痕〜きずあと〜
リーフ原作
前薗はるか著
水無月徹原画
パラダイムノベルス
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)むっと鼻につく、生臭い匂《にお》い。
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)心の表面へ|這《は》い出ようとするのを、
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)[#ここから目次]
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[#ここから目次]
目次
Purologue 41行
第1章 予兆    153行
第2章 面影    769行
第3章 衝動   1353行
第4章 記憶   1977行
第5章 疑惑   2697行
第6章 錯綜   3337行
第7章 正体   3953行
第8章 結実   4923行
[#ここまで目次]
Prologue
出セ
声。
耳には聞こえない声。
体の奥から響いてくる、声。
出セ
オレヲ ココカラ 出セ
獣のような息づかい。
むっと鼻につく、生臭い匂《にお》い。
――いや。そうじゃない。
幻覚だ。そんな気がしているだけ。それだけだ。
俺は、夢を見ているのだ。
そう。これは夢だ。俺は、悪夢を見ている。
フローリングの張られた部屋。家具らしい家具もない殺風景な、寒々しい部屋。灯りさえない部屋の隅で俺は自分の体をきつく抱き、必死に菌を食いしばっている。
俺の内側――心の奥底に押しこめられている化け物が外へ、心の表面へ|這《は》い出ようとするのを、俺は懸命に押しとどめているのだ。
血。
|迸《ほとばし》ル温カイ血液。
湯気ノタツ 柔ラカナ内臓!
ぞろり、とそいつが長い舌で口の周りを|舐《な》める。|唾液《だえき》が湿った音を立てた。
ぞくりとする感覚に俺の体は震えた。
全身が熱い。心臓がすさまじい速さでビートを刻む。次々と押し出される血液が血管を限界まで押し広げる。
割れるような頭痛――。
きつく唇を|噛《か》んで、俺は懸命に耐える。
これは夢だ。俺は夢を見ているのだ。
朝が来れば――この夢から覚めさえすれば……。
クク……
ククク……
|嘲笑《ちょうしょう》。
無駄ダ
オレハ 自由ヲ トリ戻ス
必ズ!
奴の求めているものが脳裏にひらめく。
太く力強い腕をのばして、逃げまどう男の腕を引きちぎり、果物かなにかのようにあっさりと首をねじ切ってむしり取る。噴水のように噴き出した鮮血を|哄笑《こうしょう》とともに浴び、生温かい血の匂いに|恍惚《こうこつ》と全身を震わせる。
|殺戮《さつりく》の興奮は、極度の性的興奮に結びつき、下半身を岩のようにかたく充血させる。
そして今度は女を、腕力ではなく|股間《こかん》のイチモツで思うさまに引きさくのだI。
恐怖に顔を|歪《ゆが》めた女。たっぷりと揺れる乳房を俺の巨大な手が握りつぶす。女はぴくりと身をすくませる。だがもらす吐息は苦痛のそれだけではない。女の意志とは裏腹にうねり始める腰。すりあわされる太もも。匂う。女のあそこからにじみ出る濃密な汁。
懸命に閉じようとする|膝《ひざ》をぐいと左右に押し開く。ぱっくりと開いた肉の唇になみなみと満たされた|密《みつ》――。
俺は口をつける。音を立ててすすり上げる。女がひきつれたような声をあげる。あっ、あっ、あっ、あっ……。
言葉はない。ただ乱れた声だけが響く。それはやがて絶叫となり、髪をふり乱して悶える女は両脚を限界まで開き、濡れそぼった陰部をつき上げて揺らす。
俺はにたりと笑って、怒張したペニスをゆっくりと女の肉に沈めて…………
――…………!
ちがう!
これは――これは奴の欲望だ。俺のじゃない。
ああ、ちくしょう――朝は、朝はまだ来ないのか! 早く……早く俺をこの悪夢から連れ戻してくれ……!
ククククク……。
奴が笑う。
黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!
俺は両手で耳を覆い、激しく頭を振る。
これは夢だ。ただの夢だ。夢なんだ。夢にすぎないんだ!
クク……
ククククク…………
アーツハッハッハッハッハッハッハ!
奴が狂ったように笑う。
バカメ!
第1章  予兆
「うわあああぁぁぁぁぁっ――!」
「きゃ……つ!」
ちいさな悲鳴に、俺ははっと我に返った。息を飲んだ千鶴さんの額が目の前にある。
「ど……どうしたんですか? 耕一さん」
「あ――ご、ごめん」
俺は千鶴さんから目をそらして、ちょっと頭をかいた。
「何でもないんだ。ちょっと、夢を見てて」
まったく、どうかしてる。寝ぼけて大声を出すなんて、ハタチの男がやることじゃない。しかも、よりによって千鶴さんの目の前で……。ああ、情けない。
それにしても……また、あの夢だった。これで三日連続だ。この家に泊まりに来てから毎晩ってことになる。夢の中身も相当問題があるが、たて続けに同じ夢ってのは……。いったいどうしたっていうんだろう。
「そんなに、こわい夢だったんですか?」
千鶴さんは首をかしげて俺の顔をのぞき込んできた。
「え、いや、別にそういうわけじゃ……」
急にアップになった顔に俺は焦って、急いで目をそらす。
健康なハタチの男の起き抜けに千鶴さんのアップってのは、非常に毒だ。そうじゃなく
たって元気に|朝勃《あさだ》ちしてるってめに、おさまらなくなっちまうじゃないか。
千鶴さんは俺より三つ年上。本家の長女で、今は相木家の当主でもある。おっとりしたタイプの美人だが、それでもあまり「大人の女性」という感じがしないのはまだ社会に出て目が浅いせいと、本人のいたって無邪気な性格によるものだろう。
「そんなに気にしないでよ。まあ、ちょっと気味の悪い夢だったけど、ただの夢だし」
「気味の悪い夢? どんな夢だったんです? よかったら話してくれませんか。わたし大学で心理学やってましたし、何かお役に立てるかもしれません」
「うん……」
俺は生返事を返した。正直云って、あんまり女性に聞かせたい内容じゃないんだよなあ。でも千鶴さんも気をつかってくれてるわけだし、むげに断るってのも……。
迷った末に、俺は差し障りのなさそうな部分だけを話すことにした。
「まあ、変といえば変な夢なんだけど。夢の中でね、俺、自分が夢を見てるんだっていうのを自覚してるんだ」
「明晰夢《めいせきむ》と云うんですよ、そういうの」
千鶴さんはにこりとする。へえ……ちゃんと心理学ではそういうのは分類されてるんだな。明晰夢、か。覚えておくことにしよう。
「それで?」
「あ、うん。そうだなあ。こう……自分の中に変な化け物がいて、それが外へ出て釆よう
としてるのを必死におさえこもうとしてる、つていう、そういう夢」
おれはつとめてかるい口調でそう云った。
「化け物?」
千鶴さんは首をかしげた。心なしか、なんだか表情がこわばったようだ。
「うん。なんて云うのかな、破壊衝動っていうの? こう、めちゃくちゃに暴れたい、みたいな――そういうことを叫んでる奴が心の中にいるわけ」
「その……衝動って、たとえば、人間を殺したい、とか?」
千鶴さんがそのものずばりを云い当てたので俺はどきっとした。一瞬、答えにつまる。
「そうなんですね――?」
俺を問い詰める千鶴さんの日は恐ろしく真剣だった。思わず俺は唾《つば》を飲んだ。
「う……うん……」
「その夢……今日はじめて見たわけじゃないのではありません?」
「あ、ああ……。これで、三日、かな。ちょうどこっちに来てから」
「夢を見るたびに、どんどん自分の理性が圧倒されていくような――?」
「うん、そう……」
こんな表情の千鶴さんを見るのは初めてだった。ひどく険《けわ》しい表情。気圧されて、思わず俺は素直に質問に答えてしまう。
「そうですか……」
千鶴さんは口もとに手をやって、何ごとかを考えこんでいる様子だった。指の下で唇がかすかに動いて、「やっぱり……」とつぶやいた。
「やっぱり? やっぱりって、千鶴さん、それどういう……」
千鶴さんははっと目を上げて俺を見た。明らかに、顔が「しまった」と云っている。
「あ、いえ、その……」
ごまかし笑い。ちょ……ちょっと待てよ。
「なに? 云ってよ。俺の夢のことでしょ? なんかマズい精神病とか、そういうこと?」
「あ、いえ……。全然、そんなことじゃないんですよ」
千鶴さんは慌てて顔の前で手を振る。
「その……あんまり、類型的だったので」
千鶴さんはにっこり笑った。なんだか――やっとどんな表情をすればいいのかがわかった、という感じの安堵がまじっているような、どこかぎこちない笑顔。
「わりとよくある例なんですよ、耕一さんぐらいの年だと。将来への不安とか、おさえこんでいる欲望とかが、深層心理を圧迫してそういう形で出ることが多いんです」
「それで、こうだろうとあたりをつけて質問してみたらそのとおりだった……?」
「え、ええ! そう、そうなんです」
千鶴さんはやけにほっとしたように大きく|頷《うなず》いた。
そう……なのか。
だけど――それにしちゃ、さっきの千鶴さんのあの表情は……。それに、今のほっとしたような顔も。なんだか、何かをごまかされてるような気がしてならない。
「あの……千鶴さん」
それを問いただそうとした時だった。
「耕一ッ!」
スパーン! と障子が引き開けられ、威勢のいい声が部屋に飛び込んできた。
「何やってんだよ、千鶴姉もっ!」
千鶴さんがようやく思い出したという顔でぽんと手を叩《たた》く。
「そうだったわ。耕一さん、朝ごはんのしたくができてるんです」
「ち〜づ〜る〜ねえ〜〜〜つ!」
わなわなと震える声。次に起こる事態を察して、俺は両手で耳をふさいだ。
「|そ《・》|れ《・》云いに出てってから何十分たってると思ってんだよっっっ!」
「ごめんーーー梓あー」
俺はがっくりと肩を落としてため息をついた。気が抜けた。これじゃもう千鶴さんの不審な表情の追及なんてできやしない。
ぶんむくれた顔で千鶴さんと俺とを交互に睨《にら》みつけているのは、千鶴さんのすぐ下の妹、次女の梓だ。いかにもきかん気そうなきつい顔だちに思いきりよく切られたショートカットがじつに似合っている。そのくせセーラー服の上からエプロンをつけて片手におたまを持っているのがアンバランスでもあり、逆に似合ってもいるから不思議だ。
「耕一っ! さっさと顔洗って食事済ませちゃってよね! 片付かないだろ! あたしはあんたと違って学校あるんだ! 遅刻させる気かよ!」
「あ……悪い」
そうだった。この隆山温泉ではほかに並ぶもののない大企業、|鶴来《つるぎ》|屋《や》グループを牛耳る柏木の本家には、じつは一人のお手伝いさんも雇われてはいないのだ。掃除と洗濯は四人の姉妹が当番制で、そして食事はこの梓がほとんど一人でとりしきっている。
「わかったよ、すぐ行くから。先にいっててくれ」
そう云いながらもふとんを出なかったのは、いくらイトコとはいっても朝勃ちにもっこりふくらんだトランクスの前を見られるわけにはいかないからだ。二人を部屋から追い出し、俺はおれは短パンとTシャツに着替え、洗面所で顔を洗ってから居間へいった。
「あ、耕一おにいちゃん。おはよう」
おれを見てにっこりしたのは初音ちゃんだった。姉妹の四女で、末っ子の高校1年生だ。もう食事は終えてしまって、お茶を飲んでいたらしい。ちゃぶ台の上には、俺のものなのだろう、一人ぶんの食器と卵焼きを添えた焼き魚の皿が乗っているだけだった。
「ちょっと待っててね。今、おみそ汁あっためてきてあげるから」
「あ、ありがと」
初音ちゃんはにこっとして身軽く立ち上がり、ばたばたと足音をさせて台所へ出ていった。相木の本家は実際は相当に巨大なお屋敷なのだが、姉妹それぞれが寝室につかっている部屋とおれが借りている客間、この茶の間と|襖《ふすま》で仕切られている仏間以外は使われていない。事業は大きく、しかし生活はつつましく、が鶴来屋の初代――俺たちのじいさんの信条だったらしい。じいさんが死んでずいぶんになるが、今でも本家の娘たちはこの習慣を守っている。
「耕一さん、お茶どうぞ」
千鶴きんが湯沸かしポットから急須《きゅうす》にお湯を注いで、お茶をついでくれる。梓は俺を待たずにほかの食器を洗っているのだろう。台所からかちゃかちゃという音が聞こえてきている。初音ちゃんも台所で|味噌《みそ》汁《しる》をあたためてくれている。
――一人、顔ぶれが足りない。
「あの、千鶴さん……。楓ちゃんは?」
千鶴さんにきくと、千鶴さんも首をかしげた。
「楓? さあ……自分の部屋にいるんじゃないかしら」
ここへ来て三日、俺は家族全員が揃《そろ》う夕食どきを除いて三女の楓ちゃんの額をまるで見ていない。というより、かなり露骨に避けられている気がする。今だって、初音ちゃんは
お茶を飲みながら俺を待っていてくれたのに、楓ちゃんの姿はどこにもない。
嫌われているんだろうか。いや、たしかにイトコとはいっても十年ちかく顔を合わせてなかったし、そういう意味では見知らぬ他人がいきなり家にあがりこんで来たも同然といえば同然なのだ。
じっさい、久しぶりに会って、一番印象がかわっていたのは楓ちゃんだった。俺の記憶の中では、他の姉妹たち同様よく笑う明るい子だったのだが、今の彼女は沈んだ暗い瞳をした、ひっそりとした静かな少女だ。ほかの三人がほとんど昔と変わっていなかっただけに、楓ちゃんの変貌《へんぼう》には驚いてしまった。
「おにいちゃん、お待ちどおさま」
一点の曇りもない明るい笑顔と声で、初音ちゃんが戻ってくる。四人姉妹の末っ子というせいもあるのだろうが、初音ちゃんは絵に描いたように理想的な「妹」そのものだ。千鶴さんのものとは壷たちがった無邪気な笑顔は見ただけで心があったかくなる。
俺は初音ちゃんに味噌汁とごはんをよそってもらい、「いただきます」と食卓に手を合わせた。焼き魚は冷えてしまっていたが、ほどよく脂が乗っていて、焼き具合も絶妙だ。ほんとうにうまい魚は、冷えてもうまい。卵焼きもたっぷりだしが入っていて、しかも焦げずにふんわりと焼けている。
「おいしい?」
にこにこと初音ちゃんがのぞきこんでくる。俺は素直に頷いた。
「うまいよ」
「……だって。よかったねー、梓おねえちゃん」
初音ちゃんの視線を追って目をあげると、ほかの洗いものを終えたらしい梓がちょっと照れたような顔でそっぽを向いて立っていた。
「あ……熱いうちに食べればもっとおいしいんだよ。明日は待っててやらないからな。ちゃんと起きろよ」
「わかったよ。せっかくの梓の料理だもんな」
からかうと梓は真っ赤になった。こいつ、自分の料理の晩には結構自信を持ってるくせして、ほめると思いっきり照れるのだ。ふだんがまるで男のようにがさつで言葉遣いも乱暴な奴だけに、女らしいところをほめられるとひどく居心地が悪いらしい。
「は、早く食えよっ! 学校遅れちまうだろっ」
「はいはい。ゆーつくり味わって食いますよ」
「ば……ばかっ」
梓は溶岩のように真っ赤にゆであがって、どすどすと茶の間を出ていってしまった。根はじゅうぶん女らしいんだから、それらしくすりゃ照れることもないだろうに、まったくかわいい奴。
「耕一おにいちゃん、ほんとに梓おねえちゃんと仲いいよねー」
くすくす笑って初音ちゃんが云う。俺もにやっと笑って 「まあね」と答えた。梓をからかうのは、心安いからだ。もちろん初音ちゃんもかわいいと思っているし、それを云うなら楓ちゃんだってそうだし、千鶴さんも――千鶴さんだけは年上で、美人なだけについ意識してしまってちょっと距離をとってしまうのだが――大切なイトコだ。だが梓は姉妹の中で一番の元気もので、昔から俺にとっては半分、弟のようなものなのだ。だからつい遠慮なくからかったりこづいたりしてしまう。
「さて、と。あたし、そろそろ行かなくっちゃ」
俺がちょうど「ごちそうさま」と箸《はし》を置いたころ、初音ちゃんは時計を見て立ち上がった。梓、楓ちゃん、初音ちゃんの三人はそれぞれ別々の高校に通っていて、初音ちゃんの
学校が一番遠い。だから、登校のために家を出るのは初音ちゃんがいつも最初だ。
「そのへんまで送ってくよ」
「え、いいの?」
俺が腰を浮かせると、初音ちゃんはぱっと笑顔になった。ほんとうに素直な笑顔だ。まさに天使の笑みと云っていいだろう。
「もちろんいいさ。行こうか」
「うん!」
初音ちゃんがうれしそうに頷く。俺は初音ちゃんを促して、家を出た。
九月に入っていたがまだ気温は夏のものだ。うるさいほど空気を満たしている蝉《せみ》の声だけが、秋が近づいていることを予感させる。
「おにいちゃん、今日はどうするの?」
弾むような足取りで俺と並んで歩きながら、初音ちゃんが見上げてくる。俺は頭の後ろで手を組み、空を見上げた。いい天気だ。
「そうだなあ。これといってすることもないし……どうしようかなぁ。温泉につかって、はぁ〜、極楽極楽、なんて云ってるようなトシでもないし」
初音ちゃんはくすくす笑う。狙《ねら》いどおりだ。
「どっか、観光の穴場みたいなとこ、知ってる?」
「んー……そうだなあ。あ、お寺にはもういった? うちのご先祖のお墓もあるんだけど、すごく古くで由緒のあるお寺なんだって」
「へえ」
じっさい、このあたりは温泉が出るぐらいしか特徴のない保養地だ。じいさんの長年の尽力でそれなりにレジャー施設も整ってはいるが、基本は温泉宿。観光といってもたかが知れている。やはり、こういう土地に来たら郷土史研究家とか民俗学者にでもならないとヒマはつぶせないだろう。
「そうだな、いってみようかな、昼間」
「何時ごろ帰ってくる?」
「え? そんなに長居はしないと思うけど」
いくら由緒正しい寺だといってもどうせ見られるものは限られているだろう。今日一日、いや半日がつぶせればいいところだ。
「じゃあ――」
初音ちゃんは探るような上目づかいで俺を見る。
「わたし、夕方前にはうちに帰るから――そうしたら、一緒に遊んでくれる?」
――なんだ。俺の予定を聞いたのは、そういうわけか。きっと、俺に気をつかって言い出せないでいたのだろう。けなげだなあ。
「もちろん、いいさ。何して遊ぶか考えといてくれよ」
「……うん!」
輝くような笑顔。なんて……なんてかわいいんだ! 初音ちゃん、きみのその笑顔のためなら耕一おにいちゃんは何だってしてあげちゃうぞ!
――といっても、きっと初音ちゃんにとっては俺は永遠に「耕一おにいちゃん」なんだろうなあ……。それを考えるとちょっと残念だ。
「おにいちゃん……。わたし、ほんとうはずっとおにいちゃんのこと……」
なんて頬《ほほ》をバラ色に上気させて、恥ずかしげにうつむいて、
「おにいちゃん……抱いて! 初音を抱いて!」
なんて思いあまって抱きついてきて、
「わたし……わたし、おにいちゃんにあげたいの……」
なんて泣きそうな顔で目をそらしたりなんか、しないよなあ、きっと。
でもそうしたら俺は
「俺も好きだよ」
なんてささやいて、初音ちゃんのちいさな体をそっと抱き寄せて、ちっちゃくてぷっくらした唇にそっとキスをして、
「恥ずかしい……」
なんてうつむくのをすっぽり抱きかかえて優しく服のボタンを外して……。
「わたし……胸、ちっちゃいでしょ」
「そんなことないよ。とってもかわいい」
「ほん……とう――?」
「ああ、ほんとうさ。ほら、こんなに乳首が立ってる」
まだふくらみきってない小さな乳房にちゅっちゅっとキスをすると
「あ……」
なんて小さな声をあげて身をよじる……。
初音ちゃんの下着は清潔な白一色。布地の上から指先でつうっと割れ目をなぞるとそこはしっとりと|濡《ぬ》れている。
「あっ……。おにいちゃん……」
初音ちゃんは切なそうな声をあげてぎゅっと俺の首にしがみつく。
「濡れてるよ、初音ちゃんのここ」
「いや……云わないで。恥ずかしい…………」
「どうして? 初音ちゃんが俺のこと好きだって証拠だろ?」
そう云いながら、俺は下着の上から割れ目を優しく刺激する。
「あっあっ……いやっ、んん……っ」
初音ちゃんは全身をびくびく震わせて声をあげる。唇を噛んで、懸命に快感をこらえていやいやをする|仕草《しぐさ》と表情がたまらなく初々しい。
「イヤじゃないだろ? 気持ちいいんだろ?」
「あ――あっ、あっ……うん‥…あ、気持ち、いい……」
しだいに初音ちゃんは夢見心地のうっとりした表情になっていって、とろんと全体重を俺に預けてくる。俺は初音ちゃんから最後の一枚を取り去り、まだどんな男の目にさえも触れていない場所にそっと唇を寄せる。
せっけんの香りがほのかに漂ってくるあそこはほとんど無毛だ。おつゆもさらさらしていて、匂《にお》いもうすい。きらきらと光るその粘液を、俺は唇全体で吸う。
「あ……っ」
びくん、と初音ちゃんは体を震わせ、腰を引こうとする。
「だめ……。そんなとこ……きたないよ」
「汚くなんかないさ。初音ちゃんのいちばんきれいな場所だ」
そう云いながら俺は初音ちゃんの腰を引き寄せ、ぺろぺろと丁寧に愛液をなめ取っていく。しかしほとんど無臭の粘液はあとからあとからあふれ出て来る。
少し顔を離すと、俺の唇から初音ちゃんのあそこへと、つうっと愛液が糸を引く。ひくひくと震える花びらのまん中に、小さな|花芯《かしん》がかたく隆起している。
「あ、いや……恥ずかしい……見ないで」
頬を真っ赤に染めて初音ちゃんは顔をそむける。
「きれいだよ。すごくかわいい」
俺は舌先で充血したクリトリスをゆっくりとなめあげる。初音ちゃんの体は電流を流されたように激しく震え、長く切なげな喘《あえ》ぎ声がもれる。
小さなクリトリスはまだおさなくて、包皮をかぶったままだ。俺は包皮ごとそれを唇ではさみこんで、こしこしと力を加える。
「くふっ……! あっ、だめっ、それだめえぇつ!」
初音ちゃんは泣き出しそうな声をあげて身をよじる。しかし俺は初音ちゃんの腰をおさえこんだまま、何度も何度も同じ刺激を最も敏感な場所にくわえ続ける。
しだいに、初音ちゃんの腰が揺れ動いてくる。
「ああっ! おにいちゃん……つ! だめ、だめっ、わたし、わたしへンになっちゃうっ!」
初音ちゃんは声を抑えようと口もとに手をあて、白い歯を指に食いこませる。
「ほしい? 初音ちゃん。俺がほしい?」
「あ……ああ――おにいちゃん……おにいちゃん……ちょうだい! 初音に、おにいちゃ
んのをちょうだいぃ……!」
初めて体験するめくるめく快感に初音ちゃんは忘我の状態に陥り、そして俺はこれ以上ないほど|昂《たか》ぶったムスコを、ゆっ、くりと初音ちゃんの中に……。
「痛いかい?」
「ちょ……っと…………。でも、大丈夫。おにいちゃんだから……我慢する」
唇を噛んで、初音ちゃんはけなげに処女喪失の痛みに耐える。俺は極力初音ちゃんを苦しめないようにゆっくりと挿入し、そして静かに腰を揺らしはじめる。
「あっ……」
「痛い?」
「ん……ちがうの。なんか…………なんかへン……」
怯《おび》えた表情で初音ちゃんは俺に抱きついてくる。
「あ、どうしよう……なんか……あ、あ――」
「大丈夫だよ、初音ちゃん。こわくないから。俺に任せて」
傷ついた処女膜をなるべく刺激しないように、俺は小刻みに腰を前後させる。そのたびに初音ちゃんの体には激しい痙攣《けいれん》がはしり、そして――
「ああっ! おにいちゃん、おにいちゃんっ! わたし、わたし――!」
ぎゅっと初音ちゃんの襞が収縮し、はじめての絶頂を迎えるとともに俺も――。
「おにいちゃん?」
「わっ!」
目の前にいきなり初音ちゃんの顔がアップで映し出されて俺は思わず飛びすさっていた。心臓が思いっきりばくばく云っている。
「は、は、は、初音ちゃん!」
「どうしたの? 急に黙りこんじゃって」
何も疑っていない、清らかな瞳をきょとんと見開いて、初音ちゃんは首をかしげる。
ああ――俺は、俺はなんて男だ! こんな、天使のような少女を相手に、しかもこんな朝っぱらの路上でなんて妄想に浸っているんだ!
「いや、その、な、なんでもないんだ、うん」
云えるもんか、こんなこと。
「ちょっと、考えごとだよ。うん」
――嘘《うそ》じゃないぞ。うん。決して、嘘では、ない。
「考えごと? どんな?」
「あ、いや、その――」
頼む、つっこまないでくれ。
いや待てよ。
ちょうどいいチャンスじゃないか。
「いや、実はね――」
俺はちょうと苦労して表情を引きしめ、まじめな顔をした。
「楓ちゃんのことなんだ」
そう、俺は本当は初音ちゃんにこの話が聞きたかったのだ。
「楓おねえちゃん?」
俺が神妙な顔をしたからか、初書ちゃんも真顔になって聞き返してくる。俺は頷いた。
「楓ちゃん、俺のこと嫌ってるんじゃないのかな。なんか避けられてるみたいで。楓ちゃん、昔とずいぶん雰囲気違っちゃってるしさ。どう接していいのかわからないんだ」
「そんなこと……ないよ」
初音ちゃんはそう云ったが、表情は沈んでいた。
「楓おねえちゃん……たぶん、つらいんだと思う。耕一おにいちゃん、おじちゃんによく似てるから。おじちゃんのこと、思い出しちゃうんじゃないのかな」
「|親父《おやじ》? 似てる? ……俺が?」
それは意外な言菜で、俺は思わず聞き返してしまっていた。初音ちゃんはこくんと頷く。
「似てるよ。ちょっとした表情とか、しぐさとかね。わたしも、時々、どきっとする」
一瞬、初音ちゃんが泣き出すんじゃないかと思った。
俺はどんな言葉をかけていいかわからずに、初音ちゃんから目をそらした。
親父は――そんなにも、彼女たちにとって大きな存在だったのか。
俺と親父の縁は薄い。俺の感覚としては、親父というのは血と戸籍の上でしかつながりのない存在だ。
八年前。初音ちゃんたち姉妹の両親、つまり俺の伯父夫婦が自動車事故で帰らぬ人となった。残された鶴来屋グループを継ぐべき長女の千鶴さんはまだ当時十五歳。とても企業を経営できる年齢ではなかった。その千鶴さんの後見人として、彼女が成人するまでの間、グループの経営を引き継いだのが、親父だったのだ。
もちろん、後継者となる直系の人間がまだ未成年だったのだから、事業を弟である親父が引き継ぐのは自然なことだ。ただ親父は俺と母さんを東京に残して実家――ここ隆山温泉の本家へ戻った。俺と母さんは、親父に捨てられたのだ。親父は一度も東京へ戻っては来なかった。あれ以後、俺が親父の顔を見たのは一度だけ―一昨年、母さんが急病で他界した、その葬式の席だ。
急病だったから間に合わなかったのも仕方のないことだったかもしれないが、俺たちを東京に置き去りにしさえしなければ、母さんの最期を看取ることはできたはずだ。
親父は独りになった俺に、本家へ来ないかと云ったが、俺は断った。大学に入ったばかりだったし、今さら親父づらをするな、という気分だったのだ。
幸い、母さんの実家が卒業までの学費や生活費を援助してくれることになった。それきり俺から親父には連絡はしなかったし、親父も何も云ってはこなかった。俺と親父の縁は、そこで切れた。少なくとも、俺にとっては。
だから、親父に似ていると云われるのは、俺にとって少なからずショックだった。そし
て、俺の表情やしぐさに親父を見てしまう姉妹と親父の強い|絆《きずな》も。
俺と母さんは捨てたくせに。
ほんの少しだけ、そう思ったが憤りはなかった。もうすでに、それほど親父は俺にとっては遠い存在でしかないのだ。
その親父は、ちょうどひと月前に死んだ。伯父夫婦同様、自動車事故だった。それも、泥酔した状態で運転をして、ハンドルをあやまって崖《がけ》から転がり落ちるという、非常識極まりないばかな死にざまだ。あまりにばかばかしくて、俺は葬式にも参列しなかった。親父のためにこんな田舎まで出向いて来るのはまっぴらだと思ったのだ。
ただ、千鶴さんがせめて納骨には立ち会ってくれと、四十九日までの何日かだけでも、親父のそばにいてやってくれと、そう云ってきたから――大学もまだ休みだったし、三日前にこっちへ来た。親父のためじゃない。残されたイトコたちのために、だ。
まったく――ばかな親父だ。そんなにイトコたちをかわいがってたんなら、酒なんか飲んで運転するようなふざけたマネなぞしなきゃいいんだ。そうすれば、初音ちゃんにこんな顔をさせることも、楓ちゃんをあんなにふさぎこませることもなかったろうに。
「おにいちゃん――」
無理に笑顔をつくったように、初音ちゃんは笑った。瞳がちょっと濡れていた。
「楓おねえちゃんのこと――できたら、慰めてあげて。きっと、おねえちゃんも、おにいちゃんのこと大好きだから」
「うん」
俺は深く頷いた。
さっき心の中であんな不届きな妄想をしてしまったことを、俺は全身全霊で恥じた。
この子も――ただ素直で純粋なだけじゃないんだ。親父に死なれた心の|痕《きずあと》を隠して、明るくて優しくて素直な「末っ子」の役割を演じているんだ。そんなことにも気づいてやれなかった。なにが「おにいちゃん」だ。
「帰ってきたら、一緒に遊ぼうな」
せいいっぱい優しく云うと、初音ちゃんは「うん」と頷いた。
「ここでいいよ。すぐそこがバス停だから。――いってきます」
初音ちゃんはくるっときびすを返して、バス通りのほうへ小走りに走っていった。泣きそうな顔を見られたくなかったのだ、きっと。
俺は初音ちゃんの姿が角を曲がって見えなくなるまで見送り、ひとつため息をついた。きっと、初音ちゃんや楓ちゃんだけじゃない。千鶴さんも、それから梓も。みんな心の痕をじっとこらえているのだ。俺にそれを見せまいとしで明るく振る舞っているだけなのだ。
目に見えるものだけがすべてじゃない。
ふいに、蝉の声が耳についた。
今日も暑くなるのだろうか。
ちらりと空を見上げ、俺は屋敷への道を引き返しはじめた。
第2章 面影
門の前に草が停まっていた。黒塗りの高級車。鶴来屋グループの車だ。千鶴さんを迎えに来たのだろう。運転席の男がかるく俺に会釈を送ってくる。俺も会釈を返して、門をくぐった。
「あ、おかえりなさい、耕一さん」
千鶴さんはちょうど玄関で靴をはこうとしているところだった。梓と楓ちゃんはもう登校したのか、初音ちゃんを送って出る時にはあった靴がなくなっている。
「ごめんなさい、じゃあわたし行ってきますから。――耕一さん、今日は?」
「ごろごろしてるのもナニなんで――街をぶらぶらしようかと」
「何もない街ですものね、退屈でしょう。ほんとうはおもてなししなくちゃいけないのに、ごめんなさいね」
「いいですよ。別に俺は客なわけじゃないんだから。家族同様だって云ったの、千鶴さんでしょう」
それは、俺を迎えた時に千鶴さんが最初に云った言葉だった。自分の家と家族だと思って、楽にしてくださいね、と。千鶴さんはくすっと|微笑《ほほえ》む。
「そうだったわね」
「そうそう。だから、気をつかったりしなくていいですよ」
ほかの意味もまじえた言葉だったが、千鶴さんには通じたかどうかわからなかった。
「さっき、初音ちゃんに聞いたんだけど、古いお寺があるんだそうですね」
何気なくそう云うと、ふいに千鶴さんの表情がこわばった。
「え……ええ。街外れの、山の上に」
「なんでもけっこう由緒のあるお寺だって聞いたから、あとでちょっと行ってみようかなと思って」
千鶴さんはなぜか俺と視線を合わせるのを避けた。
「ただの、古いお寺ですよ。たいして、見るものもないと思いますけれど」
その口調からは、遠回しにではあったが俺をそこへ行かせたくない、という思いがありありと感じとれた。
いったい、どうしたというのだろう。今朝、夢の話をした時といい、今といい、今日の千鶴さんはどこか変だ。
「千鶴さ――」
俺が口を開こうとした時だった。
「お邪魔しますよぉ」
どこか間延びした声がして、玄関の戸がからりと開いた。
「どぉも」
千鶴さんの顔を見てなんだかカンにさあるうすら笑いを浮かべたのは、見たことのない中年の男だった。あまりいい人相ではない。
盗み見ると、千鶴さんの表情はいくらか険《けわ》しく緊張したようだうた。
「おはようございます」
拒絶の響きを含んだ、事務的な声。男はそれを平然と聞き流して、またへらりと笑った。
「どうもすいませんねえ、朝早くから。ちょっとこちらに伺いたいことがありましてね、寄らせてもらったんですよ」
「何でしょうか。わたし、出社の時間なんですが」
「ええ、ええ、わかってますよ。ちょっとだけ。そうお時間とらせませんから」
す、ともう一つ人影があらわれて、入り口をふさぐような形で戸のすぐ内側に立った。こっちは、中年のほうよりはずいぶんとましな、ぱりっとしたスーツに身を包んだ若い男だ。銀縁のメガネの奥から、神経質そうな瞳でこちらを見ている。
おや、と俺は思った。
この若いほうの男――どこかで見たような気がする。
いや、ちがう。俺はこんな男には会ったことはない。けっこう記憶力はいいのだ。だが、なんだろう――俺はこいつを知っている、そんな気がする。
「おや、見慣れない方ですなあ」
中年がこっちを見る。
「たしか、おたくはお嬢さんばかり四人でお住まいだったと思ったんですが。あ、いやいや、|野暮《やぼ》を申しましたかな?」
下世話な野郎だ。俺はむっとしたが、黙っていた。
「それをお聞きになりにいらしたのですか」
千鶴さんも男には好意的な態度は見せなかった。中年は人をばかにしたようなしぐさでひょいと肩をすくめる。
「いやぁ、そういうわけじゃあないんですが。素性をおっしゃれないような方だと、そう解釈させていただいてよろしいわけで」
いやらしい云い方をしやがる。千鶴さんも同じことを考えたようだった。ますます表情を硬くして、男を見下ろす。
「親戚《しんせき》です。お話はそれだけですわね。お引き取りくださいな」
「きついなあ、お嬢さん――」
男はまるでこたえた様子もなく、うすら笑いを浮かべる。人をいらいらさせる顔だ。
「たしか、ご親戚というと、先日亡くなられた叔父上にお子さんがお一人。ほかにはいらっしゃらなかったと記憶してますが。その方ですか」
「ご用件はなんでしょう」
千鶴さんは冷たく返す。……俺なら、千鶴さんにこんなふうに拒絶されたら即座に東京に逃げ帰りたくなるだろう。そういう意味ではこの中年男、相当にしたたかだ。相変わらずうすら笑いを浮かべて質問をひっこめた。
「いや失敬。どうも職業がら、細かいことが気になるタチでして。じつはですね、先日の――柏木賢治氏の事故を、わたしども調べなおしておりまして」
|親父《おやじ》の? 俺は思わず中年の顔をまじまじと見てしまった。
調べる、ということは警察だろうか。それとも保険会社の人間か? さもなければ探偵だが―ー探偵を雇ってまで親父の事故のことを調べる必要のある人間などいないだろう。
「どういうことでしょうか」
千鶴さんはかろうじて平静を保っていたが、動揺しているのは明らかだった。握りしめた指先が白い。
「ええ、まあ、そのですね――」
男はにやにやしながら話を引き延ばす。
「まあ、ぶっちゃけた話、鑑識のほうから、あれは事故じゃないんじゃないかという報告がねえ、ありまして」
「と、おっしゃいますと」
千鶴きんの緊張が俺にまで伝わってくる。俺は思わず千鶴さんの手をぎゅっと握ってあげたくなった。
「簡単に云いますと、賢治氏はただの事故死じゃなく、自殺したんじゃないのか――むしろ、殺害されたんじゃないのかと」
びくっ、と千鶴さんの体がこわばった。
「誰に……ですか」
「誰に、なんてそんな、お嬢さん、それがはつきりしてたら調査なんてしてないで逮捕状とってますよ」
男はにたにたと笑う。
「わたしゃあくまでそういう可能性があるので調査してる、と、こう申し上げただけですがねえ。つまりお嬢さんは、賢治氏が殺されたんじゃないかという話を聞いてやはりそうだったかと、納得できるわけですかな」
「叔父が殺害されたのじゃないかとおっしゃったのは、刑事さんですわ」
千鶴さんは気丈に男を睨《にら》み返す。――刑事なのか、こいつら。警察手帳も提示しなかったが、おそらく千鶴さんとは顔見知りなのだろう。
「そんな話を聞かされたら、いったい誰に、と思うのは家族として当然のことじゃありませんか?」
「ああ、そうですなあ。ええ、まったくそうです」
男はにやにやとあごを|撫《な》でる。きたならしい無精ヒゲがまばらに延びていた。
「まあ、そのへんのことも含めてですね、伺いたいわけですが。どなたか――賢治氏が亡くなって利益を得たような方、思い当たりませんか」
千鶴さんはかぶりを振る。男はさらに親父はふだんから酒をよく飲んだかとか、どういう意味なのか睡眠薬を常用していなかったかなどと訊《たず》ねた。どうやら、誰かに泥酔させられて墜落死させられたのではないかと疑っているらしい。
「――で、そちらにいらっしゃるのは賢治氏のご子息ですね」
ふいに話のほこ先が俺のほうを向いた。観察するような視線に俺はいっそう不愉快になって男を睨みつける。
「人にものを尋ねる態度じゃないんじゃないな、あんた」
「おや、こりゃあ失礼」
まるで恐縮した様子もなく、男はにやつく。
「ご葬儀の折にもお会目しませんでしたな。わたし、県警の長瀬と申します。ええと――」
男はワイシャツの胸ポケットをさぐった。手帳を探しているらしい。
「上着の内ポケットじゃないんですか」
若い方の男がはじめて口を開いた。神経質そうな外見に似合った、ちょっと高めの声だ。
俺はまた奇妙な感覚に襲われた。
たしかに初めて聞く声だ。――だが、俺はこの男を知っている。
「おお、そうだそうだ」
長瀬というらしい中年は上着をひっくり返して内ポケットの位置を探し出し、よれよれの警察手帳を取り出して俺に示した。
「同じく、柳川です」
若いほうがやはり上着の内ポケットから手帳を出す。
「柏木耕一です」
仕方なく、俺も名乗った。
「柏木賢治氏の息子さん、ですな」
「そうですが」
長瀬はふんふんと|頷《うなず》いて、俺と親父の関係について質問をはじめた。別にやましいこともなかったので、俺は親父とは八年前に別居して以来関係を断っていること、一昨年、母さんの葬式の時に顔を合わせただけで最近の親父のことは何一つ知らないと答えた。
「ありがとうございます。いずれまた、必要に応じてお話を同いに来ると思いますが、その時はよろしくご協力いただきたいものです。お忙しいところお時間とらせまして申し訳なかったですね。行こうか、柳川くん」
長潮は柳川を促した。頷いた柳川が一足先に外へ座る。
「ああ、そうそう」
自分も玄関を出かけて、長瀬はひょいとふり返ったゥ
「いかがですか、お仕事のほうは。その若さでいきなり大企業のトップに就くってのは、ずいぶんと気分のいいものなんじゃないですか」
「毎日、勉強をさせてもらっております」
「ははあ。大変ですなあ」
一瞬、長瀬の目が剣呑《けんのん》な光を放った。
「社長さんの給料ってのは、刑事の薄給なんかとは比べものにならないんでしょうなあ。いやいや、失敬失敬。どうも。失礼しますよ」
いやな男だ。千鶴さんが金目当てに親父を殺したんだろうと云いたいってのか。
どこからそんなくだらない発想が出て来るんだ。親父と千鶴さんたちの強い|絆《きずな》を知りもしないで――。
「塩まいてやろうか、千鶴さん」
外の刑事どもに聞こえるように大声で云った俺に千鶴さんは弱々しい笑みを浮かべた。
「気にしてませんから、わたし」
「千鶴さん――」
「もう、行かないと。お出かけになるんでしたら、戸締まり忘れないでくださいね」
まだ朝だというのにすっかり疲れてしまったような表情で千鶴さんは微笑み、三《た》和《た》土《き》に降りた。ふと、顔をあげる。
「あの……耕一さん」
「はい?」
「今のこと……妹たちには、云わないでくださいね」
「あ……ええ。わかってますよ」
親父の死に打ちのめされてるイトコたちに、わざわざいやな思いをさせることはない。俺も千鶴さんに同感だった。
千鶴さんを送り出し、やっぱりどうにも腹がおさまらなくて俺は台所へいき、塩をとってきて玄関先に盛大にまいた。
それにしても――あの男。柳川、っていったか。
なぜ俺はあいつを知ってるんだろう。
観光協会でもらったパンフレットを片手に、俺は|雨月《うづき》寺の山門を見上げていた。見るからにいかにも古そうな、まあ、ありていに云えば今にも朽ち果てて倒れ落ちてしまいそうな|破《や》れ寺だ。
親父の実家だというのに――いや、親父の実家だからかもしれないが――俺は知らなかったのだが、この土地には「雨月山の鬼」という伝説が残っているのだという。
室町の昔、町外れにある雨月山に鬼が棲みつき、狼藉《ろうぜき》の限りを働いた。時の領主、天城忠義は二度にわたって鬼の討伐を試みたがいずれも鬼の圧倒的な力の前にあえなく敗退した。しかしそこに次郎衛門と名乗る侍があらわれ、鬼の討伐を志願して出た。領主ははじめ難色を示したがついに次郎衛門の熱意に負け、三度目の鬼討伐が下知される。そして次郎衛門は見事、討伐隊を勝利に導き、鬼の首領を自ら斬首《ざんしゅ》し隆山に平和をもたらした。
――まあ、割合とステレオタイプの英雄譚だ。少し毛色が違うといえば、英雄が出自の知れない侍だということか。普通、この子の話に出て来る英雄はそれまで注目されていなかった家中でも身分の低い侍だとか旅の僧侶《そうりょ》だとかいうのが一般的なはずだ。
だがそれでも伝説はそう伝えており、その次郎衛門の墓があるのが、今俺の目の前にある雨月寺なのだという。だが、地元の英雄が眠っているにしては、ずいぶんとみすぼらしい寺だ。もっと大々的に「隆山の英雄|終焉《しゅうえん》の地!」だとかぶちあげて、観光名所に仕立てあげることだってできるだろうに。
そうしないのは、伝説の|信憑性《しんぴょうせい》がきわめて低いからか、それとも伝説がまざれもない歴史的事実で次郎衛門の子孫などが今でも厳然と存在していて、観光の目玉として面白おかしく持ち上げるのがはばかられるかのどちらかだが……。桃太郎じゃあるまいし、「鬼」が出てそれを退治したというのはなんだかうさんくさい話だ。
だが、桃太郎の鬼退治だって、そう脚色されているだけで、実際は盗賊団の討伐だったっていう説もある。案外、ここの鬼伝説も似たようなものなのかもしれないな。
そんなことを考えながら俺は山門をくぐった。
「おや。ご参拝ですかな」
穏やかな声にそちらを見ると小柄な老人がにこにこしながらこちらを見ていた。住職なのだろうか。作務衣のようなものを着て手にほうきを持っている。
「|檀家《だんか》の方ではないようですが」
「ええ。鬼の伝説のことを知つたもので……」
そう云いかけて、ふと俺は思い出した。そういえば初音ちゃんがここにはご先祖の墓もあるって云ってたっけ。
「もしかしたら、檀家かもしれないんですけど。親父の実家がこっちなもんで」
「ほう。と云いますと、どちらのお家ですかな」
「柏木といいます。鶴来屋の」
「はいはい」
老住職はくしやつと顔を崩れさせて大きく頷いた。
「じゃああなた、賢治さんとこの」
「息子です」
「はい、はい」
住職はひどく嬉しそうに何度も放く。
「ま、ま、どうぞこっちへ。お茶でもどうですかな」
相木の名前を出したとたんにずいぶんと歓迎されたものだ。だが断る理由もなかったので、俺はありがたくごちそうになることにした。
「伝説の話は、どこまでご存じですかな」
熱い煎茶《せんちゃ》をついだ茶碗《ちゃわん》をさし出しながら住職は聞いた。俺は礼を云って茶碗を受け取り、舌を|火傷《やけど》しないようにずずっとお茶をすする。
「こっちにはほとんど帰って来てなかったものですから。ついさっき、観光協会のパンフレットを見て知ったんです」
「ははあ。そうですか」
住職はなおもにこにこしながら頷く。
「あれがですね、いわば表向きの伝説です」
「表向き?」
「はい」
にこにこと頷いて住職は自分もお茶をすすった。
「柏木の方ですからお話ししますが、当山には次郎衛門から真実を聞いた者が書き記したという古文書が保存されておりますですよ」
次郎衛門から?
じゃあ……
「次郎衛門は実在の人物なんですか」
「はい」
相変わらずにこやかに住職は頷く。……何となく、ちょっとそのにこやかさが不気味に思えてきた。
「ただ、多少障りがございまして、このことは公にはなっておりませんです」
「というと」
つい引き込まれて、俺は身を乗り出していた。住職はずずっとお茶をすすって、にこにこする。
「その記録によりますと、次郎衛門自身も、鬼なのですよ」
「――は?」
意外な言葉に、俺は目をぱちくりさせた。住職はもうひと口お茶を飲んで、頷く。
「お話しいたしましょう――」
そうして、俺は「真説」とでもいうべきもうひとつの「伝説」を聞いたのだった。
次郎衛門は、そもそも伝説にあるような知略にすぐれた人物ではなく、云うなればただの食いつめ浪人だった。それも、二度めの討伐隊に加わっていたのだという。鬼討伐で功を立てれば士官も可能かもしれないという、いたってありがちな理由での参加だった。
しかし討伐隊は惨敗した。そして次郎衛門もその時、瀕死の重傷を負ったのである。
ところが、次郎衛門は命をとりとめた。瀕死の次郎衛門を介抱したのは、なんと鬼の娘だったのである。
鬼の娘はどうしたわけか、次郎衛門に恋をしてしまった。この人間の男を助けたいと思った。しかし次郎衛門の傷は深く、助ける方法はたった一つしかなかった。すなわち自分の血を飲ませ、次郎衛門を鬼の一族にすることだったのだ。
昏睡《こんすい》から覚め、自分の身に起こった変化を知った次郎衛門は愕然《がくぜん》となり、そして次には激怒した。敵に情けを受け、あまつさえその一族にされて生き延びたとなれば、武士としては耐えられない屈辱だったろう。しかしその思いもほどなく変化した。自分を助けてくれた鬼の娘を、次郎衛門も愛するようになったのだ。
だが二人の幸福は、長くは続かなかった。鬼にとって人間は獲物。つまり、家畜とほとんどかあらない存在だ。その人問に血を与え、一族にしてしまったことで娘は裏切り者の烙印《らくいん》を押され、粛正を受けた。殺されたのだ。
次郎衛門は悲しみ、そして絶望した。そして領主のもとへ戻り、再度の討伐を申し出る。同じように娘の死を悲しんだ娘の妹の協力を得て次郎衛門は鬼たちを罠《わな》にかけ、そして全滅させることに――復讐に成功したのである。
次郎衛門は復讐を果たしたのち、自ら額の角を切り落として鬼の力を捨てた。そしてこの地に屋敷を構える。のちにたった一人生き残った鬼の一族――娘の妹を妻に迎えたという。二人で姉娘のかたきを討つうちに、愛がめばえたのだ。
住職から聞かされた話を頭の中で整理しながら、俺は次郎衛門の墓があると教えられた場所をめざしていた。なるほど、確かにあまり公にはできない話だ。結局次郎衛門は半分は鬼で、しかも敵であるはずの鬼の娘を妻にしてこの地で暮らした、つまりは敵の血筋をこっそり残したことになるのだから。ちょっとうがった見方をすれば、逆に次郎衛門は鬼の手先となってこの土地に鬼の血筋を定着させたということにもなるわけだ。
それにしても、どうもこの「鬼」というのがすっきりしない。歴史的事実なのだとすると、「鬼」の正体はおそらく異民族だ。どこからか移民してきたか、何かの事故で日本に漂着したとか。鬼は人間の倍はありそうな巨大な体格をしており、尖《とが》った牙や長く鋭利な爪を持っており、一撃で人間を引き裂く膂力を持っていたというが、そのへんは外国人を見たことのない日本人が体格のいい異民族を見てそう思い込んだだけだろう。
問題は、瀕死の次郎衛門が鬼の娘に血を分けてもらって自分も鬼になってしまったというくだりだ。
単純に考えれば重傷の次郎衛門が手術を受けて、娘の血を輸血されて生き返ったということになるんだろうが、いくら異民族とはいってもそんな医療技術が当時あったとは思えない。それに、次郎衛門自身が「鬼になってしまった」と愕然とするからには、それなりの自覚――「鬼」一族に共通する肉体的特徴が自分にもあらわれたという自覚があったはずだ。物語では「角」となっていたし、住職はその角はまだこの寺にまつられていると云っていたが、どう考えたってあまりにおかしな話だ。
それじゃあ、まるでサイボーグ手術か何かじゃないか。重傷患者を助ける医療技術があったと考える以上に無理がある。
いったい、「鬼」や「角」というのはなんの比《ひ》喩《ゆ》なのか――。
そんなことを考えながら、俺はひょいと墓碑の間につくられた道の角をまがった。次郎衛門の墓は、檀家の墓地からさらに少し奥へ入った場所にあるのだ。
ちょっとした広場のような、灌木《かんぼく》に囲まれた場所がある。中央に墓碑のようなものが立っている。あれだろう。
近づいていくと、墓碑の前に人影があった。しゃがみこみ、手を合わせている。
「あれは――」
つややかな黒髪を肩の上で切り揃えた日本人形のような横顔を、俺は知っていた。
「楓、ちゃん……?」
しかし、なぜ楓ちゃんが次郎衛門の墓に……。
俺は無意識のうちに、数歩、楓ちゃんのほうへ歩み寄っていった。
その時。
強いめまいが俺を襲った。
――ィ……ル
視界が歪《ゆが》む。
エディ……フェル
俺の
いとしい女――
エディフェル。ようやく見つけた。
どれほど、おまえに会いたかったことか。
会いたかった。
抱きたかった――おまえを。
「……こ……ういち、さん……?」
弱々しい声。かすかにもがく感触に俺ははっと我に返った。
「か……楓ちゃん!?」
「痛い……です……。放して……ください」
わずかに眉《まゆ》を寄せた、泣き出しそうな顔が俺の目の前にある。
俺はいつの間にか、楓ちゃんを抱きしめていた。
「ご、ごめん……!」
慌てて両腕を大きく開く。楓ちゃんは身を縮めるようにして俺から散歩後じさった。
「ごめん……ほんとに」
どうフォローしていいものかわからずに、俺はおろおろと楓ちゃんの顔を見る。いったいどうしてそんなことをしてしまったのか、ぜんぜん覚えていない。楓ちゃんが次郎衛門の墓の前にいるのを見て……それから……。
そうだ。何かが聞こえた。なんだうたろう。何か、名前のような……。
思い出せない。
それがなんという名前だったのか、そのあと自分が何をしたのか。気がついたら、楓ちゃんを力いっぱい抱きしめていたのだ。
だけど、そんなことを梱ちやんに云ったところでただの言い訳にしかならない。
「あの……なんて云ったらいいのか」
しどろもどろの俺に、楓ちゃんはうつむいたままちいさくかぶりを振った。
「いいです……」
……嫌われたかな。嫌われた……よな、きっと。そうじゃなくても楓ちゃんには避けられてるんだ。今のでいっそう心証は悪くなったに決まっている。
「ごめん」
「いえ」
聞こえるか聞こえないかの小さな声でかぶりを振ると、楓ちゃんは顔をそむけるようにして俺の横をすり抜けていこうとした。
「――楓ちゃん!」
とっさに、俺は楓ちゃんの手首をつかんでいた。びくっと身をすくめて楓ちゃんがちらりとふり返る。俺は慌てて手を放した。
「ごめん。でも、あの――」
俺は口ごもった。だが今云わなけりゃきっともう云うチャンスはない。
「ほんとに、悪かったよ。でも……頼むから、俺のこと嫌わないでくれないかな」
え、と楓ちゃんはちいさな声をもらした。
「嫌……い……?」
「その……きみ、ずっと俺のこと避けてるだろ。俺たち、イトコなんだしき、そういうの、さみしいから……嫌わないでほしいんだ」
楓ちゃんはうつむいた。口もとに手をあてる。かりっと親指の爪を|噛《か》んだ。
「わたし……嫌いなんかじゃないです」
ためらいがちにもれた、小さな声。俺はゆっくりと息を吸い込む。
「嫌ってない? 俺のこと。ほんとに?」
こくん、と楓ちゃんは轟いた。
「ほんとだね? ――よかったぁ…」
一気に全身から力が抜けていくような気分だった。
初音ちゃんの云ったことは正しかったんだ。楓ちゃんは俺を嫌ってるんじゃない――。
|安堵《あんど》の大きなため息をついて、そして顔をあげるといつの間にか楓ちゃんの姿がなくなっていた。慌てて見回すと、ちょうど角を曲がっていくセーラー服の後ろ姿が見えた。
……ほんとに、嫌われてないんだろうか。
ちょっと不安にはなったが、でも楓ちゃん自身の言葉だ。信じよう。そこまで考えて、俺はふと気づいた。
今日は平日で、今はまだ昼間だ。学校の終わってる時間じゃない。
どうして、楓ちゃんがこんなところにいたんだ? さっき初音ちゃんを送って家へ戻った時にはもう登校していたはずだ。それに楓ちゃんは制服を着ていた。
じゃあ、学校をさぼって……?
いや、それでどこかに遊びにいくというのなら、……まあ、あんまり楓ちゃんには似合わないけれど納得できなくもない。
なんで学校をさぼってまで、次郎衛門の墓になんか来てたんだ?
今夜にでも楓ちゃんと話をしてみようと決めて、俺は次郎衛門の墓に向き直った。
墓地によくある、ふつうの墓とはちょっとちがうが、よくある有名人の墓とそう変わらない墓だった。墓石というよりは卒《そ》塔《と》婆《ば》に近い石碑に何か文字が刻みこんである。数百年の時に削られたのか文字は摩耗していて何と刻まれているのかはわからなかった。
まあ、いちおう墓前だから手は合わせるべきだろう。俺はしゃがみこんで手を合わせた。
――ディ……ル
第3章 衝動
あの少女はいったい、誰だったのだろう。|雨月《うづき》寺を辞して屋敷へ戻る間、俺はずっとそのことばかりを考えていた。
ほんの一瞬だった。もう顔もはっきりとは思い出せない。
ただ、彼女がとても美しかったこやそしてひどく悲し号つな表情をしていたことだけを覚えていた。
俺はあの少女を知っている。俺の中の何かが、彼女を覚えている――。
いったいなぜ、そんなふうに思うのだろう。
どんっ!
「きゃっ!」
ふいに何か柔らかいものにつきあたって、俺ははっと我に返った。
「あ、すいません」
「もう……。いったぁーい」
道路に尻餅《しりもち》をついて唇を尖《とが》らせていたのは、若い女性だった。若い、といっても二十代の半ばすぎ。ぷんと唇をつき出した表情はけっこう子供っぽい。さっぱり切ったショートカットがボーイッシュな、はつらつとした感じのなかなかの美人だ。
「どこ見てるのよ、まったく。気をつけてよね」
「すいません」
彼女を助け起こしながら、俺はとりあえず頭を下げた。だが都会の人ごみの中ではないのだ。たしかに俺も周りは全然見ていなかったが、向こうだってよそ見をしていたのだ。でなければぶつかったりはしない。
よくいるんだよなー、自分のことは棚に上げて相手ぽっかり悪いように云うヤツ。
そう思ってちらっと彼女のほうを見ると、もう向こうは俺のことなど眼中にないようだった。何やらつま先立ちになって、時々ぴょんぴょんと飛び上がっている。目の前にそびえる高い塀の向こう側を覗きこもうとしているようだ。
高い塀――つまりは柏木家の敷地の中を。
「あのぉ……」
声をかけたが、彼女はうるさそうに生返事をしただけで、伸び上がって塀の向こう側を覗こうとするのをやめようとはしなかった。
「あのー」
「え? もう、何よいったい」
つんつんと腕をつつくと、彼女はむっとしたようにこちらに向き直った。むくれた顔つきでじろっと俺を睨む。
「さっきから何なの? 仕事の邪魔しないでくれない? うっとおしいわよ」
「仕事って、覗きですか?」
一方的にこっちを責める口調にちょっと意地悪をしたくなって、俺は切り返した。彼女はちょっとどきっとした顔になって唇を尖らせる。
「人聞きの悪いこと云わないでちょうだい。あたしは、仕事でここへ来てるの」
「仕事でも何でもいいですけど。覗いてたのは事実でしょ」
「……だから何だって云うの? あなたには関係ないでしょ」
「ありますよ。ここ、俺のうちなんですから」
ようやく、彼女は状況を理解したようだった。口もとに手をあてて、まずい、という顔をする。
「や……やだ。あなた、ここの人だったの?」
「ええ。正確に云えば、親戚《しんせき》ですけどね。三日前から遊びに来てるんです」
彼女は慌てて肩から提げていたバッグの中を探る。
「ごめんなさいね。わたし、相田響子って云います。女性雑誌の記者なの」
そう云いながら差し出した名刺には、たしかに雑誌の名前と彼女の名前が記されていた。知らない雑誌だ。俺は女性誌にはぜんぜん興味がないから、それで知らないんだろう。
「で? うちにどんな用なんですか?」
「そう、ちょうどよかったわ。誰も出て来てくれないんで困ってたのよ。柏木千鶴さんに取り次いでもらえないかしら」
「千鶴さんに?」
「ええ」
彼女――響子さんは|頷《うなず》いた。
「最近|鶴来《つるぎ》|屋《や》グループの会長になられたでしょう? それでインタビューを申し込んだの。今日、この時間にうかがいますってお約束したんだけれど」
「いませんよ、千鶴さん、ここには」
「えっ?」
俺の答えに、響子さんは本気でびっくりしたようだった。
「どうして?」
「だって、昼間は仕事してますから。会社のほうに行かなきゃ」
「えーっ」
響子さんは大げさな声をあげる。
「だってあたし、ご本人からここの住所聞いてきたのよー?」
……なんとなく、わかった。つまり、千鶴さんがうっかり会社の住所じゃなく自宅の住所を教えてしまったのだ。
あの人なら、やりかねない。
「とにかく、千鶴さんは本社のほうにいますから。そっちへ行つたはうがいいと思いますよ」「わかったわ、そうしてみる」
響子さんは頷いて、地面に置いてあった四角いバッグを拾いあげた。ずいぶんと重そうなバッグだ。カメラでも入っているのだろう。
「どうもありがとう。……ところで、せっかくだから名前教えてくれない?」
「あ。耕一です。柏木耕一」
「耕一くんね。またどこかで会ったらお茶でもおごるわ。今日のおわびとお礼に。じゃ!」
自分の云いたいことだけを云うと、響子さんは元気よく手を振って大通りのほうへ駆けていった。そこからタクシーを拾うつもりだろう。賢明だ。
俺は響子さんを見送ってから、門に手をかけた。……やっぱり開かない。
さっき楓ちゃんが雨月寺にいたからもしかして学校を早退して帰ってるんじゃないかと思ったんだけれど。
俺はポケットから鍵を出して門を開け、中に入った。
部屋でごろごろしているとはどなくして初音ちゃんが帰ってきて、約束どおり、初音ちゃんの部屋で二人でトランプをして遊んだ。だが、俺はあまり集中できなかった。楓ちゃんのことがどうにも気になるのだ。
なんであんなところにいたのだろう。しかも、きっと学校を抜け出して。家に帰ってないのは、あんなことがあって俺の顔を見たくないからかもしれないが、早退したにしても、次郎衛門の墓参りのためだったら変な話だ。
「耕一おにいちゃん?」
初音ちゃんが首をかしげて、俺の顔をのぞきこんだ。
「どうしたの? つまらない?」
俺はどきっとした。
「な、何云ってるんだよ。つまんないなんて、そんなことないよ」
「ほんとう? だって、さっきからずっと上の空だよ?」
「ほ、ほんとだよ、ほんと。変なこと気にするなあ、初音ちゃんは」
初音ちゃんは鋭い。苦しい言い訳をしていると、遠くで「ただいまー」という声が聞こえた。梓の声だ。
「あ、梓おねえちゃんだ」
初音ちゃんが立ち上がる。助かったと思いながら、俺も立ち上がって初音ちゃんの部屋を出た。
「おかえりー」
「うん、ただいま」
初音ちゃんの明るい声に答えた梓の声は、いつになくトーンが低かった。なんだかげっそり疲れているような声音だ。
「なんだおまえ、元気ないじゃないか。珍しく」
「え。そうかな」
俺のからかいにも反応が鈍い。
「お邪魔してまーすっ」
梓とは対照的に元気いっぱいの声がして、梓の背後からひょこっと顔をのぞかせた女の子がいた。梓と同じ制服を着ている。梓がなんだかしぶしぶ、といった様子で紹介した。
「あ……この子ね、あたしのクラブの後輩」
「日吉かおりって云いますー。よろしくー」
ぴとっと背後から梓にくっつくようにして、愛想よくおじぎをする。梓がちいさなため息をついた。どうやらげっそりしている原因はこのかおりちゃんのようだ。
「ねーねー、せんばぁい。早くお部屋見せてくださいよぉ」
「あ……うん。そっち。奥から二つめの部屋。あんた、ちょっと先いってて」
「はぁーい!」
梓の生気のない声など気にしていないように、かおりちゃんは弾む足取りで梓の部屋へ入っていく。梓が思いつきり大きなため息をついた。
「どうしたの? おねえちゃん」
「ん……ちょっとね。ねえ耕一!一生のお願いっ」
「あ?」
いきなり梓に目の前で手を合わせられて、俺はきょとんと梓を見下ろした。
「なんだよ急に」
「お願い! あんた、一緒にあたしの部屋に来て!」
「あぁ? なんでだよ」
「頼むよ。あたし、あの子苦手なのよ」
……まあ、それはわかる。ああいう、いかにもきゃぴきゃぴっとしたタイプは人の云うことなんかぜんぜん聞かないし、自分の思い込みだけで勝手につっ走る。梓もそれなりに自己主張の強いタイプだが、どう見ても強引さではかおりちゃんのほうが上だ。ふり回されてペースを乱されてしまうのだろう。
「だったら連れてこなきゃいいだろうが」
「強引について来ちゃったんだもん、追い返すわけにもいかないじゃない」
梓が俺に泣きついてくるなんて珍しい。それだけかおりちゃんが苦手だということか。
「だけど、なんだってそんなにイヤなんだ? わりとかわいい子じゃないか」
「そういう問題じゃないのっ」
梓はやけに真剣だ。いや、必死といったほうが正しいかもしれない。
「あたし、あの子に狙《ねら》われてるのよ!」
「はぁっ?」
俺は思わずすっとんきょうな声をあげてしまっていた。
「狙う、って……なんだそりゃ」
「だから……」
梓の頬《ほほ》がわずかに赤くなる。
「かおりって……レズの噂があるの。クラブでもあたし梓センパイらぶらぶですーっ、とか公言してるのよ。あたしノーマルだし、そういうつもりぜんぜんないよっていくら云っても効果なくって。だからさあ、耕一」
「しょうがねえなあ」
まあ、そういうことなら、と俺は譲いた。本人がいやがってるわけだし、イトコとしては貞操を守るほうに協力してやるのが人情というものだろう。
「せーんばーい! どうしたんですかーぁ? 早くぅ」
ほうっておかれてしびれをきらしたのか、かおりちゃんが部屋から顔を出して梓を呼ぶ。梓に再度目線で頼みこまれで、俺は梓と一緒に部屋へ入っていった。
が。
「なんですか? この人」
梓にくっついてきた俺に、しょっぱなからかおりちゃんは敵意びしばしの白を向けてきた。イトコだよ、と紹介して梓はあれこれと話題を取り持とうとしたが、かおりちゃんは見事なほどカンペキに俺を無視した。俺の云うことには一切返事はしないし、梓が自分のほうを見ていない時には俺をすごい日で睨みつけてくる。梓が俺に何か云っても聞こえなかったふりをして梓に話しかけるし、……めちゃくちゃ居心地が悪い。
かたん、と隣の部屋で音がしたような気がした。
楓ちゃんの部屋だ。帰って来たのだろうか。
「梓。俺、ちょっと楓ちゃんに用があるから……」
「えーっ」
梓はひどく情けない声をあげた。
「そんなの、あとでもいいじゃない……」
「センパイ!」
梓とは対照的に一気に顔を輝かせたのはかおりちゃんだった。
「用のある人を無理に引き止めたら悪いですよ。そうですよねー? 耕一さん」
「あー……。いや、その……」
「用があるんでしょ? あたしに気をつかってもらわなくっていいですから。あたし、梓センパイとお話ししてます。だからど・う・ぞっ、行ってください」
口調だけは愛想がよかったが、梓にぴたっとくっついたかおりちゃんの目はものすごく怖かった。
「あ……うん。じゃあ、そういう、ことで……」
「ちょっ……耕一い……」
ちょっと梓がかわいそうではあったが、俺にはやはり梓の貞操より俺がさっきあやうく貞操を奪うかもしれなかった楓ちゃんのほうが気になっていた。かおりちゃんの早く出て行けという視線も痛いし、もう梓にはあきらめてもらおう。逃げるように梓の部屋から廊下に出ると、ため息がもれた。
ドアごしに梓が何か云っている声がかすかに聞こえてきたが、内容まではわからなかった。古い建物だが、けっこう防音はしっかりしているようだ。
部屋の中で何が起こっているのか気にならないと云えば嘘《うそ》だった。だが、もともと俺は部外者なのだ。梓にはなんとか自分の才覚で切り抜けてもらおう。
俺は気持ちを切り替えて、隣の、楓ちゃんの部屋をノックした。
返事はなかった。
「楓ちゃん?」
もう一度、戸を叩《たた》く。だが、またしても返事はなかった。防音対策もずいぶんしっかりやってあるようだし、音がしたように思ったのは俺の気のせいだったのだろうか。
もう一度ノックをしようかどうしようか迷って立ちつくしていると、部屋の中でかたん、と確かに音がした。やっぱり、楓ちゃんは帰ってきているのだ。
「楓ちゃん。いるんだろ? ――俺。耕一だけど」
三度めのノックはついに無視しきれなかったのか、ややおいて細くドアが開いた。楓ちゃんの黒目がちの大きな瞳がちらりと俺を見上げて、そしてすぐ伏せられる。
「……何でしょうか」
「いや、あの……。さっきのこと」
「わたし、気にしていませんから……」
「きみが気にしてなくても、俺は気になるんだ。やっぱり俺のこと避けてるし。――そんなに、俺がいや?」
意地悪な云い方だと思いながら聞く。案の定楓ちゃんは困った顔をして、目を伏せたままかすかにかぶりを振った。
「だったら、入れてくれないかな。きみと少し話がしたいんだ」
しかし、楓ちゃんは小さく、しかしはっきりと首を左右に振った。
「ごめんなさい……。でも、今は――」
「今はだめなの? じゃあ、いつならいいの」
俺だってそういつまでもここに滞在しているわけにはいかない。大学がはじまれば東京へ戻らなくてはいけないのだ。どんなに早くてもまたここへ来られるのは年末、おそらくは春休みまで無理だろう。
それまで、こんなもやもやした気分のままではいられない。
ここで引き下がってしまったら、きっともう二度と楓ちゃんと話をするチャンスはなくなってしまう。俺は懸命に食い下がった。
楓ちゃんは困った顔でうつむいたまま、しばらく何も云わなかった。俺はじっとその楓ちゃんを見つめて、待つ。
「……今夜」
ぽつりと、聞き取れないほどの小声で楓ちゃんはささやいた。
「今夜、なら」
「今夜だね。ほんとだね?」
俺は念を押した。こくん、と楓ちゃんは頷く。
「よぉし、わかった。じゃあ、今夜。ゆっくり話をしよう」
もうひとつこくんと額いて、楓ちゃんはばたんとドアを閉めた。俺は閉まった扉の前で、ちいさくガッツポーズを取る。
何にせよ、一歩前進だ。今まで自分からは俺に話しかけさえしなかった楓ちゃんが俺と話をする約束をしてくれたのだから。
すっかり気分をよくして俺は自分の部屋へ戻りかけた。梓の部屋の前でふと足が止まる。
こっちは、あれからどうなったのだろう。かおりちゃんはもう帰っただろうか。
ドアのすき間に耳をつけて中の気配を|窺《うかが》う。
「ん……っ」
ちいさなうめき声が聞こえた。
……待て。なんだ? 今のは。
俺は音をたてないようにそうっと、ドアのノブを回し、ほんの少しだけドアを開けた。
「んんっ……。あ……っ、かお、り…………」
梓の声だった。しかもやけに色っぽい声だ。
「だ、め……あっ――。やめ……」
「どうして? センパイ」
かおりちゃんの声がささやき返す。
「いやなの? そんなことないでしょ? だって、センパイのここ、こんなになってるじゃないですか」
「あっ! うんっ……んっ」
ごそごそと布のこすれ合う音。耳をよくすますと、くちゅくちゅと湿った音がかすかに聞こえてくる。
「あんっ……だ、だめ……そこは――」
「だめ〜 ほんとに? ここ……いや?」
「あっあっあっ……」
「やめてもいいの? ねえ、センパイ……」
「あっ、くっ……あ、や、だめ、やめちゃだめ……」
「でしょ?」
うっとりとしたような猫《ねこ》|撫《な》で声でかおりちゃんがささやく。
「これ、気持ちいいでしょ? そうですよね、センパイ」
「あっ……ん、うん……気持ち、いい――」
俺は無意識のうちに生唾《なまつば》を飲み込んでいた。これは……明らかにアレだ。かおりちゃんが梓のあのへんをあんなふうにああしてこうして…………。
「ああ、センパイ……」
かおりちゃんの息も荒い。
「あたしも、もうだめ……我慢できない……。もう、ぐしょぐしょ……。さわって、セン
パイ……」
「あ……っ……」
「わかる? センパイ、わかります? あたしのここ、センパイにいじってほしくてこんなになってる……」
「ん……ふっ……ああ……」
下半身に体じゅうの血が集まっていく。短パンの中で俺の分身ははちきれそうにふくらんでいた。
ドアはほんの少ししか開けていないから中で何が起こっているのかは見えない。ただ悩ましげな声ときぬずれ、そして湿った粘膜をいじる音だけが聞こえてきていっそう俺の妄想をかきたてる。
これはやらせではない。このドアの向こう側で、現役の、しかも俺のよく知っている女子高生が本当に絡み合っているのだ―一。
ここが廊下でさえなければ、俺はこの場で短パンの中に手をつっこんでオナニーをはじめていただろう。わずかに残った常識と理性とがイトコの痴態をオカズに廊下で自家発電などという醜態をさらすことを押しとどめていた。
そしてその抑制が俺を救った。
いきなり、初音ちやんが部屋から出てきたのだ。
「耕一おにいちゃん? そんなとこで何してるの?」
「うわっ!」
それでも予想だにしていなかった初音ちゃんの声に、俺は思わず叫び声をあげて廊下に尻餅をついていた。部屋の中でがたがたっと慌てた音がする。
「梓おねえちゃんがどうかしたの?」
何も知らない初音ちゃんはあくまで無邪気な天使の笑みを俺に向けてくる。
「い、いや、別に、ぜんぜんそついうわけじゃ……」
慌てて手をばたつかせる俺を、初音ちゃんは不思議そうに首をかしげて見つめる。
いったいこの状況をどうフォローすりやいいんだ!
俺が困り果てて絶句していると、ぱたん、とすごい勢いで梓の部屋のドアが開いた。|憤然《ぶぜん》とした表情で、カバンを手にしたかおりちゃんが飛び出してくる。部屋を出たところで足を止めて、ものすごい目で俺を睨みつけた。
「――あれ、帰るんですか?」
初音ちゃんはまったく状況を理解していない。かおりちゃんににっこり笑いかける。
かおりちゃんは何か云いたげに唇を尖らせた。しかし初音ちゃんが相手ではきついことも云えないのだろう。ぐっと唇を結んで、大きく息を吸った。
「お邪魔しました!」
そのまま、ずんずんと大股《おおまた》に廊下を歩いていってしまう。
「あ……」
見送るつもりなのか、初音ちゃんが後を追った。俺はようやく立ち上がって、梓の部屋をのぞきこむ。
「貞操……無事か?」
梓は真っ赤な顔をしてベッドの上にへたりこんでいた。襟もとやらウエストのあたりやら、服のあっちこっちがかなり乱れている。物音に大慌てで服を直したのが明白だ。
「あ……あんたのせいよ!」
照れ隠しなのか、それともかおりちゃん同様邪魔されたことを怒っているのか、梓はむくれきった表情で俺を睨んだ。
「あんたが途中で逃げてくから、こんなことになるんじゃないの!」
「それにしちゃ嫌がってなかったじゃないかよ、おまえ」
どうも昔ながらのクセで、梓につっかかってこられると俺はついへらず口を返してしまう。いつまでも梓とはそんなふうに口ゲンカのできる関係でいたいという無意識の願望がそうさせてしまうのだろうが、今度ばかりはまずかった。見る間に梓の顔が|夜叉《やしゃ》のような形相にかわっていく。
「ば……ば……ば…………ばっかやろぉっっっっ!」
きーーん、と耳鳴りがした。俺は反射的に、ビンタなり膝蹴りなりが飛んで来るのを防ぐ体勢をとる。
しかし、いつもの梓なら絶対に来るはずの一撃は、来なかった。
「梓……?」
梓の目に大粒の涙が盛り上がってきていた。
「お、おい!」
「……ば、か……」
食いしばった歯の間からもれたつぶやきと一緒に、涙がぽろっと頬に落ちた。
「あ、梓……」
声を殺してしゃくりあげる梓に、俺は思いっきり慌てた。
とにかく梓を落ち着かせようと俺は一歩足を踏み出す。
その時。
「……つ!」
世界が歪《ゆが》んだ。
強いめまい。
体が――熱い。
なんなんだ、これは……――。
「耕一……っ?」
梓の叫び声がやけに遠くに聞こえた。
足元に、血まみれの肉塊が転がっていた。
たった今、俺がこの巨大な手のひとつかみで頭を握りつぶした、人間だった肉の塊。
飛び散った血しぶきがコンクリートに美しい模様を描いている。
全身がぞくぞくと震えた。
人間の命を引き裂き、握り潰す瞬間のなんと甘美なことか――。
すさまじい光景だった。
俺の足もとには凄惨《せいさん》な死体が転がっていた。
なんという夢だ。
たしか、明晰《めいせき》|夢《む》というのだと千鶴さんに教わった。夢の中で、それが夢なのだと自覚しながら見る夢。
陰惨な光景に俺は戦慄《せんりつ》をおぼえたが、夢の中の俺は逆に恍惚《こうこつ》とした快楽の中にいた。
俺の肉体はすっかり変身を遂げていた。身長は二メートルをかるく越え、はちきれんばかりに力とバネを秘めた隆々たる筋肉がびっちりと全身を覆っている。丸太のように太い腕、そしてナイフのように鋭利でそして硬い、長い爪――。
奴だ。
ついに――夢の中の俺は奴に意識の主導権を奪われてしまったのだ。
これだ。
俺はずっと、この快楽を欲していたのだ。
これからは、今まで閉じ込められていたぶんもたっぷりと、狩ってやる。
人間を。
――生命を。
動物が――人間が死ぬさまは美しい。生命はみな命の炎を持っている。死の瞬間、残ったすべての命の炎が明るく燃え上がり、輝きを放つ。
断末魔の命の輝き。これほど美しいものはこの世にはほかには存在しない。
だから、病み付きになるのだ。
生命を狩ることに。
俺は、狩猟者なのだ――!
かさ。
かすかな昔。俺の発達した聴覚はそれを聞き逃しはしない。
ゆっくりとふり返る。
ビニール袋を提げた若い男が表情を凍りつかせて立ち尽くしていた。
俺はうすく笑つた。
獲物だ。
やめろ――!
俺の肉体は奴の肉体で、奴はむしろ第二の「獲物」の登場に全身を歓喜に震わせていたが、俺は全身の毛が逆立ってゆくような思いにとらわれた。
やめろ、やめるんだ! 人殺しだぞ!
しかし、俺の叫びは奴にはまったく聞こえていない。
俺はゆっくりと獲物に近づいていった。
獲物は顔の筋肉を痙攣《けいれん》させている。何かを叫ぼうとしているようだが神経の命令系統が混乱をきたしていてそれがままならないのだ。
くくく……。
俺は獲物にいっそうの恐怖を与えるために、じわじわと距離を詰めていった。
「ひい……つ!」
ついに恐怖が緊張を上回り、獲物はひきつれた叫び声をあげた。手にしていたビニール袋を俺に投げつけ、脱兎のごとく逃げ出す。
俺は首をわずかにひねっただけで、飛んできた袋をよけた。ぐつと体を沈め、筋肉に力をためる。
跳躍。
次の瞬間、俺は獲物の頭上をはるかに通り越し、その正面に着地していた。
獲物がすさまじい恐怖の悲鳴をあげる。
俺は腕を高く振り上げ、そして一気に振り降ろした。
確かな手ごたえ。
新たな鮮血がコンクリートを真っ赤に濡らす。
一気にこうこうと輝いた命の炎。
めくるめく恍惚感が俺の全身を包んだ。
くらくらした。
なんて――なんて残酷な奴だ。
こいつはただ楽しみのためだけに、人間を狩っている。
そして俺はただ、それを見つめていることだけしかできないのだ――。
奴は、夢の中のもう一人の俺は、さらに通りがかった男を二人、惨殺した。そしてまた新たな獲物の気配にふり返る。
「――――……!」
俺は声にならない叫び声をあげた。
凄惨な光景に呆然自失し、ぺたんと地面に座りこんでいたのは一人の少女だった。
見覚えのある制服。
――かおりちゃんが恐怖に顔をひきつらせてがたがたと震えていた。
女。
女だ。
狩りのもたらす恍惚は、同時に強い性的興奮を呼び起こす。
性器が脈動した。
この女を犯す。
俺はそう決め、女に一歩近づいた。
「ひ……」
女はがくがくと震えた。手足を弱々しくばたつかせる。しかし|萎《な》えた手足はむなしくうごめくだけで、女をどこへも逃げさせはしなかった。
俺はさらに足を踏み出す。
尿の匂《にお》いがする。女が失禁したのだ。
手を延ばし、女の肩をつかむと女は目を見開いたまま白目を|剥《む》いた。
失禁に股の問を濡らし、失神した女を俺は片手で拾いあげ、肩にかついだ。
第4章 記憶
しばらくの間、俺は自分がどこにいるのかが理解できずにいた。
見覚えのある天井。
屋敷の、自分の部屋に寝かされているのだという認識が、徐々に意識に広がっていく。
天井を見上げたまま、俺は長く息を吐き出した。
なんて夢を、見てしまったんだろう――。
全身がひどくだるい。顔の向きを変えることさえおっくうだ。
生々しい夢だった。鋭い爪で切り裂いた肉の感触。飛び散る鮮血の温かさ、そして匂《にお》い……。何もかも、はっきりと覚えている。
かおりちゃんのあそこからとろとろと流れてきた愛液の匂いも、味も――。
かおりちゃんはまるで犬のように、太い鎖のついた革の首輪を巻きつけられ、同じような革の拘束具で両手首をくくり合わされて床に仰向けに転がされていた。今までの夢と同様、あの殺風景なフローリングの部屋だ。夢にはありがちなことだが、路上でかおりちゃんをかつぎあげてからこの部屋へいたるまでの経過はない。
かおりちゃんはうすく目を開いてはいたが、瞳の焦点がどこか微妙にずれていた。恐怖に震えているのとは少し様子が違うようだ。呼吸が浅く、そしで速い。時折かすかに眉《まゆ》をしかめて、唇を|噛《か》む表情がやけに艶《つや》っぽく見えた。
「ん……」
いくらか苦しそうに、しかしただ苦しんでいるのとはどうも違うような鼻にかかった声をもらして、かおりちゃんは居心地意げに身じろぎする。裾《すそ》のいくらか乱れた、短い制服のスカートからのびる脚がくねるようにこすり合わされる。
そう――まるでオナニーをしたくてたまらなくてじれているように。
「だいぶ濡れてきたようだな」
奴が――いや、俺が、口を開いた。かおりちゃんはきっと唇を噛み、涙をためた瞳で俺を睨《にら》みつける。俺はうすい|嘲笑《ちょうしょう》をもらし、足でかおりちゃんのスカートをめくりあげた。かるく蹴って膝《ひざ》を開かせる。
高校生がつけているにしてはやけに色っぽいレースの下着があらわになった。そしてその中心には見ただけではっきりとわかる大きなしみが広がっていた。そのしみの中央に、俺は足の指をぐいと押しっける。
「あ……っ」
ひくっ、と全身を震わせてかおりちゃんは切なげな声をあげる。靴下を通してさえはっきりと、愛液がきらににじみ出てきたのがわかった。
「うっ……んく……」
かおりちゃんの瞳に涙が浮かんだ。呼吸がどんどん速くなっていく。足の指をぐにぐにとかおりちゃんの秘部でうごめかすと全身をぴくぴくと震わせて長い声をあげた。
「ああーーーっ! あっ、あっ、ああっ……!」
「どうした」
「あふ……ほ、ほしい、の……」
俺の足の下で、かおりちゃんは腹をくねらせる。
「お、願い……して。気持ちよく、させてえ…………」
俺は冷たく笑った。かおりちゃんの秘肉をこね回していた足をどける。
「あっ……!」
泣きそうな表情でかおりちゃんは目を見開く。
「いや……だめ! やめちゃいやぁ……っ…」
「いいだろう」
俺はゆっくりとズボンの前を開いた。ペニスはすでに膨張し、天を向いてぴくぴくと震えている。先端にもりあがった先走りがつうっとカリを伝って流れていった。
「あ、あ、あ……」
かおりちゃんが狂おしい目つきでそれを見てうめく。俺はうすく笑った。
「それでいい。人間など、しょせんは獣だ。獣本来の姿に立ち返ってこそ、最高の快楽をむさぼれるのだ」
俺はかがみこんでかおりちゃんのスカートとぐしょ濡れになった下着とをはぎとった。両足を大きく聞かせると、ピンク色の小陰唇が透明な愛液にてらてらと光っている。
そこに口をつけて、俺はずるずると愛液をすすり飲んだ。
「うあっ、ああっ、あうああああっ」
まるで電流でも流されたようにかおりちゃんの体が大きく跳ねる。かるいエクスタシーに達したようだ。しかしひくひく痙攣しながらも、かおりちゃんはいっそう強く淫部を俺の口もとに押しつけてくる。
「ほしいか。もっとか」
「あ、ああ、あ」
「そうだろうな。これくらいではおさまらないだろう。ぶちこんでほしいんだろう。太くて硬いやつを」
「あ、あ、あ、あ、あ」
がくがくとかおりちゃんはくり返しくり返し大きく|頷《うなず》く。
俺はかおりちゃんの体を引き起こし、手首の鎖を体の前でつなぎなおした。かおりちゃんをうつぶせにさせ、お尻をを俺の方へ向けて高く上げさせる。
すでにじゅうぷんに潤っている場所に、俺はぐいと先端をねじこんだ。
「ううううーーーーっっ!」
かおりちゃんは獣そのものの声をあげて狂ったように頭を振った。
脛《ちつ》の内部はぺちょべちょに濡れていたが、ひどく狭かった。感触はぬめぬめとしているのだが、うまく奥まで入っていかない。かおりちゃんも苦しいのか、喉がつまったような声を断続的にあげて喘《あえ》いでいる。
俺は両手でかおりちゃんの腰を固定し、ぐっと力をこめてペニスを押しこんだ。
ぶつっ、という感触とともに、ずぶずぶと肉棒はかおりちゃんの内部へめりこんでいった。今ので処女膜が破れたのだろう。男嫌いを公言しているだけあって、かおりちゃんは処女だったようだ。
「うあ、うああ、あぐあああっ!」
根元まで埋め込むとかおりちゃんは意味不明の絶叫をあげた。俺は構わず、かおりちゃんの腰を固定したままリズミカルなピストン運動を始めた。
今まで未通だった場所ははじめて迎え入れる異物をぴったりと包みこんで締めつけてくる。ねっとりと潤滑剤で潤った粘膜がぐいぐいと肉棒をしごく。
「ふっ、あふっ、うう……っ」
俺がつき入れるたびに、かおりちゃんの口から空気が押し出されて喘ぎ声になる。さすがに処女喪失の瞬間は痛みが欲情を上回ったのかしばらくかおりちゃんはただ俺にされるままに喘いでいたが、しだいにその声に悩ましげなものが混ざりこんでくる。
「あ……はぁあん……あっあっ……」
徐々に、かおりちゃんの腰が揺れ始めた。はじめはもじもじと、そしてしだいに大胆に。
「あっ、ああっ、あんっ! あっ、い、いっ……あひっ!」
俺の動きに合わせて膜をつきあげ、くねらせ、しめつけ、しごきあげる。
「ああーーあああっっ! すっ、すご……つ、だ、だめっ、あっあっ……」
ずっ、ずっ、と俺はリズムを一定に保って前後運動をくり返す。かおりちゃんは体をくねらせ、腰をよじってひっきりなしに声をあげ続ける。
「あひっ! あっ、ああっ、せ、せんば……梓センパイ……つ! だめっ、だめ、ああっ、あたし、あたし、すごいっ! いやあっ、してっ、してえっ、もっと、もっとおぉぉ……っ! いいーいい……! いっ、いつ、いっちゃうううぅぅぅーーーつ!」
鼓膜の破れそうな大絶叫とともにかおりちゃんはがくんがくんと全身を痙攣させた。どうやらエクスタシーに達したらしい。
しかし俺はまだ終わってはいなかった。ぐったりと上体を床におとしたかおりちゃんの腰を支えたまま、さらにピストン運動を続ける。
「あ……あ、だめ……もう、もうだめ…………」
弱々しく喘ぎながらも、しかしかおりちゃんはわきあがる快感をこらえ切れずに再び腰をうねらせ始める。
「あ、あ、あ……もう、もう許して……もう勘弁して……だめ、感じちゃう……いや、あ、あ、あ……ああぁ――んっ」
イッたばかりでひどく敏感になっていたかおりちゃんはあっという間に二度めの絶頂を迎えた。しかし俺はまだかおりちゃんを解放してはやらない。ゆっくりと、自分の高まりに合わせて前後に、そして円を描くようにかおりちゃんの肉襞にペニスをこすりつける。
「ひっ、あひ……あっ、あっ……あ、いや、だめ、だめ……い、いっ……いいーーつ! いっちゃうーーーーーーつ!」
何度も、何度もかおりちゃんは達した。しかし俺がさらに腰を動かすとすぐにまた感じはじめる。叫び続けてしだいに声は枯れていき、そして今度こそ言葉らしい言葉を発する理性を奪われて、ただ喘ぎ、絶叫をあげ続けるだけの獣と化していく。
「そうだ。それでいい」
途切れなく絶頂に痙攣し続ける膣にペニスをこねさせながら、俺は笑った。
「ただの獣になれ。そのためのクスリだ。おまえもあいつのようになるんだ」
もうかおりちゃんは言葉には何の反応も示さなかった。くわえこんだ肉棒の動きに身をよじり、口もとからよだれをだらだらと流してひいひいと喘ぎ続ける。
存分にかおりちゃんの肉を楽しみ、そして俺は精子を放った。
「うああーーーああああーーーーーーああっ!」
どくっ、どくっ、と噴出した精液を子宮にたたきつけられ、かおりちゃんは背中が折れそうなほど大きくのけぞって体をつっぼり、喉が裂けたような絶叫を放った。そしてがくんと床に倒れこむ。あまりの快楽に失神したのだ。
俺はまだ|勃起《ぼっき》したままのものがゆるやかにうねる膣壁に|愛撫《あいぶ》される感触を楽しみながら、そのままの姿勢でじっとしていた。
小さな電子音が静かになった部屋に響いた。射精後の充実した疲労感の中で俺は視線をめぐらし、音の出所を探す。
部屋のすみにぽつんとおかれた電話機のボタンがぴかぴかと光っていた。
電子音は四回鳴り、そしてぷつりととまった。かわって、人工的な女の声が流れはじめる。留守番電話に切り替わったのだ。
タダイマ ルスニシテ オリマス。ピーット ナリマシタラ オナマエト ゴヨウケンヲ オハナシタダサイ
録音開始の合図音が流れる。
一瞬の間があった。
『……タカユキ? おかあさんです』
中年の女の声が流れてきた。
『コンビニのアルバイトにいっているんでしょうか。元気にやっていますか。体をこわさないように気をつけてください。できたら、電話をしてください。……じゃあ』
そのあとまたためらっているような間があって、ぷつんと回線が切れた。つーっ、つーっ、つーっ、と音がして、そしてまた合成音声が響く。
ゴゴ ジュウイチ ジ ョンジュウ ロップン デス
ぴーつ、ともう一度合図の音が鳴って、電話は沈黙した。
俺は今の電話の間に平常の状態に戻ったペニスをかおりちゃんの中から抜き取り、床に落ちていたレースのパンティで拭《ぬぐ》った。
精液と血のまじりあったピンク色の液体がべっとりと白いレースをよごした。
俺は大きなため息をついた。
たしかに、朝がた初音ちゃんとえっちをする妄想なんかしてしまったし、昼は昼で楓ちゃんに抱きついてしまったりして、ついでに云えばここへ来てからは抜いていない。たまっていないと云えば嘘《うそ》だ。
だが、だからといって夕方会ったばかりの女の子を、しかもあんなにめちゃくちゃに犯す夢を見るなんて――。
おそらく、あんなひどい扱いをしたのは彼女が俺にとった態度への復讐なのだろうが、それにしても――自己嫌悪がわきおこってくる。
ようやく体を覆っていた重い疲労がいくらか薄らいできて、ちいさく身じろぎした俺は今まで気づいていなかった事実に気づいた。
トランクスがべとべとになっていたのだ。
あんな夢を見たばかりか、夢精までしていたとは。しかも、朝でもないのに俺のムスコはぎんぎんにおっ勃っていた。パンツのこの感触からすると相当の量を出しているはずなのに、まだ勃っているとは。いっそうの自己嫌悪がのしかかってくる。
真っ暗な気分で俺はのろのろと起き上がり、替えのパンツをひっぼり出して風呂場へ向かった。こんな下着を洗濯してもらうわけにはいかない。自分でこそこそ汚れたパンツを洗うというのは、男にとってはひどく惨めな作業だ。
「あれ? 耕一!」
廊下に出たところで、梓に行き会った。とっさに、俺はパンツを背後に隠す。
「お、おう」
「あんた、目さめたの? だいじょぶ?」
「え? ……俺、どうかしたのか?」
「なんだよ、覚えてないのー?」
梓はあきれた顔になって手を腰にあてる。
「あんた、あたしの部屋でひっくり返ったじゃないか。大騒ぎだったんだからね、あたしと初音と楓とであんたを部屋まで引きずってって、寝かせて」
そうだ。
ようやく俺は思い出した。梓がかおりちゃんに襲われているのをつい盗み聞きしてしまって、その現場を初音ちゃんに見つかって、梓に泣かれて、慰めようと思ったところでふいにめまいを感じて――。
「あー……その、悪かったな。うん、もう大丈夫だから」
「ほんと?」
うさんくさげに梓はじろじろと俺を見る。
はっきり云って、俺は気が気ではなかった。なにせパンツの中にはまだ夢精したモノがたぷたぷしているのだ。風呂に入るからいいやと思ってふいてこなかったのが悔やまれる。
「平気だって。ちょっと、汗かいちまったからさ、風呂入ってこようと思って」
「そう? ……じゃあ、あがったら茶の間においでよ。千鶴姉も心配してるからさ」
「あ、ああ。わかった」
なんとか梓をやりすごして、俺はあたふたと風呂場に飛び込んだ。
「きゃっ!」
「え……うわっ!」
大きな目をこぼれそうに見開いて初音ちゃんがそこに棒立ちになっていた。白い肌がほんのりとピンク色に上気して、しっとり光っている。どうやら風呂からあがるところだったらしい。とっさに隠したのか、バスタオルを胸のあたりでおさえて胸から腰のあたりを隠している。
「お、おにいちゃん……目がさめたの?」
「あ……う、うん。なんか、心配かけて悪かったね」
こんな状況で交わす会話じゃないのはよくわかっていたが、そうとしか云いようがなかった。初音ちゃんのほうから顔をそむけて、俺はまた手に握っていたパンツを背後に隠す。
「お、お風呂?」
「う、うん。汗かいたからさ」
「わたし、ちょうど出たところだからどうぞ。すぐ、出てくから」
「あ――そうだね。俺、横向いてるから」
「うん……」
非常に気まずい沈黙力俺はひたすら脱衣所の壁をにらみつけて初音ちゃんが何やらごそごそと動いている気配を懸命にやりすごした。
「ごめんね、おにいちゃん。ゆっくりあったまってね」
初音ちゃんが脱衣所を出ていき、俺はようやく汚れた下着を脱ぐことができた。勢いよくシャワーを出してざぶざぶと|股間《こかん》を洗い、湯舟に体を沈めてようやくほっと息をつく。
今偶然見てしまったばかりの初音ちゃんの裸体が脳裏にぽんと浮かび上がってきた。
胸やあそこは見えなかったが、腰のラインははっきりと見えた。思っていたよりも女らしいラインだったなあ……と思い出し、俺はちろりと湯舟の中をのぞきこんだ。
目を覚ました時からすでにばっちり臨戦体勢だったムスコは萎えるどころか今の1件でいっそう元気につっ勃っている。ちょっとやそっとではおさまりそうにない。
俺は初音ちゃんの裸を意識から追い出そうとした。
色気のないこと……色気のないこと……色気がないと云えば梓。梓、梓……。
ぽん、とさっきの梓の呆れ顔が浮かんだ。
『千鶴姉も心配してるからさ』
そうか……そうだよなあ。千鶴さんにも心配かけちゃったか。あたり前だな。千鶴さんは伯父さん夫婦が死んでからずっと姉妹の母親役をやってきたし、|親父《おやじ》が死んでからは鶴来《つるぎ》|屋《や》グループの会長までやらなくちゃいけなくなっている。俺のことでまで心労をかけたくはなかったんだが……。
とにかく、やってしまったことは仕方がない。心配しないようにとフォローをしておいて、これからは気をつけよう。
ばしゃっとお湯を顔にかけて気合いを入れた時だった。
こんこん、と小さな音がした。
「耕一……さん」
ためらいがちな声。
「楓ちゃん?」
「はい……」
脱衣所との間にある曇りガラスの戸の向こうに人影があった。
やばい、まだ汚れたパンツを脱衣所にはうり出したままだ。いやちがう、そういう問題じゃない。
「どうしたの?」
ほんとうはガラス戸をあけて顔を見て話したかったが、湯舟から出てしまうと元気なモノが丸見えだ。ようやくおさまりかけてたのに楓ちゃんがすぐそこにいるんだなんて意識したとたんにまた元気になってしまったのだ。タオルも持っていない。楓ちゃんに云っても戸をあけるなんてことはしてくれないだろうし、ここは仕方がない。
「あの……気分は、もういいんですか」
「ああ、うん。心配かけちゃったみたいで悪かったね」
ガラス戸の向こうで、楓ちゃんがかぶりを振ったのがわかった。
「耕一さん……」
「うん?」
「約束……。覚えてますか」
「え……ああ、もちろん。覚えてるよ」
倒れる直前に、楓ちゃんと今晩話をしようと約束したのだった。正直なところ、今の今まで忘れていたのだが、もちろんそんなことを楓ちゃんに云ったりなんかしない。
「風呂あがったら千鶴さんに顔見せにいけって梓に云われてるんだ。そのあとできみの部屋へ行ってもいいかい?」
「――……はい」
返事が戻って来るまでのわずかな間は楓ちゃんのどんな心境をあらわしていたのだろうか。曇りガラスごしの|不明瞭《ふめいりょう》なシルエットがこくんと首を縦に振った。
「待って……ます」
そう云い残して、楓ちゃんのシルエットがさらに輪郭を崩した。ガラス戸から遠ざかったのだ。かたん、と脱衣所のドアが閉まる音がする。
俺は短い間、湯舟の中でじっとしていた。
楓ちゃんが、わざわざ約束の確認をしに来てくれた。ということは、彼女も俺と話がしたかったということなのだろう。
こうしてはいられない。俺はぎばっと立ち上がった。大急ぎで体(と汚れたパンツ)を洗い、風呂を出る。
…………そこで俺はちょっとだけ困った。股間のイチモツがいっこうにおとなしくなってくれないのだ。まったく、せっかく楓ちゃんとゆっくり話ができるというときに、なんて不謹慎なムスコだ。これぞ親の心子知らず……いや、なんだかちがうな。
ともかく元気いっぱいに堂々たる自己主張をやめないムスコを清潔なパンツにねじこみ、一度部屋へ戻って洗ったパンツを窓の外にほしてから、俺は茶の間へ向かった。
「あ……。耕一さん!」
茶の間でお茶を飲んでいた千鶴さんがばっと明るい顔になった。
「よかった。気がついたんですね」
「うん」
楓ちゃんとの約束に心は逸っていたが、ただ顔だけ見せて素通りというのも人情のない話だ。俺はにこやかに笑って腰を降ろし、千鶴さんがついでくれたお茶をお礼を云って受け取った。
「なんだか、心配かけちゃったみたいで、悪かったね、千鶴さん」
「いえ。それは構わないんですけど。体、大丈夫なんですか?」
「ぜんぜん平気。たぶん、ちょっと疲れてただけですよ。気にしないでください」
俺はつとめて元気はつらつの声を出し、何も心配はないということをアピールをした。千鶴さんは安心したのか、ようやくにっこりと笑う。
「今日、散歩から帰って釆たら雑誌の記者って人が家の前で途方にくれてましたよ。千鶴さん、会社じゃなくて家の住所教えちゃったんだって?」
俺がからかうと千鶴さんはぽっと頬《ほほ》を赤くした。
「やっぱり……。相田さんがおっしゃってた『おうちのかた』って、耕一さんだったんですね。ご迷惑かけちゃいまして……」
もともと小柄な体をさらに縮めて恐縮する千鶴さんの表情が妙にかわいくて、俺は思わず笑ってしまった。
「べつに迷惑じゃなかったですよ。そういうボケぶりが千鶴さんの持ち味っていえば持ち味なわけだし」
「まあっ! ひどいわ、耕一さん」
千鶴さんは今度はぷんと唇を尖《とが》らせる。まったく、かわいい人だ。
姉妹の母親ではなく、大企業の社長ではなく、年齢……というか精神年齢相応のこんな表情をしている千鶴さんが、俺はいちばん好きだ。
いつでも、この人をこういう表情でいさせてあげられればいいんだけどな……。ふとそんなことを考えて、俺は我ながらちょっと照れた。三つも年下の、しかも学生の俺が、もう社会人の千鶴さんにそんなことを考えるなんて。生意気だ。
お茶を一杯飲む間千鶴さんととりとめのない世間話をして、俺は茶の間を立った。都合よく、話をしているうちにムスコも常識を取り戻したらしくおとなしくおさまってくれている。俺はそのまま、姉妹の部屋のほうへ向かった。
四姉妹の部屋は年の順番に仲よく並んでいる。手前から三番めが楓ちゃんの部屋だ。
ノックをするとちいさな声で返事があって、楓ちゃんが細くドアを開けた。
「いい?」
「……どうぞ……」
俺の問いに楓ちゃんはこくんと顔き、体を引いて俺の通る場所をあけてくれた。俺はそのドアのすき間から部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。
女の子の部屋にしては、少し殺風景な感じのする部屋だった。ベッドがあって、机があって、勉強道具がきちんとまとめられているだけの、簡素な部屋。
楓ちゃんは机の椅子をひいて腰を降ろし、俺はすすめられるままきちんとメイクされたベッドに腰を降ろした。
だが、話題がない。
気まずい沈黙が流れ、俺はとりあえずの話の継ぎ穂にまた昼間のことを話題に出した。
「その……ほんとに、昼間はごめんな」
楓ちゃんはちいさくかぶりを振る。
「わたし、気にしてませんから」
「でも、逃げちゃったでしょ」
「それは……」
楓ちゃんは黒目がちの瞳を伏せる。
「いやだったからじゃ……ないです」
「……ほんと?」
「ええ……。ただ、ちょっと……」
「ちょっと?」
さらにつっこむと楓ちやんはかすかに赤くなった。
「驚い、て……」
「そうなの?」
「はい……。あんなところに耕一さんが来るなんて、思って……なかったし」
「あ――そうか」
俺はようやく納得した。
考えてみればあたり前のことだ。俺だって、槻ちゃんがあんな場所にいるなんて思ってなかったんだから。
「それにしても――きみはどうしてあんな時間にあそこにいたの?」
「え……」
いくらか、楓ちゃんの表情がこわばった。俺は慌てて言葉を継ぐ。
「いや、別に責めてるんじゃないんだよ。俺なんか自慢じゃないけど学校なんかサボりまくってたクチだしさ。ただ――どうしてきみが次郎衛門の墓に手を合わせてたのかな、って思って」
楓ちゃんは目を伏せたまま、何も云わなかった。だが、どうやら返事を拒否している表情ではない。楓ちゃんから話を聞き出すためにはしんぼう強く待つことが大事だといい加減俺も理解していた。だからじっと黙って楓ちゃんが口を開くのを待つ。
「わたし……」
かなり長い沈黙のあとで、楓ちゃんはぼつりと口を開いた。
「ちいさいころから、よく見る夢が、あるんです」
「夢?」
こくん、と楓ちゃんは頷いた。
「戦いの、夢……なんです。炎が燃えさかっていて、わたしは一人の男の人が倒れている
のを見下ろしていて」
楓ちゃんが自分からこんなふうに話をしてくれるのは初めてだった。俺は楓ちゃんの言葉を遮ってしまわないように、慎重に頷く。
楓ちゃんはぽつりぽつりと話を続ける。
「その人はひどい怪我をしていて――このまま放っておけば死んでしまうのは明らかなんです。でも、わたしはその人を死なせたくなくて……」
ふと、ある光景が脳裏にひらめいた。
戦場。倒れた男。それを哀しそうに見下ろす一人の少女――。
「楓ちゃん。それって、もしかして伝説の……」
こらえきれなくなってつい口をはさむと、楓ちゃんはこくんと頭を縦に振った。
「鬼の伝説は、知っていました。地元の人間なら、誰でも知っているおとぎ話ですから。でも、次郎衛門と鬼の娘の話は、つい最近知ったことなんです。なのに、わたしはずっと昔から、何度もその光景を夢で見ていて……」
「どういう、ことなんだろうね」
俺の問いに楓ちゃんはかぶりを振る。
「わたしにも、わかりません。でも、たぶん――わたしの遺伝子が持っている記憶なんじゃないか、って……」
「遺伝子――?」
ふいに科学的な言葉が出てきて、俺は首をかしげた。楓ちゃんはかえってきょとんとした顔をする。
「耕一さん、知らないんですか?」
「え?」
「うちは――柏木家は、次郎衛門の末裔《まつえい》なんです」
「なんだって?」
俺はあんぐりと口を開けた。柏木一族が、次郎衛門の末商だって?
だけど、じゃあ――本当にあの伝説はただのおとぎ話じゃなくて、現実に起こったことだと云うのか? そんな、ばかな……。
「つまり、その……俺たちの体には鬼の血が流れてる、つて、そういうわけ?」
こくん、と楓ちゃんは頷く。
「わたしたちにも、耕一さん――あなたにも」
「だ、だけど――俺にはそんな、伝説にあるようなすごい力なんかないぜ?」
「わたしにも、ありません」
楓ちゃんはかすかに笑う。そして、また目を伏せた。
「ただ……」
「ただ?」
「わたしには……わかるんです。わかっていたんです。ずっと……お寺に残されているあの話を聞く前から。これは、ずっと昔の、わたしの記憶なんだ、って」
「楓ちゃん……」
「でも、わたしが、その確信を持ったのは――ついこの間です」
「この間? 何か、きっかけでもあったの?」
もうひとつ、こくんと楓ちゃんの頭が縦に振れた。
「三日前――八年ぶりに、耕一さんに会った時……」
「え?」
俺は一瞬、言葉を失った。
「……俺……?」
楓ちゃんは静かに頷いた。ゆっくりと息を吸い込み、そして顔をあげる。
「わたしが、ずっと見続けて来た夢の中で――わたしの足元に倒れていた人は、あなただったんです」
楓ちゃんのその吉葉に、俺は完全に絶句した。
「あなただったんです、耕一さん。ずっと夢の中でわたしが愛していた人は――」
俺の驚きと戸惑いから目をそらすように視線をずらして、楓ちゃんはさらに続けた。
「鬼――彼女の記憶によれば、彼らはエルクゥという種族で……。エルクゥは仲間の間では考えていることや感じたこと、気配などがわかるんです。そのエルクゥの血を引くわたしには、わかったんです。あなたは、あの人の生まれ変わった婆だって――。でも、あれはわたしの記憶――過去の記憶でしかなくて。あなたは、彼本人じゃない。なのに、それでもわたしは……。だから、あなたの顔がまっすぐに見られなくて……」
「楓、ちゃん……」
ようやく声が出た。
この子は――|雨月《うづき》山の鬼の末裔として生まれた彼女は、異種族でありながら恋ゆえに次郎衛門を助け、その咎《とが》で殺された鬼の娘の記憶をも持って生まれてしまったのか。そしてその強烈な記憶のゆえに、鬼の娘が恋した男に自分も……? まさか。
きっと、楓ちゃんは小さな頃に聞いた例の話を聞かされて、それを心のどこかで覚えているだけだ。夢の中の男が俺と同じ顔をしているというのは、きっと彼女の錯覚だ。
だが、楓ちゃんにとっては、それは疑うべくもない事実なのだ。
俺はあらためて楓ちゃんを見た。ほんのりと頬を染めて、楓ちゃんはうつむいている。
ふいに、俺はたまらなく楓ちゃんがいとおしくなつた。
楓ちゃんを恋愛の対象として見たことはなかった。年齢の差で云えば俺と千鶴さんと同じぐらいの差でしかないが、それ以上に今までの楓ちゃんは俺にとっては遠い存在だった。
だが、いとおしかった。口にできない思いをちいさな胸にそっと秘めてずっと耐えていた楓ちゃんの胸中を思うと、いじらしくてならない。
俺はごく自然に、腕を延ばして楓ちゃんのちいさな体を抱き寄せていた。
びく、と楓ちゃんが体を硬直させる。とく、とく、とく、とちいさな心臓が早鐘を打っているのがはっきりとわかった。その響きに呼応するように下半身が脈打ちはじめる。
「こ……ういち、さ、ん……」
「楓ちゃん……。俺のことが、好き?」
俺のささやいた言葉に楓ちゃんの体がかすかに震える。
「わから、ない、です……」
消え入りそうな声。
「もしかしたら、夢の中の人を、耕一さんに重ねているだけかも……」
「いいよ、それでも」
そういって、俺は楓ちゃんの髪をそつと撫でる。
「そうやって正直に云ってもらったほうが俺も気分が楽だ」
ほのかなシャンプーの香り。思いもかけなかった事態に楓ちゃんの体温が急激に上がっているのがはっきりと分かった。
そして、俺の体温と鼓動も。
「楓ちゃん」
いい香りのする楓ちゃんの髪に顔をうずめて、俺は云った。
「俺――今、ものすごく……きみがほしい」
「え……」
びく、と楓ちゃんの体にいっそうの緊張がはしる。
「でも……ごめん。俺にも、さあが好きなのかどうか、よくわかってないんだ」
「耕一 さん……」
「今はきみがものすごくいとおしい――。きみを抱きたい」
「……」
楓ちゃんの心臓が破裂してしまうのじゃないかと思うほど速い。
「無理じいはしないよ。――きみが決めていい」
俺は楓ちゃんを抱いていた腕の力をゆるめた。いやだったら簡単に腕の中から抜け出られるはずだ。
俺のムスコは、さっき見た異様な夢と心ならずも見てしまった初音ちゃんのヌードに刺激され、さらに今楓ちゃんの体温と鼓動を間近に感じてすっかり臨戦体勢に入っている。いくらか腰を引きぎみにしていたから楓ちゃんにはバレていないはずだが、かえって体を離せばひと目でわかってしまうだろう。
しかし、楓ちゃんは俺を押しのけようとはしなかった。逆に、おずおずと腕を上げて、俺の背に回したのだ。
「楓ちゃん……」
「わたしも――今は、耕一さんが……」
楓ちゃんの声は途中でかすれ、そして消えた。
だが、それだけで十分だった。
俺は片手でそっと楓ちゃんの頬を撫で、かるく力をこめて上を向かせた。
間近から見上げてくる楓ちゃんの瞳が、熱く潤んでいる。その感が閉じるのとほとんど同時に、俺の唇が楓ちゃんの唇をふさいだ。
第5章 疑惑
服の上からそっと乳房に触れると、楓ちゃんは身を硬くして俺の手から逃げようとした。
「いやなの?」
尋ねると、楓ちゃんはほのかに頬《ほほ》を染めてうつむく。
「わたし……胸、小さいから……」
か細い声。恥じらっているのだ。俺は|微笑《ほほえ》んで、もう一度楓ちゃんの乳房を手のひらですっぽりと覆った。
「あ……」
びくん、と震えて楓ちゃんはかすかな声をあげる。
たしかに、楓ちゃんのふくらみは小さい。だが陶の大きさなど、問題ではない。
「だいじょうぶだよ。だって感じるだろ? ほら……」
そういって、乳首のあたりを指の先でくりくりとこねる。楓ちゃんは「あっ」と呻《うめ》いて、ぎゅっと俺にしがみついてきた。
「こわい?」
俺の問いに、楓ちゃんは素直に|頷《うなず》く。そのあとすぐに、不安そうな顔になって俺を見上げてきた。
「あの、でも、わたし……」
「いいんだよ。こわくてあたり前だ」
俺は極力優しい手つきで楓ちゃんのブラウスのボタンを外し、その中へ手をさし入れた。白い、かわいらしいレースの飾りがついたブラジャーの上から、柔らかく楓ちゃんの胸を|揉《も》む。びくん、びくん、と楓ちゃんは全身を震わせた。
おそらく、まだ楓ちゃんにはどんな感覚が快楽なのかがよくわかっていないのだ。
俺は細心の注意を払ってブラジャーの中へ手を滑り込ませる。
小さな乳首はすでに硬く充血していた。俺はその先端を優しく、優しく指先で転がす。
「あ……つ、くっ……」
楓ちゃんは弾《はじ》かれたように俺にしがみついてきた。あいた腕で力強く抱き返してやり、俺はじかに楓ちゃんの乳房をやんわりと揉みしだく。
「あ――……。ふ……っ」
楓ちゃんは俺の|愛《あいぶ》撫に敏感に反応を示す。少しずつ愛撫する力を強めていっても、痛がる様子はなかった。
ブラジャーのホックを外し、あらわになったちいさな乳首に俺は唇を寄せる。
「あふ……っ!」
俺の唇が触れた瞬間、楓ちゃんは切なげなうめき声をあげて体をよじった。
「あ……。こう、い、ち……さ……ん」
片手で楓ちゃんの体を支え、スカートのホックを外し、ファスナーを降ろして引き下ろす。清潔な、やはりブラジャーと同じくちいさなレースの飾りがついた白いパンティがあらわになる。ごくうすく、パンティの布地を通して楓ちゃんの茂みが見えた。
茂みをすっぽり包むように、俺は楓ちゃんの恥丘全体を手のひらで圧迫した。そして指をすうっと割れ目へのばしていく。
指先がクリトリスをかすめると、楓ちゃんは大きく体を震わせて反応を示した。その時には俺の指は楓ちゃんの中心をとらえていた。布地を間にはさんでいても、そこがしっとりと濡れているのがはっきりとわかる。布地ごしにかるくさすると、じゆん、と愛液がさらに分泌されてくる。
「あふ……」
楓ちゃんの切なげな吐息。
俺は世界が高速で回転し始めたようなめまいを覚えた。あとちょっとでも血液が流れ込んできたら破裂してしまいそうにムスコはいきり立っている。
「ごめん――楓ちゃん」
「え……?」
「その、俺……だめだ。もう我慢できない」
もう楓ちゃんが怯《おび》えや痛みを感じないようにと思いやる余裕は俺には残っていなかった。楓ちゃんに残された最後の一枚をはぎ取る。悠長に服を脱いでいる余裕さえなかった。ファスナーをあけ、どうしようもなく張りつめたムスコを引き出す。
はじめて見る男のモノに、楓ちゃんの瞳が大きく見開かれた。
「耕一……さん……」
「きみがほしくてほしくて、こんなになっちまったんだ」
俺はベッドの端に座りなおし、楓ちゃんを膝《ひざ》の上に抱き上げた。
「ごめん……。ちょっと、痛いかもしれない。――……いいかい? 入れても」
低い声で|訊《き》くと、楓ちゃんはわずかに身をすくませた。いくらそのつもりでいたとしても、現実にコレを見てしまってためらいが生じたのだろう。しかし、わずかな沈黙の後で、楓ちゃんは意を決したようにぎゅっと目を閉じ、そしてはっきりと首を縦に振った。
「少し、腰を上げて」
「は……い」
ぎこちなく、楓ちゃんは腰を浮かす。俺は片手をムスコの根元に添え、狙《ねら》いを定める。そして、楓ちゃんの腰に添えたた手で、腰を降ろすように促した。
つぶ、と濡れた感触が先端を包む。
先端から全身へと駆け抜けた強烈な快感に、俺は思わずうめき声をもらした。
「すごい……。すごく気持ちいいよ、楓ちゃん」
楓ちゃんの緊張をほぐそうとそう声をかけ、ゆっくりと楓ちゃんの腰を引き寄せる。
「あ――」
楓ちゃんは小さな声をもらし、そしてきつく唇を|噛《か》んだ。
あまり苦痛を長引かせてはかわいそうだ。俺は下腹に力を入れ、腰の位置を固定して一気にぐっと楓ちゃんの腰を引き寄せた。
一瞬、ぐっと押し戻されるような抵抗があった。そしてそれがふつっと途切れ、ずぶずぶと俺のイチモツは楓ちゃんの中に沈み込んでいった。
「ああ……っ!」
処女膜が破れた瞬間、さすがに激痛に耐えかねたのか楓ちゃんは大きくのけぞって悲鳴をあげた。俺はぎゅっと楓ちゃんの体を抱きしめる。
ふり返った楓ちゃんの瞳には涙が浮かんでいた。痛みをこらえた表情がいたましく、罪悪感がわき起こる。しかし感情とは裏腹に体は正直で、楓ちゃんの肉襞にすっぽりと包み込まれた俺の分身は歓喜にひくついていた。
なるべく楓ちゃんに負担をかけないように注意しながら、俺はゆっくりと腰を動かし始めた。グラインドさせると処女膜の傷をいつそう広げてしまいそうだったので、前後に、小刻みに腰を揺らす。
「あ……っ。……くぅ――」
ひどく痛むのだろう。楓ちゃんは懸命に唇を噛みしめてうめき声をこらえようとする。俺は動きをとめ、楓ちゃんの体を優しく抱きしめた。
ぴったりと密着した肌から互いの体温と鼓動とがまじりあい、響き合う。いくらか異物感にも慣れたのか膣壁《ちつへき》も少し柔らかくなり、ひく、ひく、とゆるやかに脈打っていた。
楓ちゃんが抑えたため息をついた。かすかに身じろぎする。
と、びくっ、と楓ちゃんの体が震えた。
「あ――」
「どうしたの?」
「い、いえ……なんでも……」
首を振りかけて、楓ちゃんはまたひくりと身を震わせる。同時に楓ちゃんのあそこもびくっと震えて、俺をぐっと締めつけた。
「楓ちゃん……?」
「あ……っ」
楓ちゃんの顔をのぞき込もうと身をひねっただけだった。がく、がくん、と楓ちゃんの全身を震えが駆け抜けていく。
「――……気持ちいいの?」
「え……。そ、……そんな……」
「ウソはだめだよ」
俺は下腹に力を入れて、楓ちゃんの中でムスコをぴくりと震わせた。ひくっ、とその数倍の震えが楓ちゃんの体を揺らす。
「あ、ふ……っ」
「気持ちがいいんだね」
わざわざ確認するまでもなかった。楓ちゃんがもらした声は、さっきまでの苦痛をこらえる声とは明らかに違う。
俺はゆっくりと、楓ちゃんの反応を確かめながら慎重に腰を動かし始めた。
「あっ……――。あっ、んん…‥っ」
唇を噛んで、楓ちゃんは声をこらえようとする。俺は楓ちゃんを抱く腕に力をこめた。
「我慢しないで。声出していいんだよ」
「でも……あっ」
こつん、と先端が何かにあたった。楓ちゃんは、ひどく切なそうな声をあげる。
「これ?」
「あっ……」
「これが気持ちいいの?」
「あっ! ああっ」
くん、くん、と突くと楓ちゃんはそのつど全身を震わせて声をあげる。無意識になのだろう、控え目に自分から腰をくねらせはじめた。体がいっそう深い快感を求めているのだ。
「気持ちいいだろう? 恥ずかしいことなんかじゃないんだよ。ほら、云ってごらん、気持ちいい、つて」
「あ――あふ……っ……。あ、き……気持ち、いい……です……。くうぅっ……!」
その言葉を口にして無意識のうちにはめていた抑制が外れたのか、楓ちゃんは喉《のど》をそらしてよがり声をあげた。きゅう、と膣が収縮する。
ぐいぐいと奥へ吸いこまれるような感触がたまらない快感を絞り出す。思わず射精してしまいそうになって、俺は息を止めてそれをやり過ごした。先にイッてしまってはあまりに情けない。必死に射精をやりすごしつつ、動きを速め、強くしていく。
射精の快感をあとにとっておくというより、むしろそれは苦行に近かった。
「ああっ! あっ、いやっ、あっ……!」
次々と襲ってくる快感のうねりに翻弄《ほんろう》されて、楓ちゃんが激しく頭を振る。自分でももう何がどうなっているのかわからなくなっているのだろう。俺の上で腰をうねらせ、全身をくねらせて身悶《みもだ》える。そのたびに俺はこめかみの血管が切れそうになりながら腰の奥から怒涛のように突き上げてくる射精感と戦い続けた。
「あっ、あっ、あっ――」
楓ちゃんの声のトーンが徐々に変わってきた。切なそうな響きは影をひそめ、かわりにどこかせっぱっまったものがまじってくる。俺は体勢を変え、楓ちゃんをベッドに仰向けに横たえて覆いかぶきった。激しくピストン運動をする。
「あ、あ、あ――こ……いち、さ――あっあっ……。わ、わたし、い、いや……つ」
「楓ちゃん!」
俺は力いっぱい楓ちゃんのちいさな体を抱きしめた。
「こう、……いち……さ――。あっ、ああっ、耕一さあーーーんっ!」
俺の腕の中で楓ちゃんは狂ったようにもがき、俺の名を絶叫した。
ぐうっ、と楓ちゃんの膣が収縮する。
目の裏が真っ白に弾けた。
「うう……つ! 楓ちゃんっ!」
楓ちゃんがイッた瞬間、俺の抑制も限界を越えた。最後に残ったひとかけらの理性で楓ちゃんの体を押しのけ、懸命に腰を引く。
ぎりぎりで間に合った。ぐったりとなった楓ちゃんのお腹から胸へと、続けざまに俺の精液が飛び散る。三度、四度、五度と噴出は続き、そのつど意識が真っ白にはじけていく。
その閃光の中に、俺は何かの映像を見たように思った。
ふしぎな服を着た、悲しげな表情の女の子――。
さびしげに目を伏せた表情が誰かを思い出させる……ああ、そうだ。楓ちゃんだ。
ぼんやりとそう思ったのと、意識がぼやけ、かすんでいったのとはほとんど同時だった。
切れていたスイッチがばちっと入ったような感じで、日が覚めた。
――…………朝だ。
変な気分だった。眠っていたのだという感じがしない。かといって睡眠不足で疲労がたまっているわけでもない。むしろ非常にすっきり、というかさっぱりした気分だ。
起き上がる。俺は自分の部屋の、自分のふとんでちゃんと寝ていたらしい。
だが、たしかゆうべは楓ちゃんと……。
|股間《こかん》を見下ろすと、ムスコは行儀よくおさまっていた。たっぷりと夢精したあとであれだけ出したのだから、当然といえば当然だ。つまりは間違いなく、俺はゆうべ楓ちゃんとしたのだということになるのだろう。
……じゃあ、なにか? このすがすがしい気分はたまっていたものを抜いたからだとでもいうのだろうか。
しかしほかに理由も思いつかない。なんとなく赤面した気分で俺はふとんから這い出し、着替えて茶の間へいった。きのうの宣言どおり、梓は俺を起こそうとか食事をとっておいてやろうなどと考えないだろう。
茶の間へ顔を出すと、ちゃぶ台に梓と初音ちゃんが向かっていた。著をくわえるようにして二人してじっとテレビに見入っている。千鶴さんと楓ちゃんの姿はなかった。
「どうしたんだ? なんかあったのか?」
「あ、おにいちゃん!」
もう一度声をかけると、ようやく俺に気がついたらしく初音ちゃんがふり返った。
「ねえねえ、大変だよ! ゆうべ、殺人事件があったんだって! しかもすぐ近くで!」
初音ちゃんが何をいっているのか、一瞬わからなかった。首をかしげながら、俺はちゃぶ台の前に腰を降ろす。
「どういうこと?」
「ゆうべ、殺人事件が起こったんだよ。しかも、うちのすぐ近くでさ」
梓が箸を降ろした。手を伸ばして、俺の席の前に伏せてあった飯碗をとる。
「電車でふた駅ぐらいのところ。四人もいっぺんに殺されたんだって」
「へえ……?」
梓がついでくれたご飯を受け取って、俺はちらりとテレビを見た。
「……!」
俺の目は画面に釘付けになった。
信じられなかった。
テレビの画面には、どこかの公園らしい風景が映し出されていた。マイクを握ったレポーターを中心に、背後のほうでは制服の警官が何人も動き回っている。
『……このように、被害者はいずれも尋常ならざる殺され方をしており、警察では猛獣に襲われたのではないかという見解を強めております。しかしそのような猛獣が逃げ出したなどの届け出はなく、また現場からもそれらしい体毛や足跡が発見されていないなど、まだまだこの事件は不可解な謎に包まれています』
なんて……。
なんてことだ…………。
俺は……この風景を知っている。
昨夜、梓の部屋で倒れて、目を覚ますまで見ていた夢。四人の男を惨殺し、そしてかおりちゃんを拉致して、犯した、あの夢――。
あの夢の中で俺が殺戮《さつりく》の限りを尽くしたのは、まさにこの場所だったのだ。
まさか。こんなことが、あっていいのか……?
夢と同じ場所。四人の被害者――?
あれは、夢じゃなかったというのか……?
「どしたの? 耕一」
「え」
梓の不審げな声に俺ははっと我に返った。梓と初音ちゃんがじっとこっちを見ている。
「いや、なんでもない。ちょっと、びっくりしただけだ」
そう答えながらも目はまたテレビ画面に引き寄せられていく。
やはり、あの場所だ。間違いない。
これが地元なのだったら、そういう偶然もあるかもしれないと無理やり自分を納得させられたかもしれない。だが俺はこの土地の住人じゃない。あの公園にだって、一度も行ったことはないのだ。
レポーターが画面の外にちらっと目を向けた。のぴてきた手から何かが書かれた紙きれを受け取る。
『今、新しい情報が入りました! ――−ただいま入った情報によりますと、現場付近から持ち主不明の学生カバンが発見された模様です。……あ、お待ちください』
また、画面の外から手だけがのびてくる。レポーターは追加情報の書かれた上に目を落として、深刻そうな表情をつくった。
『あらためてお伝えします。現場付近で学生カバンが発見されました。このカバンは血だまりの中に落ちていたもので、持ち主はカバンの中に残されていた生徒手帳から付近の高校に通っている日吉かおりさん、十六歳のものと判明しました』
「何だってぇっ?」
がたん、と梓が膝立ちになった。初音ちゃんも、俺も言葉を失った。
かおりちゃん? 昨日梓のところへ遊びにきた、俺が夢の中で犯していた、あのかおりちゃんが? 現場にいた?
『警察が確認をとったところ、日吉さんは咋夜遅くなっても帰宅せず、ご両親から捜索願いが出されていました。警察では日吉さんが学校からの帰宅途中、事件現場に通りがかり巻き込まれたとの見解を強め、日吉さんの捜索に全力をあげる方針を固めたとのことです』
「かおり……」
呆然と梓がつぶやく。
「帰宅途中って……じゃあ、うちから帰る間に――……」
「おねえちゃん……」
初音ちゃんが気遣わしげにそっと梓を呼ぶ。
「……だ、だいじょうぶだよ。現場にカバンが落ちてただけなんでしょ? きっとかおりさん、無事だよ」
「うん……」
頷きはしたものの、梓の表情は沈んでいた。
「だと、いいんだけど……」
その後しばらく俺たちはじっとテレビを凝視していたがそれ以上の新しい情報は入ってこなかった。時間が来て初音ちゃんと梓は登校していき、茶の間にはまだ呆然としている俺一人が残された。
俺にはまだ信じられなかった。
あの夢が夢じゃなく、事実だったなんてことがありえるんだろうか。
だとしたら俺は意識を失っていた間に屋敷を抜け出し、現場までいって殺人を犯したことになる。いや、そればかりか、かおりちゃんを拉致して強姦したことも事実になってしまうではないか。
俺は夢遊病の二重人格者で、しかも殺人淫楽症なのか――?
そんな、ばかな。
信じられない。いや、信じたくない、というのが本音だ。
いつの間にか食器は空になっていたが、どうやって食べたのか、どこに入ったのかもよくわかっていなかった。俺は食器を台所へさげて、部屋へ戻って財布と鍵をつかんだ。
ここで考えこんでいても何もはじまらない。ほんとうにテレビにうつっていた映像が夢の風景と同じ場所なのか確かめてみればいいのだ。それでもし事実だったら――。
その時はその時に悩めばいい。
玄関には千鶴さんのパンプスだけが残されていた。楓ちゃんもいつの間にか学校へ出ていってしまっていたらしい。ゆうべあれだけ激しくして、体のほうは大丈夫だろうかとちらりと考えたが、その時の俺には猟奇殺人と自分の関係を確認するほうが重要だった。楓ちゃんとは夜にでもあらためて話をすればいい。そう考えて靴をはく。
急ぎ足で駅まで歩き、そして電車に乗る。駅の名前は何度もレポーターがくり返していたからわかっていた。
改札を抜けて駅前広場に出る。空はよく晴れていた。気温はまだかなり高かったが、空はすでに秋のそれ、さわやかな秋晴れだ。この太陽がのぼる前に、陰惨な殺人事件が起こっていたなどとはとても信じられない。
駅前の案内板で公園の場所を確認し、足を向ける。その間ずっと注意深くあたりを見回してみたが、見覚えのある風景はどこにもなかった。なんとなく、ちょっとほっとする。
しかしその|安堵《あんど》も公園に一歩足を踏み入れた瞬間に吹き飛んだ。
知つている。
俺は確かに、夢の中でここにいた。
公園のあちこちにはロープが張られ、警官が忙しく動き回っていた。野次馬の数もすごい。俺は人の間を縫い、立入禁止の場所は避けたものの公園のあちこちを歩き回ってみた。しかし求めていた安堵は得られなかった。見て回れば回るほど、確信が強まってくる。
俺は、やはり夢遊病の二重人格者なのだ一一。
大きなため息をついたとき、俺は人ごみの中に知った顔を見つけた。
あれは、たしか一一。
急いで俺は彼女のあとを追った。だが名前が思い出せない。
そう。そうだ。
「相田さん!」
俺の声に彼女――昨日屋敷の前で会った雑誌記者、相田響子さんはふり返った。きょとんとした顔で俺を見、そして一瞬おいて「ああ」という顔になる。
「たしか、柏木さんの――」
「耕一です」
「そうそう、耕一くんだったわね。昨日はどうもありがとう」
「いえ。どうしたんですか、こんなところで」
「取材よ」
響子さんは苦笑いのような表情を浮かべて、肩をすくめた。
「耕一くんも知ってるでしょう? ゆうべの事件」
「ええ」
「こっちに来てたもんだから、応援に駆り出されちゃったのよ。超過勤務だって文句云ったんだけどね、報道に携わる者の義務だ、なんて編集長に云われちゃって」
昨日感じた印象のとおりはきはきした口調で云って、響子さんはぺろっと舌を出した。どうやら口で云っているはどこの取材がいやではないようだ。やはりマスコミ人としての血がさわぐのだろうか。
俺はふと思いついたことを口にした。
「相田さん、マスコミなんだったら警察の捜査状況なんかも教えてもらえるんですよね」
「うん……いちおうはね。でも部外者の人には教えられないわよ。マスコミにはマスコミの守秘義務うていうのがあるの」
予防線を張られてしまった。しかし俺は食い下がる。
「そこをなんとか、教えてもらえませんか」
「でもねえ……」
「知り合いが巻き込まれてるかもしれないんですよ。だから気になって」
「知り合い?」
響子さんは目を丸くする。俺は領いた。
「テレビで見たんですよ。例の学生カバンの持ち主、うちのイトコの後輩で……。昨日、うちに来てたんですよ」
「ちょっと……!」
響子さんは貴剣な表情になった。俺を引っ張って、野次馬のいな居場所へ連れていく。
「ぞれ、ほんとう?」
「ええ。きのう、彼女うちへ遊びに来て。だからその帰りに襲われた……とか、事件を目撃しちゃったとか、そういうことなんじゃないのかって」
もし俺が夢で見たものが真実なのだとしたらかおりちゃんは俺に拉致されてどこかにあるフローリングの部屋に監禁されているのだが、それは口に出すわけにはいかない。云ったところで夢で見たというのでは説得力もないだろう。逆に信じてもらえたとしたら、それは真犯人は俺だという告白になってしまいかねない。
たしかに夢の中での犯人は俺だったが、俺にはあれが俺だという確信はないのだ。
「……わかったわ。でも、ほかの誰にも云っちゃだめよ」
しばらく考えていた響子さんは、ややおいて頷いた。
「日吉さんのきのうの行動、警察でもつかめなくて囲ってるみたいなの。あなたの名前は伏せるから、このこと、警察に報告してもいいわね?」
「ええ。そのかわり」
「わかってるわ」
響子さんは頷いて、まわりに野次馬がいないことをもう一度確認してから授査の状況を話してくれた。
事件が起こったと思われるのは昨夜九時半すぎごろ。四人の男性がこの公園の一角で次々に殺された。死亡推定時刻は全員ほぼ同じ。九時半から四五分ごろの十五分の間に集中しており、また折り重なるようにして死んでいた二人は友人向士だったようだが残り二人の被害者、合計三組には互いになんの関係もなさそうなところからたまたまその時刻に公園に通りがかった何人かが不幸にも殺されたとの見方が強いらしい。
そして二人組の殺されたすぐ近くの血だまりにかおりちゃんの学生カバンが落ちていたのだという。しかしかおりちゃんの姿はどこにもなく、家に連絡もない。警察では犯人に拉致されたか、殺されて別の場所に遺棄されたかのどちらかだと思っている。
「こんなところね」
響子さんはバッグの中から名刺を取り出し、その裏に何かを書きつけた。俺にさし出す。
「これ、わたしの携帯の電話番号。進展があったら教えてあげるから電話をちょうだい」
俺は名刺を受け取ってポケットに入れ、響子さんと別れた。
情報そのものはあまり役には立たなかったが、死体のあった位置、そして向きなどはやはり俺の記憶と一致していた。俺はあんたんとした思いで公園をあとにする。調べれば調べるほど、あの夢は事実だったのだという証拠のほうが増えていく。
やりきれなかった。あの凄惨な光景が事実だったということだけでさえショックなのに、もしかしたら犯人は自分かもしれないのだ。
かおりちゃんはどうしているのだろう。
唯一の救いといえば、あの夢が事実なのだとしたら、かおりちゃんは殺されてはいないはずだということだ。
あのフローリングの部屋。三晩続けて心の中の奴と戦い、そしてかおりちゃんを犯したあの部屋も、どこかに実在しているというのだろうか。
――いや。待てよ。
昨日の朝も、俺は自分の部屋で目を覚ました。その直前まで、あの夢を見ていて、そして千鶴さんが俺を起こしに来ていたではないか。
一瞬にしてあの部屋から屋敷に戻ることなど、いくらなんでも不可能なはずだし、俺が部屋にいなくて、突然大声とともに姿をあらわしたのなら千鶴さんだって何か云うはずだ。
やはり、あれは夢だ。夢でなくてはつじつまが合わない。
しかし――夢だとしてしまうと、昨夜の事件がつじつまが合わなくなってしまう。こちらを立てればあちらが立たずというか……どうにも不条理だ。
分けて考えてみるというのはどうだろう。
昨夜の事件は、すくなくとも四人の男が殺されたというところまでは事実だ。俺の夢の記憶ともぴったり合致する。
そして、あのフローリングの部屋。あれは、俺の妄想というか心象風景というか、ほんとうに「夢」なのだとする。
それなら説明がつかなくも……いや、まるでつかない。なぜ俺は殺人の現場をあんなにはっきりと夢に見ているんだ? 無意識のうちに幽体離脱であの公園にさまよい出たとでもいうのか?
考え込みながら俺は駅へと引き返し、屋敷へと戻った。玄関に入ってふと見ると学生靴が一足おかれている。千鶴さんは会社に行ったようだったが、妹たち三人の誰かは帰宅しているらしい。
一瞬、楓ちゃんが帰っているのかと思った。やはり昨夜のことで体がつらくて早退したのかもしれない、と。
しかし、家にいたのは楓ちゃんではなかった。廊下で梓と会ったのだ。制服も脱いで、私服に着替えている。
「どうした、梓。学校は?」
「学校、午後休みになったんだ。かおりの件で対策会議だっていって」
梓の表情が冴えない。きのうの夕方まで一緒にいた後輩がゆうべから行方不明なのだ。気になって当然だろう。
「先生か誰かに云ったのか? かおりちゃん、きのううちに来たって」
「うん……いちおうね。警察も来てて、いろいろ聞かれたけど――結局たいした役には立てなかったみたい」
なるほど、それもあってしょげてるのか。
「そんなに気にするなよ。かおりちゃん、きっと無事だよ」
すくなくとも、命だけはあるはずだ。俺の夢が現実なのだとしたら。だがそれは梓に云うわけにはいかない。
「うん……」
梓は添いたがやはりしょぼんとしていた。言葉で慰められたぐらいでは気休めにしかならない。それはわかっていたが、俺にはほかに云ってやれる言葉はなかった。
もう一度「元気出せよ」 と肩を叩《たた》いて、俺は自分の部屋へ戻った。朝起きたまま敷きっぱなしのふとんにごろりとひっくり返ると大きなため息がもれる。
あの夢は、いったいなんなのだろう。
ここへ来てから見るようになった夢。心の中で外へ出せと暴れる狂暴な意識。
そして奴は解き放たれ、夢想していたとおりに男を残虐に殺戮し、女をさらって犯した。
つじつまは合っているのだ。
夢だとは思えないほどに。
ひどく、体が重かった。たいして歩き回ったわけでもないのにやけに疲れている。今朝はあれほどすっきりした気分でいたというのに。それとも昨夜からの疲労が今ごろ表に出てきたのだろうか。
いつしか、俺はうとうとと眠りに落ちていった。
そして、俺はまた夢の続きを見たのだ――。
第6章  錯綜
足元に、死体が転がっている。
最初に目にした映像がそれだった。俺は、ただ呆然とその非現実的な光景を見つめていた。
死体には頭部がなかった。しかし、見覚えのある紺色の制服は、死体の職業が警察官だということを俺に教えていた。
息を飲む、鋭い音が聞こえた。
俺の視線は警官の死体を離れ、音のしたほうへと移動する。
息を飲んだのは、今度は俺だった。俺の体を支配している|奴《・》ではなく、|奴《・》の目を通して外界を見ている、俺だ。
「あ……あなたが、犯人ね!」
驚きなのか、それとも恐怖のせいか、蒼白《そうはく》に顔を引きつらせて俺の目の前に立っていたのは、響子さんだった。
女は恐怖に震えていた。女の分泌する汗から強い緊張を示す匂《にお》いがしている。
俺はたった今殺した男の体をまたぎ越え、女に向かって足を踏み出した。
「こ、来ないで!」
女は上擦った声で叫び、よろよろと後ずさる。
「すぐそこに、わたしの仲間がいるわ。今こっちに向かって来てるんだから! あなたはもう逃げられないのよ。観念しなさい!」
気丈な女だ。俺の姿を目の前にして、強がりにせよこれだけ口がきけるとは。
人間にしておくのは惜しい気の強さ。
だが、これは同族ではない。同族の女になら感じるはずの気高い美しきがない。
これはただの人間の女だ。
ならば、この女に求めるものは一つ。
俺はいくらか顔を上げて、空気の匂いをかいだ。
笑みがこみあげて来る。
女の云った「仲間」など、どこにもいはしない。ただのハッタリだ。
俺はもう一歩、女との距離を詰めた。
逃げるんだ、響子さん!
俺は叫ぼうとしたが、声は出なかった。困体の主導権は、完全に|奴《・》に握られている。
俺の足はさらに響子さんに向かって踏み出し、そして響子さんは顔をひきつらせて身を翻した。かつかつかつかつ、とパンプスのヒールを鳴らして走っていく。
逃げろ。逃げきってくれ!
俺にできることはただ、そう祈り続けることだけだった。
女が走ってゆく。息を弾ませて、懸命に逃げてゆく。
俺から逃げられるとでも思っているのか。
くくく……。
やはり、人間は人間にすぎないということだ。
俺は女を追いはじめるまでに間をとった。女が、もしかしたら逃げきれるのではないかという愚かな希望が持てる程度の。
女の姿が数十メートル遠ざかったところで俺は膝《ひざ》のバネにぐっと力をこめ、高々と跳躍した。ひと跳びで女との距離を半分に詰め、もうひと跳びで女を飛び越えてその正面に着地する。
「ひっ……!」
今度こぞ、女の顔がはつきりとした恐怖に歪《ゆが》んだ。
一瞬立ちすくみ、それでもなお逃げようときびすを返してもと来た方向へ走り出した女に俺は瞬時に追いついた。女の首筋に力を加減した手刀の一撃をふり降ろす。
女は声もなく、ぐったりと力を失ってアスファルトに崩折れた。俺はかがみこんで女を肩にかつぎ上げようとした。
ごおぉっ!
すさまじい冷気と鋭利な殺気とが襲いかかつてきた。俺は反射的に女から跳びすさり、身構える。
闇の中からひたひたと抑えた足音が近づいて来る。
これは。
この気配は――。
冴え冴えとした、凛とした気品にあふれた気配。
暗がりからすっと婆を現した女を、俺はまじまじと見つめた。
静かな、暗い瞳をした、同族の女を。
俺は自分の見ているものが信じられずにいた。
奴が――もう一人の俺が「同族の女」と呼んだ女性を、俺は知っていた。
いや、ほんとに彼女が俺の知っている女性と同じ人物なのか、俺には瞬時には判断できなかった。それほど、彼女のまとっている気配は俺の知っている彼女のものとは違っていた。俺の知っている彼女はおっとりとした、年齢に不似合いな無邪気さとどこかとぼけた部分を持った、かわいらしい女性だった。暗く沈んだ、そして重い殺気を秘めた、こんな瞳をした女性ではない。
しかし、どう見ても間違いなかった。
だが、どうして……千鶴さんが、ここに――。
「やっぱり、あなただったのですね、耕一さん」
静かに口を開いた千鶴さんの声はどこか悲しげな響きを帯びていた。
「その兆候がまったく感じられなかったので安心していたのですけれど――残念でなりま
せん」
千鶴さん……? いったい、何を云ってるんだ?
それに、こいつは俺じゃない。いや、たしかに俺の夢ではあるけれど、でもこれは俺の意志でやってることじゃないんだ! わかってくれ!
だが俺の声は千鶴さんには届かない。
千鶴さんはほんの一瞬、悲しをうに瞳を伏せた。そしてきっと顔をあげてまっすぐに俺を見る。
「だけど、こうなってしまったからには、仕方がありません。わたしは……」
「わたしは、あなたを、殺さなくてはならない」
同族の女はそう宣言すると、ゆっくりと戦いの構えをとった。ごうっ、と殺気のこもった冷気がふきつけてくる。
なんと美しい女だろうか。同族の女にしかない、ひどく気高い美しさ。
全身が歓喜に震えた。
この美しい同族をめちゃくちゃに切り裂くことを考えるとたまらなくぞくぞくする。
人間の命でさえ、その|終焉《終焉》の炎はあれほど美しく輝くのだ。人間とは比べものにならないほどの生命力にあふれる同族の命が尽きる瞬間の炎はどれほど美しいことか。
俺も全身のバネに力をため、同族の女の攻撃にそなえる防御の姿勢をとった。
互いに睨《にら》みあったまま、じりじりと間合いを詰める。
「しゃあっ!」
同族の女の唇から、鋭い気合が|迸《ほとばし》った。
来る。
――速い!
女は一陣の黒い風となって俺に襲いかかってきた。
すさまじい風圧が視界を歪ませる。
鋭利な刃物と化した長い爪が俺の心臓を狙《ねら》う。
俺は背後へ大きく跳び、その攻撃を避けたがほんのわずか、女の方が早かった。
女の爪が俺の胸の筋肉をえぐる。しかし致命傷というほどではない。
女が唇を|噛《か》む。一撃で仕留めきれなかったことを悔しがっているのか。
今度は俺が攻撃を見舞う番だ。
構える。
その時だった。
「おい! そこに誰かいるのか!」
緊張した叫び声。
素早くそちらへ視線を走らせた俺の目に、二人組の警官が駆けてくる婆がうつった。どうやら、先ほど狩った獲物の死体を見つけたらしい。
せっかくの同族との対決を邪魔するつもりか。うっとおしい。
いいだろう。先にあれを殺してしまってから――。
が、警官の姿を日にして同族の女はふいに構えを解いた。殺気が消えてゆく。
そこに立っていたのはただの人間の女だった。
女は俺に短い一瞥を投げると、くるりときびすを返して警官とは逆の方向へ素早く駆け去っていった。
「おい! おまえ! ここで何を……」
「う……うわああっ! 化け物だあっ!」
俺はゆつくりと警官のほうに向き直った。
たかが入間の分際で、よくも、せっかくの同族との戦いを――。
俺はひと声咆哮をあげると跳躍した。全体重をこめて、警官の片方を踏みつぶす。同時にもう一人を上から下へと思いきり爪で切り降ろした。
ぎゃああっ、という悲鳴とともに、二体の獲物からばあっと青白い炎が吹き出す。
しかし、その炎は今の俺にはなんの歓喜ももたらしはしなかった。
俺が酔いしれるのは、同族の女の断末魔の炎だったはずなのだ。こんな色あせた炎など、見たかったわけではない。
あっさりと炎の燃えつきたふたつの死骸を投げ捨てて、俺は素早く周囲を見回した。もうあの同族の女の姿はどこにもない。
なぜだ。なぜ戦うのをやめて逃げた。
女の爪に切り裂かれた胸の傷が疼《うず》く。俺たち狩猟者の治癒力は高い。この程度の傷なら数日もたたずにあとも残さず消えてしまう。
しかし傷を受けたという記憶だけは決して消えることはないだろう。
胸が疼く。
この疼きは、あの女を引き裂き、その命の炎が燃え上がるのを見るまでは消えることはないだろう――。
しかし、あの女は手ごわい。こちらも万全の準備を整えて対峙しなければ、あるいは倒すことはできないかもしれない。
そうだ。冷静になることだ。こんな状態でもう一度女と向き合ったとしても、勝つことは難しい。
俺は大きく息を吸った。視線をめぐらし、先ほど投げ捨てた人間の女を探す。
女はまだ道ばたに転がっていた。意識をとり戻してはいないようだ。
満たされなかった戦いへの欲求を晴らし、冷静さをとり戻すには、女を抱くのがいちばん早い。
俺はあらためて女の上にかがみこみ、その体を肩にかつぎあげた。
ぐったりとした響子さんの休をまるで子供を抱き上げるように軽々とかつぎ上げ、奴は地面を蹴った。高々と宙に飛び上がる。
電信柱の上へ跳び、そこから近くの家の屋根、マンションの屋上と次々に跳び移って響子さんを運んでいく。
耳もとをびゅんびゅんと風がかすめる。
くらくらとめまいがした。
意識がぼやけてゆく。
だめだ――意識を失ってはいけない。
こいつがどこへ向かうのかを見定めなければ……。
しかし、意識を保とうとする努力もむなしく、ふっ、とカメラが切り替わるような間があり、再び映像が戻って来た時にはすでに俺はあのフローリングの部屋にいた。
「う……っ」
足元からかすかなうめき声がする。響子さんの声だ。
響子さんは俺の足元に転がされていた。服をほとんどはぎとられ、かおりちゃんがつけられていたのと似たような太い草のバンドを首と両手首にはめられている。首輪には太い鎖がついており、服の上から見た時にはわからなかった豊満な乳房の谷間から、膝の少し上まで引き下ろしたパンティが隠していたはずの場所を通って、背後へと抜けている。その鎖の先端を握っていたのは、俺の手だった。
「だいぶ、薬が効いてきたようだな」
そう云って、俺は鎖の端をかるく引っ張った。じゃら、と音がしてぴんと張った鎖が響子さんの秘部をこする。
「あ……っ!」
響子さんはびくっと身を縮めて、弱々しく頭を振った。
「い、や……。やめ、て……」
「やめて、だと? ほんとうにやめてはしいのか?」
そう云いながら、俺はリズミカルに鎖をじゃらじゃらと引っ張った。くい、くい、と鎖が響子さんのあそこに食い込んではゆるむ。
「あっ! あっ、ああっ!」
響子さんは顔を真っ赤にして、苦しげな声をあげた。激しく頭を振る。
「いやっ、いやあっ!」
「強情な奴だな。それとも、これくらいの刺激じゃ足りないと云いたいのか」
俺の足が響子さんの肩を蹴って仰向けにさせた。響子さんの体の下敷きになってひっかかった鎖がぐっとあそこに食い込んだ。
「あああっ!」
響子さんは大きく背中をそらして長く声をあげた。その動きで鎖がよじれ、さらにあそこを圧迫する。響子さんの体はびくびくと痙攣《けいれん》し、そのたびにさらにうねる鎖にこすられていっそう高く声を放つ。
見ると、鎖はすでに響子さんの愛液にまみれてぬらぬらと濡れた光を放っていた。
「しばらくそうやっていろ」
俺は云い放ち、ほとんどゆるみを残さずに響子さんの首輪の後ろのところに鎖の端をつないだ。響子さんが小さな身じろぎをしただけでも鎖は食い込んで響子さんを責めることになる。
「あ……つ! あっ、だ、だめっ……わたし……」
豊満な腰が悩ましげにくねる。
響子さんは唇を噛んで眉《まゆ》をしかめ、弱々しくかぶりを振った。じれたようにむっちりとした太腿《ふともも》をすり合わせ、円を描くように尻をうねらせる。
「あっ……あんっ……! うん……っ」
はあっ、はあつ、と響子さんのもらす吐息が荒くなっていくら脚を広げ、閉じ、せわしなくこすり合わせ、そして全身をくねらせてわきあがる快感をこらえようとしている。
しかし、響子さんの自制心がすでに尽きかけているのは明らかだった。
「あ……いや、だめ…‥。あっ……お願い、許してぇ……」
びくっ、びくっ、と断続的に体を震わせて響子さんは泣き声をあげた。
「いやあ……いや、あっ……ひいっ……」
食い込んだ鎖に反応して震える体が、さらに刺激を引き出してしまう。響子さんはひっきりなしに声をあげ、そのたびにもっと感じてさらに身をよじり、よがり声をあげる。
「いやあっ! あっ、ああああっ! いやっ、いやあっ、もういやぁっ!」
途切れる間もなく押し寄せる快楽の波にもみくちゃにされて、響子さんは絶叫を放った。
「助けてっ! どうにかしてっ! 入れてっ、入れてっ、入れてええええっっ!」
「ようやく素直になったな」
俺はズボンの前をあけた。ずっと|勃起《ぼっき》したままだったペニスを引き出す。
「動物は、動物らしく本能の欲するままにふるまうのが自然だ」
響子さんの首輪につけた鎖を外し、ぐいと片方の脚を引っ張って引き寄せる。すでに愛液でべちょべちょになった場所にぐっとつき入れた。
「くあああああぁ……つ! ああっ! いっ、イッちゃううぅつ!」
すでにどうしようもなくじれていた響子さんは俺のモノが根元まで埋まった瞬間、絶叫を放って全身をつっばらせた。びくっ、びくっ、と熟れた膣《ちつ》が収縮し、俺のモノを締めつける。俺はその心地よい締めつけをいっそう楽しむためにくいくいと腰をグラインドさせる。
「あ……っ! あっ、だめっ! また……っ!」
たちまちのうちに、二度目の絶頂が響子さんを襲う。さすがに男を受け入れることに慣れている熟れた肉は反応がいい。俺がなおも腰をグラインドさせ、ぐいぐいとつきたてるとそのたびに喉《のど》を絞ってよがり、快感にのたうち回る。
「あっ、あひぃっ! すっ、すごいっ、死んじゃうっ、死んじゃううううっ!」
三度、四度と続けざまに響子さんは達した。それでも俺の動きをあますところなく感じとろうと腰をうねらせ、つき出してくる。
「まだ感じるだろう。もっと感じたいんだろう? これくらいでは満足できまい」
「あっ! ああっ! くひっ……!」
手をのばして響子さんの乳房をぐっとわしつかみにする。小豆ほどの大きさにふくれあがった乳首を指先で思いきりつまんでひねると響子さんは狂乱して激しく頭を振り、ぴくぴくと膣を痙撃させた。
「あああっ! ひっ、いっ、いいっ! いひいぃーーーーーっ!」
俺が腰を突き込み、うねらせるたびに響子さんのあげる声から人間らしさがはがれ落ちていく。快楽に狂った牝の獣と化して、彼女は果てしなく悦楽をむさぼり続ける。
燃えるように熱い膣。あとからあとからにじみ出る淫水があふれ、流れ出し、むっちりとした太ももをつたって床に塗り広げられていく。
よがり狂う響子さんを眺めながら俺はうすく笑い、ふいに腰の動きをとめた。
「あっ! あああっ! くひいっ……!」
もはや言葉の残骸《ざんがい》さえもとどめていない獣じみたわめき声をあげて、響子さんは狂ったように身をよじり、腰を振る。俺はがっちりと響子さんの腰を押さえ込み、じっと動かずにじらす。
「うあっ! ぁぁぁぁぁぁぁっっ! いいいいいぃぃ――っ!」
響子さんの瞳から、完全に正気の光が消えた。開きっぱなしの唇からだらだらとよだれを流し、|不明瞭《ふめいりょう》に濁った声を喉につまらせてひくひくと全身を痙攣させる。
俺はぐっと響子さんの腰を支えなおし、思いきり深くペニスをつきこんだ。亀頭の先端が充血した子宮口を叩《たた》く。
「いひいいいぃぃっっっ!」
背骨が折れるほど大きくのけぞって、響子さんはがくがくと激しく全身を痙攣させた。爆発的な快感がわきあがり、俺は一気に精を放つ。
どくっ、どくっ、どくっ!
「あいっ、ひっ、ひああああああぁぁぁっっ!」
子宮口に次々とたたきつけられる精液の塊に絶叫を放った響子さんの口元から、だらりと桃色の舌がはみ出した。ぷっつりと糸が切れたように響子さんの体が床に落ちる。
目を見開いたままぴくりとも動かなくなった響子さんの膣から俺は欲望を遂げた性器を引き抜いた。むっちりと盛り上がった白い|臀部《でんぶ》にこすりつけて、自身の精液と響子さんの愛液にまみれたペニスを拭《ぬぐ》く。
こぷっ、と音をたてて俺のペニスの大きさに開いたままの腫口から白濁した液体がこぼれ出た。
はっと目を見開いたまま、俺はしばらく身動きもできずに硬直していた。
全身にじっとりと脂汗がにじみ出て来る。
かおりちゃんばかりか、響子さんまでもが奴の――俺の|餌食《えじき》に……。
夢だ。
誰か、頼むから、あれはただの悪夢だったのだと云ってくれ。
「頼むよ……」
震えたつぶやきがこぼれ出た。
「頼むから、もう、終わりにしてくれ……」
手足の先が冷たい。
あんな――あんな残虐な行為が許されていいのか。
ほんとうに、あれは、俺なのか……?
もし、そうなのだとしたら――どれほど俺の意志とかけ離れていたとしてもあれが真実俺のやったことなのだとしたら。
俺は、かおりちゃんのご両親や響子さんの彼氏や――犠牲になった警官や男性たちの家族にどんなお詫びのしようもない。俺自身が、あいつを――俺を、許せない。
繚む――頼むから、あれは俺じゃないと云ってくれ。誰か――。
その時、俺はあることを思い出してがばっと起き上がった。腹の上にかけられていたタオルケットがばさりと落ちる。俺はそれを押しのけて、ジーンズのポケットを懸命にさぐった。
――あった。
昼間もらった響子さんの名刺。たしか響子さんが携帯電話の番号を書いてくれてあったはずだ。
ここに電話をかけて、それで響子さんが出てくれさえすれば――そうすれば少なくとも、今の夢は夢にすぎなかったのだと安心できる。
名刺を握りしめて、俺は部屋を出た。電話は玄関のすぐ脇にある。千鶴さんの部屋には別の回線が引かれているが、それは千鶴さんが鶴来屋グループの会長で、夜でも時々電話がかかってくることがあるからだ。だが玄関の電話のほうはほとんど鳴ったのを聞いたことがない。楓ちゃんはもとより、梓も初音ちゃんも、毎晩長電話をするようなとても親しい友人も彼氏もいないようだ。梓だって、がさつなところはあるが決して不細工なわけではない。モテないはずはないのだが……。
受話器をとって、名刺の裏に書かれた番号を、間違えないように慎重に回した。
頼む、出てくれ――。
回線がつながるまでの数秒間を、俺は祈る思いで待った。
しかし。
俺の祈りに応えたのは録音された無表情な声だった。
おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにいるか、電源が入っておりません。もうしばらくお待ちになってから、おかけなおしください。
おかけになった電話番号は……とくり返す声を遠くに聞きながら、俺は受話器をフックに戻した。大きなため息がもれる。
響子さんは、やはり――。
「どうすればいいんだ……」
がっくりと肩を藩として、俺は足を引きずって自分の部屋へと戻った。
「耕一」
廊下の暗がりにまざれて見えていなかった人影が、俺を呼んだ。俺は目をこらし、そしてそれが梓だと気づいて首を傾げた。
「おう。どうした」
梓は何かを思いつめたような表情をしていた。決意を秘めた瞳が、まっすぐに俺を見る。
「話があるんだ」
「なんだ? ……まあいいや、入れよ」
「うん」
俺が障子を開いて促すと、梓はちいさく頷いて俺のあとから部屋に入った。
俺は敷きっぱなしの布団の上にあぐらをかき、そして梓はその俺に向き合うような形で腰を降ろした。
「何だよ、話って」
「聞きたいことがあるの」
梓の表情はなおも硬い。
「耕一。あんた、かおりのこと、何か知ってるんじゃないの?」
「え……」
ぎくりとして、俺は梓の顔を凝視した。梓は決然とした瞳で俺の視線をまっすぐに受け止める。
先に目をそらしたのは俺だった。
「な……なんで、急にそんなこと云い出すんだよ」
「あんたの様子が今朝からおかしいから」
きっぱりと、梓は答える。
「テレビで事件のことを知った時のあんたの反応、なんかへンだったよ。思い当たることがあるみたいな顔をしてた」
「ば、ばか云うなよ……。俺に思い当たることなんかあるはず……」
「耕一」
梓は鋭い声で俺を遮った。
「正直に云ってよ。あんた、かおりがどうなったのか、知ってるんじゃないの?」
わずかに、梓は表情を歪める。
「かおりは……うちに来た帰りに行方不明になったんだ。あたしが昨日かおりをここへ連れてこなければ、かおりは事件に巻き込まれなかったんだ。あたしにも責任があるんだよ。だから耕一――何か知ってるんなら教えてよ。あたし、かおりがまだ生きてるんなら助けたい」
「梓……」
梓の心痛は、よくわかった。自分の家に遊びに来た帰りに、後輩が忽然《こつぜん》と姿を消してしまったのだ。実際、家へ連れていけとごねたのはかおりちゃんなのだし、梓が責任を感じるようなことは何もないのだが、それでもこうした状況になれば梓の立場なら責任を感じ
てしまっても仕方がない。
だが……どうやって梓に云えばいいのだ。俺が、夢の中で何人もの男を殺して、かおりちゃんを拉致してめちゃくちゃに犯したなどと――。
「あたし……あんたにこのことを聞こうってずっと思ってて。さっき来たらあんた寝てたし、何度か起こしても目を覚まさなかったから」
「梓! ちょっと待ってくれ」
俺ははっと梓を遮った。顔をあげた梓がきょとんと首を傾げる。
「なによ」
「さっき、つて? ここに来たのか?」
「来たよ。二時間ぐらい前。タオルケツトかけてあったろ」
そういって、梓はちょっとばつが悪そうに目をそむける。
「もう秋なんだし、夕方は涼しいんだから。なにもかけないで居眠りしてたらカゼひくと思ってさ」
……そうだ。たしかに、目を覚ました時、俺の体にはタオルケットがかかっていた。
二時間前。
ということは、俺はずっとこの部屋で眠っていた、ということになるのか?
俺は目の前の暗闇にばあつと光が差し込んだような気分になった。
だとしたら、あれは俺じゃない。二時間前、この部屋で眠っていた俺が警官を殺し、千鶴さんと戦って響子さんを拉致した上で犯すことなんて、できるはずがない。
全身を、|安堵《あんど》が包みこんでいく。
しかし、だとしたら……なぜ、俺はあんな夢を?
その時俺ははたと楓ちゃんの言葉を思い出した。
彼女は何と云った? 鬼――エルクゥの血筋を引く者は心でつながっていると、そう云わなかったか。
もし、どこか近くにエルクゥの血を引いたやつがいるとしたら。俺は眠りの中でそいつの意識に同調して、そいつの見たものを見、感じたことを感じているのではないのか?
だとしたら、すべてのつじっまは合う。俺が、一度も行ったことのない公園の風景を、しかも途中の道筋は何ひとつ覚えておらずにその場所だけを覚えていたことも、路上からあのフローリングの部屋までの間のことがどうしても思い出せないことも。
おそらく、奴が激しい興奮――殺戮《さつりく》に対してにせよ、性的なものにせよ――を感じると、俺と奴の意識は|同調《シンクロ》して、俺があの夢を見るのだ。そうにちがいない。
だが。
俺はあらためて梓の顔を見た。
こんなことを話して、はたして梓は納得してくれるだろうか。
しかし、俺自身に対する俺の疑念が晴れた以上は、かおりちゃんの消息を黙っているわけにはいかない。かおりちゃんは、少なくともまだ生きてはいるのだ。
「梓」
ふとんの上に座りなおして、俺は梓の顔を見た。
「俺が、これから何を云っても疑わずに信じてくれるか?」
「え――」
「それができるなら、話したいことがある」
梓は緊張した面持ちになってじっと俺を見上げた。ややおいて、ゆっくりと頷く。
「かおりのことだね」
「そうだ」
「わかった。あんたを信じる。だから、話して」
俺は頷き、大きく息を吸い込んだ。
第7章  正体
次の日の昼まえ、俺と梓はあの惨劇があった街に向かった。
俺は梓にすべてを、といってもまさか楓ちゃんとえっちをしたとも云えないから楓ちゃんから聞いた話と、そして千鶴さんに襲われたという部分を除いて、すべてを話した。
梓は、俺に約束したとおり、俺の話を信じてくれた。
俺たちは、俺のたてた仮説――真犯人は別にいて、そいつと俺の意識が同調するのだという――を証明し、そしてかおりちゃんと響子さんを救い出すために、あのフローリングの部屋を探すことにしたのだ。
ヒントになるのは、奴がかおりちゃんを犯した時にかかってきた電話だ。そのことに気づいたのは梓だった。
電話の声は、部屋の主を「タカユキ」と呼び、そして「コンビニのバイト」をがんばるように、と云っていた。
今朝のテレビと新聞は、前日に続いてまたも起こった残虐な殺人事件一色に染め上げられていた。その場所が同じ街であったことから、俺たちは 「タカユキ」はその街に住んでいるだろうと見当をつけて、その付近のコンビニを探すことにしたのだ。
千鶴さんたちに気づかれないよう、梓は朝、いつもどおりの時間に一度家を出た。そして楓ちゃんと千鶴さんが出かけるのを待ち、家へ戻ってきて動きやすい私服に着替えてから二人で出かけたのだ。
そう大きな街ではない。コンビニの数も限られていた。俺たちは駅に近いところから順にそれぞれのコンビニを回り、「タカユキ」の友人を装ってそういう名前のバイトが働いていないかどうかをさぐった。コンビニでバイトをしているくらいなのだから、学生か、それとも学校を出たばかりぐらいのフリーターにちがいない。だから大学生の俺が「ねえ、タカユキ今日来てる?」と云えば、心あたりがあれば今日は休みですとか、あるいはあそこにいますよ、とか、そういう反応が返ってくるはずだ。
しかし、どのコンビニでも期待したような反応は返ってこなかった。そんなアルバィトはいませんけど、と云われるばかりだ。
三軒めのコンビニを出た時には、もう三時ちかくを回っていた。都会なら数百メーターもいけば次のコンビニがあるが、こんな街ではコンビニはかえって離れた場所に点在しているのだ。
「ここもだめか……」
梓が唇を|噛《か》む。こうしているうちにもかおりちゃんがさらにひどい陵辱を受けているのではないかと心配しているのだ。正直、俺にも少し焦りが出てきていた。
「次のコンビニは?」
「あと一軒だけしか心あたりはないんだ。だいぶ離れてるけど。……行ってみる?」
「当たり前だ。あと一軒だけなんだろ? 中途半端に帰ったら悔いが残る」
「うん……」
梓はまるで小さな子供のように|頷《うなず》いた。梓に道案内を任せて、俺たちは肩を並べて最後のコンビニをめざして歩き出した。
考えなくてはいけないのは、そこのコンビニに「タカユキ」が働いていなかった時のことだ。まさか街じゅうのアパートやマンションを回って「タカユキ」という住人がいるか、その部屋がフローリングかどうかを調べて回るわけにはいかない。
だが、その心配は|杞憂《きゆう》に終わった。
「ねえ、タカユキ今日来てる?」
残暑がぶり返したのか、ひどく暑かった。会話のきっかけをつかむためだけでなくマジに喉《のど》がかわいてスポーツ飲料を買い、俺はレジにいた女の子に話しかけた。
「タカユキ?」
またしても、女の子はきょとんとした顔で首を傾げた。首をひねって、カウンターの奥にある事務室のほうへ声をかける。
「店長−。うちにタカユキってひと、いましたっけ?」
「タカユキ?」
女の子の声にこたえて、店長が事務室から出てくる。店長といっても雇われ店長なのか、けっこう年は若いようだった。
「あいつかなあ、阿部。たしかそんな名前だったと思うけど」
俺と梓とは素早く顔を見合わせた。見つけた。きっと、間違いない。
「……でも、あいつは来てませんよ。もうずっと無断欠勤でね、電話かけても出ないし、こっちも困ってるんだよ」
「そうなんですか」
相づちを打ちながら、おればあまりよくない頭をフル回転させて次にどう出るべきかを考えた。友人を装っているのだからあまりにも「タカユキ」のことを知らないようなことは云えない。どうやって、この店長から奴の住所を聞き出せばいいのか……。
「あの、あたしたちも彼と連絡とれなくて困ってるんです」
梓が横から助け船を出してくれた。
「彼に貸してたものがあって、急いで返してもらわないといけなくなったんですけど、住所知らなくて。ここでバイトしてるって周いてたもんで、来れば会えるかなって」
「あ、そう。それは残念だったね」
「あの」
俺は身を乗り出した。
「俺たちも急いでやつと連絡とりたいんで、もしよかったらあいつの住所教えてもらえませんか。直接行ってみますから」
我ながらナイスなフォローだった。店長はとくに疑った様子もなく、ああいいよ、と頷いて事務所へ戻っていく。梓が素早い目まぜを送ってきた。俺も頷いて、目で「やったな」と返す。
「ああ、これだこれだ」
バイトの履歴書をとじてあるらしいファイルをめくりながら店長は戻って来た。一枚の履歴書を抜き出して、カウンターの上に置く。
俺はようやく、もう一人の俺――狩猟者本人の顔に対面した。
どこにでもいるような感じの、平凡そうな学生だった。ロックでもやっているのか、髪をちょっと長めのワンレンにしている。名前は阿部貴之。俺は手帳を出して、そこに書かれている住所を写しとった。町名を見るとここからそう遠くないマンションのようだ。部屋は401号室。四階の、角部屋というわけか。
「どうもすいませんでした」
「いやいや。もし彼に会えたら、一度店に連絡するように伝えでくれないかな。やめるならやめるでもいいんだけどね、挨拶ぐらいしてほしいって」
「わかりました。伝えておきます」
余計なことを云う必要はない。俺はおとなしく頷いて、あらためて礼を云ってコンビニを出た。
「やったね、耕一!」
梓が興奮した顔で叫ぶ。俺も大きく頷いた。
「これで、こいつの部屋が例のフローリングの部屋なら、カンペキだ」
「絶対そうだよ。ほんとに『貴之』はコンビニでバイトしてたわけだし。こうなったら、そいつの部屋がフローリングでなくちゃおかしいじゃない」
「まあな」
俺は渋々頷いた。
正直なところ、どこかでつじつまの合わないところが出てきてはしいという思いも、俺にはあったのだ。俺と貴之の意識がシンクロしているにせよ、一部に俺の夢がまじりこんでいると、そう思いたかった。
でなければ、千鶴さんが俺を殺そうとしたことも、事実なのだということになってしまう。千鶴さんはあいつを俺の名前で呼んだのだ。俺が意識だけであいつにシンクロしているのじゃなく、あいつになってしまっていると思っているのだろう。いずれ誤解が解ければそれで終わることだが、あの人が俺を殺そうとしていると考えただけでひどく胸が苦しくなる。
千鶴さんに、そんなふうに憎まれていると思いたくないのだ――。
千鶴さんにはじめて会ったのは、俺が小学生の時だ。一度だけ、|親父《おやじ》の田舎、つまりここ隆山温泉へ家族で遊びに来たときのことだ。
当時千鶴さんは中学生で、俺のことを「耕ちゃん」と呼んでにっこりと笑った。俺はその千鶴さんの笑顔がひどくまぶしくて、そして同時にまるきり子供扱いで「耕ちゃん」と呼ぶ千鶴さんに強い反発をおぼえて、俺は頭を|撫《な》でてくれようとした千鶴さんの手をふり払ったのだ。その時の千鶴さんの傷ついた表情を、俺は今でもよく覚えている。
傷つけるつもりはなかったのだ。ただ――対等な存在として見てほしかっただけだった。だが結局は子供だった俺にそんなことがうまく説明できるはずもなく、俺はそれきり千鶴さんを避けて梓や楓ちゃん、初音ちゃんたちとばかり遊んで過ごした。
ほんとうに、ガキだったのだ、あの時の俺は。はじめて会った親戚《しんせき》のおねえさんへの、あれは淡すぎる初恋だった。
「耕一?」
名前を呼ばれて、俺はそちらへ目をやった。梓がきょとんとした顔で首を傾げている。
「どうしたのよ、ぼんやりしちゃって」
「あ、いや――。ちょっと、昔のことを思い出してた」
「なによそれ、じじくさーい」
梓はからかい口調で笑う。俺の気を引き立てようとしているのだろう。自分だってかおりちゃんのことが気になっているだろうに。
「おまえも覚えてるだろ、昔、俺、いっぺんだけこっちへ遊びに来たことがあったじゃないか」
「え? ああ、そうだったね」
梓も懐かしそうな顔になった。
「おまえと初音ちゃんと楓ちゃんと、よく裏山へ遊びに行ったよな」
「そうそう。セミとったり」
「水門のほうまで行って――そういえばあん時、けっこうな大騒ぎになったっけ」
梓と話すうちに、俺はふとそのことを思い出した。
家の裏手はちょっとした山になっていて、林があり、川も流れていて俺たちのかっこうの遊び場だった。今思えば、それがまさに雨月山なのだが。
川をさかのぼっていくと水門があって、小規模なダムのようになっている。水が深いから遊びに行ってはいけないと云われていて、そしてもちろんいけませんと云われればその云いつけを破りたくなるのが子供というものなのだ。
「おまえが水門に落ちてさ」
「――あは。そうだね。そんなこともあったなあ」
気恥ずかしいのか、梓は照れ笑いを浮かべて頭をかく。
「そうさ。よく覚えてるよ」
あの時、梓は買ってもらったばかりだった靴を水の中に落としてしまったのだ。命が助かっただけよかったというべきなのだが、やはりそこは子供だ。危険な目にあったことよりも新品の靴がなくなったほうがショックで、梓はいつまでも泣きやまなかった。ふだんは気の強い、まるで弟のような梓がいつまでもぐすぐすと泣き続けていたので、とくによく覚えている。
「おまえ、靴をなくしたって云ってぴいぴい泣いてさ」
「え?」
それまで笑っていた梓が変な願をした。
「何云ってるのよ、耕一。靴なんて、あたしなくしてないよ?」
「ウソつけ。おまえ、ぜんぜん泣きやまなくて俺困ったんだぜ。しょうがないからおんぶしてやって機嫌とりながらうちまで帰ってさ」
「ちがうよ!」
梓は唇を尖《とが》らせる。
「たしかに、靴は落としちゃったけど、そのあとあんたが……あっ」
ふいに梓の声に緊張が満ちた。俺は梓の視線を追って、自分たちが一軒のマンションの前に立っていたことに気づいた。
「……ここだ」
手帳のメモとエントランスの脇に張り付けられたプレートに書かれた建物の名前とを見比べて、梓が云う。自然と抑えた声になっていた。
「今の話の続きは、あとでね。――だけど、あんた覚えちがいしてるよ」
「そんなことねえって」
「あるよ。思い出してよね、あたしにとっては大事な思い出なんだから。耕一、足に古い|痕《きずあと》があるでしょ。それがヒント」
「?」
俺は首を傾げた。確かに、俺の足には古い痕がある。かなり深い痕で、今でもうっすらとだが跡が残っている。だから相当のケガだったはずなのだが、ふしぎなことに俺はいつ、どこでそんなケガをしたのか、その、記憶がまったくないのだ。
俺の脚の痕と、梓が水門で溺れかけて靴をなくしたことが関係しているのか……?
だが、今はそれを考えている時ではなかった。
梓は緊張した面持ちでマンションを見上げている。
「ここに、かおりがいるのね」
「お……おい、梓っ!」
大きく息を吸い込み、そしてやおらすたすたとエントランスへ向かって歩き出した梓を俺は慌てて引き止めた。
「何考えてんだよ、おまえは! いきなり正面から乗り込む気か?」
「だって。ほかに手なんかないじゃない」
「いくらなんでも無謀すぎるだろうが。相手は殺人鬼かもしれないんだぞ。のこのこ入りこんで、返り討ちにでもあったら、俺が千鶴さんに合わせる顔がないだろうが」
梓はむっとしたように唇を尖らせた。
「何よ、こういう時だけ年上ぶって。じゃあどうすればいいっていうの?」
「あー……」
正直云って、何も考えていなかった。そもそも、さがそうとは云ったものの、ほんとうに「タカユキ」らしき貴之という男が見つかって、こんなに簡単に住所までわかってしまうなどとは、思うてもいなかったのだ。梓は冷たい目で俺をじろりと睨《にら》む。
「ほら見なさい。考えてないんならえらそうなこと云わないでよね」
「だからってつうこんでいいって法はないだろう。いいからちょっと待てよ。今、考えるから」
梓はとにかくかおりちゃんの安否が気になって仕方がないのだ。「大事な思い出」とか云いながら俺の脚の痕のことをあとまわしにしたのも、そのせいだろう。
このままではほんとうに梓は貴之の部屋へずかずかと乗り込んでいってしまう。かといってあいつに対抗する有効な手段も特には思いつかないし……どうすればいいんだろう。
……そうだ!
一人では対抗できないかもしれないが、そういうときは質より量というじゃないか。警察だよ、警察。こういう非常の事態に市民を守るために、警察っていうのは存在してるんだ。警察に連絡して、応援をよこしてもらおう。
しかし、俺の提案に梓はいい顔をしなかった。
「警察なんか、今だってぜんぜん役に立ってないじゃない。今さら呼んだって」
「でも、相手が犯罪者なのはまざれもない事実だろう? 警察に引き渡さないでおまえが殺すとでも云うつもりか? そうしたらおまえだって犯罪者だぞ」
梓は唇を尖らせてむっつりと黙りこんだ。
「……でも、なんて云って通報するのよ」
「そんなのは適当になんとかするさ。とにかく、俺一一〇番かけてくるから。おまえ、一人で飛び込んでいったりするんじゃないぞ」
釘をさしておいでも梓は信用できない。思いこんだらまっしぐらなのだ、こいつは。俺は梓から目を離さないように気をつけながらすぐ近くにあった廃語ボックスに入り、緊急連絡用のボタンにかぶされているカバーをぐっと押し割って1、1、0、とプッシュボタ
ンを押した。……一度でいいから、これやってみたかったんだよなー。
「はい、一一〇番です」
電話はすぐにつながった。どこかいかめしい声に俺は内心ちょつとびびる。
「あの……連続殺人事件のことで、ちょっと情報があるんですけど」
「? どんな情報ですか」
「行方不明の女の子のことで……」
「はい。どうぞ」
なんだか淡々とした応対だ。俺は貴之のマンションの住所と401号室という部屋番号を云い、そこに日吉かおりちゃんがいるはずだと告げた。
しかし、電話をとった警官は明らかに俺の云うことを信じていなかった。どうしてそうだとわかるのか、と次々とこっちを質問責めにしてくる。前もってシナリオを練ってあったわけでもなく、俺は力まかせにかおりちゃんが連れ込まれるところを見たのだ、などと云ったのだが時間は、その時の彼女の服装は、持ち物は、などと矢継ぎ早につっこまれてしだいにしどろもどろになっていった。
「あなた、さっきと云ってることがちがうんじゃないんですか? 困るんですよ、イタズラ電話は」
「イタズラじゃないですよ!」
あまりにも警官がとりあつてくれないので、俺もいらついてきた。梓はエントランスの入り口でちらちらとこっちを見ながら今にも中へ飛び込んでいきそうだし、どんどん焦りがつのってくる。
「とにかく、俺はウソは云ってないんです。――そうだ、長瀬ってひと、いませんか」
「長瀬? うちの刑事のことかね」
「そうです。長瀬さんとは俺、顔見知りなんです。長瀬さん電話に出してください」
気にくわない男だったが、この際利用しようと思った。あれだけおとといいやな思いをさせられたんだ、それくらいの役に立ってもらってもバチは当たらないだろう。
「……ちょっと待ってなさい」
俺が名指しで刑事の名前を出したことで、向こうも少し真剣になったようだった。電話口をふさいだ向こうでもごもごと話し声がする。ややあって、さっきとはちがう声が受話器から流れて来た。
「お電話かわりました。長瀬は今授査に出ていて不在ですが、ぼくは長瀬の部下で柳川という者です」
「柳川さん?」
ラッキーだ。柳川といえば、長瀬と一緒に来ていた若いほうの刑事じゃないか。
「あの、俺、柏木耕一です。こないだ千鶴さんと一緒に事情聴取された」
「……? ああ、きみでしたか。先日はどうも」
「そんなことはいいですから。とにかく、警官隊連れて来てもらえませんか。それと、救急車と。連続殺人犯に拉致された女の子がつかまってるんです」
短い間、柳川は何か考えているように沈黙した。そして、わかりました、と頷く。
「今、うちのものが聞いたこの住所ですね?」
「そうです。つかまってる子は、千鶴さんの妹の後輩なんです。早く助けたいんです」
「わかりました。すぐにそちらへ向かいますから、危険なことはしないように。いいですね」
「はい!」
さすがに、こういう状況での刑事のセリフには頼もしさがある。俺は電話を切ってボックスを出、じりじりした表情で足踏みしている梓のところへ駆け戻った。
「今すぐ警官隊が来るから」
「そう」
「ちょっ……! おい、梓っ!」
俺は慌てた。梓はそう、と頷いていきなりエントランスの中へ入っていったのだ。
「待てよ! 今云ったろう? 警官が来てくれるから、あとは彼らに任せて――」
「もうじゅうぷん待ったわ」
梓はきっとふり返った。
「もし犯人が部屋にいたとしても、すぐ警官が来るんでしょう? だったら大丈夫じゃない。犯人が部屋にいないんだったら、あたしは一分でも一秒でも早くかおりを助けたいの。待ってなんかいられないわ」
「梓!」
「こわいんなら、耕一はここで待ってなさいよ。あとで警察と一緒に来ればいいわ。とにかくあたしはいくから」
「おいっ! ……まったくもう!」
そうまで云われて梓を一人で行かせては男じゃない。こうなったら仕方がない。腹をくくって、柳川が一刻も早く警官を連れて到着してくれることを祈るばかりだ。
俺は梓と一緒にエレベーターに乗り込んだ。梓が4のボタンを押し、ドアを閉める。
低いモーター音がして、エレベーターは動き出した。
このマンションは学生や独身者向けのワンルームのようだった。昼蘭の今はまだ住人のほとんどが学校や会社に出払っているらしく、ひとの気配がほとんどしない。
四階の角部屋、401号室は隣の402とともにほかの部屋とは非常階段で切り離されて孤立したような形になっていた。ここなら、隣にさえ気づかれなければちょっとぐらいすさまじい悲鳴をあげてもまわりに不審に思われることもないだろう。
梓はまるで泥棒にでも入ろうとするかのように忍び足で401のドアに近寄り、そっと耳をあてて中の気配をうかがった。背後からのぞきこむ俺をふり返つて、かぶりを振る。
「誰もいないみたい。……かおり、ほんとにここにいるのかしら」
「奴がかお句ちゃんと響子さんをどこか別の場所に移してないとは限らないからな」
「かおり……」
梓は唇を噛み、そしてそっとドアノブに手をかけた。
「お……おい」
どうせ鍵がかかっていて中には入れないだろうが、それでもこれは家宅侵入じゃないのか。俺は梓をとめようとしたが、その前に梓の手はノブを回してしまっていた。
かちゃ、と小さな音がする。俺たちは同時に息を呑み、そして思わず互いに顔を見合わせた。
「あいてる……」
これはいよいよ、貴之が二人をどこかに移したと考えたほうがよさそうだった。そうでなければ鍵をあけっぱなしにしておくはずがない。
「とにかく、ここがほんとにあんたが夢で見た部屋かどうか、確かめようよ」
梓は|囁《ささや》いて、そうっと扉を引き開けた。俺も扉のすきまに耳をあてて、何か物音は聞こえないかと神経を聴覚に集中する。
「なんの音もしないな」
「入ってみよう」
梓は大胆だ。音をたてないように、人が入れるぐらいにドアをあけて中にすべりこむ。もちろん、俺もここまで来て梓だけを行かせるわけにはいかなかった。梓に続いて部屋の中に入り、静かに静かにドアを再び閉める。万一奴が中にいて逃げ出さなくてほならなくなる時のことを考えて、鍵はかけなかった。
玄関を入ったところは短い廊下になっており、収納とバストイレ、ぞして小さなつくりつけの流し台があった。奥の部屋との間には扉があって、閉まっている。
玄関には靴はなかった。そこについ靴を脱いでしまうのは日本人のサガかもしれない。俺と梓とは足音を殺してそっと扉にとりつき、再び耳をすませた。しかしなんの物音も、それらしい気配も伝わってはこない。
俺たちは顔を見合わせ、顔きあって静かに扉を開けた。
ひんやりとした空気が流れ出す。エアコンがつけっぱなしになっているようだ。
思いきって扉を大きく開け放ち、中をのぞきこんだ俺は愕然《がくぜん》とその場に立ち尽くした。
フローリングの床。そっけない調度品。
まさに、俺が何度も夢に見た部屋が、そこにあった。
俺の夢は、やはり真実を告げていたのか――。
「……! かおりっ!」
梓が鋭い声をあげる。俺は視線をめぐらせ、梓の見たものを視野に入れて思わず低いうめき声をあげた。
かおりちゃんが、そこに横たわっていた。あの奇妙な拘束具で左右の手首と足首をつなぎあわされた不自然な姿勢で、ぐうたりと仰向けに倒れている。服はわずかにセーラー服の上衣が腕のあたりにまといついているだけで、腿やお腹のあたりのあちこちにねばついた半透明の液体がこびりついている。どうやら目は開いているようだったが、その瞳は奇妙にうつろだった。
そして部屋のすみには、同じように拘束具をつけられた響子きんの姿もあった。響子さんのほうは体の前で両手首と両足首をつなぎ合わきれ、うつぶせになっていて意識があるのかどうかはわからない。
「かおり! かおりっ!」
梓が駆け寄ってかおりちゃんを抱き起こす。
「かおり? しっかりして! 助けに来たよ!」
しかし、梓の声にかおりちゃんはなんの反応も示さなかった。ぽっかりと瞳を開き、半開きの唇のはしによだれを浮かべて心ここにあらずといった風情だ。
「かおり……! ……ねえ耕一! この子へンだよ! 様子がおかしいよ!」
「ひどいショックを受けてるんだろう。とにかく二人を外へ――」
そう云ったものの、ほとんど全裸といってもいいようなかっこうで二人を外へ連れていくわけにはいかない。奴が脱がせた服がどこかにあるはずだ。俺はきょろきょろとあたりを見回し、そしてぎょっと立ち尽くした。
部屋のもっとも奥まった暗がりに、人がうずくまっていたのだ。
梓もそれに気づいたらしく、ぎょっとした表情で凍りついた。
そこにいたのは、あいつだった。――履歴書の写鼻と同じ顔。貴之だ。
俺も梓も驚きのあまりしばらくの間、硬直していた色だがそのうちに、驚きに代わって不審の念がわきあがってくる。
おかしい。
貴之は部屋の隅で膝《ひざ》を抱えてうずくまっている。ぼんやりと開いた瞳は足元へ向いてはいたが、何も映してはいないようだった。俺たちのほうも、見ようともしない。
そう、貴之のそのうつろな哀情は、かおりちゃんのそれにとてもよく似ていた。
こいつが、夜になると残虐な殺人鬼に変身するというのか……?
なにか、とても腑に落ちない気分だった。
何かがちがう。こいつじゃない、と俺の中で何かが告げている。
その時だった。
「!」
梓が鋭く息を飲んだ。
「梓っ?」
ふり返ろうとした剃郡、鈍い衝撃が後頭部を襲う。
しま、った…………。
意識が途切れる直前に見えたのは、当て身をくらわされたのか、ぐったりとしてそいつの腕に抱きかかえられている梓の横顔だった。
すすり泣くような細い声に俺は意識をとり戻した。
「いや……。やめ、て…………」
途切れ途切れの細い声でそう訴えている声は梓のものだった。
頭がずきずきと痛む。めまいをこらえてうすく目をあけると、すぐ目の前に裸の梓が横たわっていた。
「いやあ……ぁ――」
梓は下半身をむき出しにされ、例の拘束具でかおりちゃん同様、右手首と右の足首、左手首と左の足首をつながれていた。必然的に膝を折る形になり、お尻がすっかりむき出しになっている。
そして、その梓の秘部をにちにちと音をたてて奴がこねていた。
「――……! あんた……!」
見覚えのある顔に俺は絶句した。
「おや。日が覚めたようだね」
奴は顔をあげ、億を見てにやりと笑った。
以前見た時とはまったくちがう、ひどく酷薄なものを秘めたうすい笑い。
「なんで、あんたが――……」
「きみが電話をくれたからだよ」
そう云って、奴――長瀬とともに千鶴さんを訪ねてきたもう一人の刑事、柳川は指先で眼鏡を押し上げ、くくっと笑った。
「まったく、ぼくはいいところに居合わせたよ。とらえておいたメスどもも奪われずにすんだし、それどころか同族の女を捕獲することもできた」
同族……?
「く……っ」
梓が唇を噛んでちいさな呻《うめ》き声をもらす。柳川は梓を見下ろし、くくっと喉声で笑う。
「さすがに、効きが悪いな。まあ、仕方のないことだろう。もう少し|服《の》んでもらうとするか」
柳川はズボンのポケットから小さな包みを出した。片手で梓のあごをつかみ、唇をこじあけてその包みをロの中へねじこむ。そして両手で強くおさえて口を閉じさせた。
「むぐ……つ! んんっ! んっ、んっ!」
梓が顔をしかめて柳川の手からのがれようと身悶《もだ》える。しかし抵抗もむなしく、ついに梓は口に入れられたものを飲み下してしまった。それを見届けてから柳川は手を放し、俺
に向き直る。
「耕一、というんだったな。どうだ。おまえの答えひとつによっては、ぼくはあの娘を犯さないでおいてやるぞ」
「……どういう意味だよ」
俺は柳川を睨みつけた。しかし柳川はまったく意に介した風もない。ポケットをさぐって、今梓に飲ませたものと同じものを取り出し、俺の目の前につきつけた。
「簡単なことだ。これをおまえが飲めば、ぼくはあの娘を犯さない。どうだ?」
俺は唇を噛んだ。梓を、しかも今度は夢ではなくほんとうに目の前で犯されることになど、耐えられない。だが……。
「俺がおまえの云うことを聞いたらおまえが約束を守る保証があるのかよ」
「ないな」
柳川は楽しそうに笑う。
「だが、おまえがぼくに従わなければ、ぼくは確実にあの娘の処女をいただくぞ。可能性に賭けてみるのもひとつの手だと思うけれどね」
「くそ……っ」
悔しかったが、柳川の云うとおりだった。
俺は、いい。何を俺に飲ませる気か知らないが、それで樺が奴の魔手から逃れられるというのなら。奴がホモだとは思えないが、もし仮に俺が梓の代わりに奴に犯されることになっても、俺は男だ。無理矢理男に犯されるぐらいのことは、たしかに自尊心は傷つくがたいしたことじゃない。
「わかった。何だか知らないが飲んでやるよ。そのかわり、梓には手を出すな」
「交渉成立だな」
柳川はにやりとして、俺の口もとにそれをつきつけてきた。よく見ると、何かの粉薬を包んだオブラートだ。水もなしに飲み込むのにはちょっと苦労したが、俺は根性でそれを飲み下した。
「これでいいだろう」
「ああ、いいとも」
ひどく楽しげに柳川は領き、梓を見下ろした。
「どうだ? いくら狩猟者の血を引いているといっても、あれだけの量だ。体が火照って、たまらない気分になって来ただろう」
「く……っ」
梓は返事をする余裕もないのか、ちいさく呻いて唇を噛む。柳川はうすい笑いを口もとにはりつけたまま、かがみこんで梓の秘所を指でいじりはじめた。
「あふっ……! やっ……やめて…………」
頬《ほほ》をかっと赤くして梓は首を振った。柳川は両手で大きく梓のお尻を押し開き、俺のほうへ向ける。
とろりとした透明な粘液が淡いピンク色の花弁をねっとりと濡らしているのがはっきりと見えた。
「おまえ……! 梓には手を出さないって云ったろう!」
無駄だとはわかっていたが、俺は怒鳴った。柳川はくっくっと笑う。
「そんなことは云ってないさ。この娘を犯すのをやめてやる、とは云ったがね」
そう云って、わざと俺に見えるようにくちゅくちゅと花びらをこねる。クリトリスを強くひねられて、梓がひきつれたような声をあげて身をよじった。感じているのは痛みではない。快楽だ。
俺は、下半身に血液が集まってくるめを感じた。目をそらさなくては、見てはいけない、そう思いながらも視線がそらせない。まるで頭の中に俺ではないもう一人の俺がいて、俺に目をそらさせないよう、視神経を乗っ取ってしまったかのようだ。
|股間《こかん》が熱い。ひどく、喉が渇く。ムスコはもうどうしようもなく張り詰めている。あとからあとからわきあがってくる欲望に頭がくらくらしてきた。
「こっちのほうが効きが早いな」
俺のジーンズがはち切れそうに盛り上がっているのを見て、柳川がにやにやする。
俺はようやく、柳川の意図を理解した。
「てめえ……。俺に何を飲ませた」
「ちょっとしたクスリだよ。イイ気持ちになれるのき。服用する屋によつては廃人になることだって可能だよ。……あいつのようにね」
ちらりと柳川の視線が部屋の隅のほうへと向けられる。どこか悲しげな表情だった。視線の先にいたのは、相変わらずうつろな表情でどこでもない場所を見つめている貴之だった。
「廃人……? おまえがやったのか、あいつも」
「ぼくが?」
柳川の表情が変わった。すさまじい形相で俺の襟首をぐいっとつかみあげる。
「冗談じゃない。ぼくが貴之にそんな仕打ちをするはずがないだろう!」
呼吸がつまって、俺は空気を求めてもがいた。柳川は突き飛ばすように俺を解放する。
「貴之は――ちょっと気の弱いところはあったけれど、素直な、いい奴だった。ぼくは貴之を弟のように思っていたんだ」
「でも、そのクスリはおまえのだろう」
「ちがうさ」
柳川の表情にどこか酷薄なものが宿る。
「この薬は、吉川が持ってたんだ」
「吉川?」
「もとの、この部屋の住人さ。最低のゲス野郎だよ。貴之にクスリを使って、好き放題になぶっていたんだ。ひどく|嫉妬《しっと》深くて、貴之とぼくが話をすることさえいやがった」
つまり、その吉川って奴はホモだったというわけか? 吉川と柳川とで貴之の奪い合いをしてたってわけか。……いや、柳川はかおりちゃんや響子さんを犯してる。女ともできるのだからバイか。もしかしたら、ほんとうにただ弟のようにかわいがってて、吉川にそれを誤解されただけかもしれないが、そんなことは俺にはどうでもいいことだ。
「それで、その吉川はどうしたんだよ。もと住人って云ったな」
「もういないさ」
「追い出したのか? おまえが」
「ふふ……そうだな。追い出したと云えなくもないね。といっても、この世からいなくなってもらったんだけれどね」
ぞくっとした。柳川が内ポケットから拳銃を出したのだ。
「……殺したんだな」
「ダニを駆除しただけさ。あんなやつには生きている価値なんかない」
「言葉を飾ったってやったことは同じだろう!」
思わず怒鳴っていた。
「おまえ、刑事なんだろうが! そういうことやっていいと思ってるのかよ!」
「いいんだよ」
柳川の目はひどく冷たかった。
「ああいう奴は逮捕して刑務所へ送り込んだところですぐに出てさてまた同じことをやる。そして第二、第三の貴之が生まれるんだ。そんなやつをのさばらせておくわけにいかないのは当たり前だろう」
「じゃあ、おまえがかおりちゃんと響子さんにしたことはなんなんだよ!」
「貴之が一人じゃさみしいだろうと思ってね」
平然と、柳川はうそぶいた。
「つまらない女でも、いないよりはましだろう?」
「じゃあ、てめえが行きゃいいじゃねえかよ!」
めちゃくちゃ腹が立って、俺は怒鳴った。柳川はじろりと俺を睨みつける。
「ぼくがいなくなったら誰が貴之の面倒《めんどう》を見てやるんだよ。それに、貴之が戻ってきたときにぼくがいなかったら貴之は一人きりになってしまう」
「勝手なこと云いやがって」
俺は負けずに柳川を睨み返した。
「要するにおまえは自分もああなるのがこわいんだろうが! だからああだこうだと理屈をつけて逃げてるんだ。そうだろうが!」
「なんだと?」
柳川の表情がいっそう険《けわ》しくなる。
「えらそうなことを云うな!」
ぱしっ! と音がして、目の前に星が散った。柳川が思いきり俺の頬を張ったのだ。
「おまえに何がわかる! これくらいのことしか貴之にしてやれないぼくの悔しさが、おまえにわかるか!」
むちゃくちゃなことを云いながら、柳川はどこからか何本もの縄を出してきた。全身をほんのりとピンク色に染めて喘いでいる梓を引き起こして、何重もに縄をかける。梓は後ろ手にされ、両足を大きく広げてしゃがみこんだような形に縛り上げられた。
「あ……っ」
食い込んだ縄にさえ感じてしまうらしく梓は切なそうな声をあげて身をよじる。柳川がぐっと縄の端を持って腕を曲げると、梓は軽々と|吊《つ》り上げられた。いかにも非力そうなや
さ男のくせにすごい腕力だ。
そうだ。奴は人間の頭蓋骨を一撃で握りつぶせる「狩猟者」なのだ。人間の姿をしていても普通の人間をはるかに|凌駕《りょうが》する腕力は持っているのだろう。
柳川は吊り上げた梓を苦もなく運び、俺の体を後ろ向きにまたぐように降ろした。俺の目の前にねっとりと濡れ、弱い光を反射しててらてらと光る梓の陰部が|剥《む》きだしにさらさ
れる。
本能的に、俺は唾《つば》を飲み込んでいた。柳川との云い合いの間いくらかおさまっていた股間のモノが高速で元の勢いを取り戻す。
「いじり回してほしくてひくひくしてるぜ。|舐《な》めてやったらどうだ」
にやつく柳川を、俺は精一杯の努力で睨みつけた。ほんとうのところ、今すぐにでも梓の秘肉にかぶりつき、思いきり|卑猥《ひわい》な音をたてて淫液をすすり上げ、ぷっくらとふくらんだクリトリスに吸いついて梓をよがり狂わせてやりたい欲望と俺は懸命に戦っていたのだ。|怪《け》|我《が》の功名とでも云うべきか、柳川にけしかけられたことが却って自制心を高めてくれた。
パールピンクのクリトリスがふるふると震えている。梓はずっと、途切れなく低い声でかすかにうめき続けている。時折たまらないのか身をよじり、とろりと新たな蜜をあふれさせるのがたまらなく|煽情的《せんじょうてき》だ。しかし俺は意地で耐えた。
「まあ、いいだろう」
柳川は俺が自制心を失わないのが不満なようだったが、肩をすくめて冷笑を浮かべた。
「だが、下半身は欲望に忠実だろう?」
「……てめえっ! 何すんだよっ」
思わずわめいてしまったのは、柳川がかがみこんでジーンズのボタンに手をかけたからだった。しかし両腕を縛り上げられている俺には抵抗する手段がなかつた。ボタンを外され、ファスナーを引き下ろされていきりたったムスコを引き出されてしまう。
「さて、どこまで意地を張っていられるかが楽しみだな」
「何を……」
する気だ、と云う間もなかった。柳川は再び梓の縄の端をつかんで引っ張り、梓の体を持ち上げた。梓はもう何をされているのかもわかっていないらしく、ただ苦しそうにうめいて弱くかぶりを振るばかりだ。
「や……やめろっ!」
返事の代わりに酷薄な冷笑が近づてきた。柳川は梓の腰を俺のナ二の真上へと移動させ、そしてそこへ梓を降ろしていった。
つぶっ、と先端がどろどろに愛液にまみれた場所にめり込む。
「ふあぁっ!」
びくんっ、と背中をそらして梓は声を上げた。そしてようやく自分が何をされているのか理解したらしい。ひきつった表情でふり返って俺の顔を見た。
「こ……う、いち……あっ!」
さらに柳川が梓の体を降ろす。くいくいと器用に縄を操って微妙に位置を修正した。俺の先端に入り口付近をかき回されて梓は激しく頭を振り、途切れ途切れの甲高い声を上げる。
「柳川ぁっ!」
どうにかして腰を引こうとむなしくあがきながら、俺は叫んだ。
「梓の処女は奪わないんじゃなかったのかよっ」
「そうさ」
柳川は含み笑いをもらした。
「ぼくは、何もしてない。彼女の処女をいただいてるのはきみじゃないか」
「……てめえっ! 最初からそのつもりで……!」
「ぼくが善意できみを縛り上げたとでも思ってたの?」
柳川はくすくすと実う。
「ばかだねえ」
「あうっ!」
梓が鋭い悲鳴を上げた。柳川が正確な位置を見つけてしまったのだ。カリが半分以上、梓の|膣《ちつ》にもぐりこむ。
「や……っ! 耕一……っ!」
「それだけ濡らしていてイヤはないだろう。その男よりぼくに抱かれたほうがいいというなら交代してやっでもいいけれどね。どうする?」
楽しそうな柳川の声に梓は涙をためた瞳できっと柳川を睨みつける。
「……誰があんたなんかに……うっ……。耕一に……されたほう、が……あっ、あふっ……あっ、あっ、くっ……」
「ほうが? ほうが、なんだって?」
柳川は梓の腰を中途半端な位置で固定したまま、梓の上体を揺らす。女の子とはいっても梓だって四十キロやそこらは体重があるはずだ。両手を使ってもなみの男なら苦しいだろう。しかし柳川は片手でそんな芸当をして、力んでいる様子もない。
俺のモノはまだ先端も入りきっていない。いちばん太い部分で入り口をふさがれ、梓は相当に苦しいだろう。それでも快感は次々とわきあがうてくるのか、梓の表情は快感と苦痛のいりまじったひどく複雑なものになっていた。
「あ……あんたなんかにやられる、より……何憶倍も――くっ、……あふっ――マシ……だわ!」
喘ぎながらも、梓は懸命にそう云い切った。柳川の表情が歪《ゆが》む。
「何億倍もマシ、ね……。まあ、いいだろう。だったらぼくに処女をとられる何億倍もたっぷりよがってもらおうか」
「あぐ……つ! くあぁぁっっ……!」
柳川が手を離し、梓の体は重力に引かれるままに床に降りていく。ずぶっ、ずぶずぶ、とペニスがめりこんでいき、そして一瞬の抵抗のあと、爆発的な解放感とともに根元までおさまった。
「う……っ」
「あっ! ああっっ! 耕一いっっ!」
愛液とは感触の違う、ぬるりとしたものがペニスの根元にまといつく。出血しているのだろう。だがきつく生硬な膣の感触が|軋《きし》むようにムスコを刺激する。梓をこれ以上苦しませてはいけないという思いとは裏腹に俺の腰は自然とうねり、下から梓をつきあげていた。
「あうっ……! 耕一っ、耕一ぃっ!」
梓が絶叫して狂ったように頭を振る。見ると、梓の太股から薄い紅色の液体が流れてきていた。しかしその色はかなりうすい。出血よりも愛液の量が圧倒的に多いのだ。
「あっ、あくっ……くふっ――」
すすり泣きとも苦痛の声とも聞こえるよがり声をあげながら、梓は身をよじる。その動きは次第に俺の腰の動きに合わせたものへと変化していった。
「ちゃんと感じてるじゃないか」
揶揄するように柳川は云い、梓の肩に手をかけた。力まかせに梓の上体をふり回す。
「あああああっっ!」
梓は絶叫をあげた。
「耕一っ! 耕一っっ! こういちいぃぃっっ――!」
「あ……梓っ!」
梓の膣が俺のモノをちぎりそうなほど絞り上げるむ絞り出すような絶叫につられて俺も梓の名を叫んでいた。全身を|戦慄《せんりつ》がはしり抜け、抗えない勢いで精液を押し出していく。
「あっ! ああっ、あああっ!」
びゅくっ、びゅくっ、と精液のかたまりが子宮を叩《たた》くたびに梓は声を上げ、全身を|痙撃《けいれん》させた。がっくりと上体を倒してひくひくと全身を震わせる。
俺も息があがっていた。体じゅうからどっと汗が噴き出してくる。どっと重い疲労がのしかかってきて俺は肩で大きく息をした。
「おいおい。早すぎるぞ」
冷たい柳川の声が降ってくる。
「こんなに簡単に終わられたらおもしろくないじゃないか。なんのために娘を責める役を代わってやったと思ってるんだ?」
酸欠で頭がくらくらした。かすむ目で見上げると、柳川が冷ややかな笑いを浮かべて俺たちを見下ろしている。
「まだ、ぼくを楽しませてくれるよね?」
返事はできなかった。梓の内部がひくっと俺のモノを吸いあげ、やわやわとこねるように動いている。ぐったりした梓の口からも細い声が流れている。あれほど射精したのに、俺のモノは|萎《な》えるどころかいっそういきりたっていた。
「一度射精したぐらいじゃおさまらないだろう? お楽しみはこれからだよ」
柳川はさらに何かを云ったようだったが、次第に高くなっていく梓の声がそれをかき消していった。
第8章  結実
夢……だったのだろうか。
ふとんの上に起き上がって、俺はひどく漏乱した気分でいた。
俺は梓と一緒に「タカユキ」を探し、見つけ出してかおりちゃんと響子さんを救うために奴の部屋に踏み込み、そして柳川につかまって妙な薬を飲まされて梓とセックスをさせられた……のではなかったのだろうか。
なぜ億は相木の屋敷の、自分の部屋の布団の中で目を覚ましているのだ……?
理解できなかった。いったい、どうしてしまったのだ――?
部屋は暗かった。いつの間にか、夜になっている。それともそもそも日など昇っていなくて、俺は夢の中で夢を見たり起きたりしたつもりでいたのだろうか。
だとしたら、いったいどこまでが現実に起こったことで、どこまでが夢なのだ? いや、俺は今、本当に目を覚ましているのか――?
「耕一さん」
障子の向こうから低い声がした。俺は反射的に返事をして障子のほうを見る。
静かに障子が開いて、その向こうから千鶴さんが顔をのぞかせた。しかし、どこかいつもの千鶴さんと様子が違う。俺は布団から起き上がった姿勢のまままじまじと千鶴さんを見上げ、そして理解した。いつもの、まじめな顔をしていてもどこかとぼけたような微妙にズレた雰囲気が、今の千鶴さんにはないのだ。
「どう……したんですか」
「お話があります」
千鶴さんの声には抑揚がなかった。なぜだかをの声音に逆らえないものを感じて、俺は思わず|頷《うなず》いていた。千鶴さんはそれを確認して、目線で俺を外へと促す。
「一緒に来ていただけますか」
「いいけど……どこへ?」
「来ていただければわかります」
「ここじゃだめなの?」
「ええ」
千鶴さんの答えは簡潔で、それ以上の問いを拒絶するような響きがあった。別に逆らうつもりだったわけではなかったので俺は頷いて立ち上がった。千鶴さんの後について家を出る。
千鶴さんはふり返らずに先を歩いていく。向かっている先はどうやら裏山らしい。
しかし、なぜ裏山なのだろうか。ただ人目を避けているだけだろうか。しかし、時計を見てこなかったので時間はわからないが、どう考えでも今は深夜だ。避けなければいけないほどの人目はどこにもない。妹たちに聞かれたくないのかもしれないが、姉妹の部屋は俺の部屋とは離れている。俺の部屋で話すだけでもじゅうぶんだと思うのだが。
途中で俺は気がついた。これは水門へと向かう道だ。ずっと昔に遊びに来た時以来通ってはいなかったが、なんとなく道の曲がり具合に覚えがあるような気がする。
そういえば、先日ここへ来てからかなりヒマだったというのに、水門へ行つてみようと考えたことはなかったな。昔のことを思い出して散歩ぐらいはしに来ていでもおかしくはないのだが、なぜかそうしようとはまるで思わなかった。
前をいく千鶴さんはひとことも口を開かない。話しかけられるような雰囲気でもなくで、俺も仕方なく黙々と千鶴さんに続く。
やはり道は水門に通じていた。そこで道は行き止まりになり、千鶴さんもようやく立ち止まってこちらをふり返った。
「耕一さん」
「うん?」
何気なく返事をして、俺はぎくりとした。千鶴さんの瞳が奇妙な赤い光を放っている。心なしか、周囲の空気がすうっと温度を失っていったような気がした。
「千鶴さん……?」
「ゆうべは、失敗してしまいましたけれど――」
「え――?」
心臓が跳ねる。
ゆうべ……?
「今夜こそ、――あなたを殺します」
ぎああっ、と周囲の木が|梢《こずえ》を鳴らした。ひどく冷たい風がごおっと地面から涌き上がる。風は凍えた渦を巻き、そしてその中心は千鶴さんだった。
「ちょ……ちょっと待てよ!」
思わず一歩後ずさって、俺は千鶴さんを止めようと手をあげた。
「どういうことなんだよ! なんで、千鶴さんが俺を殺そうなんて――」
ふっと、千鶴さんの瞳が悲しそうに伏せられた。
「あなたは、鬼を制御できなかった」
「鬼?」
「あなたの中には、鬼がいるのです。そして、わたしの中にも」
千鶴さんは目を上げる。赤い瞳。人《ひ》|間《と》のものではない、瞳――。
「わたしたち柏木の人間には、鬼の血が流れているのです。動物を……いえ、人間を動物のように狩り、残忍に殺戮《さつりく》することにこの上ない喜びを覚える、鬼の血が」
楓ちゃんから聞かされた話が耳の奥に甦る。
「俺たちが次郎衛門の末裔《まつえい》だってこと?」
「ええ、そうです。そのことは知っているんですね」
「まあ……いちおう」
俺が頷く、千鶴さんもゆっくりと頷いた。
「なら、話もしやすくなります。相木の血脈に流れる鬼の血は、非常に強い遺伝力を備えています。特に、男子にはその傾向が聴く、そして……制御しにくいのです」
「制御?」
聞き返すと千鶴さんは目をそらした。
「暴走……するのです。体内の鬼の血が暴れ出して、殺戮をせずにはいられなくなってしまう――」
ひとつ息を吸って、千鶴さんは再び俺を見た。
「今の、あなたのように」
「俺……?」
「ええ」
千鶴さんが旗いた瞬間、ひゅっと風が捻《うな》った。身動きもできず、驚きに硬直した俺の喉元《のどもと》を風が襲う。Tシャツが喉元から脇腹へと斜めにすっぱり切れて、ぱらりと垂れ下がった。千鶴さんが風を起こして、俺のTシャツを切り裂いたのだと理解するまでには一瞬の間が必要だった。
「千鶴さ……」
「それが」
千鶴さんは俺の胸元を指さした。
「証拠です」
「え……?」
俺は千鶴さんの指先が示す方向を追って自分の陶を見下ろし、そして目を見開いた。左胸から腹のあたりまで、赤いみみず腫《ば》れのようなものがはしっていたのだ。「それはわたしが昨夜、あなたと戦った時につけた|痕《きずあと》です。鬼の体力は甚大で、治癒力も尋常ではありません。わたしのつけた痕があり、そしてそれがもうほとんど治ってしまっていることが、何よりの証拠なのです」
「ちょ――ちょっと、待ってくれよ、千鶴さん!」
俺は慌てて顔の前で手を振った。
「それは……俺じゃ」
ないんだ、と云いかけて言葉が止まる。
あの「狩猟者」は柳川のはずだ。だが、ならばなぜ、俺にこんな痕が――?
「あなた自身が話してくれたはずです。毎日、心の中から|這《は》い出そうとする怪物を必死に押さえ込む夢を見る、と。それが鬼なのです。そして鬼はついにあなたの心の檻《おり》を破り、|甦《よみがえ》った――」
「千鶴さん! 待ってくれ!」
「あなたは、鬼を抑えることができなかった――。遠からず、あなたは完全に鬼と化してしまう。そうなったら、おそらくわたしではあなたにはかなわない。だから、今――あなたを倒しておかなくてはならないのです」
「待ってくれよ、千鶴さん! あなたも鬼なのか? でもあなたは鬼じゃないだろうー」
「柏木の女は、鬼として目覚めることはほとんどなく、変身もしないのです。そしてそのぶんだけ、鬼を制御してその力だけを自分のものとすることも容易です。でも、男子は、――わたしの知る限り、それができたのはわたしたちのおじいきまだけ……。お父さまも、そして叔父さまも」
「伯父さんと|親父《おやじ》?」
「ええ」
千鶴さんは静かに頷く。
「父は、日に日に強くなっていく殺戮の衝動に発狂せんばかりになっていました。それを見守ることに耐えられなくなった母は、自分の運転する車に父を乗せて、崖《がけ》から……」
「事故……じゃ、なかった――?」
「そうです。そして、叔父さまも……。ご自分の中の鬼がおさえきれないことがはっきりして、人を殺してしまわないうちにと――自らの命を断たれたのです。鬼がその卓抜した運動神経で死を回避してしまわないように、大量のお酒と睡眠薬を飲んで」
ぽつりと、千鶴さんの頬《ほほ》を透明な涙が流れていった。
「――耕一さん。あなたは覚えていないかもしれませんけれど、あなたの鬼は小さいころに一度、目覚めているんです。この場所で」
「ここで?」
「ええ。梓が水門に落ちたことがあったでしょう? あなたはその時梓が落とした靴を拾うために水に飛び込んで、水門の基礎工事に使われて、撤去されずに残っていたワイヤーに足を引っ掛けられて溺れかけたのです。自分の命を守るためにあなたは無意識に鬼の力を使ってワイヤーを引きちぎり、あなたが死んでしまったと思って呆然としていた妹たちのところへ戻った……」
記憶の中の、梓の泣き顔。
あれは、靴をなくしてべそをかいていた顔ではないのか――?
脚に痕が残ってるでしょ。あたしの大事な思い出なんだから。そういった梓の声が耳に甦る。
「わたしはその場にはいませんでしたが、その時、あなたは鬼の本能のままに、妹たちを殺そうとしたのです。ですが、あなたは踏みとどまった。鬼の力を意識の力で封じ込め、……そしてその記憶までをも封じてその力のことを忘れてしまったのです。だから、もしかしたらあなたは生涯、力を眠らせたまま生きていけるかもしれないと……いえ、そうであってほしいと祈っていたのですけれど……」
千鶴さんは顔をあげ、かるく頭を降って涙を振り落とした。
「でも、やはりだめだったのですね。あなたの鬼は目覚めてしまった。もう、あなたを放っておくわけにはいきません。でも、せめて、あなたがこれ以上悪夢に悩まされないように、わたしが――楽にしてあげます」
俺はゆっくりと首を振った。
いったいどこまでが夢で、どこが虎実なんだ。これも、やはり夢なんじゃないのか。ほんとうに、千鶴さんは俺を殺そうとしているのか――?
答えにはたどりつかなかった。それより先に、一陣の黒い疾風と化して襲いかかってきた千鶴さんの一撃を受けて、俺の体は揺らぎ、そしてゆっくりと水門へと落下していったのだ――。
冷たい水が全身を叩《たた》き、そして俺を包み込んで水底へ抱きこんでいく。
あの時のように。
――…………あの時……?
一瞬浮かんだ疑問は、呼吸器にどっと流れ込んできた水に押し流されて消えていった。
それにしても、「鬼」――「狩猟者」だということは、じゃあ、柳川と俺たちとはどこかで血がつながってでもいるのか? それともほかに鬼の血脈が存在しているのだろうか。
意識が薄れていく一瞬に、俺はなんだかどうでもいいようなことを考えていた。
消えかけ、弱まった意識が、奴の意識とふいに同調《シンクロ》した。
あいつだ。
あの、同族の女がいる。
今度こそ。
今度こそ、あの女を殺して、燃え上がる命の炎を――!
俺は見た。
風の速さで前方から後方へと流れ去っていく風景。
全身のすぼらしく強靭なバネをフルに使って、奴が高く遠く、宙を跳んだ。
森の中にぽっかりと開けた空き地にずしりと降りる。
奴の探し焦がれていた同族の女――千鶴さんが驚愕《きょうがく》の表情でふり返った。
「鬼……? ……どう、して――」
呆然とつぶやき、今まで見下ろしていた場所をまたふり返る。たった今、自分の手で俺を叩き込んだ水門の水面を。
「あなた……耕一さんじゃ、ないの――?」
奴は、千鶴さんの驚愕と緊張を感じ取ってにたりと笑った。
こいつだ。
俺と同じ血を持つ女。
俺のものになるはずだったすべてを手に入れた女。
俺と同じ男の血を引いた男から生まれた女!
奴の腕がすさまじい速さで唸り、をれぞれが鋭利なナイフのような五本の爪が千鶴さんを襲う。驚きに意識を奪われたまま立ち尽くしていた千鶴さんの体が弾《はじ》き飛ばされ、そし
て地面に叩きつけられた。
顔を強く打って、千鶴さんがぐったりと倒れて動かなくなる。奴はゆっくりと千鶴さんに歩み寄り、とどめを刺すために大きく腕を振りかぶった。
だめだ――!
千鶴さんを、殺させるわけにはいかない!
奴の意識の下で、俺は必死にもがく。
殺させない。絶対に。千鶴さんだけは、絶対に――。
やめろ!
奴が腕を振り降ろす。
きい……ぃん!
鋭く険《けわ》しい音が空気を裂いて、奴がぎょっとしたように俺を見た。
自分と同じ姿をした、俺を。
俺は、鬼に――奴の云う狩猟者、楓ちゃんの言葉を借りるならばエルクゥ本来の姿に、変身していた。
二メートルを越す巨大な体躯。分厚い胸、そしてたくましい腕、長く伸びた鋭利な爪。
全身の細胞、一つひとつにすさまじいエネルギーが流れこんでいる。
俺は理解していた。俺自身が何者であるのかを。確かに次郎衛門から受け継いだ鬼の血――狩猟者の、エルクゥの血を受け継いでいることを。そして同時に、自分が世界で最強の生物なのだということも。
鬼の力を完全に制御し己れのものとした俺の前では、ただエルクゥの狩猟本能にふり回されて暴走している奴など、子供も同然だということを。
|蹄躇《ちゅうちょ》は何ひとつなかった。奴の爪をおさえた爪をはねあげて、弾く。そして返す刀で振り降ろした俺の腕が深々と奴の左胸をえぐった。
ちょうど昨夜、千鶴さんがえぐった、まったく同じ場所を。正確に。しかし、じゆうぶんに致命傷になるだけ、深く。
奴が大きく目を見開いて俺を見つめる。
半呼吸遅れて、盛大な血しぶきが地面を真紅に染めた。
そして、ぱあっ、と視界が目もくらむような光に包まれた。
ゆっくりと地面に倒れていく奴の体から、その光は放たれていた。
尽きる最後の瞬間に燃え上がった、奴の命の炎――。
光の中で、奴の姿が変化していく。長く鋭利な爪がぽろりとはがれ落ち、隆々と盛り上がっていた筋肉が空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。
命の炎が小さくなっていくのと呼応して、奴の体も縮んでいき、たくましい「狩猟者」にかわって細身の優男がぐったりと地面に横たわる。
ほとんど光の消えかけた瞳が、闇の中に俺の赤い双眸を探す。
瞳が合った瞬間、奴の想いが俺の心に流れ込んできた。
(これでやっと――貴之のところへいってやれる……)
ふっつりと事切れた柳川の口もとには、ごくかすかな笑みが浮かんでいるように見えた。
「耕一……さん…………」
弱々しい声に俺はゆっくりとふり返った。千鶴さんが頭をおさえて、よろめきながら立ち上がるところだった。
意識の奥で命じると、細胞が即座に従った。遺伝子が組み替わってゆく。筋肉が締まり、広がった胸郭が狭まり、長く伸びた爪がはがれ落ちる。
そちらを向き直った俺を一目見て千鶴さんはばっと頬を赤らめ、慌てて目をそらした。俺ははたと自分が全裸だということに気がついた。鬼――狩猟者1エルクゥに肉体を転換させた体型の急激な変化に、俺の服はすべて破れてしまっていたのだ。
急いであたりを見回したが、服の代わりになりそうなものは何一つ落ちてはいなかった。と、千鶴さんがジャケットを脱いで後ろ手にそれをさし出してきた。遠慮している場合ではなかったので俺はさっとそれを受け取り、腰に巻いてとりあえずいちばん見苦しいものを隠す。
「もう……いいよ、こっちを向いても」
照れながら云った俺に千鶴さんはちらりとこちらを見、そしてほっとした表情になって俺に向き直った。長い息をつく。
「鬼の力を――制御できたんですね」
「うん」
俺はゆっくりと頷いた。
「次席衛門のおかげ、かな」
「え?」
千鶴さんが首を傾げる。俺は笑った。
エルクゥに変身した瞬間、俺は理解したのだ。いや――どちらかといえば、思い出した、と云ったほうがいいかもしれない。俺の遺伝子に潜んでいた記憶……次郎衛門がどうやって「角を切り落とし」たか――つまりは、いかにして鬼の力を制御し使いこなしたか、を。
「この人……たしか、うちに来た、刑事さん……?」
倒れている柳川を見て、千鶴さんがためらいがちに口を開く。俺は頷いた。
「そう。そして俺たちのもう一人の叔父貴だ」
「え?」
「だってそうだろう?」
きょとんとした千鶴さんに、俺は苦く笑いかけた。
「鬼の血は、相木の男に流れてるんだ。こいつにも、柏木の血が流れてなくちゃおかしいじゃないか。なのに、こいつは相木の姓は名乗ってない。じいさんの隠し子――晩年に妾に生ませた子供だったんだよ」
最期の一瞬――柳川と目を合わせた瞬間に、俺は奴の心からすべてを読み取った。エルクゥの持つ精神感応の力が、それを可能にさせたのだ。
かつてじいさんの|妾《めかけ》だった母親にずっと聞かされて育った、「世が世ならおまえが鶴来《つるぎ》|屋《や》の会長なのに」という繰り言。自分にも与えられるはずだった裕福な暮らしをなんの疑間もなく|謳歌《おうか》している姪たちへの羨望。何らかの形で姪たちを見返したいと友人もつくらずに勉強し、優秀な成績で警察学校を卒業し、異例とも云える早さで出世こそしたものの、心を開いてつき合える友人の一人もいないむなしさ。そして、ようやくできた、友人でもあり弟でもある青年の発狂――。それが奴の「鬼」を解き放ってしまった。
ちゃんとじいさんに認知されて、柏木の御曹司として育っていれば、柳川はあの青年、貴之と知り合うこともなかった。何人もの罪もない人間を殺すことも、奇妙な薬を使ってかおりちゃんや響子さんを犯すことも、しないですんだかもしれない。
そして柳川は血のつながりに鬼となった自分を唯一殺すことのできる存在、自分ではない「鬼」に最後の望みをかけた。俺に梓と無理矢理セックスをさせたのも、まだ眠っている俺の鬼を呼び覚ますため――例の薬をどれほど使っても狂って貴之のところへゆくことのできない自分に引導をわたしてもらえるかもしれないというほのかな希望とがとらせた行動だったのだ。
「あ……」
千鶴さんがちいさな声をあげた。俺もその光景に息を飲んだ。
柳川の体が崩れていく。俺たちが声を失って見守る前で、柳川の死体は急速に風化し、塵となって消えていった。
「たぶん……体が毎晩のような変身に耐えきれなかったんだろうな」
屋敷に戻った俺と千鶴さんは、梓たち三人の耳を避けて俺の部屋で向かい合っていた。俺ももう新しい服を着て、堂々と千鶴さんの前に出られる格好をとり戻していた。
「あの人も……父や叔父さまと同じ、鬼の血の犠牲者だったんですね」
俺の話をすべて聞き終えてそう|咳《つぶや》いた千鶴さんの表情は冴えない。どうやら心にひっかかっているのは、柳川の悲劇だけではないようだ。俺がエルクゥの姿から人間に戻るのを見て以来、ひどく落ち込んでいるような様子だった。
「どうしたの、千鶴さん。何か、気になってることでもある?」
尋ねた俺に千鶴さんはうつむいた。
「だって、わたし……濡れ衣であなたを」
「気にしなくていいよ。千鶴さんだって考えなしにやったことじゃないんだ」
むしろ、千鶴さんは俺のために、自分がつらい思いをする役を引き受けようとしてくれたのだ。感謝こそすれ、恨みも怒りもこれっぽっちも持っていない。
「それに、俺がきちんと目覚めることができたのは、千鶴さんのおかげだし」
「え……」
首を傾げた千鶴さんに、俺は頷いて見せる。
「あいつに――柳川に千鶴さんを殺されたくなかったんだ。俺がここで死ぬのはともかくとして、みすみす千鶴さんを殺させることだけは許せないって思って――そうしたら、変身してた」
あの時もそうだった。ふだんまるで男のように元気でやんちゃな梓が、買ってもらったばかりの大好きな靴だったのにと女の子に戻って泣きじゃくった。それがかわいそうでならなくて水に飛び込んでワイヤーにつかまり、ここで死んだら梓は靴をなくしたままで泣き続ける、それじゃあんまり梓がかわいそうだと――そう思った瞬間に変身したのだ。
「守りたかったんだ。千鶴さんを」
俺の声に千鶴さんがおずおずと目を上げる。俺は|微笑《ほほえ》んだ。
「俺の、初恋の――今でも憧れてる、いちばん大切なひとだから」
そう、はるか昔のあの日から、ずっと俺は千鶴さんに憧れていた。三人の妹の母親がわりをし、会社を背負い、そして伯父さんの、そして親父の苦しみをずっと見守ってきた千鶴さん。あまつさえ相木の男に生まれたばかりに背負わなければならない苦しみを自分が肩代わりしようとする、こんな優しくてけなげな女性に恋をしない男がいるものか。
千鶴さんは俺のために一生心に深い痕を負っていこうとしてくれた。今度は俺が、千鶴さんを支えてあげる番だ。
「俺がいるから。もう大丈夫だから――千鶴さんはもう、楽をしていいよ」
俺を見上げる千鶴さんの表情が歪《ゆが》んだ。瞳に大粒の涙が浮かび上がってくる。
「耕一……さん――」
「俺じゃ……役者不足? 頼りない?」
「いいえ――!」
千鶴さんは大きくかぶりを振った。涙が頬にこぼれ落ちる。
透明な、温かい涙。俺は手をのばして、そっとその涙を払った。
「耕一さん――!」
千鶴さんが俺の胸に飛び込んでくる。俺は千鶴さんの頬を両手でそっとはさんで、静かに唇を合わせた。
甘い|唾液《だえき》の香りに俺は陶然と酔った。俺に貸したきりジャケットを脱いだまま、薄着の服の上から胸をまさぐると千鶴さんは体を硬くして俺の肩に顔を伏せる。
「耕一さん……。わたし――はじめて、なんです……。こんなトシまで……恥ずかしいんですけれど。あの……いやじゃありませんか」
「俺……はじめてじゃないけど。イヤじゃない?」
「いえ……!」
びっくりしたように顔をあげた千鶴さんに俺は吹き出してしまった。笑われて千鶴さんがぷっと頬をふくらませる。
「どうして笑うんですか」
「俺が好きなのは、千鶴さんだよ」
千鶴さんの髪を指で椀いて、俺は間近で千鶴さんの顔をのぞきこんだ。
「処女じゃなくてベッドテクニックが抜群の女が好きなわけじゃないの。千鶴さんがいいんだよ。千鶴さんは? どうしても童貞じゃないとやだとか、めちゃくちゃ女に慣れててめろめろにしてくれる男じゃないとやだとか?」
「そんなこと……。わたしは、耕一さんだから……」
「だから、俺も同じだって」
俺はあらためて千鶴さんを抱き寄せ、キスをした。千鶴さんの服を脱がせ、優しくふとんの上に寝かせる。俺自身も着たばかりの服を脱いで、千鶴さんに覆いかぶきった。
小ぶりの乳房のてっぺんで、小さな乳首がつんと上を向いている。両手で左右の乳房を包み、指の腹でかるく乳首をさすると千鶴さんはびくんと反応を示した。
「気持ちいい?」
「…………はい」
ほんのりと頬を染めて、千鶴さんは恥ずかしそうに、しかし素直に頷く。
きめの細かい肌だった。しっとりとてのひらに吸いついてくる。ふんわりとした、ひどく手になじむ感触をしばらく楽しんで乳房を|愛撫《あいぶ》し、そしてすっと脇腹から腰へと片方の手を降ろしていく。さすがに年ごろの女性らしくまろやかなヒップのラインをなぞると千
鶴さんはうっとりとした表情になって目を閉じた。
「耕一さん……」
「好きだよ、千鶴さん」
ぎゅっと細身の体を抱きしめ、キスをする。舌をさし入れると千鶴さんの舌もそれに応えてきた。長い、長いキス。唇を合わせ、舌を絡ませたまま俺は体を入れ替え、仰向けになって千鶴さんの体を上に乗せた。
「ん……っ」
千鶴さんがくぐもった声でうめく。バランスを崩した千鶴さんを支えがてら俺は千鶴さんの脚の間に片足を割り込ませて開かせた。つつましやかな茂みをかきわけて、指をすべりこませる。びくっ、びくっ、と千鶴さんは体を震わせた。
「あ――そこは……」
もぎ離すように唇を離して、千鶴さんは喘いだ。しかし俺の指はすでにしっとりと濡れた感触の中にあった。さらさらした感触の愛液の中に、俺は指を泳がせる。すでにこりこりに充血していたクリトリスをさがしあててやさしくこねると、千鶴さんは俺の上で大きく背をのけぞらせた。
「あぁ……っ! 耕一さん……っ!」
包皮を|剥《む》いてじかにクリトリスを刺激すると千鶴さんはいっそう高い声をあげた。何度も首を振り、長い髪を乱す。俺はさらに指を一本、千鶴さんの中へゆっくりともぐりこませていった。
しなやかで熱い肉襞。わずかにぎらついた場所を指先がさぐりあてる。
「あっ! あ……っ!」
のけぞり、体をうねらせて、千鶴さんは喘ぐ。あまりに激しい動きに、ずるずると俺の胸の上から千鶴さんの体はずり落ちていった。
シーツにぐったりと横たわって、千鶴さんは激しく肩で息をした。俺は起き上がり、ふとんの上にあぐらをかいた。
「大丈夫?」
「は……い…………」
千鶴さんは頷いたが、声はいくらかうつろだった。俺は千鶴さんを抱き起こし、子供を膝《ひざ》に乗せるように膝の上に抱き上げる。そのまま千鶴さんの体を二つ折りにするような形で脚を高く上げさせ、持ち上げた。下から場所を定めて、ゆっくりと千鶴さんの体を降ろしていく。
「あ……っ! ひっ……!」
びくっとのけぞって体を硬くした千鶴さんの耳たぶを俺は背後からやさしく噛む。
「大丈夫だから。すこし痛いかもしれないけど、我慢して」
そう云って、俺は下から腰を突き上げると同時に千鶴さんの体をぐっと降ろし、一気に貫いた。一瞬、わずかな抵抗はあったが、勢いがあったためか俺の周棒は根元までしっかりと千鶴さんの中に入った。
「う……」
千鶴さんがうめいて、唇を噛む。
「痛い?」
「少しだけ……。でも、大丈夫……です」
千鶴さんはかすかに微笑んだ。
「耕一さんと……ひとつになれたことのほうが、うれしい……」
喉の奥から熱いものが込み上げてきて、俺は千鶴さんを抱きしめた。ゆっくりと腰をグラインドさせる。千鶴さんは時折顔をしかめて痛みをこらえているようだったが、徐々に慣れてきたのかうっとりした吐息をもらすようになっていった。
「うれしい……。耕一さん……わたし、うれしい――……」
「俺もだよ、千鶴さん――好きだ」
ゆっくりと、大きく腰をうねらせながら、俺は|囁《ささや》いた。
「子供を作ろう。小さいころから、きちんと鬼とのつき合い方を教えてやればいい。もう、相木の子孫が鬼の血に悩まされることはなくなる」
「あ――……こうい、ち、さ…………」
千鶴さんの呼吸が少しずつ速くなる。肉襞がうねり、俺のモノに吸いつく。
次郎衛門がかつて夢見た、鬼と人間の血の融和。数百年を経て、今こそそれが実を結ぶのだ。
「千鶴さん……俺……イキそうだ――……!」
「あっ……耕一、さん……! わたしも…………わたしも、あっ……!」
千鶴さんが感極まった声をあげる。押し寄せてくる絶頂のうねりに合わせて俺も激しく突き上げ、をしてありったけの精液を千鶴さんの内《な》|部《か》に放った。
END
あとがき
はろはろっ。前薗はるかですっ。2回めのおめもじになりますが、みなさまお元気でしたか? 今回はリーフさんの『痕』を書かせていただきました。すごく内容の濃いソフトで、正直どうやって1本の小説にしようかなっと悩みました。結局、最終的にはこんな形になりました。いかがでしたでしょうか。ろりぃでかわゆい初音ちゃんとはあんまり濃厚なえっちがさせられなかったのがちょっと残念なんですけど。初音ちゃんファンのみなさま、ごめんなさいね。
今回もM上マネージャーさまと早紀ちゃんにはいろいろお世話になりました。原稿仕上げる前に前薗ってば旅行いっちゃうし(笑)。前回は温泉でしたが、今回は菊花賞見に京都でした。いつもいつも、なんでしめきりと遊びの予定って重なっちゃうんでしょうね。次のおしごとは、クラシック外してください(おいおい(笑))。
K田さん、いろいろ無理いってごめんなさい。
リーフさま、お世話になりました。
また近いうちにみなさまにお目にかかれるといいなと思ってます。また本屋さんでお会いできたらお手にとってくださいねっ。
1996年12月 前薗はるか
痕〜きずあと〜
1997年1月10日初版第1刷発行
1999年9月308  第7刷発行
著 者 前薗 はるか
原 作リーフ
原 画 水無月 徹
発行人 久保田 裕
発行所 株式会社パラダイム
〒166-0011東京都杉並区梅里2-40-19
ワールドビル202
TELO3-5306-6921 FAXO3-5306-6923
装 丁 林 雅之
制 作 有限会社オフィスジーン
印 刷 ダイヤモンド・グラフィック社
乱丁・落丁一はお取替えいたします。
定価はカバーに表示してあります。
(C)HARUKA MAEZONO (C)Leaf
Printed in Japan 1997