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あそびにいくヨ!5 仔猫たちのがくえんさい
神野オキナ
目 次
プロローグ こんなゆめをみたのだった
第一章 大使さんの長屋は一〇三軒♪
第二章 いちかはメシを食っていた
第三章 ネコの役割きまってた
第四章 まずはともかくパレードだった
第五章 準備がようやく始まった
第六章 撮影開始でドタバタだった
第七章 本番裏では苦労があった
第八章 定やんカー
第九章 ぬけ穴から美女がでた
エピローグ 祭りが終わって踊ろと言った
あとがき
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編集 大喜戸千文
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「今の私は自分の楽しみを他人にやってもらうことにしておる。お祭り騒ぎの人生のなれの果てという奴だな」
映画「三つ数えろ」より。
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プロローグ こんなゆめをみたのだった
☆
○○国日本大使様。
初めてメール差し上げます。
私、キャーティア人の地球大使館代表、嘉和騎央《かかずきお》と申します。
本日はお願いのことがあってメール差し上げる次第です。
来る10月5日、午後○○時○○分頃、貴国大使館にて是非大使様とお会いし、お話を伺って頂きたく願う次第です。
何卒よろしくお願い致します。
○×年9月30日
キャーティア地球大使館
代表代理・嘉和騎央
☆
一瞬、軽やかなファンファーレと共に、目の前に富士山と漢字が映ったような気がする。
気がつくと、双葉《ふたば》アオイは会社からの帰り道であった。
正確に言うと、就業時間が終わった後に直行した飲み会である。
一日中立ちっぱなしの足に、ハイヒールが食い込んで痛い。
幸い、私鉄の駅から自宅のあるアパートまでは点々と街灯がつき、女の一人歩きに不安はない。
「…………ったく、あのバカ課長」
酔った頬に吹きつける夜風の心地よさも、アオイの胸の中に渦巻くもやもやを緩和することは出来ないようだ。
「…………なーにが」
煙草《タバコ》と焼肉の煙でべたついた髪をいらだたしく後ろに手櫛《てぐし》で撫でつけながら、アオイは口を尖らせた。
「『君は眼鏡美人だと思っていたら眼鏡無しでもイケるねえ』よ!」
「よ!」に合わせて、たまたま足下《あしもと》に転がっていた空き缶を蹴る。
缶は面白いように飛んで、たまたまゴミ箱の中を漁《あさ》っていた浮浪者の頭を強打し、都合良く気絶した相手はそのままゴミ箱に突っ込んだ。
いつもの彼女ならその時点で大慌てになるはずだが、アルコールのせいか、アオイは一切気にせずにその横を通り過ぎる。
だが、そんな彼女の怒りにまかせた早足も、角を曲がって我が家のアパートが見えてくるとさすがにトーンが下がる。
階段を上る頃には、その足取りはとぼとぼとしたモノに変わっていた。
ドアに手をかけるよりも早く、すっかり頭部パーツが白くなった「チバちゃん」がドアを開けてくれた。
そっと掲《かか》げる「おかえりなまい」のプラカードに小さく笑みを送ると、手にしたカバンを受け取る「錦《きん》ちゃん」の頭を撫でて玄関先に腰を下ろし、ハイヒールを脱ぐ。
「あー、もーいやンなっちゃったなぁ」
と、部屋の奥から「にゃー」という声がして、とてとてとやってくる気配。
振り向いたアオイの顔が満面の笑みを浮かべる。
「ただいまー、騎央ー」
「にゃー♪」
そこには身長四〇センチ、猫の耳と尻尾《しっぽ》が生えた嘉和騎央が、鈴のついた赤い首輪をつけてちょこんと座っていた。
それを抱き上げてほおずりすると、騎央はゴロゴロと喉を鳴らし「にゃー」とまた可愛らしい鳴き声をあげた。
「んー」
部屋の奥からもうひとつ声があがる。
「アオイ、帰ったのー?」
ごそごそと身繕《みづくろ》いの音がして、和服に割烹着《かっぽうぎ》を着けた猫耳尻尾付きの宇宙人…………エリスが顔を出した。
「あ、エリス母さん♪」
アオイはホッと溜息をついた。
「いつの飛行機で来たの?」
「四時頃かしら?」
エリスは眠い目を擦りながらいつものように微笑む。
「もー、少しは片づけないと」
「ごめーん」
「こらこら、抱きついて誤魔化《ごまか》さないの、騎央ちゃんが苦しいでしょう?」
「にゃー♪」
「んふー♪」
アオイは久しぶりの母の胸に顔を埋め…………?
☆
「…………」
双葉アオイは眼を覚ました。
「…………?」
長い間の習慣で、枕元にある、度の入っていない伊達眼鏡《だてめがね》をかけながら起きあがり、しばらく首をひねる。
何か、夢を見ていたような気がする。それもとても不条理でいい加減で恥ずかしい夢を。
「やっぱり、寅さんなんか観たのがまずかった……かしら」
枕元には、「同一俳優主人公による世界最長の映画シリーズ」としてギネスブックにも載っている日本最大最長の人情喜劇映画のレンタル用ジャケットが山積みになっている。
ぽつんと呟き、ふと、部屋の一角がまだ薄明るいことに気がついた。
八畳一間の部屋にはちょっと贅沢な、二〇インチの液晶テレビに毛布を掛け、その中に頭を突っ込んでいる猫耳尻尾付きの二頭身アンドロイド…………アシストロイド二体の後ろ姿が見える。
「…………」
ちょっと溜息をつきながら、アオイは液晶テレビを倒さないように毛布をばっとはぎ取った。
アオイ専用にカスタマイズされたサムライ型アシストロイドである「チバちゃん」と「錦ちゃん」は仲良くひとつのヘッドフォンを二人(?)で使っていたが、はっと振り向く。
「…………おやすみなさい、したんでしょ?」
アオイの静かな言葉に、アシストロイド二体はがっくりとうなだれて「ごめんまさい」と書いたプラカードを掲《かか》げた。
彼らの後ろでは、北大路欣也《きたおおじきんや》の父親であり、戦前戦後を代表するチャンバラ活劇の大スター、市川右太衛門《いちかわうたえもん》が眉間《みけん》に三日月の傷に、目がくらむような金糸銀糸の衣装をつけて高笑いをしている。
夜明け近くのこの時間、東京ならともかく、沖縄《おきなわ》の民放が番組を流しているはずはない。
理由は液晶テレビの下、HDD付きDVDレコーダーの上に乗っかっている機械である。
昨日から、アオイの家にはCS放送が導入されたのだ。
アパートの大家が、沖縄の民放に愛想を尽かし、建物全体に使用可能な共同アンテナの工事を始めたのは、アオイが未《ま》だロシアの大地で宇宙に上がるためにドタバタ走り回っていた頃。
彼女が帰ってくると、大家は唯一残った彼女の部屋の工事の許可を得て、アオイの部屋にはもう一つアンテナ端子がふえた。
こういう状況で、なおかつ「まあ、気が向いたら入れなさいな」と大家のおばちゃんが渡したCSのガイド本に「鶴田浩二《つるたこうじ》版・眠狂四郎《ねむりきょうしろう》祭り」と書かれていた場合。
さらに言えばCSチューナー本体が近くの電気量販店で安売りされていた場合。
とどめに事情が良く理解できてない「チバちゃん」と「錦ちゃん」が「これいつテレビでやりましか?」とプラカードで問う…………なんてことがあった場合。
それでもなおCS加入にそっぽを向くような双葉アオイではなかった。
むろん、チャンネル数は絞りに絞った。
時代劇専門チャンネルと、日本映画専門チャンネル、およびチャンネルNECOにホームドラマチャンネル…………ファミリー劇場は悩みに悩んだが、切ることにした。
最後まで揉めたのが東映チャンネルか衛星劇場か、だが、やはりコンテンツの特殊さがあるので東映チャンネルに決めた。
そんなわけで昨日から日本映画がテレビをつけると常に観られるという夢のような生活がスタートしたわけであるが…………困ったことにこれに夢中になったのが、アオイよりもアシストロイド二体である。
もう、テレビの前からぴくりとも動かない。
さすがに夜遅くは周囲の迷惑になるからやめなさい、と言ったら、今度は捨てられていたヘッドフォンを、エリスの家にいる通常型アシストロイドに改造して貰って、二人同時使用出来るようにしたものを使ってまで二四時間連続視聴に挑む有様。
幸いなことに録画予約を解除するほど非常識ではないからアオイも烈火のごとく怒ることはないが、余り感心できる状態ではない。
さすがに今日はコンコンと言い聞かせ、何とかテレビの電源を切らせた…………と思ったのだが。
「…………そんなに観たい……の?」
こくこく、と二体は頷く。
小さな溜息をついて、アオイは仕方がないか、という顔になった。
「わかった…………わ。でもヘッドフォンは必ず使う……こと、わたしが観たくなったらチャンネルを譲る…………こと」
こくこくと、二体のアシストロイドは激しく頷いた。
「じゃ…………許可……ね」
そう言うと、サムライ型アシストロイドたちは諸手《もろて》を挙げて万歳を繰り返した。
「…………」
その光景に微笑みながら、アオイはふと、物思いに沈み込んだ。
気になる人物のいる方角の壁を見つめる。
「嘉和…………君」
少女の白皙《はくせき》に不安の色が濃い。
このところ、アオイの気になる少年は、妙なことに熱中していたのである。
☆
「これか………………」
嘉和騎央は生まれて初めて見るものとにらめっこをしていた。
その手には「国交条約基礎交渉提携書類」と大書された書類の束である。
「コレに何とかしてサインさせないといけないんだね」
プリントアウトされた紙をにらみつけながら言う少年に、
「いえ、あの、そんなに力まない方がいいと思いますよ、騎央さん」
と言ったのは「ゆさり」と揺れるFカップの胸をぴっちりしたボディスーツに包んだ猫耳尻尾付きの宇宙人、エリスだ。
「うん」
とまあ、頷きはしているが、騎央の目は血走る寸前までに意気込んでいる。
この前、生まれて初めて嘉和騎央は自分の意志で、覚悟を決めてドンパチの中に飛び込んだ。
実際には完全無比な防護システムの中ではあったが、銃弾の中をかいくぐり、あげく、巨大なパワードスーツ相手に取っ組み合いの喧嘩までした上に、自《みずか》ら遺伝子操作して猫耳尻尾つきにまでなった。
結果騎央は周囲の人間から「男を上げた」といわれたわけだが(一部違う意味で使っている人物アリ)、さて当人はというと…………。
これが、妙なことに自分のしたことに全然誇らしげではなく、妙な自信がつくこともなかったのである。
嘉和騎央という少年には、あっさりエリスとその仲間たちを受け入れてしまうという、今や一部の沖縄県民にさえ発見するのが難しいのんきな寛容さを持ちながら、その寛容さを自分には適合させられないという妙な特質があった。
元から持っていたものではない。
圧倒的な暴力の前に無力な自分、というのを実体験で味わい、しかも記憶の中でじっくりと美化できないくらい、それが頻々《ひんぴん》として発生するからである。
だから、前回の大活躍(といっても差し支えなかろう)に対しても、ただこう深く記憶しただけであった。
戦闘は恐ろしい。
ゲームではなく、実社会における比喩としてのそれでもなく、本身の命がけの戦いという物の恐ろしさを、少年は骨身にしみて感じていた。
後で、彼はまるっきり安全だと言い切れるほどの超テクノロジーで守られていたと知らされても、それは拭われるどころか、ますます強くなった…………騎央は、それが本当に「偶然の幸運」にしか属さないと知っていたからである。
万が一、相手がこちらのレベルを上回る、あるいはこちらのシステムの盲点をつく攻撃をしていたら、今頃自分は手足を失うどころか、命さえ無かったかもしれないのだ。
あれだけ安全な装備で守られながら、と笑うむきもあるかもしれない。
だが、避難すればよかったこれまでと違い、自ら立ち向かった戦場の風は、それまで穏やかで平和な日本に暮らしていた騎央にとっては、あまりにも異質に過ぎた。
恐怖が過ぎ去ると、今度は、すまなさが支配する。
こんな恐ろしい行為を、SPである双葉アオイや真奈美《まなみ》、エリスの連れてきているアシストロイドたちに任せてきたのだという後悔が、少年を責め苛《さいな》んだ。
腰抜けと呼ばば呼べ、少年はようやく現実の厳しさを骨身に染みて理解したのである。
それからしばらくの間、少年は考え込んだ。
幸い、すぐに結論は出た。
「とにかく、地球と正式に外交を結ぶこと」
地球の統一政府がないのなら、ほとんどの国と正式外交を結んでしまえばいい。
エリスが狙われるのは、キャーティアたちと正式に外交を結ぶことをいやがる勢力がいるからだ。
つまり裏を返せば、正式に外交を結べば大丈夫ということになる。
この世にある国の九割以上と外交を結んでしまえば、それは地球全体ということになるのではないか。
…………というわけで、母船に問い合わせて騎央は外交|締結《ていけつ》文書(正確にはその準備に入ることを約束する文書)を取り寄せた、というわけである。
「頑張ろうね、明日から!」
騎央の燃える眼差しに、ちょっととまどったような顔で、エリスは「は、はい」と頷いた。
騎央の横では彼専用に作られた丁稚《でっち》型アシストロイド「定《さだ》やん」が「だんさん、がんばれー」と書かれたプラカードを掲げている。
この前、宇宙から帰ってきた時点で一旦装備改修が行われたせいか、鼻眼鏡から鼻が無くなり、ただの鼻かけ眼鏡になっているが、これはこれで可愛らしい。
「えーと、騎央さん、あまりムチャはなさらないように…………」
「うん、判ってる!」
全然判っていない口調で騎央は答え、文書に目を通し始めた。
「…………」
困った顔で黙り込んだエリスの後ろではアシストロイドの「6」と「2」が騎央を見やりながら小首を傾げていた。
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第一章 大使さんの長屋は一〇三軒♪
☆
世の中には大使館長屋というものがある。
もっとも、そんな正式名称の建物があるわけではない。
CIAが近年まとめ、日本へ向かうエージェントに基礎資料として渡す地図「楽しい東京二〇〇五年版」の中にだってそんな名称は出てこない。
つまりは通称という奴である。
実際は東京都内某所にある高級マンションであり、その建物の中のほとんどが、小さな大使館で占められているという場所なのである。
アメリカやイギリスなど、我々が名前を聞いてすぐに判るような大国ならともかく、南米やアジア、北欧東欧諸国にはそれこそ国土の大きさが埼玉県ほどもないような小さな国が大量にあり、当然彼らは世界一の物価高を誇る東京に一戸建ての大使館など建てられる筈もなく、こういった建物の中に間借りすることとなる。
このような「大使館長屋」が東京都内には数カ所存在する。
極論を言えば、大使館というのは本来その程度ですむような仕事量であり、広いパーティルームや応接室などというものは、基本的に「見栄」の一種でしかないのだ。
「はぁ…………大変なんですねえ。地球上の大使館運営って」
そのマンションを見上げながら、事情を説明されたエリスは溜息をついた。
自分だって騎央の家に間借りしているわけであるが、そのへん自覚はないらしい。
「まあ、東京は物価が高いからねえ」
今回の旅行の案内役である騎央の叔父、宮城雄一《みやぎゆういち》が苦笑いしつつフォローを入れた。
「昨日今日政権が樹立しました、とか、大して産業がないとか、あまり国交に予算がつぎ込めない立場の連中にとっては大都会に大使館を置くというのは大変な負担なのさ」
「わたしたちは運がいいんですねえ」
こくこく、とエリスは納得したように頷く。その横で、連れてきた通常型、およびカスタムタイプのアシストロイドたちも判っているのかいないのか、「うんうん」ともっともらしく頷いている。
「みんな、何やってるの! 行くよ!」
正月以来、滅多に着《き》つけたことのない背広をまとった騎央が、珍しく鋭い声を投げつけた。
背広の着こなしが出来ていないので、何となく「着られている」印象があって妙に微笑ましいが、本人に気づく余裕はないようだった。
さらに、このところ、毎晩夜遅くまでの「活動」で少々顔色が悪いが、気負いがそれを消し去っていた。
「あ、はいはい」
慌ててエリスは騎央の後を追い、同じようにアシストロイドたちもわたわたと追いかける。
「…………すまんなぁ、アオイちゃん」
その後を慌てて追おうとする、これまたスーツ姿な双葉アオイに、雄一は少々低い声をかけた。
「え?」
「エリスちゃんにも言ったが、まぁ、麻疹《はしか》みたいなモンだ。すぐに収まるから…………我慢してくれ」
「あ、は、はい…………?」
☆
一方、沖縄の騎央の家。
「ふーん」
ぱちっ、と将棋の駒が盤に置かれる。
「じゃあ、今日明日はみんな揃って東京行きなんだ」
エリスの友達で、金髪|碧眼《へきがん》猫耳尻尾付きにして、何故か地球産という複雑な生まれの謎の存在、いちかはそう言って顔をあげた。
真向かいに座ったアシストロイドは「そでし」と書かれたプラカードを掲げ、ぱちんと自分の駒を動かした。
「大使館回りねえ」
たまたま暇だからと騎央の家に遊びに来たら、どういうわけか主《あるじ》以下は留守で、やむなく留守番をしてた通常型アシストロイドの「6」と、がらんとしたリビングで将棋を指しているという案配である。
「前向きに頑張る、ってのはいいとは思うけど…………ねえ、あんたはどう思うの?」
自分の番を終えて、いちかがちょいと上目使いで「6」を見やるが、「変わり者」のアシストロイドは「のーこめんとでし」と書いたプラカードを掲げるのみだ。
アシストロイドには人間を批評する機能はついていない。
「ふーん。あんたら、意外と食えないわねえ」
いちかは誤解してにやりと笑うが、「6」は「?」と首を傾げた。
☆
そのいち・南米、コチュカパラヌーア(人口一万五千)
「つまり、ですね!」
騎央は勢い込んで言った。
結局、口を開いてからずっと一週間前、必死になって考えたEメールの内容と同じコトを繰り返しているが、ヒートアップした脳はそれに気づいていない。
「彼女のような宇宙人たちとの交流は、これからの地球全体の意義を考えても非常に重要だと思うんです」
温厚そのものの顔をした大使は、なめし革のような黒い顔をつるりと撫でて、ゆっくりと頷いた。
騎央の言葉は日本語だが、エリスたちから貸与された小さな鈴型の万能翻訳機(今は少年の胸ポケットで輝いている)のお陰で意思疎通に問題はない。
「地球人類と未来のために、どうかお願いできないでしょうか?」
☆
落ち込んだ時は、アナログ式の目覚まし時計を抱きしめて眠るのが一番だ、とジェンスは思っている。
あの規則正しいカチコチという音を聞いていると、トチ狂ってしまった人生が次第に矯正されてくるような気がするのだ。
目が覚める頃には、何もかもがうまく行く、そんな気になる。
前回の任務に失敗し、莫大な金銭、資材的被害を出してしまった彼女には謹慎処分さえ伝えられなかった。
それどころではない事態が発生しているのか、はたまた何かあるのかは判らないが、それを推測し、名誉|挽回《ばんかい》のチャンスと考えられるまでに、彼女は失敗の痛手から回復していない。
だからここ一週間ほどはずっと、本来ならジョークグッズに入るような巨大な目覚まし時計を抱いてベッドの中に潜り込んでいた。
トイレと食事以外はベッドから出ることはない。さすがに電話やメールには出ようと思っているが、このところどちらも鳴った試しがない。
そして、落ち込んだ心と体にとって、睡眠は何よりもましてのごちそうだった。
☆
「ひー」
とか言いながら、エリスは階段を駆け上がる。
そもそも、この大使館長屋巡りはかなり無茶なスケジュールなのである。
「回れるウチに回る」という騎央の方針が色濃く出た…………というよりも出過ぎの計画。
旅行の初心者が、数字だけで考えた余裕のないスケジュールに合わせると、スケジュールはどんどんキツい方へキツい方へと転がっていくことがままある。
駅から駅への移動時間が短すぎるので、かなりの距離が駆け足になったり、エレベーターを待っている時間が考慮に入っていないので、階段を駆け上る羽目になったり。
今回はまさにそれだった。
もともとキャーティアは短距離移動を好み、延々と階段を駆け上り、駆け下りるようには出来ていない。
さらに団体行動というのは自分の行動リズムを押し通すことがしづらく、結局、メンバーの平均的な値で移動することになるが、これがまた疲労の元。
これをまた騎央がひとりで上げている。
エリスもアオイも自分のではないペースで急がされるという非常に厄介な状況が続いていた。
「ふにゃあぁあああ、騎央さん、もう少しペースダウンしましょうよー」
ほとほと困った声でエリスが懇願するが、
「何言ってるの、エリス、あと二分で次の大使館に着かないと!」
と騎央はまるっきり取り合わない。
「…………」
仕方がない、という顔で、アオイがエリスの背中を押してやる。
「あ、ありがとうございますアオイさん〜」
へにょへにょの顔でエリスが礼を言う。
この状態なので、エリスは今過ぎ去った扉の中から、彼女の嫌いな「犬の人」の匂いがすることにさえ気づかなかった。
☆
そのさん・中南米・アメホン(人口五万)
「ありがとうございました」
丁寧に頭をさげる騎央と、あわててそれに従うエリスの前で、ゆっくりと扉は閉じられた。
親近感を覚えさせるでなく、かといって拒絶するというわけでもない、絶妙のタイミングと動きであった。
「よし、じゃあ、次だ…………定やん、どこだっけ?」
少年は足下に声をかける。
「かけとり」と書かれた、分厚い帳面を捲《めく》っては手にした筆で、すでに来訪済みのトコロに「×」印をつけている、小さな影が頭をあげた。
ハンチングに風呂敷包みを背負い、唐桟《とうざん》のお仕着せ、○に「定」の字が入った前掛けに雪駄《せった》、という「丁稚《でっち》」そのものな出《い》で立ちのアシストロイドは、すぐに次の来訪先が書かれたページを開いて見せた。
「次は一二階か…………」
少年はちら、とエレベーターを見やる。どうやら三つあるうちのどれもそれぞれ遠い所に停止しているようだ。
「よし、歩いていこう!」
言うが早いか、少年は周囲の意見も聞かず、大股で階段を上り始めた。
慌てて丁稚型アシストロイド「定やん」がとったかた、とその後を追う。
「じゃあ、みんな、頑張ってな。車で待っとるよ」
あっさりと雄一は手を振った。
思わずエリスとアオイは顔を見合わせる。
☆
「大丈夫でしょうか」
ふと資料整理の手を止めて摩耶《まや》が言った。
世界有数の高等遊民、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスの有能にして無敵のメイド長は朝からずっと主であるアントニアの撮影したエリスの写真整理を手伝っていた。
「何がじゃ?」
こちらは手を止めることなく、デジカメのデータと、スキャンした一眼レフのネガのデータ内容を確認しながらアントニア。
「エリス様たちです」
「それなら心配はない」
ショートへアの少女は、頭に着けていたお気に入りの猫耳カチューシャを外し、目の前の液晶モニターに装着させた。
「騎央の奴はともかく、エリス様がおられるのだから大丈夫じゃ。いざとなったらアオイもおる」
「いえ、そういう意味ではございません…………私が気にしているのは騎央様のことです」
「ああ、そのことか。気にするでない」
あっさりとアントニアは斬り捨てた。
「雄一叔父ちゃんも言っておったであろう? 失敗するのもいい経験じゃ、と」
周りがそう呼ぶせいか、なんとなく、アントニアは雄一のことを「叔父ちゃん」と呼ぶようになっている。
「まあ、それはそうですが」
少々小首を傾げながら、摩耶は思案する顔になるが、
「ならば気にせずによい」
と彼女の小さな主はこの話題を終わらせた。
「はい」
「それよりも、『例の計画』の進行具合はどうじゃ?」
「現在の所達成率は四五パーセントです。あとでサラが出来を観て頂きたいと」
「うむ」
☆
そのろく・中東、ヌスカパビーア(人口八千強)
イスラム教を考慮して、アシストロイドたちは外に待機。
「つまり、人類全体の未来というか、将来が掛かっていると思うんです!」
騎央は勢い込んで言った。
落ち着いたビジネスマンといった風体の大使は、ゆっくりと頷きながらその熱弁を聞いている風に見える。
だが、実際には細められた彼の目はきょろきょろと室内をさまよっていた。
騎央は言葉を紡《つむ》ぐのに熱中していてそれに気づいていない。
「…………で、一つ聞きたいのだがね?」
騎央の演説とも言えない熱弁が終わると、大使は訊いた。
「いつも君たちが連れているという、ほら、あの頭の大きな生き物とも機械ともつかないあの可愛らしいのは、今日はいないのかね?」
☆
「あれ、電話鳴ってるよ?」
ひこひこ、と頭頂部の猫の耳を動かしながら、いちかが「6」に言った。
通常型アシストロイドは慌てず騒がず、「でなくていいといわれれるでし」と書いたプラカードを掲げた。
「ふうん」
まあ、考えてみれば電話に出たとしても、喋れない彼らにその対応は無理であるから、この選択は正しい。
「いちかちゃんのばんでし」と書かれたプラカードが振られ、地球産猫耳少女は「うーん」とか唸りながら次の手を考えた。
呼び出し音が途切れ、留守番電話の対応音声が流れ始める。
☆
「ダメです、部長」
携帯電話から耳を離した、副部長の安里《あさと》が、そう言って首を横に振った。
「…………ったく、困った奴だな」
溜息混じりに言うと、映像部の部長は腕組みした。
総コンクリの部室長屋も、さすがに一一月も近くなれば風が涼しい。
「一昨日、ちゃんと本人に言ったんだが」
放課後の話であるが、その時の騎央の様子を思い出して、部長は「まあ、仕方がないか」というニュアンスを声に込めた。
「まあ、またエリスちゃんがらみで何かあったのかもしれませんね」
副部長が気軽に言う。
「まぁ、なら仕方がないかもしれんなぁ」
そう言って溜息をついた部長の後ろにある黒板には、「学園祭におけるアシストロイドちゃんたちについて」と書かれている。
更に言えば、その横に置かれた椅子に、この部室では見慣れない少女が腰を下ろしていた。
「生徒会長、そんなわけで当人はどうも来られないようなんですが」
すまなさそうに部長が言う。
「そうですか」
困りましたねえ、と細い眉をひそめながら、生徒会長・我紗《がじゃ》シノブは首を横に傾けた。
「アシストロイドちゃんたちのことは早めにお話ししておきたいのですけれども」
☆
そのにじゅうさん・北欧、ラインダム(人口一万三千)
「わかりました、国王陛下に計らいましょう」
ここで、初めて具体的な答えが出た。
「キャーティアの方々には特に王室より『よくするように』とのご命令を賜《たまわ》っております」
「あ、ありがとうございます!」
思わず騎央は目に熱い物を感じた。
必死にそれを手の甲で押さえ込むようにして拭いながらも、何とかクリアファイルの中から書類を取り出し、大使に手渡す。
後ろで、エリスがウェットティッシュで汗を拭いながら大きな溜息をついた。
ここに来るまで二〇カ国の大使館部屋を回り、さらに数軒の大使館長屋を回っている。
並の少女ならもう音を上げている頃であった…………いや、実はもう何度もあげている。
だが、ここまで一度も具体的な成果をあげることが出来なかった騎央は、「まだまだ」とか「もう少しだから」と取り合わなかったのだ。
一つだけとはいえ、取りあえず成果があがったのだから、これから先はペースダウンをお願いできるだろうという安堵の溜息であった。
☆
護衛とはいえ、武装した状態で双葉アオイが部屋の中に入るわけにはいかない。
…………何よりも、どの大使館も間取りはともかく、家財道具やら書類やらで、実際の生活スペースは非常に狭く、アシストロイド五体とアオイまで中に入るとそれこそ身動きが取れなくなる可能性があった。
で、騎央の専用アシストロイドである「定やん」とエリスのアシストロイドを護衛ということで中に入れ、彼女自身は毎回外で見張りをすることとなった。
だが、正直アオイとしてはそのほうが有り難かった。
慣れないハイヒールにタイトスカートのスーツ姿で階段を上り下りするというのは、結構大変で、実際、二軒目の大使館長屋のあたりからずっと足が痛い。
移動の最中、何度もヒールを脱いで冷却スプレーでも吹きつけたくなったが、この少女は持ち前の責任感とプロの感覚から、その隙に攻撃されることを恐れていた。
だから、結局足の痛みは治まらない。
主の状況を理解しているらしく、「チバちゃん」と「錦ちゃん」が心配そうにヒールの足下とアオイの顔を見比べている。
「大丈夫…………」
薄くアオイは微笑んだ。
銃弾で撃ち抜かれたり、刃物で斬りつけられたりするときの痛みも嫌だが、この手の小さな痛みの方がより陰湿でいやらしいと感じるのは何故なのだろうとぼんやり思う。
「…………」
溜息が出た。こちらはエリスと違い、騎央を気遣う溜息である。
ここしばらく、少年はおかしかった。
とにかく宇宙から帰ってきて以来、妙にテンションが高く、どこか苛《いら》ついていて、それが強引さと怒鳴り声になって表れまくっている。
最初は遺伝子操作で猫の耳と尻尾を生やしたことから生じる副作用のような物だろうと思っていたが、その状況は再調整して猫の耳と尻尾を消し去った後も持続していた。
焦っている。
そうアオイの理性は結論づけている。
何かに焦っている。焦りすぎていて、まるで初めて実戦に飛び込んだ新兵のようにおかしな方向にむかって全力を集中させている。
ふと、ブラウスが汗で張りつくのが妙に気になった。
それを誤魔化すために上着《ジャケット》の裾の下、バックサイドホルスターに納めた銃の位置を直す。
その刹那《せつな》、銃把《じゅうは》に触れた指が強張った。瞬時に全神経が前方に集中する。
エレベーターのドアが開いて、ふたりの女性が降り立つ。
この二つの状況の因果関係が、すぐにアオイの理性で結びつかなかった。
それは、ほとんど脊髄《せきずい》反射に近いような、直感レベルの肉体反応だったためである。
かろうじて理性が銃を抜かせなかった…………相手には、殺気も敵意も無かった。
エレベーターから降り立った女性は両方とも、背が高かった。片方は一八〇を越え、もう片方は一九〇近い。
一九〇センチ近い身長の女性は、二〇歳そこそこ、背の高い人間にはありがちなちょっと猫背気味で、腰まであるサラサラのロングヘアをなびかせながら隣の女性に熱心に話しかけている。ちょっとタレ目気味で、人の良さそうな顔は典型的な日本人のそれだ。
問題は、その話しかけられている側…………一八〇センチ代前半の女性だった。
セミロングの金髪、白い顔立ちは、北欧系としてはモデルにも珍しい、滑らかな骨格の美しさを持っていた。どこかでアジア系の血が入っているのかもしれない。
目元は、もう秋だというのにサングラスで隠されていた。
薄いロングコートを羽織っているというのに、見事なプロポーションがよく分かる。
絨毯《じゅうたん》ばりの廊下を歩く有様は、ファッションモデルのように優雅で、だが同時にアオイのような人間が見れば、見事に隙がないと判る手強さを示していた。
注意しなければ会得できない身のこなしが、すでに普通となり、無意識の中に取り込まれている。
その足下から、ゆるやかに巻かれたスカーフに至るまで、どれも白い肌を際だたせるような漆黒《しっこく》だ。
それが、ぴたりと似合っている。
普通の少女なら反感を抱くか、見とれるか、どちらかだが、アオイは戦慄《せんりつ》した。
この女《ひと》は本物《プロ》だ。
意識の奥底、彼女をこれまで生かしてきた「何か」が、声を押し殺して囁く。
アオイはサングラスの美女との実力差を痛いほどに感じていた。
この人には勝てない。
命のやりとりをしていた少女だからこそ、その事実が重くのしかかり、異様な緊張を招いているのだと、自分の過剰すぎる反応をようやく解析する。
相手は時折、横にいる女性にひと言ふた言返しながらこちらに近づいてくる。
アオイは今すぐにでも腰の後ろに納めた銃を引き抜きたい欲求に駆られた。
だが、こんな所で自分から騒ぎを引き起こすわけにはいかない。
第一、相手は殺気も敵意も無く、それどころか彼女を見てもいないのだ。
理性は必死になって何度もその点を点検した。
だが、間違いない。
やがて、相手はアオイの前に来て、ようやく彼女を見た。
サングラスの向こう側から差し向けられる眼差しは、不思議なことに暖かく、ようやくアオイの理性は本能の衝動をねじ伏せた。
「どいて、くださる?」
薄い、理知的な唇がコケティッシュに微笑む…………言葉は日本人そのものだった。おかしなイントネーションも訛《なま》りもない。
「…………は、はい」
自分でも判らないうちに声が上ずり、かすれ、アオイは恥じた。
(私は、何を怯《おび》えている……の?)
多少の混乱を抱えながらも、身体は横に動いた。
足下のアシストロイドたちも慌てて横に動く。
それを見て、ロングヘアの日本人女性は目を丸くした。
「あ、この子たち、ひょっとして…………宇宙人の人が連れている奴ですか?」
妙に丁寧な物言いで、人柄の良さが判るような声。
ぽけっとした、どこかエリスに似ている雰囲気があった。
お陰で、アオイの心は完全に旧態に復した。
「あ、は、はい」
「うわ、先輩。ネコの人いるんですって!」
横を向いてぐっと豊満な胸の前で拳《こぶし》を握りしめて上下に振る…………何となくその立ち振る舞いもエリスに似ていて無邪気だ。
ついでに言えばサマーセーターに包まれた胸のほうもエリスに負けず劣らずの質量を思わせ、みっしりと揺れた。
「こらこら、ベル。はしたないぞ」
不意に、笑いを含んだ金髪の美女の言葉が男っぽくなった。すぐにアオイの方を向いて軽く頭を下げる。
「連れがぶしつけなことを言ってごめんなさいね」
もう口調はさっきと同じく、落ち着いた淑女《しゅくじょ》のものになっていた。
「い、いえ…………」
気を遣って貰ったのだ、という事実が何となく信じられなくて、アオイはただ首を横に振るのが精一杯だった。
「では、失礼」
金髪にサングラスの美女はそう言って、「チバちゃん」と「錦ちゃん」の頭を撫でると、黒い革手袋に包まれた手をドアノブに伸ばし、ロングヘアの美女と共にラインダム大使館の中に入った。
いかなる場合も相手に敵意を抱かせないことを第一に作られた二体のアシストロイドが手を振ると、驚いたことにちょっと笑いながら、サングラスの美女はドアを閉める寸前、手を振って答えた。
(そういえば)
ようやくアオイは思い出していた。
(ラインダム本来の主幹産業は、確か…………『人材派遣』だったわね)
アオイがかつて身を置いていた世界における『人材派遣』とはつまり「傭兵」などの雇われの非合法工作員ということである。
だとしたら、あの女性のことも頷けた。
ラインダムの非合法工作員は、トップクラスであるという話だからだ。
☆
その猫は妙に偉そうだった。
警戒と情報収集を兼ねて、家の周囲を散策していた通常型アシストロイド「2」と「3」を鳴き声で呼び止めたのである。
アシストロイドは「?」と小首を傾げながらちょこんと座った妙な猫を見た。
外見も妙な猫であった。猫なのに垂れ耳なのである。
スコティッシュフォールドという種類の猫なのであるが、アシストロイドには判らない。
「にゃー」
猫が鋭い声で鳴いた。
何となくアシストロイドの「2」が掌を差し出すと、その偉そうな猫はとててて、と掌から腕を伝ってアシストロイドの頭の上に乗っかった。
思わぬ展開にわたわたと慌てる「2」だったが、猫が「みゃー」と鳴くと納得できないような面持ちで(といってもアシストロイドに表情はないので、そういうボディ・ランゲージをしたに過ぎないが)それでも諦めたように肩を落とした。
「3」が無理は承知ながらも、「どいてくりましか?」と書いたプラカードを掲げると、驚いたことに猫は首を横に振った。
その反応に、思わずアシストロイドたちは顔を見合わせる。
「まーおぅ」
まるで「私を運べ」とでもいう風に猫が鳴いた。
その喉元で、首輪が震え、それに取りつけられた、奇妙な文字の刻まれた鑑札がきらめいた。
☆
夕暮れである。
「へえあんた、苦労してんだねえ」
いちかはお茶請けに出された黒糖ピーナッツを囓りながらうんうんと頷いた。
「なーぉ」
地球産猫耳少女の前にちょこんと座ったアシストロイド「2」の頭の上で、スコティッシュフォールドは偉そうに鳴く。
「ふんふん、なーるほどねー」
「いちかしゃんはおはなしできるでしか?」とお茶のお代わりを入れながら「6」が問う。
「まあね」
まー、昔はあたしもこうだったからー、とか何とか言いながらいちか。
非常に説得力はないが、「最初から疑う」という機能のないアシストロイドは素直に頷いた。
「この子はアウラ。この家で昔っから飼われているんだってさ。どうやらエリスちゃんを案内したのもこの子らしいよ」
そう言うと、アシストロイドたちは「そりわそりわあるじがおせわになりまた」ぴしっと姿勢を正し(といっても雰囲気だけだが)、「2」の頭の上にいる猫に敬礼した。
仲間たちの思わぬ敬意を向けられた「2」だけがとまどったようにきょろきょろしている。
☆
東京ではすでに日が落ちている。
「しかし、あれは虐《いじ》めすぎではないか?」
薄く苦笑いをしながら、金髪にサングラスの美女が訊いた。
「相手は高校生なのだろう?」
「そんなことはございません、アズロワ様」
ラインダムの大使は、そう言って微笑みながら美女のティーカップに紅茶を注いだ…………典型的なロシアンティーである。
「思い出しますねー、先輩」
その横で、ベルと呼ばれたロングヘアの美女が微笑む。
「確か、旅士《たびと》先輩も大使さんに」
アズロワ、と呼ばれたサングラスの美女は何かを思い出すような笑顔を浮かべた。
「そうだったな…………あれから、もう一〇年になるのか」
「あの少年は、旅士様と同じ…………いえ、鍛えれば旅士様と同じになれる、そんな目をしておりました」
大使は静かに言った。
「つまり、見込みがあるから鞭を入れた、ということか」
やれやれ、という顔でアズロワはカップを口許《くちもと》に運ぶ。
大使は肯定するように頭を下げた。
☆
騎央はがっくりと頭を垂れたままドアの向こうに消えた。
雄一が「悪いね」と囁くようにエリスとアオイに言ってその後に続き、最後に「定やん」が「ほなあとでー」と書かれたプラカードを示して器用にドアを閉める。
夜になると、一行は雄一叔父が手配した、神田《かんだ》にあるウィークリーマンションに引き上げてきた。
雄一と騎央、アオイとエリスという具合に二部屋に分かれる。
アシストロイドたちは雄一と騎央の部屋に「定やん」と通常型が一体、残りはエリスたちと一緒。
取りあえず汗を流し、服を着替えてから食事に出よう、ということで一行はそれぞれの部屋に入った。
「あ、アオイさん、ここちゃんと湯船がありますよ!」
入って荷物(といっても一泊二日なのでささやかな物だ)を置いたエリスが、さっそく風呂場のドアを開けて声を上げた。
つい数時間前まではかなり笑顔も強張りがちだったのに、最後に訪れた大使館で何があったのか、すっかり彼女は元気になっている。
そんな猫耳尻尾付きの恋敵《こいがたき》に皮肉の一つも言うでなく、アオイはそのままベッドに腰掛けて物思いに沈んだ。
「…………」
「どうしたんですか?」
「ねえ……何があった……の?」
アオイは怪訝《けげん》な眼差しでエリスに問うた。
「うーん…………ちょっと長くなりますけれど、お風呂に入りながらでいいですか?」
☆
「…………」
手近な椅子に腰掛けると、騎央は深い溜息をついた。
「定やん」は「だんさんげんきだして」とプラカードで掲げながら、その荷物を持って部屋の隅へととったか移動する。
「どうした?」
備えつけの冷蔵庫から一缶二五〇円也の清涼飲料水を取りだして、甥《おい》っ子に勧めながら雄一が尋ねた。
「どうも、帰りの車の段階でかなり落ち込んでいるようだったが」
「いや、あの…………」
叔父に言われて何ごとかを言いかけては止め、それを何度か繰り返し、騎央は観念したように言葉を紡《つむ》ぎ始めた。
「叔父さん、あの……ひょっとして、今回僕のしたこと…………間違ってますか?」
そう言ってちょっと上目遣いに叔父を見る少年に、雄一はほろ苦い笑みを浮かべた。
「まあ…………正直言って、間違っていたな」
「みんな、本当は迷惑だったんでしょうか」
「だろうなぁ」
「…………」
がっくりと騎央は肩を落とした。
「…………で、どこで気がついた?」
その「迷惑だった」連中のひとりでもある叔父は、優しく騎央に尋ねた。
「ラインダムの大使館で、です」
☆
「しかし、一言申し上げておきます」
初めて具体的な好意をしめしてくれた国が出来た、ということに喜ぶ騎央に、ラインダムの大使は冷や水を浴びせかけた。
「あなたのやり方は、外交努力としては最悪…………という以前の、ひどいものです」
静かに、そしてまっすぐに大使は騎央を見た。
「あなたがキャーティアの大使館員であるからこそ、他の国の大使も追い返しもせずにお会いしたのだと思います」
そう言って大使は上着の内ポケットからプリントアウトされた紙を取りだした。
愕然《がくぜん》とした騎央は、それが何かを理解して、耳まで真っ赤になる。
喜びと、その後に浴びせかけられた言葉が、少年の理性をようやく復旧させていたのである。
「普通、Eメールでいきなり送られてきた挨拶状は、戯言《ざれごと》として無視されます。非常識ですし、無礼でしょう」
優しくも厳しい老教師のように大使は続けた。
「しかも、いきなり日時を指定して押しかけてくる…………これで話をまともに聞いて貰おうというのが間違いです。どちらも初めての異星人に対してあからさまに敵対したいとは思っていないでしょうから、今回はお会いしたのだと思いますが、実際、かなりの国の大使が気分を害しているのは間違いない話です」
大使の話は二〇分ほど続き、まるで塩の山に放り込まれたナメクジのように騎央が小さくなっていったのは言うまでもない。
☆
「なるほど」
少し笑いを含んだ声で雄一は頷いた。
「そりゃ、確かに落ち込むわな」
「エリスは、最初から僕のやってることが間違いだ、って判ってたんでしょうか?」
「まあ、外交のプロだからナァ」
「でも、どうしてエリスは教えてくれなかったんですか?」
少年の声は悲鳴をあげているようだった。
「判ってて黙ってるなんて…………」
少年は傷ついた顔をしていた。信用していたエリスに裏切られたような、そんな気分になっているのだろう。
「言えないだろうさ、そりゃあ」
ぽん、と雄一は騎央の頭に手を置いた。くしゃくしゃと髪の毛をかき回す。
「お前が頑張ってるんだ、張りつめて頑張ってるんだ、そりゃあ、あの子が何か言えるわけはないさ…………それに、信じてるんだよ、お前を」
「?」
「痛い目を見ても、ちゃんとそこから何か学んで頑張ってくれる、って」
「…………」
まだ釈然としない顔で騎央は叔父を見上げた。
☆
ざばーっと湯船からお湯が溢れる。
水面にたわわかつ、まろやかなラインの水蜜桃《すいみつとう》が二個、ぷかりと浮かび、ほんのり赤みを帯びる光景が、アオイのコンプレックスを刺激するが、彼女自身の脳はそれどころではなかった。
エリスの話してくれたことは、緊急に検討し、対応を考えねばならない重大事項であったからだ。
何しろ、騎央のことである。
「…………というわけなんです」
湯船の中、エリスは説明を終えると、気持ちよさそうに天井を向きつつ目を閉じた。
その横ではタオルを頭にのっけた通常型アシストロイドが一体、バスタブの縁につかまってのへらーっとしている。
「そうだった…………の」
今日一日ですっかり埃《ほこり》まみれになった「チバちゃん」と「錦ちゃん」の頭をボディソープをつけたスポンジで洗ってやりながら、アオイは考え込んだ。
確かにここのところの騎央はおかしかったが、その状況では、冷や汗どころか泣き出してもおかしくない。
アオイにも覚えがあった。
ある程度訓練をこなせるようになった頃、いい気になって手順を省き、それゆえに大失敗をしでかした。
何とかそれはフォローしたものの、こってりと教官に己の驕慢《きょうまん》と欠点をあげられ、叱られたときは、もう、立ったまま、声を押し殺して泣き、それをまた「弱さ」と指摘されて泣いた。
「騎央君のしたことは…………そんなに悪いこと……なの?」
「取り返しがつかない大失敗じゃありません。ちょっと最初の印象が悪くなった程度で」
大したことはない、という口調でエリス。
だが、それはかなり外交としてはマズい状況ではないのか、とアオイは首をひねった。
(どうも…………この人の考えって、判らないわ)
やっぱり宇宙人だとこういうときには実感せざるをえない。
泡だらけになった「チバちゃん」と「錦ちゃん」に頭からシャワーを浴びせる。綺麗になった二体を湯船に入れ、アオイは自分の身体を洗い始めた。
しなやかな細い身体がみるみる泡に包まれていく。
「で、あのですね、アオイさん」
エリスが湯船の縁に置いた手に、顎を載せ、不意に切り出した。
「一緒に悪巧《わるだく》みしませんか?」
「?」
身体を洗う手を止めて、アオイはしげしげとエリスを見た。
「騎央さんのことです」
にっこりと微笑む。
「きっと騎央さん、落ち込んでると思うんです」
「…………」
こく、とアオイは頷いた。
「だからね、そしたらふたりで励ましませんか?」
「え…………?」
とまどったようにアオイはエリスを見た。
☆
「あ、いたのねチビッコ」
「チビッコたぁ何よ」
「ま、そー言わずに。これあげる」
「わーい♪」
真奈美の差し出した差し入れのゴーヤーチャンプルーに、いちかは嬉々《きき》として割箸を割った。
「しっかし、何で本土の人間はゴーヤーのことをゴーヤ、って言うんだろうねー」
「さあ。言いにくいんじゃないの?」
リビングでまるで我が物顔のようにご飯をかっこむ猫耳少女の前で、ようやく「2」の頭の上から降り立ったアウラが「なー♪」と鳴いて真奈美の足下にじゃれついた。
「あら、アウラ」
子猫の時からの付き合いである真奈美は、相手が誰かに気づくとすぐに相好《そうごう》を崩して垂れ耳ネコの頭を撫でてやる。
たちまちのうちにアウラはご機嫌に喉を鳴らし始めた。
「そっかー、お前、帰ってきたんだねー……っと」
すぐに真奈美は勝手知ったる台所に向かうと、真空パックされたネコの餌を、さっと水洗いした餌皿にざらざらと流し込んだ。
「はい、お食べー」
真奈美が皿を置くが早いか、アウラはかつかつと食べ始めた。
「よしよし、よく食べるネー」
とかいいながら真奈美はアウラの頭を撫で、その後ろでかつかつとゴーヤーチャンプルーを平らげつつあるいちかの頭を同じように撫でつつ、
「よしよし、よく食べるネー」
「む、バカにしてるな?」
箸を止めて口を尖らせるいちかに、真奈美はたははは、と笑って誤魔化《ごまか》した。
☆
巨大な目覚まし時計を抱いて眠るジェンスの方を、彼女専属の参謀業務用アシストロイド「マットレイ」が揺すった。
「ぬ…………何か連絡か?」
眠い目を擦りながらジェンスが問うと、マットレイは手にした液晶ディスプレイに「ソロソロオ食事ト書類ノ検閲ヲ」と表示した。
「…………」
しばらくジェンスはベッドの上に上半身を起こして頭をゆらゆらと揺らしていたが、
「寝る」
といってベッドに倒れ込もうとした。
その彼女の胸元に、マットレイは棒の先に手袋を着けたような高所作業用(といっても犬猫問わず、アシストロイドにとって人間とのコミュニケーションは大抵高所作業になるが)のマジックハンドに一通の手紙を持たせて押しつけた。
「?」
一瞬首を傾げたジェンスだが、すぐに眠気が飛んだ顔になる。
「リュシーからか!」
彼女はベッドから飛び起きると、慌ただしく机の上にある小さな機械を引っ張り出した。
もどかしくペーパーナイフで封筒を切り、中から小さなメモリカードを取り出すと、機械のスリットに滑らせる。
シガーケースほどの大きさの機械の上面が光り、小さな半透明の立体画像を結ぶ。
ワンピースを着けた、小柄な少女だ。
『おはようございます、お姉様』
そう言ってスカートの端を摘んで一礼したのは、一〇歳前後の少女だった。
ジェンスと同じ、小さく尖った犬の耳がその頭頂部に生えている。
それだけではない。顔立ちもどこか、ジェンスに似ていた…………彼女の顔立ちから丁寧に険を取り除いて一五年ほど若返らせたような。
「おはよう、リュシー。我が妹」
聞こえるはずはないのに、ジェンスは呟き、何とも言えない優しげな顔で微笑んだ。
椅子に腰掛けることも忘れ、じっと立体映像に見入っているジェンスの横顔を、無表情にマットレイは見つめている。
不思議に、微笑んで見守っているように見えた。
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第二章 いちかはメシを食っていた
☆
JR神田《かんだ》駅近く「東方見聞録」。
格子戸で仕切られたブースの中に、飲み物が運ばれてきた。
「…………もういいよ」
と騎央が言うと、さくらやホビー館の大きなビニール製の袋から、ごそごそとアシストロイドたちが顔を出した。
食事の出来ない通常型はそのまま顔をだしているだけだが、残り三体はノテノテと座席の上に登った。
エリスも被《かぶ》っていたバンダナを外す…………ちなみに、服装もあのボディスーツではなく、あじさい色のワンピースだったりする。
「誰か来たら、縫いぐるみのフリをするの……よ」
アオイが言うと、六体のアシストロイドは「おっけー」と頷いた。
これから先は、店員が来ても「縫いぐるみ好きの女の子と彼女たちお気に入りの縫いぐるみ」のフリをすることになる。
結構これは有効であった。
たとえ東京であっても、やはり目の前にキャーティアがいる、とは普通の人間は思わないし、自分でトテトテ歩いているのを見ない限りは、「良くできた縫いぐるみ」としかアシストロイドのことも思わない。
ちなみに、勘の良い店員や目撃者用に、「モニター感想シート」なる偽書類も用意してある…………ちなみに、この辺の発案は沖縄で留守番している真奈美のものだったりする。
うまく行くともれなく「イタい人たち」扱いされかねない偽装プランではあるが、真奈美|曰《いわ》く「身動きできないほど囲まれて大騒ぎになるのと、さりげなく遠ざけられるのと、どっちがいい?」だそうな。
「まあ、居酒屋メシ、というのも気の利かない話だが、ここはここで美味いし、また今度のお楽しみもある、ってことで」
雄一叔父が笑ってビールのジョッキを手にした。
「まだ料理が来ないけど、取りあえず……ほら、騎央」
「え? あ、は、はい」
叔父に促されて、騎央はようやく自分のウーロン茶を手に取った。
苦さと後悔に満ちた表情で、
「今日は…………ありがとうございました」
「では、かんぱーい!」
しょげた少年の口調をエリスが吹き飛ばす。
カチャカチャと、食事可能なアシストロイド三体もグラスを鳴らした。
どれもこれも、当然ビールではなく、ただのウーロン茶が入っているだけなのだが、んぐんぐ飲んで、「ぷはー」と、声こそ出さないが、そういうジェスチュアをして、口許まで拭うのが面白い。
さっそく「定やん」が「ひとしごとおえたあとのいっぱいはかくべつでんなー」とプラカードを掲げた。
「チバちゃん」と「錦ちゃん」も、「どういー」「おういえー」とプラカードを掲げる。
「串焼き盛りと、厚焼き卵、それと鳥唐揚げ他、お持ちしましたー」
店員が格子戸を開けて、食事を持ってきた。
むろん、三体のアシストロイドはプラカードをしまいかけたポーズのまま、ぴくりとも動かなくなる。
☆
「…………というわけでねー」
「はぁ…………なるほどねー」
「で、どうよ、同じ猫耳持ちとしては」
何となく、お喋りをしているうちに、エリスとアオイの話になった。
「いや、別に」
「?」
「理屈は通ってるなぁ、とは思うけどね」
食後のデザートとか言って、近所のコンビニで買ってきたブルーシールのアイスクリームカップ(バニラ)を食べながら、いちかは続けた。
「異星人だからね。むしろこっちに合わせてくれようとしている分だけいいんじゃないの? アメリカ人なら強引に『それはそっちのやり方だ、我々に合わせろ』とか言い出しそうなシチュエーションなわけだし」
「む………………アンタ、相当キッツいこと言うわね」
「まあねえ…………昔、アメリカと日本政府にはさんざんな目に遭わされたし」
さらりと流し、いちかはアイスクリームを食べ続ける。
「でも、あたしはなんか、納得できないのよ」
「まあ、確かに今の常識からすれば、外れてるのもいいトコだしねえ…………一個どお?」
でもさ、といちかは真奈美にもアイスクリームを勧めながら続ける。
「つい三〇年ぐらい前は愛人を持つことは『男の甲斐性』だったし、不倫がブームだった時代もあるよ。同性愛者は逆に白い目で見られがちだったのがある程度の許容はされるようになってきてるし…………それだって一〇〇年前までは普通の『趣味』で括《くく》られる範囲の話だったのよ」
「何が言いたいの?」
「まあ、常識なんてコロコロ変わる、ってことよ。パスカルもその昔『善悪とは緯度の問題である』って言ってるしね」
すました顔でいちかはスプーンを動かした。
「そ、そりゃそうかもしれないけど…………」
「幼馴染みがそういうことをするのは、やっぱ違和感ある?」
「う、うん」
スプーンを止めて、いちかはにやりと、人の悪い笑みを真奈美に向けた。
「ひょっとして真奈美タン、騎央君のことがひょっとしてぇ…………」
「ば、バカ、何言ってるのよ! あたしはあくまでもアオイが可哀想だから!」
何故か真っ赤になって怒鳴る真奈美に、いちかはうひゃひゃ、と笑ってまたアイスクリームを食べ始めた。
「こ、こら、誤解するんじゃないの! 『ゆんふぁ』! あんた、なにうんうんって頷いてるの!」
慌てる真奈美を横目に、食事を終えたスコティッシュフォールドは通常型アシストロイド「2」の頭の上に軽々と飛び乗ると、あくびをひとつして、目を閉じた。
思わず慌てそうになった「2」だが、すぐに観念したように肩を落とし、いちかの食器を流しに持って行く。
☆
「あ、あの………………みんな、ごめんなさい!」
とうとう、耐えきれなくなって騎央が立ち上がり、頭を下げた。
テーブルの上、少年の前にある食べ物は一切手を付けられていない。
「きょ、今日はその、みんなのことを考えないで引き回して、その…………」
泣き出しそうな顔になる。
羞恥と、自己嫌悪とにまみれ、叱責を覚悟した少年に対し、安堵したような空気が全員の間に流れた。
「いいんですよ」
にっこりとエリスは微笑んだ。
「ね、アオイさん?」
いきなり話を振られてちょっと驚きながらも、アオイが頷く。
「行動は、いずれ起こさなけりゃいけませんでしたし、私の立場を考えれば、あれぐらいの強行軍のほうが却《かえ》っていいわけですから」
「で、でも…………」
少年は、つい数時間前の叱責のことを口にしようとしたが、エリスはゆっくりと首を横に振った。
「最初の、誰にも教えてもらえない状況だったんですから、いくつか失点があるのは仕方がないです」
「で、でも…………やっぱり、あの」
なおも口を開こうとする少年を目で制し、
「でもそれは…………取り返せばいいでしょう? だから、謝らないで下さい」
「エリス…………」
「失敗に気づいていない人、誤魔化そうとする人なら、叱責されて当然ですけれども、気づいて、後悔している人を責める必要はない、ってわたしは思います」
にっこりと微笑んだ。
その横では、雄一叔父やアオイも頷く。
「ごめん…………ありがとう」
タダひたすらに騎央は頭を下げ、その横で「定やん」たちアシストロイドはぽかんとした風に見つめている。
「ありがとう…………ありがとう…………」
低い嗚咽《おえつ》が騎央の口から漏れた。
エリスが、アオイに目配せをした。
「か、嘉和…………き、騎央君」
アオイは席を立つと、騎央の横に回り、深呼吸するなり、急にぎゅうっと抱きしめた。
「え?」
とまどい、身体を強張らせる騎央。
「いいの…………いいの…………私たち…………気にしてないから…………」
「そうですよ」
エリスも立ち上がり、逆に回る。
雄一叔父がニヤリと笑いながら席を譲った。
反対側からエリスが抱きつく。
「あ、い、いやあの、ふ、ふたりとも、あの、その、つ、つま、そ、その…………」
真っ赤になって騎央は身動き取れないまま硬直した。
「♪」
「…………」
エリスはにこにこと、アオイは真っ赤になって騎央に抱きつき続ける。
アシストロイドたちは顔を見合わせ、雄一叔父は快活に笑った。
☆
「…………ったく、あのチビッコったら何言うのかしら、ねえ『ゆんふぁ』?」
真奈美はアシストロイドが洗って綺麗になった食器を、コンビニのビニール袋に入れて家に帰りながら、その横をちょこまか歩いている彼女専用のアシストロイドに同意を促した。
「なにがでしか?」と「ゆんふぁ」は当然の疑問をプラカードに書いたが、真奈美はなおも口の中でブツブツ言って、そのことに気づいていないようであった。
その足が、ふと止まる。
「…………誰?」
家の門の陰に誰かいる。
ひどくまずい隠れ方で、気配はおろか、街灯の明かりに身を縮めた影が見える。
「ハァイ、マナーミ!」
真奈美の言葉に弾かれたように、エリスに負けず劣らずのナイスバディが飛び出してきて、彼女に抱きついた。
「じゃ…………ジャック?」
テンガロンハットにタンクトップ&カットジーンズ、さらにガンベルトに足下はウェスタンブーツという、三六〇度どこから観ても典型的な(というか、記号的な)「アメリカ美人」なその美女は、真奈美の友人で、ジャニス・アレクトス・カロティナス・カリナート、頭文字を拾って通称|JACK《ジャック》という。
より正式に言えば真奈美の父の仕事仲間…………アメリカ中央情報局、CIAの非合法破壊工作員《イリーガル・エージェント》。
「何しにここへ?」
なんとか無理矢理相手を引き剥がし、真奈美はシリアスな表情を作った。
親友とはいえCIA、今の真奈美にとっては警戒せねばならない相手だ。
「んー、ご挨拶ネ、マナーミ」
にこにことジャックは言う。
「しばらくウチ、ここにいることになったネ!」
「え?」
「日本での仕事入ったのヨ、マナーミ」
「? …………まさか」
「猫宇宙人《キャーティア》の監視仕事、本格化したネ!」
満面の笑みを浮かべてジャックは言った。
「ほ、本格化、って」
「この前の、ほら、各国のテレビに、そこにいるおチビちゃんたちが映ったでしょうが」
と、ジャックは「ゆんふぁ」に手を振りながら英語に切り替えた。
「あれで、各国政府が動き出しそうなのよ…………国防情報局《DIA》のアホも何かしでかしそうなんで、取りあえずウチが来た、ってわけ」
「じゃあ、味方って…………こと?」
「うーん、どっちかって言うと中立、ね」
ジャックは「はろー」と「ゆんふぁ」の右手を掴んで上下にふりながら答えた。
「ゆんふぁ」は嬉しそうにジャックの手を両手で掴んでそれに応じ、やがてプラカードに挨拶のつもりか、「じすいずあ・ぺん」と書いて提示した…………やはりどうも製作者に問題があるようである。
「というわけだからマナーミ、よろしくー」
そして、再びジャックは日本語に切り替えた。
「へ?」
「いつも通り、マナーミの家に寝泊まりさせて貰うネ!」
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第三章 ネコの役割きまってた
☆
騎央たちが東京から帰ってきた翌日の月曜日。
登校してすぐ、騎央たちは生徒会長に呼び出されていた。
「学園祭がどういうものであるか、ご理解頂けましたね?」
「はい!」
元気よく、セーラー服姿のエリスは頷いた。
「つまり、学園祭が近づくにあたり、学園祭実行委員会で問題になったのです」
生徒会長はそう言って溜息をついた…………目の前にいるエリスたちに対して、ではなく、総会の様子を思い出しているらしい。
かなり紛糾《ふんきゅう》したのだろうと騎央は察した。
「つまり、アシストロイドちゃんたちや、エリスさんがいる所は一人勝ちになってしまう、コレは不公平ではないか、と」
「不公平…………なんですか?」
「まあ、ぶっちゃけた話、可愛らしいからねえ」
フォローするように映像部の部長が言う。
「学園祭はお金儲けの場所ではありませんが、それでも売り上げが無くていい、とか、人が来なくていいというものでもありません」
生徒会長が続けた。
ちなみに、どちらも立ったままである。
「あなたと、あなたのアシストロイドちゃんたちが一カ所にいれば、それ以外の場所は閑古鳥《かんこどり》が鳴く、ということは十分に考えられることです…………一生懸命作った物を、誰にも観てももらえない、ってのは嫌でしょう?」
「まぁ…………そうですねえ」
うんうん、とエリスは頷いた。このへん、キャーティアは非常に理性的であり、相手の感情を汲んでくれる。
「ですが、あなたたちに『来ないでくれ』というのもまた、フェアではない話です」
「はいはい」
ちょっとエリスの顔が輝いた…………道理の通った話は、彼女にとっての地球では珍しいからである。
「で、提案なのですが、あなたはクラスの一員として、午後から参加、アシストロイドちゃんたちは、持ち回りで各クラス、部活に貸し出ししては頂けないでしょうか? 高いとは言えませんが、報酬も用意致します」
「費用、じゃなくて、ですか?」
「ええ報酬です。必要経費、と呼んでも構いませんが」
感心したようにエリスは頷く。
「…………どうしましょうか、騎央さん」
「うん…………」
と騎央も首を傾げたが、その横でひょこ、とプラカードが上がる。
「?」
騎央がちょっと視線を下げてそのプラカードを読む。
「『さいていじきゅうごひゃくえん』って…………こら、『定やん』!」
騎央が声をあげると、騎央専用のアシストロイドは「ぴゃーっ」とエリスの後ろに回って、おそるおそる顔を出した。
「ダメじゃないか、そんなこと言っちゃ!」
との騎央の言葉に、「そやかてだんさん、こーゆーことははっきりせな」と「定やん」はプラカードを掲げて抗議した。
「弱りましたねえ…………一人当たりそれだけ支払うとなると…………半分で何とかなりませんか?」
小首を傾げて生徒会長。どうやら本気にしているらしい。
「あ、いえ、これはこの子が勝手に言ってるだけですから、あの!」
☆
真奈美はアオイに事情を説明し終えた。
「つまり、各国政府がとうとう動き始めた、ってこと」
「…………」
アオイは形の良い細い顎に手を当ててしばらく黙り込んでいたが、
「人手が、足りない……わ」
ぽつん、と言った。
「私と…………真奈美だけじゃ、手に負えなくなる…………かも」
その言葉を聞きとがめた「ゆんふぁ」が「ぼくらもいるー」と抗議し、ふたりは「ごめんごめん」とその頭を撫で、黒コートにサングラスのアシストロイドはうんうんと頷いて謝罪を受け入れた。
もっとも、すぐに真奈美とアオイは顔を見合わせる。
「やっぱり、アントニアと本格的に提携するべきだと思うんだけど」
「でも…………その場合、指揮権の問題が出ると思う……の」
アントニア本人はともかく、あくまでもメイドたちはアントニアのために存在し、エリスは上から二番目か三番目…………一番目ではない。
更に言えば、メイドたちは摩耶とサラを頂点に結束が固く、容易にアオイや真奈美の命令を聞いてくれるとは思えない。
「そうなのよね」
真奈美は腕を組んで溜息。その横で事情を理解しているのかいないのか、「ゆんふぁ」もまた同じポーズをとる。
アオイも真奈美も、基本的には現場工作員…………つまり「下っ端《ぱ》」であり、組織を作ったり、運営したりするためのノウハウは教えられていない。
この弱点が、こういう状況ではモロに露呈していた。
☆
「学園祭かぁ」
生徒会室から教室へ戻りながら、騎央はどこかきょとんとした顔で呟いた。
「全然忘れてた」
このところ、宇宙船が突っ込んできたり、ロシアでミサイルを宇宙船に組み立て直したり、あげくに宇宙へ飛び出して猫耳尻尾付きになったりと、惑星規模のドタバタをしていたために、すっかり思考の中に無かった。
「わたし、初めてなんでとっても楽しみです!」
エリスは少々興奮気味だ。
元々キャーティアはお祭り好きな所があるから、血が騒いでいるのだろう。
「ところで、引き受けてよかったの?」
騎央はエリスに尋ねた。
「ええ。いろんな人とアシストロイドが交流するのはいいことですし。それに、二ヶ月も前から話はありましたから」
「え? そうなの?」
「ロシアから帰ってきたときに騎央さんにも言ったと思うんですけど…………」
「そうだっけ?」
騎央は首を傾げた。
そう言われれば、何となくそんな記憶もあるような、無いような。
「でも…………いいのかな? アシストロイドでお金儲けして」
「まあ、彼らがどう使うのか、観てみるというのも面白いと思いますよ」
「…………え?」
思わず騎央は足を止める。
「彼らが使う…………ってどういうこと?」
「?」
エリスはふと首を傾げ、ああ、と納得したように手を打った。
「えーとですね、彼らが稼いだお金は、彼らに渡る、ってことです」
「え?」
「だって、そうでしょ? 働くのは彼らで、私たちじゃないですし」
「でも…………アシストロイドって、経済観念とか、あるの?」
「ありますよー。だって、時折おつかいに出たりしてるでしょ?」
二体一組で頭に買い物カゴを載せ、トコトコとスーパーの店内を歩くアシストロイドは最近、近所のちょっとした名物である。
「そりゃ、そうだけど…………」
確かに、これとこれを買ってこい、と言う必要もなく、アシストロイドは日々の献立に合わせて、渡した金銭でやりくりしてくれてはいる。
確かに経済観念と言えないこともない。
「でも…………何に使うのかな?」
「それがわたしも楽しみなんです」
うんうん、とエリスは頷いた。
「こういう状況ってあまり無いですから」
そんなふたりをよそに「定やん」は暢気なもので、「ぜったいあとひゃくえんはうわのせできましたで」とプラカードを振って主張した。
よっぽど悔しいらしい。
☆
「五………四………三………二………一……攻撃開始《アタック》!」
鋭い摩耶の声とともに、彼女の前にいた爆破工作員がスイッチをひねった。
壁に丸く貼りつけられた指向性C4爆薬が炸裂し、壁に巨大な穴が開く。
かねてからの打ち合わせ通り、棒高跳び用の長いカーボンスティックの先にくくりつけられた、彼女たちと同様にメイド服を着けたダミー人形が先に中に入ると、まず不気味なモーター音が起こり、次に腹に響く射撃音と共にダミー人形がズタボロになった。
「二次部隊、交代!」
ボロボロになった人形が引っ込められ、新しいダミー人形が中に入る。
再び銃声がして、ダミー人形が吹っ飛んだ。
破壊跡を観るに、どうやら今度は散弾らしい。
こういうことをさらに二回繰り返すと、さすがに部屋の中の抵抗は終了した。
「よし、私に続け」
摩耶はそう言うと、フラッシュライトとイングラムM11を構えて中に入る。
電動式のアームに固定され、侵入者を撃破するべく設置されたものの、弾丸を撃ち尽くしたM4アサルトライフルや、SPASの自動|装填《そうてん》式ショットガンが並ぶ中、摩耶は慎重に移動し、ついに部屋の片隅に置かれた作業机と、ベッドサイドに来た。
ベッドの向こうから、ひょこん、と竹の定規に白いハンカチを結んだ物が現れた。
そのままハタハタと振られる。
「安心しろ、危害は加えない」
竹の定規が引っ込み、今度は「ほんとでしか?」と書かれたプラカードが現れた。
「約束する」
苦笑と共に摩耶が念を押すと、のて、とミトンを填《は》めたような手がベッドの上に現れ、「よっこいしょ」と二頭身のロボットがその上に乗っかった。
額に「21」と書かれた通常型のアシストロイドであるが、手縫いの執事服と、紙で出来た口髭を着けているのがますます微笑ましい。
ちなみにこの恰好は部屋の主…………アントニアのメイド部隊の副隊長、サラの趣味だったりする。
アシストロイドはさっそく「いったいなにごとでしか?」と当然の疑問を表示した。
「まあ、事情があってな」
と摩耶は答えにならない答えを返し、周囲を見回す。
作業机の上には金属製の|粘土ヘラ《スパチュラ》を初めとした、造形道具が整然と並べられ、シリコンゴムの四角い塊や、「レジンキャスト(A液)」と書かれた大きな缶や、「B液在中」と書かれた小箱が積み上げられている。
「おい、完成品はどこにある?」
摩耶は銃をしまいながら尋ねた。
アシストロイドは首を傾げた。
「ここで作っていた物はどこにある?」
まるで、テロリストのアジトに踏み込んだアメリカの特殊部隊のような口調で摩耶が尋ねた。
アシストロイドはしばらく考え込む風だったが、「しらないでし」とプラカードをかかげた。
「本当か?」
答えは「ひていお(も)こーてーもできないでし」という非常に曖昧なものであった。
「なるほど…………サラに口止めされているな?」
微苦笑を浮かべ、摩耶は質問の方向を変更することにした。
「では、この部屋を捜索するが、いいな?」
「おう」とでもいいたげに、アシストロイドは頷き、とことこと壁際に置いてある本棚の前に進むと、「どこでもどぞー」とプラカードを掲げた。
「どこでもいいんだな?」
念を押して摩耶。
こっくりと21号は頷き、「どこでもどぞー」と再びプラカードを振った。
それから少し考え「ここいがいは」と書いた。
「…………」
うんうん、と摩耶は頷き、よっこいしょ、とアシストロイドの頭を持って横に移動させた。
「よし、ここだ!」
☆
「よし、休暇は終わりだ!」
そう言って、ジェンスは元気よくベッドから起きあがった。
ベッドサイドで待機していた犬型アシストロイド「マットレイ」が顔をあげる。
手にした液晶ディスプレイに「シカシ、我々ハ謹慎処分中デハアリマセヌカ?」と問うが、ジェンスは一笑に付した。
「構うものか、それに謹慎処分ではなく、自宅待機だ。ここから出ない限り、何をやっても構わないはずだ」
「ナルホド」とマットレイは頷いた。
ジェンスは着けたままの寝間着を脱いで、大股にシャワールームへ向かった。
「どうせ散るのなら、遺恨を残さないようにせねばな!」
その声は、何かを諦め、吹っ切ったものの強さがあった。
猫と違い、四角いラインで出来た犬型アシストロイドは、じっと主の後ろ姿を見つめていた。
☆
放課後、映像部員は緊急招集を受けた。
「というわけで、学園祭が迫ってきたので映画を作ってもらう」
驚きのどよめきが部室の中に広がった。
「…………といっても超大作じゃない」
ぴっ、と丸顔の部長は三本の指を立てた。
「上映時間は三分以上、一〇分以内…………で、内容は」
ぴっ、と部長は次に騎央の足下で、副部長から貰った団子をパクついている「定やん」と「いいなー」とそれを羨ましそうに見ている通常型アシストロイドを指さした。
「彼らだ…………アシストロイドに撮影対象になって貰う…………いいかな? エリス君」
「まあ、この子たちも部員ですから」
こっくんとエリスは頷いた。
エリスが入部届を書くのを見て、通常型アシストロイド二体も入部届を書いているし、「定やん」も騎央が入部しているので同じく入部届を書いている。
「だが、彼らも家事手伝い等々が色々あるんで、実際の撮影日は三日。それまでは絵コンテと脚本作業とする。絵コンテ用紙(撮影する映像の構図や、カメラ、俳優他の動きを書き込むためのもの)はこっちで準備しているので欲しい物は申請するように。で、それを元に撮影プランを計画する」
「えー!」という声もあがったが、部長は「早撮りというのも重要な技術の一つである」と一蹴《いっしゅう》した。
「まぁ、映像部なのに学園祭での上映物が無いのもアレだしな…………その代わり、年明けからは一本長いのを作る」
今度はテンションの高いどよめき。
「…………というわけで、まずは三分以上一〇分以内、ってことで、ひとつ…………な?」
なんとも雑然と部員たちは騒ぎ始めた。
「うふふふ♪」
エリスはにこにこと嬉しそうに笑いながら手を握ったり開いたりする。
「楽しみですね、騎央さん…………?」
横を見ると、騎央は考え込んだ顔になっている。
☆
生徒会に、会長を訪ねた影がある。
「つまり、我らはキャーティア大使館員としてスペースを要求するのじゃ」
早退した摩耶と、数時間前、何かを察したらしく「先に戻ります」といなくなったサラと入れ替わる形で現れたメイド部隊三名を従えて、アントニアは腰に手を当ててふんぞり返った。
「で、目的はなんですの?」
「グッズ販売じゃ」
ばさりとアントニアは、まだ熱を持っているコピー用紙を束ねたものを生徒会長の前に積んだ。
「この書類に書かれているモノを販売する。生徒会へのマージンは通常の売店の二倍でよい…………土地を貸して貰っているのだからな」
どうじゃ、とアントニアはさらに薄い胸を誇らしげに張った。
どう見てもお願いごとをしに来ているようには見えないが、生徒会長は一切気にしない顔でパラパラと「販売計画書」を捲《めく》った。
「…………楽しい提案ですし、場所の提供は大丈夫ですけど…………これだけ全部売れますか?」
「売ってみせる!」
アントニアは力強く宣言した。
☆
本棚の下にずらりと並んだジェーン年鑑などの辞典類は、実は背表紙のみで、一枚板に貼りつけられた背表紙の裏にはちょっとした空間があった。
中には小さな厚紙の箱に収められたものがビッシリと詰め込まれている。
「やっぱりな」
摩耶は苦笑いした。
「あーっ!」
遠くで声がして、どたばたと慌ただしく走ってくる音が響いた。
「た、隊長! なななななにを!」
破壊された壁から中に飛び込んできたのは、ぱっつんぱっつんのナイスバディを制服に包んだメイド部隊副隊長、サラである。
「ぷ、プライバシー侵害です!」
「何を言うか!」
その小箱を別の段ボール箱に移すメイドたちを監督していた摩耶が一喝した。
「恐れ多くもアントニア様お手ずから原型のキャーティアグッズを複製する係という栄誉に預かりながら、それを隠匿しようとはどういう了見だ!」
「あ…………」
サラの顔がみるみる青ざめる。
「いつまでたっても失敗続きでどうもおかしいと思っていたら、すべて隠匿するつもりだったのだな?」
「そ、それはその、アントニア様の造形がかなりよろしい上に、塗装が…………塗装が…………」
「うまくいったのだな?」
「は、はい…………グラデーションも影塗装も、それはもう…………ずらりと並んだ完成品を見ているウチに、どうしてもこの子たちを売らねばならないのかと思うと…………」
がっくりとその場に両手をついて項垂《うなだ》れるサラ。
「その気持ちはわからんではない。だが、それとこれとは話が別だ」
ぽんぽんと摩耶はサラの肩を叩いた。
「当日は、『うにゃーくん』の中に入って販売係だ、いいな」
「え?」
強張ったサラの顔が呆然と摩耶を見た。
「う、『うにゃーくん改』ではなくて、ですか?」
「うむ」
重々しく摩耶は頷いた。
「改でもマークUでも『うなーたん』でもなく『うにゃーくん』だ」
「そ、そんな…………」
サラの顔が情けなく歪《ゆが》む。
「うにゃーくん」は総重量六〇キロの、通常型アシストロイドを模した着ぐるみだ。
その後作られた「うにゃーくん改」や「うにゃーくんマークU」は重量を軽減するための簡易倍力装置やエアコンが完備されているが、ただの着ぐるみでしかない「うにゃーくん」にそんなものはない。
製作したのはアントニアだが、その当人が二時間装着しただけでぶっ倒れ、鍛え上げたメイド部隊の面々でさえ、四時間以上の装着は難しい。
摩耶ですら五時間が限界という代物である。
「罰だからな」
冷然と摩耶は告げた。
☆
「〜〜〜〜〜〜〜♪」
コンビニ経由で家に帰ると、エリスは嬉々《きき》として絵コンテに向かった。
かつての仏間、今はエリスの部屋となっている畳敷きの部屋である。
いつもの座卓に座ると、目の前には大量にコンビニでコピーした絵コンテ用紙をでん、と積み、同じくコンビニで購入したシャープペンシルを握り、いつもの携帯情報端末を時折叩きながら、作業を始める。
次々と書き、何枚かを未記入のコンテ用紙の横に置き、何枚かをテーブルの下に置く。
その周囲で、暇なアシストロイドが何体か首を傾げるようにして作業を見守っているのが微笑ましい。
一方、騎央はというと、縁側で「定やん」相手になにやら作業をしていた。
「よし…………と、こんな感じでいいかな?『定やん』、ちょっと玄関まで歩いていってくれるかな?」
こくんと頷くと、丁稚型アシストロイドはとてとてと玄関まで歩いていく。
騎央は、その間膝の上に置いた液晶モニターを見つめる。
かなり低い位置から撮影されているとおぼしい、騎央の家の内部が映る。
液晶モニターに繋いだ機械と、カメラ自体の性能のおかげで、ほとんど揺れが感じられない。
「よし、戻っといで!」
玄関に向かって怒鳴ると、とててて、と「定やん」が帰ってきた。
頭に被ったハンチングの上に、小さな機械がピンで留められている。
一見するとタダのピンバッジに見えるが、手ブレ補正機能搭載の小型カメラだ。
学校からの帰り、叔父の雄一から借りてきたものである。
映像は無線で受信装置に送られ、デジタル録画される…………何で雄一の手元にこんなものがあるのかは判らない。
今回、騎央は学園祭での映画上映を諦めた。
その代わり、「定やん」たちの後を追って、今回の学園祭の記録映像を撮ろうと決めたのである。
最初、部長は難色を示したが、騎央は「来年の上映作品になるし、学園祭の記録も重要なことじゃないでしょうか」と説得した。
実を言うと、ちょっとした下心がこの提案には隠されている。
騎央は、この映像を使って、キャーティアのイメージアップを図ろうと考えていた。
学園祭が無事に終了すれば、この記録はそのままエリスたちが無害な存在であるという証明にもなるからだ。
具体的に映像をどう利用するかはまだ考えていないが(そのへんは叔父やエリス、アントニアたちと相談した方がいいと少年は思っていた)、ともかく、うまくいけば、不躾《ぶしつけ》なファーストコンタクトによる悪い印象を拭えるかもしれない。
「頼んだぞ、『定やん』」
ぽん、と頭に手を置き、騎央は最近弟のようにも思える小さなロボットに言った。
アシストロイドはうん、と頷き「まかせときー」とプラカードを掲げた。
☆
秋ともなれば、沖縄だって夜は早くなる。
七時を回るとさすがに窓の外は暗くなっていた。
そのころ、アオイの家では、「チバちゃん」と「錦ちゃん」が顔を見合わせていた。
「…………というわけで、映画を作ることになったの。協力して…………ね?」
アオイが言うと、二体はぶんぶん、と音がするほどの勢いで頷いた。
それから数秒間顔を見合わせると、大急ぎでアオイのコレクションの並ぶ棚へと走った。
それぞれに二枚ずつDVDを持って駆け戻ってくる。
「…………?」
首を傾げるアオイに、二体はそれぞれに持ったDVDを差し出しながら「これやりたいでし」とプラカードを振った。
受け取ってタイトルを確認してみる。
「チバちゃん」は『SFソードキル』と『魔界転生(昭和版)』、「錦ちゃん」は『大忠臣蔵(六八年東宝版)』と『賞金稼ぎ』。
「…………」
しばらくジャケットとアシストロイドたちの顔を交互にみていたアオイだが、すまなさそうな顔になった。
「ごめんね…………時間は三分で、三日で撮れるような小さな作品、って決まっているの」
がっくりとアシストロイドたちは肩を落としたが、すぐにまた顔を見合わせた。
互いに頷き、また棚に戻る。
さっきの四本を丁寧に棚に戻して、一本だけ持って戻ってくる。
子供ならもう興奮のあまり鼻息を荒くしてそうな感じで、「これならどでしか?」とプラカード。
「…………『座頭市と用心棒』?」
首を傾げるアオイに「これのせんとーうしーんだけやりたいでつ」と二体のサムライ型アシストロイドは訴えた。
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第四章 まずはともかくパレードだった
☆
沖縄の学園祭というのはひとつの大きな特徴がある。
学園祭の前に行われる、学校の前から手近な大通りまでのパレードである。
どうもこの慣例というか習慣というかお約束は、戦前にはない物で、戦後、アメリカの学園文化と共に流入してきた物であるらしい。
…………とはいえ、最近はやる学校も少なくなったが、騎央たちの学校にはまだそういう楽しい伝統が残っていた。
放課後、ぞろぞろとパレード参加者は校庭に集まり始めている。
通常、こういうものは学園祭の前日に行われるのだが、一風変わった騎央の学校では学園祭の行われる前の最後の月曜日、つまり五日前に行うのが定例となっていた。
パンクな恰好の者、市販されているコスプレ衣装をここぞとばかりお披露目している者、ゴムマスクを着用している者、顔を色とりどりに塗っているだけの者、部活のユニフォーム姿の者、賑やか且つ華やかである。
沖縄県民というのは結構内向的なところがあって、こういうパレードには中々参加したがらないものであるが、もう、学園内のあちこちでは五日後の本番に向けて準備が始まっており、気分が浮き立っているせいか、参加者は多い。
「うらやましいなぁ」
それを見ながらぽけっとエリスが呟いた。
「わたしだけ普段着ってのはちょっと寂しいです」
その通り、彼女だけがいつものボディスーツ姿である。
まあ、エリスの場合平素からコスプレみたいなものだが。
「まあまあ、今回はキャーティアのアピールでもあるし」
騎央が苦笑しながらとりなす。
「それに、初めて見る人にはその恰好は十分に派手だよ」
「そうでしょうか?」
まだ納得しかねる顔でエリスは首をひねった。
やがて、腹に響くエンジン音と共に、大きなトレーラーがやってきた。
「エリス様ぁー♪」
その荷台の上に積まれた荷物の上に立って、元気よく手を振っているのはアントニアである。
☆
「さぁて、これからが大変ね」
パレードの人員の中、真奈美はそう呟いてさりげなく特殊なカバンを小脇に抱え直した。
一見すると普通の学生鞄だが、中にはMP5Kが収まっていて、いざとなればカバンに収めたまま発砲が出来る。
「ええ」
アオイも頷いた。彼女も同じようなカバンを手にしている。
ちなみに、ふたりは制服のままで、全然コスプレをしていない。
「あら、あなたたち、コスプレしないの?」
ドコカで訊いたような声が後ろからかけられた。
「今回はちょっとね…………」
とか答えた瞬間、はっと真奈美は振り返った。
「いけないわねえー♪」
いつの間に現れたのか。
んふふふふふ、と何故か悩ましげに両手を後頭部にあて、クネクネと腰をくねらせながら、真奈美とアオイにとっての「天敵」、河崎貴雄《かわさきたかお》カントクはニヤリと白い歯を見せて笑った。
「ちょうどいい衣装を持ってきているのよぉ〜」
そう言って、忘れられないあの紐水着と兎耳《うさみみ》付きヘルメットを取り出す。
「さ、新作プロモーションということで」
「だ、誰が…………」
アオイをかばうように真奈美が前に出る。
数秒の、しかし当人たちにとっては無限のにらみ合いが始まる…………と思いきや。
「え? 双葉さんと真奈美、これ着るの?」
全然状況を理解していない、映像部の石嶺愛子《いしみねあいこ》がやってきて目を輝かせた。
ちなみに彼女はというと、キリンの着ぐるみだったりする。
「うわースゴイ、これあの映画の衣装っしょ?」
「いや、あ、あのそうだけどね」
「でしょー!」
カントクが、だめ押しをするような、微妙な大声をあげた。
「スゴーイ!」
状況が悪かった。
みんな大人しく集まっているようでいて、着けている服がすでに普段とも違う、さらに学内では残った連中が準備をする風景もある……………パレード参加者には文化人類学で言う「ハレ」の気配が漂い、全員がその気配に酔いつつあった。
そこへこの騒動である。
全員の注目がふたりに注がれた。
「い、いや、あの、その…………」
興奮の伝染は微妙に真奈美とアオイにもあって、普段なら頭を切り換えてさっさとその場から逃げ出すという選択肢を取るはずが、そのタイミングを逸《いつ》してしまった。
「…………」
全員の期待のざわめき。
「いや、あの……」
「さーさ、ほらほら、着替えた着替えた!」
筋肉オカマという単語に口髭をくっつけ、Tシャツを着せたような人物は「逃げられないわよ」という意味を言外に匂わせながら宣言する。
ふたりの顔色が青ざめた。
☆
糸嘉州《いとかず》マキは嘉和騎央の、つまりエリスも通う学園の教師である。
そして、この学校の中で最も若い教師であった。
そんなわけで、今回のパレードは彼女が引率教師ということになっている。
「…………」
マキは溜息をついた。
彼女は教師であると同時に、全世界規模で存在する、キリスト教原理主義者と並び称せられるハードSF系秘密結社「ビューティフル・コンタクト」の一員なのだ。
すっかり忘れている人たちもいるであろうから説明しておくと、「ビューティフル・コンタクト」とは「SF的に正しい異星人との接触」こそが最良であると考えている集団で、これまでたびたびキャーティア側からの接触を反故《ほご》にしようと動いてきた。
時にはクラッキング、放火、あるいは爆破などの非合法手段を用いてでも、である。
ほんの数ヶ月前、彼女はそこの忠実きわまるメンバーとしてエリスの命を狙った。
返事がなければ、そのまま帰ってしまえばいいモノを、キャーティアたちは地球に降りてきてしまったからである。
その先遣《せんけん》隊のエリスを亡き者にすれば、あるいは死ぬほどのひどい目に遭わせれば、二度と彼らは地球人と接触しようとは思うまい…………という一見もっともとも思える理屈によるものである。
実はその思考の裏には「宇宙を行き来できるような文明の持ち主なら、これぐらいで地球を滅ぼそうとは思うまい」という脳天気な甘えがあったのだが…………そのことに気づくよりも先に、そこでマキは挫折した。
頭の中では「亡き者にするべきだ」と思いつつも、あまりにもエリスは暢気で、陽気で、寛容であった。
非常に理論的でもあり、また思考が柔軟でもあった。
つまり「素晴らしい」とはいかなくても「結構いい人」だったのである。
まして、彼女はちょっとした行きがかりで「敵」として認識するよりも先に「生徒の家の同居人」としてエリスを認識してしまっていた。
「敵」を殺すことは容易《たやす》いが、「知り合い」を殺すのは難しい。
そして、その「敵」は自分の生徒の「友達」であった。
結局、彼女はエリスを殺すどころか、彼女の命を助けるために手を貸してしまった。
そして、今は生徒として彼女に接しなければいけない立場である。
「…………でもねえ」
知らず、マキはひとりごちた。
やはり、だからといって、今まで自分がいた集団《コミュニティ》をあっさり捨てる訳にはいかない…………何よりも、内向的で、文化系であるマキにとって、「ビューティフル・コンタクト」は唯一の帰属集団なのだから。
「あ、糸嘉州センセー!」
諸悪の根源、頭痛の種が、脳天気に微笑みながら手を振って近づいてきた。
「今日は先生が引率なんですね!」
「え、ええ」
「よろしくお願いします!」
ぺこり、とエリスは頭を下げた。
その横で、通常型のアシストロイドたちも同じようにぺこんと頭を下げる。
何とも微笑ましく、マキは苦笑してしまった。
少し、気持ちが軽くなる。
そうだ、私は教師なのだ。
「…………ええ、パレード、盛り上げて頂戴ね!」
そう言って、軽くぽんと肩なんか叩いたりした。
☆
さて、それから数十分後。
那覇《なは》署から、パレードの誘導に来た警官たちは、てっきり統一のない、ダラダラした一団が固まっているとばかり考えていた。
ところが、そこには白いケープに身を包んだ学生たちが整然と並んでいるのである。
一番先頭にはトレーラーがあった。
当初、いぶかしげだった警官たちだが、白いケープの一人がその疑念を解くと「最近の学生さんってのは凝ってるねえ」と納得し、先導を始めた。
☆
同日、同時刻。
嘉和騎央の投げた波紋はちょっとした広がりを見せたが、各国政府大使館にとって、それは大した意味が無かった。
あまりにも少年のやり方は(後にラインダム大使に厳しく指摘されたように)交渉ごとのセオリーを無視しすぎたものであったし、言うことも感情論の範囲を出ず、まあ「アレが噂の」という物をふたつ見られた、というぐらいのものだったのだ。
ただし、諜報機関の方は少々状況が違う。
彼らがどうやって沖縄→東京間を行き来したのか判明しなかったし(実際は新しく装備された個人用宇宙船、『ルーロス改』を使用したのであるが)、嘉和騎央の隣に「悪運|紅葉《もみじ》」こと双葉アオイがいることから、これが一種の欺瞞《ぎまん》活動ではないか、という憶測が流れたのである。
陰謀論者ではあっても、それを操《あやつ》る側である彼らはすぐに状況と情報を分析し、「単なる少年の暴走」と結論をつけた。
もっとも、このために各国諜報機関はかなりの手間暇を取られたので、ある意味、無意識のうちに欺瞞作戦として一連の騎央の行動は成功した、とも言える…………何しろ「何かある」ことを証明するよりも「何もない」ことを証明することの方が手間が掛かるのだ。
それが完全にひっくり返されたのは、その日の午後遅く、全国ニュースによってである。
☆
白い一団はしずしずと国際通りに入ってきた。
沖縄戦でそれこそ地形が変わるほどの戦いを経《へ》て、完全消失した那覇の町で、いち早く復興した「奇跡の一マイル」。
古くからここに住み着いている人々の中には、未《いま》だにここを「国際大通り」と呼ぶ者も多いが、沖縄屈指の目抜き通りだというのに、戦後復興の慌ただしさゆえか、それとも物資不足の貧しさ、あるいはその両方か、片側一車線という微笑みたくなるぐらい小さな通り。
が、沖縄県民にとっての「大通り」はおもろまち新都心に移ってしまったものの、やはり、ここは「国際大通り」なのである。
何の表示もないトレーラーを先頭にした白いケープ集団の先頭は、一言も喋らずにタカラレコード店の前を通り、元国際ショッピングセンターのあった辺りを過ぎて、沖縄三越の前まで来た。
異様な集団に、観光客も地元民も固唾《かたず》をのんで見守っている。
不意に、トレーラーの天井が開いた。
異様に小さな、しかし同じように白いケープを頭から被った人物たちがゆっくりとせり上がりつつ現れ、丸めた背中をしなやかに伸ばしながら、袖口からミトンを填めたような手を中空に差し出す。
腹に響く重低音がゆっくりと響き始め、その奥から男性ソプラノのソロがゆっくりと現れる。
六〇年代のヒット曲にして、黒人ボーカルグループ、フィフス・ディメンションの名曲「アクエリアス〜輝く星座〜」だ。
まるで、小さな人物は自分が歌っているように、ゆっくりと回転しながら舞い続ける。
やがて、女性のコーラスが加わると同時に曲はぽんと一段テンポをあげた。
同時に全員のケープが宙を舞い、その隠されていた姿が現れる。
天井にずらりと配置されたのは通常型アシストロイドたちだ。オシャレなのか、首のあたりにある鈴の下に大きな蝶ネクタイがワンポイントになっている。
学園の生徒たちもコスチュームをあらわにし、歓声をあげた。
その中、トレーラーがゆっくりと開き、学園祭の告知を書いた横断幕が現れ、「定やん」と「ゆんふぁ」がザルに入れた紙吹雪をばらまきながら走る中、横断幕の後ろに立ったエリスがちょっと慣れない感じで笑顔を振りまく。
音楽が転調し、ゆったりとしたイメージの男女コーラスが響き渡る中、パレードは続く。
「うむ、よいぞよいぞ♪」
その横で、こちらは完全に上機嫌の猫耳尻尾装備のアントニアと、完全に強張った表情のアオイと真奈美…………どちらも横断幕に隠れてはいるが、かなり過激な水着とバニー耳のついたヘルメット装備にマシンガンを担いだ姿…………が、ガチゴチに手を振り続ける。
「くぅー…………」
「みんな、がんばってるなぁ……」
エリスとアントニアはともかく、真奈美とアオイは違う事情が背中にあるが、そんなことを知らない騎央は感心しながら一般歩道からデジタルビデオカメラを回した。
「おおっ! 宇宙人だー!」
「エリスちゃんだ!」
たまたま居合わせた観光客の中からそんな声が響いて次々にカメラが向けられる。
「えーと…………」
襟元のピンマイクがエリスの遠慮がちな声を拾って拡声する。
「というわけで、今度の土曜日と日曜日、学園祭なので、お誘い合わせの上で、どうぞみなさん、いらっしゃってくださーい!」
何の打ち合わせもない、ただの学園祭パレードにはつきものの言葉である。
誰かに強制されたわけではないし、エリスも何となくこの場合言うべきだろう、と考えてのことである。
このとき、エリスも、またパレードの学生たちはもちろんのこと双葉アオイでさえ、この一言がどんな結果を巻き起こすのかは予想していなかった。
☆
「あら、今日はあんただけ?」
格子戸をくぐると、夕焼けを背にしたいちかは、家の中にアシストロイドの気配がないことを敏感に察知した。
「まぁね」
アシストロイドが作ったとおぼしい「おるすばん」と書かれたプレートを首から提げたチャイカは、そう言って肩をすくめた。
「エリスたちと一緒に今日はガクエンサイとかいうものの手伝いに行ってる…………帰りは大分遅いから、出直してきた方がいいぞ。ロクなもてなしも出来んし」
「あ、大丈夫大丈夫」
と、いちかは両手に提げたコンビニ袋を掲げて見せた。
「ほら、自腹で買ってきてあるから」
「ふぅん。礼儀はわきまえてるんだな」
「アンタもいっしょに、どう? ビールもあるよ」
「うん!」
夕暮れの玄関で、にっこりとふたりは笑みを交わしあった。
☆
「輝く星座」から「マツケンサンバU」レイ・チャールズの「シェイク・トゥ・ユア・テイルフェザー」米米クラブ「浪漫飛行」…………と、賑やかな曲を背景に、パレードは三〇分ほどかけて一・六キロの道のりを無事終えて、現地|解散《おひらき》となった。
「何か、すっげえ楽しかった!」
「今度の学園祭、なんか大成功しそうだね!」
「おう!」
興奮冷めやらぬ生徒たちは中々解散しようとしないまま、県庁前のバス停にたむろしてしまう。
「こらこら、あんまり固まらないで、早く帰りなさーい」
先導する警官がスピーカーで警告するが、その言葉もどこか柔らかい。
「えーと、皆さん! 学校に戻る人はここへ並んで下さい! そのまま帰る人はそれぞれのバス停に急いで移動してくださーい!」
引率の糸嘉州マキが拡声器を使って生徒たちを誘導し始めた。
「騎央さーん!」
エリスが手を振るのへ騎央は応じ、歩道からよっこいしょ、とトレーラーの荷台に上がった。
騎央が乗ると同時にトレーラーの荷台は閉じて元通りになる。
荷台の中にはすぐ明かりが灯《とも》った。
中にいたエリス、アオイ、アントニアたちの間に心地よい解放感が広がる。
「どうでしたか?」
「うん、バッチリ撮れたよ」
にっこりと騎央は微笑んだ。
「あ、あの嘉和…………君」
おどおどと、荷台が閉まったと同時にバスタオルを身体に巻きつけたアオイが尋ねる。
「私たち…………も?」
「うん!」
もちろんじゃないか、という騎央に、アオイは赤くなったり、青くなったりしながらあらぬ方向を向いた。
「こーの馬鹿騎央!」
ごっ、とそんな騎央の後頭部に真奈美が手刀でツッコミを入れた。
「イタっ、何するんだよ、真奈美ちゃん!」
「乙女心っつーものが判らないのかネ、あんたには!」
「なんだよ、それ!」
幼馴染み同士が喧嘩している間に、エリスはアオイの耳元に口を寄せる。
「コスチュームのこと、きっと騎央さんは似合っているって思っているだけだと思いますよ」
囁くと、アオイは真っ赤になってエリスを見つめた。
「ほ、本当…………?」
「ええ。わたしも似合うと思います」
猫耳尻尾付きの宇宙人は大まじめな顔で頷いた。
「…………ありがとう」
俯いて、アオイは身を縮めた。
その後ろでは。
「なんだ、サラ! 今日のざまは!」
「そうじゃ! 一度『うにゃーくん』を着用したら、お前はアシストロイドなのだ、ヘバってどうする! しかもたった三〇分程度じゃぞ!」
摩耶とアントニアに挟まれて、一〇倍スケールのアシストロイド…………その実体はアントニアが作ったアシストロイド型着ぐるみ、「うにゃーくん」が文字通り「うにゃー」とうなだれている。
中身はもちろん、サラだ。
『で、ですがお嬢様、メイド長、これ、結構暑くてその、サイズもお嬢様に合わせてあるので…………』
「何を言うか! お嬢様のお体がすっぽり入っておられた素晴らしい器なのだぞ! 本来なら副メイド長として感涙にむせび、己の身体が合わぬことを恥じるべきではないか!」
『いや、あの…………』
「よいか、サラ」
アントニアは、彼女にしては珍しく辛抱強く言い聞かせるような口調になった。
「その中に入った以上、『うにゃーくん、元気ですかー!』と言われれば、どんなに苦しくても、体力の限界でも、立ち上がってくるっと一回転ぐらいはせねばならんのだ! …………見よ、こうだ!」
言うなり、アントニアはくるりとその場で一回転し、両脚をぐいっと広げると右手は腰に当て、左手を高々と掲げてくるくる回した。
「おお、お嬢様、さすがです!」
『そりゃ、お嬢様はコレを着用してないから…………』
などとサラはブツブツ言っていたが、摩耶の鋭い一瞥を受けると黙り込んだ。
「よし、これからはこれだ! 私が『うにゃーくん、元気ですかー!』と言ったらお嬢様がなさったように踊れ!」
『は、はいぃ…………』
「では行くぞ、『うにゃーくん、元気ですかー!』」
摩耶はいつもとは打ってかわった、可愛くて明るい「おねーさん」の声を出した。
よたよたと「うにゃーくん」はその場を一回転し、ぐいっと腰をひねろうとしてよろける。
「ダメだ、もう一回」
『はいぃいい…………』
再び「うにゃーくん」はその場を一回転する。
「ダメだ、もう一回!」
『は、はひぃい』
「違う、腰に当てるのは右手だ!」
『ひぃい』
「違う! もう一度!」
『…………ぃい』
静かとはいえ、揺れるトレーラーの荷台の上で、しかも着ぐるみを着けた状態で一回転してポーズを決める、などということはプロのスーツアクターでもなければ不可能であるが、どうもこの主従には関係ないらしい。
周囲のメイドたちは何とも言えない表情でそれを見守る。
うっかり何か発言して、自分もまた「うにゃーくん」を着る羽目になっては元も子もないからである。
彼女たちの足下に隠れるようにした「定やん」は「おにや、おにがいてはる」とプラカードを掲げた。
その隣で「錦ちゃん」が「かみにおうてはかみをきり、ほとけにおうてはぶっちぎり」と書き、「チバちゃん」が「おかーしゃんがばれー」とオチをつけ、背後に並んだ通常型アシストロイドたちがうんうんと頷いた。
どうも、やっぱりこの連中、作った側に問題がありそうである。
☆
「ああ、いちかか? アレならどっかに遊びにいってる。まあ、心配はしてないよ」
家事手伝いチャンチャカ猫こと、いちかの保護者である瑞慶覧旅士は電話の相手にそう言って笑った。
すでに日は落ち、瑞慶覧家の玄関には明かりが灯っている。
「そうか、明日なのか…………久々にみんな揃うね」
それから旅士は相手の言葉にいちいち頷いて、
「大丈夫だよ、お互い、もう危険な稼業からは足を洗ったわけだし。それにここはのんびりしたもんだよ。大丈夫トラブルはないから」
旅士は何かを思い出したらしく苦笑いした。
「そうだった、いつもそう言った後でトラブルが起こるんだっけ」
青年は目を細めて電話の相手の言葉を聞いた。
「いいよ、大丈夫。そっちも今名前を売っておかないと…………ほら、芸事は最初が肝心、っていうしさ」
さらにしばらく会話があって、
「わかった。明日にはいちかと一緒に迎えに行くよ」
☆
「ただいまー…………って、あれ?」
家の近くでトレーラーから降ろしてもらった騎央とエリス、およびアシストロイドたちは玄関をくぐった途端、妙な歌声が響いてきたので首を傾げた。
「なんでしょう?」
ひくひくと頭の上の主耳《メインイヤー》を動かしてエリスが首を傾げる。
音声はふたり分、何かを「がなって」いる、という以外、音程すら探すのは難しい。
呂律《ろれつ》も音程もめちゃくちゃなのである。
「定やん」が、どこで覚えてきたのか「かまがさきぶるーす?」とプラカードに書いた。
騎央はしばらく首を傾げていたが、ようやく曲ではなく、歌詞のリズムで曲名を当てた。
「いや、ちがう…………『ザッツ・アウェイ』?」
最近、叔父である雄一の車の中で聴いた曲だ。
八〇年代を席巻《せっけん》したディスコサウンドの雄、KC&サンシャイン・バンドの名曲…………なのだが、どう聞いても醤油で煮染《にし》めたような歌い方で、完全にブルースと化している。
歌声は応接間からした。
行ってみると、そこには顔を真っ赤にした人型ネコが二匹肩を組んで歌っていた。
「ぃよお、騎央ぅ!」
へべれけになったチャイカ(地球人換算年齢二〇代前半)が手をあげた。
「やぉー、えりしゅーおいあー!」
どうやら「やほー、エリスーおひさ!」と言いたいらしい、真っ赤ないちか(推定年齢数千歳)が同じく片手をあげる。
ふたりの周囲には大量の銀色の空き缶とつまみの入った小皿が、ちょっとした飯場のミニチュアを作っている。
「いやぁー、こいつ、いい奴なんだよー」
「ひょー、こいふ、いーやしゅなにょのー」
飯場の親方ふたりは、そう言って互いを褒めあい、さらに新しくビールの缶を開ける。
「きゃんぱーい!」
「かんぱーい!」
やれやれ、という風にエリスは苦笑いした。
その足下を通って、アウラが「2」の頭の上に飛び乗ったが、もうそれは当たり前だと受け入れているのか、「2」は一切抵抗しない。
☆
「彼」は殺気立っていた。
無理もない話ではあった。
韓国のソウルで、極秘裏に大きな任務をこなし、本国に帰ってしばらくはゆっくり出来ると安堵した矢先、中継地であるはずの日本で新たな任務を命じられたからである。
数ヶ月がかりの大きな任務は、「彼」の神経と肉体に相応以上の疲労を与えていた。
もうしばらくの間、銃もナイフも握りたくない…………が、アジア地区において、その日特殊任務がこなせる人間は彼と、彼のチームだけだったのだから、これは不可避の任務である。
そんな疲労と心労が「彼」の判断力を低下させていた。
ほんの僅《わず》かなものであったが、致命的なモノに繋がりかねない低下である。
悪いことに、入国ゲートをくぐった瞬間、「彼」は見てしまった。
今から十年近く昔、まだ新人だった「彼」が所属していたチームに大打撃を与えた人物が歩いていくのを。
己の巡り合わせの不幸を嘆く心が、即座に「これこそ天啓」という言葉に飛びついた。
(八年前の借りを返す時が来たんだ)
「彼」は…………普段の「彼」が見れば滑稽《こっけい》に思うほどの真摯《しんし》さでそう信じてしまった。
肩の傷が疼《うず》く。
八年前、彼は今、目の前を歩いていく相手によって初めて任務を失敗したのだ。
当時のチームの隊長は責任を取って辞任した。
チームの他の連中に宿泊施設に向かうように指示すると、到着ロビーを横切り、空港内の駅へと向かうその黒い後ろ姿を「彼」は追った。
相手は地下にある、JR・京成成田《けいせいなりた》空港駅へと降りていく。
手慣れた様子で、ICカードを使い中に入る標的とは違い、「彼」はわざわざ小銭を使って中に入るしかなかった。
幸い、電車が来るまで間があり、彼は置いてけぼりを喰らわないで済んだ。
一両隣の車両に座り、「標的」の動きを監視する。
同行者は一人。背の高い、まだ幼さの残る女。
だが、同行者はこの際無視する。
電車に揺られ、東京駅に着いた。
ドアが開き、どっと人がなだれ込むのを器用に避けながら、「彼」は「標的」のいる車両にするりと移動し、「標的」の横に並びながら、サファイヤの指輪の台座を、掌の側に向けつつ、回転させる。
サファイヤが縦に割れ、小さな、細い針が現れた。
二〇年前なら毒物を塗っているのが常だが、検死技術の発達した現在では、死体を残す愚を犯さないために、即効性の麻酔薬が塗られている。
「彼」はさりげなく横を通りながら「標的」の首筋に掌を押し当てようとした。
何かが、彼の手の甲にかぶせられた。
「!」
愕然と視線をおろす彼に、「標的」はにっこりと微笑んだ。
懐かしい友達を見つけたような笑み。
「お久しぶりだ、レイダー少佐」
八年前と違い、「標的」の英語からロシア訛りは抜け、代わりに日本人のようなイントネーションが加わっていた。
金色のセミロングに、薄いサングラスをかけた東欧系の白人の美女は微笑んだ。
「だが、腕が落ちたな」
女の、黒い手袋を填《は》めた掌が、「彼」の手に重ねられていた。
「殺気が目をつぶっていても判ったぞ」
ぎゅっ、と握られる。
「彼」は掌に痛みを感じながら、意識が落ちていくのをどうしようも出来なかった。
☆
「やれやれ」
東京駅でJR山手線に乗り換えると、黒いコート姿の女…………ラインダムの大使館でアズロワ様と呼ばれていた女は溜息をついた。
「ここまでに五人も襲ってきた…………引退して五年にもなるのに」
流暢《りゅちょう》な日本語だった。目を閉じてしまえば、誰も彼女が外国人だとは思うまい。
「五並びですね」
横で「ベル」と女に呼ばれている、背の高い美女が暢気に言う。
電車は秋葉原《あきはばら》駅に着いた。
それぞれに海外からの手荷物としては信じられないほどの小さなカバン一つをさげたふたりの美女は、足早に改札をくぐった。
「しかも全部わたし狙いだぞ。ベル、君だって仲間だっていうのに」
「まぁ、あたしはホラ、あんまり目立たないから」
「わたしよりも背が高いのに、か…………不公平だ」
つくづく辟易《へきえき》した顔になる…………美女の特権か、そうした顔もまた絵になった。
「ホラ、先輩は活動期間があたしよりも長かったし」
背の高い美女が少々苦笑いしつつもフォローすると、金髪のほうは、拗《す》ねたような表情になった…………意外とこの顔に愛嬌がある。
「しかし。いったい何があったっていうんだ?」
誰に問うでもなく金髪にサングラスの美女は呟いたが、その肩をちょいちょいと、長身でロングヘアの美女がつついた。
「アレじゃ…………ないでしょうか?」
「?」
言われた方を見ると、そこにある街頭ディスプレイされた液晶テレビに、ある人物が映っていた。
何故かトレーラーの荷台に載った、金髪碧眼に猫耳尻尾をつけたその人物は、ちょっと慣れない風に周囲に対して愛想を振りまいている。
足下では何かのリズムに合わせて二頭身の猫耳ロボットたちが飛び跳ねていた。
「…………だろうな」
思わず足を止め、ぽけっとした声で女は言った。
「…………あれなら、あちこちのスパイの人が東京に来ているのも判りますよねえ」
「…………まったく」
金髪の美女は天を仰いで嘆息した。
「地球産にしろ宇宙産にしろ、猫耳尻尾付きの連中というのはどうしてこうトラブルを引き寄せるのだ?」
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第五章 準備がようやく始まった
☆
朝、目覚めた騎央が一階に下りてくると、デジタルビデオカメラ片手のエリスがアシストロイドたちをぞろぞろ連れて戻ってきた所だった。
「あ、おはよーございます」
少なくとも二時間前から起きているらしく、エリスの顔はかなりしゃんとしていて、きびきびとした動きで玄関に上がった。
今日の当番のアシストロイドたちが「では、ちょしょくのじゅびしてきます」とプラカードを掲げてトタトタと台所へ向かう。
「どうしたの、今日はえらく早いけど」
まだ眠い目を擦りながら騎央が言うと、
「映画撮ってたんです」
とあっさりエリスは言った。
「え? もう?」
「どうもアントニアさんがキャーティア大使館の名目で学園祭にお店を出すみたいなんで、わたし、そっちの手伝いすることになりそうですから」
どう考えてもそれは「手伝い」ではなくて「経営」、あるいは「運営」になるんじゃなかろうか、と騎央は思ったが、まあ、実際にはアントニアとメイド部隊が仕切るわけで、だとしたらエリスの感覚は正しいのか、と考え直した。
「それに、|アシストロイド《この子》たちは今日から貸し出し開始、ってことになりますから」
「あ、そうか」
今日から三日間、アシストロイドたちは映像部の部員たちに「被写体」として貸し出される。
さらに四日後に控えた学園祭当日には各クラスに二体ずつの割合で「お手伝い」として貸し出される予定になっていた。
「まあ、持ち主特権、ってことで部長さんにはお願いしてありますけれども」
「で、どんな映画になるの?」
「それは出来てからのお楽しみ、です」
にっこりとエリスは笑った。
「ところで騎央さん、チャイカ知りませんか?」
「え?」
「今朝、起こそうと思ったらいちかさんも見えないし…………」
「確か、夜中に『あたしんちでのもー』とか言っていちかちゃんが連れ出したのを見たけど…………」
「弱りましたねえ」
ちょっとエリスは首を傾げるようなポーズを取った。
「そろそろ学校ですから、お留守番をお願いしたいんですけども」
☆
ぽてぽてと頭を叩かれて真奈美は眼を覚ました。
「ん…………あ、おはよ『ゆんふぁ』」
もごもごと意味のないことを口の中で言いながら真奈美はベッドに身を起こす。
サングラスにコート姿のアシストロイドは「おあよござます」とプラカードを掲げる。
毎朝繰り返されるいつもの風景であった。
「ん、おはよ」
ふにゃふにゃと真奈美は洗面所に降りて顔を洗い、部屋に戻って服を着替える。
姿見で服装におかしな所がないか確認していると、「ゆんふぁ」が何か言いたそうなそぶりをしているのが目に入った。
「どうしたの?」
と尋ねると、射撃型アシストロイドは「まなみはなにをとるでしか?」とプラカードに書いた。
「何を?」と問うと「えーがでし」と返事が来た。
「言ったでしょ、今回のあたしは護衛に徹するから、そんな暇ないって。映画なら大丈夫、他のみんなが撮るから、それに出ればいいじゃない」
ね、と微笑む真奈美だが、「ゆんふぁ」はつまらなさそうにコートのポケットに手を入れて俯いた。さらにありもしない小石を蹴るフリをする。
「大丈夫、『ゆんふぁ』は恰好いいから主役だって」
と慰めようとしたら「ちがうでし」とアシストロイドは否定した。
さらにプラカードに書く。「まなみのえーがにでられるとおもたのに」
「…………嬉しいこと言ってくれるじゃない」
微苦笑を浮かべながら、真奈美はぎゅっと小さなアシストロイドを抱きしめた。
「真奈美、真奈美!」
そんな感動的なシーンに水を差すように真奈美の母の声が階下から聞こえてきた。
「あんた、ホラ、テレビ出てるわよほら!」
「〜〜〜〜〜〜!」
それまでの感動的な雰囲気をぶちこわす声と、その源《みなもと》になった映像という名の『現実』に真奈美は顔をしかめた。
「いーったら! 見ないの!」
「でもほら、軽部《かるべ》さんが驚いて! ほら、隣のチャンネルじゃ鈴木《すずき》の順《じゅん》さんが喜んでるわよ! ほらほら、早く来て!」
「WAO! マナーミ、スゴイね! Very strong&cool!」
先日から居候しているジャックも、歓声を上げている。
彼女たちの目の前にあるテレビで展開されている風景を想像して、真奈美は頭を抱えた。
神様もマスコミも不公平だ。
どうして犯罪者の顔にはモザイクがかかるのに、自分たちにはかからないのだろうか。
「ホラ真奈美、早く降りてきなさいってば!」
「見ないったら!」
そして、その光景の意味するところに真奈美が気づくのにはしばらく時間が掛かった。
☆
「う゛ーあだまいだい…………」
昼も半ばを過ぎてから、ようやくいちかは眼を覚ました。
「昨日は飲み過ぎたなぁ…………」
うにゅーれ、と意味不明なことを言いながら、いちかはしょぼつく目をこすりつつ、周囲を見回した。
彼女の寝起きしている瑞慶覧家の裏庭にあるプレハブ小屋である。
「何とか帰っては来たのね、うん、偉いぞ昨日のアタシ」
何度も頷きながらいちかは部屋の隅にある小型冷蔵庫を開けて、エビアンを取りだした。
「う゛ーうう゛ー」
と、壊れたブザーのようなうめき声が聞こえ、いちかは声の方向を見た。
部屋の片隅、自分の身長ほどもある泡盛菊之露《あわもりきくのつゆ》の一斗瓶《いっとびん》(一升瓶ではない)にしがみついて顔をしかめているのは、青のボディスーツに黄色の三角プレートを猫耳に装着しているチャイカだ。
「う゛ー」
チャイカは顔をしかめ、青い顔のままでうめきつづける。
「やられだー、未知の風土病にやられたー。同胞だと思った相手に毒盛られたー」
「誰が毒盛ったのよ、こら。」
とか言っていちかが揺さぶるとチャイカは渋々目をあける。
「頭痛いー、吐き気するー、胃がムカムカするー、ぐるぐるまわってるー」
「そーゆーのをね、二日酔いっていうの」
いちかはエビアンの小瓶をひとつ差し出した。
「ほれ」
「う゛ー」
キャップをひねってエビアンの飲み口を開け、コクコクと飲み干す。
「うわー、水、うまーい」
「でしょー」
わはは、と笑っていちかは続ける。
「今度は学園祭だからねー」
「へー。ガクエンサイでも同じような騒ぎになるのか?」
「まーね♪」
目を細めて笑いながら、いちか懐から取りだした細長い紙を人差し指と中指に挟むと何やらモゴモゴ口の中で唱えた。
一瞬で細長い紙…………護符は灰と化し、それをサラサラとエビアンの中に入れて飲み干した。
「他にもいろんな食べ物とか、飲物とかの出店も出てね、すっごく楽しいわよ」
「ふぅん…………そーなのかー」
チャイカの目がちょっと不穏当な輝きを示し始めた。
「…………お、昨日のご飯があるか」
部屋の片隅にある炊飯器のコードを引っこ抜くと、いちかは側にある腰ほどの高さの水屋を開けて中から茶碗をふたつ取りだした。
さらにその隣の小さな冷蔵庫を開ける。
無発泡ウレタンの入った缶などに混じっておかれた食材のひとつを取りだして、お茶碗に飯を盛りつける。
「…………どうよ、ついでに朝飯」
「朝食…………って、ネタはなんだい?」
「これよこれ。あたしら猫の|心のご飯《ソウルフード》」
そう言うと、いちかはビニールパックから花かつおをご飯にふりかけ、ちょっと醤油をたらし込んだ。
「ほい」
「そんな木の削りカスみたいなので…………?」
匂いを嗅いだチャイカの顔に「?」という表情が浮かぶ。
☆
その日、騎央たちはまさに「ご一行」とでも言うべき陣容で学校へ向かった。
メインの人数が変わったわけではない。
今回、総勢二〇体のアシストロイドがぞろぞろとくっついてきたためである。
アシストロイドにはそれぞれ小型の空間転移システムが内蔵されているので、本来は一体だけ連れて歩けばいいのだが、「どうせなら登校は楽しい方がいいですよ」というエリスの意見により、妙に目立つ集団が出来上がってしまった。
喜んだのはアントニアとサラである…………と言いたいが、この場にサラはいない。
「あれ? サラさんは?」
と騎央が尋ねたが、
「あれは寝ているのじゃ、情けない」
とアントニアは素っ気なく答えた。
☆
同時刻、「アンドローラU」内のとある部屋では。
執事の恰好をしたアシストロイドがかいがいしく氷嚢《ひょうのう》の中身を入れ替え、ベッドの上にひっくり返ったサラの額の上につるしていた。
「はぃい…………うにゃーくん、げんきでしゅぅうう……」
うわごとを繰り返しながら、完全にバテきったサラは昨日さんざんに練習させられた通りに腕をくるくると回していた。
「可哀想に副長…………」
そっとドアを閉めながら、メイド部隊のひとりが目頭を押さえた。
「まぁ、帰ってきてから真夜中の三時までずーっと『うにゃーくん』装着で『元気ダンス』の練習だものねえ」
別のメイドが溜息をつく。
「メイド長もお嬢様も鬼だよねえ…………」
「でも、その貴重な人身御供《ひとみごくう》あればこそ、我々の安寧《あんねい》たる生活もあるわけで…………」
「南無《なむ》ぅ…………」
ふたりのメイドは両手を合わせた。
☆
光のきらめきの中から、ピンク色のアシストロイドが三体現れた。
形状的には通常型なのだが、やはり特別らしく手の指は五本に分かれている。
さらに手に持った青いベレー帽を被った。
「というわけでー♪」
キャーティアたちの船の艦長、クーネはマントの前をばさっと広げるように手を高くさしのべ、ご機嫌で自分の直属の部下である三体のネコ型ロボットに命じた。
「今日はここで私がお留守番となりましたー♪」
艦長直属のアシストロイドたちはざっ、と敬礼して「了解」の意を示す。
「みなさん、エリスの|子たち《アシストロイド》からデータは受け取ってるわね?」
ピンク色のアシストロイドたちは「さー・いえっさー!」とプラカードを掲げた。
「うんうん。やっぱりこっちの方が格好いいわねえ」
自分専用のアシストロイドたちにエリスが持ち込んだ資料で見た軍人の行動パターンを教え込んだことに満足したクーネは、
「では、さっそく家事手伝い開始!」
と命じた。
とてちてたー♪、という音が似合いそうなきびきびした動きでアシストロイドたちは台所と庭と応接間に散っていく。
午前中は部屋の掃除と食事の後かたづけ、午後は夕食準備まで自由、というのが嘉和家におけるアシストロイドの行動パターンだ。
「さて、と…………」
クーネは揉み手しそうな上機嫌で応接間のソファに腰を下ろした。
「えーと」
懐から情報端末を取り出すと、ある画面を呼び出す。
それとにらめっこしながら、クーネは応接間のテーブルの上に置かれたテレビのリモコン兼、CSチューナーのリモコンを手に取った。
テレビをつけ、予約情報を呼び出す。
「ふむ、今日は夕方まで大丈夫なのね…………」
情報端末の空中投影型ディスプレイに表示されているのは嘉和家の電子機器の使用マニュアルだ。
基本的にはエリスが作ったものであるが、艦長専用に、ちょっとした「裏技」も今回は掲載されている。
「えーと、こーやって、こー…………かな?」
なにやら悪戦苦闘しているクーネの肘を、ちょいちょいと、応接間を掃除しようと箒《ほうき》をもったアシストロイドがつっついた。
「何?」
ピンク色でブルーのベレー帽を被ったアシストロイドは「なにしてるでしか?」と尋ねた。
「いや、あの、それはね…………いや、あの、ご、極秘任務よ。いい?」
ちょっと首を傾げながらアシストロイドは「はいでし」とプラカードを掲げた。「でも、かんちょー」と続きがあった。
「?」
アシストロイドは「あだるとちゃんねるはやぬしのきょかをえたほうがいいでし」とプラカードに書いた。
「ば、ばばばっばばばばかをいうんじゃありませんっ!」
クーネの顔が真っ赤になる。
「べ、別に操作ミスを装ってそういうチャンネルを見ようとかしているワケじゃなくて、いや、そ、そんなことはないのよ、ええーと、えーと…………ほら、ほら、いちおうわたしたちはここのおうちに予算を投与してて、んでね、あれでしょ、その中には衛星放送の使用料金もあるし、あのね、えーとえーと」
真っ赤になって意味不明の言い訳を続けるクーネを前に、ピンクのアシストロイドは「困ったモンだ」と言いたげに肩をすくめ、箒を動かし始めた。
☆
学園祭四日前ともなれば、教師たちも気を利かせて「自習」という名目で学園祭準備を黙認してくれる。
意外というか予想外というか、あの糸嘉州マキも、そういう気の利かせ方をしてくれたおかげで、騎央のクラスはいそいそと出し物(ご多分に漏れず喫茶店)の準備を始めていた。
「じゃあ、僕らは午前中二時間、でいいんだね?」
騎央は、自分たち映像部員にあてがわれた「勤務時間」を確認する。
「そうだね…………」
とかいいながら、クラス委員はじーっと騎央の足下を見つめる。
「?」という顔で「定やん」はクラス委員を見つめ返した。
「なあ、嘉和ぅ」
猫なで声でクラス委員は言った。
「どーだろね、この『定やん』ウチのクラスに常駐させてもらえないかな?」
「駄目だよ。生徒会決定で、アシストロイドは二時間ごとに入れ替わり、って決まってるんだから」
「ま、そらそうだけど…………どーもウチのクラスにはこいつが似合いそうなんだよなぁ」
「そりゃ大正ロマン喫茶、ってんだからそうだろうけどさ」
と主が苦笑しながらやんわりと要求を断ろうとする横から、「定やん」はひょこ、とプラカードを掲げた。
「なになに…………『なら、うりあげのはんぶんおくれ』?」
「こら!」
ぺし、と騎央は丁稚型アシストロイドの頭を軽く叩いた。
大げさにつんのめった「定やん」の鼻かけ眼鏡がズレる…………本来、その程度でずれるモノではないのだが、どうも吉本新喜劇を見た影響らしかった。
「おまえ、最近セコいぞ!」
「いったー」とプラカードを掲げつつ、鼻かけ眼鏡を戻しながら、「定やん」はくるりとプラカードをひっくり返した。
「『ろーどーにはそうおうのだいかがいりまっせ』? どっから覚えてきたんだ?」
呆れ顔の騎央の前で、吉本新喜劇の大ベテラン「アホの坂田《さかた》」こと坂田|利夫《としお》の「わてアホちゃいますぅ」のポーズよろしく、「定やん」は腰に手を当ててふんぞり返った。
「…………」
その後頭部が「さあツッコめ」と言っているような気がして、数秒の逡巡《しゅんじゅん》のあと、騎央は前よりもちょっと強めに「定やん」の頭を引っぱたいた。
☆
「あーあ、楽しそうだなぁ」
ジャックは退屈そのものの表情で呟いた。
ちなみにちゃんとした英語である。
彼女は真奈美たちのいる学校の塀の外に愛車のコルベットを停め、近くのビルの屋上にひそかに設置した監視装置から、学校内の様子を眺めていた。
助手席に置いた小型モニターに映し出されているのは、アメリカ人にはあまり馴染みのない、日本の高校生のお祭り準備。
近くの商店街から、ジャックのいる学校ギリギリの所まで、所狭しと学園祭のビラが貼られ、校門にはすでにゲートが設置され、学校の中は半分休校状態で、授業時間中でも何人かの生徒が忙しく走り回っている。
「あーあ、あたしもやめようかな|CIA《カンパニー》」
ウキウキした雰囲気は、お祭り好きの人間には伝染するのか、ジャックは「そこに自分がいない」ことに不満を感じているらしかった。
「でも真奈美、あたしがここにいる状況がどういうことなのか、理解してるのかしら?」
☆
学園祭四日前ともなれば、昼休みは部活の方の話し合いである。
「…………というわけで、河崎カントクの最新作が我々の新作と一緒に先行上映ということになった」
横に河崎カントクを従えて、部長が宣言する。
ちなみにその横には、河崎カントクご本人がニコニコ微笑みながら腕組みなんかしてたりする。
「は、反対っ!」
真奈美が声をあげたが、
「駄ぁ目♪ ほらほら、もう生徒会の許可はおりているのよー♪」
とカントクはぴらぴらと「許可証明書」をひけらかして「あかんべー」をした。
真奈美の顔が真っ赤になった。
ちなみにアオイは、もうひとつ所属している近代小説研に仁義を通すため(今回は近代小説研のほうではなく、映像部の人間として参加するのだから、あらかじめ断っておく必要があった)、この場にいない。
つまり、彼女が抵抗しなければアオイもまた恥をさらすことになるのだ。
「ゆ、『ゆんふぁ』! 構わないからやっておしまいっ!」
あらぬことを口走る主に対し、「ゆんふぁ」は首を傾げながら「そりはできないそーだんっす」と抗議した。
プラカードにさらさらと「あしすとろいどは|きんきゅじだい《緊急事態》でないとひとをうてないでし」と続ける。
「緊急事態よ、十分に!」
☆
「いやぁ、良かったですねー。部長さんいい人で」
近代小説研究会、通称近小研の部室から映像部の部室に戻りながらエリスはにっこり笑った。
足下を「チバちゃん」「錦ちゃん」とセーラー服と詰め襟をつけた通常型アシストロイド二体がトコトコついてくる。
いつもなら行き交う生徒たちが振り返るが、さすがに慣れてきたのと学園祭の準備で忙しく、逆にアシストロイドたちがそんな彼らを興味深げに観察するように立ち止まっては走り、立ち止まっては走りを繰り返している。
「ええ…………」
こっくんとアオイは頷く。
「ありがとう、エリス」
「いーえ、どういたしましてー」
にこにこと、本当に嬉しそうにエリスは廊下を歩いていく。
正直、映像部の部長に言われるまで、自分が近小研の人間であることをすっかり忘れていたほどのアオイであったが、交渉事が苦手であることも手伝って、エリスに同行を頼んだのは思わぬ幸運というか、「転ばぬ先の杖」であった。
まあ、幽霊部員なだけではとどまらず、近小研とは長年ライバル関係にある(何故かこの部は毎年映画を作っているのだ)映像部のほうでメインに活動するのだから、いい顔をするわけがない。
問題は、単純に今度の学園祭では近小研のほうを、とやればいいわけはなく、「いかにして双方に筋を通す」ことをするか、否かという点にあった。
近小研の宮城《みやぎ》部長というのは仁義に厚く、人望もある人間なだけに、「筋を通す」ことに関しては非常に煩《うるさ》い。
つまり、文系には珍しい、そして商業雑誌の編集に多いいささか体育会系の魂が何割か入った人物だったのである。
で。
アオイは、このことに気づかないまま近小研にやってきたが、初めて会う(彼女は書類を出したっきり近小研に顔を出したことがなかった)部長のまなじりの厳しさにそのことを敏感に察知したのはいいが、さてどう「筋を通す」べきかを考えていたのだが、それは横にいたエリスがサラサラと進めてしまった。
まるでアオイと前から入念な打ち合わせをしていたかのように、彼女が映像部メインで活動したいということ、近小研の活動がおろそかになってしまったのは申し訳なく、もしも許してもらえるのならばけじめをつけるためにも近小研を退部させてほしい、ということをはっきりと、しかし相手に不快感を与えないような言葉遣いで告げた。
むろん、アオイ本人が何故直接事情を説明しないのか、について宮城部長からの鋭いツッコミはあったが、エリスはにっこり笑って「だって、お友達ですから」という一言だけでこれを納めてしまった。
不思議に、不快感は無かった。
エリスが「アオイの考え」として語ったことはまさしくその通り、彼女がぼんやりと考えていたことを具体的な言葉に直したものだったし、部長に向かって事情説明をしている間もエリスはアイコンタクトで「ごめんなさい」と言ってきたためもある。
だが何よりも、宇宙で一緒に戦ってから以降、このところアオイにとってエリスは「恋敵《こいがたき》」というよりも「戦友」という感覚が強い。
だから、今回のことも「恋敵にポイントを取られた」というよりも「また助けて貰った」と感じていた。
(私…………猫耳宇宙人の洗脳攻撃にやられてしまった、ということなのかしら?)
ふとアオイはそんなことを考えたりもしたが、
(まあ、仕方がないか)
と妙に素直な気持ちでこの状況を受け入れていた。
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第六章 撮影開始でドタバタだった
☆
学園祭三日前の朝になった。
学校の校庭で、エリスと騎央は映像部の部員たちが来るのを待っていた。
「…………ぐー♪」
と言っても、いつものネコ娘なのは変わらないから、寝床を起き出して学校まで来るのがやっとで、立っていながらも船を漕《こ》いでいる有様である。
「エリス、エリスったら、ほら、もうちょっとしゃんとしなよ!」
とか騎央は揺り起こそうとするが、本来の起床時間を二時間も早く起きてしまったエリスには通じない。
「むにゅうぅ…………『やきにく』はおいしいですぅ…………」
彼女の周囲には一九体の通常型アシストロイドが囲んでいて、時折、騎央をアシストしてそのまま地面に倒れそうになる主を支えたり、反対側にしがみついたりしてバランスを取っている。
他の部活の連中も、気の早い、あるいは準備の遅れている所はもう作業を始めているらしく、そこかしこから鎚音《つちおと》や指示の声が響いてくる。
さて、一〇分も待つと、アーチで飾られた校門の向こうに何人かの影が現れ始めた。
「おはよー、エリスー!」
「はよー、エリスー!」
「エリスちゃんおはよー!」
「…………おはよう、騎央…………くん」
現れたのは映像部の部員たちだ。
今日はアオイも「チバちゃん」「錦ちゃん」の二体のアシストロイドと真奈美から昨晩預かった「ゆんふぁ」を引き連れている。
「みんな僕には挨拶無し?」
半分苦笑を浮かべながら騎央。
「いーじゃんか、双葉さんがしてくれたんだし」
「そーそー」
部員たちは騎央の愚痴には取り合わず、腰をかがめてアシストロイドたちに手を振った。
「おはよー。チビちゃんたちー」
アシストロイドたちも一斉に手を振り返す。
「ひい、ふう、みい…………あれ? 二体足りないんじゃないの?」
「あ、僕の『定やん』は家で留守番、一体はアントニアちゃんの所に貸し出し中」
と、今度は校門の外にリムジンが停車した。
「あれ?」
かちゃり、と開いた後部座席から「ぽんっ」と、棒の先に風呂敷包みを担いだ通常型アシストロイドが一体飛び降りてとたたたた、と駆けてくる。
それを見て残りのアシストロイドたちは一生懸命その場を飛び跳ねたり手を振ったりし始めた。
「アントニアちゃんの所に行ってた21号だ」
騎央が首を傾げる。
一団に合流すると、21号の周囲を他のアシストロイドたちが囲んで肩を叩いたり抱き合ったり、握手したりし始めた。
再会を喜んでいるらしい。
「お前、どうしたんだ?」
騎央が尋ねると21号は「さとがえりでし」とプラカードを掲げた。
「どうやら間に合ったようじゃの」
リムジンから優雅に降り立ちながらアントニア。今日は珍しく車で登校らしかった。
「と、とりあえず、セットと小道具は用意しましたっ!」
その後ろに急ブレーキをかけてハーレーが停まり、目の下に隈《くま》を作ったサラがこけつまろびつ降りた。
ハーレーには巨大なリヤカーが接続されており、そこにはごちゃっと段ボール箱が積まれていた。
「ちーっす♪」
もうひとりの猫耳、いちかもリヤカーを引いて現れた。
「ご注文の造形物一切、お持ちしヤシター♪」
映像部員の何人かの顔がぱぁっと明るくなる。
「やたっ! 間に合ったんだ!」
「さんきゅーいちかー♪」
それぞれ何人かがいちかの所に駆け寄ってくる。
「ほいほい、上運天《かみうんてん》さんがこれと、これ。えーと上地《うえち》さんがこれとあれ…………あ、山城《やましろ》さんはね、えーと、チャイ…………じゃなかったターマちゃんやーい!」
「あ゛い゛よ゛ー」
大きな麦わら帽子、サングラスにマスク姿の小柄な人物が妙に押し殺した声で現れた。
競艇場とかにいる予想屋の親父が羽織っていそうな革ジャンを着けた、いつの間にか行方不明のチャイカによく似たその人物は、何故か妙にエリスと騎央のほうをビクビク気にしながら、リヤカーに積んだ荷物を受け渡し始めた。
「何頼んだの?」
騎央が部員の一人に尋ねると、段ボールの中を開いて見せてくれた。
「…………衣装?」
正確に言うとそれだけではない。妙に寸詰まりの刀やらトリガーとトリガーガードのない、同じく寸詰まりの鉄砲(らしきもの)も入っている。
「あ、あたしたちはこれね」
石嶺愛子が開いて見せた箱の中には小さなミニチュアの建物がぎっしり詰まっていた。
「ああ、そうか、アシストロイド用なんだ」
「そそそ。こーいうのって自分で作る分には限りがあるからさ、いちかちゃんに手伝って貰った、ってわけ」
にっこりと大城アリサが頷いた。
「ふふふ、小道具一件につき格安二五〇〇円から!」
その言葉を聞きとがめたいちかが満面の笑みを浮かべてVサインを出した。
「大道具は私と摩耶たちが担当したのじゃ」
アントニアが腰に手を当ててうんうんと頷く。
「へー」
てっきり後ろの荷物はアントニア専用の撮影機材だとばかり思っていた騎央は素直に感心して頷いた。
「では皆様、セッティングを手伝って下さいませ」
摩耶が促して、それぞれが前もって申請しておいた校庭の一角へと移動を開始した。
そこに今日一日だけのオープンセットが組まれるのである。
☆
「定やん」は「ほな、いてきます」と書いたプラカードを掲げて玄関を後にした。
「いってらっしゃーい♪」
水色のアシストロイドを従えた、銀色の髪のキャーティアがハンカチを振って見送る。
引き戸が閉まった。
「らん、らららららー♪」
くるくると、白のスーツに銀色の髪をしたキャーティア…………チャイカの親友にして同僚のメレアは、その場でバレエのダンサーのように回転した。
その周囲を、同じようにくるくると水色のアシストロイドたちが回転する。
「うふふふのふー♪」
ひこひこと、白い尻尾を左右に振りながら、メレアはうきうきした足取りで応接間に戻った。同じ足取りでアシストロイドたちも続く。
「地上だー♪」
ぽふん、とソファの上に身体を沈めると、メレアは手近に置いてあったクッションを抱きしめて「んー」と目を細めた。
「さーて、なにしよーかな。いっつもチャイカと艦長ばかりが地上に降りて、あたしは全然いい目をみてなかったもんね♪」
うふふふー、と子猫のように笑いながらメレアは身体を丸めた。
それを眺めながら、アシストロイドの文字で「みがわり」と書かれたクッションの上、アウラはつまらなさそうに欠伸《あくび》をして朝寝を決め込んだ。
ちなみに、クッションの文字は、今は学校に行っているアシストロイドの「2」が書いたものである。
☆
「しかし、よいのですか、チャイカを放置して」
地球を離れること大分。
月の裏側から最近移動して火星の裏側ぐらいに停泊しているキャーティア母艦の艦橋《ブリッジ》から、士官用ブリーフィングルームに移動しながら、副長であるメルウィンが疑問を呈していた。
地上に降りて、エリスが学校に行っている間の「お留守番」をしていたチャイカが、急に今日になって「休暇願」を申請、そのまま地上に居残ってしまったのである。
居場所は常にビーコンで知らされているものの、こういう状況は褒められたものではないのも事実であった。
「うん、大丈夫だと思うわ。第一、確かにチャイカには休暇が貯まっていたし」
「しかし、地球上で休暇というのは他の士官にも……」
「だから、今度から士官クラスには地球での休暇の許可を与えることにしたの」
「そんな」
ちょっと、いい加減すぎませんか、というのを言外に匂わせるメルに対し、クーネは微苦笑をたたえながら答えた。
「そろそろ頃合いよ…………それにこれは中央からの指示なの」
「は?」
「考えてみればここに来てもう四ヶ月近くになるわけだし。そろそろ次の段階に進まないと…………異文明間のお付き合いは、つかず離れず、急がず遅れず、ってね」
にっこりとクーネは笑った。
…………とてもこの前、◎×□△な番組をこっそり見ようとして自分のアシストロイドにたしなめられた人物とは思えないが、やはりのんびりしているようで彼女はきちんと艦長なのであった。
「それに、そろそろ乗員の不満も限界だしね」
士官用の大ブリーフィングルームへの扉が開いた。
広大な広間の中には、手の空いている士官と、その直属の部下たちがびっしりと並んでいる。
彼ら彼女らににこやかに手を振りながら、クーネは首元の鈴に触れた。
中央にある演壇まであがると、開口一番。
「ガクエンサイにいきたいかー!」
と満面の笑顔で叫んだ。
むろん、士官たちの返事は「おー!」という怒号のような歓喜の声である。
演壇の下で、メルウィンだけが溜息をつく。
☆
朝日の中、ジェンスは結局机に突っ伏したまま眠ってしまっていた。
机の横に椅子を持ってきて、その上に立ち、マットレイは己の一応の主の身体の上へ電気毛布をかぶせてやった。
「すまん、マットレイ……勲章やるから、もう一〇分寝かせてくれ…………」
ここ数日、いつ査問委員会が開かれるか判らないという、胃の痛くなるような緊張感の中、情報収集と分析に明け暮れていた犬の女軍人は、珍しく可愛げのあることをぼそぼそ言いながら、再び眠りの世界へと没入していく。
ぽんぽん、とその肩を叩くと、犬のアシストロイドは床に降り立ち、悠然とした足取りで部屋を後にした。
建物の外に出ると、木陰にさりげなく移動する。
さらに身をかがめると、いつの間にか手にした伸縮式の指示棒を木の根本に突っ込む。
二、三回つついて中から折り畳んだケーブルを引き出す。
先端を覆った指サックによるカバーを外し、接続端子を己のこめかみに挿入した。
歯を剥き出しにしたような口許のインテイクから例の笑い声めいたファンの稼動音が響く中、マットレイの目がちかちかと点滅した。
やがて、その身体が「くたん」とその場に腰を下ろしてぐったりしてしまう。
横に置かれた液晶ディスプレイには「I’m sleeping」の文字が明滅している。
同時にケーブルは外れ、木の根本へ自動的に巻き取られていく。
☆
同時刻。
車のトランクの中、機械人形は久々に起動した。
目を開けると、内側から開くようになっている鍵を開ける。
日差しが眩しいので、顔の前に手をかざす。
「犬」側のアシストロイドにしてはデザインが古かった。
全体的なデザインが丸っこく、耳がビーグル犬のように垂れ耳である。
口許にエアインテイクは無い…………「犬」側の人間が見れば、それが今は作りたくても作れない、アシストロイドの最高級タイプであると気づいたはずだ。
まだ犬たちが大手を振って宇宙を行き来できた頃、稀少鉱物をふんだんに用いて作り上げ、作れなくなった特殊回路をごっそりと積んだこのタイプは、今は一体が戦闘車両と人員コミの一個師団と同じ価値を持つ。
皮肉にも「猫」のアシストロイドを垂れ耳にして、顔の真ん中に黒い鼻を描いたようなデザイン。
トタトタとアシストロイドはまるで真夏のような日差し…………もっとも、地元民にとっては「大分やわらいだ」というレベルなのだが…………へと飛び出した。
彼の本当の「主」を探し始める。
☆
「…………で、何のつもりなの?」
撮影会における護衛はアオイたちに任せ、真奈美は家の近くの公園に来ていた。
彼女の横には「ゆんふぁ」が珍しく銃を手にした状態で立っている…………それもいつもの銀弾拳銃ではなく、ポンプアクション式のショットガンめいたものだ。
真奈美の目の前には、どこかのサラリーマン(万年課長系)のような、どこかうだつの上がらない雰囲気の男が立っている。
「あたしのメアドを突き止めるのはともかく、この『双葉アオイを交えない状態で重要な話がある』ってのは?」
「言葉通りの意味ですよ」
広がり始めた額に浮き出た汗をハンカチで拭いながら、中年男は言った。
この男の名は淵東《えんどう》。
かつては「悪縁紅葉」の二つ名で呼ばれた双葉アオイの監視役であった。
「私は彼女に嫌われてまして、顔を出せば殺されるかもしれない…………それに、あなたは元CIAだから、私の話を聞いて、裏を取ってくれるでしょうし」
「…………」
どうもこの中年男の視線はいやらしい…………いや、卑しさを感じる。
おどおどしているようで、そのくせ隙がない。
うっかり口を開けばそこから何かを引き出さずにおかないが、一喝すれば恐怖に撃たれたかのようにひれ伏してみせる…………そんな気がした。
日本の諜報機関は陰湿でいけない…………確か父がそんなことを言っていたことを思い出し、ますます真奈美はまなじりを曇らせた。
そうでなくても、堂々としていないオトナというのは、見ていて辛い。
主の反応に気づいたのか、「ゆんふぁ」が手にした銃の先台《フォア・グリップ》をがしゃこ、と動かした。ちっこい寸詰まりの散弾銃だが、音だけはフルスケールの本物に劣らない。
「で?」
真奈美はつとめて言葉を減らすことにした。あまり喋ると相手に情報を与える。
こういう手合いに対して、もっとも有効なのは「妄想を抱かせる」ことに尽きると真奈美は教わっていた。
「つ、つまりですね…………」
男はへどもどしながら、情報を与えた。
「あなたがたの周囲は今後しばらくかなり、そのまずい事態になると予想されまして…………」
「どうして?」
「つまりその、ですね…………これ、な、成田の入国管理記録なんですが」
男は手にしたカバンからごそごそと分厚い紙の束を取りだした。
「これを見るだけでもここ数日で三〇〇人以上の諜報機関員が新たに日本国内に入国しております。うち三割が翌日には沖縄行きの便を確保、移動を開始しております」
「!」
真奈美は頬が強張るのを感じた。
ウソだと一笑に付す気にはなれなかった。ジャックの顔が脳裏をよぎる。
「目標は、おそらく近日開催される貴方《あなた》の学校の学園祭ではないかと…………彼らはそこで猫耳宇宙人《キャーティア》の方たちが何らかの『行動』を起こすのではないか、もしくはこれ自体が何らかの欺瞞《ぎまん》行為ではないか、と考えているようで」
「…………」
つくづく、真奈美はジャックの言葉を聞き流していた己の馬鹿さ加減に自己嫌悪を感じていた。
そうだった。もう少し考えるべきだったのだ。
自分の甘さに吐き気さえ覚える。
「で、あなたたちもその尻馬《しりうま》に乗ってあたしたちを攻撃する、ってことなの?」
じろり、と真奈美が睨む。「ゆんふぁ」もぐい、っと一歩前に踏み出すが、銃口は向けない…………アシストロイドは非常事態が勃発しない限り人間に銃口を向けることが出来ないのだ。
「と、とんでもない」
男は手を振った。
「む、むしろ逆です。我々としては、国内で騒ぎを起こされてはこまりますから、ひそかにあなたたちをガードするつもりなのです。そ、それで、その際、どうか我々を攻撃しないで頂きたい、ということでして」
「…………」
疑惑めいっぱい、という顔で淵東を見つめながら、真奈美は内心安堵の溜息をついていた。
世界各国の情報部員というだけで頭が痛いというのに、同じ顔と国籍を持った日本側のエージェントまで敵に回ったらそれこそ手に負えるどころの騒ぎではない。
「イベントを中止しろ、とは言わないワケね」
「…………そ、その正直申せばそうなんですが、無理でしょう?」
ちら、と上目遣いに中年男は言った。
「そうね」
思わせぶりなことをいっても仕方がないので、真奈美はあっさりと結論づけた。
「で、ですからこちらとしても協力態勢を整えざるを得ないわけでして」
「そう、じゃあよろしく」
言って真奈美は踵《きびす》を返した。
「あ、あのちょっと…………」
「あたし、これから学校なの」
それだけ言って真奈美はすたすたと歩み去っていった。
「ゆんふぁ」はしばらく追撃を警戒しながら後じさっていたが、やがてくるりと背を向けるととててて、と走り去っていった。
☆
寂れきった宿場町を粉雪まじりの風が吹き抜けていく。
この宿場町の悪党全てを巻き込んだ大|殺戮《さつりく》はすでに終わり、死屍累々《ししるい》。
勝負は一瞬だった。
後頭部のポニーテイル部分を取り外し、ボロボロの着物に目の部分を布で隠した「チバちゃん」が逆手に握った刀を抜き、それに呼応するように「錦ちゃん」が「チバちゃん」の腹を薙《な》ぐように刀を走らせる。
「錦ちゃん」の刀は「チバちゃん」の腹を切り裂いたものの、一瞬遅れで「チバちゃん」の仕込み刀は「錦ちゃん」の足に突き刺さり、へし折れる。
人間なら膝のあたりを押さえながら「あたたた」というプラカードを「錦ちゃん」は掲げた。すぐにくるりとひっくり返し「ばけものー」と表示する。
腹を裂かれたと見せて、実はそこに巻いた砂金入りの袋を切り裂かれただけの「チバちゃん」は折れた仕込み杖を構えつつ、「けだものー」と書いたプラカードを掲げた。
互いに、折れた刀と、利かぬ足をもって対峙《たいじ》する。
そして、どちらからともなく、「ふっ」と笑うような気配が肩で起こり、どちらからともなくくるりと踵《きびす》を返して去っていく。
片方は足を引きずり、片方は激闘の末の疲労ゆえにトボトボと。
デジタルビデオカメラはゆっくりと降下していき、さっきまでふたりが戦った場所に小さな山を築いた砂金が風に飛んでいくさまを映し出す。
それが次第に小さくなり…………。
「…………カット」
自分でビデオカメラの録画ボタンを解除しながら、小さな声でアオイは言った。
同時に粉雪混じりの強風を生み出していた巨大扇風機が停まり、その前で慎重に重曹入りのカゴを振っていた石嶺愛子が溜息をつく。
二体のアシストロイドは腰の高さに作られたセットからひょこんと飛び降りると、「ふう」という感じでそれぞれの衣装をほどきに掛かった。
「チバちゃん」は目隠しを外してポニーテイルを取りつけ、「錦ちゃん」は袴の下から刀を差すために巻いていた鉛の板入りのクッションを外す。
それぞれに刀と衣装をきちんと畳んで衣装&小道具管理係の映像部員に手渡したのが微笑ましい。
さっそく次の撮影のために、アシストロイドとアントニアのメイドたちがセットと衣装の準備を始める。
「…………これで……いい……わ」
絵コンテの最後の箇所に大きく「×」の印をつけてアオイは宣言した。
「おお、最短記録!」
周囲から驚きのどよめきが起こり、少女は恥ずかしがって下を向いた。
「これでアオイちゃんはおしまい…………と」
大城アリサはそう言って手にした帳面に撮影終了《クランクアップ》の×をつけた。
むろん、二時間早めに登校したからと言って、映像部一年生が全員作品を撮り終えられるはずもない。
セットや衣装のセッティングもあれば演技指導、およびNGによるタイムロスだってあるし、大抵が素人もいいところだからつい脚本や絵コンテにも「無駄」がある。
朝の授業が始まるまでに作品を取り終えたのは、かっちり絵コンテまで切っていたアオイと、東宝特撮マニアの普久原《ふくはら》のふたりだけだった。
それもギリギリで…………と思っていたら、一〇分も余裕が出来るくらい、アオイは無駄なく制作時間を使い切った。
「すごいなあ。最初に決めたカット数ぴったりじゃないか!」
騎央が驚いた声をあげる。
「すごいですよ、アオイさん!」
レフ板を持ってライティングしていたエリスも同意の頷きを返す。
上映時間が短い作品なだけに、全員がアオイの凄さを実感していた。
「そ、そんなにスゴイことじゃ…………ない…………わ」
アオイは真っ赤になった。
彼女にしてみれば、敬愛する映画監督のやり方をそっくり真似、さらに非合法工作員としての注意深さ、そして用意周到さをもって行ったにしか過ぎない。
だから、こんなことで褒められるとは思いも寄らなかったのだ。
「いや、ちがうよー、ホントスゴイよアオイは!」
愛子がアオイの手を取ってブンブンと振る。
「あたし、甘かった! 後であたしの絵コンテチェックしてくれないかな?」
「あ、あたしも…………」
「なら俺のも頼むよ!」
「俺もー!」
瞬《またた》く間にアオイの周りに人だかりが出来た。
「あ、あの、いや…………ちょ、ちょっと…………」
アオイはとまどいながらも、どこか嬉しそうだった。
「…………」
何とも言えない顔で騎央はそんな眼鏡少女を見つめていたが、「おるすばん」をメレアと交代して合流した「定やん」がそのズボンの裾を引っ張った。
「?」
と騎央が下を見ると、「あおいのいとはん、もてもてでんなー」と書かれたプラカードが現れた。
「お前…………」
つくづく困ったモンだ、という顔で騎央は言った。
「どっからそういう言葉遣いを覚えてくるんだ?」
主の嘆きに、丁稚型アシストロイドは「?」と首を傾げた。
☆
「いちかは行商?」
瑞慶覧旅士の家に荷物を降ろしながら、金髪にサングラスの美女は首を傾げた。
「こんなに早く造形物というのは売れる物だったか?」
「いや、商品の納入、ってことらしいんだ」
ここまで車を運転してきた瑞慶覧旅士は、ハッチバックから荷物を取り出すのを手伝いながら溜息をついた。
「ほら、そろそろ学園祭だろ? それのお芝居だか自主映画だかに使う小道具やら大道具やらを作って小遣い稼いでいるらしい」
「…………」
くすっと金髪の美女は笑った。
「思い出すな。我々が高校生のころも、たしかいちかはそれでアルバイトをしていた…………ほら、間違えて小道具の中に本物の銃を混ぜてしまって」
「ああ、そうだった…………良く覚えてるなぁ」
「忘れられるモンですか」
同じく荷物を降ろしながら、この場にいる三人目、長身の美女が口を尖らせる。
「私、それのおかげでもう少しで尻尾を撃ち落とされるところだったんですから」
「しかし、あの時は惜しいことをした…………あの銃、いまも取っておけば五〇〇〇ドルにはなった」
「そんなにしたっけ?」
「メーカーが倒産したんだ」
三人の男女は荷物を運ぶ手を止めて、数秒間遠くを見つめる目になった。
「もう、八年になるのか」
「そうだな…………まだ八年、という言い方もあるが」
「あ、そーだ旅士先輩、アロワ先輩」
長身に黒髪の美女が提案した。
「明日だか明後日《あさって》だかの学園祭、行ってみませんか?」
☆
大きな一本角を生やした怪獣の首のあたりからアシストロイドの顔が覗くようなタイプの着ぐるみである。
片や、全身赤に首回りとそこから上だけが銀色の、尻尾のない着ぐるみである。
リアルタイムの夕焼けが小さな小さな街並みを照らす中、二体のアシストロイド(通常型)は対峙した。
デジカメを覗き込んだ監督役の石嶺愛子が合図すると、横に控えた大城アリサが小さなスピーカーにつなげたMP3プレイヤーから、サンプリングした彼女たちの「へあ」とか「じょあ」とかいうかけ声を、タイミング良く入れていく。
そのたびに赤いスーツの銀色の巨人(という設定の)アシストロイドは手の構えを変えたりしながらジリジリと怪獣(という設定の)アシストロイドに迫り寄る。
その隣、黒く塗った角材とベニヤ板で出来た「フレーム」の隣では、妙に大きな家の残骸を背景に、プラ板のハリボテとは思えないヘルメットを被り、縁日で売っていそうな銀色の「こーせんじゅー」を握りしめた五体ほどのアシストロイドが、何故か上を向いて「がばれー」「まけるなー」とかのプラカードをかざしている。
どうやら映画やテレビで、別々の場所を同時に映す「カットイン」を、合成ではなく、本当に同時に撮っているらしい。
さらに愛子が耳に挟んでいた鉛筆を振る。
すると、横に控えていた、サングラス姿のいちかが木の板にずらりと釘を打ちつけて、コードを結んだ着火装置のスイッチを入れる準備をする。
怪獣役のアシストロイドがのけぞってから、何かを吐き出すように身体を前に倒した。
光線を吐いているという設定なのである。
着火装置が作動し、ひらりと身を翻して次々にジャンプする巨人役のアシストロイドを追いかけるようにして火薬がパンパンと破裂し、石膏《せっこう》で出来たビルが吹き飛ぶ。
さらに巨人役のアシストロイドがすでに壊れた家の中に手を突っ込んで、ゴツいロレックスの腕時計を取りだした。
怪獣役の頭の上、つまり怪獣の首の部分に向けて投げつけると、いちかが別のリモコンを操作して、火花と共に首が吹っ飛んだ。
さらに、巨人役が顔の前で両手を交差させる。
電撃に撃たれたように怪獣役は身を震わせて、カメラには写らない位置に設けられたセットの床穴から、セットの下へと転がり出る。
穴の横に設けられた、強力なエアポンプが作動し、その先にあるメリケン粉と、細かくアルミホイルを刻んだものとを敷き詰めた和紙を吹き飛ばした。
爆煙そっくりな煙の柱が立ち上る。
そしてそれがすっかり消えた後、数秒してから巨人役は両手の交差を解いた。
その間に騎央とエリスがセットの下に潜り込んで、エアポンプの接続を変更する。
巨人役のアシストロイドは上を向き、今度は腰の辺りで手を交差しながら身を縮め、伸ばす。
いちかがスイッチを入れると、今度は空気の力はアシストロイドの足下を押し上げ、四メートルほどの高さに赤い着ぐるみのアシストロイドを打ち出した。
「〜〜〜〜!」
サラが悲鳴を押し殺しながらそれをキャッチする。
すかさずアシストロイドは「おかーしゃんありあと」とプラカードを掲げた。
「…………はいカット!」
愛子が録画停止ボタンを押して宣言し、ほっとした空気がセットの中に流れる。
「うん、二〇分きっかり! リハーサル込みで一時間!」
「しかし、長い一時間でしたねえ…………」
エリスがさすがにその場にへたり込む。
「まぁ、実際には休み時間の間も|アシストロイド《チビちゃん》たちに演技指導とかしてたわけだけどねー」
アリサがMP3プレイヤーを片づけながら笑う。
「えーと、これで今日は三人がクランクアップ、と」
後ろで部長がボードにサインペンを走らせる。
「ほい、次のセット組んでー!」
控えていたメイドたちと二年生&三年生(今回かれらは裏方であった)が飛び出してセットを片づけ、新しいセットを組み始める。
「お嬢様、出番でございます」
「う、うむ」
首からメガホンをかけたアントニアは、強張った表情でディレクターズチェアから立ち上がった。
「愛子、ワンカメラで特撮映画なんて、よくこんな…………こと」
アオイも素直に感心した表情になっていた。
どこかのんびり屋、というのが石嶺愛子の評判であり、アオイ自身もそう思いこんでいたのが、この緻密《ちみつ》でスピーディな撮影である。
しかも入念な絵コンテと演技指導がすでに用意されていた。
「ああ、前々からね、チビちゃんたちで映画撮りたいなぁ、って思ってたの」
愛子は自分のデータをノートパソコンに転送しながら笑った。
「ただ特撮映画だとお金もかかるし、ビルとかそういうの、揃えるの大変だなぁって思っていたら今回のコトでしょ?」
いちかとアントニアのお陰で助かっちゃった、とふたりの方に頭をさげる。
今度は自分の監督作品を撮らねばならないアントニアは脚本と絵コンテのチェックに余念が無くてこちらを見ていなかったが、ちゃっかりいちかはVサインを送ってよこした。
「セット終わりました!」
メイドたちのひとりが確認して声を上げる。
着せ替えを手伝っていたサラに「じゃ、おかーしゃんいてきます」とプラカードを掲げて、中世の騎士の恰好をしたアシストロイドたちがガシャガシャと板金|鎧《よろい》を鳴らしながらセットに向かう。
かつてのハリウッドBスタジオ、もしくは京都の太秦《うずまさ》もしくは砧《きぬた》撮影所よろしく活気|溢《あふ》れる中、カメラのセッティングをしたアントニアがメガホンを握った。
「役者、位置についたか? 照明、もう少し右に…………そうじゃ。スモークゆっくり…………では、スタートじゃ!」
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第七章 本番裏では苦労があった
☆
さて、この日、学園祭には思わぬ伏兵が存在していた。
アオイは考えもせず、真奈美も気づかず、日本政府側は予想はしていたものの完全に無視していた存在がある。
各国のマスコミだ。
これまで強烈な各国政府の報道規制と、キャーティア側の慎重さのために、最もニュースが「熱い」時期には何の報道も出来ず、ある程度緩和されたあたりではもう世間は見向きもしなくなっていたのが、ここへ来てのあのパレード報道である。
再び鉄が熱くなったと判断した報道関係者は、大挙して沖縄を目指した。
その半分は東京で足止めを喰らう羽目になったが、それでも半分は沖縄の大地を踏みしめることが出来た。
もしも、日本政府がこの時点で報道規制の緩和を黙認していたら、可能な限りの人員と機材を満載した取材用の車両が、騎央たちの学校の校門前に、五日前からはりつき、あたかも連休終了直前の首都高《しゅとこう》のごとき騒動になっていたに違いない。
が、規制も当日には意味が無くなる。
これに、最初の報道以来の物好き…………マスコミが言うところの「キャーティアン」もしくは「キャーティアサポーター」たちが混じる。
元々彼らはエリスを代表とする「キャーティア」に会いたくて仕方がなかったものの、どこへ行けば会えるか、ということに関しては「謎である」とされていたために欲求不満気味だった連中である。
たとえそこが沖縄であろうとも駆けつけるぐらいに気合いが入っている。
さらに、アントニア率いる「子猫の足裏」関係者も、トップであるアントニアの命にもかかわらず幾らか混じっていた。
まだ夜の明けきらない午前四時。
遥か彼方から地響きを立てて中継車両が、そして人を乗せた自家用車が学校を目指して押し寄せてきた。
さらにこの中に報道関係者に、あるいは物好きなサポーターに化けた各国のエージェントたちが混じっているのである。
だが、皮肉なことに、この中で彼らが一番、集中力の焦点を欠いた存在であった。
☆
「…………こりゃ、駄目だわ」
真奈美はそう言って照準機から目を離した。
一五倍のスコープに映る光景は、どれも目を血走らせた人々の群れで、どれが報道関係者で、どれが猫耳好きで、どれが各国のエージェントだか判らない。
二脚支持架《バイポッド》つきの五〇口径ライフルを、真奈美は再び分解して持ってきたケースに戻し始めた。
このライフルを使用して、「事故」を引き起こし、敵の流入を阻《はば》む、という考えだったのだが、こんな状況では大事故に繋がる。
「うっかり撃ったら学園祭中止になっちゃう」
別に大事故は問題ではなく、それによって学園祭中止、となることが問題だと考えているのが真奈美らしい。
「…………」
バレットライフルをケースに収め、携帯電話を片手にもったまま、真奈美は考える。
アオイに、このことを知らせるべきか。
実を言うと、一昨日の朝、政府関係者に会ったときのことをまだ真奈美はアオイに知らせていない。
冷静に考えれば、アオイの応援は必要だ。
だが…………真奈美は見た。
一昨日、学校に行ったとき、映像部の部員たちに囲まれてあれこれ慣れない風でありながら一生懸命アドバイスをしているアオイの姿を。
「あの姿、邪魔するわけにはいかないわよね」
ぽつん、と呟き、真奈美は携帯をしまい、ライフルケースの鍵をかけた。
☆
「…………というわけですので、みなさん、この学園祭を楽しく、明るく、そして正しく遂行して下さい」
教室のスピーカーから流れる校長の訓辞話も終わり、生徒たちは教室で焦れた溜息を漏らした。
もう、校門前には「お客」がひしめいている。
前代未聞の人数だ。
とうとう県警の機動隊まで出て場外整理を行っているのだが、そのことはまだ生徒たちの間には伝わっていない。
さらに言えば、彼らを引き寄せるための「タネ」は各クラス、各部活に公平にやってくるのだ!
「…………今から読み上げるクラスとクラブは、生徒会室までアシストロイドを引き取りに来て下さい、三年一組、二年一組、一年一組、野球部、美術部、卓球部…………」
幾つかのクラスの中で慌ただしく廊下を駆けていく生徒の姿が見える。
そして軽やかなイージーリスニングが流れる中、校内は学園祭一色へと、完全に切り替わった。
校門が開き、どっと人が流れ込もうとする中、ハンドマイクの金切り声と、警官の必死の制止が見えるが、やがてそれもまた飲み込まれていく。
☆
さて。
先に「各国エージェントは報道機関や猫耳マニアたちと違い、少々焦点に欠けた部分がある」と書いた。
その理由は簡単である。
各国のエージェントのほとんどは上層部がエリスたちのパレードを見たことによる、一種のパニック状態からの命令で沖縄くんだりまで派遣されてきたが、さて、具体的に何をするべきか、ということに関しては何一つ決定されないまま、当日を迎えていたのである。
今まで、各国政府は宇宙人騒動に関しては完全静観を決め込んでいた。
諜報機関はそれなりの準備を進めていたとはいえ、大国であるアメリカの無言の圧力、未だ安定しない中東情勢等々「宇宙人」という世にも浮ついた話題はいつしか「懸案事項」の棚に追いやられ、やがて「緊急を要しない懸案事項」の箱へと移された。
これは、あまりにもキャーティアが地球人類そっくりで、しかも「世界で最も楽な交渉相手」とされる日本人と同じメンタリティを保有していると判明したせいでもあった。
そして、誰もがそろそろ忘れかけた頃、あの報道である。
寝入りばなの火事が人をパニックに陥《おとしい》れやすいのと同じで、各国の諜報機関のトップはどういう対応をするべきか混乱した。
諜報機関を統轄するべき各国政府もまた同じであり、ただただ、「とにかく情報を収集してこい」という命令を、その時もっとも日本に近い非合法工作員に発令するというミスを一カ所が起こすと、それを知った他の国の情報機関も「それはまずい」と連鎖的に同じ命令を発するという出来の悪いコメディのような状況が発生した。
かくて、一個師団の戦車に子守を命じるような、俯瞰《ふかん》すると間抜けそのものの事態が、学園祭開始一〇分程度で、この学校の中には発生していた。
☆
「ア、ヨロシケレバ、領収書《リョシュショ》オネガイシマス」
山城知子《やましろともこ》(二年二組・吹奏楽部所属)は「はいはい」と慣れた手つきで領収書を取り出し、書き込みを始めた。
彼女にとってはいつもやっている本屋のアルバイトのお陰でこういうことが苦痛ではないが、中には明らかに嫌な顔をする生徒もいる。
「えーと、但し書きは『資料代』でいいですか?」
「ハイ」
体つきは鍛えているようにみえるが、裏腹にかなり温厚な態度の白人男性はこくんと頷いた。
「宛名《あてな》は上様、で?」
「イイエ…………Ofelny貿易商会デ」
「え?」
「アー、ココデス」
男は名刺を取りだして、該当箇所を指さした。
「あ、なるほど」
知子はそのスペルを間違えないように領収書の欄に書き始めた。
その様子を微笑みを浮かべて眺めながら、フランス情報局(OSE)のジョルジュ・ランセーヌ中尉は、この二頭身の猫型ロボットの形をした「人形焼き」とかいう食べ物を、何故《なにゆえ》に官費をもって購入し、デジカメ撮影せねばならないのか、悩んでいた。
理由は分かっている。本局からの命令だ。
本部はあの猫耳尻尾付きの宇宙人に関するモノなら何でも購入し、あるいは撮影してこいと言ってきている。
だから、彼のカバンの中には学生の手作りのアシストロイド人形や、そればかりを買うと疑われるため、偽装のために購入した諸々《もろもろ》のグッズが押し込められている。
(俺は何をしているのだろう)
ジョルジュは内心呟いた。
銃を握りしめ、硝煙をたなびかせ、音もなく忍びより、音もなく去っていく…………そんな世界の、汗くさく、冷たく、そして非情の掟《おきて》が支配する世界の人間が。
こんな、暢気で、明るくて、騒々しく暑い場所で、暢気な宇宙人グッズを買いあさっているのだ。
だが、彼にとって心強いことに、隣の店でアシストロイド風船を購入しているセネガルの情報局員や、客寄せに羽織袴を着け、応援団の恰好をしたアシストロイドを撮影しているイタリアの情報局員たちも同じような疑問を抱いているということが分かり合えた。
なぜなら彼らはこざかしい諜報戦ではなく、誇り高き非合法工作員だからだ。
(目を見れば判る)
それだけが彼の支えであった。
☆
騎央たちのクラスの出し物は大正喫茶である。
「おまちどうさまでしたー♪」
尻尾をふりふり、古式ゆかしき「キャフェーのメイドさん」の恰好をしたエリスがトレイからインスタントコーヒーを入れたコーヒーカップをテーブルに移した。
「おお、ほ、本物だ!」
いかにも「その筋の人です」という感じの客が、感動に目を潤ませてデジカメを構える。
「しゃ、写真いいですかー!」
「はい、一枚だけでしたら」
にっこりと微笑むエリスにフラッシュが焚《た》かれた。
「では、失礼しますー」
踵《きびす》を返すエリスの横を、トコトコと同じような「キャフェーのメイドさん」姿のアシストロイド(通常型)が走っていく。
さらに交差するように、これは普通の地球人であるクラスメイトのメイドさんが走っていく。
メイドさん、といってもミニスカートでもなければ胸元が開いた衣装でもなく、肌の露出はほとんどない、詰め襟にロングスカート、エプロン姿ではあるのだが、偉大なる胸の存在はいかんともしがたく、それがまた、いつもと違う禁欲的なお色気で…………などと思っているのはお客の方。
教室を改装した店内は、噂の猫耳宇宙人のメイドを一目見ようという一般客やらマスコミやらマニアやらでごった返し、場外整理までしている始末である。
教室のベランダが厨房の役割を担っていた。
「くそー、失敗だ。成功しすぎて失敗だ」
この「大正喫茶」というアイディアを出し、半《なか》ば強引に押し通したクラス委員の上原達之《うえはらたつゆき》は、大きなヤカンの中にインスタントコーヒーと氷とミネラルウォーターを入れながらボヤいた。
本当はカフェーのマネージャーとしてタキシードなどというものを着用していたが、今は上着を脱ぎ、腕まくりしてこの有様である。
「こんなに人が来るなんて思わなかったぞ」
「だからオープンカフェにしよう、っていったじゃない」
メイド姿の副委員、金城由美《きんじょうゆみ》が注文の品をトレイに乗せながら文句を言った。
「仕方がないだろ、クジで負けたんだから」
上原が注ぎ口を親指で押さえ、ガシャガシャとシェイクすると、瞬《またた》く間にヤカンが冷えて汗をかき始めた。
「すみません、わたしのせいで」
空《から》になったカップを戻しながらエリスが頭をさげる。
「エリスのせいじゃないよ」
「そうそう」
厨房に戻ってきた他の生徒や、上原たちが笑った。
「まあ、成功しすぎて失敗、ってのも世の中にはあるんだ、ってことで」
「そうそう」
「でも、そろそろコーヒーもケーキも売り切れよ」
由美がストッカー代わりの大型クーラーボックスを覗き込んで言う。
ちなみに本日これで三度目の売り切れの危機である。
「買い出し部隊はまだ戻らない、か…………」
と、ベランダの手摺《てす》りから垂れ下がったロープがぴん、と張った。
「あ、戻ってきたみたいですよ」
エリスの言葉に全員が振り向くと、ハンチング帽を被った頭がひょこ、と現れた。
「お、戻ってきたか『定やん』」
上原が笑うと、丁稚型のアシストロイドは「うんしょ、うんしょ」とロープを登り切り、いつもの数倍に膨らんだ風呂敷包みを外した。
中から綺麗に並べられたケーキと、インスタントコーヒーの瓶が現れる。
ただの風呂敷包みなら、コーヒーの瓶はともかく、ケーキのほうはグズグズになりそうだが、そこはやはりアシストロイド。この風呂敷もただの風呂敷ではないらしく、たとえ豆腐をそのままくるんで階段を転げ落ちても豆腐は傷つかない。
それから「定やん」は懐をあさって、中から大きながま口を取り出すと領収証とおつりを上原に手渡した。
「よしよし、さすが『定やん』」
頭を撫でられると、「定やん」はくすぐったそうに身をよじった。
「よし、これはお小遣いだ」
釣り銭はベランダの隅にある手提《てさ》げ金庫に入れ、自分の財布から上原は五〇〇円硬貨を取りだして「定やん」の掌に落とした。
「三〇分ほどそこいらで遊んどいで」
丁稚型アシストロイドは嬉しそうにその場でぴょんこぴょんこと飛び跳ね、「うえはらのだんさん、おーきに」とプラカードで意思表示すると、再びロープを伝って下の方へ降りていった。
「ありがとうございます、上原さん」
エリスが頭を下げるが、当のクラス委員は照れくさそうに手を振って、
「いいって、いいって。『定やん』がいなければ物資補給、どうなっていたか…………」
ベランダから下を見る。
三階にあるこの教室のベランダからは校門までが一気に見通せた。
人、人、人。また人。
地面なんてモノは一切見えない、敷き詰めたような人の波である。
「那覇大綱引きみたいだよなぁ」
誰かが呟いた。
それは校舎の中も同じであり、とてもこの教室を抜け出して物資を補給になんか行けそうにない。
このクラス以外に飲食店を開いているところは幾つもあるが、このクラス以外は校庭に集中しているから、何とか補給が利くはずである。
もっとも人の波をかき分けねばならない、という苦労は同じだが。
☆
ロープから下りると、「定やん」は懐から安っぽいオペラグラス型の望遠スコープを取りだして眼鏡のあたりにあて、上を見回した。
ある校舎のベランダから、唐草模様《からくさもよう》の風呂敷を竹の長い物差しに結んだものが振られる。
とってけてーと丁稚型アシストロイドは駆け出して、そのベランダから垂れ下がったロープを昇った。
ロープを昇り終えると、「地球防衛軍」喫茶をしている、SFチックかつスキンタイトな「隊員服」を着けた二年生の女子が「かわいー」と声をあげる。
それをハンチングの鍔《つば》を指先でちょいと下げることで「はーどぼいるど」にかわし、二頭身の猫丁稚は「おまちどさん」とプラカードを掲げた。
「悪い、定ちゃん、ケーキと紅茶のパックあるかな?」
怪獣の口の部分から顔を出した男子が問うと、「定やん」は再び首に巻いた風呂敷を広げた。
疑似亜空間に折り畳まれて保管されていたホールケーキが二〇個に、ピラミッド状に積まれたティーバッグの箱が蜃気楼《しんきろう》のように現れた。
品物がちゃんと現実世界に固定されたことを確認して、「定やん」はさっそく「けーきは一二五〇、おこうちゃは四〇〇だす」と値段を提示した。
「よしわかった。じゃあ、ケーキは四ホール、ティーバッグは五つ貰おう」
と、「定やん」は首を横に振った。プラカードには「あきませんで、かいじゅーのだんさん」と書かれた。
「何が?」と怪獣の着ぐるみを着けた生徒が尋ねると、「こーゆーしなものは、いいねやのーてねぎらな」と、大まじめな顔(といってもアシストロイドに表情はないのだが)で掲示する。
「値切れ、って?」
首をかしげる怪獣生徒へ、「むだがねはつこたらあきません」と丁稚型アシストロイドは偉そうに指導してみせた。
どうもこのアシストロイド、経済観念の基準として妙なデータが入力されているらしい。
「ナルホドねえ」
感心した生徒は取りあえず一〇〇円引いたところから交渉を始めた。
☆
ほとんどの諜報機関関係者は、己の得手不得手にかかわらず、何とか任務を遂行しようとする者がほとんどだったが、中には我慢しきれず、己の表芸を使いたがる人間もいる。
三つ派遣されたロシア共和国の非合法工作部隊のうちのひとつがそうだった。
セルゲイ・リコルネンスキーは、アフガニスタン戦争の英雄的行為が認められて非合法工作員になった男であり、静寂と硝煙、そして己の命ギリギリの状況をウォツカよりも愛する男であり、彼の部下五名も同じ素質の男女たちであった。
ゆえに、この後、事情を知ったロシアの連邦保安局《FSB》も「過剰任務によるストレスによる暴走」ということで情状酌量《しゃくりょう》してくれたわけであるが。
「こんなお買い物任務なんてやってられるか!」
学校に足を踏み入れて、一時間もしないうちにセルゲイは半狂乱になった。
無理もない。
後日の統計に拠《よ》ればこの日の入場者数はのべ四万人。
学校の校舎自体のキャパシティはおよそ二〇〇〇人であるから、その二〇倍ということになる。
当然、たとえ誰であろうともよほどの腕力と気力がない限り人混みに逆らって移動できない、また己の速度で移動できない有様となる。
しかも秋とはいえ、沖縄は南国である。
瞬く間に北の大地から来た男たちの身体は汗にまみれ、しかもジリジリと、コルホーズの食料配給のようにしか動かない。
並ぶことが国是《こくぜ》であったころの記憶を濃く持っている男たちでさえも、いや、むしろ整然と並ぶことが美徳であった世代の男たちであるからこそ、このような混沌《こんとん》とした人混みは生理的に我慢できないところがあった。
慌てて彼の部下たちはセルゲイを人気《ひとけ》のない校舎裏に連れて行った。
「もういやだ! 俺は帰るぞ!」
「そ、そんな隊長、任務放棄と取られますよ、せめて他の部隊の連中と連絡を取って、承諾を得ておかないと」
「いやだ、いやだいやだいやだいやだ! こんな任務、魔女のばあさんに呪われればいいんだ!」
口髭を蓄えた筋骨|逞《たくま》しい大男が、文字通り地団駄《じだんだ》を踏んで目に涙さえ浮かべてるのを見て、彼と生死を共にし、神ともあがめている男たちは溜息をついた。
実を言えば彼は人混みが死ぬほど嫌いで、何もないアフガニスタンの荒野に心の安らぎを得、そこから離れたくないばかりに任務に励んだ結果中央に呼び戻されてしまったという不幸な男であった。
それゆえにショッピングセンターなどは地雷原よりも恐ろしく、結果、二度も妻と別れる羽目になったのだ…………そんな男に、このような任務は残酷きわまりない話なのだが、どこの世もスパイの命令は非情なのである。
まして、彼はここ数日、某国のショッピングセンターに潜み、母国から来た憎むべき大罪人…………麻薬の密売組織の大物を暗殺するという、非常に前段階においてストレスのたまる任務を終えた翌日にここへ飛ばされている。
いかに鋼《はがね》の精神を持っていても、これでは曲がったり反ったりするはずだ。
「なあ、アレクセイ、破壊工作しよう!」
とうとうセルゲイは部下に懇願した。
「こんな所吹き飛ばしてしまおう!」
目が完全に血走っていた。
「いや、しかし我々はあくまでも偵察任務だけで…………」
「どうせ本国《クニ》の連中だって、あの宇宙人のことは厄介に思ってるんだ、俺たちはそれをチョコッと…………」
「そ、そうですよ副隊長!」
別の隊員が叫んだ。
「も、もう自分は耐えられません! こんなことならコソボにでも出向いてアラーの信者どもとやり合った方がマシであります!」
さらにまた別の隊員。
考えようによっては哀れな話だが、嫌いな親戚がいるからとその町一帯に火をつけるようなもので、巻き込まれる側にしてみればたまった話ではない。
だが、彼の部下は彼を神とも崇め、父とも慕う連中であった。
カルネデアスの板ではないが、元々命の軽い世界に生きている連中であり、任務後の疲労も蓄積されていた上に人混みに酔うような状況もあり、誰の脳もまともに働いてはいなかった。
「では、仕方がないですな…………よし、ピョートル、オルガを呼び出せ、ここいら一帯に軽く仕掛ける」
副官の脳裏にあったのはちょっとした騒ぎを引き起こし、そのパニックのせいで任務は中断したのだと報告することであった。
だから、努めて単純な時限装置付きの、きわめて小規模の爆発…………そう、ひょっとしたら単なるガス管爆発かもしれないと思う程度の…………を起こすつもりだった。
「よし、爆弾が届いたらだな…………」
取りあえず爆薬係である女性隊員が到着するまでの間、打ち合わせを済ませてしまおうとその場に落ちていた木の枝で地面に大まかな校舎の間取りを書き始めた。
男たちが集まって地面を覗き込む。
必然、上空に対する警戒はなかった。
空気全体が、軽くはたかれたような振動を感じた瞬間、男たちは全員後頭部…………のみならず全身に靴の踵《かかと》を喰らって昏倒《こんとう》した。
「ぎゃっ」とか「ぎゅ」とかいう声をだす暇さえない。
本当に瞬間の話であった。
「きゃっ!」
屈強の男たちを踏みつぶした人物たちは、ほぼ同時にそう叫んで横に飛び退《の》いた。
タイミングというのは恐ろしいもので、普段なら一〇〇人に踏みつぶされても死なないような男たちだが、今回ばかりは全員額の真ん中を地面に打ちつけて気絶している。
「あららら!」
大慌てでキャーティア母艦の最高責任者、クーネは腰から万能治療器を取りだして男たちに向けた。
彼女たちに率いられてきた他のキャーティアたちも慌ててその上からどいて、治療器を向ける。
「よかった…………脳しんとうを起こして気絶しているだけみたいですね」
「でも、悪いことをしてしまったわねー」
クーネは困った顔になった。その間にも他のキャーティア士官たちは男たちをひょいと担ぎ上げて校舎の壁に寄りかからせる。
「転送位置の座標軸が上にズレてたみたいね…………あとで転送主任に文句を言わなくちゃ」
と眉をしかめるが、すぐに男たちの状態を見て心配そうな顔になる。
「やっぱり、治安関係者の所に出頭しないといけないわよねえ」
「んなことないよー」
と声は彼女たちの頭上からした。
空き教室のベランダから、クーネたちとよく似た形質をもつ金髪の少女がぽおん、と飛び降りる。
一回転して地面に降り立った。
「こいつら、非合法工作員だし、さっきまでこのへんを爆破するとか言ってたから、むしろ感謝されると思う…………まあ、あたしが話はつけとくよ」
「ああ、あなたがいちかさんですね。エリスとチャイカからお話は聞いてます」
クーネは相好《そうごう》を崩して握手を求め、いちかはそれを受けた。
「ひぃっ!」
うっかり海で海鼠《なまこ》を踏んづけたような声がして、ひょいといちかが振り向くと、銀髪を腰まで伸ばした、いささかキツ目の美人が、青ざめた表情で向かいの校舎の壁に張りついている。
「く、クレムリンの黒猫…………」
女はロシア語で呟き、いちかもロシア語に切り替えた。
「あら、よく覚えているわね…………ああ、あの時FSBの…………」
「た、大尉殿に何をした?」
女はハンドバッグの中から小型のマカロフ拳銃を取りだして構えた。
「やめときなさいな」
いちかは「にたーり」と思いっきり人の悪い笑みを浮かべて見せた。
もっとも、女…………爆薬係のオルガが見た頃と違い、凄みと殺気が無くて、まるでチェシャ猫の笑い顔なのだが、記憶が画像補整をした状態の彼女には、思わず引き金にかけた指が凍りつくほどの恐怖だった。
「クレムリンの黒猫は怖いわよーふひゃひゃひゃひゃ」
背中を丸め、両手の指を顔の前でわきゃわきゃと動かしつつ二、三歩前に進むと、女は引きつった声を喉の奥で漏らし、身を翻して逃げ出した。
「どうしたんですか?」
クーネが尋ねると、いちかは「いや、昔の知り合いでしてー」と笑って誤魔化した。
「…………で、今日は皆さん大勢で何しに?」
「ええ」
にっこりと女艦長は笑った。
「あそびに来ました!」
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第八章 定やんカー
☆
ようやくお昼になった。
といっても、ひと息つく暇が生徒側にあるはずもない。
取りあえず交代交代で食事…………となるのだが、四万人の人間が一気に集まったこの状況で、学校周辺のコンビニ、総菜屋、スーパーなどに弁当やサンドイッチが残る筈もなく、生徒たちのほとんどは自活、というか自分たちで作った食事を食べることとなる。
が、全ての生徒が飲食関係の催《もよお》し物をしているわけではなく、また腹が減るのは来場者も同じ。
結果、半分以上の生徒が空《す》きっ腹を抱えて学園祭を続行することとなった。
が、次第にその数は減っていく。
その陰に、小さなハンチング帽を被った影があった…………が、そのことは彼の主ですらまだ知らない。
☆
白の詰め襟という大正喫茶のウェイター姿の嘉和騎央は、三〇分かかってようやく映像部の部室にたどり着いた。
教室から部室までいつもなら三分ほどの距離である。
「空《から》のメモリーカード、ありますか?」
デジカメ撮影用に用意した手持ちのメモリーカードはすでに使い切っていて、部室に補給しに戻ってきたのである。
「五〇〇か、それとも一ギガ?」
パソコンに向かい忙しくキーボード兼コンソールを動かしながら、二年の佐渡山《さどやま》一郎が尋ねる。
彼は今、ここで一年生たちが撮影した映像を編集し、タイミングや音を合わせているのである。
さらに、その中からいい場面を抜き出して一本にまとめ、音楽を付けて「オープニングフィルム」にするのだ。
明日の上映会が決定している以上、これは重要な役目であった。
「ギガがあれば」
「じゃあ、そこのケルドセンのバタークッキーの缶の中」
撮影が終わって、データをパソコンに移し替え、内容を消去したメモリーカードの山になっている缶の中から、騎央は数枚を抜き取って予備の空ケースの中に納めた。
「どうだ、そっちのドキュメンタリーは?」
佐渡山が薄く微笑みながら尋ねる。すでに徹夜は三日目に入っているはずなのに、顔色は変わらない…………もっとも、それぐらいの人物でなければ部長が編集をやらせるはずはない。
「取りあえず、当初の予定通り、撮影はしてますけど…………やり直しが利かないから、どれくらい使い物になるか、判らなくって」
ドキュメンタリーというのはただダラダラ録画すればいいというものではない。
フィルムにせよメモリーカードにせよ、無限ではないからだ。
物事には必ず盛り上がる部分とそうでない部分がある。
通常、ドキュメンタリーの制作には、脚本はないが予定表があるのはこのためで、撮影者はある事柄に関することに対し、「押さえておくべき部分」と「出来れば押さえておくべき部分」、そして「押さえなくても構わない部分」を考える。
だからドキュメンタリー映画には撮影、制作した人間の考えが反映されるし、メッセージ性も強くなる。
ゆえにドキュメンタリー映画は「報道」ではなく「映画」として評価され、賞を与えられるのだ。
「まぁ、ドキュメンタリーは素材をどれだけ集められるかが勝負だからな」
がんばれ、と言って佐渡山は缶コーヒーのプルトップを引き開けた。
☆
「たぁいまー」
ぼへっとした口調で、すっかりくたびれたチャイカが玄関に上がった。
その声に反応して、チャイカ専用の青いボディのアシストロイドがこけつまろびつ走ってきて、「どこいてたでしか?」とプラカードを振りながら抱きついた。
「いやーすまねえ、すまねえ…………お土産、買ってきてあるからよ」
珍しく優しい顔で、しがみつくアシストロイドの頭を撫でていると、奥からメレアが出てきた。
「あんた何処《どこ》行ってたの? 連絡もしないで!」
「いや、悪リィ…………って、メレア、お前ェどうしてここに? 艦長は?」
「艦長は今日はガクエンサイってトコに行ってるわ。他の士官と一緒に」
「い?」
チャイカの顔が強張る。
「艦長も物好きだなぁ。あんな所に…………って、ちょっとまて、他の士官?」
「うん」
こっくりとメレアは頷いた。
「この前の〆切までに休暇願を出した士官の中で、希望した連中は全員」
「…………艦長、死ななきゃいいけどなぁ」
「?」
☆
「ひゃああああ!」
あまりの人混みにクーネは悲鳴を上げていた。
校舎裏で集合場所などの最後の確認を行い、そこから表に出た途端、クーネはさっそく人混みに飲み込まれてしまった。
もはや連れてきた士官の行動を見守るどころではない。
「たーすけてーえ!」
人混みの流れに流されるまま、マント姿のキャーティアはどこかへと運び去られていく。
☆
「ありゃ?」
いちかが振り向くと、もうクーネの姿は見えなかった。
「どこいっちゃったんだろ?」
とか呟いていると、遙か後方で聞き覚えのある悲鳴がかすかに聞こえた。
「あーらら、あんなトコにいる…………もーしょうがないなぁ」
☆
この日、最も恵まれた食糧事情を持ちながら、食事の暇もなく大忙しだったのは校庭を半分ほど仕切って設けられた「キャーティア大使館」という名前のテントである。
小型のサーカステントを張り巡らしたその中には、猫耳と尻尾を装着したメイド姿の売り子が愛想を振りまき、この日までに外注、内職で作り上げた大量のキャーティアグッズがひしめき、あちこちに設置された「お立ち台」では数分ごとに交代するアシストロイドたちが愛想を振りまき、さらにそれを巨大化させたような着ぐるみ「うにゃーくん」が希望者と記念撮影をしたり、一緒にダンスしたりするステージまである。
アントニアが作り上げたまさに「猫耳天国」。
「えーと、メイド長」
本日二度目のダンスタイムを終え、ステージから降りてくる「うにゃーくん」の足取りを見て、メイドの一人が摩耶に囁いた。
「そろそろ副メイド長…………じゃなかった『うにゃーくん』の休憩を…………」
「ん? ああ、そうだな」
愛想良く海外発注した「アシストロイド縫いぐるみ(大・五〇センチ)」を包装し、小学生らしい少女に手渡しながら摩耶はすっかり忘れていた口調で答えた。
そのまま、つい、とへろへろな足取りで売り場に向かう「うにゃーくん」(ステージの合間は売り子をしているのだ)へ、掌をメガホンにして声をかける。
「『うにゃーくん、元気ですかー!』」
すると、それまでフラフラしていた「うにゃーくん」は電気に撃たれたように軽やかなステップをして一回転し、ポーズを決めた。
「うむ、あれならまだ二時間は大丈夫」
そしてそのままにこやかに接客に戻った。
「お、鬼…………」
絶対に摩耶には聞こえないようにメイドたちはささやきあった。
「鬼や、鬼がいてはる…………」
☆
学園祭は続く。
接客というのは双葉アオイにとってかなり「辛い」という先入観があったが、実際何事にも慣れというのはあるもので、また不快とか辛いとか思う暇もなく忙しい、というのもそれに拍車をかけた。
気がつくと双葉アオイは営業スマイルを振りまきながらそつなく給仕をこなすようになっていた。
「双葉さん、時間来たから上がっていいよ」
気がつけば所定時間を過ぎていたらしい。
「あ、はい、じゃあ、また」
言ってアオイは教室を出た。アオイとセットになっている「チバちゃん」と「錦ちゃん」も「もつかれー」と書いたプラカードを掲げて後に続く。
出入り口で交代のクラスメイトと、交代のアシストロイドたちとすれ違った。
廊下に出ると、アオイは人の流れを見極め、するすると移動に成功した。
このへんは元非合法工作員の腕であろう。
一〇分ほどで映像部のある部室長屋に出てくる。
「着替え用に暗室借ります!」
そう言ってかつて八ミリフィルムというもので映画を撮っていた頃に作られた現像用暗室(現在は資料室)に飛び込み、手早く服を着替える。
外に出ると同時に、先日エリスから受け取った口紅タイプの通信機のスイッチを入れる。
「アオイです、エリス?」
『ハイ、エリスです』
少々疲労の色濃い声が返ってきた。
「今どこ?」
『えーと、アントニアさんのテントに向かおうと思って、騎央さんと一緒に今…………』
側にいる少年と会話するのが遠くに聞こえ、
『四号棟の前です』
「了解、護衛は誰がいるの?」
『えーと『ゆんふぁ』と私の通常型が一体います』
「五分で行くわ」
服を着替えると、アオイはそのまま部室長屋の天井を開けた。
ここの部活に通うようになってから見つけた抜け穴だ。
本来は「…………」な本を隠しておくためのものだったのを、誰かが屋上に上がれるように細工していたらしい。
不思議なのは、ガンケースがぴったり収まる幅の隠し棚《だな》まであることだ。
それはともかく。アオイと彼女の二体のアシストロイドは部室長屋の屋根に出た。
ここからだと隣の三号棟のベランダがすぐである…………二メートルほどの幅はあるが。
アオイは少し助走をつけてから飛んだ。
見事に、無人の教室のベランダに着地する。
あとはベランダづたいに移動して、開いている教室から三号棟の廊下に出、人の流れに乗るだけだ。
ふと気づいて、アオイは真奈美に連絡を入れてみた。
「真奈美? 大丈夫?」
『あ? アオイ?』
いつもの真奈美の声がする。
『大丈夫、こっちは暢気なもんよ、みんな買い物しているわ』
ひといきれとざわめきの気配。
「そう、でも警戒は怠らないで」
『はいはい』
☆
「…………ふう」
真奈美は通信を切って、その場に腰を下ろした。
服は大分よごれ、所々が破れている。
校舎と校舎の間、表からはフェンスでふさがれ、さらに看板が立てられているので見えない一角である。
何とか麻酔銃で倒した、コロンビアとカナダのエージェントが仲良くノビている。
どちらも何を考えたのか、出会い頭に銃撃戦をおっぱじめようとしたのである。
よほどの怨みがあるかは知らないが、真奈美にとってはいい迷惑だった。
「やっぱ、アオイは凄いわ…………これぐらいの連中なら、一瞬だもんねぇ」
彼女だけではとても倒せなかっただろうが、先にエリスの所にいかせた「ゆんふぁ」の協力もあって、何とかなった。
今回、かなりの国のエージェントが、ことを起こそうと忍び込んでいるというのはどうやら本当らしかった。
そして、いつものようにアントニアのメイド部隊だけではなく、今回は日本政府のエージェント達も味方として動いてくれているらしい。
この連中以外にも何人かがふいに姿を消し、替わって現れた男女が、こちらに向けて黙礼をするのを、真奈美は何度も見ている。
「さて、しまっちゃいましょ」
そういうと真奈美は、表の露店から出たゴミ袋を倒れた工作員の上にどんどんかぶせ、表向きは見えなくしてしまった。
「さぁて、また屋上で監視か」
今日一日アオイには騎央の側にいて、学園祭を楽しんで欲しかった――なんとしても。
溜息をついて、真奈美は銃を片手に非常階段を上っていく。
☆
この日、学園内をもっとも忙しく走り回っていたのは、恐らくエリスであろう。
クラスの模擬店ではメイドをやり、さらにアントニアのテントではトークショーを行い、また明日に迫った映像部の上映会の手伝いもやる。
特に模擬店は明日出られない分今日は多めに設定されているし、彼女が給仕に立つたびに教室から溢れんばかりの人が押し寄せてくるのだからたまらない。
かてて加えて、人が敷き詰められた学園内をちょくちょく横断せねばならないのである。
さらに、移動中にサインを求められたり握手を求められたり、写真を撮られたりである。
普通ならとっくに音《ね》を上げていてもおかしくないが。
「うふふふふ、なんか、この前見た映画みたいですね」
などと、ご本人はコートに帽子にサングラス姿、という怪しげな出《い》で立ちを楽しんでいるようであった。
「スパイ映画じゃないんだってば」
軽く苦笑しながら騎央。
少年はこのところアオイのトレーニング指導を受けているせいもあってある程度体力は残しているものの、今日の学園祭が終わると同時にぶっ倒れそうだな、と感じていた。
「とにかく、この人混みにはまいっちゃうなぁ」
騎央は校舎の前を流れる人混みをみて溜息をついた。
午前中は一定方向に流れていたのが、今はランダムになっている。
実はエリスがあちこちに出没するためなのだが、まだ騎央には判らない。
「…………おまたせ」
不意にアオイが現れた。
「うわ…………ホントに五分なんだ」
騎央は驚いた。部室長屋から各校舎まで続く人の群れを実際に見ているから、アオイの言葉もその倍の時間を見越していたのである。
「時間には正確…………なの」
ちょっと顔を赤らめながらアオイ。
「すごいです!」
素直に感心しているのはエリスだ。
「そういえば…………『定やん』は?」
アオイの問いに、騎央は溜息をついた。
「判らない。どうも不測の事態が起こりすぎてて、アシストロイドのスケジュール、結構変動しているみたいで」
「大変…………ね」
その足下で、「チバちゃん」と「錦ちゃん」がへたり込んだ。
「? どうしたお前ら?」
騎央の問いかけに、二体は「おなかすいたー」とプラカードを掲げた。
「弱ったな…………僕らもまだなんだ、っていうか食料品買う暇もなかったし」
「アントニアさんの所なら、多分お食事ぐらいはあると思いますよ」
エリスがフォローを入れると、現金なものでサムライ型アシストロイドは張り切って立ち上がり「れつごー」とプラカードを掲げる。
☆
各国エージェントはひたすら買い物をしたり、テロを未遂に防がれたり、かつての仇敵と出会い頭に銃撃戦をしようとしている連中ばかりではない。
買えないものを持ち帰るという任務を帯びているものもいた。
「アー、モシワケナイデスガ」
歴史研究会のブースの前で、白衣につけひげ、小さな辞典を小脇に抱え、ミニチュアの黒板に向かって講義しているような動きで客寄せネコをやっていたアシストロイド「6」号は、所定時間を過ぎて、次の任地へ移動しようとした所、そんな連中の一人に呼び止められた。
「ワタシ、あめりかノ玩具会社ノヒトデス。ゼヒ、アナタタチノ製品、ダシタイ」
アシストロイドの「6」は首をかしげる。
「モシモダメデモ、アナタタチノ思イ出ガ欲シイ」
まるで別れ話を持ち出すフェティッシュな人のような言い分に、ますます「6」は首を傾げる。
「ツイテハ、アナタノ型、トラセテクダサーイ」
「6」はますます首をひねって「かた?」と尋ねた。
「いえーす、カタデス。キャスティング、粘土デアナタノ形ヲ移スデス」
通常型のアシストロイドは「はあ、そーですか」と頷いた。
「イイデスカ? ヨロシデスカ?」
しばらく「6」は腕組みして「うーん」と考え込んでいたが、やがて「いでし」とプラカードを掲げた。
彼らは普段と違い、なるべく一般地球人の要求を実行するようにと言い含められている。
「オーマイカミサマ、センキューデース」
言うと、白人の男は背中のデイバックから大きなトランクを取りだした。
開けると、中にはぎっしりと粘土が詰まっている。
「デェワ、コノ中ニ横ニナッテ、クラサーイ」
「あい」という風にうなずいて、「6」は言われるままに分厚い粘土の床に仰向けに寝た。
「デハ、ワタシガイイト言ウマデ動カナイデ、クダサーイ」
言いながら、男はトランクを閉じた。
これでまた開けばくっきりとアシストロイドの型が取れるはず…………だが、男はそのままトランクに鍵をかけると屋上へと急いだ。
「やれやれ」
男はカナダ訛りの強い英語でぼやいた。
「楽な話だ」
屋上にはすでに彼の仲間が待機していて、近くのビルの屋上へと結んだロープに滑車を掛けて、滑っていくだけでいい。
☆
学園の陰を、風呂敷包みを持った影が走る。
頭に被ったハンチング、顔に乗っかった鼻かけ眼鏡。
唐桟のお仕着せに○に「定」の前掛け着けて、足下は足袋に雪駄とくれば、もちろん騎央のアシストロイド「定やん」である。
彼(?)は目的のクラスにたどり着くと「おまっとさーん」とプラカードを掲げた。
「お、来た来た!」
マクベスの衣装をつけた演劇部の部員が顔面をぱあっと明るくさせる。
「で、どうだった?」
こっくりと「定やん」は頷いて背負っていた風呂敷包みをほどいた。
中からはカップラーメン二ケースと、ペットボトルのウーロン茶が五本。さらにパック入りのおにぎりが二〇個ほど。
いったいどこからこれだけのものを確保してくるのか。
「おーい、メシ来たぞー!」
さらに懐から領収書とおつりを出して手渡し、「定やん」はお駄賃として五〇〇円硬貨を貰って小躍りしながら廊下に出た。
懐から取りだした大きながま口の財布に五〇〇円玉を入れると、「定やん」は次の顧客を捜そうと校庭に向かおうとした。
その足が、ふと止まる。
窓枠に飛び乗って手を顔の前にかざして周囲を見る。
その動きがある方向で停まった。
屋上から、校舎より背の低いビルに向かってロープが渡されていて、そこをトランクケースを抱えた白人男が滑車を使って滑り降りていくのが見えた。
とっさに懐から南部一四年式を模した形の電撃銃《ボルトガン》を取り出すが、みるみる相手は遠のいて、有効射程距離から逃れてしまう。
「定やん」は意を決したように廊下に飛び降りて走り始めた。
☆
テント裏のバックステージで、ようやく騎央たちは食事にありついた。
「ああ、ご飯が美味しいですねえ!」
メイドたちの手作りおにぎりをほおばりながらエリスが感に堪えない表情で言った。
「…………」
アオイも思わず同意の頷きをする。
腹ぺこの「チバちゃん」「錦ちゃん」および「ゆんふぁ」はそれこそ「♪」という感じで自分の顔ほども大きさのあるおにぎりをパクついている。
エリスの連れている通常型は食事の必要がないのでさっそく「お立ち台」の上に行っていた。
「うむ、久々の食事はうまいのう」
とアントニアもご満悦である。ちなみにあと一時間すると交代時間なので、大正喫茶のメイド姿なのが珍しい。
もっとも、ギリギリまではここの売店の売り子(という名目ではあるが、実際には統括責任者)であるから、頭には猫の耳のカチューシャ付きである。
「はい、お嬢様」
摩耶がそう言いながら金色の巨大な、いわゆる「学校ヤカン」からお茶を注《つ》ぐ。
と、不意にアシストロイド三体が食事の手を止めた。
ほんの数秒、まるでアイコンタクトを取るように顔を見合わせると、「錦ちゃん」が立ち上がった。
サムライ型のアシストロイドは、「ちとおうえんでし」とプラカードを掲げ、アオイの返事も待たずに駆け出した。
「…………どうしたの?」
アオイが尋ねると「チバちゃん」は「ひじょーじだいでし」と応じた。
「エリス、何があったか判る?」
「えーと、ちょっと待ってて下さい」
万能分析機を腰のポーチから取りだしたエリスは空中投影型のコンソールに指を走らせていたが、「?」と首をかしげた。
アオイが横から覗く。
「誘拐事件…………?」
眼鏡の少女は首をかしげ、すぐに顔色を変える。
「まさか…………」
アントニアが眉をひそめ、摩耶がいつ主の要求を受けても大丈夫なようにさりげなく頭に装着したインカムのスイッチに指を触れた。
ところが。
「あ、こっちにいたんだ」
この場合真っ先に被害者に該当しそうな当人が、デジカメ片手にやってきた。
「騎央さんじゃ…………ない?」
「真奈美なら、『ゆんふぁ』が黙っていない…………わ」
「いったい誰が誘拐されたのでしょう?」
摩耶まで首を傾げた。
「誘拐?」
何も事情を知らない騎央がぽかんとしていた。
☆
赤い照明をかき消すように激しい火炎放射器の炎が、蛇の舌のように、トンネルの中を舐め尽くす。
「!」
真奈美は慌てて身を翻し、支管のひとつに飛び込んでエリスから貰った装備のボタンを押した。
飛び道具を防ぐ力場《フォースフィールド》が指輪型の装置から展開され、彼女を炎から守ってくれる。
「…………ったく、何だってウチの学校にこんな抜け道があるのよ!」
真奈美はぼやきながらバレットライフルの弾倉を交換した。
「おかげであんなバケモノまで!」
下水道の中、獣のうなり声のような低い、高出力モーターのハム音が響く。
火炎放射器の主は人間ではなかった。
ベルギー製の完全自動自律型の攻撃ロボットである。
元になっているロボットは日本の某社の作り上げた介護用ロボットを丸ごとパクっているため、今裁判沙汰になっている。
真奈美が来るまではカナダの連中が苦戦していたのに、すぐにターゲットを切り替えたところを見ると、相手は誰でもいいらしい。
そんなことはさておき、真奈美にとっては、こんな空洞が学園内にあること自体、アントニアのメイド部隊からの通報が無ければ判らなかった。
もっとも、メイド達もこれほどの規模の通路だとは思っていないだろう。知っていたなら応援が来ているはずだ…………今は通信機を壊されて応援も呼べない。
やはり、こんなものが投入されるというのは、アメリカ…………というよりも、それを影で動かしている「犬の人」の圧力によるものであろうか。
それとも、これも各国政府によるキャーティア相手の複雑な意味を持った「実験《さぐり》」なのだろうか。
どちらにせよ、真奈美にとっては「迷惑」以外の何者でもない。
火炎放射が途切れるのを待って、真奈美は飛び出した。
「こんのおおおおっ!」
腰ダメでバレットライフルをぶっ放す。
三体いたうち、一体の急所に当たったらしく、そいつはその場に棒立ちになって機能を停止したが、残りの二体のロボットの両腕に装備された九ミリマシンガンが火を噴いた。
「きゃあっ!」
バレットを放り出し、身を翻しながら再び指輪型の装備を使用する真奈美だが、何発かが身体の横をかすめ、制服の布地を切り裂いた。
「…………!」
太腿のホルスターからベレッタM9を引き抜くが、これでどうやって相手を倒せばいいのか判らない。
「ゆんふぁ」がいれば楽勝だが、呼び戻せばアオイが気づく。
ところが、
「おい」
と、ロボットの向こう側から声がした。
「こっちだ、木偶《でく》人形」
どこかで聞いたような声がして、ロボットたちが振り向いた。
おかげで、真奈美は、その人物を見ることが出来た。
セミロングの金髪をなびかせた、黒いコートの美人だ。
白人で、どうも東欧系らしい。
ロボットたちの両腕が照準を合わせる。
「に、逃げて!」
真奈美の叫び声に、金髪の美女はにっこりと微笑み、かけていた薄い色のサングラスを外した。
その瞬間、真奈美は感じた。
圧倒的な「何か」が身体を通り抜けるのを。
気がつくと、ロボットのモーター音が聞こえなくなっていた。
不意に、真奈美は身体を持ち上げられるのを感じた。
「大丈夫?」
いつの間にか抱き起こされた真奈美を、長い黒髪の、これまた美女が覗き込んでいた。
「あ、は、はい」
「よかった…………」
「あなたが金武城真奈美さん?」
金髪の美女はサングラスを再びかけながら尋ねた。
「は、はい」
「頑張ってね」
にっこりと微笑み、ラインダムの大使館でアズロワ様と呼ばれていた金髪の美女は真奈美の肩を叩いた。
「あ、あの…………あなたは?」
「あなたたちのOB…………いえ、OGね」
その瞬間、真奈美の頭の中で騎央の家で読んだ雑誌の記事が符合した。
「ひょ、ひょっとして…………その声、あの、声優の?」
まさか、と思う。
だがその記事は事実であると、後で真奈美は調べたことがある。
「あら、知っててくれたの?」
「いーなー、先輩は。国内でお仕事してるから」
長身の美女が口を尖らせた…………何となく、エリスに雰囲気が似ている、とぼんやり真奈美は思う。
「君だってアメリカとか香港《ホンコン》じゃ人気者じゃないか」
苦笑しながら金髪の美女は肩を叩いた。
「じゃあ、またね」
☆
「定やん」はすぐに「錦ちゃん」と合流した。
もともと身長が五〇センチ前後しかないので、人の足下をすり抜けることは容易《たやす》い。
瞬く間に二体は学校の外に出、目的のビルへとやってきた。
ところが、すでに救援を求めた「6」の反応がない。
きょろきょろと周囲を見回す「定やん」が相手を見つけた。
追跡対象者である白人男性は自動車に乗って去っていくところだったのである。
だが、道路はかなり渋滞していて、車はなかなか交差点から出ることが出来ず、何とかアシストロイドたちの小さな足でも追いつくことが出来そうだった。
「定やん」は素直に「まてー!」とプラカードを掲げ、「錦ちゃん」は「おれのくせもの(おのれくせもの)」とプラカードを掲げるが、むろん、相手に通じるはずはない。
それでも二体は人々の脚の間を風のように駆け抜け、時にはガードレールの上さえも走りながら肉薄する。
ところが、その時になって車が急にスムーズに動き始めた。
さらに車は県道三三号線に向かって坂を下り、真玉橋《まだんばし》を渡り始めた。
もう、こうなるとアシストロイドの足では追いつけない。
急に「定やん」は足を止めた。
首に巻いた風呂敷包みをほどくと、道路の上に広げ、懐からどう見てもお守りにしか見えない召還コンソールを取り出すと、それを顔の前で恭《うやうや》しく掲げ、次いでぱんぱんぱん、と柏手《かしわで》を打った。
次の瞬間、風呂敷包みが輝いて、中から大型スクーターほどの機械が飛び出し、道路の上に着地した。
丸っこい、カエルの顔を思わせるライトとフェンダー部分と、その後ろに続く運転席と荷台。何よりも特徴的なのは、タイヤだ。前に一つ、後ろに二つ。
通りかかった老人が「ほお、懐かしいなぁ」と目を細めた。
かつて、日本の各地を走り回り、今は流れ流れてその多くがタイなどの東南アジア諸国で稼働していると言われる、高度成長期の法制度の隙間を狙って生み出された、バイクでも車でもない移動運搬装置、「オート三輪」。
「定やん」が風呂敷包みから取りだしたのは、中でも人気の高いマツダのオート三輪そのままのマシンだった。
ただし、スケールは二分の一。
しかも何故か荷台のあたりには「嘉和酒店」とゴシック体で書かれている。
どうやら、半径数キロ以内にはもう総菜も弁当も無いというのに、豊富に買い出しが行えた理由はこの機械に由来するものらしかった。
今の車とは逆方向に開くドアを開けると、「定やん」は運転席に、そして「錦ちゃん」は荷台の方に乗っかった。
定やんはバイクそのもののハンドルを握り、アクセルを開けた。
本物なら五〇ccのエンジン音が響くところだが、こちらは明らかに電子合成されたとおぼしいV8エンジンの音が響き、ミニチュアのオート三輪…………というより「定やんカー」とでも呼称した方がぴったりしそうな物体は道路をカッ飛んでいく。
その間に、「錦ちゃん」は懐から取りだした細長い紙に「にもつ」と書いて自分の顔に貼りつけた…………こういうところ、妙にアシストロイドは真面目である。
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第九章 ぬけ穴から美女がでた
☆
かちゃ、と暗室のドアが開いて、中から金髪のセミロングにコート姿の東欧系の美女と、まだ少女の面影を残す長い黒髪の美女が顔を出した。
「わ!」
たまたま居合わせた石嶺愛子が椅子から転がり落ちそうになるほど驚く。
「あ、OBの方ですか」
ようやく編集を終えて一息入れていた佐渡山が問うと、金髪の美女は「ええ」と頷いた。
「驚かせてごめんなさいね」
「えーと、ちょっと見て回っていいかなー?」
黒髪の美女が目を輝かせて訊いた。
「ええ、いいですよ…………ムサイ所ですが」
佐渡山は頷いた。
「うん、それは知ってるわ。あたしも元部員だものー」
にっこりと黒髪の美女。
「あ、あの佐渡山先輩、ど、どういうことなんですか?」
さっき、暗室で着替えたばかりの愛子は、呆然と二年生の先輩に尋ねた。
「ああ。映像部代々の秘密なんだが、ここからな、裁判所通のあるあたりまで抜け穴があるんだ。君もOGになったら合鍵がもらえる」
飄々《ひょうひょう》とした雰囲気の佐渡山は、そう言って缶コーヒーを啜った。
「いつからあるんですか? アタシ知りませんよ?」
「まだこの学校ができたての頃から、だな…………まあ、知らないのは無理もないよ。こういう時でもないと使う人もいないし」
そんな会話をしている間も、ふたりの美女は映像部の部室内を懐かしそうに見て回っている。
さらに、眼鏡をかけた青年が顔をだした。
「こんにちは…………」
「あれ? この前キャンプで…………」
「やあ。一年生の…………えーと、確か石嶺さん、だっけ? こんにちは、瑞慶覧です」
にっこりと青年は微笑んだ。
☆
最初、それはバックミラーに映る一点でしかなかった。
ところが、みるみるうちに追い上げてきて、いつの間にか横付けになる。
ふと、横を向いた黒人のドライバーはそれを運転しているのが何なのか知って愕然とした。
何とも可愛らしい二頭身の縫いぐるみが、サイズにあった玩具の車で追いかけてきている!
「おい、いつから俺はピクサーの世界に迷いこんじまったんだ?」
うつろな声で言いながら、黒人のドライバーは車の天井に視線をあげ、神様の名前を口の中で唱えた。
そんな反応とは別に、「定やん」と「にもつ」の札を顔に貼りつけた「錦ちゃん」は「かえせー」「かえせー」とプラカードを掲げる。
「く…………くそっ!」
黒人ドライバーは思いっきり車を寄せた。
車体をぶつけてはじき飛ばそうとしたのである。
ところが、逆に男たちの車の方がはじき飛ばされそうになった。
この、スクーターよりも不安定に見える小さな自動車モドキは、その外見に反して、宇宙人のテクノロジーで作られているのである。
さらに、助手席にいた白人の男がサンルーフを開けて身を乗り出し、MP5サブマシンガンを構えた。
運転席にいるハンチング帽を被った縫いぐるみが何かのボタンを押した。
男の指が引き金を引くよりも早く、運転席と荷台の間から、手袋を填めたような巨大なマジックハンドが現れ、掌を広げた。
雨あられと降り注ぐ九ミリ軍用弾は、どこに収まっていたのか判らないほど大きなその掌にぽにゅぽにゅと受け止められ、運動エネルギーを失ってぱらぱらと道路に転がり落ちていく。
「!」
鉛弾がアスファルトに跳ね返って遠ざかっていく音を聞きながら、男たちは呆然とした。
だが、対策がないわけではなかった。
後部座席、アシストロイドの「6」を誘拐した実行犯の男が、別のトランクを開けて、中身を取り出し、「定やんカー」に向ける。
それは連射式の榴弾砲《グレネードランチャー》だった。
慌てて定やんが急ブレーキをかけ、オート三輪は男たちの車の後ろに移動する。
それでも実行犯の男は窓から身を乗り出してグレネードを構えた。
全自動発射にセレクターを切り替え、銃口を少し上に向けて引き金を絞る。
巨大な輪状の弾倉が電動モーターで回転し、いささか気の抜けた音を立てながら、一〇発近い榴弾《りゅうだん》が放物線を描いて「定やんカー」の周囲に落ちていく。
ところが、オート三輪の運転席の屋根が開くと、円錐《えんすい》に何枚もの円盤を取りつけ、先端にボールを差したような形の機械が現れ、その先端からジグザグの光が走った。
爆発は、無かった。
綺麗さっぱり、グレネードは消滅してしまったのである。
「…………」
男たちは一瞬呆然としたが、すぐに我に返った。
猛然と、アクセルが踏み込まれる。
そんな最中にも、「6」を閉じこめたトランクはガタガタと動いていた。
このまま豊見城城址《とみぐすくじょうし》公園の前を通りながらのデッドヒートになる…………と思われた瞬間、「定やんカー」の荷台で、「にもつ」の札を貼りつけたまま、「錦ちゃん」が立ち上がった。
腰に差している刀を左手に持ち、顎を引く。
急に「定やんカー」が速度をあげた。
男たちの車の横を通り過ぎ、前に出る。
気がつくと、前に出た車の荷台に、サムライ型のアシストロイドの姿は無かった…………と思ったら、遙か上空から飛び降りる。
ちょっとだけ、オート三輪は沈み込んだが、それだけだった。
サムライ型のアシストロイドがプラカードをこちらにかざしてみせる。
書かれている言葉は「またつまらぬものをきてしまた」
「?」
と男たちが思った瞬間。
急に周囲の風景が広がった。
「な…………!」
正確には広がったのではなく、男たちの乗っている車がバラバラにされたのだと気づいた時、車輪を失った自動車の床部分は、火花をあげながら道路を滑走していった。
そのままY字路の左側に滑りつづけ、やがて慣性を失って停車する。
「…………」
男たちの誰もが、魂を抜かれたように口をぽかんと開け、目をうつろに前にのみ向けている中、「定やんカー」はトコトコと追いついてきた。
「ほな、かえしてもらいまっさ」とプラカードを掲げながら「定やん」は己の同類が閉じこめられたままのトランクを「よっこいせ」と担いで荷台に載せると、元来た道を帰っていった。
男たちは、それでもなお、彫像のように動かない。
その横を、帰り道の車が追い越していく。
☆
アントニアの所から、今度は映像部の上映会場である体育館に移動しようとしたところ、再び変装していたエリスは生徒会の腕章を着けた生徒から携帯電話を手渡された。
「?」
学園祭実行委員の生徒から「とにかく出て下さい」と言われ、携帯を耳に当てると、生徒会長からだった。
「どうしたんですか?」
エリスが尋ねると、
『ちょっと、困ったことになっているの』
生徒会長自身もとまどった声だった。
「?」
『あなたに会えなかった人たちがあちこちで騒ぎを起こしているのよ』
「え?」
『学校の外ではまだ大部分の人が中に入れないで待っているんだけど、さっき警察が学園祭の終了時間を教えたら、ちょっとした騒ぎが起こってて…………』
そういえば耳を澄ますと遠くにサイレン音とスピーカーの怒鳴り声が聞こえるような気がした。
エリスは振り返って校舎の壁にある時計を見た。
あと二時間ほどで今日の学園祭は終了だ。日も落ち始めている。
『取りあえず、今のところ学園祭の終了時間を一時間延長する、ってことで対応しようとしているけど、でも、これ以上の延長は、色々な意味でまずいの』
「なるほど、もしもそれで納得する人がいなければどうするか、ということですね」
『あなた、よければ生徒会室まで来てくれない?』
「判りました…………でも、時間、かかりますよ」
『仕方がないわ』
携帯を切ると、エリスは実行委員の生徒に礼を言って返し、心配そうな騎央に状況を説明した。
「そうか…………でも、どうする? こっから学校の外に出るだけでも大変だよ?」
「そうですよねえ」
思わず腕組みして考え込むコート姿のエリス。
「双葉さん、なにかいいアイディアないかな?」
「難しい…………わ」
アオイも考え込む顔になっていた。
「アシストロイドに会いに来た、というのなら、まだしも…………エリス、ってことは実際に目にしないとだめでしょう…………でも」
アオイは人の波のさらに向こうにある人の海を見た。
「空でも飛べればいいんだけど…………それならぐるりと上空を飛び回れば、大抵の人は『見た』と納得してくれるんじゃ…………ない?」
「そうか…………エリス、そういう道具、ない?」
「あることはあるんですけど…………困ったことに、それ、緊急事態じゃない限り使えない装備に指定されてるんです」
エリスが済まなさそうな顔になった。
そんなどんよりムードで、思わず三人とも黙り込んでしまったとき、雑踏の中からある声だけが妙にクリアに聞こえてきた。
「へー、そっちは地球産の化けネコで、こっちがエリスちゃんの上司の人なんだ?」
「ええ、そーなんですよー」
「じゃー、焼きそばにウィンナーオマケでつけちゃおう!」
「じゃ、あたしお肉の多いトコ!」
「?」
思わず全員がその声の方角を振り向いた。
マントを羽織った猫耳尻尾付きの美女と、まるでその子供のようにちんちくりんな少女が、焼きそばの屋台で透明パックに品物をよそってもらって黄色い声を上げている。
「か…………かんちょう?」
思わずエリスの声が裏返った。
「あら? エリスじゃないのー」
クーネは暢気な笑顔を浮かべて手を振ると、こちらにやってきた。
「どう? ガクエンサイは楽しい?」
「ど、どーしたんですか?」
「ほら、今日はお祭りだから」
「はぁ…………」
思わず間抜けな受け答えをして、ようやくエリスは我に返った。
「そ、そうだ艦長!」
「なぁに?」
エリスは再び状況を説明した。
「…………というわけで、反重力ジャンパーの使用許可を下さい!」
「いいわよ」
なんともあっさりとキャーティアの艦長は断を下した。
「なんなら、みんな総出で手伝いましょうか?」
「え? 艦長だけじゃないんですか?」
「んーと、今日の所は五〇人ぐらい降りてきてるわ」
「…………いいんですか? そんなコトして?」
「まあ、お祭りだから」
「はぁ…………」
「でも凄いわね、地球のお祭りって」
目を輝かせてクーネは言った。
「こんなに人が一杯で、しかも無目的且つアトランダムに動きまくって! なんか故郷《ふるさと》のお祭り、思い出しちゃった! それにこれ!」
とクーネはエリスにパックにはいった焼きそばを指し示した。
「おいしいのよ! あきらかに油分と炭水化物の塊なんだけど! バランスを無視した食べ物がこんなに美味しいなんて思わなかったわ!」
「まーあれだけの目にあって、お腹ペコペコで食べれば何だっておいしいんだけどねー」
とその横でいちかが苦笑いした。ちなみにこちらはお好み焼きである。
「?」
騎央はようやく、妙にクーネが薄汚れた恰好をしていることに気がついた。
マントにはうっすらと土埃がついているし、顔にもちょこちょこと擦り傷があるし、長い髪の毛やネコの耳にもちょっとほつれや焼けこげの跡がある。
(いったい、何があったんだろう?)
と思ったものの、今はそれどころではない。
「と、取りあえずエリス、みんな連れて生徒会室に行こうよ」
「そう…………ね」
アオイも同意する。
「じゃ、ふたりとも私に掴まってて下さい。艦長は私についてきて下さいね」
「はいはい…………いちかちゃんはどーする?」
「そだねー。面白そーだからいこーかな?」
「決まった。じゃ、私の腰に掴まっててね♪ アシストロイド《おちびちゃん》たちはマントに掴まってて」
「あいよー」
いちかの言葉に呼応するかのように「チバちゃん」と「ゆんふぁ」、および通常型のアシストロイドが「あい」と書いたプラカードを掲げた。
「え、エリス、その何とかジャンパーの準備は?」
「あ、大丈夫です、スーツには標準装備ですから」
にっこりとエリスは微笑み、アオイと騎央の腕を両手に引き寄せた。
「あ、あの…………」
アオイが抗議する暇もなく、エリスはちょっと身を縮めると、たんっ、と地面を蹴って大空高くへと飛び上がった。
「うあっ!」
まるで自分が羽毛になったかのように滑らかに、一〇メートルほどの高度にいることに騎央は驚いて、エリスの腕にしがみついた。
アオイも同じ思いらしく、ぎゅっとエリスの腕に力を込めた。
「大丈夫、落ちませんよ」
にっこりとエリスは左右のふたりにそれぞれ笑顔を向けた。
「楽しんで下さいね!」
そう言ってエリスが身を翻すと、秋風の中、三人は鳥のように大空を舞う。
☆
「…………そうか」
摩耶はそろそろ空《から》っぽの状態の棚も目立ってきたキャーティアグッズ売り場で配下のメイドからの報告を聞いていた。
「しかし、『ラインダムの魔王女』まで来ていたとはな…………引き続き不審者の監視とテロ行為撲滅に励んでくれ」
インカムにそう言うと、摩耶は周波数を切り替え、他のメイドたちにも指示を与えた。
メイドたちは店じまいの支度を始める。
一時間、閉会時間を延長したにもかかわらず、押し寄せる人の波は無限のようにも思われた。
巧妙なトークと営業スマイルで、メイドたちは客を仕切り、次第にテントの中から人が少なくなってくる。
「これが明日も、か…………」
珍しく、摩耶は弱音をこぼしたが、むろん、誰にも聞こえないように、との気配りはなされている。
と、不意に火薬の破裂音が頭の上から轟《とどろ》いた。
「!」
摩耶は緊張し、インカムのスイッチを入れた。
「何事だ!」
即座に返事が来て、摩耶の顔がくすり、とほころんだ。
「そうか…………花火か」
☆
先触れは花火だった。
どん。ぱぁあああん、という音と共に夕焼け空に幾つもの大輪の花が開き、人々が何事かと上空を見上げると、空が揺らめいた…………と思った瞬間、誰も見たことのないような、巨大な船が現れた。
紡錘《ぼうすい》状の船体に、複雑なディティールが走り、所々きらびやかに輝く船…………キャーティアの宇宙船だと誰もが気づいた。
そして、その横っ腹から光が差して、空中に落ち着いた感じの猫耳尻尾付きの美女を映し出す。
『本日はみなさん、ガクエンサイにようこそ! 私たちキャーティアもこのお祭りに参加できて本当に嬉しく思っています』
その女性は責任者らしいオーラを画像越しにさえ放ちながら続けた。
『本来なら皆さん一人一人にお会いし、お話をしたいところですが、私たちの予想を上回る数の方々が集まり、本日中には不可能となりました…………そこで申し訳ないのですが、このような形でご挨拶申し上げる次第です…………また、機会を作りますので、今回はこれにて失礼させて頂きます…………では!』
女の姿がかき消えると、どこからか荘厳な音楽が鳴り響き始めた。
今は亡きサントラの巨匠、ジェリー・ゴールドスミス作曲の「スタートレックのテーマ」。
音楽は次第に盛り上がり、ある瞬間が来ると、宇宙船から幾つも光の筋が走った。
それは素晴らしい勢いで旋回すると、地上めがけてやってくる。
☆
「あー、シンドぉ」
ぼやきながら真奈美は抜け穴から地上に続く階段を上っていく。
「アオイは偉いわ、こんなことを普通にこなしちゃうんだもの」
一人ではなく、日本政府、およびアントニアのメイドたちとの共同戦線ではあったものの、疲労|困憊《こんぱい》、歩くどころか息をするのさえも難儀に思える。
だが、敵は真奈美の都合を考えてはくれない。
不意にどこからともなく、ナイフを持った少女が飛びかかってきた。
「わ、わ!」
何とか身を翻すが、中近東系の顔立ちをした少女は、独特のカーブを描くことで遠近感を狂わせると有名なグルカナイフを休み無く突き出してくる。
「くっ!」
もはや真奈美に武器はない。
ベレッタでさえ撃ち尽くしてしまっていた。
瞬く間に真奈美は広い階段の壁際に追いつめられる。
「…………」
怜悧《れいり》な瞳の少女がにやりと笑った…………瞬間。
一陣の風が横殴りにナイフの少女を襲った。
何が起こったのか真奈美の脳が理解するよりも早く、決着はついた。
グルカナイフは階段を滑り落ち、中近東系の顔立ちをした少女は、がっくりとその場で気を失って倒れた。
そして、代わりに立っていた影は…………。
「アオイ…………」
「私たち、パートナーでしょ? どうして呼んでくれなかった……の?」
寂しそうに、双葉アオイは言った。
「い、いや、あ、あのね…………」
何とか言い訳を取り繕《つくろ》おうとする真奈美だが、どうしてもうまくいかない。
しどろもどろな真奈美を手で制し、アオイは薄く微笑んで断言した。
「あなたも一緒じゃないと、楽しくない……わ」
「あ、真奈美ちゃん!」
「真奈美さーん!」
騎央とエリスが階段を駆け下りてきた。
真奈美は全員に支えられるようにして地上に出た。
途端に、火薬の破裂音とともに一瞬の明るさが顔を照らす。
花火が夜空に上がっている中、巨大な船が浮かんでいるのが見える。
「あれ…………?」
「ああ、あれは私たちの連絡船です」
エリスがにこやかに笑う。
「母艦じゃないんだ…………」
子供のようにあどけない表情で、真奈美は呟いた。
その足下に、「ゆんふぁ」がやってきてすがりつく。
「『ゆんふぁ』…………大丈夫、大丈夫だよ」
頭を撫でてやると、まるで泣きじゃくるように頭を振りながら「ゆんふぁ」はますます真奈美にしがみついた。
「…………」
それを目を細めて見つめる真奈美だったが、ようやく気力を取り戻して顔をあげた。
「じゃ、行こうか!」
「そうだね、明日もまだあるんだし!」
と騎央が受け、全員が「うわぁ」という顔になった。
「そうか…………明日もあるんだっけぇ」
「そーでした。なんかああいう光景見ていると、もう終わったような気に…………」
エリスも真奈美も息を合わせたかのようにしょげて俯き、それを見て思わずアオイと騎央が吹き出した。
花火の輝きの中に宇宙船が浮かび、さらにその間を、ティンカーベルのように猫耳尻尾付きのキャーティアたちが舞う光景が、彼らを笑って見下ろしていた。
☆
宇宙船から幾つも光の筋が走った。
それは素晴らしい勢いで旋回すると、地上めがけてやってくる。
「あれ…………人だぞ!」
誰かが呆然と叫んだ。
「人だ! 宇宙人だ!」
たいまつのように輝く光の棒を持った何十人もの美女たちが人々の頭上を飛び回り始めた。
「本日はガクエンサイにようこそ!」
飛び回る乙女たちは口々に言った。
「本日はガクエンサイにようこそ!」
光は交差し、跳ね上がり、舞い降りて人々の頭上数十センチに近づき、また数メートルに遠のき、また近づいてくる。
「本日はガクエンサイにようこそ!」
くるりくるりと回りながら、両手を広げながら、猫耳尻尾付きの天女たちが合唱する。
「本日はガクエンサイにようこそ!」
そして、口上が変化する。
「また、遊びに来ますね!」
「また、遊びにきます!」
「またねー!」
物々しい機械やロープ、ワイヤー一切無しで飛び回る、猫の耳と尻尾を生やした「天使」たちに人々は魅入《みい》られたように動かず、声もなく見つめるだけだ。
飛びながら誰かが紙吹雪を手渡したらしい。
面白がって、ザルにはいったそれを、士官たちはにこやかに微笑みながら空中にばらまいた。
秋の夜風に沖縄にはあり得ない粉雪が舞う。
そして、思いっきり低い高度で人々の頭上を過ぎ去ると、乙女たちは一気に天空に浮かぶ船にめがけて駆け上がる。
そして、宇宙船のうえから、ひときわ大きな花火が打ち上げられ始めた。
やがて、どこからか拍手が起こった。
拍手は波のように広がり、それこそ割れんばかりの大きな拍手へと変わっていく。
その中を猫耳尻尾を着けた天女たちが、笑いさざめきながら飛び交うさまは、ある意味、極楽浄土のひとつの形であったかもしれない。
実際、アントニアを筆頭に「子猫の足裏」関係者はその場に昏倒し、保健室に担ぎ込まれた…………もっとも、これまでにすでに保健室は大イベントの常で満杯で、彼らのほとんどは廊下に寝かされる羽目になった。
アントニアも当然同じ目に遭い、摩耶が怒り狂ったのは言うまでもない。
なお、サラはその一〇分前に救急病院に搬送されていた。
その際、救急隊員の「大丈夫ですか?」の問いかけに対し、右腕をブンブン振り回してポーズを決めようとしては止められていたという。
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エピローグ 祭りが終わって踊ろと言った
☆
意外なことに、翌日はウソのように人が少なくなっていた。
夜のニュースで、あの「キャーティア乱舞」が流れたことで、誰もが「キャーティアを見られる日は終わった」と思いこんだためである。
また、それは報道したマスコミ各社も同じだった…………騎央たちが情報を流す暇もなく、また体力もなかったために、彼らは勝手に推測し、「まるでおしまいのように」行われた行為が、本当に額面通りに受け取られてしまったのである。
もっとも、前日と同じ調子で人が集まったら、二度と騎央たちの学校は学園祭を行えなくなったかもしれない。
ただ、この日、地域にもたらされた経済効果はもの凄く、那覇大綱引きの三倍から四倍、半径三キロ以内のコンビニはどれも五年分の売り上げを一日で出す結果となった。
ただ、人が去ってみると結構な被害も判明した。
違法駐車、車両による当て逃げ、軽い器物損壊も学校内にはあったし、トイレを貸してくれと言う人間が周囲の民家にも押し寄せたため、苦情も相次いだ。
そんなわけで学園祭が終わった翌日から、しばらく騎央とエリスはふたりして頭を下げて回る日々を過ごすこととなるが…………まあ、それはまだ先のお話。
☆
校庭の真ん中に、幾つかうずたかく積まれた資材に火がつけられた。
模擬店の看板、内装、横断幕、芝居のセット。
たった二日の学園祭のために作られ、役目を終えたものが炎になって消えていく。
炎は夜空に向かって激しく、どこかさわやかでさえある。
「…………終わっちゃいましたね」
大正喫茶の内装はすべて取り外されてすっかり掃除され、いつもの様子に戻った教室のベランダで、エリスは呟くように言った。
「…………ちょっと、寂しいです」
「そうだね」
騎央は頷いた。
隣にいるアオイも、真奈美も頷く。
「でも、来年もあるんだし」
「…………そうですね、そうですよね!」
うん、とエリスは頷いた。
ぶるぶるぶる、と頭を振って、センチメンタルな気分を振り払ったらしく、元気にガッツポーズなんかしたりする。
「ところで、あれ、何してるんですか?」
懐かしい音楽と共に、たき火を囲むように男女の輪ができている。
「フォークダンスよ、知らない?」
ベランダの柵に「ゆんふぁ」ともどもほけーっと寄りかかっていた真奈美が答える。
「はい…………あれ? でもこの前見た映画だとこの場合ホッテントットの踊りを踊っていたような…………?」
「どんな映画よ、それ?」
それを見て、騎央は微笑んだ。
(憂い顔のエリスも、悪くないんだけどな)
とか考える。
と、何かを感じたのか、アオイがぴとっと身体を寄せてきた。
「!」
身体を強張らせる騎央だが、エリスもそれを見て「〜〜〜〜〜♪」と腕に抱きついてきた。
「い、いや、あの、ふ、ふたりともちょ、ちょっと!」
あの豊満な水蜜桃《すいみつとう》が、さらにささやかながら「それはそれで」な胸の感触が肘の辺りに感じられて騎央はますます赤くなって焦る。
「やれやれ、まったくもーあんたたちはー」
苦笑いしながら真奈美は肩をすくめた。
「ほら、下行ってフォークダンスでも踊ってきなさいよ!」
と三人の肩を押す。
「アレ? 真奈美さんは行かないんですか?」
「あたしは疲れたからここで見物しとくわ」
ひらひらと真奈美は手を振り、三人を送り出した。
そのスカートを、ちょいちょい、と「ゆんふぁ」が引っ張る。
「ん? どしたの?」
コート姿に爪楊枝を咥《くわ》えたような恰好のアシストロイドは「まなみはあいていないでしか?」と鋭いツッコミのプラカードを掲げる。
「あんたは気にしなくていいの!」
こつん、と真奈美はサングラスのアシストロイドの頭を小突いた。
「そういえば…………『定やん』どこ行ったんだろ?」
☆
学校の、体育備品室の中、どこで見つけてきたのか木で出来たミカン箱を机代わりに、「定やん」はこの学園祭における収入の勘定に余念がなかった。
「かけとり」と書いた帳面を開いて、太い指で器用に大きなそろばんの玉を弾いて計算を終えると、丁稚型アシストロイドは溜息をついて肩をトントンと叩くような仕草をした。
それから「まあ、こんなもんでっしゃろ」といいたげな様子で、ミカン箱の上に広げた硬貨やら紙幣やらを、懐から出したがま口に納め始めた。
☆
通常型アシストロイドの「6」はちょこん、と人気《ひとけ》のない校舎の屋上にあるフェンスに腰を下ろしていた。
その横には、現用のものと違い、妙に丸っこく「ネコ」製のものに近いデザインだが、明らかに「犬」を模したと思われるアシストロイドが座っている。
二体は、時折なにやら話し込むように頭を動かしていたが、やがて「犬」はひょい、とフェンスから降りて片手をあげた。
「6」も片手をあげて別れの挨拶とする。
変わり者の「6」はこの時のことを、結局他のアシストロイドたちとの間の共用データとして公開しなかった。
☆
サラは極度の脱水症状で、病院のベッドにひっくり返っていた。
どれくらい眠っていたのだろうか。
彼女が眼を覚ましたのは近づく気配、であった。
「?」
枕の下に隠した小型拳銃に触れながら、そっと目を開けると、そこには「21」と額に書かれたアシストロイドが立っていた。
「あ…………ねこたーん」
思わず目が潤む。
いつもは執事の恰好をしているアシストロイドは、今日は風呂敷包みを背負っていた。
サラが起きていることを知ると「おかーしゃん、だいじょぶ?」とプラカードを掲げる。
「ええ、何とか来週には退院できるって」
そう答えると、「21」は後ろを向いて手招きをした。
病室の入り口の陰に隠れていた他のアシストロイドたちがぞろぞろと現れる。
「あ、あなたたち…………」
不覚にも、サラの目から涙がこぼれた。
「21」の説明によると、どうやら非番のアシストロイドは全員来たらしい。
そして、全員が風呂敷包みを背負っていた。
開けてみると、屋台の焼きそばやら何やら、食べ物で一杯である。
「あ、ありがとう、ありがとうみんな…………」
泣きながらサラは一二体のアシストロイドが持ってきた料理を全て食べ…………腹をこわしてさらに二日、入院を延ばす羽目になった。
☆
「変なことをするのじゃな、日本の高校生は」
テントを撤収し終え、何となく椅子に座り込んで、アントニアはぽけっとした声で呟いた。
「どうせならソシアルダンスのほうがよいと思うのじゃが」
「伝統なのですよ、アントニア様」
やさしく摩耶が言いながらコーヒーを差し出す。
「日本の高校に昔から伝わる伝統なのです。型にはまることで、物事の終わりであると実感し、日常生活に切り替わるために必要な」
「…………ふむ、そんなものか」
ところで、とアントニアは摩耶に尋ねた。
「サラはどうしておる?」
「先ほど心配になって電話を入れましたら…………アシストロイドたちの見舞いに大喜びしていたそうでございます」
「そうか…………なら大丈夫じゃ」
にっこりとアントニアは笑った。
「アントニア様」
ふと、摩耶は言った。
「あちらに行かないでよろしいのですか?」
「私は伝統でなければ脳を切り替えられない、というワケではない」
と切って捨てたあと、ちょっと寂しげな微笑みを浮かべ、
「それに、相手もおらぬ」
「…………」
摩耶はそう言ってコーヒーを啜る主の横顔を何とも言えない複雑な表情でながめた。
☆
はるか彼方、「マットレイ」と呼ばれる犬型アシストロイドのデータを転送された…………いや、正確には、普段は「マットレイ」の中にデータを移動させている犬ロイドは、ちょこまか歩き回った挙げ句に、体育館で目的の人物を見つけた。
「あらー、どこ行ってたの、くろきち」
ごつくて太い指が、犬ロイドの頭を撫でる。
「そろそろ戻らないと、アンタの新しいご主人様にバレちゃうでしょ?」
言われて、「くろきち」と呼ばれた犬ロイドはうなだれた。
「ま、いいわ…………また遊びにいらっしゃい。ジェンスちゃんの情報も逐一《ちくいち》欲しいし」
と「マットレイ」こと「くろきち」の「かつての主」、河崎貴雄監督はにっこりと微笑んだ。
☆
炎の周りには、延々と「オクラホマミキサー」が掛かっている。
誰もがその代わり映えのしない選曲に苦笑しながら、日本の学園祭における「伝統」に従うことで、妙な満足感を得ているようだった。
さらに言えば何もかも新しければいいというものでもない、ということを何人かはぼんやりと理解したかもしれない。
「じゃ、踊りましょうか騎央さん…………アオイさんと交代しながら、でいいですよね?」
「う、うん」
「い、いいわ…………よ」
そんな会話があって、エリスとアオイと騎央は一緒に踊ることとなった。
最初はおっかなびっくり、見よう見まねの三人だったが、単純なステップをやがて覚えて、軽やかに踊り始める。
誰の顔にも、自然と笑みが浮かんでいた。
炎に照らされた顔はどれも美しく、輝いていた。
騎央たちにはまだ二回は、その輝きを見るチャンスが残されている。
だが、状況は静かに、確実に変化を始めようとしていた。
次巻『ぎゃくしゅうの|BC《ビューティフル・コンタクト》』につづく
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あとがき
えーと、こんにちは、神野オキナでございます。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
この「あそびにいくヨ!」も早いものでもう五巻、エリスたちもそろそろ地球に馴染んで…………というか、まあ、彼女たちは最初から馴染みまくってるわけですが。
今回は前の巻でお約束したとおりのまったり話です。
ところで、皆さんはガクエンサイ、じゃなかった学園祭にどんな思い出がありますでしょうか?
今から二〇年ほど前、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という映画がありまして。
今のように抽象概念と映像美だけに凝り固まる前の押井守監督のこの作品は、当時も、そして今も私のフェイバリットムービーの一本です。
「終わらない学園祭の前日」という甘い恐怖、それに込められた様々な思い、そして苦い(しかし、シチュエーションコメディのお約束で結局それすらも終わらない、別の意味で地獄の日々なのですが)現実に戻らざるを得ない主人公と、さりげなく去っていくゲストキャラ…………というすばらしさもさることながら、当時中学生だった私が虜《とりこ》になったのは「お祭りの準備」の描写でした。
お祭り騒ぎを自分たちで作ることの描写を、私はこの映画で初めて見ました。
「荒れる中学生」と呼ばれる世代だった私たちは…………つまり、校内暴力とか、家庭内暴力とかが表面化し始めた時代の中学生のアニメオタクたちはそれらの「学園祭」が高校に行けば得られるもの、と頭から決めてかかっておりました。
ところが、それは叶わぬ夢…………といいますか、それを手に入れるためには色々と資質と条件が必要である、ということを高校生になった私は思い知る羽目になりました。
結果、地元のサークル活動に夢中になり、「無能な働き者」として苦い思いもいっぱいしたわけですが…………まあ、それはさておき。
今回のお話は、そんな「手に入れられなかったお祭り」を登場人物達に体験して貰うことにしました。
エリスや騎央たちは状況を処理するだけで手一杯のようですが、皆さんは楽しんで頂けましたでしょうか。
今回もまた、色々今後の展開につながったりする伏線を張ってあったり、あるいはトリビア的な「仕掛け」をしてありますので、読み解いたり、予想したりして楽しんで下さいませ。
では恒例のお礼を。
イラストの放電映像《ほうでんえいぞう》先生。
いつもいつもお世話になっております。今回もマタご迷惑をおかけしました、申し訳ありません。
ラルターフ玉盛《たまもり》さん。学生時代のサークルの先輩なんですが、今回「うなーたん」のリアル解説を絵つきで頂きました、ありがとうございます! アントニアは企業オーナーでもあるので、いちおう、開発を命じた所はこういうパンフレットをつくったのだ、という設定であります。
担当のオーキドさん。いつもフォローありがとうございます。
そして、作家の榊一郎《さかきいちろう》先生、漫画家の環望《たまきのぞむ》先生、清水兆二《しみずちょうじ》先生、先輩のナカエマさん。ネタ出しのお付き合い、ありがとうございました。
何よりも、こんなお話を毎回買って下さっている読者の皆様。
本当にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
そろそろ寒い時期だと思います。どうぞ皆様ご自愛の程を。
二〇〇四年一〇月末
神野オキナ 拝
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