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あそびにいくヨ!6 ぎゃくしうのビューティフル・コンタクト
神野オキナ
目 次
プロローグ 絶体絶命なのだった
第一章 それでも平穏な日々だった
第二章 後ろにゃ嫌な奴がいて
第三章 クリスマスには間に合わない
第四章 犬耳野郎がやってきた
第五章 直列つなぎで突破した
第六章 やっぱりいちかが持っていた
第七章 箱の中から猫が出た
エピローグ そして大きな「おくりもの」
あとがき
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編集 大喜戸千文
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「ゴメスの名は愛、ゴメスの名は平和」
映画「ゴメスの名はゴメス」より。
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プロローグ 絶体絶命なのだった
☆
一二月二四日午後八時
甲板を白く染めたまばゆい輝きが消え、一列に並んで互いの背中に手を押し当てていた通常型アシストロイドたちはくたりとその場にくずおれた。
全員が、最近付け加えられた新機能――「目を閉じる」によって「機能OFF」の状態を示すなか、辛《かろ》うじて生き残った最先頭の「6」と「1」だけが溜息をつくかのように頭を小さく上下させた。
隣では、サムライの姿をしたカスタムタイプのアシストロイド「チバちゃん」と「錦《きん》ちゃん」が背中合わせに座り込んで、「おなかすいたー」と書かれた看板《プラカード》を掲《かか》げている。
風さえ吹かなくなった甲板の上、何とも言えない達成感と緊迫感がない交ぜになった空気が流れる。
「どうだ? おふたりは無事に脱出なされたか?」
インカムに尋ねたメイド服の美女……摩耶《まや》の問いかけに、
『モニタールームです。今、確認しました……『アンドローラU』が回収に向かっているようです』
という声が聞こえ、摩耶は周囲の者たちに頷いて見せた。
「発光信号は通じたようです」
安堵の溜息がメイドたちとエリス、そして少年の襟元に転送用マーカーを差したアオイの口から漏れた。
「ふん……なんの意味もないわ」
甲板の片隅、ぐるぐるとロープで縛り上げられた上に、手首と親指をナイロン拘束具で固定され、さらに足首まで手錠で拘束された犬耳の美女が毒づいた。
「おまえたちはここで死ぬのだ」
「それは、この仕事に就いた時点であなたたち同様覚悟しています」
猫の耳と尻尾を着けた赤い髪の少女、エリスが答えた。
静かに、穏やかな笑顔を浮かべて。
「でも、絶対わたしたちはここでは死にません……もちろん、あなたも」
「馬鹿を言え」
苦笑のような、泣き顔のようなものを浮かべながらジェンスは言った。
「あれは地球の上にあるどの機械よりも確実に、私とおまえたちを消滅させる。おまえたちの『贈り物』と共にな……深夜零時と共に、我々は消え去るのだ」
ジェンスの目には涙が浮かんでいた。
「いいえ、違います」
その目を見据えて、エリスは言い切った。
「騎央さんは、きっとわたしたちを助けに帰ってきてくれます」
「…………」
呆れたようにジェンスはしばらくエリスを見ていたが、やがて、ぷいっと横を向いた。
アオイはさりげなく、エリスの右手が誰にも見えないような位置に移動した。
「ありがとうございます」
これもまた、誰にも聞こえない声で、エリスはアオイに礼を言った。
猫耳少女の握りしめた拳《こぶし》は、自信に満ちた言葉を紡《つむ》いでいた間も、今も、微妙に震えていたのである。
話は、数日前に遡《さかのぼ》る。
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第一章 それでも平穏な日々だった
☆
一二月二一日午前六時八分頃
とってってててててて。
騎央《きお》専用のアシストロイド「定《さだ》やん」が走る。
窓から外に抜け出し塀を越え、○に「定」と染め抜かれた紺の前掛け翻《ひるがえ》し、とってて走る。
走る走る。
やがて「定やん」はまだひと気のない近所の公園までやってきた。
向こうからも、同じようにとてとてと走ってくる影がある。
アオイの所にいるカスタムアシストロイドの一体、「錦ちゃん」だ。
二体はそのまま公園の植え込みに隠れると、それぞれの懐から折り畳まれた紙片を交換した。
それぞれに開き、背中合わせにじーっとしゃがみ込んで眺める。
紙に文字を書いているのではなく、圧縮データを画像にしたものである。
互いに頷き合うと、二体のアシストロイドは再びとって返した。
それぞれの主に、掴んだ情報を教えるためである。
ちなみにその内容は互いの主がどんなプレゼントを望んでいるか、であった。
正面切って聞くにはちょっと複雑な少年少女たちにとって、この二頭身の物言わぬ友達は、うってつけの取り次ぎ役になってくれていた。
☆
地球時間(日本標準時)一二月二一日午前一一時二三分
空中投影型のスクリーンに、白黒の映像が映っていた。
賛美歌が流れる中、主人公に助けられていた人々が集まり、歌い、踊り、主人公の聖書に、いつの間にか書かれているメッセージがアップになる。
〔なあ君、友のある者は敗《やぶ》れることはないんだって言ったろ? ……翼をありがとう、クラレンスより〕
「蛍の光」が流れる中、クリスマス・ツリーに下げられた鈴が鳴る。
『鈴が鳴るのは、天使が羽根を貰った証《あかし》なのよ』
たどたどしい口調で主人公の末娘が言う。
『ああ、そうさ……やったな、クラレンス!』
呟いて、みんなと一緒に主人公は歌い……鳴らされる教会の鐘に重なってエンドマークが出た。
しばしの余韻のあと、ブリーフィングルームが明るくなる。
画像のデータは「素晴らしき哉《かな》、人生!」と書かれたフォルダに戻された。
「これで三回目だけど……何度見てもいい映画ねえ」
そっとキャーティアシップの最高責任者、クーネは、自分専用のアシストロイドからハンカチを受け取ってまぶたを拭った。
横にいたメルウィンやチャイカも同様である。
鼻をすする音や、「よかったね、よかったね」と独り言をいう声も聞こえる。
他のキャーティアたちも「いい涙」を流していた。
「『神』とか『天使』とかいう思考停止対象に頼り切っている嫌いはあるけど、人間の善意というものの理想的なモデルケースとして、素晴らしいわ…………でね」
とクーネは椅子から立ち上がり、口調を改めた。
「こういう感じで、地球ではこの季節、一年の総決算の前に『クリスマス』という行事があります…………地球の三大宗教のひとつの初代教祖が生まれた日を祝福する、というのが本来の意味だったらしいですが、やがて今見たように『一年に一度、人が特別優しくなる日』として変化していったものと思われます」
そこで、とクーネは本題を切り出した。
「本星に問い合わせたところ、我々も彼らの行事に合わせて『贈り物』をしよう、という決議が通りました」
おお、というどよめきがすり鉢状の会議室にわき起こる…………決してそれはネガティブな意味ではなく、楽しげな意味を含んでいた。
何だかんだ言っても、キャーティアはお祭り好きなのである。
「で、地球ではその無償の善意の象徴として『サンタクロース』なる架空の人物を用いております。ゆえに我々はこの『贈り物』計画を『サンタクロース作戦』と呼称し、実行に移したいと思います!」
即座に賛成の拍手が、カミナリを思わせる勢いで鳴り響いた。
☆
一二月二三日午後一二時二分頃
沖縄《おきなわ》ではこのところ、平穏な日々が続いていた。
学園祭での騒ぎはあったものの、それはすぐに沈静化し、加熱するかと思われていた報道合戦も、大物芸能人のスキャンダルと、政府の特別指導があったためか大人しくなった。
どちらにせよ、今の糸嘉州《いとかず》マキには関係のない話だった。
「さて……こんなものですかね?」
同じ英語教師の中でも古株の大城《おおしろ》がそう言ってすっかり片づき、掃除された室内を見回して言う。
元々英語教材室はそんなに広いところでもなく、古くなったテープ教材とかを燃えないゴミとして分類し、個人の机をちょっと片付け、いつもより丁寧に雑巾がけをする程度で、生徒たちと一緒にやればほんの一時間ほどで終了する。
「そうですわね」
マキは頷き、他の教師たちも納得の頷きを返して、掃除は終わった。
「では、また後で」
今日は二学期最後の日。生徒の前では口にしないが、教師たちも学校が終われば仕事納めの忘年会である。
とりあえず、マキは自分の担任教室へ向かう。
そこでは今学期最後の大掃除に生徒たちが右往左往しているが、こちらもそろそろ終わりそうだった。
「どうやら時間通りに終わりそうね」
マキはにっこりと笑った。振り向いた生徒たちも笑いかける。
ここ数ヶ月でマキは生徒たちにようやくとけ込めるようになってきた。
相変わらず四角四面《しかくしめん》であるし、校則には厳しいが、ある程度の融通は利かせられるようになったし、かつまた良く笑うようになっていた。
「あ、先生」
彼女の生徒の中でも、最も風変わりな生徒が話しかけてきた。
「窓ガラスなんですけど、新聞紙で拭いてもよろしいですか?」
猫の耳と尻尾が生えた異星人……エリスである。
背が高く、プロポーションも完璧でありながら、のんびりした表情と雰囲気が人に好かれるタイプだ。
最近になって、ようやく制服であるブレザーが出来たので、今はそれを着けているが、ひと頃はセーラー服と猫耳姿で校内を闊歩《かっぽ》していたものである。
足元では、手ぬぐいを姉《あね》さんかぶりにした二頭身の猫型ロボット……アシストロイドたちがはたきと雑巾を片手に頭を下げる。
彼らにも軽く頷いて見せて、
「…………あなた、随分と不思議なこと知っているのね?」
どちらかというと生活豆知識というよりも「おばあちゃんの知恵袋」的な知識を、この少女が知っていることに驚きながら、マキはその行為に許可を出した。
「先生、ではミルクで床を拭いてもよいか?」
異星人のエリスに比べればまだ普通だが、世間一般からすれば十分に風変わりな、これも女生徒が問うてきた。
広いおでこに小さな身体(まあ、本来なら中学生の年齢だから当然か)、白人ならではの長い手足と、数万の人間を従わせる意志の強い瞳。
世界有数の高等遊民、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスである。
こちらも、エリス同様、最近セーラー服からブレザーに着替えている。
何もしないでも一時間に数億ドルを生み出すと言われるこの少女は、転校してきた当初、一切こういうことをしないものと思われていたが(何しろメイドふたりも同時に入学しているほどである)、意外なことに「普段は何もさせて貰えないのじゃ」と、掃除やクラスの係を喜んで引き受けていた。
一緒に転校してきたお付きのメイド二名は当初、非常に不安顔だったが、クラスメイトはこの小さな同級生に対して親切で、取っつきにくい部分がありながらも、どこか人を引きつける魅力のあるアントニアにすぐ慣れてしまった。
教室内は「安心できる空間」となったため、今、隻眼のメイド……サラを残してもう一人のメイドはゴミ捨てに行っている。
☆
校舎裏、ゴミ捨て用のコンテナにガサガサとゴミ袋を放り込み、アントニアお付きのメイド長、摩耶は溜息をついた。
「…………でも、摩耶さんって凄いですよね」
一緒にゴミ捨てに来た西原《にしはら》ゆきに、
「ゆきちゃん、どうか摩耶ぽんとお呼び下さい」
と丁寧な笑みと共に摩耶は応じた。
ちなみに、「ぽん」付けで呼んで欲しいというのは冗談ではない。
どうやら、彼女なりにクラスにとけ込もうという考えらしい。
最初クラスメイト全員が、頭の上に巨大な「?」マークを浮かべていたが、それもほんの数分。すぐに「まあ、こういうキャラだから」と納得してしまった。
それまでに、摩耶がアントニアのこと以外になると結構ボケキャラであることは証明されていたのである。
「んじゃー摩耶ぽん、すごいですよね」
「何がですか?」
ぽんぽん、とゴミ箱の底を叩いて、貯まっている埃もコンテナの中に棄てながら摩耶。
「なんていうか……大人の女性、っていうか、いつもきりっとしてて……綺麗だし」
「ありがとうございます」
摩耶からしてみれば一〇歳以上年下である彼女たちだが、アントニアの「ご学友」なので、口調は常に丁寧なものになる。
「あのぅ…………」
「はい?」
「お姉様、って呼んでもいいですか?」
ちょっと顔を赤らめながらゆきが告白した。
「…………はあ?」
摩耶は小首を傾げる。
「あ、あの、前から摩耶ぽんみたいな人のスールに……」
思い切ったらあとは一気呵成《いっきかせい》に言いかけるゆきを、摩耶は片手をあげて制した。
「少々お待ちを」
最初ゆきは失望の表情を浮かべたが、すぐに摩耶の顔を見て自分を拒絶したのではないと気がついた。
「……誰だ、出てこい」
ブレザーの内側、背中へと右手を回しながら摩耶が問う。
「ノーノーノーノー! 撃つのはダメーね!」
校舎の陰から両手をひらひらと振りつつ、テンガロンハットに金髪|碧眼《へきがん》、タンクトップにカットジーンズ、さらに腰にはガンベルトふたつと足元はカウボーイブーツという、いささか記号化が過ぎた感じのアメリカ人女性が現れた。
「はろー、マヤ。はじめましテー」
この寒空に随分と肌の露出の多い恰好のカウガールが言った。
「どなた?」
「ワターシ、CIAのジェニファー・アナスタシア……」
「真奈美さんの知り合いね」
マヤは見事なクィーンズ・イングリッシュに切り替えて言った。
「なんだ、知ってるなら話は早いわ」
にっこりとジャックは微笑んだ。
「すみません、西原さん、先に教室に戻って頂けますか?」
「え、ええ……大丈夫?」
「大丈夫、敵ではありませんから」
にっこりと「摩耶ぽん」は微笑んだ。
☆
しばらくして摩耶も戻ってきたし、掃除も終了した。
通信簿を渡す儀式があって、冬休み中の注意事項の伝達もあり、「では三学期に」というマキのひと言を受けてクラス委員が号令をかけ、全員が彼女に一礼すると二学期は今度こそ本当に終わった。
「いやぁ、終わった終わった終わりましたー」
沖縄だというのに、というかある意味ネコらしく、というべきか。
以前ロシアに行ったときの土産であるもこもこの毛皮コートを羽織ったエリスは校門をくぐりながら大きく伸びをした。
その足元でいつも連れている二体の通常型アシストロイドたちが同じように伸びをするのが微笑ましい。
「しかし、もー明日はクリスマス・イブなのねぇ」
隣で騎央の幼馴染みの真奈美がしみじみと言う。
彼女の足元ではサングラスにコート姿のカスタムタイプアシストロイド「ゆんふぁ」が腕を組んでうんうんと頷いているが、本当に主の言葉を理解しているかは判らない。
「あと一週間もすると年明け……ね」
アオイもちょっと感慨深げだ。
無理もない。この半年で彼女の立場は変幻流転、さらには同居人(というか同居アシストロイド二体)まで増えているのだから。
「では、エリス様、私は今日はこのへんで……」
珍しくアントニアが頭を下げた。
背後にはすでに片目の副メイド長、サラの運転するリムジンが停車している。
「あ、はい。じゃあ、また後で」
にっこりとエリスは手を振る。明日と明後日、アントニアにはちょっとした頼みごとをしてある――だからちょっと少女は自分の家である豪華クルーザーに戻らねばならない。
「は、はいっ!」
アントニアはちょっと赤くなりながらぺこん、と頭を下げていそいそとリムジンに乗り込んだ。
名残惜しそうに窓から手を振る。
エリスも律儀《りちぎ》に振り返す。アシストロイドたちも振る。
☆
マキは、そんな光景を校舎の渡り廊下で見ていた。
「…………」
思わず微笑みが浮かぶ。
もはや今の彼女は完全に教師だった。
このところ「|ビューティフル《B》|・《・》|コンタクト《C》」とは接触していない。
向こうも接触してこなかった。
いつしか、彼女はこれがずっと続くと想っていた。
すでにエリスたち異星人――キャーティアとの正式国交成立は時間の問題である以上、もはやB・Cの存在理由もなくなるだろう。
きっとこのまま雲散霧消《うんさんむしょう》するに違いない。
「……悪く、無いわよね」
ぽつりとマキは呟いた。
完全に人類とは違う、想像だに出来ない存在に対し、果たして無事にコンタクトが出来るかどうかと不安げに空を見上げる、というのはSF的に美しくはあるかもしれない。
だが、こちらの冗談に笑ってくれて、同じ物をみて感動してくれる宇宙人がいる、というのも、それはそれでいいのではないか。
マキは教え子たちが校門をくぐって帰って行くのを見届けると、職員室へと歩き始めた。
☆
「今年中に出来たのはフレームだけ……やはり、どんなに急いでも六年はかかるか」
アントニアはリムジンの後ろで足を組み、車積コンピュータからプリントアウトされた報告書類を見ながら言った。
「まあ、致し方ないかと」
横に座った摩耶が、紅茶を淹《い》れながら苦笑した。
「『うなーたん』や『うにゃーのすけ』とはサイズが違います。フレーム建造だけで半年、というのは大分少なく見積もった数字だと思いますが」
「今年は無理でも、再来年のクリスマスにはお披露目したかったのじゃがなぁ」
つくづく「残念無念」という顔でアントニア。
「まあ、今年は『うなーたん』ダンサーズで我慢くださいまし」
「……うむ」
ちょっと苦い顔でアントニアは答え、明日の準備進行表に目を移した。
その横で、摩耶は少し憂《うれ》い顔になる。
「……どうした摩耶?」
「はい、少し気になる話を聞きまして」
「?」
「『ビューティフル・コンタクト』が活動を再開したらしいのです」
「ふん、あんなアマチュア集団。またエリス様にちょっかいを出したら、今度こそ地球の上から消滅させてくれるわ」
普通の少女が言えばただの「痛い」電波的発言、であるが、相手がアントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスだとなれば、それは恐ろしい死刑宣告となる。
「それが……どうも今回は様子が違うようでして」
「……?」
☆
今日の職員日誌を付けて、荷物をまとめて、さて帰ろうか、と腰をあげたとたん、携帯電話が鳴った。
「……?」
非通知の電話には出ない主義だが、なぜかマキは応答ボタンを押してしまった。
『こんにちは、糸嘉州マキ君』
聞いたことのない男の声だった。
「…………どなたですか?」
『ビューティフル・コンタクトは復活した』
「…………!」
完全に忘れていた過去が不意に現れた衝撃に、マキが黙っていると、
『我々は、君に対し以前と変わらぬ組織への忠節を望む…………拒否は出来ない』
冷たい声が、ただ宣言した…………いや、命じた。
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第二章 後ろにゃ嫌な奴がいて
☆
(日本標準時)一二月二三日午後三時
「諸君、お忙しい中集まって下さって感謝する」
ずらりと並べられた革張りの椅子の間は、互いの顔も姿も見えないように仕切られており、前面もまたブラインドが下ろされている。
冷たく磨かれた床も、壁も、天井もすべて黒で統一されていた。
間接照明が駆使されていて、白く輝く物はどこにもない。
「新生『ビューティフル・コンタクト』の第三回総会を開催する」
薄い暗闇の中、冷たく、深い男の声が響く。
並んだ椅子の真正面に、一段高い|区切り《パーテーション》があり、そこに誰かがいるのがブラインド越しに見える。
かつてこの組織では、責任者が一箇所に集められることはなかった。
「まず状況の報告をお願いしよう……ナンバー|12《トゥエルヴ》」
「はい」
インターネットの、とあるサーバーの中にある秘密のチャットルームで行われるのが常であった。
状況が激変したのはここ数ヶ月……もっと厳密に言えばこのひと月だ。
「イギリス方面は、ネコどもに対し、同情的な報道をする新聞社二社を狙った不買運動が功を奏しつつあります。おそらく次回の株主総会でデスクの首のすげ替えは確実かと」
この会議に出席できる人間だけで組織は再編された。
温厚なる者、積極的に活動しない者は排斥され、組織は小さく、そしてより狂信的になった。
「ネコがらみで不買運動を?」
「いいえ、もちろん違う一件で、です」
「よろしい。ではナンバー|11《イレヴン》」
「フランス方面は現在、我々のメンバーが外交委員会に潜入することに成功致しました。ネコどもとの外交を希望する連中はともかく、浮動票になっている連中を一ヶ月以内にはこちら側に引き込む予定で予算を組んでおります」
「ナンバー|10《テン》」
「オランダは現在組織の再編が進んでおり、不要なメンバーは次々と退会させております……むろん、今後のことも考えて『紐』はつけておりますが」
それから後も報告は続いた。
「報告ご苦労」
男の声に感情は欠片《かけら》もない。
「さて、悲しいことに、我ら新しく生まれ変わった『組織』に裏切り者がいる」
全員の間に緊張が走った。
「私は今、ソファの腕置きに設置されたスイッチに指を触れさせている……裏切り者だけが電流で死ぬ」
恐ろしいまでの緊張が全員の間に張りつめた。
「みな、腕置きに腕を置き、深く腰掛け給《たま》え……」
全員の間に躊躇が走るが、すぐに言われたとおりにした。
ブラインドの向こう側にいる誰かの手が動く気配がすると、コンパートメントのひとつから、金属の音が響いた。
「な、ナンバー|1《ワン》、こ、これは……」
四〇男のうろたえた声。
「ナンバー11。君は自分の株取引の損を、組織の費用で埋めてしまったね?」
「そ、それはい、一時的なもので……」
声に冷や汗が透けて見えた。
「組織の掟は鉄壁だ……秩序は守られなければならない」
男の声は、鋼鉄だった。
「な、ナンバー1、わ、わたしは!」
男の悲鳴は、上から降りてくる分厚い防音ガラスによって遮られた。
かち。
小さな音がして、モーターのハム音が聞こえると、周囲に熱と、それによってイオンの現出する時の独特の臭気が漂う。
誰もがみな、口さえ利けない恐怖に支配された。
数秒の間、その鼓膜の奥に染みるような低い音は続き、エア・コンプレッサーが内部に立ちこめた煙を吸収する音が聞こえた。
「可哀想だが、我々は人類のために闘う組織なのだ……私事を優先されては困る。諸君らも気をつけるように」
と、男の声はこの事態にケリを付け、話題を切り替えた。
「さて諸君、クリスマスが近づいている」
防音ガラスが開いた。かすかな煙が黒く磨かれた床を這いながら消えていく。
その煙よりもかすかな、タンパク質の焦げる匂いは、全員の注意を男の声に集中させた。
豊富な資金、今まで以上の鉄の結束、そして、恐怖の掟。
「あの忌まわしいネコどもは、これを期に何らかのデモンストレーションを実行するのは間違いない……さて、これ以上奴らに思い上がった行動を取らせないためにはどうしたらよいか、諸君らの知恵を借りたいと思うのだが…………どうかね、ナンバー|2《ツー》?」
「はい、ナンバー1。現在我々はナンバー|3《スリー》の協力を得て、国内の奴らの動静を探っております。さらに強烈な一撃を加えるべく、アメリカ陸海軍の同志を通じ…………」
ナンバー2の説明を受けて、ナンバー3の状況報告があり、今後、状況次第によっては全支部の協力を得たいという申し出があり、それが承認された。
「…………よろしい」
『ナンバー1』は満足したとはとても思えない冷たい声で会議を締めくくる。
「では、ネコ共をクリスマスまでに……そして地には平和を、未来には|美しい接触《トゥ・ザ・ビューティフル・コンタクト・サーク》を!」
これだけは変わらない、組織の名前とスローガンを男の声が言うと、全員が唱和した。
「|美しい接触を《トゥ・ザ・ビューティフル・コンタクト・サーク》」
「|美しい接触を《トゥ・ザ・ビューティフル・コンタクト・サーク》」
「|美しい接触を《トゥ・ザ・ビューティフル・コンタクト・サーク》」
「|美しい接触を《トゥ・ザ・ビューティフル・コンタクト・サーク》」
☆
三々五々、各国から集まっていた支部長たちが帰っていくのを会議室とは違う場所にあるモニタールームで確認し、犬の耳を持つ(尻尾は切り落とされている)異星の軍人……ジェンスは溜息をついた。
今の彼女はタイトな黒いドレスに身を包んでいる。
音声変換機能付きのインターフォンを切り替え、地下の方へ繋ぐ。
「ナンバー11役はどうしている?」
「文句を言ってますよ。煙が個室に流れるタイミングが早すぎて、喉が痛むそうで」
ジェンスのことを国防情報局《DIA》の職員だと信じ込まされている陸軍の情報部員が苦笑いの混じった英語で答えた。
「なら言ってやれ、ギャラに上乗せはない。お前が演技過剰《オーバーアクト》だから、それぐらいやらねばリアリティが出なかったとな……それと、空調コントロールは見事だった。全員、信じ込んでいたぞ」
「ありがたくあります、大佐どの」
インターフォンを切って、再び溜息。
ジェンスは天井を見上げた。
実を言えばナンバー11……フランス支部というものは存在しない。
フランスと日本、そしてイギリスは今の体制になると同時に四分五裂し、支部を形成できるだけの勢力が存在しない空白地帯と化している。
だが、そのことを他の支部に知らせるわけにはいかないし、また恐怖での統一は短期間ならば非常に効果的な人心掌握術《じんしんしょうあくじゅつ》のひとつなので、その「役」を売れない役者(アメリカには幾らでも転がっている)にやらせ、時折こういう芝居を打たせているのだ。
本当に人間を殺した場合、あまりにも死体を始末する際のコストがかかりすぎる。
「茶番だ……だが、急がねばならない」
これが、どっちに転んでも自分の行う最後の仕事になる。
だが、彼女の好む、少人数の精鋭による素早い一撃、という作戦にはなりそうにない。
延々待たされたあげく、軍事法廷から彼女に下された判決は「永久重追放」。
つまり、存在そのものを抹消された挙げ句、「犬」の特徴と特権すべてを奪われ、この地球に永久に「流され」るのだ。
彼女自身は構わなかった。それだけのことをしてしまったのだから。
だが、それを受け入れるわけにはいかない事情が、ひとつだけあった。
「…………」
ジェンスは、豊満な胸元から小さなペンダントを取り出し、指先で触れた。
ロケットの上に、幼い少女の姿が立体映像で浮かび上がる。
母親によく似た可憐《かれん》な、そして父に似た優秀な頭脳を持つ少女。
「リュンヌ…………」
年の離れたこの妹が、そのままでは「犬」の社会では肩身が狭くなる。
それだけは避けねばならなかった。
聞き届けられねば自決する覚悟で、ジェンスは法廷に訴えた。
「最後の決戦」をさせてくれ、と。
勝算は皆無ではなかった。彼女の祖父は「犬」の世界では音に聞こえた英雄で、父母も「不名誉な死」をしたものの、一時は英雄と称されていたのだ。
さらに、今、軍は「美談」に飢えていた。
かつての英雄の孫娘の訴えを聞き入れ、彼女に名誉ある最後のチャンスを与えることは、軍当局にとって、決してマイナスにはならない……妄想とも言える確信が、彼女を突き動かし、結果、彼女の願うとおりになった。
作戦はジェンスの後任者が立て、人員は「犬」側からは彼女のみ。アシストロイドはこの前取り上げられた「マットレイ」も含め使用不可。予算枠も決められ、期限も決められていた。
軍広報の年度末〆切…………皮肉にもこの星で言うところのクリスマス当日まで。
その日までに、いや、その日にずばり、ジェンスはみごとネコどもを倒さねばならない。
「お前に不名誉な茨《いばら》の道を残したりはせぬぞ」
呟いたジェンスの目には、死を覚悟した者の静謐《せいひつ》さがあった。
☆
一二月二三日午後一時二三分
とってけとってけ、学校からの帰り道を、通常型とカスタムをふくめたアシストロイドたちが歩いていく。
その後ろを追いかけるように、のんびりと騎央たちが歩く。
「クリスマスかあ。早いよねえ」
しみじみと騎央が言う。
何となく、再びそういう話題になっていた。
「エリスがウチに来てから半年かぁ」
「早いですよねえ」
うんうん、とエリスが頷く。
「思えばえらくめまぐるしい半年だったよーな気がするわ」
真奈美がしみじみと言った。
「そう……ね」
アオイも同意する。
「半年かぁ」
正確にはエリスが騎央の家に転がり込んできたのは夏だから六ヶ月経過しているわけではないが、ほぼ半年と言えないことはない。
「気がつけば、亀も浮かれるクリスマスかー」
真奈美がうんうんと頷いた。
「とりあえず、明日が今年最後の大仕事、ってところね」
「……そうだねえ」
真奈美のひとことで、一同の空気が少し引き締まる。
騎央の提案をアントニアが受け入れ、明日のイブの夜には、非公式に各国大使や、キャーティアとの国交樹立に好意的な世界の要人を招いたパーティが行われる。
もちろん、現状はさほど楽観できない状態なのであれこれ用心をしながら、という非常に緊張した舞台裏をもちつつのイベントである。
以前の学園祭ほどではないにせよ、しんどいことになるのは間違いない。
「クリスマスイブぐらい、暢気な宴会、っていきたいところだけどねー」
軽く溜息をつきながら真奈美。
「まあ、仕方ないか、これも給料のうち、ってね」
「すみません、みなさん」
ぺこり、と心底すまなさそうな顔でエリスが頭を下げる。
「気にしない気にしない」
ひらひらと真奈美は手を振った。ちょっと苦笑いしながら、
「その代わり、明後日はクラスとクラブのみんなを呼んでの宴会だし」
「そうそう」
騎央もフォローし、
「でも…………国交のデモンストレーションとしては、最高……だわ」
にっこりとアオイも微笑む。
「欧米人は特に、クリスマスに特別な感情を持ってる……もの」
と、道の向こう側からアオイのカスタムアシストロイドが二体、とことことやってきて合流した。
「あら、今日はあんたたちも?」
サムライ型のアシストロイド片目の「チバちゃん」に「錦ちゃん」だ。
二体は「どもです」と書かれたプラカードを振った。
「錦ちゃん」がトコトコ騎央の所にやってきて、懐からDVDを取り出す。
「ありがとござました」とプラカードを掲げる。
「ああ、この前貸した『34丁目の奇蹟』か」
騎央は受け取るとにっこり笑った。
「どう? 面白かった?」
と尋ねると、二体とも「かんどしました」とプラカード。
「それと、さんたくろすのこと、わかたです」と「チバちゃん」。
「ありがとう、騎央くん……ふたりとも、サンタクロースを勘違いしてたみたいで」
「どう勘違いしてたの?」
真奈美が首を傾げた。
「一二月の一四日になると、四十七人のサンタクロースが討ち入りにやってくる……って」
つまり、忠臣蔵《ちゅうしんぐら》と勘違いしていたらしい。
「そういえば二体とも、時代劇ばっかり観てるものね」
四十七体のサンタクロースの恰好をしたアシストロイドが、山鹿流陣太鼓《やまがりゅうじんだいこ》に乗ってとっとこやってくるのは、まあ可愛らしいといえば可愛らしい光景であろうが。
「…………まあ、ウチよりはマシね」
真奈美は肩をすくめた。
「?」
「ウチの『ゆんふぁ』なんか一二月一三日が金曜日だとチェインソーと斧を持って、ホッケーマスク被ってやってくる、って思ってたみたい」
「…………」
さすがに返答に詰まったアオイだが、ここのところの試練と経験で「脇に話を振る」というテクニックを身につけていた。
「騎央君の所は…………?」
「そう言えば…………おーい、『定やん』」
言うと、アシストロイドたちの一体が振り向いた。
ハンチングに鼻掛け眼鏡、唐桟《とうざん》のお仕着せに○に「定」と染められた前掛け、足元は雪駄《せった》という「丁稚《でっち》」そのものの恰好をした騎央専用のアシストロイド「定やん」である。
「君、サンタクロースって知ってる?」
騎央の問いに、そら豆のような下ぶくれの顔がこっくんと頷いた。
いつも背負っている風呂敷包みをほどくと、中から変幻自在の光学迷彩マントを取り出し、一瞬で彼の知っている「さんたくろーす」に化けた。
「…………」
「…………」
「…………」
真奈美、アオイ、騎央の三人とも、さすがに三秒ほど黙り込んだ。
「…………まあ、そうくるかなぁ、とは思ったけど」
「仕方…………ないわ」
と女性ふたりはやれやれ、という顔になり、騎央はかがみ込んで苦笑しながら、変装した「定やん」の頭を撫でた。
「あー…………『定やん』、それはね、サンタクロースじゃないんだよ」
雨よけの蓑傘《みのかさ》にディフォルメされた鬼の面、さらに出刃包丁を握りしめた…………つまり東北地方独自の魔除け儀式の主役、「なまはげ」の恰好をした「定やん」は鬼の面をずらして「?」と首を傾げた。
「まさかエリスは勘違いしてないよね?」
騎央が振り向くと、エリスはきょとんとした顔になっていた。ちなみに、彼女の引き連れている通常型アシストロイドも「?」と小首を傾げている。
「そうか…………あれじゃないんだ…………」
どうやら、『定やん』同様の誤解を彼女もしていたらしい。足元の二体も「でしね」と書かれたプラカードを掲げている。
「…………エリス…………」
騎央は溜息をついた。
☆
一二月二三日午後一時二五分
アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスの当面の宿は那覇《なは》市内にある某《ぼう》国際ホテルの最上階、ということになっているが、実質はこれまでと変わらず、那覇の沖数キロに停泊している世界最大のクルーザー「アンドローラU」ということになる。
で、今現在、「アンドローラU」の内部は大騒ぎであった。
いよいよ明日に控えた船上パーティ、さらにその翌日にもあるパーティの準備に追われていたのである。
こういう場合即座に戦艦で言うところの戦闘指揮所《CIC》と化すアントニアの自室で、主従は状況の把握と点検に余念がない。
「学校の皆様はご嗜好が判っていますから簡単ですが、やはり明日は…………」
チェックシートに印を付けながら、
「まあ、予定では七〇〇人、実質は五〇〇前後という所じゃろうが、問題はどれもこれも舌の奢《おご》った贅沢者、ということじゃな」
今日はエリス様の所には行けそうにないのう、とアントニアは唇を尖らせた。
溜息をついて、机の上に置いてあるお手製のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
エリスを見事にディフォルメしたぬいぐるみは、こういう時の本物同様、どこか微苦笑しているように見えた。
「無理もございません。何しろ『猫耳教団』の有力信者の方たちですから」
「…………ったく、料理を作ってみたことも無いクセに、あーでもないこーでもないと小煩《こうるさ》い……我がクラスの盟友たちなぞ、あれだけ喜んでくれると言うに」
そういうアントニアだって、他人のことは言えないが、心づくしの料理に関しては「状況こそが最良の調味料である」という事実を理解している、という自負もある。
「まあ、駆け引きの素材としての料理、ですから」
と主をなだめ、摩耶は微笑む。
だが、同時にその顔の下で、少女の見識が一段と広がったことを喜んでもいた。
☆
一二月二三日午後一時二七分
マキは呆然としていた。
どこまで本当なのか、確かめるだけの気力すらないまま、男の『我々は、君に対し以前と変わらぬ組織への忠節を望む…………拒否は出来ない』という言葉に、反射的に停止ボタンを押して通話を切った。
着信記録にはむろん、何も残っていない。
頭をひと振りして、マキはただのいたずらだと思いこもうとした。
荷物をまとめ、職員室を出る。
他の教師たちと合流し、飲み会に行った。
飲み会は楽しかった。彼女自身、妙にテンションが上がってしまった。
「糸嘉州先生は、こんなに面白い人だったんですねえ」
居酒屋の奥座敷で、別の教科の教師にしみじみと言われたほどだ。
☆
一二月二三日午後六時
東京では珍しく雪が降っている。
「おお寒い寒いわぁ」
などと賑やかに筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》の大男が「本日貸し切り」と紙の貼ってある引き戸を開け、縄のれんをくぐった。
中はこざっぱりとした小料理屋で、奥に小さな座敷がある。
「遅いよ曹長! 上官をいつまで待たせンだいっ! こちとら待ちすぎて尻と椅子がくっついちまうと思ったじゃないか!」
切れのいい流暢な下町言葉がポンポンと、カウンターに座った和服姿の外国美人から飛び出して、河崎貴雄《かわさきたかお》カントクの顔を打った。
もっとも、言った当人は笑っているから、本気ではないらしい。
「そんなにポンポン言わないで欲しいのよ、大佐様ぁ」
身体を軟体動物もかくやとばかりにくねらせながら河崎カントクは爪先歩《つまさきある》きで、すでに用意の調《ととの》った奥座敷に上がり込もうとブーツを苦労して脱ぎ始めた。
「この、紐が、そのアレなのよ…………ネッ」
「ったく、なんたってそんなブーツなんか履いてるんだろうねこの馬鹿は」
などと言いながらも、和服美人も後に続く。
カウンターの内側で、それまで黙々と鍋の火加減を見ていた痩せぎすの四〇男が、薄く微笑んでそれを見送る。
「中尉、アンタもほら、おいでよ!」
手招きすると、この店の店主でもある四〇男は「へい」と頷きながら火を止め、横にいる「相棒」に鍋を渡した。
カウンターの中から鍋を両手に持ち、悠然とした足取りで、真っ白な二頭身が現れる。
垂れ耳で、目と、鼻の部分が黒く、胸の階級章と首輪の赤以外は真っ白で、尻尾は丸いボール状のものがあるだけ。
現在ではもう「犬の人」の本星でさえ珍しくなった「本物」の犬ロイドだ。
それも秘書と参謀、さらに師団や連隊規模のアシストロイド統括役を兼ねた上級士官用で、身体も顔も、どこかふっくらしたラインで構成されている。
ただし、今はこの店の屋号を書いた半被《はっぴ》と、捻《ねじ》りハチマキという姿である。
白い犬ロイドはのしのしという感じで座敷に上がり、カセットコンロの上に鍋を置くと、慣れた手つきで火を点《つ》けた。
さっそく蓋を取ろうとする美女を、掌で制して首を横に振る。
「わかったよ、連隊長」
にっこり美女は笑って、貫禄のあるアシストロイドの頭を撫でた。
重々しく頷くと、白い犬ロイドはカウンターに戻り、今度は熱燗《あつかん》にした徳利を盆に載せて戻ってくる。
それに連られるように四〇男の「中尉」が座敷に上がった。
カントクと「中尉」に和服美人が酒を注《つ》ぐ。
「そいじゃ…………と」
最後に自分の猪口《ちょこ》に日本酒を入れて、美女が杯を高々と上げた。
「今年も一年、無事で何よりでした…………かんぱーい!」
かんぱーい、という声が唱和され、ささやかな、この地球に逃げ延びてきた「犬」の亡命者たちの忘年会が始まった。
☆
一二月二三日午後七時二分頃
「…………とまあ、これが正しいクリスマス、ってことだな」
騎央の家に、たまたま来ていた叔父の雄一を講師とした「正しいクリスマス講座」はようやく幕を閉じた。
「本当はキリスト教のお祭りが変化して世界中に広まったんですね?」
「そ…………日本ではもはやキリスト教のお祭りというよりも昔からある年中行事になっちゃってるんだがね」
モバイルパソコンと繋がったインターネットの画像と、テレビのニュースとをサブテキストとした的確な説明の効果を確認して雄一は満足げに頷く。
エリスの横では「なるほどー」という風に各種アシストロイド総勢二三体が頷いている。
「ああ、なるほど…………雪の夜に何かが『いいもの』を持ってやってくる、ってのは単純に世界各国に見られるだけで、ただの偶然なんですねー」
「駆け込み思想、っていうのかな、何かが終わって始まる時、って何か特別な気持ちもしてくるもんね」
普段あまり深く考えたことのないイベントの学術的な考察に、妙に刺激されたのか、騎央もうんうんと頷きながらアカデミックなことを口にしたりする。
「まあ、あれよ、偶然入ったお店で『蛍の光』が流れているとついつい急いで買い物したくなるじゃない」
「そういう感じでこの星の消費社会というのは構成されているんですねー」
「消費構造ばかりじゃなくて、人間関係においても重要な要素だな。まあ何にせよイベントという物は人生には必要、ってことだ」
「なるほどー」
うんうん、とエリスは頷く。
☆
一二月二三日午後七時三分頃
「アンドローラU」でのクリスマス会の準備はたけなわとなった。
メイドたちは東奔西走《とうほんせいそう》し、無線から艦内通信、携帯電話まで使って連絡を取り合いながら作業を進める。
ある者は料理を、ある者はその材料の調達を、ある者は船内の清掃を行い、航空局へのヘリその他の運用に関する書類の最終確認を行い、その際に使用されるヘリや小型ボートの手配、整備を行う者もある。
その忙しい最中、約一名と一体が抜け出してその一名の自室へと逃げ込んだ。
小さなテーブルライトが点《つ》けられ、音を立てないように慎重な手つきでビニール袋から衣類が取り出される。
手早く衣装が広げられ、着替えが終わる。
「はぁい、くるりって回ってみてくれまちゅかー♪」
デレデレにとろけたサラの言葉に合わせ、赤い帽子に綿とかで出来た白い付けヒゲ、赤い防寒着、さらに背中に「よっこいせ」とダミーの荷物が入った白い袋を担いだアシストロイドがその場を一回転した。
「んー完璧!」
満面の笑みを浮かべて、隻眼の副メイド長は何度も何度も頷き、アシストロイドの頭を撫でたり抱きしめたりした。
「ねこたんたちはホント、何着ても似合うでちゅねー」
忙しい業務の合間を縫って、サラが仕上げたサンタ衣装である。
大きめの段ボールでふた箱ほどあるから、恐らく全員分を用意してあるようだ。
「あとは、頼んでおいた晴れ着が間に合うといいでちゅねー♪」
こくん、と普段からアントニアに……というよりサラ個人に貸し出しているような物だが……預けられているアシストロイドは「おかーしゃんありあと」とプラカードを掲げてこっくんとお辞儀《じぎ》をする。
「いーのいーの、母親としては、あたりまえのことでちゅからねー♪」
ぎゅうっとサラはアシストロイドを抱きしめた。
「こら、何をさぼっている!」
部屋のドアが開いて、摩耶が怒鳴った。
「あ、メイド長!」
慌ててサラはアシストロイドを片腕に抱えたまま敬礼した。
アシストロイドもサンタ姿のまま敬礼する。
「…………お前ら」
さすがに摩耶の口許《くちもと》がほころんだ。
「ばかもの、はやく持ち場につけ」
それだけ言うと、優しくドアが閉められた。
☆
一二月二三日午後七時五分頃
「…………」
ようやく購入したモバイルパソコンでインターネットにつなぎながら、アオイはちょっと溜息をついた。
おっかなびっくり入会したインターネットショッピングの決済画面が液晶に出ている。
あれから騎央《きお》たちと一緒に食事を取ると、エリスはアシストロイドたちと入浴、騎央は雄一叔父となにやら相談ごと、真奈美は家の炊事を手伝いに戻り、アオイとそのアシストロイドたちだけが応接間に残されている。
「…………」
何度目かの溜息がアオイの口から漏れた。
画面の中、入力項目を指さしているアイコンが、「取り消し」と「発注」の間を行き来している。
商品は、女性物のマフラーと、ハイニーソックスのパック物だ。
贈答用である。
ちなみに、真奈美用ではない。
他の映研部員には別の物を買ってある。
ちょいちょい、と「チバちゃん」がその肩をつついた。
ふりむくアオイがちょっとドキッとするのへ「どしたでしか?」と書いたプラカードを掲げる。
「あ、うん…………ちょっと迷ってる……の」
心配しないでいいから、と「チバちゃん」の頭を撫でて、アオイは再び画面に向かった。
大きく深呼吸して目を閉じ、開くと、「発注」ボタンをクリックする。
「私、何してるのかしら…………?」
自嘲しようとして、アオイはむしろ安堵したような表情を浮かべていることに気づいて慌てて顔を両手で覆った。
その横で東京から一週間遅れで発売された「時代劇マガジン」を仲良く読んでいた「チバちゃん」と「錦ちゃん」は顔をあげて「?」と首を傾げる。
☆
(日本時間)一二月二三日午後七時一八分頃
屈辱的な最後の申し出は、あっさりと受け入れられた。
「構いませんわ、ジェンス少尉」
日本のミサワとかいう基地に据え付けられた専用回線の向こう側で、文字通りの天使の笑顔を浮かべて、彼女の後任であるニルメア・ヨヒム・エル4501023が微笑んだ。
「天使のような」とは単に形而上学的《けいじじょうがくてき》表現というわけではない。
彼女の背中には白い翼が折り畳まれているのだ。
ニルメアはニヘム銀河系を支配するバーム遊星王族《ゾーン・ダガロ》の流れをくむとされている有翼族のひとつ、バルンムウ人なのである。
定期的な内紛に悩まされているため、断続的に中断はされるものの、ジェンスたち「犬」の一族よりも地球との付き合いはおよそ千年と長い。
「あなたのお覚悟、わたくしも感服致しております」
ジェンスよりも肉体年齢が一〇歳も若い天使の外見をもった少女は静かに頷いた。
「ありがたい、エル4501023准尉」
皮肉なことに、ジェンスから正式に任務を引き継ぐことで、ニルメアは准尉から少尉へと昇進することが決まっている。
任命の期日は明後日――ジェンスにとってはギリギリのラインだった。
「どうぞ、御武運を」
そう言ってニルメアは通信を切った。
「…………余裕という奴か」
ジェンスはほろ苦い笑みを浮かべた。
ジェンスの願いを聞き届ける、といっても状況の黙認以上のことを要求されない限り、ニルメアには何の損失もない。
むしろ「お高くとまったバルンムウ人にしては武人の心が判る奴」と「犬」側には評判も良くなり、今後の作戦も円滑に回るはずだ。
いや、むしろこの作戦が上手く行けば労せずして、短期間でさらなる昇進が待っている。
この作戦の成功をジェンスと分かち合う必要はないのだ。
愛想がいいのも当たり前であろう。
「リュンヌ…………」
体重を背もたれに預け、ジェンスは妹の名を呼んだ。
「馬鹿な姉だが、許してくれ…………こうするしかないのだ」
☆
一二月二三日午後七時五分頃
「…………」
深い微笑みを浮かべて、ニルメアはブラックアウトした画面を見つめていた。
その後ろでドアが開いた。
「メア?」
振り向くと、彼女のルームメイトにして貴重な参謀役が、基地内の購買部《PX》から戻ってきた所だった。
「ああ、お帰り、どうだった? 地球のお店?」
ペンダント型の立体映像装置を外すと、それまで光学的に消されていた犬の耳と尻尾が現れる。
姉の美貌から、険しい部分を丁寧に取り除いて「お人好し」というパーツを組み込んだようなおっとりした顔と、姉よりも頭一つ半小さい華奢《きゃしゃ》な身体をライトブラウンのワンピースに包んでいるのは、まだニルメア同様、正式に任務を拝命していないためだ。
ニルメアとは三年前、士官学校からの親友だ。
「なんだかよく分からないけど、言われたとおりコーヒーとワッフル、あとチョコレートとビスケットというものを買ってきたわ」
よっこいしょ、と紙袋を部屋の中央にあるテーブルの上に置く。
「ありがとう……甘くて美味しいわよ、一緒に食べない?」
ニルメアは腰を上げ、インスタントコーヒーを淹《い》れる準備を始めた。
「ええ!」
甘いものには目がない少女は、顔を輝かせて、アメリカ独特の分厚い紙袋から品物を取りだし始める。
「しかし、お姉さんについては残念だったわね」
ポットからお湯を注いで出来上がったネスカフェの入ったマグカップを、天使の姿をした少女は、犬の少女に手渡す。
「……うん」
ちょっと顔を曇らせてジェンスの妹…………リュンヌは頷いた。
「もう二、三日|地球《こっち》に到着するのが早ければ、お会いできたのだけれど……でも、仕方がないわ、本星での新しい任務が優先ですもの」
リュンヌはまだ、姉が任務に失敗し、軍法会議に掛けられるような立場であることを知らない。
恐らくこの先、知ることは無いはずだ……そうニルメアが手を回した。
バルンムウ人の上級政治管理官を父に持つ彼女にとって、それは難しい話ではない。
まして、こういう「無理」はバルンムウの世界において罪のない部類に入る話であった。
リュンヌは菓子類を苦労して開封し、皿に並べる。
大分遅いお茶の時間となった。
「晩ご飯、どうしようか?」
「宅配ピザ、というものがあるわ。それを使いましょう……私が注文するから」
「この黒いもの、本当に飲めるの?」
「大丈夫、いい香りがするでしょう?」
「そうだけど……あら、美味しい」
「でしょ?」
などという他愛のない会話があり、そういえば、とリュンヌが話題を変えた。
「この前あなたに貸した制圧作戦案のメモ、返して貰えるかしら?」
「え?」
「だって、あれはとても駄目な作戦だもの……最低でも一名の犠牲者が出るわ。もっとリスクの低い作戦を考えないと」
「そうかしら? 一微小周期という制限時間の中で思いつくとしたらほぼ完璧な作戦だと思うけど」
「でも、ダメよ。指揮官はリスクをギリギリまで下げるべきだもの……あなたと一緒に地球に来たかったから出したし、実際点数にはなったけど………………」
「判ったわ」
にっこりとニルメアは答えた。
その天使の微笑みを浮かべた目の奥に灯る冷え冷えとした喜悦の輝きを察するには、リュンヌはあまりにも若く、人が良すぎた。
☆
一二月二三日午後七時五分頃
最初のコール音が、するかしないかで相手が出た。
「あ、いちかちゃんですか? エリスですこんばんわー。あの、明日と明後日《あさって》の件なんですけれど、一応日本の領海内ってことに…………」
『ごめん、エリスちん』
皆まで言わせず、沖縄古来の霊子生物、自称仙人の「いちか」は押し殺した必死の声で言った。
「どうしたんですか?」
騎央の家の電話子機を握ったまま、エリスは首を傾げた。
『い、今取り込んでるのよ……と、とにかく明日はだめ、だめなの』
「?」
☆
一二月二三日午後七時七分頃
那覇市|首里《しゅり》の某所の家の裏庭にあるプレハブ小屋…………ではなく、母屋《おもや》のほうの片隅で、いちかは声を押し殺して電話を続けていた。
「あ、明日以降なら何とかなると思うんだけど…………というかね、そうだ、アシストロイドを一体貸してもらえない? いや、今凄く忙しくてね」
背中を丸め、携帯電話を手で覆い隠し、声を押し殺しつつも周囲を絶え間なくキョロキョロ見回しながら、妙に薄汚れた恰好のいちかは囁くような声を手の中に流し込む。
「う、いやあ、あのね、ホント、一体でいいの…………え? 全部出払ってる?」
その襟首を、むんず、と別の手がひっつかんだ。
「…………ィイっ!」
表記するならこの言葉になるが、実際には人間に発音できるギリギリの奇妙な声をあげて、いちかの身体が硬直する。
「逃げる相談ですね?」
身長はいちかよりも頭三つほど高く、これまた薄汚れた恰好のロングヘアの美人が目の笑っていない笑顔を浮かべてぐいっと猫耳少女を持ち上げた。
「ダメですよ、自分だけ楽になろうなんて」
「い、いやそんなつもりはないんですってば、虎鈴《こすず》さぁん♪」
目を合わせないようにしながらいちかは引きつった笑みを浮かべる。
「ふふふふふふ、ダメです、私もあなたも一蓮托生《いちれんたくしょう》、共に地獄におちませう♪」
数日間寝ていないらしく、血走った眼の下に隈《くま》を作ったまま、虎鈴と呼ばれた美女は歌うように言った。
どうやら睡眠不足がおかしな具合に脳を回っているらしい。
「さ、休憩時間はおしまいですよお…………うふふふ、でぇーいじーでいじー♪」
「いやあぁああ、このデジタル時代にわざわざまたベタとトーンを手作業でやるのはいやぁああああああ!」
「うふふふふ、でーいじーはかわいいこー、ほおがこけててかわいいこー でろいあせぶんにかかわって、ながれながれてらるたーふー、ほさかんですたんにめったうちー♪」
怪しげな「自分歌」を歌いながらぴっちりしたジーンズにタンクトップという、見事なプロポーションもあらわな恰好の美女は、いちかをずるずる引きずっていった。
「たぁすけてぇええええぇ…………」
あと数日で除隊だというのにテト攻勢に引きずり出された米軍兵士のような、いちかの叫びはやがて小さくなっていった。
☆
一二月二三日午後七時八分頃
「…………?」
唐突に切れた電話を見て、エリスは首を傾げた。
「どうした?」
騎央の部屋から降りてきた雄一叔父が聞くと、エリスは聞こえてきた状況を説明した。
「なにか、あったんでしょうか?」
「ああ、大丈夫だよ」
雄一叔父は「なんだ、そんなことか」と笑みを浮かべた。
「あの猫娘はね、今別の祭りの真っ最中なんだよ」
「…………はあ?」
エリスは首を傾げた。
「ま、大丈夫だから、続けなさい…………人数確定してないとまずいんだろ?」
「あ、はい!」
言ってエリスは、明日の公式パーティに招待するべき人物のリストをめくり、電話をかけ始めた。
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第三章 クリスマスには間に合わない
☆
一二月二四日午前一〇時五分頃
アレが夢でもいたずらでもないとマキが知ったのはその日の朝だった。
今日は学校出勤も無いので、家賃を振り込もうと銀行に行くと、まだ潤沢にあるはずの預金がゼロを示していた。
「…………?」
預金通帳に記帳してみると、「ビューティフル・コンタクト」なる所が全ての預金を引き出したことになっていた。
「…………!」
青ざめたマキの携帯電話が鳴った。
『おはよう、イトカズ君』
男の声は落ち着いたものだった。
「ど、どういうつもりなんですか!」
マキの声は震えていた。彼女の知る「ビューティフル・コンタクト」はこれほどのコトができるような強大な組織ではない。
また、このような脅しを仕掛けてくる組織でもなかったはずだ。
「か、会長はこのことを知っているんですか?」
『君の言う会長というのは、トマス・ジェンウェイ元会長のことかね? それとも日本のヤマギワ・セワシ元日本支部会長のことかね?』
「元…………会長?」
『そうだ。我が〈ビューティフル・コンタクト〉は再編成された。軟弱な穏健派を排除し、より強い、鋼鉄の組織として生まれ変わったのだ!』
「…………」
『君は有能なメンバーだった。それは今までの活動を見ても判る。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、あの宇宙人の動向を探っていたのだろう?』
マキは混乱していた。
昨日までの同好会が、今日からはナチス・ドイツかどこかのスパイ映画に出てくる秘密結社のようになっているのだ。
その沈黙を、男は了承と受け取ったらしく、
『そうだ、だから今再び我々は決起する。君の協力が必要だ……すまんな、預金は今すぐ元に戻る』
「……は、はあ」
『細かい指令はおってメールで知らせる。信じて欲しい、我々の力を。美しいファーストコンタクトのために!』
「は、はい」
ぶつり、と電話は一方的に切られた。
「…………」
がらんとしたATMコーナーで、マキは立ちすくんだ。
彼女の預金は、再び通帳を入れると元に戻っていた…………ほんの少し、二割ほど増額されて。
それが「報酬」を意味するのだと気づいて、マキは深く落ち込んだ。
トドメはどっと気疲れした状態で家に帰ってからだった。
昨日録音されていた留守番電話の伝言を聞いていたマキの耳に、エリスの声が飛び込んできた。
「あの、明日の夜なんですが、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスさんのところでパーティがあるんです。よろしければ糸嘉州先生も…………」
マキはテープが終わるのを凝視した。
テープの終わりが、今までの平穏な生活の終わりに見えていた。
☆
(日本標準時)一二月二四日午前一〇時五分
「目的座標に到着しました」
オペレーターの声に、チャイカの青いボディのアシストロイドはちょいちょい、と主の腕をつついた。
「ん…………あ、そうかー。よしよし」
ちょっとうたた寝をしていたチャイカは、艇長の座席に座り直すと作業開始の指示を出した。
母船から発進した作業用の、扁平な三角錐型のシャトルは、目的の座標である土星の近くまで来ると、その下部に内蔵していた簡易「ゲート」を展開させ始めた。
まず、人が歩く程度の速度でゆっくりと金属の柱が、背中に慣性移動ジャイロと頭に保護フード(早い話が丸い透明ヘルメット)を装着した作業用アシストロイド数百体を伴って射出され、ある一定の位置まで移動する。
やがて、シャトル内にいる作業員のコンソール操作によって分子結合が解かれ、数万のパーツに分かれた「ゲート」を数百体のアシストロイドたちが所定の位置にすいすいと運び、結合させていく。
二時間ほどもすると、作業は終了した。
「ゲート展開終了しました」
「よし、アシストロイドたちを回収、ゲート、移動開始せよ」
チャイカの命令で、「わー」とアシストロイドたちが離れていく中、直径四キロのゲートがゆっくりと動き始める。
一見すると最初の時よりも遅く感じられるが、それは物体が巨大だからで、実際にはシャトルからの移動よりも早く所定位置にやって来て、まるで慣性を無視するかのように静かに停止した。
「重力安全圏に移動を終了しました」
「通信回路開け……母船を呼び出して」
「はい」
チャイカの目の前に空中投影型ディスプレイが展開し、母船の艦長席に繋がれる。
『どうかしら、チャイカ?』
艦長のクーネが尋ねた。
「とりあえずオッケーっす。あとはお荷物の発送側ですね」
チャイカの言葉に、クーネは手元に浮かべた進行ボードを確認し、
『んーと、そっちも何とかなってるみたい……あとしばらくしたら来るわ』
「了解っすー」
チャイカは頷き、クーネも頷いて通信を切った。
「さぁて、でっかいプレゼントか……無事に受け取って貰えるかねえ?」
それは、単に「子供には、豪華すぎる贈り物がしばしば無駄になる」という意味だったが、後で振り返れば、今後のことを妙に予感した言葉であったかもしれない。
☆
一二月二四日午前一一時六分頃
「んーと、これでいいです、うん」
ともすればそのまま口に運びたくなる欲求を無理矢理抑え込み、エリスはその塊を再びアルミホイルに包んでアシストロイドに渡した。
「でわ、こりでえーでしか?」というプラカードに頷くと、大皿の上に幾つものアルミホイルの包みを乗せたアシストロイド「1」はとっとこと走って部屋の隅にある大型クーラーにそれを納める。
「さて…………と、半分はアントニアさんトコのメイドさんたちが手伝ってくれましたし、何とか間に合いそうですね」
こくこく、とその光景を見ながらエリスは頷いた。
アントニアが借り切った港の倉庫の一角である。
そこには中華の大鍋が特大のガスコンロのとろ火を受けて、甘い香りをさせながらもうもうと静かな湯気をあげ、脚立《きゃたつ》の上では通常型アシストロイドたちが竹竿を操って中身をコロコロと転がしている。
さらにその横では、別のアシストロイドたちが引き上げた中身をサランラップでコーティングしたテーブルの上に並べ、パタパタとうちわで扇いでいる。
ここだけは、外の寒さには関係がない。
「あとは…………騎央さんと、アオイさんと、真奈美さんへのプレゼントですね……」
エリスはそう言うと腰のポーチから情報端末を取りだして起動させた。
超空間通信で届いたメッセージを開く。
「あと四小周期で届きますか…………間に合うかな?」
それからちょっと視線を天井に向ける。
「明日もクリスマスはあるみたいですから、大丈夫だとは思いますけど…………」
☆
一二月二四日午前一一時三〇分頃
「こんな感じかなぁ」
騎央が真奈美に尋ねた。
嘉和家の騎央の部屋である。
アシストロイドのお陰もあってか、男の子の部屋としてはかなりすっきりした室内をちらちら見回しながら、真奈美は我に返って慌てて机の上にあるものを見た。
結構器用に包装紙に包まれたDVDボックスは、それなりに見栄えのする雰囲気を醸《かも》し出している。
「うーん、まあ、こんな感じじゃないかな?」
「そうか……ありがと、真奈美ちゃん」
「いいってことよ」
あははは、と笑いながら、真奈美は答えた。
「これもアオイのためだもの」
このプレゼントの行き先は双葉アオイであった。
中身の方は「定やん」経由で知ったものの、そこはまだ高校生、さて、どういうデコレーションで送るべきかは思案のあげく考えもの、ということでお隣の幼馴染みに知恵を借りたという次第である。
「助かったよ……こういうの、初めてだから」
「わははは、感謝するがよい」
腰に両手を当てて、アントニアの真似なんかしながら真奈美。
すると、騎央は机の上にあるパソコンを立ち上げ、ネットショップのページを呼び出した。
「じゃあ、真奈美ちゃん、好きなの注文してよ」
「何でよ?」
「クリスマスプレゼント」
「…………あんたねえ」
溜息をつきながら真奈美は苦笑いを浮かべて騎央からマウスを受け取った。
「クリスマスプレゼントには|サプライズ《びっくり感覚》が大事だってのにもう――――――大体、これ届くとしてもクリスマス以後でしょうが」
沖縄の場合、どうしても本土からの荷物は、宅配便でさえ到着に二日は掛かる。
「じゃあ、報酬、ってことで、さ」
「ばーか」
画面の中でなるべく高い商品をクリックしようとして、考え直して二ランクは低いものを選びながら、真奈美は妙にガッカリした自分を見つけていた。
「…………」
一瞬だけ浮かべた憂いの表情を、足元で「ゆんふぁ」と「定やん」だけが見ていて「?」と首を傾げた。
☆
一二月二四日午前一一時三〇分頃
『なんだ、知らなかったのか』
マキの言葉に、半年前、一緒にエリスを襲った「ビューティフル・コンタクト」のメンバーだったアメリカ人の男……トニー・グリムデンバウムは驚いた声を出した。
ちなみに、今彼は軍を辞めてアメリカに戻っている。
『二ヶ月前のことだ。アメリカでの総会で、いきなり政権交代が行われたんだよ』
「…………ということはカナダのワールドコンで?」
世界各国持ち回りで年一回行われる、最も大きなSF関係のイベントは、同時に「ビューティフル・コンタクト」の総会も兼ねている。
『どうも巨額の金が裏で動いたらしいが、もはや誰も気にしてなかったんだ……何しろもう夏のあの日以来、大分ウチの組織もガタが来ていたからね』
「…………」
受話器を握りしめたまま、マキは呆然となった。
「全然しらなかったわ」
『意外な話だな。日本支部が一番このことに関しては揉めてた筈なんだが。まあ、あまりにも唐突だったからね。私もつい最近知ったばかりだし…………』
「揉めた?」
背中を冷たい手が撫でていく。
「まさか…………」
『荒っぽいことにはならなかったみたいだよ。誰も死んだとか行方不明になったとかいう話は聞かないから』
「…………」
安堵すると同時に、恐らく彼らの口座からも金が消えたりしたのだろうとぼんやりマキは思った。
「で、今のリーダーって、誰なの?」
『それが、誰も知らないんだ。ただ〔ナンバー1〕としか……』
「…………え?」
『組織は再編されたんだ。ナンバー1以下、ナンバー20までの主要幹部と、その下部組織、という具合に』
「なに、それ?」
『スペクターごっこなんだろうさ。ケイオスかもしれないが』
「?」
マキには電話の相手であるドイツ系アメリカ人のいう冗談の意味が理解できなかった。
彼女の人生にとって娯楽はハードSFだけだったのである。
「歴史は苦手なんだけど……つまりナチってこと?」
『い、いやそうじゃなくて…………』
数秒の間があって、会話が再開した。
『ま、まあ、ひとつだけ判っていることは、かなり趣味の悪い人間が上にいるということだ…………しかも、マフィアほどじゃないがかなり荒っぽい』
「……………」
『気をつけたまえ。なるべくなら関わらないことだ』
「もう、遅いわ」
呟いて返事を待たず、マキは電話を切った。
がっくりと肩を落とし、マキは家に帰ってきた途端に届けられた宅配便の中身を見やる。
畳の上、開けられた段ボールの中には素材だけでマンションが買えそうな、上等のカクテルドレスが一着、そして正体不明な金属の筒が納められていた。
付属の手紙には、プリントアウトされた用紙に、キャーティアたちのパーティ、もしくは大使館でパーティが行われた場合、場合によってはこのドレスを着用して潜入、金属の筒を置いて帰れ、と書かれていた。
絶妙のタイミングであり、完璧な内容の手紙と荷物であった。
誰かを殺せ、とか、コレを仕掛けてこい、という物ではない。
「置いてくる」だけというところが、一見すると大したことではないような気もする。
が、マキの直感は「置いてくる」ことが何かを引き起こす第一歩であると教えていた。
本当に恐ろしいのは、その直感のささやきは、ちょっと目をつぶれば見過ごすことが出来そうなくらい小さな確率にも見えるということだった。
だが、彼らの言うことを聞かなかった場合、どうなるのか。
ごまかす手段は何とか考えつきそうだった……問題は、それで本当に相手がごまかされてくれるかどうか、だ。
最先端と科学技術の世界ならばともかく、権謀術策《けんぼうじゅつさく》と疑心暗鬼《ぎしんあんき》の世界は彼女には理解不能である。
何もかも見透かされ、掌の上で右往左往するだけ……そんな脱力感と、底なし沼の恐怖が若い女性教師の心臓をわし掴みにする。
「…………」
「…………」
思わず両肩を抱きしめた。
心細い。
だが、誰にも相談できなかった。
その時間もない。
マキは初めて、自分がひとりぼっちであることに気がついた。
☆
一二月二四日午前一一時三〇分頃
マキが己の肩を抱きしめ、エリスが倉庫にいる頃。
かつてジェンスに着けられた参謀用アシストロイド「マットレイ」は米軍の横田《よこた》基地にある「格納施設」にいた。
軍事法廷で処分を受け、「執行猶予」状態にあるジェンスに、アシストロイドの使用が許されるはずもなく、「彼」は上官から引き離され、あらたな任務の発令まで「格納」されることとなった。
もっとも、戦闘用のみを目的として作られた「犬」側のアシストロイドに機能停止のシステムは最初から存在しない。
ゆえに、主を失ったアシストロイドは次の上官をあてがわれるまで、「格納庫」ではなく「格納施設」内で時を過ごすことになる。
二〇畳ほどの施設は、本来はPXが存在したところで、人員削減に従って空き部屋になっている物を転用したもので、中には薄いカーペットが敷き詰められ、子供用の椅子やベッドが適当に置かれ、テレビが一台、デンと置かれているだけの殺風景なものだ。
「マットレイ」はそこでずっと新聞を読んでいた。
この基地の中でもっとも豊富に余っている物は時間と新聞だ。
ニューヨーカー、ワシントンポストを初めとするアメリカの新聞に、日本の三大新聞、地方新聞までがある。
過去五年分の新聞の山…………というよりも「塔」に囲まれて、マットレイは床に腰を下ろして朝から晩まで丁寧に全ての新聞を読みあさっていた。
彼以外のアシストロイドは三体しかいない。
かつては二〇体以上がひしめいていたものだが、ジェンスのたび重なる失敗で破損したり、機能不全に陥ったりするものが多く、ほとんどがアメリカにある「修理工場」に送られていた。
その三体も、今は思い思いに…………というよりも「休息」のプログラムに従ってランダムな行動行為を行って日々を過ごしている。
そこへ、訪問者があった。
金色の髪をなびかせる、天使の容貌を持った少女と、付き従うように現れた、犬の耳を着けた少女。
わたわたと犬ロイドたちは彼女たちの前に集合する。階級に関係なく、この部屋に来る人間には礼儀を尽くすように彼らはプログラムされているのだ。
マットレイもそれにならった。
「こんにちは」
犬の耳を着けた少女が微笑んだ。
「随分殺風景な部屋なのね」
と天使の羽根を持つ少女がつまらなさそうに呟いた。
「人数も思ったより少ないわ…………まあ、二週間後には賑やかになるでしょうけれど」
ちょっと頭を振って、ニルメアは声を張り上げた。
「おまえたちの新しい上官になった、ニルメア准尉だ! 正式な任命は数日後になるが、それ以前におまえたちの指揮を執る可能性もあるので、ここへ来た」
言って、金髪の天使そっくりな外見の少女は手にしていた巻紙状の任命書を広げ、各員に見せた。
署名捺印の後にある、軍の正式書類を示す紋章画像を、各犬ロイドが確認するのを待って、再び巻紙を丸める。
「挨拶は以上だ、その時はヨロシク頼む………解散!」
四体の犬ロイドたちは再び敬礼し、急ぎ足で元いた場所へと戻っていく。
「マットレイはあなた?」
犬耳の少女が尋ねた。
新聞で出来た塔の間に戻ろうとしたマットレイは踵《かかと》を合わせ、ぴしっと敬礼した。
「あとで、お姉様のことを聞かせてね」
微笑むと、少女はマットレイの頭を撫でた。
こっくりと頷くマットレイ。
ふたりの少女はそのまま部屋を後にしたが、ニヤニヤ笑いを浮かべているようにも見える犬ロイドは敬礼したまま、じっとその後ろ姿を見ていた。
ドアが閉まると、マットレイはトコトコと新聞紙で出来た塔の間に戻り、新聞紙の山の間に押し込んであった液晶ディスプレイを取りだした。
さらに、床の一部をこんこん、と人差し指でつつくと、何度目かで床の一部が綺麗に外れた。
中からコードを取り出し、こめかみにある端子に接続する。
ここから数百キロ彼方に存在する、もう一体の彼のボディに、「意識《メインプログラム》」を移すために。
☆
一二月二四日午前一一時四五分頃
那覇沖で、アメリカ海軍のイージス巡洋艦「ガーシュイン」は二日前から曳航《えいこう》し続けていたコンテナを、曳航用ワイヤーに仕掛けられたリモート爆薬で切り離した。
タテヨコ二〇メートル近い金属の箱、その中身は艦長さえ知らず、なぜに輸送艦ではなくイージス艦にこんな輸送任務をさせたのかを知るものは海軍本部にさえほとんどいなかった。
ともあれ、命令は命令である。
大幅に遅れた船足《ふなあし》も、ともかくこれで元に戻る、というわけで、「ガーシュイン」は文字通り足取りも軽く、横須賀《よこすか》港に入港するべく進路を向けた。
何はともあれ、今日はイブで、明日はクリスマスなのである。
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第四章 犬耳野郎がやってきた
☆
一二月二四日午後二時四分頃
「いいですか、静かにしていて下さいね」
騎央の家に戻ってきたエリスは、彼女の部屋として与えられた和室にでんと置かれた大きな箱の蓋をあけ、中身に言い聞かせた。
「真奈美さんの話だと、こういうのはびっくり箱みたいにするのがいいそうですから」
中身の反応を待って、エリスは蓋を閉め、丁寧に包装して器用にリボンをかけた。
メッセージカードに「アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスさんへ」と書いて両面テープで貼り付ける。
それに比べれば遥かに小さな三つの箱を取り出し、中身を確認するとそれぞれに「騎央さんへ」「真奈美さんへ」「アオイさんへ」と書いて包装し、リボンをかけてテーブルの上に置いた。
「さて、これで帰ってきてからの準備はオッケーですね、うん」
にっこりとエリスは笑った。
☆
一二月二四日午後二時四分頃
「『定やん』、いる?」
二階にあがった騎央の声に、騎央の部屋へのドアの向かいにある納戸の扉がスライドして、いつの間にかそこを自分の部屋にした丁稚型アシストロイドがとっとこ階段を降りてくる。
「何やってたんだい?」
騎央が問うと、「かけとりだす」とプラカードが掲げられた。
「かけとり?」
こっくんと『定やん』は頷いた。
「…………ふうん」
てっきり「かきとり」の間違いだと思いこんだ騎央は(がんばっているんだなぁ)と素直に感心し、
「そうだ、そろそろ準備してよ。摩耶さんたちが迎えに来るから」
と自分専用のアシストロイドを促した。
「はいな」とプラカードをかかげ、「定やん」は足取りも軽く階段を降りていく。
☆
一二月二四日午後三時四分頃
準備は完了した。
「しかし、本当によろしいのですか、アントニア様」
摩耶の言葉に、「アンドローラU」の普段滅多に使われない船長席に座り、不機嫌そうに腕組みしたアントニアは重々しく頷いた。
「いつもやられっ放しでたまるものか。今度こそ、あいつら全員の面の皮をひっぱがして全世界に公開してくれるわ」
声こそ冷静沈着だが、本気で怒った顔だった。
「…………万が一と思って用意をしていたが、まさか役に立つとは……クリスマスだぞ、よりにもよって」
「彼らの思想はテロリストと同じですから」
慰めるように摩耶。少々痛々しい目つきになっていた。
何しろ目の前にいる彼女の主はここ数年、暖かいクリスマスを過ごした覚えが無く、エリスたちと過ごせるクリスマスを本当に楽しみにしていたのだ。
「それに、今日はイブで、明日がクリスマス本番ですし……今日一日ぐらい、くれてやりましょう。あの犬共に」
摩耶は冷然と続けた。
「その代わり、奴らには二度と手出しできないように粉砕し、明日は全てを忘れて楽しくなさればよろしいのです」
「そ、それは……そうじゃが」
「それに、あまり怖いお顔をなされないほうがよろしいですよ」
にっこり笑って摩耶が言う。
「なにしろクリスマスですし、まもなくエリス様たちもいらっしゃいますから」
「そうか…………エリス様にも話を通しておかねばならんな」
ちょっと、気が重そうな顔でアントニアは呟いた。
☆
(日本時間)一二月二四日午後四時四分頃
戦闘機の格納庫がひとつ空いていたので、そこがジェンスの「軍団」をあつめる場所となった。
広大な格納庫には、ずらりと「軍団」が並んでいる。
身長は一八〇センチ前後。開発関係者からは「|給油ポンプ頭《グリースガンヘッド》」と呼ばれる、頭部が大きく、細い手足が長い…………兵士たちは、動力と連結したジャイロシステムが起動していなければまっすぐ立つことが出来ないため、今は「ランナー」と呼ばれる金属と高分子ポリマーで出来たメンテナンス用の枠につり下げられている。
その一つ一つにあるモニターシステムの表示を、チェックボード片手に点検しながら、ジェンスは忙しく歩き回っていた。
何しろ二〇〇体。まだ実戦をくぐっていない試験運用|自動兵士《オートマチックソルジャー》である。
技術そのものはジェンスたち「犬」の技術を使ってはいるが、その全てを与えたのではなく、基本概念を教え、勝手に地球側が応用し発展させたものなので、どこまで信用できるかは判らない。
それでも、ジェンスはこの二〇〇体のアシストロイドの出来損ないに賭けるしかなかった。
「単純な作戦命令すらこの有様か」
プログラムの内容をチェックし、渡された資料と今表示されている実際の値を見比べながら、ジェンスは溜息をついた。
「マットレイ、悪いがお前にシステムの…………」
言いかけて気づき、再び溜息をつく。
「…………まったく、私という奴は」
彼女に与えられていた、あの皮肉屋のアシストロイドは、軍法会議の前日に取り上げられていた。
今の彼女は、何もかも自分でやるしかないのだ。
そして、やることは山ほどあった。
つまらぬ感傷に浸る暇など無いほどに。
ジェンスは気を取り直し、再び点検に専念し始めた。
これが終わったら、目的地までの「移動装置」の点検がある。
☆
一二月二四日午後四時一二分頃
那覇空港に自家用機で降り立った客たちは、そのまま空港の一角に移動した。
航空自衛隊の使用区画(那覇空港は軍民共用空港である)には米シコルスキー社製のCH―53Eスーパースタリオンが数機待ち受けていた。
アメリカ軍の使う無骨な兵員輸送用ヘリコプターと同じ物とは思えない、美しく真紅に塗装されたヘリは、内装も豪華で、四〇年代のオリエント急行をイメージした、クラシカルなイメージで統一されていた。
客たちを出迎えるのは美しいメイドたち…………だけではなかった。
日本の着物とハンチング帽をかぶり、眼鏡を掛けた、カリカチュアの「日本人」そのままの恰好をした二頭身のロボットがいた。
片手に「めりーくりすます」と書かれた扇子を広げ、もう片方の手に「いらはりまし」と日本語で書いたプラカードを振り、ぴょんこぴょんこ飛び跳ねながら、その丁稚型アシストロイド……「定やん」は、瞬く間に客たち…………特に女性…………の歓声を浴びた。
愛嬌たっぷりの二頭身ロボットの側には、それを拡大し、ちょっと角張らせたようなデザインの強化装甲服が、サンタクロースの扮装で手を振る。
「うなーたん」クリスマス限定バージョンであった。
☆
一二月二四日午後四時一二分頃
タクシーで那覇港に来た糸嘉州マキは、港湾ビルを建て直し、ホテルやイベントホールの機能を持たせた多目的ビル「とまりん」の中を通り抜けると、意を決してハンドバックの中に隠していた金属筒を、ビル備え付けの屑籠の中に突っ込んだ。
「…………」
ほんの数秒、マキは屑籠の中身を見つめたが、すぐに踵《きびす》を返して歩き始めた。
こうなったら全てをエリスたちに打ち明けるつもりだった。
彼女は、やはり教師なのだ。
カクテルドレスの裾が風に翻る。
沖合に停泊している「アンドローラU」へと結ぶ小型クルーザーが、すぐに見えてきた。
☆
一二月二四日午後四時一二分頃
高倍率のスコープ越しに、屑籠に金属筒を棄てるマキの姿が映った。
「対象者、発信器を棄てました…………中断ですか?」
小型クルーザーの一室、小さく開けた船窓から狙用のM4ライフルを構えていたメイドの一人が、インカムにそう囁いて銃を降ろした。
『こちらでも確認した…………どうやら彼女は教師であることを選んでくれたようだな』
クルーザーの操舵室にいるサラから追認の連絡が来る。
「では引き続き警戒を?」
『その必要はない…………あれは、〔落ちた〕顔だ』
サラの声は自信に溢れていた。
かつて、女性でありながら唯一特例としてイギリス特殊部隊SASに所属していた彼女は、あらゆるテロ組織から「逃亡者」を守る任務を専門に引き受けていた。
己の組織を本当に棄てたのか、それともそのフリをしているだけなのか、一瞬で見抜くことにかけて、彼女ほど信じられる人間はいない。
特に、可愛い物が半径一〇〇メートル以内にいない場合なら、その信頼度は二〇〇%アップする。
彼女は、摩耶の片腕なのであった。
『作戦は中止、彼女を〔お客様〕として迎え入れる準備をしろ』
鼻の付け根をちょっと指先でもみほぐすと、メイドの一人は立ち上がった。
恐らく、このクルーザーの中で最低でもあと二人、同じコトをしているはずだ。
もしも、糸嘉州マキが発信器を棄てず、この船に乗り込もうとしたらその時はためらわずにトリガーを引く…………それが彼女たちの役割だったからである。
「クリスマスに人殺しなんて、嫌だものね」
日系アメリカ人のメイドはマイクに入らないように、小さく呟いた。
☆
一二月二四日午後四時一二分頃
「とまりん」のタクシー乗り場の外、五八号線沿いに停車し、新聞を読みながら客待ちをしていたタクシーの運転手がさりげなく無線機を取った。
「こちら四号車、急ぎの客はキャンセルになりました。どうぞ」
監視対象者が任務を放棄した旨を報告する。
『了解、では直ちに帰社してください。大きな荷物のお客様が、西武門《にしんじょう》のあたりでお待ちかねです』
意外なことに、「何も手出しせず、即座に帰還せよ」という意味の指令が来た。
「了解」
それだけ言うと、いぶかしげに頭を振りながら運転手はタクシーを出した。
☆
一二月二四日午後四時一三分頃
サラからの報告に、「アンドローラU」の操舵室…………ということに表向きはなっているが、実際には完全装甲された戦闘指揮所《CIC》…………は安堵の空気に包まれた。
「よかったぁ…………」
何よりも一番そのことを喜んだのはエリスだった。
「ね? やっぱり先生はいい人でしょう?」
艦長席に座るアントニアに言うと、さしもの少女も苦笑いして「いや、その通りでしたエリス様」と負けを認めざるを得ない。
「で、棄てた発信器らしきものの回収はしますか?」
摩耶の言葉に、アントニアは軽く頷いた。
「何ごとも証拠じゃ。一つでも多い方がよい…………ただ、ここへは持ち込むな」
「はい」
「後は、最終確認をしてから…………ね」
アオイが少しだけ表情をゆるめながら言う。
「え? 最終確認って、何ですか?」
エリスが首を傾げた。
「先生の身体に、何か仕掛けがされていないかを調べないと」
「あ、そうか。ご本人は知らないところで別の仕掛けがされているかもしれませんものね」
「こういう場合、『犬の人』はどういう仕掛けをするのかしら?」
アオイの目はすでにプロフェッショナルのそれに切り替わっていた。
「んーと…………」
気が乗らない顔でエリスは首をひねった。
☆
一二月二四日午後四時一四分頃
自室でくつろぐニルメアの元に、糸嘉州マキが裏切ったという報告が届いた。
机の上に広げた情報端末でその報告を受け取ったニルメアは、改めて感心の溜息を漏らした。
「やはり、たいしたものだわ、あの子」
ジェンスに着けられた「マットレイ」の例を見れば判るとおり、アシストロイドが高度に発達し、また宇宙種族によって自分たちの太陽系より外に出ることを禁止されている三つの種族にとって、移動は目立たず、人数をなるべく制限して行うべきことであり、まして実行部隊の指揮官に生身の人間の「副官」もしくは「参謀」がつくことは滅多にない。
しかし何事にも「例外」は必要で、その柔軟さを示す物として三種族連合の中には「副官参謀試験」が存在する。
困難な限定条件と目的(大抵、それは赴任先の事情を元に作られる)を示され、驚くほどの短時間で目的を遂げるための作戦を立案するという単純ながら奥深いこの試験は、年に三人の合格者が出ればいい方という難しさがある。
リュンヌはそれを一発でパスした希有《けう》な人材なのである。
彼女に注目したのはニルメアだが、期待以上の能力をリュンヌは発揮していた。
情報端末を操作し、ひそかにプロテクトを外してコピーしておいた、リュンヌの「回答例」を表示する。
丸い球体の立体映像として表示されたそれに、「条件」を入れて展開すると、データはまるで柳の枝のように垂れ下がり、ひとつの結論へむけて伸びていく。
画面をスクロールすると、そこに「協力者の行動範囲」を示す文字と、幾つかの枝分かれが現れた。
その中に、マキの行動がそのまま書かれていた。
更に言えば、「猫」どもが現在この太陽系内で何をしでかしつつあるのかも、幾つかの予想が成り立っている。
あとはこの中に今現在の情報をはめ込んでいけばもっとも最良の答えが出てくるはずだ …………三種族連合の中では、ようやく最近珍しくなくなってきた「能動的作戦《フレキシブル・ミッション》チャートシステム」と呼ばれる書式である。
このシステムの最良の点は、本人の人格や手足となる兵士への感情が、一切作戦そのものの完成度に左右されないという点だ。
完全に立案者の思考だけを切り取って発展させていくこの方式なら、感情や体力的状況下における判断ミスはあり得ない。
だから、たとえ身内の命を失うことになっても、システムは停まらない。
同時に、それは参謀の能力を人格から切り離し、むしろ純粋に職人的なものにする危険性も孕《はら》んでいるが。
「預言者《ルブルウムヘイム》…………」
ニルメアは、彼女の星の言葉で、呟いた。
「すばらしいわ……これだけのことが考えられるなんて」
天使の顔に、黒々とした笑顔が刻まれる。
「そんな天才を操る私って、私って…………私って…………うふふ、ふふふふふふ」
ニルメアは己の肩を抱き、身をよじった。
「うふふふふふ…………最っ…………高っ!」
☆
一二月二四日午後四時一四分頃
「………………はい…………はい、わかりました…………無事に入稿を、はい」
それから後、幾つかの言葉が交わされ、摩耶と真奈美からはいちかの「飼い主」として知られる瑞慶覧旅士《ずけらんたびと》は電話のスイッチを切り、大きな溜息をついて、椅子の中に崩れた。
「お…………終わったぁ…………」
彼の背後で、息を詰めて見つめていた二人と一匹の口から溜息が漏れる。
「よかったー」
「おわたよー」
特に、いちかとベルと呼ばれる背の高い美女は抱き合ったまま、ずるずると床に倒れ込んだ。
「やれやれ…………久々の『〆切チェイス』は辛いな…………」
言いながら、片目を隠した銀髪の美女は旅士を背後からぎゅっと抱きしめる。
「だが、私も君も助かった…………な」
「うん…………」
ここ数日間、風呂にも入らず、ロクに食事も取らず、ひたすら原稿に打ち込んできた恋人たちは、ただ、それだけを言うと、黙り込んだ。
数十秒の後、無音の状態が続いた一二畳ほどのフローリングの部屋に、三人一匹分の寝息が聞こえ始める。
こうして、彼らの年末における最大の戦争は幕を閉じたのだった。
☆
一二月二四日午後四時一四分頃
まだ、日暮れは早い東京の、えらく小ぎれいなワンルームマンション。
「そいつは、もう、本決まりなのね、『くろきち』?」
河崎貴雄カントクの言葉に、口の周り(正確には口があるであろう、と思われる周辺)と手足の先以外は真っ黒な旧式の犬ロイドはかっくんと頷いた。
この「くろきち」ボディはマットレイにとっては「本体」ということになる。
普段は河崎監督の車のトランク内に押し込められているが、定時報告と、非常事態が発生した場合のみこのボディを起動させることになっていた。
今回の理由は後者である。
掌の上に表示された立体モニターの長い長い文章が消え、異星の言語で「どうぞご指示をいただきたク」と出る。
「そうねえ……とにかく、これは大変な事態だわ…………アンタ、大佐のトコの『ミコ』ちゃんと、中尉の所の『ブル』ちゃんに事情を説明しておいて。アタシは車取ってくるから……クラクション三回鳴らしたら窓から飛び降りてくるのよ」
そう言って、河崎カントクはあたふたと部屋から出て行った。
「くろきち」はその場にぺたんと腰を下ろし、小首を傾げるようにして身動きしなくなった。
アシストロイドに設定された独自のデータ送信モードで、彼の「仲間」たちにこれまでの経緯を知らせ始めたのである。
☆
一二月二四日午後四時二五分頃
「糸嘉州先生、あなたの勇気に感謝します」
サラの言葉に、マキは何とも言えない顔になった。
ここは、クルーザーの中にある、一番小さなキャビン……といっても、八畳ほどはあるが……である。
マキの言葉を速記したサラは、即座にそれを部屋の外にいる別のメイドに手渡すと、再び部屋に戻ってきた。
あれから、迎えのクルーザーに乗り込んだマキは、責任者(この場合はサラ)を呼んで、自分に起こった全てを告白した。
だが、驚くほど彼女たちは動揺しなかった。
「驚かないのですね」
「いいえ、驚いております」
片目の副メイド長は、学校とは打ってかわった静謐《せいひつ》な笑みを浮かべた。
「ですが、われわれはアントニア様のメイドです。むやみに動揺しないように教育されておりますので」
実際には、糸嘉州マキの告白は全て彼女たちの予想の範囲内にとどまっていた。
摩耶の元にCIAのジャックからの「忠告」があって以来、アントニアのメイドたちはその全ネットワークを使って周辺の「火種」を調べた。
あまたの、可能性のある人物の中にマキの名前があがるのは当然であったが、その名前以外の可能性がリストから除外されるには二時間も掛からなかった。
これは、アントニアが世界中に張り巡らせたネットワークの優秀さもあるが、それほどに「ビューティフル・コンタクト」の組織再編と急激な変質は摩耶たちにとって不可解かつ危険に映っていた、ということが大きい。
「で、私はどうなるのかしら?」
「どう、とは?」
「これから、その……取り調べとか、監禁とか」
「我々は司法組織ではありませんよ、先生」
サラは静かな微笑みを浮かべた…………とてもつい数時間前まで「あーん、ねこたんたちは何を着せてもかわいいでちゅねー♪」とか言っていた人物には思えないが、こちらが本来の彼女…………いや、普段の彼女のデフォルトなのである。
「これから先生には、予定通りパーティに出て頂き、堪能していただきます」
「それだけ?」
「ええ、それだけです。もしも先生が我々に保護を求めてこられるのなら、我々は保護致しますし、ご自分で何とかなさるから、と仰《おっしゃ》るのならその通りに」
「…………」
「このへんが、我々の線引き、なのですよ」
「なるほど…………」
思わずマキは頷いていた。
とりあえず、急に世界がすべて残酷に変わる、ということだけは無さそうだと納得する。
ひょっとしたらこの後に恐ろしい現実が口を開けて待っているかもしれないが、そうなったらその時、という覚悟がこの時にはもうこの女教師の中には出来ていた。
「そういえば…………」
安堵したことで周囲に気を配るだけの余裕が出来たマキは、サラに尋ねた。
「この船、随分と静かね」
☆
一二月二四日午後五時二七分頃
客たちは無事に全員船に乗った。
最後のひとりを手を振って見送ったお出迎え&荷物運び要員である「うなーたん」は、船の上で出迎え役をしていたもう一体の「うなーたん」と通信を開く。
「これで最後だよ」
空港から「定やん」と一緒にヘリの送迎をしていた「うなーたん」の中身…………騎央はもう一体のうなーたんに報告した。
「了解…………えーと、じゃあ、そろそろそっちは着替えてきなさいよ」
もう一体の「うなーたん」は、足元にいるのが「ゆんふぁ」であるのを見れば瞭然の通り、金武城真奈美であった。
「え?」
「こっちは『うなーたん』のハンガーがまだ一個しかないのよ。それはあたしが使うから、さっさとヘリで移動して」
「う…………うん」
『それと、警備の最終チェックのディスクも持ってきてよね。あ、あとエリスにもアシストロイドの隠し芸、最終調整が終わったらリハあるから、って』
何か都合良くメッセンジャーボーイのように動かされているような気もしたが、何しろお祭り騒ぎの真っ最中に、指示への口答えというのは最悪のトラブルへ結びつく、というのを騎央は肌で知っているので、大人しく従うことにした。
よたよたと踵《きびす》を返し、元来た道を戻って甲板上のヘリポート、まだゆるやかにローターが回転しているシコルスキーの側まで来ると、視線スイッチでマイクの接続先を無線機から外部スピーカーに切り替える。
〔スミマセン〕
自分の声とは思えないほど可愛らしい声が出る。
〔あんどろーらUまでオクッテ下サイ〕
「はいはい、りょーかいー」
パイロットを務めているインド系のメイドがにっこり笑って答えた。
背後のハッチに回ると、騎央はヘリの中に入り、よっこいせ、と腰を下ろした。
装甲同士がある一点で支え合い、内部の騎央がちょうど足を広げて椅子に腰掛けたようになるあたりでがっちり固定された。
専用のハンガーが無い状態で輸送される時、この「腰掛け姿勢」による格納移動が一番中の搭乗員にとってありがたい。
これ以外だと、首のフックにワイヤーを固定してヘリからつり下げられて移動するという心臓に悪い方法が待っている。
まだ温かいエンジンに再び火が入り、ローターが回転を始める。
ゆっくりと、ヘリはポートから飛び立った。
大きく旋回して進路を変える。
その時、小さな窓から一瞬だけ海面が見えた。
そこには、アントニアの家であり要塞でありビジネスの中心であり、住む地域そのものである「アンドローラU」そっくりな船が浮かんでいた。
ただし、こちらは状況の変化にともない、急いで艤装《ぎそう》を終了させて、つい先日進水式を済ませたばかりであり、数々の新しい施設や武装が存在する最新型だ。
今年の夏、騎央たちに沈められた「アンドローラ」と同時に建造が始まっていたものの、引き取り手がいなくて結局放置された格好になった「ペニングトン・ヴァンス」型と造船会社側に呼称されていた三隻の船のうち、最後の一隻である。
こちらは初代「アンドローラ」同様、「客のもてなし」と「武装」のバランスを第一に考えて作られている。
「アンドローラV」…………それがこの船の名前であった。
☆
一二月二四日午後五時二八分頃
「さて、と」
ニルメアは情報端末の前で舌なめずりするような笑みを浮かべた。
「あとは、タイミングの問題ね」
情報端末の立体映像ディスプレイには、触れるだけで彼女の「作戦」が起動するようにした仮想ボタンが表示されている。
実体のない立体画像のボタンに触れるだけで、彼女の「作戦」は動き始める。
☆
一二月二四日午後五時三二分頃
どこで覚えてきたのか、簡単なテーブルマジックや適当なメイドを相手にプラカードを使った漫談(?)を披露して、さんざんに受けをとった「定やん」がちょこちょことパーティ会場の外に出た。
きょろきょろと周囲を見回すが、彼の主の姿はない。
忙しく立ち回るメイドたちの一人を、ぴょんこぴょんこ飛び上がって足を止めさせると「だんさんどこだっか?」とプラカードを掲げた。
「ああ、騎央様ならヘリで着替えに行かれたわよ。すぐ帰ってくるから、って」
にっこりと両手にカナッペを載せたトレイをもったメイドは言い、またすぐにパーティ会場の中へと歩み去った。
残された丁稚型アシストロイドは「がーん」と書かれたプラカードを掲げていたが、相手が無反応のまま去るとそれを引っ込め、「?」という感じで首をひねった。
まあ普通、着替えにヘリコプターで戻るというような行為は芸能人の物であり、彼の主との取り合わせは咄嗟に納得できる物ではない。
☆
一二月二四日午後五時三二分頃
安堵が半分、狐に摘まれた思いが半分で、マキはクルーザーから、海面すれすれに降ろされたタラップを登って、巨大な客船と見まごうばかりの「アンドローラU」の甲板へとあがった。
「やあ、先生もこちらで一時検疫ですか」
苦笑混じりの声に振り向いて、マキは数秒首を傾げた。
どこかで見覚えのある顔が立っている。
「あの…………どなた様でしょうか?」
「ああ、そう言えば嘉手納《かでな》以来でしたな……どうも、騎央の叔父の雄一です」
と小太りの中年男は頭をさげた。
「ああ! ……でも……」
「いや、いつもはアロハなんですが、今回はさすがに場所が場所ですからね」
サングラスに口髭はいつもの通りだが、今回の雄一はさすがにTPOをわきまえてか、タキシードを着けていた。
「そう言えば検疫って……」
「ああ、今回は各国のVIPも来ているそうですからね。念のため盗聴器とかが仕掛けられてないか、持ち込もうとしてないか調べるそうですよ」
俺は信頼されてませんからなぁ、と雄一叔父は呵々大笑《かかたいしょう》した。
「まあ、儀礼的な物ですよ……ささ、中に入りましょう、ここは寒いですからね」
☆
一二月二四日午後五時三四分頃
「どうですか?」
喫茶室の窓際に立って、腰の万能分析機を眼下の甲板から、雄一叔父にエスコートされて船内に入っていくマキに向けながら、エリスはちょっと嫌な顔で「まあ、大丈夫みたいです」と答えた。
「サラの方からも、発信器や盗聴器の形跡や、秘匿《ひとく》の可能性はないとの話ですから、これで大丈夫です……少し待って頂いて、それからアンドローラVへご一緒に参りましょう」
「でも、あんまりいい気持ちじゃないですね」
どこかしょんぼりした顔でエリスは続けた。
「黙ってスキャニングって、騙しているみたいで」
「堂々とやれば、向こうがこちらを疑います」
摩耶は優しく、しかし毅然と応じた。
「素直に言えば、我々の気は晴れますが、向こうに黒いものを植え付けてしまうかもしれないのなら、我々が悪いことをしたほうがマシだとは思いませんか?」
後ろで籐椅子に座ったアントニアも「どうか、我慢して下さい」という感じで頷きを見せる。
「まあ、それは…………そうですが」
根がお人好しのキャーティアとしては、どうも「人を疑う」という行為自体が、どこか納得いかない物らしかった。
「騎央様のヘリ、着船許可を求めています…………着替えたいそうで」
オペレーターのメイドが、その会話に割って入るように報告した。
「よし、ハンガーの準備だ……あとお着替えを忘れるな」
「了解、許可を出します」
☆
一二月二四日午後五時三二分頃
「うなーたん」を装備した騎央が、ヘリコプターからよっこいせと降りると、すぐに専用のハンガーを装備した電動カートが回収に現れた。
背中を向けて待ちかまえると、プラモデルのランナーを思わせる構造を持つ回収ハンガーは、ゆっくりと「うなーたん」の背後から近寄って、まず首の付け根にあたる部分の回収用フックにアームを固定すると、力強く総重量五〇〇キロの強化装甲服《パワードスーツ》をつり上げた。
文字通り、襟首掴まれた仔猫同様の、うなだれた姿になった「うなーたん」はそのままハンガーの枠にぴったり固定され、各関節部分に装着されたアームの与圧音が機内に響く中、騎央は顔面に広がるディスプレイの表示を確認し、「うなーたん」の休眠モードを宣言した。
「ありがとうございます騎央様、『うなーたん』は又のご利用をお待ちしております(サンキュー・プレイング・ミスター=キオ、プリーズ・ネクストプレイイング。UNA・TANG、ウェイティング。エヴアー)」
人工音声が最後の別れを告げて、全てのディスプレイが消え、同時に背中のロックが解除された。
ジッパー型のABCスライドロックが、外にいるメイドによって引き下ろされ、がちゃりという音と共に外の明かりと冷たい海風が騎央の背中に吹き付けてくる。
「うわ、寒っ!」
思わず声をあげる少年の胸に背後からメイドの手が回されて「いち、にの、さん!」の黄色いかけ声と共に、外に引きずり出された。
「ご苦労様です!」
「うなーたん」の背後に着けられたパイロット回収台にぺたんと腰を下ろした恰好の騎央に、片膝をついた回収要員のメイドが微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
内部の熱もあって、すっかり汗ではりついたTシャツとバミューダパンツが凍るような寒さに往生しつつも、騎央は礼を言った。
「お帰りなさい!」
エリスの声がして、騎央の身体を分厚いコートが包む。
「お着替えでしょ? 手伝いますよー」
のんびりにっこり笑うエリス。
「…………私も」
そう言ってアオイが騎央の手を引いて黄色い鉄骨で出来た台の上から降ろしてくれた。
☆
地球時間(日本標準時)一二月二四日午後五時三二分頃
青白い輝きに満たされた「門」の中から悠然と現れた「贈り物」は、チャイカたちの手によって予定の軌道を、予定の速度で進み始めた。
「軌道|演繹《えんえき》出ました。大丈夫です」
オペレーターの声に、チャイカはうむ、と頷いた。
「よーし、あとはこのままの速度を維持させろ…………デブリとかはどうだ?」
横を向いた問いかけに、別のオペレーターが、
「今のところ問題ありません」
その返事にまた頷いたチャイカは、肘掛けにあるコンソールを操作して母船を呼び出した。
「こちら赤鼻のルドルフ、サンタのおじちゃんどうぞ」
『どう? そっちのほうは』
即座にクーネが現れる。
「こちらは大丈夫。予定通り特急便で届けられそうです」
『こちらの方も地方自治体への呼びかけ準備は終わったわ…………母星《いなか》の評議会からもがんばれ、って』
「了解……頑張りますよ」
にやっとチャイカは微笑んだ。
☆
(日本時間)一二月二四日午後五時五五分頃
「…………」
アメリカで、ジェンスはじっと待ち続けていた。
すでに彼女に与えられた最後の「軍団」の整備点検は終了し、自身も武装を終えている。
ニルメアからの指示では、ただ〔待機せよ〕とあるだけで、具体的に何時何分から作戦がスタートするのかは判らない。
だから、待つしかなかった。
ジェンスは、じりじりとした時間の流れから意識を逸らそうと、両目を閉じた。
☆
一二月二四日午後五時五五分頃
「アンドローラU」の広い大浴場に通じる脱衣場でちょっとした騒ぎになっていた。
「い、いや、あの、だ、だから、自分でお風呂ぐらいは入れるってば!」
そう言って、騎央はメイド軍団の手から逃れようと身をよじった。
彼の衣服には、羅生門《らしょうもん》の遺骸の服を剥がそうとする餓鬼《がき》どものように、白いしなやかなメイドたちの手があちこちに伸びて引っ張られている。
「自分で脱ぐし、自分で洗うってば!」
「いえ、ダメでございます騎央様」
メイドの一人がきっぱりと言い切った。
「お一人では身体の隅々まで洗えませんし、またお風呂を終えてからも綺麗に水滴を拭えません」
「そうです」
また別のメイドが真面目な顔で言う。
「それではこれから着用して頂くタキシードの着心地も少々良くなく、また肌に残った余分な水分は汗を呼ぶのです……それではいくらファウンデーションを使っても無駄という物。ひいては我が主、アントニア様のご面目にも関わるのです」
「故に」
最初のメイドが後を引き継いだ。
「本格的にパーティにご参加なされるのでしたら、私たちエキスパートの手が必要なのです」
「なるほどー。えーと、じゃあ、わたしたちもお手伝いを…………ね、アオイさん」
「…………を」
と、ふたりの少女が頷きあって前に進もうとするのを、また別のメイドの手が制した。
「エリス様、アオイ様、それは無駄でございます。この道は磨き三年拭き一年と申しまして、一朝一夕には成らぬ世界にございます」
「はぁ…………?」
「…………?」
どうやらふたりに気を利かせてくれたわけでもないらしいと理解し、エリスとアオイは顔を見合わせた。
「いや、だ、だから別に大丈夫だっていうのにー!」
騎央はさけぶが、もはや誰も彼の意見は聞いていないようだった。
「おかしいわねえ、普通殿方はこういう状況を喜ぶ物でしょう?」
小声で年若いメイドが同い年の新入りに声を掛けた。
「まあ、日本人はシャイだっていうから」
「そーなの?」
「…………というわけですので騎央様、どうぞお覚悟の程を」
「わー!」
はいずって逃げようとする少年の襟首を細い手首が幾つも掴み、華やかな白と黒のメイドの制服の中へと引きずり込まれていく。
「えーと、この場合、わたしたちはどうするべきなんでしょうか?」
「そう……ね」
アオイは首を傾げ、足元で彼女の専用アシストロイドである「チバちゃん」と「錦ちゃん」が主の真似のつもりか同じように首を傾げた。
「…………」
「…………」
猫耳と眼鏡、ふたりの少女は互いに顔を見合わせていたが、
「この際ですから、便乗しますか?」
「…………賛成」
にっこりと笑い合うと、ふたりはメイドと騎央の攻防のただ中に飛び込んだ。
「それー!」
「わ、な、何でエリス……あ、双葉さんまで、わ、わ、わー!」
☆
一二月二四日午後六時五五分頃
「アンドローラU」の中にある喫茶室で、マキたちはコーヒーを前にくつろいでいた。
「…………なるほど、そいつはアレですなぁ」
雄一とマキは笑い合った。
エリスが最初に沖縄に来たときの騒動では、互いに銃口を向けあった仲だというのに、今は数年来の友人のようにふたりは語り合った。
「しかし、先生も大変ですなぁ。そんなに書類仕事が多いんですか」
「ええ」
今のところ、船に顔見知りはふたりっきりという状況もあってか、妙な連帯感を抱き合いながら、ふたりは時間を過ごしていた。
どうやら、「ビューティフル・コンタクト」などの「敵」の目をそらすべく、別仕事をしているアントニアたちと合流し、それから本当の会場に向かうらしい。
(それにしても)
とマキは思った。
(こんなに落ち着いたクリスマスになるなんて思わなかったわ)
つい数時間前までは人生で最も辛い、あるいは人生最後のクリスマスになるかもしれない、と覚悟を決めていただけに、安堵感は千金の重みがあった。
「そういえば、そのカクテルドレス、随分と不思議な光沢ですなぁ」
「え?」
着る物は清潔感第一、二番目が値段で、あまりデザインとか素材には気を遣わないマキにとって、素材を褒められる、ということは初めての経験で、どう対応していいのかとまどった。
「さっきまでサテンのようだったのに、今はまるでシルクのようで」
「え、ええ」
「よくお似合いですよ」
「あ、ありがとうございます」
マキは妙にどぎまぎしながら礼を言った。
言いながら、そういえばこれが「ビューティフル・コンタクト」からの贈り物であることを、マキはようやく思い出していた。
このへんはさすがに女性なのである。
そして、プロの情報部員でも、兵士でもない証拠でもあった。
☆
(日本時間)一二月二四日午後六時五五分頃
通信機に甲高いピープ音が入った。
「!」
即座に受信スイッチを入れると、少女《ニルメア》の声が入った。
『では、そろそろ〔入り口〕を開けます……最終点検を』
「了解しました」
言って、インカムのスイッチを切り、ジェンスは顔を上げた。
格納庫の前面には、巨大な、ガラスのシリンダーをはめ込んだ機械が鎮座している。
最も原始的な構造の――とはいえ、地球人類がまだ自力で製造することは出来ない――転送システムだ。
その電源が遠隔操作で入れられ、ばちんという大きなスイッチ音と共に黄色が微妙に入った白い輝きが、ガラスの筒の中に満たされていく。
「もろい物だな」
ぽつり、とジェンスは言った。
「経済をからめた威圧と脅迫にかかれば、個人の職業倫理も正義感もあっさり屈すると言うことか」
彼女は、糸嘉州マキがあの金属筒型の誘導装置を船の中に持ち込んでいると思いこんでいる……いや、それ以外の方法を考えていなかった。
☆
一二月二四日午後七時二○分頃
「うう……お婿に行けない」
途方に暮れた顔で、騎央は姿見の前に立っていた。
髪の毛も綺麗にセットされ、少年に合わせて作られたタキシードは一分の隙もない。
足元では、「チバちゃん」と「錦ちゃん」がそれぞれにサラお手製の絢爛《けんらん》な衣装に身を包んで「よ、だいとーりょー」とか「さんごくいちのはなむこー」とか扇子に書いて踊っている。
その頭を一通り撫でてやり、騎央は後ろにいる少女ふたりに、ちょっと恨めしげな眼差しを向けた。
「ひどいよ、エリスも双葉さんも…………一緒になって脱がせることないじゃないか」
「…………」
「えへへへ」
ぽりぽりと、ちょっと赤くなりながらエリスは頭を掻き、双葉アオイは真っ赤になって横を向いた。
ちなみにふたりとも、今はすっかりゴージャスなドレス姿である。
「いや、ほらクリスマスですしー」
「理由になってない!」
「…………騎央君だって」
ぽつり、とアオイが言った。
「この前の学園祭で私の…………と、とても恥ずかしかったのに」
ちら、と涙ぐんだ上目遣いで騎央を見る。
「う…………」
この前の学園祭、河崎カントクの陰謀で驚くべき紐水着姿にならざるを得なかったアオイと真奈美を、騎央は「ここまでやってくれるんだ!」と感動してしっかりばっちりカメラに納めてしまった。
学園祭が終わって事情を知った騎央だったが、時すでに遅く、アオイたちの艶姿はしっかり映像部のHPから全世界にストリーム配信を終えた後だったのである。
「だから…………あいこ、です」
「あ、いや、あの…………」
あたふたと騎央は慌てた。
「あ、それだと私の場合、アンフェアになりますから…………あとで騎央さんに見せなきゃ」
うん、と真っ赤な顔で、それでも大まじめにエリスが頷く。
「あ、あとでドレスルームに来て下さいね、騎央さん」
「み、見せなくていいってば!」
「いや、でもそれだと不公平に」
「い、いいってば、いいってば!」
わたわたと騎央は、なおも細かくタキシードの着こなしの微調整を続けるメイドたちを押しのけて部屋を逃げ出した。
☆
一二月二四日午後七時二○分頃
「のう、摩耶」
着替えを終え、すっかり「上流階級のお嬢様」そのものに姿を変えたアントニアは、糸嘉州マキと雄一叔父の待つ喫茶室へとエレベーターで向かいながら、専属のメイド長に話しかけた。
「時折、私はエリス様の前だと自分がひどく薄汚れた物のように思えてくる…………それに、ひどくエリス様や騎央たちがが羨ましく思える」
珍しく、少女の声にはいつもの傲慢とも取れるほどの張りがなかった。
目を伏せ、物思いに耽《ふけ》るような表情は、どこか途方に暮れているようにも見える。
「大丈夫でございます、お嬢様」
摩耶は、いつもと変わらない。
薄く微笑みを浮かべ、しっかりと断言した。
「お嬢様は汚れとか、美しさとかを超越なさっております。お嬢様は、すでにお嬢様なのです……エリス様はともかく、騎央様たちはまだこれからなのです。その無垢さは、確かに美しさかもしれません。ですが、お嬢様はそれを超越し、なおもお美しゅうございます。摩耶はそれを知っております」
母親が子供に言い聞かせるように、姉が妹を励ますように、その言葉は暖かくも厳しい。
「ですから、迷われますな。前をしっかり見て、歩みなされませ。摩耶はその後を着いて参ります」
「…………すまぬな、摩耶」
ふっと大人びた笑みを浮かべ、アントニアは頭を振って己の弱気を追い出した。
エレベーターが目的の階につく。
「さて、参ろうぞ!」
そして、ドアが開いた。
☆
一二月二四日午後七時二五分頃
喫茶室の扉が開いて、急に賑やかになった。
まず最初にタキシード姿の嘉和騎央が飛び込んできて、それを追いかけるように、大人びたドレス姿のエリスと双葉アオイが、珍しくはしゃぎながら現れ、最後に悠然とアントニアと摩耶が現れた。
「お待たせしてすまぬな、先生」
相変わらずの態度でアントニアが言った。
「いいえ、結構楽しく待たせて頂いたわ」
微笑みながらマキが立ち上がろうとした…………その時。
カクテルドレスに光のラインが走った。
複雑怪奇な幾何学模様を描きながら、光のラインはカクテルドレス全体に広がり、その場にいた全員の鼓膜の内側を、何かが鳴らした。
後で、それは常温における原子変換による物であると判明したが、一瞬、空気が凍りつく。
マキと騎央、そしてエリスには意味不明であるがゆえに、アオイと摩耶には戦士としての直感ゆえに…………行動が遅れた。
次の瞬間、マキの身体からドレスは分離した。
さらに、瞬《まばた》きをする時間の半分の、更に半分の時間でカクテルドレスだった物は一つの細長い輪に変わった。
黄色みを帯びた白い輝きが喫茶室を満たす中、輪の中央から、古くさい電気モーターを思わせる頭部が現れた。
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第五章 直列つなぎで突破した
☆
一二月二四日午後七時三〇分頃
専用のハンガードックと数人掛かりのメイドの手を借りて、ようやく「うなーたん」の中から出て、ドレスに着替え終えた真奈美の元に異変が知らされたのは状況が発生して五分後のことであった。
「襲撃? どこから?」
緊迫した表情のメイドからインカムをひったくるようにして、真奈美は明らかな銃声が轟く向こう側へと尋ねた。
ジッとしていられなくなって足早に甲板に出る。
『判らないわ、先生のドレスがバラバラになったと思ったら、ドレスが大きな輪になって、そこから…………』
とぎれとぎれに聞こえるアオイの声。
「わかった、今からそっちに向かうわ!」
『それは駄目』
アオイはきっぱりと言い切った。
『むしろお客さんを乗せているんだから、この海域から離れて頂戴。ギリギリまで頑張るから、まだ状況は知らせないで。とりあえず一二時まで間を持たせて欲しいの…………方法は任せるわ』
「そんな…………!」
愕然となって、薄いブルーのドレスを着けたまま、冷たい風の吹き付ける中、真奈美は海原《うなばら》の彼方を睨みつける。
この方角の彼方に、アオイたちを載せた「アンドローラU」がある筈だ。
『今、この状況で戦闘が始まったことを知らせたら、乗客はパニックになるわ…………今は、キャーティアと地球のこれからのことを考えて』
アオイだけの意見ではないことは明白だった。こんなことを独断で言うような少女では決してない。
恐らく、あの場にいる全員の総意だろう。
真奈美は悲しさとやるせなさと怒りがない交ぜになった感情をもてあましつつも、状況の把握に努めた。
「けが人は?」
『アントニアが少し気を失っている以外は大丈夫。こっちに残っているメイド部隊とわたしたちで何とかなると思う』
アオイは、静かに、そして言い聞かせるように告げた。
『これから、私たちが戻るまで、真奈美、あなたがそっちの指揮をして頂戴』
☆
一二月二四日午後七時二五分頃
「敵」の出現が唐突なら、戦闘もデタラメな物にならざるを得ない。
いきなり現れた機械仕掛けのカカシは、腕に装備されていたグレネードランチャーをぶっ放した。
一瞬早く、エリスがランチャーの筒先を横へ蹴り飛ばしていなければ、全てはそこで終わっていたはずである。
しなやかな鞭の鋭さと破壊力を持った蹴りは榴弾を窓の外へ発射させ、摩耶に非常スイッチを押させるタイミングを与えた。
さらにアオイが「|引き寄せ《アポーツ》」能力で取りだしたS&W・M500マグナムがロボットの頭部を粉砕する。
さらにその残骸を押しのけて出てくる後続を相手にしたのは「チバちゃん」と「錦ちゃん」の二体で、瞬《またた》く間に数体のロボットが切り刻まれて転がった。
それでも続こうとする数体を、エリスが掌底、アオイが電磁サーベルで迎え撃つ。
相手の出鼻は完全にくじかれ、数秒の隙が出来た。
切断された手足が床や壁に跳ね返る中、全員が降りてくるシャッターの彼方へ移動する。
「摩耶だ、B42Aと42Bブロックを切り離せ! 爆発ボルト使用!」
アントニアを横抱きにし、メイド服の背中のリボンに隠されていたインカムを装着した摩耶が怒鳴る中、対爆シャッターが轟音《ごうおん》をたててみるみるひしゃげ始めた。
「みなさん、無事ですか!」
エリスが厳しい顔で確認する中、呆然と、下着姿のマキは座り込んでいた。
「うそ…………どうして…………」
自分の勇気が全て無駄になった、どころか自分がまんまと敵を誘い込んでしまったという取り返しのつかない事態にショックを受けた女教師は呆然と呟いた。
その肩に、タキシードの上着が掛けられる。
「しっかりしてください、糸嘉州先生」
マキの両肩を横から押さえるようにして立たせながら、宮城雄一は落ち着いた声で囁いた。
「さ、行きましょう」
「は…………はい」
顔を伏せてマキは頷いた。もう、どんな顔を騎央たちに向ければいいのか判らない。
その前に、小柄な影が立った。
「先生のせいじゃ、ないです」
騎央だった。
「あいつらは、いつもああなんです。どんな人間でもコマにしか思ってない…………エリスも、僕たちも、気に入らないコマだから棄てようとしている、そんな奴らなんです」
だから、と少年は続けた。
「先生は悪くないです…………絶対に」
少年は念を押した。
「そうですよ」
せっかくのドレスからいつものスーツに戻り、珍しく光線銃を取りだしたエリスも、振り向いて微笑む。
「第一、そんなこと言ってたらわたしなんか身の置き場がありません」
「確かに、ね」
くすりとM500の弾丸を装填しながらアオイが笑った。
「…………アオイさん、ちょっと最近キツいですぅ」
移動しながら少年と少女たちはくすくす、と笑いあった。
「…………」
ある程度は知っていたものの、ついつい忘れがちだった彼らのもう一つの「日常」に、マキはどこか感動にも似た思いで、何とか微笑みらしき物を浮かべた。
☆
一二月二四日午後七時二七分頃
抵抗が止んだと判断したジェンスは、自ら船内に飛び込んだ。
何しろこの「グリースガンヘッド」は粗悪な代物で、とてもではないが、遠隔操作で細かい作戦指示など飛ばせた物ではない。
どうしても現地の状況をリアルタイムで確認する必要があった…………それに、ジェンスは命を捨てて掛かっている。
恐れる理由はどこにもなかった。
とりあえず、爆発物による攻撃を一時停止させてからシリンダーの中に足を踏み入れると、全身の体毛が逆立つような不快感があって、周囲の景色が変わっていた。
「何となく、懐かしい光景ね」
皮肉に口許を歪める。
「アンドローラU」の船内は、かつて彼女が沈めた『アンドローラ』の内装をそのまま引き継いでいる。見覚えがあるのは当たり前であった。
二〇〇体のロボット兵士のうち、グレネードを装備していない「工兵《こうへい》」を前に出すと、ジェンスは早速指向性爆薬で、部屋を仕切っているシャッターを破壊することにした。
通常の建物なら出入り口よりも壁の方がもろいが、すべて金属で出来ている現代の船ともなれば逆で、かえって壁を相手にした方が効率をさげることになる。
押し出し式のチューブの先端から青色の爆薬が、壁にデコレーションでもするかのように歪《いびつ》なアーチを描き、その両端に小さな起爆信管が差し込まれた。
数歩「工兵」たちが離れると、爆薬に沿って派手な火花が走り、火薬は完全に燃焼する。これを二回ほど繰り返すと、さすがの耐爆シャッターも重々しい音を響かせながら後ろへ倒れた。
「三斉射、撃て!」
倒れた瞬間、ジェンスが叫ぶと、「突撃要員」たちが派手に、口を開いた空間めがけて弾丸を撃ち込んだ。
「よし、進め!」
反撃がないことを悟ったジェンスは、急いでエリスたちに追いつこうと、ロボット兵士たちを急がせた。
そしてジェンス自身が外へ出た途端、軽い衝撃が背後から爪先へと抜けていく。
「?」
振り向いたジェンスの目に入ったのは、まだ半分近いロボット兵士を納めたまま、部屋全体が横にずれていく光景だった。
「なにっ!」
部屋そのものを分解し、放棄したのだと気づいたとき、一〇〇体近いロボット兵士を飲み込んだまま、喫茶室だった場所は海の中へ投棄された。
「宇宙船《スターシップ》か、この船は!」
吹きつけてくる夜の海風を受けながら、ジェンスは残った一〇〇体強のロボット兵士を率いて前進する。
すると、再びあちこちからあの衝撃波が床を伝わってくる。
「まさか……」
目の前、ゆっくりと長い廊下がずれていくのが判った。
「しまった! 急げ!」
叫んでジェンスは走り出す。
☆
一二月二四日午後七時二八分頃
「しぶといわねえ……」
操舵室兼戦闘指揮所《CIC》で臨時に指揮を執りながら、サラは苦い顔になった。
喫茶室周辺を片っ端から投棄《パージ》しているというのに、ジェンスと彼女が率いるロボット兵団は辛うじてそのギリギリを突き進んでくる。
「どうします、副長?」
パージのシステムを操るオペレーターが振り向いた。
「仕方ないわ、一時中止……これ以上はこっちが持たないし、第一、あれじゃそのうちどっちにアントニア様たちが向かっているか教えることになる」
「了解」
オペレーターはシステムを一時中断して安堵の溜息をついた。
投棄といっても簡単な話ではない。
船のバランスは崩れるし、爆発ボルトの作動による振動が船のどこに影響するか判らない。そのたびに注水などでバランスを取り、各部署をチェックしながら、なのだから。
「ヘリの準備は?」
「現在燃料を補給中、あと一分で出られます」
「よし、では準備が終わり次第待機。チーム |B《ブラボー》 と |F《フォックストロット》 はアントニア様の保護へ向かえ、バカの殲滅は合流した後、メイド長の指揮で行う……それと!」
サラは外洋のレーダー担当を向いて尋ねた。
「敵影は?」
「今のところ北北西からゆっくりと何かが近づいてくるのは判明しています」
「上か、下か?」
「下です。海面下……あと一〇分ほどでこちらへ」
「よし。音源《デコイ》を用意した上で、魚雷回避運動開始。外洋の機動部隊も急がせろ……最悪、外からミサイルを撃ち込んで貰うことになるかもしれん」
サラの指示を、前にいるオペレーターたちが現実の物に変えていく。
数ヶ月前、メイド部隊の人員を大幅に増強した甲斐はあった、と彼女は思う。
もしも以前通りの数十名であれば、この状況に対応は出来なかっただろう。
「これも、天の配剤か」
片目のメイド長はそう呟いて腕を組んだ。
鈍い衝撃が走った。下から上へ。
「どうした?」
その衝撃よりも、オペレーターの一人の悲鳴に、サラは嫌な予感を感じた。
「敵が…………アントニア様を!」
「何っ!」
☆
一二月二四日午後七時二八分頃
ほんの些細なことが、明暗を分けることがある。
この場合は、ものの数秒で治まるトラブルが、一回起こったに過ぎない。
全て落とされた耐爆シャッターの開閉コックをひねり、開かない場合は再び元に戻し、それからもう一度ひねる。
それだけでいいはずだった。
だが、その数秒、全員がシャッターの前で止まった。
下から突き上げるような衝撃があって、広い廊下の床の一部が上へと吹き飛んだのはこの時である。
この時までは階下にいたジェンスが、液体火薬を発射する「砲兵」を使ったのだ。
幸い、爆発も破片も騎央たちを傷つけることは無かったが、床の破片のひとつが天井に跳ね返ってアントニアの頭を強打した。
「お嬢様!」
少女はそのまま倒れ込み、摩耶の悲鳴が周囲を切り裂く。
「お、お嬢様、お嬢様っ!」
駆け寄って抱き起こそうとし、それが危険であると理解した摩耶は、唇をかんだ。
エリスも駆け寄り、腰のポーチから治療装置を取りだしてアントニアに向ける。
「大丈夫、脳しんとうみたいですから運んでもオッケーですよ」
「は、はいっ!」
摩耶の顔は泣き出さんばかりに歪み、声は完全に裏返っていた。アントニアが倒れたことよりも、他の連中はそのことに驚いた。
アントニアを背負い、摩耶は走り出した。
床の破砕口から、ロボット兵がわらわらとあふれ出し始める。
それへ立て続けにアオイの銃弾が炸裂した。
さらに、手榴弾《てりゅうだん》が転がっていく。
爆発が連鎖した。
☆
一二月二四日午後七時二八分頃
「どうやら、事態は最悪の方へ転がっているみたいだねえ」
和服姿の「大佐」どのはヘッドフォンを片手に溜息をついた。
「交戦状態にあるらしいよ」
「あらー」
河崎カントクは大声を出し、四〇男の「中尉」は黙って肩をすくめた。
東京の下町の某所にある小料理屋の地下とは思えない空間だった。
そこには今や「犬」たちの本星にすら珍しくなった亜空間通信機や、各種の工作機械が、これまた、今や失われた技術である亜空間質量仮託《Bシンクロンマキシマム》システムによって圧縮、縮小されてずらりと並び、さらにその間に、敷き詰めたように地球側の様々なガラクタが収まっている。
「で、くろちゃんの話は本当なのかい?」
「ええ」
河崎カントクの横でマットレイの名でジェンスに仕えていたアシストロイド「くろきち」はかっくんと頷いた。
「使い捨てねえ…………あの鳥どもならやりそうなこった」
よっぽど嫌な思い出でもあるのか、「大佐」は眉をしかめた。
「ナフェルティエでもあたしたちを盾にして平然としてたものねえ」
河崎カントクも苦い顔になる。
「…………」
「中尉」は黙って頷いた。
「で、『中尉』……何か、いい方法はあるの?」
「大佐」の問いかけに、「中尉」は頷いた。
「恐らく、奴らの方法は相変わらず耐質量系のシールドの筈です」
錆びた二本の棒を擦り合わせるような塩辛声が、滑らかに技術的な問題を話し始めた。
「ですから、質量と勢いがあれば、簡単に突破は可能かと……で、それが出来そうな物の所有者に心当たりがあります。ただ」
「ただ?」
「それから後、どうするか、です」
「…………」
「大佐」は腕組みをした。
すかさず、もう一押しするようにカントクが口を開く。
「そのへんは、逆にアタシのほうに心当たりがあるわ…………上手く行けば、だけど」
「じゃあ、動こう」
大佐は腕組みを解いてきっぱりと言い切った。
「ほーら、ちゃっちゃと行くよ! スカポンタンども!」
「はい、大佐殿!」
河崎カントクと「中尉」は嬉しそうに背筋を伸ばし、きっちりとした敬礼を見せた。
☆
一二月二四日午後七時三〇分頃
「アンドローラU」では、壁の装置にメイド全員の持っている鍵を差し込み、回すだけで各部屋、各廊下に隠された板状のバリケードが現れる。
それによってちょっとしたアスレチック施設と化した船内のおかげで、大分距離を稼いでから、騎央たちは無数にある部屋のひとつに逃げ込んだ。
携帯治療器がアントニアの身体を再スキャンして、「異常なし」の表示が出た。
「アンドローラU」に残っていた通常型アシストロイド一〇体に囲まれたアントニアの側で、文字通り息を詰めて身をかがめている摩耶に、エリスは「大丈夫ですよ、全部終わりました」と告げた。
「傷は残りませんし、目覚めても痛みも覚えないはずです」
アシストロイドたちがそっと床からアントニアを持ち上げ、内一体がさりげなく尻尾で頭を支える中、摩耶は長い溜息をついた。
「さて、そろそろ移動を…………」
とエリスが切り出した瞬間、重々しい銃声がドアの向こうから聞こえ始めた。
「皆様、お先に操舵室へ」
ゆらり、と摩耶が立ち上がった。
ポケットに入れていたバリケード起動用の鍵をアオイに手渡す。
「よろしくお願いします。鍵穴は必ず部屋の隅に対角線上に存在しますので」
いつもの摩耶の表情、いつもの摩耶の声であった。
「……了解」
いいながら通り過ぎる摩耶の顔を見たアオイの表情が一瞬、引きつる。
「ま……摩耶さん、何を」
「大丈夫でございます、騎央様、アントニア様をどうぞよろしく」
いいながら、足音ひとつ立てず、流れる水のような滑らかさで摩耶は部屋の入り口まで来ると、右腕をひと振りした。
すると、いつの間にか、彼女の右手には異様な形の木刀が握られていた。
握りの部分は普通だが、本物の刀なら刃が始まる所からが異様に広い。
小舟のオール……櫂《かい》に似ていることから櫂型木刀、あるいはその用途から「素振り木刀」と呼ばれるものである。
ただし、異様なのはその先端三〇センチほどに填《はま》った、太い九つの鉄輪。
そして刀身に刻まれた「神仏鏖殺《しんぶつおうさつ》」の四文字である。
「ここは、私が食い止めます…………奴らにはしかるべき報《むく》いを与えねば」
そう言って、全員が止める間もなく、かなり使い込まれたとおぼしい赤樫《あかがし》の素振り刀を手に、摩耶は部屋を出た。
あまりの堂々ぶりに誰もが、摩耶が動揺のあまり、突拍子もない行動に出たとは思えず、呆然とその背中を見送っていたが、すぐに騎央が我に返った。
「摩耶さん!」
叫んで扉に飛びつこうとした瞬間、世にも異様な音が扉を震わせた。
…………強いて言えば、数百台の車が一斉に衝突したような。
☆
一二月二四日午後七時三一分頃
「あら、随分と早く……一斉に殲滅とは凄いわね」
ジェンスから送られてくるデータをチェックしながらニルメアは眉をあげた。
「電磁兵器か何かかしら? ……まあ、いいわ」
金髪の天使は微笑んで立体映像ディスプレイの中に浮かぶ幾つかのアイコン映像に触れて、中身のアプリケーションとデータを起動させる。
「能動的作戦《フレキシブル・ミッション》チャートシステム」が読み出したリュンヌの作戦案データに、今の要素を付け加える。
するするとチャートは展開し、次の指示を出した。
「ここまでは応用の範囲か……では」
ニルメアはシステムをメインで動いているプログラムの後ろへ一時「隠し」て、本来の、あるいは「本当の」作戦を進行させることにした。
「では、そろそろ行きますか」
そう言って、彼女はディスプレイに触れた。
☆
一二月二四日午後七時三二分頃
「あ、あの…………副長」
操舵室にして戦闘艦橋という、いささか民間船としては物騒な場所では、船内のモニター係が青い顔をしてサラを振り返った。
「い、いまのは…………」
「そう言えば、お前はまだ見たことが無かったな」
ふう、と溜息をついて、モニター係と同じ物を見ていたサラは、肩をすくめた。
「凄いだろ?」
「そ、それはそうですが…………あ、あれは凄いというレベルではないような」
「だが、それ以外にどう言い表せと言うんだ?」
「そ、それは、そうですけど…………」
「まあ、久々だからな。昔は結構あったものだ……アントニア様が家督を継いだばかりのころとか」
言って、隻眼の副メイド長は遠い目になった。
「まあ、ドイツ陸軍の一個大隊までなら、あのひとはあの装備だけで勝てるはずだ」
「一個大隊…………」
「だからこそ、我らが長なのさ」
にやりと笑ったサラへ、レーダー係のメイドが鋭い声を投げた。
「副長! 海底の未確認物体、高速移動してきます! こんな、こんな速度って?」
「落ち着け、本船まで後何秒だ?」
「こ、このままだとあと三〇秒、い、いえ二〇秒!」
「なに?」
☆
一二月二四日午後七時三一分頃
「嘘だーっ!」
縛り上げられ、自慢の強化装甲服も機能停止させられたジェンスが、床に転がされて喚いた。
ちなみに、その周囲は惨憺《さんたん》たる有様である。
ひと言でいえば「戦場跡」もしくは「残骸の山」。
一つ残らず、部品はネジ一本でさえ原形をとどめていないロボット兵士と、その武器によって破壊された壁や床、天井を含めた船内内装。これらが渾然一体となって、奇妙なテーマパークとなっている。
「なぜだ、なぜ木ぎれ一本で我々を…………我々を…………」
呆然と見開かれた目は、よく見ると焦点が合っておらず、その口調もどこか浮ついている…………よほど恐ろしい物を彼女は見たらしい。
「エリス様」
すっかり元の彼女にもどった摩耶は、超硬度ワイヤーでぐるぐると縛られたジェンスから視線を外し、エリスを見た。
「これをお預けします、いかように御処分なさっても構いませんよ」
「うーん、そんなこと言われても…………」
エリスはほとほと弱った顔になった。
「捕虜の扱いなんて訓練学校時代に座学でちょろっと習っただけですよお…………弱ったなぁ」
「アシストロイドが何か知ってるんじゃないの?」
騎央がこの場合当然の結論を口にした。
「あ、そうか! そのためのアシストロイドですものね…………ねえ、あなたたち、こういう場合の捕虜の扱い、覚えてる?」
エリスに言われて通常型一〇体のアシストロイドたちは首をひねっていたが、やがて「にるー」「やくー」「むすー」とかプラカードに書き出した。
「あ、そうか…………カスタムタイプぐらいじゃないと」
と、この船に二体しかいないサムライ型アシストロイドに目をやれば、こちらは物騒なことに「うちくびー」「えんとー」と書いてあった。
「なーんかわたしの記憶と著しく違うような…………」
「信じちゃだめだって!」
騎央は苦笑しながら、タネを明かして見せた。
「『定やん』のボケを真似しているだけだよ…………ほら、ふたりとも、本当のことを!」
「チバちゃん」と「錦ちゃん」は「えへへ、バレた?」と頭を軽く掻くと、「みがらかくほ」「せいめいいじかくてい」「ぼせんにほうこく」とプラカードを掲げた。
「あ、そうでした! こういう場合は艦長に報告しなくちゃ」
いくらなんでも当然すぎて、「そりゃないだろう」なことを口にしながらエリスは通信機を取りだした。
「艦長、艦長、こちらエリスです」
呼びかけると、コンパクトほどの大きさの通信機の上に、クーネの立体画像が浮かんだ。
『どうしたの、エリス? 何かトラブル?』
「トラブルは終わったんですが、犬の人を捕虜として確保しました」
『犬の人ぉ?』
「はい…………ほら」
通信機を、なおもブツブツ言っているジェンスの前に差し出すと、クーネは細い顎に手をあてて「うーん」と考え込んだ。
『厄介ねえ……いいわ、状況が終わったら、リリースしてあげて』
「いいんですか?」
まるでブラックバス相手のようなことを言う上司に、エリスは目を丸くした。
『いーわよ、別に……それに、犬の人ってばすぐ〔生キテ虜囚《リョシュウ》ノハズカシメヲウケズー〕とか言って自殺したがる人ばっかりだし』
「じゃあ、その方がいいですね」
すぐにエリスは納得する。
「では、早速アントニアさんトコのメイドさんに頼んで、どこか遠くでリリースしてもらいます」
『あ、それと〔プレゼント〕の件だけど、地球への突入軌道を取ったわ…………一二時きっかりだからね』
「え? 通ったんですか、あの案?」
『評議会は妙に協力的だったけど、同時にこれが最後通告でもあると私は見ているわ…………これを無事に受け取って貰えなかったら、地球の人たちとはやってけない、ってことね』
「…………わかりました、責任重大ですね!」
エリスの顔が晴れやかに、しかしきりりと引き締まる。
『そ、だから私たちも頑張るけど、あなたたちもよろし…………』
不意に画像が乱れ、消えた。
船内の明かりが真っ赤な非常灯に切り替わり、けたたましい警報が鳴り響いた。
「何ごとだ…………!」
壁の電話を取ろうとした摩耶の身体がぐらりとかしいだ。
いや、船全体が大きく揺れ動いていた。
下から持ち上げられるように。
やがてそれが頂点に達すると、今度は後ろへと滑るような感覚があって、ほぼ全員が床に転がった。
残骸が流れて壁にぶちあたり、賑やかな音を立てる中、それでも立っていたアオイがかじりついた窓の外を見て声を上げた。
「敵よ!」
その声を、膨大な質量の水が奏《かな》でる大|瀑布《ばくふ》の音がかき消した。
もしもこの瞬間、アオイ以外の人間が丸い船窓から外を見ることが出来れば、そこに爆発するように弾ける海面と、そこから大空へ飛び上がる巨大な円盤を見ることが出来たはずだ。
☆
一二月二四日午後七時三一分頃
「このへんが難しいのよね…………」
ニルメアは立体映像ディスプレイの中に浮かんだ、円盤の仮想体を、上から三本の指で握り込むようにしつつ、ちょいと持ち上げて海面を示す青いブロックの中から取りだした。さらに微妙にくねらせるようにしながら「アンドローラU」の仮想体の真上に来るように調整する。
「よし、と」
手首を軽く上下に振って仮想体を指から離すと、金髪の少女の背中から生えている翼が、軽く羽ばたいた。
左手の位置にある実体キーボードを操作し、次の段階の準備とする。
☆
一二月二四日午後七時三二分頃
物体はゆっくりと「アンドローラU」の上に停止すると、エッジ部分から幾つもの鋭角な突起を伸ばした。
突起と突起の間に青白い火花が散ると、上から、スクリーンが降りてくるように、夜が薄白く染まり始めた。
「しまった!」
エリスが叫ぶ。
「どうしたの?」
「特殊フィールドで船ごと抱え込むつもりですよ! どこからも出られなくなる!」
「自爆するつもりなの?」
アオイの顔色も変わった。
「多分…………この状況なら誰も逃げられません! でも、あんな大型マシンを地球上で使うなんて!」
これまで、努めて異星人の存在を示す痕跡を残さないことを主眼に置いてきた「犬」側の作戦とは思えない。
エリス、アオイ、そして摩耶は顔を見合わせた。
だとしたら、ここでひっくり返って現実逃避をしている「犬」の女軍人は?
いち早く動いたのは摩耶だった。
「言いなさい」
再び、左手にはいつのまにかあの木刀が握られていた。
鉄輪の填ったその切っ先を向けると、ジェンスの顔に表情が戻った…………恐怖という名の。
「ひっ」
「言いなさい、あなたはどうやって脱出するの?」
正気に返ったジェンスに、非情《ハードボイルド》な摩耶の詰問が飛ぶ。
「脱出? 脱出だと? しれたこと、貴様たちを殲滅して…………」
「次は、前歯を折るわよ」
ほんの二センチほど、摩耶の木刀が前に出た。
それだけで、ジェンスは息をのむ。
「脱出の方法は?」
摩耶の視線と、ジェンスの視線が絡み合った。
勝負はすぐに摩耶の勝ちと出る。
「そんなもの……あるわけがない!」
「カミカゼ攻撃をあなたたちがするわけはないわ」
摩耶は追及の手をなおもゆるめない。
「言いなさい。どうやって脱出するの?」
〔その人は知らないわ。何も、ね〕
異様にくぐもった声が、通路の中に響いた。
船窓の一つが割れると、廊下に見覚えのある金属球が転がり込んできて、空中に映像を投影した。
見覚えのない、白い肌に金髪の美少女だ…………年齢は騎央たちよりもひとつ、ふたつ程年上だろうか。
しかも、背中には肌よりも白い羽毛の翼が生えている。
〔こんにちは、はじめまして……私の名前はニルメア。どこの種族かは……そこの猫が知ってるでしょ?〕
「バルンムウ…………ホント、あなたたちは性懲《しょうこ》りもないんですね」
ほとほと呆れ顔でエリス。
「どういう連中なの?」
騎央はまた新しい宇宙人らしい少女に、己が感動とか感心とか驚愕ではなく「嫌悪」にちかい感情を抱いていることに軽く驚きながら尋ねた。
「戦闘国家で、主に謀略にたけている所です。一応、『犬の人』と同盟は結んでいましたけど…………表向きは放棄したと」
〔そ、表向きの話〕
ニルメアと名乗った少女は肩をすくめて、人を小馬鹿にした笑みを浮かべた。
ひどく性根が曲がっているのが、整った鼻の周囲の皺で判る。
「で、こんな話をするということは、生かして返すつもりはない、という意味ね」
冷え冷えとした声で言いはなったのはアオイだ。
〔もちろん♪〕
にこにことニルメアは笑う。
〔あなたたちの頭上にあるあの円盤はね、対《つい》消滅兵器の一種なの。作動すれば、この海域一帯……えーと、二〇キロ四方は、文字通り原子に還ることになるわ〕
「…………!」
エリスの顔が引きつる。
〔色々困ったことになるわね、あなたたちも死んじゃうし、地球への『贈り物』は届いた瞬間に消えちゃうし…………そんなことになったら、いくらお人好しの猫ちゃんズでもお友達になることは一時棚上げになるわよねえ〕
政情不安定すぎる、というのは十分な理由だもの、と金髪の天使は嗤《わら》う。
「で、でももうここまで来たらあなたたちだって表沙汰に…………」
騎央の抗弁を、天使の外見を持つ少女は鼻で笑った。
〔何のためにそこの犬に『ビューティフル・コンタクト』をテロ組織に再編成させたと思うの? この円盤はキャーティアの物で、『ビューティフル・コンタクト』の過激分子がそれをジャックしようとして誤って爆破、全員死亡……そうなれば、誰も文句は言わないわ〕
さすがに険しい顔つきになってエリスが反論する。
「そんなことをして監視種族《オルソニアン》が許すと思っているんですか?」
〔ああ、そのへんはご心配なく。実行も、作戦の立案も全部『犬』がやってることだし〕
「え?」
愕然とした声は床から聞こえた。
「ば、馬鹿な! 『犬は犬を殺さない』筈だ!」
〔そう? じゃあ彼女は例外なのね……この作戦を作ったのはね、ジェンスさん、あなたの妹のリュンヌよ〕
「…………!」
心臓が止まりそうな顔になったジェンスは数秒間をおいてから、大声をあげた。
「そんなことがあるものか! あの子は…………あの子は…………」
〔まあ、大人しく死ぬことね。この作戦が成功すれば、彼女は出世するわ…………準参謀から作戦参謀、なんてことになれば大出世よね〕
「貴様…………何をした?」
〔何を? 何もしてないわ。ただ、彼女の作戦の命令書にサインしただけよ〕
後は哄笑《こうしょう》だった。
〔それではみなさん…………〕
ぐしゃり。
傲慢な天使の映像を映し続けようとした金属球は、ロボット兵の腕だった部品の一撃で破壊された。
「こんな…………こんな…………こんな…………」
糸嘉州マキだった。
下着姿に雄一のジャケットを羽織っただけの姿で、女教師はなおも鉄パイプ状のそれを金属球の残骸に打ち付けた。
「こんな…………こんな…………こんな人たちのために! 私は、私は!」
マキは泣いていた。
それまで状況に対応できず、ただただ罪悪感にさいなまれているだけだった彼女はついに爆発したのだ。
何かに取り憑かれでもしたかのように、執拗にマキは金属の凶器を振るい続ける。
ついに金属球の形状も保てなくなり、潰れた円盤になるころ、
「先生、もういいですよ」
と雄一が絶妙のタイミングで肩を叩いた。
ようやく武器から手を離し、マキは雄一にわっと泣きついた。
中年男は黙ってその背中を撫でてやる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
真奈美がこの場にいれば、「雄一叔父さん、やるわねえ」と軽口のひとつも叩いて場を切り替えるところだが、残念ながらこの場にいる四人にそんなコトは出来ず、どこか居心地が悪そうに顔を見合わせた。
床に転がされたジェンスだけが歯ぎしりしながら目を閉じている。
☆
一二月二四日午後七時三八分頃
「なるほど、それでこの状態ですか」
操舵室兼|戦闘指揮所《CIC》に騎央たちがたどり着き、事情を説明すると、サラは納得したという顔になった。
「つまり、このままだと核爆弾と抱き合い心中、ということですね」
「そうだ」
アントニアを寝かせたストレッチャーの側に立ったまま、摩耶は苦い顔になった。
「何か打開策は?」
「我々が打てるレベルでは、ないな」
あっさりと摩耶は言ったが、サラはただ黙って頷いた。
先ほど、「アンドローラU」艦載ミサイルを数発、「壁」に向けて発射したが、ミサイルは壁に触れた途端、くいっと向きを変えたかと思うと、そのまま薄白い「壁」の中へ飲み込まれ、爆発すらしなかった。
エリスの話によれば、あれは次元の隙間に流れる川のようなものをこちらの宇宙へ一時的に流し込んでいるようなものだというが、その光景は確かに、流れの速い川の中にタイミング良く銛《もり》を投げ込んだときの様子によく似ていた。
「あとはエリス様次第だ」
そう言って、モニターを見る。
そこには、アオイを伴ったエリスが甲板に出て、いつもは腰に下げている機械を上空に向けて何やらやっているのが映っていた。
☆
「…………どう?」
機械の表示を見ながら、だんだん険しい顔になってくるエリスに、アオイが尋ねた。
「ほとんど打つ手がありませんね…………あの円盤の中で起こっている反応の様子から考えると、わたしたちの『おくりもの』が届く午前零時きっかりには、何もかもが消え去ってしまいます」
溜息と共にエリスは言い切った。
「ほとんど?」
「私たち全員が脱出する方法は、多分ありません」
「多分?」
おうむ返しに聞き返していたアオイが、怪訝そうに首を傾げた。
「つまりですね…………」
と説明しかけ、エリスはちょっと頭をひねって頭の中を整理し、
「今、この船の周囲は三六〇度、どこを取ってもマッハ五とかの速度で流れる水の壁で囲まれていると思って下さい。しかも流れの方向は一定ではなく、常に数千分の一秒単位で変更され続けています」
「…………続けて」
正直、わかりやすいとは言えない、ひどく抽象的な概念の話であるが、アオイはあえて突っ込まず、エリスに話の先を促した。
「ですが、この、流れの方向が変化する瞬間に、最初に流れが変わる一点をこじ開けることは出来ます……でもすぐ流れはこじ開けた部分を塞いでしまうんですけど」
「出来るの?」
アオイが最も重要なことを聞くと、エリスはええと頷いた。
足元で手をひさし代わりにして中天を見上げてひっくり返りそうになっているアシストロイドを優しく支えてやりながら、
「この子たちを動かしている動力炉のエネルギーを集めて収束放射すれば、何とか」
「こじ開けていられる時間は?」
「時間ではなくて、質量で示すしかないです」
「どれくらいの質量を脱出させられるの?」
「人間ふたり分がギリギリです」
「外からは?」
「チャイカか艦長に連絡が取れれば…………でも、外には『定やん』や『ゆんふぁ』もいますから、いざとなったらあの子たちに非常信号を打ってもらえば」
「あとは、誰と誰が外に出るか、ね…………」
☆
一二月二四日午後七時四〇分頃
「うふふふ♪」
ニルメアは微笑みながら、金属球からの映像を切り貼りしていた。
騎央たちの愕然とした表情をひとつひとつアップにし、あらゆる角度から眺めた後、丁寧に仮想フォルダの中に納めていく。
最後に、もっとも気に入った表情が残った。
床に転がされた、ジェンスの顔だ。
「負け犬の表情って、何度見てもいいわぁ」
特に愛した者、愛された者に裏切られたと思ったときの表情は最高だとニルメアは呟いた。
と、ドアがノックされ、ニルメアは慌てて画面を別のものに切り替えた。
「どうぞ」
ともすれば歓喜に上ずりそうな声を押さえ込んでわざと不機嫌そうに言う。
「メア、ちょっといい?」
「ああ、リュンヌ、あなたならいいわよ」
打ってかわって機嫌のいい声に切り替えて答えてやると、人のいいメスの子犬がノコノコと中に入ってきた。
椅子に座らせ、サーバーに入れっぱなしにしたため、すっかり煮詰まったコーヒーを勧める。
「どうだった? あなたのお姉さんの使ってたアシストロイドとは、お話できたの?」
「それがね…………」
しょんぼりとリュンヌは耳を伏せて落ち込んだ。
「故障しているらしいの。起動しなくなっている、って技術の人が」
聞けば、いつの間にか情報整理待機《スリープ》モードのまま、何をどうやっても起動してくれないという。
実際には、もう一体のボディが動いているときに、同時起動による情報の錯綜《さくそう》による混乱と、自己分裂を防ぐために偽装された機能停止状態なのだが、もちろんリュンヌはおろか、技術士官だって知るはずはない。
「そう…………まあ、参謀用アシストロイドは複雑なシステムだから」
「姉様の記憶が消えないといいんだけど…………」
「そうね」
優しく答え、いかにもな親友同士を装いながらも、ニルメアは思っていた。
(この子……どんな泣き顔をするのかしら?)
そう考えると、背筋がゾクゾクしてくるほどに楽しい。
自分が親友だと思っている相手に裏切られたら、それどころか、実は親友だと思っているのは彼女だけだと知ったら、さらに、姉を殺したのが自分の立てた作戦のせいだとしったら…………。
その未来を思っただけで、瞳孔がみるみる開いていくのが判る。
だが、まだだ。今ではない。
こういう場合のチップは高く積めば積むほど素晴らしいことになる。
そう、高く、ひたすら高く。天井を越えるぐらい高く。
☆
一二月二四日午後七時五九分
「脱出方法が見つかった」と聞かされて、騎央は安堵した。
これまで大概な目には遭ってきているが、だからといって危険に慣れたり、脳天気に考えたりするということが、どうしても少年には出来ない。
左舷《さげん》の甲板に出ると、気絶から覚めたアントニアがいつものように摩耶を従えて「遅い」と一喝した。
「身体の方は大丈夫?」
「安心せい。エリス様のお陰でまったく異常なしじゃ」
「良かった」
「うむ」
などという会話をしながら舳先《へさき》の方へ移動すると、そこには一列になったアシストロイドたちがいた。
一番先頭と最後尾が「チバちゃん」と「錦ちゃん」で、あとは通常型のアシストロイドである。
なぜか、先頭の「チバちゃん」以外、全員が前にいるアシストロイドの背中に手を当てている。
「?」
アントニア共々首をかしげていると、その更に後ろで機械を扱っていたエリスが明るい声をかけた。
「あ、騎央さんにアントニアさん、こっちですー」
「で、どうするの?」
「まあ、見てて下さい」
エリスはにっこり笑うと「はじめてー!」とアシストロイドに声を掛けた。
まず最後尾の「錦ちゃん」がゆっくりと俯いて背中を丸め、ゆっくりと前にいるアシストロイドを押すような仕草をしてみせた。
それがどんどん前にいるアシストロイドたちに伝達され、最先端の「チバちゃん」がぐっと腰を落として刀に手を掛ける。
その手がかき消え、刀はいつの間にか左の逆袈裟《ぎゃくけさ》に斬り上げられてぴたりと停止していた。
何かが、思いっきりねじ曲げられ、こすれ、よじれるような音が、騎央の皮膚に響く。
「チバちゃん」の前には、何もない…………はずだったが、何かが「歪む」のを騎央の五感が教えてくれた。
今まで微動だにせず、それゆえに「ある」、と認識すら出来なかったものがゆっくりと二つに分かれていく…………目には見えず、音には聞こえないが、明らかに少年には「見え」たし「聞こえ」もした。
「…………エリス、これ…………」
と横を向いた騎央の襟元に、アオイが何かを装着した。
「嘉和君、さよなら」
「お嬢様、ご無事で」
隣から摩耶の声が聞こえた。
「え?」
状況が判らず、目を白黒させている騎央の視界を、下から上にむけて無数の光の点が遮り、やがて少年自体を包み始める。
「摩耶、どういう意味…………」
隣にいたアントニアの声が途中で途切れた。
騎央も、何か言おうとしたが、それは声になる前に、彼の周囲を包んでしまった光の壁に飲み込まれて誰にも聞こえなかった。
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第六章 やっぱりいちかが持っていた
☆
一二月二四日午後八時
いったいどうやってかは判らないが、光の幕が周囲から消えた瞬間、騎央は暗い海の中に落ちていた。
慌てて浮かび上がると、待ちかまえていたかのように今度はちょっと上空からアントニアが落ちてきた。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
パニックを起こして溺れそうになる少女を前に、最初は騎央も呆然としていたが、すぐに水泳の授業で教えて貰ったことを思い出して、平泳ぎで後ろから近づき、少女を抱きかかえた。
「落ち着いて、アントニア、アントニア!」
耳元に喚くたび、塩辛い海水が口の中に入る。だが、これ以上めちゃくちゃに暴れ回られればふたりとも溺れてしまうかもしれない。
一体何がどうなっているのか、アントニアがパニックを起こしていなければ騎央だってそうなっていたかもしれないが、年下の少女と二人っきりで海の上に落っことされたという状況がそれを忘れさせていた。
「アントニア! アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノス!」
生まれて初めて、騎央は彼女のフルネームを叫んだ。普段はぼんやりと「絶対に舌をかみそうな名前だなぁ」と思っていた名前なのに、するりと自然に口から流れ出た。
「しっかりしろ! 誇り高きモルフェノスの当主なんだろ!」
そう怒鳴ると、ようやくアントニアの抵抗が止んだ。
しばらく立ち泳ぎをしていると、夜の海をライトの閃光が切り裂いた。
見覚えのある赤いヘリコプター…………ベル社製・520Nノーターだ。
「助かった…………」
自分たちを見つけたらしくヘリがホバリングしながら降りてくるのを見て、騎央は安堵の声を出し、そして自分がひどく冷たい海の中にいることにようやく気がついた。
☆
一二月二四日午後八時一五分
「お二人とも、無事に回収されたようです」
「アンドローラU」の戦闘指揮所《CIC》では、望遠レンズで捕らえられた「アンドローラV」からの発光《モールス》信号の内容を解読したサラが報告していた。
もう、周囲の壁は大分不透明度を増してきており、ふたりが回収された発光信号を最後に、もはや壁の向こう側には何も見えない。
ほっとした空気がCICの中を満たす。
「よかったわ…………」
ようやく下着姿にジャケットという恰好から、メイドたちの制服を借りてひとごこちついた糸嘉州マキが、微笑みさえ浮かべる。
「先生、すみません、残って頂いて」
エリスがすまなさそうに言うと、
「いいのよ。今回の事態は私が招いたようなものだし……あのまま脱出させて貰ってたら、きっと今ごろ自殺していたかもしれないわ」
と笑みを深くした。
「ありがとうございます」
「私もあなたに感謝せねば」
と摩耶がその後を引き継ぐように頭を下げる。
「いいのよ」
「しかし、お陰でアントニア様だけでも遠くに逃がすことが出来ます」
「あんまりお礼を言わないで頂戴」
微笑みを苦笑に変えて、メイド姿のマキは手を振った。
「だんだん命が惜しくなってくるわ」
☆
一二月二四日午後八時三〇分
ヘリが「アンドローラV」に到着したと同時に、ヘリポートに真っ先に駆け上がってきたのは丁稚型アシストロイドだった。
それこそ人間なら泣かんばかりの勢いで騎央に抱きつき「だんさんー!」と書いたプラカードを振りながら「定やん」は濡れるのも構わず騎央にしがみついた。
「騎央!」
その後にすこし遅れて真奈美、更に他のメイドたちがやってくる。
毛布にくるまれて茫然自失としているアントニアを先にストレッチャーに載せて、騎央は真奈美に報告がてら歩いていくことにした。
驚いたのは、真奈美がこの船の指揮を執っていることだった。
「指揮といってもほとんど宴会部長のようなものよ」
真奈美は肩をすくめた。
「お客さんたちが気づかないようにあれこれイベントを仕切るってのがメインで、船そのものは他のメイドさんたちが上手くやってくれてるわ」
アントニアが来れば大丈夫、と思ったんだけど、と真奈美は暗い顔になった。
「アントニア、大丈夫かしら?」
「…………判らない」
ヘリに助けられてからも、アントニアはどこかおかしかった。
じっと窓に張り付くようにして薄白い球体に包まれてしまった「アンドローラU」を見ようとし、ヘリが完全に船に背を向けても何とか見えないかと席から立ち上がろうとした。
沖縄とはいえ冬の海に落とされ、体温は奪われてガタガタ震えているというのに、である。
「ところで、あんたは随分元気そうじゃない」
「あんまり寒くないんだ…………多分、アドレナリンとかが出てるんだと思う」
そうだ、と騎央は足を止めた。
「ヘリを用意して貰える? 足が速い奴がいい」
「どこへ行くの?」
「本島に戻る」
「?」
「この船や僕の装備じゃあの壁の向こうへは行けないけど、本島に戻れば何とかなるかもしれない」
「ああ、そういえば常駐猫がもう一匹いるわね」
「うん」
☆
一二月二四日午後八時三六分
湯を張ったバスタブに入れられ、十分暖められながら、アントニアは呆然と天井を見上げていた。
自分が異常な状態なのは理解している。
まるでタガが緩んでしまったかのように、今の彼女は自分を自分たらしめている何かが壊れているのを感じていた。
いつもの自分なら、こんな暢気なことをさせはしない。温水のシャワーを大量に浴び、海の塩を落とし、身体の表面の熱だけを取り戻させてから、ショウガかブランデー入りの紅茶を飲みつつ指揮に戻るはずだ。
そこまでは思いつく。
だが、それが妙なくらい行動に結びつかない。
あの海に落とされたとき、アントニアは思わず摩耶の名を呼んだ。
返事はむろん、あるはずがない。
そのことを認識した瞬間、暗い空も冷たい海も、全てが恐ろしいものに変じ、アントニアの身体をかみ砕こうと迫ってくるように思えた。
それが恐ろしくて、怖くて、少女は叫び声をあげて、めちゃくちゃに手足を動かして暴れた。
後ろから彼女を羽交《はが》い締めにした嘉和騎央が、アントニアの名前を呼んで彼女の誇りを喚起しなければ、そのまま少女は海に沈んでいたかもしれない。
「摩耶…………なぜじゃ」
呟いて、愚かなことだと気づく。おそらく、脱出できる者はふたりが限界だったのだろう。そうなった場合、キャーティアと直接のつながりがある騎央と、そのバックアップが可能で、なおかつ一行の中で一番年下のアントニアが選ばれるのは考えられる話だ。
むろん、アントニアは許しはしないだろうから、摩耶がそれを彼女に隠して実行させたという推理もすぐに成り立つ。
だが、どうしてもアントニアは普段のように振る舞えない。
全てがひどく心細く、不安になる。
考えてみれば、物心つく前から、側にいるのが当たり前の摩耶がいない状況というのは、初めての状況だった。
それ以外は、今の彼女には全てある。
しかし、摩耶がいないことが問題なのだった。
(まるで、ネジが一本抜けてしまったようじゃ)
ぼんやりとアントニアは思った。
☆
一二月二四日午後八時四二分
「…………」
ひとり「トイレです」といってCICを離れ、廊下に出たエリスは溜息をつくと、トボトボと歩き始めた。
ひと気のないところを捜して歩くと、
「…………エリ……ス」
不意に声を掛けられ、ふり向くとそこにはアオイが立っていた。
「アオイさん…………」
「心配……なの?」
「ええ」
騎央のことだった。
「アントニアさんはともかく、騎央さんはあまり慣れてませんから」
「そう……ね。でも、大丈夫だと……思うわ」
まさかアントニアの方が心配な状況になっていると、このふたりはまだ夢にも思っていない。
「そうですよ…………ね、うん」
エリスの言葉に無言でアオイは頷き、答えた。
「騎央さん、きっと助けに来てくれますよ……ね」
微笑みはいつものまま、エリスの拳が握りしめられる。
「うん、きっとそうですよ、ええ!」
くるりと後ろを向いて、エリスはうーんと伸びをしてみせた。
最近、アオイはこののんびり屋の少女が、実は他人に対して結構繊細な神経の持ち主でもあると理解した。
だから自分のことは内側にため込んでしまうのだ、とも。
それが表に出ないのは強烈な意志の力でもあるのだろうが、ここにいたってそれにほころびが出てきていると言うことは、やはり今の状況はそうとう絶望的なものらしい。
「エリス…………」
それ以上何も言えず、アオイはエリスに後ろから抱きついた。
「あ、アオイさん…………?」
「大丈夫…………嘉和君…………騎央君は、必ず、必ず帰ってくる……わ。私たちを助けに」
エリスに、そして何よりも自分自身に言い聞かせるようにアオイはきっぱりと言い切り、エリスの背中を抱きしめた。
☆
一二月二四日午後八時四三分
CICの片隅で、宮城雄一と糸嘉州マキはコーヒーをすすっていた。
「なかなかそういう服もお似合いですね」
にっこりとサングラスの中年男は笑う。
「そ、そうですか?」
「やはり背中に芯が一本通っておられる人は、何を着ても似合いますなぁ」
からからと笑う雄一につられて笑い、マキは真顔になると小声で尋ねた。
「あの…………宮城さんは怖くないんですか?」
素人のマキにも、エリスの明るさで押し隠した態度や、頭上に鎮座している円盤を見れば状況が判る……何よりもこの船の中の空気にさらされて、楽観的な気分になれと言うのは無理な話だろう。
「まあ、怖いですよ」
さらりと雄一は言ってのけた。
「ですがね、こういうところで取り乱すのは恥ずかしいと思う所もあるんですよ…………まあ、見栄ですな」
にやり、と雄一は口許に不敵な笑みを浮かべた。
☆
一二月二四日午後九時
「アンドローラV」の真新しいCICで、濡れた服を着替え終えた騎央はキャーティアの母船と連絡を取ることにした。
「…………というわけです」
以前、キャーティアたちから送られてきた強化服を呼び出すためのブレスレットを使い、騎央は何とか艦長のクーネと連絡を取っていた。
「じゃあ、せめてあのバリアを解除するような機械は無いんですか?」
ブレスレットから、クーネの深刻な声が聞こえてきた。
『こっちもいま調査しているけど…………時限の〔狭間〕をこちら側に噴出させる、重層型次元潮流フィールドで覆われているみたいだから、下手に手出しが出来ないの』
「そんなに厄介なものなんですか?」
そう問うと、クーネは「解除そのものは難しくない」と答えた。
『ただ、本来は惑星規模か戦艦クラスの敵を防御するために使われるものだから……今ここにある装備だと、母船に積んだ、周囲の影響が大きいものでしか対応できないのよ』
それから手短にクーネが語ったところによると、ここまで小型化されたものが確認されたのは初めてではないか、とのことだった。
『でも、バルンムウが後ろにいるんなら無理もないわね』
「ところで、周囲の影響がある、っていうのはどれくらいの規模で、ですか?」
『…………船の上の円盤が爆発したときと変わらないわ』
ソレでは意味がない。
『それに、下手をすると救助ではなくて攻撃行為、といわれかねないし』
「僕があそこを脱出した時みたいな方法は?」
『内側からはともかく、外側から〔停滞〕ポイントを見つけ出すのは至難の技よ……それに、時間がたてば立つほど加速度的に重層化が進行するから、今から計算しても間に合うかどうか』
「じゃあ、せめて何とか『贈り物』を止められませんか?」
ひょっとしたら相手の起爆スイッチがそれかもしれないというはかない望みを騎央は口にしたが、これも否定された。
『残念だけど……もう無理ね。〔贈り物〕はすでに月の軌道を過ぎたわ。慣性消去を使っても効果が現れるのは地球に突入してから、になるの』
「そんな…………」
『騎央君、わたしたちも諦めないわ』
励ますようにクーネ。
『とりあえず、メルウィンをそちらに派遣するわ。彼女を通じて我々も対策を立てます』
(それじゃ遅いかもしれないじゃないか!)と怒鳴りたくなる気持ちを何とか飲み込むことに成功し、騎央は短く、
「わかりました」
と答えて通信を打ち切った。
「ヘリ、準備できたわ」
側にいて会話を聞いていた真奈美が、そのことには一切触れずに告げた。
「ありがとう」
騎央は何とか笑みを浮かべることが出来た……同時に、いついかなる時も笑顔でいられるエリスの凄さを思う。
彼を送り出すときも、あの笑顔は変わらなかった。
どうすればあんな笑顔でいられるのだろう。
「…………」
思わず目から何かがあふれ出しそうになるのを、騎央は大きく深呼吸して堪えた。
助けよう。
痛烈に思う…………いや、心臓に刻むつもりで少年は誓った。
助けてみせる。
「無駄じゃ」
吐き捨てるような声が、騎央の背後から聞こえた。
湯上がりらしいアントニアが、今まで見たことのないような暗い顔をして立っている。
「このような状況で何が出来る…………艦長どのも仰っていたことを聞いたぞ? つまり金庫の扉を開けねばならんが、我々の手元にあるのは金庫ごと蒸発させる核爆弾しかない、そういうことであろうが!」
青ざめた顔でアントニアは叫んだ。
「あと三時間もすれば、何もかもが終わってしまう! 摩耶も! エリス様も! みんなが、みんなが消えてしまう!」
その声に一瞬だけ怒りを覚えた騎央だが、すぐに少女の目を見て考えを変えた。
怯えているのだ。
アントニアは怯えていた。
うろたえ、焦り、それらがごちゃ混ぜになっていて思考が硬直し、脳の中にあるメーターの表示が「絶望」に停止している。
先ほど、アントニアが狂ったように「アンドローラV」と、その護衛をしている各種戦闘船(中には潜水艦もあった)からミサイルを発射せよと命令し、真奈美が押しとどめるという事態があった。
あれがミサイル程度でどうこう出来る代物ではないと騎央もアントニアも知っている筈なのに。
「もう、諦めてしまえ!」
なおも喚き続ける少女の両肩に、騎央は手を置いた。
ちょっと腰をかがめ、目線を少女に合わせる。
「アントニア」
じっと少年は、もはや年下のワガママ娘と化した少女に話しかけた。
「諦めるな」
「何をじゃ!」
「みんなを助けることだ」
ひとつひとつの言葉を、ゆっくりと、暴れ回る少女の自暴自棄な心の上に載せていくように騎央は続けた。
「…………僕らはその可能性があるから、優先的に脱出させられたんだ」
「嘘じゃ! お前と私が、ただの民間人と、最年少じゃからじゃ!」
普段の彼ならひるんでしまうような言葉にも、騎央は微動だにしなかった。
「その理由もある。でも、それだけじゃない」
自分の声がこんなにも、重々しく響くことを、騎央は初めて知った。
「僕らは、みんなを助けられる…………絶対に。だから、諦めるな」
「出来なかったらどうする?」
「それよりもやらなかったらどうなるかを考えろ…………このまま、エリスや、双葉さんや、摩耶さんや、サラさん、先生…………みんなを見捨てて、逃げられるか?」
行き場のない怒りを瞳に込めて、アントニアは騎央を睨む。
少年は平然とそれを受けとめることができた。
アントニアは本来の騎央がやってしまいそうなことを先にやっただけだと、ぼんやり思っていた。
だから、今ここで彼女をきちんと説得しないと、自分もいずれ同じようなことをしそうな気がした。
「僕は、嫌だ。だから君に頼む…………一緒に闘ってくれ。僕だけでは駄目なんだ」
その一言に、アントニアの目の中で感情がゆらめいた。
「私は…………摩耶が、摩耶がいないと駄目なのじゃ」
目に光るものが盛り上がり、つうっと流れた。
「考えは浮かぶ、いろんなものが浮かぶ。じゃが、摩耶が…………摩耶がいなければ……摩耶が、摩耶が…………」
顔を伏せ、少女は嗚咽《おえつ》し始めた。
騎央はそんな少女を抱きしめる。
そう言えば、この少女が天涯孤独の身の上だと騎央は思い出していた。
「大丈夫だ、君は誇り高きモルフェノスの子、なんだろう?」
優しく騎央は言った。
「ここで闘わなければ摩耶さんとは二度と会えなくなるんだ。辛いけど、ここを踏ん張らないと、何もかもおしまいだ…………引くに引けない勝負、ってやつだよ。大丈夫、僕もいるし、真奈美ちゃんもいる」
騎央は赤ん坊にするように、アントニアの頭を撫でた。
「だから、君ももう少し耐えてくれ」
それでも数分間、アントニアは泣き続けたが、
「…………わかった」
と言ってようやく騎央から離れた。
手の甲で涙を拭い、両手で自分の頬をはたく。
そして、そこにはいつものアントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスが立っていた。
「おぬしの願い、聞いて遣わす!」
不敵な笑みはいまだにどこか脆い所があったが、それでも、大方の人間にとってよく知るアントニアだ。
「頼むよ」
にっこりと騎央は微笑んだ。
☆
一二月二四日午後九時二〇分
「借りを返して貰おう」
と電話のあと、自ら押しかけてきた「大尉」は押し殺した塩辛声で言った。
「んなこと言われてもさー。もう八年前と違って、あたしに力はないのよ」
せっかく全ての「戦闘状況」が終了し、惰眠をむさぼっていたいちかは、「大尉」からの電話で起こされていて不機嫌そうに腕を組んだ。
寝息ばかりが聞こえてくる瑞慶覧家の応接間である。
「意地悪しないで頂戴よ」
河崎貴雄カントクが本当に困った状況であることを、愛嬌にくるんで伝える。
「ホント、大変なことになるのよ」
その横に腰を下ろした「大佐」どのは何も言わず、無表情のまま、煙管《キセル》を悠然とくゆらせている。
「判ってるけど…………領海、ってのが問題なのよねえ。あたし、国外には出られないし」
寝入りばなを起こされたせいか、今回のいちかは妙にごねた。
「だいたいね、ようやく冬コミ原稿の手伝いから解放されて…………」
「イエローサブマリン南|日暮里《にっぽり》店限定、超合金魂イコノクラスト」
ぽつり、と「大尉」が呟いた。
「東京とらのあな限定カラー、『世界最大のこびと』パウエル一分の一、たしか、何とかショーで出た『銃姫』の銃もあったな。他にもミク○マンとか」
「う…………」
いちかは苦い顔になった。「大尉」が挙げたのは、すべて沖縄に住むいちかが彼に頼み込んで買ってきて貰った「東京限定」商品である。
中にはかなりの数、入手に苦労するものもあった。
「判ったわよ……でも、時間がかかるわよ」
「お前のことだ、機材は残しているはずだ」
「残しているけど、未完成の人型兵器のパーツだけ……実用化しないままにあたしは引退しちゃったから、組み上げても動くかどうかはわからないわよ。第一、フレームシステムの骨格《フレーム》そのものが出来上がってないし」
「それはこっちとそっちが力を合わせて何とかするさ…………現場で」
ニヤリと笑う「大尉」に、いちかはやれやれと天を仰いだ。
「どっちにせよあたしは行かなくちゃいけないのね」
その時、ようやく「大佐」が片眉を上げて口を開いた。
「どうやら、その前にお客さんのようだよ」
いちかの耳も何事かを察知したらしくぴくぴくと動いた。
「だねえ……でも、何で? まだパーティやってるはずだけど」
いちかの耳に、そのヘリのエンジン音の特定はすでにできているらしかった。
「たぶん、あたしらにも関係あることさね」
「大佐」が言った直後に、空の彼方からヘリの羽音が小さく、しかし確実に近づいてきた。
☆
一二月二四日午後九時二〇分
「アンドローラV」の舞台上では、メイドたちの中でも喋りが達者な者を司会に、「ゆんふぁ」と通常型アシストロイドをアシスタントとして大ビンゴ大会が催されていた。
「お金持ちのビンゴ大会だけあって、めちゃくちゃ豪華な賞品ねえ」
CICのモニターでその様子を確認しながら、真奈美が溜息をついた。
何しろ、大型クルーザーが最低ランクの賞品なのだ。
だが、幸いにもまだ客は何が起こっているのか気づいていないらしい。
「ねえ、アントニア、無理しないでいいのよ?」
CICの真ん中で、猫耳教団の教祖としてはお馴染みの、猫耳衣装に着替えさせて貰いながら、アントニアは首を横に振った。
「気にするでない…………私には私の役割があるのじゃ」
メイドたちは忙《せわ》しく彼女に衣装を着せていくが、どの顔も感動が透けて見えた。
若干一三歳の少女が、持てる気力を振り絞り、客を喜ばせ、気づかせないためにステージに立つのだ。
そして、そのことを一番喜ぶのは、ここにいない、彼女たちの上官なのである。
と、CICの中にいたアシストロイド「22」が「ふくちょーがきまし」とプラカードを掲げた。
「オーケイ……アントニア、出る前にちょっと挨拶していって」
「了解じゃ」
すっかり衣装を着替え終えたアントニアが頷くのにタイミングを合わせたように、CICの真ん中に三人の、猫耳尻尾付きのシルエットで風景が歪み始める。
☆
一二月二四日午後九時二二分
上空ぎりぎりでホバリングしたヘリから、キャーティア製の強化服を身にまとった騎央と、「定やん」が飛び降りた。
思わず目をつぶりそうになるが必死に我慢して、アスファルトに降り立った瞬間、膝を曲げて衝撃を吸収させると、まるで嘘のように楽な着地となった。
「…………やっぱり凄いなぁ」
呟いた後、周囲に誰もいないのを確認してから強化服を除装し、普段着になった騎央は、間違って道まで延びた街路樹の枝に引っかかった「定やん」を回収して瑞慶覧旅士…………正確にはそこの居候であるいちかの住むプレハブを目指した。
一、二度エリスに付き合ってくぐったことのある門の中に入ると、不意に目の前に「トマレ!」という立体ブロックのような書き文字が現れた。
「?」
人間ほどの大きさもある書き文字は、ぎょっとなった騎央が足を止めると、「武装解除セヨ」という文字へぐんにゃりと変形した。
「…………ったく」
またいちかのいたずらの類《たぐい》だろうと思い、そのまま歩き出そうとする騎央を、珍しく「定やん」が前に出て制した。
懐からは南部十四年自動拳銃そっくりな雷撃銃《ボルトガン》を取り出し、周辺をくまなくサーチ。
顔にある鼻かけ眼鏡の表面が闇の中、虹色に輝く。
「なにか、いるの?」
問いかけると、こっくん、と「定やん」が頷く。
「…………」
騎央も腰を落とし、いつでも走り出せるように用心する。
街灯に照らされた広い前庭には、どこに誰が隠れているのか、さっぱり判らない。
数秒もすると、母屋《おもや》の方からドタバタと慌ただしい足音がした。
ドアが開く。
「あ、やっぱり騎央ちんだー」
「くろきち、ブル、この人たちは味方よー」
なぜかいちかの後ろには河崎貴雄カントクがいて、庭の方へ声を掛けた。
すると、騎央の目の前の、庭石にしか見えなかった物がもっこりと動いた。
「わ!」
思わず「定やん」ともども後ろに下がると、手足の先と鼻の周囲だけが白く、垂れ耳のアシストロイドが立ち上がる。
さらに騎央の背後、門の陰からは真っ白なアシストロイドが現れた。
どちらも丸っこいラインで一見、キャーティア側のものに見えるが、よく見ればその姿形は犬のそれである。
一番の違いは、この二体には丸くて黒い「鼻」がある。
☆
一二月二四日午後九時二〇分
簡単な挨拶と連絡事項の確認はすぐに終わった。
「とりあえず、相手の装甲の厚さと種類を調べ、それから対策を考えます」
アントニアにもわかりやすいように言葉を選びながら、メルウィンは会話を締めくくる。
すぐに同行していた二名の部下を母船に戻す。
「幸い、あの壁を破壊するための武器は使い捨てを考慮しなければ、そしてきっかりに威力を調整できれば、この地球上でも作ることが出来ますから」
「よろしく頼む…………メルウィン殿」
がしっとアントニアはキャーティアシップの副長、メルウィンの手を握りしめた。
「私はこれからお客が今度のことに気づかぬように盛り上げる…………離脱可能な時間ギリギリまで、な」
「お願いします」
メルウィンもぎゅっとアントニアの手を握り返した。
「あ、あのアントニア様!」
息せき切ったメイドの一人がCICに駆け込んできた。
「どうした?」
「お客様たちが『こんな時間になってもエリス様が出てこないのはおかしい』と…………」
「そうか…………」
アントニアは腕組みして考え込んだ。このクリスマスパーティに集まった「猫耳教団」関係者はもちろん、非公式にやってきている各国関係者も、エリス、つまり生キャーティア目当てであるのは言うまでもない。
「そればかりは…………」
ちら、とアントニアはメルウィンを見やった。
「よし…………ではメルウィン殿、手伝って頂きたい。地球とキャーティアの未来のために」
☆
一二月二四日午後九時三五分
「あら、つまらない…………モルフェノスの娘《むすめ》、まだ生きているの?」
ようやくリュンヌをなだめすかし、部屋に送り届けてから再び自室に戻ると、チャートは再び新しい展開を見せていた。
「仕方がないわねえ…………」
立体映像で出来た板を思わせるディスプレイに指で触れ、ニルメアは口許が赤いもので濡れるような笑みを浮かべると、実体キーに触れて、ある「仕掛け」を呼び出した。
「まあ、上手く行ったらお慰み、ね」
とても本気でそう考えているとは思えない、楽しげな口調で呟いて、立体映像に現れた「起動開始」のキーを押す。
☆
一二月二四日午後九時三五分
「それ」そのものはまるっきり別の会社の別の工場において別の商品として作られ、一度も「それ」として動作確認をしたことはない。
だが、親会社の出資者を丹念に調べていけば、かなりの持ち株が「ある筋」の人間であると判明したはずである。
そして、「ある筋」は短くて五年前、長ければ二〇年前から送り込んでいた役員たちに提案をさせ、「特別な筋からの注文があった場合、エンブレムを入れよう」という案を通させた。
そのエンブレムが、同じ住所にある下請け工場で作られたことになっており、そしてその素材が巧妙にプラスティックに似せて作られてはいるものの、原子構造のレベルで作られたナノマシンの集合体であると知るものはほぼいない。
そして、この日、その「特別な筋」からの注文で作られ、あるいは販売された品物は、包装紙の中、箱の中、梱包材の中で、はめ込まれたエンブレムが、この地域にだけ放射された信号を受信し、活動を始めた。
それぞれがはめ込まれた、あるいははめ込まれた台座と一緒に梱包されたものを、分解し、再構成し、かつてから仕組まれたプログラムの通りに。
やがて、箱同士がごそごそと動き始め、梱包材や包装紙やボール紙の破れる音、木の板の裂ける音が響いた。
アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスへのクリスマスプレゼントで出来た山に、そんな不気味な蠢動《しゅんどう》が鳴り響いた。
その中で、唯一、動かない大きな箱がある。
日本語で「アントニアさんへ」とだけ書かれたその箱は、徐々に集合していく箱から、わざと隔絶したような感さえあった。
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第七章 箱の中から猫が出た
☆
一二月二四日午後九時五五分
万雷の拍手に送られて、ふたりはいったん舞台から引っ込んだ。
「…………」
それまでのにこやかな笑みも一瞬で消え、青ざめた顔でメルウィンは壁に手をついて息を整え始めた。
「いつも…………こうなのですか…………」
どちらかといえば賑やかな物よりも静かな物を好むメルウィンにとって、しかも異星外交の一環としてにこやかに、鋭い物から首を傾げたくなるような物まで雑多な質問を受け答えし、挙げ句に歌まで歌うというのは、半分以上拷問である。
「まあ、本日はノリがイマイチな方ですな」
アントニアは慣れっこなので涼しげな顔だ。
その前に、待っていたメイドの一人が、船内電話を差し出す。
「騎央様からです」
「な、何、騎央からか?」
なぜか妙に顔を赤らめながら、アントニアは受話器を取った。
「わ、私だ、何があった…………何? 判った、今側におられるので代わるぞ……メルウィン殿」
メルウィンに電話を渡すと、みるみるその表情が輝いてきた。
「…………わかった、こちらで用意して運ばせましょう……で、どこに? ……はい、ナハの港というところですね。判りました。こちらの方に緯度経度を出して頂いて転送します……え? わかりました、はい」
電話がアントニアに戻された。
てっきりメルウィンで電話が終わると思っていたアントニアが受ける。
「一体何じゃ…………」
みるみる顔が明るくなった。
「何? アレが必要なのか…………構わん、あれでよければドンドン使うが良いぞ!」
☆
一二月二四日午後九時五五分
「お食事、ですか?」
エリスはきょとんと聞き返した。
四方から隔絶され、風一つ吹かなくなった甲板で、アオイと、完全にエネルギーを失って動かなくなった八体のアシストロイド、さらにこちらも同様に「はらへったー」のプラカードを床に置いてぐてっとなっている「チバちゃん」「錦ちゃん」、ほとんどエネルギーを使い果たして動くのも難儀そうな通常型の「1」と「6」という顔ぶれである。
非常灯にぼんやり映し出された四方の海は波も立たず、それ自体がどろりとしたコーヒーゼリーのようにさえ見えた。
そんな中、不意に現れた摩耶が「お食事を一緒にいかがですか?」と尋ねてきたのだ。
「ええ。最後の晩餐になるかもしれませんが、今日はクリスマスイヴですし」
摩耶が微笑んだ。
「幸い、食料庫には食材もありますし、このままジリジリと時間を過ごすのも辛いですから」
「あ、はい!」
「何か、手伝うこと…………あります?」
珍しくアオイも腰を上げた。
「ええ、人手だけが足りませんから、是非」
☆
一二月二四日午後一〇時
さらに数分間、今後のことを話し合った後、騎央は携帯を切った。
「許可は取った、物は来る…………後は何をすればいいの?」
「そうだねー」
広大な倉庫の床に、かりかりと白墨《チョーク》で複雑な紋様を書いていたいちかはちょっと考えて、
「悪いんだけどさ、ちょっとコンビニ行ってきてくれる? ご飯、まだ食べてないのよー」
「判った…………財布、あったかな?」
頷いて自分の身体を探り始めた騎央の胸あたりに、ぽん、と分厚い札入れが投げられた。
思わず騎央が受け取って顔をあげると、
「そいつをお使い」
和服から着替え、どこかで見たような、ぴっちりしたボンテージ衣装に身を包んだ「大佐」が婉然と微笑んだ。
「あたしたちの分も頼むよ…………これから突貫工事だからね」
「そういえば、急いでいたので何も作ってきませんでしたな」
これまたレザーのジャケットにコートという衣装に身を包んだ「中尉」が頷く。
「しかし、久々の制服はキツいねえ」
言って「大佐」は顔をしかめた。
「腰のあたりかしらー?」
とぴっちりした革パンツにサスペンダー、上半身裸という、どこから見てもハードなGの人にしか見えないカントクが、頭の後ろに手を組み、腰をくねらせながら言うと、無言で「大佐」の裏拳が飛んだ。
見ていた定やんが思わず顔を手で覆うような音が響き、河崎カントクは後ろに二メートルほどぶっ飛んだ。
「胸だよ、胸!」
「ホントに〜?」
まるで冗談のようにひょっこり起きあがってツッコミを入れるカントク(呆れたことに顔には傷一つ無かった)に、「大佐」がじろりと横目をくれてやり、
「次は本気でブツよ」
と言った所を見ると、どうやらアレでじゃれ合いレベルらしい。
「何か…………凄い人たちみたいだねえ」
呟いて下を見ると、「定やん」も同じ思いらしく、こっくりと頷いた。
☆
一二月二四日午後一〇時三分
「やれやれ、コーヒー一杯淹れる間でようやく?」
ニルメアは苦笑いしながらディスプレイに表示された「完了」の文字を消去し、操縦モードに切り替えた。
情報端末に、ジョイスティック状のインターフェイスを接続し、動作を試してみる。
一人称画面に、周囲が映った。さらに各種センサーからの情報を総合した、ムカデの首を持った狼を思わせる、彼女のマシンの現状俯瞰図。
「なるほど…………これはモルフェノスの娘《むすめ》の自室ね。まだ引っ越ししたばかりで、我が家と同じ箱だらけ…………と」
動作状況をチェックしながら、ニルメアはニコニコと微笑んだ。
センサーは、ちょうどアントニアと同じ背格好の熱源がこちらに近づきつつあると知らせてきたのだ。
こちらのデータと完全合致するのと、よく似たのが側にいるが、それは両方とも殺してしまえばすむ話だった。
☆
一二月二四日午後一〇時四〇分
とにかく静かなところで落ち着きたい、というメルウィンを、アントニアは自分の部屋に案内した。
「まだ内装も完成してはおりませぬが…………」
とドアを開けると、そこには異形《いぎょう》の影がうずくまっていた。
磨き上げられて、鏡のようになった、ピストンとシリンダーと…………エッジの鋭い刃物の集合体は、狼のような胴体とは不釣り合いに異様なほど首が長く、またその先端は平たく潰された虫のようなハサミ状の顎を持っていた。
「お嬢様!」
側に控えたメイドふたりが銃を構えるのを、金属の獣は頭の一振りで左右の壁に叩きつけた。
「このっ!」
腰のポーチから銃を抜いたメルウィンの手の甲を、下から突き上げるようにして跳ね上げる。
銃は天井に跳ね返ってどこかへ消えてしまった。
さらに床に転がったメイドたちのサブマシンガンを口にくわえると、それは水銀の沼にとけ込んだように顎の奥へ飲み込まれた。
二挺分を飲み込んだゆえに出来上がった膨らみがつうっと長い首を通って胴体に移動すると、再び二つに分かれ、前脚の付け根からぬるりと銃口が突き出される。
「メルウィン様、どうぞ逃げて下さい…………ここは、私が!」
アントニアがメルウィンをかばうようにして両手を広げる。
「大丈夫です、アントニアさんこそ逃げて下さい」
手首のスイッチで、着ている服を簡易装甲服モードに換装したメルウィンがアントニアを押しのけて前に出ようとする。
☆
一二月二四日午後一〇時四一分
哀れな標的に、ニルメアは十分に狙いをつけた。
キャーティアのレーザーガンは分子レベルでのプロテクトが掛かっているので最初から眼中に無かったが、メイドたちの持っている地球製の銃器は彼女の「マシン」にとって非常に相性がいい。
ただ、実体弾という物は個体差があるため、ある程度弾着が散る。
もっともニルメアにとってそれはむしろ望むところで、致命傷を負いながらも意識のある相手を見るのは、幸運も手伝わねば起こらない状況だから、非常に嬉しい。
かばい合う少女ふたりの頭部から頸部に掛けて、ニルメアは十分に狙いを定めて引き金代わりのボタンを叩いた。
☆
一二月二四日午後一〇時四一分
色とりどりの破片が、周囲に飛び散った。
アントニアとメルウィンに向けられた銃弾は、急に飛び込んできた大きな箱にすべて阻まれた。
リボンと包装紙とボール紙をばらまきつつ、その箱はくるくると回転しながら床に落ちた。
穴だらけの箱……というよりも箱の残骸は、次の瞬間、四方にはじけ飛んだ。
その中から現れた人影は、えらく小さかった。
大きな頭、寸詰まりの大きな手足。
その手のひらが拡げられると、まだ空気摩擦と火薬のエネルギーで赤みを帯びている真鍮の銃弾が、ぱらぱらと絨毯の上に落ちていく。
機械の獣が吠えた。
☆
一二月二四日午後一〇時四一分
「お嬢様?」
不意に、摩耶は呟いて周囲を見回した。
むろん、アントニアがいるはずはない。甲板の上では、厨房から引っ張り出された屋外用の調理器具を使って、船に残った全員が夕食を作っていた。
皆、妙に明るいのは、いまから二時間弱の後、自分たちがこの世にいるかどうか判らないためだった。
「メイド長、この味、いかがでしょうか?」
サラに言われ、摩耶は我に返った。
「ん…………あ、そ、そうだな、ちょっと味見を」
小皿に取られたスープを一口啜る。
だが、その双眸《そうぼう》は冴えなかった。
☆
一二月二四日午後一〇時四二分
「ゆんふぁ」との腹話術漫才を終えて舞台袖に引っ込んだ真奈美が、CICに戻ってきた時、モニター係のメイドが声を上げた。
「アントニア様!」
それだけで、真奈美と「ゆんふぁ」は外へ飛び出した。
「いったい、なんてクリスマスなのよ!」
☆
一二月二四日午後一一時二〇分
騎央はぽけっとした表情のまま、掘り下げ式のコックピットに座った。
その膝の上で、心なしか「定やん」も惚けた顔をしているように見える。
「どしたの?」
よっこいせ、と隣の席にいちかが座りながら尋ねた。
ちなみに、この広いコックピットには八名の人間と六体のアシストロイドが納められるようになっている。
「い、いや…………あの、凄いな、って」
騎央は信じられない面持ちでコックピットの中を見回した。
つい数分前まで、ここを構成している部品の八割以上がバラバラの状態で、その形すら成していなかったと言っても信じられる物ではない。
「あんただってシベリアで同じことしたんでしょ?」
「いや、あれは…………その…………何日もかけて、ですし」
「慣れたらアンタだって出来るわよ」
なはは、といちかは笑った。
「お前今、慣れるような状況を作ってやろうとか思ってただろ?」
と出入口のドアが開いてちょっと徹夜明けでかすれた声が聞こえてきた。
「たはは、バレた?」
その頭の上にこつん、と拳が当てられる。
「まあ、こいつのデタラメは今に始まったことじゃないけどな」
肩のあたりの高さにある通路から、いちかの前に座ったのは、つい数分前まで眠っていた瑞慶覧旅士である。
「僕も高校の頃にはもっとひどかった…………いきなり対テロ組織に入れられて、戦闘機とか操縦させられたし」
「え?」
そう言えばこの瑞慶覧旅士もいちかも、どうやらただの民間人には思えないと、摩耶が言っていたのを思い出す。
「そうだな…………」
懐かしそうに笑いながら、銀色の髪の北欧美女…………アロウが騎央の前に座る。
「あれ? 虎鈴《こすず》は?」
「護符を使っても起きなかったから置いてきた」
銀髪の美女はそう言って笑った。
「まあ、いいでしょ。アシストロイドがいれば実際には四人ぐらいで十分動かせるし」
これはカントクだ。最前列にある、ふたつの席の一つに滑り込む。
黙ったまま「大尉」がその隣に、当然のような顔で座る。
「みんな、席に着いたね」
最後に天井から、これだけは特別あつらえの椅子に座った「大佐」が降りてきた。
「エンジン始動!」
「了解、エンジン始動」
「大佐」の号令の下、「大尉」がコンソールに指を走らせると、全てのパネル類に光が灯った。
代わりにコックピット内の照明が落ちる。
「システムチェック、オールグリーン、エンジン出力安定」
「マニピュレーターシステム確認、異常なし」
別人のように大まじめな監督の声。
「航法システムはどうだい?」
旅士はテキパキとコンソールを操作し「異常ありません」と答えた。
「固定武装通電…………異常なし」
これはアロウだった。
「よし…………えーと、スポンサー代理、こいつ、なんて名前にする?」
一段高い席から身を乗り出すようにして「大佐」がいちかに尋ねた。
「そーねえ」
と地球の猫耳仙人は首をひねり、
「まー、やっぱり『|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》』ということで」
「あれ? 4じゃないのか? いちか」
アロウが首を傾げた。
「確か1号が戦闘機、2号が攻撃ヘリ、3号が装甲戦闘車、だろ?」
「ドックから出る前に吹き飛ばされた潜水艦があったでしょ。あれが3号」
「なるほど」
頷いてアロウは自分の仕事に戻る。
「あの…………旅士さん」
騎央は思いきって旅士に尋ねた。
「昔、何やってたんですか?」
「大したことじゃないよ。沖縄サミット終了までの間、民間の対テロ特殊チームをね…………三年ほど」
にやっと笑い、旅士もまた、自分の仕事に戻った。
「んじゃ、それで決定ね」
と「大佐」は席に戻り、ぴしっと声を張り上げた。
「『|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》』、発進!」
☆
一二月二四日午後一〇時四四分
真奈美が「ゆんふぁ」を引き連れてアントニアの部屋に飛び込んだ時、すでにそこには機械の残骸が山をなしていただけだった。
周囲を見回すと、入り口の壁際に、アントニアとメルウィンが抱き合って呆然としている。
「ふ、ふたりとも大丈夫?」
そう言って駆け寄ったとき、がらりと残骸の山が崩れた。
振り向いた真奈美の前に、残骸の山から小さな影が現れた。
アシストロイドである。服を着ているところから恐らくカスタムタイプの筈だ。
だが、見たことのないタイプだった。
服は、ゆったりとした、裾の長いカンフースーツ。足元は中華靴に似せて先が尖っている…………最も目を引くのは、このアシストロイドには黒い「髪」があることだ。
しかも後ろ髪が長く、三つ編みにしたその先端に重そうな銀色の金属球を装着している。
「と…………東方不敗《とうほうふはい》?」真奈美は呟いた。
右肩から前に垂れた三つ編みをひょい、と気障《きざ》な仕草で後ろに流し、そのカンフーな出で立ちのアシストロイドは、後ろ手を組んで悠然と残骸の山を下りてきた。
「あ、あんた…………誰?」
と真奈美が尋ねると、妙に偉そうなそのアシストロイドは服の内側から何やら小さな紙を取り出し、真奈美に手渡した。
「あ、どうも」
思わず受け取る…………その瞬間。
残骸の山が立ち上がった。
「!」
高い天井を突き破りそうな大きさの機械の怪物は、がしゃがしゃと異音を響かせつつ構成を組み替えながら、八つの槍状に分裂し、怒涛の勢いで真奈美に殺到した。
悠然とカンフースーツのアシストロイドが振り向いた。
首をひねるようにひとふりすると、お下げが無限の長さで伸び、先端の金属球が右から左へと槍をなぎ払う。
勢いの方向を変えられて壁に突き刺さった槍に「ゆんふぁ」の持つ、銀玉鉄砲型|対《つい》消滅物質ランチャーがとどめを刺した。
二体のアシストロイドは、(当然ながら)無言のまま頷きあい、「ゆんふぁ」が「こいつ、なかなかやる」と褒め言葉をプラカードに掲げた。
「…………」
改めて真奈美は渡されたカードに目を通した。
「えーと、『アントニアさんへ、あなたの日頃のご厚意に、せめてものお返しと、友愛の印として、我々キャーティアたちは、クリスマスプレゼントとしてこのアシストロイドを贈ります…………エリス』?」
カードの内容を読み上げる真奈美の言葉に、こっくりとクリスマスプレゼントされたアシストロイドは頷いて見せた。
そして、ばさっと大きな白扇子を広げると、細い筆文字で「わがなはへいほん」と書いて掲げた。
自分でもう名前を付けているらしい。
☆
一二月二四日午後一一時四五分
「…………臨時ニュースをお知らせします。本日午後一一時四〇分頃、那覇港の沿岸倉庫が爆発する事件が発生致しました……現場周辺には幸い人影が無く、けが人はいませんでしたが、目撃者の証言によると、ジェット機のエンジン音のような物が聞こえ、いきなり倉庫自体が内側から爆発した、とのことです。また、中には巨大な何かが海へめがけて飛び出した、という証言もあり、倉庫に何らかの爆発物があったのではないか、との疑いがもたれております……この倉庫はモルフェノス財団が管理しており、県警は現在関係者から事情聴取をおこなっている、とのことで…………」
☆
一二月二四日午後一一時四五分
異形《いぎょう》の影が、波をえぐるように巻き上げながら、海の上を突き進む。
その中では、こんな会話が交わされていた。
「大尉のばかー! エンジン調整は優しく、っていったじゃないのー!」
「出力がバカみたいにでかいんだ! この程度で済んで良かったと思え!」
「どーすんだよー、倉庫壊れちゃったよー、アントニアちゃんになんて言い訳するのー?」
「大丈夫だ、お前が謝れ」
「あー、旅士ちん、人ごとだと思ってー」
「お前、たまには痛い目に遭った方がいいからな」
「ひどいー。騎央ちーん、なんか言ってやって言ってヤッてー!」
「…………」
騎央は、この騒然としたコックピット内で溜息をついた。
「あの…………アロウ、さん?」
「何だ、少年?」
「いつも、こーなんですか?」
「まぁ…………今回は大人しい方かな? ベルがいたらもっと騒動になってる」
「…………」
☆
一二月二四日午後一一時四五分
「…………あれ?」
いつの間にか客間のベッドの上で目が覚めたベル……こと虎鈴は、きょときょとと周囲を見回した。
「みんな…………どこ?」
部屋の中、というか家中がしん、と静まりかえって声もない。
「…………?」
寝ぼけ眼《まなこ》のまま、ロングヘアの長身美女は首を傾げた。
☆
一二月二四日午後一一時五〇分
「あと、十分ですね」
「…………そうね」
エリスとアオイは、ふたり並んで甲板に座っていた。
船内のメイドたちも、摩耶も、誰もが皆、この巨大な豪華クルーザーの甲板に姿を見せている。
雄一とマキの姿も遠くに見えた。
「お腹《なか》も一杯になったし、いい感じです」
「…………そうね」
「騎央さん、無事に逃げ延びましたよ…………ね?」
「…………そうね」
「もー。さっきからアオイさん『そうね』ばっかりー」
「ごめん…………あんまり、こういうときどんなことを言えばいいのか思いつかなくて」
ふたりは顔を見合わせ、しばらくしてからクスクスと笑い合った。
「…………でも、ひとつだけ、後悔が残ったわ」
「?」
「あなたとなら、一緒にやっていけそう、ってようやく思えるようになったのに」
「…………わたしも、アオイさんとなら上手く行きそうだなーってようやく確信できたんですけども」
何となく、ふたりは肩を寄せ合って互いにもたれ合った。
時間は過ぎていく。
頭上の円盤から、異様なうなり声のような物が聞こえ始めた。
それは刻一刻と高くなっていく。
あれが人の聞き取れるギリギリの音程になったとき、全てが終わると、全員が何となく感じていた。
周囲はもう白い壁になっていて外の様子も見えない。
☆
一二月二四日午後一一時五五分
「目標に接近。攻撃反応無し」
旅士の言葉に、「大佐」が深々と頷いた。
「やっぱりね…………防御が鉄壁過ぎて、外敵に攻撃できないんだよ」
長い煙管《きせる》を啣《くわ》えたまま「大佐」はにやり、と笑うと、
「右旋回しつつ速度落とし、接敵開始!」
「了解」
コックピット全体を右Gが抜けていく。
やがて速度が落ち、目標である「アンドローラU」の左舷があるあたりで停止した。
「おーし、それじゃ、始めますか」
河崎カントクがパキパキと指の骨を鳴らす。
「騎央君、準備した方がいいよ……時間があまりない」
旅士の言葉に、騎央は頷き、座席横のレバーを引いた。
ゆっくりと座席が下に沈んでいく。
「気をつけろよ!」
「がんばってねー!」
声をかける旅士といちかの横で、アロウが頷く。
「さぁて、じゃ、騎央ちゃんが無事にエリスちゃんたちに会えるように、頑張りますか!」
「うむ」
とカントクと「大尉」は頷きあった。
そんなふたりの態度に満足げな笑みを浮かべ「大佐」が声を張り上げる。
「じゃ、始めるよーっ!」
☆
一二月二四日午後一一時五五分
遠くから、大音量で壮大なクラシック風の曲が流れてくる。
赤外線暗視装置付きの双眼鏡に怒涛のごとく巻き上がる水しぶきが、ぐるりとエリスたちを飲み込んだ白い球体を取り巻いていくのが見えた。
「あれね、騎央が無線で言ってたの」
真奈美は通常の操舵室の窓から双眼鏡を覗き込んでいる。
隣には、同じ物を使っているアントニアと、メルウィンがいた。
「しかし、本当に大丈夫なの?」
「理論上はやや問題がありますが、中にいるのがエリスたちなら大丈夫です」
メルウィンが大きく頷いた。
風に乗って流れてくる曲…………戦争大作映画として知られる「パリは燃えているか?」の「序曲」はゆっくりとしかし人々の気分に合わせるように高揚してくる。
「しかし…………あの形は、ひょっとして…………」
とアントニアは首を傾げる。
水しぶきが収まり、もうもうと立ちこめる水煙の中、飛んできた物のシルエットが月明かりに明らかになってきた。
☆
一二月二四日午後一一時五六分
ようやく姿勢を制御し、慣性消去システムで停止した巨大な「それ」は大きく拳を振りかぶった。
頭部横に埋め込まれた巨大スピーカーからは、映画音楽史上に名高い名曲が鳴り響いている。
小型の次元裁断システムが稼働し、「力」を収束させた拳全体を青白く染め上げる。
拳を撃ち込むと、落雷を思わせる轟音と閃光が白い壁との間で発生する。
☆
一二月二四日午後一一時五六分
それは最初、落雷に聞こえた。
「!」
だが、エリスとアオイは同時に立ち上がり、声を揃えていった。
「騎央さん!」「騎央君!」
再び、三たび、四回、五回…………雷は落ち続け、やがて、うっすらと船を覆う白い壁が透明度を増していく。
甲板にいた全員が、逃げることも忘れ、呆然とその音を聞き、壁の向こう側を仰ぎ見た。
やがて、壁の向こうに海が見え始めた。
そして、月が。
さらに、落雷の主《ぬし》の姿が見えた。
「…………はえ?」
エリスが間の抜けた声を出した。おかげでアオイは同じことをせずに済んだ。
背中にある巨大な二本のブースターに、ではない。
フレキシブルに動きそうな三角形の「耳」。巨大なそら豆に小さな小豆《あずき》を載せたような顔、首のあたりには、鳴れば周囲のビルの窓硝子《ガラス》が割れそうな巨大な金色の鈴。
ぽてっとした身体に、ミトンを填めたような手…………それが拳の形に固められ、打ち付けられるたびに雷のような轟音を立てている。
つまりそれは、巨大な…………それこそ全高四〇メートル以上はありそうなアシストロイドだったのである。
そして、ついにその巨大なアシストロイド…………「|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》」は最後の一撃を与えた。
効果的に収束された母船のエネルギー主砲と同レベルのエネルギーの絶え間ない、しかし機械的ではないリズムの攻撃の前に、白い壁に亀裂が走る。
そして、粉々に砕けた次元の狭間の欠片が、ガラスのようにきらめきながら消滅し、元の場所に戻っていく。
冷たい海風が、甲板を駆け抜けた。
ロケットブースターが出力をあげた。
円盤が斜めにかしいで、ついに自分だけを守るためのエネルギー障壁を生み出し始める。
そして、超特大アシストロイドの顔、その横にあるハッチが開いて、アオイとエリスには見間違えようのない人物の影をはき出す。
「騎央さん!」
エリスははっとなってアオイを見た。アオイもエリスを見る。
何も言わないでも、考えは判った。
ふたりは頷いた。
「『チバちゃん』、刀貸して!」
アオイの命令に、訳も分からず、という感じで隻眼のアシストロイドが刀を抜いて手渡し、エリスは通常型アシストロイドから対《つい》消滅物質で出来たピコピコハンマーを受け取った。
「行きますよ、アオイさん」
「ええ!」
アオイを抱きかかえ、エリスは大きく飛んだ。
矢のように。
騎央の目指す先…………あの円盤の中を目指して。
☆
一二月二四日午後一一時五七分。
強化服を着用した騎央は「|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》」の腕を伝って走る。
走りながら、少年は思いっきり拳を振りかぶった。
いちかの護符がその腕の表面で青白い炎に変わる。
一時的に「|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》」を動かす単極子|八卦炉《はっけろ》から転送されたエネルギーが、まだ未完成の次元の狭間に炸裂する。
さらにもう一撃。
エアコンプレッサーの強い風をそのまま小さな水たまりに向けたように、エネルギー障壁が四方に散り、円盤の表面が現れた。
もう一撃。だが、騎央は右腕を突き出すだけで精一杯だった。
それほどに円盤を覆うエネルギー障壁は強大だったのである。
一人で落ちてくる滝の水を食い止めている、というのが今の騎央だった。
その横に、半重力ジャンパーを使ってジャンプしたエリスが降り立った。
「エリス、双葉さん!」
少年はそれが当然のように声をあげた。
「早く、あの中へ!」
「了解です、騎央さん!」
「ええ!」
エリスが擬似対消滅物質で出来たハンマーをたたきつけた。
爆音がして、瞬時でハンマーの叩きつけられた部分にぽっかり穴が開く。
エリスのハンマーが炸裂した瞬間、大きく円盤がかしいで、騎央の拳と拮抗《きっこう》していたエネルギーの奔流がとうとう止まる。
そこへアオイが飛び込んで「チバちゃん」の刀を振るった。
装甲の中は通常物質である。あっさり切断されて銀色の断面を見せながら次々と転がる部品の山の中、騎央とエリスも飛び込んだ。
騎央は手当たり次第に殴り、エリスは破壊された部品のうち、長いパイプ状のパーツを棒術のように振り回した。
アオイも負けずに刀を振り回す。
いつの間にか三人の口から、鬼神もたじろぐような怒号が放たれていた。
三人の少年少女は一本のドリルのように円盤の中を貫いていく。
☆
一二月二四日午後一一時五七分
「よし、三人、中に突入!」
「よっしゃぁ!」
「大佐」がコックピットの椅子に座ったまま前のめりになって叫んだ。
「エネルギー出力最大! 壁を〔割る〕わよぉ!」
「アンドローラU」を覆っている「壁」は、システムの本体である円盤を破壊してもたやすく撤去できるものではない。
むしろ制御装置を失った「壁」が最初に船を、そしてこの世界全体を「食って」しまう可能性もある。
そうならないために、といちかとカントクたちが思いついたのはエネルギーの集中断続放射でほころびを作り、中の船を救出してしまおう、という考えだった。
「壁」を構成する虚数「異次元の狭間」は板などの割れ目から無理矢理こちら側に引っ張り出された風船のようなもので、中身さえなくしてしまえば、「異次元の狭間」は元いた位置に戻る……クーネたちキャーティアシップの主砲の予備パーツを入手して、それを応用した大出力エネルギー振動子《フェイザーシステム》あればこその計画である。
特殊な樹脂で出来た分厚い板をドライヤーやライターで暖め、ゆっくりと手で曲げたりするように、「壁」を破壊するのではなく、あくまでも「変形」させるのだ。
手足のある人型ロボットでなければ出来ない作業である。
☆
一二月二四日午後一一時五七分
「何? 何これ? こんなでたらめな……!」
ニルメアは青ざめた顔で必死に立体映像ディスプレイの中に浮かぶ円盤を操作しようとあれこれあがいた。
「人型機械……それもアシストロイドの巨大版ですって? こんな、こんな馬鹿で高コストで、非現実的な兵器を導入して、しかも打ち合わせなしに外と中の連中が連携して攻撃ですって?」
☆
一二月二四日午後一一時五八分
ミトンをはめた手を思わせるマニピュレーターに内蔵されたエネルギーフェイザーが出力をわずかに上げた。
両手を組み合わせてハンマーのように振り下ろすと、何百もの落雷が起こったかのような音と輝きが巻き起こり、海がうねる。
だが、かまわず巨大なアシストロイドの姿をした「|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》」はロケットエンジンで飛び上がり、落下しながらさらに一撃。
ついに落雷の輝きは海へと達した。
海水が高圧のエネルギーを受けて爆発のごとく蒸発し、衝撃波が一キロの彼方に待避した「アンドローラV」を木の葉のように上下させる。
だが、青白い輝きは今度は消えない。
V字型に広がり「裂け目」になった。
そこに「|守礼皇5号《シュレイオー・ファイブ》」はよっこいしょ、と手を突っ込み、ギリギリとこじ開けていく。
☆
「うそ、嘘よ絶対!」
ニルメアは青ざめた顔で必死に立体映像ディスプレイの中に浮かぶ円盤を操作しようとあれこれあがいた。
「こ、こんな馬鹿な形の機械で、こんな原始的な戦い方で、この緻密な計画が、計画がああっ!」
目は血走り、ギリギリと歯をならしながらニルメアは髪を振り乱し、翼を何度も拡げたり折りたたんだりしながら躍起になった。
しかし、すでにディスプレイ一杯に「制御不能」の文字が輝いている。
☆
一二月二四日午後一一時五八分
とうとう、最後の装甲を破壊すると、星空が見えた。
入口と出口が出来たことで、冷たい海風が吹き抜けていく中、ついに構造材と液体配線がはじける音が不気味な不協和音を奏で始める。
爆発と炎が、あちこちで巻き起こる。
「エリス、双葉さん!」
爆煙と炎、液体配線の飛沫《しぶき》で汚れた顔に、嘉和騎央は晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「いくよ!」
「はい!」
「ええ!」
そして、三人は飛んだ。
天空を、少年と少女たちが飛ぶ。
円盤は爆発を起こした。
騎央、エリス、そしてアオイ……三人はそのまましっかりと抱き合い、爆風によってさらに遠くへとばされながら、ゆるやかに落ちていく。
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エピローグ そして大きな「おくりもの」
☆
「アンドローラU」の戦闘指揮所《CIC》に通じるドアが開いた。
「摩耶、無事か!」
「お嬢様!」
息せき切って走ってきたことが明白な、髪も服装も乱れたアントニアが飛び込んできて、摩耶は腰をあげた。
「仰って頂ければお迎えに…………」
「ばかもの!」
摩耶を一喝すると、アントニアは自分の半身に抱きついた。
「このばかもの! 何故《なにゆえ》私だけを脱出させたのじゃ! このばかもの! 二度とは許さんぞ! ばかもの! ばかもの、ばかもの!」
「…………」
摩耶は己の胸に顔を埋め、ついには泣きじゃくりはじめたアントニアに驚き、そして双眸《そうぼう》を潤ませながら、そっとその金髪を撫でた。
「よ、よいか摩耶、二度と私のそばから離れるでないぞ! よいな!」
その一言に、思わず摩耶は目尻を小指で拭い、ゆっくりと頷いた。
「…………はい、お嬢様」
☆
「こちら『赤鼻のルドルフ』」
シャトルの中から、チャイカは母船に報告を送った。
彼女の眼下には蒼い地球が広がっている。
その、まだ夜の部分の一角に、彼女の届けた「贈り物」の姿が小さく見えた。
「無事に贈り物は着床した模様。これより帰還したく許可を願います」
『ごくろうさん、チャイカ』
母船のクーネは、実は地球の上で何があったのかを小指の先ほども感じさせない笑顔を向けた。
『早く帰ってきなさい。エリスから〔やきにく〕が届いたわ』
「え?」
『えーとね、中型コンテナ一杯にあるから、一人一個ずつになるわ…………でも保証は出来ないわよ』
「わわわわわかりました! おい!」
と横の航法士《パイロット》の方を向くと、チャイカと同じくらい血相を変えた航法士は「判ってます!」と最短飛行の計算を始めていた。
「こ、これより『赤鼻のルドルフ』急いで走って帰還します!」
☆
「あれが…………『贈り物』なの?」
「アンドローラV」の喫茶室でブランデー入りの紅茶を飲みながら、毛布にくるまった騎央がエリスに尋ねた。
「ええ。正確に言うと、その一部ですね…………もう一週間ほどすると全部のパーツが揃います。そうなったら成層圏まで届く塔が出来ますよ」
同じく、毛布にくるまって紅茶をふーふーと冷ましていたエリスが、顔をあげて微笑んだ。
「ひょっとしてエリス…………あれ、もしかして…………」
アオイが最近見た科学ドキュメンタリーを思い出して口を開いた。
「そうです、軌道エレベーターです。最近は珍しくなりましたけど」
軌道エレベーター。
莫大な金食い虫であるロケットエンジン、それを制御する更に金食い虫な電子機器や頭脳はおろか、重力に耐える強靱な肉体さえも必要でなく、一定の速度で「安全に宇宙と行き来する」ためのこの装置は、発想だけは一九五〇年代以前から存在するものの、人類の見果てぬ夢の、もっともリアルでありながら最も実現に遠いとまで言われた代物である。
「いいの…………あんな高そうな物」
と言ってから騎央は何となく間抜けなことを口にしているような気がした。
さしもの少年も、これが歴史的瞬間というやつなのだと気づいていた。
もう少し気の利いたことの一つも…………と思わないではないが、案外、歴史上の人物も実際はこんなものなのかもしれない。
「いいんですよ、なにせ、クリスマスですから」
にっこりとエリスは微笑んだ。
「ところで…………どうして残りは一週間後なの?」
アオイがふと尋ねた。
「え?」
何を当然なことを、という顔でエリス。
「だってほら…………後一週間したらお正月で、お正月にはお年玉が必要なんでしょう?」
「…………」
「…………」
騎央とアオイは思わず顔を見合わせてしまった。
かくして、人類は宇宙へ自由に行き来できる能力を与えられた。
…………クリスマスプレゼントとして。
「ぎゃくしうのビューティフル・コンタクト」おしまい
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あとがき
ども、神野オキナです。
ドタバタシチュエーションコメディ「あそびにいくヨ!」シリーズも六冊目、そろそろお話はターニングポイントであります。
世間ではもう春だというのに、色々ありまして彼らはまだクリスマスというズレっぷりでありますが、まあ、「大丈夫、単行本になってしまえばわからないわ!」〔(C)唐沢《からさわ》なをき〕という偉い先生のお言葉もありますので、今年のクリスマスにはほら、ぴったりということで(笑)。
実はこの原稿、東京に行く前日に書いておりまして、書き上げてそのままあとがき突入という、文字通りな物に…………おお、ライブ感覚(違う)。
閑話休題《それはともかく》。
ありがたいことにこんな馬鹿話ですが、皆さんに気に入っていただき、巻を無事に重ねて参りました。
またエリスを初めとした彼らキャラクターたちもいろんな方々に可愛がって頂き、アマチュアの人たちが集う造形イベントではアシストロイドのフィギュアまで出ました。
本当に嬉しく、ありがたいことだと思っております。
読者アンケートを見せて貰ったところ、今のところキャラ人気はダントツでエリスとアオイですが、幼馴染みの真奈美も根強い人気があるようで…………でもその次が騎央じゃなくてアシストロイドたちというのがまた「らしい」といいますか(笑)。
あと、前巻で可愛い一面が出たせいか、妙に艦長の人気が高くなっているようです(伝聞)。
次は夏頃を予定しており、その間に一冊、「あそびにいくヨ!」じゃない作品がMFさんでは初めて入ります。
少々シリアスなアクション物、ということで、色々苦闘しておりますが何とか早くお目に掛けられるようにしておきたいです…………はい。
それでは、今回はコレにて。
読者の皆様、ごきげんよう。
二〇〇五年二月
神野オキナ拝
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