スレイヤーズ1
神坂一
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目次
一、気をつけよう野盗いびりと夜の宿
二、悪役は忘れなくてもやってくる
三、大ピンチ! 捕まっちった(情けなや……)
四、見せましょう! あたしの実力《ちから》今度こそ!
エピローグ
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一、気をつけよう野盗いびりと夜の宿
あたしは追われていた。
……いや、だからどーしたといわれると、とても困るんですけど……
確かにこんなことは、世間様一般でもさして珍しいことではないわけだし、あたしにしてみればそれこそ日常茶飯事である。
しかしそこはそれ、話には筋道とか盛り上がりとかゆーものがあるのだから、ま、仕方がないとでも思っていただきたい。
それはまーとにかく、追手は間近にまで迫ってきているはずだった。
野盗たちである。
このところこれといった事件――平たく言うとしごと≠ェなく懐もややさみしくなりかけていたので、野盗たちの寝ぐらから、こっそりと、ほんの少しばかりお宝を頂戴したのだが。
それがいけなかった。
ほんっとに、微々たる量である。
小人《ピクシー》の爪の垢ほどの量もあるまい。
それをしつこくしつこくしつこくしつこく追いかけてきているのだ、奴等は。
……心の狭い奴。
もっとも、心の広い奴が野盗をしている、などという話はとんと聞かないが。
まあ、『すぐ後ろに盗賊たちの姿が見え隠れ』などというほど事態が切迫しているわけではなかったが、やはりこちとら華奢な女の足。むさい男の足にはかなわない。追いつかれるのは時間の問題。
ああ、可憐なる美少女、リナの運命やいかに!
……あたしのことよっ。あたしのっ!
とりとめのないことを考えていたあたしの足が、ふと止まる。
覆いかぶさるかのように道の両脇に生い茂る、うっそうとした木々。その中を突っ切って伸びる、人けのない街道。皓々《こうこう》たる昼の陽の光。
見た目には何ら先程までと変わりはない。
が――
鳥たちの声が途絶えている。
明瞭な殺気が、しげみの奥にわだかまっていた。
――囲まれている――
どうやら敵は、地の利を生かして先回りをしていたらしい。
何か声でもかけてやろうかとも思ったが、あまり気のきいたセリフも思いつかなかったので、とりあえずだんまりをきめこむ。
立ち止まって待った。
『つけられてるのはわかってるわよ』という意思表示である。
森の中の一本道といっても、そこそこの広さはある。切ったはったをするには十分なスペースだ。これが、へたに道幅の狭いところで立ち止まったりすると、横あいの茂みの中からいきなりグサリ! などということもある。
ほんの少しして、一人の男が森のなかから道に出てくる。あたしの行く手をさえぎる形で。
「やっと追いついたぜ、嬢ちゃん」
頭から髪の毛が絶滅しているアイ・パッチのおっさんは、今日びゾンビやスケルトンでも使わないような、ふっるーいお決まりのセリフを吐いた。
上半身裸の、『私は盗賊の頭です!』と力説しているかのよーな風貌だった。円月刀《シミター》なんぞを持っているのが、いかにもそれもんである。――もっとも、遅くても話の中盤あたりにはあっさりとやられてしまう役どころ、といったふうだが。
チャーム・ポイントは獣脂《ラード》を塗りたくったかのようにぎとぎとと油ぎった肌(ずげげげっ)。
「よくもさんざ俺達をコケにしてくれたな」
あたしはうんざりした。
まーたいがい、このテの奴の頭に詰まってる単語の種類数など、せーぜー百を越えないだろうと、前々から思ってはいたが。
それにしても、もう少しパターンから離れたものいいはできないのだろうか。
「……このオトシマエはきっちりとつけさせてもらうぜ」
あのなあ……おっちゃん……
「と――言いたいところだが――」
男はニヤリと、すこぶる気色の悪い笑い方をした。おやおや?
「正直いって、あんたとはやりあいたくねえ。まともにやったら、こっちもかなり痛ぇ目を見ることになりそうだしな。――なかなかどうして、大したタマだよ、お前さん。
――いやいや、ほめてるんだよ。あの手口、まるきし玄人だ。いきなり派手な魔法であちこちプッ飛ばしてくれて、見境なしに火の手が上がるわ、お頭《かしら》も火にまかれておっ死んじまうわ、あれよあれよと騒いでるうちに、ふと気がつくと宝蔵からはめぼしい代物がゴッソリいかれちまってる。俺達でもあそこまではやらねえぜ」
――まー、そーゆーこともあったかもしれない。
いーじゃないか。『悪人に人権はない」というのがあたしのモットーなんだから。
「全く大したもんだよ。――で、だ。本来なら『お頭のかたきっ』てなもんで、お前さんを殺すか、さもなきゃ俺達がみんな死んじまうかするまで追っかけ回すのがスジってぇもんなんだろうが、そいつぁどう考えてもおたがいにとって面白いことにはならねえ。そこでーどうだ、ひとつ、この俺達と組んでみる気はねえか?」
とんでもないことを言い出した。
冗談ではない。
あたしは曲がったことが大嫌いなのだ。
……本当だってば。
「お宝を返してくれて、俺達の仲間になるっていうのなら、死んじまったお頭や仲間たちのことは水に流してやってもいいんだぜ。
――なあに、そう難しい商売じゃあねえ。俺の言うことをきいてりゃあそれですべて良しさ。不自由はさせないし、たんといい目も見せてやるよ。な。どうだ、悪い話じゃあねえだろう」
ねちっとした笑いを浮かべる。
ははあ。
そういうことなのだ。
つまりこの男は、つい先日まではNo.2だったらしい。
ところが、先日あたしが起こした事件で、偶然にも頭目が死に、前々から狙っていた頭の地位が転がってきたのだ。ころりん、と。
で、敵討ちというよりも、どちらかというと宝を取り戻したい一心で追いかけてきてあたしと出会い、そして、欲しくなったのだ。
あたしの力と体とが。
しかしあいにく、あたしは盗賊と組むほどワルじゃない。
それに第一、こーいう盗賊然たる風体のおっさんと肩など組んで、『今日の首尾はどうだったい? おまえさん』なんぞとやりたいなどとはタマゴのカケラほども思わない。
やっぱり――
男は白馬の王子様に限るっ!
――まあ、それは冗談だが。
「返事は早いほうがいいぜ。こんなところでそうそうウロウロしていてもらちがあかねえしな。新しい寝ぐらもみつくろわなくっちゃなんねえ」
男は、えらく饒舌《じょうぜつ》になっていた。
あたしにプレッシャーを感じているのだ。
こっちはいままで全くの無言である。
あたしの地声は、いかにもきゃぴきゃぴとした女の子然たる声なので、あれこれとしゃべってやれば男も少しは気が休まるのだろうが、そんなことをしてやる義理は無論あたしにはない。
一方的なおしゃべりが続く。
あたしはただ、黙って突っ立っているだけである。
男がだんだんじれてくるのが手に取るようにわかる。
とことんまでしゃべらせておいて。
「……な、どうだ、おい?」
「断わる」
一言で突っぱねた。
不自然ではない程度に、できるだけ低い声で、きっぱりと。
「な……」
男がぱっくりと、大きく口を開けた。
見る間に顔色が変わっていく。
「……こっ!……」
男は、やっとのことで言葉を絞り出した。
「このアマぁ……下手に出てりゃあつけあがりやがって! そうなりやあこっちにも考えってもんがある。体中バラバラに切り刻んでやるから覚悟しやがれ! てめえら、出てこいっ!」
号令一下、森のなかから男たちが、あたしを取り囲む形でわらわらと出てくる。その数およそ十数人。
「少ないわね」
あたしは正直に感想を述べた。
男が、ユカイなくらいあからさまに動揺してくれる。あたしがこの人数をみて動じないのにビビったのだろう。
「――ハ、ハン! もちろんこれだけじゃあねえぜ。森の中じゃあ俺達の仲間が、今も弓矢でお前を狙ってるんだ。俺の掛け声一つで、お前の体はぼろくずみたいにズタズタさ。手ェついて謝るっていうのなら、命だけは助けてやってもいいんだぜ。え?」
見え見えの嘘をつく。森のなかにまだ人がいるかどうかなど、ちょいと腕のたつ剣士か魔道士かなら、すぐに判ることである。
剣士にして魔道士たるこのあたしに、それしきのことが判らない道理がなかった。
自漫!
するとやっぱり、実力でケリをつけさせてもらうことになるが――
と、そのとき。
「それぐらいにしておくんだな」
声がした。
皆がそちらに目をやった。
一人の男が立っている。
旅の傭兵のようである。
抜き放った長剣《ロング・ソード》が、昼の光を照り返していた。
管楽器のBGMでもほしいところである。
アイアン・サーペントのウロコとおぼしきもので作った黒光りする胸甲冑《ブレスト・プレート》。すらりとした長身。典型的な、技とスピードが売り物の軽戦士《ライト・ファイター》タイプだ。
淡い金髪《ブロンド》の、なかなかのハンサムである。
「こそ泥共、とっととシッポをまいて逃げ帰るがいい。そうすれば、命だけは助けてやるぜ」
しゃあしゃあと言った。野盗のおやびんはみるみる真っ赤になってどなり散らす。
「やかましいっ! いきなりでてきやがって! てめえ一体なにもんだっ!」
「きさまらに名乗る名前はないっ!」
……これこれ、そこのきみ。
目を点にしないよーに。
事実なんだから仕方がない。あたしも苦虫を噛み潰したような顔をした。
よくいるのだ。こーゆーのが。
誰かがピンチになると、きまって何の脈絡もなく現われる奴! なぜかたいがいハンサムで、そこそこ強かったりする。
「しゃらくせえっ! ならてめえから片づけてやるっ! やっちまえっ、野郎ども!」
「おうっ!」
かくしてパターン通り、チャンバラが始まった。
男に加勢しようかとも思ったが、そこはそれ、男の顔というものは立ててやらなくちやあならない。
そこであたしはヒロイン役に徹し、意味もなくそこいらへんを駆けずり回りながら、キャーキャーわめいていることにした。
……ほんっと、楽だわ、こりゃ。
わめく方に一生懸命になっていたので、何がどうしてどうなったのかよく分からなかったが、とにかく決着はあっさりとついた。
もちろん、男の勝ちである。
「大丈夫か?」
男はあたしのほうに向き直り、そして――しばし絶句した。
はっきり言って自慢以外のなんでもないが、こう見えても容姿には自信がある。
大きくつぶらな瞳。
愛らしい顔立ち。
いかにも男の保護欲をそそりそうな、清楚且つ、小柄で華奢《きゃしゃ》な体つき。
男が大きく溜息をついた。感嘆の溜息っていうやつだ。
小さく呟くのが、はっきりと聞こえた。
「……なんだ……子供か……」
ぐさっ![#「ぐさっ!」は太字]
……あたしは少しだけ傷ついた。
男はなおも呟き続ける。
「――こういういい場面なんだから、もーちょっといい女だと思ったんだが……せっかくコナかけようと思って体張ったのに……ドングリ目のペチャパイのチビガキじゃあないか……」
ざくっ![#「ざくっ!」は太字]
……そりゃーあたしは同じ年ごろの女の子たちより、やや背は低いし、まー、胸もやや小ぶりであることは認めよう。たしかに年よりも若く見られることはあるが……
……くそー……人がいちばん気にしていることを……
本人は聞こえないように呟いているつもりなのかもしれないが、いかんせんあたしの耳は、普通の人と比べると、すこぶる性能がよくできている。エルフ並みだといわれたことさえあるのだ。
――まーしかし、少なくとも形のうえではあたしは助けられたことになるわけだから、とりあえず礼は言わなくてはならない。
「ど……どぉもほんとにありがとうございました」
あたしは、かなり引きつった笑みを浮かべながら言った。
「いや、あらたまって礼を言われるほどのことでもないさ」
小さく笑う。
「それよりケガはないかい、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃん、と来たもんだ。
「女の子の独り歩きは危ないな。それともお父さんか誰か、連れでもいるのかな?」
むかっ。
「――いえ、まあ、ひとりですけど」
髪で隠れて男からは見えないはずだが、こめかみのあたりがかなりケーレンしているのが自分でもはっきりとわかった。
「そいつぁぶっそうだなぁ……よし、じゃあお兄さんが家まで送ってってやろう」
あ……あ……あ……あのなあっ!
「――で、おうちはどっちだい?」
むかむかむかっ。
「――いや――あの――あたしはひとり旅をしてましてぇ、別に何かのアテがあるわけでもないんですけど……アトラス・シティにでもとりあえず行ってみようかな、なんて思ってるんですけど……」
「そうかー、うん。そうだったのかー。いや、たいへんだねぇ、きみも」
「……へ?」
「いや、わかってるわかってる。色々とあったんだろう。色々とね」
「……いえ、あたしは……」
「あーっ。何も言わなくてもいい。解っているんだから」
ともすれば吹き出しそうになるムカムカを必死で抑えようと、うつむきながら感情を殺してセリフを吐いたのだが、それをどうやらこの兄ちゃん、きかれたくないことをきかれてしまった≠スめのリアクションだと勘違いでもしたらしい。たぶんあたしのことを、『何かの事情で住み慣れたふるさとを離れなければならなくなった薄幸の少女』だとでも思っているのだろう。
「いや、あたしはただ単に、世の中をいろいろとあちこち見て回りたくて……」
事実を言った。
「いいんだよ、慌てて言いつくろわなくっても。あれやこれやと尋ねたりはしないからね」
子供をさとすように言う。……だめだ、こりゃ。
「――そうか、よし、それじゃあオレがアトラス・シティまでついていってやろう」
おいおいおいっ!
「い……いえ、そこまでしていただくわけには……」
冗談ではない。
アトラス・シティまでは約十日。
こんなムカムカくるにーちゃんと四六時中顔を突き合わせていたら、アトラス・シティに着くまでに、ストレスで胃袋が溶けてしまう。
「いや。オレにはわかる。君には友達が必要なんだ」
決めつけるなっつーの。
「いえ――でも――」
ふたりのお話し合いは、延々と続き――
結局。
しばらくの後、あたしたち二人は、並んで街道を歩いていた。
――説得されてしまった。
あたしは頭が痛かった。
「――と。そういえば、自己紹介がまだだったな。オレはガウリイ。見てのとおり、旅の傭兵だ。きみは?」
あたしは一瞬、いらだちまぎれにでたらめな名前でも言ってやろうかとも思ったが、意味がないのでやめておくことにした。
「――あたしはリナ。ただの旅人よ」
すなおに本名を名乗った。ただの旅人というのが嘘なのは一目瞭然だが。
しかしガウリイは、それをあえて突っ込んで尋ねようとはしない。
たぶん、何かの事情があって嘘をついている、とでも思っているのだろう。
これなのだ。あたしが同行を説得されてしまった理由は。
彼は、いい人なのだ。
つまり善人なのである。
もしもこれが、あたしに対する何らかの下心をもって『一緒に旅でも……えへ、えへ」なんぞとぬかしたのであれば、迷わずに、即、しばき倒している。
しかしガウリイは、どうやら真剣にあたしのことを心配してくれているらしいのだ。
で、断われなかったのである。彼の申し出を。……しかし……
「――しかし――」
彼が小さくつぶやいた。あたしには聞こえていないつもりのようだ。
「――アトラス・シティまで子供のおもりか……色気のある話じゃあないけど、ま、いいか」
しかしやっぱり、ムカムカ来る奴ではあった。
一人になってはじめて、あたしはようやく一息ついた。
その日の夜、宿屋でのことである。
途中の宿場町で宿を取り、夕食後、それぞれの部屋にひきこもった。ちなみにガウリイは隣の一人部屋である。
さして広くもない板張りの部屋にベッドとテーブルが一つずつ、テーブルの上の燭台《しょくだい》に小さな明りが灯っているだけの粗末な造りではあったが、手入れは行き届いているようだった。
獣油《オイル》の燃える、癖の強いにおいが部屋を満たしている。
部屋に入るなり、ドアに掛け金を掛け、マントをはずす。
マントがじゃらり、と床に落ちる。
――いやー、しんどかったのなんの。
あたしはマントの裏に鈴なりになっている、盗賊たちから没収した戦利品の検討をはじめた。――ぶん取ったお宝の品定め、という言い方もある。
なにかとごたごたしていたので、今日まで整理もせずに、袋のなかにほうりっこみぱなしにしていたのだ。
あまりかさばらず、価値のありそうなものを、なるべく控え目に取ってきたつもりだったのだが、ふと気がつくと、|なぜか《ヽヽヽ》かなりの重量になっていた。
ひろげたマントの上にぺたん、と腰を下ろし、いくつもの革袋の中からいろんなものを引っ張り出す。
とりあえず口のなかで小さく呪文を唱え、両手を胸のまえで合わせる。
ゆっくりと開いた両手の間に生まれた光の球を、天井にむかってほうり上げる。
皓々《こうこう》たる光が室内を明るく照らし出す。
『|明り《ライティング》』の呪文である。
品定めをするのに、獣油《オイル》の薄暗い明りでは不都合なのだ。
わりと大粒の宝石が二〜三百個。キズものもあるので、これは後で整理することにする。
オリハルコン製の神像が一つ。これはかなりの値打ちものである。
大振りのナイフがいっちょう。俗に言う『魔法の武器』というやつだったが、かけられているのは、どうもあまり性質の良い魔法ではないようだ。
「――こーゆーのをむやみに使うと、辻斬りとかに走るのよね……ま、どこかのマジック・ショップにでも、そこそこの値段で売っ払っちゃえばいいわね。――次は……」
五百年ほど前にほろびたレティディス公国の公用金貨が十数枚。
あたしは思わず口笛を吹く。
「らっきHこりゃあマニアに高くで売れるわ……」
――今回の稼ぎは、とりあえずこんなところである。
たいした稼ぎにはならなかったが、まあ、あの程度の盗賊グループ相手なら、こんなところだろう。
ただし、『たいした稼ぎではない』といっても、それはあくまでもあたしの感覚でモノを言って、の話である。これらを皆捨て値でさばいたとしても、人一人が余裕で一生食っていけるくらいの額にはなる。
ぜいたくと言うなかれ。
魔道なんぞをやっていると、何かとモノが要るようになってくるのだ。
「さてーと、それじゃあ……」
あたしは宝石の整理に取りかかった。
種類ごとに分け、それをさらに傷物と無傷のものとに分ける。無傷のものはそのままさばいてもいいが、傷物はかなり安く買い叩かれる。そこで――である。
あたしは自分の荷物のなかから、いくつかの品物を取り出した。
子供のにぎりこぶし程の大きさをした水晶球のようなものを取り出すと、そっと床に置く。それはくるくると回りだし、やがてゆっくりと止まった。
球のなかの印が、窓のほうを向く。
「ふむふむ。あっちが北――ね」
中心に魔法陣の描かれた紙を床に拡げる。
大きさは縦横共に、両手をかるく広げたくらいで、エルフの女性の肌のような色つやをしている。
――さきほどから『――のような』というのを連発しているが、道具の材質とか、呪文のあれこれなどは企業秘密に属するので、詳しく述べることは勘弁してもらいたい。
木製の小さな版に、ある方法で作ったインクをつけ、別の小さな紙に、小さな魔法陣を捺印する。
床の魔法陣の中心に無傷のルビーを一つ置き、それの上に、今の小さな紙をのせる。
火≠フ呪文を口の中で唱えると、小さな紙がポツと炎を上げ、一瞬にして灰と化す。
「――まずは成功ね」
あたしは床の上の宝石を覗き込んでつぶやいた。
ルビーの中に、小さな魔法陣が見える。
今の術で、紙に押された魔法陣をルビーの中に封じ込めたのだ。
次に同じ種類の宝石の、傷物のほうを左手に軽く握る。
魔法陣を封じた宝石のうえに手をかざし、風≠フ呪文を唱える。
手のなかの宝石が、まるで、乾いた土の塊のように他愛なく崩れ去り、ルビーの粉の雨となり、下のルビーに降りそそぐ。
同じ作業を幾度か繰り返し、傷物のルビーを全て処理し終ったときには、床の魔法陣にルビーの粉の山ができていた。
「――さて――」
小瓶のなかの透明な液体をその山に振りかけ、上に左の掌《てのひら》をかざす。
地≠フ呪文、水≠フ呪文を、あるパターンで組み合わせながら唱える。かざしたてのひらが火照《ほて》り、ルビーの粉の山が一瞬まばゆい光を放つ。
掌をゆっくりとどける。
山だったものが、ダンゴ状になっていた。
大成功。あとは待つだけである。
素焼きの器みたいにざらざらだった表面が、まるで溶けていくかのようにみるみる艶《つや》を帯びてゆき――
やがて、その中に魔法陣を封じた、大人の拳ほどの大きさのルビーができあがった。
「よーし、いっちょう上がり」
あたしは同じ要領で、ほかの種類の宝石も次々と処理していく。
こうすれば、魔法の品≠ニして、かなりの値でさばけるのである。
そのままペンダントなどに組み込んでも簡単な護符として充分に使えるし、武器や防具に組み込めばその性能を増すことができる。
あたしのペンダントやバンダナ、腰にさしているショート・ソードなどにもこれと同じものが組み込まれている。
オシャレでゴージャス、実用的。
今、中流以上のご家庭で流行中。
貴方もお一つ、|宝石の護符《ジュエルズ・アミュレット》。
……あああああっ! 思わず広告してしまった!!
いや、つい、生家が商売をやっていたもんで……
がんばれリナ! アトラス・シティまであと九日!
――というわけで、翌日の昼である。
ふたりは並んで街道を歩いていた。
いい天気である。
どこか近くを川が流れてでもいるのだろう。水のせせらぎが小さく聞こえる。
風の優しい囁《ささや》きに、木々の葉がはにかみながら応える。
木もれ陽が、白くかわいた街道の上に光をおとす――
そんな午後だった。
あたしは小さくつぶやいた。
「……おなかすいたなぁ……」
これっ! 石を投げるんじゃあないっ!
すいちゃったものはしかたがないじゃあないのっ!
朝に出た宿場町から次の町まで歩いて約丸一日。
その間、休憩所や料理屋の類《たぐい》が一切無いことにふたりが気付いたのは、昼を少し回った頃のこと。道端で、どこかの商隊が弁当をひろげているのを目にしたときだった。
「……それは言わない約束だぜ、お嬢ちゃん……」
ガウリイが疲れ果てた様子で言う。こちらを振り向こうともしない。
――せめてその『お嬢ちゃん』っていうのだけは、やめててほしいんだけど……
「男には、我慢しなくちゃあならない時っていうのがあるんだ」
「あたし、男じゃないもん」
即座に切り返す。
ガウリイは一瞬言葉につまり、あたしの方を見た。
「――女でも。我慢するべきときには、我慢しなくちゃあならないんだぞ」
「じゃあ――あてもない旅の途中でおなかがすいたのって、『がまんするべき時』なわけ?」
彼が足を止めた。
しばしの沈黙。二人で見つめあう。
水のせせらぎだけが聞こえている。
結局お昼はお魚釣りをすることになった。
川は、街道から少しはなれたところを道と並んで流れていた。――というより、この街道の方が、この川にそってつくられたもののようだった。
水泳くらいはできそうな大きさの川で、水はきれいに澄んでいる。川岸は砂地の部分が結構多く、座って休むにはもってこいの場所である。
「おっさかっなさんりおっさかっなさんH」
唄いながらそこいらに落ちている適当な木の枝を拾い、荷物のなかから小さな釣り針を取り出す。自慢の長い栗色の髪を何本か引き抜き、束ねたものを何本か結わえて長くする。両端を針と木の枝に結わえ――
「完成!」
これで釣り道具一式のできあがりである。
「生活力あるなー、おまえ」
ガウリイが横で、何やらしきりと感心している。
「はい、持ってて」
釣り竿セットを渡し、川辺に行く。水につかった手ごろな石をいくつかひっくりかえし、石の底にはりついているブキミな虫(名前は知らない)を、何匹か捕まえる。
釣り針に引っ掛け、川《かわ》面《も》に垂らす。
さらさらさらさら
――うーん。
シカケを引き上げ、もう一度、えいっ!
さらさらさらさら……
(中略)
それでもなんとか、しばらくののちには、あたしは何匹かの魚を釣り上げていた。
ガウリイがおこしておいたたき火で、その場で塩をふって焼いて食べる。
うーん、べりーていすてぃ!
はっきり言ってあたしは、そこいらへんのヘタな料理屋のメシよりもこっちのほうが好きなのだ。小さめの魚なら、頭から丸かじりである。
「……お前、よくやるねぇ丸かじりなんて……」
信じられん、と言わんばかりの口調でガウリイが言う。彼は男のくせに、ちっちゃい女の子みたいに、ちまちまと白身の部分だけを食べている。
「なーんともったいない」
あたしは嘆《なげ》いた。
「頭まで、とは言わないけれど、せめてはらわたくらいは食べなさいよ」
「げー、やだよ、オレ。はらわた食うなんて……」
「通じゃないわねえ……ここが一番おいしいのよ」
あたしは二匹目の魚に手をのばし、はらわたの部分にかぶりついて見せる。
「けど――はらわたって内臓だろ……」
げっそりした調子で言う。
「あたりまえでしょーが」
「……お前さんがさっきつかまえた虫が入ってるんだぜ……そこ……」
ぶっ!![#「ぶっ!!」は太字]
おもわず吹いてしまった。あ……あのなあ……
「そ……そりゃあそうだけどォ……」
「そーだろ」
「そーだけど……」
なにも食べてるその時に言わなくてもいーじゃないかっ!
ぶちぶちぶち。
などと言いつつ思いつつ、二人は釣り上げた魚をあっさりと片付けた。
食べた数は彼のほうが多い。念のため。
「うーん、もうちょっとほしいな……」
「そーねえ、もーちょっと釣ろうか」
よっこらしょっ、と立ち上がり、たき火のそばを離れ、ほうり出してあった釣り竿に手を伸ばし――
その手が途中で止まった。
気配を感じたのだ。
「――ゴブリンだよ――」
何気ない様子で、ボソリとガウリイが言った。あたしにやっと聞こえるかどうか、といった小さな声である。
「さっきちらっと見えた。十匹程度だ」
ははあん。
あたしは釣り竿をとった。
どうやらこのあたりはゴブリンたちのテリトリーらしい。それでこのあたりに料理屋とか休憩所などが一つもないのだ。
ゴブリン――この最もポピュラーな生き物を知らない人間はいないだろう。
ゴブリンは、大人の胸のあたりまでしか背のない人間型生物である。夜行性でそこそこの知能をもち、性格はどちらかといえば凶暴。――臆病でもあるが。
大きな都市からはなれた町や村では、夜中に、こいつに家畜などをやられることがよくある。
追記――からかうと面白い。
あたしは釣り針を左手でちょいとつまみ、口のなかで小さく、入れ食いの呪文(仮名)を唱えてやる。あたしのオリジナルの魔法だが、これを公開すると川から魚が一匹残らず姿を消す、ということもありうるので、これを誰かに教えるつもりはないし、あたしも普通は使わない。
呪文を唱え終ったちょうどその時。
ケーッ!
奇妙な雄叫びをあげながらゴブリンたちが茂みのなかから躍り出してきた。錆だらけの小さな剣や、棒の先に鉄片をつけたのと大差ない槍などで、一応武装はしている。
ゴブリンの追いはぎである。
『シーッ! 静かにっ!』
すかさずあたしが、ゴブリン語で言う。
ゴブリンたちの動きが、一瞬ピタリと止まる。
今だっ!
その一瞬の隙を突き、(と、そんなたいそうなもんでもないのだが)すかさず川面に釣糸を垂らす。
沈黙。
『なんじゃ、この女は?』といったニュアンスありありの視線があたしに注がれている。
好奇心の強いゴブリンは、あたしが何をするつもりか見極めようとして、攻撃をしてこない。
直後。
手応えがあった。
『おーしっ!』
いきおいこんで釣り竿を引き上げる。
『うっしゃ! 大物だぁ!』
魚が宙に舞うタイミングを見計らい、竿に小さくホイップをかける。
空中で魚の口から針が外れ、狙い違わずゴブリンたちの目の前に落ちる。言葉で言うのは簡単だが、実際にそれをやるのは至難の技である。感心するよーに。
『つかまえてっ!』
ゴブリン語で叫ぶ。
「ギイッ!」
「ギャギャ、グギィッ!」
「ギュゲッ!」
はい、ごくろーさん。
ゴブリンたちが跳ね回る魚をようやっと捕まえたときには、あたしは二匹目を釣り上げていた。
魚は、当然といえば当然だが、面白いように次々と釣れた。
十匹ばかり釣り上げた頃には、ゴブリンたちがあたしのまわりに人垣を作っていた。
よーし、かかった。
『はい』
あたしは釣り竿を、手近にいた一匹のゴブリンに手渡した。
「ギ?」
『よく釣れるよ、ここ。やってみる?』
「ギイ……?」
ゴブリンは首をかしげながらも釣り竿を受け取ると、川面に垂らす。
すぐに引きがきた。
「ギッギィH」
仲間うちで盛り上がっているのを尻目に見て、あたしたち二人はその場を後にした。
「――しかしお前さん、おもしろい術を使うな」
ガウリイが言った。
その日の夜。ようやく次の宿場町にたどり着き、宿の一階にある、アルコールと安タバコのにおいが充満する食堂で夕食をとりながらのことである。
ぱちくり。
まばたきひとつ。
左手に持った骨つきの鳥肉を一口かじる。
料理の味は悪くない。
もぐもぐもぐ……えーっと……
ごくん。
ぱちくり。まばたきをもうひとつ。
右手に持ったカップを口に運び、レシスのジュースを一口。
あ。
ようやっと思い当る。
「――ああ、昼間の話ね」
べ。
ガウリイがテーブルに突っ伏した。
別に大ボケをかましているわけではない。ただ、昼間にガウリイの前でやったお魚釣りの魔法など、あたしにとっては術のうちにも入らない。
……ほんとだってば……
「簡単な魔法よ。それほど技術が要るわけでもないし」
「へええぇ」
ガウリイが感心したような声を上げる。
「じゃあお前さん、魔道士か何かか?」
ずべべっ!
こんどはあたしが盛大に突っ伏した。
「あのなあ、にーちゃんっ!!」
あたしはガウリイにくってかかった。
「一体いままで人を何もんだと思ってたのよっ! あたしのこのかっこうを見て判らないのっ!」
ちなみにあたしの服装は、ガウリイに会ったときから、ズボンに長いブーツ。ゆったりとしたローブを太い革のベルトでまとめ、薄革の手袋、額にはバンダナ。大ガメの甲を薄く削って作った肩当てからは、地に着かんばかりのマントが下がっている。
これらすべての色は黒。それぞれに銀糸の縫い取りなどで、アクセントを兼ねた魔道文字がほどこされている。すなわちこの服自体が一つの結界であり、護符でもあるのだ。
銀製のブレスレットとネックレス。そして腰に佩《は》いたショート・ソードには、あたし自身の造った宝石の護符がはめ込まれ、燦然《さんぜん》たる輝きを放っている。
このかっこうを見て、ウエイトレスだとか魚屋だとか思うやつがいたら死んでもいい。
「……そーいえばそれらしいかっこうをしてるな……いや、オレはてっきり、魚屋かウエイトレスかとばかり思ってたが……」
ずばべしゃっ![#「ずばべしゃっ!」は太字]
あたしは景気よくスープ皿に顔を突っ込んだ。
まだスープがかなり残っていたのに気づいたのは、その一瞬あとだった。
「……うわーっ……冗談だよ冗談。……しかしお前さん、ダイナミックなリアクションしてくれるなぁ……」
「……やりたくてやったわけじゃないけどね……」
ハンカチで顔のポタージュを拭きながらあたしは言った。
「で、どれくらいの能力があるんだ? お前さん。火炎球《ファイアー・ボール》くらいは使えるのか? その格好からすると、黒魔術系みたいだけど」
魔道には、大別して三種類がある。白魔術と黒魔術、そして地水火風の四元素と精神世界を利用して行なう精霊魔術。 あたしが最も得意とするのは黒魔術。――といっても誤解はしないでもらいたい。
一言で黒魔術といっても、これまた二種類が存在する。
人を呪うための魔術と、精霊魔術に属さない攻撃用の魔術。あたしが得意とするのは後者のほうである。
ちなみに今ガウリイの言った火炎球《ファイアー・ボール》というのは、精霊魔術に属する。攻撃魔術イコール黒魔術、というイメージが世間一般では定着しているが、あれは大きな間違いである。
「へろへろと自分の手の内を明かす魔道士がいると思う?」
「いやー、お前さん、乗りやすそうなタイプだから……」
……あのなあ。
「ま、いいか。どうせすぐにお前さんの能力を見せてもらうことになるだろうし」
――なぜ?
あたしがその問いを口に出すより一瞬早く、唐突に宿の入り口が蹴り破られた。
「あの女だ!」
声のほうに顔を向けたあたしは、声の主とぼっちし目を合わせてしまった。
――あちゃーっ。
あろうことか、まっすぐ伸びた男の右手人差し指は、まごうことなくこのあたしを指していた。
該当する方向にいる人間はもう一人、いるにはいたが、残念ながらどう見てもガウリイを女に見立てることは不可能である。
とーとつに乱入してきたのはトロルの群れ。そしてそれらを操っているのは一人のミイラ男――かと一瞬思ったが、よく見ると体中をホータイでぐるぐる巻きにした、魔道士らしき男である。
「うーん、人ちがいですうH」
あたしはとっさに両のこぶしを口許までもってくると、ぶりっこをしてみせる。
ついでに偽名まで使ってしまう。
「あたしソフィアって言いますぅ。きっとあなたたちの探している人とは……」
「やかましいっ! 名前など知るかっ! とにかくお前――ちょっとまえ、野盗の宝蔵をごっそり荒らしていったやつだ!」
あらま。
「おいおいおい……」
ガウリイがジト目であたしを見る。
「ま、それは後で説明するわ。今はとりあえずこいつらを……」
あたしは言って、トロルたちと対《たい》峙《じ》した。
トロルは人間よりも二回り以上は大きく、それに比して力や体力もあり、なおかつ巨体のわりにそのうごきは敏捷である。
しかしトロルの最大の特長は、そのケタ外れの再生能力にある。生半可な刀傷など、眺めているうちに治ってしまう。
通訳。倒すなら一撃で。
とは言うものの、派手な攻撃呪文を使えば店のなかはメチャメチャになるし、無関係な人を何人も巻き添えにしてしまうだろう。
「よーし、わかったわ」
あたしはイスを蹴って立ち上がった。
「ケリをつけましょう。表に出なさい」
「いやだ」
「あいやあっ」
あたしはあわてて別のテを考えた。
「あのとき奪っていったものを全て返すなら、それでよしとしてやるが?」
「冗談言わないでよ。人のものをタダで持っていこうなんて、あつかましいにもほどがあるわよ、このぬすっと魔道士さん」
「お前だって盗っ人魔道士じゃないか」
ガウリイが横から茶々をいれる。
「やかましーっ。あたしは悪人からしか盗んないからいいのよ」
われながらわけのわからない理屈をこねてから臨戦体勢にはいる。
「やれいっ!」
ミイラ男の合図で、トロルたちが一斉に動いた。同時にあたしも。
トロルの武器はその鋭い爪と腕力。あまりそーぞーしたくはないが、いくらあたしの服が簡単な護符になっているからといっても、あれをまともにくらったら内臓までズタズタにされてしまうだろうし、一発ふん殴られればあたしの首くらいはあっさりとへし折れてしまうだろう。
しかし、負けるつもりはこれっぽっちもなかった。
最初の一匹。
やたら大振りをしてくる一撃を避け、右手をトロルの腰にあて、そこを支点にくるりと半回転してやりすごし、次の一匹に迫る。
待ち構えているところにスライディングをかけ、股の間をくぐり抜けざま、トロルの足を引っ掴む。さすがに倒れこそしなかったものの、一瞬バランスを崩す。その隙にあたしは体勢を立て直し、次の一匹を目指す。
背後に殺気が走った。
次の瞬間、別の一匹の爪があたしのマントを後ろから深々と貫いていた。
――残念、マントだけである。
ほんの少し早く、あたしはマントをショルダー・ガードごと外したのだ。
リナちゃんえらいっ!
勢い余って、マントにくるまれるような格好でトロルがぶざまに床に倒れる。その頭をあたしは軽く小突いてやった。
そして、次の目標に――
しばらくののち。
あたしはガウリイのところへ戻ってきた。
「よお、お帰り」
「ただいま」
この男ときたら、可憐な少女が一人で頑張っているというのに、(あたしのことよっ!)なーんにもせずにただじーっと見ているだけなのだ。けしからん。
トロルたちの数は全く減っていない。早い話が、まだ一匹も倒していないのだ。
「おのれ小娘、ちょこまかと……」
だいぶじれてきたのだろう。ミイラ男が苛々とした声を上げる。
「ガウリイ! トロルたちに傷をつけることができる?」
あたしは鋭く言った。
「傷をつける……っで、お前……トロルの再生能力を知らんのか?」
「知ってるわよっ! いいから早くっ!」
「どんな小さな傷でもいいっていうのなら……」
「それでいいから!」
言ううちにも、トロルたちはじわり、とその間合いをつめてくる。
「よし、判った」
ガウリイはポケツトに突っ込んでいた右手を出す。小さな木の実がその掌《てのひら》のなかにおさまっているのがチラリ、と見えた。リスなどが好んで食べる、あの固くて小さい奴である。
そして次の瞬間、彼の手が動いた――ように見えた。
「ぎっ!」
「がうっ!」
トロルたちが、あるいは腕を、あるいは脇腹を、またあるいは額を押えて小さく呻く。
見事なつぶてだった。彼が指先ではじいた小さな木の実はトロルたちの固い皮膚を突き破り、筋肉の中まで潜り込んだ。
人間が相手なら、これを何発か打ち込んで殺すこともできる。その程度の威力は十分に持っている。
「面白い技を使うな、小僧。しかしそんなものでトロルを倒せるなどと――」
ミイラ男のたわごとはそこで中断された。
さえぎったのは、トロルの上げた悲鳴だった。
ガウリイのつぶてがつけた小さな傷が、みるみるうちに大きく拡がっていく。
「な……なんだっ、これはっ!……一体何をっ……」
うろたえるミイラ男。ガウリイもただぼーぜんとその光景を眺めている。
傷は際限なく四方に広がり続け、あるものは胴を両断され、またあるものは体を二つに断ち割られ、最後には半数以上がただの肉片と化していた。
自分のやったこととは言え、お世辞にも気持のよい光景とは言えない。
うーん、夕食前でなくてよかった。
残る相手はトロルが四匹とミイラ男。
そのほとんどが、戦意を喪失している。
今あたしがかけた、わけのわからない術に恐れをなしているのだ。
未知なるものへの恐怖≠ニいうやつである。
しかし、タネを明かせばそれほど驚くほどのことでもない。
先ほどトロルたちに触れたときに、ある術を彼らにかけたのだ。まあ、白魔術にある『治癒』の術を逆転させてかけたようなものだとでも思ってもらえればいい。
『治癒』の術は、その個体の持つ肉体的、霊的な回復力を極限近くまで早めてやり、傷の回復を促《うなが》す、というものである。あたしのやったのはその逆、つまり誰でも持っている『傷を治そうとする力』の流れを逆転させてやったのだ。それも極限近くまで早めて、である。
当然、トロルのように『再生能力が大きい』ということは、その力の流れが大きい、ということである。その力が逆流、増幅され、ほんの小さな傷をきっかけとして、自らの肉体を破壊するに至ったのである。
ちなみにこれまたあたしのオリジナルの術である。ほとんど邪法に近いので今まで実戦に使ったことはなかったが、今回、相手をビビらせるには十分だろうと思って使ったわけだけど……もう使わないように心掛けよう。術者がユメ見てうなされるような術は、決して使ってはいけないのだ。
連中、あわてて逃げ出すかとも思ったが、無謀な奴が一匹いた。
果敢にも、あたしを目がけて突っ込んでくる。
あたしは腰のショート・ソードを抜き放ち、口のなかで呪文の詠唱をはじめながらトロルに向かって身を躍らせる。
すばしっこさではあたしの方に歩がある。
爪と刃が二、三度火花を散らし、一瞬トロルに隙ができた。
「今っ!」
あたしの剣が、深々とトロルの脇腹にめり込んだ。
ニヤリ、とトロルが小さく笑う。
――かかった!――
そういう笑みだった。
これが奴の狙いだったのだ。
技ではかなわないと見て取り、わざと隙を作って自分を剌させ、こちらの動きが止まったその一瞬を狙ってケリをつける――ケタ外れの再生能力があってはじめてできる、まさに捨て身の戦法である。
奴が自分の勝利を確信したその瞬間――
あたしが勝負に決着をつけた。
「雷《いかずち》よ!」
雷撃《モノヴォルト》の呪文はあたしの剣を媒介にして、トロルの体の中で炸裂した。
さすがにこれにはひとたまりもなかった。
ビクン! と大きく体を震わせ、叫び声すら上げるいとまもなく絶命する。
「――面白いテではあったけど、残念ながらあたしのほうが一枚上だったようね」
ズ……ン
重い音を立てて、トロルは床に倒れ伏す。
残った連中にダメ押しをかける。
「さて……じゃあそろそろ本気でいくわよ……」
パン! とてのひらを胸のまえで打ち合わせ、呪文を唱えながらゆっくりと左右に開いてゆく。
まばゆい光の球がそこに現われた。青白く輝くそれは、拡げる両の手につれて、だんだんとその大きさを増していく。
「げっ! 火炎球《ファイアー・ボール》っ!」
ミイラ男が大きく目を開く。
「退けっ! 退けぇっ!」
必死で叫ぶと、残ったトロルたちといっしょに、ころがるように逃げていった。
あたしは両手に光の球を抱えたまま、大きく溜息をついた。
「『ふうっ』じゃないっ! おいっ、どーするんだよっ、その火炎球《ファイアー・ボール》!」
遠巻きにしながらガウリイが声をかけてくる。さすがに彼も、火炎球《それ》の怖さくらいは知っているらしい。
火炎球《ファイアー・ボール》はわりとポピュラーな火≠フ攻撃魔術で、術者の生み出した光の球を投げつけると、着弾と同時に炸裂し、あたりに火炎を敷き散らす、いわば集団殺戮用の魔法である。使い手の技量によってもその破壊力は異なるが、人間相手に直撃さぜれば、一瞬にしてレアくらいに焼きあげることができる。
「ふむ……」
まじまじと手のなかのそれを見つめ、おもむろに宙にほうり上げる。
『『わーっ!』』
全員が叫び、そして沈黙。
ガウリイが、おそるおそる顔を上げる。
「ファイアー・ボールじゃないわよ」
あたしはいたずらっぽく微笑むと、天井付近でフワフワと宙拡浮いたまま、しらじらと光を放つ球を指さした。
「ただの|明り《ライティング》≠諱v
「……どーしてくれるんです、このありさまをっ!」
じゅーぶんに予想していたことだが、宿のおやじさんはかんかんだった。
うーん、無理もない。
テーブルやイスはメチャメチャだわ、トロルの死体がゴロゴロ転がってるわ、すさまじい血のにおいがとことん鼻をつくわ……
さきほど火炎球《ファイアー・ボール》だと思わせるつもりで造ったライティング、あれはモロに失敗だった。
それまではランプの薄暗い光で照らされていただけのトロルの、ずたずたのぐしゃぐしゃのぎっちょんぎっちょんになった死体――いや肉片が、いまだ皓々《こうこう》と光を放つ光球によってはっきりくっきりと照らし出されたのだ。
いやー、とってもスプラッタ。グロいことこの上ない。肉屋のせがれか、馬車にひかれた動物の死体を見たことのある人かなら、この気色の悪さの何分の一かでも想像できるだろう。
――とまあそんなわけで、宿の中は、とてもじゃあないが『みんなでにこにこ楽しいお食事』といった雰囲気ではなくなってしまったのである。
ついでに言うと、客の半数近くは耐えかねてほかの宿に移ってしまった。
こーいった状況にあって、それでもなおかつニコニコしていられるのなら、宿の主人なんぞやめて聖人か仙人にでもなったほうがいい。
――とはいっても、いつまでも小言を聞いている気はない。
あたしはめいっぱい反省した顔をする。魔術の次に得意な『ぶりっこ』である。
「確かに、ご迷惑をおかけしました。でも……」
と、ここで顔を上げ、おやじさんの目を正面からじっと見つめる。後ろ手にこっそりと手袋《グローブ》を脱ぎ、少し鼻にかかった声で――
「ああしなければ、あたしたちがやられていたわ……」
よぉぉっし!
思惑通りおやじさんは気勢をそがれ、困ったような顔をしている。
「――あの――」
と、懐《ふところ》から小さな宝石を三つばかり取り出す。ただし右手ににぎったまま、てのひらの中身は見せない。
「これはその――おわびのしるしなんですけど――」
左手でおやじさんの右手をつかみ、その掌《てのひら》に右手の中のものを押しつける。
中身はまだ見せない。しかしその掌の感触で、そこにあるのが何なのか、大体の察しはつくはずだ。
この時、視線は決して相手から外さぬこと!
じっと自分を見つめる可憐な少女。掌を包む、しっとりとあたたかい(グローブを脱ぎたてだからなのだが)小さな両のてのひら。
どんな気分になるかは、推《お》して知るべし。
あたしは言葉を続けた。
「本当は、こういうものでお詫びをするっていうのは失礼だとは思うんですが、あたしにできることといったらこれくらいしかありませんし……」
重ねたてのひらをゆっくりとどける。
おやじさんは自分の手の上にちらり、と視線を走らせ、そこに自分が予想していた通りのものがあることを認め、掌をとじる。
「まあ……そこまで言われちゃあ、あまりきつくも言えんな……じゃあここは人を雇って片付けさせとくから、あんたはもう部屋に戻りな」
らっきー!
あたしはしおらしく何度も頭を下げながら、ガウリイと一緒に自室に戻った。
ガウリイはおとがめなしである。首謀者はあくまであたし、ということになっているらしい。――違うとは言わないけど。
宿でゴタゴタを起こした場合、時によっては『出ていけ』とか言われることもあるが、たいがいは今回と同じパターンでカタがつく。おそらく宝石を渡された時点で、『この客は金になる』とでも思うのだろう。ちなみに出ていけと言われた場合、あたしはあっさりと出ていく。そこでがんばって食い下がっても全く意味がないからである。
「――しかし、たいしたタマだな、お前さんも」
ベッドに腰かけたあたしの横に立ち、ガウリイが言う。あれを演技と見抜くとはなかなか鋭い。
「――何のこと?」
あたしはそらっとぼけた。
…………
えっ?
「ちょっと、ガウリイ、なんであなたがあたしの部屋にいるのよっ!」
「後で事情を説明してくれる、って言ったろ?」
「そーだっけ?」
「そうだよ」
ま、いいか。
あたしも彼に聞きたいことがあったのだ。
「いいわ。説明してあげる。……けどその前に、こっちの質問に答えてもらうわよ」
「いいぜ。何だい? 嬢ちゃん」
「……その『じょうちゃん』っていうのは……まあいいわ、座って」
ガウリイは手近にある椅子に腰かける。あたしとちょうど向かいあわせの位置だ。「座ったぜ」
「それじゃあ聞くけど……」
あたしはじーっと彼を見つめた。
「あなた、あたしのことどう思う?」
――硬直っ!
うーむ、こりはおもひろい――とはいえ、このまま硬直させておくわけにもいかないだろう。
「――じょーだんよ、じょーだん」
言うと、ガウリイは大きく息を吐いた。
「……悪い冗談はよしてくれ。死ぬかと思った……」
「……どーいう意味よ……」
「いや、まあ……で、本当の質問っていうのは?……あ、断わっとくが、スリー・サイズは秘密だぜ」
気色の悪いジョークを飛ばす。
「ばか。――で、まじめに聞くけど、なんであなた、あいつらがあたしを狙っているってわかったの?」
「知らなかったさ、そんなこと」
しゃあしゃあと言ってのける。
「言ったでしょ、あなた。やつらが宿に入ってくるまえに。すぐにお前さんの力を見せてもらうことになる≠チてね」
「あー、あれね」
こともなげに言う。
「殺気が宿のまわりを取り囲んでたからさ。――となると宿の中の誰かが狙われてるってことになる。モノ盗りならもっと遅くなってから来るだろうしな」
「じゃあなんで、そのだれかがあたしだと思ったの? ――まさかあなた奴らの――」
「――まあ聞けよ。狙われてるのが誰にしたって、必ずお前さんは首を突っ込む、と、そう踏んだんだよ。お前さんお人好しみたいだし、それに何より、ごたごたに首を突っ込むのが好きみたいだしな……」
あたしは何も言えなかった。
図星である。
人がいいかどうかの判断は他人に任せるとして、確かに彼の言うとおり、ごたごたに首を突っ込むのが好きなのである。あたしは。
――そう言えば郷里《くに》の姉ちゃんにも、同じことを言われた覚えがある。
「――とまあ、そういうことだ。一応スジは通ってるはずだが?」
「……まあね……」
「じゃあ、他に質問は?」
「……ないわ……」
「なら、そろそろ説明してもらいましょうか。お前さんが何をして、なぜ奴らに追われているのかを」
ふう……
あたしは息をついた。
「わーったわ、話すわよ……」
これまでのいきさつをかいつまんで話す。
野盗にやられて困っている村の人々を見るに見かねて野盗退治に出かけ、盗まれたものを取り戻してやったとき、つい一緒に、ほんの少しだけ手数料がわりに野盗たちのものをいただいていったこと。それをいまだに奴らがつけ狙っているらしい、ということ。
――え? 『退屈だし金もないから』って襲ったんじやなかったのか、って?
……しーっ。
事実《それ》はここだけの話!
嘘も方便。何事にも演出、脚色は付き物である。
あたしが一通り話し終えると、彼は大きくうなずいた。
「ふむ……最初の。困った村人を助けるためってところはとにかくとして、ことの成り行きは大体のみこめた」
ぎく。
かなり鋭い。
「――ま、しかし、これであたしも納得いったわ」
あわてて話題をすり替える。
「何がだ?」
ガウリイがノってきた。のせたのではない。のってきてくれたのだ。おそらく。
「あたしが奴らのねぐらを襲ったとき、顔は見られてないはずだったのよ。なのに奴らは、ちゃんとあたしを追いかけてきた。
おかしいとは思ってたんだけど、案の定、魔道士がついていたってわけね」
「さっきのホータイ男か?」
「そう。どうやらいっちゃんはじめのあたしの奇襲でケガでもして、今日までリタイアしてた、ってところでしょうね。たぶん」
「魔法で居場所を突き止められた訳か」
「そういうことね」
「ふぅん……何でもできるんだな、魔法って奴は」
「何でも、っていう訳じゃないわよ。魔法にだってできることとできないこととがあるわ。――例えば今回のことにしたって、あのミイラ男が、あたしがいただいた品物のどれか――あるいは全部に、目印となるような魔法をかけておいたのよ、たぶん。で、それをつてにしてあたしの存在を探り出したのよ。
何の手掛かりもない相手を突き止める、なんてことはいくら腕のいい魔道士でも不可能よ」
「……そーいうもんですか……」
よくわからん、といった顔でガウリイが言う。
「そーいうもんです。――さて、他に質問は?」
「ありません、先生」
「よろしい。ではこれで本日の――」
講義はこれで終りです。
あたしがそう言いかけたその時。
誰かがドアをノックした。
二人は同時に動いた。
ドアの左右にはりついて、ノブにはガウリイが手をかける。
「誰?」
あたしが声をかけた。
『――あんたと商売がしたい。あんたの持っているあるものを、そちらの言い値で引き取ろう』
扉の外にいる誰かさんが言った。
「――怪しいわね」
『当り前だ。言ってて自分でも、かなり怪しいと思うよ。普通ならこんな奴、部屋の中に入れたりはせんぞ』
おいおい。
「じゃあご忠告に従って、部屋の中には入れないことにするわ」
『まあ待ってくれ。確かにおれは怪しいが、とりあえず今はお前に危害を加えるつもりはない』
なんなんだ、そりは。
「部屋のなかに入ってきた途端、つもりが変わる、ってことはないでしょうね!?」
『心配するな……と言うほうが無理かもしれないが、そっちにはたのもしいボディー・ガードもついてるだろう』
あたしたちは顔を見あわせた。
「言っときますけど……変なマネしようとしたら、ありったけの攻撃呪文たたっこむわよ」
「おいおい、部屋に入れるつもりか?」
ガウリイが慌《あわ》てる。
「大丈夫よ。頼もしいボディー・ガードがついてるからね」
軽く言ってウインクひとつ。ドアのそばを離れ、部屋の奥のほうに行く。
「今ドアを開けるわ。静かに入ってきなさい。――いいわガウリイ、ドアを開けて」
一瞬ためらった後、彼はゆっくりと扉を開けた。
そこに、奴がいた。
[#改ページ]
二、悪役は忘れなくてもやってくる
男は確かに、充分怪しかった。
全身を白いマントと白いローブ、白いフードですっぽりと包み、目の部分だけを出している。
もう一人、付き人がいた。
「ほう……」
自然と表情が変わるのが、自分でもわかった。
さきほどトロルを連れて殴り込んできた、あのミイラ男である。
二人はゆっくりと部屋の中に入ってくる。
ミイラ男の方は、すこし足を引きずっていた。
ガウリイが後ろ手にドアを閉めた。
ミイラ男はびくり、と体を震わせて後ろを振り返る。
白ずくめは全く動じない。
ちょうど部屋の真ん中で立ち止まった二人を、あたしとガウリイがはさむ形になった。
「そのミイラ男の知り合いなの?」
「ミ……」
ミイラ男が鼻白む。食ってかかろうとするのを白ずくめが制する。
「さきほどはごていねいなご挨拶を頂きまして」
「すまなかったな。こいつはゾルフって名でね。責任感は強いんだが、その分先走りも多くてな……まあ勘弁しておいてくれ」
「――まあいいわ。その分、値段に上乗せすればいいんだから」
言いながら、この時はじめてあたしは、目の前の白ずくめが人間でないことに気がついた。
部屋の光源は安っぽいランプのみなので今まで気がつかなかったのだが、フードのすきまからのぞく目の回りの皮膚が、岩か何か、それに類する硬質のものでできているようなのだ。
別にさわらせてもらったわけでもないのでそうだと言い切ることはできないが、見た目から判断して、まず間違いはないだろう。
一瞬|土人形《ゴーレム》かとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。人に仕えるためだけに造り出されたゴーレムのそれとは違い、この男の瞳には、自分℃ゥ身を主張する、意志の輝きが見て取れる。
「ちゃっかりしてやがるな……まあいい。商談に入ろう」
「あるものを売ってほしいってぇことだったわね」
「そう。おまえがしばらく前に盗賊どもの寝ぐらから持ち出したものの一つだ」
「――で、何なの、そのもの≠チて言うのは」
「それは言えん」
あたしは眉をひそめた。
「言えない?」
「ああ、言えない」
「それじゃあ商売のしようってものがないわね……」
「まあ待て。最初から『こいつが欲しい』と言えば、ふっかけられるかもしれんし、おまえだって好奇心が働いて、手放したくなくなるかもしれないだろ? だからさ。あの時手に入れた品物、それぞれいくらでなら売ってくれるか値をつけてくれ。その時点でこっちの欲しいものを言い値で引き取ろう」
「なるほどね……でもあなた、盗賊の仲間でもなさそうだし……?」
「おれはな、そのあるもの≠さがしてたんだ」
白ずくめが言う。
「このゾルフをはじめとして、何人かの部下をあちこちに放ってね。こいつは野盗たちの中に潜り込み、ある日偶然それを見つけた。盗賊たちに盗ませて、あとはころあいを見計らって持ち出し、おれのところへ届ければいい、というところで……」
「あたしが出てきた、って訳ね」
「そういうことだ」
「しっかし……野盗を利用してものを手に入れ、あげくに持ち逃げしようなんて、セコい了見ね」
「人のことは言えんと思うが……」
コホン。
「――まあ、それで大体の事情は飲み込めたわ。なら早速商談にうつりましょうか。
品物は像と剣、そして古いコインが少々。
――あ、宝石は省くわよ。誰が見たってただの宝石にしかすぎないものを、言い値で買う人もいないでしょうしね」
白ずくめは小さくうなずいた。
「えーっと、じゃあ、まず剣が……」
あたしは次々と値をつけた。
白ずくめが思わず数歩後退り、ミイラ男はまんまるに目を見開き、ガウリイはアホみたいにカクン、と大きく口を開く。
全く、男って奴は肝っ玉が小さい。
『言い値で買う』と言ったんだから、たかが相場の百倍やそこら、ポーンと気持ちよく払わんかいっ!
……と、今気がついたのだが、よく考えるとどれもこれも城が丸ごと買えるくらいの値段である。
いやぁ、びっくり。はっはっは。
「相場の二倍や三倍、吹っかけられる覚悟はしていたが……」
やっとのことでしぼり出すように、白ずくめが言う。
「……よく考えたらとんでもないわね。相場の百倍以上なんて。あは、あははは」
「あはは、じゃないぜ……」
白ずくめが、モロに疲れた声を出す。
「そーねえ。今のはあんまりだから――そう、今あたしが言った値の半額でいいわ」
「半額!」
「こっ……この小娘《ガキ》、下手に出ればつけあがりおって!」
「黙ってろ、ゾルフ」
……小娘《ガキ》!?……
むかっ。
(ああ、あたしって気が短い……)
「分割払いとか出世払いとかは……だめだろうな、やっぱり」
「問題外ね。ファイアー・ボールとライティングの区別もつかないような三流魔道士に子供扱いされたうえに、なんでそんなバカな条件をぽこぽこのんであげなくちゃあならないってのよ」
「な……なんだとっ!」
ここに至ってはじめてミイラ男は、さっきのファイアー・ボールがペテンだったことに気がついたらしい。
「子供《ガキ》だから子供《ガキ》といったまでよ! だいいち……」
「ゾルフ! よせと言っている!」
白ずくめの叱責に、ミイラ男はビクン、と身を震わせる。
「――なら、これが最後のアイデアなんだが、おれに手を貸さんか? 一年――いや半年後には、おまえがはじめにいった額の二倍、いや三倍でもいい、払ってやろう」
「ふむ」
あたしは腕を組んだ。
「それだけ欲しがってる――ってことはつまり、この提案を断われば自動的に、あなたとあたしは敵どうし、ってことになるんでしょうね」
「…………」
白ずくめは答えなかった。ただ、片方の眉をピクン、と跳ね上げただけである。
「あたしとしてはできるだけ、あなたみたいなタイプの人とことを構えるのは避けたいわね。――なんで、って聞かれると答えようがないけど、まあ言うなれば、女の直感っていうやつね」
「――フム」
「――で、これもその直感≠チていうやつなんだけど、あなたみたいなタイプとは、死んでも手を組みたくはないわね」
ゾルフが身を乗り出し、あたしに何か言おうとしたようだったが、彼はそれをやめた。
あたしと白ずくめの間に渦巻く殺気に気付き、おじけづいたのだ。
しかしこの気≠フ力、やはりこいつ、ただ者ではないようである。
にらみ合いが続いたのは数瞬だった。
退いたのは、白ずくめのほうだ。
大きく溜息をつく。
「交渉決裂か……まあ仕方があるまい、気の強いお嬢さん」
「ほんと、残念ね」
「約束だからね、今日はおとなしく退くよ。
しかしそれは必ず、力ずくでも奪い取らせてもらう。明日の朝、おまえがこの宿を出たその瞬間から、おまえとおれとは敵になる」
あたしは小さくうなずいた。
男がくるりと背を向ける。
「行くぞ、ゾルフ」
「し……しかし……」
構わず男は扉にむかって歩いていく。
ガウリイが、タイミングよく扉を開く。
ゾルフはしばしためらった後、あわてて白ずくめのあとを追った。
「――そうそう」
戸をくぐったところで立ち止まり、振り向きもせずに白ずくめが言う。
「おれの名はゼルガディスという」
「――覚えておくわ」
ガウリイが、パタン、と音を立てて扉を閉めた。
「――行ったようだな」
ややあってガウリイが言った。
「しかしなんだってお前さん、あんな無茶な値をつけたんだ?」
「――じゃあもしも、あたしがあの連中に、適正な値段でそのもの≠売っていたら、あなたあたしをほめてくれた?」
ガウリイは苦笑すると、首を軽く横にふった。
「あー、いー天気ねえ……」
あたしはぺたんと地面に座り込んだまま、蒼《あお》く澄んだ空をぼーっと見上げていた。
ぼかぽかぽか。
おひさまがあったかい。
大森林の中を突っ切るかたちで走っているこの街道だが、このあたりは比較的場所が開けており、かなり大きな野原になっている。
天気はよく、空は青い。
小鳥がさえずり、あたりの空気には――血臭が充満していた。
「ほーんと、いー天気ねー」
「……あのなあ、リナ……」
肩で息をしながら、ガウリイが言う。
彼もやはり、地面にへたり込んでいる。
「人にばっか戦わせといて……のほほーんとしてるんじゃないっ……」
あたしはガウリイの後ろに横たわる、累々たる狂戦士《バーサーカー》たちの死体に目をやった。
「……あは……ごめんごめん……でも、ちょこっとは戦ったよ……」
「……はじめのほうだけ……ほんの少しな……せめて攻撃呪文の一つも唱えてくれりゃあいいものを、『あとはまかせた』、だもんな……」
「……まー、そーいう事実もあったかもしれない……」
「あったかもしれない、じゃあねえよ……よっ……と……」
彼は剣を杖がわりにして、よろけながらも立ち上がる。
「……もーちょっと休んでたほうがいいわよ……」
言ったが、ガウリイは首を横に振った。
「日が募れるまえに次の町に入らなくちゃあ奴等のエジキだ。……さ、行くぞ」
無理もないことだが、あたしが高みの見物を決め込んでいたのが気に食わなかったのだろう。疲れも手伝って、かなりカリカリ来ているようだ。
「…………」
「――リナ」
娘をしかる父親のような口調でそういうと、意外としっかりした足取りであたしのそばまで歩いてくる。
「うーん、もうちょっと。このぽかぽかがあんまり気持いいもんで……」
「いいかげんにしろっ!」
怒鳴りながらマントの上からあたしの右手をわしづかみにして、いきなりぐいっと引っぱりあげる。
|だめっ《ヽヽヽ》!
「はうっ!」
たまらずに呻いた。
「……え?………」
ガウリイが手をはなす。
あたしは額を地面にすりつけんばかりに、体をく≠フ字に曲げる。
はずかしい話だが、白状するとあたしは痛みに対する耐《こら》え性《しょう》があまりない。
とぎれた回復呪文を口のなかで小さくつぶやきながら、力≠キズ口に当てた右の手のひらに集中する。
少しずつではあるが、痛みが引いていく。
いつもならこの程度のキズ、もっと早く治せるはずなのだが、今回はやたらと時間がかかる。これはひょっとしたら……
「……リナ?……」
「……ん?……」
あたしはできるだけ平静を装って顔を上げた。――もっとも、これでゴマかせるわけがない。
「ケガ……してるのか?」
あたしはちいさく微笑んで見せた。――かなり弱々しい微笑みではあったろうが。
「……単なる食べすぎよ……」
ガウリイはあたしの正面にやって来ると、向かい合うかたちでその場に腰をおろす。
「……何?……」
あたしはまじまじと彼の顔を見つめた。彼もまた、あたしの顔をまじまじと見つめ返す。
「うっ!」
いきなり走った痛みに、あたしは再びうめいた。
ガウリイが唐突に、マントの下に手を突っ込んできたのだ。その手がたまたま、キズ口――右の脇腹のあたりにふれたのだ。
あたしの声に、あわててガウリイは手を引く。
「……お前……」
声がかすれている。
「血だらけじゃあないか……」
「――大丈夫ょ――」
やせがまんをした。けどウソではない。痛みは、徐々にではあるが退いてきている。
「大丈夫って、お前……」
「だいじょうぶだったら……今、治癒《リカバリィ》の魔法かけてるから……もう少ししたら、傷は完全にふさがるわ……」
「けど……」
「その、『だいじょうぶかだいじょうぶか』って言われるのがやだから、のほほん≠やってたのよ、あたしは」
「――すまん……」
「……いいけど……もうちょっとしたら回復するから、それまであなたも座って休むといいわ」
「ああ――ああ……」
ガウリイはあたしの前におとなしく座り込み、心配そうな目でじっと見ている。
心配してくれるのはうれしいが、こういう目で見られるのはどうも苦手である。
「最初のときにやられたんだな……」
ガウリイが言う。
「……甘く見てたのよ……」
「回復のほうで手一杯だったわけだ……すまん、誤解してた……」
「いいんだってば……」
ガウリイは黙った。
時間と風だけが流れていく。
「――奴らのお目当てのもののことなんだけど――」
しばらくして沈黙を破ったのは、あたしの方からだった。
「きのうの夜、一人になってから、いろいろと調べてみたのよ」
「――調べる?」
「そう。昨日言ったでしょ。あのミイラ男が、その何か≠ノ、目印になるような魔法をかけているはずだ、って」
「わかったのか」
残念ながら、あたしは首を横に振った。
「あのとき手に入れたのは、オリハルコン製の神像と、魔法で切れ味をよくした大振りのナイフ、それとマニアに見せたら喜びそうな金貨が何枚か。そのどれにも、目印然とした魔法はかけてなかったわ」
「それじゃあ……」
「金貨は問題なく除外ね。どうやったって目印にしようがないもの。で、残るはナイフと像だけど……」
「しかしお前、そんなにしゃべって傷に障《さわ》らないのか?」
「え?――ああ、もう大丈夫よ。ほぼ完全にね」
「|ほぼ《ヽヽ》……って……」
「平気だってば。――で、残る二つなんだけど、ナイフの方は、切れ味をアップさせるためにかけられた魔法――あんまりタチのいいもんじゃないけど、それを目印にすることはできるわ。一方、像のほうは、オリハルコンっていう金属自体が魔法をあるていど封じる力があるの」
「それじゃあ目印にはならんな」
「それがなっちゃうのよ、アストラル・プレーンでの探索を行なったとき、この金属のある方向に向かう精神波が……言ってること、解る?」
「――全然」
「――とにかく、これを目印にする、っていうこともできるのよ」
「じゃあとにかく、狙われているのはそのどちらか、ということになるわけだ。――しかしそれって、奴等がああまでして手に入れたい、っていうほどのシロモノなのか?」
「そこなのよ。あたしが悩んでいるのは。オリハルコンは金よりもはるかに貴重だし、ナイフにほどこしてある細工にも、目を見張るものがあるわ。――けど、あれほどまでして手に入れたがっている、というのは……」
「奴ら、『半年で三倍にして』、とか言ってたな、確か。と言うことは当然、奴らにとってそれ以上の価値があるもの、ってことになるが――例えば、それに何らかの方法で、どでかい宝のありかを示すものが隠されている、とか」
おとぎ話じみた説ではあったが、ありえないことではない。
「あるいは何かの鍵≠ネのかもしれないわ」
あたしは言った。
「カギ?」
ガウリイがいぶかしげな顔をする。
「魔法の応用でね。そういうこともできるの。魔術都市のある貴族の屋敷にも、そんなしかけがあるって聞いたことがあるわ。なんでも中庭かどこかにある泉に若い女の人が入ると、宝物倉の扉が開くとか……この場合、若い女の人≠チていうのがカギになるわけね」
「じゃあカギ℃ゥ体は、なんら魔力を持っていなくてもいいわけだ」
「そういうこと」
「なら、その像かナイフかをどこかでどうにかすれば――」
「何かがどうにがなる……かもしれない、ってことね」
「……結局、いっこも要領を得ん話だな」
「手掛かりが少なすぎるからね……よっ、と……」
あたしは何とか立ち上がった。まだ少し足もとがおぼつかないが、歩けない程でもない。
「おいおい……」
「平気よ、もう。少し疲れたけど。まあこればかりはどうしようもないわね」
やれやれ、といった表情でガウリイは立ち上がり――
「きゃっ!」
いきなり抱き上げられて、あたしは思わず声を上げる。
「ち……ちょっと! 何するのよっ!」
顔が赤らむのが、自分でも分かった。
「しばらく運んでやるよ。歩くのはちょっと辛そうだしな」
「平気だってば! それにあなただってつかれてるんでしょ」
「ばあちゃんの遺言なんだ。女子供には優しくしろってね」
ガウリイはウインクを一つした。
足音がした。
気のせいではない。
あたしが宿で床について、しばらくしてのことである。
疲れてはいたが、いろいろと考えることもあり、なかなか寝つかれなかったのである。
どうやらそれが幸いしたようである。
遅くまで飲んだくれていたおっさんがようやっと腰を上げて、自分の部屋に戻っていく――そういった類《たぐい》の足音ではない。
複数の人間が、できるかぎり足音を忍ばせて歩いている――そういった音だ。
あたしはベッドに身を起こした。
別に、その音の主があたしを狙っていると決まったわけではないが、この場合、そうである確率のほうが大きいし、用心はするにこしたことはない。
足音は少しずつ近づいてくる。
ベッドのそばにかけておいたマントをはおる。こういったときの用心のため、マントを脱いだだけの姿で眠っていたのだ。
あたしは静かに動いた。
しばらくして足音はあたしの部屋の前でピタリ、と止まった。
思った通りである。
突然、ドアが蹴り開けられる。
人影がいくつか、部屋の中になだれ込んでくる。
眠り込んでいるはずのあたしの姿がベッドの上にないことを知り、奴らは慌てた。
「――どこだ!」
一人が叫ぶ。
「ここよ」
――とか言いたかったのだが、やっぱりやめることにした。
そのかわり、その場にスックと立ち上がる。
あまりかっこうのいい話ではないが、今までドアの横にちょこん、と座っていたのだ。しかし、ただ座っていたわけではない。やるべきことはやっている。
呪文の詠唱は終っていた。
胸元で合わせた両のてのひらを左右にひろげる。
その間の空間に、輝く光の玉が出現した。
ライティングなどではない。こんどこそ正真正銘のファイアー・ボールである。
慌てて人影が振り向く。しかしもう遅い。
あたしはファイアー・ボールを部屋のなかにほうり込むと、ドアをしめて通路に出た。むろん通路に刺客がいないことは、確認の上で、である。
密室で炸裂したファイアー・ボールは、通常の倍に近い破壊力を生む。
ゴウン![#「ゴウン!」は太字]
かなりハデな音がした。
あたしのファイアー・ボールは、絶好調の時なら、直撃すれば鉄さえも溶かす。
が――
「なんだっ! どうしたっ!」
すぐにガウリイが部屋から飛び出してきた。さすがに傭兵、あたしと同じことを考えていたらしく、いつもの服装に、むろん剣も持っている。
「刺客よ!」
状況説明は一言で十分だった。
「やったのか?」
「わからないわ!」
あたしは正直に答えた。もしこれが昨日のことなら、ためらわずにうなずいていただろうが。
案の定――
あたしが言ったその途端、バタンと部屋の扉が開き、コゲくさいにおいと共に、いくつかの人影が、炎に巻かれながらも飛び出してくる。
「ちっ!」
すかさずガウリイが剣を抜いて切りつける。あっというまに一人が倒れる。
見ると相手は、剣と簡単なヨロイとで武装をしたトロル達である。
こりはまずい。
ガウリイが二人目に切りかかる。が――
そいつは体のあちこちから煙を上げながらも、自分の剣でその一撃をがっきりと受け止める。
ふつう、なかなかできることではない。
かなりの手練《てだ》れである。
「小娘の仲間か、若いの」
こいつは人間だった。がっしりした体格の中年男である。
「なかなかやるね、おっさん」
「なーに、年の功ってやつさ」
二人が同時に飛び退いた。
ガウリイが最初に切り倒したトロルが、ゆっくりと起き上がってくる。
さすがケタ外れの再生力――などと感心していも場合ではない。状況は、どうひいき目に見ても有利とは言えなかった。
ガウリイがおっさんとチャンバラをやっている間は、必然的にあたしがトロル達の面倒を見なければならなくなる。ガウリイのウデはたしかだが、おっさんもなかなかの使い手である。片手間にトロルの相手をしてはいられない。
しかし今のあたしに、武装したトロル遠を倒すだけの力はない。
あたしの魔力は今、極端に弱まっている。
本来ならガウリイが部屋を飛び出してきたときには、すでに決着《けり》はついていたはずなのである。『やったのか』と問うガウリイに、『ちょろいもんよ』と軽く応え、ウインクの一つもしてみせる。――あとは火事場の後始末。それでこのラウンドはジ・エンドのはずだったのだが……
しかし事実、刺客たちは、多少服を焦がし、髪を縮れさせたのみで、いまだにピンピンしている。
魔力で致命傷を与えることはできない。
かといって、あたしの剣技でトロル達を屠《ほふ》ることもできない。
ガウリイほどではないにしろ、剣技にある程度の自信はあったが、あくまでそれは人間相手での話である。前にも述べたように、トロルを剣で倒すには一撃必殺。首を切り落とすか何かするほかはない。
しかしあたしの剣には、技はともかくとしてパワーがないのだ。トロルの首を一撃で切り落とすには至らない。
――となれば、何とかだましだましやっていくよりはほかはない。
あくまでも主戦力はガウリイとし、あたしはセコい魔法を目《め》眩《くら》ましに使って敵を引きつけ、ガウリイの援護に徹する。
宿の細い廊下が戦場になるわけだから、敵さんとしても一斉に飛びかかってくる、などというマネはできない。それを利用して各個撃破、というテも使える。
――ま、せいぜいこんなところか。
しんどいなァ……
けど、やるっきゃない!
「さーてそれじゃあ……」
人がヤル気をおこしたそのとたん。
トロル達の動きがピタリ、と止まった。
見ると、ガウリイの対戦相手のおっさんもぼーっとつっ立っている。どちらも瞳に光りがない。
傀儡《くぐつ》≠フ術である。
それほど難しい術ではなく、トロルなどの思考が単純なタイプの生き物にはかなり効果がある。――別に、トロル達と一緒に術にかかったおっさんが、見た目通りの単純人間だといっているわけではない。術者の力量がケタはずれなのだ。
普通の傀儡≠フ術は一人の相手に対して、それもある程度の時間と道具とを使って行なうものである。これだけの数の相手を、しかも一瞬にして術中に陥れるとは――
おそらくオリジナルに開発した集団用の魔法なのだろうが――今度ヒマがあったらあたしも研究してみよう。
「どうしたってんだ? こいつら」
ガウリイが言う。
「ちょっとした術をね……」
答えたのはあたしではなかった。
「どちらに非があるのかは別の話として、真夜中に騒ぐのはほかの客に迷惑ですよ」
一人の僧侶がそこにいた。
いつのまにやって来たのか、トロル達の向こう側――出口に近いほうに、静かに佇んでいる。
慈愛の漂う白い顔。年齢はわからない。若くも見えるし、年老いても見える。目が見えないのか、その両の瞳は固く閉ざされている。
しかし、特筆すべきはその服装――
確かに僧侶の服装なのではあるが、全てが赤い色で統一されているのだ。普通僧侶の服は白。地方やあがめる神によって、薄紫、薄緑などをつかっているところも確かにあるが、それにしたところであくまでも色彩は抑えめにしてある。
ところが、この男の服の色といったら。
まるで血そのもので編み上げたような毒々しい赤色をしているのだ。――むろん、照明が薄暗いランプだけだという、そのせいもあろうが。
「ありがとうございます。助かりました。
――あなたは?」
「いえ――ただ同じ宿の泊り客ですけどね。不審な連中――こいつらが足音を忍ばせて歩いているのを見かけたものでつい首を突っ込んでしまったのですが……」
「――お前みたいな性格してるな」
茶々をいれるガウリイをあたしは黙殺した。ここはシリアスなシーンなのだ。
「では、他の泊り客たちに|眠り《スリーピング》≠フ魔法をかけたのも?」
男は、ほう、といった顔をする。
「わかりましたか」
なめてもらっては困る。
「これだけドタバタやっても他に誰も出てこないっていうことは、そういうことなんでしょ」
「無関係の人間に大勢出てこられて騒がれるのは面倒ですからね」
「ならあなたは、この件に何の関わりがあると?」
僧侶はパチンと指を鳴らす。それを合図にトロル達とおっさんは、まるで術者に操られる死人《ゾンビ》の群れのように、ゾロゾロと出口のほうにむかって行進をはじめる。
「――見たところあの連中、ゼルガディスの手のもののようですが……」
「あいつを知っているの?」
「知っていますとも」
僧侶はうなずいた。
「あなたの持っているあるものをつかって、魔王《ダークロード》シャブラニグドゥを復活させようとしている男――私の敵です」
さあ、とんでもないことになってきた。
「――何だ? その、しゃ、しゃら……何とかっていうのは……」
ガウリイが言う。
「後で説明したげる」
と、冷めたくあたし。
「本当なの? それは」
「まず間違いありません。ゼルガディスは人と石人形《ゴーレム》、邪妖精《ブロウ・デーモン》の合成物として生を受けた存在です。魔王を復活させることによってより強大な力を手に入れ、世界を混沌の渦に陥れようとしているのです」
「何でそんなバカなことを……」
僧侶は首を横に振った。
「そこまでは……けれど確かなのは、彼は、あなたたちと私の共通の敵である、ということです」
「共通の敵――とかいきなり言われても……そもそもなんであなたは、あいつを敵に回したの?」
「私も僧侶のはしくれ。魔王を復活させるなどという野望、見過ごすわけにはいきませんからね」
「――ふむ――」
あたしは腕を組んだ、ガウリイはすることもなく、ただぼーっとつっ立っている。
「つまり、あたしたちに、『一緒に戦え』と?――」
「いえいえ、とんでもない」
僧侶は慌てて首を振った。
「察するにあなたがたは、そうとは知らずに魔王を解き放つ鍵≠偶然手に入れ、その結果彼らを敵に回すことになった――そんなところでしょう」
「まあ、ね」
「私が鍵≠あずかりましょう。それであなたたちも、つまらぬごたごたに巻き込まれなくなります」
「――それよりも、その鍵≠ニやらを壊してしまったほうが……」
「いけません! そんなこと!」
僧侶が慌てる。
「それこそが魔王を復活させる手段なのですよ」
「――けど、もしもこれをあなたに渡せば、あなたはたった一人でやつらと戦うことになるわ」
「ご心配なく。確かに彼らは手強い相手ですが、この赤法師、決して奴らごときにひけを取るつもりはありません」
……赤法師?
「――ひょっとしてあなた、赤法師レゾ!」
あたしはようやく、この僧侶の正体に気がついた。
「――そんなふうに呼ばれることもありますね」
彼は苦笑した。
赤法師レゾ――常に赤い法衣に身を包み、白魔術都市《セイルーン》の大神宮と同等の霊力を持ちながら、どこの国にも属さず、諸国を回り歩き、人々に救済の手を差し伸べている、というのが世間一般での通説である。
僧侶の必須である白魔術はもとより、精霊魔術、黒魔術にも通じており、現代の五大賢者の一人として数えられている。
彼の欠点は二つだけ。生まれつき、その両の目が見えないということ。そしてもう一つ。名前がまるで悪役みたいだということ。
彼の名は、五歳の子供でも知っている。
後ろからマントが引っ張られる。ガウリイだ。
「……有名人なのか?」
……この男はーっ……
「後で説明したげるっ!」
気を取り直して法師との話を続ける。
「――では、あたしたちも一緒に奴らと戦います」
「……え……」
「そうと聞いて、はい、そうですか、あとはよろしく≠ネどというわけにもいきませんし」
「――お心|遣《づか》いは感謝しますが……」
「いえ、貴方の力を信じないわけではないのですが、万が一にでも魔王が復活しようものなら、それこそ人ごとではなくなってしまいます。力不足は重々承知のうえではございますが、少しでも法師様のお役に立ちたいのです」
法師は困ったような顔をした。
「……しかし……」
「ご心配には及びません。この私にも少しは魔道の心得がございますし、このガウリイとてかなりの剣士。決して法師様の足手まといになるような真似はいたしません」
法師は大きく息をついた。
「――わかりました。そこまで言われてはしかたがありません」
「――では!」
「共に戦いましょう」
「はいっ!」
ガウリイがまたもや後ろからマントをちょいちょい、と引っ張る。
無視!
「――では、鍵≠ヘこちらのほうでお預かりしましょう」
法師が言う。あたしは静かに首を横に振った。
赤法師はけげんそうな顔をする。
「やつらはあなたと私達が手を結んだことを知りません。そこであたしたちが囮《おとり》になり、法師様には陰からの援護をお願いしたいのです」
「しかし……それではあなたたちが危険です。囮になら私が……」
「いえ、あなたが鍵≠もっていれば、私達の間に何らかの接触があったものと、奴らは気がつきます。そうなればまた、それなりの作戦を立ててくることでしょうし、それでは囮の意味がなくなります」
「そうではありますが――」
「法師様、どうかこのリナをお信じください」
――とまで言われて、『いや、しかし――』と言う人間はまずいない。――ガウリイあたりなら言いそうな気もするが。
「――わかりました。それでは鍵≠ヘあなたに預けておきます」
言うと、法師はあたしの部屋のほうに歩いていく。
一体何を――
懐から小さな玉のようなものを取り出し、部屋のなかにほうり込んで扉を閉める。
法師の口から低い呪文の詠唱が漏れる。
復活《リセレクション》≠ノ似てはいるが、少し違うようである。
しばらくして、呪文は唐突に終った。何かがどうにかなったようには思えなかったが。
「さて、それでは私は自分の部屋に戻りますから。明日から打ち合わせのとおり、私はあなたたちを陰からお手伝いいたしますので。それでは、おやすみなさい」
言うと、そのまますたすたと歩み去っていく。
「……何ともなっちゃあいないぜ、部屋の中は」
部屋を覗き込み、ガウリイが言う。
「一体何をやったっていうんだ、あのおっさんは……」
「どれどれ?」
あたしも部屋を覗き込み――
げっ!
絶句した。
確かにガウリイの言う通り、部屋は何ともなっていなかった。すこし乱れたベッド、白い安物のカーテン。
何一つ変わってはいなかった。あたしがファイア・ボールを投げ込む前と[#「あたしがファイア・ボールを投げ込む前と」に傍点]。
部屋のなかが黒コゲのままなら、明日、いやでも宿のおやじさんにとやかく言われることになる。どうしようかと悩んではいたのだが……しかし、どうやったらこんな真似ができるのか、赤法師レゾは、焼けただれた部屋の再生をやってのけたのだ。
「……とんでもない奴ね……」
「え? 何が飛んでもないんだ?」
「いーの、明日ゆっくり話してあげる。とりあえず今日はもう眠るわよ。睡眠不足は美容と健康の敵なんだから」
言うとあたしは自分の部屋の扉を閉め、ガウリイの部屋に入り込み、すみっこのほうでゴロンと横になる。
「……おーい、嬢ちゃーん」
ガウリイが声をかけてくる。
「ここはオレの部屋だぜーい」
「知ってるわよ」
「…………」
「あたしの部屋に戻ったら、また夜襲をかけられるかもしれないでしょ」
「けど、この部屋にいたって……」
「一人より二人のほうが心強いでしょ」
「――わかった。ならベッドで眠れよ。オレが床で眠るから」
「そんなことできないわよ。あたしの方が押しかけたんだから」
「――はいはい」
説得はムダと知ってか、ガウリイは部屋の反対側のゆかにゴロン、と横になる。
「……何でベッドで寝ないの?」
こんどはあたしが尋ねた。
「ぼか。女の子を床で寝かせといて、男のほうがベッドでぬくぬく眠れるもんか」
あたしは苦笑した。
「お好きにどうぞ。――おやすみなさい。ガウリイ」
「おやすみ、お嬢ちゃん」
――この、あたしを子供扱いするのさえなければ、ほんっといい人なんだけどなあ……
「あなたほんっとうに魔王《ダークロード》シャブラニグドゥ≠知らないの?」
木もれ陽のなかを走る街道を、肩を並べて歩きながらあたしは言った。
――数日前から同じような森の中ばかりを歩いている。いいかげん、この木ばかりしか見えない風景にも飽きてきたが、まあしかたあるまい。この街道はケレサス大森林を突っ切ってアトラス・シティヘと通じるルートなのだ。よって当然、アトラス・シティまではこれと似たような風景が連なっているわけである。
「んー……」
ガウリイはしばし考え込む。
「やっぱ知らない」
シャブラニグドゥの伝説は割と有名で、魔道士ならずともだいたいの人間は知っているはずだが……
あたしはためいきをついた。
「――わかったわ。一から話したげる。まあ、むかしばなし≠ナも聞くようなつもりで聞いてて」
「ほいほい」
ためいきをもう一つ。……話しても解るんだろーか、この男に。
「――この世のなかには、あたしたちが住んでるこの世界とは別に、いくつもの世界が存在しているのよ。そのすべての世界は、遠い遠い昔、何者かの手によって混沌の海≠ノ突き立てられた、無数の杖≠フ上にあるのよ。それぞれの世界は丸く、平らで――そうね、地面に突っ立った棒の上にのっかっているパイか何か、そんなところを想像してもらったらいいわ。そんな世界の一つが、あたしたちが今住んでいる、ここよ」
と、地面を指さしてやる。
――この説は魔道士仲間での通説となっているが、あたしはこれに異を唱えたい。しかしいまここでそのことを言ってもガウリイを混乱させるだけなので、やめにしておく。
「そのそれぞれの世界をめぐって、はるかな昔から戦い続けている二つの存在があるの。
一つは神々≠烽、一つは魔族=B
神々≠ヘ世界を守ろうとするもの。魔族≠ヘ世界を滅ぼし、それを支えている杖≠手に入れようとするものたち。
ある世界では神々≠ェ勝利をおさめ、平和な世界が築かれ、ある世界では魔族≠ェ勝利をおさめ、その世界は滅び去った。そしてまたある世界では、戦いは今もなお続いている。
――あたしたちの住んでいるこの地では、|赤眼の魔王《ルビーアイ》<Vャブラニグドゥと|赤の竜神《フレアドラゴン》<Xィーフィードとが覇権をめぐって争っていたの。戦いは幾百、幾千年にも及び、そしてついに、竜神は魔王の体を七つに断ち切り、それをこの世界のいたるところに封じ込めたのよ」
「――神様が勝った、ってわけだ」
あたしは首を振った。
「封じ込めただけよ。滅ぼしたわけじゃないわ」
「……けど、体を七つに引き裂かれたんだろ?」
「それくらいで死ぬようじゃあ魔王とは言えないわよ。……一応魔王を封じ込めはしたものの、さしもの竜神も力つき、混沌の海≠ヨと沈んでいったのよ」
「無責任な……」
「ご心配なく。万が一の魔王の復活を恐れ、竜神は力尽きる寸前に、地竜王、天竜王、火竜王、水竜王の四体の分身を作り上げ、それぞれにこの世界の東西南北を任せたのよ。それが今から、およそ五千年まえのことだと言われているわ。
――そして、いまから千年前。竜神の恐れていたことが現実のものとなったわ。
七つに分かたれた魔王シャブラニグドゥの一つが復活したのよ、魔王は一人の人間にとりついてその肉体と精神を乗っ取り、自らを蘇らせたの。
魔王は北を治める水竜王に周到な罠を張って戦いをしかけ、やっとのことで水竜王を滅ぼしたんだけど、自分自身も体を大地に繋ぎ止められ、身動きが取れなくなってしまったのよ」
「……不毛な戦いじゃ……」
「二人の力が肉薄してた、ってことよ。
――とにかくそんなわけで、それまで平和を保っていたこの世界のバランスが崩れ、世の中に、俗に言う闇の獣たち≠ェ姿を現わした、と、こういうわけよ」
「ふうーん……」
ガウリイはすなおに感心した。
――ま、この世界観が正しいかどうかは別としても、遥《はる》かな昔、この地にシャブラニグドゥの名と、魔王″の称号を冠するに恥じないだけの強大な力とを持った何か≠ェ存在していたことだけは確かなようである。
そして、はるか北の地に、別の――あるいはそれと同質の何か≠ェあることは。
「――ということは、あの、ゼ……なんとかいう白ずくめのやろうとしている事っていうのは、七つに切り裂かれた魔王の、二つめ≠復活させることなわけだ」
「そういうことになるわね。――赤法師レゾの言っていることに間違いがなければ、の話だけど」
「――そう言えば――」
ガウリイが声を低めて言う。お得意のあたしにようやく聞こえるか聞こえないか≠ニいうやつである。
「敬語こそ使ってたものの、お前さん、レゾの旦《だん》那《な》のこと、あんまり信用してなかったみてえだな」
鋭いことを言う。
「へええ。見るところはちゃんと見てるのね……」
と、あたしも小声で。
「彼が本物のレゾだっていう保証はどこにもないわ。ほとんど伝説に近い人物だし、実物をここ十年ほどの間に見たっていう人はいないし」
「レゾの名をかたってオレ達に近づこうとしている、奴ら≠フ仲間かもしれない、ってわけだ」
「そういうこと」
「しかし、そう考えると、よくオレのことを信用したな」
「信用してないかもしれないわよ」
いたずらっぼくあたしは言う。
「……こいつぁ手きびしいな……」
「冗談よ。こう見えても、人を見る目はあるつもりですからね」
「ありがとよ、嬢ちゃん」
言うとガウリイは、いい子いい子、とばかりにあたしの頭をなぜなぜしてくれる。
――ほら、またぁ!
「子供扱いしないでってばぁ!」
とは言うものの、子供扱いされるのに慣れてしまったのか、もうあまり腹も立たない。
「お前、そう言うけど、一体歳はいくつなんだ?」
「二十五」
「!」
ガウリイが硬直する。
「――冗談よ。でも実際、もう十五なんだから」
「……あー、びっくりした。……そーだろ、そーでなくっちゃ。……まだ十五。――やっぱり十分子供じゃないか」
「もう十五っ! 大人……だとは言わないけれど、もう子供じゃないわ」
「難しい年ごろだな」
「わけのわからんことを……そうそう、これを言うのを忘れるところだった」
と、あたしは、いつの間にやら普通のトーンに戻った声を再び低くして、
「ここ数日、あたしは魔法がほとんど使えなくなるわ。その間は、あくまであなたを中心にした戦い方をしていくわ」
「魔法が――使えない?」
かなり驚いたようではあったが、さすがにそれで大声を出したりはしない。
あたしはこっくりとうなずいた。
「フム……」
ガウリイは、考え込むかのように言った。
「……あの日か……」
「ちょっ、ちょっと、ガウリイ!」
あたしは真っ赤になった。
「ん?」
どーかしたのか?≠ニいったふうに、平然と彼があたしの方に目をやる。
逆にあたしの方が、思わず目をそらせてしまう。
「な……なんで知ってんのよ。あの日≠ニか何とか……」
女のからだが子供を産むことができるように造られている以上、月に一度、ちょっと苦しまなければならない時というのがやって来る。それに前後する二、三日の間、女の魔道士、巫女、僧侶などはその霊力がいちじるしく減退し、人によっては完全に霊力が消え去ってしまうことがある。
それの間だけ処女性を失い、普通の女になってしまうからだ、というのが世間一般での解釈だが、そんなわけはない。ただ単に、精神統一の問題なのだろうとあたしは思っている。
あたしも昨日辺りから、どうも魔力が減退してきているので、もしやそろそろ――と思っていたのだが、案の定――
いや、そんなことはどうでもよろしい。
問題は、なぜ、オーガの体力とスライムの知力を兼ね備えたガウリイが(我ながら的確な表現だと思ふ)、『魔法が使えない=あの日』などという公式を知っていたか、ということである。
「……別にたいしたことじゃねーよ」
ガウリイが言う。
「ガキの頃――五才くらいの時だったかな、近所に占いをやってるオバサンが住んでいてね、月に何日か、必ず店を閉めるんだ。『なんでだ』って聞いたら、笑いながら『あの日だからよ』って。――で、『ああ、あの日、っていうのは、魔法の使えない日のことなんだな』って思ったんだけど……『あの日』っていうのは、どうやら他にも意味があるみたいだな。教えて、リナちゃん。ボクわかんなーい」
「……あのなあ……」
明らかにあたしをからかって喜んでいる。
……この男はーっ!
「――とまあ、冗談はこれくらいにしといて、だな……」
唐突にガウリイは立ち止まり、真顔に戻った。
「ちとシリアスをやらなくちゃならないみたいだぜ、お嬢ちゃん」
あたしも足を止める。
向かって右側に生い茂る森の木々。左側はちょっとした広場のようになっている。
まっすぐ伸びる街道の真ん中に、一人の男が立っていた。あたしたちの行く手を遮って。コートのような服を着た、二十歳前後の、かなりのハンサムである。
――が。
その肌は蒼黒い岩のようななにかでできており、頭に頂く銀色の髪は、おそらく無数の金属の糸。
そして手にしたブロード・ソード。
あたしには判った。
彼が一体誰なのか。
「ほう……」
ガウリイが言う。
「とうとうしびれを切らせ、御大自らご出馬か、え? ゼガルディスさんよ」
おい。
「それを言うならゼルディガスでしょ」
ガウリイの間違いをあたしが正す。
「|ゼルガディス《ヽヽヽヽヽヽ》だ」
本人が再度訂正する。
「…………」
「…………」
ああっ! 空気が白いっ!
せっかくのシリアスな空気がっ!
なんとかフォローしなければっ!
「……ゼルガディスって言ったもん! あたしは!」
「オ、オレだって……」
ガウリイも負けじと言う。
「……おれの名前などどうでもいい」
うんざりしながらご当人が言う。
「それよりも、|例のものを《ヽヽヽヽヽ》渡してもらいたいのだが。もしどうあってもいやだと言うのでぁれば、それはそれで仕方がない。おれがこの手で直接に奪い取ってやるが。――さあ、どちらがいいか選びなさい、ソフィアさん」
あたしとガウリイは、しばし顔を見合わせ――
「――ああ」
二人同時に、ボン、と手を打つ。
誰のことかと思ったら、なんのことはない。この男、あたしがゾルフとかいうあのミイラ男に言ったでまかせの名前を、本名だと信じているのだ。
「あたしは|リナ《ヽヽ》≠諱v
あたしは言った。
「……は?……」
ゼルガディスが、容姿に不似合いな間の抜けた声を出す。
「リ、ナ。ゾルフとかって人に言ったのは、でまかせの名前よ」
「…………」
どうリアクションしてよいかわからず、ゼルガディスは立ち尽くす。
とりあえず、相手の気勢を殺ぐ作戦は成功である。
――作戦と言うより、半分以上が地≠ナある、という説もあるかもしれないが、それは禁句である。
さて、このスキに……
「名前なんぞどうでもいいのさ」
声は別の所からした。
後ろだ。
あたしは声の方に目をやった。
いたのは一人の獣人《ワーウルフ》だった。
正確に言うならば、トロルと狼の血が半分ずつ、といったところか。したがって人狼《ワーウルフ》≠ニは言えないが、とりあえず適した呼び方がないので、安易に『獣人』と呼ばせてもらうことにする。
顔はほとんど狼、体型は人間で、ナンセンスに|レザー・アーマー《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》なんぞを着込み(笑)、大振りの円月刀《シミター》を肩にかついでいる。
「要はこの女から神像をいただけば、それで終りだろ、ゼルの親分よ」
「ディルギアっ!」
ゼルガディスの叱責が飛ぶ。
獣人は一瞬、ポカンとした顔をする。
「……そういや、こいつらにはまだ、モノが何か言ってなかった――ってことだったな。――まあしかし、どちらにしても同じ事だろうが。こいつらはここで死ぬんだし」
「勝手なことを言ってくれるわね」
あたしはずいっ、と一歩前に出る。
「あなたがどれほどのものか知らないけど、はっきし言って敵じゃあないわね」
「ほほぅ……」
獣人はすぅっと目を細める。
「大きいことを言うお嬢ちゃんだな
ではその力、見せてもらおうか!」
「いいわよ。――けど二対二じゃああっさり勝負が着いて面白くないわ。こっちは一人で充分よ。――さあ行って、ガウリイ!」
「どぇええええ!?」
おおげさな声を上げてあたしを見る。
「ちょっとちょっと嬢ちゃん……」
「何よ?」
「おっと、お二人さん、何ももめることはないぜ」
別の声がした。聞いたことのある声だ。
「おれもいるぜ」
やっぱり。
ゼルガディスの横手から出てきたのは、昨夜武装したトロルたちをつれてあたしたちを襲った、あのおっさんである。今日は屋外とあって、槍斧《ハウルバード》などをかついでたりする。おそらくこっちが彼本来の得物なのだろう。
あたしは叫んだ。
「いくらなんでも、三対一とは卑怯な!」
「おいおいおいっ!」
ガウリイはうろたえる。平常心の無い奴だ。――そーいう問題ではないのかもしれないが。
「きのうはわけのわがらん術で不覚を取ったが、今日はそうはいかないぜ」
うーん、真剣に不利じゃ、ここはひとつ、逃げるが勝ちを決め込むとするか。
が。
「どうでもいいさ、いくぜっ!」
ゼルガディスが動いた。前に突き出した右の手のひらから十本近い数の|炎の矢《フレア・アロー》≠ェ生まれる。
「ちっ!」
あたしとガウリイはすばやくその場を飛び退いた。
|炎の矢《フレア・アロー》≠ヘ二人の間の地面に突き刺さり、炸裂する。もうもうたる土煙が視界を遮る。
まずい。離れ離れになってしまった。
煙の向こうで、金属同士のぶつかりあう高い音が聞こえてくる。どうやらガウリイが敵の誰かと刃を交えているらしい。
「ガウリイ!」
叫んだそのとたん。
白刃がきらめいた。
「とっ!」
あわてて飛び退る。
あたしは腰の剣を抜いた。
「おまえさんの腕……」
徐々に薄れゆく煙の中、ゆっくりとそいつは姿を現わした。
「試させてもらうぜ!」
「――ゼルガディス!」
「はあっ!」
ゼルガディスが切りかかる。すかさずそれを剣で受ける。
ギィン!
重いっ!
あやうく剣を取り落しそうになる。
こいつ、かなりの使い手だ。一撃一撃に十分なパワーとスピードが乗っている。これをいちいちまともに受けていたら腕が保たない。
くやしいが、今のあたしの勝てる相手ではない。
あたしは逃げを打った。
身を翻《ひるがえ》し、森のなかに駆け込む。
彼らが狙っているのはあたしの方である。ゼルガディスは必ずついてくるはずだ。森の中で奴をまき、戦闘に復帰、ガウリイの援護をする。
そのつもりだった。
が、あたしはまだゼルガディスのことを甘く見ていたのだ。
あたしの後を追い、ゼルガディスが森の中に入ってくる。――と、そこまでは予定通りだった。が――
瞬時にして追いつかれていた。
次の瞬間、奴のひざ蹴りがあたしのみぞおちに食い込んだ。
カウンターを取るつもりで振り回した剣が空しく宙を切る。
背中から木に叩きつけられる。
一瞬、呼吸が止まる。
「……女の子は――コホッ、……もっとやさしく扱ってあげなきゃあ……」
さすがにダウンはしなかったけど、今のはかなりこたえた。
「手荒く扱うつもりは全然なかったんだがな、|あれ《ヽヽ》さえ渡してもらえれば」
じりじりと後退する。それをゼルガディスは目だけで追う。
一気に走り出す。ゼルガディスがその後を追う。
今だっ!
「光よ!」
光明《ライティング》≠奴にむかって飛ばす。ゼルガディスはまともにその中に突っ込んだ。
「ぐあっ!」
むろんこれで倒すことなどできはしないが、目くらましには十分である。
今のあたしはこれくらいの魔法なら使えるが、火炎球《ファイアー・ボール》≠ュらいになってくると煙も立たない。
そのまま逃げた。反撃はしない。あたしの剣が奴の岩の皮膚に通じるかどうか、はなはだ疑問だったからである。
唐突に森が切れ、小さな湖が広がった。
ここでは身を隠すこともできない、
森のなかに戻ろうと振り向く。
――目前に、ゼルガディスが迫っている。
しかたがない。
あたしは湖のほとりを疾走する。
「逃がすか!」
ゼルガディスが何かを投げたようだった。
振り向きもせずに、左に動いてそれをかわす。が――
体が動かない?
見ると、さきほどゼルガディスの投げた小さな金属片が、地に落ちたあたしの影に突き刺さっている。
影縛り≠ゥ!
精神世界面から相手の動きを束縛する、小技ではあるが技術を要する術である。
「なんのっ!」
光明《ライティング》≠唱え、影のあるほうに光球を打ち出す。
影が消え、同時にあたしの体も自由を取り戻す。
しかし、時すでに遅し!
振り向いたその目の前にゼルガディスがいた。そして――
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三、大ピンチ! 捕まっちった(情けなや……)
気がつくと、知らないところにいた。
今は使われていない、古い教会か何かの一室のようだった。
窓の小さなステンドグラスも今は破れ、もはやそれが神話のどの部分を再現したものであったかは知る由もない。
薄汚れた壁に、まるで取り残されたかのように古えの聖人像がかかっていた。
ひだりあたまがズキズキする。
どうやら殺されはしなかったようだ。
これもすべて、あたしの日頃の行ないの賜物《たまもの》だろう。
――などと言っている場合ではない。
あたしは両手を縛られ、天井から吊されているのだ。
目の前にゼルガディスがいる。
ミイラ男のゾルフもいる。
ディルギアとか言う獣人《ワーウルフ》と、もう一人、はじめて見る顔があった。
半魚人である。
半魚人といっても、ラーゴン種やギルマン種のような生易しいタイプではない。あれは人間の体にウロコが生えているようなものだが、目の前の奴は、どちらかと言うと魚に手足が生えたようなシロモノである。
やたら平べったい体。おなじく平べったくデカい頭の両側についているこれまたデカい二つの魚眼。ぬらぬらと光るウロコに覆われた体。小さくうつろに開いた口。
魚そのものの顔だった。
絶対に、心臓の悪い人間に、いきなりアップで見せてはいけないよーな奴である。
あの武人タイプのおっちゃんだけ、姿が見当たらない。
「口ほどでもなかったな、お嬢さん」
開口一番、ゼルガディスが言う。
――ほっといてくれ。
「ゾルフに感謝しろ。こいつがお前を生かしたままで連れてきてくれ、と言うから、殺さずに連れてきてやったのさ」
「や、そりゃどーも」
あたしはへらへらと笑って見せた。
「ほう……余裕があるじゃないか」
と、ゾルフ。
「ところで――あたしの連れはどうしたのかな?」
「あの男か……あいつならお前さんをおっ放り出して、どこかへとんずらこいちまったよ。――フラれたな、嬢ちゃん」
と、今度はディルギア。
「そう――それはご愁傷様《しゅうしょうさま》」
と、あたしが言う。
「全くだ……」
ゼルガディスが溜息をつく。
「お前さんがあれを、男のほうに渡しているとは思わなかったよ……とすると、お前さんを生かしておいたのは正解だったな。あの男が助けに来るかもしれんからな」
「おいおい、どういうことだ?」
ディルギアが言う。
「この女、神像≠持ってはいない」
「なにーっ!」
あたしとゼルガディスを除く全員が合唱する。
「きちんと調べたのか?」
ディルギアの言葉に、ゼルガディスはいささかムツとしながら、
「これでどこかにあの神像をかくしているように見えるか?」
――と、妙な勘違いしてもらっては困るが、別にすっ裸で吊り下げられたりしているわけではない。いつもの服装から、マントと剣を取り上げられただけの姿である。しかしそれほど大きなものではないとはいえ、あの神像を服の下のどこかに隠しているなら、一目でそうと分かるはずである。
ディルギアは周りを歩きながら、じろじろとあたしの体を見つめる。
「ふむ……確かに……いや待てよ、こいつぁ女だ。体の中に隠すってぇことも……
いや無理か。あんなもん突っ込んだら、いくらなんでも|あそこ《ヽヽヽ》が裂けちまわぁ」
下品な冗談を言って、一人でバカ笑いをする。あたしは思わず顔を赤らめた。
「――しかし、あの男が持っているはずのオリハルコンが探知できなくなった。――これはどういう事だ?」
ゼルガディスが言う。
「彼に渡した時点ではどれがそれ≠ネのか分からなかったんだけど、とりあえず|らしい《ヽヽヽ》ものみんなに、プロテクト≠掛けておいたのよ」
「――プロテクト?」
「そう。探索≠ェ効かないようにね。神像にはアストラル・サイドからの探知ができないようなやつを」
「お前……そんなマネもできるのか」
ゼルガディスが感心したような声を出す。
「まあね」
じまあぁぁぁぁぁぁぁん!
「そのわりに、おれと戦ったときはセコい魔法しか使わなかったじゃないか」
「あなたも、ちっとも実力を出していなかったじゃない」
「ほう、わかるか」
「そりゃあ、ね」
「……頭は悪くないようだな……しかし使う魔法がセコいっていうのは……」
しばし考え込み、ややあって、ボン、と手を打つ。
「そうか、|あの日《ヽヽヽ》か」
「ほっとけっ!」
あたしはまたまた赤くなる。
「とにかく、あの男がやって来るまではお前に生きていてもらわなければならん。ゾルフ、この娘をどうするつもりなのかは知らんが、殺すんじゃないぞ」
不吉なことを言う。
「わかっております」
ゾルフが意味深なふくみ笑いを漏らす。
ううっ、やだなぁ。
「――さて、お嬢ちゃん」
あたしの方に向き直り、みょーな声で言う。
「あんたにはいろいろと世話になったからねぇ……ぜひともお礼がしたいんだが……さてさて、どんな目にあわせてほしい?」
――いかん、こいつアブナい性格だ。
こーいう奴を見ると……
「ゾルフ……さん」
「何だね?」
余裕シャクシャクの表情で言う。
「一つだけ……言っておきたいんですけど……」
「かんべんしてくれ、などというのは聞けんよ」
「そうじゃなくて……」
「ん、なんだ、言ってみるがいい」
あたしは真っ向からゾルフを見つめ、きっぱりと言った。
「三流《ヽヽ》」
――大爆笑。
いやー、ウケたウケた。まさかこれほどウケるとは思っていなかったが。
ゾルフ以外の連中は大笑いしている。あのゼルガディスも、向こうを向いてうずくまり、肩を震わせている。
こーいう性格なのだ、あたしは。
が。
あたしは笑えなかった。
てっきり怒ってわめきたてるとばかり思っていたゾルフが、表情一つ変えずに、じっとあたしを見つめているのだ。
こ、こええ。
ひとしきり笑いがおさまると、ゾルフが口を開いた。
「……ディルギア……」
傍らの獣人《ワーウルフ》に声をかける。抑揚のない、静かな声で。
「ん、何だ?」
ディルギアが応じる。
「――|この娘を犯せ《ヽヽヽヽヽヽ》」
「でぇぇぇぇえ!?」[#「「でぇぇぇぇえ!?」」は太字]
声の主に視線が集まった。
あたしに、ではない。
|ディルギア《ヽヽヽヽヽ》にである。
ゾルフの言葉にあたしが声を上げるより早く悲鳴を上げたのは、獣人《ワーウルフ》の方だった。
「……冗談だろ?……」
絞り出すような声で言う。
「……え……いや、本気で言ったんだが……?」
と、ゾルフ。
「おいおいおい。あんまり無茶を言わんでくれよ。――まあ、相手が、グラマーなゴブリンとか、小柄なサイクロプスとか言うんだったらまだしも……お前、何が悲しゅーて人間の女なんかを抱かにゃーならんっつーのだ?……第一こんなのが相手じゃあ、立つものも立たねえぜ」
……おいっ。
「美的感覚の違いって奴だな」
ゼルガディスが言う。
「ディルギアにとって、人間などは性欲の対象にならんわけだ」
なるほど。
人間の男が、メスのゴブリンを見てもムラムラッと来たりはしないのと同じ理屈である。――むろん中には、そういうシュミの男もいるかもしれないが……
――しかし、これではまるであたしの魅力がゴブリンやサイクロプス以下みたいに聞こえるじゃないかっ!
一瞬、抗議してやろうかとも思ったが、『そう言うのなら……』などと気を変えられでもしたらひじょーに困るので、とりあえず黙っておくことにした。――おぼえてろ。
「えーい、ならヌンサ!」
ゾルフが今度は半魚人に言う。あのとことん気色の悪い奴である。
「お前が犯せ!」
「オカ……ス?」
のったりした声で言う。
「そうだ!」
「それはつまり……この女と、生殖行為をやれ……と、こういうことか?」
「――まあ……そういうことだ……」
こいつもあんまり期待できんな、というのがゾルフの表情にありありと出ている。
が――
「まあ……いいだろう……」
「ちょっと!」
こんどこそ本当にあたしは悲鳴を上げた。
冗談じゃないっ!
このサカナ男と握手するくらいなら、そこいらへんの通行人に見境なくキスして回ったほうがはるかにましである。それを――それを――
そいつにすけべーこまされるなんてっ!
それこそ死んだほうがマシだ!
「そーか! やるか! そーこなくっちゃあなっ! そうだ、それでこそ男だ!」
ゾルフが一人で盛り上がっている。
ヌンサがゆっくりと近づいてくる。
ぺちゃり、ぺちゃりという、濡れた布を引きずるような足音で。
「やめろーっ! 近づくなっ、ばかっ! くるなーっ!」
「……おまえはしあわせだ……」
ヌンサが言う。
「人間でありながら、われらの群落《むれ》でいちばんハンサムなこのわたしと子を成すことができるのだからな……」
「誰がハンサムだ、誰が! 来るなっ! わーっ! 泣くぞ! おいっ!」
「泣け! わめけ! 恐怖にうち震えるがいい! 我等に逆らったことの愚かしさを、その身をもって知るがいい!」
盛り上がるゾルフ。怯えるあたし。
ぺたり……
ヌンサが足を止めた。
あたしの目の前で。
「さあ……」
のったりとした声で言う。
あたしはもはや恐怖で声も出ない。
「さあ、卵を産め」
…………
……しーん
沈黙。
誰一人として、ヌンサの言葉の意味を理解できなかった。
目が点になっている。
「どうした、さあ」
ヌンサが言う。
「……おい……」
横からディルギアが口を出す。
「なあヌンサ、何だ、その『タマゴ』ってぇのは?」
ヌンサが獣人《ワーウルフ》を見る。意外そのもの、といった顔をしている――つもりなのだろう。当人は。
「……卵がないと、生殖できないじゃないか……」
わけのわからんことを、さも当然のように言う。
「――そうか」
ゼルガディスがボン、と手を打った。
「生殖の方法が違うんだ」
「……は?……」
ゾルフが不審そうな顔をする。
――あっ、そーか。
「おい、ヌンサ、お前達が子供を作るときは、どういうふうにするんだ?」
ゼルガディスが問う。
「……女が卵を産む。……それに男が精子をかける……それをしめったところに置いておけば、五十日くらいで子供が生まれる……」
やっぱり。
生殖方法まで、人間よりも魚に近い。
「……おまえなぁ……」
ゾルフがくってかかる。
「なんでそれを早く言わないんだよっ!」
「……知らなかった。オレたちとおまえたちの子の成し方が違うとは……」
「あのなぁ……」
「待てよ、ゾルフ」
ディルギアが言う。
「他人をどうこう言うより、おまえかロディマスかがやればいいじゃねえか。同じ人間同士なんだしよ」
「ロディマスの奴は騎士くずれだ。いまどき流行らない騎士道精神とやらにこりかたまっちまってて、『女子供をいたぶるのは好かん』とか言って、この場にも顔を見せなかったんだ。――頭を下げて頼んだってやってくれるわけがない」
どうやらロディマス≠ニいうのは、あの中年剣士のことらしい。
「一方このわしはこいつのおかげでこのケガだ。|ナニ《ヽヽ》なんぞをしようものなら、こっちの方がダメージを受けるわ」
「じゃああきらめるこった」
「いやいや、まだ……」
と、視線をゼルガディスの方に移す。
「――おいおい、ちょっと待て」
彼は慌てた。
「おれはいやだぞ。ぴーぴー泣きわめく女を抱くなんて、趣味じゃないからな」
「……そんなぁ……」
ゾルフが泣きそうな声を出す。
ええいつ! めそめそするなっ! 子供じゃあるまいし!
――安心したとたん、強気になるあたしだった。
「――しかたがない」
あ、立ち直った。
「別の手で行こう」
立ち直るんじゃないっ!
「さて、それでは……」
ゾルフはどこからかハンカチほどの大きさの布切れを一枚取り出した。
「ど、どーする気よ!」
あたしの言葉を無視して、ゾルフが後ろにやってくる。
「黙ってないで何とか言ったらモグッ!」
いきなり猿ぐつわを噛まされた。
「さあ……これで何もしゃべれまい」
言いながら、正面に戻ってくる。
「それでは……」
一体何を――
ゾルフはいやな笑いを浮かべながら口を開き、はっきりと言った。
「……ちび」
「んっ!……(なっ!……)」
「ぶす」
「んむぅ!(てめーっ!)」
[子供《ガキ》」
「ぺちゃぱい」
「じゃじゃうま」
「自信過剰」
「どんぐりめだま」
「みーはー」
ゾルフの悪口は延々と続いた。
くそーっ! 腹の立つーっ!
口さえきければ、悪口合戦で決してひけを取ったりはしないのだが。
なによなによっ! 自分だって十分に足は短いし、おまけにガニマタじゃないのっ! 性格は悪いし第一、スマートじゃないわよ! どーせこの分だと、ホータイの下の素顔も程度が知れてるってもんよ。それを……それを……ぜーんぶタナに上げて、ひとの性格がどうの、プロポーションがこうのと……
言えた義理じゃあないでしょうがっ!
「……だいぶこたえてるようだな」
ゼルガディスが言う。
かなりうんざりした口調である。
「しかし……ガキの喧嘩じゃあるまいし……せめてもう少し、何て言うか……」
「三流よばわりしてくれたお返しですよ!」
ゾルフはかなり頭に血を上らせていた。
あたしはそれ以上に逆上している。
「××! ××××! ×××××××!」
あたしは、面と向かって言えば殺されたって文句も言えないような悪口雑言をまくしたてる。しかしそれもさるぐつわのせいで「ふぬふぬ!」としか聞こえない。
「どーだ、くやしーか! ヘヘーん! だ! くやしかったら何か言い返してみろ! うりうりうり!」
こ……こいつはーっ!
「……んんー!……ううなん!(てめー!、ゆるさん!)」
いつかきっと、言い返してやる!
やがて闇が落ちた。
小さな明かり取りの窓から差し込む淡いオレンジ色の光が、向い側の壁に掛けられた古えの聖人像を照らし出す。
時が移る。
光は徐々にその力を失い、やがて蒼い闇が、世界と、あたしのいるこの部屋とを支配する。
奴等はあのあと、それ以上あたしをどうこうするふうもなく、全員が部屋から出ていった。
あたしだけがここにいる。
むろんランプも何もなく、光源といえば唯一、窓から漏れる星明りのみである。
手首がひどく痛んだ。
天井から吊り下げられたままで熟睡する、などという器用なことはできないが、それでも昼間の疲れなどもたたって、あたしはうつらうつらとしはじめていた。
どれくらいたったか――
扉が音も立てずに開いた。
瞬時にしてあたしは覚醒する。
誰かが部屋に入ってくる。
「――静かにしてろ――」
囁《ささや》くような声の主はゼルガディスだった。
――しかしなんで『静かに」しなくちゃならないんだろーか?
暗くてよく分からないが、何かを持っているようだった。
白光が閃く。
「――――!」
ストン、とあたしは床に降りた。
「お前の剣とマントだ」
「……え?」
さるぐつわをはずすとあたしはそれを受け取った。まちがいない。あたしのものである。
「どうして?」
「説明している暇はない。逃げたいのか、逃げたくないのか」
そう言われると、答えは一つしかない。
あたしは黙ってうなずくと、剣とマントを受け取った。
「……ついてこい」
あたしはゼルガディスの後を、足音を忍ばせてついていく。
どう考えてもワナっぽいが、それがどんな形のワナであれ、天井から吊されたままよりはすこしはマシだろう……と思う。
さほどかからずに外に出た。
月の光が皓々《こうこう》と、黒く佇《たたず》む深い森と、古く朽ちた教会の建物とを照らし出す。
その森の中にむかって、一本の細い道が走っている。
「――行くがいい」
ゼルガディスが言う。
「……でも……」
あたしは躊躇した。
あんまり話がウマすぎる。あたしはそーいうのは信じない主義である。ウマい話がよい話であった例など、この世のなかにはほとんど無い。
「……事情が変わったんだ」
すこしイラついたような声で言う。
「なんでもいいから行け!」
「――わかったわ」
ワナならワナだった時のこと!
あたしは道を、森にむかって駆け出した。
そして――
その足が途中で止まる。
森の入口に、赤い闇がわだかまっていた。
後ろでゼルガディスの舌打ちする音がはっきりと聞こえた。
赤法師レゾ――あたしたちにそう名乗った男がそこに立っている。
「――どういうつもりですか、ゼルガディス。その女を逃がすというのは」
レゾが言う。
「たしかにあなたはいままでもあまり素直じゃありませんでしたが……これはれっきとした反逆行為ですよ」
「黙れっ!」
ゼルガディスが叫ぶ。半ばヤケクソのニュアンスを含んで。
明らかにレゾのことを恐れている。
「もうおれはあんたと一緒にやるのはたくさんなんだよ!」
「ほう……そうですか……」
レゾが静かに言う。その表情ははじめて会ったときと全く変わらず、彼が一体何を考えているのか、そこから読み取ることはできなかった。
「『力』を与えてあげた恩を忘れ、あなたを造り出したこの私に逆らおうと、そう言うのですね」
なっ――!
「何が恩≠セ――確かにおれは力が欲しいといったよ。――けどな、誰も合成獣《キメラ》にしてくれなんて頼んだ覚えはないぜ!」
「……それが力を手に入れる一番の近道なんですよ。――まあしかし、理由や経過がどうあれ、結果としてこうなってしまった以上、つけなければなりませんね――決着は、ね……」
「くっ!」
ゼルガディスはあたしにかけよると、いきなり後ろからあたしを抱きしめる。
「な――なっ!」
そのままジリジリと進んで行く。
レゾが鼻先で笑った。
「その娘を盾にでもするつもりですか?
ばかなことを……そんなことをしてこの私をなんとかできるとでも?」
「思っちゃあいないさ! そんなことは!」
半分以上ヤケクソでゼルガディスがわめく。おそらくは内心の恐怖をゴマ化すためだろう。が――
どうでもいいけど、耳元で大声を出さないでほしいなぁ……
「こいつをタテにしたところで、逃げ切ることはできないだろうな。――タテにしてたんじゃあね[#「タテにしてたんじゃあね」に傍点]」
ちと意味深なセリフを吐く。
同時に、フワリ、とあたしの体が宙に浮く。――おいっ! まさかっ!
「うわきゃーっ!」
やっぱし!
あたしはすっ飛んでいた。
あろうことかゼルガディスは、あたしをレゾに向かって投げつけたのである!
さすがのレゾもこれには驚いた。――当り前だが。あわてふためいてその場を退く。
森の木が目の前に迫る。
ひええっ!
慌てて空中で手足をぶん回す。体勢を立て直し――たつもりだったが、まだ不十分だったようである。
べちゃっ。
正面から激突した。
反射的に、木に手足でしがみつく。
|痛ひ《ヽヽ》。
「こあら」
痛みを紛らわせるのに、わけのわからんギャグを一発飛ばす。
「阿呆なこと言ってんじゃない!」
間を置かず、ゼルガディスが後ろから再びあたしを抱き抱える。どうやらぶん投げたあたしの後ろを追うようにして走り、レゾの横を突っ切ったようだ。
同時に、後方にファイアー・ボールをぶちかます。むろんレゾの追撃を避けるためである。
「ムチャクチャしないでよっ!」
「苦情は後で聞く!」
なおも数発のファイアー・ボールを敷き散らしながら、あたしを腕に抱えたまま、ゼルガディスは闇の中を疾走した。
「……なんとか振り切ったようだな」
ゼルガディスがやっと一息ついたのは、そろそろ夜も明けようかという頃になってのことだった。
森の中にある河原だった。
街道からは少し離れているうえに近くに小さな滝があり、少々大きな声で話をしても聞きつけられる心配はまずない。
いやー、全く元気な男である。
あたしを抱えて、一晩中走り回っていたのだ。
その間あたしは、痛む手首と鼻の頭をさすっていただけである。
「……鼻が痛い……」
あたしが言った。
「どうした? 梅毒か?」
平然と言う。
「……あのねぇ……」
あたしはぺたん、と腰を降ろした。石の冷たいのが気持いい。このまま横になり、ぐっすり眠ることができたらどんなにいいだろうか――
きのうは一睡もしていないのだ。さすがに少しこたえていた。
あたしは人よりもやや小柄な分、瞬発力とスピードには自信があるが、その分逆に体力や持久力に関しては、普通の戦士などにくらべてかなり見劣りする。
「――少し眠るとするか。おれもいーかげん疲れたしな」
ゼルガディスが独り言のように言う。
らっき!
「……眠ってる間に逃げようなんて思うなよ」
と、クギを剌す。
「思わないわよ、そんなこと。あたしだってそこそこ疲れてるんだし、魔力もまだすこししか回復してないし……」
「ほう……」
感心したような声で言う。
「と、言うことは、すこしは回復した、ってことだ」
「――まあとにかく、逃げたりはしないわよ。けど、眠るまえに、事情の説明くらいはあってもいいんじゃないの?」
ゼルガディスは苦笑いを浮かべた。
「――そうだな。お前さんももう十分巻き込まれてるしな。知る権利くらいはあるだろう。いいさ、話してやるよ。――さて、どこから話そうか……」
「――まずあの男の事。自分のことを赤法師レゾ、と名乗ったけど――?」
「ほう……やはりもうお前さんたちと接触していたか……」
「――何者なの? あの男は?」
ゼルガディスはヒョイ、と肩をすくめる。
「――名乗った通りの人間――正真正銘、赤法師レゾ≠イ当人さ。――世間様では聖人君子扱いされているようだが、あれがあいつの本当の顔さ。昔はああじゃなかったって話も聞くけど、どうだか……」
「『|あれが《ヽヽヽ》――』って言われても、あたしにはわかんないわよ。あの人、裏でどんなことやってるの?」
「知ってるだろ? |あるもの《ヽヽヽヽ》をさがしてるのさ」
「――じゃあ、魔王シャブラニグドゥを復活させようとしているのは、あなたの方じゃなくてあいつの方だったの?」
あたしが尋ねると、ゼルガディスはキョトン、とした顔をする。
「シャブラニグドゥ? なんのこった?」
「え……?」
「あいつがおれたちに命じて探させていたもの――こうなったら言っちまうが、実はかの有名な賢者の石≠チてやつさ」
げ。
あたしは絶句した。
「そ……それじゃあ……」
ゼルガディスは小さくうなずいた。
「あの神像の中に、賢者の石≠ェ入っているのさ」
賢者の石――
魔道をやっている者で、その名を知らぬ者はないだろう。
古代の超魔道文明の産物だという説や、世界を支える神々の杖≠フかけらだという説など色々あるが、確かなのは、それが魔力の増幅器だということである。それもすこぶる強力な。
賢者の石≠ェ歴史の上に登場するのは、いままでにわずか数回のみ。つまりそれだけその数が少ないということでもあるが、この石は登場するたびに、歴史に少なからず影響を与えている。これを使った一人の見習い魔道士によって、一つの国が滅ぼされてしまったという事実すらある。
ほとんど伝説に近い存在だが、それが実在するらしい、ということは知っていた。知ってはいたが、まさかお目にかかることになろうとは――
「……け……けど、あいつはそんなものを手に入れて、一体何を……」
レゾが世間の噂通りの能力を持っているなら、十分に強いはずである。その上に賢者の石≠ワで手に入れようとするのは……
「……世界征服を狙ってる、なんて言わないでね」
ゼルガディスは首を横に振る。
「いや――レゾが前に言ったことがある。『ただ、世の中が見てみたいだけなんだ』とね」
「……世の中が……見てみたい?」
「そう。――噂の通り、レゾは生まれつき目が見えなかった。あいつは自分の目を開かせようと、そのためだけに自魔術を習い始めたのさ。
白魔術を究め、諸国を歩いてさまざまな患者を診て、多くの人々を救った。――目らの目を治療するための練習台としてな。
しかし、他人の目を直すことはできても、なぜかわからないが自分の目を開かせることはできなかった。そこで奴は考えたのさ。何かが足りないのではないか、と。
――そしてあいつは、精霊魔術や黒魔術にも手を出した。それらと白魔術とを組み合わせ、より高度なレベルの魔術を産み出そうとしたわけだ。
魔術において、奴は天才的な成長ぶりと才能とを発揮したが、それでも自分の目を開かせることはできなかった。そこであいつが目をつけたのが――」
「実在するかどうかも分からない賢者の石≠セった、ってわけね」
ゼルガディスはうなずいた。
「――けど、するとなんであなたはレゾが賢者の石≠手に入れるのを邪魔したいわけ? あいつの目が見えるようになったからといって、別に誰かが困るわけでもないでしょうに」
「むろんそうだが……おれは奴の邪魔をしたいんじゃなくて、奴を倒したいんだ。
それにはどうしても、あの賢者の石≠ェ必要なんだ。くやしいが、今のおれにはあいつを倒すだけの力はない」
表情からして、嘘をついているわけではなさそうだ。
「……そんなに凄いの? レゾって」
彼は黙ってうなずいた。
ゼルガディスほどの使い手が、『かなわない』と認めているのだ。当然、かなりのものに違いはない。
「あいつを倒す――って、やっぱり、あいつにそんな体にされたから?」
「――ああ。ある日あいつが言ったんだ。
賢者の石を探す手伝いをするのなら、おまえに力を与えてやろう、と。
そしておれは首を縦に振った。それが何を意味するかも知らずに……」
声の中に、あからさまな憎悪がこもっていた。
「――レゾと知りあったのは?」
雰囲気を変えようとして出したあたしのこの質問に、ゼルガディスはなぜか自嘲めいた笑みを浮かべ、やや間を置いてから答えた。
「……おれが生まれたときからさ――あいつはおれの爺さんか、ひい爺さんにあたるはずなんだ――よくは知らないし、知りたいとも思わないがな……」
「――え!?」
「ああ見えても奴は、ま、百年かそこらは生きてるだろうさ。とにかく、おれの中にはあの善人気取りのレゾの血がいくらか流れてるってことさ」
「尋いちゃあいけないことだったかな……」
あー、きまりがわるい。
あたしは指先で鼻の頭をかるく掻いた。
「――いいさ、どうでも」
どことなく悲しげに言う。
――やりきれないなぁ……こーいう空気は……
「……とにかく、それで大体のところはわかったわ」
あたしはつとめて明るい声で言った。
「つーことで、少し眠らせてもらうわよ」
言うと、ゴロンと横になる。
あー、きもちいい。
「あなたも少し眠ったら? 疲れてるんでしょ?」
「まあな……けど寝込みを襲われたらことだしな。見張りでもしておくさ。――しばらくしたら起こすから、その時は見張りを替わってもらうぞ」
「いいわよ。じやあ、おやすみ」
言うとあたしは目を閉じた。
心地よい眠りに飲み込まれるまで、さしたる時間は必要としなかった――
あたしは目を覚ました。
眠ってからそれほど時間は経っていないようだ。陽の傾き具合と体の回復の度合いとでそれくらいはわかる。
目を覚ましたのは殺気のせいである。
一人や二人ではない。
あたしも十人くらいまでなら、魔道を使わなくても気配だけで人数を言い当てることができるのだが、今はそれができない。――ということはすなわち、敵の数がそれ以上だということである。
「囲まれたよ」
あっさりとゼルガディスが言う。別段声を殺そうなどとはしない。居場所が知られているのに、そんなことをしても全く無駄だからである。
「相手は?」
「トロルが二、三十匹ってとこだろう。レゾは来ていないようだし、なんとかなるだろうさ」
気楽に言う。しかしほんとに大丈夫なんだろーか……
「出てこいよ。気付かれていないと思っているわけでもないだろう。――決着をつけようぜ。ゼルの旦那よ」
聞き覚えのある声がした。
あたしはその場に立ち上がった。ゼルガディスの言うとおり、木々の間にちらほらとトロルたちの姿が見え隠れしている。
意識して大きな声を出す。
「こんにちはディルギアさん。たいへんね、わざわざこんな所まで遠征とは」
あたしの言葉に、一人の獣人《ワーウルフ》が、意外と近くの木の陰からその姿を現わす。
「名前を覚えておいてくれたとは……こいつぁ光栄だな」
「忘れるもんですかっ!」
あたしは真っ向からディルギアを睨みつける。
「人のことを、ゴブリンより色気がないとか、サイクロプスの方がまだマシだとか、ロック・ゴーレムよりサメ肌だとか、ピグシーよりもちびだとか、さんざんに言ってくれたのをっ!」
「……誰もそこまで言ってねーよ」
「とにかくっ! このうらみ、必ずこのあたしにかわってゼルガディスが晴らしてくれるに違いないわ! さあ行け、ゼルガディス! 世界が君を待っている! いよっ、男前っ! がんばれっ!」
「……お前……その性格、何とかならんのか……」
ゼルガディスがジト目でこちらを見ながら言う。
「なんない」
あたしは言った。
別に好きこのんでやっているわけではない。これはあくまでも敵の気を殺《そ》ぐための言動なのである。
……本当だっつーの。
「――ディルギアよ、きさまこのおれに忠誠を誓ったのではなかったのか?」
ゼルガディスが言う。言葉の奥底に|ごりっ《ヽヽヽ》としたこわいものが潜んでいる。
その言葉を獣人《ワーウルフ》は鼻先で笑い飛ばした。
「オレが忠誠を誓ったのはゼルガディス≠ノ対してではなく赤法師が創った狂戦士《バーサーカー》≠ノ対してだ。きさまがレゾ様を裏切った以上、もはやオレにとってきさまは敵以外の何者でもないわ!」
「……ほう……」
ゼルガディスがすうっと目を細める。こーゆー表情をするとこの男、いかにも魔戦士≠ニいったおもむきである。
「まさかきさま、獣人《ワーウルフ》風情がこのおれに勝てるとでも思っているわけじゃないだろうな……」
「獣人《ワーウルフ》風情、とはよく言ってくれたな。
ではその獣人《ワーウルフ》風情の力、とくと見せてやろう。――かかれ!」
ディルギアが吠えた。
武装したトロルの群れが一気に間合いを詰めてくる。
――ばかが――
ゼルガディスは小さな笑みを浮かべながら右手を高々と差し上げた。
目に見えぬ何かをその右の手のひらに持ったまま、それを大地にたたきつけるような動きをする。
「地撃衝雷《ダグ・ハウト》!」
うえっ!
あたしはあわててゼルガディスのそばに駆け寄った。
大地が脈動する。
水面のごとく揺れ動き、流れ、激しく波打つ。
トロルたちは完全にパニックを起こしていた。
「ハッハァ!」
ゼルガディスは狂気の笑みを浮かべながら、右手を再び大きく振り上げた。
「大地よ! 我が意に従え!」
岩が、土が、ゼルガディスの呼びかけに応える。
うねり、たゆたい、大地はまたたく間に無数の錐《きり》と化し、トロルの群れを真下から突き上げ、貫く!
勝負は一瞬だった。
トロルたちは地面が生んだ数十本の槍に体を貫かれ、宙吊りにされている。まだ息のあるものも多かったが、いかな生命力をもってしても、貫かれたままで傷の回復などできるものではない。徐々に力を奪われ、やがて間違いなく死に至る。
なぶり殺しも同然である。
何か言ってやろうかとも思ったが、あまり他人のことを言えた義理でもないので黙っておく。治癒《リカバリィ》≠逆転応用した呪文で、ゾルフ率いるトロルたちをしばき倒したのはつい先日のことである。
「さあ……」
ゼルガディスはなおも氷の笑みをはりつかせたまま言った。
「はやいとこ見せてもらおうか。お前の力、って奴をさ。――それとも今ので腰でも抜かしたか?」
「……ちいっ……」
天にむかって生えた石の槍の陰から、ディルギアが姿を現わす。
「……さすがにレゾの狂戦士《バーサーカー》≠セけのことはあるな……きさまに精霊魔術がある限り、このオレに勝算はないか……」
「へえぇ……」
ゼルガディスが馬鹿にしたように言う。
「それじゃあまるで、剣でならおれに勝てる、とでも言ってるみたいだな」
「そう言ってるのさ」
ディルギアも笑う。
「なら、試してみようじゃないか」
ゼルガディスはスラリと剣を抜く。
「――どうせ不利になったら魔法を使うつもりだろうが」
ディルギアはまだ剣を抜かない。
「そんなことはせん」
「――本当か?――」
「ああ」
「――なら、後悔することになるぜ」
獣人《ワーウルフ》は背負った剣をズラン、と抜く。
大きく反り返った刀身が、キョーアクな光を放つ。こ
かなりロング・サイズの円月刀《シミター》である。
ぼけーっと突っ立っていたのでは巻き込まれる。あたしは少し身を退いた。
「かはぁっ!」
獣《けもの》の気合いを発してディルギアが疾る。
ゼルガディスが跳んだ。
真っ向から獣人《ワーウルフ》を迎え撃つ。
両者の剣が、文字どおり火花を散らす。
がっきりと噛み合ったまま、ゼルガディスがじわじわと獣人《ワーウルフ》を押している。
「ハツハァ! どうしたディルギア、剣なら負けないんじゃなかったのか?」
「これからだぜ、ゼルの旦那よ!」
円月刀《シミター》を軽くひねり、ゼルガディスのブロード・ソードの力の方向を変えてやる。
わずかに刀身が流れたところを見計らい、横手にすり抜けざま、円月刀《シミター》を一閃させる。
胴を薙ぐ一撃をゼルガディスは紙一重でかわす。
「なかなかやってくれるな」
「そう言ってもらえると嬉しいぜ」
あたしの見立てでは剣の技術はほぼ五分と五分。しかしディルギアにはゼルガディスほどの余裕がない。
おそらく、「いざとなったら相手は魔法が使える』という事実がその原因だろう。
どっちでもいーからがんばれよー。
どちらが勝つにしろ、あたしに有利になることはないだろう。レゾの人質か、ゼルガディスの人質か、どちらにしてもやつらにとってこのあたしは、賢者の石≠手に入れるための道具にしか過ぎないのだ。
二人がじりじりと間合いを詰める。
この隙に逃げるというテもあるが、ゼルガディスにでも気付かれたら、それこそ魔法の雨をプレゼントされてしまう。
「しゃっ!」
ディルギアが動いた。横っ飛びに天を指す土の柱に駆け寄り、円月刀《シミター》で力まかせに切りつける。
もともとが魔法によって造られた不安定なシロモノである。あっさりと崩れ、ゼルガディスのいる方に向かって土砂となってふりかかる。
「うわっ!」
さすがに声を上げて身を退《しりぞ》かせるのに、第二、第三の柱が大量の土砂と化して崩れ落ちる。
ディルギアはなおも数本の柱を崩す。
もうもうたる砂煙りが、ゼルガディスの姿を完全に覆い隠す。
その中に猛然とディルギアが突っ込んでいく。
「けほっ、けほん!」
完璧にギャラリーに徹していたあたしは、砂煙を吸い込んで盛大にせき込んだ。
「うぶぶっ」
息を止め、あわててふところからハンカチを取り出して鼻と口を覆う。
あー、目が痛い。
などとやっているうちに、二人が煙の中から飛び出してくる。
土煙も徐々におさまりつつある。
どうやらディルギアのめくらましも、あまり役には立たなかったようである。
……派手なことをする割には、あまり考えがない。
よくいるタイプである。
「――くだらんテを使うな……」
ゼルガディスが言う。侮蔑を込めて。
「よくそれであんなデカい口が叩けるもんだな。感心するよ、全く」
「黙れ!」
ディルギアが再度突っ込む。
フン――
鼻先で笑ったゼルガディスが、一瞬よろめいたように見えた。
次の瞬間、ディルギアが大きくたたらを踏む。
二人が交錯する。
ゼルガディスの剣が、ディルギアの肩口を捕えていた。
あたしは理解した。
さきほどゼルガディスがよろけたように見えたあの時、彼は下半身が砂煙に隠れているのを利用して、足下の石か何かを蹴っ飛ばしたわけである。ディルギアに向かって。
むろんそれでダメージを与えるほどの一撃ではなかったにせよ、向かってくる獣人《ワーウルフ》のバランスを崩すには十分だったのだ。
「どうした。後悔させてくれるんじゃなかったのか?」
左肩から血を流す獣人《ワーウルフ》に、いやみったらしくゼルガディスが言う。
「……じゃあそうさせてやろうか?」
ディルギアが笑った。
あたしは目を見張った。そしてゼルガディスも。
獣人《ワーウルフ》の傷が、見る間に塞がっていく。
しばしその光景に見とれているうちに、かなり大きかった傷は完全に治ってしまった。
それほどの時間はかかっていない。
「オレがトロルと狼のハーフだってこと、忘れていただろう。もしも約束通り剣でオレを倒すつもりなら、一撃で首をはねることだな。……まあ無理だろうが」
なるほど確かに彼がトロルの再生能力を有しているなら、剣で倒すにはそれしかない。
「――なるほど、すっかりそのことを忘れていたよ」
ゼルガディスは慌てた風もなく言うと、剣を構え直し、今度は彼の方からしかける。
「つあっ!」
ブロード・ソードを大上段にふりかぶる。
拙《まず》い!
腹がガラあきになる。
見逃すディルギアではない。
「けえっ!」
円月刀《シミター》がもののみごとにゼルガディスの腹を薙いだ。
血がしぶく。
――と思いきや
硬い音がしただけだった。
ゼルガディスは平然と笑みを浮かべて立っている。
「――お前も忘れていたようだな。このおれも三分の一は石人形だということを。もしも剣でおれを倒したいんだったら、光の剣≠ナも持ってくることだな。――まあ、どうあがいたところでおまえにおれは倒せん、ということだ」
ディルギアの顔に絶望の色が浮く。
「どうする、このまま戦って死ぬか、それとも逃げ帰ってレゾに泣きつくか、好きな方を選べ」
「……ちいっ!」
獣人《ワーウルフ》は後退しながら、懐から出したつぶてのようなものを投げつける。しかしゼルガディスは半歩横に動いただけでこれをかわした。つぶては空しく、川面に音を立てただけである。
「覚えているがいい!」
月並みなセリフを残してディルギアは森の中に姿を消す。
ゼルガディスはそれを追おうともせずに見送った。
「……くだらん……」
言うと、少し乱れた髪をかき上げる。
ぽちぱちぱち。
あたしは勝者を拍手で迎えた。
「いやーっ、さすがゼルガディス大先生、お強いっ! お見事でしたーっ!」
当り前だが、ゼルガディスはあまりいい顔をしなかった。
「……お前なぁ……」
「ほめてあげたのよ」
「……あ、そう」
言い合いをするのを諦《あきら》めて、彼はすたすたと川の方にむかって歩き出す。
「――どこ行くの?」
「水を飲むのさ」
ぶっきらぼうに答える。
「あ、あたしも顔洗おーっと」
あたしは小走りにゼルガディスの後をついていく。さっきの魔法のせいで地面がやたらでこぼこしていて歩きにくいことはなはだしい。それでも川辺にたどりつき、グローブを脱いで冷たい水に両手を浸す。
うーん、つめたくてきもちいい。
これは……
「飲んじゃだめっ! 毒入りよ!」
どちらかと言うとあたしの声のほうに驚いて、ゼルガディスは口に含んでいた水を吹き出した。
「な……なんだって?………」
「毒入りよ。どくいり! ほら!」
あたしは岸から少しはなれた水面を指さす。何匹ものおさかなさんが水と一緒に流れていく。決して、泳いでいるようになどは見えない。
「……しかし一体誰が」
「おそらくディルギアね。逃げながら放ったつぶてみたいなもの、あれははじめからあなたが水を飲むと見越して投げた、毒の小瓶かなにかだったのよ、たぶん」
「ほおお」
妙なところで感心する。
「ディルギアの奴、おれが思ってたよりは頭が回るらしいな」
「……感心してどーすんのよ……けどとにかく、これであたしたちの居場所はレゾたちに知られてしまったことになるわね。
――このあと、どう逃げるか、アテはあるの?」
「そんなものないさ」
あっさりと言う。
「しゃーないわね。……じゃ、いいわ。あたしについてきて」
言うと、あたしは歩き出した。
目指すはアトラス・シティ。
目的はガウリイと再会すること。
そうすれば事態も少しは変わるだろう。
……とまあ、それはいいとして。
最初は莫大な財宝≠セの魔王の復活≠セのと大きいことを言ってたわりに、いざ実際にフタを開けてみれば、かたやお目々の治療、かたやただのしかえし……
話が小さくなってきたなぁ……
レゾ達の追撃は熾《し》烈《れつ》を極めた。
追手は午前中二回来た。
昼食中にも来た。
午後から二回来た。
夕食中にもやはり来た。
当然、眠ったあとも来た。
……えーかげんにせーよ。
全く、これだけの数がどこからわいて出るのか不思議に思うくらい、次から次へとやって来る。
まるでヒドラの首である。
種類も豊富だった。
トロル、ゴブリン、サイクロプス、狂戦士《バーサーカー》、オーガ、etc、etc、
追撃と言うよりほとんどオン・パレードの感がある。
そして今日。
あたしたち二人の目の前に、やっぱり追手がやって来た。
率いるは毎度お馴染み獣人《ワーウルフ》ディルギア。
そして初めてみる顔がいくつか。
うち一人は明らかに魔族の者である。
他に、昆虫人間《ワーマンティス》、死霊騎士《デュラハン》がいる。
『その他大勢』としてオーガ、狂戦士《バーサーカー》などが合計ざっと五十人。
「……たいそうなお出迎えだな」
ゼルガディスが言う。しかしその声に、いつもの余裕がない。
――ということは、これはかなり強力なライン・アップだということになる。
「よお、ゼルの旦那」
ディルギアが一歩前に出る。
「この前は世話になったな。礼をさせてもらいに来たぜ」
いるいる。こーいうのが。
集団になると、とたんに強気になる奴。
こーいうのを見ると、思わず火炎球《ファイアー・ボール》の一発もおみまいしたくなってくる。
「きさまはたしかに強い。しかしこれだけの連中を相手に、たった一人で勝てるかな?」
「ちょっと待った」
あたしは一歩、足を踏み出す。
「誰か忘れちゃあいませんか?」
ディルギアが不思議そうな顔をする。
「……誰を?」
こ、こいつはーっ!
「あたしよ、あたしっ!」
「……おまえがいたからって、どーだってゆーんだ?」
……完璧にナメられとる。
こりは一発、実力を見せてやるしかない!
「おい、全力出すんじゃねーぞ」
あたしの思いを見透かしたかのように、タイミングよくゼルガディスが言う。
「なんで?」
「力を使い果たしたあとで次の部隊か、ことによっちゃあレゾ当人かが来たら、それこそひとたまりもないぞ」
「……なるほどなっとく」
なら、結局はやっぱり地道な戦いになるわけだ。
うーん、よっきゅーふまん!
ま、しゃーないなァ……
あたしは腰の剣を抜いた。
「……けど、なんでやつら、あたしたちの居場所がわかるんだろ……」
ふと思いついた疑問を、あたしはポツリと口にした。
基本的にはアトラス・シティを目指してはいるが、それを悟られないためにコースはあちこちと変えてある。それをいちいち正確に追撃してくるのだ。
「そりゃあ……おれがいるからさ」
ゼルガディスが当り前のように言う。
「……はあ?」
思わず彼の顔を見る。
「言ったろう。おれの体はレゾに魔法で合成されたんだってね」
あ、そーか。
つまり、ゼルガディスの体そのものが、魔法的な目印になっているわけである。
あたしは魔法探査を封じる呪文もつかえるが、それをやるにはまず、対象となるものの魔法的なしくみがわからなければならない。
つまりゼルガディスをレゾの目から隠すには、彼自身が合成されたときのプロセスを知ることが不可欠なのだ。しかしその術は間違いなく赤法師のオリジナルのもの。いかな超天才美少女たるあたしでも、それをあっというまに解明することなど不可能である。
「――じゃあ、どーあっても赤法師とはいずれ決着を着けなきゃならないってことになるわけね」
「そういうことだ」
やー、まいったなー。
なりゆきでこの男にくっついてきているが、失敗だったかもしれないなァ……
まあ、あのまま教会の天井からぶら下がっているよりは多少マシ……だとは思うが。
しかし、こうなってしまったものを悔やんでも仕方がない。
おーし、やったるわいっ!
あたしは口のなかで、低く呪文の詠唱をはじめた。
「ファイアー・ボール!」
あたしの放った一撃が、戦闘開始の合図になった。
胸の前で両手を合わせる、というあの予備動作なしで放った一撃である。
むろんそれでいくぶんパワーは落ちてはいるが、不意をついた形となり、かなりの数のオーガを炎に巻き込んだ。
敵が一気になだれ込んでくる。
「|雷よ《ディグヴォルト》!」
そこにむかって次の攻撃呪文を叩き込む。
先頭の魔族を狙ったのだが、あっさりとかわされる。
かわりに背後にいた狂戦士《バーサーカー》を一人葬るが、これはかえって魔族の注意をあたしに引きつけるだけの結果になってしまった。
案の定、あたしの方に進路変更をする。
えーい、来るなら来い!
「|炎の矢《フレア・アロー》≠諱I」
呼びかけと同時に、目の前に十本近い炎の矢が出現した。
「GO!」
正面、左右、そして上から、炎の矢は同時に魔族にむかって突き進む。
逃げようはない筈だった。が。
魔族が速度を増す。
「かあっ!」
気合いとともに、正面から来る炎の矢を、こともあろうに手のひらで受け止める。
牽制の炎の矢は空しく空を切る。
間合いが一気に詰まった。
ほかの連中は皆、ゼルガディスの方に行っている。
……大変だーね、彼も。
あたしもだけど。
かなり手強い相手だった。
下級とはいえ、さすがは純魔族である。
緑のローブに身を包み、白い髭をたくわえた禿頭《とくとう》の老人の姿をしている。しかしその眼には瞳がなく、鼻も口もない。
「ひゅぐっ!」
その手のひらから炎のムチが伸びる。
剣に冷気の呪文を込めて、それを空中で薙ぎ払う。
しばしの距離を置いて二人は対峙した。
「……このゾロムにちょっかいをだすとは、いやはや元気のいいお嬢ちゃんじゃ」
どこから声を出しているのかは知らないが、とにかくそいつはそう言った。
「……このリナを相手にするとは、いやはや命知らずな魔族ね」
あたしも負けじと言い返す。
ゾロムが低く笑った。
あたしはてのひらを胸のまえで合わせ、飛び退きざまに呪文の詠唱をする。
「火炎球《ファイアー・ボール》≠ゥ! ムダなことを!」
ゾロムが迫る。
「ムダかどうか……」
生まれた小さな光の球を、両のてのひらで包み込むような形で構える。
「やってみるまでよ!」
光の球をゾロムに向かって打ち出した。
「ふはあっ!」
鳥のように軽々と宙に舞い、光の球を難なくかわす。
「言ったじゃろうが! ムダだと!」
確かに火炎球《ファイアー・ボール》は、前に言ったとお力、着弾してはじめて炸裂する。外れればミソもクソもない。
しかし――
くんっ!
あたしは右手の親指を立て、自分自身を指さした。
口元に小さな笑い。
「む?」
フワリと地に降り立ったゾロムのその背後を――
火炎球《ファイアー・ボール》が直撃した!
「ぐわはっ!」
炸裂する!
「|ただの《ヽヽヽ》火炎球《ファイアー・ボール》だなんてあたしは言ってないわよ!」
あたしは燃え上がる炎の中にむかって言った。
魔道を習い始めてしばらく、面白くて、色々な魔法のバリエーションを作ったことがあった。
今のもその一つである。
「油断大敵、ってね。さて、それじゃあゼルガディスの手伝いでもしてくるか……」
マントを翻《ひるがえ》し、乱戦の渦にむかって駆け出したその時――
殺気が走り抜けた。
反射的に左に跳ぶ。が、少し遅い。
「あうっ!」
右腕に激痛が走る。
数本の銀の針が、あたしの右腕を刺し貫いていた。
慌てて振り向く。
ゾロムがそこに立っていた。
「死んだなどと、誰も言っとらんよ。油断大敵だよ、お嬢ちゃん」
馬鹿にしたような口調で言う。――いや、たぶん本気で馬鹿にされているのだろう。
「なかなかやるねぇ……けど、物質を介する精霊魔術ではこのわしは倒せんよ」
くそー、くやしいが確かに今のはあたしの油断だった。
右手がほとんど動かない。
「それでは今度はわしから行くぞ!」
両の手から炎のムチが伸びる。
左から頭を、右から足を狙ってくる。
「なんとぉっ!」
左手に持ち替えた、冷気の呪文を込めた剣で頭を狙ってきたムチを払い、足を狙ってきたほうは、なわとびの要領でポーン、と跳び越える。
こう見えても昔は、『なわとびのリナちゃん』などとゆー情けねー呼び方をされたこともあったのだ。
が――
あたしが跳び上がったその瞬間――
ゾロムの額がぱっくりと割れた。
そこから何条かの銀光が、あたしに向かって駆る。
――よけられない!
キィン!
……え?
銀の針が乾いた音と共に地に落ちる。
まるで伝説の主人公みたいなタイミングでやって来たのは――
「よお、また会えたな、嬢ちゃん」
ウインク一つ。
「ガウリイ!」
あたしは思わずその名を声に出していた。
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四、見せましょう! あたしの実力《ちから》今度こそ!
「ほお……仲間か……」
ゾロムの問いに、ガウリイは首を横に振った。
「『仲間』じゃない。オレはこの娘の『保護者』だ」
「ふむ……まあ、なんでもよいわ、とにかくわしとお前は敵同士、ということになるのだろう?」
「そうなりますね、ご老体」
「なら、ぬしから倒してやろうぞ」
「できるかなっ!」
言うなり、ガウリイが走る。
「かあっ!」
気合いとともに繰り出される炎のムチと銀の針とをたやすくかわし、一気に間合いを詰める。
剣が一閃した。
速い!
はたで見ていて、太刀筋が見えないのだ。
ガウリイの剣技をじっくりと見るのはこれが初めてだったが、これほどのウデを持っているとは――
あたしも並の戦士よりは剣が使えるが、ガウリイは格が違っていた。
一瞬にしてゾロムの頭を断ち割っていた。
しかし――
「はっ!」
背後から飛んできた銀光を見事に払い落とす。
「ほう……若いわりにはやりよるわい……」
何事もなかったかのようにゾロムが言う。
「なんだ……魔族か……」
これまたこともなげにガウリイが言う。
こいつはー。状況を理解しているのだろうか? 本当に……
「しかし若いの、それでこのわしを斬ることなどできんぞ」
その通りである。
レッサー・デーモンだのブラス・デーモンだのの半魔族ならともかく、こいつのような純然たる魔族はどちらかというと精神世界に属する存在である。それを物質で滅ぼすことはできない。破魔の護符をおもいっきり組み込んだそこそこの魔法剣ならゾロムを傷つけることくらいはできようが、ガウリイのそれはどう見ても、いい剣ではあったが、ただの剣にしかすぎない。
あたしの剣にも一応護符が組み込んであるが、これでもやや力不足だ。
ゾロムが指摘したのはそういったことである。
しゃーない。これはあたしが少し本気を出すしかないか……
「――斬れるさ」
あっさりとガウリイが言う。……わかっとんのか? この男は!?
「ほほぉ……」
しんそこ馬鹿にした口調でゾロムが言う。
「なら、斬ってみてくれるか。――できるものなら、の」
「では――お言葉に甘えて……」
ガウリイは何を思ってか、剣をパチン、と鞘に納め、かわりに懐から一本の針を取り出す。
「まさかその針でわしを倒す――などと言い出すのではなかろうな」
「まさか」
笑いながら納めた剣の柄に左手をかける。
「針で斬る≠アとなんてできるわけがないでしょう?」
「なるほど、理屈じゃのう……ではそれでどうするつもりじゃ?」
「こうするんですよ」
つんっ、と、右手に持った針で、左手でささえた剣の柄をつついた。
……おやま?
刀身を柄に固定する留め金のある場所である。つまるところガウリイは、柄と刀身とを分解しようとしている――ということになるのだが?
針を懐《ふところ》にしまう。
「――わかっていただけましたか?」
わかるかい! そんなもん!
しかしガウリイのこの落ち着いた態度、よほど自信があるか、あるいはアホかのどちらかである。
「――お若いの……おぬしの言うことは、どうもいま一つ、わしにはわからんのだがな……」
「なら――これでっ!」
右手を剣の柄にかけて、ガウリイが突っ込む!
あほかいっ!
「よくわかったよ! お前がどれほど愚かな男か!」
ゾロムが叫ぶ。現われた十数本の炎の矢が一気にガウリイ目指して突き進む。
「なんのっ!」
凄いっ!
あれだけの炎の矢をすべてよける。
しかし、相手の攻撃をいくらよけたところで、相手が倒せるわけではない。
間合いを一気に詰める。
「|光よ《ヽヽ》!」
ガウリイが吠えた。
あたしは目を見張った。
ゾロムが硬直する。
硬直したまま、真っ向から両断された。
悲鳴すら上げるいとまもなく。
今度こそ、真の滅《ほろ》びがゾロムの上にもたらされた。
ガウリイが右手に持った剣――刀身を抜いたはずの剣に、光の刃が生まれていた。
「光の……剣……」
――そう――
あたしの目の前にあるそれは――ガウリイの右手に燦然《さんぜん》と輝くそれは――
まぎれもなく、伝説にある、あの光の剣≠セった。
ゾロムの体が崩れ去る。
ガウリイが抜いた刀身は、光の剣の鞘《さや》の役割を果たしていたのだ。
「ガ……ガウリイ……」
やっとのことであたしは言った。声がかなりかすれている。
「よお」
彼はあたしを見て、にっこりと微笑んだ。
「また会えたな。――元気だったか? お嬢ちゃん?」
「ガウリイ――」
あたしは駆け出した。
全力で、ガウリイの許へ。
彼は、光の剣をゆっくりと鞘≠ノおさめ、静かにそこに立っている。
その前であたしは立ち止まり、じっとその懐かしい顔を見上げる。
「ガウリイ……」
「リナ……」
「その剣ちょーだいっ!」
こけけっ!
ガウリイがかなり大袈裟につっ伏した。
……そんなことはどーでもいいんだ。
「ねーっ、お願いっ! それちょーだいっ! ねっ! ねっ! ねっ!」
「あ……あのなあ……」
ガウリイは頭を掻きながら起き上がる。
「オレはまた、再会を感激してとびついてくるもんだとばっかり思ったが……」
「感激は後でするから、とりあえずそれ、ちょーだいっ! ――いや、タダでなんてあつかましーことは言わないわ。――五百! 五百でそれ売って!」
「あーのーな――」
ガウリイの声が大きくなる。
「五百……って、ンなもん細剣《レイピア》一本買えねーじゃねーか!」
「んー、じゃあ思い切って五百五十! えーい! 持ってけどろぼ――」
「ドロボーはお前だっつーのっ!……全く、どこの世界に光の剣≠そんな値段で売り渡すバカがいるってんだ……」
「ここの世界」
「おまえなーっ」
何をおっしゃいますやら。
自分の払う金は、たとえ銅貨一枚でも大金である。――やっぱあたしは商売人の娘だ。
「……第一、これはオレの家に代々伝わる大事な家宝の剣。いくらお前が金を積んだって、売ってやるわけにはいかん!」
「――じゃああたしン家で家宝にして、代々伝えてあげるから、タダでちょーだいっ! それならいいでしょっ、ねっ! ねっ!」
「あ……あほかいっ! どーいう理屈をこねまわしとるんじゃっ! やらないったらやらないっ!」
「まあっ! ひどひっ! 女の子にそんなにつれなくするなんてっ! あんまりだわっ! あたし泣いちゃうっ! しくしくっ!」
「泣け!」
「――とまあ、冗談はこれくらいにしておいて……」
いきなり真顔に戻ったあたしについてゆけず、再びガウリイが突っ伏す。
「な――何なんだ、そりゃ!」
「いいから聞いて、詳しく説明している暇はないんだけど、あたしを奴らの手から助けてくれた人が、ピンチなのよ。多少の惜りもあることだし、なんとか一緒に助けてあげてくんない?」
「あ……ま、まあ、いいけど」
「おしっ! 決まりっ! じゃああたしについて来て!」
言うとあたしは駆け出した。ゼルガディス救出のために。
さすがにゼルガディスといえど、やはりこれだけの相手を敵に回すのは相当キツいらしく、かなりの苦戦をしいられていた。
それでもオーガ、狂戦士《バーサーカー》などのとりまきたちのほとんどを片付けていたが、メイン・ディッシュ――ディルギア、昆虫人間《ワーマンティス》、死霊騎士《デュラハン》が丸々残っている。
そこにあたしたちが駆けつけた。
ガウリイが手近にいた死霊騎士《デュラハン》を、有無を言わさず光の剣≠ナ斬り倒す。
「やっほー! 助けに来たわよーっ!」
「おお!」
全員が目を見張る。
形勢は一気に逆転した。
レゾの部隊はじりじりと退がりはじめる。
残っていたオーガ、狂戦士《バーサーカー》たちも、一人、また一人とその数を減じていく。
「くうつ!」
ディルギアがうめく。
と――
「むうっ?」
今度はゼルガディスがうめいた。
あたしたち三人は足を止める。
「……ん?」
ディルギアは後ろを振り返り、喜悦の表情を浮かべた。
「ロディマス!」
そう――
そこには、槍斧《ハウルバード》を手にしたあの中年剣士ロディマスと、はじめて見る顔――かなり美形のオジサマHが一人。
……いや、ハートマークなんぞつけて喜んでいる場合じゃないんだって。
「よく来てくれた! 助かったぜ!」
「これで五分――だな」
昆虫人間《ワーマンティス》が言った。その瞬間――
ロディマスが、問答無用でディルギアを殴り倒した。
獣人《ワーウルフ》はもののみごとに吹っ飛んで、近くの木にど派手な音を立ててぶつかる。
そして――それきりピクリとも動かなかった。
「ロ、ロディマス、何をっ!」
昆虫人間《ワーマンティス》が慌てる。
「気でも狂ったか!」
「狂ってなどおらん!」
のっしのっしと歩いてくる。
「わしが忠誠を誓ったのはゼルガディス殿。赤法師なんぞと言うわけのわからぬ輩《やから》に義理立てするいわれはない!」
「き……きさまという奴はっ!」
逆上して突っかかっていく。が、これはモロに槍斧《ハウルバード》のエジキだった。
「どぉりゃあっ!」
ロディマスが吠えたその瞬間――勝負はついていた。
昆虫人間《ワーマンティス》は、ものの見事に胴を上下に両断されていた。
下半身はなおもそのまま何歩か走り続け、木にぶつかって倒れる。
上半身は地に落ち、かなり長いケーレンの後、その動きを止めた。
残りの雑魚たちが蜘蛛の子を散らしたのは言うまでもない。
「――助かったぜ。とりあえず礼を言わせてもらうよ」
ゼルガディスは言った。
「なんか今一つ事情が飲み込めんが――まあ、いいってことよ」
ガウリイは曖昧な笑みを浮かべた。
「……しかしおまえたち、いいのか? 本当に」
と、今度は中年剣士たちの方に向き直る。
「なぁに、かまうものですか」
美形のオジサマの方が言う。……はて、この声は確かどこかで……
「すまんな、ロディマス、ゾルフ。つまらんことにつきあわせて」
ぞ……ぞ……|ぞるふ《ヽヽヽ》ぅ!?
――ということは、この美形中年があのミイラ男の正体、ということなのだろーか!
信じらんないっ!
|あれ《ヽヽ》の中身がこんなハンサムとは……
チラリ、とゾルフはあたしの方に視線を走らせた。
「……よお……嬢ちゃん……まだ生きていたのか」
むかつ。
一瞬、『美形だから許そう』とか思ったのだが、今の一言で気が変わった。――とはいえ、ここで。赤法師≠ニいう共通の敵を持つ者同士、いがみ合っても仕方がない。
「――ま、味方は多いに越したことはないし、今までのことは忘れるわ」
殊勝にもあたしは言った。
「あなたがいくらあたしたちの足をひっぱっても、あなたがどーしようもない三流の魔道士でも、悪趣味なサディストでも、味方は味方。枯れ木も山のにぎわい。あたしたちがちゃんとフォローしてあげるわ。恨みなんか忘れて」
「……ちゃんと根に持ってやがる」
「あら、気のせいよ。ひがみとコンプレックスと、確たるよりどころのないゆがみまくったプライドのせいでそんなふうに思えるだけよ」
「小娘……っ」
「待てよ、リナ」
ガウリイが口をはさんだ。
「それより、ちゃんと事情を説明してくれないか? どーもまだ今一つ、状況がのみこめんのだが……」
あ、そー言えば。
まだ彼には何も詳しい事情を話してはいない。
あたしはこれまでのいきさつをかいつまんで話し始めた。
「……というわけよ。わかった?」
沈みゆく夕日を背にしながら、あたしは事情説明を終えた。
「――わかった?」
もう一度言う。
ガウリイは答えない。ぽーっと座ったまま、ウツロな目であたしを見て――いや、ながめている。
他のみんなも地面に座り込んでいる。
やはり昼間の戦闘がこたえているのだろーか。……しかし、女のあたしが平気だっていうのに、全くだらしがない。
「……しかし……お前……」
ロディマスが疲れた口調で言った。
「ほんっとよくしゃべるなァ……」
「――そお?」
全員が大きくうなずいた。
そーかなー?
「ま、とにかく、これで大体のことはわかったでしょ?」
「……心理描写と情景描写はとにかく、話のスジは大体分かったよ」
ガウリイは腰を上げた。
「――なら聞きたいのだが――」
ゼルガディスも立ち上がる。
「おれに賢者の石≠渡すつもりがあるのかどうか」
「ないね」
あっさりと言った。
「――だろうな」
そう言うゼルガディスの言葉に、明らかな敵意が込められている。
「かたや目の治療。かたや怨恨。こんな利己的なことに使われたんじゃあ、賢者の石≠フ名が泣くぜ」
「おれにケンカを売る気か?」
「いやいや。オレは喧嘩を売る気なんてこれっぽっちもないさ。ただ、賢者の石≠ヘ渡さない。そう言っているだけさ。これがおまえとレゾとのしくんだ狂言だっていう可能性もあるわけだしな」
「――やっぱりな。あんたはそう言うと思ったよ」
ゼルガディスがズラリ、と剣を抜く。
「やはり、これしかないようだな……」
「そうだな……」
ガウリイも剣の柄に手をかける。
ざっ。
ゾルフとロディマスがゼルガディスの左右に展開する。
「おまえたちは退っていろ」
ロディマスは小さく苦笑すると、一歩退いた。
「し……しかし……」
ゾルフは言う。
「退っていろ」
と。再びゼルガディス。ゾルフはすごすごと身を引いた。
「――ちょっと……いいかげんにしなさいよ!」
と、今度はあたし。
しかし二人とも、あたしの方を振り向こうともしない。――こりゃかなりマジだわ。
ゾルフとロディマスもことのなりゆきに注目している。
二人の間合いが、少しずつではあるが、徐々に詰まってきている。
あたしはさらに声をはり上げた。
「いいかげんにしなさいってば!――そりゃあ確かに興味深い対戦になるでしょうけど、他に先にやらなくちゃならないことがあるでしょ!」
「全く――このお嬢さんのおっしゃるとおりですよ」
「!?」
声がした。
すぐ後ろ――いや、耳もとで。
ツ――
後頭部――首スジのところに、冷たい感覚が走った。
――今動けば――死ぬ――
あたしは直感した。
あたしをのぞく全員の視線が、あたしの後ろにいる人物に集中していた。
誰だかはわかっている。
声に聞き覚えがあった。
ゼルガディスさえも恐れさせることのできる人物――
「……レゾ……」
ガウリイがその名を口にした。
「ごふさたでしたね。――まあしかし、堅苦しいあいさつは抜きにしましょう。用件は――言うまでもなく、わかっているはずですね、ええ――ガウリイ――さん、でしたね、確か」
「賢者の石≠セろ」
「そう。――あ、変な気を起こさないでくださいね。このひとの首筋にさしこんだ針をもう一押しすれば、私は人殺しになる」
げ。
自分の置かれた状況を知り、あたしは思わず息を呑む。
どっと汗が吹き出した。
「――ハッタリだ! 渡すなよ!」
ゼルガディスが悲鳴に近い声を上げる。
賢者の石≠渡したくない一心でのセリフである。
レゾがはったりをかますような人間かどうか、一番よく知っているのはゼルガディス当人である。
むろん誰も、ゼルガディスの言葉を信じはしなかった。
汗が頬《ほお》をつたい、滴《しずく》となってあごから流れ落ちる。
「なぜ――これが要る?」
ガウリイが言う。
「このひとがさっき説明したじゃありませんか。目が見えるようになりたい――ただそれだけですよ」
「なんで――これほどまでにして……?」
こわごわ口を開いてあたしは尋ねた。
「説明したところで理解《わか》ってはもらえないでしょう――目の見える人には、ね」
そんなもんですか。
「さあ――石を――」
「――わかった」
「よせ! 渡すな!」
ゼルガディスの制止を無視して、ガウリイは懐《ふところ》からオリハルコンの神像を取り出した。
「ほらよ」
神像が弧を描いて宙を舞う。
レゾの右手が伸び、それをしっかりと受け止めた。
「確かに――確かに受け取ったぞ!」
レゾの口調が変わった。
邪悪な歓喜が言葉のうちにひそんでいる。
「リナを放せ!」
「まあ慌てるな。すぐに放してやるとも……」
パキン!
レゾの手の中で、オリハルコンの像があっさりと砕け散った。魔力を封じるオリハルコンが、である。
その中から出てきたのは、一つの小さな黒い石――
素人目にも玄人目にも石炭の親戚、としか映らないこの貧相な石が、かくあろう、あの賢者の石≠ネのである。
石の力がレゾの魔力に呼応して、魔法では砕けるはずのないオリハルコンをもうち砕いたのだ。
「おお……これよ! まさしくこれよ!」
トン、とレゾはあたしの背中を突き飛ばした。
「――とっ!」
数歩たたらを踏んでようやく立ち止まる。
後頭部に手を回し、首筋から生えた細い針を一気に引き抜く。
ぞわわっ。
悪寒が走った。
痛みも何もなかったが、針は親指と同じ位の長さ、あたしの首の中にもぐりこんでいたらしいのだ。よくこれで死ななかったものである。
――それだけの技量をレゾは持っている、ということになる。
ゼルガディスが呪文をとなえはじめる。
ガウリイが光の剣≠抜き放つ。
そしてレゾは――
石を持った右手を、口元に持っていく。
――まさか――
その、まさかだった。
レゾは迷うことなく、手の中のものを飲み下した。
ごうっ!
「ぶわっ!」
突然、強い風が吹きつけてきた。思わずマントで顔を覆う。
「うっ、ぐつ……」
唐突にこみあげてきたたまらない吐き気に、あたしは口を押さえた。
風ではなかった。
吹きつけてきたのは、物質的な力さえ伴った、強烈な瘴気《しょうき》だった。
その瘴気の渦の中心で、二人レゾが哄笑《こうしょう》していた。
「かーっ!」
ゼルガディスがしかけた。
青い火柱がレゾを包み込む。
が、それだけだった。
何の魔法をかけたのか知らないが、全く効いていない。
レゾはなおも狂ったように笑いながら叫んだ。
「おお――! 見える! 見えるぞ!」
あたしは見た。
生まれて初めて。
人が、全く異質のものに変わりゆく様を。
レゾの目が開いた。
その奥にあったのは、赤い色をした闇――
瞼《まぶた》の裏に閉じ込められていたものは、紅玉《ルビー》のような、血の色をした一対の瞳《ひとみ》――
「くふっ、く……くはははははっ――開いた! 目が開いたぞ!」
レゾの頬《ほお》の肉がごそりともげ落ちた。
その下から白いものがのぞく。
「――何だ!?」
誰かが叫んだ。
ごそり。
こんどは額の肉。
そして――
あたしは気づいた。
彼の正体――レゾの閉じられた瞳によって封じ込められていたものが何であったかを。今やレゾの顔は、目の部分に紅玉《ルビー》をはめこんだ、白い石の仮面と化していた。
そしてその全身を覆う赤いローブもまた、硬質の何かに変わっていった。
「――まさか――」
ゼルガディスが呻いた。
彼もまた気がついたのだ。
|赤眼の魔王《ルビーアイ》<Vャブラニグドゥがこの地に再臨したことを――
やがて、静寂があたりを支配した。
「選ばせてやろう。好きな道を」
悠然《ゆうぜん》と立つ、レゾだったもの――レゾ=シャブラニグドゥが口を開いた。
「このわしに再び生を与えてくれたそのささやかな礼として。――このわしに従うなら天寿を全うすることもできよう。
しかし、もしそれがどうしてもいやだと言うのなら仕方ない。天竜王に動きを封じられた北の魔王=\―もう一人のわしを解き放つ前に、相手をしてやろう。――選ぶがいい。好きな方を」
とんでもねーことを言い出した。
北の魔王≠解き放つ――それはとりもなおさず、この世界を破滅に導く、という意思表示だった。
それに協力しろと言う。
いやなら自分と戦えと――かつての七分の一にその力を減じたとはいえ、遠い昔、神々の一人とこの世界そのものの覇権を争った魔王≠ニ戦えと言うのだ。
無論、あたしたちの答えは決まっている。
世界の破滅を導けば、そこに待っているのは総てに等しき死≠フみ。
同じ死ぬならきれいにいきたい。
人間に限らず、普通はそう思う。
それを十分承知のうえで、レゾ=シャブラニグドゥは問うているのだ。
どちらを選ぶ、と。
「なにをたわけたことをっ!」
ほんとに事態を理解しているのかいないのか、ゾルフが声をはり上げた。
「奢《おご》るな! お前が時間の裏側に封印されていた間、人間も進歩している! 旧時代の魔王など、このゾルフが片付けてくれる!」
――やっぱり理解していない。
両手を高々と振り上げ、呪文を唱え始める。
――黄昏よりも昏《くら》きもの
血の流れより紅きもの
時の流れに埋《うずも》れし
偉大な汝の名において
――この呪文は!?
竜破斬《ドラグ・スレイブ》!
黒魔術の中では最強とされている攻撃魔術である。
その名のとおり、もとは対ドラゴン用として造り上げられた魔法で、小さな城くらいなら軽く消し去ることができる。これの使える魔道士を二、三人も抱えていれば、その国はかなり大きな顔ができる――それほどの術なのだが、まさかこのゾルフがこれを使えるとは……
言っちゃあ悪いとはぜんぜん思わないが、なんでゾルフ程度の男がゼルガディスほどの男の直属をやっているのか不思議でしかたなかったのだが、これでようやく謎が解けたとゆーもんだ、と。
しかし――
あたしは気づいていた。
この魔術《わざ》で奴を倒すことはできないことに。
「やめなさい! ムダよ!」
あたしは叫んだ。
ゾルフは耳を貸さない。
「ほう……」
|赤眼の魔王《ルビーアイ》≠ヘ感心した声を出す。
おそらく、あたしの洞察に対して。
「あ――」
ゼルガディスが小さな声を上げる。
彼も気がついたのだ。そのことに。
が、ゼルガディスが制止をかけるより一瞬早く、ゾルフがしかけた。
「竜破斬《ドラグ・スレイブ》!」
魔王自身が大爆発を起こした。
これこそが竜破斬《ドラグ・スレイブ》の力である。
これをしかけられて防ぐことのできた人間は、かつて史上に存在しない。
「やった!」
ゾルフが歓喜の声を上げる。
同時に。
「逃げろ! ゾルフ!」
ロディマスが叫んだ。
彼は本能的に気づいたのだ。
|あれ《ヽヽ》がまだ、生きていることに。
「――何?」
事態をまたもや理解していない。
いぶかしげな顔をして突っ立っている。
「――ちっ!」
剣士は舌打ちをすると、ゾルフの方に向かって駆け出した。体当たりしてでもどかせるつもりだ。
「何でもいいから早く――」
その瞬間――
炎の塊が二人を飲み込んだ。
「ロディマス! ゾルフ!」
ゼルガディスが叫ぶ。
その声に応えるかのように、いまだ渦巻く炎の中に、一つの人影が現われた。
燃え盛る炎よりもなお紅い人影が。
――|違う《ヽヽ》――
炎の音に紛《まぎ》れて、そう誰かの声が聞こえた――ような気がした。
「――逃げるぞ――」
ゼルガディスはポツリとつぶやいた。
「……え?」
あたしは思わず聞き返す。
「逃げるぞ!」
その言葉を合図に、三人は全速力で駆け出した。
……小さく燃える炎を見ていた。
ガウリイもゼルガディスも、ただ黙ってじっと焚き火を見つめている。
――あー、むちゃむちゃみじめ。
あたしたちはレゾ=シャブラニグドゥの前に、なす術を持たなかった。
今逃げたところで、いつかは――そう遠くないうちに見つかることだろう。
そうなれば――
「――おれはやるぜ――」
ゼルガディスが呟《つぶや》いた。
炎がパチン、と音を立ててはぜる。
「勝てっこねえのは解ってるけど――このまま逃げたんじゃあロディマスとゾルフに申し訳が立たないからな……」
パチン。
再び炎がはぜる。
「――しゃーない、つきあうか」
ガウリイが口を開く。
「例えムダだとしても、かといってこのまま放っとくわけにもいかんしな……」
「――すまんなー」
「なに、いいってことさ。オレにとっても他人《ひと》事《ごと》じゃないしな……」
そう言うと――
それきり二人は黙ってしまった。
無論、わかっている。
二人があたしの答えを待っていることは。
言葉でそう言われたわけではない。
いつ口を開くかと注目されているわけでもない。
ただだまって、じっと焚き火を見つめている。
それでも二人は待っているのだ。あたしが口を開くのを。
「――あたしは――」
あたしは口を開いた。二人は反応しない。依然として静かに炎を見つめている。
「あたしは――死にたくないわ――」
あたしもまた、炎を見つめたまま、ポツリと言った。
「――だれも強要はしないさ――」
ガウリイが、やさしい目で静かに言った。
あたしは思わずその場に立ち上がった。
「だってそうでしょ?『死ぬつもりで戦う』なんてバカげてるわよ。それを男の『意地』とか『ロマン』とか言うのなら、そんなくだんないもん捨てちゃいなさい! どうやったって死んだら終りなのよ!」
「まあ――好きにするがいいさ」
ゼルガディスが言った。
「逃げ回るのは勝手だが、奴の仲間になるってぇのだけはやめとけ。もしもそうなったら、おれたちの手でお前さんを殺さなきゃならなくなる……」
あたしは腰に手を当てて、大きく息をついた。
「あのねえ……誰が『戦わない』なんて言いました?」
「え……?」
二人が同時にあたしを見た。
「勘違いしないでよ。あたしは『負けるとわかってはいるけど戦う』ってぇその精神がけしからん、と言ってるわけで、『負けるからやだ』なんぞと言ってるわけじゃないのよ。いい? たとえ勝てる確率が一パーセントほどだとしても、そーいう姿勢《つもり》で戦えば、その一パーセントもゼロになるわ。
――あたしは絶対死にたくない。だから、戦うときは必ず、勝つつもりで戦うのよ!
むろん――あなたたちも」
二人は顔を見合わせた。
「けどな……勝つって言っても一体どうやって?」
ゼルガディスが、彼にしては珍しく気弱な声を出す。
「確かにあたしの得意とする黒魔術で奴を倒すことはできそうにもないけど、あなたの精霊魔術だってあることだし……」
「ダメだ」
「だ……え? だめ?」
「そう、ダメだ。あいつが復活する時、おれがしかけたのに気づいたろう?」
「ええ。なんの呪文か分からなかったけど、あいつにはじき返されたようだったけど、……まさか……」
「ラ・ティルトだ」
「あちゃーっ」
あたしは頭を抱えた。
「――なんだ、それ?」
魔道にうといガウリイが尋ねる。
うーん、しかし、こいつがいると話がスムーズに行かんなァ……
「ラ・ティルト――精霊魔術中最強の攻撃呪文よ。精神面《アストラル・サイド》から相手を滅ぼす技で、対個人用の呪文だけど、生き物に対しての攻撃力は、黒魔術の竜破斬《ドラグ・スレイブ》にも匹敵するとさえ言われているわ」
「どらぐ・すれえぶ?」
あーっ! うっとーしいっ!!
「ドラグ・スレイブってのは、人間の使える黒魔術の中では最強のもの、って言われているものなの。世間一般ではね。最初にこれをあみだした賢者レイ=マグナスが千六百歳のアーク・ドラゴンをこれで倒したことから、ドラゴン・スレイヤ――ドラグ・スレイブの名がついたのよ。あのゾルフ――魔道士が赤法師≠ノしかけたのがその枝よ」
「けど――魔法がきかないってぇのは、一体どういう理屈でなんだ?」
あー、いーかげんしんどい。
「パス。ゼルガディス、解説お願い」
「精霊魔術は地、水、火、風の四大元素、そして精神世界《アストラル・サイド》とを利用した魔術の行使を行なうものだ。ラ・ティルトはリナの言ったとおり、精神世界を活用した呪文――だが、どうやら魔王はわれわれよりはるかに精神生命体に近い存在なのだろう。精神世界に対する干渉力も大きく、人間の精神力で作り出した力など、やすやすと弾き返してしまうようだ。つまり、少なくともアストラル系の精霊魔術であいつを倒すことはできないってことだよ。――かと言って、地、水、火、風の四元素を利用した魔術なんて、人間でも打ち破ることはできる。――むろん、術者のレベルによって結果は違ってくるが……
てなわけで、精霊魔術であれを倒すことはできない、ってわけさ。
で、黒魔術があいつに効かない理由ってのはいたって簡単。主に黒魔術の力の源となるのは、この世界にある、憎悪、恐怖、敵意などといった暗黒の意志の力。そしてその力を統べるのが、他ならぬ魔王シャブラニグドゥさ」
「ゾロムの呪文の冒頭にもあったでしょ。
『黄昏よりも昏きもの、血の流れより紅きもの』って。あれはシャブラニグドゥ自身をさしてるのよ」
あたしが口をはさんだ。
「……あったっけ? そんなの?」
「あったでしょーがっ! 一体何を聞いて……あ、そーか、ガウリイあなた、カオス・ワーズは知らないんだ」
「カオス・ワーズ?」
黒魔術を行使する時に使う言語だが、もういちいち解説する気にはなれなかった。
「とにかく。そーゆーことなのよ。つまり黒魔術で奴を倒そうとするっていうのは、『お前を殺すのを手伝ってくれ』って言ってるのと同じことなのよ。これがどれだけナンセンスな事か、あなたにだって分かるでしょ」
「オレに|だって《ヽヽヽ》、ってぇのはどーいう意味だよ」
「――ついでに言うと、白魔術には攻撃呪文は存在しないわ。浄化≠フ呪文じゃあ、死霊《しりょう》やゾンビくらいならとにかく、あいつを倒すには役不足すぎるわね。
――とどのつまり、あたしやゼルガディスには奴は倒せない、ってことよ」
「ま、なんにしても、だ――」
ゼルガディスは視線をガウリイに向けた。
「おれたちの残る頼みの綱はあんたの光の剣≠フみってこった」
「つまり、あれと戦うのはあくまでもあなたってことよ。――むろんあたしたち二人も極力あなたのフォローをするけどね」
「けどね――って……お前、そんな気楽に言うけど……」
「他にテがない以上、これしかあるまい。
――もっとも、あんたにもっといい考えがあるってのなら話は別だがね」
「いや……ないけど……」
「じゃ、それで決まりね」
「そうか、ようやく決まったか」
三人は同時に目をやった。
聞き覚えのある、その声の主の方に。
いつのまにやってきたのか。いつからそこにいたのか。夜の木陰にわだかまる赤い闇――
|赤眼の魔王《ルビーアイ》、レゾ=シャブラニグドゥ。
「わしとしても、ゾルフだのロディマス程度の相手やただ逃げるだけの相手を滅ぼしたところで、肩慣らしにもならんしな。
まあ、このわしの復活に立ち会ったのが不運と思って、トレーニングにつきあってもらおうか。長い間封じられていたせいか、まだいまひとつしっくりと来なくてな。
しかし安心するがいい。すぐに後からおおぜい行くことになる」
「……いいかげんにしなさいよ……」
あたしはゆっくりと立ち上がった。
肩慣らし――ですって――
トレーニング、と来たもんだ。
ゾルフは確かにヤな性格だった。
ロディマスは確かにハンサムとは言えなかった。
だが――
殺したところで、肩慣らしにもならない、などと――
むろんあたしに、りっぱなヒューマニズムなんぞを説く資格があるなどとは思ってもいない。あたしも人を殺したことがあるからだ。それはガウリイにしろゼルガディスにしろ同じことだろう。
しかし――
今のセリフだけは許せない。
「トレーニング――と言ったわね。いいでしょう、つき合ってあげるわ。――けど後悔することになるわよ」
「ほう――それは面白いな、嬢ちゃん。
ぜひお願いしたいね。それでこそ殺し甲斐があるというものだ」
「殺されてやるつもりはないんだがな」
ガウリイが言った。二人も立ち上がっている。
「つもりと結末が一致するとは限らん。それくらいは誰でも知っているぞ」
「ええ。誰でも、ね。レゾ=シャブラニグドゥさん」
あたしは魔王の言葉をそのまま返した。
ピクリ。
魔王のからだが小さくふるえた。
おや?
「さて――なら行くぞ」
何事もなかったかのように魔王は手にした杖でトン、と軽く地面を突いた。その途端――
大地が動いた。
いや――!
動いているのは大地の下にあるもの――森に生えた木々の根だった。
それらは魔王に偽の魂を与えられ、無数の蛇となって地面から這い出てきた。
「……意外とつまんない芸ね」
あたしは鼻先で笑った。
「ほい、ゼルガディス」
「おうよ! 地撃衝撃《ダグ・ハウト》!」
彼は瞬時にあたしの意図を汲み取った。
今度は本当に、地面が揺れた。
そのひと揺れで、木の根でできた蛇たちはことごとく断ち切られた。
地撃衝撃《ダグ・ハウト》が、木の根が這い回る地層にずれを生じさせたのだ。
「じゃ次ぎ、あたしね、あたし!」
「どうぞ、お嬢さん」
ゼルガディスが苦笑する。
「さて……どんな技を披露してくれるのかな?」
魔王が言う。
「いえ――つたない小技ですけどね。――いきますよ」
右手を軽く上げる。
光の球がそこに生まれた。
「まさか、ファイアー・ボールだなどと言うのではなかろうな?」
魔王がクギを刺す。
「ぎくっ。――実はそーだったりして……」
あたしはそれを彼にむかって軽くほうり投げる。
火球はたよりなく魔王の方に向かって飛び、その目の前でピタリ、と止まった。
「ふぅん……一応アレンジはしてあるんだな……」
自分の周りを不規則に飛び回る光の球を、さして気にする様子もなく、|赤眼の魔王《ルビーアイ》は落ち着いた声で言った。
「しかし、これに直撃されたからと言って、わしは痛くもかゆくもないぞ」
「わかってますって。これはいわば、単なるデモンストレーションなんだから」
「そういうものにつきあう趣味はないね、残念ながら」
レゾ=シャブラニグドゥは手にした杖を軽くふりかざした。
その瞬間――
「ブレイク!」
あたしはパチン、と指を鳴らした。
光の球が分裂し、螺旋を描いて魔王の周りに降り注ぐ。
「な……なんとっ!」
さしもの魔王もここまでは予想していなかったらしく、驚きの声を上げる。
炎と砂煙とが一瞬その姿を覆い隠す。
「ガウリイ! あなたの番よ!」
「おうさっ!」
ガウリイが走る。光の剣≠携えて。
「行け! ガウリイ!」
ゼルガディスも叫ぶ。
「滅びろ! 魔王!」
ガウリイが吠えた。
光の剣がうなる。
そして――
|赤眼の魔王《ルビーアイ》、レゾ=シャブラニグドゥは小さく笑った。
「光の剣――か。確か、魔道都市サイラーグを一瞬にして死の都と化した魔獣、ザナツファーを倒した剣――だったな。しかし、衰えたりとはいえこの魔王と、魔獣風情とを一緒になどしないでいただきたいな」
彼は――魔王はあろうことか、光の剣を|素手で《ヽヽヽ》にぎりしめていた。
「さすがに少し熱いが、まあ我慢できん程度ではないな」
とんでもない化け物である。
「く……くうっ!」
ガウリイが呻く。
どうやら押そうが引こうが、びくともしないようである。
「若いの、剣の腕は達者なようだが、このわしを倒すには武器の器が小さすぎたようだな。……しかし、こんなものか。人間というのは……なら……」
爆発が起こった。
「ぐわっ!」
ガウリイが吹っ飛ぶ。
地面に叩きつけられる。
「ガウリイ!」
「――だ……大丈夫だ……」
どう見ても無事には見えない格好で地面にはいつくばったまま、彼は言った。
「安心しろ。すぐにとどめは刺さん」
魔王が言う。――やなやつ。ま、人の良い魔王などというよーなものがいたら、それはそれでまたブキミだろうが。
「くっ……!」
ゼルガディスが後退《あとじさ》る。
その姿が、瞬時に炎に包まれた。
「ゼル!」
「なぁに、奴は岩の体さ。これくらいで死にはせん。それよりお嬢ちゃん……」
ぎくぎくぎくっ!
「ずいぶん大きなことを言ってくれたが……えらくがっかりさせてくれたな。この礼はしてもらわねばなぁ……」
ひぇぇっ。
ずいっ。
一歩、魔王が歩みを進める。
と、その時。
何かが目の前に飛んできた。
あたしは反射的にそれを掴む。
剣の柄だけの部分――?
光の剣!
「――使え、リナ!」
ガウリイが言う。
「剣の力にお前の黒魔術の力を乗せるんだ!」
「――愚かな――」
馬鹿にしたようにレゾ=シャブラニグドゥが言う。
「光の力に闇の力が上乗せできるものか」
その通りだった。
光の属性を持つ魔法と闇の属性を持つ魔法とを掛け合わせることなどできない。
魔法が互いの力を打ち消し合ってしまうからだ。
しかし――
「剣よ! 我に力を!」
あたしは手の中のそれを高々とふりかざした。
光の刃が生み出される。
ガウリイの時は長剣《ロング・ソード》サイズだった光の刀身が、バスタード・ソードなみの長さになっている。
――やっぱり――
「ハッ! ムダなことを!」
魔王が嘲笑《ちょうしょう》する。
しかし、その声のなかに若干の焦りが含まれているのにあたしは気がついた。
あたしは呪文の詠唱をはじめた。
形式は竜破斬《ドラグ・スレイブ》とほぼ同じ。
しかし、呪文を捧げるのは、この世界の暗黒を統べる|赤眼の魔王《ルビーアイ》、シャブラニグドゥに対してではない。
その部分を、旅の途中で立ち寄ったある王国の伝説に伝わる|闇の王《ロード・オブ・ナイトメア》=\―魔王の中の魔王、天空より堕とされた金色《こんじき》の魔王≠ノ置き換える。
シャブラニグドゥの力を借りて行使する黒魔術でシャブラニグドゥ自身を傷つけることはできない。しかし、同等かそれ以上の能力を持つ別の魔王から借りた力でなら、『|赤眼の魔王《ルビーアイ》』にダメージを与えることはできるはずである。
闇よりもなお暗きもの
夜よりもなお深きもの
混沌の海にたゆたいし
金色《こんじき》なりし闇の王
シャブラニグドゥが動揺の色を浮かべた。
「こ……小娘っ! 何故、なぜお前ごときが|あのかた《ヽヽヽヽ》の存在《こと》を知っているっ!」
あたしは構わず続ける。
我ここに汝に願う
我ここに汝に誓う
我が前に立ち塞がりし
すべての愚かなるものに
我と汝が力もて
等しく滅びを与えんことを!
闇が産まれた。あたしのまわりに。
夜の闇より深い闇。
決して救われることのない、無明の闇が。
暴走しようとする呪力をあたしは必死で抑えていた。
もしここで呪文の制御に失敗すれば、あたしは生体エネルギーのすべてを魔法に吸い取られ――死ぬ。
「ムダだと言うのがわからんかっ!」
魔王は叫びながら、呪文の詠唱なしで生み出した数発の青白いエネルギー・ボールを放ってくる。
おそらく一発だけでも、ちょっとした家の二、三軒くらいなら軽く吹っ飛ばせるほどの力があるだろう。
が――
そのことごとくが、あたしにまとわりつく闇の中に消えた。
「なんと!?」
これこそが本邦初公開、あたしの秘技中の秘技、重破斬《ギガ・スレイブ》!
初めて試しに使ってみた時、あたしの生み出した闇は、浜辺に大きな入り江を造り出した。今でもなぜかその場所には、魚一匹寄りつかず、水ゴケさえも生えないと聞く。
この呪文だけででも、シャブラニグドゥにダメージを与える自信はあった。
しかしまた、この呪文だけで『|赤眼の魔王《ルビーアイ》』を倒すことはできないことも解っている。
あたしがいくらがんばったところで、人間と魔王――この歴然たる器《キャパシティ》の差はどうしようもないのだ。
残る手段はガウリイの言うように、光の剣の力を借りるしかないが――
光の剣の輝く刀身もまた、あたしをとりまく闇に吸い取られつつある。
剣によって生み出された『光』の力と呪文の生み出す『闇』の力が互いを打ち消しあっているのだ。
ガウリイはただ単に、こうなることを知らなかっただけなのだ。
あたしはそのことを知っていた。
たぶん、それ以上のことも。
そしてシャブラニグドゥもまた。魔王の焦りがそれを証明していた。
――やってみるっきやないっ!――
「剣《つるぎ》よ!――」
あたしは叫んだ。
「闇を食らいて刃《やいば》と成せ!」
「なにぃっ!」
重破斬《ギガ・スレイブ》によって産み落とされた闇が、手にした剣にむかって収束していく。
思ったとおり。
「光の剣」の正体は、あたしが想像していた通りのものだったのだ。
つまりそれは、人の意志力を具現化する[#「意志力を具現化する」に傍点]ものなのだ。ふだんはそれが、一番解りやすい『光』の姿をとっているにすぎない。あたしがそう確信を待ったのは、意志力は強いが、その拡張たる魔力を待たないガウリイが手にしたときに比べ、意志のコントロールに慣れているあたしが扱ったときの具現率が大きかったからである。
しかし――これではたして本当にあれを倒せるかどうか――正直いって自信はない。
あと一つ――あと一つ何かがあれば――
「こざかしいっ!」
魔王は錫杖《しゃくじょう》を構える。
低いつぶやき――今まで聞いたことのない言葉が風の中に流れる。
――呪文の詠唱――
まずいっ!
重破斬《ギガ・スレイブ》で生み出された闇をすべて剣が吸い取るまで、いましばらくの時間が要る。
どんな魔法でも、多がれ少なかれ、呪文の行使をしている間、術者の周りは魔法的な結界がはり巡らされる。重破斬《ギガ・スレイブ》をコントロールしている時なら、かなり強力なエネルギー・ボールでも完全に防いでしまうが、はて、『魔王』が呪文まで唱えて全力投球してくれる呪文にまで耐えうるかどうか……はっきし言って、試してみたいなどとはアリの触角の先ほども思わない。
それに第一、重破斬《ギガ・スレイブ》のエネルギーは今、剣に注ぎ込まれている真っ最中である。この状態でいまだに魔力結界が有効かどうか、これまたはなはだ疑問である。
魔王の杖の先端に、赤い光が生まれた。
あちらの方が早い!
といって、中途半端で打ち出したもので魔王が倒せるはずもない。これは――
「やめろ!」
声が響いた。
ゼルガディス。
「もうやめろ!――あんたがあんなにも見たがっていたこの世界じゃねえか! それを――なんで壊しちまうって言うんだよ! レゾさんよ!」
かなり混乱しているようで、おそらく自分が何を口走っているのかすらわかってはいないだろう。
が――
呪文が止んだ。
魔王の杖から、赤い光が消える。
レゾ=シャブラニグドゥは静かに、地に倒れたゼルガディスを見つめる。
――見つけた!――
|あとひとつ《ヽヽヽヽヽ》を!
「――愚かなことを――」
シャブラニグドゥはしばしの間をおいて、彼の言葉をあざける。
その瞬間、あたしの手にした暗黒の剣が完成した。
「赤法師|レゾ《ヽヽ》!」
あたしは叫んだ。暗黒の剣を大きくふりかぶりながら。
「選ぶがいい! このままシャブラニグドゥに魂を食らい尽くされるか! あるいは自らのかたきをとるか!」
「おお……」
歓喜の声と――
「ばかなっ……」
焦りの声とが――
同時に|かれ《ヽヽ》の口を突いて出た。
「剣《つるぎ》よ! 赤き闇を打ち砕け!」
あたしは剣を振り下ろす!
黒い光――そうとしか形容しようのない何かが、魔王に向かってつき進む。
「こんな半端なシロモノ! はじき返してくれるわ!」
魔王が杖を構える。
暗黒のエネルギー塊《かい》が迫る。
そして――
ズヴゥン![#「ズヴゥン!」は太字]
黒い火柱(?)が天を衝いた。
「あ……」
あたしは小さく呻いた。流れ落ちる汗を拭おうとさえせずに。
その火柱の中に、蠢《うごめ》くものの姿を認めたのだ。
やがてそれは静かにおさまった。
「く……」
そして――
あたしはその場に膝をついた。
「く……くっ……くははははぁっ!」
魔王の哄笑《こうしょう》が昏い森に響いた。
「いや……全くたいしたものだよ。このわしも、まさか人間風情にここまでの芸があるとは思わなんだ」
ぴしり。
小さな音がした。
「気に入った……気に入ったぞ、小娘。お前こそは真の天才の名を冠するにふさわしい存在だ」
誉《ほ》めてくれるのはうれしいが、それを喜んでいる余裕はなかった。
今の一撃で、あたしはほとんどの力を使い果たしていた。もはや小指の先ほどの火の玉を出す力すら残ってはいない。
ただ地面にへたり込み、肩で荒い息をするだけである。
「しかし……残念よの……これでもう二度とは会えぬ。――いかにお前が稀《き》代《たい》の魔道士と言えど、所詮《しょせん》は人間」
ぴしり。
――またあの音だ。
一体何の――
「魔道を駆使したところで、生きて数百年。
このあとこの世界の歴史がどううつろうかはこのわしにも分からんが、お前の生あるうちに別のわしが覚醒することは、まずありえまいて……」
――え?
それはどういう――
あたしは顔を上げ、そして見た。
魔王シャブラニグドゥの体中を走る、無数の小さな亀裂を。
これは――
「長い時の果てに復活し、もう一度お前と戦ってみたいものだが……何にせよ、それはかなわぬ望み――お前自身に敬意を表し、おとなしく滅びてやるよ……」
――これで――眠れる――
二つの声が重なった。
|赤眼の魔王《ルビーアイ》シャブラニグドゥと、そして、赤法師レゾとの。
ぱきん。
魔王の仮面の、頬の部分が割れ落ちた。
それは大地に着く前に、風と砕けて宙に散る。
「面白かったよ……嬢ちゃん……」
――ありがとう――すまない――
ぴきん。
「本当に……」
――本当に――
ぱりっ。
「く……ふふっ……くふふっ……」
ぴしっ。
ぱりぱりっ。
あたしはただ呆然と、笑いながら崩《くず》れ去って行く|赤眼の魔王《ルビーアイ》≠フ姿を眺めていた。
哄笑だけが、いつまでも風の中に残っていた――
[#改ページ]
エピローグ
「終った――のか?」
ポツリとガウリイがそうつぶやいたのは、シャブラニグドゥの体が完全に消失して、かなり経《た》ってからのことだった。
「――ええ」
あたしはきっぱりと言った。
「レゾのおかげで、ね」
「レゾの?」
|あれ《ヽヽ》が滅びたことがいまだに信じ難いのか、魔王が最後に立っていた場所を見つめながらゼルガディスが言う。
「あれの中に、まだレゾの魂が残っていたのよ。長い年月をかけて内側から魔王に蝕《むしば》まれながらも残っていた、あのひとのひとかけらの良心が、自らを欺《あざむ》いた魔王に対する憎しみと手を組み、結果――あたしの生み出した闇を自ら受け入れた――」
「……いやしかし、お前さんも全くたいしたもん……」
あたしの方に目をやって、ガウリイは絶句した。
そして、ゼルガディスもまた――
あたしの、銀色に染まった髪を見て。
生体エネルギーの使いすぎによって引き起こされる現象である。
「リ……リナ……その髪……」
「だいじょーぶよ。ちっとばかり力を使いすぎただけ」
あたしはにこりと笑ってみせた。
「疲れてはいるけどね――それよりあなたたちは?」
「オレは――平気さ――」
言いながら、ガウリイはかなりヨタヨタしながら身を起こした。
「おれの方も――少なくともまだ死んじゃいねえよ」
ゼルガディスの方は、ガウリイよりはほんの少しだけしっかりとしている。
「そうーよかった」
あたしはほほえんでそうつぶやくと、そのまま大の字に寝っ転がった。
心地よい睡魔に身を委ね、そして――
数日の後――
三人はアトラス・シティの目前まで来ていた。
「やー、これで今夜はおいしいものが食べられて、ふかふかのベッドでゆっくり眠れるってもんね」
あたしは遠くに見える町並みに目をやりながら声を上げた。
さすがに髪の色はまだ、もとの栗色に戻ってはいないものの、疲れの方は完全に回復していた。
「えらく長い旅になっちまったな」
ガウリイが言う。
「さて――それじゃあおれはそろそろこのへんで退散させてもらうとするぜ」
唐突にゼルガディスが言い出した。
「――え?」
あたしとガウリイの声がハモる。
「おれは今までにもいろんなことをやらかしてきてるしな。顔もそこそこ知られている。ああいう大きな町はヤバいんだ。――こーいう目立つ風貌《ふうぼう》してることだし」
「そっか……じゃあ、どうすんの? あなたこれから」
あたしは尋ねた。
「ま、一人で気ままにやっていくさ。
あんたたちにはいろいろと迷惑もかけたが……」
彼は照れ臭そうに、鼻の頭を指で掻いた。
「お互い、生きていたら、またいつかどこかで会いたいもんだな……ま、あんたたちには迷惑かもしれんが……」
その前に、あたしは右手を差し出した。
「またいつかーね」
「――またいつか――」
ゼルガディスはそれを優しくにぎり返す。
石でできているはずの肌は、不思議と暖かかった。
「達者でな」
ガウリイが軽く手を上げる。
「ああ。お前さんも――」
ゼルガディスはそう言うとそっと手を放し、そのまま背中を向けた。
「――しかしリナよ――」
もと来た方へと去って行くゼルガディスを見送りながら、ガウリイは言った。魔王との戦い以来、あたしへの呼称が『嬢ちゃん』から『リナ』に変わっていた。
「あいつに利き手で握手させちまうとは――さてはあいつ、お前さんにホレてでもいたのかな?」
「ばかなこと言わないの」
あたしは笑って受け流した。
「――ところでさ、お前、アトラス・シティに着いたあとはどうするつもりなんだ?」
「んー、そーねぇ……」
あたしはしばし考えた。
「そだ。それよりガウリイの光の剣≠たしにくれるって話、あれどうなったの?」
「誰がそんなこと言った! 誰が!」
「あ……くんないんだ……」
「当り前だ」
「残念だなー。それがあればあたしはほとんど無敵だし、魔道の研究もはかどるだろーし……」
「だめなものはだめ」
「――うん、わかった」
あっさりとうなずいた。
「……え?」
ガウリイが面食らう。
「これで決まったわ。当面の旅の行き先が、ね」
「――どこだい?」
要領を得ない顔で彼が聞き返す。
「あなたの行くところ、よ」
「……はぁ?」
「光の剣を譲ってくれる気になるまで、ずっとあなたの追っかけをやらせてもらいますからね」
ウインク一つ。
「とにかく――さ、行きましょ」
言って、あたしは歩き出した。
アトラス・シティヘと――
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あとがき
[#地から3字上げ]作者代理L
はじめましてっ! 今回、作中には通り名でしか出てこなかったL≠ナす。本来ならば作者がみなさんにご挨拶《あいさつ》をすべきところ、出無精《でぶしょう》の作者たっての願いにより、代わってあたしがあとがきをつとめることとなりました。
――まあ、ええ年こいたむさいおっさんがたわごと並べてるのより、あたしのような金髪《ブロンド》の美人《ねーちゃん》が話をするほうが、よほど愛想があるってもんでしょう。
ではまず、作者の人物像ですが、愛車は紺《こん》のラ○グレー、家にはビデオが六千本!
――抗議の呻《うめ》き声――
――あ、作者《こいつ》、もう気付いちゃったよ。しかたない。部下S! 作者《こいつ》にもう一発あて身でも食らわせて、解説終るまでトイレにでもほうり込んでおきなさい! ロープとさるぐつわもしっかりとね! 作中に出してもらったからって、手ェ抜くんじゃないわよっ!
……今の部分、当然オフレコね。あたしともあろう者が作者はり倒してあとがき占領《せんりょう》したなんて、きこえが悪いったらありゃしない。
コホン。
えー、御存じの方もおいでになるかとは思いますが、うちの作者は1989年、ドラゴン・マガジンにおいてデビューさせていただきました。
自覚が乏《とぼ》しいうえに悪筆の作者ですが、ファン・レターをくださった掘さん、ヨイショしてくださった北神さん、応援してくださったみなさん、担当のQZさん、ファンタジア大賞審査員の先生方、編集部の方々……ああ、いっぱいお世話になってます。
ほんとにありがとうございます。
どうか、ふつつかな作者ですけれど、今後ともよろしくお願いいたします。
――と、こう書くと、いきなり終ってしまうなぁ……
うちの作者は怖《こわ》がりのくせに昔から化け物が大好きで、専門学校の時代は怪物ばかり描いて喜んでいたという、かなりの強者《つわもの》です。
常々、TVアニメなんぞに出てくるモンスターたちが異常に弱い、と嘆《なげ》いていますが、でもこの話に出てくる魔物たちもあまり強くないような気はするんですけど……
いや、やはり栄《は》えある魔族は強大でなければならないっ!
この世に在りしすべてのものの閣を糧《かて》として生きる魔族が、こんなに弱いはずがないではないかっ!
――一応注意をしておきますが、作者は悪魔崇拝者《サタニスト》ではないようです。念のため。
ちなみに、カマの字でもないようです。
ええ歳こいたおっさんが『あたしは……』なんぞと書いてるのは、想像するだにコワいモノがありますが、何といっても一人称は書きやすい! ということで。主役を女の子にしたのは、『あの性格で男だったりしたら、書いてても読んでてもくそうっとーしいだけに違いない』ということで、だそーです。
作者が『剣と魔法の世界』に足を踏み入れたのは、本人は頑として否定していますが、察するところ、ゲームが原因ではないかとあたしは見た! それが何よりもはっきりと表われているのが『魔法』です。
作中の魔法はご察しの通り、ロール・プレイング・ゲームのノリです。黒魔術の呪法など、もう少しドロリとした術もいくつか案としてはあったようなのですが、あまりにも世界に合わないので、今回と言うよりも、リナ=インバースが主役を張る話では、たぶん使う機会はないでしょう。
魔法に関する理屈をあれこれ想像するというのは、あれで結構楽しいものだそうで、生命体の活動ポテンシャルを上げる『治癒《リカバリイ》』は、ゾンビにかけると腐敗菌《ふはいきん》の増殖率《ぞうしょくりつ》を増し、結果、まだ生きている筋肉組織を腐食《ふしょく》し、ダメージを与えることになる、とか、竜破斬《ドラグ・スレイブ》は目標物内部のごく小さな一点を純エネルギー化する呪文である、とか、ほとんど役に立ちそうもない設定がぽこぽこできあがっているようです。
しかし作者に言わせると、こういう小さなアイデアのいくつかが、ある時|唐突《とうとつ》に一つの形を取り始め、お話として出来上がる、ということだそうですが、そーいう言い方をされると、小説も妖怪人間《ベム・ベラ・ベロ》もいっしょくたのよーに聞こえてしまうのが、なんとも。
まあしかし何にしろ、いつかはこのあたしにも活躍の場をあたえてもらいたいもんですね。
さあっ! みんなでこのあたし――L≠活躍させるよう、作者に匿名《とくめい》の脅迫状《きょうはくじょう》を送ろう!
まあ、冗談はとにかく。
全く脈絡のないあとがきになってしまいましたが、ともあれ、こうして無事に本も出来上がりました。
作者も、いろいろな人たちにお世話になりました。
感謝。
そして、最後になってしまいましたが、こうしてこの本を手にとってくださっているあなた。
作者代理として、心よりの御礼を送らせていただきます。
――本当に、ありがとうございます。
[#改ページ]
解 説
[#地から2字上げ]富士見ファンタジア文庫編集部
いかがでしたか、楽しんでいただけたでしょうか?
かわいい少女魔道士と、それを助けるかっこいい腕利《うでき》きの剣士が、つぎつぎと襲《おそ》いくる悪の手先と闘《たたか》いをくりひろげながら旅をする。――なんていうと、ファンタジーにはありがちの展開ですよね。
でも、その少女魔道士が三度のメシより攻撃呪文が好きで、悪人に人権はない!≠ニキッパリと言い切るとんでもねぇ性格だったら……ちょいと話は違います。
そもそも悪党たちに狙《ねら》われるようになったのは、手元不如意《てもとふにょい》の解消と退屈しのぎのため山賊たちのアジトを襲い、金品を強奪したのが原因だ、というんだから尋常《じんじょう》じゃない。
主人公のリナ=インバースがこの性格です。相捧にしたって、敵役《かたきやく》にしたって、一筋縄《ひとすじなわ》でいくような奴《やつ》であるわけがありません。
ガウリイは物を知らないわ、ゾルフは三流だわ……。
こうした個性的な登場人物たちが、攻撃呪文の雨と血しぶきをまきちらしながらくりひろげる一大ページェント! はっきり言って、おもしろい。
ごぞんじの方も多いと思いますが、この作品『スレイヤーズ!』は、第一回ファンタジア長編小説大賞において、準入選作の一本に選ばれました。大賞は該当作なし≠セったので、全応募作一二四編の中で最高の成績をあげたことになります。
この作品が選ばれた最大の理由は、やはりキャラクターの個性の強さでしょう。
主人公の強烈な個性は、読者を、そして物語自体をぐいぐい引っ張り、細かい欠点などものともせずに一気に結末まで運んでしまいます。
また、読み終わった後で、ストーリーなどは忘れてしまったとしても、個性的なキャラクターは読者の心に残ります。
類型的なヒーロー、ヒロインの作品が多かった中で、この作品の、リナ=インバースを始めとする、個性的で、なおかつそれなりの存在感と説得力のある登場人物たちは目を引きました。
また、既存《きぞん》のいわゆるファンタジー世界をそのまま持ち込むのではなく、それを消化し、自分の作品世界として再構築している点も評価できます。
さらに、大きな欠点や破綻《はたん》がなく、きちんと一本の独立した作品として完結しているということも、この作品が最後まで残った理由です。
もちろんこの作品にも欠点はあります。
プロの作家である選考委員が思わず目を見張《みは》るような新しいイメージをひとつでも描《えが》くことができていたら、『スレイヤーズ!』は大賞に輝《かがや》いていたかもしれません。
世界設定にしても、プロットにしても、まだまだ甘いところはいくらでもあります。
それでも、それらの欠点をおぎなうだけの個性とパワーとおもしろさをこの作品は持っているのです。
(念のため書いておきますが、第二回以降この作品と同傾向の作品があった場合、よっぽど優《すぐ》れた作品でないかぎり入賞はむずかしいと思ってください。応募者のみなさん、自分の個性を大切にして、自分にしか書けない作品づくりが大切ですよ)
著者の神坂一《かんざかはじめ》は関西地区に住む好青年です。ふだんはまっとうな勤《つと》め人を装《よそお》っているのでこれ以上くわしいプロフィールは紹介《しょうかい》できませんが、リナみたいなキャラクターを生みだしたのが不思議に思えるくらい真面目《まじめ》でひとのいい、笑顔の似合う若者です。
ファンタジア長編小説大賞から生まれた初めての新人です。リナともども、みなさんぜひ応援してあげてください。応援して勉強させて、みんなでもっともっとおもしろい作品を楽しもうじゃないですか。
本書にさきがけて、月刊ドラゴンマガジンでは、一九八九年十月号に『白魔術都市《セイルーン》の王子』、一九九〇年二月号に『りべんじゃあ。』という、本書と同じリナ=インバースが主人公の二本の短編を掲載《けいさい》しました。今後もおりを見て掲載していくつもりです。そちらの方の応援もよろしく。
また、「あとがき」に登場した謎《なぞ》の金髪美女L≠ネど『スレイヤーズ!』の世界には編集者にも知られていない秘密がまだまだ隠《かく》されていそうです。読者のリクエストしだいでは、ふたたび書き下ろし長編でリナたちと会えるかもしれません。
さあ、ともだちに勧《すす》めよう! アンケートはがきを出そう! 著者に応援の手紙を書こう! このおもしろさを知ってしまった人は、もういちどリナに会わずにいられない!!
なお、はげましのお便りは、次のあてさきまでお送りください。
〒一〇二
東京都千代田区富士見一ー十二ー十四
富士見書房ファンタジア文庫編集部 気付
神坂 一  (様)
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(注)あとがき及び挿絵を抜き出したファイルの発行情報です。
富士見ファンタジア文庫
スレイヤーズ!
平成2年1月25日 初版  発行
平成7年4月30日 三十四版発行
著 者 神坂一(かんざか・はじめ)
発行者 佐藤吉之輔
発行所 富士見書房