[#改ページ]
あそびにいくヨ!4 やめてとめてのうちゅうせん
神野オキナ
目 次
プロローグ 艦長と一緒に丁稚が来た
第一章 いぬはいぬでもせんそーのいぬたち
第二章 手渡されても困るのだった
第三章 先にバラされ大変だった
第四章 とにかく宇宙へ上がるのだった
第五章 とにかく寒い宇宙への旅
第六章 準備は色々あるのだった
第七章 真っ赤な戦車、地を走り♪
第八章 うちゅーのおんなきし×2なのだった
終章 猫の耳と尻尾とあなた
あとがき
[#改ページ]
編集 大喜戸千文
[#改ページ]
「わあ、我が東京は全滅ね」
「また新しい東京を作ればいいさ」
映画「妖星ゴラス」より。
[#改ページ]
プロローグ 艦長と一緒に丁稚が来た
「彼ら」にとって全ては確率である。
それも「成功」と「失敗」の二種類しかない類《たぐい》の確率だ。
本来なら外惑星に出かける宇宙船《ふな》乗りにとっては命綱であり、「仲間」であるアシストロイドにこういう任務を実行させるのは法律的な問題はともかくタンパク質構成生物としてはいささか「非常識」もしくは「野蛮」の極《きわ》みとされて眉をひそめられ、時には無関係な惑星国家にまで厳重に抗議されるのは間違いない。
だが「彼ら」はすでにこの宇宙の法律や常識から逸脱《いつだつ》して数百年が経過しており、また「表向き己の惑星から出られない」ことになっている「彼ら」に宇宙の世論の話は無駄であり、意味もない。
だから、少しづつ位置をずらしてカプセルは放たれた。
同時に大量の囮《デコイ》も。
月の裏側にいる「標的」は見事なまでの防衛システムでそのほとんどを迎撃したが、カプセルの「中身」たちは、彼らの主《あるじ》のもくろみ通り、カプセルのみを破壊されただけで、無事にその中から大の字のポーズで射出された。
計算通りにぺたりと「標的」に張りつく……ただし、この間彼らはなにもしていない。
動力スイッチすらONにはなっていなかった。――元々動力すら外されている。
張りついたのは、両手の特殊な粘着テープの力のみである。
だが、まだ行動を起こしてはいけない。
「中身」たちはじいっと待った。
嘉和騎央《かかずきお》の家に、珍しい来客があった。
「こんにちわー」
エリスの上官たちの中でもこの太陽系内では最高位に位置するキャーティアの宇宙船艦長、クーネは、いつものスキンスーツの上から、ゆったりとしたマントを羽織った姿でにっこりと微笑んだ。
まだ残暑厳しい折には珍しい格好だが、出迎えた騎央は彼女の周囲の空気が妙に涼しいことに気がついた。
恐らく、マントの中に空調装置でも入っているのだろう。エリスがそういう物を使っているのを見た記憶はないから、高級士官用の装備なのかもしれない。
「今日から三日間、お世話になりますね」
「あ、お客様、って艦長さんのことだったんですか」
「エリスは?」
「ちょっとアントニアちゃんたちと出てます」
「あら、そうなの……ちょっと早く着いちゃったものね」
部下が出迎えに来なかったことを別に気にする風もなく、クーネはうんうんと頷き、ちょっと後ろの方を向いた。
「というわけで、これが、騎央君のためのアシストロイド」
クーネがそう言うと、彼女の陰から、ひょこっと新しいアシストロイドが顔を出してすぐに恥ずかしそうに引っ込んだ。
「…………?」
「ほら、恥ずかしがってないでご挨拶しなさい」
とてん、とそのアシストロイドは一歩横に出てぺこりと騎央に頭を下げた。
何とも妙な外観である。
頭にはハンチング帽。鼻眼鏡にしか見えないものが鼻がある辺りにちょこんと乗っており、首輪があるあたりには背中に背負った風呂敷袋の結び目が来ていて、身体はどう見ても和服に紺の前掛け。腰には「かけとり」と書かれた分厚い単語帳めいた帳面が紐で下がっている。
足元だけはアオイの連れている「チバちゃん」「錦《きん》ちゃん」に似ているが、もっと四角くて、厚みがある履き物だ。
日本古来の徒弟《とてい》制度の商家版における最低階級「丁稚《でっち》」そのものの姿である。
「一応、騎央君もキャーティア大使館のオーナーなわけだしね。この子は計算とスケジュール管理と礼儀作法、それと料理とちょっとした情報収集能力を持たせてあるわ」
「はぁ」
そういえば三日ほど前、エリスがそんなことを言って自分の眉毛を一本回収していたと思い出し、騎央は腰をかがめ、新しいアシストロイドに微笑みながらちょっと手を振った。
丁稚型アシストロイドは「いやぁん恥ずかしワァ」とでもいう風に、前掛けをもじもじと弄《もてあそ》びながら身をよじる。
「名前は好きにつけてね♪」
「…………はあ」
「こりゃあ、コンちゃんか定《さだ》やんだろうな」
騎央の横で顎に手を当てながら、たまたま遊びに来ていた叔父の雄一《ゆういち》が断言した。
「なんですか、それ?」
「ハンチングに唐桟《とうざん》のお仕着せに前掛け、雪駄《せった》…………こういう格好をしているならそう呼ばないといかんのよ」
言われて騎央はちょっと考えた。「ちゃん」づけで呼称されるのはすでにアオイの二体があるので、ちょっとこちらは変えてみたかった。
「…………じゃあ、定やんでいい?」
騎央が尋ねると、丁稚型アシストロイドはこくん、と頷いた。
これだけはどんなアシストロイドにも共通のプラカードに、こちらは筆文字で「おおきにだんさん」と書く。
そして、腰の辺りに片手を当て、ぽん、と叩くと前掛けに○に「定」の文字が現れた。
どうやら名札代わりらしい。
「一応、交渉代行とかも兼ねることを考慮しているから、誤字脱字機能はカットしてるけど……やっぱりONにしておく?」
「あれって、機能だったんですか?」
「ええ。知らなかった?」
「いや、アシストロイドってデフォルトでこういうものだと…………」
「まっさかぁ。文字だけよ、デフォルトなのは」
うふふ、とクーネは口元を押さえて微笑んだ。でもね、と付け加える。
「書き文字だけはねえ、どんなにOSを進化させても駄目なのよ。どうしてかしらねえ?」
「あーちくしょ、いーなぁ艦長」
ブツクサとチャイカは呟きつつ、立体投影されたデータフォルダをあれこれ入れ替えていた。
地球にいるエリスから送られてきた資料やら情報やら荷物やらを示すそれは、立体映像の中をアレコレ行き来する。
「本当ならオレが行くはずだったのにー」
楽しみにしていたことを幼馴染みに横取りされた子供の顔である……もっとも、チャイカ自体、地球人類で言えば一三歳ぐらいの肉体外見だし、艦長であるクーネは本当に幼馴染みなのでそれは当然の反応に見えてしまうが。
「まぁまぁ、艦長の場合、次はいつになるか判らないわけだし、今日明日だけで、明後日《あさって》からはまたチャイカなんでしょー?」
チャイカの愚痴を聞いていた銀色の髪をしたキャーティア…………メレアが笑う。
「わたしなんかー一度だけよ、地球に降りたのは…………でも他の一般乗組員は降りることさえ出来ないんだものー」
「まぁ、そりゃそーだけどよぉ」
「でしょ?」
「でもさー」
なおも怨《うら》みがましくチャイカは言った。
「オレの予感だと、今日あたりなんだよなぁー『やきにく』が来るの」
「えー! あれって定期的にやってくるのー?」
メレアが驚いた声を出し、チャイカは慌てて口元を押さえた。
「しまった……」
「うそー! あれってかなりランダムで安定供給は難しいって」
「いや、一応そうなんだけど、何度か下に降りてると、何となくタイミングが掴《つか》めてくるんだよ」
ちなみに、この船の中で嘉和騎央の祖母《オバー》が作る「やきにく」は超高級食材であり、一般乗組員優先であるから、メレアのように中途半端に高い地位にいる士官クラスには一番縁が遠い代物だったりする。
「ひどいひどい〜あたし我慢してたのに〜! タイミングが判るんなら、今度持ってきてよぉー」
半分涙目になりながらメレアはチャイカの襟首を掴んで揺さぶった。
「わわわ、わかった、わかったから揺するなーっ!」
「嫌がらせの泥団子《ハラスメント・デプリ》処理終了」
「今回も動体反応はありません」
「エネルギー反応も無し」
「よろしい、警戒態勢をレベル4にダウン、自動システムに完全切り替え。各員、半休息……ご苦労様」
「はい、艦長代理」
滞《とどこお》りなく状況が終了し、艦長職を代行している青いショートヘアのメルウィン副長は大きな溜息をついた。
上級士官になってかれこれ一周期、ある程度責任ある仕事にも慣れたが、やはり最高指揮官は少々荷が重い。
「…………落ち着きませんか、副長?」
「そんなことはない、ドクター」
船医長であるデュレルの言葉に、艦長がいない間、船を任された少女は硬い笑みを浮かべた。
「私はとてもリラックスしている」
だが、その言葉とは裏腹に、メルウィンは落ち着かなげにしょっちゅう身体を揺すった。
腰の位置を変えたり、彼女には高すぎる位置になっている腕置きの調整ダイヤルに触れては止めたり。
本来ならスイッチひとつで椅子は一瞬にして彼女の体型にあった堅さ、大きさ傾斜形状に変化するのだが、どうやらメルウィンはそれを変えるのをどこか恐れているようだった。
借り物ゆえに遠慮しているというか。
「ただ、座り慣れていない椅子にとまどっているだけだ」
「そういうのを落ち着かない、というのですよ」
さすがに他の乗組員もいるブリッジでいつもの砕けた口調を使うわけにもいかず、デュレルは微苦笑を向ける。
「もう少し、好き勝手になさっていいと思いますよ。艦長と副長は違う人間なのですから」
「…………判っている」
むすっとした表情でメルは応えたが、すぐに己の稚拙《ちせつ》さを恥じた。
「すまない、ドクター。確かに私は落ち着かないようだ」
「いっそ、いつもの椅子に座られたらいかがですか? 緊急事態には艦長の席に移動するということで」
「…………そうだな」
京浜東北《けいひんとうほく》線、JR新さいたま駅のすぐ近く。
「さいたまスーパーアリーナ」。
日本有数の多目的イベント施設である。
「しかし、大内《おおうち》さん、なんか、今日のお客さんたち、前にも来ていたような気がしますがねえ?」
その入口の前に立って警備しながら、年の若い警備員が、前を向いたまま、隣に立っている先任の警備員に尋ねた。
「さぁな。俺たちは警備する、お客は施設を壊さないようにイベントナリ何ナリをやって利用する。俺たちも施設を壊したりしないかぎりは何も知らない、見ない、感情を抱かないようにする。それがこの稼業で長生きするコツだよ」
「深いッスね。大内さん」
「まあ、そろそろ四〇だからなぁ」
その背後で、地響きさえ伴いそうな大歓声がわき起こる。
「……いったい、何のコンサートッスかね?」
今日のイベントはやたらと人が多い。
恐らく中にいる観客は通常の最大からおよそ二五%オーバー。四万人以上入っているのではないか。
「知らん。知ろうとも思わん。警備員は生きた案山子《かかし》、それ以上にも以下になってもいかんのよ」
「……深いッスね、大内さん」
「まぁ、そろそろ四〇だからなぁ」
それこそ以前、どこかで繰り返したような会話をして、ふたりの警備員は黙りこんだ。
そろそろ警備本部から視察の職員が来るためである…………うっかりお喋りをしているところを見られたら査定に響く。
熱狂と怒号にも似た歓声が、さいたまスーパーアリーナの中を満たして、あふれ出していた。
観客は老若男女、何一つ統一されたデータの無い集団だった。
それが、四万人以上、この中にいる。
言わずとしれた、猫耳系秘密結社「子猫の足裏」の構成員たちである。
当然、この建物の収容人数を超えているため、全員が立ち見状態だ。
彼らは結社以来最大の興奮に包まれて、それが始まるのを今か今かと待ち受けていた。
やがて、場内はゆっくりと暗くなり、大きく人々の気配が動いた。
彼らの目の前にある舞台には誰もいない。
かつて、彼らを率いていた少女は、今彼らのシンボルと共に数千キロ離れた小さな島にいる。
そことの衛星中継を結ぶための巨大なスクリーンのみだ。
その真ん前に、スポットライトが当たった。
小さな影が、舞台の真ん中に作られた「セリ」と呼ばれる昇降装置にのって登ってくる。
赤いボディ、ちんちくりんの手足。二頭身の暢気《のんき》な造形。
片手に「はろー」と書かれたプラカードを持ったそれ……通常型アシストロイドは空いた手を元気に振った。
それだけで巨大な歓声がわき起こり、慌ててアシストロイドはプラカードを放り捨ててミトンを填《は》めたような手で三角の耳を押さえた。
「こらこらこら」
舞台の袖《そで》……上手《かみて》からメイド服をつけた、眼帯の美女が駆け寄ってきてアシストロイドの前に、かばうようにして立つ。
「あー皆さん、お静かに! お静かに! アシストロイドちゃんたちは結構繊細な子たちなんです!」
などと必死に熱狂する群衆を収めようとするが、彼らが求めて止《や》まない本物の猫耳|尻尾《しっぽ》つきの存在……キャーティア人のテクノロジーの象徴、アシストロイドを前にして観客の熱狂がそう簡単に収まるはずはない。
それでも、片目の美女は何とか観客を収めようとしたが、彼女の主ほどのカリスマのない身では無理な話だった。
ついに、片目のメイド…………サラの顔から表情が消えた。
右手が腰の後ろ、フリルつきのリボンの陰に消える。
「えーかげんにせええええっ!」
叫びながらH&K社製MP7を引き抜いて上空めがけて乱射した。
「怯《おび》えてると言うとるだろーがああああっ!」
その陰に隠れたアシストロイドのプラカードに「おかーしゃん、こわい」と書いてあったが、サラには見えない。
ひと弾倉《だんそう》を空《から》にする頃には、さすがに熱狂が止む。
「…………よろしい」
銃を再びリボンの中に戻し、サラはマイクのスイッチを入れた。
「でわ、アシストロイドちゃんたちからメッセージです」
後ろを向いて頷くと、アシストロイドは「おかーしゃん、ありあと」と書いたプラカードを掲げ、思わずサラはでれーっと崩れそうになる顔を必死で引き締めて、舞台の袖に戻った。
ほんじつはみなさ、ありあとござまし
とプラカードに書いて、額に「3」と書かれたアシストロイドは頭を下げた。
ほらいなら、ますたーもくるよてえでしが、こかいはいろいろあてだめになりまた
とプラカードに書いたが、文字が下手《へた》な上にあれこれ誤字に脱字もあるので判読できず、観客がざわつき始める。
慌ててまた、サラがやってきてプラカードの文字を音読した。
「えーとですね、〔本来なら、マスターも来る予定でしたが、今回はいろいろあって駄目になりました〕と書いてあります」
頷いて、アシストロイドは再び新しい言葉を書いてプラカードを掲げた。
「〔でも、今日は衛星回線が繋《つな》がっておりますので、メッセージをどうぞ〕と書いてあります…………ね?」
こくん、とアシストロイドは頷いた。
会場がざわめく…………期待の、明るいざわめき。
最後に、これだけはわかりやすく「でわ、どぞ」と書いてプラカードを掲げる。
万雷《ばんらい》の拍手が自発的に巻き起こり、舞台の上は暗転し、アシストロイドは再びセリで舞台の下に戻る。
拍手はいつの間にか、シュプレヒコールに変わった。
「うにゃー!」
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
そのシュプレヒコールが数分以上経過して、さすがにダレて来たのを見越したように、スクリーンが明るくなって、一人の少女の顔を映し出した。
「ものども、久しぶりであるっ!」
その一声がスピーカーから飛び出すと、会場内は水を打ったようにしん、となった。
スクリーンの中、どアップになった少女の年齢はおよそ一三、四歳。細い身体を、白いワンピース……それも詰め襟、ふんわりと大きな、フレーム入りのスカートというどこかのお姫様そのものな衣装……につつんでいる。
手脚が長いのは最近の子供ならではのプロポーションだが、その広い額の下にある目の力は尋常なモノではなかった。
四万人の観客を画像越しにして一歩も引かない……のみならず、それらを飲み込み、操る気迫を放っていた。
少女の名は、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノス。
この猫耳教団の教祖だ。
静まりかえった会場内、押し黙る四万人弱の観衆を、少女は腰に両手を当てて睥睨《へいげい》した。
人々は、少女の言葉を待ち受けている。
少女はなおも黙ったまま彼女の観客を見つめ、焦《じ》らす。
ついに観客の焦れったさが頂点に達し、「飽き」へと切り替わる瞬間、少女は高く右の拳《こぶし》を突き上げて声を張り上げた。
襟元に巧妙に隠されたワイヤレスマイクが、その声を、的確な音量で拾い上げ、スピーカーから流す。
「諸君!」
偽物の猫耳と尻尾を着けた少女は朗々《ろうろう》とした声で叫んだ。
「前回、我々は、作戦名『うにゃーくん』において、我々の新たなる神、エリス様を我が教団に迎え入れるべく動き、ある程度の成功を見た!」
声の鞭《むち》の一撃は、冷めかけていた聴衆の熱気を引き締めた。
「だが、エリス様も我々に条件を出された…………試練と言っていい!」
少女はもはや引き返すことのない意志の強い瞳で、カメラの向こう、スクリーンの向こうに広がる大群衆を見つめた。
「我々は、これまで、猫の耳と尻尾をあがめ、いつか己の身体に、あるいはそういう身体に生まれ変わりたいと願っていた! だが、エリス様はその時代を止めよと申された!」
どよめきが広がる。
「猫耳を崇《あが》めるのではなく、共に生きる時代が来たのだ!」
どよめきが喜びの爆発に転化する。
「そうだ、そうなのだ。猫耳と尻尾をつけた人々が我々のこの宇宙に実在する! それは幻ではないのだっ!」
少女の目は涙さえ浮かべて天空に向けられていた。
信者たちの中にも目頭を押さえる物が少なくない。
「そして、いま、ここにエリス様がいらっしゃる!」
そう言って、アントニアが画面の右へ手を伸ばしながら後ずさると、へこへこと頭を下げながら、ひとりの少女が現れた。
腰まである赤いロングヘアに前髪に金色のメッシュ、さらにメリハリの利いたプロポーションを包むのはスキンタイトなボディスーツ。
だが、ここに集まった数万人の男女にとって最も重要なのは、その頭頂部と、腰から生えているパーツだった。
「え、えーと、みなさん、こんにちわー。あの、エリスです」
なんとも冴えない挨拶だが、それだけで彼らには十分だった。
四万人弱の溜息が一斉に漏れる。
「そんなわけですので、どうぞみなさん、仲良くして下さい」
ぺこり、と何とも威厳のないことに「ご神体」は頭を下げた。
「うにゃー!」
再び少女の声。それを合図に彼等はまた最初のように叫ぶ。そのシンボルから連想される最もふさわしい言葉を。
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
最初の少女の一声は「強制」だったが、後に続く人々の絶叫は「承認」のそれだった。
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
うにゃー!
人々の熱狂は長く続いた。
「…………あの、本当にこれでよかったんでしょうか?」
実況中継が終わり、アントニアの船「アンドローラU」の中にある放送施設で、猫耳尻尾つきの宇宙人、キャーティアの少女、エリスは横で満面の笑みを浮かべているアントニアに尋ねた。
「ええ、もちろんです、エリス様ぁ♪」
今にも「ごろなー」とか言いつつ喉を鳴らしそうな勢いで、世界有数の大富豪で、地球一純粋なエリスのサポーターでもある少女は猫耳少女の腕にしがみついた。
「こうやって、少しずつ宗教色を消していって、ファンクラブレベルまで落としてしまえばいいんですよね?」
「…………まあ、そうですが」
どうも「ますます宗教色が強くなったのではないか」という表情を浮かべるエリスだが、アントニアは頓着《とんちゃく》しなかった。
熱狂的なファンクラブも、熱狂的な宗教も、根っこの部分はどれも同じだと思っているからである。
キャーティアたちが言うところの嫌がらせの泥団子《ハラスメント・デプリ》は様々な物質で出来上がっている。
ほとんどが打ち上げに失敗した衛星だの、かつての宇宙戦略防衛計画の産業廃棄物だのであるが、中には妙な物も混じっている。
それは、分子レベルの工作機械《ナノレベルクラフター》。
一定の時期が来ると、微細な……傍目《はため》にはまるで粉にしか見えないそれは、周囲の物質を吸収し、再構成しながらまず最初に工作機械を作り出しつつ、材料を生み出し、加工し、組み立てて、構築していく。
本来なら人のいない惑星に漂着した場合、もしくは調査仕事のために、地質調査も兼ねて放たれるものが通常だが、「犬」である彼らはちょっと変わった使い方をした。
ナノレベルクラフターはある特定の造形を持った物体を探すようにまずプログラムされていたのである。
彼らは、即座に目標物を見つけた。
人の目から見ればゆっくりと。しかし、スケールからすれば信じられない速度で目標物へ分子レベルの大きさを持った機械は近づいていく。
近づきながら、宇宙船の表面についた微細な埃や、破壊されたデプリの欠片《かけら》を回収し、急速に機械構造を作り上げていく。
数千分の一ミリサイズの機械は、一時間ほどで全長三ミリほどの工作機械と、移動装置を兼ねた物へと変化した。
その、彼らからすれば巨大な山も同然の目標物を登りはじめる。
宇宙船の側を、今から数十年前に月面に着陸し損ねて、そのまま廃棄されたロシアの月着陸船の部品が通り過ぎていく。
ナノレベルクラフターは目標物の点検パネルに作られたわずかな隙間から中に入った。
宇宙船のセンサーに、動体と察知されないためにわざと取り外された動力システムのため、がらんどうになったそこで、同じようにプログラムされた他のナノレベルクラフターと合流し、かねてからのプログラムに従い、融合、合体していく。
数時間が過ぎた。
大の字になって宇宙船の表面に張りついていた「犬」型のアシストロイドの目が、かろうじて起動の輝きを宿したが、宇宙船のセンサーはその微細なエネルギー反応に未《いま》だ気づいていない。
[#改ページ]
第一章 いぬはいぬでもせんそーのいぬたち
しばらくするとエリスが帰ってきたので夕食になった。
「ンまーい!」
クーネは、一口「やきにく」を囓《かじ》ると目を閉じて身を震わせた。
「んー! 美味しーい!」
クーネの横では、姉《あね》さんかぶりの手ぬぐいにエプロン姿のアシストロイドたちが「お褒めにあずかり恐悦至極《きょうえつしごく》」とばかりに腰に手を当てて「えっへん」と威張っている。
「あなたたち、でかしたわ!」
そう言ってクーネはアシストロイドたちの頭を一人ずつ撫でてやる。
おたまやらおしゃもじやらを片手にしたアシストロイドたちは、自分たちの命令者であるエリスよりも「偉いひと」に頭を撫でられて「わーい」とばかりに小さくジャンプしながら厨房に戻っていく。
今回の「やきにく」は彼らアシストロイドのお手製なのであった。
「そういえば、艦長さんはアシストロイドを連れてないんですか?」
微笑ましい光景のなか、騎央が疑問を口にする。
「いえ、連れているわよ?」
言うと、クーネは首に下がっている鈴をちょんとつついた。
「この中に入れてあるの」
「へ?」
「えーとですね」
エリスが解説を入れた。
「わたしとか、チャイカとかの首に下がっている鈴《これ》はただの階級章と通信装置なんですけど、高級士官になると、携帯万能機《マルチタスク・オーガナイザー》になるんです」
「物体の原子構成をいじったり、空気中の元素を固定したりすることができるのよ。むろん武器にもなるわ」
「へぇ……」
騎央はイマイチよく分からない。
「あ、そうだった…………忘れるところ」
そう言うと、クーネは首の鈴に二本の指で触れた。
鈴がちりりん、と鳴って、スリット部分から立体映像が投影される。
「えーと」
まるで本当にそこに置いてあるかのようにクーネは立体映像に触れると、回転式の本棚のように横に流した。
幾つかの物を横に流し、上にあげ下にさげ、やがてお目当ての物を見つけると、それをちょんとつつく。
立体映像が消え、光の粒子が収束して小さな腕輪《ブレスレット》が現れた。
「はい、これ騎央君に」
「え?」
大小様々な形状の金属板をつなぎ合わせて作り上げられたそれを手渡され、騎央は首を傾げた。
「この前言ってたでしょ、非常用の装備が欲しい、って」
「は、はぁ……」
「これ、一応強化服になってるから…………安全装置もかかってるから三〇分以上の連続使用は出来ないけど。それと他人への貸与はダメね」
「強化服、ってことは艦長さんやエリスの服みたいに?」
「これと違って最初から戦闘、防御用のものだけどね」
「ありがとうございます」
自分で申し出たというのに、どこかぼけっとした表情で騎央はそのブレスレットを受け取った。
「あ、私たちの服と違って、他人との共用は出来ないからね。気をつけて。使い方はご飯が終わってから教えるわ…………ちょっとコツがいるのよ」
「はい」
「…………」
どこか複雑な表情でエリスがこちらを見ているのに気づいて、騎央は首を傾げた。
「どうかしたの、エリス?」
「いえ、あの……何か、寂しいなぁ、って」
「?」
「騎央さんでも、やっぱりその…………武装しなくちゃいけないんだなぁ、って」
「…………うん、情けない話だと思う」
騎央は頷いた。
「でもさ、この前のキャンプの時からずっと思ってたんだ。何もしないでエリスや双葉《ふたば》さんとかに迷惑かけっぱなしはやっぱりいけない、って……それに、男だしね、一応」
「男の子だから戦わなきゃいけない、って概念はよく分からないんですけど…………騎央さんのその気持ちは嬉しいです」
にっこりと……でもやはりいつもとは違ってどこか寂しげにエリスは笑った。
「でも、こんな形での発露《はつろ》は、出来ればないほうがいいなぁ、って」
「そのためにも、キチンと外交努力を、ね」
クーネが、こちらは太陽の微笑みで話をまとめた。
「ちゃんとした外交ルートが出来れば、騎央君がこういう武装を使うことはないわけだし」
「はい、頑張ります!」
うん、とエリスは力強く頷いた。
「僕も頑張るよ」
騎央は、猫耳少女のその姿に、少しまぶしい物を感じながら微笑んだ。
「…………」
クーネはどこか楽しげな表情である……我が子のデートに出くわした母親のような。
日本のアメリカ領事館が保有する幾つかの建物の一つに、その場所はあった。
真っ暗な中、コンソールとキーボードの明かりだけが人々を照らす。
半分に切ったすり鉢状に広がるそのコンピューターの群れを見下ろす位置に、大きなガラスの張り出しがある。
その中で、ボードに貼りつけた作戦進行表にチェックを入れ、犬の耳をつけた美女は腕組みをした。
人間用に作られたインカムは、犬の耳の下にある副耳《ふくじ》に装着され、状況を刻一刻と知らせてくる。
口元にはわずかに満足げな笑みが浮かんでいる。
「では、そろそろ第二段階に移ろうか…………どう思う? マットレイ」
振り向いて言う彼女に、なぜか絨毯《じゅうたん》の床に座り込み、編み物なんかをしながら、ゴーグルを填《は》めて歯を剥き出しにしたような外見の犬型アシストロイド「マットレイ」は鷹揚《おうよう》に頷いた。
「…………そう言う場合はちゃんと上官に対する意思表示をするものだ」
いささか不機嫌な顔で言うジェンスに、マットレイと呼ばれた作戦参謀型アシストロイドはこめかみの辺りに線を差してつなげたラップトップ型パソコンに、「|同感であります《イエス・アイシンクソートウドウ》、サー」と英語で表示した。
「よし、では宇宙《そら》の|アシストロイド《お前の仲間》に連絡を取れ…………|行動開始だ《オペレーション・ナウ》!」
すさまじい衝撃と共に、警告音が鳴り響いた。
「外部第三外殻破壊!」
「エネルギー反応あり! 攻撃です!」
メルウィンは即座に立ち上がった。
「非常事態宣言レベル3! 被害状況を報告! 攻撃対象は何か!」
「外部モニターに反応無し」
「艦内に識別コード無しの動体反応。六…………いえ、七! 大きさは小……アシストロイドです!」
「どうやって…………宇宙船なんかどこにもないのに!」
オペレーターのひとりが悲鳴をあげるが、メルウィンは構わず、
「保安要員出動! 武装レベル……3、いや4で! アシストロイドも向かわせて!」
「了解!」
まだ幼い外観の少女は顎に手を当てて数秒間考え込んだ。
「艦橋防御封鎖《ブリッジダメージコントロール》開始。各種セキュリティシステム作動」
「了解!」
メルウィンの命令により、彼女よりも四周期は年上のキャーティア士官が、目を閉じて脳内投影型ディスプレイと向かい合いながら、地球で言う結跏趺坐《けっかふざ》の姿勢でその内容を実行していく。
同じような脳内投影型ディスプレイを使ったオペレーション士官のこめかみから、メインシステムへと繋がったファイバーケーブルの中を、情報を意味する輝きが連続して走る。
「時空確保、システム物理分断完了、短期超空間指揮システム、オールグリーン」
「総員、定位置より動かず、完全防御態勢を徹底させろ! 反撃は保安要員に任せ!」
メルウィンは目の前のディスプレイと、脳内投影型ディスプレイの情報を同時に眺めながら、状況の把握に必死になった。
(一体…………どこから入ってきた?)
まるっきり唐突な襲撃であると、全てのデータが示していた。
相手が「犬」ならあり得ない話だ…………彼らも、自分たちも未だに完璧な各種センサーからの遮蔽《しゃへい》システムを完成させていない。
だとしたらこの状況は何によってもたらされたのか…………そこで、メルはデータを呼び出してチェックした。
それは、彼女の推測を裏づけた。
「これは…………!」
アシストロイドだけだ。
侵入者は、アシストロイドだけなのである…………人間は同行していない。
「まさか…………地球から木星の我々の所まで射出したのか、アシストロイドを!」
思わず声が出た。あの「嫌がらせの泥団子《ハラスメント・デプリ》」は、このためのものだったのだと悟った。
「嫌がらせの泥団子《ハラスメント・デプリ》」は放たれたうちの半分しかこちらに到達しない。さらに迎撃され、粉々になるのは九割以上だ。
驚くことにおぞましいことに、その中にアシストロイドたちが混じっているのである。
キャーティア社会において、更に言えば宇宙船《ふな》乗りにとって、アシストロイドは友人であり、仲間であり、貴重な助手であるという意識が強い。
ただの道具ではないし、道具として扱ってはいけない存在なのだ。
「何という非道徳的な…………人としての誇りはないのか!」
思わずメルウィンの声が震えた。
最初に宇宙船の外壁を破壊したのは、彼らが地球の衛星軌道上にあげられた時から、彼らの腹のあたりにべったり貼りつけられていた紙だった。
その紙は、彼ら一〇体分よりも価値があるとされているが、もちろん、アシストロイドたちの知ることではない。
犬のアシストロイドたちは最初の一枚を器用に剥がしては、外殻に円状に貼りつけ、それぞれが紙の端をぱんと引っぱたいた。
紙の価値は十分に現れた。
それだけで、指向性爆薬はおろか、レーザートーチでさえ傷一つつけられないチルソナイト9122と、硬化テクタイトで出来た複合外殻が内側に向けて粉々に吹き飛んだのだ。
幸いにも破壊口の先に人はいなかったが、それは単なる偶然で、彼らの意図したところではない。
さて、すぐさま隔壁が降ろされた通路が真空になるのを待って中に入った犬型アシストロイド…………キャーティアたちの物と区別するため、以後は犬ロイドとでも呼ぼうか…………は、今度は互いの頭の上に貼られた紙を引き剥がした(自分の頭の上の物は、手の短さで取ることが出来ない)。
両端を持って破ると、破れた紙が輝き、あるものは収束して武器や専用装備の小山になった。
あるものは収束、展開して超空間通信の発信装置になる。
即座に充填剤と閉鎖フィールドで覆われ始めた破壊口から発信装置を放り投げ、フリッツ型ヘルメットにM4カービンを模した小型のパルスレーザーガンを持った犬ロイド七体は、早速隔壁へと突撃した。
腹に貼ってあったもう一枚の黄色い紙を剥がして隔壁に取りつけると、同じようにぶん殴る。…………これで、犬のアシストロイドたちの腹に貼られた護符は一枚だけになった。
爆発がして、キャーティアたちの悲鳴が巻き起こった。
開いた穴へ、今度は着用したボディアーマーの胸のあたりに並ぶガスグレネードを取りだして放り込んだ。
数千倍に濃縮されたマタタビガスが爆発して周囲に漂う中、犬ロイドたちは突撃した。
相手を傷つける暇はないので、とにかく所定の位置へ急ぐ。
そして、最後の紙を貼りつけて引っぱたくのだ。
だが、キャーティアたちの抵抗も凄まじく、たちまちのうちに仲間たちは倒されて数を減らしていく。
しかし、数の上で不安はなかった。ここに侵入したのは彼らだけではない。まだ数百体の犬ロイドたちが時間をずらし、場所をずらして突入してくる予定なのだ。
セルモーターが回って、トラックのエンジンが掛かった。
全て自動化されているにしてはかなりスムーズな動きで、トラックは荷台の操縦者に操られ、移動を開始する。
角を曲がる。
ギアが入れ替わり、アクセルが踏み込まれる。
エンジンは軽快に音を立てていた。
路肩に駐車していた軽自動車を引っかけ、改造マフラーをつけたスクーターを巻き込んでタイヤで踏みつぶしながら突き進む。
運転席に人はいない。
その時、金武城真奈美《きんじょうまなみ》の家で、双葉アオイは食事中だった。
キャーティア大使館職員としての彼女の仕事というのは、平日の場合は夜の八時頃で終わってしまう。
いつもなら騎央やエリスたちと食事なのだが、今回は艦長のクーネが降りてくるということもあり、アオイ自身が遠慮したのである…………また、真奈美とこれからの「作戦会議」をしなければならないという事情もあった。
「どう、アオイちゃん? お口に合うかしら」
「あ、はい、と、とっても美味しいです!」
何とも自分には不似合いな、しかし心惹かれる安穏《あんのん》とした暖かさの中に、彼女は思わずぼうっとしていた。
慌ててテーブルの上、騎央の家からわけて貰った「やきにく」とトーフチャンプルー、および海藻サラダに手を伸ばす。
「そう、どんどんお代わりしてね……おチビちゃんたちはいいの?」
真奈美の母の言葉に、アオイの横に座った二体のサムライ型アシストロイド「チバちゃん」と「錦ちゃん」は、口元にご飯粒をくっつけたままで茶碗を差しだし、「おかわりくまさい」と書かれたプラカードを掲げた。
「こ、こらふたりとも……」
慌ててアオイがそれを引っ込めさせようとするが、真奈美の母は笑って、
「いいのよ、いっぱい作ってあるから」
と、小さな子供用茶碗を取った。
「真奈美と騎央君の使ってたお茶碗が、こんな形で役に立つなんてねー」
微笑みながらご飯をよそう真奈美の母に、ひたすらアオイは恐縮した。
「…………まったく、どうしてこういう改修をしたのかしら?」
「まぁ、いいじゃないの」
アオイを呼んだホストである真奈美は、笑いながら自分の横に座った射撃特化型アシストロイド「ゆんふぁ」の口元からご飯粒を取ってやる。
「食卓は賑やかな方がいいし」
ちなみに、アシストロイドたちに鼻と口はない。
にもかかわらず「食事」が出来るのは、その時だけ口のある辺りに小さな空間転移システムが張り巡らされ、そのまま彼らの体内にある原子変換炉に送り込まれるようになっているためである。
この改修が行われたのはつい三日ほど前のこと。
戦闘時の出力不足が問題になったため、普段からある程度予備のエネルギーを蓄積しておくべき、という結論が出たのと、当人(?)たちが「食事がしたい」という要望を持ったためだ。
さすがにエリスの所にいる二〇体のアシストロイドたちまでそういうカスタムを行うと食費が大変なことになるため、行われてはいないし、アオイと真奈美には食費として一体当たり年間二〇万円ほどが支給されている。
とはいえ、やはり人の家でお代わりするというのは気が引ける話。
だが、真奈美の母は楽しげに小さなサムライとガンマンたちの給仕をしている。
「食卓を囲む人は多ければ多いほど楽しいものねー」
いいながら、真奈美の母はさっそく食事をかっこむ「チバちゃん」の頭を撫でた。
「でも…………」
「まあ、一週間に一回だけだし」
「うん……」
「そんなことよりもさ」
真奈美はちょっと困ったような顔になった。
「問題はエリスよねー」
「…………うん」
昨日、真奈美はアオイから夏の海における事情を聞いた。
大体に置いて「これからは騎央を巡って敵同士」という了解《コンセンサス》を得たものの、その結果がどうなるかといえば、どうにも地球人類、特にキリスト教や儒教の影響を受けた者としてはかなり受け入れがたいもので、真奈美は事情を聞くと、「わかった、あたしがもう一度交渉してくる」と引き受けた。
ところが、相手は宇宙を行くだけの存在であり、かつ異星人で、さらに臨時とはいえ大使の代理が出来る程度の交渉能力を持っている。
勢い込んだ真奈美の言葉はエリスののんびりした言動に、理屈の上で完膚《かんぷ》無きまでに撃破された。
異星人と地球人を間に挟んだ状況である以上、双方のやり方を混合してやらないといけないのだ、という論理はしごくまっとうなものである。
もちろん、地球人にとって恋愛というものは…………特に真奈美にとっては…………「勝てば官軍」なのだが、まさかそれは表だって口に出来ない。
エリスの論理の根幹はしごくまっとうなもので、結局真奈美は説得どころか「とにかく、嫌なものは嫌なの!」という感情論に走らざるを得なかった。
「つまり、勝てばいいわけだけど…………」
「…………ええ、何かしっくりこないわ」
「うん、あたしも」
真奈美とアオイは箸を停めて首をひねった。
どうにもあの猫耳宇宙人の言動は、こちらが太刀打《たちう》ちできない、芯が一本通ったものがある。だが、自分たちが根本的に間違っているとも思わない。
普通ならここで怒りが沸くが、どうもそんな気にはなれない。
ゆえに「ひょっとしたら自分たちの方が決定的に間違っているのではないか」という疑念がふたりともに沸いているのである。
何よりも、エリスは決して真奈美たちの論理を否定しないのだ。
それを肯定し、受け入れ、ただし自分が勝ったら自分の理論を受け入れてくれ、といっているに過ぎない。
更に言えば、それを拒否して、逃げ出したとしてもエリスはがっかりするだけで強制的にコトを起こそうとはすまい。
だが、それをやってしまえば、「負け」になってしまう。
真奈美もアオイも何となく心の奥底でそう思ってしまっている。
頭で考えたことではなく、心の奥底で浮かんだことだけに、それを否定することも、都合良く忘れ去ることもふたりには出来ないでいた。
コンテナの中、ちまちました手がリモコンを弄っている。
運転席に置かれたテレビカメラからの映像は、こめかみのあたりに装着されたケーブルによって「彼」のシステムに送られ、正常に判断され続けている。
目標地点まであと三〇秒となり、「彼」は片手を上げた。
あの海の底から帰ってきた連中と、さらに最近加わった新しい仲間たちが一斉に頭部に「装備」を装着する。
大量生産の簡易型抜きで出来上がった「装備」の装着に何体かの仲間が手間取ったが、他の仲間たちがフォローして無事に準備を終えた。
「彼」もまた、直線コースを取ったことを確認すると、周りに控えていた仲間に合図して「装備」を装着した。
これによってセンサー類の稼働率は三割、機動性は二割落ちるが、この作戦の成功のためには仕方がない。
そして「彼」は最後にコントロールスティックを押し倒した。
最初に感じたのは気配だった。
「!」
アオイは箸を置くと、何も言わず風のように玄関へ走った。
「アオイ?」
真奈美が怪訝《けげん》な顔をするが、すぐに壁を鋼鉄が削る凄まじい音が彼女の疑念をかき消した。
アオイはそのまま玄関に置いてあったスニーカーを引っかけ、引き戸を開けると同時に一気に飛んだ。飛びながら一挙動で踏みつぶしていた踵《かかと》に指を入れて履き直す。
地面に降りた時、目の前をコンクリを砕く煙をまとった銀色の板が横切る。
トラックの荷台だ。
無理矢理路地をバックで入ってきているのだと気づいた瞬間、アオイは騎央の家にある「武器庫」から手の中にバレット五〇口径ライフルを能力で「取り寄せ」た。
運転席にめがけ、ぶっ放す……人の気配が無いのは分かっていたが、運転席に仕掛けがないとは思えなかった。
飛行機の構造材越しの敵を撃ち抜くための対テロ用|狙撃銃《そげきじゅう》は、瞬く間に牛乳瓶を一回り小さくしたような空薬莢《からやっきょう》を飛ばしつつ、運転席をボロボロの穴だらけにする。
車はようやく止まったが、同時にコンテナの、騎央の家の側が開く。
押し出されるように煙が吹き出した。
「しまった!」
さらにコンテナを撃つが、手応えはなかった。
バレットを捨て、真奈美の家の塀からコンテナの屋根に飛び移り、そのまま騎央の家の玄関にダイブする。
しながら、今度は片手にCQB(屋内近接戦用)にカスタムされたガバメントと、フックした刃先のタクティカルナイフを「取り寄せ」た。
「騎央くんっ!」
叫びながら着地と同時に身を翻《ひるがえ》し、開いたコンテナへ銃口を向けるが、ドライアイスをお湯にぶち込んだような、地を這う腰までの大量の煙の中には、人影を観ることは出来なかった。
「?」
代わり、何かがアオイの側を駆け抜けていく気配。
それも一体ではない。
煙の彼方に、見覚えのある……でも妙に違和感のある後ろ姿がチラチラと見えた。
猫の耳と尻尾を模したセンサーとバランサー。
襲撃者は二頭身で、猫の耳と尻尾らしいものを着けていた…………つまり、アシストロイドたちそっくりに偽装していたのである。
さらにタチが悪いことに、この偽《にせ》アシストロイドたちは以前アントニアが着用した「うにゃーくん」やサラご愛用の強化装甲服「うなーたん」とは違い、サイズまで同じだった。
それが、隊列を組んで、ではなく、手に手に円筒状の金属部品を握りしめ、てんでばらばらに突っ込んでくるのである。
「わ? な、なんだこれっ!」
慌てたものの、さすがに何度もこういう目に遭うと、騎央も状況への対応が様になってくる。
咄嗟《とっさ》に座っていた椅子を盾と武器代わりにして、煙の中から飛びかかる偽物たちをぶん殴る。
手首に巻いたブレスレットを起動させる暇もない。
「みんな、防御態勢!」
艦長と背中合わせになりながら、偽物の攻撃をさばきつつエリスが言うが、わたわたとアシストロイドが動く気配はあるものの、一向にこちらへやってこない。
「この煙、ネフェルターガスよ!」
首の鈴で煙の成分を分析させたクーネが、網膜投影型ディスプレイに出た結果を口にした。
「え?」
思わずエリスが目を丸くした。
「じゃあ、センサー使えないじゃないですか!」
「むしろチビちゃんたちにはその場で動かないように指示を!」
「了解…………総員休止状態!」
何がなんだか少年には判らない。
会話を理解するのは諦めて、騎央は飛んでくる気配に対して椅子を振り回しながら、
「庭から逃げましょう!」
と叫んだ。
「嘉和君!」
アオイの声。どうやら駆けつけてくれたらしい。
「庭へ出る、そこで!」
「庭は駄目! 二階、騎央君の部屋へ!」
「わ、判った! エリス、艦長さんっ!」
「はいっ、騎央さん判りましたっ!」
「了解したわ!」
煙の向こうから返事が返ってくる。
とにかく、騎央は自分の家ならではの直感のみで移動する。
取りあえず、足下だろうが空中だろうが、気配を感じたら思いっきり引っぱたいた。
もしも本物のアシストロイドたちだったら…………と思わないでもなかったが、その時は謝ろうと覚悟を決めた。
ネフェルターガスとは、特殊な指向性を持った合成微粒子ガスで、生物には無害だが、機械類に対しては、特にキャーティアたちが使用しているセンサー類を攪乱《かくらん》する周波数を、固有振動数として持っているという厄介な代物である。
これがばらまかれた場合、もっとも深刻な機能障害を起こすのはアシストロイドたちである。
彼らのほとんどは行動の際に光学式の外部センサーではなく、音波、電磁波によるセンサー類の情報を元に動いている。これらセンサー類の機能を阻害するネフェルターガスが充満すると、ろくに歩くことさえ出来なくなる。
だが、それは自然の中に放り込まれることを想定して…………つまり合成ガスが存在しないことを前提に作られた通常型の話。
あらゆる戦闘状況を考慮に入れて作られたカスタムタイプは話が別である。
特に騎央に与えられた「定やん」は眼鏡型の高性能な光学センサーを装備していた。
「定やん」はガスが充満する中、主のいる台所へ向けて走ったが、敵に囲まれてしまった。
手にした金属筒を腰の後ろのホルダーに移した四体の偽アシストロイドたちは代わりに、どこからともなくチェインソーを取りだした。
むろん、彼らに合わせてあるから寸足らずもいいところなのだが、エンジンをかけるとそれは恐ろしいエンジン音が響き始める。
だが「定やん」はたじろがない。
手首がお仕着せの懐《ふところ》に入った。
わずかにタイミングをずらし、攻撃方向もバラバラに四体が襲いかかる。
鉄の砕かれる恐ろしい音がして、「定やん」のボディに食い込むはずだった硬化テクタイトの刃は、互いにかみ合い、チェーン部分がぶち切れて持ち主の対角線上にいる相手の頭部に食い込んだ。
「いたー」という風に偽のアシストロイドたちは頭を押さえるが、彼らの頭部を覆うFRPの「かぶりもの」はまっぷたつに裂けて転がった。
「定やん」を含めたキャーティア側のアシストロイドとは違い、ちょっと四角いラインで構成された犬ロイドの頭が現れる。
頭を押さえ、互いに顔を見合わせた犬ロイドたちは、自分たちの共通の標的がどこに消えたのかと周囲を見回したが、飛んできた高圧プラズマによって強制的にシステムダウンさせられて、次々と倒れた。
廊下に腹這《はらば》いになった「定やん」は南部一四年式をディフォルメしたような雷撃銃《ボルトガン》を構えたまま、トコトコと動かなくなった犬ロイドたちに近づいた。
うつぶせにコロンと倒れた犬ロイドたちを「よっこいせ」とひっくり返し、調べ始める。
犬ロイドたちの目の辺りには、光学システムが増加装備として取りつけられていた。
処理速度は遅いが、この煙の中で動くには十分すぎる代物を取り外し、ためつすがめつして、「定やん」は感心したように頷き、首に巻いた風呂敷包みを外すと、中に押し込んだ。
艦長であるクーネを先にして、騎央は二階への階段を上った。
途中、二匹ほどの偽アシストロイドが飛びかかってきたが、エリスの拳と騎央の椅子が退ける。
「艦長さん、早く部屋へ!」
騎央は煙の彼方に全神経を集中しながら怒鳴った。
エリスは、いつの間にか手にしたふとん叩きで必死に偽物のアシストロイドたちを引っぱたいては煙の彼方に押し戻している。
「でも、あなたたちは!」
「僕らはいいですから、艦長さんとにかく先へ!」
感情的には全員一緒に、と思うが、この場の優先順位は最高責任者であるクーネの安全確保が第一である。
一瞬の躊躇のあと、クーネは騎央の部屋のドアに手をかけた。
開けると、同年代の少年の部屋と比べれば大分片づいた中身が現れる。
先客がいた。
騎央のベッドの上…………そこには見慣れない小さな影が立っていた。
手にした小型の液晶モニターに「友ヨ静カニ眠レ」と表示した犬ロイド。
クーネが何か行動を起こそうとした瞬間、天井に張りついていた別の一体が落下しながら手にした金属筒…………キャーティア専用の麻酔ナノマシンチューブをその首筋に押し当てた。
「チバちゃん」「錦ちゃん」「ゆんふぁ」の三体がアオイに遅れて駆け込んできた。
身長が低い上、煙の中で光学センサーのみの行動はやはり動きが鈍くなるらしい。
エリスの命令で、本物のアシストロイドたちは部屋の片隅で固まって動かない。
アシストロイド同士の高速通信で状況を理解した三体は武器を抜いて敵に襲いかかった。
向こうも、鎖鎌《くさりがま》やら折りたたみ式の槍やら、用意してきた武器を使う。
たちまち乱戦になった。
互いに光学センサー、つまり「見る」ことで成り立つ武器を使うため、煙による視界の閉塞《へいそく》は避けられず、またアシストロイドたちの側には騎央の家という「暴れてはいけない場所」という禁則がある。
これに完全に引っかかったのが「ゆんふぁ」で、彼は得意の二丁拳銃を封じられ、やむなく真奈美の家にあった庭箒《にわぼうき》を振り回すこととなった。
犬側も優位とは言えない。状況を作った優位はあるものの、光学センサーの能力は猫側よりも劣っているし、処理するシステム自体も二世代ほど遅れている。
さらに、相手を混乱させるための「かぶりもの」が動きを悪くさせていた。
高度な戦術も、格闘もなく、ただ「見えた相手をぶっ叩く」以外には何も出来ない状況が続く。
それが猫側有利に傾いたのは「錦ちゃん」のお陰であった。
光学センサーで煙の動きを分析、さらにカスタムタイプにのみ搭載されている「疑似直感」とリンクさせることにより、相手の「だいたいの動き」を掴むようになったのである。
「錦ちゃん」が猫型アシストロイド同士の高速通信でそのデータを全員に配ると、後は蠅叩き状態になった。
サムライ型アシストロイドの電磁刀が、庭箒の柄《え》が、恐ろしい速さで敵の身体を捕らえる。
ぽかぽかぽか。
暢気な音がして、機能不全に陥った犬ロイドがバタバタと倒れた。
だが、それは少々遅かった。
敵はすでにその少し前に目的を達していたのである。
宇宙船の中は、ほぼ犬ロイドたちの天下となった。
最後の護符を貼って発動させると、艦橋部分以外の時間は凍結された。
正確に言うと完全な停止ではなく、数千分の一の流れにまで低下したのだが、まあ、傍目には停止と変わりがない。
彼ら以外の全ての存在にその効果は適用された。
こうなると、もう戦闘の必要すらない。
それ以後は、「人質の回収」が彼らの仕事となった。
飛びかかる恰好のまま、あるいは横へ走る恰好のままで空中で停止しているキャーティア人や、そのフォローに走るネコ側のアシストロイドを引っ張って、幾つかの箇所にまとめると、装備していた極細の拘束用ワイヤーで縛り上げる。
護符の効力の切れる数時間後には全てが終了した。
あとは、艦橋の攻略のみであるが、これはすぐに諦めることとなった。
船の中央コンピューターを制圧し、隔壁を解除すると、そこには「虚無」の空間が広がっていたのである。
だが、犬ロイドたちは別に気にしなかった。
彼らの任務はほぼ達成されたのである。
「艦長さん!」
ドアがいっこうに締まらないのに業《ごう》を煮やした騎央が部屋に飛び込むと、クーネはその場に突っ伏して倒れていた。
「これ……を」
クーネは首の鈴を外して、騎央に手渡すと、がっくりとうなだれた。
「!」
ピクリとも動かなくなったエリスの上司の姿に驚愕する騎央へ、本棚やベッドの陰に隠れていた犬ロイドたちが殺到する。
だが、後を追ってきたエリスの方が早かった。
瞬く間に手足が動き、犬型のアシストロイドたちは窓から蹴り出される。
どうやらそれで品切れだったらしく、犬ロイドたちはそれ以上はやってこなかった。
「艦長、艦長艦長かんちょう!」
それから後、エリスは半狂乱になりながら動かないクーネにすがりつき、身体を揺さぶる。
だが、目を閉じた美しい顔は動かない。
「騎央さん、艦長が、艦長がぁっ!」
「エリス、例の機械で艦長さんの状態を!」
「あ、は、はいっ」
慌ててエリスが腰のパウチから医療用マシンを取りだしてクーネの身体に向けた。
「…………よかった、生きてるー!」
「よかった。じゃあ、治療を……」
頷いてマシンのコンソールに指を走らせようとして、エリスが停まる。
「どうしたの?」
「だめです…………これ、ナノマシンです」
「?」
ナノマシン、という名前自体は聞いたことがあるが、イマイチよく判らない騎央は首を傾げた。
「薬効成分じゃなくて、脳の中に微細な機械を送り込んで、神経伝達をブロックしているんです。下手に医療用マシンを使ったら、ナノマシンがどんな反応を示すか…………」
「つまり、脳の中に立てこもられてる、ってこと?」
「ええ。このままだと様子を見るしか……そうだ、船に連絡」
言って、エリスが首の鈴に触れようとした途端、騎央の手の中にあるクーネの鈴が鳴り始めた。
「わ!」
驚く騎央に「そのままで」と言い置いて、エリスは自分の鈴に触れた。
「エリス? 艦長はおられるか?」
メルウィンのせっぱ詰まった表情が空中に投影され、すぐにエリスの側で動かなくなっている艦長を見つける。
「これは……」
「犬の人たちに襲われたんです」
エリスがすまなさそうにうなだれた。
「何で!」
メルウィンは大声を出し、すぐに恥じたように顔を横に向け、口元を手で覆った。
「…………すまない、取り乱した。しかし、弱ったな」
騎央は、少女の声が妙に引きつっていることに気がついた。
「なにか、あったんですか?」
少年の言葉に、こくんとメルウィンは頷いた。
「船が……我々のコントロールを離れた」
「え?」
数秒の間をおいて、メルウィンは言った。
「このままだとあと二週間で地球に激突する」
[#改ページ]
第二章 手渡されても困るのだった
地下の闇の中で「彼ら」は部下であるジェンスの報告を受け、今後の検討を行っていた。
「さて、順調に推移しているようですね」
羽根を持つ「彼ら」のひとりがいえば、完全に犬の頭を持つ別の「彼ら」の一人が頷いた。
「彼女には適応力や柔軟性がないと記録にあったので余り期待していませんでしたが、かなりよい感じの計画ですな…………やはりあのアシストロイドを着けたのがよいようで」
「単純さはこういう場合プラスに働くようで…………まあ、その程度の判断能力もないようであればソレこそ軍人である理由はないわけですが」
こちらは犬の耳を着けた以外は地球人と変わらない外観の「彼ら」。
「しかし、人員こそ彼女だけですが、アシストロイド一〇〇体というのは対費用効果としてはいかがなものかと」
「まあ、許容範囲ではあります。これ以上はさすがに拒否するつもりですが」
「で、補佐官からの返事は?」
「はい、大統領は問題ない、と」
「それはよいことです」
「まあ、一体自分が何を言われているのかを理解しているかどうかわかりませんが」
「以前も『インデペンデンス・デイ』の大統領と同じことをしてくれと言ったら、本気で|F・4《ファントム》に乗り込もうとした人ですからナァ」
「まぁ、軍隊に入っていたら間違いなく命令を理解しないまま殺されてしまうから、何とか兵役免除をと、父親が泣きついたのも無理はありませんな」
「かつて映画俳優だけあって、エキセントリックな言動でマスコミをかわすやり方と、わかりやすいパフォーマンスの仕方は心得ているようですが」
「では、そろそろですか」
「はい、三時間後には世界発表があるはずです」
「第二段階は成功、と」
背後にあるホワイトボードに貼られた進行表の一部を棒線引っ張って消しながら、ジェンスは満足げな笑みを浮かべた。
「|『猫の屑』作戦《オペレーション・キャッツ・ダスト》は無事に第三段階へ…………と」
きゅきゅっとマーカーで矢印と日付、時間を書く。
「♪」
非常に楽しげなジェンスの後ろで、編み物をしながらマットレイが顔をあげ、歯を剥き出しにしたような冷却ファンから引きつった笑い声めいた作動音を漏らした。
「さて、仕上げの第四段階の用意を」
そして、ジェンスは彼女以外、生物は誰もいない司令室に鍵をかけ、昨日こっそりと持ち込んでいた段ボール箱の中身を開けた。
「げ……激突? 母船が?」
横で聞いていた騎央の声が上ずった。
無理もない。
エリスが来たころ、那覇の上空を覆わんばかりに現れたあの船が、激突となれば…………人的、物的被害はおろか、間違いなく天変地異レベルの騒動になる。
「安心したまえ、本当にぶつかったりはしない…………恐らく、月の軌道まできたあたりで自沈装置が作動して船は粉々に爆発する。我々は、友好関係を結びに来た惑星の人たちに迷惑をかけることは絶対にしない」
だが、とメルウィンは険しい表情のまま言った。
「艦《ふね》のコントロールは奪われたままだ。このままでは脱出も出来ない」
「いったい、どういう状況なんですか?」
「正確に何が起こっているのかは分からない。ただ言えることは、メインシステムへのクラッキング自体は彼らのいつものテクノロジーによるモノだが、襲撃の際、我々のいるブリッジ以外、艦の全ての時間が凍結されたらしいということだけだ」
「時間が凍結されている?」
「いや、襲撃している間だけで、今、艦内の時間は通常通りに流れているよ…………乗組員の肉体は未だに時間凍結されているらしいが。しかし、犬どもにそんなテクノロジーがあるとは思わなかったよ」
船医のデュレルが横からフォローを入れた。すぐにメルウィンが会話を引き取る。
「とにかく、大変なことになっているのだ。この状況を打破するには、艦長の最上位命令コードでメインシステムを一旦ダウンさせて、完全手動モードで再立ち上げせねばならないんだが……」
「副長さんじゃだめなんですか?」
騎央の問いに、メルウィンは首を横に振った。
「最上位命令コードは存在レベルのものだ。私が艦を預かっているとはいえ、代行するわけにもいかない…………艦長にお願いするしかないのだ」
「わかりました」
エリスがいつになく真面目な顔で言った。
「これからそちらに戻ります……転送装置は?」
「駄目だ。ブリッジの外にある施設は全て敵の手に落ちている」
「わかりました、ではルーロスを」
と、エリスが首の鈴に手を触れようとした途端、わたわたと走り回るクマとも猫ともつかない動物が立体映像になって現れた。
エリスの乗る宇宙船《シャトル》ルーロスのインターフェイスである。
「ていへんです、ていへんです。エマージェンシーデス」
舌っ足らずな声でルーロスの端末はまくし立てた。
「いま攻撃を受けてるデス、ばらんばらんデス、どかんどかんのぼかぼかぼん、です!」
「え?」
エリスの顔が青ざめる。
「損傷度は?」
「いまとこ二五パーセント。カムフラージュ機能完全破壊、エンジン中心に攻撃されてるデス」
「地球の兵器なの?」
「いえ、犬の兵器です、映像出すデス」
ルーロスはひょい、と消え、代わりに現れたのは、どこかの海の底、異様な素早さで動くエイを思わせるラインの機械だ。
しなやかに、時にはくにゃりと曲がったりしながらも、カメラの周囲を舞うようにして泳ぎ、光の塊やら光線やらをこちらに打ち込んでくる。
メカニックなエイの背中にはキャノピーがあり、そこには見覚えがある四角い頭のアシストロイドが乗っていた。
「犬…………?」
「防衛システム、追いつかないです、も少しでシールド、キャンセルされますです。エンジン負荷四五%突破デス」
「ルーロス、プログラムへの三十六番起動!」
「はいです、への三十六番起動す…………」
急にルーロスの画像がかき消えた。
「ルーロス!」
エリスは叫び、何度も鈴を揺らしたが、一向に返事は帰ってこない。
「ルーロスも破壊されたら、もう宇宙《うえ》へあがる手だてが…………」
青ざめたエリス、メルウィン、騎央。
「嘉和君、大丈……ぶ?」
煙がようやく引き始めた一階から、武装を両手にアオイが上がってくる。
「あ、双葉さん」
騎央は強張った笑みを浮かべた。正直、どう話せばいいのか判らない。
開け放たれた窓から、何かが転がり込んできた。
「?」
それは、野球のボールほどの大きさの金属球だった。ある一面がすっぱりと切り落とされた形をしていて、中にレンズが入っている。
レンズが輝いた。
空中に、ヘアスプレー一本を犠牲にして逆立てたとおぼしいロングヘアで、ド派手な目張りと頬に幾何学的な模様を描いた、ボンテージスーツの美女が映る。
同時に、ペイジル・ポールドゥリスの作曲した「スターシップ・トルーパーズのテーマ」が鳴り響いた。
「はーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
大音量で鳴り響く勇壮な「危ない未来のアメリカ」のテーマ曲に負けないだけの大音量で、女は肘まであるビニールレザーの手袋に包まれた腕を、高々と右斜め四十五度に掲げて高笑いをした。
わざとらしく肩を揺らしながら笑うため、胸の谷間を通ってへそ辺りまである深くて広い切れ込みから、こぼれんばかりに胸が揺れる。
「どうだ、バカ猫ども! 我々は地球に住む宇宙難民勇士により結成された地球防衛組織『バカルー・ハイペリオン!』『バカルー・ハイペリオン』だ――っ!!」
異様なハイテンションで、女は続ける。
「…………」
騎央たちは点目になってそのご高説を流れるがままにしていた。
「本日ただ今より、我々はキャーティアと地球との外交樹立を妨害するべく破壊工作を開始した! 取りあえず、お前たちの母艦を爆破してやるのだーっ!」
パンキッシュな美女はなおも続ける。
「さあ、わめけ、怒れ、絶望せよ! 私たちはお前たちなんかと仲良くなりたくなんかない! そして、『ビューティフル・コンタクト』のようにヘタレのポンポコピーとはワケが違う! 戦うのだ、戦うのだお前たちと! 永遠の戦いをこれから繰り広げるのだーっ! 我々はテロリスト! イカすテロリストだっ! お前たちの言うことなんか聞きたくないっ! 要求|貫徹《かんてつ》を行うだけだーっ!」
「…………エリス」
こめかみのあたりを指で押さえながら、騎央は映像に背を向けて、エリスに話しかけた。
「とりあえず、宇宙に行かないといけないわけだよね?」
「宇宙? いったいどうしたの?」
アオイもそそくさと背中を向けてエリスの方を向く。
「いえ、実はかくかくしかじか…………」
エリスはなるべく映像の方を見ないようにしながら話を始めた。
「…………?」
「…………とまあ、こういうわけなんです」
「宇宙船は地球にぶつかる前に自爆するの?」
「ええ。ある一定以上の大きさの宇宙船は、減速無しに惑星に近づくと、船体を作っている物質の結晶構造が崩壊、爆発するように作られているんです…………小型なら乗務員の生命優先ですけど、大型はさすがにぶつかったときの被害が比べものになりませんから。まして恒星間用ともなると、エネルギーだけでも莫大なものになりますし」
「じゃあ、乗員は見殺し?」
「いえ、そうならないように小型艇で脱出するんです…………でも今回、船の中の時間を凍結されているんで、逃げ出すこともできないわけで」
「…………こ、こらっ。お、お前たちっ!」
「じゃあ、仮に宇宙にあがったとしても、凍結された人たちをどうにかしないといけないわけね?」
「でも、時間凍結って…………どうやって元に戻すの?」
「それに関してはちょっと考えがあります。でも問題は宇宙への道です。私の乗ってきた連絡艇は敵に襲われて、今反応が消えました…………ほら」
「あ、ホントだ、いつもこのあたりにピカピカ光る点があるのに、ない」
「ええ…………恐らく大破、下手をすれば完全に破壊されているかもしれません…………中枢部分は頑丈ですからまず大丈夫でしょうけど、エンジンが…………」
「あー、こら、お前たち」
「エンジン……ええと、宇宙に出られさえすればいいの?」
「ええ、最悪の場合、こっちの手持ちのシステムで計算しながら向かえばいいですし、宇宙にさえ出てしまえばアシストロイドたちと一緒に簡易移動装置を作れば…………」
「こらーっ無視すなーっ!」
金属球が揺れるほどの大声に、渋々騎央たちは映像の方を向いた。
「えーと、何でしょうか」
「こら、冷酷非情な過激テロリストが犯行声明を出しておるのだ、注目せんかぁっ」
顔中口にして喚《わめ》くパンク美女に、騎央、エリス、アオイは顔を見合わせ「困ったもんだ」と溜息をついた。
「いや、もうそんな下手な変装しなくてもいいですよ。そういうことにしておきますから」
いいかげんにしてください、という意味を言外《げんがい》に匂わせながら、エリスは、彼女にしては珍しく苦い顔で口をへの字に曲げた。
「犬の人も大変だと思いますけど、こっちも忙しいので、失礼します」
エリスは怒っているらしかった。
「な…………」
「それじゃ、僕も……」
「ま、まて、私は犬の人なんかじゃ…………」
「いい加減にしなさい」
じろり、とアオイが眼鏡の奥から冷たい一瞥を送り込んだ。
「この前の船の中で、私を散々手こずらせた相手が、そういうコスプレ趣味だというのはちょっと…………辛いわ」
「…………!」
パンクス美女……ジェンスの顔が憤怒《ふんぬ》よりも羞恥に赤く染まった。
「な、な、ななななな」
「…………私も行くわ。あなたも、これが最後の仕上げじゃないんでしょう?」
ここで一旦言葉を切り、アオイは更に視線の温度を下げた。
「私たちの反撃は鋭いわ、覚悟していなさい」
機械を壊さないように、震える指で通信スイッチを切った。
「お…………」
拳を握りしめ、ぎりぎりと歯ぎしりする。
ソレを見たマットレイは、そそくさと機材の陰に隠れた。
海に潜って「ルーロス」を攻撃してきた連中が、水を滴らせながら戻ってくるが、それを手招きして自分と同じ場所に隠れさせる。
「お、おのれええええええっ!」
ぼかばきぐしゃん。
ジェンスは手当たり次第に周囲にある物を床にたたきつけた。
空っぽになったヘアスプレー、櫛《コーム》、口紅、服の入っていたビニール袋、さらにこの時のために作り上げたカンペを挟んだクリップボード。
「許さん、許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん許さん、許さぁあああああああんっ!」
漫画なら「きーっ!」という書き文字が後ろにデカデカ書かれること請け合いの状態で、ジェンスはしばらく荒れ狂った。
物を投げつけ、踏みにじり、片っ端からぶっ叩いた。……もっとも、壊すと取り返しがつかなくなるような物は無意識に避けているあたりがいじましい。
「なんだ、あれは!」
予定では、あくまでも表向きは過激な先行地球移住異星人グループによるテロという形を取り、いらだたしげに食ってかかるエリスたちを軽くいなし、一方的に通信を切るはずだった…………のに。
相手の悔しがる姿を見聞きしようと、通信用ボールを双方向型にしたのが間違いだったのかもしれない。
「人がせっかく勝利宣言をし、敗北にうちひしがれた哀れな顔を見てやろうと思っていたというのに! なんだあの態度は! 猫のクセに!」
吼《ほ》えながらなおも怒り心頭なジェンスを見て、マットレイと報告に来た犬ロイドは顔を見合わせた。
「アレハドウイウコトデアルカ?」
と、液晶ディスプレイにケーブルを繋いだ報告犬ロイドが尋ねれば、
「ゴ主人様ハ、今マデノ人生ガマッスグ真面目スギル故ニ、羞恥ト侮辱ニ耐エラレヌノダ」
とマットレイ。
「打タレ弱イえりーとトイウコトデアルカ?」
「サヨウ」
なるほど、と報告犬ロイドは納得し、相づちを打つようにマットレイは頷いた。
「許さぁあああん!」
恥ずかしいコスプレをしたにもかかわらず、まるっきり無視されて羞恥倍増なジェンスは、それを忘れるか、吹っ切れるかするためにますます大声を上げた。
「あれ?」
エリスが取りあえず散らばったアシストロイドを集結させて気がついた。
庭の真ん中にこてんと一体、犬側のアシストロイドが転がっている。
胸の辺りの小さなハッチが開いている以外、何の外傷もない。
「?」
アシストロイドの「6」がトコトコと近づいて、ひっくり返す。完全に動かない。
「6」は掌をかざして動かない犬ロイドを走査《スキャニング》していたが、やがてプラカードに「きのうふぜんにされてまし」と書いて掲げた。
襲撃当初は攪乱され、それ以後はエリスの命令で「その場で待機」ということでアシストロイドたちは動いていない。「ゆんふぁ」や「チバちゃん」たちに攻撃されれば、恐らくもっと派手に破壊されている。
だとすれば、他の人間、もしくはアシストロイドということになる…………。
「あれ? そう言えば騎央さんのアシストロイドは?」
エリスの疑問に、すかさず「1」が応えた。
「え……『さだやんはせんにゅそさちゅー』?」
彼らを回収したのはアメリカ軍のトラックだった。
定時に来て、停まり、定時に発進する、それだけを命じられているから、作戦が予定通りに進まなかった場合は大変だったのだが、彼ら…………犬ロイドたちは無事に任務を予定通りに果たしていたので間に合った。
那覇にしては珍しいが、オキナワではさほど不思議ではないカーキ色の軍用車両の荷台に、犬ロイドたちは転がっていた。
嘉和家襲撃に加わった三〇体は、全てが帰ってきている。破損したり、行動不能に陥っている物もあったが、それすらも無事な、もしくは破損の度合いが低い仲間の手によって回収されていた。
自己犠牲の精神、というわけではない。単純に、彼らは数が足りないのであった。
たとえ二度と起動不能になったとしても、部品が必要……軍関係者が言う「共食い整備」であり、補給がまっとうではなくなった軍隊(つまり負ける側だ)の典型であるが、彼らに疑問を差し挟んだり、批判したりする機能は存在しない。
そんなわけで、犬ロイドたちは、運転席側を目張りした荷台(運転手は一般の米兵なので、彼らのコトを知らされていない)の中で応急処置をしたり、装備した光学センサーを外したりと忙しい。
暗い中に、やたらテキパキと動いて周囲の破損した犬ロイドを直している物がある。
そいつは、ちょっとだけ他の犬ロイドたちよりも頭が大きく、少しだけ足の幅が大きかったし、首輪に下がっているのは鈴だったが、誰もそれを不思議には思わなかった。
なぜなら、それはちゃんと味方の識別信号を出していたからだ。
丁寧に、迅速に、そいつはテキパキと仲間の破損を直していく。
「お嬢様、そろそろお食事の時間です」
「うむ、もう少し待て」
那覇港沖に浮かぶ豪華クルーザー、「アンドローラU」。その主であるアントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスは入ってきたメイド長、摩耶の言葉に、かれこれ十回目になる返事をかえした。
面積だけで言えば、家が一軒建ちそうな部屋がいくつもあるこの船だが、アントニアの個室は意外と小さい。
とはいえ、二〇畳ほどはあるだろうか。床は磨き上げられ、さらにイタリア製のベッドと、祖父から譲り受けた大きなサイドテーブル、あとは書き物用の机がある程度だ。
本来は、百以上ある系列会社のための書類を置くためのサイドテーブルの上には、DVD内蔵の特大液晶テレビが置かれている。
「もう一回観たら行く」
そう言って、リモコンを操作する。
DVDデッキは、また頭から再生を始めた。
この前の、映像部の合宿で映した物だ。
「……のぅ摩耶」
お気に入りのソファで横になった状態でアントニアは呟くように言った。
「あの時は、楽しかったのぅ」
「……はい、お嬢様」
「また、行きたいのぅ」
「はい、お嬢様」
摩耶の口元に優しげな笑みが浮かぶ。
「サラは、明日にでも、とか言っておったが」
画面では、アシストロイドに囲まれてデレデレと溶けたバターのようになった隻眼の副メイド長が映っている。
「あれの言うことはお聞きになりませぬよう」
「うむ」
互いに笑いを含んだ声でアントニアと摩耶は言葉を交わした。
摩耶の顔がちょっと怪訝そうになる。
エプロンのポケットから船内用の小型通信機を取り出す。
「どうした? …………判った。すぐに取り次げ」
言い終わる頃には壁の電話機の転送ボタンを押している。
「どうしたのじゃ?」
「エリス様からお電話です」
「なに!?」
アントニアの顔が輝いた。
「ごめんなさい……ええ、お待ちしてます」
言ってエリスは電話を置いた。
「どうだって?」
「今すぐこっちに来てくれるそうです」
エリスは溜息をつく。
「こんなことであまり頼りたくないんですが」
「気にしないと思うよ。友達の役に立てるってのは嬉しいことだし」
騎央はあっさりと言った。
「はい」
ちょっとだけ嬉しそうにエリスは頷いた。
判っている答えでも、実際に言ってくれた方が嬉しいコトというのはあるのだ。
「…………」
それを観ていて、アオイはたまらずに横を向いた。
真奈美は「ゆんふぁ」と共に他のアシストロイドを率いて散らかった室内を掃除して回っているから、話し相手もいない。
胸の中に何か黒い物が渦を巻いているのが判る。
「艦長はどう?」
それを払いのけようと、アオイは釣り竿の先に着けた氷嚢《ひょうのう》を、居間のソファの上に寝かせた艦長の頭の上に乗せている通常型アシストロイドの「2」に尋ねた。
家事手伝いの得意な「2」はすぐに「ねむてるいがいはだいじょぶでし」と書いたプラカードをかざした。
「寝ているだけ、ってのが厄介よね」
たとえば、これで艦長が死亡していれば全権は副長のメルウィンに移行されるだろうが、艦長がまだ存命で、生命の危機にはほど遠いものの意思表示がまるで出来ない状況にある以上、エリスたちは動かない艦長を担いで宇宙にあがり、母船のメインシステムに艦長を接触させて非常事態を認識させなければならない。
つまりは、人間大の荷物を抱えて走り回らねばならないということだ。
またエリスの乗ってきた宇宙船が破壊されている以上、地球製のスペースシャトルやロケットで宇宙に上がらねばならず、ただでさえ運べる荷物が少ないこれらの移動手段がかなり手狭になるということにもなる。
指紋や眼紋による認識承認とかなら、ごまかす手段は幾らでもあるが、遺伝子レベルの認識システムというのはアオイにも想像がつかない。
「あなたたち、何とか艦長を小さくできない?」
駄目でもともと、と「チバちゃん」「錦ちゃん」に問うてみるが、案の定、彼らは首を横に振るばかりである。
「双葉さん」
騎央が声をかけ、アオイははっと顔を上げた。
「とりあえず、どうしたらいいと思う?」
「そ、そう…………ね」
頼られたうれしさと、それがエリスのためであるという複雑さに悩みながらも、アオイは状況を整理した。
「まず、気をつけなきゃいけないのは、宇宙船が地球にぶつかることが判明するよりも前にコトを収めなければいけない、ってこと……ね」
「?」
「多分、敵の目的はイメージダウン、だと思う………の」
「イメージダウン? 我々の殲滅《せんめつ》ではなくて?」
エリスが目を丸くする。
「ええ」
アオイは頷いた。
「空を飛ぶ物が落ちるのは当たり前だけど、地球の普通の人たちは『落ちないのが当たり前』だと思ってるわ。しかも宇宙の彼方から落下してくるとなれば、エリスたちに対する不信感が出てくる。仮に被害が出れば悪意や憎悪も生まれるわ」
「それは、絶対に……」
ありえない、と言いかけるエリスを、アオイは頷いて制した。
「判ってるわ。それに本当に被害を出す必要はない…………の。むしろ、被害者は用意されていると思った方が…………いいわ」
「それって…………やらせじゃないか!」
騎央が思わず大声を上げ、すぐにそれはアオイのせいではないと気づいて横を向く。
「でも、ブラウン管から、新聞からそれが報道されれば『真実』になる…………わ。あとで抗議すれば訂正報道も出るでしょうけど、そんなものは多くの人たちの心に残ら…………ない」
「…………」
エリスと騎央の顔がかなり厳しいものになる。
「だから、むしろ、先手を打って報道公開したほうが…………いい、かも」
「…………」
エリスと騎央は同時に腕組みをして考え込んでしまった。
その時。
きゅい。
妙な音がして、全員が何となくそちらのほうを振り向いた。
とはいえ、そこには氷嚢を釣り竿に下げた「2」と、眠り続けるクーネ以外いない。
「?」
全員の視線が向くのに気づいて、慌てて「2」は「わちしじゃありませ」と書いたプラカードを掲げた。
変化は、クーネのほうにあった。
枕元に置いた鈴が輝いている…………と思うと、コロコロと転がって、騎央の胸に飛び込んだ。
「わ!」
驚く間もなく、鈴は赤いベルト状のものを放出して、騎央の首に巻きつけた。
「な……」
「あ…………」
ぽかんとエリスが騎央を指さした。
「そういえば、騎央さん、艦長の鈴、持ってましたよね?」
「う、うん」
何とかして外そうとするが、一向にくっついて離れない鈴に当惑しつつ騎央。
「あれ、渡されたんですか?」
「あ、うん、何か知らないけど…………」
「…………」
数秒の間、何とも言えない表情になって、エリスは直立不動で敬礼した。
「えーと、嘉和騎央どの、本日ただ今を以《もっ》て、我らキャーティアはあなたの指揮下に入ることになりました!」
[#改ページ]
第三章 先にバラされ大変だった
それは、海から上がってきた。
小さな漁港の、小舟《サバニ》を降ろすためのスロープから、がしゃがしゃと、タカアシガニのように四本の長い脚を動かし、陸に上がると、それは足を畳み、四角い箱型の本体から重要コア部分を解放した。
ころん、とそれはコンクリートのスロープの上に転がると、頭を掻きながら立ち上がった。
太い手足、丸い頭。真っ白なボディ。子供ほどの大きさの縫いぐるみ、といった外観のそれは、きょろきょろと周囲を見回し、ある一方向を見つけると、トッタカトッタカと足踏みを始めた。
だんだん足踏みの速度が速くなり、ある一定を越えると、勢いよく走り始める。
どんどん加速し、時折通りかかるトラックやバイクを追い越しながら、それは一路那覇を目指して直進していく。
「じゃあ、あれ、騎央が艦長代理になっちゃった、ってこと?」
「どうもそうみたいなんだよねえ」
騎央は溜息をついた。首にはクーネの鈴が下がっている。
「僕は一応地球側だとはいえ、キャーティアの身内も同然だし、家の管理者…………つまり、大使館の建物管理者だからシステムの上からも問題はないんだってさ」
「へえ…………」
騎央の家の後かたづけを終えて、少年の首にくっついた鈴を見て不思議そうな顔になった真奈美に、騎央は事情を説明した。
「花嫁のブーケじゃあるまいし……やっぱ宇宙人なのねー」
感心したように真奈美は何度も頷いた。
「感心してる場合じゃないよ…………僕が宇宙に行かないと、エリスたちの船は大変なことになっちゃうんだから」
騎央は溜息である。
「ま、仕方がないわよ。毒食わば皿まで、って言葉もあるし…………ところで、宇宙まで移動するための手段はあるの?」
「いちおう、アントニアと僕の叔父さんに手配りを頼んであるよ。両方ともあとでこっちに顔を出すってさ」
「ふうん」
「価格は幾ら掛かっても良い、とにかく宇宙船が必要なのじゃ」
港から騎央の家へと向かう車内で、アントニアは出入りの「商人」へ電話をかけていた。
「たわけ、映画の大道具《プロップ》ではない、本物の宇宙船じゃ。確かロシアと中国が作っておるものがあろうが。アメリカの民間の奴でも構わんぞ」
「…………ええ、構いません、とりあえず大気圏の外に出られれば良いようですから」
その向かいで、摩耶が同じように電話をかけている。
だが、両人とも表情は決して明るくはない。
「買い占めぇ?」
思わず騎央とエリスはもちろん、アオイ&真奈美までも声を揃えてしまった。
「ああ、どこのどいつかしらんが、宇宙関係すべてに買い占めが掛かってる。上はスペースシャトルから下はスケールド・コンポジットとかの民間宇宙船からインドのロケットにいたるまで、だ」
渋い顔をしつつ腕組みをしたのは、騎央の叔父、宮城雄一だ。いつもアロハにバミューダパンツという出《い》で立ちで、ニコニコ笑っているのが常だが、今回は渋い顔をしている。
「売りに出されている物は全部買われているし、予約を取るモノは全て押さえられてる…………それも、それぞれの国の政府によってだ。しかもここ数時間で一気に、ってところが気になるな」
「…………ひょっとして」
「犬の人が手を回している可能性はありますね」
エリスが頷く。
「艦長代理、どう思います?」
「艦長代理、ってのはやめてよ」
ほとほと困った顔で騎央が言う。
「まあ、今の騎央さんは艦長代理ですしー」
くすりとエリスが笑った。
「ところで、宇宙船を手に入れたとして、どうやって母船まで行くんだ? 今の技術じゃ、月へ行くのがせいぜいだぞ」
雄一叔父が言うのへ、
「宇宙まであがったら、後はルーロスのコアユニットを使って移動します。艦長がこちらに来る以上、月の軌道上に何か置いてあると思いますし、無ければ廃棄衛星とかを拝借してシステムを組むまでです」
破壊されたルーロスの、航行システムのコアユニット(残念ながら動力源やエンジンは完全に破壊されていた)は数時間後騎央の家までたどり着き、今はエリスの部屋で、騎央の父が使っていた旅行用トランクの中に入っている。
報告によればルーロス本体は四〇%以上の損傷。メインエンジンはほぼ役立たずであり、かろうじて無傷なのはコックピットと武装部分のみというありさまだという。
「それに、そういうモノが無かったとしても、あとはアシストロイドたちを使って宇宙船を作り上げればいいですし」
「なるほど…………じゃあ、アシストロイドは必須なわけか」
「そうね。最低六人は上げられる宇宙船が最初からあると制作期間が短くて済むんだけど」
「六人…………」
アオイは頭の中で資料をめくり始めたらしく、考え込んだ顔になった。
「アメリカのスペースシャトルぐらいしかないと思うけど」
「アメリカかぁ」
騎央が苦い顔になった。
「犬の人に裏から支配されている国ですよね」
エリスが困った顔になる。身も蓋もない言い方ではあるが、真実だけに誰も文句を言わない。
「貸しては…………くれないでしょうねえ」
「敵に塩を送るどころか、それに乗じて毒を盛って上から岩を落とすような所があるからねえ」
これは雄一叔父だ。
「ちょ、ちょっとそれは…………」
元々CIAを目指していた真奈美がさすがにフォローを入れようとするが黙り込む。
敵に対する徹底した攻撃の態度と、味方に対する徹底的な好意がアメリカ合衆国の外交政策の基本であることはどうあっても隠しようのない事実だ。
今のところ表だってキャーティアは「敵」扱いされてはいないが、さて現実問題としてどうなるかは判らない。
「日本が有人宇宙船計画をもう少し進めてたらナァ」
雄一が溜息をつく。たしかに一時中断されて最近復活した有人宇宙船計画「ふじ」がもう少し進んでいれば、日本政府に働きかけて宇宙にあがることは簡単だったかもしれない。
「…………最悪の場合は嘉手納《かでな》基地の中にあるSR・71を奪うしかない……かも」
ずいぶんと物騒なことをアオイが呟いた。
「あれって確か退役《たいえき》したんじゃなかったっけ?」
軍事マニアの友人の言ったことを思い出して、騎央。
「一機だけ書類ミスでいまも嘉手納の格納庫に入ったままなのよ」
基地内のことに詳しい真奈美が溜息をつく。
「確か、NASAに行くはずだった物のはずだから、今も整備点検はやってるみたいだけど」
それを使う、ということは実質的に嘉手納基地襲撃とイコールになる。
前回とは違い、今度はこちらが完全に加害者である。
重苦しい沈黙が落ちかけたところに、電話が鳴った。
騎央の家の電話、真奈美の電話、そしてアオイの電話。
「?」
三人とも首を傾げながらそれぞれの受話器を取る。
数秒の間があって、
「え?」
という声が上がった。
さらに、エリスの腰のポーチでも、アントニアがプレゼントした衛星電話が鳴った。
「はい、エリスですけど……あれ、アントニアさん? え?」
騎央がその横を急ぎ足で通り、居間のテレビのリモコンを取る。
テレビをつけると、ケーブルテレビから地上波に切り替える。
見覚えのある、元アーカンソーの州知事で、オーストラリアのアクション俳優としてデビューし、後にカソリックの宗教映画のプロデュースで名をあげた大統領が映っていた。
日本語のテロップが画面の片隅に踊っている。
「アメリカ大統領緊急記者会見、UFO地球に激突!?」の文字がある。
「…………しまった」
雄一叔父が呆然と呟いた。
「向こうが仕掛けた、ってことは先手が打てるってことを忘れてた」
日本人にとってはニュース画像よりも映画やドラマでお馴染みの大統領執務室。
「合衆国、そして全世界の皆さん、こんにちは」
世紀末の救世主を演じ、ついにはキリスト教の救世主映画を作ることに熱狂して一度は破産宣告とカウンセリングを受けたこともある大統領は、ある種類の人間独特の澄み切った眼差しをカメラに向けて重々しく語り始めた。
「私は今夜、非常に重大なことをお知らせせねばなりません」
まっすぐにカメラを見る大統領の瞳孔は喜びに拡大していた。
「木星の衛星軌道上にあったあの宇宙人…………キャーティアの宇宙船が一週間前から突如動き始めました。そして、私宛に地球先住異星人同盟、を名乗るテロリストから彼らの宇宙船の乗組員を全員殺害、宇宙船を地球にぶつけ、キャーティアとの国交成立を妨害するという声明文が送られてきました」
大統領は言葉を切り、息を吸い込み、再び口を開く。
「彼らの声明文を裏づけるように、NASAの調査結果によると、これは移動、ではなく何らかの大規模事故による暴走のようです。私はすぐに国防省とNASAによる共同プロジェクトを立ち上げ、彼らにコトの真意を問いただす内容の電波を発信しました…………が、何の反応もありません」
彼らの宇宙船は現在加速を続けており、このままでは地球に激突する、と大統領はいいきった。
「我々はこの半年、彼らの友好的な態度にとまどい、その姿にとまどってきました。ですが、決して害意は無かった。主《しゅ》が彼らを新たなる兄弟として認めるのならば、その意に沿おうとさえ考えてきました」
これまで、どこにも発表したことのないことを、さもかつて口にしたようにいいながら、大統領は悲痛な表情を作る。
「ですが、NASAの調査によれば、彼らの宇宙船内で大規模な爆発が起こったことは明白で、また、これまで彼らが何の返事も送ってこないという事実を鑑《かんが》み、恐らく船の中に生存者はいないものと考えます……そして、彼らの宇宙船が、このままの進路を進んだ場合、地球に激突し、およそ数千トンの核爆発に匹敵する被害を地上に与えることは明白なのです!」
大統領は大きく息を吸った。
「そして、我がアメリカ合衆国は、もはや主《あるじ》無く、地球に向かい暴走を続けるキャーティアの宇宙船を迎撃する決意を固めました」
その意味が視聴者全員に伝わるまでのわずかな沈黙。
「我がアメリカ合衆国は、七二時間以内に持てる全ての宇宙船、ロケット、ICBMを用いて、これを迎撃するつもりであり、また国連を通じて世界各国に協力を要請しております……悲しい決断ですが、地球に残ったキャーティアの外交官に関しては、手厚くこれを保護することを日本政府に要請しました」
かつて主演したシェイクスピア劇で批評家に「大根《ハム》」と罵られた時そのままの大仰な哀しみの表情で、大統領は締めくくった。
「私は我々の、この悲しい現実が、明日の明るい、新たなる出会いに繋がることを、主に祈ります。アメリカに幸《さいわい》あれ」
「…………なんだ、これ?」
騎央はぽかんと呟いた。
「…………何一方的に決めつけてるんだ? …………自分たちで仕掛けておいて!」
声が尻上がりに大きくなってくる。握りしめた拳がぶるぶると震え始めた。
いつにないことに、騎央は怒っていた。
無理もない話ではある。
何しろいきなり家を襲われ、顔見知りを人事不省《じんじふせい》にされた上、エリスの仲間を「やむを得ず」核ミサイルで吹き飛ばすと言い出しているのである……全てのことを仕掛けた当の本人たちが。
「助けてもやらないで、核ミサイルで吹き飛ばそうっていうのか!」
「か、嘉和君」
エリスよりもアオイがうろたえた……こんなに激昂《げっこう》した少年を見るのは初めてだったのである。
「典型的なアメリカ流排除、ってやつだぁな」
苦い顔で雄一。
「やりたくはないがやむを得ず、ってのは二次大戦からこっち、アメリカの常套句《じょうとうく》だからな」
「問題は、これからどうするかということじゃな」
庭先に、いつの間にかアントニアと摩耶が現れていた。
「エリス様、嘉手納を襲うのでしたら我ら、ご協力いたします」
「アントニアさん…………」
エリスは泣き笑いに近い顔つきになった。
「それはダメだよ」
騎央が珍しく断定した。
「そんなことをしていたら、きっとますます相手の望むところになる…………何が何でも今回だけは僕らの手で何とかしなくちゃ」
「!」
アントニアが驚きの顔で騎央を見た。
摩耶も、ちょっと眉をあげる。
「取りあえずここを離れる必要があるよ」
騎央は即断した。
「いま、マスコミに来られても困るし。それよりは情報をシャットダウンして散々憶測だけを一人歩きさせた方が、こちらが事件を無事に解決したときのインパクトが強いと思う」
「了解です」
エリスが頷くと、その後を引き受けるように摩耶が一歩前に出た。
「では皆様、こちらへ」
嘉和騎央のクラス担任、糸嘉州《いとかず》マキは迷っていた。
自宅である。
目の前には電話があり、さらに言えば彼女のクラスの生徒における、非常時の連絡先がリストになっている。
表計算ソフトで作った物をコピーしたリストの中には、手書き文字で書き込まれた携帯電話の番号もある。
その中には嘉和騎央のものもあった。
教師としては、あのようなことが発生した以上、騎央に連絡を取って安否を確認するべきだと思う。
だが同時に、ハードSF系秘密結社「ビューティフル・コンタクト」の一員でもあるのだ…………それゆえに知り得た情報が、彼女の表の顔と相反するために悩んでいる。
何度か受話器に手を伸ばし、引っ込め、また手を伸ばし…………ついに彼女はリストを掴んで部屋を飛び出した。
そのまま息せき切って近所のコンビニまで走り、店先にある公衆電話に慌ただしく小銭を放り込む。
コール数回で相手が出る。
「あ、あのき、金武城さん?」
ホッとしつつも、マキは自分の良心の呵責《かしゃく》を何とかなだめつつ、教師としては当然相手に教えるべきコトを話し始めた。
応急処置が終わった者たちは本格修理に回され、軽傷のものは待機状態になった。
頭と手足が大きく、鈴のついた首輪を着けた犬ロイドの一体は、その機に乗じてそっと待機室を抜け出した。
地下通路をとてとて歩き、通風口を見つけると、頭と首の付け根からドライバーを取りだしてネジをゆるめ、中に入る。
頭がつかえた。
何度か挑戦したものの、そのままでは無理だと悟ると、犬ロイドは頭の左右に手を当て、よっこいしょ、と引き抜いた。
中から、鼻眼鏡をかけ、ハンチング帽を被《かぶ》った暢気な丸顔が現れる。
騎央専用にと与えられたものの、勝手に潜入捜査を開始したカスタムアシストロイド「定やん」である。
さらに襟元をぐっと掴んで引き抜くと、光学迷彩マントの下から唐桟のお仕着せと前掛けが現れた。
丁寧に光学迷彩マントを畳んで、首に巻いた風呂敷の中に突っ込むと、「定やん」は通風口の中に、今度はスムーズに入っていった。
後には犬ロイドの頭だけが残される。
「♪〜〜」
除湿冷風機の風に当たりながら、|キャーティア《異星人》のようでキャーティアではなく、地球古来の霊子存在、自称仙人にして猫耳尻尾つきのいちかは、脇に置いたCDラジカセから「日本ブレイク工業社歌」を流しつつ、ノリノリで手を動かしていた。
ちなみに、彼女の手首から先は、大きな水槽風の箱の中にある。
四方を透明なアクリル板に囲まれたそれは、生化学研究室のラボにありそうなある一面にゴムの手袋が固定されていて、中の物に直接触れないようになっているものだが、中の微生物を外に出さないようにするのではなく、中における作業の際に出てくる埃やチリを周囲に撒《ま》き散らさないための代物なので、別の一面にはフィルターつきのホースが繋がっていて、外にある外国製掃除機に繋がっている。
「なにやってんだ、お前?」
「んー? この前頼まれた原型」
ご機嫌で手を動かしつついちか。
ちなみに、無発泡ウレタンのブロックを削りだして、何を作っているのかと言えば、エリスの家にいる通常型のアシストロイドの頭だったりする。
「この前も同じ物作ってなかったか?」
「ああ、アレはバ○ダイの。これはタ○ラ」
「同じ物じゃいけないのか?」
「あったりまえよー」
いちかは笑った。
「同じ物出したら詐欺でしょ、それ。あと、それぞれの担当者の好みもあるしねー」
「ふうん……そういえば、こいつはこの前のよりも小さいな」
「うん。今度ミクロ○ンのシリーズでエリスちゃんを出すようにしたいんだって。その時、エリスちゃんだけじゃつまらないからこの子たちも、って」
「へえ。あのシリーズ、実在の人物まで出すのか」
「まあ、実在のアイドルよりは、本来の購買層にとっては買いやすいんじゃないの? 一般客も引き込めるし」
手元にある延長スイッチで掃除機の動きを止め、原型についた削りカスをちょいちょいと指先で払い、出来を確認するといちかはにんまりと笑った。
「うん、イイ出来」
「お前、こういうのだけは得意だよなあ」
「そりゃーね、好きだし…………でもいいなぁ、エリスちゃん。あたしもこーいう風に玩具にならないかなぁ」
「無理だな。お前みたいに邪悪すぎる生物じゃ」
「じゃあ、敵役でいいや」
などと暢気なことを言っていると、いちかの腰で携帯電話が北大路欣也《きたおおじきんや》の「何故にお前は」を鳴らし始めた。
「あろはおえー、いちかっすー」
と電話に出る。
窓の外を、夜景が流れていく。
「あ、いちかさんですか?」
アントニアのリムジンの中、エリスは車内電話に話しかけた。
「エリスです。質問とお願いがあるんですが」
『ん? なにー?』
いちかの脳天気な声に、エリスはほっとしながら話を切り出した。
「あの、仙術《せんじゅつ》で特定区域の時間を停止……もしくは停止に近い状態にすることは可能でしょうか?」
『マァ、完全停止は無理だけど、傍目にはそう思えるぐらい時間の流れをのろくするぐらいのことはできるかな?』
「いちかさんはその状態を元に戻せますか?」
『まぁ、出来るけど……何かあったの?』
エリスは手短に事情を説明した。
『…………なるほどね。そら、あたしのお仲間の仙人の仕業だわ』
「でも、宇宙船の中には犬の人のアシストロイドだけが…………」
『多分、護符、っていう紙の上に焼きつけた仙術のシステムを持たせたのよ。そうやって非合法方面に技術の切り売りをする奴らが最近いるの……あたしは違うわよ、断っとくけど』
「はい」
エリスの顔に苦笑が浮かぶ。アシストロイド「6」の報告と、摩耶のその後の調査により、いちかが、少なくともこの一〇年はゲームのプログラムやガレージキットや食玩の原型師など、いわゆるオタク業界にのみ関わって、まっとうな収益を得ていることは裏が取れている。
『でもさ、犬の人ってあんたの話だと霊子の存在を認めてないんじゃなかったっけ?』
「はい、そのへんは私にもよく分からないんですが…………背に腹は変えられない、ってことなのかもしれません」
『なるほどねえー』
「で、すみませんが、一緒に宇宙まで来てくれませんでしょうか?」
『宇宙?』
「ええ。宇宙です…………まだ、どうやって行くかは決めてないんですけど」
『あ、ソレは無理』
あっけなくいちかは言い放った。
『あたし、日本から出ることは出来ないの』
「え?」
エリスの顔が青ざめる。
『そう決められちゃったのよ。ちょっと一〇年ぐらい前に色々あってね』
「…………そうですかぁ」
途方に暮れた声をエリスは出した。母船の状況を訊いて以来、彼女はいちかを頼って計画を練っていたのである。
「…………」
雄一の車に乗ると、アオイは喋らなくなった。
前を走るリムジンをジッと見つめる。
「どうしたね?」
雄一が問うと、アオイは「なんでもありません」と首を横に振った。
今さっきの騎央が、少女にはひどく怖かった。
これまでの騎央とは違い、どこか頑《かたく》なで冷徹で…………つまるところ本当に怒っていた。まるで、そのまま怒りにまかせて自分を置いて、敵をめがけて走り出しそうな気さえするほどに。
「我が甥《おい》は、随分と罪作りだねえ」
ぽつり、と雄一は言った。
「エリスちゃんだけじゃなくてアオイちゃんまでか」
「!」
驚いて運転する騎央の叔父を見るアオイだが、後部座席でアシストロイドたちと一緒に座っている真奈美は苦笑いを浮かべた。
「あ、い、いえわたしは、そんな…………」
大慌てで否定しようとするアオイだが、やがて諦めて溜息をついた。
戦闘能力はともかく、社会的な能力では、この叔父にアオイはおろか真奈美も遠く及ばない。どんなに頑張っても、誤魔化しきれるものではないと悟ったのだ。
「…………はい」
「そうかぁ……だが、強敵だな、相手がエリスちゃんじゃ」
「ええ…………」
こくんと頷くアオイ。
「困ってます…………それに、相手はどうも妙な誤解をしているみたいで」
「誤解?」
「どうも、騎央を取り合うより、ふたりで好きになりましょう、って言い出したらしいんです。恋人はひとりにしかならないけど、愛人なら何人でもオッケーだし、って」
助け船を出した真奈美の解説に、雄一は快活な笑い声をあげた。
「そりゃスゴイ、さすが宇宙人だねえ」
「笑いごとじゃありませんよ。あたしからも何度かエリスにそういう問題じゃない、って言い聞かせたんですけど、どうも理解してないみたいで」
真奈美は溜息をついた。数日前、ようやくアオイから聞き出した話から、何とかエリスをこちらの土俵に引きずり出そうとしたのだが、結果はアオイと同じように、エリスに煙に巻かれてしまっただけであったのだ。
「そうかそうか。まあ、非常識かもしれんなぁ」
「かも、じゃなくて本当に非常識です!」
「…………です」
真奈美とアオイの言葉を、雄一は再びの笑い声であっさりと流した。
「まぁ、がんばれ、叔父の目から見るとどちらも別嬪《べっぴん》さんで気だてが良くて、どう考えてもアレにはもったいないぐらいだ」
「…………」
アオイが赤くなって俯いた。戦士としてではなく、女性として褒められることに彼女は慣れていない。
「ま、男女の仲は成り行きで非常識だからな。世間がどう思おうが、当人たちが納得できるようになればいい、ってことだけは忘れない方がいいな」
「…………は、はい?」
アオイも真奈美も、妙な含みをもった雄一の言葉に首を傾げたものの、どういう含みなのか判らないまま、その善意だけに納得して頷いた。
その日の夜半過ぎ、ようやく日本政府は今回の事件に対する対応を発表した。
とにかく、エリスと連絡を取り、今後の状況を検討し、状況を見守る。
面白くも何ともない、いつも通りの玉虫色の決断は、世界に何の影響も与えなかった。
もっとも、核も宇宙船も保有していない国はそれ以上何ができるというのかという話もある。
[#改ページ]
第四章 とにかく宇宙へ上がるのだった
立体モニターの中、くるくるといくつもの赤い玉が青い円柱に激突し、その中に入ろうとしてははじき出され、やがて粉々に砕け散った。
「……やっぱりダメか」
メルウィンは溜息をついた。
メインシステムに逆ハッキングをかけようとした二短周期はほぼ無駄になった。
「こうなれば突撃しかないのか…………」
理論上、時間の流れを停止させているものの正体は判明しているし、対抗策もある。
だが、あくまでも理論上であり、対抗策が実際に有効かどうかは判らない。
しかも、そのためには疑似亜空間に隔離したこの艦橋を通常空間、つまり時間の止まった艦《ふね》そのものに接続しなければならない。
ちなみに、今現在、ブリッジ内にいるのは二〇人。白青黄色、様々な色のアシストロイドたちも含めれば五〇人ほど。
「…………」
メルは目を閉じて、己の中と向かい合おうとした。
焦燥感がある。こうしている間にも、艦は少しずつ地球に向かっているし、中にいて時間凍結されている乗員にも危機が迫っている。
感情はここで艦に戻り、時間凍結を解いて艦のコントロールをこちら側に手動で取り戻すべきだと叫ぶ。
メインシステムの一部にでも接触出来れば、(クーネの時と違い手間取るだろうが)あとはメルの権限で再起動させることも不可能ではない。
だが、ここで動くべきではないという理性の声もあった。
感情はその考えを「臆病」と罵る。自尊心もある。初めての大がかりな任務で失敗したくないとも思う。
(耐えられない…………私には)
悲鳴をあげる己の心に耐えられず、メルウィンは確信できないまま、感情の赴《おもむ》くままに動こうと口を開きかけた。
小さな体温が、少女を我に返らせた。
「艦長代理」
目を開けると、船医のデュレルがそっと少女の手の上に自分の掌を重ねている。
「…………ありがとう、ドクター」
少しだけほっとした表情で、メルは船医のさりげない行動に礼を言った。
「やはり、待とう」
メルウィンは決断した。
「今は動くべき時ではない……艦長も、エリスも必ず何かをしているはずだ」
『おう、騎央か』
コトがあらわになった直後、一番最初に携帯電話にかけてきたのはやはり映像部の部長だった。
『なんか、えらいことになっとるようだな。大丈夫か?』
「ええ、こちらは大丈夫です、部長…………それよりも」
『判ってる。当分の間部活には出てこれない、ってんだろ?』
軽い笑いが部長の声に混じる。
『しかし暢気な奴だな。家の周囲をマスコミが囲んでるってのに』
「そこにはもういませんよ」
こちらも軽い笑いを混ぜて騎央が返す。
「ひょっとしたらみんなにも何らかの形で迷惑が来るかもしれません…………ごめんなさい」
『構わんよ…………それよりも、エリスちゃんたち、大丈夫か?』
「はい、今何とかしようってんでバタバタしてます」
『そうか、うまく行くといいな』
部長はそう言って電話を切った。
また電話が鳴る。
それから数十分の間に、騎央は三〇人近い部活仲間やクラスメイトからの電話を受けた。ありがたいことに、まだ誰も騎央やエリスを非難する言葉を口にせず、ただその安否だけを心配する声だった。
なお、エリスやアントニアにも同様の電話が掛かってきたことは言うまでもない。
三人とも、まだ自分たちが「地球の敵」ではないと安堵しながらも、電話を切るたびに表情を厳しくせざるを得なかった。
通風口を移動した「定やん」は、この地下の司令室の中枢部の真上までやってきた。
背負った風呂敷の中から小さなピンバイスを取り出すと、きゅきゅっと見る間に穴を開ける。
穴の中へ、「定やん」は持っていた糸状の接続端子をそろそろと押し込んでいく。
接続端子はゆっくりと中央のホストコンピューターの冷却口から進入していった。
「定やん」は糸が冷却口の中にいくらか収まった辺りで微妙にひねりを入れ始めた。
右に左に、そして時折まっすぐ進めたり、引っ込めたり。
そうやっていくうちに、何かの手応えを感じたのか、「定やん」は寝そべったまま深く頷き、ゆるやかに糸を降ろしていく。
「ほい、これ」
瑞慶覧旅士《ずけらんたびと》の玄関前で待っていたいちかは、そう言って黄色い紙の束が入った封筒をエリスに手渡した。
「使い方は電話で言ったとおり、破るか、何かに貼りつければ自動的に発動するから」
「ありがとうございます」
「いや、こっちこそごめんね。一緒に行けなくて」
申し訳ない、といちかは頭を下げた。
「もう一〇年ぐらい前なら、一緒に行けたんだけど」
「いえ。こちらこそ、ひょっとしたら規則に抵触するようなことを頼んでしまって」
「まあ、これぐらいなら向こうも大目に見てくれるから」
あははは、といちかは笑った。
「ありがとうございます」
ぺこりとエリスは頭を下げた。
「このお礼は後で必ず」
「んじゃさ、また遊びに行くときは声かけてよ」
「はい」
「お帰り」
アントニアのリムジンに戻ってきたエリスを迎え入れ、騎央はドアを閉める。
「どうだった?」
「とりあえず、大丈夫だと思います…………後は自分たちで何とかするしか」
「こっちもオーケーだよ。ひとつ、いいところが見つかったって」
「本当ですか!?」
ぱっと明るくなる表情のエリスに、摩耶とアントニアがにっこりと頷いて見せた。
「ただ、ちょっと寒いところになりますが」
摩耶がつけ加える。
「寒いって、どれくらいですか?」
エリスが首を傾げる。
「手助けしてやらなくていいのか?」
いちかが家の中を横切り、裏庭にある部屋に戻ろうとすると、リビングでテレビを見ていた旅士が声をかけた。
二〇代前半、眼鏡をかけた顔立ちは結構整っているが、ここ数日徹夜続きだったのが祟《たた》って、昨日から今日にかけて丸ごと眠っていたというのにまだやつれが顔に出ている。
「んー。微妙なところなのよねえ」
いちかは足を止め、苦笑いとも、ごまかし笑いともつかない笑みを浮かべた。
「あたし自身は幾らでも手助けしてあげたいけど、規則の問題もあるしねー」
「規則なんか破るためにあるんだー、とか何とか言ってなかったけか?」
「一〇年も前の話でしょ…………それに、ちょっとね」
「?」
「この状態で、あの子たちがどういう風に立ち回るのか、見ておきたいのよ」
やけにシリアスな口調でいちかは言った。
「これから先、本当に信頼しあって付き合っていけるかどうか、この事件の処理|如何《いかん》ではっきりするわ」
「…………」
旅士はそれまで横になっていたソファから起きあがり、つかつかと歩み寄るといちかの額に手を置いた。
「熱はないようだな…………だとすると何かに取り憑《つ》かれたか?」
「違うってばー! あたしだってたまにはシリアスするんだって!」
「嘘だ」
「先生の言葉、信じて良かったのかなぁ?」
雄一叔父の車の中で、真奈美は周囲をアシストロイドたちに囲まれながら腕を組んだ。
マキは「アメリカで宇宙船を調達するな」と告げたのである。
「どんなにそれらしい条件や状況があっても、絶対に耳を傾けないで…………それは間違いなく罠よ」
女教師の声は、まるで後ろから脅されているかのようにいつになく強張っていて、虚実どちらとも取れるような、妙な切迫感があった。
「まあ、信じていいんじゃない……かしら?」
珍しくアオイが肯定した。
「糸嘉州先生は、まじめな人だもの……それに、偽情報ならむしろアメリカの宇宙船をすすめるはず……よ」
「なるほど」
「でも、随分と寒いところにいくことになりそう……ね」
横で「チバちゃん」と「錦ちゃん」が小首を傾げて「さむいとこ?」というプラカードを掲げた。
「そう、寒い所よ」
真奈美が二体の頭を撫でてやる。と、真奈美のアシストロイドである「ゆんふぁ」が「ぼくもー」と割り込んできた。
「そうね…………ロシアだものね」
「チバちゃん」と「錦ちゃん」はさらに首を傾げ「ろしあ?」「|ときょ《東京》よりとおい?」とプラカードを掲げる。
『キャーティアの諸君』
急にえらく威勢のいいマーチ音楽と共に、真っ赤な髪を逆立て、ビザールな衣装に身を包んだ女性が現れた。
『我々は先住異星人勇士によるテロ組織〔コムテグ・エリート〕だ! 今回のことは我々のささやかな宣戦布告である!』
「ぬ…………貴様っ!」
メルウィンは色めき立った。
「おのれ、何という卑怯な真似をするんだ! しかも己の住む地球を危険にさらしているのだぞ!」
『ふふふふー、関係ないな。私は義によって立っている。ゆえに迷いはない!』
なぜか、とても嬉しそうに赤毛の女は答えた。
『諸君らに残された時間はわずかだ。せいぜい今の命を楽しむがいい』
「まてっ、貴様っ!」
通信は唐突に途絶えた。
「わははははははははは!」
ジェンスは前回とは打ってかわった上機嫌で通信を終えた。
「見たかマットレイ!」
後ろで編み物を続ける参謀アシストロイドに言いながら、彼女はメイクを慌ただしく落とし始めた。
「あの呆然とした、悔しそうな顔! 敗者とはああいう風でなくてはならん!」
「悪の秘密結社ごっこ」を兼ねた「勝利予備宣言」がエリスたち相手と違ってうまく行ったので、彼女は非常に上機嫌だった。
「ヨゴザイマシタ」とマットレイの横に置いてある液晶ディスプレイに表示される。
「わはははは!」
別の作戦の遂行状態を報告しに来た別の犬ロイドが首を傾げてマットレイの液晶ディスプレイに己のこめかみからコードを接続した。
『トウトウゴ主人サマハ壊レタノデアルカ?』
『否《いな》、今回ハ上手クイッタノデ喜ンデオラレルノデアル』
『ヤハリ、打タレ弱ク賛辞ニ弱イえりーとデアルトイウコトデアルカ?』
『サヤウ』
『ウラヤマシイカギリデアルナ』
『サヨウ』
頷きあったアシストロイド二体の動きがふと止まった。
彼らのセンサーは、天井を走る通風口に、糸状の接続端子が引き込まれていくのを認識したのである。
接続端子を回収すると、「定やん」は通風口を逆に辿《たど》って外へ出た。
入り口を塞ぐように置いてあった犬ロイドのダミーヘッドをかぶり、身体の周囲に簡易フォログラムマントを羽織ると、その姿はほとんど犬ロイドと変わりなくなる。
きょろきょろと周囲を見回し、誰にも見つかっていないことを確認すると、歩き出そうとする。
「定やん」の目の前の風景がくにゃりと歪んだ。
驚いた「定やん」が思わず後じさる。
現れたのは「マットレイ」ともう一体のアシストロイドだった。
マットレイはぐいっと液晶ディスプレイを突きつけた。
表示されたのは、「イイ腕ダガ、少々油断シタナ」の文字。
「定やん」は「え?」という顔で首を傾げて見せたが、マットレイは「ちっちっちっ」と指を振って見せた。
再び表示。「スデニオ前ノ素性ハ判明シテイル」
何のことだか判らない、というジェスチャーを「定やん」はしてみせたが、「マットレイ」は指を鳴らした。
後ろに待機しているもう一体の犬ロイドが「何か」を「定やん」の前に転がした。
それは、直径一メートルはあろうかという巨大な、赤い毛糸玉。
ごろごろごろ。
毛糸玉は「定やん」の前を横切っていく。
尻尾がぴんとまっすぐ天井へと伸ばされ、くるくると回転を始めた。
反対側にいる別の犬ロイドがふたたび毛糸玉を小突く。
ごろごろごろ。
大きな頭がじっくりと追う。
ごろごろごろ。
ごろごろごろ。
ごろごろごろ。
ごろご…………
ついにジャンプしてしまった。
とうとう三往復目に「定やん」は毛糸玉にしがみついて一緒に転がり始めた。
さらに二往復をして、ようやく「定やん」は我に返った。
慌てて飛び降り、体中の埃をはたくポーズをする。
「モウ遅イ」
液晶ディスプレイに「マットレイ」の誇らしげな文字が躍る。
「猫ノあしすとろいどノ欠点ヲ持ツオ前ガ、猫側ノあしすとろいどダトイウコトハスデニ明白デアル。観念セヨ」
いつの間にか廊下には、手に手にマシンガンやらナイフやらを持った犬ロイドで満ちていた。
ぽりぽり。
「定やん」は照れくさそうに後頭部を掻いて、それからどこからともなくプラカードを取りだした。
プラカードにはただ一言。
「いやぷー」
銃声と銃火の輝きが狭い廊下に満ちた。
[#改ページ]
第五章 とにかく寒い宇宙への旅
その街が生まれたのは冷戦時代であった。
当時、ソビエト連邦と呼ばれたこの国において、「正義」であるとして生み出されたこの街は、全てを自給自足できるように作られており、また物資も最優先で回されていた。
仮想敵国から最も遠いにもかかわらず、ここは「最前線」であり、住民も政府もそのことを十二分に理解して己の役目を遂行していた。
状況が変化したのは八〇年代。てっぺんに妙な形の染みがあるハゲの書記長がこの国を治めるようになってからだ。
冷戦緩和、自由経済。それは「大国」が消えていく、つまりこの国のシステムが消え去っていくということと同義語であった。
そして、一九一七年の一一月以来の法則に従って、ハゲの後を継いだ髪の毛がふさふさの飲んだくれが書記長の時代、ソビエト連邦社会主義共和国という名前の国はこの世から消滅した。
巨大なミサイルと、それを維持するための施設類は瞬く間に国家の花形から厄介者へと転落した。
物資は枯渇し、人々は櫛《くし》の歯が欠けるようにこの土地を去り始める。そして、誰もそれを停められない。
が、残る人々もいた。
移動手段は巧妙…………というよりもややこしさを極めた。
一旦海へ移動し、そこからヘリで香港《ホンコン》へ。香港から台湾を経由して上海《シャンハイ》、さらにそこから北京《ペキン》へ向かい、そこからようやく、彼らとは逆方向に移動して待機していた、特別のチャーター機へと飛び乗った。
ちなみにここまでの間に丸一日を費やしている。
「あと一〇時間ほどで目的地に着きます。お休み下さい」
摩耶の手配りで、わざわざ日本から持ち込んだボーイング747が水平飛行に入って数分後、これぐらいの強行軍は慣れっこの摩耶がそう言うと、ようやく騎央たちの間に安堵の溜息が漏れた。
何しろ、スケジュールは分刻みで、食事はおろかトイレさえ時間を気にしながらの状況が続いていたのである。
「すみませーん、毛布下さい」
「はい、どうぞ♪」
騎央が言うと、途中で合流したサラが薄いが遭難を考えて保温力の高い毛布を手渡す。
少々疲れてぼやけ気味な雰囲気の一行中で、彼女だけが異様なぐらい上機嫌であった。
なぜなら、さいたまスーパーアリーナからこちら、ずっとアシストロイドが一体、彼女に貸与されているためである……ちなみに、足下にいて、彼女のお手伝いをしているそれは通常型ではあるが、サラお手製の燕尾服に、紙で作った口髭を着けている…………執事型とでも呼ぶべきか。
「あ、騎央さんこれ」
ビュッフェから戻ってきたエリスが騎央に紙コップを手渡す。
この飛行機には彼女たち以外の乗客はいない…………というよりも、一応中華航空の機体番号を割り振られているが、いざというときに世界各国の航空会社にアントニアが「お預け」している特殊専用機なので、座席もほとんど無く、代わりにビジネスが出来るだけのパソコンだの通信設備だのがならび、一階に相当する部分は全て座席が無く、立食パーティが出来るようになっていた(今回は貨物室代わりにもなっているが)。
少々温めのココアが湯気を立てていた。
「ん、ありがと」
頷く顎の先にあるクーネの鈴ももう気にならないぐらい疲労が肩にのしかかっているのを感じる。
「あ、エリス様、これ」
アントニアがサンドウィッチを並べたトレイをおずおずと差し出す。
「あ、ありがとうございます、アントニアさん」
「はい♪」
それだけでアントニアはこぼれんばかりの笑みを浮かべた。
「アントニアさんも無理なさらないで眠って下さいね」
「はい♪」
そんな光景を微笑ましく騎央は見ていたが、ふいにちょんちょん、と肩をつつかれた。真奈美だ。
(ちょっとこっちに来なさい)という目線を送ってくるので、小首を傾げながらも騎央は頷いた。
「で、これからどうするの?」
ほとんどの連中がくつろいでいる二階部分から下がり、通常なら一般座席が並ぶ一階に続く階段に座り込むと、真奈美は騎央に訊いた。
「とりあえず、向こうについたら回収作業を始めて…………ええっと、三日以内には出発を…………」
「そういう意味じゃなくて」
イライラとした口調で真奈美は騎央の言葉を遮り、すぐに自分の言葉が足りないことに気づいて「ごめん」と謝った。
「そういう意味じゃないのよ…………アオイとエリスについて、よ」
「? …………ふたりとも宇宙には上がって貰うつもりだけど?」
真奈美は幼馴染みの暢気な言葉に溜息をついた。
「そうじゃないの。あんた、あのふたりとの関係どうするつもりなの、って言いたいのよ」
「…………は?」
騎央は質問の意味が理解できずに小首を傾げた。
首元の鈴も相まって、妙にアシストロイドっぽく見える。
(う…………か、可愛いかも)
妙にたじろぎながらも、真奈美は必死になって理性を復旧させた。
「あのね、アオイがあんたのことどう思っているか、判ってる?」
「え?」
「あのね、普通さ『タダの男友達』のために命をかけたり、職をなげうったり、なんてことを女はやらないの…………それに、週二回、かならず弁当アンタの分も作ってくるでしょ? 何のためだと思うのよ?」
「え…………?」
「あたしだって、アンタが幼馴染みじゃなければ、あんなことしないわよ」
と、相手が誤解しないように予防線を張って、真奈美は続けた。
「いい? じゃあ、どんな相手のためになら命をかけると思う?」
「うーん……」
「こら、考え込むな! フツーに考えればわかるでしょーが! テレビとか映画とか見てれば!」
「う…………うん。でも…………それだと…………」
みるみる騎央の顔が真っ赤になる。
「いや、でも、あの、その……」
「…………よーやく判ったのね」
やれやれという顔で真奈美。
「そういうこと。あの子はアンタのことが好きなのよ。だからここまでしてくれるわけ……………今まではまぁ、ともかくとして、コトがここまで大きくなってるのよ。そろそろ応えてやらないといけないんじゃないの?」
「いや、その、それは、急に、そ、そのそんなことを言われても…………あの…………」
「まぁ、さ…………エリスはいい子だと思うし、一緒に住んでれば色々あると思うけど」
「な、無いよそんなことは!」
思わず騎央は大声をあげ、慌てて自分で口を塞いだ。
「またまたぁ……」
「無いんだってば、本当に」
ちょっとした苛立ちも混じった少年の声に、真奈美は思わず黙り込んだ。
たっぷり五秒ほどの後。
「……本当?」
「そうだよ」
「…………まあ、騎央だからしょうがないかぁ」
なぜか、ちょっと明るめの声で真奈美は言い、小さく笑った。
「…………笑うことないじゃないか」
言いながら騎央は口を尖らせて横を向く。
男として甲斐性がないというのは判るが、どうにもエリスという存在は透明でぽやぽやしてて、猫なので、そういう方向で考えられなくなってきているのだ。
「まぁまぁ」
となぜかなだめ役に回りながら、真奈美は内心で指を鳴らしていた。
(やった、これならアオイにも脈がある!)
「まあ、今すぐとは言わないけどさ、この事件が終わったらちょっと考えてよ」
「え? あ、な、何を?」
「決まってるじゃない」
じっと騎央の目を覗き込んで真奈美は断言した。
「アオイの思いに、アンタどう応えるつもりなの、ってこと」
「…………!」
「…………これよりは、こっちの方かしら?」
アオイは、自分の専属アシストロイド二体から渡された薄くて小さな立体ディスプレイを見つめ、次々と画面に触れては中の画像を変更している。
「チバちゃん」と「錦ちゃん」はわくわくを隠せない子供のようにアオイの顔を見上げている。
「んーと…………これで、どうかしら?」
最後の仕上げをして二体に見せると、二体は諸手を挙げてバンザイして見せたうえ、更に「おーいえー」「いえー」と書かれたプラカードを掲げた。
「気に入ってくれた?」
こくこく、と二体は頷いて、アオイはその頭を代わる代わる撫でてやった。
その視界の片隅を、深刻な顔をした騎央が横切る。
「…………?」
「…………」
騎央は黙然《もくねん》としてカップの中のすっかり冷えたココアを飲み干し、座席を倒すと毛布にくるまった。
「…………騎央さん?」
いつもと違う気配に気づいてエリスが話しかけるが、少年はただひとこと「ごめん、疲れたんで眠るよ」とだけ言い置いて目を閉じた。
「…………?」
エリスは首を傾げた。
目を閉じはしたものの、騎央にしてみれば眠れるものではない。
タダでさえ、クーネの代理という役割を振られてとまどっているというのに、アオイが自分に好意を抱いているという事実の提示は、少年をパニック寸前に陥らせるのに十分だった。
「……………」
眠れない。
どうあっても眠れない。
少年にとって前代未聞の状況であった。
何しろおぎゃーと生まれて一六年。エリスに好意を寄せられたと言うだけでもびっくり仰天な話だというのに、さらにあのアオイが…………つまり、冷静に考えれば今の騎央というのは三角関係の頂点なのである。
この少年の奇妙なところは、この状況に対して欠片《かけら》ほどの「嬉しさ」も感じず、ただただ「どうしよう」とうろたえているところにあった。
周囲が大なり小なり優秀な人間で囲まれているために、この少年は自分が「平均的一六歳」であり、それ以上の能力を一切保有していないと思い知らされる局面に何度もあっている。
アオイも、エリスも、少年よりも優れた、そしてそれで十分生きていけるだけの能力を持っている。
自分には何もない。
エリスの世話をすることになったのも偶然の成り行きでしかないし、これまでの様々な事件で、自分は完全にオマケか足手まといになることがままあった。
今回は偶然、クーネの鈴を最初に受け取ったのが自分であるために宇宙まで行くことになってしまっただけだ。
足手まといのままが嫌で、夏の合宿以降、アオイに毎朝二時間、体力訓練をしてもらっているが、たかだか数週間でモノになるわけもなく……相変わらずの無能力者であることに違いはない。
だが、誰かに相談するわけにもいかなかった。
何よりもこういう場合格好の相談相手になるはずの宮城の雄一叔父はアントニアのメイド部隊の半分と沖縄に残って眠り続けるクーネの護衛である。
「…………」
初めて「自分で自分と、それ以外の他人の未来に繋がる決断をする」という状況が出現した衝撃に、少年は身動きすら出来ない思いのまま、横になった。
「騎央君と何を話したの?」
真奈美を奥の会議室(VIP専用機だけにそういう所が設けられているのだ)に連れ込んで、アオイは問うた。
まっすぐにこちらを見つめる目つきが、妙に怖くて、普段なら滑らかに回るはずの真奈美の舌がぎこちなく固まる。
「何って…………いや、あの、その。お、幼馴染みとして、ちょ、ちょっと忠告を…………その」
「忠告?」
「その、あ、アオイのこと、どう思って…………」
「なんでそんなことを貴方が訊くの!」
アオイに怒鳴られて、真奈美は首をすくめた。
「わたしと嘉和君のことよ! あなたには関係ないわ!」
「い、いやあの、だけど、こ、このままじゃアオイと騎央はいつまでたっても…………」
「よ、余計なお節介だわ!」
図星をさされた者特有の大声を上げながら、アオイは真奈美に詰め寄った。
「真奈美、今がどういう状況か判ってるの? 今は普段の状態じゃないのよ? これから宇宙へ行って、エリスの仲間たちを助けに行かなくちゃいけないのよ? 宇宙へ!」
「そ、そりゃ判ってるわよ…………」
「判ってない! わたしだって宇宙へ出るのは初めてなのよ? しかも、敵は搦《から》め手から正攻法まで動員しているわ、何が起こるか判らない。こういう時はチームの結束が大事なんでしょう?」
こくん、と真奈美はうなずいた。かれこれ一ヶ月ほど前、アオイにそのことを教えたのは彼女自身だ。
「こんな問題を持ち出したら、そんなこと出来なくなるわ! どうしてもう少し考えてくれないの?」
「…………」
「こんな状態で、騎央君が判断を誤ったり、突飛な行動に出て怪我でもしたらどうするつもりなの?」
「……………………」
「真奈美、もう少し考えて…………」
「アオイはどうなの?」
それまで俯いたまま、黙ってアオイの言葉を聞いていた真奈美が顔を上げて言った。
目はまっすぐにアオイを見ている。
「アオイは、このままでいいの?」
噛み千切るような口調で、真奈美は続ける。
「いつもとは違う状況で、宇宙まで行かなくちゃいけない状況で、何が起こるか判らない状況で、万が一、ってことが起こったら、アオイは騎央の返事を訊かないままでいいの?」
「…………!」
今度はアオイが沈黙する場面だった。
「うまく行ったとして、ひょっとしたらこれでますますエリスと騎央がくっつくかもしれないんだよ? ひょっとしたらもう完璧に…………騎央は鈍いから、アオイのこと、気づかないかもしれないんだよ? 何も始まらないままで終わっていいの?」
いったん言葉を切って、真奈美はアオイを見つめた。
「正直言って、あたしのやったことってお節介だと思う。でも、アオイは悔しくないの? 自分の気持ちに気づいてもらえもしないで何もかも終わる、って?」
「それでも……お節介だわ」
ふたりはにらみ合った。
その足下では、状況を理解できないまま、いきなり怒鳴り合う主人を前に、三体のアシストロイドが「けんかだめー」「もちついて」とか書いたプラカードを手に、わたわたと右往左往している。
やっぱり眠れるものではない。
「…………やめた」
そう言って騎央はシートから起きあがった。
機内の照明は落とされていて、黄色い非常灯がポツポツと要所要所に灯るだけだ。
エリスは床でアントニアと一緒に丸くなって眠っている。
騎央が起きたのを感知して、側で同じように丸くなっているアシストロイド「2」がむっくりと身体を起こすが、少年は「いいよ」と手でそれを制した。
こくんと頷くと、寝ぼけた子供のように「2」はぱったりと横になる。
「…………」
あどけないエリスの寝顔に微笑みながら、騎央は下のデッキに向かった。
さっき真奈美に詰問《きつもん》された階段を降り、下に着くと、空飛ぶパーティルーム、ということで座席を全て取り払われて異様なほど細長く広い機内が現れる。
もっとも、その半分は沖縄から運んできた「荷物」に占拠されているのだが。
真ん中あたりまで行くと、騎央はごろんと床に横になって外を見る。
流れていく雲、そして天空を動かない月。
何もかもが嘘だという気分になる。
「どうか、なさったのですか?」
不意に声をかけられ、少年は跳ね起きた。
「あ、ま、摩耶さん…………」
メイド長は、穏やかな笑みを浮かべたまま、騎央の前に歩み寄った。
「ここは、おひとりで来られる場所とは思えませんが」
「いえ、ちょっと考えごとをしたくて…………」
「恋の悩みですか?」
「!」
思わず顔が強張り、それをみて摩耶が却《かえ》って驚きの表情になった。
「あら…………図星でしたか」
「いや、あの、その…………」
わたわたと、何かいいわけを考えようとしながら、騎央はこの万能メイド長が今半径一〇〇メートル以内でもっとも年長であることに思い至った。
「あの…………摩耶さん」
「はい?」
「誰かを好きになったことは、ありますか?」
「ええ。あります」
「じゃあ、好意を寄せられたことは?」
「…………ありますね」
「その、たとえば、なんですが…………ふたりの人から好意を告白された場合、どうやって断る相手を決めればいいんでしょうか?」
「…………ふむ」
摩耶は形の良い顎に、とても重火器類を軽々と扱えるとは思えない細い指を当てながらしばらく考え込んだ。
「そうですね…………」
少年はようやく俯いた顔をあげる。
「まず、お聞きしますが、必ず『選ばなければならない』のですか?」
「え?」
「世の中には上手い具合に双方にいい顔をして手玉に…………いえ、おつきあいを続けておられる方もいらっしゃいますよ?」
どうやらかなり具体例を知っているらしい顔で摩耶は言った。
「それに、この国ではそういう恋愛はある意味、理想の恋愛であると思いますが…………特に騎央様のお好きなジャンルの中では」
「う…………」
ちょっとこれは騎央の胸に刺さった。
「誰かを選ばないで先送りにして、暖かい今日の日を明日も続ける…………見方によってはそれが一番よいかもしれませんよ?」
騎央はまじまじと摩耶の顔を覗き込んだ。
だが、メイド長の顔はいつもと変わらない平静であり、そこには声同様、揶揄《やゆ》の響きも、皮肉の眼差しもなかった。
「ぬるま湯は、誰にとっても心地よいものです」
とどめを刺すように摩耶は言った。
「それを本気で維持しようとするのは難しいですが、維持するのならばそれはそれで男気《おとこぎ》のある行為でしょう」
「…………」
「また、このような腐ったやり方ばかりではなく、イスラム教徒のように最初からどちらも選ばず、平等に愛するという手段もあります」
ちょっと虐《いじ》めすぎたと思ったのか、摩耶は軽い笑みを浮かべてフォローした。
「もちろん、選ぶというのも重要な決断でありますけれどもね」
「………………」
騎央はますます考え込んでしまった。
選択肢が示されたのはいいが、やはりどれも違うような、正しいような気がする。
「私の知り合いのコルシカマフィアの言葉ですが」
千日手《せんにちて》の盤を前にした新人チェスプレイヤーのように固まった騎央に、最後のオマケという感じで摩耶は言った。
「世の中には三つのやり方があるそうです。つまり、『正しいやり方、お前のやり方、そしてオレのやり方』…………中でも一番大事なのは『オレのやり方』だそうで」
「?」
顔を上げた騎央に、優しく摩耶は微笑んだ。
「ですから、騎央様も騎央様のやり方を見つけになられたほうがいいと思います。世間が納得するよりも、自分が納得する方法をお見つけなさいませ」
「…………それって、つまり二人とも引き受けろ、ってことですか? それとも…………」
「それをどう選ぶか、ということが『オレのやり方』を見つけることですよ…………それに、どのやり方を選んでも『世間』は文句をつけます。常識的な応えでも、非常識な答えでも」
「…………」
「では、おやすみなさいませ」
一礼すると、メイド長は上へと階段をのぼっていった。
「『オレのやり方』…………」
再びごろんと横になりながら、騎央はぼんやり呟いた。
正直言えば、かなり頭は混乱している。
だが、妙な落ち着きが出来ていた。
やはり、誰かに話すというのは答えを得る、得ないを別にしても、ある程度人の救いにはなるらしい。
…………と。
見上げていた天井に小さな輝きが現れた。
「?」
思わず起きあがろうとした騎央の上に、小さな影が落下した。
「わ!」
何が落ちてきたかは判らないが、その大きさから、かなりの衝撃があると一瞬、騎央は硬く目を閉じたが、あにはからんやその物体は「ぷにゃん」と柔らかく騎央の顔面を一旦覆って床に落下した。
「騎央様?」
唐突な大声に摩耶が引き返してくる。
「何かありましたか?」
階段の入り口からこちらを見下ろすその片手に、ベレッタのM93Rが握られているのがさすがだが、すぐにポカンとした顔になった。
それは騎央も同じである。
「おまえ…………どっから来た?」
床の上にむっくり上半身を起こし、ふるふると首を振ると、「よっこいしょ」と二頭身が立ち上がる。
「おおきにだんさん」と書かれたプラカードを掲示したのは、何と…………潜入捜査と称して行方不明になったアシストロイド「定やん」だった。
「…………」
帰ってきた「定やん」には、早速エリスが持っている携帯型情報処理機が接続され、彼の得た情報が掲示された(プラカードを使って意思疎通を図ったのでは時間が掛かりすぎるためである)。
「…………いかがですか?」
摩耶の言葉に、エリスは少し考える顔になったが、
「これは、ちょっと大変なことになってますね」
と言い切った。
「と申しますと?」
「私たちの動きは世界規模で見張られてます。これからロシアのミサイル基地へ行くことも、とっくに判明しています…………恐らく、現地に着いたら二時間以内にNATOとかいう組織の飛行機が爆撃しに飛んでくるはずです」
「嘘だ…………足跡隠しもダミー情報もあれだけ流したというのに」
摩耶の横で、サラが青ざめる。
「見ろ、CIAやDIAはもちろん、EUの対テロネットワークまで強制的に協力態勢を取りつけてる」
エリスのディスプレイに表示された文字を指さして摩耶が冷静に言った。
「しかし…………NATOが?」
「ええ。完膚無きまでに地上施設、地下施設を破壊するための用意だけは出来ているようです…………名目は、最初は演習中の誤爆、後にクーデターを計画していた、と変化するそうですよ」
呆れ返ったようなエリスの言葉。
「あわよくば我々ごと処分、ということですか」
「おそらくは、そうだと思います」
猫耳宇宙人の言葉に、一同の顔が引き締まる。
「…………さて、これからどうしますか? 引き返すのなら今のうちですが」
摩耶は、アントニアと騎央、双方に尋ねるような目線を飛ばした。
今、この場ではこの二人が最高責任者だ。
「…………」
アントニアはしばし腕組みをしたが、
「ねえ、その監視って、どうやって行ってるか、判る?」
と騎央が口を開いた。
「えーっと、まずは衛星軌道上の人工衛星と、各国の情報網から得た情報を、アメリカの情報機関内にある分析チームが結論を下す形で行っている…………そうです」
端末の立体文字表示を見ながらエリスが要約する。
「じゃあ、入力情報が最初っから間違えていたらどうなるのかな?」
「…………ああ! そういえば情報システムへの侵入コードもありますものね!」
エリスは顔を輝かせるが、横で摩耶が眉間にしわを寄せた。
「しかし、その方法だとすぐにバレませんか?」
「ある程度は本物にしてしまえばいい…………わ」
摩耶の疑問に対し、どこか嬉しそうにアオイがフォローした。
「沖縄に残った人たちに動いて貰えばいいんじゃない…………かしら」
「それだけじゃまだ足りないと思う」
騎央はあっさりと言った。
「もっと派手にしなくちゃ…………チビちゃんたちにも手伝って貰おう」
じっとエリスの背後に整列したアシストロイドたちを見て騎央は言い、二頭身の猫耳ロボットたちは「?」と一斉に首を傾げた。
夜間照明もそろそろ意味が無くなってきた早朝のグラウンドに、穴だらけになった犬ロイドのダミーヘッドが転がっている。
それをコン、と蹴りながら、マットレイは頭を振った。
手にした液晶ディスプレイには「逃ゲラレテシマッタ」と表示されている。
隣にいる追撃部隊の指揮官は「彼ハドコヘ?」と疑問を提示した。
マットレイはすぐに「驚クコトハナイ。きゃーてぃあノあしすとろいどニハ、仲間ヲびーこん代ワリニシタ、無機物用ノ簡易わーぷしすてむガ内蔵サレテイルノダ。今ゴロハ仲間ノ元ダラウ」と答えた。
「じぇんすサマヘノ報告ハ如何シマセウカ?」と指揮官アシストロイドが問うと、マットレイは歯を剥き出しにしたような口元から、冷却ファンの動く「キッシシシシ…………」という音を響かせながら首を横に振った。
「報告ハ無駄ダ。スデニ計画ハ動イテオリ、大規模ノ変更ハ出来ナイ。セッカクじぇんすサマモイイ気分ニナラレテオルノダ、水ヲサスコトハ我々ノ待遇ノ変化ニ通ジル」
つまり、このアシストロイドは、主人に八つ当たりされるだけだから、報告は無駄だと言いたいらしい。
「後ノ処理ハ私ガ行ウ、諸君ラハ直《ただ》チニ待機任務ニ戻リ給《たま》ヘ」
上位アシストロイドの命令は絶対であるがゆえ、指揮官アシストロイドは「はっ」と大きな頭を下げるや、即座にアシストロイド同士の簡易高速通信を用いて作戦の終了を宣言し、部隊の隊列を整えさせた。
そのまま小さな二頭身の軍隊は足並みをそろえてドタバタと地下の基地へ帰っていく。
その後ろ姿を見送りながら、マットレイは一瞬だけ液晶ディスプレイに「ひとりごと」を表示させた。
「我々ハ、勝ッテハイケナイノダ…………」
ある日の朝から、一斉に日本を含めた世界各国の新聞社のFAXが動き始めた。
ウェブ上の情報サイトには音声を含めた画像ファイルが送付される。
どれも発信人は「キャーティア大使館」とされており、メッセージの内容は今回のキャーティアの宇宙船の地球接近に対し、現在こちらも連絡を取っている最中であり、また直接コンタクトを取るために準備をしているが、宇宙船が何者かに破壊されており、現在新しい宇宙船を入手するために奔走しているので、協力者を募集している旨が堂々と表記されていた。
「今から三日以内に、大気圏外に出ることが可能なエンジンを保有しており、我々に供与しても良いと仰《おっしゃ》る方は直ちに各メディアに意思表示をお願い致します!」
いつになく、切迫した表情で助けを求めるエリスのメッセージ画像の下の方には各国の言語で同じ内容が字幕表示され、その背後でプラカードを持ったアシストロイドたちが「おねがいー」と書かれたプラカードを振っている。
さらに、その日から世界各国のテレビカメラの前に、アシストロイドたちが現れるようになった。
街角の風景、国会中継、スポーツ中継の最中、その場所のどこか…………多くはビルや噴水、フェンス、あるいは理事長の座席の上だったりとかなり目立つ場所…………に、アシストロイドたちは各国の言語で「衛星軌道上にあがれるエンジン募集中!」と書かれたプラカードを持ってちょこねんと立ち尽くしていた。
カメラがそちらに向くと、アシストロイドたちはどうやってかそれを察知し、必死にプラカードを数秒間振って、ふっと消えてしまうのである。
どこから、どうやって現れたのか、どうやって消えることが出来るのか、誰にも判らないまま、アシストロイドたちはとにかく世界各国に出没を続けた。
「…………ふん、打つ手が無くなったか」
そんな報道を映し続けるテレビを見ながら、ジェンスは鼻を鳴らした。
「愚かなことだ…………よりにもよってこんな方法で地球人の協力を得ようとは」
彼女の手元には、今、エリスたちがどこにいるかのレポートがある。
ロシアに入った途端、エリスたちはロシア空軍によって強制着陸させられ、さらに国外退去させられている。
今は中国の北京にとどまって、世界各国の反応を待っているらしい。
自由主義国内ではないので、どうしても分析結果と報告が現実の状況よりもワンテンポ遅れるのは否めないが、恐らく状況は今も変わるまい。
「あんなコトをしても、エンジンが手にはいるはずがないではないか」
冷笑が口元に浮かぶ。アメリカ政府を通じて、世界各国に対しての圧力をかけているため、今の世界は「宇宙にあがれるエンジンがあるならそれを迎撃武器に」ということで歩調が取れている。
通常の飛行機とかと違い、宇宙航行機に個人所有のものは未だに存在しないから、民間から流れる気遣いはない。
「じりじりと地べたに這いつくばって己の仲間が消えて無くなるのを見ているがいい…………ふふふふふふふ」
含み笑いをしながら、ジェンスは打ち出されたレポート用紙を机の上に置いて、コーヒーを啜《すす》った。
その横で、主に重要な情報を知らせていないマットレイは、ただ黙々と編み棒を動かしてマフラーを作っている。
秋の北京。
紅葉の舞い散る中、日本大使館には困った居候が現れ、勝手に居着いてしまった。
居候、というのは言葉が正しくないかもしれない。
なぜなら彼ら…………いや、彼女らは大使館の食料を、資金を当てにしているわけではなく、機材もまた要求しなかった。
必要としたのは庭である。
正確に言うと、彼らの拠点を作るための土地である。
最初、何とかして大使館員たちは彼女たちを追い出そうとしたが、すぐにそれを諦めた。
相手がマスコミ関係者や一般市民ならともかく、世界有数の大富豪、アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスということと、一行の中に例のキャーティアがいたことが、大使館職員たちを躊躇させた。
躊躇してしまうと、あっという間にアントニアに率いられた一行は大使館の庭に巨大なテントを作り上げ、勝手に衛星回線を繋いで世界各国に対してアピールを始めた。
大使は青くなったり赤くなったりしたが、アントニアのメイド長が何ごとか耳打ちすると、どっしりと構えるようになった。
二日もたたないうちに、大使館職員には大使から「何事も騒がず、相手にせず、空気のように見ないふり」をするように命じられた。
そして、世界でもまれな官僚システムの末端である職員たちはその通達に従った。
たとえば、一行の長であるはずのおでこの広い少女が、ある日を境に「アントニアさま」というプラカードを下げた縫いぐるみになったとしても、ほぼ同じ時期からキャーティアと名乗っていた少女が、いつの間にか隻眼で、でれーっとした表情を浮かべた妙齢の美女に変わったことも、二〇体以上いた二頭身のロボットが、執事服と紙製の口髭を着けた一体だけになったということも、気にしないことになった。
要となるのは想像力……それも、ただの想像力ではなく、ネジの一本、構造材の断面まで思い浮かべることが出来る強固な想像力だ。
騎央はまっすぐに両手を伸ばし、指先に意識を集中しながら、一旦金属の塊まで還元した物質をゆっくりと変形させていった。
首元では、クーネから託されたあの鈴が、きらきらと輝いている。
少年の額にはびっしりと汗が噴き出していたが、それを拭うことすら思いつかないほど、彼は目の前の状況に集中している。
やがて、金属の塊はある特定の形を成し始めた。
今回のこの騒動で、いつもと違い、騎央にはきちんと役割が与えられていた。
というか、きちんとと言うよりも「かなり」重要な役割を与えられてしまっていたと当人が知らされたのは、「定やん」と合流した翌日のことだった。
クーネから託された携帯万能機《マルチタスクオーガナイザー》を操って、ミサイルサイロに鎮座している旧型のICBM二基を、本格的な宇宙船に作り替えるのは、騎央の役割だったのである。
もちろん、携帯万能機はかなり便利なものであり、具体的な知識が無くても、強固なイマジネーションに従って機能してくれる(もっとも、これはキャーティアの装備全般に言える特徴であるのだが)が、この万能機に関しては、物質を原子レベルで扱うという特性もあってか、かなりの精神の集中が必要で、半日もこれを行っていると、終わった途端にぶっ倒れる、という事態が当たり前というありさま。
幸い、ぶっ倒れてもエリスの持っている治療機械のお陰ですぐに復帰できるのだが、しんどさが軽減されるわけではない。
だから四日かけてようやく大体の部品が出来上がったときには、騎央はめまいがしそうなくらいに安堵した。
そして、ようやく今日がラストの工程であった…………予定ギリギリである。
頭の中で、つい数秒前まで、何十回、何百回と凝視し、あるいは呆然と見つめ、頭の中にその端々までたたき込んだ部品の図面を思い浮かべる。
部分部分の厚み、角度、材質、どこもぼやけてはいけない。
すでにあるものを「見る」ように思い浮かべるのだ。
写真記憶、などという便利なモノを騎央は持っていない。だから必死になってひたすらに図面を見、覚えた。エリスも色々とフォローしてくれたおかげもあるが、とにもかくにも少年の必死さが、普段使っていない脳の領域まで使っているのは間違いない。
エリスがまずエンジンを必要とした理由がよく分かった…………とてもじゃないが、エンジンなどという微妙な代物までこれで作るとなったら、騎央は発狂したかもしれない。
魔法のように、金属の塊は騎央の脳裏に浮かぶ形を取っていく。
今日は居住ブロック……そしてこれで最後だ。
NASAにせよどこにせよ、これが居住ブロックであると言われたら目を丸くするような、広くて、そのくせ座席のデザインは五〇年代の空想科学小説(当時、SFなんていう言葉はマニアのものだった)に出てきそうなレトロな優雅さを兼ね備えた代物だ。
内側には万が一のことを考えて白いクッションを敷き詰める。窓は丸く、大きく、左右にひとつずつ。
彼の目の前で、最後のパーツである居住ブロックが出来上がり、青白いエネルギー力場に包まれながら発射台の上で、他のパーツと結合した瞬間、それまで後ろに控えていた一九体のアシストロイドたちがわっと飛びかかって各部の結合を点検、さらに微妙な補修が必要な部分をトテカンと直していく。
数分後、アシストロイドのリーダーであり、「おやかた」と書かれた鉢巻きを巻いた「1」がぐいっと親指を立てた。
「…………ふう」
ようやく緊張の糸がゆるみ、少年は側にあったパイプ椅子に腰掛けた。
広大なミサイルサイロには、地表に通じるハッチの隙間からちらほらと粉雪が舞い落ち始めている。
数日前に引き渡された、ふたつの旧ソビエト製の全長四〇メートルの鋼鉄の塊は、同じ質量ながら、かなり小さな宇宙船に生まれ変わっていた。
もっとも、それを見て現代人は宇宙船とは思うまい。
多段型ではなく、一体型で、大きな三角形の羽根が三方向につき、銀の地肌が剥き出しなのだ。
しかも中央部分には丸窓がふたつ。これで胴体部分に白黒のチェッカー模様があれば、間違いなくその居住区の内装同様、一九五〇年代のSF映画によく登場した「宇宙ロケット」である。
しかしこれは、この際致し方のないことであろう。
本当は騎央だってゲームやアニメに出てくるような、ある程度センスの良いモノにしたかったが、残念ながら今の騎央では、こういう「宇宙ロケット」が精一杯なのである。
「出来ましたね!」
騎央の横で、エリスが目を輝かせる…………ちなみに、一〇月のロシアは彼女にとって極寒の地なので、モコモコと毛皮のコートやらマフラーやらミトンの手袋やら何やらを着込んで、傍目にはアシストロイドと変わらない体型となっていた。
「スゴイですよ、騎央さん! これなら宇宙へ行けます!」
「そ、そうかな…………?」
褒められた嬉しさ半分、ぬぐいきれない疑念が半分の顔で騎央は答える。
彼自身はエリスと逆に、Tシャツにジーンズという軽装だが、意識の集中が解けた今、ぐっしょりと重い汗が噴き出している。
「大丈夫です! ちゃんと行けます。しかもこんなに早く!」
そう力説するエリスの横で「定やん」が「だんさんえらい!」と書いたプラカードを掲げた。
「できたようですね」
いつの間にか現れた摩耶が、そう言って感慨深そうに銀色の機体を見上げた。
「どうですか、相手の動き」
騎央が問うと、
「今のところ我々の偽情報を信じているようです。|アシストロイド《チビスケ》たちが派手にあちこちに出没しているせいもありますが」
「お世話かけます」
ぺこり、とエリスが頭をさげた…………アシストロイドたちは、あちこちに瞬間転送《テレポート》出来るとはいえ、それはあくまでも現地に他のアシストロイドがいる、もしくは一度いったことのある場所のみであるから、今回の場合、じつは現地までアシストロイドを摩耶の部下であるメイド部隊が連れて行っているのだ。
「で、テストはなさるんですか?」
との摩耶の問いに、エリスはきっぱりと首を横に振った。
「いいえ、もうそんな暇はありません。明日、ぶっつけ本番で飛びます」
[#改ページ]
第六章 準備は色々あるのだった
出発を明日に控えた夜である。
真奈美がアントニア一行が持ち込んだ「荷物」の最終点検を終えてコンテナから降りると、「ゆんふぁ」がちょいちょい、と作業ズボンの足下をつついた。
「何?」
視線を落として尋ねると、黒いコートにサングラス姿のアシストロイドは「けんかしたまでいいでしか?」と書いたプラカードを掲げた。
「喧嘩、って誰とよ?」
ちょっと苛つきながら訊くと、「ゆんふぁ」は「あをいしゃん」と答えた。
「喧嘩じゃないわよ、行き違い」
言いながら足早にロッカールームに向かう。一〇月ともなれば、ロシアの奥地はすでに冬支度であり、ここ数日は粉雪が舞うのも珍しくない。
地下のミサイルサイロは本来そういうモノとは無縁の筈だが、ソビエト崩壊による予算の枯渇は各施設の整備にも響いており、あちこちからすきま風が吹き込むありさまだ。
とてとてと真奈美の横をついて歩きながら、「ゆんふぁ」はなおも「ほんとにいいでしか?」と食い下がる。
「っるさいわね! アンタには関係ないでしょ!」
怒鳴りつけると、二頭身ロボットはびくっ、と立ち止まり、がっくりと肩を落とす。
それから「うみゅー」とプラカードに書いて掲げた。
その光景を横目に、苦い自己嫌悪を感じながらも、真奈美はロッカールームに急ぐ。
(んなことぐらい、わかってるわよ…………)
だが、あの夜以来、どうにもアオイと視線を合わせることすら出来ない真奈美なのだ。
(わかってるんだけどさ…………)
ロケットの乗組員は騎央、エリス、アオイ、およびカスタムアシストロイド三体のみとなった。
エンジンの性能他もあるが、直接の戦闘能力と、母船に着いたときの道案内、および最終的な作業者を優先に選んだためである。
つまり、真奈美は地球に残るということになる。
一方、「ゆんふぁ」と同じ内容のプラカードを示されている人物がさほど離れていない所にもう一人。
「喧嘩じゃない……わ」
こちらも真奈美同様のお答えを返した。
言うまでもなくアオイである。
「でも、私から彼女に言うことは何もない……の」
呟くように言って、アオイは自分に与えられた二体のアシストロイド…………言うまでもなく「チバちゃん」と「錦ちゃん」である…………の頭を代わる代わる撫でた。
こちらの方がアシストロイドへの対応はソフトだが、同時に決意が岩よりも硬いことを感じさせる。
どうやら、アオイは本気で怒っているらしい。
アオイもまた、別の「荷物」の点検に戻り、二体のアシストロイドは顔を見合わせてがっくりと肩を落とした。
しゃくしゃくと、「定やん」は日本から空輸されたリンゴを「食べ」ている。
「お前、ホントにリンゴ好きだなぁ」
言いながら騎央は、ちょこねんとコンテナの上に座り、両手に抱えるようにして「紅玉」を「食べ」続けている丁稚型アシストロイドの頭を撫でた。
このアシストロイドも「チバちゃん」や「ゆんふぁ」同様、食事によって予備エネルギーを蓄えるタイプだ。
本来なら一週間に一度でいい「食事」だが、今回は敵地における任務があったので、早くエネルギーが減ったらしい。
で、騎央は面白がって色々食べさせた結果、どうもリンゴとみたらし団子が好物と判った…………雄一叔父がいたら、たこ焼きも試したかもしれない。
みたらし団子は偶然エリスが「おやつ」として持ってきた分しか無かったので、ここの基地の人間へと用意してきた果物の中から、リンゴをメインで与えているのである。
やがて、七つめのリンゴを食べ終えて、心なしかぷっくり膨れたお腹をさするようにして「定やん」は「けぷー」と書かれたプラカードを掲げた。
「もういいのかい?」
騎央の問いに、こくん、と「定やん」は頷いた。
(弟がいたらこんな感じなのかな?)
とか思いながら、騎央はリンゴの果汁で汚れた「定やん」の口元と鼻眼鏡型の光学センサーをタオルで拭いてやる。
ふと、倉庫のドアが開いた。
「?」
騎央が振り向くと、そこには三体のアシストロイドたちがぽつねんと立っていた。
「いや、まったく感謝しているよ、マーヤ」
元ソビエト国防省ミサイル防衛局、現ロシアミサイル防衛局北部方面軍パスロミンシュカ部隊統括のミハイナ・アリシュコワ准将《じゅんしょう》はそう言って、にやりと微笑んだ。
かつては第二の北欧の妖精と詠われた、新体操における期待の星の面影は、その引き締まった身体つき以外には伺うことが出来ない。
雪焼けしたなめし革のような皮膚、鋭い眼光。男たちを精神、体力両面で従わせるだけの能力を彼女は持っていた。
そして、彼女の階級は、単なる体力バカではないという証明でもある。
「最近は給料も物資も遅配気味でな。お陰でこの冬が越せそうだ」
「構わないわ、ミーナ」
摩耶はこれまた見事なロシア語で応じた。
「あなたたちは私たちの必要なモノをちゃんと提供してくれている…………万が一のコトが起こったら、国外脱出の面倒は見るわ」
「ありがたいね。もうこの国にはうんざりしていた所だ。そろそろ広い世界という奴を見てみたいと思ってた」
摩耶は苦い笑いを浮かべた。彼女は、ミーナの言葉が嘘だと知り尽くしている。
彼女ほどこの国を愛している者はいない。そのことを摩耶は五年前に理解していた。
「で、そろそろなのか?」
「ええ、一両日中にコトは終わるわ」
摩耶はだからこそ、あえて本当のことをボカして言った。
愛国者は、友情よりも愛国心を優先させるからだ。
「え? 真奈美ちゃんと双葉さんが喧嘩してる?」
騎央は首を傾げた。そう言えば飛行機に乗ってからこっち、あのふたりが話し合っているのを見たことがない。
「チバちゃん」は「いえす」と書いたプラカードを掲げ、「錦ちゃん」は「わりわりでわ、もお、どーしよーもないです」と書き、その横で「ゆんふぁ」が「みぎにおんなじ」と書いた。
「うーん。でも、それは当事者同士の問題だからなぁ」
まさか、その原因が自分だとは夢にも思わず、騎央は腕を組んだ。
「だからきおしゃんにおねがいするす」と「チバちゃん」が書いた。
「?」
「すべてのげんきょー」と書いたプラカードを掲げ、「ゆんふぁ」が騎央を指さした。
「え? どうして?」
さてそれから数十分の時間をかけて、アシストロイドたちの書いた文字と文章を解読するため、騎央は頭をひねることになる。
「んーと…………」
宇宙ロケットの中に潜り込んで、エリスはかちゃかちゃと各システムの点検をしていた。
彼女の周囲にはアシストロイドたちが同じようにあれこれ神妙な手つきで各部のチェックを進めている。
「さっすが騎央さん。細かいところまで良くできてますねー」
うんうん、と頷いて、エリスは古くさい、タイプライター型のキーシステムを叩き、接続した情報処理システムで、モニターに表示される内容がほぼ予定値に収まっていることを確認した。
振り向くと、「ぜんちぇっくおけー」とプラカードを掲げた「2」が立っている。
その後ろでは「おやかた」の鉢巻きを着けた「1」なんぞは一仕事終えた職人の風情で、シートに腰を下ろし、どこから手に入れたのかキセルなんてものを弄んでいる(さすがに口がないので喫煙は出来ないらしい)。
くすりと笑いながら、エリスはふとコックピットに設けられた丸窓の外を見た。
騎央がアオイと真奈美のアシストロイドたちの持った「はやくはやくー」と書かれたプラカードにせき立てられるようにしてキャットウォークを歩いていく。
「?」
それをアシストロイド「6」が見つけたのは彼の「変わり者」な特性のおかげであった。
「ヒマがあると意味もなくブラブラと歩く」という特性を持つ「6」は彼らの主人に与えられたミサイルサイロのある箇所に、古い扉を見つけたのである。
それはかなり古いモノであった。
かつては大量の荷物でふさがれていたらしく、そこだけリノリウムの床が新しいが、扉自体は逆に真っ赤に錆《さ》びていた。
「6」のセンサーは扉の彼方にかなりの容積の空間があることを察知した。
トコトコと歩いて扉に近づき、ノブにぶら下がってみるが、さびついた扉は案の定開かない。
一分ほど扉と格闘して、ようやく「6」は諦め、「ちぇっ」とばかりに扉を蹴った。
ところがこれが意外な結果をもたらした。
扉は開かないほど錆に固められていたが、その枠と、周囲のコンクリートは劣化していたらしく、扉は後ろ向きに倒れ、ガラガラと派手な音を立てて、その向こうにある階段を滑り落ちていったのである。
やがて、がごおん、というど派手な音が響き、「6」は慌てて耳を塞いだ。
しばらく縮こまっていたが、それ以上何も起こらないことを知ると、「6」はトコトコと階段を降り始めた。
階段は長く、長く、二分ほど二頭身のロボットは下り続けた。
そして、大きな広場にたどり着いた。
真っ暗だが、アシストロイドには関係がない。音響、地磁気など、彼が「見る」ことの出来るものは多かった。
どうやらそこは整備場だったらしい。
古いオイルが入ったドラム缶や、整備道具が転がっている。
興味深げに、「6」はトコトコとそのあたりを歩き回った。
ほとんどの道具は数十年以上の時を経ているらしく、錆びていたり、機構が古かったりと役に立つものは無かったが、それでも異星人の調査ロボットには興味深く、いちいち手にとってはじーっと「見つめ」て情報を取り込んでいく。
やがて、「6」は歩《あゆ》みを停めた。
この広場の真ん中に、巨大な物体が鎮座していることに気づいたのだ。
見上げてみる。
沖縄で見た「地図」に掲載されている記号によく似たマークが描かれたその金属の塊は、その周囲に転がっている整備道具の状態を考えれば驚くほど良い状態で保存されていた。
近寄って、「6」はその金属の塊の足下をぽんぽんと叩く。この部分が、金属の板を何枚もつなげて、内部の車輪で前に送る不整地走法システムだと理解する。
恐らく、軍事マニアが見れば、第二次世界大戦中、敵国の車両を捕獲し、自軍で使おうとしたものの、そのまま終戦が来てしまったか、もしくはあまりに精密な構造なのでさじを投げてしまったかして、そのままになった所へミサイルサイロが建築されたのだと理解したかもしれないが、アシストロイドには判らない。
だが、「6」は妙な好奇心を発動させた…………それが彼の特性でもある。
やがて、物音に気づいて下に降りてきた彼の「仲間」たちと「相談」した「6」はこの金属の塊を補修し始めた。
騎央が宇宙船を造る行為の手伝いは一日のうち三〇分ほどで、それも今日で終わったわけだし、これぐらいの代物なら半日もあれば改修は終わる。
アシストロイド三体に引きずられるように騎央は行動を起こすことになった。
まず最初に声をかけたのはアオイである。
「えーと…………その、双葉さん…………いいかな?」
「荷物」の点検を終え、小休止していたアオイは突然現れた騎央に硬直したようになったまま、何とか首だけを頷かせた。
「ど、どうぞ……か、嘉和君」
「あ、う、うん…………」
ガタガタと、日本のものよりも重くて頑丈で、クッションの薄いパイプ椅子を引いて座る。
何となく、向き合う形になってしまった。
「ど…………どうしたの?」
「あの…………いや、その、さ」
しばしの沈黙。
「そ、その…………真奈美ちゃんから訊いたんだけど」
「!」
「そ、その…………ふ、ふた、双葉さん…………が」
みるみるうちに騎央の顔が真っ赤になってくる。
「つ、つまりその、あの、えーと、うー…………あう…………あ、ぼ、ぼ、ぼく、ぼく」
「…………」
アオイも真っ赤になって俯く。
「ぼく、ぼく、ぼくぼくぼく」
少年はしばらくの間、何か撲殺死体を作っているようなことばかりをエンドレスで繰り返していたが、騎央はようやく思い切って、
「ぼ、ぼくのことをその、お、思ってくれ、くれる…………いや、ちがう、くれてる…………って、ほ、本当…………なの?」
呆然とアオイは顔をあげた。
しばらく、ふたりは見つめ合う。
「……はい」
こくん、とアオイは頷いた。真っ赤になりすぎて、目が潤んでいる。
その目が、まっすぐ騎央を見た。
「あ、あの…………嘉和君……騎央君は、わ、私のこと、好きです…………か?」
「……………………!」
騎央としては一番棚上げしておきたい質問が飛んできた。
思わず逃げ出したくなってあたふたと周囲を見回すが、「定やん」が掲げた「だんさんがんばれー」のプラカードを見て、何とか男気を絞り出す。
「そ、そのことなんだけど…………」
深呼吸。
一回、二回、三回…………。
四回目で声を出す。
「す、少しの間だけまってくれないかなっ!」
目を閉じて絞り出した大声だったが、口にしてしまえば後は楽になった。
「い、今は状況がこうだし、ぼ、僕自身もそのことを知らされたのがつい最近の話だからどうすればいいのかよく分からないし、あの、で、でも双葉さんが嫌いというわけじゃなくて、でもあ、あの、こ、こういうことはもっと慎重に考えないといけないわけで、だ、だ、だから、あの、その…………」
なぜだろう。思いついたときはこれ以上はないという名解答の筈だったのに、口にすると随分とひどいことを言っているような気がしてくる。
「と、とにかくその、えーと、あれなんだ、いや、そのその、と、とにかくもうしばらく、待っててくれないかな? せ、せめてこの事件の決着がつくまでは…………」
冷や汗だか脂汗だか分からないものがこめかみのあたりに吹き出しては流れていくのが判る。
「ごめん!」
あとはもう拝むしかなかった。
ささやかな沈黙があって。
「…………はい」
鈴を転がしたような声に、騎央はほっと息を吐きながら目を開けた。
アオイは優しげに微笑んでいる。
「あ…………ありがとう」
全身から「何か」が抜けるような気分になりながら、騎央は安堵の微笑みを浮かべることが出来た。
「あ…………ありがとう」
騎央がほっとした表情を見せ、「定やん」はうんうんと頷いたが、ふと、光学センサーに反応を感じた。
とことこと部屋の外に出ると、通路を曲がる尻尾が見える。
さらに追いかけると、それはエリスだった。
プラカードに「どうしたんだっか?」と書いて掲示すると、エリスは「ありゃあ」と舌を出した。
「見つかっちゃいましたか…………あのね、『定やん』、このことは内緒です、ね?」
エリスは人差し指を唇の前に押し当てて「しーっ」というポーズをしてみせた。
首を傾げて「なぜでっか?」と問うと、
「騎央さんがなるべく平等な立場で、なるべく平等な思考で選ぶことが重要なんです」
ますます「定やん」には訳が分からない。首を傾げる。
「んーと、じゃ、これあげます」
そう言うと、エリスはどこからともなくみたらし団子を一本取りだして「定やん」に手渡した。
「だから、黙っていてね♪」
現金なもので…………というか、諜報《ちょうほう》活動も可能なアシストロイドとしてはかなり疑問のある話だが…………「定やん」は素直に「わーい」とぴょんこぴょんこと飛び跳ねて、エリスのみたらし団子を受け取った。
「…………」
そのありさまを微笑ましく見ながら、エリスは少しだけ寂しげな表情になった。
「提案できたらなぁ…………」
ぽつん、と呟く。
エリスとしては本気でアオイ込みでオッケーなのだが、彼女が納得していない以上、自分のやり方を通すわけにはいかない。
つまり、自分から騎央に対して「アオイと一緒にどうですか?」とは言えない。
あくまでも地球の少女と同じスタートラインに立たねばならないのだ。
このへんも含めて、キャーティア人は底抜けのお人好しといえた。
「…………」
腕組みしつつ、ヘッドフォンで全てを聴いているのはアントニアである。
カモミールティーなんぞを啜りながら、苦虫かみつぶしたような顔で、アントニアは基地の各所に仕掛けておいた盗聴マイクからの音声を流し続けるヘッドフォンを外した。
「許せぬ」
と短く言い切り、
「摩耶、銃かナイフを貸せ」
と言い出した。
「はあ、どうなさいますので、お嬢様?」
こちらは基地の司令部から持ってきた、典型的ロシアンティーを片手に摩耶がわざとらしく首を傾げる。
「決まっておる。キオをとっちめてやるのだ!」
言ってアントニアは拳を握りしめた。
「まったく、何をあやつは迷ってオルのだ! エリス様が最高に決まっておるだろうが! アオイなぞふってしまえばよいのだ!」
「それを、アオイ様の前でおっしゃられますか?」
「う゛ …………」
メイド長の一言に対してしばらく硬直し、アントニアはかくんと頭を垂れた。
「おっしゃられますか?」
すまし顔でもう一度そう訊いて、摩耶はティーを一口啜った。
「…………言えぬ」
頭を垂れたまま、アントニアは呟いた…………アオイは何だかんだ言ってももはやアントニアにとって「友達」なのである。
身体に流れる猫耳好きの血が叫ばせても、やはりそれは彼女の全てではない。
「そういうことです。男らしくはないかもしれませんが、必死の考えの末の結論なのです」
「…………のう、摩耶」
アントニアはぽつん、と呟いた。
「いつか、私もああいう選択を迫られることがあるのだろうか?」
「判りません…………ですが、たとえお嬢様がどんな選択をしても、摩耶は必ずお嬢様のおそばにおります」
言い切って、メイド長はにっこりと微笑んだ。
「…………ま、真奈美」
自室に割り当てられていた埃っぽい士官室に、不意にアオイが現れ、真奈美は思わず椅子から転がり落ちそうになった。
「あ、あの…………」
「あ、あたしは別にいいのよ。別に…………き、気にしてなかったし」
口を尖らせて、真奈美はそっぽを向いた。
「そう…………なら、いいの」
「あ、あの、でもその…………でも、やっぱり、謝っとくわ。ごめん」
くるりと踵《きびす》を返して出て行こうとするアオイに、真奈美はぺこりと頭を下げた。
なお、その横で「ごめんなさえ」と書いたプラカードを掲げた「ゆんふぁ」が頭を下げているのは言うまでもない。
「…………」
アオイは、困った顔になった。
友達も初めてなら喧嘩も初めてで、謝られるのも初めてだ。
だから、どうすればいいのか判らない。
そのスカートの裾を、ちょいちょいと「錦ちゃん」が引いた。
手にしたプラカードには「ゆめしてあげて」と書かれている。その隣で「チバちゃん」も「うめしてあげて」と書いたプラカードを掲げている。
「…………わかったわ。その…………」
許してあげる、という言葉の響きはひどく偉そうに思えて、アオイは口をつぐんだ。
「私、忘れる…………だから、真奈美も忘れて」
「う…………うん」
「それから、その…………今日、騎央君が来たわ」
「え?」
真奈美の顔が上がった。
「ど、どどどどーしたの? 何? 何かあったの?」
今までの重い雰囲気をどこかに蹴り飛ばす勢いで真奈美はアオイに詰め寄った。
「ね? 何があったの?」
「その…………あなたから聞いたから…………って」
「ひょ、ひょっとして返事?」
こくん、とアオイは頷いた。
「…………どうなったの?」
「しばらく、延期だって…………言われた……わ」
「な?」
「少しかんがえさせてくれ…………って」
「あンのバカ騎央…………」
思わず真奈美は拳を握りしめたが、アオイは首を横に振った。
「いいの…………実を言うとね、私…………怖かった……の」
「…………」
言われて、真奈美は我に返った。同時に自分の傲慢さを理解する。
全てが初めての少女にとって、確かに告白も、その返事も恐ろしいものには違いない。
たとえ「悪運|紅葉《もみじ》」であろうとも。
「…………ごめん」
心の中で「昔の自分」をポコスカ殴りつつ、真奈美はまた、頭をさげた。
「なんだこれは!」
ジェンスはそう叫んで、たった今打ち出されたばかりのレポート用紙を床にたたきつけた。
「今さら、北京にいる連中は偽物だと? すでにロシアの国境を越えて奥地のミサイル防衛都市に移動してるだと? 信じられるかぁっ!」
ジェンスの側でちょこんとパイプ椅子に腰掛けて編み物をしていた参謀型アシストロイド、マットレイが編み棒を動かす手を止めて、歯を剥き出しにしたような口元から「キッシッシシシシ」という冷却ファンの動く音をさせた。
よっこいしょ、と側においてあった液晶ディスプレイを己に繋ぐと「コレカラ如何ナサイマスカ、ゴ主人サマ」と冷静きわまる問いかけを行う。
「くそ、決まっている! 攻撃だ!」
マットレイは首を横に振って「無理デス」と表示した「スデニNATOノ演習ハアト数時間デ終了シマス。西欧同盟《WEU》モ明日デ演習終了デス。引キ返シテクルろしあ陸軍ニ武器弾薬ハオロカ、燃料トテモハヤアリマスマイ」
「構うものか! そしてこちらも直接出張る!」
「シカシ、今カラデハ間ニアイマセヌ」とのマットレイの突っ込みに対し、ジェンスは目を血走らせながら、
「誰が地球の飛行装置で移動すると言った! レベル9装備を使用するのだ! 大気圏外で迎え撃つ!」
「あ…………エリス」
精神的にへとへとになりながら、それでも騎央が会議室に帰ってくると、エリスが携帯端末を使って何やら最終チェックをしていた。
「…………」
何か話しかけようと思い、それが妙に不自然になりそうな気がして、結局騎央はそれ以上何も言わずにエリスの近くに座り込んだ。
しばらくの間、エリスが端末を操る音だけが響く。
「あ、騎央さん」
不意にエリスが端末から顔をあげた。
「ブレスレット、忘れないで下さいね。宇宙《そら》に上がるときには、あれを宇宙服の代わりにしますから」
「あ…………うん」
「アオイさんには私の予備のスーツを着て貰いますから大丈夫です」
「う…………うん」
浮気をしている亭主みたいな気分で、騎央は曖昧《あいまい》に頷いた。
「あの…………さ」
騎央は思いきってエリスに尋ねることにした。
「エリスはさ…………その…………僕と、まだ、そのつ、つがいになるつもり…………なの?」
「はい」
にっこりとエリスは微笑んだ。
「来年、また発情期が来たら、今度こそ騎央さんとつがいになりたいです!」
「本当にさ…………本当に僕でいいの?」
後ろめたさと嬉しさと、自己嫌悪に身を焦がしながら騎央は尋ねた。
「ええ! だって、騎央さんですから!」
きっぱりとエリスは断言した。
「う…………うん」
なにが「うん」なのか、自分でも判らぬままに騎央は頷いた。
そして、朝になった。
[#改ページ]
第七章 真っ赤な戦車、地を走り♪
その変更は全《まった》くの突然だった。
夜明け前に入ってきた一本の通信文で、彼らの演習の終了は延期されてしまったのである。
武器弾薬は無限ではなく、人の体力にも限界がある。まして東欧諸国に「裕福」や「潤沢《じゅんたく》な」という言葉が消滅して久しい。
更に言えば、この地域はすでに真冬である。
この旨を現場指揮官たちは言上したが、司令部はなぜか物わかりが悪く、あるミサイル防衛都市を「標的」として制圧訓練を行うことを命じた。
押し問答はしばらく続き、やがて、現場指揮官たちは理解した。
これは「訓練」に名を借りた「実戦」であると。
どういう理由かは分からないが、名目的に「訓練」として送り込み、結果いかんによっては本格的に軍を動かすつもりなのだ。
可及的速やかに行動を起こさねばならない事態が、そのミサイル防衛都市では起きつつある。
現場指揮官たちの脳裏に浮かんだのは「クーデター」の文字であった。
数十分の後、彼らは戦車を一小隊だけ、ここに投入することにした。
七日間に渡る演習によって、弾薬も食料も燃料も、ほとんど無くなっており、余剰をかき集めて動かせる予備部隊はこれだけだったのである。
だが、標的とされているのはミサイル防衛都市まるごと一つではなく、あくまでもそこが管理するミサイルサイロのひとつであり、またある程度の戦果、もしくは被害を受けた場合は即座に撤退して本隊を呼び出せばいい。
指揮官たちは小隊の隊長に、それとなく事情を匂わせた。
二〇年前に起こった軍事クーデターにおいて、賢明な対応をして生き残ったことのある小隊長は、即座に事情を飲み込み、指揮官たちは大いに安堵して頷いた。
朝の六時だというのにまだ空は暗く、太陽は遥か彼方…………無理もない。ここはほぼ、「シベリア」と呼称されるロシアの奥地、この世の果ての一歩手前。
八月に初雪が降り、六月まで降り続ける世界。
山の中腹、真っ白に飾られた針葉樹の森の中、巧妙に木々の間に偽装されたハッチがゆっくりと開く。
今となっては珍しい、油圧ジャッキによって開放されたハッチの中には、これまた信じられないほど時代物の「宇宙ロケット」が鎮座している。
発射台に据えつけられた「宇宙ロケット」は銀色の機体を鈍く輝かせながら、点火の時を待っていた。
「うーにゅー」
毛布にくるまり、モコモコに膨れ上がった毛皮のコートの中から、そんな声が聞こえた。
「エリス、いい加減に起きなよー!」
「むみゅー」
騎央と「定やん」および、ここに残っている通常型アシストロイド一五体が総掛かりで揺するが、ベッドの上の物体は時折「んにゅー」だの「にゃおー」だの、猫の鳴き声らしきものを放つだけで一向に起きる気配がない。
「弱ったなぁ…………」
考えてみれば、エリスの行動基準はほとんどネコのそれであり、また生きていく上での行動パターンもネコのそれである。
雪が降った翌朝に起きてくる筈はないのだ…………まして、寒さがしみこんでくるような地下の部屋である。
緊急事態が続いたために、騎央たちもコロリと忘れていたのである…………恐らく、エリス自身も忘れていたに違いない。
かくして、ロケットの発射は刻一刻と遅れようとしていた。
「もう、しょうがないなぁ…………」
騎央は腕時計を見てこれ以上の計画の遅延は出来ないと考え、エリスに割り当てられた元士官室から出ると、炊事場に行って、バケツ一杯の水をくんで戻ってきた。
「か…………嘉和君、なにを?」
さすがに手を焼いたアオイも、この行動にはちょっと青ざめた。
「仕方がありません」
そう言うと、騎央はついでに取ってきた古い「プラウダ」をじょうご状に丸め、その先端を毛布の巻物の中へ突っ込み、バケツの中身を傾けた。
思わず、周囲にいたアシストロイドたちが「きゃー」と書かれたプラカードを掲げつつ耳を塞ぐ。
ロシアの地下に、長い長いネコの悲鳴が響き渡った。
十数分後、会議室。
「ひどいでしゅ…………きおしゃん」
アシストロイドから渡されたタオルでごしごしと髪の毛の水を拭いながら、エリスはぷうっと頬を膨らませた。
「起きないのが悪いよ…………今日行かないと公転周期やら何やらでマズいんだろう?」
「ひゃい」
「…………これが平時であれば万死に値するところじゃが」
少々複雑な表情でアントニアが言った。
「まあ、今度ばかりは非常事態なので許してやる」
「はいはい、ありがとー」
偉そうな態度のアントニアの横から、真奈美が顔を出した。
「真奈美、おぬしには言っておらんぞ」
「まー騎央の代わりよ、代わり…………で、打ち上げの段取りはどうなってるの?」
あはは、と笑いながら真奈美は本筋に話を振った。
「ふあい」
まだ「ねむいです」と顔に書いたままのエリスがこっくんと頷いた。
「えーとですね…………」
「うん」
「えーと…………えーと……………………えー…………え……………………ぐー」
「寝るなー!」
「そうか、とうとう宇宙にいくか」
携帯電話を片手に、騎央の叔父、宮城雄一はうんうんと頷いた。
「よしよし、羨ましいぞ騎央。宇宙《そこ》は|正しい資質《ライトスタッフ》じゃないといけないからな」
『え? |おかし類《ライトスナック》? 食料は一応積みますけど、たぶんそういうのは無理だと思います…………』
通信状況が悪いらしく、騎央の首を傾げる気配が伝わってくるが、雄一は苦笑いを浮かべてその疑問を流した。
「まあいい。こっちは安心しろ。きちんと艦長さんは守ってやる」
言うと、ちら、と後ろを振り向いた。
ここは騎央の家からはかなり離れたところにあるリゾートマンションの一室だ。
雄一の背後にはアントニアのメイド部隊が八人、さらに彼女たちに囲まれるようにして、対爆シリンダーに納められたクーネが寝息を立てている。
『ありがとう、叔父さん』
「気をつけろよ。宇宙ってのは、花も虹も風もない、涙も頬に流れない、っていうからな」
『…………はい。父さんと母さんによろしく』
「了解だ」
「…………」
電話を切った後、騎央はしばらく衛星電話を見つめた。
ついさっきまで、沖縄と繋がっていた電話である。
温度は二五度。今日は夏がぶり返したような天気になるそうだ。
そして今、自分は粉雪が舞い散るミサイルサイロにいて、さらに気温どころか空気そのものがない世界に旅立とうとしている。
「…………そうか、宇宙へ行くんだっけ」
どうにも、実感がわかない。
宇宙服も、特殊訓練も無いからだろうか。
「宇宙…………ねえ?」
宇宙船に詰め込まれるのはアントニアが持ち込んだ「荷物」の他に、通常型アシストロイドが五体、三日分の食料(カロリーメイト等々)。そしてカスタムアシストロイドが三体。
アントニアは最後まで「同行する」と言い張ったが、あまりにも危険な道行きであるため、万が一の場合、ますます地球側のキャーティアに対する感情を悪化させるという予想も成り立つため…………いや、何よりもエリスが平謝りに謝って、「今度、状況が収まったら必ず連れて行く」ことを約束したのでようやく収まった。
で、ここで「アシストロイドの交換」ということを真奈美が言い出した。
「宇宙だと、うちの『ゆんふぁ』はかなり役に立つと思うのよ」
ただし、荷物の分量は変化がないから、アオイのアシストロイドのうち一体と一時交換しよう、というわけである。
アオイは最初躊躇したが、確かに、真奈美の言うとおり、宇宙空間では接近戦特化の「チバちゃん」たちよりも射撃戦特化の「ゆんふぁ」のほうが役に立つことが多いだろうと思い直してこれを受け入れた。
さて、二体のうち、どれと「ゆんふぁ」を入れ替えるかで揉めるかと思ったが、これはあっさりと決まった。
「チバちゃん」があっさりと「ぼくのこるー」とプラカードを掲げたのである。
実はこの数分前にアシストロイド「6」と「チバちゃん」が何やら「話し合い」をしていたのだが、アオイたちが知るはずもない。
「退去命令?」
ようやくアントニアを説得し、あとはカウントダウンを始めるばかりと安堵していた摩耶に、このミサイル防衛都市の司令官であるミハイナ・アリシュコワ准将からの施設内電話が届いた。
『そうだ、我々は二時間以内に君らのいるミサイルサイロの半径二キロ圏内から退去する』
ミーナの声は何か、奥歯に物の挟まったような所があった。
「どういうことだ?」
『君たちのいるサイロには、凶悪な宗教テロリストが隠れていて、これからテロを行うべくミサイルを発射するそうだ』
お仕着せの反省文を読み上げる不良学生そっくりな声でアリシュコワ准将は言った。
『どうやら四時間ほど前に私がモスクワに連絡をしたことになってるらしい』
「わかった。忠告痛み入る」
『どうする、何なら…………』
「我々はしばらくここから出るわけにはいかない。君たちには君たちの立場があるだろう。言われたとおり退去したまえ」
『…………すまんな』
「五年前の借りがあるからな」
『わかった、これで貸し借り無しだ』
「ありがたいな」
不敵に笑って摩耶は電話を切った。
「さて…………戦車か」
腕組みをした摩耶のメイド服の裾を、ちょいちょい、と引っ張る手がある。
「? …………」
見ると、そこには「6」と額に書かれたアシストロイドが立っていた。
「わははははははは!」
大声をあげて笑うものが、ロシアの戦車部隊にひとり。
ロシア人ではない。むろん、東欧諸国の人間でもない。
金髪|碧眼《へきがん》の白人である。
金床《かなどこ》でもかみ砕けるような顎、毎日三時間のトレーニングを欠かさない筋骨隆々たる腕は、今はアメリカ陸軍謹製の防寒服を圧している。
堂々たる偉丈夫はジョージ・B・ホイットマン少佐。
今回、NATOから観戦武官として派遣されたアメリカ陸軍戦車部隊の人間である。
当然ながら、本来このような場所にいるべき人物ではない。
どうやってか、この作戦…………一応表向きは「特別訓練」…………を聞きつけて、無理矢理同行してきたのである。
当然のことながら、小隊の誰も歓迎しないお客様であるが、ご本人は一切気にしていない。
「いやあ、素晴らしい! こんな極北の地で、まさか実戦に巡り会えるとは!」
「ガスパージン……いや、ミスター・ホイットマン」
小隊長は苦い顔でキューポラから上半身を乗り出しているホイットマン少佐に言った。
「申し訳ないがそろそろあなたの車に移って頂きたい。戦闘区域に間もなく入るのでね」
モスクワ大学で学んだ英語は、無事に通じたらしく、ホイットマンは、ソビエトの戦車兵の常識から考えれば信じられないほど大きな巨体を砲塔ハッチから引き抜き、併走するアメリカの高機動車《ハマー》にひらりと乗り移った。
「いやぁ、大変素晴らしい! 戦車はやはりよいですなぁ!」
嬉しくてたまらないという顔でホイットマンは小隊長に怒鳴った…………怒鳴らないと聞こえないほどのエンジン音というのもあるが、恐らくこれが地声なのだろう。
「ロシアもアメリカも、戦車はいい! 実にいい!」
正直言えば、今すぐ彼が触れた部分を全て消毒したい気分で、小隊長は笑みを浮かべて手を振った。
(|アメリカ野郎《アメリカンスキー》め)
内心で毒づく。
(世界を制したつもりで傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に振る舞いやがる)
そして小隊長はハッチを閉めた。
「隊長殿、引き返しませんか〜」
ハマーのステアリングを握る副官が、ホイットマン少佐に懇願した。
「何か、悪い予感がするんです〜」
「バカをいえ、何が不安だというのだ?」
腕を組んでジッポーのオイルライターでマホルカ煙草《タバコ》に火をつけながらホイットマンは言った。
胸にいがらっぽい、いかにも煙草らしい匂いが充満する。
「ここはソビエトだぞ、アメリカ人が戦いに背を向けるところを見られてたまるか」
「いや、もうロシアですよ」
「やかましい!」
彼はここ一ヶ月ほどで、共産圏に対する考え方を改めつつあった。
その一、煙草が美味い。
その二、戦車の主砲がアメリカよりも五ミリ口径が大きい。
その三、もう敵ではない(なぜならアメリカが勝ったからだ、アメリカ万歳!)。
数ヶ月前に嘉手納で簡単な任務に失敗し、戦車を文字通り「失って」から、彼は自信を失い、ひと頃は軍を辞めようとさえ考えていたが、今やその考えは完全に払拭されていた。
そうだ、あんなことがそうそうあるわけはない。いや、あれ自体が悪い夢なのだ。実際、自分は責任を問われず、何事もないまま、ただ部署を変更させられただけなのだから。
この観戦武官としての任務が終われば、テキサスの基地で教導団を率いる任務が待っている。
新しい戦車の能力を試し、評価する…………丸一日戦車に乗り、主砲をぶっ放して誰にも怒られない素晴らしい日々が始まるのだ。
今回の「実戦」はその前に神様がくれたささやかな祝福だろう。
…………と、ホイットマンは考えていた。
ここがロシアであり、彼の信奉するプロテスタントの栄光届かぬ大地であるということは、彼の知識にはなく、そのことを知らせても、恐らく理解は出来ないだろう。
もしも、理解が出来たとしたら、彼同様、こんな極寒の地まで左遷させられた副長の言葉に敏感に反応していたはずだ。
もっとも、さらに残念なことに、ホイットマンの神経はワイヤー以上に太く、繊細さなどという代物は皆無でもあったのだが。
「チバちゃん」の支度は短くて済んだ。
後頭部にある放熱用のファイバーフィンを外し、「おかーしゃん」ことサラが作ってくれたアシストロイド専用の黒いコートを着用し、倉庫の隅に転がっていたという、壊れた双眼鏡を首からかけ、ヘッドセットを装着し、最後に、別の倉庫から拾ってきた黒い帽子を被る。
あとは乗り込むだけだった…………何に?
『|注意せよ《ア・テンション》、|注意せよ《ア・テンション》』
宇宙船の周囲で忙しく働き回るメイド達は、古いスピーカーから流れる摩耶の声に手を止めた。
「宇宙船発射予定時刻まであと三〇分。イエロー、グリーングループは退出。レッド、ブルーグループは作業を急げ。アシストロイドはブルーグループ、レッドグループに協力お願いします」
言われて、メイドキャップに黄色、もしくは緑色のカラーチップを挟んでいたメイド達は最終段階に入っていた作業を手早く終えると、青や赤のチップを着けたメイド達に一礼して発射台の周囲から退出した。
それまで彼女たちと一緒に作業をしていたアシストロイド達は、作業を引き継ぐブルー、レッドグループのメイド達に片手をあげて挨拶した。
「あれ?」
真奈美はきょろきょろと周囲を見回した。
すでにエリスたちは宇宙船に乗り込み、発射態勢は整いつつある。
司令室から見える風景は、各種パイプの接続を解除され、せり上がる発射台と、そこで鈍い輝きを見せる宇宙船の周囲を、最終点検に走り回るアントニアのメイド達とアシストロイドたちだが、そこに「チバちゃん」の姿は見えない。
「ねえ、摩耶さん…………『チバちゃん』見ませんでした?」
「あの片目のアシストロイドですか? 確か地下への通路を走っていきましたけど?」
妙にぽかんとした表情で摩耶は言った。
「地下?」
「まあ、大丈夫だと思いますよ…………うん、多分」
うんうんと頷いてみせる摩耶は、いつもと違って妙に気が抜けていた…………こんな状況なら、一番気が張っているはずの人物が、である。
「?」
首を傾げる真奈美をよそに、摩耶は腕時計を見て、再びマイクのスイッチを入れた。
「|注意せよ《ア・テンション》、|注意せよ《ア・テンション》、発射予定時刻まであと二〇分、繰り返す…………」
狭いと言われる車内であるが、彼らにとっては充分以上に広い空間であった。
また、半日がかりの改修により、身長が八〇センチ程度の彼らにとって非常に動きやすく、作業がやりやすいように作り替えられてもいる。
乗り込むのはわずかに五体。必然性ではなく、資料により「どうやらこういうものらしい」ということで、倉庫に忘れ去られていた古い戦車兵の服を自分たちに加工したモノを四体は着けていた。残り一体の恰好だけが違っていたが、こちらも「どうやらこういうものらしい」という事情によるものだったりする。
マニアが見たら「どうしてそういう恰好になるのか」とお怒りになられるのは必定《ひつじょう》であるが、残念ながらアシストロイドに第二次大戦中のドイツとソビエトの軍服の区別は、まだついていない。
今のところ非常に大雑把な「まあ、どうやらそういうものらしい」程度の判断に基づくものなのである。
というわけで、以下の会話も「どうやらそういうものらしい」ということでいつもの特殊通信ではなく、プラカードにて行われた。
「わりわりわ、これからせんとーにおもむく」
「やー」×四
「みな、いろいろ(お)もわくもあるであろーがこれもまたこのくににうまれたいじょーのやちんな(の)だ」
「やー」×四
「では、|せんしゃまえへー《ぱんつぁー・ふぉー》!」
とにかく激しい閃光があった。
あまりの凄まじい輝きは一瞬で去ったが、小隊長は「ひょっとして…………」と思わず緊張したほどである。
なにしろ、閃光は彼らの攻撃目標のある方角からだったし、その中身が何であるかはすでに暗黙の了解があった。
だが、閃光は核爆発のソレではなかった。
閃光があった方角には小さな岩山があり、光が消え去ると、そこに巨大な穴が現れた。
折悪しく粉雪が舞い始め、肉眼ではその中がよく見えない。
「?」
不審に思った小隊長がハッチを開けて上半身を外に出し、双眼鏡を構えて見ると、どうやら通路らしいものが見えた。
その奥から、何かが近づいてくる。
その「何か」はサンドバギーのように勢いよく飛び出した。
着地と同時に派手な地響きと粉雪が舞い上がり、しばらくそのシルエットは判然としなかったが…………。
「な…………」
双眼鏡を覗き込んでいた小隊長の顎がかくん、と落ちる。
「なんだ、あの冗談は?」
その真っ赤な車両のイメージを伝えるに一番適当な言葉は「冗談」か「玩具の戦車」であろう。
基本はどうやら第二次世界大戦で、ドイツが世界に誇り、敵には恐れられたティーガー戦車、「キングタイガー」のミニチュアである。
だが、元デザインはそのままに、異様なほどに砲塔部分が大きい。どう見ても本来の四倍ほどの大きさがあるだろう。そのくせ砲身は太く、短くなっており、そこだけディフォルメされたようだ。もう少し砲身が短ければロシアが同時に誇ったKV・1戦車と誤解されただろう。
独特のヘンシェル砲塔のハッチは開いており、黒い上着に帽子、アイパッチをした暢気な二頭身の猫耳ロボットが偉そうに顔を出し、レンズの割れた双眼鏡を覗き込んでいるのはあまりに似合いすぎていた。
砲塔の側面には誇らしげに外枠を赤と青で塗られた二つ星があり、車体にはなぜかドイツ語で白縁に黒で「私は敗北主義者です」と書かれているので、さらに「悪い冗談」感が強いが、砲塔の後ろ、車体後部でくるくると回転しているものに比べればささやかなモノだった。
どう見ても、それはゼンマイ仕掛けの玩具につきものの蝶ネジだったのである。
デタラメなデザインのディフォルメ戦車が恐ろしい勢いで走り回る光景は、ミサイルサイロの管理室にある、古くさいブラウン管の白黒画面でも確認できた。
「なに、あれ…………海○堂のチョロQ戦車っていうか、BB戦車みたいな」
ぽかんと真奈美。
「まぁ、多分…………強いんじゃないかな?」
摩耶は衝撃を通り越しており、どこか諦念《ていねん》というか、悟りめいたモノを感じさせる口調である。
「おお!」
単純にアントニアだけが、ハッチに猫耳ロボットを見つけて目を輝かせている。
「外は随分賑やかですねー」
システムをチェックしながら、エリスが言った。
「え?」
エリスに言われるままにチェックボードに印をつけていた騎央が首を傾げた。
「…………なにか、聞こえる…………の?」
こちらは黙って目をつぶっていたアオイが片目を開けて訊いた。
「ええ。耳、四つもありますから」
にっこりとエリスが笑うが、アオイはその顔から目を背けた。
「ひょっとしてアレかな?」
騎央があることを思い出した。
「何かあったんですか?」
「うん…………昨日、宇宙船《こいつ》の制作が終わってから、寝ようと思ったらアシストロイドの「6」号に呼び出されて、部品を再構成して戦車を作ってくれって」
「部品を再構成して戦車?」
「ちょっと注文が難しかったんだけど、まあ、ペイント弾しか発射しないシステムなんで、何かの遊びにでも使うつもりかナァって…………」
燃料の注入が終わり、作業をしていたメイドたちが、同じく作業を終えた居残り組のアシストロイドたちを抱えてどんどん避難していくのが、丸窓の外に見える。
「ひいいいいいいいいいっ」
その遥か後方、双眼鏡を覗き込んで、オカマみたいな悲鳴をあげたものが約一名。
言わずとしれた、アメリカ軍の戦車隊長、ジョージ・B・ホイットマン少佐である。
双眼鏡には、暢気な造形をした片目の猫耳アンドロイドが、なぜか第二次大戦中のドイツ国防軍のそれによく似た制服、制帽姿で戦車のハッチから上半身を覗かせている。
その造形こそが、彼にとって悪夢そのものであった。
彼の脳裏には、嘉手納のあの夜が、まざまざと蘇っていた。
天から降ってくる、ピコピコハンマー片手の「あいつら」に、彼の乗る強くて大きくてカッコイイ、天下無敵のM1エイブラムスは一瞬で消滅させられたのである。
「ひいいっ、ひいいいっ、ね、ねねねねねねねねねねねねねねねねんえねねねねんん、ネコだあああっ!」
叫び声をあげながら、ホイットマンはジタバタと手足を振り回し、その場にぺたんと座り込み、さらに双眼鏡を放り出して無様に後ずさりを始めた。
腰が抜けている。
「あーあ、やっぱりイヤな予感はあたるなぁ」
ホイットマンの横で、その日も彼の副官を務めていた副隊長は、溜息をついた。
「ふ、副官っ!」
裏返ってオカマのようになったホイットマンの声に、副官は振り向いた。
「そ、ソソソビエトの戦車にむむむむむかうぞ、向かうぞ!」
「は?」
「ううううううううううう撃つんだ、砲撃すんだ、ネコを、ネコを!」
青ざめ、冷や汗をダラダラと流しながら、筋骨隆々の、今はカルフォルニアの州知事に収まり、来年は大統領選挙に再び打って出ると言われているアクションスターそっくりな少佐殿は喚いた。
「あ、彼奴《あいつ》らを撃てええっ! 砲撃するだ、するだよおお!」
「あ…………壊れたか」
溜息をついて、副官はハマーの中にある救急医療キットから、白い注射器を取りだした。
加圧型で、突き刺せばそれだけで薬液が注入される方式のそれは、今回の演習見学で仲良くなったロシアの医療兵から貰ったモノだ。
何でもレニングラードの昔からある「パニックに陥った上官用」の薬だとか。
「副官、なにしてるだ、はよソビエトの戦車隊長サァ連絡すっだよ!」
出身地であるノースカロライナの訛《なま》り丸出しで喋るホイットマンの首筋に、些かの悪意も込みで、副官は注射器を突き立てた。
「うっ!」
一瞬だけ身体を強張らせ、すぐにホイットマンの身体は「くた」っと弛緩《しかん》し、雪原に倒れる。
「はぁ…………さすがはロシアの注射、効くなぁ」
副官はその劇的な効果に感心した。
ロシアのT―80の最高時速は七〇キロ。五〇ccのスクーターよりもやや速い速度であるが、路面に影響されることがほとんど無い七〇キロである。なお、アメリカのM1エイブラムスが六七キロなので、かなり速い部類に入る。
ちなみに、これよりも数十年前に製造されたキングタイガー(マニア言うところのケーニヒスティーゲル)の時速は四一キロ。
だが、真っ赤なタイガー戦車はその常識を遥かに打ち破る速度を持っていた。
どう考えても、ドリフトターンを繰り返しながら地面を削り、掘り起こし、土煙やら雪煙やらを盛大に巻き上げながらジグザグに突き進んでくる姿は、時速一五〇キロは出ている。普通なら、それだけの速度でこれだけの挙動を行えば履帯《キャタピラ》が千切れるか、足回りが壊れる筈だが(特にタイガー戦車はそこに決定的な弱点を持っていた)、この真っ赤なネコタイガーが非常に好調であるのは、中にいるのがアシストロイドだけだという以上に、やはり宇宙人の技術力で補強されているためであろうか。
余りに速すぎて、T―80の照準が間に合わないほどだ。
双方一発も撃たない間に、あっというまに四キロの距離は縮められ、近接戦になってしまった。
その砲塔ハッチから顔を覗かせている「チバちゃん」は「やつらをきょーいくしてやれー!」と書いたプラカードを掲げた。
戦車の中では、ロシアの戦車兵の恰好をした通常型のアシストロイドたちが「うらー!」と書かれたプラカードを掲げる。
|八八ミリ《アハト・アハト》戦車砲を改造した、自動装填式の大型ペイント砲が発射準備を整える。
「そうてんじゅびかりょー」のプラカードが掲げられると、片目の「せんしゃちょー」殿は「ぼくのおしりをなめろう!」と書かれたプラカードを出した。
土と雪煙の中、砲塔《ターレット》が旋回し、ペイント砲が咆吼を開始する。
ジェンスは、宇宙へ上がるためのコックピットの中で最終点検を終え、いよいよ行動を開始しようとしていた。
その引き締まった肩を、ちょいちょい、と棒の先に人差し指を立てた手袋を着けたものがつつく。
「なんだ?」
振り向くジェンスに、後部座席に座ったマットレイは手にした液晶ディスプレイに「ネコドモノえんじん、始動シタ模様」と表示した。
「くそ…………やはり間に合わなかったか」
舌打ちして、ジェンスは最終確認を終え、宇宙船と発進施設との接続を解除する。
それまで機体に接続されていた大小何本もの金属のアームが、金属同士の噛み合う音をさせながら次々と離れ、やがて一瞬、機体が沈み込み、わずかに浮かび上がる。
「反重力推進システム正常、システムオールグリーン…………発進!」
白い煙と轟音、そして液体燃料の輝きを誘って、銀色の機体が真っ直ぐに灰色の大空へと吸い込まれていく。
それと同時に、「さなけむよーふぃあー」とかプラカードを掲げつつ、さんざん砲撃を繰り返していた真っ赤なネコ戦車は停車し、上を向いた八八ミリ砲塔の先端から棒にくくりつけられた白い布が翻った。
「どうしますか、小隊長?」
ペイント弾を何十発も喰らって、非常にサイケデリックな色に染められたT―80の中、小隊長は口をへの字に曲げてむすっとした表情を作ったが、すぐに苦笑いに切り替えた。
「全車両に連絡、『演習終了』」
「…………いいんですか?」
「副長、忘れては困る。我々はあくまでここに『演習』できたのだ。たとえ実弾を使っても、これは『演習』だ…………大体、あんな可愛らしい生き物を一二五ミリ砲で撃ってみろ、今夜から眠れなくなるぞ」
副長の顔がぱあっと明るくなった。
「そうですね。自分もネコは好きでありますから、隊長の気持ちはよくわかるであります!」
「よろしい、では、こちらも白旗の用意だ。あの戦車の連中を褒めてやらねばな!」
[#改ページ]
第八章 うちゅーのおんなきし×2なのだった
圧搾空気が漏れるような音がして、服は彼女の身体にぴったりとフィットした。
「色、変えます?」
「いい……わ。それよりもカラーパターンを変えて」
アオイは不思議な気分で注文をつけた…………恋敵《こいがたき》の服は、妙に心地よい肌触りとフィット感で、彼女がこの服を着たきりスズメの状態でいる理由が何となく分かった。
確かに、こんな服を普段着けていれば、シルクだってうざったいに違いない。
「はいはい♪ じゃあ、いいのが来たら停めて下さい」
エリスの指が首の辺りで動き、アオイのスーツの配色が数秒間隔で変わった。
「これがいいわ」
アオイの言葉に、配色の変化が終わった。
「はいはい…………似合いますねえ」
「…………わたし、あなたが判らない……わ」
数分前までの会話を思い出して、アオイはしみじみと言った。
「そうですか?」
「本気なの……ね」
「ええ」
「わかった……わ。協力……する」
「ありがとうございます!」
凄まじい加速があったのは、ほんの一分ほどだったろうか。
気がついたら、身体が異様に軽くなっていた。
窓の外を見る。
光のない闇。そして下には、白く輝く球体。
思わず身体を乗り出そうとして、騎央はまだ自分が固定用のベルトを締めていることに気がついた。
周囲を見回してみるが、エリスも、アオイもいつの間にかいなくなっている。
「…………?」
もどかしく外すと、変な勢いがついて、身体は座席から浮き上がり、危うく天井に顔をぶつけそうになる。
「わわわ!」
慌てて掌で天井を押さえるようにして勢いを殺すと、今度は慎重に天井を押し返すようにして座席に戻る。
今度は即座にシートベルトを捕まえてことなきを得た。
そのまま、ゆっくりと窓によってみる。
白く輝いていると思えたのは雲だった。
その下には複雑で深い青と、同じくらい複雑な緑が広がっている。
「わぁ…………」
少年は目を輝かせた。
異様に風景がクリアなのは、対象物との間に空気が存在しないため、どこもぼやけないからだと、頭では理解しているが、やはり実際に見るのとは違う。
「あ、目が覚めましたか?」
奥の扉が開いて、エリスとアオイが人魚が海の中にいるように、するりと空中を滑りながら入ってくる。
エリスはともかく、アオイが真っ赤なボディスーツ姿なのが妙にドキドキして、思わず騎央は目のやり場に困る。
「え? 僕…………寝てたの?」
「ええ…………まあ、ちょっとキツいGでしたから」
つまり、気絶していたらしい。
「…………」
トホホな気分で騎央は俯いた。
「えーと、じゃ、人工重力、入れますよ」
エリスが壁にあるブレーカーそっくりなスイッチを下げた。
がうぅん。
とたん、体重の重さがずしっと伝わってくる。
もう少し無重量の感覚を楽しみたかったのも半分あるが、ホッとするのも否めない。
同時に、天井から何かが落っこちてきた。
ぽにょんと床に跳ね返って騎央の膝の上に正座したのは、「定やん」だ。
「あたたた」という感じで頭をさすっていた丁稚型アシストロイドは、慌てて騎央の膝の上から降りると「おはよございます、だんさん」とプラカードに書いて頭を下げた。
「はい、おはよう」
くすり、と騎央は笑って「定やん」の頭を撫でる。
ジェンスたちの船は、衛星軌道上に密かに設けられた、アメリカ軍の実験衛星に接舷《せつげん》した。
もちろん、内部に人はいない。だが、こここそが、猫耳宇宙人の言う「嫌がらせの泥団子《ハラスメント・デプリ》」の発射基地であり、彼らの拠点でもあった。
キャーティアの船と違い、彼らは見つかることを恐れねばならないため、当然のごとく人工重力発生装置等という高度なモノはない。
ジェンスはそのまま壁を蹴ったり、内部を走るパイプを掴んで勢いをつけたりしながら、巨大な衛星の中央部に進んだ。
内部には、電磁誘導システムがあり、さらに、本当の「中身」があった。
天井に、うつぶせになって両手を広げた形で固定されているのは、戦略型特殊強化外骨格《タクティカルパワードアーマー》と呼称される、巨大な人型機械。
床になる部分には、その子機がずらりと敷き詰められている。
嫌がらせのゴミ屑を遥か彼方にあるキャーティアの宇宙船に送り込む程度のことは、このマシンにとっては余技以上のことではない。
ジェンスはくるりと背を向けて、天井へと飛び上がった。
彼女がシートに背を着けた途端、シートベルトが自動的に締まり、生命維持装置がボディスーツに接続される。
システムに灯が入り、不気味な振動が伝わり始める中、マットレイはぴっとジェンスに敬礼して、くるりと踵《きびす》を返した。
「コラ待て」
ジェンスが呼び止めた。
「どこへ行く?」
マットレイは液晶ディスプレイを取りだして接続した。
「オ見送リモオワリマシタ故、地球ニカエリマスル」
「…………おい、お前は何者だ?」
「ハイ、ゴ主人様ノあしすとろいどデアリマス」
「作戦行動の基礎サポートは可能だな?」
「ハイ」
「だったらさっさとこれに乗って私のサポートをしろ!」
ジェンスが怒鳴ると、「ちっ」とマットレイは指を鳴らして床を蹴った。
窓の外では宇宙装備を着けたアシストロイドたちが廃棄された人工衛星などを集めて、何やら作り始めている。
「宇宙装備…………ねえ」
騎央は半分苦笑が入った顔で窓の外を見た。
宇宙装備、というのは非常に単純なモノで、頭をすっぽり覆う球状のガラスドームと、腰に装着するベルト、さらにそこから宇宙船までを繋ぐロープというシンプルきわまるものである。
「まあ、宇宙って結構物騒ですから」
エリスがフォローを入れる。
「宇宙線とか、デプリとか、色々ありますから」
「デプリ?」
「宇宙を漂ういろんなゴミです。廃棄された人工衛星とか、隕石の欠片《かけら》のそのまた欠片とか。大きいモノは家ぐらい、小さなモノは針ほどの大きさで、色々なんですけど、これが結構厄介で…………この宇宙船の周囲は作業用フィールドで覆ってますけど、万が一ってことがありますから」
「ふうん…………で、どれくらい掛かりそう?」
「間もなく終わりますよ」
にっこりとエリスは微笑んだ。
「じゃあ、前に言ってたクーネさんが用意しておいた機材とか、あったの?」
「ええ、まあ」
あははは、とエリスは頭を掻いた。
「?」
「…………来たわ」
ジッとレーダーを見ていたアオイが冷たく言った。
「貴方《あなた》の読み通り、かなりの数よ」
「了解です」
エリスは頷いた。
「どうするの?」
騎央が訊くと、エリスとアオイは互いに顔を見合わせて、苦い笑みを浮かべた。
「まぁ、騎央さんは大丈夫ですから、安心して下さい」
「大丈夫、って…………」
何となく嫌な予感がして騎央は不安げに二人を見た。
「えーとですね、この宇宙船は間もなく母船に向けて短距離跳躍《ショート・ジャンプ》をしますから、騎央さんはそのまま母船に行って下さい」
「ま、待ってよ、エリスと双葉さんはどうするの?」
「わたしたちは、残る……わ」
「まあ、元から騎央さんの護衛役なわけですしー」
「や、やだよ、僕も残るよ!」
「それは…………ダメ」
珍しく、アオイが真っ直ぐに騎央を見た。
「戦うのは、私たちの……仕事。嘉和君は、自分の仕事を……果たして」
「…………双葉さん」
情けなくて、悔しい思いで騎央は唇を噛んだ。
「…………」
アオイは深呼吸すると、一歩前に出て騎央の肩に手を置いた。
「?」
ふと顔をあげた騎央の唇に、自分の唇を押し当てる。
「あ―――――っ!」
エリスが大声をあげて指さし、その横で三体のカスタムアシストロイドは思わず踊っていた。
中に残った通常型のアシストロイドもどこから取りだしたのか紙吹雪なんかばらまいて踊っている。
数秒間のキスのあと、アオイは離れた。
「…………はひゃ、ひゃ?」
たった数秒間のことだが、騎央は数時間温泉に浸かったような顔色で、意味不明の言葉を漏らしている。
「アオイさん、ずるいです!」
ぷうっとエリスの頬が膨らんだ。
「お、おまじない…………よ。そう、おまじ……ない」
自分の行為に照れてしまって、頬を赤く染めながらも、アオイは強弁した。
「わかりました、じゃあ、わたしも」
そういうと、エリスも騎央の肩に手を置いた。
「あ…………え、エリス?」
ようやく理性が復旧し始めた騎央が、疑問を口にする瞬間、エリスの唇が騎央の唇を奪った。
「きゃー」というプラカードを掲げて、「定やん」は顔を手で覆った。
もちろん、指の隙間から状況はしっかり見ている。
衛星軌道の彼方から、大量の子機が現れた。
大きさは畳一畳ほどだが、おはじきを思わせる楕円の物体に、尻尾のようなアームにつり下げられる形で粒子ビーム兵器が装備されている。
数は数百機にも及んだ。
その背後に、ジェンスの戦略型特殊強化外骨格《タクティカルパワードアーマー》が続く。
「…………よ、私は帰って来た…………」
ぽつり、と呟き、慌ててジェンスは口許を押さえた。
ジェンスのちょっと斜め下にいるマットレイが振り向き、ジェンスの側にあるディスプレイ(さすがに今はこの機体と直接接続されているので、いつもの液晶ディスプレイではない)に「ゴ主人サマ、何カ?」と表示されたが、
「いや、何でもない。ただの独り言だ…………それよりも、攻撃準備だ。まもなく視認距離に相手が出てくるぞ」
そう言って、わざとらしくモニターを見つめる。
確かに、視認範囲にネコどもの宇宙船が見えてきた。
何を考えているのか、流線型に三枚の三角羽根が付いているというアンティークなデザインの代物だ。
思わず鼻で笑いそうになったジェンスだが、その前にあるモノを見て顔色を変えた。
「マットレイ、あれを分析しろ」
視線スイッチで次々と物体の範囲を特定し、データを解析させる。ものの数秒で答えが出た。
「やっぱり…………」
短距離の超空間跳躍装置。
「ネコどもめ。普段はボケボケのクセにこういうところでは用意がいい」
呟くと、ジェンスは決意を固めた。
「マットレイ、攻撃開始だ。あの船を沈める」
犬の後頭部が頷いた。
二重リング状の空間跳躍装置はゆっくりと機能し始めた。
青白い稲妻が断続的にその内部に走り、やがて継続的になり、青白い輝きが爆発したように激しくなったかと思うと、内部は鏡のようになった。
レトロなデザインの宇宙船はゆっくりと回頭をはじめ、その先端をリングの中へ向け、ゆっくりと進み始める…………寸前、その中から二つの赤い光が飛び立った。
光はどんどん速度を増しながらジェンスたちの方角へと進んでいく。
やがて、子機の群れが射程距離に来たその光めがけて粒子ビームを放った。
質量のある光と、赤い輝きがぶつかり合う。
赤い光の塊は、ビームをまるで雨粒をしのぐ傘のように弾くと、螺旋《らせん》状に回転しながら一つになった。
さらに出力を増したビーム砲が赤い光球に集中する。
ついに、耐えきれなくなったかのように光が弾けた。
そこには、妙なシルエットが現れた。
モコモコした、ずんぐりむっくりの土台の上、背中合わせに腕組みをする二人の女性のシルエット。
片方は流線型のデザインを多用し、片方は鋭角なラインで構成された、甲冑《かっちゅう》状の強化外骨格装甲を頭部を含めて着込んでいる。
どちらも赤と白で色分けされているが、流線型のラインを多用し、丸っこい肩を持つ、背の高い方は所々に青と黄色がワンポイントとして配置され、鋭角なラインで作られた、刃物《ブレード》をイメージさせるような方は黒がワンポイントとなっている。
「さて、出番ですね」
流線型のラインで構成された戦闘用装甲服《バトルアーマー》の中身であるエリスが、落ち着いた声で言った。
「ええ」
そのとなりで、鋭角なラインと、ボリュームのある上半身を持つ戦闘用装甲服の中身であるアオイが不敵に頷く。
「アオイさん」
エリスは言った。
「死なないで下さいよ…………私たち、まだ決着つけてませんから」
「…………了解よ」
二人の身体が一瞬沈み込み、次の瞬間かき消えた。
土台となっていた、巨大なアシストロイド用パワードスーツ「うみゃーのすけ」の背中から、二人は上下に刃を持つ、槍と刀、双方の特徴をもった両頭の長巻を思わせる武器と、伸縮自在の鞭を手に、敵陣へと躍り込んだ。
ビーム兵器が交錯し、超合金の刃がそれを受け、あるいは寸断する。
二人は鏡に合わせた影同士のようにそっくり同じ動きをし、あるいは連携した。
子機は切り刻まれ、あるいは貫かれ、または鞭に巻き取られて互いにぶつかり合って自滅する。
残ったモノを巨大なアシストロイド…………何しろその内部に三体のアシストロイドと推進システムを有しているのだから当然だが…………とも言うべき「うにゃーのすけ」が腕で、短い足で、あるいは頭部に内蔵したレールガンで撃墜していく(生物が乗らない子機だからこそ出来る芸当だが)。
音のない、爆風も無い、絶対零度と鋼鉄さえ煮えたぎる灼熱の中を、衝撃波が駆け抜け、ビーム砲の熱が行き交う世界が展開していく。
「双葉さん…………エリス…………」
丸窓に食い入るようにして、騎央は二人の奏でる幾つもの閃光を見つめた。
その肩を、ちょいちょい、と「定やん」がつついた。手にしたプラカードには「そろそろいきまっせ、だんさん」とある。
「判ってるよ、でも…………」
なおも気にする騎央に、「ゆんふぁ」が「おときなら、まへへすすむ!」とプラカードを振った。その横で「錦ちゃん」も頷く。
しばらく、途方に暮れた顔で騎央は三体のネコ型機械人形を見つめていたが、
「わかった…………行くよ!」
と頷いて、目の前にある操縦桿《そうじゅうかん》を握りしめた。
「アントニア様、敵の電波を傍受《ぼうじゅ》致しました」
ロシア、ミサイルサイロ。
残されたアントニアたちがやきもきしていると、日本から持ち込んだ最新鋭の通信機の前に座ってあれこれ調整していた摩耶が不意に口を開いた。
「どうやら報告のための映像のようです」
「何! も、モニターに出すのじゃ!」
「はい」
さっそく監視室のモニター全てに宇宙からの実況中継が映った。
「ぬ、敵はいい! エリス様を写せっ!」
「お嬢様、これは敵のモニターです」
「ぬう…………」
宇宙船はそのまま隔壁をぶち抜いて停止した。
元から犬ロイドたちが侵入するために穴が空いていたため、宇宙船が壊れることはなく、深々と内部にめり込んでから中央部分よりへし折れた。
「…………つーっ!」
かろうじて怪我は無かったモノの、凄まじい衝撃と、(クッション入りではあるが)思いっきり頭を壁にぶつけて、騎央は頭をさすりながら起きあがった…………そのまま後ろに倒れそうになる。
中央よりもやや先に騎央は乗り込んでおり、つまり上向けの「く」の字にへし折られた宇宙船は傾斜しているのだ。
もっとも、このまま滑り落ちればそのまま通路に出られるようである。
「定やん、みんな、行くよ」
シートにしがみついて振り向いて言うと、どういうわけか傾斜した床に真っ直ぐ直立した三体のカスタムアシストロイドは頷いた。
「錦ちゃん」は刀はそのままに、どう見ても鯨銛《くじらもり》にしか見えない巨大な電磁槍を片手に、鎖頭巾《くさりずきん》型の頭部増加装甲と、羽織型の上半身の追加装甲を着け、足下をパンタロン風に変化させる。
「定やん」は懐から「でばぼーちょー」と表記された巨大な刃物を取り出した。
そして、「ゆんふぁ」は口にくわえたように見える爪楊枝型のセンサーを収納し、グラサンを外して、コート型装甲の懐から取りだしたカード型のシステム変更プログラムを胸ポケットに入れた。
きゅい、と音がして、「ゆんふぁ」のコートの前が締まり、変形する。トレンチコートから、ポケットの無い、神父を思わせる詰め襟型のロングコートに。
さらに、広がった袖から、やたら長いスライドを持った銃が滑り出てくる…………「定やん」が持っているのと同じ雷撃銃《ボルトガン》だが、「ゆんふぁ」はスライドの方を持って握った。
銃把の底が膨らんで、ピコピコハンマーの頭のようなジャバラになる。
この前の騒動を反省して、「ゆんふぁ」が自ら作り上げた室内鎮圧戦《CQB》モードである。
「よし、行くよ!」
騎央の声に、アシストロイドたちは「えいえいえおー」と拳を突き上げた。
鈍い衝撃があって、一瞬、艦橋は騒然となったが、すぐにメルウィンはその原因に思い至り、顔を明るく輝かせた。
「来た!」
副長席から立ち上がり、朗々とした声で全員に命令する。
「総員、聞け!」
全員の視線が集中する中、メルウィンは宣言した。
「待ちに待った救援が来た! これより我々は次元封鎖を解除して通常空間に復帰、占拠された母船に戻り、総反撃を開始する! 保安要員は全員、艦橋職員も武器を取れ! 私も自ら出撃する!」
「おー!」
全員が立ち上がり、拳を突き上げた。
アオイは意外な気分になっていた。
楽しい。
エリスと一緒に敵と戦うのは楽しかった。
この少女は自分のどんな動きにもついてくる。どんな行動にも息を合わせてくれる。
まるで、自分がもう一人いるかのような心強さ。不思議さ。
無言で動けば、向こうも無言で動く。そして息がぴったり合う。
考えてみれば、最初に出会ったとき、彼女の一撃を、まるで羽毛のように身体を軽くして受け流したのはこの少女であった。
こういう人間もいるのだ、というのがアオイには驚きで、それが決して不快ではなかった…………恐らく、真奈美とは違う意味で深い友人になれる、そんな気がした。
宇宙という不思議な状況も、そんな気分を真っ直ぐ見つめさせていた。
何もかもから解き放たれたような、不思議な空間、音もなく、重さもない世界。
気がつけば、アオイの周囲にはおはじきに尻尾が生えたような子機の姿は消え去っていた。
両腕の長い、巨大なゴリラの上半身を思わせる機械が、両腕に取りつけたレーザー砲やら肩のミサイルランチャーやらを全開放する。
その攻撃を避け、攪乱《かくらん》しながら懐に飛び込む。
長巻型の武器を投げつけて相手の顔面あたりに突き刺し、鞭を使って無理矢理ミサイルランチャーの蓋を閉める。
だが、相手はミサイルランチャーを爆発する寸前に切り離し、拳を開いて妙な輝きを放った。
ほぼ、同時に騎央の乗る宇宙船がリングの彼方に完全に消え去った。
とたん、アオイの身体は上からトラックでも落とされたような衝撃を受けて後ろへ吹き飛び、次の瞬間、無理矢理その動きは停止させられ、逆方向に弾《はじ》かれた。
「ぬあっ!」
とっさに外骨格である装甲服が支えなければ、首がへし折れていたかもしれない。
アオイの身体は巨大な手の中に納められた。
少女を岩のように握りしめたまま、ゴリラの上半身そっくりな攻撃機械は、間一髪で全てを避けたエリスの方へ空いた手を伸ばす。
エリスはこれを避けるが、機械はたまたまそこに流れてきた、インドの国旗が着いた小さな人工衛星をひっつかむと、そのまま投げつけた。
これを無駄のない動きで避けるエリスへ、その頭部からレーザー追尾型ミサイルが撃ち出され、さらにタイミングをずらして肩のビーム砲が火を噴いた。
「きゃあっ!」
ミサイルは避けたモノの、ビーム砲の直撃を喰らってエリスが悲鳴をあげる。
さらにそこへミサイルの第二陣が打ち込まれて爆発を起こした。
「エリス!」
巨大なマニュピレーターに捕まれて身動きがとれないまま、アオイが叫ぶ。
爆風の切れ目に、遥か彼方へ吹き飛ばされるエリスの姿が見えた。
「エリス!」
『そうか、お前なのかその中身!』
聞き覚えのある声が装甲越しに伝わってきた……空気のない宇宙のことである。恐らく、腕の中に振動装置でも内蔵してあるのだろう。
「あなたね…………今頃になって大あわてでやってきても遅いわよ。もう騎央君は母船に向かったわ」
『ああ、見たぞ…………だが、母船には我々の仲間がいる。ただではすまん』
「私はそうは思わないけど」
『そして、今後のために、お前達にはいまここで私が引導を渡してやる』
本気の怒りが装甲を通じて伝わってくる。
『粉々に砕かれて死ぬがいい!』
声がまさしく殺意を持っていたかのように、恐ろしく甲高い音が装甲服の中に反響した。
装甲服がかろうじて軽減はしているものの、内臓を揺さぶるような振動に、アオイもさすがに苦鳴をかみ殺していられなくなる。
不意に、さらに巨大な振動が駆け抜けて、アオイは解放された。
「アオイさん!」
ほぼ天頂、太陽を背に、横に二体ならべた「うにゃーのすけ」の背に立ったエリスが、アメリカの国旗を描いた古い人工衛星を抱え上げている。
おまけとばかりにその人工衛星を投げつけると、エリスは「うにゃーのすけ」の背を蹴って敵の懐に飛び込んだ。
機械の頭部があがり、ビーム砲が照準を取ろうとするが、エリスの片手がかき消え、次々と爆発が起こった。
「アオイさん! とどめです!」
鞭で片っ端からビーム砲を破壊しまくったエリスが声をかける。
「了解!」
アオイはふたたび捕捉《ほそく》しようと繰り出される腕をかいくぐり、その装甲を蹴って後ろへ飛んだ。
「ファイナル・レイズ!」
出撃前にプログラムしたコードを叫びつつ、説明された通りに、みぞおちのあたりで拳を打ちつける。
目の前にあるディスプレイに「QX砲使用?」の問いかけが現れる。
「もちろん!」
答えるや、アオイの戦闘装甲服の各部がスライドした。
内蔵されていた超振動空間レンズが輝きながら現れる。
動きが止まったアオイを掴もうと繰り出される腕に、エリスが降りたって例の手持ち武器を突き刺した。
そのまま一気に外周を駆け抜け、蹴り飛ばす。
腕が輪切りになって虚空を泳ぎだした。
残った腕がふたりへと伸ばされる。
エリスは、胸の前で両手を打ち合わせた。
頭部装甲の額に当たる部分が輝く。
そして、ふたりとも、ほぼ同時に最後の攻撃を行った。
閃光が、上半身のみの巨人を包んだ。
犬ロイド達はすぐに現れた。
外装を破壊しないように考慮された、小型のマシンガンが騎央たちを狙う。
少年はとりあえずクーネから貰ったスーツを装着するとこれを避けた。
「錦ちゃん」の持った巨大な鯨銛《くじらもり》型の電磁破壊体《エレクトロンボム》が天井を破壊し、瓦礫《がれき》を降らせて通路を遮断する。
だが、即座に敵は瓦礫を撤去し始めた。
さらに反対側の通路の向こうから四角いシルエットの頭がいくつもこちらを目指して駆けてくるのが見える。
「ここわわりわりがー」と破れ奉行な恰好をした「錦ちゃん」がプラカードを掲げる。
華麗に敵の攻撃を避け、銃把に生えたハンマーでぽこぱか殴り、機能を停止させた「ゆんふぁ」も頷く。
騎央の足下にいる「定やん」がそれを受けるようにして頷き、「だんさん、いきましょ」とプラカードを掲げた。
「…………わかった。みんな、気をつけて!」
騎央は死にたくなるほどの情けなさの中、走り出した。
角を曲がる。
横一列に並んだ犬ロイド達が銃口をこちらに向けるのが判った。
背中の産毛が逆立つのがはっきり判る。
だが、もう後戻りは出来なかった。
「わあああああああっ!」
半分泣きながら、騎央は頭を低くし、両手を頭の前で交差させながら突っ込む。
ぱたたたた。
乾いた銃声と共に、腕の表面に思いっきり棒で突っつかれるような感触。
だが怯えきった心には、それさえ恐怖で、少年はますます悲鳴を高くしながら走る。
交差した両手を中心に、防衛本能に反応したシステムが力場《エネルギーフィールド》を展開して、少年と、そのおつきのアシストロイドを守る。
その無茶苦茶な突撃ぶりに、というよりは「敵」と指定されているわけではない種族の人間が突っ込んで来るという事実に、判断が下せずに慌てて撤退した犬ロイドたちだが、すぐに引き返してきた。
艦内にある作業用機械を勝手に組み合わせて作り上げた、巨大な強化外骨格《エクソスケルトンスーツ》である。
通路一杯の巨大なスーツは、思いっきり突っ込んでくる騎央を殴りつけた。
エネルギーフィールドが反発して、少年は思いっきり後ろへ吹っ飛ぶ。
「くっ!」
にっちもさっちも行かない状態に、メルウィンは唇を噛んだ。
艦橋から打って出たものの、敵の抵抗はしぶとかった。
キャーティアたちのアシストロイドと違い、味方以外の人間の抹殺が可能な犬ロイドは各所にバリケードを築き、当たれば殺傷間違い無しの実体弾を撃ってくる。
こちらも携帯型の力場発生装置で対抗するが、前に進めないのにかわりはない。
実体弾はこちらが使っているようなエネルギー兵器と違い、すぐに途切れると考えていたが、どうやら相手は宇宙船の施設をつかって大量に武器弾薬を調達したらしく、銃弾は中々途切れない。
どころか、通路の彼方に、見覚えのある機械が設置されるのが見えた。
「なに…………!」
本来、長距離測量のためにつかっている光学式測量機。
だが、宇宙でも使えるようになっているため、ちょっと手を加えれば立派に光学砲台に変えることが出来る。
どう考えてもこちらとの距離を計るためでは無さそうだ。
「そ、総員撤退! エネルギーフィールド収束!」
背中に背負うタイプのジェネレーターを持ったブリッジ要員が前に出、その後ろについてジリジリと撤退しようとした…………その時。
彼方から何か、思いっきり子猫を踏んづけたときのような悲鳴が聞こえた。
「?」
突然、敵のいる通路の横の壁が吹き飛び、巨大な人影が転がり出て砲台を破壊した。
「うわあああああっ!」
続いてこちらはぐっと小柄な……しかし、メルウィン達とは明らかに違うシルエットの人物が飛び込んで、めちゃくちゃに、仰向けになった巨大な人影を殴りまくる。
完全戦闘用に調整されたソフトスーツが操るエネルギーフィールドの輝きが、メルウィンには見えた。
「あれは…………誰だ?」
やがて、巨大な人影…………と思われた人型機械はボロボロに破壊され、その中から三体ほどの犬ロイドたちが「わー」と逃げ出すのが見えた。
「行くぞ!」
それでもしばらく殴り続けていた人影が、ようやく活動を停止し、はあはあと肩で息をし始めるのを確認すると、メルウィンは部下たちを率いて走った。
やがて、冷や汗の塊になって喘《あえ》ぎ続ける、地球人の少年の顔が見える。
「嘉和騎央! お前、どうやってここへ来た!」
圧倒的な戦力差であった。
むろん、こちらが圧倒的に悪い。
子機を全て破壊された時点で撤退するべきだったのかもしれない。
あるいは、宇宙船が超空間に消えた時点で。
「ちょ、超空間重力子砲だと?」
必死になって防御フィールドの出力を上げ、この場をしのごうと無駄な努力をしながらジェンスは声をあげた。
同時に、ディスプレイが真っ赤に染まり、けたたましい警告音がコックピットに響く。
「だめだ、防ぎきれない…………マットレイ、何とかしろぉおおっ!」
無駄と知りつつ、ジェンスは絶叫した。
「ゴ主人様、ソリャァ無理デゴザイマス」
彼女の眼前にあるディスプレイにそう表示して、マットレイは肩をすくめて見せた。
同時に転送型脱出装置が作動する。
敵の追撃を何とか振り切り、さらにいちかから貰った護符で、各所に拘束されていた乗組員たちを解放して、騎央たちは中央コンピューター室になだれ込んだ。
といっても、巨大な柱めいたコンピューターなどはなく、白い部屋に金色で幾何学《きかがく》的な模様がびっしりと描かれているばかりだ。
「嘉和騎央、あそこだ! あそこに立って『再起動』と叫べ!」
銃を片手に、途中で合流したメルウィンが叫ぶ。
「わ、わかった!」
騎央は慌ててメルウィンが指さした所へ立つと、言われたとおりに叫んだ。
一瞬の沈黙。
だが、答えは意外なものだった。
(要求を拒否します)
優しい女性の声がやんわりと総毛立つことを告げた。
「え…………ど、どうして!」
青ざめた騎央の叫びに、コンピューターは答えた。
(あなたはクーネ艦長の代理人ですが、再起動に必要な要素をひとつ、満たしておりません…………再起動を命じられるのはキャーティア人だけです。あなたの遺伝子は〇・〇〇〇〇一%、キャーティアと合致しません)
「鈴だ!」
外で銃を撃ちながらメルウィンが叫んだ。
「鈴を使って自分の遺伝子を操作しろ!」
「そ、そんなこと出来るの?」
「出来る! だからこその携帯万能機だ!」
「わかった…………僕をキャーティア人にしろっ!」
叫ぶ騎央に答えるように鈴が輝いた。
戦い済んで日が暮れて。
というよりも、衛星軌道に日が暮れるわけはないのだが。
エリスとアオイは戦いを終え、漂っていた。
足下の「うにゃーのすけ」二機もほとんどの推進剤を使い果たし、武装を使い果たして漂うばかりである。
「…………で、どうやって帰るの?」
「…………」
「エリス?」
「…………すみません、考えてませんでした」
「あのねえ…………」
「でも、大丈夫ですよ、このスーツは一週間は空気とか持ちますし、その間にアシストロイドを使って宇宙船を造るという手がありますから」
「…………」
アオイは溜息をついた。
「…………いいわ、それで」
「すみません」
本気ですまなさそうなエリスの声に、アオイはくすっと笑った。
そうなるともう停まらない。くすっ、がくすくすに変わるのに時間は掛からない。
「うふふふふふ、ふふふっ」
「あ、あのアオイさん?」
「うふふっ、だ、大丈夫…………うふふふ、ふふふっ、ふふふっ」
「あ、よかった…………」
エリスは胸をなで下ろした。
「ホント、あなた、変よ」
「そうでしょうか? 少々のんびりしてるなぁ、とは思いますけど」
そんな会話をしていると、着信音が響いた。
『エリス! 双葉さん! ふたりとも、無事? 大丈夫?』
「騎央さん!」
「嘉和君!」
ふたりはきょろきょろと周囲を見回した。
彼女たちの真上の空間がくにゃっとゆがみ、そこから騎央が作ったのとは違う、近代的な流線型を持った宇宙船がゆっくりと現れる。
「|キャーティア《うち》の船! …………じゃあ、無事に終わったんですか?」
『無事に停まったよ、大丈夫!』
船はゆっくりと二人に近づき、エアロックを開けた。
「うにゃーのすけ」は残った全ての推進剤を使って宇宙船の中に入った。
エアロックが空気で満たされ、装甲服を脱ぐと、エリスとアオイは争うように扉を開けて船内に飛び込んだ。
「お帰り、二人とも!」
にっこり笑って騎央が両手を広げるのへ、エリスも、アオイも躊躇無く飛び込んだ。
「ただいまっ!」
「わわっ!」
どた。
二人分のタックルを喰らって、騎央はその場に倒れ込んだ。
「あたたたた…………」
「あ、その騎央さん、ごめんなさい」
「嘉和君、大丈夫?」
二人は騎央の腕を引っ張って起こし、頭に怪我がないかと触れようとして…………気づく。
ひょこ。
そこに見覚えのないようである、三角形のものがあることに。
「え?」
思わず点目になった二人が視線を腰の方に下げると、やはり同じように見覚えがないようである、細長い毛糸のおばけがひこひこと揺れている。
「き…………騎央さん?」
「か……嘉和君?」
アオイとエリスはぽかんとしてそれを指さした。
嘉和騎央には、猫の耳と尻尾が生えていたのである。
[#改ページ]
終章 猫の耳と尻尾とあなた
「…………というわけで、本日、無事に我々の母船が停止し、元通り木星軌道上に戻ったことをご報告申し上げるわけです」
まだ病のやつれが残る顔で、クーネは記者会見に臨んでいた。
「しかし、そういう宇宙人が地球にいるというのは本当ですか?」
「ええ。我々も意外だったのですが、彼らはどうも我々に敵対したいようです」
クーネは落ち着いた表情で答える。
「ともあれ、今回は我々にも油断があり、皆様にはご迷惑をかけました」
そう言うと、クーネ以下、キャーティア代表団は一斉に立ち上がって頭を下げた。
キャーティアの宇宙船が止まったという事実は、すぐにエリスたち自身の手によって発表された。
当初、難癖《なんくせ》をつけようとしていたアメリカ合衆国だが、最近冷遇されっぱなしのNASAがそれを裏づける発表をしてからは態度を一変させ、これを祝福する声明を発表した。
EUはこの状況を歓迎するという声明を発表し、それまでキャーティア関連のことで一切の沈黙を守っていた彼らが初めての反応をしたと、マスコミ各社を驚かせた。
特に最近になって加盟したロシアは妙なくらい好意的であったが、同時に日本政府に「あの戦車を乗務員込みで譲ってくれ」という謎の電報が来て、外務省を悩ませた。
そして、意外なほど早い事件の解決と、第二の宇宙人登場はマスコミと世間の注目をそっちに集中させ、キャーティアを危険視する声はさほどの勢力をえないうちに自然消滅していった。
「なるほどねえ…………それでそんな面白い恰好になったのか」
にやにやと雄一は笑いながら言った。
「本当、困ってますよ」
ようやく自宅に帰ってきた騎央は何とも言えない顔で溜息をつくが、その尻尾に「にゃー」とか言いながらアントニアがじゃれついている。
「騎央は宇宙へ行って男前があがったのじゃー」
もう、嬉しくって仕方がない、という顔で。
「こういうのは男前とは言わないと思うけど…………」
「いーや、おぬし、猫耳《これ》があるのとないのとではグンと魅力が違うぞー」
「勘弁してよ、アントニア…………まったく明日には元に戻るからいいけど」
「なんだ、とっちまうのか?」
ちょっと驚いたように雄一。
「当たり前ですよ、父さん母さんにどんな顔して会えっていうんですか」
とりあえず、明日にはエリスの母船に行って、そこで遺伝子の再調整を行う予定である。
「兄さんも姉さんも驚かないと思うがねえ」
「いや、確かに母さんあたりは小躍りしそうな気もしますけど…………いや、そうじゃなくて、とにかく、遺伝子的にも不安定ですから、さっさと元に戻さないと」
「なんじゃ、つまらん。そのままにせい、そのままにー」
うにゃにゃーん、とアントニアは騎央の尻尾を抱きしめた。
もう完全にお気に入りの玩具を貰った子供の笑顔である。
「やだってば」
「みんな喜んでおるぞー。エリス様もアオイも、真奈美も、摩耶も『かわいい』と言うておるでわないかー」
「いや、あのね」
「騎央さん、猫耳、嫌いですか?」
ちょっと悲しそうな顔でエリスが部屋に入ってくる。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて、そ、その…………」
「騎央君は…………元のままのほうが、いい……わ」
一緒に入ってきたアオイだけが味方になってくれた…………が、彼女も騎央の頭頂部でヒコヒコ動く猫耳に目線は釘づけだったりする。
「なあ、騎央」
にたり、と人の悪い笑顔を満面に浮かべて、雄一叔父は言った。
「やっぱりお前、そのまんまのほうがいいんじゃないか?」
「やですってば!」
騎央は世にも情けない顔で大声を出した。
「まあ、わたしとしては騎央さんは猫の耳があろうとなかろうと大事な人ですけどもー」
そう言ってエリスが騎央の腕に抱きついた。
「ね、アオイさん♪」
「…………」
こくん、とアオイも頷いて、騎央の左腕に抱きつく。
「わ、あ、あの、ふ、ふたりとも?」
「ほー」
ますます面白そうな顔で、雄一は笑った。
「なあ、騎央、やっぱり…………」
「やです、絶対やです!」
少年は叫んだ。
窓の外、庭先ではアシストロイドたちがのんびりと時間を潰している。
麦わら帽子を被った「6」と、いつもの恰好をした「定やん」は、人間の真似のつもりか、仲良くならんで庭の水たまりに釣り糸を垂らしている。
そろそろ秋の風が心地よい時期になってきた。
(終)
[#改ページ]
あとがき
えーと、こんにちは、神野オキナでございます。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
ちなみに、この原稿を書いている今現在は夏の始まり、沖縄は六月であります。
ご好評をいただきましたこのシリーズとうとう四巻になりました。これもお買いあげの読者の皆様のおかげです。ありがとうございます。
今回はちょっと前回よりも時間が経過し、かつ、状況もいささかシリアスに始まっております。
が、まあ、いつものこの連中ですので…………(笑)
今回はとにかくドタバタでした。
なにしろ、三巻を越える作品というのは初めてでして…………だからというわけではないのですが、今回、見事にスケジュール管理を失敗して大騒ぎになりました。
本来なら一気に仕上がるはずが、前後編ほどのボリュームのある話を作ってしまい、それの枝葉を刈り取ってリサイズ、なんてことをやっておりましたら…………お陰で編集のオーキドさんとイラストの放電先生にはご迷惑をおかけしました。
そして、ありがとうございます。
ともあれ、これが皆様の目についていると言うことは、無事に出版できたと言うことで、誠にありがたく思います。
これが終わればすぐにまた五巻に取りかかる予定です。他にも新シリーズをたちあげる(かも)しれませんので、よろしければそちらもよろしくお願いします。
次は三巻同様、暢気《のんき》な日常話であります…………作品内の時間ではそろそろ秋。一〇月といえば学園祭もあるわけですし。
ともあれ、これも読者の皆様のご愛顧あってのこと。
何卒《なにとぞ》これからもどうぞよろしくお願い致します。
※今回も色々|些末《さまつ》なネタを放り込んでおります。興味のあるかたはネットやら文献やらを当たってお調べになってみて下さい…………今後の展開の手がかりがあるかもしれませんよー(笑)
二〇〇四年六月  神野オキナ
[#改ページ]