵助は同志の者に失望を感じさせないように苦心しながら、後退を計った。わけなく出来そうなことでいて、どの方角を向いても行く手に厚い石壁のように立って、この人の希望をふさぐものがあった。こういう時はなるべく動かずにいるよりほかはなかった。
こういう中にいて、内蔵助は、意外なところで味方に会った。これは、中島五郎作という町人で浅野家|繁昌《はんじよう》の頃ふとしたことから知り合いになり、江戸へ来るたびに内蔵助もたびたび逢って親しくしていた富豪であったが、今度は、まだ一度もたずねなかったのを、一日何気なくたずねて見たのだった。
五郎作は走り出て来て迎えた。
「お忘れでは御座いませんでしたか? 手前どもでは、御出府と承わってきょうはおいでになるかきょうは如何《どう》かと毎日のようにお待ちいたしておりました。お変りもなく、結構で御座います。今度は御子息さまも御同道で……」
「よく御存じだな。これは悪いことは出来ない」
内蔵助も、くつろいだ気分に晴れやかに笑いながら、こういった。
五郎作は町人だが覚悟も教養も武士に劣らぬし、その上になお、扶持《ふち》を受けている武士には滅多に見られない溌剌《はつらつ》とした自由な心持が、向い合っていると感じられた。内蔵助がこの男に敬服していたのも特にその点なのである。こののびやかで、溌剌たる心こそ、もとは武士たちにのみ見られるものだったが、武士が世の中を支配する階級として制度も作法も完全すぎるくらい完全に整った今日では、却って武士たちからなくなって、代って町人たちに多く見るようになって来ている。この事実には何かしら、ただの、世の移り変りといって済ませない重大な意味がひそんでいるように、内蔵助には漠然と考えられたのであった。
「おいそがしいことは、よくお察し申し上げております」
五郎作は、また、内蔵助の出府の目的を機敏につかんでいる様子で、こんなことをいった。
「なかなか御苦労で御座りますなあ」
「まことに。浪人はひまのものと思ったが、実際にしてみれば、そうではなかった」と、内蔵助はいった。
信頼して打ち明けて大事ない男と思いながら、これだけは、あいまいにして置くつもりでいた。
五郎作は、また、相手のこの心持をさとって深く触れもしない。
「旦那《だんな》さまは、羽倉《はぐら》先生を御存じだそうで御座りまするな」といった。
「羽倉……おお、伏見の神主をしていられた」
「左様で御座います。あの方が丁度ずっと手前どもにおいでなさいまして、よくお噂が出ます。こちらへお見えになったら知らせてくれとおっしゃってで御座りますが、早速お呼びいたしましょうか?」
「そりゃア意外な方にお目にかかれるものだなあ。あの方が、こちらにいられるというのは?」
「はい。この、すぐ裏で御座います」
五郎作は、にこにこしながら、こういって手をうって人を呼んだ。
裏口から出て中通りをすこし行くと路地があって、両側に五郎作が持っている借家が並んでいる。使いはその一軒の家に入った。
羽倉《はぐら》斎宮《いつき》は、この家の南向きの部屋に、うず高く積んだ古書にかこまれて、小さい机に向って坐っていた。
日本の国学史上に名高い荷田《かだの》春満《あずままろ》がこの人であった。後に維新回天《いしんかいてん》の学問的背景となった国学はこの人によってはじめられたといってよい。この元禄《げんろく》十五年には、斎宮は三十四歳の壮年であったが、やせて鬢《びん》に白髪《しらが》の混った風貌は、年齢よりもずっとふけた感じを与えていた。しかし、けいけいたる眼の光、しまった口もとに、このやせたからだに隠れている烈しい気魄《きはく》が動いていた。斎宮は世の上下に漲《みなぎ》っている漢学を排して、日本人が固有の惟神《かんながら》の大道《みち》に復活することを唱道している。内蔵助はこの人がまだ伏見《ふしみ》稲荷《いなり》の神官をしていた頃、知り合いになって、その議論を聞き、変った神主さんだと思って、将来きっと何かやる人だろうと感じていた。内蔵助の教養は元来|朱子学《しゆしがく》で斎宮の嫌いな漢学畑のものだし、また持ち前の実際家|肌《はだ》のところが、「現代は堕落している。大昔の日本人はもっとよかった、日本は昔の精神に帰らなければならぬ」と頭から猛烈に説くこの人が、何だか世の中の進化を無視して恐ろしく反動的なような気がしたし、忌憚《きたん》なく反対論を述べたものである。
内蔵助は、世間は一つの生き物のようなものだから、人間が中年過ぎたのをもとの子供の心に返せないのと同じことで、あるところまで進んで来た世間は、やはり歴史に必然な途《みち》をとって来たものであって、これをよりよい世間にするためには、この世の中というものの組織なり性質なりをよく理解して、その上に新しい途をつけるよりほかはない。昔の世の中がよかったからといって、そういう飛びはなれた世間を今日にまた起そうとするのは、実際を無視した感傷的な議論で、出来ることではないといったのだ。
不遇だった斎宮は、なまぬるく簡単に賛成ばかりして実は誠意の乏しい人間の多い中に、この論敵を得たことを非常によろこんで、君はいいことをいってくれたといった。
「私もそれを考えていた。また私の唱《とな》えているのが、ただの復古主義なり排外主義だと取ってくれたのなら、それは誤解だ。私が古神道の復活をいうのは、ただの反動を目的としているのではない。日本の建国精神が今の世の中にとって何よりも有効な働きをすると信じているからだ。しかも上下ともに支那の学問に支配されていて、この古神道の研究をかえり見ない。第一に幕府がその方針なのだ。形式なり規律が主となっている支那の学問をやっつけなければいけないと思うのも、この色眼鏡を除《のぞ》いて、日本の昔に、精神がまだ形式によって束縛《そくばく》されていないで如何にもいきいきとしてほがらかだった時代があったことを、あまり人が知らなすぎるから見てもらいたいのだ。私もおとなが子供に戻れないことを知っているが、生れた時の心をもっとよく研究したら、おとなのためにも新しい道がひらけるに違いないと確信している。世間が今日のように行詰まっている際には、殊に、建設期の精神、作る心持といおうか、これが大切なのだ。私のいいたいのは、この点です。古神道の中にも今の世の中に行うことの出来ないものがあるのは事実だ。それも熱心な研究によって初めてあきらかになるでしょう」
斎宮は熱心にこう説いた。
弟子が入って来て、五郎作から内蔵助が来たといって迎いが来たのを伝えたので、斎宮は、草《そう》し続けていた「日本書紀《にほんしよき》問答」の筆をおいて、眼鏡をはずした。
「ほう、赤穂の太夫が?」
斎宮は昔の論敵の姿を思いうかべてよろこばしげに微笑した。この人もまたはなれていても内蔵助の心中をよく知っていたし、その成功を心から念じていたのだった。
冬の陽脚《ひあし》の、早くも暮れて、斎宮と内蔵助が亭主の茶によばれている内に、茶室の中は薄暗くなって、きゃしゃな行燈《あんどん》が運び出されるようになった。
最早《もはや》、雪の支度をして、雪よけのかぶせてある植込みから、苔《こけ》のついた石燈籠《いしどうろう》、また前栽《せんざい》に、たより薄い薄暮の明るみに浴している石たちの貌《すがた》へ、内蔵助の目が静かにさまよって行く間に相変らず斎宮は自説に熱心だった。その説も、もとと違って、ずっと圭角《けいかく》のある戦闘的なものになっていて、哲学として古神道を見るほかに、国学中心の学校がなくてはいけないことを頻《しき》りといって、将来は自分も書斎にばかりいないで、この方面の実際運動もやりたいといった。
このいつも冷静沈着な容貌をして早老の風ある学者が、不可解な熱情にとらわれて、一語一語火のように烈《はげ》しく語るのに耳を傾けながら、内蔵助が、庭の冬日の冷たい自然に対して感じたことは、世間が動いているということだった。自分たちが、復讐を志し、この篤学者《とくがくしや》が国学校の建設を考え、また、この家の亭主が毎日の商売を思案している間も動いて行くのは、雑然としてしかも一筋に流れて行く一つの潮流である。自分たちの存在なり仕事を、その流れの表面にあらわれたかと思うと忽《たちま》ちに消える一つの泡《あわ》のように考えることが、いつの間にか内蔵助の胸に淡い寂寥《せきりよう》を生んでいるのだった。
「そりゃアそうと」と、斎宮は、学者らしい利己主義から自分のいうだけのことをいってしまってから、初めて、内蔵助のことに気がついたように話題を転じていた。
「少将が一時私の弟子だったのを御存じですか?」
これは初耳だったので、内蔵助は驚いたように目を見はった。
「ほう……やはり惟神道《かんながらのみち》を学ぼうとせられたものですか?」
「そうです」と斎宮は答えた。
「しかし、駄目でしたな。あの人物は廃頽期《はいたいき》の人の特徴を持っている。惟神道とは背中合せの人で、とうていものにならぬと見て、私の方から講義に通うのをやめました」
内蔵助は、何だか可笑《おか》しくなったから、失笑した。これだけ道をひろめるのに熱心な先生に見限られるとは、むしろ上野介に何だか気の毒なことだったような気がした。
「そうですか、いけませんでしたか?」と、この男は、そのことが残念だったように、こういった。
そこに、亭主の五郎作が言葉を入れた。
「少将さまでしたら、手前もよくぞんじております。茶の師匠《ししよう》に連れられて、よくお屋敷へ伺いますから」
内蔵助は、二人が上野介の話を持ち出したのに、面倒なと思って幾分用心していたのだが、斎宮の話が過去のことだったのに比べて、五郎作の話が今も引き続いてあることのように響いたので、思わず目をあげた。
「師匠といわれると?」
「四方庵宗偏《しほうあんそうへん》先生で御座います」
「その方《かた》が……」
吉良の屋敷へといいかけて、内蔵助は、笑いにまぎらした。
「なるほど、お名前は存じておる。そうでしたか? 四方庵についておいでか」
斎宮も五郎作も内蔵助が必ず一挙を決行するものときめていて、それに好意を感じていることはあきらかだった。二人とも、間接の応援をおしまないのである。いや、そうしたくてたまらないというところが見えていた。
この有難すぎる好意の押売を内蔵助は、むざとは信じなかった。自分の口から滅多なことをいうまいと、最初からの慎しみをしまいまで徹《とお》してその日はだまって帰って来た。
丁度、堀部弥兵衛老人が、例によって、「まだか?」と催促《さいそく》を露骨に見せた顔付で、本所からわざわざ宿へ訪ねて来ていたが、この話を聞くと、
「そりゃア太夫が受けつけなかったのは大いによろしい。安兵衛をやりましょう、わが婿ながら決して軽率なことは致しますまい」と、いい出して、内蔵助がうなずくのを見て、すぐその足で安兵衛の家へ寄った。
「これこれの話じゃ。太夫は相変らず寛々《かんかん》たるものじゃ。代りにお前行きなさい。太夫はああいう人柄だから何もしまいし、またわれわれは何もさせないで置く方がいい。ぼんやりしているところがあの仁《じん》の値打ちじゃ」
「畏《かしこま》りました」
婿も楽しげに笑って答えた。
羽倉斎宮も五郎作も、折角あった内蔵助の態度にもどかしいものを感じていたのだ。そこへ若くてきびきびした安兵衛と知りあいになったことを大層よろこんで、内蔵助に話したことをかわるがわる繰り返して聞かせた。
「少将の屋敷で茶会のあるたびに行って少将の相手をするのが、四方庵宗匠で、左兵衛どのの師匠もしている筈だ。御分別になったら宜《よろ》しかろうと存じて、お話致す」
なるほど、これは露骨過ぎる親切で、安兵衛はまごついたが、うれしかった。またこの二人が信頼して大丈夫な人々だと見た。しかしこの男も無駄なことを決していわない。おとなしく、左様ですか、左様ですかというだけだった。その癖話題がほかのことに転じると、安兵衛は雄弁になる。さまざまのことに対するこの男の学識の深さや、いきいきとした見識がひらめいていた。
安兵衛が帰って行ってから、斎宮は、
「えらい男だ」と口を極めてほめた。
五郎作が、傍《かたわら》から、もと高田の馬場で、叔父の讐《かたき》を討って評判になったのは、あのひとだと説明した。安兵衛の風采《ふうさい》や挙動にはそんなものは感じられなかったことで、斎宮《いつき》は更に驚いて、またよろこんだ。斎宮が考えているこの豊葦原《とよあしはら》の瑞穂国《みずほのくに》の住人は、現在のように思想と行動とがまだ分解することなくて、思想人が直ちに行動する者だったのである。安兵衛の如きは、この偉大な祖先の血を最も多分に受けている者ではないか? この晩も暫く、斎宮のこの説を五郎作はきくことになった。
安兵衛はまた、その足で、内蔵助の宿を訪れた。二人の話をくわしく伝えて、
「誰か同志の者を四方庵へ入門させるようにしては如何でしょう」といった。
そこで内蔵助は、その人選について安兵衛の意見を求めた。
「幾分、心得のあるものでなければいけまいが……」
「大高子葉《おおたかしよう》。いかがで御座りましょう?」
「そうさ。わしもかれを第一に考えていた」と、この大将はいった。
呉服屋新兵衛になっている大高源吾が、早速呼び出されることになった。
若くて、夫|内匠頭《たくみのかみ》に死別した奥方は黒髪を切り、実家の浅野土佐守長澄の屋敷に引き取られて、貞淑な余世を過ごしていた。この花のさかりをあたら仏間にたれこめている清らかなひとの姿は、人々にいたいたしい感じを抱かせた。この人のさびしい日常を見て、せめてお子さまがおありだったらと人々は思うのだった。
けれど瑤泉院《ようせんいん》が、男まさりのけな気なこころをしていたことは、昨年の松の廊下の異変を最初に聞いた時のことでわかる。これを知らせて来たのは、今|左遷《させん》されて安芸《あき》へ行っている大学どのであった。この人は、兄が殿中でしたことを知ると、直ぐさま義姉《あね》のところへこれを知らせに来たのだ。
大学どのが、ひどくあわてていたのにかかわらず、姉は、却って、静かだった。事の真偽を知ろうとしたもののように、暫く無言で大学どのの顔を見詰めていてから、最初にこのひとがいった言葉は、
「相手のかたは、どなたでしたか? またその方は、その場でお果てなさいましたでしょうか?」というのだった。
姉の冷静な語気は、意外であったし、狼狽していた大学どのは、実際にそこまでの詳《くわ》しいことを知らなかったのだ。
「私はただ御老中からお沙汰があったので、屋敷の者が騒がぬように取急いで駈けつけてまいったわけで……」と、弁解らしくいうのを、
「おなさけない方でございます。あなたさまの実のお兄さまのことではございませんか?」と、たしなめた。
瑤泉院の、美しい顔には、血の色がさしていた。やさしいひとであるが、烈しい気性が隠れていて、いざとなると、是非をきっぱりときめて微温なことを許さなかった。大学どのと義絶同様のことになったのも、このことがあってからである。
夫のたった一人の弟であるし、この状態を続けていることは、子供もない瑤泉院を一層淋しく不幸にするもののように人々には考えられた。しかし、遂《つい》にこの不肖《ふしよう》の弟は、姉にゆるされることがなかったのである。実家へ移ってからの瑤泉院は、本能や感情を一つの意志で別に苦痛もなく規律した生活に安住した。このひとは一旦|嫁《とつ》いだ以上は夫とはなした自分の生活も考えられないのだった。そこで、夫が地下に移ってもなお、どこまでも加えている制縛をむしろよろこばしいものとして受けているし、そうしていて何の不自由も感じないのだった。
けれど、夫人のこのもの静かな生活に、内蔵助の濫行《らんぎよう》の噂《うわさ》がどんな波動を伝えたかを、側近の人々は知っていた。ある時、大石はたのむに足りなくても進藤や小山がいるから……と口に出していわれたことさえあった。内蔵助は無沙汰がちで快楽的な性格が段々信用をなくしたのである。大学どのがこのひとの心から逐《お》われたように内蔵助もまた斥《しりぞ》けられようとしている。内蔵助はこれを知っていたのかどうか、今度江戸へ来てからも、一般の世間に隠していたと同時に、まだこちらへも何の挨拶もないのだった。
十一月三十日になって、はじめて、落合与左衛門のところへ内蔵助から長文の手紙に書類一束つけて届けて来た。瑤泉院についている与左衛門に、奥方さまに御披露《ごひろう》を願うといって、二十九日付の手紙であった。
与左衛門が内蔵助から来た手紙を持って入って行くと、瑤泉院は仏間にいて朝のおつとめをしているところだった。風のない冬の冷たい静けさが、まだ薄暗い家の内にゆきわたっていて、沈んだ空気の中に珠数《じゆず》を揉《も》むさらさらという音が襖《ふすま》越しにきこえていた。与左衛門は袴《はかま》を折って行儀正しく控《ひか》えて、待った。こうしていて朝の畳の冷やかさが膝にのぼって来て、すこし風邪をひいていた与左衛門に寒さを感じさせた。老人の与左衛門を気の毒がって、老女がふとんを持って音のしないように入って来て、これをすすめてから、また影のように出て行った。しかし、ふとんは、与左衛門のせまく固めた膝の脇に置かれただけのことになっていた。
澄んだかねの音がきこえた。
侍女《じじよ》が入って行って与左衛門が来たことを伝えたらしく、
「爺《じい》かい?」という瑤泉院の声がした。
やがて、襖があいて、燈明のゆらめく仏壇の前から白い被布《ひふ》を着た身を起す姿が見えた。
「大層早く……」といった。
与左衛門は、畳につきそうにさげていた顔をあげて、
「御覧に入れたきものがござりまして、まかり越しました」
火桶《ひおけ》が出る。
「もっと炭を沢山《たくさん》」と侍女にいい付けて、瑤泉院は自分で火箸《ひばし》をとって炭をなおしてから、与左衛門にすすめた。
「今朝は大層冷える」
「左様にござりまする。昨晩も雪をもよおしていたように思いましたが、降りませぬので余計寒いようにござりまする」
与左衛門はこういいながら、手首にゆわえて持って来て膝の前に置いてあったふくさ包をほどいた。
「太夫《たゆう》から、手前へあててお手紙がござりまして、これを」といって、差し出したのは、部厚い紙包の方である。
「御前《ごぜん》へ差し上げるよう。なお、手前より仔細を申し上げるようにとのことでござりました」
「内蔵助から?」
瑤泉院《ようせんいん》はひくくこういった。こういった時、神々《こうごう》しいくらいに沈んでいた白い花のような顔に、かすかな表情が動いて影をさした。これは、内蔵助のために好意のあるものではなかった。
「あの男は、今どこにいますか?」
与左衛門は、この言葉に軽いさげすんだような響きを聞いて、目をあげた。その所作《しよさ》には、心中にある異議がひらめいているように見えた。
瑤泉院は静かに微笑《わら》った。
与左衛門は、膝を進めるばかりにして、いい出した。
「こちらにおいででいるように存じられまする。が、どことはおっしゃれぬと申すことにござります。さて、御前へ御披露申すことにござりまするが……これは、手前の口より申し上げまするよりは、おそれながら、あちらの、この手紙を、御披覧願いとう存じまする」と、つつんでいる強い感動に心持|顫《ふる》えている手で、自分にあてて届いた内蔵助の手紙を瑤泉院の前へ差し出した。
この間ずっと、与左衛門の様子を注意深く見まもっていた静かなまなざしは、畳の上の手紙の上に落ちた。この、ひっそりとした一瞬に、庭に日が差して来たらしく障子《しようじ》の裾《すそ》がぽっと明るくなった。
一筆啓上致し候。瑤泉院様ますます御機嫌よく御座なさるべくと恐悦し奉り候。大学様御事、芸州《げいしゆう》へ御引き取りなされ御気の毒に思し召させらるべくと恐察し奉り候。近頃是非に及ばざる次第に御座候。その後はわざと差控《さしひか》え、書状を以《もつ》て御機嫌相伺いもうさず候。貴様《あなたさま》いよいよ以て無事お勤めなさるべく珍重に存じ奉り候。
内蔵助の手紙の冒頭は、これであった。
瑤泉院《ようせんいん》は、次を読んだ。
去冬|御意《ぎよい》を得おき候とおり、去春赤穂において預かり候御金、去年以来、一儀の……一儀の…用事に差遣《さしつか》い申し候。様子委細帳面に相認め候とおりに御座候。さる三月十九日より金銀米の払い等、矢頭長助|勘定《かんじよう》いたし、委細帳面に相認め、人別《にんべつ》に請取手形等取り置かせ申し候。品々取り集め、このたび一所にこれを進じ候。
瑤泉院は、これまで読んでから再び「一儀の」の文字へ視線を返していた。何かしら胸のしんからわいて来るものがあった。鼓動《こどう》のはやまるのが感じられた。与左衛門が、そっと膝を動かしたのが、視野の外にぼんやりと感じられた。
右の余《あま》り金《きん》、去年六月四日より拙者《せつしや》手前へ預かり山科《やましな》へ持参仕り、段々払い出し候趣、帳面に記《しる》し置き候。毛頭自分用事につかい候儀御座なく候。委細帳面御引合せ候わば、御披見下さるべく候。小手形等も一所に封じ置き候。右の趣《おもむき》苦しからず候えば、瑤泉院さまへ委細御耳に立てられくださるべく候。去冬|貴様《あなたさま》へ御約束申し候に付、書付品々、この度これを進じ候。
大学様へ申し上ぐべくと存じ候えども、わざと差控え申し候間、御了簡の上、芸州様へ仰せ上げられ然るべく思し召され候わば、これまた宜しく願い奉り候。右預り候御金の内に、瑤泉院様御金の利銀、赤穂にて取り集め申し候分、五貫目余御座候。この段も去冬書面に申し候とおり大学様御出でなされ候わば、申し上げ進ぜられ候ように仕るべく存じまかり在り候えども、芸州へお越しなされ候に付、その儀なく、その上段々一儀の用事に不足申し候に付、右の御金さし遣い候間、この御金は私いずれも拝領仕り候同意に存じ奉り候間、いずれもへ下し置かれ候と思し召させられ下され候ように、憚《はばか》りながら宜しくお執成《とりなし》願い奉り候。委細、帳面に相認め置き候間、長助仕置き候帳面に御引合せ、一々御覧下され候えば明白に相知れ申すことに御座候……
ながい、長い手紙であった。
大野九郎兵衛の荷物を差押えてあったが、これは城主が変ったし、九郎兵衛が貧乏して困っているので、渡してやることにしたことまで、こまごまと認めて、この多事の時にあたってなお疎《おろそ》かにしなかった公金の出入を一々、請取《うけとり》をつけて出所を明らかにしたものだった。
それよりも、この手紙の追伸《ついしん》として認められてあった最後の項である。
このたび申し合せ候忠士の者ども、都合《つごう》五十人御座候。冷光院様御霊魂御照覧に相叶《あいかな》い候えかしと存じ奉り候までに御座候。
と、何でもないことに書いてあることだった。
瑤泉院は、急にその手紙で顔をうずめた。眉《まゆ》がこまかくふるえているのを、与左衛門が見た。
「そうであったか……」とふるえ声でいわれた。
白い頬に、涙のあとが光っている。与左衛門が平伏している間にさわやかなきぬずれの音が立って、仏間の方へ行った。顔をあげると、仏前にぬかずいていられるのが見えた。
大高源吾忠雄の呉服屋|新兵衛《しんべえ》は、内蔵助から命令があったとおり、早速|四方庵《しほうあん》の宗匠《そうしよう》をたずねて入門することにした。
四方庵山田|宗偏《そうへん》は千《せん》の宗旦《そうたん》に茶道を学んで利久《りきゆう》の正道を伝え、老中|小笠原佐渡守長重《おがさわらさどのかみながしげ》に抱えられて江戸では名声のあるひとだった。家は深川高橋にある。源吾がたずねて見ると、思ったより簡単に会うことが出来た。源吾は、京都の呉服屋で新兵衛という者だが、江戸へは商用でたびたび来るので、これから伺って御指南《ごしなん》を仰ぎたいと申し出た。
宗偏はこの呉服屋新兵衛という男の人柄が如何にもおおようで、人品があるのを見て指南を拒《こば》む理由を考えられなかった。雅遊《がゆう》の道には、四民の別はないのである。
「お安いことじゃ。及ばずながら御指南申そう」というのがその返事だった。
源吾はよろこんで、用意して来た、束修《そくしゆう》を置いて、その日は帰った。その束修も宗偏が上野介と同門で、しかも親しいということだし、殊に何でもはやくこのひとに取り入る必要があるというので、かなり沢山《たくさん》の金をつつんで来ていたのであるが、源吾が見たところでは宗偏は金銭上のことは恬淡《てんたん》な、まったく道に悠々と遊んでいて、弟子をとるのも楽しみでしているような人柄に見えてかえって、こちらに底意あることがはずかしく思われたくらいだった。
この最初の印象は、宗偏の側《がわ》からいっても、源吾の側からいっても、間違っていなかった。宗偏は、専門の道によって無我絶対の世界へ入っているひとだし、源吾の呉服屋新兵衛は、この道にも相当心得はあるし、なお俳諧《はいかい》の道によって、耳目《じもく》に触れる極めてこまかいことがらを通じて、その背後にあるひろびろとした世界をつかむことを体得している人で、凡庸《ぼんよう》の商人とは違っていた。二日三日と日を重ねている内に、この新らしい師弟はへだてなく心を結ぶことが出来るようである。源吾は、いつか高橋へ通うのを、つとめ以外の楽しみと思うようになりながら、同志から選ばれて来た任務を決して忘れていなかった。
吉良の名を宗偏の口から聞くことが出来たのは、入門してから半月とたたない十二月の初めのことであった。
いつもの稽古をすませて、源吾が礼をのべて帰ろうとすると、
「この次は、いつおいでになる?」と宗偏が尋ねた。
「明後日伺いたいと存じますが……」と源吾は答えた。
「明後日、五日ですな。おお五日ならばすこしお早めにおいで願おう。夕刻から私は松坂町の高家《こうけ》へ伺うことになっている。少将どのが私とは同門なので、あすこの茶会へは出来るだけ行くように致しておるから」というのだった。
五日、茶会。松坂町。
これらのことが一度に源吾のあたまに稲妻《いなずま》のようにひらめいていた。
茶会があるとは、当夜松坂町に上野介がいるということである。
源吾は、おどる胸を抑《おさ》えた。
「左様ならば、少々早目に伺うことに致しましょう」と、努めて何気ないように答えて、静かに立った。「しめた!」と、下様《しもざま》に叫んでおどり上りたいところであった。
瑤泉院《ようせんいん》付の落合与左衛門に手紙を送って公金の始末をした内蔵助は、どんなことがあっても年内に一挙を決行しようとする覚悟も、また、その可能の見込みもつけていたのである。大高源吾が四方庵から得た情報をもたらして来た前日、一党を深川八幡前《ふかがわはちまんまえ》のある茶屋に呼び集めたのも、この時にあたって更に同志の結束をかため、討入り当夜の心得をよく申し合せて置きたいからであった。
その夕方江戸の町を吹き荒れていた木枯しは黄いろい埃を夕日の空にあげていた。その上には、かたく凍った藍色《あいいろ》の空が高く冷たくさえている。内蔵助が、主税《ちから》、十内《じゆうない》などと渡しを渡って来ると、大川の水は縦横にしわを寄せて、舟にあたっては飛沫《ひまつ》を散らすのだった。舟を捨てて狭い深川の往来を歩いている内に夜が来た。話をして置いた茶屋というのは、八幡の門前ですぐ外に暗い海が来ているところである。内蔵助たちが入って行くと、もう同志の者が多勢《おおぜい》集まって、火鉢をかこんで待っていたところだった。武士もいるが、町医《まちい》らしい男がいる。町人にばけている者がいる。見たところは雑多な階級、種々の職業の者が一堂に集まった会合だった。あらかじめ、こうなることはわかっていたので、女房役の小野寺十内から茶屋の方へ、たのもし講《こう》取り立ての初会だと告げてある。たのもし講は当時の流行《はやり》だったし、これなら怪しまれる筈はなかったのである。
木枯しは息をついては暗い天井の上を吹いて通った。そのたびに戸障子のすき間を漏《も》れる風に、燭台《しよくだい》の灯が息をついた。しかし座の空気はあかるくて、人々が静粛《せいしゆく》にしているくせになんとなく賑やかだった。
小野寺十内老人は、幹事役として出席者の顔を見て一々同志の名簿にしるしをつけて行った。その間にも二人三人と連れ立って入って来る。堀部弥兵衛老人が遅ればせに、姿を見せたのを最後に、申し渡してあった時刻が来た。
玄関まで出ていた十内はまだしるしのつけていない名前を見て心配していた。五人ばかり姿を見せないのである。ただ、これは、もっと善意に何か遅参の理由を考えてやるべきだった。場所がよくわからないとか、あるいは途中の事故《じこ》を。
そこへ毛利小平太が出て来て、密談中の外の警戒のことで相談した。無論障子はあけはなしてなお外に見張りをたてなければいけないというので、その人選についてである。これには、小平太と武林唯七と富森助右衛門があたることになって、小平太はこれを内蔵助へ告げに行った。
「いや、それは、別に人を頼んであるから」と、内蔵助はいった。
「今夜は同志の者は誰も席を離れてもらいたくない。しかし、その連中が来ているかどうか一応見て来させようか」
こういって、末席《ばつせき》に控えていた寺坂吉《てらさかきち》右衛門《えもん》に目くばせして呼んだ。
「津軽《つがる》の隠居《いんきよ》が人を寄越している筈だが、見て来てくれ」
吉右衛門は、すぐと、風のひゅうひゅう吹いている外の闇の中へ出て行った。
外へ出ると、松原があって、その向うに暗い海が騒いでいるのが気配に知れる。吉右衛門は砂地を踏んで茶屋の塀外《へいそと》を廻りながら、あたりの闇をのぞいて見た。
それを見て、のっそりと海坊主《うみぼうず》のように大きく出て来たのは、大石無人《おおいしむにん》だった。
「寺坂か?」
「は」
吉右衛門は、無人が気軽く自分でやって来たのに恐縮した。約束は、若い血気さかんな人々を寄越してくれることだったのである。
この木枯しの晩に、御自分でおいで下さったとは何とも恐れ入りました、と吉右衛門はいった。
「若い連中に任《まか》せて置くのでは、心もとない」と、無人は、笑った。
「どうだ、皆、揃ったか? 太夫《たゆう》に宜しくいってくれ。外のことは、誰が来ようと引き受けたからな、親船へ乗った気でいてもらいたいものだ。私も一巡したら帰るから皆には会うまい」
こういって、秋の中頃から後は店をたたんで今は人のいない茶屋の中へ、のっそりと入って行った。
烏賊《いか》を焼く匂いがしている。無人の連れた鎌髯奴《かまひげやつこ》がそこで酒を暖めて待っているのだった。この御隠居の相変らずな元気に、吉右衛門は微笑を感じながら歩いて行った。
間もなく、宍戸寅之助《ししどとらのすけ》が頭巾《ずきん》を目深《まぶか》にかぶって、三人連れで歩いて来るのに遭《あ》った。
「やあ、吉右衛門か……堀部に宜敷《よろし》くいってくれ。外は、われわれで蟻一匹《ありいつぴき》でも通しはしないぞ」
寅之助は元気だった。
「御苦労さまで御座います」
吉右衛門は腰をかがめて通り過ぎた。
なんたる方々だろうと思うのだった。これは身分の軽い吉右衛門に、何といっても勢いのいいところへ従う小者らしい小心な気持があったせいだけではない。世間の秩序に背《そむ》き法の外に動こうとする者にとって、仲間以外の、それこそ世間の一部に、自分たちの行動を是認《ぜにん》して力を入れてくれる人々があるのは、いうばかりなく力強く思われることだった。
吉右衛門は、玄関にいる十内に無人たちが来ていることを知らせた。十内は丁度片岡源五右衛門と何か難しい顔をして話していたところで、
「太夫へ申し上げてくれ」と簡単にいっただけで、すぐと、また名簿を覗き込んだ源五右衛門と話し続けた。
「仕方がないだろう? いつまで待ってもいられない」
「むむ、五人か……今になって腹の立つことだな。五十五人は確実だと思っていたのだ」
こんな会話が吉右衛門の後ろで聞えた。
源五右衛門は吉右衛門の立ち去るのを待って、声をひくくしていった。
「小山田は駄目だと思っていた。誰にもいうまいと思っていたが、あれは私の留守中に来て手箱から無断で金を持って帰った男だ」
「そりゃア賊ではないか」
「賊……とはきめたくないが……一時の心の迷いとしても、武士たる者がなさけないことをするものだ。しかし、これは他言無用ですぞ。こんなことにこだわってもらいたくない。何をしても、いざという時に来てさえくれればいいのだ」
「そりゃア違う。きたない奴は同心の恥だ。いや、行こうか。一同が待っているだろう」
十内は、憂鬱に首を振って、はたと、名簿をとざした。二人は、揃って座敷へ戻った。
内蔵助は十内が示した不参者の氏名を眉《まゆ》一つ動かさず見た。ただ見ただけで、これに批評らしいことは何もいわずに、
「では、はじめようかな?」と、にこにこして見廻した。
どちらを向いても、同心の者のひき緊った顔付と熱心な目が見えた。堀部弥兵衛のような老人も、また矢頭《やとう》右衛《え》門七《もしち》や主税のような若者も何か荘厳《そうごん》な心持にとらわれて、粛然《しゆくぜん》と居流《いなが》れているのだった。
「いよいよ年も押し詰まってまいった」
内蔵助は、いつもの低い声で話しはじめた。ぽつりぽつりと、幾たびもつまずきながらも、意味は一貫して太い線をなして、人々の胸をつらぬく話し振りであった。
「われわれの方のことも段々と目鼻がつきかけて来たようである。遅くとも年内、あるいは明日にもそのことがないとはいえない。そこで方々も、拙者から命令のあり次第、いつでも即刻立てるようにして置いていただきたい。今日から同志の人々に勝手な行動は厳禁して置く。どこへ行くのも、戦友と連絡をとって、間違いないようにしたい。いわばわれわれは自分のいのちをお上に捧げたので、お上のいのちはあっても自分のいのちはないわけである。今日からは方々《かたがた》に命令するのは内蔵助である。この命令には一言の異議を許さない。事の成るも成らぬも、同志の一体としての統制の強弱によるからである」
大方はぴたりと水をうったように静かに、この断乎たる口調で物をいっている統領の山のように重々しい姿を見つめているだけであった。赤穂でも山科でも、このひとはいつも寛々《かんかん》としていて、どちらかといえば話の成行きを冷静に見届けて、さて自分の意見を告げる……といったような如何にもゆっくりした態度で、いつでも昼あんどんの歯がゆさを残していたのだ。このひとが、こんなに圧倒的に物をいうのは初めてであった。動き始めた装甲《そうこう》列車である。たとい速度は緩慢《かんまん》なものであっても、軌道《きどう》は明確にさだまっているし、なお、その勢いは誰が何としても遮《さえぎ》りえない重圧を持っている。人々はただこれについて行けばいいのである。この安心と信頼とがあった。
「われわれの態度は、過日の起請文《きしようもん》の前書にあきらかである。今日は討入り当夜の心得を認《したた》めたものをお分ちするからこれを厳重に守ってもらいたい。この心得の覚えは、起請文の前書とともにわれわれの行動を規律するものである。これに違背《いはい》するものは臆病者卑怯者と見なければならぬ」
きっぱりと内蔵助はこういってから、十内をかえり見た。
十内はかねて幾枚かに書写《かきうつ》して置いた討入り当夜の心得の覚えを、五人に一枚ぐらいの割合で人々の前に置いた。
人々が、暗いあんどんのそばに寄って、その覚書《おぼえがき》を黙読している間に、ひゅうひゅうと、外に風は吹きあれて、戸障子をゆさぶり続けた。この木枯しの音を誰が忘れよう? また、恐らく一と月と残っていないこの年内に、いのちを果てようとするかれ等ではあった。
この、「人々心得」と題してある十三か条を一同は黙読した。
以下は、その明文の意訳である。
一、日がきまったならば、かねて定めのとおり、前日の夜中、その前にきめる三か所へ静粛に集まること。
二、当日は、予《あらかじ》め決定し申し渡す刻限を守って打ち立つべきこと。
三、敵《かたき》の首《しるし》を揚げたらば、引揚げの場所へ持って行くのであるから、その首尾《しゆび》によって敵の死体の上着を剥《は》いで包んで持つこと。見分の役人に出会った時は丁寧《ていねい》に挨拶して「これは亡君の墓へ持って行きたいのであるが、お許しがないならば致し方ないことである。ただこれは地位のある人の首であるから捨てるわけにも行かない。先方へお返しくださるか。如何《いかが》なりともお指図《さしず》願いたい」と答えるようにして役人の言い分に反抗してはいけない。首尾さえよかったら、首は泉岳寺《せんがくじ》へ御持参し御墓所《ごぼしよ》へ供えるのである。
四、子息《しそく》左兵衛《さひようえ》の首を取ったら外へ持って出るには及ばない。
五、味方《みかた》に怪我人《けがにん》が出たら扶《たす》けて外へ連れ出すこと、肩に掛けて運び出せないような重傷の者は介錯《かいしやく》してから出ること。
六、敵の父子《おやこ》を討ち取ったらば、相図《あいず》の呼《よ》び笛《こ》を吹いて、一同が集まるように計らうこと。
七、引揚げの相図には銅鑼《どら》を鳴らすことにきめておく。
八、引揚げは、無縁寺《むえんでら》の寺内へ一度集まってからにする。この寺内へ入れないような時は両国橋の東詰に集まって待つこと。
九、引揚げの折に、あの近所の屋敷から人数《にんず》を出して留める者があった時は、先ず実を告げ、自分達は逃げ隠れするのではない、無縁寺へ一旦引揚げてからお上の検分使を迎え委細を申し上げる覚悟である。御疑念あらば寺まで一緒に来ていただきたい。われわれは一人たりとも決して逃げようとはしないと挨拶すること。
十、敵側から追手がかかった時は、踏み留って勝負すること。
十一、本懐《ほんかい》を遂《と》げる前に上役人が来た時は門をしめ、一人だけ腰門《くぐり》から出て挨拶する。その時は、もう讐《かたき》を討ったといい、生き残った人数をまとめて御下知に従う旨《むね》を申し出でる。万一開門しろと仰せがあった時は、やはり門をあけないで、何様同志の者が邸内に散らばっていることで混雑の際如何な無礼がないとも限らない。ただ今直ぐ、一同を呼び集めるからと丁寧に断って、断じて開門してはならない。
十二、引揚げの折の出口は裏門である。
十三、以上は、主として引揚げの際についての心得をいったのである。討入りの際の覚悟は、きまりきったことで特にいう必要もない。引揚げの時の工夫ばかり頭に持っていて、進む時これにわずらわされてはならない。引揚げたところで生命はどっちみち覚束《おぼつか》ないわれわれである。討入りの覚悟は死を必然と見て、充分なる働きをすることである。
[#地付き]以上
別に付則《ふそく》一条があった。
討入りの際は、用意の書付を文箱《ふばこ》に入れ竹にはさんでその場に立てるほか、指揮者六、七人を選んで懐中させて置く予定である。――
これは、一味の趣意書のことであった。
内蔵助が引揚げのことに、こんなに大事を取っているとは意外と感じられないことはない。すでに起請文前書《きしようもんまえがき》の第四条にもこのことがいってあった。
上野介どの充分に討ち取り候とも、めいめいに一命のがるべき覚悟これなき上は、一同に申し合せ候うて散り散りに罷《まか》り成《な》るまじく候。手負の者これ有るにおいては、互いに助け合い、その場に集まり申すべきこと。
この一か条が、当夜討ち入った上は、功の深浅は誰も平等であって、上野介どのの首を揚げた者も単に一とおりの警固《けいご》の働きをした者も同じように見るべきであると定め、また、多人数の同志の中に多少個人的に不快なこともありえようが、左様なことは同志全体の利益のために捨て、「不快の心底これある仁たりというとも、働きの節互いに助け合い、急を見継《みつ》ぎ、勝利の全きところを専《もつぱら》に相働くべきこと」などというかなり重要な条件と肩を並べ、神文《しんもん》の中に加えられていたのである。要は、敵の首を取るかどうかである。なぜ、太夫《たゆう》は、当夜の心得の全部をこのことの規定で埋めたのであろう? 多勢の同志中、半数はこれを不審に思ったらしかった。
「御理解あったことと思う」
内蔵助はこういって出て、一同の注意を集めた。
「しかし、ここに二つの重大な問題が残されている。これは存じ寄《よ》る旨《むね》があって、この心得の覚え中には掲《かか》げなかった。これについて、自分の意見が即ち命令である。ほかの場合におけるような最早異議を許さない。御一同は、この意見に全面的に従うか、あるいは脱退するかである」
重い口調で、きっぱりとこう告げた。
「その一つは、すでに討入り不幸にして敵を獲ぬ場合である。この際は、一党はその地を去らず邸内において切腹し相果てること。これである」
座は、水を打ったように静かだった。一言の異議を許さないというこの厳格な命令も、むしろ当然の助けとうなずくことが出来たのである。
次に内蔵助はいった。
「第二の点は、事前に同志中の一人または数人が逮捕《たいほ》された場合である。これは、われわれが努めて秘密に策動していながら、かなり公然のことになっているので、これに付随《ふずい》して、ないとはいえないことである。殊に御公儀はわれ等と立場を別にしているからである。その場合の覚悟は」
内蔵助は、一座を見廻した。
「一同打ち揃って名乗り出で、赤穂退去以来の顛末《てんまつ》を逐一《ちくいち》ありのままにのべ、われ等一党の微衷《びちゆう》のあるところを明らかにして、公儀の御処分にまかせることである」
何だ?
人々は打たれたように動いた。
太夫は何をいわれるのだ?
これまで苦心|惨憺《さんたん》して来た一人二人の同志が召し捕られ訊問《じんもん》されたからといって、一挙を捨てるのか?
馬鹿な!
異議は許さぬといわれていたから、息苦しく人々はだまっていた。しかし、不満は座にみなぎり、火を引いて次の瞬間に爆発しようとしているのが、あきらかに見えた。
「命令である」
内蔵助は、横暴と思われた静かな態度でいった。辞色《じしよく》も極めて静かなものだった。
「不審はあるだろう。私も、この点には随分と頭を悩ました。しかし、これでいいのである」
静かに内蔵助は、語調を改めた。
「これは、われ等の志すところが、ただ、一人の白髪頭《しらがあたま》の老人の首をとるということではないからである。上野介どのはただ当面の手段として表面に現れているに過ぎない。我々は亡君の御意趣《ごいしゆ》を継ぐのである。御一同も、去る年三月十五日松の廊下の御事が亡君の御短慮によるものとお考えになるものはあるまい。ただ上野介どのを刺せばそれでよいと君は思《おぼ》し召されたか? いや違う。亡君は、上野介どのを殿中に刺すことによって、天下に向けて鬱積《うつせき》していた御不平を漏らそうとせられたのである。
私は、当時|側近《そつきん》に従っていた片岡、武林その他の人々からこの間の御消息をあきらかにすることを得た。上野介の白髪首などは問題ではないのである。亡君が、このことを明確に意識していられたかどうかも問題ではない。君をしてあのことあらしめた機運がそれであったとはっきりといえるのである。
この御意趣をわれわれは継ぐのである。目標を上野介どのに置いたのは、それが順当のみちだからであって、ただ一片の復讐ではない。
敵はその背後のものである。
われわれ亡君の御意趣を継ぐ者は、亡君が御一個として天下に示そうとなされた御異議を、一団体を作って全身全力を挙げて叩《たた》き付けるのである。私が引揚げのことに、殊に力を入れたのもそのためである。よし上野介どのを討ち損じるとしても、われわれの考える武士的な行動が整然たる統制と規律とを以て最後まで続けられれば、目的の大半は達せられたと極言出来るのである。同時に今私が命令した同志中の一両人が逮捕《たいほ》せられた場合についても、この心持である。われわれは身を殺すことによって、亡君の御意趣を天下に明らかにするのである。手段に、積極消極の差異はあっても、なすところは同じである。われわれの存在そのものが、天下、御公儀に向けての反抗、大異議だからである。亡君の御意趣だからである」
内蔵助の心底はこれである。
かかるがゆえにこの命令をする。この信条に従い得ず単純な復讐としてのみ一挙に志す人々に去れというのも同じ理由からである。五十人の同志が二十人、三十人となるとも、一党の統制のために、また一挙を指導する高き動機を守るために、内蔵助はそれもやむを得ざることと思う。
「異議のある方は退席してもらいたい」
誰が立って出よう? 人々は、座に押し付けられたようにぴたりと坐っていた。この人であった! と、自分が選んだ統領の、山の如く動かぬ大自信の姿に胸を動かされたのだった。水を打ったような静けさが、木枯しの底にあるこの一部屋を占め、暗い天井に屋根の上から冬の星のつめたいまたたきが感じられるのだった。
内蔵助と吉田忠左衛門の目が合った。忠左衛門の目は、「宜しゅう御座います」と語っている。内蔵助も、乗り切ったなという感じから、ほっと思ったところだった。
誰も、心の底から信頼している太夫であったから、このひとの統制の下に働くことに異議はなかった。このひとは一党の目なのである。この目は、自分たちが見るより遠く遥《はる》かなものを眺めていたのである。内蔵助に幾分の不平を感じていた者もにわかに眼界のひらけるのを見た。一挙の目標はそれに立てられた。同志の者は、組織せられた一団として進めばよいのである。
この一夜の会議は、一同の希望の光を明るくして散会した。内蔵助は遅くも年内に決行する予定と断言したのである。上野介がいくら居所をどう晦まそうが、十五日または大《おお》晦日《みそか》の両日はほかの日でないから本所にいるだろう。やむを得ずんば、この二日の内のどちらかにきめようとまで、内蔵助はほのめかしていたのだった。大高源吾の呉服屋新兵衛が、四方庵の宗匠から得た情報を知らせて来たのは、実に、この会議の翌日のことであった。
五日夜在宅。
内蔵助がいる石町《こくちよう》の本陣は俄《にわか》に色めき立った。五日といえば、一日おいた明後日のことである。各自準備は出来ているとはいうものの、足下から鳥の立つように急な話だった。いつも、もの静かな小野寺老人も吉田忠左衛門も、落着かない様子で、内蔵助の命令を待っていた。命令さえあったら直ぐと人を走らせ自分も駈け廻って、市中に散らばっている同志の者に檄《げき》を伝えなければならないのだった。
内蔵助は、自分の居間で、坐ったまま逸《はや》る胸を抑《おさ》えて考え込んでいた。
「やれい!」と叫んで、飛び上りたい心持があった。命令をくだせば、是非善悪にかかわらず同志の最終の行動が、崖から重い岩を転がし落したように最早止めようとしても止まらぬ勢いで、起されるのがわかっていた。内蔵助は、源吾から最初にこの話を聞いた瞬間に、直覚的に頭にひらめいた影のことを考えている。
信じてよいか?
何か、一挙の成功を妨《さまた》げるような事情が生ずることはないか? 今日の、明後日のことである。もやもやした雲のようなものが頭の中にある。
(真面目に考えてはいけない。ばくちなのだ。のるかそるか、だ)
その直覚のことであった。われながら今日は決断を下すのに臆病である。
十内、忠左衛門、源吾が集まって待ちこがれているところへ、内蔵助は、やがて、のっそりと姿を現した。
「明日の晩まで待とう。それからでも結構間に合う」
三人は、内蔵助の顔を見詰めた。
内蔵助は、さげて来た煙管《きせる》へ十内の煙草をもらって、喫《す》い始めた。
「本所の方からは何もいって来ないか?」といった。
「来ません」と、十内が答えた。
「では、大切な時だから、人の出入りに漏れなく目を付けているように命令してください。それから、堀部にいって、三十間堀へ行って、あの方角から様子を聞き取って直ぐこちらへ知らせてもらうことにしよう」
「畏《かしこ》まりました」
例の如く気軽く十内は腰を上げて外出の支度にかかった。安兵衛のところへ源吾が廻る事になって二人は連れ立って出て行った。
二人だけのこって、内蔵助も忠左衛門も火桶を隔てて、ずっと無言で、めいめいの心の動きを追っていた。内蔵助は、五日の晩はだめだろうと、理由なく考えるように成っていた。
前原伊助、神崎与五郎は、夜更《よふ》けてたずねて来た十内から命令を受けると、直ぐに出動した。
今夜一晩様子を見て、明夜決行するか否かをきめるというのだから、実に重大な任務であった。表門には伊助が、裏門には与五郎が、立ち止っていられないような骨にしみる寒さをこらえて、あてのない監視を続けた。
誰かすぐ代りのものを寄越すから、といって十内老人は、風のない夜闇の中へ姿を消した。それから冬の往来は、高くさえかえる星空の下に、時折凍った土の上に鳴る通行人の足音を聞かせて、ひっそりとした。
何事もなく夜があけてくれればいいと念ずることは、伊助も与五郎も同じであった。そうなってくれれば、しめたものである。明夜討入りだ……こう考えることは夢のように思われた。ながいながい一か年半の月日であった。禄をいただいて平穏に暮していた頃の十年二十年にあたりはしまいか? よくぞ辛抱して待ったものである。おさえている興奮が、与五郎の小豆屋《あずきや》善兵衛《ぜんべえ》の胸をとらえた。天水桶《てんすいおけ》の蔭にうずくまり、裾《すそ》にかぎ寄る犬の頭をなでながらも、これまでのさまざまのことが動く影を頭の中に投げていた。
と、この夜の寂寞《せきばく》たるなかに、人の足音が聞えた。これが、今こちらが目をはなしていても心をつけている吉良の屋敷の裏門内に聞えるのを知って、与五郎は、立ち上って、わざと、門の前を横切って通った。
丁度|腰門《くぐり》をあけて、外をのぞいた男がいて、与五郎を見て、あやしんでじっと見ているらしかった。
平気で与五郎は通り過ぎた。
その男が出て来てとがめるかと思っていたのだが、こちらの平気すぎるのと、暗いので別に怪しまれることもなく終った。しかし、その男が、外へ出るのでもなく、首を出してのぞいただけで、また引っ込んだのが、与五郎にははっと思わせるものがあった。果して、それとは見せず先へ歩いて行く内に、うしろで、ぎーっと、裏門のひらきを開ける音が聞えた。
駕籠《かご》だ!
与五郎は、こう直覚して、傍《そば》の黒板塀《くろいたべい》にぴたりと身を寄せた。
吉良邸の裏門から、灯影がこぼれてやがて提灯《ちようちん》が見え、黒い駕籠をかつぎ出したのが見えた。
与五郎は胸をおどらせた。
(逃げるな)と感じた。
しかし、上野介が乗っているものにしては、供がすくなすぎる。
違うか?
聞えた臆病者のかれが、こんな手薄い供廻りで外出する筈がない。
与五郎は迷いながら、駕籠の中の人間が上野介だと思う最初の臆断《おくだん》を捨てなかった。さとられぬように走って表門の方へ廻ると、路地に隠れていた伊助が、
「おい」と真暗な中から声をかけて来た。
「どうした?」
「少将らしいのだ。駕籠で出て来た」
「むむ」
伊助も目を光らした。
直ぐと、二人は裾を端折《はしよ》って廻り途をして駈《か》け出した。
こういう時のために、市中と川を隔てている本所は都合《つごう》よかった。与五郎も伊助も、大川端まで出て、ほっと一息した。見晴らしのきく川端に出さえすれば、市中に入る駕籠を看過《みすご》す筈はないのである。
二人は、川上と川下へ分れて、伊助の米屋は川上の両国橋の袂《たもと》まで行って、石崖を下の洲《す》へ飛びおり、駕籠の来るのを待っていた。
駕籠は来た。
なるほど、供は二人きりいない。
しかし、伊助が橋の中ごろまで見送っている内に、いそぎ足で駕籠のあとを追って行く者があった。
二人である。
どちらも中小姓らしい。
駕籠との間は半町ばかり隔たっているが、供に加わるものだと知れた。
追っ駈けて来た与五郎も、洲に降りてそばへ来た。
「どうだ?」
「少将だ……と思う。もうすこし、つけて行って見届けた方がいい」
二人は、油断なく、あたりに心をくばって石崖の上へ出た。
橋を駈け渡って、間もなく駕籠に近付いて見ると、あきれたことには、三人か四人かと見ていた供廻りが、いつの間にか十人を越えて厳重に駕籠をかこんで護衛していることだった。どこから廻って、馳《は》せ集まって来たかは別の問題である。駕籠の中の人が、上野介か左兵衛《さひようえ》のいずれかだということは、最早疑う余地がなかった。
二人はすぐと打ち合せて、与五郎が内蔵助のところへこれを知らせ、伊助が駕籠をどこまでも尾行することにきめた。
与五郎が、石町《こくちよう》へ行って十内にこのことを話していると、内蔵助も出て来て聞いた。
「我々の計画をさとって逃げたものでは御座いますまいか?」
与五郎は、この最初からの不安な疑いを口にして、内蔵助の顔を見た。
「さあ」
内蔵助もむずかしい顔色になって、口をきっと一文字に結んだ。
それが、緩《ゆる》んだ時、
「まず、明夜は、これで駄目になったな」といった。
十内も与五郎も無言でいた。
このまま上野介が上杉の屋敷へ隠れてしまうのではないか? この、前々からの危惧《きぐ》が一様に三人の胸を抑え付けた。しかし、これは敵側に年内に決行と決議したことが嗅《か》ぎ付《つ》けられない限り、急にそのことがあろうとも思われないことだ。
三人が三人、一昨夜の密議の内容が外部へ漏れようとは信じられない。これは三百人から五十人までに切り詰められ、撰《え》られた同志中に、なお裏切者がいると見るよりほかに、あり得ないことだった。
内蔵助は話題を転じた。
例によってこの男は、「待て、待て」というような、ゆったりした心持に戻ったらしい。与五郎も十内も、不安をつつんで、伊助が戻るのを待ちながら、世間ばなしに誘い入れられた。
間もなく誰か、外から入って来た音がした。
伊助と信じて、十内が立って行くと、これは堀部安兵衛だった。
「太夫は、お寝《やす》みか?」と安兵衛はいった。
安兵衛は、三十間堀の中島五郎作をたよって明夜の様子を捜《さぐ》る任を受けていたので、その情報は人々が待っていたものだった。
「明夜は駄目になりました」と、安兵衛は告げた。
「将軍家が柳沢どのお屋敷へお成になるほかに、四方庵《しほうあん》の令息の病気が重体となったので、宗匠《そうしよう》から参会を断ったということですから、吉良家の催しも自然延期になったのです」
「そうか?」と、内蔵助はほっとしたらしかった。
「それでよく様子がわかった。いや、御苦労でした」といって、こちらから与五郎の報告を、かいつまんで安兵衛に聞かした。その話がすむと、
「すると、我々の方も延期ですな」と、十内が膝頭を抑えて立ち上って、茶を入れにかかった。
「そうだ、あぶないところだったな。こういうことがむずかしいのだ」
内蔵助は落胆をつつんでこういって、伊助が来たら呼んでくれといって自分の部屋へ戻って行った。
伊助が来たのは、もう朝に近かった。伊助の報告によると、上野介はやはり上杉の屋敷へ行ったものだった。
伊助は、医者らしい男が門から出て来たのを見たし、やはり綱憲《つなのり》の病気が原因で急に上野介が行ったものらしいと話したので、人々はいくらか安心した。その頃になると、遅い冬の朝もすっかり明けて、屋根で雀《すずめ》がさえずり始めた。
「とうとう夜あかしでしたね」といって、十内が行燈《あんどん》を消して雨戸をあけた。
朝の空気は冷たく凍っていて、外は、庭の石も屋根も霜《しも》で真白である。遠くない魚《うお》河岸《がし》を中心にして、漸《ようや》く眠りから醒《さ》めた市《まち》は、遠い響きを送りはじめている。近所で普請《ふしん》をしているところがあると見えて、もう焚火《たきび》の燃える音に賑やかな話声が聞えた。この寒さで、大工たちが木片《こつぱ》を集め火をたいて暖を取っていると見える。
さて、この部屋に集まっていた人々はこれから眠るのだった。
「じゃアまた……」といって、皆が目を見合せて微笑した。安兵衛をはじめ、伊助、与五郎は連れ立って外へ出た。
「一番落胆するのは大高だろう」と安兵衛はいった。
伊助も与五郎も目を笑わせただけで無言でいた。口をきけば余計寒いような気がするだけでなく、二人とも相当に失望していたので物をいうのが大儀だった。
十二月も五日である。残すところは二十五日だった。
大高源吾の呉服屋新兵衛が俳人の其角《きかく》に会ったのは、この四、五日後に曇天《どんてん》の掘割《ほりわり》の岸を歩いている時であった。源吾は四方庵の息子の病気を見舞いに行っての帰りであったが、その後別段にこれという好い手がかりもなくからだが閑《ひま》なところから、あてもなく掘割に沿って、ぶらぶら歩き出したのだった。源吾は深川へ通うようになってから、木場《きば》あたりの掘割の眺めにひどく心を惹《ひ》かれるようになっていた。殊《こと》に曇天の日に動くともなく止っている水の色や、動かぬもやい舟の姿や、冷たい鼠色をしている石崖の美しい沈黙には、今まで自分が気のつかなかった自然の詩情が心を打つのだった。
硬い土の上をからころと通る、素足《すあし》の女の下駄《げた》の音も、また木の香の中に動いている木場人足の声も、この、つめたい天地の中にだき込まれていて、狭い掘割に流れて来る菜やいもの尻尾にも、悠久なものの中に小さくうごめいている人間というものの営《いとな》みを、しみじみと感じさせられるのである。
源吾は、若い時から俳諧《はいかい》をやっている。これは、実世間での生活を一方に持っているひとには当然のことで、はじめはただ閑の時の楽しみにはじめたものであったが、いじくっている内に、この戯《たわむ》れが実は遊びであって、生活と遊びとはっきり区別してはじめたことが、いつか真剣に向わずにはいられない心持にひき込まれて来たのだった。源吾の目の前には俳諧を通じて見た世界と、日々の実生活で触れている散文的な世界と二つのものがあった。理想をいえば源吾は、俳諧を通じて見た世界に移って閑寂《かんじやく》の中に住むように精進《しようじん》したかったのであるが、片方の、武士としての境涯《きようがい》がその繁雑や、うとましい作法を嫌いながら、永年の習慣もあって払い落すことは出来ないのだった。せめて、心持だけは一つの世界に住んで、しかも煩《わずら》わしい浮世に向おう……日常の極く極く平凡なことに、その裏に隠れたひろい世界の心をつかむようにして暮そうということに志したが、これとても却《かえ》って考えるだけでなかなか出来ないことだった。浮世は一つの根強い水の流れのようなもので、知らぬ間に人は押し流されている。この水の流れの全幅《ぜんぷく》を眺めていることは、水より外へ出て、すっかり他人になるほかは、所詮《しよせん》出来ないことらしかった。強い流れの力は人を巻き込むから、いつも水面へ首を出しているというには特別の技倆がいるのである。
水の流れは子葉大高源吾を押し流して、復讐の人数の一人として、今、江戸の深川の掘割の岸へ置いている。
久しい前に源吾が母へあてた手紙に書いた文句がある。
私こと、このたび江戸へ下り申す存念、かねてもお物語り申し上げ候通り一筋に殿様お憤《いきどお》りを散じ奉り、お家の御恥辱をそそぎ申したく一筋にて御座候。勿論大勢の御家来にて御座候えば、いかほどかいかほどか御厚恩の侍も御座候ところ、さして御懇意《ごこんい》にも遊ばし下されず、人並の私儀にて御座候えば、この節たいていに忠をも存じながらえ候て、そもじ様お存命の間御養育仕りまかり在り候ても、世の譏《そし》り有まじきわれ等にて御座候えども、なまじいにお側近き御奉公相つとめ御尊顔拝し奉り候|朝暮《ちようぼ》の儀今以て忘れ奉らず……御運の尽きられ候とは申しながら無念至極、恐れながらその時の御心底|推《お》しはかり奉り候えば、骨髄《こつずい》に透《とお》り候て、一日片時も安き心御座なく候。
その無念と思う感情が、源吾をここまで連れて来た。冬の掘割のしんとした景色を眺めながら、源吾は、遂に水に溺れた自分を、かすかに憂鬱な心持で振り返っているのだった。
さればといって、復讐の同志に加わったことを悔《く》いているのではなかった。源吾は自分が来るところへ来たと信じている。これは亡君の死を純粋に無念に感じたためであることは勿論だが、それとは別に自分にある俗人的の性向が、先年物故した芭蕉翁《ばしようおう》のように道に専念して寂《さ》びの境地に没入することを妨《さまた》げているのを悟っていたせいもある。そう考えることが、淋しいような気持にさせていたのも事実である。
「子葉子」
急に源吾は誰かにこう呼び止められた。
その声は、源吾が、心に浮んで来るさまざまの思案に溺れて、ぼんやりと見るともなく見ていた川水の上に影のように静かに入って来た屋根舟から聞えたのである。宗匠頭巾《そうしようずきん》をかぶった男が船房《せんぼう》の障子をあけて笑顔を見せて招いているのだった。
源吾には、俳諧の友達で、当時江戸に高名の其角《きかく》だった。
「これは」と、源吾もつかつかと川縁《かわべり》まで出た。其角はそのすぐ下で舟をとめさせ自分は船房からはい出して来て、舳先《へさき》に立った。
「珍しいひとに会うものだ。服装《なり》が変っているから、ひょっとして、こりゃア人違いじゃないかと思いましたよ。それにしても、どちらへ? 宜しかったら、これへお乗りなさらぬか?」
「別にこれというあてもないのですが……あなたはどちらへ?」
「いや、こちらもあてがない。行くところが別にないから、久し振りで宅へ帰ろうかと思っていたところさ。丁度《ちようど》いいところでいい人に会ったものだ。独《ひと》りぽっちでね。あれへ着けてもらいますから……」と、すこし先に段々が洲《す》まで降りているところを指さした。そこまで源吾は、其角の舟と並行して歩いて行って舟へ乗った。舟は源吾の足の下でゆれながら水を動かして、再び川の真中へすべり出た。其角は、兎に角大川へ出てもらおうと船頭にいってから、源吾を中へ招じ入れた。
屋根がひくく狭い船房へ入ると、其角の口に酒が匂っているのがわかった。顔がつやつやと赤いだけでなく、置炬燵《おきごたつ》の脇に酒の支度がしてあった。
「昨夜は木場の三国屋の寮へ呼ばれましてね」
其角は、源吾に炬燵をすすめながら、にこにこして、杯洗《はいせん》から猪口《ちよく》を拾い上げた。
「ま、ひとつ。それにしても久し振りだし、また、変った風におなりだね」
「いや、浪人をよい事に武士を捨てることに致しました」
「なるほど、なるほど。それもいいかも知れませんな」
其角は簡単に頷《うなず》いた。
「で? 御商売と仰有《おつしや》ると」
「京の問屋筋《といやすじ》に知人があり、その世話で太物《ふともの》を商《あきな》っております」
「そりゃア結構だ。いや二本差しておいでより却って御気楽でしょう」
源吾はただ笑って見せた。この男の、如何《いか》にも都会人らしく軽快で決して我を出さず殆ど追随的といってもよい滑《なめ》らかな話振りも、いつもあまり好ましく思っていなかったのだが、世間並に「敵討ちは?」などとひらき直ることもなく、羽根のように軽く表面に触れるだけで過ぎて行ってくれることが、今日の源吾には却って気安く好もしい話相手だった。
話は自然と、二人に共通した俳諧《はいかい》のことに落ちて行った。舟は大川へ出てから流石《さすが》にすこしゆれはじめたが、炬燵の中から水を隔てて眺める両岸の、冬曇りの空の下の景色は、この半年あわただしくいそがしい日ばかり重ねて来た源吾には心地よく眺められて、話に興じ入りながら、かばかり静かな時間を持つのも恐らくこれが自分の一生で最後のことだろうと思うと、兎角《とかく》しみじみとした気持に惹《ひ》き入れられて、もだしがちに杯《さかずき》をふくんで、其角にひとり話させているのだった。
其角は師の芭蕉の思い出をいろいろ話した後に、深い感慨にとらわれたように口をつぐみながら、杯の中にゆがんで映っている白い障子の影を見つめた。
「人間業じゃありませんでしたねえ」
酒の酔いも手伝って、其角は心からしみじみとした調子で芭蕉のことをこう話した。
「おはずかしい話だが、それが手前にしっくりとわかったのは、翁《おきな》がなくなってから一年、一年のことでしたよ。御存生の間はそうとは気が付かなかったのだから面目がない。やはり、あの師匠であってこそ手前のことを不相応《ふそうおう》に買って下さったのだ。弟子といっても私はわがままな鬼ッ子で、あの師匠には誰よりも遠い人間だった。いまだに、そのとおりで、いよいよ我意にかたまって来ています。しかし心持は前よりも師匠になつけるようになっているんですね。遠く離れて終った私をあの師匠なら、ほんとうに受け容《い》れてくださる。それを考えると、つくづくと残念でしてね。ほかの人間、朋輩《ほうばい》にも今の弟子にも其角はわかりませんよ。こりゃア寂しいがまったくの話です。私の肚《はら》は昔からのおきまりで、派手に面白く生きるというよりほかはない。いつまで経っても私ア鬼ッ子なんです。師匠が生きながら入った枯れ切った境地へは、入ろうと思っても入れないけれど其角は其角だ、天下の其角だと、はは……まあ、おこがましいが正直にそんな風に考えています。師匠は魔に憑《つ》かれていたんですよ。だから、人間ばなれがしていて、生きていて人間には見えにくいものを見詰めていたんじゃありませんか? 芸術は魔道に至って、ほんものになるのに違いありませんけれど、私のような俗人には、何だかそれじゃ近寄りにくい。もっと人肌のぬくみがあってもいい、人間臭くてもいい。よくても悪くても生きていることはいい……好きなんですね、手前が。わざわざ神や魔にならなくても人間のままで市《まち》に生きているので結構うれしいのです。一緒に生きている大勢の人間が感じられるような事を感じうれしい事をよろこび悲しい事を悲しんで、どこまで行ってもこの結構な御時世の人間らしく、のびのびと一生いきて行けたら……それでいいんだ。埃も泥も、この世のものなら、いくら浴びても、平気だと思いますのさ。俗だ卑屈だといわれても仕方がない。現に昔の友達が蔭で其角を蔑《さげす》んでいるのもよく知っていますが、私の方でも、手近く身の廻りにある値打のある宝物を捨てて、つばさもないのに天狗《てんぐ》になることを考えている連中のことは、気の毒に思いますよ。師匠のようなひとは、それこそ百年二百年に一人いるかいないかでしょう。あの師匠だけは、別でした。及び難しですよ。一番高い峰のてっぺんまで登っていられたから、其角が下でしていることも、ちゃんと見てうなずいていられましたのさ。其角の奴は、あの男相応の低い山を選んで登って、あすこでひとり威張っているなと。ははははこりゃア自惚《うぬぼれ》かな。……いや、兎に角、人間持って生れたように生きるよりほかはないじゃありませんか、子葉子」
酒機嫌の騒雑《そうざつ》な調子をいといながら、源吾は最後の一句にうなずいた。ふと、ばらばらと障子をたたくものがあった。
「お、霰《あられ》だ」と其角がいう。
この薄暗い船房《せんぼう》の外に、つめたい鼠色をしてうねっていた川波の上に、幾十の小さく黒い穴をあけ水玉を散らして、川上から霰が降って来たのだった。冬の威厳に縛られたように、身動きもせず二人はこれを見つめた。だが、いつも句興《くきよう》の湧《わ》いて来る時のように、小さい星を集めたようなぼっとほのかに明るい流れが胸に動こうとしている。二人は目を見合した。静かに微笑した。
その一夜
師走《しわす》も十日を過ぎると、晴れた時などは、冬至《とうじ》以来畳の目一つずつ伸びて来た日に明るい夕方が恵まれて、手洗鉢《てあらいばち》にまだ氷は厚くてもどこかに陽気の動いて来たのが感じられる。去ろうとする冬と、間近く来ている春との間にいて空も落着かないし、耳目《じもく》に触れる自然も何となく落着かない様子でいた。殊に町びとたちは、近く来る大《おお》晦日《つごもり》を控《ひか》えて、人さまざまに、用のない者まであわただしくせわしなく一日一日を送っているのだった。町々は活気づけられていた。十二日が芭蕉忌《ばしようき》である。その夕方から催《もよお》して夜になってから降り出した雪は、一夜で江戸の町を銀世界とし、つめたい風と灰一色に曇った空とに、去りかけて再び戻って来た冬の威厳を人に知らせ、多忙の町をひっそりとさせたのである。その翌日は小やみになったが、風がつめたくて、やがて、それが納まったかと思うと、夜からまた雪だった。近年には珍しい大雪と、年寄りたちが炬燵《こたつ》にかじりついての物語りであった。
十四日の朝があけると、道も木も、屋根も門も、ふっくらとした白い綿を着ていて、軒端につららがつめたく光り、用があって出なければならない親たちの不自由さをよそに、子供たちは頬を赤くして叫んでいるのだった。
松坂町の吉良の屋敷では、大門をひらいて中間《ちゆうげん》が雪を掻いている。その様子を横目で眺め足駄の歯にはさまる雪に悩みながら、蛇《じや》の目傘《めがさ》をかしげて通る侍《さむらい》がいた。すこし行って、合羽《かつぱ》にくるまって来た商人風の男と、ちらと意味ありげに笑いかわして通り過ぎた。
雪は、なお降り続けた。間もなく、中間を供に駕籠《かご》が来て、吉良家の大門から入った。道の脇の人家の軒下に入って、足駄をたたいていた今の町人が、光る目で駕籠を見送っていたが、無言で傘をひろげて、歩き出した。
中間を連れた品のいい老人の侍が来たが、やがて吉良家の門内に入った。今の町人は傘の蔭から振り返ってこれを見た。神崎与五郎である。
ざっと、小半町《こはんちよう》も来たところで、また駕籠が来た。
与五郎の視線はその駕籠を見て、すこし後に雪のちらちらする中について来る人影を見た。これが傘で顔を隠しているが、大高源吾の呉服屋新兵衛と見て、与五郎は胸を躍らした。
二人は、歩み寄った。
源吾の面には、つつみ切れぬ幸福の輝きがある。
「今のは?」と与五郎がいった。
「四方庵《しほうあん》の宗匠《そうしよう》だ」
はっきりと源吾が答えた。
四方庵の駕籠は、その間に吉良家の門へかかっていた。二人の視線は、じいっとこれを見送っている。かたわらの黒板塀《くろいたべい》の松の枝から、どどっと雪がかたまって落ちた。
「大高」
「神崎」
二人は、かわるがわる叫んだ。
与五郎は、唇をふるわしていたが、無言で裾《すそ》をからげ、はいていた下駄をぬいだ。これも、傘も、捨てたかった。
「間違いはない」と、源吾は力を入れていった。
「おれは石町《こくちよう》へ行く」
すぐと与五郎がこう答えた。
「おれは堀部のところへ行こう」と源吾がいった。
二人は別れた。雪は降りつづけた。与五郎は川端まで来てから人のいないのを見て、足駄と傘を水の中へ投げこんで、走り出した。雪を吹きつけるつめたい風の中を走りながら、与五郎の目には火のような涙がある。風の来る方角だけに雪をつけた柳も、停り船も、鼠色の川も、橋も、ただ、ぼやけて、後に流れた。
雪と泥にまみれた与五郎が、石町の本営へ飛び込んで来たのは午《ひる》をすこし廻ったところだった。
十内が立つ。
襖《ふすま》をあけて、内蔵助が出て来る。
主税《ちから》が面を輝かして立ち上る。
前日四方庵から源吾が戻って来て、十四日朝は吉良邸の茶会と伝え、すこし遅れて堀部安兵衛が同じ情報を握って、中島五郎作のところから駈け付けて来ていたのだ。
「幸七! 左六!」と、内蔵助が叫ぶ。
裏口から若党の幸七、左六の両人が雪の中へ走り出て間もなく、十内がわらじをはいて別の方角へ走り去る。
菅谷半之丞、潮田又之丞、近松勘六、三村次郎左衛門《みむらじろうざえもん》が、別棟《べつむね》から馴《は》せ集まって来た。
「かねて話のとおり」
坐ったまま内蔵助が言葉短く、こういう。
「は!」と答える。
すぐと四人は外へ出た。
白い雪の上に蜘蛛《くも》を散らしたように、各々方角を別にしていそがしく姿を消したのである。与五郎もまた走り去った。
じいっと、内蔵助は、火桶《ひおけ》の火を見詰めてだまっている。大勢が一度に出て行った部屋の中は森《しん》として、軒端《のきば》に溶ける点滴《てんてき》の音が句読を打つのみである。
きちんと坐って父親の言葉を待っている主税を、やがて内蔵助は顔をあげて見た。
目と目が、荘厳な世界で、じっと合った。
「父の子だぞ」
内蔵助は厳粛にいった。
「御安心下さいませ」
子は、はっきりと答えて畳の上に手を突いた。
父も子も、その瞬間に、こうして骨肉の二人が二人だけでいることが、久しいものでありまた最後のものだとする感動が、強い波のように胸を打つのを感じていた。その波動の中に、父となり子となっての過去の全部が光のように流れて見えた。
振り切るようにして内蔵助は立ち上った。その刹那《せつな》に、父と子の関係は消えて、同志としての二人が残っていたのである。
「この家の勘定《かんじよう》をしなければならぬ」と、内蔵助は命令した。
「急に一同がいなくなるわけだから、何か然《しか》るべき理由をこしらえて話したがよい」
「畏《かしこま》りました」
主税が立ち上った時、もう内蔵助の姿は襖の中に隠れていた。
主税が帳場《ちようば》へ話している中に十内が帰って来て、同じ襖の中へ消えた。間もなく吉田忠左衛門《よしだちゆうざえもん》が来て、よくすぼまない傘を、丹念に雪を落して、すぼめてから入口に立て掛けて、のそりと上って来た。これも内蔵助の居間へ消えた。
別に用もなくなった主税は、この襖の外へ坐って番をしていることにした。
「主税!」と内蔵助が呼んだ。
入って行くと、
「お前は、裏手の大将ときまった」といわれた。
父親を差し挟んで十内と忠左衛門と二人の老人が、にこにこして見ている前で、主税が感じたのはこの父親の、隠しているが火のように烈しい親の愛だった。
「そこへ坐れ」と、内蔵助は付言《ふげん》した。また二人の老人は、この若くて勇ましい裏手の大将のために、よろこんで膝を動かして席を設けた。
堀部弥兵衛老人は、早朝から立ったり坐ったりして落着かなかった。討入りは十四日になるらしいと前々からの知らせがあったので、同志ではないが甥の佐藤条《さとうじよう》右衛門《えもん》、堀部九十郎たちを弥兵衛は呼び寄せて置いた。明日のことも知れぬ老人がいよいよお役に立つことになった。まことの死花《しにばな》である。当人はうれしくてたまらないので、門出で賑やかにしたいのだった。弥兵衛の妻も嫁も、また甥たちも老人のこの心持をよく知っていて、今日だけは、老人が何をしようがするとおりにさせたいと思った。涙をこぼした若い嫁を、姑《しゆうと》はそっと袖をひいて慎ませた。
弥兵衛老人でも、死にに行く自分はよいとして、一家の中心になっている安兵衛とも男手二人までがなくなって後の家族のことを思わぬではない。しかし、どうにかなるだろうと思った。そのように女たちは訓練している。武士の家へ来た以上は、そのくらいの覚悟がなくてはならないのだ。そこで弥兵衛は妻子に向けてはこの点について何もいわなかった。ただ、二人の甥にはこの事をいった。常に獅子王《ししおう》の様に矜持《きようじ》を保って、老いて瘠《や》せてはいるが烈しい気性の閃めいて見える顔色に、感動した様子があらわれていた。甥たちは「畏《かしこま》りました。お心残りなく……」と答えていた。この二人にも弥兵衛と共通した血が流れていたのである。
弥兵衛は安兵衛が確報をもたらして来るのを待っていたのである。
幾度も立って戸をあけて外を見ている内に、雪がやんだ。空は曇っているが、見上げると、灰色の雲が頻《しき》りと動いていた。
「晴れるかも知れぬ」とつぶやいた。
「晩は月があるな」
そうだ、十四日だったと思い出した。
やがて、勝手口にさくさく雪を踏む音が聞えて、弥兵衛がまた立ち上ろうとした時、
「庭へ廻ります」と安兵衛の声が聞えた。
安兵衛は草鞋《わらじ》ばきの、かいがいしくも、また元気のいい顔を見せた。
「どうだった?」
弥兵衛は叫んだ。
「いよいよ……です」
「いよいよか?」
安兵衛は、吉良の屋敷へ今朝茶会の客が集まったこと、その中に四方庵宗偏《しほうあんそうへん》がいたことなどをひくい声で話し、いま本部から決行の通知があった、と告げた。
「よかった、よかった」
弥兵衛は、子供のようによろこんだ。
「御苦労だのう。ちょっと、あがって休んで行け」
「いや、夕刻まいりましょう」
「そうだ、どうせ一同がこちらへ集まるのだ。老人が酒を支度して待っているからお立ち寄りくださいといってくれ。太夫《たゆう》へは、こちらから案内を出すつもりでいる」
「畏りました」
安兵衛は、早くも腰をあげた。
「では、夕刻」
「むむ、待っておるぞ」
婿と舅《しゆうと》は目を見合せて微笑した。
しかし、弥兵衛のこの満足の中に一つの暗い影が入って来て、額を暗くさせた。
「小山田《おやまだ》はどうだ、いかんか?」
安兵衛は、父親の心配していることを理解出来た。弥兵衛は同じ老人で不運にも病床に横たわっている小山田|一閑《いつかん》のために、息子の庄左衛門が人数に漏《も》れることを、他人事《ひとごと》でなく悲しんでいるのだ。
「さア……?」と首をかしげた。
「そうか、いかんのか……しかし、家にいたら、誰か行って無理にも連れ出して来るようにしてやりたいのだが……」と、老人はいった。
林町《はやしちよう》にある安兵衛の家は、相生町《あいおいちよう》にある前原伊助の家、徳右衛門町にある杉野十平次の家とともにこの夜同志の集合の場所にきめられているほかに、かねて、三軒の内では一番適当と見られ、当夜の武器はここへ持ち込んで置くように内蔵助から話があった。一挙が近いとわかってから、この家の二階は、同志の者が夜陰に運んで来たそういう槍《やり》、半弓《はんきゆう》その他の夜討ちの道具類で混雑していた。
この家に居る安兵衛をはじめ、木村岡右衛門、横川勘平、毛利小平太は、このことが外部に漏れぬよう隠すのに実に神経をつかった。槍は戸棚へ入らないので、壁際へ寄せて、その前へ夜具を積み上げたり、風呂敷をかぶせたりしてあった。無論、同志のほかはこの二階へあげはしない。いつも誰かが梯子段《はしごだん》のところで退屈な張番をしているくらいで、厄介なものを預《あず》かったなと、苦労の種になっていた。小野寺十内の槍もここに来ていたのである。先日までここにいた小山田庄左衛門も手伝って、一同で品目を書き出して置いた。
槍は十二本、長刀《なぎなた》が二振《ふたふり》、野《の》太刀《だち》が二振、弓が四張《しはり》でこれに箭《や》を添えてある。それから鉞《おの》が一挺《いつちよう》、大槌《かけや》が六挺、竹の梯子が大小合せて四挺、大鋸《おおのこぎり》が二枚、玄翁《げんのう》が二挺、鉄槓木槓《かなでこきでこ》がそれぞれ二挺、鋤《すき》が二挺、鎹《かすがい》が六十個、鉄鎚《かなづち》が二挺、細引《ほそびき》をつけた取鈎《とりかぎ》が十六筋、龕燈《がんどう》と銅鑼《どら》が一個ずつ、そのほかに同志の人数だけの、松火《たいまつ》、玉火《たまび》、小笳《こぶえ》がある。今夜ときまって、それを整理して、引き渡す時に混雑のないようにする必要があった。
槍は、九尺に縮めておけと内蔵助からいって来た。庭で使うより多く室内で用いる方が多いからである。幹事役は、その仕事まですることになった。木村岡右衛門と横川勘平が二階へ籠って、畳の上へ木の枕をかい鋸《のこぎり》を動かしてこの作業にかかっていた。音が外へ漏れぬように加減してひくのである。戸も一枚あけてあるだけで部屋の中は薄暗かった。
槍が切り縮められると、勘平が一々持って試して見た。
「これなら上等だ。しかし、持主は長いので使いなれているのだからちょいと変だろうな。切るなら自分でやりたかったといいたい方だろう」
「こりゃア小野寺老人のだ」
岡右衛門は、こういいながら、未練なくずいこずいこ挽《ひ》きにかかった。
「なかなか堅い木だ。骨が折れる」
「なアに、大分鋸が平らに行くようになった」
勘平は笑った。
「おい」と、下から、毛利小平太が声を掛けた。
「ちょいと、兄貴の家へ行って来るぞ」
「おお」
勘平が答えた。
小平太は、別れを告げに行くのだ。二人は充分にこれを理解していた。
十内の槍が出来上ったので、勘平は受け取って二度三度宙を突いてみた。その時表の戸をあけて小平太が出て行ったのが聞えた。この小平太がこのまま帰らないで討入りの人数に漏れようとは、この時二人とも夢にも考えていなかった。
「毛利の兄貴は戸田の家中だったな」と、岡右衛門がいった。
「そうだ」と勘平は手巾《てふき》で槍の柄を拭《ぬぐ》いながら答えた。そこへ、安兵衛が階下へ帰って来た様子で明るい話声が聞え、間もなく梯子段からあらわれた。
「おやじがいうのだ。みんな都合《つごう》のいい時祝杯を挙げに来てくれと。面倒だろうが、拙者《せつしや》からもお願いする、是非行ってくれ」
「そりゃア是非伺おう」
堀部弥兵衛の気性を知り、その無骨で稚気《ちき》に近い単純な心持を、岡右衛門も勘平も、愛するといってはおかしいが、殆《ほとん》どそんな心持で好ましく思っていたのだ。このいそがしい時に、悠暢《ゆうちよう》に祝杯を挙げるから来てくれというのも、あの老人らしかった。
自分から短く切って持って来た人もいたので、槍をちぢめる仕事も間もなく終った。二人は、膝についたおが屑《くず》を払って、階下へ降りて行った。
下には、「すこし早過ぎるが……」といって、もう詰め掛けて来た同志の者もある。これまで町人に姿をかえていた者は、殊に、ほかの者にない手数があった。この人たちは、友人に手伝ってもらって髪の形をなおすのだった。大勢集まっていたせいもあろうが、この家は何となくにぎやかで、子供の時分の宵宮のように楽しかった。自分たちの全部又は一部の者が目の前に迫っている夜は死ぬことになるのだとは誰も考えていなかった。笑声が絶えず聞えていた。
外には、雲が切れて日の光が漏れ、家々の屋根の雪をきらきら光らせていた。点滴《てんてき》が庭前の雪に穴をあけている。しかし風が出てから、かなりつめたく感じられた。夜になって雪が凍《こお》ってくれた方が足場が確かでいいと話している者もあった。その話にもう、足袋の裏に踏むさくさくした雪の快《こころよ》さが感じられた。
装束《しようぞく》は、前に内蔵助から指令があったものを、めいめい支度して来ていた。黒い小袖《こそで》に両袖の縁《へり》と白布を綴《つづ》り付《つ》けて、夜の闇の中での合符《あいじるし》にしたものである。刀、脇差《わきざし》の柄は手がすべることのないように平打真田《ひらうちさなだ》を巻くようにという注意があった。
誰であったか、七寸ばかりの金革《きんかわ》に自分の姓名を書き付けて、襟《えり》に付けるように支度して来たものがあった。死んだ後の目じるしにもなることで、ほかの者もいい考えだといってまねる者が多かった。しかし、そんな必要はないといって、他人のするのを眺めているだけの者もいた。
暮れる頃になってから、続々と人が集まって来て、いよいよ家の中が狭いように思われた。安兵衛は来る人毎に父親の招待の旨《むね》を伝えていた。それから自分も、これで大体用事もないと見てから、父の家へ引き返した。
まだ、明るい空に十四日の大きな月が昇って、雪の上に町筋の片側だけの家々の影を薄く描いていたが、歩いている内にその影がすこしずつはっきりして来て、屋根の雪が世にも美しく光りはじめた。
矢の倉の父の家には、灯影が外までこぼれていて、笑い声が聞えていた。もう誰か来ている様子である。例のように裏口から入って行くと、台所で自分の妻がかいがいしく働いているのと、顔が合った。
安兵衛は笑顔を見せた。
「大変だな」と、いたわるようにいった。若い妻は何か胸に一杯にあふれて来たものをこらえて、健気《けなげ》にこれも笑顔を見せて、何もいわずにいた。そうしていて、夫は妻の心を、妻は夫の心を感じた。
これも、言葉はいらない幸福な夫婦であった。
奥の座敷へ行って見ると、最早内蔵助と十内が来ていた。向いあって坐っている弥兵衛は如何《いか》にも嬉しそうに見えた。安兵衛もそれへ坐って話の仲間に加わった。
「どうも、いろいろと……」と、内蔵助は安兵衛の先日来の働きを衷心《ちゆうしん》から有り難く思っている様子で、挨拶した。そちこちしている内に、いずれ後から伺《うかが》う筈だと内蔵助がいった主税《ちから》が、吉田忠左衛門や原惣右衛門たちと一緒にやって来た。
「さあさあ。よくおいで下さった」
弥兵衛は一代の面目のように枯れた顔を輝かして迎えに出た。これで、同志の幹部ともいうべき人々が、あまり立派でもない狭い座敷に、膝を並べて、ずらりと並んだわけである。
人々が、床に安兵衛の妻女がいけた松を眺め軸《じく》を味わっている間に、配膳《はいぜん》が運び出され銚子《ちようし》が出た。燭台《しよくだい》の灯は人々の愉快そうな顔を明るく照らしている。誰が討入りを次の早朝に控《ひか》えて、こんな暢気《のんき》なゆったりした気分を味わえると思ったであろう。流石《さすが》は御年功のことだ。心得たものだと人々は衷心から悦《よろこ》んだ。
そこへ、また誰か玄関へ入って来た。安兵衛が出て行って見ると、これは細井次郎《ほそいじろう》太夫《だゆう》が早くも今夜このことがあると聞いて、安兵衛と共通の剣道の師匠である堀内源太左衛門《ほりうちげんたざえもん》と同道で祝いを述べに来たのである。
「大分お賑《にぎ》やかのようだな。ここで失礼致そう」と次郎太夫は、携《たずさ》えて来た鶏卵《けいらん》を置いて帰ろうとした。
安兵衛は、これを制《と》めて一旦奥へ帰って内蔵助にこれを話した。内蔵助も二人が蔭でどんなに自分たちに味方してくれていたか、よく知っていた。
「そりゃアお差支《さしつか》えなくば、こちらへ通されては如何《いかが》か?」といった。
弥兵衛も悦んで、婿のあとから迎えに出て、手を取るようにして二人をあげて奥へ案内した。席はいよいよ賑やかになる。やがて弥兵衛が首をひねっていたかと思うと、
「雪霽《ゆきは》れて心に協《かの》う朝《あした》かな」と高らかにいった。
人々は、これは目出度いと悦んだ。この句には作者の説明がついていた。昨夜弥兵衛は、今日の天気のことを心配しながら床に入ったのだが、ふと夢の中でこの句を自分が作った。今日になって天気になったのは、まことに珍しい暗合だと思いますというのである。その時分の人々は霊夢を信じていたことで、滅多に聞いたことのない弥兵衛の句に悦んだ人々は、この夢の話に更に勇み立った。
内蔵助もにこにこしながら聞いていて、
「よし、今度は私が謡《うた》おう」といって、羅生門《らしようもん》の一句を手拍子《てびようし》を取って謡いはじめた。
もろびとに、神酒《みき》をすすめて盃《さかずき》を、とりどりなれや梓弓《あずさゆみ》、弥猛《やたけ》ごころの一つなる、つわものの交り、頼《たのみ》ある中の酒宴《さかもり》かな。
朗々たる音の波が人々の胸を打った。内蔵助が打ちかえしてまたうたい出した時、心得のある者の二、三の声がこれに和してうたい出した。
「御覧なされ、このとおり」
安兵衛が大きな声を出して何をいい出したのかと思うと、次郎太夫のはなむけの卵を取って、丼《どんぶり》の縁《ふち》で、景気よくかちんと割るのだ。かちん、かちん、と卵はもろく砕ける。肚《はら》の底から人々は笑った。
「いや、有り難う。有り難う」
内蔵助は繰り返して、こう礼を述べて、今夜の本部になった安兵衛の家へその足で向うことにした。
次郎太夫と源左衛門も帰ろうとした。
「では」といった。
「吉報を待っております」
安兵衛は、この友人に、返す感謝の言葉を知らなかった。
次郎太夫は詩を作って置いて行った。
結髪奇子《けつぱつきし》たり
千金|那《な》んぞいうに足《た》らん
離別情尽《りべつじようつ》くるなし
胆心一剣存《たんしんいつけんそん》す
というのである。
すぐと、安兵衛は内蔵助たちの後を追って自分の浪宅へ帰って行った。だが、弥兵衛はまだいそがしい。巨頭連の饗応《きようおう》はこれで終ったが、招待を受けて同志の者が三々五々と訪れて来るのである。家族の者は、一人の客を送り出すとまた別の一人を迎えて、目もまわるような多忙の有様だった。しかし、多分こういう晩は、却って、こういそがしくて他のことを考える余地がないのが、いいかも知れない。やがて夜がふけ、来る筈の人が漏れなく来てしまって、家人ががっかりしたような気持で取り残されると当然にいろいろと考えられるのだった。
ひとり弥兵衛だけは、今夜の計画が遺憾《いかん》なく成功したことに心から満足していて、暫くの後までも興奮していたが、
「寅《とら》の上刻《じようこく》か?」と、討入りの時刻をつぶやいて、
「まだ、それまでは大分間があるから、ひと眠りしようかな。時刻が近くなったら忘れないで起してくれよ」といって、客が帰ったままで、まだ散らばったままの奥座敷に、そこらにあった蒲団を引き寄せ無雑作に肘《ひじ》を曲げて枕にして横になった。寒い晩であったし、殊に人の去った後の部屋は何となく薄ら寒く感じられるものだ。四十年の長い月日をこの可憐なくらい素朴なエゴイストに付《つ》き添っていて無理を無理としないで暮して来た老いたる妻は、これが最後の介抱になることを承知で、戸棚から掻巻《かいまき》を出して来て、そっと掛けてから、静かにまた影のようにつつましく、夫の裾《すそ》の方に坐った。
嫁《よめ》はこの姿を見るにたえなくて、台所に逃れた。
そこには、大勢の客でよごれた食器がそのまま重ねて置いてあったところに、放心したようにじっと立ちすくんでいた。涙がとうとう駈け出して来そうになっている。しかし、これは泣いてはいけない時だった。どうか御無事で御本望をお遂げになるように……こう祈りながら、胸を蝕《おか》して来るたとえようもない寂莫とした心持を、やはり追いやることが出来ないのだ。襖《ふすま》や障子《しようじ》を隔てていて、なお目に残っている姑《しゆうとめ》の姿が、神々《こうごう》しいというのか、何となく近寄り難いように感じられるのである。
弥兵衛は疲れたような鼾《いびき》を聞かせて、死んだようにぐっすりと眠っていた。やがて嫁も出て来て、すこし離れて坐った。この森とした冬の夜に、時は何と早く経《た》って行ったことであろう。間もなく寅の上刻が近付いた。
妻は、嫁に目くばせして用意のものを取りに立たせてから、そっと夫をゆり起した。弥兵衛は、薄目をあけて妻の顔を見、次にあたりを見廻してから、急に思い出したように、
「お」といって、はね起きた。
嫁は装束《しようぞく》を抱えて来た。姑は手伝ってこれを着せた。弥兵衛は羽織は要《い》らないといったが、途中でこの出立を人に見咎められて怪しまれてはならないと思って、合羽《かつぱ》を出させて上に羽織ることとした。それから出ようとして槍を抱えてから、すこし長過ぎるといって、起きて出て来た甥の条《じよう》右衛門《えもん》に七、八寸切りとらせ、なお指図して丁寧に石突を削《か》き入《い》れさせてから自分で突き具合を試《ため》して見て、
「よし」と、微笑してから、妻と嫁と甥の顔を一瞥《いちべつ》した。
「達者に暮せ」といい放った。
この言葉を最後に、颯爽《さつそう》とこの老人は身をひるがえして玄関から出て行った。
やがて門の外で如何にも朗らかに、
「いい月だなあ」という声が聞えた。
嫁はふるえながら姑の腕をつかんでいた。
前原伊助の米屋は敵の屋敷に一番近い関係もあって、いよいよ討ち入るという時には、他の二か所に集まった人数もここへ集まり、一団となって押し出す予定になっていた。
吉良家に近いので、人々が集まるのは極く深更《しんこう》人が寝鎮《ねしずま》ってからでないと具合が悪い。伊助も与五郎もこの点に油断はなく、今夜は店を早じまいのように見せかけて、宵《よい》から表の大戸をおろし、内の灯《ひ》を暗くして、他との連絡には出入りするのも全部裏口を使うことにしていた。
夜がずっとふけて人通りがなくなってから、安兵衛のところから、いざという時|運搬《うんぱん》に不便な道具を車にのせ莚《むしろ》をかぶせて外から見えないようにして届けて来た。商人家《あきんどや》ではこんなに遅く荷が入ることも珍しいことではないのである。伊助と与五郎が大戸をあけて、荷物を土間へ入れた。小さい道具の類は二つの張箱に入れてあって、かなりの重量のものだった。
それを済ましてから、二人はまた大戸をおろして、夕食にかかった。
もう時刻が来て一同が集まるのを待つだけのことだった。
「この家で食事をするのも、これが最後であろうな?」と、伊助が多少の感慨をこめて、こう話し掛けた。
「そうさ。が、大家《おおや》の方へは何もいわないで置いていいだろうか?」
「さあ。どうせ、このままにして出て行くのだが、あとで不快なことのないように断りを書いて行こう。この家へ置いて行けば、あとで見るだろう」
「そりゃアそうだな。悪い大家ではないのだから、するだけのことをした方がいい。いずれ俺《おれ》たちの引合に呼び出されて、なぜ家を貸していて気が付かなかったと叱られることがないとはいえない」
「それも、はっきりして置いてやろうよ。それから俺達の道具は商売物だがどうせ不用になったものだ。大家にそっくり進上することにしようか?」
二人は、こんな相談を遂《と》げた。その意思を明らかとするのも普通に紙へ書いて大家にあてたのでは、共謀の上で書いたと見られては気の毒である。そこで伊助は手紙を壁へ書いて置くことにして硯《すずり》に墨をたっぷりとすった。
伊助が、達筆を揮《ふる》って、よく行き届いた文面の手紙を認《したた》め終ると、与五郎も何か書いて置きたくなって、筆をもらった。
「漢詩だ」といって、勢いよく、書きなぐった。
空《むな》しく赤城《せきじよう》を去って敵邸を窺《うかが》う。
時いたって刃《やいば》を試み衆屯酬《しゆうとんしゆう》。
生前|扇《おうぎ》をかつぎ菓を負うは孰《いず》れ。
[#地付き]神崎与五郎|源則休《みなもとののりやす》
というのだ。書いてしまってから自分で読んで見て、
「いや、うまくないわい」と笑った。
この人は元来和歌が得意だったのである。
そうしている間に、ぼつぼつと同志の者が裏口から入って来た。
どうも閑《ひま》がありすぎるから、向河岸《むこうがし》へ渡ってうどん屋で酒を飲んで追い出されるまでいた。こういって、笑いながら話す者がいた。うどん屋組は、ほかにもいた。謹厳《きんげん》な吉田忠左衛門、原惣右衛門などもその組である。この両名などには恐らくこれが臍《ほぞ》の緒《お》切って以来はじめての出来事だったのだろう。他人《ひと》も笑うし自分たちも面白がっているのである。別段に各自が豪放を衒《てら》い、そうでないものをわざと陽気にしているのでは決してなくて、こんなに賑《にぎ》やかな心持でいるのは、自分たちで考えて不思議に思われるくらいであった。ただ時間がひどく長く感じられた。夜とは意外に長いものである。しかし、そちこちしている中に、そう広くもないこの家が、坐るところに苦労するくらいの人数で充《み》たされた。やがて内蔵助父子も来る。安兵衛が元気よく入って来る。もう討入《うちい》りの扮装をした弥兵衛が槍を杖に突き、みんながよろこんで喝采《かつさい》したくらいの勇ましい姿で出現した。弥兵衛は、同じく老人の間喜兵衛《はざまきへえ》がいるのを見て、かたわらへ行って並んで坐った。喜兵衛は六十八歳だが、これも元気だ。老人同志二人は「やあ、長命はするものですなあ」というように見える。達者な老人たちを眺めるのは若い者にはうれしいことである。また老人たちにとっては若い者がこんなに沢山《たくさん》集まっているのを見るのは愉快なことらしかった。
喜兵衛は、よりかかっている壁の隅《すみ》に槍を立てかけて、その前に番をしているように厳然と坐っていた。その槍の柄に短冊《たんざく》を結び付けてあって、何か書いてあるのを弥兵衛は見た。喜兵衛に話すと早速見せてくれた。
「都鳥《みやこどり》、去来言《いざこと》とわん武士《もののふ》の恥ある世とは知るや知らずや。……これは結構だ」と、弥兵衛はほめた。ほめながら自分の夢想の名句と思われる「雪|霽《は》れて心に協《かの》う朝《あした》かな」を嬉しく心に思い起した。ほかの者もそれぞれ辞世を用意して来ていることだろう、巧拙《こうせつ》は問うところでない。その心意気であると、弥兵衛は考えながら見廻している内に、富森助右衛門の若々しい凜々《りり》しい横顔をすぐかたわらに見付けた。助右衛門は、子葉《しよう》の大高源吾とともに、この人数の中で俳諧道《はいかいどう》の免許皆伝の腕前である。
「富森、何か書いておいでだろう、老人に見せていただきたいな」といった。
助右衛門は笑いながら、膝の上の風呂敷包を解いて用意の衣裳を出してその襟《えり》を見せてくれた。おもてには自分の姓名を記《しる》し、裏を返すと、見事な筆跡で、
「寒《かん》しおに身はむしらるる行方哉《ゆくえかな》、観瀾堂春帆《かんらんどうしゆんぱん》」と書いてあった。
「寒しおに身はむしらるる行方かな」
弥兵衛はこう読んで、首をひねった。高踏的な言葉の配置が率直の理解を妨《さまた》げていたが、形式外の意味は、漠然と弥兵衛にもつかむことが出来た。
「なるほど」と感心した様子で口の中で繰り返して読んでいたが、
「母御は御息災だろうな」と、ふと助右衛門の老母のことを尋ねた。
助右衛門は礼をいいながら、自分が弥兵衛に見せている今夜の晴れ着の下にその母の下着を重ねてあったのに気が付いて、静かに手もとに引き寄せて、もとのように風呂敷へ蔵《しま》いかけた。
「もう、着替《きか》えた方がいいだろう」と、弥兵衛が方々で人々が立って着替えにかかっているのを見て注意してくれた。そこで助右衛門も立ち上って、着替えにかかった。人に見られないように心を配りながら、この肌《はだ》に暖かい小袖《こそで》に、別れて来たばかりの老母のなさけがしみじみと思い泛《うか》んだ。
寒くないように。
いさぎよくなさいよ。あたしのことは心配はないのだから……
助右衛門の耳の裏に、なつかしい声の余韻《よいん》が残っていた。ぬぎ捨てた分の着物を静かに風呂敷にくるんで、知らず知らず繰り返して結び目のしわを撫《な》でているのである。
出動の命令がこの時内蔵助から発せられた。座は一時に色めいた。
元禄という時世のゆたかで寛濶《かんかつ》な気風は、この幾百人から選ばれて残った最も武士的な人々の行装《ぎようそう》にも自然とあらわれていた。殊《こと》に今宵《こよい》を最後の一夜と見ていた加減もあろう、緋縮緬《ひぢりめん》の褌《したおび》も贅沢《ぜいたく》なものながら、下着は黄、浅黄《あさぎ》の羽二重《はぶたえ》の袖無し綿入れ、その上に手首まで着けた衷甲《きこみ》も、繻珍《しゆちん》や緞子《どんす》のはなやかさに、上に着る定紋付黒小袖《じようもんつきくろこそで》の裏も絹、色は紅、桃色の美しさである。たより薄い浪人の乏《とぼ》しい生活にも、出るところへ出るときの支度《したく》はあったのだ。
帯は、白い晒布《さらし》を用いて右脇に結び二本を重ねて締めた。その上の一筋にはくさりが巻き込んである。これは、堀部安兵衛が高田《たかた》の馬場《ばば》で斬り合ったとき、帯を切り放されて着物が腕にからまり闘《たたか》いに難渋した経験があって、人々にすすめて、この用意をさせたものだった。くさりは、無地や縞物《しまもの》の褌襠《ももひき》の中にも、膝甲《はいだて》の下にも巻き込んである。畳の上で人々はわらじを踏みしめた。袖符《そでじるし》は縁に綴《つづ》り旋《まわ》した白い布でこれに内蔵助の命令で各自の名前を書き入れた。兜《かぶと》は鉢巻《はちまき》を火事頭巾《かじずきん》のように縫いくるんだもの、錣《しころ》にはやはりくさりが入れてある。支度が出来、内蔵助の最後の命令を待って静粛に控えている人々は世にもはなやかで勇ましい姿である。内蔵助は眺めていて、会心の微笑を禁じ得なかった。
内蔵助の衷甲《きこみ》も臂甲《こて》もあかるい紺色《こんいろ》の緞子《どんす》で、二つ巴《どもえ》の紋を付けた小袖の上に、黒羅紗《くろらしや》の羽織を着、黒革縁《くろかわべり》に白革縁の頭巾、采配《さいはい》を帯に挟《はさ》んでいる。そのかたわらに、裏手口の大将十五歳の大石|主税《ちから》が、白《しろ》手襁《だすき》を十文字に掛け手槍の穂を光らせ、緋縮緬《ひぢりめん》の緒《お》でゆたかな顎《あご》をくくった色白の顔にすこし上気して目を輝かして控えている。
表口、裏口とかねて人数は分けられていた。戦友も三人ずつ一団に組み合せてあって、三人が進むも退くも始終行動をともにするのである。
最後に、吉良邸の近隣に事前にひとこと断って、自分たちの立場を明らかにして置くことが残っている。内蔵助はその任にあたる者を指定してから、旗本土屋主税の名前にあわせて、今夜ここへ姿を見せなかった毛利小平太のことを考えた。
あの、勇猛で誠実な男が不参するとは、何かやむを得ない事情があったことと思われるが遺憾《いかん》なことであった。
「出掛けよう」
内蔵助のくちびるが動いて、こういったとき、人々は立ち上って静粛に外へ出た。外は、あけがた近い静けさに死んだように静かでいて、月光と、これを反射して輝く白雪とがわが物顔に見えた。
つめたい風が吹いていた。
ただ、人々の胸も顔もこの雪の反射がしみ込んだように明るかった。凍《こお》って堅い雪を新らしいわらじで踏み、綿を敷いたように白い地面の上に影を並べて、人々は歩いて行った。一歩一歩に敵の屋敷は近くなる。やがて、月あかりに黒くわだかまる表門を望み見たところで、内蔵助は立ち止って、裏手西門へ廻る部隊を振りかえった。
「では」
月の光は明るくさえていた。
表門にかかる東組の者が立ち止っている間に、西組の者が勇躍して角を曲って行った。
「進め!」と、内蔵助が残った者に低く号令した。
この二十三人の者もさくさくと雪を鳴らして動きはじめた。やがて、あまり広くもない往来に傲然《ごうぜん》と威嚇《いかく》を試みるように堅固に構えている目あての門が、かれ等の前に立ちふさがった。
無言の、それにも拘《かかわ》らず緊張しきった瞬間に、人々の目の前に竹の長はしごが二挺《にちよう》この大門の屋根に投げかけられた。この大門とてかねて一味の厳密な探索の目からのがれていなかった。その周到なる研究に従えば、堅牢《けんろう》なこの門を破ることは、一刻一瞬を争う際に容易でないと見られていたのである。
この竹はしごが、東組二十三人の前に途《みち》をひらいた。大高源吾忠雄《おおたかげんごただお》、小野寺幸《おのでらこう》右衛門《えもん》秀富《ひでとみ》を先頭に、竹をきしませて屋根にかけ上った。続々と人は続いた。屋根の雪にからすをとまらせたように見えるのである。血気の人々は、早くも身軽く邸内へ飛びおりた。内蔵助並びに遅れた老人組が勇ましく屋上《おくじよう》に立った時に、直《ただ》ちにはしごは引き上げられて逆側にかけられた。
この時神崎与五郎と原惣右衛門とが、こおった雪に足をすべらしてあっと叫びながら下へ転落した。途中で姿勢を整えたのだが、惣右衛門は老人のことで、ひどく足を地面にあてて一時うずくまったままでいて、驚いて駈け寄る人々にかこまれた。与五郎も腰を打ったが、これは直ぐと立ち上った。
「大丈夫、大丈夫。心配はない」
惣右衛門も、顔をしかめながら、勇ましくこう叫んだ。
「かかれっ!」
内蔵助の号令がとどろき渡った。
うわッと人々はときの声を揚《あ》げた。月と雪との間を真黒な波のように玄関へ殺到して行くのが見えた。その折からに裏門口にもどっと西組の揚げた喊声《かんせい》が、こだまのように聞えて来た。ばたばたと、物のくだける音がこれに入りまじった。
門を背にしてその庇《ひさし》の陰に残ったのは、内蔵助と原惣右衛門、間瀬久太夫の三人である。これは本陣をここに作って戦況を観望し、臨機の指揮をくだすのである。この黒い波はすこし行って堀部弥兵衛、間喜兵衛《はざまきへえ》の二老人に、岡野金右衛門、横川勘平《よこかわかんぺい》、貝賀弥左衛門《かいがやざえもん》の五人をみだれた足あととともに雪の上に振りまいて行った。五人の影は雪にくっきりと描かれていた。これは、逃れようとして、この門へ来る敵にむかう筈である。その他の人数によって作られた剽悍《ひようかん》な突撃部隊は、早くも大槌《かけや》をふるって玄関の大戸にかかっている。
一手は分れて、上杉の付人《つけびと》がいると認められた長屋と屋敷との交通を遮《さえぎ》り、屋外に走り出る敵をむかえるために、その方角へ突進した。この方面へ配られたのは早水藤左衛門《はやみとうざえもん》、神崎与五郎、矢頭《やとう》右衛《え》門七《もしち》、近松勘六、大高源吾、間十次郎《はざまじゆうじろう》の六人である。本陣の三人が見送っていると、月光の中に槍の穂尖《ほさき》や刀身がきらきら光りながら影とともにもみあって過ぎる。その間をどかん、どかんと大槌が重いひびきをたてて落ち、木片が散り、戸の破れて行く音のなかに、屋内に起ったあわただしい足音、叫び声が聞えて来ていた。敵が走り出て来たのである。
玄関口を捨て雪の上をばらばらと黒く庭口へ駈け込む人影が見えた。最初の剣戟《けんげき》の音がその方角に聞えた。
内蔵助は、こおった地面に、両脚を心持ちひらき、小柄ながら青銅の像のようにがっしりと突っ立って油断ない目でこれらの様子を見詰めていた。そのかたわらに原惣右衛門が先刻くじいた脚《あし》が頻《しき》りと痛むので、雪を握ってひやしながら、皺《しわ》の間から針のように細い目を光らして、同じくこれをじっと眺めている。間瀬久太夫は、腰の刀を落し、自分も飛び出したくてはやり立つ心をおさえ両腕を組んで睨《にら》むように同志の者の奮闘を見ている。玄関の戸は遂に破れた。そのすき間から誰か勇ましく屋内へ乗り入ろうとする姿がはっきりと三人の目に映じた。しかし、ここに、かれ等の背後に掛け放したままになっていたはしご伝いに、ばらばらと駈け降りて来た者があって、三人を振り向かせた。降りて来たのも三人の武士である。
三人の武士は内蔵助の姿を認めて、いんぎんに黙礼した。内蔵助の方でも、その時に三人の中二人が今夜堀部弥兵衛の家でひきあわされた弥兵衛の甥たちで、堀部九十郎と佐藤条右《さとうじようえ》衛|門《もん》の二人なのを知った。二人とも伯父の安否《あんぴ》を気遣《きづか》って後をつけて来たものと思われる。さて、もう一人の、たくましい若者は、思いがけなく大石無人の息子三平であった。
「お手伝い仕《つかまつ》りとう存じます」、と三平がいった。
かたわらにいる九十郎、条右衛門の両人の目も、輝いて同じ意味のことを物語っているのだ。三人が外まで来て、邸内に起る勇ましいときの声を聞き、我慢が出来なくなって門をよじて来たのは明らかだった。
内蔵助は目をうるませながら、
「いや」と、笑って答えた。
「御親切は忝《かたじ》けないが、今日のことは、自分たちの力のみを以て致したい。他聞のことも御座るゆえに、……慮外ながら、ここはおはずしください」
いんぎんな中に、りんとして冒《おか》しがたいものを含んでいる語気である。三平たちも内蔵助の心持を知らないのではなくて、それ以上を主張出来なかった。内蔵助の目配せを受け、間瀬久太夫が大門のくぐり戸をあけて、三人が退出する道を作ってくれた。この人々はすごすごと、そこから外へ出ることになった。
「無人様に宜しく仰せください」
久太夫は、三平にこういった。
「こちらのことは誓って御期待にそうように致します」
「なにとぞ、お願い仕ります」
三平は、この間にも手近く烈しく聞えている剣戟の音を名残り惜しく顧みながら、まるで自分たちからたのんだことのように切願と感謝にあふれた声音で、こう答えるのだった。
「外のことは、及ばずながらわれわれで引き受けます」と九十郎が力を入れていうかたわらから、条右衛門も、
「そうだ、お心置きなく敵にむかわれい」と告げた。
久太夫はうなずいて、もとのように重い戸をたてて錠《じよう》をおろして、内蔵助の傍《そば》へ戻って来た。
内蔵助が何かいうかと思ったが、内蔵助ははじめのように、きっと戦況を見まもって突っ立っているだけだったので、自分も並んで立って、白刃のひらめいている玄関口を睨んだ。そこには、今、走り出て槍をさげて迎えた敵方の白い姿と、味方の者の黒い影とがいりみだれて争っていた。式台の上へ駈けあがろうとする味方を、敵は食い止めようとして必死なのである。
何か、物のくだける音がした。庭の方を見ると、これは月と雪とにあかるい中に、上杉の付人たちと思われる見るからにりりしい男たちが、戸を蹴《け》たおして四、五人現れて、その方角に向った味方の一部に奮然として闘《たたか》いをいどんだものだった。
江戸から百余里も北の米沢は雪に埋もれている。今年は殊に雪が多くて、やんだかと思うと、灰色の曇り空が幾日か続き日の光を見ることもない内に、やがてまた、道端《みちばた》によごれてこおっている前日の雪の上に、新しく、つめたい綿ぎれを積み上げて行くのだった。野も山も畑も町筋も真白に変っている。然《しか》し、いつだってどこかしら憂鬱なこの北国の城下町を、その雪は美しく明るくしてくれていた。銀色の外套《がいとう》にくるまった杉の木立も明るければ、空気はつめたいだけでがらす板のように澄んでいて、身も軽く感じられるのだった。
千坂兵部は、この雪を見てから故郷へ帰ったという感じを深めた。心もいくらか落着いて来た。それまでは対象のはっきりしない不満が、絶えず、この落着かない魂をゆさぶっていて、閑寂すぎる故郷の空気に、どうも心持が、しっくりしなかったのである。こうした心持でいることが、余計自分を不幸にしていることも兵部は知っていたし、この静穏な故郷の空気に自分の心を近づけ、江戸から持って帰った精神の痛手を一日も早く癒《い》やそうとずっと努めていたのである。最後に赤穂浪士の一挙のことが、常に兵部のあたまにあった。ほかのことをしていて、丁度自分がここでこうしている間にも江戸でそのことが決行されたかも知れないのだとふと考えると、兵部は焦躁《しようそう》に駆《か》られる。夜の枕《まくら》にもこのことが思いうかべられ、眠りを妨げるようなことが折々あった。やせほそる思いで、このことを憂いていたのである。
後事を託して別れて来た色部又四郎のたよりは、兵部のいた頃より事態が緩和されて来て、上杉家の家老たちと上野介どのとの間も至極円満だし、また上野介どのも漸くこの御公儀の威令のきびしく行われている御時世に徒党などはあり得ない、と考えられるようになって来たと伝えて来ていた。
これは兵部が自《みずか》ら身をひいた微衷《びちゆう》が報《むく》いられたわけで、兵部もうれしく感じた。しかし、この喜びには背中合せになって新しい悩みがともなわれている。こうやって、おれは、お家のためとはいいながら御主君をあざむき奉《たてまつ》り、少将《しようしよう》どのを敵の手に渡そうとしている、と考える自責の念であった。
兵部は、刑の執行を待っている人間のようにいつも不幸で憂鬱だった。木彫《きぼり》の面《めん》のように堅い顔付はそれを隠しているが、一層気難しく無口になって独りでいることが多かった。うるさい人間のかわりに例の猫たちが、いよいよ不幸なあるじの伴侶《はんりよ》となった。その猫たちもこの北国の気候に負けて元気なく炉端に集まって終日睡っている。その傍に、黙然と坐って本を読んでいるか、何か考え込んでいるあるじの姿は、淋しい陰影《かげ》にかこまれて、坊さまのように禁欲的なしわを寄せている。
この十二月十五日の朝には、雪の中を江戸から来た手紙を中間《ちゆうげん》が役所から届けて来た。十日も前の日付ではあるが、別に変ったこともないという文面であった。まさかこの朝に浪士たちの襲撃が行われたろうとは夢にも思わなかった。兵部は、すこし前から風邪をひいて毛色に衰えを見せている黒猫を見ながら、いつものように丹念に手紙をちぎって囲炉裡《いろり》の火にくべるのだった。
玄関口から斬り込んだ浪士たちの前へ、ばたばたと廊下づたいに敵が走り出て来て迎えた。
「出会え!」
武林唯七が身を挺して奮然と敵の白刃の中へ駈け込んだ。この、支那人の子孫は無謀なくらい勇敢だった。片岡源五右衛門、富森助右衛門が遅れじとこれに続いた。二、三合して、燃える鉄の匂いの漂う闇の中に、敵は退《ひ》いた。奥田孫太夫、勝田新左衛門が、ふすまを蹴《け》たおして後を追った。ふすまがたおれて、目前にひらけた空間に四人の男がかいがいしく立って待っていたのが、きっとして、これを迎えた。
「推参《すいさん》」と、一人の口から火花のような言葉が飛んで来た。その時すでに助右衛門の切っ先が風をきって白く走っている。刀身が鳴り足音がみだれた。助右衛門が敵の一人と重なり合って争っているのを見て、側面から片岡源五右衛門が槍を進めた。かみ合うような烈しい勢いで双方がおどりかかった。小野寺幸右衛門が横ざまに払った一刀に、敵の一人が障子ぐるみ|〓《どう》とたおれた。
上杉の付人であろう、敵も頑強に踏みとどまって鋭く斬り返して来た。ばたばたと、新手の者が走り寄って来た。「なに糞《くそ》ッ! なに糞ッ!」と叫びながら斬り込んでいる男がいた。鋭い太刀筋である。浪士たちは、内蔵助の指令どおり戦友が三人ずつ一団となった。これは有効な戦闘方法で、一旦|遮《さえぎ》られた進出を、今度は猛烈な勢いで進めることが出来た。
見る見る内に敵は斬りまくられて、一歩一歩と譲って来る。最後に、どっと崩れて、次の間まで逃れてそこで踏みとどまった。
この連中に武林たちが追いすがるのを見て、小野寺幸右衛門は、側面にあったふすまをあけて別の方角へ出た。戦友二人がすぐとこれに続いた。
この部屋の床《とこ》の間《ま》にあがっていた敵が一人いた。幸右衛門が進むと、あわてて何か投げつけて廊下へ走り出た。幸右衛門はその後を追おうとして、床の間に半弓が幾張も並べてあるのを見て、気がついて、そのつるをばらばらと斬って捨てた。よかった……というように二人の戦友もうなずいた。これで射すくめられては、味方が苦しむのはいうまでもないことだった。
「奥へ!」
そうだ、なんでも早く奥へ。
上野介をのがしてはならぬのだ。
三人は、走り出た。
廊下のやみの中から、ぬっと、槍の穂先が白くひらめいて出て出はなを切った。幸右衛門が腿《もも》を突かれてよろめいたが、戦友たちが走り寄って、楯《たて》になってこれをかばいながら、奮然と進んだ。槍をつけた男がこの勢いに屈して、すこしずつ追い詰められて来たところへ、どやどやと唯七や助右衛門が駆け寄って来て、しゃにむに突き進んだ。
敵は槍を捨てて、逃れた。
が、
「小林平七」と、名乗って出た敵が、悠々とこの人々の行く手に立ち塞がった。同時に、刀身が宙に躍った。唯七の刀が凄《すさ》まじい勢いで払いのけられた。唯七は、よろめいて、雨戸へ体を打ッつけてたおれた。平七の刀がこれを追うのを、助右衛門が横合いから走り寄って、がっしと、抑えた。
「強いぞ」と、起きながら唯七が叫んだ。
女子供の叫ぶ声、物のこわれる音の騒然たる中に、一瞬間この場へぴたりとした沈黙が降った。双方が切先を寄せて守勢を執りながら相手の腕前がほどを知ろうとあせっていたのである。
「うぬ!」と、奥田孫太夫が叫んで突進した。
この人も堀内源太左衛門の門下で、堀部安兵衛とともに同志中聞えた剣客《けんかく》である。鉄鍔《てつつば》をはめ一尺七寸の堅い樫《かし》の柄《つか》を付けた太刀《たち》が、うなりながら小林平七の手もとへ躍り入った。
小林は、身をかわして、一撃を返して来た。そこへばたばたと付人たちが狭い廊下にあふれるほど走り出て来て、小林の味方に付いた。これはかえって平七の進退の自由を失わせるもとだった。
隙《すき》を見て、平七は、かたわらの雨戸を蹴倒《けたお》した。雨戸一枚だけの月の光がさっと差し入って来て、この場の凄壮な有様を照らし出した。
孫太夫は平七をねらった。
平七が誰か呼んで、
「槍! 槍!」と、叫んだ。
付人の中槍術《うちそうじゆつ》を使う者を呼んだらしいのである。槍の名手がいることは、浪士たちも現に見て知っていた。しかし、具合わるく、その者は平七の声がとどくところから姿を消していたのである。その間に、浪士たちの方でも雨戸を破って、一同が一時にかかれるだけの空間を作っていた。
倒れた雨戸を踏み、斜めにさす月光の下に必死の闘いがつづけられた。
小林平七を始めとして付人たちの働きも凄《すさま》じかった。数分時の間、互いが斬りまくられるかと思うと盛り返して来て斬りまくった。そのたびに、一人二人ずつ、月のあかるい雪の上に仆《たお》れる者を残した。それが専ら屋敷方の者に多いのは、浪士の襲撃がまさか今夜とは思い掛けず、武装が充分でなかったからである。不意打ちを受けて、人々は追《お》っ取刀《とりがたな》で寝間着《ねまき》のまま走り出たものだった。
平七は切歯して、血と汗ですべる太刀の柄を幾たびも握りかえながら、相変らずすさまじい勢いで防戦していた。
浪士たちの三人組の策戦も、この勇士の必死の勢いには、あまり効を奏さなかった。一秒時も早く奥へ進みたくあせりながら、つまずく大きな石として、この男が立っていた。付人たちがこの男をどんなに頼りに思っているかも、付人たちがこれまでにない腰の強い抵抗を示しているのでわかった。なんでも、この敵を仆《たお》さなければ……と、自然と、浪士たちの目標が平七に向って落着いた。
しかし、俄然《がぜん》として、形勢は一変した。それは、二筋の箭《や》が、羽根を鳴らし付人たちの頭上をかすめて家の中へ飛び込んだのから始まる。廊下から庭へ転げ落ちた者があった。その背筋に立って箭の羽根が光っていた。庭口へ廻った浪士の中から早水藤左衛門、神崎与五郎の二人が半弓を執《と》って、苦戦の同志に味方したものだった。
敵の足並は、目に見えてみだれた。
ここぞと、浪士たちは切っ先を揃えて一度に斬り込んだ。
「ひけっ!」と平七が叫んだ。
平七は、再び身を挺《てい》して敵の正面に廻った。自分が防ぎ止めている間に、味方を奥へ退かせる魂胆《こんたん》と見えた。奥田孫太夫は、それまでの敵を急に捨てて、この心にくい勇士に向うことにした。
平七は、目をあげ、白刃を隔てて、孫太夫を見た、月がいろどっているその片頬に、ゆるい微笑が動いているのが見えた。
「奥田孫太夫重盛」
孫太夫は自分から名乗った。そうしないではいられないくらい、何かしら敬虔《けいけん》なものが、平七を囲む空気の中に漂っていたのである。
平七は笑って、
「小林平七」とひくい声で答えた。
このわずかな、心の余裕の中に、米沢にいる千坂兵部の暗い顔付を平七は見出した。平七は、勇気がわいて来るのを感じた。たとえ絶望の苦い味を一隅に含んでいるにしろ、ひろびろとした天地の間にふさがる、不思議とおおらかな心持を。
隣家に聞える剣戟《けんげき》の音は旗本土屋主税の夢を破った。はっとして起きなおる。耳を澄ましていたが、なお冴えて、手に取るように近く聞えたので、
「弥五右衛門!」と鋭く呼んだ。
用人《ようにん》が駈け付けて来ると、
「赤穂浪士の夜討《よう》ちと見える。いそぎ邸内をかためよ」
「はっ」と、さがって行く間に、主税は手ばやく寝間着を平服に替え、袴《はかま》を着けてから、長押《なげし》の槍をはずして抱えて廊下に出た。
がらがらと雨戸が一枚残らずあけられる。廊下へ月が差し込んだ。外は、つめたい銀色の庭だ。夜明前の寒さに息も白く凍っているのである。この庭に家来たちが、かいがいしくばらばらと走り出て来るのが主《あるじ》の目に映じた。
主税は雪洞《ぼんぼり》に足もとを照らさせ、庭下駄をはいて雪の上へ降りた。
「塀を越えて来る卑怯者があらば、容赦《ようしや》なく突き落せ」と、白い顔を振り向け、りんとして、こう命令した。
「少将父子であろうとも、遠慮はいらぬぞ」
腰元が陣中の床几《しようぎ》を持ち出して庭に据え、花模様の振袖でこれをぬぐった。主税は、小姓に槍を渡し片手を懐中に入れたまま悠然とこれに腰をおろした。かつて毛利小平太が乗り越えて来た塀が、細《こまか》い雪をかぶって黒々と、主税の視野に横たわっている。家来たちは、高張提灯《たかはりちようちん》をかかげて、この一郭の雪をぼっと明るくした。主の心持をよく知っている家来たちである。塀のむこうにつづく剣戟の音、鯨波《とき》の声に胸をおどらせ、手ぐすねひいて待ちながら、主税の左右に居流れているのである。
ばたばたと、塀の向うに人の足音が聞えた時、すわこそと人々は目を輝かした。しかしこれは塀越しに幾つもの提灯の灯が松の雪を輝かしているのを見て、浪士の内の原惣右衛門、小野寺十内、片岡源五右衛門が駈け寄って挨拶に来たものだった。
「赤穂浅野家の旧臣どもで御座る。亡君の鬱憤《うつぷん》を散ぜんがために、ただ今当屋敷へ推参いたした次第で御座る」と、十内がしゃがれた声ながら雄々しく叫べば、
「お屋敷へ御迷惑は相掛けませぬ。武士は相互いの義に御座れば、なにとぞ御構いなく、御討たせ下さるよう願い上げます」と、惣右衛門が後を引き取って挨拶した。
無論、主税は、一言もこれに答えなかった。白い顔も、瞬間の感動を目に閃《ひら》めかしただけで、唇を一文字に結んだまま動かぬのである。家来たちもしわぶき一つ聞かせず静粛なものだった。
三人の足音がさくさくと雪を踏んで遠ざかった。
どかどかと遠い物音が寄せて来た。
氷をきったような月が雪の屋根に滑り落ちてから、空はいよいよつめたく冴えて、ぴんと一枚の玻璃《ガラス》板を張ったように見えた。地面に夜を残して、すこしずつ白く明るくなって来るように感じられるのである。骨にしみるような寒さである。主が動かないから、家来たちも動かない。この一団は、再び浪士の者が塀の向うまで来て、ただ今|本懐《ほんかい》を達しましたと報告するまで黒い塀と向いあって、内の物音を聞きながら、無言の助太刀をして雪の上にいたのである。
表門を乗り越えて邸内におどり入った東部隊のときの声に応じ、裏手に起った凄じい物音は、主税の率いる別働隊が裏門のとびらを破ろうとして大槌《かけや》を打ちおろす響であった。この門はこわせる……とかねて吉田忠左衛門が睨《にら》んで作戦計画の中へ加えてあったのである。杉野十平次、三村次郎左衛門が大槌をふるい力をこめてたたきつけた。とびらはこの凄じい打撃の下に忽ち傾いた。それと見てまさかりをふるって進む者がある。木片は白い傷口を見せて散乱した。忽《たちま》ちとびらの一枚はどうと地響をたてて内側へたおれた。
そのとびらを踏み、ときの声を揚げて、人々は内部へ雪崩《なだれ》込んだ。
門番の小屋から、何事か叫びながら六尺棒を握って走り出て来た者が二人三人いたが、この真黒な人の流れは、こんな敵は物の数ともせず、押しのけるようにして打ちたおして玄関へ殺到した。
ここでは、表門の、内蔵助、原惣右衛門、間瀬久太夫の三人に対して、吉田忠左衛門、小野寺十内、間《はざま》喜兵衛の老人連が武者振り勇ましく門を背にして、裏門口の司令部を作って残ったほか、磯貝十郎左衛門、堀部安兵衛、倉橋|伝介《でんすけ》、杉野十平次、赤埴源蔵《あかはにげんぞう》、菅谷半之丞《すがやはんのじよう》、大石|瀬左衛門《せざえもん》、村松三太夫、三村次郎左衛門が屋内《おくない》へ進み、大石|主税《ちから》、潮田《うしおだ》又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、千馬三郎兵衛、茅野《かやの》和助、間新六、木村岡右衛門、不破数《ふわかず》右衛門《えもん》、前原伊助が庭手へ向うことになっていた。
屋内へ進む者が玄関へ大槌をあてている間に、庭手の者は二隊に分れた。
裏門口の大将、大石主税はその一手をひきいて、建物をめぐって奥へ走り入った。ここには長屋がずっと並んでいた。
「浅野|内匠頭《たくみのかみ》の家来ども、上野介どのの御《おん》首級《しるし》を申し受けんため推参したり、われと思わん者は出合え!」
人々は、口々にこの意味のことを叫んだ。そうしながら得物で長屋の戸を叩いた。
驚いて戸をあけて出て来る者があると、争って殺到してたおして行くのである。これは一陣の死の旋風といってもよかった。勢いに怖れて、吉良方のものも屋内に屏息《へいそく》している者が多く、戸をあけて斬って出る者は極く稀《まれ》だった。
しかし、その間に主屋《おもや》の戸が各所であく音がして、外へ逃れようとして隙をうかがう者が認められた。そういう者が見当るごとに、主税たちは襲いかかって、内へ追い込むか斬って捨てた。ただ女子供が邪魔になっていた。間もなく敵も結束して相当手ごわい抵抗を見せ始めた。槍の穂先や白刃が、物の陰からどっと起って、不意に襲いかかって来ることがある。裏口は、上野介の寝所に近い関係もあったろう。敵の主力もこの辺にあったと見る。人数の点からいってもこの屋敷には、浪士の員数に二倍する人がいたのである。最初の不意打ちから来た狼狽が過ぎると、この人数が、持っているだけの力量を示し得るようになることは知れていたし、その時こそ、浪士たちは恐るべき優勢の敵を相手に廻すことになる筈だった。浪士たちの手に残っているカルタはたった一枚だ。しゃにむに斬り込んで、敵に余裕を与えぬことこれのみであった。不破数右衛門は、人々の先頭に立って正確にこの戦闘法を採《と》った。斬られてもこの男は退かない。幸いと、きごみを下に着ていたので、傷は深くないが着物は切られて朽葉のようにぼろぼろになって、見るも凄まじい姿に変りながら、来る敵と斬り結んで一歩も譲らないのである。前原伊助、間新六、潮田又之丞、大石主税がこれにはげまされて、血みどろの闘いを続けた。間もなく、この一角の敵は屋内へ追い込まれた。一同がほっとした時に、庭づたいに、またどっと進んで来た人数があった。黒い服装に袖口のあいじるしが見えた。
表門から入った味方と、はじめてめぐり合うことが出来たわけである。
「山!」といえば、
「川」と、響きのように答えて来た。
人々は、合体して、ときの声を揚げた。
大高源吾がいる。間十次郎の顔が見える。いそがしい中で、人々は微笑をかわして、また別れた。月が落ちて、やや暗くなった地上に、人々は三人ずつ別れて、敵を求めて歩いた。
この間に堀部安兵衛たちは玄関を破って屋内へ乗り込んでいた。ここは意外に感じられたくらい敵の防備が手薄だった。あるいは一歩を先んじて斬り込んだ表門、東組の乱入を迎えるために、人々が走り去ったせいかも知れないのである。浪士たちは、勇み立ってばらばらと乱入した。
走り入りながら、障子を突きたおして、敵が隠れられぬようにした。しかし、屋内は、真暗だった。ここでも、三人ずつ組を作って油断なく進んだ。
前方の闇に剣戟の音がさかんに聞えていた。安兵衛が出合った敵を掛声もろとも斬って落した。それを口切りに各所で行きあたりばったり敵を見つけては、火のような戦闘が開始せられた。その最中にふすまをあかるく染めて、灯《ひ》を持ち出して来た者があった。これは同志の磯貝十郎左衛門がどこからか蝋燭《ろうそく》ばこを抱え出して来たのである。この落着いた男は、同志の者が敵と命のやりとりをしている傍《そば》まで来て、風にあたらぬところを選んで、蝋燭を立てて行った。その時は人々は何とも思わなかったが、これはなかなか出来ないことである。後に考えて、十郎左衛門の器械のように悠々として冷静な操作を思い出すと、人々は愉快な微笑を感じたのである。
この灯は、味方の戦闘に有利な役をした。屋内を明るくして殺到して来る敵の姿を充分に認められるようにしてくれたのである。相変らず人々は、ふすまや障子を突きたおしては、内部からおどり出て来る敵に刀をつけて、一間ずつ闘い取って行った。
奥へ入るほど、敵の抵抗は烈しくなって来た。あきらかに上杉の付人と思われる筋骨たくましい男が、中に三、四人いて頑強に応戦して、すくなからず味方をなやました。火鉢を投げつけた者があってもうもうと起つ灰やほこりの中に浪士たちは相互にたすけ合って、この一角を斬り破るのに必死になった。いつものことで安兵衛のさえた腕前が、幾度か味方の崩れようとするのを救った。
敵の注意は自然と、安兵衛に集まった。数条の切っ先が、安兵衛の動くところに従った。安兵衛の働きははなばなしかった。上背《うわぜい》を利用して、豹《ひよう》のような姿勢で敵を睨んでいるかと思うと、奮然と突き進む。そのたびに火花が宙に散るか、相手の血汐が畳の上にふりまかれた。杉野十平次は槍をしごいて進み、村松三太夫、三村次郎左衛門は、敵の側面から切っ先を揃えて進んだ。こうして一進一退を続けている内に、浪士たちの意力が敵を克服した。上杉の付人らしい者三人が遂にたおされてから、敵は物を投げつけながら、この広間を抛棄《ほうき》して奥へ逃げ込んだ。
浪士たちは、これに続いて、奥へかけ込んだ。上野介の居間がもう遠くないと感じたことがこの人々の勇気を煽《あお》っていた。
討入《うちい》りの人数に漏れた毛利小平太は、兄の屋敷にいた。夜はひっそりとしていて、家の中にはつめたい闇があふれている。しかし、小平太は、この寂寞《せきばく》とした夜の一隅に、凄まじい剣戟の音と、戸障子が倒れ人の走りまわる音を絶えず聞いて、席にもいたたまらぬ思いでいた。のどはかわいている。手がふるえる。
「兄上!」と叫んだ。
「お願いで御座りまする、なにとぞ、なにとぞ……」
その兄は、この深夜にも拘《かかわ》らず、あけ放したふすまのむこうに、膝に手を突っ張って、小平太と睨みあって坐っているのだった。
「見苦しい」と、鋭くいった。
「聞き分けなき男だ。それまでに兄の言葉に逆らおうというのなら、勝手に出て行け。しかし、兄はその方をこの屋敷から出してそのままに捨ておくわけには行かぬ。これまでもいったとおり御法度《ごはつと》の徒党を訴えて出るのみじゃ。事もあろうに何たるたわけたことをする。家名のことを何と心得ているのだ? 徒党は謀叛《むほん》も同じ儀だぞ」
小平太はくちびるを噛んで、兄を睨めた。兄はまた弟を睨み返して目を動かさない。この兄弟は今日の夕方から同じ争論を繰り返して、食事もせず睨み合っていたのである。
兄は、戸田弾正之忠《とだだんじようゆきただ》に仕えていた。家庭は子供が多くて円満で幸福な男である。家で見るほど兄がゆったりと見えることがなかった。この兄は弟が浪人してから心持の上でかなり荷厄介に思っていたところへ、今日夕方突然に来て、暇乞いに来たという。どこか新しく主人でも出来たのかと思うと、声をひそめて復讐の計画をあかしたのである。兄は弟の無謀にあきれた。どこまで世話を焼かせる奴かと腹が立った。浪人して気持が荒《すさ》んだのは仕方がないとして、徒党は違法のことだ。しかも、浅野|内匠頭《たくみのかみ》は御法度に逆らう軽率な所業があって、当然の仕置きを受けたもので、その遺臣たちが吉良少将を狙《ねら》うとすれば、筋道の違った話だ。余人は兎も角も、知っていて弟をその暴挙に一味させることは断じて出来ない。
兄は、これを正しいと思った。
この思案の背後に、自分の位置に関する不安、ひいて一家の前途に関する不安を漠と感じていなかったことはない。しかし、そういう当然至極な利己的な考え方を除いても、この意見は正しいのである。兄はこの点に力を入れて考えた。そして、弟がその無謀を敢《あ》えてする場合、唯一の救正の道は自分が訴人《そにん》して出ることよりほかにない、と堅く信じているのであった。
小平太は泣くにも泣けなかった。
何と説き何と訴えても兄は頑として、主張をあらためなかった。小平太は、昔からの兄の片意地な気性を知っていた。二人ともまだ子供だった頃からの癖であった。腕力その他では小平太の方がずっと上になって来た今日でも、この昔の性格的な征服被征服の関係がそのままで残っていて、この家長の前へ出ると小平太は兄を憎みながら、自分の気力が昔の様に腑甲斐《ふがい》なく圧倒されるのを感じるのである。ふたりが互いに憎みながら睨み合っていて、先ず臆病に視線を崩すのはいつも小平太だった。烈しい抗議は、いつの間にか屈辱的な哀願の形となるのである。腑甲斐なくもそれである。はね返そうと試みて、この関係は変らないのである。
小平太は、血の気をなくして、目をぎらぎらと光らしていた。兄は、この弟が今にも躍りかかって来るのではないかと感じながら、こいつなら負けるものか、と堅い信仰を杖に突いていた。
「行くなら行け!」と、いった。
小平太は肩をふるわせた。そして、力なく面を伏せた。
「兄さんは、私に死ねとおっしゃるのだ」と、いった。
「死ね? 馬鹿いうな」
兄は嘲笑しようとして、かえって怖ろしい顔をつくった。煙草盆を引き寄せた手が癇《かん》でふるえた。
兄は、死んだ父親の癖によく似ているせきばらいを続けた。
小平太は、真暗な淵を胸に感じている。その闇の中に、ふと背き去った友人の小山田庄左衛門の顔付がのぞいて見えた。庄左衛門はいつもの、妙にさえたつめたい顔付をしている。あらあらしく小平太は、この不快な幻影を追い払った。不義不忠の小山田と自分と並べて考えるなどとは以てのほかのことだ。小平太は、気がくるったように立ち上った。兄の視線が自分を追っているのがわかった。
死んでやるから……。
小平太は、廊下へ出た。
「小平太」と、兄が呼び止めながら、立ちあがって後を追って来た。
「何をするんだ?」
「何もしやしない」
「馬鹿……」
「…………」
小平太は、板敷にぴたりと坐ったまま、歯をかみ鳴らして、けだもののように呻《うめ》いた。
「兄さん、私は、血みどろになって闘っている友達の顔が見える。みんなが私を睨んでいる」
兄は、弟の言葉にすごいものを感じて、言葉が詰まったが、暗く笑いながらいった。
「昔から気のちいさい奴だ。……浅野家の家来の数は四十人や五十人ではなかった筈だ。その人数に漏れたからといってはじることがあるか? 大多数の人たちが加わらなかったというのは、見る目があったからじゃないか? くだらんことを考えるのはよせ。馬鹿な」
「…………」
「いつまで、赤穂あたりの、ちっぽけな料簡《りようけん》でいるのだ。同じ御奉公にしろ、もっと大局のことを考えろ。御公儀への御奉公を何よりも考えなくてはならない。それさえしていれば世間から非難されることなどないのだ」
世間……小平太は、兄に侮蔑《ぶべつ》を感じた。同時に、いつかそれと同じようなことをいった小山田庄左衛門のことをまた思い出した。兄の俗物らしい見解よりも不忠不義のかれのいったことの方が正しいのである。御公儀などよりは人の最大多数に仕える……おれには出来ないことだが、それのみに生甲斐がある筈だといった……。論理は小山田の方が正しいのである。けがらわしい一遊女の死を、同志の神聖な目的に並べた、小山田の大胆不敵な言葉があたっているのである。
馬鹿、馬鹿、馬鹿!
小平太は、兄を睨みつけながら頭がわれそうに思った。そうしていて、心は匙《さじ》の上にぬれている角砂糖のようにすでに傾きかけているのがわかった。それと知って自分は何も出来ないのではないのか? 虚無の苦い味が舌にさわった。味覚には苦いが、この場の救いに違いなかった。
ひとりでいたい。人の見ていないところで、自分の心がどう変るか見てやりたい気持があった。小平太は動作や顔付では、兄を、嫌悪すべきもののようにしてしりぞけながら、内心はこうしていつの間にかその言い分に服していたのである。
大切な時刻も最早過ぎていた。ただ惰性から兄に反抗しながら、小平太はこの廊下に頑《かた》くなに朝まですわりとおしていた。
表門から攻め込んだ東組の者もまた、小林平七と名乗って出た敵方の勇士を斬りたおしてからくずれる敵を追って、勢い込んで、奥へ駈け込んでいた。
上野介どのお屋敷へ押し込み候働きの儀、功の浅深これあるべからず、上野介どの印あげ候も、警固一通りの者も同前たるべく候
と起請文《きしようもん》前書にあるいましめも、表と裏に手を分ければ自然競争心をその間に生むのを免れなかった。かたきにめぐりあって、自分たちが二か年の雌伏《しふく》の間の鬱憤を、はらしたかったのは誰しも同じことである。この一念を切っ先にこめた一団は、つつみをきった川水のように廊下へ流れ込み、広間を駈け破り、書院へ斬り込んだ。
吉良方にも名を惜しみ、ふみ止って頑強にこの頽勢《たいせい》をささえようとする人々がいて、浪士たちの行手を厳重な垣根のようにふさいだ。人数からいえば防ぐ側の方が多いのである。双方が衝突するたびに必ずどちらも傷ついた。ただ、浪士たちは、これを意識しない。前進することだけに運命づけられた鋼鉄の機械のように、しゃにむに斬り込むだけである。面を向けられないようなすさまじい勢いである。この人々が一尺二尺と辛苦して斬り取って行く畳の上にもがく敵の傷者のほかに、かれ等自身のからだから落ちる血が、なまなましい赤い花をまき散らして行った。たおれて落伍する者がなかったのは不思議なくらいである。
矢田五郎右衛門助武は、隠れていた敵にうしろから背を斬られた。五郎右衛門は戦友たちより一歩遅れていたし、うしろをかえり見る余裕がなかったのである。
背を打たれてよろめきながら、五郎右衛門は斬られたとも感ぜず振り返って敵の姿を認めて、目にもとまらぬ一刀を横なぎに送っていた。
敵は、何か叫んで飛びすさったが、うしろにあった火鉢につまずいて、その上へたおれた。その時はもう、五郎右衛門の第二刀が小さい風を起してふり下ろされていた。がっと濁った音がした。敵の胴もその下にある火鉢も真二つになっている。それと同時に、五郎右衛門の刀も切っ先五、六寸さがったところから折れていた。
「しまった!」と、五郎右衛門は叫んで、未練らしく手に残っている刀へ目を走らせたが、気がついてこれを捨て、代りに今斬った敵の刀を拾い取った。
その刀の切っ先には自分の血があぶらを残している。ぴゅっと、五郎右衛門は一振りして、目方をためしてみた。それから、直ぐと苦戦している同志の列へ加わった。勇ましく新手の敵に斬り込んで行く五郎右衛門の背には、きこみがさけて血がにじみ出している。しかし五郎右衛門が死なずに済んだのは、このきこみを着ていたお蔭だったといってよかった。味方の者も、五郎右衛門が後に廻った敵を斬ったのを知っていても、五郎右衛門自身が斬られたのだとは、最後まで気がつかずにいた。
火花の雨の中に、やがて、この部屋も斬り取った。武林唯七は、側面にふすまがあるのを見て、そこから人のいない真暗な廊下へ駈け込んだ。戦友たちは、敵と斬り結んでいてこれに気がつかなかったのである。
唯七は、廊下を走って行く内に障子に人影を認めて、その部屋へおどり入った。偶然にそこが吉良|左兵衛《さひようえ》の部屋で、なぎなたを揮《ふる》って唯七を迎えた若者が、そのひとであろうとは知らずに、
「糞《くそ》ッ!」と、唯七は、体をかわしながら、一刀を送った。
切っ先は若者のおもてをかすった。ほんの瞬《またた》きをする間に赤い糸のような血が顔ににじみ出た。
若者は、なぎなたを捨てて身をひるがえした。唯七は追いすがって、また一撃した。これもかすかな手ごたえがあっただけである。
左兵衛は、無手のまま、庭へ飛び降りた。
それ以上後を追うだけの敵でもないように思われた。しかし、唯七はこの部屋が立派すぎるのに気がつき、敵の捨てて行ったなぎなたを拾って、金具に吉良家の桐の定紋《じようもん》を見つけたときに、「左兵衛どのだったか」と気がついた。年恰好からも人品からも確かにそれだと思われた。唯七は惜しくてたまらなかった。「こんど逢ったら逃しはせぬ」と意気込んで、足音荒く、廊下について進んだ。
小野寺十内は、間喜兵衛、吉田忠左衛門と一緒に裏門のおさえとして、例の槍を雪の中へつき、油断ない目付で、敵の出て来るのを待っていた。
しかし、敵は多分は三人の武勇を憚《はばか》ったことかも知れぬ、遠方へ逃げるのが見えていて、一人もこの方角へ出て来ないのだった。これは十内老人の脾肉《ひにく》の嘆《たん》に堪えぬところである。自分はいいとして、多年自分に忠実に尽してくれて来た槍に対して、甚だ申し訳ないことのように考えられるのだった。十内は振り返って、間喜兵衛が同じように働きたくてむずむずしているらしいのを見た。
邸内に頻《しき》りと聞える勇ましい物音が、遂に十内に躊躇《ちゆうちよ》を振り切らせた。
「ここは、もう充分だろう?」といい出したのである。
「そうだ。もうそちこち東西両部隊が合体した頃だろうし、われわれも動いてよかろうと思うな」と、早速喜兵衛が賛成した。
「それ、あのとおり長屋へ逃げ込む者が多い。少将があれに加わっていないとも限るまいが……」
「おいでなさい。私がここで張り番をしていましょう」と、忠左衛門がいった。ふたりが待っていたとばかり槍を抱えて走り出す後から、
「お怪我のないように」と叫んだ。
二人の老人が勇ましく長屋に沿って走り出るや否やに、敵は忠左衛門一人と見て、この門をめがけて駈け寄って来た。忠左衛門は、すぐと槍を構えた。
敵は二人である。忠左衛門は引き寄せて置いて難なく一人を突き伏せ、一人を威嚇《いかく》して追いやった。
その間に十内と喜兵衛は、長屋へ逃げ込もうとして向って来る敵にめぐりあう毎に、得意の槍を振って突きまくっていた。殊に十内は武者振り勇ましく縦横の働きを見せた。老人たちの働きを見て、折からどっと駈け寄って来た東部隊の者が、ほめ言葉を投げて走り去った、十内もよほどうれしかったと見える。後に例の如く京にいる妻にあてた手紙にこのことを詳しく書いてやった。
喜兵衛は引き返して、忠左衛門に代って裏門の番に立った。その頃になると、走り廻って見えるのは味方の者だけになった。誰と見分けがつく前に、袖の合じるしが最初に目に入るのである。いくさが調子よく進んでいることもこれでわかった。
味方の者を見ると、
「かたきは、まだか?」と、喜兵衛は叫んだ。
もう何か消息があってよさそうなものだと思うのだ。剣戟《けんげき》の音が殆ど静まって、味方のものばかり見えるのは、敵の中で抵抗する勇気のある者はたおれ、逃れる卑怯者は去った証拠である。
喜兵衛は、ひょっと、上野介が逃げたのではないかと、不安を感じた。いくさがやんで邸内は、同志の者の話声や足音のほかは、冬のあけがたの寒さに、寂寞としているのである。しかし、やがてのことに、この森《しん》としたせかいにするどい呼笛《よびこ》の音が遠く聞えた。老人は、はっと思った。そこらに見えていた同志の者がいそいで走って行くのが見える。喜兵衛も、槍を抱えて、そのあとから駈け出した。
勝手口の横手にある炭部屋の前に人々が集まって、頻りとその戸をあけようとしていた。その一人の間十次郎がここを通りかかって中で人声がしているのを聞いたのである。
戸は内部から鍵《かぎ》がかけてあると見え、いくらたたいても押してもあかなかったので、破《こわ》すことになった。一人が進んで大槌《かけや》をふるうと、一撃の下に破れてはずれた。
三村次郎左衛門や間十次郎などが躊躇なく中へおどり込んだ。それと殆ど同時に、内部の闇の中から、炭俵や、薪《まき》、茶碗などを投げつけて猛然とおどり出て来た者がある。刀のひらめくのが見えた。
次郎左衛門が、直ぐとその正面へ向って刃を合して、巧みに小屋の外へおびき出した。一同が襲いかかろうとすると、また一人、すさまじい勢いで斬って出た。
この二人の敵は、小屋を背にして、敵ながら天晴《あつぱ》れな働きを示した。浪士たちも暫くこの小屋の入口へ一歩も近づけなかった。しかし三村次郎左衛門が奮闘してその一人を斬り伏せてから、間もなく残る一人も、浪士たちにかこまれて雪の中へたおれた。
すぐと間十次郎が真先に小屋の中へ飛び込んだ。小屋の中には、まだ一人の敵が小刀を抜き持って立って身構えていたが、十次郎が突き出した槍を受けて、もろくもよろめいた。それと見る前に、武林唯七は駈け寄っていた。早速の一撃がこの敵を地に這わした。
唯七は振り向きもせず、なお誰れか隠れていないか見るために、炭俵《すみだわら》の上へ駈け上った。ほかの者もこれに続いた。この三人の中で最後に斬られた者は、まだ息があってこの間をずっと呻《うめ》いていた。
吉田忠左衛門がいて、この男に目をとめ、手をあてて着物をさぐっていたが、一応外へ引き出して見ようといった。
俵の上へあがっていた者も降りて来て、男を外へ抱え出した。人々の視線はこの男に集まった。白むくの小袖を着た六十ぐらいの老人である。苦痛に顔をゆがめ、まぶたはとじているが口をすこしあけて力のない息をついている。その顔をむさぼるように見詰めていた人々は、急にお互いにさぐり合うような目付で顔を見合わした。
「上野介どのではないかな?」
真先にかたきの名を口にのぼしたのは、吉田忠左衛門だった。これに人々は動揺して争ってのぞき込んだ。
「年配、風体……殊に白むくの小袖をつけているのは、並の者ではあるまいと思う」
忠左衛門は沈着にこう付言した。それから襟《えり》にさげてあった呼笛を取って、口へ運ぶのを人々は見た。
ひゅーッ……
と、笛は鋭く鳴った。
ひゅーッ、ひゅーッ……と、さえた明けがたの空気の中に遠く近く四方に呼笛の音が起った。続いて同志の者が駈け集まって来るのが見えた。最後に、内蔵助がのっそりしたからだを、いそがしく運んで来た。
同志の者の視線を集めながら内蔵助は歩み寄って来た。その目は泥だらけの雪の中に横たわっている老人の姿にじっとそそがれた。忠左衛門も敢えて境遇を説明する必要を感じない。その他の人々は息を呑んでかれ等の統領のすることを見まもっているだけのことで、この一群をまだ暗い霜の朝の静けさがとじこめていた。やがて、
「龕燈《がんどう》を」と、内蔵助がひくい声で、いって出た。
龕燈の光を顔にあびて、上野介はまぶたを動かして薄く目をひらいた。内蔵助は、その目の光に一切を読み取ろうとしてまた更に鋭くじっと見詰めていた。しかし、老人の視力は最早衰えて、間近くかぶさっている、日夜念頭にとめていた相手の顔を認めることが出来なかったようである。そこには、ただどんよりと濁った力のないつやがあるだけで、別段に苦悶も恐怖も認められなかった。そのまぶたさえ睡くてたまらない人の「睡いのだ。ほっといてくれ」というようなものうげな様子で、重く閉ざされるのが見えた。
内蔵助は、老人の額に亡君の遺恨の刀痕《とうこん》を探していて見付からなかった。その、すこしせき込んだような視線に動かされて、吉田忠左衛門が老人の肩をはいだ。そこには脊骨をすこし外《はず》れて、歴々《ありあり》と、黒い線をひいた刀痕が認められた。これこそ松の廊下で亡君が、逃げる上野介にあびせかけた無念の一刀の名残《なご》りであった。
人々は、それをじっと見詰めていた。その胸の中に、二か年の心労が影のように流れて過ぎた。誰あって一語をいわず。また、悲しいのかうれしいのかわからずにいて、むち打つように強い感動が各自の胸をひき裂いた。声こそ発しなかったが、人々は泣いてくちびるを噛み、知らずにからだを動かしていた。
内蔵助は、老人のやせた肩に、一度ぬがせた小袖を着せてから、あらためて、顔を上向きに起して、
「浅野内匠頭が旧臣で御座る」と大声にいった。
「亡君の意趣をつぎ、ただ今、御《おん》首級《しるし》を申し受けまする」
動いている人々にかこまれて、内蔵助は佩刀《はいとう》をすらりと引き抜いた。その刀尖《きつさき》は、人々の無量の感慨をこめて力強く、上野介の喉《のど》もとへ重く沈んだ。上野介は、手足を動かして、すこし姿勢を変えただけで、そのままつめたく、雪の上に残された。
内蔵助は、立って間十次郎を振り返った。
「首級を揚げられい。初槍を着けた貴殿がよかろう」
二十五歳の十次郎は、一同に黙礼して進み出た。上野介の首を落すと、ひろいあげて統領の実検に入れた。
内蔵助は、うなずいて見せて突如、
「かちどき」と、叫んだ。
うわーっ……と人々は喉も裂けよと叫びあげた。
刀も槍も、氷の林のように空へ突きあげ打ち振った。寒天も動けというのである。お互いにきごみの破れて傷付いた肩を抱き合せておどりたい心持もこの叫び声に空へ逃して、酔って狂ったように三たびまで叫び上げるのだった。そうしていて涙は頬に光った。朝はいよいよつめたく冴え返って、東の空は白んで来ている。ものぐるおしくさえ見えるこの一団は、雪の上に、かたまりになって動く青銅の群像を置いたように、はっきりと見えた。
吉良家の家老、斎藤宮内《さいとうくない》、左右田孫兵衛《そうだまごべえ》の二人は、この一夜にこそ奮い立って、家中の混雑を防ぎ臨機の指図をくだして、敵襲にあたるべきであったのに、腑甲斐なく真先に逃げ出したような人々であった。逃げ途は、夢中で長屋へ飛び込んでから、誰からはじめたということもなく壁を破って屋敷の外へ出たものだった。この死物狂いの作業には、武士の魂ともいわるる佩刀《はいとう》が有効に用いられた。
時ならぬ騒ぎに起きて出て、戸を細目にあけ覗いていた裏門前の傘屋が、気の毒に思って家の内へかくまう不料簡を起した。二人は、主人の屋敷に烈しく聞える物音がしずまって、世間が明るくなるまで、骨だけの傘や、染料のかめが並べてあるところにいて不安らしく目を光らせていた。浪士たちが引き揚げたとわかってから、もとの穴から、屋敷へ帰った有様である。傘屋の亭主は、後になってから、考えれば考えるだけ自分が二人をかくまった軽率《けいそつ》を恥じるようになった。その不快の情がやがて当夜の斎藤、左右田の卑怯な仕打ちを憎む心もちと変った。吉良邸の壁にうがたれた穴が、どうして出来上ったかという事実を、世間は知った。大勢がよろこぶようないたずらをするのは、誰でも人が好むところである。誰がやったことだろうか、その穴のある壁に、下手なりに大きい字で、「このところ家老のほか出入りすべからず」と書いてあるのが、間もなく発見されて世間は喝采《かつさい》した。
吉良家の中間《ちゆうげん》が、盗人のように夜やみを待って、この楽書をけずり落した。けれども、また間もなく、同じことを、今度は別の筆蹟で、「犬、猫、家老のほか」と丁寧な文句をつけて書き出してあるような始末だった。吉良家では左官屋を呼んで来て穴をうずめさせた。この左官はたのまれたからといって、余計なことをしたというので人に憎まれた。
が、この二人の家老のほかに、やはり外へ逃げ出した人数の中に、丸山清右衛門という男がいた。
この男は、逃げると一緒に、上杉家へ注進することをすばやく考えた。これは、誰が考えても必要欠くべからざることである。清右衛門は、その足で、裾《すそ》をまくって走り出した。
しかし、この足音を聞いて、誰か、
「待て!」と叫んで、追いすがって来る者があった。清右衛門は、討入《うちい》りの浪士の別手の者か、あるいはこれに味方する者が屋敷の外にまでいるのを知って、驚きながら夢中で路地を駈け抜けた。それと見て、追手も速力をはやめて、どこまでも追って来た。
清右衛門は必死で宙を飛んで走った。そのせいか上杉家の外桜田の上屋敷へも思ったより早く、まだ天の暗いうちに着くことが出来て、声を揚げ扉をたたいて門番を起した。追跡して来た者も途中で断念して引き返して行ったようである。これからすぐと上杉家の家中の者が迅走して向えば、主人も助かろうし、また、もしそれに間に合わなかったとしても、浪士たちを襲って復讐が出来るわけである。
いそいで起きて来た用人たちに、清右衛門は息をはずませて、これを説いた。この報を聞いて用人たちは愕然《がくぜん》として奥へ駈け込んだ。家中の者も争って走り出て来る。雪をかぶって深閑として眠っていた邸内は、忽《たちま》ち醒《さ》めて足音にうずめられ、走る炬火《たいまつ》の光は雪に映え、家臣たちが追取刀《おつとりがたな》で長屋から馳せ集まって来るのが凄く照らし出されていた。
千坂兵部から、後事を託された色部《いろべ》又四郎安長にも、この報をもたらした者があった。それと聞くや又四郎は家人を促して御前へ出る支度を整えさせた。
着替えをしている間にも、御殿の方角で人の騒ぐ声が手に取るように近く聞えていた。近所でも戸をあけて、ばたばたと走り出して行く様子だった。
(こりゃア殺されるかも知れぬ)
又四郎は、暗い廊下を玄関へ走るようにして歩きながら、これを考えた。それもよし、万一の時は命を投げ出してもと、覚悟はとくに定っていたのである。
お屋敷の玄関まで行って見ると、しらじらとあけて行く広場に、家臣たちは武器を携《たずさ》えてあつまっているし、馬のいななく声さえ聞えた。御家老……と又四郎の姿を見て、いろめいて迎える人々の前へ、又四郎はつかつかと進み寄って叫んだ。
「うろたえてはならぬ。理由は何にしろ、御公儀お膝もとをわきまえず干戈《かんか》を動かすとは、容易ならぬことだぞ。控えなさい。こちらより沙汰《さた》のあるまで、各自家に落着いて待っていなさい」
この言葉に人々はあきれたように無言でいたが、やがて、誰からはじめたともなく、気色ばんで口々に反抗の気勢を示した。
上野介様のお味方に参上いたすのだ。上野介様を討たせ、狼藉者《ろうぜきもの》をそのままにさし置いては武門の面目が立ち申さぬ、という中に、
「お上の御諚《ごじよう》で御座るぞ」と大声に叫ぶ者があった。
「御諚ならば、家老の私が取り次ぐ」
又四郎もきっとして、叫び返した。
「お家浮沈の分れる刹那《せつな》で御座るぞ。この際の軽挙は、関東管領以来連綿の御家名を亡《ほろ》ぼすことがわからぬか? 控えろ、控えろ!」
その間にもう上へあがりながら、玄関からたたきつけるように、こう叫んでつかつかと奥へ入った。
又四郎は、今の自分の声が奥にいる主人に聞えたのを知っていた。
お次まで来て、
「又四郎安長」と、ひくく名乗り、腰を折って綱憲《つなのり》の病間へ入って行った。
綱憲の病いは夏からのことで、病苦のほかに、父上野介の一身を気遣う心労が、このひとを常に不幸にしていたのである。又四郎はこれをよく知っている。兵部ほどのひとが、この情に溺《おぼ》れ退《ひ》かざるを得なくなったのである。又四郎は負けてはならぬ……お家のためだ。最後まで情の目をつぶって何も見聞きしないでいることだった。又四郎はそっと身を起して、綱憲の顔を仰いで、さっきから自分を睨んでいた主人の目と、ひたと視線を合せた。綱憲は、今まで病床から抜け出して本所へ人数を送るように、用人たちを指揮していたところで、又四郎が来たので蒲団の上に戻ったが、なお挑戦するように立って睨んだままでいたのである。
「殿《との》」
又四郎は声を励ましていった。
どちらも、凝《じつ》と目を見合せたままであった。やがて最初烈しかった綱憲の視線は、消え際の蝋燭《ろうそく》の火のように揺れて来た。
「お家」と、いって又四郎の声は躓《つまず》いた。しかしこの心を石のように殺し切った家老は、一語一語力をこめていい切った。
「……代々の御為に御座りまするぞ」
何か叫び出そうとして、綱憲は唇をわなわなとふるわせた。が、崩れるように膝を折ってがっぱと坐った。
「さがれ、さがれッ!」
「あいや!」
又四郎は、咽喉《のど》の筋を釣り上げて叫び返すのだった。
こうしていて、胸ははり裂けそうに思われた。お手討ちにあって仆《たお》れることは、むしろこの切ない心を救うものといえた。その覚悟は又四郎の顔にはっきりと見えた。お任せくださりますならば、とも、この男はいわなかった。何がなしに、この不逞《ふてい》の家老は圧倒的に見えた。綱憲は怒りふるえながら、こころ弱く、手真似で、「立て」と命令した。
又四郎が立つと、眩暈《めまい》を感じたように綱憲は両手で顔を蔽うて突ッ伏した。
内蔵助があれまでに力を入れていた引揚げの時が来た。人々は惨たんたる二か年の苦心の末に遂にこの凱歌《がいか》を揚《あ》げることを得たよろこびに酔っていたが、自分たちの統領の戒《いまし》めを忘れてはいなかった。内蔵助は、人々の指図を待っているのを知っていて、別の屈託をひそかに胸に貯えていた。これは同志の者に発表した筋書の中にもわざと加えないで独《ひと》り自分の腹中に隠して置いたもので、上杉家が後詰の人数を走らして来ないかということと関係があった。内蔵助は心から上杉家がその措置《そち》に出ることを希望していたのだ。当面の目的である上野介どのの首級《しゆきゆう》を国法に背《そむ》いて揚げた上は、いわば死は目前のことになっているかれ等であった。この際に上杉謙信以来の武勇の名ある家柄の人数を迎えることなら、たとえ全部が討ち死するとしても、これは死花《しにばな》の咲くことだし、また浪人の徒党でいて、うまく行けば、死出の道連れに米沢十五万石を抱き込んで行けるかも知れないと考えたのだ。
内蔵助は、ゆっくりしすぎるくらい落着いて構え込んでいて、すこしずつ明けて来る朝の静けさのうちに、新しい敵の出現を待って、聴き耳を立てていた。けれども空は、雪の屋根の上に如何にもしらけて寂寞と冴《さ》えていて、何の物音の反響も送って来なかった。殊にまだ闇の残っている邸内は、人のまったく去って、戸障子は倒れ暗い口をあけひろげたままの落寞《らくばく》たる姿で、まるで大きな空家を見ているような感じを与えているのだった。
内蔵助が目配せしたのを見て銅鑼《どら》を携《たずさ》えた者が裏門まで行って、ぼーん……と引き揚げの合図を聞かせた。
すぐと人々はそこへ集まって、相変らず元気のいい堀部安兵衛に人員点呼を受けることになった。安兵衛は名簿を読み上げ一々戦友の顔を見て、幸い一人の死者もなく顔の揃っているのをうれしく見届けた。手負いの者には、傷の具合を一々あらためて歩けるかどうか親切に尋ねた。たれも意気さっそうとしていて、「大丈夫です」と、答えるのだった。
それから、吉田忠左衛門の命令で一部の者が、建物の内を順に見廻って、残っている蝋燭の灯を吹き消し、火鉢や炉の火には雪のかたまりや水をかけて火事の惧《おそ》れのないようにして歩いた。その間に原惣右衛門、小野寺十内、片岡源五右衛門などの年寄役が、しずまり返ってはいるが、あからさまに終始こちらに好意を持って様子《ようす》を看《み》まもってくれていた土屋主税の屋敷に、塀越しに、再び姓名を名乗って、
「ただ今上野介どののしるしをあげ、これから引き取るところで御座る。御屋敷まで御迷惑をかけたのはことに恐縮に存じております」と礼儀正しく挨拶した。
塀の内は相変らず静かだったが、その中に人の動く気配がした。それから何かつぶやいている様子だったが、あるじらしい者の声で、
「天晴《あつぱ》れなものよのう」と誰に聞かせるとなく、力強くいうのが聞えた。
三人の浪士たちは、誰にほめられたのよりも、この言葉に感動した。
それから、しめし合せて、雪除けのしてある植込みを避け、裏門の方へ戻って来た。
裏門口に残っていた人々も、何かしないでいられない気持でいた。当面の目的は遂《と》げられたとしても、まだ何か仕残してあるように思われていたところへ、内蔵助が、
「左兵衛どのを討ち漏らしたのは遺憾至極《いかんしごく》だな」と、吉田忠左衛門と話しているのを聞いて、今一応あらためて見ましょうといって、それに内蔵助が同意すると、手を分けて、邸内を残るところなくさがしにかかった。若い連中が多かったので、元気がよかった。
内蔵助は、これを見送ってほほえみながら、また忠左衛門に話しかけた。
「上杉家は、私たちを無事に返すつもりなのだろうか? 後詰の兵が来るものならば、もう来なければなるまいが」と、いった。
内蔵助の真意をよく知っている忠左衛門はいつものように謹厳な調子で、来るとすればわれわれが泉岳寺《せんがくじ》へ行くまでの間にでも追いつくようになりましょうと、これも出て来てくれるのを期待しているような口吻《こうふん》だった。
長屋の方で、同志の者がどっと笑い声を揚げたのが聞えた。間もなく、その内に明るくなってくる朝の光につつまれて、一同が三々五々と戻って来た。
第二の銅鑼《どら》が出発の合図を鳴らした。
「上野介どのを討ち取って立ち退くところで御座るぞ。主人を討たれて残念に思う者は出合え!」
吉田忠左衛門が進み出て、最後にこう呼ばわった。
表門の長屋も裏門の長屋も戸を堅くしめて、ひっそりとしているだけで、何の物音も応えなかった。忠左衛門が、ではまいりましょうかというように内蔵助を見ると、内蔵助もうなずいた。ぞろぞろと列を作って一同は裏門から外へ出ることになった。弓を携《たずさ》えていた早水藤左衛門は、家老の住居らしい長屋の半戸の上にろうそくの光が透《す》いて見えるのを認めて、そこへ置《おき》土産《みやげ》をして行くことにした。弦音《つるおと》を聞いて一同が振り返ると、藤左衛門の放った矢が気持よく戸板を射ぬいて箆深《のぶか》につき立った。その時すでに手ばやく控えの矢がつがえられていた。藤左衛門は、ひゅーッと鳴る音勇しくこれを放って、第一の矢と五寸とはなれないところへ射込んだ。灯影は消えた。
この、冬の朝の、凍《い》てて沈んで玻璃《はり》のように透明な空気の中に名人が放した矢を眺めるのは、胸が透くように心持のいいことで、血槍を突いて立ち止っていた隊列の一部から急に拍手が起った。しかし、この人々は立ち止っていたためにすこし遅れて、先に行った者と間隔がはなれてしまっていたので、いそいで後を追い始めた。
昨夜からずっと外に立って待っていてくれた大石三平、堀部九十郎、佐藤条右衛門などが引揚げと見て、駈け集まって来て、口々に祝辞を述べた。
これを述べる者も受ける者も、どの顔も歓喜に輝いていた。堀部弥兵衛のむずかしい顔付でさえ二人の甥にかこまれて、皺《しわ》を寄せてにこにこしているのだった、九十郎が「お疲れで御座いましたでしょう」といった時、「なアに」と大層な元気で、ほくほくしていて、「あまりひどくよろこんだり悲しんだりするようなことは避けるように」と、いつか医者が注意してくれた言葉を、自分でも急に思い出したくらいの上機嫌だった。近松勘六の下僕が「咽喉《のど》がおかわきでしょう」といって、蜜柑《みかん》を持って来ていたのを誰か取ってくれた時も、
「やあ、こりゃア御馳走《ごちそう》だ」とよろこんで、皮をむき袋をしゃぶりながら、今度は安兵衛のそばへ行って挨拶している九十郎や条右衛門を、楽しげに眺めていた。
こうして行列が一時立ち止っている間に、若い連中は酒屋を見つけて、ばらばら駈け込んだ。内蔵助はこれを見送って苦笑しながら大石三平に、いろいろ有難かったと礼を述べ、家に帰ったら無人に宜《よろ》しく伝えてくれるようにと、丁寧に挨拶した。三平は、「畏《かしこま》りました」と答えながら、父親の無人がこれを聞いたらどんなによろこぶことかと思うと、自分も楽しみでそわそわして、列の中に知っている顔を探しては、お目出度《めでと》うお目出度うを繰り返した。
酒屋は一同の姿に仰天して、ふるえながら戸を抑えていて、開けさせなかった。
「おい、あたしの顔を知っているだろう」
こういって、小豆《あずき》屋善兵衛だった神崎与五郎が顔を出した。
「やや、お前さまは?」
「ゆうべまで御近所にいた男さ。よく風呂屋で会ったな」
「愉快、愉快!」と、大高源吾が叫んだ。
「御近所のよしみじゃ。飲ましてくれ。代金は遣《つか》わすぞ」
「いえ、いえ、……お鳥目《ちようもく》は兎《と》も角《かく》も、居酒《いざけ》は市中の御法度《ごはつと》で御座いますから」
「えい、面倒だ」
力ずくなら、源吾や与五郎の方が強かった。がらっと開けられて、酒屋の亭主は土間《どま》にべたべた坐ってしまった。
「居酒が法度なら外へ出して飲もう」
赤埴源蔵《あかはにげんぞう》がこう叫び、人々が樽《たる》を外へはこび出す間に、源吾はふところから一封の金子《きんす》を出して亭主の前へ置いた。
「二両ある。私の死骸を片付けてくれる者にやるつもりで、持って来た金だ」
亭主は、おどおどしているだけで、返事も出来なかった。源吾は笑いながら外へ出て戸をしめてやった。外では、もう待ちかねていた連中が樽を囲み薦《こも》をはいで、槍の石突きで鏡板を破っていた。上戸《じようご》にはたまらない好い匂いがただよっていた。
「やあ、何で飲む」
「そうだった」と、誰か戻って行って、また亭主をわくわくさせて、ひしゃくを貰って来た。
その一本のひしゃくが、一同の手をぐるぐる廻った。それを待ちかねて、また酒屋へ駈け込んで枡《ます》を持って来た者があった。ひしゃくの数もいつの間にかふえた。
「甘露、甘露!」と、咽喉を突き出して、あおる。
冷えきっていたからだに、ほっと熱いものが心地よく廻った。
大石三平も笑いながら来て、仲間に加わった。
「行こうぞ」
吉田忠左衛門が苦笑しながら、往来からさしまねいた。
「ただ今、ただ今」
まだ残っている。勿体《もつたい》ないぞというらしく源蔵が樽をのぞき込んで、こう答える。陽気な哄笑《こうしよう》がどっと割れた。
「日の恩や、忽《たちま》ちくだく厚氷」と、大高|子葉《しよう》が、吟ずる。傍に富森|春帆《しゆんぱん》がいた。
「飛び込んで手にもたまらぬ霰《あられ》かな」と受けた。
「山を抜く力も折れて松の雪」
「寒しおに身はむしらるる行衛《ゆくえ》かな」
まことに、この元禄の武士たちにこそふさわしい、短くて力のはりきった詩が、冷たい花のように清らかに美しく、かわるがわるこの二人のくちびるにのぼるのだった。人々は興を湧かして喝采《かつさい》の声を揚げた。
ぼ――ん……と銅鑼《どら》の響きが遠くから急《せ》きたてた。そこで丁度空になった酒樽は雪の中へ突きころがして、一同は本隊の後を追って走り始めた。本隊の先頭はすでに回向院《えこういん》の門前にとどまって、とびらを叩いている。一同はこの寺内で、上杉家の援兵を引き受け花々しく最後の一戦を試みようというのだった。
無縁寺《むえんじ》回向院では役僧が出て来て、浪士たちの、槍を抱え怪我人もあるすさまじい姿を見て、あわてて門番にそこを開けてはならぬといった。内蔵助はいんぎんに、自分達が赤穂の浪人で今主人の仇《かたき》を討《う》って引き揚げて来たものである。暫時《ざんじ》、寺内を拝借して休憩したいと声をかけて見たが無駄だった。それはお目出度い。あアお入りなさいと、いって出るにしては坊様たちは度胸もないし、世間に有勝ちの小市民性から、何事でも後の迷惑になるようなことには関《かか》わり合わない心がけを大切としていたのである。
門をかたく閉ざしたまま、なりませぬと答えるだけだった。
浪士の中でも、血気の者たちは色をなしたが、老人たちがこれを制して、仕方なく、この門前で休息することにした。
「ちらばらぬように」と内蔵助から注意があった。
覚悟は、飽くまで上杉家の追手をいさぎよく待つことにある。吉田忠左衛門が指名して、両三人が町筋に沿って進んで、僚友の休息をかばい、斥候《せつこう》の役目に立った。
空は明けてはいても日はまだ昇らないし、大気は骨に沁みるように冷たかった。一同には、あたる火もない、黙ってたたずんでいることは寒くてつらいことだった。殊に雪を踏んで濡《ぬ》れた足袋《たび》は、つめたい板で足をかこんだようだった。めいめいが手に吹きかける息も白くこおっているのだった。石段に槍を杖に腰をおろしている間喜兵衛老人が間断なく咳《せき》をしているのが、勝ったこの一団に何かしら暗い空気を投げかけていた。こうして、一同は明けて来る朝を見詰めながら、敵を待っていた。白一色のつめたい空が刻々と色を流して来るのである。しかし、町はまだねむっていた。あるいはねむっていると見せていたのかも知れない。軒並に雪をかぶった屋根を重そうにして、雨戸を閉ざしたままでいて、浪士たちは、このつめたく無関心な町筋を眺めていて、黙り込んでいて、孤島にあるような寂寞の砂を心に噛《か》んでいた。これが見えぬ敵に向けてにわかに闘志を燃え立たしめた。何が来てもいい、御公儀が向けた追手でも敵に廻して見せる……と、荒《すさ》んだ意図を含んで烈しい心持になっていた。
この、僚友たちの心理の動きを内蔵助は見ていた。
「出かけよう」と、忠左衛門にささやいた。
粗略なものながら、行列の形式が申し渡された。
先頭に槍を持った者が二名、次に上野介の首級を白むくの片袖にくるんで槍の柄に結びつけ、二人の者がまもる。次に内蔵助一人が歩み、あとの者は、傷者《ておい》、老人を内に挟んで隊伍を作ってこれに続くのである。
規律は立てられた。
内蔵助は、自分たちの「大異議」が、これからは適法に遂行されなければならないと信じていた。上杉家の追手があらわれた場合にのみこの策略を捨ててよいとして、その他は御公儀の「武士道」に従うことである。この死物狂いの大芝居は最早大づめに近づいていて、殊に慎重に演《や》らなければならないところだった。
行列は動き出した。
細井広沢《ほそいこうたく》は深川八幡町《ふかがわはちまんちよう》に住っていた。前夜堀部弥兵衛の家を訊ねて偶然に門出の宴に列し得て、夜ふけて家へ戻ってからも、広沢はどうしても落ち着いて床の中に入っていられなかった。儒者に珍らしく剣道できたえ上げた全身の筋肉はうずいている。別れて来たばかりの、大石内蔵助の絶えず微笑している顔や、また堀部父子のけな気な姿が目さきにちらちらして、頭はいよいよ冴えて来るだけなのである。かれ等のことを考えるのは涙ぐましいことだった。勝たしてやりたい。どうかして、望みを遂げさせてやりたい。広沢はまぶたもあわせず天井をにらんで、一心にこれを念じているのだった。儒者として今の世態の変遷をにがにがしく思うところから、赤穂の遺臣たちの義挙が、すがすがしい一夕立の効果をもたらすことを思って、隠れてかれ等に味方して来た広沢であったが、いざ今宵となって見れば、もうそんなことはどうでもよく、なんでもかれ等に望みを果してもらわなければ、やりきれないと思うばかりであった。
広沢は幾たびか起きて、外へ見に行くことを考えていた。砂時計をのぞくと、討入りの時間とさだめられた寅の上刻に近い。最早浪士たちは雪を蹴《け》って敵《かたき》の屋敷へ進んでいる筈だ。
思わず、はね起きて、帯をしめなおした。
「如何《いかが》なされました?」と、物音に目を醒《さ》ました妻女が、夫の様子を不審そうに見て、自分も起き上ろうとした。
「いや」
広沢が、向けたのは、むしろ怒っているように見える顔付だった。
「天文《てんもん》を見る。眠れぬのだ」
妻女は、夫が庭へ出て梯子《はしご》をかけて雪の積っている屋根へ登って行くのを見て、寝間着のまま下へ降り来た。
「お風邪を召します。お羽織を」
「すぐ降りる。そちは寝ておれ」
夫は、ひさしの上から、こう答えて、やがてその陰に姿を隠した。多分この夫が時々見せる非世間的な、突飛な行動にも妻は慣れていたのであろう。こういう時に逆らったり制《と》めたりすると反って機嫌が悪く怒りっぽくなるので、憂いながら羽織を抱えて家の内へ戻る間に、広沢は、すべらぬように用心しながら屋上に攀《よ》じ上って、遥《はる》かに松坂町の方角を見詰めるのであった。
ぴんと、冴えかえった天に辰宿《しんしゆく》は西に廻って、水のように青い月光の中に、露の玉を落したようにつめたく点々と光をにじませている。天狼星《てんろうせい》は、今しも仰げば足もとが危ぶまれるばかりの真上に、高く高くぽつんと冷たい炎を燃やしているのが見える。東の空へ行くほど諸星は、高くさんらんと白金の色にさえて、みだれているのである。
広沢は、沈み際の月の斜に射す光と暁《あかつき》の寒風の中に立って、もしやこの松坂町の方角に火の手のあがることはないかと凝《じつ》と見詰めているのだった。敵を討ち損じたら生きて帰るかれ等ではない。敵の屋敷に火をかけて、腹掻き切って死ぬるの覚悟であろう。
万一、万一……。
拳《こぶし》を握り、痩《や》せじしのからだを反《そ》らして立ちながら、広沢が思うものはこれであった。
重なり合って続く江戸の町のいらかは、雪をかぶって、この高い星空の下に寂寞と眠っている。風が星影をまたたかせて来て、広沢のびんを吹いて過ぎるだけである。まだだ、まだだと広沢は考えた。そうだ、浪士たちは今頃やっと勇ましく喊声《かんせい》をあげて討ち入った頃であろう。おれも陰ながら一心に祈ってやらなければならぬ。
風は遠い鯨波《とき》の声さえもたらさず、ただ氷のように冷たい。また大空の星は、この屋根の上の人間に些《いささ》かの関心もなく、混沌《こんとん》からの冷たい道を踏んで、園《その》一円の白い花が揃って動くような華やかな、運行を続けているのだった。
月が沈み、あれだけあった星の影が一つずつ息をひくようにして消え、空が白く一色に明けて来るまで、広沢は屋根の上にいた。やがて、町が目醒めて送る遠い響きを聞いてから、再び足もとに用心しながら下へ降りて来た。それまでに火の手があがらぬのは、浪士たちが本望を遂《と》げたと見てよいように思ったのである。手も足も氷のように冷え切っているからだを寝具の間に横たえながら、もうすこしたったら外へ様子を見に出ようと考えていた。
「細井どの、細井どの」と、呼ばれて、はっと思った時、自分は知らぬ間にうとうととしていたのだった。
声は、門の外に聞えて、今は、はっきりと堀部安兵衛とわかる快活な調子で、大声でいうのだった。
「およろこび下され。本望を遂げ、ただ今一同泉岳寺へ引き揚げるところでござる。御芳情は死ぬるとも忘却仕りませぬぞ。今生《こんじよう》のお別れでござる。お達者でお暮しなされ」
「堀部氏」
広沢は、がばとはね起きた。気がついて羽織を引っ懸け大刀を取って走り出た。
玄関、門、閉めてあるのをもどかしくあけて出ると、安兵衛はこの友人のことを忘れかねて列をはなれて来たものの、その間も進んで行く同志の者に遅れまいとして早くも立ち去った後で、路次には片側の屋敷の雪が早くも朝日に染まって溶け始めているだけで、人の姿は見えないのだった。
広沢は、一散に走って後を追った。通りまで出たが、安兵衛は見つからなかった。また走って、次の辻まで出て、なお見えないのを見て、道が違ったのかと落胆しながら立ち止った。
通りは何となく騒がしかった。どこかで人が大勢走って行くような声が聞える。がらがらとその辺の雨戸があいて、あわてて走り出して来る者がある。
「どこだ? どこだ?」と、二階の物干から叫んでいる者がある。広沢は兎に角大川べりへ出て見ることを考えて、また走り出した。
すこし行くと往来は、その方角へ走って行く人でうずめられていた。朝日で溶けた雪道にはねをあげながら、どやどやと走っているのである、何がはじまったのか知らずに夢中で家から走り出たものらしく寝間着のままでいるものが多かった。
やがて、この群集の間に大川の水がのぞいて見えた。広沢も、川端に雀押しに並んで永代橋《えいたいばし》の方角を見つめている人垣に加わって、自分も橋の方を眺めた。橋の上も一杯の人だかりだが、その中に今しもこれを渡りつめて向う河岸《がし》へ出ようとしている、他の群集よりも黒くまだらな一列が見えた。この一列の中に広沢は、昇る朝日の光に槍の穂がきらきら光るのを認めて、
(あれだ!)と叫び上げたいまでに顔を動かして、狂気のように人を分けて進むのだった。
「いてえ、いてえ」「押しちゃいけねえ」「乱暴しちゃいけませんや」と、八方から叱られても、
「ゆるせ、ゆるせ……通してくれ」と、わくわくして前へ出ようとあせるのである。
しかし、前へ行くほど、混雑は甚《はなは》だしくて、やがて、進もうにも退《ひ》こうにも身動きの出来ないような雑沓の中に広沢のからだは揉《も》まれていた。群集は泳ぎながら、浪士たちが何をしたかを知り興奮し切って口々に感動の言葉をほとばしらしているのである。これを聞くのは、広沢は自分がほめられるよりうれしいことだった。今は浪士たちの後を追う希望は捨てながら、どこへ抜けるというのでもなく、この人波に揉まれ群集の興奮に加わって、あふれ出ようとする涙を感じているのだった。
(やったか……ほんとうにやってくれたのか!)と、胸に叫びながら、まだ夢にのせられている心持で、また、多年肩にかかっている重いものがにわかに取れたように、心は軽々となっているのだった。
浪士たちが本所《ほんじよ》を出たのは今の時間で午前六時を過ぎた時分だったから、市中も大方起きかけていたのである。浪士たちの通路にはどこにも、戸をあけ、掃除にかかっていた人々の驚いたような顔付が見られた。最初は、怪我人《けがにん》もいるし槍を持った者の多い、えたいもわからぬこの火事|装束《しようぞく》の一群に恐怖を感じて、往来に出ていた者も家の中へ逃げ込むのであったが、浪士たちが通り過ぎて、後から物見高い弥次馬《やじうま》の一群がすぐそばまで寄るだけの勇気はなく間隔を置いて尾《つ》いて来るのを見かけると、ばらばらと軒並に人が走り出して来るのだった。誰も、自分たちの日々の生活には縁遠い松の廊下の事件などは忘れていた。その当座、赤穂の遺臣の復讐の噂がひろがって相当の期待を持っていた人々でさえ今ではそうだったが、誰の口から出たとなく、これこそ赤穂の浪人たちが主人のかたきを討《う》って引き揚げるところだと伝わると、盲目な熱狂が通路に沿って弥次馬を誘い出して、わけもなくわいわいと浪士たちの行列の後を逐《お》うのだった。遠い田舎大名の家老大石内蔵助の名を知っている者も江戸の市民の中には稀《まれ》であった。群集の熱狂の中心になっているのは、浪士たちがまもって行く人間の首らしいものである。それを見たといって得意で話す者、見そこなったといって抜裏を走って浪士たちの前へ出ようとする者、芋《いも》を洗うような混雑の中に群集は走ったりわめいたりするのだった。しかし、多分は、幾分か事情を知り得る地位にある武士たちがこの中にいて、説明をくだしてからであろうが、事件の輪郭が電波のようにひろがったのも間もない後のことだった。これは、多人数集まりさえすれば、弱い者|虐《しいた》げられる者へ必ず味方する市民の熱狂を煽《あお》ることとなった。
雪解け道は、ぬかるんで水溜りを作りはねをあげて、後の苦情の種になった。その時は「かたき討《うち》」というだけで、人々は泥の中を走るだけの充分な理由を感じた。
こうして浪士たちは、永代橋を渡ってから、霊岸島《れいがんじま》を経て築地鉄砲洲《つきじてつぽうず》へ出た。ここには主家が没落前の屋敷が、門も壁もそのままのこっている。これを今眺めるのは人々に感慨の深いことであった。
朝日は、屋敷の空にのぼっていて、雪はきらきら輝いている。疲れたまぶたにはまばゆい光ではあるが、自分たちの行動を自然が祝福しているようにも感じられるのである。また、間近く終ろうとする各自の一生で、こんなに美しく晴れ晴れとした日の出を見るのも、無論これが最後なのだと、人々は黙々と道をたどりながら考えるのだった。この考え方は、心を幸福にしてくれた。
木挽町《こびきちよう》
汐留橋《しおどめばし》
外桜田の上杉の屋敷に近くなっていたので、隊列は緊張を加えた。
吉田忠左衛門が内蔵助に追い付いてから、何かひくい声で打ち合せながら歩き続けて行く。汐留橋を渡ってから急に先頭が裏町へ入った。忠左衛門が戻って来て、富森助右衛門に何事かささやいた。助右衛門は承諾の意志を示してうなずいた。
その間に、仙台屋敷の海鼠壁《なまこかべ》が行く手に見えて来た。
この日は、十五日で諸大名の登城の日であるから、その行列の通路や屋敷の門前をなるべく避け不慮の変を防ごうというのが、内蔵助の意向だった。しかし、この道を来ては、仙台屋敷の前を通らぬわけには行かない。鉄砲洲でも、井伊家や本多家の前を無事に通って来たとはいうものの、ここにも新しい関所があるわけであった。
果然《かぜん》、伊達家《だてけ》の辻番所《つじばんしよ》では早くも一行の近づくのを見て、色めいて、六尺棒を持った足軽たちがばらばらと雪の上にこぼれて、
「控えなさい」
けな気にこう叫んで、浪士たちの行く手をさえぎった。
浪士たちの隊列も色めきたった。事情を述べようと内蔵助が進み出た時、伊達家の大門のくぐり戸が風を煽《あお》って、|※[#「衣へん」+「上」]※[#「衣へん」+「下」]《かみしも》を着た凜々《りり》しい武士が、つかつかと出て来るのが見えた。
その武士は相当の役らしく、落着いた品位を持って、臆せず内蔵助の前へ立った。
「いずれの方々で、いずれへ行かれるものか?」
内蔵助は、武士の、鋭く光る目をじっと見詰めながら、おだやかに答えた。
「御不審は御尤《ごもつと》もながら、われわれは、浅野内匠頭《あさのたくみのかみ》が遺臣、亡主の意趣を達せんがためにただ今吉良上野介どのの御しるしを挙げ、菩提寺《ぼだいじ》へ引き揚げて公儀の御沙汰《ごさた》を待ち奉ろうと致すもので御座る。御迷惑は相かけませぬ。このままお通しくださるように」
この伊達家の武士、大堀庄助は内蔵助の言葉に強く打たれた。感激の色が顔にあらわれ、
「世に有難き御忠節」と、静かにいった。
「左様のこととは存ぜず、おきての手前一応おとがめ致したのである。御遠慮なくお通りください」
内蔵助は、よろこんで会釈《えしやく》した。
「御免下されい」
内蔵助は一党の者に、庄助は足軽たちに目くばせした。足軽たちは直ぐと棒を引いて道をひらきながら、会釈して歩き出した一行を、敬意と感激をこめた目付で、最後まで見送っているのだった。
その隊列から、吉田忠左衛門、富森助右衛門の二人の姿が消えていた。両人は、内蔵助の旨《むね》を受け、党を代表して、大目付|仙石伯耆守《せんごくほうきのかみ》の屋敷へ自首に出たのである。伯耆守の屋敷は愛宕下《あたごした》西久保《にしくぼ》にある。二人は道を右に切れて、路地づたいに急いでいたものだった。
両人は伯耆守の屋敷へ着いてから、門を入ろうとして、気がついて、それまで持っていた手槍を門長屋《かどながや》の壁に立てかけて、内に入った。
内玄関に立って、静かに案内を乞《こ》うと、取り次ぎの侍が出て来て、二人の姿を見てはっとしたように顔色を動かしたが、落着いて坐って、何人《なんぴと》で、何用か、と尋ねた。忠左衛門は、自分たちの名を名乗り簡単に事情を述べて、委細《いさい》のことは御主人にお目にかかって直々《じきじき》に申し上げたいと思っている。お許しあるかどうか、一応取り次ぎ願いたい、といって出た。
伯耆守は奥で食事をしていたが、取り次ぎの者の話を聞いて、
「ほう、やったか?」と、朗らかな顔色になっていって、
「会おう、待たせて置け」と、命令した。
忠左衛門と助右衛門とは、内玄関によろこんで待っていた。間もなく伯耆守が出て来たので、二人は土下座《どげざ》した。
用人が式台へ降りて来て、委細を申し上げるようにと伝えた。そこで忠左衛門から一挙を決行した理由と経過を述べ始めた。忠左衛門の言語ははっきりしていたし、無駄なく意味のよくとおったもので、伯耆守も心中感じながら黙々と耳を傾けていた。忠左衛門が、吉良家へ建てて来た趣意書の写しを出して用人に取り次いで貰って渡すと、静かにこれを披《ひら》いて読んだ。
趣意書には「浅野《あさの》内匠《たくみ》家来口上《けらいこうじよう》」と、書いてあった。
本文は左のものである。
去年三月、内匠儀、伝奏御馳走の儀につき、吉良上野介殿へ意趣を含み罷《まか》り在候《ありそうろう》ところ、御殿中において当座のがれ難き儀御座候か刃傷《にんじよう》に及び候。時節場処をわきまえざるの働き、無調法至極《ぶちようほうしごく》に付き切腹仰せ付けられ、領地赤穂城召上げられ候儀、家来どもまで畏《おそ》れ入り存じ奉り、上使の御下知《ごげち》をうけ、城地差上げ、家中早速離散仕り候。右喧嘩の筋御同席抑留の御方これあり、上野介どの討ち留め申さず内匠|末期《まつご》残念の心底、家来ども忍び難き仕合せ御座候。高家《こうけ》の御歴々に対し家来ども鬱憤《うつぷん》をはさみ候段、憚《はばか》り存じ奉り候えども、君父《くんぷ》の讐《あだ》は共に天を戴《いただ》くべからざるの儀黙止し難く今日上野介どの御宅へ推参仕り候。ひとえに亡君の意趣を継ぐ志までに御座候。私ども死後|若《も》し御見分の御方御座候わば、御披見願い奉りかくの如くに御座候。
[#地付き]以上
この口上に続いて年月日を記し、浅野内匠頭家来として四十七人の姓名を書き連らねてあった。伯耆守はその最後まで読んでから、これを巻いて膝の脇へ置いた。
これを待っていた忠左衛門は、本懐を達した上は一同切腹すべき筈であるが、御膝下を騒がし高家御歴々の方をわたくしに討ち取ったことで御公儀に対し恐れ入ったことであるから、公儀のお裁《さば》きを受けようとして一同主人の菩提所に集まり、われわれ両人から自訴することにしたと述べた。
伯耆守は、考えていて、
「一党の人数はこれだけか?」と、厳格に尋ねた。
忠左衛門は、そのとおりだと明言した。
その人数が一人も漏れなく泉岳寺に集まっているのだなというのが、伯耆守の第二の問いであった。忠左衛門が、仰せのとおりと答えると、伯耆守はにわかに表情をやわらげて、
「神妙の致し方」と、にこりとして、
「追《おつ》つけ登城して逐一言上《ちくいちごんじよう》する。これへ上り休息して御沙汰を待たれい」と優しくいって立ちながら、家来たちを振り返って、
「両人とも空腹であろう。湯漬《ゆづけ》をまいれ」とつけ加えた。
二人はいうばかりなく感激した。国法を犯した罪人である自分等は、縄《なわ》を打たれるのも覚悟でいたのである。仙石家の用人たちは二人に足を洗わせて内玄関から上がらせた。
忠左衛門は門の外へ置いて来た槍を内へしまって置いてもらえまいかと、いいにくそうにたのみ込んだ。こころよく一人の用人が出て行ってくれた。ほかの者は二人をひと間へ案内して、「おたいらに」といってくれた。かわるがわる大勢の家来が出て来て何かと二人の世話をしてくれた。どのひとも親切だった。二人は、ただ、痛み入って、運び出された膳を前にかたくなって坐っていたが、親切にすすめてくれるので箸《はし》を取った。そうしながら、雪の途《みち》で別れて来た友人たちのことが、他のどの時よりも一層しみじみと考えられるのだった。二人は無言で箸《はし》を動かしていた。
上杉家では、綱憲《つなのり》は居間にこもったまま顔を見せないし、家来たちも、お互いに顔を合わせると何か心ならず叫び出したい心持があって、めいめいの詰所に謹慎《きんしん》して控えているので、いつもの朝のせわしなさはなく、玄関にも、廊下にも、ただ寒々としたものが屋内をこめていた。
色部又四郎は、御前をさがって来て直ぐと深沢平右衛門、片桐《かたぎり》六郎左衛門、山下与五太夫、小田切惣左衛門《おだぎりそうざえもん》、野本忠左衛門などを呼び出して、足軽どもを連れて早速に本所《ほんじよ》へ行くように命令した。主として吉良邸の警護にあたり、前後の措置《そち》を手伝うようにというのである。一行は四十人ばかりの人数で医者も同行することになった。
この人々の大部分は不満をつつんで、明るすぎて何となくおもはゆく思われる往来へ、裏門から出て行った。又四郎は別に、留守居役の島田という男を御月番|稲葉丹後守《いなばたんごのかみ》のところへ走らせて、上野介どの逝去《せいきよ》につき忌《き》に服すると届け出させた。一度あけて朝の光を迎えた表門は、やがて内側から重く扉を閉ざして、閂《かんぬき》を掛けさせた。
又四郎は、自分の詰所へ入って坐って、人を払って一人になった。そうしていて大風が頭の中を吹きぬけて行った後のように、妙にしんと落ちて、胸を噛む落寞とした感情があった。その底から湯玉のような涙がわき上って来て、われにもなく|※[#「衣へん」+「上」]※[#「衣へん」+「下」]《かみしも》の肩を嗚咽《おえつ》の声と共にゆさぶるのだった。今朝まだ薄暗い前庭で、そこに復讐を叫んで群がっていた人々の口から烈しい言葉の箭《や》が、その時こそ苦もなく一喝《いつかつ》してふさいでしまったものの、この時の寂寞とした瞬間に、声を荒らげ一束にかたまって、ひしひしと又四郎を襲って来たのだった。
謙信公以来御代々の御名誉。
武門の面目《めんぼく》。
いや、その、すさまじい非難の声よりも、ふすまをとざして、それにいるとも見えず、ひっそりと物音一つ立てぬ綱憲の、無言の非難を受けている方が苦しかった。又四郎は、幾たびか腹くつろげて腰の刀に手を掛ける自分を想像した。その時自分の手を押さえてとめるために、米沢にいる千坂兵部の姿が、悲しい理解のこもったしみじみとした目付をして、又四郎のそばへ寄り添って来る。
「ならぬ、又四郎、それはならぬ」
あの、痩せた体からしわがれた声をしぼって兵部はこういうのだった。
「私に代って、とんだ役目を背負ってもらったなあ。御苦労で御座ったぞ。お家代々の御尊霊が貴殿の御奉公を天のどこかで見まもっていられる。これでこそお家は万代じゃ。危うきところであった」
襖《ふすま》があいたので、又四郎はわれに復《かえ》って極端に難しい顔を向けた。茶道の者が茶碗をささげて入って来た。
「筆墨を持て」
又四郎は、国許の兵部へ急使を走らせることを考えた。いつの時よりも、兵部のことが考えられた。やがて、坊主は硯箱《すずりばこ》をはこんで来て墨をすりはじめた。又四郎は、軒端《のきば》に点滴の音を聞いていた。
まだ、一年前のままで、公儀の手も入らずにいた湯島《ゆしま》の妾宅《しようたく》に、蜘蛛《くも》の陣十郎はとぐろを巻いて、潜《ひそ》んでいた。千坂兵部が米沢へ落ちてからその方の関係もきれたし、天下は至って泰平でのびやかな気分が陣十郎ほどの大盗の存在をも寛大に容《い》れているようなところがある。危ぶんでいた探索の手も、春が近くなってから、ゆるんだような気がしないでもない。この家の女主が夏からの患《わずら》いでふせっていたので、おおまかな一面にこまかく働くこの男の気性が、自然と足をこの家に停《と》めさせて、平穏無事な市民の生活に溺《おぼ》れさせていた。ただ、これまでの「夜の外出」をすることがなくなってから、陣十郎が苦しんだのは、晩酌《ばんしやく》の後で睡《ねむ》るよりほかに能のないことと、従って朝も、とんでもなく早く目が醒《さ》めて、一日がいやに永いことであった。
病人の寝ている座敷の南向きの縁の日だまりに、座蒲団《ざぶとん》を置いて坐って、そこに並べてある万年青《おもと》の葉を羽箒《はねぼうき》ではらってやったり、雪割草のつぼみのまだ堅く小さいのをのぞき込んだりしている姿が、どうしても道楽をした末に親戚一同から無理やりに押し込められた隠居、といったように見えるところがあった。
病人も、近頃はそう心配のないぶらぶら病で、床の中で絵草紙《えぞうし》を見ているかと思うと、気が向けば起きて縁ばなへも出て来ようというのだから、陣十郎は家の中をあまり混雑させない程度で大工《だいく》や植木屋を入れ気が付いたところへ手を入れさせる工夫をした。湯殿をすっかり新しく建て直したのもこの男の、ひま潰《つぶ》しの仕事で、実際こういう生活では、もとから好きな風呂が何よりの楽しみになっていた。朝起きぬけに熱くて、ひりひりするようなのにざぶんと飛び込むのが最初で、それから夜までに二度も三度も入る。そこで、湯ぶねも都合いいように、長州風呂の大釜《おおがま》を板壁の外に置いて、いざという時直ぐと焚き込んだ湯を、檜《ひのき》の木の香のたつ湯ぶねへなみなみと導き入れるように工夫したものだった。
湯殿の天井《てんじよう》はずっと高くして、あかりも高いところに障子《しようじ》をはめた窓から取っていた。この用意も、また内側から厳重に鍵がかかるようになっていたのも、陣十郎の背をだきすくめている怖ろしい女郎蜘蛛《じよろうぐも》の刺青《ほりもの》を、何かの拍子《ひようし》で奉公人たちにも見とがめられないようにするためだった。陣十郎と一緒に、このいれずみの蜘蛛も寝起きのおどんだ心持を一掃して、はきはきと目を醒まして来るように見える。朱も墨もにおうほど、つやつやと輝き精気に満ちて、もうもうと白く立つ湯気の中で長い手肢《てあし》をのばして、今にも陣十郎の肩から高い明り窓へかさかさとよじ上って行きそうに見えるのだった。
この十五日の朝、瓦判《かわらばん》売りが塀《へい》の外へ大声で赤穂浪士の討入りの一枚ずりを売って歩いて来たのを聞いたのも、陣十郎はぬれ手拭《てぬぐい》を頭にのせ、ぴりりとするくらいの加減の湯にひたってうなっていた時だった。初め、聞き違えたと思っていた声が、近くなって、そうでなかったとわかると、陣十郎は、ざぶんと音をたてて湯ぶねから外へ飛び出していた。
「柳《りゆう》」と、病人の名を呼んで、
「一枚買わして置いてくれ」と、いいながら手ばやくからだをぬぐって、そこそこに浴衣《ゆかた》をひっかけて出て来たのだった。
墨のまだ乾いていない、粗末な瓦刷《かわらずり》の一枚を見ながら、陣十郎は夢を見ているような気持だった。自分から飛び込んで働くだけの熱意もなく、いわばたいくつしのぎに、堀田隼人にひかれるまま入り込んだ事件だが、赤穂、京、山科、川崎と、いたずら半分に大石内蔵助について暮したざっと一年の月日が、陣十郎にとって見れば、未見の土地を各所のぞいて来たぐらいの記憶が浮んで来るぐらいのもので、平間村で大石無人を内蔵助とあやまって刺そうとして失敗したことも、そういう種類の危うい瀬戸を幾度となくくぐって来たこの男には、何かの拍子にふと心にうかんで来て、なアるほど、そんなこともあったっけと苦笑の種になるぐらいの、他愛もない思い出ばなしと変っているのだった。頭の回転の早いこの男には、二か月の月日の経過が、ほかの人間の五年六年の久しきにあたるのかも知れないが、今、ここで悠々と暮している陣十郎には、芝白金に隠れている堀田隼人と組んで、かねての大望になっている江戸城の御金蔵を襲って、天下をうならせて見ることだけが頭にあって、そのほかのことに別段の興味をひかれなかった加減もあるのだろう。
「なにかあったのかい?」と、床の中からお柳が、立ったままでいる陣十郎を見上げてきいた。
「なアによ、かたき討ちがあったっていうんだ。播州《ばんしゆう》赤穂《あこう》の浅野の浪人が、ゆうべ百人ばかりで本所松坂町の吉良上野介の屋敷を夜討《よう》ちして、主人の首を取って引き揚げて行ったというのだ。このよろいを着て威張っているのが大将だろう。総大将|大星由良之助《おおぼしゆらのすけ》と書いてある。こりゃア大石内蔵助の間違いだ。百人の同勢というのも、こりゃア眉《まゆ》つばものだぜ」
また、塀の外で別の読み売りの声が通って行った。女の声で呼び止める声がしている。
「面白くもねえ」と、陣十郎は、肩をゆすって気のない顔つきで、縁ばなへ歩いて行った。
「世間じゃ騒ぐだろう、近頃それといって目新しいこともなかったからな、当分騒々しいことだ」
「…………」
「そのあとが、また、主人のかたきを討つような武士でなけりゃアいけないことになって、鰯《いわし》のように二本差したのが、また幅を利《き》かして来る。御時世が元亀天正《げんきてんしよう》に逆戻りするだけのことだ。この大芝居を打つ御当人さまはよかろうが、下々《しもじも》の者は頭のあがらねえことよ」
「そんなに、お前……」
お柳は弱い調子でたしなめた。
「なにも、ひとさんのこと」
「別に、悪くいっているわけじゃねえが、ひとさんのことが、それでは済まず、じきと、おれたちの頭にもかえって来るのが今の御時世だ」
陣十郎も、おとな気なかったことに気がついていたが、なお熱心にこういって、
「おお、この水仙《すいせん》が、芽を出したじゃねえか? 早《は》ええもんだな。可愛らしいや。もうすこし、水をやって置こう」と、水鉢を取って、勝手の方へはこんで行った。
「その御浪人たちは、これから、どうなるんだろうねえ」
お柳は、むしろ、浪人たちに同情を持っている。陣十郎も、この問いには興味を感じた。浪士たちは正《まさ》しく国法を破っている。それと一般の同情が、お柳の心持と同じことで、自然と浪士たちに集まっているとすれば、浪士たちの刑の決定もやはり緩和されずにはいない。公儀でも、柳沢派と非柳沢派と意見を異にして紛糾《ふんきゆう》することであろう。どう定《き》まるかは、確かに見ものだ。
「おれなら、一番重い仕置きにするがな」と、この大盗は、笑って見せた。
「十両の金を盗むのが打ち首で、徒党の罪がそれより軽いというのじゃ、少しおかしかないか?」
内玄関で、誰か、
「御免なさい」という声が聞えた。
「おかみさん、いかがで御座います」
なれなれしい声の調子が、すぐむこうにいて、近頃親しくして、時々自分も遊びがてらお柳の見舞いに顔を見せる犬医者の妾《めかけ》だと、陣十郎にわかった。お千賀《ちか》の方では知らなくても、こちらではお千賀が昔堀田隼人と関係があったことも知っていて、知らぬ顔で近所づきあいをしていることが、閑《ひま》な陣十郎には、軽い微笑をそそることになっていた。
「おや、いらっしゃいまし。例によって散らかっていますけれど……」とお柳が声をかけて、お千賀はなれなれしくあがって来たが、陣十郎を見て、ちょいと気がねして、きまりが悪そうに見えたのを、
「さ、おはいんなさいまし」と、愛想よく陣十郎から声をかけて、
「きょうは、坊ちゃんは?」
「いいあんばいに寝ましたから」とお千賀は、笑った。
お千賀は、去年の春|朴庵《ぼくあん》の子供が出来たし、すっかり肥って、隼人との騒ぎがあった頃とは、まるっきり様子《ようす》も違って、そんな感情の嵐を巻き起したことが一体あったのかと疑われるくらい現在の境遇に馴れ落着いているのがわかった。隼人のことなどは、最早思い出しても若気のあやまちだったと思うに違いない。子供が出来て見れば、その子を中心にして日蔭の身の自分の地位をこれからどういう風にしてかためて行くかということが、専一の問題になるのだろう。生活は平穏無事で続けばいいので、何か変ったことがあるというのは必ず損がいくことなのだと、いつの間にか自然と悧口《りこう》になって来ていた。この、自分の身には真っ平だと思われる「何かの変化」も、世間や他人の身の上に起る分には別だった。これがあって、自分には何の被害もなくて生活の単調が破られるわけである。世間の女と同じように、お千賀も、これは悦んでいたと見える。今日だって赤穂浪士の復讐の噂を聞いて、好い噂の種が出来たとばかり、悦んでお柳のところへ来たものに違いなかった。
陣十郎は、女たちの話に入るのを好まない。それにお千賀の顔を見て、急に堀田隼人のことを考えていたのだ。
「まあ、ごゆっくり」と、お千賀にいって、自分は支度《したく》して外へ出た。
外は、何となく騒がしいように感ぜられた。誰もかれも浪士の復讐のことを知って、自分の仕事を忘れて興奮して、髪結い床や茶店のような人の寄るところに集まって、すこしでも詳《くわ》しくこの事件の内容を知ろうとしているようなところが、往来を歩いて行くだけでもわかるのだった。
陣十郎は、自分が千坂の味方をしていたのは別にしても、こういう世間には反感を感じる。いずれ、また敵討ちがはやることだろうと考えられる。ひとりで、この男は超然とした顔を風に吹かせて、賑やかな町をのそのそ歩いて行くのだった。
浪士たちは高輪《たかなわ》の泉岳寺に近づいていた。
今の朝の十時頃である。路地毎に海の見える道を下って行って、やがて、泉岳寺の門が見えて来た時、はるばるとした航海を終えてようように最後の港を眺めた船乗たちの、ほっとした心持が人々の胸をほぐしていた。
泉岳寺の門は、あいていた。
異様な風俗の一行《いつこう》が続々と入って来るのを見て、門番が驚いて、注進に駈け込んだ。僧侶たちが驚いて顔色をかえて逃げ込むのが、先頭にいる内蔵助に見えたので、
「停《とま》れ」と、命令して、一人だけを交渉にやることにして、ほかの者は門内に一時立ち止まらせた。浪士たちの背後には群集が真黒になってついて来ていて、門を中心に左右の垣根にまで溢《あふ》れ、がやがやと騒いでいるのが見えた。浪士たちは、これに振り向かないことにしている。内蔵助は、雪をのけて黒くぬれている寺内の庭の土の上に、自分の影を見詰めながらだまり込んでいる。不思議は、この騒々しい群集がかれの心に変にしんとしたさびしいものになって感じられることだ。土の上には、松の影があって、空の高いところを吹いている風に動いているのだった。
交渉の役にあたった者は、この間に、日のあたっている石畳を踏んで、方丈《ほうじよう》の玄関へ行った。
案内を求めると、暗い奥から白い姿が動いて出て、やがてまだ幾分の不安を顔に残している若い坊さまが出て来た。
「もとの浅野内匠頭の家来で御座るが……」
と、こちらはいった。
「昨夜、亡君の讐吉良上野介どの御屋敷へ取掛け御首級を申し受け、ただ今、これを亡君の御墓前に供《そな》え御尊霊《ごそんれい》を慰め奉《たてまつ》ろうとして、これまで参ったもので御座る。御当山へは決して御迷惑はかけませぬ。ついては、奉告をおわりますまで、なにとぞ山門を閉じ、外来の人々をおとどめくださるようお願い致します」
「暫くお控え下さいまし」
取り次ぎの者はこういって、いそいで奥へ行って方丈にこれを話した。
方丈は、酬山長恩《しゆうざんちようおん》という人で、落着いた態度でこれを聞き終って、
「承知致したと申されるがよい」と答え、聚《あつま》っていた僧侶たちに、すぐに群集を追って山門を閉めるようにいい付けた。それから小坊主に、
「焼香の支度をして差し上げるがよい」と、いって、浅野家には顔を知っている者が多かったので、自分も挨拶《あいさつ》に出るために、肥って、がっしりした腰を上げて立ち上った。
玄関まで行って見ると、日光にきらきら輝いた庭を横切って、浪士たちが墓地に入って行くところだった。群集はそれと見て、競争で門内へ雪崩《なだれ》入っている。命令を受けた所化《しよけ》たちが駈け出してこれを制《と》め、声をからし叫びながら、門外へ追い払おうとしている。
暫くこの人々のもみ合っているのが見えたが、流石《さすが》に乱暴を働く者はなく段々と追い出されて、やがて所化たちが内側から扉をしめにかかると、わっと、一時反抗の鯨波《とき》の声を揚げただけだった。
次に垣根に沿って、走り廻って入口を求めている様子なので、所化たちも塀を隔てて一緒に走って、裏口にも錠《じよう》をおろしに行くのだった。
その間に、浪士たちは内匠頭《たくみのかみ》の墓前に集まっていた。
門外の群集の喧囂《けんごう》の声をよそにして、ひろい寺内は忽《たちま》ちもとの静けさにもどった。いや、もとよりも一層深い静けさである。本堂に読誦《どくじゆ》の声は聞えず、寺僧たちも何か厳粛なものに打たれて庭を横切って戻るのにも、足音をさせるのも憚《はばか》っているのである。
雪を除いたあとの、濡《ぬ》れた土の上には雀が舞い降りていた。雪晴れの空は瑠璃《るり》を溶《と》いたように青く、その面てにゆるやかに大きな弧《こ》を描いた本堂の大屋根には、破風《はふ》に鳩が日に浴してまるい喉《のど》を鳴らしている。木の葉が一枚ずつ光にぬれて輝いている墓地には、まだ雪が残っていた。
仙石家へ訴え出るために途中隊伍をはなれた吉田忠左衛門と富森助右衛門の両名、並びに事前に急に脱走した寺坂吉右衛門を加えて、三人の者が漏《も》れているほかは、四十四人の者が、墓地の土の上に粛然として、蹲《うずくま》っていた。殿がそれにいますのである、人々は、かつて赤穂城の大広間で御前に出た時のように、この青天井の下で地面に坐って、その時と同じく御家老の指揮を待っていながら、遂にここまで来た自分たちの二か年の辛苦も焦躁も、ただこの瞬間のためであったことを思って、自然と身のひきしまる心持を禁じ得ないのだった。
内蔵助も同じ心持である。
人々が息さえ聞かせず、水を打ったようにぴたりと静まりかえっている底に、内蔵助の、まるい小さい手が動いて、上野介の首級《しゆきゆう》をつつんだ包みをひろげ、血を拭《ぬぐ》ってから、君の墓前、趺石《ふせき》の上に据《す》えた。
内蔵助は目をあげて、「冷光院殿《れいこういんでん》前少府朝散《さきのしようふちようさんの》太夫《たゆう》吹毛玄利大居士《すいもうげんりだいこじ》神儀《しんぎ》」の文字を仰いだ。無言の声が、
「わが君、御覧くださりませ」と叫ぶのだった。
人々は、内蔵助が額《ぬかず》いたのを見て、大地に手を突いた。ぐっと腹の底から揺り上げて来る火のように熱い塊がある。動く顔を地に伏せるものがある。主の骨を埋めている土は、この浪士たちの隠している涙をそっと吸い取るのだった。
人々の、うるんだ目には、内蔵助が恰幅《かつぷく》のいい体を起して焼香に進むのが見えた。やがて、墓地の、しめった空気の中に、香がにおった。糸のような煙が香炉から昇る。木の葉がきらきらしている。門外で、群集の騒ぐ声が遠い潮騒《しおさい》のように聞える。犬が吠えている。これをうつつに聞きながら、内蔵助は自分の胸が破れそうになって来ているのを感じた。あるのは策略ではない、天下を向うに廻しての大芝居ではない、自分と同じ肉体をそなえたこの君の胸を二か年前に噛んだ御無念であった。それを今自分たちの手で晴らしたということをむしろ誇っていいこの時に、逆に、そのことが、これまでにもなかった烈《はげ》しさを以て、荒々しく内蔵助の魂を揺さぶっているのである。
内蔵助は、ふるえる瞼を閉ざして合掌《がつしよう》した。
こんなことがなくて済んだのではないか? もし、おれさえしっかりしていて、事を未然に防ぐことが出来たならば。
この不敏の罪の前に、この首一つが何に値しようぞ。自分と、死んだ主人との、人と人との交渉が、今気がついたほど深かったろうとも知らなかったのではないか?
内蔵助は地に伏して暫く動かなかった。
それから、同志の者の焼香のために退きながら、この僚友たちの、涙にくもってはいるが勝利の自負の底に閃《ひらめ》いている、健気《けなげ》な姿を眺めていて、いよいよ暗く傾いて来る自分のこころを、じっとこらえているのだった。
ふと、ぽきんと枝の折れる音がした。その方角を見ると、墓地の上の崖に、いつの間にか真っ黒に人垣が出来て、声を呑んで、浪士たちの焼香を見詰めているのだった。内蔵助はそちらへ目を向けるのを憚った。その目が殺気立たずにはいられないことが感じられたのである。いや、自分のこころの一隅に常に住んでいる世間人が、この時ほど、殺してもあきたらぬ憎いものに思われたことはないのだった。
堀部弥兵衛も自分の番に出て焼香をすませて帰って来た。老人は、何とも世界がはればれとして、気持がよくてたまらなかった。自分がここまで来られたのがつくづくと不思議に思われた。この前のような発作《ほつさ》が今度来ればそのまま死ぬか、生きても半身不随になると、医者の話であった。それ以来、我物ながら体が、古くて地が弱っていて、ちょっと動いてもぴりッとゆきそうな着物を着ているようで、あぶなっかしくてあぶなっかしくて、気が気でなかったのだ。それが、無事も無事、血気の者の中へ入って、まず醜体《しゆうたい》もなく、この大任を果したというのは、夢のように感じられる。これで、いつ、ぽっくり行ってもいいと考えられるのは、まことに晴々しく、有難いことである。
皆にも随分迷惑をかけた。誰のためでもなく、まわりにいた婿《むこ》や、家内や、娘のお蔭だった。ほんとうに皆には迷惑を掛けた。弥兵衛は、不思議と心弱くなった自分の心をうるんだ目付で眺めている。いつもの伝で、「何だ、めめしい!」とどなりつけないで済むのも有難いことである。
自分のあとから引き続いて焼香に立って行く若者たちを見ていてもよくやったなあ、と、一々肩を叩いてほめてやりたいくらいなのである。
一人の戦死もなかったことは偉《えら》いことだ。
わが君も、如何ばかりの御満足のことであろう。みんな、よくもこんなに、好い人間ばかり集まったことだと思うのである。
木の葉は、陽《ひ》にきらきらしている。
崖の上の生垣《いけがき》の外には、真っ黒に人がかたまってのぞいている。木の枝にも鈴なりだ。その上に、空はなんと静かに明るく晴れ渡っていることであろう。
「父上」
安兵衛が傍へ寄って来た。
「むむ」
弥兵衛は、悦ばしげにわが婿の顔を見詰めた。
「お疲れで御座いましたろう」
「疲れはせん、私は。……お、お前は……御苦労じゃったわい。いかい働きだったのう」
「いや相手が相手でしたから」
安兵衛は、父の顔を見ながらつつましく笑って答えた。
「いささか、物足りぬ心持です」
「そうだ、私もそう思うよ」
老人はにこにこした。
丁度、人々の焼香は終っていた。役僧が来て、どうぞ、あちらへいらしって御休息くださいましと告げた。泉岳寺《せんがくじ》の坊さんたちも、この時分には落着いていたし、また、にわかに浪士たちに同情を持つように成って来ていた。
日射しが雪解《ゆきど》けの坂道を暖めて、湯気を立たしている。
人々は、再び庭を横切って、案内されるとおり方丈《ほうじよう》の玄関へ行って、草鞋《わらじ》をぬぎ、足を洗ってあがった。
ひろい客殿には、火を入れた火鉢と、ふとんとが並んで、かれ等を待っていた。
内蔵助は、役僧にいった。
「最早、亡君御霊前へ奉告もおわりましたことゆえ、何の遺憾《いかん》もなきわれ等で御座る。この上は、謹《つつし》んで公儀の御沙汰《ごさた》を仰ぎ奉る所存であるが、これは今朝引揚げの途中より同僚を遣《つか》わし大目付|仙石伯耆守様《せんごくほうきのかみさま》お屋敷へ始終を言上《ごんじよう》に向わせて御座れば、やがて御沙汰もあろうと存じます。暫時《ざんじ》この席を拝借して、待つことに致したい」
「御遠慮には及びませぬ。ゆるゆると御休息なされませ」
役僧は親切に答えた。それから、これは寺としても寺社奉行へ届け出なければならぬことであるから、人数と各自の姓名を聞かせてくれと、もっともな話であった。
内蔵助から四十七人の名前を告げて、
「この中、吉田忠左衛門、富森助右衛門の両人は仙石どのお屋敷へ参上仕りましたもの。なお、寺坂吉右衛門は如何致せしものか相見えませぬ。これも併《あわ》せてお届け願いとう御座る」と述べた。
寺社奉行は、阿部飛騨守正喬《あべひだのかみまさたか》という人である。泉岳寺の和尚《おしよう》は、浪士たちの姓名書を持って、このひとの屋敷へ駕籠《かご》を走らせた。
飛騨守は、始末を聞き取った。
酬山和尚《しゆうざんおしよう》の報告には、浪士たちに対する隠れた好意がのぞいて見える。飛騨守は微笑した。和尚は処置をほめられた。面目《めんぼく》を施して辞し去ろうとすると、飛騨守はわざわざ送って来て、
「なお、大切にしておやりなさい」と、いい添えた。
これは、飛騨守の、私人としての言葉であったろうが、和尚はうれしかった。いそいで寺へ帰ると、早速浪士たちのいる客殿へ来て内蔵助に会った。
「お疲れで御座いましたろう」と、いって、一同にも挨拶した。
一同が、火鉢にもあたらず、固くなっている様子が和尚にはわかった。
内蔵助も、公儀の御沙汰を待っているのだからというようにいった。
和尚は、酒をと思いついて、
「お若い方は、どうぞ、あちらへお遊びにおいでください」と、いって立った。
それから、炊《た》きたての粥《かゆ》が搬《はこ》び出される。これは般若湯《はんにやとう》で御座るという説明をつけて、燗《かん》した酒が出る。浪士たちが恐縮に思ったくらいの歓待であった、風呂が湧いたからお入りくださいといって来る。老若の坊さんが、よくもこんなにいると思うくらい、ぞろぞろ出て来ていろいろ親切にしてくれる。
広間は寒かったし、また一同は空腹だった。それに、何となく、これで一段落ついたという感じが、疲労を呼んでいた。老人の中には、柱にもたれてうとうとしている者もあるのである。酒も粥も有難かった。内蔵助は、うるんだ目を向けて、
「頂戴致そう」と、いって出た。
座は間もなく自然と明るくなった。話声も大きくなる。坊さまたちはまた、早く浪士たちの話を聞きたがっていた。美少年の矢頭右衛門七は、若衆好きの坊さまに囲まれている。主税では、すこし体格が立派すぎて少年とは思われないのである。
内蔵助が、この間にも上杉家が追手を寄越すのを望んでいたように、ほかの浪士たちも熱心にこれを待っているのだった。来ないのが、むしろ不思議に感じられる。公儀の御沙汰によって仕置きにあうより、ここで、もう一戦はなばなしくやって死ぬ方が、自分たちにふさわしい最期《さいご》のように感じられるのである。
坊さまたちも、今はすっかり浪士たちの肩を持って、上杉勢が押し寄せてこようともこの山門は滅多に破らせませぬと意気込んでいう者がある。記念のために何か一筆書いてくださいと、早くも大硯《おおすずり》をかつぎ出して来る者がある。
浪士たちは、元気よく書きなぐった。
その内に午《ひる》が来た。
「やあ、上杉殿御人数が押し寄せてまいったと申しますぞ」
この突然の叫び声が一同を驚かせたのはそれから間もないことだった。大門を堅めていた坊さまの一人が、血相かえてかけ込んで来たのである。
「来たか?」
人々は、筆を置き、杯《さかずき》を捨てた。壁に立てかけてある槍を取りに走る者もあった。
浪士たちが引き揚げて行った後の吉良家は、目もあてられぬ惨憺《さんたん》たる有様になっていた。戸障子のはずれたところから朝日は容赦《ようしや》なく射し入って来ていた。各所にたおれている死体を別にしても廊下も、座敷も泥《どろ》草鞋《わらじ》のあとをつけ、こわれた調度の類を散らし、ふすま障子は折れた骨を出して破れていて手のつけようもなく思われた。
逃げた者も漸く集まって来ていた。狼狽して顔色を土色にした家臣たちが、言葉もなくこの有様に目を向けて茫然とたたずんでいるだけである。屋根の雪は解け始めている、明るい点滴がひっきりなく落ちて、泥だらけのはねをあげているのだった。
この人々が正視出来ないように感じたのは、当主《とうしゆ》左兵衛義周《さひようえよしかね》の姿であった。左兵衛は、首のない上野介の死体を見詰めて茫然と立っているだけだった。
その傍へ寄って慰めたいにも、人々は自分たちが卑怯であわてるばかりで、せめて有るだけの力を出して防ぎ止めることも出来なかったことは、今更烈しい自責を感じるのみだし、のめのめとそれを口に出せない気がしている。それだけでも、左兵衛が今独りでじっと持ちこたえている感情に触れるのは怖ろしいことだった。左兵衛は浪士の一人の鋭い切ッ先に切りまくられて、夢中で逃げて、長屋へひそんでいる間に、血のつながりからいえば祖父、俗縁からは父にあたる大切なひとを、むざと敵に討ち取らせてしまったのだ。自分が死んだ方が望ましかったと考えるのも及ばぬ愚痴だ。ただ、おのれのこころにある小心で卑劣なものを、耐えがたく呪わしく思うのである。
塀の外に、騒ぎを聞いた見物がうようよと集まっていることも人々は感じていた。隣家との境の板塀にも、ふし穴にも、意地悪い世間の目が差しのぞいているように思われる。長屋の壁を破って外へ逃げていた家老たちが、事務家の手腕をあらわして何かと指図をしてくれるようになったのは、この人々にとっては救いであった。
左兵衛は奥へ入った。
斎藤宮内《さいとうくない》、左右田孫兵衛《そうだまごべえ》は「このままでいるわけには行かない」を口癖のように繰り返していながら、適当な命令をするのにはかばかしくなかった。第一の問題となる、公儀へ届け出ることさえ遅れて、結局、糟谷平馬《かすやへいま》という男がこの役にあたった。
平馬は、駕籠の中に隠れて、門外の群集を分けて出ていった。月番にあたっていた老中|稲葉丹後守《いなばたんごのかみ》の屋敷では、家臣が出て平馬に応接し、夜来の顛末《てんまつ》を聞き取った。
百人からの人数がいる吉良家が、半数の浪士たちに散々荒されたというのが、丹後守の家来たちにはいささか不審に感じられた。
平馬の報告が終ってから、
「それは、御難儀で御座りましたな」と、一人がいって出た。
「さほどの闘いでは、貴殿にもさだめし敵とお手合せなされたことで御座りましょう」
平馬は思わずあかくなった。そしてちいさい声で、
「あいにくと拙者《せつしや》非番でござったので」と弁解した。
「それは、御残念なことでしたな」と、相手は厳格にいった。
平馬は座にいたたまらなくなって、そこそこに挨拶して、辞し去った。丹後守の家来たちはその醜態をあとで笑った。浪士たちの方が一体幾たり死んだのか、尋ねなかったのは遺憾だったといいだす者さえいた。
吉田忠左衛門、富森助右衛門の自首を受けた仙石伯耆守が急いで登城して、老中、若年寄《わかどしより》に昨夜のことを報告したところへ、泉岳寺から届出を受けた寺社奉行阿部飛騨守が出て来る。そのほかに町奉行|松前伊豆守《まつまえいずのかみ》は、義士たちの引揚げの通路から与力同心《よりきどうしん》たちの訴えて出た報告を集めて駈け付けて来るし、折からこの日は大小名のお礼日にあたっていたことで、営中はにわかに色めいて見えた。
事件の一方の当事者である吉良家からの届出は遅れて着いた。
「誰か一人ぐらいは生き残っているだろうと思ったが、これは、左兵衛どのも無事でいられたか」と、老中|土屋《つちや》相模守《さがみのかみ》が吉良家の届出の遅れたのを諷《ふう》して席上に上品な諧謔《かいぎやく》を弄した。
これに応《こた》えた老中たちの微笑も吉良家のためには不穏のものがある。この相模守も、また同席の稲葉丹後守も、三年前松の廊下の変直後に御前《ごぜん》へ出て「内匠頭は乱心の体に見受ける」と強硬に主張して綱吉の不興を買った人々である。二人は浪士たちに感じている同情を恐れげもなく言動に示した。また会議の空気はこの二人に指導されている形があった。
「ともあれ、事実を検視せねばならぬ。御前への御披露《ごひろう》はその後のことである」と、相模守がいって出て、衆議はさだまった。
仙石伯耆守は浪人共を今一応|訊問《じんもん》する命令を受け、勇んで退出する。また、吉良邸へは現場を検視し、口上書を聴取するために目付《めつけ》が遣《つか》わされることになった。これは、阿部式部|信旨《のぶむね》、杉田五左衛門勝行の両人が、御徒目付《おかちめつけ》四人に御小人《おこびと》目付六人を連れて行くことにきまった。
式部と五左衛門は道をいそいで、本所へ行った。両国橋を渡ると、物見高く集まっていた群集が雪解けの道をこねくりまわして、同心たちに追われ追われて通路をあけた。
吉良家では、家老たちが門まで迎えに出た。検按使《けんあんし》を通すために開いた大門も、またすぐと閉じられた。門外の群集は気勢を揚げて、うわっと叫び上げた。それが三人の家老たちには怒濤《どとう》のように聞えた。三人は斎藤宮内、左右田孫兵衛、岩瀬《いわせ》舎人《とねり》と各自の姓名を名乗った。三人が三人、負傷の体《てい》に見えるが、この突発的な事件にすっかり転倒している様子が、検按使には苦々しいことに思われた。式部から、先ず上野介どのの死体を検視するといって出て、家老たちは案内に立った。
その間に四人の御徒目付は、その辺に散らばっている死体を見廻って歩いている。吉良家に残っている丈夫で傷一つない武士たちは、身の置き場もない心持で、なるべくこの四人に会うまいとしている。これも三人の家老と同様に、名誉の負傷者があとに残って案内して廻るのだった。
検使が家老たちの案内を受けて行って見ると、首のない上野介の死体は炭部屋の前の、血汐や雪によごれた泥の上に仰向いて横たわっていた。お小人が近寄って傷口をあらため、一人が帳面に書いた。阿部式部は、死体のそばに二尺ばかりの刀が落ちているのを見て拾いあげた。
主人所持のものだと、左右田孫兵衛がいった。血に染まっているし、刃こぼれが多く、なお|※[#木へん+覇」]《つか》にも一か所きり込んだあとが残っている。これで見ると、上野介は浪士たちを迎えて烈しく闘ったようにも見える。
式部はうなずいて、五左衛門にもこれを見せた。吉良家の家老たちは、これを眺めてなぜか落着かない様子である。
上野介の検視が終ると、順序として、当主左兵衛義周を呼び出して訊問することになった。斎藤宮内が、この旨を通じに入って、やがて左兵衛は土色の顔をうつ向けて出て来た。医者が後に付き添っていた。
左兵衛が受けた傷口は額に三寸ばかりのもの、背は長さ七寸のものと、二か所である。左兵衛は、前に家老が入知恵してくれたとおりに、これで気絶して前後をわきまえず不覚を取ったと、述べた。しかし、傷はさほど深いものではない。式部も五左衛門も、左兵衛の心持を察して別にとがめもしなかったが、吉良家が面目《めんぼく》をつくろうために、事実を隠そうとしているのを不愉快に感じた。
「左兵衛どのの得物《えもの》は?」
五左衛門は、いかめしく家老たちを振り返って尋ねた。
薙刀《なぎなた》が検按にそなえられた。
「これが昨夜御所持のものでしたな?」
五左衛門は、左兵衛に確かめ、左兵衛は「左様に御座ります」と答えた。
薙刀は、やはり無数の刃こぼれを示し、柄《え》にきり込まれた痕《あと》を残している。これは左兵衛の傷の程度に思い比べて不自然なくらい、烈しく闘ったとしか思われない。式部と五左衛門は目を見合せた。今見て来た上野介の刀の刃こぼれのことも、どうも、こしらえたものらしいなと苦々しく思い合されるのだった。
左兵衛は、口上書を出すように命令を受けた。
やがて、家老の手から上使に渡されたのは左記のものである。
昨十四日夜八つ半過《はんすぎ》、上野介並に拙者|罷在候《まかりありそうろう》ところへ、浅野内匠頭家来と名乗り大勢|火事装束《かじしようぞく》の体《てい》に相見え、押込み申し候。表長屋の方は二か所に梯子《はしご》を掛け、裏門は打ち破り大勢乱入致し、その上、弓、箭《や》、槍《やり》、長刀《なぎなた》など持参、所々より切込み申し候。家来ども防ぎ候えども、かの者ども兵具に固《かた》め参り候や、この方家来死人|手負《ておい》多くこれあり、乱入候者へは手を負わせ候ばかりにて、討ち留め申さず候。拙者方へ切込み申し候につき、当家来|傍《かたわら》に臥《ふ》しおり候者どもこれを防ぎ、拙者も長刀にて防ぎ申し候ところ、二か所手を負い、眼に血入り気遠く罷《まか》り成り、暫くあって正気付き、上野介儀心もとなく存じ居間へ罷り越し見申し候えば、討《う》たれ申し候。その後|狼藉《ろうぜき》の者どもが引き取り居もうさず候。
十二月十五日吉良左兵衛
式部が、読んで五左衛門に渡した。
「よろしかろう」と、五左衛門から家老たちへ申し渡した。
次に見廻ったのは、邸内に散乱している十六個の死体だった。
式部も五左衛門もこの人々に対しては敬虔《けいけん》な心持になった。小林平七、鳥井理右衛門、須藤与一右衛門、大須賀部右衛門、清水一学、斎藤清左衛門、新貝弥七郎、小堺源次郎、左右田源八郎《そうだげんぱちろう》、鈴木元右衛門、笠原《かさはら》長太郎、榊原平《さかきばらへい》右衛門《えもん》、これに坊主の鈴木松竹、牧野春斎の両人、足軽《あしがる》の森半左衛門、中間の権十郎と、徒目付《かちめつけ》が調書に照らして読み上げる死体を一々くわしく検視して行った。殊《こと》に清水一学、小林平七の死体が、最も壮烈に最後までよく抵抗したことを物語っていたのである。表面は吉良家の家来となっていても、戦死者の多数は、左兵衛について来たことになっていて、上杉の付人《つけびと》たちであった。君命とあって見れば、他家の好ましくないひとのためにも死を以て守備に当ったのである。この思案が上使たちの胸を、役目はなれて感動させた。
無意味の死のようにも考えられるが、それに甘んじて死んだ率直な奉公振りは、復讐というはなばなしい名目を持っていた赤穂の浪士たちより、上にあるとも考えられるのである。上使たちがこの屋敷へ来てさわやかに胸のひきしまる有様を見たのは、これが最初でまた最後だった。次に見るのは負傷者でその二十一人の中には、傷といえないくらいの軽傷者さえ入っていたからである。最後に小者を除いて立派な武士で、無傷《むきず》の者が二十三人までかぞえられた。
この間に、徒目付たちは、吉良邸の隣家を廻って取り調べを進めていた。
表門に向いあっている牧野一学の屋敷、北隣に塀一枚を隔てている本多孫太郎の屋敷は、いずれも主人が不在だったので、留守居の家来から、かかり合いをなるべく避けようとする意思が露骨に見える返事をして来た。
牧野一学の家来からは、
昨夜七つ時分火事にてもこれあり候様に、方々人声致し候ゆえ罷《まか》り出《い》で見合い候ところ、吉良左兵衛様御門内、声高に相聞え申し候えども、様子《ようす》知れ申さず候につき、手前の門外に控え人を付け罷り在候ところ、その後何の物騒がしきていも御座なく候ゆえ、そのままに仕り置き申し候。この外申し上ぐべき儀御座なく候。以上
とあった。
本多孫太郎の家来の分も、ほぼ同様で、
火事などの様子に御座候えども、しかと知れ申さず、その内鳴りも静まり申し候。その場のことかつて存じ奉らず候。
ということである。
ひとり「存じて」いて、そう簡単に「鳴り」の静まらなかったのは本多家と並んでいる土屋主税の屋敷であった。主税は浪士たちへそれとなく掩護《えんご》を与えたことについて、公儀への憚《はばか》りを知っていて沈黙していたが、自分屋敷でとった処置をはっきりといっている。
……火事にて候やと存じ罷り出で候えば、喧嘩のていに相聞え候ゆえ、家来ども召連れ、境目まで罷出で固め候て罷在候ところ、塀越しに声を掛け浅野内匠頭家来片岡源五右衛門、原惣右衛門、小野寺十内と申す者にて候。ただ今主人の敵《かたき》上野介《こうずけのすけ》どのを討ち取り、本望を達し候と呼ばわり申し候を塀越しに承わり申し候。夜明時分裏門より人数五、六十人ほど罷出で候ように相見え申し候も、いまだ闇《くら》く候ゆえしかと見留め申さず、いずれも火事装束《かじしようぞく》のように相見え申し候。
名乗りまで挙げて行った狼藉者を捕《とら》えなかったのは、公儀旗本の態度として如何かという批評が後に出た。すくなくともこの文面では、主税はその非難も覚悟の上だったように見える。
阿部式部、杉田五左衛門の一行は城へ戻って来て、取調べの結果を報告した。閣老《かくろう》たちがそれを聴き調書を見ている内に、自邸へ戻って吉田、富森両人の訊問《じんもん》を終えた仙石伯耆守《せんごくほうきのかみ》がいそぎ登城して来て、浪士側からの事件の陳述を明らかにした。浪士たちが吉良邸へ残して来た口上書も、閣老の全部に、手から手へ渡って披読せられた。
国法にそむいたものとはいえ、討ち入るについて浪士たちがどんなに周到に用意して掛かったかということ、進退を如何にも明らかにして秋毫《しゆうごう》も乱れのなかった点は、ただ感嘆せずにはいられないことである。
「よくやった!」という心持は、閣老たちに共通した感銘《かんめい》であった。
最初から浪士たちの同情者だった稲葉丹後守は、さて、これから浪士たちがどんなに処分せられるかを考えて、ひそかに憂《うれ》えている。しかし、一座は問題が極めて重大な点を慮《おもんば》かって、誰一人発言する者もないのである。丹後守は、あせりながら土屋相模守の顔を見た。
相模守は、いつもの落着いた様子で慰めるように微笑を含んで見せた。「大丈夫だろう。大分吉良家のやり方が醜態なのだし、浪士たちには誰も感心しているのだから」という意味だった。丹後守は、まだ不安らしく、上席の阿部豊後守《あべぶんごのかみ》を注意深く見詰めた。
豊後守は、寺社奉行の飛騨守正喬《ひだのかみまさたか》の父親で、見ないような顔をしていたが、丹後守の心持をよく知っていて、厳格な態度の裏に好意のある微笑を心に感じている。今朝、息子《むすこ》の飛騨守が泉岳寺からの訴えに接して話しに来た時も、この丹後守と同じように、役目以上に浪士たちの肩を持った話し振りだったのでたしなめて置いたのである。しかし、年少の人々が一様に浪士たちの忠節に動かされていることは、好もしいことに感じていたのだ。いわばこれは、あまり泰平にすぎた世の中に、一陣の清風をもたらして惰気を一掃しただけでも有難いことなのだ。
人々の注意は豊後守に集まっていた。筆頭の人の意見を待っているのである。
豊後守は、静かにいって出た。
「内匠頭は倖《しあわ》せ者でありましたな。この者たちの忠節は御当代のほまれとも心得るが、如何か?」
人々は、嬉しげにうなずいた。
「御処分のことも、熟議の上、大切に致さねばならぬ。ともあれ、このことを言上し、われわれの考えも申し上げねばならぬが……方々は如何思し召されるか? 私は、浪士たちを一時大名中にお預けになり、御処分のことは影響も大きく前代に類例もないことで軽々にこれなきよう申し上げたいと思うのだ」
人々は、豊後守の言葉で、松の廊下の事変あって即日内匠頭に切腹を仰せ出された綱吉《つなよし》の沙汰を思いうかべた。それに引き続いて、丹後守、相模守の頭に描かれたものは、柳沢|出羽守《でわのかみ》の隠れた勢力と手腕のことである。御用部屋の面々の中にも、事件直後の今でこそ浪士たちに同情を持っているが、出羽守の動き方によっては、どう変るかわからない人もいるのである。
しかし、この場合、処分を慎重にするように申し上げることは、もとより異存のないことだった。両人は他の人々と一緒に、豊後守殿の御意見どおりと申し出ていた。
そこで、豊後守を先頭に一同は揃って御前へ出ることになった。
柳沢|吉保《よしやす》は、早朝に事件を耳にしていた。手なずけてある町方与力《まちかたよりき》の者が、上役に届け出る前に吉保に知らせて来たものである。用人が、吉保にこれを通じた。
吉保は、はっとした。
気が付いて、別段に批評を加えず、
「よし」といって、用人を立たせた。
吉保は、このことがあるのを嫌っていたのである。今日《こんにち》は昔と違うのである。武力を以て天下を威圧して行う政治は最早《もはや》古いものだし、従ってその覇道《はどう》の前衛となっていた武士階級も新しい時世に適応して自然と進化しなければいけないわけだし、これまで美徳とされて来た武勇などの原始的な能力は、泰平の今日を築く礎石とはなっているにしろ今はその職能をなくして、代って別の文化的才能が天下のために必要になっているのである。吉保たちの努力で、制度は完備し、士道に代って吏道《りどう》が漸く行われるようになった。武士も昔と違い、武力をたよらずとも自然と人に尊敬せられるようになる。天下は、かくの如く泰平に、文化の花はひらき、四民は鼓腹《こふく》しているのである。このようになってこそ、昔の、已《や》むを得なかった戦火にもそれだけの意義が生れるわけであって、闘争そのものだけでは、ただ野蛮な征服関係があるばかりで、その中に天下の進歩は認められないわけなのである。この復讐という、国法の規律の外に武力に訴えて一片の意地を遂《と》げる行為は、折角これまでおさえて来た原始的能力が、再び起《た》って文明に挑戦し、世間の進化に逆行しようとするにほかならない。怖るべき反動である。これによって天下の自然な歩みが再びおくらされるのである。
吉保が危虞《きぐ》したのはこれだった。そのために、内匠頭の厳刑を当然とし、その遺臣たちの策動を防ごうとしたのである。
しかし、今日の時世になって、まさかそんな野暮《やぼ》なことはあるまいと信じて、警戒をさまで厳重にしなかったのは、吉保のあやまりであった。こういう理想家には免《まぬが》れ難《がた》いことで自分の仕事なり勢力を信じすぎていたのが、原因だったのだろうか? 用人がさがって行った後に、吉保は、怒りと落胆に顔を暗くけわしく変えて、坐ったままでいた。
足音が廊下を近付いて来た。振り向くと、今の用人である。
細井次郎太夫がまいって至急にお目どおりしたい、といっているという。
「多用じゃ」
吉保は、短くいいきって、拒《こば》んだ。
次郎太夫が何をいいに来たかはわかっていた。吉保は、この賢明な家来の顔を、怒りを含んで宙に見た。広沢《こうたく》の学者らしい冷静さは、自分にないものとしていつも頼もしく思っているところだったが、今会えば、反対とわかっている二人の気性《きしよう》がきっと衝突して何か不快な結果を招くに違いないと思われた。細井の鋭い目付が怖れられた。今の自分の落寞とした心持を、殊に、家来のかれに見せたくないと感じたのだった。
時計が鳴った。
用人がまた呼び出された。
「支度は出来たか?」と吉保はいった。
出たくないが、式日のことだし、登城せねばならぬ。いや、今日こそお城へ出ていなければならぬと、烈しく心に思う。
吉保は駕籠《かご》へ乗ろうとして、見送りの家来たちの中に、細井次郎太夫の姿を見た。しかし、すぐと横を向いて駕籠の中へ入ってしまった。
次郎太夫は憂いている。この主人のためもある。また昨夜の浪士たちのためもある。何となく、もとから感じられていた已むを得ぬ自分の辞職の時が、いよいよ近付いたようにも感じられる。主《あるじ》の駕籠を見送ってこの篤実な学者の顔は淋しげに見えた。
だが、吉保も賢いという点では当代に稀《まれ》に見る人物であった。駕籠にゆられて大手門まで行く間に思慮は充分に働いて、自分の立場が悪く動けば危ういものになるのをはっきりと認めた。遺憾《いかん》とは思うのであるが、已むを得ぬのである。当分は冷静に成行きを見ているに越したことはない。時世は、一つの方角へ走るかと思えば、過ぎればその反動として、逆流をまぬがれぬ。絶えず動いている水流のようなものである。よき政治家は、流れの性質を見て流れる時は流れ、とどまる時はとどまらねばならぬのではなかろうか! 自然は人為の無理を排撃する。圧制は常に反動を呼ぶのである。吉保も、自分が勢いに乗じて、やりすぎたという感じがないこともない。今は、綱吉の心を動かして国法を楯《たて》に浪士たちを頭からたたき付けることも出来ないことはない。綱吉は、御用部屋《ごようべや》の意見よりも、側用人《そばようにん》の吉保にたよっているから内輪の相談にはすべて吉保が重大な役廻りをする。将軍の気性をよく呑み込んでいるから、こうさせたいと思う時は、綱吉の心持がその方角へ向うように話方を加減よく按配《あんばい》すればそれでいいわけである。気ままで、我《が》が強く機嫌の悪い時は人の意見を容易に容《い》れない綱吉は、こちらから構えて反対するように仕向ければ、それこそ、こちらの思う壺《つぼ》だとは知らずに、逆の方角へ走るのだった。
駕籠を出た時、吉保《よしやす》はもうすっかり落着きはらっている。御前《ごぜん》へ出ても何食わぬ顔付でいた。
赤穂浪士の件を報吉に伺候した老中たちの中に、筆頭の阿部豊後守は吉保に比《くら》べて才は劣るが、年配だけに経験もあり老熟した思慮もあって、綱吉にどう話せばよいかひそかに思案していた。丹後守、相模守は吉保が邪魔をするに違いないけれども、充分御用部屋の腰を見せて置く必要があると信じていて御前へ出て面《おもて》をあげるなり、正面の綱吉よりもむしろ、一段さがって脇にいる吉保の面に凝《じつ》と目を付けた。
吉保は、ひどく事務的に役目を果して、あとは冷然とした横顔を丹後守たちに見せて、きちんと坐っていた。
豊後守の注意は、綱吉に向っていた。その上機嫌らしい様子を見て、心強く感じた。進み出て、静かに平伏した。
綱吉は、
「なんだ?」といった。
豊後守は平伏したままでいった。
「後々《のちのち》の世まで御当代の誉《ほまれ》ともなるべき忠節の者どもが出でまして御座りまする。老中一同大慶に存じ奉ります」
丹後守は、豊後守の強い調子を有難いと思いながら、吉保の横顔から目をはなさなかった。
吉保は、かすかに顎《あご》を動かしたが、綱吉が「ほう何の話だ?」というように老中たちから吉保へ目を移しても、白い顔に何の表情も見せなかった。
その間に豊後守は、事情の詳細を報告しはじめていた。老人で、すこし低いが、しっかりした声で、理義の明らかな口調《くちよう》である。かれ等が御当代の名誉になるということを繰り返して置いて、ただその手段が掟《おきて》にそむいたものであるから御沙汰を仰いで処分しなければならぬ。またこの御処分は世道人心に強く影響するものだし、殊に前例のないことであるから慎重《しんちよう》に致したい。ついては、なおよく詮議《せんぎ》を遂《と》げたいと思うから、取り敢《あ》えずかれ等を大名中に預けて置くように取り計らいたい。これは御用部屋|一統《いつとう》の意見であるが、御聴許願いたいというのである。
豊後守の話は明らかに綱吉を動かした。綱吉は熱心に聞いていて、
「天晴《あつぱ》れの者どもよな」と、自然にいって出た。
丹後守は膝がふるえた。
綱吉は、老中たちの願いを許した。豊後守も自分の役目が立ったと感じて晴々とした。吉保は、最後まで、事務的に動いているだけで、何の意見も顔に出さないでいた。
引渡
浪士たちをどの大名に預けるかが問題であったが、これも御用部屋で即座に決定して御月番《おつきばん》稲葉丹後守《いなばたんごのかみ》からそれぞれ申し渡した。仙石伯耆守《せんごくほうきのかみ》へ届出の人数四十七人を分けて、十七人を肥後《ひご》熊本城主細川越中守へ、十人を伊予《いよ》松山の城主|久松隠岐守《ひさまつおきのかみ》へ、十人を長門《ながと》長府の城主|毛利甲斐守《もうりかいのかみ》へ、同じく十三人を三河岡崎の城主|水野監物《みずのけんもつ》へ割当てられた。それぞれ当分お預けになるから泉岳寺へ受け取りに出るようにというのである。
式日のことだったので、病気で不参だった隠岐守を除いて、三人の大名はお城へ出ていて、御沙汰を聞くと直ぐに承諾《しようだく》した。各自家来を呼んで、すぐと準備にかかるように屋敷へ帰した。隠岐守へは別に老中連署の奉書を発した。隠岐守は病気で引き籠《こも》っていたけれども昨夜の事件のことを聞いている。すぐと受諾の旨を答えて置いて、家中に準備をさせ、番頭《ばんがしら》奥平次郎太夫、佃九兵衛《つくだくへえ》を筆頭に、小姓頭奥平九郎兵衛、大高坂《おおこうさか》舎人《とねり》、留守居三浦七郎兵衛、杉浦作左衛門等に下士《かし》を付け、総勢三百余人に泉岳寺へ行くように命令が出た。たかが十人の人間を受け取りに行くのに大袈裟《おおげさ》に過ぎるように思われたが、久松家では、上杉家が手勢を出して途中で浪士たちを奪おうと試みるだろうと考えたのである。浪士を収容する駕籠は、万一の場合の予備の分で十三|挺《ちよう》ある。下士を除いて武士は総て騎馬《きば》で乗り出したのである。通行の人々はこの堂々たる行列を見て、何事がはじまるのかと目をそばだてて見送るのだった。
この人数が、泉岳寺の門前まで行って見ると、馬のいななく声が聞えて、二百人ばかりの人数が山門前の広場をふさいで厳重にかためていた。これは、同じ命令を受けて出動した岡崎の城主|水野監物《みずのけんもつ》の手勢が、真先に馳せ着けて引渡しを待っていたのである。
あまり広くない場所だったし、遅れて来た久松勢の三百人は入る余地がなくて往来に立往生《たちおうじよう》した。どちらも、上杉家が襲撃して来るのを予想していたし、気が立っていたので、険悪な空気がかもされた。しかし、久松家の中に波賀清《はがせい》太夫《だゆう》という侍《さむらい》が交渉に出て、広場を半分譲り受けることになった。三百人が駕籠を囲んで、ぞろぞろと空地《あきち》へ入った。広場はいよいよぎっしりと詰まった。まだ細川毛利両家からもそれぞれ手勢を出して来る筈《はず》である。どちらも、この二家に比《くら》べて大藩のことだから、人数も二百人や三百人ではなかろうと思われる。どこへ入るだろうというのが話である。日は、すこしずつ傾いて来て、やがて暮れようとしていた。午《ひる》すぎから空はまた曇り出していたので、いつもより早く暗くなったような気がする。屋敷を出る時、用心よく両家とも提灯《ちようちん》を用意して来ていたので、まだ明るいのに、競争でつけはじめた。
屋根の雪が明るくなった。
「夜になったら出ないとも限りませぬぞ」と上杉家のことが両家の人たちの間に話題になった。緊張しているせいか、寒さもそれほどに感じられない。その内ぽつッぽつッ、とつめたい雨が落ちて来た。
ひどく遅いが……まだ、細川家毛利家からも来ないではないか?
人々は怪しみ出した。
やがてに、雨は急に烈しく降り出した。そこへ、馬を飛ばして来る者がある。これはそれぞれの藩邸から、引渡しは仙石邸《せんごくてい》ですることに急に模様変えになったから、すぐその方へ廻るようにといって来たのである。それと、不平もなく勇み立って両軍ともに動き出した。
薄暮の雨の中に、ぬかるむ道をこねかえして進むのである。仙石邸へ行って見ると門外に、細川家が繰り出した八百七十五人という人数が、高張《たかはり》をつけて控えているのだった。
ここも相当の混雑だった。
この引渡しの事務を仰せ付けられたのは吉田、富森がたよって自首して出た仙石|伯耆守《ほうきのかみ》(大目付《おおめつけ》)に、お目付鈴木源五右衛門、水野小左衛門の両人である。御徒目付《おかちめつけ》、御小人《おこびと》目付十数人がついて行くことになった。伯耆守は最早退出した後だったので、お受けしたのは源五右衛門と小左衛門である。両名は、今日の役目が命がけのものなのを早くもさとった。これも途中で上杉家の討手《うつて》にあうことと覚悟したのである。両名は、随行の御徒目付、御小人目付を集めて、万一の場合の注意を与えた。上杉勢があらわれた場合、御上意の在《あ》るところを説いてさとす存じ寄りでおるが、万一きかぬ折はそのままである。小人数なりとはいえ公儀の御面目《ごめんぼく》を辱《はずか》しめぬよう、討ち死の覚悟でいてもらいたいというのである。
人々も覚悟した。緊張した空気のうちに出立の支度《したく》が出来た。
そこへ突然に御用部屋から再度の達しがあった。浪士たちは改めて伯耆守役宅で四家へ引き渡されることになった。泉岳寺へは御徒目付をやり一同伯耆守宅へ出頭するように申し渡せというのである。
源五右衛門も小左衛門も、承諾するよりほかはない上司《じようし》の命令であったが、不審を感じた。浪士たちに任意出頭を命じるというのは、上杉家が討手に向った場合、独力であたれということになる。危険も多いことである。どういう思召《おぼしめし》なのか……二人は目を見合せた。また、それまでの意気込みに対して気が抜けたようにも感じられたが、ともあれ即座にその手配を遂《と》げ、泉岳寺へは御徒目付石川弥市右衛門、市野新八郎、松永小八郎の三人をやることとし、自分等は駕籠で伯耆守の屋敷へ向うことにした。
時刻はすでに遅くなっていた。
駕籠を待って式台へ降りていると、空は暗く曇って、今にも降り出しそうに見えた。あわただしかった一日が雨に暮れようとしているのである。
「これからだと、どうしても夜ふけになることだが……」と、小左衛門から源五右衛門に話しかけた。無論これは、浪士たちが泉岳寺を出て伯耆守の屋敷へ向う時間のことである。
源五右衛門は、暗い顔付で笑った。
「お上のことは、どう変るかわからんよ。この空模様と同じことだ」
ふたりは、自分たちが、いつの間にか浪士たちをかばう心持になっているのを感じた。小左衛門は武士は、「相見互《あいみたがい》」という言葉を急に思い出して心に反芻《はんすう》していた。源五右衛門は、浪士たちを単独で歩かせることにした公儀の決定が、どういう理由から割り出されたものか、考えている。まさかに紛糾《ふんきゆう》を怖れる役人|気質《かたぎ》から出たものでもあるまい。そうとすれば、更に深い悪意に根ざしているものではないか? 漠然とこの不安が動いていたのである。
雨は、道の途中から駕籠の屋根を打ちはじめた。
泉岳寺も闇と雨にとざされていた。しかし群集はまだ去らないで、木蔭や、付近の茶店の軒下に雀押しに並んで、人の出入りに目を光らしていた。いつもの物見高さのほかに、浪士たちがこれからどうなるだろうという懸念《けねん》がこの胸にわいていた。
門を入ると、暗い寺内を雨の音が埋めている。松の枝が暗く揺さぶられて、ぽたぽたと滴《しずく》を落している。ただ時々|所化《しよけ》たちがいそがしそうに右往左往しているだけで、今日の御府内の隅々《すみずみ》まで湧き返らした赤穂の浪人たちが、まだこの寺にいようとは思われない様子だった。
浪士たちは、広間で、遅い昼飯を馳走に預かったところだった。最初の内の軽い興奮も去っている。若い者たちは何がなしに、話の間に聞くこの雨の音に森《しん》と心に喰い入るものを感じている。堀部弥兵衛のように一貫した一つの心境を保って、今はただ肉体の疲労ばかりから壁にもたれて、こくりこくりやっているのは、枯れているとはいうものの、若い者たちには望み難いことであった。人々がたのみに思って待っているのは上杉家が討手《うつて》を寄越すことであった。昼間この寺の坊さまが、上杉家の討手が来たと注進したのは水野|監物《けんもつ》の手勢をそれと見あやまっただけの話で、笑いごとで終った。今になって見るとこの事件にも笑いきれぬものが残っている。不破数《ふわかず》右衛門《えもん》は、坊さまに話して砥石《といし》を借り土間へ降りて、昨夜の働きで、夥《おびただ》しい刃こぼれの出来た刀をとぎ始めていた。坊さまの一人が雪洞《ぼんぼり》を置いて行ってくれた。
「まだ、これからで御座る」
数右衛門は、こういって、せっせとといでいる。
戸口から雨風が吹き込んで来て、雪洞の灯をとろうとする。数右衛門は立って行って、戸を閉めてからまた丹念に砥に掛け、終ると、雪洞をたよりに刀尖《きつさき》までなめるようにしずかに目を走らしながら、静かに笑顔になった。
「御上使、御上使がおいでなされた」
廊下を、所化があわてて、こういいながら駈け込んで行った。
数右衛門は、戸を細目にあけて、雨に打たれている庭をのぞいて見た。
山門をあけ、提灯《ちようちん》に足もとを照らして駕籠が幾挺《いくちよう》か入って来るのが見える。雨で大変である。上杉勢が来たのではなかったことは遺憾《いかん》に思われたが、数右衛門は席に戻った。居睡りをした連中も起きて居ずまいを正していた。内蔵助は、走り入って来た坊さまの前へ、躯《からだ》を乗り出して話を聞いている。
その坊さまが立つと、顔をあげて一同を見て、
「では拙者の後から」と、いった。
その坊さまが案内に立ち、内蔵助がこれに続き、更に一同がその後から従って、静かに廊下へ出た。
雨が庇《ひさし》を打ち、風が雨戸をがたがたゆさぶっている。通された書院も雨の中にあって、蝋燭《ろうそく》の灯《ひ》がしめっている。内蔵助に従って一同は、水墨で蓮池《はすいけ》を描いたくすんだ銀襖《ぎんぶすま》の横に静粛に居流れた。やがて渡り廊下に灯影が動き人影がゆれて、|麻※[#「衣へん」+「上」]※[#「衣へん」+「下」]《あさがみしも》に威儀を正した上使が歩み入って来た。
上使は御徒目付、石川弥市右衛門、市野《いちの》新八郎、松永小八郎の三人である。浪士たちは静かに平伏した。上席の石川弥市右衛門からいい渡した。
「大目付《おおめつけ》仙石伯耆守《せんごくほうきのかみ》どの御役宅《ごやくたく》において、御目付鈴木源五右衛門どの水野小左衛門どのお立会の上、仰せ渡される儀がある。一同打ち揃《そろ》い同邸へ罷《まか》り出るように」というのである。
弥市右衛門の声はひくくて、この広間をこめる雨の音に妨《さまた》げられていた。しかし内蔵助以下には、よく聞き取れたのである。内蔵助は目をあげて、上使の顔を仰いだ。上意について疑いがあった。弥市右衛門の言葉どおりならば自分らは、任意に仙石邸へ出頭しろというのである。国家の罪人である自分等にそれまでの自由を許されるのは、お上の寛大な処置と解していいのだろうか? しかし、自分等の得物《えもの》は何とすればいいのか? この夜陰にこれから仙石邸までかなりの距離を行くものとすれば、上杉家の討手のことがどうしても問題になる。得物はこれでお取り上げになるというのか、公儀としては当然の措置《そち》のように考えられるのであるが、上使はそれについて一言《ひとこと》もいっていないのである。
燭台《しよくだい》の灯は、横に流れて、ふすまの蓮の葉を明るく暗くしている。内蔵助が仰ぎ見た弥市右衛門の顔は、面《めん》のようにかたく見えただけで、ただ、こちらが出す受書を待っているものらしい。
内蔵助は、
「得物の儀は?」と、喉まで出ていて、何もいわず、はっと平伏した。
疑念は晴れ、代って、いうばかりない満足の情が胸にゆれている。公儀は武器の携行《けいこう》を暗にお認めくださるのではないか? これである。内蔵助は寺僧が渡してくれた硯函《すずりばこ》をあけ、水さしの水を落して静かに墨を取った。その指は無量の感動を受けてふるえようとしているのを、息とともに殺して、よく平均の取れた、ゆるやかな運動で墨を動かしはじめた。その下から古雅なかおりがしずかに起った。
受書は出来た。
これを差し出しながら、内蔵助は、それとなく弥市右衛門のおもてをじっと見詰めながら、落着いた声でいった。
「御覧のとおりの服装にて、まことに恐れ入り奉《たてまつ》りまするが、最早改めようもござりませねば、失礼の段|予《あらかじ》めお断り申上げ置きまする」
この言葉は如何にも重大なものだった。
弥市右衛門は、だまってにこりとして頷《うなず》きながら立ち上った。
ははあッというように内蔵助はひくく頭をさげた。公儀を動かしている思潮が、自分たちの敵ばかりでないということが、しみじみと胸にとおって感ぜられたのである。
上使たちの足音は渡廊下へ消えた。内蔵助は立って見送りについて行って、上使が出て行ってからこれも見送りに出ていた和尚《おしよう》に心から礼を述べた。
それから戻って来て、待っていた一党に、
「では出立の支度《したく》をしていただこう」と、いい渡した。
「ひょっとすると途中で面白いことになるかも知れない」と、晴れ晴れと笑った。
すぐと一同は支度にかかった。ぬいでいた兜頭巾《かぶとずきん》をまたかぶって忍ぶの緒《お》をしめる。槍を杖に突いて出る。不破数右衛門は、手入れをしたばかりの刀のつかを満足げにたたいている。途中で上杉家が襲撃してくれれば、もう申し分はないのである。それがないとしても、たとえ雨の中でも、一同が晴れ晴れと江戸を歩くことは最早ないだろうと、今の今まで考えていたのだった。これが自分たちの一生での最後のはなやかな行進曲だということも、人々の血をわかした。
老人と負傷者のために親切に駕籠が支度されてあった。堀部弥兵衛は、頑強に拒《こば》んで、おれは歩いて行くといいはったが、安兵衛が傍へ寄って納得させた。そんな無理をいう時でないというのである。しかし、駕籠の垂れは、いつでも内部《なか》からあけて外へ飛び出すことが出来るようにして、防水の桐油《とうゆ》も屋根を蔽《おお》うただけのことにした。
上野介の首は、和尚にあずけた。
内蔵助は、主税を見つけて、
「おれと一緒に歩け」といって、並んで先頭に立った。
誰もこの言葉に何の不謹慎《ふきんしん》も感じなかったばかりか、この華《はな》やかな最後の行列にこれがふさわしくも嬉しいもののように眺めた。この行進の後に今日までの一党が仲のよいものも悪いものも、父子《おやこ》も、義理の兄弟も、すべて別れることになることに自然と思い至ったのである。平常気にくわぬ奴と思っていた男までが、今はなつかしいのだった。
雨中を、世話役の提灯が動いて、一同は駕籠を中央に囲んで整然と隊伍を整えた。泉岳寺の坊さまたちは、寺も方丈《ほうじよう》もからにして走り出て、門の脇に並んで見送った。これも、一日の縁であっても、はなれがたい心持がするのである。
内蔵助は、内匠頭の墓のある方角を見ている。そこは、闇にとざされて、ぬれた木々がしずくを落しながら、重くゆれている。傍にいた和尚は、内蔵助の心持を推測した。冷光院殿《れいこういんでん》も地下でさぞかし御満足のことと考えられるのである。和尚はこれをいわず内蔵助もまたこれをいわない。ただ、その、ゆたかな頬の肉にただよっているうれしげな微笑で、心は言葉にたよるよりも深く通じているのだった。
用意は出来た。
別れの挨拶をかわして一同は山門を出た。先頭、中、しんがりに各|二張《ふたはり》ずつの提灯が、この勇ましい隊列を照らして行った。雨の中に粛々《しゆくしゆく》と動いて行くのである。
門を出てから、どこまで行っても両側の家の軒下に立って声を呑んで見送っている群衆があった。雨の音がしている道の行く手にも黒く動く人影が見えた。この人々はあわてて道をひらき、息を詰めて、この行列を見送るのだった。
「出るといいな」
武林唯七は、並んでいた安兵衛にそっとささやいた。安兵衛もほほ笑んだ。安兵衛は上杉勢を心待ちに待ちながら、ひそかに自分が駕籠脇に付き添って、槍をあずかっている弥兵衛の健康を憂《うれ》いている。何といっても昨夜来の激動が何の差障《さしさわ》りもなかったかと心配になっていた。あれまでに弱って枯木のようになっていた父親が、現在平気でいるというのは無理のように感じられて、これで安心が来たら急にがくりとつまずきそうな気がして、あぶなっかしくてたまらないのだ。
やがて路の脇の群集から少し前へ乗り出して、黒く一塊になって浪士たちを待っている人々が見えた。内蔵助は、そこに、大石無人《おおいしむにん》の坊主あたまを見た。宍戸寅之助《ししどとらのすけ》がいる。無人の伜《せがれ》の三平がいる。その他にも連れらしい武士が三、四人雨中に立っている。
内蔵助父子は、黙礼しただけで歩みをとめなかった。
無人は、三平がとめるのもきかずに扇《おうぎ》をひろげて、
「よう、天《あ》ッ晴《ぱ》れ、出来《でか》した、出来した」と、急に大声で叫びあげて、静粛な群集に目をみはらしたのだった。
主税は烈しく血のわくのを感じた。内蔵助もこの親戚の者の無作法には閉口《へいこう》しながら、心をうたれた。
無人の、「出来した、出来した」は雨の中を浪士たちの行列が過ぎるまで続いた。三平も寅之助も、安兵衛やそのほかの相識の人々と目を見合せて、今生《こんじよう》の別れを無言のうちにかわした。
無人の扇子は、ずぶぬれになって骨と紙と離れてしまっていた。浪士たちの姿が雨の中に霞《かす》んでしまってからも、この老青年はなお興奮した口調《くちよう》で、「よくやった、よくやった」と繰り返しているのだった。群集は物見高く、この一団を囲んでいる。無人は人に見られて、びくともするような男ではないが、三平たちは閉口して早く無人を歩かせようとしていた。歩き出しても人はついて来た。群集は、自分たちがいいたくもいえないことを、おおっぴらにいってくれたこの坊主頭《ぼうずあたま》の隠居にひどく好意を感じていて、あとから自分たちも口々に浪士たちの忠節をほめるのだった。
その中にひとり、おれだけは別だよという顔付で、だまってにやにやして傘を肩に、無人たちの後をつけるのでもなく立ち止るのでもなく雨の中を歩いている男がいた。
これは、蜘蛛《くも》の陣十郎だった。
陣十郎は、急におやと思って立ち止った。そう思わずにはいられなかったのは、そのわいわいいって騒々しく浪士たちをほめそやしている人波の中に、思いがけなく目玉の金助の姿を見掛けたからだ。しかし、金助の方ではまだ陣十郎がいるのに気がつかない。この、男は夢中だったのである。
「何しろ吉良の方は三百人から、侍がいたっていうんですからねえ。へえ、本所に親戚がいましてね、昨夜の内に知らせてくれたんで、今朝暗い内に駈け付けて見て来たんでさあ。どうもすごいやね。こちらは兎に角御覧のとおりの小人数で、死人なんて一人だってありゃアしない。それこそ、忠義の一念|凝《こ》った刀尖《きつさき》だ。いや、もう……」
金助が目を光らして熱心に耳を傾けているのは、この話である。話しているのは、軍書好きらしい御隠居だった。人は二重三重にその男を囲んで、他人の傘から垂れる滴《しずく》にも平気で感心しきっているのである。
「三百人……」
溜息をつく者があった。
「えれえもんだなあ」
「嘘じゃありませんぜ。あたしア見て来たんだがね。いや長命はするものさあ。この齢になって今日のようなことがあろうとは思わなかった。孫たちにも、忘れないようによく拝《おが》まして置くことにしましたよ」
金助の、きょとんとした目は、御隠居と傘の下に寒そうに小さくなっている子供を見て、すっかり感心した様子で、腕を組んで首をかしげている。陣十郎は、わざとそばへ行って腰のあたりを小突いて見たが、金助はちょいとふり向いて見ただけで、こちらの顔も見えなかったようである。
(おかしな野郎だ)
陣十郎は、苦笑した。
「私は京に友達がいるが……」
こういって話の中へ入って来たのは、やはりさっきからの熱心な聞手だった丈《たけ》の高い浪人者で、
「もとその男の話で、大石どのは色酒におぼれ亡君の御怨恨《ごえんこん》ごとき忘れているように聞いて、あさましくも武士の風上に置き難《がた》き奴《やつ》、と思うていたが……今にして思えばこれなども敵の間者《かんじや》を欺《あざむ》く心にもなき放蕩《ほうとう》、とても喉《のど》にはとおらぬ酒だったに違いない。ただただ恐れ入った御忠節じゃ。かほどの忠義の武士を見あやまった不覚は、かえすがえすも悔《くや》しいわい。自分の恥をお話するのじゃ」
その浪人の言葉には心の感動が滲《にじ》んでいて、人々の胸を打った。陣十郎は、金助の溜息《ためいき》を聞いた。
「おい、金さん」
「へ?」
金助は振り返って見て、びっくりした。
「お」
「来ねえか?」
この意味を陣十郎は目でいわして、人を分けて歩き出した。金助もいくらかてれたような顔付で、出て来て、陣十郎が差し掛ける傘の中へ入って来た。
「いやに感心して、聞いていたね」
「…………」
金助はだまり込んでいたが、
「で、でも偉えじゃありませんか?」といった。
「そりゃア偉いよ」
陣十郎も素直《すなお》に受けた。
「だが、俺たちが負けたわけだな。お前だって京へ行ったことを忘れやしめえ」
「そ、そりゃア……忘れてやしませんが……お」と、何か思い出したらしい。
「堀田さんのことを御存じですか?」
「どうしたって?」
陣十郎はまだ機嫌の悪い顔を向けた。
金助は、きょときょとして、
「へえ、あの……お仙《せん》さんのことですよ。堀田さんと。……御承知ないんで御座いますか?」
陣十郎は、傘の下で、金助の顔を見詰めた。
「あの二人が……?」
金助が意味していたことがわかっていながら、陣十郎は腑《ふ》に落ちない気持でいた。
堀田隼人なら、現に今陣十郎が白金《しろがね》の清正公の裏にたずねて帰って来たところである。その隼人と、もとやはり千坂兵部の指図で赤穂から京へ行ったお仙と、そんなに特別の関係が出来ていたろうとは、かなり思い掛けないことに思われた。
「何かあったてえのか? そりゃア若い者どうしのことだ。珍しいこともない」
不機嫌にこういったものの、
「久し振りだ。どこかで雨やみに一杯やろうか、どうも、ひでえ降りになったものだ」と、誘った。
二人は雨の中を三田の通りを歩いた。往来は、まだどこへ行っても義士見物のあとの人で賑っていて、酒屋や茶屋には雨に追われた者が八間の灯《ひ》の下に動いている。陣十郎は、抜け裏を突っ切って、なるべく人出のない方角へ出ようとしていた。
往来はどこにも水溜りが出来ているし、大溝《おおどぶ》は水嵩《みずかさ》を増して、ごうごうと音を立てている。傘の柄《え》を伝わって流れて来る滴《しずく》は、冷たい。何となく暗いものが、陣十郎の胸の中にある。口をきくと嶮《けわ》しくなるような苛々《いらいら》した感情である。
陣十郎は、むっつりと、口を噤《つぐ》んでいるし、金助はまた、このだまっている相手に妙に敵意がわいて来るのを感じていた。(いばるねえ。えらいものはえらいんじゃねえか? その証拠は、この大雨だっていうのに、あの人出はどうだ? ひとりだって、あの忠義な人たちをほめねえ者はありはしない。そりゃアおれだって、使われていたから、したくない役廻りをつとめて上方《かみがた》へいったようなもので、しないで済めばあのひとたちの不為は働かなかったのよ。酒なんか飲みたかアねえや)頻《しき》りと、これが考えられるのだった。
陣十郎は、金助がこんな風に感じていることさえ薄々さとっていた。金助のような男が目前に浪士たちの姿を見、熱狂した群衆を見て、その興奮に巻き込まれたからといって何の不思議はなかった。いつの時代になっても、自分の意見はなくして勢いの強い側《がわ》の多勢の人間が考えるとおりに考え、ただわいわい騒ぐだけの人間の数は、自分だけの考えを守る者にくらべて比較にならないほど多いのである。それが自分のためになろうがなるまいが、このわいわい連に取っては問題ではないのである。しかし、この寛大な理解も、この晩の陣十郎の暗い心持をやわらげることは出来なかった。浪士たちの成功のこともある。また隼人が自分の知らない間にお仙と深い仲になっていたということも、当然なこととは思いながら、恋に裏切られたような面白からぬ心持にさせる。隼人と今日の昼会った時のことが陣十郎の胸にうかんでいた。
隼人はいつものように陣十郎を迎えた。裏が寺の墓地になっている一軒家で、樹木が多いせいか、雪はまだそのまま家のまわりに残っているし、屋内《おくない》は薄暗く陰気だった。ひょっと不在《るす》かと思われたが声を掛けると、奥から出て来た。一番日あたりのいい濡縁に、陣十郎は点滴《しずく》があげるはねを避けて腰掛けたのだった。
「どうも、陰気な家だね」
陣十郎がこういったのは赤穂浪士のことを、のっけから話すことが多少見識に関するような気持がして、わざと、目についたままのことをいい出しただけのことだが、こういわれても同意するのでもなく、反対するのでもなく、ただにやにやするだけの隼人の、たといいつものこととはいえ、蒼味《あおみ》をさしてぱっとしない顔付が、自分の今いった家の陰気なことに関係があるような気がして、「どこかへ越した方がいいぜ」とまで、こちらは親切からいったのである。
隼人は微笑した。どこでも同じですよ、というのである。
「そんなことはない」
陣十郎は変に躍起《やつき》になった。
「私なんぞは、からっと風通しのいい明るい家でないと住む気がしない。気持が変にこう滅入《めい》ってね。ならなくってもいい病気にもなるってわけだ。家相っていう奴《やつ》が、つまりそれなんじゃないか? 馬鹿には出来ませんよ」
「いや、そりゃアめいめいの気性《きしよう》でしょうさ、親分」
隼人はこういったのだ。
何で、こんな些細《ささい》な会話が今、陣十郎の記憶の中に急にはっきりとうかび上ったのだろう。
「金さん、ここらがいい」と、陣十郎は、山内に近い川端の、小ぢんまりした料理屋の前まで来て、傘をつぼめた。二人はのれんをくぐった。
「と、とにかく、えれいもんだ」
酒に濁って調子の高い声が、のれんをくぐったばかりの陣十郎の顔を打った。
男は、上り端《はな》に腰かけて酒を呑みながら、帳場にいる禿頭《はげあたま》を相手に話しているのだった。何の話かはいうまでもない。陣十郎は、その男の物腰から、「ははあ岡っ引の奴が、銭《ぜに》の要《い》らねえ酒を飲んでやがるな」と、つめたく見て、女中に傘を渡しながら、
「熱くしてくんねえ」と、二階へあがった。
「どこへ行ってもほめてるなあ」と笑った。
金助は、笑って見せただけである。
こいつも、おこってやがる……陣十郎は煙管《きせる》を煙草盆《たばこぼん》の火に持って行った。隼人のことが再び頭にうかんだ。浪士のことを話しても、「へーえ、やりましたか」というだけでこれも気のない話だった。この金助のように、群集に雷同して急な逆転をして、昨日の敵をにわかにほめるだけの熱もないのだ。
すぱっ、すぱっと鼻から煙を吹きながら、陣十郎はまた、「そりゃアめいめいの気性」といった隼人の言葉を急に苦々しく考えた。
「金さん、そう、ふくれなさんな。この席だけは陽気に飲もうじゃねえか? さあ、器用に受けてくれ」
「へえ」
金助は猪口に受けたが、相手に抱いていた漠《ばく》とした反感は、そんなことじゃおさまらないでいた。不思議にもこの反感の根元は、陣十郎の「大きな面《つら》」にある。これなら、一緒に上方《かみがた》をうろついていた頃から出てよさそうなもので、人間の感情はそう理屈どおりに行くものではないらしいのである。陣十郎は、これとは別に、変に寂寞としたものを肩に感じた。
「今夜は、酔おうぜ」と、笑った。
窓の外は古川だった。雨を集めた水が石崖《いしがき》をぴたぴた嘗《な》めている。階下で岡っ引が下卑《げび》た声を揚《あ》げて馬鹿笑いするのが聞えた。その声から、金助の頭に急にひらめいたものがあって、われながらはっとした。
陣十郎は何も知らず、
「お仙、隼人の濡《ぬれ》ごとでも聞こうか?」と笑いながら、また猪口をくれた。
浪士たちは雨の中を歩いて行った。上杉勢は遂《つい》にあらわれない。それもその筈である。内蔵助は、多分に有難迷惑に感ずる見物の群衆のほかに、沿道の各所に御小人目付《おこびとめつけ》が立っているのを見たし、道筋の大名屋敷の門には高張《たかはり》を揚《あ》げ、人数を出して警戒しているのである。恐らく、その筋から内々の沙汰があって、自分たちの身に間違いのないようにしてくれたのであろう。厚志は深く感じられる。だが、その間違いを望んでいたことで、内蔵助は、これに苦笑を感じた。心持も、事務的なものに変って行った。
仙石邸《せんごくてい》のある西《にし》の窪《くぼ》に近付くと、雨が降って暗い町並の空がその一角だけぼっと赤く見えるくらいだった。馬がいなないている。大小無数の提灯が動いている。付近の道路は泰平の世の中には滅多に見られないものものしい人数であふれていた。これは浪士たちを引き取りに四大名が送った人数である。四家それぞれの定紋《じようもん》をつけた高張提灯や騎馬提灯がぬかるむ道を明るくする。人々は浪士たちを迎えるために道をひらき、雨中に立って静粛に見詰め見送るのだった。
浪士たちは仙石家の門前に着いた。
内蔵助の下知《げち》で、駕籠の中の者も降りて出た。一同は得物《えもの》を門脇に立てかけた。その間に、内蔵助は兜頭巾《かぶとずきん》をぬいで、迎えに出ていた仙石家の者に丁寧に、御沙汰に従って一同がまかり出ました、と挨拶した。
仙石家では用意が出来ていた。
一々、名前を呼ぶから、それに応じて入ってもらいたいといった。態度もいんぎんで、役目がら呼び捨てにすると、こちらが却って痛み入るような挨拶である。
浪士たちは静粛に控えて、待った。
仙石家の者は、一人が書類をひろげ、一人が傍《かたわら》から提灯を差し向けて、やがて高声に読み上げはじめた。
「大石《おおいし》内蔵助《くらのすけ》」
「はっ」
内蔵助は、軽く腰をかがめて、悠々と門内へ入って行った。
そのまるく、小柄な後姿を人々の視線が追った。ささやき声が洩《も》れた。
門外に溢《あふ》れていた引き取りの四家の人々も、前列にある者はのびあがって、この名誉の人々を一々名前にあわせて、はっきり見たいと思っている。雨はなお降りつづけている。浪士たちの通路をあけ今内蔵助があるいて行った道に、白い雨脚《あまあし》が見え、門内の植え込みの蔭に見える提灯の灯影《ほかげ》をけむらしている。
指名はつづいた。
人さまざまの姿が一人ずつこの門を歩み入った、白髪の、痩せた老人がいる。紅顔の少年がいる。傷を巻いた白布に血をにじませ、凄壮な姿で入る者がある。読み役の声とこれに答える浪士の声が、しきりない雨の音に一つ一つの力強い句読《くとう》を打った。その他のひとは無言でいる。提灯を寄せて浪士たちの足もとを照らしている者、垣根のようにぎっしりと列をつくって並んでいる者も、何か森厳《しんげん》な空気におさえつけられている。
玄関にも明るく提灯がつけてあり、人々が静粛に詰めていた。
浪士たちの各自から、佩刀《はいとう》、兜《かぶと》、懐中物を受け取り一々用意の名札をつけてあずかるのである。門外に置かれた分も一緒にして置くから、仰せくださいというのである。私のは、これこれの槍と答えると、直ぐ人が立って行って、それを持って来て、「これで御座いますな」と、念の入ったことであった。
足を洗うたらいが支度《したく》してある、新しい雑巾《ぞうきん》がある。おきての敵が遇せられるにしては、行き届いた心づくしである。浪士たちはうるんだ心持で、一々その親切を受けて上へあがった。
時刻は、今の、夜の九時を廻っていた。一同は案内せられたとおりに広間へ通ると、御徒目付《おかちめつけ》数名が控えていたほかに、今朝別れた吉田忠左衛門、富森助右衛門がここにいて、お互が一日別れていただけで、ひどく久し振りで会ったような心持で、なつかしそうな視線を交《まじ》えた。
御徒目付は、四家おあずけの割あてに応じて浪士たちを四組に分けた。
最初が細川越中守《ほそかわえつちゆうのかみ》へおあずけ組で、大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五右衛門、間瀬久太夫、小野寺十内、堀部弥兵衛、磯貝十郎左衛門、近松勘六、潮田又之丞、富森助右衛門、赤埴《あかはに》源蔵、矢田五郎右衛門、大石瀬左衛門、早水《はやみ》藤左衛門、間《はざま》喜兵衛、奥田孫太夫の十七人である。
次ぎの組は、
大石|主税《ちから》、堀部安兵衛、中村勘助、菅谷《すがや》半之丞、不破《ふわ》数右衛門、千馬三郎兵衛、岡野金右衛門、木村岡右衛門、貝賀弥左衛門、大高源吾の十人で、松平隠岐守《まつだいらおきのかみ》へおあずけの者。
次ぎに、
岡島八十《おかじまやそ》右衛門《えもん》、吉田沢右衛門、武林唯七、倉橋伝介、村松喜兵衛、杉野十平次、勝田新左衛門、前原伊助、間《はざま》新六、小野寺幸右衛門の一組、これは毛利甲斐守《もうりかいのかみ》へおあずけの十人である。
最後に間瀬孫九郎、間十次郎、奥田貞右衛門、矢頭《やとう》右衛《え》門七《もしち》、村松三太夫、神崎与五郎、茅野《かやの》和助、横川勘平、三村次郎左衛門の九人、水野監物《みずのけんもつ》へおあずけの九人が一組を作った。水野家へも十人行く筈だったところが一人減じたのは、討入の前までいた寺坂吉右衛門が行衛《ゆくえ》不明になっていたからである。御徒目付から説明を求められた時には主人にあたる吉田忠左衛門から、寺坂吉右衛門は途中までいたがその後のことは自分たちも知らない。身分のいやしいものだから多分その場になって臆病風に吹かれて逃げたものと見える。吉良家へ推参した折はもういなくなっていたと答えた。これは正直な返事で同志の者も吉右衛門がいつどこで急にいなくなったものか不審に思っていたことである。役人の方では忠左衛門の返事をすこしあいまいと思った様子で急に顔をあげて見たが、それ以上話もなく割あてが終った。
やがて大目付仙石伯耆守が出て来て、正面上座に着席した。立会の目付、鈴木源五右衛門、水野小左衛門がその左右に、御徒目付たちがその下座に坐って、取り調べがはじまった。先ず御徒目付がそれぞれ分れて四組の者の姓名、年齢から、浅野家につかえていた頃の格式や、幕府|直参《じきさん》の者と親族関係があるかどうか、昨夜負傷したかどうかなどを、一々帳面に書き入れるのだった。
それが終って、伯耆守から四大名へ当分おあずけになるといい渡しがあって、一組ずつ前へ出よということだった。まず、内蔵助の組から進み出た。
伯耆守は帳簿を取って、名前と顔を見くらべながら、役目をはなれた砕《くだ》けた態度で、
「昨夜の模様を聞きたいものだな」と、いって出た。
目付役の源五右衛門と小左衛門も思わず微笑を漏らした。部屋の空気も何となく明るく、うちとけたように見える。棟《むね》をこめた雨の音にものびのびと春めいたものが聞えた。
内蔵助は伯耆守の質問に一々答えた。伯耆守は、話の中で、「それは何と申す者だ。どこにいる」と熱心に尋ね、内蔵助が、同志の一人を指すと、その方をのぞいて見るのだった、討ち入って直ぐに敵を捕え蝋燭を出させてともして歩いた磯貝十郎左衛門を見ては、「若人《わこうど》だが、よく気がついたな」といった。主税は内蔵助の子供で、まだ年少だというので、殊に人々の注意をひいた。目付役の水野小左衛門もかたわらから、「十五歳とは思われぬが」と主税の体格をほめ、田舎に暮していたにしては言葉が優美だといってほめた。そうしている中にも、役人の側でも浪士たちの方でも、今人々にほめられている息子も、これを光栄にしている父親も、この場で間もなく永久に別れることになるのを考えずにはいられなかった。この二人だけではなく、ほかにも父子でいる者、それでなくても同志の中でも兄弟のように親密にしていた者たちも、同じように別れることになっていたのである。
一組ずつ呼び出していい渡しを終った時分は夜もいよいよふけていたし、四家から浪士たちを引き取りに来ている人数が外で待っていることも考えてやらなければいけなかったのだが、伯耆守は、引揚げの道筋から、個人個人のこまかいことまできいて、なかなか立とうとしなかった。これも、今日までの辛酸《しんさん》をともにして今急にまたと会うこともなく別れようとしているこの四十六人を、なるべく永く一緒に置いて名残《なご》りを惜しませてやりたいという深い心持から出たことだと、後の噂《うわさ》があったくらいである。
伯耆守が、御徒目付《おかちめつけ》を見て、細川家よりの受け取り人を呼ぶようにいいつけたのは、もう夜半に近い時刻だった。
御徒目付がさがって行くと、伯耆守は、内蔵助を見て、
「警固の都合《つごう》もあるので、今夜は一同を駕籠《かご》で送ることにしてある」といった。
細川家の人数の中から、三宅藤兵衛《みやけとうべえ》を先頭に三人の御徒目付に案内されて来た。三宅藤兵衛は、明智左馬助光春《あけちさまのすけみつはる》の子孫で細川家の江戸家老だった。
伯耆守はこれを見て、
「並のおあずけではないから、充分いたわってやれ」と、わざわざ言葉を添えた。
藤兵衛は平伏した。
内蔵助は、伯耆守の視線が自分の方に向いたのを見て、同志の者を代表して、これまでの好意に礼を述べ、静かに立ち上った。その動作の間に内蔵助は、自分の方を見詰めている主税の目付を視野の外に感じて、ちらと振り返った。
主税は、第二組の十人の中の一番前列にきちんと坐って、大きな体格に似ない少年らしい熱心さを以て、父親を見詰めているのだった。親子の視線はすぐとまた別れた。その鳥の羽叩《はばた》き一つほどの僅《わず》かな時間に、主税は父親が自分に向けたやさしい笑顔を見ることが出来、その蔭に隠れている最後の激励の心持を感じることが出来た。
内蔵助の視線はわが子から散ると、細川家のほかの三家へ行く二十九人の同志の列に向いた。
(左様なら、皆さん。これでお別れします。よくやってくださった)と、この統領の、無言の感謝と別れの挨拶が、その視線に感じられた。内蔵助に続いて歩き出した十六人の者も、それだった。親と子と、友達同士、あるいは平常不和な仲の者とも、動きながら目さえ会えば、深い心持の感じられる挨拶が無言のうちにかわされた。十七人は、それだけの広さの空いた畳を残して、雨の音のする廊下へ姿を消した。
十七人をあずかることになった細川越中守|綱利《つなとし》は、最初殿中で御沙汰《ごさた》を受けた時、自身受け取りに出馬したいと申し出て老中たちに制《と》められたほどの人である。綱利は上杉家が途中で襲撃して来た場合を考えたほかに、浪士たちの一挙に快哉《かいさい》を叫んだ人物だったのである。自分が行くわけに行かなくなっても家来たちには、よく旨《むね》を含めてあった。家老で三千石の三宅藤兵衛、側用人《そばようにん》鎌田軍之助《かまたぐんのすけ》、小姓頭《こしようがしら》平野九郎右衛門、横山五郎太夫以下、格式《かくしき》のある者は騎馬《きば》で、その他に八百七十余人の大勢が堂々と押し出して来たのだった、駕籠も万一の予備の五|挺《ちよう》とも二十二挺を用意してある。
「よくいたわってやれ」という仙石伯耆守の注意はなくても、この人々は、最初からその心組みだったのである。
十七人が乗ると、これに錠《じよう》をかけることも縄《なわ》を巻くこともしない、戸をあけたい方は遠慮なく仰せられたいと一々の挨拶である。なお歩き出そうとして、手負いもいるからなるべくゆっくりやれ、と命令が出た。浪士たちの武器その他の所持品も、数名があずかって鄭重《ていちよう》に持って行くことにした。その命令どおりに、愛宕下《あたごした》から高輪《たかなわ》の屋敷までゆっくりと行列を進めたので、着いたのは夜半の二時だった。途中で、浪士たちは幾たびも親切な言葉をかけられた。中にも中年の篤実《とくじつ》そうな男が一人、
「拙者《せつしや》は堀内伝右衛門と申す者で御座る。何ぞ御用もござらば、御遠慮なく仰せ付けられい」と、いって駕籠の傍へ寄って声をかけて歩いた。このひとなどは、傘もささず雨に打たれているのである。
浪士たちは、疲労がどんよりと意識をくもらせていたが、一心に気を張っていた。すだれの外に暗い雨が見え、提灯がいくつもゆれながら動いてゆくのが見える。馬がぬかるむ土をはね上げている。水溜りに灯影と人の足が逆様《さかさま》に映って通る。ぼんやりとそれらを眺めながら、この一昼夜半の間の出来ごとが全部夢のような気がして「ぼんやりしていてはいけない。もっと敵のことを考えるのだ」とこの二年間ずっと固執《こしつ》していた屈託が、もう用もないのにまだ頭の中のどこかに残っている。「もう、そんなものは捨ててもいい」と、自分の心の納得のゆくように胸に繰り返してつぶやく言葉も、重荷をおろしたうれしさのほかに、にわかに杖がなくなったような手もとの淋しさにくるんで味わわれる。死が待っている。いや、それはよいとして、それまでの白紙の時間がある……。
高輪の屋敷へ着くと、すぐ上へあげられ広間へ通された。主人越中守は、到着を待ちかねていたので、家臣を従えて出て来た。浪士たちは、二列に並んで平伏した。今度おあずけの四家の中、主人が出て来て会釈《えしやく》してくれたのは、この細川家だけであった。
越中守は、今度のことは神妙《しんみよう》のことだったとほめ、自分が一同をおあずかりすることになったのは満足に思っている。公儀に対し粗略のないよう人を大勢つけることになるが悪く思ってくれるな。いいたいことは遠慮なくその者たちにいってくれ、といっただけで直ぐ立った。それでも有難いことである。浪士たちは強く心を打たれて、暫く顔があげられなかった。
越中守自身も浪士たちの姿を見て心を動かされたようである。奥へ入ってからついて来た用人に、
「空腹のことであろう、膳部を早くだしてやれ」といった。
天言
年も、もう押し詰まっていて、何がなしにいそがしい心持になっていた人々も、この復讐事件の噂に熱狂していた。利にさとい商人《あきんど》は江戸の町々へひっきりなく瓦版《かわらばん》を散らして歩いた。新聞も号外もない時世に、これが民衆の浪士たちのことを知ることが出来る唯一《ゆいいつ》の便宜《べんぎ》だったのである。
呼び売りの来るたびに、人は走り出した。
その一枚の紙に近辺の者が集まり家内中の額《ひたい》が集められる。誰の心持も浪士たちの側に在《あ》る。どうなることだろうと、ひとごとでない心持で公儀の措置《そち》を見まもっているのである。いつの時代にも、この、数は多くて生活の程度がひくい人々には、自分たちの感情を為政者に訴える機会を認められていないものである。出来ることなら、浪士たちの処分も自分たちの気の済むようにしたいのは山々でいて、そういう話の出来るのは、ただ自分たちと同じ仲間だけの内輪のことで、いくらもどかしく思ったところで、おさむらい様とか、自分等が習慣的に頭をさげつけている人々の前へ出ると、あたりまえと信じていることでさえ口に出してはいけないことになる。当時では、これが卑屈でも何でもない、この方がむしろあたりまえの話で、そういう世間に、はまるようにして行かないと、生きて行けないと信じていたのである。
しかし、この世間の下積みの人々に感情が或程度まで熱して来ると、丁度地熱が地殻の一部を破って火を噴き上げ火山を作るように不平を爆発させるのが自然である。人間が卑屈で、どこまでも奴隷根性《どれいこんじよう》を持っている間には、山を飛ばし岩を砕くだけの力はないが、ぶすぶすと煙ぐらい揚《あ》げるのである。世に、天言《てんげん》というのがこれである。殊に都会人ほど、その一種の聡明さから正面から堂々とあたって危険を招くのを避けながら、この隠れた、小意地の悪い、しかし芸術的とはいえる方法で、壁といわず門といわず、ひそかにはり紙をして、自分たちの物をいえない鬱《うつ》を散じるのである。
蜘蛛《くも》の陣十郎が、町を歩いていて偶然に目を留めたのが、それだった。何か人だかりがしていると思ってそばへ寄って見ると、その土塀《どべい》に、沢山の落首《らくしゆ》がしてあった。筆跡《ひつせき》もそれぞれ別であったが、書いてあるのは悉《ことごと》く、こんどの事件のことである。
陣十郎ものび上って、それを読んだ。
上野《こうずけ》は吉良れにけりないたずらに 我身夜逃げをせんとせし間《ま》に
吉良れたか親子うつけて臆《おく》したか 古小桶《ふるこおけ》にて底が抜けたか
主従に二度に吉良れて今日こそは 胴と首との別れなりけり
陣十郎も思わず微笑した。
「こりゃアうめえや」と、頓狂《とんきよう》な声を揚げる者がある。職人がいる、商家の手代風《てだいふう》の者がいる。坊さんがいる。歳末のことで用先へ行く途中のいそがしい者もいそうなものだが、立ったらなかなか動かないで、笑ったり、それからそれと話の花を咲かしているのである。
大石《おおいし》でひしぎ付けたるこうの物 それは浅づけこれは上野《こうずけ》
少々《しようしよう》は吉良れたふりをする家来 手作《てさく》の疵《きず》で恥《はじ》のうわぬり
「あ、こりゃア長州様のお屋敷の塀にも書いてありましたよ」
「なアに一人で方々書いて歩くんだろう。上野って名前がいいや。どうにでも使える名だからなあ」
「大石と、こうずけか……気がきいたもんだ。丁度しゅんだぜ」
こんな話が、陣十郎の耳に入った。
町方与力《まちかたよりき》らしい風采《ふうさい》の男で、矢立てを出して丹念に塀の文句を書き取っている者があった。
陣十郎はその男の、別に趣味もなく筆を動かしている事務的な様子や顔付から、ははあ、こりゃア上役のいい付けで写しに来ているのだなとすばやく見抜いて、その上役のしたり顔な様子を面白く空想して見た。恐らくはこの楽書を市中ではこのとおり浪士たちに同情していると輿論《よろん》の方向を証拠立てるのに提出する気かも知れない。役人としてはなかなかひらけたやり方であろうが、これが民衆のほんとうの心持だろうか? 輿論はいつも感情に偏している。今ここに書いてある数多くの狂歌《きようか》にしろ、いっているのは復讐の当事者が卑怯であったかそうでなかったかというだけの極《ご》く浅い意見なので、もうちっと皮を破って突ッ込んで、この事件が自分たちに取ってどんな意味があるのか、考えるなんてことはない。
これは、いつの時代になってもそうらしい。陣十郎には淋しいことだが、それがほんとうなのだ。世間の舞台廻しをするほどの男は、この俗衆の心持をよくつかんでいて巧《たくみ》にこれを利用しているわけだ。世間は結局理屈抜きに感情だけで動くのである。理屈が何か役をするように見えるのは、感情を修飾するはなばなしい看板になっている時だけのもので、つまり看板だから人の目に立つといったものではなかろうか?
陣十郎はいつものことで一流の推理を進めた。京都山科で自分も時々すき見した大石内蔵助の、まるい、にこにこした顔立を急に思い泛《うか》べながら、浪士たちの今度の結束も、あの男が生れつき持っていた人徳が同志の者に慕われていたお蔭ではないかと考えた。不思議な人格である。やはり、人が真似《まね》て真似られないものを持っているようである。そういえば、昔から英雄といわれるほどの人物は、みんな、この、人好きがするという、感情的な要素を持っている。それが仕事をしよくする。従って、長所を発揮させる。また、それでなくても後のひとが、いろいろな美点を集めて飾ってやるに違いない。
それじゃないか?
世間の英雄より、もっと偉《えら》くてただ人好きがしないというだけで名前も功績も一緒に埋もれてしまった者も沢山いるだろう? つまりは理屈ぬきの信心ごとだ。
御利益《ごりやく》のことは別である。
陣十郎は、自分のこの考え方とここでわいわいいっている人達の心持と、大分離れていることに気がついた。つむじまがりというのに違いないのである。正直にいったら殴《なぐ》られることだろう。
陣十郎は微笑した。
何気なく歩き出そうとして、すこしはなれたところにいる一人の人間が、これも土塀の楽書とは別に、陣十郎の横顔を見詰めていた目を、こちらが歩き出しながらふと見たので急に外《そ》らしたのが、はてなと思わせた。
無論それには無関心な様子を作って歩き出しながら、その職人風の男の風采を目の隅《すみ》ですばやく見て取った。
(つけられたな)
すぐと、頭にこれが閃《ひらめ》いた。
昼間だ。
人中だ。
訴人は金助の奴だ。
二段三段に陣十郎の頭は働いた。足は、寂しい屋敷町の方角へゆったりと自然な歩みを運んだ。男は果して、ついて来た。その時はもう、この男は後をつけているというよりは、陣十郎の背にわだかまっている刺青《ほりもの》の女郎蜘蛛《じよろうぐも》が吐き出す糸に絡《から》められて、どこまでも曳《ひ》かれて行くといってもいいことになっていた。
(なんだ、こいつ一人か?)
陣十郎は軽蔑を感じた。
辻をいくつか曲った。
男の目の前から蜘蛛の陣十郎の姿が忽然《こつぜん》と消えるようにしてなくなったのは、それから間もないことだった。男の知らせで、全市に警戒網が張り廻されて、夜が来た。
泉岳寺には、浪士たちがあずけて行った上野介の首級《しゆきゆう》がある。寺ではその処置に苦しんでいた。困ったあずかり物である。とにかく大切に取って置くよりほかに仕方がないが、ひょっと吉良家なり上杉家から人が来て、くれといったら、その方へ無断で渡していいものかどうかも問題だった。仏のことだから寺として渡すよりほかはないだろうと意見をたてる坊さまもあったが、もとの持主は誰にしろ寺へあずけたのは浪士たちなのだから、そう無闇《むやみ》に渡すのは考えものだと、義理堅い意見に賛成する者の方が多数である。浪士たちが出て行ってからすぐその晩に起った問題なので、坊さまたちはまだ昼間からの興奮を残していて、一様に元気がよかった。その晩は、客殿に首の包みを置き屏風《びようぶ》をたてまわして、不寝番を幾たりか置くことにした。しかし、これはいくら坊さまたちでも、あまり気味のいい役目ではなかった。
次の朝、和尚《おしよう》が寺社奉行|阿部飛騨守《あべひだのかみ》のところへ指図を受けに行くと、公儀から別段のさし図は出来ないから、寺の一存で吉良家へかえしたらよかろうと飛騨守の意見だった。折りよく吉良家の依頼を受けて、香華院《こうげいん》の牛込築土《うしごめつくど》の万昌院《ばんしよういん》の和尚がこれも奉行に首級の引渡しを懇願《こんがん》に来ていたのである。二人の和尚は都合《つごう》よく話が出来た。
首級は泉岳寺から吉良家へ届けることになった。
石獅《せきし》、一呑《いちどん》の二人が使者にきまった。
「受取りを書いていただいて来るのだぞ」と、和尚は、覚書を作って渡した。これは粗略に出来ないと思っていたことであったが、渡すとなって、尋常過ぎて惜しい気持がしないでもなかった坊さまたちが、夜になって二人が中間《ちゆうげん》に首をになわせて出て行くのを送りに出て、この点を頻《しき》りと念を押した。どんな受取り書をもらって来るか楽しみだった。
二人の坊さまは泉岳寺と書いた提灯を持って歩いて行くので、通行人の注意をひいた。泉岳寺の名は一日で江戸中に知れ渡っていたのである。「どちらへおいでです」と、もの好きにそばへ寄って尋ねる者がいるし、中間がになっている重そうな包みを頻りと怪しんで見詰める者が多かった。石獅も一呑も、つつしみ深く返事をにごして歩いて行ったが、誰からいい出したとなく、首だ、首だと評判がつたわって、迷惑した。しまいには仕方なく提灯を消した。
本所へ着いて、吉良家の表門をたたいた。泉岳寺から来たと告げると、門番はすぐと奥へ取り次ぎ、間もなくとびらを左右にあけて、三人を通した。
門内にはかなりの人数の家臣が出ていて、急に土下座《どげざ》して迎えた。あまり丁寧すぎるので石獅も一呑も、恐縮に感じた。これは吉良家の家臣らが中間がになっている主人の首級に敬礼したものなのである。ふたりは、あとでこれに気がついて帰り道で大笑いをしたが、その時は真面目で玄関へ通り、家老の左右田孫兵衛《そうだまごべえ》に迎えられ、わらじばきの足を洗って、内へ通された。
内へ通って廊下を歩きながら何よりも先に感じられたのは、灯影もくらく思われるような何となく陰惨な空気だった。
坊さまたちの嗅覚は、はっきりと、この屋敷のどこかに戦死者の死骸がまだそのまま置いてあるのだと嗅《か》ぎ分けていた。火鉢へ火をおこして家の内を暖めてあるのが悪いのである。寺でも昨夜首を置いた部屋に火鉢を置かないことにして、お蔭で不寝番の者は寒い思いをしたことを、二人は思い出しながら、この屋敷の人々が素人《しろうと》の癖によくこの臭気に平気でいられるものだと思った。
新しい薄縁《うすべり》を敷き詰めた客間に、二人は通された。ここには立派な和尚が所化《しよけ》を連れて控えていた。これは万昌院《ばんしよういん》の住職だった。この和尚が立会の上、泉岳寺側から口上《こうじよう》をいい、覚書をつけて上野介の首包と、ほかに紙包二個に分れてその所持品だったという鼻紙袋、守本尊、槍のさやを引き渡した。
この客間へ主人の左兵衛は最後まで姿をあらわさなかった。応待は一切左右田という家老がしたのだが、二人の使僧の目にも、この左右田孫兵衛は落着きのないひとだと感じられた。
孫兵衛は、覚書を受け取って見て、泉岳寺がこうして公式の態度で臨《のぞ》んで来たと知ると、吉良家の側で受取り書を渡さなければならないのを考えて、狼狽した。その品物が類例のないもので、何と品目を書くに思案に迷うし、また首級を包のまま受け取って大事ないものか、一応実験して受け取るものかに迷うのである。孫兵衛は幾たびか使僧を捨てて立って外へ相談に行くような無能を暴露した。
万昌院の和尚が見かねて、その間をつないで、使僧の相手をした。
左兵衛は居間に白蝋《はくろう》のような顔色をして坐っていた。客間の話の進行を気遣《きづか》い、孫兵衛のすることに腹を立てて、顔付のけわしいのは武林唯七が残して行った額《ひたい》の刀痕《とうこん》のせいだけではなく、いらいらした様子をしている。心ある家臣には、気の毒で正視出来ないことである。
孫兵衛は墨のぬれている受取り書の草稿を持って来て見せた。左兵衛は無言で受け取って読んだ。
覚《おぼ》 え
一、御首《おんしるし》
一、紙包  弐《ふた》つ
右之通り慥《たし》かに請取《うけと》り申し候、念のため、かくの如く御座候以上
午《うま》の十二月十六日
[#地付き]吉良左兵衛内《きらさひようえうち》
[#地付き]左右田孫兵衛
[#地付き]斎藤|宮内《くない》
泉岳寺使僧
石《せき》 獅《し》 僧
一《いち》 呑《どん》 僧
左兵衛の指がかすかにふるえた。
その、けわしい視線が、机の上の硯箱に落ちたのを見て、小姓がいそいで、これを運んで来た。
左兵衛は口一ぱいににがいものを呑んだような顔で、文中の「御首」の「御」の字を抹削《まつさく》した。その意味は、孫兵衛にもわかった。家老達からいえば「御首」には違いないけれども、これでは、主人上野介の首とこの覚え書の世にある限り家の恥を残すものなのである。孫兵衛は、無言でいる主人の凄いような気魄《きはく》に射すくめられて、おそるおそるさがって来た。覚え書は書きあらためられた。
人々は、御首を一応あらためてから受け取るべきだといった。
泉岳寺の使僧等にその旨《むね》を通じると、これは内蔵助から包みのまま受け取ったもので、その必要はないと思うが御随意に、と答えた。孫兵衛たちは使僧たちの前に集まって包みを解き、手燭の灯を近寄せて、手もとを明るくした。手燭の灯はゆれながら、集められた沢山の顔を下から照らして、陰惨な彩《いろど》りを動かした。
孫兵衛は包みを解いたと思うと、はっとしたように、また直《す》ぐとこれを伏せた。
同僚の者と顔を見合せてから、
「たしかに」と、使僧たちに挨拶した。
石獅も一呑も、吉良家で湯漬《ゆづけ》を馳走するといって出たのには閉口した。この、陰惨な臭気のただよっている中で、箸《はし》を取る事など、とても出来ないと思うのである。しかし、膳部支度はもう出来ていた。二人は、苦しい思いをして一杯だけ喉《のど》に詰め、あとは切に辞退して、受け取りをもらって外へ出た。この重苦しかった屋敷から冬の夜の外気の中へ立つと、まったく生きかえったような気持がして、いきも軽く思われた。
米沢の山も野も町も埋めた雪の世界に、毎日空は灰色に濁っていた。道を行くひとは皆|藁《わら》ぐつをはいて、深い雪をさくさくと踏んで歩くのである。しかし年は暮れようとしていた。土間に、到来の猪《いのしし》が逆様《さかさま》につられている。久しく降らないが、この分では地面の雪もすこしずつ溶《と》けて行って、このまま春になるのじゃないか、大分陽気がゆるんで来たようだなどと、頭巾《ずきん》をかぶった人が話す。人々は冬眠にあきていた。雪解《ゆきげ》の後《あと》に見られるぬれた黒い土の色が目にうかんでいる。毎年繰り返して見るものながら、いつも新しい心持で眺められるのである。越後の側から山越えで人が来たというのも明るい春のたよりの一つであった。しかし夜になると寒さは格別だった。晴れた日は、月が遠い山々の真白な姿をさむざむと輝《かがや》かせる。空気の層は硝子《ガラス》のように透明に積みかさなっている。万物が凍《こお》ったように静止する。城下は、静かというも愚であった。江戸からの急使は雪路に悩みながら、板谷峠《いたやとうげ》を越えて、この深夜の城下に着いた。
千坂兵部は、冷たい手足をふとんの中へ伸べていたのである。急使と聞くと、直ぐに、はね起きて出て来た。
火のない部屋で始終《しじゆう》を聞いた。
兵部は、赤穂《あこう》の浪士乱入の事実を知っても、そうかといったきりで、話の続きをうながすもののように膝《ひざ》を動かした。使者は、上杉家の外桜田《そとさくらだ》の屋敷へ知らせが来てからの事情を、話し出した。色部又四郎の名前が出る、出兵を思いとまるまでの前後の騒動の模様が、兵部にもうなずけるのである。ほっと、重い息を漏《も》らして、組んでいた腕を解いて杖のように膝に突いた。
よかった!
涙ぐむまでに、この心持であった。
言葉は、枯れたくちびるの下に消えている。木ぼりの面のように見えた顔が急にほぐれて、使者の目の前で動いた。
「死んだのは、誰々か?」と、しゃがれ声できいた。
小林、鳥井、清水《しみず》……使者の呼ぶ名に従って、うるんでいる兵部の胸に、その人々の姿がはっきりと浮び出た。兵部は、堅く腕を突っ張ったままの姿勢で最後まで聞いた。
「いや、有難う、有難う」と、ほとばしるようにいって、
「色部や、その人々の忠死のおかげで、お家も先ず大した怪我《けが》もなく済むであろう。苦しい時だ……しかし、乗り切ったなあ!」
はじめて、兵部はからからと笑った。やせた肩を落し首を振って、姿も重荷をおろした人の晴れやかなものに見えた。
「よかった、それでよいのだ」と繰り返した。
それからの兵部は、使者が目の前にいるのを忘れたように、ぼんやり放心したように見えた。使いに来た男は、自分が早く退《さが》るべきだったと気がついて、それをいい出そうとした時、兵部は急に目が醒《さ》めたように手を打って、家来を呼び、
「寒かったろう」と、使者の労をねぎらい、酒を持って来させた。
「色部も苦しかったろう。よく、やった!」と、また、如何にも感慨に堪えないような語調でいって、
「小林たちもそうだ。段々、あんな忠義な人間は、いなくなるよ。はなばなしい役なら誰でも買って出るが、縁の下の力持ちは人の好まぬところだ。あれたちは、苦情もなく、それをよくなしとげた。……出来ないことじゃ。武士の亀鑑《かがみ》じゃ」
こういいながら、兵部は遂《つい》にはらはらと涙を落した。
その晩から、兵部はどっと熱を発して床について、付添いの者は庭の雪の清いところをつかみ取って、手拭《てぬぐい》につつんで、主人の皺《しわ》だらけの額をひやした。心付かず、凍ったままの雪の塊《かたまり》をのせたのを、堅い角が痛いといって、兵部は一々砕かした。熱のためか、始終うとうとと眠っている。しかし、時々何か夢におびえて、急に目が醒めたようにかっと目を瞠《みひら》いて、薄暗い部屋の中に付添いの者の姿を求めて、
「江戸から何もいって来ぬか?」と、繰り返して訊《き》いた。
江戸からの使者は昼夜の分ちなく、城下に着いた。それを漏らさず、枕もとに呼んで一々情報を聞き、必要な指図をした。医者が、そんなことをしていると死ぬといって、警告した。
「死ねれば有難いのだ」と、兵部は、医者が立ち去ったあとで、つぶやきながら、頬《ほお》をひくひく動かして笑った。
熱は、あがる一方で、頻《しき》りとうわ言をいった。意味は取れなかったが、そのたび毎に、肉の落ちた躯が神経的にひっつれて動いた。しかし、幸いなことには、江戸からのたよりは段々と遠くなって、来ても大した変化のないものになり、兵部の躯もやすまることになった。
すこしずつ、陽気が動いて来ていた。昼の間は縁を廻る陽影が障子の腰を暖め軒端から落ちる点滴《しずく》が明るく映っていた。兵部の猫は、日だまりに香箱《こうばこ》を作ってまるく睡り、暑くなると障子の影へ来て、さもだるそうに手足をのばして横になった。
事件の直後に江戸で吉良邸の警衛にやられた侍の一人で、大熊弥一右衛門という者が当地の親類へ寄越した手紙を、すこし快《よ》くなって兵部は読んだ。
この文章は、身分のひくい者の率直な報告だった。
……本所へ、夜昼二番に致して番いたしおり候ゆえ、すこしも暇《いとま》御座なく候。ねむきこと御座候、夜中は浅野家来残党ども押し込み申すべしなどと根なしなること御門などへ参り断り申し候ゆえ、夜中何も心懸《こころが》け致すことにて、おかしきことに候。さてもさても陣小屋と申すにてこれあるべく候。手負どもは居り申し血ばかりの中にて、汁もなきくろ米めし食《くら》いており申し候。いつまで本所へ通い申すべき哉《や》、大儀なることに御座候、最早今日も夜番にて本所へ罷《まか》り出《い》で候間、早々申し上候。あとよりあとより、十六日は本所番、十七日はお広間番、十八、十九日は本所番に当り申し候。いずれもいずれも隙《ひま》のある者は一人も御座なく候。以上
兵部は、この偽《いつわ》りのない心持の表白を見て深く胸をえぐられた。その武士に似つかぬことを怒る力さえなくしていたのである。この心持の一部は、小林平七等の付人にもなかったか? 死人に口はないのであるが、耳の奥に遠雷のように鳴るものが聞えるのである。已《や》むを得なかった犠牲と、心の内でひそかに合掌《がつしよう》されるのである。
江戸から、市中の壁の楽書《らくがき》を集めて送って来た。赤穂浪士たちが義士と呼ばれていることも知らして来ていた。
「義士!」
兵部は、強い感動の溢《あふ》れ出て来るのを抑えて一文字に口を結んだ。
その、光を点じた目の前の暗い宙に、小林平七等の堂々たる姿がうつつのように通って行った。
兵部は知らずに涙ぐんで来ていた。
「義士か?」と、三たびつぶやいて響きのない笑いを笑った。
衰えて来ていた病熱がその夕方から急にまた、この枯木のような躯を焼いた。
柳沢吉保《やなぎさわよしやす》は、家来に命じ市中の楽書をひそかに書き取らせたものを、居間にいて銀の煙管をひねくりながら、気のない顔で読んでいた。煙の輪は行燈《あんどん》にあたって割れながら、もやもやと天井《てんじよう》の灯影の中へ昇るのである。
吉保は、もう事件に対して冷たくなっていた。出来たことは仕方がないとする悧口《りこう》な人には独特なあきらめ方が、早くも出来上っていた。
最初狼狽したことなどは、もう忘れている。この、目から鼻へ抜けるような才人は、いつの間にか事件の渦から巧《たく》みに外へぬけ出しているのだった。この安全地帯からは敵にしろ味方にしろ騒いでいるのを高みからつめたく眺められるのである。こういう時は、早く冷める者ほど無疵《むきず》で済むと思われるのだった。
この、民間芸術家の腰折れどもは、読んで見てなかなか愉快だった。
少将《しようしよう》の夜着《よぎ》や蒲団《ふとん》はありながら なみだの雨にこもる炭部屋
というのがある。
吉保がよく知っている狡猾《こうかつ》なくせにむずかしくとりすました上野介《こうずけのすけ》だけに、この歌にある滑稽《こつけい》がよくわかるのである。あのむずかしい老人が夜具から、狼狽して逃げる様子が目に見えるように思われる。気の毒だと思いながらくすりとするのである。また、この滑稽が感じられるようになっただけ自分が高みへ登って来たのだと思うことに、満足が感じられた。
だまっていさえすれば過ぎることである。
大切なのは、この世間で、熱情を過分に出さないということである。何にせよ、時世の流れは赴《おもむ》くところに向うのである。
吉保は、日々お城へあがっても、意見らしい意見はいわなかった。反対派の連中にはそれがひどく煙たいらしい。突っ掛かろうにも機縁《きつかけ》がないし、自分たちだけでわいわい騒いでいるだけである。まとまりのない騒動である。
将軍も「どうしたものか」と、いつものことで吉保の意見を何よりも待っていられるらしかった。将軍も輿論《よろん》に溺《おぼ》れているのである。助けてやりたいというのがお口裏《くちうら》であった。
吉保の返事は、そうおいそぎになることも御座りますまいと利《き》かせた微笑だった。また将軍の御前のほかで浪士たちの忠義をほめることは別段の不都合《ふつごう》はなかった。実際にかれ等の忠義はほめていいことだった。ほめることと国法を明らかにすることとは別である。時間が経てば自然と誰もこの区別に気がつく筈《はず》である。どれだけもがこうが、厳然と動かすことの出来ないものが最後まで残っているわけである。熱に浮かされている連中にはそれが見えないだけの話である。また、この、行く手に立ちふさがる壁を感じているものはあっても、これを突き破るだけの果断は、何人にもせよこの壁に仕切られた狭い世界で生活を保証されている者は、まず持つことがない。その程度のものである。何の、意とするに足《た》ろう。正義と信ずる剣を真向《まつこう》上段にふりかぶっている瞬間にも、人は自分の生活を保証されている限られた世界を暗《あん》に是認している。その中だけの熱情なのである。
吉保は、微笑しながら、再び、天言《てんげん》の筆記を読んだ。やがて、それにも倦《あ》きて寝所へ入った。若い妾《めかけ》が、熟練した媚《こ》びを見せて、これを迎えた。
「灯を消せ」
吉保はいった。
睡《ねむ》ろうとしてから、疲れたような、女の、やさしい息の香の聞えるやみの中に、吉保は暫く睡れないでいた。さっきまで読んでいた天言が、不思議と頭にこびり付いている。この、春に近い夜やみの中にも、口のきけない数十万人の隠れた笑い声がどこかにひそんでいるように思う。奇怪な心持である。こんなに、おびやかされるべきものではなかった。うとうとと結びかけた夢の中に、俄然《がぜん》として、その数十万人の笑い声が、一塊となって爆発した。
吉保は起き直った。
暫くしてから、そっと、妾を揺り起した。灯をつけろ、というのだった。吉保は、さっきまで考えていた武士たちの限られた正義観と、壁訴訟をしてわずかに鬱《うつ》を散じている口のきけない幾十万人とをごったくさにして、一度に考えたのである。
「睡れぬのだ」と灯をつけて振り返って見た女に、弁解のようにいった。
「何か、面白い話はないか?」
早春
雪はその後雨で解けた。晴れた日は空で凧《たこ》の唸《うな》り声が聞えた。子供たちは正月の来るのを待っていないのである。陽気がゆるんで来たのは、池の氷が薄くなったのでもわかる。羽織《はおり》の肩にあたる日射《ひざ》しが一日一日に暖かくなって、梅のたよりが人の口に伝えられるようになっていた。
世間では、御公儀が浪士たちの上にどんな態度に出るか待っていた。あらためて御沙汰があったような話もない。ただ浪士たちをお預かりすることになった松平《まつだいら》隠岐守《おきのかみ》や毛利甲斐守《もうりかいのかみ》から、その待遇向について老中へ伺いを立てたことがあっただけである。
松平家にしても毛利家にしても、御公儀の意向がわからないので、どういう待遇をしたものか懸念《けねん》があった。浪士たちを引き取った翌日に両家から使者を立て、老中|稲葉丹後守《いなばたんごのかみ》にただしたのである。
松平家の伺書は次の意味のものだった。
一、お預かりの者十人、今夜は私|居屋敷内《いやしきない》長屋囲《ながやがこ》いの内へ一人ずつ差置《さしお》き申し候。もっとも番人それぞれ付け置き申し候。明日は三田屋敷へ差遣《さしつか》わし申すべく候。
一、もし気分悪しき節は軽きていに候は医者の薬用申すべきやのこと。
一、上帯《うわおび》、下帯《したおび》、常のとおりに仕《つか》まつらせ申すべきやのこと。
一、櫛道具《くしどうぐ》、毛抜き、はさみ、扇子《せんす》等望み候わば如何仕まつるべきやのこと。
一、楊枝《ようじ》望み候わば、相渡し申すべきや。並びに箸《はし》は短くつかまつり、食事の節用い申すべきやのこと。
一、すずり、紙等望み候わば如何つかまつるべきやのこと。
一、行水《ぎようずい》望み候わば、如何仕まつるべきやのこと。
一、自然火事等の節は、下屋敷へつかわし申すべきやのこと。
このお伺いであった。
毛利家の分も大同小異のもので、ただ浪士たちとその親類との文通を許したものかどうかを聞いて来ているのが違うだけだった。食事の時箸をつかわせるかどうか、までを尋ねて来たのである。何事も、御公儀の御沙汰がないと安心出来ないらしいのである。
丹後守は、苦笑を感じながらいった。
「別して永くお預けになるのでもなし、かれ等は御公儀に対して悪事を働いたものでもないから、その辺を考えられて、ほどよく取り扱われたら宜《よろ》しい」
書類は、そのまま差戻《さしもど》された。
四家それぞれの家風があることであるが、松平家、毛利家では、最初から浪士たちを囚人として取り扱った。松平家では、浪士たちを入れた長屋の外囲いに新しく忍返《しのびがえ》しを付け、毛利家でも板囲いを作り、番所を新設して、昼夜交替で番士を詰めさせた。浪士たちは薄暗い部屋の中に、交通を許されず、月代《さかやき》も鬚《ひげ》ものびたまま坐っていた。はさみや毛抜きなどは貸しても、用がすめばすぐ取り上げるし、南北と二つに分けた小屋の間で、誰々に逢いたいといっても許さず、手紙をやりたく思っても厳禁するような有様だった。浪士たちはこれを当然のことに思って、謹慎していたが、松平家では武林唯七が、厳重な忍返しを見て、ある時話の間に笑いながら、
「私どもは、死を覚悟でいるのですから、決して逃げようとも、隠れようとも致しませぬ」と軽くいった。
その言葉を聞かされたのは、波賀清《はがせい》太夫《だゆう》という侍で、浪士たちに深く同情を持っている男だったので、気の毒に思いながら、
「いや、あれは上杉家で攻めて来るのを考えたものでしょう」と、その場をとりつくろったのである。
細川家では、主人の越中守が浪士たちに同情していたことで、形式的に御公儀へ伺いを立てることはしても、最初から、丁寧な待遇で、最初の晩は十七人を大広間へ寝かし、翌日から櫛形《くしがた》の間《ま》という座敷二間へ分けて収容した。
上《かみ》の間には、大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門、片岡源五右衛門、間瀬久太夫、小野寺十内、堀部弥兵衛、間《はざま》喜兵衛、早水《はやみ》藤左衛門の九人で、下《しも》の間《ま》には、磯貝《いそがい》十郎左衛門、近松勘六、富森助右衛門、潮田《うしおだ》又之丞、赤埴源蔵《あかはにげんぞう》、奥田孫太夫、矢田五郎右衛門、大石瀬左衛門の八人が入った。
磯貝十郎左衛門は、最初、上の間に入るようにいわれたのだが、
「いや、私より早水氏の方が老人だから」といって、下の間へ入る筈の早水藤左衛門と入れ替えてもらった。
なるほど、そういわれて気がついたことだが、上の間は、間喜兵衛、堀部弥兵衛、小野寺十内以下やかましい老人揃いなのである。二十五歳の十郎左衛門はこれを窮屈がって、老人でもない藤左衛門を押し付け、自分は若い者ばかりの部屋へ逃げたのである。内蔵助は、これを見て、うまくやったなというように、自分も若い者の部屋をのぞきに来た。
こうして、この二つの部屋の往来は、勝手になっていたし、入用なものは何でもくれた。最初に渡してくれたのは、十七人分の小袖が各二枚、寝巻一枚、上帯下帯、足袋《たび》まであった。どれも新調のものばかりで、また時々取り替えてくれる。食事は、二汁五菜の贅沢《ぜいたく》なもので、運び出されてはっと思ったのである。一度だけかと思うと、いつまでもこれだし、そのほかにお八つの茶菓が出る。夜は、徒然《とぜん》だろうといって、薬酒の名目で酒まで出してくれるのだった。
鄭重《ていちよう》すぎて、恐縮になるのである。
しかし、主《あるじ》は、これで満足していなかった。あの部屋は、庭の見晴らしがないし薄暗いからといって、もっと日あたりの好い役者の間というのを、急に改築させることにした。設計も越中守が自分でやった。浪士たちのいるところへも、風の加減で新しい木の香が匂い、かんなや、ちょうなの音が春めいて賑やかに聞えて来るのである。
浪士たちの噂に世間が過敏になっている時だった。細川様はえらい、毛利は怪《け》しからんと蔭口する者が出る。また、壁や塀の落書《らくしよ》が流行した。
細川の水の流れは清けれど ただ大|海《ヽ》の沖《ヽ》ぞ濁れる
というのがあって、毛利甲斐《もうりかいの》(海)守《かみ》と松平《まつだいら》隠岐《おきの》(沖)守《かみ》のやり方を暗に非難した。そして毛利家松平家でも急に浪士たちの待遇向をかえるようになった。それと同時に町奉行から浪士たちの噂をしてはならぬと、お触れが出た。これは柳沢出羽守から出たお触れだと、評判が高かった。
浪士たちは、どんな境遇にも落着いて入れる心の準備が出来上っていた。自分たちが死を賭《と》した仕事が一段落ついて、それから死までの何もない時間に、きっと起って来るだろうと幾分か予期していた烈しい空虚の感じも、来て見れば、そう感じることもなかった。これは、自分たちがもう落着いて終《しま》っているのに、お預けになった四家の付添いの者をはじめ世間が興奮を示しているせいもあったろうが、自分らの心持もまた、一つの形に落着いて、こうしていればいいのだというような安心がこの人々の胸に一様に腰を落着けていたせいらしい。ぼんやりとながら一つのみちが行く手に感じられる。これさえ踏んで行けばいいのだと思うのである。やがての御沙汰によって死ぬることも、今は何でもなくなった。また、それを考えても、そんなことはどっちでもいい、人に任せて置いていいことだと考え直すくらいに、気は軽々としているのである。四家の待遇も過分に感じられる。人づてに聞く世間の同情も、有難いことだと思われる。また、とにかく、二年間思い詰めて来た仕事をとうとうやってのけたと思うと、実際に重荷をおろしたような心持で、やれやれと手足をのばしたいような、のんびりとした気分である。
ただ、不思議なのは、夜寝てから見る夢であった。まだ仇《あだ》が討《う》てないで、苛々《いらいら》している時分のことが、よく夢に出て悩まされた。朝起きて、自分の馬鹿を笑いながら人に話すと「実はおれもそれをよく見る」と正直にいい出す者が大部分だった。討ち入って上野介に逃げられた夢をこれで二度見て、そのたびに目が醒めてから、もうすんだ話だと考え、ほっとしたという者がある。一心が執着のかたまりとなって、頭のどこかにまだほぐれずに残っているのが、夢の中に出るのに違いないのである。そんなに皆一生懸命になっていたのかと思うと、われながら、いたわりたいような気持になって沁々《しみじみ》とするのである。倦《あ》きずにその時分の回顧談《かいこだん》をするのも、自分等の手柄を誇るというのではなく、この心持から出た自然のものだった。
また付添いの侍たちは頻《しき》りと浪士たちに話を強請した。子孫に伝えたいという者もある。様子がどうやら家へ帰ってから筆記しているらしい者もある。浪士たちはこれを晴れがましいことに感じて遠慮しながら、やはり、いざ話となって自分たちも自然と熱を持つのは、このことだけであった。そうしているのが一番楽しいのである。細川家では、上の間では、流石《さすが》その話も出なかったが、若い者のいる下の間で愉快そうな話声が聞えると、堀部弥兵衛などの老人連も立って行って仲間に加わるのだった。
内蔵助は微笑を含んでこれを見送っているのである。
浪士たちと付添いの侍とは、最初から囚人《しゆうじん》とその番人との関係ではなかった。日が経《た》つに従って段々と、うちとけて、時には浪士たちからすこしの無理をいうこともある。どうも御馳走続きで腹がもたれていけないから、今日は香の物に茶漬《ちやづけ》にしてください、永い浪人ぐらしで粗食になれているからその方が却ってうまいように思うのだ、などというのである。
正月が来た。細川家では、十七人にまた新しい小袖をくれた。屠蘇《とそ》も出た。吸物には鶴《つる》が入っているのだった。
初日影は南に向いた障子をあかるくしている。暮《くれ》の内に御公儀から御沙汰があるものと覚悟していたことである。人々は、自分達がこうして新しい春を迎えるようになったことを夢のように感じないではいられない。付添いの人々も、感じは同じだった。「明けまして御目出度《おめでと》う御座る」という挨拶が、強い実感を籠《こ》めて、口にのぼるのである。新しい小袖に姿も晴れやかだった。晴れた空には凧《たこ》のうなりが聞えるのである。
堀部弥兵衛が七十七歳、間喜兵衛が六十九歳、間瀬久太夫が六十八歳、小野寺十内が六十一歳、奥田孫太夫が五十七歳……みんな、よく生きて来たことであった。自分たちの年齢ばかりか、身内の者のこと、あれは幾歳、これは何歳になったと、あらためて考えられるのである。
内蔵助は、主税《ちから》が暮の内に風邪《かぜ》をひいたと聞いていた。もう、なおったろうか? 今頃何を考えているだろうかと、ぼんやりと、うるんだ心持で考えられる。山科の家にいた時分のことが頭にうかんで来る。牡丹《ぼたん》を植えかえるので、父子で、鍬《くわ》を持って土を掘り返したことが、黒くしめった土の色のにおい、肩をぬくめ木の葉を輝かしている澄んで明るい秋の日射しの世界に、若い顔に汗をかき息をはずませてこの父親の微笑を誘っていた主税の姿が、静かにうかんで来るのである。物の明るい側だけを見るようにするいつもの癖で、内蔵助は、間もなくこの、何となく秋の日の色がしみ込んでいるような、うら冷たい思念の影を、知らぬ間に追いやって、同志の者を見わたしていた。
雑煮《ぞうに》で腹がもたれて困ると不平をいっていた堀部弥兵衛は、縁の日あたりへ出て、三国志を読みふけっていた。惣右衛門は次の間へ行っているし、謹厳な間喜兵衛は、庭を向いて、いつものようにきちんと坐っている。
富森助右衛門の声で、何か頻りと論じている。
内蔵助の視線は、これも相変らずで部屋の隅にいて、硯函《すずりばこ》のふたをあけて熱心に何か書いている小野寺十内の姿に停った。そのかたわらに細川家の侍、堀内伝右衛門が控えている。伝右衛門は、お預けになった当夜から、際立って浪士たちに親切にしてくれていた男で、これだけはきびしく取り締られている文通も、このひとが一存で、外へ届けてくれている。他家にいる同志の者の消息を聞き出して来て知らしてくれるのもこのひとだった。十内が書いているのは、いずれ京の妻へあてた手紙で、伝右衛門は書き上がるのを待っているのに違いない。
そのとおり伝右衛門は、次の日が非番で躯《からだ》があくので、一同の手紙や伝言をそれぞれ先方へ伝えるか飛脚《ひきやく》に託そうと考えているのだった。この顔付からして古武士の風格がある、無口で謹直な男は、浪士たちの忠節に誰よりも強く心を動かされていたし、自分が付き添うことになったのを一家の光栄と信じて自分の力の及ぶ限りは浪士たちの都合《つごう》を計りたいと思っているし、噂《うわさ》のように浪士たちが助命になることを一心に念じているのだった。こういう素朴《そぼく》で、ひた向な心持の同情の前に立つと、内蔵助は何だか自分が済まないことをしているような心持にならずにはいられなかった。こうして、世間が自分らに味方してくれるようになったというのは、自分たちの信じている道が認められた証拠にもなるが、世間があまり自分らを偉くしてしまった様子には、「決してそんなものじゃない」と一々断りをいいたいような面映《おもは》ゆい心持なのである。
この伝右衛門やその他の同情者が、自分のひと頃の放蕩《ほうとう》を、敵が寄越した諜者《ちようじや》の目をのがれ、復讐の本心を隠すためであったように一途《いちず》の律義《りちぎ》な解釈をしているのも困ることだった。「さぞ切ないお心持で御座いましたろう」と心からいってくれるのは、内蔵助としては実際立場のない心持だった。「いや、そうではなかった」と、あらためて自分の恥をさらけだす大人気《おとなげ》ないことも出来かねるので、くすぐったい顔付で、よく心持を知っている小野寺十内などの方へ、「助けてくれ」といわぬばかりの視線を向けるのが、十内には気の毒でもあるし、おかしくも感じられた。
こうして、磨《みが》きあげられた玉のように自分がすこしもきずのない偉いものにされて了《しま》っているのは、決して有難いことではない。むしろかぶさるような憂鬱《ゆううつ》の原因となって、狭い座敷に終日坐って暮していることよりは、ずっと重苦しいものに感じられる、ほめられようがどうしようが、暢気《のんき》そうに愉快にしている若い連中を見ると、ねたましいことに思われるのである。
「余人にはいえないが……」と、ある時、十内にそっと話したことがあった。
「私のしたことは、これでよかったのだろうか?」
「何をおっしゃるのです?」
十内は、内蔵助が何を考えているのか知って、愕然《がくぜん》としたのだった。
「どうして、そんな……」と、語調をやわらげて、内蔵助の顔を見詰めた。
内蔵助の微笑には陰影があった。
「いや、なアに……あんただからいうのだ。……こうして、みんなを私が引っ張って来たことだ。その、方角のことだ」
「おっしゃるまでもないことです」
厳《おご》そかに十内はいった。
「誰が、あなたのなさったことに不平を持っていましょう。みんな、悦んでおります」
「そう……悦んでいてくれる……だが、それだけに私も考えさせられるのだ。私は、みんなが助かってくれればいいと思うようになった。そんなことは、考えたこともなかったのだが……この頃は、本心からそれを念じている」
十内の顔は、きゅーっとしまった。
「忝《かたじ》けないことですが……」といった。「誰がそれを望みましょう。これまで一緒に歩いて来た一同です。太夫はどうかしていられます。考えようによっては、一同の者が太夫をここまで連れて来たともいえるのじゃありませんか?……」
内蔵助は目を伏せていたが、十内の語尾がかすれて聞えたので急に顔をあげた。
その時、十内の目にたまっている涙が見えた。
「むむ、むむ……」と、内蔵助はかれ自身の感動をふるい落そうとしたもののように、強く区切って、うなずいて見せ、知らずに腕を組んで胸を堅《かた》めていた。
「そんなに考えていてくれるか……」と、声音《こわね》は押し付けたような響を伝えた。
これに対して十内の顔付は慈父の頷《うなず》きを見せて、輝いていた。
「みんなが、もたれ合って進んで来たのです。太夫御父子ばかりが罪を被《き》るとしたら、誰がだまっていましょう。考えれば私共は、実の親子よりもかたく、結び付いていたのでした」
内蔵助は、口を一文字に結んでだまっていた。その、ゆたかな頬《ほお》に、縁に射《さ》す早春の日影が映っているのである。
半端者
京にいる奥野将監《おくのしようげん》は、同じ脱退組で、やはり近所にいる進藤源四郎や河村太郎右衛門に会うことがあっても、なるべく話を内蔵助のことに触れないようにしていた。
「江戸から別段の便りはありませぬか?」
こういわれた時、将監は、自分|自《みずか》らが感じている不安な心持を、問う者の探るような目付に見るのを恐れて、
「さあ、如何致しておりますものか……」
わざと自分は冷淡でいるように答えるのだった。
将監の本心は、この冷淡さを、自分だけでいる際に殊《こと》に欲しいと思うのだった。内蔵助たちが江戸へ向った後の此の幾箇月《いくかげつ》を将監は絶えず何かに脅かされているような心持で落着けなかった。断《き》れて終《しま》えば赤の他人のことで、内蔵助たちが何をしようが構わない筈である。それよりも目前に考えなければならぬのは、これからの一家の生活に形をつけて境遇に従うことだと、相当強い反省の力を抱いていながら、さて心持は相変らずこれに牽制《けんせい》せられているのだった。
そのために、将監はいつも憂鬱だった。
内蔵助の影が、昔のように自分にかぶさっている。分裂した後の今でもそうだというのは不快なことである、いつまで彼の影響が抜けないのか? 何たることだ。
御親戚がたのお心持のこともあるのに、それを押し切って飽くまで我意を貫こうとする彼は、つまりは持前の派手好みで大芝居を打とうとする……亡君の御為ということではない、彼一人が私情のために軽率に、血気の若者たちを動かしているというだけのことである。誰が何といおうが、またその名目《めいもく》を何に取ろうが、それだけは争われない。遊びに誇張があって派手なのと何の撰《えら》ぶところがあろう。そのために、将来《さき》のある者を殺す。そんなことに思慮ある者が一味《いちみ》出来たことか?
ひとり居る時、炉端《ろばた》でも、庭でも、将監を襲《おそ》って来て、苛々《いらいら》させることだ。将監にはこのことが消そうとするほど、強く刻み込まれて来るのがわかった。
知らせは、内蔵助の伯父、小山源五左衛門がもたらした。
(やったか?)
将監は、刑の宣告を受けた人間のように蒼ざめて無言でいた。光のない目に、源五左衛門の興奮した姿が映っていた。
「確かなお話ですか?」
「井口《いぐち》が寺井玄渓《てらいげんけい》のところから聞いて来たと申すのです。内蔵助から知らせて来たといいます」
「…………」
「あの男だ。やるかも知れぬとは思っていたが……」
将監は遮《さえぎ》った。
「どっち途《みち》我々には無関係のことだ」
「それはそうだ」
源五左衛門は、将監の硬《かた》い表情に触れて急に言葉が詰った。自分の興奮も羞《は》じられた。
「御親戚がたが御迷惑のことだ。まことに困ったことだ。あれまでに我々が口を酸《す》くして申したのに」
「なお、玄渓を訪ねて確かめてまいろう。いずれ後刻《ごこく》また」
源五左衛門は、来た時よりはいくらか落着いて出て行った。
嫡子《ちやくし》の弥九郎を始め、家の者が将監を囲んだ。
将監は不機嫌でいる。
急に思い立って弥九郎に源五左衛門のあとを追わせて、寺井玄渓の家へやった。進藤源四郎や河村太郎右衛門が、これも驚愕《きようがく》して入れ違いに訪ねて来た。
「やりましたなあ」
将監は笑顔で迎えた。落着いた微笑として計られていて、事実は進藤にも河村にも、いつもの将監に似ぬ荒々しい笑いに見えた。河村は将監を見詰めて坐りながら、
「元気のいい者が勝ですよ」と、いった。
将監は、今度こそ力なく微笑した。
実否《じつぴ》を確かめに行った弥九郎や小山源五左衛門が戻って来る前に、三人は最早《もはや》事件の真実を疑わなくなっていた。夜にかけて、京洛《きようらく》にいる脱退組の者が続々と将監の家に集まって来た。近所では何事が始まったのかと思っているらしい。将監は、この人数の中で自分が一番上席だったので、これから事毎《ことごと》に頼られることだと気がついて、愈々《いよいよ》重苦しい心持に成《な》った。
床《とこ》に入ったのは、もう真夜中だった。将監は、行燈《あんどん》を消して、真暗にして初めて何となくほっとした。それでも目は冴えている。ぎらぎらしたものが頭に詰っている。睡れるようには思われなかったが、横になって枕を首にあてがった。果して、烙《や》きつくように、いろいろのことが頭に群り湧いて来た。その中から一つの影が拾い上げられた。それは大野九郎兵衛の姿であった。せき込むと頻《しき》りと爪《つめ》を噛《か》んで、短気の者に詰め寄られておどおどしている肥《こ》えた老人の姿であった。
大野九郎兵衛は、その頃|仁和寺《にんなじ》の付近に住んでいた。
草深い藪《やぶ》の多い淋しい山家《やまが》だが、昔の友達を避けようとする九郎兵衛の意志には叶《かな》っていた。内蔵助から返して貰《もら》った家財を始末して当分の暮しに困るようなことはなくなった。これさえ自分の手に戻れば、もう内蔵助にも誰にも会う必要はなかった。息子の郡右衛門は、一部の金を貰って、御所《ごしよ》の人入れ稼業《かぎよう》の株《かぶ》を買って、町でこっそりと店をひらいた。
「町人で結構じゃ」と、父親はいうのだった。そうして、自分も郡右衛門に做《なら》って外出の時も刀は一本きり差さないようにして、却って腰が軽くていいと悦んだ。
いい家に生れただけに、郡右衛門は同業のほかの人間とどこか違っているし、御所の方の気受けもよく、稼業はなかなかに繁昌《はんじよう》して、九郎兵衛を安心させた。時には自分が出て行って帳場へ坐り込んで眼鏡を光らしていることさえある。初めの内は途中で昔の知人に逢うのが憚《はば》かられたが、向うでもこちらを見て顔を背向けてくれるのが却って安気に思われて、時にはすれ違って顔を見合せても平気で知らぬ顔をしていることもある。そのために憎まれたようだが、とうとう落着くところへ落着いたというような感じが肩の凝《こり》をほぐしてくれるし、世界が何となく明るく成って来たように思われるのだった。
仁和寺の隠宅では、裏に続いた畑をかなり広く買って、百姓たちの手を借りて、野菜を作らせた。自分で降りて見廻りながら手を泥だらけにして草を抜いていることもある。そのためか、もとより血色がよく、丈夫丈夫して来た。この秋には狭い庭が秋草で絢爛《けんらん》と飾られた。お月見には、藪を置いた隣りの臼《うす》で餅《もち》をついて貰って、息子の店の分も人に托《あず》けて届けてやった。黄ろい月は松山の背に昇った。
内蔵助たちのことを思い出すことがあっても、これは別の星の世界のことも同然だった。郡右衛門から話が出ても、
「そうさな、どうしたかな?」と、別のことに気を取られているような返事をする。
それにこの季節には、郡右衛門の店が多忙で、そんなことは念頭にもなかった。
寺町通《てらまちどお》りだった。
土塀の日だまりを拾って歩いていた九郎兵衛は向うから歩いて来る頭巾《ずきん》をかぶった侍に奥野将監の特徴を認めて、はっと思った。
将監である。
お互いが席を並べていた昔がある。ほかの家中のように見て見ぬ振りをして通り過ぎることも出来ない。九郎兵衛は不愉快な過去を、その時味わった不安と並べて急に感じながら、立ち止った。
将監は、頭巾の蔭で目を笑わせながら近寄って来た。
「これは、お珍らしい」
「いや、その後は……」
九郎兵衛は、将監の意外に人なつこい様子にも、臆病らしく、近頃の癖もあって町人のように低く腰を折るのだった。
「お店へおいでかな。いや、存じております。何より結構なことじゃ。よく思い切ってなされたと感服してお噂しているくらいだ」
初めて九郎兵衛は顔を崩《くず》した。
「いやアとんだことで。いずれも御承知のとおり已《や》むを得ぬ儀で、親子して清水《きよみず》の舞台から飛んだようなものじゃ、お羞《はずか》しいことだが、堕《お》ちて見れば、却って安気で御座る」
「…………」
将監は笑って見せた。しかし、その態度はそれを裏切って急に不快らしく変っていた。こちらは、自分が調子に乗っていい過ぎたせいだと思って、あわてて相手の顔色を覗《のぞ》いた。
「相変らずで御座るのう」と将監はいった。
「御承知で御座るか?」
「…………」
「太夫《たゆう》は本懐を遂《と》げましたぞ」
「え!」
九郎兵衛は、それが自分の生活を根柢から覆《くつがえ》すことのように愕然《がくぜん》とした。
将監は色のない笑いを笑った。
「何も、大野どのの御存じなきことでありましたな。……いや、急ぎます。御免」
将監は、肩の四角い後姿を見せて、立ち去った。九郎兵衛は突き放されたようにぼんやりして暫くそれを見送っていた。後々《あとあと》まで覚えていたが、晩冬の京に特有の、冷たく透明な空気と明るい日影の中だった。黒い犬が一匹将監を避けて土塀の裾《すそ》を走って行った。
「郡右衛門、郡右衛門」
帳場で何か書き物をしていた郡右衛門は顔をあげて、急に外から飛び込んで来た父親を見上げた。帳面を見ていた目には眩《まぶ》しい外光と、そのために暗い父親の影が目に入った。
「郡右衛門」
九郎兵衛は、あわただしかった。落着かない目付で店の中を見廻した。別段に聞かれて悪い人間もいなかったのである。
「太夫がとうとうやったというぞ。今、そこで奥野に逢って聞いて来たのだが……」
ひくく抑えて、如何にも大事件を語るような声だ。
郡右衛門には何のことか、直ぐと呑み込めないのだった。
「ああ、あのことですか?」
「そうだよ」
九郎兵衛が頷きながら坐り込んだのを見て、郡右衛門は笑った。
「こちらの知ったことではないじゃありませんか? 別に御案じなさることはありますまい。手前《てまえ》はまた何事かと存じました」
「いや、また何かとうるさいことになろうぞ」
こういってから九郎兵衛は、急に感情が激発して来るのを感じた。
「あれ達は自分の好きでやったことだからよいが、迷惑は端《はた》におる我々に掛かるのだ。我々が一体何を致したろう。御公儀でどう見られるかな。最初から仲間にならずにいたことだが、……いや。とんでもないことだ」
「我々親子の態度は一貫して反対だったのですから。こりゃア誰に聞いても知っている筈です」
郡右衛門も力を入れていった。
「打首《うちくび》ですかな」
「無論のことだ。御公儀に弓をひいたのも同然のことだ」
「我々は大丈夫で御座いますよ」
「そうだろうなあ。殊に我々はもう両刀を捨てて、左様《さよう》なことには無関係になっておるのだから、つまらんことに引合に出されるのは迷惑|至極《しごく》のことだ」
ほんとうに二人とも、武士といういろいろの厄介《やつかい》な荷を背負っている窮屈な境遇から蝉脱《せんだつ》しているのだ。身分は落ちたようなものだが何となく気軽で暢々《のびのび》した心持になっている今だ。武士は武士で威張らして置け。お辞儀《じぎ》ならいくらでもしてやる。なれというなら、どんなにでも卑屈になって見せてやる。交際《つきあ》わなければ、それでいいことなのだ。
親子はこの点で考えが一致していた。郡右衛門に会って自分の意見に同意なのを見ると、九郎兵衛もやや心配の薄らいで来たのを感じた。
噂の波は、次から次と江戸から送られて来た。将監の家は、来客で混雑を続けている。一日|毎《ごと》に話は動かすことの出来ぬものになって来た。事件の後に江戸を出て東海道を上って来た旅びとの口から、無関係な町にも評判が拡がって来たようだった。
「どうも、大した評判だ。もう、どこでも知っている」
「いや、その話で持ち切りなんだから驚く。昨夜《ゆうべ》は祇園《ぎおん》で竹之丞《たけのじよう》を呼んで遊んだのだが、来る女が誰も彼もその話じゃ」
客のこういう話を聞くと将監は我慢もなく苦り切って来た。
「祇園や島原で噂するのは当然の話だ。廓《くるわ》でうき大尽《だいじん》を知らぬ者はなかろうから」
「はは、如何《いか》さま」
世間が内蔵助たち四十七人に向けた感激は、将監がひそかに期待していたものを遥《はる》かに越えていた。内蔵助を見て知っている者たちが騒ぐのは兎《と》に角《かく》として、全然無関係な町びとから女子供まで熱心になって、四十七人のことなら何でも聞こうとがつがつしている空気が、京の町のどこへ行っても感じられる。春を控《ひか》えて、一年中では町の一番いそがしい時でそれなのである。島原や墨染《すみぞめ》の、内蔵助がだだら遊びをやった揚屋《あげや》や茶屋には、毎夜のようにこういう熱心な町びとが詰め掛けるので大繁昌《だいはんじよう》だし、山科にある大石の旧居へわざわざ出掛ける者も多いというのである。無論、内蔵助の放蕩《ほうとう》が敵の間者《かんじや》の目をたばかるためだったというような世間の噂も将監の耳に入っていた。将監は急に人を避け始めた。日課にしていた散歩さえ歇《や》めて、部屋に籠《こも》っていることが多くなった。
こうしていて将監は自分の心の棘《とげ》を感じ始めた。嘗《かつ》て自分も内蔵助等の同志の一人だったことを振り返って悲しくなることがあった。自分だけでいる時は、自分にある曲ったものや弱点を正直に見ることが出来た。自分から進んで義挙の決行に加わらなかったことが寧《むし》ろ不思議なくらいに思われて来る。それのみではなく、その原因になった自分の心中の棘が、たまらなく呪《のろ》わしく思われて来るのだった。この静かな反省を混乱させるものは、将監が独りいる時も、礼儀に拘泥《こうでい》なくぬっと入って来る内蔵助の影だった。毒のない朗らかな笑い声だった。和《やわら》ぎかけた将監の心が、またいつの間にか頑固《がんこ》に鎧《よろい》を着て攻撃の構えを取っているのだ。内蔵助達の成就したことに強い同感を感じていながら、内蔵助という人間には前よりも烈《はげ》しい反感が感じられるのである。
やがて、義士を賞《ほ》めつくし終った世間は、今度は敵側の吉良上杉両家を罵《ののし》ることで、自分たちの義士への同情を示し始めた。さて、吉良上杉両家の卑怯を痛罵《つうば》するのにも倦《あ》きると、今度は、手を変えて義挙に加わらなかった浅野の浪人たちの攻撃を始めていた。
蜘蛛の陣十郎は、堀田隼人の隠れ家の直ぐ近所まで来てから、暫《しばら》くその辺をぶらぶらしていた。
清正公の太鼓《たいこ》の音が遠くでしている。畑の葱《ねぎ》が青い。濡《ぬ》れた土の上に、梅の花がこぼれている。陣十郎は誰も尾《つ》けて来ないと見てから、寺の境内《けいだい》へ入って行って、隼人の家を垣根の外から覗《のぞ》き込んで声を掛けた。
「こんちは」
春日を遮《さえぎ》って薄暗い家の中で、人影が動いて立って奥へ逃げ込むのが見えた。
ちらと見えた着物の色で陣十郎は、いつか目玉の金助に聞いた話を思い出して、そうだったと急に気がついたのである。隼人は木戸の上で笑っている顔を見て、
「や!」
畳から起き上って来た。
「珍しいひとさ」
陣十郎は、こういいながら廂《ひさし》の下へ日光を持って入った。
「お変りはありませんか? 新年に伺《うかが》おうと思ったんだが、急に変にせわしくなって穴に籠ったきりだ。まあ、遅蒔《おそまき》だが、あけましてお目出とう存じます」
「ま、お通りください」
「なアに、ちょっとお邪魔をするだけさ。ここが暖かでいい。いい陽気になりましたね。そうだ、暮に、あの時にお訪ねしたきりだな」
隼人は薄黒く隈《くま》のある目を笑わせて、煙管《きせる》を取って咥《くわ》えた。相変らず無口だ。陣十郎は、話しながら、それとなく座敷の方を見た。お仙《せん》は隠れたまま姿を見せない。隠れることもねえのにと可笑《おか》しいが、自分が邪魔になっているようで何だか具合《ぐあい》が悪い気合《きあい》である。
「どこかへ出ませんか?」といい出した。
陣十郎は隼人の支度するのを待って冬の儘《まま》の庭へ目を放った。座敷には背を向けている。お仙はとうとう出て来ない気らしい。隼人も呼び出そうともしないで、自分で戸棚をあけて着物を出している。
千坂兵部に、貰った金は相当まとまった額だったが、まだ、あれがあるのだろうかと、陣十郎は二人の生活《くらし》のことをぼんやり考えた。お仙がこの家へ入り込んだきりなのは、これまでの男世帯《おとこじよたい》と目立って違った座敷の様子でわかる。
変らないのは主の隼人だけだ。相変らず蒼《あお》い。相変らず、つめたい。お仙と寝る時はどんな風だろうと、途方《とほう》もないことが、陣十郎の日に向っての明るい空想に泛《うか》んだくらいである。
「出てもいいんだろうね?」
外へ出てから陣十郎は隼人に、後に残るお仙のことを利《き》かせて尋ねて見た。これは陣十郎の方からの好意だった。
隼人は急に陣十郎の顔を見詰めた。
「なぜ」
意地を張って白《しら》をきろうとしているのだとは思われない。静かな調子だった。
「お仙さんのことさ」
そこまでいった。
隼人は、
「御存じでしたか?」と、まるで怒ったようにいってから、
「その話は預って置いてください」と、いった。
「なアに……別段に。あんたのことなんだから」
陣十郎は、この恋が前の、犬医者の妾《めかけ》の時と同様に女の方から持ち掛けたものだと思った。それなら、話はわかるのだ。
二人は猿町《さるまち》の坂を降りていた。
「可笑《おか》しいっていったら、死んだ当人には気の毒な話だけれど」
陣十郎は、世間話を始めていた。ところでその頃の世間話といえば、赤穂浪士のことより他はないのだ。どんな事件も、内蔵助たちの仕事に関係のない限りは、人が問題にしないといってもよい。陣十郎が話しているのは、すこし前にあった浅野の浪人、岡林杢之助《おかばやしもくのすけ》が自刃《じじん》した事件のことだ。隼人は無論これを知らなかったのである。
「赤穂では番頭《ばんがしら》だったそうだけれど、禄《ろく》はまた仕置家老《しおきがろう》より上で千石を取っていたというんですがね。どういうものか、あの仲間に入っていなかった。実家の兄が旗本で江戸にいたので浪人してからはその家にいた。すると、一件さ。同志の者に済まなかったといって自殺したと、兄弟から御公儀へ届け出たわけだ。暮も押し詰ってからの話さ」
隼人は興もなさそうに黙っていたが、急に遮《さえぎ》った。
「そりゃア……兄弟が殺したんでしょう」
「そうらしいんでさあ、近頃ある筋から聞くとね。当人もそりゃア残念だったかも知れないが、後になって腹を切って言訳しなければならぬくらいなら、江戸へ同志の者が来ているのを知らずにそれまで済まして来た筈がない。すこし変だと思っていると、兄弟の者が士道が立たぬといって詰め寄って当人を納得《なつとく》させて、腹を切らしたというのです。世間ていだけの話でさあ。士道って、そんなものですかねえ?」
隼人は、陣十郎も気がついたほど、けわしい顔色になった。町人の陣十郎には笑うことの出来ることが、武士であって見れば痛切すぎて笑えないのだろうか?
「世間じゃア弟を殺した兄貴の肩を持っていますよ。いや、あとからあとからと、そういう人間の出るのを待っているんだ。いい面《つら》の皮なのは四十何人かの人数に入っていなかった浪人衆さ。こいつは気の毒ですぜ」
「よそう。その話は! 腹が立つだけだ」
蒼ざめて、隼人は抗議した。
「まアそういわねえで、私のいい分を聞いておくんなさい。あなたを措《お》いて私ア勝手なことをいって聞いて貰うひとがないんでしてね。私にはよく分るんだが、堀田さん、あんたがこの話を聞いて腹を立てるのは、つまりその、詰腹を切ったお武士《さむらい》の身になって怒るんだ」
「それでなくて、腹を立てることがあるか?」
陣十郎は笑った。
「私のは違うんです。その兄弟が憎らしいとは思いますがね。そこまで馬鹿らしくなっていると、愛嬌《あいきよう》で、可愛らしい気にもなりますよ。ところが、そういう茶気のあるお武士《さむらい》のいる間は天下はまことに安泰なんですよ。死んだ本人だって本望といえばいえますからな。それどころか、ひょっとするとこりゃア仇討《あだうち》の人数には漏《も》れていたが、義士になります。そうですって、義士には違いないんだ。そんな茶番はどうだっていいが、私の腹の立つのは、それを見て悦んでいる世の中ですよ」
「どうせ馬鹿の集まりさ」
隼人は聞くのも懈《ものう》げにいった。
蜘蛛の陣十郎が、今日訪ねて来たのはその不満を聞いて貰いに来たらしい。ぽつぽつ口重く話す話に底力があるのはいつものことだが、久し振りだったせいか、隼人には何だか胃の受け付けないものを強《し》いられているような苛立しさを与えるだけだった。この男の、いつも生に張り切っている悍《たくま》しい胴や、始終輝いている目が、向い合っていて我慢なり難く重苦しく思われて来ることは、これまでにもあったことだが、時にはそれが隼人の冷え切った心に反射熱の作用をして、知らぬ間に望みもせぬ方向へ動かしていたのだ。
変った。
ふと、隼人が感じたのがこれだった。
陣十郎の、底に力のある低い声は今、自分を疲らせ、変な焦躁《しようそう》に陥《おとし》いれているだけだ。何をそんなにいう必要があるのだ? 何がこの男をこんなに熱心に喋《しやべ》らせているのだ。義士が幾人出来ようが、世の中が悧口《りこう》になろうがなるまいが、それが何だというのだ? こうして、陣十郎が熱心に喋れば喋るほど、弾力を失って倦怠《けんたい》を感じて来る心を支《ささ》えるために、隼人は話に空耳《そらみみ》を向けながら、この変化の原因をじっと案じている。
それは、久しく会わなかった内に、捨てられた灰から熱が自然と去って冷やかになるように、自分に働いていたこの男の魔力も、自然と立ち消えたとでもいうのだろうか?
あるいは……
ふと、家に残っているお仙の横顔が心の中を水の流れのように横切って過ぎた。けれども、お仙の入って来たために、この男との友情が、失《な》くなったとは考えられなかった。そう考えるのは自分自身を辱《はずか》しめることのように、思われたし、またこの考えの故に、隼人は一層いらいらして来た。特徴のある切長の目がつめたく笑った。
「面倒なしに、その兄弟を叩《たた》っ斬《き》ればいいのです」
自分でも色もなくいった言葉だった。しかし、その反響が、輪郭《りんかく》の大きい陣十郎の面《おもて》に驚きの色となって現れた時、隼人は急に全身が焔《ほのお》につつまれたように熱を帯びていた。
「斬ればいい。文句なしだ」
抑えきれない力が動いていた。誰を斬るのか、自分でもはっきりした予定なしに、ただ人を斬った刹那《せつな》の、刀を持つ手に人が味わうあの異様な手ごたえに似た感覚が、筋肉という筋肉に電波のように渡ったのである。
それに対して、陣十郎の顔は白刃の下に立っている人間のように光沢《つや》を消して紙のようだった。
じっと見詰めていて、隼人の顔色が動くと、
「無駄なことでさあ」と投げたようにいった。
崖の下には、汚《よご》れた野面《のづら》を黄昏《たそがれ》の色が蝕《しよく》していた。二人は木の根に並んで腰掛けていて、めいめい固く口をきくことがなくなったように黙り込んでいた。
お仙が、隼人が帰った時足音を聞いたのは、雨戸を閉めて暫く経ってからのことだった。行燈の傍で髪をとかしていて、外のしめった土を踏む草履《ぞうり》の音を聞いて振り返った。
櫛《くし》が脱け落ちたのを拾った。
お仙は眉《まゆ》をひそめていた。その間にも外から戸をあける様子もなかった。足音がきこえたことは確かにきこえたのである。立って見に行こうとした時に、やはりそれがきこえた。裏の空地の脇をかなり急いでぴたぴたと、今度は外へ出て行くのである。
足音は、聞き覚えのある隼人のものだ。
その側《そば》にある窓をあけると、雨気を含んだ冷たい風が髪を吹いた。外は真暗だったが、お仙の影が倒れている墓石を前景に、丁度外の道へ出て行く人の後姿が、薄い影のように動くのが見えた。
「あなた!」
返事はなかった。
何かしら、背筋がぞっとした。
お仙は人違いだろうと思って、また戸を閉めて、畳紙《たとう》の油の匂っている行燈の傍へ戻って来た。どうも隼人だったとしか思われない。何か用事でも忘れて、また引き返して行ったものだろうか? 見た目が違わなかったら、逃げるように出て行ったとしか思われない。あまり静かなので誰か空巣狙《あきすねら》いに来て自分がいるのを見て逃げて行ったのだろうか? 妙に無気味な気持がとれなかった。
隼人は、夜の町の片隅を影のように歩いていた。草履の音だけが地面を匍《は》う落葉のように聞えた。その音が急に歇《や》むと、身のまわりに春の夜闇がしずしずと詰めかけるのが感じられた。その闇の中にいつもからの蒼白い顔が一層白く見える。切長の目が何か一つの物をじっと見据えているようにつめたく光っている。
どこへ?
と、ぼんやりと、自分で自分の行く先を尋ねる。問うおのれもそう熱心でない。問われたおのれも答える熱意を欠いている。懈《ものう》く未解決のまま、その癖心の一隅では妙にいらいらしている。硝子《ガラス》の破片《かけら》のようにとげとげして光ったものが、真暗な頭の中に詰っていた。
人が尾《つ》いて来るような気がする。
黒塀が長く続いている。
春の浅い空に寺の屋根が黒い。自身番小屋《じしんばんごや》の障子が道の片脇の地面に明るい灯を投げている。
なぜか、その灯が怖れられた。人に逢うことが恐れられた。自分の家まで行って急に引き返して来たように。
隼人はお仙の白い躯《からだ》を見た。
あの儘《まま》入って行ったら、きっと、斬った。ただ、斬った。
黙って出て来たのは、よかったのだと、これも半分睡っているような心持で鈍《にぶ》く反省する。
なぜだろう?
酔ってもいない。
いや、俺《お》れは知らない。
こうして歩いて頭をひやしている内に、なおる。きっと、なおる。
こう呟《つぶ》やいている内に隼人は急に自分がいとしくなった。泣きそうな顔付になった。しかしそれに気がつくと、心は急に堅く冷たくなった。涙はどこかへ消えて、代って、最初から躯の中にうずいていた混沌《こんとん》として方角もなくただ荒々しい心持が、波のように揺り上げて来るのがわかった。歩きながら隼人は一心にそれを抑えつけようとしている。目に見えない鬼と闘っている心持なのだ。
お仙が髪を結《ゆ》い上げ食事を畢《お》えてからも、隼人は帰って来なかった。あまり遅いので寝床を敷いて中へ入って待っている内に、つい、うとうとした。目が醒めると、天井の暗い真夜中の静けさの内に釣瓶《つるべ》が鳴って、井戸端で流しへ水をあける音が聞えていた。
お仙は起き上った。
やがて、障子をあけて入って来た隼人の顔色は、お仙もぎょっとしたくらい蒼く見えた。
「遅くなった」
隼人は、ひくくいった。
「どちらへ?」
「むむ……」
睡いのか、何とも答えずお仙が掛けた寝間着《ねまき》に手をとおして、横になると間もなく高鼾《たかいびき》で、まるで遊び疲れた子供のように深い睡《ねむ》りに陥《おち》いっていた。
翌朝お仙は、昨夜の夕方|門口《かどぐち》まで一度帰って来なかったか、訊《き》いて見た。
隼人は、それを否認した。しかし、その時の男の目の色から、お仙は妙にその返事がほんとうでないように感じたが、どちらでもいい話だったので、それ以上何もいわなかった。翌朝の昼になって前夜|二本榎《にほんえのき》の辻で主人持の立派な侍が一人斬られていたという話を聞いた時も、意趣《いしゆ》か辻斬《つじぎ》りか知らず、お仙はこれを隼人の行動に結びつけて考えることは出来ないのだった。
大野郡右衛門は、御所の築地《ついじ》の修繕《しゆうぜん》の入《い》れ札《ふだ》にあたって、早速次の日から仕事にかかるので、自分も駈け廻って左官《さかん》の親方と話して来た。
話は簡単にまとまって、翌日早朝から職人が通うことになった。
夕方になると、昼間会った左官が急に訪ねて来て、あいにくと職人が集まらないから今度だけ勘弁《かんべん》してくれということだった。郡右衛門は、ほかの仕事にいそがしかったし、散々その無責任を責めたが、職人がないのなら仕方がないことなので、すぐ他の家へ使いを出すことにした。
もう一口別に頼んであった左官が、人を寄越して同じように断って来たのは、その使いが出て行って直ぐのことだった。
郡右衛門は腹を立てた。
「そんな無法な話はない。明日《あす》という今夜になってなんだ」
「ですけれど、手が足《た》りねえんですから」
「手が足りない。三十人いなけりゃア揃うだけでもいいからと話して来い。都合もあるから幾人いるかすぐ知らせてくれ」
使いの男は、引き返して行って、いくら待っても帰って来なかった。
郡右衛門は寒い風の中を自分で提灯《ちようちん》をさげて、話しに行かなければならなかった。
左官の家では、あきれたことにもう表の戸を閉めて寝ているのだ。戸も割れそうに叩くと、
「どちらさんです?」と亭主の声でいった。
「どちらさんじゃない。人足の方はどうしたんだ。俺《お》れを踏付けにする気か? それから聞こう」
郡右衛門は、先方が平《ひら》蜘蛛《ぐも》のように謝《あやま》って来るものと思っていた。しかし、中では何かこそこそ話しているだけで、いつまでも郡右衛門を寒い風の中に立たせて置くのだ。
「おれの家の仕事は、もう、しなくてもいいと申すのだな」
郡右衛門は威嚇《いかく》してみた。
「近所がありまさあ、そう大きな声をしないでおくんなさい。何もそう威張ることアないでしょう」と、相手は意外な権幕で答えて来た。
相変らず戸をあけようともしないのだ。郡右衛門はかっとしながら、明日仕事にかかれないと自分が当然受ける損害のことも考えるし、虫を殺して、突慳貪《つつけんどん》でも事務的に、
「幾人だけ都合がつくんだ?」と、尋ねた。
「さあ、一人も」
「一人も?」
「そうですよ」
「昼間、俺れに会った時何といった。五十人が百人でも揃えるといったのは、どうしたのだ?」
「私はそのつもりでしたが、話して見ると職人の方で、一人も、うんといいません」
「…………」
「こちらさんの仕事なら嫌だというんですから、どうも」
「金が不足だっていうのだな」
郡右衛門は目をいからした。
「はは、大違えだ」と左官は答えた。
「人間ですよ。旦那《だんな》が浅野さまのお家老のお家柄でいて、ほかには四十七人も御忠義な方があるのに、欲に突っ走って殿様の御恩を忘れたってえのを……へへ、野郎たちどこから聞いて来たもんですかねえ。……そんな御仁には、よその何倍お鳥目《ちようもく》を貰《もら》っても使われたくねえっていうんでしてね。へえ。……ほかを当って御覧なさいまし。人足一統から出た話なんで、どこへ行《い》らしても無駄でしょうよ」
郡右衛門は、火がついたように夜中各所を駈け廻った。
どこでも、同じ返事だった。朝になると店の者まで暇を強請して出て行った。九郎兵衛が知らせを聞いて仁和寺《にんなじ》の家から出て来た時分には、店の前に見物人が立っているくらいだった。
「な、なんたることであろうのう」
九郎兵衛は、皺《しわ》だらけの首を振って、おろおろ声を振り出した。
「私等が一体|他人《ひと》に何をしたというのだ。これが天道《てんどう》だと申すのか?」
そういう父親を郡右衛門は睨めていた。事の全部が父親ひとりの責任ででもあるように牡蠣《かき》のように、黙り込んで、ただ睨めているのだった。往来は人の足音や、話声でざわざわしていた。石を投げられてはいけないというので、郡右衛門が大戸を閉めに出て行くと、この群集の中から一度に悪罵《あくば》の声が放たれた。
人は物見高く集まって来るばかりだった。
洛北《らくほく》の紫野《むらさきの》にある大徳寺《だいとくじ》の塔頭瑞光院《たつちゆうずいこういん》は浅野家の遠い祖先の旧蹟だったし、内蔵助が山城《やましろ》に移ってからは、内匠頭《たくみのかみ》の懐剣と衣冠を埋めて石塔を建てたのみか、墓参に托して同志が密会に会合する場所に使っていた因縁《いんねん》があった。
義挙の噂《うわさ》が伝わると、院主の宗湫和尚《そうてきおしよう》はすぐと、宗海《そうかい》という僧を江戸に使者にやって、四家にお預けになっている四十六人の者を見舞わせた。内蔵助を始め浪士たちも非常に悦んで、帰山の上、院中へ埋めてくれと、各自髪を切って渡して、別れを告げた。
宗海は、内蔵助等に会う前に、南部坂《なんぶざか》の浅野土佐守《あさのとさのかみ》の屋敷を訪ねて、瑤泉院《ようせんいん》に会っていた。瑤泉院は内蔵助よりも奥野将監や進藤源四郎、小山源五左衛門の方に望みをかけていたくらいだったので、彼等ほどの者が今度の企《くわだ》てに漏《も》れたのは何か仔細《しさい》のあることか、帰洛の上は進藤、小山から書面でその主意を申してくれるように伝えて貰いたいということだった。
宗海は京へ戻って、師の坊に内蔵助の書信に浪士一同の毛髪を添えて渡してから、進藤源四郎、小山源五左衛門に会って、瑤泉院の言葉を伝えた。
二人は、ひどく顔を赧《あか》らめて、一切書面で申し上げるからということだった。
宗海は両人列署の書面を受け取って、江戸へ送った。やがて、瑤泉院から、これで不審がはれたという言葉を添えて、宗海のところへ、進藤小山の手紙を送り返して来た。
宗海が読んで見ると、
「吉良家の用心が厳重なので一度で本望を遂げるのは難しいように思われ、予《あらかじ》め一の手二の手と備を分け、万一、一の手が仕損じた折二の手を以て討ち果す手筈になり、即ち一の手は大石内蔵助、二の手は自分らの担当と定《き》めてあったが、一の手で首尾よく本望を遂げ、二の手の必要がなくなった。亡君の御恨《おうら》みを一挙に晴らし奉《たてまつ》ったことは大慶至極《たいけいしごく》であるが、我々二の手の者一身に取っては手に合うことなく遺憾《いかん》に存じている」という意味の文面であった。
その頃はもう四十六人の浪士たちが切腹した後のことであった。瑤泉院が真実と信じたことを、世間が信じないわけはなかった。世間では、浪士たちが後詰《ごづめ》まで支度してかかった周到さを嘆賞した。ただ当の奥野将監は病を養うと称して間もなく三州の田舎へ隠れ、その他の者もそれぞれ離散して、行方《ゆくえ》のはっきりしている者は親しい友達の間でもすくなくなった。大野九郎兵衛父子にも、この後詰の噂がきこえた。その風説を真実と信じた点では、九郎兵衛は、誰よりも率直だったろうと思われる。
この父子の終るところも、また明らかではない。
狂言
御暇乞《おんいとまごい》に芸尽《げいづく》しをお目にお|掛可[#レ]申候《かけもうすべくそうろう》とて、御番衆の見申さぬ様に枕屏風《まくらびようぶ》の蔭にて堺《さかい》町の踊狂言の真似を|被[#レ]仕《つかまつられ》、そろそろさわぎ被[#レ]申、脇に奥田孫太夫|潮田又之丞《うしおだまたのじよう》は御ゆるし|被[#レ]成候《なされそうら》えとて臥《ふし》被[#レ]居候。又之丞被[#レ]申候は、とかくあの様に騒ぎ申候間、やがて埓《らち》は明《あき》可[#レ]申候えども、先《まず》明日は内蔵助へ申候て手錠《てじよう》をおろさせ可[#レ]申と笑被[#レ]申候(堀内伝右衛門覚書)
一番最後に寝る者が消すことになっていて、たった一つ残してあった行燈の灯が、この広間の天井《てんじよう》にまるい影を置いていた。めいめいの枕もとに衝立《ついたて》を置いて、並べた九つの床《とこ》に、もう微かな寝息さえ漏《も》れている。この老人ぞろいの上の間では早く床に入る習慣になっていた。
まだ、そちこち四つという時間だった。厠《かわや》から戻って来た内蔵助は、暖味《ぬくみ》の逃げぬように掛けたまま抜け出た床の中に、つめたい廊下で冷えた両脚《りようあし》を入れながら、枕もとに捨ててあった頭巾《ずきん》を拾って頭にくくりにかかった。これは、人に笑われながら寒がりの癖で、こうしないと、どうも睡れないのだった。自分の影が変な恰好《かつこう》をして、蒲団《ふとん》の裾《すそ》の方にある襖《ふすま》の上で動いている。この、たてきった襖の彼方《むこう》に畳廊下《たたみろうか》を隔てて、壮年の八人の者がいる下の間になっていた。
内蔵助は遠い話声を聞いていた。若い連中はまだ起きて火鉢《ひばち》を囲んで話しているのである。こちらの堀部老人が夜中時々「えい! えい!」と矢声をかける癖があるのを聞きつけて笑ったのも、まだ床に入らずにいた彼等だったことが、頭巾をかぶった頭の中で微笑とともに泛《うか》んだ。左右の老人たちの睡りを妨げないように、内蔵助は行燈を消しに立ちかけた。誰か主家《おもや》の方から廊下づたいに来る様子だったので、それに耳を澄ました時、自分の隣りの床の中で小野寺十内が目をあいているのに気がついた。十内もその足音を聞いているのだなと思った。
足音は、付添いの番頭《ばんがしら》のいる次の前まで来て停《とま》った。
宿直の堀内伝右衛門が立って用事を尋ねたようだった。その次に聞えた声で、内蔵助はこの家中の長瀬助之進《ながせすけのしん》という男の顔を思い出した。長瀬なら、今夜は非番の筈だと気がついた時、かなり、はっきりした声でいうのがきこえた。
「今お上屋敷から御状《ごじよう》が廻って来て、明朝こちらへお遣《つかわ》しになるといった。茶道《さどう》の衆《しゆう》が持参されるというから、どうぞ、そのおつもりで」
伝右衛門が、すぐと何か答えた。
助之進がまた何かいったが、これは声がひくくて聞き取れなかった。内蔵助は二人の話した意味が直覚出来たのである。急に振返って十内の顔を見た。十内は、もう掻巻《かいまき》から乗り出していた。
二人が無言でいる内に、助之進が主家へ引き返しに行ったらしく、廊下を足音が遠ざかって行った。気がついた時、今まで下の間に聞えていた話声が急に歇《や》んでいた。
十内は、掻巻をはねて、蒲団の上に坐っていた。しかし内蔵助はこれに、
「寝よう」というように目配せして、ふっと行燈を吹き消した。真暗な中で内蔵助が、寝床に戻って掻巻をかける気配が続いた。
十内は息を詰めていた。
「来ましたな」という言葉が変にえがらっぽいものになって、喉《のど》まで出て来ていた。助之進はあの一句をいう時、確かにこちらに聞えるように声を昂《たか》めていたのである。
十内は、その枕を内蔵助の方へ移してから、ひくい声で話し掛けた。
「一同を起して話して置きましょうか?」
「そう……」
内蔵助は、どっちとも決断がついていなかった。
二人は、無言で、左右にいるほかの者の寝息に耳を澄していた。その途端に、畳廊下の彼方で、急に襖のあく音がした。「聞いてたな」と、二人は同時に、下の間で急に話声が歇んでいたことを考えた。誰か二、三人で宿直の部屋の方へ歩いて行った。足音が停ったと思うと、
「堀内氏」と、磯貝十郎左衛門の声がした。
「ちとお話においでになりませんか?」
これは富森助《とみのもりすけ》右衛門《えもん》である。
黙っていた内蔵助が寝返りを打った。
起きるのかと思うと、そうでもない。十内は闇の中で内蔵助の様子を見きわめようと目を据《す》えている。人のいい堀内伝右衛門は誘い出されて、とうとう下の間へ入って行ったらしかった。
内蔵助は、十内が何を考えているか知っていたのではないか、
「まあ、よかろう」と、静かな声で慰めるようにいった。
「行燈《ひ》をつけましょうか?」
「なんで?」
「…………」
返事はなかった。下の間で、どっと皆で笑う声が聞えた。その笑い声が落ちると、伝右衛門が、いつもの質朴《しつぼく》な口調《くちよう》で何か話しているのが聞える。
(花をくれる……)
細川越中守《ほそかわえつちゆうのかみ》は、浪士たちの処分が愈々《いよいよ》明朝ときまったのを、それとなく浪士たちに仄《ほの》めかそうとしたのだった。話は如何にも急だった。その前日まで、浪士たちは先年の市《いち》が谷《や》浄瑠璃坂《じようるりざか》の仇討ちの場合に準じて遠島《えんとう》になるという風説が、根拠のあるものとして一般に信じられていたのである。現に、取次の堀内伝右衛門は今もなおそれを信じていて、主人越中守が浪士たちを突然で驚かしたくなく花に托して送った謎《なぞ》も解き得ずに、明日《あす》早朝当番の交替前の、簡単な雑務の一つとして頭に置いていたのだった。
「左様でしたか? 花をお生《い》けくださる茶道の衆がおいでくださる」
富森助右衛門は、静かに笑顔を作った。堀内伝右衛門はそれ以上を何もいわないでいた。いう必要を認めないのか、あるいは口止めされているのだろうと思われた。
助右衛門は、視線を移して、火鉢を囲んでいた同志の人々を見渡した。大石瀬左衛門、磯貝十郎左衛門、矢田五郎右衛門、近松勘六……順に、何事も知っている目が助右衛門の視線を迎えて微笑んだ。赤埴源蔵《あかはにげんぞう》は、煙管《きせる》を咥《くわ》えている。奥田孫太夫は、よく起った炭の色を凝《じつ》と睨《にら》んでいる。潮田又之丞《うしおだまたのじよう》は懐手をしてにやにやしている。
暫く誰も何もいわずにいた。
「お静かですな?」
伝右衛門が首をかしげた。
その途端、突然に矢田五郎右衛門が吃驚《びつくり》するくらい大きな笑い声を挙げた。その爆発するような馬鹿笑いの底に、何かしら一同をぎょっとさせたものがあった。
「何が可笑《おか》しい?」
急に源蔵が、こう叱咤《しつた》した。
五郎右衛門は無作法に畳の上に仰向きに転がっていた。笑いはなお止《や》まなかった。苦しげに腹を抑え身をもがいて笑い続けているのである。その上へ、孫太夫が躍り掛って太い腕で抑えつけた。
「怪《け》しからん奴《やつ》だ! 何が可笑しい」
「そうだとも。妙な男だ、ひとりで笑うなどとは怪しからん」
冗談とも真剣ともつかぬ権幕で二、三人が五郎右衛門に飛びかかった。五郎右衛門は押し倒されながら笑い続けているのだ。
「よせ、よせ!」
助右衛門が制《と》めに入った。
そういう助右衛門自身が、いつもより荒々しく快活になっていたのは不思議だった。
「おい、みんな……」と、叫んだ。
「何かやろう、何か?」
「むむ。やろう」
源蔵までが、煙管を捨てて立ち上った。
「何をやる?」
「なんでも。……芸尽《げいづく》しだ。堀内氏《こちら》をお客様にするのだ」
「馬鹿、俺れア芸なんか何もない」
これは、奥田孫太夫だった。潮田又之丞も拙者も見物に廻るといい出した。二人を怪しからんという者はあっても、この深夜の余興に異議を立てる者はなかった。
「四つを廻ったぐらいのところだな。まだ早いさ。宵《よい》の内だ。こちらは一世一代の腕をお目にかけるのだ。堀内氏、これは滅多に御覧になれるようなものと違います」
「左様で御座いましょうとも、珍しいものを見せていただきます」
伝右衛門はおとなしく客座に直りながら、一同のいつにない騒ぎの底に何かしら厳粛なものがあるのをおぼろげに感じて、顔色をひきしめた。この人々は、御公儀の御沙汰《ごさた》の如何にしろ、やがて、今日まで親しくして来た自分と別れることになるのを考えて、その暇乞《いとまご》いのために、こんな催《もよお》しを考えついたのに違いないのである。
「さあ、拝見いたしましょうか?」
「まだです、まだです。楽屋を作らなければならない。衣裳がないから、この蔭でやるのだ。それから外から見えないようにしなければならぬ」
芝居は声だけのものらしかった。夜、枕もとへ立て廻す衝立《ついたて》を、めいめいが引き出して来て飾り付け始めた。見物席の伝右衛門は火鉢を二つまですすめられて、贅沢《ぜいたく》に片手ずつあたりながら、これもわざと大尽《だいじん》らしく胸を張って狂言の始まるのを待っている。そうしていて、狂言方も見物も、この騒々しい広間の中に、冬の名残りの寒さがあって、胸に徹《とお》るのを感じる。やはり見物席に膝《ひざ》を抱いている奥田孫太夫が、剣道で鍛《きた》えた声で、「早くやれ」と、しきりと叫んでいる。
又之丞はにやにやしているだけである。
「宜《よろ》しいのですか? 捨てて置いて」
小野寺十内は我を忘れて腕を伸ばした。その手は闇の中で内蔵助の頭巾《ずきん》にふれた。
「何が?」
内蔵助は急に気がくるったようにその手をはらいのけた。その権幕に驚く前に、十内は自分の指がふれた頭巾をつめたく濡《ぬ》らしているものを知って、はっとしていたのだった。
「推参なり景政《かげまさ》、雷丸《いかずちまる》の切れ味を受けて見よ」
下の間では助右衛門の声色《こわいろ》が聞え、一同でどっと笑い上げるのが聞えた。
「よい、よいと申すに」と、内蔵助は強くいった。
十内の目の前に、襖の合い目から漏れる灯影が鋭い針のように細く立っていた。そのほかは、早春の冷たい夜闇だ。
堀部弥兵衛老人の、騒ぎに無関心な静かな鼾《いびき》の声がしている。十内は泣いていた。ほろほろと、声もなくあふれ落ちる涙だった。
内蔵助は、気配にこれを知って、
「いいさ、いいさ」と、優しく繰り返した。
切腹
細川越中守綱利は、四日は朝もまだ白々としている内に、丸の内|大名小路《だいみようこうじ》の屋敷で目を醒《さま》した。前夜が遅かったので、まだあける気もない瞼《まぶた》の裏に、茶道の者が、そっと影のように部屋《へや》の中へ入って来ていて静かに動いているのが感じられた。起きぬけの寒さに綱利が風邪をひかぬように、毎朝の仕事として、よくおこった火を十能に入れて火鉢に差しに来たのである。
火がぱちぱちはねている。綱利は、絹夜具の中で寝返りを打った。坊主《ぼうず》は主《あるじ》の睡りをみだしたのを怖れたらしく、明珍《みようちん》の火箸《ひばし》の鳴る音が急に途絶えた。
綱利が二度目に醒めた時、坊主はもう退《さが》って行っていた。綱利は昨夜《ゆうべ》、高輪《たかなわ》の屋敷へ使いを出したことを思い泛《うか》べた。今日は十七人の赤穂浪士に切腹を仰せつけられるのだ。内命を受けると直ぐに、花に托してそれを浪士たちに知らして置くことを、自分は考えたのである。
綱利は、この自分が採《と》った措置《そち》に満足を感じながら、いよいよ今日あの十七人が仕置《しお》きされることだと思うと、やはり何かしら残しているような不満があるのを感じた。前夜公儀から内命のあるまで、浪士たちが助命になるものと固く信じていたのである。綱利は親しく愛宕山《あたごやま》に祈願を掛けるとともに、浪士たちの助命について出来るだけのことをしたつもりでいた。世間も充分にそれを認めていて、自分の努力を蔭で支えてくれていたのである。
浪士たちは公儀の掟《おきて》に背《そむ》いたのである。けれどもまた考えように依っては、そういうのも、表面のことだけで、浪士たちのしたことの世道人心へ与えた影響を考えると、その精神は武士を人間の花とし支配者とする今の世の中で、最も武士的なものなのだ。町人たちが跋扈《ばつこ》し百姓どもに不平が多くその支配者たる武士に昔の気魄《きはく》が失《な》くなった世間の廃頽《はいたい》に向けて、一陣の清風を送ったのも同然なのである。これは、大坂|夏冬《なつふゆ》の陣《じん》、関《せき》が原両役《はらりようえき》を受けた幕府創成期の指導的精神で、武門のある限りおろそかにしてはならないものを、今の世の中に形で見せてくれたのである。
武士が皆この四十六人のようであってこそ百姓町人の上に立っていつまでも、「人は武士」と称《たた》えられるのだ。また、そういう武士があってこそ、町人にいくら金が出来ようが、百姓が僭上《せんじよう》の考えを抱こうが、武門を基礎とし階級の秩序明らかな天下が動かないのだ。いい換《か》えれば、浪士たちの行為は、天下を却《かえ》って安泰としたものであり公儀の基礎を固めたものではないか? 単純に徒党の罪のみを見てこれを仕置きするのが間違っていることは無論なのだ。
綱利は自分がこれをどこへ行っても公然と主張し、人が皆|傾聴《けいちよう》したことを思い出した。
「御宥免《ごゆうめん》の上は、十七人を家来として抱えたい」ともいった。本心なのである。凡《およ》そ天下の大名として、このように忠義の者を家来に欲しがらぬ者があろうか? 死んだ内匠頭《たくみのかみ》は羨《うらや》まれていい。綱利がこういう時、誰あってこの放言を咎《とが》める者がなかった。十七人をお預りすることになっただけでも、綱利もまた他家に羨まれていたのである。
空気はすっかり変っていた。夕立の過ぎて行った夏の日のように、すがすがしいものが天地に溢《あふ》れていた。
武士が昔に戻って武士らしくなって来たのだ。
浪士たちの処分に併せて、吉良上杉の両家が同時に何らかの処分を受けなければならないようにしたのも、その空気が動いてしたことだった。
旧冬の事件の直後に、御用部屋から評定所《ひようじようしよ》へ諮問《しもん》した時に既に、それが問題に加わっていた。
吉良家、殊《こと》に上杉家から見れば、これはまことに地震か火事に逢ったように災難だといってよいわけだが、屋敷を荒され、しかも主《あるじ》の首級《しゆきゆう》を奪われたというだけでも、武門の目から見て、これは恕《ゆる》し難《がた》いことなのである。すくなくとも、世の中の全部がそう見るように成《な》っていたのだ。
評定所の奉答も、その精神に動かされていた。その一句一句を綱利はよく記憶している。自分のいいたいことを、寺社奉行、大目付《おおめつけ》、町奉行、勘定《かんじよう》奉行の人々が連名して堂々といってくれた嬉しさに、幾たびか繰り返してその写しを読んだものだった。
お尋ねにつき存じ寄り申し上げ候|覚《おぼ》え吉良左兵衛儀《きらさひようえぎ》、申しわけ相立ちがたき仕方にて御座候間、その砌《みぎ》り、せめて自滅|仕《つかまつ》るべきところに其の儀なく、始終の様子その分にては差置《さしお》きがたきやに御座候間切腹|仰《おお》せ付けらるべきやに御座候。吉良上野介家来ども、この度《たび》手合せ申さざる者は、侍の分残らず斬罪《ざんざい》に仰せ付けられるべきやに御座候。その節《せつ》少しなりとも働きて手疵《てきず》負い候ものは、親類方へ引き取り申す様に仰せ付けらるべきやに御座候。小者《こもの》中間《ちゆうげん》の類《たぐい》は、追い払い候て然るべく候。上杉|弾正大弼《だんじようのだいひつ》、同|民部《みんぶの》大輔儀《たゆうぎ》浅野内匠家来上野介屋敷より引き取り泉岳寺へ罷《まか》り在り候ところ、その分にて差し置き候仕方、両人ともに兎角申すべき様もこれなき儀に御座候間、如何ようにもお仕置き仰せ付けられ、勿論《もちろん》領地召し上げらるべきやに御座候。内匠家来ども仕方、評議両様に御座候。亡主の志を継《つ》ぎ一命を捨て上野介宅へ押し込み討ち取り候段、真実の忠義にて御座あるべく候や。御条目《ごじようもく》に文武忠孝を励《はげ》み礼義をただすべきの趣《おもむ》きに的中仕るべきやに御座候。且又、大勢申合せにて兵具を着け候いて、狼藉《ろうぜき》の仕方に御座候えどもその段遠慮仕り候わば本意を遂げず候ゆえ、右の仕方に仕るべき儀に存じ候。御条目に徒党を結び誓約をなし候は御停止《ごちようじ》に御座候。内匠家来徒党の志御座候わば、去年内匠御仕置き仰せ付けられ城領地召し上げられ候節、少々存念がましき体もこれ有るべきところに聊《いささ》か違背《いはい》仕らず候。このたびの仕方、一切仕らず候えば本意を達せず候ゆえ、やむを得ず大勢申し合せ候にて御座候。徒党とは申しがたく御座あるべく候や。箇様《かよう》の類重ねてこれあり候とても人々心入れ次第にて御座候えば、その節|致方《いたしかた》是非《ぜひ》を以《もつ》て仰せつけらるべき儀と存じ奉り候。
右のとおり何《いず》れも存じ候、内匠家来、先ずこの度は御預けのまま差し置かれ、後年に至り落着仰せ付けらるべきやに御座候。以上
評定所の意見がこれであった。吉良左兵衛は切腹、領地は没収、家臣は斬罪《ざんざい》、なお上杉家の領地も召し上げるようにといって、赤穂の浪人たちは徒党ではない、徒党の形を採《と》ったのは、御条目にある忠義を尽すのに已むを得ずにしたことだというのである。これ以上の同情論があろうか?
評定所だけではない。将軍から諮問《しもん》された林大学頭《はやしだいがくのかみ》も、
「こういう忠義の者が出たのはお上の治教《ちきよう》が国内に行きわたった結果であって、この者たちを一概に厳刑にすることは将来の風教《ふうきよう》のために面白く思われませぬ」と申上げたように聞いた。
綱利《つなとし》は、浪士たちの助命を信じていたのである。しかし、昨夜になっての御沙汰では、切腹ときまったのである。ただただ意外に感じられるし、家来を相手に夜更けまで歎息したのだった。
上杉家が縁続きの紀州家を頼って、将軍御母堂|桂昌院《けいしよういん》を通し、上杉家があの晩浪士たちを捨て置いたのは、まったく私闘のために御公儀お膝《ひざ》もとを騒がしたくなかったからで、武門の意地に忍び難いものを堪忍《かんにん》したのだと、将軍にも言上《ごんじよう》したという風説があった。桂昌院を動かしたのは、柳沢だという世間の噂《うわさ》であった。
生類を憐《あわれ》まれる公方《くぼう》が、上杉家の苦衷《くちゆう》哀願に心を動かさぬ筈はないのである。特に御母公に孝心厚い方なのであると、人はいった。
柳沢|吉保《よしやす》は、こんなことはまるで知らないというように見えた。吉保が何か意見を主張したような話を聞いたことがない。将軍についていて御下問を受けた時も、はかばかしい返事をしなかったということである。
綱利が殿中で勇敢に、当って見たことがあった。
出羽守《でわのかみ》どのは、どうお考えになっていられるか? 御腹蔵《ごふくぞう》なく承《うけたまわ》りたいといったのである。吉保が綱利に白い静かな顔を向けていた。
「越中守どのは?」と問い返して来た。
綱利は相手の変な冷静さに却《かえ》って興奮して、
「無論のこと」と答えた。
「私も御同心です」
吉保は微笑の中に答えた。
「ただ、出来るものならばと案じております。何事も、お上《かみ》のお心持一つに依《よ》ることですから」と言葉を結んだ。
「将軍家は如何思し召されておられるか? 出羽どのは御承知御座らぬか?」
綱利は畳み込むようにしていった。
「それは?」と、吉保は驚いたように、綱利を見返して柔和《にゆうわ》な笑顔を向けただけで、話を外《そ》らして終っていた。丁度その席へ人も入って来たのである。
四、五日過ぎて、殿中で逢った時吉保の方からこの問題に触れて来た。
「あの者たちに二人の主人を持たせるより寧《むし》ろここで、はなばなしく最後《さいご》を遂げさせた方が武門のなさけだし、またあの者たちとしても本懐であろうと申される者があります」
「将軍家が?」
思わず綱利はいった。
「いや、それは存じませぬ」
吉保は、いつもと変らない柔和な調子で、
「越中守どのは、これをどうお考えになりますか? 時の経《た》つ間にはいろいろの説が出るものだと思います。私などは最初からお上の御思慮に頼るよりほかはないと思っているのですが、お上のこの件でお心を痛めていられることは勿体《もつたい》ないくらいに拝見しております。御沙汰がどう下るにしろあの者たちは、これだけで過分の倖《しあわ》せと存じ上げねばなりますまい」
この朝の床《とこ》の中で、綱利はその時のことを思い出した。あの時、もう御沙汰がきまっていたのではないか? と、ふと考えた。
将軍の意志というのを軸《じく》にして公儀という一つの重い大きな器械が、もう廻り出しているのだ。その幾十とある歯車の一つとして、やはり綱利は同じ方角へ動くよりほかはなくなっていた。それまでの努力がただの空転で結局何も意見を立てず動かなかった柳沢などが、器械全体の動き出す時機も方角も却ってよく見抜いていたのではないか? こちらの空転を、無駄《むだ》なことをしていると笑っていたような気もするのである。
綱利は、起きてから朝の挨拶に出て来た家来たちに、
「立派な最後をさせてやれよ」と、いった。
綱利の目の前には、石で作ったように堅い道が一筋走っているだけだった。
十時|時分《じぶん》に奉書が届いたので、すぐとこれにお受《う》け書《しよ》を出す。綱利自身は、御月番《おつきばん》の屋敷へ打合せに駕籠《かご》を走らせる。そこから、直ぐ三田《みた》の屋敷へ廻るといったように、いそがしい一日の幕が切って落された。
日の上らない内は凍《こお》った靄《もや》が降りていて、未《いま》だ去らない冬を思わせていたが、やがて日射が庭木の葉を一枚ずつ光らせて来ると、空の青い麗《うらら》かな朝となった。
老人の醒《さ》め易《やす》い夢から、堀部弥兵衛も間喜兵衛も早くから床を出た。十内も起きて来る。内蔵助も起きて来る。
隣りの若者たちの部屋は、戸を閉めてまだ夜であったが、十内から同室の者に、いよいよ今日ときまったようですと話している内に、若者たちも一人起き二人起きというように順に洗面に立って行く様子だった。
十内の話は、老人たちをすこしも驚かさなかった。何事につけても積極的な態度に出る堀部弥兵衛が、
「いよいよ、な」と快活に応じただけで、ほかの者は家常茶飯《かじようさはん》のことを聞くのも同じ模様で、静粛だった。話が途切れた時内蔵助が見ると、ここへ来てから一々|算《かぞ》えられるくらいしか口をきいたことのない間喜兵衛は、喜兵衛の席ときまっていて他の者が冒《おか》すことのなかった片隅《かたすみ》の壁の前に端座して、居睡《いねむ》っているのである。檐《のき》から射《さ》し込む朝日が胸から膝を暖めているのが、気持よかったのであろう。
前夜の話のとおり、やがて、茶道の者が花を持って来て床に飾った。
白梅の枝であった。自分たちの死の象徴《しようちよう》となったのである。一同は、静かにこれを見まもった。結構だと賞《ほ》める者があった。
襖《ふすま》をあけて、隣室の連中が朝の挨拶に来た。内蔵助は知らずに彼等の顔に注意をとめたが、そこには朝のすがすがしい気分が描かれているだけのようだった。
「まあ、お入り」と、内蔵助からいった。
富森助右衛門、早水《はやみ》藤左衛門、奥田|孫《まご》太夫《だゆう》、矢田五郎右衛門と続いた。いつも、いきいきしている赤埴源蔵《あかはにげんぞう》の目が、素早く床の生花《いけばな》を見て、成程ここにもあるなというように、にこりとした。
「大分、賑やかでしたな、宵《よい》は」と、十内が話し掛けると、「やあ!」というように一同は羞《は》じ入ったように顔を見合せて微笑して見せた。
「あの声色《こわいろ》は誰じゃ?」と十内がいったところへ、
「何か、ありましたかな」と堀部弥兵衛が顔を突き出した。弥兵衛は何も知らなかったのだ。
一同は急に滑稽《こつけい》を感じた。内蔵助さえ、一同の大笑いの中に加わっていた。
「けれど」と、この統領《とうりよう》は静かに顔をあげて、
「みんな、承知のことだな」と、いった。
若い者たちは、揃って、粛然とした。
富森助右衛門から、「存じ居ります」と答えた。
内蔵助は、何もいわずに、
「天気がよくて何よりだ」といった。
知らずに一同は、邸内の様子に耳を傾けていた。今朝は羽根《はね》を突く音も聞えない。空に凧《たこ》の唸《うな》り声もしない。しんとして明るいのである。堀部弥兵衛は日向《ひなた》へ出て、読みさしの三国志の一冊を膝にひろげた。眼鏡の玉の反射が縁板の上に落ちている。
喜兵衛の胸にあたっていた日が、膝まで落ちた時分に、食膳が搬《はこ》び出された。今朝は特別の献立で、馳走であった。
それから風呂。
いつもと同じ朝なのである。ただ、今日は非番で早朝に帰って行った堀内伝右衛門が急に姿を現して、一同から離れなくなった。
「どうなさいました? 今日はお休みの筈であった」と、助右衛門がわざと話し掛けると、
「いや」と短く答えるだけである。昔の武士のように淳朴《じゆんぼく》な顔付にどこか悲愴《ひそう》の陰影《かげ》がある。浪士たちは、このひとが最後まで付ききりでいようとしている志を感じて、強く打たれた。
「昨夜《ゆうべ》は、どうも、遅くまで御迷惑をかけましたな」と話しかければ、
「はっ」と、几帳面《きちようめん》に答える。死んで行く浪士たちが、逆にこのひとをいたわって、うちとけさせようとしているのだった。
未《ひつじ》の刻《こく》頃に、時間はずれに夕食の膳が出た。これで、最後の時が大凡《おおよそ》見当がついた。内蔵助は、明るい中に死ぬることが出来そうなのを思って、屋根の上の春の光に顔を向けた。
今朝から主税《ちから》のことがずっと頭にあった。しかし、「よいのだ」と思っていた。我が子を、自分より強い、覚悟のある者に想像することは、父親の幸福であった。膳の上に、主税の好むものを見ても、何の感動も持たなかった。
食事が終ったところへ、廊下に足音がして接伴役《せつぱんやく》で顔馴染の八木市《やぎいち》太夫《だゆう》という男が入って来た。
「先ほどから、御上使《ごじようし》が来ておいでです。お召物をお改めなさるように」と、いった。
小坊主《こぼうず》が数だけの小袖を一襲《ひとかさね》ずつ持って来た。上着は黒羽二重《くろはぶたえ》、下着は浅黄無垢《あさぎむく》の羽二重、|麻※[#「衣へん」+「上」]※[#「衣へん」+「下」]《あさがみしも》、上帯下帯《うわおびしたおび》足袋《たび》まで、各自の前へ並べられた。
すぐ一同は、人が変ったように、皆同じ服装になって、粛然と席に着いた。無言で、これを眺めていた市太夫は、静かに一礼して退《さが》って行った。
邸内の、ものものしい様子が何となく気配に感じられた。待っていると、廊下を多勢で来る様子だった。
市太夫がいそがしそうに出て来て、
「御上使、荒木十右衛門さま、久永内記《ひさながないき》さま」と、短くいって、自分も足音の方を向いて平伏した。
十七人の者もこれに倣《なら》った。
しんとした中に、上使の袴《はかま》が畳に青く映った。それぞれの席に人は居並んだ。
やがて十七人の名前が読み上げられて、
「御上意《ごじようい》」と、厳《おごそ》かな声が掛かった。
宣告である。十七人は、ひくく平伏した。
上使は、赤穂開城の折にも来た御目付荒木十右衛門で、内蔵助もよく記憶していた。
「浅野《あさの》内匠儀《たくみぎ》、勅使《ちよくし》御馳走《ごちそう》の御用|仰《おお》せ付けられ、その上時節柄殿中を憚《はばか》らず、不届の仕形《しかた》につき御仕置《おしおき》仰せ付けられ、吉良上野《きらこうずけ》儀御構いなく差し置かれ候ところ、主人の仇《かたき》を報じ候と申立て、内匠家来四十六人徒党致し上野宅へ押し込み、飛道具《とびどうぐ》など持参上野を討《う》ち候始末、公儀を恐れず候段、重々不届に候、これに依《よ》って切腹申し付くるもの也。未《ひつじ》 二月四日」
水を打ったように静かな空気だった。内蔵助が、心持|面《おもて》をあげた。
「有難き仕合せに存じまする」と、はっきりした返答が聞えた。
「内蔵助」と、荒木十右衛門が、すっかり砕けた態度になって、優しく呼び掛けた。
「赤穂以来であるな。変った対面をすることになったぞ」
「ははあ」
内蔵助は、平伏しただけである。
「そうじゃ」と、十右衛門は副使の久永内記の方を向き、内記が頷《うなず》くのを見てから、
「自分の一料簡《いちりようけん》で話して聞かせるのだが、お上《かみ》では吉良左兵衛のこのたびの仕方不届と思し召され、左兵衛の領地は御召上、諏訪《すわ》安芸守《あきのかみ》へ永のお預けということになった」
内蔵助の目が、上使の目と合った。上使はにこりとした。急に内蔵助は肩を折って、畳とすれすれに広い額を落していた。
十右衛門は、立ち上って副使に会釈《えしやく》した。
副使の久永内記がこれに応《こた》えた。
「ゆっくり支度《したく》させよ」と、細川家の者にいって、そのまま廊下へ出て行った。十七人は、平伏したきりである。|※[#「衣へん」+「上」]※[#「衣へん」+「下」]《かみしも》の肩が微《かす》かに顫《ふる》えているのである。
雨の中
塀《へい》の裾《すそ》にかかった血が乾いた埃《ほこり》の上にぽたぽた落ちている。隼人の眸《ひとみ》は、仆《たお》れてもがいている今夜の犠牲の苦悶に冷たく据《す》えられていた。たった今、中間《ちゆうげん》に提灯《ちようちん》を持たせて何か高声に話しながら来た立派な侍だった。倒れながら刀に掛けた手の指に無念が見える。
中間は提灯を捨てて逃げ去った。
これには用がないのだ。主《あるじ》だけである。袈裟《けさ》がけの水もたまらぬ一揮《ひとふ》りだった。中間は、主の声を聞いて振り返ったのである。隼人は、何かの影のように薄く見えた。白い顔が浮いていて、冷たくこれを一瞥《いちべつ》したのみである。中間の男は、足を宙にして逃げて行った。生贄《いけにえ》の者が、やがて、動かなくひっそりとなるまでに、隼人は、その贅沢《ぜいたく》な衣類や相当の者らしい風采《ふうさい》を見おろして、酒に酔ったような快さが胸にひろがるのを感じていた。
習慣的に身を屈《かが》めて、男の裾で刀身を拭《ぬぐ》った。羽二重のひやりとした手ざわりが指に残る。刀身を流し込んで鞘《さや》が夜の静けさの裡《うち》に鳴る。
隼人は歩き出した。
すたすたと、誰でもが知っている、するだけのことをして終《しま》ったあとの、軽い楽しい心持である。頬《ほお》に爽《さわ》やかな夜風が吹いている。
昼間は滅多に外へ出なかった。街には誘惑するものが多過ぎる。その誘惑に乗ることの危険を知っていて、戒《いまし》めたのである。中でも槍《やり》を立て挟箱《はさみばこ》を揃えた大名小名の行列を見ると、隼人は五体の血が煮えるように思うのだ。
憎しみだろうか?
呪《のろ》いだろうか?
いや、ただ、のうのうと、威儀を正して駕籠《かご》を守って歩いて行くこの一列に、真面目な面《つら》に、泰平無事な幾十の顔に、苛立《いらだ》たしさがこみ上げて来るのだった。叩《たた》き毀《こわ》すよりほかないような、愚劣で恥知らずの見世物を、面と見せつけられているように感じるのだ。その考えだけでも腹が立った。
この整然とした列を、ばらばらに掻《か》き乱して見たい。
(叩き潰《つぶ》せ!)と、どこかで、荒々しく叫ぶ声がきこえる。肌は冷たく汗ばんでいる。こうした昼間の光は重苦しかった。埃まみれの屋根や木々、無神経に長い海鼠壁《なまこかべ》。どこへ行ってもある白茶けた景色と、愚鈍な人間の顔……刺戟が強すぎるのである。毀したいのである。ひっ裂きたいのである。どれも叩き潰したいのである。
「どこか悪いのだろう」と顔を背向《そむ》けて、お仙《せん》の問に答えるだけだった。
夜は、
「陣十郎さんのところへ行く」という。
お仙が見送っていると、暗い木々が動いている墓場に添《そ》った細径を、雪駄《せつた》の音が往来に消えるのである。
(ひょっと、もう帰って来ないのじゃないかしら……)
お仙はこう考える。
入れ違いに、陣十郎が来た晩があった。
「あなたのところへ伺うって出てまいりました。どうも毎晩……」
陣十郎は、
「へえ?」と、いったきりだった。
「そりゃア掛け違ったんですか? いや、途中でお会いしそうに思ったんですが……どれ、いそいで帰りましょう」
陣十郎は話を聞いてから、そこそこに出て行った。
更《ふ》けてから隼人が戻って来た。
「お会いになって?」
「蜘蛛《くも》か?」
「ええ、入れ違いにいらしって、急いでお帰りなったんですけれど……」
「今夜は、あの男のところへ行くのはやめた」と、煩《うる》さそうにいっただけである。
それから、四、五日過ぎた雨の晩のことだった。戸の隙《すき》から麹《こうじ》の匂いがしている大きな店家《みせや》の軒下に立って、隼人は烟《けむ》る雨脚《あまあし》をぼんやりと見詰めていつまでもいた。
有馬屋敷の櫓《やぐら》の太鼓が鳴った。
しとしという雨の音の中で、下駄《げた》の歯が小石に躓《つまず》いた音がした。
隼人は全身で目が醒《さ》めたように感じた。
武士である。渋蛇《しぶじや》の目《め》の傘が傾《かたむ》いて近寄って来た。
隼人は糸にひかれたように出て行った。傘があがった。隼人は腰をひねって抜き討っていた。
がっと、濁った音がした。
骨の折れた傘を捨てて、相手は飛びすさっている。あわてて隼人は飛び込んだ。相手の武士の光る瞳が目の前を星のように流れた。
「堀田さん!」
隼人は、濡れた柳の幹を背にして愕然《がくぜん》としていた。
「冗談《じようだん》じゃねえ」と、蜘蛛の陣十郎は頭巾《ずきん》をかぶった儘《まま》でいった。
「私ですよ」
「…………」
「なんになります。こんなことが?」
隼人の手にある刀身が白く光った。雨の中を真黒な獣物《けだもの》のように躍り込んで来た。その腕を、陣十郎は抱き込んでいた。
陣十郎の目には怒りが燃えていた。
「気違え……だなあ。無駄じゃありませんか? ……気の毒なおひとだ。もうお目にかかりませんぜ。私ア旅に出ます。ちょいと躯がいそがしくなってね」
陣十郎は隼人の刀を持ったまま、傘を拾いに行った。
隼人は、突っ立っていた。雨が降りそそいでいる。紙のように無表情で白い顔色だった。
「達者でお暮らしなさいよ。人間、自暴《やけ》になってはいけません。お互い、早く生れ過ぎたと思うことでさあ。あせったところで、どうとも出来ませんや。石が動き出すまではね。いつまで、こいつが動かずにいますか……帰ったら、なにに宜《よろ》しくおっしゃっておくんなさい。では左様なら……だ」
その後のことは杳《よう》としている。
蜘蛛の陣十郎は呂宋《ルソン》へ渡ったという説を立てる者があるが、その真偽は言明出来ない。堀田隼人がお仙とともに、相模《さがみ》の小坪《こつぼ》の寺で心中《しんじゆう》したことだけは事実だ。今でも、南の海に向った石段に椿《つばき》の老木が枝を垂れている寺である。
この作品は昭和三十九年一月新潮文庫版が刊行された。