あそびにいくヨ! 7 とってもあついのキャーティアシップ
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キャーティアたちから人類の夢『軌道エレベータ』をプレゼントされた地球。しかし悲しいかな早くも各国軍が出撃、管理を巡る主導権争いが始まっていた。そんなとき、騎央とアオイはキャーティア母船に招待されていた。名目は騎央の遺伝子チェックと、アオイにコンバットレクチャーの講師を依頼した形となっていたが、実はクーネ艦長がエリスと騎央とアオイの三角関係を進展させようという計画だったのだ。そんなことも知らず、地球人としては初めて正式にキャーティアの母船へ乗り込む2人。母星からは意外な人物もやってきて、なにやら波乱の予感がする大人気シリーズ第7弾!!
神野オキナ (かみの・おきな)
70年生まれ。山羊座。ガンマニアでアニメファン、ついでに少々古めの特掻ファン。99年『ファミ通えんため大賞』に『かがみのうた』で小説部門佳作を受賞。同年『闇色の戦天使』(ファミ通文庫)でデビュー。代表作『南国戦隊シュレイオー』(ソノラマ文庫)『鬼姫斬魔行』(カドカワハルキ文庫)『シックス・ボルト』(電撃文庫)など。最近刊に『王国から来た少年』(MF文庫J)がある
webページURL
http://www.cosmos.ne.jp/~kim-nak/index.html
illustration
◎放電映像(ほうでんえいぞう)
1979年5月生まれ。まだ絵仕事始めたばかり。『あそびにいくヨ!』シリーズのほか、『我が家のお稲荷さま』シリーズ(電撃文庫)などで活躍中。また『トレモロ』(月刊ドラゴンマガジン)で漫画にも挑戦した。近刊に『裏山の宇宙船』(朝日ソノラマ)がある。
webページURL
http://www12.ocn.ne.jp/~wakuseig/
カバーイラスト/放電映像
装丁/伸童舎
[#地から1字上げ]カバー・口絵・本文イラスト●放電映像
[#地から1字上げ]編集●大喜戸千文
[#ここから4字下げ]
「何だ? あんたの大事な兵隊を守りに来たのか? そいつは無駄な話だ」
「逆だよ。彼から君らを守りに来たのだ、私は」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「ランボー(一作目)」より
プロローグ 護衛がとっくに付いていた[#「プロローグ 護衛がとっくに付いていた」は太字] [#小見出し]
クリスマスが明けた翌日から、その海域は大騒ぎになった。
直径約一・四キロの物体が「着水」したためである。
海図の上での一・四キロなど、小さな点もいいところであるが、問題は、その物体には「続き」があった、ということだ。
「続き」の方は直径約一キロメートル、高さは…………四捨五入しておよそ四万キロ。
上端は成層圏の外、衛星軌道と呼ばれる所にある。
内部にはどんな動力かは不明だが、上端から下端まで移動するリフトがあり、最短で一時間ほどでゆっくりと上昇、下降が可能だ。
軌道エレベーター。
轟《ごう》音《おん》と閃《せん》光《こう》を発し、大量の人員と燃料と、それらを用意するための資金を無限に食いつぶすロケットのたぐいと違い、誰《だれ》でも、気軽に、安全に宇宙まで行くための装置。
むろん、人類が自《みずか》らの手で作った物ではない。
二一世紀になったとはいえ、まだまだ金銭的、技術的な問題が多々あって、実用化にはあと数百年は必要といわれている。
これは前年のクリスマスにおける、人類全体への「プレゼント」だ。
送り主は、この地球から遙《はる》か離れた火星軌道上……さらに言えば、そこから数百万、もしくは数百億光年離れた所、である。
ネコの耳と尻尾《しっぽ》の生えた、お人好しの「異星人」キャーティア。
人間そっくりな外見と、日本語と同じ言語と文字を操り、感情の基準や善悪の判断基準まで人類によく似たこの「宇宙人」たちの「ご好意」はまったくもって感動的な物であり、人道的にも優れたことと賞賛されてしかるべきものであった。
が、問題が一つある。
彼女たちはプレゼントの宛《あて》先《さき》を、「地球人類の皆様へ」としたのである。
人類の総数は六〇億人、国家の総数は一九〇を超えている。
「地球人類」とは誰《だれ》のことか。
さらに言えば、彼女たちの好意にきちんと応《こた》えられるような国家がこの世界に存在するかどうか。
ともかく、自国の利益を守ることだけはせねばならない。
結果、日本はもちろん、韓《かん》国《こく》、中国、インドネシアから毎度おなじみのアメリカ海軍、さらにそれに「協力」するという名目でイギリス海軍、ロシア海軍までが艦隊をこの海域へと回してきたのである。
名目は「受取人が決まるまでの護衛」ということになるのだろうか。
あわよくばエレベーター内に一番乗りし、調査、あるいは占《せん》有《ゆう》、というのが本音であった。
ところが。
そこにはすでに可愛《かわい》らしい先客ががんばっていたのである。
双眼鏡の視界の中にその「先客」たちの姿が見え始めた。
「定時通りですな」
「まあ、機械だからねえ」
海上保安庁の巡視船「いしがき」の艇《てい》長《ちょう》と副長はそんな会話をしていた。
「海自さんはどうかね?」
「むこうも暢《のん》気《き》なもんですよ」
手空きの者は甲板に出て、すれ違う船に並んだ小さな船乗りたちに挨《あい》拶《さつ》、というのはここへ来て以来、当たり前の光景となりつつあった。
年が明けてそろそろ二ヶ月近く。
非常に微妙な位置に存在する(はっきり言えば国境のラインの真上)巨大な塔《とう》…………軌道エレベーターの周囲は非常な混雑を起こしていた。
日本の護衛艦や海上保安庁の艦《かん》艇《てい》はもちろん、日米安保条約の名の下にアメリカ第七艦隊、さらに隣り合う中国、韓国、台湾、北朝鮮の艦艇、さらに「視察」を名目にEUの艦隊までが詰《つ》めかけている。
各国の威《い》信《しん》と野心をかけたこの海に、現在存在する艦艇は大小含めて千|隻《せき》に近い。
まさに一触即発、いつ何が起こってもおかしくない状況にマスコミが反応しないわけはないが、こちらのほうは各国政府が頭を押さえており、また|三流マスコミ《イエローペーパー》の連中も大海原のど真ん中では隠れる場所もない。
だが、そこにはマスコミの期待に反し、妙に緊迫さの欠けた雰《ふん》囲《い》気《き》が漂《ただよ》っている。
その「原因」の現れた方角は、当然ながら軌道エレベーターがある所であるが、場所は文字通り天の彼方《かなた》まで伸びる光の柱のごとき塔《とう》ではなく、もう少し手前の低い位置である。
そこには、艦隊があった。
これまで確認されている編成は(なにせ宇宙人の物なのでおそらく、としか言えないが)空母が五、戦艦(!)が四、潜水艦(らしきもの)が七、もしくは九という概要である。
これが通常二〜三つのグループに分かれて活動している。
編成の中に戦艦という、前世紀の遺物という言葉さえ恥《は》ずかしくなるような分類の代物があるのもそうだが、その形状とスケールもまた非常識なものであった。
大きさはおよそ地球における艦船の三分の一。
形もカラーリングも何となく地球側における「戦艦」や「空母」らしいといえばいえるのだが、どこか独特のセンスがあった。
たとえば今、「いしがき」の前にやってきたのは戦艦が二、空母が二、というものだが、戦艦のうち一|隻《せき》は、どういうつもりかどてっ腹に「西崎造船」と書かれており、なぜか艦首部分に上下二つの巨大な銃口らしいものが口をあけ、艦尾からはアンテナと言うには少々大きく、薄くシャープなパーツが上と左右から伸びている。
さらにもう一隻は真緑で、真っ平らの艦首になぜか日本語で「ぬこ」という巨大な|浮き彫り《レリーフ》が刻まれていて、印鑑のようなのに、船体そのものは未来的なソリッドデザインに三門の三連装砲塔、ところが艦尾になると大航海時代の帆《はん》船《せん》のキャビンを思わせる典《てん》雅《が》な彫刻が刻まれたものになっている。
空母は戦艦と同じ作りの船の左右に広大な飛行|甲《かん》板《ぱん》を持っていて、ひどく安定性が悪そうだ(分析を行った者たちの中には『本来宇宙船として運用されているものを地上におろしているのではないか』というものもある)。
しかも……すべてに共通なのは、全体的にはどこか寸《すん》詰《づ》まり気味な形をしていて、威圧感を受けるよりも、どこか何とも微笑《ほほえ》ましい。
ただ、それらのトンチンカンなデザインも、それを運用している乗員を見れば何となく納得できた。
乗務員はすべて身長四〇センチほどのちんまりした二頭身ロボットだったのである。
ネコの耳と尻尾《しっぽ》を着けた、彼らの主のディフォルメそのままの姿をしたロボットたちは、つい最近、世界各国のテレビカメラの前で「ロケットとエンジンをください」とアピールしたことで知られている。
アシストロイド、とキャーティアたちが呼ぶこの二頭身の愛《あい》嬌《きょう》者《もの》たちは、この寸詰まりの船の上をちょこまか走り回り、あるいは双眼鏡を持って周囲を警戒しているのだから、これが微笑ましくないはずはない。
ちなみに、空母の上には何機か「飛行機」が存在しているが、どれもこれも、車輪らしき物はなく、ぽっこり盛り上がったコックピットの真下から、彼らの短い足が覗《のぞ》いているという代物だ。
彼らは毎日、朝八時から四時間おきに軌道エレベーターの周囲三キロの海上(つまり公海ギリギリ)をぐるりと一周する。
やることもなくにらみ合うのみの現場の兵士や職員にしてみれば、なんとも和《なご》むお話であった。
「中国海軍にも妙に気に入られているそうですね、彼ら」
「ああ、後ろに立っている|軌道エレベーター《ア   レ》さえ無ければ、どこぞのアトラクションまがいの可愛《かわい》らしさだからな」
「知ってますか艇《てい》長《ちょう》、彼らに何かくれてやると、お返しに踊ってくれるらしいですよ」
「ほう?」
さすがに一ヶ月、このにらみ合いの状況が続いていささか飽きてきた艇長の顔に、面白そうなものを見つけた少年の笑みが浮かんだ。
巡視船「いしがき」から少し離れた海上。
かれこれ一ヶ月近くこの辺でにらみ合いを続けていた第七艦隊に合流すべく(そのこと自体が、現在の状況の異様さを示している)、中東からはるばる移動し「見張り役」に赴任してきたアメリカ第七艦隊、アーレイ・バーク級ミサイル駆《く》逐《ちく》艦《かん》「ハルゼー」のブリッ
ジから甲《かん》板《ぱん》に出て、艦長のドワイト・K・ボブソン大佐は双眼鏡を取り出し、レンズ越しにそれを確認した。
「本当だなぁ」
ぽかんとした声で呟《つぶや》き、双眼鏡から目を離す。
彼以外にも何人かの士官が甲板の上から目をこらし、あるいは艦長同様に双眼鏡で「それ」を確認していた。
彼らの前に現れたアシストロイド艦隊は、アメリカ海軍の象徴である空母「エンタープライズ」のディフォルメ版が率《ひき》いていた。
問題は、この前後にぎゅっと押しつぶされたようなデザインの「えんたあぷらいず」の艦尾からVの字型の板が上に向かって突きだしており、左右それぞれに細長い、微妙な三次曲線を描く部品がついているということだ。
「ワープナセルは劇場版だな。TOS版なら良かったのに」
などと少々マニアックなことを口にしながら、他の船にも目をやる。
「えんたあぷらいず」と、直線的なデザインの船体の両|脇《わき》に「浮き」なのか外部エンジンなのかわからないものを抱え込んだ「ぎゃらくてか」と書かれた艦以外は、こちらは潜水艦がメインらしい。
二|隻《せき》を囲むようにして、真っ黒なイカを思わせる有機的なラインの奴《やつ》やら、真っ白な、床屋のカミソリを思わせるデザインのもの、または艦首部分になぜか戦闘機を装着したものやら(しかも、全部|寸《すん》詰《づ》まりなデザイン)が、船体の三分の一ほどを海面に露出させながら波を蹴《け》立《た》てて進んでくる。
そして、その上では、デッキブラシを持ったり、双眼鏡を持ったアシストロイドたちがちまちまと仕事をしているのだ。
「なんとまぁ」
周囲に敵対存在がある場合、最悪の時にはこれを殲《せん》滅《めつ》、撃破してでも軌道エレベーターを確保せよ、と言われていた彼ら第七艦隊であるが、これでは乗組員たちの士気があがらないことおびただしい。
甲板を掃除し、周囲を警戒し、時に波をかぶったりしながら働いている彼らを見ていると、どうにも心が和《なご》んでしまう。
「こりゃあ、ちょっと任務|遂《すい》行《こう》はお預けだなぁ」
艦長は呟き、それを耳ざとく聞きつけた他の乗組員たちの間にホッとした空気が流れた。
意外に知られていない話だが、アメリカにおいては犬よりもネコの方がペットの数としては多い。
まして、海軍は伝統的にネコを大事にする傾向がある。
やがて、そのミニチュア艦隊と、彼らの艦隊がもっとも近づく位置に来た。
第七艦隊はゆっくりと右へ、アシストロイドたちの艦船も、どこで学んできたのか国際法に従ってゆっくりと右へ(ただし、第七艦隊から見れば左へ、となる)と回頭する。
横っ腹を見せながらすれ違う二つの艦隊。
二頭身の子猫たちはわたわたと舷《げん》側《そく》に整列すると、「やほいー」とばかりに、一斉に手を振って見せた。
思わず全員がそれに応《こた》えて手を振ってしまった。
「なるほど、こりゃ戦えんなぁ」
誰かがぽつんとつぶやいた。
さて、この海域に集まった艦隊のうち、もっともキャーティアに対して友好的な命令を受けてきたのはEUと、中国海軍であった。
どちらも受けていた命令は大《おお》雑《ざっ》把《ぱ》に訳すると「軌道エレベーター、およびキャーティアたちに対し攻撃を仕掛ける物があればこれを撃破せよ」。
もっともこれには裏があって、「撃破のためになら、多少軌道エレベーターに近づいたり、あるいは上陸してもかまわない」といった「ふくみ」が持たされている。
この辺、さすが数百年単位での戦争を経験しているヨーロッパ諸国、および中国四千年の知恵と言うべきか。
むろん、各艦長たちも柔軟にそれを運用し、また楽しむことにしている。
特にEUから派遣されてきたイギリスの駆《く》逐《ちく》艦《かん》「マンチェスター」などは、「おきゃくさま」を招いてしまうほどに親密度をあげていた。
ちなみに彼らの方にやってきたのは巨大な三角翼を持つ、三次元曲線と直線で彩られた、妙にモダンで美しい、金属彫刻のような船に率《ひき》いられている部隊で、他には「あるふぁ」と書かれた銀色のボディを持ち、なぜかロケットエンジン風のものを艦尾に装備した潜水艦や、その発展系なのか「のうてらす」と書かれた潜水艦もあるが、どう見てもフランスが第二次大戦において使用した、巨大な砲《ほう》塔《とう》つき潜水艦「シュクルーフ」を模したとおぼしいものや、もっと古く、旧帝国海軍の潜水艦のようなデザインなのに、なぜか艦首に巨大な三角|錐《すい》の「ドリル」(衝角《ラム》だと主張する者もいるが)が装着されたものもある。
「…………ほう、では君達の星にも海軍があるのかね?」
「マンチェスター」の艦長、ロイ・ヒル大佐は塩ひとつまみを放《ほう》り込んだ海軍式コーヒーをすすりながら微笑《ほほえ》んだ。
彼の対面、パイプ椅《い》子《す》に座ると言うよりも「乗っけられた」感のあるネコ耳ロボットは両手に持ったマグカップの中身をちょいとすすりながら重々しく頷《うなず》いた。
第一種礼装、という奴なのか、「まいてぃじゃんく」と書かれた、巨大なデルタ翼《よく》のある旗《き》艦《かん》からやってきたアシストロイド(ちなみに『ハチロー』と名乗った)の恰《かっ》好《こう》は白いスカーフを覗《のぞ》かせたブレザー風のもので、階級章や勲章の類《たぐい》は一切無く、さらにボタンらしいものも無い。
「それは興味深いな。組織とかは我々と同じなのかね?」
ヒル艦長みずからの平電文「責任者トオ茶会望ム」に応じて現れたアシストロイドは、ちょっと誤字のはいった英語で「かいぐんではなく、すいぐんといいまし」と書いたプラカードを掲《かか》げ、ヒル艦長はにこにこと頷《うなず》いた。
その光景を、ブリッジの要員たちは信じられないような顔で眺めている。
何しろ、ヒル艦長は典型的な英国軍人という奴《やつ》で、滅多なことでは笑わないのである。
さらに、そこから離れること数キロの海上では、中国東海海軍が総出で別れを告げていた。
この海域を警護する部隊の司令官であるアシストロイドが、これまたちんまりした手《て》漕《こ》ぎのボートに乗って中国東海艦隊の旗艦「崇《チュン》明《ミン》島《タオ》」から離れていく。
帽子を振り、声をあげ、文字通りに別れを惜しむ人民軍の兵士たちに応《こた》えて、「アオシマ」艦隊の総司令官は大きく手を振った。
こちらの恰《かっ》好《こう》は黒いハーフコートに白いズボン、インカム付きの艦長帽に、襟《えり》元《もと》はスカーフという、七〇年代のSF漫画に出てくる「宇宙船艦長」を模している。
なお、こちらの艦隊は、巨大なアシストロイドの上半身を模した艦《かん》橋《きょう》を持つ、派手なカラーリングの戦艦を旗艦とした艦隊で、中には船というよりも宇宙船といったほうが良いデザインのものや、なぜか全長四〇メートルほどに拡大し、SFチックなパーツを取りつけたランボルギーニ・カウンタックそっくりな「潜水艦らしきもの」まで加わっている。
それらの姿を見た海自、海保の各船の責任者が「一|隻《せき》ごとに五つぐらいに分離合体しそうだなあ」とつぶやいた途端に、この部隊の名称は「アオシマ」に決定した。
中国の側からは大歓声があがる。
しばらく手を振ってそれに応えていたが、艦長型アシストロイドは、やがて腰を下ろして、ぎっちらぎっちらとオールを動かし始めた。
頭にかぶった制帽と一体化したインカムのアンテナが細かく振動を始めた。
「『というわけで、きょうはちゅごくのひとからおよばれしたでし、おはなしを二じかんほどしてたでし、たのしかたです、おわり』…………ね」
立体投影型モニターに、「アオシマ」部隊…………キャーティア側からすればただの「南方面」小隊…………の司令官からの簡易報告が短く出るのを、火星の衛星軌道上に待機したままのキャーティアの宇宙船の艦橋《ブリッジ》にある自分の座席で、クーネは読み上げた。
「意外よねえ…………わたしたちって、煙たがられているとばっかり思ってたけど、結構みなさん友好的なのね」
クーネはほっそりした指先を顎《あご》に当てて考え込んだ。
「まあ、何事も無かった、ってことね」
地球人の外見年齢に当てはめれば二〇代前半に見える、理知的だがどこかぽやぽやした印象の残る美女は、頭頂部の|主 耳《メインイヤー》をひこひこさせながら、何事も無かったことを確認して画面を消した。
「詳《くわ》しい会談内容は後で文書データにして提出しますか?」
すぐ脇《わき》に控《ひか》えた副長であるメルウィンの言葉に艦長《クーネ》は「お願いね」と言った。
地球人の外見年齢で言えば、メルウィンはどう見ても一二歳ぐらいにしか見えず、そして実際に一二歳程度の肉体年齢なのだが、キャーティア社会は「才能」を優先させるため、彼女はこの船の副長に任命されていた。
こうしてクーネと並んでみると親子か、年の離れた姉妹に見える。実際、ふたりの間柄も同じようなところがあった。
「承知しました。しかし、アシストロイドで艦隊を作るというアイディアは上手《うま》くいきましたね」
メルウィンが珍しく言葉を付け加えた。
「騎《き》央《お》さんも段々『判《わか》ってきた』ようですね」
軌道エレベーターの護衛は当初、キャーティア人自身が行うはずだった。
それをアシストロイドたちにやらせるように進言したのは騎央である。
当初は半信半疑だったクーネたちだが、今のところアシストロイドたちで作られた艦隊は上手く地球人たちとコミュニケーションしているようである。
「さて、地上はあれでいいとして…………」
キャーティア船の艦長、クーネは状況を確認して溜《ため》息《いき》をついた。
「いまのウチにエリスたちのこともう少し進めないと」
「え?」
メルウィンが首を傾《かし》げた。
「どうしてですか?」
「今はまだ小康状態だけど、もうしばらくすると事態は大きく動き始めるわ」
それは嬉《うれ》しいんだけど、とクーネは溜息をつく。
それだけで、たっぷりした量感をもった二つの丘がみっしりと上下し、メルウィンは羨《うらや》ましそうな顔を一瞬浮かべたが、すぐに我に返って頭を振った。
「そうなるとね、間違いなくあのふたりは忙しくなるわ…………というよりも、騎央君の周囲は今まで以上にドタバタになるというのは、あなたも以前言ってたでしょ?」
「はい…………」
「でね、男と女が上手くいかなくなる最大の原因はお仕事によるコミュニケーションの不足なのよ」
そのへん、何か思い出でもあるのか、クーネは遠い目になった。
「はぁ…………」
このへんは結婚どころか恋愛経験さえないメルウィンには共感できない。ただ、「そういうものなのだろう」という想像は出来た。
「えーと、あの、つまり、その前につがいの関係にならなければならない、ということでしょうか?」
「つがい」という言葉を口にするときだけ、メルの頬《ほお》がほんのり赤くなった。
それを見やって微笑《ほほえ》みながら、いいえ、とクーネ。
「それは条件のひとつだけど、すべてじゃないわ…………ようは、心のつながりよ」
「…………あ、はい」
ちょっと救われた顔でメルは頷《うなず》く。「そのこと」が重要であろうと頭では判《わか》っていても、どこか抵抗のあるお年頃なのであった。
「それを深めてあげないと…………エリスがかわいそうじゃない」
「具体的にはどうなされるんですか?」副長が首を傾《かし》げる。
「シチュエーションを変えるのよ」
「?」
第一章 三人そろって呼ばれてた[#「第一章 三人そろって呼ばれてた」は太字] [#小見出し]
「出頭…………ですか?」
まだ湿気の残る赤いロングヘアに金色のメッシュが入った前髪が揺れ、地球にとどまってあれこれと調査やら何やらをしているキャーティアの駐在員、エリスは首を傾《かし》げた。
地球の一角にある日本、さらにその南の端っこのやや手前にある沖《おき》縄《なわ》本島はもう夜である。
すっかり地球に適応したもののまだ一月の寒さは残っているから、風《ふ》呂《ろ》上がりのエリスはいつものぴっちりしたボディスーツの上からモコモコとどてらを羽《は》織《お》っている。
ちなみにここは彼女が居候し、キャーティアたちの臨時大使館に指定されている騎《き》央《お》の家の居間。現在はエリスの部屋である。
通信機にもなれば分析機、パソコンの代わりにもなるという彼女の情報処理装置は、コタツの上に置かれている。
『そう。あなたと騎《き》央《お》さん、それとアオイさんも』
「何か私たち…………間違いでもしましたでしょうか?」
不安そうな顔になる長身の少女に、立体画像の艦長は「ちがうわよ」と微笑《ほほえ》んだ。
『逆よ。よくしてくれたから、おもてなしがしたいの』
「ああ、そうですか!」
ぱあっとエリスの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
『まあ、ついでに騎央君には遺伝子のチェックに外交関係の相談とか、アオイさんには地球の武術とか戦闘技術のレクチャーとかをしてもらおう、ってことで』
「はい!」
「…………というわけでしてー」
「ふぅん…………でも、僕らでいいのかな?」
夕食を食べながら、眼鏡《めがね》の少年、嘉《か》和《かず》騎央は首を傾《かし》げた。
軌道エレベーターの騒動から二ヶ月ほど経過し、連日連夜、問い合わせやら、非公式の会談の申し込みやらを、学校から帰ってくるとさっそくさばいていく日々が続いているので、少年の顔にもいささか疲労の色があった。
「ええ。軌道エレベーターのこともあって、これから色々事態が動きそうですから、身動き取れなくなる前に今後の打ち合わせだけでも、って」
「まあ、今は嵐の前の静けさ、ってやつだから、今のうちに、って奴《やつ》じゃないの?」
お裾《すそ》分《わ》けを持ってきたついでに食事を取ることになった真《ま》奈《な》美《み》は気楽に言う。
彼女はさばけたもので、この連日のメールやら電話連絡やらの処理を楽しんでいる風がある。
「アオイさんはどうですか?」
この場にいる三人の中で、一番この状況に苦労して対応している、セミロングの眼鏡少女が首を傾げた。
「構わないけど…………本当に、わたしたちで、いいの?」
清《せい》楚《そ》な外観にもかかわらず、元入国管理局の非合法捜査官にして暗号名「紅葉《もみじ》」こと、双《ふた》葉《ば》アオイは騎央以上に首を傾げた。
「ええ」
にっこりとエリスは笑った。
それだけで、何となく納得したような気分になって、騎央とアオイは「…………うん」と頷《うなず》いてしまった。
「ああ、それとアントニアさんにも連絡取らなくちゃ」
「え?」
騎《き》央《お》が素《す》っ頓《とん》狂《きょう》な声を上げた。
「まさか、アントニアも?」
こればかりはさすがの騎央も言わねばならないと思ったのか、思い切って口を開く。
「まずいんじゃないかなぁ…………キャーティアの母船なんかに連れてったら」
「…………あたしもそう思うわ」
「…………」
真《ま》奈《な》美《み》が同意し、アオイも頷《うなず》く。
三人とも、脳裏に同じ画像が浮かんでいた。
幸せそうな笑みを浮かべたまま、鼻血をジェットのように噴射しつつ昏《こん》倒《とう》する、世界有数の大富豪の姿、である。
むろん、その隣には同じくアシストロイドに囲まれて同じ表情と状態にあるサラと、大《おお》慌《あわ》ての摩《ま》耶《や》、さらにそのフォローでてんてこ舞いの自分たちの姿も。
ふと、書類仕事の手を止めて、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスは後ろを振り向いた。
そこには、彼女専用の「護衛」いや「ごえいやく」が、ベッドのそば、小さな揺《ゆ》り椅《い》子《す》に揺られながら生意気にも新聞なんか読んでたりする。
アシストロイドには珍しく、ちゃんと繊維状のパーツで出来た長髪を後ろでお下げにし、白くて裾《すそ》の長いカンフースーツ。
この前のクリスマスにエリスからアントニアに「プレゼント」されたアシストロイド「へいほん」は双《ふた》葉《ば》アオイの所にいる「チバちゃん」や「錦《きん》ちゃん」のようなサムライ型(格闘戦特化型)アシストロイドをさらに推し進めた、素手による格闘戦を基本にした護衛用アシストロイドだ。
にこにこと、アントニアは揺り椅子に揺られる「自分専用」のアシストロイドを観《み》ていたが、
「『じぇっと』、おいで」
アントニアが呼びかけると、「へいほん」はどこからともなく取り出した大きな扇《せん》子《す》に、「わがなはへいほん」と書いて示した。
「よいのじゃ、おまえは今日から『じぇっと・へいほん』なのじゃ」
アントニアはにこにこと微笑《ほほえ》みながら言い切った。
ここ二ヶ月ほど、アントニアはこの「へいほん」といるのが楽しくて仕方がない。
少々態度がでかくて、可愛《かわい》げは少ないが、そこがまたアントニアには好もしい。
そんなわけで、「へいほん」の名前に関して少々エクスキューズをかけてみたのだが、相手は「おお」と手を打ち「よろしひ」と扇子に書いて示した。
そのまま後ろ手に歩いてくるので、アントニアは膝《ひざ》を叩《たた》いて「この上にお乗り」と示して見せた。
ぽにゅ、と柔らかくて軽い身体《からだ》がアントニアの膝上に着地する。
カンフーなアシストロイドは「あるじよ、なにごとなるか?」と問いかける。
「意味はないのじゃ。ただ、お前が膝の上にいると嬉《うれ》しい」
そう言われると「?」と「へいほん」は首を傾《かし》げたが、すぐに「まあいいか」という感じで前を向いた。
すぐに机の上に置かれたものを観《み》て「あるじよ、こりわなんであるや?」と問うた。
「うむ、これはの、この前の正月の写真じゃ」
アントニアはにこにこと、プリントアウトし、積み上げられた写真の束を一枚一枚めくってやった。
最初の数枚には、騎《き》央《お》を中心に、晴れ着を着けたアオイ、エリス、そしてアントニアが写っている。
次がアシストロイドたちの晴れ着姿、この日ばかりは、と里帰りしていた騎央の両親とアシストロイド、エリスたちの集合写真。
珍しく、摩《ま》耶《や》もアントニアの横で写っている。さらに晴れ着やら紋付き袴《はかま》やらで着飾った通常型アシストロイドたちに囲まれて、幸せそうに顔を赤らめているサラ。
アシストロイドたちの羽根突きや、凧《たこ》揚《あ》げ、コマ回しの風景。羽根突きに負けて墨だらけになったエリスの顔。アントニアの顔。
「ああ、楽しかったのう……」
しみじみと、アントニアは呟《つぶや》いた。
こっくん、と「へいほん」も頷《うなず》く。
写真の中には、騎央の家の庭先で酔《すい》拳《けん》の演舞を行ってうっかり通常型アシストロイドの「2」をポカリとやってしまい、平謝りにあやまる「へいほん」自身の連続写真もある。
「新年の最初を日本では、あんなに暖かく迎えるのじゃな」
実際には、すべての家庭がそうだ、というわけではないことを理解しながらも、アントニアは呟いた。
その顔の前に「あるじよ、これはなんとかいてありか?」と書かれた扇《せん》子《す》が突き出される。
「?」
見ると「へいほん」はそれまで彼女が自筆の手紙を書くために使っていた、インクの吸い取り紙を広げてしげしげと眺めている。
アントニアは「へいほん」を受け取った翌日、エリスから聞かされたことを思い出していた。
この「へいほん」は他のアシストロイドとは違い、超近接戦闘メインのため、目に付くモノすべてに「疑問」を抱くという機能がついている。
「疑問」を抱き、人に聞き、実際に手に触れたり見たりすることで、ありとあらゆる局面に徒《と》手《しゅ》空《くう》拳《けん》で対応できるようになっていくのだ。
ちり紙一枚、鉛筆一本が逆転の武器になるかもしれないのだから。
そのへんはアントニアもカンフー映画を見ていたから判《わか》る。
「ですから、ちょっと煩《わずら》わしいかもしれませんけれども、この子の疑問にはなるべく答えてあげてくださいね」
とエリスに言われ、アントニアが嫌と言うはずはない。
続いて扇《せん》子《す》に「このずけーははじめてみるである」と書いた「へいほん」に、アントニアが事情を説明しようとした時、摩《ま》耶《や》からの呼び出しが入った。
「どうした?」
卓上スピーカーから、メイド長の落ち着いた声が流れる。
「はい、イギリスとイタリアから、軌道エレベーターに関することで質問が。それと、香《ホン》港《コン》と韓国で出回っている海賊版アシストロイドグッズの件で報告が」
「判った、そっちへ向かうぞ」
よっこいしょ、とアントニアは膝《ひざ》の上にのせた「へいほん」をおろし、部屋を後にした。
当然のごとく「へいほん」も、白いカンフースーツの裾《すそ》を翻《ひるがえ》しながら、とことこと軽やかな足取りで少女の後をついて行く。
ついていきながら、「へいほん」はふと先ほどだっこされたときにセンサーに感じたことを「あるじよ、たいおんがたかいがだいじょぶか?」と疑問にして扇子に書いた。
「ん? ああ、大丈夫じゃ」
ドアを開けて外に出たアントニアは、大《おお》股《また》でずんずん歩いていった。
「まあ、これは考えようによっては転機よね」
騎《き》央《お》の家から「ちょっと、帰る前にうちでお茶しない?」ということで真《ま》奈《な》美《み》の家へと移ったアオイは首を傾《かし》げた。
場所は真奈美の部屋。八畳ほどの広さの、すっきりした内装である。
「どういう……こと?」
「アオイ……もしもよ、アントニアの同行が無くなった場合、これが騎央とのプチ旅行になるってこと、気づいてる?」
やや伸びたショートヘアの真奈美が、いたずらっぼく微笑《ほほえ》んだ。
「え?」
まだ暖かいさんぴん茶を口元に運びかけたまま、アオイは固まった。
眼鏡《めがね》にマグカップからの湯気が当たり、度の入っていないレンズを曇らせる。
「ふたりっきりで宇宙の旅、端から見るに、これはかなりロマンチックなシチュエーションなんだけど」
「……そ、そんなことはない……わ」
アオイは真っ赤になって一気にマグカップのさんぴん茶を飲み干した。
その横で、「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」はお茶請けに出された「ちんすこう」をぽりぽりと食べている。時折、真《ま》奈《な》美《み》のアシストロイドである黒いコートにサングラスの「ゆんふぁ」と何事か語り合うかのように視線を交わしたり、頷《うなず》き合ったりしていて、主《あるじ》同士の会話に関心は無いらしい。
「第一、エリスも一緒……なのよ?」
「そのへんは大丈夫。アオイの心がけ次第よ」
「……真《ま》奈《な》美《み》」
溜《ため》息《いき》混じりにアオイは苦笑した。
「私とエリスは、もうそういう関係じゃ……ないの」
「あのねえ……」
真奈美はため息をついた。
「もう白旗上げた、ってんじゃないでしょうね?」
「そうじゃない……わ」
アオイは首を横に振る。
「まさか……アオイ、まさかあんたエリスの言うとおり、騎《き》央《お》を共有、なんてことを……」
こっくん、とアオイは頷いた。
「ま、まってよ、それ、ちょっとマズいって!」
真奈美は思わず声を高くする。
「駄目だよ、そんなの! おかしいってば!」
「……どうして?」
ちょっと小首をかしげ、にっこりとアオイは微笑《ほほえ》んだ。
まるでエリスそっくりに。
そのことよりも、あまりにもアオイが幸せそうなので、真奈美は愕《がく》然《ぜん》とした。
「いや、あのだってね…………」
「エリスの言うことを受け入れたらね……とても楽になったの」
「へ?」
「だって……ひとりじゃないんだもの。相談が出来る相手が……いるの」
「そ、そんなの」
あたしがいるじゃない、と言いかけて、真奈美ははっと気がついた。
アオイは真奈美に対してとてもすまなさそうな顔をしていた。
その表情に、思わず感情的になろうとした真奈美の頭が、ちょっとだけ温度を下げた。
「わたし、男の人とつきあうなんて初めてだし、それに……その、やっぱり……世間とはズレてるし」
慎重に言葉を選びながらのアオイの説明に、真奈美はおとなしく話を聞く気になった。
「いや、最近はそのへんちゃんとしてるじゃない」
嘘《うそ》ではなかった。最近、急速にアオイはクラスの中にとけ込み始めている。部活でもちゃんとしている。
「でも……判《わか》らなくなるの、怖くなるの……」
絞り出すようにアオイは言った。
それは、冷酷非情な暴力の世界に住んでいる少女が、どうしてもぬぐい去ることの出来ない「違和感」なのだろうと、真《ま》奈《な》美《み》がぼんやりとだが理解している感情。
感情。それだけに理性だけではどうしようもない。
「でも、エリスと話してると、そのへん、とても楽になった……わ。真奈美に教えてもらうのも心強いけど」
「でも……そんなに簡単に」
と言いかけ、
(ああ、そういうことか)
その瞬間、なんとなく真奈美は納得してしまった。
このところ、アオイとエリスは、共同して宇宙で戦ったりしているはずだ。
となれば「戦友」ということになる。
いのちを分け合った「戦友」を裏切ることは出来ない。
真奈美は、妙な寂《せき》寥《りょう》感《かん》に捕らわれていた。
自分は「友達」にはなれても「戦友」にはなれない。
そこが、ふたりの差であり、それゆえに、真奈美はアオイの友人であり続けるのだ。
更に視点を変えると、アオイとエリスがよく似た存在であるとも気づく。
嘉《か》和《かず》騎《き》央《お》という少年を中心に恋心を抱き、どちらもこの地球、日本の「世間」になじめない部分を持つ……自分たちとは違う「特別」であるがゆえに、彼女たちは「敵同士」ではなく、「仲間」になれるのだろう。
……と、そこまで思考が至った瞬間、いやな感情が、自分の心の底に芽吹くのを真奈美は感じた。
「あーやだやだやだ!」
突《とつ》如《じょ》大声をあげて、真奈美は頭を振った。
急な出来事に、思わずアシストロイドたちもぎくりと動きを止め、アオイも固まってしまう。
「やだやだやだやだ! もー、あたしったらやだーっ!」[#大見出し]
「ま、真奈美?」
何が起こったのか判らないまま、アオイはおそるおそる声を掛けるが、少女はぴしゃりと両手で自分の頬《ほお》をはたいた。
「ごめん、一瞬|嫉《しっ》妬《と》しちゃった」
「あ、そ、そうなの……」
「そ、ごめんね」
と言った真《ま》奈《な》美《み》の額《ひたい》に、慌てて飛んできた「ゆんふぁ」が手を当てた。
どうやら我が主《あるじ》に異常があったと思ったらしい。
苦笑しながら「大丈夫よ」とテーブルの上に載った「ゆんふぁ」を床におろし、真奈美は続けた。
「わかっちゃいるんだけどねー。あたしはアマチュアのままで、アオイが元プロだってことはさ。あたしは絶対に宇宙で戦闘しようなんて考えないし、出来もしない。正直、この前エリスからもらったコレだって」
と真奈美は携帯電話に下がったキーホルダーを示した。
小さな、アシストロイドの頭部を模したそれは、「いざとなったら三〇分だけ戦闘可能な」簡易装甲服が圧縮して納められている。
最初に取り決めた合い言葉を叫びながら地面に叩《たた》きつければ、防弾|防《ぼう》刃《じん》はもちろん、毒ガスから放射能に至るまで防御してくれる特殊装甲服が現れるという寸法だ。
これと、小さな指輪が騎《き》央《お》を含めた地球人の少年少女三人に渡されたエリスからの「クリスマスプレゼント」なのである。
「使う状態、なんてものが想定できないもの……でもさ、エリスはそれができるのよね。なんだかんだで宇宙人だし、その中でもこんな地球までやってくるような特殊な人間らしいし……そういう意味だと、バカ騎央さえいなければ、きっとふたりとももっと仲が良くなってもおかしくないんだけどさ、どーもね」
そこまで一《いっ》気《き》呵《か》成《せい》にしゃべってから、真奈美ははーっと溜《ため》息《いき》をついた。
「とか思ってたら、なんか両方ともにいやーな気持ちがわき上がりそうになってさ。このまま黙ってたらあたし、きっとそういうのに取り憑《つ》かれちゃいそうだな、ってね」
くいっと、ぬるくなったマグカップの中身を飲み干して、真奈美は「そういうの、いやじゃない」と笑った。
「……そういうの、私もあるわ」
ぽつん、と下を向いて、恥《は》ずかしそうにアオイが言った。
「へえ……珍しい。ね、ね、誰《だれ》に? やっぱり騎央とエリス?」
ううん、とアオイは首を横に振った。
「誰?」
顔をあげ、アオイはくすりと笑った。
「あなたと……騎央君」
「え?」
「だって、あなたと騎央君は一〇年以上一緒に過ごしているんだもの」
「あ、ま、まぁそりゃそうだけど……」
意外な話に、真奈美はとまどった。
考えてみれば、騎《き》央《お》と自分が幼《おさな》馴《な》染《じ》みというのは、アオイにとっては面白くない部分もあるはずなのである。
一〇年以上一緒に過ごし、子供の頃《ころ》にはほぼ毎日と言っていいほど一緒に遊んだのだから、ふたりだけにしか判《わか》らない記憶というモノもいくつかある。
もう、あまり昔のことを人前で言って盛り上がることなど滅多にないのだが、その「滅多にない」光景が、アオイにとっては結構切ないらしい。
「……」
ふたりの少女はしばらく互いを見つめ合い、ぷっと吹き出した。
「キャーティアシップかぁ」
夕食の片づけも終え、食後のぼんやりした時間を応接間でぼけーっと過ごしながら騎央はつぶやいた。
夜も九時頃、寝るにも、部屋に戻るにも、ちと空白のある時間帯である。
まったりとした空気の中、二〇体もいる通常型アシストロイドたちは庭に出たり、床でごろごろしたり、本や雑誌を読んだりと思い思いに時間を過ごしている。
「そう言えば、落ち着いた状態で行くのは初めてかな?」
最初に飛び込んだときは、地球との激突を回避するための決死隊だったし、二度目はその時にくっつけるハメになったネコ耳|尻尾《しっぽ》を取るために遺伝子治療、ということで、ほとんど中を「見学」するヒマはなかった。
「そうですねえ」
騎央の横でお茶を飲みながらエリスがにこにこと答える。
「楽しい旅行になると思いますよ。アントニアさんに、騎央さんに、アオイさんに、真《ま》奈《な》美《み》さん──雄《ゆう》一《いち》おじさんと、いちかさんたちも行けたらよかったんですけどー」
宮《みや》城《ぎ》の雄一叔父と、地球ネコ耳であるいちかはそれぞれの都合によって今回、同行は出来ないという連絡が来た。
「真奈美ちゃんも駄目だって。帰り際言ってたよ」
玄関先で急に思い出したように「あ、あたし駄目だわ」と言い出した幼馴染みの妙にとってつけたような態度を思い出しながら騎央が人数を訂正する。
「あ、そうなんですか……残念」
ちょっと首をかしげながら、エリスはじゃあ、四人ですね、と人数を訂正する。
「えーと、プラス二、もしくはそれ以上かも」
「?」
「ほら、アントニアには必ず摩《ま》耶《や》さんとサラさんたちが」
当初は「さてどうなるか」と躊《ちゅう》躇《ちょ》したモノの、エリスが「仲間はずれは良くないですよ」と言ったため、騎央も考えを改めていた。
「ああ、そうですね! じゃあ、早いトコ人数を決めてもらわないと」
「電話しようか?」
「そうですね」
エリスが腰をあげた。
「ゆさり」と胸が揺れ、さらさらした赤い髪の毛が揺らぐ。
それだけで空気が攪《かく》拌《はん》されて、甘い少女の体臭が騎《き》央《お》の肺の中に飛び込んでくる。
見慣れたはずの、すらりとした少女の後ろ姿が、さらに輝いて見えた。
中腰のまま、数秒の間、騎央は少女の背中に見とれてしまった。
「……参るよなぁ」
苦笑混じりに少年はつぶやいた。
一緒に暮らすようになって半年以上、大分なれては来たモノの、やはりエリスは少年をドキドキさせる。
「どうしたんですか?」
自分の魅力にほとんど無自覚なネコ耳少女が振り向いて首をかしげる。
「いや、あの……キレイだな、って」
普段なら適当にごまかしていたかもしれないが、なぜか今回はつい、本音が口に出てしまい、騎央は慌《あわ》てて口を押さえたが、言葉が元に戻るはずはない。
「え? あ、あ、あの、いえ……」
みるみる、エリスの顔が真っ赤になった。
「あのエリス、その、えーとあーと、うーんとその。えあうー」
「その騎央さん、えーとあーと、うーんとその、えあうー」
「……」
「……」
何かを言わねばと思い、言おうと思いつつも上手く言葉がつなげないまま、少女と少年は互いに視線をさまよわせていたが、
「あ、あのちょ、ちょっと部屋に戻りますねっ」
ぴゃーっと、エリスは尻尾《しっぽ》を翻《ひるがえ》して奥にある、今は彼女の部屋として割り当てられている仏間へと飛び込んだ。
「あ、う、うん……」
ただ呆《ぼう》然《ぜん》と見送る騎央の足下で、わらわらと集まってきた二頭身のネコ耳ロボットたちがそれぞれ手に「ひゅーひゅー」「にくいの、この」とか書かれたプラカードを持って冷やかす。
「ば、ばか違うよお前たち、そうじゃなくって!」
慌てて否定してしまう騎央に、額に「6」と書かれたアシストロイドが「ならうそでしか?」と容《よう》赦《しゃ》ないツッコミを入れる。
「い、いやう、嘘《うそ》じゃないけど……えーい、あんまりこういうことを茶化すなってば!」
顔を真っ赤にした騎《き》央《お》の声に、「そでしか?」と書いたプラカードを掲《かか》げて、アシストロイドたちが顔を見合わせた。
次に「6」は「いちかしゃんにおしえてもらたのとちがうでしね」と書き「2」と書かれたもう一体は「ちゃいかからもそーきーたでし」と書いた。
「あのふたり……まったく」
気恥ずかしさをごまかすように騎央は口をへの字に曲げて見せた。
「わにゃーっ!」
大《おお》慌《あわ》てで自室に飛び込んだエリスは、仏間に積み上げた本の山をひっくり返し、一冊の少女漫画を手に取るとその場に座り込み、猛《もう》然《ぜん》とめくり始めた。
やがて、あるページで手が止まる。
「ああ、やっぱりこ、こういうときには『な、なにいってるのよ、バカ』というのが正しいんですね!」
自分に言い聞かせるように声を出す。
言い聞かせないとグズグズに溶けてしまいそうなほど、顔は真っ赤になっていた。
少年に面と向かって「キレイだ」などと言われたのはこれが初めてのことなのである。
「なんだ、自然に反応してよかったのか……」
かっくりと肩を落とし、ついでに頭の上にあるネコの耳もぺったりとなる。
「はにゃぁぁ……地球の人に合わせるって大変だなぁ」
と呟《つぶや》いた一瞬後、その顔がでれーっと喜びに染まった。
(でも…………騎央さんがあんなこと言ってくれるなんて)
頭の中で先ほどの光景と言葉がサンプリングされた状態でリフレイン。
赤い尻尾《しっぽ》がくにゅるる、と複雑な形に身もだえした。
「にゃふー♪」
にこにこと両手で頬《ほお》を押さえるようにして、エリスはてうてうに笑み崩《くず》れた顔で「ごろにゃー」とその場を転がった。
しばらく「にゃー♪」とか言いつつその場を転がっていたが、やがて、部屋の中をごろごろ三往復ほどして「はっ」と我に返る。
「いかんいかーん!」
そう言って頭をぽかぽかと殴る。
「何やってるんだろう、わたしってばー。これ、抜け駆けですよねえ」
能天気に見えて、なかなかエリスも気を遣《つか》っているのである。
「ああ、まったくもう。なに喜んでるんだか……」
とほほのほ、という風にエリスは溜《ため》息《いき》をついた。
「わたし、駄目だなぁ……」
自分の行動に心底反省している……キャーティアはあくまでも約束を実行する種族なのであった。
(やっぱり、これは……何とか、今度の母船行きでこの辺どうにかしないと)
しみじみとそう思い、真っ赤な髪の猫耳少女は腕組みして考え込む。
(居《い》候《そうろう》している分だけ、アオイさんよりわたしの方が騎《き》央《お》さんには近いわけですから、この辺の不公平を是正しないと)
真《ま》奈《な》美《み》がこのへんの台詞《せりふ》を聴いたらどんな顔をすることか。
どこまでも、エリスは本気でアオイと一緒に騎央を「共有」するつもりなのである。
その足下で、物音に何事かとやってきた数体のアシストロイドが「あーあ、こんなにちらかしちゃって」という感じで本を整理し始めた。
第二章 ゆっくり宇宙へ登ってた[#「第二章 ゆっくり宇宙へ登ってた」は太字] [#小見出し]
数日後の金曜日の早朝(創立記念日)、騎《き》央《お》たちは朝早くから準備して、雄《ゆう》一《いち》叔父の車で那《な》覇《は》港の一角にある倉庫のひとつへとやってきた。
「いらっしゃいませ」
倉庫の前には摩《ま》耶《や》が待ち受けている。
「どうも、よろしくお願いします摩耶さん」
ぺこりとエリスは頭を下げた。
「いえ、中でお嬢様がお待ちです」
一行は巨大なシャッターの横にある通用口から中に入った。
鉄骨むき出し、コンクリートむき出しの内部は天井からの照明であかるく照らし出されていた。
中には何もない。空倉庫だ。
かつて、「守礼皇五号《シュレイオー・ファイブ》」と名付けられた巨大アシストロイドが発信する際、「うっかり」吹き飛ばしてしまったアントニアの倉庫は見事に再建され、同時にちょっとした「細工」も施《ほどこ》されている。
倉庫の真ん中の床が左右に細長くスライドしており、そこにはシャンパンゴールドの細長い流線型をした宇宙船がぷかぷかと浮かんでいる。
エリス専用の連絡用シャトル「ルーロス改」であった。
修復するついでに、海までの地下水路を造り、「ルーロス改」をその床下に格納できるようにしてあるのだ。
「いちかさんの手が空くようになれば、家から直接来れるようになるんですけれどもねー」
ごろごろと荷物を入れたカートを引きずりながらエリスが言う。
さらにその後ろを「うんしょ、うんしょ」という感じで大量の荷物を風《ふ》呂《ろ》敷《しき》に入れて背負ったアシストロイドがついていく。
まるで台湾あたりから来た、買い物ツアーの客のようである。
「ルーロス改」へと渡された艀《はしけ》のそばには、サラの押す車いすに乗ったアントニアが、ゆだったような顔に、それでも笑顔で座っていた。
背もたれの上にちょこんと座った「へいほん」が釣りでもするように氷《ひょう》嚢《のう》を竹《たけ》竿《ざお》の先からつるして、額《ひたい》の上にのせている。
「アントニアさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですエリス様」
どこかピントのぼけた声でアントニアが答える。
エリスが心配するのも無理はなかった。なにしろここ数日、アントニアは学校を休んでいるのだ。
「で、出来ればご一緒したいのですが、摩《ま》耶《や》が……」
「当たり前です。昨日の朝まで三九度の熱が下がらなかったのですから」
困ったモノだ、という顔で入り口に鍵《かぎ》をかけた摩耶が腰に手を当てる。
「『へいほん』が教えてくれたからよいものの、もしもそのままだったら、どうなさるおつもりだったんですか」
母親が、病気の子供をいたわりつつも注意する口調である。
「すまぬ、摩耶。許せ」
微苦笑をしながらアントニアは手を振った。
「それに、今日は断念したのじゃ、これ以上この話題はナシにせい」
「へいほん」がフォローするように「まやどのゆるせ」と扇《せん》子《す》に書いて広げた。
「大変残念ではございますが、エリス様、わたしは今回ご一緒出来ませぬ。『へいほん』のこと、どうぞよろしくお願い致します」
そう言うと、アントニアは「へいほん」に合図した。
氷《ひょう》嚢《のう》を後ろのサラに手渡すと、「へいほん」はひょいと車いすの背もたれから飛び降り、つったかたったと騎《き》央《お》たちの所にやってきた。
そのままばっと扇《せん》子《す》を広げると「よろしくたのむぞよ」と書かれている。
「はいはい」
くすりと笑いながら騎央は「へいほん」の頭をなでてやる。
「騎央、頼むぞ」
珍しく神妙な顔でアントニアが頼むのへ、騎央はこくんと頷《うなず》いた。
「わたしの代わりじゃ」
「あー、あの、お嬢様」
恐る恐る、という感じで、背後のサラが切り出した。
「代理といえばそのぅ……わたくしめがよろしければお嬢様の代わりに……」
「だめじゃ」
アントニアは無慈悲に却下した。
「おぬしのコトじゃ、どうせ向こうでアシストロイドに囲まれて鼻血を吹くのが目に見えておるわ」
「う……そ、それはお嬢様も同じ」
「う、うるさい」
ちょっと激高したのが気管に悪かったのか、アントニアはゲホゲホと激しく咳《せ》き込んだ。
あわてて「へいほん」が摩《ま》耶《や》よりも早く車いすの所に戻って背中をさする。
その途端、その懐《ふところ》から正月、初《はつ》詣《もうで》にいったアントニアから貰《もら》ったお守り袋が落っこちそうになり、慌《あわ》てて片手でそれを押さえる。
「……!」
一瞬、摩《ま》耶《や》がものすごい目つきで「へいほん」を睨《にら》んだが、その場にいる誰《だれ》もそのことには気づかず、アントニアの咳《せき》が収まるまで背中をなで続けるアシストロイドを見つめた。
ややあって、「大丈夫じゃ」とアントニアが頭をなでると、「へいほん」は再びとったか走って騎央たちの元にやってきた。
それでも後ろを振り向き振り向きなカンフー型アシストロイドへ、アントニアは「かまわないから行くのじゃ」と言い聞かせた。
「よいか『へいほん』、騎央とエリス様の言うことをよく聞くのじゃぞ……わたしの言葉と同じように、な?」
何度も振り返りながら、「へいほん」は艀《はしけ》をわたって「ルーロス改」に乗り移ると、それでも中に入ろうとはせず、じーっとアントニアを見やっていた。
えっちらおっちら荷物を中に入れた騎央が、「いくよ、『へいほん』」と呼びかけてから、ようやく「へいほん」は中に入った。
「それじゃ、行ってきまーす!」
最後にエリスが顔を出して手を振った。
ハッチが閉まり、沈み込むと、もうどこがハッチと本体の接合面か判《わか》らなくなった「ルーロス改」はゆっくりと沈み始めた。
「……無事に海に出たようです」
数分後、水路内のモニターを見ていた摩《ま》耶《や》が報告し、アントニアは長い長い溜《ため》息《いき》をついた。
「しばらく地球は寂しくなるのぅ」
「まったくだねえ」
苦笑混じりに雄《ゆう》一《いち》叔父が世界一の大富豪の言葉を受けた。
「雄一おじちゃん、よければ茶など喫していかぬか?」
アントニアは言ったが、雄一は微《び》笑《しょう》して首を横に振った。
「今日は早く帰って安静にした方がいい」
「……それもそうじゃのう」
「え、えーと海に出ましたから、これから高速移動に切り替えますよー」
どこか、ギクシャクした感じでコックピットに座ったエリスは後ろに座っているふたりに話しかけた。
コックピットといっても、操《そう》縦《じゅう》桿《かん》などというものはなく、エリスはリクライニングした腕置き付きのシートでわずかに上体を起こし、こめかみにセンサーシステムを貼《は》り付けているだけである。
「あ、う、うん」
「……判《わか》ったわ」
掘り下げ型の座席に座った騎《き》央《お》とアオイも妙にギクシャクしている。
これから三日間は三人っきりの小旅行、しかもエリスの実家も同然の所へ行くのだ。
エリスにしては気恥ずかしく、騎央としては好奇心半分、不安が半分、アオイにしてみれば不安の方が濃い。
ふたりが「ルーロス改」に乗るのはこれで二度目になる。
一度目は大使館|巡《めぐ》りの際、東京へ密かに移動するためで、その際のエリスの説明では旧型のルーロスと違い、「改」は一〇人前後の人間を乗せて移動することを想定し、大型化されているという。
ただ、今回は「里帰り」の「おみやげ」が入った段ボール箱が、所狭しとキャビンの中まであふれるほど詰め込まれており、前回よりもかなり狭く感じる。
だだっ広い空間を感じるよりはまあ、マシなのだが。
いつもと変わらないのは同行している二頭身のチビたちだけで、丁稚《でっち》型アシストロイドの「定《さだ》やん」、サムライ型アシストロイドの「チバちゃん」に「錦《きん》ちゃん」、さらにエリスの連れてきた通常型の「6」と「2」「1」、および「へいほん」の七体は、この移動用シャトルのインターフェイスである「ルーロス」を呼び出し、壁の一部を透明にしてもらってからは、食い入るようにそちらに張り付いたまま動かない。
時折顔を見合わせたり、頷《うなず》き合ったりするのは、彼らなりの方法で会話(というよりも情報交換)を行っているらしく、それはそれで微笑《ほほえ》ましい。
それだけに、アシストロイドに話しかけることで会話のとっかかりにするということも出来ず、三人とも妙に固まったままの空気の中にいる。
アントニアがいればこういう空気を真っ先に砕いてくれるだろうが。
「……」
「……」
「……」
何となく、黙り込んだまま時間が過ぎる。
やがて、「へいほん」が海を見るのに飽きたらしく、周囲に積まれた段ボールをちょこまかと見て回り始め、緩《かん》衝《しょう》材《ざい》代わりの新聞を引っ張り出して読み始めた。
不意に、騎《き》央《お》の携帯電話が鳴った。
「?」
発信者を見ると、「真《ま》奈《な》美《み》」とある。
「もしもし?」
『あ? 騎央? まだ地球にいるの?』
思わずほっとしてしまいそうな、能天気な声がスピーカーから流れてきた。
「うん、まあ……」
『気ぃつけてねー。あ、そーだ、アオイに代わってー』
言われるままに携帯をアオイに回すと、アオイは少し安《あん》堵《ど》したような、リラックスした表情になっていくつか受け答えして、電話を切った。
「真奈美さんからですか?」
くすりと笑みを浮かべながらエリスが振り向く。
「うん、なんか見通されてるみたいだった」
「?」
「三人ともなんかギクシャクしてないー? って」
あははは、とエリスは笑った。
騎央も笑った。
アオイもひっそりと微笑んだ。
アシストロイドたちがその笑い声に振り向いて「?」という顔になる。
「どだった?」
携帯電話を切った真《ま》奈《な》美《み》に、将棋盤から顔を上げず、金髪|碧《へき》眼《がん》、ネコ耳|尻尾《しっぽ》付きながらなぜか地球産の、家事手伝いチャンチャカ猫が尋《たず》ねた。
「……ま、亀《かめ》の甲より年の功、ってやつね。どうやらそっちの読み通りだったみたい」
携帯電話を折りたたみながら真奈美が肩をすくめた。
「でしょー」
ぱち、と地球産猫耳少女、いちかは慎重に将棋の駒《こま》を動かした。
「OH! |子猫ちゃん《ケイティ》、それまっターデース!」
対面に座っている、テンガロンハットにタンクトップ&カットジーンズ、中はダイナマイツボディなアメリカ美女、ジャニス・アレクトス・カロティナス・カリナートことジャックが悲鳴のような声を上げた。
「だーめ。ほら……王手!」
「OH! NO!」
それまで手に持っていた駒をテンガロンハットと一緒に放《ほう》り投げ、ジャックは頭をかきむしった。
「なぜそんなにツヨーイですか!」
「まあ、それこそ『亀の甲より年の功』ってやつね♪」
笑いながらいちかは丁《てい》寧《ねい》に将棋の駒を拾い集め、箱の中にしまい始めた。
「でもどういう訳かうちの『ゆんふぁ』に負けるのよねー」
くすくす笑いながら真奈美が言うと「う」といちかは固まった。
実を言うと「ゆんふぁ」のみならず、いちかはアシストロイド相手に勝ったことがない。
「ま、まぁあれよ、異星人、恐怖のてくのろじーという奴で」
「ふつう、未知のテクノロジーとか言わない?」
「ま、まあそうとも言うわね」
その会話を聞いた途端、ジャックの顔がぱあっと輝いた。
「YES! デーワ『ゆんふぁ』、私にいちーかに勝てるようにコーチしてくださーイ!」
真奈美のベッドの上にちょこんと腰掛け、月刊「GUN」誌を広げていた、サングラスにコート姿のアシストロイドは、いきなり自分の前に座り込んで、豊満な胸の前で手を組み合わせて拝み始めた金髪美人に「?」と首をかしげた。
そんなことがあってから約数十分後。
『うわぁ、アメリカの潜水艦は大きいですねえ』
その音声をキャッチしたアメリカ攻撃型原子力潜水艦「ヴァージニア」のソナー室は大混乱に陥った。
その一言に続く言葉の意味はすぐに解読された(ただの日本語だったのだ)が、問題は、彼ら(音声の主は複数とされた)の一人が艦首の破損について言及したことである。
艦首の下方部分にある修理|痕《こん》は、浮上した状態でさえ見ることは出来ない。
だとしたら彼らは同じ海中にいるはずだが、ここは深海、太陽の光はなく、水圧に耐えられるような窓ガラスはともかく、照明が追いつくはずはない。
しかも、周囲数百メートルには何の推進音も無いのである。
例の異星人の可愛《かわい》らしいロボット軍団が操る艦隊でさえ、ある程度の推進音があることが (実はこれはキャーティア側がわざと出していたのであるが) 判明しているというのに!
彼らは必死になって推進音を探り出そうとした。
だが、それはかなうはずが無かったのである。
「うわぁ、ロシアの潜水艦は大きいですねえ」
透明化された窓からゆっくりと横切っていく巨大な黒い影を見て、エリスが声を上げた。
「えーと、セヴェルスタル……って書いてありますか?」
「あれ? なんか先っぽの所、修理の痕《あと》があるね」
「タイフーン級ね……中に牛とか飼えるぐらいだもの」
「え? あの中に牛さんが入ってるんですか?」
「あ、それ僕もテレビで見た。新鮮な牛乳とかチーズとか作るためでしょ?」
「あ、お肉のためじゃないんですね」
などと、騎《き》央《お》たちはようやく会話を楽しむ余裕を持つことが出来た。
一応の目的地の前で、「ルーロス改」は「お出迎え」と合流するのであるが、その周辺は大量の潜水艦が右往左往していた。
「ルーロス改」自体はプロペラ推進ではないし、動力も地球側には探知できないものを使っているから気づかれないが、この光景を潜水艦隊の司令官あたりが見たら卒倒するかもしれない。
深海一○○メートルの世界で、彼らは昼間のように海底の様子を見、騎央たちはすっかり潜水艦見物としゃれ込んでしまったのである。
そして、彼らに見物されている潜水艦は、どれも窓ひとつ無く、音波と音声のみを頼りにこの海底を進んでいるのである。
「で、護衛してくれる潜水艦って?」
「そろそろ見えて……あ、あれです、きっと」
見ると、ずんぐりした、明らかに地球側とは違うデザインの潜水艦がするするとこちらへ近づいてくる。
後ろにアンテナというか、垂直尾翼というか、細くてシャープな板状のパーツを三枚生やし、上半分を青、下半分を赤に塗られたその潜水艦(というよりもロケット)の横っ腹には白いひらがなで「ぬこ1・こるばっく」と書かれている。
さらに古いガトー級潜水艦をディフォルメしたような潜水艦と、平たくつぶれた艦首にぐるぐる目玉とシャークマウスを書き込んだ濃《のう》紺《こん》の潜水艦が続く。
「こるばっく」号のハッチが開くと、中から金魚鉢のようなヘルメットをかぶったアシストロイドが現れて「おまたしすた、ごえいの『ぬこ』ちーむでし」とプラカードを掲《かか》げた。
「じゃ、行きましょうか」
ディフォルメ潜水艦隊に合流し「ルーロス改」はゆるゆると(とはいえ、その速度は地球上のいかなる艦船よりも速いのだが)目的地へと向かい始めた。
「そろそろ、着きますよ」
自分たちがどれだけのパニックを「ヴァージニア」に与えているか、などと言うことはつゆ知らず、「ルーロス改」は海底からは少し浮いて設置されている「目的地」の扉をくぐった。
大岩に偽装された扉をくぐると、中は長い長いトンネルになっており、しばらくすると海へ直接|繋《つな》がったトンネルは一段上がった形で途切れ、そこから続く「乾いた」トンネルへと「ルーロス改」は浮上した。
そこは真っ白な、ドーム状の部屋の中央であり、さらに奥へと通路が続いている。
エリス専用のシャトルはそのまま海面から空中へと浮かび上がった。
海水を滴《したた》らせたのも数秒、うちわのような誘導板を両手に持ったアシストロイドに従い、人の小走り程度のゆるやかな速度で通路を進んでいく。
通路が行き止まりになると上昇がはじまり、急に周囲が明るくなった。
海の青が、痛いぐらいに目に焼き付く。
三六〇度、真っ青な海と蒼《あお》い空。
巨大な大広間である。
「うわぁ……」
騎《き》央《お》は窓ガラス化した壁に、アシストロイドたちと一緒になって張り付き、周囲を眺めた。
外から見たことは何度かあったが、中からは初めてだ。
透明な、ガラスのようなモノで周囲は遮《しゃ》断《だん》されているのだが、物質があることを感じさせない透明度である。
しかも、広さはどう考えても一キロ近い。
上を見れば、果てしなく続くかに見える空の中央にちょっとした収束のゆがみが見える。
「さ、そろそろ着陸しますね」
エリスがそう言って、腕置きにおいた右手の指を軽やかに動かした。
のったりと回転しながら、地上数メートルに浮かんでいた「ルーロス改」は着陸脚を伸ばして、上昇してきた穴がふさがった後の床に降り立った。
壁の部分が不透明化し、横向きのハッチ兼タラップとなって開く。
「さ、降りましょうか」
エリスがそう言うと、まず最初に「わー」とアシストロイドたちが降りていった。
騎《き》央《お》たちが降りると、アシストロイドたちは透明な壁へめがけて突撃し、小さくなっていく所だった。
「元気だなあ」
騎央たちは顔を見合わせて苦笑した。
「さ、お茶にしましょうか」
そう言うと、エリスが乗り込むときに持ってきたカートを引っ張り出してきた。
開けてみると、中にはクッション入りのレジャーシートとサンドウィッチの詰《つ》まったタッパーに大きな水筒、さらにお菓子類まで入ってた。
「いっぱい持ってきた……のね」
「まあ、宇宙に着くまで三時聞ですから」
アオイの言葉にエリスはにっこりと笑った。
「お茶して、おしゃべりして、ひと眠りしていればすぐですよ」
「うん、そうだね」
「……」
騎央とアオイも頷《うなず》いて、シートを広げ、その上に腰を下ろした。
遙《はる》か彼方《かなた》のアシストロイドたちは「わーいわーい」という感じで内周を回り続けている。
温かいお茶とコーヒーがそれぞれ紙コップに注がれ、軽く焼いたトーストに分厚く切ったハムとチーズ、サニーレタスを挟んで薄く粒マスタードを塗ったサンドウィッチが配られた。
「んじゃ、頂きます……んー、おいしー♪」
はぐはぐと食べながらエリスが相好を崩《くず》す。
アオイも食べながら目を細めた。
「へえ……凄《すご》いなあ」
見るだけでもかなりのモノだが、一口かじってみて騎央も驚いた。
みっしりと歯ごたえのあるサンドウィッチ。
口を動かすと、焼かれた表面がかりっとしていながら、すぐにみっちりとして柔らかいパンの本体に前歯が食い込み、すぐにパリパリのレタスを通じてジューシーなハムに柔らかく受け止められる。
通常、サンドウィッチというと、コンビニとかで売っている薄いパンに薄いハム、という印象しかない騎央としては、これはもう別の食べ物としか思えなかった。
「ふたりで作った甲斐《かい》がありましたね、アオイさん」
こっくん、とアオイが頷《うなず》いた。
「へえ、じゃあ、朝作ってたのは、これ?」
騎央は感心していた。早朝、台所でふたりが何かしていたのは知っていたが、これだけの準備をしていたとは思わなかったし、それが嬉《うれ》しくもある。
何しろ、状況が状況なら殺し合いをしていてもおかしくないふたりなのである。
「ええ!」
こっくんとエリスが頷《うなず》いた。
「パンは近所にある『Be'z』のに限りますから、それは昨日わたしが買ってきて、ハムを厚く切る、ってのはアオイさんの提案です。最初はちょっと心配だったんですけど、マスタードと相まっておいしいですよねー!」
エリスに褒《ほ》められて、アオイは真っ赤になってうつむいた。
「外で売ってる薄いハムにチーズのサンドウィッチもそれはそれでおいしいんですけれど、やっぱり自家製はこういうカスタムメイドができるからいいですよね」
「そうだねえ」
うんうん、と頷《うなず》きながら騎《き》央《お》は最初の一個を平らげ、二個目に手を出した。
無風でなければ建物とは思えない、どこまでも広がる冬の青空と海に囲まれての食事は、不思議な穏やかさと、心地よさにあふれていた。
やがて、外の風景を見るのにも飽きたのか、わたわたと帰ってきたアシストロイドにもサンドウィッチを食べさせ、食後はコーヒー。
そこで騎央はふと気がついた。
「ねえエリス、動かしてくれ、って言わなくていいの?」
騎央が尋《たず》ねると、
「大丈夫、もうとっくに動いてますよ」
とエリスは微笑《ほほえ》んだ。
「え?」
外を見ると、遙《はる》か彼方《かなた》、彼らの目線より下方に雲があるのが見えた。
「うわ、いつの間に……」
「本当……」
アオイも目を丸くする。
「『ルーロス改』が降り立った時点で、もう動き出してましたよ、気づきませんでした?」
エリスは微笑む。
その足下で、アシストロイドたちがちょっとした宴会状態になっていた。
「のぅ、摩《ま》耶《や》」
「アンドローラ2」の自室で、ベッドに入ったアントニアは傍《かたわ》らのメイド長に話しかけた。
「もう、エリス様たちは宇宙であろうか?」
「そうでございますね」
手首に巻いた小さな女性用ロレックスをちらりと見やって摩耶は答えた。
「まだ今|頃《ごろ》は軌道エレベーターの中でございましょう」
「そうか、では今頃お茶など喫しておられるのだろうなぁ」
羨《うらや》ましそうに、世界最高の財産と、それに伴う権力を持った少女はつぶやいた。
「宇宙か……」
「次がございますよ、きっと」
「そうじゃな、次こそきっと、じゃな」
そうつぶやいて、アントニアはシーツを頭からかぶった。
「もう、寝る。摩《ま》耶《や》、下がっておれ」
「はい、アントニア様」
一礼しながら、摩耶はそっとティッシュの箱をアントニアの枕《まくら》元《もと》においた。
少女は、例え誰《だれ》であろうとも泣き顔を見られるのを好まない。
「エレベーターの全長は約……えーと……三万八千キロ、これを全部地上で支えると、間違いなく地盤がえらいことになります。だから、このエレベーターは吊《つ》り下げ型、ということになりますね」
食事を終えてしばらくすると、そとの風景は緩やかに青から黒への端《は》境《ざかい》へと代わり、しばらく騎《き》央《お》とアオイは、初めてゆったりとした気分で眺めるその光景を楽しんでいたが、そのうち何となく、自分たちが今いる軌道エレベーターの話となった。
「つまりですねえ……」
情報処理装置を取り出したエリスは、空中に簡単な絵を描いて見せた。
大きな○と、そこからぴんと伸びた一本の線。
「大きなボールに糸をぴーん、と張ったとします。ボールはいつもぐるぐる回ってると思ってください」
フリーハンドとは思えないぐらいきれいな円はくるくると回転を始めて球体となり、その上に描かれていた「糸」はぺったりとその表面に張り付いた。
「ですが、こうすると……」
球体の回転を止め、エリスはもう一個、小さな円を描くとそれを「糸」のもう片方の端にくっつけた。
再び球体が回転を始めるが、今度の糸はぴんと張ったままだ。
「……つまり、カウンターウェイト?」
「そうです。で、今回は赤道よりもやや上に位置する沖《おき》縄《なわ》近海に軌道エレベーターは設置されているので、ちょっと力の作用方向が変わります。それを打ち消して、まっすぐ塔《とう》を建てるための装置もこのカウンターウェイトの中に入っているというわけです」
「それが、あれなわけ?」
騎央は天井……というか、通常のエレベーターで言えば「移動通路《シャフト》」の上を見た。
そこには巨大な円盤が見える。
シャフトが中央に貫通したように見えるその円盤は、たいした大きさには見えない。
「ずいぶん小さいんだねえ」
まあ、それでも直径五〇〇メートルぐらいはありそうだな、と騎《き》央《お》は思っていた。
自分たちが立っている「ゴンドラ」部分の直径が一キロ有ることはまだ知らない。
「あ、上の方は空気がないから遠近感狂いますよ」
さりげなくエリスがフォローを入れる。
「あれ、一応直径は一〇キロぐらいありますから」
「……」
「……」
思わずアオイと騎央は顔を見合わせた。
出てくる数字が三万キロだの一○キロだの、建造物ではあり得ない数字ばかりなので、ピンと来なかったが、実物を見たり、中に入ったりすると、いかに途《と》轍《てつ》もない代物なのかがよく判《わか》る。
「凄《すご》いモノを貰《もら》っちゃったんだなあ」
ぽつん、と騎央はつぶやいた。
第三章 いきなり演説頼まれた[#「第三章 いきなり演説頼まれた」は太字] [#小見出し]
東京は銀座の片隅。
落ち着いた、小さな裏通りのはずれに一軒の呉《ご》服《ふく》屋《や》がある。
総|檜《ひのき》の格《こう》子《し》戸《ど》の入り口が開いて、ひとつの影を夕暮れにはき出した。
「……」
たすきがけにした海老《えび》茶《ちゃ》の和服に前掛け、足下は足袋《たび》に草《ぞう》履《り》という出で立ちだが、残念ながらまだ着物に「着られている」感じが強い。
特に、すらりと背が高く、豊満な胸と腰を持つためになおさらそのイメージが強い。
どこか、気の強いところが鋭い目つきに感じられる二〇代の女性である。
「なぜ私が……」
ちりとりと箒《ほうき》をもった美女は、不満そのものの顔で周囲を掃除し始めた。
地球の某大国を裏から操る「犬」の人の一員である……いや、正確にはつい最近まで「だった」ジェンスである。
「……」
二、三回|箒《ほうき》を動かした後、ジェンスは長い長い溜《ため》息《いき》をついた。
クリスマスの騒動以来、彼女はこの呉服屋に預かりの身となっていた。
すでに「死んだ」身としてはどこにも行くことが出来ず、彼女はやむなくここに身を寄せているのだ。
「こら、ジェンス、なーにサボってンだいっ!」
開け放したままの扉の向こうから、威勢のいい女の声で罵《ば》倒《とう》がポンポンと飛んできた。
「ほら、棒っきれじゃないんだから、突っ立ってないでさっさかそこを掃《は》いて、水まきな!」
「は、はっ!」
軍人の悲しさ、「元」が着くとはいえ、彼女よりも遙《はる》かに高い地位にあった店の主《あるじ》の言葉には逆らえず、ジェンスはてきぱきと掃除を始めた。
集めたゴミをちりとりで取り、ふとジェンスは暗くなり始めた空を見上げた。
正確にはその先にある、無限の宇宙を。
彼女の故郷は、その中にある。
超空間ジャンプの光の奔《ほん》流《りゅう》が収まると、漆黒の宇宙が広がった。
「ルーロス改」のコックピットを覆《おお》う部分はすべて透明化されて、周囲が見えるようになっていた。
軌道エレベーターのカウンターウェイトとは比べものにならないぐらい巨大な円盤が近づき、視界を超えて広がる。
そうやってみると、つるつるの表面に見えたそれが、複雑な凹凸と、きらめく輝きを漏《も》らすスリットの集合体であることが判《わか》る。
「……」
ここへ来るのもすでに三回、いつもながら、と言っていいくらい見慣れたはずの光景ではあるが、それでもこれが人の手になるモノだと思うと、いつも騎《き》央《お》は息をのむ。
二度目になるアオイも、やはり食い入るように見つめている。
エリスは、そんなふたりを見て微笑《ほほえ》んだ。
ほとんどのアシストロイドたちはそんなふたりの周りで食事を終えると、さっさと「おひるねしう」と書かれたプラカードを持ってごろりと横になっていたが、起動してから初めてここを訪れる「へいほん」だけが食い入るように、近づきつつある巨大円盤……キャーティアの母艦を見上げている。
宇宙に登ってしまうと、あとは「ルーロス改」で一息であった。
エアロックを抜けると、あっという間に騎央たちはキャーティアたちの母艦へとたどり着いていた。
この間、大体一〇分ほど。
ちなみに、円盤の彼方には、もうここからでは見えないが土星の輪が見えるはずである。
「えーと、こちら〈ルーロス改〉、着艦許可を願います」
エリスが声を出すと、空中投影型のディスプレイに青い髪のオペレーターが映った。
『了解、〈ルーロス改〉着艦許可します……お久しぶりね、エリス』
「ええ。お久しぶりです、マルネリさん」
『艦長に代わるわ』
画像がクーネに切り替わった。
「艦長、ご無《ぶ》沙《さ》汰《た》してます」
『騎央君、アオイさん、ようこそ……元気してる?』
「あ、はい!」
騎央が背筋を伸ばして答え、アオイが黙礼する。
『歓迎レセプションは三〇分後だから、荷物おいたらすぐにいらっしゃい』
にっこりとクーネは微笑んで通信は終わった。
「じゃ、ルーロス、着艦シークエンスよろしくね」
エリスがそう言うと、空中にクマとも猫ともつかない謎《なぞ》のぬいぐるみの立体映像が現れた。
「はいです、エリスさま、着艦シークエンスまかされるです」
張り切って両手を振り回し、ルーロスのインターフェイス画像は消えた。
「じゃ、そろそろチビちゃんたちを起こしましょう……」
か、とエリスが言い終えるよりも早く、「へいほん」が一発で全員を空中に蹴《け》り上げた。
見事な一撃で、無重量状態であることも手伝って、全てのアシストロイドがビリヤードでブレイクショットされた球のように空中に舞い上がり、ガコガコとあちこちにぶつかる。
「わーっ!」
大《おお》慌《あわ》てで騎《き》央《お》たちが座席から離れ、それぞれのアシストロイドを抱き上げるが、全員、目の表示がぐるぐるの渦巻き状になっており「きう」と書かれたプラカードを掲《かか》げた。
「だめじゃないか、『へいほん』!」
騎央が叱《しか》ると、「へいほん」は首を傾《かし》げ、「おこすとはこうするものであるが?」と扇《せん》子《す》に書いた。
「違うってば! 誰から習ったんだ?」
カンフースーツのアシストロイドは胸を張り、「むろん、わがあるじである」と答えた。
「まさかお前、アントニアもこれで起こしてるのか?」
騎央の脳裏にベッドからけり出されるアントニアと、重火器を構える摩《ま》耶《や》の姿が浮かんだが、アシストロイドは「ばかをいうではない」と答えた。
さらに「あるじにかかることができよーか」と書く。
何となく理解できた。
どうやら、アントニアがふざけているのを、真に受けたらしい。
溜息をついて、騎央は「へいほん」の頭をこつん、と殴《なぐ》った。
「これからは絶対に駄目!」
へいほんは「てへっ」と扇子に書いた。
係留所に着陸すると、騎央たちはすぐにそれぞれの荷物を手に「ルーロス改」を降りた。
もう、ここからは一Gの世界であり、ふつうに歩くことが出来る。
「よお、久しぶりー」
片手をあげたのはブルネットの髪をツインテールにした、ちんちくりんのボディ……チャイカだ。
傍《かたわ》らには、彼女専用のアシストロイドが「やはー」と片手を上げている。
「お久しぶりですチーフ」
プライベートではなく、勤務中の呼称でエリスが答えた。
「うむ、ごくろう」
苦笑しながらチャイカが答える。
「えーと、騎《き》央《お》さんとアオイさんのお部屋はどこでしょうか?」
「あれ? お前の部屋だろ?」
「え?」
「軌道エレベーターも降りたことだし、そろそろ外交的には次のステップに進むから、ってんで本星から人員補充が来たから、空いてる部屋なんか無いぞ」
「え…………そうなんですか?」
エリスがとまどったように騎央たちを振り返る。
騎央とアオイは顔を見合わせた。足下のアシストロイドたちは暢《のん》気《き》なモノで「わーいいっしょにおとまりー」とかプラカードに書いて喜んでいる。
「別にいいだろ? 眠るだけなんだし」
素っ気なくチャイカが言った。
「あ、い、いやそれはそうですけれど……あの、地球の人の習慣では……」
「ま、たかが二泊三日、それにここはキャーティアの船だからさ、よろしくなー」
郷《ごう》にいれば郷に従え、という意味らしく、ひらひらと手を振ってチャイカは背を向けた。
「ほら、さっさと行こうぜ。話も色々聞きたいしナ」
そのままズンズンと歩いていく。
「あ、ちょ、ちょっとまってくださいよー!」
慌《あわ》ててエリスが後を追う。
「一緒の部屋……だって」
「……嘉《か》和《かず》君」
背後で騎央とアオイが顔を見合わせた。
互いに顔が赤くなっている。
「ちょ、ちょっと困ったね」
「…………」
こっくん、とアオイは頷《うなず》いた。
「ちゃ、チャイカったら!」
エリスは小柄な上司に追いつくと小声で訴える。
「困りますよー、だって、地球の人は……」
「ばぁか」
ほとほと困ったヤツだな、という顔でチャイカは言った。
「せっかくセッティングしてやってるんだろうが。チャンスは十分に生かせ、っていつも言ってンだろ?」
「は?」
ぽかん、とエリスは口を開ける。
「ほら、あそこでいい雰囲気になってるふたり、さっさと引っ張ってこいっての!」
「あ、は、はいっ!」
慌ててエリスが駆け戻っていくのを見ながら、チャイカは溜《ため》息《いき》をついた。
横で、専用の水色ボディのアシストロイドが「ぜとたなんでしね」とプラカードに掲《かか》げ、チャイカは「まったくナ」と頷《うなず》いた。
音もなくドアがスライドすると、そこはきちんと片づけられたワンルームの部屋だった。
一二畳ほどの内装は淡いグリーンと白で統一され、壁際にゆるやかなカーブを描くソファーとテーブル、あとは細くて背の高い戸棚が幾つか。
天井全体が柔らかく光を投げかけていて、妙に落ち着く雰囲気になっている。
「ここがエリスの部屋なんだ……」
中に入って周囲を見渡し、感心するように騎央が言うと、
「といっても私物とかはもうほとんど騎《き》央《お》さんの家に移してありますから、ここは倉庫みたいなもんですけれどもね」
「へえ……」
「普通……なのね」
しげしげと家具類を見ながらアオイが言う。
「壁も床も謎《なぞ》のメーターで一杯、とか、すべての家具が床から直接生えていて変形自在だとか、そういうのを想像してた……けど」
「信じられないぐらい私たちはよく似た文化形態なんですよ……まあ、一時期はアオイさんがいうような家具も流行《はや》ったんですけれどね」
「へえ……」
とか主《あるじ》たちが会話している横を、アシストロイド達はトテトテと勝手に進み、ソファーの上で飛び跳ねてはしゃいでたりする。
「こら、『定《さだ》やん』! 『へいほん』!」
「『チバちゃん』『錦《きん》ちゃん』……やめなさい」
「こら!『6』『2』『1』!」
主に怒られて、即座にわたわたとソファーの上から降りたアシストロイドたちは、壁際に一列に並んで壁に片手をつき、「反省」のポーズを取った。
「まったく……どうも今回はみんなはしゃいでるなぁ」
やれやれ、という顔で騎央は反省ポーズのアシストロイドたちを見やった。
「ですね」
ちょっと笑いながらエリス。
「…………そうね」
アオイも少し笑っていた。
「でも……なんか、楽しい」
「そうですよねー」
アシストロイドたちはちらちらと主《あるじ》たちの方を見て「そろそろいいでしか?」と言いたげである。
「じゃあ、荷物置いて行きましょう……眠るときは後でご相談、ということで」
「……う、うん」
そこの部分だけはアオイも騎《き》央《お》もギクシャクと頷《うなず》いた。
むろん、エリスだって平気な顔をしているわけではない。
ちょっと顔が赤く、尻尾《しっぽ》も緊張してくるくると回っていた。
「♪」
大変楽しそうにクーネ艦長は歓迎会場へと通路を移動していた。
母艦であるキャーティアシップは放射状に五本の大通路が、八つの階層すべてに走り、さらにそこから細かい支道が微妙に角度を変えつつ、円周上に存在している。
今、二人が歩いているのはその大通路であった。
通路といっても移動歩道なので、上を歩けば、ちょっとした電動力ートなみの速さでの移動である。
一応、人目があるので押さえているが、誰もいなければそれこそスキップしていきそうである。
威厳がないことおびただしい。
「艦長、楽しそうですね」
副長のメルウィンがちょっと呆れたように尋ねる。
「うん♪ だーってほら、ここでこー、ほら、あれよ、エリスたちの恋愛模様に忘れられない一ページがね、加わると思うとね、うふふふふふー♪」
などとクスクス笑いながら豊満なボディをよじったりする。
とてもとても楽しそうな艦長の態度に、メルウィンは首を傾《かし》げた。
「でも、なんでエリスの恋路にそんなにご介入なされるんですか?」
「いや、ほらエリスは重要な地上駐在員だし」
「…………楽しんでますね、艦長」
ぴた。
一瞬クーネの足が止まった。
すぐに歩き出す。
「い、いえ、そ、そんなことは、な、ないわよおー」
そう言いつつ、艦長の顔は決してメルウィンを見ようとはしない。
「…………そうですか」
やれやれ、とメルウィンは天井を見上げながら歩く。
「うわぁ……」
移動する歩道、という空港でもなければお目にかかれない代物の上に乗っかって待つことしばし、騎《き》央《お》たちは巨大な講堂に入っていった。
天井はあくまでも高く、青と白で統一された内部はさらにどこまでも明るい。
構造は地球の大学同様、すり鉢状で中央から聴衆席を見上げる形になる……が、一介の高校生には判《わか》るはずもない。
聴衆席は満場の入りであった。
「あ、きおくんだー♪」
「アオイさんだー♪」
あちこちから笑顔と一生懸命|挨《あい》拶《さつ》しようと振られる掌《てのひら》が向けられる。
色々今まであったから、キャーティアたちによく顔が知られているのは気づいていたが、まとめて集まった連中全員に一斉に手を振られたり、声を掛けられたりするのはちょっと照れくさい。
「あ…………いや、あははは」
アオイは恥《は》ずかしそうに顔を伏せ、騎央はぎこちなく笑顔を浮かべ、手を振り返した。
静かな音楽が流れていて、清潔な雰囲気が、節度を持った緊張を伴ってまとわりつく。
しかも、そこにいるのはすべて猫耳|尻尾《しっぽ》をつけた、キャーティアたちなのだ。
エリスの話によると、かれこれ数世紀前から遺伝子調整が徹底して行われており、みんなかなりのレベルの美形|揃《ぞろ》いである。
「アントニアがいたら萌《も》え死んじゃうかも……」
ぽつり、と騎央が言い、アオイが頷《うなず》いた。
演壇のところには、すでにクーネが満面の笑みを浮かべて待ち受けていた。
「ささ、あがってあがって」
まるで自分の家に招き入れるように、騎央とアオイを艦長は壇上に上げた。
「あ、あの、た、ただの会議をするだけじゃ……」
「ほら、色々助けてくれたりとかしてるから、みんなで歓迎しよう、ってんで……一言挨拶してくれるだけでいいから!」
「そ、そんな困ります」
「大丈夫、第一、大使館関係者が即興演説の一つも出来なくてどうするの?」
「あ、あのあのあの!」
わたわたする騎央の耳元に、そっとエリスがささやいた。
「騎央さん、挨拶です、こんにちわ、よろしくお願いしますでいいんですよ」
「え?」
振り向いた騎央に、エリスの落ち着いた笑みが向けられた。
「誰も名演説を期待している訳じゃないです。来てくれてる、ありがとうと挨拶してくれてる、っていうとっかかりが欲しいんです……アオイさんも、頭を下げたり、手を振ったりするだけでいいですから」
「あーもぅ、エリスったら、答え教えちゃ駄目じゃない」
苦笑しながらクーネが肩をすくめる。
「わ、わかったよ、エリス」
ぐっと口を一文字に引き結び、騎《き》央《お》は壇上に立った。
背筋を伸ばし、腹に力を入れて大声を出す。
「あ、えーと……こ、こんにちは、嘉《か》和《かず》騎央です!」
少年の声は朗々と響いた。
「今日は、双《ふた》葉《ば》アオイさん共々、お招きに預かりました。明後日までの滞在ですけれど、どうぞご指導ご鞭《べん》撻《たつ》、よろしくお願い致します!」
静寂があった。
思わず騎央は拳《こぶし》を握りしめ、演壇から降りることも、それ以上何かをしゃべることも出来ず、仁《に》王《おう》立《だ》ちになる。
それは、ほんの一瞬だったのだろうが、騎央には心臓が止まるぐらい長く思えた。
わー!
拍手と歓声が騎央を包み込む。
騎央は膝《ひざ》が砕けそうな安《あん》堵《ど》と脱力感を何とか必死に押さえつけながら、何とか万雷の拍手を受けたときの舞台俳優の態度を思い出し、正面と左右、さらに上中下の座る場所の高さに合わせて九回、深々と頭をさげ、アオイを伴って演壇から降りた。
嬉《うれ》しそうにエリスが拍手を中断してそれを手伝った。
「いきなり心臓に悪いことしないでくださいよ、クーネさん」
講堂(と思っていたら、実はあれが大会議場であると騎央はエリスに教えられた)から、一転してその狭さがほどよく落ち着く小会議室に場所を移し、ようやく騎央は口を開くことが出来た。
ここにいるのはエリスとアオイ、クーネとメルウィンの他はアシストロイドだけだ。
「いきなり壇上《うえ》に上げられて、何か言え、なんて言われても」
「あはは」
騎央の、少々|恨《うら》みがましい言葉をクーネは笑って受け流した。
それだけで、何となく許してしまう気になるのは、この人物の特権であろうか。
「でも、これぐらいで驚いてちゃ駄目よ、外交ではどんなアドリブが必要になるかわからないんだから」
「そりゃ、そうですけれど……」
「怖がることは無いわよ、何かあれば、私たちがフォローするし、周りも判《わか》ってるんだから」
「はぁ……でも、大勢の前で恥《はじ》を掻《か》くハメになるのは勘《かん》弁《べん》して欲しいなぁ」
と騎《き》央《お》が言うと、クーネはクスクス笑った。
「その気持ちを忘れなければ大丈夫。こっちも間違えたときのフォローのしがいがあるってものよ」
「……?」
首を傾《かし》げる騎央に、メルウィンが無表情に今後の予定を告げる。
「本日はこのまま夕食会まで自由になさってください」
「はあ」
「明日は朝一〇時からアオイさんには地球の武器や武術のレクチュア、騎央さんには今後の外交予定に関しての相談会がありますが、いずれも三時間から四時間で終了するようになっています」
さらに、その間に今回同行させた各アシストロイドの補修点検、調整をするとメルウィンは言った。
「とくに『へいほん』はこれまでにない近接戦闘専門のアシストロイドですから、システムの微調整が必要だ、とアシストロイド管理班からの要請がありまして」
「へいほん」自身は「しつれーな」とご立腹のようであったが、騎央はアシストロイドたちの「起こし方」を思い出して頷《うなず》いた。
「判りました」
「あとは見学でも何でも、お好きなように艦内を散策なさってください。それが終わったら二度目の夕食会があり、明後日の早朝には『ルーロス改』で地球へお戻りいただく、ということで」
「帰りはそのまま騎央さんの家へ直行ですから早いですよ」
エリスがフォローを入れた。
「大体三〇分ぐらいで帰れます」
今回「行き」に軌道エレベーターを使ったのは安全点検と、各国へのデモンストレーションも兼ねている。
「ちゃんと朝起きてね、エリス」
騎央はしっかり釘《くぎ》を刺しておいた。学校に宇宙船で乗り付けるというのは、端から見れば面白いかもしれないが、出来れば遠慮しておきたい。
「あはは、大丈夫ですよー」
意味を理解しているのかいないのか、暢《のん》気《き》にエリスは笑った。
「じゃ、一息入れましょうか」
言うと、クーネはテーブルの上に指を走らせた。
「地球のアールグレイをホットで二つと……あなたたちは?」
騎《き》央《お》たちは同じ物でいいと言ったが、「へいほん」は烏龍《ウーロン》茶、「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」は梅昆布茶、「定《さだ》やん」はさんぴん茶と注文をつけた。
どうもこのへん、カスタムアシストロイドたちの方が好みを押し通すようである。
「はいはい」
にこにことクーネがそのことを口にすると、それぞれの前に、光の粒子が収束し、次の瞬間には注文した品が、変わったデザインのコップに入って現れた。
「凄《すご》いなぁ……」
これがエリスがよく話してくれる食物合成機《ソレイント・グリーン》らしいと気づき、騎央は目を丸くした。
この母船というか母艦にやって来ても、それは大騒ぎの結果だったり遣伝子治療だったりとあわただしく、こういった機械とかを見るヒマはこれまで無かったのだ。
アオイに至っては警戒心をあらわにするべきかそれとも、という風に悩んでいるのが表情から判《わか》るほどだ。
アシストロイドたちは気にもとめずにコップに口を付けて、んぐんぐと飲み干している。
「合成物だから本物と完全に同じ味わいじゃないけれど、いい線行ってると思うわ」
そう言ってクーネがアールグレイティーに口を付けた。
騎央も口を付けてみる。香りと、すっきりした味わいが信条といわれる紅茶は、とても合成物には思えなかった。
他愛ないおしゃべりが始まった。
最近の地球の天気とか、CSの新番組で面白い物はないか、とか。学校のこととか。
ざっくばらんな雰囲気で、時折お茶とお菓子(ともに地球の物を模していた)の補充をしながら、騎央たちは一時間ほど歓談した。
「じゃ、あとは夕食会でね」
「はい」
「じゃあ、とりあえず部屋に帰りながら市街地区画の見学でもしますか?」
「そうだね」
わいわいと会議室からエリス、アオイ、アシストロイドたちが出て行く。
「あ、ちょっと騎央君」
クーネは騎央を呼び止めた。
「はい、なんでしょう?」
「みんな、あなたには感謝してるわ……ただ、キャーティアは感情表現が大げさなのがおおいから、ちょっと覚悟しててね」
「あ…………はい」
騎央は苦笑しながら答えた。
「それと、ようこそキャーティアシップへ……いつも言い忘れるのよね、これ」
言うと、クーネはきゅっとウィンクをしてみせた。
普段からエリスと親しくしてなければ、それだけで生《なま》唾《つば》ものの行為だが、騎《き》央《お》は煩《ぼん》悩《のう》に惑わされることなく、素直に好意を受け取ることが出来た。
「はい、ありがとうございます」
「二日間だけど、楽しんでちょうだい」
「ええ、ありがとうございます」
少し騎央は考え、
「でも……なぜ、今、なんですか?」
状況が一段落しているから、というのは判る。だが、それならもっと前でも良かったはずだ。
「んーとね、これはあなたへの最後の質問でもあるの……本当に、いいの?」
「え?」
「つまりね、今ならまだ、ふつうの地球人に戻れる、ってこと」
「……」
「今なら『地球人類で初めてキャーティアとコミュニケーションを取った人物』っていう称号だけもらって、これからのややこしいことは全て外務省とかに任せてしまう、っていうのも手よ」
「それは……」
大丈夫です、僕の決心は変わりません。
そう続けようとした騎央を、クーネは優しく目線で制した。
「二日はちょっと短いと思うけど、私たちと生活してみてから、結論を出してちょうだい」
「…………」
騎央は少し考え、頷《うなず》いた。
「艦長、何の話だったんですか?」
外に出た一行に追いつくと、エリスが尋《たず》ねた。
「うん……まあ、ちょっとしたアドバイス、かな」
「?」
首を傾《かし》げるエリスに、騎央は笑って「さ、行こうか」と促《うなが》した。
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第四章 男もちゃんといるのであった[#「第四章 男もちゃんといるのであった」は太字] [#小見出し]
「……これと同じものがあと七つ?」
大講堂から出た騎《き》央《お》たちは、取りあえずちょっと中央のメインエレベーターシャフトまで来ていた。
エレベーターシャフト、とはいえ、それは船の中央を上下に貫く巨大なもので、直径だけで五〇メートルはある。
問題は、この中央から伸びる大きな道である。
直径一〇キロの母船を五つに分割する大きな道。片側三車線の道路並みに広い。
キャーティアシップの大《おお》雑《ざっ》把《ぱ》な形状はシンバルで丸い板を上下から挟んだ、といえばわかりやすいだろう。
前回、危うく地球にこの船が激突しそうになったとき、騎央が走り回ったのは中央部分ではなく、シンバルで言えば持ち手の付け根にあたる部分(つまりブリッジ近く)の、ほんの外周部分だったのである。
それ以後も、騎央は遺伝子治療のために直接ブリッジ付近のブリッジ要員専用の中央医療室にあげられていたので、ここを訪れるのは初めてのことである。
「ここはブリッジのすぐ下にある通りです。基本的に会議とか、艦内イベントを行うための、大きな施設がある所です」
確かに、地球の上にある建物と違って、天井とぴったりくっついている建物ばかりで、一見するとわかりにくいが、出入り口らしい部分はみな大きく、個数も少ない。
「あと、研究、教育機関とか」
「教育機関?」
騎央が目を丸くした、
「ひょっとして、大学とかもあるの?」
「いえ、大学とかの上級教育機関とかはさすがに恒星のある惑星にしか設置が認められてないんで、ここにあるのは文化人類学とかの出先研究機関だけですけれど……そうですねえ、地球で言えば保育園から小学校ぐらいまではここにありますよ」
「…………いったい、どれくらいの数の人たちがいるの?」
アオイが基本中の基本を尋ねた。
「この船は恒星間外交船のカテゴリーでいえば中級ですし、第二段階に進んだ、ってチャイカが言ってますから、最近までは士官とその家族を合わせて一万人、今は補充人員も合わせて三万人ぐらいはいるでしょうね」
「三万人…………」
直径一〇キロの中に三万人、という数が多いのか少ないのか、騎《き》央《お》にはさっぱりわからなかった。
「まあ、全区画に人を詰め込めんで、さらに冷凍睡眠状態にして、虚数空間に格納して、ただ移動するだけ、と考えれば一五〇万人ぐらいは何とか入りますよ」
ちなみに沖《おき》縄《なわ》県民の人口が一〇〇万人強。
ということは今の状態でも大分余裕があるということらしい。
「あ、そうか、直径一〇キロが八枚あるわけだから、結構余裕があることになるのか」
単純に考えても六二八平方キロメートル。
ようやく騎央の頭にもスケールのもの凄さが飲み込めてきた。
ちなみに騎央の住む那《な》覇《は》市(人口三〇万人)の面積が四〇平方キロメートル。
そう言えば、一度だけこの母船(正確にはその一部)がやってきたとき、那覇の街全体が真っ暗になったのを思い出す。
「ぶつからなくて良かったよなぁ……」
思わず騎央は呟《つぶや》いた。
実際にはぶつかることはなく、地球の手前で分解してしまうように出来ているとはいえ、やはり改めて考えるとえらいことではある。
「え? 何がですか?」
不意な呟きにエリスが足を止める。
「いや、何でもないよ」
それにしても結構閑散としている。移動通路に三々五々人は見えるものの、みなあちこちに急いでいるのか脇目もふらず歩いているか、そうでなければ隣の人物と話し合いをしてたりする。
時折、騎央たちに気づいた連中が軽く黙礼をするぐらいだ。
「なんか、平日の東京、って感じだなぁ」
「………というよりも……日曜日のビジネス街が……こんな感じ……かも」
アオイがそっと答える。
「そうなんだ」
何となく判《わか》ったような気がして、騎央は頷《うなず》いた。
「大丈夫『6』?」
不意に後ろにいるエリスの声がした。
振り向くと、アシストロイドの「6」がお腹を押さえるようにかがみ込んでいる。
「どうしたの?」
「『へいほん』に起こされたときに調子がおかしくなったみたいで」
そう言えば、背中合わせに寝ていたアシストロイドたちを「へいほん」が蹴《け》り飛ばしたとき、最初にその一撃を食らったのは「6」だった。
「………」
ちら、と「へいほん」を見ると、ご本人はありもしない壁に手をついて「反省」ポーズの真っ最中であった。
「修理出来《なおせ》るところとか、ある?」
「えーと、このへんだと……」
エリスは情報処理システムを腰のパウチから取りだした。
すぐに立体映像が地図を示し、ふたつの光点が灯《とも》る。
「この先にある幼稚園の隣りにアシストロイド管理センターがありますから、そこへ行けば大丈夫だと思います」
「よし、いこうか」
言うと、騎《き》央《お》はひょい、と「6」を抱え上げた。
弱々しく、「6」は「きおしゃん、ありあと」とプラカードを掲《かか》げる。
腕組みして「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」は感心したように頷《うなず》き、「定《さだ》やん」は「さすがわてのだんさん」とプラカードに書いて胸を張る…………ついでにひっくり返った。
「騎央さん、ありがとうございます」
やさしく「6」の額《ひたい》を撫《な》でてやりながら、エリスが感謝の言葉を口にした。
アオイはそんな少年を少し眩《まぶ》しそうに見ている。
移動通路をしばらく行き、幾つか乗り換えてさらにちょっと歩くと、大きな猫の足跡を模したマークが浮き彫りになったモノをはめ込んだ門があり、「とらねこようちえん」というひらがなが刻まれていた。
「えーと、ここを右です」
と言われて右に折れると、通路の突き当たりに「アシストロイド管理センター」と書かれた大きな両開きの四角い入り口があった。
扉の前に立つと、エリスは、
「こんにちはー!」
と声をあげた。
きぃ、と小さな音がして、扉が向こう側にゆっくりと倒れていく。
そこには真っ白な顎《あご》髭《ひげ》を…………というか、顎髭に見えるパーツを装着し、腰を心持ち曲げてねじくれた杖《つえ》を持ったアシストロイドが立っていた。
その老人アシストロイドは「なんのごよーか?」とプラカードを掲げる。
「あのー、この子の調子が」
とエリスが言うと、老人型アシストロイドはじーっと騎央に抱っこされた「6」を見た。
まるで咳《せき》でもするかのように頭を動かし「ついてきなされ」とプラカード。
そのまま背を向けてトコトコと歩いていく。
「…………」
まあ、こうなればついていくしかないので全員が従うと、最後に「へいほん」が中に入った途端に扉が閉まった。
黄色い明かりがあちこちについた暗い廊下に、思わず騎《き》央《お》も足を止める。
くるっと振り向いた「チバちゃん」が「しまた!」とプラカードを掲《かか》げる。
残った「錦《きん》ちゃん」「定《さだ》やん」と「へいほん」が戦闘態勢に入ろうとするのを、
「大丈夫ですよ」
エリスが言うと警戒態勢を解いた。
「アシストロイド管理の人たちってちょっと変わった人が多いですから」
そう言って歩き始める。
「…………」
アオイと騎央は顔を見合わせて、それでも従うことにした。
中に進んでいくと、やがて、ごうごうと火の燃える音と「かぁん、こぉん」という金属同士を打ち付けているような音が響き始めた。
廊下の途中から急に気温が高くなり、さらに左手に空いた入り口からどう考えてもたき火による明かりにしか思えないモノが漏れている。
「…………?」
騎央はちょい、と中を覗いてみた。
そこには白い水《すい》干《かん》に差し袴《ばかま》を履《は》き、頭には小さな烏《え》帽《ぼ》子《し》を乗っけたアシストロイド達が金床に鎚《つち》を振るい、あるいはふいごで火をおこしている。
「…………何作ってるの?」
思わず騎央は誰にともなく尋ねた。
その声に、「きっ」と神主みたいな恰《かっ》好《こう》をした数体のアシストロイドが騎央を見た。
何体かが、ばっ、とヤットコの先に挟んだ物体を騎央に示した。
「…………顔?」
こっくん、とアシストロイドたちが頷《うなず》く。
それはアシストロイドの顔の部分だった。
「あの…………エリス、アシストロイドってああやって作るんだっけ?」
少なくとも通常型は「種」みたいなナノマシンを蒔《ま》いて作っていたはずである。
「おかしいですねえ、確かに、カスタムタイプは通常タイプと違って手作りの材料レベルで作りますけれど、こんなやり方じゃなかったはず……」
エリスも首を傾《かし》げた。
奥から別のアシストロイドが出てきた。
額に「めいじんこくほう」と書かれたカードを貼《は》り付けたその偉そうなアシストロイドは、真っ赤に焼けたアシストロイドの顔パーツをためつすがめつし、「こんなではだめー!」とプラカードを掲《かか》げてヤットコごと床にたたきつけた。
ぱりいん、と小気味いい音をさせて顔パーツが粉砕され、その場にいたアシストロイド(むろん、「定《さだ》やん」たちも含めて)たちは恐ろしいモノをみた、とばかりに顔を手で覆《おお》い、ガタガタと震える。
よく見ると、「めいじんこくほう」と貼《は》り付けたアシストロイドも震えている。
「…………?」
「どうも、管理局の人がデモンストレーションか、習得プログラムをやらせてるみたいですねえ」
「…………」
何とも言えない「陶芸家」ごっこなのか「鍛冶《かじ》屋」ごっこなのかよく分からないその光景に、騎《き》央《お》は微妙な溜《ため》息《いき》をついた。
出口の妙なギミックといい、この光景といい、何となく、アシストロイドが微妙にトボケた部分を持っているのがよく分かったような気になる。
と、ちょいちょい、とエリスの太《ふと》腿《もも》を、老人アシストロイドが杖《つえ》で突っついた。
「きゃっ!」
びっくりするエリスに「でわさきをいそぐぞよ」とプラカードを示し、老人アシストロイドはてくてくと歩きだした。
さっきの光景がよっぽど恐ろしかったのか、アシストロイドたちはこわごわとかたまって歩き始める。
通路にはアシストロイドのパーツらしいモノが展示されていたり、修理用に並べられていたりする部屋が見えた。
そのたびにアシストロイドたちは「ぎくり」と足を止める。
「定やん」が「だんさん、こわいー」とプラカードを出しながら足元にしがみつくのを見て、他のアシストロイドもそれぞれの主《あるじ》の足元に駆け寄った。
彼らにしてみれば、人間の生首やら何やらが転がっているのと同じような感覚なのだろう、と騎央は思った。
「大丈夫、大丈夫だからね」
騎央は言い聞かせるが「定やん」は懸命に騎央の体を登って、少年の後頭部にしがみついた。
「やれやれ……」
ありがたいことにアシストロイドは一キロほどの重さしかないので、騎央でも大して苦にはならない。
アオイの方を見てみると、サムライ型のアシストロイドは彼女の周囲を、それでも護衛するように歩いている……が、右手と右足が同時に出るような歩き方になっている。
サムライでも怖いモノは怖いらしい。
まるでお化け屋敷のような管理局の中を一行は進む。
やがて「ここじゃ」と老人アシストロイドはある扉の前で立ち止まった。
「…………?」
不意に扉が左右に開いた。
真っ白い、清潔な部屋が現れた。
手術台のミニチュアのような台がずらりと並び、そこには通常型のアシストロイドが横たわっていたり腰掛けていたりしながら、同じアシストロイドや、キャーティアの職員らしい女性たちにあれこれ機械を近づけられたり、手足を持って曲げたり伸ばしたりしてみたりしている。
今までのおどろおどろしいイメージとは打ってかわった、清潔でてきぱきした雰囲気の場所だ。
「あのぅ……」
「あら、エリス」
金色、銀色、黒という、猫で言えば三毛猫のようなカラーリングの髪をしたキャーティアの女性が顔をあげてエリスに声を掛けた。
「元気してた?」
「セシミ! あなたこっちだったっけ?」
エリスが、顔見知りを見つけて表情が明るくなった。
「うん、取りあえず技術資格欲しかったから、二中周期前に辞令もらったのー」
きゃー、とか言いながらエリスとセシミと呼ばれたキャーティア女性はぎゅっと抱き合い、尻尾《しっぽ》を絡《から》め合う。
「へえ……」
キャーティア同士がはしゃぐという光景も初めてなら、尻尾を絡め合うという行為も初めて見たので、騎《き》央《お》は驚きと関心のないまぜになった声をあげる。
「で、どうしたの?」
「うん……えーと、騎央さーん」
「あ、この子です」
と抱っこしていた「6」を差し出すと、その三毛猫な髪をしたキャーティアは腰のパウチからエリスとは違った形の機械を取りだして近づけた。
チチチチ………と小鳥がさえずるような音がして、エリスと背丈は同じながら、胸のサイズはささやかな彼女は機械の表示を読み取って顔をしかめる。
「ありゃ、ちょっとひどいわねえ」
言われて「へいほん」が「反省」ポーズを再び取るのを見て、
「ああ、なるほど、あなたが問題の近接戦メインのアシストロイド『へいほん』ね。うちのチーフが気がかりだ、って言ってたわ……ね、エリス、この子、手が掛かるでしょ?」
「え? ま、まあちょっと変わってるけど……」
「えーと、騎央さんだっけ? あなたはどう思う?」
「ちょっと荒っぽいかなぁ」
「でしょうねえ……インタラクティブデータの収集のためのリンケージ思考をかなり広めにとってあるから。こっちでもこれでいいのか、って結構議論の対象にはなったんだけど」
「?」
騎《き》央《お》にはさっぱり判《わか》らない。
「えーとね、素手で殴《なぐ》り合いをするために、あらゆるモノが武器に使えるかどうかの情報収集をするのと、思考ルーチンを格闘戦モードに切り替えるタイミングがまだ掴《つか》めないから常にON…………まあ、早い話が乱暴者、ってこと」
「ああ、なるほど」
ようやく判る。
「まあ、その辺のバランス調整も兼ねての改修作業ってわけなんだけど……この子のほうが優先ね」
「どれくらいかかる?」
「ついでに微調整もするから、明日……かな? そうだ、ついでにそこの二体も一緒に微調整とチェックしておこうか?」
セシミはエリスの足下で「?」と首を傾《かし》げている「2」と「1」を指さした。
「そうね……明日は『定やん』たちに集中して貰《もら》った方が早そうだし……お願い」
「はいよ」
にっこり笑って、セシミは「6」の頭を撫《な》でた。
「ところでセシミ、こっちに来る途中、変なの見たんだけど……」
「ああ、あれね? 報告会の練習」
「へ?」
「ほら、本星のアシストロイド学会をやるときに地球の文化を吸収した出し物をしようって話になって……その時にね『匠《たくみ》ごっこ』をやろう、ってことで」
「…………大分間違えているような」
騎央が思わず突っ込みを入れると、
「え? そうなの?」
とセシミは目を丸くした、
「治療」というか「修理」のためにドック入りした「6」たちを「アシストロイド管理センター」に置いて、騎央達は外に出た。
「さて、どうしましょうか?」
「うーん『6』たちを置いたままってんじゃあまり見学しよう、って気にはならないなぁ」
「…………そうね」
そんな会話をしながら幼稚園の前を通り過ぎる。
ちょっと歩き、移動通路にさしかかったとき。
騎《き》央《お》の視界の隅で、アシストロイドがとて、とコケた。
「みきゃっ!」
変な音がした…………違う、声だ。
「?」
そっちの方へ振り向くと……。
アシストロイドではなく、見覚えのないモノが地面に突っ伏していた。
大きさは確かにアシストロイドぐらいだが……こちらは生き物だ。
というか……。
「子供?」
「え?」
エリスとアオイも足を止める。
「うぅ…………」
地面にびたーんと倒れたままのキャーティアの子供は、体を震わせた。
猫の耳がひくひくと動き、尻尾《しっぽ》がきゅるっと丸くなる。
「えぐ…………えぐぅ」
悪い予感が騎央の背中を撫《な》でる。
予感はすぐに的中した。
「みにゃああああああああ!」
どこから来たか判らないキャーティアの子供は、突っ伏したまま泣き出した。
「わー!」
慌《あわ》ててアシストロイドと騎央が駆け寄り、抱き起こす。
コバルトブルーの髪をしたその子供は、額と鼻っ面を赤くすりむいていた。
「わわわわわわ、泣かないで泣かないで!」
慌てて抱き起こし、騎央は三歳ぐらいに見えるその仔《こ》猫《ねこ》を必死にあやし始めた。
「い、一体どこから来たんだこの子?」
アシストロイドたちに尋ねてみるが、全員が頭を振って「わからない」と頭を振った。
殺意や害意のない相手に対して、アシストロイドは時折こういう状況になる。
「ひょ、ひょっとしたらさっき通り過ぎた幼稚園からじゃないでしょうか?」
あばばばばーとか、顔を両手で隠したり、ぱっと出したりをやりながらエリス。
「え、えーと、わ、わたしじゃあ幼稚園に行って先生を呼んでくるわ!」
アオイが身を翻《ひるがえ》そうとするが、それには及ばなかった。
「あっ、やっぱりここにいた!」
エリスより少し年上な黒髪のキャーティアがあたふたと小走りにやってくる。
「もう、ラーマったら!」
「うにゃー、ちぇんちぇー!」
女の子は半泣きになりながら走ってきた黒髪のキャーティアに手を差し伸べる。
「わ!」
ともすればそのまま取り落としそうになるのを何とか踏ん張り、騎《き》央《お》は何とか腕の中のキャーティアの子供を幼稚園の先生らしいキャーティアに手渡した。
すぐに少女は泣きやむ。
「すみません、この子ったらお昼寝の最中に抜け出してしまって……ありがとうございます、本当にありがとうございます」
先生キャーティアはしきりに頭を下げ、礼を言った。
「いや、良かったですよ、無事で……」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「それでは………」
と先生は子供を連れて帰ろうとしたが、
「やー」
少女はかぶりをふった。
そのままじーっと騎央の頭を見やる。
そして先生キャーティアの方を向いて、自分の頭の上にあるものと、お尻から出ているモノを掴《つか》んで言う、
「ちぇんちぇー、おにーちゃん、おねーちゃん、おみみ、おしっぽ、ないない」
「そうね、おにーちゃんとおねーちゃんはちきゅーのひとですからねー」
「らーま、いしょにいゆー」
「だめよー、おにーちゃんたちはいそがしいんですからね」
「やー!」
「ラーマったら……」
当惑する先生をよそに、キャーティアの子供は両手を握りしめてぶんぶんと上下に振りながら叫んだ。
「やー、やー!」
どうやら、少女はこのままでは帰らない、ということらしい。
「…………」
何となく、騎央は従兄弟《いとこ》の子供達を思い出してくすっと笑ってしまった。
正月、親戚同士の寄り合いで引き合わされた三歳の従兄弟は、エリスの尻尾《しっぽ》をしっかり掴んではなさなかった。
「ねえ、エリス……いいかな?」
赤い髪に金色のメッシュが入った前髪の少女はこっくんと頷《うなず》いて微笑《ほほえ》んだ。
「いいですよ」
アオイも頷く。
「じゃあ、いっしょに行こうか……いいですか? 先生?」
どうやら、少なくとも幼稚園は靴を脱いで上がる場所のようであった。
靴を脱いで幼稚園の中にはいると、「お昼寝時間」ということで意外に静かだった。
「懐かしいなぁ」
中にはいると、エリスはしみじみと呟《つぶや》いた。
「エリス、ここに通ってたの?」
「いえ、でも、わたしたちの社会では幼稚園はみんな同じ構造なんです。状況によってはあちこちに移転しなきゃいけませんし」
「へえ……」
とか言ってると、騎《き》央《お》の袖《そで》をさっきのキャーティアの子供、ラーマがしっかりと掴《つか》んだ。
「おにーちゃん、いっしょねんねー」
「はいはい」
騎央は言われるがままに幼稚園児といっしょに「お昼寝ルーム」へと向かった。
「…………」
そこは暗く、ほんのりと暖かい。
まあ、それはいいのだが……問題は、子供達の眠っているものであった。
「バスケット?」
広い室内にいくつも置かれたそれは、どう見ても籐《とう》編みの巨大なバスケットだった。
中にはクッションが敷き詰められていて、ひとつにつき三〜四人の子供達が丸くなって眠っている。
その姿はまさに仔《こ》猫《ねこ》だった。
奥の方にある一個だけ、一人分のスペースが空いている。
そこがどうやらラーマの指定席らしかった。
「おにーちゃん、にげちゃだめらめよー」
「はいはい」
騎央の袖を掴んだまま、少女はくるりと丸くなった。
しばらくあやしておこうかと思っていたのだが、目を閉じた途端、少女はすやすやと寝息を立て始め、騎央の袖を掴んでいる小さな指からも力が抜けていった。
「ありがとうございます、もう、大丈夫ですよ」
幼稚園の先生に言われ、騎央は息を抜くことが出来た。
「…………」
そっと袖《そで》を掴《つか》んでいた手をカゴの中に戻し、騎《き》央《お》は微笑《ほほえ》みながら立ち上がる。
「お茶でもどうぞ」
子供たちを起こさないように先生がささやいた。
テーブルの上に、艦長の時と同様に、光が収束して飲み物が現れた。
幼稚園の職員室はほんわかと明るいクリーム色で統一された内装で、地球の幼稚園と変わらず、可愛らしい絵が壁や床に描いてある。
ただ、地球と違って可愛らしいキャラの元がどんな動物なのかは不明だが、山羊《やぎ》に似ていたり、牛に似ていたりしているものも散見されるのが、騎央には面白い。
もっとも(このへんが地球滞在のキャーティアシップらしいところなのか)壁の隅っこに園児が描いたらしい落書きには、どこかで見たような黄色いネズミらしきものとか、日曜日の朝にやってるようなヒロインやヒーローの絵が描かれているのには、ちょっと苦笑したが。
「ごめんなさい。たぶんお手洗いに行くときにアシストロイドが歩いていくのを見て、お迎えが来たと思っちゃったんでしょうね」
幼稚園の責任者、園長先生は銀色のロングヘアの、おっとりした感じの美女だった。
「へえ……アシストロイドって、そんなこともするんですか?」
こちらの飲み物は、緑色をした、どろりとした液体だったが、飲むとほんのりした甘みと、刷毛《はけ》ではいたように薄く、ハッカのような喉《のど》ごしがある。
この飲み物は悪くないなぁ、と騎央はぼんやり思う。
「ここにいる子たちの親は何らかの形で船で働いているし、アシストロイドは家族ですから……あなたたちはそうじゃないの?」
「家族……まあ、確かにそうですね。どっちかというと友達というか、兄弟というか、そんなときもありますけれど」
そう言って騎央は隣に座った「定《さだ》やん」の頭をなでた。
くすぐったそうに丁稚《でっち》型アシストロイドは身をよじる。
「園長先生、|アシストロイド《ちびちゃんたち》のお風《ふ》呂《ろ》、終わりました」
子供を捜していたのとは別の先生が、緑色のアシストロイドたちを連れて入ってきた。
教育用なのか、明るい緑色のボディのアシストロイドは騎央たちを見ると次々とぺこりとお辞《じ》儀《ぎ》をする。
こちらも軽く頭を下げながら、騎央は園長先生との会話を続けた。
「ここにもいるんですね、アシストロイド」
「ええ。子供の頃からアシストロイドとのつきあい方は教えておいた方がいいし、大人の視線では見えない物も、この子たちには判《わか》るから」
確かに、子供に近い身長のアシストロイドなら判《わか》ることも多かろう。
「なるほど……」
つまり、ここではアシストロイドたちは教師のフォローをしているらしい。
騎《き》央《お》たちの見ている前で、アシストロイドたちは「定《さだ》やん」たちに近づいてアレコレ会話するように頭を動かし始めた。
エリスによると、アシストロイド特有の情報交換なのだとか。
そう言えば管理センターでも修理中のアシストロイドたちと「お話」していたし、アシストロイドというのはかなり社交的なものらしい。
職員用のトイレから出て、アオイはほっと溜《ため》息《いき》をついた。
幸いなことに、キャーティアたちの「お手洗い」はウォシュレット付きの西洋トイレと同じ使用方法で、遙《はる》かに清潔なシステムだった。
「どうでした?」
心配して付いてきてくれたエリスが尋《たず》ねる。
「大丈夫……ありがとう」
最悪の場合、砂を引いた箱が出てくるかも、と頭の片隅で思っていたことを恥《は》じながらアオイは答えた。
「よかったー」
ふたりは殺菌ゲートをくぐり、手洗い場を出て職員室に戻る。
「ねえ……エリス」
ふと、アオイが途中の部屋の前で足を止めた。
「あれ……何?」
園内に扉のついた部屋はなく、中はすべて素通しなのだが、そこは一〇畳ほどの空間で、ハニカム構造の分厚い板が何枚か重ねられておかれている。
すべて、かきむしったような痕《こん》跡《せき》があった。
「ああ、あれは爪《つめ》研《と》ぎ板です」
「え?」
「子供の頃《ころ》には必要なんですよ。おしゃぶりとかと一緒で、大人になるに従って要《い》らなくなりますけれど……」
アオイはぽかん、とエリスを見やった。
「わたしも五周期ぐらいまでは使ってました。ふつうは四周期ぐらいで要らなくなりますけど……子供の頃はアレがとても楽しいんですよ」
「なるほど……」
アオイはちら、とその隣の部屋を見た。
「あそびべや」と書かれた部屋の中には、子供がしがみつけるぐらい巨大な毛糸玉がいくつも転がっている……あれもきっと、見た目通りの使用法なのだろう。
聞いてみると、やはりその通りという答えが返ってきた。
ドアが静かに開く気配。
「園長先生、庭木の手入れ終わりました……あれ、お客さんですか?」
落ち着いた少年の声がして、騎《き》央《お》は思わず振り返った。
「あ、ナクト先生」
園長がにっこり微笑《ほほえ》む。
「ああ、君はカカズ・キオさん……ですよね」
園長と同じ銀色の髪をした、おとなしい感じの少年は、そう言って微笑んだ。
着用しているスーツもエリスたちと違ってかなりゆったりしていて、カラーリングも地味だ。
「この前は、この船を助けてくれて、ありがとう」
「あ、いえ、その……」
騎央は真っ赤になって頭を掻《か》いた。
「た、ただ、運が良かっただけです、エリスとかも助けてくれたし」
「でも、君が僕らを助けてくれたことに変わりはないですよ」
「あ、ありがとうございます」
ギクシャクと騎央は頭を下げ、それからしばらく沈黙があった後、おずおずと口を開いた。
「あの……な、ナクトさんは男の方……なんですね?」
「ええ……ああ、そうか、ひょっとして男のキャーティアを見るのは初めて?」
「は、はい」
「まあ、そうでしょうね。人口比率からすると三〇対一だから」
くすくす笑いながら、ナクトは自分の分の飲み物を出現させた。
「へえ、あなた、面白い思考ルーチンもってるわねー」
まだエリスたちが近所でうろうろしているとは思いも寄らない三毛猫ヘアのセシミは「6」のデータ整理をしながら何度も頷《うなず》いた。
「『変わり者』なのね、あなたは」
オモチャのようなメンテナンスベッドに斜めに横たわる「6」は頭をぽりぽり掻いて「いやはやおまずかしー」とプラカードを掲《かか》げる。
「恥《は》ずかしいことなんか無いわよ」
しばらく考え、セシミはあることを思いついたらしく「6」「2」「1」にそっと耳打ちした。
「……どう?」
ちょっと首をひねって考え込み、すぐに「6」は「いでしね」と答えた。
他の二体はまだ考え中。
そのまま、子供たちが起きてくる前に退去すれば良かったのだが、ついつい長居をしてしまったのが運の尽き。
お昼寝時間を終えて、眠い目をこすりながら起きてきた、最初の子供の一人がふと足を止め、ぽけーっと首を傾《かし》げ、ぽつり、と。
「わー! このおにーちゃん、しっぽないー! おっきーみみなーい!」
と言った途端、他の子供たちの足も止まった。
「おねーちゃんもしっぽないー! おみみもないー!」
まあ、そんな叫びが同時にあがった……と思ったら、騎《き》央《お》たちは子供たちに襲われた……まぁ、実際にはわらわらとすがりつかれたわけであるが。
騎央もアオイもそのまま床に座り込まされ、子猫たちのオモチャである。
「あ、いや……あの、ちょ、ちょっと……痛い」
「わ、だ、駄目だってば! し、しっぽはないのー!」
「きゃああっ! ス、スカートめくらないでー!」
「わ、わわわっ! た、助けてエリスー!」
すると、てん、てん、てん、てん、という音が響いた。
「あーかいおたまはたのしーなー♪」
いつの間にか「あそびべや」からあの大きな毛糸玉を持ってきたエリスと幼稚園の先生たちが、軽やかに歌いながら軽く毛糸玉をはねさせている。
「おたまはころがるたのしーなー♪」
やさしく微笑《ほほえ》みながら、一心にエリスは毛糸玉を弾ませている。
「けいとのおたまはたのしーなー♪」
気がつくと、子供たちの動きが止まっていた。
「ころころ、ころころたのしーなー♪」
皆、一斉にエリスたちを見ている。
「ころがるけいとのおーたーまー♪」
エリスは毛糸玉をやわやわと左右に転がし始めた。
「けーいとけいと、けいとのおたまー♪」
後ろから「定《さだ》やん」たちも現れて、同じように毛糸玉を左右に転がし始める。
いつの間にか、子供たちは毛糸玉に合わせて左右に身体《からだ》をゆらしはじめた。
「けーいとけいと、けいとのおーたーまー♪」
しずかな歌声が終わり、エリスは初めて視線をあげて子供たちを見た。
「あそぶ?」
一斉に全員の頭が上下に動いた。
「うん!」[#特大見出し]
わーっと子供たちが毛糸玉に群がり、あわてて「定《さだ》やん」「チバちゃん」「錦《きん》ちゃん」は退避、緑色の幼稚園カスタムとバトンタッチする。
「さ、キオさん、アオイさん、行ってください」
いつの間にかナクトと園長が騎《き》央《お》とアオイの後ろにいて、立たせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
小声で言って、騎央たちは逃げ出すように幼稚園を後にした。
騎央とアオイはそのまま倒れ込みそうな顔で公園のような場所にたどり着いた。
小さな公園ぐらいの大きさのここには、円形にベンチが配されていて、ちょうど一休みできるようになっている。
「あー、びっくりした」
「子供って……怖いのね」
一般人の騎央はともかく格闘戦の達人であるアオイまでもいいようにされてしまったのだから、まさに子供恐るべし、である。
「まー、そうですね」
くすくすとエリスが笑う。
「もー、教えてよ、判《わか》っているなら」
「はーい。でもちゃんと助けに来たでしょ?」
「そういえば……エリス、キャーティアの子供ってアレでいつも?」
「んーと、どうなんでしょ? ウチはおばあちゃんがよくこれで小さな子たちをあやしてましたから、そのままやっただけなんですけれども」
「ふぅん……」
あやす、というよりもコントロールのような気もするが、ともかく、あの状況から逃げ出せたのだからありがたい話だと騎央は思った。
気がつくと、空気が夕日の色に染まっていた。
「あれ?」
顔をあげると、空……というよりは天井なのか……は真っ赤な夕焼けである。
「これ……」
「ええ、ちゃんと朝昼夜があります」
騎央はしばらく通りを眺めていた。
アオイも黙って視線を通りに向ける。
アシストロイドたちも、主《あるじ》が何を見ているのか知りたいらしく、同じ方向をじっと見つめる。
人が流れていく。
大人子供、様々な人たち。
猫の耳と尻尾《しっぽ》を着けた人たち。
天井までぴったりくっついた建物がずらりと並び、メカニカルな自走道路が動いている。
だが、その光景は、近所でふと立ち止まってみる風景と何ら変わらないような気がした。
(これが、エリスのいる世界なんだな……)
騎《き》央《お》の横を何かが通り過ぎた。
「おにーちゃんしゃいにゃらー!」
「?」
ふと視線を下に落とすと、先ほどの幼稚園児のひとりが、後ろ向きにカプセル状の座席に固定され、手を振りながら遠ざかっていく。
「あ、さ、さよーならー!」
慌《あわ》てて騎央が手を振ると、幼稚園児はきゃっきゃっと手を叩《たた》いて喜んだ。
それがきっかけになったかのように、次々と幼稚園児を後ろに乗っけた、アシストロイドが運転する巨大な三輪スクーターが、自走道路と自走道路の間をするすると走っていく。
電気か何かを使っているらしいスクーターの音は非常に静かで、それが妙に幻想的だ。
子供たちは全員騎央とアオイを見つけると手を振り、騎央とアオイはそれに手を振って応えた。
「あれが……『お迎え』?」
アオイが尋《たず》ねると、エリスはこっくんと頷《うなず》いた。
「そうです。手が空いていればお母さんかお父さんが迎えに来ますけれど、船の中だと大抵はアシストロイドですね」
言われてみれば、ごく少数であるが、自走道路にもちらほら、幼稚園児を連れた、ヤケに若い男女の姿が見える。
「キャーティアって、ずいぶん若いウチに結婚するの?」
以前、海に行ったときに説明を受けたアオイと違って、そのへんの話を知らない騎央が尋ねる。
「結婚は大抵四〇周期から五〇周期ぐらいで、そのあたりで子供も作る、ってのが一般的ですね。それまでは発情期ごとの『つがい』の関係を結ぶのがふつうです」
「でも……あの人たち」
「ああ、地球の人と違って、私たちの寿命は平均で二〇〇から三〇〇周期ありますから」
「……」
つまり、外観と実年齢が大きく食い違う、ということらしい。
「よぉ! 何こんなトコうろちょろしてんだ?」
聞き覚えのある声がして振り向くと、そこにはチャイカが立っていた。
なぜか、ラーマと呼ばれてた幼稚園児の手を引いている。
「ああ、チーフ、お帰りですか……?」
挨《あい》拶《さつ》したエリスもそのことに気づいたらしく「?」と首を傾《かし》げる。
「おう、そう言やまだ会わせたこと無かったな、オレの末娘のラーマだ」
「は?」
三人ともぽかんとした顔になった。
「きおにーしゃん、あおいねーしゃんー♪」
とてとてとラーマは騎《き》央《お》の足下にじゃれてくる。
「あ、あの、えーと……こんにちは、ラーマちゃん」
アオイは一瞬とまどった顔になったが、すぐにかがみ込んでラーマと遊び始める。
「ま、まさかちゃ、チャイカって……結婚してるの?」
呆《ぼう》然《ぜん》とした顔で騎央。
「あれ? 言わなかったっけか? こいつの上にあとふたりいるぜ」
「……」
思わず騎《き》央《お》とアオイは顔を見合わせた。
大型シャトルが「ルーロス改」の隣にゆっくり入港してきた。
それ自体に超空間転移システムを内蔵した、長距離移動用の連絡「船」は、優雅な動きで着床すると、ハッチの中からふたつの影を現した。
「ようやく着いたねえ」
ひとりは金色の髪と尻尾《しっぽ》の男のキャーティアである。
ゆったりとした、まるでガウンのような衣装に身を包んだ、背の高い青年である。
手首と両手の指には、独自のデザインの指輪が光っている…………それは彼が、キャーティア世界の電子職人《テクノクラート》、システムエンジニアであるという証明だ。
「まったくねえ……超空間転移を使って一中周期もかかるとは思わなかったわ」
もうひとりは小柄な女のキャーティア。真っ赤な髪に中肉中背、ただし、胸がかなり大きい。
こちらは片手に「出土品」と書かれた大きなコンテナキャリアーを持っている。
「まあ、仕方がないよ。我々がいたところは遠かったからねえ」
「もう、エリスったら、親に黙って『つがい』の相手を見つけちゃうなんて」
「まあ、仕方がないよ、何しろ三〇〇光周期も離れているわけだし、彼女も大人なんだし」
「もう、お父さんはいつもそうなんだからぁ」
「まぁ、いいじゃないか」
「……うん、そうね♪」
「ごちそうさまでした」
波の上の大橋近くにあるレストラン「バッカスの胃袋」。窓際の席に、ちょっと考えられない取り合わせの男女が座って食事を終えた。
「とてもおいしかったです」
にっこり微笑《ほほえ》んだのは騎央たちの担任、糸《いと》嘉《か》州《ず》マキだ。
創立記念日で休日とはいえ、教師の業務は常に山積みである。今日も今日とて彼女は学校帰りのぴしっとしたスーツ姿だった。
「それは良かった。ここの鳥の丸焼きとかは結構イケるでしょ?」
と言って笑ったのは騎央の叔父、宮《みや》城《ぎ》雄《ゆう》一《いち》である。
「クリスマスはここかチャビィのチキンで、と決めてるんですよ私」
こちらもいつもと変わらず、真っ赤なアロハにバミューダパンツという怪しげな出で立ちである。
「なるほど……そうなんですか」
マキはすっかりうち解けた表情で微笑《ほほえ》んだ。
この前の事件以来、このふたりは急速に親交を深めつつある。
どこかお堅く、融通の利かないマキと、融通で世の中が回っているような雄《ゆう》一《いち》とは本来水と油、犬猿の仲になってもおかしくないのだが、あの時の騒動がふたりの齟《そ》齬《ご》を上手《うま》い具合にかみ合わせるきっかけになってくれた。
「そういえば、嘉《か》和《かず》君は今日から二日間宇宙だそうですね」
「ええ。まぁ、あの年齢で外泊というのはちょっと問題ですが、実際には『向こう側』の保護者同伴、みたいなものですし」
「宇宙船かぁ…… どういう感じなんですの?  雄一さんは乗られたことがあるんでしょう?」
マキの目がきらきらと輝いた。
「いやあ、私が乗っているのは連絡艇《シャトル》のほうですからね。それも沖《おき》縄《なわ》と東京の間を行き来するときだけで」
雄一は苦笑しながらコーヒーを口にする。
「ただ、ナビゲーションは驚異的ですな。あれなら子供でも、負傷していても無事に目的地にたどり着くことが出来るでしょう」
そこで言葉をいったん切り、ちょっと失礼、と断って、雄一は懐《ふところ》から携帯電話を取り出し、パネルを開いていくつかのボタンを押し、元に戻した。
「どうなさいましたの?」
「いや、メールが来たかと思いまして」
にっこりと雄一は笑うが、その視線の先、マキの背後で、こちらへ向けて指向性マイクを向けていた白人の男が顔をしかめ、そそくさと席を立つのが見えた。
「まあ、どれくらいかといいますとね……」
雄一は、白人男が本当に聞きたかったであろう、「ルーロス改」のナビゲーションシステムに関する話をマキにし始めた。
呉《ご》服《ふく》屋《や》勤めも一ヶ月、そろそろ仕事に追われっぱなしという状態は抜け出しつつあった。
店じまいして、夕食の支度をし、給仕をしながら自分も食べ、後かたづけをした。
ふと、手の空いたジェンスは店兼住居の二階、店からは裏手にあたる物干し台から外へ出た。
都会の濁った夜でも、目をこらせば星は見える。
まして、東京は珍しく雨が降った後だから、空気も少しは綺《き》麗《れい》であった。
「…………」
じいっと見上げていると、不意に涙がにじんできそうになって、慌《あわ》てて彼女は精《せい》悍《かん》な表情に戻ろうと頭を振って顔を伏せた。
「新入りさん、つらいの?」
ふと声がして、顔を隣の家に向けると、心配そうな顔の中学生がこちらをみていた。
隣の足袋《たび》屋の末っ子だ。
そのあどけなさに、ジェンスはリュンヌの面《おも》影《かげ》を見いだしてしまい、ますます胸が苦しくなった。
「辛《つら》いわけでは、ない」
それを隠そうと、ことさらぶっきらぼうに答える。
「ここの女将《おかみ》さんは口は悪いけれど、悪い人じゃないよ。『ミコ』もそう言ってたし」
「ミコ」とは「大佐」の赤いアシストロイドのことだ。
「大佐」はここに住み着いて二〇年、すでにこの近所にとって「ミコ」はさほど珍しい物ではなくなっているらしい。
「僕も子供の頃《ころ》、よく叱《しか》られたけれど、でもいいことをすれば力一杯|褒《ほ》めてくれる人だよ……お姉さんの前にいたバイトの人たちもみんなそうだって言ってた」
自分のぶっきらぼうな言動にも怯《ひる》まない少年に、ジェンスは自分の未熟を恥《は》じ、少し素直になることにした。
「……そうか。少年、ありがとう」
「うん。お姉さん、名前は?」
「私の名はジェンス。君の名は?」
「啓《けい》介《すけ》」
「そうか……ケイスケ、しばらくよろしくな」
そう言ってジェンスは微笑《ほほえ》み、自分が久々に笑ったことに気がついた。
懐かしい気分が蘇《よみがえ》ってくる。
そうだ、父母が死に、入った士官学校でいじめられ、夜中に声を殺して泣きじゃくっていたとき、彼女のルームメイトが話しかけてくれた。
それだけでずいぶん、気持ちが軽くなったものだ。
この生活も何とかなるのではないか。
そんな明るい気分がジェンスの胸の奥に小さく、光をともした。
パーティが終わって帰ってくると、それこそ騎《き》央《お》もアオイもソファーの上にひっくり返った。
「お疲れ様でした」
クスクス笑いながら、エリスは温かいお茶を「出現」させた。
「疲れたぁ……」
この前のクリスマスパーティの時に作ったタキシードの襟《えり》元《もと》をゆるめながら騎央がしみじみと呟《つぶや》いた。
「本当……」
パンプスを自分の足から外しながら、カクテルドレス姿のアオイも同意する。
「チバちゃん」と「定《さだ》やん」がそれぞれ騎《き》央《お》とアオイの上着を脱がせ、「錦《きん》ちゃん」と「へいほん」がエリスの手からお茶の入ったコップを受け取ってふたりに手渡す。
「外交官って大変だなぁ……料理の味もわからなかったよ」
「……ええ」
何しろ、延々と握手と挨《あい》拶《さつ》である。
パーティ会場には数百人の母船の上級士官、増員された外交関係者、さらに地上に降りたくて仕方がない文化分析班の連中などがいて、ひっきりなしに騎央とアオイに挨拶しに来る。
幸い、エリスと艦長のクーネが巧みに捌《さば》いてくれたから、引き合わされた一人ひとりとさほど長く話をしないで済んだものの、目の回るような数時間であった。
「とりあえず、お風《ふ》呂《ろ》でも入ってくださいな」
「じゃあ、騎央君、先に……どうぞ」
「あ、うん……ありがとう」
くたくたになった身体《からだ》を引きずって、騎央は「お風呂ってどっち?」と尋《たず》ねた。
「あ、えーと右の方のドアです。使い方は騎央さんの家にあるのと同じですから」
説明しながらエリスは壁と一体化した収納からタオルを取り出して、騎央に手渡した。
いつも風呂のついでに洗って貰《もら》う「定やん」も、こちらは懐《ふところ》から取り出した手ぬぐい片手にとっとことついてくる。
ドアを開けると、確かにエリスの言ったとおり、脱衣場らしい所があり、さらに奥には湯船と洗い場があった。壁にはシャワーヘッド。
「……ふう」
さすがに騎央も安《あん》堵《ど》する。トイレと風呂だけは地球と変わらないことが、これほど心安らぐことだとは思わなかった。
服を脱ぎ、綺《き》麗《れい》に畳んで風呂場に入る。
その途端に湯船の中に水が張り、湯気を上げ始めた。
「へえ……」
日本語と同じ言語なのはありがたいもので、壁にあるくぼみに手やタオルを入れればボデイーソープとシャンプーが出ることがすぐに判《わか》る。
自分の身体を洗い、「定やん」も洗い、騎央は湯船に身を沈めた。
「はあぁ……」
湯船で手足を伸ばすと、思わず声が出る。
騎央の膝《ひざ》の上で手ぬぐいを頭に載っけた「定やん」が歌でも唸《うな》るように頭を動かす。
「しかし、ここがエリスの世界なのか……」
ぽつり、と呟《つぶや》く。
自分がいま感じている距離感が、彼女の中にあるのだとしたら(いや、あるに決まってはいるのだが)あの暢《のん》気《き》な笑顔の裏にはどれだけの強さが必要なのか。
(やっぱり、偉いよなぁ……)
しみこむような思いで、騎《き》央《お》は腕を組んだ。
(双《ふた》葉《ば》さんにしても、エリスにしても本当に、僕でいいのかな?)
心底、そう考えていた。
自分がこの船を救い、少女ふたりの身を、文字通り命がけで助けている、という事実は、少年の脳からすっぽりと抜け落ちている。
この辺が、嘉《か》和《かず》騎央の不思議な部分であった。
「……エリス」
騎央が風《ふ》呂《ろ》から出てくるのを待ちながら、アオイはエリスに話しかけた。
「あなた……凄《すご》いのね」
「え?」
「きっと私……今日、あなたと騎央君がいなければ……くじけてたかも」
正直言った感想である。
ここは地球の上ではなく、日本人どころか、地球人は自分と騎央だけ。
キャーティア人そのものは皆親切で穏やかで、人前ではあがりがちなアオイにとってもありがたくはある。
ありがたくはあるものの、ふと「ひとりぼっち」を実感する瞬間、足下にぽっかり大きな穴が空いているような、喪失感というか、寂《せき》寥《りょう》感が背中を覆《おお》ってしまうのだ。
そんなとき、騎央とエリスがいてくれるというのは、とても心強かった。
「まあ、何の訓練もしてない人が、まるっきり知らない土地に行く、ってのは辛《つら》いですからねー」
あはは、とエリスは笑いつつ、「へいほん」のリクエストにこたえて温かい烏龍《ウーロン》茶を出してやった。
その場に座り込んでこきゅこきゅと烏龍茶を飲み始める「へいほん」の頭を軽くなでてやりつつ、エリスは続ける。
「でも、わたし、騎央さんとアオイさんなら大丈夫、って信じてましたから」
「……見込まれた物……ね」
「ええ。人を見る目だけはあるつもりなんです」
ふたりは互いを見つめ合った。
そのうち、アオイの方がくすりと笑う。
やがて、少女たちの笑い声が部屋に響いた。
第五章 「へいほん」とったか逃げ出した[#「第五章 「へいほん」とったか逃げ出した」は太字] [#小見出し]
あたたかい。とてもあたたかい。
そんな、幸せな単語が双《ふた》葉《ば》アオイの頭の中で響いていた。
風《ふ》呂《ろ》上がりに、三人で話し込んでいたところまでは覚えているが、さて、どうやって寝床に入ったのかは記憶にない。
そんなことはどうでもよかった。
口元がほころんでしまうぐらい気分が良かった。
寂しくない、その嬉《うれ》しさだった。
ひとりではない。
「チバちゃん」「錦《きん》ちゃん」たちが来てから大分薄まったものの、しつこく心にこびりついてしまっている寂しさが、今はない。
真《ま》奈《な》美《み》の家で「お泊まり」したときにも感じるが、今回はその何倍も嬉しい。
覚《かく》醒《せい》と眠りの狭《はざ》間《ま》で、アオイはにこにこ微笑《ほほえ》みながらぎゅうっと抱きついた。
「にう……」
抱きついた相手が声を出したが構わない。
それに、相手もアオイを抱きしめ返してきてくれた。
ああ、ひとりじゃない夜。一人じゃない朝。
それに、こんなに心が穏やかで。
「うふふっ」
笑いながらアオイはこの幸せな時間がいつまでも続いて欲しい、と願う。
記憶の底にある単語が、ふと言語中枢に上った。
いつもは言えない、決して口に出来ない、可愛《かわい》らしいひと言を。
「にゃぁ……にゅう」
すると、抱きついた相手も答えた。
「にゅぅん」
だからこちらも言い返す。
「みみみゃあん♪」
楽しい。
自分が一足飛びに綺《き》麗《れい》に、可愛《かわい》らしくなったような気がした。
それが嬉《うれ》しかった。
アオイはふにふにと、自分が顔を埋めているものに、ますます顔をすり寄せる。
何となくいつもの時間に目が覚《さ》めて、騎《き》央《お》はダイニング(というのだろうか)のソファーから起きあがった。
キャーティア独特の筒《つつ》状《じょう》の布団は、その動きに絶妙に合わせて縦横に広がり、少年を無《ぶ》様《ざま》に転倒させる、などということをしない。
「…………」
最初に目が覚《さ》めたのは多分真夜中。女の子ふたりと同じ部屋に寝ていると判《わか》って、慌《あわ》ててここへ移ってきたのだ。
のそのそとトイレに行って身軽になると、もうひと眠りと思いながら寝室の前を通りかかる。
ドアのない寝室では、筒状布団に入ったエリスとアオイが抱き合って眠っている。
それも、妹が姉に甘えるように、アオイはエリスの豊満な胸元に顔をすりよせ、ふたりしてまるで会話しているかのように「みゃー♪」とか「にゅー」とか言い合っている。
「……ふふっ」
起き抜けのぼんやりとした頭で、騎央は微笑《ほほえ》み、自分の寝床に戻った。
東京駅に降り立った少女は、きょろきょろと周囲を見回した。
資料で見た、古い形の都市型移動システムだが、やはり実際にその身を中においてみると臨場感というものが頭を揺さぶるような気がした。
「凄《すご》いなあ」
ちょうどラッシュアワーにカチ合ってしまったので、人の波に飲み込まれないよう、柱にぴったりと背中を付けて立つ。
ワンピースの上からロングコートという出で立ちで、頭のてっぺんにある犬の耳をカチューシャ型の光学|隠《いん》蔽《ぺい》機《き》によって見えなくした少女……ジェンスの妹、リュンヌはしばらくじーっと人の流れ、流れを形成する人々の顔を見ていた。
「ここも、地球なのね……」
自分は、これらの人たちをよりよく導く「見えざる手」なのだ、とリュンヌは思う。
(リュシー、私は誇りに思っているのだよ)
士官学校へ入る朝、姉はそう言って誇らしげに微笑んだ。
あの姉の顔がリュンヌには忘れられない。
だから、姉が去った後、姉が「見えざる手」たらんとしている人々の顔を見ておきたかった……姉のように身体《からだ》が頑健ではなく、作戦|参《さん》謀《ぼう》という、ある意味人を「駒《こま》」として扱う技術職として軍に関わるリュンヌにとって、だからこそ「命」の重さを実感しておかねばならない、というのは絶対的な命題に近かった。
甘い、青いと言われることだとも思うし、だからといって、万が一の場合の犠牲者への義務や罪が消えるわけではない。
それは、少女なりの覚悟でもあった。
三〇分ほど立っていると、すこし人の波がとぎれた。
「…………」
リュンヌは一瞬目を閉じ、開くと、人の波へと一歩足を踏み出した。
司令室《ブリッジ》の真下、艦長用の貴《き》賓《ひん》室にエリスの両親は通された。
少し間があって、艦長たちが上のブリッジから降りてくる。
「いつも娘がお世話になっています」
とエリスの父が言い、両親は頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそ難しい調停と調査をよくこなして貰《もら》っています」
そう言ってクーネも頭を下げる。
「ところで、エリスの婿《むこ》殿と嫁《よめ》御《ご》殿はどういう人ですか?」
クーネが首を傾《かし》げるのへ、メルウィンが助けに入る。
「よい人物だと思います。まだ未熟な部分も多いですが、まっすぐで驕《おご》ったところのない人物です。いささか内罰的にすぎ、流されやすい所もありますが」
「……ちょっと点が辛《から》くない?」
「そうでしょうか?」
という艦長と副長の会話にエリスの両親は安《あん》堵《ど》の頷《うなず》きを返した。
「安心してエリスをお任せできそうですね」
「それは大丈夫だと思います。我々と地球の人たちとでは色々違う部分もありますが、彼女たちならきっとそれを乗り越えてくれるんじゃないかと」
「ところで、エリスに私たちのことは……」
「ええ、ご要望通り、まだ知らせておりません」
「ご配慮、感謝致します」
エリスの母親が頭を下げた。
「で、どうなされるんですか?」
「個別面談をしようと思いますの」
くすり、と燃えるような赤い髪のエリスの母が笑う。
「これが現在使われている代表的な二種類の拳《けん》銃《じゅう》です。こちらがリボルバー」
地球から持ってきた回転式|拳《けん》銃《じゅう》を取り上げ、アオイはレクチュアを開始した。
ここはキャーティアシップの保安要員が戦闘訓練を行う武道場の一角に設《もう》けられた射撃場である。
中には非番の保安要員や、一般士官が五〇〇人ほど集まり、全員が食い入るようにアオイの講義を見ている。
「このように、穴の空いた弾《だん》倉《そう》に、弾薬を詰《つ》めて使用します」
アオイは一〇年前、初めて銃火器のレクチュアを受けたときのことを思い出しながら、愛用のチーフスペシャルから弾薬を抜き、あれこれ弄《いじ》ってみせる。
「利点は手動式なので、不発が起こった場合、もう一度引き金を引けば次弾が撃てると言うこと、構造が単純なので強力な弾薬を使用する製品が作りやすいこと、ややこしい安全装置がないので誰にでも扱えると言うこと。欠点は今言ったことの逆、それに装《そう》填《てん》できる弾の数が一|桁《けた》だということです」
質問の手が上がった。
「以前、こちらが入手した資料によれば、リボルバーは構造が単純なので手入れも楽、とありましたが、それは長所にならないんでしょうか?」
「昔のリボルバーはシングルアクションと言って、撃鉄をいちいち指で起こす作業をせねばならないぶん、単純だったのですが、現在は」
そう言ってアオイはリボルバーの引き金を絞《しぼ》った。
「このように、指一本で撃《う》つことが出来ます。他にも命中率を上げるために色々と仕掛けが入るようになり、単純とは呼べなくなっています」
次に、アオイはもう一つの愛銃、グロック自動拳銃を取り出し、一通りの説明を終えて実射させることになった。
猫そっくりな|主 耳《メインイヤー》をぺたっと伏せ、副耳にヘッドフォンを付けた一団が、アオイが持ち込んだトランクいっぱいの銃を、指導のもとにタカタカと撃ち始める。
最初の頃はおっかなびっくり、「思考照準が無い!」とか「うわ、凄《すご》い煙と匂《にお》い!」と騒いでいたが、やがて慣れてきたらしく、全員が合成樹脂で出来たターゲットにそれなりの集弾を見せ始めた。
「はあ……」
とりあえず手がかからなくなった時点で、アオイは手近な椅《い》子《す》に座って監視するだけになったのであるが、早速出たのは溜《ため》息《いき》であった。
「どしたでしか?」と、朝一番で管理センターから修理を終えて帰ってきたエリスのアシストロイドの「6」が尋ねるが、アオイは「何でもないわ」と笑った。
もっとも、胸中はその逆である。
どうやら、昨日は風《ふ》呂《ろ》上がりに三人でおしゃべりをしているウチに自分も騎《き》央《お》もエリスも、「落ち」てしまったらしい。
問題は、ここから。
気を回した「定《さだ》やん」と「へいほん」、さらにアオイの「チバちゃん」&「錦《きも》ちゃん」たちが三人を寝室に運んでくれたらしい。
キャーティアの寝室というのは、冬の間は巨大なヒーター兼照明が天井から下がり、四方を柔らかいクッションの壁が包む中(早い話が巨大化したコタツの中)、筒《つつ》状《じょう》の布《ふ》団《とん》にくるまって眠るというもので、非常に心地よく。
……気がつくと、アオイは、自分がエリスに抱きついて、その豊満な胸の谷間に顔を埋めていたことに気がついて、慌てて離れた。
しかも、起き抜けで半分眠っている騎《き》央《お》に、その光景を見られていたのである。
後で聞くと「いや、双《ふた》葉《ば》さんすごく幸せそうな顔をしてたんで、起こすのに忍《しの》びなくて」と真顔で言われたのである。
何よりもアオイをとまどわせているのは、本当に幸せな気分に浸《ひた》りきっていた、ということだ。
誰《だれ》かと抱き合うのが気持ちいい、ということ自体初めてのことだし、まして相手がエリス……同性なのである。
「そーですね。わたしも気持ちよかったですよ。でも、ふつうじゃないんですか?」
と、エリスは大して驚きもしない。
確かに、クラスメイトを見ているとふざけて抱き合ったりしがみついたりするのはしょっちゅうやっているし、真《ま》奈《な》美《み》にされたこともある。
だが、どうしても「いけないことをした」という感覚がつきまとって離れない。
真奈美が近くにいれば、この辺の意見も聞けるのであろうが、悲しいかな、今は数万キロの彼方である。
「双葉さん、全員|撃《う》ち終えました」
言われてアオイは我に返り、慌《あわ》てて講義の続きを始めるべく立ち上がった。
(騎央君、どうしてるかな)
頭の片隅で、ふとそんなことを考える。
「……小学校時代はこんな感じでした」
騎央の方はといえば、延々と「自分語り」をさせられていた。
といっても厳密な思想の話ではなく、「思い出話」というレベルである。
「そんなにミニ四《よん》駆《く》というオモチャははやっていたのですか?」
情報端末でメモを取りながら、大まじめに文化分析班のキャーティアが尋《たず》ねる。
「ええ、僕らより四つぐらい上の世代だとビックリマンシール、だったそうですけれど、僕らの時にはえーと何回目かのブームで。その後がマジック・ザ・ギャザリングっていう外国のカードゲームのブームで、遊○王とか、ポケ○ンカードとかは僕らよりも下の世代に……なります? かな?」
一生懸命思い出しながら騎《き》央《お》は答えた。
「で、何かその頃《ころ》の思い出とかはありますか?」
「そうですね……うーんと……」
ひとつふたつ思い出すことは出来るが、それは少年をして躊《ちゅう》躇《ちょ》させるような類《たぐい》の話だった。
熱狂している小学生なら仕方がない、という程度の笑い話ではあるのだが、それをよりにもよって宇宙人に教えるのは「恥《はじ》の普及」にならないか、という疑問が頭の中に浮かんでいるのだった。
「……うーん、あるにはありますが、口にするのははばかられます。とても恥《は》ずかしいことですから」
「なるほど」
それすらも何かの参考になるらしく、分析班の連中は情報端末のメモを進める。
「えーと、判《わか》らないことがあるんですがー」
別のキャーティアが手を挙《あ》げた。
「最近、騎央さんの家の近くにおいて、音声しかない電波でこういう番組を受信するのですが、意味がわからない箇所があるんです」
「え? どんな番組ですか?」
騎央に言われてそのキャーティアは音声ファイルを再生した。
一声聞いて、騎央はそれが誰《だれ》なのか理解した。
『あろはおえー! いちかでーすー』
「いちかちゃんだ……」
おそらく地域FMの番組なのだろう、どうやらスポンサーも自分らしく、軽妙なBGMに乗っていちかの「オタク」なトークが展開していく。
「で、この中で……」
と、キャーティアが口にしたのは、非常に下品な単語を、別の単語に置き換え、さらにまたひねって置き換えることで表現したギャグで、確かにアニメや漫画、ゲームに興味がなければ判《わか》らない。
「で、これはどういう意味なんでしょう?」
あくまでも大まじめなキャーティアの顔を見て、さてどうやって答えたものかと騎央は冷や汗が流れるのを感じていた。
「えーと、すみません、直接本人に聞いてもらえますか?」
「え?」
「これ、しゃべっているのは僕の知り合いです」
多大などよめきがキャーティアの間で起こった。
「さすがエリスが見込んだ人物だ」とかの声も聞こえてくる。
(ああ……勘弁してよぉ……)
騎《き》央《お》は頭を抱えたくなった。
「はい、『定《さだ》やん』おしまーい」
ひょこっとメンテナンスベッドから「定やん」が飛び降りた。
「さ、次は問題の『へいほん』、あなたよー」
セシミの声に、カンフースーツを着けた一本おさげのアシストロイドは露骨に逃げ出そうとした。
その襟《えり》首《くび》をセシミはひょい、と掴《つか》んで持ち上げる。
じたばたと逃げだそうとしたが、無駄だとしって「へいほん」は扇子に「わるいよかんがするのでらいしゅーではどーか」と書いて示した。
「何言ってるの、さっきまではわくわくしながら待ってた癖に」
そのまま三毛猫な髪をしたエリスの同期は、「へいほん」を「定やん」がさっきまで座っていたメンテナンスベッドに据《す》え付け、手早く固定用のベルトを巻いた。
「はい、しばらく機能停止するからねー」
そう言って頭に豆電球を並べたバンダナのような機械を巻く。
豆電球の部分がチカチカひかると、「へいほん」はまぶたを閉じてかくり、とうなだれた。
「よし、と……じゃ、メモリを呼び出して……と」
セシミが空中で指を動かすと、空中投影型スクリーンに「へいほん」の記憶素子の内容が光の球となって表示された。
「んーと、ご主人様との記憶は優先保存、と。格闘データは一時保存にして……『判別不能情報』? 何コレ?」
セシミの指が、光の球の一つに伸びていく。
二時間ほどでアオイの「特別講習」は終わり、ちょっとした自由時間が出来た。
騎央たちとの合流予定である昼食まではまだ間がある。
いい機会なので散歩することにする。
アオイがいるのは上から四番目、図書館や研究機関らしい所が多い。学園都市とでも言うべきなのかもしれない。
そんな中を二〇分ほど歩くうち、アオイは艦内を自由に歩き回るコツを見つけた。
……といってもたいしたことではない。
この広大な艦内には一〇〇メートル以内に必ずアシストロイドが歩いているのだ。
どれか一体を呼び止めて行き先を聞けば、彼らは必ず答えてくれる。
考えてみればこれは当然の話で、アオイの所にいる「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」も差し障《さわ》りなく近所をうろついたりお使いに行ったりする。
だから、独自のナビゲーションシステムを搭《とう》載《さい》しているだろうし、アシストロイドは「人のフォローをする」のが目的で存在するのだから、アオイに対しても当然のごとく丁《てい》寧《ねい》に対応してくれる。
アシストロイド独自の判読しにくい文字を解読する手間はあるが、それは「チバちゃん」たちで慣れているので問題はない。
さらに、同行しているアシストロイドの「6」も、情報交換さえすればナビゲーションが可能であるとわかると、早速、手近なアシストロイドから情報を貰《もら》い、あとはのんびりと散策が出来た。
そんなわけで、アオイは大学のような場所の庭を歩いていく。
全ての建物が上下にぴったりくっつき、まるで崖《がけ》の中に作られた未来の地下墓地《カタコンベ》のような、|NORAD《北米航空宇宙防衛司令部》の中のようなユニークな風景なのに、どこか開けっぴろげで、表示が日本語と同じ、というのは不思議な感じがする。
道が広く、天井いっぱいに広がる照明のお陰《かげ》もあるのかもしれない。
騎《き》央《お》に以前、貸して貰ったアニメに出てくる平行宇宙《パラレルワールド》という場所に実際に行ったら、こういう光景もどこかにあるのかもしれない。
さすがに建物の外はふつうで、広大な前庭には芝生のような植物が生えていて、小川が流れ、あちこちに木々がある……どう考えても宇宙船の中には思えない。
「あの……」
不意に声をかけられた。
「地球の方ですか?」
振り向くと、真っ赤な髪の、地球人で言えば六〇代の外見をしたキャーティアだった。
珍しく、幾重にもマントのようなものを羽《は》織《お》っていて着ぶくれしているように見える。
「あ、は、はい……」
「まあ、そうなんですか……私、文化人類学の教授をやっております、アマリスといいます」
ぺこりと頭を下げた。
確かに、首の鈴の色は、さっきまでアオイが相手にしていたのと同じく銀色に赤……技術士官や、教授クラスという意味だ(宇宙船内の学校は全て軍属ということになるので、階級章が共通)。
そばには、専用アシストロイドなのか、エリスのとはちょっと違う、深みのあるワインレッドのアシストロイドがついている。
「地球のことに関して、いくつか質問があるのですけれど……よろしい?」
「お昼には友人と合流するので、それまでで……よければ」
答えると、アマリスと名乗った女性のキャーティアはにっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「では、そっちの木《こ》陰《かげ》でお茶でも飲みながら……あなたもどうぞ」
ちゃんとアシストロイドの「6」にも配慮するのがキャーティアらしい。
「いい? 昨日の夜は失敗だったから、今日は夜に何のスケジュールも入れないようにね、特にチャイカ! あなた、宴会とかに誘わないようにね。そういうのは明日の夕方に入れてちょうだい」
ブリッジの中、小声でクーネはチャイカに命じていた。
『あいよー了解だ、艦長』
艦長席の前に立体投影されたチャイカは「はいはい」という顔で苦笑する。
「昨日はああいう感じでいいけれど、今日はこの船にも慣れて、心に余裕が出来るわ。そういうときにこー、ご両親に揺さぶりをかけて貰《もら》って夜を迎えて貰うのよ、そうすれば……」
『わーってるって。それよりもエリスのご両親、ちゃんと押さえとけよ』
「ええ、そのために今夜はご両親とのお食事会があるもの」
「……艦長」
世にも情けない顔でメルウィンが話しかけるが、クーネの耳には届いていないらしく、目をきらきらと輝かせてクーネは続ける。
「でね、でね、チャイカ、あなたのおチビちゃんを一体、エリスの所に行かせられないかしら? ほら、モニタリングは大事じゃない?」
『クーネ、おめーよ、そういうのはスパイ行為で、禁止されてるって覚えてるか?』
「う……」
言葉に詰《つ》まったクーネを見て、チャイカとメルウィンは同時に、しかし意味の違う溜《ため》息《いき》を漏《も》らした。
セシミの指が情報を意味する光の球に触れた。
瞬《またた》く間に展開し、不思議な画像データが出てくる。
「何コレ?」
セシミが言葉を言い終える前に、自動でデータスキャナーがその画像を解析した。
その時偶然、「へいほん」の懐《ふところ》から、アントニアに貰った「おまもり」が落ちた。
当人はごく自然に手首の関節機能を調整して拘束具から抜け出し、それを拾おうとする。
接続端子のひとつが外れた。
慌《あわ》てて「へいほん」はそれを再び繋ごうとし、うっかり台に置かれた別のコードも一緒に掴《つか》んで己《おのれ》の体にくっつけてしまった。
そして、次の瞬間。
がぅううん。
エレベーターが止まるときのような音を数千倍に拡大したような音が当たりに響き、暗闇が騎《き》央《お》の周囲に生まれた。
「え?」
ようやく冷や汗ものの講義を終えて外に出た騎央だが、嫌な予感が背中をなでた。
ポケットに手を入れ、いざというときのために持っている、キーホルダーのフラッシユライトをつける。
あちこちでそれとは違う、柔らかい光が生まれ、キャーティアたちの姿がそこかしこにうかびあがる。
そのうちの一つが騎《き》央《お》の姿を照らし出し、すぐに小走りに近づいてくる。
「騎央さん!」
別の部屋で、こちらはこちらで特別講義をやらされていたエリスが小走りに寄って来た。
「エリス? これ、どういうこと?」
窓の外を見ると、そこにも暗《くら》闇《やみ》が広がっている。
停電、というレベルではない。外の太陽代わりの照明さえないのだ。
「わかりません。攻撃でも受けない限り、船内の照明が切れたりはしないはずなんですが」
「攻撃?」
「でも緊急事態警報《エマージェンシー》が出ないのはおかしいですし……」
と言ってるそばから人の神経を逆《さか》なでするような、狼《おおかみ》の遠《とお》吠《ぼ》えのようなサイレン音が響き始めた。
そして、すぐに照明がつく。
「?」
『警報、警報』
どこからともなく女性の声が響き始めた。
『船内にオルカベルス産ハツカ熱のウィルスが蔓《まん》延《えん》しています。当船はこれより二一短周期、高温度による熱消毒を行います』
「そんな馬鹿な」
「は?」
「何でたらめを!」
あちこちで憤《いきどお》りの声が上がった。
「おかしいですねえ」
エリスの顔が緊張する。
「オルカベルス産ハツカ熱、ってウィルスじゃなくて細菌感染だし、高温消毒じゃなくて、低温の液体消毒するはずなんです……もう四〇〇年も前に判《わか》ってる話なのに」
「じゃあ、言ってることは目茶苦茶じゃないか」
と、騎央は急に温度が上がるのを感じた。
建物のあちこちにある通風口から温風が吹き出しているのだ。
「嫌な予感がするなあ」
すでにこの状況がかなりマズイ状況なのは判っているがさらなる厄《やっ》介《かい》ごとが起きそうな気が、騎央にはあった。
果たして数分後、こけつまろびつやってきた「定《さだ》やん」たちによってそれは確実になる。
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第六章 リュンヌがちょっと危機だった[#「第六章 リュンヌがちょっと危機だった」は太字] [#小見出し]
かれは走っていた。
ここがどこなのか、自分が誰なのかは判《わか》らない。
ただひたすらに走っていた。
自分の行く先を邪魔する者があればこれを討《う》ち、行く手を塞《ふさ》ぐ物があればこれを打ち砕く。それだけがかれに残された全《すべ》て。
だからここが排気ダクトであるということも、自分が原因で今えらい騒ぎが発生していることも判らない。
その記憶素子に刻まれていたはずの記録は全て吸い出され消去されている。
今のかれにあるのは防衛本能、それだけだ。
時折、思考回路の端々に、おでこの広い少女の笑顔と、眼鏡《めがね》をかけた少年の顔が明滅するが、それすら判らない。
死に損《そこ》なった野獣のように、かれはひたすらに走る。
かれの名は「へいほん」。アシストロイド。
今はただひたすらに走るもの。
いまはただひたすらに走るもの……と思ったら転んだ。
転んだまま「へいほん」はごろごろと転がり、やがて排気ダクトの分《ぶん》岐《き》から下へと落ちていった。
かれの名は「へいほん」、今はただひたすらに落っこちるもの。
「駄目です、システムがこちらの入力を受け付けません!」
キャーティアシップのブリッジではそれこそ火事場のような騒ぎとなっていた。
無理もない。
実を言えば、キャーティアシップ内部で、これほど人間が密集し、かつ狭い部屋というのはここだけなのだ。
しかも、なぜかドアが開かなくなり、しかも本来外側に対して張られるはずの防衛力場《ガードフィールド》が張り巡《めぐ》らされて手出しが出来ない。
「艦長、ブリッジの移動も不可能です」
「仕方がないわね」
ガンガンとあがっていく温度の中、うっすらと汗を掻《か》きながら、クーネは首元の鈴に手を当てた。
「副長、航海長、保安部長、鈴を」
「はい」
言われた三人が集まり、首元の鈴に手を触れると、首に巻かれたリボンの部分が収納され、鈴がそれぞれの掌《てのひら》の中に落ちる。
艦長席を降りたクーネは、背後の壁に手を触れた。
壁の一部が下へとスライドし、四つのくぼみが現れる。
それぞれの鈴がその穴にぴたりとはまった。
そのまま壁の中に鈴が飲み込まれる。
〈緊急起動キーを確認しました。鈴の主の認識番号、階級と氏名を〉
それぞれが長い認識番号と階級、名前を述べる。
〈認識番号、階級、氏名を確認。ご命令をどうぞ〉
「艦内の緊急状況終了、ブリッジドアを開放し、システムを再起動せよ」
クーネの、いつにないシリアスな声に、数秒の間、声は沈黙した。
いつもなら、この後に一瞬艦内が暗くなり、システムの再起動が始まったというアナウンスがある。
が。
〈命令を拒否します。現在コード4859122のぬこが発動中、これ以上の矛《む》盾《じゅん》命令を回避するため、階級章は一時凍結預かりになります〉
「え?」
スライドしていた緊急入力装置のふたが元に戻る。
「わー!」
慌ててクーネたちが殺《さっ》到《とう》するが時遅く、壁は継《つ》ぎ目など最初から無かったかのようにぴったりと閉じられた。
「ど、どうなってるの? それにあんな長いコード番号、聞いたことがないわ……メル、覚えある?」
「い、いいえ」
この中では一番の古株である航海長も保安部長も同じように首を横に振った。
「一体、どうなってるの?」
ブリッジ内部は、すでに誰の顔からも滝のような汗が流れるほどの暑さと化している。
「とにかく、状況を把《は》握《あく》、事態の打開が可能かどうかを探りましょう……まず、ここ以外の状況と、連絡環境に関して、実地調査を」
「了解……艦内ダメージレポート開始せよ!」
「え?」
必死に走ってきた「定《さだ》やん」がプラカードに書いたのは「げんいんはへいほんだす」の文字であった。
「『へいほん』が原因って……どういうこと?」
後から追いついてきた「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」がプラカードで補足説明をしようとするのを、エリスが制して、情報処理機から伸ばしたコードをそれぞれの額《ひたい》にくっつけた。
しばらく処理機の立体画像を覗き込んでいたエリスが、ほとほと困った顔になった。
「どうやら、『へいほん』のメンテナンスをしようとして、記憶情報をチェックした途端、この有様のようですよ」
「クーネさんたちと連絡取った方が良くないかな?」
「……でも、この子たちの情報だけでは確定とは言えませんし」
「そうかなあ」
「とりあえず、セシミと連絡を取ります。アオイさんとも合流しましょう。騎《き》央《お》さん、アオイさんとの連絡、お願いします」
言ってエリスは情報処理機を操作してセシミを呼び出す。
「了解」
騎央は早速、専用の特殊パーツ(といっても猫の足跡を模した、シール状の代物だが)をくっつけた携帯電話を取り出した。
その携帯電話がいつもと違って妙に暖かい気がして、騎央は顔をしかめた。
自己紹介と、この船に来てからの印象を聞いている最中、電源が落ち、例のアナウンスが鳴り響いた。
「これ……何?」
大学構内の気温の上昇といったら、巨大なサウナの中に丸ごと放《ほう》り込まれたような有様である。
木《こ》陰《かげ》な分だけアオイのいる場所はまだいいが、そのうちここも陽炎《かげろう》が立つほどに温度が上がるような気がした。
「アマリス教授、建物の中に入りましょうか?」
アオイの口調が戦闘用のてきぱきした物に変わっていて、本人が軽く驚いた。
どうやら「直感」の部分が、今が非常事態であると判断したらしい。
果たして、アマリス教授も皺《しわ》深い顔に緊張を漂《ただよ》わせていた。
「やっぱりこれ、非常事態なんですか?」
「こんなことは初めて …… 何かとんでもない事態が進行しているのでなければよいけれど」
携帯電話が鳴った。
「あ、騎《き》央《お》君?」
軽く教授に頭を下げ、アオイは背中を向ける。
「どうしたの……え?『へいほん』が原因かもしれない? 判《わか》ったわ。じゃあ」
電話を切ると、アオイはぺこりとアマリス教授に頭を下げた。
「すみません、急ぐことになりましたので失礼します……お気をつけて」
「ええ、ありがとう」
教授が答えるのへ再び頭を下げ、アオイは「6」に「騎央君のいるところまでナビゲートして」と言った。
さっそく走り出す「6」の後を追って少女がスカートを翻《ひるがえ》して走り去るのを、アマリス教授は好もしい目線で見送った。
「……もう少しお話したかったんだけどなあ」
肩をすくめ、鈴に触れると、着ぶくれした衣装はしゅるしゅると縮み、顔を覆《おお》っていた偽装マスクもはずれる。
「ま、でもいいか。取りあえず悪い娘じゃないみたいだし」
そこにはエリスの母親が立っていた。
ワインレッドのアシストロイドが「ごしゅじんさま、しゅみわるいでし」とプラカードで意見を述べるが、
「いいじゃないの、こういう楽しみがないと母親なんてやってられないんだから」
と軽く流してしまった。
「…………にしても、あの子とエリスの子供かぁ…………想像できないわねえ」
しみじみ頷《うなず》く。
「やっぱり、これが必要になるかもねえ」
そう言って、さっきまではマントの中に格納され、今は地面に置かれたコンテナケースをちらりと見た。
急いで騎央たちが会議室のある第二階層の中央エレベーター前で合流するまでに、気温は体感で二〇度以上あがった。
もはや沖《おき》縄《なわ》の真夏日である。
「ありがたいのは湿度がないことだなあ」
ぽつんと騎《き》央《お》が呟《つぶや》いて、ウェットティッシュで顔をぬぐった。地球ではさすがに冬は辛いシトラスミントの成分が、今は非常にありがたい。
「あついですぅ……」
ここまでの道のりで、エリスはすでに顎《あご》が出そうになっている。
無理もない。
上からの照明はぎらぎらと照りつけ、至る所から温風が吹き出しているのだ。
すでに、すれ違うキャーティアたちもかなり難儀そうに歩いている者が多い。
「騎央君! エリス!」
巨大なドアが開いて、中からこの階層に用がある大量のアシストロイドたちに混じってアオイがはき出されてきた。
「『へいほん』は?」
アオイは訓練の成果で、いかなる場合もほとんど汗を掻《か》かない。
「それが行方不明らしいんだよ」
「ブリッジは今のところ通信規制されてて……はにゃあ」
湯だち猫一歩手前の顔でエリスはその場に座り込みそうになるが、慌《あわ》てて騎央とアオイが支えた。
「あ〜、こ〜こ〜にいたぁ〜」
ドアが開き、三毛猫頭のセシミが、数名のキャーティアと、エレベーターいっぱいのコバルトブルーなアシストロイドと共に現れた。
「あ、セシミい!」
「あーうーエーリースー」
とふたりは抱き合おうとしたが「まあ、今回は暑いからパスねー」ということで話を切り出した。
とりあえず、天井からの照明がギラギラ照りつける所は避けよう、というわけで幼稚園から逃げるときに一息ついた時にも使った、小さな公園の日陰に入る。
「で、うちの『へいほん』が原因ってのはほんとーなの?」
「うん、たぶーんまちがいないわー」
セシミは掌《てのひら》で自分を扇《あお》ぎながら頷《うなず》いた。
「あの子の中にあった処理保留ファイルの中に入ってた画像データを保存しようとしたら、自動で中央制御システムが内容をスキャンして、そしたら途端にシステムがダウンしたのよ……その瞬間、一瞬だけど『超級情報特務優先』って文字が出たわ」
「それ……ブラックホールに飛び込んだ時の……」
「らしいわねー。アタシもすぐに調べたわ……そしたらいきなりあの子、自分で接続端子を引きちぎって逃げ出しちゃって……追いかけようとしたら」
この「状況」が始まった、ということらしい。
「なるほどー、それはかなりその線が濃厚ねー」
はふーと二匹、もといふたりのキャーティアは溜《ため》息《いき》をついた。
「でも、暑いわねー」
「で、どうすればいいんですか?」
地球人にとってはまだ耐えられない暑さではないので、騎《き》央《お》が先を急《せ》かすと、セシミは「うーんと、えーっとぉ…………」と渋《しぶ》谷《や》当たりでコンビニ前に座り込んでいる女子高生のような声を出しながら頭を回転させた。
(本当、キャーティアは暑さに弱いなあ)
騎央は内心|呆《あき》れたような気分になったが、ようやくセシミは忘れていた答えを思い出したらしく、そうそう、と手を打った。
「つまりねー逃げた『へいほん』を捕獲して、管理局のシステムに再接続して、双方とも再起動するのよ」
「なんか、随分簡単そうですけれど……」
「細かい話はタダでさえ長い話がもっと長くなるから割愛するけれど、つまりね……」
とセシミは説明をはじめた。
本来、この船を動かしている基本システム(通称・親システム)と、各部署にある基本システム(通称・子システム)は直接関係がない。
ただし、唯一「非常事態を引き起こす要因」があると各部署の子システムが判断すると、途端に船を動かす方の親システムに通報、親システムはそれが本当かどうかを確認し、警報を出しつつ最終判断を艦長等の上級士官(いない場合は船の中で最も階級が上の者)に仰ぐ。
ところが、子システムの通報を受けた親システムが『へいほん』の内部情報を再点検を行っている途中で、いきなり本人が逃げ出した。
そのため、読み込み途中で接続を無理矢理解除されたシステムは(なぜかそこで修復やら自己修正、外部判断を仰ぐこと無く)勝手に警報を発令してしまったのである。
「不完全な情報だから、何かあって訳の分からない対処を伴っているんじゃないかしら」
「…………」
聞いた話を整理してみる。
つまり作動中、不用意に外付けのハードディスクのUSBコードを引っこ抜いたようなもんか、と騎央は考えることにした。
「じゃあ、館内アナウンスで『へいほん』を呼び出して……」
「それは無理」
「え?」
「システムがぶっ壊れてるのは『へいほん』も一緒なのよ……今、辛《かろ》うじてあの子を動かしているのは防衛プログラムによるものだろうけれど、それ以外の行為は出来ないかも」
「どういうことです?」
「うーんと、手負いの獣《けもの》状態なの。たとえ同じアシストロイドでも命令者であろうとも攻撃してくると思うわ」
思わず騎《き》央《お》は絶句した。
「システムを先に再起動、ってのは出来ないんですか?」
「そのためにはブリッジに行かなくちゃいけないんだけど……ブリッジからの入力も拒否されてるらしいの」
暑さに負けそうな自分の頬《ほお》を自分でぴしゃりとたたいてセシミは続ける。
「それにそうなったら最後、『へいほん』は元に戻らなくなるわ…………クリンナップされる余《よ》剰《じょう》データの中に、『へいほん』からのデータが入っているのは間違いないし」
「…………何とかならないんですか?」
「とにかく、本人を捕まえないことにはどうしようもないわ」
「……僕たちは何をすれば?」
「『へいほん』のことを教えて。好みとか、好きな音楽とか……あとは、捕獲作戦の立案と実行に手を貸して欲しいの」
「判《わか》りました」
騎央は頷《うなず》いた。
「エリス、アオイさん、いいよね?」
ふたりとも頷いた。
ただ、すぐにエリスの顔が熱さで「へにゃ」となる。
「あの……その前に、ちょっと準備していいですか? このままじゃ暑くって」
そう言うと、エリスは左手首の辺りに指を走らせた。
立体映像で浮かび上がる彼女の姿に、ちょい、ちょいと指先で触れると、その部分が光った。
「えーと、足は全面除装で、腕も除装で、背中とお腹も……」
「?」
最後に「許可」という文字に触れると、立体映像が消え、エリスの体のあちこちが光り輝いた。
「え?」
次の瞬間、光が消えるとエリスのスキンスーツはかなり肌の露出が増えていた。
両脚と腕は完全に露出し、背中も大きくぱっくり露出、すっきり締まったお腹も、その上にある偉大な水《すい》蜜《みつ》桃《とう》の始まるラインをちょっと越えるぐらいまで肌を見せた。
「はー、涼しいー♪」
さらに腰のパウチからゴム紐《ひも》を取りだして長い髪の毛を後頭部の高い位置で縛《しば》る。
「前から思ってたんですけれど、やっぱりこういう裏技、あるんですねー♪」
「え、エリス、それ…………」
騎央がぽかんとした表情で言うのへ、
「ああ、スキンスーツの除装範囲を広げたんです」
エリスはよっぽど嬉《うれ》しいのか、にこにこと微笑《ほほえ》んだ。
考えてみれば、騎《き》央《お》の家に上がる時や、精密な作業をするときに、エリスやチャイカが手足の先だけスキンスーツを解除するのは当たり前で、その範囲を広げれば、「部分的に脱ぐ」ことも可能なのだろう。
「これだと涼しいんですよー」
言ってその場でくるりと回る。
尻尾の付け根がちょっと大きめに除装されていて、それが騎央を、止まった瞬間「ゆさり」と揺れた二つの水《すい》蜜《みつ》桃《とう》と並んでドキリとさせた。
「あ、エリスあったまいいー!」
そう言ってセシミも同じようにスキンスーツの各部を除装した。
騎央は落ち着かないような感じで視線をさまよわせる。
「…………」
アオイはそんな少年の姿を観《み》て、即座に決意した。
恥《は》ずかしさが心臓の鼓《こ》動《どう》を早めるのを防ぐようにちょっと声を大きくする。
「……私もやるわ………エリス、やり方教えて」
「あ、はい」
無表情にアオイも手首に巻いたブレスレットを起動させ、「簡易型パワードスーツ」として与えられたスキンスーツの姿に「なぜか」なると、エリスに教わって各部を除装する。
前回、海に行ったときはあくまでもおとなしげなワンピースの水着だったのに、今度は「生」の部分があらわになるので、思わず騎央の目線はそちらに行きかけたが、アオイがこっちを向いた途端、罪悪感から思わず目をそらした。
本人がそっと溜《ため》息《いき》をついたことは判《わか》らない。
さらに、通りがかったキャーティアがそれに目を留めた。
「あー、それ涼しそー。やり方教えて〜!」
「いいですよー」
わらわらと猫耳|尻尾《しっぽ》付きの美女たちが集まり、やがて除装箇所の形や大きさをオリジナルでデザインする裏技も発見され、皆思い思いの恰《かっ》好《こう》になる。
こうなると、真夏の海辺と更衣室がごっちゃになったようなモノである。
「…………」
非常に騎央にとっては目のやり場に困るが嬉《うれ》しい風景が現れた。
ちょいちょい、と騎央の足を「定《さだ》やん」が突っついた。
「?」
見下ろすと、丁稚《でっち》型アシストロイドは片手を口《くち》許《もと》に当て、含み笑いするように体を震わせながら「だんさん、ごくらくでんなー」とプラカードを掲げた。
取りあえず「お約束」として騎央は「定やん」の被《かぶ》ったハンチング帽を取り、中にしまわれている「突っ込み用」のスリッパで軽くその頭部を一撃した。
幼稚園。
立体モニターには、地球の風景が映っている。
ニュース画像らしく、新《しん》宿《じゅく》やニューヨークの雑踏がメインだ。
「あー、みんなおっきみみもおしっぽもないー」
「ないー」「ないー」「ないのー」
ひんやりとした空気の園内で、子供達は食い入るように地球の光景に見入っている。
「そうですよ、地球の人たちにはお耳と尻尾《しっぽ》がありません。わかりましたかー?」
「はーい」
「おかーしゃんにみせてもらったあにめもそーだったおー」
「いーなー、らーまちゃんとこいーなー」
「こんどみるー?」
「うん!」
とかなんとか子供たちは騒いでいる。
「はいはい、みんなお喋《しゃべ》り終わってー」
ナクトが軽く手を叩《たた》いて園児の注目を集めた。
とにかく、こんな外気の状態で園児たちを外に出すわけにはいかなかった。
「じゃあ、これから、地球でやってる番組を見せますー。どこがどう、ぼくらと違うのか、かんがえてみましょー」
そう言って、次のプログラムが始まった。
「あー、それ楽でよさそう」
ようやくエリスたちと通信が繋《つな》がると、クーネはそう言ってやり方を聞くと、何のためらいもなく肌の露出を拡大させた。
拡大というか、彼女の場合は「布部分の撤《てっ》去《きょ》」といった方がいいようなものになった。
偉大な胸はトップの部分を指一本分ぐらいの幅を辛《かろ》うじて持ったスーツの名残《なごり》が上中下と、横に三本横断している以外は覆《おお》う物はなく、そこから下に至っては、騎《き》央《お》が見れば鼻血が必至という光景である。
そのくせ、マントはいつも通りなのだから妙な背徳感というか、非日常性があるのだが、それはキャーティアにはあまり関係がないらしかった。
「あー、少し涼しい」
目に涙さえにじませながら、クーネはうっとりと目を閉じた。
ビキニ、というよりももはや「| 紐 《ストリングス》」と言って良いようなモノと化したスキンスーツで、最低限の部分だけを隠すような状況になって、クーネはようやく人ごこちついたようだった。
「マントの気温調整機能も、この状況では大して役にたたないのよー」
密閉した上にドライヤーの吹き出し口を接続した箱のような状況の艦橋《ブリッジ》では当然の話であった。
横でやり方を聞いていた他のブリッジ要員たちが、次々と真似《まね》をしていく。
『それで艦長、今後のことなんですが』
「ええ、多分あなたたちの予想は当たっていると思うわ」
それでも吹き出る汗を手の甲で拭《ぬぐ》いながらクーネ。
「作戦を許可します。こちらからも出来る限りのバックアップをするわ…………とにかく、早くこの状況を止めないと」
『そうですよね』
艦長席の前に立体映像で投影されたエリスが頷《うなず》く。
『こちらのデータバンクに残っていた『へいほん』の固有動力振動数を送ります。変異はしていると思いますが、変数を入れれば何とか』
「了解…………メル、出来る?」
「はい」
この状況の船の中で唯《ゆい》一《いつ》、変わらないスキンスーツ姿のメルウィンが頷く。
「ここから出ること以外の機能はまだ大丈夫ですから」
『了解、実行段階になったらまた連絡します』
エリスの画像が消えた。
「メル、艦内にこの除装裏技のデータを配信、あと……えーと、あーと……」
「『へいほん』の追跡、ですね」
「そうそう、それ」
せっかくの布地面積の減少も大して効果が続かなかったらしく、すぐにクーネは滝のような汗に苦慮しながら頷《うなず》いた。
「ねえ、メル?」
「何でしょう?」
「その恰《かっ》好《こう》、暑くない?」
「大丈夫です」
いつもより三割増しの引き締まった表情でメルウィンは答えた。
「鍛えてまし……いえ、鍛えてますから」
とりあえず「へいほん」が今|騎《き》央《お》たちがいる第三階層と、そこから上にいないことが判明したので、全員が下の階に移動することになった。
さらにエレベーターの中でブリッジのメルウィンから、第六階層の端にある通風ダクト内で「へいほん」らしい反応が確認されたという知らせがあった。
第六階層は、騎央たちが宿泊しているエリスの部屋がある独身中級士官クラスの宿泊区画のすぐ下、下士官および家族持ち中級士官の宿泊施設がある区画である。
天井の太陽灯からの光は真っ白に近い激しさで、昨日まで……いや、つい二時間ほど前までの穏やかな秋口のような天候が嘘《うそ》のようである。
あちこちの建物の中でゆだったキャーティアたちが「ぐてー」という擬音を頭上に浮かべて暑さにあえいでいる。
「そう言えば、幼稚園とか、大丈夫なのかな?」
そろそろ陽炎《かげろう》が立ちそうな暑さの中、騎央は歩きながらエリスに尋《たず》ねた。
暑いことは暑いが、沖《おき》縄《なわ》と違い湿気の無い暑さなので、むしろ新鮮な気分だった。
「えーと、多分、大丈夫だとおもいますよ」
他のキャーティアに比べれば大分しゃっきりとした表情でエリス。
「子供たちのいる所は他と違って特別区画ですから、建物の中から出ない限りは快適のはずです……問題は子供は一つ所にじっとしてない、ってことですね」
「なるほど」
思わず騎央はくすりと笑った。
いつの間にか自分の後をついてきたチャイカの娘を思い出したのである。
「騎《き》央《お》君」
ちょっと固い声でアオイが割ってはいる。
「『へいほん』の好物とか、あるの?」
「んーと、確か焼き肉とか、肉まんとかが好物だ、ってアントニアが言ってた。あと、中華風の卵スープとか」
「外見通りなのね」
ちょっと驚いたようにアオイは首をひねった。
「エリス、そういうの、作れる?」
「大丈夫です、今回『ルーロス改』で色々食材を持ってきてますから、それを分けて貰《もら》って、お肉は……タンパク質を合成すれば作れます」
「なるほどね……問題は『味』ね。アントニアのところで贅《ぜい》沢《たく》してるはずだから、微妙な違いがわかるかも」
「それは大丈夫」
と騎央が言った。
「この前一緒に歩いてたとき、ほら、新都心の『メカニコング』のところでそのまま……」
「ああ、そうでしたねえ!」
エリスが相づちを打った。
「いつの間にかいなくなって、あちこち探したら……」
「そうそう、店の中に入ってじーっと見上げてて、アントニアが怒ってた」
アオイも頷《うなず》く。
一週間ほど前、東宝怪獣映画に出てきそうな名前の安い焼き肉食い放題の店に「へいほん」は匂《にお》いにつられてノコノコと入っていってしまったのである。
「なんじゃ、そんな安肉につられおって!」と店内で言うにはあまりなひと言を怒鳴りながらアントニアがズリズリ引きずって外に出たが、いつまでたってもそっちに行こうとするので苦労した。
そして、結局、アントニアは「わかった、では帰ったら焼き肉じゃ」と約束したのでようやく「へいほん」はおとなしく同道することを承知したのであった。
「……」
その時、抱きかかえた「へいほん」を、まるでやんちゃな弟をいさめるように懇《こん》々《こん》と諭《さと》すアントニアの姿を思い出し、アオイは湿っぽい感情に流されそうな自分を見つけ、軽い驚きを感じた。
「どうしたの?」
騎央が心配して声をかけるのへ首を振って「大丈夫」と応じ、
「『へいほん』……アントニアの所にちゃんと返してあげたい……わ」
「うん」
騎央も、エリスも頷いた。
「ふみぃ……」
後ろで「まってよお」というニュアンスの声が聞こえた。
「セシミ……どうしたの?」
「わ、悪いんだけど、もう少しゆっくり歩いてくれない? ふにゃぁ」
振り向くと、アシストロイド管理センターから来たキャーティアはほとんど「へこたれ」た状態で、背中をアシストロイドたちに押されて何とか移動している者も多い。
エリスが比較的元気なのは、湿度が高い沖《おき》縄《なわ》の暑さを知っているせいもあるのだろう。
「……大丈夫かなぁ、これで」
思わず小首を傾《かし》げ、騎《き》央《お》が小さくつぶやいた。
途端、自走道路が停止した。
〈船内の過熱状態により、機械構造上異常が起こる可能性が出てきましたので、道路の自走システムを一時停止します〉
「ここからは本格的に歩きか……『定《さだ》やん』」
騎央が言うと、丁稚《でっち》型のアシストロイドがトコトコとやってきた。
「気温は今、どれくらい?」
ちょっと周囲を見回し、「定やん」の眼鏡《めがね》型センサーが輝いて「さんじゅうごどでんな」とプラカードが上げられた。
平均的な沖縄の真夏日、というところか。
それもニュースで「今日も厳しい日差し」という前置きがつく。
「ひょっとして……気温、少しずつあがってる?」
と聞くと「はいな」という返事。
「こりゃ、急がないと駄目だな」
「人って、六割水分で出来ている、ってのは本当なのね……」
びっしょり濡れたシートに沈み込みながら、クーネは誰にともなくつぶやいた。
ブリッジ内部は、キャーティア美女たちから出た汗と、それが蒸発した湿気でサウナ状態にあった。
中にいるキャーティアもサウナと似たり寄ったり…………というか、望んでそうなっていない分だけえらいことになっている。
クーネのような紐《ひも》状態のスキンスーツを着用していればまだまともな方で、中には完全に服を脱ぎ、べったりと床に張り付いて「ああ、冷たぁい」とか言ってるのもいれば、体温を超えた気温よりは、と抱き合い、胸と胸がくにゅりと潰れ合うのも構わず「あー、まだこっちがいいやー」とうっとりしているのもいる。
幸い、食物合成機《ソレイント・グリーン》で氷が作れるので皆それで涼んではいるが、にしても上がり続ける気温の前では蟷《とう》螂《ろう》の斧《おの》である。
ついには巨大な氷の柱を作ってそれにしがみつく者まで現れる始末。
さらにそれが温風で溶けて湿気となって充満し、気温が下がったと勘違いしたセンサー類がまた気温を上げるという悪循環。
とはいえ、見《み》目《め》麗《うるわ》しいキャーティアたちがそうしている姿は、地球人の側から見ればこれはこれで可愛《かわい》らしくも華やかなのだが、当人たちはそれどころではない。
「あーあ、艦長って損よねえ」
汗でぬれそぼり、もはやオイルを塗っているかのようにてらてらな迫力ボディで、クーネはつぶやいた。
「このことが終わったら、絶対プール行こ」
泳げないはずのクーネにそう言わせるほど、この状況はきつかった。
「見つけた……」
そんな中、ほとんど唯一、姿形も含め、いつもと同じに仕事を遂《すい》行《こう》しているメルウィンが、久しぶりに声を上げた。
「艦長、『へいほん』を発見しました。やはり第三区画です」
「わかったー。騎《き》央《お》君かエリスにれんらくしてー」
「はいっ!」
そう言ってメルウィンは氷の塊を頭に乗せた通信員を叱《しっ》咤《た》してエリスへの連絡とデータの転送を始めた。
「若いって、いいわよねえ……」
しみじみつぶやいて、クーネは氷水でも飲もうと席から立ち上がった。
それだけでエリス以上の質量を誇る双球から汗が散った。
空はどんよりと曇り、吹き抜ける風は冷たい。
天気予報が午後から夕方にかけて雪が降ると伝えていた。
「うー寒いなぁ」
ぶるぶる、と身を震わせながら、リュンヌはアキハバラ、と呼ばれる場所を歩いていた。
地球のテクノロジーとそれに関わる娯楽の粋はどうもここにあるらしい、と見当をつけてきたのである。
手にはラオックスの紙袋。中には地球製のゲーム機器とゲームソフト、である。
手にずっしりとした重みがあるというのは、リュンヌのような技術者にとってはちょっと嬉しいもので、さらに足を伸ばして部品屋まで巡《めぐ》ることにした。
部品屋は裏通りや路地に多く、さらに興味深いものばかりであった。
この星ではリュンヌの本星ですら博物館に展示されているだけのシステムや部品が、未だに現役、ないし現役から一段落ちぐらいのところで活用されている。
五件も巡るうち、リュンヌは自分がタイムスリップでもしたかのような興奮に捕らわれた。
一時間ほど部品屋を巡《めぐ》り、さらに途中で見つけた宅配業者に両手の荷物を預け、さらに両手いっぱいの荷物を抱え、ふと気がつくと、アキハバラのはずれに出ていた。
広大な駐車場は昼なお暗く、リュンヌは軍隊生活でさすがに養われた「警報装置」が鳴り響くのを感じた。
踵《きびす》を返そうとすると、もう退路は断たれていた。
目つきの悪い、麻の帽子をかぶった男と、革のジャケットを羽《は》織《お》った男がにやにやと笑いながらこちらを見ている。
さらに背後にも気配。
こちらは膨《ふく》れあがったようなデブと、ガリガリに痩《や》せた、化粧の濃い女だ。
「この星には善人ばかりがいるわけではない……か」
ここへ赴任するときに手渡された心得書きにあった一文を思い出す。
「ねえ、おじょーちゃん、パソコン好きなのぉ?」
「そんなモンいじってないでさぁ、別のモンいじってみなぁい?」
へらへら笑いながら近づいてくる。
リュンヌは表情を硬くし、ぎゅっと掌《てのひら》を握りしめた。
べっとりと汗を掻いている掌が気持ち悪い。
武器は持っていた。
撃《う》つことにも躊《ちゅう》躇《ちょ》はない……と思う。
リュンヌはまだ人を撃ったことが無かった。
ぐっと顎《あご》を引き、いつでも右手の紙袋を地面に落とせるように手首の力を抜く。
幸い、右手の袋には丁寧に緩衝材で梱包されたPC用のケースが入っているだけで、放り捨てても問題はない。
相手は近寄ってくる。
(前を撃ってから後ろの方がいいのかしら? それとも後ろを撃ってから?)
頭の中でぐるぐると緊張が回ってくる。
せめてアシストロイドぐらいは連れてくるべきだったかと後悔した。
が、もう遅い。
じりじりと、リュンヌは追いつめられつつあった。
と、不意に少年のひとりが白目をむいた。
そのまま棒のように倒れる。
「?」
冷たい疾《しっ》風《ぷう》が走った。
リュンヌの耳だけが、何が起こったのかを知る。
「雷撃銃?」
断続して響くのは、微《かす》かな、モーターのうなり声のような音。
それは、リュンヌの星ではアシストロイドや公安部隊が持つ鎮圧兵器の作動音だった。
「な、なんだ?」
「わっ、な、何か足に触ったぁ!」
恐慌状態に陥った少年たちは、そのままバタバタと倒れ、白目をむくか、泡を吹いて動かなくなる。
「……誰《だれ》なの?」
すでに動くものひとつない駐車場で、リュンヌは「誰か」に呼びかけた。
と、目の前の風景が微妙に歪《ゆが》んで、小さな影をはき出す。
「あ……マットレイ!」
歯をむいてにやにや笑っているような頭部のエアインテイクと、襟《えり》元《もと》に巻いたマフラーが印象的な、犬のアシストロイドだ。
「ゴ無事デ何ヨリデアリマス」と手に持った液晶モニターに表示させ、かつてはリュンヌの姉、ジェンスの片腕だった参《さん》謀《ぼう》用アシストロイド、マットレイは軽く会釈して見せた。
数ヶ月前、謎のシステムダウンを引き起こしたものの、これまたいつの間にか復旧し、リュンヌのサポートをしている。
「基地カラ急ニイナクナラレタノデ、オ探シ申シテオリマシタ」と表示するアシストロイドに、リュンヌは服が汚れるのも構わず、跪《ひざまず》いて抱きついた。
「ありがとう、ありがとうマットレイ」
照れたように、アシストロイドは頭を掻《か》く。
灰色の空から、ちらちらと雪が舞い落ちてきた。
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第七章 さんたいが、おにのようにつよかた[#「第七章 さんたいが、おにのようにつよかた」は太字] [#小見出し]
「あれ…………?」
エリスから「使っていいですよ」と言われたどてらを羽《は》織《お》った銀色の髪のキャーティア……今回の留守番役のメレアは通信機を片手に首を捻《ひね》った。
「どうしたの、メレア?」
後ろのコタツでグツグツと煮える鍋《なべ》の出汁《だし》を味見しながら真《ま》奈《な》美《み》が首を傾《かし》げると、
「いえ…………なんか、通信制限されてるみたいで」
「昨日もそうだったわよね?」
「うん。定時連絡で『本日も異常なし』っていうだけだからいいんだけどねー」
ま、いっか、とキャーティア独特の暢《のん》気《き》さで思考を切り替え、メレアは通信機をしまい込み、コタツに入った。
「でもこれ、いいわよねえ……暖房器具を転用したの?」
と、コタツの上で鍋を温めているカセットコンロをちょいちょいと触る。
「うーん、多分最初はね。今はこういうこと専用」
「ふうん……燃料が独立しているから、持ち運びとかにも便利そうね」
「そうね、最近はキャンプやビーチパーティーとかに持って行く人も多いわ」
「外でも食べるの?」
「まあね」
真奈美は鍋の蓋《ふた》を開けた。
もわっとした湯気が立ち上り、グツグツと煮えている鍋の中身が見える。
「うわー♪」
メレアは歓喜の表情を浮かべた。
「ね、中身何?」
「えーと、ダイコンに豆腐にネギに鶏肉」
「やったー!」
メレアがはしゃぐのを横に、真奈美は出汁を味見した。
「うん、けっこー美味しいわよ。ねー『ゆんふぁ』?」
真奈美が言うと、寝ころんでコタツに足だけ突っ込んで「月刊GUN」を読みふけっていた「ゆんふぁ」が起きあがって一口すすると、「とてもぐーでし」と同意した。
「ところでさ、ビーチパーティって夏でしょ? 夏も鍋《これ》?」
「ううん、夏は焼き肉」
「え?『やきにく』?」
メレアの目の輝きが尋常ではなくなった。
「いや、そっちじゃなくて」
真《ま》奈《な》美《み》が苦笑する。
ようやく、外部隔壁ギリギリの、『へいほん』が確認されたという場所まで騎《き》央《お》たちは来ていた。
このへんは宿泊施設もなく、子供たちの遊び場……というよりも、何も作らず、草木が生えるに任せている「空き地」になっていた。
草いきれに温度が重なって、むっとするほど濃厚な緑の匂《にお》いがし、騎央は不思議に懐かしい気分になって、思わず笑ってしまった。
「どうしたんですか?」
エリスが不思議そうに聞くが、騎央は「大丈夫」と軽く流した。
ここへ来るまでの間に、近くの下士官の部屋に入って協力を要請し、さらにはチャイカにも調味料を「ルーロス改」から持ってきて貰《もら》っているから材料だけは調《ととの》っている。
「さぁて、と。取りあえず肉と野菜と鉄板と…………脂《あぶら》、あとは燃やすモノ……火、使っても大丈夫?」
「艦長に許可は貰ってますし、今、多少このへんの温度が上がったからって警報は鳴らないと思いますよ」
それもそうだと頷《うなず》いて、騎央は適当な石が落ちてないかと周囲を捜しかけ、ここが宇宙船の中の人工の草むらだということを思い出した。
「どっかから適当な石か、ブロックを四つほど持ってこないと」
「大きさ、どれくらいだ?」
チャイカが言う。その、ノースリーブに半ズボン化させたスキンスーツ姿は、どう見ても三児の母親には思えない。
「んーと、これぐらい……かな?」
四〇センチ四方の物体をジェスチャーで描いてみせると、チャイカはこっくり頷いて連れてきた青いボディのアシストロイドに何やら命じた。
頷いたアシストロイドは転送装置を使ったらしくすぐに消え、言われた通りの大きさの金属ブロックを持って再び現れた。
「これでいいか? 宇宙船のエンジンコアを囲む断熱材だから頑丈だぞ」
「あ、十分十分」
その横ではアオイが他のアシストロイドとキャーティアたちを指揮して大型テントをはらせている。
二〇分もすると準備が終わった。
「じゃ、点火しようか」
そう言うと、珍しくエリスが腰から銃を抜いた。
「こーいうのは好きなんですよね……」
えへへ、とか言いながら引き金を引くと、銃口がちらりと輝き、鉄板の下に敷かれた固形燃料が一斉に燃え上がった。
「……鉄板が暖まるのに時間が掛かるから、ある程度は鉄板にも照射して」
アオイの言葉に頷《うなず》き、エリスは照射角度を広く取った熱線を数秒照射すると、上に置いた脂《あぶら》身《み》がじりじりと熔《と》けて流れ始めた。
「オーケイ、あとは僕がやるよ」
そう言って、バンダナを巻いた騎《き》央《お》が袖《そで》をまくって鉄板の上で、こればかりは地球から持ってきた漬けダレで肉を焼き始める。
じゅうじゅうと脂が弾け、漬けダレが程よく焦げ、肉の焼けるいい匂いがあたりに充満し始める。
すると、アシストロイドたちが一斉に手に持った、宇宙船の部品で作ったうちわを手に一斉に匂《にお》いの煙を扇《あお》ぎ始める。
煙は大人がちょっと見上げる高さにある通風口へと誘導された。
「あのー騎央さん、このお肉、焼けたらどうするんですか?」
銃をしまいながらエリスが尋ねた。
「食べる…………んだけど?」
改めて聞かれて、ちょっと騎央はとまどった。
「だってほら、これ、人工物とは思えないぐらい美味しそうだし」
「わーい!」
エリスも含めたキャーティアたちが歓声をあげた。
さっきまで熱でメゲそうだったのだが、肉の焼ける匂いで食欲が復活したらしい。
「……『へいほん』捕獲が最優先なんだから、あんまり食べ過ぎないでね」
アオイが苦笑しながら注意した。
「あ。はあい……」
さすがにエリスも真っ赤になった。
かれはじっとしていた。
ここがどこなのか、自分が誰《だれ》なのかは判《わか》らない。
ただひたすらにじっとしていた。
自分の行く先を邪魔する者があればこれを討《う》ち、行く手を塞《ふさ》ぐ物があればこれを打ち砕く。それだけがかれに残された全《すべ》て。
だからここが排気ダクトであるということも、自分が原因で今えらい騒ぎが発生していることも判《わか》らない。
その記憶素子に刻まれていたはずの記録は全《すべ》て吸い出され、今のかれの手元にはない。
今のかれにあるのは防衛本能、それだけだ。
時折、思考回路の端々に、おでこの広い少女の笑顔と、眼鏡《めがね》をかけた少年の顔が明滅するが、それすら判らない。
風が流れてきた。
かれの嗅《きゅう》覚《かく》センサーがそれをとらえた。
「何か」が、ほとんどメモリーの残っていない記憶素子に触れる。
ゆっくりと、かれは立ち上がった。
かれは走る。
かれはひたすらに走る。
かれの名は「へいほん」。アシストロイド。
今はただひたすら「焼き肉」を求めて走るもの。
いまはただひたすらに走るもの……と思ったらまた転んだ。
転んだまま「へいほん」はごろごろと転がり、ついに明るい場所へと転がり出た。
ぼさっ、という音が通風口のひとつがある方向からして、「定《さだ》やん」と「チバちゃん」「錦《きん》ちゃん」が戦闘態勢に入った。
「三人とも、打ち合わせ通りに動いて!」
エリスも言いながら身構える。
「定やん」が「わことりますがな、あねさん」とプラカードを掲《かか》げ、他の二体も頷《うなず》く。
まず、遠距離制圧用のアシストロイドたちが、どう見ても三味線にしか見えない、広範囲機能停止信号発生装置《グランドパルスライザー》をかき鳴らす。
それを避けようと「へいほん」が走り回り、草むらが音を立てて動いた。
左右から範囲を縮め、さて後一撃、という段になって、草むらからさび付いた構造材の一部が立て続けに飛んできた。
がすごす、という嫌な音がして、三味線部隊の持っていた武器が破壊された。
「くそっ、長距離じゃだめか…………突撃っ!」
セシミの号令一下、管理局のアシストロイドも、手に制圧用の棒と透明な盾《たて》を手に、音がした方へ「わーっ」と殺到する。
草むらの向こう側に管理局アシストロイドが消え、数秒後、爆発したように全員が空中に投げ出されていた。
「うそ!」
セシミが汗を拭《ぬぐ》うのも忘れて声を上げる。
「制圧用のアシストロイドが一撃で……?」
慌《あわ》てて残りの第二陣と一緒にセシミたち管理局のキャーティアたちも突撃した。
が、結果は同じ。
騎《き》央《お》たちの手前に落下したセシミたちの上に、さらにぼたぼたと落っこちたアシストロイドたちは「きゅう」と一時機能停止したことをぐるぐる目玉で表示しながら小山を作り、その上にひらりと、薄汚れた白い衣装をまとったアシストロイドが降り立つ。
両脚を広げ、上体を倒し、右手を伸ばし、左手を曲げた誘うようなポーズであたりを脾《へい》睨《げい》するのは間違いなく「へいほん」だ。
ただ、いつもと違うのは雰《ふん》囲《い》気《き》ばかりではなく、その目が金色に輝いていた。
「うわ…………」
騎央は驚いて一瞬動けなかった。
元が暢《のん》気《き》な造形だけに、ぞっとするような凄《すご》みまで放射すると、なおのこと異様な気配になる。
(こりゃ、大変なことになるな)
改めて顔を引き締める。何があろうとも、アントニアに五体満足な「へいほん」を引き渡す決意は揺るがない。
「『へいほん』!」
叫んで騎央は手の紙皿に盛った焼き肉を放《ほう》り投げた。
ついでに割り箸《ばし》も。
「へいほん」がジャンプする。
「今だ、『定《さだ》やん』!」
丁稚《でっち》型アシストロイドが懐から南部十四年式を模した電撃銃……ではなく、強制停止信号を放つビーコンを装《そう》填《てん》した小型エアピストルを抜き撃《う》ちにする。
カンフーマスター型アシストロイドはくるりと頭を回し、長い髪の毛の先に結ばれた金属球で壁を打ってジャンプの方向を修正し、これを避けた。
さらに、タイミングをずらして「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」がそれぞれに飛びかかる。
「チバちゃん」は下から、「錦ちゃん」は大上段に振りかぶった剣。
が、移動ベクトルを変更させたのみならず、「へいほん」の髪の毛は硬直し、かれの体を更に高い場所へ移動した。
「へいほん」は「チバちゃん」の頭を踏んで更に高く飛び、上段から撃《う》ち込む「錦ちゃん」の刀を飛び越える。
次の瞬間、何かが恐ろしいほどの高速度で行き交い、降り立った「へいほん」は器用に割り箸《ばし》を割り、受け取った焼き肉の皿を持って立ち上がった。
その背後でどたばたと二体のアシストロイドが落下する。「チバちゃん」はそれでもフルフルと震えながら立ち上がったが、この期に及んでなお「おれをふみだいにしたー」とプラカードに書いて、倒れた。
なおも飛びかかる「定やん」を蹴《け》り一発で遠くに飛ばし、ホンの三口で皿の焼き肉を平らげ、「へいほん」はぐいっと空になった皿を騎《き》央《お》に突き出した。
騎央は動かない。
その左右で、エリスとアオイが身構えた。
こうなれば、直接「へいほん」を大人《おとな》しくさせるしかない。
そう誰《だれ》もが考えたとき。
小さな影が三つ、頷《うなず》きあって主《あるじ》たちの前に歩み出た。
エリスの連れてきた通常型アシストロイド「2」「1」、そして「6」。
当初、三体はそれぞれ頭を動かし、アシストロイド独自の通信システムで何か言ったらしいが、「へいほん」のその機能が今は動いていないと悟ったらしく、すぐに「1」が「わりわりがあいてになるでし」とプラカードを掲げた。
「ムチャよ、下がって!」
とエリスが言うと、「6」はくるりと後ろを向いて親指を立てて見せた。
プラカードには「だじょうぶ、このまえ、きたえましから」の文字がある。
「バカ言わないの!」
とエリスが珍しく語気を荒げた瞬間、三人とも駆け出していた。
気がつくと、「2」の背中に破壊された三味線が幾つか背負われていた。
「?」
そのことに気づいた騎央が首を捻《ひね》る。
「まったくあの子たちったら!」
言って飛び出そうとしたエリスを、騎《き》央《お》が制した。
「ちょっと待って」
「でも騎央さん!」
「あの三体、何か勝ち目があるのかもしれない」
そう、騎央が言った瞬間、三体が三体とも、それぞれの首に下がった鈴を弾《はじ》いた。
涼しげな鈴の音が響く中、特殊な能力を持たないはずの三体の移動速度が急に上がった。
「?」
「へいほん」は悠然と駆けてくる三体を待ち受ける。
が、三体のアシストロイドは散開し、そのまま「へいほん」の横を駆け抜けた。
まっすぐに倒された制圧用アシストロイドの山にたどり着くと、「2」は「定《さだ》やん」と他の制圧用アシストロイドが落としたパルスエアガンを、「6」はそのまま山の上を駆け上って「へいほん」を見下ろす。
一瞬の対《たい》峙《じ》があった。
「へいほん」が動く。
両手に二丁のエアガンを持った「2」が横へ飛びながら乱射した。
ちきききん、という軽やかな音がして、弾丸が飛ぶ。
当然のごとくそれは更に高速で移動した「へいほん」には避けられたのだが、この時、カンフーマスター型アシストロイドは初めて無《ぶ》様《ざま》に「転がって」これを避けた。
あり得ない話である。
立ち上がった「へいほん」へさらに、途中で急停止した「1」が、一瞬で背負っていた三味線型パルス砲の残骸を分解し、組み立て直すと、一気に掻《か》き鳴らした。
元々アシストロイドでもメンテナンスが容易なようにユニットごとに分解できる三味線型パルス砲を繋《つな》ぎなおしたとはいえ、重要な回路は破損し、動力源も破損しているモノであるから、低出力の一撃しか放てない。
だが、それで十分だった。
見事に「へいほん」は一瞬だけ動きを止めたのだ。
その頭上に、どこから取りだしたのか、両手にハリセンを持った「6」が舞い降りた。
避ける暇はなかった。
ぱあん、という小気味いい音が響き、脳天に「えくすかりばぁこてつ」と書かれたハリセンの一撃、いや、二撃をくらい、ゆっくりと「へいほん」は膝をつき、倒れた。
もう一度鈴を鳴らし、三体はくたりとその場に腰を下ろし「くたびれたー」とプラカードを掲《かか》げた。
「…………」
呆《ぼう》然《ぜん》としている騎央たちの横から、遠くへ吹っ飛ばされた「定やん」がほうほうの体《てい》で戻ってきて、戦闘を続行しようとしたモノの「?」という顔で主《あるじ》たちを見上げた。
「つまりね、この前からずーっと『へいほん』とは違う意味での格闘戦へのアプローチ、ってのを考えてたのよ」
蒸し風《ぶ》呂《ろ》そのものなアシストロイド管理センターに戻り、機能停止した「へいほん」をメンテナンスベッドの上に寝かせながらセシミが説明してくれた。
「『へいほん』はゼロから格闘技メソッドの理論と実践を埋めていくためにあれこれと触《さわ》ったり触れたり壊したりするけれど、ある程度経験を積んだ人工知能を搭《とう》載《さい》したアシストロイドに格闘メソッドを『教え』たらどうなるんだろう、って」
各種スキャナーが「へいほん」の状況を確認、ほとんど異常がないと報告する。
「つまり、子供の頃《ころ》から一子相伝の拳《けん》法《ぽう》を教え込んでから社会勉強させる『へいほん』と違って、拳法は未熟だけど社会勉強はみっちりやってる通常型、ってこと?」
騎《き》央《お》の言葉に、
「うん、そんな所ね」
とセシミは頷《うなず》き、
「ましてあの子達は『へいほん』と暮らしていたから、『へいほん』の客観的データも持ってるし……もしも今度の調整で上手く行かなかったら、『へいほん』へのお目付役的役割を持たせよう、って思ったのよ」
「もう……そんな大事なことを人に黙って勝手にやるなんて!」
エリスが腰に手を当てて怒るが、騎央は「まあまあ」と取りなし、
「で、『へいほん』の再インストールと船のシステム修復は上手《うま》く行きそう?」
「まだ判らないわ……えーと、これね?」
立体映像ディスプレイに半欠けの球として表示された「へいほん」内部の情報と、アシストロイド管理局の中にある「へいほん」のデータが融合する。
「さて、あとはこれが何か判《わか》れば……?」
とセシミの手が止まった。
「どうしたの?」
エリスが横から覗《のぞ》き込む。
「ねえ、エリス、これ……何?」
言われてエリスも「?」と首を捻《ひね》った。
「騎央さん、アオイさん……これ、判りますか?」
エリスがディスプレイの指向ダイヤルを回し、横にいる騎央たちにも見えるようにした。
丸い画面の中、「へいほん」の手に持たれた吸い取り紙に描かれた、黒い染みのようなものが大写しになる。
「インクの染みじゃないのかな? だよね、双《ふた》葉《ば》さん」
「……私も、そう思うけど……違うの?」
「え?」
セシミが首を傾《かし》げた。
「じゃあ、これ、単純疑問のフォルダじゃない、なんでこれが重要スキャンの……?」
セシミは再びディスプレイの中に手を突っ込み幾つかのキーらしきモノに触れた。
別の球体が展開し、ある映像を映し出す。
場所は…………ここだ。
普通のスキンスーツをまとったセシミが、「定《さだ》やん」を降ろして「へいほん」をメンテナンスベッドに乗せる。
「んー。ちゃーんとコードは通常のモノが三本あるだけよねえ?」
むずがる「へいほん」に言い聞かせ、セッティングを始めるセシミ。
と、一瞬彼女の視線がディスプレイに向かった瞬間、「へいほん」が何かを拾おうと身じろぎした。
コードが外れる。
だが、一瞬でコードは元の位置に戻った。
そして、セシミのディスプレイがまばゆく輝き………映像が途切れる。
「?…………四本に増えてる」
アオイがぽつりと言った。
「え?」
全員がアオイを向く。
「最期の一瞬だけ、コードが四本、『へいほん』に繋《つな》がれてる」
言われて、セシミが先ほどの画像を逆回転でコマ送りにした。
確かに、一瞬「へいほん」の手がかき消え、再び現れたときにはコードが増えていた。
「やだ…………この子、自分でコードを増やしちゃったんだ! それで情報が二重送信されて、システムが誤解して……わわわわわ!」
セシミは大《おお》慌《あわ》てでシステム内部らしい構造図を表示させ、丹念にスクロールさせながらチェックしていく。
やがて、「『へいほん』」と「『へいほん1』」という二つのフォルダを見つけた。
「これだ……これが……」
セシミの手が「消去」と書かれたアイコンに触れようとした時、
「まぁ、それはやめたほうがいいなぁ。私の考えでは、全システムが再チェックしてから再起動することになると思うよ」
という優しい男の声が聞こえた。
「!」
愕《がく》然《ぜん》と振り向いたのはエリスだ。
「お…………お父さん!? お母さんも!」
「え?」
一瞬遅れて振り向いた騎《き》央《お》とアオイも驚く。
そこには、真っ赤な髪をざっくり肩口で切りそろえた、ちょっと気の強そうなキャーティアの女性と、金色の髪の、おっとりした雰囲気のキャーティアの男性が立っていた。
どちらも肩口に小さな金属球を浮かべ、そこからひんやりとした冷気が噴出しているのを感じる。
「やあ、エリス、久しぶりだねえ」
キャーティアの男性…………エリスの父はにっこりと微笑《ほほえ》み、騎央とアオイに頭をさげた。
「どうも、いつも娘がお世話になっております」
「あ、いえ、あのどうも……」
騎央もアオイもギクシャクと頭をさげる。
「まあ、よろしくね、婿《むこ》殿に嫁《よめ》御《ご》殿!」
あはは、と快活に笑ってエリスの母親はぽんと騎央の肩を叩《たた》いた。
ややあって。
〈システム異常消去、間違った命令を中止、直ちに通常に復帰します。ご迷惑をおかけしました〉
という合成音が響き渡り、温風の代わりに冷気が吹き出し始めた。
同時にブリッジの扉が開く。
だが、歓声を上げて飛び出してくる者は誰《だれ》一人いなかった。
「おわったぁ…………」
誰もが自分の席、もしくは床に突っ伏して動かず、ただただ、吹き付けてくる冷気を受動的に貪《むさぼ》り続けた。
真っ先にブリッジに乗り込んできたのは医療班だ。
「まったく、なんて有様だ………」
ニコチンスティックをくわえた女医にして医療部長のデュレルが、水着同様のスキンスーツの上から羽《は》織《お》った白衣を翻《ひるがえ》して溜《ため》息《いき》をついた。
「脱水症状の者がいないかどうか、ちゃんと調べろ、少しでも体調が悪いと思うヤツは自己申告だ!」
テキパキと指示を出し、周囲を脾《へい》睨《げい》したデュレルは、このブリッジの中で一人だけ、頑張っている人物を発見して唇《くちびる》をほころばせた。
メルウィンだけが副長席から立ち上がったまま直立不動で動かない。
「メル、もう大丈夫だぞ」
そう言って優しく肩を叩《たた》くと、メルウィンはガキガキ、という擬音がぴったりな動きでデュレルのほうを向いた。
「はい、大丈夫です、冷やし中華は水でさっとぬめりを取った後氷に入れて冷やします。その際ごま油をふりかけておくと麺《めん》がヒートシンクにならなくていいでしょう」
メルウィンの目の焦点は、どこにもあっていなかった。
「あれ?」
「かき氷は三対二の割合でシロップを多めにして、それをブリッジ内いっぱいにして……大丈夫です艦長、私は歩けます」
思わずデュレルの口からニコチンスティックが落ちた。
「た、担《たん》架《か》だ担架! メルが壊れたーっ!!」
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第八章 ふたりまとめて子供になった[#「第八章 ふたりまとめて子供になった」は太字] [#小見出し]
「最後のバグ、ねえ」
空気も気温も正常に戻ったブリッジで、クーネはほとほと呆《あき》れたような、感心したような声を出した。
汗は風《ふ》呂《ろ》に入って落とし、すでにスキンスーツも元に戻している。
「まあ、理論上は存在すると四〇〇年も昔から言われてはいたが、こんな形で発見されるとはな」
苦笑混じりにデュレルが言う。
「まさしくこれこそ『地球効果』というやつだ」
最近、この船の中で一部の連中が言い始めたことである。
「八〇〇年前の、緊急停止システム発動のための映像キーワードが、まさかインク取りの紙に偶然出来た染みと同じ形で、しかもそれが間違って外部データではなくて、内部データとして送り込まれたんで二重、三重の意味でのシステムクラッシュが起こるところだった、って言われても」
「まあ、あの時代はそういうコトが正しいと言われていたからなあ」
「お陰《かげ》でえらい騒ぎだわ」
通常から三割ほど人員の減ったブリッジを見回しながらクーネは溜《ため》息《いき》をついた。
「ともあれエリスの父君が宇宙戦艦系の|S  E《システムエンジニア》で良かったよ……一歩間違えれば完全再起動で、システム全停止、だったんだろう」
エリスの父の忠告と作業のお陰で、キャーティア母船のシステムは無事に修復され、現状復帰が行われたという報告はとっくにクーネの手元まで来ている。
「まあねえ……ところで、メルはどう?」
「まあ、軽めの熱中症だ……脱水症状があるから三日ほどは安静が必要だが」
「真《ま》面《じ》目《め》なのよねえ。何度『脱ぐか、除装しなさい』って言っても聞かなかったし、そのうちあたしも暑さでヘバるし」
「だが、メルは例外としても、他の連中はほとんど明日あたりには健康を取り戻すよ……むしろ体調が良くなってるだろうな」
「?」
「地球にはサウナ風呂、というものがあってな、汗を流すことで汗腺に溜まった不純物を出したり、温熱効果で内臓の新《しん》陳《ちん》代《たい》謝《しゃ》を活発にするんだそうだ……我々にも有効だぞ」
「今度からは任意の人だけ参加、ってことにしてほしいわ」
ふたりは顔を見合わせて苦笑いした。
「でも、残念だわー。これじゃ、せっかくの計画が無駄になっちゃった」
「まあ、仕方があるまい……それに今回のこと、少々趣味が悪い話でもあったしな」
ちくり、とデュレルが釘《くぎ》を刺すと、クーネはぷうっと頬《ほお》を膨《ふく》らませた。
「そうかしら……でも、あのままだとあの三人、ゴールまでにいつまでかかることか……」
「全員まだ一七周期にもなってないんだから、急《せ》かすことはないのだよ」
「んーでもねー。地球の人は寿命が短いから……」
ちょっとだけ、キャーティアシップの長の目に沈んだ色がかすめた。
「だからといって、周囲の人間が加速させてよい、という理屈にはならんよ、艦長」
「んー。わかってるんだけどねー」
にやり、と人の悪い笑みを浮かべ、デュレルは後ろを向いて一言、
「人の恋路は面白いからねえ」
しみじみとした口調で言うと、クーネもつられて頷《うなず》きながら、
「そうなのよ……って、何いわせるの!」
「ほーら、本音が出た」
からからと、デュレルが笑った。
その時の双《ふた》葉《ば》アオイにしてみれば、緊張と当惑と焦《しょう》燥《そう》がスクラムを組んで突撃してきたようなものであった。
何しろ、エリスの両親が来ているのである。
さらに、食事会、と来た。
これは「ご両親とお話する」状況ではないか…………つまり、結婚!
とりあえず、エリスの部屋に戻り、着替えながら思ったのはどうすればいいのか判《わか》らない、ということであった。
こういうとき、指示を仰《あお》ぎたい相手である真《ま》奈《な》美《み》は遠く地球にいて、しかも「触《しょく》」の関係で連絡が取れない。
頭の中で「何かしなければ」という焦りだけがぐるぐる回転して、何も答えを導き出せないもどかしさだけがゲージをあげていく。
「アオイさん、準備出来ましたか?」
脱衣場の外にエリスの影が現れた。
「あ、う、うん…………もう少しまって」
「はーい♪」
エリスは楽しそうだ。まあ、無理もない。
遠い土地で肉親と出会えば嬉《うれ》しくもなるだろう。
それがちょっと羨《うらや》ましくもある。
自分には、再会を喜ぶような肉親はいないからだ。
父は家庭を捨て、母親は彼女を棄《す》てた。
「…………」
そう考えてみると、エリスの両親との食事会で、自分の最も嫌な部分が吹き出さないか、と心配になってくる。
このところ、ようやく判ってきたのだが、自分は感情を押し殺してこれまで生きてきた分だけ、己《おのれ》の感情が突発的に動く状況に非常に弱いらしい。
何よりも彼女を不安定にさせているのは、頭の中で「騎《き》央《お》を取られる」と喚《わめ》く自分がいる、と思っていたのが、かなり自然にこの状況を受け入れようとしているということだ。
心は不安定であるが、激情に駆られてはいないのである。
むしろ、楽しかった。
(私…………どうなってるのかしら?)
混乱のまま、アオイはもう一着のカクテルドレスに袖《そで》を通した。
状況が、動いてしまったのが悪い、と誰《だれ》かが言ったかもしれない。
もっともそれは遠い遠い、最前線よりなお遠い所の話である。
数日前、初めて軌道エレベーターが下から上へと作動しているのが確認されてしまったことがすべてのきっかけである。
あらゆる条件が重なっていた。
一向に判《わか》らないエレベーターの内部、あまりにも暢《のん》気《き》な造形ゆえに誰も喧《けん》嘩《か》を売ることが出来ない(つまり戦闘能力は未知数のままの)仔《こ》猫《ねこ》艦隊。
ある超大国のある部署に、極秘命令が伝えられた。
命令はそこから自分たちの下部組織へ、下部組織から配下の部隊へと伝達されていく。
幸い、霧ふかい夜でもあった。
夜九時に作戦は決行されることになった。
軌道エレベーターを直接守るアシストロイドたちはともかく、周囲にいる各国の艦船との兼ね合いを考えてのことだ。
船そのものは、対テロ対策を名目に作られたモノで、一般的な漁船に擬《ぎ》装《そう》されているが、実は潜水能力を持っており、短距離ながら、最新式の電磁推進システムを保有しているので、どこの国のレーダーやソナーにも引っかからないように出来ている。
作戦が始まると同時に船は浮上し、このへん一帯を荒らし回る海賊連中が、身動きの取れない国家の軍隊を出し抜いて軌道エレベーターを占拠する、というシナリオであった。
予定海域までたどり着くと、船は艦艇から切り離された。
ゆっくりと船は進む。
現行の電磁推進システムでは、時速数キロがやっとだ。
だから、ことが起きるのは夜明け前、ということになる。
それはむしろ彼らにとって好都合だった。
これほどゆっくり進む連中がいるとは、誰も思わないはずだ。
…………が、彼らでさえ知らないことがあった。
表向き確認されている仔猫艦隊の他に、海の下を自由自在に泳ぐ別の仔《こ》猫《ねこ》艦隊・キャーティア側の通称「ぬこ」部隊があり、その中の六号艇には、飛行機から翼《つばさ》を取り去ったような形をした小型潜水艇が二機|搭《とう》載《さい》され、驚くべきスピードと静かさで海域をパトロールしているということ。
そして、その中の一機が、これらの船のうち一|隻《せき》をサーチライトで照らしながら確認し、母艦である六号艇に報告していたこと。
その連絡を受けた仔猫艦隊が、ゆるやかに迎撃態勢を整えつつあった、ということ。
キャーティア側はこれを大したことと判断せず、また襲う側は完全にこれを擬装された作戦とするために、あらゆる手を打っていたことが、後に「えらい事態」を引き起こすことになる。
士官食堂の奥にある「会食室」と呼ばれる普通は使われない部屋が食事会に使われた。
細長いロングテーブルに騎《き》央《お》を挟むようにエリスとアオイが座り、その対面にエリスの両親という、アオイと騎央にとっては非常に心臓に悪い配置である。
こういう場合、空気を和《やわ》らげてくれるはずのアシストロイドたちは今だ修理中&再調整中で、エリスの父母のほうは連れてきていないらしかった。
「えーと、じゃ、わたしが今日の給《きゅう》仕《じ》をしますね……今日は地球風の料理で」
光の粒子が収束して、まずコーンスープが現れた。
舌は美味《うま》いと感じているが、脳自体はそれどころではなく、砂でも啜《すす》っているような気分でアオイはスプーンを動かした。
初めての任務の時でさえ、これほどにドキドキすることはなかったし、騎《き》央《お》への告白の時でさえ、これほど体がギクシャクしたことはない。
黙々と五人は目の前のスープを飲み続ける。
「えーと、騎央君」
エリスの父がふとスプーンを止めて話を切り出した。
ぎく、と騎央が一瞬硬直する。
「は、はい…………な、なんでしょうか? エリスのお父さん」
「…………苦労かけるねえ」
「え?」
「それに、アオイさんも……この子はのんびり屋でちょっと人と違ったところがあるから、苦労があると思うけれど」
と軽く頭を下げた。
横で母親のほうはにこにこ笑っている。
「あ、いえ、そ、そんな……む、むしろお世話になっているのはわたしの方で」
「誰《だれ》に似たんだか、この子は天然ボケな所があるからー」
あははは、と母親は快活に笑い飛ばした。
何となく、それに救われたような気がして、騎央とアオイは安《あん》堵《ど》の溜《ため》息《いき》をつく。
「ひょっとして、ふたりともあたしたちに叱《しか》られるか、イヤミ言われるとか思ってた?」
「あ、いえ、そんなことは」
真っ赤になった騎央が慌《あわ》てて否定するが、クスクスとエリスの母は笑って、
「でも、ホント、ふたりとも、うちの娘でいいの?」
「え?」
騎央に、ではなく、アオイも含めた「ふたりとも」と呼びかけたのがちょっとアオイのどこかに引っかかったが、エリスと同じ考えをしているのなら当然だろうと理性が修正する。
「暢《のん》気《き》で宇宙人で文化も微妙に違ってて……苦労するわよ」
「い、いや、あのその、そ、それはまだその……」
真っ赤になってどう答えていいのか判《わか》らずしどろもどろの騎央に、どう見ても「兄」ぐらいにしか見えないエリスの父は、苦笑しながら母の腕に触れて『それ以上つっこんではだめだよ』と目線で伝える。
母の方も『わかってるわよ』と領《うなず》く。
「まあ、まだ数周期時間があるわけだし、じっくり考えて……お式を挙げてからじゃ遅いんだから」
「え? 結婚式って、あるんですか?」
「エリスから聞いてない? ちゃーんとキャーティアにも結婚式とかはあるわよー」
ありゃ、何を教えてるのあんたは、という顔をエリスの母はエリスに向けるが、当人は「え? そうでしたっけ?」という風に首を傾《かし》げた。
「まーったくあんたって娘はほんとーに父さんに似て暢《のん》気《き》なんだから」
「じゃあ、ひょっとして遺伝子干渉のチェックとかもやってないんでしょう?」
「あ、だ、だってお母さん!」
がた、と立ち上がり、エリスは顔を真っ赤にして抗議した。
「それはその……つ、つがいのときに問題が、な、なければ……」
「まったく…………男女間ならともかく、女性間妊娠[#「女性間妊娠」に傍点]も視野に入れるんだったら早めにやっといたほうがいいでしょうが!」
数秒の間があった。
「え?」
エリス、騎《き》央《お》、アオイの三人が同時に声を出した。
「あの…………お母さん、それ、どういう意味?」
エリスが心底不思議そうな顔で尋《たず》ねると、
「あのねー」
と呆《あき》れきった顔でエリスの母。
「三人仲良くつがいになります、ってあなた手紙に書いてあったでしょうが!」
さらに、エリスの母はアオイの手を取って言う。
「どうか、娘をよろしくお願いね。丈夫な子をね」
「え?」
アオイの目が点になった。
「エリスが説明してないみたいだから、今説明するんだけどね、わたしたちは同性同士の結婚も子作りもオッケーなんで、その技術もあるんだけれど、その前に異星人同士の結婚だから遺伝子の適合率とかを調べ……」
一《いっ》気《き》呵《か》成《せい》に説明しようとする母親の顔の前にエリスは手をかざした。
「エリスどうしたの? お行儀が悪いわよ」
「…………お母さん、手紙、ちゃんと読んでくれました?」
「ええ、読みましたよ、『三人仲良くつがいになります、もうしばらくしたらちゃんとお話をしに行きますので楽しみに待っていて下さい』……でしょ?」
「あの……お母さん、私の手元にあるデータだと『騎《き》央《お》さんとは今回、つがいになれませんでしたがアオイさんもいっしょに仲良く三人で頑張っています、いずれ状況が落ち着いてきたら、お母さんに騎央さんたちを引き合わせたいと思っています』ってあるんだけど」
エリスは情報処理機の小さな立体ディスプレイを母親に向けた。
「…………」
自分の腰に下がっている、エリスとは違ってちょっと細長い感じの情報処理機を取り出し、エリスの母は自分の受け取ったエリスからの手紙の情報を呼び出した。
「…………」
「どう?」
しばらくエリスの母は何度も手紙の内容を読み返し、さらにエリスの情報と見比べていたが、へにょ、と頭の上の猫の耳を伏せた。
「…………ごめん」
「…………」
つくづく、困ったモンダという顔でエリスは溜《ため》息《いき》をついた。
「もー、お母さんったら、また?」
「ごめん。またやっちゃった…………」
エリスの母親は俯《うつむ》いて小さくなった。
「いや、てっきりあなたのことだから正三角形型の恋愛なんだろうな、と」
「違います、お母さんったら……二等辺三角形だ、って言ったでしょう?」
「うう…………」
そのまま椅《い》子《す》を降りると、エリスの母親は壁の隅に手をついて「反省」のポーズを取る。
その横で、いつの間にか現れた(どうやらマントの影に隠れていたらしい)、ワインレッドのアシストロイドも付き合いで「反省」ポーズを取った。
「お父さーん、どうせ判《わか》ってたんでしょう? 止めてよー」
「まあ、僕もエリスに久々に会いたかったからねえ」
あはは、と父は暢《のん》気《き》なモノであった。
「それに、母さんが思いこみと勘違いをやらかすのは毎度のことだし、お前だってその血を引いてるじゃないか。なあ、士官学校に入るとき…………」
「う…………」
エリスが気まずい顔になった。
「それは、そうだけど……おかーさん!」
父の話は、これ以上続けて貰《もら》っては困るらしく猫耳少女は無理矢理母親に話を戻した。
「本当にもう……どーしていつもそーなんですか?」
「うぅ…………だって、だって、この前KF3号星で見つけた遺物がね、女の子同士で子供を作るにはぴったりの……」
両肩を縮める様にし、両手の人さし指をつんつんと胸の前で突き合わせながら、エリスの母親は言い訳を続ける。
どう見ても父親同様、エリスより年上には見えないのが、まあキャーティアならではの光景なのだろう、とアオイは納得した。
「あのね、とっても珍しい道具なのよ、あっちの方をメンタルではなくてダイレクトで楽しんでいた時代の遺物で、ほら、KF3号星は私たちとよく似た二足歩行で一〇進法の知的生命体がいたところだったから……」
「お、お母さん、何話してるんですかっ!」
エリスはなぜか赤くなりながら母親の言い訳を打ち切った。
「まったく、わたしたちはまだ一六周期なんですよ、もう少ししないと、子供とか、結婚とかいうのは……」
「いやほら、地球ではやり方が違うと思って……」
さっきまでの颯《さっ》爽《そう》とした雰《ふん》囲《い》気《き》はどこへやら、しょげかえったエリスの母親はチャイカよりも幼く見えた。
「地球の人には発情期がない、っていうし、そうなるとこういうことは……」
「お母さんってば!」
それを見ていて、思わずアオイはくすりと笑ってしまった。
悪くないな、と思っている自分が素直に受け入れられた。
横を見ると、騎《き》央《お》も同じように吹き出している。
それがまた、嬉《うれ》しかった。
エピローグ 「ぬこ」の六号待っていた[#「エピローグ 「ぬこ」の六号待っていた」は太字] [#小見出し]
その騒動があったあとは、すっかり一同はうち解けていた。
「そうか、初めての発情期はそんなことになったのか」
「…………もう、まったくこの子はー」
「で、その時にアオイさんが助けに来てくれたんですよー」
「えええっ! どうやって?」
「アオイさんは格闘技も武器による戦闘も一流なんです」
「へー。すごい凄い! 地球の格闘技ってあたしの同僚が今研究しているのよ!」
わいわいとやってるうちに、修理を終えた「定《さだ》やん」たちが帰ってきてますます賑《にぎ》やかになった。
エリスの母親は「定やん」と「チバちゃん」&「錦《きん》ちゃん」に非常に興味を示し、根掘り葉掘りその外観の成り立ちについてアオイと騎《き》央《お》に質問をした。
「なるほどねえ……でも管理局の連中、なんでこの子は丁稚《でっち》にしたのかしら?」
「定《さだ》やん」の頭を撫《な》でながら、エリスの母は首を傾《かし》げた。
「キャーティアの人でも判《わか》らないんですか?」
「まあ、アシストロイド管理局の人間ってのは独自のセンスをしているからねえ」
「…………」
などといった会話もあったが、まあ、それはそれで。
会食が終わったのは深夜近くで、三人とふたりに別れて帰る時、アオイはどこか寂しい思いさえ感じたのである。
エリスの部屋に帰ると、騎《き》央《お》はそのままソファーに座ったまま眠ってしまった。
昨晩同様「へいほん」と「定やん」が協力して騎央を運んでいこうとしたが、寝ぼけ眼《まなこ》の騎央は「いいよ、今日もここで寝るから」と指示を出し、あとは軽い寝息をたてるばかりとなった。
「男の人は男の人で神経を使うのかも……ね」
その光景を見ながら、アオイはくすっと笑った。
キャーティア特有の、あの筒《つつ》状《じょう》の布団をそっと掛けてやる。
「そうですね」
とエリスも笑いながら、自分とアオイの分のお茶を出現させた。
「ここへ来て、良かった……わ」
ぽつん、とアオイは言った。
自分を何の屈託もなく「新しい娘」と呼んでくれるエリスの両親と、エリスに対し、嫉《しっ》妬《と》のような羨《せん》望《ぼう》を感じていない、と言えば嘘《うそ》になる。
だが、同時にそれが嬉《うれ》しくもある。
ひょっとしたら…………と。
ひょっとしたら……と思う。
「私にも両親がいるの」
不意に、真《ま》奈《な》美《み》にも言わなかったことをアオイは口にした。
乾きかけたカサブタを剥《は》がすような痛みを心に感じるが、我慢する。
こんな時でもなければ、話せないし、いつこんな時が来るか判らない。
何よりも、エリスになら、話してもいいと思っていた。
「え? じゃあ、どちらにいらっしゃるんですか?」
どうやら挨《あい》拶《さつ》するつもりらしいエリスに、アオイはほろ苦い思いで寂しげに笑った。
「判らないわ。どこにいるのか…………でも会いたいとも思わない。向こうだって会いたいとは思ってないでしょうね」
「?」
「父は、私と母を捨てたわ。そして母は、私が七つの時に私を棄《す》てたの」
「え?」
理解出来ない顔のエリスに、アオイは「父は私と母を残して家を出て、母は、私を施設に預けたの」と言い直した。
「…………」
困ったような悲しいような、複雑な顔になるエリス。
「あなたがそんな顔をすること、ないわ」
くすり、とアオイは笑った。同時に自己嫌悪の針がちくちく胸を刺す。
露悪趣味だったろうか。
だが、話しておきたかったのだ。
この少女にだけは、話しておきたかった。
「でも…………アオイさんは騎《き》央《お》さんと同じぐらい大事な人ですから、アオイさんがそうだと、哀《かな》しいです」
「…………ありがとう」
アオイは、静かにそう言ってエリスの手を握った。
「…………」
何となく目を覚《さ》ました騎央は、その話を聞いて、眠れなくなるくらい重いものが胸の中に置かれるのを感じた。
寝返りを打つ。
素晴らしい時を過ごしたという満足感は、すぐにその幸福の一枚下にある現実を覗《のぞ》かせていた。
アオイのことに関してはぼんやりと「色々あるんだろうな」と思っていたが、その一端だけでも、少年には想像しづらい話だった。
両親が離婚、というのは良くある話だが、母親にまで棄てられる、というのは、もう非日常の世界だ。まして、「施設」というのは恐らく、彼女を戦士として鍛え上げた機関の名称だろうと思える。
そんな過去を持ちながら、アオイは自分の居場所を捨てて、騎央のために戦ってくれているのだ。
エリスもまた、遠い宇宙から、家族と離れて地球と母星の国交のために頑張っているし、アオイ同様に騎央のために戦うことも厭《いと》わない。
ここまで自分にしてくれるふたりに自分は何が出来るだろうか。
以前、飛行機の中で摩《ま》耶《や》が言った言葉が脳裏に蘇《よみがえ》る。
「『正しいやり方、人のやり方、オレのやり方』、か……」
覚悟を決めるべきなのだろうか。
(よし、決めよう)
素直にそう思った。
だが、次の瞬間、頭の片隅で、その考えすら浅はかな気がしてくる。
(もっと、考えなくちゃ)
各国大使を回って、結局エリスたちを疲れさせただけの思い出が苦く蘇《よみがえ》っていた。
あの時も、「よし、決めよう」と、静かな興奮に身を震わせながら決意した。
結局それは、自分に酔っているだけなのだと、今の少年は知っている。
(そうだ、もっと考えなければ)
そんなことを思っていると、少女二人は何やら話し合いを始めた。
「じゃんけん、ぽん」
「あいこで、しょ……」
一生懸命、小声でありながら白熱した声である。
(?)
なかなか、じゃんけんの決着はつかないようである
その声を聞きながら再びうとうとし始める騎《き》央《お》だったが、不意に頭が持ち上げられる感覚に少し薄目を開けた。
「一時間だけですからね」
ちょっと残念そうなエリスの声。
そして…………薄目を開けた騎央の目に飛び込んできたのは双《ふた》葉《ば》アオイの真っ赤な顔だった。
(!)
ぎくりと体が動かなかったのは奇蹟に近い。
(なななななななななな、なぜ? どうして? ふ、双葉さんが?)
混乱を鎮めようと目を閉じると、ほのかに甘い、エリスとは違うファンデーションの匂《にお》いが少年の心臓の鼓《こ》動《どう》をきゅいきゅい上げていく。
「どうですか、アオイさん?」
「……ど、どう、って…………言われても」
二人の少女がどこかとまどう声を掛け合う中、騎央は目を開けることも、起きることも適わず、必死になって寝たふりを続けるしかない。
とはいえ、それでも、
(でも、これが……双葉さんの……暖かいなあ)
とかぼんやり思ってしまうのが一六歳。
少年の頭は心地よい重さでアオイの膝《ひざ》の上にあった。
眼鏡《めがね》を外した少年の寝顔は、どこかあどけなく、こんなに近くで、こんな構図で少年を観《み》たことがなかったためもあって、アオイはドキドキしながら騎《き》央《お》に膝《ひざ》枕《まくら》をしている。
きっかけはほんの些《さ》細《さい》な話だった。
話が進むうち、あまりにも両親の仲がいいので、膝枕とかして耳掃除して貰ったりする文化があるのか、とエリスに尋《たず》ねたのだ。
そうするとエリスはぽん、と手を叩《たた》いて「なるほど、あれは親密さの表現だったんですか」とか言い出した。
そして「騎央さんに膝枕してあげませんか? 耳掃除はまた今度、ってことでー」などと付け加え、アオイは当初|慌《あわ》てたが、いつの間にかエリスのペースに載せられてしまったのである。
ふと、アオイは騎央の前髪を指先でかき上げた。
それだけで、胸が熱くなる。
エリスに目線を移すと、少女はにっこりと笑って頷《うなず》いた。
すまなさと、嬉《うれ》しさと……そして、騎央に対するのと変わらない感情が、不意にアオイの胸にわき上がってきて、彼女は驚いた。
(え…………? なんで私? どうして?)
顔を真っ赤にし、少女は頬《ほお》を手で覆《おお》った。
「どうしたんですか? アオイさん」
エリスが小声で尋《たず》ねる。
「ち、違うの……何でも……ないの」
必死に心臓の鼓《こ》動《どう》が跳ね上がったことを押し隠しながら、アオイは混乱の中にいた。
なんとか落ち着こうと思い、必死に少年の顔を見ようとする。
だが、心臓の鼓動はますますテンポをあげ、心の内で大きく膨らむ感情は無視出来なくなっていく。
エリスは興味深げに騎《き》央《お》に膝《ひざ》枕《まくら》するアオイを見ていた。
なるほど、これは確かに「いい光景」だ。
親密だけど、ベタベタした所がないし、控《ひか》えめだ。
それに、相手はふたりとも自分にとって大事な存在なのである。
次の発情期にこそ「つがい」の相手にしたい少年と、自分と同じぐらいその少年を大事に思っている少女…………しかも、少女の方はエリスにとっては「戦友」でもある。
人格的にも問題はないし、むしろ時と場合によっては建前を廃する理論の部分がしっかりしているので安心して背中を任せられるタイプだ。
ちょっと地球の常識に縛《しば》られすぎているきらいはあるが、それはお互い様。
耳まで真っ赤に染めて、アオイは必死に騎央の顔を見つめている。
今はまだ、無理かもしれないが、いずれ一緒に騎央を挟んで膝枕出来る日が来る、とエリスは確信していた。
(そのためにも、頑張って地球のこと、勉強しなくちゃ)
そう思うと、晴れやかな緊張が背中を包み、エリスはますます笑みを深くした。
その笑みが、ますますアオイを混乱させているとは知るよしもない。
霧深い夜明け前の海に、潜水機能を持った漁船の群れが音もなく浮上した。
その数は五|隻《せき》。
実は二重になっているドアから、日焼けしたように塗料を全身に塗った男たちが現れる。
韓《かん》国《こく》系、日系、インド系、さらに髭《ひげ》で人種が特定されないようにした男たちは、手に手に武器を持ち、またそれまで潜るために防水されていた甲《かん》板《ぱん》上の武器を使用出来るようにカバーを破り、水密ラバーを外す。
ものの一〇分ほどで、武装は完了した。
エンジンが起動し、スクリューが泡を立てて船は、それまでとは比べものにならないような素晴らしい速度で走り始める。
霧の彼方に、巨大な塔《とう》が見えてきた。
あれこそ彼らの目的地「軌道エレベーター」である。
周囲を護衛している通称「仔《こ》猫《ねこ》艦隊」はまだ塔の中から出てきていないハズである。
やがて、みるみるうちに塔が近づき、むしろ「島」に近い巨大さが明らかになる。
「上陸用意!」
指揮官である、まだらに染めた頬《ほお》髭《ひげ》と頭髪、さらに染料で染めた肌で人種を特定させないようにした白人の士官が叫んだ。
男たちは、いかにも使い込まれ、放置されっぱなしのようになったAK突撃銃や、古いM−16を頭上にかざし、いかにも海《かい》賊《ぞく》らしい雄《お》叫《たけ》びをあげる。
前部|甲《かん》板《ぱん》に固定された二〇ミリ機関砲が装《そう》填《てん》され、キリキリと角度が調整される。
「射撃用意!」
指揮官の手が高く掲げられた…………瞬間。
どかん、とばかりに海水の柱が視界を覆《おお》った。
「!」
ドルフィン浮上《ブロー》、と言われる緊急浮上で海上に派手に現れたのは、寸《すん》詰《づ》まりの潜水艦だった。
どこか七〇年代のSF漫画を思わせる丸みのあるデザインのその潜水艦は舳《へ》先《さき》をこちらに向けると、魚雷発射管を開いて見せた。
さらに白く塗られた上部甲板が開いて、同じく寸詰まりのミサイルランチャーがせり上がってくる。
一|隻《せき》だけではなかった。
真っ赤に塗られた、ロケットのような潜水艦や、真っ黒で、後部エンジンが二つある潜水艦も浮上してきて、それぞれ武装を展開する。
さらに、軌道エレベーターの基部が開き、「仔猫艦隊」がするすると現れる。
「な…………なぜだ?」
愕《がく》然《ぜん》とする指揮官へ、最初に浮上した潜水艦からの発光信号が入った。
「なんだと…………『引キ返セ、進入禁止、猛猫注意』だと?」
それを解読した指揮官の顔が塗料の上からも判《わか》るほど憤怒に染まる。
同時に、冷静な部分があくまでもここは「海賊」として振る舞うべきだと囁《ささや》いた。
責任感と、日本風ディフォルメキャラへの嫌悪感(彼はウォルト・ディズニーマニアだった)が混同し、士官教育の初歩を忘れさせた。
「舐《な》められてたまるか、前進全速、撃《う》てえええっ!」
号令一下、それまで沈黙していたハイドロジェットが傲《ごう》然《ぜん》と唸《うな》り、打ってかわった速度で移動し始めた漁船改造の海《かい》賊《ぞく》船の甲《かん》板《ぱん》で、二〇ミリ機関砲が次々に火を噴いた。
海面から着弾の水柱が次々と上がる中、ゆっくりとアシストロイドの艦隊はL字型に曲がり始めた。
「くそ、トーゴー・ターンのつもりか!」
日本海海戦で行われた「海戦史上最大の博《ばく》打《ち》」にして旧日本軍そのものに「神《カミ》風《カゼ》」信仰を植え付けてしまった行為そっくりな艦隊運動に、さらに指揮官の脳がヒートアップする。
「撃《う》て! 船底をねらえ!」
海面下にある戦艦の横っ腹めがけて知性化魚雷《インテリジェンス・トービドー》が海の中にある漁船の本体部分から射出される。
しゅるしゅると魚雷が水面下を走る。
そして、戦艦の船底……をすり抜けた。
それから後はあらぬ方向へと走っていく。
「?」
その時、水中爆発の大波で、猫の操る戦艦が大きくローリングし、一瞬、船の底が見えた[#「船の底が見えた」に傍点]。
「な…………」
船底部分、ではなかった。
「そ、そんな馬鹿な!」
喫水線から下は、無かった。
平底、なんてものではない。推進機関らしきものさえなかった。
彼らの船は、文字通りのウォーターラインモデルだったのである。
呆《ぼう》然《ぜん》とする指揮宮の船を、横合いからの衝撃が揺さぶった。
「こ、今度はなんだ!」
右《う》舷《げん》を見ると、船尾付近に、後半分だけ帆《はん》船《せん》のキャビンのようになった宇宙戦艦もどきが追突している。
キャビンの上には、舵《だ》輪《りん》にしがみつくような恰《かっ》好《こう》で、アイパッチにマントのアシストロイドが「うちうのうみはきたのうみ」と書かれたプラカードを掲《かか》げている。
そして、足元のペダルを踏んで舵輪を引っ張ると、猫の海賊船は嫌な音をさせながら後退し、漁船から離れた。
むろん、向こう側には傷一つ無く、漁船の横っ腹には追突された跡があり、「ぬこ」の文字が刻印されているが、指揮官は判《わか》らない。
さらに、別の船へは先端のドリルを回転させながら潜水艦らしいものが突撃していく。
そして、これも漁船の後ろ半分を破壊すると後退を始めた。
「くそ…………情けを掛けてるつもりか!」
自動制御で人のいない機関部を破壊する意図を読み取って指揮官は歯ぎしりした。
そんな彼らの前に「ないないん」と白文字で書かれた真っ黒な潜水艦が浮上する。
ゼロ距離だ。
「撃《う》てーっ!」
やけくそで叫んだ。
二〇ミリ弾が直撃する。
潜水艦の司令塔部分《セイル》が四散した。更に数発がヒットする。
「よし!」
拳《こぶし》を握りしめた指揮官は、次の瞬間、唖《あ》然《ぜん》となった。
バラバラに四散した潜水艦の部品に細い、針金のような「足」が生えたかと思うと、トタタタタ、と海面を走って元の場所に戻り始めたのである。
「…………」
あまりの光景に、指揮官はその場に両|膝《ひざ》をついた。
「やってられねえ……」
ぽつん、と呟《つぶや》く。
夜明けの海の上を、光学的に『見えない』ようにした「ルーロス改」が飛んでいく。
「いやあ、早い早い♪」
珍しく早起きしたにもかかわらず、しゃっきりしているエリスがはしゃいだ声をあげた。
「軌道エレベーターも風情があっていいんですけれど、急いでいるときはこれがいいですねえ♪」
こくん、とちょっと顔を赤らめたアオイは頷《うなず》き、明けつつある朝の海を、透明化したコックピットの壁越しに見つめた。
今朝もエリスと抱き合って目覚めてしまったことが、妙な罪悪感と背徳感になっていて、エリスも、騎《き》央《お》も真っ直ぐに見ることが出来ない。
その膝の上で、「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」が登りつつある朝日にぱんぱん、と手を叩《たた》いて拝んでいる。
「あっという間だねえ」
しみじみと騎央が同意する。「定《さだ》やん」と「へいほん」は朝日を見ながら何か話をするように頭を動かしていた。
「あ…………エレベーター」
アオイの言葉に、騎央はひょい、とその方を見下ろした。
空から見ても、やはり軌道エレベーターは巨大である。
ふと、妙なモノがその側を移動しているのが見えた。
「何だろ…………あれ?」
「え? なんですか?」
「エリス、軌道エレベーターの根本の画像、クローズアップ出来る?」
「あ、はいはい…………『ルーロス』! クローズアップよろしく」
『はいなー』
エリスの頭の上に例のぬいぐるみの立体画像が現れ、ちょいちょい、と手を動かすと、騎《き》央《お》の視界の先に別の画面が現れた。
「これ…………何?」
「スクラップを引っ張ってるみたいだけど…………?」
アオイに言われて、騎央はようやくそれが、鉄|屑《くず》の山を引っ張る、ディフォルメ艦隊の姿だと気がついた。
「何があったんだ…………?」
呟《つぶや》いた途端、騎央の首筋を「嫌な予感」が撫《な》でていった。
「…………エリス、進路変更」
騎央は珍しく厳しい声で命じた。
アメリカ第七艦隊へ、奇怪極まる贈り物がされたのは、騎央がその光景を見る数分前のことであった。
贈り物、という言い方は違うかもしれない。
まるでかんしゃく持ちの子供がやらかしたように、特殊な金属ネットに絡《から》め取られ、球体状にされた潜水機能付きの特殊漁船の山は、大きな筆文字で「おかえししまし」と書かれた紙を貼《は》り付けられ、さらに別のゴムボートに気絶した乗務員全員を乗せた状態で第七艦隊の旗《き》艦《かん》の真ん前へと放流された。
仔《こ》猫《ねこ》艦隊が、ここまで団体で移動するのは初めてのことであり、各国艦隊は「うっかり」とか「表敬訪問」とかの理由をつけて偵察機を大量に飛ばしている最中の出来事である。
「おかえししまし」という日本語を理解するものは少なかったが、すぐに意味は判明し、何があったのか、という問い合わせがワシントンへ殺到した。
それは、新たな騒動の始まりを意味していたのである。
あそびにいくヨ! 7「とってもあついのキャーティアシップ」
おしまい
[#改ページ]
あとがき[#「あとがき」は太字] [#小見出し]
こんにちは、神《かみ》野《の》です。
「あそびにいくヨ!」もおかげさまで第七巻となりました。
これも皆様のおかげです、ありがとうございます。
前回あたりから物語の中の季節と、現実世界の季節がズレ始めてしまいましたが、今回はそれに対応するべく考えられた内容であります(笑)。
今回はいつもと違い、お馴《な》染《じ》みのメンバーはほとんど出てこず、もっぱらエリスと騎《き》央《お》、アオイの三人のお話となっております。
たまには三人っきりにしてラブコメ部分を進行させようと思ったんですが、どうも隔離した場所が悪かったようで……。
その代わり「キャーティアシップ大公開!」な内容になっておりますのでお楽しみに。
次の巻からは彼らも高校二年生、色々動き始めると思いますが…………さてさて。
また、小ネタは控《ひか》えめ(仔《こ》猫《ねこ》艦隊と、クライマックスの○×○○捕獲シーンぐらい)ですが、皆無ではないので、その方面がお好きな方はお探し下さいね(笑)。
また今回は漫画家のあろひろし先生、環《たまき》望《のぞむ》先生、もっちー先生、清《し》水《みず》兆《ちょう》司《じ》先生、田《た》沼《ぬま》雄《ゆう》一《いち》郎《ろう》先生、作家の榊《さかき》一《いち》郎《ろう》先生、小《お》川《がわ》一《いっ》水《すい》先生、知り合いのChowさんに、なかえいしんさん等々、色々な人にキャーティアシップの中のネタをヘルプして頂きました。
生かせたモノもあれば今回は見合わせたモノもありますが、どれも素晴らしいモノでした、ありがとうございます。
さらに毎度の担当編集のオーキドさん、そして今回も素晴らしいイラストを頂いた放《ほう》電《でん》先生、ありがとうございます。
そして、何よりもこの本を買って下さった皆様。
ありがとうございます。次の本も良いモノを、と思って頑張りますので、どうぞお見捨て無きよう。
では、今回はこのへんで。
二〇〇五年七月 神野オキナ拝