[#改ページ]
AHEADシリーズ
終わりのクロニクルB〈中〉
[#地から2字上げ] 川上稔
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)必要|最低限《さいていげん》の明かりが灯《とも》る
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#底本「○○○」]
-------------------------------------------------------
[#改ページ]
終わりのクロニクル
著●川上稔 イラスト●さとやす(TENKY)
B【中】
――諸君、
終わりの道筋を追おう。
決着をつけるために。
The Ending Chronicle
Act.03
[#改ページ]
CONTENTS
終わりのクロニクル 3中
プロット表
 第十二章『思いの片側』
 第十三章『期待の輪舞』
 第十四章『苦鳴の選択』
 第十五章『感覚の錯覚者』
 第十六章『盤上の花群』
 第十七章『午後の空間』
 第十八章『これからの身の上』
 第十九章『奥底の探求』
 第二十章『騒々の挑戦』
 第二十一章『記憶の黙読』
 第二十二章『見届の鼓動』
 第二十三章『告発の打撃手』
 第二十四章『接近の敵影』
 あとがき
ボクが何かに近づけるように
[#ここから2字下げ]
イラスト:さとやす(TENKY)
カバーデザイン:渡辺宏一(2725inc)
本文デザイン:TENKY
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
[#改ページ]
第十二章
『思いの片側』
[#ここから3字下げ]
失うのは片方
得るのは片方
両方はどこにある
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
戦場は動いていた。
時間は朝、場所は尊秋多《たかあきた 》学院の学校正門から内部へと至る二車線道路だ。
学校正門から中へ。概念《がいねん》空間|故《ゆえ》無人の敷地内に入れば、まずあるのは直線五十メートルの道路。それは校庭に突き当たって左への九十度コーナーとなる。
そこを先に行くのは金髪《きんぱつ》の美影《み かげ》を担《かつ》いだアイガイオンと、赤いスーツのギュエスだ。
彼らから十数メートル遅れ、正門に二台の単車が来る。どちらも大《だい》排気量車で、外装カウル有りの方には小柄《こ がら》な飛場《ひ ば 》が。カウル無しの方には出雲《いずも》と風見《かざみ 》が乗っていた。
表通りから強引《ごういん》なコーナーリングで来る出雲達に対し、前を走るギュエスが口を開く。
手にした賢石《けんせき》の鉄板を振り上げ、彼女は叫んだ。
「――概念追加を施《ほどこ》す!」
次の瞬間《しゅんかん》、彼女の持つ鋼《はがね》の小板《しょうばん》が弾《はじ》け、応じるように世界が変わった。
・――人の思いは通じる。
はは、と彼女が笑った。
「――人と機械の同化|機構《き こう》に関する概念を組み替えて作った冗談《じょうだん》のようなものだが、対《たい》人類には効くだろうさ」
そして、
「理解を喜べ人の身よ!」
出雲のタンデムに乗る風見は、言葉を聞いた。
……何の概念!?
一瞬《いっしゅん》の中で意識を働かせるが、五感《ご かん》は異常を感じていない。重力、音、風、光、物質の形質《けいしつ》、どれも変化があったようには思えない。
では何が、と思う心は、一つの異変《い へん》に気づいた。
目が見る風景が、何故《なぜ》か先ほどまでと微妙《びみょう》に違う。ついさっきまで出雲のYシャツの背中が見えていた筈《はず》なのに、今見えているのは、
「単車のコンソールと前から来る風景で……」
視界の左右からは見慣れた出雲の腕が前に伸び、ハンドルのグリップを握っている。
風見は首を動かし、自分を見る。そして全ての理解を口から放った。
「まさか私と覚《かく》が――」
「入れ替わってるってわけだ」
背後から聞こえたやや高い声に風見《かざみ 》は身を震わせる。
慌《あわ》てて首を後ろに向けると、そこには自分がいた。中身は出雲《いずも》なのかどうか、確かめるために風見は問うてみる。
「あのー……。私の中の人は覚《かく》?」
「ううん? 何言ってるの? 私、千里《ち さと》よ――、ぐあっ! 自分でも構わず殴るか!」
「私はそんな媚《こ 》びた笑顔で喋《しゃべ》らないわよっ。からかうのは止めなさいっ。――って、いっけない! ついいつもの調子で私《わたし》殴っちゃったじゃない! 大丈夫《だいじょうぶ》私?」
「あ、ああ、何か骨格ベースが華奢《きゃしゃ》だからかフラフラすんなあ」
「あー、まさかこんな形で自傷《じしょう》行為なんてー!」
「ってか前《まえ》見ろ千里!」
自分に命令されるのも変な感じだ、と思いつつ、風見は前を見た。
左への九十度コーナー、正面は校庭だ。右にいた飛場《ひ ば 》が左へ被《かぶ》る動きで単車を傾けて、
「そっちも早くコーナー切って下さい! こっちが曲がれないですよ!」
このままだと飛場の進路を塞《ふさ》ぐだけでなく、校庭に飛び込んでしまう。
校庭と道路の境界線には白い縁石《えんせき》がある。その向こうに吹っ飛べば、数十センチの段差を落ちた挙《あ 》げ句《く 》にバックネットに突入するだけだ。
うわ、と風見は声を挙げるが、単車の免許など持ってもいない。
「覚! コレどーすんの!?」
「アクセルとか緩めるな!」
後ろから聞こえてきた自分の言葉に、風見は従った。手足をそのままで固定すると同時、背後の自分がこちらに抱きついてきた。背に寄り添ってくる体温と柔らかさに、風見は少しの驚きを得る。
……私、もーちょい自分に自信持っていいかなあ。
思うなり、背にしがみついてきた自分が一気に左へと身を傾けた。
「!」
抵抗するまでもなく、風見は自分に横投げされるように身を左へ。
走る速度の中で、ぶつかってくる大気の流れが変わった。
車体が傾き、左コーナーへの突入|姿勢《し せい》を取る。が、足りない。右からアウトコースを回ってくる飛場に右側面から激突《げきとつ》する。
……ヤバい!
判断は瞬時《しゅんじ》の行為だ。いつも出雲がコーナーではどうするかを風見は思い出す。
息を吸うなり、全身を下に縮め、後ろへと押しだした。
後ろへ移動した重心は、後輪《こうりん》側への荷重となる。タイヤの摩擦《ま さつ》限界を上回った荷重は後輪を空転。後輪《こうりん》は横滑りしてコーナーリングの角度は鋭角《えいかく》となった。
対し、右から来ていた飛場《ひ ば 》がアクセルを捻《ひね》った。彼は強引《ごういん》なコーナーリングで前へ出る。
横倒し姿勢でドリフトするこちらと校庭の縁石《えんせき》の間、わずか一メートルほどの隙間《すきま 》に飛場は飛び込んできた。
「先に行きます!」
抜けた。
そしてこちらの後輪にもグリップが戻ってきている。
単車の鼻先はコーナーの脱出方向を向いている。だから、
「こっちも行けっ!」
アクセルを捻れば、排気音が単車の震えを止め、前に己を吹き飛ばす。
校庭との境界となる縁石の上を、単車は一気に走り出す。
疾走《しっそう》する。
縁石からアスファルトの上に、抉《えぐ》るような弧《こ 》を描いて車体は戻った。
背後から来る声は、
「大丈夫か千里《ち さと》!」
「何とかなってるわよ!」
叫ぶ風見《かざみ 》は出雲《いずも》の身体《からだ》で前を見た。
前方を行く単車。飛場との距離は数メートル空《あ 》いたが、姿勢は直っている。
そして前方、約二十メートルの位置を自動人形二人が走っている。このまま行けば普通科校舎の横を抜けて、砂利《じゃり》道が通る学生|寮《りょう》の群の中だ。前を行く飛場が振り向き、
「出雲|先輩《せんぱい》」
何だ、と背後の自分が叫ぶと、飛場は怪訝《け げん》そうな顔で、
「……さっきから、何で風見先輩が男《おとこ》言葉で、出雲先輩がオカマ野郎《や ろう》なんですか?」
「うわ気づいてないの!? 入れ替わってんのよ、さっきの概念《がいねん》で! ――思いの通じる人と、意識が入れ替わってるのよ!」
その言葉を聞いた飛場の表情が、変わった。
初め驚き、しかしすぐに、彼の表情は微《かす》かな曇りを得る。
……え?
と首を傾《かし》げた風見は、すぐに己の疑問の答えに行き着く。
出雲と自分が入れ替わっているのに対し、飛場と美影《み かげ》は入れ替わっていない。
入れ替わりの条件は、思いが通じていることと、
……人であるかどうか……。
しまったな、と思い、意味もなく謝ろうかとも思い、迷ったときだ。
「飛場!」
単車が砂利《じゃり》道に入ったと同時に、自分の声が後ろから響《ひび》いた。
「とにかく追いつけ! ここは俺達の地元だぜ、よそ者にデカい面《つら》させんじゃねえ!」
「ぼ、僕がですか!?」
「当たり前だ。お前は後輩《こうはい》、前座《ぜんざ 》、序《じょ》の口《くち》、イーとか叫ぶ戦闘員だ。安心しろ、もしお前がやられても俺達が出て、なあに飛場《ひ ば 》・竜司《りゅうじ》などは我々の中では最も下の者、とか言ってやる」
飛場が無視して前を見てアクセルを捻《ひね》った。が、出雲《いずも》は構わず、
「行け! ――こっちも態勢《たいせい》立て直したらすぐに行く!」
と、こちらの左足にバッシュを履《は 》いた自分の足が乗ってきた。そのまま踏み込まれて後輪《こうりん》ブレーキをロック。砂利を弾《はじ》き飛ばして単車は停止運動に入る。
「――と、どうするの? 覚《かく》」
振り向いた視界の中、自分が頷《うなず》いた。舌打《したう 》ち一つで腕を組み、
「とにかく面倒《めんどう》だ。俺が運転すっけど、体格違うからどのくらい単車|扱《あつか》えるかが問題だな」
「そうね。……でも、覚ってやっぱり結構《けっこう》背が高いのね。視界が高くて驚き」
「ああ、逆に千里《ち さと》の身体《からだ》は変に軽いし柔らかくって扱いにくいよなあ……」
「のんびりとシャツの胸《むね》開けて乳揉《ちちも 》むのはやめなさいっ!」
声に、自分の身体《からだ》がまあまあと手で制しながら単車を降りる。こっちがタンデムに回ると、自分の身体が前側に座る。細い身体だ。大きな単車は似合ってないなー、と風見《かざみ 》は思う。
スカートでシートにまたがった自分が首を傾《かし》げ、
「……何か座りが悪ぃなあ。股《また》近辺が、こう、何というか、……どうよ?」
「それ以上追及したらこっちのをちょん切るわよ」
言うと、出雲《いずも》は無言でクラッチを握ってギアを入れた。
よしよし、と風見《かざみ 》はいつものように前にある背を抱きしめた。が、
「――くあっ、ち、千里《ち さと》、ベアハッグ」
「あれ? キツイ?」
離すと、喘《あえ》いだ自分は参ったというように片手をひらひら振ってみせる。なかなか難しい。
ともあれ風見は自分の身体《からだ》の腰あたりを巻くように腕を絡《から》めた。その恐る恐るの動きに、息を整えた彼が自分の口から笑いをこぼす。
今は自分である彼がアクセルを捻《ひね》る。単車が揺れて前に出る。遠くから聞こえる飛場《ひ ば 》の排気音に近づいていこうとする。そして自分がつぶやいた。
「ちと不慣《ふ な 》れなことになっちまったが、お互い信じてやるしかねえな……!」
風見達を後ろに残した飛場はアイガイオンを追った。
場所は校舎並びを抜けたところ、尊秋多《たかあきた 》学院|西北《せいほく》側にある男子|寮《りょう》並びの一角だ。今は西方向に向かって男子寮の並びの間を走り抜けている。
目の前を行くのは美影《み かげ》を背負った自動人形、ヘカトンケイルの三人組の一人だ。武神《ぶ しん》をサポートとして有するギュエスや、大型巨体のコットスとは幾度《いくど 》か空や地上で激突《げきとつ》したことがあるが、人間に近い体格の彼と飛場は初見《しょけん》だ。祖父から名前を聞いていただけでしかない。
ギュエスと別れたアイガイオンは、美影を背負ったまま走っている。
どこかに誘われていると解《わか》りつつ、飛場はアイガイオンを追う。
体格や力や運動性能では確実に負けている。今も前方で学生寮の西側入り口に飛び込むアイガイオンは、単車並の速度で軽々と廊下の暗がりに飛び込んでいく。
……あれが自動人形の実力ですか……。
人ではなく、だが人に近い存在で、しかし確実に人を超えている。
そして飛場は思う。美影も同じなのだろうかと。
どうだろうか。
飛場が続けて思うのは、かつてのことだ。かつての、美影のこと。
十年前のクリスマスの夜、彼女は父によって連れてこられ、翌日《よくじつ》不意に目覚めた。
あの頃は関節《かんせつ》部などの外観が今より人形に近く、意識は幼子《おさなご》並だった。
人ではないものに対しての恐怖感はあったが、祖父から話を聞いて意識は変わった。
……いずれ彼女は人になれる。
その言葉通り、始まりからの五年は進化の言葉とともに過ぎた。初めは母が美影《み かげ》を連れていたが、美影の進化を見たときから、常に自分が車|椅子《い す 》の背を押すようになった。
……己が望むならば、人に近づく自動人形。
美影は人になることを望んでいた。
祖父の道場と自宅を往復し、それ以外の場所へも行き、いろいろなものを体験し、いろいろなものを得た。人間としての五感や、作りものではない肌や肉や爪や髪など多くのものを。
あの頃、祖父の道場には祖父が引き取った少女もいた。自分より年上の彼女と鍛錬《たんれん》を受けながら、飛場《ひ ば 》は美影と共にいた。いずれ美影は人になれる、と思いながら。
まだ満足に歩くことは出来ず声を出すことも出来ないが、いずれ、と思っていたのだ。
しかし姉と慕《した》った少女があるとき不意に姿を消し、美影が泣き、そして五年前にそれが来た。
祖父の道場から出たときだ。眼前に緑色の巨大な鎧武者《よろいむしゃ》のようなものが立っていたのだ。
一瞬《いっしゅん》で飛場は吹き飛ばされ、額《ひたい》の切れた感覚と肋骨《ろっこつ》の砕けた痛みを得た。
そして小柄《こ がら》な身体《からだ》は背後にいた車椅子の美影に受け止められ、意識を失った。
次に気づいたときには、眼前に先ほどの鎧武者が転がっていた。
五体を砕かれたそれを見下ろす自分の視点は高く、身体は巨大な黒い鎧武者となっていた。
飛場は思い出す。
その鎧武者から地面に射出《しゃしゅつ》され、見上げた頭上に美影が落ちてきたことを。
自分の額の浅い傷は残っていたが、肋骨の怪我《け が 》が無くなっていたことを。
代わりというように、美影の肋骨が砕けていたことを。
そして、それ以降、美影の進化が止まったことを。
飛場は思う。
……あのとき僕は護《まも》られた……!
護られてしまった。美影に武神《ぶ しん》を呼び出させたこともだが、同化の際に、こちらの怪我のほとんどを美影が代理したことも、だ。
全ては自分が護れなかったからだ、と飛場は思っている。戦うために力を求めた美影は、今、人への進化を止め、自動人形としての力を求めているのだと。
それが彼女の進化を止めている、と、飛場は信じている。
飛場はアクセルを捻《ひね》った。
アイガイオンが飛び込んでいった廊下の暗がりの中に、単車と自分を飛び込ませる。
「僕は……」
先が言葉にならない。
今までずっと戦っていても、幾度《いくど 》勝っても、護られた起点は崩れることがない。
戦いを終わらせるために用いる力も、彼女のものだ。
……どうすればいい。
「僕は……!」
声とともに、飛場《ひ ば 》は学生|寮《りょう》の中に飛び込んだ。
午前七時二十七分。
UCATの長距離|滑走路《かっそうろ 》脇にあるヘリ発着場では、二つの異変《い へん》が起きていた。
地下からの運搬《うんぱん》リフトの上に置かれた二つの白いパレットが震動を起こしていたのだ。
それはシビュレが最終段階でヘリに積まなかった長さ三メートルほどのパレットだ。
立ち会いの大城《おおしろ》の他、発着場にいた整備員や開発部の者達が、二つのパレットを遠巻きに囲む。その間にもパレットの震動が大きくなり、
「開閉《かいへい》ロックが――」
開発部の青年の言葉とともに、長さ三メートル超過《ちょうか》の薄型《うすがた》パレットのロックが弾《はじ》け跳んだ。それも二つ同時に、まるで共にあるとでもいうように、だ。
金属音の欠片《かけら》をもって開いた中から宙に出るのは、それぞれ一本の大剣《たいけん》と長槍《ながやり》だ。
白と黒の組み合わせで出来た流線のフォルムは、朝の大気の中で宙にあることを望む。周囲に鉄片《てっぺん》を当て鳴らすような音を連続で響《ひび》かせ、剣と槍は刃先《は さき》を天に、垂直に立った。
剣と槍が一度|身震《み ぶる》いした。
その動きで、彼らにまとわりついていたロック部の破片が、弾かれるように飛び散る。
そして、ややあってから、両者の刃《やいば》の側部と上部の装甲《そうこう》板が展開する。
スラスターを剥《む 》き出しにする動きが伴うのは、コンソールに緑の光を起動させることと、血脈のように各部の起動信号を点灯していくこと。
コンソールに起動の文字列が走り、自らの名乗りを上げる。
『|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》・Contact――OK』
『|G―Sp《ガ  ス  プ》2・Contact――OK』
それを見ていた大城《おおしろ》が、肩から緊張《きんちょう》を抜いてつぶやいた。
「竜《りゅう》は自らを御《ぎょ》した勇者に従う、か」
『オハヨウサン』
V―Swが告げて、身を緩やかに一つ捻《ひね》った。隣《となり》のG―Sp2も同じように身を捻り、
『ヨンデル?』
「ヨンデル?」
大城は問い返した。が、しばらくしてから手を打ち、
「ヨンデルとグレーテルだな!?」
『ツマンナイ』
「うわキビシーっ!!」
周囲の皆が当然だという顔で頷《うなず》く中、大城《おおしろ》は不意に視線を戻す。コンソール上の文字がまた同じ問いかけをしたのを確認し、
「そうだなあ」
頷いて、
「竜《りゅう》の遊び場で呼んでおるとも。――君らの主《あるじ》は」
言った瞬間《しゅんかん》だ。頷くように、双《そう》の刃《やいば》がお互いを軽くぶつけた。
金属音が一つ響《ひび》き、両方のコンソールに同じ文字が点《つ 》く。
『アソンデクルヨッ』
次の瞬間、竜を宿した二つの武器は跳躍《ちょうやく》した。
身を沈めるようにわずかに下がったかと思うと、それを反動に天上へと。
大城達に解《わか》ったのは爆発的な風が起きたことと、紙袋《かみぶくろ》を割るような音が響いたこと、そして多くの者達がその風に吹き飛ばされたことと、
「空に――」
もはや皆の目の前に竜の武器は無く、代わりに空に二条《にじょう》の白い線が残っていた。
弧《こ 》を描いて悠然《ゆうぜん》と南の空に消えた水蒸気の二線は、出発の音を残響《ざんきょう》に。
大城《おおしろ》は風にはためく白衣《はくい 》の襟《えり》を直しもせず、南の空に右手の親指を上げて見せた。
「少々|派手《は で 》だが、運搬《うんぱん》の手間いらずだなあ……」
[#改ページ]
第十三章
『期待の輪舞』
[#ここから3字下げ]
思いもて踊れ人とその形よ
コッペリアの再現率は幸いにて上がる
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
単車を駆る飛場《ひ ば 》は、朝の中庭から薄暗い五階建ての男子|寮《りょう》に飛び込んでいた。
……急げ。
無人の概念《がいねん》空間の中、朝日の屋外から薄暗い屋内へ。明暗差《めいあんさ 》によって一瞬《いっしゅん》闇になった視界が、逆に飛場の思考《し こう》からためらいを消した。
彼は迷わずアクセルを絞《しぼ》る。
「!」
樹脂材《じゅし ざい》の床に大《だい》排気量を支えるタイヤが噛《か 》みついた。
グリップ力は速度に直結し、飛場の単車は男子寮の廊下を突っ走る。
高速の動きと、反響《はんきょう》する排気音の叫びが先行する影を捉《とら》えた。
……いた!
闇に慣れた視界の中央、二十メートル先、アイガイオンの背が見えた。
肩に美影《み かげ》を抱えた巨躯《きょく 》は走りながら身を| 翻 《ひつがえ》し、空中でこちらを見る。
笑っていた。
「改めて挨拶《あいさつ》しよう飛場の眷属《けんぞく》!」
彼は宙を悠然《ゆうぜん》と跳躍《ちょうやく》し、一度足をつく。そのステップでまた大きく跳びながら、
「俺はヘカトンケイルが一人、アイガイオンだ。身長二メートル三十一センチ、体重百五十キロ、職業は八百屋《や お や》の店員で趣味はパチンコだ! ――貴様《き さま》は!?」
「――男に答える趣味は無い!」
飛場の答えにアイガイオンが反応した。
笑ったのだ。
はは、と彼は声を挙げた後、着地と同時に、
「……つまらんやつだ!」
笑い、高速に連続でバックステップを踏みながら、アイガイオンは左の腕を振った。真横、コンクリートの壁に。
大きな| 掌 《てのひら》は、その五指《ご し 》で人工の石壁を割り砕いた。水|飛沫《しぶき》に似た音をもってアイガイオンの手首から先が壁に突き刺さり、止まらない。
走る速度に合わせ、壁が手首の太さで抉《えぐ》られていく。
破壊音とコンクリートの破片をまき散らしながら、壁を砕いてアイガイオンは走る。
「人形というのは人ではないが、ゆえに必要なものがある。――人工物としてのウリだ。量産式|自動《じ どう》人形達が重力を扱い、モイラ達が人を管理するように、我々もウリを持つ」
「それは……」
アイガイオンは眉を逆立《さかだ 》て、しかし笑みを濃くした。
「俺の場合は、――その重力|制御《せいぎょ》が| 超 《ちょう 》精密《せいみつ》で派手《は で 》だってことよ」
壁に突っ込んだ手首を、彼は上にねじり上げた。中にある何かを掴《つか》み抉《えぐ》った動きだ。
そして走りながら引き抜かれた巨大な五指《ご し 》は、一つのものを握っていた。
それは野太《の ぶと》い鉄の丸《まる》鋼材。校舎を造る鉄筋コンクリート建材の主たる一部だ。
「崩れろ大地に反して立つ鉄の身よ!」
声が響《ひび》いた瞬間《しゅんかん》だ。
飛場《ひ ば 》は音を聞いた。まるで巨大なものが倒れるような音を。
それが地響《じ ひび》きだと解《わか》ったとき、いきなりの震動によって車体が宙に浮いた。
一秒以上を宙に跳んだ。
「……!」
樹脂材《じゅし ざい》の床にタイヤがバウンドして設置。軽い空転からまたタイヤは床に噛《か 》みつく。
同時。
天井と壁の全てが、本を閉じるように自壊《じ かい》した。
アイガイオンの重力制御が鉄筋フレームに伝播《でんぱ 》し、それを容易《たやす》くねじ曲げたのだ。
男子|寮《りょう》が内破《ないは 》する。
「何……!?」
崩壊の表現とは、コンクリートと木材の破砕《は さい》だ。
砕きの連鎖《れんさ 》は飛場の頭上を越え、天井や柱や壁や並ぶ部屋までを一気に飲み込んでいく。
そして壁が割れて天井が落ちてくる。その上にある四階層|分《ぶん》の体積とともに。
飛場の判断は二つだ。この崩壊から逃れることと、美影《み かげ》を取り戻すこと。
両方|叶《かな》えるには、
「どっちにしろアンタを追うしかないんですよ!!」
アクセルを引き絞って単車を前に弾《はじ》け飛ばさせる。
コンクリートの砕ける音、強化|硝子《ガラス》の曲がり割れる音、全ての軋《きし》む音を貫《つらぬ》いて排気音が前に出ていく。が、対するアイガイオンは笑いを止めない。
「頑張れ頑張れ。――だが終わりだ飛場の眷属《けんぞく》よ!」
「誰が……」
飛場は身を低く、既に絞り切ったアクセルに更なる力を込め、
「誰が終わりと決めれるんですか!?」
「終わらせる者がだよ!」
そして、
「つまらんヤツを、更につまらなくしてやろう!」
言葉とともに、アイガイオンが動いた。右に抱えた美影を振り上げたのだ。
……危ないことを!
と飛場《ひ ば 》が叫ぼうとした瞬間《しゅんかん》だ。
いきなり、美影《み かげ》の身体《からだ》が崩れた。
「……!?」
飛場は見る。今まで美影だと思っていたものが、幾《いく》つもの鉄の瓦礫《が れき》の| 塊 《かたまり》だと。服さえも白い砂のような部品の集まりで、
「ははは! 重力|制御《せいぎょ》の技で瓦礫やゴミから組み上げた屑《くず》人形だ! 自動人形の人形とはシャレが効いているだろう。本物はギュエスが受け取り先行している!」
「な……」
飛場は息を飲んだ。
……焦るあまりに海賊版《かいぞくばん》を……!
| 憤 《いきどお》りは素直に怒りとなった。
「この詐欺師《さ ぎ し 》があー!!」
「黙れ。――騙《だま》された方が悪い!!」
この場は正論だ、と思った飛場は奥歯《おくば 》を噛《か 》む。
アクセルはもはや限界状態だ。降り注ぐ瓦礫を無視してギアの操作に集中する。
心に思うのはこの概念《がいねん》空間のことだ。金属が生きているというならば、
「お願いします」
飛場は単車に呼びかけた。
「追いつかせて下さい……!」
果たして鉄の塊は飛場の声に応じた。一瞬《いっしゅん》身を震わせると、叫びのように排気音をたて、絞《しぼ》られたアクセルそのものの走りを発揮《はっき 》する。
「……!」
単車の重心|自体《じ たい》が低くなる。単車|自《みずか》らがサスペンションを限界近くまで下げ、震動する床に噛みつき、タイヤの空転|現象《げんしょう》を皆無《かいむ 》とする。
前へ。
風を巻き、落ちる天井と倒れ込む壁の間を単車は疾走《しっそう》する。
だが、
「間に合わないか……?」
前方、二十メートル向こうの西側出口からアイガイオンが外へ飛び出した。
しかし頭上の崩落《ほうらく》はもはや確定だ。自分が外に出る前に、この男子|寮《りょう》は崩壊《ほうかい》する。
くそ、と思いながら飛場はアクセルを緩めない。
同時。飛場は声を聞いた。それは外から近づいてくる排気音とともに、
「飛場!」
女の声、風見《かざみ 》の声、つまりは出雲《いずも》の言葉だ。
何だろうか、という思いを吹き飛ばすように、彼女の声が響《ひび》き渡った。
「――身を低くしろ! 吹っ飛ばす!」
次の瞬間《しゅんかん》、男子|寮《りょう》が崩壊《ほうかい》した。
崩れていく男子寮の正面、南側に、風見《かざみ 》と出雲《いずも》を乗せた単車が突っ込んで来た。
後輪《こうりん》をロックした横倒しのドリフトを決めながら、単車の上の二人が右手を上に掲げた。
叫ぶ書葉は共に一つだ。
「……来い!」
響きが走った直後。北の空から飛来《ひ らい》した二双《に そう》の白線が男子寮|裏側《うらがわ》三階|付近《ふ きん》に直撃《ちょくげき》した。
その瞬間、直撃の震動で崩壊の動きが止まった。
空白。
全ての崩壊|煙《えん》や震えが宙に吹き飛び、わずかな間を開け、
「!」
二発の着弾《ちゃくだん》点から、叩き付けるような無音無光の爆発が起きた。
大《だい》質量|弾《だん》が高速|激突《げきとつ》したときに生じる、着弾|衝撃波《しょうげきは》とでもいうべきものだ。
音を超えた衝撃が男子寮の北側面を走る。それは崩壊の破片や硝子《ガラス》、表面建材などを一瞬《いっしゅん》で抉《えぐ》り、水蒸気の爆発を二つの着弾点から噴《ふ 》き上げた。
大音が二発|疾駆《しっく 》し、二つの打撃が起きた。
アイガイオンが作った下向きの崩壊が、二発の着弾によって八方への爆発に変わる。地上五階建ての男子寮は二発のアッパーカットを食らったようにたわみ、歪《ゆが》み、そして破裂《は れつ》した。
轟音《ごうおん》が走り、そこで終わらない。
獣《けもの》の咆哮《ほうこう》のような破砕《は さい》音の中、男子寮の北側面に光が生まれる。
それは竜《りゅう》の光だ。長大な螺旋《ら せん》を描く二つの竜身《りゅうしん》の光。
竜光《りゅうこう》は宙に舞った崩壊の欠片《かけら》を飲み込み、円を描いて吸収する。
男子寮が消滅した。
あとに残るのは一階層を砕き遺《のこ》した男子寮の足場と、
「恩に着ます!」
男子寮の西側から飛び出した飛場《ひ ば 》の単車だ。
彼の声が飛んだ先、男子寮の正面にいた二人は、それぞれの手にお互いの武装を持っていた。
既に二人の単車は走り出している。
少女の掲げた大剣《たいけん》が、スラスターを全開にしたままコンソールで告げた。
『アソボウネ』
「そうだな」
少女は口元に強い笑みを浮かべ、叫んだ。
「第二ラウンド行ってみようか!」
尊秋多《たかあきた 》学院の敷地より、やや西に離れたところに、一軒の屋敷《や しき》がある。
緑の垣根《かきね 》に囲まれた屋敷だ。
その垣根の横を、今、正門側に急ぐ影が二つある。
新庄《しんじょう》と佐山《さ やま》だ。夏服|姿《すがた》の二人は早足に、左の新庄が長髪を揺らしながら佐山に振り向き、
「竜司《りゅうじ》君とこ、大丈夫かな?」
「UCATの偽装《ぎ そう》警官達と偽装消防隊が来たからね。大丈夫と言えば大丈夫だろう。――後から偽装|土建屋《ど けんや 》と偽装設計士と偽装建築士と偽装|棟梁《とうりょう》が来て勝手に作り直すそうだが」
「大丈夫じゃないっぽいね……」
「まあ出来てみてのお楽しみだ。それより私達は自分の成すべきことをしよう」
うん、と新庄は頷《うなず》き、成すべきことを思い出した。
それは簡単なようで、なかなか難しいこと。
「炊《た 》き出しかあ……。大樹《おおき 》先生らしい要求だよね」
「だがこちらに来た偽装連中も、今、シビュレ君達とこちらに向かっている者達も全て朝食|抜《ぬ 》きだそうだ。――そして私達はシビュレ君達との合流位置に行くまでに、田宮《た みや》家の前を通過する。正直、使いっ走りと見る向きもあるが、誰かがしなければならんことでもある」
そして、
「私は必要であるならば仕事の内容は厭《いと》わないし、手配する場所もある。――知人の家が火事を起こしたので、と孝司《こうじ 》には話しておいたがそれで充分だろう」
友人ではなく、知人と佐山が言ったことに、新庄はわずかにうつむいた。
……まだ、事態が計り切れてないもんね。
同じ学校に通っている人間が、UCATとは別で概念《がいねん》戦闘を続けていた。
その戦いの一節において、今、自分達が出来ることは、
「――とりあえず挨拶《あいさつ》して、偽装ボランティアの人達が取りに来たら渡すんだよね」
「そう、その偽装ボランティアがヘリから降ろされたシビュレ君達の部隊だ。彼らと合流の後、シビュレ君に続いて私達もすぐに概念空間に突入する」
うん、と頷《うなず》くと、目的が頭の中に入って気が晴れた。
だから新庄は足を速める。
正面、木で出来た屋敷の正門がある。門の前に止まっているのは黒い軽《けい》自動車と、赤い和服を着込んだ女性だ。新庄は彼女を知っていた。だから、
「遼子《りょうこ》さん」
新庄《しんじょう》が声を掛けると、遼子《りょうこ》は振り向いた。彼女は車のボンネットの上でハンドバッグの中身を確認していたが、すぐに手を止める。自分達に気付いて笑みを顔に得ると、
「若《わか》に切《せつ》っちゃん。どうしたの? 退学させられたの? 遼子さん嬉《うれ》しい〜」
近づいていくこちらを迎えるように、彼女は下駄《げ た 》を数歩鳴らして接近。
わ、という声とともに、新庄はいきなり遼子に抱きしめられた。
「んー、凄《すご》い久しぶりー、切っちゃん元気だったあ?」
「え? あ、はい、……三日前に会ったばかりですけど」
構わず遼子は満足そうな顔で頭に顎《あご》をこすりつけ、んー、と吐息してから、こちらの身体《からだ》を改めて抱きしめる。そして、ややあってから身体を離し、
「何でだろうね? やっぱり女の子じゃないのよねえ」
「え? いや、何でも何もないと思うんですけど……」
自分の正体を知っているのはUCATの人間限定だ。何も知らない遼子は、こちらの肩に両手を載せたまま首を傾《かし》げる。猜疑《さいぎ 》の視線を合わせてきて、
「でも切っちゃん? 貴方《あなた》、女の匂《にお》いがプンプンするのよねっ。変な御《お 》注射やってない?」
「残念だが遼子、私は新庄君にそちら関係を一切《いっさい》紹介していない」
「そうなんだ、じゃあ天然なんだー……。切ちゃん? ちょっとモロッコ行こうか? もっとたくさん良くなれると遼子さん思うんだけど。今なら書類にサインだけでいいからね?」
「いいよいいよボク地味《じ み 》な人生好きだもん」
新庄は慌《あわ》てて首を横に振る。今、この場には住む世界が脳から違う人間が二人いる。下手《へた》に調子ずかせたち三時間後には全身|麻酔《ま すい》で手術台かもしれない。
……話を逸《そ 》らすには――。
「あ、りょ、遼子さん、これからお出かけ?」
「うん、ちょっとうちの者が出入りしてる会社に御《お 》客様が来ててね?」
と、遼子は横の車を見る。一見はどこにでもある軽《けい》自動車だ。だが色は艶《つや》有りの黒で塗り固められ、硝子《ガラス》は中のものが一切見えないスモークシールド、側部には金色の塗料で田宮《た みや》警備とある。よく見れば、車体のそこかしこには、何か出てくるらしい開閉扉《かいへいとびら》がたくさんある。
「……佐山《さ やま》君、ボク、この軽自動車にコメントしていい?」
「何かおかしいところがあるかね? ああ、前に貼《は 》ってある 逃げろ危険 のステッカーが珍しいかね? 遼子用の車なので貼ってあるのだが」
「孝司《こうじ 》が私の運転危険だっていうのよー。たまにぶつかるくらいなのに」
と、遼子がやれやれと吐息。ボンネットの方に行くと、またハンドバッグを漁《あさ》り出す。
どうしたんですか? と問うて見れば、
「うん、護身《ご しん》用のピストルが無くなっちゃったの。前のも無くして二つ目だから、孝司にバレると五月蝿《う る さ》いでしょ? それでちょっと」
「……最終的にいろいろまとめて一言で問うと、――何で?」
「うん、昨夜、中の駐車場に止めて出たとき、犬がじゃれてきてね? 可愛《かわい》いんだけど警備犬がそれだと駄目《だ め 》でしょ? だから地面に数発|撃《う 》っておとなしくさせたんだけど」
「その拳銃《けんじゅう》はこれかね?」
と、佐山《さ やま》が声を放った。彼が指さすところを見てみれば、軽《けい》自動車の屋根に一|丁《ちょう》の黒いリボルバーが載っている。
「あ、それそれ遼子《りょうこ》さん凡《ぼん》ミスっ。保護色だもんね? だからいいもんね?」
「あらゆる意味でいいのかなあ……」
「誰にもバレなかったから遼子さんの勝ちなのよっ」
と遼子が拳銃を手に取り、喜びに両手を軽く振った。
瞬間《しゅんかん》。新庄《しんじょう》はいきなり背後へと引っ張られた。襟首《えりくび》を掴《つか》んだ手の持ち主は佐山で、
「え? 何?」
と問うたなり、銃声が響《ひび》いた。
そして、何かが、先ほどまで自分の顔があった空間を突き抜けて飛んでいった。
目の前にいる遼子が、あれ? という顔をしたと同時。背後の家の方から聞こえるのは硝子《ガラス》が派手《は で 》に割れる音だ。
続き、正門|横《よこ》の勝手口から一つの影が飛び出してくる。
スーツ姿の孝司《こうじ 》だ。彼は手に煎餅《せんべい》の入った紙包みを抱え、
「若《わか》、新庄君、お早う御座《ご ざ 》います。――自分はこれからちょっと謝罪に」
「た、大変だね孝司さん」
「はは。――慣れていますから」
最後の一言を顔を向こうに背《そむ》けてつぶやき、孝司は靴音|高《たか》く向かいの家に飛び込んでいく。
そして弟を見送った遼子は一息。首を傾《かし》げて、手の中の拳銃を見た。
「孝司も大変ねえ。……でも、そんなに引き金|二段目《に だんめ 》軽かったかなあ?」
「銃口|覗《のぞ》いたら駄目ー!」
「大丈夫大丈夫、自分撃つほど遼子さんも馬鹿じゃないから」
と、遼子は拳銃を| 懐 《ふところ》にしまった。そんなとこに入れて大丈夫なんだろうかと新庄は思うが、いつものことのようなので追及はしない。
……追及して二次|災害《さいがい》出ると嫌だし……。
そろそろ本題に入るべきときだ。
だから新庄が半目《はんめ 》で横の佐山を見ると、彼は会釈《えしゃく》した。
「遼子、先ほど孝司に連絡した件だが……」
「あ、うん、台所で孝司が終えてるから、ボランティアの人《ひと》来たら持っていってもらってね? オニギリの中身は梅干しとオカカと昆布《こんぶ 》にプリン。プリンは遼子さんが孝司にバレないように仕込んだ珍味《ちんみ 》だから是非《ぜ ひ 》若《わか》と切《せつ》ちゃんで引いてね?」
「あ、あはは、遼子《りょうこ》さん、出来れば見分け方を教えてくれると嬉《うれ》しいなあ……」
「んー。でも、若と切ちゃんだけ有利にするのは遼子さんの道義《どうぎ 》に反するもん」
「そ、そこを是非っ」
新庄《しんじょう》が笑顔で食い下がると、遼子は、口元に手を当てて考える。
んー、と再び前置きして、
「若なら解《わか》るんじゃない?」
「え? そうなの?」
佐山《さ やま》に振り向くと、佐山は無表情で、
「……新庄君、私が食べて安全だったものを口にしたまえ」
「きゃあ、若と切ちゃん、遼子さんのオニギリ経由で間接キス? 遼子さんも加わりたい〜」
新庄はしなを作って喜ぶ遼子の声に頬《ほお》を赤くする。確かに言われる通りだが、
……命が大事だもんね……。
真剣な顔で頷《うなず》く佐山の厚意《こうい 》を無下《む げ 》にするわけにもいくまい。
「でも、若も切ちゃんも気をつけてね? 火事場は危険だから。特に切ちゃん、手とか大事にしないと駄目《だ め 》だかんね? 商品|価値《か ち 》下がるから」
どういう商品だろうか、と思うが追及はやはり危険だ。
とりあえず笑顔で遼子を見ていると、遼子がハンドバッグを手に軽《けい》自動車のドアを開けた。軽自動車の内部はロールケージが張り巡らされていることと、コンソールにひらがなで たーぼぶーすと とか おいる とか大きく書かれたボタンがある他、天井から正面に向かってトリガー付きの鉄筒《てつづつ》がぶら下がっているくらいで、
……佐山世界の車にしてはおとなしいかなあ。
視界の中、遼子は天井の筒からぶら下がった猫の小さなぬいぐるみを手で撫《な 》で、
「じゃ、若も切ちゃんも、頑張ってね。あとで謝り倒した孝司《こうじ 》もボランティアの車に運ぶの手伝うと思うけど、孝司が作ると何でも美味《おい》しくなってつまんないもんね! 嬉しい不意打《ふ い う 》ちがないと」
遼子のは不意打ちだろうか一撃《いちげき》必殺だろうか、と新庄が考えていると、遼子がシートに座る。先ほどまでの彼女の笑みと、そして今向けられた背中に、ふと新庄はこう思った。
……実はボク達、遼子さんと孝司さんを騙《だま》してるんだよね。
彼女達だけではなく、それ以外の多くの人も、という言葉も必要だ。
遼子の言動は奇《き 》の領域《りょういき》に近いが、それも佐山空間のせいだとすればある程度は致し方ない。作り笑顔で送ろうとしていた自分に気づき、新庄は慌《あわ》てて、
「あ、遼子さん!」
「ん? なあに?」
振り返った顔と笑みに、新庄《しんじょう》は安堵《あんど 》の吐息を得る。
偽善《ぎ ぜん》かな、と思いつつ、しかし新庄は自分達のことではなく、彼女向けの言葉を送る。
「朝からお疲れさまです。それと、――気をつけて」
ん、と遼子《りょうこ》は満足げに頷《うなず》いた。手を伸ばし、こちらの頭を撫《な 》でてくる。
「切《せつ》ちゃん偉いっ。――若《わか》は?」
「私は別に――」
「若は〜?」
「……行ってきたまえ」
佐山が吐息でつぶやくと、遼子は目を弓にして頷いた。こちらの頭から手を離し、
「そうそう、二人とも一緒だと遼子さん嬉《うれ》しいもんね? ――じゃ、行ってくるね」
シートに座る彼女は、改めてこちらの顔を見る。そして今度は苦笑して、
「切ちゃんそんな顔しちゃ駄目《だ め 》よ? 大丈夫よ、仕事だもん。これでも社長なんだしねー」
遼子は笑顔でドアを閉じながら、こう言った。
「三十人ぐらい物理的に説得してくるだけだから。――そっちも頑張ってね?」
概念《がいねん》空間内、男子|寮《りょう》並びの通りでは、風見《かざみ 》達が単車の飛場《ひ ば 》を前に行かせはしたものの、アイガイオンに手間取《て ま ど 》っていた。
アイガイオンがギュエスに美影《み かげ》を渡していた以上、風見《かざみ 》達には彼に関わっている暇はない。
だが、焦るこちらを前にアイガイオンが取った手段とは、ひどく有効で簡単なものだった。
「急がないこと、ね……」
退《しりぞ》きながら、しかし急ぎはせず、ゆっくりと攻撃を放ってくる。
そしてこちらが放つ攻撃は重力術で引き寄せられた地面や瓦礫《が れき》によって弾《はじ》かれる。
先ほど破壊した男子|寮《りょう》前から単車を降り、攻防を重ねている。が、未だに自分達は男子寮|帯《たい》の中から出ることが出来ないでいる。
……埒《らち》が開かない。
出雲《いずも》の姿の風見は、|G―Sp《ガ  ス  プ》2を振り回しながら相手を見た。
アイガイオンは小走《こ ばし》り程度のステップで前方の道路を下がっていく。両の手は左右に広げられ、得意の重力術が使用される。
「この世界にはいろいろなものが埋まっているな」
広げた右手に地面から飛び込んだのは水道管だ。中庭の砂利《じゃり》の地面をめくり上げ、まるで鎌首をもたげるように直径三十センチの鉄管が持ち上がっていく。
「食っとけ」
鉄管が三十メートルほどが露出すると同時、鉄のパイプは己の身を鞭《むち》のようにしならせた。
それも横向きに、こちらに巻き付くように、右からの横殴《よこなぐ》りで倒すようにと。
振り抜かれてくる鉄管の先端は高速に、風を切る音が響《ひび》く。
「うわ……!」
風見はバックステップを踏んでアイガイオンから距離を取る。背中に|X―Wi《エ ク シ ヴ イ》が無いのが致命的だ。出雲の身体《からだ》では踏み込みも退避《たいひ 》も初速《しょそく》が足りない。
高速で吹っ飛んでくる鉄管の横薙《よこな 》ぎ、それを回避《かいひ 》する方向はたった一つだ。
下。
「……っ!」
G―Sp2を抱いて仰向《あおむ 》けに倒れた鼻先を、高速の鉄薙《てつな 》ぎが左へ通っていく。
風音を耳にしながら、風見は地面へとG―Sp2を突く。その反動で立ち上がった風見は、鉄管が返す動きで二撃《に げき》目《め 》を送ってきたのを見た。
速い返しだ。
「しつこい……!」
ともかく後ろへ退避。狙うのは鉄管をやり過ごした直後での突撃《とつげき》しかない。
風見は背後へとバックステップ。出雲の身体は手脚《て あし》のリーチが長いが、重い。
筋力があるということと、加速力があることは直結しない。
この身体でステップを踏むと、初めに肩のあたりにのしかかるような重さが来て、その後で、重さを突き抜けるように伸びのある跳躍《ちょうやく》が得られる。
いつもと違う。
歩幅も、重心も、何もかも。誰かの靴と服を着て戦っているような感覚だ。
ステップを踏めば踏んだ分だけ後ろに跳べる自分とは違う。彼の身体《からだ》は、最終的な速度としては自分より速いかもしれないが、小回《こ まわ》りや初速《しょそく》が弱すぎる。
……いつもこんな身体で私と一緒にいるのね……。
走るばかりの自分のそばにいるのは、膝《ひざ》や背などに負担をかけないか。
気遣《き づか》いを得るが、それが回避《かいひ 》運動の足しになるわけではない。
鉄管が近い。
視界の中、鉄管が軌道《き どう》途中にあった植木を容易《たやす》く伐採《ばっさい》するのが見えた。繊維質《せんい しつ》を断ち切る音とともに、中庭の樹木数本が断ち切られて上に吹っ飛ぶ。
が、鉄の速度は収まることがない。
……追いつかれる!?
懸念《け ねん》はその通りとなった。こちらのバックステップの速さが足りない。
鉄管が、まるで噛《か 》みついてくるような速度と動きでやって来た。
来る。
ぞくりと背筋《せ すじ》が震え、妙に冷静な頭で、
……覚《かく》の身体もこんな震えを得るんだ。
と思った。
その瞬間《しゅんかん》だ。いきなり背後から声が響《ひび》いた。本当の自分の声で、
「千里《ち さと》! ほら! こっち見ろ!」
首で振り向いた背後、約三メートルという、鉄管のぎりぎり届かぬ距離に自分がいた。
彼女はスカートの裾《すそ》を両手で掴《つか》んで腹まで持ち上げ、真剣な顔で、
「ほら! これ見ろ千里!」
「なぁにワケの解《わか》[#底本「解かんない」]んないことやってんのよっ!!」
怒りが体を動かした。三メートルの距離を容易《たやす》く跳躍し、ソバット一発を叩き込む。
打音が響き、男子|寮《りょう》の方に自分が吹っ飛んだ。が、すぐに起き上がり、
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》! 何しやがんだ!」
「それはこっちの台詞《せりふ》よ! なぁにアンタいきなりスカート剥《む 》いてんのよっ! ってか、ああまた私ったら自分に傷害を……」
「いいじゃねえか、攻撃|避《よ 》けられたしよ」
「攻撃を避けたんじゃなくて新しい攻撃|対象《たいしょう》に飛びかかっただけよ!」
言いながら二人で同時にしゃがんだ頭上を、距離を詰めた鉄管が振り抜かれていく。
轟音《ごうおん》に髪を揺らしながら、まず眼前にいる自分の身体が立ち上がり、
「いや、俺、こうされるとやる気出るからなあ……。千里《ち さと》がちょっと諦《あきら》めムードだったから」
「そ・れ・で?」
「いや、その……」
自分は首を傾《かし》げ、しかし、ややあってから割り切った顔で胸を張った。
「結果オーライだ!!」
正拳《せいけん》を叩き込んでやろうかと思ったが、元の身体《からだ》に戻ってからが気まずくなる。
だが、その気まずさから、風見《かざみ 》は一つの事実を再《さい》確認した。
……後で戻るということは、……今は、意識だけが入れ替わってるわけだ。
じゃあつまり、と風見は前に一歩出て、自分の胸を指さした。
背後の地面を鉄管が叩き砕いて戻っていったが、先に正しておくことがある。
「今の身体は、中の意思の思い通りには動く。身体の方に意思が準じることはない。――そういうことよね?」
「ああ、それがどうした?」
目の前で問い返す自分の口元には笑みがある。
向こうもこちらと同じことを思っているらしい。
だから風見は、目の前の自分と同じ笑みを浮かべて告げた。
「つまり……、一回だけ、この状況を解決する方法があるわ。――全力で動くの」
風見は結論を先に述べ、頷《うなず》いた。出雲《いずも》と目を合わせ、
「その身体を上手《うま》く動作させようとするから微妙《びみょう》な調整の慣れが必要になる。でも、身体が動ける最大限の力を出して力|任《まか》せにいくなら、それこそ肉体任せよ。歩幅もリーチも考えず、常に息が切れ、筋肉が痛み、そして身体ごとぶち当たっていくような全力状態でいればいい。……アクセル絞り続けることに調整も慣れも無いんだから」
「頭悪くていい感じだ。――一回勝負か。悔いはねえよな?」
「当たり前でしょう。そっちは? 下手《へた》すると死ぬわよ?」
「俺の方は既に大丈夫だ」
そう? とやや心配|本意《ほんい 》で問いかけた目の前で、自分が首を下に振った。彼女は小脇《こ わき》に巨大な剣を抱え、わざとらしく口元に手を当てると、頬《ほお》を赤くして、
「……悔いはねえ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 人が戦ってる間に何してたの!?」
「そりゃあ、何だ? ……重要な研究ってのはどうよ?」
ふうん、と風見は頷いた。
身構えた自分の正面で、いきなり右の拳《こぶし》を握ると、彼女は今の身体の股間《こ かん》を連打した。
「これがいけないのよっ! こんなものがっ! こんな悪いものがこの世にあるからっ!! あイタタタ響《ひび》く響く」
「女性|史初《し はつ》の貴重な体験してるぞオマエ、ってかやめろ千里《ち さと》。戻った後が大変じゃねえかっ」
叫び、しかし同時に二人は離れるように一歩を後ろに下がった。
両者の間に、上から一直線に鉄管が叩き落とされる。鞭《むち》のようにしなった一撃《いちげき》は砂利《じゃり》を飛び散らせるが、しかし引き戻されることはない。
何事か、と風見《かざみ 》は鉄管の根本《ね もと》を見た。アイガイオンは先ほどと同じように立っている。彼はこちらを見て首を傾《かし》げ、
「仲間|割《わ 》れか?」
「ククク、素人《しろうと》にゃあ解《わか》らねえってことだ。――見ろ干里、俺達の仲をひがんでるぞ」
「覚《かく》? もう一回|殴《なぐ》ってもいい?」
笑顔で言って、風見は槍《やり》を構えた。
だが、視線の先でアイガイオンが首を横に振った。眉尻《まゆじり》をわずかに下げ、
「残念だが勝敗は決している」
「――どういうこと?」
問い掛けに、アイガイオンは両手を上げた。先ほどは右手だけに水道管が掴《つか》まれていたが、今は両の手がそれぞれ別の水道管を握っている。
「出てこい」
アイガイオンの笑みを含んだ口調とともに、左右の鉄管はその姿を表《おもて》に現した。
土がめくれ、砂利が跳ね、コンクリートが割られて水道管が| 表 出 《ひょうしゅつ》する。それも今度は数十メートルという範囲《はんい 》ではなく、
「――!」
風見は見た。自分達の周囲、大地はおろか、学校や学生|寮《りょう》や隣接《りんせつ》する体育館に温室プールなどが、その表面|全《すべ》てから血管のような影を噴《ふ 》いたのを。
建築物と大地が張り裂ける音が響《ひび》き、広大な範囲で鉄の血管が空に立ち上がった。
周囲十数の建築物と地表から、水道管の連鎖《れんさ 》が跳ね上がる。
鉄管の束が望むことは一つだ。空に鎌首《かまくび》をもたげながら、それぞれの基部となるものを天に掲げるだけのこと。そして水道管の基部にあるのは、
「給水タンクの群……」
「そう、ものによっては数十トンの水の貯蔵庫《ちょぞうこ 》だ」
頭上百メートルほどの高さに影が出来た。浮かぶ影は編み目に張られた鉄管と、それらが掲げた水を包んだ鉄の立方体の群だ。立方体の大きさはまちまちだが、その数は十八と見えた。
空を見上げた風見は、攻撃の前奏《ぜんそう》とでもいうべき動きを見る。
空を編んだ水道管の一部が、大きな螺旋《ら せん》を組んで自分達の周囲に落ちたのだ。
落下する。
「!?」
金属音が螺旋《ら せん》の重なった数だけ響《ひび》く。
その後には、もはや自分達の周り半径二十メートルを、水道管の編んだ鉄壁《てっぺき》が包んでいる。
男子|寮《りょう》と男子寮の間、自分達を中心に中庭を囲むような水道管の檻《おり》だ。
壁《かべ》の高さは約三メートル。水道管|同士《どうし 》の隙間《すきま 》はあるが、身体《からだ》が通り抜けれるほどではない。
……これは……。
「檻?」
「ああ。巨大な破砕場《はさいじょう》だ。檻の中、百トン超過《ちょうか》の水と鉄塊《てっかい》に押し潰されて死ぬがいい」
言葉が飛んだ。
「落ちろ」
直後。貯水タンクの群が地面に激突《げきとつ》した。
空に向かって鉄の血管が張り巡らされていく下、一つの影が道路を走っていた。
赤いスーツ姿の女性、ギュエスだ。彼女は肩に美影《み かげ》を担《かつ》いだまま、高速で西へ向かう。
今、こちらの位置は学校とかいう施設の両端あたりだ。道は砂利《じゃり》道から舗装《ほ そう》道路になり、その上を西側へ、大通りへと出るために走っている。
空に鉄の影が見える。
……アイガイオンが派手《は で 》にやっているな。
彼が敵を引きつけている。ならば彼女のすることは、
……この施設から早めに出て、コットスと合流せねば。
道の向こう、この施設の通用口の門が見えている。開いたままのそれは、高さ二メートル、幅は四メートルほどの鉄壁が左右に並んだスライド式の門だ。
距離は三百メートルほど。だが今、開いた鉄門《てつもん》の間には、
「――何奴《なにやつ》!?」
眉をひそめて叫んだ先に立つのは、一つの壁と一人の女性だった。
壁は巨大な白い運搬《うんぱん》パレットだった。傍《かたわ》らに無人のトレーラーがあることから、概念《がいねん》空間に突入してきた彼女がここまでそのパレットを運んできたのだと判断出来た。
その新手《あらて 》、女性は白と黒の装甲《そうこう》服を隙無《すきな 》く着込んでいた。金色の柔らかそうな長髪を微風《び ふう》に流し、青い目が正面からこちらを見ている。
彼女は走っていくこちらに対し、無表情とも言える顔で告げた。
「代表が準備中であるため、先に向かい合わせていただきました。それ以上の行動を慎《つつし》むようお願いいたします。――3rd―|G《ギア》の自動人形様」
「願う前に名を名乗れ!」
|Tes《テスタメント》.、と相手がつぶやいた。
「――全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》のシビュレと申します」
聞いた部隊名をギュエスは知っていた。あのハジから幾度《いくど 》か聞いたことがある。
……1st―|G《ギア》と2nd―Gを| 恭 順 《きょうじゅん》させたUCATの部隊か!
彼らは、自分達が相手にしている黒い武神《ぶ しん》とは別に、テュポーンが持つ概念核《がいねんかく》を得ようとしていると、そう聞いた。ならば、
「貴様《き さま》の願いは聞けぬ!」
敵だ、と判断を決めたときだ。走る背後から一つの音が聞こえてきた。
それは地表と大気を揺るがす巨大な金属音。
が、という音が空気と身体《からだ》を貫《つらぬ》いて抜けた。
走る目の前に立つ女、シビュレが空を見て眉をわずかに寄せ、
「今の音は――」
「解《わか》らないか? 水と鉄塊《てっかい》の超《ちょう》重量が地面に落ちた音だ!」
結果は判断するまでもない。ギュエスは走りながら笑う。
はは、と前置きし、
「――私と向かい合って口上を述べている間に、貴様の仲間は修復《しゅうふく》不能になったぞ! 貴様も同じ道を辿《たど》るか女!?」
距離を詰める中、しかしギュエスの視覚は確認する。
相手が口元に笑みを、それも自然に浮かべたのを。
「随分《ずいぶん》と3rd―Gも甘くなったものです。……貴女《あなた》達はあの程度で死ぬのですか?」
「何……!?」
視界の中でシビュレが両の腕を下に浅く広げた、こちらに手の平を向け、
「あの程度で死ぬならば、千里《ち さと》様も出雲《いずも》様も三|桁《けた》の回数で死んでいますよ」
「ならばここでこそ死ね!!」
ギュエスはシビュレの身動きを構えと判断した。背後のパレットも気になるところだ。
だからギュエスは走りながら肩の美影《み かげ》を宙に放り投げた。重力|制御《せいぎょ》を左手の中指にイメージし、美影をシビュレの手の届かぬ位置へ浮かせた。
そして彼女は動きを追加した。走りながら両の手を左右に振り上げ、
「――来たれ我が力!」
叫びに背後の空が答えた。
赤い武神だ。ギュエスの子体自弦《こ たいじ げん》振動に与えられた余剰《よじょう》分、そこに格納《かくのう》された彼女の身体の一部とも言える機体が宙を裂いて現れる。
全高八メートル超過《ちょうか》の赤の巨体。
その細身《ほそみ 》の顔と身体と脚《あし》には、肝心《かんじん》なものが揃《そろ》っていない。
肩だ。
代わりに、肘《ひじ》から先が、左右の宙に浮いている。それも左右三つの合計六本だ。
風を巻く音の下、ギュエスは両手を振った。操縦《そうじゅう》は重力|制御《せいぎょ》による遠隔《えんかく》操縦で、両の五指《ご し 》の動きに背後の六腕《ろくわん》が連動する。
武神《ぶ しん》の六腕が虚空《こ くう》を掴《つか》み、前に動いた。
その動きによって、何もない空間から、しかし六腕が何かを引き抜いた。
それは刃《やいば》だった。
幅広の鉈《なた》のような刃が、概念《がいねん》空間からこの世界に抜刀《ばっとう》される。
「砕けろ人類!」
美影《み かげ》を背後の宙に置いたギュエスが、走りながら両の手を振り抜いた。自分の身体《からだ》を腰のあたりで抱くようにして、頭上を見る。
視界の中、赤の武神が前に踏み込み、こちらを追い抜いた。
放たれるのは六連|斬撃《ざんげき》。
六本の刃をほぼ同時に門の間に立つ巨大なパレットに叩き込む。
刃はそのままパレットもろともシビュレを六|分割《ぶんかつ》する。
その筈《はず》だった。
「!?」
高速動作の風音を聞きながら、ギュエスは見ていた。
真っ正面で、シビュレが両の手を振り上げたのを。
同時。シビュレの背後、そこにあるパレットが破裂《は れつ》した。
快音が響《ひび》いてパレットの開閉《かいへい》ロックが自ら四散《し さん》する。
跳ね上がったパレットのカバーにギュエスの六|連撃《れんげき》がぶち込まれた。
パレットが砕かれ飛び散らす破片の中、ギュエスは更に刃を振り抜きながら目を凝《こ 》らす。
……何が――!?
彼女の視線の先、パレットの破片を吹き飛ばして、中から何かが立ち上がった。
何か、とは一つの巨大な鎧武者《よろいむしゃ》だ。
「武神か?」
色は白銀、細身《ほそみ 》の武神だ。
パレットから勢いよく立ち上がる白銀の武神は、両手を振り上げるシビュレの動きと連動。
振り上げる手は、背後へ倒れていくパレットの後面《こうめん》側から突き出たものを掴む。
それはパレットの後面|内壁《ないへき》に掛けられていた二本の剣だ。
柄《つか》を掴めば、倒れていく内壁が自動的に鞘《さや》を抜く。
抜刀される。
二本の剣は下段からギュエスの六剣《ろっけん》を迎え撃《う 》った。
高速で八本の軌道が激突《げきとつ》し、両者が弾《はじ》き飛ばされた。
ギュエスは赤の武神《ぶ しん》と共に後方へ。
シビュレも白銀の武神と共に後方へ。
だが、身構えながら、対するギュエスはすぐに前に出ない。
彼女は両手を交差させて構え、相手を見ていたのだ。シビュレと、背後の白銀の武神を。
「その武神は……!」
「知っておられますね?」
頷《うなず》くまでもない。
「――レア様の武神だ!」
「ええ、六十年前、ゼウス様に破壊されたものです。それを改修《かいしゅう》し、遠隔操縦《えんかくそうじゅう》用に――」
「品性|劣化《れっか 》だぞ|Low《ロ ウ》―|G《ギア》! 我々のGを滅ぼし、更には主の遺品《い ひん》を人形とするか……!」
「では、どうなさいますか?」
答えと行動は一致した。
「砕くが従者《じゅうしゃ》の務めと判断する!」
叫びと同時。ギュエスが再び前に出た。
赤の武神の六刃《ろくじん》が、白銀によって振り上げられた双線《そうせん》と激突《げきとつ》した。
金属音が重連《じゅうれん》し、両の武神が攻撃を交叉する。
[#改ページ]
第十四章
『苦鳴の選択』
[#ここから3字下げ]
苦く鳴くか
苦しみで鳴くか
憤りと弱者の違いは何か
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
鉄と水の大地落下は、一瞬《いっしゅん》で行われた。
発生した事実は簡単なものだ。
水道管を編んで作った巨大な円《まる》い檻《おり》の中に、鉄の貯水槽《ちょすいそう》が十八個、轟音《ごうおん》つきで連続して落ちたという、それだけのことだ。
最後の貯水タンクがぶち込まれ、空に残っていた鉄の網《あみ》が落ちると同時、檻を作る水道管の隙間《すきま 》から水が噴《ふ 》き出した。砂利《じゃり》や鉄の破片を含んだ高圧の水だ。
水は近くの建物の壁を削《けず》り、窓|硝子《ガラス》を穿《うが》ち、霧を生んだ。
霧|煙《けむ》る音と動きと霧の中に、人影が一つだけある。
広げた両腕に鉄管を掴《つか》んでいるのは、八百屋《や お や》のエプロンをつけた巨躯《きょく 》。
アイガイオンだ。
彼の周囲に響《ひび》くのは、高圧の水が檻からまき散らされる飛沫《しぶき》音《おん》。
そして、彼は霧の中で前を見た。
前方、距離約五メートルほどの位置に、一本の白い直線がある。
地面に垂直に突き刺さった直線は、二メートル超過《ちょうか》の長槍《ながやり》だ。
「先ほど、建物を破壊した槍だな。……おそらく、何らかの概念核《がいねんかく》を収めた武器か」
アイガイオンはつぶやき、前に歩いた。
戦利品《せんり ひん》としての武器を手に入れるためだ。
が、彼の目は武器の向こうにある鉄の檻を見ている。敵の沈んだ鉄の水底を。
……呆気《あっけ》ない最期《さいご 》だったな。
自分の視覚が残す記録によれば、鉄塊群《てっかいぐん》が落ちる直前、檻の中心にいた二人はその身を重ねていた。
男の方が女の方を後ろから抱きしめていたが、今はギュエスの放った追加概念が前提《ぜんてい》だ。実は女が男を抱きしめたことになる。
その事実を思い、アイガイオンは不理解な疑問をつぶやいた。
「――|Low《ロ ウ》―|G《ギア》では、普通、男性が女性を護《まも》ろうとするものだが」
Low―Gでの生活において、テレビなどで見る作り物の話はほとんどそういうものだった。
最近、八百屋の店主の末娘《すえむすめ》が見ている子供向け特撮《とくさつ》 超人《ちょうじん》解放ゲバルト も、表面上はよくある| 逆 粛 正《ぎゃくしゅくせい》ものだが根本はそういう話だ。
毎週月曜のまかない夕食後、店主の末娘に怪人役《かいじんやく》をさせられるアイガイオンは、考えた。
……どうして先ほどの二人は人類のセオリーから外れていたのか。
結論はすぐに出た。彼らの今までの挙動《きょどう》を考えれば判断は即座《そくざ 》に下される。
「……脳が故障していたのだな」
人間とは不可《ふ か 》解《かい》だ。もっとデータが必要だと思いつつ、アイガイオンは足を止めた。
目の前、水が流れる砂利《じゃり》の大地に一本の槍《やり》が突き立っている。
データには無い兵器だ。先ほどの女の方が持っていた大剣《たいけん》も手に入れ、調査する必要がある。
と、彼は槍を重力|制御《せいぎょ》で引き抜こうとして、前に右手を差し出した。
同時。アイガイオンは音を聞いた。
水が鉄檻《てつおり》から高速で飛沫《しぶ》き、足下を水が流れる中、異質な音が一つ響《ひび》いたのだ。
それは、足音だった。
大きな一歩を踏み、高い足場に着地した足音だ。
「――――」
アイガイオンの聴覚は、相手の位置関係や特徴をその足音一つで割り出していく。
前方、対象のいる距離は約十五メートル、高さは約八メートル、対象の体重は五十キロ前後、やや疲労有り。そこから導かれる答えを、アイガイオンは視覚で確認する。
……何者かが、砕かれた貯水槽《ちょすいそう》の上に……?
いた。
霧の向こう。鉄の残骸《ざんがい》の頂上に人影がある。
女だった。
白いYシャツと灰色のスカートを風になびかせた少女だ。細い腕に、不釣《ふ つ 》り合いなほど巨大な一本の白剣《はっけん》を携《たずさ》えている。
彼女は荒れた息に肩を上下させながら、こちらを見ていた。
その姿には傷一つ無い。
顔は眉を立て、攻撃の意思が表れている。
だからアイガイオンは問うた。槍に伸ばした手を引き、両手を構え、
「――先ほど、その檻の中で潰されたのではなかったか」
彼の問いに対する答えは、言葉ではなかった。
まず初めに来たのは動きだ。視線の先、少女は無言で、
「――――」
己の右手に提げた大剣を、こちらに突き出したのだ。
見れば、白の大剣は変形していた。
刃《やいば》の|機 殻《カウリング》は閉じたままで、背部のスラスターが全開になり、陽炎《かげろう》を噴《ふ 》き出している。
その剣を軽く掲げ、彼女が告げる。
「こういうことだ」
背後に振り返る視線の先には学生|寮《りょう》がある。
学生寮の三階、こちらに面した廊下側の壁は、窓の強化|硝子《ガラス》を一枚失っていた。
それを見たアイガイオンは、全てを理解して口を開いた。
「剣の加速器《スラスター》で、檻《おり》の中からあの窓に飛び込んだのか……?」
ならば、こちらの攻撃を受ける前、男の方が彼女を後ろから抱き留めたのは、
「ああ。硝子《ガラス》を突き破る際の緩衝《かんしょう》として、俺の身体《からだ》を使ったってことだ」
彼の身体は姿を見せていない。
「俺の身体が気を失うほどの衝撃《しょうげき》だ。千里《ち さと》の意思には相当に響《ひび》いてるだろうぜ。だからよ」
小さく笑い、
「代わりに俺がお返ししてやんねえとな、――千里の身体で」
言葉とともに、彼女は剣を振りかぶり、こちらへと跳んだ。
跳躍《ちょうやく》の足音をアイガイオンは聞き分ける。それは突撃《とつげき》の跳躍だと。
「……来るか!?」
「当たり前だ。――第三ラウンドってことだぜ!」
着地と同時に出雲《いずも》は走った。
足下は水を含んだ砂利《じゃり》の大地で、敵は一人で、敵と自分の間には風見の|G―Sp《ガ  ス  プ》2がある。
戦場の要素は多いが、構図は簡単だ。一直線に突っ込んで叩き切ればいい。
出雲は走る。
軽い身体だと、出雲は風見《かざみ 》の身体をそう思う。
そしてまた、思った通りにすぐ動く身体だとも思う。
かつて、初めて会った当時からそう思っていた。
だが、当時は言葉がよく解《わか》らずにただ隣《となり》にいるだけだった。
あの頃、彼女はよく何かに対して愚痴《ぐ ち 》をこぼしていた。通じない言葉で。
言葉はよく解らなかったが、何らかの問題を起こし、何かから半《なか》ば追い出されるように辞《や 》めたのだというのは解った。そして愚痴を述べたことを謝る自分自身をこう述べたことも。
「先に謝るつもりで愚痴を聞かせてるんだから、卑怯《ひきょう》よね」
発音で憶《おぼ》えて、こちらに住むようになってから言葉の意味を知った。
そのときに、彼女が浮かべていた笑みの意味も知った。
そして後になって、彼女が元々は何か運動系の部活に所属していたことを知った。そこで事故を起こして他人に怪我《け が 》をさせ、退部していたことも。
それが解った頃には、もう彼女は愚痴を述べなくなっていた。
……俺が日本語解るようになったから愚痴らなくなったのか……。
それとも自分がいるからもう愚痴を述べる暇もなくなったのか。
解りはしない。知る気もない。彼女の身体に入ってみても、彼女の意思は解らない。
ただ、あの頃の愚痴を言う彼女の表情と口調を、
……忘れもしねえ!
あれから二年だ。
UCATでの訓練を経た今、当時よりも風見《かざみ 》は動けるようになっている。が、軽く細かくよく動くということは、歩幅のリーチや最終的な速度の面で負担《ふ たん》があるということだ。
……それでよく耐久《たいきゅう》馬鹿の俺についてくるよな。
出雲《いずも》は走る。
いつも隣《となり》を任せている身体《からだ》で、己の武器を振りかぶる。両の腕に対して少し胸が邪魔《じゃま 》だ。
だが、この大きさがいい感じであり、他の部分もまとめて言えば全ては自分の望むところだ。
いい女だ。今度改めて映画にでも誘おう。
出雲は走る。武器の重みは感じない。|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》がこちらを主人と認めている証《あかし》だ。身体が変わっても解《わか》るということは、V―Swはこちらの意思に従うということか。
いろいろなことが解る。この概念《がいねん》もなかなか悪くないと、そう思いながら出雲は前に出た。
アイガイオンが近くに迫る。
攻撃する。
選択行動は右肩からV―Swを横薙《よこな 》ぎに発射する斬撃《ざんげき》だ。
振りかぶるなり、対するアイガイオンが表情を変えた。彼は口に笑みを浮かべたのだ。
「貴様《き さま》のその表情、記憶《き おく》にあるものから比較|照合《しょうごう》するに――、危険と判断しよう!」
言葉を置き捨てるように彼は下がる。追う出雲は前に踏み込み、
「逃がすか八百屋《や お や》!」
グリップのボタン操作一つで、V―Swのスラスターに点火した。
轟音《ごうおん》一発。
全身を前に持って行かれるような加速で、強《きょう》 踏み込みの一撃《いちげき》を放つ。
アイガイオンのバックステップはこちらの速度を超えられない。
当たる。
が、アイガイオンは悠然《ゆうぜん》と背後に手を伸ばすと、
「スラスターの追加加速はあるまい! 一度かわせば終わりだ!」
いきなり彼の身体が背後側へと吹き飛んだ。
重力|制御《せいぎょ》だ。
自分の側にものを引き寄せるのではなく、己の身体を後部の一点へと引き寄せる。
その手段をもってアイガイオンはこちらの一撃をかわした。
空振りの遠心力で、出雲は自分の身体を回転させてしまう。
「……っ!」
対するアイガイオンが笑った。
彼は下がりながら右の拳《こぶし》を振りかぶった。
距離は約七メートル。拳《こぶし》が届く距離ではないが、彼の拳先《けんさき》に直径五十センチほどの陽炎《かげろう》のようなものが見える。
重力の収束塊《しゅうそくかい》だ。
光をも歪《ゆが》ませる弾丸《だんがん》を食らえば、その一点に全てが| 収 縮 《しゅうしゅく》してねじれ千切《ち ぎ 》れることとなる。
アイガイオンがそれを投じるために身を捻《ひね》り、こう叫んだ。
「さあどうする!」
アイガイオンは問い掛ける。
……どうする!?
手にある重力収束を投げれば、剣に振り回されている相手はかわせず死ぬ。
死なせることが戦闘《せんとう》系自動人形の仕事の一つだが、
……それではつまらん。
戦うことの出来る機会は滅多《めった 》にないものだ。
その機会をじっくり味わうには、全力を出して相手がすぐに死んではいけない。
だが、やはり手を抜く気はない。
ここが難しい、とアイガイオンは思う。自分が楽しむため、手助け出来るならばしてやりたいと考えるが、それが不可能である以上は敵に期待するしかない。
頑張れと、アイガイオンはそう思う。頑張れ敵よ、と。
そう思いながら、アイガイオンは全力で重力収束をぶん投げた。
「!」
巨躯《きょく 》の右腕はオーバースローで弾丸《だんがん》を放つ。
剛《ごう》速球だ。
そして右手を振り抜いた瞬間《しゅんかん》、アイガイオンは見た。
剣に振り回されていた少女が、いきなり攻撃に転じたのを。
「――――」
動きは、いきなりの逆旋回《ぎゃくせんかい》だった。
……あの重い剣をどうやって逆方向に――。
疑問の答えはすぐに見えた。
少女の持つ剣の刃《やいば》。その背のスラスターが閉じられ、前面のブレードが展開していた。
ブレード前面から、スラスターに勝るとも劣らない光が出ている。
その光の加速力をもって、少女は己の動きを逆転させたのだ。
「――その光、やはり概念核《がいねんかく》の兵器か!」
「うるせえ食らえ!!」
有りうべからざる二発目の加速は、しかしアイガイオンを捉《とら》えない。
両者の間で、剣の峰が重力|収束《しゅうそく》と激突《げきとつ》した。
硝子《ガラス》の割れるような音が響《ひび》き、剣の背部|機 殻《カウリング》が破損《は そん》する。その代価《だいか 》として重力の陽炎《かげろう》が砕け散り、四散《し さん》した。
衝撃《しょうげき》に、少女の手から剣のグリップが外れていた。
大剣は金属音とともに空に舞う。
その音を聞きながら、アイガイオンは笑った。飛場《ひ ば 》といいこの少女達といい、
……頑張る敵だ!!
だからアイガイオンは手抜き無く動くことを選択した。
両者ともに武器を失っているが、お互いは同じタイミングで前に出た。
出雲《いずも》は走った。
無手《む て 》だが、武器はある。左手側、走りながら手を広げれば、
「|G―Sp《ガ  ス  プ》2!」
自分とアイガイオンの間に立っていた長槍《ながやり》だ。
アイガイオンも気づいている。こちらに走り込みながら手を上げ、G―Sp2を拾おうとする。重力術で拾うかと思ったが、
……さっきの重力収束で、すぐには術《じゅつ》が使えねえだろ!
その判断を信じて出雲はためらい無く前へ。
……間に合う!
「千里《ち さと》なら間に合う!」
言葉とともに、確かに距離が詰まった。
間に合った。
「!」
しかし、こちらは走り込んだ姿勢だ。G―Sp2を手にとってアイガイオンに構えていたのでは間に合わない。だから彼は一つの動きを見せた。
「恨むな!」
地面に刺さったG―Sp2の刃《やいば》、その根本《ね もと》の部分を思い切り蹴《け 》り飛ばしたのだ。
果たして槍は蹴り上げられた。
『ガマンスルノ』
上向きに一回転したG―Sp2の下をくぐるように出雲は疾走《しっそう》。
旋回《せんかい》する柄《え 》を肩で受け止め、上に回っていく石突きをホールドした。肩に柄を載せた状態を確保したら、あとは前へ柄を振り抜くだけだ。
殴りつけるように柄《え 》を下に引き、攻撃を発射した。
肩を支点にしたてこの原理で、|G―Sp《ガ  ス  プ》2の穂先《ほ さき》が上段から弧《こ 》を描いて跳ぶ。
一閃《いっせん》は正面から来たアイガイオンの頭上に届く。
しかしアイガイオンは両手を振り下げた。顔は笑みのまま、
「護《まも》れ!」
叫びとともに出雲《いずも》の視界は二つの攻撃を捉《とら》える。眼下、霧の沈殿《ちんでん》した地面から、何かが跳ね上がってきた。
水道管だ。
「!」
二双《に そう》の鉄蛇《てつへび》が下からG―Sp2を迎え撃《う 》った。
G―Sp2は出雲のことを知っているが、主人ではない彼の操作を受け付けない。概念核《がいねんかく》の力がなければ長槍《ながやり》は単に巨大な刃物でしかない。
水道管が、その身を吹き飛ばされながらもG―Sp2を空に弾《はじ》いた。
出雲の今の身体《からだ》、風見《かざみ 》の細い両腕が衝撃《しょうげき》で上に跳ね上がっていた。
武器をまた失った。
対するアイガイオンが足を強引《ごういん》に止めながら笑い声を挙げる。ははは、と。
だが、笑いに対して出雲は告げる。
「早計《そうけい》だぜ自動人形」
振り上げた両手を重ねて広げると、そこに落ちてくるものがある。
剣。先に跳ね上げられていた|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》の柄だ。
『タダイマ』
正面、アイガイオンが身動きを止めていた。その顔から表情が消えている。
「まさか――」
「千里《ち さと》の細指《ほそゆび》に無理させれねえだろ。さっきのは武器を手放しただけだ!」
出雲はV―Swをホールドするなり、左への袈裟懸《け さ が 》けに振り抜いた。
対するアイガイオンは水道管を捨て、バックステップで後ろへと跳躍《ちょうやく》し、
「……っ!」
飛ぶ。
重力|制御《せいぎょ》で身を飛ばし、V―Swの射程《しゃてい》距離から一瞬《いっしゅん》で離脱《り だつ》する。
距離約十メートル。対する出雲は斬撃《ざんげき》の勢いを消さぬV―Swを左に回し、身を独楽《こ ま 》のように一回転させていく。
回る視界は、アイガイオンが拳《こぶし》を構えるのを見た。拳には急速に陽炎《かげろう》がまとわれていく。
十メートルの距離を向こうは飛び道具で解消しようとする。
……ワンパターンな野郎《や ろう》だ。
出雲《いずも》は苦笑。そして言う。
「さっき、飛場《ひ ば 》に自己紹介してたみてえじゃねえか!」
こっちも教えてやる。
「俺ァ出雲家|嫡男《ちゃくなん》、出雲・覚《かく》! 現在の身長は俺|好《ごの》みで体重は俺好みでスリーサイズも俺好みだ! 本体の方の職業はダブリ学生で昨今《さっこん》の趣味は――」
身が回った。身体《からだ》が正面を向く瞬間《しゅんかん》、出雲は振り回す|V―Sw《ヴ ィ ズ ィ》のスイッチを入れた。
「――バッティングセンターで景品もらうことだ!」
狙うのは正面、そこに落ちてくるものだ。
|G―Sp《ガ  ス  プ》2。
跳ね上げられ、旋回《せんかい》しながら落ちてくる長槍《ながやり》の石突きを狙い打ちする。
スイングは流し打ちで、刃《やいば》の|機 殻《カウリング》を閉じたまま、背部スラスターを全開に。
G―Sp2が地面と水平になった瞬間、その石突きを打った。
「カキ――ン!」
出雲の口|効果《こうか 》音に似た金属音が響《ひび》き、G―Sp2が直線|発射《はっしゃ》された。
アイガイオンが拳《こぶし》の重力を防御に回そうとするが、
「……!」
間に合わない。
竜《りゅう》を閉じた長槍はアイガイオンの胸部に直撃《ちょくげき》した。
「行って来い場外!」
ゆっくりと身を回し、肩越しに振り返る。視界が見るのは、巨躯《きょく 》が背後へと吹き飛び、手にあった重力|収束《しゅうそく》が制御を失って四散《し さん》した光景だ。
霧と土砂《どしゃ》を含んだ爆発が生じ、大音が響いた。
そして空に再び白の長槍が舞い上がる。
右手を上げ、落ちてくる槍を手にした出雲は膝《ひざ》をつき、息を大きく吐いた。
顔は困ったような笑みで、
「……千里《ち さと》は毎回この身体でよくやってんなあ」
学校の外、正面を渡る無人の大通りを、南から北へと多重の音が移動していく。
音は剣戟《けんげき》の連続で、それを生むのは巨大な赤の武神《ぶ しん》と白銀の武神だ。
そして両者を操《あやつ》るのは、それぞれの武神の足下で舞うように身を動かす二人の女だ。
赤い武神の操り手は赤い衣装《いしょう》をまとい、白銀の武神の操り手は白の衣装をまとっている。
赤の担い手、ギュエスは両手の指で六本の剣を操り、前に進んで攻撃する。
ギュエスの周囲で風が幾重《いくえ 》にも乱れ動き、金属音が連動する。そのたびに彼女は少しずつ前に出ている。だが、しかし、ギュエスの頭脳は急ぐことを要求していた。
……急げ……。
理由は三つある。
その内の一つが、自分の武神《ぶ しん》の活動時間だ。
……私の一部たる武神。
それは概念《がいねん》空間の中に封じられているのが本来の在り方だ。自分が疲弊《ひ へい》したり、疑似《ぎ じ 》意識が乱れることがあれば、概念空間を開いているバランスが崩れ、武神は消える。
勝負は短時間。経験によれば、あと数分で限界が来る。
急ぐ理由のもう一つは、背後の空に浮かせた美影《み かげ》だ。彼女が意識を取り戻しつつあることをギュエスは感じ取っていた。目覚められると面倒《めんどう》だ。が、
……必ず入手せねばならん。
レアの娘。3rd―|G《ギア》の中でただ二人残った人間の内、一人が彼女だ。もう一人のアポルオンがどう思うかは別だが、もし3rd―Gの血を遺《のこ》すならば美影は絶対必要になる。
そして最後の急ぐべき理由は、目の前にある。
白銀の武神。かつてレアが乗っていた機体だ。六十年前に彼女が|Low《ロ ウ》―Gに逃亡してから見たことの無かった機体が、今、眼前で剣を振っている。
機体の各部は見憶《み おぼ》えていたものと違う。特に胴体《どうたい》部は完全|換装《かんそう》だ。
……ゼウス様は両断したと言っていた。
あの中にレアはいない。だが、
「だからこそ赦《ゆる》せるか!」
ギュエスは右手の平を前に叩き付けた。
赤の武神の右|三腕《さんわん》が同時に動いて白銀の武神を攻撃する。腕はそれぞれ上段、中段|突《つ 》き、下段|逆袈裟《ぎゃくげさ 》だ。
対するシビュレが背後に跳躍《ちょうやく》。身を回して右の手を前に振り下ろす。
白銀の武神が動いた。半身にして上段攻撃をかわし、剣先《けんさき》で中段突きを外に弾《はじ》き、剣鍔《けんつば》を下に振り下ろすようにして逆袈裟を叩き潰す。
金属音と火花が三つ散って、そのどちらも虚空《こ くう》に消えた。
シビュレが着地をしようとする。
瞬間《しゅんかん》。ギュエスは前に出た。
シビュレが着地するより早く、彼女の眼前に重力|制御《せいぎょ》で己の身を飛ばす。
「……っ!」
高圧の慣性《かんせい》を消すことは出来ないが、各機能をカットして無視することは出来る。
だからそうした。
脚部、腰部、腕部ともに全ての駆動《く どう》を連動し、ギュエスは両の手を背後から振り抜く。
スーツの裾《すそ》に入った剣六本を重力|制御《せいぎょ》でシビュレの着地にぶち込んだ。
足首、腿《もも》、腰、腹、胸に二発の突きと首に横薙《よこな 》ぎ。
瞬間《しゅんかん》の攻撃だ。
だが、それは思わぬものに阻《はば》まれた。
壁。
「!?」
自分とシビュレの間に生まれた白い壁が、白の武神《ぶ しん》の刃《やいば》だと気づくまで一瞬《いっしゅん》。
地面に突き立った巨大な剣身に、ギュエスはしかし動きを変えずに全撃《ぜんげき》を叩き込んだ。
金属音が響《ひび》き、一瞬の連続でこちらの剣が砕けていく。
一本、二本、三本、だが四本目で壁に亀裂《き れつ》が入った。五本目と六本目を一瞬で速度|変更《へんこう》し、首を取るはずだった横薙《よこな 》ぎの一閃《いっせん》を先に激突《げきとつ》させる。
果たして武神の剣は折り砕かれた。
金属の破れる高鳴りに、ギュエスは最後の一撃《いちげき》を打ち込む。
シビュレの胸を突く一撃。それは砕け散る壁の向こうの相手に届く筈《はず》だ。
「行け!」
刃の先端が風を超え、長大な剣の破片を吹き飛ばして貫通《かんつう》した。
手応《て ごた》えがある。が、ギュエスは見た、飛び散り舞う金属|片《へん》の向こうで、シビュレが空中で更に跳躍《ちょうやく》したのを。
……何?
理解は瞬時《しゅんじ》に出来た。シビュレは蹴《け 》ったのだ。自分の眼前に突き立てた刃《やいば》の腹を。
「跳躍して逃げる足場としての武神《ぶ しん》の剣か……!」
それでもギュエスの刃は届いていた。刃は、シビュレの胸、装甲《そうこう》服の胸部装甲を突き切り、シビュレ自身の動きで布地を裂き割っていた。
シビュレの首下から胸あたりまでが露《あら》わになる。見える素肌《す はだ》は、
「……人間か」
自分達3rd―|G《ギア》のことを知り、相手をする以上は自動人形か何かだとも思ったのだが、
……ならば尚更《なおさら》死ね!
ギュエスは剣を戻して前に出る。今や相手の武神の剣は一本しかない。討《う 》つなら今だ。
前に出た瞬間《しゅんかん》。
前方にいる標的《ひょうてき》が一つの動きを見せた。
半身の姿勢をとったシビュレが、右の手でこちらを指さしたのだ。
何事だ、と思ったギュエスは、白銀の武神が同じ動きを取るのを見る。右手に持っていた剣を、こちらへ強く投じる姿を、だ。
一瞬《いっしゅん》の判断で、ギュエスの武神は飛んでくる刃を外に弾《はじ》いた。
隙《すき》が生まれた。
そこに白銀の武神が来た。剣による攻撃ではない。
タックルだ。
「!」
思わぬ攻めにギュエスが判断を迷った。急ぎ赤の武神を下がらせながら、
「何と無粋《ぶ すい》な戦い方を……! 破損《は そん》するぞ!」
答えは困ったような微笑とともに来た。
「|Tes《テスタメント》.、私は整備役です。――整備し甲斐《が い 》のある戦い方しか思いつきません」
頷《うなず》くように、白銀の武神がためらい無く激突《げきとつ》を選び、踏み込んできた。
組み付かれる。
その瞬間。白銀の武神が、突然|空中《くうちゅう》でバウンドした。
飛びかかるように前へ身を投げ出した白銀の姿勢は、いきなり縦に強い震動を得てから、
「――――」
いきなり地面に叩き付けられた。
墜落《ついらく》は重《じゅう》金属の破砕音《は さいおん》で、原因は武神の背から地面へと貫通《かんつう》した大穴《おおあな》だ。
白銀の武神に穿《うが》たれた穴から四方へと風が起きる。熱のある風、焦《こ 》げたような匂《にお》いの風だ。
……これは。
狙撃《そ げき》だ、と気づいた瞬間《しゅんかん》。ギュエスは空を見上げて叫んでいた。
「来たかコットス!」
シビュレは視線を天に向けた。
青空の中心。そこに大きな影がある。
武神《ぶ しん》のような姿だ。全体の色は青で、造形は大振りな人を模《も 》したもの。背部や腰部に砲塔《ほうとう》とおぼしき長方形の物体が幾《いく》つもついている。
白銀の武神は、その青の巨人に穿《うが》たれたのだ。
力無く肩を下げたシビュレは、視線を落として敵を見る。
風の向こうで、ギュエスと赤の武神が後ろへと下がっていく。
彼女達の下がる先に、空からそれが降りてきた。コットスと名付けられたその巨大な機械はヘカトンケイルの一人だ。
「巨大な自動人形……」
「そう、武神のフレームを使用した自動人形だ。人と違い、時間や生理活動に縛《しば》られることなく戦える武神。――クロノス様が完成したのはコットスだけだがな」
『自己紹介|不要《ふ よう》』
空を急《きゅう》降下してくる影がそう告げた。
『早期|回収《かいしゅう》要求。即離脱《そくり だつ》希望』
ああ、と頷《うなず》いたギュエスが軽く手を一振《ひとふ 》りした。すると、赤の武神はまるで畳まれていくように、腕を虚空《こ くう》に飲み込ませて消えた。次いで脚《あし》と、胴体《どうたい》と顔が消えていく。
シビュレは唇を一度|噛《か 》む。ギュエスの背後に浮いた美影《み かげ》を見て、
「待《ま 》――」
「貴様《き さま》の負けだ。レア様の遺品《い ひん》を汚した女よ」
ギュエスは先ほどこちらを突いた剣をスーツの裾《すそ》に仕舞《し ま 》い、逆の手を振り上げた。
その手の動きに合わせて、背後に浮いていた美影が引き寄せられていく。
「さらば、と言うべきか」
ギュエスが告げた。そのときだ。
今まさに着地しようとしたコットスが、顔を上げた。顔面の中にある目とおぼしき素子《そ し 》に緑の光を宿らせ、
『危険|察知《さっち 》――』
「危険? この段において何が……」
という言葉は、次の瞬間に破られた。
飛場《ひ ば 》だ。
彼の乗った単車がギュエスの間近を突き抜けた。
あ、とシビュレが声を挙げたときには、既に彼の行動は終わっていた。
飛場《ひ ば 》は単車から左腕を振り上げると、その腕一本で空中から美影《み かげ》を抉《えぐ》り取ったのだ。
「コットス……!」
ギュエスの叫びが終わるより早く、西の方角から光が来た。
横《よこ》一直線の白い光は、飛場に拳《こぶし》を振り下ろそうとするコットスに直撃《ちょくげき》。その顔面|装甲《そうこう》を浅く砕いて身を揺らす。
光の来た西側、街道に通じる側道《そくどう》の果てに二つの人影がある。
新庄《しんじょう》と、長大な砲《ほう》を肩に担った佐山《さ やま》だ。
夏服|姿《すがた》の新庄の声が響《ひび》く。
「間に合って何よりだ! ――行け! 飛場少年!」
同時。美影を抱きかかえた飛場が停めた単車の上で首を下に振った。
彼は美影を抱きしめ、声を放っていた。
「美影さん……!」
シビュレは見る、彼の声に美影が瞳《ひとみ》を開けたのと、目を開けた彼女が飛場の赤い瞳を見て、頷《うなず》いたのを。
そしてシビュレは聞く、声を放たぬ美影の代わりに飛場が告げる言葉を。
「――荒帝《すさみかど》!」
息を飲むシビュレの視界の中、単車を降りた飛場と美影の背後に現れたのは金属の胴体《どうたい》フレームだった。そこに駆動《く どう》部や内臓《ないぞう》機関が召喚《しょうかん》され、同様に召喚された腕部や頭部、脚部や四枚|翼《よく》がボルトで連結されていく。
ボルト打ちの金属音が連打で響く中、美影の身体《からだ》が黒の胴体に包まれ、飛場の身体が腹部装甲板の連結《れんけつ》とともに飲み込まれた。
四枚|背翼《はいよく》の黒い武神が合致する。
それこそが、
「……荒帝の完成!」
武神の身体を得ることには、気持ちよさと苦痛があると、飛場はそう思っている。
既に視界は高い位置にあり、いつもは見えることのない側部や後方さえも解《わか》る。
身を起こし、まずは大型戦力であるコットスの方へ。
高い視界が動き、高速で移動を開始する。一歩のリーチは四メートル弱で、アスファルトを砕いて荒帝は走り出した。
一歩目から全力だった。
『……!』
動く。そして気分がいい。この広い視覚と、全身を包む温かさは特に気分がいいと思う。
既に身体《からだ》は武神《ぶ しん》自体と合一している。金属の中に自分がどうやって分解《ぶんかい》構成されるのか飛場《ひ ば 》はよく解《わか》っていないが、解ることは、
……美影《み かげ》さんも同様だということ。
自分の身体自体は無いのだが、温かいものに身を包まれている感触《かんしょく》はある。
まるで美影に後ろから抱きしめられているようだ、と、飛場は思う。
その感触の中で飛場は身を回し切る。
足がアスファルトを抉《えぐ》り、視界の正面にコットスを捉《とら》えた。
直後。コットスがこちらに砲撃《ほうげき》を放つ。
弾丸《だんがん》が来る。
光の弾丸だ。高熱と高圧の| 塊 《かたまり》は直径約三十センチ、彗星《すいせい》のような尾を引いて四|発《ぱつ》来る。
反射神経だけでかわせるものではない。
だが、飛場は声を聞いた。己の身体、武神の音声|素子《そ し 》から放たれる美影の声を。
『――リュージ君』
静かな声は、美影が荒帝《すさみかど》となっているときだけ放つ声だ。もの言えぬ未進化の彼女が、戦闘のために得た声だと、飛場はそう思っている。
だが、飛場にとっては唯一《ゆいいつ》聞くことの出来る彼女の肉声《にくせい》だ。
声が続く。
『かわせるよ』
声に準じて感覚が来た。
機械の知覚速度と自分の神経速度が合致する。
それによって得られるのは、機械の予測《よ そく》速度に裏打ちされた超《ちょう》速度の知覚能力だ。
『――――』
来る。
莫大《ばくだい》な情報量が、一瞬《いっしゅん》、音楽のように身にぶつかってくる。
空の陽光は暖かく大きく響《ひび》く音。大地はそれを広く受け止め跳ね返し、風は長い息吹《い ぶき》のような楽奏《がくそう》を行い、木々や草花はそれぞれの命をさざめきと鼓動《こ どう》のような音で歌っている。
人がいる。近くには白銀の武神を操《あやつ》っていた女性が。遠くには佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》と、そして出雲《いずも》と風見《かざみ 》が。それぞれの立てる楽奏はかすかに急ぎ、淡い熱の込もった音色《ね いろ》。期待の音色だ。
逆に静かに醒《さ 》めた音を奏でるのは自動人形だ。ギュエスと名乗った女性型と、こちらに急ぎ近づいてくるのは負傷で音を乱したアイガイオン。そして正面にいるコットスだ。
……砲撃は――。
それすらも音楽として飛場は捉えた。
笛に似た強い音が前方からやってくる。全体の中ではわずかに外れた音。破壊の音だ。
……嫌な音色《ね いろ》だ……!
弾道《だんどう》が見えた。
次の瞬間《しゅんかん》、超《ちょう》知覚が失《う 》せる。こちらの情報|処理《しょり 》能力がパンクし、溺《おぼ》れる直前でリミッターが掛かった証拠《しょうこ》だ。
だがもはや飛場《ひ ば 》は前に出る。
『!』
荒帝《すさみかど》の足でアスファルトを砕き、見えた音色を追うように全身を前に飛ばした。
行く先は砲撃《ほうげき》の中央。
飛び込んだ。その動きとともに口から漏れるのは歌だ。
『Jeasus, Lord, with your birth――/神の子 我が主よ 貴方の生誕とともに――』
荒帝は歌を追いかけるように、飛来《ひ らい》する光を抜けていく。
身を低く、そして前へ。
踏み込み、身を回し、身体《からだ》を前に振り傾け、アスファルトを削《けず》り滑って荒帝は走った。
一発が肩をかするが計算の内だ。その一発を避《よ 》けねば続く一発を腹に食らうし、
……それ以外は当たらない!
言葉を証明するように踏み込み、膝《ひざ》を伸ばして全身を前へとぶちまけ行く。
抜ける。
『Shows the grace of His holy night――/天の聖意の偉大さを見せよ――』
目の前に青い巨体がいた。
飛場は右の拳《こぶし》を構える。
コットスが腰の砲《ほう》を構え、至近から砲撃してくる。が、飛場は音の間を一瞬《いっしゅん》で下に抜け、立ち上がりながら右拳をアッパーで叩き込んだ。
コットスの腹部|装甲《そうこう》に深い打撃が入った。
『!!』
金属の重音が響《ひび》き、コットスの重い身体がわずかに浮く。
しかし飛場は赦《ゆる》さない。
続く左を脇腹《わきばら》に叩き込み、胸の装甲板を浮かせ、
『っ!』
右|脚《あし》を上回しに旋回《せんかい》させて胸部にぶち込んだ。
三|連撃《れんげき》。
それはコットスの胸部装甲を歪《ゆが》み砕き、背後へと吹き飛ばす。
続いて飛場は前に出ようとした。今が機会だという焦りにも似た感情がある。ヘカトンケイルを倒すならば、そして、この辛さを感じる戦いを少しでも終わらせるならば、
……今だ……!
が、荒帝《すさみかど》の動きを止めるものがあった。
それはやはり音だ。それも、人が発することの出来る、声という音だった。
『……っ』
美影《み かげ》の苦悶《く もん》に近い声が、己の口から漏れたのだ。
聞こえた美影の苦悶に、飛場《ひ ば 》は反応した。
ある筈《はず》のない心臓が、確かにどきりとして、飛場は前進を止める。踏み込んだ足で地面を砕き、ガード姿勢で問うた。
『――美影さん!?』
『いたぃ……』
告げられた言葉の意味を理解するまで、一《ひと》呼吸が必要だった。
飛場は思い出す。先夜の戦闘で、こちらは胸部|装甲《そうこう》と背翼《はいよく》を損傷していたのだと。
そして、それらの損傷は、全て自分の代わりに美影が肩代《かたが 》わりしていたのだと。
自分には痛みも何もない。全て彼女が引き受けているのだから。だが、こちらが動けば彼女は痛む。当然のことだが、
『――――』
しまった、と思い、何故《なぜ》解《わか》らない、とも思う。
これだけそばにいて、ともに身を重ねていながら、
……何故、戦うことだけを考えて――。
飛場は身動きを止めた。
視界の中、背後に下がったコットスが身構えた。
その両の肩に乗る人影は、ギュエスと、駆けつけてきたアイガイオンだ。
見れば三者三様《さんしゃさんよう》に疲弊《ひ へい》がある。
今こそ追うべきだ。が、
『リュージ君……』
己の口から漏れる痛みを堪《こら》えた声に、飛場は動けない。
そんな己を叱咤《しった 》するように、声が一つ響《ひび》いた。
新庄《しんじょう》の声だ。
「どうした飛場少年! 我々の交渉を止める君が、――何故|戦闘《せんとう》を封じる!」
側道《そくどう》を走ってきた佐山《さ やま》と新庄。その内、新庄がコットスの背後からこちらに叫んだ。
だが、飛場は動けない。声でしか聞くことの出来ない美影の現状が、こちらの身体を束縛《そくばく》している。
今の自分は彼女の傷口に直接|触《ふ 》れているようなものだ。
動けはしない。
……僕は……。
彼女を護《まも》るつもりではなかったのか。
『御免《ご めん》ね……』
まるで口移《くちうつ》しのように己の口からこぼれる美影の声に、飛場《ひ ば 》は拳《こぶし》を握った。
正面にいるコットスと二人の自動人形に向かい、飛場は拳を握りしめたまま相対《あいたい》する。
『……』
無言だ。
何を言うまでもなく、これ以上自分が動けば、彼女の痛みは強くなる。
もはや自ら攻撃は選べない。それが今の選択だ。
動けず、飛場は視覚をもって今の戦場の主導《しゅどう》者を見た。西側の通りから街道に走ってきた新庄《しんじょう》と、その後ろに続く白い長砲《ちょうほう》を抱えた佐山《さ やま》を。
彼らに対し、コットスの肩上のギュエスが髪を掻《か 》き上げ、つぶやくようにこう言った。
「貴様《き さま》ら、おそらくは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》とかいう連中だな? どうする気だ。この状況を」
ああ、と新庄は応じて、こう言った。
「仲裁《ちゅうさい》をしたい。――君達のね」
[#改ページ]
第十五章
『感覚の錯覚者』
[#ここから3字下げ]
それがために人は動く
では
何がために形は動くか
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
仲裁《ちゅうさい》という言葉に、コットスの右肩に立つギュエスは動きを止めていた。
視線の先で、黒髪《くろかみ》の少年が腕を組み、軽く片手を上げた。
「我々は交渉を求めている。君達3rd―|G《ギア》と、そちらの飛場《ひ ば 》少年とも、だ。ゆえにもし……、ここでこれ以上の戦闘を行うと言うならば」
少年は笑みとともに告げた。
「平和的解決を望む我々の行為を踏みにじり、更には戦闘を望んだということで、我々も容赦《ようしゃ》をしない」
「――はン。おかしな話だな。|Low《ロ ウ》―Gの貴様《き さま》らが、今の状態の我々とでもまともに相手になると思っているのか? コットスが足を動かせば踏み潰せるのだぞ?」
「成程《なるほど》。では、コットス君とやらの足は、そこにいるシビュレ君まで届くかね?」
言葉に、ギュエスはシビュレを見た。
ここからだと距離は約十メートル。砲撃《ほうげき》するにしろ何にしろ、一《ひと》呼吸は必要だ。
黒髪《くろかみ》の少年の声が響《ひび》く。
「既に私の横では君達に向けて砲撃の用意が入っている。そして学校の方からは概念核《がいねんかく》の兵器を持った二人が駆けつけてきている筈《はず》だ。私はシビュレ君に命令するよ。逃げろ、と」
「――|Tes《テスタメント》.」
言葉とともに、シビュレが砕かれた白銀の武神《ぶ しん》を捨てて背後へと跳んだ。
大きなワンステップと、そこから続く警戒《けいかい》を持った走りにギュエスは身構える。が、
「追うな。と言わせてもらおうか。追えば我々は君達を止めねばならん」
「ならば我々は蹴散《け ち 》らすだけだぞ」
「そして我々が殺されたとしたら、シビュレ君からUCAT経由でいろいろなところに伝えられていくことだろう。3rd―Gが平和を否定した証拠《しょうこ》として」
彼女の言葉にギュエスは思う。駄目《だ め 》だな、と。
……その言葉では駆け引きにならん……。
既にシビュレは街道から側道《そくどう》に入り、姿を消した。が、足音などを探知《たんち 》すればすぐに見つけることは出来るだろう。追うならば今すぐでなくとも大丈夫だ。
だからギュエスは口を開いた。
眉を立て、彼女はこう告げたのだ。
「――既に他Gの恨みを負った3rd―Gが、そんなことを怖れると思うか?」
概念|戦争《せんそう》中、何千年以上という時間を、3rd―Gは穢《けが》れとして培《つちか》ってきている。それは消えるものではないし、最下層であるLow―Gの意見など、
……どれくらい他のGに通じると?
自分が放った疑問に、相手はすぐに答えなかった。
黒髪《くろかみ》の少年はまず、一つの動きを見せたのだ。
やれやれと、肩を竦《すく》め、そして、
「――――」
身を振るように動かして、左手の人差し指でこちらを差した。
「他の|G《ギア》の恨みを負った3rd―Gは、新しい負を得ることを怖れない。そう言ったね? 成程《なるほど》、確かに勇壮《ゆうそう》なGだけはある。だが」
「だが、何だ?」
「君達は、出撃《しゅつげき》するときにこのような状況になることを予測していたかね? もし予測出来ていなかったならば、|Low《ロ ウ》―G代表である我々の仲裁《ちゅうさい》に対し、今、君達は現場の判断だけで結論しようとしている。3rd―Gの今後に関わることなのに、だ」
少年は、こちらを差した指をもう一度振り、
「そして、私の知る限りでは、3rd―Gの自動人形とは主人の意向《い こう》を遵守《じゅんしゅ》する筈《はず》だ。君達は、Gの代表クラスの仲裁の話を蹴《け 》ることまで、主人に許可されているのかね?」
「それは……」
「もしその許可を得ていないのならば、君は主人を無視し、そして主人の顔に泥を上塗《うわぬ 》りしようとしている。――自動人形であるのにね。その場合、このような噂《うわさ》が飛ぶことになるだろう。3rd―Gの主人は自動人形すらまとめられず、自動人形は主人を無視してその名を汚す不良品だと」
少年は手を下ろした。
その動きを見る自分の目は、睨《にら》むものに近い。
警戒《けいかい》機能が働いていることを感じながら、ギュエスは問うていた。
「……もし我々が貴様《き さま》の仲裁《ちゅうさい》を受けたならば?」
「君達の主人を讃《たた》えよう」
成程、とギュエスは頷《うなず》いた。
……それが大義名分《たいぎ めいぶん》か。
損得《そんとく》と、何よりも自動人形の名誉《めいよ 》としての判断を働かせ、彼女はすぐに結論を出した。
黒の武神《ぶ しん》の方を見て、
「邪魔《じゃま 》が入った。――勝負は預ける。それでいいな?」
佐山《さ やま》の身体《からだ》を借りている新庄《しんじょう》は、|Ex―St《エグジスト》を抱えて一息をついた。
……何とか一《ひと》段落かなあ。
思う目の前で、自動人形二人を乗せた青い人型《ひとがた》機械が全身の砲《ほう》を空に向けた。そして巨体は宙に浮いた状態で更に十数メートルを下がる。
攻撃の意思が無いことの証明だ。
それに応じるように、飛場《ひ ば 》の黒い武神《ぶ しん》がその姿を消した。
昨夜見たときと同じように、まず飛場が射出《しゃしゅつ》され、黒の武神が分解されていく。
四肢《し し 》や装甲板《そうこうばん》が別《べつ》空間に消え、胴体《どうたい》部が消える直前に、胴体下部から美影《み かげ》が吐き出される。
飛場が彼女を受け止めた。
「……と」
飛場が受け止めた美影は、気を失っていた。長身の身体《からだ》は力無く、布団《ふとん》のように捉《とら》えどころが無くなっている。
だが、小柄《こ がら》な飛場は美影の身体に前から抱きつくようにして確保する。
そして新庄《しんじょう》が見たのは、飛場が戦うのを止めた理由だ。
美影の背の右側が、赤黒《あかぐろ》いもので染まっていた。
血だ。
その色に気を取られる新庄の耳に、声が聞こえた。
「御免《ご めん》なさい……」
飛場の声だ。
数ヶ月前まで自分がつぶやいていた言葉に、新庄ははっとして彼に視線を向け直す。だが、かすかにうつむいた飛場は、もう既に口を閉じている。
代わりに言葉を放ったのは、遠ざかって距離をとった自動人形だった。
「今回はそちらの顔を立てよう。だが、飛場の眷属《けんぞく》と我々の勝負はついていない。……どうする気だ? 今後も介入を行うか?」
「おやおや、――これからはこちらの顔を立てないのではないかね?」
自分の前に立つ、自分の後ろ姿が肩を竦《すく》めた。
その動きに佐山《さ やま》の存在を感じた新庄は、万が一のことを考えて|Ex―St《エグジスト》を構えながら、
……ボクの身体、結構《けっこう》佐山君の動きを再現《さいげん》出来るんだなあ。
思う眼前で、自分が相手に問い掛ける。
「しかし何故《なぜ》、そこまで戦おうとするのかね? 我々と交渉する気は無いのかね?」
「当然だ。何故ならば、我々は最後に必ず勝利する。――交渉などするだけ損だ」
「その根拠《こんきょ》は?」
問いに、自動人形の女は答えた。
「テュポーンだ。……テュポーンを殺すことは誰にも叶《かな》わない」
「そこにいる飛場少年の武神。それが持つ神砕雷《ケラヴノス》とやらでも不可能かね?」
自分の身体が告げた武器の名に、相手が眉を微《かす》かに動かした。
知っているのか、とつぶやく相手に、佐山が言葉を飛ばす。
「神砕雷《ケラヴノス》はクロノスが荒帝《すさみかど》に与えた兵器だ。それはある意味、ゼウスに幽閉《ゆうへい》されたクロノスが、ゼウス側に与えたテュポーンを砕くために作った兵器とも考えられないかね?」
「それが当たれば、な。……そこにいる飛場《ひ ば 》の眷属《けんぞく》ならば知っているだろう?」
苦笑に対し、美影《み かげ》を抱きしめた飛場が身構《み がま》えた。
自動人形の女は彼に言う。
「先夜《せんや 》一度攻撃を当てたようだが、あれは何故《なぜ》か解《わか》っているな?」
「ええ。……テュポーンが人をかばったからです」
……月読《つくよみ》部長の娘さん?
疑問はおそらくそのまま答えになるものだ。
佐山《さ やま》君、と小さく声を放つと、佐山がこちらに背を向けたまま小さく頷《うなず》いた。
彼は、今こそが様々な情報を得るための場だと解っている。だから新庄《しんじょう》は彼に任せた。初めて見下ろす自分の背を前に、笑みを得て彼の言葉を待つ。
そして彼は問うた。
「つまり、テュポーンは無敵《む てき》だと、そう言いたいのかね?」
「手が届くものではないよ。我々にも、な」
巨大な青い人型《ひとがた》機械の肩に立つ自動人形の女は、こちらを見て告げた。
「テュポーンは時間を削《けず》って常に攻撃を得る」
「――何?」
「どういうことか解《わか》るまい? テュポーンは常に攻撃を得る。傷を得ることはない。何故《なぜ》ならば、傷を得そうになったとき、テュポーンは自分の防御時間と移動時間を削《けず》り、攻撃の時間にまで移動するからだ」
「――――」
新庄《しんじょう》は息を飲んだ。同じように、美影《み かげ》を抱いた飛場《ひ ば 》も息を詰めて言葉を聞いている。
……時間を削る?
飛場と美影の武神《ぶ しん》は、テュポーンが持つ謎《なぞ》の術《じゅつ》によって攻撃をかわされ、逆に攻撃を受けたと聞いた。それは、
「攻撃をかわすのではなく、キャンセルするの……?」
「そうだ。……移動先は確実に全ての攻撃からの死角《し かく》で、相手をしとめることの出来る場所だ。攻撃すれば必殺の攻撃を返される。防御に徹すればテュポーンの力に押し切られる。神砕雷《ケラヴノス》だろうと何だろうと当たらねば意味はなく、攻撃すれば逆に仕留められるだけだ」
彼女の横、逆側の左肩に立つ巨躯《きょく 》の自動人形が、顔を上げた。
「おい、それは機密《き みつ》で……」
「言ったところで問題はない。実際、我々が懸念《け ねん》していた神砕雷《ケラヴノス》は、本当の意味で命中していない。――もはやテュポーンに勝てるものはない」
自動人形の女は、冷たいとも言える口調で言い切った。
だが、
……あれ?
新庄は、彼女の口調に妙なものを感じた。
どうしてだろうという疑問は、素直に口から出る。首を傾《かし》げ、
「あ、あのさ」
? という表情で振り向いた彼女に、新庄は問うた。
「どうして……」
さっき感じた疑問を明確な言葉として考え、
「どうして、嬉《うれ》しそうな口調じゃないの? テュポーンが無敵《む てき》だということに……」
「――――」
問いに、相手は目を伏せた。そして息を吸うようにつと空を見上げ、
「それは――」
わずかに間を置き、
「感情のない私には、己でも答えられない話だ。……おそらく、何らかの事実に対し、私の中の機能が反応したのだろう。その反応を人間は何というか、私は知らないが」
「……哀《かな》しい、だよ。多分、貴女《あなた》の反応は」
「…………」
無言となった相手が、視線を下げてくる。目を細め、しかし眉をひそめたり立てることなく、彼女はじっとこちらを見た。
そして相手は尋《たず》ねてきた。
「何故《なぜ》だろうな。何故、私はテュポーンを哀《かな》しむのだろうか」
「それは……、ボクには解《わか》らないよ?」
「だが私にも解らない。感情のない私には。――貴様《き さま》には解るのだろう?」
彼女の問いかけの意味を新庄《しんじょう》は思う。感情のない自動人形は、もし自分がそのような表現をしても、自分ではその表現の発起点が解らないのだろう、と。
感情がないはずの自分が、何をどう判断してそんな表現をしたのか、と。
答えを得たくば、感情があると言った人間に問うしかない。
……人形だ。
人のそばにいて、人の形をして、人を助ける者達がここにいる。人より優れるところを多く持ち、しかし人に似ているが故に、自己を定義づけねばならない者達が。
新庄は思う。彼女の疑問にどう答えようかと。
ある筈《はず》の無い感情が、しかし他人に認められることで存在する。それこそが人とは違う自動人形の感情だろう。
だから、新庄はこう答えた。解るのだろう、という先ほどの問いに対し、
「……解らないよ」
相手が眉をひそめた。だが、新庄は頷《うなず》きを見せ、言葉を続ける。
「何故ならボクは貴女《あなた》に感情を見ることが出来ても、貴女の感情の原因を知らないから。貴女もそうだよね? 自分が持っているのに掴《つか》めはしない感情を、……それを貴女が知りたいように、今、ボクも知りたいよ」
「何故、知りたい?」
「貴女の感情に気づいてしまったからだよ」
同じだ、と新庄は考える。自分や佐山《さ やま》達と、風見《かざみ 》や出雲《いずも》達と、他《ほか》多くの者達と同じだ、と。
気づき、何故と思うことがあったからこそ、それ以上に踏み込むべきときがある。その結果が今の自分と佐山の関係や、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》と他|G《ギア》の関係だ。
自惚《うぬぼ 》れを承知《しょうち》で、新庄は今が踏み込むべきだと判断した。だから告げる。
「貴女の哀しさの原因を知れば、ボク達も同じような感情を得られるかもしれないよ」
「はン。――それで我々を理解するつもりか? 大体違う感情を得たらどうするつもりだ」
そう言いながら、しかし相手は、放った己の言葉に一つの表情を見せた。
眉を歪《ゆが》め、わずかに目を開いたギュエスのその表情を、新庄はとまどいと見た。
だがすぐに相手は、は、とまた失笑《しっしょう》を放った。
「まあそれも面白い話か。――何しろテュポーンは無敵《む てき》だ。戦闘|系《けい》である我々にとってそれは至高《し こう》のことだ。そして私には感情がない。だが貴様《き さま》は私が無敵《む てき》のテュポーンを哀《かな》しんでいると言い、その理由を知りたいという。きっと勘違《かんちが》いだぞ、それは」
「勘違いでもいいよ」
「何故《なぜ》だ?」
「ボクはそれを信じるから。ボク達と言葉を交わす人形には、人形としての感情があると」
「……成程《なるほど》」
と、失笑《しっしょう》を消さずに彼女は動いた。腰から一刀を引き抜いたのだ。
「馬鹿な自惚《うぬぼ 》れを持って3rd―|G《ギア》に近づき、勘違いを押しつけ通すのが貴様らのやり方か。だが、貴様の言い分を認めて我に感情を認めるなら、こういう希望も言えるな。――我々《われわれ》自動人形は、確かに主人のためならば感情を得たいとも」
剣の刃《やいば》はまるで紙のように揺れていたが、彼女が触れるとまっすぐに伸び切る。
それは投じられ、こちらの正面、目の前にいる自分の眼前に音をたてて突き立った。
「UCATの全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》よ。目下、我々には貴様らとの交渉を行う気は無い。テュポーンを倒せぬのは我々も同じだ。あの武神《ぶ しん》は不可《ふ か 》侵《しん》だからな」
「搭乗《とうじょう》者がいるのではないのかね? その者との交渉は?」
「ある理由につき不可能かつ絶対|却下《きゃっか》だ。そして、その理由は――、そこの飛場《ひ ば 》が知っている」
この場にいる皆が、飛場を見た。
……不可能かつ絶対却下って、その理由知ってるの?
問いかけの視線に、飛場が奥歯《おくば 》を噛《か 》み、
「…………」
首を横に振ってうつむいた。話すことはないとでも言うように。
ギュエスの声が聞こえる。
「解《わか》っているな? 飛場の眷属《けんぞく》よ。――もしその秘密を明かしたら、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》も貴様と同様に穢《けが》れることとなる。私欲《し よく》のために手段を選ばぬ、穢れの者と、な」
「穢れ……?」
新庄《しんじょう》は彼女の言葉に肩を震わせていた。
飛場だけが知る穢れとは、それこそ第二の穢れだ。彼女達と彼だけが理解している、いずれ自分達も向き合う穢れ。
それは何? と思った視線の先、飛場はうつむいたままだ。
そしてコットスの肩の上に立つ女性が首を横に振った。
「穢れを教えることは出来ん。――その代わり」
と、彼女はこちらの眼前に突き立った剣を指さしている。笑みの形で口を開き、
「そちらの貴様らには、我々との、交渉ではなく、個人的な接触の機会を与えよう。……先ほどの話でそちらに敵意はないのは解《わか》ったからな」
佐山《さ やま》の問いに、相手は頷《うなず》いた。苦笑をこぼし、
「何故《なぜ》、新庄《しんじょう》君の話から、敵意がないと?」
「自動人形に感情を見ようとするなど、真っ先に自動人形に殺される者の考えだ。――我々人形は信頼を裏切らぬが感情を裏切ることはある。破損《は そん》を怖れず自壊《じ かい》も辞《じ 》さぬ身だからな。だが、この戦場においてそれを理解していないのだから、我々を敵として構えていない証拠《しょうこ》だ」
彼女は告げる。
「聞け、我が名はギュエス。その剣、あと三日ほどは重力|制御《せいぎょ》が残るよう内部|賢石《けんせき》に力を封じておいた。――三日以内に我々の居城《きょじょう》に見当《けんとう》をつけたならば、そこの大地に突き立てろ。居城の概念《がいねん》空間から出たとき、その剣を見つけたならば、話を聞いてやってもいい」
「交渉ではなく、話がしたい、と?」
「概念|核《かく》を渡さねば敵か? ――3rd―|G《ギア》とて、余計な敵を抱えたくないのは事実だ。余計な手出しをしないようにして欲しいものでな。我々の居城を見つけたならば、その秘匿《ひ とく》を条件に話をしてやろう。見つけられねば、今後|手出《て だ 》しをしてきたとき、真っ先に貴様《き さま》らから殺す」
成程《なるほど》、と頷き、自分の身体《からだ》が剣を手にした。対するギュエスはこちらの方を見る。
「人間とは解らないものだな――片《かた》や苦戦しつつも更なる戦いを望み、片や強大な力を持ちつつも戦いを止める」
首を傾《かし》げ、
「……どちらが本当だろうな?」
目の前にいる自分の身体は頷かない。対し、飛場《ひ ば 》も頷かない。
そして新庄は、遠くに見える学校の裏手門《うらて もん》から出雲《いずも》と風見《かざみ 》が出てくるのを見た。
ギュエスも彼らに気づいたらしい。彼女が面倒《めんどう》だな、とつぶやけば、
『――再戦《さいせん》希望。コットス也《なり》』
と、彼女達を乗せた人型《ひとがた》機械がつぶやいた。
ギュエスと逆の肩に乗る巨躯《きょく 》も、
「俺はアイガイオンだ。この三人でヘカトンケイルと言われている」
「次に会うときは戦場かね?」
『未定』
と、コットスが機械の声を発して空を見る。
直後。いきなりコットスが飛翔《ひしょう》した。
重力|制御《せいぎょ》だけでは足りぬ加速を背部スラスターから発すれば、爆風《ばくふう》で地面が震動する。
「!」
吹く風の壁の向こうには、既に青の巨体は無い。
……凄《すご》い。
戦闘機や、UCATの開発する飛行機|類《るい》の比ではない。
視線を空へ。
だが、そこにはもはや何も見えていない。
見えるのは雲と、青い空だけだ。
呆然《ぼうぜん》と、新庄《しんじょう》は視界を下に向けた。
眼前で自分が振り向き、無表情な顔を見せる。剣を手に、自分はあたりを見回した。
釣《つ 》られるように見れば、遠くから駆けつけてくる出雲《いずも》と風見《かざみ 》がおり、
「あの二人……」
飛場《ひ ば 》が、気を失った美影《み かげ》を抱きかかえて腰を落としていた。
広い道路の上、ただ一つの立体物であるかのように。
飛場はうつむき、ただ動かない。
[#改ページ]
第十六章
『盤上の花群』
[#ここから3字下げ]
回り出すのは季節の彩り
天青地緑の香彩に正解無し
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
陽光の差す広い空間がある。
南側の壁面を窓|硝子《ガラス》で覆《おお》ったロビーだ。奥の壁には幼子《おさなご》を抱く聖母《せいぼ 》の油絵が飾られ、その下には六つの歌詞《か し 》が並べ彫られた銅板《どうばん》がある。
それらを横に見るように、窓際《まどぎわ》のソファには三つの影が座っていた。
一つは白衣《はくい 》の老人。
あとの二つは頭に鳥を乗せた黒|装束《しょうぞく》の少女と、黒猫だ。
三角|帽子《ぼうし 》を横に置いた彼女は、今、目の前を見ている。
老人と彼女の間には一枚の将棋盤《しょうぎばん》がある。
少女は盤上《ばんじょう》に手を動かし、
「――で、大城全《おおしろぜん》部長、佐山《さ やま》達は3rd―|G《ギア》を迎撃《げいげき》したのね? 王手《おうて 》」
「うわ容赦《ようしゃ》ないな。ブレンヒルト君は現場におらんかったのかな?」
「朝方、変な賢石《けんせき》反応があったから表《おもて》に出てみたけど、終わった後だったわ。帰りの偽装屋台《ぎ そうや たい》に猫投げて止めて話聞いたら、何だかいろいろあったって、御握《お にぎ》りくれたけど。――王手」
「ああ、現場側では朝飯《あさめし》出たんだったなあ。いいなあ」
横の黒猫が半目《はんめ 》で主人を見ているが、ブレンヒルトは気づかない。
「でも私、プリンはちょっと苦手《にがて 》なのよね。カラメル苦《にが》く感じるから。王手」
「うわしつこいな。ええと、それでまあ、ブレンヒルト君は、今日、何故《なぜ》ここに?」
「ジークフリートに3rd―Gのことを聞いてもよく教えてくれないから。王手」
「……ぐあ。ジークフリート翁《おう》よりも、君の方がよく知ってるんではないかなあ。1st―Gと3rd―Gはこちらの世界に来たとき、中国地方と瀬戸《せ と 》内《うち》で御《ご 》近所じゃろ?」
「向こうが本格的に動き出したのは五年前よ。――それだけ。王手」
「それだけ、とは?」
大城の問いに、ブレンヒルトはわずかに動きを止めた。
ややあってから歩《ふ 》をつまみ、
「そこの銀をくれる? 銀、好きなのよ。燻《いぶ》しがあるから」
「いいとも」
頷《うなず》き、大城が銀を前に進ませた。
ブレンヒルトは歩を元に戻し、しかし、角《かく》をつまんで差し出された銀の後ろを通す。
「王手」
「ぅあー! 大人げないなあブレンヒルト君!」
「じゃあ話しましょうか」
「うん」
と、おとなしくなった大城《おおしろ》の前で、ブレンヒルトは軽く足を組み、
「単純な話よ。五年前、1st―|G《ギア》市街|派《は 》は引っ越しをしようと考えたの。西の方にね。そしたらそこには先客《せんきゃく》がいた。3rd―Gという先客がね。王手《おうて 》」
「御挨拶《ご あいさつ》は?」
「ええ、丁寧《ていねい》に武器と術《じゅつ》と戦意を持って偵察《ていさつ》が御挨拶に伺《うかが》ったわ。そしたら彼ら、向こうで自動人形に接待されたらしいのよ。――王手」
「接待?」
ええ、とブレンヒルトはまた頷《うなず》き、
「スキヤキパーティだったそうよ。それで向こうの自動人形のリーダー、モイラナンタラにこう言われたの。これから先、夜八時から朝の四時まで、自分達の概念《がいねん》空間には近寄らないように、と。――だから引っ越しは不可能。王手」
「ふむ。だが当然、市街派の中にいた急進派はいろいろ考えただろうなあ」
「ええ、私達だって広い場所が欲しかったもの。それにね」
王手、と指を動かし、ブレンヒルトは静かに告げた。
「1st―Gにも、3rdに恨みを持つ連中はいたのよ。親族達を奪われた連中がね。彼らはすぐに報復《ほうふく》部隊を編成して行ったわ。ハーゲン様が3rdへの対応を決めるより早くね」
「それで、どうなったのかな?」
「無断で飛び出した翌日《よくじつ》、接待を受けたわ。王手」
「また接待?」
ええ、とブレンヒルトはまた頷き、
「殺戮《さつりく》パーティだったそうよ。それで皆《みな》死体となって見つかったの。これからずっと誰も近づくなと、そんな暗喩《あんゆ 》を込められてね。――そして3rd―Gの居城《きょじょう》は消えていた」
「消えていた、とは?」
「あった筈《はず》の所から消えていたのよ。おそらくは、居城を空間ごと移動させて、ね」
ブレンヒルトはそう言って、大城の顔を下から窺《うかが》い見た。
「……そのとき、UCATの姿も見かけたと聞くわ。UCATも3rd―Gの居城が移動したときの自弦《じ げん》振動を追って来たんでしょう? 王手。――そして私達はまたどこかに3rd―Gがいると面倒《めんどう》だし、UCATも動いているのを悟って引っ越しをやめたわ。王手」
頭上、鳥が小さく鳴くのに対し、ブレンヒルトは| 懐 《ふところ》から小さな木箱を出す。
木箱を開けると、中にあるのは黄色い鳥の餌《えさ》と携帯《けいたい》用の水入れだ。
鳥が餌をついばみ始める。
その鳥をじっと見る猫の尻尾《しっぽ》を、ブレンヒルトは掴《つか》んで引き寄せながら、
「で、死んだ連中の最後の通信文字はこう言っていたの。 白い武神《ぶ しん》=A相手を超えられない=B攻撃したくても護《まも》れない と。――ハーゲン様はその意味を悟ったわ。教えてあげるからその金を頂戴《ちょうだい》」
大城《おおしろ》が金を差し出すと、今度はちゃんと歩《ふ 》で取った。
「この国の文化は変よね。何で鉱物が戦争に加わるの?」
「そりゃあ戦争は経済活動だからなあ」
「つまらないからそっちの桂馬《けいま 》も頂戴」
大城は桂馬を差しだし、真面目《ま じ め》な顔でこう告げた。
「このへんで勘弁《かんべん》して欲しいな、わし。泣くぞ」
「泣いてもやめないから安心なさい。それとも敗北を認める?」
「いやいやまだまだ」
「じゃあ戦争と会話を続けましょう。――白い武神《ぶ しん》は3rd―|G《ギア》が開発していた王族《おうぞく》専用の最強|機体《き たい》、テュポーンでしょう。それを悟ったハーゲン様は、殺戮《さつりく》と謎《なぞ》のメッセージについてこう言ったの。3rd―Gの次期王と妹は、3rd―Gの時間の概念《がいねん》を持っていた筈《はず》だ、と」
「それはつまり、3rd―Gの次期王とその妹がテュポーンを動かして、時間を制御《せいぎょ》するような攻撃を行ったのではないか、と?」
「微妙《びみょう》に違うわ。王手《おうて 》。――時間制御の攻撃というのは同意《どうい 》出来るけどね。でも」
ブレンヒルトは告げた。
「3rd―Gの接待を受けた者達は自動人形達からこういう話を聞いていたの。今は3rd―Gの生き残りは主人のアポルオン様しかおらず、それも御《ご 》病気なので、お静かにしていただきたいと思います、と。王手」
「ふむ。ならば今、アルテミスはいない、か」
「ええ。だけど謎《なぞ》が残るわ。――テュポーンが最強機体で王族専用だとすれば乗っていたのは時間制御も出来るアポルオンの筈。でも、| 病 床 《びょうしょう》の人間が武神を操り、あまつさえ時間の概念なんて強力なものを扱えると思う? 戦闘どころか、乗っただけで体力を消耗《しょうもう》して死ぬわよ?」
「自動人形が嘘《うそ》をついているという推理はどうであろうかなあ?」
「主人のことを嘘で話す自動人形がいたら相当|特殊《とくしゅ》ね。――接待の現場にはそれこそ無数の自動人形がいたけど、誰《だれ》一人としてその話に疑いを持ってはなかったそうよ。王手」
それに、とブレンヒルトは右の人差し指を立て、
「3rd―Gでは時間の概念の内、昼の時間をアポルオンが、夜の時間をアルテミスが担当していたそうね。――両者が揃《そろ》っていないのに、戦闘という切迫した状況下で時間の概念を自由に操れると思う? 大体、アルテミスは武神に改造されたって話じゃない」
「ではテュポーンは誰が動かしているのか、か」
大城はわざとらしく首を傾《かし》げてみせた。
「謎|掛《か 》けだなあ」
「ハーゲン様は薄々|解《わか》っていたみたいよ。王手。全てはゼウスの子達の因縁《いんねん》だと。その子達との|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》をUCATは止めているそうね。――どうせ佐山《さ やま》達は止まりはしないわよ。3rd―|G《ギア》の居城《きょじょう》の場所を裏から教えてやったらどう? 王手」
ブレンヒルトの問い掛けに、大城《おおしろ》は更に首を傾《かし》げた。
「いや、その一点に関しては実のところわしらも解《わか》らんでな。UCATも3rd―Gの居城については未だ追っている段階だ。倉敷《くらしき》方面あたりと見ているが、ダミーが多く、また、彼らの移動は超《ちょう》高空を通して行われるから察知《さっち 》しづらい」
「出来れば叩き潰して欲しいわね。監査《かんさ 》としてではなく、個人意見で言うけど……、血の巡りが悪いとはいえ、同胞が数人|殺《ころ》されたんだもの。そろそろ諦《あきら》めなさい、――王手《おうて 》」
「ブレンヒルト君、もうちょい年上の人間を敬《うやま》う意識が……」
「あら、何|歳《さい》? 王手」
「約六十歳。ようやく渋さが身に付いてきた年頃《としごろ》じゃな」
右手の親指つきで告げた大城に、ブレンヒルトは自分の答えを返した。
その答えとは、まず横を見て、わずかに肩と表情から力を抜き、
「――ふン」
「い、今、鼻で嗤《わら》ったなブレンヒルト君!」
「静かにしなさい王手」
いい? とブレンヒルトは言った。
「大体、私が部活と夏休みの自由研究でこっちにいる間、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》は海で豪遊《ごうゆう》? いい気なものね王手。もっと仕事させなさい仕事。貴方《あなた》達の種族は|働き過ぎ《セ カ セ カ》の日本人でしょう?」
「ふうむ。ブレンヒルト君。わしとしては、別に一人くらい海に行くのが増えても構わんのだがなあ」
「あら、私、別に海に行きたいなんて言ってないわ。塩水《しおみず》に浸《つ》かって身体《からだ》の塩分バランスを崩すことを遊びと勘違《かんちが》いしている連中は、塩で身体の穢《けが》れを禊《みそ》いでくればいいわ。王手」
「じゃあわしが勝ったらブレンヒルト君は海行く代わりに地下の温水プールで撮影会」
ブレンヒルトは眉をひそめた。
「この状況からどう勝つつもり? こっちの陣《じん》にまで王《おう》運んでも意味無いわよ?」
対する大城は無言で駒《こま》を進めた。角《かく》をブレンヒルトの陣の奥に入れ、
「ここで成る」
角をひっくり返す。
と、そこには漆《うるし》の彫り込みで 核 とある。
「――ちょ、ちょっと待ちなさい! 何よコレは!?」
「大城|将棋《しょうぎ》だが知らんのかな? ハイ残念だなあ〜。核の自爆《じ ばく》ボンバーで、周囲|三《さん》マスの駒が全て 灰 になるんだなあ。キビシーっ!」
ブレンヒルトは無言で将棋|盤《ばん》をひっくり返した。
昼過ぎの空がある。
下にあるのは木々の山と、頂上に立つ巨大な白の建物だ。
建物前の空《あ 》き地には、幾《いく》つもの人影があった。
黒い衣装《いしょう》の二十人の侍女《じ じょ》と、白い衣装の一人の姫だ。
侍女達は皆、手に植木|鉢《ばち》を持ち、その前にいる姫は鍬《くわ》を手にしている。
そして彼女達は言葉を交わし合っていた。
姫は男《おとこ》言葉で、いいか、とか、返事は押忍《おす》だ、とか、そんな指示を下し、侍女達はそれに従っている。
その声をよく聞けるのは白い建物の上層部、居住区の窓を開けている自動人形達だ。
皆は下の騒ぎをじっと眺《なが》めていたが、
「はい皆さん、仕事|続行《ぞっこう》です。京《みやこ》様が今、何かしてらっしゃるようですが、京様のことですから皆さんの分もちゃんと用意してますからね」
各部屋に響《ひび》いてきたモイラ1stの声が、皆を仕事に戻していく。
自動人形達は床にブラシを当て、壁を拭《ぬぐ》いながら、しかしお互いの顔を確認する。共通|記憶《き おく》素子《そ し 》にアクセスしての高速会話のネタは、下の者達のことばかりだ。
モイラ1stは各部屋を歩きながら、皆の共通記憶を見る。
型式が同じ者達だけが有する共通記憶は、同時多数|介入《かいにゅう》の電話のようなものだ。そこで話されている言葉を聞きながら、しかしモイラ1stは窓のある姫の私室にて問い掛ける。
「下では何をしてるんでしょう?」
実のところ、彼女も詳しくは知らない。
昨夜、京には頼まれた自動人形の名簿《めいぼ 》を出した。その折、京は力強く頷《うなず》いて礼を言ってくれたが、何をするかは教えてくれなかった。
……何を?
その疑問を、猜疑《さいぎ 》ではなく期待と判断したモイラ1stの前で、一人の侍女が下を見た。
「あの、聞いた話なんですけど、下で姫様がですね?」
「?」
「ええ、姫様が……、皆に名前を与えるとか」
床に掃除機を走らせていた侍女の言葉に、名前を? とモイラ1stは問い掛ける。
窓から下を覗《のぞ》き込めば、やはり京が鍬を手に身振り手振りで何かを話している。
横に立った侍女が告げた。
「自分達は名前など持てない、と言ったんです。そんな機能など無い、と。そうしたら京様、朝にアイガイオン様が出る前、用意させていたらしくて……」
「何をです?」
「皆が持ってる鉢《はち》、それと花の種《たね》です」
侍女《じ じょ》の言葉に、モイラ1stはそれを確認した。下の皆が持っているものを。
「選んだ花の名を預かれ、って。秋の花も冬の花も春の花もあるけど、必ず咲くから名を預かってみろ、って」
青空の下、白く巨大な高層|建築《けんちく》を前に、侍女達が並んでいる。
侍女服|姿《すがた》が横《よこ》一列に二十人分だ。
対する京《みやこ》は白いドレスにも似た衣服をまとい、鍬《くわ》の柄尻《え じり》に肘《ひじ》を載せている。
「ようし、とりあえず全員、種は持ったな?」
「――押忍《おす》!」
という皆の応えに、京は頷《うなず》いた。いい感じだ。やはりこれだけ素直な連中がいたならば関東くらいは制圧出来たかもしれない、と。
だが、植木|鉢《ばち》をちらちら見ている皆とは対照的に、一人だけうつむいている者がいた。
列の端に立っている侍女だ。三つ編み眼鏡《めがね》の彼女は、花の種が入った植木鉢ではなく、その先の地面をじっと見ている。やや眉尻《まゆじり》を下げた、力無い表情で。
京は首を傾《かし》げた。型式の同じ自動人形にも差異《さ い 》はやはりあるのだろうなと。
ただ、気になった。そのうつむきの理由が。
「どうした?」
「え?」
眼鏡の侍女が慌《あわ》てて顔を上げる。その応答に京が苦笑すると、彼女は急いで、
「あ、お、押忍」
「そうそう。返事はとりあえず気合い入れてな。――で、どうした? 浮かない顔で」
「お、押忍。でもそんな感情機能はありません。ちょっと判断しかねているだけです」
「どういうことだ?」
京は彼女の前に立つ。
「花を選んだよな? その名を預かるのが嫌か? 別に名無しがいいならそれでいい。ただ、ちょっと預かって欲しいだけなんだがよ……」
言っている間に、眼鏡の侍女がまたうつむいた。
違うな、と京は考える。自分の言っていることと、彼女のうつむきは違う、と。
……何が?
思い、皆に鉢を手に取らせたときのことを思い出した。並べられた種と鉢に自動人形達は歩み寄って、考えながら、話し合いながら自分達の望むものを手に取った。
……あ。
と京《みやこ》は思い至る。この眼鏡《めがね》の侍女《じ じょ》は、皆に加わっていなかった、と。
最後に残ったものを手に取ったのが、彼女だった。だから京は吐息する。彼女の判断が付きかねている原因に気づき、こう言った。
「気に入らないか? 自分で選んでいない名が」
……あたしだって自分の名を選んではいないんだけどな。
親が与えた名前だ。が、京は問う。
「こう思ってるんだろ? もし一人で選べたら、違うものを得ていたかも、って」
そして、
「こうも思っているだろう? ……自分の所に来たこの名前は、自分にとって不相応《ふ そうおう》なものかもしれない、って」
重ねられた問いに、眼鏡の侍女がはっと顔を上げた。何かを言おうとして、しかし、
「――――」
口を噤《つぐ》み、またうつむこうとした。
京は見逃さない。
いきなり彼女のおとがいに指を引っかけ、こちらを向かせた。まっすぐに目を合わせ、
「返事は?」
答えは肯定だろう、と京は思っている。
しかし侍女は首を横に振る。答えないことで己の意思を無いものとしようとする。
その理由は何となく解《わか》る。もし肯定の答えを放ったならば、我先に名を選んだ者達への嫌味《いやみ 》となるし、名を得ることの恐ろしさを一人|認《みと》めることになるからだ。
……自動人形の気遣《き づか》いか。
しかし妙だな、と京は内心で首を傾《かし》げる。同じ自動人形なのに、彼女だけが自分を卑下《ひ げ 》し、他の自動人形を優先する基準は何だろうか、と。
その理由は、
……性能|差《さ 》だろうな。それも自動人形の本分として、働くための性能の差、だ。
自動人形達にも差異《さ い 》がある筈《はず》だ。姿形《し けい》が違うように作られている以外に、部品の出来や接合《せつごう》の合いというものも違うだろう。それらは人で言う身長や筋肉|配分《はいぶん》のように体の機能を左右し、ものごとの得手不得手《え て ふ え て 》を決める筈。
目の前の彼女は、きっと、多くの不得手を持ち、誰の邪魔《じゃま 》にもならないよう最後に行動することを自分に課している。そして今、彼女の判断が己に告げたのだろう。よく働く者にこそ、名を選ぶ優先権《ゆうせんけん》があり、彼女達が選ばなかった名でも自分には不相応だ、と。
……馬鹿が。
京は思う。それは逆に見たら、お前が一番、名を欲しがってることの表れだろう、と。
だから告げた。
「返事は?」
侍女《じ じょ》が首を横に振ろうとする。が、京《みやこ》は手指を動かし、彼女の顎《あご》を挟んだ。固定し、こちらに向かせてから、
「馬鹿、押忍《おす》って返事は、肯定だけじゃねえ、否定も含む日本の文化だ。安心して使え」
「お、……押忍」
声が聞こえ、京は頷《うなず》いた。手を離す。
そして京は| 懐 《ふところ》に手を突っ込んだ。
出すのは折った書類の束。紙とは違う、不思議《ふ し ぎ 》な感触《かんしょく》の板群《いたぐん》には、侍女達のデータが刻印《こくいん》されている。昨夜の内にモイラ1stに提出させたもので、ここにいる侍女達六十三体の情報は全てそこにある。
情報内容は昨夜の内に暗記していた。大学時代に| 教 職 《きょうしょく》をとったときの経験だ。相手の顔を覚えていることは気分的に落ち着くし、向こうも安心する。
だから京は、書類を出しはすれど、目を通さずに前を、相手を見た。
目の前の彼女は13thだ。
だが京はその番号を呼ばない。彼女の抱える鉢《はち》から種《たね》を手に取った。
白い鉢、植木鉢、中に入っていたのは花屋で販売されている数粒《すうつぶ》入りの花の種だ。写真が付属されており、| 紫 色 《むらさきいろ》の花が見える。
京《みやこ》はそれを掲げ、右に視線を向けた。
空《あ 》き地の端、八百屋《や お や》のエプロンと包帯《ほうたい》をつけたアイガイオンが足下に鉢《はち》を多量に積んで立っている。昼に戻ってきたとき、失敗した、とそれだけ告げた彼は、しかし頼んでおいたものは完全に揃《そろ》えてくれた。有《あ 》り難《がた》いことだぜ、と京は視線を戻し、
「――あのオッサンに買ってこさせたものだ。同じものは一つとねえ」
種《たね》を13thの方に差し出し、問い掛ける。
「さあ、どうしてこれを選んだ?」
「押忍《おす》……」
「さっき皆で分けるとき、お前は皆の輪に入れなくて、誘われてもためらって、そして最後に残ったこれを手に取ったな?」
「押忍……」
「これは余り物か?」
「押忍……」
「だとしたら、これを余り物にしたのはお前か?」
「押忍……」
答える口調は同じもの。きっと同じ判断が頭の中でリピートしているのだろうと京は思う。
個々の個性付けがどうやって成されているのかは解《わか》らないが、13thは全員の中で控えめな自分を理解しており、今もそうあろうとして、自分を保とうとしている。
だが、と思いながら、京は問うた。今だけはそれは無しだ、と。
「この花が嫌か? 名が怖いか?」
「押忍……」
「この花を、余り物として選んだからか? そして自分が劣っているからか?」
「押忍……」
「――本当か? 余り物で仕方なく選んだのか? そしてお前はこの名に不相応《ふ そうおう》なのか?」
「押忍……」
そうか、と京は頷《うなず》いた。
「では捨てようか。そんなおこぼれと、合わぬ名は」
と、種を手放した瞬間《しゅんかん》。
「!」
13thが反射的な動きで手を伸ばし、種の袋《ふくろ》と写真を手に掴《つか》んだ。
そして自動人形は動いた。種の袋を胸に引き寄せるように抱きしめ、身を震わせ、こちらを見る。明らかに警戒《けいかい》の目で。
そうか、と京はまた頷いた。
「嘘《うそ》だな? 要《い》らないというのはよ」
「――え?」
「返事っ!」
「お、押忍《おす》」
ようし、と京《みやこ》は改めて言った。立てた鍬《くわ》の柄《え 》に肘《ひじ》を載せ、
「ではもう一度問うぞ。――お前はその花を、嫌いじゃあねえな?」
「……押忍」
「その花を選ぶつもりはなかったな? 自分にはもったいないと思ってるな?」
「押忍……」
「だが、その花は自分のところに来てくれたと、そう思っているな? その名が自分にとって不相応《ふ そうおう》でも、有《あ 》り難《がた》いことだと、出来れば相応になりたいと、――そう判断しているな?」
「――押忍」
判断の言葉はリピートしている。だが、声は力のある方に向いている。
だから京は笑みを見せ、口を開き、
「ちょっと昔のつもりでキツイ言い方になってるな、赦《ゆる》しとけ」
……押忍? と問う首の傾《かし》げに、京は笑みを濃くする。彼女の胸、種《たね》を抱きしめた手指に、自分の握った拳《こぶし》を軽く重ねて、
「いいか? その花の名前はスミレ、花《はな》言葉は 控えめ だ。そして英名はバイオレット。――お前のところに来てくれた名前だ。それを信じるなら、どちらでもいいから名乗っとけ」
「――――」
自動人形の呆然《ぼうぜん》という顔は、判断を迷っているからではなく、判断出来ぬという証《あかし》だ。
だから京は叫んだ。目の前にいる、花の名を得る者の目を醒《さ 》ますように、
「返事っ!」
「――押忍!」
その声とともに、京は鍬を振り上げ、地面に叩き付けた。
快音一発、土が抉《えぐ》れて掻《か 》き出される。
「全員来い! お前らが選んだ名前を改めて教えてやる! そしてこれから先、あたしがいなくなった後も、いつ来るか解《わか》らない姫を待つだけではなく、自分の世話をしとけ! 自分の下《もと》に来た名の世話を!」
下から響《ひび》いてきた声を、モイラ1stは笑みで受けた。
そして部屋の奥を見る。そこの窓際《まどぎわ》、縦型《たてがた》ブラインドに隠れるように立っている侍女《じ じょ》は、
「――モイラ2nd」
モイラ2ndは振り向いた。青い瞳《ひとみ》を向けて首を傾《かし》げる。
どうしたの? とモイラ1stは視線で問い掛け、窓際《まどぎわ》に寄る。
下では京《みやこ》が種《たね》の植え方を教えている。と、いつの間にか京の隣《となり》に行っていたモイラ3rdが何かしたのか、頭に手刀《しゅとう》を入れられていた。
下から笑いが聞こえた。それは、
「あまり使われない機能なのに」
モイラ1stは横に立つモイラ2ndを見る。かすかに眉尻《まゆじり》を下げ、
「……信じてもいいと思うわよ?」
モイラ2ndは、しかし首を横に振る。
姉は妹の否定に、頬《ほお》に手を当て吐息した。
「確かに私みたいに考えられないかもしれないわね。本来なら貴女《あなた》に与えられた能力ゆえ、貴女が最も姫に近くなければならないもの。記憶《き おく》を消して紡《つむ》ぐ私と3rdに、子体自弦《こ たいじ げん》振動を見ることの出来る貴女。……このモイラ型の中、姫の健康管理は貴女の役ですものね」
モイラ2ndは何も言わない。
が、モイラ1stは言葉を繋《つな》げた。
「そんなに、今までここに来た姫様達のことが忘れられない? 私達が自動人形だと知って怯《おび》え、そして必ず|Low《ロ ウ》―|G《ギア》にすぐ戻ることを望み、部屋から出ようともしなかった姫様達を。貴女の名を呼ばなかった姫様達を。そして」
そして、
「働きたいのに働くことが出来なかったから、今はもう、口を噤《つぐ》み続けているの?」
問いかけは静かに、しかしよどみなく。
窓の外を眺《なが》めたままの2ndは目を伏せた。
モイラ1stが、モイラ2ndに眉尻を下げる。
そのときだ。部屋の入り口に、一つの影が立った。モイラ1stが振り向き、
「ギュエス様。お戻りになられたら休息をとられた方が……」
「一つ仕事が出来た。モイラ2ndからの情報でな」
モイラ1stは表情を堅くして妹を見た。が、モイラ2ndは答えない。ただ目を伏せ、口を噤んでいる。
モイラ1stは手を伸ばした。モイラ2ndの肩を掴《つか》み、
「モイラ2nd、貴女、何を伝えたの?」
「叱《しか》るなモイラ1st、これは重要なことだ」
「私達にだって重要なことです。私達の存在|意義《い ぎ 》を忘れましたか!?」
妹の両肩を掴み、モイラ1stは叫んだ。
「――あの概念《がいねん》戦争中、どこかのGへ落ちた3rd―Gの女性がいたかもしれない。いたならば、発見|次第《し だい》、彼女に3rd―|G《ギア》の歴史を与え、その身を安定化させる必要があります。私達はそのために、3rd―Gの運命を保護するために作られた三《さん》姉妹です。……そして、クロノス様はこうも| 仰 《おっしゃ》いました」
一息。
「他Gの者達であろうとも、概念《がいねん》戦争の後は生き残った世界を支える者達だと。一人たりとも失わせる選択をするなと!」
「あの貴様《き さま》らの姫が、UCATの手の者かもしれないのにか!?」
「……?」
動きを止めたモイラ1stの手を、モイラ2ndが優しく掴《つか》み、持ち上げる。
視線を向けたモイラ1stは、妹が目を開き、窓の外に視線を向けているのを見る。
「あの姫はモイラ2ndの見立てによると2nd―Gの純血だ。そして情報屋からUCATの内部情報を我々は得ている。――月読《つくよみ》・京《みやこ》はおそらく日本UCAT開発部部長の月読・史弦《し づる》の娘であり、2nd―Gの皇族《こうぞく》に等しい人間だ! 彼女が量産型に名を与えるのは、2nd―Gとして名に介入《かいにゅう》して掌握《しょうあく》するつもりではないのか!?」
「その情報には未定部分が多いと判断します。たとえ親がそうであっても――」
そうだな、とギュエスは腕を組み、部屋に入ってきた。
「だからテストをしようと言うのだ。昨夜、貴女《あなた》はあの姫に与えていい情報のほとんどを与えた筈《はず》だ。そして、先ほど私のところにアポルオン様が御《ご 》相談に来た」
「……何の御相談を?」
「自動人形達が気に入っているし、記憶《き おく》もあるけど、彼女を外に帰してもいいだろうかと」
頷《うなず》き、
「アポルオン様は何も知らない。彼女が2nd―Gの眷属《けんぞく》だということも。だが、彼女がアポルオン様の手引きに従ってこの概念空間から出ようとしたならば――」
ギュエスは歩き、こちらに来た。
窓際《まどぎわ》、そこに立って眺《なが》め見下ろす視線の先には、アイガイオンがいる。
「私とアイガイオンが始末《し まつ》する。危険の可能性を無くすために」
「それが戦闘用《せんとうよう》自動人形の判断ですか……」
判断不能。そのままに数秒を、モイラ1stは動けなくなった。
しかし停滞《ていたい》した頭脳は現状の思考《し こう》を放棄《ほうき 》し、違う思考を記憶の中から発生させる。出てきたのは京との昨日の会話だった。京が逃げないと、信用しているということだ。
だからモイラ1stは一息をついた。モイラ2ndとギュエスを見て、彼女は今の息一つで自分の制御|機構《き こう》をアジャスト。その上で口を開いた。
「いいでしょう」
言葉を繋《つな》げるように、
「そのような試験に対し、京《みやこ》様ならば必ずこう| 仰 《おっしゃ》います。――試すならやってみろ。だが、それ相応《そうおう》の覚悟《かくご 》はしておけよ、と」
「随分《ずいぶん》とかぶれたな、この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に」
「私は試して相応のものを頂きましたから」
モイラ1stは自分の胸に手を当て、笑みを見せる。
「逃げず、知ろうとし、己の分もわきまえた京様に、私はもはや割り切りではなく新規《しんき 》に起こした判断から信用率を引き上げることにしました。……京様を試した代償《だいしょう》は私の従属《じゅうぞく》と、滅多《めった 》に使わぬ機能の行使です」
そしてモイラ1stは笑みを見せる。今までの笑みと違う、自信を込めた笑みを。
ふと見た眼下、大地の上では、鉢《はち》を抱えて日当たりのいいところへ移動する侍女《じ じょ》達と京に、金髪《きんぱつ》の人影が近づいていく。
アポルオンだ。
彼は片手を京に上げ、京は鍬《くわ》を杖のようについてうんざり顔だ。
怪訝《け げん》に問う京と、頭を掻《か 》くアポルオンを見て、モイラ1stは口を開いた。
「御《ご 》覚悟をどうぞ、ギュエス様。そしてモイラ2nd、それほど京様が信用出来ないなら、それこそ確かめに行くといいでしょう。あの人が今、下で何をしているのか。それを見て、……このLow―Gの可能性を知って来なさい」
[#改ページ]
第十七章
『午後の空間』
[#ここから3字下げ]
それはどこにあるか
求めるものと
求める者と
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
東京の西側には三つの山渓《さんけい》がある。
一つは最北の奥多摩《おくた ま 》山渓、もう一つは奥多摩| 丘 陵 《きゅうりょう》の南で秋川《あきがわ》の流れに支えられた秋川渓谷《けいこく》。もう一つは秋川渓谷の南にある八王子《はちおうじ 》の高尾《たかお 》山渓だ。
八王子側の山間は奥深く東西に抜ける高速道路を持っている。八王子の南側は神奈川《か な がわ》抜けも出来るために幹線《かんせん》が走っており、山地にしては交通の便のいい土地だ。
そんな八王子は昔は紡績《ぼうせき》の町として多くの工場を持っていた街だった。その後に工業で栄え、それらが廃《すた》れた今でも山地の中には多くの工場|跡《あと》が残っている。
その内の一つ、山間に隠れるように、しかし大きな空《あ 》き地を構えた工場跡がある。
無人の工場跡地だが、地面に荒れたものもなく、入るための道路は整備されている。
午後の光の下、山の中にも暑さが染み、セミの鳴き声が響《ひび》く頃合《ころあ 》いに、小さな人影が工場跡地の敷地へと足を踏み込んでいた。
半袖《はんそで》のサファリ系ワンピースに、麦藁帽子《むぎわらぼうし 》を被《かぶ》った少女だ。
少女は右手に大きめの籐籠《とうかご》を提《さ 》げ、工場前の空き地へと入る。
そのとき、彼女は左手をかざした。中指に鎖《くさり》が掛かった左手だ。鎖の先端は| 掌 《てのひら》側に落ち、そこには青い石がある。
少女は周囲を見渡し、他に誰もいないことを確認してから前に一歩を進む。
・――鉱物は生きている。
次の瞬間《しゅんかん》に彼女の周囲の空気が変わった。
セミの鳴き声が消えていた。空気はかすかに油を含んだものとなり、
「――――」
目の前にあった工場跡から、跡という字が無くなっていた。
そこにあるのは使い古されてはいるが現役の建物だ。耐熱《たいねつ》ボードを張り巡らした建物は、自らが作る日陰に作業服|姿《すがた》を多く座らせている。
古いラジカセがたてるテープの音は、昨晩《さくばん》のラジオの録音だった。
DJが昭和を回顧《かいこ 》して言葉を作るのをBGMに、年老《としお 》いた作業主任がDJを上回る解説を若者達にしている。
少女は小走りに、正面|大扉《おおとびら》を開いた工場の方へと。そして建物の日陰に回り、
「お茶|菓子《が し 》作ってきましたよー」
声に、作業員達が喜びの手を上げる。しかし年老いた主任が立ち上がり、
「詩乃《し の 》さん、暑いときは熱い茶だ。あるかい? 特にコイツら用、気が抜けてていけねえ」
「ええ、そう言うと思いました」
若者達が、うわ、と抗議の声を挙げるのを老《ろう》主任は笑み付きの一睨《ひとにら》みで制してしまう。
詩乃《し の 》は皆に微笑を送り、
「ちゃんと冷たいものも持ってきてますよ」
「おい詩乃さん、甘やかしちゃならねえぞ。ただでさえいろいろ遅れてんだから」
「気を抜くことも必要ですよ」
そうそう、という若者達の間に笑顔で入り、詩乃は籐籠《とうかご》を置く。
中から作ってきたものを出して、広げたシートに置いていく。
置かれるものはレモンの蜂蜜漬《はちみつづ 》けや、凍らせてきたスポーツドリンクのボトル。砂糖|菓子《が し 》は手作りだ。腹の空《す 》いた人には少な目だけれどボリュームを感じるピーナツバターのサンドイッチがある。
そして何よりお茶と羊羹《ようかん》。後者を詩乃は切り分けて行くが、その途中で若者達が手を伸ばしてくる。と、また老主任が声を挙げた。
「意地|汚《きたね》ぇぞ餓鬼《が き 》ども! あと、下側の端《はし》っこは詩乃さんの特権|所有《しょゆう》箇所だ。手を出すな」
詩乃は苦笑。奇数《き すう》人数だろうと綺麗《き れい》に分けられるのは毎日の積み重ねというものだ。
身構える皆を背後に、詩乃が爪楊枝《つまようじ 》を羊羹にそれぞれ刺していったときだ。
「――あ」
走る四つの足音とともに、それが来た。
それは、犬だった。
大犬《おおいぬ》だ。詩乃の腰よりも頭高《とうこう》がある白の犬が、焦ったような勢いで走ってくる。
「シロ」
詩乃は首で犬のじゃれつきを受け止めた。詩乃を軽く振り回すように犬は喜び、身をすり寄せてくる。だが、近くにいる者達は対称的に己の動きを止めていた。
彼らの視線に従うように詩乃も自分の足元を見た。しゃがみ込む自分の足側、地面に影が落ちている。自分だけの影が。
シロの姿を見れば、かすかに向こうが透《す 》けていた。
そして詩乃は自分の胸元へと目を移した。
首から下がる鎖《くさり》が、襟《えり》から胸前《むねまえ》へとこぼれている。鎖の先につくのは青い石だ。石は今、青い光を放っている。
「……難儀《なんぎ 》な光だな、詩乃さん。だがなついてるんだ、邪険《じゃけん》にせんでくれ」
老主任の声に、詩乃は眉尻《まゆじり》を下げた笑みを見せる。
「あらゆる形の意思と疎通《そ つう》し形を与える……。これが私の受け継いだ力ですから、大丈夫です。それにシロは私が呼びかけなくても自分で来てくれますから。――あのときも」
詩乃は工場|敷地《しきち 》の入り口を見る。
概念《がいねん》空間の境界線の向こう、現実世界の工場|敷地《しきち 》の門がある。門は開いたままだが、門の横、外の道路に面した場所に一つの石が立っている。
漬け物|石《いし》ほどの大きさの縦長《たてなが》の石は苔生《こけむ 》した姿で、しかし前には水皿《みずざら》と花がある。
「――初めてここから出してあげて、飼い主|気分《き ぶん》で浮かれた私が先に道路に飛び出したのに」
「いいじゃねえか詩乃《し の 》さん。シロはまだ生きてる。ここを家に、詩乃さんの周囲を縄張《なわば 》りに」
「ええ。……それに、命刻《みこく》義姉《ねえ》さんがあのとき約束してくれたことを憶《おぼ》えてるんです、私」
笑みを地面にこぼし、
「いつか、いつかきっと、……死を克服する世界を作ってみせるって」
詩乃は、肩越しに手を出す。と、シロが舐《な 》める。
感触《かんしょく》はあるが、それは自分が持つ石の力だと詩乃は解《わか》っている。犬の姿が具現するのは、自分を介《かい》して石が概念|力《りょく》を発揮《はっき 》しているのだと。
「……たまに怖くなるときがあります。皆さんにもこの力を使っているんじゃないかって」
「安心しな詩乃さん。――たまに詩乃さん不味《まず》いもん作るが、そんときゃコイツらの顔見りゃ解るだろう? 詩乃さんの概念で抑制されてたら常にヘラヘラしてるだろうがよ」
シロと一緒に振り向くと、背後の何人かが気まずそうな顔をしてる。
詩乃はどうしたものかと苦笑。向こうも苦笑してきたので、
「えーと、そういうときは叱《しか》って下さいね? 安心出来ますから」
「あ、いや、そういうのは……、主任! 主任だって一緒に食ってるでしょう!?」
「馬鹿|野郎《や ろう》。俺ァ戦中《せんちゅう》生まれだ。並のもんじゃあ不味いとは思わねえ」
それに、と彼は東の方を見た。木々の向こう、高尾《たかお 》の街並があり、更にその向こうにはかすかに陽炎《かげろう》でゆらめく八王子《はちおうじ 》の街がある。
「詩乃さんは、隠居《いんきょ》で終わりかけた俺と工場を拾ってくれた人達の義理の御子息《ご し そく》様よ。毒出されたって食うぜ俺ァ」
「主任! 主任はそう言っておいて羊羹《ようかん》では常に二番に美味《うま》い詩乃さんの横を取りますが!」
「ものごとよく見ろ馬鹿野郎。俺は糖尿《とうにょう》検査で陽性出てんだ。命がけだぞ」
「あ、あの、主任さん? 笑えないんですけど」
低糖《ていとう》の羊羹はあっただろうか、作ればいいのかな、と詩乃が思ったときだ。
主任が八王子の街を見たまま、口の端に笑みを作った。
「まあ、何がどうなるにしろ、面白え話だな。この工場の中、ほとんどは異世界あがりでこの世界の住人は俺だけって寸法よ。女房《にょうぼう》子供は俺が趣味でガラクタいじってると思ってやがる」
だがなあ、と主任は言った。
「詩乃さんよ、あの八王子、東京のこんな西側にある街が、第二次大戦で空襲《くうしゅう》受けたって知ってるかい?」
「……え?」
「変な話だろうよ。紡績《ぼうせき》の街で、戦時中も煙上げて布作ってた。それが軍事《ぐんじ 》工場に見えたんだろうな。――一九四五年八月二日未明、B29が百七十機てナパーム弾《だん》を六十七万発、死者四百人|超過《ちょうか》だ。そしてあの街の八割方が焼失《しょうしつ》したんだぜ」
と、老《ろう》主任は| 懐 《ふところ》に手を入れた。出すのは煙草《たばこ》だ。
周囲、燃料や油のタンクがあるのも構わず彼はマッチを擦《す 》り、
「それだけじゃあねえ。その焼失後に再開された疎開《そ かい》列車は、八月五日にそこの高尾《たかお 》のトンネルでグラマンの空襲《くうしゅう》を受ける。満員列車に機銃掃射《きじゅうそうしゃ》ってやつよ。そして死者約九百名」
淡々《たんたん》と言葉が並ぶ。その後に彼は煙草を吸い、煙を口に含め、吐きだし、
「それだけのことがあったのに、確固たる救いってヤツぁ来なかった。――奥多摩《おくた ま 》あたりにいた軍《ぐん》関係の特殊《とくしゅ》部隊ってやつもな」
「――――」
「ハジから聞いて思ったぜ。概念《がいねん》の力があったならば、あのとき、何かどうにか出来たかもしれねえ、と。これは愚痴《ぐ ち 》だってのも解《わか》ってる。今、俺にゃあ家族もいるしな。だけど、……ちょっとくらいは抗議も必要だろう、って自分を納得《なっとく》させてんのさ」
と言ってから、老主任は笑いを見せた。煙草をつまみ、
「命刻《みこく》にゃ言うなよ詩乃《し の 》さん。あの雛《ひな》つ女《め 》、あれでいて気を利かせるからな」
「主任が言わない限りは大丈夫ですよ」
詩乃はそう言って立ち上がる。横に並ぶシロの背を撫《な 》でながら、
「今度、主任に八王子《はちおうじ 》の街を案内して欲しいですね」
「そこの若いのより気の利いたトコを紹介出来るぜ。――老人|介護《かいご 》に間違えられてもいいならな。それより」
と主任が建物の裏手《うらて 》の方を指さす。
「命刻はあっちだ。今夜からの倉敷《くらしき》入りのため、竜美《たつみ 》と修行だとよ。馬鹿やってるぜ」
「アレックスは?」
「まだ武装|類《るい》を取り付けてもいねえ。が、出せそうだ。獲物を得るには間に合うだろう。そこの若いのが全員ちゃんと動けばな」
うへえ、と若手達の抗議に被《かぶ》せるように、老主任の声が響《ひび》く。
「――ともあれ十年待った。そして 軍 がようやく動くわけだ」
青に近い木々の緑がある。
木々の間から差す西に傾いた日は、しかし夏の陽光で明るさを衰えさせない。
影と光のコントラストが激しい林の中、二つの人影がある。
先に行くのは白い衣の青年だ。
彼は金の長髪を揺らし、汗一つ流さずに林の中を歩いている。
そして彼に続くのは黒髪《くろかみ》のセミロングの女性だ。林の中、彼女は眉をひそめた顔で白い衣の裾《すそ》をからげて歩いている。
と、女性が前の男性に声を掛けた。
「おいボンボン、どこ連れて行く気だ」
「ああ、それなんだがね」
青年は足を止めて、背を向けたまま、
「ミヤコ。君を逃がそうと思っている」
「はあ?」
京は青年の後ろに足を止めて疑問|詞《し 》をたてるが、彼は気にせず左右を確認。
「なかなか難しいんだ。侍女《じ じょ》達がどこかから見ている可能性がある」
「見られると?」
「私が叱《しか》られる」
言って振り向いた笑みは口元だけで、京《みやこ》は嘘《うそ》を感じる。
おそらく何かがあるのだろう。記憶《き おく》を消したり、与えたり、または重力など扱える自動人形達がおり、ここの機密《き みつ》は絶対で、主人にも服従《ふくじゅう》だ。
……あたしが逃げるのを見つかったら、あたしだけ処罰《しょばつ》だろうな。
だが、彼が周囲を確認したのはどういう意味か。
その気遣《き づか》いを悟り、京は舌打《したう 》ちする。
「ありがとよボンボン」
「だったらアポルオンと名前で呼んでくれミヤコ。自動人形達に名を与えておいて私だけボンボンなどという、……貴族のための呼称《こしょう》とは」
「ボンボンは貴族の呼称じゃねえっ」
そうなのか、とアポルオンは額《ひたい》に手を当て、
「しかし、裕福《ゆうふく》家系の子息《し そく》のことをそう呼ぶと、共通言語|概念《がいねん》的に察せられるのだが」
「言語の裏の意味ってのを考えろ。別に考えねえならそれでもいいけどよ」
「ならばそれでもいいか」
アポルオンは目を弓にする。邪気《じゃき 》のない馬鹿だな、と京は思う。
……まあ、いつも眇《すがめ》の馬鹿のあたしよりマシか。
モイラ1st達が彼を様づけで呼ぶのは、己の義務《ぎ む 》設定だけではないように思える。
少なくともこの馬鹿を騙《だま》そうとか、そんな気分にはならんしな、と京は内心で吐息。
「で、あたしを逃がすってのはどういう情《なさ》けの掛け方だい?」
「ああ、簡単に言うと、迷惑《めいわく》でね」
口元だけの笑みで彼は言う。
嘘《うそ》だな、と思いながら、奥底の意味を悟らないように京《みやこ》は警戒《けいかい》。肩を竦《すく》めて、
「そりゃごもっとも。確かに御主人様の意向を無視して侍女《じ じょ》達に名前つけちまったしな。追い出されても文句《もんく 》言えねえか」
「話が早いようで何よりだ」
と、そう言うアポルオンの顔が、何故《なぜ》か青ざめているように見えた。
彼の顔は木々の陰の中に入っているせいでそう見えるのだろうか。それに歩くといっても小山をちょっと回って来ただけだ。こっちは息を切らしてもいないし、向こうは男だ。
……気に掛けすぎか。
「んじゃ、どうすりゃここから出られるんだ?」
「ああ、ここの概念《がいねん》空間は境界線を緩めに取ってあってね。外に行けば行くほど中の概念が弱くなる。今、ここでは機械の生命力が相当に弱いはずだよ。最終ラインは数メートル先だ。そこを突破するには――」
と、アポルオンは長衣《ちょうい》の内側から一本の鉄棒を出した。振ると伸びて杖となり、
「これを握って向こう、まっすぐ行くと出られる」
「へえ。でもさ、あの、あたしの荷物とか、こっち置きっぱなしなんだけど」
「大丈夫だ。ここに君の――、小銭入れか?」
「馬鹿|野郎《や ろう》、全財産だっ」
「すまない。紙の金なんだったな、この世界は。資源の少ないことだ……」
「頭の足りねえ野郎だ。よく見ておけ。紙幣《し へい》だとな、ここ、顔の描いてあるところを、こうやって山折り二つ入れると……、ほら、下から見ると笑って上から見ると泣くだろう」
見せると、覗《のぞ》き込んできたアポルオンが、
「…………」
ややあってから向こうを向いて肩を震わせる。
京は内心で、失敗したか、と思いつつ、
「あたしの馬鹿さ加減《か げん》を笑いたければもっと大きな声で笑え馬鹿野郎」
「い、いや、|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の文化は非常に柔らかいな」
「それで言葉を選んだつもりか馬鹿。つーか、他にもいろいろあるだろ私の荷物」
「ああ、持ってきている。ここに下着ががふっ!!」
踏み込んだ肘《ひじ》を横腹《よこっぱら》に叩き込み、京は二枚の白布を奪い取った。奥歯《おくば 》を噛《か 》んで、眼前にうずくまる長衣《ちょうい》の背に言葉を吐く。
「神話通りだな太陽神《アポルオン》はエロいってのは」
「こちらの世界じゃそのような言われ方か」
「ああ、妹といい仲だとか、倫理|規定《き てい》無視だぞアンタ」
「だけど3rd―Gではそうするしかなかったんだよ。子を作れる素質があるのは私だけになり、多くの女性が試され、概念《がいねん》と意思を概念|核《かく》に抜かれて武神化《ぶ しんか 》されていった。……父の言いつけでね」
「上の人間の言いなりかよ」
ケ、と台詞《せりふ》を吐いてから、京《みやこ》は内心で吐息する。
どこも似たようなものだな。そして、他人《ひと》を言えた自分でもねえよな、と。
こっちは言いつけられるまでもなく、面接で拒否というレベルだったのに。
しかし、アポルオンは抗議をしない。ただ眉尻《まゆじり》を浅く下げて立ち上がり、
「――親族でも有りだったから、確かに、君の言うアルテミスも最後に試験を受けたけどね」
最後に、というところに京は思う。この男の妹は、何故《なぜ》、最後に試験を受けたのか、と。
……普通は、大事な相手を奪われないよう、他の女より先に試験するんじゃねえのかな。
否。
……駄目《だ め 》だと解《わか》るのが怖かったか。
下衆《げ す 》な想像だな、と思う。
モイラ1stには、アルテミスがどうなったか知らされていない。
ゼウス達はレアの娘をさらい戻して、概念核を二つに分け、一つをテュポーン、もう一つをテュポーン用の神砕雷《ケラヴノス》という武装に分けたという。だが、3rd―|G《ギア》は|Low《ロ ウ》―Gからの攻撃にあって神砕雷《ケラヴノス》を奪われ、概念核を半分失って滅びた筈《はず》だ。
アルテミスがどうなったか知らないが、今はいないのだろうか、と京は思う。
「……よく解んねえけど、妹の分もちゃんとしろよ」
「そうだね」
アポルオンは力無い笑みを口元にだけ浮かべている。
嘘《うそ》だな、と京はまた悟る。
何故かは解らないけど、その笑みが嘘だとは解る。
追及すべきか迷うが、彼はこちらを外に出そうとしている。だから京は真実を追うことを止めた。ここはゆきずりの場所かもしれない、と。
「しかし、アンタらこれからどうするんだい?」
「どうするんだろう」
「おいおい大丈夫かよ御主人様。アンタ、あの白いデカイ武神ってのを使うんじゃねえのか」
「あれは私が動かしているんじゃないよ」
「じゃあ、誰が? この基地の中、人間はアンタだけだろ?」
「でも私が動かしているのではないんだ」
そうかい、と京は頷《うなず》いてみせた。あのテュポーンに対しては皆の口が固い。ここで問答したところで答えは出てこないだろう。
京は吐息。
「まあ、とにかくうちの世界の連中と戦うんだろ? 止めろ、っても止めねえよな」
「ああ、それなりに理由もあって、……解《わか》ってはいるのだけど」
その言葉に、京《みやこ》は問うた。気になっていたことを。
「相手は……、レアの子なのかい?」
問いに、ややあってからアポルオンは頷《うなず》いた。
口元に笑みはない。だから京は信じた。
そして沈黙《ちんもく》が来る。
その静まりに、京はわずかないたたまれなさを感じる。自分が彼とは違う、戦いを知らない世界の住人だということを感じて、だ。
だから口を開いて出るのは軽口《かるくち》だ。
「そんでまあ、勝ったら、その娘を嫁《よめ》にするわけだ」
「あ、そうなるのか」
初めて気づいた口調で、アポルオンが言う。京は眉をひそめ、
「考えたことねえのかよ。そんなことでどーすんだ、これから」
「いや、戦ってないからね。他人|任《まか》せだから思いが至ってないんだ、きっと。……しかし参ったな。私としては、戦いに勝ったらここからまたどこかに移動しようと思っているんだが」
アポルオンは外を見る。倉敷《くらしき》の街を、
「この向こう、もっと街があって、山があって、海があるんだろう?」
「当たり前じゃねえか」
そうか、とアポルオンは安堵《あんど 》したような顔を見せた。
「祖父《そ ふ 》から聞いた通りだ。こちらの世界は広いと。まずそういうものが見たいな。朝の日差しでも浴びつつ世界を見て、――隣《となり》には妻になる人か、それもいい」
「……勝手に妄想《もうそう》始めやがって。勝てたら、だろうが」
「そうだな。向こうは強いよ」
そう言ってからアポルオンが問うてきた。
「先夜、テュポーンとあの黒い武神《ぶ しん》の戦闘を見たかい?」
京の記憶《き おく》は、ある光景を呼び覚ます。上空、黒い武神とすれ違ったテュポーンは、黒い武神をあしらうようにいきなり位置を変え、攻撃を叩き込んだ。
最後に黒い武神《ぶ しん》から雷撃《らいげき》が来たが、テュポーンはそれすら耐え切っている。
「……相手になるのか? あの黒いの」
「向こうはテュポーンと同等の力を持っている。機械として純粋な分、テュポーンの方が強いだろうけどね」
「じゃあ、黒いのは勝てねえな」
京《みやこ》は、頭を掻《か 》きながら言う。
もっと残念そうに言えよ、と思いながら。
だが、アポルオンは目を細めてこう言った。
「勝てるかもしれないよ? 黒い機体は」
「――どうやって?」
「どうやってだろうね? それは解《わか》らない。だけど、祖父《そ ふ 》は言ったよ。――もしテュポーンがあの黒い武神に敗《やぶ》れるときがあれば、そのときは|Low《ロ ウ》―|G《ギア》に全てを任せろ、と」
「随分《ずいぶん》と謎掛《なぞか 》け好きなジジイだな。ろくなもんじゃねえぞ。じゃあ何だ、あの黒い武神がテュポーンを倒して、ついでにテメエを殺したら、3rd―GはLow―Gに身売りするか?」
馬鹿言うな。
「そのとき、3rd―Gの人間はどこにいるんだよ?」
「レアの娘が――」
「レアはLow―Gに亡命したんだっつーの! レアはこっちの世界の味方。あたしらにとっちゃああの黒い武神は巨大なメカ仕掛けてくる悪の組織に立ち向かう巨大ロボだぜ」
「意味がよく解らないけれど、戸籍《こ せき》的には確かに彼女はそちらの世界の住人かな。……だが」
「だが?」
不機嫌《ふ き げん》な口調を故意《こ い 》に露《あら》わにして問うたこちらに、アポルオンはゆっくりと言った。
「向こうは今のところ、どう考えてもテュポーンに勝てない。そして決着は近い。――私は勝てるなら勝ちたいと思ってる。とりあえず現状は私達の勝利で問題はあるかい?」
「ねえよ馬鹿。大体、今のが結論だとしたら、黒い武神は勝てるかもしれないよ、とか言ってあたしとウダウダ言い合う必要もねえじゃんか。もうちっと回りくどくなく、解りやすく言えよ。――向こうは強いが、とりあえず問題ない、って」
……ああ、何を説教タレてんだこの馬鹿に。
京は眉根《まゆね 》を詰めてアポルオンの目を見る。
すると彼も真剣な顔でこちらの目を見ていた。
彼の黄色の瞳《ひとみ》。その色は先夜に見たテュポーンと同じものだが、そこに今ある感情は違う。
あのとき得た感情は何だろうか。その答えをアポルオンが知っているような気もするが、
「まあいいや。ボンボン思考《し こう》のウダウダに付き合ってると日が暮れる。――とにかく、アンタはあたしに出ていって欲しいんだろ?」
ああ、と言う顔は、真剣さを失う。見れば口元に笑みがある。
「無理にとは言わないよ。――君としては、侍女《じ じょ》達と仲良く現実|逃避《とうひ 》していたいんだろう?」
その言葉に反抗心が働き、反射的に手が動いていた。
彼の手にある鉄杖《てつづえ》を奪い取り、背を向ける。
……くそ。
杖を突きながら向こうへ歩けばこことはオサラバだ。ちょっと服がどうしようもないし靴もサンダルだが、下着も財布もある。上にTシャツでも買えば格好《かっこう》はつくだろうし、奇異《き い 》の目で見る連中にはガンをつければ下がるのは昔《むかし》通りだ。
……外に出よう。
京《みやこ》は背後の男に鼻息一つ。
そして彼女は歩き出す。
一歩を踏めば、身体《からだ》は自然と前に出た。
足の動きに余分な力も後ろめたさもない。ほ、と息をついて京は前に行く。
モイラ1stのことなど思うと、少し気兼ねもある。
今日、侍女達に名を与えたときは、ちょっと何かこの環境を変えてやれないかと思ったが、
……主人にとっては余計なことだったか。
行こう。
正直、訳のわからん戦いがあり、その当事者である御《ご 》主人様はこっちに関わって欲しくはないそうだ。
思い出すのは、今まで続けてきた就職活動の記憶《き おく》だ。いつも直前まで、この企業に入ったらあれをしようこれをしようと考え、本番で立ち去ることになる。
またこれも同じだな、と心の中で一人ごちる。
背後、アポルオンは追って来もしない。そのことに苛立《いらだ 》ちを持ち、更に足を速める。
だが、
「――――」
京はいきなり足を止めた。
……何やってんだ。
と思う始まりは、杖を握る右手だった。
右手の中に熱がある。
昼間、鍬《くわ》を連続で振り下ろしたためだ。痛みにも似た、握力の熱がそこにある。
鍬で土を掘り、鉢《はち》に入れて、自動人形の名が付いた種《たね》を植えた。
今、彼女達の鉢は白い建物の南側の縁《ふち》に並んでいる筈《はず》だ。
それらは、確かに自分が関わったものだ。
「…………」
京は思う。立ち去っていいのだろうか、と。
甘えとか、子供だましとか、子供の遊びとか、そういう、今まで言われ続けて来た単語が頭の中に浮かんでくる。
だけど、と京は手の中の痛みに意識を移す。
……何も出来なかったわけじゃあねえよな。
自動人形達は、名をいただくと、一度呼んで欲しがった。自己への登録を完全にするために、信頼出来る相手から呼んでもらうのがいいのだと言う。
約六十人。昨夜|覚《おぼ》えた顔と、今日告げた名前は一致している。
そして初めに名前を与えた自動人形、バイオレットが問うてきた。こちらの名前を。
だから改めて答えた、京《みやこ》と。
京。父が名付けた名前だ。多くの人が集まるようにと。
京は自分の名前を思う。自動人形達が呼ぶようになった名前を思う。
……どうだろう。
「あたしは――」
自分の名から逃げようとしているか?
「――――」
判断は一瞬《いっしゅん》だった。いろいろな思考《し こう》が浮かんだが、一瞬で切り捨てた。
割り切りは得意だ。後悔するのだって得意だし、忘れることだって得意だ。
京は止めた足を後ろに向けた。眉をしかめ、歯を噛《か 》み、とんでもなくいかつい表情をしているだろうが、それはきっと本心を隠すためだと解《わか》っている。
それは、隠していても、本心は確かにあるということだ。
だから思う。
……ここに残ろう。
「まだ、きっとやり残したことがあるからよ……」
振り向き、アポルオンに何かを言おうと思った。こっちを逃がそうとしている彼に対して、何か言ってとどまる許可を得ようと。
しかし、京は見た。
「おい」
先ほどまで自分の前に立っていた彼が、地面に腰を落としていたのだ。
草の中、身を沈めるように座り込んだ彼は、息をしていないようで、
「馬鹿、何やってんだ……」
歩み寄り、駆け寄り、鉄杖《てつづえ》を捨てて京は急ぐ。
……どういうことだ?
ここは概念《がいねん》空間の境界そばで、機械だけが弱くなる場所ではないのか。
走り寄った京は、慌《あわ》ててアポルオンの傍《かたわ》らに座り込む。見れば彼は肌に汗を浮かせており、呼吸も弱く、顔も白に近い色だ。
先ほど、彼の顔色が悪いと思ったのは錯覚《さっかく》ではなかった。
「馬鹿|野郎《や ろう》……」
つぶやいたときだ。ふと、京《みやこ》は足から力が抜けたような感覚を得た。
あ? と見た眼下、草の地面が揺れた。
瞬間《しゅんかん》。京は見る。自分とアポルオンがいる場所が、林の中、断崖《だんがい》の近くだということに。
そして、地面がこぼれるように砕けた。斜面の方へ、下の方へ。
「――!」
京は落ちた。
木で出来た部屋がある。
広さは四畳ほど。壁には籠《かご》の並ぶ棚があり、体重計や冷蔵庫がある。
冷蔵庫の側面には文字が書かれていた。田宮《た みや》家私物・改造《かいぞう》禁止 と。
ここは田宮家の男|風呂《ぶろ》の脱衣《だつい 》所だ。棚上に掛かった時計は午後五時五十分を差している。
時計の右向かいの壁、そこにある入り口の戸を開けて、人影が入ってきた。
新庄《しんじょう》だ。
手に青い浴衣《ゆかた》を抱え、制服|姿《すがた》で入ってきた新庄は、
「ええと」
とあたりを見回し無人を確認。そして浴場側の擦《す 》り硝子《ガラス》の扉を開けた。
湿った温かい空気の向こうにあるのは、タイル張りの浴場だ。洗い場は四畳ほど、やや深めの浴槽《よくそう》も同じくらいはある。洗い場に蛇口《じゃぐち》とシャワーが四つ見えることから、普段は四人交代制で使っているのだろうと新庄は納得《なっとく》する。
「これ、……平均的な家の御《お 》風呂なのかなあ」
UCATの職員用大型|浴場《よくじょう》と、銭湯《せんとう》 永世《えいせい》ひまわり の広い浴場しか知らない新庄は、この田宮家の浴場のスペースをどう捉《とら》えていいか解《わか》らない。
……でも、まさか田宮さんの家に泊まることになるなんて。
飛場《ひ ば 》の家が破壊されたことが原因だ。
学生|寮《りょう》の自分達の部屋は出雲《いずも》と飛場が使用し、出雲達の部屋は美影《み かげ》と風見《かざみ 》が使うことになっている。飛場と美影を同じ部屋にしようという案もあったのだが、まだ一学期| 終 了 《しゅうりょう》直後で帰省《き せい》していない生徒も多い。出雲と佐山《さ やま》は話し合いの上で、
「佐山のような馬鹿で有名なヤツの部屋に一年|坊《ぼう》と金髪《きんぱつ》が入ったらどんな噂《うわさ》が立つよ?」
「貴様《き さま》の打撃|夫妻《ふ さい》部屋に入れたところで新型プレイかと思われるだけだぞ馬鹿め」
という両者の言で、今の編成が決定された。
美影が心細そうにしていたのが気がかりだったが、出雲が破壊された家屋の下から拾ってきた荷物、その中にあった日記を受け取ってからは表情も少し落ち着いたように見えた。
彼女の日記と自分のバインダーを重ねて思い、新庄は安堵《あんど 》に近い感覚を得る。
……誰でもそういうものってあるよね。
うん、と言って、新庄《しんじょう》は浴場の硝子《ガラス》扉を閉めた。無人は確認した。念のために脱衣籠《だつい かご》を見回るが、自分以外の着替えはない。やはり無人だ。
今、台所では夜勤《や きん》交代の人達の夕食を孝司《こうじ 》中心に作っている。
自分と佐山《さ やま》は途中のものをいただき、その後に佐山は居間で新聞を読んでいた筈《はず》だが、彼はいつの間にかどこかに消えてしまった。
風呂《ふろ》に安全に入るならば今がチャンスだった。何しろここは佐山空間が常時|展開《てんかい》している場所だ。早めに入って出て、明日の合宿に向けて早寝《はやね 》するに限る。
一度、戸の向こうに手を出し、外の柱に 客人使用中 という立て札を掛ける。
そして新庄は無言で服を脱ぐ。シャツ、ズボン、下着、靴下を脱いで肌を露《あら》わに。
衣服の下から出るのは切《せつ》の身体《からだ》だ。
新庄はタオルを手に、胸を浅く抱いて前へ。扉を開ければそこは湯気《ゆ げ 》の空間だ。
「わ」
いつも行っている大《だい》浴場と違い、蒸気の密度が濃い。すぐに肌に汗が浮く。
窓の外はまだ夕焼け。いつもの大浴場では見えない光だ。窓の鍵《かぎ》は掛かっている。よしよし覗《のぞ》きはないよね、と安心した。念のために浴室の隅《すみ》を見るが隠しカメラもない。
貸し切りだ。
やった、と身体に湯をかけようとして身を屈《かが》める。近くにある湯桶《ゆ おけ》を引き寄せ、
「……ん?」
持ち上げた湯桶は重い。既に湯が浸《ひた》されている。
だが無人の筈なのに湯桶の湯が温かい。何故《なぜ》だろうと思い、よく観察した。
すると、湯桶に見慣れたものが浮いていた。
獏《ばく》だ。
小さな小動物は、湯桶の縁《ふち》に両の前足を掛けてバタ足《あし》練習中。
お湯の小さく跳ねる音に、新庄は眉をひそめた。あたりを見回し、天井も見渡す、が、
「飼い主がいない……」
獏だけここで遊ばせているのかな、と新庄は考えた。どちらにしろ佐山がここにいないことは確実だ。迷っている時間があったら、
「湯に浸《つ》かろう」
声は自分に言い聞かせる口調だ。そして別の湯桶を持って、新庄は浴槽《よくそう》に身を乗り出した。
と、下を見ると、湯船の底に仰向けで寝ている佐山と目があった。
「………」
湯の底、水色のタイルの上に寝《ね 》っ転《ころ》がった佐山はこちらに気づいて手を上げる。
やあ、とか、そんな感じで口が動くのを新庄は確認する。ややあってから、
「う、うわあ……!!」
こちらの叫びに応じるように、湯を破って佐山《さ やま》が勢いよく身体《からだ》を起こした。蒸気と飛沫《しぶき》を上げながら、彼は左手で髪を掻《か 》き上げ、
「ふう、どうしたのかね新庄《しんじょう》君。叫びを挙げて。何か変なものでも見たのかね?」
「鏡《かがみ》見てもの言いなよっ!」
言われた佐山は、浴槽《よくそう》横の壁に掛かった鏡を見る。
ふむ、と鏡を見た彼は眉をひそめ、
「――成程《なるほど》、そういうことか」
と意味の解《わか》らない言葉とともに、濡《ぬ 》れて崩れた前髪を直した。そして鏡に対して身構え、髪を更に直し、その上で斜めからの自分の顔の造形を確認して、
「これでいつも通りだろう。意外とみだしなみにうるさいのだね、新庄君」
うん、と新庄は頷《うなず》いた。笑顔を作って、
「あのね佐山君、僕が最近発見した新事実を教えてあげる。――君イカレてるよ!」
「それはまたいきなりだね。落ち着こう新庄君。そして誤解を解こう。何が疑問かね?」
「正気を保つためにこんなことあまり言いたくないけど、……何で風呂《ふろ》の底に沈んでたの?」
ああ、と佐山は右の腕を上げてみせた。そこにはUCATの腕時計がある。
「昔から肺活量《はいかつりょう》の訓練で行っているのだよ。――ベスト時にはまだまだだな」
「昔……、から?」
「そう。昔は祖父《そ ふ 》と競っていたのだがね。百数えるまで出てはならんと言って頭を押さえつけてくるから死にそうになったものだあのタコ爺《じじ》いめが。その後に向こうが沈んだときは風呂に洗剤をぶち込んで消毒してやったものだが、泡の中で暴れる姿は怪獣《かいじゅう》映画そのものだったな。……しかしろくな老人がいないね昨今は。最近一人|減《へ 》って喜ばしいことだが」
「すくすく育ってる後継《こうけい》者がいると思うよ……」
「ははは私の方が遙かにカーストの上位に達するよ、安心したまえ」
それこそ安心出来ないな、と思う新庄に対し、佐山が問うてくる。
「他に何か納得《なっとく》いかないことはあるかね?」
「ええと……、あのね? 脱衣所に佐山君の下着とか、無かったんだけど」
「それはおかしい話だね。ちゃんといつもの場所に入れてあるのだが、――冷蔵庫に」
「いつもって何だよっ!!」
「田宮《た みや》家私物と書いてあっただろう。あれは実は金庫代わりになるものでね。昔は台所にあったのだが一度|鍵《かぎ》を無くし、半年|経《た》って鍵を見つけてみたら中が凄《すさ》まじいことに」
「へえ、何となく解ったよ。……佐山空間で佐山君に常識求めたボクが間違ってたって」
言いつつ、新庄は背を向けた。ここは終わりだ。もう今夜は風呂には入れない。当分は冷蔵庫も警戒《けいかい》しよう。そう思うと笑顔もしらじらしくなる。
だがそのときだ。浴場の入り口、硝子《ガラス》扉に人影が映った。ピンクのタオルを巻いた肌色《はだいろ》は、
「やほー、切《せつ》ちゃん? 遼子《りょうこ》さんが御《お 》背中|流《なが》しに来たからねー」
「……え? 遼・子・さん?」
と疑問|詞《し 》を上げた新庄《しんじょう》の身体《からだ》を、不意に小さな風が包んだ。
あ、というまもなく、新庄の身体が変わる。運《さだめ》のものへと。
「――!」
新庄が息を飲むのと、入り口の扉が開こうとするのは同時。
新庄は慌《あわ》てて擦《す 》り硝子の扉に手を掛け塞《ふさ》ぐ。向こう、遼子は扉を動かそうとして、
「あれ? ……立て付け悪いのかしら?」
「い、いや、そうじゃなくて! あ、あの、佐山《さ やま》君!! 佐山君、ちょっと、あの!」
「どうしたのかね新庄君、遼子が来ただけではないかね。そんなに暴れずとも」
「暴れずって、で、でも、遼子さんに見られたら駄目《だ め 》だよボク達!」
そんな叫びに、遼子が反応した。
「? 切ちゃん? 見られたら駄目とか、ひょっとして今、若《わか》と凄《すご》いことしてるの……?」
……誤解《ご かい》ー!
どう説明していいものか。いや、説明したら駄目だ。
頭の中がいろいろなことの優先《ゆうせん》順位をつけかねて迷う。とにかく口を開き、
「え? あの、いやそうじゃなくて、その、――ってどうして見てるだけなんだよ佐山《さ やま》君!」
「最近ふと思うのだよ新庄《しんじょう》君。私はひょっとして、我知らず新庄君に失礼を働いてないかと」
「こ、こんなときに気遣《き づか》い働かせなくていいからっ。だから見てないで、は、早く来てっ!」
「あー、遼子《りょうこ》さんも見たいし行きたいー!!」
と、遼子が猿のように扉をがくがく揺らす。うわあ、と新庄は堪《こら》えて、
「佐山君! ちょっと、お願い支えて! 支えるの手伝って!」
うむ、と佐山の声が聞こえた直後だ。彼が両の手でしっかりと支えた。こちらの尻を。
湯に浸《つ》かっていた熱い手指にがっちりとホールドされた後ろから、佐山の冷静な声が響《ひび》く。
「新庄君。しっかりと支えたが……、一体これから私にどうさせたいのかね? 手伝うとは言っても、流石《さすが》にこの姿勢では制限があると思うのだが……」
「……佐山君、今が我知らずの時間だよ? ――って、うわ! 遼子さんやめてえっ!」
叫んでいると脱衣所の方から新たな足音が響いてきた。戸の開く音がして、
「姉さん! 男湯で何やってるんだよ!」
「ん? 決まってるじゃない孝司《こうじ 》。切《せつ》ちゃんの背中|流《なが》したいなあ、って」
「あのね、姉さん。切君は男だよ? しかも他人《ひと》様の子だよ?」
「なーに馬鹿言ってるのよ孝司。お・茶《ちゃ》・目《め 》・さ・ん。――うちに来たからにはうちの子よ」
「あのね、よく聞いてくれ姉さん。他人様には他人様のルールがあるんだから、うちの中でもそれを摺《す 》り合わせていく努力をしないと。いきなりこちらのやり方をぶつけたら駄目《だ め 》だろう? ひょっとしたら、二度と切君が来てくれなくなるよ?」
「大丈夫よ。説得のために防水カメラも用意したから。って、あー! 何で取り上げるの!」
「姉に犯罪行為をさせないためだよっ!!」
うー、と考え唸《うな》る遼子の喉《のど》の鳴りが聞こえた。だが彼女はすぐに明るい声で、
「でも孝司聞いて聞いて。あのね、切ちゃんね、大前提《だいぜんてい》として、私と同類《どうるい》だと思うのっ」
……意外と鋭い。
しかし新庄の思考《し こう》は孝司に届かない。吐息の音がして、
「姉さん。……常識って言葉、知ってる?」
「知ってるよ? お姉ちゃん、これでも国語は五だったんだからねっ」
「それテストの点数のこと? ついでに重ねて言うけどここは男湯なんだから。企業の社長が風紀《ふうき 》を乱すことを補佐としては許可出来ない」
「えー、堅いなあ孝司。今はオフだから私人よ?」
「うんうん。じゃあ私人として、弟として言うね。――出てけ姉」
「ケチーっ!! 若《わか》と切ちゃんだったら男湯に入ってていいって言うの?」
「だから若も切君も男だよ姉さん! 確かに切君はブロンクスあたりを歩かせたら五メートル進む前に何かの犠牲《ぎ せい》者になりそうな感じがするけれど!」
わあボクの評価ってそんな感じなんだ、と新庄《しんじょう》は妙に納得《なっとく》する。比較的まともな孝司《こうじ 》が言うのだから説得力あるな、と思っていると硝子《ガラス》扉の向こうから力が消えた。
姉のじたばた抵抗する音が遠ざかりながら、
「あ、こら、孝司! 姉さんをこんな格好《かっこう》で外に出す気!? お父さんとお母さんが軽井沢《かるい ざわ》に熊撃《くまう 》ち避暑《ひ しょ》行ってるからって。あああもう、しこたま呪《のろ》ってやるー!!」
……凄《すご》い台詞《せりふ》だなあ。
肩から力を落し、後ろで尻を愛《め》でている手を払い、新庄《しんじょう》は湯桶《ゆ おけ》を手に取った。
「あのさあ、佐山《さ やま》君、……いつもこうなの?」
「賑《にぎ》やかだろう?」
否定する気が全く起きないので新庄は吐息とともに頷《うなず》いた。
湯を被《かぶ》ってから湯船《ゆ ぶね》に入ると、全身から力が抜けた。
一息。
と、横に佐山が座ってくる。身体《からだ》に湯の染みるような感覚の中、彼が横に座ることに何となく身が縮まるような気がする。
何だろうか、と、よく考えると、すぐに思い当たった。
……そう言えば……。
「あ、あのさ、運《さだめ》の身体で一緒に御風呂《お ふ ろ》入るの初めてだね……」
新庄は湯の中で身体を手で隠す。と、横の佐山が苦笑した。
「安心したまえ。君が嫌がることはしない」
どうだろう、と言いそうになって、やめた。
確かに、彼の言う通りのときがある。だから、
「うん。解《わか》ってる。……いつも、ボクが抵抗しちゃったり、泣きそうになると止めるもんね」
「ああ。そんなことをしつつ二ヶ月ほど過ぎたが、身体の方はどうかね?」
問われ、新庄は首を横に振った。
約二ヶ月前のある夕方、初めて自分の正体を明かしたときに約束したことがある。
たびたび自分の身体を確かめてもらうことだ。だが、それをしても生理もなければ、
「男の子の方も無いよね……」
言い方が、彼のせいにしているように感じた。だから新庄はフォローを思う。でもね、と付け加えるように言って、彼を見る。と、彼は小首を傾《かし》げ、
「――何かね?」
「あ、うん……」
真正面から問われると困るが、こういうときでなければ言えないこともある。
「あ、あのさ、ボク、佐山君のしてくれること嬉《うれ》しいから、安心してね。ボクが嫌がっても」
いつも言おうと思っていたことだが、ちゃんと言葉にすると顔が熱くなる。
そして佐山《さ やま》がこちらを見る視線に、新庄《しんじょう》は我慢出来ずに目を逸《そ 》らす。顔が赤いのは風呂《ふろ》の湯が熱いからだと自分を納得《なっとく》させる横で、佐山《さ やま》が頷《うなず》き、小さく笑みを作った。
その笑みに、新庄は視線を逸らしてうつむいた。
そして身体《からだ》を抱いていた腕を前に伸ばし、膝《ひざ》を掴《つか》んで、引き寄せる。湯の下で膝を抱えれば、膝頭《ひざがしら》が湯から出る。それに頬《ほお》をつけ、話題を変えるように言葉を作る。
「――あ、あのさ、ボク、やっぱり、駄目《だ め 》なのかなあ」
「何がかね?」
問いに対する答えは、今の身体の熱を冷ますようなものだ。
息を吸い、新庄は言う。
先月末、何事もなかったかのように腹痛だけがきた夜に思ったことを。
「……ボクのこの身体は、やっぱりちゃんと一人前になれないのかも。痛むだけで、さ」
言って、視線だけで浴槽《よくそう》の床を見た。揺らめく床は容易《たやす》くこちらの視線を奪う。
が、いきなり右頬に温かいものが当たった。濡《ぬ 》れたもの、硬いもの、佐山の指だ。
はっとして顔を上げると、右手側から声が聞こえた。
「風見《かざみ 》が君の頬を打ったことを憶《おぼ》えているかね?」
「――――」
「私にはそれをさせないで欲しい。そして、私も君にそれをしないよう、……打つのとは別のやり方で手伝おう。これは私の望んだことでもあるわけだからね」
そして、声に笑みが来た。
「大体、痛むだけで一人前になれないならば、私の方も同様だ」
「……あ」
新庄は慌《あわ》てて湯船《ゆ ぶね》に浸《つ》かった肩越しに彼に振り向く。
視界の中心に置いた佐山は、こちらを見て無表情だ。が、その無表情には力も険《けん》もない。
だから新庄はそのまま、佐山の身体に寄り添った。彼の左腕を両の手で掴み、肘《ひじ》を曲げて身を寄せ、うつむいた額《ひたい》を彼の肩に載せる。口を開いて出る言葉は、もう謝罪ではない。
「有《あ 》り難《がと》う……」
うん、と新庄は首を下に振った。更にうつむき湯船《ゆ ぶね》に口を沈め、上げる。そして前向きに行こうと思い、言葉を切り出す。
「あ、あのさ、今日……、入れ替わったよね、ボク達」
「そうだね。あの概念《がいねん》空間の中、新庄君が私になって、私が新庄君になった」
今まで言及しなかったが、佐山の言葉に新庄は安堵《あんど 》した。自分と彼の思いが通じているということと、自分が人間なのだということに。だから、
「あのね? 佐山君、……ボクの身体、どうだった?」
問うと、佐山は真剣な顔で頷いた。視線を合わせ、口を開き、
「――とてもとても、いやわらしかったね」
「うん。言いたいことは何となく解《わか》るけど言いにくいのと同時に腹が立つ」
「そうか。やはり、いい言葉とは年に数度も出ないものだ……」
佐山《さ やま》は浴槽《よくそう》の内壁に浅く背をかけ、腕を組んで考え込む。
どうしたものかと思う新庄《しんじょう》は、それでもしかし、朝のことを思い出す。
佐山の身体《からだ》は自分のものとは違った。入れ替わってまず驚いたのは視界が高いことだ。隣《となり》に立つ自分を見下ろして気づいたのは、
……佐山君、いつもちゃんとこっちを見てるよね。
彼は視線で見下ろさない。顔を向けている。だからあのとき自分もそうした。
いつも自分は上目《うわめ 》遣《づか》いになっていなかっただろうか、と今更《いまさら》ながらに思う。
そして渡された|Ex―St《エグジスト》を抱えたとき、驚きは愕然《がくぜん》に変わった。いつも振り回すように使っているEx―Stが軽い。走ってもバランスが崩れず、息が切れることもない。その上、
……いつも佐山君は、ボクに歩みを合わせてくれてる。
概念《がいねん》空間の中をいつものペースで走ると、自分が遅れて来るのが解った。
かなわないな、と思う。すると、うつむきが深くなった。
「今日、ボクね、佐山君の身体になってちょっと考えたことがあるんだよ」
「私の身体を使って、男の子の方をいろいろ体験したらどうか、かね?」
「……う、うん、よく解ったね」
「ははは、私も試してみたかったからね。新庄君がどう困っているのかを知るにはいいだろう、と。精神的なものが君を抑えている原因なら、私の意思があればどうだろうか、と」
「ボクが佐山君の身体を借りたら、やっぱり駄目《だ め 》かな?」
「身体が変わったことへの安堵《あんど 》感があるなら、駄目ではないと思う」
……そうかな。
わずかな不安を自分自身に抱き、新庄は一度|歯《は 》を噛《か 》んで唾《つば》を飲む。
が、すぐに新庄は口を開いた。
「もう確かめられない、残念なことだね……」
「何、普通の人はそんな機会すらないものだよ。それを活かすことが出来なくても、普段と何ら変わりが無いいつもが待っているだけだよ、新庄君」
「口が巧《うま》いなあ……」
有《あ 》り難《がた》い人だ、と新庄は苦笑した。だから新庄は決める。一度、息を整えて、
「前に、ボクが言ったこと憶《おぼ》えてる?」
「何をかね?」
「うん。ずっと前に言ったことだけど……、ボクも佐山君にしてあげる、って。佐山君、無理することはないって言うけど。今日ボク、佐山君の身体を身近に感じたから、出来れば参考に見てみたいし、佐山《さ やま》君が嬉《うれ》しいとボクも嬉しいし、だからその、あの、ええと」
「うむ。ではお互いに頑張ろう」
「うん。……って、あ! 佐山君の頑張りとボクの頑張りはレベルと想像力が違うから!」
「ははは、つまり――、私よりも凄《すご》いのかね」
否定の意見を言うより早く、新庄《しんじょう》は抱き寄せられる。彼の笑みとともに。
その笑みに身体《からだ》の力を抜き、貼《は 》り付くように身を寄せながら新庄は告げる。小さな声で、
「二人で一緒に、……頑張ろうね、どんなことも、これからも」
[#改ページ]
第十八章
『これからの身の上』
[#ここから3字下げ]
己への野心を自我というか
他への野心を希望というか
そう堅く考えることもないような
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
京《みやこ》が目覚めたとき、視界は朱の色に満ちていた。
オレンジ、| 橙 《だいだい》、赤の混じった黄色、そんな色が視界の中央から周囲全てにある。
ややあってから気づくのは自分の身体《からだ》の感覚だ。今、自分は大の字に仰向《あおむ 》けになっていて、視界の正面にあるのは森の木々の葉群と空だ。
緑色をしていた葉の重なりすらも、今、朱の色に染まっている。
……夕日か。
と京は思う。そして視線を動かし周囲を見た。
すると陰影《いんえい》があった。陰影は人の姿で、男で、知っている顔だった。
「――おい、馬鹿!」
勢いよく起き上がったのには理由がある。第一に、寝ていると思った自分が、彼に浅く抱きかかえられるような姿勢であったこと。第二には、
「血ぃ出てるじゃねえか!」
身体を起こして振り向き見れば、彼は崩れた崖の下で、土砂《どしゃ》を背に座っている。
朱色《しゅいろ》に見える金色の長髪は乱れ、額《ひたい》を黒いものが下っている。一瞬《いっしゅん》、硬球《こうきゅう》を脳天にぶつけた中学時代の先輩《せんぱい》の末路《まつろ 》を思い出し、京は首を横に振った。
あれより血の景気《けいき 》がいい。
よく見れば、彼の右の腕は微妙《びみょう》な方向にねじれ曲がっている。下腕《か わん》を構成する二本の骨の内、どちらかが折れているに違いない。
「馬鹿|野郎《や ろう》……」
かばわれた、というのはよく解《わか》る。こっちも右のふくらはぎの外側に擦《す 》った痛みがあるが、彼に比べれば軽傷だ。唾《つば》でもつけとけば治る。
京はあたりを見回し、誰もいないことを確認した。崩れた崖の規模を見ると、結構《けっこう》大きい。崩れ方は、どちらかと言えば概念《がいねん》空間の内側に向かって斜めに滑ったような崩れ方だ。
崖上にいたとき、アポルオンは外境《がいきょう》周辺では概念が薄いと言っていたが、今はどうだろうか。少なくとも、先ほどより外境からは離れている。
京は口を開いた。誰かを呼ぶために。だが、
「心配しないでいい。すぐ治るから」
彼が小ざな声で告げた。はっ、と振り向いた京は、彼が生きていることに安堵《あんど 》の吐息。しかしそれを悟られぬよう、すぐに言葉を放つ。
「何を格好《かっこう》つけて人かばってんだよ馬鹿っ。ひ弱《よわ》なクセに」
「ああ、礼を言ってもらえるかもな、と思ったんだが」
彼は疲れたように目を伏せたまま、しかし口元だけに笑みを作る。
嘘《うそ》の表情。それを京《みやこ》は無視した。彼女は彼の右腕を取り、
「少し痛むけど、我慢しとけ。固定するから」
「いらない。無駄《む だ 》だからやめておいてくれ。――邪魔《じゃま 》だ」
「馬鹿|野郎《や ろう》。それが救《たす》けようって人間に言う台詞《せりふ》か」
「君だって同じだろう? ミヤコ。救った相手に文句を言う」
彼は口元にだけ笑みを浮かべてこう言った。
「何故《なぜ》、出ていかない。今だけだぞ。これからこの基地は臨戦《りんせん》態勢に入っていく。そうしたら君はもう出ることが出来ない。……話によると、シューショクとか、つまりは組織に仕えるための試験中だそうじゃないか」
「いいんだよ、別に。テメエがそんなこと気を遣《つか》わなくて」
「――いいわけがない」
彼は断言した。
「ミヤコ、君は向こうの住人だ、壁の向こうの。それに対し、壁のこちらのことは、すぐに二度と関われないものとなる。そんなものに関わるくらいなら、自分のこれからの方を優先した方がいい」
「あたしが、まだこっちにやるべきことがあっても、か?」
「自動人形達に名を与えたりすることかい? ――そんなもの、あっても無くても同じだ」
京は一喝《いっかつ》した。
「同じじゃねえよっ!!」
京は叫び、頭に血が上がることを自覚するが、間に合わない。
彼の襟首《えりくび》を掴《つか》み、振り向かせた。彼が細目を開けると同時、その目をこちらから覗《のぞ》き、
「あたしの名前は京ってんだ。父さんがつけてくれた、人が多く集まるようにってな。テメエだってアポルオンっていう太陽|神《しん》の名で、その通りの力を持っていたんだろう? 侍女《じ じょ》達がそういう名を得て、自分の力を信じて……、それが無駄だとか言うのか?」
「君は随分《ずいぶん》と自分の名前を信じているんだな」
眉をフラットに、視線をまっすぐ向けてアポルオンが言葉を返してくる。
「私の父親は君の父親とは違う。私の父は、私に名を与え、管理し、最後に余計な一切合切《いっさいがっさい》を全部押しつけて去っていったよ。――そして私は自分の名を果たすことなどもう出来ない。3rd―|G《ギア》の太陽は失われ、王を求める人々もいないからね。……名を与えるというのは、そういうことも含むんだ」
アポルオンは小さな笑いを吐き捨てた。
「帰れミヤコ。帰って父親に報告するんだ。自分は集《つど》ってきた多くの者達に名と力を与えたと。だが心ない男にそれ以上を阻《はば》まれたと。――父親に泣きつく口実になるだろう? 私の父と違い、君を理解してくれる父に」
「あたしの父さんは十年前に死んだよ! 他人を救いに行って、そこで死んだ!」
京《みやこ》は言う。
「クリスマスっても解《わか》らねえかこの外人! あたしは結構《けっこう》悪ガキでな。いつも父さんと、素直に話をしようと思ってた。その口実にクリスマスプレゼントで酒好きの父さんに小さなボトルを買ってきて、……父さんは笑って約束してくれたよ、飲み過ぎないようにしよう、ってな。そして初めて、あたしの名前の理由を教えてくれた。これから仕事に行くけど、帰ってきたらゆっくり話をしよう、ってな。――それが最後だ!」
自分が理解されていたのか。されていなかったのか。
どう思われていたのかも、
……解《わか》りはしねえ。
京は思う。ああ、不幸|合戦《がっせん》してるみてえだ、と。
嫌な感じだ。
だが、自分が不幸だと思ってる奴《やつ》は勘弁《かんべん》ならない。同じような境遇《きょうぐう》だが、
……あたしゃ不幸だなんて思ったことがねえ。
何故《なぜ》ならば、
「それからいろいろあったよ。美化する気もねえ、でも、忘れることの出来ない一つのことがある。あたしの名の意味ってやつがな。――それに恥じねえようにやってるつもりだ! もはや父さんがいなくても、誰も期待しなくても、……あたしゃ自分の名に意地掛けてんだよ!」
言葉の最後に頭突《ず つ 》きを叩き込むと、衝撃《しょうげき》が来た。
痛みが届く。
だが、その痛みの向こうで、相手も首を一つ振ってこっちを睨《にら》みつけてきた。
聞こえる言葉は、
「恥じないようにやってるつもりだ? 意地掛けてる? ――甘いんだよ君は!」
頭突きが来た。
激突《げきとつ》音が頭に衝撃として響《ひび》いた。
結構響く。
コノヤロ結構いいモン持ってるじゃねえか、と京は仰《の》け反《ぞ 》り、だが即行《そっこう》復帰。
先にお返しの一発を入れる。
「うらっ!」
が、打撃音が弱い。
向こうは耐えた。仰け反りもしない。
そのまま二人で額《ひたい》を押し付け合うと、彼が歯ぎしりを含めた言葉を送ってくる。
「出ていけミヤコ。そこまで言うなら外で勝負すればいい。自分の名に掛けて」
「ああ、出ていって、勝負してやるよ。ただ、この中で勝負つけてからだ」
「何の勝負がここにある? 自動人形達に甘やかされるのが気に入ったか?」
「その甘えに勝つんだよ!」
京《みやこ》は零《ゼロ》距離からの頭突《ず つ 》きを入れる。首の振りでアポルオンを突き放し、
「自動人形達にこう言われるようになってやる。――アンタに御《お 》世話になりました、と。客人ではなく、アイツらが出来ない何かをした人間になってやる! 悪いか!」
「それは主人のすることだ!」
「テメエがやんねえから客の首突っ込む隙《すき》が出来たんだろうが!」
「では、主人になるつもりか……!? 3rd―|G《ギア》の最後の住人である私を差し置いて、その選択を無視して、君が何かをするというのか!? 責任をどう取る? 何もしなければ何も変わらないのに、変化を知った自動人形達の責任をどう取る気だ!」
問いとともに頭突きが来た。
効いた。
一瞬《いっしゅん》だけ目眩《めまい》が来て、京はアポルオンを少し再《さい》評価する。
……いい気合いじゃねえか。
勝負は気だけではないが、気が決めるところもある。痛みを堪《こら》えるために力を込めるのは、その気がなければ出来ないからだ。
彼の問いはこちらの気を揺らし、そして、己のそれを込めたものだった。相乗《そうじょう》効果でこちらには二倍のダメージだ。
おそらく、今のが彼の本音だろう。何かに対して責任を負うことへの迷いが。
だから京は口を開く。己の緩んだ気を取り戻すため、もはや頭の中で計算などしない。向こうが本心をぶち込んで来たならば、こちらも心に思ったことを言うだけだ。
「やること解《わか》らねえんだな、テメエ。世界を失い、親父《おやじ》を失い、迷ってるんだ」
他人を抉《えぐ》っているな、と京は自覚する。これはかつての自分に言っていることだとも。
しかし、だからこそこれは本音《ほんね 》だ。遠慮《えんりょ》を解除し、その後のことの考慮《こうりょ》もしない。
友好を考えたならば、言ってはならないことを、京は言う。
「責任なんぞ知ったことか。テメエの世界が壊れたって、あたしゃ知ったこっちゃないさ」
首を起こす。
「だけどよ、あたしならこうするね。あたしはいずれ外の世界でシューショクする。必ず、必ずだ。望まれるようになって、望むところに行って、そこで仕事して、認められ、失敗して愚痴《ぐ ち 》吐いて、上司《じょうし》を蹴《け 》っ飛ばしたり殴られたり気に入られたりしながら必ず何か作り上げて金|稼《かせ》ぐさ、そして」
「そして?」
「その金で、あたしだったら、ここの自動人形達を食わせてやる」
言葉とともに前を見れば、アポルオンが黄色の瞳《ひとみ》でこちらを見ている。
「――君が食わせなくても、自動人形達は自給|自足《じ そく》出来るぞ。元々少量の燃料以外に食事の要《い》らない連中だ。それに、ここにいる自動人形|全員《ぜんいん》を、どうやって食わせるつもりだ? 一人一人に給金を与えるだけの貨幣《か へい》を君は稼《かせ》げるのか?」
「馬鹿かテメエ。人が食うのはメシじゃねえ、満足感だ」
甘い言葉だ、と思うが、本心だ。
襟首《えりくび》を掴《つか》む手に力は入る。いけそうだ、と京《みやこ》は自分の心に言い聞かせる。かつて、企業の面接で言えなかったことを口から吐き出す。
「金も、メシも、ものも、地位も、問いも答えも、どこかへ行くことも戻ることも、何かをすることも壊すことも、誰かといることも別れることも、――全ては同じ満ち足りだ!!」
言う。
「奉仕するのが自動人形だと言うなら、金はわずかでもその奉仕の記録になるだろうよ。硬貨《こうか 》を一枚積み重ねるだけで機械の記憶《き おく》はコインの音をたて、その音の数が主人に仕えた時間の経過の証《あかし》ってやつだ。それも頭の中だけじゃねえ、この世界に存在する記憶の証だ」
「それが何になるという気だ? ――感傷《かんしょう》だぞ。それも、感傷の押しつけだ」
「感傷が悪いか? 機械だって過去を思い出し、自分の仕事を誇りに思う証拠《しょうこ》が必要だろうよ。その感傷が悪いなら、対する無情はさぞ素晴らしいことだろうさアポルオン! 何もせず無情のままなら、失うかもしれない誇りも無く、思い出す痛みの過去もない! だけど、それが無《ね》ぇから3rd―|G《ギア》の人間は滅びて機械だけが残ったんじゃねえか?」
は、と笑う。
「感情を無くした救いようの無い人間より、まだそれを得る素質のある機械だけが生き残ったんじゃねえのか? だったら世界をそんな風にした神様はどこにいる?」
「それは――」
「そりゃあもはやアンタとあたしの脳内じゃなく、今や花を育てる機械の頭上におわし召すってな! 人形はいずれ枯れる花を記憶に傷として刻むだろうし、あたしは花が枯れることを恐れるなと言ってやる。アンタらが自分の過去を作るために花を咲かせたのと同じように、花は種《たね》を残すためにアンタ達の過去を作ったんだから、ってな。――そこにあるのは人形も花も同じ満足だ。そうやってあたしも3rd―Gの感傷を増やすことに満足し、もはや満足を否定するアンタに伺《うかが》いをたてる気もおきねえ!」
頭を振りかぶると、全身に力を感じた。
行ける、確実だ、と京は思う。
だから即座《そくざ 》に彼に額《ひたい》を振り込みながら、
「やってやるよ! アンタが無情の主人ならあたしは感傷の主人になってやるともさ!」
叫びが放たれた瞬間《しゅんかん》だ。頭上、崖の縁《ふち》から、
「本当ですか京様!!」
突然。モイラ1stの声とともに、崖上《がけうえ》から数十を超える人影が身を乗り出した。
いきなり聞こえた身動きの多重音と動き。それに対して京《みやこ》は動きを止めていた。アポルオンの襟首《えりくび》を掴《つか》み、引き寄せた姿勢で彼女は崖を見上げる。
朱色《しゅいろ》の光の下、モイラ1stを始めとした侍女《じ じょ》達が揃《そろ》っている。モイラ2ndの姿は無いが、今日名付けた者達は全ている。
京は、膝立《ひざだ 》ち姿勢のままで彼女達を見て、
「……な、何やってんだ?」
「ええ。アポルオン様達を救助に来たら、アポルオン様が、まず京様と話したいと」
言葉に、京は視線を下に落とした。
掴んだ襟首の向こう、視線を逸《そ 》らした青年の肩が小さく震えている。
……コノヤロウ。
「さっき気絶していたように見えたのは、……フカシか?」
「うむ。まあ、そうなるか」
「その上……、あたしの思考《し こう》を誘導《ゆうどう》しやがったか?」
「ひどい疑いだミヤコ。私は単に、君に素直な言葉を言って欲しかっただけだ」
「ほほう。そりゃあ驚いた」
頷《うなず》きとともに、今までとは違う、色で言うならば黒い感情が腹の底に湧《わ 》き出た。
何か言おうと思って口を開くと、解《わか》りやすい動詞が出た。
「死なす」
「はは、いや待てミヤコ物騒《ぶっそう》だな。女性はもっと綺麗《き れい》な言葉を使った方がいいぞ」
「綺麗に死なす」
「ま、待て、落ち着くんだミヤコ」
「死は一瞬《いっしゅん》だ。待つこたあ、あたしにも出来ねえ」
「詩人だな」
「違う。死人だ。――テメエが。ビバ冥府」
言った京は、しかし、一つの事実に気づいた。
……あれ?
と思い、アポルオンの右手を取る。折れていた筈《はず》の右腕はしかし、
「どうしたミヤコ。私の腕がどうかしたのか?」
折れていない。
その事実に、京は背が震えるのを感じた。恐怖や驚きではない、今、自分が手にして触れている事実が理解出来ないという、未知に対する感情だ。
が、言葉を失ったこちらの手を、アポルオンが引く。彼は右腕を軽く払い、
「治っているようだ。――3rd―|G《ギア》の人間は長命《ちょうめい》だからな」
あ、ああ、と頷《うなず》いた京《みやこ》は思い出す。昨夜にモイラ1stから聞いた話では、3rd―|G《ギア》の人間は長命《ちょうめい》だが、新陳《しんちん》代謝速度は|Low《ロ ウ》―Gの人間とほぼ同じということだった。が、
……それが何でわずかな時間で治る……?
見れば彼の額《ひたい》の傷ももはや無い。頭突《ず つ 》きをぶつけた自分の額に触れてみるが、血は付いていない。それは、頭突きの応酬《おうしゅう》をするより早く彼の額の傷が消えていたということだ。
……どういうことだ。
思う視線の先で、アポルオンが立ち上がる。
迎えるように、崖を侍女《じ じょ》達が降りてきた。手を下にかざし、崩れた崖の面と内部を重力|制御《せいぎょ》で押しつけて固定しながら、小走りに急いで降りてくる。
先頭に来たモイラ1stが、笑みの顔を向けた。こちらとアポルオンを交互に見て、
「さて、お二人とも、御《ご 》主人様として再確認させていただきましたが」
「あ、いや、あたしは、その――」
慌《あわ》てて言いながらみれば、アポルオンが背を向け、肩を振るわせている。
笑われている。という事実に京は我知らず頬《ほお》が赤くなるのを自覚。夕日の中だからバレないだろう、とモイラ1stの方へ顔を向けた。肩に力を入れ、思うことは一つ。
……まあ、成り行きだ。
「しょうがねえ、思いつく限りは手を入れてやるよ。現代日本、就職活動中の大学生が知ってるのはそれこそ理想的な企業の姿ってやつだし、目標|探《さが》して働く場を求める者は不況打破に繋《つな》がるぞ、ってな。教科書通りの未経験者の物言いですまねえが」
一息。
笑みを濃くしたモイラ1stと、彼女の後ろに並んだ期待の笑みに、京は言う。
「――何もしねえってのも有りの選択だろう。悪くするより遙かにいい。だがあたしゃどうにかしていきたい。だからどうにかしていこうぜ。この、勿体《もったい》ない世界を」
「ホント、どうしたもんですかね」
と、声が狭い縦長《たてなが》の部屋に響《ひび》いた。
ここは二段ベッドを有する学生|寮《りょう》の一室、入り口近くのロッカーにある名札に書いてあるのは 世界の中心・佐山《さ やま》 と 常識人・新庄《しんじょう》 だ。
入り口の向かい、夜になり始めた窓の前、窓際《まどぎわ》の机に座る影が一つある。影の形は小柄《こ がら》な少年で、額に白いバンダナを巻き、身体《からだ》には黒いTシャツと制服のズボンをまとっていた。
彼は携帯電話の向こうの相手に告げる。
「美影《み かげ》さんはどうしてます? ――ああ、日記です、それ。毎日書いているんです。ちょっと代わってもらえますか?」
数秒あってから、受話器に生まれた物音に彼は言う。
「美影《み かげ》さん。――今、日記書いてますよね? 今日、読むことが出来なさそうだから、明日の朝、先輩《せんぱい》達と岡山《おかやま》に移動する間に読みたいんですけど、いいですか?」
沈黙《ちんもく》があり、少年が軽く頭を下げた。
「すいません。僕がもっとしっかりしてれば良かったんですけど。――じゃあ、また明朝に掛けますが、それまでに何か問題があったら風見《かざみ 》先輩に携帯掛けてもらって下さい。――大丈夫、嵐見先輩は僕の先輩です。僕より偉いんですから信用しても大丈夫ですし、美影さんが嫌がることはしないと約束してくれてます。――じゃ、代わってもらえます?」
また沈黙があり、ややあってから彼が頭を掻《か 》く。
「――あ、はい、そうです、声が無くても何となく解《わか》るんです。こんなことを考えているだろうな、っていうのが。――あ、はい、出雲《いずも》先輩に代わります」
おう、という声とともに、出雲がベッドの下段から身体《からだ》を出した。黒いジャージ姿の彼は、窓際《まどぎわ》の少年に軽く手を上げる。
少年が携帯電話を放り、出雲がキャッチ。出雲は眠そうな声で、
「どーした千里《ち さと》。寂しいか? ――ああ、飛場《ひ ば 》が何か言ってたな、相手が喋《しゃべ》って無くても言ってることが解《わか》るって。……結構《けっこう》思い込みの激しいアブねえ性格だな」
「せ、先輩! 何もかもブチ壊しですよ!」
「――あ? ああ千里、気にするな。ザコの抗議だ。まあ大体《だいたい》俺達も喋らなくても言いたいこと通じるしな。ほら、いつも夜にベッドで――、それ以上言ったら殺す? 明日の移動中にヘリから大地に突き落とす? ははは、何《なに》照れてんだ」
「それが照れですか……」
窓際の飛場が半目《はんめ 》で言う言葉を出雲は無視した。
「まあ、美影と遊んでればいいじゃねえか。よく考えたら久しぶりの女|同居《どうきょ》人だろ」
「あ、風見先輩に伝えておいてもらえますか? 美影さんが杖を持って歩いているときは助けないようにって。転んでも助けないように。それと、筆談《ひつだん》は楽ですが、出来ればやめて下さい。美影さんの発音を見てあげて下さい。時間が掛かるかもしれませんが」
「スパルタだな」
「いえ、美影さんがそうして欲しいって」
ほう、と出雲は感心したような息をつき、
「聞こえたか千里。まあ、さっき銭湯《せんとう》の女湯を借り切って美影を風呂《ふろ》に入れるの大騒ぎしてたがよ、……彼女、結構《けっこう》大人だぜ」
言ってしばらくの間、出雲は向こうの声に頷《うなず》きを返す。
それからいろいろと、七度ほど首を下に振ってから、出雲が飛場を見た。
「――何か言うことあるか?」
いえ、と飛場《ひ ば 》が答えると、出雲《いずも》は風見《かざみ 》にそれを告げて携帯を切る。
吐息をつき、出雲が床に置いた充電器のスタンドに携帯を載せた。
「さて」
出雲が飛場を見ると、飛場は眉をひそめた。
「何です? 何か言いたげですが」
「いや、不思議《ふ し ぎ 》なもんだな、と思ってよ。――俺のジジイと、オマエの爺《じい》さんと、佐山《さ やま》の爺さんが、皆《みな》知り合いだったってのがな」
「確かに不思議な感覚です。でも」
「でも?」
飛場は、すまなさそうに頭を掻《か 》き、
「まだ、第二の穢《けが》れを教える気は無いです。すいません」
「いいってことよ。だが、朝の戦闘を見てもその気になんねえか? 俺達と組むって」
飛場は答えない。ただ困ったような笑みを見せるだけだ。
対する出雲は小さく笑い、
「飛場、オマエさ。――もし3rd―|G《ギア》との戦闘が終わったら、どうする気だ?」
「それは簡単ですよ。そのとききっと、美影《み かげ》さんはまた進化出来るようになっているだろうから、先輩《せんぱい》達に神砕雷《ケラヴノス》を預けて、平和に暮らすことにします」
「……オマエが戦ってるのは、美影の進化のためか?」
ええ、と飛場は答えた。
「戦いがあるから、概念核《がいねんかく》が無いから、美影さんは進化しないんだと思ってます。僕はただ、美影さんと――」
「みなまで言うな。言うと想いが薄れるぜ」
「……そうかもしれませんね。でも、出雲先輩もそういうの、ありますか?」
「ああ、俺なんかいつも千里《ち さと》に、もう、口では言えないようなエロいことを考え続け……。何だその目は。そういうことじゃねえのか?」
「いえ、ちょっと尊敬しました。二割、いや、一割五分くらい」
飛場の言葉に出雲は満足そうに頷《うなず》いた。
「しかし、それだけじゃねぇっぽいな。他にも何か理由あんのか?」
「ええ、――先夜、3rd―Gのテュポーンが人をさらいましたよね? 実は僕、昔に姉を失ったことがあるんです。行方《ゆくえ》不明という形ですが」
「姉、を?」
「ええ、十年ほど前、爺さんが預かってきたんです。美影さんが来て、三ヶ月くらい後だったかな。孫《まご》にする、と、そんなこと言って」
「どんな女だ?」
「女性なのにものすごく剣が強かったですよ。僕なんか相手じゃないくらい。何度も素手《す で 》で| 懐 《ふところ》入って乳揉《ちちも 》んでやろうと思ったんですが一度も果たせなくて」
「ふうむ、はしっこいオマエが出来ねえんじゃ相当なもんだな」
飛場《ひ ば 》は頷《うなず》き、しかし右の拳《こぶし》を握ってみせた。
力を込め、
「今だったらどうかは解《わか》りませんけどね。当時、父さんがいなくなって、――爺《じい》さん、後継《こうけい》者にするつもりだったんだと思いますが、でも、一年後くらいに、いきなりいなくなって」
「いなくなった? 名前は? IAIの情報|網《もう》で調べられるかもしれねえぞ」
「名は、――美樹《み き 》です。知ってますか? 飛場・美樹って」
いや、と出雲《いずも》は頭を掻《か 》いた。
「すまんな。だが、ひょっとしたら3rdの仕業《し わざ》かもしれねえ、って思ってるわけだ」
「大体そんなところです。僕の戦う理由は。……出雲|先輩《せんぱい》は?」
問われ、出雲は即答《そくとう》した。
「面白いからに決まってんだろ?」
軽く告げた言葉に、飛場が動きを止めた。
数秒という時間が沈黙《ちんもく》で過ぎる。その後に、飛場が眉をひそめた。
「楽しいって、……人が死んだりする戦闘ですよ?」
「だけど楽しいんだからしょうがねえ。そしてそこで嘘《うそ》言ってもしょうがねえだろ。――俺もいろいろ考えてきたぜ? オマエほど戦闘経験ねえかもしれねえけどな」
苦笑が出雲の口から漏れる。
「だが、俺が母親から得た加護《か ご 》も、全力出せる現場も、千里《ち さと》との絆《きずな》ってのも、馬鹿な後輩《こうはい》達や仲間達の信頼とか云々《うんぬん》っていう、まあ、口で言ったら信用出来ねえようなことは、俺にとって今のところ全てそこにある。フツーだったらクラブ活動とかで手に入れるんだろうけどよ」
「概念《がいねん》戦闘とクラブ活動を一緒にするんですか……?」
「現場って意味なら教室の中だってバイト先だって同じだぜ。それとも何だ? オマエ、学校とかバイトに対して、自分の現場は特別にスゲえキツイとか思ってんじゃねえだろうな?」
出雲は飛場を見た。
「もしそう思ってんなら学校ん中で窓の外|眺《なが》めたり授業中に絵ぇ描いてる連中に謝れ。バイトでレジに立ったりピザ積んだスクーターで走り回ってる連中に謝れ。それも全裸で土下座《ど げ ざ 》で五体|倒置《とうち 》で写真|撮影《さつえい》付きだ。――ちゃんと屋外だぞ?」
「い、嫌ですよ屋外は! ――あ、屋内も出来ればちょっと」
「そうか、露出プレイは嫌か。じゃあ憶《おぼ》えておけ」
出雲は告げた。
「現場はどこだって同じだ。どこ行っても勝ち負けや成否《せいひ 》があって、事故で人が死ぬことや、立ち去ることがある。――だったら出来れば楽しみたいぜ、って俺はそれだけだ飛場《ひ ば 》。その意味では、何もせず楽しい平和な現場なんてねえよ。本当に平和な場所があるなら……」
「あるなら?」
「大事な女と寝てるときだ。ある意味|戦闘《せんとう》中だが。オマエ、将来は美影《み かげ》と寝っぱなしか?」
「そりゃ無理ですよ、ってか、先輩《せんぱい》アンタ最悪ですね。――三割|尊敬《そんけい》しましたが」
よしよし、と出雲《いずも》は頷《うなず》いた。
「しかし飛場、今、最後に千里《ち さと》から聞いたんだが……、飛場、お前、美影と毎日|風呂《ふろ》に入っているそうだな?」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 身体《からだ》拭《ふ 》いたりとか、風呂の中で立てなくなったときとか、そういうのがあるんですよ?」
飛場が慌《あわ》てて椅子《い す 》から立ち上がる。が、出雲はベッドの縁《ふち》に腰掛けたまま、手を出して彼を制した。慌てるな、と。
「責めてるわけじゃねえ。大体さっき聞いたが、まだ美影は身体が出来てねえんだろ?」
「はい……」
飛場はゆっくりと椅子に腰掛け直す。足を組み、腕を組み、
「さっきは美影さんがいたから言えませんでしたけど、……女性関係の方は全然出来てないです。知識が無い頃に進化が停まってしまったのが原因だと思うんですが」
「今ならどうだ?」
「ええ。最近は部の先輩が横田でバイトしてますから海外直輸入の教科書を頼み込んで。美影さんと読むと美影さんの質問が無《む 》作為《さくい 》にシビアで羞恥《しゅうち》プレイです。身を寄せられたり、いきなり着てるもの脱いで教科書と比較始められると、もう、何というか、――どうですか!?」
「落ち着くんだBOY……。向こうにとっちゃ本当に勉強だからな。抑えろ飛場、ってか美影の方で受け止めてやれねえもんな」
出雲の言葉に、飛場が目を細めた。椅子に浅く腰掛け直し、
「たまにそれ、言われます。……私がちゃんとした女だったら嬉《うれ》しい? って」
「何て答える?」
「教えません」
飛場は苦笑し、出雲も苦笑した。
「まあ、俺が見る限りと聞く限り、いい女じゃねえか。もっとオマエに依存してると思ったら、ちゃんと千里の言うことも聞いてくれるし」
「僕が敵と認めない相手には、中立的なんです。僕と母と、爺《じい》さん婆《ばあ》さんくらいかな、身体を触られたりしても警戒《けいかい》しなかったり、笑いを見せるのは」
「笑うのか」
「美影さんが初めて憶《おぼ》えた進化がそれですよ」
そうか、と出雲《いずも》は頷《うなず》き、追及しない。
すると、飛場《ひ ば 》が気づいたように真剣な顔であたりを見回した。肩をすぼめ、
「しかし、……佐山《さ やま》先輩《せんぱい》と新庄《しんじょう》先輩はどーなんですか」
は? と問うた出雲に、飛場が急いで小声の言葉をぶつける。
「学校内の噂《うわさ》ですよ? 佐山先輩と新庄先輩が男同士で付き合ってるって。女子新聞部が発行してる日刊バラタカでは連載《れんさい》小説始まってますし、学内ハードゲイ投票では佐山先輩がトップですし、今朝《けさ》は二人で抱き合っていたところを目撃《もくげき》とか」
あ、そうだ、と飛場は膝《ひざ》を打ち、
「風見《かざみ 》先輩なら知ってる筈《はず》です。先日、風見先輩と新庄先輩が学内デパートで水着を買っていたって話です。――二人とも女性用を」
「ちょっと待て。気になることがあるからよ。……確認をとる」
は? と首を傾《かし》げた飛場の眼前で、出雲が携帯を手に取った。
「……あ、千里《ち さと》か? 新庄のこと、飛場に言ってないっけか?」
首を傾げたままの飛場の前で、出雲が携帯に小声で何か言い、何度か頷く。ややあってから彼はおもむろに携帯をスタンドに置くと、
「…………」
ベッドの縁《ふち》に改めて静かに深く腰掛けた。うつむきで頬杖《ほおづえ》をついた出雲に飛場が問う。
「な、何かあったんですか?」
「いや、まあオマエとは少し長いつき合いになりそうだから言っておこう」
「……佐山先輩達のことですか」
ああ、と首を下に振り、出雲が飛場を見た。真剣な顔で、
「ここだけの話。……お前の見聞きした通りだ」
「そうですか……」
出雲は何も言わず、頷きもしない。
ただ、一息をついた後に、
「先輩命令だ。オマエは今日、上のベッドで寝ろ。俺は佐山|菌《きん》に感染《かんせん》したくない」
「し、新庄先輩のベッドだって同じじゃないですかっ」
声を挙げて飛場が立ち上がる。
椅子《い す 》が脚《あし》に蹴《け 》られて動いた。キャスターの滑りはそのまま横の箪笥《たんす 》に激突《げきとつ》。鈍い音がした。
「あ、――す、すいません、自分の部屋じゃないのに」
「おい、そこらへんあまり触るなよ? 証拠《しょうこ》が出てくる可能性がある」
「お、おっかないこと言わないで下さいよ」
と、飛場がベッドの影になっている箪笥の方に移動した。
出雲の視界から飛場が消え、
「ああ、上に乗っていたものが落ちちゃったみたいで……」
飛場《ひ ば 》の言葉が停まる。数秒|経《た》ってもそのままだ。
更に数秒が経過しても動きがないため、出雲《いずも》が首を捻《ひね》り、
「おい、飛場、どうした?」
「あ、いえ、出雲|先輩《せんぱい》……」
飛場が何か白いものを持ってベッドの影から出てきた。手にした白いそれを両手で広げ、
「……こんなものが箪笥《たんす 》の上から落ちたんですが」
「女物の下着だな」
「と、当然のように言わないで下さいよ! 何でこんなものが!」
「はっきりと真実を言ってやろう。――佐山《さ やま》と新庄《しんじょう》には当然なんだ」
「ちょっと待って下さい! 学校|風紀《ふうき 》の崩壊《ほうかい》とともにここは魔窟《ま くつ》ですか!?」
安心しろ、と出雲は言った。立ち上がり、自分の胸を叩き、
「どうだ。これで俺がどれだけ正常か解《わか》っただろう?」
「比較材料が悪い気がしますが……」
「気にすんな。ともあれ飛場、明日から瀬戸内海《せ と ないかい》で合宿だが、オマエを佐山と同じテントに任命する。――頑張れ。オマエなら何とかなる」
「なりませんよっ!!」
女物の下着を握りながらの叫びと同時、消灯時間を告げる寮《りょう》のチャイムが鳴った。
堅い音が静けさに響《ひび》いた。
場所は夜の下に広がる森の中。明かりの灯った工場裏にある広場だ。
土の地面を掘り下げて造られた五十メートル四方の広場には、二つの人影がある。
闇の中にいるのは二人の女性だ。
共に黒の長髪をいただく姿で長身で、共に手には木刀《ぼくとう》を持っている。だが、片方が今、地面に倒れていた。
地面に尻餅《しりもち》をついているのは若い方。鋭い目をした少女だ。彼女は白のデニムシャツにジーンズという姿で舌打《したう 》ち一つ。
「……いつも通りだな、竜美《たつみ 》」
起き上がった半目《はんめ 》が相手を見る。正面で木刀を構えもせずに下げた女性、竜美を。
竜美は黄色いワンピースに白いカーディガンを羽織《は お 》った姿だ。サイドに流した髪の下では目が笑みを作っている。
「まあそのくらいの目つきが出来るなら気合い入ってるみたいね、命刻《みこく》。そろそろ電車でしょ? 横浜《よこはま》を十時発だったら、こっちを八時半には出たいわね」
「早すぎないか?」
「だって、横浜《よこはま》よ? 夕食あっちで食べるでしょ?」
命刻《みこく》は吐息。竜美《たつみ 》が、何よー、と言うのを聞き流して工場の方を顎《あご》でしゃくる。
「中華街を攻めたいのは本音《ほんね 》だが、今日は詩乃《し の 》が用意してきている」
「そうなの? 詩乃も仕事があるのにね。――アレックス、詩乃は?」
竜美が虚空《こ くう》に問うたなり、一つの声が聞こえた。
『寝ている。吾輩《わがはい》の上で』
声は拡声器を通したような音質で、しかし、周囲に響かなかった。指向性の音声だ。
竜美は、そう、と返答を送り、肩を落した。
「詩乃が用意してるならそっちの方がいいかしら」
「そうしてもらえると有《あ 》り難《がた》い。間違いなく、多量に作ってきているから」
命刻が立ち上がろうとする。直後。
「――!」
命刻の足下に竜美が踏み込んでいた。
木刀《ぼくとう》が足首を狙って振り下ろされていた。
高速の一撃《いちげき》に命刻は回避《かいひ 》を行使する。
立ち上がる動きを持って真上に飛び、手の木刀を竜美に、
「っ!」
命刻の目の前で、既に竜美が身を捻《ひね》っていた。上へと。
足下を狙って振り下ろされていた竜美の木刀が、身の捻りに応じて上に跳ねる。
快音が響いた。
命刻の木刀が中央部から切断される。身体《からだ》、シャツの襟《えり》が布の破片として散り、風が彼女の頬《ほお》を打つ。
宙にいる命刻は何も出来ない。
その胸に、当たるものがあった。
硬く、緩く尖《とが》ったもの。竜美の木刀の先端だ。
宙に浮いた身、その胸骨《きょうこつ》の上に軽く当てられた木材の武器の向こうで、笑みが忠告する。
「口開けて、息を吐いて」
するより早く、それが来た。
それは力だ。木刀の先端にゆるりと込められた力、痛みを感じさせぬほどの力が、瞬間《しゅんかん》という時間を連続して加速し、痛みを与えぬまま、
「吹っ飛ばすから受け身!」
言葉通りになった。
目の前の竜美が消え、視界が空を見る。
何が何だか解《わか》らない。
身体《からだ》が一回転したのだ、とようやく理解出来た直後には、
「……!」
広場の縁《ふち》を造る土手《ど て 》の芝生《しばふ》に背中から激突《げきとつ》した。
こうなることは解っていた。だから姿勢は大の字で、身体の力は抜いている。肺にあった空気は掻《か 》き消えており、息を吸おうと思うより早く、筋肉のゆるみで胸郭《きょうかく》が広がる。
酸素が自然と入ってきた。
一息すると視界が確かになる。
竜美《たつみ 》はどこだ、と命刻《みこく》は思う。
どれだけ吹き飛ばされたのか、竜美の位置から判断出来る。
が、その考えは果たされなかった。
右横に、竜美が立っていたのだ。
「非常識な女だ」
「このくらいは貴女《あなた》だって出来るようになってる筈《はず》よ」
「…………」
出来るものか、と思うが、今更《いまさら》言う気はない。口論《こうろん》は何度も行い、こちらが負けるのが常だ。
黙ったこちらに竜美は目を細めた。そして手を伸ばしてくる。
「今日の訓練、いいところまで教えたわよ? 解ってる?」
ああ、と頷《うなず》き、命刻が手を伸ばした。二人の手指が触れる。
次の瞬間《しゅんかん》。
「――――」
命刻の足下から、己の足音が響《ひび》いた。
音の原因は簡単だ。土手に寝ていたはずの身体が、竜美の手によって一瞬《いっしゅん》で持ち上げられていたのだ。今《いま》聞こえた足音は自分が立つ音だった。
竜美は別にいつもと変わりなく目の前にいる。その事実に、命刻が息を飲んだときだ。
「しっかりしてよね? どうも最近、身が入ってないわよ?」
目を細めた竜美が、こちらを見て言った。
「今回、貴女にハジ様の護衛《ご えい》を任せるのは信頼や義務とか、そういうものではないわ。――当然だから。解っているわね? 今の技くらい、出来て当然だと」
「だが、私は訓練の最中に一度も竜美に攻撃を当てたことすら無い……」
「命刻は本番派だものね」
竜美はこちらの言い訳を封じる。そして笑みのまま首を傾《かし》げ、
「要は相手をよく見て、力を使いこなすことよ。相手を見て、かわすか限界まで受け止めればどうすればいいか見えるでしょう? 私は受け止めて吹っ飛ばす方だけど、命刻はかわした上で相手の動きを利用して叩き切った方がいいでしょうね」
竜美《たつみ 》は先ほど差し出した手で螺旋《ら せん》の動きを軽く描く。
この動きで、相手の力をすくい取るように立ち回るのがコツなのだと。
命刻《みこく》はそのようなことを一度も出来たことが無い。
……力|任《まか》せが本分だからな。
「やはり、竜美のような戦い方は私には出来ないと思う」
「私のような戦い方をする必要はないわよ。でも、ファブニール改の砲撃《ほうげき》を受けるようなやり方じゃあ、今後は危険だわ。もしあの直後、ハジ様や詩乃《し の 》が撃《う 》たれたらどうするつもり?」
竜美の言葉にかぶるように、小さな風が吹いた。
概念《がいねん》空間の中を吹く軽い夏の夜風を浴び、竜美が口を開く。
「大丈夫よ、命刻。貴女《あなた》はこれ以上の力を手に入れることが出来るわ。そして必ず使いこなしていけるでしょう。貴女達の世界のためにね」
「何故《なぜ》、そんなことが……」
「貴女がそれを望んでいるから」
竜美は言う。
「よく考えなさい。力がある者ほど、力を欲する者ほど、己の力を使いこなしにくいものなの。――力を大して望んでいない私ですら、自分の力を使いこなせばこのレベルよ?」
だから、
「今、力を使いこなせていない貴女《あなた》は、きっと物凄《ものすご》いところまで伸びるわ」
「買いかぶりすぎだ。私が望んでいることなど、小さなものだし」
竜美《たつみ 》の手を払う。背を向けて、土手《ど て 》を上る。
「詩乃《し の 》を起こして夕食にしよう。そして私は倉敷《くらしき》へ。詩乃は詩乃で、別の任務があるしな」
と、背後から吐息が聞こえた。
「詩乃のことが心配?」
「ああ、シロを連れて行くとは言え、今日の任務は――」
「詩乃は大丈夫よ。問題なのは、詩乃を心配してる貴女よ、命刻《みこく》」
声が聞こえる。
「前から思っていたんだけどね? 貴女達が 軍 の任務に個人としてつく今、はっきりさせておこうかしら。――命刻、貴女、何のために戦ってるの? 青春映画のように答えて頂戴《ちょうだい》」
竜美の問いに、命刻は答えない。
……何のために?
そんなことは自分でよく解《わか》っている。他人には関係ないことだ。たとえ竜美であっても。
だから命刻は沈黙《ちんもく》のまま土手の芝生《しばふ》を踏み、歩き出す。すると、
「駄目《だ め 》? やっぱ青春映画のようには」
ああ、と命刻は答える。
「任侠《にんきょう》映画のようでも怪獣《かいじゅう》映画のようにでも駄目だ」
「あー、確かにそりゃ駄目よね。でも先週見た ハイジ対メカオンジ のノリだといいかも」
「あれはマッハペーターと巨大化したクララによって決着がうやむやになったから評価Dだ。――ともあれ回りくどい。言いたいことがあるならすぐに言え」
土手の上から振り向くと、竜美は動いていない。
土手の中腹《ちゅうふく》から彼女はこちらを見上げていた。月の光の下、静かな笑み一つをもって。
その表情に、上にいる命刻はそれでも身が縮むのを感じる。
竜美の声が響《ひび》いた。
「――言って欲しいなら言ってあげるわ」
笑みが更に言葉を作り出した。
「貴女、詩乃に対してこう思っているのよね? ――近くあるUCATとの決戦の後、この世界が自分達のものになったら、全て詩乃に譲って自分はどこかに消えようと」
「――――」
命刻は一瞬《いっしゅん》言葉を失う。
……何故《なぜ》解《わか》る。
しかし、驚きが心の中を占めていくのを隠すように、命刻《みこく》は無理に肩を竦《すく》めた。はン、と鼻での笑いもつげ、否定を竜美《たつみ 》に送ろうとする。
口を開いた。が、それより早く言葉が来た。
「安心なさい、詩乃《し の 》には言ってないわ。大体、貴女《あなた》と剣でも交えない限り、解らない筈《はず》よ。貴女が必死だなんて」
「待て、竜美、勝手に妄想《もうそう》で話を――」
「言って欲しかったんでしょ? 話を止める権利は貴女には無いわよ命刻。私が言う。貴女は最後まで聞く。文句があるなら絶望しなさい、激しい擬音《ぎ おん》付きで」
『ショボーン!!』
「アレックスは黙ってて。今は女の話し合いなんだから盗聴《とうちょう》も無しよっ」
『ショボーン……』
ふう、と竜美は一息。
対する命刻は、内心の焦《じ 》れを自覚して髪を掻《か 》き上げた。
竜美が言っていることは事実だ。
軍 はいずれUCATと激突《げきとつ》する。それは、結果的には自分達の力を行使して、この世界の主導権を握るということだ。
だが、命刻は知っている。
……力で勝利した者が、そのまま権力を握っても、良いことはあまり無い。
勝利の後、軍 が世界を得る権利を持ったならば、軍 において最も力のイメージから遠い者にその権利を任せるのが一番だろう、と命刻は考えている。
そして間違いなく、力を行使する自分は、そこから遠ざかった方が良いということも。
……詩乃から離れるべきだ。
だが、それとは別に竜美はこう言った。こちらのそんな思いに気づいた理由が、
……私と剣を交え、私が必死だと知っているからだと?
だから問う。竜美、と呼びかけ、
「何故、私が必死だということが、詩乃のことに繋《つな》がった……?」
問いに対し、答えは即答《そくとう》だった。
竜美は口を開く。月の下で両腕を軽く広げ、
「簡単よ。単に必死っていうのは、死んでもいいと思ってることよ? じゃあそれは何のため? フツーは自分のために死ぬわけないわよね。そしてもし他人のためというなら……、貴女の場合、詩乃しかいないでしょ?」
言葉とともに、竜美の肩が動いた。
命刻が身構えるより早く、こちらの目の前に彼女が来ていた。
あ、と声を挙げる間も無く、こちらの頭に竜美《たつみ 》が手を載せた。
手は握り拳《こぶし》で、下向きで、
「馬《ば 》・鹿《か 》」
言葉とともに、拳とこちらの頭の間から轟音《ごうおん》が響《ひび》いた。
痛みが脳天から尻まで突き抜け、膝《ひざ》から力が抜ける。
「……っ!!」
命刻《みこく》は頭を押さえてしゃがみ込む。正面の竜美は吐息で腰に手を当てた。
あのね、と彼女は言ってくる。これから放つ言葉に身構えろと。
だから命刻は竜美を見た。笑みを止め、力のない顔でこちらを見る剣の師を。
「命刻。貴女《あなた》は詩乃《し の 》のために戦っているわね。でも……」
竜美の声が聞こえる。
「もし貴女が死んだら、それは詩乃のせい? 他人のために、っていうのはそういうことよ? その人がいたから、自分は戦える。でもその人がいたから自分は死んだ。その人がいなければ自分は死ななかった。……そういうことにもなるのよ?」
「――――」
「詩乃が貴女の思いに気づいていないのは幸いね。もしそれに気づいていたら、あの子、貴女が戦いに出ることを止めるわ。自分のためにそんなことをするな、って。でも――、それはもはや貴女の身を案じるよりも、自分の責任を回避《かいひ 》したい方が強いでしょうけど」
「詩乃は、……責任回避など、そんなことを考えん!」
反射的に命刻は叫んでいた。
「あの子は、他者を思える子だ! 自分の責任は嫌だなどと……!」
「だったら貴女は安心して自分の傷をあの子のせいに出来るのね。卑怯《ひきょう》よ、命刻」
「――!」
「どうしたのその顔。痛いところ突かれた? だったら怒っていいわよ? ドカンと」
彼女の言葉に、命刻は動いていた。
動きはいきなりだったが、竜美は予期していたのか悠然《ゆうぜん》と下がる。
しかし、竜美の姿は見えていた。
……右!
目で見るよりも感覚で土手《ど て 》に踏み込み、手を走らせた。
直後。感触《かんしょく》があった。
放った右の抜き手が包まれる感触だ。
手を取られ、そして、
「く」
動けない。手首を固められ、足の踏み込みは腿《もも》を差し当てられて止められていた。
だが、手は届いていた。そしてそれは、
「初めて私に、貴女《あなた》の攻撃を届かせたじゃない?」
問い掛けに見れば、土手《ど て 》の中腹《ちゅうふく》で自分と竜美《たつみ 》は向かい合っている。正面、竜美の右手がこちらの抜き手を掴《つか》んでいる。竜美の手の向こうには、当然ながら無表情の彼女の顔があり、
「――私に攻撃を届かせた怒りは、誰のため?」
言葉とともに、視界が回った。
投げ飛ばされた、と思ったときには月が見えていた。青白い月、光る石のようだ、と思うと同時に、
「……っ!」
地面に叩きつけられた。それも土手の近くではない。二十メートルほど離れた下の広場の中央付近だ。衝撃《しょうげき》に咳込《せきこ 》むと、遠くから竜美の声が届いてきた。
「もう馬鹿ねー。何を油断《ゆ だん》してるの? ちゃんと受け身と肺を楽にすること忘れないでよ」
答える余裕《よ ゆう》はない。身を起こして更に咳をすると、横に竜美が小走りで駆け寄って来た。
「ほらほら立ちなさい。そして考えなさい。貴女には選択があることを。――戦うことを自分で望むか、詩乃《し の 》のせいにするか。どちらも良いとも悪いとも言えないわね。実のところ、自分で戦いを選べば、一人で自分|勝手《かって 》に死んでいくことになるのかもしれないんだから」
でも、と竜美は告げた。
「詩乃は貴女達に認められようと頑張ってるわ。……貴女達のためじゃなく、自分のために」
「私は――」
と言うと、頭を叩かれた。
「ここで答えを出す必要はないの。焦りすぎ」
笑みの音が聞こえ、
「いつまでも考えなさい。戦うたび、相手を傷つけ自分が傷つき、大事な人が傷つき、しかし生き延びられたときに。――生き残れて良かったかどうか。相手を傷つけたりすることよりも、自分が生き延びられた方が良かったと、もはやフツーではなく、身《み 》勝手に思えるかどうかを」
と、言葉を作っていた竜美が、ふと、見上げるこちらと目を合わせた。
直後に彼女は表情を笑いで崩した。
「あんまし説教させないでよね? 詩乃は素直だから説教するのつまらないんだけど、貴女は突っかかってくるから説教するの面白くてね」
「確かに、後半は聞くに堪《た 》えない持論《じ ろん》の押しつけだ」
だが、立ち上がり、命刻《みこく》は竜美に問うた。
「戦っていれば、私もいずれ、そのような世迷《よ ま 》いごとを語り出すのだろうか」
「語ってみたい?」
「語る相手はいない。それに……」
命刻《みこく》はつぶやく。
「私が自分の戦う理由を見つけるには、それこそ相手が必要だろう。……私の意味を問うてぶつけても揺るがず、一切《いっさい》構わぬと笑う者が」
「私じゃ駄目《だ め 》?」
「すまないが、竜美《たつみ 》とは訓練の仲だ。戦うのに必要な相手は、敵だ。詩乃《し の 》の代わりになることが出来る敵だ」
言いながら、命刻は思う。
……ああ。
私は、詩乃のために戦うことを拒否しようとしているのか。
我ながら単純な頭だ、と思う。検証すらまともにせず、竜美の気まぐれな誘導《ゆうどう》かもしれないのに、長く共にいた詩乃を選ばず、見えぬ敵を選ぼうとしている。
……だが、傷を負ったとき、詩乃に泣かれるのは嫌だな。
かつて一匹の犬がいた。
その犬は詩乃を救って代わりに命を失った。
あの犬はどうだったのだろうか。詩乃のため、ではないとしたら、どうなのだろうか。
……ああすることで、自分が満足出来ると思っていたのか。
それとも、そんなことすら考えない、咄嗟《とっさ 》のことだったのか。
解《わか》りはしない。詩乃だって解っていないだろう。
解っているのは、未だに詩乃はその犬のことを忘れず、花と水を置き、そして賢石《けんせき》の力に呼ばれて出てくる姿を抱きしめるという、そのことだ。
……私も、もし死んだら、ああなるだろうか。
そうなりたい、とかすかに思う反面、苦痛だろうな、とも思う。
「――苦痛か」
決めた。
「だが、フツーでないものを日常とするならば、その苦痛を悟らねばならないのか」
だから命刻は頷《うなず》き一つで顔から険《けん》を消す。竜美を見れば、目を細めたいつもの表情がそこにある。その顔に、命刻は問うていた。
「竜美にも敵はいるのか?」
「ええ、いるわよ? そして私はね、問うために戦うの」
「……何を?」
「それは敵だけが知ることよ」
困ったような笑みに、まだ何も知らぬ命刻は頷くだけだ。そうか、と。
「……私に、敵はいるだろうか」
「いるんじゃないの? たとえばほら、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》に。……佐山《さ やま》の姓《かばね》が」
「どうなのだろうな。あの男とて、何も知らないのだぞ。――|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》の意味を。それを知った後で、私の敵になるのだろうか」
そして、
「それまでに、私も、自分の戦う意味をある程度見つけておけるのだろうか」
頭上を見上げれば、月がある。
青白い円弧《えんこ 》。その冷たい光を見て、命刻《みこく》は頷《うなず》いた。
「行こう。――任務に。ハジ義父《とう》さんの護衛《ご えい》に。そこに戦いがあれば、少しは何かが解《わか》るかも知れない」
視線を下げ、竜美《たつみ 》と視線を合わせる。
「しかし、……何でいきなり、こんな話を?」
「そりゃ簡単よ」
竜美は断言した。
「――気分」
[#改ページ]
第十九章
『奥底の探求』
[#ここから3字下げ]
答えには罠がある
それがフツー
だから浸る気もなく打ち壊せ
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
壁に掛かった黒い時計が午前四時を差した。
朝だ。が、時計のある白い壁には朝の光を取り入れる窓がない。
ここは地下だ。
壁が包む広い空間は幾つものパーティションに区切られており、今、その西側を一人の女性が歩いている。手に書類を抱えて南端の部長|机《づくえ》に向かうのは、月読《つくよみ》だ。
サンダルの音を響《ひび》かせていた月読は、ふと、足を止めた。
足下に何かが落ちている。白衣《はくい 》を着て前のめりに大の字というか方の字で。
誰だと思いよく見れば、手の近くにノートPCが落ちている。
「鹿島《か しま》か」
月読はそれだけ言って通り過ぎた。と、すぐに背後から、
「無視ですか月読部長」
「ああ、寝てたんだと思ったから」
「大人は床で寝ません」
そう、と月読は改めてまた歩き出す。と、すぐに背後で体を起こした鹿島が、
「ワケを聞きたくありませんか? ショックで倒れたワケを」
「……聞きたくないけど言うだけ言ってみたら?」
「ええ、酷《ひど》いんですよ奈津《な つ 》さんが。ほら、開発中のウオッシュトイレ、あるでしょう?」
「あったわね。試作品名は そこだ! だっけ? 昨夜持って帰ったんでしょ? それが?」
「ええ、家出るときに取り付けて、噴射《ふんしゃ》水圧をウリである 対艦《たいかん》ビーム並 にしておいたんです。そしたら夜に奈津さんから微笑《びしょう》声で電話があって、罰《ばつ》として三日は帰らないでいいです、とか、撮影設定はないですよね? とか言われちゃってもう。――可愛《かわい》いですよね!」
「ふうん。――それで?」
無表情に言うと、鹿島は呆然《ぼうぜん》とこちらを見て、横を見て、肩を落として吐息した。
ややあってから彼は遠くに視線を向けると、しみじみとした口調で、
「この数ヶ月で随分《ずいぶん》と殺伐《さつばつ》とした職場になりました……。上司《じょうし》が部下の意見を無視とは」
「アンタのノロけも随分と全面開放になったわねえ……。上司にノロけを強制|視聴《しちょう》とは」
「ノロけてるわけじゃないですよ。事実を主観《しゅかん》で説明すると結果が幸福になるだけです」
「そう、大変ねえ。――とにかく寝とけ。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》の講師役になってるんでしょ? 最近はその教材作りで大変みたいだけど……」
言うと、鹿島が立ち上がった。
「そっちは僕の興味|本位《ほんい 》も含んでいるので出来つつありますよ」
彼はノートPCを拾い上げ、画面を見せた。液晶《えきしょう》画面に映るウィンドウは、中に幾つかの球体を描いていた。赤い小球十個と、青い球体一個だ。
鹿島《か しま》は画面を見て、笑みの顔を作った。そのままこちらを向き、
「――|全 竜 交 渉《レヴァイアサンロード》という意味を確かめるための、十一の|G《ギア》の発生シミュレーションです。既に第二次大戦頃から各国UCATで研究され、ある程度は結論が出たものですが、彼らは知らないでしょう。この十一のGがどうして生まれたのかと、未だそこにまつわる謎《なぞ》を」
で、と鹿島は首を傾《かし》げた。
「彼らは合宿と聞きましたけど?」
「さっき三時くらいにヘリで全員出ていったわよ? あの飛場《ひ ば 》とかいう少年と、美影《み かげ》っていう自動人形も一緒。今頃《いまごろ》、名古屋あたりの空に届いてるんじゃないかしら」
「そうですか」
「……美影が気になる? 祖父《そ ふ 》と荒王《すさおう》のことで」
問いに、鹿島はわずかに考えた。しばらくしてから力無い笑いを作って、
「まあ少しは。何しろあの美影という人は、荒王の制御《せいぎょ》装置を務めたそうですからね。でも、……憶《おぼ》えてはいないだろうし、正面から聞くのもはばかられるよなあ」
「気を遣《つか》うのも仕事の一つってね。まあ、運が良ければ聞けるかもよ」
そうですね、と、鹿島はこちらの手の中を見た。
書類。そこに来るのは彼の視線と問い掛けだ。
「合宿資料ですか?」
「あたしは別に行かないわよ、訓練には。部長職だからキャンセル権限あるし」
「ですが、瀬戸内海《せ と ないかい》と言えば3rd―Gの……」
「娘のことなら気にしないわよ。簡単に死ぬタマじゃないしねえ。――それよりアンタ、こっちの方に興味あるんじゃない?」
問い掛けとともに、月読《つくよみ》は手の中の資料を掲げて見せる。
「これ、ゲオルギウスの調査書」
対する鹿島は眼鏡《めがね》を上げ、ノートPCを| 懐 《ふところ》に挟む。
既に鹿島の表情はまっすぐな視線と口の端の笑みだ。
「いいですね。……どんな結果が出ました? 効果や由来《ゆ らい》は?」
「どう思う? 八叉《や また》封印《ふういん》のとき、目の前でそれを見た者としては」
「ええ。……機能は概念《がいねん》の増幅。目的は概念兵器の威力の強大化。由来はおそらくこの|Low《ロ ウ》―Gでしょう。違いますか?」
「そうねえ」
と月読は微笑を見せる。
「外れとも正解とも言えるわねえ」
「? 何ですか? その曖昧《あいまい》な解答は」
「だからその通りよ」
月読《つくよみ》は肩を竦《すく》め、笑みを苦笑に変えて言う。
「不明なのよ、コレ。……検査機に掛けて力場《りきば 》系の概念《がいねん》を与えてみても何の反応すら寄越《よ こ 》さない。私が見た限り、ゲオルギウスは――」
「単なるグラブに過ぎない?」
「そう。目の前で起きた事実と、ゲオルギウスの調査から出た事実は違うのよね」
今日一日、ずっと試験して解《わか》ったことだ。
思い出すのはゲオルギウスの貸し出しに応じた大城《おおしろ》の顔だった。間違いない笑みが口の両横に強くあり、その顔は、
……解るものかなあ、って言いたげな表情だったわねえ。
実際、ゲオルギウスの正体は解らなかった。それ以外のことですら解ったことは少なく、その中で最も大きいのは、
「とにかくゲオルギウスがおかしいってことよ。間違いなく、十拳《とつか》は八叉《や また》再|封印《ふういん》の際にゲオルギウスの光とともに出力を上げた。1st―|G《ギア》との戦いのときでさえも……」
「ファブニール改の砲撃《ほうげき》で出力不能となったグラムに力を与えたと、そう聞きます」
「それをこなしたゲオルギウスに何も無いわけがない。そう思うわよねえ」
と、月読は抱えた書類から一枚の紙を取り出した。
鹿島《か しま》に差し出せば、彼は書類よりもこちらの手に目を向けた。
「月読部長……」
紙を掴《つか》んで出した右手は、手首まで包帯《ほうたい》に包まれている。
微《かす》かに血がにじんだ白布の手に、月読は笑った。
「はは、ザマあ無いわねえ全く。何も結果が出ないことに焦って、ついやっちゃったのよねえ。専用の防護《ぼうご 》概念で覆《おお》った機械で掴むんじゃなくて、素手《す で 》で掴み、――身に着けようと」
結果は目の前の事実だ。
「趙《ちょう》先生が言うには全治二週間で済ませてやるって。趙先生も合宿行くからその後で本格|治療《ちりょう》してやるって言ってたけど、手がこれじゃ、当分は外食ねえ」
成程《なるほど》、と鹿島はゆっくりと告げた。何かを考えているのか、彼はこちらの手を見ながら紙を引き抜き、視線を下に。
コピー用紙に印刷されたものを見る。
「――? これは……」
「心電図に見える?」
ええ、と鹿島が見せたのは、罫線《けいせん》を走って跳ねる矩形《く けい》の波だ。それも本来ならば膨大な量を書いていなければいけないものを、波は三つほどしか書かれていない。
「しかし、何ですか? この数回の鼓動《こ どう》は」
「時間の単位を見てみなさい」
鹿島《か しま》は罫線《けいせん》の上を見る。鋭いならば気づく筈《はず》だ、と月読《つくよみ》は思う。
果たして、彼は眉をひそめた。
「……何ですかこれは。約八時間ごとに一度の鼓動《こ どう》って」
「その通りのものよ。ゲオルギウスが持っている微弱《びじゃく》震動。それを見て、早計《そうけい》な者ならすぐにこう言うでしょうねえ。――ゲオルギウスは生きている、と」
「――――」
「3rd―|G《ギア》でさえ、金属のパーツに鼓動を与えるにはそれなりの内臓《ないぞう》機関が必要なのよ? それがあのゲオルギウスは普通の革グラブに金属チップだけ。鼓動は両方から鳴るのにね」
どういうこと? と月読は思い、その思いを言葉にして鹿島に問い掛けた。
鹿島はすぐには応えない。だが、ややあってから、
「それでも、ゲオルギウスは生きている、と仮定した方が解《わか》りやすいと思います。その仮説にしがみついて探っていけば、少なくとも、――間違っていたとき、ゲオルギウスは生きていないということくらいは言い切れますから」
「アンタはどうしてゲオルギウスが生きていると思うの?」
今度の問いには、即答《そくとう》が来た。鹿島は一つ頷《うなず》き、
「ゲオルギウスは佐山《さ やま》の姓《かばね》を主人に選びました」
一息。
「そのように設定されてたのではなく、ゲオルギウスの意思が佐山《さ やま》を望んだのだとしたら?」
問いに月読《つくよみ》は答えない。大体、真実が解《わか》らない現在では、答えることの出来ない問いだ。そのことを悟ったのか、鹿島《か しま》が頭を軽く下げる。申し訳ありません、と。
「ですが、もう少し仮説を続けるならば、ゲオルギウスは佐山・御言《み こと》の母親から彼に与えられたものです。……意志を持ち、彼だけを待っていた、と考えてもいいのではないでしょうか」
「そういう設定が成されていたと考えず、ゲオルギウスの意志にこだわるのは何故《なぜ》?」
「設定ならば、佐山の姓《かばね》以外が身に着けたとき、ゲオルギウスの機能を使用不能にするだけでいい筈《はず》です。傷つけてまでの拒否を何て言うか知ってますか?」
鹿島は真剣な顔をして言う。
「拒絶と言います。それは意思ある者の行動です」
「そう。――やっぱアンタもそう思う、か」
「は?」
眉を上げた疑問|詞《し 》に、月読は右の手を上げて彼を呼ぶ。血のにじむ指を鳴らし、
「来なさい。いいもんが見られるわよ?」
背を向けて歩き出す。自分の机に。
足取りは数歩。壁の時計は午前四時十分を差そうとしている。頃合《ころあ 》い的にはそろそろ満たされるはずだ。
「昨日の夜ねえ、調査を始める前に仕掛けておいたのよ」
「な、何をですか?」
「UCATのデータバンク最深層《さいしんそう》へのハッキング。――つまりは、VIPクラスしか閲覧《えつらん》出来ないUCAT空白期や、概念核《がいねんかく》、護国課《ご こくか 》などの情報を置いた、ある意味データサーバ上の第二資料室への無断|侵入《しんにゅう》ってヤツよ」
笑う。
「ゲオルギウスの調査をする際、向こうの調査室からちょっとだけ最《さい》深層に入れるのよねえ。だから、そこを入り口にこっちから介入したの。データサーバ中枢《ちゅうすう》にある機密《き みつ》事項を全部いただくことにするわ」
言葉に、一拍の間を置いてから鹿島が反応した。
「月読部長! それはUCATへの背離《はいり 》です」
「止めてみる?」
「いえ別に言ってみただけです。――あ、何かあったら僕は一応《いちおう》止めたということで」
自分の机の前に立って振り向けば、鹿島は肩を竦《すく》めて立っている。
鹿島は表情を緩めながら、吐息とともにつぶやいた。
「どうせ、ゲオルギウスのことだけじゃあないですよね。全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》のために、護国課などの情報も奪取する、そういうつもりなんでしょう?」
「そりゃあ情報全部引き抜けば、護国課《ご こくか 》なんかの情報もあるだろうから、――そしたらあの子達にあげてもいいかもねえ」
それに、と月読《つくよみ》は内心でつぶやいた。
もしUCAT空自期のデータが手に入れば、夫のことが解《わか》るだろうか、と。
「…………」
感傷《かんしょう》は後にしよう、と思い、月読は切っておいたディスプレイを立ち上げる。
力を戻したモニタ画面に月読は目を運んだ。
全面|表示《ひょうじ》で映された黒いウィンドウでは、幾《いく》つもの記号や文字が動いていた。
画面を見た鹿島《か しま》が苦笑を送り、
「うちのハッキングソフト 天才ハッカー少女・ゴメス ですか。一番タチの悪いヤツですよ。設定類は全てテキストコマンド指定の手間が掛かるヤツでしたっけ」
「そうよ。でも一番いろいろ出来るし頭もいいのよねえ。開発部が再《さい》編成されたとき、予算向上のデモンストレーションとして、これを使って無茶やった馬鹿がいたっけね」
「とある国のデータバンクに入り込んで国務《こくむ 》長官がヅラかどうかを調べ、その情報が改竄《かいざん》されないようにプロテクト掛けたんですよ。そして気づかれずに出てきた。――大城全《おおしろぜん》部長にそれを確かめてもらって、向こうの国はちょっとした騒ぎになりましたっけ」
「あの国はユーモアがあって素敵だわ。何しろあの後、国務長官が答弁《とうべん》中に 我が国最大の機密《き みつ》を公開しよう と言ってヅラ外して見せたんだから」
「あれから ゴメス はバージョンアップを数度したそうですが」
「今は4になってるわ。逐一《ちくいち》見てきたあたしにとっちゃ子供みたいなもんよ」
それに、と月読は画面を指さした。
「ここに映ってるのは日本UCATのサーバ内、最|深層《しんそう》防壁|周辺《しゅうへん》のマップだけどね。ここも、十年前にあたしらが基礎を構築《こうちく》した場所よ。大城全部長に預けてからどんな改造を受けたかは知らないけれど、必ず破ることが出来る筈《はず》」
今、画面に映ったサーバ内空間では、電子速度の追い掛け合いが行われていた。
こちらのハッキングプログラムはアクセス可能な場所にアクセスを行い、更に奥へと進もうとするものだ。場合によっては既にあるデータを削《けず》り落とし、そこを穴に奥へと飛び込んで、そして出所《でどころ》がバレないように削ったものを修復《しゅうふく》しておくことまでする。
が、ハッキングプログラムを遮断《しゃだん》するデータの防壁も優秀だ。チェックの目を張り巡らせ、しかしサーバの運営には負担を掛けないようにそのチェック範囲を適時|拡縮《かくしゅく》し、こちらの動きを追うと同時にアクセス元を調べようとしてくる。
ハッキングプログラムは、発射された直後から自分の行った場所を全て記録し、それを最短ルートに構築《こうちく》し直して帰り道のルートとする。その起点は発射地点であるアクセス元だ。
記録されたルートは、ハッキングプログラムの帰巣《き そう》本能のようなものだ。
もしハッキングプログラムが捕獲《ほ かく》され、アクセス元を調べられたら、ここに追及の手が伸びる。だから捕獲され次第、ハッキングプログラムは自己|消滅《しょうめつ》する。
触られたら終わりという、一撃《いちげき》必殺の連続で電子世界の追いかけっこは続く。
月読《つくよみ》が行った基本設定は、中枢《ちゅうすう》に向けて行くハッキングプログラムを一つ用意し、そのプログラムから多量のダミーを放つものだ。
ダミー量が多いと全サーバが緊急《きんきゅう》停止する怖れもある。だからダミー量をリアルタイムで監視《かんし 》しつつ、ランダムに目的地を指定された新しいダミーを放っていく。
「見た感じ、既に数百万のダミーが放たれてるわねえ。ついでに破壊もされている、と」
「捕まったダミーは……、七つですか」
「そのダミーのアクセス元は総務や警備課よ。向こうには迷惑《めいわく》掛けることになるわね。今度、裏でちょっといい設備とかを回してあげないとねえ」
「それで感謝されたら後ろめたいですから、差出人《さしだしにん》不明で何か届けるようにしましょう……。ですが、もし開発部の領域《りょういき》に来たダミーが捕まったらどうなるんです?」
「熱田《あつた 》のマシンからアクセスしたことになるから大丈夫。もし誰か来たらあの馬鹿のマシン立ち上げて対応しておいて、あたしやこっちで適当にゲームでもしてる振りするから」
「熱田のマシンは壁紙に般若心経《はんにゃしんぎょう》書いてあるんですよね……。あれ立ち上げるんですか……」
頑張りなさい、と月読は吐息。
と、画面の表示が変わった。
黒いウィンドウに表示されたのは縦《たて》一直線の通路。緑の二線で書かれたストローの断面にも見える通路は、デジタルの| 抽 象 《ちゅうしょう》画であり、
「来た。――中枢への道に入ったわよ」
幅十センチで開いた緑の二線の間を、ハッキングプログラムを示す青の一線が落ちていく。
「青線が長いですね。ちょっとルートを記録しすぎでは? 最適化、どのくらいしてます?」
「戻るときに撒《ま 》くこと考えたら少し遠回りさせたくてね。このくらいが限界でしょ」
緑の通路に、道を防ぐように黄色い線が幾《いく》つも渡り出した。
防壁だ。
その壁を一瞬《いっしゅん》で破りながら、青の一線が落下していく。
青の線がカーソルを開いて自己主張している。
『Im' 2nd―|G《ギア》』
迎え撃《う 》つように下から赤の点が舞い上がるが、青の線の発射する水色の点や曲線が、その全てを撃墜《げきつい》していく。
「攻撃プログラムが種類増えてますね。僕が手がけた頃は直線弾《ブラスター》と対地弾《ザッパー》しかなかったのに」
「今は弾幕避《だんまくよ 》けが基本だからこっちも派手《は で 》よ。あたしとしては弾丸《だんがん》をちゃんと把握《は あく》出来てる頃が見てても楽しかったんだけどねえ」
「時代ですかね。こういう言い方はあまり好きじゃあありませんけど」
言っている二人の前で、青の線が周囲に友軍《オプション》として水色の点をまとう。
下、通路にひときわ太い黄色い線の扉がある。
水色の点が一つ飛んで扉を破った。
と、いきなり画面が暗くなった。
通路から空間に出たのだ。そこは通路が下向きの漏斗《ろうと 》状に広がって、更には円を描いていた。
広大な円形空間だ。
「……中枢《ちゅうすう》到達」
空間内には多量の赤い点があった。それも画面を埋め尽くすほどに。
そして空間の中央には白い球体がある。
青の線は赤の点に構わない。青の線は水色の点を発射しながら、赤の点の群をかいくぐり、自分を何も無い空間にアクセス移動させていく。安全地帯へ、攻撃の来ない場所へ、そして全てを見晴らせる位置へと。
回る。中央にある白の球体を確かめるように。
白の球体の大きさは直径五センチほど。この空間自体は直径三十センチほどだ。
「暴れるにはいい広さじゃない」
それを確かめるように、青の線は赤の点に追われ、かいくぐりながら空間を一周した。
白い球体の真下、距離十センチの位置に辿《たど》りつき、
「どうする?」
月読《つくよみ》の問いに応じるように、画面内で青の線から光が出た。
青の線の先端から中央の白の球体に向かって、青い点線が矩形《く けい》をもって描かれていく。
その点線が、これから進むアクセスルートの予告だ。
ウィンドウが一瞬《いっしゅん》だけ開く?
『Go Ahead? Y/N』
こちらがキーを押すまでもなく、開発部のプログラムは自律する。
『Y』
直後。青の線が闇の空間を走り出した。
行く。
そして行けば敵が来る。赤の点の群が。
赤い波が殺到《さっとう》するのは青の線の行く先だ。そこに青の線は飛沫《しぶき》のような水色の点をぶちまけ、迎撃《げいげき》する。
激突《げきとつ》した水色の飛沫《しぶき》は赤の点と相殺《そうさい》した。
音もなく両者が消え、空白が開く。その闇《やみ》に向かって、振り向く軌道すら見せずに青の線は先を望んで進み行く。
赤の群が来る。
水の色が赤に飛沫《しぶ》く。
赤と水が消えて闇が開き、そこに青の線が停滞なく矩形《く けい》線で前進する。
それは高速で、色の打撃と消滅をもって連続する。
瞬間《しゅんかん》的に数発の飛沫が上がり、その残像《ざんぞう》の中央を青の線が突き抜けていく。
青の線は走った。
白の球体を捕える。ドットにして六十四を切った距離で、赤の群が新たな動きを見せた。
壁だ。
もはや青の動きを予測出来ぬと悟った赤の群が、白の球体を取り囲もうとする。どの位置にもアクセス出来ないように。
それはUCATの中枢《ちゅうすう》を遮断《しゃだん》するということだ。
遮断の結果起きうる事態が、予測として画面に表示される。ルビ付きで、
『|EMERGENCY《か な り 気 マ ズ い》』
緊急《きんきゅう》的にサーバがダウンするという、そういうことだ。
赤の群、防壁の総意は一つだ。もはや自分達の護《まも》るものを、自ら機能させなくすることで護るということだ。
赤の壁が成立しようとする。
だが、青の線は怖れない。
狙う位置はやはり白の球体の真下。今の位置から最《さい》短距離で行ける場所だ。
一瞬《いっしゅん》で線は闇を抜ける。
壁を張ろうとした赤の群の中に飛び込み、壁の成立に対して、
「!!」
踊った。
自らがいる位置を中心に、周囲のアクセス場所へ高速で八方《はっぽう》移動。その際に周囲に自分の攻撃プログラムを発射し、赤の壁を内破する。
水の飛沫が赤と激突する。
それすら見ずに青の直線は跳ね返った。真上へ。直上の白い球体へ。
届く。
同時に画面に文字が出る。
『Mission Complete!』
青の直線。その身から左右へと水色の二線が発射される。それは青の線をガードする通路となり、押し寄せる赤の群をくい止めた。
青の線は白の球体から高速でデータを抜き出していく。
水色の通路の各所から破壊《は かい》率を告げる表示があるが、
「――内部からのデータ移動だけなら間に合うはずよ!」
月読《つくよみ》は画面に表示されたインジケータを見る。百|分割《ぶんかつ》のウィンドウは、遅々《ち ち 》という速度で、しかし確実にデータの転送率を教えてくれる。
月読はプログラムに指示を送る。
「中枢《ちゅうすう》の持つダミーデータは排除しなさい!」
『Select Option:Call Keyword』
「排除条件のキーワードは――」
ええと、と考えたとき、横から救《たす》けが来た。鹿島《か しま》だ。彼がキーボードに手を伸ばし、
「十八|禁《きん》」
打った瞬間《しゅんかん》、インジケータの速度が跳ね上がった。ダミーデータを読まなくなった青の線は、それこそ重要|機密《き みつ》だけを高速で抜いていく。
月読は一息。画面を見ている鹿島に吐息で、
「やるじゃない。ってか中枢のほとんどは十八禁データ!?」
「初めの内、数本は引っこ抜いてしまった筈《はず》ですが。……しかし、これ、今《いま》抜き出しているのはそれこそUCATの中枢データですよね? 月読部長のマシンの中に収まりますか?」
「無理に決まってるじゃない」
「でも、開発部のサーバは他のサーバとも直結してるから、そんなとこにしまうと足がつきやすいですよ。どうするつもりです?」
大丈夫よ、と月読は頷《うなず》き、
「あのね、今、開発部の全員のマシンの中に、暗号化して送ってるのよね。計算だと全員のマシンの要らないデータを消して、そこと既存の空白部分を全て使用すれば何とかなるはず」
「成程《なるほど》。確かに個人マシンには部単位でのセキュリティが掛かってますから外から覗《のぞ》けないですし……、って月読部長! 僕のマシンの中には最新の家族動画が!!」
月読が見る画面の中、開発部の机の配列が表示された。白の線で書かれたパーティションの上面図の中、鹿島の机がどんどん青く染まっていく。
「あー!!」
鹿島の眼前で、図上の鹿島の机が青に染まった。
小さなチャイム音とともに鹿島のマシンから隣《となり》のマシンにデータ送り先が変更される。
ああ、と鹿島が膝《ひざ》をついた。
「僕は家族を護《まも》れなかった……」
「あー、こらこら、二次元と三次元を区別しなさい」
言った瞬間《しゅんかん》だった。いきなり、周囲に音が響《ひび》いた。
警報音。それも非常事態のものだ。
「……え?」
と月読《つくよみ》が画面を見るが、青の線を護《まも》る水色の通路はまだ破壊されていない。
それはまだサーバ内の電子|戦闘《せんとう》が外に知られていないということだ。
……だとしたならば……。
「何か別で起きてるみたいですね」
横で鹿島《か しま》が立ち上がると、事態を知らせる放送が入った。
『え、本日は毎度|夜勤《や きん》の方々|御《ご 》苦労|様《さま》ですー。え、こちらはUCAT警備部。ただいま第一階内に不審《ふ しん》者が侵入、え、警備部の迎撃《げいげき》は間に合わず奥への移動を許しております。え、待機中の実働部は迎撃に入りますよう、お願いいたしますー』
廊下の方、ざわめきが響いた。既に動き出している者達がいるのだ。
掛け声や装備の金属音が響く中、更に放送が響いた。
『え、こちら警備部ー。今、不審者を確認。え、少女ー、少女ー。美観《び かん》判定Aクラスー。大量の犬を連れた美少女が参りますー。感動的光景ー。お手すきの皆様、それぞれ持ち場で待機のままお待ち下ーさいー』
わあい、と妙に明るいざわめきが響き、廊下が更に騒がしくなった。
[#改ページ]
第二十章
『騒々の挑戦』
[#ここから3字下げ]
騒ぐものは常駐せず
いっとき時雨の天気雨
賑やかなれと言っている
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
詩乃《し の 》は白い廊下を歩いていた。
UCATの中に入るのは初めてだ。おそらく、軍 の中でも諜報《ちょうほう》部の人間以外で入ったことのある者はいまい。
諜報部の者が透明化や静穏《せいおん》化の賢石《けんせき》を駆使《く し 》して得たのは、UCATの地下二階までの通路図だ。更に下へ行く扉は防護が堅く、中に入ることは出来なかったそうだが、詩乃の任務はそれら扉の向こうに自分を入れることではない。
「シロ」
詩乃は廊下を歩きながら、眼下に声を送る。
彼女の言葉が落ちる先には大きな白犬がいる。
それだけではない。
廊下を埋めるように、数多くの犬がいた。数頭という数ではなく、数十頭という単位だ。
体格は子犬も大犬《おおいぬ》も雑多に揃《そろ》え、色は白だけではなく黒、茶、虎《とら》にブチも、耳が立っているものもいればいないものもおり、鼻筋《はなすじ》が通っているものもいないものもおり、足の短いものや長いものもいる。
そんな様々な犬の群は、どれも床に影を落とさない。皆、詩乃の方を振り返り振り返り、護《まも》るように歩いている。
詩乃は四方を護る犬達に視線を合わせ、歩を進める。
「ありがとうね、皆」
……奥多摩《おくた ま 》の駅からここまで来るだけで、こんなに。
詩乃は首から下げた賢石のペンダントを手に取った。青い石は光を放ち、その光が詩乃の意思をもって残留した思念《し ねん》を形にする。
彼らが霊《れい》というものなのかどうか、詩乃には解《わか》らない。
賢石で彼らを存在させることが出来ても、その理論はそれこそ そういうものだから としか解らない。
ハジが言うには、彼らが失われたときに出来た 空白 に、彼らの形を遺《のこ》した鋳型《い がた》のようなものがあるのではないかとのことだった。詩乃の賢石は意思《い し 》同調|概念《がいねん》の一種だが、それが残存した意思を改めて型に流し込み、鋳造《ちゅうぞう》具現化しているのではないか、と。
詩乃はハジの言葉を思い出す。
「人を具現化するには出力が足りないのか。それとも、シロを具現化したときに、詩乃の意思が自分の得手《え て 》を犬に設定してしまったか、どちらかだろうな? ん?」
詩乃が犬達の遺志を見つけて形にし、犬達が賢石と同調すると、詩乃以外の物体にも触れることが出来るようになる。そのとき、彼らの多くは形を得ることに戸惑《と まど》い、こちらに喧嘩《けんか 》を売ってくる。まるで安らぎを奪われたかのように。
そこで相手をするのがシロだ。
ここに集《つど》ったのは、詩乃《し の 》と、シロについてきた犬達だった。詩乃を主人として、シロをボスとして動く獣《けもの》の集団だ。
詩乃は皆を見る。餌《えさ》を食べられるならあげたいところだが、それは叶《かな》わない。
「……でも、あとで飼い主に会いに行こうね」
遊んだ後は、一頭ずつ、元の主人に会わせてやる約束だ。元の主人に会ったとき、彼らの思念《し ねん》は出力のピークを迎え、一瞬《いっしゅん》だけ姿を見せるか、鳴き声だけを響《ひび》かせて消えてしまう。
ときたま、元の主人が新しい犬を飼っているときがあるが、その場合、犬達は途中で会いに行くのをやめてしまう。余計な御節介《お せっかい》だったのだと思い知らされるが、それでも犬達はこちらの手を舐《な 》めて消えていく。
いつかシロもそうなるのだろうか、と詩乃は思う。
そして詩乃はこうも思う。
……彼らはどこに消えていくの?
この|Low《ロ ウ》―|G《ギア》にも冥界《めいかい》はあるのだろうか。
他Gの多く、たとえば1st―Gには|鎮魂の曲刃《レークイヴェム・ゼンゼ》があり、3rd―Gには冥府《タルタロス》があったと聞くが、このLow―Gではどうなのだろうか。
「もし概念《がいねん》解放をしたら、冥界が出来るのかな?」
首を傾《かし》げると、シロが心配そうに振り向いた。他の犬達もこちらに首を向ける。
気に掛けられている。
だから詩乃は彼らに微笑した。心配しなくても大丈夫だと。
| 懐 《ふところ》から出すのは一枚の紙片。UCAT地下二階までの地図だ。行く先は中央部ホール。その北部壁の中には、
「UCAT中枢《ちゅうすう》部に通じる通信回線が届いてます」
詩乃は紙片《し へん》持つのとは逆の手で、紐《ひも》がついた一つの賢石《けんせき》を取り出した。
「3rd―Gからハジ義父《とう》さんがもらってきた劣化《れっか 》概念。……意思を情報化する概念」
青い石を紐で手に絡《から》め、詩乃は手を下にかざす。と、犬達が円を描くように動き、列を作った。そして彼らは詩乃の手を舐めていく。そこにある賢石を。
詩乃は手を舐めさせながら、紙片の地図を見せる。
「さあ、皆、ここで御飯が食べられますよ。情報という御飯が。……意思の身体《からだ》を情報として、UCATの奥からいろいろ食べてきて下さいね」
一息。前を見て、指さした。
「――GO!!」
言葉とともに、犬達が一斉《いっせい》に動いた。
第一の動きは喉《のど》を天にかち上げ、口を開くことだった。
吠《ほ 》え声。
数十の遠《とお》吠えが白い廊下を振るわせ、次の動きを生む。
それは、叫びを終えたものからの疾走《しっそう》だ。
「――!」
犬達が波状の列をもって走り出した。
使命を得た犬達は詩乃《し の 》を振り返りもしない。高速に、犬達は数頭ずつの小隊を組んで行く。
ある隊はまっすぐに、ある隊はいきなり壁を突き抜けて。
情報の獣達《けものたち》は白い廊下を走り出す。そして走っていく。
あとに残ったのはシロだけだ。皆の帰りを待ち、主人の護衛《ご えい》をする犬だけ。
詩乃は最後の隊が壁を突き抜けて去っていったのを見送ると、
「……大丈夫でしょうか」
足を止めると、前に回ったシロが振り向いた。鋭い鼻先の向こうで、油断《ゆ だん》のない顔がこちらを見ている。心配するなとでも言うように。
だから詩乃は頷《うなず》いた。笑みを得て、首から提《さ 》げた賢石《けんせき》を握りしめ、口を開く。
小さな唇の動きで放たれるのは歌だ。
Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ
God's Son laughs, o how bright/神の子は笑う 何と明るく
Love from your holy lips shines clear,/貴方の聖なる唇から慈しみが輝き透き通る
As the dawn of salvation draws near,/救いの朝 夜明けが近づくにつれて
Jeasus, Lord, with your birth/神の子 我が主よ 貴方の生誕とともに
Jeasus, Lord, with your birth/神の子 我が主よ 貴方の生誕とともに――
歌唱《かしょう》の威《い 》は賢石を通じ、情報の力を持つ犬達に届く。鼓舞《こ ぶ 》し、主人の存在を伝えるために。
応えるように遠吠えが聞こえた。
前方の廊下、十字路や、壁の中から多重の叫びが響《ひび》き出す。歌に応えるように、主人の気遣いに応じるように、だ。
主人の声に後押しされた犬達の声には、もはや恐れも何も無い。
そんな皆を更に押すように、シロが吠えた。
「――――」
獣の響きが空間を支配する。
そのときだ。
獣声《じゅうせい》を遮断《しゃだん》する音が正面から響いてきた。
多重の足音だ。硬い靴《くつ》特有の床を弾《はじ》くような音色《ね いろ》と、金属装備の重なり合う音がする。
……来た。
身構えると、正面に回ったシロが歯を剥《む 》いた。
「UCAT……」
詩乃《し の 》がつぶやいた直後、言葉通りの者達が来た。
正面の十字路の左右、そこから人影が飛び出してきたのだ。
彼らは白の装甲服《そうこうふく》や、白衣《はくい 》をまとっていた。数は二十を下らない。皆、こちらに飛び道具など無いことを知っているのか、道を塞《ふさ》ぐ構えを取る。
そして前列の者達が腰を落とした。いきなり両手に何かを構え、覗《のぞ》き込む。
……武器!?
警告無しに射撃《しゃげき》するんですか、と詩乃は言おうとして、甘い考えだと気づく。開いた口は即座《そくざ 》に一つの名を叫んでいた。
「シロ!」
シロが前足を低く、身を前後に縮める。スタートすれば、次の瞬間《しゅんかん》には敵の数人が飛び散っているだろう、と詩乃は思う。だが、
「ようし! 写程《しゃてい》距離|確保《かくほ 》ー!!」
聞こえた言葉のニュアンスに、詩乃が戸惑《と まど》った。
「……え?」
疑問で揺らいだ心に、シロが戸惑い振り向いた。
同時。敵《てき》最前列で構えられた武器が作動した。
「――!」
慌《あわ》てて身構えた詩乃が聞いたのは、廊下に響《ひび》いた控えめな機械音だった。
そして、それ以外は何もない。銃弾《じゅうだん》が飛んでくることも、身体《からだ》に痛みも、全て皆無《かいむ 》だ。
………え?
身構えた手指の隙間《すきま 》から詩乃は前を見る。敵《てき》最前列が下がり、二列目が出てきた。
彼らが構えるものを詩乃は確認する。
彼らの武器、カメラを。
「……え? あ、あの」
詩乃が構えを解くと、下がって行った最前列の者達が慌てて振り向いた。
「あ! み、身構えを解くなんて! さっきの身構えられたから上手《うま》く顔が写ってないぞ! おい、二列目、もう一度ギブミーシャッターチャンス!」
一人が前に出ようとすると、前に並んだ二列目の者達が押しとどめる。
「馬鹿|野郎《や ろう》! 順番だ! 本人希望と推薦《すいせん》と公正なるジャンケンで決めただろう! 先に撮ればいいと思っていた手前《て めえ》がまだまだ甘い!」
「そうだなあ。これがまた三枚目になると被写体も慣れが生じていかんでな。やはりここは二枚目が勝負だなあ」
と、皆の前に立った男がいる。
白衣《はくい 》の老人だ。彼は対《たい》戦車|砲《ほう》にも見える巨大な望遠レンズを着けたカメラを首から提《さ 》げ、こちらに右の親指を上げてみせる。
詩乃《し の 》は彼を知っている。軍 でも有名人だ。
……大城《おおしろ》・一夫《かずお 》さん……?
疑問|詞《し 》が賢石《けんせき》を通じたのか、シロがこちらを見て首を傾《かし》げる。
詩乃はどうしようかと迷う。が、
「うむ、いい表情だなあ。皆、千載一遇《せんざいいちぐう》の好機を逃すでないぞ」
大城は床に腹這《はらば 》いになり、望遠レンズ下のバイポットを展開。狙撃《そ げき》姿勢でカメラを構えた。
「はい、行くでなー」
「え、あ、はい」
詩乃がシロを座らせ背筋《せ すじ》を伸ばすとシャッター音が響《ひび》いた。
大城が笑みで立ち上がり、
「はいお疲れ様ー。よし次《つぎ》三列目ー」
三列目が慌《あわ》てて身構えシャッターを切る。その音が終わった後で大城が、
「よし、これで三段|写撃《しゃげき》終了ー」
と、皆がいそいそと立ち去ろうとする。
詩乃は慌てて、
「あの! い、いいんですか?」
「あ、いいでな別に。わしら実働じゃない非番組《ひ ばんぐみ》だし」
「実働の方達は……」
「装備とか整えている間に犬達がやってきて対応に追われとるでな。そのせいか、どうも君の位置がまだ確定出来んようでなあ。連中、犬を追い払いつつ君を目視《もくし 》で探してるんだが、――まあ、わしらも撮るもの撮れたから、戻ったらここを教えてやろうかと」
「ど、どうしてすぐに教えないんですか!? 私、侵入者なんですけど」
自分でも何を言っているのかと思いながらの言葉には、シロの同意の吠《ほ 》え声が一つついた。
しかし対する大城は、長大なカメラを肩に担《かつ》いで頷《うなず》いた。
「確かに君は侵入者で、わしらは非番とは言えUCATの一員だな」
だが、と言葉が続き、
「しかし、持ち場というものもあるでな。実働は今、君と戦うためにあたりを走り回っており、わしらは彼らを邪魔《じゃま 》せぬよう、こう、侵入者の記録を取る係を受け持ったわけだな。そうしたら、どういう巡り合わせか……、実働部よりもわしらの方が先に会ったわけだなあ」
大城《おおしろ》の言葉に、周囲の皆が拍手をする。
ナイス言い訳、とか、アンタが法律、とかいう言葉が聞こえるところから、間違いなく、この接見《せっけん》は大城が仕組んだものだと詩乃《し の 》は思う。
……噂《うわさ》通りの人だとしたら。
単にこちらの写真を撮りたいために、実働部に偽《にせ》データを送るくらいはするだろう。
だから念のため、詩乃は問うた。
「……じゃあ、戦闘|装備《そうび 》などは、一切?」
「当然じゃろ。モデルさんに警戒《けいかい》心を抱かせるなど不遜《ふ そん》の極《きわ》みでな」
やっぱり、と心の中で頷《うなず》いて、詩乃は吐息。
「もし私が攻撃したらどうするんですか?」
「そ、そんなっ、素直な美少女が無防備なわしらを攻撃するというのかなっ」
大城が無防備を示すために大の字に立って白衣《はくい 》を広げてみせる。変質者のようだ、と詩乃は思うが、白衣の内側の左右には墨《すみ》で 無罪 と書かれているだけだ。
詩乃は肩を落とす。
「じゃあ、すいませんけど、帰って下さい。こっちはこれから真面目《ま じ め》に仕事ですから」
あ、あと、と言葉を付け加え、
「写真、焼き増ししてバラ撒《ま 》いたりしないで下さいね?」
「おーい、モデルさんがああ言っておるから無断|掲載《けいさい》などもせんようにー」
するつもりだったの? と問うまでもないと気づく。ここはそういう場所で、彼らはそういう連中だ。UCATとは恐ろしい場所だ。ゆえに詩乃の肩は更に落ち、
「あと、訂正して欲しいんですけど」
うん、と詩乃は頷き、一言を告げた。
「――美少女ってキャプションはあまりにも酷《ひど》いので止めて下さい」
「えー!!」
反射的な全員の声に詩乃は一瞬怯《いっしゅんひる》んだ。が、すぐに姿勢を直す。
「な、何ですか、えー、って!」
「おおおお落ち着きたまえ君! ま、まずは言葉の定義から始めようかな!?」
「な、何ですか言葉の定義ってー。大体《だいたい》私、そんな言われ方されたくないですー!」
「違う! 大事なのは君の判断ではない! 我々のファンタジーだ! 違うかなっ!?」
詩乃は大城の問いに、即座《そくざ 》の笑みで答えた。
「シロ! ――GO!!」
獣《けもの》が走り出し、大の大人達が慌《あわ》てて駆けだした。
開発部の部屋の中では、二つの空気が生まれていた。
速度を持った焦りの空気と、そこから生じる緊張《きんちょう》の大気だ。
二つの張りつめた空気があるのは開発部の南側、月読《つくよみ》の机だ。モニターを見る鹿島《か しま》と、キーボードを叩く月読が、その二つの空気を生んでいる。
鹿島がモニタを覗《のぞ》き込むようにして、
「――何ですか? 画面内に突然現れたこの破損領域《はそんりょういき》の侵食は? サーバ内からUCATのデータが食われてますよ!」
鹿島の言葉通り、モニタ上のデータマップにはアクセス不能のクラスタ破損を告げる灰色の空間が多量発生している。その破損|空域《くういき》はまるで線を描くように四方八方から現れ、中枢《ちゅうすう》部の白い球体へと向かっていた。
「月読部長。侵入者の仕業《し わざ》だと思いますか?」
「アンタの内心と同意見よあたしゃ。さっきの警報とほぼ同時にこの破損領域が多数出現して、侵食を始めたもんね。――って、マズい、こっちの線に近付いて来てるわね」
白の球体と青の線はまだ大丈夫だ。だが、その近くまで灰色の領域は迫っている。
すると横の鹿島がキーボードを引き寄せ、操作を開始した。
「この多数の侵食原因、情報の固まりから率先《そっせん》して食ってますね。だったら壁とか作って保護を掛けるよりも、ダミー情報をどこかに集中して出して囮《おとり》にした方がいいのでは?」
先ほど月読のプログラムを阻《はば》もうとした赤の群が破損の群に襲《おそ》いかかるが、赤の色は抵抗の気配もなく破損空域に置き替えられてしまう。
「攻撃プログラムは軽い情報として食われてるみたいねえ」
「餌《えさ》となる巨大なダミーデータありますか?」
「残念ながら開発部側には、個人マシンも含めてほとんど余計なデータ無くなってるわよ? アンタのノートPCに残ってる家族|動画《どうが 》はどう?」
「あれは余計なデータじゃありません。軍神《ぐんしん》の生命活動に必要です」
「アンタ随分《ずいぶん》飛躍するようになったわねえ。でも、それじゃあ余計なデータって……」
と、鹿島と顔を見合わせる。視線を合わせ、一《ひと》呼吸した次の瞬間《しゅんかん》、二人は同時に叫んだ。
「十八|禁《きん》ゲームのデータ!!」
鹿島がモニタの中央に写る白い球体を指さした。
「月読部長! ここに、ここにたくさんあります! 宝島ですよ!」
「連呼《れんこ 》して指ささずに早く操作しなさい!」
言われた鹿島はプログラムに指令を与える。データを抜くことを続行しながら、補助通路を作り上げ、そこから破損空域に向かって大量のダミーデータを送れ、と。
果たしてプログラムは命令を展開する。
データの転送速度は遅くなったが、流石《さすが》の破損空域《は そんくういき》の侵食も、莫大《ばくだい》なデータにぶつかると遅くなった。月読《つくよみ》と鹿島《か しま》の眼前で、送られ消えていくデータのファイル名が流れては消えていく。まるで戦没《せんぼつ》者の碑名《ひ めい》のように。そして鹿島がそれを見て真剣な声でつぶやく。
「嫌なタイトルですね、留年生《りゅうねんせい》 って。キャッチコピーは 墜《お 》ちるがいい! ですよ?」
「知るか。それより今消えた エスペラント語の創始者の名はザーメンホーフ(本当) ってタイトルも意味|深《しん》ねえ。キャッチコピーは 世界征服だ! って、どういう内容?」
「それはやはり、豊富なんじゃないでしょうか」
「真面目《ま じ め》な顔して言うな。それよりこの、――って何であたしらが十八|禁《きん》ゲームのタイトルとキャッチコピーを寸評《すんぴょう》してなきゃならんのよ!」
叫んだときだ。
廊下から妙な音が聞こえた。
多くの人々が走る足音と、犬の吠《ほ 》え声だ。
わあ、とか、ひゃあ、とか言いながらの足音は高速で立ち去り、犬が追っていく。続いて小さな足音が走っていくが、
「……何なんですかね」
「いいからアンタも行ったらどうかしらねえ?」
モニタ上、ダミーデータの防壁は出来つつある。
「おそらく、食い尽くされる前に中枢《ちゅうすう》から完全にデータを抜くことは出来ないわ」
だけど、と月読は既に抜き出して格納《かくのう》したデータを別ウィンドウでリストアップする。
並ぶリスト名を見て、彼女は笑みを浮かべ、
「護国課《ご こくか 》のデータはかなりあるみたいね。写真を取り込んだ画像データすらも。……じゃ、廊下の騒ぎに行ってきなさい鹿島、アンタが戻ってくるまでにこれを片づけてプリントアウトしておくから」
「僕に、それをどうしろ、と?」
「そうねえ。重要そうなものはファックスか何かで岡山《おかやま》行った連中に送ってやりなさい。コンビニ経由か何かで、上の連中に気づかれないようにね」
頷《うなず》き、
「あの子達も、知りたがっていることでしょうし」
詩乃《し の 》は悪い大人達と向かい合っていた。
場所は地下一階の中央通路だ。ここまでかなり中を走り回ってきたが、一応、進行方向が出口だろう。対する敵は白い廊下の十字路で実働隊と合流し、その背後で荒れた息を整えている。
……出口を押さえられましたね……。
見れば実働隊が十数人。それぞれ手に銃器《じゅうき》を持ち、こちらに向けていた。構えは水平で威嚇《い かく》をする気も無いようだ。隊長らしき制帽の中年男が阪神のメガホン片手に、
「えー、聞こえているか? おとなしく投降《とうこう》してもらおう」
「嫌です」
「えー、では、軽く名前と所属など」
言っても大丈夫だろうか、と詩乃《し の 》は考えながら、
「名前は詩乃と言います。所属は、――軍 と言います」
告げた言葉に、相手側がわずかに身を固めた。
そうだろうな、と詩乃は思う。今までUCATと 軍 はこの日本限定だが小競《こ ぜ 》り合いを起こしてきた。その多くはUCATの持つ情報や物資《ぶっし 》、機密《き みつ》物の奪取だ。戦闘はあっても副次《ふくじ 》物でしかなく、捕らわれた者は自害《じ がい》を命じられているが、
……大体は捕らわれることなく帰還《き かん》しますから。
正面から向き合い、名乗ったのはほぼ初めてのことだろう。
見れば実働部は、隊長を含め、背後のカメラ連中達と話し込みを始める。
「?」
と首を傾《かし》げていると、隊長が振り向いた。
「君の目的は?」
「今、UCATのデータサーバがどうなっているか、知りませんか?」
「いや、……知っている」
声には沈んだ色があった。
その色に詩乃はすまないという感想を抱いた。その一方で、自分が連れてきた犬達がちゃんと仕事を果たしているという嬉《うれ》しさも得る。
……身《み 》勝手ですね。
だが、詩乃は毅然《き ぜん》とした態度を通すべきだと悟る。自分は彼らの敵なのだから。
「では、観念《かんねん》なさって下さい。私の犬達は並の攻撃では止めることなど出来ません。出来ればそこを開けてここから出してもらえませんか? そうすれば、皆さんを攻撃しないよう、犬達に言いましょう」
強く言い放ち、詩乃は身構えた。直後。
「その表情もらったあっ!!」
敵の背後から| 超 長 《ちょうちょう》大型《おおがた》望遠レンズが突き出し、シャッター音が鳴った。
同時に敵のほとんどが叫ぶ。
「抜《ぬ 》・け・駆《が 》・け・だ!!」
「それよりも私、撮影《さつえい》許可してませんー!!」
叫ぶと、実働部の皆がそうだそうだと言い出す。実働部はそれぞれ写真組の襟首《えりくび》を掴《つか》み、
「大体だな、よく聞け貴様《き さま》ら……!」
一息。
「貴様らだけがいい思いして俺達には美少女に銃向けるクソ仕事させんのかあっ!」
「だ、だからその称号はやめて下さいー。この組織には変態しかいないんですかっ!?」
皆が振り向き、
「君は自分の価値《か ち 》が解《わか》っていないっ! 鏡を見て価値観の反省をしたまえ!」
「そ、そんな価値いらないですー! 写真撮るのもやめて下さいー!」
と、皆の背後に立っていた大城《おおしろ》が望遠レンズを抱えてクネクネしながら、
「そんなっ、そんなっ、老人の可愛《かわい》い楽しみをっ」
「シロ、シロ、狙うのはあの人ですからね? ――躊躇《ちゅうちょ》なく犬歯《けんし 》で噛《か 》んじゃって下さい」
「最近の美少女はセメントだなあっ!!」
「いいからそこ開けて帰して下さいー!! 拉致《ら ち 》監禁《かんきん》ー!」
詩乃は叫んだ。
とにかく彼らにどいてもらって帰ろう、と思う。
犬達はすぐに後をついてくるだろう。情報を食い、自分の身体《からだ》に蓄えて。あとはそれを分解し、賢石《けんせき》に保存すれば任務は終了だ。UCATはそのデータベースのほとんどを失い、逆に 軍 はそれらを手にすることとなる。
……早くこの嫌な世界から出ましょう。
犬達がいなくても、自分の賢石の力で相手の意思に介入して、こちらの言うことに従わせることは出来る。だから、
「どいて下さい」
首から下がる賢石を手に告げた。
すると道を塞《ふさ》いでいた数名がふらりと立ち上がった。
成功だ。もとより賢石の力は概念《がいねん》と同じだ。そうであるもの、という力に対してはまず逆らうことなど出来はしない。
「――――」
詩乃《し の 》は一息。そして目の前の数人が両脇に退くと、背後の者達が慌《あわ》てて、
「ま、待て! 操《あやつ》られているぞオマエ! まさかこれが驚異《きょうい》の美少女パワーか!?」
「美少女パワーじゃありませんー! 賢石効果ですー!!」
「え〜っ!?」
抗議の叫びを詩乃は無視した。
前に出る。と、いきなり大城が飛び出してきた。彼は両手を前に突き出し、
「勝負ー!!」
「どいて下さい」
やれやれ口調で詩乃《し の 》が言った瞬間《しゅんかん》だ。大城《おおしろ》と自分の間に亀裂《き れつ》のようなものが走った。
硝子《ガラス》にヒビが入ったような音に、え? と前を見れば、大城はどいていない。
詩乃は、自分の賢石《けんせき》の力が通用しないことに眉をひそめる。
首を傾《かし》げて、改めて口を開き、
「どいて……、下さい」
また空中に亀裂が走り、風も生まれた。だが大城はどかない。
効いていない。
ただ、両手を前に突き出した姿勢の大城の白衣《はくい 》が揺れ、彼の手から鎖《くさり》に下がった一つの青い石がこぼれた。
「ははは。残念だなあ。――こんなこともあった方がいいかと、いかなるものも反らす概念《がいねん》の劣化《れっか 》複製を持ってきておる」
「それは――」
「君の力を、まあ、単純に弾《はじ》いておるわけだな。お願いパワーで押してみたらどうかね?」
「どいて下さいっ!!」
叫びとともに再び空間に亀裂が入り、大城の白衣の裾《すそ》が飛び散る。周囲の兵士達が身を仰《の》け反《ぞ 》って壁に貼《は 》り付き、全身の骨格に軋《きし》みを挙げながら、
「ぐあっ。お、大城|全《ぜん》部長ー! これ以上はどくことが出来ませんー!!」
「いいからどいてー!!」
「ぐああああ!」
「君らとても楽しそうじゃなあ」
大城はこちらの力に真っ正面から耐えている。
その表情と構えにはまだ余裕《よ ゆう》がある、と詩乃は判断し、
……あれ?
一つのことに気づいた。大城の持っているのが反射の概念で、真っ正面に手を突き出しているならば、
「あ」
と詩乃は何気ない振りで左を見た。ドアが一つある壁を。
大城が、つられてそちらを見た瞬間だ。姿勢を傾けたため、受け止める力の方向のズレた大城は、そのまま右後ろ方向へと弾《はじ》かれて吹っ飛んだ。壁に激突《げきとつ》して元気良く二、三転し、
「あ痛ー! お年寄りは大切にせんといかんでなあっ」
「いいから静かに帰して下さいっ」
詩乃は無視した。
その叫びに、賢石の効果か、相手が全員押し黙る。
望んだ沈黙《ちんもく》を得ながら、しかし詩乃《し の 》は、今の自分の叫びが少なくとも、
……侵入者の意見じゃないですよね……。
顔が赤くなるのを自覚した眼前、壁から下に這《は 》い降りた大人達が何故《なぜ》かまた額《ひたい》を合わせて相談を開始している。幾人《いくにん》かがたまにこちらの方をちらちら見て、一分ほどが経過した。
そして彼らは改めてこちらに顔を向けた。いやに統一された静かな笑顔で、
「さて、では真面目《ま じ め》にいこうか。今夜は帰さないぞお」
「な、何か胡散臭《う さんくさ》いですね……。何か隠してます?」
「い、いや、そそそそそんなまさかなあ? 皆、何も隠してないでなあ?」
うんうんうんと高速で三度|頷《うなず》く彼らを見て、大人は嘘《うそ》つきだ、と詩乃は心に刻んだ。
「とにかく動かないで下さい。そこから先に行って、帰りますから」
「うんうん、どんどん先に行っちゃってくれんかなあ」
言われた口調に、詩乃は怪訝《け げん》なものを感じた。
何だろうか。
首を小さく傾《かし》げたときだ。ふと、前に立っていたシロが振り向いた。
「? どうかしました? シロ」
シロが右の壁を向く。詩乃も向こうとする。と、
「あー! そっちの壁を見るとお目々が腐食《ふしょく》するでなあー!」
構わず詩乃は見た。白い壁。そこにはプラカードの表示がある。
自分の背後の方を示した緑色の矢印が見え、その下には、
「出口……」
つぶやき思う。
……追いかけている間に| 逆 周 《ぎゃくしゅう》してたんですか……。
と、前の方から大城《おおしろ》の声が響《ひび》いた。
「あ、ほら、そっちには出口さんという人が住んでおるでなっ。こっち、こっちが本当の出口! ほら、ほら、こっち来いー」
「――さ・よ・う・な・らっ!!」
スタッカート付きの声で叫び、詩乃は彼らに背を向けようとした。
しっかり騙《だま》されていたことよりも、自分の方向感覚のなさにあきれる方が大きい。軍 に戻ったら密閉《みっぺい》空間での戦闘《せんとう》訓練をもっと受けよう、とそう思ったときだ。
振り向いた前方。地上一階に出る出口の方から、声が響いた。
声は男の声で、歌だった。
「夜の〜、しじまに〜、交わす口づけは〜、ヨルチュウ〜」
その声に対し、背後から誰かの声が聞こえる。
「来てしまった……!」
「な、何ですかこの変な歌は!?」
「我らの秘密兵器だ。秘密にしておきたかった兵器が……!」
詩乃《し の 》は声を聞いた。歌声を。
声は続く。思わず身動きを止めたこちらの前に、通路の向こうから現れた人影をつけて。
「俺が〜、お前は〜、心でぇ〜」
溜《た 》めて、
「イエ――ッ!!」
シャウトが終わるのと、人影が約三メートルの目の前で止まるのは同時。
詩乃は見た。正面に立つ青年を。
それは、白のサマーコートに身を包んだ金の短髪の男だった。
彼は何か幻聴《げんちょう》が聞こえているのか、誰もいない空間に対して両手を広げて制し、
「アンコールは無しだ。日本海《に ほんかい》から帰ってきていきなり仕事だからよ」
その言葉に、詩乃は相手の正体を予測して安堵《あんど 》する。
おそらく、日本海沿岸からの| 超 《ちょう 》遠洋《えんよう》漁業を営んでいる人だろう。遠洋のあまりの寂しさにどこかがおかしくなってしまったのだろう、と。
彼はこちらとシロをちらりと見た。そして背後の十字路に展開する仲間を見る。
「来てやったぜ。開発部|警備班《けいび はん》所属、熱田《あつた 》・雪人《ゆきひと》だ」
「え? ……遠洋漁業は?」
「あ? 何言ってんだこのガキ」
と、熱田と名乗った青年が眉を歪《ゆが》めた顔でこちらを見て、また向こうを見る。
敵だ、と思うが、身体《からだ》が動かなくなっていた。彼、熱田の持つ雰囲気《ふんい き 》のせいだ。彼は自然体で立っているが、こちらが妙な動きをすれば何をされるか解《わか》らない。
訓練時の竜美《たつみ 》と向き合ったときのような威圧《い あつ》感がある。
隣《となり》のシロも、ゆっくりと身を沈め、警戒《けいかい》を解いていない。
どうしよう、という言葉を心に浮かべたときだ。熱田が自分の仲間に問うた。
「で? どこにいんだよ? 敵はよ? 早く出せよテメエら」
は? と熱田の視線の先に振り向けば、十字路の全員が同時にこちらを指さした。
彼らの指を熱田が見て、そして自分の方に目を向ける。
そして、ややあってから、彼はまた仲間達に顔を向けた。
「馬鹿かテメエら。こんな乳《ちち》くせえガキが敵のわけねえだうが! 冗談《じょうだん》だったらもっといいこと言えよ馬鹿どもが。――おい、ガキ、テメエも、どこでスカウトされたのか知らねえけど、頭|腐《くさ》った連中の遊びにつき合ってると脳が耳から出ちまうぞ?」
「い、いえ、私は、あの、その、一応|敵《てき》で」
「まあだ寝惚《ね ぼ 》けてんのかこのガキっ! ゴッコ遊びはいいから早く帰って寝ろ馬鹿!」
言われた言葉の全てに、感情が逆立った。
表情に険《けん》が生まれるのを危険と考えたが、向こうが首を傾《かし》げ、
「あ? 何か言いたいのかクソガキが」
と言ったところで、詩乃《し の 》の自制心が吹っ切れた。
一瞬《いっしゅん》だけ息を吸い、詩乃は両|拳《こぶし》を下に握って叫んでいた。
「寝惚けてませんー! 大体|貴方《あなた》何ですかっ! 人のことガキとか言って!」
「うるっせえっ。見た目通りのガキじゃねえか。ガキは夏休み中だろ? 今日は早く寝て、明日は朝からラジオ体操でも行って出席スタンプもらいやがれ!」
「へえ。人をガキガキ言って、変な歌聞かせて幻聴《げんちょう》聞いてる貴方の方がガキというか取り返しつかないじゃないですかー! それにラジオ体操は今からだと明日の朝じゃありませんー。今日の朝ですー! もう四時過ぎてるんですからねっ! この馬鹿ー!!」
叫ぶと、反応が来た。それもまずは熱田《あつた 》ではなく、背後の皆からだ。
それは、うわ、と息を飲み、何か腰を退《ひ》くような雰囲気《ふんい き 》だった。
が、詩乃はもう怖れない。舌を出して、
「ふーん、だ! 悔しかったら何か言ってみて下さいー! この大人《おとな》馬鹿ーっ!」
見れば、眼前の青年の眉が立っていた、歯を剥《む 》いた口が開き、
「こ、こここの、このこのこのこの……」
「あれぇー? 何を台詞《せりふ》噛《か 》んでるんですかー? うふふ。――この二度ド馬鹿ー!」
「――ぅ犯すぞこのガキ!!」
叫びが身を貫《つらぬ》いた。が、言われた意味が、詩乃には一瞬|解《わか》らなかった。
周囲が静かになり、動きも何もかも消えた中で詩乃は思う。
言われた言葉の意味は、どういうことだろうか、と。
「え、えーと」
頭の中の知識は、新聞や週刊誌で手に入れたことだ。それらが自分に起こったときのことをミックスして、詩乃は思わず目眩《めまい》を憶《おぼ》える。
ふと、目から何かが一つこぼれた。
命刻《みこく》に助けを呼ぼうと一瞬思った。が、命刻はいない。しっかりしなければ。
だから詩乃は耐えた。目尻《め じり》に新たな涙が浮かぶのを自覚しつつ、ゆっくりと熱田を見上げた。
眉をひそめた熱田の前で放つ言葉は一つだ。天井に向かって息を吸い、大きく口を開け、
「レイパーっ!!」
「ば、馬鹿|野郎《や ろう》! いきなり飛躍するんじゃねえっ!!」
「ぅわあーん!!」
「泣くんじゃねえーっ!!」
だが、次の声は十字路の方から響《ひび》いた。
「貴様《き さま》あ――!!」
轟《とどろ》く声とともに、そちらから無数の銃器《じゅうき》を構える音が響き渡った。
「熱田《あつた 》! 貴様、地球の大事な資源を泣かしたなあっ! でもその顔もいいけど!」
「支離《し り 》滅裂《めつれつ》な変態《へんたい》活動行ってんじゃねえっ! それよりコイツか? コイツが敵か!?」
「今は貴様が全宇宙の敵だ!!」
「馬鹿|野郎《や ろう》! たたっ切るぞテメエらっ!!」
熱田の吠声《ほうせい》が廊下に響いたときだ。
「あ、ちょっと待った待った。いいかい?」
と、新たな男の声が響いた。詩乃《し の 》が目尻《め じり》を両手で擦《こす》りながら背後に振り向けば、十字路の右手側から白衣《はくい 》を着た青年が小走りにサンダル足音でやってくる。
彼は十字路にたまっている者達と、熱田を見た。眉をしかめてやれやれと、
「何やってるんだ、皆」
「ああ鹿島《か しま》、何かそこの馬鹿どもが俺のことを敵《てき》扱いしてなあ」
と、鹿島と呼ばれた青年が横にやって来た大城《おおしろ》を見る。鹿島は吐息して、
「大城|全《ぜん》部長、熱田は戦闘に対する姿勢では真面目《ま じ め》です。いくら何でも彼に銃を向けるという状況は間違いだと思いますが?」
「そうそう、そこの変態ジジイ達に俺の素晴らしさを教えてやってくれ」
すると、大城が頷《うなず》き、鹿島に小さな手招きをした。
鹿島が耳を寄せると、大城が何かを囁《ささや》く。
うんうん、と鹿島が頷いた。そして彼は熱田を見ると、
「――それはいけないなあ、熱田」
「あっさり寝返ってんじゃねえっ!」
「やかましいわよっ!」
更なる動きの追加を詩乃は見た。
左手側、壁にも見えるドアが横にスライドして、中から一つの小柄《こ がら》な人影を吐き出した。
それは灰色の長髪の少女だ。足下に黒猫を連れた彼女の名を、詩乃は知っている。
ブレンヒルト。1st―|G《ギア》とUCATの戦闘では1st―Gの主力となっていた少女だ。
ブレンヒルトはあたりを見回した。十字路の方を見て、こちらに目を向け、
「うるさい原因はアンタら?」
問いかけ、しかし答えを彼女は期待しない。
眉をひそめ、苛《いら》つきととれる早口で、
「こっちは真剣に忙しいんだから静かにしなさい」
叱《しか》られているような思いを得て、詩乃《し の 》は慌《あわ》てて口を開いた。
「す、すいませんっ」
「? あら。すいませんで済むと思ってるの?」
眉をひそめた顔がこちらに向いた。
しまった、と詩乃は思う。反射神経の謝罪で相手に言いがかりの糸口を与えてしまったと。
当然のように、ブレンヒルトが眼《め》を細めた。首を傾け、斜め下からこちらを見て、
「あのね貴女《あなた》、私が今、何をしてたか教えて欲しい?」
「い、いえ別に」
そう、とブレンヒルトが言って、口元に笑みを浮かべた。
「教えてあげるわ。――夏休みの宿題よ」
聞いたことのある言葉だ。詩乃は学校に行かず、軍 の大人達にそれこそプロフェッショナルの知識を教えてもらっているが、一般人の学校における習慣はそれこそ知識としてしか知らない。
夏休みの宿題とは、話など聞くからに、いつも皆が大変だ大変だと言いながら夏休みの最後まで引きずってしまうものらしい。夏休み初めに終えてしまう者は貴重だと聞く。
今、目の前にいるのはその貴重|種《しゅ》だ。
そんなものに出会えた喜びが、問いを放っていた。
「な、何をやってるんですか? 宿題は」
好奇心《こうき しん》と興味|本位《ほんい 》の問い掛けに、ブレンヒルトが動いた。こちらの眼前十センチの距離に手をかざす。彼女の手が掴《つか》んでいるのは、
「アブラゼミ。――昆虫《こんちゅう》採集よ」
「…………」
「昨日の夕方に捕獲《ほ かく》してね。さっき用意を調《ととの》えて、標本にしてたの。知ってる? 注射器でお尻の先端から麻酔《ま すい》薬を流し込んでね? 動きが止まったら次に毒入りの硬化剤《こうか ざい》をまたお尻から注入するのよ。そして胴体《どうたい》中央を、こう、虫ピンで――」
突き出されてきたセミの腹に詩乃は、ひ、と息を飲む。
「大丈夫よ、麻酔薬は射《う 》ったから。でも、硬化剤を射とうとしたら外でいきなり騒ぎがあって針が斜めに入っちゃってね。硬化剤が漏れちゃって」
「え?」
「まだ生きてるの」
言葉とともに、セミが突然動いた。六肢《ろくし 》を震え暴れさせ、じ、という鳴き声を挙げる。
虫の音と動きに、詩乃は後ろに下がりながら、
「ぃやあー!!」
しかしブレンヒルトはセミを見ず、こちらと視線を合わせたまま、
「静かにしなさいって言ってるでしょ」
こちらの額《ひたい》に何かを押しつけた。
それは、硬いものであった。それは、微妙《びみょう》に尖《とが》り、何か動くものであった。そして、それはこちらの肌を痛くホールドしてくるものでもあった。
何でしょうか、と考えた詩乃《し の 》は、自分の意識がふと失われそうになったのを感じる。
耳が、じ、という鳴き声が止まったのを聞いている。
何か六つの鋭いものが、こちらの額に食い込んでいる。
新たに耳に聞こえてくるのは遠くからやってくる犬達の足音と鳴き声。これは幻聴《げんちょう》だろうか、と思ったとき、額に更に一つ、鋭い痛覚《つうかく》が来た。
それは何か、と思った答えを、ブレンヒルトが告げる。
「あら、吸ってるわ」
何が、という自問を本能が先回りで超えた。口を開け、四肢《し し 》を緊張《きんちょう》させ、
「セミ――!!」
詩乃の悲鳴とともに、四方の壁と天井から犬の群が飛び出してきた。
吠声《ほうせい》に重なるように大人達の叫びと銃声が重なり、セミをかざした少女が身構えた。
彼女は熱田《あつた 》に一つのものを放る。昆虫《こんちゅう》採集セットのメスを。
「剣神《けんしん》、成果を上げなさい!」
「言われなくても解《わか》ってらあ!!」
熱田が刃《やいば》を受け取ると同時。シロが動き、ブレンヒルトの袖《そで》から紙が舞った。
爆炎《ばくえん》の紙。
そして剣戟《けんげき》と爆発が生じた。
朝に近い夜の下、月がある。
下弦《か げん》の月だ。位置はもはや西側で、朝が近いことを教える高さに浮いている。
それを眺《なが》める女性がいた。
彼女がいるのは広く平坦な街にある小山の上、そこに立つ白い建物の側面だ。
地上八階の高さにあるリフトに、白い寝間着《ね ま き 》姿が立っている。手摺りに身を預け、彼女は月を見ていたが、不意にそれを止めた。
視線を下に落とせば、街が見える。
「倉敷《くらしき》か……。あたしからは見えても、向こうからは見えてねえってのも変な話だな」
倉敷。歴史ある街は夜が早い一方で、朝は普通らしい。月の出ている今は3rd―|G《ギア》の壁《かべ》時計では未明《み めい》とのことだったが、
「あまり明かりが灯ってねえな」
平地の中にある街だ。農業が盛んなわけではなく、港もない。人々は歴史を護《まも》って街を保つ一方で、ちゃんと、
……今に合わせた生活を選んでいる、か。
説教くせえ、と自嘲《じちょう》気味につぶやき、京《みやこ》は空を見た。
ここに残る、と夕方に決めたとき、モイラ1stとギュエスが、考え直すチャンスとして二つの情報をくれた。その内の一つが、
「……あたしが2nd―|G《ギア》の人間だってか」
母はそんなことを一言も告げたことはない。
帰化《き か 》しているのだろう、とモイラ1stは言っていた。概念《がいねん》戦争が終了してから、|Low《ロ ウ》―G側に| 恭 順 《きょうじゅん》した者達は多いのだと。そして月読《つくよみ》という姓《かばね》は2nd―Gの中では皇族《こうぞく》に値《あたい》するとも聞いた。
「ケ」
……姫様じゃねえか。
気色《きしょく》悪い話だな、と京は思うが、更にはギュエスが、こうも言った。
「情報によれば、我々と敵対するLow―Gの対《たい》概念戦争|組織《そ しき》、UCATの東京支部では、月読という女性が開発部の部長を任じているらしい」
聞いてみると、その女性は、
「あたしの母ちゃんだよな、どう考えても」
どうしたものか。折角《せっかく》ノってきて、啖呵《たんか 》も切ったというのに、
……あたしはLow―Gの人間じゃなくて、母ちゃんは敵対組織の重鎮《じゅうちん》か。
モイラ1st達は、明日の朝に決めて欲しいと言っていた。去るか、残るかを。
考える。とりとめもない事柄を。ふと唇から紡《つむ》がれるのは歌だ。
「Silent night Holy night/静かな夜よ 清し夜よ」
思い出深い歌だと京は思う。
……かつて……。
父と最後の夜を過ごしたときに、家族で歌った詩だ。
あの頃のことを思い出すために、たまに歌うときがある。
母は逆にずっと歌うことはなかったが、五月くらいから不意に鼻歌で奏《かな》でるようになった。契機《けいき 》は母が 宴会 と言ってIAIに泊まり込みに行き、腰を悪くして帰ってきてからだ。
母に何かあったのだろうか、と京は思う。
すると自嘲の笑みが口から漏れた。ケ、と声を放ち、
「やれ面接だ、やれ自分がどうのこうのと……」
……それ以前に他人のことを何も知っちゃいねえじゃねえか。
「一人前にはほど遠いぜ京さん」
つぶやきを空に捨てた。そのときだった。
不意に京《みやこ》は光を見た。
青白い光、月光に似た光だ。だがそれは、空から来たものではなかった。
「屋内……!?」
背後、非常口から見える薄暗い廊下を、青白い光が移動していった。
それは、人影だった。
……女?
青白く光り、同じ色の長い髪を宙に波打たせた女性が一人、非常口|脇《わき》の階段を下りていく。
人ではない、と京は思った。人は光など放たないし、背景を透《す 》かし見ることも出来なければ、
「あんな顔をしてられるものか……」
京が見たのは、眉尻《まゆじり》を下げた顔だった。口元を今にも泣き声に崩しそうで、瞳《ひとみ》も何かを探し求めるように力無かった。
人であるならば泣き叫んでいるだろう、と京は思う。彼女の表情は、まるで泣く寸前に時間を止めてしまったようだ、と。
だが、人ではないとしたら、何だろうか。
幽霊《ゆうれい》か、と考えて、しかし首を横に振った。
昨日、モイラ1stから3rd―|G《ギア》の世界について聞いたとき、冥府機構《タルタロスマキナ》というものの存在も教えてもらった。人々の| 魂 《たましい》はその中で渾然《こんぜん》としており、任意の誰かを呼び出せるようなものではない、と。
それは、個人として区別された霊は無いということだ。
「だったら今のは……」
リフトの手摺りから身を引き剥《は 》がして見れば、光の女性は既に階段の下の方にも見えない。
この階段の行き着く先は下の格納庫《かくのうこ 》だ。
行くべきか、と思うなり、京は一つの記憶《き おく》を思い出した。先ほどの女性は、
「廊下の額《がく》にあった女の絵じゃねえか……?」
……アルテミス?
アポルオンの妹の名だ。
それが、どのような形かは解《わか》らないが、この基地内にいるのだろうか。それとも、
「疲れて幻影《げんえい》でも見たのか……?」
額《ひたい》に手を当てると、汗を感じた。
その湿《しめ》りと冷えた額が、目に見たことは事実だと叫んでいる。
そして、今度は光ではなく、音が来た。
眼下からの叫びだった。
『――――!!』
機械の音声|素子《そ し 》が放つ叫びが、格納庫《かくのうこ 》の入口から響《ひび》いている。わずかに開いた扉から洩《も 》れる光さえも震わすように聞こえるのは、獣《けもの》の咆哮《ほうこう》にも似た、
……悲鳴だ。
ぎ、とも、き、とも聞こえる高い声の叫びが、下から響いてきていた。
京《みやこ》は知っている。この声がテュポーンの叫びだと。
だが、何故《なぜ》テュポーンがこの声を挙げるのかは解《わか》らない。
どういうことだ。
京は何かを確かめるように聞き届けようとしたが、しかし、聞こえる悲鳴に背が震え、
「……く」
腹の奥を絞ってくるような気味悪さに、身を屋内へと入れていた。
赤い絨毯《じゅうたん》の足触りが柔らかく、気持ちいい。
そして格納庫の入口から聞こえていた悲鳴はか細く消えていく。
その声が階段の下の方からは響いてこないことに気づくと、安堵《あんど 》の吐息が漏れた。
ほ、と声を熱い息とともに漏らし、壁に背を付いた。
……何だ今の悲鳴は?
既に消えた悲鳴は、もはや二度と聞こえない。
そのことから更なる安堵を得たと同時に、
……すまねえ。
そんな思いも抱いていた。先ほどの青白い光の女性の表情を見ていたからだろうか、あのテュポーンの叫びと解っていても、そこに聞こえる悲鳴の色をどうにかしてやれないかと思う自分がいる。
「くそ」
京は右手を目にかざし、
「くそ!」
声とともに、左の手を握り、壁を叩いていた。
自惚《うぬぼ 》れていた、と自らを再確認する。昼に侍女《じ じょ》達に名を与え、囲まれ、夕刻にアポルオンと言葉を交わし、それで自分はある程度ここのことを解ったと思っていた。
……そうじゃねえ。
ここに残ろう、と京は思う。そして明日、メシを食ったら格納庫へ行こう、と。そこで皆が仕事をしている中、正々堂々《せいせいどうどう》とテュポーンと向かい合おう、と。
「くそ……」
つぶやく京は、耳に音が残っていることに気づく。
テュポーンの悲鳴だ。
その濃さは、テュポーンが見せた黄色い瞳《ひとみ》の色に等しいくらいだ。
「く……!」
目にかざした手で顔を覆《おお》い、京《みやこ》はテュポーンと同じ色の瞳《ひとみ》を持つ青年を思い出した。
彼は、己の瞳の色と同じ濃さを持った悲鳴を聞いたとき、どうするのだろうか。
そして、今、テュポーンに叫びを挙げさせたのは誰なのだろうか。
……アポルオンじゃねえのか?
この基地内にいる人間は彼だけだ、とモイラ1st達は言う。ならばテュポーンを動かせるのは彼しかいないはずだ。
だが、先ほどの女性は何だろうか。
……あの女が下に行ったら、テュポーンは悲鳴を挙げた。
しかし、と京は首を横に振った。武神《ぶ しん》を動かすには実体が必要だ、と。あの女性の身体《からだ》は光で出来ており、足音さえも響《ひび》かせなかった。
あれでは何も動かせるものではない。
「どうなってんだ。ここは……。機械の国じゃねえのかよ?」
アポルオンに問うてみたいと思いながら、京はしかし、首を横に振った。
明日だ。
明日、格納庫《かくのうこ 》に行って、それからだ。そこで何か事実を掴《つか》んでからでなければ、
「あのボンボンは、……問うてもまともに答えちゃくれねえ、か」
[#改ページ]
第二十一章
『記憶の黙読』
[#ここから3字下げ]
外に出ようと誰かが言った
応える前に出ていくのは想いか視線か
それとも踏み込む足だろうか
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
広がる午前の青空の下、青黒い広がりがある。
陽光を反射して波打つ広がりとは、海のものだ。
が、この海には水平線が無い。
行く船と水鳥の動きの向こう。対岸があり、青くかすんだ山並が見える。
そんな海に向かって響《ひび》く声があった。
「瀬戸内海《せ と ないかい》〜」
女の声、風見《かざみ 》の声だ。
その声が生まれたのは海に突き出た埠頭《ふ とう》の上だ。コンクリートの港には数十人の人影があり、風見は先頭に立って車|椅子《い す 》のハンドルを掴《つか》んでいた。
桟橋《さんばし》に押されていく車椅子に座るのは金の長髪の少女、美影《み かげ》だ。
彼女は声を挙げた風見《かざみ 》の顔を振り仰ぐ。口を開き、無音で言葉を発する。
『えおあいあいっ?』
「そ。瀬戸内海」
と風見は答えて笑みを見せる。対する美影は頷《うなず》き、風見の背後を見た。
そこに二人の少年がいる。出雲《いずも》と飛場《ひ ば 》だ。飛場は感心した顔で風見を見ており、
「風見|先輩《せんぱい》、随分《ずいぶん》と美影さんと親しくなりましたね……」
「何しろ昨夜っからここまで、バスやヘリや電車で一緒だもんね。妬《や 》ける? 飛場」
「ああ、千里《ち さと》、俺は心配だ。オマエが性別を超えない恋愛に目覚めぐふっ」
余計な言葉を途中で止めて、風見は周囲を見回した。
桟橋とその基部の港で船を待つのは全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》と、よく協働する特課《とっか 》や通常課の面々《めんめん》だ。
合宿場所の無人島に行くため、奥多摩《おくた ま 》からヘリで岡山《おかやま》のUCATまで飛び、そこからは電車で岡山と倉敷《くらしき》を経由しての移動だ。
今、自分達がいる港は漁港ではない。倉敷から電車で来られる工業用の運搬《うんぱん》港、岡山県は児島《こ じま》半島の南西にある水島《みずしま》港だ。三菱《みつびし》を始めとする工業地を持つここを、
「出雲社|航空《こうくう》技研の時代から出雲社が使用していた、ってか」
父親から聞いた話では、このあたりは第二次大戦中は横須賀《よこす か 》を超える造船の本場だったそうだ。
風見は、飛場を見て、美影を見て、西の海を見る。
「広島《ひろしま》の呉《くれ》って場所。あっちの方でね。護国課《ご こくか 》の時代は戦艦《せんかん》大和《やまと》とか、まあ、そういうのを造っていたらしいのよ」
「今は客船とかタンカーとか造ってるって話ですね」
「あら、詳しいのね? 飛場。そういうの、好き?」
「いえ、爺《じい》さんがやたらと好きで。護国課時代、軍が大型戦艦|造《つく》るときに護国課に技術|供与《きょうよ》せよみたいな話があったらしいですよ。で、爺《じい》さん達が、空飛んで艦首《かんしゅ》から破壊《は かい》光線出す戦艦《せんかん》を計画したらフザけてると一蹴《いっしゅう》されたそうで」
本気だったんだろうな、と風見《かざみ 》は内心で感想を述べてみる。
……計画書が残ってたら父さんのネタになってるわね……。
と、見れば美影《み かげ》が背後の飛場《ひ ば 》を見るために身を乗り出していた。
今の話は美影も知らないことなのだろうと風見は察する。
そして、彼女は飛場からいろいろと話を聞きたいのだろう、と。
昨夜、言葉を交換したり、美影に飛場への携帯連絡をたびたび頼まれ、ある程度は美影の意思が解《わか》るようになっている。
……自惚《うぬぼ 》れだろうけど。
朝、集合時間前に起きた原因は、美影が一人で部屋を出ようとしている物音だった。
彼女の行動の意味を、飛場に会いたいがためか、自分といたくないか、どちらにとるかで今の気分は変わる。
自分に油断《ゆ だん》しないようにしよう、と風見は思う。美影は美影で考えているのだから。自分が焦って気を回すようなことをしなければ、結果が全てを答えてくれるだろう、と。
と、不意に飛場があたりを見回し、
「そういえば、倉敷《くらしき》の駅あたりから、佐山《さ やま》先輩《せんぱい》と新庄《しんじょう》先輩が見えないんですけど」
「ん。あの二人、我慢出来なくなっちゃったから。私達の目の前だとマズイでしょ?」
「……は?」
「よくあることよ」
と、風見は飛場に手招きする。美影が首を傾《かし》げるところに飛場が来ると、身を屈《かが》め、口元に指を一本立てる。そして姿勢を下げろ、と手で軽く指示する。
「?」
飛場が前に首を傾《かし》げる。
その奥襟《おくえり》に風見は手を伸ばした。同じように美影の車|椅子《い す 》の車輪にも。
手を動かして探ると、
……あった。
握り掴《つか》んで、手に取って見れば、| 掌 《てのひら》には米粒《こめつぶ》程度の小さな機械が乗っている。
と、飛場が美影のように無音で口を開いた。
『おうおーい?』
盗聴器《とうちょうき》?
そ。と風見は頷《うなず》いた。素早く背負ったザックを開け、佐山が持っているのに似た携帯|録音《ろくおん》機を取り出す。スイッチを入れて音が流れ出すと、その内容を飛場が小声でこう述べた。
「風見先輩、……何ですかこの肉や骨を殴打《おうだ 》する音は」
「しっ、私の打撃音が四時間分|入《はい》ってるだけよ。佐山《さ やま》の編集でね。――とりあえず覚《かく》を殴っているように聞こえるだろうから……」
盗聴器《とうちょうき》を、やはりザックから出した小さなピルケースに入れ、電源をつけたままの録音機とともにザックに入れ直す。
そして風見は倒れてる出雲《いずも》にザックを放った。顔にぶつかったときに何か鈍い音がしたが、中には何か武器でも入れていただろうか。考えないことにして風見《かざみ 》は一息をつく。
「――さて、真面目《ま じ め》に話しよっか」
「ええそうですね。……って、盗聴器ってどういうことですか!?」
「声が大きいわよ、飛場《ひ ば 》。簡単なことじゃない。アンタ達や私達の動静《どうせい》が気になる連中がいるのよ。そして監視《かんし 》しろって言って来てるの。――おそらく海の向こうからね」
風見は奥襟《おくえり》と美影《み かげ》の車|椅子《い す 》を指さし、
「ヘリに搭乗《とうじょう》するとき、ボディチェックで着けられたのね。後で戻すから、飛場は向こうに着いて船降りるときにワザと海に飛び込んで着替えること。美影は車椅子じゃなくて杖を使うようにね? で、毎日テント干しの掃除は必須《ひっす 》」
慌《あわ》てて頷《うなず》く飛場と、飛場を真似《まね》して頷く美影に風見は微笑する。飛場の戦闘《せんとう》能力や美影の過去のいきさつなどは随分《ずいぶん》なものだが、個人戦闘を繰り返してきただけあって、こういう駆け引きは範疇《はんちゅう》外なのだろう。
……珍しく先輩《せんぱい》気分だわ。
「それで、佐山先輩達は?」
「うん。岡山《おかやま》のIAI支社にヘリで降りたとき、佐山に携帯|連絡《れんらく》来たっしょ?」
「ええ、確かUCATが 軍 とかいう連中の襲撃《しゅうげき》を受けて逃走されたとか……。戻らなくて良かったんですか? 話によると内部の情報はほとんど破壊とか」
「狙われたのは中枢《ちゅうすう》のデータサーバだから、各部署《かくぶ しょ》のサーバは生きてるのよ。各部署のサーバからデータのアップをすれば、大体は修復《しゅうふく》出来るみたい。それによって最新のバックアップが取れるとか、情報処理課は逆に喜んでるらしいわ。面倒《めんどう》だからって定期アップしない部署が多いらしくて」
「じゃあ、敵は何しに来たんですか?」
そうねえ、と風見は言った。目を細め、
「UCATのデータバンクにあったのって、各部署のバックアップデータだけだと思う?」
「え……?」
「それにね? 佐山に来た連絡はUCATの連絡係とか、そんなものからじゃないわ。2nd―|G《ギア》の軍神《ぐんしん》、UCAT開発部の主任から来たのよ。――極秘《ごくひ 》にね」
他Gと自分達との繋《つな》がりを風見は故意《こ い 》に強調する。
……こっちの力を示すのは本意じゃないけど。
今までの成果を知らせておく必要はある。
飛場《ひ ば 》が表情をわずかに緊張《きんちょう》させたのを見て、美影《み かげ》も目つきを変えた。
「――その軍神《ぐんしん》さんが、何を?」
「面白いことにね。軍神さんの上司《じょうし》が、中枢《ちゅうすう》サーバのデータを大部分|保存《ほ ぞん》してるんだって。軍が奪い破壊したと思っているものを、その直前にコピーしてね」
「それはどうして……」
風見《かざみ 》は首を横に振る。
「何故《なぜ》かを問うのは野暮《や ぼ 》ってものよ。そしてね。その中には、護国課《ご こくか 》の資料を中心として、映像データとかもあったらしいの。その内、すぐに重要物と解《わか》ったものは上に気づかれないようにファックスするから佐山《さ やま》に受け取るよう、指示が来たのよ。――今頃《いまごろ》、佐山は倉敷《くらしき》駅前のコンビニでファックス待ちじゃないかしら」
「じゃあ、ざっきの、佐山|先輩《せんぱい》と新庄《しんじょう》先輩がエロに走ったというのは偽装《ぎ そう》で……?」
あー、と風見は考え中の声を作った。空を見上げながら、考えをまとめて、
「――それはそれで半《なか》ば嘘《うそ》じゃないかも」
倉敷《くらしき》は岡山《おかやま》の中心からわずかに西へずれた位置にある。
位置は瀬戸内海《せ と ないかい》に突き出した児島《こ じま》半島内、やや西側だ。
県庁《けんちょう》所在地の岡山市からは電車で二十分ほどの位置にあり、北東から南西に走る線路の南側には、美観《び かん》地区と呼ばれる古来《こ らい》の民家を並べ遺《のこ》した観光地区の他、美術館などが揃《そろ》っている。
逆に北側は遊園地がある他は、広くどこまでも住宅地が並ぶ平地だ。
倉敷駅はそんな街の中央にある。下は駅ビル、上はホテルと一体化し、左右にはデパートと連結した駅だ。
駅の南口前には観光用を考えられて作られた大型ロータリーがあり、そこから大通りが三方向に延びている。
中央通りは居酒屋やビジネスホテル、料理|処《どころ》が主に並ぶ通りだ。店々の間にはコンビニエンスストアがある。
その内の一つ、通り左手の青い看板のコンビニエンスストアの前に、二つの人影があった。
一人はベストにスーツズボンの少年。もう一人は白いシャツと半パンに、白い麦藁《むぎわら》帽子をかぶった少年だ。
昼に近い夏の光の下。二人は並木の陰に入り、歩く人々を避けている。
麦藁帽子がベスト姿の背負ったザックを見て、
「佐山君、それ、ずっと持たせてるけど大丈夫? 重くない?」
「ははは、新庄君のバインダーが入っているザックだ。重さを感じるような私ではないよ」
「さっき出雲《いずも》さんの荷物に入らないスペアのサングラスを預かったんだけど」
「――右側だけ異様《い よう》に重いのはそれか。どこかにゴミ箱はないだろうか」
あー、と考えた新庄《しんじょう》は、場を持たせるように腕時計を見る。
「え、ええと佐山《さ やま》君? 今、十一時五十五分だけど、あと五分くらいだよね、鹿島《か しま》さんが電話くれって言ってたのは。――でも、盗聴器《とうちょうき》の方、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だとも、まずは九十分ほどだが、何とかなるだろう」
と、佐山はザックのサイドポケットから透明なビニルケースに入れたものを見せた。
二つの盗聴器と、佐山の携帯型|録音機《ろくおんき 》だ。その組み合わせを見た新庄が更に首を傾《かし》げ、
「それで大丈夫なの?」
「大丈夫だとも、今、編集を入れたダミー音声を流している」
と、佐山が携帯録音機の音声ボリュームを上げた。録音機から聞こえるのは、
『だ、だからそんな硬いの、い、いけないよ、ボク……!』
『時間がない。だが、何とも非常に興味があるね。さあ、恐れることはない。強く激しく言ってみたまえ。――さあ!』
『言ったけど……、でも』
『さあ。――続けてくれたまえ新庄君。ビクってして、どうなったのかね?』
佐山は真剣な顔で新庄を見て、
「素晴らしい編集だ。――さあ、どうなったのかね? 新庄君」
「脳に聞いてよっ!! ってか全《ぜん》会話|保存《ほ ぞん》してるんじゃないだろうねっ」
「残念ながら初めて会ったときの会話は、電池の使えない概念《がいねん》空間だったために不可能だ」
新庄は、不意に来た目眩《めまい》にふらりと揺れて膝《ひざ》をついた。佐山は眉を上げ、
「いかん。貧血《ひんけつ》かね新庄君。近くにいいレバ刺《さし》を食わせる肉料理屋は……、いや、そんな肉食夫妻みたいなことを言ってはならんな。ここはやはり――」
「い、いや、あのさ、飛躍の空回りする前に落ち着こうよ。ええと、当面の問題は――」
額《ひたい》に手を当てながら新庄は立ち上がった。眉をひそめて首を傾げ、
「それ、ずっと盗聴器に聞かせてるの?」
「その通りだ。今、盗聴担当のUCATの特課《とっか 》の者はヘッドホン越しに神妙《しんみょう》な面持《おもも 》ちでこれを聞いている筈《はず》だが。――大丈夫、無断|複製《ふくせい》や販売しようものなら権利を訴えるつもりだ」
ああ、こりゃもう駄目《だ め 》だな、と新庄は思う。ひょっとしたら自分は覚悟《かくご 》が足りないのかもしれない、とも。吐息しか出ない自分に対し、しかし新庄は更なる吐息を重ねて、
「まあ、何はともあれ佐山君は自分のすべきことをやってきてよ」
「……何かね、その、コンビニ方面に人を追い払うような手の振り方は」
「ああ、いや、まあ何となく」
時計を見るとそろそろ十二時だ。佐山も自分の時計を見て、胸ポケットの獏《ばく》を入れ直すとコンビニエンスストアに顔を向けた。
そして、彼は不意にこう言った。
「出来ることならば、護国課《ご こくか 》の、新庄《しんじょう》という人の情報が得られるといいのだが」
こちらを見ず、しかしまっすぐな視線でつぶやかれた言葉に、新庄はかすかな息を飲む。
……考えてくれてたんだ。
嬉《うれ》しいが、だが小さく咳払《せきばら》い。その音で、これからの言葉が建前《たてまえ》だという合図をして、
「……そう言ってもらえると嬉《うれ》しいけど、ボク優先じゃ駄目《だ め 》だよ? 皆《みな》優先だからね?」
問いに来たのはまず苦笑だ。
その後で頷《うなず》きと無表情が振り向き、
「解《わか》っているとも。大体、護国課と言えば、おそらく私と同じ姓《かばね》を持った山猿《やまざる》の情報もある筈《はず》だからね。人目《ひとめ 》に触れる前にそれらの恥部《ち ぶ 》は削除《さくじょ》しておかねば」
「それはまた別の角度から駄目な気が……」
「ふむ。ともあれまあ、何かが解るといいと私は思っている。祖父《そ ふ 》達のこともだが、今、相手にしようとしている3rd―|G《ギア》のことも」
彼はザックの側部にバンドで固定された袱紗《ふくさ 》を見る。中に入っているのは一本の剣。ギュエスから預かった、3rd―Gとの話し合いを約束するための長剣《ちょうけん》がそこにある。
「それを、3rd―Gの基地があると思われる場所に立てるんだよね……。場所の見当《けんとう》は?」
「大体ついている。こちらに着いたとき、例の 軍 の襲撃《しゅうげき》、御老体《ご ろうたい》によれば ムフフな美少女襲撃事件 について聞いたのだが、……その前に御老体がブレンヒルト君から聞いたという情報も得た」
「ブレンヒルトさんが? どうして3rd―Gを?」
「1st―G市街|派《は 》の本拠地《ほんきょち 》はこの近くだよ。――過去に衝突《しょうとつ》があり、3rd―Gはその後、場所を移動したらしい。1st―Gの調査隊が再度|赴《おもむ》いたときには何もなかったと」
「じゃあ、解りにくいね。引っ越さないで本来の場所にいるなら、それこそ神州《しんしゅう》世界|対応《たいおう》論とかで予測出来るのに」
「行方《ゆくえ》知れずの者の行き先を予測するのは、それはそれでいろいろ学べて興味深いものだよ。――新庄君の御《ご 》両親のことも含めてね。だから気楽に行こうか。考えたいこともある」
考えたいこと? と新庄が問い掛けると、佐山は頷いた。
「たとえば、飛場《ひ ば 》少年が明かさない第二の穢《けが》れのことだ」
彼の言葉を聞きながら、新庄は昨日の朝のことを思い出した。佐山は飛場と話をするときに妙に突っ込んだ意見を言い、そして後にはギュエスとも交渉をしている。そうやって、
「……いろいろ聞いた話から、何か解ったこと、あるの?」
「うむ、実は昨夜、風呂《ふろ》の中で新庄君が来る前に考えていたことなのだが……」
「いきなり信憑《しんぴょう》性が薄れたような……」
「まあ聞きたまえ。昨日の朝、私は飛場少年にこう問い掛けた。アポルオンは青白い機体に乗っていた筈《はず》だが、今、彼《かれ》専用のテュポーンが動いている。彼はどうして乗り換えたのだ、と」
「うん。それで竜司《りゅうじ》君はこう答えたよね。――どうしてかなんて、僕も知らない、って」
「そう。彼は知らないと言った。だが、……彼はアポルオンが機体を乗り換え、テュポーンに乗っていること自体を否定しなかったのだよ。言っている意味が解《わか》るね?」
あ、と新庄《しんじょう》は声を漏らした。その後のギュエスとの話によれば、
「テュポーンの操縦《そうじゅう》者との交渉は不可能かつ絶対|却下《きゃっか》で、その秘密を知れば穢《けが》れるって……」
「だがアポルオンは生きている。ならば何故《なぜ》交渉が不可能なのか。何故絶対却下なのか。そして何故これが第二の穢れになるのか。これらの謎《なぞ》の答えは一点に絞られていると思う。――何故、アポルオンは機体を乗り換えたのか、と。その推理は出来ている。あとは、証拠《しょうこ》だけだ」
言い切った佐山《さ やま》を新庄は信用する。この少年が断言するとき、いろいろ問題はあるが、間違いは無い筈だから、と。だからふと、自然に言葉が生まれた。
「凄《すご》いね……。佐山君って」
言うと、佐山は目を細めて頷《うなず》いた。ほう、と艶《つや》のある吐息をし、
「至高《し こう》の一言だよ新庄君。……まあ、答えを知っている飛場《ひ ば 》少年の態度から見るに、あれはもはや自分から話す時期を失しているのではないかと、私はそう思っている」
それって、と新庄は言葉を選ぶ。
「たとえば、ボクが自分のことを明かしていいか、解らなくなってたときみたいに?」
「そう。彼はおそらく極上《ごくじょう》のお人好しだ。他人を思い憚《はばか》りすぎるところがある。何事も、迷惑《めいわく》だろう、と。……そして美影《み かげ》君がおり、彼女が更に足止めを掛けている」
佐山は告げた。
「飛場少年は、美影君に甘えるときがあると思うかね?」
投げかけられた問いかけに、新庄はすぐに答えることが出来なかった。
甘える、という意味を考える。自分と佐山にその言葉を重ねてみて、
……あ。
気づいた。佐山がこちらの膝《ひざ》を借りたときのことを。
……佐山君は、ボクを救《たす》けて負傷したり、カードに勝たないとボクの膝を借りないよね。
自分が気兼ねなく甘えを要求出来る立場になったとき、佐山は甘えを見せる。
「……竜司君はどうなんだろう?」
新庄は、考えながら口を開く。
「進化出来ていなくて、声を出せず、足が不自由な美影さんに、竜司君は甘えられるのかな」
「美影君は構わないだろうね。だが……、あの飛場少年は気兼ねする、と私は思う。無意識にでも彼女の負担《ふ たん》を増やすだけだと思っている、そんなの傲慢《ごうまん》だと私は思うが……」
だが、と佐山は言った。
「飛場《ひ ば 》少年が、気兼ねも気遣《き づか》いもなく甘えることの出来るときがある」
「え?」
新庄《しんじょう》は顔を上げて疑問|詞《し 》を放つ。が、佐山《さ やま》は笑みを返し、
「それこそが、彼の戦う理由に繋《つな》がっていると思うのだが、……彼は気づいているだろうか」
「あるの? そんなときが」
「あるとも。誰にでもあるものだよ」
「そうかなあ……?」
解《わか》らない。
たとえば自分は甘えすぎだと思っている。
今だって、そうだ。彼と一緒にいたいと、そう思うこと自体が甘えだと思う。が、
「それが叶《かな》えられる人って、一部じゃないのかな」
「そうだろうか」
佐山は首を傾《かし》げた。
そんな彼のいつもの無表情に、新庄は迷いのようなものを感じる。
言うべきか言わないべきかを迷っているような表情だ、と。
しかし佐山は髪を掻《か 》き上げ、軽く右手を上げてから、新庄君、と前置きした。
告げられる言葉は、
「……かつて、ある自動人形がいた」
「え?」
いきなりの言葉に、新庄は疑問詞で返した。
が、すぐに新庄は気づく。彼が今、珍しく考えを働かせている、と。
言っている意味、自動人形というのが誰のことなのか解らないが、今の佐山が求めているものはよく解る。彼の答えに対する期待だ。だから新庄はこう言った。
「え、ええと、……その自動人形さんが、どうしたの? 佐山君。――聞かせて?」
「ああ、では答えよう」
吐息をつき、佐山はこちらから視線を逸《そ 》らして口を開いた。
「その自動人形は、愚《おろ》かな自動人形だった」
一拍の間を置き、
「何故《なぜ》かというと、その自動人形は、自分の滅びる設定を自ら課し、変えようとしなかったのだそうだ。そして、自分の主人がその設定の変更を求めても、笑みで拒否したという」
「…………」
佐山は無表情に、しかし、言葉を選びながら空を見上げ、前髪《まえがみ》を掻き上げ、
「そうやって主人を困らせ気遣わせるのが、その自動人形の甘えだったのではないだろうか」
そして、
「甘えとは、それこそ人それぞれのものだ。だからこそ……、誰でも持っていると私は思う」
告げて、彼はすぐに小さな息を吐いた。ネクタイを締め直し、いつもの無表情を取り戻す。
まるで、自分が今言った言葉など存在していなかったというように。
「まあ、今の言葉の大部分は当事者のいない推測《すいそく》話だ。無視してくれて結構《けっこう》」
「やだよ」
新庄《しんじょう》は言った。眉尻《まゆじり》が下がるのが自分でも解《わか》る。く、と小さな笑みを口から漏らし、
……随分《ずいぶん》と気にかけてたんだ、四号さんのこと。
実のところ、自分は少し忘れていた。だから、
「ボク、ときたま佐山《さ やま》君がそういうこと話してくれるの、有《あ 》り難《がた》いと思ってるよ?」
「ならば、本当に私と新庄君は対極だね。私はとてつもなく失敗したと思っている」
佐山は言い捨てるように告げ、こちらと視線を合わさない。急いだ動きで時計を見ると、
「――さて、時間だ」
「あ、うん、そうだね。そういうことにしといてあげる」
「……随分と言葉に嫌味《いやみ 》があるようだが」
「ホント対極だね。今のは嫌味じゃなくて……」
考え、
「おかしいし、有り難いの。佐山|言語《げんご 》では何て言うのかな? ――おかしたいとか言葉の意味考えずに言い放ったら当分|一緒《いっしょ》に御風呂《お ふ ろ》入らないからね?」
「…………」
「……か、考え込まなくていいよ佐山君」
「ふむ。では結局はその程度のことだという証明だよ新庄君。忘れてくれると有り難い」
新庄は小さく舌を出して答えるが、佐山は苦笑を返すだけだ。
何か機会があったら、今度は自分からそういう話をしよう、と新庄は考える。
対する佐山は、コンビニエンスストアの方に足を一歩踏み、
「ではここで待っていて欲しい、新庄君。あとで思考《し こう》をまとめつつ散歩と行こう。美観《び かん》地区など見てみるのはどうかね?」
「集合が遅れすぎると皆に文句《もんく 》言われるよ? テント張ったり竈《かまど》作らないと」
「なに、テント張りなどの暑苦しい仕事は体育会|系《けい》夫婦が仕切るだろう。こちらは彼らが忘れていそうなものなどを買って土産《みやげ》にするとしよう」
では、と行く姿は、数歩でコンビニの自動ドアをくぐる。心なしか自動ドアが避けるように開いて見え、新庄は小さく笑った。
佐山の影がコンビニの硝子《ガラス》を奥へと移動する。店員と話し出すのを見ながら、
……美観地区か。
途中下車で倉敷《くらしき》へ行くと佐山が言ったとき、風見《かざみ 》が羨《うらや》ましがった。倉敷は古い街で、旧い街並が残っている。それを保存利用して生まれた観光地区だが、
……普通の女の子はこういうところに来られるのをいいと思うんだよね……。
ズボンのポケットから、密《ひそ》かに買っておいた岡山《おかやま》観光|冊子《さっし 》を出す。付箋《ふ せん》が貼《は 》ってあるのは、風見《かざみ 》と前に水着を買いに行ったとき、彼女のアドバイスで要チェックを入れたところだ。
訓練の日程《にってい》上、遊べないと思っていたが、倉敷《くらしき》の街にいきなり来れるとは僥倖《ぎょうこう》だった。付箋は確かに美観《び かん》地区のページに貼ってあり、新庄《しんじょう》は風見に後押しされているような安堵《あんど 》を得る。
ほ、と吐息をつき、
「もうちょっと甘えてもいいかな……」
つぶやいた瞬間《しゅんかん》だ。眼前を背広|姿《すがた》が乗った自転車が通り抜け、新庄は一歩を下がった。背後は並木で、避けるためのスペースはあまり無い。だが、一歩を下がる程度の余裕《よ ゆう》は、
「あ」
と、背中がぶつかった。それも、木ではない。もっと弾力《だんりょく》があり、揺れるもの。
人だ。
新庄は慌《あわ》てて背後に振り向く。本に気を取られ、甘えることに想いを取られていた結果だ。ぶつかった人に対して詫《わ 》びるしかない。
振り向くと、そこには同い年くらいの女性が立っていた。長身で、長髪を首の後ろで束ねた女性だ。背には釣《つ 》り竿《ざお》用の袱紗《ふくさ 》を下げた黒いリュックを背負っており、表情は、
……怒ってるかな。
と、見た新庄は、わずかに違和《い わ 》感《かん》を得た。
自分が他人によって痛みを得たときは、普通、眉をしかめるなりする筈《はず》だ。
だが、相手は違った。彼女はわずかに眉を上げ、こちらを見ていたのだ。
まるで驚いたかのように。
痛みよりも、そんなに驚くことだったろうか、と新庄は慌《あわ》てる。そして、
「――御免《ご めん》なさいっ。だ、大丈夫?」
相手の反応は、遅れた。こちらの言葉が届いていないかのように、時間をおき、
「…………」
まず初めに来た応えは、表情を緩め、肩から力を抜くことだった。
その上で、彼女は一息とともに、髪を掻《か 》き上げる。
「別に気にすることはない。ええと、……名前は?」
試すような口調の問いかけだったが、新庄は追及しなかった。
「運切《さだぎり》、新庄・運切」
答えたことで、あとで何か金でも請求されたらどうしようか、と一瞬《いっしゅん》思う。当たり屋とか示談《じ だん》詐欺《さ ぎ 》とか営利|誘拐《ゆうかい》とかそんな失礼な言葉が脳裏《のうり 》に浮かぶが、
……もっと凄《すご》い人がそばにいるし。
と思うと気が楽になった。だから新庄《しんじょう》は相手に悟られぬよう、力を抜く息を吐き、
「そちらは?」
問いかけた。すると、待っていたとでもいうように、答えが来た。
「戸田《と だ 》。……戸田・命刻《みこく》」
命刻は目の前にいる新庄を見ていた。
新庄は、こちらの名を聞き、少し上を見た。唇だけ動かして名を反芻《はんすう》すると、
「戸田さんですね? どうも、すいませんでした」
一礼する。長い黒髪《くろかみ》の動きとともに放たれた言葉|遣《づか》いは他人|行儀《ぎょうぎ》なものだ。
そのことに命刻は小さく肩を落とす。
「……やはりな」
「え?」
「いや、何でもない。それより気を付けた方がいい。大通りはまだマシだが、この街、裏通りなどは道路が狭い上に車道に電柱が出ているところも多い。よそ見は危険だ」
「あ、成程《なるほど》」
と新庄は大通りを見回し、それから建物の間にある細い通りを見る。
こちらの言ったことを確かめたのか、ふうん、と頷《うなず》き、
「ここの人ですか?」
「いや、……東京からだ」
言うと、新庄《しんじょう》の表情から力が消えた。身構えるような力が。
「あ、ボクもだよ。東京のどこ? ボクは秋川《あきがわ》だけど」
思わず答えそうになって、命刻《みこく》は堪《こら》えた。
やや不機嫌《ふ き げん》に見えるように眉をひそめ、
「別に大したところではない」
「そう……」
残念そうな顔のうつむきに、命刻は慌《あわ》てて言葉を作る。
「あ、いや、秋川はいいところだと聞いている。たとえば――、行事がほとんど行われなくて市民に開放されてる中央公園があるとか、空気を汚さぬためにゴミ処理場を他の町に頼ってるとか、河川の氾濫《はんらん》を防ぐためにやたらめったら税金使って河川工事をするとか」
「い、いいところかなあ。ってか詳しいね。近くの町の人?」
「まあ、そんなところだ」
追及を避けねばなるまい。軍 として聞くべきことは多々《た た 》あるのだ。
密《ひそ》かに、密かに重要なことを聞かねばならない。まず大事なのは、
「えー、……趣味は?」
「え?」
間違えた。個人的に重要過ぎる。命刻は一度自分の頬《ほお》を自分で叩き、
「私は仕事だが、そちらは?」
馴《な 》れ馴れし過ぎるか、と思う問いかけに、新庄が考え込んだ。口元に指を一本当て、えーと、と言葉を選び、
「合宿、かな? そう、生徒会の合宿。瀬戸内海《せ と ないかい》の無人島でやるんだよ」
「随分《ずいぶん》と冒険するものだな。――瀬戸内海には和寇《わ こう》という海賊《かいぞく》がいるらしい。気をつけろ」
「戦国時代じゃないんだけどまだいるのかな……」
「ふむ。その追跡《ついせき》調査は行っていない。――それで倉敷《くらしき》には? 物資《ぶっし 》補給か?」
「うん、ちょっと受け取るものがあってね」
と新庄が目の前のコンビニエンスストアを見た。釣《つ 》られるようにそちらを見た命刻は、
「――!」
窓の向こうに、一人の少年がいた。ファックス電話の受話器を片手に、印刷されてくる書類に目を通している。
「あれを受け取ったら、ちょっと二人で美観《び かん》地区を見て回るんだ」
背を向けて言う声には明るい色がある。が、命刻は息を詰めていた。ザックの横、釣《つ 》り竿《ざお》用の袱紗《ふくさ 》には刀が一本入っている。コンビニエンスストアに入って、この一刀を全力で叩き込めば、向こうはファックス電話のあるコーナーにいる身だ。
……避けられまい。
思わず、表情を緊《きん》に走らせ、下手《したて 》で袱紗を掴《つか》んだ。が、
「あのさ、聞いていい?」
振り向いた笑みに、命刻《みこく》は己の表情を戻していた。
真剣から、力をわずかに緩めた笑みに。
……甘い。
自分への叱咤《しった 》を、しかしこう言い訳する。
……ここで怪しいと思われ、警戒《けいかい》されるよりはマシか。
その顔をもって、二つ呼吸を送り、ゆっくりと命刻は問い返す。
「私に、何か聞きたいことがあるのか?」
「え? あ、うん」
と、差し出されたのは、一冊の小冊子《しょうさっし》だ。倉敷《くらしき》の手書き地図があり、めくられたページには美観《び かん》地区の手書きマップがある。
「倉敷に詳しいみたいだから聞かせて欲しいんだけど、美観地区で面白いところ、ある?」
問いに、命刻は迷った。
実のところ、昨夜の夜行列車の中で観光冊子は熟読《じゅくどく》している。ハジの護衛《ご えい》が終わったら絶対回ろう、というポイントは詩乃《し の 》への土産《みやげ》物《もの》屋を中心に構築《こうちく》されているが、
「……彼と回るのか?」
「え? ……あ、うん、そう」
頬《ほお》を微《かす》かに赤くして、
「彼とだよ」
そうか、と命刻は胸の中で息をつく。
「では君のために教えよう。美観地区のこのあたり、写真館があってな。そしてこのあたりの通りでもいい雰囲気《ふんい き 》の記念写真が撮れるそうだ。……撮っておくといい」
頷《うなず》き、
「記憶《き おく》を失った後でも、そういう記録は失われないものだから」
「え?」
という疑問|詞《し 》に対し、命刻は自分の言葉に今更《いまさら》気づく。
……あ。
と内心で不覚を悟るが、顔には出さない。
少し迷ったが、新庄《しんじょう》の疑問詞を誤魔化《ご ま か 》すためにも、前に手を伸ばした。新庄の頭上に手をかざし、緩やかに帽子のトップに触れる。
白く染められた麦藁《むぎわら》を通じて、新庄の髪の繊維《せんい 》と柔らかさが解《わか》る。
新庄《しんじょう》の身体《からだ》に小さく力が入ったが、命刻《みこく》は引くことをしない。
……随分《ずいぶん》と柔らかい。
思う身に、風が来た。
倉敷《くらしき》の街は平たい街だ。街中を来る風は、夏ならば純粋に熱く、そして緩い。微《かす》かに小汗《こ あせ》が浮き、周囲の雑音がやかましく感じられた。
「――ここまでだな。急ぎなので行く。またどこかで会うかもしれないな」
「あ、うん、そのときは宜《よろ》しくね。戸田《と だ 》……」
「命刻だ。命を刻む、と書く。……君と似ているな、新庄・運切《さだぎり》」
新庄が微かに目を開いた。その顔を命刻は覚えていようと思う。
そして背を向けた。
「――あ」
と新庄が声を挙げるが、命刻は振り向かない。ただ、手を軽く上げた。
「彼に宜しく。幸福な彼に」
[#改ページ]
第二十二章
『見届の鼓動』
[#ここから3字下げ]
動きには必ず何かが付随する
始まりの音
宣言の音
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
夏の空気というものを、涼しく感じることの出来る場所がある。
それは山の上だ。
高地ならば、風に頼らずとも涼しい夏の大気に浸《ひた》ることが出来る。
東京の西にある山々では、夏の場合、都内より平均気温が一度か二度は低くなる。それに森の木々と土の地面によって湿度が保たれているため、足下からの涼しさもくる。
それら山々の中、一つの霊園《れいえん》があった。麓《ふもと》の入り口に西《にし》多摩《た ま 》霊園と看板のある霊園だ。
盆前《ぼんまえ》だというのに、山頂側の墓地に上がる長い階段には二つの人影があった。
黒服の青年と、彼の隣《となり》にいる黒服の侍女《じ じょ》だ。
侍女は右手に花を入れた桶《おけ》を下げている。彼女は水《みず》桶を手に階段を上っていくが、隣の男よりも足取りが軽い。隣の男が鉄杖《てつづえ》を突きつつ上がっているからだ。
侍女は白の髪を揺らしながら彼が行くのを待ち、彼が五段を先行したら、追う。
と、追いつかれた男が、白髪《はくはつ》の下のサングラスを彼女に向けた。
「先に行ってもいいぞ|Sf《エスエフ》。数段と言わず、俺を見捨ててどこへでも、ああ、あの世でも」
「|Tes《テ ス》.、それが至《いたる》様の御要求でしたならば従います。――ただ、まさか至様があの世など信じておられるとは」
「お前のためには信じてやろう。感謝しろSf」
「Tes.、感謝|回路《かいろ 》を起動します」
と、Sfは横に桶を下ろすと、至の方を向いた。そのまま両手を三度|柏手《かしわで》打ちして、
「南無《な む 》ー」
「……それがお前の感謝かSf」
「Tes.、独逸《ドイツ》UCATの日本研究は完璧《かんぺき》です。社寺《しゃじ 》の合一《ごういつ》を示すこの感謝は東西独逸|合併《がっぺい》に相当するものと判断しますが」
言って、Sfは至を見た。至は既に無言で上り出している。
Sfはとりあえず感謝を最後まで終えるため、手を合わせて一礼。その後に彼を追う。
「至様、今日はどこに行かれるのでしょうか?」
「教えない」
「Tes.、解《わか》りました。秘密ですね。至様が私と秘密を共有したいとは久しぶりだと判断します。以前は私が日本に来て三週間目のことでした」
「そんなことがあったか?」
「Tes.、与えられた私室を掃除していたところ、床下に妙な空白が検出されたので床板を剥《は 》がしたらそこには多量のフィギュアが。それも全てシエーかコマネチかガチョーンかなーんちゃってのポーズに魔改造《ま かいぞう》でした。三時間後に至様が一夫《かずお 》様へ尋問《じんもん》を掛けて事実を吐かせましたが、そのときに至《いたる》様はこのことを皆には秘密にしておくように言われました。これは私の大事な思い出だと判断します」
「いいから忘れろ。大城《おおしろ》家の恥部《ち ぶ 》だ」
と、至がまた上に行く。そして|Sf《エスエフ》が追いつき、また至が上に行く。
数度繰り返すと頂上についた。そこは風が微《かす》かにあり、日差しがまぶしい墓地の入り口だ。
至が微風に逆らうように東へ歩き出すと、Sfが声を掛けた。正面を指さし、
「至様、佐山《さ やま》家の墓所《ぼ しょ》はあちらですが」
「今日は向こうだ。別の墓所に義理がある」
「|Tes《テ ス》.、至様は御《ご 》友人が多いと判断いたします」
「死人は友人と言うのか? 現実にはもはやいないんだぞ?」
「Tes.、人間には想像力があると判断します。大体はろくなことに用いられませんが」
成程《なるほど》、と至は頷《うなず》く。
「お前は想像をしないのか?」
「Tes.、何かを予測することは可能ですが、無意味な欲求を思考《し こう》に捏造《ねつぞう》することについては、理解|不能《ふ のう》以前に必要性を感じません。――何故《なぜ》、現実で我慢《が まん》出来ないのですか?」
「それ、オヤジに言ってやれ。無茶苦茶《む ちゃく ちゃ》満足出来ていないからな」
「Tes.、一度正面から言ったことがあります。――泣いてどこかに走り去りましたが」
しかし、とSfは言う。
「何故、想像するのですか?」
「周り見てみろ」
Sfは歩きながら周囲を見回す。
「Tes.、霊園《れいえん》だと判断します。それが何か?」
「ここにある墓石は、何のために立っているのだと思う?」
「Tes.、土地を墓所として所有する証《あかし》として、または家柄《いえがら》などを証明するためです」
彼女の答えに、至が苦笑した。
「だからお前は想像力が無い。お前の論に一つの穴を問うてやる。――そんな所有や家柄という現実が墓石の目的ではないとしたならば、人は墓に何を想像しているのだと思う?」
「その前提は理解出来ません。私が人ではなく、自動人形だからです」
「では何故、想像という行為について問う?」
「Tes.、私には不可能なことなので」
「何か回路でもつけたらどうだ? それでも不可能なのか?」
Tes.、とSfは言った。
「絶対に不可能です。私が知る想像の定義《ていぎ 》によれば」
「何だ? その定義ってのは」
|Sf《エスエフ》が頷《うなず》いた。
「|Tes《テ ス》.、基礎|記憶《き おく》にあるものです。最深層《さいしんそう》部の底面、言語より下の全ベースとなる箇所に誰かの思考《し こう》があります。――人が想像するのは、その大事なものが手に入らないからだと」
その言葉に、至《いたる》はつと空を見上げた。
眉を軽くひそめ、口の端で歯を噛《か 》んだ。
「どうかされましたか、至様」
至は問いに答えない。ただ、彼は歯を軽く軋《きし》ませ、つぶやいた。小さな声で、
「ディアナか……」
? とSfが首を傾《かし》げた。が、至は空を見たまま問う。
「だが、そこまで解《わか》っているならば、オマエもそうすればいいだけじゃないのか? 何か大事なものを失って、それを思えばいい」
「不可能です。――至様が失われたとき、私は自壊《じ かい》します。想像のための時間はありません」
Sfはそう告げて、至を無表情に見た。
「私は間違っていますか? 至様」
「Tes.、正しいと判断します、だ」
至は舌打《したう 》ち一つ。
「お前のフォーマットは本当に独逸《ドイツ》UCATだな。――ディアナも余計なことをする」
「Tes.、しかし至様|専用《せんよう》に出来ております。もしお喜びでしたならば、独逸UCAT内Sf応援係までメールで御《ご 》感想を。今ならば抽選《ちゅうせん》で三名様にプレゼントがあります」
「何だそれは? お中元《ちゅうげん》か?」
「Tes.、Sfお休み券です。五枚|綴《つづ》りで一回使うごとにSfが一日休めます」
「うわあ初めて有《あ 》り難《がた》いと思ったぞ俺。早く送ろう。そして一生休んでくれ頼む」
「Tes.、では先に参加賞を差し上げます。Sf頑張る券、十枚綴りです。一枚ごとにSfが二十四時間|御世話《お せ わ 》をいたします。なお、これは私が管理いたしますので……、何です至様、私にとって判断不能なその表情は」
「…………」
「至様、落ち着く諺《ことわざ》を告げさせていただきます。――怒ったら負け。如何《いかが》でしょうか?」
「お前は本当に俺の感情を豊かにする自動人形だな」
Tes.、とSfは一礼した。
「お褒《ほ 》めに預かり光栄です。しかも今の御発言《ご はつげん》内容はSfの未発見な二次的効能として永く語り継がれることでしょう。独逸UCATにも報告を……、何故《なぜ》先に行かれますか至様」
「やかましい」
至は歩く。そしてSfにすぐ追いつかれ、引き離せなくなる。
が、彼の歩みはじきに止まった。
「?」
と|Sf《エスエフ》が至《いたる》を見て、彼のサングラスを確認する。黒いグラスの向かう先、一本の木が立っており、その下に一つの墓石がある。
「飛場《ひ ば 》家、と視認《し にん》出来ます」
そして、とSfは言葉を続けた。
「和服の婦人も視認出来ます」
彼女の声に、墓の前に立っていた女性が振り向いた。髪に白髪《はくはつ》を混ぜた女性だ。細い眼《め》が浅い弓となり、小柄《こ がら》な身が一礼する。
「お久しく。――大城《おおしろ》君」
ええ、と至は頷《うなず》いた。
「お久しぶりです飛場婦人。……竜一《りゅういち》氏の葬儀《そうぎ 》以来ですな」
昼に近い光の中、白い背の高い建物が建っている。
3rd―|G《ギア》の基地だ。上部側面の非常口は開いており、そこから突き出すリフトには一人の青年の姿があった。
アポルオンだ。
彼は手摺りに両肘《りょうひじ》をつき、山の林の向こうに広がる街並を見ている。
細めた眼《め》は、遠くに見える駅から西に行く電車の影を追い、それが見えなくなると、街中に移る。街の中を動いている無数の車やバスの影へと。
耳はぼやけて響《ひび》く排気音を聞き、しかし、
「……?」
どこかから、詩《うた》が聞こえた。
その出所《でどころ》はどこかと、アポルオンは耳を澄《す 》ませた。
詩。幾人《いくにん》もの女性の声が重なって創《つく》られる音楽だ。
声の重奏《じゅうそう》の聞こえる場所は、近くにあった。眼下、開きっぱなしの格納庫《かくのうこ 》の扉の中だ。
だとすれば詩を唄《うた》っているのは、
「自動人形の声です。アポルオン様」
背後から聞こえた声に、アポルオンは顔を上げた。だが、振り向きもせず、
「どういうことなんだ? モイラ1st」
はい、と声が答えた。
「京《みやこ》様が、朝食の後に格納庫へ行く、と」
「どうして許可した? どんな客も、今までテュポーンのそばに寄らせなかっただろう?」
「京様は私どもの御《ご 》主人様の一人です。それに……」
モイラ1stは告げた。
「朝食のとき、京《みやこ》様はこう聞かれました。――3rd―|G《ギア》にもやっぱり幽霊《ゆうれい》はいるのかと。何気ない好奇心《こうき しん》の振りでしたので、私はこうお答えしました。いるとしたらテュポーンのそばでしょう、と。冥府《タルタロス》としての概念核《がいねんかく》の半分を持つテュポーンのそばならば、と」
「……ミヤコは見たのか? 有り得るはずのない、3rd―Gの| 魂 《たましい》の個人|残像《ざんぞう》を」
「私どもですら何度も見ています。……おそらく、テュポーンが京様を気にしているのでしょう。今まで無かったことです。冥府《タルタロス》を抱えたテュポーンが生者《せいじゃ》に興味を持つのは」
笑みに対してアポルオンは苦笑を返す。意地《い じ 》悪《わる》だな、と。
「ミヤコには知らせるつもりはないのか? 全ての真実を」
「京様は自ら踏み込んで行かれます。私どもは、その後について、改めて全てを見直させていただくだけです。私どもが知り過ぎるあまりに見えなくなっていることを、京様はきっと見せてくださいますから」
「……じゃあ、彼女はここに残るのか?」
「残るのではありません、いるのだと、私はそう判断しています」
アポルオンは肩を震わせた。はは、という笑いを一度吹き、
「随分《ずいぶん》と入れ込んだな。テュポーンは彼女を排除するかもしれないぞ」
「かもしれません。が……、そろそろ|Low《ロ ウ》―Gとの衝突《しょうとつ》も近いと聞きます。どなたかに、私達の抱えるものを全て見ていただく必要があるのではないでしょうか」
「Low―Gの戦力では、テュポーンに勝てないとしても?」
「それすらも、現状の話です」
歌声が変わった。聞いていて解《わか》るのは、一人の自動人形が伴奏《ばんそう》を唄《うた》い、他の自動人形が歌詞《か し 》を歌うようになっているということだ。
笑みを含んだモイラ1stの声が聞こえる。
「京様が歌を教えて下さいました。下の子達が黙々《もくもく》と作業しているのを見て、ユーセンとかラジオが掛かってないんだな、って。それは何かと皆が尋《たず》ねたら、……Low―Gでは作業中、よく音楽を掛けたり、それこそ無音を聞いて集中したり、気分を高めるのだと」
「それが、あの歌か?」
「聴いた歌は静かなものだったので、少しアレンジが入っておりますけど」
そうか、とアポルオンは頷《うなず》いた。
「そうか……」
と、また、緩やかな声でつぶやき、
「3rd―Gでも、祖父《そ ふ 》の代の頃はそうしていたそうだよ」
「はい、私はクロノス様からそう聞いた憶《おぼ》えがあります」
一拍の間が空《あ 》いて、
「本来ならば、太陽|神《しん》を継承《けいしょう》する者が音楽を| 司 《つかさど》る筈《はず》だった、とも」
「音楽は概念《がいねん》ではなかったから、私にそれは継承されなかった」
「では、今、それを憶《おぼ》えるのはどうでしょうか」
「これから戦うであろう|Low《ロ ウ》―|G《ギア》の持つ音楽を、か?」
「アポルオン様が今《いま》呼吸されている大気は、Low―Gのものです」
そして、
「Low―Gの音楽も同じようなものではありませんか? ――私は戦闘用ではありませんが、敵であるものと、そうでないものは区別出来ているつもりです。アポルオン様は?」
彼女の言葉に、アポルオンが肩を落とす。やれやれと、
「私は今日、随分《ずいぶん》と苛《いじ》められるものだ。しかし……」
「しかし?」
「この歌の歌詞《か し 》は、どういう意味を?」
ええ、とモイラ1stが答えた。
「世界を大事に思う聖者《せいじゃ》が、夜に生まれ、祝福される歌です」
歌の中、京《みやこ》は作業を見ていた。
自動人形達の武神《ぶ しん》整備は力業《ちからわざ》と技巧《ぎ こう》の合成だった。重力術を機能として持つ彼女達は、自分よりも巨大な部品類を、それこそ片手で持ち上げ、宙に固定する。
作業場を見て気づくのは、クレーンが無いことだ。
あるのは武神を支えるハンガーと、自動人形達が移動する足場だけ。その足場から足場へ、彼女達は軽い跳躍《ちょうやく》で移動する。見た目には数メートルを飛ぶ跳躍だ。
そんな動きを叶《かな》える仕組みを、通りかかった自動人形の一人が説明する。
「指向性のある重力を射程《しゃてい》距離ぎりぎりのところに発生させ、自分を引き寄せるんです」
空中で連続すると、振り子《こ 》運動を連続しているような動きで移動が可能だと。
急ぐときは上にいる者が下の者を吊《つ 》り上げたり、両者で重ねて加速を掛ける。
今も緑色の武神の腕が、京の頭上を通過していく。と、一人の自動人形が歌を止めた。昨日のバイオレットだ。彼女は頭上の腕を運搬《うんぱん》する自動人形に、
「あ、も、もう! 京様は重力|制御《せいぎょ》出来ないのだから、万《まん》が一《いち》落としたらどうするんです!」
「あ、申し訳|御座《ご ざ 》いません……! でも、京様ならこのくらい受け止めてしまいますよね?」
「自動人形は冗談《じょうだん》が言えねえんじゃねえのかよ?」
腰に手を当てて言うと、皆が笑う。そしてまた歌が始まる。歌は清《きよ》しこの夜のアレンジだ。歌というものを知らず、聞かせて欲しいという彼女達の前、京は冷や汗付きで唄《うた》わされた。
その歌を、作業用としてはテンポが悪いと、自動人形達自ら、自分達を動かす波長に合わせてテンポを変えた。初めの声は京《みやこ》の声をトレースしたもので、テンポ調整が終わると本来の皆の声になった。
京が決めたのは二つだけだ。
「一人が伴奏《ばんそう》を自分の好きな音で歌え、そして歌が一周したら、次のヤツが伴奏を受け持つ。代わりばんこにローテーションな」
今、また伴奏が変わった。さっきは、ルという声だったが、今度はアだ。
流れ出す声に、京は巧《たくみ》さを感じる。きっと、歌うことも前提《ぜんてい》に創《つく》られていたのだろう、と。
午前間の休憩《きゅうけい》時間中に効果を聞いたところ、こんな答えが返ってきた。
「全員の機能|統計《とうけい》をとりますと、作業中の内容記録の頻度《ひんど 》と、頭脳内の試考《し こう》回数が増えております。おそらく、作業|効率《こうりつ》は今まで通りでも、記録をつけることと試考を重ねることで精度《せいど 》が上がっているかと」
どういうことだと問うと、皆が顔を見合わせて、それから統一|見解《けんかい》を答えた。
「作業の動きの中、音楽のようなある一定の流れが入ることで、記憶《き おく》の条件付けが明確になったこと。そして作業に対して生まれる雑な思考《し こう》が歌の介入で阻害《そ がい》され、純粋に作業への集中を促《うなが》しているのだと判断します」
「解《わか》りやすく言うと、憶《おぼ》えやすくなったってのと、集中しやすくなったってことか」
「それだけではなく、作業動作の中で上手《うま》く唄《うた》うのは物事を完璧《かんぺき》に期したい私達にとっては一種の試験です。――特に伴奏役は大《おお》人数だと回ってくる回数が少ないですから、今度|番《ばん》が来たときはもっと上手《うま》く、ノイズ無く、作業の動きによる声の震えなく唄うため……、早く自分の番が来ないかと思い、作業を急ぎ精密《せいみつ》に行うことになります」
「あんまり考えて手をおろそかにすんなよ」
と言うと、笑みが返ってきた。
今は午前二度目の作業時間。これが終わったら昼食だ。
こっちが食事をしている間、自動人形達には昨日植えた種《たね》の世話《せ わ 》と、観察記録をつけさせる。
それも頭脳記録だけではなく、鉛筆と紙でつけさせようと京は思っている。
それこそが生きた記録になるだろうか、と。
と、一抱《ひとかか》えはある大きなネジを運んでいるモイラ3rdが目の前を通った。
彼女がネジを運び終えるのを見届《み とど》けてから、京は声を掛ける。
「いつもこんな風に武神《ぶ しん》のオーバーホールしてんのか? 八機も」
「昔はもっとあったんだけどね、地下のホールにも。でも全機|換装《かんそう》は久しぶりかな。――何しろ|Low《ロ ウ》―|G《ギア》のUCATが来てるんだよ。セトナイカイ? そんなところに」
「……戦うのか?」
「ん? モイラ3rd達は戦闘用じゃないから、戦わないと思うよ?」
そうか、と京は内心で安堵《あんど 》の吐息をつく。武神達を見て、
「しかし、誰が動かすんだ、これ。ボンボンじゃねえだろ?」
「中姉《ちゅうねえ》ちゃんだよ。下にある総合|遠隔操縦器《えんかくそうじゅうき》で動かしてるの。元は誰かが合一《ごういつ》するためのものだったんだけど、いなくなっちゃったから。――コクピットそのままで、神経系とかに遠隔操縦|機構《き こう》入れて動かしてるんだよ。概念《がいねん》空間の壁を越えるからあまり情報の行き来が出来なくて、武神《ぶ しん》の動きはちょっと悪くなるけどね。武神の破損《は そん》が操縦者に返ってくることもないから」
「成程《なるほど》なあ。一応は無事で、しかも自動人形でも動かせる、ってわけか」
だが、モイラ3rdの言葉が確かならば、それはギュエスやコットス、アイガイオンというヘカトンケイル達がこれから|Low《ロ ウ》―|G《ギア》と戦う可能性があることに他ならない。それに、
「テュポーンも、か」
京《みやこ》は格納庫《かくのうこ 》の奥を見る。
今まで意識して視線を運ばなかったそこには白い武神がある。
六枚|羽根《ば ね 》の巨大な武神は、今、数人の自動人形による修復《しゅうふく》作業を受けていた。
また夜に飛び出し戦いでもしたのだろうか。京はその傷ついた姿を見て、
「…………」
うん、と頷《うなず》き、足を向けた。
一歩遅れてモイラ3rdがついてくることを知りながら、京は行く。
右腕と頭部を微《かす》かに傷つけられたテュポーンの足下へ。
闇の中に歌が響《ひび》いていた。
地下。格納庫の下にあるホールだ。
武神達の予備パーツが収納された空間は、幾《いく》つもの太い柱で寸断《すんだん》されている。が、その片隅《かたすみ》には一つの設備があった。
見た目は車の操縦席|周辺《しゅうへん》を屋根と床ごと切り取ったような機械だ。
機械の内部にはモニタと、五指《ご し 》の形状の鍵盤《けんばん》を左右に持った操縦席がある。
椅子《い す 》の周辺にあるのは両脚《りょうあし》を載せるフットポイントと、腕をつけるアームポイント。それらはワイヤーで椅子側と連動しており、乗る者の全身の動きを計上する機能を持っていた。
今、座席には一人の自動人形がいた。
闇の中でも淡く目立つ金髪《きんぱつ》の細身は、モイラ2ndの姿だ。
「…………」
闇の中、彼女は目を開けた。応じるように正面のコンソールが光り、文字列を表示する。
『武神遠隔操縦|機能《き のう》・各部|装甲《そうこう》戦闘用組み替え準備中・挙動《きょどう》はスリープ状態に移行』
頷《うなず》き、モイラ2ndはシートから降りた。
これで自分の午前の仕事は終わった。あとは皆が末端|駆動《く どう》部《ぶ 》など細かい場所を変更し、自分が行う次のチェックは午後遅く、五時頃になるだろう、とモイラ2ndは予測する。
そして彼女は歩き出した。
床が見えない程の闇だが、背後のコンソールの残光《ざんこう》がある。そして足取りも慣れたものだ。
足音は石の床を行くもの。向かうのは西端だ。途中、大きな柱の横を抜けた後で、モイラ2ndは右手側を見た。
そこに大きな影があった。
倒れ込んだ巨人は、武神《ぶ しん》の姿だ。胴体《どうたい》を両断された機体がある。色は青白《せいはく》系、操縦《そうじゅう》席のある背部が何かによって抉《えぐ》り取られた状態になっている。
「…………」
モイラ2ndはその武神から目を背けた。まぶたを浅く伏せ、歩く。
と、足音が変わった。闇の中で床がスロープになったのだ。
歩き、ある程度のところで手を前にかざす。
と、いきなり目の前が白の光に包まれた。
外光だ。
「……!」
目を閉じ、しかしモイラ2ndは前に出た。
次の瞬間《しゅんかん》、背後で何かが閉じる風が動く。
と、視界が光に慣れ、周囲が見えた。
「…………」
立っているのは3rd―|G《ギア》の建物の西側だ。格納庫《かくのうこ 》の入り口は東だから、ここは裏口側。
歩いて南に回ると、壁は陽光を照り返し、その下には、鉄骨と鉄板で作られた庇《ひさし》がある。
背の低い庇の下に並ぶのは植木|鉢《ばち》だ。
見れば、植木鉢には土が入っていた。
やや乾いた土を見て、モイラ2ndは首を傾《かし》げた。
彼女は昨日、京《みやこ》から種《たね》を受け取っていない。
自動人形の共通|記憶《き おく》から、彼女達が種を植え、花を咲かせようとしていることは解《わか》る。
だが、その意味が、現場にいなかったモイラ2ndには解らない。現場にいてこそ感じ取れたものは、記憶からでは判断が出来ないからだ。
「――――」
言葉無く鉢を見て、モイラ2ndは再び思う。これに何の意味があるのかと。
いずれ枯れれば無くなるものだ。
……それだけのものではないのかしら。
うつむき思い出すのは、この六十年、ここに迷い込んできた客達のことだ。皆、初めは自分が応対していたが、警戒《けいかい》し、正体を知るとすぐに帰してくれと懇願《こんがん》した。
姉と妹がいつも記憶《き おく》を作り替え、ギュエスかアイガイオンが外に連れ出すのが常だ。
何度もそういったことが続き、あるとき、1st―|G《ギア》の残党《ざんとう》が交渉に赴《おもむ》いてきた。
一回目は良かった。1st―Gの者達は3rd―Gの過去を警戒《けいかい》していたが、自分達だけで応対したことで安堵《あんど 》を得たのだ。だからこちらも彼らを客として扱えた。
が、彼らの二回目の訪問は攻撃で、更に悪い事態が生じた。
テュポーンだ。初めはヘカトンケイル達と自分の遠隔操縦《えんかくそうじゅう》する武神《ぶ しん》が威嚇《い かく》の意味で出たのだが、後からテュポーンが乱入してきた。
勝負は一瞬《いっしゅん》で、1st―Gが今後客となる可能性は潰《つい》えた。
……もういい。
笑う意味も、話す意味も、誰かの体調を察知《さっち 》する機能の意味も、何もない。
客を迎えて喜びを得る自動人形の満足感など、一度も得たことがないままだ。
今は敵と戦うために遠隔操縦の技能に関する最適化を行えばいい。
それだけのことだ。が、
「…………」
モイラ2ndは壁を見た。陽光を反射する白壁はそのまぶしさで正視を阻《はば》むが、視覚|素子《そ し 》の光彩《こうさい》を抑えれば見ることは可能だ。
六十年間ずっと見慣れた壁があり、しかし、今その向こうから、格納庫《かくのうこ 》の入り口を伝って、一つの音が聞こえている。
歌声だ。
かつてクロノスから聞いたことがある。人間がその身の声で奏《かな》でる原始的な音楽を。
モイラ2ndは思う。そんな歌も結局は無駄《む だ 》なことよ、と。
何もかも、必ず失われ、無意味となる。だが、
「…………」
……あの客人は、それを知って与えるの?
どうなのだろう。
……もし、意味があるのだとしたら?
疑問が頭脳に生じた瞬間《しゅんかん》だ。不意にモイラ2ndは、あり得ぬ感覚を得た。
鼓動《こ どう》だ。
それは機械の身にはある筈《はず》のないもの。かつては、調査対象の人間が子を育《はぐく》めるかを調べるため、何度も聞いてきた音だ。
「……?」
京《みやこ》の鼓動が聞こえる筈がない。自分の機能は至近《し きん》距離専用だ。
では、と思ったモイラ2ndは、答えを見つける。
足下だ。植木|鉢《ばち》が多く並び、その中には土がある。
「――――」
モイラ2ndは機能で聞く。土の中、まだ芽《め 》さえも出ぬ花の種《たね》が、しかし、鼓動《こ どう》とも言える動きを見せ始めている音を。
種は水をゆっくりと吸い、水はその内部で緩やかに循環《じゅんかん》する。
数十の種の並びが、音を大きく揃《そろ》えるようにして息吹《い ぶき》を聞かせてきた。
聞こえる。
数十の新しい動きが、こちらの機能をくすぐっている。ずっと使っていなかった機能を、まるで聞いてくれと言わんばかりに。
動きが響《ひび》く。
「――っ」
モイラ2ndは花の音を堪《こら》えるように、目を閉じた。
が、機能は求めてくるものに逆らえない。身体《からだ》に鼓動が響き、そして、耳は歌を聴く。
伴奏《ばんそう》と歌唱の声を。
「…………」
自分の知らぬもの、かつて3rd―|G《ギア》にも存在したものを、どう判断すればいいのか。
モイラ2ndは前を見た。東側を。
そちらに回れば、格納庫《かくのうこ 》の入り口がある。
[#改ページ]
第二十三章
『告発の打撃手』
[#ここから3字下げ]
言葉よりも早いものは何か
それは音を超えるもの
音を超えた言葉と疎通
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
京《みやこ》はテュポーンの近くで足を止めていた。
距離五メートル。テュポーンが手を伸ばせばこちらに届くぎりぎりの距離だ。
だが今、テュポーンの眼《め》には光がない。
起動していないのだ、と京は思う。
見れば侍女《じ じょ》が五人ほど、テュポーンとその身を包むハンガーを行き来している。彼女達の主な仕事は頭部と右腕の修復《しゅうふく》と装甲板《そうこうばん》の取り替え、そしてその下にある駆動《く どう》部《ぶ 》の改修《かいしゅう》調整だ。
歌を唄《うた》いながら、作業は続く。
こうしてみると、テュポーンはただの兵器だ。鉄の| 塊 《かたまり》として立つことしか今は出来ない。
悲鳴も何も挙げることはない。
……不思議《ふ し ぎ 》だな。
先夜会ったときに見た目の光などは、それこそ生きているようだったが。操縦《そうじゅう》者が乗っているときといないときでは違うのかもしれない。
そのまま視線を動かしテュポーンの隣《となり》を見れば、コットスの青い巨体が立っている。
「アンタはずっとここか?」
『肯定』
「ギュエスや、アイガイオンってオッサン達は整備を手伝ったりしないのか?」
『別件《べっけん》仕事、多忙《た ぼう》』
「オッサンは八百屋《や お や》で稼《かせ》いでるとしても、姉ちゃんの方は?」
問いに答えたのはコットスではなく、右に追いついてきたモイラ3rdだった。
「この近辺の見回りと調査だよー。概念《がいねん》空間から出て警備したり、最近は、ネット? そんなのが出来る場所に行っていろいろ情報見てる」
成程《なるほど》な、と京は頷《うなず》いた。モイラ3rdは伸びを一つ入れ、
「あの二人は外部活動用の賢石《けんせき》を入れてるからねー。武神《ぶ しん》やコットスも賢石入れてるけど、この身体《からだ》だとあまり表《おもて》に出られないっしょ? 出来れば私も賢石入れて外出たいー」
モイラ3rdの声には陰が無いが、最後の一言は本音《ほんね 》だろうな、と京は思う。
基地の場所を移動することが出来ると聞いたことがある。かつて何度か、見つからないように基地を空間ごと移動したのだと。
だが、基地を包む概念空間の外に出ることは出来ない。
……檻《おり》の中なのかな。
侍女達が客を求め、主人を欲するのは、外に出ないことへの代償《だいしょう》だろうか。
「ねねねね、京、今度《こんど 》外に出たらお土産《みやげ》頼むね」
「何が欲しいんだ? 言ってみろ?」
「んー、じゃあ、前にアイガイオンが持ってきたポックリマンチョコ」
「ああ、成人病天使と過労《か ろう》死《し 》悪魔のアレか。……菓子《か し 》食えんのか?」
「ううん? シールだけもらってチョコは京《みやこ》にあげる。他の子達もそれでいいんじゃない?」
「待て、皆の分だと大人《おとな》買いする必要があるな……」
侍女《じ じょ》は総勢で約六十名だ。一個三十円として千八百円。一割引のスーパーなら、
……ええと。
暗算は苦手《にがて 》だ。約千六百円と換算《かんざん》し、消費税入れて約千七百円。CD一枚より安い。
「ようし、大丈夫だビバオッケー!」
「……あのさ京、何が大丈夫なの?」
モイラ3rdの質問には答えないようにしよう。
と、モイラ3rdの身体《からだ》がいきなり浮いた。見ればいつの間にかやってきていたモイラ1stが、モイラ3rdの奥襟《おくえり》を掴《つか》んで物陰《ものかげ》に引きずっていく。
「あ、大姉《おおねえ》ちゃん、何だよ? どこ連れて行くんだよ!」
無視して物陰に入ってから、
「貴女《あなた》はまた無理言って! 京様にも経済事情があるんですからっ」
「で、でも京、オッケーって言ったよ?」
「思案《し あん》の上のオッケーはあまり良くないことなんですっ。大体、京様はお忙しいんですから」
「えー? どー見ても忙しくないよアレわ」
どっちも正論だし聞こえてるぞ、と京が思っていると、物陰から新展開が始まる。
「そんなこと言う子はお仕置きですからねっ。ほらっ、お尻をクラッククラック!!」
「わあああ大姉《おおねえ》ちゃん、股関節《こ かんせつ》が外れちゃったじゃないかあっ」
「嘘《うそ》泣きしても騙《だま》されませんっ。ちゃんと熱源|視覚《し かく》で見てますからね。あと、反省のために股間のボルトは預かっておきますっ」
「ちぇー。いいよ。重力|制御《せいぎょ》で固定するもん。脚《あし》など不要だもんねー」
反射的に鈍い金属音が響《ひび》き、
「わあへっこんだあっ」
どこがだ、と京は思うが、姉妹喧嘩《きょうだいげんか》を聞いてるのも何だな、と背を向ける。
一息ついて傍《かたわ》らに立つコットスを見上げ、
「……アンタも外に出たいと思うときはあるか?」
『戦闘|要請《ようせい》?』
「あ、いや、そういうことじゃなくてだな……」
コットスが小さく首を傾《かし》げた。その仕草《し ぐさ》から、京は一つのことを悟る。彼にとっては、
……ここから出ることは戦闘行為に他ならない、か。
「感傷《かんしょう》かな。――まあ、いずれ、外に出たくなったら言ってくれ」
『了解《りょうかい》』
頷《うなず》き、そして京《みやこ》は昨日のことを思い出す。アポルオンから杖を借り、それを持って行けば自分はすぐ外に出られる筈《はず》だった。それが今、こうして残り、
……外に出るのは、ヘカトンケイルの二人だけか……。
心の中でつぶやいた京は、何かが一つ足りないことに気づいた。
外に出る、という行為に対して、3rd―|G《ギア》の面々《めんめん》の中で誰かが除外されている。外に出て当然とも言える者が、その思考《し こう》から外れていることに。
「それは――」
思い出した。
「あの馬鹿」
アポルオンという名を思い出した京は、あ、と声を挙げた。
すっかり忘れていた。昨日の夕焼けの中、頭突《ず つ 》きをかまし合った相手だというのに。こちらを挑発し、本音《ほんね 》を吐き出させ、そして、
……崖《がけ》崩れで庇《かば》って……。
くそ、と思う。格好《かっこう》つけさせた上で、本音まで吐かされた、と。
「大体、原因は、あの馬鹿がいきなり座り込んでたからだよな」
悔しさ表現に靴の踵《かかと》で床をこじり、しかし、京は一つの違和《い わ 》感《かん》を思い出す。
あの場所は、機械が生きていくための概念《がいねん》とやらが薄くなっている場所だった。あの場所では自動人形達は短時間しか稼働《か どう》出来ない。
では何故《なぜ》、人間であるアポルオンが倒れたのか。
「……?」
京は腕を組む。頭は悪い方だと自分でも解《わか》っている。だからよく考える。
……病気か何かだったんじゃねえか? 発作《ほっさ 》か何かで。
だが、そうだとしたら、その後に自分と言い合いまで出来たのは何故だろうか。ただ歩いていただけで倒れた人間が、襟首掴《えりくびつか》んで声挙げて正面からぶつかるなど、血圧上げるのは正気の沙汰《さ た 》ではない。
……そうやって流血していたフシからすると、人形じゃあねえよなあ?
だが、アポルオンと自分が言い合いをしていた頭上では、自動人形達がそれを盗み見していた。ということは、あの場所は外境《がいきょう》からぎりぎりで外れていたということだ。
確証はないが、アポルオンは、
……自動人形の活動出来る場所でならば自分を保てる人間?
どういうことか。
京は、問うためにモイラ1stを探す。が、先ほど彼女達が入った物陰《ものかげ》からは何も音が聞こえない。どこか外で新しい展開に入ったのだろう。
「じゃあ駄目《だ め 》か」
だから京《みやこ》は、テュポーンの整備を行う自動人形を見た。一人、脚部|装甲板《そうこうばん》を外し終えて一息ついている黒髪《くろかみ》の娘がいる。
京は、なあ、と声を掛けた。侍女《じ じょ》が振り向き笑顔を見せるのに対し、言葉を選び、
「アポルオンはよくここに来るのか?」
「たまに、という頻度《ひんど 》ですが、来られます」
そうか、と頷《うなず》き、本当の問い掛けを遠回しに行く。
「……あの馬鹿、外に出ることあるのか?」
問うたときだ。侍女は、微《かす》かに眉尻《まゆじり》を下げた。
判断不能の表情。
それを見て、京は問いに答えを問い掛けで言う。相手が機械の困惑《こんわく》を起こすより先に、
「――出られねえんだな? 何故《なぜ》?」
「それは……」
「病気か?」
「違います」
「何かの約束か?」
「違います」
「気分か」
「違います」
じゃあ何だろうか、と思い、京は一つの言葉を思いつく。だがそれは、
……いい冗談《じょうだん》だ。
だからまず肩を竦《すく》め、通じないかな、と思いながら言ってみた。
「呪《のろ》いか?」
「そうです」
聞こえた答えに、京は肩を竦めたまま動きを止めていた。
わずかな間、京は言葉を失った。相手の肯定の意味を頭の中で捉《とら》え直し、
「3rd―|G《ギア》にも、呪いなんてあるのか?」
「私どもの 呪い という言葉を、通訳|概念《がいねん》が京様に 呪い という言葉で伝えているのでしょう。意味的には、条件によって解除《かいじょ》可能な、遠隔《えんかく》作用する他者からの強制的|不備《ふ び 》です」
言われた言葉を、京は頭の中で繰り返した。
……つまりは。
「あのボンボンは、誰かに何らかの制約ってか、ハンデを背負わされてる?」
「――はい」
「それを解く方法は?」
ゆっくりと言葉を作った問いに、侍女《じ じょ》は一つの反応を寄越《よ こ 》した。
迷ったのだ。言う、べきかどうか、判断をどちらにするかで。
だが、数度の呼吸の間を持ってから彼女は動いた。一歩をこちらに近寄り、うつむき、
「……一つだけあります」
それ以上を言いよどみ、侍女は口を噤《つぐ》んだ。対する京《みやこ》は頭を掻《か 》く。
呪《のろ》い。
その一言に思うところがあった。機械のGである3rd―|G《ギア》らしくない言葉だが、それに似たことは昨夜にもあった。
「おかしな場所だな。呪いはあるし、――変な幽霊《ゆうれい》みてえな女も出やがる」
「え……? 幽霊みたいな女というと……」
「ああ、その口調だと知ってるのか? 青白く光るロングヘアの女だよ。泣きそうな顔の」
そして、
「!」
いきなり京は右横に突き飛ばされた。
……何!?
視界が転がって行く中、京は見ていた。
自分の立っていた場所に一人の新しい侍女が飛び込んできたことを。
それは、
……モイラ2nd!?
彼女は、自分だけではなく、アポルオンのことを話した侍女も突き飛ばしていた。
何故《なぜ》だ、と思う答えは上にあった。
巨大な影。大木かと思うような影が、頭上に降って来ていたのだ。
それは腕だった。白い装甲《そうこう》板に覆《おお》われた金属の腕。
肩ブロックから外れ落ちたテュポーンの腕だ。
次の瞬間《しゅんかん》。京の視界の中でモイラ2ndがこちらに振り向いた。彼女は視線を合わせ、
「――――」
笑みを見せた。
そして彼女の頭上に鋼《はがね》の豪腕《ごうわん》が落ちた。
京の耳の中で、歌が止まった。
轟音《ごうおん》は既に通り過ぎていて、散らばった部品が転がる音がする。
耳に聞こえる定期的な低い音は、自分の鼓動《こ どう》だ。焦りと驚きと、
……どういうことだよ!?
心の叫びそのままの感情が、鼓動《こ どう》を高鳴らせる。
脚《あし》を思えば力は入った。震えはない。だから立ち上がり、しかし、
「っと」
よろけた。足下がおぼつかないと言うより、身体《からだ》に力が入り過ぎている。
目の前の床に一度手をつき、身体を起こして立ち上がる。
そして京《みやこ》は見た。
正面、距離にしてわずか三歩ほどのところに巨大な腕がある。
装甲《そうこう》板を当て、表面|緩衝《かんしょう》装甲までも当てたテュポーンの左腕だった。二の腕の太さが京の胸上ほどの太さもある腕だ。今、肩の接続部は展開してフリーになっており、三十センチほどの太さがある接続プラグの鋼《はがね》が、剥《む 》き出しに天を向いている。
腕と床の間にほとんど隙間《すきま 》は無い。そこには一つのものが潰れ、挟まっている。微細《び さい》な鉄と陶器《とうき 》のような部品と、破片とが。
破片になれなかったものが、腕と自分の間の床に転がっている。
一人の女性の上半身の、更にその一部だった。
うつぶせにあるのは、頭部と右背と右肩から先だ。黒の侍女《じ じょ》服は降ってきた腕と床に巻き込まれて引っ張られており、まるで腕と床の隙間から彼女が絞り出されたように見える。
金の短髪が揺れる下、瞳《ひとみ》は伏せられて動かない。
だが、その唇が動いた。
声が聞こえる。
「……お救い下さい」
「え……?」
京は慌《あわ》てて腰を落とした。耳を澄《す 》ませる眼前で、モイラ2ndの唇だけが動き、言葉を紡《つむ》ぐ。
それはか細い声で、
「アポルオン様をお救い下さい。あの方は概念《がいねん》戦争の被害者です。……人として不安定でありながら、なお、機械としての制約を受ける……」
「だったら、それを解除する方法は? お前達の技術なら、あるんだろ?」
焦った問いに答えはない。モイラ2ndは動きを止めつつある。
だが、京は敢えて叫んだ。
「――寝るな!!」
その言葉に、自動人形は小さく微笑した。
「……はい」
頷《うなず》き、口を開く。そこから言葉がたどたどしく洩《も 》れていく。
「ほ、ほ方法は……」
「方法は?」
「アポルオン様一人では、出来ないこ、と、とで、でで、です」
「そうか」
京《みやこ》は頷《うなず》き、触れた。モイラ2ndの頬《ほお》に。自分の| 了 承 《りょうしょう》を伝えるために。
そしてモイラ2ndの身体《からだ》から力が失われ、言葉が聞こえなくなった。
誰も動かない。
だから京は立ち上がった。口を開き四方に身を回して叫んだ。
「誰かモイラ2ndを連れて行け!」
は、と身震いした近くの侍女《じ じょ》達と、モイラ2ndに突き飛ばされて破損《は そん》を逃れた侍女が慌《あわ》てて駆け寄ってくる。彼女達が動いたことに京は安堵《あんど 》の吐息を吐《つ 》いて、
「このくらいで死ぬわけねえだろ? な?」
「はい、大丈夫です。頭部があれば記憶《き おく》など復帰出来ます」
そうか、と頷いた京はモイラ2ndを見る。その静かな顔を。
「――有《あ 》り難《がと》うな」
救われた礼を告げた。直後、京は眉根《まゆね 》に力を入れる。
……このままで終わりにしていいわけがねえ。
京は視線を上に向けた。テュポーンの肩上に。
だが、そこに侍女は一人もいない。今、整備の侍女達はテュポーンの奥腰装甲《おくごしそうこう》の付け替え途中だった。大型の板のような鉄の| 塊 《かたまり》を、五人がかりで持ち上げ、止めている、
……だとずれば。
テュポーンの肩から、腕が勝手に外れたという事実だけがある。
「整備不良の事故とかいうんじゃねえだろうな……」
そして京は見た。
……テュポーンの眼《め》に。
微《かす》かな光がある。
「……!?」
それも、青い白い光だ。かつて自分をさらって飛んだときの冷たい光がそこにある。
「――やっぱ誰か乗ってやがったのか!?」
誰だ? いや、誰であろうと許すものか。間違いなく、テュポーンは自分と侍女との話を妨害しようとした。それも、こちらの死をもって、だ。
先ほどから頭上のキャットウォークを行く足音は聞こえない。テュポーンの操縦《そうじゅう》者はずっと操縦室にいる筈《はず》だ。
誰だろうか。まさか昨日の光る女か、アポルオンか。どっちだって今はいい、
「待ってろ……!」
京は踵《かかと》を浮かせ、背後に振り向くなり走り出した。
京《みやこ》は走った。
格納庫《かくのうこ 》の端、キャットウォークに上がる階段はそこの壁にある。テュポーンの方から視線を外さず、誰も操縦《そうじゅう》席のある背から逃げ出さぬのを確認しながら京は走る。
きっと、これから先、
……アポルオンやテュポーンのことを彼女達はあたしに話すまい。
さっきの腕の落下はテュポーンを操《あやつ》る者の警告メッセージだ。
誰だ、と京は思う。
3rd―|G《ギア》において、姿を見せぬ最後の一人だ。それはテュポーンを操る誰か。モイラ1st達に今まで格納庫を見せさせなかった誰か。アポルオンをこの概念《がいねん》空間にとどめている誰か。そして自分の仲間である筈《はず》の自動人形を警告代わりに潰せる誰か、だ。
京は思い出す。3rd―Gが概念戦争時代にしてきたことを。
……そのまんまみてえな野郎《や ろう》だな。
脚《あし》は一気に階段を駆け上る。
キャットウォークの上は地上三階分の高さ。武神《ぶ しん》の背裏《せ うら》の高さだ。
一直線に無人の通路が続き、その果てには六枚|翼《よく》の背が左に横付けされている。
誰もその背から降りたのは見ていない。
京は走った。腕を振り、足音たてて。
距離は一瞬《いっしゅん》で詰まり、辿《たど》り着く。
「捕まえたぜ!!」
足を止め、京はテュポーンの背裏に立った。六枚翼の間、他の武神と比較して大きく突き出した操縦室は開いている。ブロック内部は操縦者を分解するための槽《そう》となっており、
「……!」
しかし、無人だった。
京は荒い息で、あ? と疑問|詞《し 》を挙げていた。翼《つばさ》に手をついて覗《のぞ》き見た内部は、
「ちょっと待て、何で……」
誰も、そこにはいない。
反則だ、と唇の動きだけでつぶやき、京は身を乗り出して操縦席の中を覗き込む。が、見えるのは薄暗い空白と、金属の底面だけだった。
「おい……」
一息をつき、眉をひそめると、胸の奥に重いものが生まれた。暗い思いだ。何かがあることは解《わか》っているが、その何かが解らないという、そんな焦りと怖れを混ぜた思いだ。
その思いの眼前に、京は一つの光を見た。それは文字だった。操縦室の中にある板に、青白い光で文字が書かれている。京《みやこ》には読めない文字だが、意味は読める。
京が知る言葉だった。
「これは……?」
心の中に字を思い浮かべるより早く、字は消えた。操縦《そうじゅう》室は完全な闇となり、京はテュポーンがもはや動かぬことを悟る。
代わりというように、一つの色を持った線が見えた。
「髪……?」
一本の毛髪がテュポーンの操縦室の扉に引っかかっていた。指に絡《から》めて取ってみると、細く柔らかい金の一線が空気になびいた。
長さも色も、見覚えのあるものだった。
……アポルオンのものじゃねえか。
だが、彼は乗っていない。ならば、たまたま風に運ばれてここに辿《たど》り着いた髪かもしれない。
それでは誰がテュポーンを動かしていたのか。
思ったときだ。
京は光を見た。自分の首筋《くびすじ》に、背後から、細い指の形で。
「――!?」
背後に慌《あわ》てて振り返った京は、しかしそこに無人の空白を見た。
「な……?」
誰もいない。だが、確信はある。誰かがいたのだと。
朝飯を食っているときにモイラ1stから聞いた通りだ。冥府《タルタロス》という概念核《がいねんかく》を抱えるテュポーンのそばに、確かに霊《れい》か何かがいるのかもしれない。誰にも触れることのない、しかし存在だけはある何かが。
いる、という確信に背筋《せ すじ》を震わせた京は、息を整えた。背に緊張《きんちょう》をおいて、
「…………」
無言で京はキャットウォークに戻った。
気を抜かぬまま見たテュポーンの顔面には、やはり眼《め》の光がない。落ちた左肩、その本体|側《がわ》接続部には、こじ開け外したような痕《あと》もボルト類を外側から緩めた形跡《けいせき》もない。そして、外から触れることが出来ぬ筈《はず》の着脱《ちゃくだつ》基部は自然と抜けて開いており、その口には修理中の砕けた右腕に見える破損痕《は そんあと》のような、装甲《そうこう》のささくれもフレームの傷も見えない。
テュポーンの肩は、やはり操縦者|側《がわ》から骨格的に外されたものだ。
だが、京は抜けた左腕ではなく、修復《しゅうふく》中の右腕の方を見ていた。
砕かれた右腕。そして、
「小破《しょうは》した頭部……」
更には、
「今さっき、見えた文字と、背後にいた誰かの気配……」
そこまでつぶやき、京《みやこ》は不意に目の前にあるテュポーンの破損《は そん》状態から一つの感覚を得た。
それは、違和《い わ 》感《かん》つきの、しかし正体の解《わか》らぬ既視《き し 》感《かん》だ。
……何だ? 何か重要な繋《つな》がりがある気がするんだが……。
そう思ったときだった。京の視界は一つの示唆《し さ 》を捉《とら》えた。
眼下、倒れたモイラ2ndを潰している腕が取り除かれようとしていた。六人がかりで、モイラ1stの指揮でテュポーンの腕が持ち上げられていく。
しかし、京が見るのはテュポーンの腕ではなく、自分を救った自動人形だった。俯《ふ 》せで倒れる自動人形の、無事に残った右腕を京は見ていた。
モイラ2ndの右手が、人差し指を立て、ある方向を指さしていたのだ。
真下。床の向こうにある、地下を。
青い空の下に、白い砂が広がっている。
砂のすぐ背後は薄い岩場を挟んで林がある。岩場の段差《だんさ 》に支えられて砂浜と隔絶《かくぜつ》した林だ。
潮風を浴びる林は、松の木を中心に密度の薄い枝を広げている。
その林の入り口に、幾《いく》つもの緑色のテントが建てられていた。
どれもレジャー用ではなく、分厚い防水シートによる屋根付きテントだ。
ここは岩の上の浅い地面。土を頼りにステーとハーケンを使うだけでは建たない。だから、
「岩を使ったり木々を柱に使用するんですよー。でも木々とか折ったら減点で夕食当番になってもらいますからね? 先生カレーがいいですねー。どーですか? 美味《おい》しいですよ〜?」
と言って岩場の上をおぼつかない足取りで歩いていくのは大樹《おおき 》だ。
大樹の指示はあってないようなものだが、何故《なぜ》かテントは着々と立っていく。
テントを立てた者達は、自分達のテントごとに竈《かまど》やトイレ、他設備の設営を行い、その後は二派に分れる。それは訓練を行う者と、
「休憩ーっ! 一番乗りっ!!」
叫びとともに風見《かざみ 》が海に走り込んだ。|G―Sp《ガ  ス  プ》2を持ったオレンジと黒のビキニ姿は人工の砂浜を一気に縦走。そのまま水|飛沫《しぶき》を上げて水の中に沈み、ややあってから、
「食料確保ー!!」
爆発に似た水飛沫が海から跳ね上がった。高さ十数メートルに達した水の柱は、砂浜にまで潮水《しおみず》の雨を届かせる。わあ、と砂浜にいた者達が避《よ 》けた雨の中には、幾多《いくた 》の魚が混じっていた。
砂浜に落ちて驚いたように跳ねる魚達を、パーカー姿のシビュレが拾っていく。
大きめの籠《かご》が一杯になる頃に、海から風見《かざみ 》が上がってきた。
G―Sp2を右手に提《さ 》げた彼女は、身体《からだ》を下る海の水の帯を払いもせず、
「ああ気持ちいい。――でもやっぱり沖の孤島は潮《しお》の流れが速いし深いしで侮《あなど》れないわね。足のつかないところが解《わか》るように、向こうの岩場からあっちの岩場までロープ張ろうか」
「そうですね。でも、出雲《いずも》様はどういたします? そんなロープを張ったら絶対にわははと笑って越えて行って海の藻屑《も くず》になると思いますが」
「大丈夫よ、呼吸が止まったくらいじゃ死なないから。そんなことより美影《み かげ》は?」
あちらです、とシビュレが指す方向を見れば、岩場の影に白いワンピース姿が座っている。
杖を抱えて座る彼女は、じっと空を眺《なが》めているだけだ。
「水着を持ってきてないようですね」
「うん。……やっぱり身体《からだ》を見せることに抵抗あるみたい。……まあ、海以外にもこの島は見るところあるし、何か進化の手助けになれるといいんだけどね」
と、岩場の向こうから籠《かご》を抱えた少年二人が現れた。
Tシャツに短パン姿の出雲と飛場《ひ ば 》だ。
風見《かざみ 》は、飛場に気づいた美影がすぐに立ち上がろうとするのを見る。美影の動きには、いつもの無表情な顔とは別に明るいものがあり、
……ホントに飛場が大事なんだろうね……。
小さな笑みを口に浮かべると、横のシビュレが囁《ささや》いてきた。
「出雲様が現れたときの千里《ち さと》様の顔も嬉《うれ》しそうでしたよ?」
「そんな素直じゃないわよ? 私」
肩を竦《すく》めて笑うと、正面に出雲《いずも》が来た。彼は数歩の位置で背負った籠《かご》を下ろし、
「千里《ち さと》」
と、こちらに目を向けた。そしてこちらの顔を見て、胸を見て、腰を見て、脚《あし》を見て、
「千里、よく聞け」
「何よ?」
実はな、と出雲は告げて、こっちの肩に手を載せた。空を見上げ、言葉を選び、
「俺は、今まで水着に対して臆病《おくびょう》だった。これからは勇気を持――、っあ投げるの早えっ!」
風見《かざみ 》は、肩に載った出雲の手首を決めると同時に足を払い、その身体《からだ》を旋回《せんかい》させていた。
宙を回る一回転。
最近|憶《おぼ》えた技だ。打撃ばかりでは相手に被害を与えやすい。かといって関節《かんせつ》技は相手一人しか倒せない。複数人を前に、一人倒すだけで周囲を動揺《どうよう》させ、または巻き込める技は、
……投げ!
コツは一つ。掴《つか》んだ相手の手を手前《て まえ》下側に引き続けるようにして、円《えん》運動で回すことだ。
出雲の身体が宙を高速で回った。
このままだと背から落ちるが、彼なら受け身をとるだろう、と風見は思う。これが長年付き合ってきた信頼というものだ。安心して落とす動きはよどみない。訓練の| 賜 《たまもの》だ。
よしよし、と自分の動きに頷《うなず》いたときだ。不意にシビュレの声が聞こえた。
「ち、千里様! そのままだと海に落ちて出雲様がズブ濡《ぬ 》れに!」
「あ、いけない」
言葉とともに、風見は急いで軌道を修正。
出雲はやや硬めの砂浜に頭頂部《とうちょうぶ》から叩きつけられた。
打音が響《ひび》き、何故《なぜ》か周囲からテントを作る物音が止まった。
そして砂煙《すなけむり》が舞い、降りた。その後に風見は、ふう、と息をつき、額《ひたい》の小汗《こ あせ》を拭《ぬぐ》う。
「ありがとね、シビュレ。どうせ覚《かく》のことだから着替え少なく見積もってるだろうし」
「ええ、濡れた服でうろうろ俳徊《はいかい》するのは健康と風紀《ふうき 》が乱れますし」
と、風見が岩場の方を見ると、何故か飛場《ひ ば 》がこちらに半目《はんめ 》を向けている。
首を傾《かし》げてみせると、飛場は慌《あわ》てて美影《み かげ》の肩を抱いて一歩を下がり、
「え、ええと、保身のために言いますが、……大丈夫なんですか?」
「ん? ああ、大丈夫よ。ほら覚、起きてー」
風見は出雲を抱き起こし、|G―Sp《ガ  ス  プ》2の穂先《ほ さき》で出雲の頭部を殴る。
朝は花瓶《か びん》で殴って起こしているが、最近それでもすぐに起きなくなった。
まだ彼に対してためらいのようなものがあるのかもしれない、と風見はたまに思う。
と、出雲がゆっくりと目を開けた。
「――んあ、朝か」
「何を寝ぼけてるのよ。今、訓練合宿に来てるのよ?」
「あ、そうかそうか。で、俺、何してたんだっけか。さっきまで飛場《ひ ば 》と向こうの林で果物《くだもの》とってたんだが……」
「木から落ちたんじゃないの? ふふ、そういうことにしといてあげる」
何故《なぜ》か飛場が美影《み かげ》の肩を抱いて背を向け、静かに立ち去ろうとし始めた。
「こら飛場逃げるな」
「い、いや、美影さんが日陰に入りたいようだし」
「美影、そうなの?」
首で振り向いた美影は、首を横に振る。飛場が慌《あわ》てて、
「うわあ美影さん状況よく解《わか》ってないですねっ。今、世界は妙な方向に向かってるんです!」
「アンタの世界は地獄《じ ごく》に傾いてるみたいね?」
言うと、シビュレが眉をひそめた。
「千里《ち さと》様、あまり親しくない方に対して、暗《あん》に秘めた殺害予告はやめた方がいいと思います」
「う、うん、確かにそうだけど。……でも」
「ええ。まだ親しくないんですから、暗に秘めずハッキリ言わないと通じませんよ?」
「……シビュレ? 今、貴女《あなた》、とってもいいこと言ったわ。でも、いいことは大事にしまっておこうね? ってか飛場逃げるなっ!」
「……いや、僕がここにいても」
飛場は、美影の顔を見る。美影はいつもの無表情で、しかし、自分の判断を持っていないように見えた。飛場の言うことに従うと、そんな期待の目を向けている。
対する飛場は吐息した。眉を下げた顔をこちらに向け、
「僕がここにいて、することありますか?」
「向こうで訓練やってるけど、つき合う?」
と、風見は浜の東側を見た。自分達がいるのが西側の端《はし》の方の自由な空間ならば、東端は訓練用の空間だった。そこには突入訓練用のダミー家屋と中身の無い車が置かれ、その前にはボルドマンを教官に、要《よう》訓練とされた者達が立っている。
炎天下《えんてんか 》ではあるが、全員、スリーピースのスーツにネクタイと革靴《かわぐつ》という重《じゅう》装備だ。
風見の視線の先で、ボルドマンがレンズの無い丸《まる》眼鏡《めがね》を鼻の上に持ち上げ、ネクタイの襟《えり》を締め直した。さて、と彼は訓練|教書《きょうしょ》を脇に抱えて、
「御生徒の皆様、本日より日本UCAT東京支部|特課《とっか 》、並びに通常課は夏期|訓練《くんれん》合宿期間に入らせていただきます。| 私 《ワタクシ》、昨年から訓練教員を務めますロベルト・ボルドマンと申します。先生は難しいことは言いません。先生が何か言ったら、|は い 先 生《イエス・ティーチャー》と答えなさい」
「|は い 先 生《イエス・ティーチャー》!」
宜《よろ》しい、とボルドマンが言うと、端の一人が手を上げた。灰色のスーツを既に汗で黒く染めつつある日本人の青年だ。
「はい先生! 質問宜しいでしょうか!」
「……御質問は基本的に認めておりませんが、最初ですからね? 宜しいでしょう」
「|は い 先 生《イエス・ティーチャー》! ――何でこんなスーツ着て不気味《ぶ き み 》なホモ敬語《けいご 》で訓練なんです? 馬鹿かテメエって言っていいですか!?」
彼の言葉に、立ち並ぶ二十人ほどが頷《うなず》きの表情を見せた。
対するボルドマンは、成程《なるほど》、と汗一つかかぬ額《ひたい》に手を当てる。
「実は、昨年の恐山《おそれざん》合宿では私が所属しておりました米国|海兵《かいへい》部隊式の訓練を行いました。が、賽《さい》の河原での罵詈《ば り 》雑言《ぞうごん》浴びせ掛けから開始し、恐山ではエロソングを皆で楽しく輪唱《りんしょう》しながらマラソンしていたところ、まあ、訓練生の中から反抗心|溢《あふ》れる者が出まして」
吐息。
「私、抑えようとしたのですが、その反抗者の一人、――ここでは彼女としておきましょう。彼女は歌詞《か し 》が最悪だとか言いまして、向かっていった副官を殴るわ股間《こ かん》を蹴《け 》るわの有様《ありさま》で。しかも彼女の相方《あいかた》がまた殴っても殴っても倒れない男で、二人にそのときやられた傷が――」
首の後ろあたりを軽く手で示し、
「当時は何ともなかったのですが、最近になって鞭《むち》打ちの後遺症《こういしょう》で、妻にも心配を……。ともあれその後、上と話し合い、私は自分の訓練もまたあまりにも前時代的であったことを悟りました。私にも落ち度があったわけですね?」
ボルドマンは拳《こぶし》を握り、空を見上げた。
「ですから今、訓練というものは生まれ変わります。ワイルドかつヤンキーから、スマートに行儀《ぎょうぎ》良く知的に! 訓練フォーエバー!!」
「…………」
「さて、御返答は?」
「……|はい《イエス》、| 先 生 《ティーチャー》」
「御《お 》声が小さいですね?」
「|は い 先 生《イエス・ティーチャー》!」
「ではもう一度」
「ぅはい先生っ!!」
「はい、じゃあ、お〜おき〜なこ〜へぇでぇ〜、さん、はいっ!!」
「は〜いぃ〜先〜生〜!!」
「良く出来ました! では皆様、これから島を五周ほどランニングで回ります。キツかったら言って下さいね? 一列になって、遅い人が先頭です。ランニングのコツは知ってますか?」
「はい先生!」
「言えますか?」
「はい先生!」
「実は知りませんね?」
「はい先生!」
宜《よろ》しい、とボルドマンは、また鼻の上に丸《まる》眼鏡《めがね》を持ち上げた。
「ランニングのコツは、イ・カ・レ、です。イは急げのイ、カは加速のカ、レは連続ダッシュのレです。護《まも》らないとまた明日も同じことをしますからね?」
「はい先生! ちゃんとイカレます!」
「じゃ、まず先頭はそこの貴方《あなた》から一列に」
「は、はい先生!」
答えた灰色のスーツ姿が、砂浜を逃げるように猛然ダッシュで走り出した。はっ、とした次のスーツ姿が慌《あわ》てて彼の後についていく。次も、次も、次も、もはや女性も何も関係なく。そして最後にボルドマンが走り出しながら、
「では皆さん、連帯感を高める御《お 》歌を唄《うた》いましょう。先生の後についてきて下さいね?」
「はい先生っ!」
「咲〜いた〜。咲〜い〜た〜。ターゲットぉの花がぁ〜」
「咲〜いた〜。咲〜い〜た〜。ターゲットぉの花がぁ〜」
「並んだ〜。並んだ〜。ア〜カ、黒服〜、白《しろ》装束〜。どーのー花見ても〜|Yeehooー《イ エ ー フ ー》!」
「並んだ〜。並んだ〜。ア〜カ、黒服〜、白装束〜。どーのー花見ても〜Yeehooー!」
歌が交互に遠ざかっていく。
それが消えていくのを見送った風見《かざみ 》は、飛場《ひ ば 》を見た。
飛場は既に歌の去った方向を指さした姿勢だ。首だけでこちらを向き、
「……あれでいいんですか? 随分《ずいぶん》色彩に偏《かたよ》りがありますが」
「大丈夫よ、また諸処《しょしょ》から文句が出て来年は違うものになってるから」
「そうですか。……でも、あれじゃあ僕はもう何とも言えないですね」
「満足過ぎて?」
「そういう意味じゃないですよっ!」
飛場は疲れたような吐息を長く吐く。口を横に開き、
「あんな訓練――」
「じゃ、俺と訓練すっか」
と、不意の声が足下から響《ひび》いた。
見れば、出雲《いずも》だ。砂の上に体を起こした出雲が、岩場にいる飛場を見ている。
「昨夜、俺が仲間にならないかと聞いたが、何も言わなかったな? 俺達が結構《けっこう》戦えるのを見せたのによ。――そりゃまあ、いろいろ事情があるだろうけどよ」
出雲《いずも》は立ち上がる。それも、座った姿勢からまずいきなり宙に跳ね上がり、
「――――」
こちらの視線高まで跳躍《ちょうやく》一つで上がった身体《からだ》は、
「飛場《ひ ば 》、オマエ、自分が俺達より強いと思ってんな? だったらちょっとそれ見てみようぜ」
砂に両脚《りょうあし》を刺すようにして彼は着地した。そして、
「こっち来いよ。ちょっと勝負だ」
「勝負って……。模擬《も ぎ 》戦でもやるんですか? 出雲|先輩《せんぱい》、武道の経験は?」
「あるわけねえだろ。あるとしたら特課《とっか 》訓練だけだ」
飛場は、呆《あき》れたような顔を見せる。
「UCATの訓練は基本的に世界各国の軍隊の模倣《も ほう》ですよね。たまに先ほどのような独創性《どくそうせい》豊かなものがありますけど。……でも、軍隊の模倣なら、僕も爺《じい》さんから泣くほど教わってますよ? その上で飛場流も僕は修めてます」
「いいじゃねえか。俺は二十|歳《さい》だ。お前は十六。――お前が生まれたとき、俺はきっとお前を殺せたぜ? 今は堂々と煙草《たばこ》も吸えるし選挙権も行使出来る。二年前にはお前がまだ超えられない十八|禁《きん》の壁も容易《たやす》く突破した。……どうよ?」
「ああっ、最後だけいいかもしれませんっ」
そうか、とこちらの半目《はんめ 》を無視して出雲が言った。岩場にいる飛場を指さし、
「じゃあこうすっか。とりあえず木刀《ぼくとう》でも使って勝負。で、俺が勝ったらお前は俺達との共同戦線を考えろ」
その言葉に反応した者がいた。
飛場ではなく、美影《み かげ》だ。
「…………」
美影が慌《あわ》てて飛場の顔を覗《のぞ》き込む。口が動き、音のない声を放つ。その言葉は、
『おーおうあ、いあ』
共同は嫌、という言葉を風見《かざみ 》は読んだ。そして表情も。
……それって。
どういうこと? と風見は思う。武神《ぶ しん》を扱い戦う飛場がこちらとの共同|戦線《せんせん》を煙たがるのは当然としても、力を貸すだけの美影がこちらとの共同戦線を嫌がるのは、
……まさか。
風見は一つの思考《し こう》に至る。美影は、飛場にだけ戦って欲しいのではないか、と。
だとしたら無茶苦茶《む ちゃく ちゃ》な話だ。大事な相手に戦いを望むのだから。
だが、どうなのだろうか。
今、飛場を見ている美影の眉は、わずかにその末尾《まつび 》を下げている。
風見はそこに不安を想像する。
……飛場《ひ ば 》と自分の戦いが、万《まん》が一《いち》私達に奪われたらどうしようか、ってか。
もしそうだとしたら、飛場と美影《み かげ》はどうするのだろうか。そして、
「私達もどうするか、ってね。……覚《かく》、勝った方が意味があるわよ、その勝負」
「ああ、こう言ったら何だが、動かねえ限りはどうにもならねえ。……じっとしていてやってくるのは終わりの時間のチャイムだけ、ってな」
告げた口調は軽いが、しかし、風見《かざみ 》は出雲《いずも》の顔に険《けん》が落ちるのを見る。
こちらの知らぬところ、過去において、彼にも何かがあったのだろうと風見は察する。動かず、そのために後悔したことが。
今、対する飛場もゆっくりと眉を立てつつあった。美影を引き寄せ、頷《うなず》き、
「出雲|先輩《せんぱい》が勝ったら、僕は共同|戦線《せんせん》を考慮《こうりょ》する、というのは確かに有りかもしれませんね。ですが、僕が勝ったらどうするつもりです? 考えてないとしたら、自惚《うぬぼ 》れすぎですよ?」
「ああ、じゃあ、こうしてやるか」
出雲が笑みとともに叫んだ。
「飛場、オマエが勝ったら俺はオマエの代理で千里の水着に対して勇敢《ゆうかん》になる! どうよ?」
「こうよっ!!」
風見は出雲をぶん投げた。
[#改ページ]
第二十四章
『接近の敵影』
[#ここから3字下げ]
過去の足音は静かに響く
未来の足音は高らかに響く
どちらも何かを穿つように
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
古い街並がある。
柳に挟まれた濠《ほり》が通り、両|脇《わき》の土の道路には白壁の塀《へい》と木造建築が並ぶ街並だ。
濠は西から始まり途中で直角に南へ曲がっている。その二辺、約二百メートルほどの街並を、
「美観《び かん》地区って言うんだね……」
新庄《しんじょう》の声が響《ひび》くのは町の南側の茶屋の前だ。
赤い布の掛けられた竹のベンチに、白い麦藁《むぎわら》帽子の新庄とベストにスーツズボン姿の佐山《さ やま》が座っている。二人はそれぞれコピー用紙の束を手にしているが、新庄は隣《となり》の佐山や周囲の珍しい風景が気になってしょうがない。
不《ふ 》真面目《ま じ め》だと思いながら、新庄はあたりをちらちら眺《なが》めつつ書類に視線を落とす。
書類は鹿島《か しま》が送ってきたUCAT中枢《ちゅうすう》サーバ内のものだ。護国課《ご こくか 》を中心とした情報があるだろう、とのことだったが、内容は大半が読めなかった。日本語や図形があるのは解《わか》るが、その内容が頭に入って来ない。佐山が言うには、
「……情報|隠蔽《いんぺい》の概念《がいねん》だ。複製物にさえ後遺的影響《こういてきえいきょう》を与えるものだろう」
「どういうこと?」
「都市伝説で、その情報を聞いただけで呪《のろ》われる、というのがあるね? あれと同じだ。流布《る ふ 》された情報にまで力を遺《のこ》す概念を仕掛けられていたのだよ。中枢サーバのデータにはね」
彼は苦笑してこう言った。まるで我々が見ることが予期されていたようだ、と。
鹿島も読めない状態のものばかりだったそうだが、読めるデータのあった位置からパズルの穴を埋めるように この位置にある読めない情報はおそらく重要 として、抜粋《ばっすい》したらしい。
鹿島が読めなかったものはページの上端にチェックが入っているが、その中でも自分達には読めるものは幾《いく》つかあった。情報が読み手を選んでいるのだろう、と新庄は思う。
読めるのは大体が護国課|関連《かんれん》だ。そして、隣《となり》の佐山が今《いま》目を通しているのは、これらの書類とは違う月読《つくよみ》の手によるゲオルギウス調査書だ。
新庄は書類に目を向ける佐山を見て、
「……月読部長、随分《ずいぶん》親切だよね」
「そのあたり、鹿島氏に聞いたよ。何やら彼女は| 機 殻 剣 《カウリングソード》を探しているらしい」
| 機 殻 剣 《カウリングソード》? と問い返すと、佐山は頷《うなず》いた。ゲオルギウス調査書の下から一枚の図面を見せる。
それは一本の| 機 殻 剣 《カウリングソード》の設計|概要《がいよう》図だった。反《そ 》りのあまりない日本刀に見えるが、柄《つか》が長い。実際は硬質《こうしつ》物で作られるであろう絵図《え ず 》の柄は、刃《やいば》の半分近い長さがある。
「これを、どうして月読部長が?」
「彼女の夫が制作していたそうだ。UCAT空白期にね。……十年前、関西|大震災《だいしんさい》の後、彼女がUCATに入ることを| 了 承 《りょうしょう》した理由はそれだ。刷新《さっしん》された開発部の中、引き継がれた机の引き出しの裏に落ちていた一枚が、今のところの全てだそうだ」
見れば、設計図のコピーには月読《つくよみ》・有人《あるひと》とサインがある。
そして佐山《さ やま》が読んでいたゲオルギウスの調査書を横に置いた。こちらが今《いま》読んでいるのと同じ資料の束を手に取った彼に、
「ゲオルギウス、どうだったの?」
「ああ、不明点が多いそうだ。だが、月読部長と鹿島《か しま》氏の共通|見解《けんかい》は、あの手甲《てっこう》が生きており、意思を持ったまま眠っているのではないか、とのことだった」
「……じゃあ、あれって3rd―|G《ギア》製? 金属とかが生きているって、3rdの概念《がいねん》だよね」
「かつて私がゲオルギウスを初めて身に着けたとき、あれは声を挙げた。日本語だったよ。見知らぬGの言葉ではなかった」
一息。
「機能的には概念の加圧器《か あつき 》ではないか、とされているな。だが、何故《なぜ》、概念|核《かく》にだけ反応するのかは解《わか》らないそうだ。そして、私だけが身に着けられる理由も」
解らない尽《づ 》くしだね、と言おうとして新庄は言葉を飲んだ。そんなことは佐山にも解っているし、どうしようもないことも解っている。
そして、新庄《しんじょう》は気づいている。彼の右手が左の胸に先ほどから当てられていることに。
彼の軋《きし》みを悟って、新庄は右手を彼の背に添えるしか出来ない。ただ彼への思いは通じたのか、やがてまた佐山が口を開く。ゲオルギウス調査書の底を膝上《ひざうえ》で整えながら、
「母が得て、私に預けたと言ったな。……ならば3rd―Gや他Gの概念の劣化《れっか 》コピーを使用して作ったUCAT製と考えるのが妥当だろうね。月読部長達も今後、計測データを深く見ていくつもりらしい。そこに期待しよう。――それより、そちらの書類は?」
「え?」
「まさか、ちゃんと読んでいなかったなどと言わないだろうね?」
図星《ず ぼし》だ。
「あ、いや、ちょっと、その、――あ、それよりそろそろ一時間半|経《た》つんじゃない? 携帯|録音機《ろくおんき 》のネタも切れるよね? ほ、ほら、戻って皆で資料を読もうよ。ね?」
と言葉を取り繕《つくろ》う眼前で、佐山がザックから録音機と盗聴器《とうちょうき》の袋《ふくろ》を出した。そして彼は袋の中から録音機を取り出すと、代わりの録音機を| 懐 《ふところ》から出して袋に入れた。
「佐山君、い、今のって……」
「心配せずとも結構《けっこう》。二本目だよ。前回が屋内|編《へん》、今のが屋外編だ。他にも冒険編、愉快《ゆ かい》編、魔王《ま おう》編などあるが、小説プロットのアイデアに一本どうかね?」
「いや、別に、何かいろいろ考え直したくなるからいいよ……」
「そうか、少々残念だね。ではとりあえず今は屋外編だ。さあ頑張りたまえ録音機」
「ちょ、ちょっと! よく考えると、ボク、屋外だなんてそんな趣味無いよっ!」
「何を言っているのかね。趣味は在《あ 》るものではなく開発するものだよ、新庄《しんじょう》君」
「正論だけど力説しないでよっ!」
「ともあれ書類チェックをサボタージュしたことは憶《おぼ》えておくので、埋め合わせを」
う〜、とうなだれるが確かに分が悪い。対する佐山《さ やま》は首を傾《かし》げ、
「どうして大事なチェックをおろそかにしたのかね?」
「あ、いや、だって……、こんなところに佐山君と来るの初めてだし」
言葉を迷ったが、身体《からだ》をゆっくり浅く抱くと踏ん切りがついた。身を縮め、言えば赦《ゆる》してもらえるだろうかと考えながら、
「ボク、こういう風に全く知らないところに来るのってあまり無いから。それなのに佐山君、こんな場所でもお茶飲みながら自然に書類読んでて、……不思議《ふ し ぎ 》な人だなあ、って」
「成程《なるほど》、そうやって、周囲と私をじっと見ていたのかね? 特に、仕事に浸《ひた》っていた私を」
「いや、それは……」
「ふう……。常に衆目《しゅうもく》集める私でさえも、流石《さすが》に激しく照れてしまうね新庄君」
「あ、あのね? その、そんな意地《い じ 》悪《わる》な責め方しないでよ。ま、まあ確かに……」
顔が赤くなるのが解《わか》ってうなだれ、
「じっと見てたけど……」
「ふむ。では赦す代わりに、いずれ私も新庄君に見とれさせていただくことにしよう」
「あ、うん、そんなことなら別にいい、……って駄目《だ め 》ーっ! ボクのどこをいつどのように見とれようとしてるのか聞いてないよ!」
佐山は気にせず、| 懐 《ふところ》から取り出したメモに 約束 と項目つけて、下に 全体的に・いつでも・無|包装《ほうそう》で と書いていく。
「無包装|止《や 》めようよ!」
すぐに頷《うなず》き書き足《た 》された。 応《おう》相談 と。
あああ、と新庄は力無くうなだれた。相談は駄目だ。特に佐山相談は一番駄目だ。勝てっこない。相談という言葉の意味が根本的に違うから、きっと押し切られる。
……逆らえるかなあ……。
いろいろ考えて顔の火照《ほて》りに気づくが、その熱は暑さのせいだと思い直す。
そんな自分の横で、佐山がゆっくりとメモを閉じた。
顔を上げて振り返ったこちらに対し、彼は書類の束で一扇《ひとあお》ぎ。風を寄越《よ こ 》してから、
「ともあれこの書類群、少し流し見しただけだが興味|深《ぶか》い記述が幾《いく》つかあるようだね。少し歩こう。3rd―|G《ギア》の基地を探すことも含め、検討することがあるのでね」
と、彼が言ったときだ。彼の懐から電子音が響《ひび》いた。
携帯電話だ。佐山はポケットから獏《ばく》を出して頭に乗せ、携帯電話を取り出し、
「――――」
風見《かざみ 》だ、と彼はこちらにつぶやく。そのまま佐山《さ やま》は数言《すうこと》を交わして携帯電話を切った。
一息とともにこちらにまた視線を落とし、無表情に言う。
「飛場《ひ ば 》少年と出雲《いずも》が模擬《も ぎ 》戦を行うそうだ。下らないことに、こちらへの飛場少年の協力の是非《ぜ ひ 》を賭《か 》けてね」
「そ、それって……」
「そう、随分《ずいぶん》と独断専行《どくだんせんこう》だが、私に許可を得てきた分、いいとしよう」
「いいの?」
「出雲が勝ったらそれで良し、飛場少年が勝ったら、真打《しんう 》ちとして私が出ればいい。飛場少年が何か言ったら、出雲には人権が認められていない、とでも何とでも言い訳は利く」
「利くかなあ。……いや、利かせるんだよね、屁《へ 》理屈《り くつ》で」
「屁理屈とは失敬《しっけい》な。――独創性溢《どくそうせいあふ》れる理論と言って欲しいものだね、新庄《しんじょう》君には。ともあれ今から駆けつけることは不可能だ。彼らに任せておくとしよう」
そして彼は茶屋の奥を見た。こちらに振り向いた女性の店員に対し、
「申し訳ない。勘定《かんじょう》と、――この団子《だんご 》を六本ほど、歩きながら摘《つま》めるよう紙包みで頼む」
砂浜の上、二人の人間が立っている。
両方ともTシャツに短パンという姿で、右の手に木刀《ぼくとう》を提《さ 》げている。
体格差のある二人だ。
潮騒《しおさい》の響《ひび》きを受ける姿は、片方が小柄《こ がら》だが、もう片方が頭一つは大柄《おおがら》の巨躯《きょく 》だ。
海とは逆の方、岩場の前には観客が集まっている。その先頭に立つTシャツに水着|姿《すがた》の少女が、手にホイッスルを持ち、
「んじゃ、全竜交渉部隊《チームレヴァイアサン》代表、出雲・覚《かく》対、えーと」
「ナイス少年代表、飛場・竜司《りゅうじ》ではどうですかね? 風見|先輩《せんぱい》」
風見は頷《うなず》きもせずにホイッスルを気のない音で吹いて、
「はいはい。――じゃあ始め」
「うわ無視されるより非道《ひ どう》だ!!」
叫ぶが、飛場は風見の隣《となり》に座っている少女を見て、すぐに表情を改める。
緩みから、笑みへ。
彼の笑みが向く金の長髪の少女は、黒い長シャツに白いワンピースという姿でも汗一つかいた様子《ようす 》はない。彼女はただ、無表情に飛場の方を見ている。
「大丈夫、何とかしますから、美影《み かげ》さん」
飛場が言うと、美影はややあってから頷《うなず》いた。
杖を抱き寄せ、再び頷く。
ホイッスルの音が聞こえてから既に十数秒が経過している。
だが、砂浜の上、波打ち際の近くに立つ飛場《ひ ば 》と出雲《いずも》は、どちらも動かない。
飛場はじっと前を見ていた。
正面、約五メートルの位置に出雲がいる。
右に海、左に岩場を置いたここは、砂地の平地だ。
お互い、武器として右手に一本の木刀《ぼくとう》を持っている。自分は無手《む て 》の方が得意だが、剣の使い方も祖父《そ ふ 》から充分に習っている。それに、
……武神《ぶ しん》との戦闘の多くは剣で行いますし。
3rd―|G《ギア》側も飛び道具を持っていないわけではない。
が、機械と一体化した時点で視覚能力や予測計算の速度は全て機械のフォローを受ける。意識が望むことをスイッチとして、相手の挙動《きょどう》をそれこそズームアップ付きのスローモーションで見て、先読みすることが可能なのだ。
弾丸《だんがん》すらも見切ることは可能だし、概念《がいねん》による光学兵器もそのほとんどは出力的にこちらの装甲《そうこう》を打ち抜けないか、先読み重視で回避《かいひ 》出来るものだ。
ただ、連続してそれを行えば機体に負担は掛かる。
主となるのはやはり回避よりも力と速度を先に叩き込むことだ。
必須《ひっす 》となるのは、近接からの、判断時間を与えないような居合《い あ 》いや連打。
そして飛場の小柄《こ がら》な身体《からだ》は、己に合った回転の速い攻撃方法を修めている。
それは大柄《おおがら》な相手には有効な攻撃方法だ。| 懐 《ふところ》に入って連撃《れんげき》を入れれば全てが終わる。
今、目の前にいる出雲は充分に大きい身体だ。
自分の身長が約百六十センチ、向こうは百九十はあるだろう。
こちらが身を屈《かが》めただけで向こうの腹を狙えるのに対し、向こうはこちらの頭上あたりを薙《な 》ぐことしか出来ない。
……木刀を用いるようにしたのは、僕を打つリーチを確保するためかな。
手は届かなくても、木刀を握れば、下段でこちらを打つことが出来る。
もしそれを考えているなら油断《ゆ だん》がならないな、と飛場は思う。
彼は手にした木刀を軽いスナップで一回転させ、前を見た。
「さて、行きますよ」
「おう」
と、出雲が、いつの間にか頭の上に立たせていた木刀を改めて右手に取った。
周囲、観客達が身動きを止め、堅くなる雰囲気《ふんい き 》が伝わってくる。その無言の上に出雲が、
「あんまし気が進まねえところもあるが、来いよ」
彼の言葉に、飛場は眉をひそめた。
「何です? 誘っておいて気が進まない、って」
「勝っても負けても、いろいろ考えるだろうよ? ――楽しくねえことを」
「戦うのは楽しいんじゃないですか?」
「戦うのは楽しいぜ、俺はよ」
出雲《いずも》は言う。
「だがよ、お前はどうなんだろうな、と、先輩《せんぱい》様は思うわけだ。ノリ悪いぜ、と」
と、出雲が動いた。
彼は無造作《む ぞうさ 》に一歩を踏んで前に出た。
間合いが詰まり、戦場が狭くなる。
飛場《ひ ば 》は正面を見たまま、視界の隅《すみ》で戦場の左右を確認した。
右は海、左は岩場で、岩場の前に美影《み かげ》や風見《かざみ 》達がいる。
風見の横、ディアナという独逸《ドイツ》UCATの監査《かんさ 》官がビーチパラソルに椅子《い す 》を出してジュース飲んでいるが、あの黒と金の水着は犯罪ではないだろうか。
しかし美影さんは心配そうな顔だが、そこがまた可愛《かわい》いなあ撫《な 》でたいなあ。
そんなことを思っていると、正面の出雲が動きを止めていた。
距離は五メートル。数歩の踏み込みで攻撃が当たる位置だ。
見れば、出雲もこちらを見つつ、岩場にいる風見の方を視界の隅《すみ》で確認していた。
似たようなことを考えているのだろうか。もっとスゴイことを考えているのだろうか。
飛場はふと、この模擬《も ぎ 》戦という戦場で相手に対して親近感を抱く。だが、
「――――」
出雲が、こちらから見て左の手にある木刀《ぼくとう》を握り直した。
やはり下段。それも真下に杖を突くように、| 掌 《てのひら》で木刀の尻を包んだ握りだ。
……片手打ちですか。
両手握りは斬撃《ざんげき》の威力があるが、力が入るために初速が落ちる。早いのは手首のスナップと肘《ひじ》の跳ね上げで行う片手振りだ。
出雲の構えは、こちらの速度を考えての牽制《けんせい》だろう。
彼の顔を見ると、やや眠そうで判断がつかないが、結構《けっこう》考えているようだ。
こちらから見て右の足が、やや外側に向けて前に出ている。右にこちらが動いたとき、即座《そくざ 》に身を動かすための配慮《はいりょ》だ。
こちらが左に動いた場合は、左側の手で掴《つか》んだ木刀を振ればいい。
……だとしたら。
正面に飛び込むのが一番安全だ。
正面から行ったとき、最も警戒《けいかい》すべきはやはり左の木刀だ。スナップ一つで地面から跳ね上がってくる剣先《けんさき》は、接近すればこちらの視界の下にも入らない。
気づいたら顎《あご》か横腹《よこはら》を打たれている可能性はある。
その頃には向こうにもこちらの一撃《いちげき》が届いているだろうが、体格差によるダメージ吸収量の差と、突っ込んだ速度によって食らうカウンター効果は雄弁《ゆうべん》だ。
向こうが耐えても、こちらが耐えられるかは解《わか》らない。
そしてまた、初撃《しょげき》を避けた後にどうするか。
体格差はあり、並の打撃では出雲《いずも》は沈まない。風見《かざみ 》の攻撃を受けても平然としていることから、仕留《し と 》めるには相当のダメージ量を届かせねばならない。
だが必ず仕留める。
飛場《ひ ば 》は、完全勝利とまでいかなくても、出雲を倒すことを望む。
理由は一つだ。
……これ以上、関わらせないためにも。
3rd―|G《ギア》との戦闘に対する優先権を守りたい。先ほど美影《み かげ》がすがってきたときにそれを再《さい》確認している。3rd―Gと戦うのは自分達だと。
力に頼るのは本意ではなく、先輩《せんぱい》という者|達《たち》相手に失礼ではあると思うが、年長の出雲を倒すことは自分達の| 強 弱 《きょうじゃく》関係を明確にすることに繋《つな》がるだろう。
佐山《さ やま》という存在も頭に浮かべたが、少なくとも、戦闘能力では出雲に劣ると飛場は思う。
ならばまず出雲に対して勝つ意味がある。
……どうするか。
疑問に対する思考《し こう》は一瞬《いっしゅん》で解決した。
頭の中で、瞬《またた》く間に自分の動きが思いつくのだ。
別に特別なことではない。長年の戦闘経験が、自分のすべき動きを組み立て、勝利までの流れをシミュレートするだけのことだ。
「…………」
あとは合図だ。自分が動くべきとき、つまりは相手の隙《すき》を飛場は欲する。
それが来た。
声だ。観客の方から風見の声が響《ひび》く。
「覚《かく》ー。もーちょい顔だけでも真剣に構えなさいよっ」
一応は応援だ、と飛場は思う。自分には絶対に得られないもの。
そして出雲が眉をひそめて風見の方に視線を送った。
「あのなあ……」
瞬間《しゅんかん》、飛場は前に出た。前傾《ぜんけい》姿勢で砂地を深く蹴《け 》り込み、
「!」
一歩目で距離を半分に詰めた。
勝負が決着に向かう。
[#改ページ]
あとがき
ってわけで中巻です。凄《すご》い久しぶりの二ページあとがきということで、やっさんの分が削《けず》れてます。期待していた方達には申し訳|御座《ご ざ 》いません。本人にはよく言っておきます。
「もっとページ薄くしろよ」
聞いたか本人? ――自分か。
と、こんなことやってられるのも皆様のおかげです。どうも有《あ 》り難《がと》う御座《ご ざ 》います。
そんな感じで今回|変則《へんそく》的に中巻ですが、どーしたものか。あ、今回出てくる倉敷《くらしき》には去年の夏に取材に行きました。倉敷駅北側のテーマーパークは、実家の方で幾つかのパビリオン内のジオラマやロボットを製作してまして、微妙《びみょう》になじみ深かったりします。
しかし取材旅行はなかなか面白かったですな。炎《えん》天下を歩き詰めて死にそうになってみたり、街を眺《なが》めるために観覧《かんらん》車に連続乗りしたら係の兄ちゃんに、
「寂しくありませんか」
とか人生の心配をされてみたり、宿で風呂《ふろ》の湯を抜いたら栓《せん》が詰まってて風呂場から居間の方に浸水しそうになってみたりと。あ、食事は良かったですし景観《けいかん》とか街も良かったですよ?
ともあれそこらへんの成果とか出しつつの、という感じです。
つーところで強引《ごういん》にチャット。入るかなあ。
「何か中高時代の痛い話してみ?」
『んー、中学のときですけど。技術工作室に自転車のチェーンの回転を見せる説明用|機材《き ざい》があったんすよ。余計なカバーとか取ってベア内部が見えるようなタイプの』
「それが?」
『授業中にそれを回していたらですね? ふとチェーン速度を測りたくなって指当てたら、チェーンに軍手が引っかかってあとは一気に剥《む 》き出しのフロントギアとチェーンの間にズバンと』
「うあ痛ぇー! ってオマエ痛いの意味が微妙に違うだろ」
『いやでも指にギアの穴は三つも開くわ四針|縫《ぬ 》うわ医者行ったら爪は剥《は 》がされるわで』
段々|嫌《いや》な思い出を語るコーナーになって参りました。
ともあれこの三話目、後半の戦闘BGM的にはUnderworldで「Two Months Off」(こういう広がるような曲で戦いたいですな)でどうぞー。校正中によく聞いた曲です。そしてまた、
「一体|誰《だれ》が己を殺すのだろうか」
とか考えてみたり。
ではでは、下巻はすぐそこです。
平成十六年四月 雪が降った朝っぱら
[#地付き]川上《かわかみ》 稔《みのる》
[#改ページ]
|AHEAD《ア ヘ ッ ド》シリーズ
終わりのクロニクルB〈中〉
発 行 二〇〇四年六月二十五日 初版発行
著 者 川上 稔
発行者 佐藤辰男
発行所 株式会社メディアワークス
[#地付き]校正 2007.03.12