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AHEADシリーズ
終わりのクロニクルB〈下〉
[#地から2字上げ] 川上稔
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)必要|最低限《さいていげん》の明かりが灯《とも》る
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#底本「○○○」]
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終わりのクロニクル
著●川上稔 イラスト●さとやす(TENKY)
B【下】
――諸君、
それでは集おう。
意思ある場所へと。
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The Ending Chronicle
Act.03
CHARACTER
.Name :月読・京
.Class:大学生
.Faith:姫様?
.Name :アポルオン
.Class:3rd―G後継者
.Faith:王様?
.Name :獏
.Name :風見・千里
G-WORLD
・倉敷について・
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倉敷は岡山県児島半島の中に存在する街である。
古くからの歴史とともにその形を残す街は、中央部の倉敷駅と街道を持って、下図のように大きく区切ることが出来る。
倉敷の内部には3rd―Gの本拠があるとされる。
かつては中国地方にいる1st―Gとも衝突があったが、その際に本拠を移動した。
よって彼らの隠れる概念空間は未だに発見されていない。
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CONTENTS
終わりのクロニクル 3下
プロット表
ボク達が集えたことを忘れぬよう
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イラスト:さとやす(TENKY)
カバーデザイン:渡辺宏一(2725inc)
本文デザイン:TENKY
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第二十五章
『勘違いの午後』
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向き合えば何かが得られる
それは甘えた考えだったりする
大事なのは得にいくことなのだから
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●
午後の砂浜の上を、木刀《ぼくとう》を手にした二人の男が動いていた。
海を背景に、右に立っていた小柄《こ がら》な方が前に走り出し、左に立っていた大柄《おおがら》な方が受ける。
飛場《ひ ば 》と出雲《いずも》との模擬《も ぎ 》戦闘だ。
二人を見ているのは、浜の入り際の木陰にいるUCATの者達だけだ。
そんな皆の中、一人|浜《はま》に座り込んで飛場の動きを見ている少女がいる。
美影《み かげ》だ。
美影の視界の中、飛場は出雲の下段構えを警戒《けいかい》し、しかし速く、そして低く行く。
美影にとっては予測出来た動きだった。
荒帝《すさみかど》に合一《ごういつ》したとき、いつも飛場はその動きで行く。彼の得意のパターンだ。
身を低くして高速で踏み込むことで、相手の視界から沈む。もし相手が再び視界に捉《とら》えても、縮めた身体《からだ》の陰で腕や脚《あし》がどういう動きを取ろうとしているか見ることは出来ない。
……荒帝なら翼《つばさ》があるからもっと速いのに。
と美影は思う。
飛場が勝つのは解《わか》っている。美影は飛場以外の人間が戦っているのをほとんど見たことがない。が、飛場は、今までこちらを殺そうとしてくる武神《ぶ しん》相手に負けたことがない。
それに飛場は、奥多摩《おくた ま 》に住んでいる祖父に技を良く教えてもらってもいる。
美影は、飛場の祖父がどのようにして3rd―|G《ギア》を滅ぼしたのか知らない。
荒帝を使用したということだが、当時、自分は自動人形の身体とはいえ、それこそ親の顔の区別も付かない子供だった筈《はず》だ。どうやって荒帝を呼び出せたのか解らない。
……荒帝。
破壊《は かい》兵器である神砕雷《ケラヴノス》とともに自分に預けられた力だ。
それは自分と同じで、駆動《く どう》部にまだ不備があるままロールアウトした武神。クロノスの手が間に合わなかったのか、ゼウスが何か感づいて急《せ》かしたのか、解りはしない未完成品だ。
自分の記憶《き おく》の中で初めて荒帝を呼び出したのは、3rd―Gの武神が突然現れて飛場が負傷したときだった。
あの夜から、自分の進化は停まった。
飛場は、進化のためには3rd―Gの概念核《がいねんかく》が必要なのかもしれないと言う。
……それなのに、私はここで何をしているんだろう。
視界の中、飛場が出雲の| 懐 《ふところ》に飛び込んだ。
うわ、と周囲の皆が叫ぶ中、美影は不自由な脚を抱え、唇の動きだけでつぶやく。
『何をしているんだろう、私は』
……リュージ君に頼ってばかりで。
彼は今、自分の進化のためには戦っていない。彼にも彼の生活がある、というのは解《わか》っているが、どことなく残念を感じる自分を嫌だと思う。彼を束縛《そくばく》しようとして、嫌な気分だな、と。
……私の問題なのに。
と、心の中で付け加えたとき、あ、とまた声が挙がった。
飛場《ひ ば 》に対して出雲《いずも》が動いたのだ。
初撃《しょげき》だ。が、それはしかし、前に出した下段の木刀《ぼくとう》で行われなかった。
「!」
出雲の右足が、先に踏み込んでいた左足を軸《じく》に蹴《け 》り出されていた。
シャベルのような蹴りが、突っ込んできた飛場の身体《からだ》を下から打つ。
打音が響《ひび》いた瞬間《しゅんかん》に美影《み かげ》は聞いた、隣《となり》の風見《かざみ 》が頷《うなず》くのを。
「――よし」
飛場の身体が浮く。
●
風見は両の拳《こぶし》を握って出雲を見る。
下段に置いた木刀を囮《おとり》に、一番後ろに下げていた足でカウンターを狙う、
……単純なフェイントだけど、まあ意地の悪い方法だわ。
木刀の構えを特殊なものにしたのは、目を引かせ、初撃を蹴りと悟らせぬようにするためだ。戦闘経験があって、一瞬《いっしゅん》で行動判断の出来る相手だから効く方法だ。
出雲の蹴りが飛場にぶち当たり、その小柄《こ がら》な身体を浮かせた。
このまま、蹴り足で前に踏み込み、一気に押す。
その筈《はず》だった。だが、
「――ち」
という舌打《したう 》ちとともに、出雲が蹴り足を引いていた。
何事かと思った風見は見る。宙で身体を折り曲げていた飛場の両腕が、その肘《ひじ》を下に曲げていることを。
飛場は木刀を口にくわえ、両の二《に 》の腕《うで》と| 掌 《てのひら》で出雲の蹴り足をガードしていた。彼の掌が前に差し出されているのは、
「足首とろうとした……?」
風見の疑問の答えは、出雲の蹴り足が高速で戻ったことで雄弁《ゆうべん》される。
宙に一瞬浮いただけの飛場が、口から離した木刀を右手に掴《つか》む。宙で身を縮め、更に姿勢を低くして着地。右手の木刀の先端で倒れそうになる身体を支え、
「――!」
出雲に手が届くような至近《し きん》距離だというのに加速した。
だが風見《かざみ 》の視線の先、出雲《いずも》は後ろに戻した蹴《け 》り足に引かれるようにバックステップを踏んだ。
大柄《おおがら》な彼の一歩は大きい。
加速の飛場《ひ ば 》と距離の出雲という形で、お互いが約一メートルの差を保って移動する。
出雲が戻した右足を砂についた。そのまま爪先《つまさき》を左に回して砂を抉《えぐ》り、
「食らっとけ!」
右手に提《さ 》げた木刀《ぼくとう》を、下から跳ね上げた。狙いは突っ込んでくる飛場の横《よこ》っ面《つら》だ。
当たる、と風見が思ったときだ。
走り込んでいた飛場がいきなり動いた。
彼は、右手の木刀を地面に突き刺したのだ。
砂に刺さった木刀が制動用のストッパーになる。
砂の飛沫《しぶき》が上がり、飛場の身体《からだ》が急停止した。それも出雲の木刀に前髪《まえがみ》当ててかわす位置だ。
回避《かいひ 》する。
そして、スイッチが入ったかのように飛場が動いた。
おお、叫びを挙げ、飛場は起き上がりざまに地面から木刀を引き抜く。
右からのフルスイングが出雲の横腹《よこはら》を打撃した。
「覚《かく》!」
風見の言葉と同時に響《ひび》くのは強烈な打音だ。
そして飛場の木刀が、衝撃《しょうげき》で彼の手のホールドを外れる。
対する出雲の身体は浅く左へ流れていく。
が、風見は見た。飛場が左から右へ振り返す動きで、左のフックを逆から一発入れたのを。
拳《こぶし》による打撃の音で、出雲の大柄な身体が左へ流れるのが止まった。
しかしそこで飛場は収まらない。
飛場は動いた。右へ振った身体が戻る瞬間《しゅんかん》、宙に右手を伸ばす。
そこに先ほど弾《はじ》かれた木刀があった。
風見は思う。木刀程度では覚には効かない、と。出雲が得ている加護《か ご 》に対しては、剣先《けんさき》のように細い打撃では鞭《むち》で打つような痛みを与えるだけだ。
身体の芯《しん》に届かせるには太い打撃でなければならない。
飛場はそれを叶《かな》えた。宙に弾かれ旋回《せんかい》する木刀の、剣先を掴《つか》んだのだ。
バットのように振り抜かれた木刀の柄《つか》が、その太く円い箇所で出雲の身を打つ。
ハンマーのような打撃が行くのは、先ほどの一発目を入れた場所だった。
入る。
「!」
嫌な音が響き、出雲が身体を前に倒した。
だが、飛場は動きを止めない。
打撃を左に振り抜いた直後。既に彼の身は右に傾いている。
そして飛場《ひ ば 》は、握った木刀《ぼくとう》の剣先《けんさき》を手放して指で弾《はじ》いた。
身体《からだ》を右に振りながら掴《つか》み直すのは、今度こそ柄《つか》の方だ。
が、握りは前後を逆に。峰打《みねう 》ちの構えで握る。対する出雲《いずも》の身体は、前に折れて来ている。
その二つの動きを見た風見《かざみ 》は飛場の戦術を悟る。
……これが狙いね!?
木刀で飛場が狙うのは出雲の顎先《あごさき》だ。ここを引っかけるように打ち抜くと頭が大きく振られ、てこの原理で脳が振動されて脳震盪《のうしんとう》を起こす。
顎を引っかけるには木刀の背を前に構え、その反りで弾いた方が確実だ。
既に観客は自分も含めて充分に飛場の打撃を見ている。そして彼の動きも。
飛場の実力は充分に伝わっただろう。
あとは打ち抜いて気絶《き ぜつ》でもさせれば完璧《かんぺき》だ。
もとより飛場は打撃で勝負を付ける計算をしていなかったのだろう。
打撃は 見せもの で、気絶させて完全勝利するのが目的。
ならば射程《しゃてい》距離に顎先を落とさせたここからが本番だ。
飛場は動いた。返す横打ちの一刀を出雲の顎先に飛ばす。
打撃音というよりも、破砕《は さい》音が響《ひび》いた。
●
木刀《ぼくとう》を振り抜いた飛場《ひ ば 》は、眼前で起きた光景を見ていた。
手には木刀の柄《つか》がある。が、そこから先、木刀の半《なか》ばからが消えている。
否、砕けたのだ。
……これは――。
勢いをつけすぎたか、と思う。顎先《あごさき》を打つにしても、もう少し手を抜くべきだったかと。
だが、飛場の視覚は、飛び散る木刀の破片の向こうに、一つの事実を見ていた。
出雲《いずも》の顎が落ちるべき位置に、別のものが落ちているのを。
それは、出雲の額《ひたい》だった。
「……え?」
どういうことか。
答えは簡単だ。出雲はこちらの木刀を顎ではなく額で受けた。それも、木刀を折る勢いのカウンターで、だ。
……そんな馬鹿な。
先ほどまでの打撃で、相手は痛みから無防備に身体《からだ》を倒してきた筈《はず》だ。
呼吸が詰まり、苦痛があり、耐えられぬものがあった筈だ。が、
「あー、痛ぇ……」
舞う木刀の破片の向こうで、出雲がつぶやいた。
直後、飛場は右肩に何か重いものが乗ったことに気づく。
木刀を手放した出雲の手だ。それも、身体を前に折ることで届いた腕だ。これはつまり、
……身体を前に倒したのは、痛みではなく、こっちを掴《つか》むためで……!
息を飲んだ眼前で、こちらとは対照的に大きく息を吐いた出雲が身体を起こす。
彼は自分の方を眠そうな顔で見て、そして左を、観客の方を見た。口を開き、
「おーい、飛場の実力見たか? 全力っぽかったけどよ」
「見たわよー。全力でしょ、あの勢いだと」
と、呆《あき》れたような風見《かざみ 》の声が聞こえ、対する出雲が頷《うなず》いた。成程《なるほど》な、と言った彼は、
「ようし、見てろよ千里《ち さと》。俺は先輩《せんぱい》らしく手を抜くぞー」
そして出雲がこちらを見た。
「飛場、お前、俺に何発入れたっけか。確か三発だったよな」
四発です、と言おうと思った瞬間《しゅんかん》、鳩尾《みぞおち》に一発目が来た。
一発目は彼が手に握った木刀の柄尻《つかじり》だった。
肺の下側に杭《くい》でもぶち込まれたような衝撃《しょうげき》が来る。
だから身体を後ろに浮かせることでダメージを少なくした。
大丈夫だ、と思う。今まで武神《ぶ しん》で戦闘していたときも、似たような状況はあったが、しかしいつもすぐに動いて相手を倒してきた。今も同じだと、そう思うが、
「か……」
何故《なぜ》か動けなかった。息だけが口から出て、身体《からだ》が動かない。
どうしてだろうか、と、飛場《ひ ば 》は思う。これは普通の打撃だ。かつても武神との戦闘でこういうことはあった。装甲《そうこう》が厚い相手に武器を弾《はじ》かれて逆に踏み込まれたことも。あのときは――、
「何をモロ食らいしてんだ? ――馬鹿かお前」
武神|相手《あいて 》なら背後へ下がれるタイミングで、出雲の二|打撃目《だ げきめ 》が来た。
打撃内容は簡単だ。先ほど肩に置いていた手による握り拳《こぶし》の振り下ろしでしかない。
だが、後ろへ行こうとして前に折った背は動きが鈍く、そのまま打撃を受けた。
腹と背に受けた攻撃で肺の空気が全て出る。
頭に浮かぶのは回避《かいひ 》運動だ。しかし、飛場は最初の一発から動けない。
飛場には訳が解《わか》らない。いつもなら、自分はこんなダメージをものともしないのに、と。
「ほら、ちゃんとしろ後輩《こうはい》」
肩を掴《つか》まれ身体を起こされる。立った胴体《どうたい》の中に酸素は入るが、
「俺の打撃はフツーだぜ。それが何故か効いてる理由が解るか? ――終わりの三発目」
踏み込みと同時のスマッシュが右|横腹《よこはら》に来る。
打撃音が体の中で鈍く響《ひび》き、全身に振動が走る。
痺《しび》れた。その震えの向うから出雲の声が聞こえた。
「オマエは強え。10th居留地《きょりゅうち》からこの|G《ギア》に来て、あれだけ速く動けるヤツ見たのは俺の覗《のぞ》き仲間の田中《た なか》用務員って爺《じい》さん以来だ。だがな? ――応用ってものがねえ。武神|達《たち》相手っつっても、自動人形の遠隔操縦《えんかくそうじゅう》ばっかだろオマエ。下手《へた》すると攻め方に癖《くせ》がついてんぜ」
出雲の手が、崩れかけたこちらの肩を押さえる。そして、
「それとな? 死線《し せん》ばかりを抜けすぎだオマエ。楽しい訓練、皆の訓練、そういうのを本気でやるってのを知らねえから、これは訓練です と思って手を抜いたろ? だから途中から回転カリカリ上げやがって、初めからやってりゃあ俺の背後に回れたかもしれねえのにな。と、――四発目、これはサービスだ」
逆の腕で臍下《へそした》に一発が来た。
「……!」
もはや膝《ひざ》に力が入らない。しまった、と今更《いまさら》ながらに飛場は思う。
「どうだ飛場、俺は強いだろう」
強いと言うより頑丈《がんじょう》なだけです、と言おうと思うが、顎《あご》が震えて動かない。そして、
「じゃ、負債《ふ さい》を返してサービスも払ったしな。これからが俺の分だ」
「――え?」
「頑張れ飛場《ひ ば 》。そして頑張れ俺。世界の皆が待ってるぜ。――んじゃスタート!」
いきなり腹にぶち込まれた。
「ようし、いいか飛場? よく聞けよ、これからお前を負かすぜ。だが――」
胸に叩き込まれた。そのまま襟首《えりくび》を掴《つか》んで引き戻され、
「だが飛場、お前を負かすのは俺じゃねえ。周囲の連中だ。誰が勝って誰が負けたかは、手を抜いた俺の打撃でお前がそれこそぼろ雑巾《ぞうきん》というかスクラップというか男としてそれはどうかなフニャ状態になるのを皆が見て多数決で決める。お前は逆らえねえ。だから――」
また腹に重いのが来る。
「お前を気絶《き ぜつ》させるようなこたあ俺はしねえ。倒れて皆の視線を感じて、イヤん見ないでと羞恥《しゅうち》プレイの海に沈んで敗北を理解するといいぜ。俺はわははと笑ってやらあ。――ラスト!」
体は動かない。だが飛場は、それでも身構えようとした。意思では負けていないという、そこにしがみつくために、最後の一撃《いちげき》だろうと気を抜かぬようにしようと決めた。
だが、出雲《いずも》の攻撃は今までと違った。
彼はゆっくりとこちらに手を伸ばし、こちらの胸を人差し指で突いたのだ。
「夕飯のときにオマエが負けた理由を一つ教えてやる。それまで寝てろ」
それだけだった。
あ、と呼気を漏らし、飛場は世界が足下から浮上してくるのを悟る。
自分が倒れていると気付くのには、数秒が必要だった。
もはや意思とは別で身体《からだ》が限界だった。
「――――」
砂地に倒れた感触《かんしょく》すらなく、ただ、砂の揺れる音が聞こえた。
わ、という声が岩場の方から聞こえ、観客達が立ち上がるのが見える。
しかし、飛場は見ていた。立ち上がってこちらに来る皆の中、無表情に動かぬ少女を。
美影《み かげ》だ。
数多くの動きと声の中、飛場は美影と動かぬまま、何も言わず。
ただ視線を逸《そ 》らした。
そして見た空は、初めて見るような突き抜けた青さを持っていた。
「くそ……」
飛場は力の入らない身を震わせ、つぶやいた。
「情けないよな……」
●
日が昼間の高さに達した。
日陰の面積は最も小さくなり、家が密集した町中では気温が一気に上昇する。
黒く焼けたアスファルトの上を出歩く者は少ない。街に不慣れな者か、仕事で移動する者か、観光客だ。
その三つを兼ね備えた人影《ひとかげ》が二つ、町中にある小山へと向かっていた。
佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》だ。二人はそれぞれ襟元《えりもと》を緩めながら、木々を生やした山へと向かう。佐山は舌を出している獏《ばく》を肩に乗せて風に当てながら、書類をめくって歩いている。
「そろそろ阿智《あ ち 》神社の入り口だ。倉敷《くらしき》の東側に唯一《ゆいいつ》ある山だね」
左右に民家の並ぶ細い道路の間を早歩きに、新庄は頷《うなず》いた。
行く先は小山の上にある神社だ。倉敷の街の中、自然の木々の茂る場所が二つある。その内の一つが倉敷の東、阿智神社を持つ鶴形《つるがた》山だ。もう一つは倉敷|南東《なんとう》の向山《むこうやま》公園だが、こちらはやや距離があるために今日行くことは考えていない。
阿智神社は、美観《び かん》地区からは北東側、歩いて数分の位置にある。そして山を回ると北側、駅に近い方に出ることが出来る。佐山が言うには美観地区からの帰りに、
「御老体《ご ろうたい》から聞くに、3rd―|G《ギア》の本拠《ほんきょ》はやはりこの倉敷|近辺《きんぺん》だとUCATは考えているらしい。では阿智神社を見つつ倉敷の街を眺《なが》め、3rd―Gの基地がどこにあるか考えようではないか」
とのことだった。
そして歩き出したものの、茶屋を出てから一気に暑くなってきた。
足の裏から伝わってくる熱を感じながら、新庄は佐山と共に通りの角を左に曲がった。阿智神社行の標識《ひょうしき》があったからだが、こんな細い道路の先に神社があるのだろうか。
「あ……」
あった。
セメントの上り坂の上に、左に白壁を置き、右に木々の斜面を置いた鳥居《とりい 》がある。鳥居は新庄が奥多摩《おくた ま 》の氷川《ひ かわ》神社で見たような赤いものとは違う。やはり人造《じんぞう》石材を使った古いものだ。
鳥居は山を登る石段に続いており、その石段は、
「結構《けっこう》急だね」
「おやおや、既に息が切れたのかね? 新庄君。何なら手摺りもあるが」
放っておくと肩車をしようとか言い出しかねない上に実行しかねないので、新庄は無言で石段を駆け上がり始めた。石段には最近《さいきん》整備が入ったらしく、ところどころに白いセメントが流し込まれた跡がある。
新庄はサンダルの足音を高く上げながら昇り、半《なか》ばまで差し掛かったところで振り向く。すると佐山が書類を読みつつ二段抜かしで悠々《ゆうゆう》と追いついてきた。
並んだ彼に一息つくと、我慢していたように汗が出る。訓練で得られない質の汗が背や脚《あし》の後ろ側から一気に噴《ふ 》き出すが、それに対して気分が悪いとは思わない。辺りを見回し、
「一応、日陰があるね……」
右手側から頭上に差し渡る木々の影が、階段を上るに従い濃くなっている。
と、見れば隣《となり》に立った佐山《さ やま》は息を乱しもしていない。そして彼は、いつの間にか書類から目を外していた。彼が見ているのは眼下、階段とは逆にある町の方だ。
新庄《しんじょう》もそちらに振り向く。すると意外なものが見えた。
「……空が見えるね」
視界がいつの間にか高くなっている。
町は視線の下にあった。視界の位置は既に民家の背の高さを超えており、倉敷《くらしき》の街が一気に遠くまで見渡せる。
「こうして見ると、かなりの平地だね、新庄君」
南側を指差す彼の視線は、町並の遠く向こうにある緑の集まりを見ている。
「倉敷の南側、ここから約四キロほど離れた位置には吉岡《よしおか》川という川が東西に流れ、その南には背の低い山地がある。その山地が途中、何の遮蔽《しゃへい》もなくここから見えている。そして街は古い町並がそのまま残り、道路は細く曲線を描いている。どういうことか解《わか》るかね?」
「ええと、それって……」
「広大な平地だよ。戦場として見た場合、建造物を越える跳躍《ちょうやく》が行える兵器、それも道路を広い道として扱えるサイズの兵器にとっては有利な戦場だ。彼らは遮蔽物を飛び越え、しかも建物を遮蔽に利用出来る。たとえば……、武神《ぶ しん》などはね」
「あ、そっか、でも、さっき会った女の人が言っていたっけ。道路が狭いって」
「女の人? 誰かねそれは」
そういえば話してなかったっけ、と新庄は前置きした。コンビニエンスストアの前でぶつかった女性のことを告げ、東京の人だったの、と付け加えた。
と、佐山はこちらに笑みを見せる。
「新庄君も随分《ずいぶん》と外向的になったものだ。今度、交渉|役《やく》になってみるかね?」
「む、無理だよ。庇理屈苦手《へ り くつにがて 》だもん」
「屁理屈ではないのだが……。まあいい、後でよく話し合おう。その人の名は?」
「うん、戸田《と だ 》、――戸田・命刻《みこく》。その名前を言われたとき、ちょっとドキっとした。ボク達と似たような名前を持ってる人っているんだね」
そうつぶやき、新庄は佐山を見た。
そして、新庄は何かがおかしいことに気づいた。
佐山だ。書類を持った彼の右手が、左胸に当たっている。
狭心《きょうしん》症だ。
●
見れば佐山の顔色は青く、汗が浮いていた。
「……さ、佐山《さ やま》君? 大丈夫?」
「あ、ああ、息を整えていたところだ。大丈夫だよ、新庄《しんじょう》君」
「どうして? どうしていきなり狭心《きょうしん》症が? 過去の話なんかしてないよね? ボク」
言い逃れしようとしているな、と思う眼前で、佐山は確かに頷《うなず》きを見せた。
「新庄君の言ったことに、ちょっと知り合いのことを連想した。それだけのことだよ」
「ボクの言ったこと、って、……戸田《と だ 》って人のこと?」
恐る恐る問うたが、頷く佐山の気配に変化はもはや無い。
佐山の連想する戸田というのが誰のことか、新庄には解《わか》らない。
……佐山君、答えてくれるかな。
だが、心の中で願い終わるより速く、答えとも取れる言葉が来た。
「ともあれ、この倉敷《くらしき》で戦うとしたら、一番|戦力《せんりょく》になるのは風見《かざみ 》あたりだろう。次に直線的な戦場では出雲《いずも》の突進力が使える。彼らを遊撃《ゆうげき》部隊として、特課《とっか 》や通常課は防御|隊型《たいけい》で緩やかに前進という形になるだろうか」
それはこちらが内心で望むのとは違う話題だ。
彼の話す内容に、新庄は心の中で吐息した。まだ、彼は己の過去について自分に話してくれないのだろうな、と。無論、その思いとは別に、
……ボクだって、自分の過去を知らないようなものだし。
思った瞬間《しゅんかん》だ。佐山の声が響《ひび》いた。
「すまないね、新庄君。私はどうも、自分自身をこの上なく素晴らしいと思いつつも、煩《わずら》わしく思うところもあってね」
「え……?」
疑問|詞《し 》に応じるように、右の手を取られた。そして佐山が階段を一歩ずつ昇りだして、軽い引っ張りとともに自分も階段をゆっくり上がる。彼に並ぶようにすると、
「正直、ここに来る途中、大阪の未明の空の上を通るのには息苦しさを感じた。1st―|G《ギア》との戦闘のときは夜であまり見えず、新庄君のことや、途中で見た巨大な塔《とう》の影に気を取られていたわけだが……、今、朝の光に浮かぶ町並を見れば嫌でも解《わか》る」
一息。
「関西|大震災《だいしんさい》がどういったものだったかを」
うん、と新庄は階段を昇りながら頷いた。
十年前の、自分の記憶《き おく》にない大規模|地震《じ しん》。
それがどういうものだったか、岡山に移動するためのヘリから新庄は見た。
初めに気付いたのは後ろに座る風見だった。何も知らず、へえ、とか、凄《すご》い、とか言って下を流れる風景を見ていた自分の耳に、彼女の声が聞こえたのだ。
「まるで爪痕《つめあと》ね」
と。そう聞こえた言葉の意味を探って、新庄《しんじょう》は気付いた。
空から見える大阪周辺の大地に、爪痕《つめあと》に似た断層亀裂《だんそうき れつ》があることに。
関西|大震災《だいしんさい》は、九十五年十二月二十五日未明に大阪《おおさか》南東部を震源地に発生した大《だい》地震だ。それは坂の町と言われる大阪とその周辺を崩し、一部には復旧《ふっきゅう》不能な被害を与えた。
その復旧|不能《ふ のう》箇所が、地表《ちひょう》部にさえ姿を現した大《だい》断層だ。土砂《どしゃ》崩れや亀裂という表現で地面の合わせをズラされた地域は二次災害を恐れて居住不能となり、水道や電線やガスなど、全ての文明の脈動《みゃくどう》は寸断《すんだん》された。
関西の復興《ふっこう》で最も時間が掛かったのは、これら切断された脈動を新規に中継する施設の建設だ。土地の確保をしようにも関西は住宅|密集《みっしゅう》地域が多く、また、断層を迂回《う かい》することを考えると施設数は相当なものが必要になるとされた。しかし建設が遅れることは関西中心地の機能|停止《ていし 》時間を長引かせ、最悪な場合は日本全体が大ダメージを受けることになる。
これらをクリアするため、一時的に大阪|湾《わん》にフローティングアイランドが設けられ、そこといち早く復帰した関西国際空港を基地に、各種燃料や建材が格納搬送《かくのうはんそう》された。海と水路を通路に船で発電車や給水車が行き来し、携帯電話と無線ネットを中心とした連絡|網《もう》が構築《こうちく》された。
大阪中央部を走る高架道路はすぐに再建されたが、他と繋《つな》がることの無い道路を使用したのは再建資材と配給品を積んだ輸送機だった。四十分で一本という高速輸送は不必要なものも送ってくるという不満も残しながら、撤去《てっきょ》と再建という仕事を町の中心部から広げていった。
風見《かざみ 》はそのときを思い出したのか、
「……指揮を執《と 》ったのは島根《しまね 》にあるIAI本社。ある人はこう言ったわ。まるでIAIは関西の被災地《ひ さいち 》を自分達の技術の実験場にしているようだ、って。――実際、そのときの名残《な ごり》で残っている施設なんかは多いけどね」
そして狭いヘリの中で、風見が周囲に視線を向けてそう言った。
新庄が釣《つ 》られて見れば、隣《となり》の席の佐山《さ やま》は向かいの窓から外を見ている。
一番|奥《おく》の席では、飛場《ひ ば 》が、眠っている美影《み かげ》の肩を抱いて窓から下を見ていた。
そして今、こちらの手を引く少年は、その地震の二次災害で父親を失っている。
「あの震災の原因は……、佐山君が見たバベルって塔《とう》の中にある、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》、マイナス概念の活性化だって、そう言われているよね」
「そう考えるのが妥当だろう」
佐山の言葉に、新庄は首を傾《かし》げた。彼の物言いでは、
「……違うと、そう思ってるの?」
「いや。――広範囲《こうはんい 》の地震の原因として、普通は地殻《ち かく》変動以外のものは考えられない。原因が他にあるとしたならば、様々な符号《ふ ごう》から見てマイナス概念の活性化と考えられる。――そしてきっと、その原因に関しては事実だろうと私は思っている」
ただ、と佐山は言った。階段の最上段に足を踏み、一息を入れ、
「解《わか》らないことは他にまだまだあるがね。それは調べていけば辿《たど》り着くことだろう」
一息ついて、彼はあたりを見回した。
ここは神社に至る階段の中腹《ちゅうふく》だ。木陰の踊り場を右に曲がると、正面には車道で下から上がってきた車が止まる駐車場がある。上り階段は駐車場の左前だ。
そちらに二人で歩き出すと、佐山《さ やま》が問うてきた。
「しかし、どうしてそんなに関西|大震災《だいしんさい》のことが気に掛かるのかね?」
「うん。……佐山君が左胸を押さえる理由は結構《けっこう》そこにあるし、それに、ボクが記憶喪失《き おくそうしつ》したのは、その時期と重なるんだよ。……だから、ひょっとしたら」
つぶやいている間に、ふと、新庄《しんじょう》は自分の鼓動《こ どう》が疼《うず》くのを感じた。
●
「……?」
胸の奥に生まれたのは、重い不安な疼きだ。それが起きたのが何故《なぜ》かは、自分でも解らない。
……何?
嫌、と表現出来る気分の膨《ふく》らみに歩速《ほ そく》が緩んだ。隣《となり》の佐山がちらりと気遣《き づか》いの視線を送ってきたことに、新庄は慌《あわ》てる。だから、この震えは気のせいだと、更に言葉を募《つの》り、
「あ、いや、だから、ひょっとしてボクの両親もあの関西大震災の現場にいてさ」
言って、ようやく気づいた。
今まで考えてもいなかったこと。考える機会は充分にあったのに、避けていたこと。
……ボクの両親が……。
「ひょっとしたら、あの大阪で、佐山君のお父さんと同じように……」
そこまでだった。
ずっと考えていなかったことが、今朝《けさ》見た関西の震災|跡《あと》と、佐山の話によって、もはや考えるまでもなく予感される。自分の両親は、
……もう、いない……?
何故、今まで一度も考えなかったのか。否、考えようとしなかったのか。
UCATに今、自分がいるということは、両親もそうであった可能性が高く、そしてその場合、両親は十年前の震災に立ち会っている筈《はず》で――。
「!」
嫌だ、と思うなり、背に震えが来た。身体《からだ》がぶるりと震動し、それは乱れた呼吸を生んだ。
それを嫌だと更に思い、身体を襲《おそ》う震えを消そうとするが、消えない。
嫌と思うだけでは、悪い予感の否定にはならないからだ。
震えが消せないと、そう悟った瞬間《しゅんかん》、身体から震え以外の力が抜けた。
だがそれでも、新庄は何か言おうとして、隣の佐山に大丈夫だと言おうとして、
「ひぁ……」
突然|涙《なみだ》がこぼれた。膝《ひざ》が震え、足が前に進まず、その場にしゃがみ込みたくなって、
「――新庄《しんじょう》君」
いきなり、佐山《さ やま》の胸に抱き留められた。
「……!」
打つような、強引《ごういん》な音とともに自分の身が彼に抱かれる。
身体《からだ》を支えられた安堵《あんど 》に息を吸うと、頭の後ろに佐山の手が回った。彼の胸に頬《ほお》が押しつけられる。触れた肌肉《はだにく》を温かいと思うなり、頬に下から押されるようにして濃い涙が漏れた。
数《すう》呼吸。えずくような息を繰り返して、
「嫌だよ……。ボク……、一人になっちゃったんじゃないかって……」
「そんなことはない」
告げられた言葉に、え? と緩く顔を上げたときだ。
唇を重ねられた。
「……ん」
新庄は半《なか》ば驚きに抵抗して、半ば安心して身を委《ゆだ》ね、だが数秒の後に全て委ねた。
新庄は背も頭も抱えられた状態で、目を伏せ、舌に任せる。
目を伏せ、三度ほど喉《のど》を上げて涙を落とした後で、佐山が離れた。
ほ、と息をつくと、呼吸は大きく熱くなっているものの、乱れを無くしていた。だから、
「……そうだよね。そんなこと、ないよね」
つぶやく。
「ボク一人じゃなくて、佐山君、そばにいてくれてるもんね」
「いてくれてる、ではなく、いるのだよ」
「うん。で、でもボク……、今、切《せつ》だよ?」
「何か問題があるかね? 運切《さだぎり》君」
名を呼ばれ、新庄は改めて思う。彼が自分の言葉を、そんなことはない、と否定した意味を。
……きっとボクの両親と同じだね。ボクの名前を信じてくれるのは。
だとしたら、佐山だけではない。風見《かざみ 》も出雲《いずも》も、他UCATの面々《めんめん》も知っていることだ。
「うん……」
目を閉じ、息をゆっくり吸うと、身体に力が戻ってきた。
その力を外に逃さぬように彼の腕が強くこちらを引き寄せ、そして声が聞こえた。
「すまないことをした。妙な推測で新庄君の不安を煽《あお》ってしまったようだね。……お詫《わ 》びとして見つけよう、新庄君、君の御《ご 》両親を」
「……え?」
抱かれ、振り仰いだ佐山の顔は、こちらを見ている。無表情に、しかし、
「人とは消えるものではないと、私はそう思っている。もし失われても、悔しいことに無くなりはしないと。どこかの猿爺《さるじじ》いのように。――だから見つけよう、君が見失った御《ご 》両親を」
「……で、でも、どこにいるのか解《わか》らないよ」
「ああ、解りはしない。彼らが今どこにいて、何をしているかは解らない。だが少なくとも」
彼の右腕が背から離れ、こちらの胸に触れた。左胸に。
「私はここに痛みを感じる。――君はどうかね、新庄《しんじょう》君。そして、既にヒントはある」
「……え?」
「解らないことには解放に至る道が必ずあるものだよ、新庄君。……それに、3rd―|G《ギア》の基地の場所も大体《だいたい》解った。上の境内《けいだい》でまずそれを話そう。そして、夜にでも、今《いま》得たヒントについて話し合おうか」
と、佐山《さ やま》が見せたのは、
「先ほど鹿島《か しま》氏から送られてきた書類にそれはある。案外《あんがい》、新庄君がよく読み込んでなかったのは私にとって嬉《うれ》しいことかもしれないね。……新庄君の御両親を捜すヒントとなるかもしれない情報を、私が教えてあげることが出来るのだから」
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第二十六章
『方向の突き立て』
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示してみようか行くべき処を
ここは選り取り見取りの戦場ばかり
足元見れば鉄がある
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●
海に面した狭い浜がある。
浜の背後には林があり、境《さかい》には岩場がある。
そこにある一つの岩の上に、林側からやって来た一人の女性が立つ。
白いパーカーに灰色の半パン姿は、大樹《おおき 》だ。
彼女は近くの医務用テントから出てきた足取りで岩上を歩き、伸びを一つ。
「――ん。いいところですねー」
……目の前にあるおっきな塩水は苦手《にがて 》ですけど。
潮風《しおかぜ》は妙に刺激的だ。身体《からだ》には悪いから後で清水《しみず》で洗い流す必要があるが、どことなく身が締まる気がする。
「痩《や 》せますかねー」
「あら、そんな心配する必要があるようには見えませんけど?」
と、女性の声がした。
下だ。
おろ、と大樹は足を止めて伸びを崩す。下を見れば、ビーチマットに灰色の長髪を流した女性が寝ている。黒と金色の水着|姿《すがた》は、
「ディアナさんですか」
大樹は岩場から飛び降りた。段差は約一メートルほどあるが、下は砂地だ。砂はこちらの着地ショックを受け止める筈《はず》だが、何故《なぜ》か大樹は足を滑らせて前に転んだ。
ディアナの真横、大樹は同じような姿勢で倒れ込む。
「あいた〜」
泣かない泣かない、と自分に言い聞かせる。隣《となり》に寝ている女性は独逸《ドイツ》UCATの監査《かんさ 》だ。日本UCATの人間はすぐ泣くなどと独逸に知らされたら、頑張っている子供達に申し訳がない。
体を起こし、目尻《め じり》を一応|拭《ぬぐ》って服と髪に入った砂を拭《はら》う。ちょっとしょっぱいな、と思いつつ横を見ると、ビキニの上をほどいた姿でディアナが寝ている。
サングラスを下げた顔は、わずかに眉を寄せ、
「大丈夫ですの?」
「あー、だ、大丈夫ですよー」
大樹は正座して一礼。これで日本UCATの人間は礼儀正しいと報告されるだろうか。
とりあえずディアナを見る。ビーチマットに寝そべる姿は、
「陽《ひ》に灼《や 》いてるんですか?」
「ええ、そうですの。独逸だとこういう日差しは珍しいですから、健康のためにも」
成程《なるほど》ー、と頷《うなず》いた大樹は、どうしようかと考える。いつもテストをさせる側の者ではあるが、監査《かんさ 》されるというのはやはり緊張《きんちょう》するものだ。面接では試験官の心証《しんしょう》をよくするべきだと聞いたことがある。手っ取り早くよくするには相手を褒《ほ 》めることだ。
……この前見たドラマで、こんなシチュエーションがありましたね。
あのときはこう褒めていたっけか。
「へっへっへ、姉ちゃんいい肌してんなあ」
「それ、月曜八時の 帰ってきた水戸鬼門《み と き もん》 のスケベエ助《すけ》さんの決め台詞《ぜりふ》ですわよね?」
「バレましたかー。あの人達いつも裏口から入って暗殺するんですよねー。見つかった瞬間《しゅんかん》に ええい面倒《めんどう》だ。助さん、格《かく》さん、やっちまいなさい! って何か違うと思うんですけど」
「そうですわね。で、いきなり話を変えますけど、飛場《ひ ば 》少年は大丈夫ですの?」
「あ、はい、いきなりですけど大丈夫ですよー。出雲《いずも》君、殴り方が上手《うま》いですから。飛場君は今、医務用のテントの中で趙《ちょう》先生に治療受けてます。夜には回復するんじゃないでしょうか。鎮静剤《ちんせいざい》も打ったので今は寝てるかとー」
「|gut《良 好》.では、出雲少年は?」
問われ、大樹《おおき 》はやや考えた。言っていいものかと思いながら、
「実は風見《かざみ 》さん達の女性|陣《じん》テントで寝込んでます。夜には自然回復するって言ってました」
「……あら、さっきの殴り合い、無事なように見えましたのに」
「結構《けっこう》我慢してたみたいですよー? 本人」
眉尻《まゆじり》が下がるのを、自分でも解《わか》りながら、大樹は小さく笑う。
「そうしないと、飛場君は自分の力に浸《ひた》ってるだろうから、って」
「……では、美影《み かげ》さんは?」
「あ、はい。出雲君の実情|知《し 》らせると無意味になるから、シビュレさんが島を見学させてたりします。向こうには果樹園《か じゅえん》とかあるから勉強になるんじゃないでしょーか」
考え、
「美影さん、ちょっとショックだったっぽいですよねー。飛場君が負けて……」
「見た目はあまり変化ありませんでしたけど?」
「見たところ、美影さんは突発的に驚いたりすることがあっても、普段はひょっとしたら佐山君《さ やまくん》以上に無表情な子ですよ。先生はそう思いま――、すいません、ディアナさんに対しては先生じゃありませんでしたー……」
言って頭を掻《か 》くと、ディアナが肩を震わせて笑う。
「続けて下さいません? 大樹先生」
「あ、はいはい」
大樹は膝《ひざ》を前に伸ばす。自分も陽《ひ》に灼《や 》いた方がもっと健康になるんだろうかと考えながら、
「美影さんにとって、ここはどんな場所なんだろうな、って思うんですよね。飛場君は家がオシャカになって、とりあえず親の薦《すす》めもあってしょーがないからここについて来たわけです。でも、美影《み かげ》さんは……」
「飛場《ひ ば 》少年のそばにいられればいいわけ、ですのね?」
「はい、でも、……もし飛場君が、美影さんの望まないところに行こうとしたら?」
「その、望まないところって?」
そうですねー、と大樹《おおき 》は考える。
「それはつまり、……美影さんがいなくてもいい場所ですよー」
うん、と頷《うなず》き、日本語は間違っていないかな、と思いつつ言葉を繋《つな》げる。
「それは飛場君がもし負けても、美影さんを巻き込まないところです。荒帝《すさみかど》っていう武神《ぶ しん》の力無しに戦える力が揃《そろ》っていて、……美影さんの代わりに、皆が飛場君を迎えてくれるところ」
大樹は言う。海を見ながら、
「たとえばここですよねー……」
「変な話ですわね」
「? そうなんですか?」
「だって美影さんの望まないところに行く飛場少年は、……戦う力を失ってますのよ? そんな彼を、どうして皆が迎えるんですの?」
ディアナは、ビーチマットの傍《かたわ》らにあるグラスホルダーを手に取った。スチロール材で作られたホルダーの中、グラスにはまだ氷があるらしく、軽い音をたてる。
その音を響《ひび》かせることを合図とするように、ディアナが告げた。
「それとも、負かしたから迎える、と、そんな勝者の余裕《よ ゆう》があるからですの? ……勝者は敗者を従えていい、本人が望まずとも、と。そういうことなんでしょうか? 飛場《ひ ば 》少年と貴女《あなた》達では、目的も、立っている位置も違いますのに」
「そりゃ違いますよ」
え? とディアナが首を傾《かし》げる前で、大樹《おおき 》は言う。
「同じわけないじゃないですか。だから、えーと、何て言うんでしょーか。あの、その」
と、大樹は腕を組む。何だろう。よくは解《わか》らないけれど、ディアナの言うようなことではない。それは確信に近いものがある。だから焦ることなくゆっくりと大樹は考え、
「あー」
と海を見た。釣《つ 》られるようにディアナもそちらを向き、ややあってから首を傾げた。
「……向こうには、何もありませんけど」
「あ、いや、ええとですね? 見ましたよね? 向こう」
大樹は、わ、と内心で喜びながら、
「目的が違っても、違う位置にいてもですね。同じ方向って見ようとすれば見られますよね?」
「…………」
「勝敗だけじゃないですよー、大事なのは。それが解ってないと、相手負かすことしか考えないですからね。……飛場君は、私達と同じトコを見られる人だと先生は思います」
先生、と言ってしまったが、もはや大樹は気にしない。
「ただ、飛場君はいつの間にか自分の足下しか見なくなってるのかもしれないし、美影《み かげ》さんにそのことを伝えてない気もします。……でもいい子なんですよ、きっと、皆、出雲《いずも》君も風見《かざみ 》さんも、佐山《さ やま》君も新庄《しんじょう》さんも、飛場君も美影さんも」
「あらあら、まるで誰も彼《かれ》も敵でさえもいい子にしてしまいそうですけど?」
「ええ、いい子なんじゃないでしょうか。……皆、敵でも誰でも、同じトコ見てる筈《はず》ですよね。たとえば死ぬほど寝ていたいとか、グテーっとしていたいとか」
「……今までの会話って、実は私が思っていたよりレベルの低い話のような」
「し、失礼なあっ」
言って振り向いた視線の先で、ディアナは笑みを見せている。
「でも、いろいろないい子がいますわね?」
「ええ、いい子ですよ皆、エロいとか暴力的とか屁理屈《へ り くつ》の差はありますけど」
「狭くて変に深い差ですわね……」
「ほ、他にいいケースが無いんですよう」
大樹が言ったときだ。ふと、背後の岩場で足音が響いた。
見れば風見だ。岩場の上からこちらを覗《のぞ》き込んだ風見が、
「大樹《おおき 》先生、……って、あ、ディアナさんも一緒?」
「あら。私がいると話しにくいことでもありますの?」
ディアナが胸を押さえながら背後の岩場に振り向いた。
彼女の視線を受けた風見《かざみ 》が、言葉を言いあぐねる。いつもなら隣《となり》に出雲《いずも》がいて何らかの指針《し しん》を寄越《よ こ 》すが、今はそうではない。ええと、と迷う風見に、大樹は予測を問うた。
「佐山《さ やま》君が、どうかしたんですか?」
確か、倉敷《くらしき》で必要なものを買って行くと言って、それっきりだ。
何かしているのかな、と大樹は思うが、それが何かは解《わか》らない。ただ、今、風見が何か用があるとしたら、佐山のことだろうというのは解る。
と、横のディアナが再び問いかける。笑みをつけて、
「――おそらく、3rd―|G《ギア》のことを探っていたんでしょう? 私達|監査《かんさ 》や各国UCATの物言いで大人《おとな》達が動けない分、貴女《あなた》達でどうにかしようと」
頷《うなず》き、
「いいですわよ。今は昼休みということにしておきましょう。聞かないことにしますわ」
「……その昼休みという言葉、どうやって信じろと?」
「あら、独逸《ドイツ》人は英国人と勝負出来るほどに休憩時間とその意味を護《まも》りますのよ?」
「今、昼休みということは、独逸のしきたりも昼休みですよね?」
「|Herrich《上 出 来》.ふふ、鋭いですわね論理《ろんり 》遊びが。――まあ合格点としておきましょう」
ディアナは一度寝そべり水着を着けると身体《からだ》を起こす。水着の紐《ひも》を締め直し、
「では仕事にしましょう。仕事内容は、貴女の情報を聞き逃すことによって、後の利益を得ること。……どうですの? 私がそれを聞き逃した後、私や貴女達は、その情報で利益を得ることが出来ますの? たとえば、――そう、3rd―|G《ギア》との|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を成功させる、とか」
「出来ますよー」
と、風見ではなく、大樹は即座《そくざ 》に答えていた。
ディアナと風見の視線がこちらに向くが、大樹は構わない。疑問に思うことなく、
「いいことになりますよね? 風見さん」
「え? あ、――ええ、なるに決まってますよ」
風見の受け答えに、ディアナが苦笑した。口元に手を当てて笑いを殺し、
「じゃあ、聞かせて下さいな。聞き逃しますから。――あの佐山少年が何か?」
「ええ、それなんですけど、……大樹先生、シビュレはいる?」
「あれ? さっき美影《み かげ》さん連れて出ましたけど、何でしょーか?」
うん、と頷いた風見は、右手に持ったものを掲げて見せる。それは、
「携帯電話、佐山から連絡でね。3rd―Gの基地の場所が解ったって」
あら、と顔を上げたのはディアナだ。
「まだ日本UCATの岡山《おかやま》支部はおろか、島根《しまね 》の西部|統括《とうかつ》でも解《わか》っておりませんのに」
「はい、だから、まず新庄《しんじょう》に教えて感動された後でこっちに教えるって。張り倒してやりたいけど、その前に、……寝てる馬鹿二人以外の全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の皆を呼んでおきたいかな、って。ほら、シビュレの通信機なら携帯への全|連絡《れんらく》出来るから」
「ああ成程《なるほど》、確かにシビュレさんのピコピコなら出来ますね。――じゃあ先生が代わりに」
「壊すから駄目《だ め 》ですっ!! 大体何ですかピコピコって」
「いえ、ボタン押すと変な音するから。ちなみにテレビのはカチカチですよー」
ねえ、と横に同意を促《うなが》すと、ディアナは慌《あわ》てて首を横に振った。
「テレビのはパチットですのよ?」
「へえ、独逸《ドイツ》語ではそー言うんですかー」
見下ろす風見《かざみ 》が、岩の上に肘《ひじ》と頬杖《ほおづえ》をついてこう言った。
「うちの親もですけど、そーいうのって皆同じですね……」
●
阿智《あ ち 》神社の境内《けいだい》は広い。
階段を上がったところに広い玉《たま》砂利《じゃり》の空間があり、正面に本堂《ほんどう》があり、あと、本堂を円で囲むように広く他の堂が配列されている。
境内の西側には木造の櫓《やぐら》がある。屋根付きで、境内の地面から急斜面に張り出した形の、ベランダのような櫓だ。下は何本もの太い木の柱で支えられている。
今、その縁《ふち》から外を覗《のぞ》いているのは新庄だ。
「佐山君、ここって何だか森の木々に投げ出されたような感じだね」
「確かに、意外と急斜面の小山のようだね、ここは」
と、壁から出た木の張り出しに座った佐山は、携帯電話を| 懐 《ふところ》にしまう。
そして新庄が左|隣《どなり》に腰を落とす。新庄は佐山の肩に乗っている獏《ばく》に手を伸ばしながら、
「それで……、3rd―|G《ギア》の基地って、どこなの?」
「ふふふ、知りたいかね?」
「あ、あのね? お願いだから意地《い じ 》悪しないで教えて」
「別に意地悪をしているわけではない。ただ、焦《じ 》れる新庄君を見ているのが快いだけだよ」
「それを意地悪って言うんだよっ」
眉をひそめて焦れる新庄を見て、佐山は思う。
……快い。
ともあれこの世はギブアンドテイクだ。1佐山|快楽《かいらく》単位に対しては、1佐山|苦労《く ろう》単位を支払うのが世の原理だと佐山は思う。
「では簡単に質問しよう。――3rd―Gの基地とは、どこだと思うかね」
「ここ」
佐山《さ やま》の問いに、新庄《しんじょう》が即答した。
「この倉敷《くらしき》に3rd―|G《ギア》の基地があるとしたら、ここしかないよ。さっきこの倉敷の立地を見たよね。ここは古い町並で、六十年前からほとんど変わってない。だとしたら……」
「四方から敵が攻めてきたとき、高地であるここを押さえておけばいい、と?」
「そう。だからここがベストだと思う。それに変な話だけど、……神社のある場所だよね、ここ。3rd―Gの人達に験担《げんかつ》ぎみたいなのがあったら、ここを選ぶと思うんだ」
成程《なるほど》、と佐山は頷《うなず》いた。
確かに説得性のある意見だ。そして、そうだとも思う。
「だが新庄君、その論に問題点があることは解《わか》っているね?」
「うん……。それは――」
「3rd―Gが、1st―Gとの衝突《しょうとつ》の後、場所を移したということ、そうだね?」
新庄は首を縦に振る。そしてこちらの身体《からだ》の前に身を乗り出した。
……膝枕《ひざまくら》をして欲しいのかね。
さあ、と身を広げた佐山の眼前で、新庄はこちらの向こうにあったバッグを開け、
「ええと、地図、……って佐山君、何を深《しん》呼吸のポーズとってるの?」
「ふふふ、新庄君、君は私の予測を遥かに超えた素晴らしい人だね」
「何か脳で起こったらしいけど……、とりあえず有《あ 》り難《がと》う。で、ほら」
と、新庄はこちらに見せるように倉敷の大判《おおばん》観光マップを広げた。
「さっき階段|昇《のぼ》るときにも話題にあったけど、倉敷にはもう一つ、山があるよね。ここから南東に四百メートルくらい? そこにある向山《むこうやま》。こっちの方が山としては大きいんだよ」
「だが、そこにあるならば、UCATは既に気づいているだろうね。そして3rd―Gとて悟っている筈《はず》だ。自分達が監視《かんし 》されていると」
佐山はザックの横から下げた袱紗《ふくさ 》を取る。中にあるギュエスの剣を引き抜くと、薄い金属の刃《やいば》が出た。長さは一メートル近い刃だが、
「軽いものだ。アルミの定規《じょうぎ》でも持っているみたいだね」
「あ、あんまり動かすと危ないよ? 何か仕掛けがあるかも」
「それは無いだろう。3rd―Gの自動人形は冷静だ。そのようなことをしてしまえば、自分達を攻める口実が出来ると解っているだろう」
一息。
「その自動人形が言ったのだよ。見つけてみせろ、と。……あの発言は、UCATが3rd―Gの居城《きょじょう》に気付いていないという、その確信があるからこそ生まれたものだ」
「あ、確かにそうだよね……」
新庄は、そっか、と自分に確かめるようにつぶやき、
「……五年前だっけ? 1st―|G《ギア》との衝突《しょうとつ》があったのって。それから彼らは消えて、後には見つからなくなっちゃった。大城《おおしろ》さんはそう言ったんだよね?」
「その通り」
「じゃ、3rd―Gの基地はどこにあるの? この地図上だと」
新庄《しんじょう》が広げた地図を見ると、幾《いく》つかの候補地は上げられる。やはり大型施設を置くには平地だったら広い場所がいいだろう。新庄が首を傾《かし》げ、
「駅北側の遊園地とか、……この駅南側のロータリーなんかもいいよね。後ろが駅だからバリケードになって航空機とかの攻撃も防げるし、でも」
「でも?」
「そういうところって、もう調査してるよね……」
「つまり新庄君はこう言いたいわけかね? 3rd―Gは、倉敷《くらしき》にはいないのではないかと」
「うん……」
成程《なるほど》、と本日《ほんじつ》何度目かのこの言葉を、佐山《さ やま》はつぶやいた。
「確かに盲点《もうてん》に入ってしまえば、いないのと同じだ。2nd―Gの歩法《ほ ほう》に似ているね」
「じゃあ、やっぱりまだ3rd―Gはこの倉敷にいるの?」
ああ、と佐山は頷《うなず》いた。地図を見る、が、手に持った剣が邪魔《じゃま 》だな、と思う。
櫓《やぐら》の縁《ふち》から佐山は剣を放り捨てた。
背後、斜面の下から何か落ち葉が破れたような音が響《ひび》く。その音に続くように、左にいる新庄が地図を閉じて慌《あわ》てて立ち上がる。
「さ、佐山君! 捨てたら駄目《だ め 》だよ!」
「何、もう要《い》らなくなったものだよ、新庄君。それより地図を見せてくれたまえ」
え? と疑問|詞《し 》を挙げる新庄に、佐山は告げた。足を組み、
「新庄君、もう一度地図を広げてくれたまえ」
「う、うん……。はい」
と、新庄が地図を広げてくれた。有《あ 》り難《がと》う、と佐山は告げ、地図上に指を走らせる。
「3rd―Gは場所を移転した。そしてそれを自弦《じ げん》振動の揺れとして感知《かんち 》したUCATが調査し、同じ頃に1st―Gが来たが、どちらもここには何も見つけられなかった。そうだね?」
「うん、それで他のところを見たけれども……、やっぱり何も見つからなかった」
「しかし彼らは、二つ、重要な点を見落としている」
「え?」
「……昨日見た自動人形は、|Low《ロ ウ》―Gの中で移動出来た。そして、その自動人形はUCATが自分達の居城《きょじょう》を突き止めていないことに自信を持っていた。――何故《なぜ》かね?」
「UCATの情報を、得ている?」
その通り、と佐山は告げた。
「ではその情報源がどこにあるのか。――スパイがいるのか、それとも腕の立つ情報屋がいて隙間《すきま 》から水を舐《な 》め取るようなことをしているか、だ。ここは後者を押したい」
「何で? どっちか決める理由があるの?」
「3rd―Gは1st―|G《ギア》の再《さい》調査のときにいなかった。仲間を殺された1st―Gは即座《そくざ 》に調査隊を送った筈《はず》だ。報復《ほうふく》用の調査隊をね。それより早く移動するには、3rd―Gが臆病《おくびょう》か、1st―Gの情報を3rd―Gに流す者が必要だ。|Low《ロ ウ》―Gの動きも流れていたことと噛《か 》み合わせれば、両者にスパイがいたと考えるより共通の情報屋が一人いたと考える方が早い」
佐山《さ やま》は言う。
「さて、それでは、情報が筒抜《つつぬ 》けだった場合、3rd―Gはどこに隠れるかね?」
「え?」
新庄《しんじょう》は、疑問|詞《し 》で応じながら、しかし、表情を変えた。眉を上げ、
「まさか……」
「その通りだよ新庄君。剣はもはや不必要だ。――3rd―Gは一度ここを引き払い、1st―GとLow―Gの調査隊が来た後、……ここに戻ってくればいい」
苦笑が漏れる。
「頭の悪い組織ほど、下が縮こまる。現場に出たUCATの者達は上役《うわやく》にこう進言したのだろうか? すいませんが、上役が皆を引っ張ってさっき調査した場所をもう一度見てみませんか、と。そこで首を下に振った上役がいれば私の負けだ。だが」
「……だが?」
「御老体《ご ろうたい》はこう言った。UCAT岡山《おかやま》支部は、全てをチェックした と。チェックは一度ついたら消えることがない。――一度ローラー的に全てを見て、無いと判断した」
立ち上がる。
「私の勝ちだ」
手をさしのべると、新庄が慌《あわ》てて地図を畳んだ。こちらの手を取り、
「随分《ずいぶん》と自信家だよね。……外れたら大事《おおごと》だよ?」
「当たった方が大事だよ、新庄君。そして身構えたまえ。これから始まるのは――」
手を引き、新庄の身を起こして並べ、
「神々との決着だ」
●
緑の木々の山を背景に、白い駅がある。
奥多摩《おくた ま 》駅という看板の掛かった駅舎《えきしゃ》は、昼の光を浴びていた。
東京は青梅《おうめ》線の終着駅、奥多摩。観光客が来る以外は、主に朝と夜の時間帯しか混まない駅だ。昼の日差しの下、駅舎から出てくるのは二人だけ。
黒尽《くろづ 》くめの二人だ。両方とも白髪《はくはつ》で、組み合わせはサングラスの中年と彼の侍女《じ じょ》というもの。
中年の方が空を眺《なが》め、
「|Sf《エスエフ》、車を」
「|Tes《テ ス》.、至《いたる》様、少々お待ち下さい。すぐに持って参ります」
侍女、Sfは駅前の道路を走り出した。駅前は東へ向かっての軽い下りだ。観光案内の看板や飲食店が並ぶ歩道をSfは走っていく。
と、侍女は下りの先にある十字路のあたりに行き着いた。
「……向こうに駐車場があったか?」
至がつぶやくと、Sfは足を止めず、十字路の前にある交番に入った。
すぐに中年警官とSfが出てきて、Sfが軽く右手を上げる。応じるように中年警官が一礼し、対するSfは交番の影へ。
ほどなく、警官の敬礼《けいれい》見送りを受けながら、一台の車が来た。
IAIの系列会社、IAIMのマークが入った黒い軽《けい》自動車だ。Sfを運転席に置いた軽自動車はスムーズな挙動《きょどう》で至の横に並び、六連ホーンの警笛《けいてき》を鳴らした。
「馬鹿かお前、変に目立ってどうする」
至の言葉に、Sfが運転席の窓を手動で開け、
「Tes.、お気づきにならないかと判断しましたので」
「気づいて良かったな。しかし、ここ数日でこの車に変えたのはどういう了見《りょうけん》だ? 先日まで、御《お 》独逸《ドイツ》様の車は頑丈加減《がんじょうかげん》で世界一、とか言っていた馬鹿な自動人形がいた筈《はず》だが」
「時代は変わります至様。二日前まで乗っていたのは独逸UCATがBMW、ポルシェ、ベンツ、|AMG《アーマーゲー》の頑丈なところをコピーして作った名車 べーポルンツマーゲー最終型 ですが、あれは下取りに出しました」
「だから何でだ。頑丈すぎて追突《ついとつ》しても気付かなかった代物《しろもの》だろう」
運転席のSfは頷《うなず》きを一つ。前を見たまま、
「Tes.、確かに頑丈な名車でした。あまりにも名車なので紅葉《こうよう》を見に行くときに一夫《かずお 》様の車に追突して崖から突き落としても気づくのに七十二秒必要でした」
「それも通り過ぎた背後で変な大爆発が響《ひび》いてからだろうが」
「Tes.、その後、バックしたら助けを呼びに上がって来た一夫様をモロ撥《は 》ねしました。バックファイアのヒットは300Sfポイント加算です。が、これに気付くのも少々遅れてモロ踏みしました。頑丈な車だと判断します。――擦《す 》り剥《む 》いただけの一夫様も頑丈でしたが」
「嫌なことばかり思い出させるな。それで、これは?」
「Tes.、日本UCAT開発部が多大なる暇《ひま》と無駄《む だ 》な努力を惜しみなく発揮《はっき 》して作り上げた軽自動車 爽《さわ》やか です。独逸UCATでは比較CMのためにアウトバーン逆走で正面|激突《げきとつ》させたのですが、爽やか の車体が べーポルンツマーゲー を爽やかに貫《つらぬ》いたそうで。独逸UCATによれば べーポルンツマーゲー重装《じゅうそう》型はいかがでしょうか だそうですが、税金も安く済むのでこちらの車にいたしました」
「そうかそうか、長々《ながなが》とそういうことだったのか。――誰の金で買った!?」
|Tes《テ ス》.、と|Sf《エスエフ》は頷《うなず》き、
「Sf貯金です。まさかこの常識を知らないということは御座居《ご ざ い 》ませんね? 至様《いたるさま》」
「知らない。何だそれは言ってみろ」
「Tes.、私が預かっております財布《さいふ 》の中のキャッシュカードの呼称《こしょう》です」
「あ・れ・は・お・れ・の・だ。人の金を勝手に使ったな!?」
「いえ、至様に許可は取っております。先日、少々お金を使っていいかと申したところ」
待て、と至は告げた。
「あのとき俺は、お前に|超 純 水《ちょうじゅんすい》を買ってこいと言った筈《はず》だな」
「Tes.、私が後ろ手に持っていたカタログを見落とされました。――謎《なぞ》は解けましたか」
「最悪だ。あと、……何で向こうの交番は駐車場を貸してくれるんだ?」
至は交番を指さしながら半目《はんめ 》でSfを見るが、Sfは構わない。
「以前、この付近で駐車場を借りようとして至様に方法を問いましたところ、色《いろ》仕掛けでもどうか、と| 仰 《おっしゃ》られました。ゆえに」
「したのか?」
「Tes.、交番で色仕掛け機能を起動し、スカートの裾《すそ》を一センチも上げたら一瞬《いっしゅん》でした。スカート内部で組み上げ中だったガトリング銃が無造作《む ぞうさ 》に床に落ちましたが」
「それは色仕掛けじゃなくて脅迫《きょうはく》だ!」
くそ、とつぶやき、至は4ドアの後ろを開けた。狭い後部座席に杖を投げ込み自分も入る。
「とっとと帰れ。俺の周囲はどんどん悪い色に染まっている」
ドアを閉じて言っている間に、爽《さわ》やか がスピンするような動きで一八〇度ターンするが、それも至にとっては既に慣れたものだ。左右|結合《けつごう》型のソファを前にスライドさせてフットスペースを潰すと、横向きに座った。動かぬ脚《あし》を向かいのドアに突き立て、至は自分を固定する。
そして彼は| 懐 《ふところ》に手を入れた。取り出すのは、
「……飛場《ひ ば 》婦人からいただいた書類の封筒ですね、至様」
「内容を知りたいか?」
「いえ、今は運転で忙しいので」
「じゃあ教えてやろう」
言うなり、至は書類を封筒ごと掴《つか》み、
「――――」
引き裂いた。内部は十数枚の厚みだ。紙を引き裂く音は一度|響《ひび》き、
「飛場先生の家に預けられた、飛場・美樹《み き 》の情報だ。――これを頼りに捜してくれと」
そして至《いたる》は破った書類を、それぞれまた掴《つか》んで引き裂く。一度、二度、三度、と、八つ裂きという言葉を成立させてから、
「ずっと探してきて得た情報がこれだそうだ」
「何故《なぜ》、廃棄《はいき 》するのですか?」
「無駄《む だ 》だからだ。彼女は自分のあるべき場所を求めているのだから」
至は告げて、トランクルームに紙の破片を投げ捨てる。それはほぐれ散らばり、まるで雪のようにトランクルームに落ちていく。至は雪を散らし続けながら、バックミラーを見た。
鏡の中には正面を向いたままの|Sf《エスエフ》がいる。視線を前に向けたままの彼女が。
「――難しいものだ。飛場《ひ ば 》・美樹《み き 》が飛場先生の家に預けられたのはいつか、知っているか?」
「いえ、全く」
「お前が来るずっと前だ。……関西|大震災《だいしんさい》の夜、飛場・竜一《りゅういち》は美影《み かげ》という自動人形を家に預け、関西大震災の二次災害で命を落としたことになっている。その夜、マイナス概念《がいねん》の活性化に伴うプラス概念の動きにより、美影は目を醒《さ 》ました。そして」
一息。
「その後に、美樹という少女が飛場先生の家に預けられることになる。……メモがあったんだ。飛場・竜一の筆跡《ひっせき》で。9th―G残党《ざんとう》の基地で拾った。飛場の一族として頼む と」
最後の紙の残骸《ざんがい》を投げ捨てようとした至は、紙束《かみたば》の破片がほぐれないことに気づく。
見れば書類の破片を挟む黒いクリップがあった。至はクリップを外してトランクルームに最後の紙を散らす。
「後でトランクルームを片づけておけ」
「|Tes《テ ス》.、燃えるゴミだけでしょうか」
ああ、と至はクリップを| 懐 《ふところ》に入れて頷《うなず》いた。するとSfの声が聞こえる。
「――飛場・竜一様とは、どんな方なのです?」
「元はUCATじゃなかった。彼は剣士《けんし 》で、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》では化け物として認知《にんち 》されている各Gの残党、特に無差別《む さ べつ》殺人者を滅ぼすことを仕事としていた。……赤い眼《め》が目立つ男だったな」
苦笑を落とす。
「恥ずかしい話をしてやろう。――何度か俺達と彼は衝突《しょうとつ》したが、あるとき、俺と一人の男が彼に頭を下げに行ったんだ。UCATの特課《とっか 》独立隊員として、力を貸してくれないか、と」
「どうだったのですか?」
「俺の力は及ばずだ。が、共に行ったある男が、任せておけと、彼の家の中にある書斎《しょさい》で彼とだけで話をした。――たった三分で二人は出てきた。そして彼、飛場・竜一は己の気分の向いたときだけだが、独立隊員として協力することにサインした」
「……独立隊員など聞いたこともありませんが」
「一種の建前《たてまえ》だ。役職としては存在しているが、たった一人で武神《ぶ しん》や機竜《きりゅう》を相手に出来る人間でなければ任せられん。該当者《がいとうしゃ》がいないんだ。……全UCATの歴史上、その職に該当したものは数人しかいない。護国課《ご こくか 》の八大竜王《はちだいりゅうおう》の数名と、その後の五大頂《ごだいちょう》の中の数名」
眼《め》を細め、
「飛場《ひ ば 》・竜一《りゅういち》はディアナと同じ五大頂の一人だ。……五大頂の中、飛場・竜一を説得したあの男以外は、皆、独立隊員|権限《けんげん》を持っていたな」
|Tes《テ ス》.、と|Sf《エスエフ》は頷《うなず》いた。
「しかし、お話を伺《うかが》いますと、至《いたる》様は役立たずだったのだと判断出来ますが」
「……ああ。その通りだな。機械は物わかりがいい。感情のない機械は更に、だ」
と、至は| 懐 《ふところ》からクリップを取り出した。横目でトランクルームの紙くずを見て、手のクリップを放り投げる。
しかし、すぐに彼は手を伸ばした。落ち行くクリップを拾い、再び懐に収めると、
「だがそれでいい。お前はたまにいいことを言う。――お前の言ったことこそが俺の価値《か ち 》だ」
「Tes.、それはこのSfが至様に余計な仕事をさせていないということも関わっていると判断します。もしお喜びでしたならば独逸《ドイツ》UCATはSf応援係まで、メールにて熱烈御《ねつれつご 》声援を頂きたいと判断します。そのときは――」
Sfは告げた。
「更に高性能なオプションが送られてくることでしょう」
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第二十七章
『初めての態度』
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見せるのは初めて
見られるのも初めて
次からは――
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夜の海は、光に照らされていた。
光源は、浜の上に置かれたライトと、そこかしこで作られた竈《かまど》の火の灯《あか》りだ。
光の中では幾《いく》つもの影が動き、音が響《ひび》いている。音は声や薪《まき》の爆《は》ぜる音に、竈の上に置かれた鉄板から油の跳ねる音だ。
そして声が響いた。声は風見《かざみ 》のもので、
「えー、それでは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の風見・千里《ち さと》が夕食開始の合図をさせていただきたいと思います。本当なら大城全《おおしろぜん》部長か大城|監督《かんとく》が来てるとこなんですが、何か写真の現像に忙しいとか、日の当たるところは嫌だとかヌカしてまして」
青いTシャツ姿の風見は皆の中央で頭を掻《か 》く。
見回せば、竈の上に載った鉄板には肉や野菜が敷き詰められている。皆は既に箸《はし》やフォークと、タレの入った皿を構えており、戦闘準備に余念《よ ねん》がない。
端の竈、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の男子鉄板の周囲ではそれが顕著《けんちょ》だ。
出雲《いずも》が身を屈《かが》め、鉄板の表面すれすれに顔を寄せて肉の匂《にお》いをかいでいる。
隣《となり》の佐山《さ やま》が上から出雲の頭を押そうとして、
「だ、駄目《だ め 》だよ佐山君! 風見さんに殺されるよ!」
そこまでしない、ぎりぎりまでだと、風見は心の中で訂正を入れて皆を見た。肩を竦《すく》め、
「まあ、そういう意味では五月蝿《う る さ》くて異常な上司《じょうし》もいないわけだし」
息を吸い、
「――食え!」
わ、と空気が動く。その中で風見もダッシュで自分の席に。位置は、
「あ、あれ? 何で風見さんが出雲さんの横なの? 女子用の鉄板向こうなのに」
「ははは新庄《しんじょう》君、肉食関係を明言《めいげん》するとそれこそ殺されるぞ」
「やかましい」
新庄だって今は女なのにこっちにいるじゃない、と、そう言おうとして風見は口を噤《つぐ》んだ。
飛場《ひ ば 》と美影《み かげ》にはまだ新庄の真相を知らせていないのだから。
風見は背を逸《そ 》らし、出雲の背後から新庄を小声で呼ぶ。
新庄が南瓜《カボチャ》を口に振り向くのに対し、風見は出雲の背を壁にした囁《ささや》き声で、
「テントどうするの? 飛場も一緒でしょ?」
真実を知らせていないため、新庄は女子テントに入っていない。夜に寝るときだけ、女子テントに移動することになっているのだが、そのタイミングは、
「うん、夜、散歩に行って皆が寝るまで時間|潰《つぶ》して、……そしたらそっちに入るね」
「まあ、こっちも美影がいるけどね。……寝袋被《ねぶくろかぶ》ることになるわよ」
しょうがないよ、と新庄《しんじょう》が困ったような笑みを見せる。しょうがなくはない、と言いたくなるが、それはこっちの考えだな、と風見《かざみ 》は思って意見を引っ込めてしまう。
最近ちょっと、他人に退《ひ》き気味かもしれない。
……これは、大人になってるってことかなあ。
思えば、佐山《さ やま》も昔より鋭くはなったが尖《とが》りはしなくなって来たように思うし、出雲《いずも》も他者のことを話題にするようになった。
……それが油断《ゆ だん》ってことじゃなければいいけど。
そう思えている内は大丈夫だろう、と風見は納得《なっとく》する。
見れば、出雲が正面の飛場《ひ ば 》と話し合っている。彼らが手振りと身振りで話すのは、昼の戦いの際のダメージの当て方や、効率良い動きの持論だ。間に座る佐山《さ やま》は聞いていないように見えて間違いなく記憶《き おく》力の行使《こうし 》中で、新庄はただただ話題の内容の濃さに驚いているばかりだ。
……上手《うま》く行けそうかな。
自分達は、と心の中で付け加えた。そのときだ。背後で誰かが立ち上がる音がした。
「?」
誰だろう、という問いには正面にいる飛場が答える。
「――美影《み かげ》さん」
背後に振り向くと、杖を片手の美影が歩き出していた。岩場の方に、テントの方に。
飛場が慌《あわ》てて腰を上げ、
「美影さん」
しかし美影は振り向かない。わずかに肩を落としたような姿勢で、岩場に手を掛け、膝《ひざ》をゆっくり上げて載せ、身体《からだ》を前に。這《は 》うように上る。
飛場が立ち上がるが、
「手助けしねえのが進化の秘訣《ひ けつ》じゃねえのか」
出雲が告げた。彼はそのまま地面に置いてあった缶ビールを手に取り、目を伏せた。缶を口に持っていく彼の腕に風見は半目《はんめ 》で肘《ひじ》を入れた。
「うお、こ、こぼれた。何すんだ千里《ち さと》! 股間《こ かん》に泡がっ」
「股《また》は自分でどーにかしなさい。……それより、意地《い じ 》悪いわよ、覚《かく》」
告げた言葉に、飛場がこちらを見た。かすかに眉を上げていた顔は、しかしすぐに眉尻《まゆじり》を下げた笑みに変わる。彼は美影の消えた闇を見て、首を左右に振って、
「――いえ、ちょっとまあ、僕が悪いですから、今回は」
「信頼されてたってことだぜ。お前の強さが」
そうですね、と飛場は腰を落とし、吐息した。
「でも、負けるとは思わなかったなあ」
「安心したまえ飛場少年。この男が規格|外《がい》生物なだけだ」
「ええ、ですけど佐山《さ やま》先輩《せんぱい》、テュポーンだって規格|外《がい》ですよ」
そして、と飛場《ひ ば 》は浅くうつむいた。
「もし将来、今日みたいなことがあったら……」
と、そこまで言った飛場は、しかし不意に笑みを作った。
彼は笑顔で皆を見た。箸《はし》を鉄板に伸ばすと、
「あ、いや、こんな暗い話してないで、早く肉を――」
「話さないと駄目《だ め 》だよ?」
その言葉で飛場の動きを止めたのは新庄《しんじょう》だった。
新庄は小首《こ くび》を傾《かし》げ、皿を下に置く。手を揃《そろ》えて膝《ひざ》の上に置いて、
「お肉は焦《こ 》げても出雲《いずも》さんがガツガツ食べるから、その後で新しいの焼けば大丈夫だよ。……だから、話せることがあるなら、話した方がいいと思う。竜司《りゅうじ》君は、その、ええと」
考え、
「友達いなさそうだから」
「うわー人格《じんかく》否定ですか僕!」
「いいからいいから、飛場、とにかくまあ、話す気あるなら話してみなさい。大丈夫、ここにいる連中は、頭はおかしいけど口は固いわ。ねえ覚《かく》、そうでしょ……、って肉|貪《むさぼ》るなっ!」
「あのー……、すいません、僕に話させる気はありますか」
飛場の挙手《きょしゅ》しての言葉に、出雲の襟首《えりくび》を掴《つか》んでいた風見《かざみ 》は振り向いた。
飛場が肩を落としてこちらを見ている。彼は萎《しお》れたキャベツをつまんで皿に入れながら、
「うわ、皆|草《くさ》食わないから焦げてますよ。どうしたもんですかね」
「どうしたもこうしたもねえだろ」
と、出雲がこちらの手をほどいて体を起こした。
「女ァ一人で下がらせるような馬鹿|男《おとこ》は生物のルール外だ。去勢《きょせい》されて・死・ね」
「し、失礼な! 僕は馬鹿でも男としては正常でいたいですよ!」
「風見、オスとして正常だが人類として異常な二人組をどうにかしたいと思わないかね」
佐山がそう言うと、隣《となり》の新庄がこちらを見た後で目を閉じて耳を塞《ふさ》ぎ、
「う、うん、ボク、見えも聞こえもしてないから、……い、いいよ? 風見さん」
と、出雲と飛場がこちらを見て、そしてお互い顔を見合わせた。二人は真剣な表情で、
「後で話し合おう」
「そうですね」
と鉄板越しに握手を交わす。
そんな彼らを見て風見は思う。全員|張《は 》り倒してやろうかと思う自分がおかしいのかと。
だが、思考《し こう》を巡らす前に、横の出雲が口を開いた。彼は向かいの飛場に対し、
「だがまあ、護《まも》るとか云々《うんぬん》言ってる割にゃあ。模擬戦《も ぎ せん》で結構《けっこう》早く沈んだよな、お前」
「覚《かく》の基準で言うのは間違いだと思うんだけど……」
「いや、そうでもねえだろ。……おい馬鹿|佐山《さ やま》、お前、殴られそうになったらどうする?」
問われた佐山が、横で耳から手を離したばかりの新庄《しんじょう》を見る。そして彼は新庄の手を取り、頬《ほお》に当てた。聞こえていなかった新庄が、え? と首を傾《かし》げる眼前で、
「新庄君にならば、身を任せてもそれはそれで嬉《うれ》しいことかもしれないね……」
「よし解《わか》った、二度と喋《しゃべ》るな。――じゃあ千里《ち さと》、お前ならどうする?」
問われ、風見《かざみ 》は考えた。戦闘中、打撃を受けることはある。最近は|G―Sp《ガ ス プ》2で防御するようにはなっているが、そうではないときは、
「G―Sp2で受けられない場合は回避《かいひ 》よ。……私、覚みたいに防御能力ないし」
「だが飛場《ひ ば 》は、俺の一発を食らったとき、ろくに避けもせずモロ食らいだったな。だからすぐ二発目を叩き込めた。あれはどうしてだ? 飛場」
「あれは……、行けると思ったんですが、思いの外に一撃《いちげき》が重くて……」
「あのな飛場、俺は、いつも通りにやっていたんだぜ? それがオマエにとって予想|外《がい》に強い打撃だったってのはどういうことか、解るか? ――オマエ、想像力|弱《よわ》いぜ?」
出雲の頭を掻《か 》きながらの言葉に、あら? と風見は首を傾げた。
飛場は自分達よりも戦闘経験は多いと、風見はそう思っている。当然のように、それは負傷も何も多く経験しているということになる。
だが、と続く思いの先を、新庄が告げた。
「竜司《りゅうじ》君って、……攻撃を受けた経験が少ないの? ひょっとして」
新庄が困ったように問うた言葉に、飛場は反応した。
彼は息を飲み、表情を変えたのだ。疲れたような笑みから、緊張《きんちょう》に。
……どういうこと?
風見が出雲を見ると、出雲は今がチャンスとばかりに肉を貪《むさぼ》っていた。だから風見は右フックを叩き込み、
「ね、ねえ、覚、どういうこと」
「…………」
「ねえ、黙ってないで、ねえ」
「――あ、あのな、咽《む 》せたんだよっ! ったく、新庄の言った通りなんだよ。飛場はな? 攻撃のセンスってのはいいもん持ってる。だがよ、自分が攻撃を受けるとどうなるかってセンスには乏しいんだ。その理由、飛場の方では解ってんな?」
「……はい」
飛場は頷《うなず》いた。うつむき、一度《いちど 》唇を噛《か 》み、
「美影《み かげ》さんですね」
「……え? 美影が、何で?」
「荒帝《すさみかど》が受けた破損《は そん》は、乗り手にフィードバックされます。ですが、美影《み かげ》さんは、その全てを自分で受けるようにしてるんです。僕を無傷にして」
吐息。
「出雲《いずも》先輩《せんぱい》の打撃が思いの外《ほか》強かったのは……、いつもならば、それを美影さんが受けているということになるんですよね。武神《ぶ しん》は装甲《そうこう》板や緩衝《かんしょう》装置があるからかなり軽減《けいげん》されてるようですが、……それでも実際は、あのくらい受けてるんですね。道場で組手はするんですが……」
「組手でマジ打撃ってどれくらいあるよ? だから憶《おぼ》えとけ。今のオマエの攻撃方法は、美影にダメージが行くことを当然としちまってる。その犠牲《ぎ せい》を払いたくないのにな。……護《まも》るというにしては、随分《ずいぶん》とぎりぎりじゃねえか。もしオマエが美影を護ろうとして死んだら――」
出雲の言葉を、佐山《さ やま》が継いだ。
「美影君が君の代わりに死ぬ、そういうことかね?」
問い掛けに、皆が沈黙《ちんもく》した。その静けさの中で、風見《かざみ 》は小さな息をつく。
……そうか。
飛場《ひ ば 》からしてみれば、敵に美影を傷つけられるわけにはいかないが、彼女を護ることは自分で美影を傷つけることにもなるのだ。
対し、声もなく、歩くことも不自由な美影にしてみれば、自分を護ろうとする飛場に唯一《ゆいいつ》出来る助力が負傷の肩代わりなのだろう。
……不器用《ぶ き よう》ね。
不器用なのに、精密《せいみつ》な気遣《き づか》いを望んでいる気がする。
たとえば自分と出雲は、戦闘でお互いが傷ついても、勝って生き残れればいいと思っている。これは不器用な上で大雑把《おおざっぱ 》だ。
だが他人が皆、そうではないだろうし、自分達のやり方では、ひょっとすると簡単に死ぬことだってある。もし出雲が死んだら、そのとき自分はどうなるか、風見には解《わか》らない。
だから風見は飛場の現状について何も言えない。
腰が退《ひ》けてるな、と思いつつ、
「まあ、食べましょう。――明日のために」
何とか出来るさ、と。
●
薄暗い空間がある。
室内だ。四方は三十メートルのプレハブ建材で出来た壁。中は油に汚れたコンクリートの掘込《ほりこ 》み式だ。穴底《あなぞこ》は影を浸《ひた》らせ、中央には細長い形状のものがやはり影となって横たわっている。
入り口からすぐのところから、通路が広い床穴《ゆかあな》の上の宙を渡っている。懸架《けんか 》式の通路だ。その通路を照らすように、天井には幾《いく》つかのライトが申し訳|程度《ていど 》に光っている。
橋のように差し渡る通路の上。そこを歩く足音があった。
詩乃《し の 》だ。
微《かす》かに揺れる鉄の通路上を、籠《かご》を下げた黄色いワンピース姿が歩いていく。
詩乃は口を開き、言葉を発していた。
「――笑い事じゃないですよ、アレックス」
『しかし、セミが苦手《にがて 》になったとは、また詩乃らしい話であるな』
聞こえるのは天井に備え付けられたスピーカーから響《ひび》く男の声だ。
アレックスと呼ばれた声は、笑い声をつけ、
『ともあれ帰還《き かん》出来たのは幸いだ。――吾輩《わがはい》としても心配であったのでな』
「はいはいそうですか」
『竜美《たつみ 》に聞いてみるが良い。命刻《みこく》めが、岡山《おかやま》から取《と 》って引き返そうとしたほどであるぞ』
「義姉《ねえ》さんは心配性ですから。……と、皆さん、奥の事務所に?」
『吾輩の聖なる記憶《き おく》が正しくば、三人が仮眠室、主任を含む二人が事務室である。――正義の超《ちょう》探査モードを使用しても良いであろうか?』
詩乃は足を止め、
「んー、慣れるためもありますからね。いいんじゃないでしょうか」
と、一拍の間が空《あ 》いた。
その間はすぐに天井からのアレックスの声で破られる。
『仮眠室は二段ベッドに一人ずつ。床に一人。全て就眠《しゅうみん》中。床の一人が発言中、内容は アケミ、俺はもう駄目《だ め 》だ、駄目だ である。――事務室では主任と竜美が、……カードの対戦中。クイタン とは何であるか? なお、今、竜美の喉《のど》が鳴ったのは酒であろう』
「――こぉらっ! アレックス! 何《なに》盗み聞きしてるのっ!!」
奥の壁、ドアが開いて光が来た。長方形に開いた光の中央には腰に手を当てた竜美が立っている。彼女は胸を反らし、手に提《さ 》げていた紙コップを口に煽《あお》った。その後で、
「正義の味方は覗《のぞ》きが趣味?」
「あ、いえ、竜美さん、私が許可を――」
詩乃は慌《あわ》ててフォローの言葉を発するが、
『この一件は全て吾輩が望んだことである。詩乃に責任は無いと心得るが良い』
「ふーん、アレックス、正義の味方は幼女の味方なのね」
「わ、私は幼女じゃないですー」
「セミが怖くて昼間に来られないような女が何言ってんのっ! おかげで私は、作りたくもない皆の食事を作らされて、もう……」
よよよ、と酒のコップを両手で抱いて竜美が酔い崩れる。
と、彼女の背後に立った主任が、一つ頷《うなず》き、
「食いたくもないもの食わされた身にもなれや竜美嬢《たつみじょう》ちゃん。あ、あと」
彼は竜美の髪に賭《か 》け金を示す赤いオハジキを一つ差し込み、
「逃げるんじゃねえ。今ので俺が三千円超えた」
竜美の奥襟《おくえり》を掴《つか》んで主任が背を向けた。その動きに詩乃《し の 》は慌《あわ》てて籠《かご》を掲げ、
「あ、あの、主任さん、……夕御飯《ゆうご はん》修正版を」
「あとでいただくとするよ詩乃さん。すまないけど置いといてくれ。あと、何か昨夜は大変だったそうじゃねえか。大丈夫かい」
「ええ、ちょっとトラウマ残ってますけど、これから当分は犬達の見送りで癒《いや》します。持ってきた情報はハジ義父《とう》さんの情報部の方で何とかするそうですけど、概念障壁《がいねんしょうへき》があるそうで」
「俺の立場的には早めにしてくれとしか言えねえ。だが、そうしてくれれば、必ず内容を理解して追いつくか、複製すると約束しよう。――急いでくれと、詩乃さん、そう伝えてくれ」
「はい」
主任は頷《うなず》き、竜美を引きずってドアに手を掛ける。そのとき顔を上げ、
「詩乃さん、アレックスと話をしてやってくんねえか。――新しい身体《からだ》だ。正義の味方でも不安はあるだろう」
はい、と詩乃が言うと同時。ドアが閉まった。
ややあってから、
『随分《ずいぶん》と主任達は詩乃に甘いようであるな』
「うーん、私、慣れちゃってますからよく解《わか》らないんですけど」
詩乃は苦笑して、駆け足にドアに近寄る。手にしていた籠《かご》をドア横に置いて横を見た。
地面の大《おお》穴を囲むように、通路がある。天井の明かりは四方の隅《すみ》だけがついている。詩乃はドアから見て右手、北西側の明かりの下へと足を進めた。左手で手摺りを軽く叩きながら、
「新しい身体はどうですか? アレックス」
『うむ。これがきっと、吾輩《わがはい》の最後の身体になるのではなかろうか』
「だ、駄目《だ め 》ですよそんなこと言ったら。UCATに勝って、それからも皆、一緒です」
『ふうむ。詩乃はよく気がつく娘《むすめ》であるな。竜美に同じことを言っても無視されたが』
それは、と詩乃は言葉を言いよどんだ。自分と竜美の思いの差など、自分が言ってもどうしようもないことだ。
やや迷ってから、詩乃は無難な問いを返す。
「調子はどうです?」
『うむ。ともあれ未だに完全状態ではない。幾つかの調整は済んでおらぬままであるし、正義の武装《ぶ そう》関連は間に合わぬそうだ。明日の出撃《しゅつげき》は顔見せであるな。だが……、最大の問題は、塗装《と そう》が間に合っておらぬことである』
「……塗装?」
うむ、とアレックスの声が響《ひび》いた。
『正義の味方はあらゆるものよりも華々《はなばな》しく染められていなければならぬ。吾輩《わがはい》の場合は正義と自由の証《あかし》である青と赤、そして輝く星マークが必要である』
「……それが塗ってあると、何か違うんですか?」
『正義は外見から正義と解《わか》らねばならぬものである』
アレックスは告げた。
『多くの恐怖に震える民衆が吾輩の姿を見た瞬間《しゅんかん》に正義の到来を悟り、また半《なか》ば運命的に安堵《あんど 》する。それを可能とする外見が吾輩には必要なのである』
「つまりは……、人で言うなら全身タイツですか」
『左様《さ よう》。あれはいいものだ』
詩乃《し の 》は軽く額《ひたい》に手を当てた。何だか最近、自分の周囲の常識がずれている気がする。どうしてでしょうか、と考え、時代は変わりつつあるのかな、と無理に納得《なっとく》した。そして、
「でも、明日の出撃《しゅつげき》をしたら、表《おもて》に出ることになりますけど?」
『うむ。正直、この姿で正義を名乗っても説得力はあるまい。明日は世を忍《しの》ぶ仮の姿として出撃するにとどめよう』
アレックスは言う。
『何しろ、疾《はや》く、この身体《からだ》で空を翔《か 》けたいのである』
「……今までの身体でも、何度も飛んでるじゃないですか」
『ノー。次はもはや制約無しである。概念《がいねん》空間内で試験飛行をしているときとも、ハジ殿に連れられ、世の紛争《ふんそう》地域で試験|実戦《じっせん》を行ったときとも違う。これからは、正義の信念の下、この唯一《ただひと》つ遺《のこ》された大空を吾輩は自由意思で飛翔《ひしょう》していいのである』
一息。
『吾輩を救ってくれた者達に感謝をせねばなるまい。特に、竜美《たつみ 》の母にである。……竜美が彼女に会えなかった分、私は、命をわずかながらも与えてもらった礼をせねばならぬのである。真の正義のために飛翔することで』
「ねえ、アレックス、質問いいですか?」
『? 何であろうか、詩乃よ』
詩乃は問うていた。
「アレックスは何のために戦ってるんです?」
『己の正義を果たすためである』
「じゃ、じゃあ……、その正義って、何です?」
問いかけに、うむ、と力強い頷《うなず》きが来た。
そして、アレックスの答えが来た。良いだろうか、とスピーカーが述べた後で、
『詩乃よ。吾輩が望む正義とは単純なことである。それは、世の民草《たみぐさ》が吾輩のような思いをせずに済むよう、吾輩《わがはい》が救い、鼓舞《こ ぶ 》し、そして民草《たみぐさ》が自ら更生することであり……』
一息。
『そのための努力と多大な心意気《こころいき 》を惜しまぬことである』
響《ひび》いた答えに、詩乃《し の 》はつと顔を上げた。まるで声で身体《からだ》を震わされでもしたように。
「…………」
わずかな沈黙《ちんもく》の間を置き、詩乃は笑みを見せた。そうですか、と首を下に振って、
「――アレックス、私も似たようなこと思ってますよ。そしてきっと、竜美《たつみ 》さんや皆も」
頑張りましょうね、と詩乃は言った。眼下へと。
その声の落ちる先、工場の床底《ゆかそこ》に、ライトの光が淡く照らす巨大な影がある。
油に汚れた運搬《うんぱん》リフトの上に乗っているのは、長い身体を持った鋼色《はがねいろ》の機械だった。
機竜《きりゅう》だ。
●
佐山《さ やま》達の食事は、終了に差し掛かっていた。
皆の食欲はまだあるが、肉の在庫が切れたためだ。
「しかし弾薬《だんやく》が尽きたのに武器を手放さぬ者もいる……」
佐山は皿を離さぬ出雲《いずも》と風見《かざみ 》を見ながらつぶやく。
その右向かいで、飛場《ひ ば 》が頷《うなず》き肩を竦《すく》めた。飛場は下から薪《まき》の灯《あか》りに照らされながら、
「爺《じい》さん達も、昔、こんなことしてたんですかね、知ってますか? 護国課《ご こくか 》が概念《がいねん》戦争に気づいた理由を」
昼に資料を読んだ佐山は知っている。横の新庄《しんじょう》がこちらを見るが、佐山は振り向かない。
ここは飛場に喋《しゃべ》らせるべきだ、と佐山は思う。その方が馴染《な じ 》めるだろうから、と。
そして風見が首を傾《かし》げた。彼女は軍手《ぐんて 》をつけ、米を入れた飯盒《はんごう》を開けながら、
「何かあるの? 気づいた契機みたいなものが」
「……まだ食うんですかその飯盒――、ああっ、し、質問には答えますっ。え、ええと、気づいた元はですね? その、護国課が建てた地脈《ちみゃく》の| 抽 出 《ちゅうしゅつ》施設が破壊されていくことだったそうです。人為《じんい 》的だと思った護国課は、爺さんを警備役に回して各地に派遣《は けん》しました。そして岡山《おかやま》の施設に来たとき、ある人と出会うんです」
笑みをこぼして、
「――護国課|顧問《こ もん》、ジークフリート・ゾーンブルクに」
「それって……」
「ええ、ゾーンブルク翁《おう》は密命《みつめい》を帯びていました。護国課に協力すると見せかけ、その技術を見張り、本国周辺の地脈を左右する施設は破壊しろ、と。……でも、おかしなことが起きたんです。彼が破壊していない施設までが、それこそ一晩で破壊された。岡山のがそれでした」
飛場《ひ ば 》が顔を上げ、海を見る。そちらは四国《し こく》だが、彼はそのまま海を見渡し、視線を戻し、
「やって来た爺《じい》さんとゾーンブルク翁《おう》はそれこそ追及も弁明も無しに戦ったそうですよ。でも勝負がつかない。手の内《うち》知ってますし、まあ、今でもたまに電話するような仲ですからね。しかし、そこにいきなり落ちてきたものがあったんです。――武神《ぶ しん》と、竜《りゅう》が」
「その武神が、一昨日《おととい》佐山《さ やま》の取りに行ったものの原型よね、確か」
「ええ。両者|絶命《ぜつめい》したそれを確保し、そして研究が始まったんです。|地脈 抽 出 《ちみゃくちゅうしゅつ》技術を応用してまずは概念《がいねん》空間の探知《たんち 》が出来るようにし、――概念戦争がこの|Low《ロ ウ》―|G《ギア》で行われることがあると気づいた。他Gは、自分のGが戦場になることを避け、滅んでもいいこのGを戦場に選ぶことが多かったんです。あとは概念空間に入る方法をゾーンブルク翁が見つけ、内部から幾《いく》つもの残骸《ざんがい》や装備を奪取《だっしゅ》することに成功した。……これが護国《ご こく》課の概念戦争の始まりです」
「あ、あのさ」
とこちらの隣《となり》で声を挙げたのは、新庄《しんじょう》だ。
「護国課のメンバーって、飛場先生から教えてもらってる? ――新庄って人のこととか」
問いかけは落ち着いた口調に聞こえたが、内容は突発的なものだ。その内容に焦りのようなものを感じたのか、飛場の回答は遅れた。
数秒をおいてから、飛場が口を開く。
「僕が聞いているのは、新庄という人が護国課のリーダーの助手をしていたことという、それだけです。他は何も」
「そうなんだ……」
「そのことはもう知ってるみたいですね。あの、逆に聞いていいですか?」
飛場の言葉に、佐山以外の皆が眉をひそめた。が、彼は構うことなく、
「 軍 ってたまに聞きますけど、何なんです? 僕は3rd―Gとしか戦ってないので」
「それなら簡単だ。私達も眼《め》にしたことはないが、どうやら滅びたGの残党達が9th―Gを中心にまとまって出来た組織のようだね。それも比較的新しい。――私の予測だが、やはり完全に組織化したのは十年前の概念|活性化《かっせいか 》のときではないだろうか」
佐山の言葉に、そうですか、と飛場が頷《うなず》いた。
肩を落とした彼に、今度は佐山から問う。
「何か気になることがあるのかね?」
「ええ。僕の父親は、生前、化け物達を退治《たいじ 》する、っていう胡散臭《う さんくさ》い仕事をしていたんですよね。祖父が友人からもらってきた刀を使って。……それって多分、まとまる前の 軍 とかも相手にしてたのかなあ、って」
それに、と彼は言葉を繋《つな》げた。
「そのせいなのかな。……風見先輩《かざみ せんぱい》と出雲《いずも》先輩には昨日話しましたけど、僕の義姉《あね》、美樹《み き 》姉さんが八年ほど前に行方《ゆくえ》不明になったんですよ。それもやっぱり、軍 とか、そのあたりの仕業《し わざ》なのかなあ、って。いや、何でも 軍 のせいにするわけじゃないですけどね」
「確かに 軍 の行動も狙いも何なのか全く解《わか》らないので早計《そうけい》は働きたくないところだね。だが、――|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を気に入らなく思っているのは確からしい」
このところ動きが活発になってきたと佐山《さ やま》は聞いている。その上で起きたのが、今日の未明にあったUCATへの襲撃《しゅうげき》だ。侵入者には逃げられたと聞くが、
「飛場《ひ ば 》少年、敢えて言っておこう。もし君が3rd―|G《ギア》を倒したとしても、おそらくは 軍 が君達を狙う可能性がある」
「でしょうねー……。こうして一緒にいるのも気付かれてる可能性が高いです。……仲間じゃないです、と言っても信用されないだろうなあ」
「仲間になるかね?」
問いに答えはない。ただ飛場は目を伏せた笑みを見せるだけだ、困ったように。
だから佐山は頷《うなず》き、こう思った。急いで答えを出させる必要はない、と。
故《ゆえ》に話を戻す。足を組み、
「しかし、私も思う。軍 とは何なのだろうな? と。彼らは何を考えているのかと」
「……え?」
「いいかね? UCATの中枢《ちゅうすう》から情報を奪い、武器などを生産出来るようになったとしても、だ。私達が3rd―Gとの|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を無事に終えたらどうなると思う? 武神《ぶ しん》達の技術が完全に手に入るということだ。――それを阻止するには、もはや、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を見ているだけでは済まないぞ」
皆がこちらの言葉に、はっと顔を上げた。そのことを淡く嬉《うれ》しく思い、更にはそれを、
……子供のようなことで喜んでいるな、私は。
そう考えながら、佐山は言う。己の予測を。
「……きっと今回、何らかの動きがある筈《はず》だ。もし彼らが私達の敵となるならば、ね」
●
白亜《はくあ 》の壁がある。
巨大な壁だ。月光を浴びて青白く染まる表面は、上部に窓を持ち、下部には巨大な扉を持っている。下部の扉は、窓の大きさから換算《かんさん》して八階|層分《そうぶん》はあるものだ。
窓は明かりを映え、中から歌を響《ひび》かせているが、対する下の巨大な扉は、物音一つしない。
その扉の横を動くものがあった。上部の非常口から下に降りるためのリフトだ。
月光を受けるリフトには、白い衣をまとった黒髪《くろかみ》の女性がいる。
彼女は降下の風に衣装の裾《すそ》を押さえながら、笑みの混じった声で言う。
「一体何してんだろうかなあ、京《みやこ》さんはよ」
つぶやきながら倉敷《くらしき》の夜景を見ている間に、リフトが止まる。
リフトの手摺りが横に開き、コンソールが首を傾《かし》げた。どんな乗り心地だったかと。だから京《みやこ》はコンソールを軽く手で叩き、撫《な 》でた。
「ちょっと待っててくれな」
調べることがある。
先ほど夕食を摂《と 》ったとき、アポルオンは来なかった。
実のところ、彼に京は一つの確認を取ろうと思っていた。
「……地下室ってのは、あるのかい?」
今、放てなかった問いを言いつつ思うのは、地下室が実在するという確信だ。昼前、モイラ2ndが身を挺《てい》して自分を救ったとき、彼女は床を指さしていた。
モイラ2ndはそれから補修《ほしゅう》に回された。モイラ1stが言うには身体《からだ》を全換装《ぜんかんそう》すれば変わりなくいけるとのことだった。が、調整や不具合《ふ ぐ あい》は出るだろう。
しかしモイラ3rdはこう言った。
「もし中姉《ちゅうねえ》ちゃんが復活したら、まずは心配よりも褒《ほ 》めてあげてよ」
そうだな、と頷《うなず》いた。今も前に一歩を踏み出しながら、また頷く。
「そうだな」
歩く。モイラ2ndが教えてくれた地下へ向かって。
そのために行くべきは、扉の向こうにある格納庫《かくのうこ 》ではない。昼前に見た限り、あの格納庫内には地下に行く通路は無かったし、もしあったとしても、
……テュポーンが見張ってやがる。
それに、
「モイラ2ndは格納庫に初めいなかった。もし地下から来たのだとすると、外を回って格納庫に来た筈《はず》だ。それに……、格納庫には裏口がねえ。ならば地下の入り口があるなら」
建物の西壁《にしかべ》側だ。
歩みを早めながら、しかし京は思う。何故《なぜ》、こんなことをしているのかと。
不確かな情報を、今まで無愛想《ぶ あいそう》で話したこともない自動人形から得た。あの指さす手指も、偶然そうなったと考えることだって出来る。だが、
「偶然じゃねえかもしれねえじゃねえか」
そして京は思い出す。潰される前の、モイラ2ndが見せた笑顔を。
……あれで今までの無愛想は帳消《ちょうけ》しだ。
角を曲がれば、建物の南側、鉢植《はちう 》えの並びがある筈《はず》だ。花の名を持つ侍女《じ じょ》達は今、上階の掃除をしているだろう。歌が上から聞こえてくるのがその証《あかし》だ。
「皆が集まってるのにあたし一人で自分|勝手《かって 》に動いて、いけねえよなあ」
角を曲がった。
直後。京は見た。目の前に一つの影が立っているのを。
「――アンタ」
それは、よく見知った影だった。
「モイラ1st……」
「はい、京《みやこ》様」
モイラ1stはスカートの裾《すそ》を軽く持ち上げ、一礼した。その後で笑みを向け、
「……どこへ行かれますのでしょうか?」
「地下だよ」
「……私達に黙って行かれることに、弁明はありますか?」
「ねえな」
京が告げた言葉に、モイラ1stは首を傾《かし》げた。
「どうしてそんなことを| 仰 《おっしゃ》るんです? 私達に何も告げず、私達3rd―|G《ギア》の秘密を探ろうとしていらっしゃるのに。後ろ暗いと思いませんか?」
問いに京は一つの反応を返した。
笑ったのだ。はは、と声をつけ、
「思うわけねえだろモイラ1st。もうやめとけ、あたしを試すのは。――あたしはもはや、この場所で何かするのに気兼ねない。3rd―Gのことを知りたいと思っているし、そのためには私的なところ以外、どこにだって踏み込むし、見聞きするさ」
「開き直りですか?」
「いや、当然の権利さ。そして、アンタ達があたしを認めているならば、あたしゃそれこそ不言《ふ げん》でこうしなけりゃあならねえ筈《はず》だ。……もしお伺《うかが》いを立てたら、こっちがアンタらを信用してねえってことだもんな。お互い信用してるなら、もしいけねえところに踏み込んでも、その後でお互い信用の上でこう言える筈だ。――コレは秘密にしておこうか、ってな」
一息。前に踏み込み、モイラ1stと距離を詰め、
「――試験じゃなければそこどきな。あたしは知るべきことがある」
「それを知ることが、苦痛や恐怖に繋《つな》がるとしてもですか?」
歩み、近づいて放たれた問いに、京は答えた。
「それが3rd―Gだというなら知らなきゃいけねえだろうが。痛いとか、怖いとか、そんなことよりも、知らなけりゃあいけねえんだよ」
「――――」
「その後で考えようぜ、その痛いのも怖いのも、どっかに払い捨てる方法をさ。アンタ言わないけど、大体は解《わか》ってんだ、3rd―Gは聞いた以上に人道《じんどう》から外れてたってな。だからアンタら逆に人を大事にして……、しかし、|Low《ロ ウ》―Gとは共にいられねえと思ってんだろ?」
モイラ1stの前に立つ。
「あたしゃ馬鹿だけどそのことくらいは解る。――でも馬鹿だから、それでもアンタ達とは仲良くやってみてえな、って思ってるさ」
言いつつ、京《みやこ》は内心で、うわあ、と声を挙げる。
……何を青年の主張みてえなこと言ってるんだ。
自分が言いたい用件はもっと簡単なことだろう。
「どいてくれモイラ1st、あたしにゃ見るべきものがある」
言った瞬間《しゅんかん》だ。
不意に京は身体《からだ》に動きを得た。それも他者による思わぬ動きだ。
「!」
目の前に、布に包まれた弾力物《だんりょくぶつ》があり、頬《ほお》に押しつけられている。背にはやはり細く弾力ある棒に似た二本のものが絡みつき、こちらを前へと引き寄せている。
モイラ1stに抱き締められているのだと、そう気づくまで数秒が掛かった。
「あ、……こら、おい、何しやがる」
「申し訳|御座《ご ざ 》いません、京様、共通|記憶《き おく》はカットしておりますので御《ご 》安心下さい」
「なーにーがー御安心なんだよっ」
「私の我《わ 》が儘《まま》ですよ」
モイラ1stの笑みが聞こえる。
「押しつけてしまって申し訳御座いません。ですが……、こんな判断は初めてです。自分の全権をどなたかに任せて良いと思ったのは」
「は?」
疑問|詞《し 》に、モイラ1stは答えた。
「皆の長《ちょう》であるため、私は判断《はんだん》基準が高く設定されているのです、自らを預けて良いかどうかは。――ですからその分、ちょっと反動が出てしまって、その……、申し訳|御座《ご ざ 》いません」
「……それはボンボンをフニャチン野郎《や ろう》だと言っているのと同時に、密《ひそ》かにエロい発言だな」
「そ、そうですか? でも、下の子達に私がそう判断されることはあっても、自分がこうなったのは初めてのことです、京《みやこ》様。申し訳御座いませんが、今少しだけこうさせて下さいね」
口調はこちらに確認を取っていない。モイラ1stには珍しいことだ。
……マジにこうしたいのか。
京は、他人にゃ見せられんなあ、と思いつつ、
「まあ、リーダーってのは大変だよなあ」
「お心遣《こころづか》い、有《あ 》り難《がと》う御座います」
笑みが聞こえて、更に京はモイラ1stの身に引き寄せられる。身体《からだ》は硬いところがあるが、
……胸は結構《けっこう》あんなあ。金型《かながた》あったら高そうだなあ……。
負けたかどうだか考えつつモイラ1stを見る。すると、彼女は目を伏せ、眠っているかのような表情を見せていた。安堵《あんど 》の判断だろうか、と京は思う。
誰でも、子供でも、安心したときには見せる表情だ。
……こんな風になるのが初めてだとしたら。
モイラ1stが、数千年を生きてきたことを考える。何かを言おうとして、
「いや、別にまあ、その、何だ?」
どう言うべきか。いや、言うよりもまずは態度か。
京は手を伸ばし、軽くモイラ1stの背を抱いた。モイラ1stの身体が小さく震えるのを、猫でもあやしてるようだと思いながら左手で軽く撫《な 》で、
「いろいろ、大変だよな」
背を撫でる左手とは別に、右手をモイラ1stの頭に後ろから載せた。細く量の多い髪に指を差し込むことを勿体《もったい》ないと思いながら、撫でる。
「――アンタもストレスたまったときとか、あたしでよけりゃ甘えとけよ。そうしねえと疲れるばっかりだぜ」
「……はい」
モイラ1stが頷《うなず》いた。そして、こちらの背に回った彼女の腕から力が緩んだ。
……数千年分の甘えが、たったこれだけか。
抑えてねえか? と問おうとして、京は止めた。モイラ1stにそんなことを問えば、逆にそれこそ離れるだろう。だからこちらは腕を離さず、頭を撫で続けた。
「……あ、あの、あまりされると、下の子達に申し訳が……」
「あの子達には名前をあげたよ。アンタら、受け取らなかったろ? モイラの名があるから。だからコレはあたしからの、……まあ、溜《た 》め打ちだと思っとけ」
「タメウチ?」
「一杯《いっぱい》我慢して、最後にデカいの出すってことさ。――下品《げ ひん》な話じゃねえぞ」
その言葉を聞いたモイラ1stが、くく、と笑う。そして彼女の身体《からだ》から力が抜ける。
だから離れた。
一歩の距離を置いて、モイラ1stは既にいつもの表情に戻っている。一礼し、
「みっともないところをお見せしました」
「そんなこと言ったらいつもあたしはみっともないさ。――それより」
京《みやこ》は言う。
「どいてくれ。行くべきところがあるからよ」
「駄目《だ め 》です」
「……何でだ?」
京は眉をひそめた。が、モイラ1stはいつもの笑みで口を開く。
「――地下への入り口ですが、扉は重さ五百キロあります。私どもは重力|制御《せいぎょ》で開けることが可能ですが、京様は出来ますでしょうか?」
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第二十八章
『露見の正対』
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目を合わせることを何と言うか
いや言うべきはそこから先のことか
目はものを言うが言葉を放たないのだから
[#ここで字下げ終わり]
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●
薄暗い闇の中に淡い緑の光があった。
その前に立っている人影が一つある。
京《みやこ》だ。
ここは3rd―|G《ギア》の地下室の中だ。光を放っているのは中央に置かれた、
「武神《ぶ しん》の遠隔操縦器《えんかくそうじゅうき》ってヤツか」
その光を頼りにここまで来た。
モイラ1stに開けてもらった地下室は巨大な倉庫だった。武神のパーツや自動人形のパーツが硬質材《こうしつざい》にパッケージングされたまま積まれており、中には食料と書かれたものもあった。
侍女《じ じょ》達がその食料を使用せず、自分には外で買ったものを出してくれた意味を、京は今更《いまさら》ながらに感じ入る。有《あ 》り難《がた》いな、と頷《うなず》いて、改めてあたりを見回した。
……入り口から北側に掛けてだだっ広い闇があったよな。
「ちょっとそっちに行ってみるか……」
京は歩いた。
眼《め》は闇に慣れてきている。そこに何かがあれば蹟《つまず》いたりぶつかる前に気づく筈《はず》だ。
そして気付いた。
「?」
闇の中に何かが倒れている。巨大な影だ、と思ったときに、
「武神か?」
つぶやき問い掛け、京は足を速めていた。
早足に、二、三歩を行き、小走りになり、そして駆けた。
髪を後ろに掻《か 》き上げ、京は獲物《え もの》に届く。それは確かに武神だった。青白い装甲板《そうこうばん》で覆《おお》われた武神だ。フレームの体格は大きく、装甲板も分厚く出来ている、が、
「……何だこりゃあ。テュポーンにどことなく似てるみてえだけど……」
見れば、その武神は、一刀両断《いっとうりょうだん》に断たれていた。
倒れた身体《からだ》の胴体《どうたい》部が浅い袈裟懸《け さ が 》けで割られている。斬撃痕《ざんげきこん》を確かめるために背に回ってみれば、そこには何かを抉《えぐ》り出したような痕《あと》があり、その部分は空白だった。
「何でこんなスクラップがあるんだ?」
京は近づき、破損《は そん》部の中を覗《のぞ》き込もうとした。
装甲板に手で触れ、挟られた箇所を見る。頭の中にある武神の記憶《き おく》を思い出せば、そこはテュポーンでいう背の操縦室があったところだ。
……コックピットを強引《ごういん》に抜き取った、ってことか?
見れば斬撃は、扶った痕《あと》の下部を斜めにかすっている。おそらく操縦室のあった場所は無事だった筈《はず》だ。だが、京《みやこ》は先日、武神《ぶ しん》についての知識もある程度|得《え 》ていた。
「確か武神はその破損《は そん》を操縦者《そうじゅうしゃ》に返すから……」
これだけ見事に胴体《どうたい》を両断されたならば、操縦者は死んでいる。では、
「……何故《なぜ》、この機体をわざわざ取って置くんだ?」
と、破損部を覗《のぞ》き込んだ京は一つの違和《い わ 》感《かん》に気付いた。
……あれ?
何だろう、と思い、その違和感を思うがままに口にしてみた。
「深い」
そうだ。抉《えぐ》った穴が異常に深い。
顔を上げて京は破損部をもう一度見る。穴は深さ三メートルほど。ブロックを引き抜いたと解《わか》るのは、内部骨格のフレームが受け皿のように滑《なめ》らかな表面を見せているからだ。
背部の方には、やはり操縦室を支えるためであろうフレームがあった。
「背の側にも結構《けっこう》出っ張ってたんだな……」
見れば確かに。武神の背《せ 》自体が後ろ側に突き出した形状だ。
そして京は、テュポーンの背を思い出す。あの背部も翼《つばさ》があるから目立たなかったが、これと同じくらい出っ張っていた筈《はず》だ、と。
「……あれ?」
京は更に思い出す。昼のことを。モイラ3rdは他の武神達はコックピットをそのままで遠隔《えんかく》操縦|機構《き こう》を仕込んでると言った。
あの武神達の後ろを、キャットウォークを走ったときに見たが、
「こんなに分厚くなかったぜ……?」
ふと、胸の内側に妙な気分が来た。
不安だな、と京は思う。自分の予期出来ぬ何かが目の前にある不安だ。
その思いに身を震わせ、京は一歩を離れようとした。そのときだ。
「――?」
離した左手の先で、青白い装甲板《そうこうばん》が反応した。装甲上の小さな面積が微《かす》かに下がり、また上がったのだ。それを、スイッチだ、と京が気付くなり、左手を載せていた箇所に光が来た。
装甲板の上に文字が走り出す。緑色の文字は知らない字だが読める。
『機体|起動《き どう》準備』
字が表示されると同時に、青白の機体は微かに震えた。立ち上げ準備が始まったのだ。
起動の流れを始めるように字が続いた。内容はしかし、
『主搭乗者《しゅとうじょうしゃ》:未準備:不《ふ 》稼働』
当然だ。操縦室がないのだから。
だが、字はそこで終わらない。一度消え、新しい文字が現れた。それは、
『常時|副搭乗者《ふくとうじょうしゃ》――』
表示《ひょうじ》された名前に、京《みやこ》は息を飲んだ。この機体の操縦室《そうじゅうしつ》ブロックが深い理由がここにある。
……二人乗りか! それに今の名は……!?
だが、字はそこまで現れ、
『抹消《まっしょう》』
と書き換えられた。
「……おい!」
京の叫びも虚《むな》しく、字は消える。そして機体の震えも宥《なだ》められるように消えた。
後にはまた闇が戻った。音も無音となり、何も残らない。
その闇の中で京は一歩を下がる。目の前の白い機体から離れるように。
そのときだ。下がった背が何かに触れた。
背後に立っている誰かに、だ。
「……!?」
肩に力を込め身構えたと同時。その肩に、後ろから手が載った。
●
月の下で海がさざめいている。
そのさざめきの縁《ふち》、軽く波を踏みながら歩く影が二つある。
一つはシャツにチノパンという姿で、もう一つは半袖《はんそで》シャツにキュロットという長髪の姿だ。
チノパン姿の方が、後ろに流した髪を掻《か 》き上げ、
「――新庄《しんじょう》君。波で遊ぶのは初めてかね?」
うん、と新庄は頷《うなず》いた。手にサンダルを持った新庄は、寄せてくる波をよけ、引く波を浅く追いかけ、そしてときたまわざと水を足に受けて淡い声を挙げている。
「ボク、こんなの初めてだよ佐山《さ やま》君。――うわ、もう、こんな濡《ぬ 》れちゃって」
そうかね、と佐山は頷き思った。今の発言はちゃんと保存しておこう、と。
大きな波が崩れ、こちらの足下|近《ちか》くまで来た。小さな笑い声をたてた新庄が波に追いかけられてしがみついてくる。
新庄がこちらの腕を抱いてくる動きにはためらいがない。だから佐山は海に思う。
……大いなる自然に感謝せねば……。
そして佐山は新庄がしがみつく自分の腕を見る。手にあるのは厚いコピー束の書類だ。
ふと気づけば、新庄がこちらの目を見ていた。今までの喜びを、落ち着きに変えた顔で、
「あ、あのさ、ボクだけ浮かれてばかりで御免《ご めん》ね。……さっきの話、ずっと考えてたの?」
ああ、と応じて佐山は思い出す。夕食の後の自由時間で行った会議のことだ。男子用テントを一つ借り切り、そこに全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の主力を集めて昼の書類を配った。
外に内容を聞かれることを警戒《けいかい》し、筆談《ひつだん》中心となった会議には飛場《ひ ば 》も参加していた。女子テントから出てこない美影《み かげ》は参加しなかったが。
「――でもやっぱり、皆も読める資料と読めない資料があったね」
「一番読むことが出来なかったのは他|G《ギア》との繋《つな》がりが薄い風見《かざみ 》だったか。シビュレ君も無言だったが、しかし彼女は大体の資料には目を通せているようだったな」
佐山《さ やま》は新庄《しんじょう》の腕を外さぬよう、右手に書類を持ち替えて掲げる。
指でめくり、手首の振りでそのページを折り広げる。
「護国課《ご こくか 》時代、戦中の初期段階では1st〜8thまでのGの存在が確定されていた。9thと10thは情報不足で、5thと7thについては前者が航空型|機竜《きりゅう》の世界であることから5thは対応《たいおう》機器の開発まで待機、7thはこちらからの門を拒絶しており、やはり対応は待機となっていた」
「そして護国課の主力が1stから4th、6thと8thに対応する、と」
新庄はこちらの手元の資料を見る。
佐山は足を止めた。新庄に資料が見えるよう右手に持ちかえ、月の光に文字を当てる。
すると新庄は笑みの息をつき、
「月明かりで字が読めるね。秋川《あきがわ》だとたまにしかないことなのに」
「ここだといつもこうだ、と言うよりも、……こここそが普通なのだろうね」
うん、と新庄が頷《うなず》いた。そして口を開き、文字を読んでいく。
「一九四二年、――護国課大代表、出雲《いずも》・全《ぜん》、二十七|歳《さい》、中尉《ちゅうい》、6th―G担当」
技術部長、大城《おおしろ》・宏昌《ひろまさ》、三十六歳、中尉、2nd―G担当。
警備部長、飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》、二十三歳、曹長《そうちょう》、3rd―G担当。
特技《とくぎ 》部長、佐山《さ やま》・薫《かおる》、二十五歳、中尉、4th―G担当。
そして、口調はゆっくりとなり、
「特技|副《ふく》部長、……新庄・要《かなめ》。二十四歳、准尉《じゅんい》、8th―G担当……」
続くのは、顧問《こ もん》、ジークフリート・ゾーンブルク二十七歳、中尉、1st―G担当、だ。
その後には、助言役、衣笠《きぬがさ》・天恭《てんきょう》、六十四歳。彼はどこのGも担当していない。
「役付《やくづき》はあっても、ほとんどが専門能力を持った実働班でしかなかったようだね。少数|精鋭《せいえい》。今の我々のようなものだ」
「自分で自分|褒《ほ 》めるかなあ……」
「自己評価が正しく出来ているのはいいことだよ? 新庄君」
言って指で書類をめくる。そこに書いてあるのは、年表のようなものだ。
新庄・要の8th―Gに関する記録だった。元は手書きだったものだろうが、一度データ化されたためにプリントアウトの字は無《む 》個性だ。
しかし重要な情報に代わりはない。書かれているのは8th―Gの生物達がこちらの世界とは違う体《たい》組織構成をしており、石と同じようにしか見えないというレポートだった。
「8thって、平和な|G《ギア》だったみたいだね。何だか意外……」
「生物としての時間スケールが違えば、戦争の参加の仕方も変わるだろうからね。人が主体のGと石が主体のGでは、後者はほとんど傍観《ぼうかん》者にならざるを得まい。――記録によれば植物主体の4th―Gも同様で、この二つのGは|Low《ロ ウ》―Gとまではいかずとも、主として相手にされていない、もしくは概念《がいねん》戦争後期に相手にすればいいと思われていたらしい」
「逆にこの新庄《しんじょう》さんと、佐山《さ やま》君のお祖父《じい》さんは、4thと8thにアプローチすることで概念戦争の実情とか知ろうとしていたんだね」
当時の祖父の記録の内容を思い出し、佐山は左胸が軋《きし》むのを感じた。だが今はこちらの右手には書類があり、左腕は新庄が占めている。我慢だな、と佐山は思う。息を吸い、
「祖父には似合わない光景だ。4th―Gは三つのリング状の土地が交差した世界で、その中心に太陽があり、リングの内壁に流れる川があったとか。夢でも見ていたのかあの老人は」
「でも確かにあったんだよ、きっと。……さっき書いてあったよね、佐山君のお祖父《じい》さん、そこの代表の木竜《もくりゅう》ムキチとそれこそ向こうの時間に合わせて話をするのが大変だったって」
苦笑。
「応答一つもらうのに数時間はザラだから後に高速型植物が進化発生した、って」
「きっとそれまでの反動であの猿は短気になったに違いない。だが、惜しいことに、どれも護国課《ご こくか 》時代のところまでしか情報がないのが悔やまれるね」
「うん、新庄・要《かなめ》さんのその後、解《わか》らないもんね……」
新庄が手を伸ばし、書類をめくる。
8th―Gの書類は途中で終わり、そこにはこう書いてあった。
「四十五年七月二十一日、佐山・薫《かおる》に調査の続行を依頼する、か」
「身体《からだ》を患《わずら》っていたらしいね。――4th―Gの書類の方にこう書いてある。七月二十五日より療養《りょうよう》のために入院した新庄・要の代理として、8th―Gの調査も担当する、と」
「仲良かったのかな? 二人とも」
「どうだろうか。だが、この新庄・要氏が新庄君の祖父か誰かなのだろうか」
「解らないよ、それは」
新庄は真剣な顔でそう言った。自分に言い聞かせるように、
「……あまり期待しないようにしとかないと。新庄って、結構《けっこう》よくある名字《みょうじ》だもん。それにもう、六十年以上前だよね、これ。四十二年で二十四|歳《さい》だったら、今生きてて八十七歳くらいになるよね? ボクが生まれたときに七十歳くらい。……間に二代は挟めるよ」
「一度でも娘が生まれたら、新庄の姓《かばね》は繋《つな》がらない、か」
「うん。……それでボク、昔に何度も新庄って姓を見るたびに糠喜《ぬかよろこ》びしたことあるから」
それに、と新庄は告げる。
「この人、どうなったのかな。病気|療養《りょうよう》とか書いてあったけど……、この人、護国課《ご こくか 》にいてもUCATにはいなかったんだよね? だったら、ひょっとして病気で――」
「そうであったとしても君はここにいる、新庄《しんじょう》君」
言った言葉に、新庄が身を震わせた。
振り向く視線と、下がった眉に、佐山《さ やま》はまっすぐ台詞《せりふ》を与える。
「もし何かがあろうとも、何かが無くとも、私が君を見ているので安心したまえ」
「……うん」
新庄は首を下に。そしてややあってからいきなり、
「あ。――さ、佐山君!」
と、慌《あわ》てた声をつけて、新庄の手がこちらの左胸に触れてきた。その手指の感覚に佐山は、
「何かね新庄君、いきなり乳揉《ちちも 》み式心臓マッサージとは。するならもっと大胆《だいたん》かつ繊細《せんさい》に!」
「何をいきなり三段跳びで飛躍してるんだよ!……あ、あのさ。ずっとお爺《じい》さんの話とかしてたけど、今、左胸|痛《いた》くなかった?」
佐山は痛みを無視した。そして、
「いや? ――全く大丈夫だったが」
「駄目《だ め 》だよ。佐山君が痛かったら、ボク、嫌なんだからね?」
「……君は最近、私の話を全く聞いていない気がするのだが」
え? と首を傾《かし》げた新庄は、ふとこちらの言葉を考えるように空を見た。ややあってから、
「ま、まあお互い様だよね」
そして新庄は息を吸う。あたりを見回し、自分|達《たち》以外に誰もいないことを確認する。
「どうしたのかね新庄君」
「あ、うん……。随分《ずいぶん》遠くに来たかなあ、って」
「確かに、……キャンプからは正反対の位置にまで来ているだろうね」
遠く見える明かりは四国側のものではない。北に見えるのは、
「あれが児島《こ じま》半島。水島《みずしま》のコンビナートのあたりは光が整然としているね。そして向こう、一直線に島が続いているように見えるが、瀬戸大橋《せ と おおはし》の光だろう。昼には見えなかったが、夜になると光によって見ることが出来るという案配《あんばい》か」
「そうなんだ……」
こちらの示した指先を見る新庄の言葉は、少し気がないように感じた。だから佐山は、
「――何か言いたいことがあるかね?」
「え? あ、うん」
新庄は浅くシャツの身体《からだ》を抱き、もう一度あたりを見回した。
「……ここだけの話なんだけどね? さっき、ボクを見てるって言ってくれたよね?」
言いながら、新庄は目を逸《そ 》らす。
そしてゆっくりと腕を緩め、自分の衣服に手を掛けた。
次の瞬間《しゅんかん》には、脚《あし》をキュロットが滑り落ち、砂浜に落ちた。
頬《ほお》を赤くして、新庄《しんじょう》がこちらを見る。だが新庄はシャツの胸のボタンをそろりと外し、
「だからってわけじゃないんだけど……。見てくれる?」
言葉とともに、白いシャツが新庄の肩から下へと落ちた。
●
月夜の下に、巨大な白亜《はくあ 》の建物がある。
その南側の壁に三つの人影が映っていた。形はどれも女性で、一人と向き合う形で二人が立っている。
一人、赤いスーツ姿の女性が前を見た。鋭く細められた目は、正面に立つ二人の内、まず侍女《じ じょ》服|姿《すがた》の金髪《きんぱつ》女性を見据《み す 》えた。赤い口紅《くちべに》を塗った口が開き、
「モイラ1st、貴女《あなた》は自分のしたことを解《わか》っているのか? 下は機密品《き みつひん》も多くある場所だ。そこに部外者など……」
「ええ、解っております、ギュエス様。ですが、――私は京《みやこ》様の望むままに」
ならば、とギュエスは右を見る。モイラ1stの横に立つ黒髪《くろかみ》の女性、月読《つくよみ》・京を。
視線を合わせると、京は眉をひそめてこちらを見つめて来た。
……戦闘能力ではかなわぬと解っているだろうに。
不可《ふ か 》解《かい》を感じるが、戦闘|型《がた》自動人形にとっては好ましい態度だ。
だがその好意を表《おもて》に出すことなく、ギュエスはモイラ1stに告げた。
「――先の言葉は、その月読・京がお前の行動の責任を取るということか?」
「いいえ」
モイラ1stの即断《そくだん》に、京が慌《あわ》てて彼女の顔を振り仰いだ。が、京が抗議の表情で何かを言うより早く、モイラ1stが笑みで告げる。
「私の判断は私のものです。私は自ら望んで京様の助けを行います。――私のために」
「……特定の主人を持った。そういうことか? 数千年、ただ誰かのために働いていたモイラの長《ちょう》が、たった数日|共《とも》に過ごした女を、か?」
「――はい」
答える表情には笑みしかない。彼女の表情を見て、ギュエスは気づく。その表情を作る機能が恒常化《こうじょうか》しているな、と。その理由を思考《し こう》し、
……ああ。
「もはやモイラ1stは、アポルオン様の3rd―Gとは違う立ち位置にいる、か」
言葉とともに、ギュエスはスーツの裾《すそ》から剣を引き抜いた。
反射的な動きで京がモイラ1stの前に出る。浅く手を広げ、
「馬鹿|野郎《や ろう》! アンタら仲間同士だろうが!」
ギュエスは眉をひそめた。京《みやこ》を見て、
「だからどうした。目的を見失った機械は廃棄《はいき 》されるか博物館に陳列《ちんれつ》されて当然だ。大体、モイラ1stよ。何故《なぜ》貴女《あなた》はその女の前に立たない? もし彼女を主人とするならば、かばうのが貴女の役目だろう」
「ええ。ですが、……京様が私の前に立って下さるのは嬉《うれ》しいことですので」
「嬉しいという判断は自動人形には無い」
「――ですが、関連づけは出来るのですよ。……自動人形は機械です。が、主人に長持ちするよう大事に扱われたり、機能を引き出そうとされることは有《ゆう》意義《い ぎ 》だと解《わか》っております。あとはそこに笑みや、主人の存在を確かめる行為を 嬉しい と関連づければいいだけです」
微笑のままに、
「それが積み重なれば主人に対する信頼率は上がり、常に嬉しくなるでしょう」
「つまり、さっきあたしを抱きしめたのは信頼率がゲージを超えたんだな……」
「そ、それは言わない約束ですよ京様」
モイラ1stが京の両肩に後ろから手を載せた。さあ、と彼女は言って、今こそ前に出る。
「お心遣《こころづか》い有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います、京様。今ので充分です。――これからの相手は私が」
そうか、と言って京が下がるのをギュエスは見た。京は渋々《しぶしぶ》という表情でこちらを見て、
「そんな目でこっち見んな。今みてえなこと言われたら、任せるしかねえだろ」
「羨《うらや》ましいですか? ギュエス様」
「そのような感情は無い。それに、アポルオン様は五年前に目覚められてから、我々を大事に扱ってくれる。不服はない」
「ですが、アポルオン様は私達に何も応えさせては下さいません。――ギュエス様は、アポルオン様に掛かった呪縛《じゅばく》を解きたいと思ったことはありませんか」
「それを言うなモイラ1st!」
モイラ1stの言葉に、ギュエスは反射的に叫んでいた。だが、
「無駄《む だ 》ですよ。京様は既に悟っておられます。アポルオン様に謎《なぞ》があることを」
まさか、と思った眼前で、京の言葉が響《ひび》いた。
「テュポーンと、地下の武神《ぶ しん》と、……あのボンボンがここから出られないことの関係か?」
一息。京は頭を掻《か 》きながら、
「昼にテュポーンの背を見たとき、操縦室《そうじゅうしつ》のコンソールに一つの名前を見たよ。……アルテミス、って、そう書いてあった。だけどよ、あたしがアルテミスだと思ってるヤツは、どう見ても幽霊《ゆうれい》みてえにこの建物の中を歩いてやがった。テュポーンを操縦出来るとは思えねえ。それに――、地下の武神のコンソールにもあったな、副《ふく》操縦者としてアルテミスの名が」
「だから……、どうだと?」
「知るかよ。すぐに答えが出るほど頭よくねえんだ。……だけど下の武神《ぶ しん》とテュポーンは、アルテミスという名で繋《つな》がってる。そしてテュポーンは、――妙なところを持ってる」
腕を組み、こちらを見て、
「モイラ2ndが潰されたとき、改めてテュポーンを見て気付いたんだ。今日のテュポーンの修復《しゅうふく》だけどよ。あの修復箇所、額《ひたい》あたりと右腕って……、咋日、アポルオンが崖から落ちて負傷した箇所と一緒だぜ? ――どういうことだよ?」
問いに対する答えは一つだ。
「――――」
ギュエスは動いた。
危険だ、と意識機能が判断していた。3rd―|G《ギア》には秘密がある。
……3rd―Gが存続《そんぞく》するために必要な秘密だ!
暴《あば》かれれば、3rd―Gという自分達が仕える基盤が危うくなるものだ。
「踏み込みすぎたと知れ!」
攻撃は直線的な一突《ひとつ 》きだ。風を穿《うが》ち、夜の闇を裂いて銀色の一線が飛ぶ。
「っ!」
攻撃とともに響《ひび》いた音は、しかし、肉を貫《つらぬ》く音でも無ければ、骨を断つ音でもなかった。
それは金属音だった。
そしてギュエスは、手の中の剣が半《なか》ばから折れたことを悟った。
何故《なぜ》か、という疑問の答えは目の前にある。
自分と京《みやこ》達の間の地面に、一つのものが突き立っていたのだ。そのものとは、
「私の剣……」
言葉には、一つの声が応じてきた。野太《の ぶと》い男の声で、
「忘れたのか? |Low《ロ ウ》―Gの連中に言ったな? この剣を、基地が所在すると思える位置に立てれば話を聞いてやろう、と」
背後に立つ気配は二つ。
「アイガイオンに……」
「モイラ3rdもいるよー」
「……どうするつもりだ。貴様《き さま》ら」
「そりゃ、あたしが聞きたいさ」
応じたのは京だ。彼女は肩を竦《すく》め、
「あのボンボンが何か抱えてるのは何となく解《わか》るっつーか、……そうなんだろ? そしてどういうことなんだ? 地下の武神も、テュポーンも、何の力であの馬鹿を縛《しば》ってる?」
「何故、貴様にそんなことを教える必要が……」
「それをアポルオン様も薄々《うすうす》望んでいるとしたら、どうですか? ギュエス様」
何? と眉をひそめたこちらに対し、モイラ1stが頷《うなず》いた。
「昨日、久しぶりに見ました。京《みやこ》様を相手に叫ぶなどと、そんな風《ふう》に強い感情を動かされているアポルオン様を。それこそ……、五年前に目覚められて、テュポーンの中から出てきたとき以来でしょうか。――そしてそれは、この五年間、私達では出来なかったことです」
「主人に不快な叫びを挙げさせることなぞ、出来なくて結構《けっこう》だ!」
だがモイラ1stは、静かな笑みで言う。
「残念でしたギュエス様。アポルオン様はですね? 言い合いの後……、笑われたのですよ。それはここ五年に見た笑いではなく、3rd―|G《ギア》がまだ概念《がいねん》戦争に苦戦していなかった頃の笑いと同じだと……、私はそう判断しています」
自動人形の言葉に虚偽《きょぎ 》はない。ならば、
……アポルオン様は、我々では与えられない感情を、この女から思い出したということか。
「どうしてそんなことが可能なのだ……。アポルオン様から笑みを引き出すなど……」
問えば、対する京も前に出てきた。
彼女は眉をひそめ、こちらの前に立ち、首を前に傾《かし》げ、
「笑みを引き出すって……、どういう意味だ?」
「気付かないのか? それだけアポルオン様と言い合い、笑った仲でありながら。――我々では、この五年を掛けてもアポルオン様の自然な笑みは得られなかった。いつもあの方は笑っているが、顔筋《がんきん》の動作パターンから、それが力無い形だけの笑みだと私は解《わか》っている」
「そりゃアンタのサービスが悪いんじゃねえか? 不手際《ふ て ぎわ》多くて笑ってらんねえ、とか」
「あの、京様、そちら方面は私達の仕事ですので……」
悪い悪い、と京は言った。そして口の端を歪《ゆが》めた顔で、更にこちらに近づく。
既に至近《し きん》距離だ。ここで剣を抜けば周囲の制止も間に合うまい。だが、それをする前に聞いておくことがある。
「問うぞ人間。……アポルオン様が表情を得られたのは、何故《なぜ》なのだ?」
「そりゃ簡単だろ。――頭突《ず つ 》き入れられすぎて配線ズレたんだきっと」
「――貴様《き さま》!」
と背後、スーツの裾《すそ》に手を伸ばしたときだ。
ギュエスの視覚は、京が既に身を仰《の》け反《ぞ 》らせているのを確認した。その直後に、
「チョーパン!」
頭突きがこちらの前頭部に直撃《ちょくげき》した。
まさかの不意打《ふ い う 》ちだった。戦闘用|機動《き どう》に切り替えていなかったため、防護《ぼうご 》は肌の防護|皮膜《ひ まく》と骨格《こっかく》だけだ。防護皮膜だけでは震動《しんどう》に耐え切れず、
「……っ!」
人工|頭脳《ず のう》の受けた震動を、意識が危険と判断する。全身の神経系に震動で乱れた命令が行かぬように配線をシャットダウン。再《さい》接続まで一瞬《いっしゅん》だが、その時間は全身が動かない。
膝《ひざ》が抜けたように崩れた。
次の瞬間《しゅんかん》には再接続が掛かり、視覚も聴覚も触覚《しょっかく》も、全てが復帰する。が、
「あ……」
襟首《えりくび》を京《みやこ》に押さえられていた。京は空《あ 》いた左手で自分の額《ひたい》を押さえ、
「これガツガツ食らって笑ってられたんだからあのボンボンも大したもんだ。教えろよギュエス。あのボンボンの秘密ってのを」
「何故《なぜ》だ? ……何故? そんなことを気にする?」
「大したことじゃねえんだ」
京はわずかに目を逸《そ 》らした。と、横から何かと覗《のぞ》き込んできたモイラ1stに慌《あわ》てて、
「あ、いやな? 何でもねえ、ってか……、あるんだけどよ。……あのな?」
「はい、何でしょう?」
「あー……。あのボンボンの瞳《ひとみ》の色があるだろ? 黄色。あのテュポーンがその色の瞳をするとき、あるよな」
「……ああ、ある。わずかな時間だけだが」
ギュエスが言うと、京は一つの態度を見せた。
安堵《あんど 》したのだ。肩を落とし、息をつき、そして皆を見て、
「いいか? 誰にも言うなよ? ……あたしさ、ぶっちゃけ言うと、まあよく解《わか》らねえんだけど、あの瞳の色は、あたしにとってすげえ大事なんじゃねえかって、そう思ってんだよ」
「どーいうこと? 瞳に色が欲しいなら瞳孔《どうこう》を| 調 色 《ちょうしょく》――、った大姉《おおねえ》ちゃん酷《ひど》いー!!」
連れられていくモイラ3rdを見送ってから、京がこちらを見た。
あのな、と前置きして、
「あのボンボンは、元々、あんな目でずっといたのか? あんな……、力無い目で」
「否、3rd―|G《ギア》が苦戦し、皆が武神化《ぶ しんか 》を始め、――アポルオン様が独りになった頃からだ」
「そっか。……それ以前は、どうだったんだ? あの馬鹿は」
「強い方だった。優しく、王となるべき方だった。だが……、それは断たれた」
「どうして?」
「殺されたのだ。裏切り者の娘と、貴様《き さま》のいるGの者に、……下の武神はそのときのものだ」
「訳《わけ》解らねえな。……アポルオンが殺された? 生きてるじゃねえかよ? あの馬鹿は」
ギュエスは応えない。だが、京は言葉を続けた。
「……つまり、それが呪縛《じゅばく》なんだな? 何かによって生かされて縛《しば》り付けられているんだな? テュポーンを動かし、あの馬鹿をここから出さないようにしている何かに!」
それは、
「アルテミスか!?」
京《みやこ》が叫んだ瞬間《しゅんかん》だ。音が聞こえた。大気の震動《しんどう》とも言える、低い唸《うな》りの音が。
「格納庫《かくのうこ 》の扉が……」
アイガイオンの声に視線で振り向けば、東側の森が明るく照らされている。格納庫の扉が開いていくのだ。そして光の中に身を出すのは、
「アルテミス!」
京の叫び通り、光の女性が表《おもて》へと出ていた。
彼女は踊るように緩やかに身を回しながら、格納庫前の草上に浮き立つ。
顔は泣きそうな表情で、腕は己の身を抱き、髪は風に揺るがせ、そして見上げるのは空だ。
そこには月があった。
アルテミスが口を開いた。叫びの形に、悲鳴の形に。しかし声を放ったのは、
「――――!」
巨大な悲鳴が格納庫から響《ひび》き、その音を追うように白の巨体が身を現した。
テュポーンだ。
息を飲んだ皆の前で、テュポーンがアルテミスの背後に立つ。
六枚|翼《よく》の白い武神《ぶ しん》はアルテミスに手を差し伸べ、その| 掌 《てのひら》に載せた。
空を見る。巨人の瞳《ひとみ》の色は青白く、その目で空を見上げた。夜の空、月の浮かぶ空を。
テュポーンがアルテミスを肩上に乗せ、更に吠《ほ 》えた。
「――――!」
鉄の重声《じゅうせい》とともに、白の巨体は空へと舞い上がった。
後に叩きつけられるのは音と風だ。
「!」
豪《ごう》の風にギュエスは目を手で覆《おお》う。だが、彼女は見た。京が風の中でもこちらの襟首《えりくび》を離さぬまま、夜空を見上げているのを。
風が巻いて雑草の葉が散る空に、今はもう月しか見えない。
京が口を開いた。
「あのテュポーンに、アポルオンは乗ってるのか?」
風音の中の問いが、自分に向けられているとギュエスが判断するまで、数秒が必要だった。
しかし、こちらが答えを放つより早く、京が問うた。
「乗ってるんだな? ギュエス」
「何故《なぜ》だ?」
「何故って、何がだよ? 話が繋《つな》がってねえぞ」
「構うものか。答えろ人間。――何故、テュポーンを重要|視《し 》する」
ああ、と京は夜空を見上げながらつぶやいた。
「――あたしも昔は強かったんだよ。アポルオンと同じでな。そして最近|解《わか》ったのさ。――実は昔も弱くて、今も強いんだってな。それを気づかせたスタートラインはあの瞳《ひとみ》の色さ」
ああ、と京《みやこ》は再び頷《うなず》いた。そういうことなんだよな、とこちらの襟首《えりくび》を放し、
「だからあの瞳が気になる。――どうにかしてやれねえのか、って。余計な御世話《お せ わ 》をよ」
「――――」
ギュエスは思った。
……無念だ。
モイラ1stが言ったように、京の言葉が自分の望みと関連付いていく。
京が気付いているかどうかは不明だが、自分がアポルオンに対する評価と、京が告げた自己評価には同一箇所が認められる。
それは、京にはアポルオンと等しいものがあるということに繋《つな》がる。
「Gや、つき合いの長さなどに関係なく、近しいのか……? 京、お前は」
問いかけに京は視線を返さない。だからギュエスも立ち上がった。京の横に並び、
「行くぞ」
「何だよいきなり、どこにだ馬鹿」
「テュポーンを追う。どうせテュポーンが暴れた場合、押さえるのは我らヘカトンケイルの役目だ。ついでに貴様《き さま》にもその全てを見せてやろう。だから付いてこい。そして――」
頷き、
「それでもまだどうにかしたいと思うならば、私は貴様を信じるとしよう!」
●
月の光の下で、黒の髪が踊っている。
黒の色を踊らせるのは、白の水着|姿《すがた》で波と遊ぶ一人の少女だ。
膝上《ひざうえ》あたりに寄せて返る波を手で払い、身をゆっくりと回しながら、彼女は遊ぶ。その折に黒の髪が揺れ、影になった水《みず》飛沫《しぶき》が胸と下腹を覆《おお》う白い布地や、肌に掛かる。
そして挙がる声は驚きと喜びを含んだものだ。
「あは、――やっぱり夜になると底の方が冷たいね、佐山《さ やま》君」
振り向く視線の先、浜に座っているのは一人の少年、佐山だ。
頭に獏《ばく》を乗せた彼の横には、新庄が脱ぎ捨てた衣服が無造作《む ぞうさ 》に置いてある。
彼は片膝《かたひざ》を立てた姿勢でこちらを見て、
「海はどうかね? 新庄《しんじょう》君」
「うん、来て良かった」
新庄は水に倒れ込む。だが、背が水に当たる、と思うより早く、寄せてきた波が上からかぶってきた。予期せぬ冷たさと水の圧力に沈み、
「――わ」
慌《あわ》てて立ち上がり、甘く濡《ぬ 》れた髪を掻《か 》き上げる。
格好《かっこう》悪いなあ、と思いつつ、佐山《さ やま》の方を見た。身体《からだ》を見せるように腕を浅く広げ、
「……似合ってる、かなあ? 白だと装甲服《そうこうふく》や下着と変わりないかと思ったんだけど」
「安心したまえ新庄《しんじょう》君。水着はジャンルが別だからね。――似合ってるよ」
「変な| 注 釈 《ちゅうしゃく》がなければ凄《すご》く嬉《うれ》しいんだけど……」
新庄は困って浅く身体を抱く。やや肌寒《はだざむ》く感じるのは水を浴びたからだ。
……水に浸《つ》かってる方が寒く感じないんだ……。
不思議《ふ し ぎ 》だな、と思いながら波を手ですくうと、水が砕けて肌にまとわりつく。
「波って、何だか凄く不思議だよね、佐山君。……どういう仕掛けなんだろう」
「潮《しお》の流れや風が水を動かし、それが重なり続けて波の連続となるのだよ」
「意外と雰囲気《ふんい き 》無い話だね……」
だが、言われた内容より、すぐに返事が来たこと自体に新庄は微笑する。
その笑みに佐山の問いが来た。彼は獏《ばく》を浜に首だけ出して埋めながら、
「何か私がおかしいことを言ったかね?」
「ううん。でも佐山君、ホントにああ言えばこう言う人だなあ、って、そう思ったの」
「新庄君に対してだけなのだがね、このような言葉の大盤《おおばん》振る舞いは」
「有《あ 》り難《がと》う。……でも、ボクにだけじゃ駄目《だ め 》だよ」
新庄《しんじょう》は目を細めて言う。
「少し本心《ほんしん》じゃないこと言うけどね。――もしボクがいなくなったとしても、佐山《さ やま》君は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を続けて、言葉を放ち続けてくれなきゃ嫌だよ」
「不吉《ふ きつ》なことだね。……あまりそのようなことを口にしない方がいい」
「どうして? |Low《ロ ウ》―|G《ギア》には言葉を叶《かな》える言霊《ことだま》の概念《がいねん》は無い筈《はず》だけど?」
「だが、私の母は、大事な人に会いに行こうと言って、自分だけが会いに行ったよ」
月光を浴びた彼の顔色は白く見える。
しかし、新庄の目は佐山の右手が左の胸に当てられているのを見た。
……あ。
新庄は、自分の言葉が思いがけぬ方向に行きつつあることを悟る。
新庄は慌《あわ》てて佐山の方へ近寄ろうとする。月光の下で、彼の手を取るため、お互いの顔をよく見て、言葉より先に意思の行き違いを無くすために。
だが波に削られる砂の底は緩く、引く波が足を引っ張った。
その間に佐山の言葉が来る。
「……自動人形の四号君も、自らの死を定義して、それが満たされたときに亡くなった」
左胸に手を当てたまま、佐山はつぶやいた。
「言霊の概念など無いというのに」
「それは――」
違うよ、と新庄は波を越えながら言おうとした。佐山の母のことは解《わか》らない。だが、四号に関する、佐山の思いは、
「きっと違うよ。佐山君、自分独りでいろいろ背負い込もうと……、あ!」
引く波で足下が崩れ、新庄は前に転んだ。
膝下《ひざした》あたりの水深だというのに、波が被《かぶ》ってきて思い切り沈み込む。水底についた手指や肘《ひじ》、膝の周囲を温かい水と砂が尻の方に抜けていき、くすぐったい。
慌てて身体《からだ》を起こして砂底に座った。
「――は」
口の中に入った潮水《しおみず》を吐き捨てる。目に入った水が染みるが、手でこすっても意味はない。
二、三度と髪を振り、水を飛ばしている間に、新しい波が腰のあたりにかかって引く。
そして顔を上げ、まぶたを開いたときだ。
新庄は目の前に佐山が立っていることに気付いた。
……あ。
脛《すね》あたりまで、靴ごと海の中に入ってきた佐山を見上げる。彼はいつもの無表情で、頭に獏《ばく》を乗せたまま、
「大丈夫かね新庄君。石や貝殻《かいがら》もある浜だ。どこか切っていないかね」
「だ、大丈夫だけど、佐山《さ やま》君、ズボンと靴が……」
「構うことはない」
浅く息をつき、
「妙なことをいきなり述べた後だ。君に何かあったらそれこそ大変だからね」
告げられた言葉の意味を新庄《しんじょう》は悟る。
……佐山君にとって、お母さんや四号さんのことは大きなことなんだね。
その考えをやめろ、と言っても、すぐに叶《かな》えられることもないだろう。
だから新庄は手を伸ばした。彼の右手に。いつも左の胸を押さえる手に向かって。
掴《つか》み、浅く引き、
「ずっと一緒にいようね」
反応がくるまでに、数秒が必要だった。だが、確かに佐山は頷《うなず》いた。
無表情を浅い笑みに変え、彼は言う。
「一度言っただけでは、先ほどの言葉と相殺《そうさい》するだけだよ? 新庄君」
「じゃ、じゃあ二度言うよ。――ずっと一緒にいよう。必要なら、三度でも四度でも言うよ」
そうか、と佐山が頷いた。こちらの手を引き、立ち上がらせてくれる。
濡《ぬ 》れたこちらの身体《からだ》を見ているのは怪我《け が 》の有無《う む 》を調べているのだろうか。そのことを有《あ 》り難《がた》いと思いながら、新庄は背後を見る。
そこにあるのは岡山《おかやま》の光だ。もっと向こうには佐山の説明通りならば瀬戸大橋《せ と おおはし》の光がある、その向こうも、そして更に向こうにも、光は続いているだろう。
「……佐山君のお父さんもお母さんも、関西|大震災《だいしんさい》からあの街の光を護《まも》ったんだよね?」
「護ったと言うより、遺《のこ》したと言うべきか。それとも、それすらも出来なかったか、だ」
佐山がゆっくりと息をつきながら、こちらが見ているのと同じ方向に目を向けた。
「父も母もIAIの人間だったのは確かだ。UCATの人間でもあったようだが、正直、私は当時のことをあまり思い出そうという気にならない。いろいろあり、拒否する思いの方が強くてね。だが……、父は祖父とは違っておとなしい人だったように思う」
「…………」
「1995年の関西大震災で、全て区切られてしまったが」
そして佐山は、
「震源地《しんげんち 》はバベルだと御老体《ご ろうたい》は言った。この世のマイナス概念《がいねん》を詰め込んだ遺跡《い せき》の塔《とう》だね。あの夜。父と母は呼集《こしゅう》から救助に向かい、父だけが帰らなかった。二次災害に巻き込まれたと、それだけを母は告げた。実際は……、何があったか解《わか》らないのだが」
「……え?」
佐山の言葉に問い掛けると、彼は一つ頷いた。
「昼に言ったね? 関西大震災について、解らないことがまだまだあると。それはこういうことだよ。……関西|大震災《だいしんさい》の原因は解《わか》った。――だが、マイナス概念《がいねん》活性化の原因は何かと」
「そ、それは偶然とか、まだ知られてない何かがあったんじゃないの?」
「そう。たとえば 軍 もしくはその前身となる組織の介入《かいにゅう》、とかね」
●
佐山《さ やま》の言葉に、新庄《しんじょう》は息を飲んだ。
…… 軍 か、それに似た組織の介入?
もしマイナス概念の活性化が何らかの組織の手によるものだとしたら、
「……それは相手の組織が、マイナス概念を活性化させて、たとえばこの|Low《ロ ウ》―|G《ギア》を滅ぼそうとしたということ?」
そこには戦闘があった筈《はず》だ。そしてマイナス概念が完全活性化していないということは、
「佐山君のお父さん達は、それを止めようとしたということ?」
「確定出来ない。まだ情報が足りないのだよ。――本当にそんな組織があったのかも、戦闘か何かがバベルの周囲であったのかも。――だが」
「だが?」
「一つ面白い情報を出そう。私の父親は、最後の夜にIAIへ仕事だと言って母と出向き、そして未明の災害のために出動して亡くなったのだがね。――つまりあの夜、私の両親は、大震災が起きるより先にUCATに| 召 集 《しょうしゅう》されていたことになる」
一息。彼は右手を左胸に当て、
「記録を調べてみたいものだ。……あの二次災害で死亡した全員は、UCATでどのような仕事をしていたのか。もし実力者ばかりであったならば、彼らを震災《しんさい》直前に召集した理由はどこにあるのだろうね。……無論、偶然にも全員が夜勤であった、ということも出来るが」
「推測、……だよね。まさか、十年前にUCATと反勢力の決戦があったなんて」
うむ、と、目を伏せて彼は告げた。
「やはり情報が足りない。この内容を裏付けるものも、否定するものも。――大体、この推測が当たっていた場合、これほど屈辱《くつじょく》的なことはない」
「? 何で屈辱的なの?」
問うと、彼は目を開け、こちらを見た。真剣な口調で、
「私が|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を行うのは、決戦の際、マイナス概念の活性化を完全に防げなかった親の尻|拭《ぬぐ》いということになる。それに、その決戦には、それこそ本気でLow―Gを潰そうとしていた者達がいただろうから。――そういう連中こそ交渉で屈服《くっぷく》させたいものだね」
「……何だか過激なものを求める方へ頭が行ってるみたいだけど」
「うむ。ただ、これは推測だよ、新庄君。私達はこれから真実を知っていくことだろう。妄想《もうそう》に捉《とら》われ、真実を目の前にしたときに期待|外《はず》れだったなどというようなことは避けるつもりだ。何故《なぜ》なら私は知っているからだ。世界は私のものだが、そこに置かれている真実は私の思い通りのものではないと。――だからこそそれらを思い通りにしたくなるのだがね」
彼は吐息をつく。
「ともあれ、……何があったのか私には解《わか》らぬまま、父は亡くなり、母はあれからふさぎ込むようになってね」
そのもの言いに、新庄《しんじょう》は佐山《さ やま》を見た。
すると、佐山が視線を下げるところだった。海の向こうの光から、こちらへと。
だから新庄は彼と視線を合わせた。思うのは一つだ。佐山がどんな過去に向き合おうとも、
……そばにいるから。
「うん。大丈夫だよ。……ボク、佐山君を見てるし、佐山君に見てもらえるよう頑張るから」
お母さん達に負けないくらいに、とは言わなかった。だからその代わりに、新庄は眼前の無表情に対して口を開いた。彼の感情はもはや今述べた以上のことを語らないが、
「いつか話したくなったら、聞かせてね? 佐山君の話を……」
佐山は確かに会釈《えしゃく》した。そして、彼はためらうことなく、こちらの背に腕を回してきた。濡《ぬ 》れた背肌《せ はだ》にシャツの布地が染み込むような感触《かんしょく》に、新庄は鼓動《こ どう》を跳ね上げる。
「あ、佐山君……! ボク、濡れちゃってるよ!」
「ずっと一緒にいるのではなかったかね?」
返事をするより早く、額《ひたい》に彼の唇が当たった。ややあってから舌が額を舐《な 》め、唇に降りる。
伏せた目の下、口の中に残った潮《しお》を拭《ぬぐ》い取られ、更には悪い気がしない。
は、と息をつくと、佐山が告げた。
「……今日の新庄君は野性|味《み 》ある塩味だね。それに着ているものも透《す 》ける薄着で素晴らしい」
「変な言葉の選び方はやめようよ。……ってか透けてるってどういうことだよっ!」
慌《あわ》てて彼の腕の中で身を反らせて胸を見た。
事実は明確だった。赤くなるこちらの正面で、佐山が、うむ、と言い、
「白い水着を着るときは工夫が要るのだが、……知らなかったのかね」
「全然。だ、だって風見《かざみ 》さんも教えてくれなかったし」
「あの女が着るのは潜水服のような素材の絶対透けないものだろうからね……。それに」
不吉《ふ きつ》な前置きが来た。問うまでもなく首を傾《かし》げると、佐山は浜の方にある脱いだ服を見て、
「新庄君、今更《いまさら》言うのも何だが。着替えの下着は持ってきているのかね?」
「え? 下にこれ着てきたから……」
あ、と新庄は声を挙げた。
「これの上に着たら、外着を早速《さっそく》一枚|潰《つぶ》しちゃうよね……。夕食前に着替えたばかりなのに」
「別に全て脱いで、素肌《す はだ》の上に着ていっても誰も咎《とが》めないと思うがね」
「そんなスカスカなのボクやだよっ」
「そうかね。では、こんなこともあろうかと私が用意しておいた新庄《しんじょう》君の下着を」
「どこから盗んだんだよっ!!」
胸ポケットから手品のように出された下着に叫ぶと、佐山《さ やま》は首を横に振った。
「盗んだのではない。買っておいたのだよ。新庄君にプレゼントしようと」
「もはや興味|本位《ほんい 》で聞くけど、どこで買ったの……?」
「UCATの大《だい》規模|購買部《こうばいぶ 》でだが」
UCAT地上三階のマーケット施設だ。そこのランジェリーブティックで、客である女性職員の視線を浴びながら下着を広げている佐山を新庄は想像した。当然、頭には獏《ばく》を乗せている。
……違和《い わ 》感《かん》がない。
「嫌な想像はそこそこに止めておいて言うけど、でも、よくサイズとか解《わか》ったね」
「ははは簡単だよ。いつも新庄君を抱きしめてはいるからね。祖父|直伝《じきでん》の方法で、店頭のマネキンを手当たり次第《し だい》抱きしめて同じサイズを逆算《ぎゃくさん》しただけのことだ。随分《ずいぶん》と手間が掛かったが、相手にサイズを聞くことなく贈り物をするにはそれが一番だ」
新庄は思う。この男とはもう絶対にUCAT三階を一緒に歩けないな、と。
しかし当の佐山はこちらの肩を抱き、
「さあ、浜に戻ったらこれを贈らせてもらおうか。手で身体《からだ》をよく拭《ぬぐ》った後で新庄君の身に着けさせていただこう」
「言ってる意味がよく解らないよっ! 手で拭うって何? ってか、着させるの?」
「贈るからには最後まで責任をとらねば。他に方法が思いつくかね?」
「……うん、どんな方法で首を絞めたらいいんだろう、って」
ははは、と佐山は小さく笑った。
「今夜の新庄君はとてもおかしく、有《あ 》り難《がた》い人だね」
考え、そして真面目《ま じ め》な顔で、
「――君はとてもおかしたい人だ。新庄君」
「佐山君、今日、昼にボクが言ったこと憶《おぼ》えてる……?」
絞めよう。それこそ今着ている水着の紐《ひも》ではどうか、と、そんなことを考える。
直後、いきなり声が来た。テントのある方から風見《かざみ 》の声で、
「佐山! 新庄! ちょっと大変なの! エロいことしてないわよね!?」
「ははは、これからだよ風見、見ていぐあっ!」
「な、何もしてないよっ。それより何!?」
浜の果て、闇の中から、焦りを帯びた風見の声が響《ひび》く。
「あのね!? ――美影《み かげ》がいなくなったのよ!」
「美影さんが!?」
浜のそばの林から飛び出してきたのは双眼鏡《そうがんきょう》を手にした飛場《ひ ば 》と出雲《いずも》だ。出雲が、
「一《いち》大事じゃねえか!」
「君達の方が一大事だよっ!」
いえ、と叫んだのは飛場《ひ ば 》だ。彼は慌《あわ》てて身体《からだ》を抱き隠したこちらを見て、
「ど、どうして男の新庄先輩《しんじょうせんぱい》が女なんですかっ!?」
面と向かって言われると戸惑うことだ。新庄は説明すべきか考えながら、
「それは、その、話せば長いんだけど」
「まさか、新庄先輩はモロッコあたりでちょっと人体|改造《かいぞう》を……」
ああ、そういう発想に行くかもなあ、と思ったときだ。佐山《さ やま》がこちらの身体を隠すように前に立った。彼はまずこちらに顔を向け、
「誤解《ご かい》を解くために手早く説明した方がいいだろう。――飛場少年、よく聞きたまえ」
「は、はい、何ですか?」
佐山は言った。
「新庄君にも個人の嗜好《し こう》がある。深く察してくれたまえ」
「誤解を解いてないよそれっ!!」
佐山を後ろから蹴《け 》り飛ばし、新庄は叫んだ。
「美影《み かげ》さんを捜さないと!」
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第二十九章
『再会の覚悟』
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迎えに来たよとその人は言う
どこへか
そしてどこからかを告げることなく
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●
月の光を浴びる海の上に、一つの桟橋《さんばし》がある。
岩場から張り出した十メートルほどの短い桟橋だ。岩場の方には人が何とか通れる程度の道が岩を退《の》けて造ってあるが、今時分《いまじ ぶん》にそこを通る人はいない。
桟橋にも船は来ていない。
だが、桟橋の先には人影があった。
杖を抱いて座り込んでいるのは金髪《きんぱつ》の少女、美影《み かげ》だ。
美影は黒の瞳《ひとみ》で月を見上げていた。耳には桟橋に寄せる潮騒《しおさい》が響《ひび》き、髪は潮風《しおかぜ》に揺れる。
『ういい……』
不思議《ふ し ぎ 》。
昔にも海を見たことがある。
『おーおーあっ』
東京湾。
四年前、飛場《ひ ば 》の母が町内会のフクビキという儀式《ぎ しき》で、変な紙切れの束をもらってきたのだ。
「東京トロリーランドのタダ券」
とのことで、まだ杖を使えなかった自分は車|椅子《い す 》を飛場に押してもらい、三人で行った。向こうではほどよく溶けて鳥脚《とりあし》歩行になった二脚《にきゃく》ネズミが、もはや転がることしか出来ないほどに溶けた犬をトゥキックで追い上げていたり、有名アトラクションの六輪タイレル花電車というものに飛場が異常に乗りたがって母親が警備員に通報したりと大騒ぎだった。
あのときを思い出して笑みを得た美影は、しかし視線を落とす。
『うぃ』
海。
かつてトロリーランドの帰りに乗ったユーランセンという船で似たような水の広がりを見たことがある。それはやはり巨大な平たい水で、幾つも浮いている影を飛場は船だと言った。船には武神《ぶ しん》や車と同じように大きさや種類の違うものがたくさんあるのだと。
そして彼はこうも言った。
「どーです? 海って、大きいでしょう?」
確かにそうだと思う。しかし、今、目の前にある海は、あのとき見た海とは大きく違う。
暗闇色《くらやみいろ》の水は段差《だんさ 》をつけて押し寄せて砕け、風は強く、そして、
『あええあい』
帰れない。
あのときは、船が港について、三人で食事をして、電車に乗れば帰れた。
……だけど今は違う。
何故《なぜ》、船が来ないのか。美影《み かげ》には解《わか》らない。
……ここは苦手《にがて 》。
風見《かざみ 》も出雲《いずも》も、嫌いではない。どちらかというと安心出来る方だ。
特に風見は昨晩《さくばん》一緒にいたが、何かあるとすぐに起きたし、それでいてよく話しかけてくるようなこともなかった。特に、少しの会話でこちらが出来ることと出来ないことを解ってくれたのは有《あ 》り難《がた》かった。
……何も出来ないと思う人もいるから。
しかし、と美影は思う。何だかここは居心地《い ごこち 》が悪い、と。
今までずっと飛場《ひ ば 》と二人だけで戦っていたというのに、ここには同じようなことをしている者達が多くいる。
飛場がよくしてくれる幾つかのことが、実は普通に誰でも行うことなのだと気付いたときは、胸のあたりに少し妙な息苦しさを得た。
そして、飛場は彼らに馴染《な じ 》みつつある。
夕食のとき、出雲達と言葉を交わしている飛場を見て、やはり胸のあたりが苦しくなった。
これはどういう苦しさなのか、美影にはよく解らない。問おうにも、上手《うま》く言えない。
対し、彼は言葉を喋《しゃべ》れる。
自分は夕食時、正面にいた大樹《おおき 》という女性とも、隣《となり》にいたシビュレやディアナという女性とも喋れなかった。シビュレはこちらの言葉を読もうとしてくれるが、自分のやり方では、飛場や他の人達のように早いコミニュケーションは取れない。
だからもどかしく、どうでもいいと、言葉を作るのをやめてしまう。
それを自分|勝手《かって 》なことだと思いつつ、しかし自分に対する異質感《い しつかん》は消えない。
かつて、飛場は自分の正体をなるべく明かさないように、と言った。人に進化出来ない内は、危険だと。そしてこうも言った。
「僕達は危険な力を持っていますから」
違う、と美影は思う。破壊《は かい》兵器である神砕雷《ケラヴノス》を持っているのは自分だ、と。
『……いえん』
危険。
その意味は解る。飛場の祖父によれば、六十年前、3rd―|G《ギア》の王を滅ぼす際、決め手となったのが神砕雷《ケラヴノス》だと言う。ゼウスを倒すために初めて神砕雷《ケラヴノス》が召喚《しょうかん》されたのだと。
当時の記憶《き おく》はないが、神砕雷《ケラヴノス》の形状はまだ槍《やり》が一本であったとか。今は三本なのは、
……私が進化したから。
破壊兵器としての性能が上がった。
そして今、飛場は言う、僕達は危険な力を持っている、と。
彼は気付いていない。
……危険なのは私だけだということに。
ただ飛場《ひ ば 》は扱っているだけなのだと。そしてだからこそ、
……負けて欲しくない。
だが、それも終わりそうだ。昼の模擬戦《も ぎ せん》で、飛場が負けることもあるのだと知った。
『あえあっあ』
負けちゃった。
正直、未だに信じられないことだ。飛場が負けたということは、もし実戦だったならば自分達の死を意味するとともに、
……竜司《りゅうじ》君が私に嘘《うそ》をついてたことになる……。
出来れば油断《ゆ だん》であって欲しい、と、そう思うと同時、記憶《き おく》に一つの光景が来る。
テュポーンだ。
二度|遭遇《そうぐう》し、そして二度とも妙な技を使われて圧倒された。こちらが勝利を焦っているかのように、向こうは悠然《ゆうぜん》と瞬間《しゅんかん》移動のような技を用いて回避《かいひ 》し、攻撃を仕掛けてくる。
破壊《は かい》兵器である自分の力が、あの武神《ぶ しん》には当たらないのだ。
どうやって勝てばいいのか、美影《み かげ》には解《わか》らない。
負ければ死ぬ。
『おあい』
終わり。
終わりだね、と美影は夜空を見上げた。今まで何度も見た月がそこにある。
終わりだよ、と美影は月につぶやいた。
今まで飛場に言えぬことを何度もつぶやき送った相手だ。嫌な夢を見て朝方に目覚めたとき、カーテンにくるまりながら朝の月に言葉を送ることがある。
『あえあいお……』
勝てないよ。
テュポーンは強く、飛場は負けるときもあり、自分は破壊兵器でしかない。
……進化なんかしなくていいから。
飛場が負けるのはもう見たくない。彼が死ぬところなど、今まで想像もしたことがなかったのに、それはどういうことなのかと想像しようとする自分がいて、
……嫌。
美影はうつむいた。
桟橋《さんばし》の上、月の下、風と潮騒《しおさい》の中で、彼女は杖を抱き、身を震わせた。
声をたてずに美影は泣く。
だが、美影の震えを消すものがいきなり来た。それは、
「……!」
耳に聞こえたのは海の鳴き声を消す轟音《ごうおん》。
上げた顔を打つのは壁のような圧《あつ》を持った風で、目が見るのは夜の闇ではない。
いきなりの風の中、正面にあるのは白の巨躯《きょく 》。
テュポーンだ。
●
美影《み かげ》は目を見開いた。
……何……? 何でテュポーンが。
自問の答えは自分で作ることが出来る。神砕雷《ケラヴノス》の中にある概念核《がいねんかく》だ。人間に進化していく自分には無い機能だが、テュポーンは概念核の出す力を察知出来るらしい。
ここは敵地の鼻先だ。察知は容易なものだろう。
そのことに気付いて息を飲んだ眼前。白の武神《ぶ しん》が、展開した六枚|翼《よく》から陽炎《かげろう》を噴《ふ 》きながら海に立つ。海の波が重力|制御《せいぎょ》で固定され、その上にテュポーンの細い足先が突き立った。
顔面《がんめん》構造体の青白い視覚|素子《そ し 》がこちらを見下ろしていた。
見られている。
美影は杖を抱え、身を後ろに仰《の》け反《ぞ 》らせ、しかし、
「――――」
腰と背をよじらせ、桟橋《さんばし》の粗いコンクリートの上を海の方へと仰向《あおむ 》けに這《は 》った。
だが遅い。
頭上から金属音が響《ひび》く。テュポーンの肩上にある二本の剣の柄《つか》が、鞘《さや》から自動で抜けたのだ。
テュポーンが両手を上に伸ばし、それぞれの柄を握る。
そのまま前へと柄を引き放てば、上段からの双撃《そうげき》がこちらにぶつけられる。
だからテュポーンはそうした。
「……!」
テュポーンは剣を振り下ろしながら叫ぶ。女性の悲鳴のような声を。
その声に乗って迫る二つの銀弧《ぎんこ 》を見つつ、美影は誰かの名を呼ぼうとした。
だが、声は出ない。
……やっぱり……。
ここで終わるのだろうか。
そう思ったとき、振り下ろされた鋼《はがね》の威力《いりょく》が桟橋に達した。
美影は自分の身体《からだ》が夜空に舞ったのを悟る。
しかし、妙なことが一つあった。桟橋のコンクリートの砕ける音が、吹っ飛ばされた後に響いてきたのだ。
どういうことだ、と思うなり、身体が急速に落下した。
そして美影《み かげ》は見た。桟橋《さんばし》の上に、二人の少年がいるのを。
「――!?」
それは佐山《さ やま》と飛場《ひ ば 》だった。
●
飛場は全てに構わず動いていた。
美影を見つけたのは佐山だったが、先に辿《たど》り着いたのは自分だ。
桟橋にはこちらに背を向けて這《は 》う美影がおり、桟橋左側の海にテュポーンがいる。
美影を救うために狙うのは一瞬《いっしゅん》という時間そのものだ。
テュポーンの両腕が柄《つか》に向かって振り上げられたとき、その腕がわずかにテュポーンの視界を狭める。副《ふく》視覚|素子《そ し 》で周囲を見ることは可能だが、認識率《にんしきりつ》は落ちるだろう。
それによって生まれる死角ぎりぎりに飛び込み、注意を引く。テュポーンに一瞬でも隙《すき》を生むことが出来れば、美影を救う手段に繋《つな》がるだろう。
……急げ。
思った瞬間《しゅんかん》、飛場はオーバーアクションで飛び出した。主《しゅ》視覚素子の視界ぎりぎりを行くよう、桟橋の左|縁《へり》を跳ねるように走り出す。
速攻《そっこう》だ。
あとはテュポーンの副視覚素子が、認識率の低い目でこちらを捉《とら》えるかどうか。もし捉えたならば確認の必要性を得る筈《はず》だ。
そしてその通りになった。
テュポーンの動きが一瞬乱れ、手前の剣がこちらを狙った。
だが、奥の一本がまだ美影を狙っていた。
向こうは二刀だ。自分一人では美影を護《まも》ることは出来ない。
「――!」
テュポーンの剣が振り下ろされる。
その直前だった。背後から声が来た。
「私の番か」
言葉とともに、後ろから佐山が飛び出した。それも既にテュポーンの攻撃は開始されているというのに、彼は迷い無く前に出たのだ。
……恐れはないんですか?
打ち合わせなどしていない。そんな暇《ひま》は許されなかったのだ。
後ろの佐山が何とかしてくれればいいかと思っていたが、
……そうなればいいな、と思っていただけで……。
だが、佐山はこちらの速度についてきて、こちらの意図を理解していた。
一体何だろうか。今、腹の奥に生まれている、この脅威《きょうい》の固さにも似た震えのようなものは。
思いを巡らせる飛場《ひ ば 》の眼前で、佐山《さ やま》が動いていた。
佐山は美影《み かげ》に辿《たど》り着き、そして迷いも遅れもしなかった。自分ならば美影を抱き起こし、背後から胸でも揉《も 》みながら抱えて回避《かいひ 》運動に入るところを、
「!」
美影の横腹《よこはら》に、彼は走る右|脚《あし》の脛《すね》を当て、一瞬《いっしゅん》で力を込めた。彼女の背を蹴《け 》り飛ばすのではなく、爪先《つまさき》から上へと力を込め、脚で拾い上げる動きだ。
まるですくい上げるように美影の身体《からだ》が宙に飛んだ。桟橋《さんばし》の右へ。テュポーンとは逆の海へ。
桟橋を挟んだ海に落ちればテュポーンも容易に手は出せなくなる。美影は泳げないが、救い出す時間は充分に得られる筈《はず》だ。
見れば佐山は、美影を飛ばした脚を前に大きなストライドとして跳躍《ちょうやく》。彼は二本の剣の向こうへと身を走らせる。
同じように自分も身を捻《ひね》り、しかしテュポーンの注意をひくため、剣と剣の間に入る。
剣撃《けんげき》が桟橋を砕く轟音《ごうおん》がステレオで響《ひび》いた。
直後。足下から噴《ふ 》き上がるコンクリートの破片を手で払いながら、飛場は更に身を捻って背後に戻る。佐山と距離をとって分かれれば、今後はテュポーンの注意を二分出来る。
そんな戦術を考え、飛場は一つの事実を思う。
……どうして、話し合ってもいないのに、彼を含めた戦術が確信出来るんだろう。
「……不思議《ふ し ぎ 》だ」
打ち合わせもしていないのにどうしてだろうか、と思うなり、テュポーンが動作した。
剣戟ではない。テュポーンはいきなり背の翼《つばさ》の基部を展開したのだ。
背からせり出たのは八本の砲身《ほうしん》だ。既に内部からは光が幾《いく》つも漏れ始めている。
飛場は光の正体を知っている。だから叫んだ、ここからは見えぬ佐山に向かって。
「――きっと3rd―|G《ギア》の飛び道具です! おそらく追尾性《ついび せい》があります!」
他の武神《ぶ しん》でもっと小型のものを見たことがある。テュポーンにも装備されていたのだ。
……武装は剣だけじゃなかったのか!?
見えるのは青白い光だ。テュポーンの目にあるのと同じ、月光の光だ。
飛場は動く。荒帝《すさみかど》ならば反応《はんのう》速度の向上と背翼《はいよく》による加速があるので回避出来るが、
……僕一人ではどうなる……?
問うた瞬間《しゅんかん》。光が来た。
テュポーンの吠声《ほうせい》とともに、背から翼の延長のような光が発される。
夜空に飛んだ青の光は合計三十二本。それらは瞬時《しゅんじ》にうねり、旋回《せんかい》し、交差をして軌道《き どう》を変えながら、こちらに来た。
こちらの背後に、だ。
「――え?」
大きなバックステップを踏んだ飛場《ひ ば 》は、宙において背後を見る。
視覚が見るのは、テュポーンがいるのとは逆の、桟橋《さんばし》右側の海だ。
そこに巨大な影が出現していた。
黒の武神《ぶ しん》。荒帝《すさみかど》だ。
「……美影《み かげ》さん!」
飛場が叫んだと同時。全ての光が荒帝に激突《げきとつ》した。
●
テュポーンの背の光を見たときに、海に浮かぶ美影は全てを判断していた。
……竜司《りゅうじ》君がまた負ける……。
今は昼とは違う。自分が手助けしてもいい戦場だ。
では、何もかも不自由な自分が足手まといにならずに救《たす》ける方法とは何か。
……囮《おとり》になること。
荒帝を呼び出せばそれでいい。テュポーンは目についた獲物《え もの》に飛びつくようだから、その鼻先に宿敵《しゅくてき》が現れれば射撃《しゃげき》目標を設定し直すだろう。
荒帝。
嫌いな力だ。自分を護《まも》り支える力だが、破壊《は かい》兵器であることに違いはない。飛場は自分が人間に進化することを求めているが、美影はこうも思っている。
……私の進化に合わせて、荒帝が強化されているのだとしたら?
荒帝の設計ベースは、3rd―|G《ギア》に乗り込んできた飛場の祖父の武神《ぶ しん》だ。
荒帝を作り上げたのはゼウスに幽閉《ゆうへい》された父王《ちちおう》クロノスだった。
そしてゼウスを倒すとき、神砕雷《ケラヴノス》の槍《やり》は一本だったという。
だが、今は三連槍《さんれんそう》だ。
……これが進化だとしたら、嫌だなあ……。
思う内に、背に熱いものが来た。荒帝が召喚《しょうかん》されるのだ。
初めに来るのはこちらを飲み込む準備として発される重力|制御《せいぎょ》の幕だ。それは海に浮いているこちらを、水から切り離して引き揚げる。姿勢は同化する操縦室《そうじゅうしつ》内部の形状と同じ、軽く膝《ひざ》を前に出し、浅く腕を広げたようなものだ。
次に、背後に胴体《どうたい》部フレームが現れる。これは一瞬《いっしゅん》だ。そして内臓|器官《き かん》や神経系の代役となる機械組織もフレーム周囲に来るが、これもほとんど同時といえる合一《ごういつ》を行う。
続いて四肢《し し 》のフレームと神経系。人工《じんこう》筋肉と駆動《く どう》部が現れ、それらを止めるボルトがサイズ違いで数万という数で来る。
全てが合致して装甲《そうこう》に包まれれば、荒帝の完成だ。
だが、開いた副操縦室《ふくそうじゅうしつ》に美影《み かげ》は入らない。
飛場《ひ ば 》がいないのだから入っても意味はない。自分は荒帝《すさみかど》をほとんど動かせないのだから。
浅く腕を広げた荒帝が自動|防御《ぼうぎょ》行動に入る。こちらの意思とは関係無しに、制御システムが危険を察知《さっち 》して最低限の防御行動を取る。
対象《たいしょう》は飛来《ひ らい》する光だ。
飛場の声が聞こえた。
「……美影さん!」
大丈夫、と美影は答えようとして声が出ない。
視界の中、中央に光を発したテュポーンを置き、左に飛場、右に佐山《さ やま》がいる。
見ている限り、二人は息を合わせて動いていた。自分と同じく、言葉を交わさずに。
……だから大丈夫。
きっと竜司《りゅうじ》君は私がいなくてもやっていけるから。
五年前、初めて荒帝を召喚《しょうかん》してから、こんなときが来るんじゃないかと思っていた。飛場が自分無しでも戦おうとして、戦えるときが。
……何しろ私は破壊《は かい》兵器だから。そんな力しかないから。
今、飛場と共にいる彼らのように、動くことも、話すことも、託すことも出来ない。
だから、美影は目を閉じた。
●
三十二|連《れん》の光が黒の武神《ぶ しん》に叩き込まれるのを、佐山は見た。
水《みず》飛沫《しぶき》が上がり、黒の装甲《そうこう》が砕けた。初めに上がった水飛沫でわずかに減衰《げんすい》したのか、数発以降は砕くと言うより殴るような打撃だ。
だが黒の武神は吹き飛んだ。
右足|装甲《そうこう》が大きく割れ、内部の駆動系《く どうけい》までが見えていた。他、多く破損《は そん》はあるだろうが、仰《の》け反《ぞ 》り海に落ちた荒帝は瞬時《しゅんじ》に消えたので判別出来ない。
海に残ったのは、飛沫の落ちる波紋《は もん》と、揺れた波と、
「美影さん……!」
飛場の声の通り、美影の白いワンピースが波に揺れている。そして、
「気を抜くな飛場少年!」
頭上に剣が来ていた。テュポーンの巨大な剣だ。武神の刃《やいば》というものはこれほどのものかと佐山は思う。だが、
……未熟な一刀だ。
先ほどの攻撃もそうだったが、力を目先の相手にぶつけるような戦い方だ。概念核《がいねんかく》を有しているならばそれこそ出力は無尽蔵《む じんぞう》だろう。上手《うま》く使えばファブニール改のように高速で立ち回り続けることも出来るというのに。
……何故《なぜ》だ。
テュポーンは3rd―|G《ギア》のゼウスの息子《むすこ》、アポルオンが乗る機体だという。アポルオンは死んだ筈《はず》だと四号や八号に聞かされているが、
「それが、テュポーンの攻撃は未熟という説明になるのか?」
佐山《さ やま》は身を捻《ひね》るだけで剣を回避《かいひ 》した。刃《やいば》がほとんど垂直に落ちてくるので見切りやすい。その刃はコンクリートを砕くが、ただそれだけのことだ。が、
「飛場《ひ ば 》少年!」
海に身を向け、飛び込もうとしている彼は自分の頭上に降る刃を見ていない。
だが、飛場を狙ったテュポーンの動きを止めるものがあった。
それは声だ。夜空から響《ひび》いた女性の声が、
「アポルオン!!」
言葉に、佐山はテュポーンが震え、攻撃の手を止めたのを見る。
……どういうことだ。
思う視界の中で、二つの動きが起きる。
一つは飛場が海に飛び込んだこと。
もう一つは、桟橋《さんばし》に新しい武神《ぶ しん》が降り立ったことだ。
その武神は赤い姿をしていた。両腕は無く、代わりに六本の剣が吊《つる》されたように宙に浮いている。そして赤の武神の首の両横には、
「ギュエス……!?」
こちらの声に振り向いたのは二人だった。赤いスーツを着たギュエスと、自い衣服をまとった黒髪《くろかみ》の女性だ。
眉をひそめるこちらを、彼女達は確かに見た。しかし、黒髪の女性はすぐに視線をテュポーンに向ける。
強い視線だな、と佐山は思う。まるで何かを確かめに来たようだ、と。
……覚悟《かくご 》を決めた目だ。
果たしてテュポーンは、彼女の視線に抗《こう》せなかった。
「……!」
瞬間《しゅんかん》的な動きで二本の剣が持ち上げられ、しかし鞘《さや》に収められなかった。
テュポーンは両の拳《こぶし》で顔を覆《おお》ったのだ。
佐山は聞く、テュポーンの叫びを。
あ、という声から始まる叫びは、男性の、何か感情が入った声だ。苦悶《く もん》か| 憤 《いきどお》りか。
「――!」
次の瞬間、風が爆発した。
テュポーンが宙に拾い上げた二剣《に けん》とともに空に舞い上がる。
その速度は、佐山《さ やま》の目でも、テュポーンを白の残像《ざんぞう》としか確認出来ぬほどのものだ。
そして続くように赤の武神《ぶ しん》が舞い上がる。こちらはゆっくりと、まるで翼《つばさ》を打ち振るように。
飛んだ。
赤の武神は、空に舞うと高速で上昇を掛ける。テュポーンを追うように、天上の月にでも行くかのように。
佐山は赤の武神の影が見えなくなってから、ようやく視線を下げた。
「……後に残ったのは」
砕かれた桟橋《さんばし》と、海の中で美影《み かげ》を抱きかかえた飛場《ひ ば 》だけだ。
岩場の方からマグライトの光が何本も急いで向かってくる。聞こえる声はこちらの名を呼ぶ新庄《しんじょう》と風見《かざみ 》の声だ。出雲《いずも》の声はこちらを馬鹿|呼《よ 》ばわりしているので無視にとどめる。
見える光が増え、声が増えることに佐山は吐息した。
「遅すぎる、か」
それとも、と佐山は海を見た。海面は月下の陰影《いんえい》と波の揺れによって、飛場が美影を抱きかかえている姿はよく見えない。ただ、彼が何かを叫んでいるのは解《わか》った。
そんな光景を見て、佐山は静かにつぶやいた。
「否。……いい頃合《ころあ 》いなのかもしれんな」
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第三十章
『暴きの激突』
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一つ言うために二つ言う
二つ言うために三つ言う
だが三つ言う前に喋らせるな
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●
闇の中に形をもった光が幾つもある。
光の形は高さ二メートルほどの三角|錐《すい》や、立方体だ。
それはテントの光だった。海に近い林の中に十数のテントがある。
と、テントの一つが割れた。医務用、と書かれたカードが下がった白いテントだった。正面側が割れ、差す光とともに中から出てくるのは二つの人影。一人はショートカットの少女で、もう一人は黒髪《くろかみ》を後ろでまとめた小柄《こ がら》な女性だ。
少女はテントを後ろ手に閉めて一息をつく。左に並ぶ女性は| 懐 《ふところ》から煙草《たばこ》を出し、
「各部|擦過傷《さっかしょう》、切傷《きりきず》、右足に裂傷《れっしょう》と打撲《だ ぼく》、通常ならば全治《ぜんち 》二週聞。別に大した外傷《がいしょう》じゃないさね。だからアンタが心配する理屈なんざないさ、風見《かざみ 》」
「でも趙《ちょう》先生……」
「大丈夫さ、これ以上はないくらいに施《ほどこ》した。シビュレもついててくれるしね」
趙は白衣《はくい 》から出した男物のライターで煙草に火を付ける。ガスの匂《にお》いと、吸気による火の灯《あか》りが生まれ、
「――戦場に連れてく頃にゃあ怪我《け が 》が治ってるようにしてやるよ。ただ、あの子が人間であるならば、だけど」
「どうですか? 美影《み かげ》は……」
「まあ、人間だろうね。確かに身体《しんたい》の一部はまだ機械と同様さ。それが人体《じんたい》組織と融合《ゆうごう》しているようなもんだから機械に見える。……実際は、切り離せない義体《ぎ たい》のようなもんさね、現状」
趙は即答《そくとう》した。人間だろうね、という言葉に、風見が驚きの形に眉を上げ、
「じゃあ、ホントに美影は自動人形じゃなく……」
「その判断は早計《そうけい》だよ風見。早計、早計だ」
趙は言う。煙草の吸い口を唇でつまむと、一瞬《いっしゅん》で火が根本《ね もと》まで移動した。
趙は長大な吸《す 》い殻《がら》を懐から出した携帯吸い殻入れに落とし、口を開く。
すると口から大量の煙が出た。趙は自らの口に含んでいた膨大《ぼうだい》な煙に沈みながら、
「ああ目に染みる。仕事の後はこれやらんと刺激を忘れるね」
「趙先生……、こんなとこで一人|雑伎団《ざつぎ だん》しなくていいから」
「ああ。ちょっと煙臭《けむりくさ》いけど我慢しな。――しかしいいかい風見。私の本国でも、この小国《しょうこく》でもこういうもんさね。病は気から。……同じさね。体調も、体格も、成長も、性格も、全ては気ってもんさ」
「じゃあ美影は……」
「人に進化する自動人形のボディを持った人間。あの子はその唯一《ゆいいつ》の完成形さ。――つまり、己の定義をする権利は、制作者と親がいない今、あの子にだけ認められる。そして美影本人は自分を人形だと定義してる。その原因はどこにある?」
え? と風見《かざみ 》は首を前に傾《かし》げた。
……参ったわね。
あまり他人のことや心情《しんじょう》関係は得意じゃないと思ってる。だが、やや考えて、
「原因は、進化出来ないことですか? つまり、人になれていないから自分は人形だと」
「はは、いい感じで甘いとこつくもんだね風見。そうとも言えるしそうとも言えない。――これはきっと問題が、あー、何て言うんだっけか? スパ、ス、スー、スイラルパだ!」
「スパイラル……」
「アンタ今《いま》四千年の歴史を馬鹿にしたね!?」
「飛躍のマッハ逆ギレはやめて下さい。……でも、どういうことなんです?」
「ああ、簡単だよ。進化出来ない原因を勝手に決めて、自分を進化出来なくさせてるのさ」
「……え?」
「美影《み かげ》の進化を止めてる原因となる力って、何さね」
趙《ちょう》の問いに、今度は即答《そくとう》出来た。風見は眉をひそめながらも、
「そりゃ当然、荒帝《すさみかど》や神砕雷《ケラヴノス》っていう破壊《は かい》兵器でしょう? 兵器としての進化が怖いから……」
「馬鹿だねアンタは。――あれは美影の一部だよ。美影の進化に合わせてその力を強化する。美影が人になったって消えて無くなるわけがあるものかい。美影の身体《からだ》だって自動人形の身体から人間のものに置き換わっているだけさね。いいかい? 置き換わるだけさ。消えてはいないんだ。美影が進化すれば荒帝も強化されて当然なのさ」
「……じゃ、じゃあ」
風見は考えて、
「残りの概念核《がいねんかく》が足りないから進化が止まってるってのは?」
「それもハズレさね。孫飛場《まごひ ば 》も薄々《うすうす》気付いてるだろうさ。あとで佐山《さ やま》にでも聞いてみな」
「――じゃあ何です? 美影の進化を止めてるのは」
「言ったろ? 気さ」
と、背後のテントのその向こうから妙な音が聞こえ始めた。風見は、話の妨《さまた》げだと思いつつもちらりとそちらを見て、
「趙先生、あの打撲音《だ ぼくおん》は?」
「ああ、さっき四吉《よんきち》が抜け駆けで美影の付き添いになろうとしたから他の三人が」
「そっか。――じゃ、話|戻《もど》しますけど、何です? 気って」
「気は気だよ」
「……よくは考えてないんですね?」
「アンタ最近|生意気《なまい き 》になってきたんじゃない? 年取った女ナメんじゃないよ。いいさね? さっき言ったスイパラルってののことだけど」
風見《かざみ 》はもはや訂正しないことにした。ふんふん、と頷《うなず》いてみせると、趙《ちょう》は新しい煙草《たばこ》を| 懐 《ふところ》から出した。それを口にくわえ、
「たとえば病気の人間がいるとする。病気でいる間は病院に入っていられて、心配されて、治療の手間とかあるけど、治してもらえるっていう安堵《あんど 》が出来る。――だけど、もし病気が治ったとしたら?」
「嬉《うれ》しいんじゃ、ないですか?」
「そうだろうね。でも、病院の外で待っていて抱きしめてくれた人も、翌日《よくじつ》には元通りの関係さね。だからこういう考え方をするヤツもいるんだよ。――ああ、心配されていた方が良かった、って。……ハイ、趙|姉《ねえ》さんの講義はここまでさね! 答え言ってみな!」
「姉さんは無理があるかと思うんで姐《ねえ》さんくらいがいいかと……」
「そりゃアンタの個人的意見さねっ」
どっちがだろうなあ、と風見は思いつつ頭を掻《か 》いた。
つまり、趙が言いたいのはこういうことだ。
「美影《み かげ》は、……人になるのが怖いんですね。物心《ものごころ》ついたときから自動人形で、今は戦うことと密接していて、ずっと本来の人としての生活が無いから。だから自分が自動人形でいた方が安堵出来る。今の生活が無くなって、全て未知となる人間に進化するよりも」
吐息。
「人になったら、生活も自動人形から人のものに置き換わるんですね。進歩じゃなくて進化として。……でも人間になったときの得よりも、今のままで、飛場《ひ ば 》がいる生活で充分だろうし」
「そうさね。若い男をはべらせコキ使う方がいいに決まってる」
「価値観《か ち かん》の違いと語弊《ご へい》がありますけど、趙先生はあの老人|四《よん》兄弟は嫌ですか?」
問いかけと同時に、背後の打撲音《だ ぼくおん》が静まった。
すると趙が苦笑して、
「あれは掛け替えのない連中さ」
言うなり、また打撲音が再開する。その音を自然な環境|音《おん》として背後に置き、風見は思う。
……きっと、周囲の人達が優しいんだろうな。美影が遠慮《えんりょ》するほどに。
美影は馬鹿だ。
飛場は、アンタのそばにいるときもそうじゃないときもあまり変わらないのに。
でもあの少年は私達といるときもよく美影の話をする。心配するのではなく、楽しい話を。
「それが答えよきっと。……でも、よく我《わ 》が儘《まま》に育たなかったものだわ」
自分を抑えるようにしているのも問題だけど、自分に子供が出来たときの躾《しつけ》の見本になるだろうか。飛場、いや、彼の母親に今度話を聞いてみたいものだ。
……うちの親じゃあ話にならんしな。
「風見、アンタ今、関係ないこと考えてないかね?」
「え? いえ別に、美影《み かげ》に関係したこと考えてますよ? 遠《えん》距離ですけど」
「そうかね。……でも、美影をここに連れてきたのは失敗だったかもしれないさ。美影がここで見た飛場《ひ ば 》は、自分が人になったときに自分の束縛《そくばく》から離れた飛場だからね。……もはや自由に戦いを選び、負けることが出来、そして自分以外の者を選べる飛場さ」
趙《ちょう》の言葉に、風見《かざみ 》はテュポーンと佐山《さ やま》達が会ったときのことを思い出した。佐山の話では美影は囮《おとり》として荒帝《すさみかど》を呼びだしたという。それは判断としては有りかもしれないが、
……飛場|抜《ぬ 》きで荒帝を呼びだしたというのは……。
「もはや人である飛場を選ばず、自分の進化を止めていると思う荒帝を呼んだ、……か」
背後のテントには動きがない。美影は治療用の符《ふ 》と包帯《ほうたい》で固められて鎮痛剤《ちんつうざい》で眠っているが、シビュレが付き添っているので安堵《あんど 》は出来る。
と、横の趙がまた煙草《たばこ》に火を付けた。一瞬《いっしゅん》だけ彼女の顔が見えた。眉を詰めた険《けん》の顔が。
そして煙を影として吐き、趙が告げる。それも小声で、だ。
「――一ついいこと教えてやるさね、風見。日本UCATはさっきのテュポーンと赤の武神《ぶ しん》の軌跡《き せき》から、3rd―|G《ギア》の本拠地《ほんきょち 》を割り出しつつある。そして各国UCATはこのように求めてきたんさ。3rd―Gの残党《ざんとう》を駆逐《く ちく》しろ、と」
「……各国UCATが、どうしてそんな口出しを? ってか、どうして趙先生がそれを?」
「後の質問には後で答えてやるさね。だからまずは先の質問だが、その答えは簡単さね。3rd―Gには過去の悪い話がつきまとってる。だから他Gの面子《めんつ》を立てるためにも、3rd―Gには交渉を行う価値《か ち 》もないと認め、駆逐《く ちく》したことにする。それによって3rd―Gは全Gの下となり、過去の因縁《いんねん》は払拭《ふっしょく》される」
苦笑。
「そこそこスジ通ってるように聞こえるけどね。これは|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を潰そうとしてるんさね。日本UCATに全て持っていかれないように。――だからいいかい?」
「は、はい」
慌《あわ》てて頷《うなず》くこちらに対して、趙は笑みを見せた。
「うろたえるな。3rdだって馬鹿じゃない。自分達の居《い 》場所が知られれば全Gの恨みが集中するってのは解《わか》ってる筈《はず》さね。既に1stと一度|友好《ゆうこう》的にいこうとして報復《ほうふく》部隊を送られたくらいさ。だからこそ、そうなった場合の逃げ場は一つさ。その逃げ場の名を言って御覧《ご らん》?」
「|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》……?」
解る。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は全てのGの枠を超えて並列にしようという交渉だ。
趙は頷き、煙を吐く。
「一度アンタらは3rdとぶつかってる。そのときに布石《ふ せき》が打てていれば、3rdは危険を感じたときに接触をとりに来る。自分らを|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の枠に入れてくれ、と。――もちろんそんな言い方じゃないだろうけどね。だから風見、あの馬鹿は?」
「佐山《さ やま》ですね? 佐山だったら、飛場《ひ ば 》と話をしに浜に出てます」
口元に笑みが生まれる。そうだ、あの馬鹿はきっとそのあたりが解《わか》っている。
何故《なぜ》ならば、
「飛場が知っている、3rd―|G《ギア》の第二の穢《けが》れってのを聞き出すために。……|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》をする際、それが一番の障害になるんだそうで」
「そうかね。どうせ3rd―Gの行い自体が相当なもんだが、まあ、7th―Gも似たようなことやってたしね。その上行くくらいのものが無いと面白くないさ」
趙《ちょう》の言葉に、風見《かざみ 》は振り返った。
「7th―G……?」
「大したことじゃないさね。アンタ達が今日見た資料じゃあ、まだ読めなかっただろうさ。護国課《ご こくか 》時代だけの資料じゃあね」
「――――」
「護国課の後さ。旧UCAT、まだ世界各国のUCATが完全に組織だってなかった頃、あの日本UCATこそが世界の中心のUCATと言って良かったんさ。規模や資金では米国や欧州に負けてたがね。しかし……、その旧《きゅう》UCATには各Gの調査、戦闘を担当する者がいた。護国課時代にいた六人から新庄《しんじょう》が抜けて五人となったところに、中東、米国、中国のUCATから一人ずつ馬鹿が来た。この八人を八大竜王《はちだいりゅうおう》と呼ぶ」
苦笑。
「私が当時持ってた中国UCATとの線はまだ生きてる。さっきの話もそっち経由さね。ここだけの話、よくお聞き、――八大竜王が一人、7th―G担当の趙・青《せい》とは私のことさ」
●
佐山は月下の浜辺で飛場と向かい合っていた。
さて、と佐山は言った。潮風《しおかぜ》に対して前髪《まえがみ》を掻《か 》き上げながら、
「いろいろあったが、そろそろ答えを出したまえ、飛場少年」
「答えって、何ですか?」
「私達と行動を共にするか、だ」
言葉に対して、飛場が表情を変えた。眉をひそめ、目を逸《そ 》らし、
「それどころじゃあないでしょう? 美影《み かげ》さんがあんな状態で――」
「だが3rd―Gが動いた今、おそらく他の者達も動き出す。たとえ美影君が負傷していたとしても世界は私を中心に回る。違うかね?」
「ええと、どこから違うと言っていいのか……」
「全部間違っていた場合、それは逆意《ぎゃくい》で本当ということだよ、飛場少年」
佐山は無表情に言う。
「いい機会ではないかね? 3rd―|G《ギア》の第二の穢《けが》れも話し、我々と行動を共にしては?」
「そんな。僕が今まで戦っていたのは――」
「美影《み かげ》君を護《まも》り、進化を促《うなが》すためかね? 概念核《がいねんかく》を得れば美影君は人になれると?」
佐山《さ やま》は飛場《ひ ば 》を見る。月光の下で眉をひそめた彼の顔は、しかし、
……作り物のようだな。
ならば崩しておこう、と佐山は思う。頭の上の獏《ばく》と共に右手で飛場を指さし、
「君は彼女の未《み 》進化を概念のせいにしている」
「どういうことですか? 神砕雷《ケラヴノス》には概念核が半分だけ搭載《とうさい》されていて……」
「話に聞いただけで申し訳ないが、質問を差し挟もう」
佐山は飛場を指さしていた右手を振った。シャツの肩に音をたて、右腕を掲げる。
「ここに搭載されるという神砕雷《ケラヴノス》。その機構《き こう》部分|自体《じ たい》は美影君の一部ということが出来るかもしれん。が、その杭芯《くいしん》部分、概念核の半割れ自体は美影君の所有する概念空間にあるが、美影君の身体《からだ》の一部なのだろうか」
「それは――」
気付いているな、と佐山は思う。要は単純な話だ。
「身体の一部というならばそれこそファブニール改やテュポーンと同じように動力|炉《ろ 》とでもなっていなければならん。だが神砕雷《ケラヴノス》は単なる弾核《だんかく》だ。もし残り半分を回収したとしても……」
失笑を見せつけ、
「神砕雷《ケラヴノス》の杭芯部が強化されるだけだ。――美影君は更に破壊《は かい》兵器になる」
言葉に、飛場が眉をかすかに歪《ゆが》めた。
その表情を見ながら、解《わか》ることが一つある。
……この幸せ者の少年は、自らが彼女の進化をとどめていると知らないのだな。
だが彼女は、自らが彼を縛《しば》っていると気付いたようだ。
佐山は美影が海で荒帝《すさみかど》を呼び出したことを、良いことだと思っている。
……たとえどうあれ、彼女は飛場少年と離れる可能性を考えたのだ。
「残る問題は君だ。飛場少年。……美影君に拒否された今、君はどうする? もはや3rd―Gと戦おうにも力は無い。そして理由も無い。――それでも3rd―Gと戦うかね?」
「それは……」
飛場は、ややあってから答えた。
「それしかないでしょう?」
「何故《なぜ》かね? 祖父の代からの因縁《いんねん》かね?」
「爺《じい》さんの因縁は、正直、あまり詳しく聞かされてないです」
「では、有りもしない責任を全《まっと》うするための、……惰性《だ せい》かね?」
「違います。真実を知る人間の役目、ってのが最後に残ってるでしょう? 佐山|先輩《せんぱい》。第二の穢《けが》れを知る者の役目、ってのが」
飛場《ひ ば 》は言った。
「ある意味、望むところかもしれません。美影《み かげ》さんは今、動けない。……第二の穢れを知って、それを祓《はら》うのは僕だけで充分です」
「成程《なるほど》」
佐山《さ やま》は頷《うなず》き、微笑した。面白い、と。
……この期《ご 》に及んで尚《なお》、彼女のことを気にとめているのか。
佐山は新庄《しんじょう》を思う。もし新庄に表面上|拒否《きょひ 》されても、自分は新庄を想えるのだろうかと。
……当然だ。
佐山は過去にあった無数の肌色《はだいろ》の映像と柔らかさを思い出し、その後に交わした言葉を幾《いく》つも記憶《き おく》に確かめた。それを三度やった。そして自分達は万全《ばんぜん》だと理解する。うむ、と頷き、
「――飛場少年、おそらく君は私と似ている。一歩《いっぽ 》間違うとストーカーなところが特に」
「い、いや、今の一瞬《いっしゅん》の幸福そうな顔からすると似てても一割かそこらですよ!」
「謙遜《けんそん》することはない。私は風呂《ふろ》に一緒に入ったら体を拭《ふ 》く真似《まね》して尻を触るほどエロ助《すけ》ではない。理解を得るため、相手に解《わか》るように触るだけだからね。――君の方がいやらしい」
「先輩《せんぱい》! 控えめに言いますけどアンタ頭おかしいですよ!」
「落ち着きたまえ。自分が解《わか》っていない人間は戦場で一番に死ぬものだよ」
佐山が言うと、飛場は沈黙《ちんもく》した。
……新庄君ならばもう少し食い下がってから納得《なっとく》するものだが。
やはり後輩《こうはい》は| 従 順 《じゅうじゅん》だな、と佐山は頷く。素晴らしい、と。
飛場が何故《なぜ》か視線を逸《そ 》らしているが気にしないことにして、
「話を戻そう、飛場少年。美影君の進化のことだが」
腕を組むと飛場が視線を戻してきた。振り返る彼の目に会釈《えしゃく》を送り、
「さて、君は彼女が進化出来ないことを、何のせいにしているかね?」
「さっきあっさり否定された概念核《がいねんかく》ですよ」
「自分でもそのことは解っていたのではないかね?」
それは、と言いよどんだ飛場に、佐山は一歩近づく。
「たとえば、という話をしようか」
「……何です?」
「かつて、あるところに秘密を持った人がいたのだよ。……その人は、共にいたいと告げた人に、しかし自分の秘密を話せなかった。だが一方で、その相手も、告げられぬ秘密に薄々《うすうす》気付いていながら、踏み込まなかった」
最後の一言に、テントのある岩場の方から新庄の叫びが聞こえた。
「嘘《うそ》だー!!」
視界の隅《すみ》に岩場から立ち上がった新庄《しんじょう》の姿が一瞬《いっしゅん》見える。が、すぐにそれは倍の速度で出てきた出雲《いずも》の手に上から押し潰された。
飛場《ひ ば 》が振り向くが間に合わない。彼はあたりを見回し、
「な、何か今、変なツッコミが?」
「ここは瀬戸内海《せ と ないかい》だ。戦国時代には倭冠《わ こう》が暴れた土地でね。夜には亡霊《ぼうれい》が出るという」
「ま、まあ、そういうことにしておきましょう……。でも、つまりは」
「君に対してはこう言うべきか。お互いが、進化を必要だとは思いつつ、今の関係が壊れることを怖れ、結局、進化しない言い訳を考えている、と」
そして、
「それだけでは無い。飛場《ひ ば 》少年、君は美影《み かげ》君を護《まも》りたいと言うが、それは護っている確信がある人間の台詞《せりふ》ではないね。飛場少年、君は今でも彼女に自分は護られていると思っている」
飛場が息を詰めた。だが、対する佐山は首を横に振り、
「無論、そうであったとしても、大体は悪いことではあるまい」
言うと、飛場が眉を歪《ゆが》めた。
「……悪いことじゃないんですか? ちゃんと護れていないのに?」
「自覚の問題だ。君が足りないと思っていても、彼女は充分だと思っているかもしれない。そして、常に前向きに自分は未熟《みじゅく》だと思うことが油断《ゆ だん》の消滅と上昇に繋《つな》がるのだよ。――私などはいつも新庄君に対して前向きにこう思っている。……どうして私は押しが弱いのかと」
岩場の方で何か物音がしたが、すぐに静まった。また飛場がそちらを見て、
「……行かなくていいんですか?」
「私は岩に友人がいないタイプだが、君はいるのかね?」
そして佐山は告げた。
「ただ、君の場合は少し問題がある、飛場少年。君は……、自分が護られていると、そう思うことで、自分が彼女より力が無いことを正当化しているのではないかね?」
「で、ですけど、荒帝《すさみかど》も何もかも美影さんの力で……」
「戦っているのは君だ。彼女は君に力を貸しているだけだ。――君は3rd―|G《ギア》の血を引く者の力を駆って、3rd―Gと戦い続けてきた張本人《ちょうほんにん》だ。究極的な理由としては、3rd―Gの第二の穢《けが》れを祓《はら》うために」
佐山は言った。
「自覚したまえ、自分の戦いの意味を。そして聞かせてもらおう。3rd―Gの第二の穢れを。君が3rd―Gと戦う理由がそれならば、聞きたいものだね。私達が3rd―Gと戦う権利を得るために。――|是非とも《プ リ ー ズ》、と後ろにつけようか」
「僕が、教えると思いますか?」
「いいや。だが、美影君はどうだろうね? 君《きみ》を救うために荒帝を君|無《な 》しで呼びだした彼女ならば。もはや君の意見無しに答えると思うのだが」
「――――」
反射的に、飛場《ひ ば 》が身構えた。
砂を踏み、右足を引き、
「それは――」
「勝ったら私達と共に戦いたまえ、飛場少年」
身構えた佐山《さ やま》に対し、ゆっくりと頷《うなず》き掛けた飛場は、慌《あわ》てて首を横に振る。苦笑して、
「だ、駄目《だ め 》ですよ。今の、どっちが勝ったら、ってのを言ってません。……ただ、僕が勝ったら、佐山|先輩《せんぱい》から見た僕の弱点のようなものを教えて下さい。出雲《いずも》先輩にもいろいろ言われたくらいなんで、結構《けっこう》、まだあると思います。それを気にとどめて3rd―|G《ギア》と戦いますから」
「美影《み かげ》君のことは、いいのかね?」
「僕が頼まなくても、皆さん、絶対に放っておけないでしょう?」
苦笑を濃くして、
「僕が頼んだら、美影さんは気にします。――僕が頼んだから、皆が親切なのか、って」
「度《ど 》し難《がた》い病気だね。親切を心配するとは」
言って、佐山も低い身構えを取った。
頭上の月を視界の上端《じょうたん》で仰ぎ、そろそろ深夜か、と思う。今頃《いまごろ》、東京の田宮家《た みやけ 》や飛場家ではどうしているだろうか、と。
……思わぬところで兄弟|弟子《で し 》の対決か。
靴を履《は 》いたまま、軽く足下を踏みしめた。肩から力を抜き、獏《ばく》を地面に下ろす。
獏が慌てて岩場の方へ走っていくのを見送りながら、
「手加減《て か げん》もハンデも無しだ。私は拳《こぶし》を一度砕いていて、拳を打てない。君は午前の負傷がまだ完全には抜けていないだろう」
「了解《りょうかい》です。――勝敗は?」
「お互いに解《わか》るものだろう。その程度のレベルに来ていると思うが?」
そうですね、と飛場が頷《うなず》いた。
直後。いきなり飛場が来た。
●
飛場は彼我《ひ が 》の距離を見る。
勝負は一瞬《いっしゅん》だ。
佐山は出雲のような耐久《たいきゅう》力を持ち合わせていない。自分もそうだ。
だから攻撃が当たればそこで終わる。
それは相手にとっても同じだ。一撃《いちげき》良いのが入れば、意識はあっても身体《からだ》はついて来られなくなる。出雲《いずも》との戦闘でそのことはよく解《わか》っている。
そして、佐山《さ やま》と自分は同門《どうもん》だ。飛場《ひ ば 》流は素手《す で 》での格闘をメインとして刃物《は もの》を扱うことも想定した、護身術《ごしんじゅつ》ではない戦闘術だ。ありとあらゆる攻撃と防護《ぼうご 》がある。
速度を主体として連撃《れんげき》を扱う技の多くを、未だ自分は修めたとは言えない。
だが、それすらも相手は同じだ。手の内は解っているし、速度も解っている。
「――!」
だから飛場は先に動いた。
今は闇の時間で、月光はあるが、だからこそ全ての陰影《いんえい》が濃い。身を沈めた自分の動きは絶対に見えるものではない。自分の動きを知らせる影すらも、今《いま》落ちるのは自分の真下だ。
距離が詰まる。
佐山が向かって右側の腕、己の左の拳《こぶし》を振ってきた。だがこれは囮《おとり》だ、と飛場は思う。たとえ当たったところで拳の握れぬ人間の手だ。効くものではないし、
……本当の攻撃は別にある!
佐山の向かって左足の爪先《つまさき》が動いた。それが本命だ。
だが、来たのは蹴《け 》りではない。
砂だ。
「……っ!」
読めていた。が、自分よりも下の位置から飛沫《しぶ》く砂は抗《あらが》いがたい。砂に対して目を閉じれば視覚は失われるし、閉じねば砂が目に入ってやはり視覚は失われる。手で払えばその分《ぶん》攻撃に間が空《あ 》くこととなる。
と、佐山の声が聞こえた。
「露天《ろ てん》道場の土の地面では得られぬ経験だろう?」
その通りだ。
だが飛場は決めた。前に突っ込み、そして最も簡単な方法を選択した。
右目だけを閉じたのだ。
砂が来る。
左目は砂の直撃《ちょくげき》を受けた。
しかし次の瞬間《しゅんかん》、砂が肌に弾《はじ》けるときには右の目を開いていた。
右の視覚は失われていない。
そして逆の脚《あし》を構えた佐山が見えた。
「――遅い!」
飛場は佐山の右に飛び込む。
対する佐山がこっちに振り抜こうとした脚を後ろに踏み、身構えようとする。腹を後ろに引き、打撃に耐える構えだ。
そうではない。こちらは片目だ。距離感の危うい状態で打撃《だ げき》攻撃をする蛮勇《ばんゆう》はない。
飛場《ひ ば 》は見る。佐山《さ やま》が先ほどこちらに囮《おとり》で振った左手を。
その手が、身を引く動作に遅れている。
飛場は両手を伸ばして佐山の左手を取った。片目であるために遠近《えんきん》は取りづらいが、両の指を寄せれば触れることが出来、そのまま掴《つか》むことは可能だった。
手首をホールド。
もはや飛場は佐山に打撃しない。己の速度を生かすため、加速した。
「!」
蹴《け 》った砂を背後に爆発させ、飛場は佐山の右横を走り抜ける。
一瞬《いっしゅん》だった。
佐山の傍《かたわ》らを回り込む。
彼の横顔は無表情で、感情を読むことが出来ない。いつもの通りだと飛場は思う。
飛場は佐山を幾度《いくど 》か祖父の道場で見たことがある。随分《ずいぶん》と大人びた人だと思っていた。
そして飛場は、祖父が良く思い出話に語る、佐山の祖父の話を思い出していた。
自分の祖父は、佐山の祖父のことを悪態《あくたい》つきでしか話さない。無論、戦中のことなどあまり聞かせてはくれない。他、多くの友人がいたらしいが、戦後もつき合いがあるのは出雲《いずも》の祖父に、ジークフリートという魔術師《ま じゅつし》と、米国にいるサンダーソンという老人だけらしい。
皆、戦後の下らぬ思い出話として、悪態《あくたい》付きだ。
……そうだろうな。
と飛場《ひ ば 》は身構えつつ思う。
……こちらの意図を言わずとも読み、ついてきて、更には先に行き、そして恐れず向かい合ってくるような人間なんて……。
僕だって、大人になったら悪態付きでそう語る。
先日に過去を見せられたことや、衣笠《きぬがさ》書庫で会議したことや、昼に出雲《いずも》に負けたことを思い出しながら、飛場は全力で佐山《さ やま》の横を抜けた。
行く。
取った左手首を両手で押し出すように外にねじりながら、上へかち上げた。
「――――」
佐山の左手を通して、何か部品が外れたような感覚が来る。それも金属部品ではない。骨肉の接合《せつごう》だ。
佐山の左肩を外した。
掴《つか》む佐山の左手から力感が無くなると同時。飛場は彼の腕を上へと放り捨てる。
速度|任《まか》せの手加減《て か げん》無しの一発だった。下手《へた》をすれば後遺症《こういしょう》が残る。
……だが勝つには必要だ!
既に佐山の筋肉の一部は断裂《だんれつ》し、関節は曲がらぬ方に擦《こす》られて軋《きし》みを挙げた筈《はず》だ。脱臼《だっきゅう》の痛みとは神経が筋肉と骨にねじられ、直接|脳《のう》に響《ひび》くようなものだ。あとは抜けた骨を接骨《せっこつ》して戻さぬ限り、一瞬《いっしゅん》で済む筈の激痛《げきつう》が持続し続けることになる。
飛場は頷《うなず》き、即座《そくざ 》に足を止めた。砂に右足を突き刺し、制動《せいどう》を掛けた。
砂《すな》飛沫《しぶき》をたてて背後に振り向く。
「誰か、医者を――」
振り向いた飛場の目は、眼前の宙にあり得ないものを見た。
革靴の裏だ。
「!?」
何だ、と思った瞬間《しゅんかん》には、鳩尾《みぞおち》にその爪先《つまさき》がめり込んでいた。それも、まるで胸と腹の間の肉に差し込まれるように。
鋭い革靴の爪先は、こちらの腹に五センチ以上入って停まる。
動かない。
そして動けぬまま、飛場は己の息がゆっくりと詰まっていくのを悟る。
ゆるゆると堅く重くなっていく身体《からだ》の正面で、爪先の持ち主が無表情に告げた。
「確かに医者が必要のようだね」
言いながら、彼は、更に爪先を突き込んできた。こちらを突き放すために。
「――――」
身体《からだ》が緊張《きんちょう》をほぐさぬまま、力無く後ろに倒れた。
……午前と同じで、また負けか。
しかし倒れる飛場《ひ ば 》の視覚は佐山《さ やま》の左腕を見逃さない。彼の腕が力無く下がっていることに。
「……痛みを感じないんですか?」
砂の上にゆっくり倒れ込みながら細い息でそう言った。つもりだった。
だが口からはもはや呼気《こ き 》さえ漏れてない。横隔膜《おうかくまく》がショックで動きを止めているのだ。
息が出来ず言葉を作れないまま、飛場は天の月を見た。
すると、青白い月の光に、ふと影が差す。
影は靴の裏の形をしていた。
直後。下《した》っ腹《ぱら》に革靴の踵《かかと》が振り下ろされた。衝撃《しょうげき》が来て、
「――か!!」
「ほう、息が出たようだね。荒療治《あらりょうじ》だが上手《うま》くいって何よりだ」
身体に力が戻ってくるが、痛みも来た。飛場は腹の上部に存在する熱を持った違和《い わ 》感《かん》に口を開け、胃の中から空気を出そうとする。すると声が来た。
「息が出来たということは、君には医者は要らないようだね。では、私から君に、この腕の治療費を請求しようか。何、些末《さ まつ》な額だ。保険有りで――、七千三百五十万円」
どうしてそんな数字なんですか、と言おうとして、
「か……、は!」
変な声しか出ない。
……ああ、これが苦悶《く もん》プレイってヤツなんですね。初体験〜……。
脂汗《あぶらあせ》が流れ出したことに気付くと同時、更に声が来た。
「金を払うのかね? 払わないのかね? 払うならば苦悶、払わないならば直立|不動《ふ どう》」
飛場は無理に息を止めて砂の上で直立不動に身体を伸ばした。が、三秒持たない。
「ぐわあ」
「――惜しい、五秒|保《も 》ったら許そうと思っていたのだが……、実に惜しい」
「何言ってるんだよ佐山君!」
あ? と飛場が涙目《なみだめ》で岩場の方を窺《うかが》えば、そこには白いワンピース姿の新庄《しんじょう》がいる。
……女の子っぽいなあ。
と思い、美影《み かげ》さん御免《ご めん》、他の女に見とれました、と思い、そして、
「あれは確か男ですよっ!」
飛場は慌《あわ》てて飛び起きた。体を起こして咳《せき》込むが、もはや身体の痛みよりも重要な疑問が出てきていた。
……いかん、僕、佐山|先輩《せんぱい》達と同じ変態《へんたい》になってしまったのかなあ。
「どうしたのかね飛場《ひ ば 》少年。新庄《しんじょう》君にやましい思いを抱いたらコンクリートに詰めて秋川《あきがわ》の治水《ち すい》に役立ってもらうのだがね。市民としてごく自然な貢献《こうけん》だね?」
「め、滅相《めっそう》もない。僕はノーマルです! 幾《いく》ら何でもハードゲイなんて!」
「……佐山《さ やま》君、ボクからも竜司《りゅうじ》君の貢献を御願いしていい?」
やってきた新庄は乾いた笑顔を浮かべている。
その手に救急箱が下がっているのを見て、飛場は息をついて頭を下げた。
「す、すみません。個人の趣味ですし、――僕の負け、ですよね?」
「うん。前半無視して言うと……、誰がどう見ても負けかな。でも、佐山君の方が重傷?」
新庄の問いに、佐山が自分の左腕を見た。彼の手は力無く下がったまま動かない。
佐山は首を傾《かし》げ、
「うむ。どうやら重傷のようだね。先ほどから何やら痛みが響《ひび》いているのだが、ああ、これは新庄君の献身《けんしん》的な看護と膝枕《ひざまくら》があれば治るかもしれん。――見舞いは桃の缶詰《かんづめ》で頼むよ?」
「……他人《ひと》事《ごと》だなあ」
口を横に開いて言う新庄と佐山を見て、飛場は吐息する。
そして彼はまた、砂浜に倒れ込んだ。かなわないな、とつぶやけば、
「そうでもない。君は戦う前に言ったではないかね、自分には欠点があると。今の戦いでは私の方に欠点の発露《はつろ 》が少なかっただけだ。肩の痛みも来ると解《わか》っていたので覚悟《かくご 》は出来ていた」
「それって、戦闘を予測していたってことですか?」
「否。――要は、戦闘を予測することではない。戦闘を支配することだ」
「予測することと、支配することの差は何です?」
苦笑が聞こえる。だが、すぐにそれは消え、
「失敬《しっけい》。初歩的な質問だったものでね。……では問おう。君が予測するものとは何かね?」
「それは、戦闘の流れで……」
「違う。減点《げんてん》だ飛場少年。だから私の言葉を黙って刻むといい。――君がいつも予測しているのは戦闘ではなく、己の勝利だ。それも傷つかぬための勝利と言える」
だから、と佐山は前置きした。
「自分に都合《つ ごう》のよく組み立てた予測が終わり、しかし戦闘がまだ続いていたとき、君は勝利を確信しながら敗れる。戦闘を支配しているならば、そうはならない筈《はず》だ。戦闘を支配するとは、相手の力を受けることもあれば出させないことも、全て含め、――出来ればこの戦闘が終わらねば良いと思いながら戦い続けることなのだよ」
「そんなことが……」
「美影《み かげ》君のいない今ならば出来るのではないかね? 傷つけば自分に返る今ならば。君は美影君を庇《かば》うあまり、短期決戦での勝利パターンしか予測出来なくなっている。昼に出雲《いずも》に負けたのは、ダメージ慣れしていないこともだが……、出雲にいい連打《れんだ 》を入れたところで君が勝利を感じていたからだろう」
と、視界の中に見えた月に、再び影が差した。
それは手だった。佐山《さ やま》の右手だ。
「この手を取りたまえ飛場《ひ ば 》少年。そして共に戦おう支配するべき戦場で。君が3rd―|G《ギア》の穢《けが》れを払うと言うならば私達はその手伝いをしよう」
彼は言う。
「君はいつも美影《み かげ》君に甘えるときがある筈《はず》だ。それは武神《ぶ しん》として一緒になり、彼女の声を聞くことが出来る、……3rd―Gとの戦闘後の時間だね。だがもし美影君が進化したならば、君は甘える時間を得るために戦う必要もなくなる。そのために、君は責任をとるといい」
「責任って、何ですか?」
「3rd―Gの穢れを祓《はら》った者として、3rd―Gの一部でもいいから、何か思いを背負っていくことだ。飛場少年、私達|全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》と尊秋多学院《たかあきた がくいん》生徒会は君を仲間としたい。――3rd―Gをどこまでも引きずり生きていかねばならぬ者として」
そして、
「もう決めているのだろう? 何となく私には解《わか》っているよ。君の額《ひたい》の白いバンダナも、どうせ彼女に関係した想いの傷を隠して護《まも》るセンチメンタリズムだ。だからそんな感傷的な君にこそ聞かせてもらおう。――無情であった3rd―Gの、第二の穢れを」
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第三十一章
『雪ぎの経過』
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言えば楽にはなるけれど
解き放つにはどうしたものか
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●
月の光を浴びて立つ白い建造物がある。
3rd―|G《ギア》の基地となっている建物だ。
だが、月が中天《ちゅうてん》を過ぎようとしているのに、この建物には明かりが灯《とも》っていた。それも居住|階層《かいそう》だけではなく、下の格納庫《かくのうこ 》も、全てだ。
格納庫の扉は薄く開いている。
その内部、入り口近くに人影が二つあった。
白い衣服の影と侍女姿《じじょすがた》は、京《みやこ》とモイラ1stのものだ。
今、京は格納庫の白い床の上を歩いていく。足取りは武神《ぶ しん》のハンガーデッキに上がる階段へ向かっていた。彼女の足音は高く、力を消そうという気配すらない。
歩く京はわずかに眉をひそめた表情で格納庫の奥を見ていた。立ち並ぶ武神達、コットスを含めて九体の他に、白い巨躯《きょく 》がある。
テュポーンだ。
京はテュポーンの視覚|素子《そ し 》に光が入っていないことを確認し、
「アポルオンは?」
問いに対して、後をついてくるモイラ1stが答えた。
「帰着《きちゃく》してからしばらくは出て来られません。――ギュエス様はどこに?」
「所用《しょよう》があると行ってまた飛び出していったぜ。しかし、テュポーンってのは何だ? さっき見たが、ありゃあのボンボンが動かしてる挙動《きょどう》じゃねえだろ。ケダモノだ」
「京様は、どう思われておりますか? テュポーンを」
モイラ1stの問いかけに、京は足を止めた。
中二階のハンガーに上がる階段の前、手摺りを掴《つか》んだその位置だ。金属の手摺りは京が昇らないことに首を傾《かし》げるが、少し待たせておくだけの価値《か ち 》はある。
京はモイラ1stを見て、
「――恐れてやがるな、自分以外の全てを」
「御《ご 》名答です」
モイラ1stが微笑した。そして眉尻《まゆじり》を下げ、こちらをまっすぐ見る。
「テュポーンは恐怖に囚《とら》われ、アポルオン様を呼ぶのです。自ら動き、戦い、かつて得た恐怖を払拭《ふっしょく》しようとして」
「は? 何だよそりゃ。かつて得た恐怖って……」
言いながら京は言葉を止めた。機械が得る恐怖とは、
……やはり己の破壊だろう。
思い出すのは三つの事実だ。
第一は、テュポーンの操縦《そうじゅう》室と地下の武神《ぶ しん》に見たアルテミスの名だ。第二は、アポルオンが崖から落ちて受けた怪我《け が 》と同じ箇所をテュポーンが破損《は そん》したということ。第三は、
……武神の受けたダメージは操縦者にフィードバックする……。
その内、地下の武神とテュポーンに繋《つな》がりがあるかは解《わか》らない。だが、
……モイラ2ndは示唆《し さ 》したんだぜ。
もしも、という前置き付きで、京《みやこ》は告げた。
「……テュポーンが、一度死んでいるとしたら、どうする?」
「それは私への問いかけですか? 京様」
「いや、あたしとアンタへの問いかけさ」
言いながら考える。下の武神とテュポーンとの関係性や類似点《るいじ てん》は何だ、と。
「アルテミスだ」
どちらもその名を操縦室に持っている。
そしてアポルオンはアルテミスの身体《からだ》を部品とした武神に乗っていたと聞いた。ならば、
「下の機体《き たい》はアポルオンのものだ」
だが、と京は思考《し こう》の飛躍《ひ やく》をとどめた。その原因となる一つの証拠《しょうこ》をモイラ1stが告げる。
「下の武神は胴体《どうたい》を両断《りょうだん》されていますよ? アポルオン様は即死《そくし 》の筈《はず》です」
「そうだ。だがよ……、それ以前に副《ふく》操縦者がいたんだぜ。つまり、――下の武神もテュポーンもアポルオンだけじゃなく、もう一人が重なって動かしていたってことだろうが!」
言っている間に、知識が一気に連結される。
推理が走り、京は自分でも止めることが出来ぬ勢いで己の結論を叫んだ。
「武神は、乗り手にダメージをフィードバックする。二人乗りの場合はどうだ? 下の武神の副操縦者はどうだったんだ? こういうことなんだろう? テュポーンの操縦室は下の武神のものを移植《いしょく》したもので、内部にはアポルオンの代わりに死んだ副操縦者がいる」
その副操縦者の名は、
「アルテミス! テュポーンの操縦室に併記《へいき 》された名で、アポルオンの妹だ! アポルオンの子を産めず、しかしアポルオンがそばに置いた。……そう言うことじゃねえのか!?」
「違います」
モイラ1stが困ったように告げた言葉に、京は息を詰めた。
妙な拍子|抜《ぬ 》けで膝《ひざ》から崩れそうになるのを、しかし続くモイラ1stの言葉が止めた。
「少し違うんです、京様」
「少し、って何がだよ?」
「亡くなられたのは、アポルオン様なのですよ」
言われた言葉に、京は考えた。ややあってから改めて眉をひそめ、首を傾げ、
「生きてるぜあの馬鹿」
「ええ、生かされた、というべきでしょうか」
モイラ1stは告げた。眉をフラットに、目はやはりまっすぐこちらに向いたまま。
一つ頷《うなず》きを見せて、彼女は言う。
「下の武神《ぶ しん》はアルテミス様の身体《からだ》を部品としていましたが、半合一《はんごういつ》という状態で完全に部品化されたわけではありませんでした。そして下で見たような破壊を受けたとき、アポルオン様は即死《そくし 》し、アルテミス様は重傷を負いました」
「じゃあ、……あの馬鹿が生きてるのは何でなんだよ?」
「武神の内部では合一した者の情報が区分されてはいますが、……片方が損壊《そんかい》したとき、もう片方が自分を犠牲《ぎ せい》にして相手を修復《しゅうふく》したらどうなると思いますか?」
「――――」
京《みやこ》はモイラ1stの言った内容を想像しようとした。
だが、上手《うま》く出来なかった。
……あの馬鹿と、妹が、己の死を入れ替えた?
何を? どのように? 何で? という問いかけが連続して頭の中で生まれ、まとまらない。
目の前にあるテュポーンとアポルオンという事実を、疑問の羅列《ら れつ》が否定しようとさえする。
待てよ、と頭の中で混乱を止めようとしたときだ。モイラ1stが告げた。
「アポルオン様の御《お 》身体《からだ》自体は即死《そくし 》でしたが、御脳《お のう》はまだ残存《ざんぞん》酸素で生きておりました。そこでアルテミス様は武神の内部でお互いの分化を行うリミッターをカットしました。お二人の機体がテュポーンとその予備機体の試作機でもあったのと、アルテミス様は武神の内部|循環系《じゅんかんけい》に己の身体《からだ》の大部分を改造されていたため、それが可能だったのです」
「死んだ兄の身体を作り直すため、自分の身体を差し出したのか? | 蘇 《よみがえ》らせるために」
「いえ、蘇生《そ せい》は出来ません。ゼロをプラスにする概念《がいねん》は無いのです。だからアルテミス様は置き換えたのです。御《ご 》自分の命と、アポルオン様が得ようとした死を」
肩を落とし、
「そのためには操縦室に大《だい》出力を与えることと、外部の影響《えいきょう》を受けない場所を提供する必要がありました。――滅び行く3rd―|G《ギア》の中、私達は下の武神の操縦《そうじゅう》室を急いでテュポーンの操縦室として組み込んだのですよ。置き換えられて遺体《い たい》となったアルテミス様の不完全な体を操縦室から取り出して。……ただ、私達が主人を失わぬために」
「最後の一言は余計だぜモイラ1st。アンタ、主人達の望む通りにしただけだ。そこに自分の思考《し こう》を入れるのは、……自動人形のすることじゃねえだろ」
申し訳|御座《ご ざ 》いません、とモイラ1stが苦笑した。
対する京は頷《うなず》き、
「それであの馬鹿は、元通りになったのか?」
「ええ、五十五年を待ちました。初めの五十年は何事もなく経過しましたが、あるときいきなり概念《がいねん》が活性化を始め、あとの五年で、御《お 》二人の脳波《のうは 》をモイラ2ndが検知《けんち 》したのです」
モイラ1stの台詞《せりふ》にはおかしいところがあった。
話を中断して悪い、と、そう思いながらも京《みやこ》は問う。
「どうしてアルテミスの脳波がある? 置き換えたからには、死んだんじゃねえのか?」
「アルテミス様は生きておられます。……テュポーンとして」
モイラ1stはこちらの行く先の階段を見て、
「死んだのはテュポーンでした。――否、アルテミス様がテュポーンを乗っ取ったのです。その操縦系《そうじゅうけい》システム、思考《し こう》システム、全てテュポーンはアルテミス様のものとなっております」
そして、とモイラ1stは言った。
「アポルオン様は元通りではありませんでした。分割と再《さい》構成はやはり完全ではなく、アポルオン様はテュポーンが持つ機械の性質を少々有しております」
「だからあの馬鹿、概念空間の境界で倒れたのか……」
あの場所まで自分を連れて行くのも難儀《なんぎ 》だったろうに。
くそ、と京は思う。あの馬鹿には、何から何まで上を行かれている気がする、と。
「じゃあ、こういうことか。テュポーンの恐怖ってのは、アルテミスが一度殺されたときの記憶《き おく》が| 蘇 《よみがえ》っている、って、そういうことなんだな?」
「はい。そしてアルテミス様は、テュポーンと同化することで誰も為《な 》しえなかった冥府《タルタロス》を自由に扱うことを可能とし、表《おもて》にすら出てきます。そしてテュポーンの中で自分が殺された時刻を迎えると、泣き叫び、アポルオン様に救《たす》けを呼ぶのです」
京は思い出す。夜に歩いていた光る女性の表情と、テュポーンの悲鳴を。
……テュポーンすらも戦争の被害者ってことかよ。
「3rd―G時代に時間を扱っていたお二人の通りに、日の出ている間はアポルオン様の支配力が強くなりますが、夜になるとアルテミス様の支配力が強くなります。京様と出会われたとき、テュポーンはアポルオン様に一瞬《いっしゅん》戻っておられたようですね。瞳《ひとみ》が黄色いとき、テュポーンはアポルオン様ですから」
その言葉に、京はうつむいた。モイラ1stに背を向ける。
くそ、とつぶやき、階段に足を掛け、
「あとは自分で確かめる。だが、最後に聞かせてくれ。――テュポーンには3rd―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》の半分があるって言ったな? そして、今のテュポーンとアポルオンを作り上げたのは、その概念核の力だって、そう言ったな?」
顔を上げる。ハンガーデッキに上がる階段の行く先を見上げ、
「……もしテュポーンが破壊されたならどうなる?」
「簡単なことです。アポルオン様の再《さい》構成が不完全であったため、テュポーンとアポルオン様は同調しています。もしテュポーンが破壊され、概念核が取り出されれば……」
自動人形は断言した。
「アポルオン様は死亡します」
●
「――そういうことです、第二の穢《けが》れってのは」
海の見える岩場の上で飛場《ひ ば 》はつぶやいた。
彼は腹にタオルに巻いたクーラーボックスの氷をあてがいながら、横を見る。そこには新庄《しんじょう》の手で肩に治療用の強力な符《ふ 》を貼《は 》られる佐山《さ やま》がいる。
佐山は頭に獏《ばく》を乗せたままこちらを見ていた。新庄《しんじょう》に取られた左手を掲げながら、
「つまりはこういうことか。3rd―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》を手に入れることは、アポルオンを殺すことになる、と」
「そうです。彼の命と引き替えに、この世界のマイナス崩壊《ほうかい》を防ぐ概念核が手に入る。随分《ずいぶん》と割のいい話ですよね。僕にとっては美影《み かげ》さんの進化と平穏《へいおん》のために殺すわけです」
自嘲《じちょう》混じりに言うと、声が飛んできた。新庄だ。
「でも、そんな選択、良くないよ……」
「確かに、人間一人の命は地球よりも重いという。そして|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》という交渉の正義を問うのであれば、概念核を得るためとはいえ、人命と引き替えにすることは認められない」
「だから僕が戦うつもりだったんですよ。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》とは関係無しに、過去の因縁《いんねん》ある者の子孫《し そん》同士が戦う。……僕達にとっては概念|戦争《せんそう》第二ラウンドです。どっちが死んでもおかしくない。だから――」
飛場はうつむいた。片手を額《ひたい》に当て、
「もう無駄《む だ 》ですね。話してしまった。……僕が今言ったことを聞いた以上、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は僕にそれをさせていいわけがありません。僕を利用して殺人の代理をさせることになるわけですから。そしてまた、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は3rd―Gの概念核を手に入れようとすることも出来なくなった。それはやはり、世界を救うために人を殺すということですから」
そうだね、と新庄が頷《うなず》いた。
「世界全体と一人の命を天秤《てんびん》に、か。……でも、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》に正義を認めさせたいなら、世界を救うために殺人を認める、ってのは無しだよね佐山君」
「うむ。だが別に構わないではないかね」
「そう、構わな――、って佐山|先輩《せんぱい》!」
飛場《ひ ば 》は顔を上げた。
正面、佐山が無表情にこちらを見ている。横の新庄は目を見開き、夜目《よ め 》にも顔色が悪い。
佐山はこちらと新庄を見比べるように視線を動かし、
「どうしたのかね新庄君、怪我《け が 》を早目《はやめ 》に治したいのだが、肩の包帯《ほうたい》はまだかね?」
「まだ、って……、さ、佐山《さ やま》君? 今、何て言ったの?」
「構わない、と、そう言ったのだよ」
佐山が微笑した。
その笑みに、飛場《ひ ば 》は腹に抱えた氷より冷たいものを背に感じた。
……この人は……。
こちらが数年を悩み続けてきたことを、簡単に言い切ってしまう。
だが、その思いを問いかけにしたのは、自分ではなかった。
新庄《しんじょう》だ。
「どういうことだよ佐山君!」
周囲、こちらをそれとなく気にしていた者達が振り返るほどの声だ。
「ボクは、……ボクはやだよそんなの! ボクと君は正逆《せいぎゃく》かもしれなくて、ボクは世界を救うために人を殺すなんて嫌だから、だから君が逆のことを言うのかもしれないけど……」
言葉が不意に崩れた。
眉を逆立《さかだ 》てた表情の中、口が歪《ゆが》み、
「やだよぅ……、佐山君がそんなこと言うの」
うつむきとともに、光るものが下にこぼれた。飛場はそれを見て、
……大事なんだろうな、相手のことが。
その相手はどうなのだろうか。
見上げた佐山は、やはり新庄を見ていた。一瞬《いっしゅん》だけ目を細め、うつむいた新庄が見えていないところで彼は頷《うなず》きを一つ送る。
それだけだった。こちらに振り返った顔はいつもの無表情だ。
佐山が何かを言おうとするより早く、飛場は口を開いた。吐息とともに、
「誤解されますよ、佐山|先輩《せんぱい》。相手を想う態度はちゃんと見せないと」
「そんなことをしたらお互いが照れてしまうではないかね。大体……、このような問題は私達で話し合い、決着すべきではない。当人|不在《ふ ざい》で駄目《だ め 》かどうかを決めるなど、それこそ傲慢《ごうまん》だ。――現状は持論《じ ろん》をそれぞれ固めていけばそれでいい。違うかね?」
と、佐山が首を動かし、こちらの背後を見た。
え? と新庄が泣き顔を上げ、佐山の顔が向いた方を見る。
そして飛場も振り向いた。
同時、周囲に散らばっていた者達が、同じ方向を見て、動きを止めた。
背後の岩場に、いつの間にか一人の女性が立っていた。月夜を背景に、逆光で。
赤いスーツを身にまとった彼女の名を、佐山が告げる。
「ギュエス君だね? こんな時間に何の用だろうか」
「簡単だ」
と、ギュエスは軽く両手を広げ、こう言った。
「|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》に来た。――3rd―|G《ギア》を生かすために」
●
赤い色に染まった部屋がある。
四畳ほどの部屋だ。中には作業台と流し台に、ポットを載せたコンロがあり、作業台には液体の入ったバットが並んでいる。
天井《てんじょう》付近にはワイヤーがはられ、黒い帯のようなものがぶら下がっていた。
現像室だ。
その中で蠢《うごめ》き作業をするのは、一人の白衣姿《はくいすがた》の老人だった。
「やはりデジタルよりもアナログだからなあ、どういう顔で写っておるかなあ」
大城《おおしろ》専用・三倍、と書かれた赤いビニル手袋を着け直しながら、彼はバットの中を見た。
「さあて、上げてみるかな?」
言った瞬間《しゅんかん》だ。いきなり背後のドアが開いて、少女の声で、
「ねえ」
「あ――!」
外光に、一発で感光した素材類を大城は見渡した。部屋の中央で腕を広げ、揃《そろ》えた足先を小刻みに回してセルフ式のスローモーションで旋回《せんかい》運動を行い、
「犬にも蝉《せみ》にも負けぬわしの最近の青春がー!!」
「何それアンタ馬鹿じゃないしかも臭《くさ》いわねこの部屋アンタの臭《にお》いね土下座《ど げ ざ 》でも赦《ゆる》さないわ」
「一息でかなり言うなあブレンヒルト君!」
視線の先、現像所の待機室の光をバックに、制服姿のブレンヒルトは吐息した。
と、彼女の背後に白衣の男が立つ。こちらを覗《のぞ》き込むのは、
「鹿島《か しま》君かな。一体どうしたのかね、珍しい取り合わせで」
「はい。ええとですね」
「まあ待ちなさい。お茶でもどうかな? 見なさい。ここに最近手に入れた良い紅茶が」
大城がコンロから上げて蓋《ふた》を開けたポットに、ブレンヒルトが足下の黒猫を拾って叩き込んだ。湯気《ゆ げ 》と紅茶が溢《あふ》れて大城のゴム手袋の手に掛かり、猫と老人が一緒に、
「あ――!」
「やかましいわね。煮沸《しゃふつ》消毒だと思って我慢しなさい」
その言葉に、猫がポットから出た上半身を仰《の》け反《ぞ 》らせて叫ぶ、
「ブ、ブレンヒルト! 僕、流石《さすが》に今のは勘弁《かんべん》ならんよ御免《ご めん》なさい!」
「何を錯乱《さくらん》したこと言ってるの。可哀《かわい》想《そう》に……」
「誰のせいだよ! ってか僕と話すときは猫《ぼく》の目を見て話そうよブレンヒルト!」
叫ぶ猫をブレンヒルトは見た。大城《おおしろ》の差し出す白いポットの口からは、黒猫の腹から上が生えている。ブレンヒルトは眉をひそめ、
「色合いのバランス悪いわね……」
「い、言うことそれだけ!? それだけ!? もっと他にあるんじゃない?」
「やかましいわね。それより話が遅すぎるわ。2nd―|G《ギア》代表、手短《てみじか》に現状を言って」
見れば鹿島《か しま》は小型のビデオカメラで猫を捉《とら》えていた。ブレンヒルトが眉をひそめて、
「何ソレ……?」
「ええ、最近うちの晴美《はるみ 》が動くものに興味を持ち始めたので、こういう画《え》はいいでしょうね、と。大丈夫、家に持って帰るときは背景と音を合成し直して宇宙空間でも入れますので」
ブレンヒルトはカメラの上部に手を掛けて床に叩きつけた。
破砕音《は さいおん》が響《ひび》いて、ややあってから鹿島が、
「あ――!」
「やかましいわね。さっきからアンタら何で話を進ませようとしないの」
「ためらいがちに言うけどアンタのせいだ!」
猫の言葉をブレンヒルトは無視した。腕を組んで大城を見据《み す 》え、
「さっきから各国のUCATが連絡を取ってきているそうね? どういうこと?」
「あー……、その質問にはちょっとなあ――」
「あのね大城《おおしろ》。私達はそれぞれの|G《ギア》代表よ。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》について、アンタ達は私達に全ての情報を開示《かいじ 》する必要があるわ」
「ふうむ。では、その見返りは何かな?」
ふン、とブレンヒルトは息をつく。
「私達がUCATの行動に疑いを持たないこと。後世《こうせい》のためには必要ではないかしら?」
問いかけは断言だ。しかし、大城はわざとらしく首を傾《かし》げた。
「う〜ん、別に君らが疑わなくても邪推《じゃすい》する輩《やから》は出るだろうしなあ」
彼の物言いにブレンヒルトが眉をひそめた。そのときだ。
横に立つ鹿島がしゃがみ込み、
「じゃ、こんなところではどうでしょうか大城|全《ぜん》部長」
体を起こした彼が手に持っているのは、床で砕けたカメラのテープ部分だ。テープの形状はまだ生きており、
「僕が先夜の|犬 娘 襲 撃蝉《いぬむすめしゅうげきせみ》事件で、このカメラを回していたとしたら、どうです?」
「う〜ん。ビデオカメラじゃろ? 写真に比べて画質が落ちるからなあ」
「大城全部長、ここは考え方|次第《し だい》です。静止画《せいし が 》ではなく、動画の良さに目覚めて見るのはどうですか? 確かにビデオ画像は静止すると画質は落ちて見えますが、動くと綺麗《き れい》ですよ。特に娘や妻の動画は堪《こた》えられない映像です。どうです? 新しい趣味を開拓すると思えば」
「アンタ今、UCATの犯罪行為を一つ増やそうとしてるわよ」
しかし大城は、やはり頭を掻《か 》いて唸《うな》り、
「うーむ……。妻や娘もおらんしなあ。……いるのは変な息子《むすこ》とセメント侍女《じ じょ》だけだしなあ。何かもうちょっと引きのある誘い方は無いかなあ」
「そうですね」
と鹿島《か しま》は考え、手を打った。
「UCAT開発部の実験で、最近こういうのがあるんです。戦闘中に撮った敵の映像や静止画から、その立体モデルを3Dデータに射出《しゃしゅつ》するというのが」
彼が| 懐 《ふところ》から出したノートPCの画面には、リアルな3D映像で一人の女性が映っている。
「どうです最新のポリゴン奈津《な つ 》さん! ちゃんとグリッドで動くんですよ?」
「アンタそれ本人に許可|取《と 》った?」
「個人で楽しむ分には構いません。……大体、僕には本物がいますから。これは実験ですよ」
「――だがそれだ! それを用いればUCATのカメラに映った敵は皆わしのものだな!?」
大城がいきなり叫んだ。
「どうせなら美代子《み よ こ 》の写真からバーチャ美代子も可能か! フィギュア熱が再燃するな!」
「ええ、何か虚像《きょぞう》と実像を一体|視《し 》してる気がしますが概《おおむ》ね良好でしょう!」
「……何だかUCATの敵がものすごく哀《あわ》れな気がするんだけど」
鹿島《か しま》はブレンヒルトの言葉を無視した。ポケットから一枚の白いカードを出す。
「ではとりあえずこれを大城全《おおしろぜん》部長には差し上げます。中には三体分の射出《しゃしゅつ》券が溜まってますので御《ご 》利用下さい。あと、一体ごとにカードにポイント加算し、三十体ポイントで開発部員の御《ご 》利用|券《けん》一人月分となってます。ゲーム制作の人員|駆《か 》り出しにどうぞ」
「ふうむ。あと気になるのはセキュリティなんじゃがなあ」
「ええ、御《ご 》家族の方にはバレたり怪しまれたりしないよう、包装《ほうそう》紙には一面全て梵字《ぼんじ 》で般若心経《はんにゃしんぎょう》を印字《いんじ 》しておきます。これで御家族の方が受け取っても、仏《ほとけ》に目覚めたと思うだけです」
「……逆に怪しまれるんじゃないの?」
「その場合を考慮《こうりょ》して、小包などは全て赤外線やX線、他怪奇《ほかかいき 》線などを反射し、機竜《きりゅう》が百体踏んでも壊れないパッケージングでお送りいたします。開けるには御本人の指紋照合《しもんしょうごう》が必要ですが、無理に開けたりすれば派手《は で 》に自爆《じ ばく》します」
言った瞬間《しゅんかん》だ。どこか遠くから派手な爆発音が響《ひび》いてきた。そして軽い震動《しんどう》も。
やや遅れて警報音が響き出し、廊下が騒がしくなる。その音を聞いた鹿島は、
「――あのように、証拠《しょうこ》も残りません」
「充分|残《のこ》っとるがな! ――しかし、準備は完全だな」
「ある意味、と前置きしてね。それで……、話の続きをしたいのだけど」
おお、と大城が頷《うなず》いた。彼は猫の入ったポットを掲げ、
「話は簡単だな。3rd―|G《ギア》の居《い 》場所が明確になりつつあり、そして各国UCATが今の内に3rd―Gを制圧しろと言ってきた。3rd―Gは禁忌《きんき 》のGだと。だからその主力の現存が他Gの者達に知られる前に制圧し、――後の余計な問題を消してしまえと」
「でもそれは、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を否定することにもなるわよね」
「そう。だからだな。御言《み こと》君達はいきなり自分達の声を飛ばし始めた。やってきた3rd―Gの代表を相手に、中国UCATと独逸《ドイツ》UCAT、そして日本UCATの通信|網《もう》を使用し、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の事前交渉を開始したのだな」
独逸UCAT、という言葉に、ブレンヒルトが舌打《したう 》ちした。
あの女ね、と告げられた言葉に、大城が苦笑する。
「そう、ディアナ君が回線を開いた。今、各国UCATは大騒ぎ中だな。中国と独逸と日本にだけ、3rd―Gとの交渉がリアルタイムで流れておる。他UCAT、特に米国UCATは、他UCATが抜け駆けで3rd―Gと繋《つな》がりを持とうとしないか牽制《けんせい》中だ」
だが、と彼は言った。
「わしは後で行くことにするが、君らには来るな、と御言君が言っておったそうだ」
「何故《なぜ》……?」
「3rd―Gとはそれこそ精密《せいみつ》に 足並を揃《そろ》えたい のだと。1stや2ndが来ると、他Gの警戒《けいかい》を促《うなが》す怖れもあるでな。そして……、今回は穢《けが》れに対して危険を犯す可能性もあるので、それを見届けに来て同罪とされるのもやめろ、と」
「従うと思ってるの? そんな言葉に」
「御言《み こと》君はこう言っておったよ。――何かあったら任せる、と」
言われたブレンヒルトは、一瞬《いっしゅん》眉を上げたが、しかしすぐに表情をひそめた。
「ふン。勝手に気遣《き づか》って勝手に失敗するといいわ。――向こうの状況は聞けるんでしょう?」
「ああ、これからずっと、3rd―|G《ギア》との、岡山《おかやま》での全ての交渉が終わるまでな」
そう、と背を向けながら、ブレンヒルトは猫のポットを奪い取った。
「もはやこれで3rd―Gは|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の流れに乗るわけね。この交渉がどうあれ、佐山《さ やま》は逃がさないでしょう。……あとの問題は3rd―Gの因縁《いんねん》をどう祓《はら》うか、だけど」
大城《おおしろ》は肩をすくめた。
「交渉とは一人で行うものではない。きっといい答えを見つけるだろうなあ、彼らは」
●
月の下で言葉が交わされていた。
場所は砂浜、波打ち際で、放たれる言葉の持ち主は立ったままの佐山とギュエスだ。
二人の間にあるのは一つの折り畳み式の机と、そこに載った集音用のマイクのみ。そして、立つ二人の間にいるのは記録係として椅子《い す 》に座り、ノートをつけている新庄《しんじょう》だけだ。
新庄の背後には岩場まで人影がない。そこまでが交渉場所としての不可《ふ か 》侵《しん》位置だ。
更には今、ギュエスの重力|制御《せいぎょ》によって半径数メートルの位置に重力|障壁《しょうへき》が張られている。新庄の視界には、ときたま周囲の風景が歪《ゆが》んで見えるが、
……光学《こうがく》兵器も反《そ 》らせちゃうんだろうなあ。|Ex―St《エグジスト》も駄目《だ め 》かなあ……。
思いながら新庄はノートをつける。書くのは二人の言葉だが、集音されているためにあまり意味はない。話の骨子《こっし 》の流れを書き、問題点があったら意見するように佐山に言われている。
今、二人の話は3rd―Gの第一の穢《けが》れと言われるものに言及《げんきゅう》していた。
ギュエスは腕を組んだまま、
「――つまり、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は3rd―Gが過去に起こした幾《いく》つかのことについては一切《いっさい》構わぬと、そういうことなのだな?」
新庄はギュエスの台詞《せりふ》に内心で頷《うなず》きを返した。ギュエスはこちらの言う 穢れ のことを告げているが、しかし、今は一度もそれを悪い表現で述べたことはない。今のような言い方や、政策、とか、方策《ほうさく》という言い方をする。
……それが3rd―Gにとっては正しかったんだろうね。
対する佐山も、そこについて邪推《じゃすい》や揚げ足を取るようなことをしない。いつもの無表情で、
「我々は、いずれ全てのGをそれぞれの価値《か ち 》を認めつつ均等にする。そうなった場合、君達に敵意を見せるものこそテロリストだ。違うかね?」
「貴様《き さま》らの身内からもテロリストが出るかもしれんぞ?」
「恐れて何が出来るものか。――考えてみて欲しい。今《いま》現状のままで考えれば確かに反乱|分子《ぶんし 》は出る。が、我々とて成長する。どちらが数として多く、強く成長すると思うかね? ……そのことを考えずに未来を悪く予測するのは臆病者《おくびょうもの》ではなく愚《おろ》か者の原理だ。我々は先を見据《み す 》えた馬鹿ではあっても口達者《くちだっしゃ》な脳内|論議《ろんぎ 》[#底本「議論(ろんぎ)」]の愚か者ではありたくない。君は違うかね?」
「随分《ずいぶん》と自信家だ。そして、いい意見だな。……だが」
ギュエスは眉を立てた表情で、しかし口元に笑みを浮かべた。
彼女の笑みの理由が新庄《しんじょう》には解《わか》る。佐山《さ やま》の言葉は、かつて四号に告げた内容とほぼ同じものだ。だが、あのときには必要なかったものが、今、一つ足りない。それは、
「その言葉、信用性が皆無《かいむ 》だと気付いているか?」
彼女の言葉を新庄はノートに書き留めた。追加で己の言葉を書き加える。
……四号さんは佐山君のお祖父《じい》さんを信じていたから、それが要《い》らなかったけど。
ギュエスはこちらを信用していない。
こちらが彼女達3rd―|G《ギア》を他Gの報復《ほうふく》から保護すると言っても、結局は口《くち》約束だ。そして、契約をしたとしても、護《まも》り切れるかどうかは解らない。
ギュエスは言う。
「どうすれば我々を護れるとここで証明出来る? そして我々を護るということは、他の各Gが同じことを依頼した場合、応えるということだぞ? 十のGのそれぞれの保護を行うとすると、それこそ人員や予算が必要だ。そして」
「そしてそれらの人員と予算を払っても、護り切れるかどうかは解らない、と?」
「そう。たとえば反|Low《ロ ウ》―Gの者はこんなことを考えつくかもしれないな。――他Gの手による他殺に見せかけた自害を行い、Low―Gの保護が完全ではなかった とアピールし、貴様を糾弾《きゅうだん》する。どうだ? この可能性については」
彼女の問いかけと同時に、新庄は佐山を見た。
この程度の問いに答えられなければ、全ては口約束だと逆《ぎゃく》証明されるようなものだ。
だが、対する佐山はすぐに答えを送らない。
彼はまず浅く腹のあたりで腕を組み、ギュエスを見た。そして左手を上げ、頬《ほお》につき、
「……何を訳の解らないことを言っているのかね、君は」
告げた。
「我々にそんな下らないことが通るかどうかは、自分の胸に聞くといい」
●
佐山は、自分の言葉によってギュエスの口元から笑みが消えるのを確認した。
右に座る新庄も首を傾《かし》げている。
ギュエスに何か言わせてしまうと、新庄が今《いま》抱いている思いを助長することになるかもしれない。だから佐山《さ やま》は新庄《しんじょう》に喋《しゃべ》らせるため、視線をそちらに移した。
と、目を合わせた新庄がわずかに肩を竦《すく》めた。こんな場で注目をされて緊張《きんちょう》しているのか、ギュエスの方をちらりと見て、小さくノートを抱える。ややあってから困ったように、
「……あ、あのさ」
「言ってみたまえ。ギュエス君も期待しているよ」
「あ、うん……。あのね、佐山君? ギュエスさんは、3rd―|G《ギア》をボク達が保護出来るかどうかを聞いているんだけど? それがどうして……、彼ら3rd―Gに問うことになるの?」
「答えは簡単だ。自分の身は自分で守ることになるからだよ、新庄君」
佐山はギュエスに視線を送り、口を開く。
「ここで明言しておこう。もし全Gを| 恭 順 《きょうじゅん》させたとしても、UCATおよび|Low《ロ ウ》―Gには彼ら全てを養い保護していく土地も金も無い。それは1st―Gの際に証明されている。よくて居留置《きょりゅうち》を設けるくらいだ」
「――ではどうする気だ!」
ギュエスは机に手をついた。
「今まで言ってきたことは全て単なる理想|像《ぞう》か!? 理想がなければ未来は成り立たないなどと、現実を見ていない言い訳をするつもりではなかろうな!」
「現実を見ていないのはどちらかね自動人形君。その目は不良品か」
やれやれ、と佐山は告げた。
「私は今まで、我々、という言葉を言ってきた。君はどうかね? ギュエス君」
「こちらも同じだ」
「違う」
佐山は頬《ほお》に当てていた手を前に向けた。左の中指にはまった指輪を見つつ、前を指さす。
「君が言っている我《 、》々《 、》とは、3rd―Gの人員のことだ」
佐山は指を動かした。己ではなく、下に。
「私が言っている我々とは、私達や、君ら全てのGの人員のことだ」
「あ……」
と新庄が口を開いた。
……新庄君にはこちらの言いたいことが解《わか》ったか。
佐山は安堵《あんど 》をしない。新庄に自分の思惑《おもわく》が解るのは当然のことだ、と思っている。だが、目の前に解らない者が未だいる。だから佐山は口を開いた。眼前で詰められた眉に向け、
「こう言ってやらねば解らないかね? 3rd―GがLow―Gの完全保護を受けたいということは、――3rd―GがLow―Gの管理下に入るという、下につくことになるのだよ?」
「――――」
「|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は全ての|G《ギア》を均等にする。|Low《ロ ウ》―Gとて同じだ。損をするだけの愚《おろ》か者ではない。少しは補填《ほ てん》してもらう。……そして当然のように、Low―Gは全てのGの補助を行うが、それ以上のことを率先《そっせん》して行う道理《どうり 》はない。だから自分の身は自分で護《まも》れ。転んだら己で立てる年頃《としごろ》だろう? それとも最も下と呼んだGに助け起こして欲しいかね?」
「つまり、……理想家の足りない部分を、我々自身で補え、と?」
「それで貸し借り無しだ。いいではないかね、Low―Gの終末《しゅうまつ》が今年の十二月二十五日に迫っている昨今《さっこん》だ。終末|救《たす》け合いと行こう。特に君達の武神《ぶ しん》戦力は魅力《みりょく》的だ。他、有償《ゆうしょう》でも警備して欲しいと思うGは多いだろうね。何なら終末用に武神用のサンタ衣装も用意するが?」
問いに、ギュエスは眉を立てたまま小さく笑った。
しかし彼女の笑みはすぐに消える。
「だが、その場合、我々の防衛行動の正義はどうなる? 我々がテロリストに襲《おそ》われても破壊されてしまえばいいと思う連中がいる筈《はず》だ。そして、その際の防衛行動すらも、過去のことを繋《つな》げ合わせ、テロリストの味方をする者が出るのではないか?」
「疑問で問う必要はない。必ず出る」
佐山《さ やま》は頷《うなず》いた。
「それをもし否定出来る人間がいるならば、それは神か私くらいだ」
右の新庄が何故《なぜ》か今書いた言葉を慌《あわ》てて消し始めた。
「新庄《しんじょう》君、発言の改竄《かいざん》はいけないことだが」
「改竄じゃなくて遺《のこ》さないことにしたんだよっ」
新庄は吐息|混《ま 》じりに問うてくる。
「どうする気? そんな風に、3rd―Gの防衛行動を揶揄《や ゆ 》する人が出たとき」
「答えは簡単だ。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は物質面の補助以外に、一つのものを与えるのだから」
それは、
「ささやかな大義名分《たいぎ めいぶん》だ」
「何……?」
「気付かないのかね? 全Gが足並を揃《そろ》えたとき、そこにあるのはそれぞれの歩幅ではない。それぞれの足の大きさという個性だけだ。ゆえに下らぬ椰楡を行い、歩幅を乱して行こうとする連中はそれこそ無視するか排撃《はいげき》していい。……力を振るいたまえよ3rd―|G《ギア》、我々が足を揃えて行くために」
成程《なるほど》、とギュエスは頷いた。
「いい言葉だ」
だが、と前置きして、彼女は叫んだ。
「いい言葉を並べ立て、その実、我々を傭兵《ようへい》に使うつもりか?」
●
ギュエスは笑った。
成程《なるほど》、そういうことか、と。結局のところ、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》は力の無いGだったな、と。
思い当たるフシはある。基地から外に出て街を歩けばすぐに目に付く光景だ。この世界の住人は概念《がいねん》の力を持たぬ代わりに機械文明を発展させているが、それらは意思を持たず、耐久《たいきゅう》性も低い。行き着く先はゴミの山だ。
そのことを思い、ギュエスは更に笑いを判断させる。はは、と声をたて、
「――確かに、確かに日々《ひ び 》高価な機械を使い捨てていく世界は違うな? そしてもっと高価な生きた機械である我々を、これからは戦いのために使い捨てたいというのか貴様《き さま》らは!」
叫んだ。
「――ならば恥《はじ》を知れLow―G!」
だが、言葉をぶつけた先、佐山《さ やま》という名の少年は、
「そうかね」
と静かに告げた。
何か言うことがあるのか、と考えたこちらに対し、彼はまず腕を組む。
しばらくしてから、こんな言葉が飛んできた。
「恥を知れ、か」
声は無表情に続いて、
「では私が全人類を代表して恥を知るので、君達には傭兵《ようへい》になってもらおう」
「な……」
佐山の言葉に、判断が出来なくなった。彼の言葉を検証《けんしょう》すると、
「……恥一つで、我々を身売りさせる気か!?」
「私に恥を認めさせるにしては安い代償《だいしょう》だぞ」
うむ、と頷《うなず》いた佐山が、腕を組んだまま、
「素晴らしい自己|犠牲《ぎ せい》の話だ。ともあれこれで全G最高の武神《ぶ しん》戦力が麾下《き か 》に加わる。Low―Gの歴史に私の名を残してもらわねば」
言った口が、笑みを作っている。
失笑だ。
その直後。いいかね? という問いが来た。
「使い捨て、か。いい言葉だねギュエス君」
「それが機械である|3rd―G《我 々》への挑発だと気付いているか?」
「しかし事実だから仕方がないではないかね。ギュエス君。いいかね? 我々は浪費《ろうひ 》世界の住人だ。リサイクル? エコノミー? 環境《かんきょう》問題改善? どれも全てこの世界を良くしようというものではなく、更なる浪費《ろうひ 》をするための言い訳に過ぎないよ。そして機械はゴミ捨て場という冥府《タルタロス》に下って我らの大地の一部になる。だからギュエス君、私は君の言う通り恥《はじ》を知ろう。――ああ、こんな世界が素晴らしいなんて恥ずかしい」
一息。その後に、佐山《さ やま》が告げた。
「もしこれに文句があるならば、君は今まで消費した燃料について恥を知れ!!」
●
「抗議は認めない」
眉を立てたギュエスに、佐山はつぶやいた。下らない原罪《げんざい》理論だ、と思いながら、
「機械も燃料も風も水も大地も何もかも、全てはこの世界の浪費物だ。人すらも同じだよギュエス君。ただ繋《つな》がりのある者だけが墓や思いを残し、それも数代《すうだい》続けば過去の繋がりは失われていき、綿密《めんみつ》な記録でさえも単なる読み物となる。――それだけだ。私達とて結局、想いを持ってこの世界を少しずつ動かす燃料に過ぎない。それ以上も以下も、ありはしない」
左手側、砂浜の向うには黒い海と空がある。そして街の光も。
「だが、大地はそれ以上を望んでいるか。風はそれ以上を望んでいるか。海はそれ以上を望んでいるか。そしてあの街の灯《あか》り達はそれ以上を望んでいるか。――それとも、意志とともに世界を動かす燃料となる以上のことなど、望めるというのかね? 君は」
一息。
「そのことに恥を知れと言うならば、それは世界全てを相手にした至高《し こう》の恥辱《ちじょく》プレイだ。だから私は要求する。大事なのはまず、先に感謝を望むことより、己が為《な 》すべきをすることだと。|進撃せよ《ゴーアヘッド》。我々は|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を経て、概念《がいねん》戦争の遺恨《い こん》を消し、新しい場所へ行くのだ」
「はン」
ギュエスが首を横に振り、問うてきた。
「自分達が時代を作っているつもりか……?」
「勘違《かんちが》いしないで欲しいものだね自動人形。私達だけで作れるほど時代は甘くない。それに、この|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は歴史の表《おもて》に出ることはないものだ」
「では何故《なぜ》、新しい場所へ行くなどという? 導き、時代を作るという悦《えつ》に浸《ひた》るのだろう?」
その問いに、佐山は吐息をついた。話がずれていることを突けば交渉としてはこちらが優位に立てるが、問いに応えねば実の部分での優位は無いと判断する。
だから彼は口を開いた。
「我々はただ後ろも見ずに新しい場所に行くだけだ。そこに居座《い すわ》り旗を振るつもりはない。名前も残さず、ただそこに人が行けると証明することしか出来ないだろう」
「出来ない……?」
と問うてきたのは新庄《しんじょう》だ。眉尻《まゆじり》を下げた疑問に、佐山は頷《うなず》いた。
「そうだよ新庄《しんじょう》君。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が終わっても私と君を含む全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の幾人《いくにん》には学業がある。私達は行くところまで行って、そして降りるのだよ、私達の今後のために。そして大人達に言ってやるのだ。子供がここまで出来たんだから、大人はもっと真面目《ま じ め》に出来るだろうね、と」
苦笑が漏れる。
「私達が大人になる頃には、世界はどれだけ芳醇《ほうじゅん》だろうか」
●
新庄は佐山《さ やま》を見た。
言われてみると確かにそうだ。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は、今年中に終わらせなければならない。
その後、自分達は幾《いく》つかの残務《ざんむ 》を受けるだろうが、生活していくためにやることはやらねばならない。学業や、生きていくために必要なことの修得《しゅうとく》だ。
佐山がギュエスを見て言う。
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は独立部隊だ。|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が終われば解散する。そしてUCATは軍隊ではない。後の仕事の参加を依頼されることはあっても強制されることは無い」
「好き放題《ほうだい》やって、責任|逃《のが》れをするということか……?」
「逃れるつもりはない。ただ、降りるだけだ。降りたところで何かが消えるわけではあるまいよ。遺恨《い こん》があるならば襲《おそ》ってくればいい。失敗があるならば責めればいい。ただそれでも我々は大人達に期待するし」
頷《うなず》き、
「大人になる私達に期待する。――将来我々は何をしていることだろうか。一部の者は世界を飛び回るだろうし、一部の者はそれこそUCATで各|G《ギア》との政治活動に入るだろうし、一部の者はそれこそ平穏《へいおん》に窓の外を眺《なが》めて大事な人と午睡《ひるね》しているだろうし」
こちらを見て、
「一部の者は作家として頑張ってもいるだろうし」
その言葉に、新庄は慌《あわ》てた。これは大部分が内緒《ないしょ》の話だというのに、
「な、なれるって決まったわけじゃないし、なるつもりも――」
「そういうことにしておきたまえ、新庄君。ともあれ、そしてまた一部の者だが……」
佐山は机の上のマイクを取った。そして息を吸い、
「たとえば私は新庄君と日夜ただれた生活に突入していることだろう! 粘着性《ねんちゃくせい》だぞ!」
「うわあ――!!」
新庄はマイクを奪い取って大声で叫んだ。
このマイクの向こうには全世界どころか、全Gが広がっている。
今の佐山の発言は記録されてしまっただろうか。どうだろうか。
横のギュエスが怪訝《け げん》そうな顔でこちらを見ているが、気にするものではない。何でもないよ? と何度も言いながらマイクを手にホールドする。
そんなこちらを見てどう判断したのか、ギュエスが吐息をついた。
髪を掻《か 》き上げ、
「……成程《なるほど》、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の方針は解《わか》った」
全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》ではなく、Low―Gと彼女は言った。
……この交渉が、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》だけの話で済まないようにするつもりだね。
全Gへの統一|見解《けんかい》だということだ。
対する佐山《さ やま》も相手の意図を読んだのか、その点については何も言わない。
ギュエスは机に右手を軽く載せ、佐山を見た。
「信用しよう。これがまず第一の契約書だ」
異音《い おん》が響《ひび》いた。その音源は机だ。
見れば、ギュエスの手指が、机の表面に食い込んでいる。それも五指《ご し 》だけではなく、| 掌 《てのひら》までもが深さ一センチほどに。
無言で彼女が手を上げると、そこには手形が丸みを持ってついていた。
「重力|制御《せいぎょ》で表面を整え密度を上げた。指紋《し もん》パターンは再現出来ても、圧縮《あっしゅく》密度は私と同じ手と能力でなければ再現出来ぬだろう。――証拠《しょうこ》として置いておく」
だが、と彼女は告げた。
「問題はもう一つある。そして、そちらの方が大事だろう」
「テュポーンとアポルオンとやらの関係かね」
佐山の言葉に、新庄《しんじょう》は息を詰めた。
……どうする気?
テュポーンから概念核《がいねんかく》を抜き出せばアポルオンは死亡する。だが、そうしなければ概念解放をすることが出来ず、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》は無意味となる。
「…………」
新庄はマイクを持った手に力を入れた。スイッチを切ってしまおうか、と。
そうすればこれから先の佐山の言葉も、結論も、都合《つ ごう》悪いことは世界に聞こえない。が、
「スイッチを切ろうとするのはやめたまえ、新庄君」
佐山の声に、新庄は顔を上げた。
既に佐山はギュエスの方に目を向けている。顔は無表情だが、わずかに険《けん》があるように見えた。まるで、視線の対象《たいしょう》であるギュエスに怒っているかのように。
……何で怒ってるの?
小首《こ くび》を傾《かし》げると、それを合図としたのか、佐山が口を開いた。
「テュポーンから概念核を奪えば3rd―Gの真の代表者であるアポルオンが死亡する、か」
言葉が続いた。
「そうしたければするしかあるまい」
●
ギュエスは目の前の少年の言葉を聞いた。
……やはりこの少年、敵となるのか?
思いに応じるように、声が来た。
「一体どういうつもりかね?」
佐山《さ やま》が腕を組むのをギュエスは見た。佐山は首を傾《かし》げ、
「我々は概念核《がいねんかく》を回収せねばならない。だが、話によればそれをテュポーンから奪えば、同調している3rd―|G《ギア》の王の嫡子《ちゃくし》であるアポルオンが死亡するという」
「その通りだ。だが、貴様《き さま》らはそうするしかないのだな?」
問いに対して、佐山が黙った。
沈黙《ちんもく》は、数秒続き、十数秒続き、一分を超えた。
そして右手側からの海の音が響《ひび》く中、ギュエスは佐山を見た。
だが彼はじっとこちらを見ているだけだ。
……おかしい。
問うたのはこちらだ。佐山は問いの答えを言わねばならない。それが交渉のルールだ。
しかし、佐山は立ったままこちらを見ている。
「――――」
ギュエスは判断を迷った。そういうとき、どうすればいいかは知っている。動けばいい。
動きは言葉となり、問いかけとなった。
「どうした? 答えがないぞ」
「当たり前だ」
言葉が静かな口調で飛んできた。その言葉を放った少年は髪を無造作《む ぞうさ 》に掻《か 》き上げ、
「問うたのは私だ」
「な……」
「間違えるな自動人形。私は問うたぞ。一体どういうつもりかね、と。……その後に私は事実関係を述べただけだ。だが君は私の問いに答えず、その通りだ、と言った。それは私の言った事実関係への確認であって、先の問いの答えではない」
肩を落とし、
「もう一度言う。私はこういう意味で問うたのだ。テュポーンから概念核を奪えば3rd―Gの代表であるアポルオンが死亡するとは、……一体どういうつもりかね3rd―G」
声が響く。声高《こわだか》ではないが、波音を消す静けさで、
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は概念核が必要なだけだ。だが君らは、自分達で指導者を死のシステムに組み込み、その死を我々に押しつけるのかね?」
言われた台詞《せりふ》の意図をギュエスは考えた。
……成程《なるほど》。
確かに彼の言う通り、アポルオンを死の檻《おり》に捕らえたのは3rd―|G《ギア》の処置だ。
「我々は概念核《がいねんかく》を得るしかない。そのために殺さねばならぬ者がいるならば殺さねばならぬ。だが、我々が概念核を得ることと、その者が殺しのシステムに組み込まれたことは別だ。我々が彼を殺そうとしたのではない。殺しのシステムに組み込んだ者達こそが彼を殺そうとしたのだ、と、――そう考えることは可能ではないかね?」
「自分達の行為を正当化するつもりか? 殺すことには変わりないのだぞ」
ギュエスはとりあえずの言葉を飛ばしておく。
時間|稼《かせ》ぎだ。佐山《さ やま》が何かを言う間に、逆転出来る言葉を用意する必要がある。
……確かに、あの処置はアルテミス様が望んだものだが……。
考える。自分達にとって重要なものは何かと。
……アポルオン様が生きていることだ。
そのためにはどうするか、と考えたときだ。
ふと、正面から声が来た。
「考えているかね? ギュエス君」
いつの間にかうつむいていた顔を上げると、そこには一人の少年がいた。
相変わらずの無表情の中、しかし、視線はまっすぐこちらを見ている。
「今までずっと、主人の死を持ち出せば大丈夫だろうと思っていたのだろう? だが、私は、それが必要だと思えば躊躇《ためらい》無く行う」
「悪というものだぞ、それは……」
「褒《ほ 》め言葉だね、私にとっては。言われるごとに格《かく》が上がる気がするよ」
佐山は無表情に口を開く。
「だから考えたまえ。他人の情《じょう》にすがるのではなく、自らの思考《し こう》を持って。そして自分の勝利を先に考えるのではなく、大事なものを護《まも》り切るために考えたまえ。それこそが、3rd―Gがこれから続けていくべき選択であり、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》が求めるものだ」
一息。
「そのために助力が必要ならば、私達は躊躇無く行う。生かすも殺すも、どちらでも」
●
佐山はギュエスを見た。
赤いスーツの自動人形は、こちらと視線を合わせ、
「…………」
浅く目を伏せた。
彼女の態度に、右に座る新庄《しんじょう》が眉尻《まゆじり》を下げる。小首《こ くび》を傾《かし》げ、
「どうかしたの?」
「いや、大したことではない。ただ、考えたのだ」
ギュエスは言う。
「自動人形が主人を救うには、どうすればいいのかと」
「それは簡単だ」
佐山《さ やま》は苦笑した。
「主入の目が覚めているならば、主人は自ら考え動くだろう。君達の今まで行ってきたことは何だったのかね? 主人の目を覚ますことではなく、眠りを守ることではなかったのかね?」
どうなのだろうか、と佐山は思う。
ギリシャ神話で言えばアポルオンは王であるゼウスの息子《むすこ》。次期王となるだけの位置にいる。
それがテュポーンとなったアルテミスに捕らわれ、動けないでいる。
「……だがアポルオンは太陽の神だ。そろそろ目覚めてもいいのではないのかね」
「一応、あるにはあるのだ。アポルオン様をテュポーンの呪縛《じゅばく》から解き放つやり方が」
ギュエスの言葉に、新庄が驚きから小さく肩を震わせた。
振り煽《あお》いだ新庄に視線を向けたギュエスは、頷《うなず》いてから口を開く。
「方法は二つある。が、その一つはもはや不可能だ」
「で、でも、それは何?」
ギュエスは頷いた。
「冥府《タルタロス》だ。冥府《タルタロス》の元となっているのは、3rd―|G《ギア》の人々が一人一つずつ| 司 《つかさど》っていた概念《がいねん》だ。つまり……」
「アポルオンとアルテミスを、概念として冥府《タルタロス》に取り込み……、六十年前の死を、正しく行わせるのか」
そうだ、とギュエスは言う。
「冥府《タルタロス》の中に入れば、アポルオン様とアルテミス様ももはや消えることはない。元々死を迎えていた方達だ。私がここで決めることではないが、それが本来の姿だと判断する」
「…………」
「だが、そのための冥府機構《タルタロスマキナ》は失われた、3rd―G崩壊《ほうかい》の際にな。そして概念核はそのとき既に分かたれ、片方は不完全な破壊《は かい》兵器となった。――全てはクロノス様の恨みというものだ。ゼウス様の子孫《し そん》を3rd―G側に遺《のこ》さぬつもりだったのだろうな」
沈黙《ちんもく》が訪れた。海の音が響《ひび》き、その中で新庄がノートを閉じる。
「……もう一つの方法って?」
ああ、とギュエスは頷いた。顔を上げ、こちらに笑みを見せる。眉尻《まゆじり》を下げた笑みを。
「ここまでの話を統合すると、下らぬ方法だ」
問うてくる。
「聞きたいか? それは――」
頷《うなず》き、
「第三の穢《けが》れを生むことになるかもしれん方法だ」
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第三十二章
『虚偽の代償』
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嘘をつくのは何かを得たいから
真実では得られないものを
真実では捨て去るべきものを
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●
京《みやこ》は白い巨人の背後に向かってキャットウォークを歩いていた。
行き場所は六本の翼《つばさ》が対《つい》で生《は 》えている中央だ。そこに操縦室《そうじゅうしつ》の入り口がある。
足音が響《ひび》き、歩数が増えていく中で京は思う。
……あの馬鹿が出てきたら何て言おうか。
よう、とか、元気か、ではおかしい。こっちはテュポーンの暴れる様《さま》を見たのだから、何やってんだ、とか言うべきかもしれない。
だが、それは本心ではない。今は光の灯《とも》っていないテュポーンの瞳《ひとみ》。黄色の光に対する言葉が本心だ。だがその言葉が上手《うま》くまとまらない。
「――――」
迷い、額《ひたい》に手を当て、髪を掻《か 》き上げたときだ。
「あ」
いきなりそれは起きた。
テュポーンの背部が上下に開き、一人の男が姿を見せたのだ。
アポルオンだ。
姿はやや湿った髪と、上半身をはだけた白の長衣《ちょうい》に白のズボンで、足は裸足《はだし》だ。
顔色は悪く、うつむいた目の焦点《しょうてん》はぼんやりと定まっていない。
まるで雨の中を何かから逃げてきたかのような様子《ようす 》だ。
アポルオンの身体《からだ》は操縦室からこちらのキャットウォークに出ると、一歩を踏んだ。だがすぐにバランスを崩して前のめりになり、キャットウォークの手摺りに手をつくことで堪《こら》える。
は、と息を吐いた彼が、両手で手摺りを掴《つか》むのを、京はじっと見ていた。
アポルオンはうつむいたまま。また息をつき、身体をこちらに動かす。
彼は歩く。
だが、それはよろけ、腰をも手摺りに当てて支えながら、荒い息で一歩ずつでしかない。
キャットウォークの上に、彼の汗が落ちた。
しかし、京は落ちた汗よりも、アポルオンを見ていた。
……どうしてだ?
言葉がない。何か言ってやろうと思っていた筈《はず》なのに。
目の前の若者は、それこそ歩くことに精一杯《せいいっぱい》で、
……だけど侍女《じ じょ》を一人も呼びやしない。
どうしてだろうか。
そして音がした。アポルオンが膝《ひざ》をついたのだ。手摺りから両手が滑り落ち、身が縮まった。
肩を上下させ、喘《あえ》ぐというよりえずくような動きで息を肺に出し入れする。
何度か立ち上がろうとして、膝《ひざ》が立とうとして、
「……!」
バランスを崩し、右肩から手摺りの支柱にぶつかった。手摺りは慌《あわ》てて身を曲げてショックを吸収するが、その間に彼は支柱を両手で掴《つか》んでいた。
震える手で身体《からだ》を引き起こそうとするが、やはり出来ない。
京《みやこ》は一歩を前に出た。うつむき荒い息を吐くアポルオンを見下ろし、何かを言おうとする。大丈夫か、とか、頑張れよ、とか言おうとして口を開き、
「立てよ」
言ってから、しまった、と思った。全くフォローになってない、と。
だが、アポルオンは動きを止めていた。ややあってから、
「……ミヤコか」
「違ったらどうすんだ馬鹿」
言うと、アポルオンが荒い息をまたつく、肩の上下をゆっくりと再開させながら、
「すまん、つき合ってるだけの余裕《よ ゆう》がない。だが……、見たのか。否、見たよな? 月の下で、ギュエスの武神《ぶ しん》の肩に君が見えた。主導権を握られてる私には、一瞬《いっしゅん》だけだったが」
一息。
「これが3rd―|G《ギア》の指導者になり切れない者の姿だよ、ミヤコ」
「指導者……?」
「もう聞いているだろう? 私はテュポーンから離れられない。そして、この世界は、この世界の時間における今年の年末あたりで滅びようとしているのだろう? 救うためには概念核《がいねんかく》が必要だ。私の身体を支える力となっている概念核が」
言いながら、アポルオンが身体を持ち上げた。
ゆっくりとゆっくりと、震えながら、しかし彼は手摺りに寄りかかりながらも立っていく。
だが顔はうつむきで、床に言葉を落とすようにアポルオンが言った。
「……私を殺して概念核を持ち帰れミヤコ。人に殺されるならば本望《ほんもう》だ」
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》」
反射的に京は左手でアポルオンの襟首《えりくび》を掴んでいた。前がはだけているため、掴むのは左襟だけだ。手首を返して襟を握り込み、
「アンタ、ここの主人だろうが! それが3rd―Gの王のすることかよ!」
「王になどなっていない!」
アポルオンの震えを帯びた叫びが聞こえた。
「かつては王の嫡子《ちゃくし》として、それなりの部下も持ち、人も多くいた。そして父は悪政《あくせい》とも言える行為を行い、それを祓《はら》うのは私の役目だとも思っていた。だが……!」
一息。
「概念戦争が進むに連れ、私の周囲からは人がいなくなった。家族さえも妹さえも機械となった! 私は王位など正式に受け継ぐこともなく殺された。それで終わりだった筈《はず》だ……。私が生きていなければ」
はは、と小さな笑いをアポルオンは床にこぼす。肩を淡く震わせ、
「おかしな話だろう? 全て終わったというのに、私は3rd―|G《ギア》の人間の生き残りとして王位を継承《けいしょう》しなければならないのかい? 父も護《まも》れず、妹に護られた風情《ふぜい》の人間が。そして、そんな私が護らなければいけない3rd―Gは、過去の因縁《いんねん》によって嫌悪《けんお 》されている……。つまり、私は王として誰にも期待されていない」
言って、アポルオンが顔を上げた。
乱れた金髪《きんぱつ》の向こうで、黄色い瞳《ひとみ》がこちらを見ている。それも、
「何を泣いてんだよテメエ……」
「君が羨《うらや》ましいからだよ、ミヤコ」
言われた言葉に、はっとして視線を新たにすれば、アポルオンが濡《ぬ 》れた瞳を細めている。
「あの夜は運良く私に主導権が戻ってきていた。追いかけられ、体勢を立て直そうとしたとき、君がいて驚いた。乱入者を見るのは初めてだったからね。……上空から見た君は、何やら飲んだくれて悪態《あくたい》ついていたっけか」
「情《なさ》けねえとこ見てんじゃねえよ」
「私もかつてしていたことだ。だから君が近寄ってきたとき、こう言ったんだ」
アポルオンは口を開く。告げられ届くのは翻訳《ほんやく》された意思だが、音は聞こえる。あの夜、テュポーンがこちらに告げ、意味の解《わか》らなかった言語を。
「――出来れば君と話でもしたいが、駄目《だ め 》だろうな、と」
はは、と彼はまた笑う。
「それが叶《かな》ったのは、ある意味、狂王《きょうおう》となって君を攫《さら》ったアルテミスのおかげなんだろう」
彼の笑い声を聞き、ミヤコはつぶやいた。
「馬鹿|野郎《や ろう》……」
言いたいことがやっぱり出て来た。それも、たくさん、だ。
……同じだよ馬鹿。
こっちだって、アンタの瞳《ひとみ》の色を追って来たようなものだ。
……あたしだって、アンタと同じように期待なんかされてねえよ。
そして京《みやこ》は理解した。テュポーンの瞳の黄色を見たときに得た感情を。あれは、
……自分だ。
自分がそこにいる、と京は思う。どうにかしてやらないといけない自分が。だが、
「――――」
言葉は出ず、小さな涙と無言が出た。アポルオンが頷《うなず》き、目を伏せる。
「泣くなミヤコ。あとで話をしよう。……私はもう何も隠さないから」
言うなり、アポルオンの身体《からだ》から力が抜けた。こちらに倒れ込んでくる。
ミヤコは慌《あわ》てて彼の襟首《えりくび》から手を離し、受け止める。
離さない。この身体を支えねば、
……あたしがどうにかなっちまいそうだから。
だが、アポルオンの体は重い。上背《うわぜい》があり、厚みもある。
「嫌だ嫌だと言いつつ、それでも3rd―|G《ギア》を支えるのは大変かよ」
答えはない。彼は既に気を失っている。
「――少し楽に行こうぜ。あたしで……」
続けるべき言葉を迷い、しかし京は口を開いた。同じだ、と思う相手に対して、
「あたしで良ければ手伝ってやるから」
頷くように預けられた彼の重みに、京は一歩を下がった。と、背を支える者があった。硬い体を有しているのは、
「モイラ1stか?」
「私だけではありません」
声に首だけで振り向けば、キャットウォークには全ての侍女《じ じょ》が集結していた。
中には修復《しゅうふく》されたモイラ2ndの姿もあるが、相変わらず彼女はこちらに半身を向けて視線を逸《そ 》らしたままだ。が、彼女の横にいるモイラ3rdは嬉《うれ》しそうだ。
それが答えだ。
こちらの背を抱えるモイラ1stが、笑みで告げる。
「改めてようこそ3rd―|G《ギア》へ、京《みやこ》様。――御《ご 》命令を」
ああ、と京は頷《うなず》いた。その動きで目尻《め じり》の涙を落とし、
「この馬鹿をテュポーンの呪縛《じゅばく》から解く方法はあるか?」
「二つあります」
モイラ1stの即答に、京は眉を上げた。だが、対するモイラ1stは表情から笑みを消している。あるのはフラットな眉と、鋭い目だ。
「一つはアポルオン様達を概念核《がいねんかく》とし、意思体《い し たい》として冥府《タルタロス》に送ることですが、その設備は3rd―G崩壊《ほうかい》で失われました。あとの一つは……」
わずかに間を空《あ 》け、
「京様を犠牲《ぎ せい》にします」
「何……?」
「……簡単なことです。今、テュポーンの中にはアルテミス様が| 常 駐 《じょうちゅう》しております。そこで京様がテュポーンと同一化し、アルテミス様の上に上書き固定されればいいのです。そのためのフォローは過去の記録から我々が行いますから、方法としては充分でしょう」
方法としては、という言葉に、自分のことは無視して京は問うた。
「方法以外に必要なものがあるのかよ?」
「はい、それが我々には出来ず、京様にしか出来ないことです。――つまりアポルオン様への想いですよ。武神《ぶ しん》との結合は意思によって成されます。アルテミス様がテュポーンを御《ぎょ》しているのは死への恐怖から逃れたい思いと、アポルオン様への想いです。それを上回れば……」
ですが、とモイラ1stは言った。
「京様のことを考えた上で、改めて言います。――おやめ下さい」
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》! そんな言われ方したら、あたし、やっちまうぞ?」
「ですが、御願いしたら京様は引き受けられます。私の判断がそう告げているのです。京様は、言われたことには必ず逆らいますが、他者の苦悩は見過ごせない方です。今回のような場合、拒否もお願いも京様にとっては挑発《ちょうはつ》に過ぎません。――ならば、私は本心から拒否します」
そして、
「これはかつてのアポルオン様と同じです。機械となることを嘆《なげ》いたアルテミス様を見捨てず、自分のナビゲーターとしたアポルオン様と」
●
「――つまりはそういうことだ。誰かアポルオン様を想う者がアルテミス様を潰してテュポーンとなり、その制御《せいぎょ》関係や同調をもう一度やり直せば、アポルオン様は呪縛《じゅばく》から逃れられるだろう」
ギュエスは、自分の言葉に新庄《しんじょう》が息を飲む音を聞いた。彼女はこちらを見て、
「だけど、そんなことをしたら……」
「その女性は、もはやテュポーンから外れることは出来なくなり、概念核《がいねんかく》を渡すためにアポルオン様の代わりに死ぬこととなる。この方法ならば、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》が概念解放を行うためにLow―Gの人的資源を| 供 出 《きょうしゅつ》するという言い方も出来るが、……今までの話し合いからすれば、やはりこの方法は無しだ」
ギュエスは机から一歩を外れた。新庄と佐山《さ やま》を見て、笑みを作る。
「こんな表情を作ることになるとは心外《しんがい》だ。だが、感謝する。そして聞け。――これより二十四時間、我々は思考《し こう》に入る。3rd―Gの王であるべき方をお救いするために。そして、その答えがどうあれ、我々はその方の判断を優先とし、貴様《き さま》達との戦闘に入る」
「……え?」
新庄の疑問|詞《し 》に、ギュエスは振り向いた。彼女の手にあるマイクを見る。
一つ、ずっと思っていたことがある。自動人形として、3rd―Gのためにすべきことは、
……自動人形としての名誉《めいよ 》のため、主人が罪を負わぬよう、最大限の努力を行うことだ。
「全てのGに対して言おう。我々は主人のことを思案《し あん》するだけ思案する。だが、主人のことは最終的に主人の判断に任せよう。我々の主人は、己の道を己で決められる方だと、私はそう信じている。そして、我々が戦闘を行う理由は簡単だ。それは――」
微《かす》かに息を吸い、ギュエスは| 懐 《ふところ》からメモとペンを取り出した。書き連ねたのは、
『貴様らを認める最後の交渉要求だ。我々は嘘《うそ》を言うことが出来ぬ。が、我々の主人が犯した罪は、我々が手引きしたのだと、そういう嘘を私に言わせることは出来るか?』
メモを読んだ新庄が肩を震わせた。そして彼女はこちらを見たまま慌《あわ》ててマイクを置き、手元のルーズリーフに文字を書く。
『それは、貴女《あなた》達自動人形が3rd―Gの穢《けが》れを負うってこと?』
問いにギュエスは新たな笑みを見せた。
自動人形は嘘をつかないという常識がある。だがもし、それを行うことが出来れば、
『今は世界のUCATにこの会話がリアルタイムで記録されているのだから、私達の言葉は嘘無く通じ、常識となる。可能か?』
対する少年は、一つの動きを見せた。
首を下に振り、| 懐 《ふところ》から手帳を取り出したのだ。
●
新庄は思う。無理ではないか、と。戦術的なフェイントなどを除き、機械の判断は絶対真実の意図の下に作られる。それを| 覆 《くつがえ》すことは機械を根本から否定することだ。
だが、とも新庄《しんじょう》は思う。佐山《さ やま》と、感情のようなものを見せたギュエスならどうだろう、と。
この記録を取られる会談にも隙《すき》はある。ギュエスがやったような筆談《ひつだん》だ。声を記録している状態であっても、文字による意思|疎通《そ つう》は簡単だ。
そして今、潮騒《しおさい》の音を背景に佐山が腕を組んだ。無表情にギュエスを見て、
「さて、ちょっと目眩《めまい》がして話を中断してしまった。何しろ昨夜は新庄君が激しくてね」
「そ、そんなことボクは――」
『3rd―|G《ギア》の運命が掛かっている。マイクの向こうに怪しく思われたら危険なのだよ』
く、と新庄は奥歯を噛《か 》む。そして考え、無理に笑って、
「た、確かに佐山君の家、いつものベッドと違って、ほら、――ね、寝返り激しくて!」
『何故《なぜ》そう上手《うま》く逃げようとするのかね』
無視した。すると佐山はギュエスを見て、
「話の続きといこうか。まずは君達が主人とは別に私達と戦闘を行う理由だね? ――だが」
とわざとらしく額《ひたい》に右手を当てた。左手の指を一つ立て、
「いいかねギュエス君? 私が君達の戦いたがる理由を当ててみせよう」
そういう前置きで自分に答えを言わせるようにして、佐山は黙る。
考えているのだ。おそらくは、どうすれば自動人形が過去の穢《けが》れの首謀《しゅぼう》者だというように話をもっていけるのかを。
だが、佐山はいきなりこう言った。
「……つまり、3rd―Gが過去に犯した虐殺《ぎゃくさつ》や誘拐《ゆうかい》事件は、実は自動人形である君達が首謀者となっていたので、もはや責任取って死刑台に上がるより戦闘という勝負をしたい、と」
「!?」
いきなりだ。駆け引きも何もない。
それに突然そんな嘘《うそ》の| 塊 《かたまり》を言えば、自動人形は間違いなく一つしか反応を返せない。
……自動人形は嘘をつけないんだよ!
果たしてギュエスは、否定の言葉を放ちそうになって口元を押さえた。
だが言葉を止めようとする行為は間に合わない。彼女はこう叫んでいた。
「――そんな虚偽《きょぎ 》があるか!」
テーブルを拳《こぶし》で叩く音が響《ひび》いた。そしてギュエスは歯を剥《む 》き、肩を震わせている。自動人形である自分が否定したことで、主人達の罪を認めてしまったと。
だが、佐山は手を前に出した。そこにある字は、
『任せたまえ』
それを見たギュエスが、自分と同じように眉をひそめる眼前。彼はこう言った。
「すまない。少々言葉を選び間違えたようだね。そして今の答えに至った推理も話していない。――首謀者、死刑台、という言い方は人間ではない君達には不相応《ふ そうおう》だったか。主人と同じ人間に扱われれば、不遜《ふ そん》ゆえ、拒否反応も出るだろうね。――今のように」
一息。
「……では今の思考《し こう》に至った推理といこう。私はこう思っているのだよ。人間は性善《せいぜん》だとね。だから3rd―|G《ギア》の過去を調べていく内に、その所業《しょぎょう》があまりにも人間的ではないことを知り、疑問に思った。これは何か歪《ゆが》んだ事実が入っているのではないかと」
こちらの視界の中、佐山《さ やま》がギュエスに手帳を見せる。
『 続きを言ってみろ、主人を汚《けが》すならそれなりの対処をする と言いたまえ』
「続きを言ってみろ、主人を汚すならそれなりの対処をする」
「そう、その心《こころ》意気が私には引っかかったのだよ。ヘタレの不発が多くて子を作れなくなった3rd―Gの中、主人|万歳《ばんざい》の自動人形達は主人のために一体《いったい》何をしていたのだろう、と」
あ、と新庄《しんじょう》は内心で声を挙げた。
こちらを見た佐山が首を下に一つ振り、
「一つ問おう。概念《がいねん》戦争時代、君達は3rd―Gの人間を主人に据《す 》えていたが、それ以外のGの人間を主人にする設定は得ていなかったのではないかね?」
「その通りだ」
「では、3rd―Gの自動人形は、こう考えたのではないかね? 主人のために、主人ではない人間をどうにかしても良いだろう、と」
佐山の言葉に、ギュエスが口元に手を当てた。
嘘《うそ》が出ない。
今の佐山の問いは、自動人形にとって間違いなのだ。だから、
……どうするの!?
思った新庄の眼前で、佐山が手帳を差し出した。
『ギュエス君。その通りだ と言いたまえ』
見たギュエスは、口を開く。だが、
「――――」
言葉が出ない。嘘の返答を言うことよりも、本心を言おうとする己の判断が優先している。
『ただ単に その通りだ と言うことも無理かね?』
ギュエスは痛みを堪《こら》えるような顔で頷《うなず》いた。
そして口が開き、何か言おうとする。本当のことを。
それに対して、まずい、と新庄が思った瞬間《しゅんかん》だ。佐山が先ほどの要求を書き換えた。
『ギュエス君。その通りだ と発音したまえ』
「!」
それは意思として言うのではなく、機械として音をたてることであり、
「――その通りだ!」
ギュエスが叫んで頷《うなず》いた。そして不意に、佐山《さ やま》が手帳に何か書いて音をたてぬよう引き破り、こちらに手渡してきた。
紙は二枚だ。一枚にはこう書いてある。
『もし私が合図をしたら、下の紙の内容を新庄《しんじょう》君的に書いてギュエス君に見せたまえ』
何だろう、と新庄は首を傾《かし》げ、下の紙を見る。
そこに書かれている文字を見たとき、新庄は思い切り口を横に歪《ゆが》めた。
●
ギュエスは新庄が身を縮めるのを見つつ、しかし佐山の方に己のメモを差し出した。
『私達が罪を犯す理由として、他|G《ギア》の人命を軽んじていたという前提は出来た。だが、貴様《き さま》はまだ3rd―Gが実際に行った罪自体を私達に認めさせていない。それが勝負だ。しかし私達自動人形には学習能力がある。今の返答方法は二度と使えないぞ』
佐山は首を下に振って、しかしすぐに言葉を送ってきた。
「成程《なるほど》。つまりこういうことだね。他Gの人間をどうとも思わない君達は、人間達に進言したわけだ。他Gの人間達を部品のように扱いましょう、と。そして人間達は迷った。その間に、君達は主人への想いを優先し、拒否がないことは独自に動いて良いと拡大|解釈《かいしゃく》したのだね?」
「――――」
ギュエスの判断に、また拒否の意思が来る。しかし、それより早く佐山は笑みを浮かべ、
「おっと、今は私のトークの途中だよ、ギュエス君。手早く真実を述べて私の推理ひけらかしの楽しみを邪魔《じゃま 》しないでくれたまえ」
その言葉に、拒否判断は先延ばしになった。ギュエスはメモを書き、
『いい誤魔化《ご ま か 》しだ。だが、次はそれも通じないぞ』」
『次で終わりだよ、ギュエス君』
「――そして全ての所業《しょぎょう》が君達によって行われ、人間達が止めようにも既に君達は動き、どうしようもなくなっていた。他Gからはまさか自動人形が独自に動いたとは考えられる筈《はず》もなく、3rd―Gの人間が首謀《しゅぼう》者と考えられてしまった。ゆえに今、君達はこう判断した。全ての罪は3rd―Gの人にあらず、その従者《じゅうしゃ》であった自動人形達にあったのだから、主人のためにも主人との縁《えん》を切り、最大責任として、己の破壊を掛けた戦闘を我々相手に望む、と」
静かに響《ひび》いたその言葉に、ギュエスは答えられなかった。
佐山の嘘《うそ》に対し、拒否反応が来ている。
佐山の言う通りであればいい、とは思う。全ての責任を自分達が被《かぶ》り、主人であるアポルォンの身を自由にしたい、と。だが、
「……!」
口を開いて出そうになる言葉は、やはり拒否だ。
違う、と言いたくなっている。貴様《き さま》の言っていることは全て出鱈目《で たらめ 》だと。
そして佐山《さ やま》がこちらにメモを差し出した。
『 佐山様の言う通りです万歳《ばんざい》 と発音出来るかね?』
無理だ。眉を詰め、口に手を当てて首を横に振る。
自動人形の学習能力は応用が利くものだ。先ほどと言葉を変えても、同じ仕掛けは通じないし、今の言葉は内容自体にどことなく認めたくないようなニュアンスがある。
……く! ――その通りだ、と一言告げるだけなのに……!
限界だ。拒否が口から出かかる。
口を開き、発声|素子《そ し 》の奥に息を吸った。違う、と叫ぶその瞬間《しゅんかん》だった。
佐山が横に座る新庄《しんじょう》を指し示した。
見れば新庄が一枚の紙片を両手で掴《つか》んで広げ見せている。書かれているのは、
『ギュエスさん、今すごく困ってる? 困ってる?』
ギュエスはその通りの答えを叫び返した。
●
「その通りだ!! この馬鹿者!!」
ギュエスが叫びと同時に振り下ろした拳《こぶし》が、テーブルを割り砕いた。
材木の音と飛び散る破片の向こうに新庄は彼女を見た。拳を下げ、息をついて空を見上げる静かな彼女を。だから新庄は紙片を| 懐 《ふところ》に隠しながら、改めてギュエスの真意を悟った。
「それが、自動人形の望むこと……?」
答えはない。ただ、毅然《き ぜん》としたギュエスの表情が佐山に向いた。
「我々は、これを最後の戦闘行動とする」
ギュエスの言葉に、新庄は眉を下げた。
……こういう思考《し こう》って、人形だからなのかな。
人であって欲しいな、と思う。そういう思考の出来る人は、きっと、
「お人好《ひとよ 》しだね、ギュエスさん。そして、酷《ひど》いよ、ギュエスさん」
つい口から漏れていた台詞《せりふ》に、ギュエスが振り向いた。
彼女は一瞬《いっしゅん》だけ眉を上げ、驚きの顔を見せた。だがすぐに微笑を作り、
「そうだな。だが最近我らの本拠地《ほんきょち 》に来た人間は、……私達のことを人と同じように扱うのだよ。ならば、その程度はしてもおかしくあるまい? 人形ではなく、人として」
ギュエスの言葉に、新庄は見たこともない人の名を思い出した。
……月読《つくよみ》・京《みやこ》……。
月読の娘だ。そのことを察知《さっち 》したのか、佐山が軽く手を上げた。ギュエスに対して、注意を促《うなが》すように手指を一度鳴らし、
「――そういえば、そちらの本拠地《ほんきょち 》には日本UCATから 客人 が行っていたね?」
「ああ、2nd―|G《ギア》の眷属《けんぞく》が 客人 としてな。月読《つくよみ》の姓《かばね》を持った者だったか。元気だとも。自分勝手な判断で、しかし3rd―Gをよくしようと働いている」
「そうかね。だが、二十四時間後の君達の戦闘行動の際、彼女はどうする?」
「彼女自身の判断に基づく。――彼女は3rd―Gのために働いているのだから。我々が拘束することも、自由を強制することもない」
即断《そくだん》の答えに、佐山《さ やま》が頷《うなず》いた。
直後、ギュエスが動いた。
背を向けたのだ。そして赤いスーツがはためき、周囲を覆《おお》っていた歪《ゆが》みが消えた。
続くのは周囲の音だ。潮騒《しおさい》の音と風の鳴る音がいきなり強く聞こえた。
「……あ」
と、身体《からだ》に浸《ひた》ってくる風に慌《あわ》てて身を震わせたときには、もうギュエスの姿は離れている。
彼女は砂浜を歩き、遠ざかりながら片手を上げた。
「――つき合ってくれ。二十四時間後の、人形達の戦いに」
言葉とともに、ギュエスの姿が宙に飛んだ。
月光に消える。
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第三十三章
『近付きの盤上』
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駒を進めるとしたならば
一体どこに自分は置かれ進むのか
過去か未来か行くときどきに心は進む
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●
地下にある空間では、日や月の動きが解《わか》らない。
それを間接的に伝えるのは壁に掛かった時計だ。
UCAT開発部の壁にある時計が差すのは現在時刻午前十時二十一分。その下には部長用の大型デスクがあり、白衣《はくい 》の女性が電話の受話器を耳に当てていた。
月読《つくよみ》だ。彼女はほつれた白い前髪を指で遊びながら、
「困った娘もいたものねえ。――ええ、佐山《さ やま》、連絡|有《あ 》り難《がと》うねえ。大丈夫よ、ちゃんと渡した書類と引き替えだと思ってるから。無償《むしょう》ほど怖いものはないってねえ」
眼前に広がるパーティションには全て気配がある。全員、サーバの復旧《ふっきゅう》やら先日の襲撃《しゅうげき》における各所への対応で徹夜どころか不眠|不休《ふきゅう》態勢だ。
だが、そのパーティションの壁の上から、ときたま幾人《いくにん》かの部員が顔を上げてこちらを見る。
心配そうな彼らの顔に、月読は笑みと、手によるジェスチャーを送る。座れ、と。
「ったく。こっちは心配される方が心配になるほどの忙しさよ、今は」
受話器の相手、佐山に対して、
「しかしアンタ達、今、水島《みずしま》港? これから倉敷《くらしき》周辺で陣《じん》を張る? 忙しいわねえ。で、鹿島《か しま》からの資料のプリントアウト、読めないものも含めて全部夏休みの宿題にしときなさい」
はは、と笑い、
「バレてるわよ絶対、上にはね。だからこう言ってやるつもり、中枢《ちゅうすう》サーバの復旧を楽にしたかったら私が緊急《きんきゅう》避難しておいたデータを使うのはどうか、ってねえ」
向こうの応答に、月読は苦笑する。
が、不意に笑みを止めた。しばらく無言で佐山の声に小さな頷《うなず》きを送り、
「ねえ、武神《ぶ しん》について適当に詳しいヤツ、いる?」
とパーティションに声を掛けた。すると奥の方から一人、中年の技術者が立ち上がる。
彼が何かを言うより早く、月読は問いかけを放った。
「概念核《がいねんかく》から出力を得ている武神を概念核から切り離すと、どうなるかしらねえ?」
「端的《たんてき》に言えば、動作不能となります。死ですね」
「もう一度立ち上げることは?」
「無理です。武神は生き物のようなものです。常に微弱《びじゃく》な待機状態で存在しており、それが切れれば全ての部分が緩慢《かんまん》に疲弊《ひ へい》し、死んでいきます。一度|循環《じゅんかん》が切られれば大きなダメージが内部組織に現れ、同調者がもしいるならば、危険に陥《おちい》るでしょう」
そう、有《あ 》り難《がと》う、と言って月読は技術者を手で合図して座らせた。
受話器に耳を当てると、すぐに声が飛んできた。幾度《いくど 》かの応答をして、
「え? 不可能か? って貴方《あなた》、珍しく随分《ずいぶん》と人間的な訴えを言ってくれるわねえ」
苦笑。
「はは、そういうところをもっと仲間に見せなさい。アンタも一応は全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の王のようなもんなんだからねえ。――そ。じゃあ、うちの娘のことは気にせず頑張りなさい」
●
あれ? と京《みやこ》は思った。
自分は今、居室の薄暗いベッドの中で、何も着ていない。横にいるアポルオンはまだ完全に服を脱ぎ切っていないが、
「何でこーいう流れになっちまってんだ?」
倒れたアポルオンを部屋に連れてきて、半《なか》ば添《そ 》い寝するような形で眠ってしまったのが悪かった。昼過ぎに目覚めたときには彼も起きていて、モイラ1stが置いておいた食事を差し向かいで摂《と 》る羽目《は め 》になった。それからアポルオンはまた寝てしまい、今は午後半ばだが窓は閉めてあり、部屋には薄暗い光がある。
モイラ1st達は、置き手紙のようなプレートによると、
「祭のようなものの準備中、か」
よくは解《わか》らないが、たまに訪ねてきてアポルオンと言葉を交わす侍女《じ じょ》達は楽しそうだ。アポルオンも、昨夜の泣き顔はどこに行ったのか、ただ余分な構えを抜いた楽な表情で彼女達と言葉を交わし、今は今でこちらの横から、
「大丈夫だよミヤコ、悪いことにはならないと思うから」
「つーか何であたしだけ先に脱いでんだよ。答えろ」
「君の方が枚数が少ない」
「違う。テメエが楽しそうにテキパキ脱がしたからだろがっ」
納得《なっとく》がいかないと同時に、大丈夫だろうかという思いもある。
「あ、あのさあ」
考え、思う。今までこの馬鹿とはまともに話もしたことがない、と。だが、
「話そうか、ミヤコ」
「先に言うなっ」
頬《ほお》を赤くして声を挙げると、アポルオンが笑っていた。そのまま横に寄ってきて、
「そうだな、君の家族のことが聞きたい」
「オヤジのことか?」
「母のことも、君のこともだ、ミヤコ。|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の家族とはどういうものなんだ?」
笑みでこちらの横に座る。京は布団《ふとん》をかき寄せて寝そべる身体《からだ》を隠しながら、
「あまり面白くねえぞ」
「それでも私の知らないことだ。家族というのは。……私のそばにいたのは、それこそ女性として存在する妹や、命令を下す父や、戦う人達だったからね」
「…………」
「ああいう風にはなりたくないと、父を見て何度も思った。どうしてこの人は、私に命令を下すのだろう、と。逆らうといつも言われたものさ、それがお前のためになる、と」
言われた言葉に京《みやこ》はつい笑いをこぼした。何だろうか、という顔をするアポルオンに、
「あたしもそれを言われたことあるよ。皆が塾《じゅく》……、って言っても解《わか》らねえか。それに行くようになったのに、うちは無しでな。勉強は嫌だけど、でも他の連中と外れるのは嫌でさ。そうしたらオヤジは言うんだ、アンタんとこと同じ台詞《せりふ》を」
「はは、どうしてだろうな。どうして、親は一方的に幸いを押しつけてくるんだろう?」
知るかよ、と京は告げた。肩を竦《すく》め、
「でも憶《おぼ》えてるのはそんなことばっかだろ?」
アポルオンは頷《うなず》いた。
「卑怯《ひきょう》だ。押しつけるだけ押しつけて、何も言わせず去っていくのだから。……私は本当に、ああいう大人にはなりたくない」
「あたしもだ。……だがよ」
京は告げる。
「話、変えて良いか? 今の方に」
「……テュポーンのことか?」
「よく解ったな。……一応、アンタの家族だろう。あれも」
言うと、アポルオンが苦笑した。これはやられたな、という彼に対し、京は片手を前について問い掛ける。
「アンタに掛かったテュポーンの呪縛《じゅばく》を解くには、……結局、どうするんだ?」
モイラ1stから二つの方法を聞いた。一つはもはや不可能で、もう一つは、
……あたしの想いが必要になる。
そしてモイラ1stから聞いた話では、母親が所属するUCATという組織でも、テュポーンの概念核《がいねんかく》を欲しがっているのだという。
もし自分がテュポーンに重なった上で概念核を外されたら、自分は死ぬことになる。
そういったことが本当なのかどうか、今、京は確かめようと思っている。
……ホントに自分が犠牲《ぎ せい》になるかどうかは別だがよ。
思う眼前で、アポルオンが口を開く。
「モイラ1stから聞いたようだね。先ほど、自動人形の一人からそう教えてもらった」
「ああ。確実なのは、あたしがテュポーンと同一化して……」
「そんなことは誰も望んでいない」
アポルオンは告げ、そして真剣な顔を作った。
「ふと、思いついたんだ。第三の方法がある、と」
「……マジか?」
軽く体を起こすと、アポルオンは小首《こ くび》を横に振った。
「だが、それを教えていると、君とのこの時間が潰れてしまう」
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》。変なこと言うんじゃねえ。それより、その方法って……、悪いことじゃねえよな? 誰かが犠牲《ぎ せい》になるような」
「それはない。私がテュポーンの呪縛《じゅばく》を離れ、王になる方法だ」
「王に?」
問いばかりだな、と考える眼前で、アポルオンが頷《うなず》いた。
「そのとき、君を后《きさき》に迎えよう」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえっ。誰がテメエの嫁《よめ》になるかっ」
「いや、私は后に迎えると言ったが嫁《 、》に《 、》と言ったわけではないよ。名誉《めいよ 》后という手もある」
「このヤロ……!」
ははは、と笑うアポルオンに、京《みやこ》は一瞬《いっしゅん》だけ歯を剥《む 》いたが、しかしすぐに吐息をこぼす。
……変に真剣な顔すっから何かと思ったが。
ち、と舌打《したう 》ちすると、アポルオンが笑みを止めた。
「ただ、安心して欲しい。モイラ1stは君に私を心配してもらうため、あんなことを言ったところもあるのだろう。……選択はあるよ」
「その選択であたしを女房《にょうぼう》に誘うことをちらつかせるなんざ百年早い」
「百年か、じゃあ、すぐだな、私にとっては」
馬鹿野郎、と京は告げた。更に吐息して、
「あのな。今更《いまさら》言うけどな。あたし、結構《けっこう》落ちこぼれっぽいんだぜ?」
仰向《あおむ 》けに寝て、天井を見た。薄暗く落とされたオレンジ色の照明すら、京は眩《まぶ》しいと思う。
両の腕を目の前で交差し、光を隠してから、
……ここに来たのも、面接で落とされたのが原因だよな。
く、と胸の奥で声のようなものが漏れた。悔しい、という言葉が浮かんでくるが、京はそれを面《おもて》に出さない。
……あたしを欲《ほっ》しなかったところに入れなかったのが悔しいなんて、誰が思うものか。
その思いを口にせず、しかし、本心は漏れる。目隠《め かく》しの闇が言葉を素直にした。
「ここに来て随分《ずいぶん》と偉そうなこと言ってきたけどさ」
一息。
「あたし、……アンタが崖の下で言った通り、外の世界に出るのが嫌でここにいるようなもんだよ、きっと」
「ミヤコ」
「駄目《だ め 》だよなあ……」
「――ミヤコ」
名を呼ぶ声に腕を上げると、彼の顔があった。
いつの間にか布団《ふとん》を上げられ、上に回られている。が、彼の顔は歪《ゆが》んで見えた。その原因は、
「泣くなミヤコ。君が泣くと私も何故《なぜ》か泣きたくなる」
「悪い。だけど――」
「君は口先だけの女か? ミヤコ。ならば君が自動人形達に主人として迎えられたのは何故だ? 言葉か? 思いか? それとも本気で邁進《まいしん》する態度か? 言っておこうミヤコ。それら全てがある者を、人を率《ひき》いる王と言う」
アポルオンは言った。
「私には出来なかったことだ。――有《あ 》り難《がと》う」
「礼を言うのはこっちの方だ馬鹿……」
目尻《め じり》から涙をこぼすと、彼の顔が下がってきた。
うわ、と思い身を竦《すく》める間に、唇が重なる。
数秒を置き、湿りが吐息とともに離れ、身体《からだ》と頬《ほお》から熱が引かなくなった。
息をつき、脚《あし》を動かす。彼を膝《ひざ》で淡く挟んで、尻の位置を適当に直し、
「あ、あのな? 言っておくけど」
こんなこと言う京《みやこ》さんはどうかしてるぞ、と思いながら、
「初物《はつもの》だからな? 丁重《ていちょう》に扱えよ?」
「安心しろミヤコ。私も同じだ」
アポルオンが告げた言葉に、そうか、と思わず京は頷《うなず》いたが、
「――って何だ馬鹿! 嘘《うそ》もてえげえにしやがれっ!! 千人切りみてえな顔しやがって!」
「嘘じゃない。3rd―|G《ギア》では万全を期すため、こんな労働行為は行わない。全ては| 抽 出 《ちゅうしゅつ》して体外で行うものだ。それに大体……、何だ千人切りって。私は女性を切る趣味はないぞ」
「いや、千人切りってのは、つまりだな、その……、言えるかこの馬鹿!」
もー駄目だ、と京はそんな思いを内心で放り投げた。絶対に格好《かっこう》つくものではない、と。
いつも通りだな、と思う頭上で、アポルオンが身を下げてきた。
「あ、ちょ、ちょっと待て」
鼓動《こ どう》を跳ね上げると、今まで我慢していたかのように汗が浮いた。
怪訝《け げん》そうなアポルオンがこちらを見るのに対し、
「あのな? 本で読んだんだが、大体、初めて同士がするとロクなことにならん」
「大丈夫だミヤコ。私はそれでもなお上手《うま》くいく方法を昔《むかし》本で読んだ」
「何千年前の昔の本だ馬鹿|野郎《や ろう》。大体、あたしはこの大量生産主義の日本で生まれた近年|希《まれ》に見る出物《で もの》の一品だぞ。もし間違いがあったらどうする気だ。大体だな――」
と京《みやこ》は頭上の青年を仰向《あおむ 》けに見た。どことなく嬉《うれ》しそうなその顔から予感するに、
「何となく断言出来るんだが。……アンタは当てる。間違いなく当てる」
「|Low《ロ ウ》―|G《ギア》は3rdより進んでるな! 見た目で人の実力が解《わか》るのか!」
「実力じゃねえっ! 暴発だ!」
京は正拳《せいけん》を顔面にぶち込んだ。
アポルオンは、ぐわ、と声を挙げ、身をよじってこちらに落ちてくる。
「きゃ」
漏れた自分の声があまりにも情《なさ》けないことに京は驚いた。未明に格納庫《かくのうこ 》で抱き留めたときと違い、彼の肌の熱も、髪のくすぐったさもすべてこちらの身体《からだ》に乗ってくる。
「…………」
京は万歳《ばんざい》姿勢であたりを視線で見渡した。当然のように誰もいないことを確認してから、
「馬鹿が……」
吐息とともに身体の力を抜き、アポルオンの背と首を抱きしめる。
……何だか大サービスだな。
その思いが自分の照れ隠しだと自覚出来たとき、京は改めて内心で嘆息《たんそく》した。彼女は更に身体の力を抜き、ベッドに沈み込みながら、彼の身体に自分の曲線を合わせ、
「まあいろいろありそうだけど、大丈夫だろ、多分」
告げた言葉に、彼も頷《うなず》いた。顔を上げ、こちらと笑みの目を合わせる。
黄色い目、自分とは色は違うが、同じ光を宿した目だ。その目の持ち主が口を開いた。
「家族になれるかな? 私達は」
「あたしは別にいいがよ。……うちの母ちゃん、何て言うかな」
「ああ、そうか。……君と家族になれば、義理の母も一緒か。少なくとも三人家族だな」
そういう発想になるのか、と京は考えた。アポルオンが笑みでそんなことを思う原因、彼の過去に推測を巡らせて感情|移入《いにゅう》する。そしてもはや彼への想いを京は止めない。
「でも、……モイラ達のことも見てやれよ。あいつらだって家族だろ?」
「これからはそうするよ。慣れぬ内は君を通して」
彼は身体を浅く起こした。肘《ひじ》をついた腕を、こちらの肩と背の後ろに差し込んでくる。
京は身体の力を抜くために息をついた。息の熱さを感じるが、それを否定せず、
……コイツ、きっと、いい王になるんじゃねえかな。
妨《さまた》げているのはテュポーンだ、と京は思う。そして、もしこれから自動人形達が彼の家族になるのだとしたら、要らないものは何だろうか。
……あたしか。
主人は二人要らない筈《はず》だと、京は淡く思った。テュポーンとしてこの馬鹿と一緒にいてやるのも選択だろうか、と。だからこう告げた。
「家族、失ったよな。でも家族ってのは忘れないし、作れるし、……なれるもんだと思うか」
「そうだね」
アポルオンの頷《うなず》きに、京《みやこ》は告げた。安堵《あんど 》の笑みで、
「じゃあやっぱり一緒だ。あたし達」
●
夕焼けの空が西に消えようとしていた。
空がよく見える土地だった。
周囲は見渡す限りの田園が広がり、そこにあるのは鉄道の線路と、広い空《あ 》き地に円陣《えんじん》を組んだトレーラーの群だ。トレーラーのカーゴはどれも運送業のものだが、円陣の中央に広げられているものは違った。
夕焼けの陰影《いんえい》よりも強い光を放つ照明が、中にあるものといる者達を照らしている。
そこにあるのは、カーゴに載せられた三機の巨大な鎧武者《よろいむしゃ》だった。黒と白でまとめられた二機は胸にUCATのエンブレムが入っている。しかし、その横に並ぶ黒の武神《ぶ しん》は、何のエンブレムもまとっていない。
黒の武神の横には人影が幾《いく》つも集まっていた。皆の集まる先にはホワイトボードがあり、手書きの概略《がいりゃく》地図が描かれていた。地図の上には、KURASIKIとある。
ホワイトボードを前に皆に言葉を放つのは巨躯《きょく 》の黒人だ。
彼は言葉を作りながら、ふと、視線で横を見た。
そこに二人の少年と、一人の少女がいる。
鋭い顔つきの少年とショートカットの少女は、皆が着ているような白と黒の装甲服《そうこうふく》を身にまとっていた。が、もう一人の小柄《こ がら》な少年は違う。頭に白いバンダナを巻いた私服は、黒いTシャツにジーンズだ。
バンダナの少年は、対する二人に最も多く言葉を放っている。
「――で、風見先輩《かざみ せんぱい》、美影《み かげ》さんは?」
「まだ意識|戻《もど》ってないけど、先に車で倉敷《くらしき》に入れるって。シビュレも一緒だから飛場《ひ ば 》は安心して。でも……、いいの飛場? 戦場に怪我《け が 》人|連《つ 》れて行って」
風見が眉を下げて小首《こ くび》を捻《ひね》る。
対する飛場は困ったような笑みを返すしかない。我《わ 》が儘《まま》だな、と思いながら、
「どうなんでしょうね? 見限られたかもしれないから、もはやつき合わせるべきじゃないと思うんですが……」
首を浅く下に振り、
「これが3rd―|G《ギア》との決着になるかもしれないなら、その場にいるべきだと思います」
ふうん、と頷いた風見は、| 懐 《ふところ》から紙切れを取り出す。倉敷の地図だ。
彼女はこちらの横に立つ鋭い顔の少年と、頭上の獏《ばく》を見て、
「じゃ、佐山《さ やま》に質問。こっちの作戦は?」
「ああ、簡単に説明しよう。向こうでハゲの描いてる地図を見たまえ」
ボルドマンが振り向き、
「聞こえてるぞ!」
「隠すことではない。聞こえて当然だ。――で、いいかね、あの下手《へた》な概略《がいりゃく》地図だが」
飛場《ひ ば 》が見れば、倉敷《くらしき》の概略地図として用いられているのは正《せい》三角形の図だ。
「倉敷は大きく分けて街道をあのように見ることも出来る。頂上の角《かど》は倉敷駅、上には遊園地があるね? そして右下の角が概念《がいねん》空間の中心地である3rdの本拠地《ほんきょち 》、阿智《あ ち 》神社のある小山だ。我々は左下の角から突入を掛けることになる」
「随分《ずいぶん》遠いですね。というか3rdの概念空間が広すぎませんか?」
「午後過ぎにUCAT岡山《おかやま》支部が3rd―|G《ギア》の概念空間拡大を探知《たんち 》[#底本「検知(たんち)」]した。半径三キロというところか。中心近くに突然《とつぜん》飛び込むと自弦《じ げん》振動が傷を負う恐れがあるそうだ。そして阿智神社に対して直線で飛び込める二車線道路は、あの図形の通りだ」
飛場は見る。左下の角から右下の角までは一直線だ。だが、
「あの下の街道は近道な分、待ち伏せがありますね」
だから上を回る、と佐山が告げた。
「やや遠回りになるが、その方が確実だ。それに左下の角から頂上の角に至るまで、右側、つまりは東側に向かう間道《かんどう》は何本かある。そこで我々は左下から右上、倉敷駅に走りながら、その間道に部隊を流し込むように展開し……」
「待ち伏せ部隊が下から追ってくるのをとどめる、と」
「一応、倉敷駅にも敵がいることを考え、ダミーを先行する。街道|横《よこ》を走る線路に偽装《ぎ そう》貨物車両を無人で先行させ、敵がそちらに気を取られている間に我々は街道をトレーラーで行く」
「で、僕の仕事は?」
飛場は問うた。三機しかない武神《ぶ しん》の内、出力的に万全《ばんぜん》なものを用いるのは自分だ。
問いかけの答えに、佐山は視線で答えた。
彼の顔が向くのはこちらから見て左。偽装力ーゴの一つが側面を持ち上げ、内部のものを下ろそうとしていた。パレットに固定されてせり出て来るのは、黒鉄《こくてつ》の長大なものだ。数は三つ、二つは鞘《さや》に収められた二本の剣で、もう一つ、更に長大なのは、
「対《たい》武神専用|狙撃《そ げき》銃 徹神丸《てっしんまる》 。世界で最も早く生まれた独逸《ドイツ》製の対戦車| 長 銃 《ちょうじゅう》を開発部が武神サイズに作り替えたものだ。総《そう》段数は三発。有効|射程《しゃてい》距離は約一キロ。その距離ならば武神三体分の装甲《そうこう》を貫通《かんつう》出来るそうだ」
「僕、射撃《しゃげき》はまだ満足に行ったことが……」
「既に神田《かんだ 》の研究所で専用の補助|機構《き こう》が組み込まれている。荒人改《すさひとかい》が構えれば自動で補正がかかるそうだ。試射《し しゃ》は五発分。存分《ぞんぶん》に試したまえ。射撃《しゃげき》目標は、逃走しようとする3rd―|G《ギア》指導者だ。おそらく飛行可能な武神《ぶ しん》だと思うが、最悪の場合はテュポーンを撃《う 》つことになる」
佐山《さ やま》がこちらの肩を叩き、
「もしテュポーンが来たならば君が相手をしたまえ。決着をつけよう」
「そうですね、でも。……ここに来るまでに話しましたよね。テュポーンの使う技のことを」
時間を削るという、移動術だ。だが、佐山はつまらなさそうに、
「大丈夫だ。あの技、私は見ることが出来ず聞いただけだが、……君なら超えられる」
「そ、そんな、無責任な」
「私の担当ではない。私が責任を持つことは出来んよ。そして技の内容も非常に簡単だ。時間を削るだけでしかない。事実はそれだけだ。君はたとえどうあれ、テュポーンの技を超えて勝つ必要があり、そのために時間を吹っ飛ばして行動する相手に手を届かせねばならない」
佐山は、両の手を立てて眼前に掲げる。右手を上に跳ね上げ、左の後ろに回し、
「幸いなのは、このように飛んだテュポーンが、攻撃|発射《はっしゃ》時間までは飛ばせないことだ。おそらくその技は、相手の攻撃をスイッチとせねばならないようだね」
「こちらの攻撃を? 何故《なぜ》ですか……?」
「死の恐怖を払うためじゃない?」
風見《かざみ 》が持論《じ ろん》に首を傾《かし》げながらも言う。
「飛場《ひ ば 》達が死の表現なら、それを払うためのスタートとしてアルテミスは自分の姿を消そうとするんじゃないかしら。文字通り、死線《し せん》から逃れるために。……攻撃のときはもはや自分達が勝利出来る安堵《あんど 》の瞬間《しゅんかん》だから、とりあえずそこまで時間を飛ばすのよ」
「意外といい推論《すいろん》だ。戦術の参考にはならないが、息抜きにはなるだろう」
風見が半目《はんめ 》で佐山を見るが、飛場は気にしない。
テュポーンの攻撃システムも、発動起点となるものも推測《すいそく》出来るが、
「あとはどう破るか、ですか……」
「その方法は既に教えた」
え? と見れば、佐山は南の方を指さした。今はもはや見えぬ海の方を、
「あの場所に行く前の君では勝てるまい。だが、私と出雲《いずも》である程度のことは教えた。私の計算では充分にテュポーンを超えることが出来る筈《はず》だ。――頑張りたまえ、無責任に」
言われた飛場は、思わず苦笑した。大丈夫なような、そんな気がしてしまったからだ。
佐山は勝つためのことしか話さないが、先ほど港でどこかに電話をしながら真剣な顔でいた。
多分、アポルオンを救う方法を月読《つくよみ》か誰かに電話して考えているのだと風見に言われ、やはり信じてしまう自分がいることに気付いた。
……何なんだろうな、この信用は。よく解《わか》らないけど。
「しかし、佐山|先輩《せんぱい》、……アポルオンを救う方法があると思いますか」
「解《わか》らん。これは3rd―|G《ギア》の問題で、しかも我々にはほとんど情報がない」
だが、と彼は言った。
「こうも思うのだよ。3rd―Gの指導者、クロノスやゼウスといった者達は、どれだけ狂王《きょうおう》であったのか、と。人を人と思わなかったゼウスと、彼に幽閉《ゆうへい》され、恨みを込めて滅ぼそうとしたクロノスと。……親子とはそういうものかもしれないが、彼らはそうなのだろうかと」
言った佐山《さ やま》の右手が、浅く左の胸に当てられるのを飛場《ひ ば 》は見た。
彼が過去を話すとき、何故《なぜ》か左胸に手を当てる理由を飛場は知らない。
だが、佐山さんのお父さんは違うんですか、と、問いそうになってやめた。それは彼の左胸にある何かに勝手に踏み込むことなのだろうから。だから代わりに思うのは、
……僕と父さんの場合はどうだったろうか。
厳しく、いろいろな技や術《じゅつ》を教えてくれた父だったが、美影《み かげ》と自分の今を知ることはない。
「解らないですね。実の親子でも、お互いがどういう関係なのかは」
「ああ、解らない。だが……、解らないからこそ、私の推測では大丈夫だとも言える気がする。もし条件があるとするならば――、君がいかに美影君を解っていたかと、そういうことだ。それによって、おそらくアポルオンを救えるかどうかが決まる」
「え……?」
問い掛けに、佐山はこちらを見た。
「きっと、答えはもう出ているのだよ。クロノスはそれを予測していたと思う」
「アポルオンを救う方法を、ですか?」
「ああ、私の推測が正しければ、既にアポルオンは救われているのではないかと思う。――今はこの言葉を信じて欲しい。そして万が一があったら責任は私が負う。悪役として君を騙《だま》し、アポルオンを殺させたのだ、とね。だから、安心し、戦いに行きたまえ。飛場少年」
頷《うなず》けなかった。佐山の言うことは詳細《しょうさい》が解らず、確信の理由もない。
……信じていいんだろうか。
だが信じるに足るだけのものはある。彼らに自分は負けたのだから。
だから飛場は言った。彼に同意するとは言わずに、
「行きましょう。――何も無いところからでも、答えを作り出すために」
言って、飛場は| 長 銃 《ちょうじゅう》と剣の方へ目を向けた。己の武器へと。
すると、それらの傍《かたわ》らに見慣れた者がいた。背が低く、猫背《ねこぜ 》なのは、
「爺《じい》さん」
声を掛けると、果たして飛場・竜徹《りゅうてつ》は振り向いた。彼が持つ片方の赤い目に飛場は笑みが浮かぶのを感じた。そして思う。
……爺さんも、こういうことがあったのか?
決着をつけるための思いを、飛場は自分の中に確認した。だから苦笑で、
「――覚悟《かくご 》を決めたよ、爺《じい》さん」
言った瞬間《しゅんかん》だ。佐山《さ やま》の頭上で小さな影が動いた。
獏《ばく》だ。
●
佐山は雨の中に立っていた。霧のようでいて、しかし粒のある雨だ。
視覚と聴覚だけになった身を雨が通り抜け、そこで初めて、
……過去か。
ここはどこだろうか。
思いながらあたりを仰いだ佐山は、一つの光景を見た。
「――戦場か」
雨の中、山に囲まれた広い平地に幾《いく》つもの影が沈んでいる。それは機械や建物の影だ。多くはもはや原形すらとどめておらず、フレームや柱などを剥《む 》き出しにしている。
それらの建物の中、一つだけ全損《ぜんそん》を免《まぬが》れているものがあった。
一番大きな建物の下、地下への通路だ。建物の上面、おそらく三階層はあったプレハブは何か巨大な力に全てぶち抜かれていたが、一階部分の床から下にそれはある。
地下通路と、無傷の巨大な耐爆扉《たいばくとびら》が。
そして佐山は見る。耐爆扉の入り口に彫られた文字を。
UCAT・JAPAN、と。
「日本UCATか」
思い出すのは一つの過去だ。クロノスが告げた情報には、レアの子供を奪った3rd―|G《ギア》が、9thと組んでUCATを襲撃《しゅうげき》するとあった。
……それがこれかね。
振り返り見る限り、ここは破滅《は めつ》の庭だ。その中には倒れた人の影が多くあると今更《いまさら》気付く。
しかし上がる煙の中、動き出す影も幾つか見えた。それは生きている者達だ。
どれだけの力がやってきて、どれだけの被害があったものか。もはや護国課《ご こくか 》ではないUCATがこれだけ破壊されているには、
「相当な戦闘があった筈《はず》だが……」
地下への耐爆扉は守られた。
あの中にはおそらく、避難《ひ なん》した周囲住民や、研究物などがあるのだろう。
そして佐山は一つの妙なものを見た。雨に煙る破壊の中、中央付近の宙に妙な闇がある。
他Gへ通じる門だ。
佐山はそちらに移動した。見れば門は黒く縦に長いもので、薄く闇色《やみいろ》の光を周囲に放っていた。近づくに連れて、その大きさが軽く七、八メートルを超えるものだと解《わか》る。
武神《ぶ しん》用の門だ。
敵がここから現れ、去った門は、しかし光を緩めつつあった。
消えていく。
だが、その下に動く影があった。それは傷を負ったり、泥に汚れた男達だ。十数名の彼らは門の下に樽《たる》のような機械を幾《いく》つも設置し、声を掛け合っている。保て、とか、消すな、とかいう叫びが聞こえるからには、
……門を消さぬようにしているのか。
そして、彼らの近くには二つの巨大な物体があった。
一つは右腕を砕かれた黒の武神、荒人改《すさひとかい》だ。
そしてもう一つは、青と白で塗られた武神以上の巨大な影、機竜《きりゅう》だ。それも側面に星条旗《せいじょうき》のマークを入れた、米国UCATの機竜だった。
やはり砕かれ煙を噴《ふ 》く機竜の頭部では浅く風防《ふうぼう》が開いていた。フライトスーツを着た一人の若い軍人が、血を流した顔で、
「ショートル3がいれば何とかなったものを……」
「いねえヤツのこと言ってもどうしようもねえだろ、サンダーソン」
言葉は黒の武神の腹下から聞こえた。そこに一人の若い兵士が座ってる。右の目に包帯《ほうたい》を巻き、今、右の腕さえも縛《しば》るように包帯を巻いている。
サンダーソンと名を呼ばれた兵士は、飛場が立ち上がるのを見て眉を上げた。
「馬鹿。飛場《ひ ば 》、……本当に行くのか!? 向こうは敵地だぞ!」
「今のオメエにゃ解《わか》らねえよ。ショボくれたオメエさんにゃあ」
飛場は左手で武神の腹を開けた。操縦《そうじゅう》室の扉を引き出し、
「行って来る。戻りはいつになるか解らねえ」
そして彼はこちらを見た。
サンダーソンという名の兵士に向かって、泥に汚れた笑みを向け、
「――俺っちは先に行くぜ、サンダーソン。オメエはオメエの行くところを望みな」
「飛場……!」
サンダーソンは風防を開けて出ようとするが、曲がったフレームが今《いま》以上に開くことを許さない。数度のアタックを掛けて無駄《む だ 》だと知ると、
「駄目《だ め 》だ! お前が行ったらトシや他の皆はどうなる! 彼女らよりも、美影《み かげ》が大事か!?」
飛場は答えず荒人改の操縦室に乗り込んだ。扉が閉まる。
応じるようにサンダーソンが操縦|桿《かん》を動かして機竜の身を震わせた。だが、
「!」
機竜の右前足が折れた。顎《あご》から泥の地面に落ちた竜《りゅう》の眼前で、
『そういうことじゃあねえんだよ。どっちが大事か、じゃねえんだ』
黒の武神《ぶ しん》がゆっくりと立ち上がった。
背の翼《つばさ》は折れているが、構わず身を| 翻 《ひるがえ》す。雨の中、風を巻き、黒の武神が黒の門へ向かう。
門を支えるために機械を調整していた男達が、大きく道を開け、敬礼《けいれい》した。
彼らに軽く敬礼を返す荒人改《すさひとかい》から声が響《ひび》いた。サンダーソンに向けて、
『オメエも行け。オメエの覚悟《かくご 》の行き場へ。――俺ぁ先に行く』
黒の武神が前に踏み込み、消えた。
黒の武神を打っていた雨が空白を穿《うが》つ。その中で、残された男の叫びが挙がった。
お、という声の唸《うな》りを聞きつつ、佐山《さ やま》は後ろに突き飛ばされたような感覚を得た。
過去が終わるのだ。
……そして、これが本当の始まりか。
3rd―|G《ギア》の滅びの。
●
飛場《ひ ば 》は、はっとして顔を上げた。
周囲に夕焼けの光が来て、耳にトレーラーの排気《はいき 》音や会議の声が戻ってくる。その騒がしさにどきりとする眼前で、一人の老人が頭を掻《か 》いた。
「いけねえなあ。……何つうかよ、竜司《りゅうじ》、俺っち実はちょっと格好《かっこう》良くねえか?」
「いえ、僕の若さにはまだまだ及びませんよ」
言って二人で苦笑すると、横の佐山《さ やま》が肩を叩いた。
「飛場少年、飛場先生も、話したいことがいろいろあるだろう。――休憩《きゅうけい》を与える」
おうよ、と言う竜徹《りゅうてつ》の言葉に、佐山と風見《かざみ 》は無表情で頷《うなず》いて去っていく。
そして竜徹が不意に左を見た。| 長 銃 《ちょうじゅう》と、剣と、そしてその先にある荒人改を見据《み す 》え、
「竜司。これから美影《み かげ》は、どうするよ?」
「そうですね。……これが終わったら、二人で話し合おうと思います」
「いろいろ解《わか》ったかよ? 過去のことも、これからどうするかってのも、今までのこともよ」
はい、と飛場は頷いた。
「僕だけじゃないんですよね? いろいろ考えてるのって」
「あったりめえだ。今更《いまさら》気付くんじゃねえよ。――それで結論は?」
「出ません」
飛場は答えた。
「ただ、僕はどうあろうとも美影さんを護《まも》っていきたいです」
「……ぶっちゃけストーカーみてえだな」
「何でそういうこと言いますかっ!」
まあまあ、と竜徹は歩き出す。こちらの横を抜け、荒人改に身体《からだ》を向け、
「いいじゃねえか。答え出さずに悩み続けてもな。そのこと自体が答えになるってことよ」
「爺《じい》さんは、それすらも許されなかったんですか?」
「年寄りの過去は悲劇に満ちてるとか、そんなこと思ってねえだろうな?」
笑いの形で赤目《あかめ 》が振り向き、飛場《ひ ば 》は言葉を飲む。だが竜徹《りゅうてつ》は更に目を細め、
「竜司《りゅうじ》。いろいろてえへんだけどよ。てえへんなものこそ大切にな。俺っちがオメエに教えたことの中で、最も大事なのは覗《のぞ》きのテクニックと、美影《み かげ》を預けたことよ。そうやって疑問しながら、選べるものを素直に選び続けていきゃいい。それがあればオメエは――」
頭を掻《か 》き、
「間違っていても、過《あやま》たねえだろ」
「爺さん……」
「何でえ」
「今、少し、僕より格好《かっこう》良かったです。この小指の爪先《つめさき》くらい。ほら」
「竜司、テメエの指は全部|深《ふか》爪なんだがよう……」
「いやあ、だって美影さん、風呂《ふろ》で身体《からだ》を洗うときに爪が当たると痛いって言いますから」
いきなりぶん投げられた。
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第三十四章
『さらばの戦場』
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●
京《みやこ》は目を開けた。
眠っていたらしい。身体《からだ》を肩まで包む感触《かんしょく》は布のようなもの、3rd―|G《ギア》の布団《ふとん》だ。
数《すう》呼吸で身体に感覚が戻ってきて、布団に当たっている左のこめかみに鼓動《こ どう》が響《ひび》き出す。今、身体は横向きで、布団が肩まで掛かってる。
「ん……」
薄ぼんやりとした視界に見えるのは、薄暗い室内光と、白いシーツと、
……アポルオンか。
彼がそこにいる。こちらと向き合うように横向きで寝ている。
彼の瞼《まぶた》は伏せられており、眠っているらしい。
そんな無防備な彼の寝顔に京は触れようとして、
「――――」
やめた。ただ悪い気のしない吐息をつき、
「もし起こしたら、何て言うべきか解《わか》らねえもんなあ……」
よう、とか、おはようと言うのも変だし、肩を叩いて、まあよく頑張ったなボウズ、とか言うのも変に似合いすぎていて嫌な話だ。それよりも、
……今|何時《なんじ 》だ?
解らない。アポルオンと寝たのは夕方前だったと思う。あれからいろいろあって一眠《ひとねむ》りしたとしても、夜の早い内だろう。深夜ということはない。何しろ、目の前で眠っている彼がテュポーンに呼ばれていないのだから。だが、
「逆に言うと、あたし、何で起きちまったんだ?」
予定があるときっちり起きるが、それ以外のときは野放図《の ほうず 》だ。
寝た後で、彼の身体がこちらに触れた形跡《けいせき》もない。しかし、
「?」
京はゆっくりと体を起こした。何かが妙だ、と。
彼に掛かった布団を動かさぬよう、ゆっくりとベッドを這《は 》い、京は布団から外に出た。
身体は何もまとっていない。ベッドの傍《かたわ》らを見ると、サイドテーブルに着るものがあった。モイラ1stか誰かが来たのだろうか。
……嫌なところ見られたな。
しかし京は嫌味《いやみ 》のない笑みで立ち上がり、服を着る。身体の各所が軋《きし》んでいる。普段使わない筋肉を使ったからだ。しかしその痛みに更なる笑みを得ながら、京は衣服に袖《そで》を通した。
振り返ると彼はまだ眠っている。安堵《あんど 》の寝顔で。
……それでいい。
京《みやこ》は頷《うなず》いた。
「あたしがテュポーンに重なれば、アンタはずっとそうして寝ていられる。自動人形達とも共に歩いて行けて、……王になれる」
京は背を向けた。黒い髪を揺らして、振り向くことなくドアを開ける。廊下に出る。モイラ1stかギュエスを捕まえて自分の望みを言うために。
アポルオンが目覚めるより早く。
だが、赤|絨毯《じゅうたん》の白い廊下には、
「誰もいない?」
どういうことだ、と京は脚《あし》を進めた。非常口の方へ。
そのときだ。
「――?」
先ほどベッドの上で感じた妙な感覚が、また来た。それは、
「揺れてる?」
何かが建物を揺らしている。一定テンポで下から響《ひび》いてくるこれは、
……武神《ぶ しん》!
思考《し こう》よりも、焦りに近い反射神経で京は走り出した。非常口へと。
何が起きている。下の武神は一機《いっき 》程度ではこんな地響《じ ひび》きを立てない。
「――何が?」
息をつき、腕を振り、だが数歩で膝《ひざ》から力が抜けて崩れかかる。寝起きということもあるが、今は本当に身体《からだ》の使い勝手が上手《うま》くいかない。
くそ、とつぶやき、片手を壁につき、それを仮の重心としながら京は走る。
曲がり角を幾《いく》つか曲がって行くと、風が来た。正面、そこには夜の闇があり、空と大地の境界線を作るのは向こうに見える町の夜景だ。
出る。非常口のリフトの上に。
息を切らし、力の入らぬ膝を立たせて下を見ると、
「――京様」
遥か眼下に、モイラ1stの声と、見慣れたものが見えた。
それは数多くの侍女《じ じょ》達と、武神達だ。
武神は緑色のタイプが八機、背と肩のスラスターに光を持ち、大気を歪《ゆが》めている。それらの中央にいるモイラ1stがこちらを振り仰いでいた。
「京様! おめでとう御座《ご ざ 》います! 今夜は御赤飯《お せきはん》を御《ご 》自分で御《ご 》用意下さい!」
「馬鹿|野郎《や ろう》、そりゃ風習《ふうしゅう》が違う! あたしゃ十年以上前にやってらあ!」
そうじゃない。吹き荒れる風の中で京は叫ぶ。
「――ってか何やってんだアンタ!」
「ええ! UCATが攻めてくるんです」
「……は?」
「お祭です。3rd―|G《ギア》最後の。……私達で全ては片づけますから、京《みやこ》様は出来ればアポルオン様とお逃げ下さい!」
モイラ1stが見せた笑みに京は叫んでいた。眉を立て、手摺りを掴《つか》み、
「馬鹿|野郎《や ろう》! あたしがどういう選択したいのか解《わか》ってるのか!?」
「逃げるというのも立派《りっぱ 》な選択|肢《し 》ですよ、京様」
「だけどテメエらは戦う気だろうが! 侍女《じ じょ》仕事ばかりの自動人形が戦えるのか?」
「3rd―Gの自動人形は全G中《ちゅう》最高のものです。――苦手《にがて 》はあっても不可能はありません」
モイラ1stは目を細めた。
「時間は稼ぎますし勝利も頂きます。そして責任は私達で持ちます。京様はアポルオン様とテュポーンで駆け落ちなさって下さい!」
「公認は駆け落ちって言わねえー!」
「じゃ、じゃあ中途半端《ちゅうとはんぱ 》に中落《なかお 》ちで!」
「あたしゃ刺身か! だが熱い米には良く合うから憶《おぼ》えておけ」
「はい! ――いずれ食卓にお出し出来るときが来ると信じております」
モイラ1stは目を笑みに閉じた。
「私どもの望みは伝えました、京様、我らに名を与え、歌を教えた姫君《ひめぎみ》様。――やはり姫様とお呼びした方がいいのかもしれませんね」
モイラ1stが一礼する。その動きを京は止めようとした。やめろ、と。その礼を終えたら、
……いなくなっちまうだろうが!
だが、上げられたモイラ1stの顔には微笑があった。今まで見たものよりも、整いもせず、綺麗《き れい》でもなく、わずかに歪《ゆが》んだ微笑が。
声が聞こえる。
「――しばらくお暇《ひま》を頂きます」
瞬間《しゅんかん》だった。
侍女達が全員一礼し、同時に走り出した。森の中、山の下へ。町へ、戦場へ。
消えていく。
それに応じる合図のように、八機の武神《ぶ しん》が地を蹴《け 》った。
轟音《ごうおん》が八つ、空に抜けた。
「!」
眼前を高速に空へと舞った武者《む しゃ》は、八の数を持って町へと飛ぶ。風の軌跡《き せき》を描き、雲をたなびかせ、夜の夜景の中へと飛び行き去る。
後に残されたのは風と、舞い散る草木の葉と、
「くそ……」
唸《うな》る京《みやこ》に、
「あれ? こんなところにいたの? 京」
振り向くと、背の低い侍女《じ じょ》がいた。モイラ3rdだ。
「……何してんだお前、皆《みな》先に行っちまったぞ」
行って欲しくないな、と思いながらの京の問いに、モイラ3rdは頷《うなず》き一つで応える。
「うん、何て言うのかな、ちょっと仕事してたんだよ」
「仕事?」
「うん、概念《がいねん》空間の調整。大きく張ったからね。ひょっとしたらここも制圧されるかもしれないから、出来れば京はその前にアポルオン様と出て行ってね」
「その必要はねえ」
京は手摺りから手を離し、モイラ3rdの前に立った。息を吸い、
「テュポーンとの同調方法、お前|解《わか》るよな?」
「う、うん、解るけどさあ……」
モイラ3rdは身を堅くして首を傾《かし》げた。セミロングの髪を揺らし、
「京、本気? 多分痛いよ? もう、何て言うのかな、延髄《えんずい》をさい箸《ばし》で掻《か 》き回されるくらい」
「何で自分に無いもんの表現が上手《うま》いんだお前……。ってか、あたしが決めたことなんだよ」
無人の廊下をちらりと見て、
「ここで……。あたしゃ結構《けっこう》いい感じにしてもらった。おそらく、外に出てもやっていける。駄目《だ め 》でもやっていける。そう思う」
「そうなんだ。……実は皆、そう思ってるよ。私達も、これから先、飽きずにいろいろやっていけそうだって。共通|記憶《き おく》で告げ合ってる」
そうか、と京は笑みを得た。頷き、視線を緩めてモイラ3rdを見た。
「だがよ、一人、まだちゃんとしてねえのがいるんだ。そいつがいたおかげで、あたしゃちゃんと出来たってのにな」
「京」
「何だよ」
「その人のこと、大事?」
京は迷わず答えた。
「大事だ」
そう、とモイラ3rdは笑みを見せた。肩に載せたこちらの手を取り、引く。リフトの手摺りの方へと。
そちらに向けば、夜景が見えた。夜景の下、手摺りの前ではモイラ3rdが見上げてくる。
彼女は手を身体《からだ》の前で組み、
「京《みやこ》」
「何だよ、さっきから」
うん、と言って、モイラ3rdは頷《うなず》いた。
「……後で叱《しか》ってね。股関節《こ かんせつ》はずれるくらい」
あ? と声を挙げた瞬間《しゅんかん》だ。京は首の後ろに軽い痛みを得た。
「――――」
軽い打撃。だが、当たりどころが悪かったらしく、呆気《あっけ》なく意識は薄れた。
……え?
不意打《ふ い う 》ちに、身体《からだ》が前のめりに倒れていく。
そして意識が暗くなっていく。
倒れていく視界は、背後から一撃《いちげき》を与えた者を見た。
それは、アポルオンだった。
……馬鹿|野郎《や ろう》。
その思いが、京の意識が切れる直前の思考《し こう》だった。
●
モイラ3rdはリフトの上で、一つの人影を見上げていた。
それは、白い衣の女性を横抱《よこだ 》きにした、金髪《きんぱつ》の青年だ。
「いいの? アポルオン様。京、多分泣くよ?」
「いいんだよ。彼女が早まる前に間に合って良かった。リフトを下ろしてくれるかい?」
問いに、モイラ3rdはやや迷った。
だが、うん、という彼女の頷きとともにリフトは結局下がりだした。
風が下から上に流れる中、モイラ3rdはアポルオンに問う。
「どうするの? アポルオン様」
「答えを出しに行くのさ。――私が王になるために。そして、3rd―|G《ギア》の決着をつけに」
「でも、テュポーンが……」
「昔から言われている第一と第二の選択は無い。あとは、私がこれから選ぶ第三の道さ。――モイラ2ndが修復《しゅうふく》されていて救《たす》かった。全て、すべきことは出来たんだから」
空を見上げる。
月は出ているが、まだ低い位置だ。
「今日は絶好調だ。私が私でいられる時間も長いだろう」
そして彼はモイラ3rdを見た。肩を竦《すく》め、
「このことは他の皆には内緒《ないしょ》だよ? 驚かせてやりたいからね」
「演出好きな王の国は早く滅びるって、この世界の本に書いてあったよ?」
「そうだろうな」
アポルオンは小さく笑う。夜の中へと笑い声をこぼすように。
リフトは下がる。格納庫《かくのうこ 》の全開になった扉と並んだ。更に下がるリフトからは格納庫の光を見ることが出来た。その光を眺《なが》めつつ、アポルオンは告げた。眉尻《まゆじり》を立て、
「……さあ、行こうかアルテミス。決着をつけに」
●
夜十時半。倉敷《くらしき》市南東にある街道の三叉路《さんさ ろ 》に、いきなり五台のトレーラーが現れた。
並ぶ街灯《がいとう》の下を行くのは白地に青字で | 強 襲 《きょうしゅう》宅配・バリカン便 と、叫ぶ丸刈《まるが 》り頭の親父《おやじ》が描かれたトレーラーだ。
五台の内、先を行く二台がまず動いた。二台は三叉路|右《みぎ》の病院|駐車《ちゅうしゃ》場に乗り込み、ぐるりと回って停止を掛ける。
他三台は街道上で左に寄せて急停車した。
次の瞬間《しゅんかん》には全てのトレーラーから白と黒の装甲服《そうこうふく》をまとった者達が降り立つ。
街道側の三台目から降りた少年、佐山《さ やま》があたりを見回した。
街道の街灯を含め、建物などに灯《あか》りがある。
電気が来ている。
「――諸君、概念《がいねん》空間に影響《えいきょう》が無いよう、倉敷市の徒歩《と ほ 》以外の全交通|網《もう》を概念空間|展開《てんかい》まで止めさせてもらった。そしてUCAT岡山《おかやま》支部と出雲《いずも》支部から発電機を出せるだけ出して概念空間内に電気を通した。――この概念空間は無人の|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に近い。そのことを忘れるな!」
|Tes《テスタメント》.と皆が答えた。その言葉が終わらぬ内に佐山は叫ぶ。
「索敵《さくてき》!」
声と同時に、病院の駐車場に停まっていたトレーラーのカーゴが跳ね上がった。中から出てくるのは防弾《ぼうだん》素材で作られた傾斜《けいしゃ》屋根を持つテント型のパレットだ。
地面に機械的な動作で下ろされたパレットは東側に屋根を浅く立てる。その屋根上の櫓《やぐら》に乗るのは双眼鏡《そうがんきょう》を覗《のぞ》き込む大樹《おおき 》だ。彼女は双眼鏡の横で指折り何かを数えて、
「発見ですよー! こっちの南っかわの街道沿いにおっきいのが四〜! ええと、阿智《あ ち 》神社の向こーに二〜! んで、阿智神社から倉敷駅|方面《ほうめん》に二〜! そんな感じですー」
「非常に緊迫《きんぱく》感ある噛《か 》み砕いた説明を有《あ 》り難《がと》う」
佐山は、医務用の二個目のテントが病院の駐車場に下ろされるのを見て、
「病院側のトレーラーは阿智神社方面への道を行きたまえ。武神《ぶ しん》達に対してバリケードとする。連中は飛行出来るから一台目は突っ込み、二台目は相手の出方を見て自力横転《じ りきおうてん》するように」
そして左側、街道からはビル一つ挟んで存在する水島《みずしま》方面行きの線路を見て、
「大樹先生、後から線路を来る偽装《ぎ そう》列車は見えるかね?」
「来てるわ!」
叫んだのは街道側にある一両目のカーゴの屋根に乗っていた風見《かざみ 》だ。
彼女の声を証明するものは、すぐに来る。左手側、北の方の民家と田圃《たんぼ》の間に見える線路を、黒い影が通り過ぎていく。
鉄の線路を軋《きし》ませ鳴らす音を生むのは、重量物を時速約六十キロで運ぶ無人|操縦《そうじゅう》の列車だ。先頭の青い牽引《けんいん》車の後ろには幌《ほろ》を掛けた貨車が十台続く。
三台目のカーゴの後ろ側に座っている新庄《しんじょう》が、北の方を見てつぶやいた。
「囮《おとり》になるかな?」
「何らかの対処は必要だろう。それが隙《すき》になれば意味はある。――一番、三番|武神《ぶ しん》立てろ!」
|Tes《テスタメント》.、という声とともに新庄の座るカーゴが傾いた。
駆動《く どう》音とともに一両目と三両目のカーゴの大型パレットが立ち上がる。
それぞれのパレットの蓋《ふた》が自動でロックを外し、垂れ下がるように降りていく。その下から現れるのは白と黒の武神だ。UCATエンブレムのついた二機の武神を、近くにいた隊員の一人が眺《なが》め、拳《こぶし》を握ってつぶやく。
「立ってくれよ……。ここの概念だったら空だって飛べるんだ」
彼の言葉に佐山《さ やま》は内心で頷《うなず》いた。
……いろいろな者達と足並を合わせ、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》はいずれ芳醇《ほうじゅん》になるのだろうか。
果たして二機の武神は、ほぼ同時に前に一歩を踏んだ。
皆が、わ、と声を挙げる中、武神達は軽く手を上げ、背後に立ったパレットについた武器へ手を伸ばす。そこにあるのは一本の剣と、対《たい》武神用のSMGだ。
武器が取られるのを見て、よし、と佐山は頷《うなず》く。
同じタイミングで街道側、二両目のカーゴから、こちらはカーゴを立てずに巨大な影が立ち上がった。
荒人改《すさひとかい》だ。
黒の武神はカーゴから片足を下ろして着くだけで、軽く立ち上がる。
その身動きの自然さに、先ほどUCATの武神の起立を見ていた者達が息を飲む。
3rd―Gの機体をベースにした荒人改は、現在最高の技術で作られたUCATの武神を遥かに上回るものだ。それを埋めていくべき差だと思う佐山の前、皆は刀剣《とうけん》類の装着を確かめる荒人改の動きに嘆息《たんそく》をつき、しかし真剣な顔で見ている。いつか自分達が追いつくべきものとして。
佐山は彼らの視線の強さに満足して、声を放った。
「三番隊はここの防御を! 一番、二番は行け! 一番は倉敷《くらしき》駅|突撃《とつげき》! 二番は続くが、途中で戦闘員を降下するのを忘れるな!」
言いながら佐山は前に走った。新庄も並ぶ。走り出すために排気の揺れを作った二番カーゴに追いつき、カーゴの裾《すそ》を掴《つか》んで身を寄せる。
一両目が立てていたカーゴを下ろし、前に出た。二両目が続き、三両目が搭載《とうさい》していた装備類を排出してカーゴを下げようとする。
そのときだ。動き出す皆の横、道路の脇に一つの影が飛び込んできた。白い髪の侍女《じ じょ》姿だ。
「――|Sf《エスエフ》君か」
Sfはゆっくりと走り出すこちらに合わせ、スカートの裾をつまんで併走《へいそう》。一礼の後に、
「|Tes《テ ス》.、間に合いまして何よりです。そして百メートル走る前に一つ御《ご 》忠告を」
彼女はこちらを見て告げた。
「北東、倉敷《くらしき》駅方面に強大な賢石《けんせき》反応があります。何らかの概念《がいねん》兵器かと。そちらから何かが来ます。衝突《しょうとつ》まで――」
直後。何かが三番隊の立ち上がったままのカーゴパレットに激突《げきとつ》した。
●
誰もが音を失い、そちらを見た。
未だ浅く立ち上がっていた三番隊の白いカーゴパレットが、その中央部をぶち抜かれていた。
それによって生まれた一瞬《いっしゅん》とは、全てが無音で、動きも遅く感じる錯覚《さっかく》の瞬間《しゅんかん》だ。
武神を乗せていたカーゴパレットの中央、開いた穴はまるでプラスチックでも溶かしたかのようにほつれ、向こう側に広がっていく。
が、それは直径二メートルほどで停まった。穴の周囲に瞬間的な陽炎《かげろう》を浮かせ、
「!」
音が来た。それも轟音《ごうおん》とか激音《げきおん》というものではない。
震音《しんおん》。
聞いたものの全身を穿《うが》ち、周囲の建物を震わせ、硝子《ガラス》を幾枚《いくまい》か叩き割る一瞬の音だ。
周囲に大気|震動《しんどう》で生まれた浅霧《あさぎり》が走り、風に飛ばされる。
そんな中で三番隊のカーゴは衝撃《しょうげき》に踊った。カーゴのパレットが宙へと吹き飛んだのだ。
カーゴはその基部を破壊され、それによって押さえを失った巨大な鉄板は衝撃に仰《の》け反《ぞ 》るように飛んだ。舞い上がる位置としてはカーゴのほぼ真上だ。
白い巨大な鉄板の跳躍《ちょうやく》高は十数メートルを超える。
その下では、カーゴを牽引《けんいん》していたトレーラーが、吹き飛んだカーゴ基部に引かれて尻を上げていた。
身動き出来ないトレーラーに、空から鉄板が縦に落ちた。
激突|切断《せつだん》する。
一瞬の快音で残ったのは両断されたトレーラーと、壁として地面に刺さったパレットだ。
響《ひび》くのは風音。そして第一と第二のトレーラーが動き行く音だけ。
そこに|Sf《エスエフ》が遠ざかる声をつけ加えた。
「二発目、来ます。――余所《よそ》行きですが」
言われた瞬間《しゅんかん》それが来た。
「!?」
音は進行方向に対して左側を走った。
皆が左側、北側を見る。
そちらには線路があり、偽装《ぎ そう》列車が走っていた。
だが、その偽装列車が、何らかの力で軽く全貫通《ぜんかんつう》された。
「――――」
弾丸《だんがん》は見えない。
だが、音は聞こえた。
まず聞こえたのは、小さな金属音の連続だった。
その音は偽装列車の先頭、牽引《けんいん》車両の鼻から始まり、末端《まったん》輸送車両の尻で抜けた。
ここまでは音だけで、何も起きない。
誰もが息を飲んだ。
直後。それが来た。
破壊と激音《げきおん》だ。
音の後から、線路上の全てが破裂して跳ね上がった。
線路上の車両は全てシャシーにあったものを空にぶちまけ、紙切れのように四散《し さん》する。金属の破砕《は さい》音とともに、残ったシャシー部分も不規則に空へと持ち上がり、くねった。
聞こえるのは怒濤《ど とう》にも似た爆発音だ。
そして線路が破裂した。
まるで下から上がる滝のように、土砂《どしゃ》と鉄の双線《そうせん》が吹き飛び、列車は己を虚空《こ くう》にぶちまける。
十一の車両が無人の民家や田圃《たんぼ》に転び、刺さり、滑り、それぞれの破壊と音をまき散らした。
皆が息を詰める中、しかし声が響《ひび》いた。
よく通る女の声、風見《かざみ 》だ。
「解《わか》ったわ! 今、掛け声みたいなものが向こう、倉敷《くらしき》駅から聞こえたの!」
彼女は立ち上がり、皆を見回す。
「砲撃《ほうげき》音は、発射《はっしゃ》時に弾丸が音速|超過《ちょうか》した爆発音だけ。街道と線路の二方向に素早く撃《う 》ち分けたということは大型|砲《ほう》なんかじゃない、超《ちょう》高速弾を放つ何らかの仕掛け。そしてさっき聞こえた掛け声は女性のもの……」
頷《うなず》き、
「相手は自動人形よ!」
●
倉敷《くらしき》駅前南口には、バスとタクシーのための大型ロータリーがある。
月下の概念《がいねん》空間においてそこは無人だ。今、アスファルトの広場にいるのは人ではなく、
「――自動人形。3rd―|G《ギア》謹製《きんせい》の底力を見せて差し上げましょう」
モイラ1st以下、モイラ2ndと3rdを抜いた自動人形の内、約半数がここにいる。
「私を含めてここにいるのは三十七名。……三発目入ります!」
モイラ1stはロータリーから街道を見る。街道の奥、約一キロほど離れた位置に白い影が見える。UCATのカーゴが何も乗せぬまま、バリケードとして立ち上がりつつあるのだ。
……同じ機械として残念ですが、邪魔《じゃま 》になりますね。
ならば痛みを与えずぶち抜くしかない。
「行きます! 距離約千二百メートル。角度南西八時十二分!」
言葉に続くように、侍女《じ じょ》達が走った。足音|一過《いっか 》、モイラ1stを最後とするように、彼女達は二列|縦隊《じゅうたい》を組む。
そしてそれぞれの自動人形は、縦列《じゅうれつ》で向かい合う仲間に対して両の手を上下に掲げた。
両手は上下に大きく幅を持って、二人一組で円を作るように合わされる。
腕の輪が連続して成形されていくのを見ながら、モイラ1stは口を開いた。
「私達が使うのは3rd―Gの自動人形が標準装備とする重力|制御《せいぎょ》です。これは、一人一人のものは弱いものですが、これだけの数を一定《いってい》方向に揃《そろ》えれば……」
円の連続が出来上がった。
末尾《まつび 》にいるモイラ1stから見て、円の数は合計十八個。並ぶ円の直線上には白いカーゴの壁が見える。
侍女達が皆、こちらを見て頷《うなず》いた。モイラ1stも頷き、
「出力開始!」
「押忍《おす》!」
声とともに、侍女達の組んだ十八個の円の中に歪《ゆが》みが起きた。まるでレンズを通したかのように、向こう側の風景が歪んで見える。
高重力の流れが生じているからだ。それも、モイラ1stから街道の方に向かって。
重力のレンズを通して歪み見えるカーゴの白い姿に対し、モイラ1stは静かに告げた。
「十八枚の重力加速レンズは、通過する物体にそれこそ超《ちょう》破壊の加速を与えます」
一息。
「これぞ侍女|式《しき》十八|連《れん》重力加速|銃《じゅう》。――受けてみなさいUCAT」
言ってモイラ1stが| 懐 《ふところ》から出したのは二枚の皿だ。笑みで二枚を掲げ、
「今回の弾丸《だんがん》は、武神《ぶ しん》が百体|踏《ふ 》んでも壊れない、3rd―Gの耐熱|耐爆小皿《たいばくこ ざら》を使用します。非常にリーズナブルな破壊兵器と言えますね」
皿を向かい合わせで貝のように重ね、重力|圧縮《あっしゅく》で張り合わせる。そして円盤《えんばん》となった皿を重力|制御《せいぎょ》で手と手の間に浮かせ、腰の横へと構え、
「入めます! そして皆さん、質問です。侍女《じ じょ》としての御《お 》仕事はまず何でしょう?」
「押忍《おす》! 笑顔で接客です!」
皆が作り物の笑みを浮かべ、街道の方を見た。モイラ1stは目を笑みに細め、
「――よく出来ました」
言い放ち、最大出力で円盤を前に発射した。
彼女の身体《からだ》の後ろに水蒸気《すいじょうき》爆発を生む勢いで、円盤がスタートする。
「射撃《しゃげき》!」
風を割った円盤が行くのは、侍女達が作る腕の円だ。その円は、中心の歪《ゆが》んだ空白で、
「!」
入る。
そこから先は無摩擦《む ま さつ》で放たれる重力の連続加速だ。音速|超過《ちょうか》で生まれる衝撃波《しょうげきは》を自分達が食わぬよう、緩衝《かんしょう》としても出力を食うので完全加速とは言えない、が、
「三十六人の侍女が笑みで作る重力加速レールガンに、貫通《かんつう》出来ないものはありません!」
一瞬《いっしゅん》の中、全ての侍女達が両手に力を込めた。空間が更に歪み、反発力を皆が抑え込む。十八枚の重力|円《えん》が円盤《えんばん》に加速を与え続け、そして円盤が最後の円に至り、
「――――」
発射された。
そして飛ぶ。
爆圧《ばくあつ》のような風を巻いていった射弾《しゃだん》の円盤は、もはや視認《し にん》不能だ。
次の瞬間《しゅんかん》、モイラ1st達は確認する。立ち上がり掛けていたカーゴが着弾|爆砕《ばくさい》したのを。
遠目《とおめ 》にも鮮やかに、直撃《ちょくげき》を受けた白い金属が千切《ち ぎ 》れ飛び、周囲の建物を倒壊《とうかい》させたのが見えた。
快音が遠くから響《ひび》いてくる。
きゃあ、と侍女《じ じょ》達が喜びの声を挙げる中、しかしモイラ1stは眉をひそめた。宙に散じるカーゴの部品群を見て、
……申し訳|御座居《ご ざ い 》ません……。貴方《あなた》もこの概念《がいねん》空間では微弱ながら生きていたでしょうに。
あとで回収して再精製《さいせいせい》しようと、モイラ1stは共通|記憶《き おく》に展開せずに自分一人で思う。
だが、ふとモイラ1stは眉のひそめを強くした。
……おかしいですね。
その理由に気付いたとき、モイラ1stは叫んでいた。眉を完全に詰め、口を開き、
「――次弾《じ だん》用ー意!」
はっ、と皆が動きを止めて振り向くのに対し、モイラ1stは共通記憶を展開、高速に言葉を送り、現状を知らせる。
……危険です。
何故《なぜ》ならば、
『標的《ひょうてき》無人』
空から声が響いた。振り仰げば、月の浮かぶ空に青の巨躯《きょく 》がいる。大型|自動《じ どう》人形の、
「コットス様。やはりそうですか? あのカーゴは……」
『囮《おとり》確定』
そして、
『敵《てき》接近|確定《かくてい》!』
叫びが生まれたときだ。町の南の方から、音が挙がった。
それは人の雄叫《おたけ》びと、
「爆発音に金属音……」
モイラ1stは見た。街道の先、カーゴなどよりもっと近くに白い装甲服《そうこうふく》の影が見える。
爆発の隙《すき》に前へと出てきていた者達だ。
カーゴを囮に、二手《ふたて 》に分かれたのだとモイラ1stは判断する。一方は街北側のこちらへと。もう一方は基地のある南東側へ進軍するために街の中央を横切る間道《かんどう》を選んだのだろう。
敵は己のすべきを誤っていない。
そんな事実に対し、コットスが動こうとした。
『前衛《ぜんえい》行動行使』
彼が通りに広がった敵へ向かおうとする。瞬間《しゅんかん》、モイラ1stは叫んでいた。
「コットス様! 南東側へ進軍した敵をどうぞ! ここは私どもで防ぎます!」
放った言葉に、コットスが一度こちらに振り返り、そして頷《うなず》いた。
『了解《りょうかい》一任』
言葉を置いて、彼は背の翼《つばさ》を展開した。跳ねるような動きで南へと飛ぶ。
彼の後部視覚に対し、モイラ1stも頷いた。既に表情に迷いは無く、眉は立っている。
……逆ギレ判断ですが、許せないことがあります。
彼らは囮《おとり》として金属製のカーゴを用いた。ならばもし、
「もし貴方《あなた》達が勝てないならば、あのカーゴを無駄《む だ 》に破壊させたことになります」
つぶやき、モイラ1stは両の手を上に振り上げた。
頭上の宙に白い円盤《えんばん》が舞う。二枚の皿だ。だが彼女はそれが降りてくるまで待たない。手首の振りで、両の手に新しい皿を用意した。
落ちてくる二枚の皿を、手にした二枚の皿で受け止めた。
二枚の砲弾《ほうだん》を載せた両手を、モイラ1stはゆっくり下から後ろに振る。
身体《からだ》を前に倒し、その分、重ねた対《つい》の皿を載せた手を後ろへと。翼のように振りかぶる。
身体を折って放つ声は、
「双砲《そうほう》用ー意!」
その言葉に侍女《じ じょ》達が無言で身を動かした。スカートの裾《すそ》をつまんで| 翻 《ひるがえ》し、ステップ踏んで身体を回し終えると、そこには二対九人ずつの列が二つ出来る。
砲が短く、しかし二つになった。射撃《しゃげき》力は半分になるが、
「速射性《そくしゃせい》重視でいきます」
言うなり、モイラ1stは右手の皿をアンダースローで前方に投じた。
風を巻いて右の砲撃《ほうげき》が行われる。その瞬間、モイラ1stは左を投じながら右に身体を捻《ひね》り込み、そして身を回した。
髪が踊り、エプロンが翻り、ブラウスの袖先《そでさき》が舞った。
それら全ての陰から、宙に百枚を超える白い皿が吐き出される。
宙に浮いた白皿の中、モイラ1stは弾丸《だんがん》形成と連続|投射《とうしゃ》を開始した。
身を踊るように、皿を手に取り、前にサーブしながら、笑みの口が開く。
「来られませ。来られませ我らが客人よ。ここは鉄の規律をもって侍《はべ》る我らの待つ揚所|也《なり》。黒の衣に白の給仕服は我らが正装。たとえ痛みもてど笑みで送迎《そうげい》する姿は我らが外装。そして客人に満ちたりを送らんとする判断は我らが本情《ほんじょう》」
笑みを濃くして、身を回し、舞うように弾丸《だんがん》を無数に成型しながら、
「この私どもの| 奉 《たてまつ》りの前ではいかなる拒《こば》みも遠慮《えんりょ》も無用で御座《ご ざ 》います。要求し、要求し、要求して頂ければ、客人の御心《みこころ》は私ども| 仕 《つかまつ》りの上に、客人の御《お 》身体《からだ》は私どもが送る安らぎの上に、客人の御命《おいのち》も私どもが支配の上に――」
放ち、
「全て私どもにお任せ下さい」
射撃《しゃげき》した。
応じるように、加速レンズで弾丸を送った侍女《じ じょ》達は、それぞれ送った順番に外へと身を| 翻 《ひるがえ》す。
古い加速レンズを身を回すことで切り、改めて腕に力を込め、
「――接続《コンタクト》! 奉《や》れます!」
彼女達はまるで踊るように、回り終えた相手と手を重ねた。
そこにモイラ1stは右手の新弾を送り込んだ。既に左手に新皿を用意した状態で、だ。
連撃《れんげき》する。
そして停まることはない。
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第三十五章
『集合の心意気』
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集まれよ
今宵に会うため
果たすため
[#ここで字下げ終わり]
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●
飛場《ひ ば 》は二車線の曲がりくねった道路を走っていた。
身体《からだ》は人のものではない。全高八メートルの武神《ぶ しん》、荒人改《すさひとかい》の姿だ。
そして彼が行く道路は倉敷《くらしき》駅に向かう街道ではない。その街道の半《なか》ばから、阿智《あ ち 》神社方面の東に向かって行く細い道路だ。
道は狭く、電柱は車道|間際《ま ぎわ》に生《は 》え、電線は低く重なって張られている。
電線の張られた高さは地上から三〜四メートルのあたりだ。幾本《いくほん》も多重の高さで存在するそれは、ワイヤーカッターを装備したところでカバーし切れるものではない。
だが飛場は行く。身を倒すように低くし、高速で電線をくぐって、だ。
本来の飛場の低い突撃《とつげき》姿勢は、市街地でさえも荒人改の進軍を容易とする。
背後、ついてくるトレーラーはアクチュエーターを最弱にし、車高を低く設定している。
後部|視覚《し かく》からは、トレーラーの屋根に風見《かざみ 》と佐山《さ やま》、そして新庄《しんじょう》が乗っているのが見えた。
この通りに飛び込んだのは佐山の指示だ。
今、倉敷駅の方には出雲《いずも》を中心とした突撃隊が向かっている。先頭のトレーラーとカーゴを囮《おとり》にして稼いだ時間で再《さい》編制を行い、阿智神社に向かうルートを確定したのだ。
この道は、倉敷南を阿智神社に向かう街道と倉敷駅の中間点にある。
作戦会議の倉敷|概略《がいりゃく》地図で言うと、正《せい》三角形の上半分を水平に切り取る線が、この道だ。
まっすぐ行くと倉敷駅から阿智神社へ向かう街道の半《なか》ばにぶつかる。新庄と佐山の下調べによれば突き当たりの先は商店街、倉敷の商店街は屋根付きで武神|戦闘《せんとう》には向かないとのことだ。
ならばもし狙撃《そ げき》銃を射つとしたら、場所は突き当たりを出た街道中央となる。
……そこに行くまでにどれだけの敵が来るか。
武神は八機を確認している。
完全な市街戦で、それだけの敵を相手にするかもしれない。そしてこちらには敵を倒すのとは別の目的がある。相手の指導者を止め、テュポーンを手に入れろ、と。
……どうなる?
このような状況の戦闘を、自分は行ったことがない。
と、そのときだ。背後から声がした。
「飛場少年」
トレーラーの屋根に座る佐山だ。彼は風になびく前髪をゲオルギウスという手甲《て こう》で掻《か 》き上げ、
「実力が出せるよう気楽にやりたまえ。考え込んだところで、力が出ねば意味はない」
『……そうですね』
「ほらアンタ達、来たわよ!」
見えている。右手側、南の方から緑の武神が二機飛んできた。重力|制御《せいぎょ》とスラスターの併用《へいよう》で跳躍《ちょうやく》するように、しかし低い軌道でこちらに飛んでくる。
その動きを見た飛場《ひ ば 》は、彼らがカーゴを重量で潰すつもりだと予測する。
『行きます!』
●
電線と電線の間、わずか数メートルの距離の中で飛場は動いた。
疾走《しっそう》から跳躍へと。
荒人改《すさひとかい》はそれほど強力な重力|制御《せいぎょ》機能を搭載《とうさい》していない。動く場合は背部の二枚|翼《よく》を使用した方が楽だ。
立ち上がり、地面を蹴《け 》る。身体《からだ》を前方の空に投げ出す勢いだ。
視線が周囲の屋根より高くなる。それと同時に背の翼《つばさ》を広げた。
身を回す。敵がいる空に背を向けないよう、背面《はいめん》跳びのように仰向《あおむ 》けに。
羽ばたいた。
『!』
武神《ぶ しん》内部の循環器《じゅんかんき》に乱れが生じるほどの加速が来た。
軽い機体だ。背翼《はいよく》出力は荒帝《すさみかど》に及ばないが、機体自体が軽いので加速力は荒帝を超えている。
そして一瞬《いっしゅん》で視界が高くなる。屋根の高さを越え、空の中に。
自分の高度は夜景の高さから推測して約三十メートル。
頭上、至近《し きん》距離に敵が降りてきていた。
緑色の武神が二機。その内、左の武神がこちらに| 長 銃 《ちょうじゅう》を構えた。
手が届きそうな距離から連射撃《れんしゃげき》が来る。だが、
『甘い』
飛場は既に翼を止めていた。
急激な失速と空気抵抗が身体を叩き、制動を掛けて高度を下げる。
身体が一メートル下に落ちた。
その一メートルを弾丸《だんがん》が通過する。
『――!』
左の武神が慌《あわ》てて長銃の腕を下に、こちらに向けようとするが、連射《れんしゃ》の反動は腕の関節《かんせつ》を簡単には動かさせてくれない。
飛場は緩やかに落ち、眼下を見た。
民家の二階屋根がある。瓦葺《かわらぶ》きの古い家だ。明かりは灯《とも》っているが無人で、
『ちょっとすいません』
屋根に鉄の爪先《つまさき》をつく。屋根瓦には一枚も傷を負わせること無く、そのわずかな反動をスタート地点に、飛場は再び飛ぶ。突撃の行く先は長銃をグリップし直した武神だ。
相手が| 長 銃 《ちょうじゅう》を捨てて防御に身構えた。装甲板《そうこうばん》のついた両肘《りょうひじ》を前に出すが、
……甘い。
飛場《ひ ば 》は空中で身を捻《ひね》る。
身体《からだ》を伸ばし、片翼《かたよく》だけを羽ばたかせて空中で側転《そくてん》。
そのまま下からの浴びせ蹴《げ 》りをぶち込んだ。
鋼鉄の踵《かかと》が肘のガードを砕き、腹部に到達した。
響《ひび》くのは金属の打撃音。
そして続く瞬間《しゅんかん》の中で長銃の武神《ぶ しん》が空に弾《はじ》け上がる。
打撃によって武神の長銃が空に舞ったが、飛場は既に相手を見ていない。
『次!』
蹴りの反動で下に跳躍《ちょうやく》した先では、もう一機の武神がカーゴに覆《おお》い被《かぶ》さろうとしていた。
その武神は全身でカーゴを潰そうと、身体を大の字に広げて加速。背のスラスターから光を放ち、まっすぐ落ちていく。
飛場は見た。武神の向こうに見えるカーゴとトレーラーの上では皆がこちらを見上げている。風見《かざみ 》と新庄《しんじょう》が慌《あわ》てた動きで立ち上がり、自分達の武器をこちらに構えていた。
だが、更に飛場は見た。
立ち上がった新庄の横、佐山《さ やま》が相変わらず座り、新庄の装甲服の裾《すそ》から、
……密《ひそ》かに尻を愛《め》でいる……!
見習わねば、と思いながら飛場は翼《つばさ》を動かし加速。
落下する武神に一瞬《いっしゅん》で追いつく。
そして、下向きの回し蹴りを叩き込んだ。
穿《うが》ちの音が生まれた。
降下していた武神の軌道はトレーラーから反《そ 》れ、傍《かたわ》らの茶色いマンションの壁に激突《げきとつ》した。
岩を打つような音をもって、マンションに大の字の穴が空《あ 》き、
『そして仕上げは――』
飛場は宙に手を伸ばした。そこに落ちてくるものがある。
先の武神が手放した長銃だ。
それを左手一本で取り、上部視覚で上に吹き飛ばした武神を確認。
一発目を上に射撃《しゃげき》した。
鉄弾《てつだん》が相手をぶち抜くのと、射撃反動で長銃が下に震えるのは同時。その反動を利用して飛場は長銃を下に旋回《せんかい》させる。
銃口の向く先はマンションに空いた穴だ。
『これで二機!』
銃弾が無くなるまで撃《う 》ち込むと、マンションの一階付近から爆発が起きた。
破砕《は さい》する。
内部に落ちた武神《ぶ しん》のみならず、地上八階建てのマンションが根本《ね もと》を失い倒壊《とうかい》していく。背後の宙で爆発した武神の火が、その倒壊を陰影《いんえい》で明らかにする。
響《ひび》く轟音《ごうおん》の連続。そして通り過ぎるトレーラーが鳴らす礼代わりの長いクラクションに、飛場《ひ ば 》は機械の中で苦笑した。参ったな、と。
……概念《がいねん》空間とはいえ、次はちょっと被害が出ないように頑張ろう。
思い、翼《つばさ》を動かせば一瞬《いっしゅん》でトレーラーに追いつく。遠く南側の地面からは風を巻いた鉄弾《てつだん》が幾条《いくじょう》も飛んでくるが、この距離ならば充分に回避《かいひ 》可能だ。
空中で身を捻《ひね》り、飛場はトレーラーに先行する。
そのときだ。
『再戦《さいせん》希望……!』
低い声とともに北の空から巨大な青い影が現れた。
コットスだ。
●
青の武神の出現に飛場は身構えた。
が、遅い。既に眼前の宙に立ったコットスは、自分の周囲に重力|制御《せいぎょ》で長砲《ちょうほう》を四本展開している。それも、全て砲口《ほうこう》に光を持ったものを、だ。
両腰に用意した二剣を引き抜いていたのでは間に合わない。
『――!』
飛場が回避運動に入ろうとしたのと同時。
いきなり、予想外のことが起きた。
コットスが、いきなり上に吹き飛ばされたのだ。
……何!?
それは砲撃《ほうげき》だった。超《ちょう》武神|級《きゅう》兵器の光条《こうじょう》がコットスの左腰部|装甲板《そうこうばん》を吹き飛ばし、その巨体を横殴《よこなぐ》りに空へかち上げていた。
飛場は驚きのまま、下部|視覚素子《し かくそ し 》で眼下を確認する。まず見たのはトレーラーの上で巨大な長砲を構えた新庄《しんじょう》だが、彼女の砲は光も余熱も生んでいない。次に見えたのは、
「はいはいはい、一人で戦わないの。こういうときのために私達がいるの忘れたの?」
光の翼をもって高速に飛翔《ひしょう》してきたのは、風見《かざみ 》だった。
両の手で白い長槍《ながやり》を構えた彼女は、こちらの眼前に立つとコットスの方に振り向いた。
「どうよ? 今の一発」
砲となった槍を軽く回した風見に対し、宙で急ぎ体勢を直したコットスが顔を向けた。
『…………』
無言という返答に、だが、風見《かざみ 》の背は告げる。
「――不服そうね。これでもあたしの武器は10th―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》入りよ。さっきの砲撃《ほうげき》以上のものをぶち込むことだって出来るの。手ぇ抜いてあげたのよ?」
そして、彼女は後ろ手にこちらを指さし、
「大体、飛場《ひ ば 》なんてうちの生徒会じゃ私の下よ? 番付《ばんづけ》で言えば序《じょ》の口《くち》以下。そんなのと真面目《ま じ め》に戦ってアンタ楽しい? 金を渡せばコーヒー買いに全力|疾走《しっそう》するような子よ?」
『そ、そんなことまだしてませんよっ』
だが、こちらの抗議を無視してコットスは首を傾《かし》げた。砲《ほう》と一体化した右手で頭部|装甲《そうこう》を掻《か 》き、風見を見て、
『真実?』
答える代わりに、風見は無言で長槍《ながやり》を突き出した。長い槍のコンソールには緑の液晶《えきしょう》で、
『ホントダヨッ』
『うわこの人、概念核とグルですよっ!!』
「うるさいわね。先輩《せんぱい》に少しはいいとこ寄越《よ こ 》しなさい。で、アンタはソッコで先に行くこと。――それがアンタの役目でしょ。変なトコでハシャがないの」
『…………』
「返事!」
『はい!』
ようし、と風見がつぶやき、光の翼《つばさ》を大きく広げた。こちらに改めて背を向け、相手を見る。
「宙に浮かぶ砲撃手と、翼で槍打《やりう 》ついい女、ってね。制空|権《けん》勝負にはいい感じじゃない?」
そして彼女はコットスに叫んだ。
「――ついてきなさい!」
●
新庄《しんじょう》は|Ex―St《エグジスト》を肩から下ろして一息をついた。
今、後ろのカーゴからは荒人改《すさひとかい》が狙撃《そ げき》用の| 長 銃 《ちょうじゅう》を外して前へ飛び、風見はコットスと射撃《しゃげき》の応酬《おうしゅう》を行いながら北の空へと向かったばかりだ。
こちらは飛場の援護《えんご 》をするため、東へと走るだけとなっている。
風を浴び、新庄は黒の長髪を手で梳《す 》いた。風に波打つ髪は重く感じるが、気持ちよくもある。周囲を見渡せば、光の灯《とも》った町の各所からは銃撃《じゅうげき》や砲撃の音が生まれている。町の北の方から聞こえる何かが破裂するような音は、自動人形が放っている砲撃の連射《れんしゃ》だろう。
ときおり、南の方から光が生まれる。おそらく病院に置いた本隊に近づこうとしている武神《ぶ しん》達に対して、バリケードを張ったUCATが防御戦を行っているのだろう。武神二機はあちらの配置となったため、通常の大型武器は全て向こうに集中している。
……防御を重視するなら、それで充分だよね。
ね? と佐山《さ やま》に同意を求めようと下を見た。
と、佐山が寝転《ね ころ》がっている。それも、こちらの脚《あし》の間に頭を寝かせて仰向《あおむ 》けで。
「おや、どうしたのかね新庄《しんじょう》君。私は今、猛烈《もうれつ》に考え事をしているのだが」
新庄は猛烈に踵《かかと》で踏んだ。と、佐山が慌《あわ》てて身体《からだ》を起こし、
「何をするのかね一体。とんでもない子だね全く」
「君だよそれはっ! 考え事って、人の脚の間|見《み 》て何考えてたんだよっ!」
「それは当然敵の配置なのだが……。疑問の余地があるかね?」
「……その答えって、ある意味、ボクを真下から覗《のぞ》いていた意味が解《わか》らなくなるんだけど」
「寝転がったらいい曲線があったものでね。自然の芸術を愛《め》でる行為に説明はいるまい」
|Ex―St《エグジスト》を叩きつけてやろうかと思ったが、その程度では治らないことは解っている。一応こちらを褒《ほ 》めているんだろうな、と思うことにして、
「あのね」
と注意するために一歩下がって、座った姿勢の佐山を見た。
すると視界は佐山を見るが、その向こう、トレーラーの進行方向も確認することになる。
そして新庄は見た。道路の先にある狭い十字路に、幾つもの影が並んでいるのを。それは、
……自動人形。
十字|路《ろ 》中央に侍女《じ じょ》姿の女性が数十人並んでいる。
敵だ。
「佐山君! 前、前!」
言うと、佐山が頷《うなず》いた。彼は無言でこちらの腰を両手ホールドし、臍《へそ》から太腿《ふともも》までを眺《なが》め、
「前には何もおかしいところはないようだが……」
膝《ひざ》をぶち込んだ。佐山が仰《の》け反《ぞ 》り、戻り、
「な、何をするのかね新庄君!」
「だから前だよ佐山君! 前! 早く見て!」
するとまた真剣な顔で腰をホールドされた。二度ネタか、と逆《ぎゃく》膝をぶち込もうとしたときだ。
「え?」
トレーラーが急停車を掛けた。片足を上げていた新庄はバランスを崩し、前に投げ出されるように倒れ込む。
佐山の身体《からだ》を膝上のあたりで押し倒し、鈍い音を屋根との間に響《ひび》かせた。
新庄は彼の顔や身体、屋根の上をわずかにバウンドする。
「いたぁ……」
打った膝に眉をひそめながら、しかし急いで尻を上げ、体を起こす。
と、身体の下に佐山がいた。新庄は慌《あわ》てて身体を引き、彼の腹の上に淡く座った姿勢を取る。
が、見れば佐山《さ やま》は無表情に空を見上げている。動作がない。先ほど床に後頭部をぶつけたが、
「だ、大丈夫佐山君!? 頭打って正常になってたりしない?」
と、応じるように佐山が動いた。両手を軽く上げ、虚空《こ くう》に妙な曲線を何本も撫《な 》で始める。
「……こう、いや、こうだったか? 型取りが出来れば……、素晴らしい未来が……」
「へえ、なあんだ、その分なら残念だけど大丈夫だね。良かったあ」
ネクタイを掴《つか》んで絞めていくと、前から声が響《ひび》いた。女性の声で、
「仲間割れですか? そうでしたら楽なのですが」
あ、と顔を上げると、トレーラーの正面、約十五メートルの距離で、眼鏡《めがね》を掛けた侍女《じ じょ》がこちらを見上げていた。既にトレーラーは止まっており、敵とは相対《あいたい》状況だ。
下になっている佐山が首を反《そ 》らせて、侍女達を確認する。そして眼鏡の彼女に対し、
「君は……? いや、名はあるのかね?」
問いに、彼女は表情を変えた。目を細めた笑みに。
……随分《ずいぶん》と自然な表情だね。
新庄《しんじょう》の思いに答えるかのように、そして何かを確認するかのように彼女は頷《うなず》いた。
「バイオレットと申します。そして他、ここにいる皆、花の名を選び得ております」
「成程《なるほど》、百花|繚乱《りょうらん》に彩《いろど》る戦場か。陽《ひ》と月の神といい、3rd―|G《ギア》とは風雅《ふうが 》な世界だね」
「有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。これより、アイガイオン様から短期訓練を受けた私どもが御客《おきゃく》様達の御世話を差し上げたいと思います」
「アイガイオンとやらは?」
「現在、ギュエス様を呼びに基地の方へ。その間、私どもに任せると」
バイオレットが笑みで言うと、背後の侍女達が一歩前に出た。
「このクラシキという街、私どもにとっては初めてのお外《そと》です。しかしギュエス様とアイガイオン様からいろいろな話をうかがっておりました。駅前の商店街の八百屋《や お や》は店主が金勘定《かねかんじょう》にいい加減《か げん》だけど何故《なぜ》か絶対値段を高く間違えることはないとか、大通り西側の時計店の女主人は何故か亡夫《ぼうふ 》の遺《のこ》した腕時計が止まっているのに直さないとか、美観《び かん》地区の民家の保護を推進する委員の長《ちょう》はしかし家にセントラルヒーティングを引こうかどうか迷っているとか――」
笑みを強くし、
「それら人々の空気が残る中で頑張りましょう。頑張ることは好ましいと判断しております。それがあるから休息の意味がありますし、――頑張るために歌を朗《ろう》じられますから」
全員、手に持っているのは、
「大物調理用のナイフや包丁《ほうちょう》と、油が跳ねるのを受ける調理|蓋《ぶた》やフライパン類です」
バイオレットが、目の弓をわずかに鋭くした。
「――我ら人にあらず。しかし人と共にありて歌を奏で花月と陽を| 奉 《たてまつ》る者達です。……私は料理は下手《へた》なのですが、他の方々は、結構上手《けっこうじょうず》なんですよ?」
頷《うなず》きとともに、戦闘を告げる言葉が響《ひび》いた。
「お上がり下さいませ」
●
夜の月が上がり始めていた。
夏の夜気に揺らめく月を見るのは、山の奥、東京の西側だ。
しかし、西と言っても町が途切れて続く奥多摩《おくた ま 》側ではない。高速道路を持ち、夜気を放つ大型|繁華街《はんか がい》を有する八王子《はちおうじ 》側の山だ。
高尾《たかお 》方面の山中、そこに広がる概念《がいねん》空間の中にある廃《はい》工場に、明かりが灯《とも》っていた。
工場前面の大型扉は開いており、内部の地下|搬出《はんしゅつ》リフトが地上側に上がってきている。一定周期で重くなるリフトの駆動《く どう》音は、しかし己の上の物体を確実に露《あら》わにしていく。
そしてオレンジ色の灯《あか》りに照らされるのは、巨大な機械の影だった。
竜にも飛行機にも、船にも似た鋼《はがね》色の姿。
その大きさは、全長三十メートルを下らない。
無|塗装《と そう》状態の機竜《きりゅう》だ。
作業員達は逆光《ぎゃっこう》の影として動き、リフトの動きを確かめ、位置など確認していく。
彼らを見渡せる位置、入り口中央で老《ろう》主任の影が両手を上げる。
「接地――!」
言葉とともに、リフトの停止する金属音が響いた。
「出せ、野郎《や ろう》ども! 竜《りゅう》の昇る夜だぞ!」
「応《おう》!」
声とともに、工場の入り口から前の広場まで、砂の飛沫《しぶき》が走った。それは二直線の走りだ。砂が弾《はじ》けて下から出てきたものは埋め込み式のレールで、レールの行く先にはコンクリートを流し込んで作った五十メートル四方の発着場がある。
リフトはレール上をゆっくりと進んでいく。巨大な鋼の竜を乗せながら。
老主任がホイッスルを吹きながらリフトの前進を両の手招きで案内する。
と、建物の陰から彼の横に、影のない犬を連れた少女がやって来る。
少女の目はリフト上にいる竜の、その頭部を見ていた。
竜の頭上には一人の女性が座っている。サイドバックの長髪を風に流した女だ。彼女はサンドイエローの戦闘用コートに、一本の| 機 殻 剣 《カウリングソード》を背負っている。日本刀に似た長大な| 機 殻 剣 《カウリングソード》を。
少女が竜の上の彼女に声を掛けようとしたときだ。
リフトが発着場の上に辿《たど》り着いた。
同時と言える動きで竜が動いた。
身を震わせ、全身から金属の軋《きし》みと擦過《さっか 》の音をたて、体を起こす。
金属だけの騒音が豪雨《ごうう 》のように響《ひび》き、更にはそれを超える音量で、
『抜群《ばつぐん》である……!』
感嘆《かんたん》の吐息すら聞こえる口調で竜《りゅう》が告げた。短い四肢《し し 》を上げ、尻尾《しっぽ》を後ろに張りつめさせる。と、リフトがそれらの下をくぐって元の位置へと戻っていく。
駆動《く どう》音が重なり響く中で、竜の上の女性が笑みを見せた。通る声で、
「でも残念ねアレックス、自己紹介はないんでしょう?」
『当然であるぞ、竜美《たつみ 》。吾輩《わがはい》は慎《つつ》ましやかな性格である上に、この無塗装《む と そう》状態では誰が正義の味方と信じるであろうか。このたびは覆面《ふくめん》ヒーローと同じ心持ちで臨む所存《しょぞん》である!』
はいはい、と竜美が肩を竦《すく》めた。左腕の時計を見て、
「そろそろ行きましょうか、アレックス」
『早すぎるのではないか?』
「貴方《あなた》の慣らしが必要でしょう? 駆動系も部品類の合いもまだ完全じゃないんだから、いきなり全力やって焼き付いたり欠《か 》けたら嫌よ? 私」
『正義の味方が安全運転とは……』
「だから覆面無塗装なのよ? 正義の味方とバレないように」
そうであったか、とアレックスは頷《うなず》いた。主任を見て、
『これはまた塗装関係のことでは誤解《ご かい》していたようだ。主任、貴殿《き でん》の配慮《はいりょ》をここに感謝するものである。許されよ、何分《なにぶん》、吾輩《わがはい》はまだ解《わか》っていないことが多くてな』
「確かにいろいろ解ってねえな」
主任は口の端を歪《ゆが》めて頷き、腕時計を見た。時刻を確認して頷くと、彼は横を見る。犬を連れた少女を。
「詩乃《し の 》さん、言うこたあねえか」
はい、と詩乃は頷いた。アレックスの顔を下から覗《のぞ》き込むように小首《こ くび》を傾《かたむ》け[#底本「傾(かし)け」]、
「格好《かっこう》いいですよ、アレックス」
『うむ。当然である。たとえ無塗装でも、やはり正義の心が解る少女には吾輩の燃え上がる正義の純心《じゅんしん》が見えているのだな』
「いや、別に私、正義の心は、その……」
『謙遜《けんそん》[#底本「謙遜(けんきょ)」]が過ぎるところは美徳《び とく》ではないぞ詩乃。本心は明かすことに意義があるのである!』
「明かすことには意義があるけど、明かしっぱなしなのには異議があるわよ?」
『うむ。竜美の言う通りでもある。吾輩も、本心の十分の一も表現してはいないのである』
彼の言葉に膝《ひざ》をついてうなだれた詩乃に、隣《となり》の犬が首を傾げる。
そんな光景を見た機竜《きりゅう》は、わずかに身を沈めた。
『――では』
言葉が起きた瞬間《しゅんかん》だ。
いきなり大量の風が空にぶちまけられた。
「!!」
詩乃《し の 》が慌《あわ》ててスカートと髪を押さえる眼前、地面には何もいない。
うわあ、と彼女が見上げた頭上。
既に夜の空には、一つの色が生まれていた。
直上の天から西へと延びる、夜にも白い飛行機|雲《ぐも》が。
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第三十六章
『次代の望み』
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かつて思うことがあった
今はどうだろうかと思う
そして更に思えば――
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●
3rd―|G《ギア》の本拠地《ほんきょち 》である白い建物からは、市街の戦闘を光や音として見ることが出来た。
概念《がいねん》空間が形成されたのは午後九時前後だ。観光の町である倉敷《くらしき》は、駅と街道周辺と、駅裏《えきうら》の遊園地以外から多くの光が無くなる。店は閉じ、民家の静かな灯《あか》りが主となるからだ。
それら民家の光や街灯《がいとう》は、道や空《あ 》き地の存在を淡い闇で浮かび上がらせる。
そして今、その淡さの中に火や光が幾つも起き、音が生まれていた。
格納庫《かくのうこ 》前、大《おお》扉の横では、町の戦闘を南東側から俯瞰《ふかん》出来る。
俯瞰者は三人いた。格納庫の灯りからそれた、扉|横《よこ》のリフトの前だ。
一人は赤いスーツの女、ギュエスだ。彼女と向き合っているのは、
「ハジ、手短《てみじか》に頼む。もはや決着の時間なのでな」
ギュエスは目の前に立つ白いサマーコートのハジを見て、右を見た。彼の横に並んでいるのは腰に一刀を差した少女だ。長い黒髪《くろかみ》を頭の後ろでまとめた、鋭い顔つきの少女は、
「命刻《みこく》という。気になるかね? この娘が。私の秘蔵《ひ ぞう》っ子の一人なんだが、どうだ? ん?」
「わざわざ彼女の紹介に来たのか?」
告げても、命刻という少女は視線をこちらに寄越《よ こ 》さない。彼女が見ているのは、手に持った小さな赤いペンダントだ。確か地元の名産で七宝《しっぽう》焼きというものだ。
ハジが彼女を見て、苦笑する。
「土産《みやげ》をあまり表《おもて》に出すのは感心しないぞ命刻。詩乃《し の 》なら気に入る。違うか? ん?」
「我らの戦闘を前に装飾《そうしょく》品の確認とは悠長《ゆうちょう》な話だな」
つぶやきながら、ギュエスは内心でハジを追い払う方法を構築《こうちく》する。
今、街の戦闘もだが、彼女は気を取られるべき一つの異常事態に陥《おちい》っていたのだ。
……アポルオン様と京《みやこ》様がいない。
戦闘前、自動人形達の基本性能と獲得《かくとく》性能を調べ、砲撃《ほうげき》と白兵《はくへい》戦に分けた。その後、寝ているアポルオンと京を起こし、投降か逃走のどちらかを促《うなが》す筈《はず》だった。
アポルオンを救う方法は、結局、いいものが思いつかなかった。
ベストな方法として考えついたのは、もしアポルオン達が投降するなら、テュポーンの操縦室《そうじゅうしつ》を外して持ち出させることだ。これで少なくともテュポーンの身体《からだ》が暴れることはなくなる。
その上で、アポルオンに全権を任せようと考えていた。
この提案を伝えるため、上階のアポルオン達を起こそうとした。が、京の部屋は無人だった。
リフトが下がっていることに気づいたのは居住《きょじゅう》階層|全《すべ》てを見回った後だ。こちらが格納庫から内部階段を使って上がったときに入れ違ったらしい。
ならば彼らは格納庫にいる。
だが、リフトを呼んで急ぎ下に降りたとき、格納庫前に来ていたのが目の前の二人だ。
「ともあれ今は帰れ。この中を見せるわけにもいかぬ」
「そうかな? どうだろうなギュエス、そろそろテュポーンを出してもいいとは思わないかね? ん? 今《いま》先ほど、音の調子では六機目の武神《ぶ しん》が破壊されたようだが。違うか? ん?」
その通りだ。
飛場《ひ ば 》の子孫《し そん》が駆る機体が、確実にモイラ2ndの武神を撃破《げきは 》している。
相手のベースは、六十年前に回収されたこちらの一般的な武神の残骸《ざんがい》だ。出力的には改修《かいしゅう》を重ねたこちらがわずかに上回っている筈《はず》だが、
「恐らく、向こうの機体バランスがいい。そして乗り手も、だ。遠隔操縦《えんかくそうじゅう》では解《わか》らないフィードバックを利用して、自分にしか出来ぬような機体|挙動《きょどう》を行っているな」
頷《うなず》き、
「モイラ2ndは充分に善戦している。戦闘用でもない自動人形が、複数の機体を同時に扱い3rd―|G《ギア》と戦っていた因縁《いんねん》の武神を相手にしているのだから」
「成程《なるほど》な。遠隔操縦型ではそういう欠点が明確に出るものか。成程、憶《おぼ》えておこうか、うん」
「憶えてどうする」
「何、簡単な話だ。とても簡単な話だよギュエス。約束通り、概念核《がいねんかく》がUCATに奪われたならば、我々はテュポーンの残骸を頂くことにする。その際は遠隔操縦化するだろうからな」
ギュエスは浅く眉を立てた。ハジが今《いま》告げた言葉の意味は、
「我々が敗北するという判断をしているか?」
「それが成される可能性もある。だから我々は立ち会うということさギュエス。これはチャンスを逃さぬための思考《し こう》と言葉だよ。チャンス、チャーンス、解るだろう? ギュエス」
手を浅く広げ、顎《あご》で街を示すハジに、ギュエスは形だけの吐息をした。
直後。ハジが肩を竦《すく》め、
「では本題といこうか。――アポルオンを逃走させようか、と言ったらどうする?」
「何? 別にアポルオン様は……」
「総員|出撃《しゅつげき》状態であるのにテュポーンはここから出ていない。そして先ほど、コットスがUCATの飛行可能な戦闘員を北の方へ引っ張っていったな? 狙撃《そ げき》の恐れはあるが、少なくとも空は空《あ 》いた。もはやどうとでも脱出は出来るな? 違うかね? ん?」
ギュエスは沈黙《ちんもく》する。
「我々としても、3rd―Gに恩《おん》を売るだけ売っておきたい。正直だろう? いいことだな? 何しろ3rd―Gの王を助ければ、自動人形の君達は感謝する。そうだろ? そうだな?」
「――下らない妄想《もうそう》だな。我々は逃亡を好まぬGだ。かつても侵攻《しんこう》を選び続けたのだぞ」
ギュエスは、言葉を選びながら問う。
「大体、空を飛ぶならば大体の武神はこなす。貴様《き さま》らが手伝えることがあるというのか?」
「ああ。汚れ役を引き受けよう」
ギュエスは眉をひそめた。その動きに対し、ハジは口元を隠し、笑みの目で、
「……この建物には2nd―|G《ギア》の眷属《けんぞく》の女がいる筈《はず》だ。そうだろ? 彼女を連れだし、時間を稼ぐのだよ。――この女性の命が大事ならば、時間を寄越《よ こ 》せと」
ハジの言葉が終わるまで、数秒が必要だった。
ハジは口元を見せぬ笑みでこちらを見ている。
その笑みを見ながら、ギュエスは決めた。
「――相容《あいい 》れぬどころではないな」
目を鋭く細め、
「貴様《き さま》らに比べたら、UCATの方がまだまともだ」
「それは酷《ひど》い侮辱《ぶじょく》だな」
「貴様にこれ以上関係することも、我々にとってはもはや侮辱の極みだ。大体、テュポーンが欲しいなどと、……この状況では持ち出しも不可能だろうに。UCATもいる場だぞ」
「気にせず持ち出せるなら、今、ここで頂いていってもいいのかね? ん?」
告げるハジは、目を細めた。
だが、彼に対する答えを放ったのは自分ではなかった。彼らの背後からの男の声だ。
「充分に敵対的な言動だな」
アイガイオンだ。下の森から、下草の上をぎりぎりで跳躍《ちょうやく》し、彼はここに現れた。位置はハジと命刻《みこく》という少女の三メートル後ろだ。ハジ達にとっては振り返って一歩を踏み込む必要のある距離だが、重力術を持つアイガイオンにとっては、
「生命機能を停止させるぞ、貴様ら」
上げた右手の平の上で、風景が歪《ゆが》んだ。重力の固まりを遮断《しゃだん》して作った超《ちょう》重量|弾《だん》だ。
発射して解放すれば、武神《ぶ しん》級の防御力を持つ相手でも身を大きく軋《きし》ませることになる。それが人間ならば、全身が周囲の風景とともに内側に向かって| 収 縮 《しゅうしゅく》し、即死《そくし 》するだけだ。
彼は右手を上げたまま獲物《え もの》を見て、こちらを見る。共通|記憶《き おく》で、
……なすべきことを見失ってはおらんだろうな、ギュエス。
彼は視線で町を見る。
……もしこいつらの手をこれ以上借りるならば京《みやこ》様を裏切ることになるぞ。
アイガイオンは尋《たず》ねた。
「ハジ、とか言ったな? 質問しよう。――UCATは貴様らの敵か」
「うむ。まあ、何だな? ハッキリ言えば、UCATだけが我々の敵だ」
そうか、とアイガイオンが言葉を送ってきた。
……こいつらは京様のGの敵だ。
そして、
……それは我らの敵だ。
ギュエスはアイガイオンの言葉を記憶《き おく》に刻む。ややあってから頷《うなず》き、
「――任せる。アイガイオン、お帰り願え」
言うなり、ギュエスは背を向けた。
こちらはすることがある。アポルオンと京《みやこ》を見つけることだ。
格納庫《かくのうこ 》の光に身体《からだ》を向け、ギュエスは走り出した。格納庫の中へと。
そして風を切る背後から、声が響《ひび》いた。ハジの声が、
「残念だなギュエス。誠《まこと》に残念だ。我々の真意を教えることが出来なくなるとは。――だが、勝利を願っているよ? 本心で。そしてテュポーンの譲渡《じょうと》もね」
直後、いきなり背後から音が聞こえた。
大量の土砂《どしゃ》が飛沫《しぶ》く音だった。
それはアイガイオンの重力|弾《だん》が解放された音。
周囲の地形を巻き込んで敵を潰した音に他ならない。
回避《かいひ 》不能だ。
もはや振り返ることなく、ギュエスは格納庫へと飛び込んだ。
●
闇の中、白い建物の基部《き ぶ 》近くに大穴《おおあな》が空《あ 》いていた。
アイガイオンが重力|塊《かい》で空けた大穴だ。
夜気の中に静かに立つアイガイオンの眼前、そこにある直径五メートルほどの半円状の穴の中には、一度握って固められたかのような土砂と草木の固まりが崩れて落ちていた。
穴の中には、地形物とは別のものもある。
人の手足だ。
千切《ち ぎ 》れた衣服と二つに折れた剣が、土砂からかいま見える。それの持ち主の身体《からだ》は、散った衣服の下でやはり砕かれている。だが、
「一人だけか」
アイガイオンは右を見た。彼から見て逆側の穴の縁《ふち》。白の建物の壁際《かべぎわ》に、一人の男が立っている。
ハジだ。彼は壁に貼《は 》り付くように浅い大の字で、
「また見事なものだな。うん。是非《ぜ ひ 》とも仲間に加えたいところだ。どうかな? ん?」
「願い下げ、と言おう」
しかし、とアイガイオンは穴を見た。そこに落ちた土砂の堆積《たいせき》と、人の身体を見て、
「長《ちょう》を生かすために突き飛ばし、己は死ぬか。秘蔵《ひ ぞう》っ子、というのは貴様《き さま》の命の保護を確実に果たすからか? ハジとやら」
「そういうわけではない。――大事だからだよ。間違っていく世界を正常にするために」
「何……?」
アイガイオンは問いながら、しかし左手に重力|塊《かい》を作り上げた。ハジまでの距離は約五メートルで充分|射程《しゃてい》距離内だ。そして先ほどのようにかばう者もいない。つまり、
……今度は外《はず》さん。
アイガイオンは、ハジの会話は死を先延ばすための時間|稼《かせ》ぎだと判断する。
「――ならば」
とアイガイオンは左手に力を込めた。重力塊のバランスを崩し、投射《とうしゃ》するために。
だが、ふと、妙な事実にアイガイオンは気付いた。
構えた己の左腕より下、左の脇腹から何かが突き出している。
周囲の弱い光をも反射する一枚の細く薄い板だ。
それを刃《やいば》と言う。
「……!」
アイガイオンは見た。左。振りかぶった自分の腕を死角とし、一人の少女が折れた刃をこちらの腹に突き込んでいる。それも両手で、突きの構えで。
一瞬《いっしゅん》、誰なのか判断出来なかった。命刻《みこく》だ、と頭脳が決定しようとして、
「二人いたのか!?」
違う。ハジに振り返ったために左に置いた土砂《どしゃ》の穴の中には、いまや人の残骸《ざんがい》はない。そして命刻が身にまとっているのは、
「折角《せっかく》、新宿《しんじゅく》まで出て買ったものが、半袖《はんそで》の臍出《へそだ 》しという破廉恥《は れんち 》な格好《かっこう》になった」
彼女は素手《す で 》で握った刃を捻《ひね》り込む。そうすることでこちらの人工筋肉を歪《ゆが》めて緩め、先の折れた刃を引き抜いた。
二発目が来る。が、アイガイオンは動いた。
戦闘準備の段階から痛覚《つうかく》類は遮断《しゃだん》している。その程度は向こうも理解しているだろう。
だからアイガイオンは人工筋肉のリミッターを解除。速度を上げた。相手が予測していても反応出来ない速度として、だ。
動く。
「!」
アイガイオンは高速で振り返った。
左腕に蓄積した重力を左の拳《こぶし》の先に置き、命刻にバックハンドで叩きつける。
アイガイオンは命刻を見る。
かろうじて残ったシャツが隠す胸のやや下側、こちらから見て右に心臓がある。
命刻がこちらの拳の速度に眉を立てた。両脚《りょうあし》で背後に跳躍《ちょうやく》しようとする。背後の穴も構わぬという、逃げられればいいという動きだ。
速い。
だが捉《とら》えた。
拳《こぶし》には本来、肉の感触《かんしょく》が来る筈《はず》だが、その痛覚すらも切っている。
命刻《みこく》の胸、やや中央にバックハンドの拳が抉《えぐ》り込んだ。
重力を穿《うが》つ。既に重力|塊《かい》の分解が始まっているため、大型|破砕《は さい》は見込めない。
心臓のある部分を内部から握り潰した。
「――っ!」
命刻の身体《からだ》が前に折れた。心臓が潰れる瞬間《しゅんかん》に生まれた高い血圧流が、全身を大きく震わせる。そして胸部下側が大きく陥没《かんぼつ》し、
「…………」
倒れた。その場に、まるで糸が切れてくずおれるように。
だがアイガイオンは、既に右手に新しい重力塊を作り出していた。
「逃げるなハジ、これは貴様《き さま》のものだ」
右手を掲げてハジに顔を向けた。
直後、アイガイオンは気付いた。ハジが口元に手を当て、目で笑みを浮かべていることに。
自動人形の思考《し こう》に、予感というものはない。
だが、予測はある。
ハジとの今までの会話の応答と、通常の人間の応答パターンとして蓄積した八百屋《や お や》接客データとを比較照合《ひかくしょうごう》し、
……通常の反応ではないと判断する!
では今、通常ではないものと言ったら何か。
答えは左の足下にある。否、それはすでに左の腿《もも》あたりにまで来ていた。
命刻が体を起こしつつあったのだ。
「どういう仕掛けだ!?」
彼女は人間だ。心臓を潰したときの反応も、何もかも。全て3rd―|G《ギア》の人体実験データの蓄積と比較照合出来る。だが、それを成しても命刻は立ち上がる。身体が起き上がってくる動きは、段々と加速すらしている。
「!」
アイガイオンは右手の重力塊を投射《とうしゃ》した。もはや自分を巻き込むことすら判断の上で、命刻へ向かって。
●
アイガイオンに対する命刻は、体を起こした。
前方、自分よりも頭二つ近い巨躯《きょく 》が、向かって右手を振り抜いてくる。
食らう、と命刻は思った。
食らえばまた時間を食うことになる。その間に、
……ハジ義父《とう》さんが危険になる。
ハジの実力はよく解《わか》らない。かつて9th―|G《ギア》の大《だい》将軍だったというならば、それなりのものだろうが、しかし、訓練には顔を出すことすらない人間だ。
それでも命刻《みこく》はハジの実力を信じている。
……だが。
自分は護衛《ご えい》だ。もしハジがアイガイオンに余裕《よ ゆう》で勝てるとしても、
……私は護《まも》らねばならない。
思い、命刻は顔を上げた。足に上手《うま》く力が入らない。心臓がまだ完全ではないのだ。血が四肢《し し 》に乱れて送られており、望む力は震えたものとして身に入る。
上手く動けない。
……どうする。
既にアイガイオンの右手、つまりこちらから見て左側の腕が、自分の方に向かって来ている。
避けられない。そう感じたとき、しかし命刻は眉根《まゆね 》を詰め、こう思考《し こう》した。
……駄目《だ め 》かもしれぬ。だがもはや――。
思う。
……もはや未熟ではあらぬために!
「――!」
息を吸った瞬間《しゅんかん》に一つのことを思い出した。ここに来る直前の竜美《たつみ 》との訓練だ。あの女はいつもいつも最小限の動きでこちらの攻撃を受け流し、己の攻撃を入れてくる。
あれはどうやったら出来るのか。自分はあんな風には動けない。だが、
……私には、私なりの動きがある筈《はず》だ。
「く」
という声とともに、命刻は己の身体《からだ》を思う。まず、左手はまだ力が入らず駄目《だ め 》だ。続く右手は少しものを掴《つか》める。そして左|脚《あし》はやはり駄目だが、対する右脚は少しいける。
だから右足を起点としようとして、
「――――」
しかし、命刻は相手の動きを見た。アイガイオンの重力|塊《かい》は解放されつつある。が、それは| 掌 《てのひら》の上にある。手の甲《こう》の側は安全地帯だ。
だから命刻は動いた。右足ではない、使えない左足を起点として、だ。
相手の右腕の下へ飛び込む。
踏み込んだ左足は当然のように力が入らず崩れた。
だがそれでいい。己でも予測出来ぬ、左へ転ぶような、揺れるような動きは、
……抜ける。
倒れかけた身は、ぎりぎりでアイガイオンの向かって左手の下へと飛び込んだ。
次に踏み込むのは力の入る右足だ。
右の踵《かかと》を前に、身体《からだ》の中央よりも左へと踏み、左へ倒れる動きを受け止める。そして受け止めて、起き上がるように前へと身体を送り、
……右手を。
刃《やいば》を逆手《さかて 》に握り直して、アイガイオンの脇に叩き込んだ。放物線|軌道《き どう》で、だ。
速度は込めたが力を入れたつもりはなかった。が、音がした。
何か弾力《だんりょく》のあるものを断つ音だ。
見れば、アイガイオンの右手首が宙に舞っていた。
重力|塊《かい》が空に爆発する。
大気が動き、自分の身体が風を浴びた。
千切《ち ぎ 》れた衣服の裾《すそ》が| 翻 《ひるがえ》り、くすぐったいなと命刻《みこく》は思う。
今、ふらついて進む命刻は時計回りにアイガイオンの背後を走っている。だからアイガイオンの動きは見えない。が、しかし、彼の動きを知る方法はあった。
吹く風の中で、空気の流れが教えてくれる。
大柄《おおがら》な彼の身体はこちらへ、無事な左手をバックハンドで振ってくる。その風の動きが正面から向かってくるのが解《わか》った。
腕が来た。
命刻《みこく》は、次に踏む左足で身を沈めた。
豪腕《ごうわん》が頭上を横に抜けたのを確認してから、命刻は右足をつく。
踵《かかと》を地面に刺《さ 》すように踏み込み、右手の刃《やいば》を宙に投じた。
無事な右|肘《ひじ》を背後に振り、その加速で時計回りに身を回した。
一回転の勢いをつけて命刻は振り向く。
アイガイオンがいた。
今やお互いの位置は正対。命刻は身を回し、アイガイオンはバックハンドを空振りした姿勢で無防備だ。
命刻の視界の中央。彼と自分の間に先ほど投じた刃がある。
命刻は旋回《せんかい》の勢いを消さぬまま、力無く伸ばした左手で宙の刃を拾った。
アイガイオンが、刃の先を見て表情を変えた。
笑みに。
「……不覚の動きだ!」
彼の言葉に命刻は思う。私は今、動けているのだな、と。
……これが……。
竜美《たつみ 》達と同じような強さとなっていくのだろうか。解《わか》らない。だがそれでも、
「――強くなるさ」
つぶやき、命刻は左手の刃を力を入れずに振り抜いた。アイガイオンの首に向かって。
いい音が響《ひび》いた。
●
倉敷《くらしき》駅前では、戦闘が一方的なものとなっていた。
モイラ1st達の射撃《しゃげき》は敵を寄せつけず、しかし、UCAT側からの明確な反撃も撤退《てったい》もないという、そんな状況となっていたのだ。
彼女達の砲弾《ほうだん》はビル建材くらいは容易《たやす》く貫通《かんつう》する。その衝撃《しょうげき》で幾《いく》つかの建物は倒壊《とうかい》しており、UCATの動きは大きく制限されることとなっている。
明確な反撃はやはりないが、モイラ1stは街道の中央を見て、弾丸《だんがん》を止めない。
既に皿の在庫は切れかかり、他にもってきていたナイフやフォークなどを優先して発射する段階になっている。
先ほど共通|記憶《き おく》でモイラ2ndから連絡があった。動かしている武神《ぶ しん》達に戦闘プログラムを預けてそちらに向かう、と。
もはや残った武神は二機だけだ。短時間はボロの出ない戦闘プログラムをこの戦闘で得たデータから作り出し、モイラ2ndがこちらに来る。そのフォローとして、倉敷駅から南側に対しても砲撃《ほうげき》を幾《いく》つか叩き込んでいる。多くは相手の確認すらしていない盲管射撃《もうかんしゃげき》だが、相手の進行を遅らせる程度の効果はあるだろう。
そしてモイラ1stには狙うべきものがあった。
南西に走る街道の中央、距離二百メートルの位置に一人立っている者がいるのだ。
それは兵士とは言えない人物だった。白衣《はくい 》を着た白髪《はくはつ》の老人だ。
「大城《おおしろ》、と言いましたね」
対する老人、大城が、街道の中央に仁王立《に おうだ 》ちでこちらにカメラを構えた。
「ははは、動画に目覚めたわしの敵ではないな!」
モイラ1stは構わず砲撃した。
だが、大城は回避《かいひ 》する。腰だけを素早く横にスライドさせる動きで、重心の高さを変えずに最小限の動きで砲弾《ほうだん》を避けた。
「危ない危ない。――手ブレてしまうでな」
侍女《じ じょ》の一人が振り向き告げた。
「モイラ1st様! あの老人、おかしいです!」
「私もそう判断しますが、そこで判断を乱してはなりません。アレは、アレな風に見えて、アレでもUCATの全《ぜん》部長というアレです。それだけの実力を持っているのでしょう」
「ふむ。その侍女|長《ちょう》さんの真剣な表情いいなあ!」
モイラ1stは砲撃を叩き込んだ。正確|無比《む ひ 》だ。だが、それ故にまた大城は最小限の身のくねらせだけで回避を行う。
何て相手なんでしょう、とモイラ1stが思ったときだ。
妙な音が聞こえた。
横に動かした大城の腰から、枯れ木を折るような音がしたのだ。
「――あ」
大城の小さな声に、皆が動きを止めた。伏せていたUCATの兵士達の内、大城のそばに伏せていた少年が顔を上げる。巨大な白い| 機 殻 剣 《カウリングソード》を片手で押さえた少年は、しみじみと、
「……次は当たれ」
「いきなり命令形で結論かな出雲《いずも》君! 腰なんだが、ど、どーにか救《たす》けてくれんかなあ?」
「馬鹿|野郎《や ろう》、アンタ救けたら、俺が千里《ち さと》に怒られちまうだろうが」
「か、風見《かざみ 》君のせいにするのは良くないなあ」
「何故《なぜ》だよ?」
「わしが逆らえないもん……」
ははは、と男二人は顔を見合わせて笑った。出雲が頷《うなず》き、
「たまには当たって死んでみたらどうよ? 墓碑《ぼ ひ 》にはこう書いてやる。だめにんげん と」
大城が笑ってこちらに振り向き、
「おーい侍女長《じじょちょう》さん! 出来ればこの若造《わかぞう》を先に狙ってくれんかなあ! わし、避けられないどころか動けないから後でもいいじゃろ?」
モイラ1stは黙って侍女達を並べ替えた。並べ方は十八|連《れん》重力|加速《か そく》レンズを作る縦列《じゅうれつ》で、投じるのは皿だ。揚力《ようりょく》効果でホップしやすいが、この距離ならば、
「衝撃《しょうげき》波込みで二人一|遍《ぺん》に吹き飛ばせます!」
身構えた。
●
佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》は、町の中を走り回っていた。
追われている。
走り行く家々の陰や向こうからは、散った仲間達が自分の位置と目に見える敵の位置をホイッスルの音で知らせてくる。自分を知らせるときは短く、敵を知らせるときは長く、だ。
倉敷《くらしき》は道の入り組んだ町だ。しかしそれは仲間の居《い 》場所と敵の居場所が解《わか》っており、そして自分の立ち位置が明確であった場合、
「瞬間《しゅんかん》的な射撃援護《しゃげきえんご 》が可能だ。――新庄君! 右の家の間だ!」
うん、と頷《うなず》き、新庄がホイッスルが長く響《ひび》いた白壁の民家の間に|Ex―St《エグジスト》の一発を叩き込む。放たれる光は最大出力ではないが、反動で新庄の身体《からだ》が浮くほどのものだ。
弾《はず》むような背を受け止め、佐山は光の行く末を見届けもせずに走る。
右の方、砲撃《ほうげき》の走った向こうからホイッスル音が逆吹《ぎゃくぶ》きで高く長く空に響いた。敵が一人倒された印《しるし》だ。同じように、銃声が響き渡って不意に止まるのは、
「また仲間が一人倒されたか。被害はこちらの方がやや多めといったところか」
だが、侍女達には妙なところがあった。こちらに倒され、投降《とうこう》した者達は、
「負傷者の治療を手伝ってくれてるみたいだよね。連絡係の人の話だと……」
どうして? と新庄が顔を上げて問うてきた。眉尻《まゆじり》を下げた彼女の顔に佐山は頷《うなず》く。
「彼女達は戦闘用ではない。だから侍女の判断《はんだん》基準として、殺すための仕事を終えたならば救《たす》ける仕事をしたい、というのがあるのだろう。――殺す意気と救う意気が同居しているとは不思議《ふ し ぎ 》な|G《ギア》だと思わないかね? そして我々の仲間も負傷してから復帰する者がいない。……おそらくは彼女達の意気に応じ沈黙《ちんもく》したか」
考え、
「侍女に治療される醍醐味《だいご み 》を無駄《む だ 》にしたくないか、だ」
「そっちの方がありそうだね……」
新庄は吐息する。と、また二|棟《とう》ほど向こうで銃撃《じゅうげき》の音が挙がった。その音に新庄が眉をひそめた。
「佐山《さ やま》君、また誰か倒されたみたいだけど。……どうしてこっちの被害が大きいんだろう? 向こうは戦闘用じゃないのに」
それは簡単な話だ。
「単純な移動速度と、人数、そして武装の問題だよ。初めに待ち構えられ、乱戦《らんせん》状態になって散らされた。そう、散らされたのだよ。……おそらく作戦として誰かが与えた考えだろう」
「それが……、何で?」
「我々の多くが携行《けいこう》する武器は短機関銃《たんきかんじゅう》など、だ。連射《れんしゃ》が利き、攻撃力は高いが、当然のように直線的な攻撃しか出来ない。もし相手が超《ちょう》近距離に飛び込んできて、更には高速で左右に動かれた場合はどうなるかね? なお、UCATが使用する短機関銃の重量は約五キロだ」
新庄《しんじょう》は走りながらやや考えて、
「腕を振って追うのも大変だね……」
「自動人形達の移動は走ることよりも、軽い跳躍《ちょうやく》と重力|制御《せいぎょ》による加速だ。彼女達の速度と瞬敏《しゅんびん》性に、散らされたこちらは集団で射界《しゃかい》を制することが出来ない」
佐山は腰横《こしよこ》に一枚ある十センチ級|符式《ふ しき》の手留爆薬《しゅりゅうばくやく》を見るが、
「趙《ちょう》先生から皆に配られたものだが、このようなものを持っていても当てることは出来まい。個人戦で勝つことは難しいだろう」
「解決方法は?」
「射撃《しゃげき》武器にこだわらぬこと。または合流した仲間となるべく複数行動を取ること。あとは侍女《じ じょ》というジャンルに惑《まど》わされぬこと」
「最後はどうかよく解《わか》らないけど、……あと一つあるとしたら、たとえばボクの|Ex―St《エグジスト》とかみたいに、ある程度の範囲《はんい 》攻撃出来る武器だよね」
「倉敷《くらしき》の町を、概念《がいねん》空間とはいえあまり破壊するな、と。それが上のお望みだ。――実際始まってみれば、向こうからも壊してくれているわけだが」
一息。
「もっと多くの武器が手に入ればな、と思うよ。突如《とつじょ》この戦いを認めた私の責任でもあるが、彼女らに合わせた武装が足りないのは確かだ」
つぶやきに、新庄がうなだれるように首を下に振った。
同時。佐山は上から降ってくる影を見た。
「新庄君!」
横に突き飛ばし、ゲオルギウスの左手を腰の後ろに走らせた。そこには通常|装備品《そうび ひん》であるナイフがある。戦闘も可能な刃渡《は わた》り二十センチの大刃《おおば 》ナイフだ。
黒地《くろじ 》処理された刃《やいば》を頭上に振り上げ、背後にステップ。
左手のすぐ近くで金属音が響《ひび》き、何かが軽く弾《はじ》かれた。
視界の中で、重力を無視した高速をもって、何かが地面に降り立つ。
目の前の地面に低く身を沈めたのは、
「バイオレット君か」
「押忍《おす》。――捜しておりました。お相手いただくために」
「何故《なぜ》かね? 他にも楽しい相手は大勢いると思うが」
「主賓《しゅひん》のお持て成《な 》しをするよう、モイラ1st様から仰《おお》せつかっておりますので」
押忍、と言ったバイオレットは、下がるこちらに対して緩やかに脚《あし》を広げて身構えた。右手には包丁《ほうちょう》を、左手には鍋《なべ》の蓋《ふた》を持っている。
彼女の身体《からだ》の前傾は、こちらに向かってくるための初動《しょどう》だ。その動きに佐山《さ やま》は身構えた。
そして右手側から新庄《しんじょう》の声が響《ひび》く。視界の端で、身体を起こした新庄が尻餅《しりもち》姿勢でこちらに|Ex―St《エグジスト》を向けている。
「佐山君! 伏せて!」
だが、バイオレットの判断と動きが新庄に勝《まさ》った。
バイオレットは手首のスナップで鍋の蓋を投じたのだ。新庄に向かって。
「!」
Ex―Stに金属音が激突《げきとつ》した。重力|制御《せいぎょ》で速度と回転を与えられた鍋の蓋は、一度アスファルトにわざと激突《げきとつ》。兆弾《ちょうだん》の威力《いりょく》でEx―Stを下から跳ね上げた。
こちらに走り出したバイオレットの声が、静かに響く。
「いつも私は食器や調理具の洗い物ばかりでしたから、こういうのは得意なんです」
あ、と眉をひそめて新庄がEx―Stを放つが、狙いが定まらない。
そのまま射撃《しゃげき》が行使された。
快音。
白の光条《こうじょう》が叫びを上げて走る。下殴《したなぐ》りの弧を描くように、チョッピングの光線がバイオレットとこちらの頭上を回り、背後の建物に激突した。
しかし爆発は起きなかった。生まれたのは破砕《は さい》だ。硝子《ガラス》の飛び散る音。
背後には電器店があった。中型とも言える、奥に駐車場を持つ量販《りょうはん》型の店だ。
その正面玄関が破砕されている。
「……!」
佐山はバックステップで中に飛び込もうとした。
が、バイオレットが加速した。一瞬《いっしゅん》でこちらの| 懐 《ふところ》に来る。彼女は眼鏡《めがね》の奥の目を笑みにして、包丁を腰溜《こしだ 》めに構え、
「では、お上がり下さいませ」
対する佐山は無表情に頷《うなず》いた。
「成程《なるほど》御苦労。――だが、先にチップはどうかね?」
右手を振って放ったのは、腰に一枚|貼《は 》り付けていた符式《ふ しき》の爆薬《ばくやく》だ。
自分とバイオレットの中央、空中に紙片を置いて、佐山はこう言った。
「お上がりたまえ」
爆発が発生した。
●
格納庫《かくのうこ 》の中、ギュエスは走っていた。
ハンガーデッキへの階段は使わない。跳躍《ちょうやく》一つでそこに上がったギュエスは、一つの光景を確認した。
それはハンガーデッキのソファに寝かされる京《みやこ》と、
「テュポーン!」
白の武神《ぶ しん》が歩き出していた。瞳《ひとみ》の色は黄色で、確かな光を放っている。
ギュエスは慌《あわ》てて手摺りを掴《つか》んだ。
「――アポルオン様!」
叫ぶ。
「どこへ行かれるのですか!」
そして、
「京様をどうして捨て置かれるのですか!?」
テュポーンは問いに答えない。ただ、歩きながらこちらの前を通り過ぎ、
『…………』
会釈《えしゃく》一つで背を見せ、歩き続けた。続く足音の地響《じ ひび》きの中、ギュエスはテュポーンの後を追おうとする。だが、彼女が一歩を踏み出したとき、
「――つ」
京が薄く目を開けた。ギュエスは肩を震わせ、
「京様!」
「っ……、あ、ギュエスか?」
彼女は眉をひそめ、しかし一瞬《いっしゅん》で目に焦点《しょうてん》を戻した。体を起こし、
「アポルオンは!?」
起こした身体《からだ》は、まっすぐに格納庫《かくのうこ 》の入り口を見る。そこに立ち去っていく白の武神の背と、六枚の翼《つばさ》を。だから京は口を開け、
「――――」
息を吸い、
「……アポルオン!!」
叫んだ。ソファの上で身体を前に出す。膝《ひざ》をソファの縁《ふち》から落として転びそうになるのをギュエスが支えたが、そのことすらも焦る京は気付いていない。
「な……! 何してんだよテメエ!」
京《みやこ》はとにかく前を望んだ。彼の方へ、白の翼《つばさ》の方へ、泳ぐように、支えるこちらを振りほどいて行こうとする。そんな京に、ギュエスは何かがあったのだと悟る。
「京様!」
耳元で叫ぶと、京がこちらに勢いよく振り返った。
泣いていた。
「…………」
そこにあるのはギュエスが今まで人類に対して見たことのない表情だった。その表情は力が無いというよりも、崩れたようで、何の焦点《しょうてん》も結んでいないようでいて、しかしこちらを見て、
「どうしてだよ……?」
息を吸い、
「どうしてこうなるんだよ……?」
問いにギュエスは答えようとした。半《なか》ば京を抱く姿勢で、明確な判断による言葉を与え、拒否出来ぬ安堵《あんど 》を与えようとする。が、
……何も浮かばぬ。
自分の蓄積データと判断はこれほどまでにまだ未熟であったか。
だが、答えは別のところから来た。ハンガーデッキから居住《きょじゅう》階層へと行くための内部通路の扉、その前からだ。こちらに歩いてくる小さな影が、
「どうしてこうなるのか、解《わか》らないね、京」
告げた声を生むのは、モイラ3rdだ。
泣きながら息を吸う京が後ろ手に歩いてくるモイラ3rdを見た。対する彼女は頷《うなず》き、
「実はね。アポルオン様、先に目覚めていたんだよ。そしてね、中姉《ちゅうねえ》ちゃんを呼んで、確認してもらったの」
「……何をだよ?」
「京に子供が出来てるかどうか」
ギュエスは見た。京が表情を変えたのを。
それは泣から驚の一字に。
「ガキが……?」
京の表情の中、崩れたものがわずかにだが力を持つ。疑問という方向性を持った力を。
モイラ3rdは告げた。
「まだ確定じゃないんだけどさ、中姉ちゃんが精密《せいみつ》重力|制御《せいぎょ》でちょっと固定したから、多分、大丈夫だと思う。――で、中姉ちゃんがさ、これ」
と、モイラ3rdは後ろ手にしていたものを差し出した。
植木|鉢《ばち》だ。
「子にはこれを与えてくれって。……アポルオン様も喜んでた。京から渡して欲しいって」
見れば、植木鉢の中には何もない。種《たね》も、土も。だが、
「この世界で何が見えるのか。それを与えて欲しいって」
京が目を閉じた。
直後。外から風の爆発音が聞こえた。
テュポーンが飛び立ったのだ。
京がその音につぶやく。
「あの野郎《や ろう》、勝手に自分で選択しやがって……、今の時代は夫婦|同権《どうけん》だぞ馬鹿野郎!」
震える声で、しかし、確かに彼女は告げた。眉を立て、
「夫の選択を見届けたくねえ女房《にょうぼう》がいると思うなよ!」
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第三十七章
『王の街』
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来たよ皆
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●
全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は、概念《がいねん》空間に入る際に本隊を病院の駐車場に置いていた。
その中には一つ、白いテントがあった。
医務用のテントだ。前線ではないここにある医務用テントの役目は、大部分において医務用品の補給《ほきゅう》倉庫だ。荷物ばかりで狭い中、人の姿は二つしかない。
それは、積まれた箱の陰で簡易《かんい 》ベッドに寝かされた美影《み かげ》と、付き添っているシビュレだ。
簡易ベッドから身体《からだ》を起こした美影は、テントの白い幕布《まくぬの》を見上げていた。
ときたま布の向こうを、擦過《さっか 》音のようなものが通り過ぎていく。
「流れ弾《だま》ですね。少し大きめですから、武神《ぶ しん》か何かが米ているのだと思います。――こちらも武神が守りについてますから、おそらく大丈夫でしょう」
しかし美影は無表情に首を横に振った。大丈夫という確証は無い、と。
目が醒《さ 》め、起きたときにはもはやここにいた。飛場《ひ ば 》の指示なのだろうが、
……どうしてここに?
飛場は自分のことを護《まも》るとよく言っていたが、その本人はおらず、弾丸《だんがん》は来る。
どうなのだろう。昨夜、気を失う前に、自分は飛場に対する割り切りを得たつもりだった。もはや彼は他の皆と生活していくべきなのだ、と。
現に昨日、自分は独りを感じることが多かった。
……それともこれが普通なのかな。
飛場の母親は、父親が亡くなってから独りでいる。
彼女のような人もいる、と思うとともに、独りでいることこそが普通なのだとも思う。
ならば我慢しよう。
……私が力を呼ばなくて、竜司《りゅうじ》君が普通の生活出来るなら。
今は我慢して、彼が戻ってきたら言おう。もう自分を戦場に連れてこないでくれ、と。自分が戦場に来なければ、飛場はもう何も気遣《き づか》わず、もっともっと普通に生活出来るのだから。
そんなことを考え、正しいと感じる反面、やはり胸の奥あたりが苦しくなった。
その苦しさに、美影はかすかにうつむいた。
と、横で動きがあった。シビュレが眉尻《まゆじり》を下げた笑みを浮かべたのだ。
「飛場様は美影様を護られていますよ。以前よりずっと」
その苦しさに、美影は振り返った。眉をひそめた顔でシビュレを見て、
「…………」
首を横に振った。
だが、シビュレも同じことをした。首を横に振ったのだ。
「美影様。飛場様がどうして皆さんと一緒にいるのか、解《わか》りますか?」
『おえあううぅ』
それが普通、と美影《み かげ》は口を動かした。自分を指さし、手を横に振り、
……私以外の人といるのが、普通。
「かもしれませんね。確かに、美影様にべったりというのは普通じゃありませんし、一般的には変態《へんたい》少年ストーカーと呼ばれてしまうかもしれません。現状、ほとんどその状態ですが」
意味の解《わか》らない単語に美影は首を傾《かし》げる。シビュレはそれでも首を下に振り、
「ですが、一緒にいることだけが、相手を大事に思う唯一《ゆいいつ》の方法ではないと思いますよ」
ふと、手を握られた。重ねるという形で、シビュレの手が包帯《ほうたい》を巻いたこちらの手を握る。
「大事に思っているから離れることも突き放すこともありますよね? 今の美影様のように」
「――――」
「飛場《ひ ば 》様も今、同じことをしておられます。ただ離れ切ってしまわないように、美影様をここに置いてしまうのは、それこそ可愛《かわい》いと表現されるものでしょうか」
『ああいい?』
ええ、とシビュレは笑みを濃くした。テントの上を抜ける流れ弾《だま》の音を無視して、
「可愛いですよ、飛場様も美影様も。そして今、飛場様は戦場を選びました。もはや美影様がいなくても、飛場様は戦場に向かっていくことでしょう」
『あえ? あえあああうの?』
「何故《なぜ》戦うのかというと、それが美影様を護《まも》ることだと解《わか》っているからです。今までの飛場様は美影様に対してだけの独占《どくせん》主義飛場様で、今は皆のための社会主義飛場様というわけですが、それはもはや、美影様一人を護ることが美影様を護ることにならないと悟ったからでしょう」
シビュレは笑みを浅くした。静かな口調で、
「敢えて大それたことを言うならば、飛場様は美影様のいるところを護っております」
『いうおおお?』
「そうです。……知っておられますか? 御《ご 》自分の名の由来《ゆ らい》を」
聞いたことがある。
目覚め、言葉を知るようになり、飛場道場に行くようになってしばらくのことだ。まだ視覚は完全ではなく、ものをぼんやりとしか捉《とら》えられなかった時期のことだ。
ある朝、まだ空に月が残る未明の時刻だった。美影は飛場の祖父に連れられ、飛場に車|椅子《い す 》を押され、屋外道場の更に奥へ連れて行かれた。
そこには砕かれた空《あ 》き地があり、横の林の中に一軒《いっけん》の小屋があった。
小屋は誰かが住んでいたらしい。狭い土間を過ぎ、二|畳《じょう》敷きの畳《たたみ》の上に飛場と祖父が二人がかりで自分を座らせてくれた。あのときのことを、今の自分は、
『おおええう……』
憶《おぼ》えてる。
薄暗い視界の中、影として見える山の稜線《りょうせん》から何か光るものが上がってきたのを。
そして見えた陰影《いんえい》は、木々や山々や、川が造った自然のもので、遠く向こうには人々の住む町の姿が見えた。
憶《おぼ》えている。自分が美影《み かげ》と名付けられたのはここだ、と教えられたことを。
まだ幼い飛場《ひ ば 》の顔を見て、笑みを見て、自分も彼と同じ表情を得て、
……進化したいと。
そう思ったことを憶えている。
美影は眉根《まゆね 》を歪《ゆが》めてシビュレを見た。わずかにうつむいたこちらの顔を彼女は覗《のぞ》き込み、
「飛場様は、自分の力を必要としてくれる場所にいます」
そして、
「飛場様は美影様に助けを求めないでしょう。美影様が傷つくかもしれないからです。しかしそれは、貴女《あなた》が一番大事にされているということですよ」
言われた瞬間《しゅんかん》、美影は口を開いていた。
『えお』
でも、と、そう言って、ふと気付く。
……でも、私はどうしたいのだろう?
解《わか》りたい。解らない、ではなく、美影は答えを解りたいと望む。そして、
『いうえ』
……どうして貴女は、私の名前の由来《ゆ らい》を?
それは本当に、一部の身内しか知らないことなのに。
そう考えたときだ。外から、わ、と驚きの声が聞こえた。
何事かと思った瞬間には、美影はシビュレに抱きかかえられていた。
直後、爆発音とともにテントが吹き飛んでいた。
●
月浮かぶ大空で二つのやりとりが行われていた。
光の線と速度のやりとりだ。
片方は巨躯《きょく 》で鉄の四枚|翼《よく》と幾《いく》つもの砲《ほう》を持ち、片方は小さな身体《からだ》に光翼《こうよく》と槍《やり》を持っていた。
コットスと風見《かざみ 》だ。
風見は羽ばたきを連続で作りながらコットスから距離をとる。
コットスの方が一度の挙動《きょどう》で動く距離が長く、そして中盤《ちゅうばん》からの加速が強い。
対し、初速ではこちらが上回り、小回りも利く。
だが、一度に移動出来る距離が違いすぎる。連続で羽ばたいても、向こうの背翼《はいよく》の動き一つで距離が離される。
今、自分達の位置は倉敷《くらしき》駅の北西にある。眼下には光があるが、民家の光ではない。屋敷《や しき》や塔《とう》や、アーケードの装飾光《そうしょくこう》が並んだ広い敷地《しきち 》は、
「遊園地ね。いや、テーマパークかしら」
倉敷駅北口|直近《ちょっきん》に広がるそれは、アンデルセンを題材に選んだ倉敷チボリ公園だ。
風見《かざみ 》は降下していく。中央にある欧風《おうふう》の寺院の姿がイルミネーションで近づいてくる。
見れば薄暗いアーケードに立つ時計は午後九時を指そうとしていた。概念《がいねん》空間の外では既に十一時を過ぎている筈《はず》だが、
……概念空間が出来てから電力を通すまでのタイムラグ、か。
右手側に観覧車《かんらんしゃ》を見たところで、上空から砲撃《ほうげき》が来た。
風見はテーマパークの中へと飛び込んだ。眼下を通る並木道、入り口へと至る中央アーケードのイルミネーションに風見は滑空《かっくう》軌道で突っ込んでいく。
高速だ。並ぶ並木よりも、イルミネーションの光がこちらの背の翼《つばさ》の光を隠してくれる。
翼を使い、煉瓦《れんが 》の道路を蹴《け 》って並木をスラロームで抜け、振り返りながら空に|G―Sp《ガ ス プ》2の光砲《こうほう》を連射《れんしゃ》する。上空百メートルほどの位置にいるコットスがその巨体を| 翻 《ひるがえ》して避けたのに舌打《したう 》ちをし、来る追撃《ついげき》に対しては煉瓦道路を滑走する飛行ステップでかわす。
並木を抜けた。
目の前に見えた白い平《ひら》屋根は、テーマパークの出口だった。左右に無人の移動用オルガンやポップコーンの欧風|屋台《や たい》があるのを見て風見は微笑。
次の瞬間《しゅんかん》には、光弾《こうだん》の追撃を引きながらも、出口の改札と屋根の間を外へと突き抜けている。
表《おもて》に飛び出した。
そこは左右に広い道路が延びる開けた場所。道路の向こうは倉敷駅の大きな白い駅舎《えきしゃ》と立体駐車場の建物がある。
テーマパークの中とは風が違って、広い。そして背後のテーマパークの光が熱く感じる。
今は夏だ。目の前にある倉敷駅の駅ビル、も、屋上にビアガーデンの灯《あか》りを持っている。
……そう言えば、私が二十歳《は た ち》過ぎたら覚《かく》が行こうって言ってたわね。立川《たちかわ》あたりのに。
今《いま》行ってもいいのに、彼は変なところで真面目《ま じ め》だ。
空から光が来た。
砲撃の穿《うが》ちが入場口の屋根を撃《う 》ち、アスファルトを砕いて折ってくる。
風見は羽ばたいた。動きは右に、フェイント入れて、だ。向こうは機械の判断力と記憶《き おく》力、そして予測力を持っている。直線的に動けば、こちらの動きを読むことは容易《たやす》い話だろう。
だからわざと風見は広い道路ではなく、テーマパーク前の石畳《いしだたみ》の舗道《ほ どう》を跳ねるように行く。
スキップの動きで挙動《きょどう》を乱してから翼を振り、今度は一気に駅側へと身を飛ばした。
飛翔《ひしょう》する。
テーマパークと駅の間には、白いテラスがあった。半径五十メートルほどの、中央部分を吹き抜けにした欧風|装飾《そうしょく》のテラスだ。吹き抜けの中庭には高さ三階分はある時計|塔《とう》が立つ。
風見《かざみ 》は飛んだ。テラスを飛び越えるように、下から上に、緑の屋根の時計塔を見るように。
すると、遠く、南の方から籠《こ 》もった低音が響《ひび》いてきた。見れば南の空に煙がある。
「――本部の方で、武神《ぶ しん》か何かが爆発でもしたの……?」
シビュレ達のいる医務用テントは大丈夫だと信じたいが、風見はやはり眉を詰める。だが、
「……大丈夫」
後で行くから、とつぶやき、風見は前を見た。
テラスの上で羽ばたき、眉根《まゆね 》に力を入れて頷《うなず》くなり、突然|音《おと》が響いた。テラス中央部、吹き抜けの中庭に仕掛けられたスピーカーから流れるのは、クラシックのような音楽と鐘《かね》の音だ。
概念《がいねん》空間の九時を告げる鐘が響く。
同時。時計塔が動いた。上部の時計部分から上が分かれて上がり、中から出てくるのは、
「人形劇……?」
時計塔の中に入っていたのは、アンデルセンの童話を模《も 》した人形劇の仕掛けだ。四面に備えられた人形達は、それぞれ違う話を表現して動いていく。
その四面の劇は、音楽とともにゆっくりと回り、
「あ」
風見は気を取られていたことに気付いた。慌《あわ》てて頭上を確認する。しかし、
『観賞|許可《きょか 》』
コットスが砲撃《ほうげき》を止め、頭上の空に動きを止めていた。
風見は苦笑。駅の向こうから響く砲撃の音などを耳にして、南の空に昇った黒煙《こくえん》を見て、
「大丈夫よ。ここで終わりじゃないと思ってるから。いずれ、大事な人と見に来るわ。――楽しい楽しい機械の王国と人形劇を、鐘の音バックにね」
『了解《りょうかい》』
コットスが遊園地の空に移動する。後ろ向きに、砲《ほう》をこちらに向けながら。
対する風見も緩やかに宙を移動し、彼との距離を離さない。
どちらともなく緩やかに旋回《せんかい》し、風見が下で、コットスが上という位置になる。
コットスが頷《うなず》いた。背後で音楽が終わり、時計塔が閉じていく。
音が停まる。それを合図に、
「――!」
風見は動いた。
●
空中を風見が疾駆《しっく 》する。
軌道は上昇、浅い弧《こ 》を描いてコットスの右に回る動きだ。
だが、コットスはそれを予測していた。
彼はまず牽制《けんせい》のために眼下の風見《かざみ 》へと多重の砲撃《ほうげき》を行い、それから身体《からだ》を右に向ける。右方向の空へ上昇|回避《かいひ 》する風見を、常に射界《しゃかい》に収めるためだ。
コットスが右に重い体を振り回し、風見の上昇軌道に二度目の砲撃を入れようとした。
だが、その瞬間《しゅんかん》に風見も動いていた。
「――甘い!」
風見の動きはコットスの予測を超えたものだった。
彼女はいきなり進路を変えたのだ。コットスの右に回り込む軌道から、まっすぐ彼に向かう上昇軌道へ。それも、飛来《ひ らい》する光弾《こうだん》の雨の中に。
真下。光の弾幕《だんまく》の中から見れば、コットスは右を向いた姿勢だ。
重い彼は、すぐには動けない。
だから今こそ風見は行く。天から降る光に対して身体を垂直に立たせ、
「……!」
空を蹴《け 》って飛翔《ひしょう》した。
羽ばたきは上昇への一直線。光の矢群《や ぐん》とも言える弾幕の間、そこを抜ける方向|舵《だ 》となるのは、
「|G―Sp《ガ ス プ》2!」
槍《やり》の穂先《ほ さき》は閉じられ刃物《は もの》となり、その先端が切る風の流れが軌道を調整する。
そして飛んだ。
風見は翼《つばさ》を動かし、加速する。加速する。加速する。そして三度の連続加速を行い、更に追加で加速を行う。
一瞬《いっしゅん》で弾幕の中心に突入した。
コットスの砲《ほう》の位置は左右|対称《たいしょう》だ。中央部分に身体を置けば上下軌道の変更だけで回避《かいひ 》することが出来る。
だからそうした。
一発目の太い光を身を低くしてかわし、上に進む速度を消さずに二発目を腹の側にかわす。
三発目は顔狙《かおねら》いだと思ったが肩だ。肩のアーマーを着けない軽装主義で助かった。
……着けていたら引っかけられて――。
即死《そくし 》だ、という思いを、風見は前向きに受け止める。光をかいくぐりながら、
「いい感じじゃない!」
叫びと同時に砲撃を抜けようとした。が、そこに一発が来た。
横を向いたコットスが、追い打ちで、右側面の副砲《ふくほう》を撃《う 》っていたのだ。
激突《げきとつ》する。
その瞬間の判断を風見は迷わなかった。
羽ばたいたのだ。真っ正面に。
そして|G―Sp《ガ ス プ》2を光に叩き込む。
全ては一瞬《いっしゅん》だ。破砕《は さい》の音とともに光が砕け、強烈な反動が来て、しかし
「行け……!」
羽ばたきの勢いが勝《まさ》った。まるで水壁《すいへき》をぶち抜くような光の飛沫《しぶき》が散り、風見《かざみ 》は空を行く。
「――抜けた!」
叫んだ瞬間《しゅんかん》。風見は涼しさを感じた。
……あ。
戦闘の中だというのに、弾幕《だんまく》を抜けた視界は確かに夜空を見た。
月と星の浮かぶ夜空。そこに見える星座の並びを見て、風見はこう想う。
……神々の図形が、月を中心に人々を見守っている、か。
がらんとした空に到達した風見は、しかし一つの事実に気付いた。
そこにはコットスが、
「いない!?」
思った瞬間、風見は反射神経の動きを放つ。足下へG―Sp2を向け、ためらわず、
「G―Sp2! 第二段階!」
言葉通りにG―Sp2が変形し、風見は砲口《ほうこう》を足下の宙に突き刺すように射撃《しゃげき》した。
焦熱《しょうねつ》音が走り、白の光が勢いよく真下へ飛んだ。
「そこでしょう!?」
叫びと光が飛んだ眼下、確かにコットスがいた。
……弾幕を目くらましに、姿勢をこっちに向けながら死角に落ちたのね。
超《ちょう》重量の武神《ぶ しん》であるがゆえ、砲撃《ほうげき》後や移動中は隙《すき》が出来る。だからこちらに追い打ちの一発を放ちつつ、コットスは回避《かいひ 》のために最も速い移動|制御《せいぎょ》を選んだのだ。身体《からだ》を右に回し続けながら、重力を利用して、下へ落下する方法を。
こちらがコットスを見失ったことの驚きを引きずっていたら、彼は身休を回し終えて下から撃《う 》ってきたに違いない。それをさせなかったのは、
……経験ってやつよ!
思いと同じタイミングで快音が響《ひび》き、コットスの胸部中央に白の打撃が入った。
快音をもって青の胸部|装甲《そうこう》が砕け、空間に広がる圧力が周囲の装甲と主砲《しゅほう》を砕いた。まるで隕石《いんせき》でも激突《げきとつ》したかのように。
コットスは、落下というよりも叩きつけられる勢いで地面に落ちる。そこにあるのは、
「観覧車《かんらんしゃ》!」
風見は叫び、二発目を確定させるために羽ばたいた。
コットスの身体が、彼より遥かに巨大な観覧車に激突しようとする。
だが、次の瞬間、風見は妙な感覚を得た。
コットスを視線の中央に置いたまま、視界が大きく旋回《せんかい》したのだ。
地面と観覧車《かんらんしゃ》を見ていた筈《はず》が、何故《なぜ》か今、自分の目は空と月を見ていた。
「――え?」
背に何かが当たった。冷たい柱のようなものだ。
振り返ると、巨大な白い柱が作り上げた車輪があった。
観覧車だ。
「……え?」
疑問に対する答えは新たな問い掛けだ。
……どうして、コットスと位置が入れ替わってるの?
「まさか……、移動用の重力|制御《せいぎょ》を利用して、空間を回したの!?」
コットスは、超《ちょう》重量の武神《ぶ しん》を空に飛ばせるほどの重力制御を利用して、自分とこちらを含む空間を百八十度|旋回《せんかい》させたのだ。彼の重力制御はこちら一人を掴《つか》めるほど精密《せいみつ》ではないが、
『空間旋回可能』
声に見上げれば、空にコットスがいた。全身の装甲板《そうこうばん》を広げて、内部から陽炎《かげろう》を噴《ふ 》き出しているが、それは、
『全《ぜん》重力制御最高|限度《げんど 》使用』
その代償《だいしょう》は、
『最終|一撃唯一斉射《いちげきゆいいつせいしゃ》』
一発勝負の宣言に風見は焦った。一斉射に対し、今のこっちは良い的《まと》だ。だから身体《からだ》を起こし、観覧車の柱を蹴《け 》って飛ぼうとする。
だが、その直前にコットスが、こちらに手を向けた。彼の手や腹、そして肩には副砲《ふくほう》がある。
そこに光が灯《とも》り、力が発された。真下へと、こちらへと。
『――勝利確定!』
●
町に鐘《かね》の音が響《ひび》いている。
時計|塔《とう》の鳴らした九時の余韻《よ いん》が、無人の町に響いていく。
その音に重なるのは各所の銃撃《じゅうげき》音と、爆発音と、
『最後の一機!』
飛場《ひ ば 》の武神、荒人改《すさひとかい》がたてる駆動《く どう》音と剣戟《けんげき》の響きだ。
音が生まれる駅前大通りの阿智《あ ち 》神社側では、敵となっていた緑の武神の内、最後の一機が胴体《どうたい》を断たれていた。飛場の持つ剣の内、一本は既に折れている。持ち替えた剣の初撃《しょげき》がそれだ。
だが敵を切り倒した飛場は、すぐに本能的な動きで空を見た。
……何か来る?
耳が、妙な重い音を聞いている。先ほど新たに生まれた、巨大物が動いて出来る風の音を。
飛場《ひ ば 》は背に接続した| 長 銃 《ちょうじゅう》を引き出し、右腕のハードポイントに確保しようとする。
だが、間に合わない。それは、いきなり舞い降りた。
『……!』
場所はこの街道上、自分のいる場所より二百メートルほど南の位置だ。
そこに、白の武神《ぶ しん》が地面に激突《げきとつ》する勢いで降り立った。
テュポーンだ。
視界の中央、背から、肩から、腰の装甲《そうこう》から陽炎《かげろう》を風として噴《ふ 》くテュポーンがいる。
そして飛場は見た。
テュポーンに対し、右から一機の武神が突っかけていくのを。
それは黒と白の装甲に包まれたUCATの武神だ。既に3rd―|G《ギア》側の武神がいなくなったため、こちらに歩を進めてきた一機だろう。
彼は短機関銃《たんきかんじゅう》を連射《れんしゃ》し、背部スラスターを全開しながら突っ込んでいく。
『――!』
だが、彼の銃|突撃《とつげき》は無意味であることがすぐに証明された。
見れば、白の武神の前面、わずか数十センチの位置で火花が散っている。重力|制御《せいぎょ》によるピンポイントの耐圧|障壁《しょうへき》が、飛来《ひ らい》する弾丸《だんがん》を弾《はじ》いているのだ。
白の武神は身構えもしない。
対するUCATの武神も銃撃《じゅうげき》の無意味を悟ったのか、銃を捨て、剣を抜いた。
腰だめに構えられた剣とともに、UCATの武神がテュポーンに激突する。
『――――』
ぶつかる、と飛場が思った瞬間《しゅんかん》だ。
テュポーンが右手を前に上げた。
その| 掌 《てのひら》は黒と白の武神の突き込む剣に正面からぶつかり、
『!』
砕いた。
白の金属の掌に、まるで吸い込まれ、縮まるように剣が音をたてて砕かれていく。
そしてテュポーンが、剣を砕き切った右手を更に前に突き込んだ。突っ込んできていたUCATの武神の、その勢いをものともせず、首元の装甲を片腕で受け止め、
『……!』
無造作《む ぞうさ 》に頭上へと放り投げた。
それだけで、黒と白の武神が空に舞った。
舞って、回転し、背後の商店街の向こうに消える。
ややあってから、商店街の向こうから、建造物の派手《は で 》な破砕《は さい》音が聞こえた。
もはやテュポーンは敵を見ない。
飛場《ひ ば 》の視界の中央、今、テュポーンはじっと街を見ていた。ところどころから煙が上がり、爆発音が響《ひび》き、銃声や剣戟《けんげき》の音が響く倉敷《くらしき》の町を。
テュポーンは無言で、上げた右手を下ろしていく。その途中で、肩から前に突き出した剣のグリップを握り、引き抜いた。
白銀《はくぎん》の刃《やいば》が大気と月光の下に晒《さら》される。
が、テュポーンはそれを眼前のアスファルトに突き立てた。空に向いた柄《つか》の尻に両手を重ね、いきなり叫びを挙げた。
『……3rd―|G《ギア》の我が家族達よ!』
男の声が、鐘《かね》の余韻《よ いん》止まぬ倉敷の空に響き渡った。
『――3rd―Gの王がここに見ているぞ。存分《ぞんぶん》に戦うが良い!』
●
出雲《いずも》と大城《おおしろ》に対して皿の砲撃《ほうげき》を送ろうとしたモイラ1stは、いきなり聞こえてきた声にその動きを止めた。
慌《あわ》てて首だけで阿智《あ ち 》神社の方角へ振り向けば、そちらから聞こえるのは、
『聞こえるか|Low《ロ ウ》―Gとそれに与《くみ》する者達! そしてまた我らに遺恨《い こん》を持つ者達!』
モイラ1stは街道を見据《み す 》えるが、声の主《ぬし》はコーナーの向こうにおり、見ることは出来ない。
そして声が聞こえる。
『いいか? ――私はここに、3rd―Gの戦力を全て用意した』
聞こえた声の内容に、え、と侍女《じ じょ》の誰かが疑問|詞《し 》を放った。
「私達はアポルオン様の了解《りょうかい》無しに……」
……静かに。
と、モイラ1stは共通|記憶《き おく》を飛ばし、響く言葉に聴覚を傾ける。
『――人の世話をするために作られた侍女、3rd―Gを護《まも》るためだけに作られた番人《ばんにん》達、そして卑小《ひしょう》な者達を叩き潰し竜《りゅう》と渡り合うためのこの巨大な兵器群――、これらの威勢《い せい》を持って覇《は 》を唱《とな》えた意思と形が、今、この戦場にある!』
モイラ1st達は聞く、アポルオンの言葉を。
『この戦場を私は快く思う。自動人形達がどう言おうと、彼女らの意思によるものではない。これはかつて私の意思が望んでいたことだ。私はここに差し出そう。もはや全てを祓《はら》おうと、この世界にそのまま遺《のこ》し継がせていけぬものと私の命を、だ!』
声が聞こえる。
『さあ3rd―Gに全ての終わりを告げる鐘は鳴った! この戦いをもって我らを新たな家族と迎えるならばやってみせろ最弱のGよ!! 我らが作った者達や兵器を家族と出来る幸いを見せれば、我らを超えたと認めてやろう! ――我らは退《ひ》くことを知らず、理解を求めぬ機械の群ぞ! 鉄の意思と鋼《はがね》の血肉《けつにく》を簡単に制圧し、服従出来ると思うな!』
そして、
『我、3rd―|G《ギア》の王、アポルオンはこの戦場の結果に|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》を認める!!』
彼の言葉に、モイラ1stは目を伏せた。
ややあってから頷《うなず》き、そして、正面を見る。
遠く、街道の上には腰の動かなくなった老人と、一人の少年が立っている。
少年は巨大な白い| 機 殻 剣 《カウリングソード》を肩に担《にな》い、首を一つ下に振った。
「立派《りっぱ 》な王じゃねえか。……話じゃ結構《けっこう》ヘタレっぽいの想像してたんだがな」
「ええ、立派になられました。今までずっと、何も考えておられぬ振りをされ、父王《ちちおう》や3rd―Gのことを嫌悪《けんお 》しているようでいて――」
微笑を浮かべた。
「私が知る記録の限り、最も3rd―Gの王に相応《ふさわ》しい方です」
そうかい、と少年は頷いた。笑みを見せ、
「王様が見てんじゃしょうがねえな。――じゃ、お互い、いいとこ見せようぜ」
はい、とモイラ1stは頷いた。両手で皿を重ね持ち、振りかぶる。
これが最後の一発になるだろうと、そんなことを思いながら勢いよく腕を振り、こう叫んだ。
「……入ります!」
●
アポルオンは街道を右へ振り向いた。
剣を地面から引き抜き、右手に提《さ 》げる。
視線の先、オレンジ色の街灯《がいとう》が立ち並ぶ中、自分の相手がそこにいた。
黒の武神《ぶ しん》だ。
随分《ずいぶん》と久しぶりに見る武神だ。六十年ぶり、否、感覚的には五年ぶりなのか。彼を見るのは。
『やあ』
アポルオンは告げた。
『かつての再戦といこうか。――実のところ、そのスサヒトという機体に私は負けていない』
『ええ、知ってます。爺《じい》さんが貴方《あなた》を殺したのは、スサミカドですから』
『そう、レアの娘を取り戻しに来た彼は、クロノスのところに隠れた。そして自動人形にされたレアの娘が私の父の複製に引き渡されるとき、乗り込んできたのだよ』
よく憶《おぼ》えている、あのときのことは。今まで思い出そうとするたびにアルテミスに意識を奪われたが、しかし今は大丈夫だ。機械に合一《ごういつ》した自分の頭が冴《さ 》えているのが良く解《わか》る。
……ミヤコ。
これだけ自分をとどめてくれているのだから、有《あ 》り難《がた》いことだ。
『その機体を父の前で叩き潰したのは私だよ。再戦とはその意味だ』
黒の機体が頷《うなず》き、剣を右に構えた。
あのときと同じ構えだとアポルオンは思う。否、姿勢がやや低めか、とも。
『懐《なつ》かしいな。あのときはレアの娘が泣き出す声がやかましかった』
その言葉に、黒の武神《ぶ しん》が動きを止めた。ややあってから、
『レアさんの娘の……、名を知ってますか?』
『いや、父が禁じた。|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に満ちた惰弱《だじゃく》な名だと。そして私も、情《じょう》が移ることを恐れて聞くことはしなかった』
機械の口で自嘲《じちょう》の音を漏らし、
『おそらく、いい名なのだろうな』
『――はい』
『はは、話を聞くと、君の大事な人になっているようだな。……ならば私は一つ約束しよう。もし私の子が出来たならば、私もいい名をつけると』
ミヤコならば間違いはすまい、とアポルオンは思い、足を進めていく。
黒の武神へと。ゆっくりと剣を掲げ、
『さあ、……戦おう』
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第三十八章
『光の闇』
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翳すのは何か
隠すのは何か
そして全てを包むのは何か
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●
薄暗い電器店の中、一人の侍女《じ じょ》が歩いていた。
眼鏡《めがね》の姿はバイオレットだ。ひびの入った眼鏡を鼻の上に持ち上げ、あたりを見回す。
「どこにおられますか?」
答えはない。
ここに飛び込んだときから相手を見失っている。何やら薄い素材の爆薬《ばくやく》を投じられたとき、思わず自損《じ そん》の危険性から重力|制御《せいぎょ》を用いて爆発を封じていた。そうやって放たれる爆発を全て外側から押し込めたのだが、幾《いく》らかの圧《あつ》は漏れていた。
今、首元のスカーフもエプロンの裾《すそ》も千切《ち ぎ 》れ飛んだ姿だ。衣服調達|係《がかり》のアイガイオンに怒られるだろうかと思う反面、京《みやこ》様は心配して下さるだろうか、とも考える。
先ほど聞こえたアポルオンの言葉も気になることだ。
困った、と判断しつつも顔には出さない。
何しろ、まさか洗い物で一度も手に破損《は そん》を作ったことがないのが自分だけとは。そしてそれが理由で白兵《はくへい》班のリーダーに選ばれるとは。
……アイガイオン様、実はどうでも良かったんじゃあ……。
バイオレットはそう思いながら、送風機売り場の横、洗濯機《せんたくき 》売り場の列の角を回る。
どれもいい洗濯機だ。が、3rd―|G《ギア》の基地にあるのだって長年|皆《みな》で直し直し使ってきたいいものだ。洗濯機|自体《じ たい》もこちらによくなついているし、替える気にはならない。
「またどこかでね……」
新しい職場に移るか、暇《ひま》を寄越《よ こ 》されれば、彼らと触れ合あうこともあるだろう。
ただ残念なのは、機械はやはり生物として動くのにも燃料がいるのだが、
「|Low《ロ ウ》―Gの燃料は変な線から配給されるのが主体なんですね……」
床から出ている外部ケーブルが気に掛かる。3rd―Gの基地ではそんなものは燃料材の入れ替えスタンドくらいでしか見ないし、自分達は賢石《けんせき》燃料で数百年|活動《かつどう》可能だ。ケーブル自体が露《あら》わになっているのは臓器《ぞうき 》が露出《ろしゅつ》しているのと同じではないだろうかと首を傾《かし》げる。
そのときだ。
不意に店内が光に満ちた。
周囲にある黒い箱形の映像受像器が光を得た他、スイッチの入っていた送風機が回り、何やらどこかからは録音されていた音楽が鳴り始めた。
「…………」
誰かが店を起動した、というのは解《わか》る。何か危険が予測される、ということも。
だが、それ以上に、周囲の機械が動き始めたことが嬉《うれ》しい。
仲間とも、味方とも感じる存在ばかりだ。
バイオレットは頷《うなず》き、中央の最も広い通路に出た。腰に手を当て、
「出て来て下さい。私達も決着をつけましょう」
すると、呼びかけに声が響《ひび》いた。佐山《さ やま》と呼ばれていた少年、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》のリーダーの声だ。
「やはり、ここの機械は生きているかね?」
「違うと言ったら自動人形では御座居《ご ざ い 》ません」
成程《なるほど》、と通路の向こうで声が答えた。照明の影が動くのは通路の果ての突き当たりだ。壁に淡く映った少年の影がこちらに出てくる。
「ではそちらの奥、入り口側にいる君と取引といこう」
バイオレットは見た。佐山が左手のナイフを胸元に構えているのを。
そして、彼が右腕に緑色の小さな扇風機《せんぷうき 》を抱え込んでいるのを。
「貴方《あなた》、まさか……」
「ははは、見て解《わか》るだろう。月並な台詞《せりふ》だがおそらく機械の君には初だろうね。こういうときはこんな風に言うのだよ。――人質《ひとじち》を取った。おとなしく投降《とうこう》したまえ」
「普通、投降するのは人質を取った側ではないでしょうか……?」
「いいかね? 場合が場合だ。細かい疑問は死を招くぞ」
と、佐山が扇風機にナイフを押し当てた。
自分の首に刃物《は もの》を当てられている感覚を想像《そうぞう》再生して、バイオレットは首を竦《すく》める。
……どうしましょう。
手にした大刃《おおば 》の包丁《ほうちょう》を浅く抱き、
「しょ、少々お待ち下さい」
「こちらは待たん。外は今、祭の最中だ。私は流行遅れになるのを最も恐れる日本人だ。いいか、十秒数える。一、十。いかん、終わってしまったようだ。どうしてくれるのかね!?」
「ど、どうって――」
判断が混乱してきた。このままでは乱れてしまう。いろいろ対処を考えてみるが、
……この方、言ってることがよく解りません。
対処はとりあえずの無視と決まった。だからまず考える。今の状況を。
そして、はっ、とバイオレットは一つの事実に行き着いた。佐山を指さし、
「今《いま》気付きましたが、無駄《む だ 》です! その送風用の機械、生きておりませんね!?」
「まさか生きていないように見えるかね? 残念だ、君と同じなのに」
と、佐山が通路からこちらに出てきた。送風機の尻から出た外部ケーブルは床の方、売り場の陰の方に下がっている。が、それだけでは解らない。バイオレットは眉を立て、
「その送風機が生きているかどうかの御《ご 》証明を――」
言っている間に、佐山がスイッチを入れた。
瞬間《しゅんかん》、送風機の羽根が回り始めた。
生きている。
その事実に、バイオレットは息を飲む。あの機械はこの概念《がいねん》下では大事な生命だ、と。
対する佐山《さ やま》が真剣な顔で頷《うなず》き、
「見たまえ。これがIAI製|扇風機《せんぷうき 》 朗《ほが》らか だ。音声|認識《にんしき》で動くほか、羽根の形に工夫《くふう》があってね、これに向かって声を、あー、とか出すと一オクターブ高くなって無意味に朗らかになれる。――これと家族である君は、さて、今の状況をどう思うかね?」
佐山がナイフを離さぬまま、送風機のスイッチを弱から中に、中から強に変え、更には強から大《だい》強に変えた。揺れて高くなった声で、
「これでよくお解《わか》りかね? 何なら首振りも入れよう。それ」
「お、おやめ下さいそんな酷《ひど》いことは!」
バイオレットの視覚の中、扇風機の白い首が嫌がるように首を横に振り出した。
佐山が笑う。
「ははは! 一方的な勘違《かんちが》いかもしれんが、優位とはいいものだね。もしこの子の命が大事ならおとなしく私に投降《とうこう》し、私の利となる行為をとりたまえ」
言われた言葉に、バイオレットは屈しかけた。
ならば、と思う。こちらも先ほど射撃《しゃげき》した少女を人質《ひとじち》にとってやろうかと。
だが、不意に佐山がこちらを見た。無表情な視線が、こちらに向いたのだ。
……あら?
とバイオレットは思う。何故《なぜ》、今まで自分と話していた筈《はず》の彼が、こちらを見るのだ、と。
……まさか、実は彼は、今まで私の方などずっと見ていなくて……。
その思いの続きを彼は口にした。
「バイオレット君? 先ほどから、君は何故、私と彼の話し合いに反応しているのかね?」
「――――」
バイオレットは呆然《ぼうぜん》と包丁《ほうちょう》を持つ手を下げた。そしてゆっくりと後ろに振り向く。
そこは電器店の入り口のショースペースだった。夏である今、大型の扇風機があり、特に大きい業務用|送風機《そうふうき 》がこちらを向いて、緩やかに羽根を回していた。
「そこにあるのはこの 朗らか の親製品である大型送風機 男振《おとこぶ》り だ。音声認識で動き、竜巻《たつまき》並の強風で声を放つと三オクターブ低くなって男らしくなれるのだが。――さて、どうかね 男振り 」
佐山の声が聞こえた。
「私の利になる行為を行ってくれれば、……そうだね、この子を解放し、礼として更に心地よいノイズレスな電力を差し上げよう。UCATの高純度バッテリーからの電力を」
その言葉に、男振り が応えた。
答えは豪風《ごうふう》だった。
「!」
反応速度よりも速い勢いで、バイオレットは突風に突き飛ばされた。
重力|制御《せいぎょ》を行おうにも、天地を知るためのバランサーが間に合わない。戦闘用ではないせいだ、と思うより早く、店の棚卸《たなおろ》し用に広げられた段ボールの山に尻から激突《げきとつ》した。
空《あ 》き箱のクッションに沈み込んだバイオレットは、起き上がろうにも、
「あ、や……」
尻が段ボールの隙間《すきま 》に落ちている。手足を引っかけて落ちないようにするのが精一杯《せいいっぱい》だ。
そしてバイオレットは見た。電器店の入り口から、白と黒の装甲服《そうこうふく》姿の男女が幾人《いくにん》も駆け込んでくるのを。
佐山《さ やま》が扇風機《せんぷうき 》を抱えて彼らに近づいていく、
「バッテリーと変圧器を用意しろ! 奥の車用|電化《でんか 》製品コーナーにもあるはずだ! ここは生きた武器庫と仲間達の巣だぞ。ゆえにここを拠点《きょてん》に各地区を制圧に入る!」
応《おう》! と皆が答えるのを、バイオレットはひびの入った眼鏡《めがね》で見た。
……この人達は、諦《あきら》めないのですが……。
佐山が振り返る。そしてバイオレットは見た。佐山の微笑を。頭に獏《ばく》を乗せた彼は、
「いいかね? この戦いが終わった後、もし良ければ神田《かんだ 》に遊びに来たまえ。そこにはきっと、君の知りたい知識を持ちつつ、君にも知識を教えて欲しがる筈《はず》の者がいる」
こちらの手に提《さ 》げた包丁《ほうちょう》を見て、
「その後で、君の料理をいただきたいものだ」
頷《うなず》くでもなく、バイオレットは手から包丁を落としていた。
そして右手を掴《つか》まれ引かれ、一気に身体《からだ》が抱え上げられる。
あ、と抵抗する間もなく、バイオレットは段ボールの山の中から救い出され、佐山の肩の上に担《かつ》ぎ上げられていた。
「――諸君!」
佐山が叫ぶ。隣《となり》にやってきた黒髪《くろかみ》の少女の苦笑を受けながら、
「既に3rd―|G《ギア》の王は答えた。ならばこちらからも宣言しよう」
息を吸い、彼は左手を上に上げた。歩き出し、待つ皆の中央を行きながら、
「――諸君! 我々は、この戦いをもって鋼鉄《こうてつ》の玩具《おもちゃ》箱を手に入れる! そして知れ諸君! 玩具は偉大であっても恐怖であっても玩具でしかない! もし彼らが人を望むならば箱から出すために手を伸ばせ!」
だが、
「もし彼らが自分達を人形だ人形だと泣き叫ぶならば、悪役の代行をもって砕き上げるがいい! そして我ら|Low《ロ ウ》―Gは玩具に人を思える馬鹿どもだと教えてやるといい! 我ら浪費《ろうひ 》を好むもの。我ら死の一時《いっとき》を遺《のこ》すもの。我ら失われる全てを人と見なせるもの。我ら陽神《ようしん》の答えを得た者は、今宵《こよい》は月下《げっか 》で人形と踊り戯《たわむ》れ殴り倒すを望め! そして打ち直されて踊り続けるコッペリアは歌を朗《ろう》じて人にもなろう! そのために――、|進撃せよ、だ!!《ゴ ー ア ヘ ッ ド》」
一息。入り口近くでこちらの身体《からだ》を下ろし、正面から、目を合わせながら、
「――返事はどうした諸君!」
『|Tes《テスタメント》.!』
周囲の皆、そして街にいる敵の声が全て重なった。
鳴り響《ひび》くような応答の声の連続の中、バイオレットは正面に立つ佐山《さ やま》達を見ながら、唇を小さく動かしてつぶやいていた。
押忍《おす》、と。
●
| 契 約 《テスタメント》の声が響く中、コットスの砲撃《ほうげき》が夜空から降った。
闇に満ちた天からの光撃《こうげき》が、観覧《かんらん》車に直撃する。
耐えられはしない。
轟音《ごうおん》が響き、光の炸裂《さくれつ》した観覧車が震動《しんどう》した。
一番に中央部の連結《れんけつ》支柱を貫《つらぬ》かれた観覧車は、宙に浮いた状態となる。
次の瞬間《しゅんかん》、観覧車を穿《うが》ち、宙にピン止めするように無数の光が突き刺さった。
四本、六本、そして一気に二十本。全て副砲《ふくほう》群が放った最後の一発だ。
光は連打で突き刺さり、観覧車の背後へ容易《たやす》く貫通《かんつう》した。
硬質な光は、地面に激突《げきとつ》したところでようやく己の力を発揮《はっき 》する。
熱衝撃《ねつしょうげき》という名の連続爆発だ。
快音が響く。そして光の爆発は一つが数メートルに広がって連鎖《れんさ 》し、巨大な光の泡《あわ》となり、
「――!」
弾《はじ》けた。光の爆発が生んだ衝撃は、大気の怒濤《ど とう》となって空に噴《ふ 》き上がる。
爆圧《ばくあつ》の上にある観覧車が吹き飛んだ。それも全壊《ぜんかい》となって、だ。
細い支柱も太い支柱もまるで細木《ほそぎ 》のように砕かれて空を舞い、気球型のライドもそれぞれ方向を失って宙に放り投げられた。まだ接続のある支柱は、爆圧で歪《ゆが》み、幾《いく》らかは折れ、幾らかは接続部から千切《ち ぎ 》れて破片の群の一部となる。
観覧車全体を支えるメインの支柱は、なまじ大地に深く突き刺さっていた分だけ、その根本《ね もと》から折れて倒壊《とうかい》した。
そして地面に跳ね返った衝撃波が、倒れる観覧者を更に下から打撃した。
巨大な円《えん》構造の鉄筋《てっきん》建造が、空へと跳ね上がった。
散らばる。まるで子供が砂場の砂を空に放り投げたかのように。観覧車であったものが夜空に散らばっていく。戻りはしない。
それら破片を浴びるように、青い巨躯《きょく 》が空に浮いていた。
コットスだ。
彼の顔面|構成体《こうせいたい》の中、帯状《おびじょう》の視覚|素子《そ し 》が光を放ち、全ての破片を確認《スキャン》している。だが、
『敵――、高|確率《かくりつ》消滅』
破片の中に敵はいない。コットスの眼《め》から光が絞《しぼ》られ、立体視|用《よう》の三眼《さんがん》となった。
眼が見るのは大地に開いた穴だ。爆発で上がった土砂《どしゃ》と、未だ散らばる光の中を彼の眼は見据《み す 》える。
無論、そこにも敵はいなかった。彼の副砲《ふくほう》ならば直撃《ちょくげき》で消滅出来るサイズだったが、
『――再《さい》確認』
再び眼に光を走らせるが、やはり敵はどこにもいない。周囲に散るのは破片と残骸《ざんがい》のみだ。
だからコットスは頷《うなず》いた。勝利確定、と。だが、
「そうね」
いきなり声が響《ひび》いた。それも意外な方向。上方からだ。
『!』
コットスは身構え、破片と残骸の外へ聴覚を向ける。敵が高速で残骸などの範囲|外《がい》へ出て、そこから突撃《とつげき》をしてくる可能性を考慮《こうりょ》する。
不可能、とコットスは考えた。敵の移動力はそこまで大きくない、と。しかし、
「何してんのよ?」
声はしかし、すぐ近くから来た。位置は額《ひたい》の正面あたり、目の前だ。
そしてコットスは視認《し にん》する。眼前の宙を、観覧《かんらん》車のライドが落ちていくのを。
中に女が一人いる。彼女はドアを開け、組んだ脚《あし》を見せ、
「ハイ。フツーは男の方がドア開けるものよ」
彼女は眉を立てた笑みで出てきた。もはや背に翼《つばさ》も持っていない。それでも彼女は前に脚を運ぶ、落ちるライドから、まるで階段でも下りるかのように一歩を踏み、宙に身を出し、
「さて。死ぬかと思ったけどね。……この中ならアンタのスキャンも届かないと思ったから」
こちらの肩上に立つと、身軽に槍《やり》を構えた。既に光を宿している槍を。
視線と、握る穂先《ほ さき》に力を込め、
「逆転《ぎゃくてん》確定。――|Tes《テスタメント》.?」
『……!』
コットスは声にならぬ叫びを挙げた。もはや砲撃《ほうげき》は行えない。だが、手を伸ばし、彼女を捉《とら》えようとした。その理由は、
『勝利必要! 要求……、主人|歓喜《かんき 》!』
「そう、だけど私のエスコート役はもう間に合ってるのよ! アンタの手じゃなくてね」
風見《かざみ 》は眉を立てた。苦《にが》い、と言える表情で、迫る手を無視し、コットスの胸部|装甲《そうこう》に|G―Sp《ガ ス プ》2の穂先《ほ さき》を向け、
「……!」
零《ゼロ》距離からの連射撃《れんしゃげき》を、風見《かざみ 》はコットスにぶち込んだ。
●
倉敷《くらしき》駅前から一発の砲弾《ほうだん》が発射された。
アスファルトの地面を左右に飛沫《しぶ》かせて飛んでいくのは一枚の皿だ。発射したのは駅前ロータリーに並ぶ侍女《じ じょ》達で、彼女らの末尾《まつび 》にいる侍女長はこう叫んだ。
「機械の名におく鉄槌《てっつい》を!」
弾丸《だんがん》は行く。
その先には大型の| 機 殻 剣 《カウリングソード》を持った少年がいる。当たればそれこそ破片も残らず、避ければ、
「遥か背後の本隊に命中《めいちゅう》するよう回転を掛けました!!」
二百メートル離れて響《ひび》く忠告《ちゅうこく》の叫びに、少年は動いた。
彼は両手で| 機 殻 剣 《カウリングソード》を掴《つか》み、右に構えた。そしてグリップを絞《しぼ》り、腰を低く捻《ひね》り込み、こちらに左足で踏み込み、そして表情を笑みにして、
「――ったく、アイガイオンから聞いてねえのか」
剣を振りかぶり、
「俺の現在の趣味はバッティングセンターでの景品|取《と 》りだぜ!!」
白の大剣《たいけん》が振り抜かれるのを自動人形達は見た。
快音が響く。実際の音と、
「カキ――ン!」
口《こう》効果音の意思とともに、打球が来た。
こちらが放った砲弾《ほうだん》が、低めの打球でまっすぐこちらに跳ね返ってくる。
「さあ出雲《いずも》選手、強烈なピッチャー返しー!!」
少年、出雲の声に侍女達が判断を急いで叫んだ。
「モイラ1st様! ライナーです!」
侍女長は急がない。倍《ばい》するような勢いで飛んでくる打球を確認する。それと同時に高速で計算を行い、共通|記憶《き おく》でそれぞれの侍女達に命令を下した。そして、
「さあ!」
呼びかけに侍女達が急いで身を回す。ステップとターンを切り替え、風巻いて作るのは今までのような二人組ではなく、一列|縦隊《じゅうたい》だ。
そして組まれる列は直線ではなくU字型。皆はもはや重力|円《えん》を二人で作らない。己の右手と左手を薄く合わせるように、しかし重ねることなく、小型の重力レンズを一人で作る。
超精密《ちょうせいみつ》な受けをもって、出雲の打球を受け、
「更に加速して返します!」
全ては瞬間《しゅんかん》だった。
揚力《ようりょく》効果でホップした円盤《えんばん》打球を、U字の右側|先頭《せんとう》にいる侍女《じ じょ》が捉《とら》えた。
「!」
だが甘い。左手首が砕かれ、円盤が一瞬《いっしゅん》の何百分の一の時間で暴れ、軌道を外れようとする。
しかし、
「お待たせー!」
声とともに先頭の侍女の手を押さえ、円盤の進入角度を整える者がいた。
……モイラ3rd!
全員が驚きの顔を作り、モイラ3rdが笑みを返す頃には、弾丸《だんがん》はもはやU字を回り切っている。列の最後尾《さいこうび 》にいるモイラ1stの方へと。
と、モイラ3rdが身を| 翻 《ひるがえ》した。構えるモイラ1stの手を取り、
「大姉《おおねえ》ちゃん!」
「ええ!」
モイラの長女と末女《まつじょ》は二人で重力|円《えん》を作り上げる。そこに後ろから円盤|砲弾《ほうだん》が飛び込み、
「射撃《しゃげき》!」
モイラ1stとモイラ3rdは、上下に広げて合わせていた自分達の腕を、重力円の中央側へと閉じた。重力円を更に圧迫して破裂《は れつ》させ、弾丸《だんがん》をもはや重力|塊《かい》として加速|発射《はっしゃ》する動きだ。
その通りになった。
紙袋《かみぶくろ》を破裂させるような音とともに、破砕《は さい》された重力|片《へん》がそれだけで水蒸気《すいじょうき》爆発を作る。
白煙の爆発を後ろに吹き飛ばしていくのは、空中|疾駆《しっく 》の皿核が入った重力砲弾だ。
「果たしなさい我らの仕事を!」
飛んだ水蒸気の影から、モイラ1stと3rdの姿が出る。
二人とも、両腕を破損《は そん》していた。
二人の手指には亀裂《き れつ》が入り、手首の腱《けん》となっているワイヤーも幾本《いくほん》か断裂《だんれつ》している。
だが二人の自動人形は砲弾を見送る視線に力を失わない。
そして、自分達の力が向かった少年にも、だ。
●
対する出雲《いずも》は| 機 殻 剣 《カウリングソード》|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》を軽く回して振りかぶった。
迷う動きはもはや無い。振りかぶり、それをそのまま戻して激突《げきとつ》だ。しかし、
「V―Sw、敬意を示すぜ! 今の楽しさなら行けるだろう。――第三段階だ!」
眉を立てて叫ぶ彼の手で、V―Swが変形する。第二段階のスラスター開放形状を経つつも、それらスラスターカバーが再び閉じていく。しかし、閉じる方向は全て前へと、だ。
『コタエルヨ』
コンソールの言葉とともに|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》の|機 殻《カウリング》が前に伸張し、巨大な砲《ほう》となった。
柄《つか》の付け根から張り出したグリップと、| 照 準 《しょうじゅん》となったコンソールを出雲《いずも》は抱え込む。
コンソールの白と黒のインジケーターはそれぞれ出力二十パーセントだが、
「倉敷《くらしき》消滅させねえように、二割で撃《う 》つぞ!」
射撃《しゃげき》した。
「!」
圧倒的な、天候|現象《げんしょう》に近い規模での光がV―Swの先端から発射された。
色は怒濤《ど とう》の光で、音は白と黒の合成というもの。
それは一気に幅三十メートル、距離百メートルほどを侵食《しんしょく》した。白と黒を合わせた光は道路を抉《えぐ》り食い、大気を飲み込み、周囲の建造物を引き寄せるように崩壊《ほうかい》させる。
だが、それは崩壊で終わらない。
「6th―|G《ギア》の概念《がいねん》は輪廻転生《りんねてんしょう》……! 破壊は再生となり! 再生は滅びとなる……!」
出雲の言葉の通り、穿《うが》たれ砕かれた全てはそれら構成要素に戻り、飛沫《しぶき》を上げた。
アスファルトは石の結晶や樹脂《じゅし 》の川として。大気は純粋な風として。建造物はそれぞれ砂岩《さ がん》の噴《ふ 》き上がりや、硝子《ガラス》の水《みず》飛沫を上げて。
全てが弾《はじ》け飛ぶ。
その基部にいる出雲は、全ての先端を見ていた。己の放った光が、侍女《じ じょ》達の放った重力|砲弾《ほうだん》を殴り飛ばすのを確認する。重力が世界にほどけて消えたのが見えた瞬間《しゅんかん》、
「――ホームラン!」
輪廻の光撃《こうげき》を振り上げ、出雲は散る重力と巻き起こる風で皿を殴りつけた。
振り上げられた光の束は、一瞬《いっしゅん》で空へと開放された。
稲妻《いなずま》と形容するよりも、光の柱と言うべき直径数十メートルの光束《こうそく》が夜空に突き立った。
轟音《ごうおん》と風を巻き、概念空間の空に生まれた雲を吹き飛ばし、輪廻の柱が起立する。
だが出雲は見でいた。打ち返した砲弾の行き先を、だ。
緩くホップした砲弾は、
「上がって場外|行《い 》って来い!!」
出雲はもはや自分の耳には聞こえなくなっている声で叫んだ。
だが、砲弾のホップが弱い。そのままいけば侍女達の群に胸の高さで突っ込んでしまう。それに気付いた大城《おおしろ》が侍女達を見て何か叫んでいるが聞き取れない。ろくなことではないだろう。
……責任とるっつったら、千里《ち さと》、どういう顔するかなあ……。
だが、彼は見た。V―Swの光と音、そして風が収まりつつある視界の中、侍女達の前に飛び込んでくるものがいるのを。
それは新しい、もう一人の侍女だった。金髪《きんぱつ》のショートカットで、背が高く、無表情で、
「!」
激突《げきとつ》した。
●
モイラ1stは、その侍女《じ じょ》の登場と轟音《ごうおん》に声を挙げた。
「モイラ2nd!」
だが、既にモイラ2ndの飛び込んで来たところに、彼女の姿は見えない。ただ見えるのは水蒸気の白い爆煙《ばくえん》だ。
ビルの間に残響《ぎんきょう》する激突|音《おん》がクリアになっていき、風が走るが、霧の煙はなかなか晴れない。
「…………」
侍女達が、無言のまま、眉尻《まゆじり》を下げてこちらを窺《うかが》う。
と、そのときだ。光の突き立ちが弱くなり出した空から、落ちてきたものがあった。
アスファルトの上に落下し、堅い音をたてたのは、
「皿……、だよ? 大姉《おおねえ》ちゃん」
面向《めんむ 》かいに重ねられた皿は円を描いて回り、やがて本来の枚数に分かれた。
それとタイミングを合わせるように、霧が晴れ始めた。ビルの間を抜けて来た風によって、強く、勢いよく。
そしてモイラ1stの視覚は確認する。晴れ行く霧の中に妹がいることを。
皆が、わ、と小さな息を放ち、笑みを作った。
だが、皆の表情はすぐに消えた。まるで溶け落ちたかのように。
その原因は一つだ。前に背を向けてたたずむモイラ2ndの、
「両腕が……」
砕け消えている。
姿勢は横っ飛びで現れ、側転《そくてん》から着地した姿勢そのままだ。足は左足を縮めてやや低く、右|脚《あし》は右に。今は無い腕は、両の手を軽く重ねて、胸の高さで横に突き出していたらしい。
衣装も千切《ち ぎ 》れ、見える足にも深い亀裂《き れつ》を受け、しかし、
「…………」
モイラ2ndが動いた。ゆっくりと、身体《からだ》に軋《きし》みの震えを起こしながら立ち上がる。
モイラ1stとモイラ3rdに、彼女は背を向け続けていた。しかしそれは相手を見ているからだ。自分の姉妹より大事な、
「御客様……」
モイラ2ndの声が、霧の消えていく街道に響《ひび》く。
彼女は軽く片膝《かたひざ》を落として一礼し、
「御《ご 》満足|頂《いただ》けましたでしょうか?」
問いに対する答えは、通りの向こうにあった。道路の中央に立つ少年がようやく光を納めた大剣《たいけん》を下《さ 》げたのだ。彼は残る風の中で口の両端に笑みを浮かべ、こう言った。
「感謝してるぜ」
その言葉に、モイラ2ndは首を前に傾けた。一礼するように。
瞬間《しゅんかん》。モイラ1stが動いていた。足音高く走り、彼女は妹の背を後ろから抱える。一礼し、そのまま倒れていく妹の背を、だ。
支えられ、しかしモイラ2ndの膝裏《ひざうら》のワイヤーが断裂《だんれつ》し、崩れていく。
だが支えられたモイラ2ndは笑った。片側だけ眉尻《まゆじり》を下げた顔で、姉を見て、
「初めて……、初めて御客様に感謝されたね……」
頷《うなず》くモイラ1stは、妹を抱きしめ直して腰を落とした。街道に座り込む。
ふと顔を上げると、モイラ3rdが傍《かたわ》らに立っていた。他、砲撃《ほうげき》の侍女《じ じょ》達もだ。
侍女の内、誰かが口を開いた。
歌が流れる。京《みやこ》から教えられた歌が。
「――――」
声の流れの中、遠く、白と黒の装甲《そうこう》服をまとった者達が歩いてくる。
皆、照れくさそうに頭を掻《か 》いたり、そっぽを向いたりしながら、しかし、鼻歌で同じ歌を刻み、確かに歩いてくる。
●
夜空がある。月が浮かぶ夜空だ。
空は区切られていた。いびつな菱形《ひしがた》だ。区切るものは布で、テントの破れた幕布《まくぬの》だ。
ここは潰れたテントの中だ。支柱は倒れているが、中にある治療《ちりょう》器具の山によって屋根はかろうじて支えられている。
周囲の喧噪《けんそう》や飛ぶ銃弾《じゅうだん》の音の下、そして暗がりの中で、二人の女性が倒れている。
一人は倒れた簡易《かんい 》寝台の横で仰向《あおむ 》けとなった美影《み かげ》。
もう一人は彼女の身体《からだ》を庇《かば》うように倒れているシビュレだ。彼女は一度身を小さく震わせ、
「…………」
無言で動いた。明かりが消え、背を低くしたテントの中で、屋根から漏れる月明かりをもってシビュレがゆっくりと身体を起こす。
下にいる美影は、シビュレの動きを見ていた。シビュレの右腕と左|脚《あし》の上からは紙箱の崩れる音がする。それが本来ならば自分に当たるものだったと美影は悟るが、
「大丈夫です。怪我《け が 》など、すぐに治ります」
ほつれた髪の下で笑みを見せるシビュレに、美影は体を起こした。
『おぅいえ?』
……どうして庇《かば》ったの?
その問いに、シビュレは答えない。
無言は嫌だと美影《み かげ》は思う。だから動いた。答えを得ようと、シビュレの手を取った。子供のようにせがみ、離さぬために。
月明かりの下で取った手は箱の下敷きになった右腕だ。自分と違って人間の腕がそこにある。海でも見た通りだ。人間である彼女は、柔らかく、だからこそ傷ついているだろう。
美影は治療《ちりょう》が必要だと気付いた。答えをせがむ前に、庇われた証《あかし》を手当てしなければ、
「――――」
美影は目を見張った。見慣れたものが、そこにあったからだ。
シビュレの腕の装甲《そうこう》服の布地が裂けていた。月の光に見えるのは彼女の肌だ。
人間の肌とシルエットは確かにある。だが、そこに浮き上がるものがあった。
赤く、線を浮かせるように腫《は 》れた肌。それは、
「緊張《きんちょう》状態で浮き出してしまいましたね。――ええ、美影様の肌に沈んでいる人工|腱《けん》のパターンとはちょっと違います。私の方が細部が甘く、逆にその分、耐久性があります」
シビュレの微笑が生む言葉を、美影は聞いた。
「お解《わか》りですか? 私が本当は何なのか」
『ぃんおう?』
人形? という問いかけを放ってから、美影は不用意な言葉だったと思う。
だが、答えは来た。ええ、と頷《うなず》きの答えが。そして、
「確かに私は人形です。それも3rd―|G《ギア》製の。ですが……」
続く言葉は、声によって成されなかった。
意思だ。
……聞こえておりますか? 私の共通|記憶《き おく》が。
美影は身を震わせる。3rd―Gの自動人形の共通記憶は、同型でなければ通用しない筈《はず》だ。
……それが何故《なぜ》……!?
ええ、とシビュレは頷いた。
「クロノス様が作られていたのです。人に進化する自動人形、美影様のその身体《からだ》の試作|体《たい》を」
「――――」
「それは人形のまま決戦前の|Low《ロ ウ》―Gに送られ、荒人改《すさひとかい》の製作に携《たずさ》わった後は眠りにつきました。Low―Gの勝利を信じておりましたし、出る幕はもうないと思ったからです。そして二年前、|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の準備のために|G―Sp《ガ ス プ》達と奥多摩《おくた ま 》に送られるところを……」
……襲撃《しゅうげき》に会い、緊急《きんきゅう》で目覚めたところを千里《ち さと》様によって救われたのです。
「出会えて光栄です、美影様。私の妹とも、子とも言える貴女《あなた》に」
微笑が笑みとなった。
「あの3rd―|G《ギア》の過去から生まれ、人形の身体《からだ》にされながら……。でも、貴女《あなた》が、大事な人のことを大事だと、素直にそう言える人になっていて幸いです」
手が、掴《つか》まれた。
「手を取って、連れて行って下さい、美影《み かげ》様」
『あえ……』
駄目《だ め 》、私は歩けないから、と言いかけ、不意に気が緩んで意思が洩《も 》れ出した。
言葉が洩れる。今まで言いたくても言えなかったことや、言わずにおこうと思っていたことや、飛場《ひ ば 》や彼の家族に黙っていたこと、それら全てが、意思としてシビュレに洩れ、
「――ゅ」
息を吸い、美影は初めての言葉を漏らす。
「ゅーい、うん」
それは、今ここにいて欲しい人の名と涙となった。
その涙の向こうで、シビュレはしかし、頷《うなず》いただけで。手を引かない。
「大丈夫。無責任ですけれど大丈夫ですよ。何故《なぜ》なら戦場は常に一歩踏み出した処《ところ》にあるからです。……そして、美影様の本心は、どこに向かわれようとしていますか?」
……一つお教えいたします。
「ためらいなく、強く望むことが進化へと繋《つな》がるのです。だから今はためらわぬ証《あかし》として、私の手を引いて下さい。強く、強く、迷い、休みはしても、どこまでも強く。――前へ」
一息。
「一人の戦場の引き手として、飛場様達と肩を並べるために」
●
駅の方から聞こえる歌を耳に、テュポーンは荒人改《すさひとかい》と戦っていた。
無人とも言える街の中、二機の武神《ぶ しん》は街道の上で剣と剣をぶつけ合う。
戦闘は、荒人改が狙撃銃《そげきじゅう》による超《ちょう》近距離からの射撃《しゃげき》を行うところから始まった。
そして飛来《ひ らい》した弾丸《だんがん》をテュポーンが回避《かいひ 》した間に、銃を捨てた荒人改が剣を手に前に出た。
それから先はずっと剣戟《けんげき》の流れだ。
歌の中で剣の音が響《ひび》いている。奏《かな》でるように、打ち鳴らされるように。
二機の武神は足で踏み込み、翼《つばさ》で前に進み、胴体《どうたい》を回して旋回《せんかい》する。
風が起き、白と黒の色が交叉《こうさ 》する。
白の武神が空に舞えば、黒の武神は高速で地を走る。
白の武神が攻撃を放てば黒の武神は回避を行い、黒の武神が攻撃をすれば白の武神は剣で受ける。その駆動《く どう》の音と金属の軋《きし》みが通りを行き、全速で回り、そしてまた来る。
荒人改は小刻《こ きざ》みに身を振って動作|制御《せいぎょ》しながら、やや広めの歩道に平気で飛び込んで走った。
追ったテュポーンの斬撃《ざんげき》は並木を断ち、わずかに剣速《けんそく》を鈍らせる。
その鈍りを狙った荒人改《すさひとかい》が道路側に回り込みながら一刀を放つ。
アスファルトを削った滑走《かっそう》の刃《やいば》に、テュポーンは背翼《はいよく》を四枚使って飛翔《ひしょう》。持ち前の大パワーにものを言わせ、一瞬《いっしゅん》で荒人改の頭上に回る。
テュポーンは残りの二枚翼を用いて急激なダイブ。荒人改に空中からの一撃《いちげき》を送る。
しかし荒人改は背の翼《つばさ》を二枚水平に傾け、バットを振るように右へと羽ばたいた。巨大な黒の身体《からだ》はスピン軌道をもって旋回《せんかい》の回避《かいひ 》運動を行う。
金属の音が走り、超《ちょう》短距離の追い掛け合いが止まらない。
流れる鋼《はがね》の動きの中心で、一つの音が生まれた。
声だ。テュポーンが笑ったのだ。
『――はは』
アポルオンの声が喜びの声を挙げる。
『随分《ずいぶん》と久しぶりだ。こういう戦闘も……!』
戦い、その中でしか出来ない動きをアルポオンは知っている。それは身体《からだ》に憶《おぼ》え、知識として埋め込まれたものだ。父王《ちちおう》達の歴史から得られた技術の最《さい》先端に自分はいる。
……馬鹿な王だ。
アポルオンは動きながら、京《みやこ》を思う。ベッドで先に目覚めたとき、何故《なぜ》彼女の肩を抱くような選択が出来なかったのか、と。
後先《あとさき》考えずに、彼女の肩を抱いて笑っていればいいものを。
……そうだ。3rd―|G《ギア》のことなど思わず、今の自分だけを考えていればいいのにな!
『何故だ』
アポルオンは問い掛ける。私は何故|今《いま》、こんなことをしているのかと。
動き、回り、力をぶつけ、そして答えを行動の結果として確かめようとする。
金属音が高鳴り、その向こうで大きく旋回する荒人改が叫んだ。
『……何故です!?』
向うも速度を上げ、
『何故、僕達と戦うんですか!?』
『望んでいるからだよ』
頷《うなず》き、
『かつては私も、自分を僕と言っていた』
それを前置きに、アポルオンは荒人改を追う。
『私と言うようになってしばらく経《た》つが、それ以来……』
背の翼を使い、加速する。
『これを為《な 》したら満足だ、と。――他の誰も僕の真似《まね》は出来ないだろう、って、そういうことが無くてね』
『だからってこんなことをしなくても……』
言いたいことは解《わか》る、気がする。考えの甘い少年だな、とアポルオンは思う。
……だが、いい少年だ。
レアの娘は損をしている。これほどにいい少年が戦っているのを見ないとは。
ミヤコはどうだろうか。置いてきてしまった。最後、泣いていたな、とアポルオンは思う。
勿体《もったい》ないことだ。
……私は馬鹿だな。
自分が望んだ、これこそが彼女達に幸いがあるだろうという判断で、泣かせてしまった。
父や、妹達と同じだ。
『ああ』
今になって解る気がする。何故《なぜ》、父や妹達が、自分達の世界であのような選択をしたのか。
京《みやこ》だって、自分が寝ていたならば、黙ってテュポーンに乗り込んだだろう。
……そういうことだ。
テュポーンは加速する。荒人改《すさひとかい》に追いつく。
『……君もおそらく同じだろう?』
大事な人をここに連れて来る選択をしなかった。
同じだ。
だからアポルオンは思う。京も、そして生まれてくる子も、そのとき周りにいる筈《はず》の自動人形や、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の者達も。
……そうあってくれるのだろうか……。
そして、
……出来れば、もっと素直にあれば良いのだが……。
機械の顔は苦笑も笑みも作れない。表情を鉄に隠してアポルオンは歩道を行く荒人改と併走《へいそう》する。二機の巻く風が並ぶ店々の硝子《ガラス》や構造材を破裂《は れつ》させ、吹き飛ばす。
アポルオンは翼《つばさ》を用い、アスファルト上を滑走しながら荒人改と剣をぶつけ合った。
考える。この戦いのことを。ある人物を通して。
……ミヤコ。
生まれてくる子が自分に似ていなければいい。が、似ていればいいとも思う。
悪い見本を見せるわけにはいかない。今の自分の思いはどうあれ、かつて3rd―Gは他の世界を滅ぼそうとし、そのために人を道具として扱おうとした。だから、
『祓《はら》っていこう……』
アポルオンは吠《ほ 》える。
『3rd―G旧来の罪と過ちは、人形ではなく、私が祓っていく……!』
それこそが、自分が己に満足出来ることであり、
『今や、あの時代から遺《のこ》された私にしか出来ぬ、――最大限の幸いなことだ!!』
●
走りながらテュポーンが動いた。
荒人改《すさひとかい》が併走《へいそう》する右の歩道に身体《からだ》を向け、豪腕《ごうわん》の右一線で剣を放った。
荒人改は並木を盾《たて》にテュポーンの剣を阻《はば》む。テュポーンの白剣《はっけん》は並木を断ち切るが、その剣の勢いはわずかに落ちる。それこそごくわずかな、差があるとも言えぬ落ち方だ。
だが隙《すき》はそこにある。
瞬間《しゅんかん》。荒人改の足が歩道のタイルを抉《えぐ》り、強引《ごういん》に踏みとどまった。
黒の武神《ぶ しん》は速度のぶれた剣に対し、強引に下へとくぐる。
そして構えた刃《やいば》を飛ばす。
風を切り、黒の刃がテュポーンの腹へと飛んだ。
しかし、荒人改はテュポーンの動きが終わっていないのを見る。
テュポーンの左腕だ。空《あ 》いた左腕が宙に浮いたものを掴《つか》んでいた。
断ち切って空中に飛んだ並木だ。
「……!」
滑走の勢いをつけ、テュポーンが並木を杭のように突き込んできた。
剣をぶち込もうとしていた荒人改は、樹木の断面部をカウンターで食らう。
胸部中央だ。
鈍く短い音とともに、樹木の杭が振り抜かれた。
荒人改は力|任《まか》せに押され、次の瞬間には吹っ飛ばされている。翼《つばさ》を痛めぬように横に広げ、腰から歩道に落ちたのは飛場《ひ ば 》の判断が生きている証拠《しょうこ》だ。
が、テュポーンが来ている。
振った左腕から木を離し、身を横に一回転しながらこちらに滑走してくる。
翼を用いた高速移動は身体を一瞬《いっしゅん》で| 翻 《ひるがえ》し、両の手が剣を構え直した。
振りは横《よこ》一直線。倒れた荒人改の胸から上を一気に跳ね飛ばそうという斬撃《ざんげき》だ。
来る。
その瞬間だった。荒人改が、身体を起こしもせず、武器を構えた。
武器は剣ではなかった。
狙撃銃《そげきじゅう》だ。地面に置き捨て、放っておいたものを、
『取りに来る手間が省《はぶ》けましたよ……!』
向かってくるテュポーンに向け、カウンターアタックとなる引き金を荒人改は絞《しぼ》った。
銃声が響《ひび》く。
●
アポルオンは、機械と同一化した視覚で弾丸《だんがん》を見た。
それは、正面から見ると太った楔《くさび》のように見えた。
……これで終わりか。
呆気《あっけ》なかったな、と思う。六十年を経た対決は、一勝一敗か、と。
だが、アポルオンは妙な音を聞いた。
何か叫びのようなものだ。そしてそれは、
『――――』
己の口から漏れている。
……まさか。
とアポルオンは思った。その思いを先に進めるより早く、彼は止めようとした。
己を。己の中にいるもう一人を。
アルテミスを。
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第三十九章
『闇の光』
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光るのは何か
顕すのは何か
そして全てを放つのは何か
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●
街道に声が満ちていた。
機械の吠声《ほうせい》だ。
通りに飛び出してきた佐山《さ やま》は、扇風機《せんぷうき 》とバッテリーを抱えた姿勢で足を止めた。
眼前で白と黒の武神《ぶ しん》が横向きに向き合っている。佐山から見て、白が右で黒が左だ。
二機の状況は簡単だ。
黒の武神が姿勢を低くし、白の武神に狙撃銃《そげきじゅう》による射撃《しゃげき》を行った。それだけだ。
だが現況は別だった。黒の放った大型サイズの銃声すら、白の武神の叫びに掻《か 》き消えた。
しかし、その叫びに逆らうように、弾丸《だんがん》が一瞬《いっしゅん》という時間で白の武神に到達する。
その筈《はず》だった。
佐山は見ていた。
白の武神が、いきなり黒の武神の背後に現れたのを。
白の武神の叫びは既に終わっている。剣も既に大《だい》上段から振り下ろされている。
……時間の切断《せつだん》省略か!
攻撃された瞬間《しゅんかん》、死を回避《かいひ 》するために己の概念《がいねん》を使用する。アポルオンとアルテミスの兄妹が扱っていた、3rd―|G《ギア》の時間という概念だ。
テュポーンが目を青白く光らせながら、荒人改《すさひとかい》の背に剣を振り下ろした。
「!」
回避運動は間に合わない。そんな動きだった。
だが、荒人改は動いていた。
既にテュポーンの動きを読んだ動作だ。身体《からだ》を前に倒し、翼《つばさ》を両横に羽ばたいて飛ばす。
それでもテュポーンが追いついた。踏み込んでの一刀は荒人改の胴体《どうたい》を腰の位置で叩き切った。真横《ま よこ》一直線に、だ。
その一撃《いちげき》に、佐山の横に立つ新庄《しんじょう》が息を飲んだ。
新庄は眉を上げ、目を見開き、
「――佐山君、竜司《りゅうじ》君が、テュポーンに……!」
「名詞で会話するのはやめたまえ新庄君。大体、大丈夫だとも。飛場《ひ ば 》少年は進化している。戦う人間としてね」
視界が見るのは、倒れ崩れていく荒人改の上半身だ。
黒い機体の腹部|装甲《そうこう》が開いている。
その下、宙には一人の少年が浮いていた。操縦《そうじゅう》室から既に飛び出していた飛場が。
「攻撃を受けることの恐ろしさと意味を教えたのは、どこかの馬鹿だったな……」
飛場が腹部装甲の張り出しを蹴《け 》り、身を飛ばす。荒人改の下敷きにならぬ位置へと。
●
飛場《ひ ば 》は宙で身を丸めた。
背を円弧《えんこ 》に丸め、その丸みが下になるようにアスファルトに落ちる。
落ちた。
バウンドし、転がり、衝撃《しょうげき》を逃すために四回転目で腕と足を伸ばし、回転の勢いで立つ。
そして身体《からだ》を飛ばし、手をついて腰を捻《ひね》って側転《そくてん》を入れる。
着地は地面に突き刺すようなもので、それでも残る勢いは腰を屈《かが》め、姿勢を低く、足を滑らせることで耐えた。
後ろに振り向けば、眼前で黒の武神《ぶ しん》が砕け散るシーンだった。
飛場は己の機体が破壊されるのを初めて見る。無論《む ろん》、敵が勝者となるのも、だ。
息をつく。回転の衝撃と旋回《せんかい》で足腰が上手《うま》く立たない。身体に息を入れるごとに力が戻ってくるが、完全まではまだ遠い。
だが対する勝者は更に勝ちを求めた。
テュポーンが歩き出す。こちらへ、まっすぐに。
黒の武神の残骸《ざんがい》を容易《たやす》く踏み砕き、白の武神が接近する。距離残り十メートルをもって、
『――!』
白の武神の空を見上げた叫びに、まだこちらは足を完全に立たせられない。
横、佐山《さ やま》達が来ているのが解《わか》るが、新庄《しんじょう》の砲《ほう》もまだ準備が出来ていない。
……くそ。
思いと同時にテュポーンが背の翼《つばさ》を展開した。
八重連《はちじゅうれん》の砲だ。
剣ではなく、追尾弾《ついび だん》の群による必殺の攻撃をテュポーンは選択した。
射撃《しゃげき》される。夜空に向かって、まるで花火のように三十二の光条《こうじょう》が飛ぶ。光線は全て硬質に、しかし曲がりをもってこちらへと降下してきた。
飛場は動こうとした。立ち上がり、背後へと身を送る跳躍《ちょうやく》を行おうとする。
無駄《む だ 》だとは考えない。救《たす》かるかもしれないならば、何だってやろうと思う。
……まるで3rd―|G《ギア》のような根性《こんじょう》ですよね。
思う間に光が来た。当たる。
「!」
息を飲んだ瞬間《しゅんかん》。眼前にいきなり巨大な影が立った。
赤い武神。ギュエスの機体だ。その首横《くびよこ》には赤いスーツの女性と白い衣の女性が乗っている。
ギュエスがこちらに向いて叫んだ。
「貴様《き さま》に預けるぞ飛場の眷属《けんぞく》! ――王にこそ決着を与えてくれ!」
その台詞《せりふ》と同時に、白い衣の女性がテュポーンの方を向いたまま声を挙げた。
「……下がれよアルテミス! 戦うべきはテメエじゃねえだろうが!」
ギュエスの機体が、降る光に対して六本の剣を構えた。
が、その剣が全て砕け散った。初撃《しょげき》の命中《めいちゅう》が刃《やいば》に快音と亀裂《き れつ》を生み、次からの命中が砕音《さいおん》で刃を砕き、残る全弾《ぜんだん》が破砕《は さい》音をもってギュエスの機体を撃《う 》ち砕く。
氷が砕け散るように、連打を受けた赤の機体が飛沫《しぶ》き割れた。
光の衝撃《しょうげき》が起こす爆発に、赤の武神《ぶ しん》の首横《くびよこ》に乗っていた二人が宙に舞う。
●
ギュエスは宙で京《みやこ》の手を取った。
手をホールドし、京の身体《からだ》の慣性を消すだけで自分の重力|制御《せいぎょ》は精一杯《せいいっぱい》だ。ここまで武神を走らせ、最後に光弾《こうだん》への防御用に重力|障壁《しょうへき》を張ったことが今の出力低下に響《ひび》いている。
……私はここまでか。
放物線|軌道《き どう》の落下地点を予測する。京は近くの建物の屋根に落とせるが、自分は反動で地面に激突《げきとつ》だ。肩からぶつかり、衝撃で首が折れ、頭部が削れて砕けるだろう。
と、一つの動きをギュエスは得た。
京が、触れた手でこちらを突き飛ばしたのだ。
「――!?」
宙に飛んだ京は、宙で仰向《あおむ 》けになりながら笑みを見せた。
ギュエスはもはや彼女を捉《とら》えられない。判断を急ぎ、しかし考えが出ずに、
「……京様!」
「馬ッ鹿、今更《いまさら》何|慌《あわ》てた顔してんだ。――今、笑ってたぜ、オマエ」
声が響く。
「死ぬ気じゃいけねえ。あたしみたいに、何とかならあな、って思ってねえと」
なるわけがない。押し返された自分の行く先は屋根上だが、京の落ちる先は道路だ。
下には先ほど自分達が庇《かば》った少年がいるが、落下は十数メートルの高さからだ。彼が支えられるものではない。
「……京様!」
●
飛場は、三つの音を聞いていた。
一つはギュエスの機体の破壊音だ。
もう一つはそれを砕いてこちらに近づくテュポーンの足音だ。
そしてもう一つは自動人形という機械の叫びだ。
「……京《みやこ》様!」
それが誰のことか、飛場《ひ ば 》は解《わか》っている。頭上、こちらに落ちてくる人影がある。
女性だ。
白い衣をまとった彼女は、やがて手の届く位置に来る。しかし、そのときにはもう救《たす》けることが出来ない。通りをこちらに走ってくる佐山《さ やま》達も間に合う筈《はず》もない。
……どうすればいい。
思ったときだ。佐山の声が響《ひび》いた。
「飛場少年! ためらいなく使え己に与えられる力を! 君にはもはやその資格がある!」
叫びが耳に入った。その瞬間《しゅんかん》だ。いきなり、背後から肩に何かが乗った。
手だ。それも両手。感触《かんしょく》はよく知っている。
「まさか……」
振り向き仰ぐと、月の夜空を背後に、知った女性が立っている。
金の髪を持った、長身の女性。
美影《み かげ》だ。
見れば、彼女は杖を傍《かたわ》らの地面に落とし、その脚《あし》を震わせながらもちゃんと立っている。
彼女の背後、五メートルほど離れた位置に、白い髪の自動人形が運転するジープがある。
助手席には一本の杖を抱えた白髪《はくはつ》の男がおり、
「かつて竜一《りゅういち》氏に借りた分をこれで返す。――感謝するな」
ジープからここまで誰の救《たす》けも無い。
そして美影《み かげ》が口を開いた。聞こえるのは、
「あああおう。りゅーい、うん」
初めて聞いた高い声、戦いを求める声と呼ばれた名に、飛場《ひ ば 》は強く頷《うなず》いた。
頭上を見上げ、救けるべきものを過《あやま》たず見て、飛場は笑みで叫んだ。両腕を広げ、
「……荒帝《すさみかど》!!」
●
背後で美影が両腕を広げたと同時。飛場の頭上に骨格となる漆黒《しっこく》の胴体《どうたい》フレームが現れた。それに駆動《く どう》部分や人工|筋肉《きんにく》、そして四肢《し し 》のフレームが接合し、美影と自分の身体《からだ》を包んでいく。
全身が包まれると同時に起きるのは同一化《どういつか 》だ。機械となり、彼女と近くなる感覚を、飛場は心地よいともくすぐったいとも思う。
全身が組み上がるのは一瞬《いっしゅん》だ。
だが、そこから先はいつもと違った。
飛場は開き始めた高速の視覚で、己の身体が更に組まれていくのを確認する。
一瞬の中、肩や腰、そして胸に来る装甲板《そうこうばん》が、いつも通りの構成ではなく、
……追加されてる!?
駆動部も、人工筋肉も、脚部《きゃくぶ》と腰部《ようぶ 》を中心に、追加パーツが虚空《こ くう》より現れて合致する。
その意味を飛場は悟った。
……美影さんが進化したから……。
荒帝はもはや自分で歩き、自分で己の身を守る。そのために用意されていた装備品やパーツが解放されたのだ。
合致する。そして動く。
試しに腕を振っただけでも、動作が今までよりも明らかに強く、速く、正確になっている。
まるで美影のことを解《わか》っていくようだ、と、飛場は思う。
更に高速型となった視覚と反射神経は、宙を落ちていく京《みやこ》を容易《たやす》く捉《とら》えた。その身を、
『――――』
荒帝は素早く拾い上げた。
落下のショックと慣性《かんせい》を手首の捻《ひね》りで軽く消し、見れば京は気を失っていた。
だから飛場は彼女を背後のジープへと寄せ、ボンネットに置いた。後はもはや、
『行こう、リュージ君』
ええ、と飛場は頷いた。眼前、踏み込んでくるテュポーンの目は未だに青白い。
……あの時間を切断《せつだん》省略する技を超える必要があるのか。
だが、すべきことは明白だ。だから飛場《ひ ば 》は告げた。その明白を。
『行きましょう。――王との決着をつけるために。彼と共に穢《けが》れの祓《はら》いをするために』
●
遊園地の中、広い空白があった。
元は観覧車《かんらんしゃ》のあった場所、今は直径百メートルほどの浅いクレーターだ。
その中央に、三つの影があった。
一つは装甲《そうこう》のほとんどを砕かれた巨大な青い武神《ぶ しん》の影。もう一つは右腕を失った巨躯《きょく 》の影だ。
彼らに近づいていく一つ小さな影は、小柄《こ がら》な老人だ。
その老人に対し、巨躯が籠《こ 》もった音の声をかけた。
「飛場・竜徹《りゅうてつ》だな?」
「おう。……ヘカトンケイルの二人かよう、やっぱ」
竜徹は二人に歩いていく。そして、月光と遊園地の照明に淡く照らされる姿を見て、
「随分《ずいぶん》と派手《は で 》にやられたじゃねえの……、コットス、アイガイオン」
『言訳《いいわけ》不可能』
竜徹が見れば、アイガイオンの首には一本の線があり、
「血だか何だかドバドバ出てんじゃねえの。大丈夫かよう?」
ああ、駄目《だ め 》だな、とアイガイオンは簡単に言う。やや籠もった声で、
「首の接続を断たれた。今、重力|制御《せいぎょ》で固定してるが永《なが》くは保《も》たん。コットスが見えたのでこっちに来たが、限界だな。……今はこうして、仲間達の邪魔《じゃま 》をせんように見ているだけだ」
「誰にやられた?」
「 軍 の連中だ。少しは聞いているだろう? 長《ちょう》である9th―|G《ギア》のハジという男、その娘か何かである命刻《みこく》という少女にやられた」
竜徹が眉をひそめる。その表情にアイガイオンは口の端に笑みを作る。
そして彼はゆっくりと立ち上がった。
対する竜徹が、慌《あわ》てて緩い地面の上で一歩を下がり、
「お? やるかよう? 六十年前のリターンマッチ」
「リターンも何も、俺達は貴殿《き でん》と戦っていない。……間に合わなかったからな」
「じゃあ、何で立つよ?」
問いに、今度はコットスが立ち上がった。
『賢石《けんせき》反応』
「何だか解《わか》らぬが、……概念《がいねん》空間の頂上|域《いき》である部分に、妙な賢石反応がある。かなり大型でな。先ほど来て、周回《しゅうかい》している。何かを待っているかのように」
『迎撃《げいげき》』
「そう。どうなるか解《わか》らないが、俺達の役目だろう」
と、コットスが手を下げた。アイガイオンが首を押さえながら飛び乗る。
「飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》、この|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》がどうなろうと、一つ約束してくれまいか」
「何をでえ?」
「倉敷《くらしき》駅前の商店街に、八百《やお》竜《りゅう》という八百屋《や お や》がある。……そこに代わりの店員を一人送ってやってくれ。店主は腰をおかしくしていてな。助けが必要だ」
「自分で行けっつうの」
竜徹の言葉にコットスが小さく肩を震わせた。手の上のアイガイオンが笑みを濃くし、
「頼んだ」
その声とともに、青の巨人が空に飛んだ。重力|制御《せいぎょ》で風さえ残さず、青の巨躯《きょく 》は影となり、粒となり、星々の間に見えなくなる。
竜徹はそれを見上げ、ややあってから舌打《したう 》ちした。何だよあの野郎《や ろう》、と前置きし、
「……寂しいじゃねえかよ」
●
コットスとアイガイオンは夜空に向かって急上昇を掛けた。
眼下には夜の街が広がっていく。
「見ろコットス! 俺はあのあたりで働いていたんだ」
『判別《はんべつ》不可能』
「ちゃんと見ろ」
眼下の町は、概念《がいねん》空間の円で区切られていた。円の外は静かに光が灯《とも》っているが、円の中は未だに煙や火花が見える。そして中央の通りでぶつかり散る火花も。
「あの火花はアポルオン様か」
『判別《はんべつ》不可能』
「そうだといいが、な」
アイガイオンは視線を水平にした。急速に上がっていく視界は、もはや岡山《おかやま》だけではなく、遠く四国《し こく》や神戸《こうべ》に大阪、下関《しものせき》方面までを見せている。
遠く光の作る街の影と、海の闇がある。もはや眼下を見ても倉敷の円は解りにくい。
彼らは更に上がる。息を白く、薄い雲を抜け始めながら、
「コットス。……ギュエスは俺達のことを何と言うだろうか」
『判断《はんだん》不要』
「想像の通りか。――同じ型式だからな、俺達」
頷《うなず》き、
「ならば同じか」
頭上を見た。星々の光が明確になる中。明らかに星とは違う光があった。
アイガイオンは叫ぶ。左手に重力|塊《かい》を作りながら、
「招かれざる客人よ! 招きに値《あたい》されたくば我らの問いに応じろ!」
答えは風だった。威圧《い あつ》の風が逆落《さかお 》としに降ってくる。
瞬間《しゅんかん》という時間の中で、コットスがまず生きている砲《ほう》を構えて広い範囲に砲撃《ほうげき》した。
光が空に飛んで行く。その中心に対してアイガイオンも重力塊を放った。目立つ光の砲撃を広く撃《う 》ち、相手を中央に寄せたところに重力を叩き込む。
二段|連携《れんけい》だ。
が、自動人形は見た。自分達の砲撃と重力塊が、
「消えた……!?」
答える間もなく、逆落としにそれが来た。
それは、鋼色《はがねいろ》の竜《りゅう》だった。
見えたと思ったときには目の前に来ている。鋭い鼻先をした竜だ。
竜は頭上に一人の女性を乗せていた。彼女は竜の重力|制御《せいぎょ》ですら消せぬ風に、髪をなびかせつつ、その手に一本の刀を持っていた。
刀には色がある。
自分達の放った光と重力の色を混色した、黄金の黒色が。
「| 機 殻 剣 《カウリングソード》美明《み めい》=B覇《は 》のために振られるのは二度目になるのかしら」
彼女が一刀を振り下ろした。発される力は、明らかにこちらが生んだものよりも上だ。
ぶち込まれてくる光と闇と、それを生む剣にアイガイオンは叫んでいた。
「連携が甘かったか! 最後に近接のギュエスがいれば倒せたかもしれぬものを……」
笑い、
……こういう不出来であるからこその人形か!
……ギュエス一任。
とコットスが思考《し こう》を寄越《よ こ 》してきて、アイガイオンは頷《うなず》いた。
直撃《ちょくげき》する。その瞬間《しゅんかん》にアイガイオンは眼下《がんか 》を見た。
下。もはや見えぬ街の中、最後の戦闘が行われている筈《はず》だ。
テュポーンと荒帝《すさみかど》の戦い。
……ゼウス様の子と、クロノス様の残した力の激突《げきとつ》か……。
だが、アイガイオンは一つのことを思った。
……クロノス様も、ゼウス様も、……アポルオン様も、同じだとしたら……。
恨みの家系から生まれた、死を前提《ぜんてい》とした戦いは、
「どうなる――」
言葉は光と闇に飲まれて消えた。
全ての塵《ちり》を吹き飛ばして鋼《はがね》の竜《りゅう》が突き抜けた。
●
地上では飛場《ひ ば 》が動いていた。
高速だ。眼前のテュポーンに対して走り込み、二歩目で最高速度に乗せる。
止まらない。
四歩目で背の翼《つばさ》を動かした。高速という速度ですら自分の望む程度では無いというように。
飛場は行く。もはや美影《み かげ》の負傷も何も、気付き、無視せず、しかし嘆《なげ》かず飲んだ上で、
『行きます……!』
『ん』
美影の我慢の声に飛場は心強さを感じ、その思いを信用する。
痛みはあれど誤解《ご かい》もすれ違いも無い、と。
だから動いた。組み替えられてから一度も振ったことがない翼をためらい無く爆発させる。
わずかな動きのブレは美影が何とかしてくれるだろう。
前へ、最短距離でまずは武器を拾う。
放たれた身体《からだ》は殴りつけるような軌道で短距離の空中|疾走《しっそう》を行った。振り向くテュポーンより速くその脇を抜け、
……剣を!
取った。荒人改《すさひとかい》のとき、拾った狙撃銃《そげきじゅう》の代わりに置いていたものだ。
柄《つか》を手に取り拾うなり、飛場は背後に振り向き飛んだ。
テュポーンがこちらに振り向こうとしている。
明らかに遅い。こちらが速くなったのもあるが、向こうが、
……こちらの変化に戸惑っている!
今だ、と思い、その通りに動いた。
振り返るテュポーンの脇に飛び込み、剣を叩き込む。
全力だ。アスファルトの飛沫《しぶき》も金属の軋《きし》みももはやついて来られない。
『!』
ぶち込む。
が、テュポーンは速度とは違うもので応じた。
時間の切断《せつだん》省略だ。
荒帝《すさみかど》の攻撃した位置には何もいない。
逆に、テュポーンがこれから攻撃する位置に荒帝はいる。
『……!』
荒帝が動こうとした。そのときだ。高速化された視覚の中で、飛場は一つのものを見た。
佐山《さ やま》だ。
通りの向こう、歩道に立つ佐山の頭上で、獏《ばく》がこちらを見て、手を振っていた。
それが合図だった。
過去が一瞬《いっしゅん》を寄越《よ こ 》せと叫んでいる。全てを打開するために。
●
佐山は巨大な神殿《しんでん》の中にいた。
全てが巨大な白い場所だ。まず何よりも、空白となっている部分が大きい。そして天井が薄い闇としか確認出来ず、支える柱は高層の建物のように見えた。
柱の向こうには空があるが、空は闇に満ちていた。空の向こうにも、神殿や大地が幾つも見えるが、それらは全て宙に浮いた大地に載っていた。
……3rd―|G《ギア》か。
そして眼前には、幾つかのものがあった。
武神《ぶ しん》だ。
まず目の前に蒼白《あおじろ》い武神、テュポーンと似た武神が剣を下げて立っている。
その向こう、巨大な階段の上には灰色の武神が立っていた。
ゼウスの武神だ。
彼らはこちらを見ている。こちらの背後を。
……そこには……。
人と武神がいた。倒れ伏した黒の武神の前、兵服をまとった小柄《こ がら》な男が、胸から血を流して立っている。息荒く、しかし眼帯《がんたい》による隻眼《せきがん》は相手をまっすぐ見上げていた。
飛場《ひ ば 》・竜徹《りゅうてつ》だ。
そして彼と武神の傍《かたわ》らには棺桶《かんおけ》のようなものが倒れていた。硝子《ガラス》張りで、中には一人の女性がいて、
『ぁ――』
叫んでいる。声なく、涙無く、ただ焦点《しょうてん》の結び切らぬ目に見える全てを怖れて。
それは美影《み かげ》だ。身体《からだ》は完全に自動人形のもので、泣きじゃくる身体の動きには秩序がない。
彼らに対する武神の内、灰色の武神が声を発した。
『我らはこれからテュポーンを旗機《き き 》としてそちらのGに乗り込む。子はレアのその娘を生産することで増やすが……、|Low《ロ ウ》―Gの人間にも手伝ってもらうことになるかもしれんな。――光栄に思うがいい』
その言葉に、蒼白の武神がわずかに肩を震わせたのを佐山は見た。
だが、反応を返したのは竜徹だった。
「馬鹿かテメエ。この状況、解《わか》ってねえのか。クロノスは、そっちが大事にしまい込んでるテュポーンの他に、もう一機の武神を作っていただろうが。それは――」
『知っている。そこの娘《むすめ》の所有する概念《がいねん》空間に封じられていることも。クロノスがその娘に概念空間と武神《ぶ しん》を与え、テュポーンが持つべき神砕雷《ケラヴノス》を封じたことを』
だが、
『その娘はまだ赤子《あかご 》だ。無駄《む だ 》に泣き叫ぶだけの子供が、どうやって貴様《き さま》を味方と判別する?』
「解《わか》らねえのか? だからテメエは三流なんだよ!」
竜徹《りゅうてつ》が美影《み かげ》に振り向くのと、灰色の武神が蒼白《そうはく》の武神に手を振るのとは同時だった。
蒼白の武神は、一歩を迷い、しかしこちらへと突き進んできた。
武神の歩数にして三歩も要らない。そんな距離と時間の中、竜徹は美影を見る。
「――クロノスも気が利かねえ」
迫る蒼白の武神の足音に背を向け、美影に顔を向け、
「偽物《にせもの》でも、レアと同じ色にしといてやれよ」
つぶやきとともに、竜徹は右目を覆《おお》っていた包帯《ほうたい》を緩める。
佐山《さ やま》は、ほどかれた白布の下から、一つの色が出たのを見た。
紅《あか》。その色をした瞳《ひとみ》だ。
……失った右目の代わりに、レアの瞳を……。
その目で、竜徹はまっすぐに美影の黒の瞳を見た。
瞬間《しゅんかん》、無声を挙げていた美影が息を飲んだ。
彼女の目が甘い焦点《しょうてん》のまま確かにこちらを見た。
「美影」
竜徹は美影にだけ聞える声で告げる。武神が踏み込む音の前で、顔に笑みを作り、
「オメエの名前だ。オメエの母ちゃんが、俺達の世界を見て、そのときオメエをこの瞳で見て、その名を与えた筈《はず》よ。だから……、オメエは憶《おぼ》えている筈だぜ」
息を吸い、こちらに力無い瞳を向けてくる美影に、竜徹は歯を剥《む 》いて叫んだ。
「今はまだ心にだけ叫べ! いずれどこかでオメエの名を呼ぶ馬鹿がいてくれるだろうさ! だからそのために力を貸せ!」
叫ぶ。
「荒帝《すさみかど》……!!」
竜徹の口の動きを、美影が真似《まね》た。
あとは一瞬《いっしゅん》だった。
棺桶《かんおけ》を破り、柱をぶち抜いて出現した黒の巨人が、美影を包み、竜徹を包んだ。
来る蒼白の巨人は既に剣を引き抜いていた。が、荒帝は突っ込んだ。
振り下ろされる剣を回避《かいひ 》する。竜徹は、その動きの中で伸ばした手を振り、蒼白の機体がもう一本肩に差していた剣を引き抜き、
『――オメエが王なら、違った道もあったかもな。死ぬか生きるか、クロノスと妹に聞け』
『何……?』
『解《わか》ってねえのか』
竜徹《りゅうてつ》は刃《やいば》を振り、
『その機体にされたテメエの妹は、処分される前にクロノスに進言したそうだぜ。もし何かあったらテメエを庇《かば》い、必ず生かしたい、と。――ならば、次代《じ だい》のために一度|身《み 》を削《そ》げや』
一刀両断《いっとうりょうだん》にした。
剣が折れ、しかし荒帝《すさみかど》は動きを止めない。
二枚の翼《つばさ》を使用し、まっすぐにゼウスに飛び込んだ。
荒帝の右腕の周囲に空間が展開し、神砕雷《ケラヴノス》が形成されていく。空中でそれを振りかぶる荒帝に、迎え打つ灰色の武神が剣を抜いて吠《ほ 》えた。
『これで終わりと思うなよ……!』
『そりゃあ三流悪役の台詞《せりふ》だぜ! それなら、とある嫌な野郎《や ろう》の真似《まね》で返してやらあ……!』
未進化のためか、小型の神砕雷《ケラヴノス》から射出《しゃしゅつ》されたのは、一本の白槍《はくそう》。
それが、灰色の武神の剣と胴体《どうたい》部をぶち砕いたとき、竜徹の声が告げた。
『我ら悪役を任ずる者達|也《なり》! ――一度滅びろ3rd―|G《ギア》』
突き抜け、しかし荒帝は振り向いた。視線の先、砕かれた剣を上に突き出した灰色の武神は、まるで天に手を差し伸べているようにも見える。
そしてまだ、灰色の武神は胴体部に大穴《おおあな》を空《あ 》けながらも生きていた。
荒帝が石の床上で急《きゅう》制動を掛けると、神殿《しんでん》の下階から幾《いく》つもの足音が響《ひび》いてきた。
『ちっ。新手《あらて 》か、または自動人形か、ってとこかよ。相手してらんねえな』
『我を……、人質《ひとじち》にでも取るか』
んなこたあしねえ、と、竜徹は告げた。だが、下からの足音の群は近くなってくる。
くそ、と身構えた荒帝の横で、灰色の武神が動いた。砕かれた腹部を右手で押さえながら、石段を下り、広間に転がった蒼白《そうはく》の武神へと近づく。そして、
『奥に門がある。――立ち去るがいい。神砕雷《ケラヴノス》を持ち去り、この世界を滅ぼすために』
オメエは? と竜徹は問うた。
『……クロノスは言っていたぜ。ゼウスの意思の複製には失敗したと』
それは、ゼウスが冥府《タルタロス》に落ちず、今、灰色の武神の中にいるということだ。
告げた竜徹の言葉に、灰色の武神、ゼウスは答えない。
竜徹は荒帝の身体《からだ》で右|拳《こぶし》を握りしめ、
『クロノスは、オメエを冥府《タルタロス》に逃がさぬためにわざと失敗したと笑ってやがった。だがよ、あの爺《じじ》いも俺の仲間並に偏屈《へんくつ》だ。実はオメエから望んだのを、そう言ってんじゃねえのか?』
『何故《なぜ》、そう思う?』
『クロノスも実は冥府《タルタロス》に行かずに死んだからだ。――この荒帝《すさみかど》の部品の一つとして』
何故《なぜ》だ、と荒帝はゼウスの背に問う。
『何故、偽物《にせもの》の振りして、子供の後見《こうけん》をしようとした?』
だが、問いに来た答えは違う言葉だった。
『……立ち去れ。下から侍女《じ じょ》達が来るぞ』
それだけを告げて、灰色の武神《ぶ しん》は振り向かない。ゆっくりとした一歩で、腹から黒い液体と金属の部品がこぼれ落ちた。
『今、すべきことがある。――王を絶やすわけにはいかん』
『クロノスもそう言っていたが、……穢《けが》れを継がせる気か?』
灰色の武神は、蒼白《そうはく》の武神の元に辿《たど》り着く。そして腰を屈《かが》め、
『解《わか》らん。……この者達が決めることだ。だが』
二つになった蒼白の武神を、灰色の武神は両手に抱え上げた。
塞《ふさ》ぐものの無くなった腹の穴から黒い液体が一気にこぼれる。
だが灰色の武神は立ち上がり、告げた。
『王は失わせぬ』
歩き出す。もはやこちらに振り向かず、下から来る足音の方へ向かって。
ふと、地響《じ ひび》きが聞こえた。視界の揺れと大気の震動《しんどう》に佐山《さ やま》は一つの事実を思い出す。
……3rd―|G《ギア》は、9thの侵攻《しんこう》で浮遊《ふ ゆう》大陸群のバランスが不安定になっていたのだな。
ゆっくりと崩れていこうとする神殿《しんでん》の奥へと、蒼白の武神を抱いた灰色の武神が歩いていく。
灰色の武神は蒼白の武神に首を傾け、
『……死なせはせん』
頷《うなず》き、
『――もはや、お前には幸いしか選択出来ないのだから』
その言葉に、荒帝も動いた。背の四枚|翼《よく》を広げ、神殿の奥へ、闇へと飛ぶ。
『くだらねえ……』
歯を軋《きし》ませるような声が、過去の終わりだった。
暗転する視界の中で佐山は思う。
……決着は、幸いとなるか?
そうなる筈《はず》だ、と。
●
飛場《ひ ば 》は一瞬《いっしゅん》の過去から醒《さ 》めた。
思うことは多い。だが、今あるのは二つの事実だ。
一つは、背後にテュポーンという危険があることだ。
もう一つは、
……為《な 》すべきことをする!
過去に、為すべきことをしてきた者達がいた。力を持ち、意思を持ち、ぶつかり合ってもお互いそれぞれ信じるものがあった筈《はず》だ。
ああ、と飛場《ひ ば 》は思う。
……僕もそこに行く。
今、テュポーンは既に時間切断|後《ご 》の攻撃に入っている筈だ。
だから飛場は動いた。
背後のテュポーンに振り向くことなく、体を回しながら剣を後ろ回しに振り上げた。
高速動作の先で、火花と衝撃《しょうげき》が散った。
『受けた――』
が、飛場は行動を止めない。
振り向きながら、防御の剣をそのままテュポーンに叩き込む。
しかし、テュポーンが再び時間を切断した。
背後に回られる。
だが、テュポーンの攻撃を予測した位置に、美影《み かげ》が装甲板《そうこうばん》を展開して防御を行う。
金属音と火花が散り、その隙《すき》に飛場が再度の攻撃を叩き込んだ。
そしてまたテュポーンが時間を切断した。
今度は間に合う。斬撃《ざんげき》の勢いで飛場は身を旋回《せんかい》させ、片手に持ち替えた刀を外《そと》一線に振り抜いた。そうすることによって攻撃と攻撃が繋《つな》がり、
『お……!』
テュポーンがまた時間を切断して対応すれば、そのときは美影が防御を| 司 《つかさど》る。
そして移動と攻撃と防御が一体化する。
こちらの攻撃を合図に己の攻撃時間に飛ぶテュポーンに対し、飛場は真っ正面から速度で激突《げきとつ》した。
飛場が狙うべき隙は、テュポーンが攻撃を飛ばし、それが届くまでの間だ。
ほぼ零《ゼロ》距離の攻撃の間に、飛場はただ己の攻撃を叩き込むことに集中する。
不可能なことだ。
飛場がどんなに攻撃を連続しても、構えたり、武器を振り戻す隙は生じる。
しかし、そこをフォローする力がある。
『美影さん!』
『ん』
荒帝《すさみかど》の装甲板が、単なる鎧《よろい》としてではなく、生きた装甲として振り回される。飛場の斬撃に劣らぬ勢いで、装甲をまるで翼《つばさ》のようにアクチュエータで振り回すのは、美影の役目だ。
テュポーンが攻撃時間を連続するならば、荒帝《すさみかど》は高速で攻撃し、防御を同時に展開させる。
答えはそれだ。
時間を切断させる敵に対しては、その切断にすら介入《かいにゅう》する速さを持てばいい。
飛場《ひ ば 》は動いた。音声|素子《そ し 》から無音の叫びが上がる。
『……!』
速度を上げろ。
幾《いく》ら時間を切り取られてもいいように、幾ら攻撃を入れられてもいいように、幾ら傷つけられてもいいように、そして、
……幾ら戦い続けてもいいように!
佐山《さ やま》との戦闘で習ったことだ。戦闘を支配する方法は一つしかない。
戦闘は終わらぬと思うことだ。
剣戟《けんげき》を連打し、身を高速で回し、相手のいる位置を予測し、美影《み かげ》の補佐に任せるべきところを預けながら、荒帝は踊るように立ち回る。
ふと、口から歌が漏れた。
『――Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ』
歌に対して白の武神《ぶ しん》が吠《ほ 》えた。
だが応じるように飛場は詞《ことば》を続けていく。
『――God's Son laughs, o how bright/神の子は笑う 何と明るく』
謳《うた》い、速度を爆発させながら、飛場は更に速度を欲する。
そして高速の舞踏は荒帝を中心としたテュポーンの攻撃|連打《れんだ 》になっていく。
テュポーンの姿が残像で何体にも霞《かす》んで現れ、そして連続して消えていく。
踊りだ、と飛場は思う。
まるで黒の姫の手を取り、白の騎士《き し 》が回り踊っているかのようだろう、と。
振り回す身と刃《やいば》の行く先、金属音と火花が大気を彩《いろど》っている。
『――Love from your holy lips shines clear,/貴方の聖なる唇から慈しみが輝き透き通る』
飛場は動いた。
『――As the dawn of salvation draws near,/救いの朝 夜明けが近づくにつれて』
高度な集中が周囲の音を消し、周囲の動作と自分の歌と五感だけを寄越《よ こ 》す。
否、この武神の中では常に隣《となり》に美影が寄り添っている。
そこに力強さを得ながら飛場は疾《と》く謳《うた》い動く。
常に背後にだけ現れるテュポーンは叫んでいるだろう。その声はおそらく高らかに、しかし悲鳴の色は消えていない。飛場はテュポーンのそんな叫びをこう思う。
……怒っているのか。
折角《せっかく》殺した死の使い手が復活したと。
それが憎いと、そう言われているように感じるのは錯覚《さっかく》か。
人の身体《からだ》を持った自分達が憎いと。
……否。
飛場《ひ ば 》は思う。それは、美影《み かげ》に対してたまに感じていたことだと。美影が自分のことを、そう思ってはいないかと。かつてはそんな風に考えたこともある。
だが、かつてのことだ。ならば、
……錯覚だ。今はそんなことはないと思う。
美影にそのことを謝るつもりはない。彼女とても、きっと似たようなことを考えたのではないかと、そんな都合《つ ごう》のいい考えがあるからだ。
『――Jeasus, Lord, with your birth/神の子 我が主よ 貴方の生誕とともに』
苦笑をもって、散る火花と動きの中で飛場は身を回し、周囲を見た。
夜の光を置いた倉敷《くらしき》の街がある。この戦いが終わったら、
……美影さんと来られるだろうか。
歩けるようだが、支えはいるだろうか。いらないと言われたら悲しいが、嬉《うれ》しくもある。
だが、それらの感情は生まれ消えても、もはや自分達は終わらない。
そうだ。そんなことをこれからも繰り返していこう、と飛場は思う。
何もかもを終わらせて、何もかも終わらないようにずっとずっと続けていこう、と。
だから飛場は速度を欲する。
『……美影さん!』
『ん……!』
高速の中、足の踏み込みがわずかに確かになった。美影が神経の大部分を駆動《く どう》部分に回してきたのだ。
飛場は速度を上げた。
●
佐山《さ やま》達は、もはやその動きを目で追うことが出来なくなっていた。
黒と白の風の激突《げきとつ》と旋回《せんかい》はしかし、
「……黒い方が、押してる?」
新庄《しんじょう》の声に、佐山は頷《うなず》いた。
続く一瞬《いっしゅん》で全てが明確になった。
風の動きが逆転したのだ。白が押していた風が、黒の押す風に、と。
黒が超えた。
佐山がそれを確信したとき、傍《かたわ》らにやってきた風見《かざみ 》が、息を吐いてつぶやいた。彼女は目の前で起きている光景を呆然《ぼうぜん》と見ながら、
「父さんがね、言ってたの。どうしてゼウスはテュポーンを封印《ふういん》するにとどめたのか、って。――成程《なるほど》ね。きっと自分のときより良くなる次代《じ だい》の者達に預けたのよね。課題として」
「親とは身《み 》勝手なものだな」
子供もよ、と風見《かざみ 》がつぶやき空を見上げた。月と星の空に目を細め、
「いい夜ね。……ねえ、知ってる?」
「何がかね?」
「さっき戦いながら思い出したんだけど、……空に浮かぶ星は、ギリシャ神話の星座も形作っているのよね。かつて人々が夜の道しるべや、語り継ぎの対象として作った星座が」
苦笑し、
「ならば月は神々の図形たる星々の星座とともに、今、大地を駆ける陽《ひ》を見守るべきよ。陽王《ようおう》の代わりをしようなどと思わずに、ね」
力強い言葉が響《ひび》いた直後。金属音が道路の方から飛んだ。
荒帝《すさみかど》の動きが時間の切断を完全に超えていたのだ。
そして、今の金属音は前に出た荒帝をテュポーンが慌《あわ》てて突き飛ばした音だ。
そのときに荒帝の剣が折れていた。防護《ぼうご 》のために疲労した黒の刃《やいば》が砕かれ塵《ちり》となる。
だが荒帝は翼《つばさ》を広げた。まっすぐに突っ込んでいく。
走った。全力で身体《からだ》を前に送り、身を低くして、黒の武神《ぶ しん》は突っ走った。
荒帝はテュポーンが振り下ろす剣をかいくぐり、その旋回《せんかい》運動の最中に手を伸ばす。黒の手が取るのは、テュポーンの肩に残った一本の剣だ。
白刃《はくじん》を引き抜いた荒帝が、テュポーンの胴体《どうたい》にすれ違いざまの一撃《いちげき》を送る。
それはかつての、六十年前の過去の再生だ。
そのとき、テュポーンの挙動《きょどう》が乱れた。原因は一つだ。
テュポーンの瞳《ひとみ》から光が消えていた。青白い光が無くなり、
「……過去の再生で、アルテミスが死を認めたのか!」
だが、新しい光がついた。黄色の光だ。光の主《ぬし》は、誰かに頷《うなず》き、
『休んでいい。……護《まも》るべきは私だったのだから』
言葉を置いてテュポーンは動く。剣を突き出し、荒帝の剣を受け切り、
『では、勝負の続きだ……!』
●
テュポーンの主導権を得たアポルオンは、勝負を望む。
現在は一勝一敗だ。過去の再生も乗り越えた。
眼前でぶつけ合った剣と剣が離れていく。黒の武神が回避《かいひ 》運動で離れていくのだ。
だが逃がさない。
『これで終わりだ!』
叫びと同時に背に力を込めた。
白の武神《ぶ しん》の六枚|翼《よく》が展開し、快音とともに三十二連の追尾弾《ついび だん》が放たれた。
今持てる最大の攻撃力の行く先をアポルオンは見た。黒の武神との決着を。
だが、黒の武神は振り返って前に出てきた。
荒帝《すさみかど》は高速の一瞬《いっしゅん》で弾幕《だんまく》をかいくぐる。
そして背後に起きた光の着弾爆圧《ちゃくだんばくあつ》を受け、その勢いを加速力にして一気に来る。
剣が突き出されていた。その全力を掛けたぶち込みを、しかしアポルオンは悟っていた。
……君達は戦いを望む者だ!
アポルオンは自分の概念《がいねん》で答える。
時間を削り、攻撃時間へと全力で飛ぶ。
そして敵の背後へ出れば、そこには自分の砲撃《ほうげき》による爆圧があった。
白の光の爆発は、テュポーンの装甲《そうこう》を軋《きし》ませ、しかし前に弾《はじ》き飛ばした。
背の翼《つばさ》の出力も用いた前進の行く手にあるのは、背を向けた黒の武神だ。
追いつく。
高加速の敵は姿勢|制御《せいぎょ》出来るような速度ではない。
もう時間を削るまでもなく、相手に追いつき、己の一撃《いちげき》で倒せる。
その瞬間《しゅんかん》だ。敵が勝負の放棄《ほうき 》とも言える動きを取った。
勢いよく剣を投げ捨てたのだ。頭上の宙へ、と。
無論《む ろん》、そんなものが防御や囮《おとり》になる筈《はず》もない。
…何を……!
アポルオンは視認《し にん》する。敵がその右|拳《こぶし》を空に強く開いたのを。
●
背後に迫るテュポーンに怖れず、飛場《ひ ば 》と美影《み かげ》は同時に声を挙げていた。
『――神砕雷《ケラヴノス》!!』
言葉とともに、右腕に轟音《ごうおん》と衝撃《しょうげき》が来た。
右腕|外装《がいそう》に概念空間が展開し、神砕雷《ケラヴノス》のパーツが分解状態で出現する。
だが、その形状が違った。一番初めに空間|射出《しゃしゅつ》されたのは槍《やり》のフレーム部分ではない。
『……背部|接合《せつごう》アーム!?』
背の翼の下に、支持|起点《き てん》となる大型アームが浮く。
続いて射出された槍のフレーム部分は、明らかに以前よりも長大《ちょうだい》になっている。
そして耐ショックアブソーバがこの時点で三つも出現し、アームや本体上部や前部に展開する。続いて出たのは、腕にロックをかける爪と弾槍《だんそう》を発射するレールだ。
側部ガイドレールと上部カウンターヘッドがはめ込まれ、一度カウンターヘッドがコッキングされて自己の位置をアジャストする。
更に追加で後部へ現れたショックアブソーバと加速用スラスターが連結《れんけつ》し、確定した内部に弾槍《だんそう》が入った。
弾槍は3rd―|G《ギア》の概念核《がいねんかく》の半分を、さらに三《さん》分割した三連槍《さんれんそう》、神砕雷《ケラヴノス》の本体だ。
だが、槍《やり》の入る位置がおかしい、閉じていくパーツの内部に、槍を格納《かくのう》する場所が五つある。
『進化してる。――強くなりたいから』
最後に射出《しゃしゅつ》されるのは十八連並びの鉄鋼《てっこう》ボルトだ。左右に九、対《つい》で展開したボルトはそれぞれ勢いよく神砕雷《ケラヴノス》を穿《うが》ち止め、鋼鉄の高|重奏《じゅうそう》で己の姿を揺るぎないものとする。
生まれたのは全長六メートル超過《ちょうか》の杭打機《くいうちき 》だ。
その杭打機で、飛場《ひ ば 》はあるものを穿った。
地面を。
●
大地を打つ音が響《ひび》いた。
その音とともに、前進して逃げていた荒帝《すさみかど》が、移動方向を強引《ごういん》に変えていた。
右腕の神砕雷《ケラヴノス》の反動を利用し、空へと。
荒帝は四肢《し し 》と翼《つばさ》を大きく広げ、テュポーンの頭上に回る。
身を一回転し、仰向《あおむ 》けになり、翼で眼下のテュポーンにパワーダイブを掛ける。
左腕は宙に投じた剣を拾おうとしていた。
対するテュポーンは荒帝の挙動《きょどう》を読む。全《ぜん》体重を掛けた必殺の剣撃《けんげき》が来る、と。だから、
『!』
テュポーンは反射的に時間を削った。
パワーダイブを入れて降下する荒帝の上、テュポーンは宙に姿を現す。こちらも四肢と翼を広げ、降下《こうか 》姿勢だ。しかも背の砲《ほう》は既に地上へ、落ちる荒帝に向いている。
だが、テュポーンは見た。自分の目の前に、何故《なぜ》か刃《やいば》の先端があるのを。
それは、荒帝が先ほど投じた剣先《けんさき》だった。
手に取ると見せかけ、荒帝は触れもしなかったのだ。
全てはテュポーンが背後に回ると計算した上でのフェイントだ。
荒帝は戦闘の終わりを作らない。あるのはただ、戦場の続行だ。
『――!』
反射神経の動きでテュポーンが再び時間を削る。行く先は、荒帝の死角《し かく》の死角。
その位置を、荒帝が叫んだ。
『元の場所だ……!』
●
飛場《ひ ば 》は叫び見た。落下する荒帝《すさみかど》の眼下、大地にテュポーンが現れたのを。
砲《ほう》は既に構えられているが、しかし、荒帝の動きは何も構うものではない。
神砕雷《ケラヴノス》の三連槍《さんれんそう》を射出《しゃしゅつ》した。
叩き込むのは胸ではない。上から狙うのは難しい腹部だ。だが、そこに概念核《がいねんかく》を入れた出力|炉《ろ 》がある。ずれれば操縦《そうじゅう》室を破壊してアポルオンは即死《そくし 》だ。
もし出力炉だけをぶち抜けるならば、まだ方法があるかもしれない。
テュポーンが射撃《しゃげき》した。
構うものか。速度と、装甲板《そうこうばん》と美影《み かげ》の補正に全てを任せて飛場は己の攻撃をぶち込む。
こちらの装甲の幾枚《いくまい》かが耐え切れずに砕かれ、挙動《きょどう》にわずかなズレが生まれた。
……くそ!
思ったと同時。飛場の視覚は一つの光を見た。
青白い光は、テュポーンの腹部装甲の前で女性の形を取っていた。
アルテミス。
彼女は確かにこちらを見て、しかしその泣き顔を笑みに変えると、両の手を軽く振った。
そしてテュポーンが時間を削った。
しかし、それはもはやこちらの背後に回るためではない。
テュポーンは移動したのだ。神砕雷《ケラヴノス》の先端へと、腹部装甲にアルテミスを載せたまま。
応じる動きで荒帝は着地し、神砕雷《ケラヴノス》で迷い無く彼女をぶち抜いた。
金属の轟音《ごうおん》が響《ひび》き、手応えがあり、笑みのアルテミスが頷《うなず》きとともに散った。
『……!?』
彼女の頷きをどういうことだと思う飛場に答えたのは、美影の叫びだ。
『神砕雷《ケラヴノス》とテュポーンが――!』
飛場は見た。テュポーンに食い込んだ光の槍《やり》が、急速に光量を増したのを。
神砕雷《ケラヴノス》が食っていくのだ。テュポーンの概念核を。
それを支えるかのように、神砕雷《ケラヴノス》の後部が展開し、光の充足をしっかりと受け止めた。まるで己が、元々から概念核を一つにするための機械であったかのように。
まさか、と飛場は思う。そして佐山《さ やま》が戦闘の準備中に告げた言葉を思う。
……美影さんを解《わか》っていたかどうか、というのは――。
『美影さんの進化に合わせ、破壊兵器の神砕雷《ケラヴノス》は冥府《タルタロス》を納める冥府機構《タルタロスマキナ》に進化するのか?』
それは3rd―|G《ギア》を破壊する原因となった概念核の冥府《タルタロス》を、自ら再び一つに合致した。
……クロノスは、何故こんな仕掛けを作った……?
そして、ゼウスも本当にそれに気づかなかったのだろうか、と飛場は思う。
だが、解《わか》りはしない。
飛場《ひ ば 》が、く、と声を漏らした直後。轟音《ごうおん》と衝撃《しょうげき》とともに冥府《タルタロス》が神砕雷《ケラヴノス》に完全|格納《かくのう》された。
応じるようにテュポーンの全身が震え、そして一つのものを背から吐き出した。
白の武神《ぶ しん》の背から出たのは、大型の操縦《そうじゅう》室だった。
ゆっくりと射出《しゃしゅつ》された白い巨大な金属ブロックは、金属音とともに地面に落ちる。
と、飛場は声を聞く。周囲を包む仲間や敵であった者達の中、金髪《きんぱつ》の侍女《じ じょ》長がやはりこう言ったのだ。まさか、と。そして、彼女は呆然《ぼうぜん》と口に手を当て、眉を下げ、
「概念核《がいねんかく》が一体になる際の高出力を狙って、アルテミス様がアポルオン様の再《さい》構成を……」
彼女の言葉が、どういう意味か、飛場には解らない。
ただ、彼女の言葉が静かに響《ひび》き終えると同時に、眼前からは金属音が重く響いた。
白の武神、テュポーンがその両|膝《ひざ》を地面に着いたのだ。
……これが……。
これが決着か、と飛場は空を見上げた。月と星のある空を。
そして周囲の皆が、それぞれの抱えていた思いを表す叫びを挙げた。
●
叫びの中、新型となった神砕雷《ケラヴノス》を見ていた新庄《しんじょう》は、ふと、右にいる佐山《さ やま》を見た。
佐山は荒帝《すさみかど》ではなく、じっと己の左手を見ている。
そこに光があった。ゲオルギウスの光だ。
「また……?」
という問いに佐山が頷《うなず》き、ゲオルギウスの手を掲げた。はめ込まれたメダルを中心に、白の光が脈動《みゃくどう》している。
大丈夫かな? と新庄は好奇心《こうき しん》で手をかざした。
するといきなりゲオルギウスが反応した。その光が急激に増したのだ。
「え!?」
荒帝に気を取られている皆の中、佐山と自分の間でゲオルギウスの光が強くなる。
同時。通りにたたずむ荒帝の神砕雷《ケラヴノス》が吠《ほ 》えた。
「!?」
不意のことに皆が動きを止めた。そんな視線の群の先、神砕雷《ケラヴノス》の表面に音が走り出した。
見れば、黒い表面|装甲《そうこう》に何かがへこみ、穿《うが》たれていく。それは、
……文字?
読むことの出来ない文字だが、意味は解った。
しかし、神砕雷《ケラヴノス》に書かれていく文字を読んだのは、UCATの誰でもなかった。
響いたのは女性の声。それも、皆から少し離れたところにいる白い服に黒髪《くろかみ》の女性だった。
彼女は、赤いスーツのギュエスに肩を支えられながら、呆然《ぼうぜん》と神砕雷《ケラヴノス》の文字を見て、
「――我ら3rd―|G《ギア》は」
息を吸い、
「陽皇《ようおう》と月后《げっこう》の意思とともに、多くの人が集《つど》う力となることを誓《ちか》う……!」
言葉を言い終えた女性が、表情を変えた。力を抜いたような笑みに。
そして応じるように、一人の侍女《じ じょ》がテュポーンの方に一歩を踏み出した。両腕を破損《は そん》した金色のショートカットの侍女だ。彼女は地面に落ちたテュポーンの操縦《そうじゅう》室を見て、
「京《みやこ》様……」
振り向き、確かに頷《うなず》き、
「アポルオン様は、おそらく大丈夫です。……アルテミス様が護《まも》られました。約束通りに」
その言葉に、京は笑みで目を伏せ、全身の力を失った。
皆が慌《あわ》てて、うわ、などと言いながら駆け寄っていくが、そこに駆け寄るのはUCATの者だけではない。多くの自動人形の侍女達も、ある者は走り、ある者は歩き、近寄っていく。
そんな中、新庄《しんじょう》は聞く。背後を話し合いながら歩いていく隊員達の声を。
「なあ、お話としては間違ってると思わないか?」
歩いていく苦笑が響《ひび》き、
「何しろ、テュポーンが皇《おう》と后《きさき》を生んだんだぜ……」
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第四十章
『夜空の言葉』
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ここは宵の場
全ての始まる終わりの場
空見て問えば風が答える
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●
皆が撤収《てっしゅう》の準備を始めているのを、佐山《さ やま》は見ていた。
既に手のゲオルギウスは光を放っていない。
……概念核《がいねんかく》に反応したのだろうか?
疑問には思うが、調べるすべもない。月読《つくよみ》が送ってきた資料と重ねていろいろ考えていくことになるだろう。
今、佐山は皆から離れて、通りの方を見ていた。通りの中央、皆の輪の中には荒帝《すさみかど》と、その足下に気を失った京《みやこ》がいる。
皆の囲みの中、京の身体《からだ》には自動人形の侍女長《じじょちょう》が毛布を掛けている。
あの侍女長の妹という短髪の自動人形の言葉によれば、テュポーンから射出《しゃしゅつ》された操縦室《そうじゅうしつ》内部には、確かにアポルオンの鼓動《こ どう》が聞こえるそうだ。それも、今までより確かな音で。
彼女達の推測によれば、神砕雷《ケラヴノス》の概念核がテュポーンの概念核と合一《ごういつ》するとき、その合一出力を利用してアポルオンの身体に再構成を掛けたのではないかとのことだった。テュポーンの中にある、かつて彼を再構成した経験を利用し、アルテミスは彼を作り直したのだと。
……子を産めぬ姫は、しかし大事な男性を遺《のこ》した、か。
ただ再構成の安定には時間が必要だとも聞いた。それは更なる五十数年か、数千年か、それとも明日かもしれない、とも。
アポルオンを入れた操縦室のブロックは、カーゴに搭載《とうさい》されて運び出されつつあった。テュポーンの残骸《ざんがい》を乗せたカーゴはトラックの連結待ちで、通りの端、駅の側に停車している。
これからどうなるだろうか、と、思ったとき、左から新庄《しんじょう》の声が響《ひび》いた。
「どうなるだろうね?」
振り向けば、笑みの彼女がそこにいる。
だから佐山は無表情で頷《うなず》いた。
そのときだ。聞いたことがない女性の声が響いた。
「どうなるかしらね」
そして、
「――でも、何もかも終わらないと気付いている人はいるかしら?」
●
佐山は聞こえた声に眉をひそめた。
……聞いたことのない声だ。
しかもその声にはおかしいところがあった。声が飛んできた位置だ。
聞こえてきたのはテュポーンを積んだカーゴのある方角だが、高さがおかしい。
……空?
佐山《さ やま》が振り向くと同時、音が響《ひび》いた。
小さな、風笛《かぜふえ》の鳴る音だ。
だがその音は確かに大気を渡り、皆がそちらを見た。
それはカーゴに搭載《とうさい》されたテュポーンの上空だ。テュポーンの上、わずか数メートルの位置に、いつの間にか巨大な影がある。それは、
「機竜《きりゅう》!?」
皆の間からギュエスの声が響いた。
「――アイガイオン達が共通|記憶《き おく》を途絶《とだ》[#底本「途絶(とぜつ)え」]えさせる前に伝えてきた者か!!」
皆とギュエスの視線に対するのは、空に浮く鋼色《はがねいろ》の機竜と、その背に立つ女性だ。
竜の上、黒髪《くろかみ》をなびかせ、背に巨大な日本刀を背負った女性がいる。
彼女は淡い風にサンドイエローの戦闘コートを揺らし、
「自己紹介って、必要?」
「当然だなあ!!」
腰をおかしくした大城《おおしろ》が這《は 》いながら前に出てカメラを構えた。
相手の女性は、あら、と顔を斜めに向けた。カメラに目線《め せん》を送り、
「 軍 の――、長田《ながた 》・竜美《たつみ 》と言います」
『嘘《うそ》だ!』
叫んだのは荒帝《すさみかど》だ。皆が顔を向けた先で、荒帝が体を回して彼女に振り向く。
飛場《ひ ば 》の声が、震えをもって聞こえた。
『飛場・美樹《み き 》でしょう!? ……義姉《ねえ》さん!」
だが竜美は応じない。彼の声が聞こえないとでも言うように、ただ笑みを濃くした。
彼女の笑みを見た者が言葉を失い、一歩を退《ひ》くのを佐山は見た。
いい微笑だな、と佐山は下がり掛けた新庄《しんじょう》の身体《からだ》を横抱《よこだ 》きに思う。
……敵か。
だが、新庄が不意に首を傾《かし》げた。あれ? と眉をひそめた彼女に、
「どうしたのかね? 新庄君」
「 軍 って、……幾《いく》つかの|G《ギア》の混成《こんせい》部隊って噂《うわさ》だよね。それなのに」
と、新庄は首を竦《すく》めるようにして、小声でつぶやいた。
「あの竜美って名乗った人が持ってる| 機 殻 剣 《カウリングソード》、見覚えない?」
ある。昼に見たばかりだ。鹿島《か しま》が送ってきた資料の中に、
「月読《つくよみ》部長の亡夫《ぼうふ 》が遺《のこ》した設計図の| 機 殻 剣 《カウリングソード》か……」
頷《うなず》き、佐山は新庄を見た。右に立つ新庄も、|Ex―St《エグジスト》を手に眉を強めて頷いた。
だから佐山は彼女と共に一歩を前に出る。無表情に口を開き、
「――初にお目にかかる。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の佐山《さ やま》・御言《み こと》だ」
「あら、御丁寧《ご ていねい》にどうも」
竜美《たつみ 》と佐山は会釈《えしゃく》を交わす。そして佐山はまず問うた。しかし、竜美ではなく、
「――ではギュエス君、質問だ。彼らは何者かね? 即答《そくとう》したまえ」
「 軍 という組織だ。情報屋のハジという男をリーダーに、幾《いく》つもの|G《ギア》の残存《ざんぞん》戦力を掻《か 》き集め、仲間に誘っている。ハジ以外の主力と言える者を見たのは、今日が初めてだが」
「その程度にしといてねギュエス。貴女《あなた》と会うのは初めてだけど言わせてもらうわ。……|Low《ロ ウ》―Gに負けたからって尻尾《しっぽ》振って、軍 の世話になった恩《おん》を忘れたつもり?」
「貴様《き さま》……」
睨《にら》むギュエスを首の振り一つで無視して、竜美がこちらを見た。
「いい? 3rd―Gと 軍 は契約していたの。概念核《がいねんかく》を奪われたらテュポーンの機体を譲渡《じょうと》する、っていうのを。だから御免《ご めん》なさいね? いただいていくわ、この機竜《きりゅう》を使って」
「ふむ。……そちらの機竜の名は?」
問い掛けに、竜美ではなく機竜が小さく頷《うなず》いた。
『我は機竜。ただの、ただの機竜である。ゆえあって、惜しくも今、名は無いのである』
「……実は名乗りたいのではないかね?」
『吾輩《わがはい》を見くびるか!? 我は、今、アレックスの名を名乗らぬと約束しているのである!』
成程《なるほど》、と頷く。と、横から新庄《しんじょう》が|Ex―St《エグジスト》でつついてきた。
「……友達になれそうじゃない?」
「何を言っているのかね新庄君。私は全世界の存在と友人だよ? 私が上で皆が下だが」
そのまま佐山は竜美を改めて見る。彼女の微笑と視線をためらいなく受け止め、
「竜美君とやらに質問だ。――もし今、テュポーンの接収《せっしゅう》を我々が認めないとしたら?」
「全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》はG間の契約の仲介《ちゅうかい》取り潰しを行うと、そういう情報が広まるわね」
「 軍 はどのGにも所属していない筈《はず》だが?」
「そう見えるの?」
問いかけに、佐山は沈黙《ちんもく》した。確かに、軍 がどのGにも属していないという確証はない。Low―Gで発生した組織ならば、Low―G所属と言うことさえ可能だ。
何も言わずにいると、竜美が小さく笑った。
「いろいろ鋭い子ね。面白いわ。でももう時間なの。そろそろ帰って寝ないと、明日は朝から皆の訓練を見ないといけないし、低血圧だし。だから、――アレックス」
『竜美、あれほど禁じていたのに、吾輩の名を呼ぶとはどういうことであるか!?』
「御免なさい。忘れっぽいから、私。――貴方《あなた》もね」
竜美はしれっとそう言って、
「今日はテュポーンもらって帰りましょ」
うむ、と頷《うなず》くなり、機竜《きりゅう》が動いた。
一瞬《いっしゅん》で降下し、チェーンで左右から押さえられていた白の武神《ぶ しん》を四肢《し し 》で掴《つか》み取る。
超《ちょう》重量の武神だというのに、掴んだ機竜はチェーンを千切《ち ぎ 》って容易《たやす》く浮上した。
『美樹《み き 》義姉《ねえ》さん!』
「その名は捨てたの。今は竜美《たつみ 》で出ています、ってね」
飛場《ひ ば 》に竜美が笑みで告げる。が、不意に、一瞬だけその表情が止まった。それに気付いた佐山《さ やま》は彼女の視線が走った場所を見る。
皆の輪の遥か向こうに、一台のジープが停まっていた。乗っているのは|Sf《エスエフ》と、
……ディアナに、大城《おおしろ》・至《いたる》か……。
思う間に背後から風が起きた。いつもの微笑を消したディアナと、いつも通りの至が、ゆっくりと空を見上げていく。
彼らの視線に追われるように、機竜が空へと舞い上がった。荒帝《すさみかど》が動こうとして、
『リュージ君! 概念核《がいねんかく》の合成がまだ安定してない!!』
美影《み かげ》の声に止められる。
ギュエスも武神を破壊されている状態では歯を噛《か 》むだけだ。
竜《りゅう》の姿は、わずかな時間で空に消えた。後には風しか残らない。
皆が息を沈め、夜空を見上げている。月のある夜空を。
だが、そんな中で、佐山は確かに頷《うなず》いた。皆を見て、軽く手を上げ、
「契約があったのならば、我々はそれを重視しよう。敵は我々のように手順を重要とする者達だ。手順を踏むことで、――後々の世に対し、自分達の行為に我々と同じような正当性を得ようとしている」
「それって……」
「簡単なことだよ新庄《しんじょう》君。そうすることで彼らには一つの可能性が得られる。――我々と敵対し、勝利し、自分達の正義を正当化し、我々の行いを逸史《いつし 》に出来る可能性が」
つまりは、
「―― 軍 と我々は、お互いの行いを逸史にするため戦うことになる。そういうことだね」
言葉に、皆が緊張《きんちょう》の表情を得る。皆の中にいた風見《かざみ 》も出雲《いずも》も、頷いた。
だが、一つ軽い声が響《ひび》いた。大樹《おおき 》だ。彼女は手を打ち、
「……あ、でもでも佐山君、それに皆さん。今のって、こーいうことですよね? 敵はテュポーンを奪っていきましたけど、それって、……敵の戦力が解《わか》っているってことですよね?」
問いに対する答えは、わずかな間があった。
数秒をおいて送られた皆の答えは、苦笑だ。成程《なるほど》ね、と笑う皆の中で、風見を横に置いた出雲が腕を組む。
「――それによ、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》には今後、激烈《げきれつ》強力なパシリが加わることになったからな。心強いぜ。何しろ音速|超過《ちょうか》でコーヒーを買いに行ける後輩《こうはい》だ。パシリ最上級でパシレスト」
『美影《み かげ》さんに荒帝《すさみかど》出させてまで買いに行きませんよっ!』
『じゃあ一人で買いにいくの?』
美影の言葉に、飛場《ひ ば 》の詰まった声が荒帝から漏れた。
黒い武神《ぶ しん》の身じろぎに、皆が苦笑を笑いにした。緊張《きんちょう》の緩みが吐息となり、佐山《さ やま》は今こそ皆と視線を合わせた。
「ともあれ敵は無粋《ぶ すい》極まりないようだ」
毛布にくるまれ侍女《じ じょ》達に抱かれた京《みやこ》に視線を移す。皆が釣《つ 》られてそちらを見た上で、
「今は彼女を祝福すべきだというのに、契約だの何だのとは、な。我々は粋《いき》をもって仕事を忘れ、今宵《こよい》を謡《うた》おう。おそらくは……、新しい3rd―|G《ギア》の形を」
はい、と侍女長が笑みで頷《うなず》いた。彼女は京を抱きしめ、皆を見渡した。
「お受けいたします。そして集《つど》い、皆と共に行けることを望みます。何故《なぜ》なら――」
空を見上げた。
天上に月が浮かぶ、涼しくもがらんとした夜空だ。
そこに何を思うのか、侍女長は眉を下げて目を細め、消えていった者達の名を告げ、
「――もはや、私達に終わりは無いと、そう信じておりますので」
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最終章
『大天の讃賞』
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謡え思いに浮かぶ言葉を
そして思え支えの意思を
今すべきことはただ――
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●
緑の山々の上に、夏の夕の空がある。
浅い角度の朱《あけ》の光が照らす山は、暗い陰影《いんえい》に満ちつつある。
影の中には曲がりくねった川が走っていた。その曲線を前に、白い巨大な施設群がある。
IAI東京支社の建物群だ。
朱の光に染まった建物の群と広大な敷地《しきち 》は、やはり朱に満ちた壁と門に覆《おお》われている。
日が落ちるのが遅い夏の夕暮れ。既に終業時間は過ぎている。
広い正門を通る人影は一つだけ。女性の影だ。
それは黒のセミロングを背後に流し、ベージュのスーツを不慣れに着込んだ女性だった。
月読《つくよみ》・京《みやこ》だ。
彼女は正門警備の警備員に軽く頭を下げた。時計を見ながら表《おもて》に出る。
音として響《ひび》くのは下から響いてくる川の音とヒールの足音だけだ。
門から出て左を見ると、少し離れたところにバス停があった。
「……帰るか」
京はバッグを左肩に掛け、髪を掻《か 》き上げる。
思うことは一つだ。今後、どうなることだろうか、と。
自動人形達は皆、島根《しまね 》のIAI本社地下にある日本UCAT西部|統括《とうかつ》に連れて行かれた。
そこで諸処《しょしょ》の手続きを取り、神田《かんだ 》にいるという他の自動人形達と接触をさせながら、自動人形の概念《がいねん》を持つUCATを中心に散らばっていくことになるらしい。
そのあたりを話してくれた大城《おおしろ》という変な老人は、モイラ達自動人形には人権を認め、グループ単位で扱うと言い、希望者以外は分解も精査《せいさ 》なども行わないとも言ってくれた。
自動人形の内、特にギュエスは協力的で、何らかの形でUCATに加わるという。
同型の二人を 軍 に倒されたこともあるが、モイラ1stが言うには、
「戦う支えとして、彼女は私達以上に主人や仕える組織を欲しているのです」
とのことだった。
概念空間の外に出られるギュエスには、近い内に自宅に訪ねに来るように言っておいたが、どうなることだろうか。ギュエスは説教|癖《ぐせ》があるからな、と京は思う。別れ際にもいろいろと、たとえば生まれる子にはいい名を付けろとか、なかなかやかましかった。
……母ちゃん二人みたいなことにならんよな。
危惧《き ぐ 》は事実となりそうだ。
しかし、解《わか》らないことばかりだ。
アポルオンの収められた操縦室《そうじゅうしつ》はモイラと共に西部|統括《とうかつ》に運ばれるそうだが、それもどうなることだろうか。
そして、あの戦場で戦っていた者達も、これから何をどうしていくのだろうか。
彼らに会うには、それこそUCATに加わり、戦いに臨んでいく必要があるだろう。
そしておそらく、
……3rd―|G《ギア》の意思は、それを求めているんだろうな。
京《みやこ》は左肩を見た。戻ってきたバッグの口からは、UCATの資料|封筒《ふうとう》が覗《のぞ》いている。
「これ使ってUCAT入ったら、親のコネになる気もすんな」
だが、
「自分が望み、望まれるなら……」
行くべき場所とはどこだろうか。そこで待つ人とは誰だろうか。
考え、わずかに心の中が重くなった。
だから気分だけでも明るく行こうと、西の空、山に沈みかけた夕日に目を向ける。
わずかに眩《まぶ》しい朱《あけ》がそこにある。沈みつつあっても、手をかざさねば直視出来ぬほどの光だ。
……ああ。
「会いたいよな……」
アポルオン、という名前が脳裏《のうり 》に浮かんだ。自分と同じ目をした青年。そして自分の中にある子の父親だ。
……いつ、あの馬鹿は戻ってくるだろうか。
解《わか》らない。モイラ2ndはこちらを気遣《き づか》うように、いずれ、と言ったが、それこそ数千年の先かもしれない。
会えないかもしれない。
嫌だな、と思い、その本心をもはや京は否定しない。
視界の中にある太陽は眩しく、
「でも、太陽と月は同じ時間にいられねえもんな……」
つぶやき、また心が重くなった。そんな気がした。
足を止め、いろいろなことを思い出した。ここ数日の、いろいろな出会いや感情を。
すると我知らず、ひ、とうわずった息が生まれた。
そして息がつかえ、目尻《め じり》と肺と、肩が小さく震え出し、止まらなくなっていく。
感情がこぼれそうだ。
だから京は全てを堪《こら》えるように上を向く。夕日に照らされた天上を。
……くそ。
とつぶやき見上げた空。
だがそこに、思いがけないものが一つあった。
月だ。
「――――」
西の夕暮れに対し、| 紫 《むらさき》色に染まっていく天上の空に、白く薄い円弧《えんこ 》がある。
京《みやこ》は思い出す。月が光るのは、
「太陽の光を反射しているから……」
夕暮れと、朝の始まりには、両者がともに見えることもある。そして空に月が見えていなくても、太陽は必ず月に光を当てている。
「馬鹿|野郎《や ろう》……、だったら早く戻ってこいよ。月の見えない夜ばかりになるぜ」
無理に目だけで笑いを作り、京は視線を下ろした。
西に夕日、天に月を置いて照らされる山並と、川と、遠くの町々がそこにある。朱《あけ》の色と陰影《いんえい》に照らされた影を、京は美しいなと内心で思う。
自分はどうだろうか。そのように周りを照らせるだろうか。照らされているだろうか。
ふと、腹に左手を当てて子のことを考える。
名は何と付けようか、と。
彼に確認をとることは出来ないが、任されているのは確かだ。暫定《ざんてい》的だが、
「夕とか、黎《れい》とか、美とか、影とか……、明とか」
そういう字を与えれば、自分達の子として、3rd―|G《ギア》と|Low《ロ ウ》―Gの子となるだろうか。
それとも別の考え方もあるかもしれない。この子にはもっと素直に、そして自分達よりも多くの人に祝福《しゅくふく》されるような名を与えるべきかもしれないという、そんな考え方も。
……そのためにも。
いろいろ思い、ふと、京はバッグの口から出たUCATの資料|封筒《ふうとう》に左手を当てた。
そこにある資料、自分の行く先となる紙束を引き出そうとしたと同時。
いきなり背後からのエンジン音がこちらを追い抜いた。
「あ」
それは秋川《あきがわ》方面から来たバスだ。行く先は青梅《おうめ》行きで、自宅のある軍畑《いくさばた》を通過する。
うわ、と京が声を挙げる間もなく、バスはバス停に先に辿《たど》り着く。
京は走り出す。ヒールに音をたてて駆け、しかし、
「――――」
右手を不意に腹に当て、足を緩めた。
そして京はもはや焦ることなく、走りを悠然《ゆうぜん》とした歩みに変え、
「――おい! 待ってくれ!」
ためらわずに大声を挙げた。左手でUCATの封筒が入ったバッグを掴《つか》み、月の見える夕日の空に振り上げながら、
「すぐに」
叫んだ。
「すぐにそっちに行くからよ!!」
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終わりのクロニクル
「――きっと楽しいことになると、そう判断いたします」
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あとがき
つーことで、今回も二ページあとがきです。
何とか今回のBも決着できました。初《はつ》の上中下巻|構成《こうせい》というものでしたが、こーいうことが出来るのも皆さんのおかげですね。どうも有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。
前回で倉敷《くらしき》についてちと話しましたが、いやはやいい街ですホント。今回かなり壊してますが、そこらへん地図で確認して訪ねてみると面白いんじゃないかと。
とまあ、そんな感じで駆け足ですが恒例《こうれい》チャット。
「パターンとして聞いて置くけど、読んだ?」
『ええもうバッチリですよ。まさか飛場《ひ ば 》がアポルオンに殺されるのを見た新庄《しんじょう》が金髪巨乳《きんぱつきょにゅう》のスーパー一般人になって陰気玉《いんき だま》とは』
「読んでねえな? つーか飛場はクリリンかよ?」
『いや、今《いま》読んでます。しかしあの少年、勝率|悪《わる》いっすね?』
「お前のナンパ率とあまり変わらないだろ。それより上巻|出《で 》たあたりで結婚したんだってなおめでとう」
『うちの嫁《よめ》も読むあとがきで嫌がらせと祝福を同時にしないで下さい!!』
「そっかあ、俺の本、人妻《ひとづま》も読むのかあ……。ちょっと中高生にはジャンルが難しい本になっちまったかなあ……。帯《おび》に書いて貰《もら》おうか 新妻|絶賛《ぜっさん》! って。最悪だな」
『自分でネタ振って自分でツッコミしないで下さいって。しかし前回は俺の痛い話をしたので、次は先輩《せんぱい》からどうぞ』
「別に中高生のときに痛い思いしたことないな。中学の卒業式|前日《ぜんじつ》にチャリンコごと車に跳ね飛ばされてチャリは二つ折りでクシャってなったけど、俺、無傷《む きず》だったしなあ」
『駄目《だ め 》ですね先輩、そういうときは死にそうになって駆けつけた女の子にフラグ立てないと』
「あー、こいつの嫁さん? このバカ、マジでこんなこと言ってるので記録に残しときます」
『だーかーらーそーいうことはやめて下さい。俺、上巻のときも読まれた後で家庭内|字名《あざな 》が 巨乳チェッカー になったんですから』
今回はフラグチェッカーだなあ。
そんなわけで、ASKAの 晴天《せいてん》を誉《ほ 》めるなら夕暮れを待て (歌詞《か し 》的にも気分いい曲です)を聞きつつ校正したわけですが、
「一体《いったい》誰が立ち上がったのかなあ」
などと思ってみたり。次はCですが、少々お待ちを。
平成《へいせい》十五年五月 雨がやまない朝っぱら
[#地付き]川上《かわかみ》 稔《みのる》
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|AHEAD《ア ヘ ッ ド》シリーズ
終わりのクロニクルB〈下〉
発 行 二〇〇四年七月二十五日 初版発行
著 者 川上 稔
発行者 佐藤辰男
発行所 株式会社メディアワークス
[#地付き]校正 2007.03.23