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あそびにいくヨ!3 たのしいねこのつかいかた
神野オキナ
目 次
プロローグ プレ二学期って何ですか?
第一話 海から犬、家から猫
第二話 水着は恋する少女の戦闘服で
第三話 ネコと海まで(前編)
第四話 ネコと海まで(後編)
第五話 海には猫と犬がいて
第六話 気がつきゃネコが増えていて
第七話 猫とネコとでお話で
第八話 闇夜にゃ小さな犬が出て
第九話 騒動終わって夜が明けて
エピローグ 夏が終わって
あとがき
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編集●大喜戸千文
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「君は素晴らしい、大量生産するべきだ」
映画「我等の生涯の最良の年」より。
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プロローグ プレ二学期って何ですか?
一枚の紙がある。
それは申請書と呼ばれるものであり、所定の書式でキチンと制作されている。
だが、キチンと制作されていればいいというものではない。内容が問題だった。
その一枚は何度と無く検討され、討議された。この国にしては珍しくかなり短い期間で。
結果「やはりここは拒否した方が」という意見が圧倒的になったが、その決議が出る一時間前に「さる筋」からの圧力が、外部からの電話によって通達された。
紙は数枚に増え、彼等はやむなくそれに許可を出した。
「まあ、いざとなったら責任は現場に押しつければいいさ」
そんないい加減な言葉が、霞《かすみ》ヶ|関《せき》の片隅ではき出された。
ここ二週間ほどで、急に嘉和《かかず》家と金武城《きんじょう》家の間にある道路は大通りに突き当たるまでの間、綺麗に掃除されるようになった……理由は簡単である。
午前五時。
嘉和家の門の内鍵《うちかぎ》……といっても単純なテコ式の閂《かんぬき》だが……が、まず箒《ほうき》の柄《え》でつつかれる。きっちり二回で閂はくるっと半回転し、門が開く。
とてとてと現れるのは、身長五〇センチほどの二頭身ロボットである。庭用の柄の短い箒を手にもって三体。ちり取りとゴミ袋を持ったのが一体。
彼等が箒で通りを奥の方から掃き始め、ちり取りを持ったのがこまめにゴミだの砂だのを集めては袋に入れていく。
三〇分ほどすると、新聞配達がやってくる。
上手《うま》い具合に、そのころにはアシストロイド達は家の前まで来ているので、新聞を受け取って嘉和と金武城の家の中へ入っていく。
金武城の家からは、庭を掃除していた、サングラスにコート姿の「ゆんふぁ」がそれを受け取り、嘉和の家ではそのままアシストロイドが応接間に置いていく。
六時頃には家の周りにはゴミ一つ落ちていない状況が現れ、満足げに頷《うなず》き合うと、アシストロイド達はまた嘉和の家に戻る。
彼等の主人である嘉和|騎央《きお》とエリスが起き出してきて、何か別の用事を言いつけるまでは、彼等は家の応接間で思い思いに(といってもあらかじめ組み込まれたプログラムによるランダムな行動ではあるが)過ごす。
やがて数時間経過すると、何かの用事、もしくは双葉《ふたば》アオイと金武城真奈美《きんじょうまなみ》の来訪があって、また忙しくなるのだ。
そんな朝が、東京沖でのドタバタ騒ぎからこっち、一〇日ほど繰り返されていた。
「あーあ、あと八日で休みもおしまいかぁ」
そんなことを騎央が言ったのは八月二三日の朝である。
「え? お休みって……九月までじゃないんですか?」
応接間の床にぺたんと座り込み、座卓の上に置いたノートパソコンそっくりな形の個人用情報処理装置《パーソナルワークシステム》から顔をあげて、エリスは驚いた表情になった。
「大学生はね。でも僕らは高校生だから八月でおしまいなんだ……それに、ウチの学校は『プレ二学期』があるからなぁ」
「プレ二学期? なんですか、それ?」
エリスは首を傾げる……横で、手の空《あ》いているアシストロイドが二体、同じように首を傾げた。
「普通なら九月最初の日は二学期を始めるための始業式があるんだけど、ウチの学校はどういうわけか夏休み中に二学期の始業式を前払いするんだ……一応、名目は最後の出校日、ってことになってるけど」
元々騎央の通う高校は私立の進学校だった経歴|故《ゆえ》に、こんな不思議な制度があるらしい。
何でも本来は八月三一日だったのだが、昔の生徒会が学校側と掛け合って、一週間前にしたらしい…………まぁ、これなら「まだ六日ある」という気分になれる。
ちなみに、こちらは二日前に行う「プレ三学期」もあったりする。
「まぁ、確かに最初の日ってのは全校集会やって、授業もしないでお昼前には帰っちゃうわけだから、無駄な一日、って言えばそうだけど、ちょっと損した気分だね」
「そうなんですか……じゃあ、この仕事、急がないと」
「あ、僕が学校に行くようになっても、いつも通りうちに居ていいんだよ?」
と騎央は言ったが、エリスはすでにワークシステムの画面に集中している。
「…………」
やれやれ、という表情になって、騎央はエリスのための麦茶を取りに、台所へ入った。
台所では姉《あね》さんかぶりの手ぬぐいに割烹着《かっぽうぎ》を着けた、「18」と額《ひたい》に書かれたアシストロイドと「16」と書かれたアシストロイドが、自分たちで作った木製の台の上に立って、台所仕事を器用にこなしている。
騎央が入ってくるのを見ると、「16」が味噌汁の鍋から小皿に移した中身を差し出した。すかさず横にいた「18」がネギを刻んでいた手を止めて「あじみをおねかいします」と書かれたプラカードを掲げた。
頷いた騎央はちょっと皿を舐めて、
「いいんじゃないかな?」
と微笑む。アシストロイド達は「やったー」という感じで両手をバンザイした。
「いつもありがとう」
そういって頭を撫で、騎央は冷蔵庫のドアを開けた。
最初は遠慮した騎央だが、エリスによるとこの料理も「調査」の一環なのだそうだ。
このほかにも庭や室内の掃除もやってくれるので、嘉和《かかず》家は騎央が何もしないでも綺麗《きれい》なものである(騎央の部屋の中まで掃除したがるのは困りものだったが)。
「つまりね、あのバカはひじょーに鈍い、ってことなのよ」
古波蔵《こはぐら》にある沖縄《おきなわ》独自のファーストフード、A&Wの店内で真奈美《まなみ》は力説した。
店の外には真奈美の自転車が置いてある……東京湾でのドタバタ騒ぎで二キロ痩《や》せたのを機に、あと一キロ痩せ、かつ維持するべく朝のサイクリングを日課にしよう、と思い至った彼女が、たまたま通り道にあったアオイの家を訪ね、ここまで流れてきたのだ。
彼女たちにつけられた、カスタムアシストロイド三体(射撃特化型の『ゆんふぁ』、近距離戦特化型の『チバちゃん』と『錦《きん》ちゃん』)は、同じボックス席の中でぽけっと外を見たり、互いに顔を見合わせたりしている……こちらはこちらで世間話をしているようで微笑ましい。
それはともかく。
「だからこちら側から勇猛果敢《ゆうもうかかん》にアタックし、なおかつ、あのバカに自分から『好きだ』って言わせるのはそりゃもー大変な話なのよ、絶対」
「…………」
真っ赤になって、双葉アオイはうつむいたまま、ジョッキに入ったA&W名物「ルートビア」をストローで吸い上げる。
初めての人間は「飲む炭酸入りシップ薬」とたじろぎ、なれた人間は「ブロン液とは似て非なる、この味がたまらない」と評価する独特の風味が口の中に広がっているが、実際、今のアオイにはその味が分からない。
さらに言えば、自分がこんな話を他人としている、という状況に当惑していた。
「でもね、明後日《あさって》からは大いにエリスに対してアドバンテージを引き離せるわ」
真奈美は断言した。
「学校よ」
「学校…………?」
「これからどんなにあがいても、エリスよりも最低八時間は多く、こっちは騎央と一緒の空間にいるのよ!」
「え…………?」
アオイは驚いた。学校をそういう風に見ることは今まで、考えたこともない。
「その間にアピールするのよ、色々と!」
「……たとえば?」
何気なくアオイは尋ねた。
「そ、そうね……たとえば、そう、お弁当を騎央の分まで作るとか、休み時間に頻繁に声をかけるとか!」
「お弁当……」
ちょっとアオイは考えた。
「どんなのがいいのかしら?」
「そうねー……まぁ、アレね、とにかく可愛らしい中身がいいわ。タコさんウィンナーとか、だし巻き卵とかおすすめね。ゴーヤーチャンプルーとか、昆布《クブ》イリチーとか実用的なのはダメよ。あくまでも少女漫画に載ってるような…………」
「少女漫画……?」
「そう、県民料理だとぎりぎりのラインはポーク卵まで! それも卵はスクランブルや目玉じゃダメ、あくまでもだし巻き!」
力説すると、真奈美はセットメニューに付いてくる、スプリング状にカットされたフライドポテト「カーリーフライ」を摘《つま》んだ。
「…………あ、あの」
真奈美が並べ立てる単語を、アオイはパプアニューギニアで、BBCが一〇年かけてようやく接触した部族の使う呪術用語のように聞いた。
「?」
カーリーフライを口にくわえたまま、真奈美は首を傾げる。
「ごめん……私、今の言葉の半分も判らない」
恥ずかしげにアオイはうつむいた。
「え?」
冷めてしまったベーコンチーズバーガーを囓《かじ》ろうとした真奈美の動きが止まった。
「……ひょっとして、少女漫画も?」
「………………そういうものがあるのは知ってるけど、読んだことがないの」
「…………」
真奈美はうつむいた少女をじっと見た。
これがアオイでなければ「まーた嘘ばっかりー」とか明るくツッコミが入れられるところであるが、彼女は「悪運|紅葉《もみじ》」というふたつ名でかつて知られた非合法工作員である。
「真面目な警官」に「軽妙洒脱《けいみょうしゃだつ》」という言葉が似合わないのと同様、「非合法工作員」に「少女漫画」も確かに似合わない。
「……判った」
真奈美は腕組みして頷いた。
「これ食べたらあたしの家に行こう! 教えたげる、貸したげる! 今日教えたことを明日には実践して、それから二学期開始までに作戦の再検討をするのよ!」
「え…………?」
思わず戸惑うアオイに、
「恋は戦争よ!」
と拳《こぶし》を握りしめて真奈美は言い切った。
朝の那覇《なは》上空をヘリが飛ぶ。
ベル社製・MD520Nノーター。尖《とが》った卵を横倒しにしたような、ちょっと愛嬌《あいきょう》のあるデザインのヘリコプターは、真っ赤に塗装されており、機体下部は、かつて取り付けられていた武装を外したばかりで塗料が新しい。
その後部座席にはおでこの広い少女が一人、操縦席には普段とは違う制服に身を包んだワイルドな片目と、落ち着いた感じの女性がふたり乗っている。
少女は幸せ一杯という顔で、胸に抱えた通学用の鞄を抱きしめていた。
憮然《ぶぜん》とした表情なのは黒い眼帯をつけた隻眼《せきがん》の女性だった。
「メイド長、どうしてもこの格好をせねばなりませんか?」
エンジンの爆音に紛れて、後ろにいる少女には聞こえないように片目の副メイド長…………サラは、隣で操縦桿《そうじゅうかん》を握っているメイド長・摩耶《まや》に尋ねた。
「仕方があるまい、そういう規定《ルール》だ」
「…………」
納得しかねる、という表情で、サラは自分の姿を見下ろした。
「何を気にする? 我々はあくまでもお嬢様を守る存在だ」
「いや、確かにそうですが」
「私がまだ日本で暮らしていた頃、その服こそが『学園の戦闘服』と言われていたのだぞ」
「確かにそうでしょうが……」
「恥は捨てよ」
短く摩耶は命じた。
「お嬢様の安全確保こそが第一だ」
やがて、ヘリは彼女たちのしばらくの住処《すみか》、那覇新都心のホテルへと近づいていく。
学校教師の朝は早い。
真面目そのものの糸嘉州《いとかず》マキともなれば、二学期まであと一週間あるとはいえ、もう朝の六時半には職員室で書類をめくっている。もっとも、彼女の顔はやけに暗かった。
「ああ、私は沖縄一、不幸な教師だわ」
溜息が漏れる。
白い砂浜にはまだ、朝靄《あさもや》がかかっていて、人影もない。
建前《たてまえ》上、砂浜と海がメインの沖縄にしては珍しい……ここはいわゆる「穴場」であった。
もうしばらくすると、地元の小学生たちが遊びに来るのだが、今は誰もいない。
荒っぽい海は、その懐で「彼ら」をさんざんにもてあそんだ挙げ句、飽きた玩具《おもちゃ》のようにポイッとここへと打ち上げたのである。
「彼ら」のリーダーは即座に状況を確認した。
幸いなことに、あれだけの攻撃に晒《さら》されたというのに、メンバーは欠けていない。
ただ、誰もがみな武器を失ったうえに深刻な損傷を受けており、互いに支え合わなければロクに歩くことも出来ない状態だ。
リーダーは、しかし嘆《なげ》かなかった。
彼らには感情は最初から存在しないし、さらにこういう状況も想定して作られており、また、対処法もプログラムされていたのである。
よたよたと、オマハ・ビーチに上陸して数時間後のアメリカ軍のようになった「彼ら」はひとまず手近な茂みへと移動を始めた。
「…………ん?」
騎央は優しく揺り起こされる感触で眼を覚ました。
「えりす、また寝床にもぐりこんできて、だめじゃないか………………?」
ろれつの回らない舌で相手を注意しながら……と思ったら違った。
机に突っ伏したまま寝た騎央を起こしたのは、その上にちょこんと立ったアシストロイド(通常型)だった。
額《ひたい》に「2」と書かれたアシストロイドは「おはやござます」とプラカードをかざした。
「なんだ、君かぁ…………うん、おはよう」
答えながら騎央は、まだとろんとした目つきで机の上に置かれた時計を見た。
「六時か……風呂入って、ギリギリかな」
言いながらのそのそと立ち上がり、机の上を整理する。
「ごはんにしすか?」というプラカードの問いに、「あと十分ぐらいしてからね」と言い置いて、騎央は一階の洗面所に降りていった。アシストロイドも机からぴょんと飛び降り、その後をついていく。
「あ、おあよーございますぅ」
自室としてあてがわれている応接間から、エリスがしょぼしょぼの顔で現れた。
「あれ? 今日は随分と早いね」
いつものエリスなら、騎央の寝床に潜《もぐ》り込むコトがない場合、早くても七時半過ぎにようやく起きてくるのが常だ。時折、アシストロイド数体に担《かつ》ぎ上げられるようにしてやってくることもある。
「どうしたの?」
「ふぁい。今日からきおしゃんは学校ですから」
と答えにもならない答えを返し、エリスはふらふらと洗面台に向かった。
「で、出来た……」
ふたつの弁当箱の中にそっと最後の具を詰めて、ようやくアオイは溜息をついた。
長い、長い溜息がアオイの口から再び漏れ、側《そば》にいた二体のアシストロイドがぱちぱちと拍手をする。
ちなみに、両者とも、頭から小麦粉を被《かぶ》って真っ白になっていた。
「ありがと」
夜明けの三時頃から起き出して、二回ほど失敗した後の「成功例」にアオイは疲れきった顔で台所を見回した。
散乱した道具や、誤ってこぼした材料、失敗した同じ料理の残骸《ざんがい》を突っ込んだゴミ箱、急いで買い直した材料の包装、ビニール袋等々が、足の踏み場もないぐらいに散らかっており、彼女が昔踏み込んだ、爆弾テロリストのアジトを思わせる惨憺《さんたん》たる有様である。
無理もなかった。一昨日まで、料理といえばせいぜい軍用食を温める程度、もしくは野生動物を生で食べるような人生を送ってきた少女なのだ。
そんなわけでもうもうたる粉煙の中、アオイは弁当にフタをしようと――。
「…………っくちゅん!」
緊張感が解けたためか、鼻孔《びこう》に入った小さな小麦の粒が、くしゃみを誘発した。
当然、身体全体が震え、手元も……。
かぽこ。
プラスチックの容器が落下して、その縁《ふち》が床とキスする間抜けな音が。
アオイも、二体のアシストロイド達も、その瞬間、床を見つめたまま凍り付く。
たっぷり一〇秒、その場の全員は固まっていたが、アシストロイド達がやがて、そーっと視線をアオイのほうに上げていった。
少女は呆然とした表情から、口元をわななかせ、やがて全《すべ》ての意志を動員して、能面のような無表情に、そしてかすかな諦念《ていねん》の入り交じった顔になった。
「さ……片づけしないとね」
そういった後、アオイはよろめき、流し台の縁に手を突いて、さっきの二つとは別の意味の、長い長い溜息をついた。
「さて、と」
こちらは順調に早起きし、真奈美は鼻歌交じりで身支度を確認した。
ひと月と半分しか離れていなかった、というのに久々に袖を通す夏服は妙に新鮮だ。
「ふふっ♪」
くるりと部屋の奥にある姿見の前で回ってみせて……真奈美は鏡の隅っこに変なものが映っているのに気がついた。
彼女の家に居候《いそうろう》というか預けられている黒い射撃特化型アシストロイド「ゆんふぁ」が机の上に置かれた彼女の鞄をためつすがめつのぞき込んでいる。
「ちょっと『ゆんふぁ』、あんた何してるの?」
問いかけると、「ゆんふぁ」は片手に何やら書いたプラカードを掲げた。
「え?『とこにはいるの?』……ああ、どこに入るの、って意味? ……何が?」
トレンチコートにサングラスをかけ、爪楊枝《つまようじ》をくわえたようにしか見えない外見の「ゆんふぁ」は当然のように自分を指さした。
「いや、あのね……あんたは学校へは連れて行けないの」
『どして?』と、「ゆんふぁ」は当然の疑問をプラカードに書く。
「だって、あんた、学校の生徒じゃないでしょうが」
『なら、せいとにしてくまさい』……「ならば生徒にしてください」という意味。
「無理よ、ロボットは生徒にならないの」
『ても、そいでわまなみをまもれない』……アシストロイドはちょっと泣かせるけなげなコトを口に……もとい、プラカードに提示した。
「学校まではいいからさ」
笑って真奈美は手を振ったが、「ゆんふぁ」は、ちょっと小首を傾《かし》げたようなポーズで、じいーっと真奈美を見つめた。
「だ、ダメよ、そんなに見ても…………」
慌てて真奈美は視線をそらし、一瞬で気合いを再|充填《じゅうてん》するとまた暢気《のんき》な造形の「ゆんふぁ」の顔とにらみ合う。
しばらく、ふたりの対決は続いた。
「じゃ、行ってくるね」
騎央は慌ただしく靴を履きながら、まだちょっと眠そうなエリスに言い置いた。
たった一ヶ月袖を通さなかっただけなのに、まるでおろしたての新しい服を着けてるような気分になるのは、中学時代の夏休み明けからいつものことだが、今回はプレ二学期という特殊な状況がよりそう思わせているらしい。
「留守番はいつもの調子でいいから」
襟元《えりもと》を直しながら念を押す騎央に、
「はい〜」
どこかとろんとした目つきでエリスは頷く。
その頼りなさをフォローするように「まかいといてくらさい」と書かれたプラカードをアシストロイド達が掲げた。
「頼んだよ」
エリスに、ではなくアシストロイド達に言って、騎央は家を出た。
「いってらっしゃーい」
のへらーとした顔でふらふらと手を振ってエリスはしばらくその場に立っていたが、やがて、頭の上にある主耳《メインイヤー》がひくひくと動いて、騎央の足音が遠ざかっていくのを確認すると、「ぱんっ」と両手で顔を叩《たた》いた。
次の瞬間にはもうしゃっきりした表情で、エリスは騎央の家の電話を取る。
コール二回ですぐに電話を切ると、間もなくドアが開いた。
「やあ、おはよう」
「おはようございます、雄一《ゆういち》叔父《おじ》さん」
ぺこりとエリスは頭を下げた。
ドアから入ってきたのは、真っ赤なアロハに白いバミューダ、グラサンにオールバックといういかがわしい風体の騎央の叔父、宮城《みやぎ》雄一である。
「……で、ありましたでしょうか?」
「ま、今時コレってのは珍しいからねえ……コスプレ用品ぐらいしかないんだが、何とか見つけてきたよ」
言って、雄一は小脇に抱えていた紙袋をエリスに手渡した。
「でも、本当にこれでいいのかい?」
「ええ」
紙袋の中身を確認して、エリスはにっこりと微笑んだ。
「だって、この前お借りした『しょうじょまんが』にそう書いてありましたもの」
「あ、おはよー」
「はよー」
二学期が始まるにはまだ遠いが、貴重な夏休みを浪費しているような、何とも言えない妙に脱力した雰囲気が教室の中には満ちていた。
「あ、あの……か、嘉和くん……おはよう」
半《なか》ば苦笑にも似た思いで騎央が教室に入ると、さっそくアオイが声をかけてきた。
「双葉さんおはよう……何か、変な感じだよね、今日始業式なのに、授業は来週、って」
「あ、あの……ええ……そうね」
どこか落ち着かない表情でアオイは頷いた。
「おはよー」
疲れ切った顔で真奈美が大きなスポーツバッグを肩にやってきた。
「どうしたの、真奈美ちゃん?」
ぐいっ、と、始業式だけの日程にもかかわらず、真奈美が大きく膨らんだスポーツバッグを開けると、中でサングラスをかけたアシストロイドが「やほー」と片手を上げた。
「何でまた?」
騎央が問うと、
「ついて来ちゃったのよ」
それだけ言って真奈美はスポーツバッグを閉じた。
やがて、授業開始のチャイムが鳴った……朝のホームルームの後、始業式になる。
騎央達の担任で、ハードSF原理主義的陰謀組織「ビューティフル・コンタクト」の構成員でもあった糸嘉州《いとかず》マキが、何事もなかったかのように出席簿を手に教室に入ってくる。
「皆さん、おはようございます」
マキはいつもの硬い表情で挨拶し、出席簿を読み上げ……なかった。
「……始業式が始まる前に、皆さんに転校生を紹介します……入ってらっしゃい」
糸嘉州教諭は教室の外に声をかけた。
スライドドアが開く。
「…………」
思わず騎央とアオイは顔を見合わせた。
とてとてと入ってきたのは、学生服《ツメエリ》とセーラー服を着用した、エリスのアシストロイド二体だったのである。
たちまち、その可愛らしさに女子達の黄色い声が上がる。
まさかこれが……と思っていたら、その後に本当の「転校生」が入ってきた。
猫の耳と尻尾《しっぽ》が揺れる。
「今日から皆さんと一緒に学ぶことになった、宇宙人のエリスさんです」
どこか、深くて苦い諦念《ていねん》を感じさせる声と表情でマキは紹介し、
「エリスです、地球のことはまだよく分かりませんけど、どうぞよろしくお願い致します!」
何故か夏物のセーラー服を身につけたエリスは、満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
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第一話 海から犬、家から猫
「……いいわねえ、地上は」
「……いいよねえ、地上は」
嘉和家の応接間で、チャイカとクーネはしみじみと頷き合った。
「外は灼熱《しゃくねつ》の夏なのに、ここはクーラー、青々と輝く木々を見ながらつめたーいお茶……」
麦茶のコップを傾けて喉を湿しながら、クーネはうっとりと目を閉じた。
本来なら地上に降りてくることが滅多にない艦長だが、今日は非番なのでチャイカの所に「視察」に来た、という名目になっている。
「それも、原子合成したものではない、本物の、太陽の日差しを受け、細胞分裂をきちんと繰り返して、手間暇と時間をかけて乾燥させ、包装された……ああ、なんて贅沢《ぜいたく》!」
地球で言えば、文学少女がハイネの詩を読んだ後のように、猫耳宇宙人たちを乗せた船の艦長は喉の奥に広がる味と香りを楽しんでいた。
「時間の味、だよねー」
うんうんと頷き、チャイカもコップに口をつけた。こちらはぐびぐびと一気に煽《あお》る。
「なんかすっごく贅沢《ぜいたく》だわねー」
「なー」
実は宇宙艦隊の訓練学校どころか、生まれたときからご近所で同期生だったりするこのふたり、プライベートではこういう感じの、会話だかひとりごとだか判《わか》らない状況になる。
「ねー、チャイカ、あれ何やってるの?」
指揮所《ブリッジ》で見せる毅然《きぜん》とした態度とは打ってかわって、キャーティア本来のほけーっとした表情でクーネはふと見たテレビを指さした。
彼女たちの船にある空中投影型や、脳内投影型ではない、博物館どころか化石で発見されそうな受像機械には、強烈な日差しに照らされてまぶしく輝く海岸と、面積の小さい布地に身を包み日に焼けた老若男女が映し出されている。
朝のテレビは「今からでもイケル! 誰も知らない日本の穴場」なる、ちょっと矛盾したタイトルの番組を流しているらしかった。
「海水浴、だってさ」
何度かエリスの留守を預かって、この手の映像を見慣れたチャイカが答える。
「えーと、地上水軍《グランドマリナー》がかなり昔にやってた、風呂桶に海水入れてお風呂の代わりにする、ってやつ?」
「違うよ、海に行って中に入るんだと」
「わざわざ溺れに行くの?」
大まじめな顔でクーネ。
「お前《め》ェはカナヅチだからなぁ……」
苦笑いしながらチャイカ――キャーティアは、全人口の半分が泳げないのだ。
結構風呂好きな所があるわりに、こういう部分は猫の血が関係してくるらしい。
「泳ぐんだよ、地球人はカナヅチの方が圧倒的に少ねぇんだ」
「うそー! そうなの?」
信じられないものを見るような目つきで、クーネはチャイカを見た。
「ウチらだって泳げるんだぜ? 本能的に忌避《きひ》する奴が多いだけで」
「そりゃあ、そうだけど……」
クーネとしては、納得しかねる様子である。
猫舌と発情期、およびカナヅチの問題は、キャーティアにとっては過去数千年における「種族的命題」であった……前者ふたつはそれぞれ遺伝子工学と「熱くても美味《おい》しい料理」の発明、および薬物の発達によって克服されたが、今なお、種族本能に基づくカナヅチ問題だけは残っている。
「本来は納涼行事なのが、今はレクリエーションとか、恋愛の加速剤、としてのイベントと化したらしいな。コントロールされた自然との接触は、いい本能の刺激になるし」
「うーん……判らないわぁ」
「あ、でもさ、それ発情期《さかりどき》の時とか、結構効果あんだぜ? この前もなー……」
チャイカはクーネの耳にひそひそと囁いた。女だけとはいえ、あまり露骨な話を大声でする慣習も、キャーティアにはない。
「うにゃー! そ、そうなの? じゃあ……」
驚いたクーネが今度は逆にチャイカに囁く。
「ふにゃー!」
チャイカはソファからずり落ちそうになった。
「うわ、お前ェ、それは……ホントにそんなことしたのか? すげえ」
今度はチャイカの顔が赤くなった。
「そうかしら?」
「そうだよ! ……ったく、ボケボケの癖にこーゆーことはアレでナニなんだからよー」
「ちゃ、チャイカの方が……」
真っ赤になって相手を指さすふたりだったが、やがて、あははははーと笑い合った。
「なーんか、年取った、って感じよねー」
「こーゆー会話はなー」
ふたりの猫耳宇宙人はどこか懐かしげな表情になった。
「そーいえば、エリスのコトなんだが」
「発情期終了させちゃったこと? かわいそうだとは思うけど……」
「いや、そうじゃなくて、そのフォローをしてやらんといかんというこったよ」
「ああ、そうね……で、どうすればいいと思う?」
「まぁ、取りあえず騎央とベタベタする時間を少しでも長くしてやろう、ってんで学校行きを許可したんだが……あいつ、妙に真面目でなぁ。半分以上|建前《たてまえ》の『教育機関の調査』を額面通りに受けとってるみたいでなー」
「んー、だったらあたしから騎央君に『エリスの側を離れるな』ってお願いしようか?」
「そうしてくれるか? 一応、直接の雇い主はそっちだから、ウチが頭越しに言うわけにはいかないだろ?」
「まぁ……そうね……あ、そうそう、いっそ騎央君をウチの母船に来させたら? 今後の打ち合わせ、ってことで……ついでにエリスに母船での世話をさせればいいわ」
「そーだな。立場の逆転、ってのもいい刺激になるかもナー」
「へくちっ!」
急にエリスがくしゃみをした。
騎央がポケットに手を突っ込むが、エリスの周囲に群がったクラスメイトのひとりがポケットティッシュを取り出す。
「大丈夫、エリスちゃん?」
「あ、ありがとーございます」
ちーん、と鼻をかみながら、エリスはそのクラスメイトに礼を言った。さりげなく騎央(お約束だが隣の席だ)にも目線を走らせて黙礼する。
少年は「気にしないで」と笑って手を振った。
何しろ周りは黒山の人だかりである。
「ねー、どこから通ってくるの?」
一時中断されていた質問が、すぐに再開した。
「大使館です」
にこやかな笑顔でエリスがこたえる。
「ごめんなさい、場所は秘密なんです。一応まだ正式に国交を結んでいるわけではないので」
「その耳と尻尾、本物?」
「ええ、そうです。頭の上にあるのが主耳《メインイヤー》、顔の横にあるのが副耳《サブイヤー》です」
「上のほうの耳に水とか入ったら大変じゃないの?」
「えーと、主耳は頭の中と直接繋がってなくて、耳の下は皮膚と骨です。骨伝導で脳の一部にある器官が直接音を聞いてたりします。副耳のほうはみなさんと同じ構造ですよー」
始業式でも、エリスはわざわざ壇上に呼ばれて全員に紹介された。
が、面白いのはこういう場合予想されるように、全校生徒が一斉に、エリスに向かったわけではない、ということだ。
大多数の生徒は「まあ、始業式で遠くからだけど見たし、しばらく学校にいるんだから」と考えたらしく、クラスの中に必ずいる、物見高い連中だけが騎央のクラスに押し寄せた……でなければ、今頃騎央達の教室は壁も床もパンクしている。
「んで、どうして地球に来たの?」
「地球の人たちと仲良くなるためです。他の星の人たちの文化とか、風俗とかって自分たちとは違うだけに面白いですし、刺激になりますから」
「侵略じゃないの?」
「どうしてですか? 惑星一個侵略するのって大変なんですよ。最初に戦争しなけりゃいけないし、戦争に勝ったら勝ったで駐留軍置いて、反乱されないように管理して……人件費が見合いません」
とか何とか、暢気に見えてもちゃんと宇宙をゆく種族の一員らしく、てきぱきと受け答えしているエリスだったが、やがて、糸嘉州マキがやってきた。
「ほら、あなたたち、ナニをしてるの! 自分たちの教室に帰りなさい!」
ぱんぱん、と出席簿を手で叩いて群がっていた生徒達を追い散らす。
最初は色々ブーたれていた生徒達だったが、学校における曹長《そうちょう》、つまり学生の王である「真面目な教師」の指図には逆らえなかった。
「…………」
最後の一人を睨みつけ、その生徒にドアを閉めさせて、マキはこほんと咳払いをした。
「えー、皆さん、今朝《けさ》エリスさんを我がクラスに迎えたばかりですが、さらに三人の転校生が、このクラスに来ることになります」
ちょっと疲れた面持《おもも》ちで、マキは外に出、廊下に待機していたその「転校生」を呼び寄せた。
スライドドアが開き、中に転校生三人が入ってくる。
こちらも、ブレザー制服の学校だというのに、エリスと同じセーラー服姿だった。
「アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスさんと、そのおつきのメイドさんたちです。海外の人たちなので、外見年齢が違うと思いますが、気にしないように」
「アントニア・リリモニ・ノフェンデラス・パパノーガス・アレクロテレス・クノーシス・モルフェノスである」
おでこの広い金髪の美少女は、偉そうな言葉とは裏腹に、にっこりと笑いながら首を小さく横に傾けて挨拶をした……もっとも、エリスにだけ向けられた物だが。
「……この国は不慣れであるゆえ皆の者、よろしく頼む」
少女は短いスカートの端《はし》を持ってさりげない上流階級の挨拶をした……日本人ならば、やった瞬間後ろからツッコミのひとつも入りそうな行為だが、さすがにアントニアは上流階級出身の上に「猫耳教団」を率いているだけのカリスマもあるから見事に様になっていて、むしろ感服の溜息が教室内に満ちた。
「よろしく」
「ヨロシク」
さて問題は、その左右を固めるようにして立っている、あの戦闘メイド……摩耶とサラもまた、そのムチムチのナイスで生唾《なまつば》なボディをセーラー服に包んでいるということだ。
こちらはアントニアと違い、どうみても……その、一八歳未満の人は借りても見てもいけない、それ以前にむしろ店員さんが止めてしまいそうな内容のビデオやDVDや雑誌の類《たぐい》に、冗談企画として掲載されそうな風情《ふぜい》である。
「…………」
少年はちら、とエリスを見たが、エリスは特に驚く風情もなく、アントニアににっこり笑いかけ、それだけで少女は幸せ一杯、という顔で頬《ほお》を紅潮させる。
騎央はどうやって自分に内緒でエリスがこの学校に転入してきたのか、そのカラクリが何となく判ったような気がした。
斜め前の席に座るアオイと、顔を見合わせ、どちらともなく音のない溜息をつく。
アントニアの席は教室の最後尾、さらに入り口からは適度に死角な位置になった。
無論左右は摩耶とサラが占めている……誰の差し金でこの位置になったか、騎央は何となくこれも判ったような気がした。
そういえば、教室のアルミサッシも妙に新しいような気がする…………恐らく、防弾ガラスに取り替えられているのではないか。
(何か……穏やかじゃない二学期になりそうだなぁ)
思わず少年は天井を見上げた。
「その命令に服することは問題ではないのです、与えられる物資の量と質に関してのみ、納得がいかないと申し上げておるのです!」
真っ暗な部屋の中、「犬」の軍人であり、アメリカ軍にとって、大統領もその存在を知らない異星からの「特殊軍事顧問」にあたるジェンス中尉は彼女の上司達にあたる立体映像に対して抗議していた。
ドイツ産の優秀な軍用犬を思わせるシャープな顔立ちと、相反するように豊かなプロポーションだが、ここで必要なのは論理なのだ。
「人員増強も、装備の増強もなしに、どうやってあのキャーティアどもを地上から抹殺できるというのですか!」
『抹殺しろという命令ではないよ、ジェンス中尉』
高価な紫檀《したん》の机に手を置いた上司の一人がなだめるような口調で言った。
『あくまでも、調査を中止させる、ということだ』
「それには抹殺しかありません!」
ジェンスは断言した。彼女は猫どもに対して確固たる信念を軍事訓練に於《おい》いてたたき込まれ、実際に相手にしてその信念が正しかったことを痛感している。
『中尉、この惑星に於いても、我々はあくまでも裏方だ。あの忌《い》まわしい〔大封鎖〕のために、我々は表だってどの惑星国家に対しても直接介入や表だった外交を行えない……あの忌々《いまいま》しいオルソニア人どもめ!』
「まったく、あの忌々しいオルソニア人どもめ!」
「オルソニア人どもめ!」
「オルソニア人め!」
上層部の連中は口々に、彼らほどの立場の人間たちが、『大封鎖』の話題を口にするときに必ず言わねばならない(『恐れず、吐き捨てるように』と服務規程にもある)言葉を吐き捨てた。
「……つまりだ、君は誤解している」
別の、こちらは完全に犬の顔をした上司が取りなした。
『我々は君に対して大規模戦闘による敵の殲滅《せんめつ》を望んでいるのではない。むしろ諜報戦《エスピオナージュ》……いや、より明確に言えば効果的な破壊工作《サボタージュ》を望んでいる。効果的に彼らの行動を規制し、妨害し、いずれ時間切れで撤退するように』
『そのためには大部隊は必要あるまい?』
ジェンスと同じく、犬の耳をした上司のひとりが会話にケリを付けた。
「…………承知しました」
ジェンスが首を折るようにして頷くと、立体映像の上官達は満足げに頷き、姿を消した。
「……」
溜息をついて、ジェンスは自分の足下を見た。
キッシシシシ……。
どう聞いても歯の隙間から漏れる笑い声のような音が響いた。
ジェンスの足下には今回たったひとつ与えられた「増援」が立っている。
ずんぐりむっくりの体型、妙に丸っこくて大きな頭の上には猫と違って鋭角な三角形の「耳」。その下にはゴーグル型のセンサー保護装置と、マフラーにしか見えない気象情報センサー。どてっとした手足は短くて大きい――犬側のアシストロイドである。
通常の物ではなく、参謀および情報収集分析システムとして特化している証拠に、その顔には「口」のような放熱装置がある。
今の笑い声はそのエアインテイクが作動した音なのだが、口の形状も相まって、歯をむき出して笑っているように見える。
「……行くぞ、マットレイ」
ジェンスはどこかやりきれない気分で踵《きびす》を返した。
午前中でプレ二学期は終了する。
で、帰り支度となったが、今度はアシストロイド二体が生徒達の注目を浴びた。
中身はいつもの通常型なのだが、エリスが凝ったらしく、それぞれツメエリの学生服(プラス学帽)とセーラー服を着けているものだから、やたらと目立つ上に可愛らしい。
授業が始まる前に色々見学をしたいと言うエリスのお陰で、大名行列のように、一行はぞろぞろと取り巻きを引き連れて校内を移動する羽目になった。
幸いだったのはセーラー服に着替えた歴戦の戦闘メイド……摩耶とサラが、かなり周囲ににらみを利かせてくれた、ということだ。
アントニアとアントニアの意志に対して絶対服従を誓っている彼女たち二人の相当な「眼力」は平和に慣れきった上に懐に入ってしまえば人なつっこい沖縄《おきなわ》の高校生達でさえ思わず「引いて」しまうほどの迫力……特に隻眼のサラとか……があった。
校門を出た瞬間、それまでべったりとエリスの右腕にぶら下がっていたアントニアが指を鳴らしたとたん、摩耶とサラはどこからともなく取りだした軽機関銃を、あえて音高く装填《そうてん》音を響かせながら構えた。
本土と違い、機関銃がどういうもので、何に使われるのかをニュース等で熟知している沖縄の高校生達は、わっと散らばった。
銃を構えたままサラと摩耶は後退し、エリス達は穏やかな家路に就《つ》いた。
「ふえええ……」
角を曲がって、ようやく騎央は溜息をつく。
相手に害意はないとはいえ、やはり大勢につきまとわれるというのは見えないストレスが貯まるものなのであった。
アントニアはご機嫌である。
「あのー、エリス様ぁ」
エリスにしがみついたままのアントニアが「ごろにゃーん」と甘えた声を出した。
「これからお食事にしません? 今日はイタリアンのいいのをそろえてあるんですよぉ」
「うーん」
エリスは正直に困った顔になった。
「とても……かなり……いや、そのとっても心引かれるんですけど、チャイカにお留守番をして貰ってるんで、今日はパスします」
「じゃあ、お食事持って行っていいですか?」
「えーと……騎央さん、いいですか?」
急にエリスに話を振られて、騎央は慌てた。
「え? あ、そ、そうだね……今日はお昼、まだ何にしようか考えてないから、いいんじゃないかな?」
「じゃあ、決まりですね♪」
アントニアはにっこり笑うと摩耶に目配せした。
摩耶は素早く携帯電話を取って、何事かを命令し始める。
「あのぅ……」
騎央は電話を終えて再び周囲の警戒に戻った摩耶に小声で尋ねた。
「すみません、真奈美ちゃんと双葉さんも呼んでいいですか?」
「その分も考慮済みです」
「…………ありがとうございます」
どこまでも行き届いた摩耶の対応に内心舌を巻きながら、騎央は頭を下げた。
しばらく歩くと、近くのコンビニから見覚えのある顔がひょっこりと現れた。
「おお、騎央か」
コンビニ袋を下げた映像部の部長は、人の良さそうな顔をほころばせて騎央に近づいた。
警戒態勢を取ろうとする摩耶とサラに頭を下げ、騎央は自分の方から部長に近づく。
「どうしたんですか?」
「いや、これから昼飯なんだわ――ところでお前、合宿には来るのか?」
「え? あ、まだでしたっけ?」
「そうだよ、明後日《あさって》だ。一泊二日、これが最後の土日だからな……で、来るのか?」
「え……あ……」
正直、二週間前なら「行く」と素直に言えたのだが、今はとてもそうは言えない……さすがに騎央にも責任感というものがある。
「どこへ行かれるんですか?」
ひょこ、と顔を出したのはエリスである。
「おおっ、君がアレか、始業式で紹介されたとか言う宇宙人の子かぁ」
面白いものを見つけた子供のような表情で、部長はいきなり現れたエリスを上から下まで見回した。
「随分順応してるんだねえ」
「はい♪」
「…………部長、始業式、出てなかったんですか?」
「あったり前だ、あんなかったるい儀式に付き合うために授業料払ってんじゃない」
腕組みして部長は言い切った。
「オレが高校に行ってるのは、まず最初に楽しい思い出のため、次に学歴、もしくは大学へ行くための学力が欲しいからであって、儀式に参加するためじゃないからな」
「はぁ」
三年生の台詞《せりふ》とは思えない言葉に、騎央はただ頷くしかない。
「で、何やってたんです」
「ん、きまっておろーが、部室で中国問題の討議だ」
「麻雀《マージャン》ですね」
「ま、そうとも言うな」
涼しい顔で部長は話を元に戻した。
「で、宇宙人くん、君、騎央と一緒に海行かないか?」
「海ですか?」
「うん、海だ」
「何をしに……?」
「映像部の合宿だ。ビデオカメラやらデジカメを使って、いろんな風景やシュチュエーションを撮影して、映画作りの基本を学ぶんだ」
「映画作り……?」
エリスの顔が輝いた。
「騎央さん、映画作れるんですか?」
「い、いや僕もその今年始めたばかりだからまだ基本も出来て無くて……」
「でも凄いですよ、それ!」
「……で、どうだい、君も来ないか?」
「はい! 行きます!」
勢い込んで頷いたエリスに、うんうんと頷きながら部長は背負っていたデイパックの中から入部届を取りだした。
「んじゃ、ここに名前と爪印《つめいん》を押して、後で騎央に渡しといてくれ」
「あ、はい」
流されるままに頷いた騎央の横から、白い手が伸ばされた。
「私たちにも貰おう…………三枚だ」
言ったのは摩耶である。
「え……ま、摩耶さん」
「お嬢様はエリス様と同じクラブに入られるそうだ」
無表情に摩耶が答える。
「おお、部員が一気に増えた」
ニコニコ笑いながら部長は更に五枚ほど入部届を取り出す。
「書き損じたらコピーでいいから」
「了解した」
鷹揚《おうよう》に頷きながら摩耶が受け取ると、別の手が二本伸びてきた。
「部長さん、私たちにも下さい」
「……下さい」
「お、騎央の幼馴染《おさななじ》みの金武城くんに……近小研《きんしょうけん》の子……だよな?」
部長の言葉に、真奈美とアオイは揃って頷いた。
「……夢じゃなかろうかね」
ホクホク顔を通り過ぎてとろけたような表情になりながら部長は更に三枚取りだした。
真奈美達の横から、さらに三本の腕が出る。
「…………お前達も欲しいか、よしよし」
いつの間にか真奈美のデイパックから出てきて「くらさい」と書かれたプラカードを手にした「ゆんふぁ」と学生服とセーラー服姿のアシストロイド二体にも部長は一枚づつキチンと入部届を手渡してやった。
「で、部長殿、合宿の日程、食事の手配などは出来ているのだろうな?」
ざっと記入事項を確認した摩耶が、冷たい声で訊いた。
「まぁ、大雑把《おおざっぱ》な所は……」
「よし、ではこれからその内容を確認させて貰う。お嬢様に対し、ご不便、ご不快があってはならないからな」
「あ、いえ、オレはこれから昼食で…………」
「用意はする、とっとと来い!」
戸惑う部長の襟首をひっつかみ、摩耶はずんずんと歩き始めた。
さらに真奈美とアオイもその後を追う。
エリスも気がつくとアントニアに引きずられてその真ん中にいる。
「…………何か、二学期前から忙しいことになってきたなぁ」
ぽつねん、と一人取り残された騎央は呟いた。
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第二話 水着は恋する少女の戦闘服で
学校から騎央の家までエリスと少年を送り届けると、真奈美はアオイを引っ張ってモノレールに飛び乗った。
そして今は那覇《なは》新都心、サンエー那覇メインプレイスの一階にある水着専門店である。
「うーん」
真奈美は、手に持ったワンピースの水着をアオイの首のあたりに押しつけながら難しい顔になった。
「これもいいけど……でも、ちょっとおとなしすぎるかなぁ」
「…………」
当のアオイはというと、どこか困ったような笑みを浮かべてなすがままになっている。
「あの……真奈美はいいの? 水着」
「あー、あたし? あたしはいいのよ、この前買った奴があるから」
そして、今度は白いビキニを取りだしてみる。
「あ、これいいかも」
「ちょ、ちょっと大胆すぎない?」
アオイはこれまでの人生で「目立つ」ということを罪悪として生きてきている。ビキニの水着は十分に大胆だった。
「大丈夫、これくらいは平気よ……第一、この前着せられたアレに比べれば……ね?」
「う……うん」
アオイはそのときの自分と真奈美の格好を思い出して頬を赤らめた。
アレ、というのは水着と呼ぶのもはばかられるようなきわどい紐水着《ストリングスーツ》である。
つい一週間ほど前、ある事情でパワーボートを必要としたアオイと真奈美は、それの提供と引き替えに日本屈指の女闘美《めとみ》ックアクションの権威、河崎貴雄《かわさきたかお》監督の新作映画に出る羽目となり、その衣装が例の紐水着だったのである。
「……そういえば、あの映画どうなったのかしら? 私も出来れば資金難とか、スケジュール調整の失敗とか、監督が自分の今までのファンが嫌になって全てのシーンを差し替えてしまったとか、膨大な予算に我を忘れてワンカットに凝りまくって資金を食いつぶしたとか、そういう風に頓挫《とんざ》して欲しいんだけどなー」
「…………」
アオイは力無い笑みを浮かべた――恐らく、真奈美の希望はかなえられない。
何しろ河崎カントクの最大の特徴は「どんな状況でも必ず予定通りに予定時間の映画を作り上げる」という一点に集約されているからだ……そして最大の問題もそこにある。
「女の子同士が戦う」という部分さえあれば、カントク、作品の出来はあまり気にしていないからである。
(私、日本映画の汚点に出演することになるのよね……きっと)
どこか黄昏《たそが》れた気持ちで、アオイはそっと溜息をついた。
「うーむ」
そんなクラスメイトの内心を知ってかしらずか、その顎に右手を当て、左手で水着を持ってアオイの身体にくっつけながら、真奈美は首をひねった。
「難しいわねえ……あまりきわどいのもアオイのキャラに合ってないし、かといって大人しいと問題だし」
「あ、あの……私、水着は学校の奴で……」
ちょっと真奈美は小首を傾げた。
「それはいいかも」
「そ、そうなの?」
一般人としての常識が著《いちじる》しく欠けていると自覚しているアオイには、この辺のことは真奈美のいいなりになるしかない。
「アオイ、二階いこ」
「え?」
「競泳用水着よ。アレなら生地も薄いし、デザインは派手じゃないけどシャープだし、いい感じになると思う…………うん、ベストよベスト!」
真奈美はアオイの腕を引っ張って歩き始めた……もう真奈美の頭の中では、競泳用水着のカタログが音を立てて捲《めく》られ始めているらしかった。
「私は帰ってきた……なーんてね」
暢気なことを言いながら「彼女」はすっかり埃《ほこり》っぽくなった我が家の窓を開いた。
三、四年ほどほったらかしになっている割に、プレハブ小屋のアルミサッシは軽やかに開き、さわやかな風を吹き抜けさせていく。
夕暮れ時の涼しい風がウェーブのかかった金髪を撫でていくのを、少女は糸のように眼を細めて楽しんだ。
広さは八畳ほどだが、いくつも重ねられた段ボールやら背の高い本棚やら何やらが雑然と並び、実質床の面積は四畳半というところだろうか。
「さて……と、お掃除しましょ」
「彼女」は水道の水でバケツを洗い、水を張って、中に雑巾《ぞうきん》を沈めると、掃除を始めた。
すぐに雑巾は真っ黒になり、バケツの水も黒くなる。
何回か水を入れ替える頃には、プレハブ小屋の中は大分綺麗になっていた。
「お、そっちは終わったか」
母屋《おもや》の方から、二〇代前半の青年が顔を出した。
「あいよー。そっちは?」
「ま、こっちはおばさん達が毎週掃除しに来てくれるからな、僕の部屋だけで済んだよ」
「よし、じゃあ明日にはご近所の挨拶回りを片づけて、明後日ぐらいかな?」
「ああ、お前の同類に会いに行く、って奴?」
「そそ。まあ、同類かどうかはともかく、同じ猫耳として、アレよ、そのつまり……そう、まずはガツンとイカないとね」
ぶんぶんと手を振って元気よく答えた少女の手が、積んであった段ボールに当たった。
天井近くまで積み上げられた段ボールの一つがその衝撃で落下、その頭の上に、角を下にして見事に直撃した。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
頭を押さえて声にならない悲鳴を上げる少女に、少々笑いの混じった溜息をつきながら青年はかがみ込んだ。
「早速ガツンとやられたな……どれ、見せてみろ」
「旅士《たびと》ちん、痛い〜」
「安心しろ、コブになってるだけだ」
と、青年は頭を撫でてやりながら、
「お前ってば本当に漫画みたいな人生だよな……頼むよ、『裏庭の神様』」
「神様じゃなくて仙人だい」
涙目になった少女の後ろで、その脳天に当たって転がった段ボールの中から、古い玩具の箱が幾つか見えている。
騎央の家の応接間、接客用のソファには、見事な花々が咲きほこっていた……といっても形而上《もののたとえ》のお話で、実際に植物が咲いているわけではない。
その花は、様々な素材の布で出来た花だった。
薄い物もあれば厚い物もあるが、取り立てて判るほどの素材の違いはない。まあ、ほとんどが化繊であるという共通項はあるかもしれないが、中には革とかビニールレザーなどで構成されているものもある。
「わ……なにこれ!?」
買い物から帰ってきた真奈美とアオイは、部屋に入った途端、その百花繚乱《ひゃっかりょうらん》の花畑を構成しているのが水着であると気づいて声を上げた。
花の中心は窓ぎわにある、白いビニールで出来た組立型の着替え室。
「きゃあ、エリス様、これも似合いますぅ」
「そ、そーですか?」
黄色い歓声をあげているのはアントニアで、戸惑う声で答えているのはエリスである。
「もっと布が小さいのがいいかもー。ねえ摩耶、どう思う?」
どうやら円筒形のビニールルームの中にはメイド長もいるらしい。
「そうですねえ、お嬢様と違ってエリス様にはお胸も大きいですし、形もぐっと持ち上がって美しゅうございますから……」
「お前は一言多い!」
ぴしぱしぴしぱし。
「ああっ、お嬢様、お嬢様ぁあっ! お許しを、お許しをおっ!」
どこか嬉しげな摩耶の声が響く。
「あ、あの、アントニアさん、人間をそれでブツのは幾らなんでもマズいんじゃ……」
「いーえ、エスキモー犬もメイドも、しつけは厳しくしないとダメです!」
人権保護団体もグリーンピースも怒りそうな台詞であるが、アントニアの声はかなり鋭く、さしものエリスも沈黙した……ちなみに、エスキモー犬のしつけの基本は太い木ぎれで思いっきり頭をぶん殴ることである。
まぁそれはさておき。
真奈美が顔色を変えたのは、ソファの背もたれといわず肘掛《ひじか》けといわずに咲いた水着の花が、すべて有名ブランドで統一されていることに気づいたからだ。
「う、お、おのれー……ジヴァンシーにイブ・サンローランにミズノのスピード、アリーナ、エレッセ、OPのガールズ…………うわぁ、PEAKE&PINEまである!」
アオイは、愕然《がくぜん》とした表情の真奈美の後ろで、何を言っているのかさっぱり理解できないまま立ち尽くすしかない。
「おー、ふたりとも帰ってきたか」
そうこうしている内に、台所から宮城の雄一叔父が現れた。
オールバッグにサングラス、口髭《くちひげ》を生やした上に深紅《しんく》のアロハにバミューダという、どこから見てもハワイのアヤシイ観光ガイド、という風情《ふぜい》の人物であるが、かなり身内に親切な人物で、アオイも真奈美も何度か世話になっている。
正確にはふたりともちゃんと家があるから、「帰ってきた」という表現は正しくないのだが、今の二人はまあ、キャーティア大使館の職員でもあるわけだから、当たらずといえども遠からずというところか。
「これ、何です?」
「あのおでこのお嬢ちゃんがな、メシを持ってきたのはいいんだが、ついでに山ほどの水着も持ち込んで二人揃って試着&騎央相手にお披露目、というわけだ」
「はぁ……」
「あ、あの……嘉和君は…………」
「最初の二着までは大丈夫だったんだがな、三着目にものすごいストリングワンピースが出てきて、鼻血吹いて部屋に転がっとるよ……我が甥《おい》っ子ながら情けない」
「…………」
真奈美はちら、と視線を走らせて、それとおぼしき白のワンピース……というか、ワンピースのワイヤーフレーム、といった方がいいような小さな布と紐の集合体を見つけて、少々不機嫌になった。
それは、この前真奈美とアオイがパワーボート使用の交換条件として着用させられた紐水着と、何ら変わらない面積だったのである。
(エリスの場合は鼻血吹いて倒れて、あたしの時はキ○ガイ扱いって、どーよ!)
そんな真奈美をよそに、試着室のカーテンが開いた。
「えーと、これでいいんですか?」
「ええ、そうですそうです!」
戸惑い気味のエリスと、ノリノリで目を輝かせるアントニアのふたりが現れた。
アントニアはブルーで両脇に白いラインが入ったワンピース、エリスは黒をメインにブルーのラインが所々に入った競泳水着だった。
「何かちょっと……胸が布からはみ出てるような」
「いえいえ、とってもお似合いですわエリス様!」
アントニアは目を輝かせたが、その後ろから(これは本来のメイド服に着替えた)摩耶が冷静にメモを読み上げる。
「えー、腰とヒップはぴったりですが、エリス様の胸は九八のFですから、それではたしかに胸がサイド部分からはみ出てしまいますね」
「きゅ……九八の、え、えふ……」
真奈美とアオイは示し合わせたように摩耶の言った数字を口にした。
なるほど、確かに大きいと思ってはいたが、あらためて数字を告げられるとやはり衝撃が大きい。
「か…………勝てない、これでは、コレでは勝てない……」
遊星爆弾の驚異に晒《さら》された地球防衛艦隊の艦長のようなことを呟き、真奈美が思わずよろけてソファに手を突いた。
「…………はっはっはっは、青春だねえ」
雄一だけが暢気に懐から扇子なんか取りだして扇《あお》いでいる。
思った通り、ここの海岸は穴場であった。
新品の「Y」ナンバーを着けたマツダRX―8はロータリーエンジンの能力を十分には引き出せないオーナーであるにも拘《かか》わらず、不平ひとつ言うことなく軽快なエンジンサウンドを響かせながらその砂浜近くに停車した。
ちょうど、さとうきび畑の陰に入っているから、道路からは見えない。
「やはり、『ライス・ロケット』は最高だな」
と、ロクにそのスペックを引き出せない癖に判ったような口を利きながら、ジョン・ウッド二等兵(二四)は助手席に座った日本人女性を抱き寄せた。
「ありがとう、マリコ」
「いいのよぉ、ジョン」
派手な衣装とオーバーな化粧で武装した、アメリカ人専門……いわゆる「アメ女」の典型的なサンプルになりそうな女は、そう言って逞《たくま》しいジョンの腕に顔を寄せた。
(さて、そろそろコイツも切り時だな)
優しく髪を撫でてやりながら、ジョンは思っていた。
この車の中には彼とマリコの「思い出」が一杯詰まっている。後部座席にはノートパソコンとデジタルカメラ、ダッシュボードの上には最新のカーナビシステム、カーコンポ……そうそう、この車自体もマリコに買ってもらった重要な「思い出」だ。
彼にとって「思い出」とは商品そのものだった。
別に悪いことをしているという考えはない。
これはちょっとしたアルバイトだと思っていた……それも、アメリカでは絶対に不可能な、割の良すぎるバイトだ。
彼は得意の絶頂にあった……故郷のカルフォルニアでは、単なる下層白人《プア・ホワイト・トラッシュ》の乱暴者として女に鼻も引っかけてもらえなかった自分が、東洋の島国に派遣された途端、まるでロサンゼルスの娼婦の|ヒモ《ピンフ》よろしく女性達がすり寄ってくるのだ。
海兵隊での訓練は辛かったが、その結果手に入れた筋肉は、ここの女達には絶大な効果があった。
中には真面目に恋愛をし、結婚に踏み切る者もいるが、大抵は任期が切れて本国《ステイツ》に帰るころには何だかんだと理由を付けて上手く別れるのが常だ。
この「アメ女」と呼ばれる連中は、ファッションとして……つまり他の退屈な日本の女と違うのだというステイタス・シンボルとしての彼らを欲している。
実質や中身は問題ではない。
アメリカ人相手に愛を囁き、これだけ尽くしたという事実が欲しいのだ。
で、オレはそれを与えてやる……正当な取引じゃないか。
特にこのマリコは「|当たり《ビンゴ》」だった。キョウトだかトーキョーだかの資産家の娘で、沖縄の大学に流れてきたこの女は、彼の言うままにカメラや車を買ってくれた……しっかり名義はジョンのものにしてあるから、このまま「お持ち帰り」も可能だ。
「ねえ、ジョン、あなたよくこんな所しってたわねえ」
「君のためだよ、ハニー」
本当は同じような「アメ女仲間」から訊いただけなのだが、取りあえずそんな手品の種明かしをするほどジョンはバカではなかった。
喜ばせるなら喜ばせた方がいい。
相手を抱き寄せ、唇を奪う……その時、静かにドアが開くのを、彼は感じた。
恐ろしく静かで、RX―8が普通の車ならまず気づかないほどの見事な隠密《おんみつ》行為だった。観音開きなセンターオープン式である故だった。
「!」
後ろを向く。
「なにか」と目が合った。
「…………!」
反射的に、ジョンは腰の後ろに手を突っ込んだ。そこには護身用のナイフがある。
涼しげな音がした――手首が恐ろしい勢いと力で上を向いた、と気づいた時、ナイフはRX―8の天井を貫いていた。
「|くそったれ《Shit》!」
ジョンは何が起こったのか判らない女を突き飛ばし、ダッシュボードの下からガムテープで貼りつけたリボルバーを引き剥がした。
カルフォルニアにいた頃、密かに購入したものだ………………もちろん違法だが、多くの海兵隊にとって外国の法律は「上官に言われない限りは思い出さない」ものである。
だが、引き剥がされるガムテープの音が始まった瞬間、フロントグラスが真っ白になって砕けた。
中程をロープで結ばれた巨大な丸太が、フロントグラスのど真ん中をぶち抜いて、屋根を吹き飛ばしながら夜空へ飛び出していく。
今度はジョンも凍りつく。
そして、後頭部を強打され、彼は気を失って、一足先に気を失っていた女の上に重なり合って倒れた。
対象が無力化したのを確認し「それ」は片手をあげて仲間を制した。
彼らは不要な殺人をするように作られていないし、襲撃の目的はあくまでも別にある。
一本のサトウキビの周りに、短く切った別のサトウキビをぐるりと古いビニール紐で巻いて出来た棍棒《こんぼう》をシートの上に置いて、「それ」は他の連中に合図をした。
めきめきという音がして、カーナビが乱暴にダッシュボードから外されたのを手始めに、様々な電子機器が車からはぎ取られ始めたのはそれからすぐのことである。
翌朝、ジョン・ウッド二等兵とマリコこと本上寺《ほんじょうじ》花子は、フレームとシートだけになった車の中で発見されるが、彼らは「身長三メートルの巨人がいきなり襲ってきた」と恐怖におののいた証言を繰り返した。
「……?」
ノックの音がして、騎央はベッドから起きあがった。すぐにドアを開けようとして、自分の鼻の穴に突っ込まれているティッシュに気づき、慌てて引っこ抜いて屑籠《くずかご》に放り込む。
「エリス?」
ドアを開けると、そこにはアオイが立っていた。おしゃれな紙袋を胸に抱きしめるようにして、顔を赤く染めて俯《うつむ》いている。
「あ、あ、ふ、双葉さん」
「あ、あの……嘉和君。明後日のことだけど」
「な、何か不都合でも?」
「ううん……あの……わ、私……あまりこういうイベントに参加したこと、無いから……迷惑かける……かも…………しれない……けど……」
「あ、いいよ、大丈夫、気にしないで。僕も真奈美ちゃんも出来るだけフォローするから。それにエリスだってそうだし……楽しむことだけ考えてよ」
「……あの、……ありがとう」
ようやくアオイは微笑んだ。
「えーと……あの、さ……」
騎央はちょっと照れた笑いを見せた。
「双葉さん、ありがとう」
「え?」
「真奈美ちゃんから聞いたんだ……僕たちのために仕事、棒に振ったって」
「あ、あ……」
みるみるアオイの顔が真っ赤になる。
「そ、そんな……い、いいの……」
ぱくぱくと、金魚のようにアオイは口を開け閉めして、ようやく上ずった声を絞り出した。
「だ、だって……と、友達にひ、ひどいこと……出来ないもの」
「ありがとう」
それでも少年は頭を下げた。何の気取りもてらいもない、真摯《しんし》な態度だった。
騎央の肩に手を置いて、アオイは慌てて上体を起こさせた。
「お、お願いだから……そんなこと、しないで」
泣きそうな顔になっていた。
「あ…………う。うん」
アオイの迫力に押されて、騎央は素直に頷いた。
「わ、わかったよ」
「じゃ、じゃあ、明日も来るから……」
少女は踵を返すと、とたとたと足早に階段を下りていった。
「…………」
その背中が消え去るのを見ながら、騎央はぼんやりした表情で立ち尽くした。
(双葉さん……泣いてた……のかな?)
何かしくじった覚えはないのに、自分が悪いような気がして、騎央の心は重くなった。
「えーと、アントニアさん、わたしはこれでいいですから、もうしまってくださいな」
さんざん着せ替え人形にされたエリスはほとほと困り果てた表情で音《ね》を上げた。
「えー? まだ半分も開けてないんですよぉ?」
「いや、もうこれでいいですから」
たはは、とエリスは彼女にしては珍しい乾いた笑い声をあげながらアントニアの無邪気な好意を辞退した。
「では、尻尾の部分に穴をあけますので……ちょっと失礼」
チャコールペンを持った摩耶が素早くエリスの後ろに回り込むと、水着の上から尻尾の付け根あたりにラインを引いた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
摩耶はちょっと目には素っ気なく……しかし、対象となる相手には十分に控えめ且《か》つ丁寧と判る絶妙の奥ゆかしさで頭を下げる。
(すごいなぁ……)
エリスは素直に感心した。相手の感情をこのメイド長は把握し、コントロールさえしながら悪印象を与えないノウハウを確立している。これはエリスの社会でさえごく一部の人間にしかできないことだ。
「では姫様、そろそろ夜も更《ふ》けて参りましたし、今日はおいとま致しましょう」
「うー」
アントニアは年相応の少女の顔で膨れて見せたが、すぐに気を取り直し、
「では、エリス様、今日は帰ります」
にっこりとエリスは微笑んだ。
「今度は何も持たないで来てくださいね。わたしたちがごちそうしますから」
エリスの後ろに並んだアシストロイド達が一斉に鍋やおたまを持って振った。
「はいっ、是非是非っ!」
と答えたのは、アントニアではなく……。
「…………サラ?」
「はっ」
摩耶とアントニアの驚きの視線に我に返り、慌ててとろけそうな笑顔を引っ込め、咳払いなんかして元の不敵でワイルドな表情に戻ったのは、片目の副メイド長、サラだった。
「で、ではまた」
アントニアがセーラー服の裾を摘んで優雅に挨拶する。
「はい」
と改めて微笑むエリス…………その視界の隅を、騎央の部屋から駆け下りてくるアオイの姿がよぎった。
「…………?」
「アントニアさん達、帰りましたよ」
「うん」
二階に上がってきたエリスの言葉に、窓辺に立ったまま騎央は生返事した。
「どうしたんですか?」
トコトコととエリスは階段を上って騎央の隣に立った。
少年の視線の先を見てみるが、そこにはいつもの夜景が広がっているだけだ。
「双葉さんにお礼を言ったら、泣かれちゃった」
どこか途方に暮れたような声で騎央。
「…………どうしてですか?」
「判らないんだ……でも、僕が悪いような気がする」
「…………」
何も言わず、エリスは騎央の側に少しだけ……一歩の半分だけ、寄った。
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第三話 ネコと海まで(前編)
この家の本来の主《あるじ》と、その居候を見送って、青いボディスーツをつけた猫耳尻尾付きの少女は引き戸をがらがらと閉めた。
「うー、こんな朝早くからたたき起こしやがって……もっと前から知らせとけ、っての」
ふにゃふにゃした顔で、チャイカは家に上がった。
玄関から室内にあがる際に、いつものように足首から先のスーツが自動除装される。
生足で板間の廊下をぺたぺたと歩きながら、「これから寝るぞあたしは」モードに移行したチャイカは、エリスの常駐させている一六体のアシストロイド達に命令した。
「あー、アタシはこれから寝る。お前たちは半舷《はんげん》休息。|一二時〇〇分《ヒトフタマルマル》まで起こすな、電話、その他|諸々《もろもろ》も取り次ぐな、以上」
ぴっ、と青いアシストロイドが敬礼し、そのままくるりと振り向いて何事か言うように頭を小刻みに動かすと、エリスのアシストロイドたちも同じく敬礼して頷く……そして、半分に分れてジャンケンを始めた。
半舷休息のため、先に休むのが誰なのかを決めるためである。
当初、海へは早朝バスを利用する、ということになっていた。
が、それは急遽《きゅうきょ》さる筋……というか、はっきり言えばアントニア直属のメイド部隊の長、摩耶からの意見によって変更されたとは知っていたが。
朝、集合場所である学校前のバス停に来た騎央達は目を点にしていた。
「普通、こういう場合はバスじゃないのか?」
部員の一人がぽつんと言い、誰もが頷いた。
そこに並んでいるのは、映画かテレビで……外国の有名映画のプレミア上映会とかでお目にかかれるかどうかというような、巨大なリムジンだったのである。
それも、五台はある。
さらに、その周囲を守るように…………いや、実際護衛として、明らかに「中に長くて重くて危険な物が入ってますよ」と判るカバー付のサイドカーが一〇台、プラス、その全てのドライバー、ライダーが国籍、人種は様々ながら、見目麗《みめうるわ》しいメイドたち。
あまりにも非現実的で呆れ返るというか、感心するしかないというか、な光景である。
騎央は頭を抱えたが、意外なことに他の映像部の連中は目を輝かせた。
「おお、本物のメイドさんだ! すげー、秋葉原《あきはばら》にしかいないと思ってたよ」
「革手袋にヘルメット、ってのも格闘ゲームみたいな感じですげえ……」
「コスプレと違って本物は綺麗ねー」
暢気きわまりない会話である。
『あーあー、諸君』
口にハンディスピーカーをあてながら摩耶が全員に注目を呼びかけた……どうやら今回の撮影旅行の行き来を仕切るのは彼女、ということらしい。
「これより車を割り振る。各員、我々の指示に従って欲しい…………各員、車には四名ずつ、携帯電話の電源は切ること、食事、その他のスケジュールは追って連絡する、以上」
何となくツアーコンダクターというよりはシージャックしたテロリストみたいな口調と態度だが、昨日の校門での騒ぎのせいで「この人はどうもそういうキャラらしい」というのが浸透しているらしいのと、「メイド」というコスチュームのせいか、誰も違和感を持たずに嬉々として従う。
部長も特に異論を挟まず、うんうんと頷いている。
「いいんですか、部長……」
小声で騎央が囁くと、
「いいじゃないか、綺麗なメイドさんが行き来をきちんと仕切ってくれるんだぞ……何よりもアゴアシがタダになる――ああ、アゴはメシのこと、アシは移動だ」
部長は芸能界や映画界では常識の言葉の意味を説明した。
「メシって……食事もですか?」
「向こうが持ってくれるというんだ、好意に甘えるのは当然じゃないか……こっちは金がないことでは世間の常識な一般学生だぞ」
「うーん……そうですかねえ……」
納得しかねる表情で、騎央は取りあえず頷いた。
その前で、今回同行することになったエリスのアシストロイド四体が「われわりはどこにのるでしか?」と書かれたプラカードを摩耶に示している。
「これで四件目か……」
沖縄県警の漢那《かんな》分署から来た警察官は、そう言って口をへの字に曲げた。
民家の中である。
窃盗《せつとう》事件にしては何とも妙な現場であった。
窓ガラスは派手に割られている。が、アルミサッシの下一枚だけで、窓は開いていない。
しかも、いきなり応接間であり、さらにどこも物色していない。
まっしぐらである……衛星放送セットと、ノートパソコン、デジカメに向けて、だ。
金品類には目もくれていない。
その暇も無かったのは確かだ。
ガラスの割られる音がして家人が駆けつける一分ほどの間に、もうその姿は見えなくなっている。
「まったく、新しい機械ばっかり盗《と》っていってサー、どうせなら古い|爺さん《オジー》の残したラジオとか持って行けばいいのにヨー」
通報者でもある老婆がそう言って憤懣《ふんまん》やるかたなし、という顔で腕組みをした。
「ところで、オバー、盗まれた機械は全部自分で使ってたの?」
警官が何気なく尋ねた。
「あたりまえさー。ワタシしかいないのヨー。本土にいるひ孫や息子と話するために買ったサー。はぁ、高い金だして、衛星の機械もサー。沖縄の民放はロクな番組しないのに」
老婆が嘆くのも無理はなかった。盗品リストにはかなりの高級機が名前を連ねている。
「年寄りは仲田幸子《なかたさちこ》やってれば喜ぶと思ってるサー。ワタシのオバーの世代よ、それで喜ぶのは。だあ、時代劇の再放送はいつも暴れん坊|将軍《ショウグン》。昔のいい時代劇はどこもやらんさー」
「確かにねー」
いつの間にか民放の編成批判に移行した老婆の言葉に苦笑しながら、彼女の孫ほどの年齢の巡査は、クリップボードの内容をチェックした。
「しかし、これで一〇件目かぁ」
「子供の窃盗団ですかね?」
つい先日、こっちに配属されたばかりの後輩巡査が尋ねる。
「にしてもこの窓から入れるんだとしたら、三歳児ぐらいだろ? それに、いくら何でも上からオバーが降りてくる間までに出て行く、なんて芸当は出来んよ。それに、今時物品盗難ばっかりというのもなぁ」
「えー、|お兄ちゃん《ニーセー》よ」
老婆は考え込んだ巡査に語りかけた。
「|これは《ウリ》警察の仕事|じゃないよ《ヤ、アランロー》。ワタシ思うけど、|これはキジムナーの仕業だよ《クリ、キジムナーヌシクチヤシガ》」
「キジムナー、ねえ……」
思わず巡査は背後にある山(といっても本土のそれと比べればせいぜい丘ぐらいのもの)のほうを見やった。
沖縄本島の奥地にあるこの辺なら、確かにガジマルの木に住むという、魚の目玉と相撲が好きな、鬼とも精霊ともつかない謎の妖怪、キジムナーがいてもおかしくはない、とかぼんやり思ってしまったのである。
「|どれどれ《だぁ》拝みに行って、どのガジマルから出てくるか調べんとねー」
そこに警官がまだ仕事をしているというのに、オバーは勝手に部屋の奥へ引っ込んでしまった。この辺の身勝手さも、沖縄のオバーなら珍しい話ではないし、調書ももうほとんど取り終えているので、警官たちは頷きあって辞去することにした…………下手をすると、このままふたりを留守番にして老婆は「拝み」…………民間霊能者《ユタ》の所へ出かけてしまいかねない。
「では、我々はこれでー」
そう言うと、相手が何か言う前にさっさと踵を返した。
「キジムナーですか……」
無事にパトカーに乗り込んでから、後輩がぽつんと言った。
「五寸釘《ごすんくぎ》でも用意しますかねえ」
キジムナーは住んでいるガジマルの木に五寸釘を打たれるとその木から出てこられなくなるという。
「でも、双葉さんと金武城さんが来てくれてよかったぁ」
「そうそう、女子はちょっと肩身が狭かったのよねー」
「そうそう、あたしと愛子だけだったし」
リムジンの中、映像部の数少ない女子部員は顔をほころばせた。
すでに那覇は遠く、車は国道三二九号を北上中である。
エリスと騎央、そしてアントニアは同じ車に摩耶と一緒に乗っていて、アオイと真奈美はその後ろのやつに乗っている。
最初は驚いたり圧倒されていたりした女子部員ふたりだったが、友達同士という気安さからかすぐに慣れ、また各車に必ず一人配置されているメイドの丁寧な応対と、差し出される飲み物などにリラックスしきっていた。
「でも大変ねえ……騎央君でしょ? ふたりとも」
女子部員の片方……石嶺《いしみね》愛子がちょっといたずらっぽい顔で言った。
「え?」「え?」
思わず真奈美とアオイは声をそろえた。
「あ、やっぱり……」
くすくすと、愛子は隣の日米ハーフの少女、大城《おおしろ》アリサと顔を見合わせて笑った。
「部長から話を聞いたときからそーじゃないかと思ってたんだよねー」
「も、もー何言ってるのー」
大慌てて真奈美は両手を振り回して否定した。
「アレとあたしはタダの幼馴染みで、むしろ騎央目当て、ってのはアオイのほう……」
思わず口を滑らしてから慌てて口を押さえたがもう遅い。
「ま、真奈美っ!」
アオイが真っ赤になって大声をあげた。
「あ、そうなんだ」
「ふむふむ」
「あ、あなたたちふ、ふたりとも何納得してるのっ! ま、真奈美なんか誤解を、誤解を!」
アオイは完全に混乱してあたふたジタバタと手足を振り回す。
(あら、取り乱すと結構可愛いじゃない)
などと真奈美は思ったが、口に出すとますます事態がややこしくなるので、
「あ、ごめんねごめん、イヤホントごめん」
とアオイをなだめに回った。
(それに、下手をすると隠し持っている護衛用の銃をぶっ放《ぱな》しかねないものねー)
「別にからかおうとか、バカにしようとかいう意味じゃないの」
とんとんと肩を叩きながらひょいと耳元に口を寄せ、
「大体、隠れて付き合いたいんじゃないでしょ? これぐらいでビビってどうするの?」
「……う、うん」
何とか理性を取り戻し、コクンとアオイは頷いた。
「でも、そんなに判るの?」
「ほら、前から双葉さんと騎央君、タワレコとかで話し込んでいるの何人か見てたし」
「…………!」
アオイの顔が強張《こわば》った。どうやら誰にもバレていないと思っていたらしい。
「そ……そんなにみんな知ってたの?」
「うん。双葉さん綺麗だし、結構狙ってる男子多かったのよ」
ますますアオイの顔が愕然《がくぜん》としてきた。
無理もない。非合法工作員《イリーガル》としての優秀さを自他共に認めている彼女にとって素人《しろうと》も素人なクラスメイトに行動をつけられていて、かつそれに気づかなかったというのは天地がひっくり返るよりも驚くことに違いない。
「私……非合法工作員なのに」
ぽつんと呟いて、アオイはあろうことか車のドアに寄りかかった……通常のアオイなら「撃ってください」も同じ行為だとして、決してしない行為だが、そこまでショックは深刻らしい。
「まぁまあ」
さてどーやってフォローしたものかと思いながら、真奈美はアオイの肩を叩いた。
「『いつかはオレがー』とか思ってたあすなろ男子は結構ショックだったようよ」
「それに、騎央君、結構女子にも人気あったし」
「えー!」
今度は真奈美が驚く番だった。
「だって、あいつオタだし、眼鏡だし、優柔不断だし、あたしがご飯作ってやらないと三食カップ麺ですませるよーな奴なんだよ?」
「まあ、今の時代、オタぐらいは『個性』の範囲よ」
「そうそう、文化系の子達にしてみればさ、大人しくって優しくて、いつも清潔で、そこそこ常識もわきまえているわけだから、『磨けば光る』とゆー」
「………………へえ」
呆れたように真奈美は溜息をついた。
「でも、まさかうちゅーじんの子と一緒にいるなんてねえ」
「焦るわよねえ」
うんうんと石嶺、大城コンビは頷きあった。
「タダでさえオタの子ってこういうシチュエーションには弱そうだものねー」
「まして、騎央君優しいし、押しに弱そうだし」
「でも、そんなところがこー見ていて安心するというか、癒してくれる、っていうか」
「ねー」「ねー」
辛辣《しんらつ》なのか好意的なのかよく分からない評価を下しつつ、コンビは頷きあった。
「癒し、ねえ」
真奈美は「物は言いよう」だなあ、と妙に納得していた。
「ところでさ、これどう思う?」
石嶺愛子がトートバッグの中から手踊り人形を取りだして右手にはめた。
子猫を模したらしい、簡略化された造形が、何となくアシストロイド達に似ている。
「あ、結構いいじゃない?」
「でしょー。このまえゲーセンで取ったの。ルーレットで」
「ルーレット?」
「双葉さんは知らない? ほら、上と下の段にぶら下がってる奴を、ルーレットの数字を当てて取る奴」
「…………?」
「あ、アオイって結構お嬢様だったから、ゲーセンとか入ったこと無いのよ」
「え? 本当? ツクリじゃなくて?」
「…………え、ええ」
「すごーい!」
四人の少女達の話題はコロコロと違うところへ転がり始めた。
その横で、真奈美のアシストロイド「ゆんふぁ」とアオイのアシストロイド「錦《きん》ちゃん」「チバちゃん」が互いに何か言いたげに顔を見合わせている。
くかー、という可愛らしい寝息を立てて、アントニアはエリスの膝枕《ひざまくら》で眠っている。
当初、異様にテンション高くあれこれエリスに話しかけたりじゃれついたりしているアントニアだったが、高速道路に乗って五分もするとウトウトをし始め、ことんと落ちるように寝入ってしまった。
エリスは優しい眼差しで少女の寝顔を見つめながら、ゆっくりと背中を撫でている。
「寝ちゃいましたね」
「すみません」
申し訳なさそうに騎央の対面、エリスの隣に座ったメイドの摩耶が頭を下げる。
「お嬢様は、エリス様とお出かけするのが本当に嬉しいようでして、昨日は夜明け前まで寝ておられなかったものですから……」
普段は威風堂々《いふうどうどう》、沈着冷静で美人なのにちょっと強面《こわもて》な摩耶が身を縮め、ちょっとうなだれてそんな言い訳をするのが微笑ましくて、騎央はつい、くすりと笑った。
何となく頭の中で二頭身のアントニアがてるてる坊主をつるしたり、枕元《まくらもと》の着替えを直したりしては布団に入り、またてるてる坊主の角度をいじったり、リュックの中身を確認したりする映像が浮かぶ。
(ま、そんなわけはないか)
騎央は自分自身の発想の貧困さに苦笑した。
アントニアはれっきとしたお嬢様で、リュックサックだって背負っていない。
「本当に楽しみだったんでしょうね」
「ええ。あんなお嬢様を見るのは久々でした」
どこか嬉しそうに摩耶は頷く。
さて、アントニアとは別に、彼女と同じ幸せにどっぷりと浸《つ》かっている人物が、そのちょっと前方にひとり。
「ねこたんは、さむくないでちゅかー?」
護衛のバイク部隊の指揮官であるサラは、普段からは信じられないようなトロトロに甘い声で、タンクの上にちょこんと乗っかったアシストロイドに話しかけた。
ちなみに彼女のサイドカーだけは他の白いサイドカーと区別するために赤く塗られ、サイドカーの語源にして特徴である側車《フネ》には誰も乗っておらず、ある特殊装備を入れたコンテナとなっている――その代わり、彼女には旅の相棒がいた。
「どうでちゅかー?」
エリスの連れてきた四体の内の一体は、ちょっとサラの方を向いて「だいじょぶ」と書かれたプラカードをかざした。
ちなみに、通常型のアシストロイドなのに、革のジャンパーとゴーグルをつけているのは、それがサラが用意してきた品物だからである。
「えらいえらいでちゅねー♪」
黒い革のグローブで包まれた手で、機械だというのに妙に柔らかくて暖かいアシストロイドの頭を撫でると、その心落ちつく感触にうっとりと目を閉じそうになる。
『副長』
その時、ヘルメットのレシーバーから無線が入った。
「何だ?」
打ってかわった冷たくてハードな声で、サラはヘルメットの横から口元に伸びているインカムに応《こた》えた。
『幸せそうですね』
「ば、バカを言っている暇があるなら、周囲をレーダーで監視しろ! 今回、航空支援はギリギリまで出せないんだからな」
『はい、了解です』
笑いを含んだ声で無線は終わった。
「……まったく……人を舐めるにもほどが……」
口をへの字に曲げて、いかめしい表情を作ったサラだが、ちょっと視線がタンクの上に乗っかったアシストロイドと合うと、またデレデレと崩れてしまうのを止められない。
「あぁ……ねこたんは可愛いでちゅねー♪」
そのまま抱え上げて「ぎゅー」と抱きしめたいのを我慢して、再びサラはアシストロイドの頭を撫でた。
アシストロイドに人間のような「休息」の概念はない。
彼らにとっての「休息」とは駆動系を休め、これまでそれぞれの個体が得た情報を総合(時には個体同士で情報を交換し合い)し、シミュレート、あるいは推論するための時間、ということになる。
だが、二〇体もアシストロイドがいると、中には「変わり者」も出てくる。
統計的に「出てきて」しまうのか、それともわざと「出して」しまうようにプログラムされているのかはキャーティアの社会でも知るものは少なく、むろん、エリスも知らない。
その「変わり者」の額に書かれているのは「6」だった。
「6」はトコトコと外へ出た…………彼は「独自の」判断で「休息」の中の時間をちょっとした「実験」と「情報収集」に当てようとしていたのである。
…………とまあ、難しい言葉で言えば右のようになるが、実際には「散歩」だ。
門を乗り越えて、ひょこんとアスファルトの上に降り立った「6」はトッタカと歩き始めた。
夏の日差しはまぶしく、小さな影をアスファルトに焼き付けていく。
時折日陰に入ってそこで涼む近所の猫を観察したり、どこからか流れてくるピアノの練習の音に足を止めて聞き入ってみたり、セミの亡骸《なきがら》を運ぶアリの群れをちょっと追いかけてみたりと、なかなか詩人なことをしつつ、アシストロイドは住宅街を抜けて、大通りに出ようとした。
「あ、あれなんだー!?」
たまたま通りかかった子供達の集団が「6」を見つけてはしゃいだ。
「○ジモンだ!」
「ちげーよ、ポ○○ンだよー!」
「ゲットしよーぜ!」
わーっ、と子供達は「6」に殺到する。
彼らの目的が自分だと理解すると、「6」は早速回避行動に入った。
ひょいと飛び上がって塀の上に上がると、とてとて走り始めたのである。
「あ、逃げた!」
「追えー!」
子供達は諦めずに追い始めた…………のみならず、手近な所に落ちていた空き缶やら石やらまで投げ始める。
「可愛い」「面白い」「触りたい」という興味が、あっというまに「にげるやつを捕まえる」面白さに取って代わるのは、いかにも移り気な子供らしい無邪気な残酷さだが、アシストロイドとしては迷惑もいいところである。
もっとも、そんな感情はアシストロイド「6」にはないのだが。
ただし、あまり逃げ回るのも考え物であるという判断はあった。
この辺は住宅地とはいえ車の通りがないわけではない。特に電車という輸送手段が存在しないアメリカ並みの車社会である沖縄では、どんな所にも車とオートバイは入ってくる。
彼らが熱中するあまり、車やバイクに跳ねられてはいけない……アシストロイドもロボットである以上、例の三原則……というよりもそれよりさらに「推論」の概念が持ち込まれているややこしい物であるが……が組み込まれている。
「6」はひょいと地面に降りた。
例のプラカードを取り出す。
子供達が急ブレーキをかけて停《と》まる。
「これいじょはあぶないから、おいかけっこはやめましょー」とプラカードを掲げると、
「逃げる方が悪いんじゃないかー!」
「そだそだー!」
自分たちが追いかけ始めた、という負い目を思い出すことなく、子供達は不条理にもポカポカと「6」を殴った。
「あ、こいつ変な手触りするぞ!」
「やっちゃえやっちゃえ!」
追いかけることでアドレナリンがあがっている子供達は興奮のままにさらにアシストロイドを殴ろうとする。
その背後から影が伸びた。
「こら!」
しぱぱぱぱぱぱぱぱぱーん!
「|痛い《あが》ーっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
派手な音がして、子供達は頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「弱い者いじめしちゃだめでしょーが!」
いつのまにか、その背後にはオーバーオールにTシャツ、金髪|碧眼《へきがん》の少女が、大阪名物、画用紙製ハリセンチョップを握って仁王《におう》立ちになっていた。
背丈《せたけ》と顔立ちからすると一〇歳前後というところか。
そうとう分厚い画用紙を曲げて作ったらしいハリセンは、手元だけにきっちりと折り目がついて、叩く側は柔らかく曲げてあるだけという、ハリセンの考案者、チャンバラトリオ方式と呼ばれる本格ものだ。
キチンと折り目がついたものと違い、叩かれたらそうとう痛い上にド派手な音がする。
「な、|なにすんだよー《なにするばー》!」
痛みと驚きは、相手が自分とさほど年の変わらない「女の子」だと気づいた途端怒りに転化したらしく、子供達のリーダー格らしい色黒の少年が大声をあげたが、少女はひるみもしない。
「自分たちよりも小さい子をいじめるのは弱い者いじめ!」
少女は頭から決めつけた。
「なんでー! これ人間じゃないん|だよ《ばーよ》! なぐっても|いいんだよ《いーばーよ》!」
「そんなこといつ、誰がどこで、何時何分何秒に決めたっ!」
少女の言葉に、リーダー格の少年は口を尖らせて小馬鹿にした口調で、
「それは今、おれ……」
ぱちこーん!
「人間でも物でもお化けでも、自分より小さい子を、よってたかっていじめるのは弱い物いじめ!」
少女は漫才師がツッコミを入れるように、屁理屈《へりくつ》をこねようとした少年の頭にハリセンを入れ、なおも続けた。
「あんたたちはもー、何ねー! 悪い人? 悪者なのー? 仮面ライ○ー嫌い? ウ○○ラマン嫌いなの? デジ○○もポケ○○も、友達にならないといけないんだよー!」
理屈が通っているのかいないのか、脈絡《みゃくらく》のない言葉であるが沖縄方言独特のイントネーションと、じっと睨みつけた少女の迫力は、内包した感情をダイレクトに子供達にたたき込んだようだ。
少女は怒っているのではなく、悲しんでいるのだ、と。
「殺しちゃったり、こわしちゃったりしたら、もう友達になれないんだよっ!」
「…………」
子供達はしゅん、となってうなだれた。
「あやまりなさい」
少女は穏やかな……それだけに秘めた爆発力をひしひしと感じさせる声で命じた。
「…………」
人間ならともかく、明らかに違う「もの」にあやまる、というコトに抵抗があるという小知恵を身につけはじめた少年はちょっと躊躇《ちゅうちょ》したが、周りの子供達はもう少し素直で、
「ごめんなさい」
「ごめんね」
と「6」に頭を下げて、自分たちの叩いた所を撫でた。
「痛かった?」
「ごめんね、ごめんね」
「う…………」
リーダ格の少年もここまで来たら、と覚悟を決めたらしい。
つかつかと猫耳付二頭身アンドロイドの前にやってくると頭をさげた。
「ごめん!」
「よし、偉い!」
少女は大声で言った。
「カッコいいぞ、君っ!」
驚いて振り向いた少年達に少女は見ていて気持ちがいいほどの満面の笑みを浮かべ「V」サインを出した。
「それでこそ男の子、正義の味方っ!」
茶化しもおだても何もない本心虚心、単純明快で心の底からの無邪気な褒めように、少年達はくすぐったそうな顔になり、何となく全員から笑い声があがった。
「6」だけが急激な状況の展開を理解できずにキョロキョロと首を巡らせている。
「えーとね」
ちょっと腰をかがめて、少女はアシストロイドに話しかけた。
「この子達、あなたを見て追いかけてくうちに興奮してワケ分からなくなってたのよ。勘弁してあげてね♪」
ちょっと小首を傾げた後、「6」は「はい」と書かれたプラカードをかかげた。
もとより、アシストロイドに人を裁く権利はない。
「よかったね、みんな。許してくれるって!」
微笑む少女の頭には猫の耳、腰からは尻尾らしい物がくねくねと揺れていた。
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第四話 ネコと海まで(後編)
アシストロイド「6」は自分の頭ほどもあるサッカーボールを見事にゴールに入れた。
「おお、六ちゃんすげー!」
子供達の声援に「6」はガッツポーズで応《こた》えた。
いつのまにか「6」のことを子供達は「六ちゃん」と呼ぶようになっていた。
「よーし、次いくよー!」
ゴールポストに入った金髪の少女は、そう言ってボールを投げた。
彼女たちが遊んでいるのはワンゴールサッカーもどきである。五回ゴールに入れられたらキーパー役は交代、という単純明快ながら勝ち負けがない「無限に遊ぶ」ためのゲーム。
そんな中、少女はいつの間にかこの場を仕切っていた。
誰もそれを不思議にも不満にも思わない。子供のリーダーというのはまず、強いとかおっかないとかではなく、まず遊びを楽しく仕切ってくれる人間のコトなのであった。
この場合、猫耳尻尾の付いた存在が人間であるかは横に置いとくことにする。
高速に乗る前に腹ごしらえ、ということで車は止まった。
国道三二九号線、コザ高校の近くにある、古いビジネスホテルの前である。
坂の途中にある、どうやら本土復帰前、もしくは直後に建てられたとおぼしい白いビジネスホテルの駐車場はいつものように満杯で、車は客を降ろすと、ほとんど近くの有料駐車場に移動した。
映研部長は丸顔をほころばせて力強く宣言した。
「そ、ここだよ。今日のお昼はここだ!」
ビジネスホテルの一階には背の低い、いかにも建築法がうるさくなる前に作られたと判る建物が張り出していて、そこには「コッコロハウス」と書かれている。
「何だって? 六号が帰ってこない? 反応も消滅?」
アシストロイドの一体は「はい」と書かれたプラカードを掲げた。
「探したのか?」
これも肯定のプラカード。
「破壊反応とかは?」
「ないでし」と書かれたプラカードがあがってこれは否定された。つまり、「不慮の事故」もしくは何者かによって「破壊」された、というわけではないらしい。
「………………位置発信装置《マーカービーコン》の故障なんて、考えられねぇんだが」
チャイカはちょっと腕組みしたが、
「よし、アシストロイドの通常移動速度で一時間以内を捜索、六号を保護せよ」
と命令を下した。
「…………ったく、正式外交があれば、いくらでも捜索システム使い放題なんだがなぁ」
ぽつりと呟く。今ここにいるチャイカはあくまでもエリスの「代理」であって、そのエリスも今のところ外交関係の準備要員、つまり正式な外交官ではない。使用されるテクノロジーは限定され、それを解除するのは生命の危機に陥ったときのみに限られる。
一五体残ったアシストロイド達はそれぞれ三体ずつの班に分けられて廊下に並び、応接間にいるチャイカに向かって敬礼した。
「よし、捜索開始!」
「コッコロハウス」の店内は、典型的な沖縄の「食堂」という奴だった。
コンクリ打ちっぱなしの床に、低い天井、補強のために通りにくくなる立っている柱。見上げる位置にあるテレビ。
ただ、最近リフォームし直したらしいのと、窓が多く壁も床も良く掃除されていて、薄汚い感じは皆無だ。
「お、今日は随分と空いてるねえ」
と部長は勝手知ったる顔で道路沿いの、一段天井が低くなった席に座った。
エリスとアントニアは、摩耶の無言の誘導によって奥の座敷に上げられる。当然、騎央とアオイ、そして真奈美も同じように座敷にあがった。
「おっしょくじ〜」
「もー、あんたわー」
何故か、大城と石嶺のコンビもあがってくる。
ちょっとだけ、摩耶が警戒する表情になったが、ふたりの立ち振る舞いから単に人なつっこいだけの女子高生と判断したのか、再び美しい無表情になった。
「こんにちわー」
と、いきなり大城アリサがアントニアに挨拶した。
「う、うむ……」
こく、とアントニアが頷いた。
「じゃ、あたしも、こんにちわー」
と、石嶺愛子は持っていたトートバッグからネコの手踊り人形をはめた手を出してぺこん、と頭を下げた。
さらに店員のおばちゃんが置いていった湯飲みを人形に持たせ、
「こんにゃちゃわん」
「それ湯飲みだよ」
と愛子がツッコミを入れる。
真夏なのに涼しい風が吹いた。
どれくらい涼しいかというと、さしものエリスが黙り込んでしまったぐらい。
そして一瞬、アントニアの顔が引きつった。
(あちゃぁ…………)
思わず真奈美が苦い顔になる。
(外した……)
真奈美の脳裏には次の瞬間、烈火のごとく怒るアントニアが容易に思い浮かんだ。
が。
「……ぷっ」
と、少女は吹き出したのである。
「あははははははっ!」
愛子の手踊り人形を指さしたまま、ごろんと仰向けに転がって笑う。
「あはははははっ! あははははははははは!」
「お、お嬢様?」
摩耶がうろたえた声を出した。
だが、アントニアはゴロゴロと転がって笑い続ける。
「ちゃ、ちゃわんではなくて湯飲み、ゆのみ……きゃははははは!」
とうとう手足をバタバタとし始めた。
「…………?」
愛子とアリサは顔を見合わせた。
「ひょっとして…………受けた?」
「………………ってことよね?」
となると、芸人(?)のやることは一つしかない。
次のネタの投入だ。
「えーと、えーと……」
とはいえ、すぐに思いつくならふたりはとっくにプロになっている。
「な、何か無い? 何か?」
うろたえてネタをひねり出そうとするが、急場こしらえでうまく行くはずはない。
「苦節三ヶ月、映像そっちのけで特訓して初めて受けたネタなのにー!」
映像部としてはやや問題のある台詞《せりふ》を言いながら、アリサは自分の頭をポカポカ叩いた。
「あーっ、どーしてこんな時に限ってギャグ貧乏〜!」
「…………」
目を点にしてその光景を見ながら、エリスと騎央、真奈美とアオイは顔を見合わせた。
「人間、どこに笑いのツボがあるか、わかりませんねー」
エリスの言葉に、三人は同時に頷いた。
「…………よし」
ジェンスは全ての状況を考慮し、推察し、推論し、自分の次の一手を決めた。
在日米軍に与えられた一室には、彼女の星から持ち込んだ戦術書はもちろん、地球のものを翻訳したものまでがうずたかく積まれている。
「では、これはどうだ? さっきのプランBとKの組み合わせで、ここの時点で逐次《ちくじ》戦力を投入してスイッチングする、決戦はここにする」
長い長い長考の末、彼女はマウスを操作して地球側のパソコン上に描かれた地図に、データ上にしか存在しない自軍を展開し、動かす。
机の上にちょこんと座った、彼女専用の「犬」側アシストロイド……マットレイの「口」の部分から、冷却装置の動く音が「キッシシシシ……」と聞こえた。
首を横に振り、USBポートで直接パソコンに接続されたマットレイは、次々と展開したジェンスの軍を撃破していく。
「……何でだ、どうして!」
今にも「ズルしたな!」と叫びそうな顔で大声をあげるジェンスに対し、マットレイはちょっと小首を傾げるような仕草をした。
ディスプレイの中に新しいウィンドウが開いて、ジェンスの作戦行動の問題点がテキスト表示されていく。
親の敵《かたき》でも睨みつけるような目でマットレイを見た後、ジェンスはそのテキストを一読し……やがて、がっくりと肩を落とした。
「…………判った、私の負けだ」
ジェンスの肩を「よくやった」と言いたげな様子でぽんぽんと叩き、マットレイはそのシミュレーションゲームの画面を終了した。
「くそ、教育しているのは私の方なのだぞ?」
呟きながら、ジェンスは力無く椅子の背もたれに己を預けた。
「これでは、どちらが教育しているのかわからん」
うんうん、とマットレイが偉そうに頷いた。
「あーあ。お腹空いたなー」
車の中で、アントニアのメイドの一人が溜息をついた。有料駐車場もさすがに露天形式の所でなければリムジンは収容できないため、ほとんどの車が「駐車」ではなく、中に人がいて、エンジンをかけた状態……つまり「停車」状態にある。
「言わないの。ますますお腹空くから」
別のメイドがたしなめる。
「あんたや後ろのソフィアとかはいいわよ。運転したり接客したり、気を紛らわせる方法があるんだから。あたしは護衛専門なんだものー」
「ご飯、きっと夜よねえ……太らないように気をつけなくちゃ」
「大丈夫、明日は夕方までのんびり出来るから」
運転手のメイドが肩をすくめた。
「でも、今回のコトは久々のドタバタよねー」
「いつも前触れナシだものね」
「仕方ないわよ、お嬢様が学校に行く、って聞いたときからまたドタバタ始まるだろうな、って思ってたし」
「摩耶さま、お嬢様のコトとなると何もかも目に入らなくなるからねえ」
彼女たちは昨日からほとんど何も食べていない。
アントニアを送り届けた摩耶からの緊急連絡を受け、洋上で待機していた「アンドローラ」の二番艦(まあ、クルーザーなので『艦』という呼び方は妥当ではないが)、「ミュウ」に待機していたメイド部隊は不眠不休でリムジンとサイドカーの再整備を行い、武装の点検をし、同時に航空関係各所にヘリを飛ばせないかという手配を行った(これは不調に終わった)。
それが終わると陸までの船を緊急チャーターし、車を移動、再調整の後、騎央達の待つ学校前まで……という強行軍である。
もっとも、これぐらいの状況は彼女たちにとっては日常|茶飯事《さはんじ》だし、むしろ「アンドローラ」がいろいろあって撃沈されて以降、結構のんびりしていたものだから「まあ、これぐらいが当然」程度には思っているが。
「お嬢様がエネルギーだからねー、摩耶様は」
「そだねー」
何となく力のない笑いがメイド達の間に満ちた。
国籍も人種もバラバラだが、メイド達は何だかんだ言って、高い給料やステイタスよりも、結局摩耶の人柄に惚れ込んでいる所がある。
規律正しく、冷静沈着で、しかし優しさを忘れない……メイドとしても女としてもほぼ完璧な彼女が、お嬢様……アントニアのこととなると我を忘れ、子供のようになる。
その微笑ましさが彼女たちを団結させているのだ。
それに比べると「お嬢様」は今ひとつ雲の上の存在で、メイド達の中でも摩耶以外ほとんど親しく言葉を交わすことさえない。
「あー、お腹空いたぁ」
「またそのこと言わないの」
「あーあ、お嬢様がご飯食べてもいいよ、とか言ってくれないかしらねー」
それまで、どこか堅さの取れない感じだった空気が、アントニアが笑い転げたことで、一気に和《なご》やかになった。
まあ、メイド部隊を引き連れたお嬢様、となれば「何となくおっかなそう」というイメージがあったのが、これで一気に崩れたのである。
相手も他愛のない冗談で笑い転げるんだ、と判った途端に警戒心や不安感はぬぐい去られるものなのだ。ちょっとした……本当にちょっとしたことではあるのだが、ここが人間関係の難しい所である。
ともあれ、心理的な垣根が無くなれば後は楽なもので、誰もが代わる代わるアントニアの所にやってきては気楽に話しかけ、アントニアもどこか照れたような顔でそれに応《こた》えた。
そして、料理が来たのである。
料理は「鳥皿(八五〇円)」。
プレート式の皿に小振りな鳥の丸焼きが一羽の半分、ぶつ切りにされて並べられ、あとはちょっとした野菜とご飯というシンプルなものである。
あくまでもメインは鶏肉、というあたりが潔《いさぎ》い。
「ンマーい!」
一口食べたエリスが思わず叫んだ。
「こんがり焼けた鳥の皮がパリパリで、中のニンニクとかがこってりしてて、あーん、もーいいです、いいですぅううっ!」
幸せ一杯、という顔でエリスは何度も口の中の鶏肉を噛みしめた。
真奈美と騎央も一口食べて驚いた。皮がパリパリしていて、柔らかく、中に仕込まれたニンニクがえもいわれぬ食欲をそそるいい匂いと、淡泊な鶏肉をフォローするような濃厚な味をしみ出させている。
「部長、美味しいです」
「だろう? ここに来たらまず鳥皿だからな」
窓際の席で部長が満面の笑みを浮かべた。
部員達も次々に感嘆の声をあげる。
「どうですか? アントニアさん?」
「う……うむ、美味しいです、エリス様」
アントニアはにっこりと笑った。普段からもっと上等な料理を食べ慣れているであろうはずなのに、結構食が進んでいる。
「そうですか、よかったぁ……」
エリスも満面の笑みを浮かべる。
「そういえば、摩耶」
ふとアントニアは横にいて、食事もせずにただ彼女の食事風景を楽しげに眺めているだけのメイド長に尋ねた。
「皆の食事はどうなっておる?」
「あ、は、はい……」
摩耶はみるみる感動の表情を浮かべた。
「もったいのうございますお嬢様、我々|下々《しもじも》の者にまでお心を配られるとは」
「それはよい。どうなのじゃ?」
「は、はい……そ、それが……」
戸惑う表情の摩耶に、アントニアは事情を察した。
「まだなのだな?」
「はい」
「では、皆にもこれを食《しょく》させよ……お腹が空いていては十分に働けまい。昨日からの準備も大変であったろう」
「は……はっ!」
感涙《かんるい》にむせびながら摩耶は携帯電話兼メイド部隊専用無線機を取りだした……これまで、アントニアはメイド達の食事のことなど、考えたことは無かった。
「鳥〜!」
「ンマーイ!」
そんな、ちょっと感動的な光景をよそに、エリス達は食事に熱中している。
その代わり座敷の片隅で、カスタムタイプのアシストロイド三体だけがうんうんと頷いていた……ただし、こちらは状況を理解しているかどうかは甚《はなは》だ疑わしい。
一斉通信を示す甲高《かんだか》い警告音に、メイド達はそれまでののんびりした風情《ふぜい》を一瞬で切り替えた。
だが通信内容は彼女たちの予想しないものであった。
『全員に通達だ……』
常に沈着冷静を持って鳴る摩耶の声が、明らかに湿っていた。
『お、……お嬢様が……我々に食事をせよとのご命令だ。お、お前達も、お腹が空いていては、じゅ、十分な……働きができまいと、昨日からの準備で大変であったろう、というお言葉だ』
リムジンの無線機から流れる摩耶の声を、メイド達は驚きの表情で聞いていた。
『みな、ありがたくお受けするように……今から一〇分後、一班から順に〔コッコロハウス〕に来い……弁当を用意させる、い、以上……だ』
ちーん、という鼻をかむ音が最後に小さく聞こえ、通信は終わった。
「へえ……あのお嬢様が、そんなことを……」
護衛役の少女が口を開いた。
「ツクリ、じゃないよね?」
「違うと思う。ツクリなら、摩耶様はもっと立派な態度でおっしゃるわ……ここまでメロメロの涙声、ってことは……本当なんじゃないかな?」
「まかない役を決める必要がなくていいけど……何でまた?」
「わかんないなー……やっぱり、ご神体さまのお陰かな?」
エリスは猫耳教団のシンボル役を辞退した後も、メイド達の間から密かに「ご神体様」と呼ばれている。
確かに、エリスと付き合うようになってから、お嬢様の「気まぐれ」や「かんしゃく」の回数は大分減った。
「だとしたらありがたい話ねー」
「んじゃ……えーと、ありがたやありがたや」
冗談半分で、運転手役の黒人メイドが両手を合わせてエリス達のいる店の方角を拝んだ。
「じゃ、あたしもありがたやありがたや……」
アイルランド系の接待役メイドも、同じように拝む。
「ありがたやありがたや……って、どこから覚えてきたのよ、そんなの」
苦笑しながら、護衛役の日本人メイドも、内心ではエリスを拝みたい気分だった。
昼過ぎになると、子供達は「お腹空いたー」ということで自然に解散となった。
「じゃ、またねー! いちかと六ちゃーん!」
「いちかと六ちゃんまたねー!」
金髪の少女と「6」は去っていく少年達に手を振った。
「楽しかったねー」
少女が言うと、「6」はこくん、と頷いた。
そして、ふと気づいたらしくプラカードに文字を書いて掲示した。
「ん……『いちかちゃんはかえらないでしか?』って? ああ、あたしね、まだ仕事があるのよ」
いつの間にか、かなり大人びた口調で少女は答えた。
首を傾げる「6」。彼の収集した情報によれば、この年齢の子供が仕事を持っていた、というのはこの国においては今から最低でも四〇年以上昔の話である。
「しごとでしか?」とプラカードを掲げると、いちかと呼ばれた少女はこくんと頷いた。
「そ、仕事」
言うと、少女は公園を出て、すぐに戻ってきた。
彼女の倍以上もあるような、巨大な屋台を引っ張って。
屋台は白く塗装され、箱状になった上部には四方に大きな透明の塩ビ板がはめ込まれている。中にはレジンとよばれる樹脂のブロックと、モーターツール。
どうやら中で作業をするためらしく、箱の一面には手袋が固定されていた。
「あたしね、流しの原型師なのよ」
と、少女は聞く者がいたら目を剥きそうなことをさらりと口にした。
一時間と三〇分後、一行はようやく「コッコロハウス」を後にした。
理由は、護衛のメイド達全員にお持ち帰り用の「鳥弁当」を用意したためである。
摩耶は感涙にむせび、多くを語らなかったが、メイド達はこの心配りが摩耶の演出によるものではなく、ましてエリスの教示によるものでもなく、本当に「お嬢様」の自発的な好意であると確信し、少しだけ……そして初めての「お嬢様」への好意を持った。
一行はそれからすぐに高速道路に乗り、名護《なご》の彼方を目指す。
それから目的地まではあっという間であった。
「うわぁ……」
目的地に着いたころには寝てしまった騎央が、目覚めた途端に顔が明るくなった。
海である。
それも、白い砂浜(人影ほとんど無し)とセットという、沖縄でも滅多にない光景だ。
車を近くのサトウキビ畑の辺りで止め、騎央達は外に出た。
昼過ぎの海の輝き、そして海風。
夏休みがあと一週間足らずで終わってしまうという実感をつい最近、「プレ二学期」で嫌と言うほど自覚しているだけに、その光景は二学期が始まることが嘘で、本当は夏休みが永遠に続くような楽しさに満ちていた。
「うわぁ……綺麗……」
見ると、同じように車を降りた真奈美がいた。
その隣にはアオイもいる……彼女もまた、海の美しさに見とれているようだった。
「やれやれ……無事なら無事と連絡を出せよ、おめーら!」
同じ頃、帰ってきたアシストロイド「6」とその捜索に出た三体のアシストロイド達を、チャイカは怒鳴りつけた。
「六号だけだと思ってたらお前達捜索隊まで信号喪失《ロスト》しやがって! 心配したんだぞ、こら!」
四体とも、ちょっと首を傾げた後、その場でうなだれ、トコトコと移動して壁に片手をつく……「反省」のポーズ。
「もういいから、状況を説明しろ……」
人間と違い、アシストロイドは|うっかり《ケアレス》ミスをしないため、これ以上怒鳴るのは不毛だとすぐに理性を復旧させて、チャイカは命じた。
アシストロイド達は顔を見合わせるようにして情報を交換し、統合し始める。
その首元に、小さな人形が下がっているのを見て、チャイカは首を傾げた。
「おい、それ……なんだ?」
言われてアシストロイドの「6」が細いチェーンから下げられたそれを自分の首(といっても頭と胴体の接合部分、としか言いようがないような場所だが)から外してチャイカに手渡した。
「おい……こりゃあ……大したモンだなぁ」
感心した顔でチャイカ。
それは、合成樹脂を削ったとおぼしい、チャイカの掌に載るぐらいのアシストロイド(通常型)のミニチュアだったのである。
「細かいパネルラインまで表現してるとはねえ……おい、お前、これどこで貰った?」
「何? 車出せって?」
庭に水をやっていた青年はホースを片づけながら聞き返した。
「そ」
金髪の少女…………いちかは、自らの住処《すみか》であるプレハブ小屋の段ボールの一つに、ミニチュアサイズに『縮め』た屋台を押し込みながら言った。
「あの子達、北部の方に行ってて、今那覇の方には機械仕掛けのおチビちゃんたちしかいないんだってさ……だから、車出してよー、ごろにゃあん♪」
わざとらしくいちかは畳の床に転がり、甘えた声を出したが、青年は慣れているのか呆れたような顔で、
「それぐらい自力で行けよ……仙人様なんだろーが」
「疲れないで済むならそっちのほーがいいもの」
数日前、騎央の家の応接間に出現したのと同じ「お着替えルーム」が浜辺にも出現した。
普通、こういう場合は「ちょっぴりHなアクシデント」を望む人間が男子の中にひとりやふたりは出るものだが、
「やめとけ」
という部長の言葉と、ガンアクションが撮りたくてこの部活を始めた、ある男子部員の、
「メイドさんの持っているのは、間違いなく本物だ」
プラス、騎央が言った
「あの人達、本気で撃つよ」
という一言もあってか、男子は大人しくしていた。
元々文系の人間である上、はっちゃけぶりが人生のアクセントと思いこむような所はあまりない連中でもある。
宮城の雄一叔父あたりが見れば「なんとまあ覇気のない」と嘆くかもしれないが、こういう穏やかな部分が、騎央にとっても居心地がいい一因になっているのも事実だ。
それに、騎央達には別の仕事があった。
機材を取りだし、セッティングを始めるのである。
私物、備品を含めたデジタルビデオカメラ、八ミリビデオカメラ、照明機材……これはこれで結構手間暇がかかる。
ただ撮るだけならともかく、「綺麗に」あるいは「誰が見ても判るように」撮るにはそれなりの下準備と道具が必要だし、メンテナンスフリーが当たり前の現代においても、道具はやはり手入れと点検が必要なのだ。
「でも、こんなに要るんですか?」
デジタルビデオカメラのメモリーカードと、八ミリビデオテープの山を、大手量販店の買い物袋の中から取りだして封を切り、ラベルを貼りつけながら騎央が部長に問うた。
「ああ、要る」
バッテリーチェッカーで各種バッテリーをチェックしながら部長は断言した。
「結構誤解されてることだが、『作品』を作る、ってことは作業だ。頭の中で思いついた瞬間は違う。それはインスピレーションとか、霊感とか、センスとかの問題だ。その瞬間は世間で言うところの『芸術』だと思う……だけど、それを頭の外に出力する行為は作業だ…………作業は慣れないと上手くならない」
だから画家はデッサンを繰り返し、書道家はひたすら書を書き、フィルムメーカーはカメラを回さねばならない……と、部長は続けた。
「カメラマンがいい例だ。どんな名カメラマンも、現場にフィルム一本だけ持って出かけたりはしない。余裕があれば十何本、何十本もフィルムを持って行こうとするし、カメラも何台も持ち込もうとする」
「そうだなぁ。数を作るのは大事だぞ」
部長と同期の三年生が頷いた。
部長が笑いながら引き継ぐ。
「で、昔から言うだろ『習うより慣れろ』って。だから我が部《ウチ》は理屈や批評よりも先にカメラを回す、脚本は書く、全てそれから、ってことでやってるわけだ、うん」
「はぁ……」
言われてみれば確かに部室での馬鹿話や、部員一緒に映画を見に行ったり、部室で見たりということはあるが、この先輩達は映画の評論めいたことを一切しない。
「…………でも、まだウチの部で自主制作した映画って見たことないっすよね」
騎央のクラスメイトでもある普久原《ふくはら》が鋭いツッコミを入れた。
「……ふたりとも、とっとと手を動かせ」
真夏なのにやたら冷ややかな部長の声が響いた。
「…………はい」
「うわー、エリスちゃんのやっぱりおっきいー!」
アリサがそう言って、ボディスーツを半脱ぎにしたエリスの胸に注目した。
「え? そうですか?」
ちょっと照れて、エリスは胸元を脱ぎかけたボディスーツで覆う。
もっとも覆ったとしても摩耶言うところの九八のFというサイズの大きな水蜜桃《すいみつとう》は隠しきれるものではないのだが。
「うんうん、おっきいおっきい。形もまんまるだし、色も白くて、肌綺麗だし、いーなー」
愛子も同意する。
「愛子だって結構……」
真奈美が横から覗きこみ、愛子の胸を見る。ちょっとぽっちゃり型の彼女は、真奈美よりわずかに大きいバストを持っていた。
「あ、あたしは太ってるだけだから」
愛子も照れて脱いだ服で胸元を覆う。
「真奈美もいいよねー」
こっちは天真爛漫《てんしんらんまん》にもう一糸《いっし》まとわぬ小麦色ボディになったアリサ。
「アリサの方が形いいよー」
「…………」
ひとりだけ、仲間に入れないまま、日本最高の非合法工作員はたそがれた。
「あ、アオイはほら、まだまだこれからだから!」
気づいた真奈美が慌ててフォロー。
「そーそー。愛子なんてねー、去年までひんにゅーだったんだよ」
脳天気にアリサ。
「えっ?」
思わず三人の声がハモった……真奈美、アオイ、そしてアントニア。
「だよねー」
「うん。そーだったよ。それまでバスケ部だったんだけど、何か練習ばっか厳しいし、変な先輩もいたからさ、映像部一本に絞ったんだー。そしたら途端にどーんとね」
「ふ、ふだんどんな食事してるの?」
真奈美よりも先にアオイが詰め寄った。
「ん? フツーよ、フツー」
「お、お願い、どんな食生活してるのか、後で教えて! ね!」
「う、うん……」
目が血走るようなアオイの勢いに、少々愛子は引きつったが、すかさず真奈美が耳元で囁く。
「(エーとね、アオイ、けっこー気にしてるのよ)」
「(あ、なるほど)」
と納得して頷く愛子の手を、小さな掌が引っ張った。
「う……あ、愛子、私にも後で聞かせるように……して……欲しい」
見ると、顔を真っ赤にした少女が上目遣いにこっちを見ている。
「アントニアはまだまだこれからよー! 大丈夫、あと二年もしたらぼーんと!」
愛子はにっこり笑ってアントニアの頭を撫でた。
「ほ、本当か!」
ぱっとアントニアの顔が明るくなる。
「胸は大きすぎると疲れますよ……」
おそるおそる、エリスが忠告したが、
「いいの! 私は疲れたいの!」
アオイが一喝した。
「は、はあ……すみません」
しゅん、となるエリス。
「ほらほら、みんな、そろそろ着替えないと」
あまり長引かせると雰囲気が悪くなると思った真奈美が、ぱんぱんと手を叩いて皆を促した。
「はーい!」
「そりゃ|エリス《あなた》はいいわよ、でも……でも……ブツブツ」
「まぁまぁ、アオイ、そう気にしないで」
とか言ってる横で、エリスは何とか自分の水着を身にまとっていた。
「よっ……と、これでいいかな? ……って、アントニアさん、何やってるんですか?」
「んふー、エリス様のにほひー♪」
「や、やめてくださいよー!」
「やですー♪」
賑やかに着替えは進む。
ほけーっ、と暇そうなのはアシストロイド達である。
連れてこられたとはいえ、それぞれの主人達は「お着替え中」なので、命令もない。
最初のうちは、今のうちにと弁当をつかっていたメイド達が、昼休みの暇つぶしにとかまってくれていたのだが、通りかかった摩耶が「何をしている!」と一喝したため、慌てて警戒任務や車やバイクの駐車場確保に走り去ってしまった。
しばらくは周囲の自然風景に対する情報収集とかをしていた七体のアシストロイドたちだったが、それをメインの任務にしているエリスの四体はともかく、「ゆんふぁ」などのカスタムタイプはせいぜい、ここが戦場になったときの各種戦闘系情報だけなので、すぐにそれも終わってしまう。
となると「暇つぶし」モードに移行するのは当然のことで。
「ゆんふぁ」はとてとてと砂浜を歩き回り始めた。時折、急に立ち止まってはコートの内側から例の銀玉鉄砲にしか見えない疑似反物質ランチャーをあちこちに(しかし、決して人のいない方角に)構える。
「チバちゃん」と「錦ちゃん」の二体は互いに刀を抜いて、戦闘シミュレーションを始めるべく準備をした。
まず、プラカードに「てんまふくめつえしゃじょーり」と書いた「チバちゃん」が右八双《はっそう》に構え、「てめーらにんげじゃね、たたーきってある」と書いた「錦ちゃん」は大上段に構えて対峙《たいじ》する。
宮本武蔵《みやもとむさし》対柳生十兵衛《やぎゅうじゅうべえ》、というよりは服部半蔵《はっとりはんぞう》対破れ傘刀舟《がさとうしゅう》な対決になったあたりで、
「なんだ、暇なのか、お前ら?」
三脚を組み立てている途中の部長が、その風景を見て声をかけた。
「はい」と二体のサムライ型アシストロイドはプラカードを掲げた。
「じゃ、手伝ってくれないか?」
アシストロイド二体は首をちょこんと傾げた。
「電源、ON・起動開始《イグニッションシークエンス・スタート》」
インカム越しに吹き込まれた女の声に、低い魅惑的なナイスミドル声が応答する。
『了解・《ラジャー、》起動開始《イグニッションシークエンス・スタート》』
モーターのうなり声が低く響き、サラの視界が急に明るくなった。目を細め、瞳孔《どうこう》が慣れるのを待つ。
「関節構造、サラ02に変更、液晶画面焦点モデル3」
ぼんやりしていた液晶画面がすぐにすっきりと見えるようになる。
「各部アクチュエーターライブに、上半身、下半身起動」
周囲の風景に二重写しになった、単純化されたシステムの状況が次々に青く変わり「ALL CLEAR!」の文字が出て消える。
「システム再チェック」
手を握ったり開いたりして、それがスムーズに行われることを確認して、サラは満足した。
これは、結構使えるかもしれない。
『システム、再チェック終了……システムオールグリーン』
「よろしい、これより任務に就く。プラットホーム離床」
『了解、ミズ・サラ。|ようこそ〔うなーたん〕へ《ウエルカム・トウ・Una―tang》』
「なんだ……あれは?」
赤いサイドカーの側車部分が立ち上がり、中から出てきたものを見て、「チバちゃん」「錦ちゃん」二体を使って色々ライティングの工夫をしていた部長は目を点にした。
それは、巨大な……通常型のアシストロイドだったのである。
以前、アントニアがエリスと騎央を拉致したときに「おもてなし」用に作り上げた着ぐるみ「うにゃーくん」の改良型「うなーたん」だが、当然彼が知るはずはない。
「おい、あれ、お前達のおっ母さんか何かか?」
しばらく三体のアシストロイドは首をひねっていたが、とりあえず、自分たちそっくりな代物《しろもの》に興味でも覚えたのか、とてとてと駆け寄っていった。
「どうだ、サラ、新しい装備は?」
「お着替えルーム」の側に立ち、隙のない視線で周囲を警戒しながら、摩耶はインカムのスイッチを入れ、副長のサラを呼び出した。
『ええ、かなり快調です』
サラの声は明るかった……かなり調子がいいらしい。
『しばらく周囲をうろついたら、高機動戦闘のテストを……あー! ねこたーん♪』
「……!」
摩耶は顔をしかめた。この副長の困った癖は、二年前にわざわざイギリスのSASから引き抜いてきた彼女が一番よく知っている。
(そういえば、あのチビロボたちは放置したままだったか)
どういうワケか、あの二頭身のちびすけ達が、放置しておくと勝手にチョコマカうろつくらしいことを、摩耶はすでに知っている。どうやらうろつくうちにサラの前に出てきたらしい。
それともあの新装備「うなーたん」は(サイズはともかく外見は)彼らを模して作られているから、何か親近感でも抱いたのかもしれない。
「サラ! 任務中だぞ!」
摩耶は、新人のメイドならそれだけで座り込んで失禁してしまいそうな厳しい叱責《しっせき》を飛ばしたが、
『わかってますぅ、わかってますうぅ……けど、けどぉ……ああ、ねこたーん♪』
「サラ!」
『ねこたーん♪ ねこたーん♪ んふふふー♪ ああ可愛いな、可愛いナー♪』
もう、暖炉の側にうっかり置いてしまったチョコレートのようになっている副長の声に、摩耶はただただ、溜息をついた。
しばらく副長は使い物になるまい。
やむなく摩耶は無線を切り替え、こういう場合にサラのフォローをする、軍隊で言えば曹長クラスのメイドを呼び出した。
「すまん、サラがまた溶けた。しばらく代行してくれ」
『はい、判りました』
笑いを含んだ声。メイドたちの間でも「サラが可愛いものに弱い」という弱点は知れ渡っている。
『ああーん、もーこんなにまとわりついちゃってー♪ わたし困っちゃうー♪』
外部スピーカーから、まるで美少女アニメのヒロインが酔っぱらったようなブリブリに甘い声を出しつつ、アシストロイドそっくりな外見の着ぐるみが身もだえした……見た目はツイストを踊り損ねているようにしか見えないが。
その周囲には、「ゆんふぁ」たちを初めとして、ここまでの道中、サラと一緒にいたゴーグルに革ジャン姿の奴も含めた通常型アシストロイド達までがチョコチョコとくっついて歩いている。
革ジャン着用の通常型が、ひょいと飛び上がって「うなーたん」の肩に乗っか……ろうとして滑り、慌てて頭の上にのぼった。
『あーん♪ かわいーぃいん♪』
頭部モニターからその画像を見て、またサラが甘い声を出す。
「……なんだ、ありゃ?」
「さぁ……中身がアントニアちゃんじゃないことだけは確かなようですけど…………」
騎央は首を傾げた。
「あーあ、いーなー副長ばっかりチビちゃんたちと遊んでー」
そのもうちょっと後ろで、護衛メイドのひとりがつまらなさそうに呟いた。
「まぁまぁ、今にチャンスもあるわよ」
「うー。一緒に遊びたいナー」
「それ」は海岸近くにあるサトウキビ畑から新しい獲物候補を見つめていた。
そこにも一応、メイドたちは配備されていたが、誰も気づいてはいない。
これは彼女たちの能力の低さ、ではなく「それ」が彼女たちが想定するどの敵よりも小さく、殺気さえ放たないためだ。
最初は、電子ノイズの多さと質から、かなりいい電子機器を持った連中だと思っていたが、同時にかなりリスクが高く、かつ価値のある獲物を連れていることを知った。
地球上ではまずあり得ないテクノロジーの塊《かたまり》が、ちょこまかと、それを模して作られたとおぼしい内部に人の入った強化服《パワードスーツ》の周囲を走り回っている。
あれを襲えば一発だ、と「それ」は思った。
彼と、彼の仲間達の破損は、あれを一体でも捕獲すれば完全に直る。
それともあれとの戦闘を避けて、旧式ではあるが他の電子機器を奪うか……。
「それ」はとりあえず音もなく匍匐《ほふく》したまま後ろに戻った。
どちらにせよ、夜を待つしかない。
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第五話 海には猫と犬がいて
「おまちどぉー!」
それまで、野郎ばかりしかいなかった浜辺が、一気に華やいだものになった。
「おぉっ!」
男子が声を上げるのも無理はない。……大人しい文系とはいえ、やっぱりその辺は男の子なんである。同年代の女子の水着が嫌なはずはない。
まして新入部員が三人、うちひとりはとびきりの「ゆさり」な胸の持ち主なのだ。
真奈美は赤、石嶺《いしみね》愛子は青のセパレート水着、アリサは濃紺の、アントニアが明るい黄色のひらひらつきの可愛らしいワンピース。
これだけでも十分にみずみずしい一〇代のボディとマッチしてかなりドキドキものなのだが、最後のふたりがまた男子の目を引いた。
「あ、どもー」
サイドを紐で留めるような黒のマイクロビキニを着用したエリスの、偉大な九八のFカップが、恥ずかしげに背を丸めているにも関わらず、垂れることなく「ゆさり」と揺れる。
胸と同じぐらい十分に発達し、きゅうっとくびれた腰の下、長く引き締まった……だけども触ってみたい柔らかさの脚、その太腿《ふともも》の肉に見合ったみっしりとしたボリュームを持つヒップ。
しかもそこからはネコの尻尾がくねくねと可愛らしく揺れている。
が、アオイもまたそれに負けず劣らずの魅力があった。
確かに身体のボリュームでは完全に、圧倒的に、絶望的なまでに負けている。
だが、白地にブルーのラインが入った競泳用水着は、薄いだけに彼女の身体のわずかな筋肉の凹凸《おうとつ》さえも鮮やかに浮き彫りにし、当人の清楚な雰囲気とはまたアンバランスな、とゆーか、どっちかというと、恥ずかしげに伏せられた顔と、なおも着用している眼鏡が「無理やり着用させられている」ような倒錯《とうさく》したイメージを抱かせて、それはそれでウハウハだったりする(←意味不明)。
「騎央……お前、果報者だなぁ」
ぽつん、と部長が言った。
「え? な、い、いやあの、それはその」
ぽかんとふたりを見つめていた騎央は部長の言葉に我に返ったものの、わたわたとトンチンカンな答えしか返せない。
「…………一時は女子部員ゼロまで落ち込んだ我が部が、今こーゆー彩《いろど》りのある青春を謳歌《おうか》できるとは」
三年生のひとりがうんうん頷いた。
「しかもバリエーション豊かな美少女ばかり……」
彼の言葉に二年生と三年生は泣かんばかりの顔で頷き合う。
「しかし、この部活|止《や》めないで良かった」
「まったくだ……」
「あー……」
普久原が前を見たまま、となりに立っている摩耶に話しかけた。
「メイドさん達も水着姿になる……ってことは」
同じく前を見たまま、摩耶はきっぱりと、
「ありません」
「……ですよねえ」
「いーか、女性は美しく撮らねばならない」
部長のレクチャーが始まった。
「よく見ろ…………逆光で、ただ映しただけは、こうだ」
強張《こわば》った表情で、テストモデルに指定されたエリスがキヲツケ、の姿勢になる。
カメラを通して見える画面はえらく暗い。リアルといえばリアルだ。
「ちょっと絞りを開く…………ドキュメンタリーならこれでもいい」
アイリスを開くことで、ちょっと画面が明るくなった。
「だが、これだと、対象が明るいところに移動した場合……エリス、ちょっと向こうまで歩いてみて」
「は、はい」
言われたとおりにぎくしゃくとエリスが日なたに出ると、モニター画面は一瞬真っ白になった。
素早く部長はアイリスを調節して適切な画面にする。
だが、今度は前髪が影になってエリスの目が見えなくなった。
「で、ここに…………アンダーから光を入れると」
部長が合図すると、アルミホイルを段ボールの板に貼りつけたレフ板を持ったアシストロイドたちがトテトテと走ってエリスの顔に微妙に光を当てる。
モニターの中のエリスの顔が、明るく照らされ、特に目にハイライトが入ることで生き生きと見える。
「……とまあ、このようにテレビカメラというのは、我々の目よりも性能が悪い。だから見た目『明るすぎるかな?』ぐらいがちょうどいい」
騎央達は素直に頷いた。ニュースとドラマ、どちらも同じ放送機材(ビデオカメラ)を使っているはずなのに、見え方が全然違って見える理由が納得できたのである。
「…………というわけで、一年生は全員をモデルに一〇分ずつ画像を撮ること! それから遊べ! ちなみに、ライティングはこのチビちゃんたちにやってもらえ!」
「あら?」
それまで、気むずかしい顔をして撮影を続けていた彼は、ふと遠くに見覚えのある顔を見つけた。
「どーしてふたりともこんなトコにいるのかしら?」
「どしたっすか?」
彼のスタッフが首を傾げる。
「んーあの子達がいるのよー」
「戦うをんなは三億リラ!」と白い筆文字の描かれた黒いTシャツを引き裂かんばかりに、筋骨隆々な腕をぐぐっと曲げて、顎に手を当てながら彼は「物思い」のポーズをとった。
「ああ、この前の」
「そそそ」
岩でもかみ砕きそうな顔をコクコクとあどけなく頷かせ、「んー」とカントクは極太のマジックで一気に書いたような太い眉を寄せていたが、
「そうね、ちょっと交渉してきましょう」
「はぁ?」
「でもこのまんまじゃダメね、いかにも『ビジネス』って感じだしィ……やっぱり、郷にいれば郷に従え、ってことでらしい格好をしてこないと」
「カントク、何するんです?」
「交渉の準備よ」
言って、日本有数の女闘美《めとみ》ックアクションの権威、河崎貴雄カントクは、スタッフの用意したレンタカーに引き返した。
一人一〇分、といっても二時間もあれば一年生全員が撮り終える。
午後四時になったが、まだまだ日は高い。
気がつけば全員波打ち際であれこれきゃいきゃい騒いでいた。
ビーチボールが舞い、波打ち際の海水がぱしゃぱしゃと互いの間を飛び交う。
また、その足下《あしもと》をとてとて走り回ったり、浮き輪につかまってぷかぷか浮いてるアシストロイド達がいい感じでアクセントになっている。
「そーら!」
エリスとアントニアは真奈美や女子部員たちと一緒に男子部員達を相手にビーチバレーに夢中になっていた。
真夏の暑さで、最初こそヘバり気味だったが、熱くなったら海に入って冷却すればいいと誰かが教えると、途端に元気になった。
エリスは泳げないから、自分の脚の立つところまで行って、しゃぼん、と頭から海に浸かる……これなら水を張った風呂と変わらない。
そしてあがるとまた元気にボールを追うのだ。
騎央も最初は付き合っていたが、やがて喉が渇いたので戦列を離れた。
いつの間にか、長引いたビーチバレーが得点よりも何回連続でトスできるかを競い始めたせいもある――こうなるとキリが無くなる。
「みんな、元気だよなぁ」
苦笑しながら少年は自分の荷物からタオルを取りだし、眼鏡についた砂を拭き取った。
「はい、これ」
横から、冷えた缶コーラが差し出された。
「あ、ありがとう」
受け取りながら、騎央はその相手を見てちょっとドギマギした。
備品の大型クーラーからコーラを取りだしてくれたのは、双葉アオイだったからである。
白いワンピースが競泳水着だという知識は騎央にないが、「やたら薄い布地の水着」だぐらいは判るし、それを顔見知りの……それも結構深い付き合い(命がけので騎央を助けてくれたり、彼のために仕事を棒に振った、というのは十分そう表現するに値《あたい》するだろう)のある少女だというのが、また妙に目のやり場に困るような気分にさせてくれる。
「どうかしたの?」
心なしか、ちょっと照れてるような気もする笑みを浮かべてアオイが問う。
「い、いや別に……でも意外だったな、双葉さん、こういうのも着るんだ」
騎央は一生懸命頭を回転させて、何とか褒め言葉らしいものを口にした。
「あの……似合わないかしら?」
「そんなことはないよ!」
思わず騎央は大声を上げた。確かに意外な格好だしドギマギするが、それは決して似合ってないからではないと確信していた。
「あ、ありがとう……」
勢いにびっくりしながらも、アオイは笑みを深くした。
「あ、あの、さ……」
少年は話の接《つ》ぎ穂を探し、ようやくこの旅行の前から考えていたある提案を思い出した。
「ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
「え? そ、それ、ここで話さないといけないこと?」
「い、いやそういうワケじゃないけど……」
「だ、だったら……嘉和君、ちょっと……歩かない?」
一五二回までトスをあげた辺りで、ついに男子部員が脚をもつれさせて倒れた。フォローをしようとした通常型アシストロイドもまた同じように砂に足を取られて「こてん」と転《こ》ける。
「あーあ」
とか言って座り込みながら、真奈美達は笑い声をあげる。
さすがに誰もが体力に限界を感じていた。
「あー疲れたー」
とか言ってふと横を見ると、遥か彼方、波打ち際に突き出た大岩の向こうに、見覚えのある二人が消えていくのが見えた。
「お、アオイ…………」
真奈美は声を出しそうになるのを慌てて我慢した。
(アオイ……ついにやったんだ!)
うんうん、と少女は楽しげに頷いた。
(あたしの戦略が無駄にならなかった、ってことよね、うん)
恋愛作戦参謀としての自分の腕に満足しつつ、真奈美はさりげなく立ち上がった。
(では、結果を確認しないと……)
とかちゃっかりと自分のこれからの行為を正当化しつつ、歩き出した。
「ちょっとぉ〜、おまちになってえ〜ん♪」
ぞわり。
その声をかすかに耳の奥に感じた瞬間、真奈美の首筋の毛が総毛立った。
「ま、まさか……」
そんなはずはない、アレはまだ東京にいるはず……と思いつつも、ギリギリと音を立てそうな動きで声のした方向を見る。
「うそ…………何でここにいるの……」
真奈美はぽつんと呟いた。
「こ〜んに〜ち〜わ〜ぁ」
アオイたちが消えたのとは反対方向、白い砂を蹴立《けた》てて、満面に笑みを浮かべ、瞳を三〇年前の少女漫画の主人公のように輝かせながら。
髭面《ひげづら》の筋肉男が、ショッキングピンクのビキニブリーフ一丁でこちらへ走ってくる。
まるでスローモーションのようにも思える動きなのに、恐ろしい勢いで近づいてくるのは何故なのだろうか。
「げ」
真奈美の顔が引きつった。しばらく物陰から覗く以外の方法で会いたくない……というか、こういう場所では絶対に会いたくない顔だった。
「ん〜んぅ、おひさしぶり〜いぃ〜ん」
体中から「じゅ・てーむ」という毛筆の特大文字を振りまきながら突撃してくる股間を強調するようなビキニブリーフ一丁の筋肉ダルマ……。
「射撃用意!」
摩耶が、こういう場合護衛としては当然すぎる命令を下した。
全メイドが太腿に装着したホルスターからH&KのMP7を引き抜いた。
「うわっ!」「おおっ!」
当然、それにはスカートをめくるという行為が必要で、偶然そちらの方をみていた男子部員は残らず、思いがけないボーナスショットを拝見する栄誉に与った。
「撃て!」
戦闘のプロだけにこういうときには容赦がない。
全員がスムースな動作で、ストックをのばして肩づけしたMP7の引き金を絞った。
「わ、ちょちょっと……」
さすがに真奈美が慌てたがもう遅い。
軽快な発射音と共に、砂浜に弾着の無数の砂柱があがった。
が、本当の驚愕はその後にきた。
「うっほ〜ぅう!」
なんと、筋肉ダルマは両手と右足を高々と頭上で重ねるようなポーズで高々と空中に逃れていたのだ。
そのままバレエのプリマのようにくるくる回転しながら地面に舞い降りる。
威嚇射撃とはいえ、こうまで鮮やかに人間は銃弾を避けられる物だろうか。
「ら〜んぼ〜うね〜♪」
ばっちん、と、河崎貴雄カントクはウィンクした。
「へ……変態……」
思わず摩耶の顔が引きつる。
「変態とは失礼ね〜あたしはれっきとした創作者《クリエイター》なのよぉ〜」
むぅん、と両手を胃袋の上辺りで握りしめて力を込め、真っ黒に日焼けし、オイルを塗られててらてら光る大胸筋を左右交互にピクピクさせる。
世界中のクリエイター達が「たのむから止めてくれ」と泣いて土下座しそうな怪しさであった。
「いかん、全力射撃!」
摩耶は相手の実力を見誤らなかった……というか、銃弾を避けてなお余裕でボディビルのポージングでキメる怪人を見れば、誰もがそうするだろう。
今度こそ本気で相手を殺傷すべく、照準が定められる。
「だ、ダメですよ、殺しちゃ!」
エリスが叫ぶが、すでに戦闘マシーンに切り替わったメイド達が部外者の命令に従うはずもない。
「撃て!」
排莢口《はいきょうこう》から無数の空薬莢《からやっきょう》が宙を舞い、金色に輝いた。
「……で、話って……何かしら?」
つとめてつっけんどんにならないように注意しながらアオイは尋ねた。
(何かしら……?)
深く期待はしまい、と自分に言い聞かせながらも、アオイの胸は高鳴る。お陰で、彼方から聞こえる銃声は彼女の耳には入らなかった。
(何かしら……ひょ、ひょっとして……まさか……?)
かぁっと顔に血が上るのを感じる。
一昨日、真奈美の家から借りてきた少女漫画に、同じシチュエーションがあったことを思い出してしまったからだ。
確か、あの漫画では「○○君にしか、こういうこと、頼めないんだ」と言って呼び出された主人公が……。
「う……うん、頼みがあるんだ」
「?」
ちょっと少年は照れたように俯きながら、
「そ、その……色々考えたんだけど、双葉さんに頼むのが一番いいと思って」
「…………」
「双葉さんにしか、こういうこと、頼めないと思って」
「!」
双葉の心臓の鼓動がテンポアップした。
「撃て!」
排莢口から無数の空薬莢が宙を舞い、金色に輝いた。
硝煙《しょうえん》の煙は海風に流され、相手の身体を貫いた銃弾が砂煙をもうもうと立て続ける。
だが。
「射撃止め!」
の摩耶の声に銃弾の雨が止んだとき、そこには誰もいなかった。
「何? 奴め、どこ……きゃあああああああああああ!」
愕然とする摩耶だが、すぐに異様な感触を下半身に覚え、悲鳴をあげた。
「おねーさん、鍛えてるわねえ♪ このおヒップはかなりの大臀筋《だいでんきん》を感じるわぁ♪」
いつの間にか、河崎カントクは摩耶の背後に回り込み、のみならず、メイド服のスカートをいつの間にかまくり上げて、純白の下着とガーターベルトに包まれたその下半身……というよりぶっちゃけヒップ…………に、そのごつい髭面をすりすりとすり寄せていたのである。
「あーん、いいわねえ。ちょっと男っ気が無いのが玉に瑕《きず》だけど♪」
恥辱《ちじょく》に顔を真っ赤に染めた摩耶は後ろを振り向きざま、即座にカントクの顎に、実は鉄板装甲されたローファーのつま先をたたき込んだ。
それをひょい、と避けざま、カントクはさらに一瞬で摩耶の右胸を揉みしだき、遥か遠くに飛び退いた。
「お、おのれ妖怪変化《ようかいへんげ》め!」
さらなる恥辱に顔を真っ赤にした摩耶が、腰の後ろにあるリボンに偽装したホルスターから、ベレッタのM93Rを引き抜いた。
「お前の匂いを消してやる!」
対テロ護衛用として拳銃をベースにしながら、三点バーストでサブマシンガンのように扱えるという、ベレッタ社製の銃器の中では異色のプロフィールを持ち、映画「ロボコップ」では主人公の持つ銃のベースに選ばれたかなりピーキーな銃器である。
しかもそれの二丁拳銃。
「わ、伏せてーっ!」
真奈美が大声で叫び、全員が状況を理解してわーっとその場に伏せた。
次の瞬間、摩耶が引き金を引き、それまで「グローイングアップ・渚の恋の大作戦・水着姿でムフフのフ♪」だった海岸が「絶叫&殺戮《さつりく》の砂浜・武装メイド対筋肉男!」な状況に様変わりする……寸前。
「やめよ、摩耶!」
鋭い声が摩耶の指を凍らせた。
「何をしておる! お前は私に銃口を向けるのか!」
この場合、どんな悲鳴より、叫び声より摩耶には効果のある声が、メイド長の理性を復旧させた。
「お……お嬢様、こ、これは失礼を……し、しかし」
「言い訳をするな! 尻と胸を揉まれたぐらいでなんじゃ! だらしがない!」
アントニアはひらひらの水着に、両脇で浮き輪を抱えた、あまり威厳のない姿で自分のメイドを叱責した。
「見ればその生き物、おぬしの命を十分取れる状況ながら、尻と胸を触るぐらい、ということは敵意がない証拠ではないか!」
「は、はぁ……」
しゅんとなった摩耶が身を縮こまらせる。
意外といえば意外な姿に、女子やメイド達の間に「可愛い」という囁きが飛び交った。
さて、「生き物」扱いされた当人といえば。
「あーら、そこのお嬢ちゃんはちゃーんと物の道理、ってものがわかってるよーねえ…………そ・れ・に、どーやらこの|メイド《ひと》、あなたに頭があがらないよーねえん♪ ふふふ、そーユー関係、ちょっと萌えるわー」
筋肉オヤジは何が楽しいのかニコニコ笑いながらクネクネと身体をくねらせた。
「……よく分からんが、ほめてくれたらしいの。うむ、殊勝《しゅしょう》な態度、よいぞ…………して、何用なのじゃ?」
「あ、そうそう、用があったのはそっちの真奈美ちゃんと、そのお友達なのよー……って、あらあら、おチビちゃん達もいるじゃない♪」
サラが用意した浮き輪でエリスの周囲を漂いながら、カスタムバージョンのアシストロイド達が「やほー」と手を振った。
「…………あなたたち、お知り合いなんですか?」
エリスが問うと、アシストロイド達は「はい」「おせわになりまつた」と書かれたプラカードを掲げた。
「今度、私が見てないところで何があったか、ちゃーんと話を聞く必要がありますねえ……」
困ったモンだ、とエリスは腕を組んだ。
「双葉さんにしか、こういうこと、頼めないと思って」
いつになく、真剣な表情で騎央は言った。
「!」
アオイの心臓の鼓動がテンポアップした。
(まままままままままさか? まさかかっ、嘉和くんもあの少女漫画を?)
あまりにドキドキするあまり、こめかみの血管が脈打つ音までもが聞こえる。
「ど、どんなこ…………ことでも大丈夫よ」
こくこくと頷く。
「うん……ありがとう」
どこか、気弱な笑顔を騎央は浮かべた……ああ、そんなところまで少女漫画と同じ。
(で、でもどうしよう、き、キスとか、そ、その先とか……ああ、で、でもき、騎央くんなら)
アオイの頭の中では、最近移植されたばかりの妄想エンジンが音を立ててうなり始めている。
少女漫画の中では美しく花とトーンとベタフラッシュ他、もしくはシンプルなシルエットだけで構成されることの多いあれやこれやが脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
(で、でもそうなったとして、そうなったとして、えーと、えーとその先は……)
残念ながら全二〇巻を越えるその大恋愛漫画を、アオイはまだ半分しか読んでいない……つまり、これと同じシチュエーションの場面まで。
(ああ! こんなことなら全部読んでおけばよかった!)
後悔したってもう遅い。
「じゃあ、その……お願いしたいこと、ってのは」
まっすぐに自分をみた騎央が、再び口を開くまでの数秒が、恐ろしくアオイには長く思えた。
「恥ずかしい話なんだけど」
思いっきり目をつぶろうとしたが、あまりの緊張で、アオイはそれが出来なかった。
「僕に……戦い方を教えて欲しいんだ!」
……………………。
「へ?」
かくん、とアオイの眼鏡がずり落ちた。
「えー! 真奈美と双葉さん、映画でてたのー!」
甲高い愛子の声は、全員の意志の代表だった。
「い、いやぁ、あの、出た、というか、出る羽目になった、というか……」
「凄かったのよぉ〜」
カントクはニコニコ笑いながら、持ってきた鞄の中から小さなポータブルDVDプレイヤーを取りだした。
「これ、ラッシュのデータをDVDに焼いたんだけどね……ちょっと待ってなさいよ」
「あ、み、見せなくていいってばカントク!」
慌てて真奈美がカントクのDVDを奪おうとするが、
「なーに言ってるのよ、あなたとアオイちゃんの勇姿、どうせ世界的に公開されちゃうんだから」
と、カントクは真奈美の頭を楽々と押さえ込んでDVDに近づけさせない。
「やだっ、そんな後悔したくない!」
「つまらない駄洒落《だじゃれ》ネー」
言ってるうちにプレイヤーの起動画面が終了した。
「そうだ、『ゆんふぁ』! あのDVDプレイヤーを撃ちなさい!」
ところが、一団の中央にいる香港ノワールな格好をしたカスタムタイプのアシストロイドは「だめです」と書いたプラカードを掲げた。
「何で!」
真奈美が怒鳴ると、「いのちのきけんにないかぎり、はっぽーはきょかされてませぬ」と書かれたプラカードを掲げて返答とする。
「あたしの人生があぶないんだってばー!」
あんないかがわしい格好をした自分の映像を知り合いに見られるぐらいなら、いっそカントクごと撃ち殺した方がいいのではないか、とか真奈美は思っていた。
死んでしまった方が、と思わないのが彼女らしい。
「マットレイ、何を見ている?」
バスタオル一枚を身体に巻いて、シャワールームから出てきたジェンス中尉は、彼女に与えられた唯一の増強戦力である犬型アシストロイドが、テレビ受像器の前にあるカウチにちょこんと座って、何やら番組を鑑賞していることに気づいた。
覗き込んでみると、それはアニメーションの番組だった。基地内番組ではない…………彼女の与えられている部屋は高級士官用で、日米両方の衛星放送が受信できる装置がついている。
どうやらそのチャンネルのひとつらしかった。
幸い、ジェンスは日本語も理解できるし、喋ることもできる。
だからすぐに内容を把握した。
オールバックの男が、反応兵器付きの人型機動兵器を奪い、すでに破れた自軍の残党の引き起こす最後の作戦のために戦うという物語らしい。
「くだらん……」
とか言いながら、ジェンスはロッカーから新しいバスタオルを取りだして髪を拭いてまとめ、冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取りだして封を切った。
コップに注ぎながら、届けられた新聞を手に取ろうとして、止める。
「…………」
今日はとにかく疲れていた。何しろ丸半日かけてこのマットレイとシミュレーション戦を戦い、さんざんに負けては問題点を指摘され続けていたのである。
脳はすでにフル稼働し過ぎていた。今は何を読んでも頭には入らないだろう。
(頭を使わない番組《プログラム》というのも、悪くないかもな)
何となくそう思い、ジェンスはマットレイの横に腰掛け、一緒にその日本製アニメーションを鑑賞しはじめた。
(髪が乾くまでの間だ)
と考えながら。
五分、一〇分。
すっかり頭に巻いたタオルは重くなり、これ以上水を吸わなくなっているのに、ジェンスはそれを取り替えようとはしなかった。
「…………」
最初は背もたれに深々と身体を預けていたジェンスだが、次第に前のめりになっていた。
そんな主の様をちらりと見たマットレイの口からそっと、例の笑い声のような冷却ファンの作動音が聞こえた。
「うーん、システムに問題がない、ってことは……その、あたしによく似た奴が障壁《シールド》を張って信号をジャミングしてた、ってことか」
チャイカは腕組みして考え込んだ。
自分の持ってきた専用の個人用情報処理装置《パーソナルワークシステム》から、チェックプログラムを終了させると、行方不明になっていた「6」と、彼を探しに行って同じく行方不明になっていた捜索隊三体に繋いでいたコードを取り外す。
取り外されたコード類は自ら意志のある生き物のようにくねくねと折りたたまれながらワークシステムの中に収納された。
「でも、この辺一帯に通常のエネルギー反応はないし……霊子タイプのエネルギーなのかね?」
チャイカは、未《いま》だに彼女たちの技術力を以《もっ》てしても不安定にしか扱えない、特殊なエネルギーの名称を口にした。
「でも、それならこの惑星《ほし》の文明はもう少し高いレベルの筈だし……犬どもは霊子の存在を信じてもいねえしなぁ……別の異星人……いや、それならあたし達みたいな猫耳尻尾が生えてる筈はねえ」
うーむ。
チャイカは首をひねった。
「まぁ、敵対行動らしいのを取っているようにも見えないし、オレそっくりな奴が悪い奴とも思えないし」
その横で、青いアシストロイドが「どーだか」と書かれたプラカードを掲示したが、チャイカは見もしないまま、丸めた新聞紙でその頭を引っぱたいた。
プラカードが裏返って「ぼーりょくはんたい」と書かれた面になる。
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第六話 気がつきゃネコが増えていて
というわけで日が暮れ始めると、今度は近くにある流木や落ちている木の枝を拾ってきて、キャンプファイヤーの準備である。
海岸をひと往復すれば、それぐらいの木は何とか集まるもので、あとはそれを井桁《いげた》に組んで、持ってきた古新聞をねじった物に点火し、近くの防風林から集めておいた松葉の小山に突っ込んで火種とする。
これを男子の三分一が行い、のこりの三分の一とメイド部隊は協力して簡単な竈《かまど》を作り、夕食の準備を始めた。
ちなみに、残りの三分の一は一〇分ずつビデオカメラを回していて、全員がこれを終えるとビデオカメラ係はシフトしていく。
「まあ、合宿のお約束は夜はバーベキュー、朝はカレーということで」
と自ら飯ごうをかけた竈に火を起こしながら、映像部部長が満足そうに言うと、
「……私の記憶が確かなら、昼がバーベキューで、夜がカレー、朝はその残りとおにぎり、だと思いますが?」
と、メイド達を取り仕切る摩耶が疑問を提示した。
「まあ、沖縄はそーだとゆーことで」
にっこり笑って、彼は自宅から持ってきた火吹き竹で竈の火を大きくし始めた。
パチパチと、音を立てて薪《たきぎ》が燃え始める。
「でもびっくりしたわねー」
ビデオカメラのファインダー越しに調理の様子を撮影しながら愛子が言った。
横にはレフ板をもった通常型のアシストロイドが料理を妨げない程度に光を当てている。
「真奈美もアオイも、スタントなしであんなことしてたんだー」
アリサも頷く。
「もー、いわないでよ二人とも〜」
真奈美は泣き笑いの顔になって懇願した。アオイも真っ赤になって俯いている。
結局カントクはあれから真奈美とアオイが東京湾に停泊していたアントニア達の「アンドローラ」を襲撃するさまを撮影したものを全員にラッシュ上映したのである。
本物そっくりな臨場感とスピード感のもの凄さに、映像部員達は全員感嘆の声を上げたが、カントクの「凄くお金がかかっている映画なのよ」という言葉を普通の意味で解釈した。
つまり、真奈美とアオイはどういう巡り合わせか、スタントマンとしてこの映画に出ているのだと。
爆発するミサイルも、うなりまくるマシンガンも、空を飛ぶヘリも特殊技術による爆破や、弾着効果、および本物そっくりに作られたCGなのだという具合に。
で、映画に主演するはずだったアイドルが役を降りてしまい、「ならいっそスタントマンをやってくれた少女たちに主演して貰って」と考えたカントクがわざわざ沖縄までふたりを追いかけてきた……まあ、この辺は事実も混じっているので問題はない。
だが、困ったのは部員《なかま》たちの態度が「映画女優」に対する態度に変わったことである。
「でもさ、凄かったじゃない、あんなに爆発バンバン起こして、鉄砲撃ちまくりで……電着銃《ステージガン》って、本物の火薬使うんでしょ? 怖くなかった?」
「あ、あははは、そ、その辺は慣れってことで。ね。アオイ?」
「え、ええ……そう、慣れ……よ、慣れ……」
ここ一週間の特訓の成果で、器用にジャガイモの皮を剥き、タマネギをスライスしながらアオイが引きつった笑顔を浮かべた。
「ふたりとも、隠すことなかったのに〜」
アリサが笑いながら言う。
「いや、それはそーなんだけどさ、でも……あんな格好で、恥ずかしいじゃない……あ、頼むからクラスの子達には映画公開まで内緒ね」
「ま、いいわよ……何しろ、河崎カントク作品だものねえ」
さすがに映像部部員だけはあって、河崎貴雄がどういう作品を作っていて、どういう評価を受けているかは理解しているらしい。
「そ、そうなのよー。あははは」
「あ〜ら、随分ひどい言いようねえ、おじょーさん」
ぬう、と愛子の顔の横から二回りほどデカい顔が突き出された。
「きゃああっ、で、出たぁ!」
「でたとは何よォゥ」
にやり、と河崎カントクは笑った。
その場にいた全員の顔が引きつる――軽口ではあるが、当人に聞かれたらどうなることか。
誰もが、ネチネチといびられ、あるいは烈火のごとく怒鳴られることを覚悟して首をすくめた。
ところが。
「あなたがた、確かにそのご指摘は正しいわ、うん。でもね、それがアタシの勲章なのよ」
と、ちょいっと肩をすくめ、カントクはその場を去っていってしまったのである。
「…………」
真奈美たちはただ、顔を見合わせるしかなかった。
「よし、次行くぞ」
ひょいひょい、と太い枝が投げつけられるのを、「チバちゃん」は一瞬でバラバラに切断した。
「おお、凄え〜」
男子部員達は単純に驚き、拍手した。
「よし、じゃあ、これならどーだ!」
ひょひょいと数本の枝が飛ぶが、「錦ちゃん」は振り向きざま、難なくこれを両断した。
「ほー、お前達大したモンだなぁ」
全員が拍手すると、「や、どーも」という風に二体のサムライ型アシストロイドはそれに応えた。
ぼーっと、それを見ているのは「ゆんふぁ」である。
「で、お前は何か能力あるのか?」
と三年生のひとりが言うと、「きっ」という感じで顔をあげ「しつれーな」と書かれたプラカードを示した。
そして、バラバラになった木ぎれのひとつを持ってきて手渡し、「なげてみそ」という手つきをしてみせる。
「よし、じゃあ…………」
言われた(?)通りに三年生がひょい、と上に投げ上げると、「ゆんふぁ」はくるりと旋回しつつ、コートの内側から例の銀玉鉄砲にしか見えないランチャーガンを引き抜いて撃った。
疑似|対《つい》消滅の起こすまぶしい閃光と共に、木ぎれが消滅する。
「おお!」
面白がって次々投げると、「ゆんふぁ」は同じ数だけ夜空を閃光で染めた。
と、対抗意識を燃やしたのか、「チバちゃん」と「錦ちゃん」は頷きあい、ちょこちょこと藪の奥へと分け入っていった。
やがて、ずるずると、オトナのひと抱えもあるような倒木を引きずって戻ってくる。
「?」
男子部員の見守る中、「チバちゃん」と「錦ちゃん」はそれぞれ倒木を挟んで左右に分かれて立った。
刀の握りに手をかけ、すっと腰を落とす。
ほぼ同時に、電光のごとく二体は刀を抜くが速いか、一瞬で倒木にそって駆け抜ける。
その間、刀を持った腕は人々の視界から消滅した。
ちん。
涼やかな音と共に、刀が鞘《さや》に収められる。
それと同時に倒木に一筋の線が走った。
いや、線は一本ではなく、さらに細かいものであった。
やがて、線の交差する部分のひとつが、ぱら、と落っこちる。
あとは連鎖だった。ばらばらと細かいチップと化した倒木の破片が地面にわだかまり、そこには……。
「た……竹脇無我《たけわきむが》?」
誰かがぽかんとした声を出した。
一枚の分厚い板となった倒木は、前後にそれぞれ筆文字っぽい書体で「竹脇無我」と浮き彫りされていたのである。
「すごい……凄いが、何故《なにゆえ》に竹脇無我?」
という声には応えず、刀を納めた二体のアシストロイドは「お粗末」とばかりに頭を下げた。
「それ」はその光景をジッと藪の中から見ていた。
やはり、ステルスシステムを優先して修理したのは正解だったようだ。
「それ」に感情があればきっと戦慄していたに違いない。
護衛用のど派手なシステム優先の機体ながら、ネコ側のアシストロイドはやはり完動品であり、かなり手強《てごわ》い相手だった。
奇襲用に、自動車のサスペンションのバネを改造したカタパルトから打ち出すための倒木を探しにきた「それ」は再び足音を殺しながら後ずさっていった。
肉の焼ける香ばしい匂いが立ちこめ、賑やかに食事が始まった。
串から外されたトウモロコシや肉類を、思い思いのソース、もしくはスパイスなどで味つけし、あるいはそのままかじりつく。
「うぉーっ、美味《うめ》ッッェぇっ!」
と何人かが叫んだが、それはあながち嘘でもない。何しろ映像部も手伝いはしたが、実質的な下ごしらえとか火加減とかはメイド部隊の指導……時には直接指導も含む……なのであるから。
「ほらほら、食ってばかりいないで、ちゃんと料理を映す、五分間だ、我慢しろ! ほらほら、ちゃんと食べる人を映す! ほら、ライト、レフ板! 顔照らして! カメラ構えるときは脇は締める!」
部長の指示が飛ぶ。
こんな時でもカメラを回させているのが、まあ映像部らしいといえばいえるが、部員達はちょっぴり恨めしい顔になった。
「ほい、エリスも」
「え? あはい……」
言われてエリスも、アオイもまた同じようにカメラを回す。
食べる必要のないアシストロイドたちはレフ板とライトを抱えて右往左往する。
そんなこんなで食事はちょっと長時間になった。
「なんだ、食事はいいのか?」
青年は、途中のA&Wで購入したディナーセットに、助手席の少女が手を付けようとしないのに気づいて声をかけた。
「うん。ほら、あそこでご飯みんなで食べてるし……おいしそー」
猫の耳をひくひくさせ、尻尾を子犬のようにぶんぶん振りながら、いちかと呼ばれている少女は、車の中から窓枠に小さな顎を乗せ、よだれを垂らさんばかりのだらしない表情を浮かべた。
「くんくん…………あ、いいなぁ。ヒレ肉だよ、あれ……」
「お前なあ、いきなり上がり込んで飯食うつもりか?」
青年の呆れ顔にも、いちかの表情は変わらない。
「ほら、食事はお互いの距離感を縮めるって言うじゃん……んじゃ、行ってくるね」
「つまみ出されても知らんぞ」
「それは覚悟の上よ……一か八か、ダメで元々、苦渋の判断なのよこれがー」
「満面の笑みを浮かべて言うな」
「あら?」
慌てて少女は自分の顔を押さえつけ、悲壮な表情っぽい物を作って見せた。
「あ、あのーカントク……」
「ん? 何かしら真奈美ちゃん? やっぱりアレ? 決心してくれた? あんたさえOKしてくれたら、きっとアオイちゃんもサインしてくれるし、あたしも大々ラッキーよ!」
「い、いやそうじゃなくて……」
真奈美の後ろから愛子がひょこっと申し訳なさそうな顔で現れた。
「ごめんなさい、偉そうなこと言って」
「ああ、あのことね」
口から顎にかけての髭を撫でながら、カントクはカラカラと笑った。
「気にしないで、確かに、アタシの作品はB級C級よ……アナタ達はお客なんだから、それぐらい言うのは当たり前よぉ」
「…………」
恥じ入って、愛子はひたすら頭を下げた。さらにその横から出てきたアリサも同じように頭を下げる。
「でもね、作品はC級だけど、スタッフはみんな一流なのよ。それだけは判ってね」
「…………はい」
「さ、しけた顔してないで、ご飯食べてきなさいな!」
ぱんぱん、とその場に立ちこめかけた暗い雰囲気を散らすように手を叩き、カントクはふたりの少女の気まずさを吹き飛ばすと、ようやく少女達は明るい顔で「じゃあ、カントクの分のお代わり、貰ってきます」と紙皿を持って行ってしまった。
「…………どうしたの、真奈美ちゃん?」
「いや、まともなことも言うんだなぁと」
「そりゃあねえ。C級でも映画監督だからねェ」
監督は、ははは、と妙に男っぽい笑い声をあげた。
「あ、そうそう…………真奈美ちゃん、ここでの時間、大事にしなさいね」
「え?」
「今のうちだけよ、義理や、お金や、仕事じゃなくてカメラ回したり、映画作ったりできるのって」
そう言うと、河崎貴雄監督は目を細めて、カメラを弄《いじ》りながら、彼にくっついてきたスタッフとアレコレ話し込んでいる他の映像部員達を見つめた。
「映画ばかりじゃないわ、楽しいから作る、なんてことが出来るのは、アマチュアの、それも損得勘定の無い高校生だから出来ること……大学だともう色恋|沙汰《ざた》やら伝統やら、見栄やらが入ってくるからダメ。今だけよ」
「…………」
真奈美は今までとは違い、ちょっと見直した目で監督の横顔を見つめた。
「カントクーお代わり持ってきたよー」
「あーら、ありがとぅ! お肉の脂が跳ねる音ってサイコーね!」
カントクは愛子達が帰ってくると途端に元のカントクに戻り、甲高《かんだか》い裏声混じりのお喋りを再開した。
やがて、真奈美もその話の中に入り、このときのことはいつしか意識の底にしまわれてしまった。
「で、映像部部長殿、何をしているのかね?」
「あ? いえ、あー、これはですね……」
あははは、と男子用テントの中、映像部部長は片手に、さっき外から持ち込んだコカコーラのペットボトル、片手に沖縄県産品としてはとみに有名な「一滴でも飲用した状態では車などを扱ってはいけない水」もしくは「酩酊《めいてい》感を高めるためのお水」の瓶を持ったまま固まった。
「えー、つ、つまりですね、これはそのー」
言葉に詰まりかけたものの、部長は何とか上手い言い回しを思いついた。
「お茶よりコーラより『強いの』を作っておりまして……ダメっすかね?」
「…………」
摩耶はあまりにも情けない顔をしている部長の顔に思わずくすりと笑って、
「まぁ、いいだろう……ただし、その『強いの』はお嬢様に勧めるなよ」
「ソレは、もちろんですよ。いくら何でも中学生にあがるか上がらないかの子にこーゆーのを勧めるほど俺たちもアレじゃないですよ」
あははは、と部長はちょっとばつの悪い笑い顔を浮かべた。
不思議なことに、こういう笑い顔をしても卑屈には見えない。
「まあ、とりあえず信用はしよう……裏切るなよ」
摩耶は釘を刺してテントを後にした。
「あ、騎央さん」
エリスはようやく食事風景を撮り終えて、自分の食事にありついた騎央に声をかけた。
「どうしたの?」
「定時連絡の時間なんです。ちょっと向こうに行ってます」
「あ、いいよ……一緒に行こうか?」
「大丈夫です……それよりも、アントニアさんをお願いします」
「判った、適当に引き留めとくよ」
騎央は頷く。
ようやく一年生は全員食事風景を撮り終えた。
となればあとは存分に食事とお喋りを楽しむばかりだ。
「はぁ……」
アオイは溜息をついた。
(…………羨ましい)
アオイにとってこういう場はとにかく苦手だった。部活は中途参加だし、一般の話題で盛り上がっている今は話の接ぎ穂もない。
勧められるままにアルコールの入ったコーラを口にはするが、染みついてしまった習慣は、彼女にそれを一気に飲んで吹っ切れる、という選択肢を思いつかせもしなかった。
ストイックに、ひたすらストイックに生きてきた少女にとって「ブチ切れてストレス発散」など、そんなやり方があること自体しらないのであった。
(つまらないなぁ)
というよりも情けない。
相手の背後をとる方法や、音を立てずに骨をへし折り、見張りを始末する方法は知っていても、どこのファーストフードのシェイクが美味しいか、いま話題になっているテレビ番組はどれかは知らないのだ。
彼女の映画知識は七〇年代以前に偏っているため、映画の話題でも盛り上がれない。
自分がいかに偏りすぎた人生を歩んできたのか、それを目の前に提示されることほど悲しくてつまらないことはないのだと、アオイは痛感していた。
ならばせめて騎央のそばに、と思うのだが、騎央のそばにはエリスがいて、エリスのそばにはアントニアがいて、アントニアのそばにはメイド部隊がいるから、少々近寄りがたい空気と人垣が出来ている。
(ちょっと、辛いなぁ……)
周囲のお喋りがちょっと一段落したのを見計らって、アオイは「ちょっとトイレ」といって座を外すことにした。
夜風に当たって、すこし息を抜きたかった。
『…………というわけだ』
チャイカの説明が終わり、首に下げた鈴そっくりな通信機に指を置いたまま、エリスはうんうんと頷いた。
二〇〇メートルほど背後では、映像部員達が騒いでいて、この辺は護衛のメイド達からはちょうど中間点になるので人もいない。
とんでもないことが告げられるかもしれない中間報告の場としてはいい位置だ。
「なるほど。じゃあ、前回アオイさんを助けた人じゃないんですね?」
『ああ、あっちは背格好からしてもっと年上みたいだからな』
「姉妹か何かですかね?」
『判らん……とりあえず六号がお前の行き先を喋っちまったから、ひょっとしたら顔を出すかもしれねえ』
「判りました、こちらでも対応します」
『何かあったら連絡よこせ、こっちからもアシストロイドの増援を出す』
「了解です。こっちもいざとなったらルーロスを呼び出してみんなを避難させます」
『うむ、じゃあ、くれぐれも気をつけてな』
「はいチャイカ」
エリスは人差し指で鈴を叩き、通信を切った。
「…………ふう、何か、忙しいことになりそうですねえ」
ちょっと肩なんか叩きながら、エリスは呟いた。
踵を返し、歩き始める。
その時、人の気配がした。
「…………」
一番会いたくない人物に会ってしまった。
エリスである。
ちょうど通信を終えてみんなの所に引き返そうとした所であるが、アオイには判らない。
「…………」
唇を噛みしめ、アオイは踵を返そうとした。
「あ、あの……待ってください」
エリスの呼び止める声を無視しようとした。だが、体内に入っていた微量のアルコールがそれを妨げた。
アオイの中に、いつの間にか憤懣《ふんまん》が溜まっている…………理不尽な、それだけに忘れていたい感情。
「いやよ」
かつての仕事場の人間に対応するような冷たい口調で、アオイはエリスに言った。
「あなたなんか……大っきらい」
そして、エリスを睨みつける。たちまちのうちに、少女は悲しい顔をするだろう。きっと、初めて触れる地球人の「悪意」に打ちのめされるだろう。
アオイ自身が最も唾棄《だき》すべきだと思っている部分が、暗い笑いを浮かべるのが、はっきりと自覚できた。
自己嫌悪と、自己嫌悪への自己陶酔。
言葉が停まらない。
何もかも、ぶちこわしてしまいたい、そんな刹那《せつな》的な気持ちが、アオイの心の中を満たしていた。
「大っ嫌いよあなたなんか。大きな胸で、くびれた腰で、背が高くて、宇宙人で、猫耳で尻尾がついてて、優しくて……」
だが、いつの間にかぽろぽろと泣いていたのは、アオイ自身だった。
「いつも……騎央君と一緒にいて……」
自分で自分の感情が判らなくなっていた。
「…………ひどいわよ、私……私……あなたが来るよりも……来るよりも前から……騎央君の……嘉和君のこと、好きだったのに……」
どんなに涙を拭いても、後から後から、涙は溢れる。
「えぐ……えぐ……ひどいわよ……猫耳で、巨乳で優しくって……飛び道具だらけじゃない。私は……私なんか……勝てない……勝てないのに…………テレビも、漫画も、ロクに知らなくて……りょ、料理だって、ようやく覚えたばかりで……友達だって、まだ……」
途方に暮れた子供のように、立ち尽くし泣くばかりの少女を、エリスはただジッと見つめていたが、
「じゃあ、わたしと一緒ですね」
そう言うと、ぎゅっとアオイを抱きしめた。
「な、何するのよっ!」
あやうくエリスの九八Fの胸の谷間に埋もれそうになったアオイは慌てて猫耳少女の身体を突き飛ばすようにして離れた。
「………………わたしね、アオイさんが羨ましかったんです」
「え?」
「この前の夜……アオイさんが泣きながら帰った、って騎央さん、ずっと心配してました。自分が何かアオイさんを傷つけたんじゃないか、って」
「え…………?」
「わたしは、そんな風に心配して貰ったことはないんです。実際、ここにきて、落ち込むほど嫌な目にあったことが無いのは事実ですけど……」
ちょっと、寂しそうにエリスは笑った。
「わたしは騎央さんが好きだけど、騎央さんがわたしを好きかどうかはまだ判らないし……わたしも、『はじめての相手』としていいや、って思っただけで、これから心がどう動くか判らないし」
「…………じゃあ、はっきり付き合ってるわけじゃないの?」
動揺の中、わずかな希望を見いだした思いでアオイ。
「ええ。でも、騎央さんの側にいると、落ち着くんです。のんびり出来る、っていうか……なんか、お気に入りの日だまりの中にいる感じで……」
幸せな、何か暖かい物を両手で包んでいるような感じで、エリスの言葉が流れる。
だが、それはアオイにとっては求めて、なお手に入らないものだ。同じように大事に思っているはずなのに。
忘れていた負の感情がまた頭をもたげてくる。
「わ、私だって……私だって……」
「そうなんですよね、やっぱりアオイさんにとっても騎央さんは大事な人なんですよね」
「そうよ!」
アオイは無理矢理に、穏やかな表情のエリスを睨みつけた。
「嘉和君がいたから、私は辛い任務にも耐えられた! どんなに後ろ指さされても我慢できた、その仕事だって捨てられた! だから、だから……」
後は言葉にならなかった。
(大体、私なんでこんなこと他人に言ってるんだろう?)
全ては自分の個人的な事柄でしかない。
しばらく、ふたりは黙ったままになった。
エリスはどこか考えている風だったし、アオイは激発した自分の感情が急速に冷めていくのをじりじりと自覚していた。
「いいですよ」
あっけらからん、とした口調でエリスが言った。
「何が?」
「一緒に騎央さんを好きになりましょう!」
エリスは高らかに宣言した。
「な、何言ってるの?」
「だって、|キャーティア《わたしたち》の社会と違って、地球では書類に基づかない関係はオッケーなんでしょ?」
「な…………」
「だったら、ふたりして騎央さんの『愛人』になりましょう!」
ぐっ!
エリスは親指を立ててにっこり笑った。
さしものアオイも、これには絶句するしかない。
きっかり四五秒の間があいた。
「な、何考えてるの、あなたは!」
「えーとですね、わたしは発情期の時だけでいいですから、アオイさんは……」
「か、勝手に話を進めないで!」
もう、何から突っ込んでいいのか判らないまま、アオイは大声をあげた。
「のう、騎央」
きょろきょろと辺りを見回しながらアントニアが騎央に尋ねた。
「エリス様はどこじゃ?」
「あ、エリス? トイレ……とか言ってたよ」
「さっきもそう言うたではないか」
「さっき、っていってもまだ二分も経ってないよ」
「何を言う。二分も経っているではないか」
ぷっと頬を膨らませたアントニアに、思わず騎央は笑みを浮かべた。
「…………ホントにアントニアはエリスが好きなんだね」
「あ、い、いやそうではないのだぞ、私が好きなのは猫の耳と尻尾とうにゃーんではにゃーな雰囲気で……いや、た、確かにエリス様はほんわかした人格であるとか、優しい所とか、胸がおっきくて抱きつくとふにふにしていて気持ちいいとか、個人的にも好みではあるのだが、一応私は『子猫の足裏』の最高責任者でもあるから、本物の猫耳尻尾付きのキャーティア様を心配するのは当然で……」
理路整然な理由にしようとしては途中放棄しまくったような、破綻しまくりの論理を展開しながら、アントニアはしどろもどろになった。
「ふーん、そーなんだ。随分と変わったんだねえ……ちょっと前までは随分物騒な組織だって思ってたけど」
とか聞き覚えのない声がして、アントニアの皿に誰かの手が伸び、乗っかっていたヒレ肉バーベキューをつまんで引っ込んだ。
「だ、誰じゃ!」
まだひと口も囓っていない焼きたてを持って行かれたアントニアが目をつり上げ……ようとして、丸く見開かれた。
「な……」
「や、どーも。あろはおえー」
騎央は声の方を見てアントニア同様に驚いた。
にこやかに手を振ったのは、チャイカと同じくらいの背丈の少女だ。
いや、チャイカと同じ背丈ならアントニアと同じ、ということになる。
にもかかわらずチャイカの名前が出てくる理由がある。
その頭からは猫の耳、オーバーオールのお尻からは猫の尻尾が出ていたのである。
「き……君もエリスのお仲間?」
「まーさかー」
あははー、と笑いながら少女は分厚いヒレ肉を口の中に放り込み、もしゃもしゃと咀嚼し始めた。
すぐに目を細め「うーん」と歓喜のうめき声を上げる。
そのまま、二人の見守る前で少女はきっかり四〇回ほど咀嚼を繰り返し、ごっくんと飲み込んだ。
「いやぁ、いい肉だわねー。柔らかくって肉汁がひと噛みごとにじゅわーって溢れて……またこれが適度な塩でまたもー……グラム五千円はくだらないわね」
などと勝手な材料批評なんぞしながら、少女はオーバーオールのポケットからハンカチを出してちょっと口元をぬぐった。
「ども、初めまして。アタシはいちか…………かれこれ五〇〇年ほど前から沖縄《ここ》にいる仙人なのよ、これがー」
そして少女はにゃはーと笑った。
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第七話 猫とネコとでお話で
抵抗は無意味であった。
もともとアオイは暴力による交渉行為のノウハウしか知らず、それ以外はひたすら素直に頭を下げることしか思いつかない。
ところが、エリスは交渉ごとを任されるほどのキャーティアであり、かつ、暢気な外見に似合わず文明の進んだ所の人間らしく論理は理路整然としている。
いくらアオイが反論しても、歯の立つ相手ではなかった。
しかも、害意も敵意もない。あるのは「エリス、アオイ、騎央の三者共に幸せになる」ための提案なのである。
問題は、その提案内容が地球の一般常識から大きく外れる、ということで。
しばらく、アオイとエリスの間で議論応酬があったが、結局、アオイは自分がそれに向かないことを思い知らされただけであった。
「どうしていけないんですか?」
「だ、だってそう決まってるもの! そっちにとって結婚は適当にやっていいことかもしれないけど、地球では違うの。もっと神聖なものなの、特に日本では!」
「私たちの世界でも、結婚は大事ですよ。大体五〇周期から八〇周期になって初めて行うものですから」
「へ?」
「その辺りの年齢になると発情期による感情や、『吊り橋効果』による心の揺らぎではなく、理性的に『このひとと死ぬまで一緒にいてもいい』という判断が出来るようになるんで。だからわたしたちの社会ではそれまでは結婚しないんです」
「…………なるほど」
思わず頷いてから、アオイははたと気づいた。
「そ、それはそっちの世界の話でしょ! どうして嘉和君がそっちの世界の常識に基づいた行動をしなければいけないの?」
「騎央さんはキャーティア大使館のために働いて貰ってますし、一応仮ではありますけど騎央さんの家はキャーティア大使館でもありますし、それに、わたしがキャーティア人だからです」
「嘉和君は地球人です!」
「でも関わっている私はキャーティア人ですから、キャーティア人として出来る限り誰も損をしない解決を提案したいわけで…………それに、地球の常識による決着法はまだ宗教概念によるものが大きすぎて、あまり良くないように思えるので」
そこまで言って、エリスははっと口を押さえて「ごめんなさい」と謝った。
「ちょっとわたし、今|高いところから《えらそうに》物を言いました…………ごめんなさい」
「い、いや、いいのよ……」
アオイはどうにも調子を狂わせる相手にちょっと呆れながらも、その謝罪を受け入れた。
それに、問題はそんなところではない。
「えと、アオイさんが何かいい提案があるんでしたら……どうぞ」
本気で、申し訳なさそうにエリスはアオイに掌をむけ、「話してください」というジェスチャーをした。
「…………」
喋ろうとして、だまり、また喋ろうとして、黙り……アオイは結局、黙り込んだ。
「でも……そういうのは、嫌」
情けないことにアオイの反論材料は自分の「感情」しかなかった。
「嫌なの! 嫌なの! 理由なんか無い! そういうの、嫌なの!」
まるでだだっ子のようだと頭の片隅で思いながら、アオイは叫んだ。
「嘉和君は物じゃないのよ! 半分とか、代わりばんことか、そんなこと出来るわけ無いじゃない!」
沈黙が落ちる。
エリスはしばらく「うーん」と考え込んでいたが、
「判りました。あくまでも、わたしと、騎央さんを争う、そういうワケなんですね」
こくん、とアオイは頷いた。
「あらそって、どっちかが騎央さんを得る、その方法じゃないとアオイさんは納得しないんですね?」
「そ…………そうよ」
「で、どうやってどっちが勝ったのかを見極めるんですか?」
「そ、それは……その……やっぱり、その、私と、あなたのどちらかがす、『好きだ』って言ってもらうこと……だと……思うわ」
どうも何か違う。
恋愛の話をしているような気がしない…………まるでスポーツかゲームの打ち合わせをしているような。
アオイは内心首を傾げたが、相手が宇宙人では仕方がない。
「わかりました」
うん、とエリスは頷いた。
「でもその代わり、わたしが勝ったら、わたしの提案したことを、受け入れてください」
「え?」
「つまり、わたしと騎央さんを一緒に好きになる、ってことです。わたしが負けたら、わたしは別の人に仕事を引き継いで貰って、騎央さんの前から姿を消します」
「ど、どうしてそうなるの?」
「お話を聞いていると、つまりアオイさんの感情が納得しないんだ、と判りました。感情の言葉は本音です。本音は建前《たてまえ》よりも貴重です。だからわたしはアオイさんの提案を受け入れました。だから、わたしが勝ったら、アオイさんが私の提案を受け入れてください」
「…………は?」
アオイはぽかんとしながら、自分が今まで感じていた違和感の正体にようやく気づいた。
自分は、エリスに対する宣戦布告のつもりなのに、エリスはアオイと交渉しているつもりなのだ。
「い、いやよ!」
アオイは大声を上げた。なんでこうなるんだろうと半《なか》ば呆れる。
真奈美に貸して貰った恋愛漫画では、大抵、相手も「じゃあ、負けない」とか何とか言って、恋の火花が散るはずなのだ。陰湿だったり、正々堂々としていたり、それから先のバリエーションはいろいろあるが、交渉の一環としての競争行為では、断じてない。まして、負けても相手を諦めないでいい、などと……。
「あなたが勝ったらあなたが嘉和君をもらえばいいわ」
「…………さっきは騎央さんは物じゃない、って言った癖にぃ」
困ったナーという顔になるエリス。確かに、アオイはさっきそう言ったのは間違いない。
「と、とにかく、そんなことはいけないことなの! 神様が決めたの!」
「『神』という超越概念を持ちだしての思考放棄は良くないと思います」
ここで初めて、エリスは厳しい顔になった。
「それにわたしは神様とじゃなくて、アオイさんとお話ししてるんですから、神様を持ち出すのは卑怯です」
「あー、もう!」
思わずアオイはかんしゃくを爆発させたが、すぐに深い溜息をついた。
なまじ優秀な非合法工作員だっただけに、問答無用で相手をぶん殴って……という選択肢が思い浮かばない。
「それに」
とエリスは真剣な目でアオイを見た。
「そういう|〇か一《ゼロサム》選択って可能性の消去なんですよ?」
「……そりゃそうよ、誰かが誰かを好きになってそれから、っていう可能性を諦める、ってことだもの」
「そればかりじゃないですよ…………たとえば、わたしが勝ったとして、その後わたしが死んだら? その逆は? そう考えたら、どうです? アオイさん、『やったラッキー!』って騎央さんの所に来られます?」
「う…………」
確かに、それは……現実には難しい。
「でもわたしの提案したやり方なら、わたしのあとをアオイさんが引き継いでくれればいいんです。そして騎央さんと幸せになればいいんです。数が減るだけで、ゴールは変わりません」
「…………」
一瞬「それはそうかも」という言葉が頭をよぎり、アオイはとうとう頭を抱えた。
(こ、これは洗脳よ、洗脳なのよ、猫耳宇宙人の洗脳攻撃なのよ!)
アオイは必死になって自我に言い聞かせてみたものの、その必死さはどうも大脳皮質に届く前にどこかに上滑りして消え去ってしまうような気がした。
「うわ……ほ、本物だ」
耳と尻尾に触った騎央が唖然とする。
「そりゃそーよ」
へへーんと、いちかは反《そ》っくり返った。
「で、でも沖縄にいるならどうして?」
エリス達が出てくる前にもっと有名にならないのがおかしい、そう騎央は言いたいのだ。
が、いちかはあっさりと、
「ん? 昔っからいたからねー。ここ五年ぐらいはご無沙汰だったけど」
騎央を含め、その場にいた全員が「嘘をつけ」という目つきで少女を見た。
「ま、あんたたちのいるのは国場《こくば》のあたりだもんねー。あたしは首里《しゅり》のほうだから」
「まぁ……エリスちゃん以外にもいたのねーこーゆーの。沖縄って奥が深いのねー」
カントクがつくづく感心した、という声を出す。
「…………どうしたらそういう感想になるのか判らないわ」
その横で、真奈美が呆れた声を出す。
「……さ、触ってもよいか?」
おそるおそる声をかけたのはアントニアである。
何しろ、エリスだけだと思っていた猫耳尻尾付きがもうひとり現れたのだ。驚かずにはおられない。
「あ、いーよ。その代わりご飯ちょーだい」
「うむ……摩耶!」
紙皿に大盛りに盛られたバーベキューとおにぎりが出てくると、いちかはそれをぺろりと平らげた。
「いやあ、美味しいねえ。炭火でじっくり焼いてあって……いい仕事してるわぁ……あ、これお土産に貰ってっていい? うちにさあ、いい年こいてまだ独り身のあんちゃんが居候……」
「誰がいい年こいて、だ。この一〇万三歳児」
ぼか。
いつの間にか少女の背後に、二〇歳そこそこの青年が憮然とした表情で立っていた。
「いたたた……いるならいる、って言ってよ〜旅士ちん」
頭を押さえて少女は情けない声を出すが、
「やかまし」
と、旅士と呼ばれた青年は、さらにもう一回いちかの頭を小突いて、
「まったく、いつまで経っても帰ってこないから心配になって見に来てみれば……みなさん、申し訳ありません。ウチのチャンチャカ猫がご迷惑をおかけして」
ぺこりと青年は頭を下げた……どう見ても居候というよりも「保護者」である。
「ほら、挨拶すんだんだろ、とっとと帰るぞ」
言うなり、ずるずるといちかの襟首を捕まえて引きずっていこうとした……エリスもそうだが、この少女も見かけ以上に体重は軽いらしい。
「あ、いや、まだお仲間にはまだなんだってばー」
「ならさっさと済ませろ。僕は明日早いんだ」
「……そーだよねー。久々にアロウちん、沖縄《こっち》に……」
ぽか。
「余計なことは言わんでもいい」
「はーい」
古いかけあい漫才のような会話をしてるうちに、妙に疲れた顔をしたアオイと、ちょっと興奮したような顔つきのエリスが戻ってきた。
「あ、エリス……」
と騎央が話しかけるよりも先に、エリスは自分たち種族と同じ特徴をもつ少女を見つけ、
「おお!」
と駆け寄った。
「やー」
いちかも青年の手をふりほどいて駆け寄り、ふたりはがしっと両手を握りあった。
「おおお!」
エリスはそのままいちかの手を取ってぶんぶんと振った。
「どうもどうも! これはこれはー!」
「いやーやーやーやー、どーもどーもどーも」
いちかも同じようにエリスの手を振り回す。
そんなことを数回繰り返し、ようやく二人の手は離れた。
「…………で、騎央さん」
エリスが騎央に尋ねた。
「この人、どなたです?」
こけっ。
「…………知り合いじゃないの?」
ずり落ちた眼鏡を直しながら騎央。
「あ、いえ、あの同族だと思ったんで……」
あははーとエリスは頭を掻いた。
「あ、やっぱそーなのね」
と相手の猫耳少女も頭を掻いた。
「いやーどーも似た外見の相手ってのは久々なもんで」
「えーと、こんばんわ、エリスといいます。宇宙人です」
ぺこり、とエリスが頭を下げた。
「あ、どーもいちかと言います。地球産です」
ぺこり、といちかも頭を下げた。
「で、まあ、色々難しいお話もあるとは思いますがー」
「?」
「とりあえず、それはまた明日以降、ってことで、遊びません?」
いつの間にか、地球産猫耳少女の手にはカラオケ用のマイクが握られていた。
「えーと、カラオケ、知ってます?」
「あ、はい……テレビで見ました」
「おっけー!」
そう言うと、少女はオーバーオールの胸ポケットから布を取りだした。
広げるとかなりの大きさになる唐草模様《からくさもよう》の風呂敷を地面に置いて、
「では、一、二の三っ!」
ばっと取り去ると、そこにはアンテナ付の屋外用通信カラオケが現れた。
「えー!」
エリスの目が丸くなる。
側にいた二体の通常型アシストロイド達も思わず身を乗り出した。
「い、今のいったいどうやって取りだしたんですか?」
「あ、これ? …………まあ、これがあたしの特技なのよ」
にこにこといちかは笑った。
テキパキとコードを勝手にメイド達の持ってきた電源車両に繋いでスイッチを入れ、下のラックから分厚い番号表をよっこらせと取りだし、周囲で呆然としている映像部部員および、メイドたちに言う。
「で、誰が一番?」
「なに? じゃあ、あれか。今接触してるってのか」
『はい。何ならお話しします?』
「いや、いいよ」
チャイカはエリスと違って慎重である。敵か味方か確定しない相手に対し、余計な情報を与える必要はないと考えていた。
「とりあえず、向こうから話を聞き出してくれ……頼んだよ」
『はい。明日帰ってくる頃には報告できると思います』
「あー、それとさ」
チャイカはちょっと情けない声を出した。
「悪いんだけど、何か食い物買って帰ってきてくれよ。腹が減って……」
『あれ? うちの連中《アシストロイド》、料理作ってくれないんですか?』
「『非常状況第四条に基づく拘束』だよ。とりあえず相手の白黒がはっきり判るまで、接触した六号はもちろん、そっちにいる四体以外のアシストロイドは凍結処分だ」
チャイカの前には念のため特殊な樹脂バンドでひとまとめに拘束され「封印」と書かれたペーパータイプの電磁フィールド装置で一切の機能を停止させられたアシストロイドたちがいる。
「ウチのアシストロイドはまだそっちからデータ提供されてねえけどさ、料理しようにもどーしたらいーのか」
『あの、データ転送しましょうか? 私のワークシステムに料理レシピありますから』
「いーよ、面倒だから……じゃ、以上交信終了」
『あ、はい、了解、終了します』
「メシわすれんなよー」
笑ってチャイカは通信を終えた。
「あー、腹減ったナー」
ごろんとソファの上に横になる。
「おい、お前なんか作れ」
自分の連れてきた青いアシストロイドに命じると、チャイカ専用のアシストロイドは片手に持ったプラカードに「いやぷー」と書いて掲げた。
「てめえ……解釈枠を拡大したら最近随分とナメた口利くよーになったじゃねえか」
空腹の時は、地球人でもキャーティアでも洒落や冗談が通じにくくなっているらしく、チャイカは低い声を出しながら起きあがった。
「ちょいと折檻《せっかん》が必要かもなぁ」
完全に目が座っていた。ぺきぱきと指を鳴らす。
慌ててブルーのボディを持ったアシストロイドはプラカードをひっくり返して「ぼーりょくはんたい」と書いた面を見せたが、どうもチャイカには通じないらしい。
というより、常にそれをプラカードの裏に書いてあるということは、結局無駄であるという証明ではないか。
「ますます腹は空くが、これ以上、持ち主をバカにするアシストロイドを野放しにしておくよりはいーよな?」
アシストロイドはガタガタ震えながら「たしけて」と書いた。
「ん〜? 聞こえんなあ」
最近、テレビで覚えた台詞を口にしながら、チャイカは指をポキポキ鳴らした。
「それきゃらがちがう」とアシストロイドはすかさずツッコミを入れたが、チャイカは無反応で、青のアシストロイドの命運はここに尽きようとしていた。
が、運命は意外な逆転を与える。
チャイムの音がして、きーっ、と門が開く音が響いた。
「誰だ?」
アシストロイドはセンサーからのデータから、人物を特定した。
「おじちゃんです」プラカードに切羽つまった字で。
「おじちゃん? ああ、騎央の叔父さんか……確か雄一とかいう」
どうやら一難去ったと判断したアシストロイドは必死になって頷いて、チャイカの言葉を肯定した。
「じゃあ、何か食い物あるかな?」
完全にチャイカの興味は怒りから、雄一のほうへシフトしたと知り、アシストロイドは文字通り胸をなで下ろした。
騎央達のいるキャンプ地から離れること数百メートル。
アントニアの配下のメイドが開発した、アシストロイドを外観モデルとした護衛用強化装甲服「うなーたん」は、ちょこねんと砂浜に腰を下ろしていた。
『|いい夜でちゅねー、ねこたん《いっあ・びゅーてぃふるない、けーてぃ》』
舌っ足らずな赤ちゃん言葉が「うなーたん」から漏れた。
「うなーたん」の膝の上には、その中身である副メイド長・サラお手製の革ジャンを着込んでゴーグルをかけた通常型のアシストロイドがいる。
自分たちの拡大版であるところの「うなーたん」の巨大な顔を見上げ、アシストロイドはこくんと頷いた。
再び前を見る。
何を考えているのか(もっとも、アシストロイドに人間のような思考意志はないのだが)無表情の顔はどことなく哲学的であった。
『あ……神様、生まれて初めて、私はあなたに感謝します』
しみじみと「うなーたん」は呟いた。
波の音が静かに響く。
「それ」は暗闇の中で慎重に歩んでいた。
ステルスシステムは金属、動力源などを主体としたセンサー類を誤魔化《ごまか》すことは出来ても、音や姿を消してくれるわけではない。
しかも「それ」とその仲間達が保有しているのは本来のものではなく、現地調達した材料から作り上げた旧世代兵器だ……中には旧世代を通り越して古代に入っているものもある。
幸い、「それ」とその仲間達に焦りはない。それを受容する「感情」という器《うつわ》がないのだ。「それ」と仲間たちには目的があり、必要となれば何年でも待つことができる。
そう、何年でも。
「では、アタシが最初にやるわねー」
最初にマイクを握ったのは河崎カントクであった。
オフ・スプリングスの「meaning of life」と「三味線殺法」「神魂合体ゴーダンナー」を熱唱した後、部長と副部長が受けて立つようにB’zやらラルクを歌い……何となくいちかを警戒しながらもカラオケ大会は始まった。
ところが、すぐに状況は変化した。
だれが歌い始めても、いちかというこの自称地球産の猫耳少女は踊るわタンバリン叩くわ、かけ声かけるわカラオケに入っていないコーラスを歌うわ、あっという間に場を盛り上げてしまったのである。
一〇分も経つ頃には、いちかは女子男子、双方の集団と肩を組んで歌っていた。
いつの間にか、全員がこの妙な生き物がつい数十分前に現れたということを忘れ、互いを名前で呼び合う仲になっていて、それを不自然に思わなかった。
この地球産の猫耳少女は、本当の意味でかなりの「遊び上手」だったと言っていいだろう。
エリスもテレビで覚えた曲(時代劇の主題歌だった)を何曲か歌い、いちかと「紅ノ牙」「塹壕《ざんごう》の棺」&トランザムの「ああ青春」あたりをデュエットまでしたときには、「ダブル猫耳歌の競演」に歓喜と興奮のあまりアントニアが失神しかけた程である。
驚くべきは、あの摩耶でさえ三曲ほど歌ったということだ。
それも促されて、ではなく自発的に…………それほどにこのカラオケ大会は楽しかった。
摩耶が歌ったことで他のメイド達も堰《せき》を切ったようにマイクに殺到し(もっとも、ちゃんと警戒要員を残して、一曲ごとにローテーションを組んで、だが)、キャンプファイヤーを前にした、大テントにおけるカラオケ大会は電源車の燃料が切れかかって、やむなく摩耶が解散を宣言する深夜遅くまで続いた。
もちろん、その際には全員からがっかりした「えー!」という声が夜のしじまに響いたのは言うまでもない。
「あー、楽しかった」
大テントの側に設営された女子用のテントにひっくり返りながら、真奈美は満足いっぱいの顔になった。
テントの中は衝撃吸収マットのみならず、エアコンまで稼働しており(このために電源車の燃料を気にした摩耶はカラオケ大会の中止を宣言せざるを得なかった)、かなり快適だ……もっとも、キャンプという言葉本来の意味からは大分外れているが。
「うん」「うん」
と愛子とアリサも頷き、
「…………うん」
アオイまでもそれに同意した……彼女は今日のこの出来事に、深い感動さえ覚えていた。
楽しかった。とにかく楽しかった。
歌うという行為がこんなに楽しいものだとは知らなかった。
今までのアオイの人生で、自分で何かを歌う、というのはせいぜい手持ちぶさたを紛らわせるための行為でしかなく、声を殺し、あるいは口の中で誰にも聞こえないように、というのがメインだった。
大声で、手拍子や拍手、口笛の中で歌うのがこれほどの興奮と喜びだったとは。
カラオケルームなる代物が山ほど町の中にある理由がようやくアオイには理解できた。
「…………ところでさ」
そういえば思い出した、と真奈美が起きあがった。
「なんかカラオケの前、エリスと一緒に帰ってきたみたいだけど、何かあったの?」
「え……いや、あの……」
アオイは口ごもった。未《いま》だにカラオケの興奮が残っていて、どうもあの状況を上手く説明できる自信がない。
そこへ、訪問者があった。
「…………すまぬが、一緒に寝かせてくれぬか」
入り口を摩耶に開けて貰い、巨大な枕を抱きしめながらテントの中に入ってきたのはアントニアだ。
「電源車の燃料の問題があってな……というより、このまま寝てしまうには、今日はあまりに惜しい気がするのじゃ……その……他意は、無いぞ」
ちょっと恥ずかしそうに枕に顔を埋めつつ、ぶっきらぼうな口調で言うアントニアに、女子部員全員がにっこり笑って受け入れる、という意味での頷きを返した。
「エリス様も、いちか殿もいずれこちらに来ると言うし」
「あれ? じゃあ今は?」
「何でも今後の外交に関する重要な問題を討議せねばならぬそうじゃ」
「?」
砂浜には波打ち際から大テントまでの間、膨大な量の数式が書かれていた。
「ああ、霊子力なんですね! すごい! ここまで完璧にコントロールしてるなんて!」
その数式を最後まで読んで、エリスは驚愕の声を上げた。
側に付いている通常型アシストロイドが「けいさんにまちがいないす」とプラカードを掲げてその内容を保証した。
「そうそう、霊素粒子に一定の方向を与えて、様々な変質変換変化《エクスチェンジ》を行わせているわけ」
「それを意志力とそれを焼き付けた簡易回路だけで行うわけですか……確かに、これは『魔法』の一種ですねぇ」
何度も頷くエリスに、いちかはお気に入りの玩具を見せびらかす近所のガキ大将のような笑顔を浮かべた。
「でも、よくそっちも理解できたね」
「わたしたちの社会ではここ一〇〇年ぐらいになってようやく存在証明が出来たんです。予想そのものは二〇〇〇年ぐらい前からあったんですけど」
「あたしたちもこの力を数式で表せるようになったのはここ八〇年ぐらいだよ。それまではわけも分からず気合いと想像力だけで使ってたからね」
「でも、これだけの意志力を持つエキスパートがよくもまぁ……」
「まあ、昔、まだ今みたいな政治治安システムが出来上がる前にはよーく山からやってきては可能性がありそうなのを手当たり次第に引っさらって教育してたからねー」
子供の頃の失敗談を思い出すような遠い目でいちか。
「年間で一〇万人ぐらいさらってたから、その時の生き残りがまだ結構いるのよ………あたしみたいに獣から仙人になったのもいるし。可能性があれば無機物だって訓練したから」
「ど、どうやって…………?」
目を丸くするエリスに、「まあ、それは企業秘密、で」といちかは軽く話を流した。
「でも、成功率って、どれくらいなんですか……?」
「一〇〇年も続けてれば一〇人ぐらいは増える勘定だったらしいわ。今はもう少しカリキュラムが向上したから対象に比べての比率は上がってるけど、数は同じくらいかな」
「一〇〇万分の一ですか……ハードですねえ」
「まあ、五〇〇〇年ぐらい昔の話だから出来た話ではあるんだけど」
「うーむ、凄いなあ。地球って」
「まあ、バカも超弩級《ちょうどきゅう》が揃ってるけど、最高頭脳も結構あるってことで……振幅激しいのよ」
「楽しそう……なのかな?」
大テントの下で、エリスといちかが熱っぽく話し込んでいるのを、騎央はちょっと離れた海岸から見ていた。
最初は側にいて色々話を聞いていたが、話が数式的なものに及ぶにつれて、理解できないのと、エリスがいちかとの会話に完全に没頭して熱をあげ、ついに会話の内容が騎央には意味不明になってしまったため、ちょっと離れて息抜きをしようと思ったのだ。
「すまんね、迷惑かけて」
苦笑いを浮かべて、いちかの「保護者」である瑞慶覧旅士《ずけらんたびと》は騎央の横に座り込んだ。
「いったい、彼女は何者なんですか?」
「……あれはウチの裏庭に昔っから住んでる生き物なんだよ」
どこか「信じてはもらえないだろうなぁ」というニュアンスをたっぷり含んだ声で旅士は答えた。
「昔って……どれくらいですか?」
「さぁてね、先祖代々の古文書なんてものはこの前の戦争で焼けて残ってないからよく分からないけど」
青年はくすっと笑った。
「………………多分、三〇〇年以上は経ってると思う。何しろ親父《おやじ》の曾《ひい》じいさんの、さらに爺さんの代に、一度台風で壊れた家を一緒に建て直した、って話があるから」
「何でまた、その……瑞慶覧さんの所に」
「旅士でいいよ……何でもあいつが大怪我をして那覇の海岸に流れ着いたとき、ウチのご先祖様が助けて、それ以来の関係らしい。色々教えてくれたり、助けてくれたりしてくれるんで、ウチの一族とその近所は結構重宝してるよ……ここ五年ぐらいはちょっと仙人《あっち》の世界でしくじって顔を出さなかったけど」
「旅士さんは、どれくらい前から?」
「僕が生まれたときにあいつに抱きかかえられて写っている写真があるよ……最初は姉きだと思ってたけど、幼稚園に上がる前にそういう『守り神』みたいなもんだと教えられた……まあ、どうも最近は出来の悪い妹みたいになってきたけどね」
「なるほど…………」
騎央はようやく納得した。
………………どうやらこの世には自分の常識や想像を遥かに超えたものがあるらしいが、それは決してつい最近現れたものばかりではなく、過去から延々と存在するものもあるようだ。
宇宙人だっているのだから、仙人ぐらいはいても当然ではないか。まして、猫の耳と尻尾をはやしていたとして、それぐらいは「個性」のうちだろう。
しかも、自分以外にもそういう存在に付き合いがある人物がいるというのは、少し騎央にとっては心強かった。
「それ」は選択を迫られていた。
標的である人間達はこういう場所に来れば数に関係なく、早々に生殖行為、もしくは準生殖行為に没頭し、然《しか》る後に睡眠を取ってしまうというのに、彼らは延々と眠る気配がなかった。
もう、夜明けまで間がない。あと三時間もすれば朝日が差してくる。
彼らが今すぐ寝入ったとしても、大部分が襲撃しても安全なほど深い眠りにおちるには二時間はかかる。
しかも厄介なことに、メス型の人間の中の半分以上がどうやら哨戒《しょうかい》任務に当たっているらしく、こちらは完全に眠る気配がない。
通常なら、ここで撤退すべきだったが、彼らの装備はあまりにも魅力的だった。
「それ」の仲間達全員を修理し、さらに武器を作ってあまりある……そうなれば、目の前にいる猫と、猫のロボットも壊滅させることが出来る……「それ」は未《いま》だに任務を遂行中であった。
任務終了、あるいは中断の命令を受けていなかったためである。
さらに、ここまでの浸透突破という状況の有利さも美味しかった。
ひょっとしたら、あるいは…………。
数秒間の状況の検討後、「それ」は結論を下した。
「そうか…………そっちは随分と常識的だなあ」
旅士は羨ましい、という顔で言った。
「ウチのアレはまー、見ての通りのチャンチャカチャンでね。目を離しているとどんな悪さをしでかすかしれないんだ」
溜息混じりの青年の言葉に、騎央は何となく頷いてしまった。確かに、あのいちかはどう見てもエリスよりも遥かにたちが悪そうだ。
「それにいい子じゃないか、素直で明るくて…………恋人なのかい?」
ちょっといたずらっぽく笑う旅士に、騎央は真っ赤になった。
「いや、あ、あの、いえ、その…………」
「あはは、悪い、これは僕が聞くべきことじゃなかったな」
「…………はあ」
思ったより深く突っ込まれず、騎央はほっと一息ついて夜空を見上げた。
妙に月が暗くなったな、と思ったのだ。
暗くなったハズであった。
月の浮かんでいる場所には、別のものが浮かんでいて、その光を遮っていたのだ。
その「別のもの」がゆっくりと落下を始めたような錯覚の中、ようやく騎央はそれの正体が、自動車のタイヤだと気がついた。
まっすぐ騎央の上に落ちてくる。
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第八話 闇夜にゃ小さな犬が出て
『まずい!』
騒ぎはすぐにサラこと「うなーたん」にも伝わった。
膝の上で丸くなっているアシストロイドを落っことさないように跳ね起きると、ドタバタと走り始める。
『ねこたん、しっかりつかまってるんでちゅよっ!』
赤ちゃん言葉ながら鋭い声で言うと、「うなーたん」は、背後に置いてあった物をそのボディに装着し、大急ぎでテントへ引き返し始めた。
タイヤは、普段認識している人間はほとんどいないが、かなりの重量物である。
乗用車でさえ、数人、時には数十人の重量がかかる車体を最後に支えているのはタイヤなのだから、頑丈かつ重くなるのは当然の話だ。
一個につき一〇キロ以上あるのは当たり前で、トラックのタイヤあたりになれば、数センチの高さから脚の上に落としただけで大怪我となるのも珍しくない。
それが、無数に降り注いでいるのだ。
さらに岩や火山弾よりも、跳ねる特性があるだけに恐ろしい。
「危ないっ!」
旅士が騎央の脚を手で払った。
もんどり打って倒れた騎央の、数瞬前まで頭があった位置をタイヤがすり抜け、
どすん。
重々しい音と、派手な砂煙をあげて古タイヤは、仰向けに倒れた騎央の頭の上ギリギリに突き刺さった。
「誰だ!」
旅士の鋭い誰何《すいか》に対する返事は、またもや空高く打ち上げられたタイヤの群れと、大量の発煙筒だった。
「敵襲! 山側二時の方角!」
メイドの誰かが叫ぶ。
「騎央さん!」
降り注ぐタイヤと、立ちこめる煙の中をエリスが走る。
「エリス!」
赤いボディスーツ姿の猫耳少女は稲妻のように駆け抜けて、騎央の上に覆い被さった。
「わっ、え、エリス!」
騎央はもがくが、エリスは少年にしがみついて離れない。
エリスの肩から、騎央は空を見た。
七つの、ばらばな大きさのタイヤが降ってくるのを。
正確にはそれは同じ口径《こうけい》の物で、高さが違っているのだと気づいた時、砂浜を小さな影が飛んだ。
三体のアシストロイド達はそれぞれ右手に収納されているピコピコハンマーこと、疑似反物質ハンマーをかざした。
ハンマーの打撃部分は上下ふたつ。
まばゆい輝きが六つ輝いた。
だが、どうしても一個のタイヤがこの絶対防衛網をくぐり抜けてくる。
「エリス!」
何とか騎央は少女を押しのけようとした。このままではエリスがタイヤに当たってしまう…………しかも、強化されたボディスーツ部分ではなく、無防備な頭部に!
不意に、騎央の視界が暗くなった。
「はぁっ!」
気合い一閃。タイヤはたおやかな白い手に触れた瞬間に消え去った。
遠くの海で、重いものが落ちる水音が響いた。
「物体転送《アポーツ》」本来なら引き寄せるための能力だが、遠くへ「飛ばす」ことも応用次第によっては可能だ。
長い髪が、夜風に翻る。
「大丈夫、嘉和君!」
振り返ったのはアオイだった。タンクトップになんと、下半身は白いレースの下着だけ。
寝間着に着替えようとしたときに、この騒ぎが起こったためだが、騎央は判らず、ただただ顔を真っ赤にして黙り込んだ……何しろ、顔を横に向ければ、今度はエリスの胸に顔を埋める羽目になる。
「か……嘉和君?」
数秒間考え、騎央は目をつぶった。
「だ、大丈夫、大丈夫だから!」
大声に、アオイはようやく自分の格好に気がついた。
「きゃっ!」
叫んで慌ててテントに駆け戻る。
「…………え、エリス、もう終わったみたいだよ」
「え? そ、そうなんですか?」
エリスがようやく騎央の上からどいてくれた。
砂を払いながら、少年の身体に怪我がないことを確認する。
「あーよかったぁ……あなたたちも、ありがとうね」
アシストロイド達の労をねぎらうと、一斉に「さいごのいっこはアヲイしゃん」と書かれたプラカードを掲げた。
「え?」
「最後の一個は双葉さんが消しちゃったんだよ……超能力でも、持ってるのかな?」
「うーん?」
そんな会話をしている間にも、発煙筒の煙が辺りに充満してくる。
矢のように飛び出していったアオイが、真っ赤になってテントに駆け戻ってきた。
「?」
何が起こったのか判らないままに膝立ちになったままの真奈美は、一瞬首を傾げたが、すぐに状況を理解した。
「見られたの?」
「…………」
真っ赤になったまま、アオイはこくんと頷いて、自分の荷物をひっくり返し始めた。
(なら行かなきゃいいのに……)
と真奈美は思ったが、すぐに自分の考えが間違っていることに気づいた。
この少女は、それぐらい騎央を心配していたのだ……自分のことを放り出すぐらいに。
(これも愛、ってことなのかなぁ……)
まだ真奈美にとって恋や愛は「燃える」「格好いいもの」であり、時にこういう喜劇的状況を作り出すものだという実感がないのだった。
「それ」はこの騒動の間に、無事に目指す目的地までたどり着いた。
念のため、予備の発煙筒をさらに発火して周囲に放り投げ、十分な煙幕を張ってから、折れた箒の柄に三角形に割れた車のフロントグラスを古いガムテープで縛り付けたもので、テントの壁を切り裂いた。
手を突っ込んで目的の物を次々に取りだし、待ち受けていた仲間たちに放り投げると、最後の一個を頭の上に担いで踵を返し、走り出す。
「あ、どろぼー!」
声が聞こえたが構わずに走る。幸い、「それ」と仲間たちは小さい上に、平均的地球人よりも遥かに早く走れる。
だから相手に追いつかれる心配はなかった。
追いついてくる相手には、それなりの策も立ててある。
「どろぼー!」
の声に、騎央は男子テントの方を振り向いた。
小さな……子供というより幼稚園児ぐらいの大きさの影が、頭の上に見覚えのあるものを担いで驚くほどの速さで走っていく。
「カメラバッグ?」
正確に言うと、トランク型のハードケースである。
「どろぼーだぁ!」
部長の悲鳴が聞こえた。
「エリス!」
「追いましょう! …………みんな!」
再装填されたハンマー片手にアシストロイド達が駆け出した。
エリスと騎央も後を追う。
騒ぎは女子テントからも見えた。
「二人とも、行くわよ! 真奈美、ここをお願い!」
すでにジーンズとTシャツというラフな格好に着替えたアオイが、二体のサムライ型アシストロイド達に鋭い声をかけて、テントから飛び出した。
「わかった! ……『ゆんふぁ』、あんたはアオイについてって!」
まだ下着姿の真奈美が命じると、コート姿のアシストロイドが後を追った。
「よし、全員動かずお嬢様の周囲に集まれ!」
すでに騒ぎが起こった次の瞬間にはテントに飛び込み警戒態勢をとっている摩耶が命じる。
言われたとおり少女たちが固まったところで、摩耶は胸元から取りだした鍵を、テントの支柱に取り付けられた内部電灯のコンソール横に差して回した。
女子のテントは万が一も考えてアントニアのテント同様に防弾、防刃の加工が施《ほどこ》されている。
さらに特殊な鍵を差して回すことによって、内部のバッテリーからテントの布に電流が流れ、素材そのものが硬化、一センチの鉄板と同じ強度を保有するようになる。
ドーム状のテント構造と相まって、計算の上では二〇ミリグレネードまでは防ぐことが出来るはずだ。
果たして、硬化したテントの上で、いくつかの重々しい音が響いたが、どれひとつとして中には飛び込んでこない…………間一髪間に合ったとも言える。
泥棒の一団は、海岸線に沿って逃げ出した。
幼稚園児ぐらいの大きさの癖にえらく足が速い。
「まてーっ!」
その獣毛に包まれているような異形のシルエットの「動き方」に既視感のようなものを感じながらも、騎央は追跡に集中した。
が、人の脚では追いつける速度ではない。
やはりこうなると、強化服を着けているエリス、そしてそれ以上に元から機械なアシストロイド達の方が動きは速い。
後ろからやってきた「ゆんふぁ」たちもあっさり騎央やエリスを追い抜いて、先を行く通常型と合流する。
「待ってエリス!」
騎央はエリスを呼び止めた。
「このままじゃ追いつかない。近道しよう!」
海岸線はこの先、大きく湾曲しているが、海岸線沿いの道路なら崖までまっすぐ伸びている。
「判りました!」
エリスは足を止めるや、とん、と軽く砂浜を蹴って大きく背後に飛んで騎央の横に来ると、今度は騎央を抱えて大きく飛んだ。
道路の上に降り立つ。
「すみません、このまま行きます!」
言うが速いか走り出した。
「え? え? え?」
騎央は状況が良く理解できないまま、エリスに横抱えにされたまま、風になった。
『おりゃあああああああああ!』
エリス達が道路に向かって跳躍した後、砂煙と波しぶきをまとい、恐ろしい勢いでやってきたのは「うなーたん」だ。
専用の高機動ユニットを装着している。
といっても大した物ではない。
頭が大きい「うなーたん」は「走る」という前傾姿勢では、恐ろしく不安定になる。
前のめりに倒れそうになるのを、足を踏み出して支えることの繰り返しが歩行、という行為であり、これをなるべく速い速度で繰り返すことが「走る」という行為である以上、これは当然なのだが。
それをフォローするために、上半身の加重を支えるためのものが必要なのである。
さらにここで「うなーたん」の設計者は遊び心を出し、専用の武器カーゴを兼用させることにした。
またエリスとの接触もあって、アシストロイドが協力してくれるという状況も想定され、アシストロイドの大量移動用ユニットも兼任させる形で完成したのである。
で、外見は、といえば江戸時代の日本にあった「箱車」そっくりになった。
文字通りの箱に取っ手が着いたような代物である。
上部はアシストロイドを乗せるための部分になっている。
そこには寸前まで「うなーたん」と一緒に海を見ていた、革ジャン着用のアシストロイドがちょこねんと座っている。
『追いつくでちゅよ、ねこたん!』
「うなーたん」はますます速度を上げた。
海岸線のカーブを曲がりきった途端、急に砂浜が持ち上がった。
「ゆんふぁ」を含めた三体のカスタムタイプと、のこり三体の通常型は、砂の中に巧妙に埋めてあったネットにまとめて絡め取られ、中空高く舞い上がる。
ネットの先は沿岸道路のガードレールに結ばれた竹竿に結びつけられており、六体のアシストロイドはそのまま竹の弾性によってガードレールの上まで移動する。
袋状に閉じたネットの中、「ゆんふぁ」も「チバちゃん」「錦ちゃん」もあがいてみるがぎゅうぎゅう詰め状態で身動きできない。
最初からハンマー装備の通常型も、効果範囲が大きいだけに(下手をすれば同士討ちになる)使用できず、やむなくもがくのみだ。
そこに赤い光点が照射された。
光点の発信源である藪の中に、センサーを切り替えた「ゆんふぁ」は、奇妙な物を見つけた。
赤さびだらけのプロパンガスボンベに、ベコベコの鉄板を溶接したらしい三枚の羽根と、じょうごを伏せたような金属部品をくっつけたものが三つ、自動車用のジャッキと鉄パイプを組み合わせ、配線剥き出しのノートパソコンとくっつけた物。
それが三つある。
恐らく、簡易構造のミサイル……というよりも、ロケット砲だろう。
ノートパソコンに向かってオペレーションしているのは、かれらによく似た外観の、しかし決定的に違うディテールを持った連中だ。
相手の意図を、「ゆんふぁ」は即に理解した。
相手は、彼らをミサイルで破壊しようとしている!
原始的なミサイルだが、この状況で三発も食らえば破損するだろう。疑似反物質ハンマーが誤作動してしまったら、今度は綺麗に消え去ってしまうかもしれない。
やがて、カタカタとノートパソコンを弄《いじ》っていたオペレーターが最後のキーへ、高々と振り上げた指先を振り下ろした。
閃光と爆発。
耳をつんざく爆発音と閃光の後で、エリス達は泥棒たちに追いついた。
先行していたはずの「ゆんふぁ」たちの姿はない。
「よし!」
エリスは思いっきり地面を蹴った。
高々と舞い上がった猫耳少女の影は、そのまま泥棒たちの真ん前に舞い降りる。
「待ちなさいっ!」
エリスは、小脇に騎央を抱えたまま、小さな盗賊たちの前で仁王立ちになった。
閃光と爆発。
しかしそれは、意外なことにミサイルの側で発生した。
『おうりゃあああああああああっっ!』
装甲箱車を押した「うなーたん」が箱車から、砂浜から沿岸道路に駆け上り、さらに藪の中に突っ込みつつ、箱車の下半分に装備された小型ミサイルを発射したのだ。
箱車に乗っかった革ジャン付のアシストロイドが「めいちゅー」のプラカードをあげる。
『ウチの子たちになにすんのよーっ!』
さらに箱車をぶっつけて残り二台のミサイル装置を横倒しにし、「うなーたん」は両手をぶんぶんと振り回して暴れ回った。
飛びかかった小さな影はその手足にぶち当たって遠くへ飛ばされる。
箱車から飛び降りた通常型は、そのままガードレールに駆け戻って竹竿を縛る縄を引きちぎった。
一気に落下した「ゆんふぁ」たちはさっさと網縄の袋から脱出すると、「ゆんふぁ」の掲げる「とつげきー!」のプラカードに従って、「うなーたん」へ加勢しに走った。
乱戦になった。
トランク型のハードケースを放り出し、小さな盗賊たちはエリスに飛びかかった。
エリスは、気絶してしまっていた騎央を背後にそっと降ろし、応戦する。
割れたガラスの破片と箒の柄を組み合わせた槍や、自動車のフレームの一部を研いで作ったナイフが高速で突き出されるのを左右にさばき、素早い掌底《しょうてい》を相手にたたき込む。
が、攻撃をかわされ、さらに掌底の鋭い打撃を受けながらも、真っ黒で細かな目鼻立ちさえ見えない相手は遠くに飛ぶやすぐにくるりと一転して地面に降り立ち、また突っ込んでくる。
疲れもダメージも受けない、機械のような攻撃だった。小さい上に素早さが合わさって厄介きわまりない。
拳と体当たりと粗末な武器の応酬が続く。
数分間の攻防の末、ついに一瞬の隙をついて、一つの影がエリスの片脚をすくうことに成功した。
「きゃあっ!」
バランスを崩すエリスのもう片方の脚も、地面からはらわれる。
あまりの素早さに受け身も取れずにエリスは仰向けに倒れた。
別の影が、ガラスの破片で出来た槍をかざして、その喉を狙って飛び上がる。
「このぉおおおお!」
その影に、横殴りで折れた木の枝が叩きつけられた。
「エリスに何するんだ!」
騎央だった。
眼鏡もずれ、着衣も風圧に乱れたままだが、鬼気迫る表情で、木の枝を両手に握りしめ、真っ黒で泥だらけな盗賊たちを睨みつける。
「…………」
明らかに盗賊たちに動揺が走った……彼らは不用意に地球人を傷つけてはならないと命じられている。
能動的攻撃を仕掛けてくるならともかく、こういう防戦態勢の地球人に、さてどう対応したものか、と「考え込んで」しまったのだ。
『むきゃああーっ』
と雄叫《おたけ》び……ならぬ雌叫《めたけ》びをあげながら「うなーたん」は戦う。
といっても、実際には手足をぶんぶん振り回すだだっ子のような戦い方だ。
中に入っているサラは戦闘のプロだが、脳は完全にパニック状態だったのである。
さっきまでの「ねこたんねこたん♪」状態からまだ完全に切り替えていないところへ、盗賊どもがミサイルで「ねこたん」たちを撃とうとしている、という状況が、サラの頭を「キレ」させていたのである。
もちろん、敵だって反撃している。
車のシートのスプリングをのばして作った矢とか、エリスにも使われたガラスの破片で出来た槍が突き刺さったりするが、本当の装甲はフェイクファーの下にあるチタニウム合金だから、毛ほどにも感じないし、仮に装甲を貫いていたとしても、今のサラは必死だから気にもしないだろう。
さらにそこへ「ゆんふぁ」たちが突入してきているものだから、盗賊たちは一気に劣勢になった。
短距離の超空間感応をつかった「会議」は数千分の一秒で終了した。
よく分析してみれば、この地球人は「それ」を攻撃した瞬間の打撃力は強かったが、身体能力自体はそんなに高くないらしい。
ならば死なない程度に無力化し、しかるのちに「ネコ」を倒せばいい。
「エリス、大丈夫?」
地球人の少年が、倒れた拍子に後頭部を打ってもうろうとしたキャーティア人を気遣ってちょっと首を背後に向けた瞬間を狙い、「それ」と仲間たちは殺到した。
振り向いた少年の眼鏡に、襲いかかる「それ」と仲間たちの姿が映る。
槍を突き出そうとした「それ」の視界は急に静止した。
視覚機能からの情報処理が異常を起こしたのでは、という推論の下にチェックシステムが起動する。
だが、何故かチェックシステムは「異常なし」を宣言し、「それ」は再びチェックシステムを使用しようとしたが、今度は全システムそのものが機能を停止した。
エリスの方をちょっと見て、前を向いた瞬間、もう小さな盗賊たちは騎央に襲いかかっていた。
驚愕のあまり、目を閉じることさえ出来ない瞬間。
緊急時の意識の不思議さで、騎央には何もかもが停止したように思え、停まった世界で唯一《ゆいいつ》動いている相手がこっちに迫ってくるのがゆっくりと見える。
(あれ、刺さったら痛そうだなぁ)
ぎらぎら光るガラスの槍を見ながら、ぼんやりと騎央は思った。
(死んじゃうんだろうなぁ、きっと)
盗賊たちは騎央の肩や太腿など、派手に血が出る割には命に関わらない部分を狙っているらしかったが、戦闘のプロでもなく、格闘技を習ったことさえない少年には判らない。
どんどん迫ってくる盗賊たち……それが、不意にかき消えた。
少年が襲いかかられている、まさにその瞬間にアオイは飛び込んだ。
たしかに、あの猫耳少女の言ったとおり、両肩と脚に貼りつけた護符は彼女の動きを数百倍にしているらしい。
小さな盗賊たちのすがたは妙にゆっくりしていた。
だん、と強く踏みこみながら、アオイは盗賊たちのただ中に飛び込んだ。
罪悪感を覚えつつも、手にはめたナックルダスターで殴り、肘で突く。
停まっているような動きの相手に、避けるすべは無かった。
すべてキューで突かれたビリヤードの球のように勢いよく彼方へ飛んでいく。
最後に残った一体へサイドキックをたたき込むと、護符の効果が切れた。
「?」
意識が通常の世界に戻ってきた。
がちゃがちゃがちゃ、と重い機械がアスファルトに投げ出される音が響いて、飛びかかってきたはずの盗賊たちは、騎央の左手側にまとまって転がっていた。
よく見ると、泥や炭で全体を黒く汚し、草木や枝を身体に巻き付けたり、紐で縛ったりしているが、それは犬の顔かたちをしたアシストロイドだった。
しかも、あちこちに溶接の跡も生々しく、補修された跡がある……何体かの目にあたる部分や、関節部分には、明らかにデジカメの物らしい部品や、モーター類が見える。
「間に合った……」
すらりとした細い足を蹴りのポーズで固定したまま、肩で息をしているのはアオイだ。
Tシャツの両肩と、ジーンズに包まれた足首で、青白い炎が燃えている。
炎の中心は細長くて黄色い紙だ……なにやら達筆すぎてよく分からない文字が見える。
「大丈夫、嘉和君?」
「う……うん」
「うにゅぅ……」
うめき声をあげて、ようやくエリスが正気を取り戻した。
「あ、き、騎央さん! ……って、あれ? なんでアオイさんも?」
「いちかちゃんから貰ったこれのお陰よ」
アオイは肩で燃えている紙を指さした。
「それ……熱くないんですか?」
「ええ……きっと、燃えているのは炎じゃないんでしょうね」
「緊急加速護符《アクセルフォームカード》、上手く機能したみたいね」
メイドの一人から借りた双眼鏡を覗き込みながら、いちかが言った。
「他人用の護符は久々だから、ちょっと心配だったけど。まだまだ腕は鈍っちゃいないわ」
「…………お前、渡すときはそんなこと言わなかったぞ」
困ったもんだ、という顔で旅士……どうやらこの青年もアオイ同様、いちかの「心配」な護符を使ったことがあるらしい。
「言ったら使わないでしょ」
「まあな」
旅士は笑った。
その後ろでは、
「これでタイヤを……なるほど、サスペンション用のバネを使っているのね」
「この巻き上げ機、トラックのセルモーターじゃないですか?」
「で、この目覚まし時計の秒針が一周するたびに電流が流れて一回ずつテンションが解放されるわけかぁ……」
「呆れた……これ、ハイテクなのかローテクなのかわかりませんね」
とメイドたちが近くの草むらから発見したものを前に驚いた顔になっていた。
そこには時限タイマーに接続された、適当な倒木とスクラップを組み合わせて作った連射型の投擲機《カタパルト》が四つほどあったのである。
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第九話 騒動終わって夜が明けて
夜明けの太陽は、無事にファインダーに映っている。
「……よし、大丈夫大丈夫。全品問題なし」
部長の言葉に、映像部全員の口から溜息が出た。
ハードケースといえども万能ではない。投げ出されたり、放り出されたりすれば、それなりに壊れるかもしれない。
夜明け前からのチェックは多岐にわたり、取りあえず一〇台あるウチの最後の一台のチェックである。
結局、誰もその夜は眠ることが出来なかった。
「よかったぁ……台数が多いとはいえ、一台でも壊れりゃ大打撃だからなぁ」
「でも一台ぐらいは…………」
と騎央が言うと、
「これから学園祭までに映画撮る予定なんだぜ? カメラは一台でも多い方がいいんだ」
「そういうものなんですか?」
これはエリスの質問である。
「カット割りとか、撮影効率とかを考えると、そう考えるのが普通よ」
答えたのはアオイだ。そうしながらも騎央のほうをチラチラ見るが、顔が赤いのは、朝日のせいばかりではなかった。
もっとも、騎央本人は最後の一台を丁寧にケースに戻すのに夢中で、アオイの視線には気づいていない。
残念そうにアオイは溜息をついた。
「あーあ。結構ひどくやられてるなぁ」
整備用のツナギの上半身を脱いでタンクトップ姿という、ある意味普段の服装よりも遥かに似合うラフな格好のサラは、「うなーたん」の損傷チェックを終えて呟いた。
すぐ横では仲間のメイドたちが朝食の準備に忙しい。
彼女もすぐに整備を終えて、その手伝いをしようと思っていたが、あまりに損傷はひどかった。
猫の耳の片方は取れ、各所に焼け焦げ、右腕は妙な方向に折れ曲がったまま動かない。
脚の関節も黒く焦げていたし、肩も破損して中のメカが露出していた。
いくつかの破損箇所からは時折スパークがほとばしっている。
チェックボードに記入しながら、サラの口から思わず溜息が出た。
「関節のアクチュエーターは七割、体毛が三割、駆動用モーターが三つも焼きついてるし、電子機器もいくつかやられてるし……ああ、我ながら情けないねえ」
早い話、今の「うなーたん」は強化装甲服としての能力を失い、ただの着ぐるみである「うにゃーくん」以下の存在に落っこちているということだ。
この戦闘経過と損傷のひどさは、ほんの一年前までは「SASの女豹《めひよう》」と呼ばれていた彼女にしてみれば、まるでパニックに陥った素人同様の戦い方をしたという、証明に他ならない。
「でもまあ、逆を言えば、生存能力《サバイバビリティ》は、高いってことか」
その足下に、革ジャンを着けたアシストロイドがてことこと寄ってくる。
「あら、ねこた〜ん♪」
気づいたサラが抱きかかえて鼻の頭……正確にはアシストロイドにその部分はないので、まああるだろうと思われる場所、なのだが……にちゅっとキスをすると、照れたようにアシストロイドは頭を掻いた。
「どうちたの?」
と問うと、革ジャンのアシストロイドは「さらしゃんはこのなかのひとでしか?」と書かれたプラカードを掲げた。
「あ……う、うん、そ、そうよ? がっかりした?」
ふるふる、とアシストロイドは首を振った。
「そう……」
不覚にもサラの目が潤む。クールビューティな容貌が災いしてか、彼女は可愛い物好きなのに、その可愛い物に好かれた経験があまり無いのだ。
今度は、ツナギの裾が引っ張られる感触。
下を向くと、「ゆんふぁ」を初めとするアシストロイド達がずらりと並んでいた。
あの夜、もう少しでミサイルに吹き飛ばされそうになった一行である。
「さらしゃん、ありがとー」と書かれたプラカードを「ゆんふぁ」が掲げ、全員が頭を下げる。
「あ、あなたたち……」
つんつん、と革ジャンアシストロイドがサラの腕をつついた。
「な、なぁに?」
と泣き出さないように精一杯の笑顔を作るサラに、アシストロイドは「おかーしゃんとよんでいでしか?」と書かれたプラカードを掲げた。
「え…………?」
「じゃ、こいつらは引き受けたから」
旅士青年の乗ってきたランドクルーザーの屋根に、「ひろいおうじくまさい」とミミズがのたうったような字で書かれた木箱を据えつけ終えると、いちかが挨拶した。
箱の中には犬型アシストロイド達が詰まっている。
「朝食をご一緒にはなさらないのですか?」
摩耶の言葉にいちかは思わず頷きそうになったが、旅士が後ろからその頭をがしっ、と掴んで横にグリグリ振らせた。
「申し訳ないんですが、こちらも色々ありまして」
「……はい」
ちょっと笑いを抑えつつ、摩耶は頷いた。
「残念です、いちか様」
本当に残念そうな顔でアントニア。
「悪いわねぇ。あたし、居候なんで」
たはははは、といちかは頭を掻いた。
「ま、その代わりいつでも遊びにおいでよ」
「は、はいっ!」
こくんこくんと頷くアントニアの手を取って「じゃあね」と挨拶すると、いちかはランドクルーザーに乗り込んだ。
「首里の赤道《あかみち》あたりで『裏庭の神様』って言えばわかるはずだからー!」
「はいっ!」
ランドクルーザーは走り去り、アントニアはいつまでも手を振り続ける。
「しかし……何者なんでしょうか? いえ、いちか様ではなく、その保護者の旅士様のほうです」
サラが役立たずになった際にはその代行をする役割のメイド、マヌーカがそっと摩耶に囁いた。
「さてね……だが、ただ者じゃないのは確かだ」
摩耶は穏やかなメイド長の表情を浮かべたまま、その目を冷たく光らせた。
何しろあの夜、あれだけの騒ぎがあったというのに、瑞慶覧旅士《ずけらんたびと》を名乗るあの青年はコトが終わるとさっさと大テントの床に寝転がって仮眠を取ってしまったのである。
素人同然の高校生たちは興奮して双葉アオイを除いては眠れなかったし、メイドたちでさえ緊張したり警戒したりで眠れる者は皆無に等しかったのに。
無神経なのかとも疑ったが、青年の眠り方はいかにもこういう状況に慣れた所があるのは間違いなかった。
「まあ、猫耳尻尾付の存在というのは、色々トラブルを抱えておるのだろうよ…………地球産だろうが、宇宙産だろうが」
摩耶はなおも夢中で手を振るアントニアには聞こえないように、そっと答えた。
朝食までの間、ほけっと海岸で座り込みつつ、映像部員たちは他愛のないお喋りや、仮眠をする事に何となくなってしまっていた。
「…………で、結局あの犬のアシストロイドって何だったの?」
真奈美の問いかけに、エリスがパーソナルワークシステムの立体映像画面を見ながら答えた。
「さっき記録を調べてみたんですが……どうも、この前、アントニアさんの船に乗り込んだときにやってきた犬の人が連れていた子たちみたいですね」
あの時の戦闘では僅差《きんさ》でエリス達のアシストロイドたちが勝った。
破壊され、海に放り出された彼らは、しかし機能を完全には失わず、何とか再び結集すると潮流に乗って沖縄近海まで流れ着いた。
あとは破損を修理する部品を調達すべく、民家や車を襲っては電子機器を奪う生活をしていたらしい。
「…………なーんか、けなげねー」
「そうなんですけどねー。人の迷惑を考えないのは大問題ですよ」
真奈美の言葉に同意しながらも、エリスは彼らの行動の問題点をあげた。
「犬の人はどこの星の人たちとも新規に公式外交を開いてはいけないことになっていますから、表だって協力依頼は出来ないし、通信もできないのは判りますけど」
エリスにしては珍しく厳しい口調だった。
キャーティアはアシストロイドを「道具」とは考えていない、ということなのだろう。
「でも、アシストロイドの主が例外を認めていれば、あとは応用するはずですよ。まして犬の人のアシストロイドにはわたしたちのと違って自己再生能力はないんだし」
「え? そんなのあるの?」
「ありますよ。破損がひどい場合、土に埋めておけば大丈夫です。そこから勝手に元素構成して再生しますから……アシストロイドをそういう補修が必要な三割以上破壊するには、地球のテクノロジーの場合、反応弾……じゃなかった、原子爆弾が必要ですから、あまり意味のない話ですけど」
「…………思ったより頑丈なのねえ」
真奈美は半ば呆れて頷いた。
考えてみれば嘉手納《かでな》基地で乗っていたヘリごと爆破されたとき、ちょっと焦げた程度で元気だったのだから、当然といえば当然のスペックかもしれない。
「何か、嫌な感じだなぁ」
ふう、と騎央は溜息をついた。
「何とか、こういうこと止めさせる方法はないのかなぁ」
「…………そうですね」
エリスは俯いた騎央を見て、優しく微笑んだ。
「…………?」
その微笑みに、普段とは違う何かを見て、真奈美は何かを感じ、首をひねった。
「摩耶様、カレーの味見をお願いします」
「うむ……よし」
「摩耶様、次のスケジュールですが」
「うむ……」
「摩耶様、そろそろテントをたたむべきでしょうか?」
「そうだな……あと一〇分ほど待て。その間に部員の方たちのところにひとりやってテントをたたむことを申し上げてきなさい」
「摩耶様、そろそろ発電機のガソリンが足りなくなって参りましたが」
「ではカレンとナーリアに買いに行かせろ」
「摩耶様、フォークとスプーンが足りません」
「摩耶様、コーヒーの味見をお願いします」
「摩耶様、お嬢様のお下着はどちらの袋にお入れするのでしょうか」
「摩耶様、テントの中でカントクさんが起きてくださいません。下品な寝言を言いながら股間を……」
「摩耶様」
「摩耶様」
「えーい! 私ばかりに頼るなー!」
とうとう摩耶もかんしゃくを起こした。
「マヌーカまで私を頼るな! お前は副長代理ではないか!」
『…………すみません』
通信機から指示を仰いでいたマヌーカの情けない声が響いた。
『私、野外活動は今回が初めてで……』
「大体、サラはどうしたのだ! こういう時のための副官ではないか! マヌーカ!」
頭に着用したインカムに向けて怒鳴ると、車両整備をしているマヌーカから申し訳なさそうな声が返ってきた。
『はぁ……それが……そのぅ……』
「見つけ出して代われ! どうせインカムもつけてないんだろう!」
『…………その通りでして』
とマヌーカがインカムを外す気配が伝わってきた。
遠い声で「サラ副長、摩耶様が」とか何とかのやりとりが聞こえ、
『はぁい、サラですぅ♪』
という「てろてろ〜ん♪」に溶けたサラの声が聞こえてきた。
「サラ! 職場放棄も大概にしろ! マヌーカはまだ野外食事の指示が出来んのだ! お前がしっかりしないでどうするか!」
『あのですね、摩耶様、私ぃ、|アシストロイド《この子》たちから「おかーしゃん、ありがとう」って……ありがとうって……うう』
「…………」
『メイド長! わたし、この子たちの母になります!』
「…………」
感極まったようなサラの叫びに、摩耶は一瞬息を思いっきり吸い込んで、ありったけの音量で怒鳴った。
「バカ言ってないでさっさと朝食作りを手伝え!」
あまりの大声に、周囲にいたメイドたちが一斉にひっくり返った。
「え? じゃあ、宣戦布告したの?」
みんなから離れ、どこか物思いに耽《ふけ》っていたアオイを呼び止めた真奈美は、昨夜の話を聞いて目を丸くした。
「う…………うん、そう」
アオイはうつむき加減で、サンダル履《ば》きの足を押し寄せる波に差し入れながら答えた。
「ああ、だからあの時、下着姿で飛び出したんだ」
「ち、ちがうわよ、あ、あれは、あの、その……か、嘉和君が」
「ちょい待ち」
真奈美はアオイの言い訳を遮った。
「その、嘉和君、って言い方そろそろ変えた方がいいよ」
「え?」
「本気なんでしょ?」
こくん、と頬を赤らめてアオイは頷いた。
「じゃあ、無理矢理でもいいから、今日からは騎央とか、騎央君とかに呼び方変えないと」
「…………そうなの?」
「名字で呼ぶのは他人がましいよ。えーとさ、古い映画でも恋人同士は名前で呼び合うでしょ、違う?」
「…………違わない」
「じゃあ、騎央って」
「騎央……くん」
「まあ、いいわ……続けて」
「そ、そのあの時は……その……き、騎央…………くんが危ない、って……」
「でも、良かったじゃない、確か、『お気に』の勝負下着でしょ?」
「そ、そうだけど……」
「大丈夫だって」
真奈美はそう言ってアオイの頭を抱き寄せた。
「アオイは絶対に負けないって。あたしが保証する。うん、絶対」
双葉アオイは不覚にも涙がこぼれそうになった。
「真奈美……ありがとう」
声が震えそうになるのを何とか押さえて礼を言うと、
「うん、感謝するのだぞ」
冗談めかせて真奈美は笑った。
「…………」
波打ち際で肩を抱き合って、何事か囁きあっている金武城真奈美と双葉アオイを見て、騎央は何となく声をかけづらくなった。
せめて昨日のお礼を、と思ったのだが、後にしたほうが良さそうだ。
そう思って踵を返す。
歩き始めて、そういえば言わないほうが良かったのかも、と思い直した。
あの夜、泣き顔になったアオイの顔を思い出す。
胸が痛んだ。
(そのほうがいいのかも……でも、何かそれ、違うような気もするし)
自問しながら歩くと、いつの間にかエリスが横に並んでいた。
「どうしたんですか、騎央さん?」
「ん? いや、昨日のお礼を言おうと思ったんだけど、真奈美ちゃんと何か話し込んでいるから」
「そうですか」
ちょっとだけ、騎央の方に肩を寄せながらエリスは答えた。
「そういえば、わたしもお礼を言ってませんでしたね…………騎央さん、ありがとうございました」
「え?」
「昨日、私が倒れていた間、守ってくれたんでしょう?」
「あ、いや……でも、結局は双葉さんに助けて貰ったし」
格好悪いね、と少年は笑った。
「でも、嬉しかったです……」
そっとエリスは騎央の手を握った。
「ありがとうございます」
「う、うん……」
騎央はちょっとだけ赤くなった。
エリスの頬も赤い。
海岸を、カレーの匂いが漂ってきた。
キョロキョロと周囲を見回していたアントニアが、エリスを見つけて手を振る。
何となく自然にふたりの手が離れた。
「じゃあ、急ごうか?」
「はい!」
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エピローグ 夏が終わって
「…………」
ジェンス中尉は、彼女宛に届いた荷物を見て、目を点にした。
狭い個室に溢れんばかりの巨大な木箱である。よく業者も持ち込めたものだと、ジェンスでさえ感心した。
今日も様々な雑事をこなし、アシストロイドの思考訓練(というより、ジェンス自身がコテンパンに伸《の》されるだけのシミュレーションゲームの繰り返しであるが)を終え、資料を収集し、帰ってきたらこの有様である。
最初は首を傾げた。だが、米軍基地内に持ち込まれているということは爆弾ではないだろうと見当をつけ、それでも念入りに検査装置を使って中身が金属の塊であると調べ上げてから、バールで釘を引き抜いて、蓋を取り去った。
「ひろいおうじくまさい」と下手なひらがなでぐきぐきと書かれたその木箱を開けると、中に入っていたのはロープでひとまとめに縛られ、「封」の文字が書かれた黄色い紙をぺたぺた額の部分に貼られた彼女のアシストロイド達だったのである。
「どういうことだ、これは?」
ふと、取り外した木箱の蓋の裏を見ると、手紙がセロハンテープで貼り付けられていた。
「『彼ら優秀にして、けなげなる勇者なり、無機物なれど賞賛に能《あた》いせり、お叱り無きよう・いちか』?」
形のいい眉を寄せてしばらく考え込み、ジェンスは苦い顔になった。
「…………誰か知らんが、我々の機密保持はやはり万全ではないということか」
彼女が日本の、この基地にいることは極々一部の地球人しか知らない筈なのに、この荷物は部屋番号まで指定してやってきたのである。
「何にせよ、ありがたくない話だ」
その横で、参謀用アシストロイド、マットレイが「キシシシシ……」という笑い声に似たエアインテイクの作動音をさせた。
学校教師の朝は早い。
真面目そのものの糸嘉州《いとかず》マキともなれば、二学期が始まるその日であるということも相まって、もう朝の五時半には起きている。
もっとも、彼女の顔はすがすがしい朝にもかかわらずやけに暗かった。
「ああ、私は沖縄一、不幸な教師だわ」
溜息が漏れる。
今日から二学期、だが、彼女のクラスには四人の招かれざる転校生がいるのだ。
プレ二学期でさえあの騒ぎだったことを考えるといささか……いや、かなり頭の痛い事態が発生する可能性がある。
だが、仕方がなかった。彼女は教師なのだ。
「ああ……愛が欲しい」
意味不明な言葉を呟きながら、マキは電動歯ブラシにたっぷり歯磨き粉をつけて口の中に入れた。
「…………ん?」
騎央は優しく揺り起こされる感触で眼を覚ました。
「えりす、また寝床にもぐりこんできて、だめじゃないか………………?」
ろれつの回らない舌で相手を注意しながら……と思ったら違った。
机に突っ伏したまま寝た騎央を起こしたのは、その上にちょこんと立ったアシストロイド(通常型)だった。
額に「2」と書かれたアシストロイドは「おはやござます」と書かれたプラカードをかざした。
「なんだ、君かぁ…………うん、おはよう」
答えながら騎央は、まだとろんとした目つきで机の上に置かれた時計を見た。
「六時か……風呂入って、ギリギリかな」
言いながらのそのそと立ち上がり、机の上を整理する。
昨日の夜から、大急ぎで仕上げた歴史の課題レポートを、通学用の鞄に入れる。
「ごはんにしすか?」というプラカードの問いに、「あと十分ぐらいしてからね」と言い置いて、騎央は一階の洗面所に降りていった。アシストロイドも机からぴょんと飛び降り、その後をついていく。
「あ、おあよーございますぅ」
洗面所から出ると、応接間から、エリスがしょぼしょぼの顔で現れた。
顔に少女漫画の一ページとおぼしいものがぼんやりとプリントされていた……どうやら昨日、騎央の叔父の雄一が(何故か)持ってきた古い少女漫画を読みながら眠ってしまったのだろう。
「おはよう……大丈夫?」
「ふぁい。もうほとんど読み終えつつありますから……それに今日から学校でしゅし」
と答えにもならない答えを返し、エリスはふらふらと洗面台に向かった。
「…………大丈夫かな?」
やがて、いつものように猫そのものの手つきで顔を洗うエリスを鏡越しに見て微笑み、騎央は風呂場に向かう。
とりあえずシャワーだけでも浴びておきたかった。
「で、出来た……」
ふたつの弁当箱の中にそっと最後の具を詰めて、ようやくアオイは溜息をついた。
しっかりと蓋を閉める。
「完成…………」
長い、長い溜息がアオイの口から再び漏れ、側にいた二体のアシストロイドがぱちぱちと拍手をする。
今日は両者とも綺麗だ。アオイの料理の腕はそれぐらい上達していたのである。
「ありがと」
にっこり笑って、アオイは前に比べればささやかと言って言い程度にしか汚れていない流し台に向かった。
「さ……片づけしないとね」
少しずつ精進進化している者特有の満足に、少女の顔は輝いていた。
それに加えて、今度こそ、騎央にこのお弁当を渡すのだ、という意志にもまた。
「さて、と」
真奈美は鼻歌交じりで身支度を確認した。
「ふふっ♪」
くるりと部屋の奥にある姿見の前で回ってみせて……真奈美は鏡の隅っこに変なものが映っているのに気がついた。
「ゆんふぁ」が机の上に置かれた彼女の鞄をためつすがめつのぞき込んでいる。
「ちょっと『ゆんふぁ』、あんた何してるの?」
問いかけると、「ゆんふぁ」は片手に何やら書いたプラカードを掲げた。
「『にもつをぬいてくらさい』……? あ、あんたまたついてくるつもりなの?」
こくん、とゆんふぁは頷く。
「だ、ダメよ、今度こそダメ、絶対ダメ!」
真奈美は大まじめな顔で手を振ったが、「ゆんふぁ」は、ちょっと小首を傾げたようなポーズで、じいーっと己の主を見つめた。
「だ、ダメよ、そんなに見ても……こ、今度こそだめなんだから……アンタは確かに、クラスのみんなの受けもいいけど……」
真奈美は一瞬で気合いを再充填するとまた暢気な造形の「ゆんふぁ」の顔とにらみ合う。
しばらく、ふたりの対決は続いた。
「じゃ、行こうか」
騎央は慌ただしく靴を履きながら、まだちょっと眠そうなエリスを促した。
「はい!」
ぷるぷるぷる、と頭を振って眠気を追いやり、エリスは元気に頷く。
「留守番はいつもの調子でいいから」
「あ〜い〜よ〜」
どこかとろんとした目つきでチャイカが頷く……これから先、学校に行っている間はチャイカの留守番だ。
その頼りなさをフォローするように「まかいといてくらさい」と書かれたプラカードをアシストロイド達が掲げた。
「頼んだよ」「お願いね」
ふたりは手を振って家を出た。その後を、学生服とセーラー服を着けた二体のアシストロイドが追う。
コール五回で相手が出た。
「あ、ごぶさたー。元気してる?」
暢気な声でいちかは挨拶した。
玄関にあるFAX付き電話を使い、ぺたんと床に座り込んでいる。
長電話になると覚悟しているのか、側にはさんぴん茶の入った急須と湯飲み、それと菓子皿に入った「沖縄塩せんべい」がいくつかと、小さくカットされた黒糖。
「夜にごめんねー。今しか時間が空かなくて。うん、帰ってきたよ…………二ヶ月前からかな?」
しばらく黙って、いちかは相手の話すことにいちいち頷いていたが、
「うん、会ったよ。なんか暢気なおねーちゃんだった。小型の二頭身ロボット連れててね、それがかなり可愛かった……え? ああ、人物は信頼できそう」
また相手の言葉に頷く。
「犬よりは大分マシだと思うよ。そんなに独善的でもなかったし、文明と文化を切り離して考えられるみたい。あれが下っぱなら、上と話しても面白いんじゃないかな?」
それからしばらく、地球産の猫耳少女は相手の話をじっと聞いていたが、頷くことはせず、
「それはどーかな? ホモ・サピエンスばかりが地球人じゃない、ってことを、宇宙人にだけは判って貰わないといけない時期にきてると思うよ」
軽く笑って、
「……まぁ、声高に権利を叫ぶのはまだまだ時期|尚早《しょうそう》もいいところだとあたしも思うけど」
しばらく頷きながら相手の意見を拝聴。
「…………だと思う。ある程度は勘づいてるんじゃないかな? それと、あまりあれこれ策士しないほうがいいかもよ…………アタシ並みに頭いいみたいだから…………え? 何言ってんの、もー」
ケタケタといちかは笑って、
「ま、いいんじゃないの? 狼男《おおかみおとこ》とか、吸血鬼の本物が出てきてもさ。もう二一世紀なんだし」
「お嬢様、やはりその格好はあまりお行儀が良くないです!」
アントニアの後ろを走りながらセーラー服姿の摩耶が言った。
「いいのじゃ、転校生はこうせねばならないらしいからの!」
言いながらアントニアは再び軽く焼いた食パンを口にくわえ、走る速度をあげた。
「あっ、お嬢様!」
摩耶は慌てた。彼女の脚力を持ってすればアントニアを追い抜くことは造作もないが、今朝はそれを固く禁じられている。だが大事なお嬢様と距離が空きすぎてもまずい。
(まったく………………エリス様に影響されて漫画をお読みになるようになったのはいいが、これでは先が思いやられる)
溜息をついて、摩耶は後ろにいる副メイド長に怒鳴った。
「サラ、何をしている、急げ!」
「は、はいはいはいはい」
言いながら、同じくセーラー服姿のサラは、手に持った携帯電話を忙しく操作していた。騎央の家にいるアシストロイドたちと、朝と夜にメール交換するのが彼女の日課となっており、今朝はまだそのメールを打っていないのだ。
学校へと続く一本道の始まりで七人は合流した。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
「おはよう…………」
「はよーっす」
「おはようございます、皆様」
「おはようございますエリス様!」
そこからはのんびり歩いても間に合う距離だ。
「ねえ、真奈美ちゃん、その、横を歩いてる鞄、何?」
騎央が真奈美の足下で上下逆になってトコトコ移動している鞄《スポーツバッグ》を指さした。
「ああ、これね」
真奈美が鞄を持ち上げると、「ゆんふぁ」が「はろー」というプラカードを掲げた。
「ああ、ねこたーん♪ ……って、いたたた、摩耶様、痛い」
さっそくサラが壊れそうになるのを、摩耶が黙って太腿をつねり上げた。
「ゆんふぁ」は「みなしゃんはよー」とプラカードを掲げ、さらにサラの方を見ながらプラカードをひっくり返した……もちろん、そこには「かーしゃんおはよ」と書かれている。
同じように、エリスの連れてきた二体のアシストロイドもプラカードを掲げ、ひっくり返した。
「アントニアさんは朝ご飯まだなんですか?」
「いえ、違います、昨日エリス様にお借りした御本に、転校生はパンをくわえて『遅刻遅刻〜!』と言いながら走らねばならない、と書いてあったので」
「ああ、そうでしたねえ」
こくこくとエリスは頷いた。
「わたしも今朝、そうしようかと思ってたんですけど、すっかり忘れてました」
「騎央様、どうぞお嬢様ともどもよろしくお願い致します……真奈美様、双葉様も」
「あ、いえ、あの……こちらこそよろしくお願いします、摩耶さん」
ひとしきりの挨拶が終わって、七人は学校に向けて歩き始めた。
「あ、アオイさん」
エリスはアオイに話しかけた。
「な、何かしら……?」
「わたし、負けませんから!」
にっこりとエリスは笑った。何の裏表もない、すがすがしい笑顔。
「わ、私も負けないわ」
凛々《りり》しい顔で、アオイも言った。
「頑張りましょう!」
手を差し出すエリス。何となくアオイもそれを受けてしまった。
「…………あんたたち、何の話してるの?」
まさか、騎央を巡る話だとは状況的に思えない真奈美が首を傾げる。
「エリス様、何のお話なんです?」
「ああ、こちらのことです、アントニアさん」
「?」
「ところで騎央さん、今日から授業なんですか?」
「う、うん……一時間目の高江洲《たかえす》先生はちょっと礼儀に厳しいから注意してね」
「はい」
「お嬢様、お聞きになられましたか?」
「大丈夫じゃ、私はいつでも礼儀正しいぞ」
「いえ、そういう意味ではなく……」
にぎやかな集団は、まだ夏の名残《なごり》が濃厚なすがすがしい朝の道を歩いていく。
ゆっくりと校門が近づいてくる。
あの門をくぐれば、二学期が始まる。
(終)
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あとがき
えーと、神野です。お久しぶり……なんでしょうが、作業的には前回の「2」から立て続けなので、「またお会いしました」ってのが実感です(笑)。
今回は、完全にお話らしいお話は皆無です。ストーリーも動きませんし、本格的な戦闘シーンも無し。ただひたすらキャラクターたちの日常が、ほんの少し変化する状況が描かれているだけです。
こういう「なーんもないお話」ってのはやってみたいなぁ、と思いつつもなかなか今まで出来ませんで。
まったくネコ様々というか、やはり招福来運招き猫ではないかと(笑)。
二巻の時も、色々あって東京におりまして、自分の本が売れていく様子を見せて貰いました。
それもこれもみなさんのお陰であります。この三巻もどうぞよろしく。
で、最後にちょっとお断り。
本当は一巻目からお断りしておこうと思ったのですが、改めて申し上げておきますと、この作品に出てくる沖縄の風俗や人間関係の描写にはある程度のディフォルメをかけております。
特に沖縄の中学、高校生の方たちには「いや、ここはちょっと違う」とかいう部分がありますが、どうぞその辺はお見逃しを(苦笑)。
では、今回のお礼を。
まず放電映像さん。高いクオリティの作画を毎回ありがとうございます。また、ご一緒に飲みましょう!
そして、「大将」こと白間さんとodoさん。「コッコロハウス」をお二人に教えて貰ったお陰で、今回の話は半分出来上がったようなモノです。ありがとうございました。
そして読者の皆様、本当にありがとうございます。これからもよろしく。
ではまたー!
二〇〇四年四月一日 神野オキナ
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