深田祐介
炎熱商人(下)
下巻 目 次
南からきた男たち
褐色の足音
銃  声
あとがき〈付・参考文献〉
[#改ページ]
南からきた男たち
鶴井の着任まで、鴻田貿易のマガリアネスの独身寮には、経理担当の藤田とそれに石山の、ふたりの独り者だけが入居していた。経理の藤田は、石山とほぼおなじ年頃で、穏やかな人柄だったから、共同生活の相手としてはまことに快適であった。
朝の出勤の際にも、独身寮用に割りあてられた会社の車に藤田と同乗してゆくことが多く、昼食の際も、約束のない限り一緒に独身寮に帰って食事をとった。食事後、それぞれの自室で三十分か一時間昼寝をして、また一緒に会社に戻る。
東京からの客の接待があったり、石山がレオノールと会ったりするときだけ、声をかけ合って、車のやりくりをする。そんな場合は藤田が会社の車を使い、石山が自分のヒルマン・ハンパーを運転するのであった。
ところが、こうした順調な共同生活が、鶴井の登場で、俄《にわ》かに破綻《はたん》して、ぎくしゃくしたものになった。
初出勤の朝に、鶴井は、「石山君は助手席にすわって」などとあたかも自分が最古参の寮長ででもあるかのように振舞って、石山を驚かしたが、昼めしどきや帰宅時に、藤田と一緒に帰宅しようとすると、車がない、ということが立て続けに起った。
鶴井が、マニラに駐在している木材関係の昔からの知人や、学校時代の友人に会うために、勝手に社用車を使ってしまうからで、石山と藤田はやむなくタクシーで帰宅せざるを得なくなった。
ある朝、寮の玄関の外で、藤田が、
「おれもタカさんの真似をして、車を買うかな」
深刻な顔をして、いった。
レオノールだけでなく、今では会社のだれかれも石山のことを「タカ」とか「タカさん」と呼び始めている。
「鶴井さんの都合にこっちまで振りまわされるのは適《かな》わないしな。といって、あんたの車に毎日乗せて貰って、他人の恋路の邪魔をするような真似もしたくないやね。これは、おれも車買って、社用車をあのツッパリさんに渡すのが、ベストの手じゃないかねえ」
藤田が小声で囁いているところへ、
「やあ、お待ちどおさん」
と鶴井がのどかな声をあげてでてきた。
いつの間に手なずけたのか、庭男兼掃除人のマリオに、事務用の鞄を持たせて、まるで重役気取りであった。
朝めしどきもそうだが、車中はまるで鶴井の独演会である。
「いや、昨日、書類をみとったらね、ついに去年の輸入材のシェアは、国産材をしのいだらしいね。たった四年前のね、昭和四十年の輸入実績の二倍に達したらしいよ。これは大変なことですよ」
そういう類いの話を喋りまくる。
鶴井が「押しかけ女房」と自認しながら、自信満々の高姿勢をくずさない背景には、むろん、日本の輸入木材市場が巨大化して、鴻田本社内でも、木材部の地位が年々急テンポで上昇しつつある、という事情が絡んでいる。
しかもおなじ外材のなかでも、米国が森林資源保護に乗りだして、北米材の輸入が減少したこともあって、南洋材は輸入外材中四九パーセントを占めるに至っている。南洋材にとってはまさに黄金時代の訪れであった。
「昭和四十年の南洋材の輸入量を一〇〇とした場合ね、去年までの四年間の増加指数は、きみたち、いくらだとおもう? じつにね、一三〇、一四三、一五一、一八四ですよ。今年は昭和四十五年でしょう。五年目の今年は、確実に二〇〇を越すな」
鶴井は、まるで自分が南洋材協議会の会長であるかのような、得意気な口ぶりで話し、
「石山君、あんたの会社の荒川ベニヤも綱渡り経営の連続だったが、この分なら、きみの首も当分、つながりそうだな」
大声で笑って、石山の肩をどやしつけたりした。
独演会が二、三十分続いて、やっと車がアヤラ通りとヘレラ通りの角にある会社のビルの前に着き、うんざりした顔で石山が降り立つと、すぐ前に、窓ガラスに色をつけて、内部を見えないようにした、軍艦のようにおおきいリンカーンが停ったところであった。
レオノールのところのドミンゴとおなじような、ブルーの制服を着て、腰にピストルを差した屈強のガードマンが、ご丁寧にもふたり同乗しているらしく、運転手兼務のひとりがドアを開けるあいだ、もうひとりは路上に立って、あたりを警戒する様子であった。
ドアから降りてきたのは、小柄のなんだかひょこひょこ歩く感じの、初老の人物である。そのあとから、これはガードマン顔負けの、肥った大柄の人物が、おおきなリンカーンのドアをくぐり抜けるのも苦しそうな表情で、黒い眉をひそめて姿を現わした。
路上に立った、初老、小柄の人物のほうは、場違いの土地に降り立った感じで、眩しそうに眼をしばたたき、うすい白髪を掻きあげながら、ラッシュアワーのアヤラ通りを見まわしている。
肥った男は、漆黒の髪と漆黒の眉、黒い口ひげをたくわえ、ポリネシア系のような印象を与える男だが、おおきな腹を突きだして鴻田の事務所のあるビルを見あげていた。
──昔、このふたりとそっくりの喜劇コンビがアメリカにいたんじゃないかな。
石山はおもった。
むろん戦後のリバイバル物でみたのだけれども、大柄の男と小柄の男の組み合わせ、それもしょぼしょぼと瞬きをする小男と、傲然と反りかえっている口ひげの大男という組み合わせは、たしかローレルとハーディとかいった喜劇コンビをおもい起させた。
石山たちが社用車を降りて、ビルの入口へ歩いてゆくと、初老の小男のほうがひょこひょこと歩み寄ってきて、
「コーダ・トレーディング・カンパニイというのは、このビルの何階ですかね」
相変らず眼をしばたたきながら、訊ねた。
横には、ガードマンがぴったり寄り添っている。
「八階ですよ。われわれも鴻田のオフィスで働いておりますからね、私がご案内しましょう」
石山は、愛想よくいって、ビルの入口へ歩きだした。
エレベーター・ホールで、ポリネシア系のような大柄の男が、
「あんたがた、鴻田の社員かね。今日は、社長はいるかね」
両手を腰にあてていう。
そこで気がついたが、きいろいシャツを着た小男も、みどりの原色のシャツを着た大男も、両手の指にふたつみっつずつ、おおきな指輪をはめている。大男のほうは、もうひとつ、おまけに大型のペンダントを胸に吊していて、どうやらわざと外しているらしい胸のボタンのあいだから、胸毛と一緒にペンダントの青い竜が、ちらちら顔をだしていた。
「支店長のことですか。支店長はあいにく、出張中で、留守なんですよ」
石山はいった。
所長から支店長に昇格した小寺は、フランク、オノフレと一緒に、ミンダナオ島のイリガン工業地帯に建てるセメント工場の予定地に出張していた。
喜劇コンビふうのふたりは、「ふうん」と当てが外れたように唸り、明らかにタガログ語とは違う現地語で、喋り始めた。
ふとった男は、眉を寄せて、顎を撫でながら、
「じゃあ、ナンベル・ツーはいるかね。副社長というやつだよ」
と訊く。
「ナンバー・ツーは私ですよ。私が支店次長です」
そこで鶴井がしゃしゃりでて、そう答えた。
ふたりの喜劇コンビは、驚いたような顔をして、鶴井の姿を、頭のてっぺんから足の爪先きまで眺めた。
じっさいの年齢が若いうえに、日本人は年より若くみえるから、彼らには、鶴井がほんの取るに足らぬ若造に見え、ナンバー・ツーほどの大物とは到底おもえなかったに違いない。
「どういうご用件ですか。この支店を代表して私が承りましょう」
鶴井は格好をつけて、「支店を代表して」などという、表現を使った。
ふたりはちょっと黙り、小柄のほうが、白髪を撫であげながら、
「コーダ・トレーディングは、最近材木の商売に熱心だって聞いたんでね、きてみたんだけど、おれのところで、ミンダナオにコンセッション持っててね」
眼をしばたたき、周囲を気にするように見まわして、いった。
ディビラヌエバのオノフレのコンセッションから、赤ラワンを輸入し始めると、フィリッピンの木材業界ではたちまち噂が広まって、シッパー、つまり伐採権保有者《コンセツシヨン・オーナー》から売りこみの手紙がきたり、シッパーの代理店が鴻田貿易を訪ねてくるようになっていた。
しかしこんなぐあいに、コンセッション・オーナー自身が会社を訪ねてくるのは、初めての珍しいケースである。
八階にエレベーターが着くと、鶴井はごく自然のような顔をして、彼らを支店長室に案内した。ナンバー・ツーとしての権威を誇示しよう、ということらしく、「石山君も同席してくれよ」などという。
ふたりのお客は、支店長室の入口にすわった秘書のフェイに愛想よく、「ハロオ」といい、フェイは喜劇コンビふうのふたりを眺めて、驚いたように小さな声で「ハロオ」と答えた。
支店長室に入ったふたりは物珍しげに鴻田の本社役員の写真が額に入れて飾ってある部屋のなかを見まわしてから、鶴井、石山と名刺を交換したのだが、初老の小男の名刺には、アグサン木材株式会社社長、マルセル・シーチャンコと書いてあり、石山は「|ちゃんちゃんこ《ヽヽヽヽヽヽヽ》みたいな名前だな」とおもった。
大男のほうの名刺には、副社長、ホアン・クエトオと書いてある。アグサン木材株式会社の所在地は、ミンダナオのブツアン市になっていた。出張中の小寺とフランクはイリガンの帰りにブツアンを訪問しようと計画しており、その矢先きに、ミンダナオの商売が舞いこんできたのであった。
「まず質問したいんだが、あんたの会社は、ミンダナオの材木には興味あるのかね」
ポリネシア系の大男がいう。
「会社である以上、どこだって、機会があれば金を儲けたいですよ」
鶴井は、いかにも気のきいたことをいうだろう、という顔で、眼鏡を光らせて答えた。
「そりゃそうだろうな。あんたのところで買ってるルソンの材は、質がわるくて儲からんだろうからな」
初老、小男の方が首を振って、ルソン材を買うなど考えられないという顔をする。
「珊瑚《さんご》みたいに捩《ね》じまがっていてな、海に放りこむと、石みたいに沈んじまうだろう。あんなものは材木じゃないよ」
大男もすぐに調子を合わせて、
「日本は地震が多いそうだが、あんな石みたいな木で家作ると、皆、木の下敷になって死んじまうんじゃないのかな。重くて、圧《お》しつぶされちまうよ」
ルソン材の悪口をいった。
鶴井は、にやにや笑って受け流し、
「ところで、おたくのコンセッションはミンダナオのどこにあるんですか」
と訊ねた。
「ミンダナオの東海岸ですよ」
少し丁寧な言葉つきになって、初老の小男がいった。
「リアンガ湾《ベイ》の近所ですよ。いい材木が向う数十年は出る、すばらしいコンセッションだね」
「喜劇コンビ」の語ったところでは、そのコンセッションは、ミンダナオ島東海岸リアンガ湾とビスリグ湾の中間にある。
このあたりは、前大戦中、アメリカ海軍潜水艦の秘密基地になっており、ゲリラが占拠して、密かに太平洋で行動する米潜水艦に対して、兵站《へいたん》補給を行っていた。
戦後は、この地区一帯のゲリラ活動を指揮していたアメリカ人将校数人が、この土地のコンセッションを買い取った。買い取ったコンセッションを元手に、本格的な商売を始めたのが、ゲリラ隊の隊長ジャックソン大佐で、フィリッピンきっての財閥、サン・ミゲル・ビール会社のオーナー、ソリアノの融資を受けてビスリグ・ベイ木材株式会社の経営にあたった。
このとき、ビスリグに隣接するブエナというところのコンセッションを取得したまま、米国に帰国してしまった、カムスという将校がいた。
数年前、このカムスという将校が米国、ミシガン州で死亡、未亡人が夫の財産処理の際、このコンセッションの所在を発見し、伝手《つて》を介して売りに出して、それをたまたまアグサン木材株式会社が取得した、という説明であった。
「リアンガは、日本の南星商事というエージェントが開発を始めて、今でも木材を積みだしているが、あそこはいい材がでるんで有名よ」
鶴井は、石山に向って日本語でいった。
「ああ、南星商事の名前は、聞いたことがありますな」
石山もそう応じた。
鶴井は、「喜劇コンビ」に向って、
「当社としては、大変に興味のあるお話ですな。書類や現地の状況をぜひ拝見したいです」
といった。
九月十日の台風のあと、マガリアネスの独身寮に住む石山のもとに、吾嬬《あずま》町の母親からおおきな小包みが届いた。
──まさか、また、更科のそばを送ってきたんじゃあるまいな。
石山が、そうおもいながら、開いてみると、呆れたことに、金鳥の蚊取り線香の箱が二ダースもでてきた。ご丁寧に、ぶたの格好をした、瀬戸物の大型蚊取り線香入れが、厳重に梱包されてふたつも入っている。
添え手紙がしてあって、
「このあいだうちから、以前、交通事故で傷めた腰が少々差しこむので、おとつい、白鬚橋の病院に行つて、レントゲン光線の写真をお願いしましたところ、入院していたおりのおなじ病室仲間のかたにお目にかかりました。戦時中、|シ《ヽ》リッピンにいたといふご主人と一緒で、ご主人のほうは、また|マリラヤ《ヽヽヽヽ》の発作が起つたとかで、男盛りの年なのに、まつつぐ歩けないほど、衰弱しておりました。その方の話では、|マリラヤ《ヽヽヽヽ》はなんでも、蚊が|ももんがあ《ヽヽヽヽヽ》みたいな虫を人間の血管に注射するために起るんだ、といふ話です。|シ《ヽ》リッピンじやあ、おれは日本の蚊遣りの夢ばつかしみたもんだ、あんたも息子さんに、ぜひ蚊遣りの線香を送つてやんなくちやいけないよ、とおすすめがあつたので、取り敢えず二ダースお送りします。必要なら、二、三十ダース送りますから、手紙を下さい。ぶたのお線香入れは、ひとつは独身寮、ひとつは会社で使つて下さい」
相変らずの時代錯誤の手紙である。
母親が頭に描く「シリッピン」は、事務所のなかを蚊がぶんぶん飛びまわっており、息子が蚊柱の真中で仕事をしているような国なのであった。
冷房のきいたフィリッピンのビジネス街に蚊なんぞいはしないし、独身寮にしても、二階の寝室は冷房がきいているので、蚊はこない。
くたびれた扇風機がゆらゆら天井でまわっているだけの居間で、藤田とビリヤードを打っていると、たまに刺されるくらいのもので、そのときには「カトール」という、日本的な名前のついたフィリッピン製の蚊取り線香を使っていた。
ましてや、マラリヤ原虫保有の蚊はバターン半島の一部に棲息するだけで、マニラ市内では、絶対にお目にかかれない。
目下の石山の頭をなやましているのは、蚊ではなくて、人間の女性、それもレオノールのシャペロンのリタであった。
台風の土砂降りの雨の中、ムスタングの車内に閉じこめられた一夜以来、石山とレオノールは、お互いに閑を見つけては数日おきに会っていたが、ふたりきりになる機会をどうしても持てなかった。
母親が、ロスアンジェルスの病院勤務の父親とメキシコで休暇を過しているのをいいことに、一度、彼女の家で夕食をご馳走になったのだけれども、四、五人の使用人がたえず家内をうろうろしていて、落ち着けたものではない。
居間のソファでキスを交わすのが関の山で、それも次の瞬間には、飲物を運んでくるメイドのノックにおどろかされるし、庭先きを庭師がなぜか高声に歌を歌って通り過ぎたりする。
それなら、自室に石山を呼びこめばよさそうだが、さすがのレオノールも大勢の使用人の手前、その勇気は出ないらしかった。
なにしろ、大勢の使用人に加えて、シャペロンのリタが、用事もないのに、ふたりが音楽のテープを聞いている応接間になんとなく出入りして、動静を見張っているのである。
家に遊びにゆくのは一回で懲《こ》りて、その後は外で食事を取ることにした。
獅子鼻のドミンゴのほうは、その後、すっかり話の通りがよくなって、大学の医学部でレオノールと落ち合った石山が、少しばかりチップを手渡すと、にやりと笑って、「サンキュー、サー」と大声でいい、ムスタングを運転してさっさと帰ってしまう。
しかし色黒、おでこのリタのほうは、チップを手渡すと、「サンキュー」といって受けとるくせに、一向に帰ろうとはしないで、そのままのこのこと石山のヒルマン・ハンパーに乗りこんでくるのである。
ふたりが食事をしているときは、自分も貰ったチップでどこか食事をしにゆけばいいのに、ロビーの隅や、店の外で、律義な女刑事みたいにふたりを待ち受けている。
公園を散歩すれば、数メートルの距離を置いてぴたりと後方から歩いてきて離れない。
「フィリッピン人というのはね、男はいい加減なのが多いけれども、女は真面目なのよ。手がつけられないくらい、真面目なのがいるのよねえ」
レオノールは、後方を歩いてくるリタのほうを窺いながら、まるで自分はフィリッピン人ではないようなことをいった。
情熱に走りやすいラテンの血がレオノールにも流れているから、彼女自身も石山とふたりきりの機会を持ちたい気持は強いらしく、寄り添って歩きながら、強く石山の手を握り締めてきてこちらの手が痛いくらいであった。
「ホテルの庭先きに小屋のあるようなところはないかな。ホテルのロビーに彼女を待たせておいて、われわれがその小屋にゆくんだよ」
「そんなちゃんとした小屋のついているようなホテルはないわよ。そんな小屋に入るくらいなら、皆、ホテルに泊ってしまうんじゃないの」
そういってから、レオノールは考える顔つきになり、
「椅子のうえに陽よけのついたみたいな、簡単な小屋のあるホテルはあるな。あそこなら落ち着いてキスくらいはできるわよね」
と呟いた。
「だけど、蚊がいるんじゃないかなあ」
と心配気な声をだした。
石山は、母親が送ってよこした、ぶたの格好の蚊取り線香をおもいだし、「恋の病には、草津の湯より蚊取り線香が役に立つのかもしれんな」と馬鹿なことを考えた。
イリガンに出張していた小寺とフランクは、オノフレと別れ、朝まだきに海岸沿いの約二百五十キロの道を白タクで飛ばして、人口十五万の港湾都市、ブツアンに向った。
ラワン材とは、すなわちミンダナオ材を意味したほど、ミンダナオの白いラワンは良質で、日本への出荷量も多かったのだが、ブツアンはミンダナオ最大のラワン材輸出港である。
全長三百二十キロの長大なアグサン川がミンダナオ島奥地から北海岸に向って蛇行しているが、ミンダナオの内陸で伐りだされた木材は、この長大なアグサン川を、筏に組んで流されてきて、河口のブツアン市の貯木場に納められ、搬出の船を待つのであった。
小寺とフランクは、街の中心部から少し外れた、比較的新しい、二階建てのニュー・ナラ・ホテルに一泊したのち、翌朝ホベンチーノに紹介された木材会社を訪ねてみた。
ふたりは、ミンダナオで新規の商売を開拓すべく、ホベンチーノに紹介状を書いて貰ったのである。
途中、ふたりは「夕べは暑くて参ったな」と赤い眼をして語り合った。ブツアンは、電力が配給制で六時間おきに市の半分ずつが停電になるので、夜中の十二時以降は、冷房がきかなかったためである。
ホベンチーノとおなじ華僑系の木材会社の社長は、
「うちは、日本の安川産業さんと主にお取引き願ってますがね、安川さんとの契約以外にも、かなりの量の材が、出るんですよ。それをお宅あたりで、お買いあげいただけたら、とおもっておりましてね」
という。
──なんだ、安川の残飯の商売か。
フランクは、そうおもったが、とにかくアグサン川の川岸にある、貯木場へ社長の車で案内して貰うことにした。
アグサン川の両岸には、深川の木場のように、沢山の貯木場がならんでおり、そのひとつに案内されて、伐りだされてきた丸太を眺めた。
ルソン材を眺めてきた眼には、木口の白さが目立つが、材そのものもルソン材に比較して、径がひとまわりもふたまわりもおおきい。
台風に直撃されない木は、こうも違うものか、と改めておもうほど捩じれや節が少く、まっすぐ伸びている。ルソン島では最上の質とおもわれるオノフレのコンセッションの丸太も到底、適わない気がした。
貯木場の縁に立って、小寺は、貯木場の状況、木材の状況をしきりに手帳にメモしていたが、その手帳をズボンの尻のポケットに捩じこみながら、
「いい材ではあるけれど、ひっきょう、これは落穂拾いの商売だな」
天を仰いで額の汗を拭った。
「ラワンも勢いがいいが、ここの雲も勢いがいいな、フランク君。フィリッピンにきて、雲のね、特に入道雲の生きのいいのには驚いたよ。膨《ふく》らんだり縮んだり自由自在だろう」
小寺は、彼方のみごとな積乱雲を眺めて、そんなことをいう。
「昔の日本人は死んだひとの魂が雲になるとおもっていたらしくてね、万葉集には雲をみて故人を偲ぶ歌がいくつもあるんだが、フィリッピンの雲をみてると、ほんとに魂がこもっているような気がしてくるな」
「へえ、そんな歌があるんですか。自分は古い日本の歌といえば御民《みたみ》われ、生けるしるしあり≠ニか、われは忘れじ、撃ちてし止まむ≠ナすか、あのくらいしか知りませんよ」
フランクはまぜ返し、ふたりは笑った。
貯木場をひとわたり眺めた小寺とフランク、それに木材会社の社長は、マニラに比べてはるかに暑い午前の陽差しのなかを東に向って歩いて行ったのだが、傍らの貯木場監視用の粗末な小屋のなかから、ふいに監視人らしいいろの黒い男が、現われた。
男の後方には、監視人とおなじように半ズボンにTシャツを着た、これは、中国系の血が入っているらしい、青白い顔をした男が、七、八歳の子どもの手をひいて立っていた。
監視人は、ミンダナオの言葉で、しきりに木材会社の社長になにかを頼んでいる風情だった。
「フランク君、彼ら、なにを頼んでいるのかね」
小寺が訊ねた。
「この辺はビサヤ語の地域なんですね。自分はルソンの言葉なら、タガログ語でなくともだいたいわかるんですが、ビサヤ語となると、よくはわからないんですよ」
日本語、英語、タガログ語をほぼ同程度に話す、天才的な語学力を持ったフランクだが、そんなことをいう。
「想像の部分も入りますが、今、話している男は、この貯木場《ログ・ポンド》の監視人なんですね。後ろで子どもの手をひいているのは彼の友達で、その友達が失業して困っているので、監視人として雇ってくれないか、そう頼んでるみたいですね。貯木場はここのほかにもいくつかあるんで、監視人がもうひとりふたり必要じゃないか、そういってるようですね」
華僑の木材会社の社長は、客の手前もあってのことだろう、険しく眉を寄せてじっと監視人の顔を眺めている。
「この子ども連れの男も、別の貯木場の監視人をやっていたんだけれども、放漫経営でそこがつぶれてしまったんですね。それで、この親子は、三日もなにも食べていない、といっていますよ。まあ、中国系の混血らしいし、おなじ民族のよしみでこの華僑の社長に頼んでみよう、ということになったんでしょう」
「ふうん」と唸って、小寺は、親子の様子をじっと眺めている。
子どもの手をひいた男は、緊張しているのか、三角形の眼をまたたきもせずに、木材会社の社長にあて、痩せた頬の肉をひくつかせている。
男の丸首シャツは、うす茶いろに汚れ、袖つけの部分が取れかかって、肩にぶら下っていた。
子どもは、きかぬ気なのか、上眼づかいの眼で、やはり社長を睨むようにみて、唇をきつく結んでいるのが印象的であった。
木材会社の社長は首を振って、何事か叫び、小屋を離れて、車のほうへ歩きだした。
「今のところ、監視人は、おまえひとりで充分だ、もし、どうしても使って欲しい、というのなら雇ってやるが、その代り、おまえの月給は、半分にするぞ、とこのシナさんはいっているようですな」
ふたりは華僑の社長に、ニュー・ナラ・ホテルまで送って貰ったのだが、車を降りた小寺は、尻のポケットに手をやって、
「フランク君、どうやら手帳を失くしちまったらしいよ」
いいにくそうに呟いた。
「車のなかに置き忘れたんでしょう。私がとりに行ってきましょうか」
「いや、車のなかで気がついて、シートを丹念にみたが、なかったんだな。初対面の社長の手前、みっともなくていいだせなかったが、おれは、車を頼んで、先刻の貯木場に戻ってみるよ。先きにホテルで昼めしを食っててくれよ」
そう支店長にいわれても、フランクとしては、むろん小寺をひとり、貯木場に引っ返させるわけにはゆかない。
フランクは、ホテルのフロントに頼んで、白タクを呼んで貰い、ふたりは再び貯木場に引き返した。貯木場に着いてみると、貯木場の縁に、先刻の子どもが腰をおろし、ぼんやり川を眺めているのがみえた。
「腹が減って、遊ぶ元気もないのかな」
小寺は子どもの様子が気がかりな感じで、そういう。
ふたりの姿をみつけて、すぐに小屋から監視人が跳びだしてきた。手にはちゃんと小寺の手帳を持っていて、あそこで拾ったと貯木場のほうを指差してみせる。
「|ありがとう《サラマツト》」
小寺はタガログ語で礼をいってから、
「フランク君、彼らを昼めしに誘ってみちゃあどうだろう」
とおもいがけない提案をした。
フランクは呆気《あつけ》に取られて、小寺の顔を眺めた。
「支店長、そんな必要はありませんよ。この監視人に、いくらかチップをやればいいんですよ」
小寺は、貯木場の縁に腰かけている少年の後ろ姿へ眼をやって、
「しかし、チップをやれば、この監視人がひとり占めにしてしまって、あの子どもと父親には一銭も手に入らんだろう」
と取り合わない。
「フランク君は、感傷的というかもしれんけどね、おれはあの子どもに昼めしを食わせてやりたいんだよ。おれも男の子をふたり持っているだろう。あの子はうちの子よりずっと年下だが、男の子どもをみると、妙に心が動くんだ。他人ごとという気がしないんだな。なんとかあの親子にめしを食わせる理由を考えてくれよ」
小寺の口調には熱っぽいようなところがあって、フランクは心を動かされた。
「ちょっと話してみましょうか。私の言葉で通じるかどうかわかりませんがね」
フランクは、タガログ語にビサヤ語を混え、
「手帳を取っておいてくれたお礼に食事をしないかね」
監視人は驚いたような顔をした。
「よかったら、そこの親子のひとも一緒に連れてきたらどうかね」
小屋のなかで、所在なげにすわっていた、三角形の眼の男も、フランクの言葉がわかったらしく、監視人よりもっと驚いた顔をした。
一行は、監視人の案内で、川の周辺の貧民街を抜け、そのあたりでは小ぎれいな食堂に入った。
フィリッピン料理、中華料理取り混ぜてサービスする店で、ちゃんとフォークとスプーンが出てきて、フランクと小寺は紙ナプキンでフォークとスプーンを丹念に拭いた。日本人が割り箸をこすり合わせるのに似たフィリッピンの習慣なのである。
ミンダナオの、特にこのあたりは海岸だから、料理は魚が中心になって、ルソンに多い、豚の角煮のようなアドボなどはメニューにない。
フランクはふたりの男と相談して、ビサヤ語でパクシウと呼ぶ魚の酢漬け料理やタガログとおなじにギナタンと呼ぶココナツ椰子のシチュー、ビサヤ語でパンシット・ログログと呼ぶ焼きビーフンなどを注文した。
ふたりの男のうち、色の黒い、貯木場の監視人のほうがルペルトという名だそうで、中国の血の濃い、失業中の男がロケという名だそうであった。ふたりとも親の代にルソンから移住してきた連中で、道理でかなりタガログ語が通じるのである。
空腹にひさしぶりのビールがきくらしく、サン・ミゲルのコップにひとくち口をつけただけで、中国系のロケという男の青白い顔は真赤に染った。
「あんた、今後、どうやって食ってゆくつもりだ、と訊いてみてくれよ、フランク君」
小寺にいわれて、フランクがタガログ語でルペルトに訊ねると、
「おれはロケにね、ミンダナオの東海岸に行ってみろ、とすすめているんだよ」
監視人の男が、連れの顔をみながらいった。
「このブツアンで木材会社の副社長やっているクエトオという、えらいひとがおるんだけど、このひとはもともとステベ(荷役業者)の出身でね、東海岸のリアンガ一帯のステベを抑えこんでるんだ。このクエトオさんがおれの兄貴の名《ニ》|付け親《ノン》だからね、兄貴通じて、クエトオさんにお願いしてね、東海岸のどこかで働かせて貰えって、いってるんだよ」
監視人のルペルトは、そういって、顔を真赤に火照らせているロケの破れたTシャツのぶら下っている肩口を叩いた。
「なにせ、クエトオさんは、人情のある、立派なひとだからね。ちゃんと雇ってくれるさ。クエトオさんのステベがだめでも、どこかちゃんと紹介してくれるさ。なにしろ、あのひとは顔がきいているし、えらい金持ちだからね」
フランクが小寺に説明して聞かせると、
「念のために聞いておこうや。そのクエトオというひとが副社長やっている木材会社は、なんていうんだろうね」
小寺は訊ねた。
その会社の名前が、アグサン木材株式会社と聞いて、小寺はボールペンを取りだし、手帳に書きこんだ。軸の先端の押しかたで、青、赤二色が使えるボールペンで、当時、流行りの製品だったが、それまで黙っていも菓子のプート・ボンボンをかじっていた男の子が、俄かに興味に眼を光らせて、ボールペンを使う小寺の手もとをみつめ始めた。
子どもの視線に気づくと、小寺は微笑して、
「貸してあげるよ。書いてごらん」
とボールペンを子どもに差しだした。
小寺のその言葉を通訳しながら、フランクは、戦慄に似た衝撃がふいに躰を走り抜けるのを感じた。
──支店長は、馬場大尉とそっくりのことをしている。
小学五年の一学期、フランクが当時少尉だった馬場康人の腰のピストルを物欲しげに眺めていると、憲兵にとっては魂とまでいわれた、将校用の拳銃を彼はあっさり貸してくれたものだった。ずっしりと重いあのブローニングを初めて手にしたときの、驚きと嬉しさをフランクはまざまざとおもいだした。
銃器への少年らしい関心が強かったのは事実だったが、なにより日本の憲兵が、こんなにも自分に好意を持ってくれている、自分を一人前の人間として、信頼してくれている、そのことが彼を狂喜させたのだった。
ピストルとボールペンでは比べ物にならないけれども、それをいうなら「佐藤浩」がれっきとした日本人小学校の生徒だったのに、眼の前の子どもは、ミンダナオの、汚い貧民の子どもであった。
それを考えれば、好意の度合いは、少しも変りはしないだろう。小寺はまちがいなくこの汚い貧民の子を、ひとりの人間として扱っているのである。
少年は、かつての浩がそうだったように、おずおずと手をだし、小寺に教わって、青、赤のペン先きを交互に出し入れしていたが、すぐに夢中になって、食事を忘れ、紙ナプキンのうえにいたずら書きを始めた。
「フランク君、ボールペンは、この子にやる、といってくれないか」
小寺はそんなことをいいだした。
フランクは気を取り直し、
「支店長、フィリッピンは貧富の差が激しくて、めしをろくに食えない人間が多いんです。いちいち、|あわれみ《ヽヽヽヽ》をかけて食事をおごったり、物をやったりしていたら、破産してしまいますよ」
そう諫《いさ》めるような言葉を吐いた。
「たかが昼めしとボールペンだよ、フランク君。それもたまたま眼に触れた者にだけ貧者の一燈を贈る、という、ささやかなものさ。おまけにあわれみをかけたくなるのは、自分の子どもとおなじ年頃の男の子だけなんだから、勝手なもんだよ」
小寺は照れくさそうに笑った。
小寺はボールペンを男の子にやった挙句、家族用にとプート・ボンボンを一ダースも土産に持たせてやった。
ルペルトたちと別れて小寺とフランクは、もう一軒、シッパーを訪ねたが、こちらもたいした収穫はなく、そのまま夕刻五時のマニラゆきのDC3型機を捉えて、帰路についた。
鶴井は、石山を差しおいて、下町のロイヤル・ホテルで、シーチャンコとクエトオの、喜劇コンビに単独で会ったらしかった。
その際、コンセッションにかかわる、各種の書類を見せられて、このコンセッションに異常な関心をそそられたようで、満面に微笑をうかべて帰ってくると、
「おれは今夜の飛行機で発って、連中のコンセッションを見てくるからね」
そう宣言した。
「ブツアン行きの飛行機ってのは、真夜中の午前三時二十五分に出る一便きりなんだそうだ。眠くてかなわんが、とにかくこれで行ってくるよ」
「へえ」と石山は驚き、
「支店長とフランクさんは今日ブツアンから帰ってくるんでしょう。入れ違いですね」といった。
「ブツアンにゃ、電話がないから連絡もとれんしな。止むを得んだろうね。とにかく出張旅費の二重払いになっても、出かけてゆく価値のある話なんだ、これは」
鶴井は自信満々である。
「きみたち、メンバー集めて、今夜マージャン交際《つきあ》ってくれんか。寝ちまったら起きられないからな。出発までマージャンやって時間つぶそうや」
翌日の夜、石山はレオノールと一緒に食事をした。
ロハス・ブールバードの先き、マニラ湾に沿って、いわゆる高級住宅地《ヴイレツジ》ではないけれど高い塀にかこまれた古い住宅街がある。昔の葉山あたりの別荘地帯をおもわせるたたずまいだが、その葉山ふうの住宅街の外れに、こうした古い屋敷を改造したリーンビル・イン、という優雅なホテルがあった。
せいぜい二十室くらいしかないリゾート・ホテルで、石山とレオノールは、シャペロンのリタをロビーに待たせて、食堂に入った。閑静な食堂ではなかなか品のいい女性がエレクトーンを演奏している。
「この国で勉強をしてゆくってことは、不幸なことね」
食卓にすわったレオノールは、下り加減の眉をひそめるようにして意外なことをいいだした。
「今日の午後、フィリッピン大学で民俗学を教えている、アメリカ人の先生のお宅にお茶に呼ばれたのよね。この先生は、大統領府少数民族局のマヌエル・エリサルデさんの顧問をしているような、立派な先生なんだけど、フィリッピン人の奥さんを怒鳴りつけて、すごいのよ。それにアル中で、お茶の時間からウィスキー飲んで、べろべろに酔っぱらっちゃったのよ」
おもいだすのもいやだというふうに、レオノールは溜息を吐いて、首を振った。
「情ないのは、その先生が酔っぱらって、フィリッピン人の奥さんを怒鳴りつけるのを、学生たちがあはあは笑って、面白がっていることよね。私はアメリカで中学高校まで通って、友達に国籍フィリッピンていうと、よく馬鹿にされて口惜しいおもいを味わったせいかもしれないんだけど、あんな光景をみているのは、耐えられないわ」
レオノールは、いまだに衝撃が醒めやらぬ風情であった。
「この国には、部族や階級の概念ばかりがあって、国の概念がないのよ。利己的な人間ばかりなのよ」
そういってレオノールは、唇をきつく結んで食卓をぱたんと平手で叩いた。
「島が四千もあって、人種や言葉も複雑だし、なかなか難しい面があるんだろうな」
石山はあたり触りのない応対をした。
「島の数は正確には、七千百九、人種は四十三、方言はたしか百三十七かな」
レオノールは、フィリッピン大学の優等生の返事をした。
「だけど、国民の半数以上が英語を話して、九三パーセント以上がキリスト教徒なのよ。それなのに、国の意識が持てないなんて、情ないわ」
レオノールは、ほんとうに情なさそうにいって、もう一度食卓をぱたんと叩いた。
「日本はたったひとつの民族しか住んでいないけど、ああいう、ひとつの民族しか住んでいない国には、それはそれで問題はあるんだよ。いつまで経っても他人の身になって物を考えるという発想が身につかないんだよね」
石山はありったけの英語力を動員して、一生懸命説明した。
説明しながら、頭のどこかで、石山は、支店長の許可もとらずに独断で、ミンダナオ東海岸に出張してしまった鶴井のことを考えていた。あの男の、とかく他人に対する配慮を欠く性格は、ある意味では、日本人のひとつの典型といえはしないか。
食事が終ると、ふたりは芝生がなだらかに海に向って下っている前庭に出た。
陽はすっかり落ちて、海が、一種荘重な趣きをたたえて、うす闇のなかに|にびいろ《ヽヽヽヽ》に光っている。
──子どもの頃、おふくろと行った熱海ホテルの庭に似ているな。
と石山はおもった。
この辺の雰囲気は日本の葉山や熱海をおもいおこさせるので、気分の落ち着く気がする。
「このまえ話した、陽よけのついているベンチって、あれよ」
庭の一段低くなった、海岸寄りに点在している、田舎のバスの待合所のような小屋を指差してレオノールはいった。
「だけど蚊がいる、とおもうな」
「蚊を防ぐ用意はしてきたよ」
石山は、駐車場に取って返し、東京の母親が送ってよこした金鳥の蚊取り線香と、ぶたの形の線香入れをヒルマン・ハンパーのトランクから取りだし、ロビーへ戻った。
ロビーの椅子にすわったリタは、眼を皿のようにして、石山が手にぶら下げたおおきな瀬戸物のぶたをみつめている。石山は、にやりと笑って、わざとぶたを持ちあげて、リタにみせつけてやった。
バスの待合所のような小屋に入り、蚊取り線香を点《つ》けて、やっとふたりは抱き合った。
波の音の響くなかで、キスを繰り返したが、石山は、
「わるいけど、きみの左側に移らせてくれないかな」
と頼んだ。
「いつもきみと会うときは、左側の運転席にすわっているもんで、右側だとなんかやりにくいんだよ」
席を入れ替って、ふたたび抱き合うと、息をはずませていたレオノールは、突然、大胆不敵な提案をした。
「タカ、今夜、いったん帰ってね、十二時過ぎに、車で家へこない。今、両親はいないし、メイドは皆、別棟のサーバント・クォーターへ行ってしまうのよ」
「ゆきたいことはゆきたいけれど、大丈夫かな」
石山は、レオノールの肩を抱いたまま、ちょっとためらった。
「メイドは寝てしまっても、ガードマンが一晩じゅう、屋敷のなかを見張っているんだろう」
「ところがね、今夜のガードマンは、お馴染みのドミンゴなのよ」
含み笑いをして、レオノールはいった。
「家にはふたりガードマンがいるんだけど、一週に三日だけ、あのドミンゴが宿直をして、屋敷のガードを手伝うのよ。リタがおなじ母屋に寝ているけれどね、あれは遠くの台所の傍だから大丈夫よ」
一時間もして、そろそろリタが覗きにきそうな気がしたので、ロビーに帰ることにしたのだが、小屋を出ようとして、レオノールが驚いたような声をあげた。
「この小屋の入口に蚊がいっぱい死んでるわよ。日本の蚊取り線香って、ものすごくきくのねえ」
表の灯りに透かしてみると、なるほど石を敷いた床に、蚊が沢山落ちていた。
「日本の男も、蚊のように、女をばったばったと落すんじゃないのかな」
レオノールが軽く睨んでいった。
「いや、日本の男が落せるのは、蚊くらいのものさ。心を持っている人間までは落せませんよ」
石山は、レオノールとリタを乗せて、マガリアネスの独身寮に帰り、母親が送ってきた金鳥の蚊取り線香を一ダース、彼女らに持ち帰って貰うことにした。
リタがリーンビル・インから連絡したらしく、どこでどう時間をつぶしていたのか、獅子鼻のガードマンのドミンゴが独身寮の前で待っていて、ふたりと蚊取り線香を積んで帰っていった。
ムスタングに乗りぎわに、レオノールは、
「ドミンゴには、いっておくけれど、玄関のベルは鳴らさないでね。十二時半に玄関のドアを開けておくから、黙って入ってきて頂だい。私は玄関の傍のサラ・ルームで、ドアの開く音に気をつけているわ」
と囁いた。
ドミンゴが、今夜は十二時に、それまでのガードマンと交替、朝まで屋敷内の警備にあたるのだ、という。
それから約一時間半近く、石山は落ち着かない時間を過した。リーンビル・インの浜辺の小屋で、抱擁を繰り返しているので、昂奮の名残りが躰の芯をうずかせ、深夜の訪問への期待感をあおり立てる。
石山はやむなく酒を飲んでテレビを眺めた。テレビが終ると、日本の週刊誌をめくって時間をつぶした。
十二時二十分、メイドたちが寝静まったらしいのを見とどけて、石山は、独身寮で別に気を遣う必要もないのに、早くも足をしのばせる感じで、玄関を出て、ヒルマン・ハンパーをひっぱりだした。
ヴィレッジと通称される高級住宅街の入口には、それぞれ紺いろの制服を着て、腰に拳銃を下げたガードマンが立っていて、彼の許可なしには、ヴィレッジには入れない仕組みになっている。
しかし石山の車のフロント・グラスには、マガリアネス・ヴィレッジの事務所から貰った居住証明のまるいスティッカーが貼ってあるし、アヤラの会社の駐車場の駐車許可証も貼ってある。こういうべたべた貼られたスティッカーが身分証明書の役割を果すのだが、深夜の通行に疑問を抱いたのか、フォルベス・パークのガードマンは、執拗に質問してきた。
「あなた、こんな深夜にどこの家にゆくんですか」
石山は、フロントのスティッカーを指し、
「私は、マガリアネスのヴィレッジに住んでいる日本人でね、別段、あやしい者じゃないよ」
と答えをはぐらかしたが、ガードマンは譲らない。
「私はね、あなたの行先きをお訊きしているんですよ」
やむなくレオノールの住所をいうと、今度は、
「電話番号を教えてください。電話をかけて、あんたをこのヴィレッジに入れていいかどうか、先方に訊いてみなくちゃいけない」
とおどしをかけるようなことをいう。
石山が黙っていると、傍らの詰所に入りこみ備え付けの住所録を繰って、アランフェス家の電話番号を調べ始めた。
電話をかければ、シャペロンのリタが受話器を取ってしまうだろう。リタは、石山がそんなゲートにきている筈はない、石山の名をだれかが騙《かた》っているのだ、というかもしれない。石山がリタに直接話をすれば、ゲートは通れるとしても、深夜の訪問がリタに知れてややこしいことになる。
石山は青くなったのだが、ふと住所録を調べるガードマンの手つきが馬鹿にゆっくりなのに気づいた。おなじページを何回も繰っている感じであった。
ははあ、チップが欲しいのか、と気づいて石山は、小銭をガードマンに手渡し、やっとゲートを入ることができた。
ガードマンは、若い金持ちの学生が、マリファナ・パーティかなにか、少々怪しげな集まりにでも出かけるのだとおもいこみ、ゆすりをかけてきたものらしかった。
やっとフォルベス・パークの住宅街に入り、レオノールの家の前にたどり着いたのだが、こちらには、おなじガードマンでも、馴染みの深いドミンゴが待ち構えていて、こちらへ駐車しろ、と闇のなかで手を振りながら、アランフェス家から少し離れた場所へ車を誘導し、ドアを開けてくれた。
ドミンゴにも、チップをやりながら、「金で万事、話がつくのは、生きやすい社会ではあるな」と改めて、石山はおもったものであった。
ドミンゴは大真面目な顔で先頭に立って、馬車道を案内し、玄関のドアを開けてくれる。|使用人用の別棟《サーバント・クオーター》とおぼしい、ガレージの彼方の一画では、ギターを爪弾く音や、女たちの歌声が聞え、庭師やメイドたちはまだ寝もやらず騒いでいる様子であった。
玄関のドアを開けたドミンゴは、別段、あたりをはばかるでもない大声で、「ミス・レオノール」と家のなかに向って呼びかけ、石山をあわてさせた。
すぐに居間のドアが開き、帰宅して風呂を浴び、化粧し直したらしいレオノールが、はなやかなフィリッピンの民族衣裳をまとって現われた。
ドミンゴが戸外に戻ってゆくと、レオノールは無言のまま、親指を立てて、自分についてきなさい、という合図をし、しのび足で居間とは反対の方向に歩き始めた。
石山は、ものものしいレオノールの振舞いにおどされた感じで、おもわず靴を脱いでしまい、片手に靴をぶら下げて、レオノールのあとをついて行った。
ゲスト用らしい部屋の前をいくつか通り過ぎた廊下の端が、レオノールの部屋であった。フォルベス・パークあたりは、土地が広いので、なにも二階建ての家を建てる必要がなく、広い平家建てが多いのである。
部屋のドアを後ろ手にしめると、レオノールは、「タカ、好きよ」と激しく抱きついてきた。レオノールにも、先刻来欲求不満が鬱積していたらしい。
自分とほとんど背の変らないレオノールを抱きながら、少し落ち着かない感じで、石山があたりを見まわすと、そこは二十畳もある勉強部屋で、壁の本棚にはぎっしり本がならび、勉強机に簡単な応接セットが置いてある。庭の変形プールが、おおきな窓の向うで月光を浴びて、白く光っていた。
レオノールの身にまとった、はなやかな民族衣裳は、なんだかネグリジェのような感じもあって、石山は昂ぶった気持をいよいよ刺激された。
石山がレオノールを抱いて、ソファに誘おうとすると、レオノールは首を振って隣りのドアを指差して、
「あの部屋に連れてって」
という。
足をもつれさせて、隣りのドアを開くと、そこがレオノールの寝室で、アメリカで買ってきたらしい、派手なピンクいろのベッド・カバーを掛けたベッドが置いてある。ベッドのうえには、同色のクッションが、いくつか飾りにのせてあった。
三十分も経って石山は、裸のまま、やはり部屋着を羽織っただけのレオノールに案内されて、バスルームに行ったのだが、寝室とバスルームの間には、両側にウォーク・イン・クローゼットが七、八メートルもならんだ、二十畳ほどもある衣裳部屋があって、フィリッピン有産階級の資力に改めて驚かされる感じであった。
バスを取ったあと、ふたりはそのままベッドにならんで横になっていたのだが、庭のプール・サイドを、ドミンゴの通り過ぎる足音がいやに高く響いてくる。石山がこの部屋に入ってから、ドミンゴは「警戒してやっているぞ」といわんばかりの、聞えよがしの足音を立てて、十分置きくらいの間隔で、部屋の近くを歩きまわるのである。
「このぶんじゃ、帰りにまたチップをはずまなきゃならないな」
と石山はいい、レオノールはおもしろそうに笑った。
「しかし、ひとり娘のきみがこんなおおきな家に寝ていて、よく恐くないな。メイド連中は皆、別棟に寝てるんだろう」
「静かなほうが落ち着いて勉強できていいのよ」
レオノールはいう。
「だけどもうすぐ母は帰ってくるし、父も来年はマカティ・メディカル・センターに帰ってきて、外来をみることになるらしいのよ」
「きみのお父さんは、何科のお医者さんなんだ」
「外科よ。血みどろの交通事故の患者ばかり診てるのよ」
レオノールは溜息を混えていう。
「母や父が帰ってきたら、どうやってタカと会ったらいいのかしらね。ねえ、どうしたらいいの」
レオノールは、そういいながらふたたび躰を寄せてきた。
支店長の小寺に無断で、ミンダナオ東海岸に出張した鶴井は、一週間もマニラを留守にした挙句、夜遅く、マガリアネスの独身寮に戻ってきた。
レオノールとの会話が混みいってくるにつれ、英会話上達の必要に迫られた石山は、ベッドにひっくり返って、辞書片手に、アメリカのペーパー・バックを読んでいたのだが、鶴井は帰るなり、電話に取りついて、あちらこちらへ電話をかけまくっているようで、おおきな声が二階まで響いてくる。
電話の合の手に、「|黙っててください《プリーズ・ビー・クワイエツト》」とか「|黙れ《シヤラツプ》」とか、英語で怒鳴っている。マニラの住宅地の電話は、パーティ・ラインと呼ぶ、親子電話のような仕組みになっていて、二、三軒で一本のラインを使っているから、一軒の家が長話をすると、ほかの電話を使いたい家が怒って「早く話を終えて頂だい」と口を挟んでくる。
しゃべっている英語から日本人とわかるらしく、「プリーズ・ストップ・ジャパニーズ・ペチャクチャ」などと口を挟んできて、日本人のお喋り好きの奥さんを仰天させた、などという話もある。
鶴井はそうした長電話の苦情に、怒鳴り返しているのであった。
電話をかけまくった鶴井は、ばたばたと階段を駆けあがって、ノックもせずに石山の部屋に入ってきた。
まっくろに陽焼けした顔の鶴井は、石山を見下ろすように突っ立って、
「石山君、すばらしい商売を東海岸でみつけてきたぞ。明日は、支店長の家で朝めし食いながら、早朝会議だ」
えらく意気ごんでいう。
「へえ、あのふたり組の持ちこんできた話はそんなに有望なんですか」
「まあ、明日話すがね、こりゃ、大変な商売になりますよ」
鶴井はにやりと笑って、おもわせぶりな顔をした。
「支店長には朝駆けをかけますよ、といってあるからな。明日の朝は、きみの車で小寺さんの家にゆこう。藤田は会社の車で出社すればいい」
例によって寮長ででもあるかのように指図をする。
石山は、ベッドの上に起きあがって、
「しかし、材木の話でしょう、フランクさんを加えなくていいんですか。フランクさんは、支店の木材の責任者ということになってるんでしょう」
そういった。
「そうか、フランクのことを忘れてたな。きみ、七時半に支店長のベル・エアの家にくるようにあいつに、電話しといてくれや」
そういいおいて、石山の返事も聞かずに鶴井は部屋を出て行った。
石山は、止むなく、食堂に降りて電話機をとったが、今度はほかの家がラインを使っていて、使用できない。「パーティ・ライン、パーティ・ライン」と二、三度怒鳴って、やっとラインを開けて貰い、フランクを呼びだした。
「なんで、支店長の家で、会議やるの。会社でやればいいじゃないの」
フランクはおもしろくなさそうな声をだした。
「朝早く起きると、気持が引き締って、頭もよく働くということじゃないですかね」
「朝だ朝だよ、朝陽がのほる、日本国中陽がのぼる……ってわけか。とにかくおれは低血圧だから、朝が苦手なんだよな」
フランクは、石山の知らない、戦時歌謡らしい歌の文句を呟いて、不機嫌に電話を切った。
翌朝、石山はヒルマンに鶴井を乗せて、ベル・エア地区アステロイド街の小寺の家に、七時過ぎに着いた。
「鶴井さん、朝早くから張り切っとるんね。よほどいい仕事、みつけたのと違う?」
細君の百合子は、屈託のない顔で迎えてくれる。
居間にはすでにフランクが着いていて、小寺と話をしていた。
フランクは、平気で三十分、一時間遅れるフィリッピン人と違い、時間厳守、とくに定刻十分前到着を、いわば日本人の血が入っていることの、身分証明のようにして守っているのであった。
細君の百合子と違って、小寺とフランクの表情は、屈託がないとはいえない。小寺の顔はいつもよりさわやかさに欠け、フランクに至っては、不機嫌な顔をかくそうとしなかった。
「支店長ご不在中だったので、無断で出張致しまして、失礼しました」
鶴井は、一応、そう小寺に挨拶をした。
「私に相談してから、出かけても遅くはなかったんじゃないかね。そんなに一刻を争う商売だったのかね」
小寺は改まった口調で鶴井をたしなめた。
「商社の支店長なんてのは、鉄鋼、機械、物資、木材、各部出身の方々のお守り役に過ぎないんだけどね、ベビー・シッターには、ベビー・シッターの義務があるからね」
「いや、それが一刻を争う商売だったんですよ」
鶴井は、しゃあしゃあとした顔でいった。
「昨日、電話でちょっとお話ししましたシーチャンコという、ブツアンの田舎成金は、日本の商社を軒なみ訪問して、売りこみをやりかねない男でしてね。幸い、うちが一軒目だったんだけれども、うちへきたあと、ちゃあんと、安川産業も訪ねているんですよね。それがわかったから、こりゃあ、危ないとおもって、私はすぐ話に乗ってみせたわけです」
「代理店も通さない、文字どおり、飛びこみのお客なんだろう。大丈夫なのかな」
小寺は、ちょっとフランクの顔をうかがいながら、いった。
フランクは、かなり無理した笑顔を作って、
「まあ、話がしっかりしていれば、飛びこみでもかまわないでしょうがね」
とりなすようにいった。
「ところがこの話は大変しっかりしているんだなあ」
鶴井は嬉しくて堪《たま》らないような声をだした。
「私はこの一週間、ばっちり現地を見てきましたがね、あのコンセッションは五万ヘクタールはありましょうな。おまけにさすがミンダナオで、ルソンなんぞと違って、一ヘクタールあたり、百二十か百四十立方の材が取れますよ。われわれ、オノフレのコンセッション見て、驚いてたけど、このミンダナオのコンセッションに比べれば、あんなものは箱庭ですな。ルソンのラワンが盆栽の松だとすれば、こっちは野生の松だな。ミンダナオ東海岸の材はそのくらい違いますよ」
手柄顔の鶴井の怪気焔《かいきえん》は止らなくなった。
「七百万立方取れるとみて、年間四万立方程度、伐りだす。十八年間は商売が続くわけで、この支店も向う十八年安泰、ということになりますな」
鶴井の毒気にあてられた感じで、皆黙りこんでいるところへ、味噌汁のいい匂いが、食堂のほうから漂ってきた。
「なるほど専門家のきみが太鼓判を押すんだから、量と質の点ではかなりいけそうだな。しかし、鶴井君、伐採から海岸まで材を運ぶ方法はどうなんだ。条件が整っていたオノフレの場合と違って、そのコンセッションはまだ手つかずで、道を作る工事から始めなけりゃならんのだろう」
小寺がひとり興奮している鶴井をたしなめるようにいい、
「フランク君、きみはどうおもうね。最近は木材の話がウチにもずいぶんとびこんでくるようになったが、きみの話じゃ、代理店を通したものでさえ、かなりいいかげんなものが多いんだろう。隣りの土地の木を伐ってこれが自分のコンセッションの見本材だ、などと嘘いって売り込んでくる者もいるそうじゃないか」
「どうも、あの味噌汁の匂いを嗅ぐと、気持が乱れて、話に集中できなくなりますけどね」
ふだん女房のパシータが日本食を調理してくれないのか、フランクは、半分本音のような声でそういって、座の空気をやわらげようとした。
「ただ自分の聞いたところでは、リアンガ湾からビスリグ湾にかけての東海岸一帯は、切り立った崖になっているところがあって、道をつけるのが容易じゃないそうですがね。それと、ミンダナオのラテライトの土は、粘土がおおくて、車のタイヤがもぐりやすいんでね、道路が作りにくい、という話でしょう」
「フランク、なにいってるのかねえ」
鶴井は呆れたような声をだした。
鶴井は、次長として着任以来、フランク君と呼ぶのを止めて、フランクと呼び捨てにするように態度を変えている。
「あんた、フィリッピン人のくせに知らないの。フィリッピン人の土木建設技術はすごいんだよ。おれは本社にいたからよく知っているけど、日本の建設業者がインドネシアの切り立った山に道作りに行ってさ、どうにもならなくなって、お手挙げになって、帰ってきちまうだろう。すると次にフィリッピン人が出かけて行って、あっという間に道をつけちまうんだそうだ。あんた、自分の国の技術を信頼せにゃあ、だめよ」
また一同黙りこみ、味噌汁の匂いに加えて、今度は塩鮭を焼くらしい匂いが漂ってきた。
小寺が、鶴井のいいかたに、ちょっと眉をひそめて、
「鶴井君、フィリッピン人の土木技術の水準が高いとしてもだよ、ただで道路ができるわけじゃない。それに、伐採から運搬までの機材の購入はだれがどうするかということだよ」
と訊ねた。
「そのシーチャンコという男は、なんていってるんだ。金をだしてくれ、|融 資《フアイナンス》をつけてくれ、そういってるんだろう」
「そりゃあ、そうですよ」
鶴井は一向にひるむ様子もなく答えた。
「事後報告になりましたが、|融 資《フアイナンス》については、昨日木材部長と業務部長の自宅に電話を入れてね、よろしくと頼んでおきました。本社も全力挙げて、バック・アップする、といっていますよ」
それを聞くと、小寺はふいに頬を紅潮させた。
「鶴井君、これは事後報告ではすまんぞ」
つとめて感情を抑えようとしている様子で、小寺は鶴井にいった。
「この商《あきない》についちゃ、マニラ支店としてはまだなにも態度を決定しておらんじゃないか。決定するどころか、きみは私に正式に報告もしとらんじゃないか。それをあたかも支店全体の意思であるかのように、本社にバック・アップを、それも融資のバック・アップを依頼する、というのは、少し出過ぎてやしないか」
鶴井は、呆気に取られたような顔をして、
「支店長が、お怒りになるほどのことじゃないですよ。私としましては、本社がうんといわなくちゃ、なにもことが運ばんと考えただけの話なんです。お気に障ったら、お詫びいたします」
少し急《せ》きこんでいった。
「私は商社の支店長はベビー・シッターみたいなものだといったがね、しかし金の貸し借りの問題がでてくると話は別だろう。金の貸し借りの申請書は、木材の出先きであるきみが申請するんじゃなくて、物資の出身だが、しかし支店長である私がするんだぜ」
商売の相手先きに対する|融 資《フアイナンス》の申請、正式には与信行為の申請は、この場合、少くとも本社木材部、業務部、財務部に宛てて支店長名で、与信申請理由を詳しく述べて行わなくてはならない。
最前からの鶴井の態度は、あたかもそんな支店長権限は形だけのものだといっているようで、それが小寺を怒らせたのであった。
一座の空気は緊張してしまい、フランクが弱ったように、剃ってきたばかりの、艶々とした頬を撫でている。
「なんや、朝はよからえろう難しい話してはるよねえ」
居間の入口に細君の百合子が立っていた。
「お膳立てもできたから、ここらへんで会議もコーヒー・ブレークじゃなくて、朝食ブレークにでもしたら、どうなん」
「うん、それもそうだな」
と小寺が頷くと、すかさず脇からフランクが、
「いや、ありがたいな。奥さん、今朝の味噌汁は、どこの味噌ですか。先刻から気になってましてねえ」
ほっとしたようにいう。
「岡崎の八丁味噌いただいたんよ」
「岡崎か。一度、あそこにお墓参りにゆかなくちゃならんひとがいるんですよ」
フランクは独白のように呟き、席を立った。
食堂に向いながら、石山が、
「奥さん、その足はどうかなすったんですか」
これも一座の緊張をほぐすように、足に繃帯を巻いた百合子を見ながら、そう訊ねた。
「いえね、変な話なんやけど、家の前で車に乗ろとしてね、近所の犬にふくらはぎのところ、噛まれてしもたんよ。運転手のノーエが、その犬の持主、みつけてくれたから、私、文句いいに行ったんやけどね、そこの奥さんがおもしろいこというてはるのよ。たしかに犬が、|奥さま《マダム》の足を噛んだのはすまんかった。そやけどこのことがきっかけで、|奥さま《マダム》と知り合いになれたんやから、これも神さまの思し召しやおもうて、おおいに楽しく交際《つきあ》いましょ、こういわはったの」
「へええ、フィリッピン的な考えかたではありますね。それでお交際いなすってるんですか」
「このあいだ、家で小さなバザー開くから、こないかと誘われたんよ。ガラクタしかなかったけど、結構、おもしろかったわ。ほんまに、この土地では、ゆきずりのひとと知り合いになって、それがおもわん結果生む場合もあるみたいやね。鶴井さんの飛びこみの商売も、意外と大成功ってことになるかもしらへんよ」
どうやら百合子は、彼女一流のやりかたで座を取りなし、鶴井の立場をいくぶんでも救ってやろう、としているらしかった。
「さあ、皆さん、すわってください。それから鶴井君、与信行為の申請をするまえに、私もそのコンセッションを見ておきたいな。ご苦労だけど、フランク君にももう一度ブツアンに交際って貰おうや」
小寺は、食堂の椅子をひきながら、いった。
フランクは、好物の梅干しや塩鮭、味噌汁のならんだ食膳に心を奪われている様子で、黙って頷いた。
一同が会社に着くと、待ちかまえていたように本社木材部長の河野から小寺に電話が入ってきた。日本とのあいだの一時間の時差を見越し、日本時間十時、つまりフィリッピン時間九時になるのを待って、早速電話を入れてきたものらしい。
「早速ですがね、小寺さん。日本はご存知のとおりの住宅建設ブームで、木材の需要は高まる一方なんですよ。ところが、アメリカが森林資源保護で木材輸出を規制し始めているから、供給のほうは専ら南洋材に頼るしかない。しかし後発のうちの会社は、南洋材じゃ出遅れていて、ここ一番頑張らにゃあ、どうにもならんのですよ。当社を業界の一流に押しあげるいいチャンスと考えて、ひとつ鶴井を助けてやっていただけませんか」
河野は、バック・アップはなんでもする、と約束をした。つまりファイナンスに関する根まわしには責任を持つ、ということのようであった。
翌週半ばに小寺は、フランクと鶴井を伴って、初めて、空路ミンダナオ島のブツアンを訪れた。
昭和四十五年当時、マニラ─ブツアン間の定期便は、先日鶴井が利用した、午前三時二十五分発の「光便《ブリツト》」という名の便しかない。使用機は、戦前名機とされた、DC3型だが、尾輪を地面につけた格好は、老いさらばえた老婆がしゃがみこんでいるような、頼りなげな印象を与える。
定期便は二時間五十分ほど、よたよたと飛んで、午前六時半に、ブツアン空港の、砂利を敷いた滑走路に着陸した。
ミンダナオの雨期は、ルソン島と違って、六月から九月までではなく、十月から三月までだが、ブツアンも、小寺が離れていた、この一週間のあいだに雨期に入ったらしく、砂利を敷いた滑走路のあちこちには、水溜りができている。
しらじら明けの空には、空港周辺の椰子の林が貼りついたように浮きだしていて、マニラに比べると、ずっと南国的な感じが強い。
空港には、シーチャンコとクエトオの大小ふたりのコンビが迎えにきていたが、呆れたことにふたり組は、ガードマンを六人も引き連れている。しかもご念の入ったことに、そのうちの四人は、重そうな自動小銃を腕にかかえていた。
最近、フィリッピンの治安が悪化しているのは事実で、ビジネスマンも強盗を恐れて、ピストルを携帯している者が大部分というし、おまけにこのミンダナオ西部のサンボアンガ州や南部のコタバト州あたりでは、回教徒のモロ族とのいわゆる「三百年戦争」が続いていて、少年兵を含めた、数多くの兵士が激戦を演じているのである。
それにしても、早朝から自動小銃をかかえた護衛の登場は馬鹿馬鹿しく大仰で、それこそ喜劇的であった。
「ミスタ・シーチャンコ、われわれはそんなに危険な人物ではないですよ。空手も柔道もできないしね」
名刺を交換しながら、小寺はジョークをいったのだが、シーチャンコは、大真面目な顔で、
「いや、ミステル・ナンベル・ワン、誤解しては困る」と首を振った。
「われわれは、あなたがたを守るよう、ガードマンに特に命じてあるんですよ。日本人は金持ちだから、強盗に襲われる危険が非常に強い」
ものすごい訛りの英語で恩着せがましくそんなことをいう。
巨漢の副社長は、
「日本人は、えらい儲け始めているからね、狙われやすいのよ。ミステル・ナンベル・ワンの、その腕時計だってロールス・ロイス社製じゃないですか」
小寺の国産の安時計を指差していい、馬鹿馬鹿しくおおきな笑声をあげた。
彼らは、挨拶もそこそこに、東海岸のブエナに早速出発しよう、という。朝めしなんぞは、途中の街で食えばよい、と強引であった。
この連中は、ここでも戦艦のような、アメリカ製の車を乗りまわしていて、ガードマンの乗ったジープを先頭に、まるで日本政府の視察団一行がまかり通る、といった感じで、車を連ねて出発した。
小寺は、喜劇コンビのふたりの真中に挟まれて、出発したが、鶴井が散々吹きこまれた、ルソン材の優秀さを、両側からフィリッピン製の唾と一緒に改めて吹きこまれることになった。
合の手に巨漢の副社長が、「|この小うるさい蚊の野郎《ビステインギヤワ・ニンマガ・ラ・モツク》」とビサヤ語でわめきながら、車内を素早い動きで飛びまわる蚊を毛の生えた手で掴んでは捨て、掴んでは捨て、している。
前夜、窓を開けて駐車しておいたのか、豪華なアメリカ製の車内を何匹もの蚊が飛びまわっているのであった。
東海岸のコンセッションへは、日本からの賠償金で建設され、ところどころ舗装工事の始まっている日比友好道路を六十キロほど南下するのだが、途中、サン・フランシスコという、名前のイメージとは恐ろしく違う田舎町で、朝昼兼帯の食事をとった。
小寺の前で、巨漢の副社長、クエトオは、汗を拭き拭き、ビサヤ語で「バッチョ」と呼ぶらしいラーメンをすすっていたが、突然変な顔をして、口のなかに入れたものを「ペッ」と床に吐きだした。
小寺がみると、|たたき《ヽヽヽ》の床のうえには、そばと一緒に虫の羽根らしいものが混っている。クエトオは、残ったそばを掻きまわし、もう一枚の羽根を箸でつまみだした。
「オクオクだな」
といって、虫の羽根を空にかざして眺めている。
「フランク君、オクオクってなにかね」
小寺は訊ねた。
「タガログ語のイピスでしょう。油虫ですよ、戦後は内地じゃゴキブリと呼んでるようですがね」
クエトオは、虫の羽根を小寺の眼の前で振りまわして、
「フィリッピン製、|味の素《ベツチン》だよ」
といい、大笑いをした。羽根を床に捨て、またこともなげにそばをすすり始めた。
──こういうのを英語で「カントリー・ジェントルマン」つまり「田紳」というのだろうが、それにしてもクエトオ、というのは、どこかで聞いた名だな。
小寺は油虫の一件に閉口しながら、そうおもった。
店の前の日比友好道路に出ると、フランクが、道の左右をしきりに見まわしている。
「自分の記憶に間違いがなければ、この道路の基礎は、戦時中に日本の三十師団が作ったんじゃないかな。朝鮮でね、朝鮮にいた日本人を集めて編成した師団ですよ」
おなじ外地育ちということに共感を抱くのか、そんなことをいう。
戦時中のことを語るときのフランクの顔はふだんより老成した印象をいつも小寺に与えるのであった。
ブエナ湾に着いた一行は、シーチャンコのアグサン木材株式会社社員の先導で、短いサーベイをやった。
ブエナ湾から真西に一時間ほど歩いて、またブエナ湾に戻ってきただけの短時間のサーベイだったが、さすがに台風のやってこないミンダナオだけのことはあって、鶴井やふたりの喜劇コンビの力説するとおり、ルソン材では最良とおもわれるオノフレのコンセッションの材も遠くおよばない、胸高直径一メートル五〇以上の巨大なラワンが、原生林のあちこちから天に向って突きあげている。
ブエナ湾に戻ってきた小寺は、フランクに向って、
「どうして、これだけのコンセッションが、これまで手つかずで放ってあったのかね。こんなコンセッションの存在を知ったら、すぐ持主を探しだして、売買交渉に入りそうなもんだがね」
「そこがフィリッピン流でがつがつしていないということなんでしょうね」
とフランクはいった。
「それとこの崖でしょう。この断崖絶壁を切りくずして、丸太を運ぶ道をつけるのは、大仕事でしょうね」
ふたりは、切り立った断崖に出て、真下の海を眺めた。
高い崖の下は砂浜がなく、伊豆によくみられる海岸とおなじで、湾に入って、穏やかになった波頭が、崖の裾にまつわって、白い飛沫を散らしている。
「棚のうえのぼた餅じゃない、棚の上のラワンだったわけか」
小寺がいうと、
「高嶺の花じゃなくて、高嶺のラワンだったわけですな」
フランクが切りかえしてきた。
「しかし鶴井次長のいうようにね、フィリッピン人の建設技術は、優秀だから、試してみない手はないでしょう。ただし金はかかる。百万ドルで済めば、ご機嫌じゃないですかな」
そこへ、「ミステル・ナンベル・ワン」と呼びながら、シーチャンコとクエトオが、鶴井と一緒にこちらの崖際にやってきた。
いつの間に現われたのか、シーチャンコたちの後方には、この土地の原住民らしい一群が、上半身裸の半ズボンの腰に、|なた《ヽヽ》や大型ナイフを差して、ぞろぞろついてくる。なかには腰みののような臙脂《えんじ》いろの布をまいた連中も混っている。
だいたい、ミンダナオには、コタバトの山中に旧石器時代人が住んでいたりして、未開の山間少数民族が少くないのだが、フィリッピンに着任して初めて山間民族に接する小寺は、一種の圧迫感を覚えた。
「マノーボ族という、少数民族でしょう」
とフランクが小寺の表情をみて説明した。
シーチャンコとクエトオの二人組は、まるでマノーボ族を率いているような感じで近寄ってきたのだが、小柄なシーチャンコは、小寺に向って、
「どうです、すばらしいコンセッションでしょう。あなたが、われわれにめぐり会えたのは神さまの思し召しですよ。じつに運がよかったねえ。神さまに感謝しなくちゃいけませんよ」
白髪頭を振り、両手をおおきく拡げていう。
すかさず大男のクエトオが、近くの林からクラウンを天に向って高く突きだしているラワンの大木を指差して、
「ミステル・ナンベル・ワン、あんた、あんなおおきなラワンは、生れて初めてみたんじゃないかね。誓ってもいいが、この辺のラワンは、ミンダナオじゃ、あんたとおなじナンベル・ワンなんだよ。あの木なんぞは、ルソンの赤いラワンのざっと二倍の高さ、二倍のふとさがあるよ」
ここぞと吹きまくった。
「このあいだ、ナンベル・ツーのミステル・ツルイが初めてここへきたとき、彼は感激してね、ここの開発資金は、コーダ・トレーディングが、かならず用立ててみせる、といったんだ。こんな投資価値のあるところなら、いくら金を注ぎこんでも惜しくはない、そういってくれたんだ。そうだろう、ミステル・ナンベル・ツー」
シーチャンコは、大声でいって、鶴井を見やった。
鶴井としては、彼一流のやりかたで、小寺を立てようと考えたのだろう、にやりと笑って、
「開発資金についてのね、すべての決定権は、ナンバー・ワン、つまりミスタ・小寺にあるんですよ」
右手をおおきく伸ばして、小寺を指し示した。
「私としては、まだいろんなことを考えなくちゃいけないんだな。まさかキング・コングかスーパーマンを連れてきて、あの大木をこの崖から下に投げ飛ばすわけにもゆかないしな」
小寺は、キング・コングなどという古い冗談を口にして、話をはぐらかそうとした。
「ミステル・ナンベル・ワン、たった二百万ドルの金さえありゃ、道路はつくし、道路に敷く石灰の粉末も買える。ブルドーザーやトラックや伐採機械も買えるんだ」
大男のクエトオは、段々に小寺の身辺ににじり寄ってきて、そんなことをいう。
当時の換算レートは一ドル三百六十円だから二百万ドルは、七億二千万円、やっと支店に昇格したマニラの店が背負いこむには少くない金額である。
それにしても、フランクのいった百万ドルとは倍の開きがある。
「たった二百万ドルで、あんたは、大金持ちになれる。あんたにも、たっぷり口銭をまわすぜ」
「残念ながら私は一銭も儲からないよ、私の会社が儲かるだけの話だ。それが日本の会社の仕組みですよ」
小寺は苦笑して、そういった。
「とにかく、あんたが二百万ドルだしてくれりゃ、この崖にエレベーターつけて、丸太を運びだしてみせるよ」
シーチャンコは、執拗《しつこ》く迫ってくる。
すると鶴井は、シーチャンコとクエトオのふたりの腕を掴み、マノーボ族のなかに連れて行って、何事かふたりに囁いた。
鶴井と話を交わした喜劇コンビのふたりは、上機嫌な笑顔に変り、こちらに戻ってくるなり、シーチャンコが握手の片手を小寺に向って、差しだした。
「今、ミステル・ナンベル・ツーが教えてくれたが、ミステル・ナンベル・ワンは、ほんとうはもう融資をOKしてくれてるんだそうだな。いや、ありがとう」
「シーチャンコさん、ちょっと待ってください。まだ握手にはちょっと早い気がするな。本社のOKがとれなくちゃ、どうにもならんですからね」
鶴井がなにを囁いたのかしらないが、小寺は閉口して、手を振り、握手を断った。
しかしふたり組は簡単にはひっこまない。
「いや、あんたがOKしてくれれば、問題はないよ」
シーチャンコが強引に小寺の手を握ると、今度は大男のクエトオが、小寺の肩を抱きかかえた。
「これで、あんたは大儲けできるぞ。東京の広尾におおきな家買えるぞ。広尾は東京のフォルベス・パークなんだろ。フィリッピンで儲けた日本人の住むところなんだろ」
なにか心当りがあるのか、そんなことをいいながら、大男のクエトオが、小寺の躰を抱きかかえるようにして押してくるので、小寺は、後ろの崖から落ちはしないか、と不安になった。
簡単なサーベイを終り、一行はまた軍艦のような米国製の車に乗って、ブツアンに出発したのだが、帰りの車中でフランクは鶴井と大激論を交わすことになった。
往路は、喜劇コンビのふたりが、小寺と同じ車に乗って、両側から、コンセッションの売りこみ話を執拗に繰り返しながら、やってきたのだが、帰路は、フランクが、「三人で打ち合わせたいことがある」とシーチャンコにいって、鴻田貿易の三人がひとつの車に乗り合わせるように組み合わせを変えて貰ったのである。
「鶴井さん」
車が走りだすなり、助手席にすわっていたフランクが後ろ向きになって、開き直ったような声をだした。ふだん「鶴井次長」と敬称をつけて呼ぶ態度は振り捨てて、切り口上になっていた。
いなせな、血色のよい顔の眉が吊りあがっている。
「あんた、なんで支店長がOKもしていない|融 資《フアイナンス》をじつは内々でOKしているんだなんて、あの連中に嘘つくんですか。ああいう発言をすれば、支店長としては、立場上、二百万ドルものファイナンスをなんとしてでもどこかからひっぱってこなきゃならなくなるでしょう。強引過ぎますよ」
日比友好道路が通じただけで、舗装工事が始まったばかりだから、車はひどく揺れ、ときにはねあがったりするが、はねあがる車の助手席からフランクは、こちらへ倒れこんできそうなほど躰を乗りだしていた。
「そもそもうちのシステムじゃ、二百万ドルもの融資を、支店長が単独で決定できやしないことは、あなた、百も承知でしょう。それを、支店長がじつはOKしているなんて嘘吐いて、この嘘の責任は、支店長が負うことになるんですよ」
フランクは、人差し指を鶴井に突きつけた。
「だいたい、うちの本社が、これまで取引きの実績のない相手にいきなりファイナンスをつけたことがありますか。跳びこみの、イチゲンの相手に金貸すなんて、考えられないじゃないの」
「まあまあ、フランク、落ち着いてよ。私はきみの知らないところで、ちゃんと本社と連絡取って、商売やってるんだからね。だいたい、私の立場はね、本社から給料貰ってる、本社の出先きみたいなもんで、この店から一文も貰ってるわけじゃない。充分に本社の意を体してやらんわけがないじゃないか」
鶴井は、表情も変えずに、説ききかせるような口調でいう。
「フランクの立場じゃ、本社の意向がわからんのも無理はないが、おれはね、小寺支店長を男にしてあげなきゃいかん、そう勝手に考えてな、先刻、僭越《せんえつ》ながら、ああいう発言をさせて貰ったんだよ。なあに、ちゃんと裏づけはあるんですよ。本社はいい商売なら、なんぼでも金はつける、そういってるのよ」
鶴井は、得意気な顔で小寺の横顔をのぞきこんだ。
小寺は、車に乗りこんだときと同じ格好で、腕を組んだまま黙りこんでいる。
どうやらおれの知らないところで、なにかが動いているらしい、小寺もそれには一枚噛んでいるらしい、と想像がついて、フランクは傷ついた気持になった。
「現地雇用《ローカル》の身分で差しでがましい口をきくな、というのなら、私は黙りますがね。納得はゆきませんね」
フランクはいって、前に向き直った。
──また、おまえひとりは蚊帳の外、というやつか。
何度となく傷つけられ、しかし一向に免疫になれない悔しさが、フランクの胸にひろがり始めた。
なぜ出発前に、このふたりは本社とのやりとりをおれに話してくれなかったのか。おれをフィリッピン側のスパイだとでもおもっているのか。なにか耳にしたら、すぐにアグサン木材側に「ご注進」におよぶ類いの男とでも考えているのか。
暫くして小寺が、
「フランク君、このまえ、イリガンからこっちにまわってきたとき、ブツアンの貯木場で失業者の親子に会ったっけな」
前方を見つめたまま、じっと背を固くしているフランクに向って、車内の会話にまるで関係のないことをいいだした。
フランクは、小寺さえもうとましく感じかけていたので少し間を置いて、
「はあ、支店長が食事をご馳走されましたね」
気のない返事をした。
「あの破れたシャツの親父さん、この近くのリアンガで、働かして貰うように運動するんだ、といってたっけが、もう、このあたりにきてるんだろうかな」
小寺はそこで躰を乗りだして、
「今、おもいだしたんだが、あのとき就職を頼む、といってた相手は、後ろの車の副社長じゃなかったかな」
「そういえば、たしかクエトオ、といってたようでしたね」
やっと話に乗る気になって、フランクは、そういった。
小寺は上着から取りだした手帳を繰って、
「そうだ。クエトオだ。監視人が就職を頼む、といってたのは、後ろの車のおっさんだったのか。道理で聞いたことのある名前だとおもったよ」
とはずんだ声をだした。
「フランク君、あの男の名前は、たしかロケとかいったな。ブツアンに着いたら、クエトオさんに、あの男を採用したのかどうか、訊いてみてくれや。もし採用していなかったら、よく頼んでやってくれよ」
「わかりました。訊いてみましょう」
フランクは、鶴井との激しいやりとりの余憤が次第に醒めてゆくのを感じながら答えた。
明らかに小寺は、本社木材部長とのやりとりをフランクに知らせなかったことに負い目を感じているのである。フランクが鶴井に、ローカルとしての立場をおもい知らされ、面と向って愚弄されたことに心を傷めているのである。
「あの子どもは利口そうな顔をしていたが、腹が減って、遊ぶ元気もないみたいで、可哀相だったな」
椰子の林の間を抜けてゆく、車の前方を眺めて、小寺は呟いた。
「もっとも、フランク君の戦時中の苦労は、あんなもんじゃなかったろうがね」
たしかに小寺のいうとおり、カバナツアンを脱出した昭和二十年二月一日以後の、佐藤浩の生活は、生死の境を危うく渡ってゆく、綱渡りに似たものになった。
浩にとって、なによりの傷手は、心の支えになっていた馬場大尉と別れ別れになってしまったことだろう。
小川のなかをたどって、東の街道へ抜けると、カバナツアンの手前で全滅した撃兵団の輜重《しちよう》中隊を救援すべく、急行してきた撃兵団の板垣支隊に出会い、彼らに収容されて一行はリサールの板垣支隊拠点に逃れた。
浩は、もとカバナツアン憲兵分隊の残存兵士とともに撃兵団に収容されたが、それからあとの日々、残存兵士たちと一緒に、馬場大尉の到来を心から待ち続けたものであった。
そして大尉を探しに毎日、十数名の兵士たちに混って、自分たちが逃げてきた街道をカバナツアンに向って歩いてゆく。
浩は、街道の向うから、悠々と歩いてくる大柄の馬場大尉の幻影を何度、夢見たかわからない。あるいは街道の木陰から、「浩」と呼ぶ馬場大尉の声を聞いたような錯覚に何度、捉われたかわからない。
しかし街道の向うからやってくるのは、銃を杖にして歩いてくる、大藪大隊生き残りの、疲れ果てた兵士だったり、路傍の木の幹に背をもたせかけてよこたわっているのは、血まみれになって、「水をくれ」と細い声で叫んでいる、見知らぬ兵士であった。
マニラを出るとき、「ルソン東海岸へ逃げるように」という馬場大尉の伝言を父親に伝え、父親からも「いったん東へ逃げて、最後はギンバ東方の親類の家で会おう」といわれていた浩だったが、東海岸へ逃げようなどという考えはついぞ浮かばなかった。
東海岸バレル方面へ戻ってゆくディアスと、ボンガボンで別れたとき、ディアスの親父さんはしきりに、「自分と一緒にこい」と腕をひっぱらんばかりに誘ったけれども、浩の気持は動かなかった。
馬場大尉の生死が不明のうちは、東海岸なんぞへ逃げる気持にはまったくなれない。
それにカバナツアンで完全に軍の一員として生きるうちに、陸軍と運命をともにする以外の人生は、少年の頭では考えられなくなっていた。フィリッピン全土が巨大な火焔と血潮の坩堝《るつぼ》と化しているとき、どこへ逃げようと、結局はおなじ運命が待ちかまえている、という気持もどこかにあった。
ひたすら待ち続けた馬場大尉は、ついに姿をみせず、その間に米第一軍団は、北部山中の登山口、サンホセを中心に死闘を展開する撃兵団を次第に圧迫し、二月四日にはついにサンホセを占領した。このため、浩が収容して貰ったリサールの板垣支隊も二月七日に米第六師団の戦車を伴う攻撃を受けるに至り、デグデグに向って、転進を開始した。
この板垣支隊がいい例で、北部山岳地帯への兵員と軍需物資の搬入を援護すべく、連日連夜奮戦を続けた撃兵団は、二月十一日の時点において、いっせいに北部山中へ撤収を開始する。
比島戦において、この撃兵団の演じた役割りは、レイテ沖海戦において、小沢|囮艦隊《おとりかんたい》の演じたそれと酷似している、といえるのかもしれない。
撃兵団は北部山岳地帯持久戦のための、兵団と兵站輸送を援護すべく奮戦したが、これは小沢艦隊が全滅を賭して栗田艦隊のレイテ湾突入援護のために奮戦したのとおなじで、きわめて戦略的な使命を担っていた。両者ともに充分にこの与えられた戦略的目的を達成したものの、致命的な、再建不可能の損害を蒙るのである。
浩たちの収容されたリサールから北部山中に向う、国道百号線は、カラングランにおいて、急に道幅がせばまり、当時日本陸軍が鈴鹿峠と呼んだ、スペイン統治時代に作られた山道になる。通路がせばまることは、米軍戦車や機動車輛の通過が困難になることを意味するので、当面の安全地帯へ逃げこむことを意味した。
在リサールの部隊は、撃兵団の速射砲隊、独立戦車第八中隊、それに以前にカバナツアンに駐屯していた滝上大隊の一部、浩たちと一緒にカバナツアンから撤収した落合工兵聯隊、それにもと憲兵分隊の警戦第三大隊第三中隊の残存兵士たちなどだったが、第十四方面軍司令部が、数少い戦車と速射砲の山中への撤収に最優先順位を置いたため、浩たちの徒歩集団は、ともすれば置き去りにされそうになった。
昼間は、空襲とゲリラの襲撃が激しいので、木陰で休息し、夜間に徒歩で行軍した。撤収開始四日目の夜に入って、路上に整列、そろそろ行進を開始しようとしたところ、突然闇のなかから、強烈な光芒を浴びた。光の巨大な点が四つ、五つと次々に浮かびあがり、上下しながら、西側の丘陵を降ってくる。
百号線の路上に照射された光芒のなかに、数人の兵士の黒い影がうかびあがり、
「敵襲」
とだれかの甲高い声が響いた。
しかし次の瞬間には、機銃の赤い火線を浴びて、兵士たちは路上になぎ倒された。
米第六師団尖兵隊のジープ集団に急襲されたのである。
数十台のジープが、もと畑地だった丘陵地帯を越えて突進してくる。ジープは大型のサーチライトと重機を備えており、夜間迎え撃つ相手としては、まことに手強い相手であった。
ジープの大集団は至近距離で道路と平行する隊形をとり、進行方向を扼《やく》するように道路正面におおきくまわりこんでくる。
前方で散発的な応戦が見られたが、たちまち制圧され、行手にサーチライトの輪が半円形にならび、撤収の列の最後尾にいた滝上大隊の一部である、第三中隊と、もとカバナツアン憲兵隊の警戦第三中隊生き残り組が、重機による猛烈な銃撃にさらされることになった。
暫くして銃撃が静まり、同時に浩たちの伏せている右手、道路の東側の遠くで枝を踏む、かすかな足音がした。ゲリラか正規兵かが、彼らを包囲しようとしているらしく、味方同士の相討ちを恐れて、米軍のジープは射撃を停止したものらしかった。
「血路を開くより仕方がなさそうだな」
警戦隊の指揮を取っている、たたきあげの憲兵准尉がいった。
「軍刀を捨てろ。小銃と手榴弾だけを持って、一気に敵の右端の車輛に突っこめ。右端の車輛に集中的に手榴弾を投げて強行突破しよう」
そこで、老兵といっていい、四十過ぎの准尉は「浩は、一番、あとからついてこい」といった。
警戦第三中隊は、憲兵が常備している、銃身の短い三八式騎兵銃を保有していたが、これは全員にゆきわたらず、手榴弾だけが全員に数箇ずつ行きわたっている。
「浩、これを持っていてくれ」
老准尉は、雑嚢から、家族の写真らしいものを取りだして、浩に手渡した。ほかの兵士もそれにならったので、浩の雑嚢は写真でいっぱいになった。
浩も強行突破する一員なのだから、どうして浩だけが生き残る、と彼らが考えたのか、明らかでない。あるいは頭のどこかに、浩が敵の殺意をひるませる少年軍属であり、混血であって、一般兵士の彼らよりは生存の見とおしが強い、というおもいが、ひそんでいたのかもしれない。
警戦第三中隊は、歩兵かゲリラのひそんでいるらしい右手の方向へ、低い繁みを利用しながら、移動してゆき、ずらりとならんだ光の点の右端に向って、匍匐前進《ほふくぜんしん》を開始した。
気配を察して、サーチライトの光芒が、こちらに振れてきた途端に地面のあちこちで、手榴弾の信管を発火させる火がきらめいた。日本の手榴弾は頭部の信管を抜いたのち、底部の撃針を石に打ちつけないと、爆発しない。
老准尉を先頭に、兵士たちはいっせいに立ちあがって突進し、次々と手榴弾を投げた。
運よく一発の手榴弾がジープの一台に命中して、炎上し、円陣がくずれて、サーチライトの光が乱れ動き、機銃弾の弾道が交錯した。ジープ集団は、日本兵をもとめて、あたりを疾走し始めた。
同士討ちを恐れるのか、英語の号令が乱れ飛んだ。
気がつくと、浩の後方をサーチライトの光芒が追ってきて、機銃の連射が、浩のはるか頭上を赤い火を放って流れた。浩は、夢中で重い手榴弾の信管を抜き、撃針を石に打ちつけようとしたが、地面の石を探す余裕などまったくない。止むを得ず、そのまま後方に投げつけ、あとは伏せては走り、走っては伏せ、国道百号線を越えて走り続けて孟宗竹の藪に逃げこんだ。
逃げこんだのが竹林と気づいて、浩は「しめた」とおもい、奥へ奥へと突き進んだ。
カバナツアンにいたとき、馬場大尉は『部外秘、熱地作戦の参考』という、大本営陸軍部発行の小冊子を持っていて、ときどきそれを夜なべに読んでは、おもしろがっていた。
「暑いときは寒いときより空気が稀薄であるから弾丸は遠くに伸びる、なんて書いてあるが、ほんとかねえ。ほんとに空気が稀薄なら、もっと息苦しい筈だよなあ。マンゴーを食べるときには、牛乳や酒を一緒に飲んではならぬ、か。おれなんぞ、マンゴー肴にバシ酒飲んでるぞ」
大声で浩に読んで聞かせては笑っていたものだが、
「ただ、この文章は実戦的だな。竹の林は内地と違って群生しているから、防禦には絶好だ、竹林のなかに入って戦え、というんだ。弾丸が竹にあたっておおきな音をたてて脅かされるけれども、それに慣れさえすれば竹林は安全地帯だっていうんだね」
そういっていたのを覚えていたのである。
ふとい孟宗竹のきいろい幹をサーチライトの光芒がなめてゆき、機銃の弾丸があたって、『熱地作戦の参考』にあるとおり、竹の幹が割れて、猛烈な音をあたりに反響させた。
浩は竹林は安全地帯だという、馬場大尉の言葉を忠実に守って、ジープのエンジン音、機銃の発砲音が消えたあとも、竹林のなかに終夜ひそんでいた。明けがた、竹林を出て、国道百号線の外側の灌木を伝い歩いて、先行した撃兵団を追いかけた。
まもなく木かげで休息している、滝上大隊第三中隊に追いつくことができて、一緒にカラングランに入った。
カラングランで、滝上大隊の兵士が第十四方面軍野戦貨物廠、尚武の一〇六八二部隊は北部山中、バンバンに本部を置いている、と教えてくれた。カラングランから、国道五号線に出ると、親切なトラック運転手の兵士がおなじ国道五号線の沿線にあるバンバンまで運んでくれた。
廠長、総務部長など、マニラで別れて以来の一〇六八二部隊の隊員たちは、浩の生還を喜んで迎え入れてくれたが、しかし生死をともにしたカバナツアン憲兵分隊の警戦隊とは、このジープとの戦闘を最後に二度と会うことがなかった。
太平洋戦争の戦局の展開に決定的影響を与えることはなかったが、しかし山下奉文第十四方面軍司令官による持久戦の構想は、その初期においては一応の成功を見た、といってよかろう。
ルソン島北部山中における戦闘の山場は、バレテ峠とサラクサク峠という、ふたつの峠の攻防戦にあった、といえる。
バレテ峠は、国道五号線の延長線上にあり、カガヤン渓谷進入路のまさに正面に位置する。
サラクサク峠は、バレテ峠の西六十八キロ、昔、山道を切り開いた神父の名前を取って、ビリヤベルデ道と呼ぶ、細い山道がついているだけの峠だったが、米軍は、このバレテ峠への正面作戦と同時に、予想の裏をかいてこの羊腸たる山道の続くサラクサク峠に対しても、猛烈な攻撃をかけてくる。
バレテ峠の守備に当ったのは、姫路の歩兵第十聯隊を基幹とする、鉄兵団で、これにエチアゲにあった高千穂空挺部隊一箇大隊が加わり、総兵力八千名、動員可能の野砲、迫撃砲の支援のもとに米第二十五師団を迎撃する。
意表を衝いてサラクサク峠に進攻してきた米第三十二師団を迎え撃ったのは、サンホセ守備に奮戦、数台を残して保有戦車をことごとく失った戦車第二師団中心の撃兵団である。撃兵団はやはり国道五号線のサンホセの奥、アリタオで休息を取っていたが、八門の砲兵一箇大隊を伴って、総兵力四千三百、全員駆け足で文字通りサラクサク峠に馳せ参じて、直ちに陣地構築にかかる。
このバレテ峠とサラクサク峠守備隊の奮戦は戦史に名高いところだが、この奮戦の背景にはいくつかの共通点がある。
ともに峻険な山岳地帯に拠り、起伏の激しい土地を充分に活用し得たこと、両兵団ともに当時の日本軍としては、比較的豊富な火器類を保有していたことである。
特に機甲師団であった撃兵団は、破壊された一式、九七式戦車から七・七ミリ重機関銃を大量に取り外して、山中に携行してきており、サラクサク峠の複雑な地形を利用して構築したトーチカ、洞窟陣地にこの重機群を配置して、勇戦した。
このバレテ、サラクサク両峠において、両兵団は、米軍に戦死傷六千の損害を与え、じつに六月まで四カ月間にわたって、圧倒的優勢を誇る米軍を釘づけにし、「持久戦」の成果を挙げるが、その代償として、補強部隊を加え一万五千余名の兵士を失うこととなった。
バンバンの第十四方面軍野戦貨物廠は、このふたつの激戦地のバレテ、サラクサク両峠への食糧補給に全力を挙げたが、むろん意にまかせない。
制空権を完全に米軍に奪われ、米陸軍のP51ムスタングがたえず国道五号線沿いの上空をパトロールしていて、車輛をみつけると、たちまち急降下してくる。おまけに輸送の車輛が充分でなく、牛車の類まで動員することになる。敵対する米軍に対しては有利に働いた両峠の峻険な地形も補給戦には大障害となった。
浩は、野戦貨物廠から柴田少佐指揮のバンバン補給部隊所属となり、再び食糧の収集に従事することになった。
このあたりはすでにイフガオ族の生活区域なのだが、浩のタガログ語はなんとか通じて、そのせいかどうか、現地住民はすこぶる協力的であった。
朝や夕方に買い出しにでかけるのだが、住民たちは、数十俵の米、数十頭の水牛をむしろすすんで供出してくれ、温かいめしや芋をご馳走してくれた。交換物資はマッチ、煙草、毛布の類である。
しかし激しい空襲と輸送に明け暮れる日々のなかで、浩の気持は、どうにもしゃんとしない。部隊の兵士たちには、浩の元気のなさが親もとから離れているためと映るらしく、
「浩、元気をだせ。お父さんお母さんもちゃんと疎開して、どこかで無事に暮してるよ」
そう慰めてくれる。
野戦貨物廠の兵士たちの話によると、貨物廠がマニラから疎開する前日、浩の父親、ルイス・ベンジャミンは、自分たち一家は単独に疎開する、といって休職を申しでた、という。そのとき、軍の伝手で、古い車とガソリンを用立てた筈だ、という。
両親、弟たちが、どこに疎開したのか、それこそ馬場大尉が安全地帯として推していた東海岸に疎開したのか、それを考えて、浩がときに孤独感に襲われるのは事実だった。
野戦貨物廠の将校たちにしても、浩が馴染んできたリンガエン上陸以来の将校たちは、総務部長、車谷少佐をはじめ米軍上陸前に転属になってしまい、顔見知り、といった程度の交際《つきあ》いの浅い軍人ばかりであった。
しかし浩の胸におおきな空洞を開けて、少年らしい活発さを奪っている最大の原因は、むろん馬場大尉の「不在」にある。
──馬場大尉はほんとうに戦死してしまったのか。
浩のおもいは常にそこに帰ってゆき、あの不死身とみえた大尉が死んでしまう筈がないという希望と、あの大爆発のなかで、生き残れた筈がないという絶望がこもごも去来することになる。
どうしたら馬場大尉の消息がつかめるか、と子どもながらにおもいつめたすえ、浩は許可を貰って早朝バンバンを発ち、徒歩でバヨンボンの憲兵分隊を訪れた。空襲を恐れて、昼間は輸送活動を控えるので、貨物廠の仕事も閑になる。その昼間の時間を利用することにしたのである。
この頃の浩は、自棄的な気分におちいっていたから、「撃つなら撃ってみろ」と街道に飛来する米軍機の爆音など無視して、カバナツアンから、現在暮しているバンバンを経てバヨンボンへと続いている国道五号線のうえをずんずん歩いた。
途中後方からきたフィリッピン人の馬車《カルマタ》に乗せて貰ったりして、バヨンボンの村に入ると、すぐ左手に「バヨンボン憲兵分隊」という表札をかかげた建物があった。
浩が覗いてみると、入口の受付けに長髪、平服の男がすわり、ペンを握って書類を作っており、その奥では、坊主頭、軍曹の階級章をつけた憲兵がしきりに地図を眺めて、なにか記入している。
詰所のなかの空気は、カバナツアン憲兵分隊とあまり変りがない。
浩はなんの抵抗感もなく、受付け手前の路上に立ち、挙手の敬礼をした。
「野戦貨物廠一〇六八二部隊、柴田中隊、佐藤軍属、用事あって参りました」
軍隊生活が長くなり、浩の申告ぶりもすっかり板についている。
白いシャツに白いズボンを穿いた、お洒落な商社員のように見える憲兵が、ペンを持った手で長髪を掻きあげて、浩を見た。
「なんの用事かね」
それだけが軍人の証拠ででもあるかのように眼つきが鋭い。
浩は、用件を述べようとしたが、言葉をうまく軍隊式表現におきかえることができず、絶句した。
しかたなく、声の調子を日常会話のレベルに下げて、
「カバナツアン憲兵分隊長の馬場大尉は、現在どこにおられるんでしょうか」
と訊ねた。
「馬場大尉殿か。おれは一度、会ったことがあるきりで、その後、どうされたかよく知らんなあ」
男はペン軸で自分の頬をたたきながら、しかし素直にそう答えてくれた。
すると、奥にすわっていた、軍服姿の憲兵が、
「おまえの顔は馬場大尉殿によく似ているが、大尉殿の親戚か」
おもいがけないことをいう。
長年連れ添った夫婦の顔が似てしまうといわれるように、長いこと一緒に暮した浩の顔も馬場大尉に似てしまったのかもしれなかった。浩が質問にひきこまれて、おもわず「はい」と答えると、
「親戚のおまえには気の毒だが、カバナツアン憲兵分隊の消息も、馬場大尉殿の消息も、詳細は不明だ。アリタオにいた比島憲兵隊司令部が、この先きのラトーレに移転してきているから、訊いてみたらいいが、しかし答えはおなじだな。おれたちは、しょっちゅう憲兵隊司令部と連絡を取り合っているからな」
やはりそうか、と浩はがっくり気落ちした。
「詳細は不明だが」
軍服姿の憲兵は、覚悟して聞け、というふうに一語一語区切っていった。
「馬場大尉殿は、カバナツアンが米軍に包囲されたとき、分隊と一緒に玉砕されたのではないか、そういう噂がながれている」
自分はそのカバナツアンからきたのだ、といいたかったが、そうもならず、浩は小さい声で「わかりました」と答えた。
浩の気の落しようがよほど激しかったのだろう、坊主頭の憲兵は、立ちあがってきて、
「私もマニラで馬場大尉殿とご一緒していたんでな、大尉殿のご無事を願っている。まあ、気を落さずに帰りなさい。私の説明で納得がゆかないのなら、ラトーレの比島憲兵隊司令部に行って訊いてみるといい」
そう慰めてくれた。
浩は、ラトーレの比島憲兵隊司令部まで行ってみるか、と迷いながら、バヨンボンの街のなかに歩み入った。
バヨンボンの街は、フィリッピンの町の例にもれず、小さな橋の彼方に十字架の輝くカトリック教会があり、国道五号線はその教会の角でほぼ直角に左折している。
迷い迷い十数歩歩くと、左手の、カウンターのついた事務所らしい建物のなかから、甲高い少女の声が聞える。そのタガログ語の声には聞きおぼえがあった。
立ちどまって事務所のなかを眺めると、ひとりのズボンを穿いた少女が後ろ姿をみせて立っていて、店内のフィリッピン人の老夫婦と盛んになにか交渉ごとらしい会話を交わしている。
「美っちゃんじゃないか」
浩はおもわず近寄って声をかけた。
ズボン姿の少女は怪訝そうに振り向いた。少女は、前年の暮、在留邦人を運ぶトラックのうえで見かけて以来、数カ月ぶりに顔を合わせた岸本美千代であった。
「あら、佐藤君、ここにいたの」
美千代も驚いて路上にでてきた。
「いや、バンバンの貨物廠にいるんだけどね。馬場大尉を探しにバヨンボンにきたんだよ」
浩は手短かにカバナツアンで馬場大尉が落合工兵聯隊や自分の部下、そして特にディアスなど親日フィリッピン人を逃すために、弾薬満載のトラックに乗って米軍に突っこんだこと、自分は米軍のジープ群に襲われながら、やっと逃げのびて、バンバンに辿り着いたことなどを話した。
美千代は、浩の顔をじっと眺めていたが、
「佐藤君のお父さんやお母さんはどこにいるか、わかったの」
と訊く。
「いや、わからん。もう死んでるのかもしらんな」
浩は、少し感傷的なような、甘えた気分になって、首を振った。
「美っちゃんはどこにいるんだい」
「私たち、ボンファルにいるの。ボンファルには、日本人国民学校の生徒が父兄と一緒に大勢きていてね」
サンホセ陥落直前に、サンホセに疎開《そかい》していた在留邦人が、ボンファル周辺に再疎開したことは、浩も聞き知っていた。
「皆、ちゃんと勉強しているのよ。マニラで日曜学校開いてた、中島さんって神父さんがいたでしょう。あの中島先生が皆を教えてくださるのよ」
今日はマニラから同行してきている、隣家の大野という小母さんに頼まれて、このバンバンの大同綿花の出張所に布を譲って貰いにきたのだ、という。
大野というのは、たしかカバナツアンの貨物廠の兵士たちが「芸者あがりの、えげつない女」と悪口をいっていた女性だったが、その女性から「大同綿花じゃ、私の名前は鳴り響いているからね。バヨンボンの支店に行ってあたしの名前をいえば、ふたつ返事で、裂地の二着分や三着分はただで譲ってくれるよ。あんた、お使いに行って頂だい」といわれて、ボンファルから歩いてバンバンまできたのだそうであった。
ところが大同綿花の社員は買出しやら、農業技術指導やらに出払ってだれもおらず、夫が事務所を手伝い、細君が食事の世話をしているらしいフィリッピン人の老夫婦だけが留守番をしていて、話のらちがあかない。
そこへ浩が通りかかったのであった。
「今どき、ただで物など譲ってくれるフィリッピン人などいやしないよ、米か水牛の肉でも持ってきて、物々交換を頼まなきゃだめだよ」
浩が美千代にそう喋っている最中に、天上に向って空を鋭く切り裂いてゆく爆音が、耳を打った。足もとから頭のてっぺんへ躰を縦に切り裂いてゆくような不快な爆音である。
見あげると、空の彼方で米軍の艦上爆撃機らしい一群が、まさに急降下爆撃の態勢に入るべく、上昇しつつ、次第に反転の態勢に入ってゆくのが見えた。
「いかん、こっちへくるぞ。防空壕へ逃げるんだ」
バヨンボンの街なかは騒然となり、軍人や在留邦人、フィリッピン人が家を跳びだし、いっせいに国道五号線上を駈けだしていた。
「美っちゃん、早く逃げるんだ」
浩は叫んで美千代の肩をつかみ、走りだそうとした。
「佐藤君、このフィリッピンのひとたちを置いて逃げるつもり? お爺さんお婆さんと孫の子どもたちだけでさ、可哀相じゃないの」
美千代が顔をすぐ傍に寄せてきていう。
爆音はいよいよ激しくなって、美千代の顔のうえに、降下の態勢に入ろうとする艦上爆撃機の姿が二重写しになってくるような気がする。
振り向くと、フィリッピン人の老夫婦がふたりの孫娘の手をひいて、店先きに震えながら立っていた。
「馬場さんなら、絶対、このひとたちを放りだして逃げたりはしないわよ」
この言葉は電撃のように浩を打った。
舞い降りてくる爆音の下、浩と美千代は、フィリッピン人の老夫婦と孫の女の子ふたりを連れて、国道五号線を走った。人の跳びこむ影をみて、教会の横手にある防空壕に気がついた。地下に斜めに洞窟を掘るようにして作った、トンネル状の防空壕である。
跳びこんでみると、その防空壕には、なぜか若い日本の女が大勢、入っており、天井に頭をぶつけながら、しゃがみこんで顔を両手でおおっている。
──ピー屋の朝鮮の女たちだな。
軍隊ずれした浩は、そうおもった。
かなり遠くで爆発音が連続して響き、それが急速に近寄ってきて、最後の一発とともに壕内には土ぼこりが立ちこめた。
「国道五号線か、このバヨンボンを狙っているんだろう。今のうちにできるだけ遠くへ逃げよう」
ドーントレスらしい第二群の艦上爆撃機が急降下の態勢に入ろうと上昇してゆくのを防空壕の入口から見とどけて、浩はいった。すでにバンバンで連日のように洗礼を受けて、空襲には慣れっこになっている。
浩と美千代は、老夫婦と孫娘の手をひいて、小学校の裏手、国道と反対側の森の奥へふたたび走った。
爆撃機の第二群の急降下してくる音が響き始めたところで、軍の作ったものらしい入口のおおきい、木の枠で土をおさえてある防空壕をみつけ、浩は、まず跳びこんで、老夫婦と孫娘を導き入れた。美千代は最後に入ってきた。
「おい、少年兵。土人はいかん、土人を入れてはならんぞ」
ほの暗いなかに軍服姿がいくつか浮かんでいて、罵声が飛んできた。
浩はカバナツアンの最後の頃から、土地の仕立屋に縫わせた、襟章だけがない、軍服とおなじ形の服を着て、ゲートルを巻いていたから、少年兵にみえたのだろう。
「自分は野戦貨物廠の者であります。このひとたちは、貨物廠に食糧を供出してくれた家族です」
自分でもおもわぬ機転が働いて、浩は高い声でそう怒鳴った。
この時期、食糧供出の一言は、おおきな影響力を持っていたから、壕内の兵士たちはそれで黙りこんだ。
美千代は、タガログ語で老夫婦と孫たちに、日本式の爆風避けの姿勢を教えている。親指で鼓膜の破れないよう耳をおさえ、残りの指で眼球が飛びでないよう眼をおさえて、口を開けるやりかたである。
フィリッピンの老夫婦と孫娘たちは教わったとおりの姿勢を取って、地面にしゃがみこんだ。
今度は至近弾が多く、境内は大揺れに揺れ、老婆が、躰を震わせて鳥の鳴き声のような悲鳴をあげた。
ようやく爆撃が終って、表に出たのだが、国道近くの建物が、しきりに煙をあげて燃えていて、その煙がこちらにまで流れてくる。白煙のなかを歩いてゆくと、老婆が突然、今度は長い悲鳴をあげて、しゃがみこんだ。顔を両手でおおって、うずくまり、ほとんど同時に美千代が「いやいや」と叫んで顔をそむけた。
正面のサンパロックの木の枝に、太腿から下の白い足が、それも輝くように白く、形のよい足が、ぶら下っていた。まるでサンパロックの木の枝に透明人間が腰かけていて、その太腿から下の部分だけが、突然薬の効果を失って白昼の光のなかに現われてしまったような光景であった。
枝に腰かけたぐあいの太腿の肉づきがよくて、まことに官能的な、これは明らかに女の足である。
──ピー屋の朝鮮女の足だな。
凝然と立ちすくみながら、浩はおもった。
後年、軍用機の爆音を耳にすると、浩はよく、お面のように顔の部分だけが切りとられて、前額部の髪の毛と一緒にカバナツアンの電線にぶら下っていたサイコの顔とこのピー屋の朝鮮女の、一滴の血のあともなく、ただただ白々と官能的に輝いていた足とをおもいうかべた。幼時に、風呂に入れて貰った母親の裸をおもいださせるような、甘い、切ない太腿と脛《すね》であった。
どちらも戦争には何の責任もなかった哀れな人間たちの、悲しい肉塊である。
「さあ、ゆきましょう。私は病院で沢山、人間の足を見てきたから平気よ」
しばらくして美千代が気丈にいった。
その日は、フィリッピン人の老夫婦が、「おかげで命拾いをした」とえらく喜んでくれて、自分たち用に買いおきしておいたという、布地一着分を美千代に分けてくれた。
美千代の帰るボンファルは、バヨンボンから国道五号線を北上した地点にあり、浩の帰るバンバンは、バヨンボンから南下した地点にある。
浩と美千代は、つまり国道五号線を南と北に別れて帰ることになった。
「佐藤君は、馬場さんと別れて、きっと戦争病にかかったのよ。そんな戦争病、ふっとばさなくちゃだめよ」
戦時下、緊張がもたらす、一種の神経病を新聞が戦争病と名づけ、それが外地にも聞えてきて、子どもたちは、青い顔をして元気のない仲間をみつけると、「こら、戦争病患者」などと悪口をいったものであった。
「ボンファルに遊びにいらっしゃいよ。いっぺんで元気がでるわよ」
「わかったよ。学校の皆によろしくいってくれよ」
浩は大人のような挨拶をした。
「気をつけてゆけよ。足だけになったりするな」
美千代は微笑して、手を振ると、あとを振り返りもせずに教会の角をまがり、国道五号線をボンファルの方角に歩いていった。
──おれは子どもだしな、馬場さんのようにはとてもゆかんな。
しかし、馬場大尉のように、おれは生きなくてはならん、と浩はおもった。
今日は、馬場大尉のように、日本人のひとりとして、フィリッピン人の老夫婦をすくってやったのだ。馬場大尉のように生きることが、日本人としての存在証明ではないか。
子ども心にそんなことを漠然とおもいつつ、浩は簡易舗装の道を第一線に近い南へと歩いた。浩の気持は、バンバンを出発したときに比べて、ずいぶん明るくなっていた。
昭和二十年五月十三日、バレテ峠山頂は敵手に落ち、精強をもって鳴った鉄兵団も五月末には、壊滅状態におちいり、米軍戦車の五号国道への進出を許すことになる。
これより先き、五月四日、サラクサク峠の組織的戦闘も終り、残存日本兵の徹底的掃討が行われ、米第三十二師団師団長、ギル少将は、五月二十四日、サラクサク峠の占領を報告する。
六月四日、一時、ルソン憲兵隊本部があったアリタオが占領され、野戦貨物廠本部の置かれていた、兵站基地バンバンも米軍野砲の射程距離に入った。
バレテ、サラクサク両峠の陥落とともに、野戦貨物廠は、北部山中を走る国道五号線をさらに北上、ラムット川を越え、国道沿線上にあるファーム・スクールへ食糧、医薬品、交換用品の布地、煙草類等、物資の移動を開始した。
浩の所属する柴田少佐指揮の補給部隊は、最後まで、細々ながら前線への補給作業を続け、六月五日夜、米軍迫撃砲弾の飛来するなかを出発、ファーム・スクールに向った。
バヨンボン、ボンファルと走ってゆくうちに、街道に沿って三々五々歩いてゆく、大勢の在留邦人を見かけるようになった。
ボンファルに四つの村を作り、疎開生活を送っていた、マニラの在留邦人、それも老人、婦女子といったひとびとである。
リュックサックを背負い、子どもの手をひいてゆく母親がおり、僅かな身のまわり品を首にかけ、杖をついて歩いてゆく老人がいる。浩と同年輩とおもわれる少年が、弟妹たちと僅かな荷物を乗せたリヤカーをひいて苦しそうに歩いている。
手の空いている者は、いずれもゴムタイヤの切れ端を燃して松明《たいまつ》のように手にかざしていた。
ゴムの松明の大行列は、悲しい鬼火のように頼りなげによろめきつ、よろめきつ北部山中を目指していた。悲惨な末路を辿ることになる、比島在留邦人三千人の山中逃避行の開始であった。
浩は物資を半分ほど積んだトラックの荷台にすわり、運転席の背にもたれていたが、自分のトラックが土ぼこりをあげて、彼らを路傍の石のごとく無視して追い越してゆくのに次第に耐えられなくなった。隣りにすわっている下士官は、最近補充されてきた男で、あまり馴染みがなかったが、浩は、
「お爺さんお婆さんたちを、ひとりでもふたりでも荷台に乗せてやっていただけないですか。あれじゃあ、死んでしまいます」
そう頼んでみた。
「あんな足手まといの連中にかかずらっていられるか」
後方の夜空で彼らを追いかけるように響く米軍の砲声にいらだつのか、下士官は殺気だった声をだした。
「比島の日本人なんてのは、日本を捨てて、ひと山あててやろう、そんな浅ましい、出稼ぎ根性のやつらばかりじゃないか。ああいう山っ気の多い、国を捨ててきたようなやつらは、放っときゃあいいんだ。自業自得だよ」
下士官は膝をぱたぱたと叩いていう。
ルソンの高原都市バギオに通じるハイウェイ、ベンゲット道路建設工事のため、八百人余の日本人建設労務者が死亡したのが典型的な例で、比島在留邦人の苦労話は、山のようにあり、浩自身、耳にたこができるほど数多く聞き知っている。
在留邦人の初代は、いずれも貧しかりし戦前の日本で生きる道をみつけられず、比島の地に移住して、忍苦の末、生活の場を築きあげたひとびとである。「戦前の移住は移民でなくて、棄民だった」という言葉を戦後、耳にしたとき、浩が最初におもいだしたのは、この夜の、タイヤの破片の松明をかざして、夜道をよろめき歩く、老幼婦女子の姿であった。あれは下士官のいうごとく、「国を捨てた人たち」の姿ではなく、「国に棄てられた人たち」の姿であった。
「だけど子どもも大勢歩いているんですよ。赤ん坊を背負ったお母さんも歩いているんですよ。そういうひとたちを放っておくんですか」
浩は叫ぶようにいうと、涙が勝手に眼からあふれでた。
「自業自得なんて、よくそんなひどいことがいえますね」
相手の下士官は、浩の過剰反応に驚いたらしく躰を起して、こちらを覗きこんだ。
「ああ、そうか。おまえも比島育ちだったな」
間のわるそうな声をだした。
「そういったって、あんなに大勢いるのに、ふたり、三人拾ったってどうなるんだ。だいいちあんな老いぼれ連中は、このトラックのうえに上れやせんよ」
「自分が押しあげてやります」
下士官はうんざりしたように、
「とにかくこの車輛は兵站物資の輸送車だ。民間人は乗せるわけにはゆかんよ」
後方の夜空がぱっぱっと白くはためいては、曳光弾が稲妻のようにきらめいて飛び交い、発射音がにぶくトラックの上まで響いてくる。
その夜空の下、松明の群はよろめきながら、果てしなく続き、それを浩たちのトラックの列が、無情に土ぼこりを浴びせながら、追い越してゆくのだ。
浩は「おれは学校の同窓生たちを裏切っている」とおもい、寝もやらず、汚れた手拭いで鼻をかんでは、涙を流し続けた。
六月八日夜、折から雨期に入って激しく降り始めた雨のなかを浩たちの、野戦貨物廠、柴田大隊の車は、ラムット川の木造の橋を渡ったのだが、その翌日、比島在留邦人の歴史のうえで、最大の悲劇のひとつが起った。
水量が増して、川水に洗われている橋をどうにか渡り、丘を登ってラムットの部落に入ったところで、夜が明け、早くも米軍機の爆音が響き始めた。
「止れ、右手の丘の下に退避」
そういう号令が順を追って前のトラックから伝ってきて、次々と木陰に入り、浩も荷台から跳び降りた。
「おい、ラムットの橋が流れちまってるぞ」
兵士のひとりが叫び、浩が丘に上ってみると、なるほど、明けがた渡った木製の橋が流されてしまっており、濁流の真中に橋桁が四つ五つ黒く顔を出している。
河畔には、大勢の在留邦人、兵士、何台かのトラックが立ち往生し、途方に暮れて増水した川面をみつめていた。
浩たちのトラックも、延々たる渋滞のすえにやっと渡ったのだが、そのとき、すでに橋は水に浸され、トラックは水中をゆくような水しぶきをあげて走り抜けたのであった。
雨期に入って量を増した川水が、その直後、あるいはこのトラック隊の通過が原因になって、橋を押し流したのである。
「いかん、戦車だ」
後に、浩は、この米軍戦車群が、バギオ攻略後、北部ルソン攻略戦にまわされてきた米国陸軍第三十七師団所属と知るが、この戦車群は、突然砲口を開いて、ラムット河畔、千名とも二千名ともいわれる一般在留邦人を中心とする日本人に襲いかかったのである。
先頭のM4型シャーマンの七五ミリ砲の砲口に閃光が走るとみる間に、橋のたもとの在留邦人の真中に黒煙があがり、数十人がなぎ倒された。
悲鳴が走り、大群の日本人は蜘蛛の子を散らすように広い河原を右往左往する。シャーマンの群は、獲物を狙う猛獣のごとく、河原に乗りこんできて、砲塔を回転させつつ、日本人を、それも老幼婦女子に向って、七五ミリ砲と機銃の雨を降らせ始めた。
おそらく言語に絶する、激戦を重ねてきた米兵たちは、感情の均衡を失い、鬱積した憎悪を抑制できなかったのである。
ほぼ同時に増水した河すれすれに超低空飛行で、三機の双胴戦闘機、ロッキードP38ライトニングが縦隊を作って、姿を現わし、ご丁寧にも、この人間狩りに加わった。戦車から離れて逃げてゆく日本人たちを掃射し始めた。
躓《つまず》いて倒れた老人の背を容赦なく、キャタピラが蹂躙《じゆうりん》し、戦車に追い詰められた若い母親が、子どもを抱いたまま、濁流に身を投じるのが見えた。M4シャーマン戦車は、まさに殺人機械と化し砲塔を回転させては、無差別に撃ちまくった。
集団に混っていた少数の兵士が次々と戦車に襲いかかろうとするが、手榴弾を投げるまえに撃ち倒され、間もなく手榴弾が空しく爆発して、兵士の躰を吹き飛ばす。
高等小学校の生徒らしい女の子が、弟か妹かの手をひいて、河原を逃げてゆくのを、戦車はおもしろそうにどこまでも追いかけてゆく。ふたりが水際で立ちすくみ、おびえて抱き合ったところを仮借なく撃ち殺した。
少年がひとり、河を泳ぎ渡るつもりか、濁流に跳びこんだが、これも水を赤く染めて浮きつ沈みつ、下流に流されて行った。
「小銃を貸してください。小銃を自分に貸してください」
狂気が浩を捉えた。
「あれは、撃たれているのは自分の友だちなんです。友だちのお母さんや妹なんです。自分に敵《かたき》を取らせてください」
浩は絶叫した。
じっさい、そのときの浩の眼には、河畔で虐殺されている在留邦人が、すべて自分の友人、知人に映ったのである。
河原を追いまわされたすえに射殺されたのは、あれは美千代とその弟ではないのか。河に跳びこんで射殺されたのは、あれは小学一年以来の悪友、白坂だったのではないか。
今、マニラ日本人小学校の卒業生、在校生、その両親たちが、追いまわされ、虐殺されているのではないか。なつかしいキアポや、アベニーダ・リサールの住人たちが、マニラから遠く離れたラムット平原の真中で、まるで鶏のように屠殺されているのである。いや、フィリッピンの鶏は空を飛んで、高い枝のうえに逃げられるが、それさえも不可能な、話に聞く日本の鶏のように、ただよろめき歩いては射ち殺されているのである。
「小銃を貸してくれ」
と浩は周囲の兵士たちのだれかれを捉えて叫んだのだが、野戦貨物廠の兵士は、小銃など持っていはしない。
河原では、老婆が死を覚悟して合掌し、老爺が孫のうえにおおいかぶさって震えていた。そして砲声と銃声が鳴り続ける。
双胴のロッキードP38が、何度目かに縦隊を組んで、疾駆する二頭立ての馬のごとく、河の水面すれすれに飛来したとき、浩は雑嚢から、馬場大尉が調達してくれたコルト32を持って、丘のうえに跳びだした。ほとんど丘とおなじ高さで、轟音をあげて迫ってくる双胴型戦闘機に向い、「この野郎、この野郎」と叫びながら、立て続けに拳銃を射った。
むろん拳銃の射程がとどく筈もないのだが、拳銃を射っていること、引金をひいたときの反動、それだけがこのときの浩の生の実感だったのである。
──どうして、あのとき兵士たちは、トラックの運転席のうえに据えられた機銃を使って、在留邦人を助けようとしなかったのか。
このときのことをおもいだす度に、佐藤浩、いやフランク・ベンジャミンは、今でもそう考える。しかし兵士たち自身、この虐殺シーンに衝撃を受けて、そこまでおもい至らなかったのだろう。
「馬鹿野郎、敵機に向って拳銃射ってなんになるか」
二、三人の兵士に腕を取られて、浩は丘の下に引きずりおろされた。
死体のなかを戦車がキャタピラの音を立てて引きあげてゆくと、浩は、先夜、「老人を乗せてくれ」と頼んで断られた下士官に頬をなぐられた。
「きさま、おれたちを巻き添えにするつもりか。おまえが出過ぎた真似をすれば、この補給隊全員が迷惑するんだぞ。命令を完遂できなくなるんだぞ」
虐殺シーンに昂奮しているから、下士官のビンタは容赦がなく、浩の頬はたちまち腫れあがった。
浩はなぐり倒されながら、遠くの河原で泣いている赤ん坊の声を聞いていた。赤ん坊の泣き声は、高く長く尾をひいて、中空を行方も知れずさ迷っている。
あれは頬を打たれたための耳鳴りだったのか。
浩がなぐり倒されたとき、ふいに、
「いい加減にせいや」
そういう乾いた、凄味のある声が、かかった。
髭面の兵士が一分隊ほど、完全武装して傍らに立っている。
「子どもに騒がれて、敵さんにみつかるのが、おまえさんたち、よほど恐ろしいとみえるな。そういう臆病者はとかく空威張りして、弱い者をなぐりたがるんだわ。臆病者は臆病者らしく土下座してこの子に、今後は、おとなしくして震えておってください、口でそうお願いしたらよかろうが」
金筋に星三つの曹長の襟章をつけた下士官はそんなことをいう。
「坊主、おまえもいい根性ができたな」
その声には聞き覚えがあった。
髭面の下士官とその部下は、野戦貨物廠本部がマニラのサン・ベーダ大学にあった時分の勤務中隊で、貨物廠の倉庫に泥棒に入った連中を容赦なくしばりあげ拷問し、ときに虐殺していた兵士たちであった。
下士官の名前は、たしか西野と浩はおぼえていた。
あのとき、浩が虚空に放った拳銃の数発は、浩にとって日本人としての成人式の意味を持っていたのではないか。馬場大尉の庇護をようやく離れて、一人前の日本人として生きてゆこうという意志の宣言ではなかったのか。
しかしあれから二十五年が経って、かつて日本陸軍第三十師団が基礎工事を施した日比友好道路を走る、現在の佐藤浩は日本の会社の社員とはいえ、フィリッピン人とおなじ処遇の、しがない現地雇用社員にすぎない。
北関東訛りの若造に「本社風」を吹かされて沈黙せざるを得ない半端者に過ぎない。
戦時中の日本軍のほうが、よほど彼をちゃんと処遇してくれたのではないか、そういう疑問が、またも頭をもたげてくる。
再度のブツアン出張から、小寺がマニラに引き揚げてくるとすぐに、木材部長の河野が国際電話を入れてきた。
河野が、
「どうですか、小寺さんの考えは」
とこちらをたててきて、小寺が、
「素人眼だけれども、物件そのものは文句なくすばらしい、とおもいます。ただ、ロケーションに問題があるようですがね。海岸が崖なので、ロギング・ロードを造るのに相当金を食いそうです」
と感想を述べると、
「金の問題で解決できるなら、なんとか実現《リアライズ》しましょうや。|融 資《フアイナンス》については本社内で、話をつけますよ。まかせてくださいよ」
ついては早いところ、小寺の与信申請書をあげてほしい、と急きたてた。
念のために、大学の先輩である、業務部の部長に、今度はこちらから電話を入れてみたが、これまた積極的な姿勢であった。
「ここのところ、住宅ブームが続いているだろう。重点的に木材の扱いを増やしてゆこう、というのが会社の方針なんだな。まあ、南洋材の主流は、インドネシア材に移りつつあって、フィリッピン材の最盛期もこの一、二年がピークだろうが、しかしピーク時点に手をつかねていることはないやね」
業務部というのは、商社の販売戦略の中枢だから、この発言は強力なバック・アップになり得る。
与信申請書の持ちまわり先きは、木材部にこの業務部、それに財務部である。財務部の意向のわからないのが、気がかりといえば気がかりだが、この調子ではふたつの部の強気な姿勢に、簡単に押しきられてしまいそうにおもわれた。
──それにしては、どうももうひとつ、この商売に乗りきれないな。
なによりも気になるのは、アグサン木材の社長、副社長の身辺に漂う、ある種の胡散《うさん》臭さ、きな臭さだった。
シーチャンコとクエトオのいかにも田舎の成金紳士風の印象がやはり気になるのである。
とくに、広い額をてらてらと光らせ、喜劇的ではあるが、同時に傲慢な感じを与える口ひげをたくわえて、胸に巨大なペンダントをぶら下げたクエトオの様子が今さらながら、小寺の頭にうかんでくる。蚊を殺し、油虫の羽根を吐きだした際の粗野な動作もそれに重なってくる。
しかし小寺自身、オノフレとの商売が始まった頃、荒川ベニヤの与田に向って、
「後発企業というのはね、商売相手を探しだすのに無理をしますからね。得体の知れない相手と商売しなくちゃならない場合も、あるんじゃないですか」
そういったことがあるではないか。
──支店に昇格した以上、得体の知れぬ相手とも交際《つきあ》わざるを得まい。
小寺は、翌日、例のごとく熱烈支持の与信申請書を、本社の関連各部宛てに発送した。
申請書の内容は、五万ヘクタールのコンセッションにつき、一立方あたり三十米ドルで購入いたしたい、ついては米ドル二百万ドル、邦貨七億二千万円の融資方ご手配願いたい、という趣旨である。
石山は、毎月一回の割りで、ルソン島東海岸、ディビラヌエバにでかけ、オノフレのコンセッションから伐りだされるラワンを検木し、鴻田貿易本社が配船してくるいわゆる|二九 九《にいきゆうきゆう》、ラワン材専用船に積みこみ、日本の、岩手県宮古に向けて、送りだしていた。
ディビラヌエバの事務関係もこの仕事が加わって、なかなか忙しくなってきたようで、PITICOの事務所では、マニラで雇ったという若い娘が、二、三人働き始めていた。この娘たちのために、新しく女性用の宿舎が建てられ、現場監督の金壺眼《かなつぼまなこ》のシソンは、マニラから女友だちを呼び寄せて、その宿舎の一角にちゃっかり住みこませていた。
女気の混ったせいか、最初の、石山が便所の汚さに閉口し、水牛の放牧地をさまよった頃とは、ずいぶん空気が違ってきていた。
石山は、船が着くまでは、ゲスト・ハウスに泊って、昼は精力的に検木を行い、夜はアパリからやってきた税関吏や検疫官、林野庁の検査官といった連中に若い娘たちを混えて、酒を飲みながら、タガログ語を教わったり、フィリッピンの歌曲を習ったりした。
船が着くと、税関吏や林野庁の検査官は、全員、ネクタイを着用し、皮靴を履いて、船に乗りこみ、サロンに泊りこんで作業に入る。
税関吏がネクタイや皮靴を用意してやってくるのは、日本船の場合だけで、おなじ東洋人でも韓国船の場合は正装しないのだ、という。その理由は日本船がサントリーレッドやインスタント・ラーメンや醤油びんなどの土産をふんだんに用意してきて、彼らに贈るからで、そうした好意に対する返礼の正装のようであった。
石山も、彼らと一緒に船に泊りこみ、昼夜を分たぬ検木作業を行った。
なにしろ、「お詫びのシソン」は、腐って、洞になった木口に、別の木屑の栓をして、なに食わぬ顔をして積みこんできたり、昼間検木ではねた木を、夜間にこっそり積みこんだりするから油断ができない。
船に泊りこむと、夜間も監視ができて便利だったが、同時に船の調理手にいろいろ注文をだして、日本食を三度三度、食わせて貰える、という「私的利益」もあった。
一回ごとに手慣れて、検木作業は順調に進むようになったが、ときに問題が起きる。
昭和四十五年の十一月中旬のこと、石山は、到着した|二九 九《にいきゆうきゆう》の予備室に泊めて貰って、検木作業を続けていた。ある日、シソンが、船の船長以下を、事務所の食堂に招いてパーティを催したい、といいだした。派手好き、パーティ好きらしい、中年の女友だちにたきつけられてのアイデアらしかった。
船長も招待を喜んで受け入れて、当日は船の士官を中心に重立《おもだ》ったメンバーが正装して、会場にあてられた事務所の食堂にくりこんだ。事務所の建物は、以前、石山が二階に泊り、便所の汚さに閉口した建物で、その後、手を入れてだいぶきれいになっている。
音楽的才能に恵まれているフィリッピン人たちのことだから、現場の有志が、たちまち集まってバンドを編成し、当夜は賑やかな演奏つきのパーティになった。石山もそれに加わり、教わったばかりの恋歌をいくつか披露したりして、人気を博した。
若い船員たちは、事務所の娘たちと盛んに踊って、大はしゃぎで、船長たち中年組もそれなりに楽しそうで、シソンのすすめるフィリッピンの田舎料理と酒を楽しんでいた。
ところが久かたぶりの酒のせいか、中年組のひとりで、日頃、石山がいろいろな日本料理を食わせて貰っている調理手が、早々と酔って、踊っている、若い船員たちに大声で野次を飛ばし始めた。
日本人の眼に、ご愛嬌のうちと映る、その大声の野次がホスト役のシソンには不快らしく、ギターを弾いている石山のところにやってきて、
「あのやくざみたいな男は、船でどんな仕事をしているんだ」
と訊きにきたりした。
調理手は、若い調理士ふたりを使って、士官用、船員用、ふたつの食堂を預っている、いわばシェフなのだが、やせた小男で、シェフというよりは、場末の鳶職《とびしよく》みたいな風采の人物だったから、やくざな男とシソンに映ったらしい。
シソンの女友だちは、中年肥りが兆している体型ながら、それが却って性的魅力をそそるタイプの女で、あざやかなグリーンの、ベトナムのアオザイ風衣裳がよく似合った。
この女が中年組の相手をして、特に船長と話しこんでいるのを石山は遠くから眺めていたが、石山が古いフィリッピンの恋歌を歌っている最中、この女が酒のお代りでも取りにゆくのか、席を立った。
席を立って歩きだそうとして、女は鋭い悲鳴をあげた。三日月型の眉毛を吊りあげ、背後にすわっていた調理手を睨みつけている。
「このひと、失礼だよ。私の|お尻《ボトム》に触ったよ」
英語で怒鳴った。
調理手は、酔って青くなった顔をいよいよ青くして、
「なんでい、馬鹿騒ぎしやがって。けつの贅肉が、どのくらい厚いか、計ってやっただけじゃないか」
と日本語で怒鳴り返した。
石山は、あとでこのせりふをおもいだして、なかなかユーモアがある、と感心したものである。
しかし女の悲鳴を聞くや、事務所の娘と踊っていた主人役のシソンが血相変えて、駆けつけてきて、いきなり小柄な調理手の胸もとをつかんで椅子からひきずりあげた。酔っている調理手が二、三歩、後ろによろめくところを、顎に一発、猛烈なパンチを食らわした。
調理手はみごとにひっくり返り、口のなかを切ったらしく、唇から血を流して床に伸びてしまった。
──やれやれ、ここの人間はすぐ頭に血がのぼるのが多くて、おっかないな。
江戸っ子で、自分も頭に血の上りやすい性質のくせに石山はそうおもったものである。
部下の調理士がひっくり返った調理手をかついで、沖どめの本船に連れ帰ったが、おかげで座はいっぺんに白けてしまった。
昂奮したシソンは唇を震わせて、どこかへ消えてしまい、ホステス役の女は無理して笑顔を作って船長や士官たちに話しかけるのだが、船長たちも仲間が醜態を演じた以上、楽しかろう筈がない。
結局、中年組は早々に引き揚げ、若手の船員と石山、それに喧嘩汰沙に慣れているらしい役人たちが、それなりにパーティを楽しんで、深夜、船に戻った。
翌朝、石山は早朝から宿酔《ふつかよ》いの頭を振り振り、検木をやって、ひと仕事終え、ハウスと呼ばれる、白塗りの居住区にある、士官用の食堂に行った。
すると若い白服の調理士が、やってきて、
「石山さん、うちの親父さんがね、石山さんのめしの面倒をみる必要はない、今後は海岸でフィリッピンめしを食って貰え、っていうんだよ」
気の毒そうにいう。
「昨夜、派手になぐられちまっただろう。今日は朝から猛烈に機嫌がわるくてね、やくざな材木屋風情にだすような、柄のわるいめしは、この船に積んでねえよって、きかないんだよ。わるいけど、めしは海岸のほうで食ってよ」
「しかし役人たちには、めしをだしてるんだろう。役人もおれも、おなじ材木の仕事をしているんだよ」
「いやね」
と若い調理士は閉口した顔をした。
「あの材木屋は、うるさく注文をつけるから、こっちも、苦心してうまい日本めしを調理してやっているのに、喧嘩になってこっちがなぐられても、助けにもこねえ、あんな恩知らずには出てって貰えって、いうんだよ」
「やくざな材木屋だなんて、親父さんも、自分で女の|けつ《ヽヽ》撫でといて、よくいうよ」
石山が笑うと、肝心の調理手が、隣りの調理場から、顎に絆創膏を貼った、青い顔をだしたので、石山はあわてて退散した。
この調理手は、場末の鳶職ふうの風采に似合わず、料理の腕はよかったから、下町生れで、舌の肥えている石山は、ずいぶん残念な気がしたものであった。
そのまま、朝めし抜きで仕事を続け、昼どきに海岸へもどって、昨夜、シソンが派手な武勇伝をやらかした事務所の食堂に入ってゆくと、シソンが、意気消沈した顔でやってきた。
胸のまえで手を組み合わせ、
「ミスタ・石山、ゆうべはつまらないことで昂奮して、申しわけなかった。許して欲しい」
という。
一夜明けて、武勇伝の主はたちまち「お詫びのシソン」に戻ってしまったのである。
「あんたがあのひとをなぐったおかげでね、おなじ材木屋の私は船にい辛くなっちゃったよ。シェフはすっかり怒っちまって、材木の関係者にはもうめしは食わせん、っていうのよ」
空きっ腹をかかえた石山は文句をいった。
「まことに申しわけない。どうか、マーパ社長には、内聞にして貰えないですか」
シソンは金壺眼を光らせ、泣きそうな顔をして哀願した。
結局、船長のとりなしで、石山は船に戻ったが、調理手の機嫌は船の出発まで戻らず、食事の時間に遅れたりすると、冷えためしに冷えた味噌汁という食事がでてきたりした。
マニラに帰ってきた石山は、早速、レオノールに連絡を取った。
ロスアンジェルスの病院勤めをしている父親の都合もあって、滞在を延ばしていたレオノールの母親は、十月初めにフォルベス・パークの自宅に帰ってきている。
母親が帰国すると、さすがにレオノールは「当分、夜なかに家へくるのは遠慮してね」といい、石山もかなり忠実にそれを守った。
豚のかたちの線香入れと金鳥の蚊取り線香を持参して、リーンビル・インの海に面した小屋に行ったり、もっと蚊の多いその近くの有料の海岸の小屋に行ったりしては、かなり欲求不満の残る交際を続けることになったのである。
リーンビル・インの小屋で会って、欲求不満が昂じたりすると、石山は、
「このインの部屋を借りようよ」
とレオノールの耳もとに囁いたりしたが、レオノールは、
「ホテルやモーテルの部屋を借りるのは、絶対にいやよ」
急に真面目な顔になって、首を振る。
「私の父方や母方の親類には、地主や地方の有力者がいてね、こういう伯父貴伯母貴連中は、大勢のひとの名《ニ》|付け親《ノン》になっているのよ。彼らの|名付け子《イナアナツク》は、マニラに出てきて、それこそホテルやモーテルのボーイやメイドをやっていてね、お互いに連絡取り合ったりしているから、たちまち噂が広まってしまうのよ」
生れた子どもが教会で洗礼を受けるとき、ふたり乃至《ないし》四、五人にもおよぶ名《ニ》|付け親《ノン》、それも地もと有力者を中心とする名付け親が、いわば「共同スポンサー」の格好で登場する。ニノンは、|名付け子《イナアナツク》に小遣いを与え、時期がくれば、就職の斡旋《あつせん》もしてやるのである。
さらに、名付け親たちは、子どもの実父、実母との間に、コンパドラスゴと呼ばれる、親族同様の、深い関係を持つ。
このフィリッピンのコンパドレ制、擬似親族制度は、他のカトリック教国に例をみないほど、強力である。
こうして、名付け親制度、さらに婚姻におけるスポンサー、名義的仲人制度が加わって、フィリッピン社会には、無数の擬似親族の輪が重層的に重なり合っている。
うっかり不らちな行動におよべば、この擬似親族の輪のどれかにひっかかって、たちまち噂が広まり、親類の耳に入ってしまう可能性が強いのだ、とレオノールはいうのであった。
「タカ、だからホテルやモーテルを使うのはいやなのよ」
とレオノールは、改めて首を石山の肩にもたせかけて、いくぶん許しを乞う感じであった。
しかしディビラヌエバでの夜々、レオノールの背の高い、細身の躰を夢見続けて、血を騒がせた挙句、マニラに帰ってきた石山は、少し強い態度に出た。
「今夜のお宅のガードは、どっちかな」
石山の質問の意味を察してか、一瞬黙ってから、レオノールは、
「ドミンゴじゃないかな」
といくぶん曖昧な響きの残る返事をした。
「レオノール、今夜、きみの部屋の窓を開けておいてくれよ。窓からきみの部屋に入らせてくれないかね」
日本の男としては、例外的に「優しい紳士」ということになっていて、その点はレオノールの母親にもみとめられている石山だが、珍しく強い語調になった。
「今夜は久しぶりなんだし、特別にきみの部屋にゆかせてくれよ。毎週、行ったりはしないからさ」
石山が強く押すと、レオノールは、「いいわ」と小さい声で折れてきた。
その夜、石山は久しぶりに藤田と一緒に街に出た。鶴井は「大学の同期に支店長をやっているのがいてな」とどこかの会社の迎えの車に乗って退社してゆき、おかげで、ふたりで社用車を使えることになったのである。
まずマビニ通りの「ルーシー・ステーキ・ハウス」に行って、ぶ厚いビフテキを食べ、サウナ風呂に入って汗を流してから、ナイト・クラブの「アミハン」に行って、酒を飲んだ。
日本の観光客がフィリッピンに殺到してくるまえで、マビニ地区も、まだ荒されていない。
「藤田さん、今夜はちょっと野暮用があってね」
と眼くばせをして、石山は先きに席を立ち、会社の車でいったんマガリアネスの寮に帰った。
会社の車を藤田のために、もう一度マビニに返し、自分のヒルマン・ハンパーをひきだして、エンジンをかけた。
玄関が開いて、庭師兼雑用係のマリオが顔をだしたので、
「ちょっとひとに会ってくるよ」
石山がそういうと、縮れっ毛で、色は黒いが、早熟な美少年タイプのマリオは、石山の意図を見抜いたように、にやりと笑った。
石山は、照れかくしに、玄関のポーチのうえの二階のほうを見やり、
「ミスタ・ツルイは帰ってきたかい」
と訊ねた。
「まだですよ。だけど、彼は女友達もいないから、じきに帰ってくるんじゃないですか」
石山の癇に触る、嫌味なことをいった。
フォルベス・パークのレオノールの家の前を徐行して通り過ぎたが、すぐにドミンゴが闇のなかから跳びだしてきて、母親の留守中よりはるかに遠い場所に駐車させた。
「今日は、気をつけてください。マダム・アランフェスがおりますからね。彼女はえらく耳ざとくて、うるさいんですよ」
いつもは気を遣わずに、平気で大声で喋ったりするドミンゴが、今日は極端に神経質になっていて、ヒルマン・ハンパーのドアを閉めるのにも、音を立てないように気を遣った。
家からだいぶ離れているのに、抜き足差し足という感じで、舗道を門に向って歩いてゆく。
屋敷のなかに入ると、舗装した馬車道を指差して、「踏むな」という意味らしく、人差し指を石山の顔につきつけ、おおきく左右に振った。
庭先きに入り、レオノールの母親の寝室らしい、灯りの洩れている部屋の前をおおきく迂回して通り過ぎるときは、石山もさすがに動悸が早くなった。だいたい、案内役のドミンゴの態度がえらく芝居じみていて、「頭を下げて歩け」というふうに、手で合図し、地面に這いつくばらんばかりに、しゃがみこんで歩く。自然、石山もおおきな躰を縮めて、ドミンゴに倣わざるを得ない。
──これじゃ、恋の手引きじゃなくて、泥棒の手引きをして貰っているみたいだな。
石山は、這うように歩きながら、苦笑したものであった。
ドミンゴにしてみれば、大変苦労をして、おまえの色恋沙汰を助けてやっているのだぞという示威運動をやって、チップの高を吊りあげておきたいのである。
そうはわかっていても、石山はすっかり暗示にかかってえらく緊張した。すでにマニラは乾期に入って、一番しのぎやすい季節になっており、広い庭の樹々の間を抜けてくる風が、涼しいのは当然だったが、その風が涼し過ぎて、低く下げた顔が鳥肌立ってくる気がする。
変形プールの傍に出て、平家の端にあるレオノールの部屋に、抜き足差し足近寄った。
プールに面した側の窓だけ、カーテンが引いてなく、いかにも「ここから入れ」と合図のように、窓から室内の灯りがまぶしくプール・サイドに散っている。
ドミンゴがしゃがみこんだまま、手を伸ばして、窓ガラスをノックすると、待ちかねていたらしく、レオノールが影絵のように姿を現わした。これも注意して、音を立てないように窓を開く。
「私の肩に乗ってください」
ドミンゴが囁く。
窓は低くて、大柄の石山は別段ドミンゴの肩なんぞに足をかけなくても、簡単に部屋に入れそうである。しかしドミンゴが、命令じみた声を発して強制するので、石山は止むなく庭の泥のついた靴の片足を、ドミンゴの肩にかけ、レオノールの部屋に入りこんだ。この泥靴にまたまた気を遣わされて、部屋のなかから、石山はかなり多額のチップをドミンゴに手渡した。
石山の記憶によっても、先程の灯りのもれぐあいをみても、レオノールの母親の部屋は、おおきな、バス・トイレ付きのゲスト・ルーム数室をはさんで、玄関近くにあり、相当の物音を立てても、聞えない筈なのである。
しかし、白人系といっても、やはりラテンの血が流れているためか、部屋で待っていたレオノールの警戒ぶりは、これまた芝居じみていて、ドミンゴと大同小異であった。
会話が目立たないように、勉強部屋のテレビの音量をあげているのに、レオノールは、ドミンゴ同様に抜き足、差し足、しのび足といった様子で室内を歩き、まったく口をきかない。
かてて加えて、テーブルのうえには、レター・ペーパーとボールペンが置いてあり、レオノールはそれにさらさらと英語を書いて、石山に差しだした。
──今夜の会話は筆談でやりましょう。ディビラヌエバでの仕事はうまくいった?
と書いてある。
石山は馬鹿馬鹿しくて、危うく笑いだしそうになった。
──会話ができないのなら、早く寝室にゆこう。
そう書いて返すと、レオノールは顔を赤くし、怒ったようにレター・ペーパーをテーブルに放りだした。腕を組んで、天井を睨んでみせた。
一時間近く経って、石山が例のごとく、レオノールとならんで、裸のまま、ベッドに伸びていると、突然、ベッド・サイドの電話が鳴った。
レオノールは、腕のなかでびくっと躰を震わせ、「どうしよう」というふうに石山の顔を見た。
石山が「取ったほうがいい」と顎をしゃくって合図し、レオノールは、躰をなかば起して、受話器を取った。
「ハロオ」
と低い声でいってから、またびくっと躰を震わせた。
「ミスタ・イシヤマ、プリーズ、といっているわよ」
受話器に掌で蓋をして、下り気味の眉を寄せ、恐怖と不審な気持の入り混った顔になった。
石山は、所在が露見したことに驚いて裸のまま、起きあがり、ベッドのうえにあぐらをかいた。
「相手は男よ。日本人の英語みたいよ」
レオノールの説明に、石山は、少くとも、レオノールの母親が電話してきたのでないとわかって、息をついた。考えてみれば、この家は広いけれども、別に室内電話があるわけではなく、レオノールの母親が電話してくる筈がない。
石山は意を決して、レオノールの背後から、受話器を取った。
「石山です」
日本語で名乗ると、
「鶴井です」
聞き覚えのある声が、鸚鵡返《おうむがえ》しに、そう応じた。
「石山君、お楽しみのところをわるいんだがね、すぐこちらに帰ってきてくれないか」
鶴井は、ふだんに似ぬ馬鹿丁寧な口調で、そういった。
「いや、そろそろ帰ろうとおもっていたところですが、どうしてここにいることがわかりましたか」
石山は、意外な電話に衝撃を受けて訊いた。
レオノールが、不安そうに上半身を捩じまげて顔をすぐ傍に寄せてくる。灰青色の瞳が間近に迫り、アメリカ産の動物性の匂いの香料が、鼻にきた。
「マリオだよ。あいつをおどかして吐かせたんだ」
鶴井は当然のようにいう。
レオノールは、リタを連れて、二、三回寮に立ち寄っており、マリオは、リタからレオノールの素性を聞きだしていたのだろう。
「そんなことはどうだっていいんだが、先刻、本社の木材部長から電話が入ってな、融資の件が、財務部長の反対で駄目になった、というんだよ。河野さんも大分ねばって、副社長のところまであげたらしいんだが、副社長も最終的にはノーの決断だというんだ」
「へえ」
と驚きながらも、石山は、少くともレオノールの一件とは関係のない電話とわかって、ほっとした。
安心するように、とレオノールに眼配せをして、笑ってみせると、レオノールは眼をつぶり、こぶしを握って額を叩いてみせ、おおきな、これまた芝居じみた溜息をついた。それから石山の腕のなかにくずれこんできた。
「それでね、今、シーチャンコとクエトオが下町のロイヤル・ホテルにきてるんだよ。そこに行って、善後策を相談したいんだが、足がないんだ。藤田のやつ、マビニで浮かれとって、いまだに帰ってきやがらんのだな。きみの車で運んでくれないかな」
鶴井は、かなり意気消沈した声で、そう頼みこんだ。
「そりゃ、かまいませんがね。融資のほうは、最終的に駄目なんですか」
やっと鶴井との話に本腰の入った感じで、石山は訊いた。
考えてみれば、電話を受けている格好まで鶴井にみえるわけではないのである。
「財務部長が、うちは財閥系のきちんとした会社だ、商売の実績があって、信用度の高い相手にしか融資すべきでない、といいだしたんだな。いくら木材景気に乗り遅れないためといって、イチゲンの客に、はい、そうですかと金を貸すような真似はできん、というわけよ。それに副社長が同調したんだね。副社長は、戦前からの、いってみりゃ、鴻田家の手代からたたきあげた男だから、考えかたがかたいんだよな」
大雑把にいえば、商社の財務部は、資金繰りを担当する部門である。鴻田本社木材部としては、与信行為決裁を受けた本社財務部が在ニューヨークの鴻田アメリカの財務部に指示を与え、鴻田アメリカが、米ドルでマニラ支店に対し、融資を行う、という筋書を描いていた。鴻田アメリカは、ニューヨークで外銀から資金を調達するのである。
この筋書は、どうやら木材部と業務部だけの勝手なおもいこみで、画にかいた餅だったらしい。木材部と業務部が、巻き返しを計って、副社長まで問題をあげたが、これが却って裏目にでたのであった。
「これからな、シーチャンコとクエトオに会って、融資は駄目になった、しかしオノフレ・マーパのときとおなじに、うちが連帯保証するから、どこかから金をひっぱってきてくれ、そう頼んでみるつもりだ。なあに、うちが連帯保証するといえばな、あいつら、大喜びでどこかから金をひっぱってくるわな。問題はないよ」
自分を励ましているのか、鶴井の声は次第に高くなった。
「なるほどねえ」
石山は、鶴井が焦り過ぎているような気がして、「シーチャンコとクエトオに会うのは、明日にしたほうがいいんじゃないですか」といいたかったが、そういえば、「あいつ、女の家にいて、女の傍を離れたくないものだから、仕事を逃げやがった」などと悪口をたたかれかねない。
石山は、右手の腕のなかにかかえたレオノールの裸の背中をゆっくり撫でおろしながら、これはすぐ出かけなくてはなるまい、と心をきめた。
「ロイヤル・ホテルに電話入れてあるんでね、やっこさんたち、おれを待ってるんだよ、早く帰ってきてくれんかな」
「わかりました。すぐ寮に帰ります」
通話を終って受話器をかけるために手を伸ばすと、腕のなかのレオノールがそのままベッドに倒れこみ、石山は、レオノールの躰のうえにおおいかぶさる形になった。
「レオノール、会社の同僚から急ぎの電話が入ってね、これから、ロイヤル・ホテルにゆかなくちゃいけないんだ。残念だけど、今日はこれで帰るよ」
石山はそう説明したが、母親をはばかる囁き声が癖になってしまったのか、レオノールは低い、嗄れた声で「いやよ」といい、石山の首に両手をまきつけた。
「私はいやよ」
もう一度、嗄れた声でいう。
レオノールは、激しかった愛情の交歓のために、本当に声が出なくなってしまったのか、と石山は錯覚しかけた。
「絶対にゆかせないわよ」
意地のわるい言葉とは裏腹に、ベッド・サイドのスタンドの灯に縁取られたレオノールの細面の顔は穏やかに輝き、灰青色の瞳には一種あでやかな表情が宿っている。情愛の名残りが枕にひろがった黒髪や白い胸のあたりにまだたゆたっている感じであった。
「勘弁してくれよ。きみだって女医になれば今のような電話が夜中にかかってきて、出かけてゆくことになるんだぜ」
レオノールは、やられたというふうに微笑し、
「今夜は特別に|許 可《パーミツシヨン》をあげるから、キスして」
といった。
起きあがって、手早くシャツとズボンを身につけた石山は、細心の注意を払って、窓を開けた。
屋敷内の見まわりの仕事は放りだして、もっぱらこの部屋の窓ばかり注視していたらしいドミンゴがすぐにしのび足でやってきて、また自分の肩を指差して、窓の下にしゃがみこんだ。石山はドミンゴの肩に片足を乗せ、ゆっくり庭の土に足を降ろした。
もう一度、抜き足、差し足、しのび足で庭先きを大迂回する。庭先きから振り返ると、レオノールの部屋のカーテンが揺れて、その陰から白い手がひらひらと別れの挨拶を送っていた。母親の部屋の灯は、もう消えている。
表にでて、車の傍にたどり着いた石山は、念のために、ロイヤル・ホテルの場所をドミンゴに訊ね、車のなかに入れてあった地図に印をつけて貰って、マガリアネス・ヴィレッジに向けて車を飛ばした。
しかし独身寮に帰ると、鶴井の代りに、藤田が玄関から出てきた。
「あのツッパリ次長な、おれが帰ってきたら、玄関のところに待ち受けていて、この車、使うぞ、と怒鳴って、出てっちまったよ。石山が帰ってきたら、車は要らん、おまえはくる必要なし、そういっておけっていうんだな」
「やれやれ」
と石山は溜息を吐いて、相手が親しい仲の藤田なので、ざっと事情を説明した。むろんいくら親しいとはいっても、レオノールのベッドのうえで、裸で電話を受けた、とまではいわない。
藤田は唸って、
「そいつは、支店長に電話入れといたほうがいいんじゃないかな。支店長はおそらく、この件についてなにも知らんぞ」
と呟いた。
藤田に促されて、石山が小寺に電話を入れてみたが、寝入りばなだろうに、小寺はふだんと変らぬ声で出てきた。
藤田の案じたとおりで、小寺はなにも知らなかった。東京からも、鶴井からも連絡を受けていないのである。
「これはまずいな。おれもそのなんとかホテルに行ったほうがいいんじゃないかな」
電話の向うで、小寺は、考えこむ口ぶりである。
「ロイヤル・ホテルの場所は私が聞いてありますから、これからお迎えにゆきましょう」
と石山は申しでた。
フランクは、ベッドのなかでアメリカの推理小説を読んでいて、食堂の電話が鳴るのを聞いた。
電話のかかってきた時刻といい、簡単には諦めないベルの鳴りかたといい、自分を呼んでいるのだと直感して、起きあがって、食堂にいった。受話器を取ってみると、果して小寺の声が聞えてきた。
小寺はざっと石山の報告事項を説明し、
「私はこれから石山君の車で、アグサン木材の連中を訪ねようとおもうんだよ。フランク君、夜遅くにわるいんだが、交際《つきあ》ってくれないかね」
「いいですよ。すぐに家を出ましょう」
そう答えて、ロイヤル・ホテルのロビーで落ち合う約束をした。
寝室に戻って、服を着替えながら、フランクは、怒りで全身が総毛立ってくるようなおもいを味わった。
──おれの心配したとおりじゃないか。鴻田貿易という会社は、こと金に関しちゃあ、ものすごくかたいんだ。石橋をたたいても渡らないくらいのもんだ。
長年、現場で、切ったはったの商売をやってきたフランクは、本社財務部や経理部の、よくいえばきわめて堅実、わるくいえば極端に融通のきかない体質をいやというほど知り尽している。商売の実績を重ねてきた相手だから、今度は融資してくれるもの、とおもっていると、間際になって、NOの返事が出たりするのである。
木材部が張り切り、業務部が戦略論を唱えたところで、この体質は、そう急に変るものではない、とフランクはどこかで考えていた。
戦時中、いかに精強の現役兵団、「撃」や「鉄」が奮戦しようとも、兵站補給が伴わず、ついに第一線部隊を見殺しにしてしまったのとおなじなのだ。鴻田の後方支援部門の体質は、戦時中の陸軍とおなじで、そう簡単に変りはしないのだ。
「鶴井の馬鹿が、|お上手《ヽヽヽ》をいって、支店長をうまくのせちまいやがって」
フランクはおもわず独りごとをいい、それを聞きつけた細君のパシータが、枕から頭を起して、
「どうしたの、なにか起ったの」
と訊ねた。
「いや、仕事でトラブルが起ってな、これからミスタ・オデラと一緒に、ロイヤル・ホテルに行ってくる」
フランクの形相がよほど凄かったのか、パシータは、眉を寄せて、
「あなた、喧嘩したりしないでよ」
と不安そうにいった。
いすゞ・ベレットを引きだして、ロイヤル・ホテルに向う間も、フランクの怒りはおさまらなかった。
いったい、本社木材部は、マニラ支店長の立場をどう考えているのか。なぜ、小寺に一番に連絡を入れずに、鶴井に連絡してきたりするのか。
恐らく、内輪の鶴井にまず連絡を入れ、明朝あたり、公式の連絡を小寺に入れてくるつもりなのだろうが、それでは遅過ぎる、というものだ。現に鶴井が独走して、早くも勝手な行動を取り始めているではないか。
──日本のタテワリ社会も、いい加減にしたらどうだ。
こんなやりかたを続けていたら、そのうち、えらいことになるのではないか。
取引き相手の外国企業は、日本のタテワリ社会が、海外の出先きの店にまでおよんでいるとは、絶対におもわないだろう。支店長の知らないあいだに、重大な取引き条件の変更が起るなどということは、想像もしないだろう。
彼らは、支店長に全責任があると考え、徹底的に支店長を非難し、攻撃してくるだろう。
ロイヤル・ホテルは、アメリカ系資本のホテルと違って、外国人旅行者よりはフィリッピン人旅行者を常顧客とするホテルである。リサール街を出外れた、中華街の近く、という、いわば下町の真中に建っているので、マニラの中小企業や中国系フィリッピン人と商売をするのには、地の利がよくて、便利なホテルであった。すぐ近くに日比友好門が建っている。
周囲がせいぜい二階建ての商店街であるために、八階建てのロイヤル・ホテルは、実際のおおきさよりも、ずいぶんおおきく見えた。最上階が、メリーゴーランド式にゆっくり回転する、円形レストランになっている。
フランクが、フロントで、シーチャンコとクエトオの部屋番号を訊ねてから、ロビーで待っていると、十五分ほどしてきちんと背広を着た小寺とシャツ姿の石山が連れだって現われた。
フランクは、不快な顔をして現われる小寺を予想していたのだが、小寺は、意外に、あまりこだわっていないような、冷静な表情をしていた。
「フランク君、夜遅くわるかったね。パシータさんのご機嫌を損じたんじゃないか」
挨拶代りにそんな余裕のある口をきいた。むしろ後ろの石山のほうが、おもいつめたような深刻な表情であった。
「支店長、アグサン木材は、簡単にはひっこまんとおもいますよ。ちょっとうるさいことになるんじゃないかな」
「わかってる、わかってる」
小寺は、鬱憤をぶつけようとするフランクを制して、
「とにかく手ぶらじゃ、乗りこめんとおもうな。土産を持ってゆかなくちゃ、アグサンの連中、納得しないかもしれんね。フランク君、きみの手を借りることになったら、よろしく頼むよ」
小寺としては、珍しく力を入れていい、フランクの肩をたたいた。
シーチャンコは、このホテルでは最高級のスウィート・ルームに宿泊しており、部屋のまえには、例のごとくガードマンが、ふたり警備していた。
警備員のひとりが、部屋に入って、小寺たちの名前を取り次ぐと、
「プリーズ・カム・イン、ミステル・ナンベル・ワン」
シーチャンコが調子っ外れの、大声でわめくのが聞えた。
部屋に入ってみると、ビニールの安物の、けばけばしい応接セットのソファにシーチャンコとクエトオがすわり、もう一方の側に、鶴井が悄然とすわっていた。あたかも被告席にすわらされているような状態で、鶴井は両手で頭をかかえこんで、小寺たちの到着にも気がつかない様子である。
テーブルには、空になったブランデーのびんが転がっていて、驚いたことに、ピストルが一丁、その傍に置かれていた。
部屋に入ってきた三人を眺めて、シーチャンコがいきなりそのテーブルのうえのピストルを手に取ったから、三人ともぎくりとして足を停めた。
しかしシーチャンコは、ピストルをこちらには向けずに、自分の白髪のこめかみにあてて、
「ミステル・ナンベル・ワン、金を貸してくれないんじゃ、私ゃ、自殺だよ」
おおきな声でいった。
「私はね、ミステル・ナンベル・ワンが、二百万ドル貸してくれる、と約束したからね、信用してね、ブルドーザーやトラック、伐採機械を山のように買っちまったんだ。あんたが金を貸してくれないとなると、おれは借金取りに追っかけまわされる。いや、やつらが雇った殺人エキスパートに追いかけまわされるよ」
シーチャンコは、故意なのか、ピストルの銃口をこちらに向けて、しきりに振りまわし、そうわめいた。ブランデーの酔いもまわっているらしく、調子っ外れの、高い声であった。
「借金取りに殺されるくらいなら、先きに自分で自殺したほうがいい、そうおもわんかね、ミステル・ナンベル・ワン」
ピストルの銃口で、塗りの剥げ落ちたテーブルをたたいた。テーブルの足が一本短くて、ピストルでたたかれる度に、テーブルががたぴしと揺れ動く。
「おい、ブランデーと南京豆を持ってこい」
ソファに巨体を沈ませていたクエトオが突然、大声で怒鳴った。
隣室に控えているらしい使用人の返事が聞えた。
それからクエトオは、ふいににっこり笑って立ちあがり、
「ミステル・ナンベル・ワン、それとほかのジェントルメン、そこにおすわりになってくださいまし」
馬鹿丁寧な言葉で、肘掛椅子を指し示し、片足をひいて、オペラ歌手が拍手のあとでやるような勿体ぶったお辞儀をしてみせた。大声の怒声と馬鹿丁寧な態度の組み合わせが不自然で、不気味であった。
鶴井は、呆然とした表情で、突然入ってきた三人を眺めている。しかし三人が援軍にきたとわかると、鶴井は急に力を得た表情になり、眼鏡のふちを押しあげて、
「こいつら、ひどいもんですよ。われわれが木材を買ってやるお客だって認識がまるで欠けてるんだ。金を貸す約束破ったとそればかりでね。ピストル、ちらつかせたりするんだから。乱暴だよ。ギャングみたいなやつらだよ」
「まあまあ、鶴井君」
小寺は穏やかになだめた。
「木材の商売ってのは、投機的な要素が強いから、どうしたって、気性の荒い人間が集まることになるんだよ」
小寺は、鶴井をなだめておいて、シーチャンコのほうに向き直った。
「ミスター・シーチャンコ、どうも誤解なすっていらっしゃるようですけれどもね、融資の手配は私のほうでちゃんとやりますよ」
東京商大で仕こみ、アメリカで磨きをかけた英語で、そういった。
クエトオは、ボーイが運んできたどんぶりいっぱいの南京豆を膝のうえにかかえこみ、剥いた豆の皮を絨毯《じゆうたん》のうえに撒き散らしていたが、
「このジェントルマン、嘘ついてる」
突然そういっておもしろそうな笑い声を立てた。
「あんた、そんなに嘘ばっかりついてると」
とそこで言葉を切り、指でピストルの形を作って、西部劇の俳優がやるみたいに、銃身になぞらえた人差し指と中指を左手で、ゆっくりと撫でてみせ、
「パチョン・キタ」
とビサヤ語で呟くと、南京豆をひとつかみ口に放りこんで、ばりばりと噛み砕いた。
──パチョン・キタってのは、どういう意味だったかな。
フランクは考えた。
たしか、お前を殺す、という意味ではなかったか。
「クエトオのいうとおりだ。つい先刻ミステル・ナンベル・ツーが、もうコーダ・トレーディングからの融資はだめになった、あんたのほうで自分で探してくれ、こうはっきりいったがな。それでおれは自殺することにきめたんだ」
小男のシーチャンコは下唇を突きだしてそういって、両手を拡げて天を仰いでみせた。
「たしかに鴻田トレーディングからの融資はいろいろな事情でだめになったんですよ。しかし私は、今交渉中なんですが、ここの銀行から融資を受けるように手配できる、とおもうんですよ。その手配にあたっていたんで、伺うのが遅くなったんです」
小寺は、まったく動ぜずに、意外な発言をする。フランクはあっとおもった。
「ここにDBP、フィリッピン開発銀行という半官半民の銀行と、PNB、フィリッピン国立銀行という特殊銀行がありますよね。そのふたつのうちのひとつから、産業資金の貸し付けを受ければいい。このふたつの銀行は長期の産業資金しか貸し付けないけれども、アグサン木材のブエナ湾開発は、ちゃんと貸し付けの対象になるとおもうんですよ」
シーチャンコは、おもいがけぬ提案に口を開け、クエトオの南京豆を噛むスピードが急にのろくなった。
シーチャンコは、すぐに表情を変え、嘲るような微笑をうかべた。
「産業資金の貸し付けは、基礎産業優先だから、ラワンのコンセッション開発なんぞにゃあ、金はださんよ。よほど強い縁故でもありゃあ、別だがね」
シーチャンコが発音すると、基礎産業のインフラストラクチュアが、インフラストルクチュレになってしまう。
「私の会社はね、シーチャンコさん」
小寺は、躰を乗りだして、いった。
「調べてごらんになると、すぐわかりますが、おなじミンダナオのイリガンでね、セメント工場建設を請け負って工事中なんですよ。こんな基礎産業を手がけているとね、いろんな人脈が自然にできるものです」
シーチャンコは眼をしばたたき、ピストルをひねくりまわして、手のなかで玩具《おもちや》にし始めた。
──支店長は、ようやるじゃないか。みごとなもんじゃないか。
小寺が、このホテルに遅れて着いたのは、多分、出がけに上院議員のアマデオ・ミランダに電話を入れたためなのだろう。アマデオに電話を入れて善後策を相談したところ、フィリッピン開発銀行か、フィリッピン国立銀行に産業資金の融資をもとめたらどうか、これには大統領のお墨つきが必要だが、それは自分が努力してやろう、多分そんな好意的な返事をアマデオから貰ったのだ。この返事のおかげで、小寺は、意外に落ち着きはらって、ホテルに現われたのである。
──いいお土産を、短い時間によく用意したな。
フランクは、小寺の素早い手の打ちように感嘆というよりは、感動していた。
「だけどね、ミステル・ナンベル・ワン、産業資金は、金利一三パーセントだぜ。商社の融資のほうが、ずっと金利が安くて、得だよな」
南京豆をおおきな掌のなかで転がしながら、クエトオが文句をつけた。
先刻までの大声と違って、声が大分小さくなっている。
「いや、あなたがたが、金利を払う必要はないんですよ。こちらから、人を送りこんで、伐採のオペレーションをやらせます。このオペレーションをやる男が、産業資金をDBPかPNBから借り受けて、金利を払うことになりますな」
小寺はぴしゃりと打ち返した。
「よし、わかった。ミステル・ナンベル・ワンのお手なみをゆっくり拝見しましょう。それから自殺しても、遅くはないやな」
とシーチャンコは、棒のように細い腿をズボンの上から両手でぺたぺたと叩いた。
「ただね、ミステル・ナンベル・ワン、丸太の売り値は三十五ドルだよ。この値段はビタ一文、負けられないよ。この値段じゃいやだというんなら、明日にも、日本のほかの商社に話を持ってゆくからね」
そこで、それまでまったく出番のなかった鶴井が急に勢いを得たように、馬鹿に力をいれて、
「値段は、まかしてください。この三十五ドルが最終値段ですよ」
といった。
そんな大言壮語をして本当に大丈夫か、とフランクはまた不安になって、足もとの絨毯を眺めた。スウィートといっても、ビジネス・ホテルだから、絨毯もすりきれ、油虫《イピス》が一匹、ゆっくりその上を這っている。
一応、話がまとまった形になり、四人は、シーチャンコの部屋を出た。
「支店長は、度胸がいいですねえ。ピストル振りまわされても、平然たるものなんだからなあ」
エレベーターのなかで、石山がほとほと感じ入った表情でいった。
「最初は私もどうなるか、とおもったよ。しかしあのピストルには、弾丸は入っていないんだ、と自分にいいきかせてね、喋ったんだよ。どうだ、フランク君、あのピストルには弾丸は入っていないんだろう」
フランクはにやりと笑って、
「自分は入っていた、とおもいますね」
と答え、一同、どっと笑った。
一階でエレベーターを降りた小寺は、
「フランク君、明日、私と一緒にミランダさんのところへ行ってくれ。そのあと、チャンさんのところへね、連れて行ってくれないか。おれは、あのひとにこの仕事のオペレーションをやって貰いたいんだよ。あのひとにDBPかPNBから金を借りて貰って、その金で伐採を請け負って貰いたいんだ」
有無をいわさぬ調子で、てきぱきと指示した。
「それから鶴井君、今後、ひとりで商売相手に会うのは止してくれや。必ず私かフランク君と一緒にでかけて貰おうや。シーチャンコやクエトオだけじゃなく、どんな商売のときにもだよ」
語気の強い、命令口調である。
「フランク君のいうようにあのピストルに弾丸が入っているとしたら、防犯上の理由もあるからね」
何気なくそうつけ加え、「皆、今日は遅くまでご苦労さん、石山君も大変な夜だったな」と破顔した。
おれはこの男に惚れたな、とフランクはおもったものであった。
翌朝、小寺はフランクと一緒に、ケソン市にあるアマデオ・ミランダの屋敷を訪ねた。
広壮なアマデオの邸内には、おおきな母屋を取りまくように、比較的小さな家が幾棟か建っており、フィリッピン独特の大家族主義で、アマデオの子どもなど、一家眷属《いつかけんぞく》が屋敷内に同居しているらしかった。
メイドに案内されて、ふたりは、おおきな応接間《サラ・ルーム》に通された。部屋のガラス戸が開けはなたれて、前下がりの芝生の庭が一望できる。
フィリッピンの家は、よほどの金持ちでも冷房は寝室などの個室に限られ、サラ・ルームには扇風機がゆるゆるまわっているだけ、という場合が多い。
アマデオの家もその例に洩れないのだが、すでに十一月、フィリッピンでもっとも過しやすい時期に入ろうとしていて、冷房のないことはまったく苦にならない。むしろ広い庭から吹きこんでくるさわやかな風が恋しい季節である。
「グッド・モーニング、ミスタ・オデラ、こんな遠方までドライブさせて、申しわけありませんでしたな」
黒縁眼鏡をかけたアマデオが、上機嫌な、大声で挨拶しながら、姿を現わした。水いろの角封筒を長い指の先きにはさんでいて、表書きのインクを乾かそうとでもしているのか、ひらひらと振っている。
「どうも、昨夜は、遅くにこみ入った話を持ちこみまして、ご迷惑をかけました」
小寺は緊張した、硬い表情で挨拶をした。
「夜中にこみ入った電話を貰うのは、政治家にとって、名誉なことでしてね、昨夜、あなたは、私を、久かたぶりに名誉ある政治家にしてくだすったわけだ」
アマデオはそつのない受け答えをして、フランクにも親しげな顔を向けた。
「フランク、大事な話になると、いつもきみが登場するな」
そういって、握手をした。
アマデオは、「こちらのほうが涼しくて、話しやすいでしょう」とサラ・ルームからでて、庭に面したテラスにふたりを導き、チーク材の椅子を勧めた。
そこでいくぶんひけらかす感じで、もう一度、水いろの封筒の表書きを気にして振ってみせ、それからチーク材のテーブルに、壊れものでも置くようなもったいぶった手つきで置いてみせた。
「昨夜の件はね、先刻、フィリッピン開発銀行、DBPのほうに電話を入れておきました。重役がね」
と封筒の表書きをちょっと指差して、
「あなたからの連絡をお待ちしているそうです。大統領府のほうにも、近日中に必ず話をしておきますよ」
アマデオは、自信ありげな余裕ある口調であった。
「それでは、この産業資金を当てにして行動を起しましてよろしいですね」
小寺は念を押した。
「結構ですよ」
アマデオは、まるで自分の金を貸しつけてくれるように、大声で、明快な返事をする。
小寺は、ほっとして肩の力を抜いた。昨夜は、このアマデオの電話を頼みに、シーチャンコとクエトオに向って見得を切ったのだが、今日になって急にアマデオの話が、政治家一流のはったりに過ぎなかったのではないか、と心配になってきたのであった。
「ただ、昨夜も申しあげたように、金を借り受ける人間に、ちゃんとした男を立てていただかんと困りますがね」
「それは、ですね。このフランクとも相談しまして、このコンセッションのオペレーション、つまり伐採と搬出作業をホベンチーノ・チャンという、中国系フィリッピン人にまかせよう、産業資金も彼に借り受けて貰おう、こういうふうに考えておるんですよ。このチャンというひとは、オノフレ・マーパさんのルソン材の商売のときには、逆に資金の一部を融通して貰ったひとでしてね。私は、信頼のおける人物と評価しております」
「ああ、オノフレがビッグ・チャンと呼んでいるひとね。オノフレは賞めていますよ。彼が推薦しているんだから、間違いないでしょう」
アマデオは同意する表情をみせ、「細かいことは、銀行《DBP》の幹部と話し合ってください」といい、先刻から自分の力を誇示するかのごとく、いくぶん、これ見よがしの感じで、チークの机の真中に置いてあった、水いろの角封筒をまたまた勿体ぶった手つきで、つまみあげ、とっくに乾いている筈のインクのぐあいを調べて、「OK」と呟いた。
「これがDBP幹部への紹介状です」
アマデオはいつになく得意気な表情で、角封筒を小寺に差しだした。
真夜中に、切羽詰った声で、小寺が助力を請うてきた一件にたいして、その場で快刀乱麻、解決策をだしてやれたことが、いつもは謙虚なアマデオを少からずいい気分にさせている様子であった。小寺にとっては、願ってもない、ありがたくもあざやかな助太刀だったのだが、アマデオにとっても、自分の政治力を小寺やフランクに誇示できるいい機会になったようであった。
「しかし、またまたお国のラワンを乱伐して持ちだす仕事でして、心苦しいんですがね」
小寺は水いろの角封筒を背広のポケットにきちんとおさめると、頭をかいてみせた。
「そう額面どおり、注文どおりにすべてが運ぶというわけにはゆかんでしょう。まあ、基礎産業のイリガンのセメント工場建設の仕事が順調に進んでいるんだから、いいじゃないですか」
アマデオは物わかりのいいところをみせる。
そこへメイドがコーラと大量の菓子類を運んできて、その後ろから、アマデオの細君のテレサがいつものようにパンタロンを穿いて、長身を現わした。
「ユリコは、お元気?」
テレサも亭主同様、上機嫌でそう挨拶する。
ルソン材にしろ、イリガンのセメント工場建設にしろ、払いこみの度に相当の謝礼が鴻田貿易からアマデオに支払われており、あるいはテレサもこの辺の事情をよく心得ているのかもしれなかった。
「さあ、お話が一段落したら、ミリエンダを召しあがってください」
と菓子をすすめてくれる。
ミリエンダとは、間食の意味で、フィリッピン人は午前十時前後と午後四時前後に、かなりの量の菓子類を口にする。
テーブルには、自家製の欧米ふうのクッキーや、精製しない、茶いろの砂糖と糯米でつくった、|ういろう《ヽヽヽヽ》のようなフィリッピンの菓子やあずきの粒が浮いた羊羹状の菓子などがならんだ。
話がうまく運んだので、いつもは閉口する、フィリッピン人の好物のコーラも、ずいぶんと美味に感じられる。庭の芝生の緑が、鮮やかに目に染みて、テラスから吹きこんでくる風が心地よかった。
──百合子のやつ、よくぞテレサと友だちになってくれたな。
小寺は改めてそう考えて、苦笑した。
「今日は、タカは、正確にはミスタ・イシヤマっていったかしらね、あのスマート・ボーイはご一緒じゃないの」
テレサは、クッキーの木皿を小寺のほうに押しながら、訊ねた。
「今日は事務所に残って貰っています」
小寺が答えると、テレサは、
「このあいだ、レオノールのお母さんにお会いしたらね、あたしが米国に行って、留守をしているあいだに、レオノールと彼の関係がずいぶん進んでしまったみたいだって、深刻な顔をしていらしたわ」
そう打ち明け話をした。
「レオノールは、新しがりやでしょう。だけど彼女のお母さんは、アメリカに年じゅう出かけているくせにね、すごく保守的なのよ。レオノールの代まで、苦心してスペインの血を守ってきたでしょう。それがここで壊れやしないか、と心配なのね。とにかく青息吐息よ」
「フランク君、きみはその辺の事情を知っているのかい」
小寺が英語で訊ねてみると、フランクは、
「プライベートなことだから、あまり知りませんがね。しかしレオノールは嵐の日に会社までわざわざ彼を迎えにきたりしましてね、彼女のほうも、ずいぶん惚れこんでいるみたいですよ」
とぼけたような返事をする。
「そりゃ、恋愛なんて、ひとりでできるもんじゃありませんよ。だいたいスペインの血の伝統なんて、なんで守る価値があるんだ。そんなものは一刻も早く、ぶちこわしたほうがいい」
アマデオが、ふいに吐き捨てるように口をはさんだ。
次は、ホベンチーノを口説きおとす番である。
朝方、アマデオを訪ねに出発するまえに、小寺に促されて、フランクは、ホベンチーノの会社に電話を入れた。
「ミスタ・チャンは、今日は、ボニファシオのゴルフ場でプレイしているんですよ。夕方には、ここにちょっと顔だすらしいですけどね」
秘書がそう答えた。
「この頃、ゴルフに凝っている、とは聞いていたけれど、ウィーク・デイに会社休んで出かけるのかね。これは相当なもんだ。だいぶゴルフ場の芝を掘り返して、文句いわれてるんじゃないかね」
「ご本人は、進歩が早いんで、皆びっくりしてるって、自慢してますよ。皆、おれに教わりたがって、盛んに声をかけてくるから、断るのに苦労するって、こぼしてますよ」
秘書はおかしそうに笑った。
「ただし今日は接待ゴルフらしいですけどね」
小寺に「ホベンチーノはボニファシオでゴルフだそうですよ」と報告すると、小寺は、
「それじゃあ、チャンさんが上ってくる頃を見計らって、ボニファシオにゆこう」
という。
「ゴルフ・クラブか事務所にメッセージを置いといて、ここに電話を入れて貰うなり、どこかで落ち合うなりしたら、どうでしょう」
フランクはわざわざゴルフ場まで出かける必要もないと考えて、そういったのだが、小寺は、
「いや、こちらからチャンさんにお願いをするわけだからね、こっちがゴルフ場までゆくのが筋じゃないかな」
と頑固にこだわった。
小寺とフランクは、時間を見計らって、ボニファシオ・カントリー・クラブの十八番に行った。
ボニファシオの十八番は、いわゆるテーブル・グリーンというやつで、グリーンに向ってフェアウェイがだらだら坂になって上っている。バンカーがふたつグリーンの手前にあって、花道はせまい。
テーブル・グリーンのわきで、小寺とフランクが腰を下ろして待っていると、まずアジア開発銀行の日本人社員の細君が、フィリッピン人のプロと一緒にまわってきて、はなやかな笑顔を残してあがっていった。
その後方から遠目にも、それとわかる中年肥りのホベンチーノが、なかなか巧みに百ヤードのアプローチをごろで転がしてグリーンに乗せてきた。
ふたりが派手に拍手をしたので、ホベンチーノはクラブを手にしたまま、呆気に取られて、フェアウェイの端で棒立ちになったが、小手をかざしてこちらを眺め、ふたりの「ギャラリー」が小寺にフランクと気づくと、たちまち茶目気をだして、ゴルフの帽子を取り、深々と頭を下げてみせた。
「なんだ。あんたがたもここにきてたのか」
グリーンにあがってきたホベンチーノは、勘違いをして、そういい、それからふたりの眼を意識し、連れを放りだしてはしゃぎ始めた。
七、八メートルはある、旗とボールの間を何回も往復し、ゴルフの帽子を野球のキャッチャーみたいに後ろ前にかぶって、グリーンのうえに這いつくばったりする。這いつくばった姿勢でパットを肩にあて小銃のようにかまえて、ホールまでのラインを読みとろうとしてみせた。
「あの男は、子どもの頃から三枚目を演じるのが好きでしてね。戦争ごっこをやると、必ず敵の隊長役をやって、派手に倒れてくれたもんですよ。あの男がいないと、戦争ごっこが成り立たないんですよ」
フランクが小寺に囁いた。
「今度も、戦争ごっこのときとおなじくらい、あのひとが必要なんだよ。彼がいなくちゃ、商売が成立しないんだからな」
小寺は、笑いながら、しかし真剣な表情を眼にたたえていう。
グリーンのごみを丹念に拾ってみせたり、芝をいくぶん猥褻《わいせつ》な感じで愛撫してみせたり散々手間隙かけて、おどけてみせたすえに、やっとパターを打つと、これが簡単に外れてしまった。ホベンチーノはそれこそ昔の、浩が打った口鉄砲の弾丸に当った八路軍の隊長のように、のけぞって空を仰ぎ、顔をおもいきりしかめている。
次第に色濃く蘇《よみがえ》ってくるホベンチーノの幼年時代の面影が、フランクを少し不安にさせた。
──今度の商売にホベンチーノのような幼な友だちを巻きこんで、ほんとうに大丈夫か。よもや長年の友人を失うような破目におちいりはすまいな。
フランクは、グリーンから眼を外らして、遠くのフェアウェイを眺めた。雲の影がゆらゆらと遠くの芝生のうえを横切ってゆく。芝生のうえでは、雨期の名残りか、おおきな蛙が白い腹をさらして死んでいた。
シーチャンコやクエトオは、フィリッピン人によく見られるタイプではあるけれども、むろん頭から信頼できるタイプとはいえない。
「なんだ、わざわざおれに会いにきたのか」と十八番を終えたホベンチーノは驚いた顔になり、「あそこで待っていてくれ」とタガログ語で、フランクにいって、道路をへだてて、ゴルフ場の反対側にある、クラブ付属のレストランを指差した。
小寺とフランクが、レストランに入り、よく百合子が「場末のスーパーで買《こ》うてくる|はんぺん《ヽヽヽヽ》」と形容する、ぶ厚い茶碗のコーヒーを口に運んでいると、ホベンチーノが靴をかえただけの姿で、汗を拭き拭き、急ぎ足で入ってきた。この辺が中国系フィリッピン人、つまり華僑の感覚で、生粋のフィリッピン人は、決してこんなにせかせかと小走りに跳びこんできたりはしない。
「チャンさん、フィリッピン人のお客さんのほうは大丈夫ですか」
小寺が気を遣った。
「いやいや、しょっちゅう顔を合わせている、身内みたいな連中ですからね」
ホベンチーノは、また忙しく、手を振ってみせた。
それから、ウェイトレスに向って「|コーヒーをくれや《ビギヤン・モ・アコ・ナン・コーフイ》」とタガログ語で叫んだ。万事が日本人なみにせわしく、落ち着かない。
「チャンさん、じつはあなたに助けていただきたい話がありましてね」
小寺が、穏やかな微笑をうかべて、英語で切りだした。
「今、うちの店でね、ミンダナオのコンセッションの丸太を買おうとしているんですが、このオペレーションをやっていただけませんか」
オペレーションとは、木材伐採および搬出にかかわる、いっさいの作業を意味する。
「それともうひとつ、資金の手当ては私があちこちにお願いして、なんとか便宜を計って貰うつもりなんですが、この資金の借り受け人になっていただけないでしょうか」
ホベンチーノは、大目玉を光らせて、じっと小寺をみつめ、「ほほう」といった。
小寺は、ポケットから小さいメモを取りだし、几帳面にメモの項目を追いながら、シーチャンコとクエトオのアグサン木材コンビが持ちこんできたミンダナオ東海岸、ブエナ湾の伐採権《コンセツシヨン》地のこと、サーベイの結果、コンセッション自体は大変優良なものと考えられること、ただしブエナ湾の海岸が切り立った崖続きで、木材搬出の道路を作るのに多額の資金が必要なこと、資金の捻出を鴻田本社に依頼したが、アグサン木材と取引きの実績がこれまでにないために、本社が難色を示したこと、そこで上院議員、アマデオに頼んで、フィリッピン開発銀行の産業資金の融資について、根まわしして貰っていること、などの事情をかなり詳しく話した。
英語もわかりやすく、恐らく小寺は、昼休みを利用して、ホベンチーノに対する説明用の英語の文章を用意したに違いなかった。
「チャンさんもご存知のとおり、鴻田は材木じゃ出遅れているでしょう。それにうちの店も支店になりましたから、それ相応の売りあげは稼ぎださなくちゃなりません。そういう意味で、この商売はなんとかものにしたいんですよ。チャンさんに資金の借入れをしていただいて、その資金でオペレーションをやっていただければ、大変ありがたいです」
小寺は、学生のような、生真面目な口調でいい、両手を膝について、軽く頭を下げた。
──日本人というのは、なにかを真剣におもいこむと、皆、軍人のような、態度になるんだな。
フランクは、そうおもいながら、ひたむきな小寺の表情に見入った。
たしかに鴻田としては、ひとつでもふたつでも商売が欲しいところだろう。しかし本社のほうから融資を断ってきたのである。それを理由にとって消極的な支店運営に徹底してしまうことだって、できるのだ。
小寺は、明らかにアグサン木材に対する鶴井の食言、融資の空約束をカバーしようと必死になっていた。おそらくこの人物には、食言や違約ということが、生理的に許せないのである。
ホベンチーノは、大目玉をしばたたいて、
「じつは、この物件の話は、私、知ってたんですよ」
意外な発言をした。
「アグサン木材のふたり組は、鴻田貿易のほかにも、何社かに対して、このコンセッションの話を持ちこんでましてね、日本の商社も一、二軒、相談を受けている筈です。だけどいずれもね、金がかかり過ぎる、ということで、話に乗らなかったんじゃないかな」
資金調達がネックだったというのである。
「それとね、あのふたりの性格ですね。そんなにわるい人間じゃないんだが、どうも楽天的でね、融資を受けると、その金で子どもたちにベンツを一台ずつ買ってやって、親類を大勢引き連れて、世界漫遊旅行に出かけちまったりしかねないですな」
ホベンチーノが、否定的と取れる発言をするので、小寺とフランクは、少し白けた感じになった。
その気配を察したように、ホベンチーノは躰をのりだしてきた。
「むろん小寺さん、私は、この仕事をお引き受けしますよ」
はっきりいいきる口調であった。
「私はね、華僑がこの国に暮している意味、いや、東南アジアの国々に暮している意味というのは、こういう仕事をさせて貰うことにある、とおもうんですよ。正直にいって、外国の会社がですね、あのふたり組に万事まかすのは、リスクがおおきい。だれかが、間に入ったほうがいいんです。それには外国の会社の立場もわかるし、フィリッピンの経済事情にも通じている華僑が一番なんです。華僑は日本人とおなじくらい勤勉でね、日本人とおなじくらい約束はちゃんと守るし、またフィリッピン人にも約束を守らせることができるんだ。外国人が一緒に仕事しやすいのは、なんといってもわれわれなんです。これはフィリッピンにとっても、プラスのことでね、華僑排斥論がよく起るが、われわれの存在する意味を皆、よくわかっとらんのです」
ホベンチーノは大目玉をむき、テーブルに唾を飛ばしながら、まくしたてた。
「お引き受けいただけると、じつにありがたいです」
相変らず膝に両手を置いたまま、小寺は礼をいった。
「しかしチャンさん、一度、現地をサーベイして、そのうえでご返事なさってくれませんかね」
「いや、皆さんが、推薦されている以上、私がわざわざ出向いて現地をサーベイする必要なんか、ありゃあせんです」
華僑の存在理由について、唾を飛ばして一席ぶった勢いが止らない感じで、ホベンチーノは小寺の勧めを断った。
「今度は、公けの資金を借りるわけだから、私ひとりで、全責任を負わなくちゃならん、なあに、私ひとりで、全部賄ってみせますよ。鴻田の連帯保証も、今度は必要ないしね」
「おまえ、あんまりハッスルするなよ」
いくぶん調子づき過ぎたホベンチーノを、フランクはそういってたしなめた。
ホベンチーノは「そうか」と人差し指で、間のわるそうに眉毛のあたりを掻き、
「ひとことだけ、聞かせてくれ、フランク、あんた自身はどうなんだ。むろんこの仕事は、万事、うまくゆく、そうおもっているんだろう」
と訊ねた。
「ああ、万事、うまくゆくさ」
うまくゆかないわけがない、と自分自身を説得する気持でフランクは答えた。
ホベンチーノと別れて、会社に帰る途中、小寺は、社用車の隣りの席にすわったフランクに向って、
「チャンさんが、ひとことで、この仕事を引き受けてくれたのは、きみのおかげだな。きみがいなかったら、引き受けてくれたかどうか、疑問だよ」
という。
「そんなことはないですよ。支店長が熱心に口説かれたんで、ホベンチーノは、支店長の熱意に打たれたんでしょう」
「そうじゃないよ。そりゃあ、八路軍の隊長役をやらせたりもしただろうけど、きみは、チャンさんにずいぶん親切にしてあげたんじゃないの。中国人には、気持のやさしいひとが多いから、昔の恩をずっと覚えていて、いつか恩返ししたい、と考えていたんじゃないかな」
小寺は、敗戦後、八路軍ならぬ国府軍の蒋介石司令官が、「暴に報ゆるに徳を以てす」という意味のことをいって、日本人将兵、在留邦人をほとんど無傷のまま、日本に送還した例を引いて、そんな話をした。
──しかし中国人のみならず、日本人のなかにも、信じられないほど、心優しき男たちがいるではないか。
と小寺を見ながら、フランクはおもった。
10
十二月に入って早々に、ホベンチーノ・チャンからフィリッピン開発銀行宛てに、ブエナ湾木材伐採に伴う二百万ドル借入の申請書が提出された。
むろん、事前に数回、小寺はホベンチーノを同道して、アマデオや、フィリッピン開発銀行の幹部に会い、細かい打ち合わせを重ねている。
アマデオは、
「普通に申請すれば、認可まで半年はかかりますがね、おたくとしても、来期の会計年度から、このラワン材の収入を当てにしているんでしょう。できるだけ早目に通して貰うよう、私も努力しますよ」
といってくれた。
一方、イリガンのセメント工場建設のほうも、作業が本格化し、たえず出張者が東京からマニラに飛来しては、イリガンに飛び立ち、戻ってきては、ひと息入れる間もなく帰国して行った。
鴻田貿易マニラ支店も、ようやく支店にふさわしい賑わいを見せ始めたのである。
クリスマスが近づいてきた、ある日曜日の午前、石山は、独身寮の居間で二、三歳年長の藤田とビリヤードに興じていた。
日本人の独身駐在員がビリヤードに興味を持って、購入するとはおもえず、多分、この家を独身寮として購入したときに、ビリヤードの道具一式が付録みたいにくっついてきたのだろうが、安直に遊べるので、石山も藤田も暇をみては球を突き合い、結構の腕前になっている。
「あのツッパリ次長、休みとなると、よく寝るねえ」
藤田がキューをかまえながら、二階のほうを顎でしゃくって、石山にいった。
「あれでよく官学に入れたなあ」
「そりゃあ、偏見じゃないの」
石山がにやにや笑いながら、まぜ返した。
「睡眠時間に関係なく、官学に入るひとは入るんですよ」
藤田は答える代りに球を突き、ビリヤード・グリーンの台のうえを、波紋を描くように球が飛び交った。
「彼の最近の強弁はすごいね。ことあるごとに本社木材部の措置は正しかった、やたらにイチゲンの客に本社が指図して、ファイナンスをつけてやったりしては鼎《かなえ》の軽重《けいちよう》を問われる、あんな商売には、こちらの華僑、ホベンチーノ某《なにがし》あたりをおっつけときゃあ、充分なんだ、とこうきちゃうからね。君子でもないくせに、勝手に豹変しちゃ困るんだよな」
「藤田さんは手厳しいね」
今度は石山がキューをかまえて、
「しかし鶴井さんの奥さんは、いつ見えるんですかね」
「子どもの学校の都合で、来年まではこないらしいな。早くくれば助かるんだがな」
石山は手早くキューを繰りだしてボールを突いてから、
「止むを得ませんな。覚悟をきめて、来年までお交際《つきあ》い願うことにしますか」
といった。
「石山さん、用心したほうがいいよ。今度は電話じゃなくて、直接、デートの現場に踏みこまれるよ」
藤田がいい、ふたりは笑った。
暫くして、鶴井が、
「やったやった、ひっかかりやがった」
と大騒ぎしながら、階段をバタバタと降りてきた。
居間に入ってきた鶴井は、パジャマのままで、まだ朝めしも食っていないというのに、片手にジョニー・ウォーカーの黒ラベルの酒びんをぶら下げている。
「この頃な、よく物がなくなるだろう。このウィスキーも、おれがたまに寝酒を飲むだけなのに、中身の減るのがえらく早いような気がしたんだな」
鶴井は、さすがに台所や、その向うの使用人部屋にいる連中を慮って、声をひそめている。
「そこでな、今週の初めに、この酒びんや古い時計、万年筆に細工を施してな、人目につく場所に放りだしておいたんだ。酒びんは、洋服箪笥のなかの棚のうえ、古い時計や万年筆は、机の抽出しの手前の隅にね」
そこで鶴井は得意そうな顔になって、乱れた髪を掻きあげた。
「さあて、皆さん、お立ち会い、私が手に持ちましたる、この酒びんは、日本エコノミック・アニマル大好物の、スコットランド産はジョニー・ウォーカーなる舶来上等のウィスキーにてござります。皆さん、ご覧のとおり、打ち眺めましたるところは、なんの変哲もなき酒びんにて、よもや種と仕かけがあろうとは、|おしゃか《ヽヽヽヽ》様でも気がつきますまい」
東北弁の「お立ち会い」に、少々閉口した感じで、石山は調子に乗って喋りまくる鶴井を眺めていた。
「さあ、皆さん、お立ち会い、このウィスキーをひょいとさかさに致しますと、いかが相成るか、とくとごろうじろ」
鶴井は、ジョニー・ウォーカーの黒ラベルをさかさにしてみせた。
「石山君、このびんに種と仕かけが施してあるのが、わかるかね」
石山は、眼を凝らしたが、格別、びんの底に仕かけが施してあるともおもえない。
「私はおしゃか様とはずいぶん距離のある人間ですからね、気がつく筈がないですね」
鶴井は「藤田君、どうだ」と訊き、藤田も首を振った。
「きみたちの眼はガラス玉かね。そんなことで、よくラワンの検木やったり、帳簿つけたりできるね。だいぶ会社に損失を与えてるんじゃないか」
憎まれ口をたたいてから、鶴井は、さかさにした酒びんの裏側をふたりにつきつけ、四角いびんの縁を指で撫でおろしてみせた。
「ほら、ここに目盛がきざんであるだろう。盗まれた古時計の角で、前の月曜日に印をつけといたんだが、約一週間でこんなに減っちまってるよ」
石山と藤田はぽかんと口を開けて、ジョニ黒のびんを眺めた。たしかに目盛の下に五、六センチの空白ができて、その下で琥珀いろの液体が揺れていた。
「ふつうに置いたびんに印をつけときゃあ、一発でわかっちまってな、相手は警戒して盗み飲みしたりしないよ。だから一計を案じてびんをさかさにして、古時計の角で、酒の現在量のところに印をつけといたんですよ。どうだ、ここのできが、ここらの土人風情とはかなり違うだろう」
鶴井は自分の頭を指差して、鼻うごめかさんばかりの表情であった。
「へええ、悪知恵が働くひとには敵わないね」
石山は、おもわず口が滑ってしまって、あわてたが、鶴井は耳に入らなかったような顔をしている。
「それで時計と万年筆のほうは、どうだったんですか」
藤田が訊ねた。
「これもみごとに失くなったね。しかし両方とも、ちゃんとイニシャルを書きこんであるから、すぐわかる」
鶴井は答えて、それからふたりに対して、
「きみたちは、ぼうっとしとって、なにもわかっとらんようだけど、ずいぶん物を盗られとるんじゃないか」
と鋒先きを向けてきた。
「たしかに小物はよくなくなりますがね、他所でなくしたのかもしれないし、仮りに盗まれたとしても、まあ、外国暮しの税金だとおもって、眼をつぶってますよ」
藤田が、いくぶん反抗する感じで、そういった。
たしかに、石山もボールペンやサングラスのような小物をいくつか紛失しているが、差しあたっての生活には困らないものばかりで、すぐに忘れてしまった。
石山が自前で購入しているウィスキーにしても、たしかに減りかたが激しいような気はするが、とにかく運動部出身で、量を飲むから、「この頃、おれの腕もあがったな」とおもうくらいが関の山で、酒の減りかたにあまりこだわったことがない。石山の場合、気がついてみたら、ウィスキーひとびん飲み乾していた、というケースも少くないのである。
「きみたちは、だれが犯人だとおもう」
鶴井の質問に、ふたりは顔を見合わせた。使用人には比較的恵まれていると日頃から感じているので、咄嗟にはだれとも見当がつきかねた。ノーラとポシンは、ただただお人好しの感じで、物を盗む勇気などありそうにない。
「おれは、マリオがやったんだとおもう」
鶴井は、自信ありげにいいきった。
「マリオかなあ。あの気の弱そうな子どもがやりますかね」
藤田が半信半疑の声をだした。
「いや、あの餓鬼ですよ。これからマリオの部屋をチェックしてやる。きみたちも、ついてきてくれ」
例のとおりの命令口調であった。
鶴井は、パジャマ姿のまま、食堂を抜けて台所に入った。
台所では、ノーラとポシンが、木の椅子、テーブルにすわって昼食を取っていた。ケーキのように四角く切ったご飯に魚の焼いたのをのせた食事で、ポシンは魚を手でちぎり、指で米飯をすくって口に運んでいた。
今の時代、マニラの住宅街で手で食事するのは恥かしいという意識が働くのか、ポシンはちょっと間のわるそうな顔になった。
「マリオはどこかね」
鶴井は、威張って訊ねる。
ノーラとポシンは、立ちあがりながら、
「部屋にいるとおもいます」
と台所の外を指差した。
女中たちの部屋は台所の奥にあるが、掃除人や運転手などの部屋は表から入るようになっている。男女の仲を配慮したデザインであった。
「マリオ」
と鶴井はスリッパのまま表へでて、「イエス」と返事の聞えた部屋に表からずかずかと入りこんだ。
ベッドにひっくり返っていた、縮れっ毛のマリオは、闖入《ちんにゆう》してきた三人を見て驚いて起きあがった。
鶴井はひと声、「アイ・チェック」と叫んで、作りつけの洋服箪笥の前にゆき、いきなり粗末な布のカーテンをひっぱった。
なかには、作業ズボンと、よそゆきらしい文字どおり一張羅のズボン、それにシャツが二枚ほどかかっているだけで、がら空きである。
鶴井は、仁王立ちになって、狭い六畳もない部屋のなかを見まわしていたが、
「マリオ、スタンド・アップ」
と呆然とベッドにすわりこんだままのマリオを立ちあがらせた。
木製のベッドの下に入っているボール紙の箱をひきだした。
マリオはやせた躰をぴくりと震わせたが、なにもいわない。
ボール紙の箱自体が、石山の母親が蚊取り線香を送ってきたときの箱だったが、呆れたことにその箱のなかに、金鳥の蚊取り線香が、四箱ほど入っているのが眼についた。
箱には、石山が北ルソンのグラウンド・サーベイに使った磁石や懐中電燈が入っていた。薬びんのような小型のびんも二、三本転がっていて、中身の液体はどうやら盗んだウィスキーらしい。
鶴井は箱から、石山の見覚えのある海水パンツとサポーターを汚なさそうにつまみあげた。
「これはきみたちのものじゃないかね」
「ああ、そりゃ、私の海水着みたいですね」
石山は撫然たる表情でいった。
「きみは、自分のふんどし盗まれても気がつかんのかね」
鶴井は、馬鹿にしたようにいい、がらくたの詰った箱をかきまわし、自分の古時計と古万年筆を探しだした。
「いいか、これはおれのものだ。その証拠にちゃんとここにおれの頭文字が書いてある」
鶴井は腕時計の皮バンドのうらに刻んだ、G・Tの二字をマリオにつきつけた。古万年筆にも、キャップの裏の目立たぬ部分に、イニシャルが刻んであった。
「マリオ、|証 拠《テスチモニイ》は明らかだぞ。おまえは泥棒《シーフ》だ」
そこで鶴井は時計を見た。
「昼めしのあと、ゆっくり取り調べてやる。二時に応接間《サラ・ルーム》にこい」
と立ちすくんでいるマリオに命じた。
午後二時になると、鶴井は、ジョニ黒のびんと盗品をテーブルのうえに一面にならべ、マリオを呼びだした。
「マリオ、ここにある品物は、皆、おまえが盗んだんだ。みとめるな」
鶴井は、サン・ミゲルのコップを片手に持ち、ビールを飲みながら、訊問を始めた。
「きみたちも盗まれたんだから、立ち会うべきだ」
と鶴井にいわれ、逃げ腰だった石山も藤田も、鶴井の後ろにすわっていた。
半ズボンを穿いた足を揃え、直立不動の姿勢を取ったマリオは、黒い眉を寄せ、下唇を噛んで俯いたまま、なにもいわない。
「人間は正直じゃなきゃ、いかんぞ。正直にやってゆかなかったら、だれも雇ってくれんし、給料はあげて貰えんぞ。マリオ、今からでも遅くはない、正直に、私が盗んだ、といいなさい」
マリオは、縮れっ毛の、顔立ちの整った美少年タイプで、石山は好感を持っていたから、気の毒で、まともに顔をみていられない気がした。
眼を逸らすと、マリオの、大理石の床に揃えた、おおきな足が眼に入ってきた。指の股が開き床を掴みとろうとするように、ぺったりと大理石に貼りついている。
石山は、「フィリッピン人の階級は、足をみればわかるんだ。小さいときから靴を履いて育った人間と裸足で育った人間とでは、足の形が違うんだよ」とグラウンド・サーベイで原住民に会った際、フランクがいっていたのをおもいだしていた。
当然の話だが、甘い顔立ちのマリオも、裸足で育った階級の出身なのだろう。
「あんたは、まだ若いが、ずっとこんな|雑 役《オツズ・ジヨブ》や庭師《ガードナー》をやっているつもりかね。日本じゃ、少年よ、大志を抱けというが、将来、なにかをやってやろう、という大志はないのかね」
鶴井は少し方向を変えて、そんなことを訊ねた。
マリオは、相変らず黒い眉根にしわを寄せ、俯いていたが、暫くして、
「ここで少しお金を貯めて、それからビジネス・スクールの夜学にゆかせて貰おう、とおもってるんです」
聞きとるのに苦労する、蚊の鳴くような声で答えた。
「学校へゆきたい、真面目に勉強したい、そういう気持があるんなら、ゆかせてやるわな。日本でも昔は書生という制度があってな、大志を抱く青年は金のある家に住みこんで、雑役をやりながら、夜学に通わせて貰ったものだ」
鶴井はえらそうにいった。
「夜学を出てから、どうする。どこかの会社に就職するつもりかね」
マリオはもじもじと直立不動の躰をゆすり、縮れた髪の毛を、指でちょっとつまんだ。
「ビジネス・スクールを出たら、銀行に入りたい、とおもってます」
マリオの返事に、石山も少し意表を衝かれて、藤田と顔を見合わせた。
鶴井は、はじけるように笑いだした。
「銀行に勤めるって、あんた、泥棒する男が他人の金を預る銀行家になれるとおもっているのかね。泥棒しながら、銀行家になれるほど、世のなか、安直じゃないぞ」
マリオは、褐色の鼻しかみえないほど、顔を俯けてしまい、まるでお辞儀でもしているような格好になった。
「銀行家になりたいのなら、まずその泥棒根性を改めなくちゃいかんよ。どうだ、はっきりいいなさい。あんたが、これを盗んだんだろう」
鶴井の訊問は、いくぶん拷問に近くなり、正面から、マリオの俯いた顔を睨みつけている。
緊張した空気のなかで、石山は当惑して額を片手でこすっていると、
「ミスタ・イシヤマ」
と呼ぶ声がした。
ノーラが、床続きの食堂に立って、こちらへきてくれ、というふうに躰をもじもじと揺らせている。
石山がほっと救われるおもいで、席を立ってゆくと、ノーラは居間からみえない台所に入った。台所には、ポシンも深刻におもいつめた顔をして立っている。
「ミスタ・イシヤマ、マリオは、クリスマスのために盗んだんですよ」
ノーラは、そんなことをいう。
居間にいたたまれないのか、藤田も台所に入ってきた。
「クリスマス・プレゼントを買うお金が充分にないからね、ウィスキーを盗んで小びんに詰めてね、お父さんやお兄さんにクリスマス・プレゼントとして、贈ろうと考えたんですよ。古い時計や万年筆は、弟に贈るつもりで盗んだんですよ。なにしろ兄弟が多いですからね」
ノーラはそう説明し、そのひとことひとことに、ポシンが頷いてみせた。
「マリオは、きみたちにそう話したの」
「いえね、話さなくても、やっていることを見れば、わかってしまうんですよ。お互いに貧しい家庭に育ってますからね」
ノーラは眼を伏せて、悲しげな表情になった。それから高い声を出して、
「ミスタ・イシヤマ、ミスタ・ツルイにマリオを許してやるように口添えしてやってください。もうすぐクリスマスなんですよ。この国じゃ、クリスマスの前後は、罪を犯しても、厳しくとがめたりはしないんです。おめでたいクリスマスに免じて、万事許してあげなくちゃ、いけないんです」
「わかった。ちょっと話してみよう」
石山と藤田は、居間に戻った。居間では、鶴井が相変らずマリオを睨みつけ、マリオは頑なに黙りこんでいる。
「鶴井さん、ここではおめでたいクリスマスの前後は他人をとがめだてしちゃあ、いけないしきたりなんだそうですよ。クリスマスに免じて、許してやったら、どうですか」
石山は、鶴井に頼んだ。
「そりゃ、きみ、話が逆じゃないか。クリスマスみたいな、おめでたいときに泥棒する人間こそ許せない、ということじゃないかね。お正月に金を盗られたら、きみ、どんな気がするかね。ふだんの倍くらい嫌な気持だろう」
鶴井は、そういって譲ろうとしない。
祭りに対する民族の態度の差が明瞭に現われていた。
「鶴井さん、日本とこの国じゃ物の価値が違うでしょう」
今度は藤田が口添えをした。
「正直いって、その古時計や古万年筆は、われわれにとっちゃあ、がらくたのごみでしょう。しかしこの国の連中にとっちゃあ、まだまだ価値のある品物なんだ。眼のまえに置かれたら、盗みたくなる品物なんじゃないですか。そういう価値観の相違をわかってやらなくちゃ、いけないんじゃないの」
藤田は、そんながらくたなんぞぶつぶつ説教したりせずに黙ってくれてしまえ、といいたいらしかった。
鶴井は取り合わず、改めてマリオに向い、
「日本人とフィリッピン人の違いはな、欲しい物をみても、日本人は盗まないが、フィリッピン人は盗む、ということだ。この違いをあんたがたは考えないといかんぞ」
まずい英語で大声をだした。
「日本人だって、盗むよ、鶴井さん」
石山はやりきれなくなって、日本語で鶴井の説教をさえぎった。
「私の家は商売やってましてね、戦後暫くはおふくろも親父と一緒になって働いていたから、家のことは全部女中にまかせていたんです。しかし、物のなくなるのは、しょっちゅうでしたよ。母親がいないのをよいことにして、女中によっては盗み放題でしたね」
あるとき、石山の家の女中が急性盲腸炎を起して入院したことがある。母親が当座の必要品を持たせようと、女中部屋の押し入れを開けたところ、出るわ出るわ、石山の家のがらくたを盗んでたくわえてあったのが、山のように出てきた。
石山の母親は、女中が退院してくるのを待って、「あたしゃね、今の日本人は皆、甘い物に飢えてるからね、砂糖壺を盗んだって、なんにもいいたかないよ。だけどね、亭主やあたしの洗いざらしの寝巻きまで盗もうってのは、どういう魂胆かね」そう訊ねていた。
女中は泣きじゃくりながら、「姉にやって赤ん坊のおむつにさせてやりたかったんです」といった。
石山の父親は、この女中の返事がすっかり気に入って、ずいぶんあとまで、就寝時間になると、「おれのおむつ、だしてくれ」などとふざけていたものだったが、樋口一葉が著名な「大つごもり」に書いた世界はついこのあいだまで、日本の社会に現存していたのである。
「うちの女中なんぞ、ビスケット何コ、煙草何本の単位で盗んでましたね。親父の古ワイシャツや古靴まで盗んでた。私の家の現在のお手伝いが、物を盗まないのは、根性の問題じゃなくて、国が物質的に豊かになったそれだけの理由からですよ。日本人もフィリッピン人も、所詮おんなじだよ」
石山も所詮は昂奮症の江戸っ子のひとりで、顔を赤くして、いいつのった。
「そりゃ、きみの家の女中が、例外的に性格がわるかったんじゃないか。きっと日本人じゃなかったんだろう。少くとも、日本人は正直だぞ。嘘はつきませんよ。この男みたいに意地張って、いつまでも白を切りつづけるなんてことはないな」
鶴井はうそぶいた。
──なにをいってやがる。このあいだ、アグサン木材に融資を約束して、その約束を守らなかったのは、だれだ。こんなちいさな独身寮の話ではなく、おおきな商売の世界で、あんた、ほんとうに嘘をついていないのか。
石山は、猛烈に腹を立てて、
「鶴井さん、やり過ぎだよ。財布とか旅券とか、ほんとうに大事なものを盗んだんならともかく、こんながらくたの盗難は、藤田さんのいうとおり税金だよ」
鶴井にたてついた。
「馬鹿いえ。このまま増長して、旅券でも盗むようになったら、えらいこった。だいたい、きみは出向社員で居候の身分なんだ。余計な口は、はさまんでくれや」
それを聞いて、石山は憤然として席を立った。
11
おなじ日曜の午後、フランクは、鶴井とテニスにでかけるために、マガリアネスの独身寮にやってきた。
テニスはフランクの好きなスポーツではあるが、相手が鶴井では興味も半減する。しかし急に「フランクさん」と|さん《ヽヽ》づけにして、熱心に相手を頼む鶴井を、人の好いところのあるフランクは振りきれなかったのである。
「きみたちが相手をしてやらないものだから、お鉢が自分のほうにまわってきて、迷惑するよ」
フランクは石山に文句をいったものであった。
石山はにやにや笑って、
「私と藤田さんは、日夜起居をともにして、お相手をつとめておりますので、フランクさんもたまには面倒みてあげてくださいよ」
などと勝手なことをいった。
そこで重い腰をあげて、マガリアネス・ヴィレッジまでやってきたのだが、車を停めて、家のなかに入ると、鶴井の大声が聞えた。
迎えに出たノーラがおびえたような顔をしているので、タガログ語で、
「どうしたんだ」
と質問した。
「マリオが物を盗んだというんで、ミスタ・ツルイに叱られているんです」
ノーラは恐ろしそうに肩をすくめ、事情を説明した。石山と藤田はどこかへ逃げてしまったらしく、影も形もない。
鶴井は、居間に入ってきたフランクをみて、
「一時間立たせてしぼったら、とうとう私がやりました、と白状したですよ。情ないやっちゃね、涙なんかこぼしよって。根性がないわな」
鶴井がいう。
どこかで何回も聞いたような、フランクにとっては耳新しくはないせりふであった。
マリオは、大粒の涙をこぼしながら、しきりにしゃくりあげていて、足もとの大理石が濡れていた。
「こっちの人間は、派手に涙だしよるな。暑いところの人間は、新陳代謝だけじゃなくて、涙腺の働きも活発なんじゃないか。汗も涙も一緒くたなのかもしれんな」
この言葉も、フランクの記憶を妙に刺激した。
「ともかく、盗みました、という自白を聞いた以上、放っとけんでしょうな。ウィスキーの盗み飲みくらいで首にもできんから、給料減らしてやるか。減俸処分三カ月だな」
そこで、ようやくフランクは、おなじようなせりふをだれから聞いたか、おもいだした。サン・ベーダ大学の警備にあたっていた、頬髭を生やした勤務中隊の兵士たち、西野という下士官の率いる戦場ずれした兵士たちである。
「鶴井さん、カトリック教徒のフィリッピン人にとって、自白をする、というのは、大変なことなんですよ。教会にいって神様のまえでね、罪をみとめ、悔い改めるのとおなじことなんだ。悔い改めた以上、許してやらなくちゃいかんな」
フランクの言葉を聞いた鶴井は、
「そんなもんですかね」
といい、それからあくびと一緒におおきな伸びをした。
「私もくたびれたから、今日はこれで勘弁してやるか」
意外に素直にフランクの勧告に従った。
「OK、マリオ、行ってもいいよ。ただしおれのいったことを忘れるな」
人差し指を少年の顔につきつけた。
それから、目盛をきざんだ、飲みさしのウィスキーびんをフランクに差しだし、
「フランクさん、このウィスキー、持ってってくださいよ。今日、テニスの相手をして貰うお礼ですよ」
またか、とフランクはうんざりした。
日本からの駐在員とテニスをやったり、そのあと、軽く酒をおごったりすると、翌日、きまって、高級ウィスキーのお返しがくる。そんな高価なお返しを貰う度に、いかにも、蔑視すべきローカルの、おまえなんぞにはびた一文世話にならんぞ、そう他人行儀に突き放されるような気がして、フランクは、みじめなおもいを味わったものだ。
これに比べれば、鶴井のやりかたは、もっと率直だ、といえるのかもしれなかった。ローカルに対する、蔑視の感情を剥きだしにして飲みさしのウィスキーを持ってゆけ、というのである。
フランクは苦笑して、
「鶴井さん、私はね、他人の残り物を頂戴するほど、落ちぶれていないつもりですよ。そのお酒は、ご自分で飲まれたら、いかがですか」
と断った。
鶴井は、不思議そうな顔をして、フランクの顔を眺め、
「はあ、そうですか。それじゃ、自分で飲むことにしましょう」
といった。
鶴井には、どうも物事を簡単に考え過ぎる傾向があるようであった。
フランクは、いすゞ・ベレットでテニス・コートに向う途中、改めて西野曹長との再会をおもいだしたものである。
昭和二十年六月、悲劇のラムット河畔で、佐藤浩少年が再会した、かつてサン・ベーダ大学の野戦貨物廠勤務中隊の西野曹長一行は、浩の急場を救うと、そのまま立ち去ったが、次に会ったのは、六月中旬、すでに米軍野砲の砲声がこだまするファーム・スクールにおいてである。
ファーム・スクールという、戦時中の呼び名は、以前、この地に農学校があったため、とされているが、必ずしも明確でない。野戦貨物廠は、サラクサク、バレテの両峠が突破され、集積基地、バンバンが危機に瀕するにおよび、可能な限りの物資をこのマガット渓谷奥地のファーム・スクールに移送した。
ラムット河畔で、在留邦人を主体とする、日本人数千名の虐殺劇を演じた米第三十七師団は、ただちにラムット河畔に長距離砲の放列を敷いて、ファーム・スクールに対する砲撃を開始し、工兵隊が、ラムット川に仮橋をわたし始めた。
第十四軍司令部は、すでに五月二十日、北部山中、キャンガンに移転しており、それに伴って、軍および在留邦人の山中への大移動が始まっていた。
ファーム・スクールに入ってまもなく、浩は、野戦貨物廠の物資集積所にくるように呼ばれた。
国道四号線に面して大きな木が繁っており、そのわきに現在は廃道になっている旧道が北部山中に向って、左に折れこんでいる。多数の兵士、在留邦人がこの旧道に歩み入ろうとして、ごった返していた。
国道四号線そのものも、ここからは石だらけの狭い道になって山中に通じているのだが、こちらは樹木などの遮蔽物が少く、ひとびとは上空から完全に遮蔽されている、細い旧道を選んでいるようであった。
物資集積所は、日本人でごった返す、この旧道の手前にある。小屋がけの建物のなかでは、兵士や、バンバンで編入された在留邦人の男子たちが、物資の整理をやり、塩の袋を小屋の外に運びだして山積みにしている。野戦貨物廠はこうした応召兵や軍属を加え、五百人の大世帯になっていた。
浩を呼んだのは、総務部の古手の下士官で、以前、サン・ベーダ大学で浩に俘虜訊問の通訳を命じた男である。
「佐藤な、ここから山中には、トラックが使えない。膂力《りよりよく》輸送、つまり人力か、水牛を使っての輸送になる。そこで岩倉廠長殿は大決断をされてな、ここに集積した物資は塩を除いて全部放棄、塩だけを山中に運びこむことになったんだ」
まんまるの眼鏡をかけ、略帽を坊主頭にちょこんといやに浅くのせて、いつまで経っても軍服が板につかず、「事務屋」の感じの脱けない下士官は、いった。
貨物廠の廠長、岩倉大佐は、内地にいる夫人を失くしたばかり、という話で、浩の眼には戦意に欠ける、無気力の人物に映っていたから、このおもいきった決断は、意外におもわれた。
「おまえもな、物資の調達の仕事がなくなったんだからな、この運搬の仕事を手伝ってくれや。台湾の少年軍属が、沢山きとるから、その連中を指揮して、塩を運んでくれんかね」
「自分が指揮をとるんでありますか」
明らかに台湾人の少年たちより、浩は信頼されているのである。これまでの軍属としての実績に加えて、日本人の血をひいていることが、軍人たちの信頼をかち取る、おおきな理由になっている。もしかしたら、ラムット川の邦人虐殺の際に、飛来する敵機に向ってピストルを発砲するような「戦意の高さ」も評価の対象になったのかもしれなかった。
浩が意気ごんで、「出発はいつでありますか」と訊ねようとしたとき、事務屋の下士官は、まるい眼鏡の奥の眼をぱちぱちとしばたたき、照れたような微笑をうかべた。
赤い顔をして、浩の背後に向い、
「曹長殿、久しぶりですな」
と声をかけた。
振り向くと、二週間まえに別れた、西野曹長が、相変らずの髭面で立っていた。
「サン・ベーダの勤務中隊でお世話になって以来ですな」
下士官は媚びる口調になっていう。
「あれ以来、セブ島でゲリラ狩りをやらされたり、あちこち、たらいまわしにされましてな、今度は、荒木旅団につっこまれて、山中の守備ですわ」
西野は、乾いた声でいって、近寄ってきた。
「ついては、お願いがふたつばかりありましてね」
西野はちょっと調子を変えて、
「すまんですが、塩と医薬品を多少、員数つけていただけんですか」
そう頼んだ。
「昔、警備で散々お世話になりましたからな。融通させていただきますよ」
眼鏡の下士官は、むしろ嬉しそうに応じている。
「それともうひとつ。この坊主をね、私のほうの隊につけて貰えんですか。まあ、台湾の子どもを使って、塩を運搬するような仕事はね、現地召集の兵隊にでも指揮とらせりゃあ、充分でしょう。現地召集の兵隊には、ここで会社の社長をやってて、人を沢山使ってきよったのが、すいぶんおるんだという話ですからな」
西野は下士官の命令を聞いていたのか、そんなことをいいだした。
「これは困ったな。人事の問題は私の一存ではゆきませんしな」
眼鏡の下士官は、略帽を脱ぎ、丸坊主の頭を掻いた。
「山中に入りますとね、土民といろいろ折衝せにゃあいかん場合が生じる。そういう際に、この坊主がいれば助かるんです。私の中隊づき、ということにせんですか。大隊づきでもいい」
西野は曹長のくせに、大隊長のようなことをいう。
会話が途絶えると米軍長距離砲の殷々《いんいん》たる砲声が響いて小屋がけの建物がびりびりと揺れた。
こうした空気のなかでは、いかにも戦場ずれした西野の風采、落ち着いた声音はなかなか迫力があった。
「しかしここらは、イロカノ語を話す、イフガオの土民ばかりでね、佐藤は、タガログ語しか話さんから、あまりお役には立たんですよ」
だから、浩の仕事を変えるのだ、と下士官は抵抗した。
「しかし、土民と折衝する要領は心得てるでしょう。要領さえわかっとれば、いいんです。自分も一緒にゆきますから、部長に話してみてくれんですか」
西野は強引で、眼鏡の下士官の背を押して、部長のいる、別の小屋のほうへ早くも歩きだしていた。
西野一流の強引な無理押しで、浩は結局、西野の隊づきになった。
西野は浩を、若い幹部候補生出身の中隊長のところに連れてゆき、申告をさせると、「この坊主は、私の小隊で預らせて貰います」と勝手に決めてしまった。
米軍が背後に迫っているので、西野の中隊は、直ちに出発し、他の兵士、在留邦人が殺到してごった返す旧道を通らず、石だらけの国道四号線を取って、当時、桜町と通称されたキャンガンに向った。
天気がわるくなり、空襲はない、と見越して、遮蔽物のない国道を取ったわけで、歴戦の連中だけに、戦場での保身については、独特の嗅覚を備えていた。
どこから調達してきたのか、十数匹の水牛に、貨物廠から員数をつけて貰った塩や米を積み、サント・ドミンゴ峠を越えた。
四号線の国道には、馬場大尉が最後までその通過を気にしていた勤兵団が、急追撃してくる米軍を迎撃すべく、布陣している。北方の荒木旅団が、この勤兵団に援軍をだしたため、手うすになり、西野の隊は、そのあとを埋めにゆくのであった。
西野は、国道で出会う勤兵団の兵隊に、「ご苦労さん」と声をかけながら、浩に向って、
「お互いに、こんな馬鹿馬鹿しい土地に流れてきて、馬鹿馬鹿しい苦労をするなあ」
そんな話をした。
「おれはな、この国も気に食わんし、ここの土人も気に食わん。ここの土人は、いかにして楽をして生きてゆくか、そればかり考えよる。ここらで、おれに百姓やらせれば、三毛作やってみせるわ。ところが年に一回ちょろちょろと種まいて、ちょろちょろと取り入れやって、あとは寝てやがる。苦労して働こうとせんやつは、性に合わんな」
西野は、東北の農民出身で、耐冷稲のなかった戦前、東北の農民の辛苦が、いかにひどかったかを、ぽつりぽつりと話して聞かせた。
辛い少年時代を送った末に、三男の彼は出稼ぎに出て、主として「暖い」地方で肉体労働をやり、軍隊に入ったのだという。部下の兵士に比べて、言葉に訛りがないのは、この出稼ぎのせいなのである。
東北の貧農出身の感覚からすれば、日々の糧は、辛苦の労働の結果でなければならず、怠惰は許し難い悪であった。
窃盗も、この努力を惜しむ、怠惰の延長上にあり、従って西野は貨物廠や貨物廠の直轄倉庫に押し入る窃盗犯を仮借なく拷問し、殺害したのであろう。
山中に入ってから、食糧収集にイフガオ族の家によく押しいったが、彼の「怠惰な土民」に対する反感が、こんなときに必要以上に残酷なかたちを取った。
高床式の床に寝ている土民を見ると、ただ追いはらえばすむことなのに、床下にしのび入り、竹の床を通して、ごぼう剣を突き刺して殺してしまうのである。
メコン・デルタ地帯には、遠くおよばないにしても、戦前の東北地方に比べれば、はるかに肥沃なフィリッピンを、西野は憎悪していた。
「なんだ、この国は。雪が降らねえし、冷害もねえ」
西野は、落ち着いた態度の男だったが、ときに吐き捨てる口調でそういった。
地理感覚の優れている西野の隊は、一般兵士や在留邦人で混雑する道を巧みに避けて、アシン峡谷の中心、フンドワン近くの、荒木旅団最左翼に短時間で到達、小屋がけをして、居を定めた。
12
六月下旬、ファーム・スクールが突破され、第十四方面軍残存部隊の尚武集団は西野の隊が布陣する、アシン峡谷に追い詰められた。
アシンは、イロカノ語で「塩」の意味で、これはアシン川が、魚も棲めぬほど、塩分の強い川であることからきているが、この峡谷に、兵士、在留邦人五万人が逃げこみ、約十万の米比混成軍に包囲された。
この峡谷は、高い山岳地帯に囲まれ、守備には好都合だが、なにしろ従来、三千人のイフガオ族しか住んでいなかった峡谷に、食糧を持たぬ五万の日本人が住みついたのだから、ひどい食糧不足が生じて当然である。そこにマラリヤ、デング熱、赤痢が襲いかかった。米軍戦史にさえ「尚武集団は、米比軍の武器で全滅しないにしても飢えと病気で徐々の死を待つのみ」と記述される状態におちいったのである。
かくてアシン峡谷は、止むことなき、雨期の豪雨のなかで、日本兵士および在留邦人の「死の谷」と化す。
アシン峡谷には、さまざまな形をした階段状の水田、ライス・テラスと呼ばれる棚田が、深い谷底から二千メートル級の山頂近くまで、幾重にも重なって、世界七不思議のひとつといわれる奇観を形成している。
二千年の昔からイフガオ族が、営々と山岳地帯を開墾してきた成果が、この棚田で、日本や中国の「耕して天に至る」という感覚とは、規模がまるで違う。階段をきざんだピラミッドに周囲をかこまれている感じであった。このピラミッドの一段ごとにある水田が、朝陽、夕陽を受けていっせいにきらめくさまは、神々の降臨を迎える大聖壇が建ち並んでいるような錯覚さえ抱かせる。
この棚田を眼にして以来、西野は原住民に対する態度を改めたようであった。
「ここの土人も相当、やりよるじゃないか。こりゃあ、日本の百姓も顔負けだぜ」
よくそう呟いた。
荒木旅団は、アシン周辺の諸部隊のなかでは、給与、つまり食糧補給が比較的良好とされたが、むろんそれは餓死しない程度の補給は受けられる、という意味であったし、旅団司令部から遠く、おまけに後から編入された西野の隊には、補給も滞りがちであった。
歴戦の西野の隊の兵隊は、体長一メートルのトカゲを捕えたり、芋を掘ってくるのがきわめて巧みであった。芋は、さつま芋の一種で、さすがのイフガオ族も水田にできないような、急な山腹に栽培されていたが、これもごぼう剣を使って、あっという間に数十箇掘りだしてしまう。
イフガオ族は、収穫した米を籾《もみ》のついたまま、崖っぷちとか、山頂とか、おもわぬ場所に木造の倉を造って収納しているが、兵隊たちはこの倉をみつけるのも巧みで、たちまち奪いとって自分たちの小屋に運びこんでしまうのである。
籾倉を荒すと、すぐにイフガオ族は勘づいて、槍をひっさげて文句をいいにやってくる。その応対が浩の仕事であった。
以前の西野なら、こんなとき、すぐにも暴力沙汰にでて、容赦なく射殺したりしたのだろうけれども、西野は忍耐強く白を切ったりして、窃盗行為を否定し続ける。
大抵は塩やマッチをやって、引き取って貰うことになるのだが、つい先年まで首狩りの習慣があった、というイフガオ族との長時間にわたるやりとりは、浩にとって、そんなに気分のいいものではなかった。
「ついこの間までは、こっちが泥棒野郎をとっちめる立場だったが、今じゃ逆さまさね。せめて根性みせて、白を切り続けるよりしゃあないやな。坊主、頑張ってくれや」
西野は、自嘲気味にそういった。
浩が、岸本美千代に出会ったのは、アシンをはるか下方にみる、岸沿いの道であった。
浩は朝方、米軍機の跳梁する前に、西野と一緒にアシン川に降りてゆき、水浴をした。
水浴から戻る途中、彼方の小屋から銃声が響いて、山間にこだました。西野も浩も、銃声には、なにも感じなくなっていて、そちらを振りむきもしない。どうせ、病死か餓死寸前の兵隊か在留邦人が、自殺しただけのことなのである。
岸沿いの道を登って、竹林の傍を通り過ぎようとしたとき、ひとりの女の子が、竹林のなかで「えい、えい」と声をだしているのが眼に入った。
少女は、細い竹を折ろうとしているらしく、両手でぶら下るようにして力を入れているのだが、山中の竹は細いわりに弾力があって、しなるばかりで一向に折れそうにない。
「えい、えい」という薙刀《なぎなた》を振るうときのような掛け声は、ともすればかすれて、涙声になりそうであった。
浩と西野が足を停めて、眺めていると、少女は竹の幹を放し、向うむきになって、涙をぬぐうらしかった。
人の気配にこちらを振り向いた顔は、頬がげっそりとこけて、躰もひとまわり小さくなっていたが、まごうかたなく、美千代であった。
「美っちゃん、こんなところで、なにをしているんだ」
美千代は、竹林のなかから、竹をかきわけて、道に出てきた。もんぺの膝は破れ、靴は運動靴の底が破れたのを、足の甲の部分にひもでくくりつけてある。
「充が、お腹こわして、下痢が止らないのよ」
美千代は、涙のにじんだ眼をやせた腕で横撫でして答えた。
「竹を焼いて、粉にして飲ませると、お腹にいいっていうから、竹を採りにきたんだけれどもうまく折れないのよ」
マニラからはるか離れたこの山中に流れてくるまで、ずいぶん苦労したらしいことは、そのやせようからも察しがついたが、この気丈な少女も、気持が弱くなっているらしく、そういってまた涙をこぼした。
「よし、小父さんが、切ってやろう」
西野がそういうと、准士官として腰に吊っている軍刀を抜いて、それこそ農民が|なた《ヽヽ》でもかまえるように振りあげ、手近な竹を切り倒した。
浩が、美千代を「自分の下級生で、岸本写真館の娘だ」と西野に紹介すると、西野は、
「おれも勤務中隊の頃は、あんたの家に行って、おやじさんに何回か写真を撮って貰ったよ」
と好意的な言葉を吐いた。
そこで、浩と西野は、切り倒した竹を持って、美千代の住居まで送って行ったのだが、美千代は、イフガオの一種族、イゴロットの藁ぶきの高床式の家に住んでいた。
山を削りとった平地に作った家で、藁ぶき屋根のてっぺんには、イゴロットの厄除けか、槍を持った藁人形が両手をかざして立っている。
藁ぶき屋根の家の梯子《はしご》をあがってゆくと、竹の床の一番手前に美千代の末弟の充が汚れた毛布を敷いて寝ており、枕もとに次弟の誠がすわって、ぼんやり力のない眼でこちらを眺めていた。
「充、どうした。元気をだせ」
浩が傍にしゃがみこむと、異臭が鼻をついた。アミーバ赤痢患者特有の臭いで、「これはいかんな」と浩はおもった。
この異臭のせいか、蠅が数匹、大分伸びた坊主頭の周囲を飛びまわっているが、充には蠅を追う元気もないらしい。
「早く元気になって、マニラの家に帰ってね、またウビの紫いろのアイスクリーム、食べようや」
浩のその言葉に、充はようやく淡い微笑を唇の端にうかべた。
「マニラに帰って、学校にゆきたいよ」
荒れた唇を舐めて、やっとそれだけいった。
ふいに隣りで赤ん坊が、弱い声をあげて泣きだし、その向う、小屋の一番奥に寝ていた女が、泣き声と一緒に起きあがった。
「あら、トラックに乗って疎開するとき、果物をどっさりくだすった坊っちゃんね」
最初、奥に寝ているのは、赤ん坊の母親かとおもったのだが、そうではなくて、マニラで美千代の隣家に住んでいたという、芸者あがりの女であった。
浩が言葉に窮して突っ立っていると、西野が、彼なりに気をきかせたらしく、
「この姉弟がいろいろお世話になっているとおもいますが、ひとつ、よろしくお願いしますよ」
そう声をかけてくれた。
「もちろん、あたしがね、全部細かく面倒みてるんですよ。ただ、その子が臭いますでしょ。この臭いで眠れなくてねえ」
油気のない、ぼうぼうとお化けのように伸びた髪を撫でつけて、女はいった。
小屋の外に降りると、美千代は弁解するように、
「ここまで歩いてくるうちに、皆、ばらばらになっちゃってね、バクダンで空襲受けたときに、大野の小母さんとまた一緒になっちゃったのよ」
という。
大野という女の、マニラ時代のわるい評判を耳にしている浩としては芸者あがりのあんな女に気を許すな、といいたかったが、しかし年端のゆかぬ姉弟だけで山中を放浪する辛さ、心細さをおもえば、それもいいだしかねた。
この小屋には、美千代姉弟と大野の他に、赤子連れの若い母親が住んでいるのだそうであった。
「あんたらは、毎日、なにを食ってるんだね」
西野が訊ねた。
「お芋のある日は、お芋と、あとは春菊みたいな葉をつんできて、茄でるんです」
美千代は答えた。
「しかし芋なんぞは、兵隊が取り尽して、ありゃあ、せんだろう」
「でも、丹念に探すと、何本かは残っていますよ、細いのですけど」
美千代は健気に笑って、そういった。
帰り道、兵士たちが住んでいる小屋のほうに歩きながら、西野は、
「坊主、おまえの考えていることはわかっているよ」
突然、西野がそう切りだした。
アシン川のせせらぎが、遠くに聞え、暫く西野はなにもいわない。
それから、
「あの姉弟に食い物を持って行ってやりたい、とおもっているんだろう。しかしこいつはそう簡単にはゆかんぞ。うちの兵隊だって、空きっ腹かかえて、明日知れぬ身なんだからな」
浩の横顔にちらりと眼をやって、いった。
翌朝、西野の小隊の兵隊たちが、三々五々分宿している、急造の小屋を出て、朝食を取ろうとちょっとした草原に集まってきたとき、西野は、浩になんの相談もなく、岸本姉弟のことを突然、口にした。
ちょうど、当番兵が、匂いが日本の春菊に似た、野草の塩汁に、米を浮かせた、|おもゆ《ヽヽヽ》のような朝食を各自の飯盒《はんごう》についでいるときだったが、
「皆、マニラにおったとき、リサールの岸本写真館に行って、よう写真を撮ったもんだろう。あの写真館の子どもは、ここにいる佐藤浩の下級生なんだが、すぐそこのイゴロットの家に住んどるんだ。食うものがなくて、姉弟揃って餓死寸前よ。特に末っ子はアミーバ赤痢にやられて、寝こんどって動けんのだな」
いったい、なにをいいだすのか、と草原にあぐらをかいた浩は、躰を固くして、西野の髭におおわれた顔を眺めていた。
「この坊主はこれでなかなか根性のあるやつで、私の食べ物は要りません、代りにあの姉弟に私の分をやってください、こういいよるんだ」
西野は乾いた、冷静な声で、浩がまったく頼みもしなかったことをいいだした。
「しかし、おれはこの坊主のいうことを信用しとりゃあせん。こいつは、私の食べ物は要りません、といえば、おれが黙って食べ物を恵んでくれる、そうおもっとるんだな。そりゃあ、甘ったれた考えよ」
西野はじろりと浩を睨んだ。
じっさいに西野に訴えはしなかったが、西野が指摘したような考えかたは、たしかに浩のなかにひそんでいたから、浩は、おもわず顔を伏せた。
「だから、岸本の姉弟に、浩のめしをやるまえに、こいつの根性を試してやる。ほんとうに、自分の分け前のめしを食わずに我慢できるのか、おれが試してやるわ」
西野は当番兵に「坊主の分のめしをよこせ」と命じた。当番兵が差しだした、浩の飯盒を受けとると、ゆっくりそれを地面に向って傾けながら、
「坊主、よくみておけ。おまえの朝めしは、今日はアシンの土に食わしてやるからな」
という。
それから、浩と兵隊たちの視線を楽しむように、浩の飯盒に注がれた|おもゆ《ヽヽヽ》状の朝食を草のうえに、ゆっくりこぼしていった。
飯盒の底に吸いついためし粒を、ふとい、武骨な指で掻きだし、その指についためし粒をひと粒ひと粒丁寧に舐めて、
「浩、三日間、絶食してみろ。それもだ、外へ出て芋なんぞ探したりせずに、|だるま《ヽヽヽ》さんのように、小屋の壁に向って正座して、絶食してみろ。それができたら、おまえの食いぶちは、おまえの自由にさせてやる。岸本の姉弟に、おまえの食いぶちを分けようと、おまえの勝手だ」
そう宣告した。
育ち盛りの少年が絶食することさえ、容易でないのに、ましてや、ろくな食事も取らずに過してきた果ての、絶食である。
さすがの浩も、最初の一日は、眩暈のしそうな空腹感をおさえかねた。
おまけに西野は嗜虐的になり、昼食の芋、夕食の塩をかけた、ひと掴みの米食の度に、浩を列席させ、その場で浩の分の芋を遠くに放り投げたり、米飯の入った浩の飯盒の底をたたいて、草原に捨てたりした。
泣きべそをかきそうな気持を必死におさえて、二日を過したのだが、P38やB25が飛来するたびに、爆音が腹にこたえ、機銃の掃射音が胃袋を射抜いてゆく気がした。
二、三の兵士が寄ってきて、浩の顔を覗きこみ、
「坊主、大丈夫かね、曹長殿もきびし過ぎるんでねえか」
と同情してくれた。
──いったい、なんのために、自分はこんな辛い目に会わねばならないのか。
さすがに小屋の壁を睨むのも、馬鹿馬鹿しくて、竹の床に寝ころがっていると、そんな疑問が湧いてくる。
あの姉弟はたしかに幼な友達には違いないが、絶食をさせられて、こんな辛いおもいを味わうほどの義理があるのだろうか。
しかしあの馬場大尉なら、平然として恐らくは笑いながら岸本姉弟のために絶食したに違いないのである。当時の浩は、馬場大尉ならこうするだろう、という仮定に従って行動を決めていたから、浩は敢然と絶食の苦痛に耐えたのであった。
そしてこの苦難に耐えることに、人にはいえぬ、ある甘い味のあるのも事実であった。
二日目の夕めしのとき、西野は例のごとく塩をふりかけた、ひと掴みのめしを地上にひっくり返してから、にやりと笑って、
「坊主、このめしが食いたいだろう。アシンの土が羨しいとおもっているんだろう」
と訊ねた。
浩は、なんとなくここが勝負どきのようにおもって、なにも入っていない腹に力を入れ、
「食いたくありません。自分は平気であります」
精いっぱいの声を振りしぼって、そう叫んだ。
山間にこだましてゆく、浩の声が消えるのを待って、西野は、
「よし、坊主の根性は、餓鬼にしては見あげたものだ。明日から坊主にふたり分のめしを用意してやれ」
呆気に取られるような発言をした。
「考えてみりゃあ、この坊主の所属していた貨物廠のおかげで、おれたちゃあ、塩にもキニーネにも、これまでは不自由しなかったわけだ。毎日、お迎えがきよって、ばたばたいっちまうなかでなんとか露命をつないで、こうして生きちょるんだからな。それに岸本で写真を撮って貰って、故郷に送ったやつも多かろう。ここのところは、坊主の根性に免じて、食糧の横流しを許可してやることにしよう」
そういって、自分のめしを半分、浩にわけてくれた。
断食命令は、根性論で部下を管理し、統率してきた西野が、部下たちの暗黙の了解を得るために必要な手続きであり、いわば儀式だったのである。
翌日、気をきかせてくれた当番兵から、三日分の米と塩、それに二、三十箇の芋を貰い、浩は朝食後に、美千代の住むイゴロットの小屋を訪ねた。
山かげの道を抜けて、彼女の住む小屋に近づいた浩は、異様な光景を見た。
イゴロットの小屋の梯子を、美千代の末弟の充が這ってよじ登ろうとしているのだが、小屋のなかから例の芸者あがりの大野が顔を出して、竹の杖で、梯子にすがった充の手をぴしぴしと叩いているのである。
充は、細い泣き声をあげて、梯子を登ろうとするのだけれども、中年女のふるう杖は、小さな手を払いおとそうとして、容赦なく唸っていた。
「臭い子はね、床の下で寝とくれ」
女はそういっているらしい。
充は片手の指を離し「美千代ちゃん、誠ちゃん」と叫んでいる。
遠くから眺めて、浩には、すぐに状況がわかった。
おそらく姉の美千代、兄の誠が、数少い芋を探しにでたあと、アミーバ赤痢の充はひとりで用便に小屋から降りたのだ。用便をすまして戻ってきた充を、大野という女が「汚い」とか「臭う」とか文句をいって、小屋に入れまい、としているのである。
浩は血が頭へのぼるのを覚えた。二日間の断食を終えて、美千代姉弟に寄せる感情は他人ごとではなくなっている。
浩は米や芋を納めてある雑嚢から、コルト32を抜きだした。拳銃を両手にかまえて小屋に近寄った。
「おまえ、止めんか」
おもわず軍隊式の言葉が口を衝いた。
「このひとでなし、止めんか。止めんと射殺するぞ」
女は、驚いてこちらを眺め、腰を浮かした。
「あたしゃ、なんにもしてないよ。虫を追い払ってやってただけだよ」
女の答えが、浩を激怒させた。
「おれの眼はふし穴じゃないぞ。おまえがなにをしていたか、ちゃあんと見とどけていたんだ」
女は浩が近づくにつれて、小屋の奥へとあとずさりをした。
アシン峡谷がいまや、無法地帯と化し、殺そうが殺されようが、ほとんど問題にされなくなりつつあるのを、女自身、知っているのである。
浩は右手にコルトをかまえたまま、左手で指から血を流している充をだき抱えて、小屋のなかに入った。
小屋の一隅には、粘土を固めた、いろりが切ってあり、美千代の知恵なのだろう、そこに火種が埋められていて、かすかに煙をあげている。
先日とおなじに、部屋の中央に赤ん坊が寝ていて、相変らず母親の姿は見えない。
いろりの傍まで追い詰められた女は、
「あんた、勘弁しとくれ。小母さんが、なんでもあげるからさ」
と両手を合わせ、懇願するようにいった。それから、うす笑いをうかべ、
「もしお望みならさ、坊やを楽しい目にあわせてあげるよ」
「坊や」と子ども扱いされたことが、浩をいよいよ激怒させた。
浩は、女を睨み据えて、
「ピー屋の女には、用はねえさ」
いっぱしの兵隊のような口をきいた。
「おまえ、今日から、この家の床下に寝ろ。床下に寝りゃあ、おまえの嫌いな臭いも嗅がなくてすむぞ」
イゴロットの小屋の床下は、優に美千代くらいの少女が、立って歩けるくらいの高さがあるのである。
大野という女は、
「冗談じゃないよ。他人を豚扱いする気かい」
と抵抗した。
しかしものすごい形相の浩が、そちらに一歩近づくと、さすがにおびえた顔になった。浩が本気で射ち殺しかねない感情に駆られていることに、気づいたのである。
「いいよ、下に降りれば、いいんだろう」
それから毛布と、枕もとの、なにが入っているのか、かなりおおきいリュックサックをかかえて、梯子を降りて行った。
「浩さん、ありがとう」
小学三年生の充は部屋の床に倒れこむように横になって、礼をいった。美千代が、竹を焼いて、石でつぶして呑ませているのだろう、口のまわりが黒く汚れている。
「お姉さんがいない間は、なるべく便所にゆかないようにしていたんだ。一度梯子を降りると、登ってくるのが大変なんだ。大野の小母さんにぶたれたり、蹴られたりするからね」
だけど、我慢できなくて、と充はいった。改めて眺めると、充の腕や手は、叩かれたらしい傷だらけであった。まだ少女の美千代は、この傷に気がついていないのだろうか。
以前の戦争ごっこの折、この充をいつも、「オミソ」にしていたのをおもいだしながら、
「もう大丈夫だ。毎日、見まわりにきて、あの小母さんが、もしまた充をぶったりしたら、ただじゃおかないからな。土手っ腹に風穴、あけてやるよ」
少年講談の豪傑《ごうけつ》のせりふをおもいだして、浩は慰めた。
「土手っ腹に風穴、あけるのか。浩さんはピストル持ってるもんね。ほんとに風穴、あけちゃうよね」
充は、黒い口を開けて弱々しく笑った。
浩は、美千代の帰りを待って、小屋の入口にすわり、表を眺めた。ちょうど米軍機の跳梁《ちようりよう》が始まる直前で、ひとときの静謐《せいひつ》な渓谷の風景が眼の前に拡がっている。山々は、午前の光を浴びて、子ども心にも、この世のものとはおもえない美しさをたたえていた。
陸軍にあちらにゆけ、こちらにゆけとひっぱりまわされた挙句に、キアポの住人もアベニーダ・リサールの住人もこの渓谷に朽ち果ててしまうのであろう。
西野の中隊にしても、確保してきたキニーネや塩が底をつき、先が見え始めている。
──日本人はみんなみんな、この谷で死んでゆくんだな。浩はむしろ心静かに考えた。
背後で、赤ん坊がか細い泣き声をあげ始めた。
13
七月に入って、米軍はアシン峡谷一帯に対し、攻勢を開始する。サント・ドミンゴ峠を守る落合工兵聯隊と荒木旅団の派遣した杉木大隊は、峻険を利用して、戦死僅か二十名という、ほとんど損害らしい損害をださずに、五千の米軍を果敢に阻止するが、七月十一日、ついに後退、米軍は峡谷地方最大の町、キャンガンを占領、在留邦人たちが手を萱《かや》で傷だらけにして越えたプロイ山に迫る。
一方、荒木旅団の守備する、アシン峡谷北側からも米第六師団の一部が迫り、荒木旅団の第一線も次第に西野や浩のいるフンドワンに後退し始めた。
この七月十一日の時点において、マッカーサー司令官は、「比島戦は終了した。今後は単なる掃討戦である」と宣言する。戦略的に意味を持たない、ポケット地帯に残存部隊を追いこんだ以上、当然の宣言であった。
戦場での処世がまことに巧みだった西野の隊の兵士たちも、ようやく疲弊の色が濃くなった。僅かながら、貨物廠から調達していたキニーネがついに切れて、マラリヤ患者が隊内に続出し、アミーバ赤痢に罹る者も出始めた。
浩は今でも不思議におもうのだが、山中は雨期で、おまけに涼しく、ダニやのみの類いにはなやまされたけれども、蚊がうるさくて眠れなかったり、蚊に刺されたりした記憶はまったくない。それにもかかわらず、この谷にはマラリヤ患者が恐ろしい勢いで増えてゆき、死者が続出した。
貨物廠に所属していて、ともかくも毎日、少しは米粒を口にしていたためか、浩は、小柄で華奢《きやしや》な躰つきなのに、体力は強靱で、マラリヤにもアミーバ赤痢にもかからず、毎朝、飯盒で炊いためしか、もみを取った米を美千代の小屋に運んでやり、それからまだ元気な兵士たちと芋の収集にでかけたり、水を汲みに行ったりしていた。
ある朝、いつものように炊いためしを飯盒に入れて持ってゆくと、美千代が、表に待っていて、
「私が昼間、お芋掘りに出ていって留守にするでしょう。留守中の昼ご飯は、浩君が持ってきてくれるご飯に春菊や野菜を混ぜて雑炊をこしらえて、温めればいいようにしておいてゆくのよね。そうするとあの大野の小母さん、上澄みのご飯粒のないところを誠や充に食べさせて、底のご飯は、自分でひとり占めにして食べてしまうらしいのよ」
という。
近頃は次弟の誠も躰が弱って、美千代と一緒に食糧探しにでられないことが多いのだと美千代はいった。
「ほうらごらん。おれが折角、あの婆あを床下に追いだしてやったのに、美っちゃんが勝手に家のなかに入れちゃったりするからだ。あんな女は、表に放りだしておきゃあ、よかったんだよ」
浩は、充の手を竹でなぐっていた、大野という女を、ピストルで脅して家から追いだしてやったのだが、二、三日後に、女はちゃんと家のなかに戻ってしまっていて、別段、躰がわるいともおもえないのに、のうのうと竹の床に寝そべっていた。
女はなにもせずに、美千代の取ってきた芋、浩の持ってくるめしを食べているのである。
「だって、雨が降ると、床の下は水びたしになるでしょう。美っちゃん、後生だから、家のなかに入れておくれって、夜中に細い声で頼むんだもの。可哀相よ」
美千代は困った顔になって、弁解した。
「よし、おれが|めしあげ《ヽヽヽヽ》を監督してやる」と浩は請け合い、それから二、三日の間、部隊の芋の昼めしを食うと、イゴロット族の使う天秤棒を銃剣術の木銃のように持って、美千代の家にでかけ、美千代の置いて行った雑炊を温め、自分で三人に取り分けてやった。
しかし、いくら公平に三人にとり分けてやっても、もう充は起きあがってくるのもやっとで、食欲はほとんどない。便所に出かけるにも、浩の手を借りねばならぬほどの衰弱ぶりであった。誠も箸をつけて、汁を飲むが、半分ほど残してしまう。
浩は天秤棒を持って、傍らにすわりこみ、
「食べなくちゃだめだ。そんなことじゃあ、マニラに帰って学校にゆかれないぞ」
と叱りつけるのだが、ふたりとも弱々しく笑うばかりであった。
結局、食欲旺盛で、元気なのは、大野ひとりなのである。
「あんたは一杯だけだよ」
と浩はいい、残りを同居している、赤ん坊連れの女にやったり、ときには憎悪の念に駆られ、西野の真似をして雑炊の残りを大野の見ているまえで地面にこぼしたりした。
米軍機は相変らず峡谷にナパーム弾の原型のようなドラム缶爆弾を投下し、あたりを火の海と化しては機銃掃射を繰り返していたが、八月に入ってからは降伏勧告のビラを谷に撒き散らし始めた。
「故郷《くに》の雪をおもいだすな」
ある午後、水を汲みに行った谷川で、山間の空を見あげて、東北出身の兵士がいった。
陽を受けてきらきら光りながら、無数といってよいほど、大量に舞い降りてくるビラの大群を眺め、雪とはこんなものかと、浩はみとれたものであった。なにしろ「比島育ち」の浩は、山中に入るまで「涼しい」という言葉しか使ったことがなく、「寒い」という日本語を実感として知らなかったのである。
拾いあげたビラには、「一刻も早く、捕虜におなりなさい。食糧も充分あるし、皆様の病気を治す薬も沢山用意してあるし、寝るにはベッドに毛布を与えております」と日系二世が書いたらしい、ぎくしゃくした日本語で書いてある。浩には、そんな文句と捕虜の写真よりも、その下に書いてある、「熱いコーヒーはマビニ通りの喫茶店へ。おいしいアイスクリームは、ルネタの夕日を眺めて、フルーツパーラーへ」という、広告じみた文章のほうがよほど魅力的であった。この広告じみた文章には、チョコレートをかけたアイスクリームの、稚拙な絵が添えてあったのだ。
その帰り、イゴロットのつけた急坂の道を上りながら、兵士のひとりが、
「坊主、あそこに落っこちてんのは、おまえの学校友だちでねえか」
東北|訛《なま》りでいう。
急坂の、細い道のはるか下方の木の繁みに、動物が罠にかかったような格好で、美千代がひっかかってもがいていた。
兵士たちの手を借りて、美千代を助けだしたのだが、美千代は手に降伏勧告のビラを十数枚、握りしめている。ビラを取りに道の下の藪へ降り、足を滑らせて、崖下に転落したのだ、という。
「おまえ、焚きつけを拾いに行ったんだろ」
と兵士たちはいったが、美千代は、曖昧に笑っている。
兵士たちについて、歩きだしてから、
「充のお尻を木の葉で拭くでしょう。ただれて、皮がずるずるにむけて、蛆《うじ》がわいているのよ。可哀相で可哀相で、このビラを拾って歩いているの」
といい、疲れ果てたように、溜息をついた。
「ビラをもんで拭いてやれば、まだ痛くないだろう、とおもうのよ」
充は近頃、「もう死なしてよ。ママの所にゆかしてよ」と繰り返している、という。
女生徒を揶揄《からか》っていじめてばかりいた、悪童の浩としては、考えられないことだったが、そのときは感情を強く衝き動かされて、美千代の腕を支えてやり、家まで送りとどけたのであった。
しかし美千代の留守中に異変が生じていた。
家に辿り着くと、イゴロットの家の梯子に次の弟の誠がゆがんだような顔をして腰かけていて、ぼそっと、
「充が死んだよ」
といった。
美千代の悲鳴のような泣き声が鋭くあたりを走り、美千代は、顔をおおって、地面にしゃがみこんだ。
「ぼくが死んだら、美千代ちゃんがパパに叱られるよね、なぜ死なしたって叱られるよね。だからぼくは死なないよって朝いってたんだけどね、さっき気がついたら充のやつ、息していないんだ」
誠がぼそぼそといい、その頬を涙がふたすじ、交互に滑り落ちてゆく。
浩は呆然と突っ立ったまま、おれの絶食も、せっせと運んでやった食糧も結局役に立たなかったな、と考えていた。
突然、梯子のうえから、大野が顔をだし、
「早く始末してあげないと、仏さんが気の毒だよ。放り投げといたら、成仏できませんよ。冥土へゆかれないよ」
と怒鳴った。
浩は、無神経な言葉に逆上しかけたが、しかし遺体の始末をしなければならないのは確かであった。
家に入った浩は、きれいとはいえない手拭いで、竹を焼いた粉を呑んだために黒く汚れている充の口の端を拭いてやった。
子どもたち三人で、小屋のすぐ傍に浅い穴を掘り、赤ん坊のようにやせ細った充を埋葬した。
体力の残っている浩が、ほとんどひとりで土饅頭を盛りあげ、合掌すると、顔じゅうを水に浸したように涙で光らせた美千代が、
「浩君、校歌を歌ってよ。充はあんなにマニラに帰って、学校にゆきたがっていたんだから」
と頼んだ。
三人は横にならんで、細い声でマニラ日本人国民学校の校歌を歌い始めた。もう子ども心にも「海ゆかば」はこの場にふさわしくない歌、という気持になっていたのだ。
元気のない声で、歌い終ると、美千代が、
「もう一度、三番だけ、歌おうよ」
という。
[#2字下げ]故国千里をへだつれど 大和桜の香は清く
[#2字下げ]国史の栄《はえ》を謳《うた》うとき 学窓つねに風薫る
歌い終えて、沈黙が落ちると、あたりの木立を揺する風の音ばかりがざわざわと耳についた。「風薫る」と形容するのには、荒々し過ぎる山の風が、学窓ならぬイゴロットの小屋のまわりを吹き荒れて、木々を傾《かし》がせている。
アシンの谷間に消えてゆく、悲鳴のような風の音と一緒に、マニラから千里を隔つる山中に流れてきた、というおもいが、浩の胸に染みわたってきた。マニラの風薫る「学窓」はもはや遠い、夢の彼方に消え去っている。
「可哀相なことしたねえ」
しゃがれた声に振り向くと、梯子のうえで、薄情な筈の大野が満更、空泣きともおもえぬ涙を拭っていた。
充が死んでから、上の弟の誠もすっかり元気がなくなり、浩が訪ねても、家のなかでごろごろしていることが多くなった。
西野の隊でも、ついに西野がマラリヤに倒れ、次いで浩自身も、マラリヤかデング熱か、高熱が出て、急速に体力を失い始めた。
八月半ばの朝、西野や浩が寝ている小屋に、突然、美千代が入ってきた。
「誠が死んだんです。これから埋めますので、手伝ってください」
感情がすでに燃えつきてしまったのか、空を眺めたまま、ぼそっといった。
「よし、行ってやる」
西野が、高熱を発しているくせに、そう応じて躰を竹の床に起したが、肩でおおきく息をついて、なかなか立ちあがれない。
「大丈夫です。自分がゆきます」
足腰のたたぬ浩も無理して起きあがり、西野と肩を組み、もつれ合うようにして、美千代の家に向った。
山道のそこかしこには、兵士や在留邦人の行き倒れ死体があり、腐臭を発している。
「誠は、充と違って、栄養失調で死んだんだとおもうわ。だから躰がきれいよ」
美千代が、気を遣って、そういうのが哀れであった。
男の兄弟は、双生児にも似た、強い感情の絆を共有する場合が多く、従って充の死は誠に深刻な影響を与えたものに相違なかった。そういえば、最近の誠は、空ばかり眺めていた気がする。
栄養失調で死んだ、「きれいな」遺体を充の隣りになんとか埋めると、西野も浩も体力の限界で、草地に倒れて、晴れ渡った空を仰いだまま、小一時間、動けなかった。
晴れわたった空ではおおきな雲が、生命力に満ち満ちた感じで急速に膨張し高空に向って、せりあがってゆく。
その力感にあふれる姿をうとましくおもいながら、しかし起きあがる力がでない。隣りで体力の消耗にいらだった西野が「畜生」と舌打ちするのだが、この歴戦の兵士の躰も、もはや自由にならないらしかった。
それでもひとり残った美千代が心配で、翌朝、浩は無理して、イゴロットの家を訪れた。
美千代は、家の前の、台風で倒れたらしい腐れ木の幹に腰かけて、自分の腹のあたりをしきりに覗きこんでいる。
浩を見ても、別に照れたふうもなく、
「弟たちがいなくなってね、急に気がついたんだけど、お腹をダニにいっぱいたかられちゃってるのよ」
といった。
もんぺの端から、ほとんど肉のついていない白い腹をだしていて、そこに赤い斑点が沢山ついている。美千代は、浩の与えたマッチの軸を爪楊枝のようにとがらせたのを持っていて、それで斑点のなかにひそんでいる点ほどの赤いダニを突っつきだしていた。
マッチの軸について出てくる、赤い小さな虫を指の先きに唾をつけ、音を立ててつぶしている。
──どうせ、美っちゃんもおれも死んでゆくんじゃないか。ダニなんか取ったって、仕様がないよ。
そういいたい気持だったが、美千代の腹はまぶしく白く光って、浩はこの場違いの山中で初めて強烈に異性を意識した。ああ、おれがダニを取ってやりたい、とおもった。美千代は浩の視線に気づかず、無心にマッチの軸を動かしている。
浩は、僅かにはみでた白い腹を見つめている誘惑に耐えられなくなり、
「美っちゃん、おれがダニを取ってやろうか」
そういったとき、少し離れた山道で、兵士らしい声が、
「おーい、戦争が終ったとよ」
妙に間延びした声でそう怒鳴るのが聞えた。
「東京で講和会議だとさ」
そういえば、この数日、米軍機の爆撃も鳴りをひそめ、谷は文字どおり死の静寂に包まれている。
すると、後ろの小屋から、若い母親が顔をだし、
「赤ちゃんが寝ていますから、物売りに静かにするようにいってください」
と声をひそめて頼んだ。
この女の幼児はとっくに死亡して、やはり家の傍に埋められていたのだが、女は発狂して、赤ん坊がいまだに生きていると信じているらしかった。
奇妙な静けさのなかで、浩と美千代は顔を見合わせた。
「ほんとうかなあ」
「よし、たしかめてくる」
浩はいって立ちあがったのだが、家を離れ、山道にでるところで、やせさらばえ、杖をついたイゴロットの老人とぶつかった。老人は家を指して、しきりになにかいう。どうもこれはおれの家だと主張しているらしい。戦争が終った、といっているのである。イゴロットのほうが、敗戦を先きに知って、出てきたのであった。
戦前の移民は、移民でなくて棄民だったといわれるが、フィリッピン、ルソン島在留邦人の大半は、文字どおり、この北部山中に棄てられたのであった。
終戦になり、下山命令が出たが、浩の正体不明の高熱はなかなか下らず満足に歩けない。
それでも平地は、よろめきつつも辛うじて歩き、山道は、まだ体力の残っている、西野の隊の兵士たちにひっぱられ、背負われて、数知れぬ丘や急坂を越え、国道を目指した。
至るところに遺棄された在留邦人の遺体があり、辛うじて生き残った子どもたち、つまり浩の日本人国民学校の下級生たちがいた。彼らは親に死なれ、あるいは置き去りにされたのだが、足がなえて歩けないのであった。よろめき歩く浩をおなじ仲間と知って、
「お兄ちゃん、連れてって」
と次々に声をかけてくる。
その度に浩は「戦争は兵隊にまかせて、おまえたちはお父さん、お母さんや非戦闘員のひとたちを守れ」といった、篠田先生の言葉をおもいだし、立ち止ると、疲労に眼がくらみそうになるのを我慢して、
「何年生だ。岸本充と同級か」
と声をかける。
「充ちゃんより一年上です」
細い声が答える。
「いいか、戦争は終ったんだ。必ずだれかが助けにくるから、それまで、頑張って待っていろよ」
何回、そんな返事を繰り返したことだろう。熱に浮かされ、自分自身、歩くのを止めて、すわりこんでしまいたい少年の、これは逃げ口上であった。
そぼ降る雨のなかを、兵士たちに助けられて、どうにか標高千三百七十メートルのプロイ山を越えたところで、浩は路傍に見覚えのある少年がすわっているのを見た。
かつて戦争ごっこでは常に隊長役を勤めた、洋服店の息子の白坂が、浩も見覚えのある母親の傍らにすわりこんでいた。
「白坂じゃないか」
立ち止った浩は、肩で息をついて、白坂にいった。
あんなに元気で、一緒に木に登り、ホベンチーノの父親を救おうと浩の尻をたたくようにして比島憲兵隊司令部にでかけた白坂は、やせ細り、頬がすっかりこけて見違えるほど面変《おもがわ》りしてしまっている。
軍属でなかったために食糧も手に入らず、餓死線上をさまよってきたのが、プロイ山を越える難行苦行で、ついに力尽きてしまったのだろう。
「こんなところにすわりこんでちゃ、だめじゃないか」
白坂は口をきく元気もないのか、ただ浩に笑顔を向けるだけである。柔和な笑顔だったが、ひどく遠方にいるひとを眺めるような、心もとない眼つきであった。
「元気をだせ。一緒にマニラに帰ろうや」
あぐらをかいてすわりこんだ白坂は、微笑したまま、視線を外して、
「おれはだめだ。おふくろがもう動けないんだ。ここで一緒に死ぬよ」
と細い声でいう。
傍らの母親は、濡れた草のうえに横になり、軽いいびきをかいて寝入っている。半開きの口のなかに、きいろい歯が覗き、薄眼を開け、雨滴が伝い落ちる顔には、すでに死相が現われていた。
これではおふくろさんと共倒れになってしまうではないか、おまえだけでも、立って歩け、といいたかったが、さすがに口にだしかねた。
「佐藤、篠田先生にな、おれは先生のいいつけどおり、おふくろの面倒をみて、死んだと、報告しといてくれ。もう先生にも会えないからな」
かつての隊長役は、最後の命令を下し、浩がかつて見たことのないような、大人びた、穏やかな笑顔を見せた。おそらくは死の諦念が、白坂をふいに隊長にふさわしい、真物の大人に成長させたのであった。
兵士たちに急きたてられて、その場を離れながら、浩が振り返ると、白坂は、ゆっくりと手を動かして、母親の顔にたかるらしい蠅を追っていた。
熱がひどくなり、その後の記憶は定かでない。
たぶん米軍に収容されて、DDTの白い粉を全身にふりかけて貰うために行列をしていたさいのことだろう、前にならんでいる西野が、憔悴《しようすい》しきった顔で、
「坊主は根性だして、しっかり歩いたが、あの岸本写真館の娘は死んだとおもうな」
そんなことをいった。
「坊主はだいぶ遅れて歩いていたから、気がつかんかったかもしれんが、どこかの部隊のやつらが、米《べい》さんに指揮されて国道の傍の教会から死体を運びだしてたよ。教会までたどりついて、そこでひと晩、雨宿りしているうちに、死んじまった連中が、大勢、おったんだな。そのとき、女の子の死体がふたつ戸板に乗せられて、運ばれてゆくのをみたが、ひとりはあの岸本の娘だったな。間違いはあるまいよ」
美千代をよく知っている西野が見損う筈がない。
「気絶していたのかもしれんがね、まあ、諦めたほうがいいかもしれんな」
「きっと死んだんでしょう。弟ふたりかかえて、ずいぶん苦労しましたからね」
マニラ日本人国民学校の生徒の大半が死んだというのに、自分だけが生き残ってしまった。
──自分も篠田先生のいいつけどおりに両親や非戦闘員を守って、白坂みたいに、立派に、死ぬべきだった。
浩は自分なりに非戦闘員の美千代姉弟の面倒をみたのだが、最終的には三人とも死なしてしまったのである。
悔恨のおもいと熱のせいで、魚の缶詰、コンビーフ、マッシュド・ポテトといった、米軍給与のひさかたぶりの食事らしい食事も、浩の喉を通らなかった。
すぐ傍らで、西野が、
「この米《べい》さんのめしをみろや。おれたちは北支からずっと十年近く転戦してきたが、おれたちの敵は、八路でも米さんでもなかったんだ。陸軍の兵站よ。現地自活せよ、糧は敵に拠《よ》る、なんてぬかしてた内地の馬鹿どもよ」
憎悪さえこめて呟くのが聞えた。
「米粒ひとつぶ、送ってよこさずに、ああしろ、こうしろと勝手な作戦ばかり立てちゃあすぐに変更してた、|べた金《ヽヽヽ》の馬鹿どもよ」
西野は気味のわるい低い声で、いっとき笑い止まなかった。
数カ月後、浩は米軍に駆りだされて、タルラックの病院に連れてゆかれ、フィリッピン人の医者と日本兵の入院患者との通訳をやらされた。
おおきな病室を出ようとして、出口の傍のベッドに、見覚えのある中年の男がすわっているのに気づいた。マニラ日本人小学校の小使いさんであった。
おもわず浩が声をかけると、小使いのおじさんは、虚脱した眼で浩を眺め、
「篠田先生はマニラの市街戦で戦死したそうだよ」
といった。
「毎日、自分の生徒のことばかり心配してたらしいけど、最後は砲撃にあって、建物の下敷きになったんだそうだ」
浩は、白坂の死について、永遠に報告することができなくなったのであった。
フランクは、鶴井が得意になってドライブをかけて、打ちこんでくるボールを丹念に拾いながら、二十五年前の西野の声を、耳もとで再び聞いていた。
──「米粒ひとつぶ送ってよこさずに、ああしろ、こうしろと勝手な作戦ばかり立てちゃあ、すぐに変更してた、|べた金《ヽヽヽ》の馬鹿どもよ」そう西野曹長はいっていたっけな。
貧農出身の西野にとって、軍隊とは労せずして、米のめしにありつける、ありがたい場所だったのだろう。それが途中から、農家の手伝いや、出稼ぎをやっていた頃に数倍する苦労をして、食糧を獲得せねばならなくなり、それだけ陸軍の兵站と|べた金《ヽヽヽ》に対する恨みは深かったのに違いない。
「現在の日本の商社のやりかたをみていると、ときどき、戦争中の軍隊と変らんじゃないか、とおもうときがありますね」
テニスの合間に、コーラを飲みながら、フランクは、例のごとく裸で、鉢巻きを締めている鶴井に向っていった。
鶴井に比べると、フランクの白のテニス姿は、身についていて、いなせでさえあった。
マニラの旧日本人小学校の仲間が、商家の子どもたちばかりだったせいか、フランクはゆかたに着かえて、駆けだせば、そのまま下町の、それこそ石山の生家の隣り近所の若い衆にまぎれこんでしまうような、小粋な空気を身辺に漂わせているのである。
「今度のアグサン木材に対するファイナンスの件だって、結局、現地は現地で勝手にせい、そう本社がいっているわけでしょう。現地で必要な金は、現地で集めろ、おれたちは知らんよという発想ですね」
これは糧は敵に拠る、という旧陸軍の兵站の発想とどこか似かよっていはしないか。糧は前線で前線の責任において調達せよ、しかし勝たねばならぬ、という発想と、資金は現地で、現地の責任において調達せよ、しかし儲けねばならぬ、という発想といったいどこが違うのか。
どこかで戦時中とおなじように無理がきはせぬのか。
「戦時中の日本人と戦後のわれわれを一緒にされちゃ、かなわんな」
鶴井は、不快そうに答えた。
「戦後の日本人はね、フランク、あんたが戦時中、交際《つきあ》ってきた百姓あがりの連中とは、まるで違う人種なんだ。ちゃんと高等教育を受けた、常識のある新種の日本人なんですよ。敗戦が日本人を根底から変えたんだよ」
そうかな、あんたに似た日本人は、戦時中にもずいぶんいたよ、とフランクはおもい、しかし、口に出す代りに薄笑いをうかべた。
「戦時中は、前線の状況が不利になると、前線の兵隊は、見殺しにされたですよね。玉砕させておいて、自分たちが面倒みなかった責任は棚にあげてさ、海ゆかば吹奏、護国の英霊に捧げ銃、とくるんだ。これはもうこりごりだね。願い下げですよ」
鶴井は、テニスのボールを空中に投げあげながら、
「あんたのローカルとしての立場からすれば、無理もないが、どうも鴻田の本社の体質を誤解しているようだな」
そう感想を述べた。
14
クリスマスが四、五日後に迫ってくると、フィリッピンの各家庭、特にヴィレッジあたりの高級住宅に住む家々は、クリスマスの飾りつけや、クリスマス・プレゼントの用意で忙しくなる。
玄関には、パロールと呼ぶ、星形の紙の細工物を吊し、この熱帯の地には、もみの木はないから、庭の木々をクリスマス・ツリーに見立てて、赤、青などの豆電球を美しく飾りつける。
この電球の飾りつけは、使用人たちの楽しみのひとつになっていて、総出で、隣家と競争するようにして、飾りつけるのである。
このメイドへの心付け、クリスマス祝儀がまた、なかなか煩瑣であった。
鴻田貿易の独身寮の場合、ノーラやポシンなどの使用人、洗濯婆さん、運転手はもちろん、マガリアネス・ヴィレッジのガードマン、それに郵便配達や出入りの商人、それに加えて彼らの友人、親戚にも五ペソ、十ペソの小遣いをやらねばならないのである。
「マリオの友人が遊びにきているんです。|彼はメリー・クリスマスをお願いしています《ヒー・イズ・アスキング・メリー・クリスマス》」
ある昼休み、会社から帰ってきて、中華そばを食っていると、ここのところ、かなりうまくなった英語で、ノーラが、そう頼みにきた。
石山は、初め「メリー・クリスマスをお願いする」という言葉の意味がわからなかったが、独身寮生活では先輩の藤田に訊いて、やっとそれが心付けの無心とわかった。
「マリオの友だちに、心付けをやる必要なんか、ないぞ。マリオなんて泥棒野郎に心付けをやるのさえ、おれはおかしいとおもっているのに、泥棒の友だちにまで、なんで金をやるんだ。泥棒に追い銭とは、このことじゃないか」
鶴井が顔を赤くして怒鳴った。
先日の窃盗の一件以来、鶴井はマリオに対して、すこぶる感情を害しており、またマリオはマリオで、すっかりすねてしまって、石山が心付けをやったときも、そっぽを向いて受け取ったりした。
「鶴井さん、ご祝儀ってやつはね、たとえ相手が泥棒とわかっていてもちゃんとやらなくちゃいけないんですよ。盗癖があるからって、差別しちゃいけないんです。少くとも東京の下町じゃ、そんな差別はしませんね」
最近の石山は、なんでも鶴井にずけずけいうことにしている。
「しかし、東京の下町がいくら人情豊かだっていったって、遊びにきている、見ず知らずの人間にまで、心付けはやらないだろう」
その点はたしかに鶴井のいうとおりなのだが、といって、この土地の習慣を無視するわけにもゆかない。
「まあ、私が出しておきましょう」
下町育ちで、ご祝儀慣れしている石山は、これはいわば税金のようなもの、と観念しているから、そのときも財布から五ペソだして、口論の内容を察し、躰をもじもじさせているノーラに手渡してやった。
まもなく鶴井が昼寝をしに、食堂から引き揚げてゆくと、藤田が、
「しかし、あの次長もいい気なもんだね。泥棒に心付けをやる必要はない、なんてうそぶいて、そのついでに、泥棒でないノーラやポシンの分もネグっちゃったんだからな。結局あんたとおれが、彼のネグった分を肩代りしているんだろう。われわれも、少しお人好し過ぎやせんかな」
そうひそひそ声でこぼした。
経理屋の藤田は、万事、きちんとしないと気がすまない性質である。
「藤田さん、おさえて、おさえて。ご祝儀についちゃあ、鷹揚にゆきましょうや。心付けやって、気分がよくなりゃ、それでいいじゃないの」
石山はにやにや笑ってなだめた。
クリスマス・プレゼントといえば、石山は散々、迷った末にレオノールへの贈り物を日本人形にきめたのだが、この日本人形をめぐってまたまたひと騒ぎ起った。
「お母さん、こっちでね、大変お世話になってるひとがいるんだよ。そのひとに、クリスマス・プレゼントをしなきゃならないんだけど、日本人形を送ってくれないかな」
前月の十一月に、石山は独身寮から吾嬬町の自宅に電話を入れ、手まわしよく日本人形の調達を母親の咲子に頼んだのであった。
「大事な|しと《ヽヽ》って、おまえ、お商売《しようばい》の関係かい。丸太を売っていただいてる、土人さんなのかね」
いつもの石山だと、こうした母親の言葉遣いを聞いただけて、うんざりして、電話を切りたくなるのだが、今回は現地の娘との色恋沙汰を極度に心配している咲子をうまくごま化し、海の向うからその娘宛てのクリスマス・プレゼントを送らせよう、という魂胆なのだから、大真面目になって説得にかかった。
「いや、マニラにきたての頃、腹をこわして入院した、といっただろう。その病院でお世話になったお医者さんだよ。そのお医者さんに人形を送りたいんだ」
「へえ、そんなえらい土人のお医者さんがいるのかね。お医者は皆アメリカかとおもった」
「そのひともフィリッピン人だけれども、アメリカの病院で診察していたことがあるし、大学でも教えていた人だよ」
石山はかなり事実に近いことをいった。
アメリカうんぬんの言葉は、咲子の心証に甚大な影響を与えたらしく、電話口の向うで「ふうん」と唸る声がした。
「相手がお医者ときちゃあ、こりゃあ物いりだ。ましてアメリカで箔《はく》つけて帰《かい》ってきたとなると、相当気張らなくちゃいけないよ。日本だったら、素寒貧《すかんぴん》になっちまうね」
咲子はいった。
石山はしめしめとおもい、
「とにかく、そういうえらい土人さんなんだからね」
おもわず咲子調の言葉を使って、自分で吹きだした。
「娘道成寺のさ、あの笠を沢山ぶら下げているのがあるだろう。あんなの送ってくれよ」
と頼んだ。
「こりゃ覚悟きめてかからないといけないね。どうせ入院のお礼もしてないんだろうから、あたしが浅草橋あたりの専門店に行って見たててきようかね」
石山は、企みの成功に手を打ちたいおもいで、
「お店のひとに箱のガラスが割れないようによおく梱包《こんぽう》して、送って貰ってよ」
と念を押した。
「そんなこと、おまえさんに指図されなくたってね、あたしはちゃあんと心得てるよ」
母親はむしろ仕事ができて嬉しげだった。
ひと月経って、航空会社からF|RAGIL《こわれもの》Eと書いた、おおきな荷物が届いている旨、連絡があった。
マニラ空港の旅客ターミナルの右手に、最近新築された貨物専用ビルがあり、各航空会社の貨物事務所が軒をならべている。
そこに顔をだすと、日本人の社員が、
「あれの中身、人形となっていますが、こっちの博物館にでも寄贈されるんですか」
不気味なことをいう。
裏の保税倉庫にまわって、到着した貨物を見せて貰うと、まるで棺桶みたいに、おおきな箱が床に寝かしてある。
また、やられた、と石山は弱ったが、今更、引き取らないわけにもゆかない。
カートに積んで税関に運び、厳重な梱包を解き始めると、税関吏が、にやりと笑って、
「死体でもでてくるのかね」
冗談をいった。
出てきたのは、身長一メートル五十近くありそうな、鏡獅子の人形で、獅子の長いたてがみが、天井の電燈を受けて、美しく光っている。
通関は簡単にすんだが、とても石山のヒルマン・ハンパーなどにはおさまらない代物である。
──下町の義理人情も結構だけど、物事にゃあ、限度があるよな。
レオノールの家はおおきくて、置き場所には不自由しないにしろ、貰ったほうも、あまりのおおきさに戸惑ってしまうのではないか。
仕方がないので、石山は独身寮の運転手に事情を話し、取り敢えず空港から独身寮まで運んで貰うことにした。そこへレオノールを呼んで、受け取って貰えるものかどうか、直接に相談してしまおう、という寸法であった。
石山が、会社を脱けだして、独身寮で待っていると、例のごとくドミンゴの運転するムスタングに乗って、レオノールがやってきた。相変らず、リタを後部座席に従えている。
レオノールをサラ・ルームに通してすぐに、独身寮の運転手が借り物の、オンボロのジープニーに人形の箱を載せて、帰ってきた。
運転手にドミンゴ、それにこういうお祭り騒ぎになると、すねてひっこんでいられなくなるマリオも手助けをして、総出で人形の箱を独身寮のサラ・ルームに運びこんだ。
レオノールは呆気に取られて、馬鹿馬鹿しくおおきい箱が運びこまれてくるのを眺めていたが、
「タカ、これがクリスマス・プレゼントなの。いったい、なかになにが入ってるの」
紅潮した頬を両方の手のひらでおさえて訊ねる。
「あのなかからセント・バーナードでも、のっそり出てくるのかしら」
居間に運びこんだ箱の梱包が解かれ、マリオの背丈ほどもある鏡獅子の役者人形が窓から洩れる南国の光のなかに立ち現われると、レオノールの昂奮は頂点に達して、両手を打ち合わせた。
「こんなもの、受け取ってくれるかな」
石山はそういったが、この言葉は口にだしてみると、えらく気障《きざ》で、歯の浮くような感じになった。
「おことわりするわけがないじゃないの」
レオノールは両手を握りしめ、身をよじるようにしていう。
それからドミンゴやリタ、独身寮の使用人たちの手前もはばからず、ゆっくり石山に近づいてきて、キスをし、頬を寄せて躰をもたせかけた。
レオノールは、使用人たちの前で宣言するように、
「タカ、ほんとうにあなたが好きよ」
といった。
「二十五日に、アマデオ・ミランダさんがパーティをなさるでしょう。そのとき、私と一緒に行って頂だい」
と誘った。
フィリッピン上流社会の正式なパーティに、若い娘が男と一緒に出席すれば、これは公然とふたりの関係が認知されたことを意味するのである。
石山は、急速な、事態の進行ぶりにさすがにたじろいで、万事、あの人騒がせな、|ど《ヽ》下町のおふくろのせいだぞ、とおもった。
しかし数日後に、レオノールが電話をよこして、「ミランダさんのパーティはあきらめて」といい難そうに切りだした。
「今度のパーティにタカと一緒にでかける、といったら、母がね、猛烈に怒ったのよ。ヒステリー起したみたいになってね、あの日本人とこそこそ交際《つきあ》っているようだけど、自分は絶対に許さないって怒鳴りだしたのよ」
レオノールは、「なぜ、タカと交際《つきあ》っちゃ、いけないの。彼は、真面目で、気持の優しい立派なひとよ」と開きなおった。
母親は、最初、「なにがなんでもいけない」などと無茶苦茶なことをいっていたが、そのうち、「戦時中、日本人がこのフィリッピンでなにをしたか、学校で習ったでしょう。マニラの市街戦のときは、赤ん坊を空に放り投げて、銃剣で刺し殺したのよ」などといいだした。
「彼は戦争が終る少し前に生れたんだもの。そんな昔のことと、タカは関係がないわ」とレオノールは反論した。
すると、母親は、「日本人は、中国人とおなじで、ずるくて金儲けばかり考えている民族だよ」今度はそんなことをいう。「安くて品質のわるい品物をアジアの国々に売りこんでね、そのうち中国人を追い払って、自分たちが、アジアの国々の経済を牛耳ってしまおうと考えているんだよ」そういいだしたらしい。
レオノールは「それも、タカと関係ないわ。タカの会社は、ミランダさんたちと協力して、ミンダナオ開発の仕事もやっているのよ」と鴻田貿易の仕事について、弁解する破目におちいった。
すると母親は、いつ小耳にはさんだのか、「嘘だよ。あの会社は、フィリッピンのラワンをどんどん伐り倒して、そこらじゅうの山をみんな禿山にしようとしているんだよ」などといいだした。
アメリカからクリスマス休暇で戻ってきている父親は黙ってふたりの会話を聞いているだけで一言も口をさしはさまないし、結局、レオノールは、母親と喧嘩別れをして、自分の部屋に閉じこもってしまった、という。
部屋に閉じこもって暫くして、ドアをノックする音がして、父親が入ってきた。
「父はね、きみは、タカのことをどうおもっているんだ、そう訊ねにきてくれたんだとおもうのね、ところが、あのおおきなお人形がいけなかったのよ。父は、あのお人形見て、すっかり驚いてしまってね。こりゃあ、日本のカントリー・ジェントルマン(田舎成金)の子どもかもしれないな、とにかく二十五日は、彼とゆくのを諦めなさい、われわれと一緒にきなさい、そういったのよ」
石山は、レオノールとの仲が急速に進みそうな気がして、感じた不安が、じつは幸福な心配だったことに気づいて、またまた母親を逆恨みしたものだった。
フィリッピンのクリスマスは、アメリカ式と中国式の入り混った、えらく賑やかなものである。
米国の新婚夫婦は、蜜月旅行《ハネ・ムーン》にでかけるときに、車の後方に空き缶をぶら下げるが、フィリッピン人はクリスマスを迎えると、街中のひとびとが新婚夫婦になったみたいに、なぜか空き缶を車の後ろにぶら下げて走りまわる。この空き缶の音に加えて中国式の爆竹があちこちで、はぜて、他のカトリック国にみられぬ、騒々しいクリスマスである。
小寺は、二十五日の夜、アマデオ・ミランダの家に招かれ、百合子と一緒に出席することになったが、百合子が、
「石山さんも連れてってあげたらええのと違う? きっとあの宮さまみたいな可愛い子ちゃんも、おつき連れて、きてはるかもしらんしね、喜ぶとおもうな」
そういった。
小寺が石山を誘ってみると、
「ははあ、ミランダさんのパーティですか。じつは、こういうことになりゃあしないかと期待はしていたんですがね、しかしかまわんかな」
なにか事情ありげに小寺には通じないことをいって逡巡したが、すぐに誘惑に負けたかたちで、同行することになった。
ミランダの家のクリスマス・パーティには、当時、フィリッピンで有名だった、六人兄弟のコーラス・グループが出演することになっていたので、例のごとく招待されたお客たちが友人知人、親類縁者まで連れてやってきて、ごった返す騒ぎであった。
庭先きで、小寺夫婦はアマデオから、石山が入院したマカティ・メディカル・センター(MMC)の外科医という中年の紳士を紹介された。
きれいに黒髪を撫でつけ、灰青色の眼が印象的な、戦前のハリウッドの映画スターにいそうな色男である。小寺とおなじように、フィリッピンの正装、バロン・タガログを着て、黒いズボンを穿いている。
「ドクター・アランフェスは、今、アメリカの大学病院で学生を教えているが、来春にはこちらに戻ってきてね、またMMCの外科部長として、外来の診察にあたることになるんだそうですよ」
アマデオがいい、わきにいたテレサが、
「ユリコ、今度犬に噛まれたら、先生に診てお貰いなさいよ」
と冷やかした。
百合子が近所の犬に噛まれた事件をおもいだして、そういったのである。
百合子は、
「アランフェスさんいうたら、石山さんの彼女のお父さんやないの」
小寺の耳に、日本語で囁いた。
「日本の商社の方ですか。私は米国の西海岸に住んでおりますけれど、近頃の日本商品の進出ぶりは凄いですな」
アランフェスは、愛想よく小寺に話しかけてきた。
「あんまり急激にやりますと、輸出先きの反発を買やあしないか、と心配でしてね」
小寺は、相手の率直そうな態度に好感を持ち、笑いにまぎらわせて、少しばかり本音を洩らした。
「アジアの、豊かでない地域に、自動車や洗濯機、テレビといった家電製品を売りこむとしますね、そうなると、今まで自動車や家電製品などなくても、村落単位の自給態勢を整えて、それなりの幸福感、満足感を味わっていたひとたちがね、贅沢品欲しさに無理を重ねることになって、却って不幸になってしまう、そんなことにならなければいいがと、ときどき心配になりましてね。いってみれば、これまでの社会秩序の破壊をしているわけですからね」
アランフェス医師は、顔を近づけ、顎に指をあてて、注意ぶかく小寺の話に耳を傾けていたが、
「あなたはイギリスの植民地時代のインドとイギリスのことなどを考えて、そうおっしゃるのでしょうが、フィリッピン人の医師としては、ちょっと違う考えかたをしますな」
と思慮ぶかい眼をして、いった。
「このフィリッピンでは、欧米諸国ではすでに昔話になっている結核の死亡率が、いまだにきわめて高い。去年、一九六九年の結核死亡者は、実数で日本の二倍近いんじゃないかな。フィリッピンの人口は日本の三分の一だから、人口に対比すれば四、五倍はゆくでしょう。それとこれは熱帯特有の現象ですけど、心臓麻痺が大変多いんですね。これも日本とは比べものにならない数です。暑気の下での重労働がいけないんですよ」
小寺は、へえとおもい、フィリッピン人が日本人のようにせかせかと走りまわらないのは、心臓の負担を慮っての生活の知恵かもしれないな、と今更ながら、おもいあたった。
「幼児死亡率に至っては、日本の六、七倍でしょう。小寺さん、こういう数字は、文化、文明の発達と関係ない、とおもわれますか。近代工業国家からこられたひとはね、皆、一見、のどかで美しい農村風景にまどわされてしまう。のどかで美しい農村風景の裏側で、どんな悲劇が進行しているか、気がつかないんですね」
自分たちが、開発途上国の社会秩序を破壊している、などとあなたがたが考えるのは、おもいあがりというものではないか、アランフェス医師はそういいたい様子であった。
「結核撲滅のためには、国民の栄養状態がもっと改善されなければいけないし、近代工業国家に成長して、医薬品が安価に国民の手に入るようにしなくちゃいけない。工業の発展なくして福祉の向上はあり得ないでしょうからね。そのためには先進国に協力して貰わなくちゃならない」
アランフェス医師は熱っぽく喋った。
「それに自動車の普及で急病人はすくわれますしね、クーラーにしたって、必ずしも贅沢品とはいえないんでね。クーラーがもっと普及すれば、確実に日射病、熱射病、マラリヤなんていう熱が躰にこもる病気は減るでしょうからね。心臓の負担もずっと減る。フィリッピン人の寿命は延びますよ」
小寺は日本の病人を持つ家庭がよく、「この夏は暑さがひどいから、こたえるでしょうね」とか「夏がこせますかね」と心配するのをおもいだした。
「心臓麻痺が多いのは、ここのひとが食べ過ぎるのが原因と違いますか。たくさん食べて、ふとった人が多いみたいにおもいますがね」
「たしかにそれもあります。しかし国民の大部分は、充分食べて眠るという生活をしていないんですよ」
「そやけど、さすが先生やわ。充分食べてはる筈なのに、えらくスマートでいはるもの」
百合子が口をはさみ、三人は笑った。
アランフェス医師は、
「ところで今日ミスタ・イシヤマという青年はきておられるかな。アマデオの話では、たしかあなたとおなじ会社で働いているように伺っておりますがね」
そう質問し、小寺の脇の百合子が「あらあら、デリケートなご質問やね」と日本語で呟いた。
「ミスタ・イシヤマなら、あそこにいるよ」
背の高いミランダが、家のなかのテラスのほうを指差した。
石山は、なにも知らずに、相変らず首を曲げて立っているオノフレと何事か談笑していた。
まもなく六人兄弟のコーラスが始まり、石山が人ごみの間から首を伸ばして、そちらを覗きこんでいると、だれかが袖をひっぱった。
ふりむくと、すぐうしろにレオノールが立っている。石山の耳に口を近づけ、
「これから、私の部屋にこない」
大胆な提案をした。
「母はね、アサンプション大学の同級生に囲まれて、同窓会やってるみたいなぐあいだし、父は、おたくの支店長とお話ししているし、そこへ持ってきて、この騒ぎでしょう。私たちが抜けだしたって、わかりっこないわよ。私は、気持がわるくなって早目に帰ったって、あとで説明すればそれで通るわ」
「リタやドミンゴはどうしたんだ」
「みいんな、みんな、クリスマス休暇よ」
レオノールは楽しそうにいった。
その夜、石山は、方向指示燈のぐあいがわるくて修理にだしてあったヒルマン・ハンパーをガレージにとりに行き、その足でミランダ邸にきていた。いつもチップをはずむので、ノーザーン・モータースのふとった親父は、クリスマスだろうとなんだろうと無理を聞いてくれるのであった。
石山は、「お先きに失礼するかもしれません」と百合子に囁き、ミランダ邸を出て、ヒルマンのなかでレオノールを待った。一緒にフォルベス・パークに戻り、パーティ・ドレス姿のレオノールを先きにおろし、自分は遠くにパークしたあと、用心をしていつものように庭先きを迂回し、窓からレオノールの部屋に入った。
勉強部屋には、先日、石山が贈った、とんでもなくおおきな「鏡獅子」の人形が置いてある。
白いたてがみの下の、人形の顔を、石山は少し気味わるくおもい、自分で贈ったくせに「レオノールは、こんな人形を部屋に置いてよく平気だな」と考えた。
レオノールのパーティ・ドレスをはぎとるように脱がせ、ベッドのなかで抱き合ったとたん、レオノールの勉強部屋の窓をこつこつと指でたたく音がする。
「ドミンゴよ。うるさいわね」
眉を苦しげに寄せ、首を振りながら、レオノールがいう。
「先刻見あたらなくて、チップをやらなかったからな」
石山も、息をはずませながら、呟いた。
二度目に、かなり激しく表のガラス戸がたたかれ、石山は身を起し、パンツ一枚身に着けた姿で、勉強部屋のカーテンを開き、ガラス窓を開いた。
その瞬間、後方でレオノールが「あっ」と叫ぶのが聞え、石山も「みいんな、みんな、クリスマス休暇よ」という、レオノールの言葉をおもいだした。
窓の向うには、ドミンゴならぬ、髪の黒い白面の中年男が立っていた。灰青色の眼が室内の灯を受けてきらきら光っている。先刻、ミランダ家で小寺と立ち話ししていた男である。
「恋人が娘のところにしのんでくるんじゃないかとワイフがいうんで、馬鹿なことをいうなと打ち消していたんだが、やはり事実だったね、ミスタ・イシヤマ」
中年の男はレオノールの父親の外科医のようであった。
「裸の男の出入りを娘に許したおぼえはないんだ。以後、娘に近づくのは、遠慮してくれたまえ。念のために、きみの上司にも、きみを娘に近づけないように頼んでおこう」
父親はぴしゃりといった。
庭の木々に飾られたいろとりどりの豆電球がしきりに明滅を繰り返している。遠くの家で爆竹が鳴るのを、石山は夢のなかのできごとのように聞いていた。
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褐色の足音
昭和四十六年二月、ホベンチーノ・チャンに対し、フィリッピン開発銀行の産業資金貸出しが許可になった旨、大統領府から正式の連絡があった。
ホベンチーノから知らせを受けた小寺は、早速アマデオ・ミランダの事務所に礼にゆき、アグサン木材に電報を打って吉報を知らせた。
アグサン木材の、社長、副社長コンビのシーチャンコとクエトオは大喜びをして、早速マニラにやってきた。電話をよこし、小寺、鶴井、フランクの鴻田貿易スタッフ、それにホベンチーノを食事に招待したい、という。
招待してくれた場所は、マカティ地区のパサイ・ロードにある、セブ・レストランで、フランクは、
「いかにも連中が選びそうな店だな。フィリッピンの郷土料理屋ですが、ここで食事じゃ、支店長もちょっと閉口されるんじゃないかな」
にやりと笑っていう。
「なぜ閉口するのかね」
小寺が訊ねたが、フランクは、
「まあ、行ってからのお楽しみにしましょう」
と説明しなかった。
パサイ通り左手のセブ・レストランは、郷土料理屋といいながら、なかなかおおきな店がまえで、天井からはシャンデリアがいくつも垂れ下っている。
大きな籐の椅子、テーブルが置いてあるが、小寺の一行が店に入ってゆくと、シーチャンコとクエトオが奥のテーブルからすぐに立ちあがって、こちらにやってきた。
小男と大男の、喜劇的な重役コンビは、「ベリイ・ハッピイ、ベリイ・ハッピイ」を大声で連呼し、社長のシーチャンコなどはすっかりはしゃいでしまって、小寺の両手を握り、抱きつかんばかりの、喜びようである。
ホベンチーノもすでに先着していて、こちらは椅子から立ちあがっただけで、照れたような顔をして、片手をちょっと挙げてみせた。
「さあ、ミステル・オデラ、手を洗ってきてください。ここはカマヤンだからね」
シーチャンコがいって、部屋の向う側、熱帯産の観葉植物がならべてある彼方を指差した。
フランクが先きに立ってそちらに歩きながら、
「カマヤンというのは、手づかみって意味になりますかね。カマイというのはタガログ語で手、ヤンというのはつかむ、という意味です。日本の握り寿司みたいな意味でしょう。こういう店じゃ、食事のまえにまず手を洗うわけです」
と説明した。
カマヤンというのは、どのフィリッピンの町にもある、手づかみ料理屋、つまり手で食事する料理屋の総称で、このセブ・レストランもそのひとつだという。
観葉植物の向うには、昔のアパートの共同水道のようなぐあいに、ずらりと水道の蛇口がならんでおり、ちゃんと石鹸も置いてある。
小寺は水道の蛇口をひねって、
「フランク君、先きに着いたシーチャンコさんやクエトオさんは、もう手を洗ってしまっているわけだろう。しかしおれたちが着いたら、早速やってきて、おれたちの汚い手を、それも両手を握って、握手したよね。いくら手を洗っても、あとからきた男の汚い手を握っちまったら、なんにもならないやね。もう一度、手を洗って貰わなきゃならんのじゃないかね」
「まあ、理屈じゃそういうことになりますな。しかし、そこがフィリッピン式でして、この手を洗うのは、まあ、儀式《セレモニイ》みたいなもんですからね。それにわれわれの手はきれいなもんでしょう」
「おれもまだ手は汚しておらんつもりだがね」
小寺とフランクは、笑った。
鶴井は、
「おっさんたち、えらいところへ招んでくれるね。まるで幼稚園の餓鬼扱いですな」
ぶつぶつ文句をいって、手を洗っている。
席に戻ると、シャンパンが用意してあり、シーチャンコの「カンパイ」の日本語と一緒に、一同グラスをあげた。
シーチャンコは、小寺たちを待つあいだにだいぶ飲んだらしく、顔を赤くして早くもいっぱい機嫌で、
「ミステル・オデラ、おれたちのロールス・ロイスに乾杯」
などとふざけて、いい気なものであった。
すぐに野菜スープの|おわん《ボウル》が運ばれてきて、料理が始まった。|おわん《ボウル》の両側に耳がついていて、それを両手で持って飲めばいいのだが、クエトオはいきなりふとい人差し指をスープに突っこみ、「オウ、ベリイ・ホット」を連発しながら、人差し指でスープを掻きまわした。スープの具のじゃがいもの塊りをつまみだし、口ひげを生やした口をおおきく開いて、乱暴に放りこんだ。
どうやらスープの具は、手で食べることになっているらしく、フランクもスープを飲んでは、かなり器用にじゃがいもやいんげんをつまんで、口に運んでいる。
スープでぐちゃぐちゃに汚れた手で、酒のグラスを握るのか、とおもい、小寺は閉口して、具はそのままにしてスープを飲むだけにした。
鶴井は、こわごわといった感じで、スープに入っている長いキャベツの葉をつまみあげ、空中にかざしながら、
「こいつは、まったくの土人料理ですな。縄文式土器の時代に逆戻りした気がするよ」
手品師が長い剣でも呑みこむぐあいに、そろそろと細長いキャベツの葉を口のなかに落しこんでいる。
肩の袖つけのところが、蝶の羽根のようにぴんとはねあがった民族衣裳姿のウェイトレスが、竹で編んだ大皿に、バナナの葉を敷き、そこにえびや豚の焼いたのをのせて、食卓に運んできた。
自分の小皿に料理を取りわけ、竹の大皿をホベンチーノのほうに差しだして、小寺は、
「チャンさん、ロギング・ロードの工事は、見通しが立ちましたか」
と訊ねた。
ミンダナオ島東海岸、ブエナ湾の伐採作業を請け負うことになったホベンチーノは、産業資金の融資許可が下りるのを見越して、今年の初めから、道路建設業者を連れて、運搬道路《ロギング・ロード》や貯木場《ログ・ポンド》の青写真をひくために何回か現地を訪れている。
「いや、小寺さん、あの崖にはお手あげですよ。そりゃ、あのコンセッションを買った男がアメリカにひっこんだまま、あの土地に手をつけようとしなかったのもよくわかるよ。馬鹿な買物をしたと後悔してたんじゃないかな」
ホベンチーノは、はしゃいでいるアグサン木材の重役たちを尻目に、そういって、浮かない顔つきになった。
「森の奥から運んできたラワンをあの崖から海にだすとしますわな。だれでも考えるのは、崖を切りくずして、運搬道路《ロギング・ロード》をつけるってことだろうが、こいつは金がかかってやりきれない。いくら開発銀行が金貸してくれたって、到底、賄いきれやせんですよ」
ホベンチーノは、感情がすぐに顔に出る性質で、酔いの出た顔をいよいよ赤くして、そういった。
「ウインチを使って、丸太を崖から海に降せばいいんだよ」
クエトオが、まるで他人ごとといった感じで、口をはさんだ。
「あんた、あの|けたくそ《ヽヽヽヽ》わるい崖から、化け物みたいな丸太を吊って、降せるとおもってんのか。そんな馬鹿でかいウインチがありゃあ、だれも苦労はしないんだよ」
ホベンチーノは、大目玉をむき厚い唇から唾を飛ばして、食ってかかる口調になった。
「そりゃそうかもしれん。おれたちのコンセッションのラワンは、恐ろしくふとくておおきいからな」
シーチャンコは、得意そうな顔になって、腕を組み、
「ミステル・オデラ、聞いたかね。おれたちのコンセッションのラワンは、ウインチ使っても吊り下げられんくらい、でかいんだぜ」
大声でいい、得意満面の視線を小寺に投げかける。
シーチャンコは、豚肉をとうがらしの薬味に浸けながら、
「ホベンチーノ」
とえらそうに呼び捨てにして、
「ヘリコプターを使って、海に降したらどうなんだ」
またまた奇抜な提案をした。
「ヘリコプターは、駄目だね。大損をするよ」
ほとんど料理に手をつけていないホベンチーノは大声で反論した。真面目なホベンチーノは、この問題が気になって食欲も出ない様子である。
「インドネシアで、おなじようなケースがあってね、大型ヘリコプターで、山奥のコンセッションから、ラワンを運んだんだ。結果は大損でね、その木材会社はつぶれちまったよ」
「おれたちゃ、つぶれやせんよ、ホベンチーノ」
シーチャンコは、胸に両手の親指をあて、掌をひらひらさせて、うそぶいた。
「ヘリコプターを雇って金がなくなったら、また、あんたがフィリッピン開発銀行から金を借りればいいんだよ」
そういって、高笑いをした。
高笑いするシーチャンコの傍らから、クエトオが躰をのりだして、
「ミステル・チャン、崖を避けて、崖の向う側か、こっち側に道路つけりゃあ、いいんだよ」
そういいだした。
ホベンチーノは、また、顔を赤くして、
「あんたがた、現地の事情がいやってほどわかってるくせに、無茶いっちゃ、いかんよ」
少し気色ばんだ。
「向う側のビスリグ湾のほうに道路をひっぱろうが、こちら側のリアンガ湾寄りに道路をひっぱろうが、他人のコンセッションを通らずには、道がつけられねえんだよ」
吐き捨てるようにいう。
小寺は、そこで仲裁するように、
「ホベンチーノさん」
と間に入った。
「そのどちらかのコンセッション・オーナーに話をつけましょうよ。前のコンセッション・オーナーのように、アメリカにいたんじゃ話にならないが、まあ、そんなケースは少くて、フィリッピンのどこかに住んでるんでしょう。どこに住んでるか、探しだしてくれれば、私が出かけて、話をつけますよ」
小寺は穏やかな微笑をたたえていたが、眼のいろは真剣であった。
「そうだよ。おれはそれをいいたかったんだ」
クエトオは、おおきな手で食卓をぽんと叩いていった。
「ぐずぐず文句いったら、ちょっとばかりおどかして、強引に話をつけちまおうや」
ホベンチーノは、クエトオには取り合わず、「ヨロシク」と小寺に軽く頭を下げた。
手づかみの食事がすむと、また鉢植えの向うの共同水道で、全員ならんで手を洗った。アグサン木材の連中は、軍艦のようなキャディラックに乗り、小寺たちは、支店長車の白いベンツに乗って、帰路についたのだが、会社に向う車中で、小寺は念を押すように訊ねた。
「鶴井君、こちらの仕事は、とにかく緒についたわけだけどね、本社のほうは大丈夫なんだろうな」
「支店長、大丈夫か、とおっしゃるのは、どういう意味ですか」
鶴井は、いやに取り澄ました態度で、反問した。
「そう開き直られても困るんだがね」
小寺は、苦笑して、
「去年からの金融引き締めが響いて、住宅建築の戸数もだいぶ落ちこんでいるだろう。それと連動して、木材の需要も落ちこんでいるじゃないか。まあ、ご本社のなさることに|そつ《ヽヽ》はないんだろうけどね、市況を睨むと、心配がないではないんだな」
支店長のところには、日本の経済情勢、各種商品の市況について、本社から資料を送ってくるのだが、最近の日本市況、特に木材市況は、暗い材料が俄かに多くなってきている。
月遅れで送られてくる、木材関係業界紙は、「経済活動の沈静化はますますはっきりし、五年続きの大型景気がようやく終りにきたものとみられる」と書き、このため「南洋材はラワン合板などの過剰出荷が大きく影響し、全般的に弱含み、ないし値下りを示しているが、とくにラワン合板の暴落が目立っている」と指摘している。
この原因は、住宅の新築戸数の低迷におおきな原因があり、前月に入手した小寺の資料では、昨秋の住宅新築戸数が急落して、十一月の木造建築の新築戸数は前月の十月対比五パーセントの減少となっている。
「米材がとくにひどいようだね。米材は荷圧迫が激しくて、今年の一月から三月までは、輸入禁止するそうじゃないか。この傾向がラワン材までおよばなければいいがね」
と小寺はいった。
「私も、少し不安はあるんですな。だいたい木材の需要は秋に高くなるのが、ふつうでしょう。正月は新居で過そうというのか、ふつうなら秋になると、日本人は家を建てるんですがね」
とフランクも、小寺の不安を裏づける発言をした。
「たしかに日本の景気はわるくなっているし、南洋材の需要も落ちているようですがね」
鶴井は、わりに素直に小寺の不安を受けとめてみせ、それから、
「ただ、わが鴻田貿易木材部は、万全の備えをしていますよ。今度はミンダナオ材だって、ちゃんと行き先きはきまってるんです。住宅建築の大手の、丸永産業と清水の中村商店が向う五年間、黙って引きとる、ちゅう話になっとるんですよ」
鶴井は、相変らずの自信家ぶりを示した。
「鶴井さん、ほんとうに大丈夫なんでしょうね」
フランクが、冗談ごかしの口調で念を押した。
「あなたの話ときたら、いつも自信満々だけどね、このまえのファイナンスの件も、結局は|ぱあ《ヽヽ》、だったからな」
「あの融資は大局的にいって、やらんほうが正解だった。今度は、やるほうが正解なんですよ」
鶴井の自信は揺がず、それがあとのふたりをかえって不安にさせた。
アヤラ通りの支店に戻った小寺は、突きあたりの支店長室に入るまえに、石山の席に立ち寄った。
幸い、ほかのふたりは、手洗いに寄って、大部屋にまだ入ってこない。
石山は、机のわきに置いたタイプライターを叩いていたが、小寺は、タイプライター越しに、
「石山君、マニラの恋の物語のショックはおさまったかね」
小声で訊ねた。
冴えない顔いろの石山はタイプライターを打つ手を止めて、
「全治した、とはいえないですね。躰のあちこちに転移しておりまして、再発の可能性大です」
負け惜しみのように、ジョークを飛ばした。
「おれも野暮なことをしちまったからね。早く全治して、快気祝いのひとつも配ってくれないと困るんだな」
小寺は、ほんとうに困ったような顔になって、そういった。
アマデオの家で、クリスマス・パーティが催された翌朝、小寺は、前夜パーティで出会ったばかりのドクター・アランフェスから「これからお伺いしたい」と電話を貰い、自宅に訪問を受けた。
アステロイド街の支店長社宅にやってきたアランフェス医師は、
「早朝から、私事を持ちだして、申しわけないんですが」
と心底、すまなさそうな顔をして、
「じつは、昨夜、娘の色恋沙汰の現場をおさえる破目になりましてね」
と前夜の出来ごとを説明した。
どういう経路で知ったのか、数日前、ひとり娘、レオノールにつけているシャペロンのリタが、アランフェス夫人の部屋にやってきて、「自分はほんとうかどうか知らないが、どうも石山という日本青年が、レオノールの部屋に夜半にしのんでくるらしい」と告げ口をした。母親は半狂乱になり、レオノールをすぐにも詰問しようといったが、アランフェス医師には、真面目で不器用な日本青年にそんな真似ができるとはおもえず、様子をみることにして、細君をなだめた。ところがミランダ邸でのパーティの最中、レオノールが抜けだして石山の車に乗りこむのを見かけ、急いで車であとをつけた。途中、クリスマスの雑踏で見失ったものの、念のためとおもい、レオノールの部屋の窓をたたいたところ、裸のふたりを発見した。
大要、そんな説明であった。
「私の家の家系は、代々、スペインの血を守ってきておりましてね。私の父にしましても、このスペインの血を守るために、わざわざマドリッドで、何年か暮して、スペイン人の母を迎えたのですよ」
終始、おだやかな表情をくずさずに、アランフェス医師は「白いフィリッピン人」世界の実態を物語った。
「つまり、ここでお宅のお嬢さんが東洋人と結婚されるようなことになると、長年のスペインの血が途切れて、えらい騒ぎが持ちあがる、そういうことですな」
アランフェス医師は、頷いた。
「少くとも女房は、逆上しましょうな」
しかも困ったことに、結婚しなくても、子どもはできるので、明日にも、あるいは来月にも長年の白い血の伝統がくずれることになりかねない。
一人前の会社員の青年と女子医学生の恋愛なのだから、その辺は気をつけているのだろうが、なにしろ二十代の青年男女である。気持の昂ぶるあまり、不注意をしでかさない、とも限らない。アランフェス夫婦はすっかり不安になった。
「率直に申しあげて、ミスタ・イシヤマがこの恋愛について諦めてくれれば、ありがたいんですよ。その辺のところを支店長のほうから、あの青年におっしゃっていただけませんか」
「ははあ」
と小寺は唸った。
若い者の私事に介入したくないし、石山は小寺のお気に入りの青年でもある。日本人としては、例外的に背のたかい石山が、レオノールとならぶと、まことに格好のカップルで、あの、いかにも仲むつまじそうなふたりを割くのか、とおもうと、気が重くなった。
しかし、そこで反射的に石山の母親の言葉をおもいだした。
石山の母親は、息子が「土人の娘」と結婚するのをえらく心配し、小寺は「もしそんな気配を感じたら、必ず連絡する」と約束したのであった。
「わかりました。とにかく話してみましょう。ただし、私生活のことですし、彼がいやだといったら、私も拘束はできませんよ」
と小寺は条件をつけた。
アランフェスは、ほっと安堵する表情になった。
「いや、日本の青年は、会社の上司の言葉をたいへん素直に聞くそうだから、大丈夫でしょう。それから、くれぐれもお願いしておきますが、この事件を頭において、ミスタ・イシヤマの成績を査定するようなことは、なさらないでください。日本の会社じゃ、私生活のトラブルも、会社での成績に影響するそうですからね」
アランフェスは石山が出向社員の身分だということを知らないので、そんなことをいう。
「いやいや、少くとも、私の場合、そんなことはありませんよ」
と小寺は、手を振った。
アランフェスが帰ってゆくと、細君の百合子が、
「あなた、ほんまに石山さん呼んで、あの娘はあきらめなはれ、そういうつもり? 石山さん、好青年で、可哀相やないの?」
小寺に抗議するようにいった。
「しかしなあ、石山君の家も日本の小金持ちかもしれんが、アランフェスさんのところは、フィリッピンの大金持ちだぜ。日本の小金持ちとフィリッピンの大金持ちと、釣り合いがとれると、きみ、おもうか。墨田区吾嬬町の一家とフォルベス・パークの一家とうまくゆくとおもうかね」
「今どき、家柄やお金で、男女の仲を考えられても困るけどね」
「金の問題じゃない、といったって、石山君がレオノールと結婚するとしたら、あのシャペロンとかガードマンとか、宮さまのおつきみたいな連中をひとやま、日本に連れてかにゃあならんのだぜ」
そういわれて、百合子も複雑な顔になった。
会社へ行った小寺は石山に向って、
「現場に踏みこまれたのは、まずかったな、とにかく一時、中断しろや」
といい、石山は覚悟していたのか、意外に素直に「はあ、わかりました」と承知したのであった。
あれからひと月あまり経っており、石山の心境の変化が小寺の気になるところであった。
大部屋から支店長室に入りながら、「気分転換に、内地の材木不況の調査|傍《かた》がた、石山君に東京に出張して貰うか」と小寺は考えた。
数日後、小寺のもとに、ホベンチーノが電話をかけてきた。
「小寺さん、運搬道路の件は、頭が痛いですよ」
ホベンチーノは、弱ったような声を出した。
コンセッションから最短距離にある崖が取りくずせない、となると、南のビスリグ湾か北のリアンガ湾寄りか、とにかく工事の容易な、崖のない海岸へ道路をひっぱってこなくてはならない。
南にだすには、山が険しくて大迂回せねばならず、北のリアンガ湾寄りに道をつけるのが良策だが、このためには、むろん隣接するコンセッション・オーナーの了解をとらねばならない。地主は国だから、こちらは形式的な届けで済んでしまうが、問題はコンセッション・オーナーのほうなのである。
「隣りのコンセッション・オーナーは、いったい、どういう筋の人物なんですか」
小寺が訊ねると、
「ケソンの林野庁に行って調べたんですがね、これが参ったねえ。カトリックの|尼さん《シスター》、尼さんなんですわ」
ホベンチーノは、閉口した声である。
受話器を耳にあてながら、おおきな顔をしかめ、禿げあがった額をこれもおおきな手でかかえこんでいるホベンチーノの困惑した様子が眼に見えるようであった。
「へえ、尼さんか。その尼さんは、どこに住んでいるんですか」
「マニラなんですがね。タフト通りと国連通りの交差する角に、ドータース・オブ・チャリティというね、カトリックの会が学校と修道院を経営してるんですよ。まあ、小寺さんは、ご存知ないでしょうなあ。あの辺じゃ、なかなか目立つ建物ですがね」
この修道院に、シスター・エメリイという、中年の修道尼がいて、この修道尼が、ミンダナオ東海岸、アグサン木材の伐採地に隣接するコンセッションを所有しているのだそうであった。
父親から相続したものらしい、とホベンチーノはいう。
「この尼さんに会いにゆきましてね、これこれの事情なんで、おたくのコンセッションに道路作らせてくれと頼んだら、彼女、いうことが凄いね。このコンセッションを全部、買ってくれ。それなら話に応じる、こうきちまったんですよ。参りましたわ」
この修道会は、社会活動を盛んに行うので有名な会派が運営している。自分も、マニラ貧民街に毎日のように通って、貧しい子どもたちの教育にあたっているが、できれば、貧民街にちゃんとした教会を建ててやりたい。ついては、このコンセッションを売って、教会建設の資金に充てたい、そう尼さんは、いっているのだそうであった。
「それはおもしろいじゃないですか。ついでに、尼さんの持ってるお隣りさんも買っちまったら、どうです」
「小寺さん、簡単にいわないでくださいよ。尼さんの持ってるコンセッションは、焼畑が多くて、|森林 地帯《フオレステツド・エリア》が少いんだ。私は現地を見てるけど、あんまり気が進みませんな。あれを買えば、ほんとの慈善事業になっちまいますよ」
電話を切った小寺は、部屋のなかをぶらぶらと歩いて思案していたが、支店長室を出て、大部屋に入った。
小寺のよくやる癖で、外出している石山の椅子をフランクの傍までひっぱってきて、逆向きにした椅子にまたがるようにすわり、椅子の背に顎をのせた。
「フランク君、尼さんのコンセッションの話聞いているだろう」
フランクは、小寺のほうに向き直って、にやりと笑った。
「だいたいは聞いています。ホベンチーノのやつは、日本の会社が稟議制《りんぎせい》だってことをよく知ってますからね。支店長に報告を入れたら、すぐに下のレベルにも電話してくれるんですよ」
小寺は、フランクのデスクに置いてある、ボールペンをもてあそびながら、
「おれが、直接、その尼さんに会って話してみようとおもうんだが、どうかね」
といった。
「そりゃ効果があるでしょう。ただ、尼さんってのは、頑固なひとが多いからねえ」
フランクは、首を傾げた。
タフト通りと国連通りの交差点の近くにあるドータース・オブ・チャリティの修道院は、煉瓦造りの建物に、鉄格子のはまった、長方形の窓がならんでいて、まさにスペインの田舎の修道院をそのまま運んできたような感じであった。
小寺は、フランク、ホベンチーノのふたりと一緒にこの建物に入り、シスター・エメリイとの面会を受付けに申しこんだ。
「ここの修道会はね、日本じゃ愛徳姉妹会と呼ばれてるんですよ、関西中心に活発に慈善活動をやっているみたいですね」
フランクがそう説明した。
受付けの尼さんが、応接室に案内してくれたが、大理石の床にラワンの応接セットが置かれた、いかにも小ぎれいな部屋であった。ラワンのテーブルには、尼さんたちの手仕事なのだろう、花の刺繍を施した、テーブル・クロスがきちんとかけてあった。
三人とも、落ち着かない感じですわり、受付けの尼さんが持ってきてくれた、氷入りのコーラにも手をつけずにいたが、人の気配に振り向くと、ドアを開け放した入口に、がっしりした体格の、色の黒い尼さんが立っていた。
一般に熱帯に暮す修道尼は、北半球でよく眼にするような裾の長い僧服は着ていないのだけれども、愛徳姉妹会の尼さんたちも例外ではなく、丈が膝下くらいまでしかない、襟が折り返しになった、白いワンピースを着て、濃紺の頭巾をかぶり、白の長靴下を履いている。
ホベンチーノは、赤い顔をして、まるで日本人みたいにぺこぺこと頭を何度も下げ、小寺とフランクをシスター・エメリイに紹介した。
「あなたが、私のコンセッションを買ってくださる方ですね」
シスター・エメリイは、ラワンの椅子に浅く腰をかけ、いきなり高飛車に、かなり上手い英語で、そういった。
がっしりした躰に、これまた頑丈そうな、ふとい首と|えら《ヽヽ》の張った顔がのっているのだが、細い眼のあたりに険があって、小寺は話しにくい相手だな、と感じた。
小寺は、咳ばらいをしてから、
「シスター・エメリイ、じつは、その件なんですがね」
と切りだした。
「私は、ミンダナオの材木を買わせていただいている業者なんですが、今度、買おいとしているラワン材は、シスターのコンセッションを通らせていただく以外、海まで運ぶ方法がありませんのですよ。ぜひとも、シスターのご許可をいただきたい、とおもっているわけです」
小寺は、微笑を絶やさないようにして、そう説明した。
シスター・エメリイは、険のある表情をくずさずに、
「だから、私のコンセッションをお譲りする、と、こちらのチャンさんに、何度も申しあげているじゃありませんか」
と強い口調でいった。
「コンセッションを買わせていただければ、問題がないんですが、私どもとしては、資金的に余裕がありませんのでね、困っておるんです。このチャンさんにしても、フィリッピン開発銀行から産業資金を借りて、どうにか、道路を整備したり、トラックやブルドーザーを買おうとしている有様でしてね。私の会社にしましても、チャンさんが伐りだした丸太を買わせて貰うのが、やっとというぐあいなんです」
シスター・エメリイは、突然、口もとに微笑をうかべた。
「ミスタ・オデラ、あなたは、トンド地区にいらしたことがおありですか」
トンドというのは、マニラ市内、パシグ川両岸に拡がる一大スラム地帯である。二万人に達する社会最下層のひとびとが、掘立て小屋を作り、一日一食か二食しか口にできない生活を送っている。警察権もなかなかおよばず、犯罪人の逃げこむ無法地帯と化していた。
「一度、行ってみたいと思っていますが、危険だといわれましてね、まだスラムのなかの様子は知りません」
トンド地区に、外国人、旅行者の立ち入りは、タブーとなっているのであった。
「あのなかをご覧にならなくちゃ、話にならないわ」
シスターの口調には、嘲りに似た感じが混った。
「あそこのひとたちは、海岸へ行ってタホスという、漁船の船底に着いている貝を拾ってきてね、それを売って、暮しているんですよ。ここのお金で、三十センタボか四十センタボにしかならないでしょうね。ミスタ・オデラ、想像できますか、彼らは一日三十センタボで暮しているんですよ。」
当時は十センタボは邦貨に換算して六円あまりだから、三十センタボといえば二十円にも満たない金額である。
「子どもの七割は義務教育も受けられません。この国の義務教育は小学六年までだけど、とても学校なんかにやれない。トンドに住む大人も、自分の名前以外、字の書けないひとばかりです」
シスター・エメリイは、すっかり説教口調になった。
「私は、あのトンドに教会を建てたいんです。教会を建てれば、もっと積極的にいろいろ活動できるし、給食の場所もできるんです。そのためには、あのコンセッションをあなたに買っていただかなくちゃなりません」
シスター・エメリイは昂然といい放った。
「お気持はよくわかります。しかし困ったことに、われわれも貧乏でしてね、コンセッションをそっくり買わせていただくだけの資金はないんですよ」
小寺はおなじ返事を繰り返した。
シスター・エメリイは、三人の客の顔を順々に眺めた。
「皆さんが、もし私のコンセッションをお買いになれば、材木で儲けると同時に、哀れなフィリッピンのひとたちに立派な慈善を施すことができるんですよ」
三人が黙っていると、シスター・エメリイは立ちあがり、
「これから外出しなくてはなりません。今日はこれでお引き取りください」
といった。
修道院の表へ出ると、ホベンチーノが、
「ああいう尼さんと話すと、不信心なおれはどっと疲れるわ」
と首を振った。
「このまえは、華僑は金儲けばかり考えてけしからん、日本人はおよそ慈善の精神に欠けていると散々やられてね、私は華僑代表にされたり、日本代表にされたり、叱られ放しですよ。参ったね」
翌日、フランクが出社すると、例のごとく小寺が、ポケットに手を突っこんで、部屋からでてきて、フランクの傍にすわりこんだ。
小寺の気さくな性質は、アメリカの駐在員生活でいよいよ助長されたらしく、部下を支店長室に呼びつけるということが、ほとんどない。自分から大部屋に出てきて、用事のあるだれかれの傍に、椅子を引き寄せてすわりこむのである。
「フランク君、あの尼さんは、どうやって説得したらいいのかね」
小寺は足を長く伸ばし、腕組みをして訊ねる。
「あれは、手ごわい相手ですな。とにかく小まめに足を運ぶより、方法がないでしょうな」
フランクは、艶のいい頬を撫でて、答えた。
「そうだろうな」
と小寺は応じて、
「どうだ、フランク君、これからちょっと訪ねてみるか」
と早くも躰を起した。
こういう行動の早さが、小寺の特色で、おもい立つと、労をいとうということがない。部下にしてみれば、大変ありがたい点で、当日になって、その夜の客との接待に出席してくれ、といきなり持ちこんでも、先約のない限りは即座に応じてくれる。
さすがのフランクも、一瞬たじろいだが、すぐに、日ごろの小寺の腰の軽さに感謝する意味もあって、
「結構ですよ。お供しましょう」
とすぐに席を立った。
支店長車で、タフト通りの愛徳姉妹会の修道院に着いてみると、玄関の前に、ジープニーのように、座席を後方に伸ばしたジープが停っていて、シスター・エメリイが、ボール箱をいくつか車に積みこんでいた。
「今日は、シスター」
苦手の相手なので尻ごみする、といったふうはなくて、小寺は、車を降りるなり、声をかけて、シスター・エメリイに近寄った。
シスター・エメリイは、眼を伏せて、ジープの上のボール箱を片隅に押しながら、
「今日は、お話はできませんよ。これからトンドのね、学校にゆくんですから」
素気ない口調で答えた。
「トンドへおいでになるんですか」
小寺は、相変らず微笑を絶やさずに、
「私もお供させていただけませんかな」
そんなことをいいだした。
「昨日、私も一度、トンドのなかを見たい、とおもっていると申しあげたでしょう。いい機会だから、お供したいですな」
シスター・エメリイは作業の手を止めて、小寺を眺め、
「あんなところにいらしたってね、ご商売とは関係がないから、一文の得にもなりませんよ。貴重な時間をあんなところで費やして、無駄をなすっていいんですか」
「われわれは、商売をやりにフィリッピンにきていますが、そんなに四六時ちゅう、商売のことを考えていたら、息が詰ってしまいますよ」
小寺は、満更、調子を合わせているともおもえない、本音の混っているような、口ぶりでいった。
じっさい、小寺はたえず新刊書を日本から取り寄せ、シンガポールのアジア支配人室に出張すれば、英米の新刊書を買ってきて、接待のない夜は、自宅で読みふけっているらしかった。
だからほかの「仕事馬鹿」といったタイプの日本人駐在員が、おなじせりふを吐いたら、フランクは舌打ちしたいようなおもいを味わっただろうけれど、小寺の場合、この言葉はそれなりの説得力があった。
シスター・エメリイは、ちょっとためらってから、
「日本人にしては、奇特な方たちね。お閑なら、社会見学にいらっしゃいよ。私たちと一緒なら、絶対に安全ですからね」
そういった。
小寺とフランクは、支店長車の運転手に修道院で待っているようにいって、シスターのジープに乗りこんだ。
パシグ川両岸に拡がる、トンドの貧民街は、マニラ育ちのフランクの想像さえ上まわって、相当の惨状を呈していた。
ひとことでいえば、木片やトタン板、といった巨大なゴミの堆積、現在のトンドは、そんな印象を与える。
一応、高床式の小屋がパシグ川の両岸にひしめき合っているのだけれど、いずれも細い丸太のうえに、どこからか盗んできたのだろう、板きれを寄せ集めて小屋を作り、屋根にトタン板をのせて、風で飛ばないように石をおもしにしてある。
どれかひとつの小屋を指で押すと、全部の小屋が、将棋倒しになって、文字どおりゴミの堆積と化し、空中に飛び散ってしまいそうであった。
「ここもひどいことになりましたな。戦後暫くは、自分の父方の祖父も住んでいましてね、あの頃はのどかで、いい町だったんですがね」
徐行して走るジープのうえでフランクは、顔をしかめていった。
小寺は、明らかにショックを受けていて、
「終戦直後には、日本の焼けあとにも、こういう小屋がね、壕舎というやつが建っていたが、あれよりひどいな」
低い声でいった。
裸足の子どもが、駆けまわる「壕舎」の間の小路を抜けながら、シスター・エメリイは、
「フィリッピン人は、もともと清潔好きですからね、こういう小屋のなかも、入ってみると、意外にきれいなんですよ。靴を脱いであがるんですけど、家具もない代りに、ゴミもひとつも落ちていません」
そう説明した。
「ただ大家族が、狭いひと間に寝るんだから大変なんです。だけど、それは上手に眠るのよ。皆、膝をかかえて横になってね、小さい子どもをまんなかにして、どう説明したらいいのかしら。そう、チョコレート・ロールの表面みたいにね、ぐるぐる渦巻きのような輪を作って眠るのよ」
狭い床に大家族が眠るためには、そんな知恵が必要なのである。
木造の校舎の前にジープが着くと、裸足の子どもたちが、どっとたかってきた。三人のシスターが、手分けをしてボール箱に入ったキャンディを分け与えている。
木造の、倉庫のような学校は、六年間の義務教育さえ受けられない、この地区の子どもたちのために、愛徳姉妹会が建てた学校なのだそうであった。
午前中、この学校で授業を受けて、子どもたちは午後から、タホスの貝を拾いにでかけたり、煙草やチューインガム、サンパギータの花を売りにマニラの街頭へでかけてゆくのだ、という。むろん煙草は一本ずつ、チューインガムは一枚ずつのバラ売りである。
校舎に入ってゆくと、棒きれで机をたたき、フィリッピンの童謡を合唱している声が聞えた。
シスター・エメリイに案内されて、合唱の聞えてくる教室をのぞいてみると、フィリッピンの子どもたちが、流木を折ったような、さまざまな棒きれを持って、その棒きれで机をたたきながら、拍子を取って歌っていた。
シスター・エメリイは、教室に入ってゆくと、音楽担当という、中年女性の教師に断ってから、手をぱんぱんとたたき、
「皆さん、今日はお客さまが見えているから、交響楽の演奏を聞かせて頂だい」
とタガログ語でいった。
次に起ったのは、フィリッピン育ちのフランクも眼をむくような異様な光景であった。
四、五十人の生徒たちが、手真似、口真似で、ハイドンの交響楽の「時計」をまさに実演してみせたのである。子どもたちは、ヴァイオリンをかまえる仕ぐさをして、交響楽のメロディを歌い、チェロやフルート、大太鼓も、それぞれの楽器を演奏する格好をして、やはり口真似でメロディを追いかける。
「私たちもね、校舎を建て、先生を雇い、教科書を買うのに追われて、楽器の購入まではとても手がまわりません。だからこの学校には、ピアノもオルガンもない。仕方がないから、楽器の写真をみせて、弾きかたを先生が手で説明してね、皆に真似をさせているんです。世のなかにどんな楽器があるか、そのイメージを掴ませるだけでも、なにも教えないよりはいいでしょう」
とシスター・エメリイは、いった。
「口三味線、というのが、日本にありましたな、しかし、これは口三味線どころか、物真似遊びだな。学校の授業じゃないですよ」
とフランクは、小寺に話しかけたが、衝撃を受けた小寺は青い顔をして、なにも答えない。
いったい、ヴァイオリンを弾く真似、太鼓をたたく真似をしてみせる音楽の授業などというものが、ほかの国にあるだろうか。戦前の日本の、どんなひなびた田舎の小学校にも、オルガンの一台や二台は備えつけてあっただろう。フランクには小寺の衝撃が手にとるようにわかった。
子どもたちの態度が陽気で屈託がないだけに、小寺の衝撃はかえっておおきいようであった。
「このハイドンは、寄付して貰ったテープ・レコーダーを使って、教えたんですけど、テープがとうとう擦りきれてしまいましてね、今は、先生が口うつしで、教えているんですよ」
シスター・エメリイは、なんでもないことのようにいう。
「口三味線」のハイドンが終ると、教師が合図して、子どもたちは立ちあがり、日本の現代歌謡の「ここに幸あり」を歌いだした。なぜか、この歌はフィリッピンでは大流行をして、だれもが歌う国民歌謡のようになっている。
「ミスタ・オデラ、私が教会を建てたい、という気持がおわかりでしょう。学校を建てたって、ここの子どもしか救えない。ここに住む全部の人間たちまではね、手がまわらない」
言葉の途中で、シスター・エメリイは、突然口をつぐんだ。
同時に「ここに幸あり」を歌っていた子どもたちの大声が、ふいに低くなり、視線が、フランクの隣りに集まっているのに、気がついた。
フランクが、異常を感じて、隣りの小寺を顧みると、小寺の両眼から涙がひとすじしたたっていて、唇がかすかに震えていた。
学校で、シスターたちが持参したとうもろこしを、児童たちと一緒にかじってから、小寺とフランクは、シスターと一緒に再びジープに乗りこんだ。
「ルネタ公園に私たちの修道会が経営しているスナックがありますから、そこに寄ってみましょう」
シスター・エメリイが、そうふたりを誘った。
「修道院が、スナックを経営してるんですか」
フランクが驚いて訊ねると、シスターは、
「おもしろいでしょう。うちの修道会は、なんでも積極的にやるんですよ」
と笑った。
心なしか、だいぶ表情が和やかになってきている。
ルネタ公園のなかにあるスナックは、馬鹿に静かなスナックで、物音ひとつしなかった。
ウェイトレスが微笑をうかべて近寄ってきて、ふいに紙と鉛筆を差しだした。
「おふたりともね、ご自分の飲みたい物をその紙に書いてやってください」
とシスター・エメリイがいう。
「ここはね、聾唖《ろうあ》者のひとだけでやって貰っているスナックなんですよ。身体障害のひとが生計を立てられるよう、いろいろ考えて始めたスナックなんです」
注文を紙に書いて渡すと、ウェイトレスはカウンターに戻ってゆき、カウンターのなかの男に、手話で注文を伝えた。
手話で仕事が進行するのだから、店内が静かなのは当然で、一方の片隅には、おなじ聾唖者のお客もきていて、ウェイトレス二、三人とこれも盛んに手話で会話していた。
シスター・エメリイは、そこでふいに形を改めて、
「ミスタ・オデラ、私、少し考えを変えました。ミンダナオ東海岸にある、父のコンセッションですけど、あのなかに道路を作っていただいて結構です」
そう、いいだした。
「ただし、私のほうにも条件があります」
フランクは、この尼さん、なにをいいだすのか、とちょっと緊張した。世間知らずの修道尼だから、また法外な条件をつけてくるのではないか、と一瞬、考えたのである。
「傘をね、雨傘を百本か、二百本、修道会に寄付していただけませんか。傘は、この国ではまだ貴重品で、このスナックで働くひとたちだって、満足に持っていないんですよ」
そこで、シスター・エメリイは、ちょっと照れた表情になった。
「できれば、そのなかに折りたたみの雨傘ね、ハンドバッグに入るような傘を、何本か混ぜていただけると、嬉しいんですよ」
折りたたみの傘は、それこそ贅沢品で、金持ちでないと、持っていない。
尼さんも、やはりお洒落なフィリッピン人の例にもれず、折りたたみの傘に憧れているらしかった。
「お安いご用です」
と小寺は、いった。
先刻、涙を流した名残りで、白眼の部分が、まだ赤いままである。
「傘と、それにオルガンかピアノを寄付させていただきますよ。どうも日本は豊か過ぎる気がしますな」
溜息をつくような声でいった。
シスター・エメリイの譲歩で、木材運搬道路《ロギング・ロード》建設の目途が立ち、アグサン木材、鴻田貿易、それにホベンチーノの経営するフィリッピン・ディベロップメントの三社は、マニラの下町にあるロイヤル・ホテルの会議専用の小部屋に集まり、最終的な話の詰めを行った。
この夜は、ホベンチーノが主役で、ミンダナオ東海岸の地図を拡げて、ロギング・ロードの建設予定路を説明し、出材計画を述べた。
「私は、今週からブツアンに家を借りて、住みこんで、道路建設の指揮をとるつもりです。道路工事に手慣れた連中を連れてゆきますし、ブルドーザーなどの機械は日進月歩ですからね。三カ月で道路は完成するでしょうな。六月の末には、どんどん出材も始めて、貯木場《ログ・ポンド》をラワンでいっぱいにしてみせますよ。小寺さんには、今から船の手配をお願いしといたほうがいいかもしれない」
ホベンチーノは、自信満々であった。
「ところでね、この鴻田貿易の支店長のおられるまえで、売りあげの配分について、決めておきたいんだな」
ホベンチーノは、アグサン木材のシーチャンコとクエトオのほうに向き直って、いった。
「私がフィリッピン開発銀行から融資を受けて、ブルやトラックを買いこんで、道を作り、材を伐りだすんだからね、売りあげの七割は、私の会社、フィリッピン・ディベロップメントのほうに貰いたい。つまり一|立方メートル《キユービツク・ミーター》、三十五ドルで売るんなら、二十五ドルは貰いたいんだ」
ホベンチーノが、大目玉を向いて、そう切りだした途端に、シーチャンコが、「おう、ノウ」と叫び、細く長い両手を拡げて天を仰いだ。
「ホベンチーノ、だれがこのコンセッションのオーナーなのかね。|販売 権《セールス・ライト》を持っているのは、どこのだれなのかね」
手を拡げ、口をとがらせて、シーチャンコはいいつのった。
あんまりおおきく両手を拡げるので、横にすわったクエトオの口ひげにシーチャンコの腕が触れ、クエトオは、眉をひそめたまま、躰を後ろにそらした。
「あんたが伐りだそうたって、ラワンの木がなけりゃあ、どうにもならないんだよ」
大目玉をむいたホベンチーノは、シーチャンコの唾が飛んできたのか、頬のあたりを拭って、
「しかし、あんたもあちこち、あの疵もののコンセッションを売り歩いたが、長いこと、買い手がだれもつかなかった、と聞いてるよ。あんな高い崖っぷちの奥にあるコンセッションは、よっぽどの物好きじゃなきゃ、手はださんわな。その疵ものに手をだして、道を作ってやろうってんだからね。七つはいただきたいやね」
これも唾を飛ばす勢いであった。
「まあ、おふたりとも、ちょっと聞いてくださいよ」
小寺が、会議机のこちら側から割って入った。
「シーチャンコさんのいい分もよくわかる。たしかに崖っぷちにあるコンセッションだが、ラワンの材質はたいへんいいですからね。しかしね、シーチャンコさん、チャンさんを引っぱってきて、口説きおとして、莫大な借入金の債務者になって貰ったのは、この私なんですよ。ここはひとつ、私の顔を立てて貰えませんか」
小寺は、おだやかな微笑をたたえて、そういった。
「ミステル・オデラの顔はいつだって立ててますよ。このまえ、鴻田貿易からの融資が駄目になったときだって、われわれ、ミステル・オデラの顔を立ててね、なにもいわずに我慢したじゃないの」
シーチャンコは、いい返したが、言葉に勢いがなくなった。
フィリッピン人は、非常にプライドを重んじる民族だけに、「顔を立てる」という類いの言葉に弱いらしかった。
「チャンさんはね、今度の仕事のために、最新型の機械を発注しましてね、新しい機械や車輛がそろそろ、ブツアンの港に入ってくる頃なんですよ。大変な投資をしてるんだから、一立方メートルあたり、七〇パーセントくらいの口銭は見てあげて貰えませんか」
小寺としては、無理にひっぱりだしたホベンチーノの利益はできるだけ確保したかったから、しぶとくいい張った。
「ホアン、あんた、どうおもうかね」
シーチャンコは、クエトオを顧みた。
クエトオは、巨体の胸に吊した、青い竜のペンダントを剛毛の生えた指で弄んでいたが、
「私はね、ミステル・オデラの顔を立てたいね。なんてったって、ミステル・オデラの努力のおかげで、この商売、できあがったんだからね」
殊勝なことをいいだした。
シーチャンコは、憮然として、顎を撫でている。
「ただしね、ミステル・ナンベル・ワン、丸太の買い取り値段のほうに、少し|いろ《ヽヽ》をつけてくださいよ」
人差し指を小寺に突きつけた。
「一立方、四十ドルくらいで、買っていただきたいね」
「四十ドル? それは少し高すぎるんじゃないですか」と小寺はクエトオにいって、後ろの鶴井をふり返り、
「なあ鶴井君、木材部の見積りでも、四十ドルはきついんじゃないか」
と鶴井の同意をうながした。
「四十ドルは厳しいけれど、三十五ドルの線は守りますよ」
鶴井が胸をたたいていった。
この業界の慣例では、肝心の木材の値決めは、出材がもっと進んだ段階で行われることになっている。
ホベンチーノが、例の午前三時二十五分の便でブツアンに発つ夜、フランクは、彼を自宅に招き、一緒に酒を飲んだ。
フランクの女房のパシータも交えて、ひさかたぶりの、内輪の酒である。
「最近のブツアンは、電気がないからな、この電燈には、暫くお別れだな」
ホベンチーノは、天井の灯りを見あげていった。
「このあいだまでは、ひと晩六時間だけだが、電気は点いてたぞ」
とフランクはいった。
「去年、二回ほど、ナラ・ホテルに泊ったときは、六時間電気が点いて、あとの六時間、真っくらでね、クーラーもきかなくなって、自分も小寺さんも暑くて眠れなかったことがあったな」
「それがな、その後、市の発電所のジェネレーターがいかれちまって、今はまるで電気なしの生活らしいよ。会社のやつを、家探しに先発させたら、電気がないから早寝早起きになって、健康にいいですよ、帰ってきて、そういうんだよ。まあ、蝋燭つけて、夜更かしでもあるまいからな」
米国統治がルソン島の重点的開発だったこともあって、ミンダナオ島の近代化は著しく遅れている。
「ホベンチーノ、好きな本をたっぷり読んで勉強したいんだろうに、早寝しなきゃならないなんて、気の毒ねえ」
パシータが冷やかし、三人は笑った。
「あそこは、電気とそれに野菜がまるでないから、参るよな」
フランクが同情した。
「一生ブツアンに住むわけじゃなし、そういう生活のほうはどうでもいいんだが、仕事のほうで、ちょっと気になることがあってな」
早朝の出発を慮って、酒の量をおさえ、ほとんど酔っていないホベンチーノは、呟いた。
「今の計画では、ブエナ湾の崖が高いから、リアンガの隣りのガムット湾まで道路ひっぱってきて、貯木場もあそこに作ることになってるだろ。その貯木場にな、川の水が流れこむんだよ。つまり材木を置いとくと、虫がつきやすいんじゃないか、とおもうんだ」
ホベンチーノは、少し落ち着かなげに眼を動かして、いった。
海中のラワンにつく虫は、マリーン・ボウラー、貝虫といって、日本の海岸の磯あたりを群をなして走っている船虫に似た格好をしているが、なぜか川の淡水と海の塩水の混り合うあたりに発生しやすいのである。
「要は鴻田が早目に船をだしてくれて、どんどんラワンを海からひっぱりあげて、運んでってくれりゃあ問題はないんだ。それを一月以上も海のなかへどっぷり漬けられちまったりしたらな、こりゃお手あげさね。ラワンの裏に、蟻が巣作ったみたいに、穴が開いちまうよ」
「ホベンチーノ、ローカルのおれを信用しろとはいわないがね、小寺さんを信用してくれや。船はどんどんださせるよ」
午前二時過ぎ、フランクは車をひきだしてホベンチーノを空港まで送ってやった。
「ずいぶん、おふくろさんにお目にかからないが、お元気かね」
空港に向う車中で、ホベンチーノは訊ねた。
「弟ふたりの家に順番に居候をしてて、おれのところには、全然、寄りつかん。おふくろも年のせいか、パシータと暮すよりは日本人の嫁さんと暮すほうが気楽なようだな」
フランクは答えた。
戦後、ギンバの田舎で落ち合ったフランクの一家は、クラーク・フィールドの米軍基地の近くに移転した。フランクの両親と弟たちは、馬場大尉の勧めに従って、東海岸に逃れ、ことなきを得たのだが、戦後は対日協力者に対する詮索と報復が激しくなってきて、フランクの父、ルイスはマニラに戻ることができなくなった。そこで、ルイスは、軍隊時代の友人の世話で、クラーク・フィールドの米軍基地内のクラブに職をみつけたのであった。クラブのバンドに雇われ、クラリネットを吹く仕事であった。
この仕事なら、昼寝ていて、夜は異国人に囲まれて働く仕事だから、あまり世間の眼に止らなくてすむ。フランクだけは、トンドの祖父のもとに預けられ、地もとの中学に通って、このホベンチーノと一緒になったのだが、ふたりの弟は両親と一緒に育った。ふたりとも父親の影響を受けて、バンドマンになり、日本に演奏旅行にでかけて、これも父親とおなじに日本人の細君を貰って帰ってきたのであった。
ふたりの弟はそれぞれ、香港と台北に住んでおり、父親の死後、母親の|とき《ヽヽ》は香港と台北の間を往復して過し、ほとんどマニラにはやってこない。
「おれの細君はチャイニーズだから、おふくろも、居心地がよくてあまり家から出んのかな。あんたのおふくろさんほどじゃなくても、たまに旅行してくれると、おれも気楽になるんだがね」
ホベンチーノは、愚痴をこぼす口ぶりになった。
「ちゃんとブツアンに降りられると、いいがね。ブツアンの滑走路は砂利だから、天気がわるいと、カガヤンデオロまで持ってかれるぞ」
荷物をかかえて、車のドアを開けるホベンチーノにフランクはいった。
石山は、結局、小寺から出張を命じられて東京に帰った。
昭和四十五、六年の羽田空港は、まるで浅草の仲見世みたいな大混雑で、税関のなかなどは、人と荷物で身動きがとれない。
おまけに空港当局は、なぜが荷物を運ぶカートの数を制限しているものだから、カートの奪い合いで、皆、血相を変えて、床を埋めた荷物の間を跳びまわっていた。カートに荷物をのせて、通関を待って行列している男女をみつけては、その人物をぴったりマークし、通関のためその人物がカートを空けた瞬間を狙って、おさえこんでしまわないと、自分の荷物を運ぶことができないのである。
──やれやれ、日本はなにか異常なことになっているな。
急激な経済の成長が、いろいろなひずみをもたらしていて、しかも人々はそれに気づかずに走りまわっている、そんな気がした。
石山は、騒ぎをながめながら、荷物からレインコートを取りだして、夏服のうえに着こんだ。
冬服は、吾嬬町の自宅に置いてあるので、アタッシュ・ケースにボストン・バッグひとつの軽装で出張してきたから、通関もすぐに終って、これまた出迎えの人たちが黒山のように群がっている到着ロビーに出た。こういう光景はひどくアジア的で、マニラの空港と少しも変らない。
人波を掻きわけて、タクシー乗場のほうに歩きだそうとすると、
「おい、イシ」
と声がかかった。
荒川ベニヤの社長の与田が、だぶだぶのスプリング・コートのポケットに手を突っこんで、立っていた。
「おやおや、社長、だれか、お客筋が帰ってくるんですか」
「客じゃねえよ。おまえを迎えにきてやったんだよ」
「社長が平社員出迎えにきたりして、大丈夫ですか。こう閑なところをみると、荒川ベニヤも先きゆき、弱含みですな」
「馬鹿いえ。社長だなんて、気取ってるほどの、大企業じゃねえからな」
与田はちょっと照れた顔になって、いった。それから石山の頭のてっぺんから足の爪先きまで、じろじろと眺め、
「おまえに虫がついたらしいって話を、風の便りに聞いてたが、マリーン・ボウラーがついたわりには、元気じゃねえか。この程度の虫食いなら、まだまだ使えるわ」
と早速憎まれぐちをたたいた。
車に乗った与田は、
「イシ、なにが食いてえんだ。駒形に行ってどじょうか麦とろでも食うか。それとも浅草に行って、すき焼きとゆくか」
「はっきりいわせて貰えば、寿司でしょうね」
「そうか。あっちじゃあ、生の魚は剣呑《けんのん》だからな。根岸の高勢でも覗いてみるかね」
根岸の柳通りの寿司屋のつけ台に腰をおろすと、石山は、
「社長、真面目な話、内地はだいぶ不景気風が吹き荒れてるみたいですが、うちはほんとに大丈夫ですかね」
と訊ねた。
「ここのところ、いけねえな。去年までが嘘みたいなぐあいになってきたな」
与田は蒸しタオルのなかから、くぐもった声をだした。
「金融引締めが響いちまって、業界はここんとこつらいことになっちまってるよ」
万博前年の昭和四十四年あたりから、高度成長下の日本経済は、景気過熱状態におちいり、インフレが国民生活をおびやかし始めた。
昭和四十四年九月、政府は公定歩合引上げなど一連の景気抑制策を実施、これが昨年の昭和四十五年暮あたりから、効果を現わし、次第に景気が悪化した。今年の春になって、不景気は本格化し、急テンポで木材業界、建築業界におよびつつあった。
「イシ、これ、みろや。今朝の『日経』の記事よ」
そういって、上着の内ポケットから、しわくちゃになった新聞の切り抜きを取りだした。
「住宅売行き伸びず」という、四段ぬきの記事で、「業者建設手控え」「売りさばきに一年も」などという見出しがならんでいる。
石山が読んでみると、「住宅難にかかわらず、民間の住宅建設に需給の|ゆるみ《ヽヽヽ》が目立ってきた」とあり、「住宅建設に供給過剰のきざしが見えてきたのは、四十二年ごろから始まった住宅ブーム以降はじめての現象」と「日本経済新聞」の記事は報じていた。
「住宅建設戸数の対前年度比伸び率が、当初見込みの八二・九%から実績見込みで三二・五%となった」こと、さらに「これまで建設してから三カ月前後には完売されていた住宅の販売期間について八カ月〜一年も売れ残ったままのものの割合がふえてきた」ことなども報じられている。
「外地にいると、どうもぴんときませんがね、この不景気はほんものなんですかね」
石山は切り抜きを手にしたまま、訊ねた。
「フィリッピンじゃ、材の値段は下っちゃあいないですよ」
「いや、マレーシアやネシア(インドネシア)の材はもう値下りしてるよ。国内の売値は軒なみ、おっこってるな」
ビールが運ばれてきて、ふたりはコップをあげた。
「うちも、コンパネとうす板と両方手がけてるから、なんとかリスクを散らしてるがな。来年、おまえが出張してきたって、こんな豪勢な寿司屋にゃあ、案内できないかもしれねえぞ。ラーメンおごるのが、関の山じゃねえか」
与田は真面目とも冗談ともつかぬ口調でいう。
与田のような下町育ちには、とかく深刻な事態を茶化したがる傾向がある。
石山は、小寺やフランクが、ミンダナオ東海岸のラワン買いつけに奔走しているのをおもいだし、少し気になった。
「鴻田はね、今、ミンダナオで、新しい商売始めようとしてるんですよね」
「ああ、聞いてるよ。東京の丸永と清水の中村商店に売ろうってんだろう」
与田は万事心得ている顔でいった。
「知ってのとおり、丸永は大手だし、清水の中村商店も規模は小さいが、しっかりした会社だから、間違いはねえやな」
「しかし、この日本の活気はただごとじゃないですよ。不景気なんて一時的なもんでしょう。すぐ回復しますよ」
石山は羽田の雑踏をおもいだして、いった。
与田は、箸先きにつまんだとろを、醤油がたれないように、手のひらを受け皿にして口に運びながら、
「おまえな、この不景気が一時的なものだとするな。それで、おまえが銭を沢山ためこんでる大企業だった、とするよ。おまえならどうするね」
そう訊いて、とろをつるりと口に入れて、舌鼓《したづつみ》を打った。
「こういうご時世になると、立場の弱いやつをおもいきり叩いて、値段を下げさせてな、ひと儲けしようなんてやつが、必ず出てくるんだ。中小企業はのせられないように用心しなきゃ、いけねえのよ」
そういって、ちょっと光る眼で、石山を眺めた。
寿司のあと、石山は、向島の料亭に連れて行かれ、酒を飲ませて貰い、十二時過ぎに吾嬬町の自宅に帰った。
父親は早々と寝てしまっていたが、母親の咲子はちゃんと起きて待っていた。
「お土産だよ」
石山が、フィリッピン特産のバナナの繊維で織ったテーブル・クロスやハンカチ、ブラウスなどを咲子に差しだすと、
「おや、|シ《ヽ》リッピンのひとは、裸で暮してるんじゃないのかい」
煙管《きせる》みたいに長いパイプを、これも煙管をくゆらすみたいな手つきで吸いながら、いう。
「フィリッピンにはね、七千も島があって、四十いくつかの人種が住んでいるんだからね、そりゃ、裸で暮す山岳民族もいるんだよ。だけど、街に住むひとは、夏の日本と変らない格好をしているよ」
咲子は、バナナの裂地のブラウスを手にとり、
「へえ、きれいなもんだねえ。だけど、これ着たんじゃ、透けちまって、裸とおんなしじゃないか」
などという。
「透けてみえやしないよ。バナナの繊維で作った、バロン・タガログなんてシャツは、最高の正装でね、これ着て大統領の前に出てもかまわないんだけど、下にちゃんと首まであるシャツを着なくちゃいけないんだよ」
石山は、久かたぶりに母親と顔を合わせたのに、たちまち外国音痴の咲子の態度にいらいらし始めた。
「とにかくフィリッピンのマニラは、お母さんの考えているのとは正反対の近代的な町なんだ。女の子なんか、ここらのスタイルのわるい連中が束になったって、かなやしないよ」
そういいながら、石山はちらりとレオノールの長い脚をおもいうかべた。
「そうそう、女の子っていやあ、お前が帰ってくるってんで、あちこちにお願いしてね、縁談を集めといたよ」
咲子はそういって、茶箪笥の上から、ぶ厚いファイルを持ってきた。
「あんまり多いから、店の若いのに、整理させといたんだけどね」
ファイルには、娘たちの写真と履歴書が、一件ずつビニールの袋に納められている。律義な経理の社員あたりがやったのだろう、呆れたことに、袋には分類の耳が貼ってあって、「二十三歳以上」「二十三歳以下」に大分類され、さらにそれが、「下町」「山手」「雑」に小分類されている。
石山はうんざりして、ファイルをめくる気にもなれない。
「今度はね、別に見合いしにきたんじゃないんだよ」
石山はいった。
「それじゃあ、なにしにきたんだい」
「傘を三百本ばかり買いにきたんだ。お母さん、知り合いの問屋を紹介しておくれよ」
シスター・エメリイの愛徳姉妹会に寄付する傘の購入が、石山の出張の第一目的であった。
翌朝、吾嬬町の自宅の二階に寝ていた石山は、隣家の細君が、犬に話しかける声で眼を覚した。
隣家の五十代半ばの夫婦は、愛玩用に血統書つきのダックスフントかなにかを飼っていて、子どもがいないせいか、この犬を人間扱いして、熱愛している。
「さあ、シャンプーでよおく洗ったげますからね、|ぶるぶる《ヽヽヽヽ》したりしないで、おとなあしくしてて頂だいよ。シャンプーで洗ったあとは、リンスで仕あげしたげるからね」
そう愛犬に話しかける、細君の甲高い声が聞えてくる。
──相変らず子どもの頭を洗っているような騒ぎだな。
東京に暮していたとき、毎朝目覚し時計のように聞いていた、隣家の犬との会話を久かたぶりに耳にして、石山は下町に帰ってきた実感を味わった。
しかし、隣家も、一年前までは、ふつうの化粧石鹸で犬を洗っていたのではなかったか。それがペット専用のシャンプーやリンスまで使うようになっているらしい。昭和元禄と呼ばれる時代も、最盛期にきている様子であった。
「さあ、タオルでよおく拭いてあげますからね。もうぶるぶるしてもいいのよお。このふわふわのタオルにくるまってね、お茶の間のほうにゆきましょう。どう、お大名になったような気分じゃない」
そこで、石山は、ふいに超大型のバスタオルに、シャワーを浴びた、細身の裸身を包んで、ベッドに戻ってくるレオノールの姿をおもいうかべてしまった。
水浴びした犬の姿がふいにレオノールの裸身にすり替ってしまったのである。
レオノールの父親、ドクター・アランフェスにパンツ一枚の裸の現場をおさえられ、あまつさえ、支店長の自宅にまで乗りこまれて、石山は私生活の恥を洗いざらい、さらした感じになった。
あんまり赤恥をかかされたので、「坊主憎けりゃ」のたとえではないけれど、アランフェス医師に対する不快感が、娘のレオノールにまでおよび、「あんな女、いつでも放りだしてやる」と力んだような気持でおもい、一時期は、レオノールのことをおもいだすのも業腹であった。
先方から、電話なり手紙なりで、連絡してきたって、無視してやる、会ってやるものか、と繰り返し胸のなかで呟いて、石山は暮してきたのだが、レオノールの方からは、その後、なんの連絡もない。
東京の実家に戻って、気分が解放されたせいか、石山はやっと素直な気持になって、シャワーを浴びたあとの、水をはじいて冷たく肌理《きめ》の締ったレオノールの躰をまざまざとおもいだし、欲望の高まるのを覚えた。石山の腕のなかにすっぽり入ってしまい、細い骨がしなしなと撓《しな》るような躰である。
シャワーを浴びたレオノールは、石山がだらしなく寝ころんでいるベッドに滑りこんできては、石山の腕のなかで「タカ、キスして」「タカ、そっちのテーブルの煙草、取って」と「タカ」を連発したものであった。
自宅に初めて石山を連れこんだときの、芝居気たっぷりのしのび足や紙と鉛筆を使っての会話、とてつもなくおおきな鏡獅子の人形を眼にしたときのレオノールの昂奮ぶりなども、いかにも可愛げにおもいだされてくる。
石山は頭を振って起きあがり、二階の裏の物干し台に出た。
青空の下、緑の樹木は一本だに見えず、家々の屋根が見わたすかぎり、びっしりと拡がっている。
森林のようなマニラのフォルベス・パークとはもちろん、独身寮のあるマガリアネスあたりと比較しても大違いの風景であった。
自宅の階下からは、母親が、仏立宗の朝の勤行を始めるらしく、「おそっさま」に向ってカチカチと黒檀の拍子木を叩く音が響きだした。
冬のあいだ、「おそっさま」、日蓮上人像の頭には、上人の鎌倉法難に因んだ、綿帽子がかぶせられているが、そろそろあの帽子を外す儀式の行われる時分である。
真下の、犬を熱愛している隣家からは、天麩羅を煮るらしい匂いが、立ちのぼっていて、石山の鼻孔を刺激する。
昨夜のお菜の残り物の精進揚げかなにかを煮こんで、天丼にでもして食べようというのだろうが、朝から天麩羅を煮こんで天丼を食べるあたり、下町的といえば、下町的な感覚であった。
──この屋根の大群を見て、仏立宗のお経と拍子木の音を聞いて、天麩羅を煮る匂いを嗅いだら、レオノールも肝をつぶすだろうな。
石山は、今更ながら、レオノールと自分との組み合わせが、とてつもなく現実離れしたものにおもえてきて、顔をしかめた。
しかし、現実離れしていて、適わぬ恋と感じれば、その分だけレオノールの脚の長い、細い骨の撓るような肉体へのおもいはつのるようで、石山はかつてなく、拍子木の音と天麩羅の匂いをうとましくおもった。
隣家の天麩羅の匂いが漂ってくる茶の間で、咲子は、
「隣りはね、もう犬に夢中なんだよ。かけ合わせて、子どもができると、何万円だかで売れるんだってよ。いってみりゃあね、毎日犬を洗ってるんじゃなくてあれは金の卵を洗ってるんだね。まあ、金の卵洗うより、犬を洗うほうが体裁はいいやね」
そんなことをいう。
こちらは天麩羅ならぬ味噌汁、焼き魚、生卵の簡単な朝めしを食い、石山は、神田美土代町にある、鴻田貿易本社木材部へ挨拶にでかけた。
木材部の大部屋に入ってゆき、隅に机を置いている、木材部長の河野の席に近寄ってゆき、「ご無沙汰しております。マニラ支店の石山です」と声をかけた。
禿頭の河野は書類から顔をあげ、デスクに置いてあった金縁眼鏡をかけて、
「ああ、荒川ベニヤから出向して貰っている石山君だね」
赴任前に一度挨拶にきたきりだのに、河野は石山の顔を覚えていたらしく、そういった。
「じつは、きみにちょっと話があってね」
河野はいって、窓ぎわの応接セットにすわるように、石山にすすめた。
「きみには、荒川ベニヤさんに引きとって貰っている、ディビラヌエバの材の検木をお願いしているわけだけどね、マニラの店じゃ、ご存知のとおり、今度ミンダナオのリアンガ近くの材を買うことになったわね。あれの検木も、きみにお願いできないか、とおもってね」
河野は、微笑しながら、いった。
「私自身は、別段かまいませんが、うちの社長の与田がなんといいますかね」
石山は、少し弱って、頭髪を掻きあげた。
「私が鴻田貿易さんのマニラ支店へ出向しているのは、荒川ベニヤが扱わせていただいている材の検木をするためなんですが、今度のミンダナオの材は、丸永さんと清水の中村商店のお扱いでしょう。競争相手の会社の検木をやって、あとで問題になっても、困りますしね」
石山は、鴻田の出向社員から、原籍の荒川ベニヤ社員の立場に返って、はっきりとものをいった。
「いや、きみはメインじゃなくていいんだ。鶴井君かローカルのフランク・佐藤が、検木の責任はとりますよ。きみはそれを手伝ってくれればいいんでね、それもルソンの赤ラワンのほうが閑なときでいいんだよ」
それじゃ、ルソンとミンダナオの田舎ばかりほっつき歩くことになるじゃないか、と石山は考えた。フィリッピンの田舎の海のうえで丸太遊びして、あたら貴重な青春をつぶしてしまうことになるのではないか。
「しかし鶴井さんもフランクさんも、検木のエクスパートですからね、本腰入れて検木やったら、あっという間に終っちまいますよ。私なんぞの出る幕はないんじゃないですか」
石山は、なんとか、この新しい仕事から逃れようと抵抗した。
所詮、筋の通らない話なのである。
「いやね、石山さん」
河野は「石山君」を「石山さん」に改めて、敬意を表するような顔になった。
「あなたも、与田社長あたりから耳にしているだろうけど、ここのところ、材の値下りが起っているだろう。現地で値ぎめがごたごたもめる可能性があるんだな。そうすると、値ぎめのあと、急いで配船しなくてはならなくなって、一度に二隻、|二九 九《にいきゆうきゆう》をまわすなんてことにもなりかねないんだよ」
河野は眼鏡のふちを押しあげていう。
「この不況は本格化しそうなんですか。外地から見ていると、日本は、えらい活気にあふれているように見えますがね」
石山は訊ねた。
河野は、レンズの奥の眼をしばたたいて、
「私もね、不況が長びくとはおもわないな」
と低い声でいった。
「日本の経済成長は、そう簡単に鈍化しやせんよ。この不景気だって一時的なものだとおもうね。必ず近いうちに、丸太の消費量一億|立方《リ》|メー《ユー》|トル《ベ》、国民ひとりあたり、一年一リューベ消費の時代がきますよ。一時的な不景気なんぞに眼が眩んじゃいかんのだよ」
相手が一時的にせよ、鴻田貿易の社員になっている男とおもい、気を許すのか、河野は本音を吐く口ぶりであった。
赴任前、挨拶にきたときは、よくわからなかったが、河野はなかなか強気の、高度経済成長支持者のようであった。あるいは鶴井とおなじ体質の人物なのかもしれない。
「とにかく検木の件は早急にどうのこうの、という問題じゃない。改めて与田社長にも相談して、OKを貰いますよ。そのうえで、きみに連絡するよ。まあ、きみもしっかりやってくれや」
と河野は、またぞんざいな口調に戻って、石山の肩を叩いた。
木材部の大部屋を出ようとすると、同業の合板会社の顔見知りの社員と鉢合わせをした。
「あんた、海外にゆく前に、土地、買《こ》うたか」
顔見知りの関西の合板屋の男は、いきなりそんな質問をする。
石山が首を振ると、
「あんた、このインフレのご時世に、だめやないか。海外に赴任する前に、土地|買《こ》うとくのは、常識やで。今からでも遅うないんやからね、土地、買うて帰ったら、どうや。土地、買う金、あらへんのやったら、せめてゴルフ場の会員権、買うてゆけや。ごつう儲かりまっせ」
親切ごかしにそう勧めて、石山の肩を叩いてゆく。
タクシーを荒川ベニヤまで奮発することにして、車に乗りこむと、タクシーは、気狂いじみたスピードで飛ばしては、横断しようとする路傍の老婆を口汚くののしり、ひっきりなしに警笛を鳴らす。
──日本じゅう、金儲けに狂ってるのと違うか。
石山は、自分もおもわず大阪弁になって、呟いた。
町屋にある荒川ベニヤに着いてみると、社長の与田は、工場のほうに行っている、という。
まるでりんごの皮を剥くように、ラワンをくるくると薄板に削り取っている工場の真中で、与田はしゃがみこんで、古株の工員と話しこんでいた。
「昨夜は、お世話になりました。美土代町のほうに、挨拶に行ってきました」
「あの二流商社、えれえ鼻息だろう。ここんところな、おっそろしい勢いであぶく銭が流れこんでくるもんだから、あの会社も、長屋の息子が、小遣い沢山貰って、昂奮しているようなあんばいになっちまったよ」
与田は、悪口を叩いた。
「近頃、鴻田木材部は商売拡げようと焦って、マレーシアのサバあたりでも、えらい高値だして、ほかの商社の商売、横どりしちまうって話だぜ」
「いやね、河野部長に会ったらね、丸永や中村商店が買った材の検木もやれ、というんですよ」
石山は、事情を話した。
「ふうん」
と与田は顎を撫でた。
「まあ、おまえとしちゃあ、一宿一飯の義理ってこともあるから、手の空いてるときは、あちらさんの検木も手伝ってやれや。ただし、こちとらの商売、忘れんじゃねえぞ」
「やれやれ、こうドサまわりばかりやらされたんじゃ、おれも婚期、逸しちまうな」
石山は、愚痴をいった。
石山は、母親の長唄仲間を通じて、横山町の大手の傘問屋、高林を訪ねて、レインボウという銘柄の雨傘二百本、折りたたみの傘百本を注文し、マニラに送って貰うよう、手配を頼んで、羽田を発った。
帰りには、またマニラへの手土産の件で、咲子とひと悶着あった。今度は、長命寺の桜餅ならぬ、言問団子《ことといだんご》を山のように持って帰れ、というのである。
「おれは和菓子屋の駐在員じゃないんだよ、お母さん。毎回、馬鹿のひとつ覚えみたいに菓子持って帰るのはかなわねえよ」
石山は文句をいったのだが、咲子は、息子の言葉尻を捉え、
「どうせ、あたしは馬鹿ですよ。その馬鹿の腹から生れたおまえは、いったい、どこのなにさまなんだい。馬鹿の息子にしちゃあ、さぞかしお利口さんなんだろうよ」
などと凄みだして、手がつけられない。
「どうせ、和菓子を持って帰らなきゃならないんなら、堤通りの志満ん草餅のほうが、よかったな」
「お利口さんがそんなこといっていいのかい。まだ草餅の時季にゃあ、間があるだろ」
結局、大量の言問団子を文字どおり担いで、石山はマニラに帰ってきたのである。
帰任した石山は、小寺に、内地の材木業界の不況ぶり、それと対照的な鴻田本社木材部の強気ぶりなどを報告した。
「とにかく、一年ちょっと留守にしていた間に、内地はえらい変りようですよ。今の日本は、インフレとインフレをあてこんでの投機と、なんか気狂いじみていますよ。ひとに会えば、今のうちに土地買っとけ、ゴルフ場の会員権買っとけ、とこうですからね。とにかくやることなすこと金儲けのためのようで、いやになるくらいです。あれ見てると、木材不況だって、じつは一時的なもんじゃないか、という気さえしてきますね」
小寺は、「ふうん」と唸った。
「こう高度成長が続けば、成金気分で浮かれてしまうのも、無理ないけどな、外地にいるわれわれまで浮かれてしまったら、えらいことになるぞ。われわれは、あくまで、冷静にかまえてなきゃ、いかんのだよ」
自分を納得させるような口ぶりでいった。
二週間あまり経って、横山町から石山の注文した傘がとどき、通関がすむと、小寺はシスター・エメリイに連絡をとって、修道院に傘をとどけることになった。
「ちょうどね、復活祭の慈善バザーが、修道院で催されるらしいんだ。簡単な昼食も用意してあるから、よかったらバザーに出席がてら、昼に傘をとどけにきてくれ、というんだ」
小寺がいい、石山が小寺に付き添って、愛徳姉妹会の修道院にでかけることになった。
復活祭のバザーは、ずいぶん大仕かけのようで、四月の暑い夏の陽差しの下、修道院の庭に沢山の高級車がとまり、大勢の家族連れが往き来している。
修道院は、地続きで、カトリック系ミッション・スクールのセント・イザベラ大学に接しているが、その校庭いっぱいに店が出ていて、学生らしい若い女性たちが、売り子に駆りだされていた。
村祭りを巡回してまわる遊園地も出張してきていて、えらい時代物の回転木馬が、賑やかに子どもたちを空中にはねあげて、くるくるまわっている。
「おや、フィリッピンにも、綿菓子があるのか」
傘の箱を、会社の運転手ふたりに車から降させながら、小寺が、なつかしそうに眼を細めていう。
「杉並の善福寺の公園で売ってたのと変らないじゃないか」
綿あめ売りは、昔そのままの道具をたずさえて、煙状に溶けたザラメを割箸にまきつけている。
「違うのは、あの割箸が、フィリッピン製ベニヤで、すぐに折れてしまうってことくらいでしょう」
と石山がいい、ふたりは笑った。
最近では、爪楊枝や割箸もフィリッピンで製造されるようになって、韓国や台湾と競いながら、日本に輸出している。ただしフィリッピン国内の内需に向けられる割箸は、ベニヤ板のように、木片《チツプ》を貼り合わせたもので、すぐに折れてしまうのであった。
「復活祭にようこそいらっしゃいました」
派手な英語が響いて、玄関口にシスター・エメリイが姿を現わした。
「どうぞ、そのまま、昼食会の会場にいらしてください」
シスター・エメリイは、すこぶる愛想がよかった。先きに立って、小寺と石山を復活祭の昼食会場に案内してくれる。
小寺と石山は、傘の箱のひとつを運転手ふたりに運ばせて、修道院一階のホールに入って行ったのだが、シスター・エメリイは、両手を叩いて、
「日本のミスタ・オデラとミスタ・イシヤマが、フィリッピンの貧しいひとびとのために、傘を寄付しにきてくださいました」
とおおきな声で、来会者に告げた。
コンクリートのたたきのホールでは、ビュッフェ形式の昼食会が行われていて、フライド・チキンや豚《レ》|の丸《チ》|焼き《ヨン》の匂いが、漂っている。
昼食会に招かれているのは、イザベラ大学の後援者や、卒業生の有力者、修道尼の家族、親類といったひとたちなのだろうが、白人系に混血、顔と手足の小さいフィリッピン人が数多く目につき、総じて上流ないしそれに準ずる階級のひとたちのようであった。
「学校の後援会の役員の方、前にお進みください。愛徳姉妹会を代表して、傘の寄付を受けていただきます」
シスター・エメリイは、一方的にそう申しわたした。
シスター・エメリイとしては、小寺と石山、つまり鴻田貿易からの寄付を、修道会でなく、イザベラ大学の後援会に受けさせて、自分の影響力を高めたい、と考えているようであった。
まず二人の中年女性が進みでて、それから「あなた、なに愚図愚図しているの」などと肩を押されて、三人目の女性が進みでた。
その三人目の中年女性の顔をみて、石山は「あっ」とおもった。レオノールの母親のアランフェス医師夫人だったからである。
小寺は、「復活祭のおめでたい日に、雨期のある国から、おなじように雨期のある国へ、雨に関係のあるささやかな贈り物をしたい」と挨拶をし、盛んな拍手を浴びつつ、三人の女性と握手を交わしたが、石山は、顔を伏せて、レオノールの母親の顔をみないようにして、立っていた。
小寺はレオノールの母親には、コレヒドール行の船旅行や、ミランダ家のパーティで一緒だったのだけれども、顔を記憶していないらしく、いとも晴れやかな笑顔で、彼女らと雑談している。
石山は、小柄な小寺の背後にかくれようとあとずさりしながら、ふいに鋭い視線を横顔に感じて、そちらに眼を向けた。
レオノールが、修道尼と神父たちの背後に立っていて、じっとこちらをみつめていた。顔の皮膚が総毛立っているような真剣な表情で、きらきらと輝く視線が光芒を放っている感じであった。
石山は、動転して、正面に向き直り、ホールの壁についた|しみ《ヽヽ》を一生懸命に眺め、それから、シスター・エメリイになにかを話しかけようとしたが、レオノールのいる側の頬がかっと熱くなるばかりで、全然言葉が浮かんでこない。
レオノールが以前に「ウチの母は、いろんなひとの名付け親になっているでしょう。その名付け子の関係で、いろんな学校の後援会の役員をやらされているのよ」と喋っていたのをおもいだした。
小寺と石山は、シスターたちの持ってきてくれた、フルーツ・パンチを飲み、豚肉をかじったが、レオノール親子の出現に衝撃を受けた石山は、食物がろくに喉を通らなかった。おなじ会場にレオノールがいるとおもっただけで、いても立ってもいられないような感じになる。
小寺のほうは、日本の夏祭りに似た、校庭の風景に心を奪われている様子である。たまりかねたように、
「石山君、綿菓子を試しに行ってくるよ」
そういって、ホールを出て行った。
その直後、ホールの一隅で、騒ぎが起った。まわりの、バーベキューの牛肉の串刺しをかじっていた招待客が、そちらへ動いてゆく。
「アランフェスさんのお嬢さんが、倒れちまったよ」
色の黒い、背のたかい神父が、そう叫んでいる。
「どうしたの、急病ですか」
だれかが質問し、神父は「わからん」というように首を振った。
まもなく数人の男たちが、細身だが背の高いレオノールをかかえて、ホールから運びだした。
母親が、眉を寄せ、首を振りながら、付き添って出てゆく。
石山は、揺れ動く招待客の人ごみにもまれて、呆然として立っていた。それから、これはあのレオノールの身に起ったことだというおもいがふいに湧いた。急いでアランフェス親子のあとを追った。
かかえられたレオノールについて、野次馬の群が玄関のほうへぞろぞろ動いてゆく。石山は人ごみを掻き分けて走ったが、修道院の玄関までくると、人が混みあって、動きがとれなくなった。
東南アジア特有の椰子油の匂いが、人々の躰から立ちのぼって、鋭く鼻孔を刺してくる。
ようやく人混みをわけて、玄関先きに出てみると、ちょうどレオノールが、アランフェス家のキャディラックにかつぎこまれたところであった。
キャディラックの後部座席の背にもたれたレオノールは、苦しそうに眉をしかめて、眼を閉じ、片手を額にあてている。呼吸が荒いのか、胸が激しく上下していた。
「レオノール」
石山は、おもわず叫んだ。
「レオノール、大丈夫か」
レオノールは眼を閉じたままである。
ちょうど、レオノールの母親が向う側のドアからキャディラックに乗りこもうとしていたが、動きを止めて石山を見た。瞬間、石山を睨むような表情をとり、なにかいいたげに唇を開きかけたが、単に唇を動かしただけで、そのまま、車に乗りこんだ。
腕を強く掴まれて、石山が振り向くと、運転手兼ガードマンのドミンゴが立っていて、
「|心配ないよ《ノー・ウオーリー》、|心配ないよ《ノー・ウオーリー》」
と叫ぶようにいう。
ドミンゴは、おおきな眼配せをしてみせ、そのまま運転席にすべりこんで、車は走り去った。
傍らの招待客が部屋に戻りながら、
「あんなにお酒あおって、レオノール、大丈夫かな、と私、心配しながらね、彼女をみてたのよ」
「いくら弱いフルーツ・パンチだっていっても、アルコールはアルコールですものね。飲み過ぎたら、ひっくり返るわよ」
そんなことを囁き合っている。
「そうか、知らなかったな。レオノールさんがきていたのか」
気がつくと、小寺が石山のすぐ脇を歩いていた。
「お酒飲み過ぎてひっくり返っちゃったそうだが、彼女のきみに対する惚れようは、大変なもんだな。これは、おれも考え直さなきゃいかんかな」
小寺は、頭をふって、そういった。
その週末、石山は、小寺の家に招ばれたが、細君の百合子に挨拶しようと台所に入ってゆくと、百合子はメイドを指揮して、日本茶のストックを作っているところであった。
百合子の日本茶の作りかたは独特で、日本流に熱湯を茶漉《ちやこ》しに注いで作るのではない。熱湯を冷蔵庫に入れて冷やし、それにピンポン玉大の、まるい茶漉しを半日浸して、冷えた煎茶のストックを作る。この土地で熱湯を注いでお茶をいれると、赤く変色するが、冷水でいれたお茶は、いつまでも美しいグリーンのいろを保っている。
「石山さん、お安うないよ。このあいだは、レオノールさん、大変やったっていうやないの。あの娘、あなたに久しぶりに会うて、胸が高鳴り過ぎて、気絶してしもうたんやってね」
百合子は、ピンポン玉型の茶漉しに茶を詰めているメイドの手もとを眺めながら、冷やかし半分の口調でいった。
「いや、そんなにロマンチックな話じゃないですよ。私の顔を見るのも不愉快だというので、お酒、飲み過ぎたんじゃないですか」
修道院の昼食会場から、レオノールが失神して運びだされるのをみてから、数日間、石山はさすがに衝撃を受けて、寝つきがわるくなった。
しかし、あの失神騒ぎが偶然の事故で、自分との再会には関係ないのではないか、という疑問も抜けないのである。
だいたい失神するほど、おもいつめているのなら、学校から電話の一本くらい、入れてきてもいいではないか、そういう日本の男特有の身勝手な気持が顔をだしてくるのであった。
「石山さん、私、京都の同志社を出たんやけどね、同志社には、有名なオーチス・ケリーいう先生がいはるのよ。この先生の奥さんがレオノールさんとおなじ女医さんでね、どこかの病院で働いてはったわ。女医さんかて、探したら、日本にも職場はあるんよ」
どうやら百合子は、失神騒ぎを起したレオノールにすっかり同情して、石山の気持を鼓舞しようとしているらしかった。
「百合子、寝ている子を起すようなことをいっちゃいかんよ」
台所の会話を小耳にはさんで、小寺が居間から台所にやってきた。
「私は、娘の寝室覗いたり、会社の上司に会いにきて、交際を禁止させたりする親父さんのやりかたが気に入らんの。あの親父さん、戦前のハリウッドの俳優みたいに、のっぺりした顔しとって、どうも好かんわ。石山さん、あんな父親の鼻、あかしてやったらええのよ」
百合子は、ずけずけという。
「どうもきみは激しくていかんな」
小寺は苦笑し、
「しかし石山君、おれもあの事件にはちょっと参ったね」
といい、急に生真面目な顔になって、
「きみがどうしてもレオノールさんと添いとげたいというのなら、それはそれでいいんだよ。きみも立派な大人なんだし、最終的にはきみの判断できまるんだからな。去年の暮に年端のゆかない子どもを叱るような、お説教をしちまったが、あれは忘れて貰ったほうがよさそうだな」
「添いとげる、だなんて、支店長も年が知れる言葉を使われますね」
石山は冗談にしてごま化し、グリーンの冷茶をコップに注いで、すすった。
翌週の月曜日、月曜会議が開かれていて、空席の目立つ事務所で、石山は、オノフレ・マーパの部下に電話を入れ、ディビラヌエバでの次の検木について、打ち合わせをしていた。
すると秘書のアデールが傍らにきて、石山の前にメモ用紙を差しだした。
「カウンターにお客さまが待っています」と書いてある。
受話器を耳にあてたまま、振りむくと、カウンターにガードマンの制服姿のドミンゴが立っていて、片手を軽くあげてみせた。
用件を急いで終えてカウンターに行くと、ドミンゴは、「ハロー、ミスタ・イシヤマ」とまるで昨日別れたばかりのような気やすさで挨拶をして、「この手紙をすぐに読んで、返事をください」という。
ドミンゴの差しだした宛名なしの封筒を開いてみたところ、
「このあいだは、ほんとうに驚きました。
明日のお昼にドミンゴを迎えにだしますから、パサイにあるお友だちのアパートにきてください。
[#地付き]レオノール」
愛用のティファニー製の水いろの書簡箋に例のごとく、律義な、きちんとした字でそう記してあった。
「OKだ、と伝えてください」
ドミンゴは、上気した石山の顔を、不思議なものでも見るようにじろじろと眺め、手を振って、大部屋を出て行った。
翌日の昼過ぎ、ドミンゴが案内したのは、マニラ湾に面して建っている、八階建ての古めかしい、スペインふうのアパートであった。
階下のセキュリティ・ガードに促されて、姓名と住所をおおきなノートに書き終えると、ドミンゴは、ひとりで行ってこい、というふうに合図をした。
石山は昔の三越のエレベーターをおもいださせる、竹矢来みたいな扉のついたエレベーターに乗って三階に昇った。
三階の廊下には、玄関と台所口なのだろう、一戸あたりふたつのドアのついた部屋がならんでいる。
ドミンゴに教えられた部屋の、玄関とおぼしき方のドアをノックすると、内側からドアが開かれ、レオノールが姿を現わした。しかし、レオノールは、顔を伏せて、石山を正視しようとしない。
暗がりで表情がわからず、久しぶりに会って照れくさいのだろう、と石山はおもい、抱き寄せようとすると、意外に力の入った手で、石山の躰を突き放した。
十二畳ほどの、大理石を敷いた応接間《サラ・ルーム》の真中に、レオノールは腕組みをして、仁王立ちになり、
「タカ、どうしてあのあと、庭で待っててくれなかったの」
石山の予想もしなかった言葉をぶつけてきた。
レオノールの背後には、大窓をとおしてマニラ湾の巨大な海が拡がり、逆光を受けて、黒く影になったレオノールの顔のなかで、両眼がきらきらと光っている。
「あのあと、私が両親にひどく叱られるとわかっているのに、なんでひとりでどんどん帰っちゃったの。庭で待ってて、私が叱られたあと、慰めに戻ってきてくれてもいいじゃないの」
こういう発想は、石山には縁がなかったから、虚を衝かれた感じで、黒く影になったレオノールの顔をみつめた。
「朝、門のところで待っててくれてもよかったじゃないの。学校へ会いにきてくれたっていいじゃないの。それを電話一本くれないんだから、ひどいわ」
激しい視線に石山は、たじろいだ。
娘の父親に怒鳴られたのだから、娘のほうから謝ってきて当然、というのは、どうやら日本流の考えかただったようであった。
「きみのお父さんが、あんなに怒る以上、万事おしまいだ、とおもったんだ。フィリッピンの娘は、特に上流階級の娘たちは、両親のいいつけに素直に従うんだろう」
「それでは、まるで私に人格がないことになってしまうじゃないの。タカは、そんな人格のない娘を好きだったの」
ひさしぶりにレオノールの躰を抱ける、と期待してやってきた気持に水をかけられたぐあいで、石山は閉口し、額を手の甲でこすった。
「それとも、父に叱られて、これは、この娘と別れるいいチャンスだ、とおもったの。フィリッピンの愛人《ミストレス》を切り捨てる、いい機会を父が与えてくれた、そうおもって、父にお礼をいいたかったんでしょう」
レオノールは昂奮のあまり、睫毛《まつげ》に涙の粒を止らせ、鼻孔をふくらませている。
「いいか、レオノール、きみも日本に何度か行っているから、想像がつくだろうが、戦前はともかく、現在の日本にはフォルベス・パークのような、立派な住宅地はまったく存在しないんだよ。そのフォルベス・パークの娘と恋愛におちるってのは、大変なことなんだ。日本の男にとっては負担がおおき過ぎるんだ」
フォルベス・パークのような、高級住宅地を市街地に持つ都市は、日本はおろか、欧米にもそうざらには見あたらないだろう。ロスアンジェルスのビバリイヒルズ、あるいはニューヨークの郊外に見られるくらいだろうか。
「だいたい負担がおおきくて、あれこれ悩んでいるところへ、お父さんに怒鳴られてごらんよ、衝撃《シヨツク》はおおきいよ。これは諦めたほうがいい、とだれだっておもうよ」
日本を知っているレオノールだけに、この説明は効果があったらしく、レオノールは小娘のように親指をくわえて、視線を外らした。
睫毛に止っていた涙がぽろりと落ち、石山がおもわず手を差し伸べると、レオノールは今度は素直に、石山の腕のなかに入ってきた。
骨が撓るような、細身の躰をじつに久しぶりに、石山は抱き締めた。
「わるかったね、レオノール」
レオノールはおおきく胸を上下させてから、
「タカ、このあいだ、お酒飲みすぎたとき、追いかけてきてくれたんですってね、ドミンゴから聞いたわ」
といった。
バス・ルームからタオルで躰を包んで出てきたレオノールは、寝室のベッド・サイドに置かれたおおきなピーコック・チェアにすわり、煙草に火をつけた。
「あなたがね、家にしのんでくるのが、両親にしれちゃったのは、独身寮のマリオが街でうちのリタに会って喋ったからなのよ。リタが給料増やして貰おうとおもって、母にいいつけたのよ」
「マリオが喋ったのか」
ベッドに横たわった石山は、ちょっと驚いて、レオノールをみた。
「うちはもうだめだし、マリオのいる寮にはゆかれないし、ここが使えて、助かったわ」
レオノールの説明によると、このアパートは、フィリッピン大学医学部講師をしている米人女性の借家だそうで、今年いっぱい米国に帰って留守なのだ、という。
「ときどき掃除をしてくれれば、あとはパーティに使おうと、ボーイ・フレンドを呼ぼうと、あなたの自由よ、といってくれたのね」
「たかが医学部の学生ふぜいに、どうしてそう親切にしてくれるのかな」
「それは、アメリカで、父に、臨床医学を教わったからよ」
そういって、レオノールはタオルで包んだ肩をすくめ、ちらりと舌をだした。
「だけど母ったら、おかしいのよ。このあいだの復活祭のバザーに出たあと、日本人にも、他人に寄付しようって気持があるんだね、って、ちょっと感心したみたいにいうのよ。この間の傘の寄付ですっかり驚いちゃったのね。日本人っていうのは、儲からないことには、手を出さない民族だとおもってたんだって」
いや、それはお母さんのほうが正しいよ、傘の寄付をした小寺のような日本人など、例外中の例外だ、と石山はおもった。
昭和四十六年五月末、ブツアンに行っているホベンチーノから連絡があり、運搬道路と貯木場がほとんど完成し、すでにラワンの伐採を始めたこと、アグサン木材と立方《リ》|メー《ユー》|トル《ベ》当りの価格を決定のうえ、積みだしの配船方願いたい旨、要請してきた。
六月に入った午後、鶴井がフランクのデスクにやってきて、
「ミンダナオの材について、本社から価格をいってきましたんでね、支店長室にきてくれんですか」
という。
鶴井が、ミンダナオのコンセッションから伐りだす丸太の価格について、本社とテレックスで交信しているのは、フランクも知っていた。
本来なら、この仕事はそろそろフランクのほうに降りてきてもいい頃なのだが、鶴井は自分のみつけた商売という気持が強いらしく、手放そうとしない。
支店長室にフランクが、顔をだすと、鶴井はバインダーにはさんだテレックスの紙片を叩きながら、
「内地の木材不況は、だいぶひどいようですね。それを受けて、本社の態度もだいぶきびしいようです」
つるりとした表情で、いう。
「きみはまるで関係のないような顔をしているが、本社が厳しい態度をとると、現場のわれわれが、その影響をまともにひっかぶることになるんだぜ。この前の融資の件はなんとか切り抜けられたけどね」
小寺は、苦笑して、そういった。
「いったい、本社はいくらで丸太を引きとれといってるんだね」
「リューベあたり二十九ドルです」
鶴井は、急に早口になって、そういった。
「二十九ドル?」
フランクと小寺は、同時に訊き返した。
「そうです。二十九ドルです」
二人の反応に、鶴井もさすがに緊張したらしく、バインダーを持った手が、小刻みに震えだした。
「鶴井次長、そりゃどういうことですか」
フランクは、頭に血がのぼるのを感じながら、小寺がなにかいいかけるまえに、詰問するようにいった。
「あなた、この間から、あの連中に三十五ドルで引き取るって連呼しとったじゃないですか。ロイヤル・ホテルで打ち合わせをやったときも、クエトオのやつが、四十ドルで引き取れ、と一発噛ましてきやがった。そしたら、あなたは四十ドルはきびしいけど、三十五ドルは保証する、といったじゃないですか」
シーチャンコやクエトオとの約束もさることながら、フランクにとって深刻なのは、この商売に幼な友だちのホベンチーノが絡んでいることであった。
本社の値ぎめいかんによっては、強引にこの取引きにまき込んだ幼な馴染みに、大損をさせる結果を招いてしまうのである。
「そういったかもしれないが、あのときとは状況が変ってしまったんだな」
鶴井は、フランクのほうを見ずに、小寺の表情をうかがいながら、そう答えた。
「しかしな、鶴井君。二十九ドルというのは、ひど過ぎる数字じゃないか。それに市況の悪化は、先だっての話し合いのときにも、充分予想できたはずだぜ」
と珍しく小寺は顔を赤らめ、強い口調になった。
「しかし、このところ急激に市況がわるくなりましたんでね、この材の納品先きの丸永産業と清水の中村商店が、リューベあたり一万四千円じゃないと、引きとれん、といってきたんですよ」
鶴井は、ふたりから眼をそらし、テレックスの白い紙に書きこんだ細かい数字を眺めながら、そう釈明した。
「一万四千円てことになりますとね、二十九ドルで買いとらんことには、採算がとれんのです。二十九ドルに船賃の協定料金が七ドル二〇ですから、これを加えてCF価格(運賃含み値段)、三十六ドル二〇になる。これに一ドル三百五十七円を掛けますと、一万二千九百二十三円、これにご存知の保険料、LC(信用状)開設料、金利なんぞが合わせて七パーセントほどかかってくる。七パーセントは九百四円だから、日本に揚げた丸太のネット・コストは、トータルして一万三千八百七十一円になってしまうんですね。売り値が一万四千円となりますとね、たとえ二十九ドルで引き取ったにしたって、百円なんぼしか儲からん勘定なんですよ」
と鶴井は、説明をつづけた。
木材の商売は、リューベあたり三百円乃至四百円の儲けをだすのが常識とされているから、これはたしかに常識を下まわる数字ではある。
「なるほど。それじゃ仮りにきみのいってた三十五ドルで引きとると、どうなるかな」
小寺は、抽きだしから算盤を取りだして、手早くはじいた。
「船賃七ドル二〇を加えて四十二ドル二〇、これを三五七倍して、ええと、一万五千六十五円、この七パーセントが一千五十四円だから、ネット・コストは一万七千百十九円になるか。これじゃリューベあたり三千円以上の赤字だな」
小寺は、使いこんだ古い算盤を空に持ちあげて、数字を読んだ。
「それにしても二十九ドルは恐れ入った数字だな。フランク君、今、ブツアンの相場はいくらくらいかね」
「だいたい、三十二ドルから上でしょう」
フランクは、撫然としていい、三人とも黙りこんだ。
しばらくして、
「これじゃアグサン木材は同意しないぞ。自分たちのいい値をおおきく下まわっているうえに、現地の相場を三ドルも下まわっているんだからな」
小寺の指がデスクをいらだたしげに叩いている。
「こりゃまた、ピストル持ちだして、おどかされることになるな」
小寺は、唇を結んで、腕を組み、天井を見あげた。
またフランクの胸に憤怒が、せりあがってきて、
「本社もいい|たま《ヽヽ》じゃないですか」
激しい言葉が口を衝いて出た。
「相手が材の伐りだしを始めると、その足もとにつけこんで、安い値段を押しつけてくるんだからな」
──戦時中の大本営にしろ、戦後の「ご本社」にしろ、内地の連中というのは、いつもいつもこうした自己中心的な発想を押しつけてきやがる。
少年時代からの屈折が、また頭をもたげてきた。
「自分は、アグサン木材にも、ホベンチーノにも、合わせる顔がありませんね」
「そうだよ。チャンさんのことを考えなくちゃいかん」
小寺は、敏感にフランクの胸中を察したようであった。
「鶴井君、とにかく先日のロイヤル・ホテルで君から聞いた感触とは、あまりに違い過ぎる。これじゃあ、フランク君のいうように、札びら切ってみせて、相手が乗ってくると、値切り倒す、闇ブローカーのやりかたと変らないぞ。ひとつ、本社に直々に問い合わせてみようや」
小寺は、秘書のフェイに頼み、本社木材部に国際電話を入れさせた。
二時間後に電話が繋がって、また一同が小寺の部屋に集まったのだが、本社では木材部長の河野は外出中で、その下の課長が、代りに電話に出てきた様子であった。
「きみ、二十九ドルなんて値段貰って、こっちは参っとるぜ」
小寺は、かなり強い調子できめつけたが、相手の課長は、しきりに内地の不景気を強調するばかりで、らちがあかないふうである。値ぎめの決定権は、河野が握っているらしい。
「内地の不景気も、四月に木材不況に対抗して合板カルテルが結ばれたのも、きみに今更教えて貰わなくてもね、皆、わかっているんだよ。問題はね、そっちにもそっちの事情があるだろうけど、こっちにもこっちの事情があるってことなんだ。こっちの事情からすれば、二十九ドルなんて価格をアグサン木材に呑ますのは、えらいしんどい話ですということなんでね、それをよく河野部長に伝えといてください」
小寺は、珍しく強い口調でそういって、電話を切った。
それから、鶴井のほうに向き直って、
「鶴井君、われわれが、フィリッピンくんだりまでやってきて、商売してるのは、なんのためだとおもう」
本社とやり合った昂奮の残る、赤い顔で、訊ねた。
「おおいに稼いで、鴻田貿易を、安定した一流企業に押しあげるためでしょう」
「それだけかね」
小寺は、鶴井の顔をじっとみつめて、反問した。
「入社試験の学生ふうに答えれば、ですね、日本の外貨の手持ち量を増やして、国力をつけることでしょう」
鶴井は、今更、なにを質問するか、という口調である。
「それだけじゃないとおもうよ。われわれだって、折角ここまできた以上、なにかを現地にプラスしたいやな。現地の工業化、近代化の手助けをするとかね。日本側の事情しか考えないんだったら、それこそ帝国主義の時代となにも変らんだろう。相手の立場を考える態度を忘れちゃいかんのじゃないかね」
これは、フランクがそれこそ何度も耳にした会話であった。
カバナツアンでユーソンが捕えられた際、ユーソンの邸内に乗りこんだ馬場大尉は、戦車第二師団の将校と、「聖戦の目的」について激しくやり合った。第二師団の将校が、「聖戦の目的は、国威の宣揚、とくに国力の充実である」と主張したのに対し、馬場大尉は「民族協和の理想をアジア全域に実現することにある」と反論したものである。
おなじ話の繰り返しではないか。いったいなにが変ったのか。
フランクは歯がみするようなおもいで呟いた。
「二十九ドルというのは、きみ、その意味で帝国主義的な数字だぜ」
小寺は、そういってから、かつての馬場大尉がそうであったように、照れた表情になって、
「まあいい、今回はダメモトでね。とにかく連中と話し合ってみるか」
妥協する発言をした。
気持の優しいところがあるから、徹底して対決するような態度はとれないのである。
小寺を中心に話し合った結果、とにかくこの案を携えて、ブツアンに行ってみよう、ということになった。
「今度は、鶴井君はここに残ったほうがいい。この前、言質《げんち》をとられているから、こっぴどくやられるかもしれんからな。私とフランク君で、ミンダナオへ行ってこよう」
と小寺はいった。
大部屋に帰ったフランクは、窓ぎわの席にすわろうとする鶴井を眺めながら、小声で、
「石山さんね」
呼びかけた。
「いくら不景気だっていったって、本社はなんで一万四千円なんて安値で、商売するんだ。そこが、後発企業の辛いところかね」
石山は、
「ああ、先刻きたテレックスの件ですか」
といった。ローマ字のテレックスを見て、石山は、状況を掴んでいるようであった。
「たしかに、高い金で買った材を、安く売らなくちゃならんのが、後発というか、御新規さんの辛いところではありましょうね」
石山は、あたり障りのない返事をした。
「それにしても、一万四千円は安過ぎやしないかね」
フランクは、おまえの本音をいってみろ、というふうに、石山の眼をのぞきこんだ。
「たしかに少々安過ぎる気はしますね」
石山は、考え考え、そう答えた。
小寺とフランクが、老婆のようなDC3型機に揺られて、ブツアンに着いてみると、早朝の空港には、ホベンチーノが、ジープならぬトヨタのランドクルーザーで出迎えにきていた。
「小寺さん、眠いでしょう。私の家に着いたら、少し休まれますか」
車を街に向って走らせながら、ホベンチーノが気を遣った。
「飛行機のなかで、少し寝てきたから、大丈夫ですよ」
じっさいの話、これから待ちかまえている、ホベンチーノやアグサン木材との、今後の折衝を考えると、休むどころの話ではない。
人口十五万の街、ブツアンにはメイン・ストリートが一本、通っている。そのメイン・ストリートの裏手にある、コンクリート・ブロック造りの家の二階を、ホベンチーノは借りていた。
二階に間借りしている、といっても、日本の感覚とはだいぶ異り、三十畳は楽にある居間を中心に、その前に、八畳の部屋が三つほどならんでいる。居間の外には二十畳はあるテラスがあり、食堂、台所もずいぶんおおきかった。
ホベンチーノは、八畳の一部屋を事務所にしており、自分はそこに寝るといって、あとの八畳間ふたつを小寺とフランクの寝室に提供してくれた。
「チャンさん、生憎、日本の木材市場が不況で、えらく値下りしましてね」
サラ・ルームでメイドのだしてくれたコーヒーをすすりながら、小寺は早々と切りだした。
ホベンチーノが相手の場合、余計な配慮はせずに、ずばり用件に入ってしまったほうがいい、とおもったのである。
「それはブツアンにいてもわかりますよ。日本の大手の連中は相変らずだけど、中小の動きがにぶい感じだからね。不景気は、まず中小の連中に影響がでるんですよ」
それから、おおきな眼玉を光らせて、身を乗りだしてきて、
「本社は、FOB(本船渡し)いくらにしろ、といってるんですか」
いかにも日本企業との商売には物慣れている、といった様子で訊ねた。
「いい難いんですが、本社は二十九ドルにおさえてくれ、といってるんですよ」
できるだけ、ふたりの会話の調子をくずさないようにして、小寺は答えた。
「二十九ドル?」
さすがにホベンチーノの顔が赤くなった。
「小寺さん、それは一リューベの価格でしょうな。まさか日本の一石あたりの価格じゃないでしょうな」
顔を赤くしたホベンチーノは、ほんとうか、というふうにフランクの顔を窺った。フランクは、伏せた眼をしばたたいて、なにもいわない。
一|立方《リ》|メー《ユー》|トル《ベ》を三・六で割ったのが、一石だから、ホベンチーノとしては、相当の皮肉をいったつもりなのだろう。
「小寺さん、一ドル下ると、私が一船あたり、どのくらい損するか、ご存知でしょうな。一船あたり平均して六千リューベの丸太を積むわけですから、全体で六千ドルの損になる。そのうちの七割が私の負担になってかぶさってくるから、四千二百ドル損をする勘定だ。最初鶴井さんは、三十五ドルで買う、といっていましたから、その値段からいえば、リューベあたり六ドル、全体でおおよそ二万五千二百ドルの損です。日本円でざっと九百万の損ですよ。月に二船三船と出せば、たちまち二、三千万の損になりますよ。一年で三、四億の損だ」
ホベンチーノは、唾を飛ばして、そういった。
小寺は、手を振って、
「よくわかっていますよ、チャンさん。なにもかも承知のうえでお話ししてるんです」
そう受けてから言葉を改めた。
「私はね、チャンさんのご好意には深く感謝してるんです。なにしろチャンさんに出馬して貰わなかったら、この商売、できあがらなかったんですからね」
小寺はそういいながら、「商業というのは、個人のあいだでも、国のあいだでも友情のきずなでなければならぬ」という、アダム・スミスの言葉を、頭のどこかでおもいうかべた。
ここはなんとしても、たとえ青くさいスミスの言葉にすがりついても、ホベンチーノとの友情を繋ぎとめる努力を払わねばならなかった。
「ボニファシオのゴルフ場に行って、この商売について無理をお願いしましたら、じつに快く引き受けてくださいましたよね。あのときのことは、一生忘れられないでしょうね」
小寺はホベンチーノの顔を正面から睨むように見ていった。
「そのご好意につけこむようで、気がひけるんですが、よろしくお願いします」
ホベンチーノは、小寺の顔をじっとみつめていたが、
「わかりました。私のほうは二十九ドルでいいですよ」
あっさりそういった。
それからフランクを顧みて破顔し、
「私は、小寺さんには、どうも弱くてね。ただし、小寺さん、これは貸しですよ」
茫洋としているようで、ホベンチーノには腹のおおきなところがある。
小寺は肩の力を抜いた。
そのとき、救急車でも走ってくるのか、ぴいぽぴいぽと響く派手なサイレンと鐘の音が、表の道路から聞えてきた。
車は下宿の前の道路に止り、「グッド・モルニング、ミステル・オデラ」という聞きおぼえのある声が、響いてきた。
「連中ですよ。アグサン木材の親分衆ですよ」
ホベンチーノが説明し、三人は、二階のテラスに出てみた。
表の道路になんと、消防自動車が止っていて、萌黄《もえぎ》いろと形容したらいいのか、黄みどりの車体が朝の陽を受けて輝いている。
おなじフィリッピンといっても、ルソンの消防車はカーキいろの軍隊色、ミンダナオはそれより明るい、きいろに近い色に塗られているようであった。
近所の家が火事なのか、と小寺はおもい、周囲をみまわしたが、椰子の木に囲まれた付近一帯に煙の出ている様子もない。
「はあい、ミステル・ナンベル・ワン」
もう一度、聞きおぼえのある声が響き、小寺が眼をこらすと、消防車の車体にアグサン木材副社長のクエトオが乗っており、悪戯好きの子どものように車体後部の鐘を鳴らして笑っている。
続いて運転台のドアが開き、社長のシーチャンコが小柄な躰を現わした。
「ミステル・オデラ、あんたに歓迎の贈り物を持ってきたよ」
道路に跳び降りたシーチャンコは、両手でメガホンを作って、そう怒鳴った。
「チャンさん、いったいこれはどういう意味です。まさか、あの消防自動車を私にくれる、というんじゃないでしょうね」
小寺は、驚きつつ、半分冗談めかして、横のホベンチーノに訊ねた。
「いやね、この家は井戸がなくて、天水をタンクに溜めて、それを飲料水や水洗便所の水として使っているんですがね、雨期が三月に明けてしまうと、タンクの水が枯れちまうんですよ」
ホベンチーノはいった。
「それでやっこさんたち、気をきかして、消防署に頼んで水を持ってこさしたんじゃないですか。私もここにきたとき、消防車いっぱい分、水の贈り物貰ったけど、なんでも一台分二十ペソ(千二百円)程度らしいですよ」
なるほど、紺のTシャツを着て、ゴム長を履いた消防夫のひとりが、ホースをひきだして、消防車のタンクの蛇口に装着している。他のゴム長、Tシャツが、台所口にあるおおきな貯水タンクに昇り、ホースをタンクのなかに差し入れていた。貯水タンクの消防夫が消防車のほうに手を振ってみせ、まもなく貯水タンクのなかに、ごぼごぼと水の注がれる音がし始めた。
「へえ、フィリッピンもここまでくると、消防署も、鷹揚で、ずいぶん融通がきくんですな」
と小寺は感心した。
しかしマニラあたりの消防署にしても、保険会社と結託していて、保険金を払っている家にしか水をかけない、という伝説がある。消火してくれと頼んだら、保険に加入すれば消してやる、といわれたなどという、まことしやかな噂もあった。
「いや、どこの消防署も予算不足で楽じゃない、それだけの話じゃないですか」
そこでフランクが、
「しかしホベンチーノ、あの消防夫たちは、どこで水を手に入れてくるんだ。まさかアグサンの川の水じゃあるまいな」
と訊いた。
「知らんな。しかしおれはよくあの水を飲むが、腹もこわさんよ。アグサン川の水だとしても、多分、ずっと上流のほうの水だよ」
ホベンチーノは、涼しい顔をして、そんなことをいう。
それから顔を小寺に寄せてきて、
「小寺さん、私が連中と話して、値ぎめの感触を探ってみますよ。小寺さんは、フランクと一緒にガムット湾に行って、貯木場や材の様子を見てきてくださいよ」
そう勧めた。
ホベンチーノが差しまわしてくれた、運転手つきのランドクルーザーに乗って、小寺とフランクは低い山間《やまあい》を縫う道を、リアンガに隣接するガムット湾に向った。
日比友好道路の舗装工事はその後も遅々として進んでおらず、乾期のために猛烈な土ぼこりが舞いあがる。先行する車があると、土ぼこりで行手がまったく見えなくなってしまう。
日比友好道路を二時間ほど走ってわき道に入ると、道が恐ろしく悪くなったが、すぐにおおきく視界がひらけ、海岸にでた。
海岸には、仮小屋が何軒も建てられ、山積みされたラワンの間で、ホベンチーノの教育がいいのか、上半身裸の労務者が、フィリッピン人にしては、じつにきびきびと立ち働いている。
彼らは、ラワンの直径を計り、原木明細書《タリイ・シート》を作成するスケーラーや、ラワンの質をチェックして、ベニヤ・ワン、ベニヤ・ツーというぐあいに、材の一本一本を格づけしてゆく、グレーダーのひとびとらしい。
小寺とフランクが、ランドクルーザーから降り立つと、眼の前で巨大なラワンを一本、海に向って押していたブルドーザーが止り、中国人との混血らしい、切れ長の眼の男が跳び降りてきて、丁重に挨拶をした。
その切れ長の眼に見覚えがあるのだが、すぐにはおもいだせない。
「だれだっけな」
小寺が呟くと、
「ロケですよ。いつか、支店長がブツアンで手帳を置き忘れたことがありましたな。あのとき、このロケとログ・ポンドの監視人のルペルトに昼めしを食わせてやったでしょう」
フランクが説明して、小寺はやっとこの切れ長の眼の男をおもいだした。
「ロケさん、子どもさんは元気かね」
ボールペンを与えた男の子の、きかん気らしい顔をおもいうかべながら、小寺は訊ねた。
「今、リアンガの学校、行ってます」
男はいい、それから唐突に、
「あそこに、ルペルト、います」
と片言の英語を喋りながら、貯木場のほうを指差した。
海岸の一角をコンクリートの突堤で囲み、おおきな貯木場が作られていて、数百本のラワンが浮いている。海岸側に貯木場の入口が開けてあって、ロケの友人のルペルトはその入口に立って、海を覗きこんでいた。
小寺は、そちらに向って歩きだしながら、周囲を見まわし、
「さすがに、いい材だな、フランク君」
と感嘆の声を放った。
あたりに山積みされている材は、ルソンの赤ラワンと違って、木口がまっ白であった。直径も、大人三人が手を拡げてやっとかかえられるほどで、ルソン材に比べてふたまわりはおおきい。シーチャンコとクエトオが自慢するだけのことはある材であった。
「まるで西洋人の赤ん坊の尻みたいな、きれいないろをしてますな」
フランクも同調した。
貯木場に近づくと、突堤に立っていたルペルトが「今日は」と満面に笑みをたたえて挨拶した。
「あんたがた、こんなところで働いていたの」
小寺は訊ねた。
フランクの通訳で、男たちが説明したところによると、ルペルトは名付け親のクエトオのところにロケの就職先きを世話して貰いに行った。ロケはクエトオのおかげで、クエトオの経営するステベ(荷役人)の会社に入れて貰ったが、そのとき、「お前も東海岸にこないか。生活が楽だぞ」と誘われて、ルペルトもここの貯木場の監視人に採用して貰った、という。
もっともロケのほうは船が入るまではステベの仕事がないので、当分は臨時雇いとしてラワンの運搬の仕事をやらして貰っているのだそうであった。
ルペルトの案内で、貯木場をみてまわった小寺とフランクは、
「ここの材は、沈みが深いね」
「ルソン材より浮きが高く、おなじミンダナオでもブツアンの材よりは沈みが深いですな」
というような会話を交わした。
リアンガ近辺のラワン材は、ミンダナオのほかの産地の材に比べて、比重が大きくて、水中に沈む度合いが、高いのである。
「チャンさんにも申しあげたんだが、私は、どうもあの川の水が気になりましてね」
色の黒い監視人のルペルトは、湾に流れこんでいる川を指差していった。
「あの川の水が、この貯木場に流れこんでくるでしょう。どうも虫がね、マリーン・ボウラー(貝虫)がつきやすいんじゃないか、とおもうんですよ」
フランクから質問の意味を訊いた小寺は、
「その忠告は、ありがたいな。早目に船をださせるようにしましょう」
といった。
ロギング・ロードを溯って、伐採現場まで行ったりしたので、小寺とフランクが、ホベンチーノの家に帰り着いたのは、八時過ぎになった。
昨夜からの睡眠不足で、車中眠り続けて、帰り着いたブツアンの街は、発電所の発電機が、相変らず壊れたままだという話で、電燈がつかず、まっくらであった。
ヘッドライトが、暗い家々や椰子の林を映しだし、小寺は夢の続きをみているような気がしたが、運転手は慣れたもので、かなりのスピードで突っ走る。
「暗くて驚いたでしょう」
車の音を聞きつけ、道に降りてきたホベンチーノは、真鍮《しんちゆう》の傘のついた、古めかしい石油ランプを手にかかげて、二階の居間に案内してくれた。
二階の居間には、石油ランプがいくつも点《とも》され、すぐにメイドが食事を運んできた。
「電燈が点かないのも閉口だけど、この食事にも参りますな。毎日毎日、この豚の脂身となすびをココナツ・オイルで炒めて、トマト・ケチャップをぶっかけためしが出てきましてね。これを暗闇で毎日食ってたら、ほんとへばるわ。めしの度にマニラがなつかしくなりますよ」
美食家の中国人のひとりとして、ホベンチーノは、愚痴をこぼした。
「ところでチャンさん、今朝の値ぎめの件は、どうでしたか。えらくもめたんじゃないですか」
小寺は、食事のあとまで我慢しようとおもっていた質問を我慢しきれず、食卓に向うやいなや、口にだしてしまった。
「それが不思議でね。そりゃあ、ひと荒れはあったけれど、わりにすんなり通る感じなんですな」
「へえ、あの連中、二十九ドルで受けたんですか」
「受けると確答はしないんだけど、まあ、黙認という感じなんですよ。こちらも小寺さんから貰った資料であれこれ説明しましたけど、アグサンの連中も、日本の事情を知ってるんじゃないですかね」
蚊取り線香の匂いが、闇のなかに立ちこめるなかで、小寺は拍子抜けした感じで、フランクと顔を見合わせた。
「ただし、これはね、小寺さん、フィリッピン人の|恩返しの義務《ウタン・ナ・ロオブ》というやつね、あの意味に受けとらなくちゃいかん、と私はおもうね。シーチャンコとクエトオは、あなたにね、恩義というやつをね、売りつけたとおもってるんですよ。つまり小寺さんは、あの連中からリューベあたり六ドルの負債を負ってるんだ。できるだけ早い機会に返さないと、いかんでしょうな」
ホベンチーノは淡々と話しているけれども、恩義の借りは、アグサン木材のふたりだけでなく、このホベンチーノ・チャンにもたっぷりできてしまったのである。
──日本の不況は、当分続きそうだ。いったいいつ、このウタン・ナ・ロオブを返済できるのか。
拍子抜けした気持が落ち着くと、今度はそれが気になってきた。
自分がいかにウタン・ナ・ロオブの返済に努力しようとしても、本社木材部が、いや、得意先きの丸永産業や中村商店が高値をつけてくれないことには、どうにもならない。アダム・スミス流に友情のきずなを強めようにも、一支店長の力など知れたものであった。
「日本の経済は急成長を続けてますからね、すぐに不況を克服して、ウタン・ナ・ロオブを返せるとおもいますよ」
小寺は、強いて明るく笑ってみせた。
食事が終ってまもなく、階下が騒がしくなり、メイドに案内されて、シーチャンコとクエトオが上ってきた。
「ミステル・オデラ、そんな暗いところにすわりこんで、なにをしておられますか」
だいぶ酩酊しているらしい、シーチャンコが、細い両手をおおきく拡げて、からかうようにいう。
白髪頭が石油ランプの灯を受けて、闇にしらじらと浮きあがっていた。
「マニラの夜と違って、ブツアンの夜は暗いでしょう。むかしむかしの密林のようにくらあいでしょう」
小柄なシーチャンコは節をつけて歌うように、そういい、両手を挙げて、天井を仰いでみせた。
「真暗闇のなかにすわっていると、気持もくらあくなるでしょう」
その後ろから、クエトオが肥満体を現わして、
「ミステル・ナンベル・ワン、これからブツアンでもっとも明るいところへご案内致します」
そういって、太った躰を前に傾け、例のオペラ歌手がアリアのあと、拍手に答礼するようなお辞儀をしてみせた。
小寺、フランク、ホベンチーノの三人は、結局、シーチャンコとクエトオに招かれて、夜の街にでかけることになったが、階段を降りながらふと気がつくと、前を降りてゆく、シーチャンコとクエトオはふたりとも、おおきな拳銃を腰のベルトに差しこんでいる。
肥満体のクエトオはともかく、小柄で、体格の貧弱なシーチャンコには、ピストルが不相応におおきく見え、それが却って不気味であった。
表には、アグサン木材の社長車のキャディラックと数人のガードマンをのせたジープが、とまっていた。
「このブツアンにはね、ミステル・オデラ、ふたつ、上等のナイト・クラブがありましてな。ひとつは空港の傍にあるスルタンという店でね、もうひとつは、マグサイサイ橋《ブリツジ》のたもとにあるんですわ。今日は、マグサイサイ橋のほうに行ってみましょうや」
シーチャンコのはしゃぎ声の説明があって、一行は、マグサイサイ橋の傍のナイト・クラブにキャディラックを横づけにした。
「明るいところへご案内します」と誘った割には、暗いナイト・クラブであった。天井には赤、青の色電球が一面に点いていて、卓上に暗いスタンドが置いてある。
なんでも、このナイト・クラブは自家発電装置を備えているのだそうで、いかに暗くても、それが電燈の暗さである以上、よしとしなければならないのだろう。
「おい、キャットのウィスキー持ってこい」
シーチャンコは、腰のピストルを抜いて、鉄パイプ製のテーブルに置き、にぎやかなバンドの演奏と張り合うような大声をあげた。
クラブのなかは、日本との商売で成金になった木材業者たちなのだろう、景気のよさそうな男たちが、女をはべらせて談笑していたが、そのいく人かが、「マルセル」「ホアン」とふたりの名を怒鳴って、こちらのテーブルに向って手を挙げた。
すぐに、中国ふう、あるいはベトナムふうのロング・ドレスをまとった褐色の娘たちが、四、五人現われて、横にすわった。
ボーイが、ラベルに猫のすわった姿を描いた、小寺がみたことのないウィスキー壜を持ってきて、がたがた揺れるテーブルのうえに置いた。クエトオは、ウィスキー壜をつかんで、逆さにすると、シャツの胸ポケットからライターを取りだし、火をつけて、壜の底を改めだした。
「ここじゃあ、壜の底に穴開けて、注射器で中身のウィスキーを吸いだしてね、ニッパ椰子の酒と入れかえちまうのがいるんでね、ああやって壜の底に穴開けた跡がないか、チェックするんですよ」
ホベンチーノが、小寺とフランクにそう解説してくれる。
クエトオは、壜の底を検査し終えると、さらにライターの火の手前に、壜を持って行って、仔細に中身を透している。
「もうひとつのやりかたは、壜のシールを上手にはがして中身を入れかえるやりかたでね、ニッパ椰子の酒に詰めかえると、あれは田舎のどぶろくだから、中にごみが浮いているんですな。やっこさん、そのごみの有る無しを眺めているんです」
クエトオは分別くさく、眉を寄せて「OK」といい、ウェイターが猫印のウィスキーを開けた。
「ここは、水は安全なんですがね、小寺さんは、念のためにブランデーにしとかれたほうがいい」
ホベンチーノが、気を遣って、スペイン産のタンドワイというブランデーを取ってくれた。
「世界一、欲の深い鴻田貿易に乾杯」
とシーチャンコがしゃがれ声を張りあげ、水割りのグラスをかかげてみせる。
小寺は、苦笑しながらも、
「世界一、おもいやりがあって、好意的なアグサン木材に乾杯」
とやり返し、一座の笑いを誘った。
クエトオの脇にすわった、眼がおおきくて、うす暗がりのなかで白眼の部分がいやに目立つ娘が、
「世界一のお金持ち、ミスタ・シーチャンコとクエトオに乾杯」
なにが入っているのかわからないコップを挙げ、そうお世辞をいった。
クエトオは「は、はあ」と叫び、その娘の剥きだしの背中を、力まかせといっていいくらいに、ぴしゃんと乱暴に叩いた。
おなじミンダナオでも、南西部のサンボアンガにゆくと、スペインとの混血が多いと聞くが、ブツアンには混血はほとんどいないそうで、褐色の肌の娘ばかりが、席についている。
西部開拓時代の酒場を連想させるここは、木材業者のクラブといった空気らしく、あちらこちらの席から、木材業者らしい男たちが、シーチャンコとクエトオに挨拶にやってくる。
その度に、ふたりは立ちあがって、ビサヤ語でお喋りするのだが、そんなことを繰り返すうちに、クエトオの機嫌が目に見えてわるくなった。椅子のすわりかたが乱暴になり、ときどき、「ああっ」と突拍子もない大声を張りあげ、首をぐりぐりとまわしたりしている。
社長のシーチャンコのほうは、相変らずのおとぼけぶりで、
「フランク、踊ろうや」
しきりにフランクを誘っては女たちと跳びはねるような踊りに興じていたが、クエトオは水でも飲むように、猫印のウィスキーを呷《あお》り、次第に眼がすわってきた。
突然、小寺のほうに躰を乗りだし、
「ミステル・ナンベル・ワン、あんたのおかげでな、おれたちゃ、この街で赤恥を掻くんだぞ」
クエトオはそういって、腰に差した大型の拳銃をテーブルの上にどんと置いた。
ブツアンでは、武器の携行がマニラよりよほどおおっぴらで、このナイト・クラブにきている連中にしても、全員が拳銃を腰のバンドに差したり、テーブルに置いたりしていた。
小寺には、見当がつかないが、クエトオの所持している拳銃は、ずいぶんと大型で、銘柄品のようにみえる。この土地では拳銃の型とおおきさはどうやらステータス・シンボルのようであった。
クエトオは、拳銃をテーブルに置いたまま、
「ミステル・ナンベル・ワン、いくらなんでも、リューベあたり二十九ドルというのは、無茶苦茶な値段じゃないか」
小寺を睨んで、いう。
「申しわけありませんな。チャンさんから、お聞きになったとおもいますがね、日本の市況がわるくて、どうにもならんのですよ」
笑顔を作るのに、かなり度胸が要る感じであった。
「マルセルはな、こりゃあ、先きの長い商売だ、来年、さ来年にたっぷり儲けさせて貰おうや、なんてお人好しのことをいってるが、おれは譲るのにも限界があるっていうんだ。二十九ドルは、とても我慢できねえ、無茶苦茶な値段だぞ」
クエトオは、人差し指を立て、首を傾けて牙のように不揃いな歯をむきだしにした。
傾けた顔をそのまま、口ひげが触れはしないか、とおもうほど、小寺に寄せてきて、
「いいかね、ミステル・ナンベル・ワン、こんな馬鹿安の値段で売りゃあな、おれたちは、この土地の笑い者になるんだ」
ナイト・クラブで踊っている木材業者たちを顎でしゃくってみせた。
「ここで酒飲んでる連中は、二十九ドルって値段聞いたら頭にくるぜ。アグサンのやつら、うまいこと日本人にまるめこまれて、いい材木を馬鹿安の値段で売りやがって、相場を下げやがった。あんなやつらはおれたちの面汚しだ、頭にきてそう悪口たたくにきまってるんだ。おれたちゃ、仲間うちの笑い者にされるんだぞ」
間近に迫った、クエトオの顔にどす黒く血ののぼるのが、わかった。
右手はテーブルに置いた拳銃を弄《もてあそ》んでおり、銃器のテーブルにあたる音がテーブルを伝って、腹の辺まで不気味に響いてくる。
小寺は危険を感じながら、
「クエトオさん、あなたの気持は、よくわかっているつもりだ。この次は、必ずね、あんたがたの面子を立てますよ。アグサン木材は、いい商売をした、丸太の相場をあげてくれた、そういわれるような商売をさせて貰いますよ」
かなりおもいきった口調で、そういった。
しかしクエトオは、傾けた首を振って、
「いや、おれはマルセルみたいにお人好しじゃねえんだ。先きのことはどうだっていいんだよ。今現在の値段が問題だって、いってるんだ」
唾を小寺の顔に飛ばして、大声を出してわめいた。
白眼の部分の目立つ、派手な顔立ちの女が、ビサヤ語でなにか叫び、両手でクエトオのぶ厚い肩を鉄パイプを曲げた椅子の背に押しもどそうとするが、クエトオは、うるさそうにその手を払って、小寺に向けた視線を離さない。
テーブルの向う側にすわっていたホベンチーノが、異常を感じたらしく、立ちあがってこちらに近寄ってきた。同時に女と踊っていたフランクが、踊りを中止してこちらに戻ってくるのが、視野の端に映った。
クエトオは視線を小寺に据えたまま、
「おれはな、ミステル・ナンベル・ワン、ここで飲んでいる仲間にな、日本人なんぞに負けていないことをみせてやる。マルセル・シーチャンコはともかくホアン・クエトオは、馬鹿安値の叩き売りにちゃんと抵抗したことをみせてやる」
叫ぶなり、弄んでいた拳銃を右手にかざし、銃口を天井に向けた。轟音とともに天井の色電球がいくつかはじけとび、音楽が止んで、場内は一瞬、水を打ったように静まりかえった。
色電球の破片が、木の床に落ちてきて、あちこちで音を立てる。
二発目の閃光が小寺の眼前で走り、その直後、クエトオの横にすわっていた、白眼の目立つ女が身を震わせ、椅子に突っ伏した。椅子からずるずると床に滑り落ちてゆく。
女の剥きだしの背中からは、突然噴水の水がほとばしるぐあいに、血が激しく噴きあげ始めた。
小寺は、わけがわからないまま、悪夢を見ている心地で、猛烈な勢いで吹きあがる女の血を眺めていた。
お客と女たちが、悲鳴をあげながら、クラブの玄関に向って殺到し始めた。
愉快そうに鼻歌を歌う、クエトオと、気を遣ってしきりに話しかけるシーチャンコに送られて、小寺たちは、早々にホベンチーノの借りている家に帰った。
二階にあがった小寺は、
「あの娘は、なぜ怪我したのかな」
フランクとホベンチーノの顔を眺めて、訊ねた。
「あれは挑弾《ちようだん》があたったんですよ。クエトオの馬鹿の撃った弾丸が、天井ではね返って女にあたったんです」
フランクが白けた顔で日本語の説明を加えた。
「大丈夫だろうか、助かるかね」
救急車で運ばれて行った娘の姿をおもいだして小寺は、呟いた。
「危ないでしょうな。ここらは、マニラと違って医者の質がわるくて、盲腸炎の手術を受けたって、命を失う、といいますからね」
ホベンチーノが、答えた。
地もと有力者であるクエトオには、多分、警察のおとがめもなかろう、という。拳銃の暴発、ということで、処理されてしまうのだろうか。
たしかに騒ぎを聞きつけて、警官は現われたが、クエトオと、ふたことみこと言葉を交わしたきりであった。
口直しに、三人は、ホベンチーノのウィスキーを飲んだが、話のはずむわけもなく、部屋の暗さも加わって、小寺の気分は沈むばかりであった。
──この値ぎめは、商売に関係ないミンダナオの娘の命を奪ったことになるのか。恐らくは、赤貧で、一家の生計を担っているに違いない、無辜の娘を巻きこんでしまったことになるのか。
そういうおもいばかりが、心にのしかかってくる。
「さて、寝る、としますか。寝るときは、このヘッドホーンをかぶってください」
ホベンチーノがみんなの気を引きたてるようにいって、射撃の練習用らしい、ヘッドホーンを差しだした。
「ニクニクよけか」
とフランクがいう。
「小さい虻《あぶ》みたいな虫がおりましてね、こいつは蚊帳の織り目からも入ってくるんです。この虫が耳のなかに侵入すると、脳のなかまで入っちまってえらい騒ぎになりますからね」
気の重い旅からマニラに帰った翌日、小寺は、本社の木材部長の河野に電話を入れた。
アグサン木材側が、二十九ドルの価格を呑んだことを報告すると、
「ははあ、あの数字が通りましたか」
河野は、アグサン木材が、二十九ドルの価格を受けたのが意外だというような声をだし、「これはありがたい」と嬉しそうにいった。
まるで、二十九ドルの価格が通るとは期待していなかったような、儲け物をしたとでもいうような、河野の口ぶりに、瞬間、小寺は血が逆流するような感じに捉われた。
──本社は、初めから、この価格が通るとは期待していなかったんじゃないのか。
という疑念が頭をかすめた。
小寺は、ひと息入れて、
「ご本社としては、二十九ドルが三十ドルになろうが、あるいは三十五ドルになろうが、大勢に影響ない、というご判断だったんですか」
笑いを含みながら、そう問い返した。
「私としては、無駄骨を折った、ということになりますかね」
「いやいや、とんでもない。支店長のおかげで、われわれの首がつながりましたよ」
河野は、すぐに体勢を立て直して、大声をだした。
「むろんわれわれとしては、支店長のご手腕に期待しておりましたがね、ご存知のとおり本社というのは、常に最悪のケースを想定しなくてはなりませんからね」
最初の「おや、意外だ」という感じの声音をつくろうように、そう弁解してから、「これで赤字をださずにすみます。小寺支店長は鴻田木材部の救世主ですよ。常務にも早速、報告します」といくぶん急きこんでいった。
たしかに河野とのやりとりのあと、二時間もしないうちに、「本件合意についての貴職の努力を深く感謝する」旨の、木材担当常務のテレックスが、マニラ支店に入ってきた。
しかし、本社側の対応が万全であればあるほど、「この数日間のおれの懊悩は徒労だったのか、あの派手やかな顔立ちのフィリッピン娘を、徒らにトラブルに巻きこみ、死に至らせてしまったのか」というおもいが、小寺の胸に深く落ちこんでくる。屈託したおもいは、終日つきまとって離れなかった。
ブツアンの空港に向う途中、小寺はホベンチーノに頼んでマグサイサイ橋《ブリツジ》の傍の、ナイト・クラブに立ち寄って貰い、ホベンチーノに、クエトオの挑弾《ちようだん》を受けて倒れた娘のことを訊ねて貰うと、やはり死んだ、という話であった。あの血の噴きようからいって、即死に近かったのであろう。
その夜は、イリガンのセメント工場建設プロジェクトのために、鴻田興産から派遣されてきたプロジェクト・マネージャーと一緒にオノフレ・マーパを接待することになっていた。
イリガンにあるオノフレの所有地に、セメント工場を作るプロジェクトは、その後木材の仕事とは対照的に順調に進行していた。すでに設計の青写真については、オノフレの合意を得ており、プラント建設の基礎工事が始まっている。
イリガンに常駐を始めた、関連会社の鴻田興産のプロジェクト・マネージャーが、マニラに連絡に出てくる、というので、オノフレの会社、PITICOの関係者も招いて、小寺が一席もうけることにしたのである。
相手がオノフレでは、変に格式ばった店よりも、味本位のところがよかろうというので、マカティ通り、アメリカン・スクールの傍にある地中海料理の店、ラス・コンチャスに予約を取ってある。
そのなかでも、入口に魚の網を張り、おおきな魚籠《びく》に生きた蟹を放りこんだ、蟹料理が売り物のラス・コンチャスは、食通の間で、なかなか評判の店であった。
小寺は、米国駐在時代に馴染んだクラム・チャウダーに、おおきなロブスターを食べ、ワインを飲んだが、屈折した気分は、一向に晴れなかった。本社の河野の応対が、胸に溜っていた鬱屈を一挙に拡大してしまった感じであった。
「ミスタ・オデラ、今日のあなたの顔には、どうも商売がうまくゆかない、そう書いてありますよ」
隣りにすわったオノフレが、訊ねた。最近は小寺に対して、こうした穏かな表情をみせるようになっている。
「木材の相場が下って、頭が痛いですか。ディビラヌエバの材の値段を下げたいのであれば、いつでもご相談に応じますよ」
ガーリック・ブレッドをかじりながら、先手を打つようにいって、にやりと笑った。
「いや、ディビラヌエバの話じゃありませんよ」
小寺はあわてて手を振った。
ディビラヌエバから積んでいる、コンパネ用の材は、荒川ベニヤの与田がいい販路を掴んでいるのだろう、不景気の影響が強くでていなくて、多少の配船調整だけで、今のところ、済んでいる。
「いよいよ困ったら、ディビラヌエバについてもお願いに伺いますがね、差しあたっては大丈夫のようです」
「するとアグサン木材との商談が、こじれていますか」
オノフレは、もう一歩踏みこんできた。
「さすが、マーパさんは耳が早いな」
といったきり、小寺は、黙りこんだ。
ブツアンでの体験をオノフレに話したい、という誘惑にいっとき駆られたが、その欲望は抑えこんで、
「われわれが、この国へやってきて、こうして商売をしているのはね、マーパさん、たしかに日本のためにはなる。しかし果してこの国のためになるのか、と考えこんじまいますな」
とだけ、いった。
「ミスタ・オデラ、私は昔、フィリッピン大学で歴史を勉強していた若い時分にね、フィリッピンも、江戸時代の日本のようにナショナル・アイソレーション、サコクというやつをやればいい、とおもったことがあるんです」
オノフレは、「サコク」という日本語を使い、おもいがけないことをいいだした。
「油の問題はあるけれども、こと食糧に関しては、この国はなんとか自給できるんですよ。贅沢をいわなければ、三千万の国民がなんとか生きてゆけないものでもない。サコクすれば、木材を始めとする資源も奪われないですむでしょう」
オノフレはガーリック・バターで光る唇に、皮肉めいた微笑をうかべた。
「なるほど。鎖国か」
「しかしね、ミスタ・オデラ、今はそうはおもわないね。サコクなんてのは、いやしくも商人の考えることじゃない。商人というのは、たとえ資源を売ったっていい。商売に徹してね、国を活気づかせることなんだ。国民大衆のエネルギーをひきだすことなんですよ」
オノフレは珍しく熱っぽい口調で語った。
帰りぎわに、店の前で、支店長車がまわされてくるのを待ちながら、小寺は、
「フランク君、あの死んだ娘に、香奠か見舞い金でも送ってやれんものかね」
といった。
フランクは腕を組んで、
「射たれて金が入る、と知れたら、ここでは自分で自分の躰を射つ人間が増えるかもしれませんな。ブツアンで動きにくいことになりますよ」
といって否定的な答えをした。
数日後、小寺は、シスター・エメリイから電話を貰った。
「ご寄付いただいた傘は、マニラ市と周辺の修道会に配っておりましてね、明日トンドのね、HOME FOR THE SICK AND DYING DESTITUTESに届けて、おしまいです。どうもありがとうございました」
シスターは、明るい、打ちとけた声で報告した。
小寺は、英語の意味がよく掴めず、
「それは、どういう修道会ですか」
と訊ねた。
「あの有名な、マザー・テレサの修道会がやっている施設でしてね、死を宣告されたひとたちや、死を覚悟しているひとたちが収容されて暮しているんですよ。今、三十人ほどのシスターたちがね、六十人ほどのひとびとの面倒をみています」
HOME FOR THE SICK AND DYING DESTITUTESとは、昨今の日本でも、一部で報道されている「死を待つひとの家」なのであった。
「今度の日曜の朝に、うちの修道会の神父がこのホームにミサをあげに参りますから、もしご希望でしたら、ご案内しますよ。傘はそのとき、届けてもかまいませんからね」
シスター・エメリイに誘われて、小寺は気持を動かされ、
「じゃあ、ご一緒させていただきましょうか」
と答えた。
日本から取り寄せた傘がどういう施設に贈られるのか、みたいという気持がある。そしてこの国の現実を知りたい、という気持が強く小寺を衝き動かしていた。
当日は、朝六時からミサだ、というので、五時起きになったが、百合子も、
「私もキリスト教の学校、出たんやしね、社会見学させて貰うわ」
といって、小寺と一緒に起きだして、コーヒーを一杯飲んだだけで、なにも食べずに、小寺の運転する車に乗りこんだ。
五時半の朝まだきに、愛徳姉妹会に着いてみると、修道院の玄関には、もうジープが停っていて、シスター・エメリイと若いシスターふたりが、車内で小寺夫婦の到着を待ち受けていた。
おなじトンドでも貧民街ではなく、住宅地のタユマン通りにある「死を待つひとの家」は、正確には、「|神の愛の宣教師たち《ミツシヨナリイズ・オブ・チヤリテイ》」と呼ばれる修道会の経営で、木造平家建ての建物である。入口にはタガログ語で「聖母マリアの家」と書いた、看板が掲げてあった。
「マザー・テレサは、なぜか二階建ての建物がお嫌いのようでしてね」
とシスター・エメリイは、説明した。
この修道会の特徴の、背中に長く垂れる頭巾をかぶり、ゴム草履を履いたシスターに案内され、たたきのコンクリートの床を歩いて、御聖堂に向った。
突然、あちこちの病室の扉が開き、沢山のフィリッピンの「死を待つひとびと」が姿を現わした。
白い入院服をまとい、あるいは寄付された品物らしい、洗いざらしのTシャツに半ズボンをまとい、いずれもゴム草履を履いている。
「覚悟はしてきたけど、相当のもんやね」
百合子がいくぶん避けるように、小寺に身を寄せてくる。
百合子の向う隣りには、老婆が修道尼に抱きかかえられて、歩いていたが、ハンセン氏病患者なのであろう、鼻が欠け落ちて、高さ一センチばかりの、犬の鼻をおもわせる形に変っている。指も五本とも落ちて、てらてらと皮膚の光る、棒状の形に変っていたが、その変形した手で、肩をかかえた、少女のように若い修道尼の手をしっかり握りしめていた。
小寺夫婦の前には、骸骨に皮を貼ったような、痩せさらばえた入院服の若者が、こちらはまだ足どりのしっかりしている老人に支えられて、よろめき歩いている。明らかに死病にとりつかれた青年であった。
横手の廊下から、腹の異常にふくれた少年が担架で運ばれてきて、御聖堂へとよろめき歩く行列に割りこんできた。
──まるでアウシュヴィッツの写真のようだ。
小寺は衝撃を受けて、そう考えた。
「フィリッピンではね、いまだにハンセン氏病の患者が沢山いるんです。文明国では、特効薬のおかげで、完治して社会復帰できる病気なんですけど、この国は貧乏ですからね。お金がなくて治る病気も治らないんですよ」
御聖堂の椅子にへたりこむようにすわっている、数十人の「死を待つひとびと」を眺めやって、シスター・エメリイは、いった。
「だけどね、小寺さん、私は、フィリッピンの人間はもっと不幸になるべきだ、とおもうんですよ」
シスターは、小寺には理解しかねる発言をした。
「このひとたちはね、精神的には幸福なんですよ。なぜなら、神の傍にいるからです。なぜ神の傍にいられるか、といえば、死の病いにかかって、貧乏だからでしょう。災厄と貧乏はいつも教会の味方なんです。だけどほんとうはね、フィリッピンは、もっともっと精神的には不幸にならなくちゃだめよ。物質的に豊かになって、信心のきっかけが簡単に掴めないようにならなくちゃだめなんです。教会は貧乏という味方を失わなくちゃ駄目なんですよ」
まもなくミサが始まったが、小寺の受けた衝撃はなかなか醒めやらない。
戦前は、東京の火葬場にゆくと、こういうハンセン氏病患者の乞食が、何人もいたもんだ、と小寺は考えた。
小寺がまだ小学生の頃、祖父母の葬儀があって桐ヶ谷の火葬場にゆくと、ハンセン氏病を患う乞食が笑いを含みながら、指の欠損を繃帯でかくした手を差しだして、「お帰りにどうぞ」という。母親は、「大変だ。お金あげないと、罰があたるからね」といい、親類揃って、火葬場の傍の煙草屋で、一銭銅貨、五銭白銅貨に金をくずしていた。帰りにその銅貨をやると、「おありがとうござい」と礼をいうのだが、赤児を連れた女の乞食が、鼻がかけているのだろう、汚いマスクをかけていたのを今でも覚えている。「可哀相にねえ、あの眉が剃ったみたいに無いのは、病気のせいだよ」と母親が教えてくれたりした。
子どもの頃、よく夢にみてうなされた乞食たちの記憶が今さらながら、蘇ってくる。
愛徳修道会の神父が聖体を授け始めると、ハンセン氏病患者たちは、競争で神父の手を取り、ケロイド状に赤いひきつれの残る自分の鼻や、眉毛の抜け落ちたあたりに押しつけた。神父の手が、患者の痛みを柔らげ、治癒してくれると信じているに違いなかった。
「ああ」
と百合子が声を発し、顔をそむけた。
「マザー・テレサは、ハンセン氏病患者の人々に触りなさい、あなたの愛によって触りなさい≠ニ説かれているんですよ」
シスター・エメリイがいう。
ふいに担架に乗ったまま、ミサに参加していた少年が身をよじって苦しみ始めた。
シスター・エメリイが、修道尼を助けにそちらに歩いてゆく。
修道尼たちにおさえこまれた少年は、のたうちまわった挙句に、床にきいろい胃液を吐いた。
きいろい胃液に十数本スパゲッティが混っているとみえたが、スパゲッティは生きているようにのたうった。眼を凝らすと、スパゲッティならぬ、十数匹の白く長い寄生虫が床のうえでうごめいている。
──金がなくて、なにができるか。商人がいなかったら、この世界はどうなるのか。
そう胸のうちで呟きつつ、小寺は、白い虫の動きをじっとみつめていた。
隣りの百合子は耐えきれないのだろう、顔をそむけたまま小寺の腕をきつく握りしめ、身を寄せてくる。
まもなくミサは終りのようであった。
石山は、週に二回ほど、パサイのマンションで、レオノールと会うようになった。
昼休み、スペイン流のシエスタを取りに社員たちが帰宅する頃合いに、週に一回は、パサイに行って、レオノールと一緒にドミンゴがどこかで用意してくるサンドイッチの類いの昼食を摂る。
このときは、自分の車のヒルマン・ハンパーで出社するのだが、独身寮で一緒に暮している藤田は、
「親父さんに怒鳴られたおかげで、えらく健全にやっとるようだな。昼めしで我慢の子、ときたか」
まさか、パサイのマンションで密会を重ねているとおもわないから、そう冷やかしたりした。
あとの一回は、土曜の午後に会って、ミリエンダ、つまりお茶の時間をレオノールと一緒に過す。フィリッピンは週休二日制ではないので、土曜も午前中出勤し、午後、独身寮でシャワーを浴びてから、パサイにでかけて、レオノールのいれたコーヒーを飲み、ビスケットをつまむのである。
最初は「へえ、きみにもコーヒーがいれられるのか」とついそういってしまい、レオノールは眼を細くして、耐えがたいというふうに首を振り、短刀で石山を突き刺すような真似をしたものであった。
七月初めの土曜の午後、石山はレオノールと約束の時刻より少し早目にパサイにでかけた。
すっかり馴染みになったガードマンに、手を挙げて挨拶をし、これも馴染みになった竹矢来のような扉のついたエレベーターに乗って、お互いにひとつずつ保管している鍵で部屋に入ってみると、奥の台所のほうがなにやら騒がしい。
日本のマンションは、入口近くに便所と台所がついていると相場がきまっているが、このマンションは、玄関のドアのほかに、勝手口専用のドアがもうひとつ、ついているくらいで、台所は廊下を鍵の手に曲った奥になる。
「タカ、今、大変なのよ」
レオノールの、はしゃぐ声を聞きながら、台所に入ってゆくと、レオノールは、エプロンを着けて、冷蔵庫を開けたり閉めたりして、大騒ぎを演じている。
彼女の傍らに制服姿のドミンゴ、それに意外にも、シャペロンのリタが立っていて、レオノールの一挙一動に腹をかかえて笑っていた。
「タカ、見てて頂だい。私にもちゃあんとお料理やお菓子の心得はあるんですからね」
レオノールは、両手にメリケン粉をつけたまま、きらりと眼を光らせて、石山を睨んだ。
「なにを作っているの。お菓子かね」
「マンゴー・パイですよ。ミス・レオノールはね、アメリカで習ってきて、お菓子を焼くのがお上手なんですよ」
久しぶりに顔を合わせた、おでこのリタが、いくぶん媚びる感じで、石山に説明をした。
「サニイ・ベーカリーのマンゴー・パイなんかより、ミス・レオノールのお菓子のほうがずっとおいしいっていう評判なんです」
サニイ・ベーカリーは、マカティ・アベニューに面して建っている、有名な菓子屋で、石山もこの店のパイを、小寺の家で何度か口にしたことがある。
レオノールは、石山が「へえ、きみにもコーヒーがいれられるのか」と冷やかしたことに反発をして、コーヒーどころか、菓子の腕もなかなか、というところをみせたいらしかった。
「フィリッピンでね、アメリカふうのパイやクッキーを作るのは、大仕事なの。なにしろ暑いでしょう」
両手が粉で汚れているので、額に滲んでいる汗を腕でこすってみせて、レオノールはいう。
「パイは、ひとくちで説明すればね、ショートニングっていうマーガリンのバターに、|メリ《フ》|ケン粉《ラワ》|をま《−》|ぶして《ダスト》、それをオーブンで焼くのよね。ところが暑いとね、このショートニング、つまりバターが溶けるでしょう。溶けると、パイの皮《クラフト》がぱりっと焼きあがらないのよ。こちこちの煉瓦みたいになっちゃうのよ」
「なるほどねえ」
石山は、腕組みをして、感心してみせた。
「そういえば、ぼくが子どもの頃、よくおふくろが、今日は雪が降りそうな日だから、りんごのパイでも焼くか、なんていってたな。あれは要するに寒いとバターが溶けない、という意味だったのか」
雪に縁のない土地だから、この話は受けて、三人とも笑った。
冬の寒い日が訪れると、食べ物にうるさい母親の咲子は、ゆであすぎでも作るか、パイでも焼くか、と呟くのが、常であった。暖房など完備していない時代の話である。
妙な組み合わせだが、寒い日には、ごく自然にこのふたつの食べ物が咲子の頭にうかぶらしく、少年だった石山も、寒い日にはこのふたつの食べ物の、どちらかの匂いを恋しくおもったものだ。
戦後の、まだうまい菓子が自由に手に入らない時分は、咲子が箱型をした旧式のオーブンをガス台にのせて焼くパイ菓子を、石山は、まだかまだかと催促をして、大喜びで食べたものである。
「バターが溶けて、作るのが難しいものだから、皆、グラハム・クラッカーっていう、ダイエット用のクラッカーを百貨店のルスタンかスーパーのユニバーサルで買ってきて、それでインチキのパイを作るのよ。クラッカーを粉々に砕いて、牛乳とバターを混ぜて焼くのよね。私のパイはあんなインチキじゃなくて、本格派よ」
粉だらけの両手を、手術台の手袋をはめた医師のように空中にかざしたまま、レオノールは得意そうに鼻を上に向けていい、それがまた、なかなか愛らしく石山の眼に映った。
「しかし、きみのその格好は、どうみても手術実習中の医学生だね。お料理好きの女の子は、そんな手つきしないんじゃないの」
石山がおどけて、レオノールの格好を真似てみせ、また笑いが湧いた。
「もうそろそろいいかな」
レオノールは呟いて、冷蔵庫を開いて、おおきなパイ皿をひきだした。メリケン粉をまぶしたバターをかためるために、パイ皿を冷蔵庫に入れておいたらしい。
「やっぱり、バターがあんまりかたまってないわね」
レオノールは、パイ皿を真剣な顔で覗きこんでいる。
「お嬢さまが、しょっちゅう冷蔵庫を開けちゃあ様子をみるからですよ」
シャペロンが、笑いながら冷やかした。
「面倒くさいな、そろそろ焼いてしまうといたしますか」
レオノールは、おおきなパイ皿を米国製の電気オーブンに納めると、手を洗い、エプロンを外した。
「テラスに出ない?」と誘われて、石山はレオノールと一緒にマニラ湾に臨む、日本であったら、ずいぶん広くて贅沢なことになるテラスに出た。
季節は、石山にとって二度目の雨期に差しかかっていたが、午後の一回目のシャワーが過ぎて、マニラ湾は晴れわたっている。水平線に黒い雲が湧きだしているのは、午後の二度目のシャワーの前触れなのかもしれなかった。
「リタをこんなところに連れてきて大丈夫なのかい。あの娘が独身寮のマリオから情報を取って、きみのお母さんに流していたんだろう」
テラスのデッキチェアにすわった石山は、背後の室内をちょっと気にしながら、いった。
「ここの場所をお母さんに密告したりしないかね」
レオノールは、にやりと笑い、ハンドバッグからサングラスを取りだして、かけた。
「それがおかしいのよ。おたくの庭師のマリオが、あのリタのところにしのびこもうとして、庭でドミンゴに捕まっちゃったのよ。ドミンゴは、あなたのところの庭師だといわずに、リタの男を捕まえたって、母に報告したもんだから、今度は私の代りにあの娘が、母にたっぷりしぼられてね」
「これは驚いたな」
「娘も娘なら、シャペロンもシャペロンだって、母は嘆くわけよ。だけど私にしてみればもうあの娘を警戒する必要がなくなったってことなのよね。いってみれば同罪でしょう」
レオノールは、いたずらっぽく舌をちらりとだしてみせた。
レオノールとの仲が戻ってからの石山にはそういう動作のいちいちが愛らしく見える。
「それとね、母の態度が、ずいぶん軟化してきたのよ。愛徳姉妹会のシスター・エメリイが、母と会う度に、ミスタ・オデラのことを賞めるらしいのよ。傘を寄付した、楽器も寄付した、このあいだは死を待つひとの家≠フミサに、朝早くからご夫婦で参加した、とかね。近頃の母は、いくら立派なひとでも、人種の違いは残るからね、なんていうのね。だけど、このいいかたは、人種の違いしか問題じゃない、ってことにならない?」
「ふうん」
石山は唸って、顎を撫でた。
「お父さんは、その後、なんて、いってるの」
「父は、アメリカから帰ってくるのが遅れてね、夏頃からMMCに戻って外来を診ることになるらしいわ」
時間がきて、電気オーブンを開けに台所に行ってみると、マンゴー・パイは、パリッとは仕あがらず、かなり硬目に、クッキーのように焼きあがっていた。
「失敗したな。久しぶりのパイ作りで、腕がにぶったかな」
レオノールは、可哀相なほどしょげた。
「いえ、いえ、みごとなできですよ」
そこは愛想のいいフィリッピン人だから、リタとドミンゴが、口々に賞めあげる。
なかにマンゴーのジャムと|ジェリイ《プリザーブ》を入れ、上に缶詰のマンゴーを冷凍して切ったのをのせたパイを石山は食べたが、やはりサニイ・ベーカリーの名物パイよりは、だいぶ味が落ちる気がした。
居間で、この菓子とコーヒーを飲みながら、
「私、タカのお母様に会って、パイの作りかたを教わりたいな」
レオノールが、突拍子もないことをいいだした。
「お父さんも、マニラに帰ってくるとなると、アメリカに遊びにゆく機会もないし、日本にゆく口実がみつからないだろう」
石山は、あわてて、逃げを打った。
レオノールは、躰を乗りだして、
「あなたが、お母様をマニラに招べばいいじゃないの。私、どうしてもお会いしたいわ」
腕をつかんで、ゆするようにする。
──おふくろをほんとうにマニラに招んでみるかな。
石山は一瞬、そう真面目に考え、次の瞬間母親とレオノールが向い合っている図を想像して、寒気に襲われた。
まさにゆであずきとパイの匂いのような、どうにも馴染まない組み合わせにおもえたのである。
「ああ、じつにうまい」
台所で、レオノールの与えたパイを食べているのだろう、ドミンゴが聞えよがしの大声を張りあげていた。
リューベあたり二十九ドルで、合意が成立すると、すぐに鴻田の本社から、通称「|二九 九《にいきゆうきゆう》」、五千五百トンクラスの木材運搬船をたて続けに二隻、配船した旨のテレックスが入った。
「石山君、荒川ベニヤに引きとって貰う材じゃないんで、申しわけないんだが、この検木、手伝って貰えないか。船が二隻、きちまうんだよ。むろん与田社長のほうには、電話でお願いして許可はいただいてある。今後はフランク君ひとりで、なんとか賄って貰えるようにしたい、とおもっているんだけどね」
小寺は大部屋に出てきて、そう石山に頼みこんだ。
本来なら鶴井が検木の手伝いにでかけて当然だろうが、財閥系商社の社員は、木材を扱いながら、往々にして専門的知識に欠け、検木ができない。鶴井の場合は林学科の卒業で、その点は心配ないのだが、本社風を吹かして、現地でシーチャンコやクエトオとトラブルを起すことを、小寺は恐れているようであった。
石山は、快く引き受けた。フランクと一緒にブツアンのホベンチーノが間借りしている家に泊りこみ、当分の間、往復五時間近くをかけて、ガムット湾まで出かけ、検木をやることになった。
「ここはディビラヌエバとはえらい違いだな」
石山は、検木の最初の日、ガムット湾の海岸を見わたして、そういったものであった。
「ルソンは椰子の木も、あまり目立たなくて日本の田舎みたいだけど、ミンダナオは椰子しか茂っていなくて、さすがに南という感じですね」
「川ひとつとっても、ディビラヌエバとはえらく違うよ」
フランクは、湾に流れこんでいる、幅三、四十メートルの川を指差して、いった。
「ルソンには鰐《わに》がいないから、おれたちも安心して、川にはまったもんだが、ミンダナオには鰐がいるんだ」
フランクは、石山をからかうのか、おどすような口調でいう。
「そりゃ、おっかないな」
「まあ、正確には鰐がいた、といわなくちゃいけないんだろうな。戦時中まではいたんだけど、ここらはゲリラの基地で、アメリカの兵隊が住んでいたんだね。彼らが、皮剥いで、女房へのお土産にするために、皆、殺しちゃったという話だよ」
ホベンチーノからの受け売りらしく、フランクは、そんな話をする。
「フランクさん、あのトラックの後ろ、見てごらんなさい。すごい虫だよ」
折しも、奥地の伐採地から、シスター・エメリイのコンセッションを抜けて到着したのだろう、ふとく長大なラワン材を満載した、巨大なトラックが、海岸に入ってきた。
そのトラックの後方の空間に、人の背の倍くらいある、虫の柱が立っている。ふとい虫の柱は、トラックの後方、数メートルのところにいくつか立っていて、トラックのスピードにぴったり合わせて、ついてくるのであった。
「ディビラヌエバの蚊柱の二倍くらいあるかな。食糧のラワンが上等なもんだから、虫の数も多いんですかね」
石山は呆れた顔でいった。
このピン・ワームスという虫の開ける穴は貝虫よりずっと小さ目だが、虫のついた木を、早目に貯木場の水中に投げこんで、虫を殺してしまわないと、ずっと生き延びて、ラワンが建具に使われたあと、家のあちこちで細かい粉を吹きださせたりするのである。
「しかし、あのトラックも五十キロや六十キロのスピードはだすんでしょう。そのスピードにぴったりくっついて、ここまでやってくるんだからしつこい虫だね。アグサン木材も顔負けだね」
フランクがいった。
石山は「鰐に注意しましょう」とフランクと軽口をたたき合いながら、貯木場に行った。ふた手に別れて作業を開始し、ランバー・クレヨン片手に、良材、不良材を仕分けて行った。
昼近くになって、いやにいろの黒い、貯木場の男と、中国人の血の混っているらしい、三角形の顔の男が石山のところへやってきて、「不良材を筏組みして、海岸の反対側に運びたい」という。
不良材をひとまとめにして、ほかの会社に引き取って貰うことになった、これはクエトオさんのいいつけだ、というのである。
ホベンチーノは、山奥の伐採現場にいるし、フランクは貯木場の沖に近いほうで検木をやっているので、石山は、独断で、「よかろう」と答えた。
まもなく三角形の顔の男が、日本の漁船に白いペンキ塗りの船室をのっけたようなタグ・ボートを運転してやってきて、仲間たちが組んだ不良材の筏を湾の反対側にある岩陰に曳航して行った。
翌朝、ブツアンからガムット湾に着いてみると、夜のうちに木材専用船が入っていて、早々とラワンの積みこみを開始している。
検木を始める前に石山が、ふと沖合いを眺めると、昨日のタグ・ボートが、湾の反対側から筏をひいて、沖泊《おきど》めの|二九 九《にいきゆうきゆう》に向っているのが見えた。
明らかに、早朝の、石山が着かないうちを狙って、昨日仕分けした不良材を船に積んでしまおう、という心算のようである。
「フランクさん、やられましたよ」
石山は手短に経緯を説明した。
「いかんな。船に行ってみよう」
フランクはいい、ふたりは貯木場に繋留してある、スピード・ボートに乗り、運転手に命じて沖の二九九に向わせた。ホベンチーノは伐採現場に前夜から泊りこんでいて、ここには姿が見えない。
沖の船は、早くも最初の不良材をクレーンで吊りあげ、船倉《ホールド》に降すところであったが、石山は、できるだけクレーンの傍に船を寄せさせて、
「ストップ、ストップ」
と怒鳴った。
「その材、積んで貰っちゃあ、困るんだ。クレヨンでバッテンの印がついてるでしょう。そんなペケの材、はねてくれよ」
すると舷側から日本人の船員が顔をだし、
「こっちはな、引いてきたものは、なんでも積んじまうよ。積むのか積まないのか、決めるのは、そっちだろう」
と負けずに怒鳴り返してきた。
大声のやりとりを聞きつけて、早朝船に乗りこんだらしいフィリッピン人の林野庁の役人、税関吏、検疫官などが、舷側からつぎつぎに身をのりだしてきてこちらを見おろしている。
「しまったなあ。ホベンチーノがやっているという頭があるんで、すこしぶったるんじまった。今朝、一番にきて見張る手だったよ」
フランクが呟いた。
「ぶったるんじまった」のは、石山もおなじであった。これは荒川ベニヤの仕事ではなく、自分は単なる助っ人だ、という安易な気持がどこかにあって、フランクを急きたてもせずにのんびりやってきたのが裏目にでて、隙を衝かれたかたちになったのである。
ふいに不良材を曳いてきた、和船そっくりのタグ・ボートの白い船室から、ボートを運転している三角形の顔の男が、姿を現わした。
「なんだ、ロケじゃないか」
フランクはいって、掌でメガホンを作って、
「ロケ、不良材を積むのはよしてくれ」
と英語で怒鳴った。
痩せた、三角形の顔をしたロケが気色ばみ、切れ長の眼も三角形に吊りあがるようにみえた。
「あんたらが、値切るからだよ。ひどい安値をつけるからだ」
甲高い声が、飛んできた。
ロケは、自分が怒鳴ったことに昂奮したらしく、こちらに指を突きつけて、
「おれたちはな、あんたらが、ラワンの値を値切ったんで、給料、減らされちまったんだぞ」
とわめいた。
フランクと石山は、顔を見合わせた。
「クエトオさんはな、おまえたち、給料、増やして貰いたかったら、できるだけ、材木を船に積みこむようにしろ、っていってんだ。積み残しの不良材が少けりゃ、そのぶん考えてやる、といってるんだ」
フランクは一瞬ひるんで、黙りこんだ。
湾内は、穏やかな、船の碇泊に格好の入江だが、それでもここまで沖に出てくると、お互いの船が揺れて、眼を吊りあげて、立ちはだかったロケの姿が、ゆっくり上下していた。
「日本でな、材木の値段がおっこちてるんだよ。値段があがったらな、あんたがたの給料もあげるように、クエトオさんに話をつけてやるよ。おれたちを信用してくれや」
フランクが、一語一語叫ぶようにいう。
ロケは相変らず表情を硬ばらせたまま動かない。
突然、ふといラワンを一本吊りあげていたクレーンが、ぎりぎりと頭上で音を立てた。ふといラワンが逆戻りするように海面に落ちてきて、大きな水柱を立てて海中へ消えた。
この船員の機転で、双方緊張の糸が切れたぐあいになり、タグ・ボートの連中は筏を組み直して、貯木場とは反対側の湾のほうへ戻り始めた。
フランクと石山の船も貯木場へ戻るべく、静かな湾内をおおきく迂回した。
円を描く航跡をみつめながら、「石山さん」とフランクが話しかけた。
「先日、本社がよこした、あの数字ね。掛け値なし、あれはほんとうにあれっきりのもんだ、とおもうかね」
と訊ねた。
「われわれにこっちの業者をたたかせて、それで浮いた分は本社のふところをあったかくしよう、って腹じゃないのかな。このまえ、あんたにカマかけてこのことを訊いたとき、あんたもなにかおもいあたるような顔をしたやね。自分と同じことを考えてるのかな、とおもったんだな、あのとき」
ロケとのやりとりの昂奮が尾をひいていて、石山は、
「内地での売り値が一万六千円、七千円の可能性がないわけじゃないでしょうね」
といってしまった。
「もし丸永が一万七千円で買ってくれるんだったら、本社は三千二百円のボロ儲けじゃないか」
フランクの顔が赤くなった。
「おまけに支店長が安い値段でまとめたら、途端に、立て続けに二隻も配船してきやがる。内地のやりかたは、いつもこれだ」
フランクは、船べりをこぶしで激しく叩いた。
その日から船に泊りこむことになっており、夕刻、検木の一段落したところで、フランクは、石山と一緒に海岸に戻った。着替えなどを詰めた鞄をジープからおろしていると、ホベンチーノがやってきた。
昔、マニラ日本人小学校の生徒がよくかぶった、ピケ帽に似た帽子をあみだにして、ホベンチーノは、現地人の子どもと一緒に歩いてくる。
「フランク、この子があのおじさんに会いたいとよ。おまえも子どもにはもてるんだな」
そういって、背中を押した子どもの顔をみると、いつか小寺と一緒に昼めしを食わせてやった、ロケの息子であった。
少年の背後には、朝怒鳴り合ったロケが、三角形の顔にちょっときまりわるげな表情をうかべて立っている。
フランクは、いまいましい気がしたが、すぐに感情をおさえて、
「おい、坊や、元気か」
と子どもの顔を覗きこんだ。
唇をきつく結んだ、きかぬ気らしい男の子は、ポケットから青と赤のいろの出るボールペンを取りだして、フランクに突きつけた。
「へえ、まだ、あのときのボールペンを持っているのか。石山さんね、これはうちの支店長が、以前この子にあげたものなんだよ」
フランクは石山のほうを振り向いて、そう教えた。
「坊や、このボールペンで、なにをしているんだ。絵でも書いているのか」
唇をきつく結んだ男の子は、こんどは脇にかかえていた板きれをフランクに差しだした。
板きれには、古釘が何十本も打ちこまれ、その古釘に白、青、赤の糸が、縦横十文字にからめてあり、刺繍の板のような美しい絵模様になっている。眼を近づけてみると、青、赤の糸は、古い釣り糸にボールペンで一本一本、いろをつけたものであった。
「おもしろいものを作りますね。フィリッピン人はアートのセンスがあるんだねえ」
板きれをのぞきこんだ石山が、感心しながらいった。
「おれはそろそろブツアンに引き揚げるぞ。今日も一日、コンセッション駆けずりまわってな、へとへとだよ。折角伐りだしたいい材を現場に放りっぱなしにして、古材にされちゃあ適わんからな」
ホベンチーノは、いかにも疲れたという、おもいいれで、肩を落し、首を振ってみせた。
「さあ、ロケ、リアンガまで送ってやるぞ。息子と一緒にジープに乗れや」
ホベンチーノは、ロケ父子を促した。
ロケはジープに乗ろうとしてためらい、フランクのほうに引き返してきた。
「フランクさん、これ以上、材の値段が下ることはないでしょうね。もっと値段が下って給料減らされたら、私ら、今度こそ餓死ですよ」
眼を三角形にしておもいつめたようにいう。
「わかってるよ。値段を下げさせないように頑張ってみるよ」
今度はフランクも穏やかにそう応じた。
「木材の値が一ドル下りゃあ、ここの人間が何人か餓死しかねないってことを、あの日本人のえらい人によくいっといてくださいよ」
ロケはそういってジープに乗りこんだ。いやな予感に捉われながら、フランクはそこかしこに立っているピン・ワームスの蚊柱を眺めた。
本社木材部が二度目の値下げ交渉を指示してきたときも、フランクは、石山と一緒に、ガムット湾で検木の最中であった。
本社が立て続けに|二九 九《にいきゆうきゆう》を配船してくるので、このところ、フランクはマニラとブツアンとの往復に追われている。
石山に至っては、これにルソン東海岸での、赤ラワンの検木が加わるから、まさに「どさまわり」の生活で、レオノールとのデートもままならない。
ガムット湾で検木しながら、|二九 九《にいきゆうきゆう》の到着を待つあいだ、昼めしは隣りのリアンガの町まで食いにいくのが、ふたりの習慣であった。
リアンガ湾の前に、この町唯一の旅館兼食堂がある。旅館兼食堂といっても、客用の部屋は三つしかなく、二階の食堂にしたって、椅子、テーブルが数卓置いてあるきりである。
フランクと石山は、この店を「リアンガ・キチン」と呼び、最近はホベンチーノまでが彼らを真似て、そう呼ぶようになっていた。ホベンチーノにはわからないが、キチン≠ノは、台所、食堂の意味よりもむしろ「木賃宿」のニュアンスの方が強い。フランクと石山が「リアンガの木賃宿にでかけるとしますか」などとふざけているうちに、いつしか店の仇名が「リアンガ・キチン」になってしまったのである。
リアンガ・キチンの二階には、肥った、黒人のように唇の厚いお内儀《かみ》さんがいて、フランクと石山の顔をみるなり、
「今日もスペシャル・オーダーにするんでしょ」
と訊ねて、片目をつぶってみせる。
スペシャル・オーダーというのは、石鯛の塩焼きで、石鯛をココナツ・オイルでいためた、ふつうの料理が二ペソ(約百二十円)なのに対し、塩焼きは手間暇かかるので、五ペソ(約三百円)とられる。
「明日、船が入ってくるから、暫くこのキチンともお別れだな」
その日、リアンガ・キチンの二階にある食堂のテラスのテーブルにすわったフランクは、そういった。眼の前には、ガムット湾に隣接するリアンガ湾のおだやかな海面が、陽を浴びて、縮緬皺《ちりめんじわ》のような、無数の光のひだをたたえて拡がっている。
「船が入ると、フランクさんは、かなり無理しても、船の食堂にめしを食いにゆきますね。波の荒いときでも、平気で出かけるんだからなあ」
石山が、いくぶん冷やかす口調でいった。
「近頃は、石山さんも梅干しのお土産を買ってきてくれないけれど、船じゃ、梅干しだの漬物がありあまっているからなあ。もうひとつ、これはうまい≠どこかでみつけて、積んできてくれりゃ、いうことないんだけどね」
これはうまい≠ニいうのは、戦前の子どもが白い飯にかけたり、茶漬けにしたりして、幼時から親しんだ「ふりかけ」で、フランクは、このこれはうまい≠戦後ずっと恋い慕ってきた、といっていい。
「お客さん、近頃、ピストル持った強盗が、あちこちによく出るらしいよ」
お内儀が、スペシャル・オーダーの鯛の塩焼きを運んできて、そんなことをいう。
このお内儀は、母親がルソンの出だそうで、ブロークンなタガログ語とブロークンな英語の混った、タグリッシュというやつを喋る。
「夜道を自動車で走っているとね、ピストルでライトを射たれる。いや、ピストルの弾丸は値段がはるから、大抵、パチンコでね、ライト目がけて石を打ってくるんだそうだよ」
お内儀は、焼き魚のお盆を食卓に置き、両手でパチンコを打つ真似をしてみせた。
「車のライトが消えて止ったところで近づいて、金よこせ、とやるんだってよ。朝晩ブツアンから通ってくるんなら、道中気をつけたほうがいいねえ」
「それじゃ、石山さん、明日から用心して少し金を持ってくることにしようや。金持ってなくて、相手が頭にきたりすると、まずいことになるからな」
フランクと石山が、右手のフォークで米に混った石を取りのけ、左のスプーンでぱさぱさの米を口に運んでいると、階下で車の停る音がして「リアンガ・キチン」の親父が、客とやり合う声がした。まもなく親父が二階に上ってきたが、信じ難いことに、その後ろから鶴井が姿を現わした。
「鶴井さん、どうしたんですか。一緒に検木やっていただけるんですか」
石山の、聞きようによっては、棘《とげ》のある質問には答えず、鶴井は食卓の椅子に乱暴に腰をおろして、「サン・ミゲル」と親父に怒鳴った。
「昨日、本社から連絡があってな、市況がいよいよわるいから、材の価格をもう一度、おっことせ、といってきよってね」
鶴井は、フランクの顔をまともに見ようとはせず、専ら石山に話しかける格好をとっている。
「いくらに値下げせい、といってるんですか」
フランクが訊ねた。
鶴井は、唇を舐めて、
「二十五ドルにせい、といっとるんだがね」
さもなにげなさそうにいった。
「二十五ドル?」
フランクは石山と顔を見合わせた。
二十五ドルは、ついこの間下げたばかりの価格、二十九ドルをさらに四ドルも下回ることになる。
「本気ですか、本社は。まったく食欲がなくなる数字だな」
フランクは、両手の動きを止めて、深呼吸でもするような、おおきな溜息をついた。
「で、支店長は、どういわれたですか」
「支店長か、小寺さんはシンガポールに出張中ですよ」
鶴井は、それを忘れてるのか、と憤然とした表情でいった。
「そうか。シンガポールで支店長会議があって昨日から出張でしたな」
在シンガポールのアジア地区統轄支配人は、毎年、予算の確定した今頃に、アジア地区の各支店長を招集して、支店長会議を主催する。
「ここに連絡しようにも、電話もテレックスもなくて、動きがとれんしな」
ブツアンには電話がないので、マニラからの連絡は、電報だけである。もっとも電話が通じていたとして、鶴井がフランクに相談の電話を入れてきたかどうかは、おおいに疑問であった。
「支店長の帰りを待って、相談しようかともおもったが、考えてみると、ここのところ小寺さんには、えらく迷惑をかけてる。木材出身でもない支店長に、これ以上、迷惑をかけちゃいかん、とおもってな。取り敢えずおれが交渉してみることにしてでてきたんだ」
鶴井が交渉の前面に立つと、ろくなことは起らない、という気持があるから、
「それはどうでしょうかね。支店長とよく相談してから交渉始めたほうがいいんじゃないかな」
フランクは、異議をとなえた。
「いや、今朝ね、もうアグサン木材に行ってきたよ。シーチャンコに会ってきた」
鶴井の爆弾発言に、フランクと石山は、「あっ」と驚いた。
「シーチャンコは、なんていいましたか」
フランクは少々急きこんで、訊ねた。
「まず、そいつを飲ましてくれや。えらい暑いところで参っちまうよ」
リアンガ・キチンの親父が、ラワンの床をばたばた踏み鳴らして、持ってきたビールを鶴井はひといきにあおった。「ああ、うまい」と呟いて、口のはたを手の甲で拭い、おもわせぶりになにもいわない。
奥の台所から、お内儀の歌う鼻歌が、ものうく聞えてくる。
「今朝、飛行機が遅れて九時にブツアンに着いたんだよ。この時間じゃ、あんたがたも、リアンガに出かけて留守だ、とわかっていたからね、空港で航空会社のやつに白タク、手配して貰ってな、アグサン木材におもいきって跳びこんだってわけだ」
鶴井がアグサン川の河畔にある、アグサン木材の木造二階建ての事務所に入り、ガードマンにシーチャンコ社長に会いたいと告げると、意外な訪問によほど驚いたのか、シーチャンコ自身が、入口まで出てきた、という。
鶴井は、「社長、なんにもいわずに、次の配船から、リューベあたり二十五ドルで売ってください」といきなり持ちかけたのだそうであった。
シーチャンコは、ぽかんと口を開けて、鶴井を見あげたが、「客がきているので、表で話そう」といい、ふたりはガードマンに囲まれて、アグサン川の河畔に出た。
「あの爺さんは、クエトオと一緒だとどうにもならん感じだけどね、ひとりだとおとなしいものよ。日本の合板不況はおわかりでしょう、今年のフィリッピンからの合板輸入は、総量が去年の一割程度になりそうなんです、何卒《なにとぞ》よろしくと頼んだらね、わかった、一日二日考えさせてくれ、といったね。かなりいい線行ったとおもうよ」
鶴井は、得意満面であった。
「おれは、いつも短絡的だと評判わるいけどね、むしろ支店長が気を遣い過ぎるんじゃないの。チャンなんて中国の小父さん通さずにさ、相手のふところに棄て身で跳びこんでゆきゃあ、いいんだよ。男は度胸ですよ」
小寺もフランクも、先日、ブツアンにきたおり、血腥《ちなまぐさ》い事件に出くわし、女がひとり死んだことを鶴井には話していないから、鶴井は、そんなことをうそぶく。
「今日、シーチャンコがおとなしかったとしたら、それはこの前、支店長がそれこそ棄て身で連中にぶつかってね、お酒を一緒に飲んだせいかもしれませんよ」
フランクは、苦々しげにいった。
「いずれにしても、連中がそんなに簡単に、この数字を呑みますかね。自分は疑問だね」
翌朝、船が入り、再び、大量の検木と荷役作業が始まった。
夜は、三人とも船内に泊めて貰うことになったが、部屋が足りず、石山は、フランクに割りあてられた、予備室のソファにシーツを敷いて貰って、そこに寝《やす》むことになった。
フィリッピンの林野庁の官吏、税関吏、検疫官も乗船しているが、この連中は、サロンに雑魚寝といった感じで泊りこんでいる。だいたい薄給から貧乏生活を余儀なくされている彼らにとっては、船上生活は、いわば栄養補給のチャンスで、三度三度の食事をえらく楽しみにしており、寝る場所についてなど、なにも文句をいわない。
その夜は、フィリッピンの役人たちの要請に答えて、すき焼きが供され、フランクも久しぶりに日本酒の盃を船の士官や役人たちと献酬し、珍しく足もとが乱れるほど酔った。石山と若手の税関吏が両側から肩を抱いて、船室まで連れてきてくれたが、そのまま寝台《バンク》に倒れこみ、ズボンを穿いたまま、寝こんでしまったほどであった。
深夜、眠りを鋭く切り裂くような、金属性の音を聞いた気がして、フランクは眼を醒した。気になって、寝台に起きなおり、耳を澄ましたが、船内は静まり返っている。
空耳かと酔いの残る頭を振って、寝台に横になった瞬間、部屋の舷窓のあたりで、やはりなにかが弾けるような、金属性の音が響き、つぎににぶい銃声に似た音が、遠くの海上から渡ってきた。
フランクは、戦いに明け暮れた少年時代に帰ったような、素早い動きで、はね起き、床にしゃがみこんだ。
同室の石山は、おおきな躰を海老のように曲げて、ソファ・ベッドのうえで熟睡している。
フランクは暫く外の気配をうかがったのち、舷窓ににじり寄って、カーテンを開き、表を眺めた。
遠くから灯をいっぱい点した、パン・ボートらしい船が三隻、こちらに向ってくる。
パン・ボートというのは、両側に浮舟を張りだした、水すましのような格好の、原住民の船だが、真中の細い船体にエンジンがついており、相当のスピードで、突っ走る。
三隻の中の一隻に、突然パッパッと光がひらめき、少し遅れて明らかに銃声とわかる音が伝わってきた。
──海賊じゃないか。
フランクは、床に放りだしてあるボストン・バッグを開き、少年時代から馴染みの深い、コルト32を取りだした。
「石山君、起きろ。海賊だぞ」
耳もとで怒鳴りながら、おおきな躰を揺すった。昼間の検木に疲れている、おおきな躰は、それこそ丸太のように頼りなく揺れて、石山はなかなか眼を醒さない。
三隻の水すましに乗った連中は、今度は一斉射撃をしたらしく、舷側で弾丸のはね返るものすごい音がした。
フランクはおもわず床に伏せたが、おかげで石山は眼を醒した。起きあがったものの、宿酔なのだろうか、躰をゆらゆらさせて、
「何の音ですか、いまのは」
「銃声だよ」
「銃声って? 鉄砲の音ですか。モロ族が襲ってきたんですか」
見当違いのことをいう。
「なに寝ぼけてるんだ。このあたりにはモロ族なんかいやあしないよ。海賊じゃないかとおもうんだ。昨日、昼めしどきに、リアンガ・キチンのおかみが話していた、強盗団じゃないかな」
「強盗ですか」
急に眼の醒めたらしい石山は、もと体育会選手らしく、手早く身仕度をした。
船室の外は、俄かに騒々しくなり、船員が怒鳴る声や、ドアの開閉する音、廊下を駆け抜ける足音が響いてくる。
フランクと石山が廊下にでると、隣室のドアが開いて、船の士官の部屋に同居している鶴井が、ぼさぼさ頭を掻きながら、下着姿で現われた。
「先刻、爆竹の音がしたようだけど、土人の夏祭りの流れかね」
頓珍漢《とんちんかん》のことをいう。
あまりの頓珍漢ぶりに苦笑しながら、どうも戦後派と話すと、こっちまでおかしくなってくるな、とフランクはおもい、
「早く身仕度をしたほうがいいですよ。強盗が襲ってきてるようですからね」
と忠告した。
「とにかく船橋《ブリツジ》へ上ってみよう」
フランクは、石山にいった。
貨物船、貨客船の場合、黒い船体に乗った、白塗り、箱型の部分が、ハウスと呼ばれる居住区になっている。だいたい一階に四人一室の下級船員の部屋がならび、二階が士官たち、つまり上級船員の部屋になっている。
白塗りの居住区《ハウス》の先端が船橋で、三階乃至四階の高さになる。
フランクと石山が、船橋に通じる階段を駆け上ってゆくと、船橋のすぐ下で、二等航海士が、
「おまえたちふたりは、タラップを引きあげろ。それからおまえたちは、揚錨機《ウインドレス》のところに行って、錨《アンカー》をあげるのを手伝ってくれ」
てきぱきと船員たちに指示している。
あわただしく階段を駆け降りる船員たちを見送って、フランクと石山は船橋に上り、暗い海上を眺めた。
水すましのような、三隻の船は、大分近づいており、船上に松明をかざした男たちの影がおぼろげにみえる。
海風を受けて松明の焔は漆黒の闇のなかに長く尾をひき、揺れる波間に火のいろをゆらめかせている。松明をかざす男たちより、焔ばかりが目立って、おおきな焔の集団が三つ、闇のなかを迫ってくる感じであった。
「松明なんかを燃やしやがって、まるで長良川の鵜飼じゃないか」
フランクは、恐怖に打ち勝とうとして呟いた。
日本には二度ほど、出張で行ったことがあるきりのフランクは、長良川の鵜飼なんぞ、見たこともない。しかし少年時代、「講談社の絵本」あたりで親しんだ鵜飼の光景は眼底に焼きついている。
「あのスピード・ボートが指令をだしているんですかね」
石山が一隻を指差していった。
三隻のパン・ボートの傍に、スピード・ボートが走っていて、つかず離れずパン・ボートの間を縫って、ついてくる。
船橋の操舵室には、船長を初め、一等航海士や通信長、それにフィリッピンの税関吏、検疫官などが詰めかけていて、それぞれ四隻の動きに目を凝らしている。
チーフ・オフィサーを訛って、チョッサーと呼ばれる、船では船長の次席格の一等航海士は、横目で松明の集団を眺めながら、電話で船内のどこかと連絡を取っていた。
「鴻田貿易さん、われわれと一緒に捕虜になっていただくことになるかもしれませんよ」
船長は、意外に余裕のある微笑をうかべていった。
「このフィリッピンの税関のひとに教えて貰って、PCっていうんですが、沿岸警備隊にSOSを打ちましてね、すぐ|助け《レスキユー》にきてくれるそうです。それから、湾の外に避難しようというので、機関動かして、錨をあげていますが、救援がくるにしろ、船を動かして避難するにしろ、早くて二十分から三十分はかかりますよ。その間、持ちこたえられるかどうか、でしょうな」
なるほど船首のほうで、錨を巻き揚げる音が、がらがらと聞える。
船を動かす場合、ディーゼル・エンジンはともかく、錨をあげるのに、おもいがけない時間をとられる。錨は、先端のとがった、いわゆる錨の部分だけを海底に落し、重しにして、船を固定させるのではなく、長い鎖を海底にとぐろをまくように着地させて、鎖の重さで船を固定させるのである。従って鎖の部分がたっぷりと長くて、簡単には巻きあげられない。
「強盗がなにを欲しがっているのか、それがわかっているのなら、あらかじめこちらから餌を用意したほうが安全かもしれませんね」
とフランクが呟いた。
傍らに立っている税関吏は、前夜、石山と一緒に、フランクをハウスの二階の部屋までかつぎあげてくれた男だが、フランクが、この若い税関吏に質問すると、
「海賊が欲しいのは、多分あれじゃないか」
と甲板に敷かれているキャンバスを指差した。
「奴ら、きっとあれをテントに使いたいんですよ。強盗やゲリラは野宿の連続ですからね」
船長は、それを聞いて、
「よし、デッキにキャンバスを拡げとけ。それから、ハウスの|入 口《エントランス》のドアは、念のため、全部、内側からロープで縛って、簡単に開かないようにしておこう。時間稼ぎの役には立つかもしれんからな」
といい、命令を実行すべく、士官が数人船橋を駆け降りて行った。
三隻の大型の水すましに乗った海賊たちは、船のすぐ傍に近寄り、大声をあげながら、上空に向って、威嚇の一斉射撃を行った。轟音と一緒に閃光が鋭く闇の海上を走り抜ける。一斉射撃の指示は、相変らず、つかず離れずの位置に浮いている、スピード・ボートから出ているらしい。
──戦時中のスピンドル銃みたいな、けちな小銃振りまわしやがって、まるで西部劇のインディアンだな。
フランクが、そんなことを考えていると、彼らは船の舷側に鉤のついた縄をひっかけ、じっさいにインディアン顔負けの身軽さで、船に跳び乗ってきた。積荷が始まったばかりなので、吃水線が高いのだが、一向に苦にする様子がない。
船窓から洩れる灯火のなかを黒い影が跳梁し、物陰から物陰へ跳び移る。抵抗がないと見くびったのか、次第に強盗連中は大胆になった。喊声をあげて船上を駆けまわり、上空に向って小銃を乱射し始めた。いずれも裸に半ズボン、裸足の連中である。
船橋の連中は全員、床にしゃがみこんで、難を避けていた。横にしゃがみこんだ航海士の唇の辺が震えているのが、夜目にもわかる。銃声が響くたびに航海士の顔がひきつり、フランクと背中合わせにしゃがんでいる石山の背がぴくりと動く。
褐色の男たちの裸足の足音は、まさに船上を占拠し、所狭しと駆けまわり、甲板のうえで渦を巻いている感じであった。それは、ひたひたと船橋の外のタラップを上ってきて、操舵室まで迫り内部を覗きこむ気配であった。
突然、船橋の|入 口《エントランス》のドアが、表からゆすぶられ、ドアのノブを固定させているロープが、今にも千切れそうになる。フランクは、おもわず腰に差したコルト32を握りしめた。
「武器は使っちゃいかん。相手を刺激しちゃいかんよ」
船長が押し殺した声でたしなめる。
しかしそのとき、遠くの海上から激しい機銃音が響いた。沿岸警備隊が、やってきたのである。
海賊たちは先を争って船からパン・ボートに跳び移ると、つぎつぎに松明を海に捨てて、闇の中に消えた。
フィリッピンの沿岸警備隊の事情聴取などがあって、明け方、フランクと石山は寝台《バンク》に横になったが、一時間と経たないうちに、船員のひとりに、お客だ、と起された。アグサン木材の社長が甲板にきている、という。
フランクと石山が、ふらふらとおぼつかない足どりで、ハウスの外に出てみると、デッキのクレーンの傍に、シーチャンコとクエトオが立っていて、鶴井と話しこんでいる。
シーチャンコは、フランクと石山の姿をみとめると、自由の女神のように高々と細長い手を挙げてみせた。クエトオは、うつむいたまま、知らん顔をしている。
シーチャンコは、歩み寄るフランクと石山に、両手の指を七本立てて突きつけた。
「二十七ドルだ。それ以下には、絶対、負けられんよ」
厳しい顔つきでいう。
「昨日一日、ブツアンの同業者を何人か訪ねて、探ったんだが、どこも二十九ドル以下じゃ売っとらんよ。だからな、われわれの負けられるのは、ぎりぎり二十七ドルだ。それ以上、ダンピングしたら、同業者に袋だたきに合っちまうからな」
鶴井は海風にぼさぼさの髪を散らしながら、腕組みをして、シーチャンコを睨んでいたが、
「二十七ドルじゃ、どうにもならんですな、こんな数字持っておめおめマニラに帰れんよ」
とかなりブロークンな英語で文句をいった。
フランクは「まあまあ、鶴井さん」と制して、
「とにかく、このご返事を持ち帰って、支店長と相談して、ご連絡しますよ」
とその場をとりつくろった。
シーチャンコは、人差し指を鴻田貿易の三人に次々とつきつけ、
「いいかね、二十七ドルだよ。これを受けんのなら、ほかの日本商社に売るよ。いくらでも買手はあるんだからな」
と憎まれぐちを叩いた。
彼らは荒々しい足どりでタラップを降りてゆき、待たせてあったスピード・ボートに跳び乗ったが、デッキから身をのりだして、彼らを眺めていた石山が、
「あのスピード・ボート、ゆうべ、襲ってきた海賊のボートに似てやしませんかね」
といいながら、フランクを振り返った。
「スピード・ボートなんて、どれだっておなじものだろう」
フランクは、そう答えながら、一方で疑念が湧きあがってくるのを覚えた。
「ほら、船名を黒く塗りつぶしてあるでしょう。昨夜のボートもね、松明に照しだされたとき、たしかおなじ箇所が、黒く塗りつぶしてありましたよ」
石山は、遠ざかってゆくボートをじっと目で追っている。
そういえば昨夜の襲撃は、異常といえば異常であった。いたずらに威嚇射撃を繰り返すだけで、おとりとして用意したキャンバスはもちろん、船上の備品はなにひとつ持ってゆかなかったのである。
数日間の検木を終えて、石山が独身寮に帰ると、居間のソファで、藤田がひとりで酒を飲んでいた。
「支店長が、えらい勢いで鶴井さんを怒鳴っていたよ。どうして、おれの帰りを待って、アグサン木材と交渉しないのか、少くともシンガポールへ電話入れて、相談しないのかって、いうんだな。支店長室の外まで、びんびん響いてきてね、秘書のフェイなんか、自分が大目玉食ってるみたいに、震えてたよ。温厚な小寺さんを見慣れているだけに、フェイも驚いたろうな」
そう教えてくれた。
「本社もね、支店長がいないときを狙って電話かけてきたような節もあるしね、さすがの小寺さんも頭にきたんだろう」
そんな藤田の話をききながら、
──本社木材部と、マニラ支店の対立みたいなかたちになってきたな。
と石山はおもった。
本社木材部とその出先きである鶴井、そしてマニラ支店を代表する小寺との間に、音を立てて亀裂が生じつつあった。
日本の木材不況は、ついに荒川ベニヤの扱うルソン産の赤ラワンのほうにも響いてきて、ディビラヌエバの材についても、値引き交渉を行わざるを得なくなった。
八月のある夕刻、フランクは、PITICOに出かけ、オノフレ、シソンと一時間ほど話し合って、こちらは簡単に了解を取りつけた。
用談のあと、暫く雑談をして、七時半過ぎ、オノフレの秘書のデスクから、鴻田貿易に電話を入れた。
秘書のアデールはもう退社したらしく、石山が電話に出てきた。
「遅くなったんで、なにもなければ、このまま家に帰りたいんだが、どうかな」
「そうしていただいてもかまわないとおもうんですけど、ただね」
石山は、口ごもった。
「どうした。なにかあるのか」
「まあ、気にすることもないとおもうんだけど、鶴井さんの様子が少しおかしいんですよ」
石山は、妙なことをいいだした。
「おかしいって、躰のぐあいでもわるいのかね」
「いやね、支店長は、鋼材のほうのパーティがあって、六時過ぎに鋼材のひとたちと退社していかれたんですが、鶴井さんが、そのあと、支店長室に閉じこもって、出てこないんですよ」
「支店長室から本社に国際電話でも入れてるんじゃないの。彼、よくやってるじゃないか」
鶴井のよくやる手で、支店長が不在なのを見こして、本社の木材部に電話を入れ、二、三時間後に繋がると、わざわざ支店長室に入りこんで、受話器を取る。会話の内容を大部屋の同僚に聞かれたくないからであった。
「最初は、たしかに本社と電話で話すためだったんですよ。本社から電話だといわれて、支店長室に入ったんですからね。しかし電話は十分か十五分で終ったんじゃないですか。そのあと一時間もでてこないんですよ」
鶴井が支店長室に閉じこもって、かれこれ一時間半は経っているという。
支店長秘書のフェイが、退社する前にドアをノックして、「ミスタ・ツルイ、コーヒーでもいれましょうか」と声をかけたが、「今、忙しいから、いらない」と素気ない返事がかえってきただけで、部屋から出てくる様子がない。
「あのひとが女を引っぱりこんでいるともおもえないし、昼寝でもしているのかな」
フランクは呟いた。
実際、日本企業の支店長にも、その道の腕達者がいて、秘書と一緒に支店長室に閉じこもって、一時間も出てこず、評判になった人物がいるのである。
「とにかく一度、会社に戻ることにしよう」
フランクは電話を切り、いすゞ・ベレットを運転して、アヤラ通りの支店に戻った。
支店に戻ると、八時をまわってしまい、現地雇用の社員はもちろん、残業好きの日本人派遣員も退社したあとで、大部屋の蛍光燈もすでに半分ほど消されている。
奥のフランクのセクションでは、木製のデスクが蛍光燈の灯りを受けて光っているなかに、石山がひとりすわって、日本から着いた木材の業界紙らしい小型の新聞を机に拡げていた。
「まだなかにいるのか」
フランクが、突きあたりの支店長室を指差すと、石山は黙って頷いて、立ちあがってきた。
「出てくるのを待っているわけにもゆかんだろう。こちらから声をかけてみよう」
フランクは、ブリーフ・ケースを自分のデスクに置き、支店長室に向った。
欧米人ふうに、支店長室のドアを立て続けに三つほどノックして、
「鶴井次長、遅くまでなにをされているんですか。われわれもそろそろ引き揚げますが、一緒に帰りませんか」
そう声をかけた。
部屋のなかは、しんと静かだったが、ややあって、がたんとテーブルに足をぶつけるような音がし、
「おれはもう少し会社にいる。先きに帰ってくれや」
床にすわりこんでいるのか、下の方から鶴井が怒鳴り返してきた。いやにおおきな声で、それが却って不審な感じをフランクに抱かせた。
「暫く待ってもいいですよ。石山君もいるし、皆でいっぱいひっかけて帰りませんか」
フランクはそういって、強引にドアを開けようとしたが、ドアには内側から鍵がかかっている。
がたがたやっていると、内側からひきずるような足音が近づいてきて、ドアが開かれた。
鶴井は、半袖シャツの胸をはだけて、裸の胸をのぞかせ、裸足に靴をスリッパのようにひっかけた、だらしのない格好で突っ立っていた。
支店長室の床にすわりこんで、支店長室備えつけのウィスキーを飲んでいたらしく、応接セットのテーブルのうえには、生《き》のままのウィスキーの入ったグラスと脱ぎ棄てた、よれよれの靴下が載っている。
「どうして、ひとりで酒なんか、飲んでたんです。なにかあったんですか」
フランクは、テーブルのうえのウィスキーと靴下を眺めて、訊ねた。封印の紙が散らばっていて、支店長室のキャビネットから取りだして、勝手に開けたらしいウィスキーは、既に三分の一ほどなくなっている。
「いや、なにもありゃせんですよ」
鶴井は向うむきになって、はだけた自分の胸に片手を差し入れ、ぴたぴたと叩いた。
「商売が若干、混乱してきたから、この際、落ち着いて、考えをまとめてみたい、とおもいましてな」
照れくさいのか、鶴井は明るい声で、日頃に似ぬ丁寧な言葉づかいをする。
「本社と電話で話したんでしょう。本社となにを話したんですか」
フランクは、腕組みをして、鶴井の背中を眺めた。
鶴井は、裸足にひっかけた靴をスリッパのようにずるずるとひきずって、窓ぎわまで歩いてゆき、外の夜景に眼をやってなにもいわない。肩をおとした後ろ姿に、強気の鶴井らしからぬ、疲労が、影のように浮きでているのにフランクは気づいた。
フランクと石山の射るような視線に耐えかねたのか、ややあって鶴井は、こちらに向き直った。眼を合わせたくないらしく、視線を床におとしている。
「この間アグサンが二十七ドルなら売ってもいい、そういってきたよね。あれはもちろん本社に報告していたんだが、先程、電話が入ってね、なんとご本社さまは、ミンダナオのガムット湾に対する配船を当分延期する、といってきたんだ」
フランクはおもわず「ふうん」と唸った。
「このあいだうちは、本社は一週間おきに、続けて何隻も配船してきて、ガムット湾の沖で、出船、入り船すれ違う始末だったじゃないですか。それが今度は延期ですか。いったいどういう理由で延期するんですか」
フランクは詰問する口調になった。
「|二九 九《にいきゆうきゆう》のやり繰りがつかん、というんだよ。おれも辞を低くして、河野部長に頼んだんだが、船のやり繰りがつかん、の一点張りで、取りつく島がないんだね」
鶴井は、呻くようにいって、唇を噛むらしい気配であった。
「石山さん、今、船の事情は、そんなにわるいのかね」
フランクは石山のほうを振り返った。
「船はいつでも各社で取り合いは取り合いなんですよね。絶対数が足りないんです。おまけに夏場は北洋材の積みでね、船腹がいよいよ足りなくなりますね」
昭和四十五、六年当時は、韓国籍、台湾籍など、外国籍の船のチャーターがみとめられておらず、従って船腹の絶対数が、常に不足気味なのは事実であった。
おまけに夏場になると、不凍期を狙ってソ連から積みだす北洋材の輸入の仕事が忙しくなり、船腹はいよいよ払底する。
「しかしおかしいな。このあいだ、ガムット湾で海賊に襲われたとき、船長は、この船は向う半年間ガムット湾に貼りつけだよ、向う半年も、毎月二回、海賊の顔いろ伺って、命がけで丸太積みにくるんじゃ、かなわんなって、愚痴こぼしてましたよ。それを聞いて、私は、船の予約は全部入っているんだな、とおもったんですがね」
石山の発言は、部屋の空気を恐ろしく緊張させた。
──本社木材部は、いや、木材部長は、故意に配船をキャンセルしたんだ。
理由は明白であった。アブサン木材側が、二十五ドルの値引き交渉に応じず、二十七ドルなどという数字を反対提案してきたからである。
「これは商売じゃなくて恐喝じゃありませんか。二十五ドルの数字をお呑みなさい、さもないと船はださないよ、こういう話じゃないですか」
フランクの感情が沸騰して、声が高くなった。
配船中止は、アグサン木材に対する恐喝であると同時に、マニラ支店の交渉能力に対する不信宣告であった。いや、そんな生ぬるいものではなく、本社の指示を実行できないマニラ支店に、おもいきった制裁を加えてきたといっていい。
「しかし鶴井さん、マニラ支店は本社にビンタを食らったようなもんだけど、あなたも本社にビンタを食らったんですよ。本社はあなたを見捨てたんだ。本社経費で給料払っているあなたに何の相談もなかったんでしょう。あなたが、どんな苦しい立場におかれても、ご本社としては与《あずか》り知らんというわけですよ」
フランクは、鶴井がわかりきっている筈のことを口にせずにはいられなかった。
鶴井は少し呆けたような顔になって、またはだけた自分の胸に手を入れて、ぴたぴたと叩いた。今度は、間延びのした叩きかたになっている。
「大袈裟なことをいってくれちゃあ困るんだな。首になったわけじゃなし、本社は、なにも私を見捨てたりはしませんよ。要するに、少しばかり配船を遅らせて、あなたがたに時間をあげますよ、その間にアグサン木材側ともう一度、交渉してごらんなさい、これはそういう意味なんだよ」
しかし先日の海賊襲撃を実体験した者には、アグサン木材側と再折衝して、二十七ドルを二十五ドルに下げられるなど、考えられない話であった。
「今、ブツアンの標準価格は、二十九ドルですからね。あちらが二十七ドルまでおとしてきただけでも、大変な協力ぶりなんですよ」
フランクは、少し冷静になって、いった。
しかし、それも、鶴井にはいわずもがなの話で、値下げ交渉が不可能と知ればこそ、鶴井はときならぬ孤独な酒宴を張らねばならないほどの、おおきな衝撃を受けたのである。
「どうですか。どこか日本料理屋にでもいって、ゆっくり話しませんか」
石山がとりなして、テーブルの上の酒やグラスを片づけ始めた。
最寄りの日本料理屋に行って、肴をつまみ、酒を飲んだが、三人とも黙りこんで、話は一向にはずまない。
「石山さん、あの船がガムット湾の材を運ぶために向う六カ月間フィリッピン航路に貼りつけになっていたって話は、ほんとかね」
フランクがもう一度、確かめると、俯いて盃を口に運んでいる鶴井のほうを気づかいながら、石山は、
「確かでしょうね。あとでほかの士官たちもおなじことをいっていましたからね」
という。
石山が答え終るや否や、突然、鶴井が「もう止せ」と叫んで立ちあがった。
「こんなところにいても、辛気くさくてかなわん。気が滅入っちまうよ。アミハンにでも行って、騒ぎましょうや」
空元気をつけるように、大声で誘った。
アミハンは、ロハス・ブールバードに面した、マニラ屈指のナイト・クラブである。ナイト・クラブというものの、昼間から営業していて、政界、財界関係者も多数出入りしている。
「鶴井さん、今夜はアミハンにゆくムードじゃないでしょう。もっと気分のいいときにでかけましょうよ」
石山がなだめたが、鶴井は酔った躰を前後に揺らしながら、「いや、今夜ゆくんだ」と駄々っ子のようにいい張った。
結局、フランクの車で、アミハンにゆくことになったが、クラブに入った鶴井は、ボーイの案内も無視して、左手の奥のほうにずんずん歩いてゆく。
左手の奥には、女たちの待機している部屋があって、客は小窓を覗いて、指名の相手を決める仕組になっている。
鶴井は、女の部屋のまえで、ボーイを掴まえ、
「おい、ミンダナオのブツアン、知っとるだろう。あのあたり出身の女はいないか」
いきなりそう訊ねた。
「ブツアンの女を指名して、あんたどうするの」
フランクが口をはさんだ。
「あの気に食わん土地の女をひっぱりだして、ぶんなぐってやる」
眼を据え、唇を噛んで、鶴井はいう。
「鶴井さん、あんた、勘違いしているよ。なぐらなきゃならんのは、ブツアンの人間なんかじゃないでしょう。もっと違う方向のひとたちでしょう」
海の彼方、東の方の国にいる連中だ、といいさして、さすがに気がとがめ、フランクは言葉を呑みこんだ。
鶴井は床にしゃがみこみ、顔を両手でこすりだした。
「石山さん、強引に独身寮に運んじまおうや」
フランクは、ボーイにチップをやって、「さあ、帰りましょう」としゃがんでいる鶴井の肩に手をかけた。
この夜の騒動にもかかわらず、鶴井は、小寺に対しては事実をかくし、純粋に技術的な問題から、ガムット湾向けの配船が遅れている、と報告したようであった。
フランクの胸には、その後もずっと、この配船中止問題がおもくわだかまっていて、毎朝、鶴井と顔を合わせる度に、「あなた、この問題をどう解決するんですか」と詰問したいおもいに駆られた。
しかし鶴井の尻を叩いて、本社に意見具申させたところで、あれほど強硬な態度を取っている木材部長が、おいそれと態度を変えるともおもえない。
さりとて、アグサン木材に二十五ドルの値下げを呑ませるのはもっと難しい、ほとんど不可能な難題のようにおもわれる。
結局、時間を稼ぎ、事態の変化に期待するより仕方がないようであった。
鶴井の懊悩はかなり深刻のようで、熟睡できないのか、眼を真赤に充血させ、腫れぼったい顔をして出勤してきたりする。
毎晩、マビニ街あたりを飲み歩いているらしく「まさかブツアンの女を買って、なぐったりしてるんじゃないでしょうな」と石山も暗澹たる表情であった。
配船中止の一件がはらむ重要性に小寺が気がついたのは、ホベンチーノがSOSに近い電報を、ブツアンからよこしたためである。
配船中止の電話から十日経った頃、小寺が、支店長室にフランクを呼んだ。支店長室には、既に鶴井がきていて、冴えない表情でソファにすわっている。
小寺が支店長室で打ち合わせをやるのは、問題が深刻なときに限られている。
「チャンさんから、こういう電報がきてね」
しかし小寺は、意外に冷静な表情で、ホベンチーノの打ってきた商業電報を差しだした。
電報には「一、アグサン木材側は、先日のカウンター・プロポーザルにつき、返答を要求している。二、配船延期につき、積荷の作業現場では、不穏な噂が飛び始めているので、至急次の配船予定を知らされたし」と英語で書いてある。
「現在の状況は、きみもよくわかっているだろう、フランク君」
小寺は、ふだんと変らぬ、人なつっこい笑顔をみせていった。
「本社は、二十五ドルの値下げを呑んでくれとアグサン木材側に提案した。アグサン・サイドは、それを呑めない、二十七ドルの数字でおさめてくれ、と反対提案してきた。これを本社に伝えたところ、二十七ドルでは、材はひきとれない、配船は中止する、こういってきた。今、鶴井君に訊いてわかったんだが、現在の状況は、こんなところだよね」
小寺は、回転椅子をゆらし、ボールペンを振り振り、そういった。
冷静に現在の状況を絵解きしてみせたりして、支店長は、ずいぶん余裕があるな、とフランクはおもった。
「フランク君、そこで訊きたいんだが、われわれには、どんな手が残されている、とおもうかね。むろんなんとしてでも、商売をつないでゆく、という前提に立っての話だがね」
小寺は、ボールペンを振るのを止めて、鋭い視線をフランクにあてた。
「それこそ、特攻隊の気持でブツアンにでかけて、もう一度アグサンの連中を口説いてみるか、ということでしょうが、これはまず不可能でしょう。となると、本社を、説得して、二十七ドルのプライスを呑んで貰うしか、ありませんな」
「そういうことだろうな」
小寺は頷いた。
「しかしね、フランク君」
小寺は、再び鋭い視線をフランクに向けてきた。
「私はね、本社とあたるまえに、もう一度、アグサンの役員と交渉したいんだよ。その結果を持って、本社とかけ合いたいんだな」
フランクが「無駄でしょう」といいかけるのを小寺は、手で制した。
「いや、無駄かもしれない。物騒なこともいろいろ起るかもしれないやね。しかしね、なんというのかな、商人の意地とでもいうのかね、なにか活路は開けないか、という気持があるんだよ。仮りに二十六ドル、という数字がでれば、双方、納得するんじゃないかね」
フランクは唸って額をこすった。このひとは、理想主義者であり過ぎる、とおもった。
日頃から貿易という仕事のうえで理想をもとめたがる小寺だが、この傾向は個別の商売にも反映して、一件一件について理想的な結論をもとめ過ぎるようなところがあった。
「支店長、私を東京へ出張させて貰えませんか」
ふいに鶴井が、切羽詰ったような声をだした。
「本社とかけ合って、二十七ドルを呑んで貰う以外に、残された手はないとおもうんですよ。支店長をブツアンへやって、危ない目に遇わせるわけにはゆかんです」
鶴井は、立ちあがり、少しふらつく感じの足どりで、小寺のすわっているデスクに近寄った。
小寺のデスクに両手をついて、
「意地でも、二十七ドルを呑ませて、十日以内に配船させてきます」
という。
フランクも、そこで躰を乗りだした。
「支店長、この際現実的に考えましょう。私も鶴井次長とおなじ意見で、ブツアンにいってあの連中といくら交渉しても、無駄だとおもいます。それよりは本社のほうが可能性があるんじゃないですか。なにしろおなじ会社なんですからね」
「なるほど、おなじ会社か」
小寺は苦笑した。
「どうもおなじ会社だってことを忘れそうになるがね、たしかに一番話の通じるべき相手ではあるんだよね」
小寺は腕を組んだ。
レオノールは、石山と顔を合わせるたびに、訊ねる。
「お母さまをいつ、マニラに招ぶの。手紙はもう書いたんでしょう」
石山は、閉口して生返事をしていたが、追及があまりに急なので、つい「先週、手紙を書いたよ」と答えてしまった。
すると今度は「お母さまから、返事はきた?」と、これも会う度に訊ねる。
だいたい母親と引き合わせるまえに、決めておかねばならない重大問題があって、それを解決しないことには、母親を招び寄せる気持になれそうにない。
お互いの愛情ははっきりしているとして、しかし結婚生活が愛情だけで成立すれば、こんな簡単なことはない。レオノールと石山の間には、愛情の問題なんぞ、たちまち吹っ飛んでしまいそうな、恐ろしいくらいの環境の違いがある。
──そうはいっても、うちのおふくろとただ引き合わせるだけなら、別に問題はないだろう。愛情だ、結婚だなんて問題は、あとでゆっくり考えればいい。
あんまりレオノールが騒ぎたてるので、石山は易きについてしまって、そんな考えかたをした。
今更、手紙を書くのも面倒なので、夜、独身寮から、咲子に電話をいれた。
「お母さん、マニラに遊びにこないかね。雨期明けのフィリッピンは、あまり暑くなくて気分がいいよ」
「へえ、あたしが外遊するのかね」
と咲子はいった。
「外遊だなんて、大袈裟なものじゃないよ。羽田から僅か四時間ですよ。大島へゆくより簡単だよ」
「土人の島へゆくのは、どうも気が進まないねえ。首狩り族が、はねた首を干柿みたいに軒下に吊してお飾りにしたりしてるんだろう」
何度いって聞かせても、母親のフィリッピンのイメージは、ブラック・アフリカの奥地あたりと重なるらしくて、なかなか改善されない。
「そりゃ、奥地の方へゆきゃ、首狩り族もいるだろうけど、マニラなんぞは、浅草と変りゃしないんだよ。浅草に遊びにゆく気分で、気楽にくればいいんだよ」
「浅草かね。それじゃあ、マスクを沢山もってゆかなきゃ危険だね。浅草よりバイキンは多いだろうしね」
顔の半分もありそうな、日本特産のおおきなマスクをかけた母親がレオノールと向い合う光景を想像し、石山は落ち着きを失いそうになった。
「だけど、なんで藪から棒にマニラにこい、なんていいだすんだい。だれか私に紹介したい娘でもできたのかね」
「違う、そんなんじゃないよ」
石山は、あわてて、電話機のまえで手を振った。
「なかなかうまいマンゴーのパイなんかあるしね、お母さんに食べさせたいとおもったんだよ。とにかくフィリッピンの話はね、来週、うちの支店長と上役のフランクさんってひとが、東京に出張するから、よく話を聞いたらいいよ」
小寺はミンダナオ行きは取りやめ、現地事情に詳しいフランクを同行して、東京に出張することになったのであった。
10
八月中旬の日曜の夜、羽田に着いた小寺とフランクは、そのまま丸の内ホテルに投宿、すぐに小寺の部屋から荒川ベニヤの与田、それに知り合いの問屋筋に電話を入れて、国内市況について情報を仕入れた。
翌朝、ふたりはかなりおもいつめた表情で、美土代町の本社木材部を訪ねた。
「昨日は、客筋と接待ゴルフでしてね、お迎えにも伺わなくて失礼しました」
木材部長の河野が立ってきて、そう挨拶をする。
朝の陽に禿頭を光らせた河野は、愛想のいい微笑をたたえながら、しかし決して小寺と眼を合わせようとはしない。夜中までゴルフをやっていたわけではなかろうに、その気になれば、プレイ後電話の一本くらい、入れてくるのは、なんでもなかった筈であった。
河野は、小寺より四、五歳年長の先輩格の人物である。相当なやり手で、将来は木材担当常務のポストを狙っている、という評判であった。
その河野の敵意が最初に閃いたのは、当面の問題について打ち合わせるために、木材部の部屋から会議室に向おうとしたときであった。
「小寺支店長ね、あのフランクとかいう現《ロ》地雇《ー》用社員《カル》は、今日の会議から外していただけませんかね」
河野が、旧知の若い木材部員と談笑しているフランクのほうを顎でしゃくるようにして、そういいだした。
相変らず、小寺の顔を正面から見ようとしない。
河野は木材部生えぬきなのだが、北洋材の担当が長く、フランクのような南洋材関係の支店の現地雇用社員とは馴染みがうすいらしかった。
「あの男は、ローカルといっても、マニラの店じゃ、木材のマネージャーをやらせておりますのでね、会議から外すと、私が困りますね」
小寺は、待ちかまえていたように不快な感情が胸のなかでふくれあがるのを意識しながら、それでも笑いを絶やさないようにして、そう答えた。
「しかしね、小寺さん、あの連中は、ここでの会議の内容を現地の商売相手や商売敵に簡単に漏洩《リーク》してしまうんじゃありませんか」
河野は、靴で床板をこすりながら、そういう。
「現に、ガムット湾のコンセッションのオペレーションは、チャンとかいう、あの男の友人がやっているんだそうじゃないですか。その友人に、この会議の内容を喋られても困りますしね。まあ、うち出身の鶴井君がきてくれたのなら、なにも問題がなくて大歓迎だったんですがね」
鶴井を見棄てるような態度を取ったくせに、こうなると問題は別のようで、鶴井の代りに、なんであんなローカル出身のマネージャーを本社に連れてきたのか、といわんばかりの口調であった。
「小寺支店長、ここのところは万全を期して、あの男を会議から外していただけませんかね」
河野はくどく迫った。
小寺は、河野の差別的な発想があまりにあからさまなので、平静を失い、顔がかっと熱くなってくるのを感じた。
「河野部長ね、あの男をマネージャーに抜擢したのは、この私なんですよ。うちの企業秘密を簡単にリークするような男を、私がマネージャーにするとお考えですか」
微笑しながらも、開き直ったいいかたになった。木材部の課長連が、二、三人、次第に声高になったやりとりに、なにごとかと集まってきた。
「それほど、おっしゃるのなら、止むを得んでしょう。ただ、会議の内容がリークされてことが面倒になった場合は、小寺支店長、あなた、責任を持ってくれますな」
河野は冗談めかしていい、高笑いをして、気まずい空気をごま化した。
こんなやりとりのあとで、会議が始まったから、最初から波瀾含みになった。
会議室で、フランクとならんですわった小寺は、反対側に陣取っている木材部の管理職に向って、
「国内市況の悪化、という事情も重々わかっておりますが、この際、ガムット湾の材を二十七ドルでぜひお引き取りいただきたい、そうおもって雁首《がんくび》ならべて陳情に伺ったわけでしてね」
微笑を含んでいったつもりだったが、フランクを出席させるかどうかのやりとりが響いて、われながら、まだ頬が熱く、顔が強張っている気がした。
相手は配船を中止してまで、値下げを迫ってきた本社なのである。相当の強談判におよばねば、路が開かれないことは、小寺もよく承知して出張してきた。
河野は、会議机のうえにのせた掌を、手相でも調べるようにかわるがわる眺めながら、
「おっしゃるとおり、国内市況は空前の不況なんですよ。それもね、南洋材の市況がひどいんです」
ぼそぼそと呟くようにいう。
それから眼鏡を光らせて、
「二十七ドル、という数字は今の内地の市況じゃ通りませんな」
急に高い声になって、河野は断言した。
「絶対に通らないな、これは」
小寺は、深呼吸をするように胸を張って、会議室の天井を仰いだ。
「河野部長、これは本社のご方針の問題だとおもうんですよ」
河野のほうに躰をのりだして、小寺はいった。
「今更ご説明するまでもないけれども、アグサン木材所有のコンセッションからは、向う数十年にわたって、径《けい》一メートル以上の材が出るんです。こういう相手は大事にして、息のながい商売をしてゆくのが筋じゃないか。むろん国内市況が不況のときは、先方にも協力して貰わなくちゃならんでしょうが、こちらも先きゆき考えるのなら、あんまり、|あこぎ《ヽヽヽ》に値引きを迫ってもいかんのじゃないですか」
あとから考え合わせてみると、この小寺の|ぶちかまし《ヽヽヽヽヽ》のような発言は、本社木材部の面子をいたく傷つける結果になった。
「小寺さん、商売というのは、もともと|あこぎ《ヽヽヽ》なものじゃないですか」
河野は、自分の手相を眺めるのを中止して、いい返してきた。
「これから数十年間、交際《つきあ》ってゆく相手だから、どんなに不況になっても、高値で買ってやろう、そんな甘い考えかたしてたら、数十年経つ前に、こっちの会社がつぶれちまいますな。たとえ末長く商売してゆく相手だろうと、市況を睨んで、きびしく値段をおさえこんでゆかなきゃ、会社なんてものは成立しないんですよ。われわれもめしの食いあげです」
「河野さん、お言葉を返すようですが、マニラ支店としては、おっしゃるような甘い商売をしてきた覚えはありませんよ。ブツアンの価格は現在二十九ドルです。それを二十七ドルで買おう、といってるんですよ。私が大甘なら、ご本社は大カラ、ということになるんだな」
小寺と河野は睨み合う感じになった。
出席している木材部の課長、課長代理クラスの若手社員は弱り切って、額を鉛筆の先きで掻いたり、ファイルのなかに頭を突っこむように深々と俯いたりしている。
「大カラといえば、今度の配船中止は、どういうことですかね。二十五ドルが呑めないのなら、船はだせない、という意味ですか、あれは」
小寺はいいつのった。
この真夏の八月に東京に乗りこんでくるのを決心したときから、小寺は情勢によっては本社相手に「大立ちまわり」を演じることも止むなしと決意している。それが会議を始めて十分も経たぬうちに現実のものになった。
強談判によって血路を開くしかない、とおもったためだが、一方、勤め人の処世哲学としても、「人間、ときに派手な喧嘩をやってみせることも必要だ」、そんな頭がある。
ここ一番、というときには、激しい大立ちまわりを演じたほうが、逆に社内の評価はあがり、損するどころか、得をするものだ、これまでの処世体験に照して、小寺は、そう信じていた。
「あれは、サハリンから大量に北洋材を買ったので、船をそちらにまわしただけの話です。南洋材に比較して、北洋材は値くずれしていない。儲かるほうに優先的に船をまわすのは、本社としては、当然でしてね。本社は南洋材のこと、フィリッピンのことばかり考えて、マニラ支店と心中してしまうわけにはゆかんのでしてね。われわれは、マニラ支店の出先機関でもありませんしね」
河野も応酬してくる。
「心中は、こちらだって、お断りでしてね」
小寺がやり返し、会議室の空気は、過熱状態になった。
過熱した空気を少しゆるめるように、
「フランク君、きみのほうから価格について伺ってくれるかね」
小寺は、フランクに向ってそう促した。
「ご本社のほうに、改めてお伺いしたいんですが」
黙っていたフランクが、口を切った。
「いったい、リューベあたり二十五ドル、というのは、どの辺を押してでてきた数字なんですか」
向い側で顔をならべている若手社員の間に、自分たちの出番がきたためか、いくぶんほっとする空気がただよい、課長らしい男があらかじめ用意しておいた紙片をとりあげ、
「私がご説明します」
といった。
「二十五ドルに船積みの料金、七ドル二〇を足しまして、三十二ドル二〇、これにドルのレート、三百五十七円をかけますと、CF価格は一万一千百四十九円五十四銭になります。これに保険料、LC開設料、金利などを七パーセント分加えなくちゃいけないわけですが、一万一千百四十九円の七パーセントは八百四円、これを足しますと、トータルのコストは一万二千二百九十九円、約一万二千三百円ということになります」
小寺は、眼をつぶって、課長らしい男の読みあげる数字に聞き入った。
「それで、納品先きの丸永と中村商店は、いくらで材をよこせ、といってるんですか」
小寺が訊ねた。
「売りは一万二千五百円なんですね」
暗誦でもしてきたように、課長らしい若い男が答える。その鸚鵡返しの答えがいかにも早過ぎる気がした。
「儲けが二百円以下か」
フランクは呟いてから、また声を張りあげて、
「私は、ご本社に伺う前に、あちこちから情報を集めたんですがね、リアンガ材の売り値は大変下っているけれども、現在一万四千四百円から、一万五千百円の線だと聞きましたがね。もしこの数字が正しいとすると、ご本社は丸永と中村商店に儲けさせ過ぎてることになる。ご本社の|売り《ヽヽ》が、販売が弱いんじゃないですか」
「|売り《ヽヽ》が弱い、というわけじゃあ、ないんですよ」
フランクに決めつけられて、木材部の課長は、顔を赤くし、唇を舐めながら答えた。
「しかし相場が一万五千百円なのに、一万二千五百円で売っちまったら、二千六百円も相手に儲けさせることになるじゃありませんか。これはそれこそ大甘の商売じゃないですか」
フランクは、そこで生粋の日本人にしては、長過ぎる指を教会でお祈りするときのかたちに組み合わせ、
「ご本社は、ほんとうに一万二千五百円で、丸永と中村商店に売っておられるんですかね。ほんとうのところ、一万五千円、いや、それ以上の値段で売っておられるんじゃないですか」
爆弾発言をした。
本社は、長期の約束をしているフィリッピンの木材会社の弱味につけこんで、この機会におもいきり買い叩き、口銭の幅をふくらまして荒稼ぎしようと考えているのではないか。この不況を利用して目覚しい実績をあげ、木材部の社内的地位を飛躍的に高めようとしているのではないか。
また、部長の河野は、この機会におおいに辣腕ぶりを発揮して、木材担当役員への昇格という野望を実現しようとしているのではないか。
フランクのいいたい意味が、小寺にも手に取るようにわかった。
「あなた、マニラ支店のローカル社員でしょう。ローカル社員のひとから、本社のやりかたに対して無責任に口をはさんで貰いたくないな。価格問題は、本社がすべて決定することなんです」
河野が、相変らず眼を合わさないようにして、いい放った。
フランクの顔がゆがみ、みるみる赤くなった。
「本社がすべて決定するって、おっしゃるんじゃ、われわれマニラ支店には、出る幕がない。交渉の余地はありませんな。これは交渉決裂だな、フランク君、引き揚げようや」
小寺は、そういい放ってゆっくり立ちあがった。
「アグサン木材のほうで、ほかの商社に売りたい、といってきたら、私としても、もう止められませんな。これ以上、材を放り投げておくと、現場の作業員やステベの生活にしわ寄せがいって、犠牲者がでることになりますからね」
昼食は、イリガンのセメント工場建設を担当している、産業プラント部と、機械輸出部の部課長たちと会食し、午後はそのまま、彼らと会議に入った。
会議が終って、古巣の物資部に寄ってゆくという小寺と別れ、フランクはひとり本社の玄関に出た。
玄関先きの歩道では、やせた長身面長の男が、どこかにでかけるのか社用車に乗りこもうとしている。
長身面長のその男は、目ざとくフランクをみつけ、驚いた顔になり、ドアを開いている運転手をそのまま放りだして長身をかがめるようにして、こちらに歩いてきた。
「フランク君、いつこっちにきたんだ。おれに黙って、出てくるとは水くさいじゃないか」
海外人事部長で、取締役を兼務している浦戸であった。
「部長、ご無沙汰しております」とフランクは、昔の軍隊式の、上体を四十五度まげる敬礼をしたが、長身の浦戸は、フランクの両肩をおおきな手で掴んで、「久しぶりだな」と繰り返しては、フランクの小柄な躰を前後にゆするようにする。
浦戸は、鴻田貿易マニラ事務所の初代所長で、マニラに事務所を開設するとすぐに、当時、日本大使館領事部に働いていたフランクを鴻田貿易に引き抜いたのであった。
以来、フランクは何人もの所長に仕えてきたが、当然ながら浦戸の印象がいちばん強烈に残っている。
当時は、まだ反日感情が強く、日本人のひとり歩きはかなり危険が伴ったから、どこへでかけるのにも、フランクは浦戸に付き添って行った。商売も万事、一緒に手がけたし、家族もお互いに始終往き来し、細君のパシータは、いまだに浦戸夫婦とクリスマス・カードのやりとりをしている。
「今度は何の用で、出張してきたんだ」「いつまで日本にいるんだ」と浦戸はフランクを質問攻めにした挙句、
「おれはこれから通産省にゆくんだが、きみはどこへゆくのかね。よかったら、送ってゆくよ」
そういってくれた。
午前中の、木材部との会議で、部長の河野から「ローカル社員の分際で、本社の方針に口をはさんで貰いたくない」とやられた直後であるだけに、浦戸の親切は、フランクの心に染みた。
本社には、河野のような社員しかいないわけではなく、産業プラント部や機械輸出部のスタッフにしても、この浦戸にしても、自分の能力、人柄を信じて、ちゃんと一人前の人間扱いしてくれる連中がいるのである。
「東京では、小寺支店長と一緒に、会社に近い丸の内ホテルに泊っているんですが、今日はこれから約束がありまして、パレス・ホテルに寄り道するんですよ」
マニラ日本人小学校の先輩、安藤俊子に前々から「東京に出張してくるときは、連絡頂だい、私もそれに合わせて、東京に会いにゆくからね」、といわれていたので、東京出張がきまると、多分、だめだろうとおもいながら、それでも念のために広島の俊子に電話を入れてみた。するとちょうど旧のお盆で、商売も閑になるのだそうで、晩めしを一緒にする約束をしたのであった。
フランクは、浦戸の社用車に乗せて貰って、丸の内の方向に向ったが、浦戸は、共通の知人、特にマニラ事務所開設期の頃の商売相手の名前をあれこれ挙げては、しきりに彼らの消息を訊ねる。
浦戸は、旅行先きの地方の空港で武装したフィリッピンの兵士から「きさま、日本人だろう。この国から出て行ってくれ」とピストルを突きつけられた体験もあり、それだけに好意的だった現地の友人、知人たちが忘れられないらしかった。
車が、パレス・ホテルの裏手にさしかかったところで、フランクは、車から降して貰った。
「一度、必ずめしを食おう。できれば大倉山のおれの家にもきて貰いたいな。ワイフが喜ぶだろう。とにかく、きみには恩があるんだから、おれが相談にのれることなら、なんでもいってくれ」
浦戸は、車の窓から長い顔を突きだすようにして、しきりにそういった。
午後は会議に出ても、積極的に発言する気になれず、重い躰をひきずって廊下を歩く感じだったフランクだが、現金なもので、躰がすっかり軽くなった気がする。
フランクは、馬場先濠に沿って、パレス・ホテルの本館へと通じている細い道に足を入れた。このホテルに以前、宿泊したことがあり、その折、フランクは、いつもこの濠に沿った細い道を利用して、東京駅に出たものであった。
俊子とは、ホテルのロビーで落ち合うことになっている。フランクは、丸の内ホテルで会おうといったのだが、俊子が、「引きあわせたいひともおるけん、パレス・ホテルくらいに、格あげしてよ」といったのであった。
フランクの十数メートル先きを、長身の女がひとり歩いている。白い夏のワンピースに合わせて、白のハンドバッグを片手に下げ、足もとをみつめるようにして、ゆっくり歩いてゆく。物おもいに捉えられ、自分の胸のなかを覗きこんで歩いてゆくような足どりであった。
八月の陽がようやく傾き、和田倉橋のほうから、濠の水のうえを微風がわたってきて、女のスカートが少しめくれて、ひるがえる。
──背の高いわりに、足の遅い女だな。
浦戸と出会って、すっかり気をよくしているフランクは、そう呟きながら、たちまち女の足に追いついた。
フランクの足音が迫ったので、女は物おもいから解き放たれたらしく、こちらを振り向いた。振り向いたまま、足を止めてフランクの顔をじっとみつめている。
三十代なかばの眉が濃く、鼻の高い顔立ちの女なのだが、フランクの気持になにかひっかかってくるものがある。ずいぶん昔にどこかで会ったことのある女、という気がする。どこのだれともわからぬままに、フランクの感情がざわざわと波出ち始め、動悸が早くなり始めた。
ふいに女の顔の下から、戦後、何回となく想いだしては、徒労なことと首を振って追いだしてきた、ある少女のイメージが輪郭を整えて、ゆっくりうかびあがってきた。
「美っちゃんじゃないか、そうだ、リサール・アベニューの岸本写真館の美っちゃんだね」
三十代なかば、いや、見かけはともかく、じっさいは四十に近い年齢の筈の岸本美千代の顔に、にじみだすように微笑が拡がっていった。
「佐藤浩君ね。学校の裏に住んでいた佐藤君だ」
少し物憂いような声で、女はいった。
ルソン島北部山中で別れたきりの美千代は、夏の夕方の光のなかで、うっすらと額に汗をにじませ、それだけは変らない、射すような光の眼を、フランクの顔にあてている。終戦の知らせを聞いた二十六年前の八月の午後とおなじ、強い光と暑気がふたりを包んでいた。
「美っちゃんは、生きていたのか」
フランク・佐藤ならぬ、佐藤浩はかすれた声で呟くようにいった。
俊子が、引き合わせたいひとがおるけん、といったのは、美千代のことだったのである。
「美っちゃん、生きていたのか」
フランクは今度はおおきな声になって繰り返した。夏の夕陽を顔の半面に受けた美千代は、少し眩しそうに顔をしかめたまま、黙って頷いた。一種気恥かしい感情がふたりを包み、フランクは、少しせきこんで、
「ロビーにゆきましょう。安藤先輩が待っているんでしょう」
美千代を促した。
濠に沿って裏手からホテルの建物に向う道が細くて、ふたりならんでは歩けないので、美千代が先きに立って歩くことになったが、少しぎこちない感じで足を運びながら、美千代は、突然、振り返って、
「佐藤さん、ずいぶんバタ臭い感じになったんですね。まるでアイ・ジョージみたいですよ」
他人行儀の言葉遣いになって、おなじ日比混血の歌手の名を挙げた。
「弟ふたりは、親父の血をひいて、ジャズのプレイヤーになって生活しているけれども、ぼくは、まるで音痴でね。歌は、日本人小学校の校歌くらいしか歌えないんですよ」
フランクの言葉に、美千代は微笑するふうで、
「私もおんなじですよ。私もあの校歌くらいしか歌えないんですよ」
戦前のマニラ日本人小学校校歌の思い出は、そのまま、山中の生活、ことに美千代のふたりの弟の死に繋がってゆき、フランクは黙りこんで美千代のあとを歩いた。末弟の充を埋葬するとき、残った誠に美千代の姉弟、それにフランクの三人は皆であの校歌を合唱したのであった。
そして誠の埋葬のときは、風の音ばかりが、イゴロット族の家のまわりを吹き渡っていたものだったが、今は、濠の彼方の日比谷通りを走る、車のタイヤの擦過音ばかりが耳朶《じだ》に響いてくる。ときにブレーキの悲鳴の混る、その音がフランクには、アシンの谷間に消えてゆく悲鳴に似た風の音に聞えた。
パレス・ホテルのロビーに入ると、正面玄関のほうをみつめて立っている俊子の姿が、眼に入った。
俊子は、口を開けてふたりを眺め、
「なんだ、もう会うとったの。引き合わせて、驚かす楽しみがないよになったじゃないの」
なんだ、なんだとほんとうにがっかりした様子である。
三人は、ひとまずロビーの奥の喫茶室に向い合ってすわった。
「元比島在留邦人マニラ会にいろいろ動いて貰うてね、やっとこのひとを探しだしたんじゃけんど、浩君、ほんまに驚いたでしょう」
俊子は、美千代をみつけだした自分の努力を語りながら、しきりにフランクの驚きを確認したがった。
「いや、ほんとうに驚いた。岸本さんはあの収容所で九割がた死んだものとばかり、おもっていたからね」
収容所に入ったあと、西野が「米軍に指揮された、陸軍のどこかの部隊が、教会から岸本美千代らしい女の子の死体を運びだすのを見た」と浩に話して聞かせたが、あれ以来、フランクは、美千代との再会を夢見つつ、しかし彼女の生存をほとんど信じていなかった。
「あのとき、私は死ななかったのよ。だけど死んでるように見えたでしょうね」
美千代は、三十代も半ばを過ぎた女の、分別ありげな声でいう。
向い合ってみると、勝気そうな、濃い眉や張りのある眼の光はそのままだが、半袖のワンピースからむきだしになっている、静脈のうすく浮きでた腕のあたりは、少女ならぬ、女の腕の白さで、フランクは一種の違和感を覚えた。よく知っている少女時代の顔が見知らぬ成人の女の躰にのっている感じである。
「私たちは、いくつかの班に分れて、山を降りたんだけど、だんだんちりぢりになって、最後は私ひとりになってしまったんですよ。やっと国道四号線の近くまで降りてきたら、雨が降ってきたんです。教会の建物があったから、そこに泊ろうとおもって、そちらへ歩いて行ったの。そうしたら、道にだれかが倒れていて、私、つまずいてしまったんです。子どもが倒れてるみたいだったから、顔を近づけてみると、同級生の井上さんが土のあいだから白い顔をだして倒れてたの」
井上信子は、本願寺の境内で美千代と一緒に木に登っていた少女だが、美千代が「信子ちゃん」と声をかけると、眼をひらき、かすかな声で、「美っちゃん」と答えたので、美千代はなけなしの力をだして信子を抱き起し、教会に連れて行った。
木造の教会は、日本人が薪にして燃やしてしまったのだろう、天井と床しか残っておらず、しかも床のうえは、雨を避ける在留邦人でいっぱいで、美千代と信子は端に割りこまして貰ったものの、横になるどころではなかった。
「夜中に気がつくと、後ろの大人に蹴りだされて、道路に寝ているんですね。また這いあがって割りこむんだけど、終いには力が無くなって、床のうえに這いあがれなくなった。そのまま雨に打たれながら、地面に寝こんでしまってね、気がつくと、戸板みたいなのにのせられて、どこかへ運ばれてゆく途中なの。あ、これは死体と間違えられて、穴に放りこまれるところだなって、気がついて、私、生きてますってね、戸板を運んでいる兵隊さんにいったのよ」
美千代は助かったが、信子のほうは死んだのか、あるいは生きたまま埋葬されたのか、その後消息を聞かないという。
信子は、山中で母と兄を失い、ついで弟ふたりを失い、最後は自分も死んでしまったわけで、美千代を上まわる悲惨な人生を辿ったことになる。
「私は助かったんだけど、ひどいマラリヤに罹って、収容所でも、帰りの船のなかでも寝たきりだったの」
美千代は相変らず物憂いような口調でいう。
「向う生れは、マラリヤにかかり難い、いうんじゃけど、その代り、いったん罹るとひどいからね」
俊子が、口を挟んだ。
フィリッピン生れ、フィリッピン育ちの在留邦人は、ある程度、マラリヤに対して免疫性を持っていて、罹り難いのだが、発病するといずれも重症の患者になった。
「あなたは、それで、いつ内地に引き揚げてきたんかねえ」
俊子が訊ねた。
「十月三十一日にトンドの港から、駆逐艦の『槇《まき》』に乗って、引き揚げてきたんですよ。四日間すごく揺れて、生きた心地がしなかった。マラリヤの病後でしょう、躰にこたえてね。ハンモックに寝たら、楽だよって、台湾の慰安婦のひとがいって、ハンモックを吊ってくれたけど、あれはまた、船よりもうひとつおおきく揺れるでしょう」
引き揚げ船として使われた「槇」は僅か排水量八百五十トンの二等駆逐艦だから、揺れるのは当然であった。
結局、美千代は四日間、床に寝たままであった。船が台湾沖を通るとき、ハンモックを吊ってくれた台湾の慰安婦たちが、おおきな声で「水兵さん、ちょっと台湾に寄り道して私たちを降してよ」口々にそう叫んでいるのが、船酔いで夢うつつの耳に入った。
十一月四日、駆逐艦「槇」は桜島を眺めながら、鹿児島県、加治木港に入った。
山中から着ている洗いざらしのワンピースに、山中で拾った破れ運動靴を靴下なしの素足に履いている、という惨めな姿で、美千代は初めて日本内地の土を踏んだのである。
父親の兄が、鳥取県米子の近く、淀江に住んでいると山に入る前に聞かされていて、おぼろげながら住所も覚えていたので、そちらを頼ることにしたが、おなじ「槇」に乗っていた元三井物産マニラ支店の社員たちが、年端のゆかない少女のひとり旅に同情したのだろう、「汽車に乗る前に腹ごしらえしてゆけよ」と|すいとん《ヽヽヽヽ》をご馳走してくれた。
上陸直後に握りめし二箇と金十円也を支給されていたので、二円で小さな柿十箇とこれも小さなみかん二箇を買い、この果物と握りめしを途中の弁当にあてることにして、西鹿児島の駅から、復員兵と引き揚げ者でごった返す汽車に乗りこんだ。
「汽車に乗って、どうにかすわることはできたんですけど、すぐにマラリヤの発作がでてしまったの。頭痛がしてあの寒気でしょう。あんまり震えるものだから、隣りのひとが気味わるがって立ちあがってしまって、おかげで横になれたんですけどね」
美千代は、そういって笑った。
昔話の昂奮に、表情が動き始め、フランクが昔親しんできた、少女時代の美千代の面影が化粧した大人の女の顔の下から、皮を剥ぐように、次第に露わになってくる。
「鳥取ってのは、ずいぶん鹿児島から遠いんでしょう。あの時代に、女の子がよくひとりで旅行できたね。さすがに美っちゃんだね」
フランクは、正直に感心をして、そういった。
「私もどうやって淀江まで辿りついたかわからないのね。とにかく淀江の駅に着いたら、真夜中で、だれもいないんです。野中の一軒家みたいな駅で、たったひとりいる駅員に訊ねたら、明日の朝までここで待って、朝になったら、だれかに訊いてみろっていうのよ。電燈もストーブもない、窓のこわれた吹きっさらしの待合室にぶるぶる震えてすわっていたら、まっくらな隅のほうから、こっちへおいでって声がしてね。中年の女のひとが隅にすわっていて、汽車に乗り遅れたんだっていうんですよ。寒いから抱き合って寝ようというんで、その見ず知らずの小母さんが持ってた一枚の毛布にくるまって、抱き合ってその晩は寝たの。今じゃ考えられないでしょう」
翌朝、一番の汽車に乗ろうとやってきた老婆に伯父の家を訊ねると、「その家ならよく知っている」といって、一番の汽車に乗る予定を変えて、駅から三十分も離れた伯父の家まで案内してくれた。
朝の五時のことで、農家の伯父一家はまだ眠っていた。
「それから一年間、この鳥取の伯父の家にいたのね。この伯父は親切に心配してくれたんだけど、まわりに住んでいる伯父の弟たちや親類がうるさかった。マラリヤで寝ていると、怠け者、ジャングルから出てきた怠け者っていうのよ。それと辛かったのは、日本の冬の寒さですよ」
「そうだろうな」
とフランクは同情し、俊子も頷いた。
「伯父の家の従姉たちと一緒に白菜や大根をとりにゆくんだけど、すぐに足の裏が霜焼けになる。その霜焼けがくずれて、膿んで歩けなくなるのよね。暑いマニラが恋しくて恋しくて、冬じゅう、毎日泣き暮してた」
美千代は、そういって、ちょっと舌をだした。
一年後、軍属に徴用されていた父親が帰ってきて、美千代は父親と一緒に横浜に出た。
横浜で、父親はフィルム会社に勤め、美千代は一年遅れて新制中学に通った。新制中学から高校へ進み、卒業後、私立病院の事務員になった。
「薬科大学に進んで、薬剤師になりたかったんだけど、父が再婚して、義理の母がきたこともあって、大学にはゆけなかったのよ。それで病院に勤めることにしたのね。ほら、子どもの頃から動員されて、陸軍の病院に行ってたでしょう。病院に親近感があったんだな」
「マニラから引き揚げてきた連中はたいてい、大学どころか高校にもいけんかったんよ。マニラ日本人小学校、高等科中退、いうようなひとも沢山おるんよ。あなたは、運がええほうですよ」
俊子が慰めるようにいう。
「ましてやね、美っちゃん、フィリッピンに残った自分なんかは、大学にゆくどころじゃなかったよ。ジャップ、ジャップ、って、毎日いじめられながら、なんとかハイ・スクールは卒業させて貰ったけどね」
フランクも、身につまされるおもいで、いった。
「でも運がいい、ともいえないのよね。父の気が狂ってしまったからね」
美千代は淡々といった。
「私が勤めだして暫くしてね、父の精神状態がおかしくなったんです」
おなじマニラ育ちの日本人小学校の同窓生、という安心感がさせるのか、美千代は喋り始めた勢いが止らないふうであった。
「鳥取の意地のわるい親類は、お酒に酔うと、私に向って、こいつは弟を死なして、自分だけ生き残って帰ってきた。女は生命力が強いんだよな、なんて嫌味いって、よく私を泣かしたもんだけど、帰ってきた当座の父は、その辺のことはよくわかっていた。私が、お父さん、誠や充を死なしてごめんなさいって謝ると、なにもいうな、おれは山中の生活を知ってるんだ、おまえが生き残っててくれただけでも幸せ過ぎる話だ、そういって涙こぼしながら、私の肩を抱いてくれたのよね。だけど、自分は軍属で、自由がきかなくて、子ども三人、山中に放りださざるを得なくてね、そのうちの二人を死なせてしまったことを、ずいぶん苦しくおもっていたんでしょうね」
戦後、十数年経って、父親は精神に異常をきたし、「誠と充が白い馬に乗って、空を飛んでゆくぞ」などと叫び始めた。子どものできなかった後妻は、そんな父親に見切りをつけて実家に帰ってしまい、美千代は、父親を丹沢連峰のふもとにある精神病院に入院させ、自分も近くに住んで、休日ごとに通うような生活を始めた。
「父は病院逃げだしては、丹沢の山のなかをうろついて何回も警察に保護されたの。山のなかを、誠、充、米を持ってきてやったぞ、そう怒鳴って歩くのよ」
フランクは、美千代の眼が充血して赤く染まるのをみた。
三人とも黙り、ややあって、
「お父さんの世話をするのに追われて、美千代さんは、結婚できんかったわけじゃ」
俊子が呟いた。
「父も二年前に亡くなったし、これから、頑張ってオムコさんを探すわよ」
美千代は、しんみりした座をとりなすようにいって、笑いながら拳を握ってみせた。
しかし、その笑顔には、少女時代にみられなかった翳《かげ》がまつわりつく。ルソンの原野をわたってゆく雲の影のように、暗い翳りが、勝気な面差しのうえを横切ってゆくのだ。
美千代は、どうやらフィリッピンでもしばしば話題になる、日本の高度成長の裏側を生きてきたらしかった。
「佐藤君、美千代さんにええおむこさんはおらんかねえ。その話を、私の知っとるお料理屋にいって、相談しようよ」
そういって俊子が立ちあがった。
しかしフランクの衝撃は、その後も続いた。
三人は、俊子の友人の、広島出身のお内儀がやっているという、日本橋の小料理屋に落ち着いたのだが、二階の座敷にすわって、広島の地酒をひとくち口に含んだ美千代は、
「そうそう、忘れないうちに浩君に渡しとかなくちゃ」
といって猪口《ちよこ》を食卓に置いた。
ハンドバッグをかきまわし、半紙にきちんと包んだ、小さい箱型のものを、フランクの前に置いた。
「これはなんとしても、佐藤君に渡さなきゃいけない、とおもったのよ。渡す、というより、返すという感じね」
フランクが半紙の包みを開いてみると、赤、茶、白の縦縞模様の、古い煙草入れが現われた。煙草入れには、ABAと糸でローマ字が縫いとってある。
見おぼえのある煙草入れの最初の一字は糸がほつれて消えてしまっているらしく、手にとってよく見ると糸を刺したらしい跡から、Bの字が読みとれる。ローマ字の縫いとりはBABAであった。
これは、戦時中、馬場大尉が日夜、愛用していたイゴロット織りの煙草入れだ、と気がついて、フランクはおもわず身をひいた。
「ロージィが馬場大尉に贈った煙草入れじゃないか。美っちゃん、これ、どうしたの。馬場大尉は生きているの」
フランクは、せきこんで訊ねたが、美千代は、黙ってゆっくりと首を横に振った。
「収容所で、フィリッピンの兵隊に貰ったの」
収容所に入ってから、マラリヤで寝たきりの美千代は、発熱して、思考力を失った頭で、毎日、チョコレートが食べたい、とそればかり考えていた。
ある日、便所の帰りに、フィリッピンの兵隊が、挨拶代りにウィンクをしてくれたのに力を得て、兵隊に近寄った。
「チョコレート、くれませんか」
タガログ語でいって、美千代は、誠の遺品の腕時計を差しだした。
兵隊は、首を振って、
「チョコレートはないが、チューインガムならあるよ」
バラのチューインガムを何枚かくれ、さすがに気がとがめたふうで、時計のほうは手を振って受けとらなかった。
それから、「おまえは、タガログ語が上手だな」といって、この煙草入れを取りだして、煙草に火をつけたのであった。
美千代は目ざとくBABAという、縫いとりをみつけ、
「その煙草入れ、日本兵からとりあげたんでしょう」
と詰問するようにいった。
兵隊が眼を逸らし、煙草を吹かして返事をしないので、
「その日本の兵隊、私の知ってるひとなんです。生きていますか」
と訊ねた。
兵隊は、暫く黙って返事をしなかったが、戦後のフィリッピン人にもよくある例で、ふいに嗜虐的なおもいに駆られたらしく、
「この煙草入れを持ってたのは、長靴履いた日本の将校だったがね、おれがみつけたときは、怪我して、もう口もきけずにひっくり返っていたよ。襟章みたら、憲兵のバッジをつけてやがったから、頭にきてな、躰のあちこちをちょっとばかり削ってやって塩《アシン》をたっぷりすりこんでやったよ。憲兵の野郎、地面をごろごろ転げまわって苦しんでな、ずいぶんおれたちを楽しませてくれたけど、翌朝、見たら死んでたよ。胸のポケットにこいつが入ってたから、煙草ごと頂だいしてきたんだ」
美千代の表情の動きをじっと追いながら、いった。
フィリッピンの正規兵にしろ、ゲリラにしろ、日本兵を拷問するときは、耳や鼻をそぎ、腕を切り裂いた傷口に、大量の塩をすりこむのが拷問の常套手段であった。傷口に塩をすりこめば、哀れな俘虜は激痛に襲われて、文字どおりのたうちまわる。
美千代は、フィリッピン人の兵隊に懇望して、誠の腕時計とイゴロット織りの煙草入れを交換して貰った。
「私たち、散々、浩君に世話になったんだもの。馬場大尉殿は、その浩君の仲よしだったんだから、なんとしてもこれを貰っておかなくちゃ、とそのときおもったの」
美千代は、そういって、また顔じゅうにゆっくり翳のさしてゆくような、微笑をうかべた。
浩を最も愛してくれ、浩も限りなく敬愛した馬場は、やはりカバナツアンの爆発現場で死んだのであった。二十六年経って、フランクは馬場の死を確認したのである。
その夜半、フランクは、夢にうなされて、眼を覚した。
前夜、丸の内ホテルに帰ったフランクは、少年時代に、「少年倶楽部」を枕もとに置いて寝たように、馬場大尉の煙草入れをサイド・テーブルにのせて就寝したのだが、この煙草入れのなせる技か、夢のなかを不知火が飛び交い、馬場大尉の笑声、ロージィの歌声が響いて、すぐに眼が覚めてしまう。
カバナツアンで、ゲリラの吸う煙草の火が、八代海の不知火のように、馬場大尉の行先き、行先きを追ってきたものだった。馬場大尉は、「おれは絶対にフィリッピン人には襲われないよ」と自慢して、不知火のような、煙草の火の前に自分をさらしてみせたりしたものだったが、ひっきょう、あれも幻想にしか過ぎなかった。
皮肉というべきか、「民族協和」を唱えて、「王道」をもってフィリッピン人に臨んだ馬場大尉は、「覇道」のフィリッピン・ゲリラによって虐殺されたのである。
またうとうとすると、夢のなかの馬場大尉の顔がいつのまにか小寺に替り、小寺が軍服を着けて、ロージィの唄に拍手していたりした。
何度目かの浅い眠りのなかで、とうとうラムット河畔で聞いた赤ん坊の泣き声までが尾をひき始め、フランクはベッドに起きあがって、おおきな溜息をついた。深夜の丸の内は静かで、回送される汽車か電車が高架のうえを走ってゆく音が、かすかに響いてくる。
馬場大尉は、弾薬を満載したトラックで、敵中に突っこんだ際に、傷を負って倒れたのだろう。それにしても躰のあちこちを「削られ」たうえに、その傷に塩をすりこまれて、のたうちまわったのか、とフランクは首を振った。
しかし、どうして馬場大尉の顔が小寺にすり替ったりするのか。ふたりとも、フランクの愛する日本人だからか。それとも、ふたりともフィリッピンとフィリッピン人を愛しているからなのか。
このイゴロットの煙草入れに名前を縫いとって、馬場大尉に贈ったロージィには、戦後一度だけ会ったことがある。
たしかカバナツアンの奥に鋼材工場を建てるという話があって、初代事務所長の浦戸と一緒に、ロージィの家の前を行き過ぎたのだ。
ロージィの家はカバナツアン大空襲にもやられずに残っていた。
車を運転していたフランクは、洗濯物をいれた桶をかかえて、出てきたロージィをみかけ、おもわず車を停めた。ロージィは、車の男が昔の佐藤浩とも知らず、愛想よく笑いかけた。
「ホテルを探しているのかい」
と親切にロージィは訊ねてくれたものだ。
いくぶん肥ったが、しかし相変らず熱帯の花のようなあでやかさは失っていない。
「昔の憲兵隊の詰所はどの辺だったかね」
そんな意地のわるい質問がフランクの喉を、出かかったが、結局は「ああ、そうだよ」と答えてしまった。
ロージィは親切に教えてくれ、昔よりふとくなった声で歌を歌いながら、裏庭にまわって洗濯物を干し始めた。
「ありゃ、知り合いかね」
と浦戸は不審な顔をしたものであった。
11
隣室に部屋を取っている小寺のほうも、眠りが浅かった。
本社木材部に対して、大見得を切ったものの、ガムット湾の材をどうするか、という問題が頭から離れない。他の日本商社が出てきて、この商売を奪われたりすれば、折角、事務所から支店に昇格したマニラの店の収支におおきな影響を与えることになり、これも大問題ではある。
同時に不況のために、いくらアグサン木材が大口を叩き、ホベンチーノが頑張ったところで、肩代りする日本商社など現われそうにない、ということもまた問題であった。
明けがたに眼を覚したものの、寝つかれないので、小寺はそのまま起きだして、シャワーを浴びた。
シャワーを浴びて、部屋に戻ると、途端に電話が鳴った。
こんな早い時間にだれだろう、といぶかしんで、小寺が電話を取ると、
「朝早くから、申しわけありません。フランクですが、ちょっとそちらにご相談にあがっていいですか」
隣室のフランクの声であった。
「五分後ではどう。いくら男同士でもシャツくらい着させてくれよ」
正確に五分後に、シャツ姿のフランクが部屋にやってきた。
「いや、眠れなくて、起きて煙草吹かしていたら、支店長がシャワーを使う音がしたもんですからね」
フランクは頭を掻いた。
部屋が狭いので、フランクが椅子にすわり、小寺は、ベッドに腰かけた。
「支店長、先刻、考えたんですが、海外人事部長の浦戸さんを訪ねて、ガムット湾の件について、相談してみたらどうでしょう」
フランクはそんなアイデアを持ちだした。
「浦戸さんは、初代マニラ事務所長で、自分は大変、可愛がって貰ったんですが、昨日、なんでも相談にこい、といってくれたんですよ。あの人は侠気《おとこぎ》のある人物だから、あいだをとりもってくれるんじゃないか、と自分はおもうんですよ」
「浦戸さんねえ」
浦戸は海外人事部長をやっている、といっても、根っからの管理部門育ちではない。一度専門がきまると一生その畑を歩くことになる商社では例外的に、いわば英才教育を施された感じで、営業のあちこちの部門を歩き、数年前、突然、管理部門の長に抜擢された人物である。
たしか木材部の次長も何年間か経験している筈で、その意味では木材部に対しても、いまだにかなりの発言権を保有している筈であった。
「自分は、浦戸さんとは家族ぐるみの交際《つきあ》いをしておりますしね、一生懸命お願いすればそれなりの効果はある、とおもうんですよ」
前日ローカル社員を蔑《さげす》む発言があったにもかかわらず、フランクが意見具申に、朝方、小寺の部屋を訪ねてくるほど仕事のことを考えていると知って、小寺は嬉しかった。
「それじゃ、朝、一番に浦戸部長のところに行ってみるか」
「いや、支店長の許可をいただければ、自分ひとりで朝がけ、というやつをやらせていただきたいんですよ。これから、彼の大倉山の家を訪ねてみます」
一度、訪ねたことがあるから、ひとりでゆける、とフランクはいう。
「それじゃ、わるいけど、きみに行って貰うかな。この際、打てる手はすべて打った方がいいからね」
小寺は頷いた。
フランクが緊張した顔でとびだして行ったあと、小寺は、ひとりで朝食をとろうと、エレベーターで、一階に下りた。
エレベーターを出ると、眼の前のソファにすわっていた若い男がふたり、跳びあがるように立って、駆けつけてきた。
「支店長、お早うございます」
と口々に叫ぶようにいう。
見ると、昨日の会議に出ていた、木材部の課長と課長補佐のふたりである。
「こんなに朝早く、どうしたんだね」
ふたりは、先輩の前に出た運動部の学生かなにかのようにしゃちほこ張って突ったったままだったが、課長のほうが、
「ぜひ、支店長にお話ししておきたいことがありまして」
と切りだした。
「なんだ、きみたちも朝がけか。朝がけばやりだな」
と小寺は苦笑した。
「うちの部長が、昨日、いろいろ失礼なことを申しあげましたが、あれは木材部の総意ではないんです。そのことをぜひ申しあげたくて、早朝に伺わせていただきました」
「木材部長が、木材部の総意を代表しなかったら、だれが代表するんだね」
小寺は、穏やかな口調ながら、いくぶん皮肉をこめて、いった。
「いえ、北米材、ラワン材と大変実績を挙げてこられて、木材部とお交際《つきあ》いの深い支店長ですからおわかりいただけるとおもうんですけど、うちの商売は、今度のガムット湾のケースみたいな|あこぎ《ヽヽヽ》なやりかたはやらないんです」
若い課長は、二、三本額にたれた髪を神経質に掻きあげながら、おもいつめた表情でいった。
「もっとおっとりした商売をして、ゆっくり儲けさせて貰うのが、うちのやりかたなんです」
ふたりの赤く上気した顔を眺めながら、こうした社内の空気なら、フランクを浦戸のもとにやったのは、効果があるかもしれない、と小寺はおもった。
午前中、機械輸出部で打ち合わせをした小寺が、昼食後、会社の便所で小用を足していると、突然、社内放送が自分の名を呼んでいるのに気づいた。
「マニラの小寺支店長、マニラの小寺支店長、至急、木材部にご連絡ください」
小寺も顔馴染みの古手の電話交換手の声がそう呼んでいる。
便所を出た足で木材部に行ったが、木材部では、部長の河野が、会議室から客を送りだすところであった。
河野は、昨日とは別人のような、にこにこと愛想のいい顔を見せて、
「ちょうどよかった。小寺支店長、ちょっとご紹介しておきましょう」
五十がらみの白髪の人物を、小寺に引き合わせた。
「こちら、ガムット湾の材の取りひきで、お交際《つきあ》いいただいている丸永産業の重役さん」
重役さん、という|さん《ヽヽ》付けの呼びかたに、かすかながら蔑みのニュアンスが窺われる。鴻田が輸入した木材を購入して貰うのだから丸永は明らかに得意先き、ということになるのだが、木材の得意先きには中小企業が多く、売りこみ側の鴻田が逆に融資その他の面倒を見ている、というケースが少くないのである。
場合が場合だから、小寺は、あわてて名刺を取りだして、丁重に挨拶をした。
「重役さん」が出ていったところで、木材部長の河野は、
「いや、昨日、支店長の強硬なご発言がありましたんでね、われわれも、今朝から、ご期待にそうべく、全力を挙げてますよ」
強硬な発言をしたのは自分のほうなのに、ぬけぬけとそんなことをいって、小寺を会議室に案内した。
「じつは、午前中に中村商店、昼めしを挟んで丸永産業と交渉をしましてね、とり敢えず船二はい分だけは、二十七ドルで引きとるように説得しました」
会議机を中にして向い合った河野は、愛想笑いをたやさずに恩着せがましくいった。たった一日経っただけで、本社木材部は急転直下、妥協してきたのである。
──フランクの工作が成功して、浦戸が口をきいてくれたな。
小寺は直感的にそうおもった。
「それは助かった。どうも、いろいろお骨折りいただいて恐縮です。これで私の立場も救われましたな」
皮肉を飛ばしたい気持もないではないが、本社と喧嘩別れしたままでは支店は成りたたない。ほっとする気持が先きに立って、素直な声がでた。
「なにしろこの不況でしょう。中村にも丸永にも土俵ぎわで相当にしぶとく粘られましてね、いや、往生しました」
河野は眼鏡を外し、ハンカチで丹念にレンズを拭いてみせた。いろいろあなたのおかげで苦労しましたが、それを口にださずに我慢しているのですよ、というおもいいれである。河野はご本社の部長の威光を守るのにふさわしい、なかなかの演技力を持っていた。
──いい度胸をしているな、この男は。
四、五歳年長と聞いているが、仕事のうえですれ違いが続いて、交際《つきあ》いのない河野を、小寺は改めて感心して眺めた。
小寺やフランクの勘からすれば、河野は、ガムット湾の材を一万五千円前後の価格で、丸永や中村に売っている筈で、リューベ二十七ドルで仕入れたところで、諸雑費を加えて、一万三千六十三円にしかならず、なお二千円近くは儲かる勘定である。
中村や丸永を呼びつけて、この男は、いったいなにを話したのだろう、と小寺はおもった。価格交渉する必要など、まったくないのだから、お茶を飲みながら、雑談をしただけの話ではないのか。
小寺の勘繰りを察したように、河野は眼鏡の縁を押しあげて、
「昨日は、マニラ支店のローカルのひとから、だいぶきついお叱言を頂だいしましたが、ご存知のとおり、うちは後発もいいところですからね。合板メーカーに対しても、強い態度が取れんのですよ。価格面でも、よほどサービスせんと、交際って貰えませんからね」
河野は、そう弁解するのだけれども、その実、得意先きの中村や丸永に、こちらから出向いて了承をとりに行ったりはせず、木材部に呼びつけて話をしているのである。
力関係は自ずと明らかであった。
「私もシアトルにいた時代から、木材部にはお世話になっていますから、その辺の事情はよくわかっていますよ」
小寺は穏やかに相槌を打った。
「早速、配船の打ち合わせをやらせていただきましょうか」
河野は立ちあがって、会議室の入口から配船担当の課長の名を呼んだ。
配船の打ち合わせをすませて、小寺が会議室を出てくると、木材部の一隅に置かれた、余りものらしい会議室用の椅子のうえに、和服姿の中年の女が、草履を脱いで横ずわりにすわって、フランクと談笑しているのが眼に入った。
「支店長、ご存知でしょう。石山さんのお母さんですよ」
フランクがいった。
「このまえ、わざわざ家までおいでいただいたんで、よく存じあげてるよ」
「お母さん、ご無沙汰しています」
と小寺は挨拶をした。
咲子は、あわてて椅子から降り、芝居見物に出かけるときのような、派手な着物の裾を直して挨拶をした。
「支店長は、戦前にこれはうまい≠ニいう名の|ふりかけ《ヽヽヽヽ》があったのをご存知でしょう。あれをもう一度、白い炊きたてのめしに振りかけて食うのが、おれの夢だって、いつか石山君と酒を飲んだとき、話したんですよ。そうしたら、今日はこんなにお土産をいただきましてね」
フランクは頭を掻いて、会議机のうえのおおきな包みをみせた。
「あたしもね、あれは重宝しましたんでね、あちこち問い合わせて、これはうまい≠探したんですけどね、これはうまくない話でね、戦後はなくなっちまったようなんです。あの製造元は、きっと、戦後のね、振りかけようにも、振りかけるご飯がなかった時分に、つぶれちまったんですよ。まさか、|おさつ《ヽヽヽ》に振りかけるわけにもゆかないしねえ。だから今日、|おみや《ヽヽヽ》にお持ちしたのは、最近売っている別のふりかけなんですよ。まあ、これはうまい≠烽、まいけど、これもうまい、とおもって召しあがってくださいな」
大真面目な顔をして、咲子は吹きだしそうなことをいう。
それから、小寺のほうに向きなおって、それが特徴の嗄れ声で、
「支《ひ》店長さん、うちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》のことで、ちょっと相談に乗っていただきたいとおもいましてね、もし今お忙しければ、出直して参りますので、こちらにご滞在のあいだに、ちいっと時間を作っていただけませんか」
といった。
おいでなすったな、と小寺はおもいながら、
「いや、今、ちょうど躰があいておりますから、お話し致しましょう。私も、お母さんにお目にかかって、ご相談したいとおもっていたんですよ」
小寺は、いった。
「この辺は気のきいた場所もありませんのでね、殺風景ですが、社員食堂でよろしいでしょうか」
小寺は、咲子の了解をとると、木材部の部屋を出る前に、フランクの肩を抱き、
「フランク君、きみの工作が成功したぞ」
といって、手短かに河野との会議の結果を知らせた。
「自分は浦戸部長の家で、部長ご夫婦と一緒に朝めし食って、部長と一緒に迎えの車に乗って、会社にきたんですが、その間、必死になって陳情したんですよ。河野部長のやりかたは問題があるなんて悪口もいったんですが、浦戸さんもよくわかってくれましてね、着いたら一番に河野と話をしようといってくれたんですよ。早速、やってくれたんですな」
フランクは昂奮して、赤い顔をしていた。
「それにしても、ころりと態度変えやがって、あの部長はいい|たま《ヽヽ》だな」
フランクは、窓ぎわで禿頭を逆光に光らせて、書類を読んでいる河野を睨んだ。
小寺は、咲子を伴って、木材部の部屋を出たが、外の廊下には、油で光らせた髪をリーゼント・スタイルにした若い男が立っていて、軽く会釈をして、彼らについてくる。咲子が、小寺の家に挨拶にきたとき、土産物を運んできた若者で、今日は、ふりかけのセットをフランクに運んできたものらしかった。
──レオノールの一家といい、石山の母親といい、おつきを連れて歩くのが、大好きで、その意味じゃ、釣り合いがとれてるじゃないか。
小寺は、そう考えておかしくなった。
小寺は、金を払いたがる咲子を制し、自分と咲子の食券、それにおつきの若者にも食券を買ってやったが、咲子は、
「あたしは、支店長さんとこみ入った話があるからね、おまえはその辺のテーブルにすわっといで。静かに行儀よくしてるんだよ」
若者を小僧扱いして、そう命令するようにいった。
テーブルにすわった咲子は、
「いえね、支店長さん、ちょっと気にかかることがありましてね」
嗄れ声を早くも、秘密めかしくひそめてみせて、囁くようにいった。
「支店長さん、うちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》に女ができたんじゃ、ありませんか。どうもにおうんですよ」
咲子は探るような眼を小寺にあてた。
「どうして、そうお考えになったんですか」
小寺は、咲子の質問には答えずに、逆にそう訊ねた。
「いえね、先日、うちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》が、海外電話《ヽヽヽヽ》をかけてきましてね、藪から棒にマニラにこないか、なんていいだしたんですよ。そのとき、あたしは、どうもくさい気がしましてね」
小寺は、あまり咲子を焦らしたりしないほうがいい、とおもった。
「家内からもいわれましてね、お母さんにそろそろご相談しなけりゃいけないとおもっていたんですが、お母さんの勘は図星でして、石山君には恋人がいるんです。フィリッピンの大金持ちのお嬢さんです」
小寺は簡単にレオノールの生い立ち、生活環境とこれまでのふたりの交際の経緯などを説明したが、咲子は現地人の恋人がいるという事実に衝撃を受けたのか、煙草をしきりに吹かして、話の半分も耳に入らない様子である。
小寺の話が一段落すると、咲子は、深呼吸するみたいに、煙草の煙をことさらおおきく空に吐いて、
「あの|でこすけ《ヽヽヽヽ》め、母親をたぶらかしやがったね」
眼を光らせて呟いた。
「なあに、こちとら、顔いろ見りゃ、お腹のぐあいがわるいとわかっちまうくらい、息子との交際《つきあ》いはながいんですからね、女ができたかできないか、それも浅い仲か深い仲か、そんなことは電話の声ひとつ聞きゃあ、すぐ割れちまうんだ」
ショックを受けたせいか、咲子は伝法な口をきいた。
「もちろん、支店長さんは、なんていいましたっけ、そのポリドール・レコードみたいな名前の娘を諦めるように、|でこすけ《ヽヽヽヽ》を叱りつけてくだすったんでしょうね」
「その娘はポリドールじゃなくて、レオノールというんですが、最初は向うからね、レオノールの親父さんのほうから、うちの娘と交際《つきあ》わないでくれ、といわれてしまったんですよ」
まさか、情事の現場に踏みこまれて、文句をつけられた、ともいえないから、その辺は曖昧にごま化した。
「おや、土人のお医者のくせに、生意気だねえ。こっちが恋人にしてあげたんだから、お礼、いいにきて、あたりまえじゃないですか、ねえ、支店長さん」
咲子はプライドを傷つけられたような顔をした。
「正直いって、人種だけじゃなく環境も違いますしね、私も最初は賛成できなくて、息子さんにも、自重するように、と何度かお説教したんですよ。しかしはっきりいって、一向にききめがないんです。最近じゃ、私も少し考えが変りましてね、相手のレオノールという、お嬢さんがなかなかいい性格で、一生懸命だし、石山君も、なんとかいいながら、気持の底じゃあ、気に入ってるみたいだし、これはこれでいいカップルになるんじゃないか、という気がしてきたんですね」
小寺がそう弁護すると、咲子は呆れた、という眼で、じっと小寺をみつめた。明らかに頼りがいのない、保護者とおもっているのである。
小寺はあわてて、
「ご報告が遅れたうえに、いささか無責任な話ではありますがね」
といいわけを付け加えた。
「その土人の娘は、お医者の卵とおっしゃいましたね。あちらのお医者は、呪文だの、おまじないだのとなえて、病気なおすんでしょう。うちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》は、なにか呪文でもとなえられて、その娘にひっかかっちまったんじゃないですかね。蛇だって呪文かけられると、背伸びして、立ちあがっちまったりするくらいだから、暗示にかかりやすい|でこすけ《ヽヽヽヽ》をだますのは、赤ん坊の手をひねるようなもんでしょう。おまじないをいわないうちに立ちあがってあとくっついて行っちまったんじゃないかな」
咲子の頭には、古い南洋やインドにまつわる話が、雑然と詰っているらしい、と小寺はおもった。
「お母さんもご心配でしょうから、この際石山君のいうとおり、一度マニラにおいでになって、彼とよく話し合ってみられたら、どうですか。場合によっては、レオノールにお会いになってみたら、いいんじゃないでしょうか」
母親は、新しい煙草に火をつけ、眉根にしわを寄せて、「しょうがない。そのポリドール・レコードに会いに|シ《ヽ》リッピンに乗りこむか」
と独りごとをいった。
「ただね、あっちのほうは方角がわるいんですよ、今年は」
また妙なことをいいだした。
「このあいだ、うちの気学の先生に訊きましたらね、今年は|シ《ヽ》リッピンの方角は五黄殺、いや暗剣殺だったかな、とにかくよくないんですよ。特に秋がね、十一月がわるいって、いうんですよ」
「はあ、方角ですか」
小寺は驚いたが、咲子のほうは、むろん大真面目である。
「西南にゆくのはよくないから、方違《かたたが》えをして、いったんヨーロッパに行って、それから|シ《ヽ》リッピンに入るようにしたら、どうだって、先生はいうんですけどねえ。これも遠まわりになって面倒だしねえ」
「ヨーロッパまわりの方違《かたたが》えですか。ちょっと大袈裟だとおもいますけどね。方角については私はなにも知らないんです。これも息子さんとご相談されたらどうですか」
小寺は逃げを打った。
「支店長さん、とにかくうちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》を一度、|シ《ヽ》リッピンの海に放りこんでやってくださいまし。ありゃ野球でもなんでも逆上性《のぼせしよう》のところがあって、いれあげちまう性質ですから、おもいきって頭を冷やさないことには、駆け落ちでもやらかしかねませんのでねえ」
とにかくお世話になります、といいながら、咲子は立ちあがると、食堂じゅうの連中が会話を中断して、注目するような、馬鹿丁寧なお辞儀をした。
それから急にふとい声になって、
「ちょいと、帰るよ」
食堂の隅で、アイスクリーム・ソーダを飲んでいる、リーゼントの若者にいった。
咲子と別れてから、小寺はフランクと一緒に、浦戸海外人事部長の部屋に礼を述べに行った。
しかし浦戸はついいましがた招集された緊急役員会に出ているという話で、不在であった。
「緊急役員会って、なにか起ったの」
小寺は秘書に訊ねた。
秘書はちょっとためらってから、
「ニクソン大統領が声明をだしたらしいんです。ブレトン=ウッズ体制というんですか、一ドル三百六十円の体制がくずれるらしいんです」
秘書は答え、小寺とフランクは顔を見合わせた。
昭和四十六年八月十五日、ニクソン米国大統領が行った、金・ドル交換の一時停止や一〇パーセントの輸入課徴金設定など八項目にわたるドル防衛、経済回復策の発表は、世界におおきな波紋を呼んだ。
このドル防衛策は、長年続くベトナム戦争の戦費に疲弊した米国が、いわば水際に追い詰められた格好で打った、捨て身に近い政策だったが、このおかげで戦後二十六年間続いた、一ドル三百六十円の固定相場制の時代に終止符が打たれ、日本は変動相場制に移行することになる。
「このニクソン声明は、日本の輸出業界にとっては喜べない話だが、こと輸入面、それも木材に関する限り、グッド・ニュースだぞ」
その翌々日、マニラ向けの便に搭乗するために羽田に向う車のなかで、小寺はフランクにいった。
「わたしがアメリカに暮してた頃から、一ドル三百六十円は安過ぎる、という漠然たる感覚はあったからな。所詮このレートはくずれる運命にあったんだが、それにしても一ドルが三百二、三十円、いや、三百円前後になると、木材の価格にはえらい影響が出るぞ」
「為替差が出ますな。わざわざ値下げ交渉しなくとも、一ドル三百六十円掛けたのが、三百円掛ければよいことになって、自動的に日本での売り値が下る。売り値が下れば、商売は動きだしましょうね」
フランクも肯定した。
「ニクソンのおかげで、市況が好転するか。これはニクソンさまさまだな」
小寺は懸案の価格問題が解決し、ニクソン・ショックのおかげで、将来的な展望も開けてきたので、ひどく上機嫌であった。
──このひとは、浦戸さんといい勝負の好人物だな。
快活に喋る小寺の横顔を眺めて、フランクは考えたものである。
いかにも手狭な羽田空港は、まるで帰省客でごった返す、盆暮の上野駅みたいに猛烈に混雑している。日本の高度成長が、きれいごとの航空旅行をみごとに大衆化して、バス旅行なみの手軽さにひきずりおろしてしまったのである。
二階のロビーで、見送りにきた木材部の課長や課長補佐と話していると、人混みの向うから、俊子と美千代が現われた。
俊子は、旧知の小寺と挨拶を交わし、オノフレの消息を語り合っている。
美千代だけがゆっくりとフランクの傍らに歩み寄ってきて、
「いいなあ、佐藤君は」
といった。
「これからマニラに帰るんだものね。私なんか二十六年間、もう一度、ゆきたい、ゆきたい、とおもい続けながら、生活に追われて、いまだに望みを達していないのよ」
「今年の暮にでも、ぜひいらっしゃい。休みをとって、案内しますよ」
フランクは熱心に誘った。
「シニガン・スープ、飲んでみたいだろう。ウビのアイスクリームも食べたいんじゃないの。四時間飛べば、そうしたなつかしい食べ物がなにもかも食べられるんだよ」
「ウビのアイスクリームね。あの、きれいな紫のいろは、何度も夢に見たわ」
美千代は、昔を回想する、穏やかな眼のいろになった。
「それに本願寺のアカシヤの木にだって、登れるんだよ」
フランクの言葉の意味を悟るのに、少々時間がかかったが、すぐに往時をおもいだす、楽しげな笑声が美千代から返ってきた。
「だけど、本願寺は、戦争で焼けてしまったんでしょう」
「いや、本願寺はあとかたもないよ。だけどあのアカシヤの木だけは残ってるんだ。いつか安藤先輩と行って、確かめてきたんだよ」
「私、ほんとうにスラックスを持って、マニラに行って、あの木に登ってみようかな」
美千代は、はずんだ声をだした。
そろそろ税関に入ろう、という間際に、石山咲子が、例のごとく土産をリーゼントの若者に持たせて、やってきた。
「うちの|でこすけ《ヽヽヽヽ》のやつを、いっぺん|シ《ヽ》リッピンの水に漬けて、眼を覚さしてやってください」と小寺に繰り返し頼んでいる。
小寺に従って、フランクが奥の税関のほうに歩きかけると、咲子は、ふいにフランクに近寄ってきて、
「佐藤さん、支店長の身のまわりに、充分、気をつけてあげてくださいよ。なにしろあっちは方角がわるいんだからね、特に十一月がいけませんよ」
そう耳もとで囁いた。
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銃  声
ニクソン大統領によるドル防衛策の結果、一ドル三百六十円のブレトン=ウッズ体制がくずれ、日本は変動相場制に移行した。八月二十八日、変動相場制移行初日の円実勢レートは一ドル三百四十二円二十銭であった。
小寺と鶴井、フランクなど、鴻田マニラ支店の木材担当者は、当初、このドル・ショックが、日本への木材輸出に好影響をもたらし、日本の市場は不況から一挙に好況に向うもの、とおおいに期待した。為替差のおかげで、日本市場における木材価格が下がれば、自然に景気は上向く、と考えたのである。
しかし案に相違して、日本の木材市場は、ドル・ショック以前よりも、いっそう冷えこんで、まったく商売が動かなくなった。
変動相場制移行に伴い、輸出のほうは価格増となって、商取引きの成約件数ががた落ちし、日本経済全体に不況感がみなぎった。
当然ながら、住宅の新築どころの話ではなくなり、木材に対する需要は、急減した、というのが実情だった。
おまけに木材市場は、神経過敏な赤子のようなところがあって、心理的な要素に支配されやすい。「腹をこわすぞ」と暗示をかけられて、物を食べると、たちまち腹をこわしてしまう子どものようなもので、世間が不景気と聞いただけで、商品の動きが止ってしまう。
こうして九月初めに、二はい配船があって、ガムット湾の材を運んで行ったきり、再び船がこなくなった。
マニラ支店からは、矢の催促を本社に入れるが、本社からは、もう少し待て、というテレックスがくるだけである。
国際電話を入れると、本社の課長たちは、前回の意図的な配船中止の際とは異り、正真正銘の悲鳴を挙げていた。
「東京港の投錨地《バース》には、船が三十ぱいも数珠繋《じゆずつな》ぎの行列を作って、荷揚げの順番を待ってますよ。材が動かなくなってて、どこの貯木場も満パイなんです。貯木場に空きがなくちゃ、荷揚げもできないでしょう」
行列作って、荷揚げの順番を待つとなると、滞船料、つまり船の使用料を、船会社に払いこまなくてはならない。滞船料は一日千五百ドルかかるから、十日も二十日も行列作って順番待ちをされたのでは、たまったものではない。
従って現地への配船も停止せざるを得ないのである。
「もちろん、清水の貯木場、名古屋の貯木場もいっぱいなんでしょうな」
「日本じゅうの貯木場を総あたりしてるんですけど、駄目なんですよ。疑わんでください、正真正銘の事実なんだから」
いつも髪の毛を二、三本額に垂らしている本社の課長は、怒ったような声を出した。
ブツアンのホベンチーノから、貯木場に浮かしてある材に虫が入り、猛烈な勢いで、食い荒している、という電話が入ったのは、十月半ばのことである。
「マリーン・ボウラー(貝虫)だ」
電話の向うで、ホベンチーノは怒鳴った。
「何パーセント、やられたんだ」
フランクも、大声で怒鳴り返した。
ブツアンからマニラに電話するには、ブツアン市内三カ所にある郵便局の電話を使うしか方法がないのだが、この電話がまた、マイクロ回線使用の電話ときているので、機能が低く、大声で怒鳴り合わないと聞えないのである。
「三〇パーセントから四〇パーセント、虫にやられた。できるだけ早く船を送ってくれ」
大声で怒鳴る、ホベンチーノの声が、高く低く波を打って、泣き声をだしているように聞える。
そのあと、「現場の労働者」がどうこうした、とホベンチーノは叫んだが、回線の状態がわるくて聞きとれない。
最後に、ホベンチーノは、
「とにかく様子を見に、ブツアンにきてくれ」
大声を残して、電話を切った。
フランクは、そのまま、支店長室にゆき、
「ガムット湾の材が、だいぶ虫にやられているそうです」
と小寺に報告した。
「ガムット湾には、川が流れこんでいますね。あそこの貯木場は、地形の関係から、ちょうど川の水が、海水と混るあたりに作らざるを得なかった。ふつう、川の淡水と海水の混るあたりに、虫が湧くというでしょう。隣りのリアンガの貯木場じゃ、材を浮かすのは一カ月が限度といっていますけど、ガムット湾の材は、大半が一カ月以上浮いているんじゃないですか。これから先き二カ月、三カ月、あの貯木場に浮かしておくと、材の径《けい》の半分くらい虫に食われてしまうんじゃないかな」
「虫の心配は最初から頭にあったんだがな」
小寺は、腕組みして呟いた。
脂汗を流すような日々が、一カ月以上も続いており、心なしか、小寺の頬の肉が落ちている。
「ミンダナオの雨期は、ルソンと違って、十月から三月までだったな。つまりもう雨期が始まっているわけだが、雨期になると、繁殖の条件がよくなって、マリーン・ボウラーはいよいよ増えるんだろう」
「そういうことですな」
小寺は天井を仰いて黙っていたが、
「よし、東京にもう一度、電話を入れよう。それから、取り敢えず今夜の便でブツアンにゆこう。チャンさんを励ましてあげなくちゃいかん」
といった。
フランクが、支店長室を出ようとすると、小寺もフランクのあとから、大部屋の事務室に入ってきた。
「うちの女房のやつがね、あなた、この頃、寝息が荒いみたいだけど、なにかあるの、って訊くんだよ。男は、寝息にも注意せんといかんのかね」
「そりゃ、奥さんの|でき《ヽヽ》によるんじゃないですかね。うちのパシータなんて、横になるなり、大いびきで、逆に私が寝息をうかがっていますよ」
フランクは冗談をいったが、小寺は乗ってこず唇のあたりに僅かに微笑をうかべただけであった。
翌日早朝に、小寺とフランクは、例のDC3の「光便《ブリツト》」で、ブツアンの砂利を敷いた滑走路に着陸をした。
空港には、ホベンチーノの姿はなく、代りにホベンチーノの自家用ランドクルーザーの運転手が迎えにきていた。
「ホベンチーノは、どうしたんだ」
フランクが訊ねると、
「うちのボスは、頭痛がして、寝こんでいます」
運転手がいう。
メイン・ストリートを出はずれ、ホベンチーノが二階を借りている家の前で、小寺とフランクが車から降り立つと、妙な唸り声が聞える。
ふたりとも足を停めて、唸り声の聞えてくる二階を見上げた。
どうやらホベンチーノが、頭痛に苦しんで唸っているらしかった。
小寺は、フランクの顔を見て、
「だいぶひどいようじゃないか」
と心配そうにいった。
ホベンチーノは、事務所兼寝室に使っている小部屋のベッドのうえで、俯せに寝て唸っていた。
まだ蚊帳を吊ったままで、フランクと小寺は蚊帳の裾をくぐって、ベッドの傍に立った。
おおきな、鉢の開いた頭をしきりに枕にこすりつけてうめく、パジャマ姿のホベンチーノは、なぜか手にマッチ棒を握っている。
「どうした、ホベンチーノ」
フランクは、部厚い、ホベンチーノの肩を揺すった。
「昨夜、シーチャンコたちと飲んで、すっかり酔っぱらってな、寝る前にヘッドホーンするのを忘れちまった」
唸り声の合間に、ホベンチーノが、かすれた声で答えた。
「ははあ、ニクニクが耳に入ったのか」
とフランクは、事態を理解して頷いた。
ニクニクというのは、フランクが戦時中になやまされた、虻のような小さい虫で、細かい蚊帳の目をすり抜けて入りこんできて、寝ている人間の耳のなかに侵入してくる。
この虫がいったん耳の奥に入りこむと、耐え難い頭痛を惹きおこす。
ホベンチーノが片手にマッチの棒を握っているのは、マッチ棒で耳の奥の虫を掻きだそうとしたのだろう。
「ニクニクなら、一時間ほどでおとなしくなる筈だから、もう少しの辛抱だよ」
フランクは、ホベンチーノを慰め、小寺に向って、
「耳のなかに入ったニクニクは、一時間ほどで、死んでしまうんですよ。死ぬと、頭痛がおさまって楽になります」
と説明した。
しかしずいぶん時間が経っているというのに、ホベンチーノの耳のなかに入りこんだニクニクは、いっかな死ぬ気配がなく、ホベンチーノの唸り声は、一向におさまらない。
激しい頭痛に顔をしかめ、首を振りながら、ホベンチーノは、
「ニクニクの野郎が、どんどん奥へ入ってゆくんだ。頭のなかじゅう食い荒されるような気がする」
嗄れ声の英語でいう。
「おれの頭のなかも、ニクニクに食われちまうが、ガムット湾の材も、ニクニクに食われて、みんな二束三文になっちまうぞ」
唸りながらいった。
「ニクニクとマリーン・ボウラーを混同するなよ」
とフランクはいったが、おもわず小さいニクニクでなく、体長四センチにおよぶ貝虫、マリーン・ボウラーが、ホベンチーノの脳を食い荒している光景を想像してしまい、ぶるっと躰を震わせた。
貝虫は、ガムット湾に浮かんだラワン材だけでなく、ホベンチーノの生命を、奥深いところで蝕んでいるのではないか。彼の苦痛が容易に去らないのは、ニクニクのせいではなく、ガムット湾の貝虫のせいではないのか。
「ヒロシ、助けてくれ、なんとかしてくれや」
ホベンチーノは、苦痛のあまり突然、フランクの少年時代の愛称を呼んだ。
フランクは、惑乱し、関連もなくマニラ日本人小学校五年生のとき、ホベンチーノの父親の助命を頼みに、イントラムーロスの憲兵隊司令部に行ったときのことをおもいだした。
あのときホベンチーノは、死んだ白坂に連れられて父親の助命を頼みにきたのだが、今度は彼自身の人生を救ってくれ、ホベンチーノはそう頼んでいるのではないか。
ガムット湾に浮かぶラワン材が虫害で全滅ということになれば、ホベンチーノは、たしかに彼の将来にかかわるような甚大な損害を蒙ることになるのである。フィリッピン社会で再起不能の、絶望的な立場におちいってしまうかもしれないのである。
「チャンさん、たしかに現在の情勢は厳しいですがね、私たちが全力挙げて努力しているから、心配しないで」
小寺はそう慰めている。
ようやくホベンチーノの頭痛が下火になったところで、小寺とフランクは、ホベンチーノを事務所に残したまま、ランドクルーザーで、ガムット湾に向った。とにかく虫害の実態をたしかめておかなくてはならない。
日比友好道路の土埃は、いつものように激しい。前の車の置き土産の土埃が去りやらずに、残っていて、あとから走る車を包みこんでくる。後方の車は埃のためにまるで霧中運転をしているようなぐあいになる。
ブツアンを出て、二時間ほど走り、リアンガの近くにきて、何度目かの土埃の壁のなかに突入したとき、ランドクルーザーの運転手が、ふいに叫び声をあげた。
路上の土埃の間から、おおきな石が現われ、運転手は狂気のようにハンドルを切っていた。ランドクルーザーは、辛うじて路上に置かれた石を避け、そのまま突っ走って、一段たかい路傍の椰子林に乗りあげて停った。
「これは強盗団の仕わざですよ。車が石にぶつかったところで、姿を現わして、車ごと強奪してゆくんです」
そう叫びながら、運転手はいそいで車を後退させて、道路に戻そうとする。
しかしランドクルーザーが、道路に戻った途端に、窓を鉄の棒らしいもので叩かれた。
土ぼこりのなかから、二十人ほどの男が現われて、ランドクルーザーを取りまいている。
「降りろ」
と怒鳴られて、小寺とフランク、それに運転手の三人は、ランドクルーザーを降り、まだ土埃の立ちこめている路上に立った。
車を取りまいているのは、半ズボンやジーパンに半裸姿、あるいは赤いTシャツを着ている男たちで、きいろい安全帽のヘルメットや、上端のとがった帽子をかぶっている。なかの四、五人が棍棒をさげており、殺気に似たものが、一団にただよっていた。
「ミスタ・オデラ」
窓を鉄棒で叩いた男が、ふいに小寺の名前を呼び、かぶっていたきいろいヘルメットを脱いだ。
「なんだ、貯木場の責任者のルペルトですよ」
フランクは、小寺に囁いた。
男は、以前、小寺が一緒に食事をしたことのある貯木場の監視人のルペルトであった。
ほかの男たちも、それぞれに見覚えがあって、いずれもガムット湾で働いている男たち、それも荷役人《ステベ》を中心とした男たちである。
「おれたちは、あんたに話があるんでな、ここで待っていたんだ」
異様なほど、色の黒いルペルトが、恐ろしい訛りの英語でいう。
「ガムットの現場で話しあえば、いいじゃないか」
フランクは、そういってみたが、ルペルトはこちらを睨み、
「こっちは、命のかかっているような場所で、真剣に話し合いたいんだよ」
おどしのきいた声でいった。
「林の奥でゆっくり話し合おうぜ」
ルペルトに促され、小寺とフランク、運転手の三人は、男たちに囲まれたまま、路傍の林の奥に入った。
「あんた、どうして、船をよこさねえんだ」
林の奥に入りこむと、ルペルトは、小寺の胸もとを掴まんばかりの勢いで、文句をつけた。
「ええ、どうして船をよこさねえんだよう。まだ値段が気に食わねえってのか」
小寺は、あまりたじろいだふうもなく、
「いや、値段の問題はとっくに片づいているんだよ。アメリカの取った経済政策のおかげで日本が不景気になってしまって、日本じゅうの貯木場がいっぱいなんだ。貯木場に空きがないんだ」
そういって、日本じゅうの貯木場がいっぱいなこと、そのため、材を運んでいった船が荷下しできず、バースに行列を作っていることなどを説明した。
取り囲んだ労働者たちは、ぽかんとした顔になって、小寺の説明を聞いている。
フランクにはよくその辺の感覚がわかるのだが、数多の湾に恵まれ、貯木場の場所に困らないフィリッピン人には、貯木場が足りない、などという話は想像もできず、まったく理解の限度を越えているのである。
「貯木場が足りないだと。嘘を吐《つ》け」
まっ黒い顔に血をのぼらせる感じで、ルペルトは怒鳴った。
「いい加減な口実ならべやがって、アグサン木材が値下げの話を呑むまで、船をださねえつもりなんだろう。このまえ、一カ月じらした挙句、やっとこさ二隻、船をよこしやがったが、今度も船をださないとおどしをかけて、材木の値段をたたこうってんだろう」
ルペルトは、一歩踏みだして、小寺に迫った。
「いや、違うんだ。そんなことじゃない」
小寺がさえぎったが、彼らは耳を貸さない。
「あんたらが船をださねえとおれたちはどうなるか、わかるか。船がこねえから、金にならねえっていってな、アグサン木材は、貯木場のおれにも、ここにいるステベの連中にも金を払わねえんだ。おかげで、おれたちは、この一カ月、ほとんどものを食っていねえんだよ」
フィリッピンの労働者たちは出来高払いで、日当を貰うのが、慣例になっているから、仕事がなければ当然収入はなくなるのであった。
たしかに周囲を取り囲んでいる半裸の連中は、いずれも胸の肋骨が露わに浮きあがり、腹のあたりが背中にくっつきそうにぺこんとへこんでいて、いかにも惨めな体格をしていた。
「困ってるのは、食い物だけじゃねえんだよ。あんた、おれの友だちのロケを知ってるだろう」
小寺は腕組みをして、ルペルトと睨み合うかたちで、話を聞いていたが、
「ああ、知っているよ。可愛い男の子がいたな」
と答えた。
「あの子は、あんたらが船をよこさないおかげで、可哀相に死んじまったよ」
想像もしなかったことをルペルトは、いいだした。
「あの子が夜中に腹が痛くなってな、ロケがリヤカーにのせて、病院に運んだんだ。ところが病院じゃ、前金払わないやつは、診察もしねえし、ましてや入院はさせられねえって剣もほろろのご挨拶だ。そりゃ、病院だって、金の払えねえ病人ばっかり抱えこんだりした日には、つぶれちまうからな。ロケは子どものせたリヤカーひっぱって、リアンガじゅうの病院かけずりまわったけど、全部門前払いよ」
国自身が貧乏で、健康保険制度の確立していないフィリッピンでは、貧乏人はまさに野垂れ死にするほかはなかった。
結局、新興宗教の教祖の家に連れて行ったが、効き目のある筈もなく、翌日、死亡した、という。
小寺は、明らかに衝撃をうけた様子で、フランクに向い、
「ロケの子どもって、おれたちが、一緒にめしを食った男の子だろう。あの子が死んだのか」
日本語で訊ねる。
「支店長が、ボールペンをやった男の子ですよ。あの子が急性盲腸炎になったが、金がなくて、入院断られて死んだ、というんです」
フランクは、利かぬ気らしく唇をきつく結んだ、男の子の顔をおもいうかべて、胸を打たれながら、そう説明した。
「あの子が死んだか」
小寺は、取り乱した表情になり、がっくり肩をおとした。
「ロケは、ひとり息子失くして、気狂いみたいになっちまったよ。いいか、おまえたちが、あの子を殺したんだぞ。あの子を殺して、ロケの気を狂わせたんだぞ」
小寺の表情が乱れたのを見て、ルペルトはいいつのった。
「ロケの子どもばかりじゃない、あいつのおふくろは」
とルペルトは、赤い半ズボンを穿いた、縮れっ毛の青年を指差した。
「おふくろが結核でながいこと寝たきりなんだが、このところ食物が足りないせいで、めっきり躰が弱っちまって危篤状態だ。それから、あそこにいるやつの女房は、身重なのに無理して、小作の仕事に出て、流産しちまったんだよ。それから寝たきりよ」
ルペルトの言葉を礫《つぶて》ように浴びながら、小寺は、凝然と立ち尽していたが、突然、がっくりと膝を地面におとした。椰子林の真中に跪き、次に正座したのであった。
「すまん、許してくれ。このとおりお詫びする」
眼を閉じて日本語で叫ぶようにいい、おなじ謝罪の言葉を英語で繰り返した。両手を地面にぴたりと突き、深々と頭をたれて動かなくなった。
深い沈黙が椰子林に落ちた。だれも身動きをしないなかで、椰子の葉から洩れ落ちる陽の光が、小寺の額のうえでちらちらと乱れ動く。
──馬場大尉とおなじことをしている。
二十六年前のカバナツアンの教会で起った出来事が、ミンダナオの日比友好道路の路傍で再現されたのである。あのときは二十人もの憲兵がいっせいに土下座したものだったが、今日はたったひとり、それも一介の商社支店長が正座し、聖壇ならぬ港湾労働者のまえに頭を垂れている。
フランクは異様な感動に衝き動かされ、
「おれも謝る。許してくれ」
タガログ語で叫びながら、やはり地面に正座して、深々と頭を垂れた。
面目を重んじるフィリッピン人にとって、土下座して謝ったりすることなど、想像外の話である。ルペルトを初め、全員、石のように動かなくなり、押し黙ってふたりを眺めている。
フランクは、頃合いを見計って立ちあがり、進みでた。
「われわれはこうやって心の底から謝っているんだ。近日中に船は必ず寄こすから、もう少し辛抱してくれないか」
英語とタガログ語で繰り返し、すわりこんで頭を下げている小寺をかかえおこした。
虚脱したような一揆の集団を椰子林に残し、小寺とフランクは、ふたたびランドクルーザーに乗ってガムット湾に向った。
ガムット湾の浜辺には、大勢の半裸の労働者が腰を下し、ランドクルーザーから降りて、貯木場に歩いてゆくふたりをみつめている。
まさに視線の矢ぶすまのなかを歩いていくようで、一歩ごとに足を視線の網にからめとられて、フランクは躓《つまず》きそうな気がした。
貯木場に近づくにつれて、磯の香りに似た、生ぐさい異臭が鼻をついた。
「この臭いはいかんな。虫の臭いでしょう」
フランクは、用意してきた|はつり《ヽヽヽ》で貯木場を指しながら、小寺にいった。
マリーン・ボウラーに食われた木は異臭を発するのである。貯木場に入ったフランクは、手近の筏に跳び移り、筏の端のラワン材を、手にしていた|はつり《ヽヽヽ》で器用にひっくり返した。
マリーン・ボウラーは、大気中では生存できないので、海水に浸ったラワンの裏側に棲みつく習性がある。
裏返しにされた材の表面には、一面に蟻の穴のような、小さい穴が開いていた。穴が表になって、異臭はいよいよひどくなり、鼻がまがりそうな感じであった。
蟻の穴の開いた表面を、フランクが|はつり《ヽヽヽ》を使って削ると、四センチぐらいの長さの、巻貝のような貝があらわれた。マリーン・ボウラーは、この貝のなかに棲んでいるのである。
表面を削ってゆくにつれて、蟻の巣のひとつひとつに貝の入った、まるで無数の貝の養殖場のような材の内部が露わになった。
「だいぶ深く入っていますな」
フランクは、さらに周囲の二、三本を裏返しにしてみたが、こちらは虫のつきかたがいっそうひどくて、表面がすっかりぐしゃぐしゃにくずれて、あばた面に似た惨状を呈している。
手あたり次第に、フランクは裏返していったが、虫のつきかたは、予想を上まわり、全体の四割か五割におよんでいるような気がした。
「これは惨澹たるもんだ」
小寺が、がっくり肩をおとしていった。
海浜にすわっていた半裸の連中は、いつの間にか、貯木場の縁に集まり、こちらを遠巻きにして眺めている。
──ひとり息子を失くしたロケはどうしたんだろう。このなかにいるんだろうか。
配船のないままに、失業状態にある労働者たちの大群を、不気味なおもいで眺めながら、フランクは考えた。
「ミンダナオの暑さはこたえるな」
筏のうえで、小寺は額の汗を拭った。
「炎熱とか灼熱とか、そういう古い言葉をおもいだす暑さだな」
ブツアンへの帰路、小寺は、
「フランク君、これ以上、犠牲者をだすわけにはいかんな」
とフランクに声をかけた。
「支店長、ふかく考え過ぎないほうがいいとおもいますね。鴻田が商売をやろうとやるまいと、フィリッピンには、たえず貧乏な人間がいるんですしね。ごくふつうの状態でも金がなくて、入院を断られて死んでゆく子どもも多いんですよ」
「しかしわれわれは犠牲者を増やしに、この土地にきたんじゃないぞ。犠牲者は、今までで、充分なんだ」
小寺は気負ったような口調でいった。
「フランク君、おれは方針を転向しようとおもうんだよ」
小寺はフランクのほうに向き直って、そういいだした。
「鴻田マニラ支店としては、こちらで買いつけた材を本社で売りさばいて貰っている。これは当りまえの話だ。しかし緊急事態になったんだから、うちから直接、荒川ベニヤの与田さんやオノフレに話をつけよう。一ぱいなり二はいなり、船だして引きとってくれれば、なんとか当座はしのげるだろう」
このまえ日本に出張したとき、小寺とフランクは一夜、与田から食事をご馳走になり、そのとき、「万一のときは、社長、助けてくださいよ」と小寺が、与田に頼むのを、フランクは耳にしている。
その日の夕刻の飛行機で、マニラに戻ると、小寺は、その晩、早速、東京の与田に電話を入れたらしい。
翌朝、出勤してきた小寺は、フランクと石山を半々にみながら、
「与田さんは親切なひとだな。義を見てせざるは勇なきなり、だ、こちらも辛いけど、とにかく頑張ってみましょう、といってくれたよ」
そう報告した。
「大丈夫かな。うちの社長は見栄っぱりで、なんでもできるできる、といい顔したがる傾向がありますんでね」
話を聞いた石山のほうが、不安な顔になった。
与田にガムット湾の材の引取り先きを探してくれと頼んだ翌日、小寺は今度はPITICOにオノフレ・マーパを訪ね、おなじ依頼を持ちかけた。
「むろん材木を無駄にしたくないわけですが、同時にブツアンやガムット湾周辺にだいぶ不況の影響が出ておりましてね。現場の連中の生活が心配なんです」
と小寺はいった。
事実ロケの息子の死は、小寺に深い衝撃を与えている。
──今度のラワンの商売の煽りを食って、おれの知っている限りでも、ブツアンのナイトクラブの娘とロケの息子とふたりの死者がでている。
そういうおもいが小寺につきまとって離れない。
小寺の知らないところでは、もっともっと犠牲者の出ている可能性があった。
ラッフルズは「イギリスをして、アジア諸国民の間に、荒廃を招く嵐として記憶せしむるな」「灰色の冬枯れどきから、命をよみがえらせる春の微風《そよかぜ》として記憶せしめよ」と述べたが、今度の商売の結果、鴻田貿易の名は、ブツアンからガムット湾にかけて住むフィリッピン人の間に、「荒廃を招く嵐」として記憶されることになったのではないか。
現実が理屈どおり動かないことは、二十年の商社マン生活でいやというほど味わっている。しかしいまの取引きの現実は小寺の理想とは正反対の方向へ、「春の微風」とは逆の方向へ、急速度で突き進んでゆこうとしている。
両親の写真を飾った社長室で、小寺の話を聞いたオノフレは、首をまげた、長い顔に微笑をうかべた。
「たしかにミンダナオ木材業界は、今、大不況におちいって、昨日今日はリューベあたり二十六ドルに落ちてる。木材業者の倒産も続出しているようです。もちろん、これは日本の市況悪化の影響だ。しかし日本の市況の悪化は、ニクソンの決めたドル防衛策のせいでしょう。ミスタ・オデラ、あなたがアメリカの経済政策の責任まで取っていたら、体がいくつあっても、足りませんよ」
冷笑とも慰めともつかぬ、いいかたをする。
「別段、気負っているつもりは、ないんですけどね。しかしわれわれは、よその国にお邪魔して、商売させて貰っているんですからね。お客としては、相手の国の事情に気を遣わなくちゃ、いけないでしょう」
小寺は、英語で喋らねばならないのをもどかしくおもいながら、そういった。
オノフレは、真面目な顔に戻って、
「私は、ドル・ショックにはあまり関係のないルートで商売をしていますからね。早速、心あたりをあたってみましょう」
と約束してくれた。
帰りぎわに、小寺を入口まで送ってきて、
「私はフィリッピンの労働者より、ミスタ・オデラのことが心配だな」
といい、傾けた首を動かさずに、視線だけを小寺にあてた。
「私がいい例でね、フィリッピン人は、皆、おそろしく執念ぶかいんですよ。用心されたほうがいい」
十一月に入って、石山の母親の咲子が、マニラにやってきた。
咲子は日本を離れる前、十一月にマニラに旅行するのを、しきりに渋った。
「|シ《ヽ》リッピンは、東京から考えて、西南の方角に当るんだろう。十一月に西南に旅行するのは、方角がわるいんだよ。この間、うちの先生に確かめたんだけどね、今年の十一月にはね、日本から西南の方角は暗剣殺になるんだよ」
石山は、暗剣殺だの五黄殺だの、その逆の方角がヤブレ≠ノなるだの、といった言葉には、子どもの頃から親しんでいるから、「やれやれ、また始まった」とおもいながら、
「うちの支店長なんか、平気で旅行してるじゃないか」
と反論した。
「あんなに日本と西南の間を往き来していたんじゃ、あの|しと《ヽヽ》は危ないね。暗剣殺ってのは、使用人に殺されたり、ろくなことはないんだからね」
咲子は縁起でもないことをいう。
「うちの先生は、どうしてもゆくんなら、方違《かたたが》えをしなくちゃいけない。方違えの方向は訪問の目的によっても変るけど、息子さんに会うのは、尋ねびとの一種だから、西に方違えしたほうがいい。うちの先生は、ヨーロッパを廻ってマニラにゆくようにしなさいっていうんだよね」
「だから、あの先生は無責任だっていうんだよ、航空会社と裏で結託しているんじゃないのかね。マニラまで東京から四時間ですよ。それをヨーロッパ経由できたら、四十時間じゃこられないね。箱根にゆくのに、大阪まわってゆくようなもんだよ。だいいち、運賃がどのくらいかかる、とおもってるんだ」
石山は本気になって怒った。
しかし自分が母親を招んだ以上、怒ってばかりもいられないから、一計を案じた。
「そんなふうにヨーロッパ経由でこなくたって、飛行機の航路ってのは、ちゃんと方違えになっているんだよ。いったん香港の方角に行ってそれからベトナムまで降りて、ベトナムからマニラに入ってくるんだ。つまり方違えしてヨーロッパまわりで入ってくるのとおんなじなんだよ」
そう出まかせをいった。
この出まかせでやっと方違えのほうは話がついたが、それからがまたひと騒ぎである。
息子が赴任のとき、怠けてやらなかった神社仏閣まわりを丹念にやって、仏立宗の本山である渋谷の乗泉寺はもちろん、数ある交通安全の神社や不動尊、茅ヶ崎の寒川神社、都下八王子の高幡不動尊に成田不動などを次々とめぐって、旅の安全を願ったらしい。
「おれのが、そっくり残ってて、そのまま使えるよ」と石山がいってとめたのに、改めて胃腸薬の「熊の胆《い》」「孫太郎虫」に風邪薬の「改源」、小田原産の「ういろう」に「梅肉エキス」を用意したようであった。
いくら十一月は方向がわるいとはいえ、この大袈裟な準備にかかる手間隙から逆算して、そもそも九月、十月にでかけてくるのは、無理だったのである。
どうにか準備が整って、マニラにやってきた咲子は、カートにのせたえらい数の荷物を航空会社の社員に押させて、税関を出てきた。
夏の和服姿で、旅行に初めて出かける日本人の常で、サン・グラスをかけている。
「引っ越しするわけじゃあるまいし、えらい荷物、持ってきたねえ」
石山は文句をいいながら、汗をかいて荷物を自分のヒルマン・ハンパーに積みこんだ。
「おや、|シ《ヽ》リッピンにも結構高いビルがあるんだね」
などと驚く母親をマカティのインターコンチネンタル・ホテルにチェック・インさせた。
インターコンチネンタル・ホテルは、アメリカ系の一級ホテルだが、部屋に落ち着くと、咲子は、信玄袋のような手提げから、医者が使うような、真鍮の箱型の容器を取りだした。蓋を開くと、アルコールを染みこませた脱脂綿、酒精綿というやつが詰っている。
「おまえの知ってのとおり、あたしは、疳性なんだからね、おまえ、わるいけど、これでドアの把っ手や電話ね、洗面所の水まわりみたいな、他人様《しとさま》のよく触るところを拭いとくれ」
「ここは一流ホテルだから、そんな心配をすることはないよ。馬鹿馬鹿しいよ」
石山の抗議に咲子は、耳を傾けない。
「おまえみたいにお腹こわして、あたしを、入院させたくなかったら、ちゃんとやっとくれ。これも親孝行のうちだよ」
などという。
渋々、石山がアルコールを含んだ綿であちこちを拭き始めると、母親はあとをついてきて、「電気のスイッチもお願いだよ」だの「箪笥の引き手を忘れないでおくれ」と小うるさく、口をはさんだ。
消毒が済んで、草履を脱いで、ソファに日本ふうにすわりこんだ母親は、突然「ところで」と小指を立てて、
「おまえのこれは、いつお目見得にくるんだい」
と訊ねた。
石山は、虚を衝かれて、
「なんだ、お母さん、知ってたのか」
憮然として顎を撫でた。
「おまえのやってることなんざ、万事、お見通しだよ」
咲子は、息子の顔をみずに、日本から持参の煙草を吹かした。
「支店長さんからおおよその話は聞きましたがね、これは、おまえ、北海道の男が、九州の娘を貰うより、もっと|し《ヽ》どい話だろう。九州の娘だって、北海道じゃ暮しにくかろうに、こんな南の果てから椰子の実みたいに日本に流れついてさ、うまくやってゆけるのかね。いったいおまえが、九州に行って暮すのか、それともあちらさんが、北海道にくるのかね」
「そんなことは、まだなんにもきめてやしないよ。お互いに、できれば一緒になりたいと考えているから、とにかく、まず、お母さんに会って貰おう、というだけの話だよ」
石山は閉口して、頭を掻いた。
「やれやれ、この年になってまさか南洋のさ、土人の娘を嫁に迎えようとは、ついぞおもわなかったね」
咲子は、息子にあてつけるように、おおきな溜息をついてみせた。
夕刻、石山はレオノールに電話して、母親がマニラに着いたことを知らせ、いつ会ってくれるか、と訊ねた。
「あのね、急に母が、あなたのお母さんに会ってもいい、といいだしたのよ。明日の午後、この家にご案内していただけない」
レオノールは、そう申し出て、石山を驚かせた。これは、いよいよ覚悟をきめなくてはならない、と石山は、深刻に考えた。
母親の面倒を見るために、石山もインターコンチネンタルの隣りの部屋に泊りこんでいたが、夜、小寺の招待で、フィリッピン料理の店にでかける前に、
「明日、ぼくと一緒に先方の家に行ってよ。先方のおふくろさんもお母さんを待っているらしいよ」
そう持ちかけた。
「なんで、姑のあたしが、嫁の里までのこのこ出向かなくちゃならないんだい。向うがこのホテルに挨拶にくるのが筋だろう」
咲子はすこぶる不満であった。
その夜の小寺夫婦との会食の席でも、咲子は、料理のひとさらごとに合の手みたいに梅肉エキスを舐めながら、
「あちらさんが、ご挨拶にくるのが当りまえで、ちょっと非《し》常識じゃありませんか、ねえ、支店長さん」
と非《し》常識を連発しては、小寺の同意をもとめ、石山を閉口させた。
翌日のアランフェス家訪問は、たしかに衝撃を咲子に与えたようであった。
フォルベス・パークの大邸宅を見て「いやにだだっぴろくてまるでお料理屋だね」といい、車の音に注意していて、門まで走りでてきたレオノールに引き合わされると、すっかり驚き、「ずいぶんいろの白い娘さんだね。これは西洋人じゃないか」と呟いた。
レオノールのほうには、あらかじめ咲子の写真を見せて予備知識を与えておいたので、むしろ旧知の人物に会うような親しさを見せた。
通された応接間には、レオノールの配慮なのだろう、クリスマス・プレゼントに石山が贈った、鏡獅子のおおきな人形が運びこまれている。
「おやおや、鏡獅子の人形がこんなところにあるよ」
咲子はいって、じろりと石山を睨んだ。
「彼女のお父さんが、つまりぼくが世話になった病院の先生なんだよ」
石山は、入院して世話になった病院の先生に贈る、といって人形を用意して貰ったのだが、その点はごま化しがきいてまことにぐあいがよかった。
咲子は不得要領の顔をしていたが、レオノールが、しきりに人形の美しさを賞めそやし、礼をいうので、だんだんに上機嫌になった。
レオノールは、咲子にコーヒーを勧め、
「お母さん、パイのお料理がお上手だそうですね。これ私の作ったパイなんです」
と、先日よりはだいぶできのいいマンゴー・パイを母親の皿に取り分けたりして、懸命のサービスぶりであった。
しかし、困ったことに肝心のレオノールの母親は、化粧にでも手間どっているのか、なかなか姿をみせない。
石山がドアの方を眺めて落ち着かないのを、レオノールは敏感に感じとるらしく、これも落ち着かなげに立ったりすわったりして、頻繁に部屋を出入りする。
一時間経っても、レオノールの母親は姿をみせず、話題も滞りがちになった。
石山も、さすがに待ち兼ねて、
「レオノール、お母さんはご都合がわるいの」
と訊いてみた。
レオノールは、顔を赤くして、
「母はね、急に都合がわるくなってね、出かけてしまったの。お母さまによくお詫びしておいて」
懇願する口調である。
「マニラにいらっしゃるあいだに、かならずもう一度きていただいて、そのときにかならず紹介するからって、よおく説明してよ」
石山はレオノールと英語で話したのだが、咲子は独特の勘で、事情を察してしまったようであった。
「ここのお姑さんは、都合がわるくて会えないというんだろう。それなら用事もなくなったんだから、早々に失礼しようよ」
母親は、そういって立ちあがってしまった。
レオノールがなだめて、もう一度ソファに戻そうとしたが、こうなると強情で、|てこ《ヽヽ》でもいうことをきかない。
「いいんです、いいんです。日本はすぐそこなんだから、いつでもちょいとこられますからね」
嫌味をいってレオノールの手をかなりの力で振り払い、勝手に玄関に向って歩きだした。
玄関をでると、レオノールが石山に抱きついてきて、
「タカ、許して」
と涙をみせた。
「どうも、もめちまって、わるいな。うちのおふくろは、えらく強情なんだよ」
レオノールをなだめて、門の外に出ると、咲子が、両手を和服のたもとのなかで組んで、アランフェンスの家を睨むように見あげている。
「お姑さんは、外出だなんて嘘吐いて、この家のどこかにかくれて、あたしたちを見張ってるんだよ。こっちはちゃあんとお見通しなんだ。いいかい、あたしの目の黒いうちは、絶対にこのうちの娘をおまえに貰ったりさせないからね」
咲子は、頬を引きつらせて、そう宣言した。
配船の件が一挙に解決し、小寺の苦況に明るい展望が開けたのは、その翌週のことである。
まずオノフレが、シンガポールの木材業者に話をつけて、一船分、買いつけてくれることになり、値ぎめ交渉に入るだけになった。
間をおかず荒川ベニヤの与田から連絡があり、荒川ベニヤの工場のある岩手県の貯木場を確保し、買い主の当てもついたという報告が入った。
続いて鴻田の本社からも、清水の貯木場を確保できるので、続けて数隻、配船したい、と電話が入ってきた。
一陽来復とはまさにこのことで、マニラ支店木材チームには、久かたぶりに明るい空気が戻った。
残る問題は、アグサン木材との、新しい値決め交渉だけである。
小寺は、フランクと、最近ではすっかりおとなしくなった鶴井を同道して、マニラの下町のロイヤル・ホテルに、シーチャンコとクエトオを訪ねた。
シーチャンコの取っているスウィート・ルームに入ってゆくと、ホベンチーノがきていて、これも久かたぶりの笑顔を見せた。
「日本内地の市況悪化、それにドル・ショックのおかげで、皆さんには大変、ご迷惑をかけました。お詫びします」
小寺は頭を下げ、
「ご存知のとおり、やっと日本内地からの配船が決りました。引き取り価格については、リューベあたり二十六ドル、ただしマリーン・ボウラーの入った材につきましては、リューベあたり十五ドル、ということでお願いしたいと存じます」
市況の悪化とは恐ろしいもので、現在、ブツアン近辺のラワンの価格は二十五ドル台に落ちこんでいる。
小寺が提示した二十六ドルにしろ、むしろ好意的な高値といえた。
「マリーン・ボウラーがついたのは、あんたがたのせいなんだからね、もう少し高く取って貰えないかね」
シーチャンコは不服そうにいう。
「ほかよりは高い筈ですよ。常識では二十五ドル、十ドルという組み合わせを二十六ドル、十五ドルとワンランク高くして、頂だいしたいと申しあげているんですからね」
シーチャンコは、考えを訊くように、隣りのクエトオの顔を眺めた。クエトオは「止むを得まい」というようにふとい眉をあげ、肩をすくめてみせた。
彼らが、値下りの状況はいちばんよく知っているのである。
「それでは、二十六ドル、十五ドルの線でお願いします。一週間後には配船できるとおもいますので、ガムット湾の現場のひとたち、貯木場のステベのひとたちには、ぜひそのむね、お伝えください」
小寺は頼んだ。
クエトオは、ふとい人差し指の横腹で口ひげを横撫でして、
「さあ、どうかな、ガムット湾のやつら、こんな値段でおさまるかな。また、ひと騒ぎすると、二十七ドルに戻るんじゃないか、そう考えてやしないかな」
おどかすようなことを英語でいい、口でピストルの破裂音を演じながら、天井を狙うふりをしてみせた。
「クエトオさん、あんまりおどかさないでくださいよ」
フランクが冗談にしようとしたが、クエトオは笑わなかった。
とにかく握手をして、三人は表にでたのだが、エレベーターに乗ってから、フランクが、
「支店長、連中の隣りの部屋のドアが開いていたでしょう。通りすがりに覗いたら、どうも見たような男がすわっていたんですよ。考えてみると、あれはガムット湾のステベのロケじゃないかな」
といった。
「ロケか。ロケなら、ひとこと慰めてやりたいな」
小寺は、そのまま戻りたそうな顔をした。
「しかし支店長、考えてみると、あの男が、マニラにいるわけはないですね。気になってるもんだから、錯覚かもしれませんな」
フランクがおもい返す顔になり、
「それもそうだな」
小寺も諦めた。
ロイヤル・ホテルの前で、ホベンチーノと握手をした小寺は、
「チャンさん、お互いにこれで気持がすっきりしましたな。今度の週末にゴルフでもやりませんか。フランク君はやらないけど、鶴井、石山と総出であなたを慰労しますよ」
と笑いながら、提案した。
「それじゃ、ワクワクのクラブでやりませんか。私、メンバーだから、スタートを取っておきますよ」
とホベンチーノは大目玉を輝かせていった。
その週の金曜日、フランクが昼食を取りに家に帰ろうとして、デスクのうえを片づけていると、支店長秘書のフェイがやってきた。
「いやになっちゃうわ。変な男に電話で散々おどかされて、気が滅入っちゃうわ」
そうタガログ語で愚痴をいい、首を振った。
「あんたもいい寄ってくる男に、あんまり冷たくしないほうがいいよ。しょっちゅう袖にされると、男はいよいよ頭にきて取り乱すもんだぞ」
フランクはからかった。
「いえね、そんな電話じゃないの」
フェイは、ちょっとまわりを見まわして、声をひそめた。鶴井や石山も、昼めしを食べに独身寮に帰ってしまって、あたりに人気はない。
遠くで日本人駐在員がひとり残って、タイプを叩いているだけである。
「最初の電話は午前中にかかってきましてね、ビスリグ湾のカーネル・ジャクソンだが、支店長に繋げ、と威張っていうのね。ミスタ・オデラは、ちょうど国際電話をしていたから、今、支店長はいませんっていったのよ。そうしたら、命が惜しかったら、米ドルで百万ドル用意するようにいっとけ、あとで返事を訊く、こうきたんですよ」
「百万ドル、か。そりゃ、酔っぱらいのいたずら電話だな」
フランクは笑った。
「ミスタ・オデラも、おなじことをいうのよ。たしかにダミ声で、呂律《ろれつ》がおかしい男ではあるのよ。そしたら、今、また電話がかかってきて、支店長の返事はどうだって、訊いてきたの。だから、まだ帰ってきていませんって答えたら、あの男も運のない野郎だって笑うのね。それから、酔っぱらった声で、おまえ、鴻田貿易がミンダナオでなにをしているか知っているか、材木の値段たたいちゃ、相手がイエスというまで、船を出さないんだ。おかげで、海岸には、餓死したフィリッピンの労働者の死体が、ごろごろしているんだぞ、なんてでたらめいうのよ」
「おまえはそんな会社に働いていて、いわば殺人行為の片棒をかついでるんだ。おまえだって命がないぞ」とフェイは、散々おどされた、という。
──いやがらせだな。シーチャンコかクエトオが裏で糸をひいているのかもしれんな。
フランクはそうおもって、つやのいい顎を撫でた。
「知ってのとおり、木材の景気がわるいからね。いろいろいやがらせをやられるんだよ。あんまり、気にしなさんな」
フランクは、フェイの肩を叩いて慰めた。
「ただ支店長にだけは報告しておいた方がいいな」
おもい返して、そう付け加えた。
土曜日の午後、フランクが帰宅して、着替えをしていると、パシータが、
「シスター・エメリイというひとが、あなたを訪ねて、玄関に見えてますよ」
といった。
でてみると、なるほど紺のベールをかぶった、尼僧姿のシスター・エメリイが立っている。
「突然伺ってごめんなさい。会社に電話したら、残っていた社員のひとが、もうお帰りになったといって、このお宅の住所を教えてくれたんですよ」
と弁解した。
「おはいりになりませんか」とフランクは勧めたが、「すぐ帰るから」とシスター・エメリイは頑なに断る。
それから表情を硬くして、
「鴻田貿易は、ミンダナオで、なにか現地のひとの恨みを買うようなことをしているんですか」
と訊ねた。
フランクは、一瞬、返事に困って、
「うちの会社は、小寺さんが、ああいう人格者ですからね。好んでひとの恨みを買うようなことはしませんけれどね、今、日本内地が不況で、日本への輸出がはかばかしくないんですよ。それで生活が苦しくなって、逆恨みしている連中は、いるかもしれない。しかしどうして、そんなことをおっしゃるんですか、なにか心あたりがあるんですか」
シスター・エメリイは、眉を寄せて、
「先刻、トンドで妙なことを耳にしたものですからね」
という。
その日の午後、シスター・エメリイは、同僚のシスターたちと、以前から面倒をみているトンドの病人たちを見舞った。
人口二万人のマニラの貧民街トンドは、出身地と言語別に十二の地区に分かれている。シスター・エメリイは、ビサヤ語地区の、さらにそのなかでも東ミンダナオ出身者の住む地区にゆき、掘立小屋に病臥している老婆を見舞ったのだが、隣りの小屋で男たちが三、四人、昼間から泥酔して大騒ぎをしていた、という。
「弦が切れてるみたいなギター持ちだして、大声で歌を歌って騒いでいるんですけどね、なかにひとり悪酔いしているのがいて、コーダの事務所を焼き打ちしてやる、コーダの使用人を皆殺しにしてやる、そう怒鳴っているんですよ。ほら、私、ミンダナオに土地を持っているくらいで、子どもの頃あそこにいたから、ビサヤ語がわかるんですよね」
聞くともなく聞いているうちに、コーダが日本の鴻田貿易らしい、と見当がついたのだ、とシスター・エメリイはいった。
フランクは、腕組みをした。
「いったい、どういう連中なんですかね」
「私、お婆さんの妹さんに、おなじ質問をしたんですよ。そうしたら、隣りはちんぴらギャングの溜り場なんだけど、二、三日前から、ギャングのひとりの弟がミンダナオからやってきて、それから急に景気がよくなったんですって。毎日お酒飲んで馬鹿騒ぎだそうですよ」
「そのミンダナオからでてきた男の名はわかりませんかね」
シスター・エメリイは首を振った。
「ものすごい乱痴気騒ぎしてて、私だって恐かったのよ。連中の名前なんか訊くどころじゃなくて、早々に引きあげたんですけどね、気になって途中からおたくの会社に電話したんですよ」
フランクは、一瞬その家を訪ねてみようかと考えた。しかし昔のトンドはいざ知らず、現在のトンドは、僧服でも着ていない限り、一般人は入りこめない場所なのである。
シスター・エメリイが帰ってから、フランクは、パシータのいれた日本茶を飲んだ。シスター・エメリイが、わざわざ立ち寄って教えてくれたビサヤ語のギャングたちの一件は、たしかに気になる話であった。
「ガムット湾のやつらが、ここでひと騒ぎすると、また二十七ドルに戻るんじゃないかな」という、ロイヤル・ホテルでのクエトオの嫌味、ホテルの一室でロケに似た男を見かけたこと、そして急に金まわりがよくなって、乱痴気騒ぎを毎日繰り返しているトンドのギャングの話は、どこかで繋がってくるような気がする。
あいつら、息子を失って気違いみたいになっているロケに金をやって、鴻田をおどしてみろ、そんなことをいって、けしかけているのではないか。
気になって、小寺の家に電話してみると、百合子が出てきて、留守だという。
「石山さんのことでね、MMCのアランフェス先生に会いに行ったんよ。今夜は、会社の赤川さんのところで、家庭麻雀やることになってて、そちらで私と落ち合う予定よ」
赤川というのは、小寺とおなじベル・エア地区に住む、鴻田の非鉄の課長である。
夜になってから、フランクは赤川の家に電話を入れて、小寺を呼びだした。
フェイが取った脅迫電話の件とシスター・エメリイの件を説明して、
「ガードマンを雇うとかして暫く用心されたほうがいいんじゃないですか。必要なら、自分が今夜にでも手配しますよ」
「いやあ、必要ないだろう、フランク君」
と小寺は取り合わない。
「フェイのほうは、いたずら電話だろうし、シスター・エメリイの話だって、酒席の世迷いごとを聞きかじっただけのことだろう。仮りに本当に連中が襲ってくるとしてもね、きみたちが海賊に襲われたときとおなじで、空砲射ってそこらを駆けまわるだけだよ。この|みそぎ《ヽヽヽ》がすめば、一件落着なんだから、むしろ早くみそぎをすませたほうがいいんじゃないか」
馬場大尉といい、この小寺といい、日本の組織指導者は危険をいとわず、「身を、鴻毛の軽きに致す」ことを処世訓と心得ている。
みそぎといっても、そこに深い怨念を抱く者がからめば、話はどういう方向にころんでゆくか、わかったものでない。
「とにかく用心してくださいよ。支店長の明日の予定は、どうなっていましたかね」
「明日の日曜は、ほら、ホベンチーノさん接待のゴルフだよ。きみがゴルフをやらないのは残念だな。きみのぶんまで、負けてあげなくちゃいかんな」
仕事がいい方向に向っているので、小寺の声は明るかった。電話の向うでは、駐在員の女房たちのはなやかな笑声が聞える。小寺は、腕の劣る女房連の麻雀の相手をちゃんと勤めるので、彼女らの間で評判がすこぶるよかった。
日曜の朝がきた。
石山は、その前夜、母親だけをホテルに残して、独身寮に戻った。日曜は、フランクが朝食から買物まで、母親の面倒をみてくれることになっている。
石山が、丸襟のスポーツシャツに白のゴルフズボンを穿いて、独身寮の前の道路をぶらぶらして待っていると、小寺が自分で、赤いオペル・レコードを運転して、迎えにやってきた。小寺は、クリームいろのポロシャツにグレイのズボンを穿いている。
小寺の横の座席には、ゴルフ帽をかぶった鶴井がすわっていて、石山が「お早うございます」と挨拶すると、
「ゴルフになると、ちゃんと早起きするな」
と憎まれぐちを叩いた。
憎まれぐちを叩くのは、元気のいい証拠で、鶴井は、家族が三日後にマニラに着くことになっており、すでに独身寮を出て、ベル・エアの借家に移り住んでいる。
「私はいつだって、鶴井さんよりは早いですよ」
ゴルフになると早起きするのは、鶴井のほうではないか、とおもいながら、石山はいい返した。
ゴルフ・バッグをトランクに入れようとして、石山は、古いブルーのダッジが一台独身寮のあるエンカルナチョン通りに入ってくるのに気がついた。エンカルナチョン通りは独身寮に向って、半月形に湾曲しているので展望がきくのだが、あのシーラカンス、朝っぱらからなにをもたもたしているんだと石山はおもった。
一九五〇年代末から六〇年代にかけてのダッジは、歯をむいたようなフロント・グリルといい、突きでた目玉のようなライトや背びれの立っているようなごつごつしたシルエットといい、古代魚のシーラカンスをおもいおこさせるのである。通りを間違えたのか、シーラカンスは慌てたように、バックしていった。
オペルの後部座席に乗った石山は、
「しかし支店長、今日もノーエには休みをやったんですか」
と訊ねた。
ノーエは、支店長宅の私用運転手である。
「ワクワクのゴルフ場は、日曜の朝なら、家から十五分ですよ。きみたちを拾ったって、二十分もありゃあ、着いてしまうよ。そんな|近ま《ヽヽ》にでかけるのに、なにもノーエを働かせることはないんじゃないの。ノーエはカトリックの教義を守って避妊措置を講じないものだから、子どもがえらい多いんだ。彼、日曜にはその子どもたちを教会に連れてゆく大仕事をかかえているんでね」
相変らずの小寺流であった。
「どうも支店長は、浪花節ですな。ノーエに渡す給料には、日曜に働く分も含まれているんですよ。ここは現地の習慣に従って、日曜も厳しく働かさにゃあいかんのじゃないですか、ほかの日本人駐在員が迷惑しますよ」
鶴井が、いった。
「鶴井君も、だいぶ元気が戻ったな。商売の見通しがついたせいかね、それともご家族が、もうすぐ着くせいかね」
小寺がまぜかえして、三人は笑った。
ハイウェイ54に出て、車はケソン市の方向に向ったが、石山は何気なく車の後方を振り向いて、古いブルーのダッジが一台、すぐうしろを走っているのに気がついた。今日は、シーラカンスをよく見る日だな、と石山はおもった。
ハイウェイ54を外れて、ワクワクのゴルフ場のほうにまがると、ダッジはオペルを追い越してそのまま走り去り、石山は、この車のことなど、すぐに忘れてしまった。
ホベンチーノがメンバーになっているワクワク・ゴルフ・アンド・カントリー・クラブは、EAST、WEST、それぞれ十八ホールあって、アジア・サーキットその他の公式トーナメントが行われる名門ゴルフ場である。
朝六時から九時まで、早朝ゴルフを楽しむひとも多く、すでにクラブ・ハウスの周辺は相当の賑わいであった。
三人は、農家ふうの二階建てのクラブ・ハウスに入り、一階のコーヒー・ラウンジのようなテラスに行った。朝食が取れるようになっている、吹き抜けのテラスで、眼の前がパッティング・グリーンになっている。
「昨夜、麻雀で結構遅くなったからね、先刻私が出てくるとき、百合子のやつは、白河夜船だったよ。たまに頭を使うと、疲れるんだろうね」
と小寺は、笑って、朝食を注文した。
元気の戻った鶴井は、朝食もそこそこにテラスを飛びだして行って、前のパッティング・グリーンで、パットの練習を始めた。
「石山君、ちょうどいい機会だから、話しておきたいんだけどね、私は、昨日、MMCでドクター・アランフェスと会って、きみとレオノールさんのことを相談したんだよ」
小寺は、コーヒーを飲みながら、いった。
「お母さんも、このままの状態で、結論も出さずに日本に帰るのは、おいやだろうとおもってね」
石山は、膝に両手を置いて、
「どうもご心配をかけます」
と頭を下げた。
「会って話をしてみると、ドクターのほうはかなり軟化していてね、自分自身、今後もアメリカの大学や病院とマニラのMMCを往ったりきたりして暮してゆくつもりだから、娘がどこの国の人間と結婚してもかまわないという心境に変りつつある、というんだよ」
小寺は、パットの練習場に眼をやりながら、いった。
「もう少し突っこんで、ドクターと話してみるとね、レオノールさんがきみと駆け落ちして、日本なりアメリカなりで、勝手に結婚式を挙げてしまいはしないか、と心配しているようなんだな。きみのお母さんが、フォルベス・パークの家を訪ねたとき、アランフェス夫人が言を左右にして、挨拶に出てこなかったんだろう。あれ以来、レオノールさんは、両親といっさい口をきかないらしい。おまけにこのあいだ、自動車のディーラーのところにひとりで出かけて、ムスタングを売りたいが、いくらで引きとってくれるか、と問い合わせたりしてる、というんだ。こういう情報が入って、これはいかん、うちの娘は駆け落ちの資金を作ろうとしてるらしい、とドクターも青くなって、軟化したらしいんだな」
その後、レオノールとは電話で話したきりで、ゆっくり会っていないから、この話は初耳で、石山は「へえ」と驚いた。
「こうなってくると、石山君、きみももはや後には引けないんじゃないかな」
小寺は、コーヒー茶碗を手にしたまま石山をみた。
「とにかくここまでレオノールさんをひっぱってきた以上、その責任はとらないとまずいぞ。ラワンをいつまでも海に浮かして放り投げておくのとおなじでね、国際的に責任を問われるぞ」
最後は冗談めかしたが、生真面目な表情であった。
「もう一度、お母さんにレオノールさんを引き合わせて、ゆっくり話をさせたらいいんじゃないか。それからきみ自身も、レオノールさんの両親に、もう一度会いにゆく。それで駄目なら強行ってことも考えざるを得ないかもしれんな」
「はあ、考えてみます」
と石山は答えたが、気分が重かった。
今日は、フランクが終日あちこち買物に連れ歩いてくれることになっているが、咲子はあれからレオノールについてひとことも触れようとしない。レオノールと会うことなど、とても承知しそうにない雰囲気である。
──おふくろ愛用の「熊の胆《い》」でも呑んどきゃよかった。
石山は、早くも胃が痛いような気分になってそう考えた。
「オハヨウゴザイマス」
妙なアクセントの日本語が聞えて、ホベンチーノが、食卓の椅子を引いて、すわった。
「ひと汗、かいてきましたよ」
ホベンチーノは、早々と三十分ほど練習してきたのだそうで、これも鶴井同様、えらく元気がよかった。
ワクワク・ゴルフ・アンド・カントリー・クラブは、マニラ近郊の他のゴルフ・クラブと比較して、全般的に距離が長く、おまけに百八十ヤードから二百ヤード付近に大小の池や、コースを横切る溝《デイツチ》が多くて、難しいコースである。ティー・ショットを確実に二百ヤード以上飛ばせる者でないと、ドライバーを使うのはかなり危険で、アイアンで刻んでゆく手を取る方が無難なコースなのであった。
ゴルフも、他のスポーツ同様、精神的な要素がおおきく影響する競技だが、石山と腕前互角のホベンチーノは、商売の見通しが明るいせいか、景気よくドライバーを飛ばし、難なく二番、五番の溝《デイツチ》を越していったのに対し、石山は、小寺の勧告に動揺して、ショットが不正確で、続けざまにボールを溝《デイツチ》におとした。
「石山君、今日は浮世の苦労はきれいさっぱり忘れて、おおらかにゆこうぜ」
小寺が激励してくれるのだが、いつもはハーフ、四十そこそこでまとめる筈のゴルフが、いつまで経っても、格好がつかない。
「石山君は、検木のときもよく水に落ちるそうだけど、よほど水が好きなんだね」
上機嫌の鶴井がひやかす。
五番のグリーンの傍に小屋があり、そこでひと息入れた石山は、
「グラマン飲んで頑張るぞ」
と寒天や缶詰の果物が底に沈んだ、みつ豆の上澄みのような砂糖きびの糖液を飲んだが、もうひとつ勘が戻らない。
バンカーに入れた挙句、小寺に、
「石山君、今、三つ叩いたの、見てなかったよ」
とからかわれ、九番では、コース真中の、池のようにおおきい溝《デイツチ》にみごとに放りこんで、結局五十を切れなかった。インでは、多少持ち直したものの、百を切るのがようやく、という、石山にしては散々の結果であった。
一番スコアのよかったのはホベンチーノで、小寺、鶴井もアイアンで刻んで、それなりにスコアをまとめた。
早い昼めしを今度は冷房のよくきいた、二階のダイニング・ルームに行って、四人で食ったが、スコアのよかったホベンチーノは「今日は愉快だ」を連発しては、サン・ミゲルを景気よくあおり、
「小寺さん、今度の商売を通じて、われわれ華僑の存在理由をご理解いただけたですか」
そう話しかける。
「いや、理解したどころじゃないですよ。あなたが引き受けてくれなかったら、そもそも今度の商売は成立しなかったんだ。感謝してますよ」
小寺は、ビールのグラスをあげてみせ、
「それにしてもリアンガ辺でなにか工場でもやれんものですかな」
と真面目な顔をしていった。
「あの辺の貧困はみておられんですよ。罪の意識に捉われてどうにもならん」
このとき、小寺が垣間見せた一瞬の表情は、石山の記憶にながく残ることになる。
「製材工場ならいけるんじゃないですか。しかしそうなると、鶴井さんも石山さんも、一年じゅう、あのリアンガ・キチンの魚の塩焼きを食わなきゃならんぞ。こんなうまいめしとは、おさらばだぞ」
ホベンチーノが大目玉をむいていい、一同、どっと笑ったものであった。
笑いがおさまったあと小寺は、真顔に戻って、
「製材工場の話はぜひ実現させたいものですな。チャンさん」
改めてそう提案した。
「さっそく検討してみましょう」
ホベンチーノは、わかったという意味で、小寺に向ってグラスをあげてみせた。
ホベンチーノと別れ、三人が小寺のオペル・レコードに乗ってゴルフ場を出たのは、午後一時過ぎである。
往路と違って、小寺の右横の助手席に石山がすわり、小寺の真うしろの座席に鶴井がすわった。
「うちに寄って、日本茶でも飲んでゆかないかね」
と小寺が誘い、ふたりはその誘いに従うことになった。
ベル・エアの住宅街の近くまで戻ってきて、ハイウェイ54から、シェルのガソリン・スタンドの角をブエンディア通りのほうにまがったとき、車の左手に突然、ブルーのダッジが現われた。接触を避けようとする小寺がスピードをゆるめると、ダッジはそのままオペルのわきを、するすると抜けて、左前方に位置を占めた。
「なんだ、あの連中は」
小寺の声に、石山がそちらをみると、いろの黒い長髪の男がふたり、ダッジの助手席と後部座席の窓をいっぱいに開け放って、こちらを指さしている。
助手席の黒い顔がにやりと笑い、石山は一瞬、だれか知り合いかと考えた。黒い顔は長い髪を振るようにして、なにごとか叫び、車内にひっこみ、ふいに窓から黒く光る筒が二本、こちらに向って突きだされてきた。
「あっ、銃《ガン》じゃないか」
石山が叫ぶと同時に、小寺の前のフロント・グラスに花の蕾をぶちまけたようなぐあいに、ぱぱっと穴がいくつも開いた。
次の瞬間、大音響とともにフロント・グラスが吹雪のように砕け散り、ガラスの破片が石山の顔や躰にふりかかってきた。同時に銃声の連続音が響き、銃弾が、風を切って車内に突き刺さってきた。
石山は無意識のうちに、身をかがめたが、視野の端で、小寺が呻き声とともに躰を海老のようにまげ、ハンドルのうえに突っ伏すのがみえた。コントロールを失った車は、おおきく右にハンドルを取られ、スピードをあげて、何度もバウンドしながら、歩道に乗りあげた。小寺が撃たれた衝撃でアクセルを踏みこんだのである。
フロント・グラスの四散した、左前方では、いろの黒い男がふたり、長髪をふり乱し、自動小銃らしい火器を上下に振って、ダッジのなかから連射してくる。連射音の合間に、後部座席で鶴井が、悲鳴をあげるのが聞えた。
スピードのついた車は、そのまま歩道の並木に突き当り、衝撃とともに止って、一瞬、あたりに文字どおり死の静寂が訪れた。フロント・グラスの破片をかぶったまま、ハンドルに突っ伏した小寺の口から、血か吐瀉物かが音をたててしたたり落ちていて、うすいグレイのズボンを茶褐色に染めあげてゆく。
石山は、夢中で車の右側のドアを開け、右手のベル・エア地区住宅街を囲む塀に向って突っ走った。叫び声があがると同時に、ドアの開閉する音がして、ダッジから男が跳びだしてくるらしく、再び激しい銃声が響いた。弾丸の行列が石山を追ってきて、塀の手前の草地に土煙りをあげた。
ベル・エア地区を囲む塀は、二メートル足らずだが、塀のうえに長さ数センチのビール壜の茶いろの破片が埋めこまれている。石山はこの塀に跳びつき、手にビール壜の破片が食いこんで、血が吹きだすのを他人ごとのように眺めながら、機械体操の要領でよじ登った。
昭和四十六年当時、塀の向う側は、ベル・エア住宅地区のジュピター通りになっている。
石山がジュピター通りに跳び降りると、追ってきた銃弾が塀のうえの棕櫚の木にあたって、おおきな葉が一枚ばさっと落ちてくるのが見えた。
なおも塀の裏側で響く銃声から遠い方へと石山は走った。走りながら気がついたのだが、白ズボンの左半身は血で真赤に染めあげられている。自分の血か小寺の血か判然としない。
──強盗の野郎、おれたちを襲ったって、金のあるわけはないじゃないか。
石山は一途に強盗の襲撃とおもいこみ、それからふいに救急車を呼ばなくてはいかん、小寺さんが死んでしまう、と考え、気が狂いそうな焦躁感に捉えられた。すぐ手近な家の邸内に飛びこみ、玄関のベルを激しく押した。
ドアを開けたメイドに向って、
「電話《テレホン》、|電話を貸して下さい《テレホン・プリーズ》」
と叫んだが、メイドは石山の血まみれの姿に驚いて、口を開けたまま呆然《ぼうぜん》と立っている。
娘が石山の後方をみつめているのでふりむくと、石山の走ってきたあとには、点々と血がしたたり落ちていた。その血のあとをたどりながら、ふとその先きの平家に見覚えのあることに気づいた。なんのことはない、石山は、小寺家の真向いにある家の玄関に立っているのであった。
「ソーリイ、ソーリイ」
石山はいい、そのままふらふらと小寺家の玄関に向った。
ベルを鳴らすと、そろそろ帰る頃と心待ちにしていたのだろう、百合子が玄関のドアを開けに出てきて、そのまま立ちすくんだ。目の前の石山の頭のてっぺんから、足の爪先きまで眺めて、かすれた声で叫んだ。
「まあ、どないしたん、石山さん、なにがあったの」
「撃たれたんです。支店長も鶴井さんもすぐそこで強盗に撃たれたんです。救急車と警察を呼んでくたさい」
「どこやの」
百合子が胸をあえがせて、訊く。
「塀の向うです」
百合子が、そのまま駆けだそうとするのを、石山は血だらけの両手を拡げて、制した。
「いけません。奥さん、危険です、危険なんです」
そう繰り返しながら、石山は玄関の大理石の床のうえにぺたりとすわりこんだ。
フランクは、事故現場に近いインターコンチネンタル・ホテルのコーヒー・ショップの「ジプニー」で、石山の母親と簡単な食事をしていた。午前中、咲子のショッピングの世話をして、ホテルに帰りついたところであった。
そこにパシータから電話が入って、事件の発生を知った。
食卓にもどったフランクは、咲子に向って、
「ゴルフに行った支店長の一行が、襲われたらしいです。石山君は無事のようですから、お母さんは心配しないで、部屋で待ってていただけませんか」
いいおいて、勘定場に札を置き、ホテルの前の駐車場に、全速力で走った。
事故現場に駆けつけてみると、赤字でAMBULANCEと腹に書いた、白い救急車が、入れ違いに人垣をふたつに割って現場を離れてゆく。
「だれを運んでいったんだ」
車を跳び降りて、野次馬の整理にあたっている警官に訊ねると、
「若い日本人だよ、足を滅茶滅茶に撃たれてるよ」
という。
「年取ったほうの日本人はどうした」
フランクが、たたみこむと、そのふとった警官は人垣を指差して、
「あそこのなかにいるよ」
といい、気の毒そうに首を振った。
「死人は、救急車じゃ運べんからな」
──支店長、あなた、死んじゃったんですか。ほんとうに死んじゃったんですか。
フランクは、夢中で野次馬の人垣を掻きわけて、その内側にでた。
ほぼ完全にフロント・グラスが四散し、透き通しになった車のなかで、小寺は、ハンドルの真んなかに頭を突っこむようにして、突っ伏していた。
近づいてみると、眉間に何発か銃弾を受けたらしく、突っ伏した頭の後が割れて、脳漿が座席を汚していた。隣席の石山を気づかったのか、右手が隣席の背にのっている。
──だから用心しろ、と私が申しあげたじゃないですか。
いいようのない感情に衝き動かされて、フランクは、木に激突したまま、かすかに白煙をあげている赤いオペルの車体をこぶしで何度も叩きつづけた。
小寺和男の遺体は、MMC、マカティ・メディカル・センターの死体置場に運びこまれ、直ちにマカティ警察の検死、解剖が始まった。
小寺は、頭部に二発、胸部に一発、ベトナム戦線で北ベトナム側が使用したソ連製AK47型自動小銃の弾丸を受け、即死の状態であった。
現場に駆けつけた救急車で、おなじMMCに運びこまれた鶴井は、左側上方から射ちこまれたために、腹部と左足に十数発の銃弾を浴び、重傷であった。
レオノールの父親、アランフェス医師が、執刀し、鶴井の手術を行って、盲管銃創の弾丸や弾丸の破片を取りだしたが、生命はとり止めるものの、左足を切断せざるを得まい、という所見であった。アランフェス医師は、記者会見の席上、一発の弾丸をみせて、これが鶴井の左ポケットの小銭入れに入っていたこと、フィリッピンの小銭が、彼の男性機能を守ったことを生真面目な顔で報告した。
石山は、小寺の家から、救急車を呼んで貰って、これもMMCに入ったのだが、左の額に銃弾の擦過傷、左の腕の上膊部をえぐられ、両手にベル・エアの塀を越えた際にビールびんの破片で受けた切り傷を負っていた。
鴻田貿易マニラ支店の全社員、駐在員、現地社員の双方が、MMCに急遽召集され、ナンバー・スリー格の支店次長、紙屋の指揮で、東京への連絡、警察への出頭、新聞記者との応対、鶴井の手術への立ち会い、MMC五階の鶴井と石山の病室の警備、見舞いの受付け等々の仕事を分担することになった。
フランクは、次長の紙屋と一緒に検死に立ち会ったのち、夕刻警察に出頭し、事情を聴取されたが、マカティ警察の殺人担当官は、紙屋に鴻田貿易の規模、主たる取引き先きなどを英語で訊いたのち、突然タガログ語に切りかえて、
「ホベンチーノ・チャンとあんたの会社とはどういう関係かね」
とフランクに訊ねた。
石山が警察にその日の行動を説明した際に、ホベンチーノとゴルフをし、その後昼食をともにしたと述べたので、警察は、ホベンチーノを重要容疑者のリストに入れているのであった。
「小寺さんとホベンチーノは、大変親しい友人だったんですよ。ホベンチーノが、小寺さんを殺す理由はなにもないんです」
「ほんとうかね。ホベンチーノ・チャンは、日本商社との商売を打ちきって、ほかの国の商社、たとえばシンガポールや香港の華僑と商売したかったんじゃないのかね」
油で黒髪を光らせた係官は、狭い額に横じわを寄せて、追及してくる。
「犯人は別の男だ、と私はおもいますね」
フランクはそういって、止むなくシスター・エメリイから聞いたトンドの男たちの話をしたが、係官は、ボールペンで厚い唇を叩いてなにもいわない。
シスター・エメリイから聞いた話は、ひとりとして特定の名前を含んでおらず、初めて聞く人間には説得力を欠いているのである。
フランクは、ロイヤル・ホテルのシーチャンコの隣りの部屋で、ロケを見かけた話もしようとおもったが、こちらも、警察で説明する話としては、えらく漠然としていて、自信が持てない。
「とにかくだな、ミスタ・オデラが、今朝、あのゴルフ場にゆくのを知っていた人間は、それもフィリッピン人は、僅か三人しかいないんだぞ。秘書のフェイ・スワコとホベンチーノ・チャン、それにおまえの三人きりなんだ」
係官は、ボールペンをフランクに突きつけていった。
「とにかく、チャンには今夜にでもきて貰って、たっぷり聞きだすからな」
係官は、そう凄味をきかせた。
紙屋と一緒にMMCに帰り、連絡事務所《リエゾン・オフイス》に当てられた病室に入ってゆくと、非鉄の赤川が、
「フランク君、弱ったよ」
と声をかけてきた。
「一階の遺体安置所のボスがね、遺体はお葬式までに渡せばいいんだろうっていうんだな。日本の風習では、一刻も早く遺体を家族に見せなくてはいかんし、お通夜もやらなくてはいかんのだ。早くきれいにして、受け取らせて欲しいと頼んだんだが、問題にしてくれないんだ。なんとか、きみ、話をつけてくれないか」
日本、フィリッピン双方の事情に通じ、日本語、英語、タガログ語をほぼ同程度に話すフランクは、今や、鴻田マニラ支店の駐在員たちにとって何ものにもかえがたい存在と化しつつあった。
一階に降りてゆき、救急病棟とは反対側の右側の棟に通じた、病棟とは打って変って愛想のない廊下を通って、左手の一室に、遺体安置所のボスを訪ねた。
「明日の朝までに、遺体をきれいにして、自宅のほうに引きとらせて貰えないかね」
フランクが切りだすと、小部屋の木製のデスクにすわっていた男は、驚いて椅子から立ちあがった。
「明日の朝だと。いいか、あのひとは解剖されたんだぞ。解剖されたということは、処置後に、解剖台のうえで、躰のなかを徹底的に水洗いされたということなんだ。水がいっぱい躰のなかに残っててな、そんなものうっかり引き渡したら、棺のなかが水だらけよ。いや、家じゅうに水があふれちまうよ」
赤川が散々交渉したあと、またフランクがやってきたので、相手の男は、日本人の執拗さに腹を立てたらしく、顔を赤くして、まくしたてた。
「あんたがた、なんで死人の躰のことで大騒ぎするんだ。ありゃあ、霊魂の脱けがらだぞ。病院のえらい先生がいってたが、英語で死体のことをリメインズっていうのは、つまり霊魂が天国に行っちまったあとの残り物って意味だそうじゃないか。そんな残り物をなんで、大事にするんだ。あんたがたは、死んでも天国にゆかないのかね」
男の罵倒を聞きながら、悲哀の感情が、冷たい水のようにフランクの胸に染み入ってきた。
──支店長、あなたは、いつの間に残り物と罵られるような、情ないことになってしまったんですか。この土地に天国しかないとすれば、仏教徒のあなたは、いったい、どこにおられるんです。どこに行ってしまわれたんです。
仏教とカトリックの狭間に生きるフランクが、折に触れて味わう、これは悲哀だったが、今度ほどその矛盾がおおきく口を開いたことはなかった。幽明の境で困惑したように額を撫でてたたずむ小寺の姿が眼前にうかびあがってきて、フランクはおもわず嗚咽を洩らしそうになった。
辛うじて気を取り直し、財布をズボンのポケットからとりだして、木製の机に全部、ぶちまけた。
遺体安置所の男は、呆れて机に散らばった金を眺めていたが、
「いいよ。明日の午前中になんとか格好をつけるさ」
といった。
「躰のなかまで乾かさなきゃならねえんだから楽じゃないぜ。おまけに頭の皮も縫わなきゃならねえしな」
男はそういって、乱暴に木の椅子にすわった。
フランクは「すまんな」と礼をいい、コンクリートを打ちっ放しにした、無愛想な廊下に出た。
その足で再びマカティ警察にゆき、遺体を小寺の自宅に持ちこませて欲しいと頼んだ。
大多数のカトリック教国においては、自宅の外で死亡した遺体を自宅に持ちこむことを法的に許可していない。病院で死亡した場合も、遺体は遺体安置所か教会へ直行してしまう。通夜の習慣は、存在しないのである。
「法律的には、特別許可を取りつけなくちゃいかん」
係の警察官は、難しい顔をしていう。
「それとな、遺体を自宅に持ち帰って、日本人が大勢集まったりすると、またやつらに襲われるかもしらんぞ。怨恨の根はだいぶ深いようだからな」
マカティ警察は、初めから強盗説は問題にせず、商取引き上の怨恨が原因と解釈していた。百合子たち家族や家の使用人に対してはついになんの取り調べも行わなかったのである。
石山は、救急車でMMCに収容され、額と腕、両手の傷の手当てをして貰ったのち、警察の事情聴取を受けた。
「ゴルフ場に出入りの際、ふだんと変ったことはなかったか」「ホベンチーノ・チャンの態度はどうだったか」「チャンとミスタ・オデラが、口喧嘩なりしてやり合うようなことはなかったか」そんな質問を立て続けに受けたのち、帰路の襲撃当時の状況を述べるように要請された。鶴井が重傷を負って取調べに応じられないためもあって、警察の聴取は詳細をきわめた。
石山は、痛みをこらえながら、気持を張りつめて、その質問のいちいちに答えたが、依然として、この襲撃は強盗事件だと頭から信じこんでいた。
最近ガムット湾に出かけておらず、現地の空気を知らないこともあるけれども、なによりも小寺の性格を知悉しており、あの敬愛すべき人物が、他人から慕われこそすれ、恨みを買う筈がない、と頭からきめこんでいたのである。
事情聴取の終りに、
「小寺さんの容態はどうですか」
と訊ねると、係官は一瞬黙って、首を振り、
「即死だよ。フィリッピン人の商売仲間の恨みを買って、殺されたんだな」
と素気なく答えた。
この言葉が、石山の頭を強打したぐあいになり、石山は惑乱した。それでも駆けつけてきた次長の紙屋や赤川に助けられて、記者会見に出席し、一応の質問には答えたものの、その後は舌が動かず、口がきけなくなった。
五階の病室に入り、入院服に着替え、ベッドに横たわる彼を、鴻田の日本人、フィリッピン人の社員が腫れ物に触るぐあいに見下している。むろんその顔のひとつひとつは識別できるのだが、言葉がでてこない。
一年半ほどまえ、マニラにきて直後、ウエルカム・ボウェルを患って入院したときとおなじに、壁紙に描かれたはなやかな熱帯の花が、ゆっくりと眼前をまわっている感じで、想念が形にならない。口をひらくと、とんでもない場違いの言葉が口から飛びだしてきそうであった。石山は仕様ことなく、ベッドに横たわったまま、口もとに弱々しい微笑をうかべて、人の話に黙って頷いていた。
そんな石山の自失した状態を打ち破ったのは、母親の咲子である。
「石山君のお母さんがお見えだ」
そんな囁きが病室内にひろがり、赤川の細君に案内されて、母親の咲子が姿を現わした。
咲子は、ベッドの前にくると、ふところ手をして、立ちはだかる感じで、いきなり、
「この|すっとこどっこい《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》、ぬくぬくと寝台《ヽヽ》なんかに寝そべっちまって、なにしてんだい」
甲高い声でそう怒鳴った。
明らかに|はた眼《ヽヽヽ》を意識しての、叱責である。
「おまえ、鴻田の皆さんにちゃんとお詫びしたんだろうね。日頃あんなにお世話になってる支店長さんのお側についてながら、おまえは、ぼんやり、鉄砲撃たれるまんまになってたって話じゃないか。鉄砲撃たれたら、親代りの、大事な支店長、放りだして、いの一番に自動車から逃げだしたってじゃないか」
次長の紙屋が、「お母さん、まあまあ」と咲子の袖をひっぱったが、咲子は聞く耳を持たず、真赤な顔をしていきり立った。
「だいたい若造のおまえが、なんで自動車を運転しなかったんだい。支店長さんに運転させて、おまえが助手席でぬくぬくと踏んぞり返っているから、こういうことになるんだ。どうしてゴルフ場で、支店長、私が運転しますといわなかったんだろうね。そんな筋違いの息子を育てた覚えは、あたしゃ、ありませんよ」
下町気質が顔をだした感じで、母親は猛烈な勢いでまくしたてた。
──おれが運転していれば、おれが殺され、支店長は今のおれとおなじ軽傷ですんだのではないか。
あとから考えれば、あり得ない想定であったが、そのとき、咲子の言葉につられて、石山は、そう考えた。同時に涙が噴きこぼれるように両眼にあふれてきた。
「あたしゃ、助手台にすわって、おめおめと生き残ったおまえなんか、みたくなかったね。ああ、恥かしい。なんだい、恩人、置き去りにして、すたこら逃げだしやがって、それでも男かい。股の間になにぶら下げてるんだ」
息子の涙につりこまれて、声が震えたり、嗄れたりしながら、咲子はそういいつのった。
「お母さん、だれだって、あのひとを守りたい、とおもうよ。だけどほんの一、二分の出来事で、どうにもならなかったんだ。おれだって、自分が情ないよ」
石山はベッドのうえでそれだけいうと、繃帯をまいた腕で顔をおおい、号泣した。
咲子は、ハンカチで洟をかみながら、
「皆さん、ぼんくら息子を持ちまして、お役にも立てなくて、申しわけございません」
裏声のような、低い、ふとい声になって鴻田の社員たちに頭を下げた。病室のあちこちで貰い泣きをする声が、号泣する石山の耳に入った。
「皆さん、この子の面倒は私がみますので、お引きとりください。この子は大丈夫ですよ。ひとしきり、涙流しゃあ、落ち着くんです」
洟をすすりすすり、咲子は、石山が幼年時代に聞いたことがあるような言葉を繰り返していた。
夜に入ってから、石山は近くの病室の唸り声になやまされた。おなじ五階のどこからか、獣の咆哮《ほうこう》に似た、絶叫とも悲鳴ともつかぬ声が聞えてくる。
「あの唸り声はなんだろう。ずいぶんひどい病人がいるみたいだね」
少し気分の落ち着いた石山は、咲子に訊ねた。
咲子は、部屋の一隅にあるソファの下から、備えつけの簡易ベッドを引きだして、そのうえに着物を着たまま、横になっている。
「鶴井さんってひとだよ。足を滅茶苦茶に撃たれて、神経がずたずたになっちまったんだ。麻酔なんか、いくら打ったって、きかないんだってよ。歯の神経をちょっと傷めたって、ずいぶん痛いのに、足全体ときちゃ、えらいこったろうね」
母親はそういって、躰を起した。
「鶴井さんと比べたら、おまえの傷なんか怪我のうちに入らないんだからね、気持が少し落ち着いたところで、お見舞いにいっておいで」
石山は、母親と病室の表に立っていたガードマン、それに現地社員のひとりに付き添われて、五室ほど離れた鶴井の病室を見舞った。
再襲撃を恐れる警察の指示で、石山の病室にも、鶴井の病室にもガードマンと鴻田の現地社員が、ピストルを携帯して、不寝番を勤めていた。
鶴井の絶叫は、部屋に近づくにつれて、すさまじくなり、ガードマンがドアを開けた途端に、平手打ちのように石山の耳を襲ってきた。
鶴井は激痛のために、ベッドのうえで文字どおり、のたうちまわっており、石山の友人、藤田を初め、数人の若い社員たちが、必死になって、ばたばたとベッドを叩く鶴井の手足をおさえこんでいた。
石山がベッドに近づくと、白眼を剥いたような感じの眼で、
「殺してくれ」
と鶴井は叫んだ。
それでも石山の顔を見わける余裕が、僅かに残っていたらしく、汗まみれの顔を左右に振りたてながら、
「石山君、殺してくれ、痛くて我慢できないんだ。支店長のように殺してくれ」
そう叫び、起きあがろうとする。
「もう我慢できない。その窓から、おれは飛び降りる。飛び降りさせてくれ」
藤田が、これも額に汗の玉をぶら下げて、力を振りしぼり、鶴井の躰をベッドに抑えこもうとしている。
とても見舞いどころではなく、耳をふさぎたいおもいで、石山は自分の病室に戻った。
鶴井の唸り声を聞きながら、それでもうつらうつらして、ふと気がつくと、入口に女の影が立っている。仮眠ベッドの咲子も起きあがって、そちらを眺めている。
見覚えのある、彫りの深い顔が、半面にスタンドの光を受けて浮きあがっていた。
「タカ、アー・ユー・オール・ライト?」
こわごわという様子で、レオノールは、石山に声をかけてきた。
「ああ、おれは大丈夫だよ」
レオノールは小走りに駆け寄ってくると、床にひざまずき、石山の顔を覗きこんだ。傷のぐあいに眼を素早く走らせてから、両腕を首にまわして、抱きついてきた。
「タカ、あなたは助かったのね、あなたは、殺されずにすんだのね」
うわごとのように呟き、激しく口を吸ってきた。レオノールの流す涙が石山の頬を濡らし、なつかしい香料と体臭が一時に鼻にきて、石山は、事件後、おれがもとめていたのは、そこに突っ立って、こちらを睨んでいる母親なんかじゃなく、この温かく柔らかい存在だったのだ、自分の考えの身勝手さにも気づかず、そうおもった。
「こりゃ、どうにもならないね。おまかせだね。こちとら退散だ」
咲子は起きあがって、身仕舞いをしていた。
「この場はこの娘《こ》に任すことにして、あたしは、どっかの病室に避難するよ」
そういって、咲子は部屋を出て行った。
レオノールは、その後も石山をしとどに涙で濡らしながら、首にまわした腕を放さなかったが、ぽつりぽつりと囁いたところによると、今夜は病院に泊りこんで、鶴井の容態を見守っている、アランフェス医師が、夜になって、レオノールに電話を入れてきて、「散々迷ったが、どうせ明日は新聞に出てしまうことだから」と前置きをして、事件のあらましを彼女に知らせ、石山を見舞うように、勧めてくれたのだ、という。
「それにしても、ミスタ・オデラみたいな、あんな紳士をだれが襲ったのかしら」
少し落ち着いたレオノールは、床に膝をついたまま、そう呟いた。
「父の話ではね、マカティ警察は、一緒にゴルフをやった、ミスタ・チャンというひとを疑っているんだそうよ」
「チャンさんじゃないよ。とんでもない話だよ」
石山は、レオノールのほうに向き直り、ベッドに肘をついて、いった。
「あのひとは立派なひとだ。そんなことをするひとじゃない」
「そうなの」
レオノールは頷いてみせたが、あまり信じていない表情であった。
「だいたい、ゴルフ場で食事したあと、その帰り道にひとを襲うなんてことのできる性格じゃないんだよ」
しかしこの言葉は、石山の単純な印象論なのであって、第三者には一向に信じて貰えそうになかった。ゴルフに誘いだして、なに食わぬ顔で食事をし、その帰路を、あらかじめ雇っておいた殺人稼業の男たちに襲わせる、という筋書きのほうが、この国ではよほどありふれていて、信用して貰える。
「タカがチャンさんが犯人じゃない、というのなら、もっと証拠になるような事実をあげなくてはだめよ。たとえば、だれかの車に尾《つ》けられていた、とか、そういうことよ」
そこで、石山はあっとおもった。
あの朝、エンカルナチョン通りやハイウェイ54で、しばしば、シーラカンスのようなブルーのダッジを見かけたが、あれは小寺を尾行していたのではないか。いや、そうに違いない。
「そうか、おれたちは朝から、あのブルーのダッジにあとを尾けられていたんだ」
石山は、はね起きて、レオノールの両肩をつかみ、二度にわたってダッジをみかけたことを説明した。
「レオノール、きみ、フランクさんに会ったことがあるだろう。彼を探しだして、このことを話しておいてくれ」
「彼、先刻、一階の遺体安置所のほうに歩いて行った。早速、話してくるわ」
レオノールは立ちあがった。
「きみ、遺体安置所へひとりでゆけるのか」
レオノールは、にやりと笑って、
「これでも、私は医学生なのよ」
といった。
レオノールが出てゆくと、鶴井の唸り声がまた、石山の耳に迫ってきた。
フランクの奔走により、小寺の遺体をベル・エアの自宅に運びこむことが警察にみとめられた。フランクはさらに小寺家の大家とも交渉をして、許可を取った。
こうして葬儀の日取りがきまり、翌十一月二十二日午後八時から通夜、二十四日午前十一時から、ロヨラ・メモリアル葬儀場にて本葬と葬儀の日取りがきまった。二十二日には鴻田本社の浦戸海外人事部長、河野木材部長、おなじ系列の鴻田食品専務をしている小寺の実兄、鶴井の細君、荒川ベニヤの与田などが続々とマニラに駆けつけてきた。
小寺百合子が鴻田の社員たちから夫の死を知らされたのは、惨劇の起った六時間後の午後七時過ぎである。
MMCに集合した鴻田の社員たちは、警察の事情聴取、アランフェスを長とするMMC医師団との交渉、新聞記者との応接に追われて、肝心の小寺一家への連絡にゆくことができなかった。むろん電話一本で連絡できるような性質のことではない。
百合子は事件現場に赴こうとして、石山に危険だからと制せられ、次いで駆けつけた社員の細君たちに押し止められた。まだ強盗集団がうろついている危険があったためである。
詰めかけた駐在員夫人たちに囲まれて、百合子は、小寺の生存を願いつつ連絡を待っていたのだが、午後二時過ぎ、ベル・エア住宅区のゲートのガードマンがやってきて、百合子に面会をもとめ、
「オペル・レコードの運転手は、死んだよ」
といういいかたをした。
サラ・ルームに戻った百合子は、衝撃のあまり、一言も発せず、両手でハンカチを握りしめていた。
さらに、午後三時過ぎには、事件の報道が東京に伝わったらしく、本社の海外人事部や小寺の実家から、小寺死亡の事実を確かめる電話が入り始めた。
「どないしよう、ほんまに夢やないのかな」
百合子は、部下の細君たちが電話に応答する声を聞いてそう呟いた。
午後七時過ぎに、ようやく支店次長の紙屋を初め重立った社員たちが、沈痛な表情で姿を現わし、改めて小寺の死を百合子に告げた。ここで初めて、小寺の死はまぎれもない事実となった。
寂として声のないなかで、百合子は黙って頷き、ハンカチで眼を拭っていた。嗚咽を押えるせいか、ハンカチを持つ手が異様なほどおおきく震えていた。
百合子とふたりの息子が、奇しくもハイウェイ54に近い、ロヨラ・メモリアル葬儀場でやっと小寺の遺体に対面したのは、翌日の午後三時過ぎであった。
フランクがなんとか事件の翌朝早々には、一家を遺体に対面させたいものと考え、MMCの遺体安置所に夜っぴて通って、係員を急きたてたのだが、眉間の傷の処置に手間取ったこともあって時間がかかり、ロヨラ・メモリアル葬儀場に運びこまれたのが、午後の三時を過ぎてしまったのである。
小寺の遺体は、表に真鍮の飾りのついた、黒い棺の、白い繻子《しゆす》を張ったなかに、グレイの背広を着て横たわっていたが、処置のせいか、蝋人形のようで、生前の小寺を知る者には別人のように見えた。
背広はその日の朝、MMCに届け、背中を切って、遺体にまとわせたのである。
「ほんまにこれ、小寺? 信じられへんわ」
百合子の指がためらうように伸びて、小寺の頬を撫でると、耐えかねたように次男が泣きだした。長男の竜男は、感情を抑えるように、眼をおおきく見張って、父親の顔を眺めている。
小寺の遺体は、そのまま寝台車に乗せられて、アステロイド街の自宅に帰り、夫婦のベッドを取り払った、一階奥の寝室に安置された。
この部屋でゴルフ装束に着替えて、百合子を起すまいと足音をしのばせて出て行った小寺は、まる一日以上遅れて、やっと帰宅したのであった。
マルコス・フィリッピン大統領から、遺憾の意を表明する弔電が入ったのを皮切りに、続々と弔電が入り始め、日本大使館からは蝋燭、線香、数珠などが届けられた。
百合子が、東京から着いた浦戸、河野とならんで、続々と弔問に訪れる日本企業関係者に挨拶をしていると、荒川ベニヤの与田に案内されて、石山咲子がお悔みにやってきた。
百合子は、枕頭に蝋燭を立てた遺体の傍らで、靴を履いたまま頭を下げていたのだが、そのまえにやってきた咲子は、いきなり草履を脱いで、床に正座した。与田が持参したのだろう、ちゃんと喪服に着替えている。
咲子は床に両手を揃えて、深々と頭を下げ、
「うちの息子がお供をしていながら、支店長さまをお守りするどころか、助っ人の役にも立ちませんで、奥さまに合わせる顔がございません。どうぞお許しくださいまし」
そう詫びた。
後ろに付き添って、おなじように正座していた与田も、深々と頭を下げた。
「ずいぶん叱って、しっかり躾《しつ》けたつもりでございますが、肝心のときに化けの皮がはがれてしまいまして」
咲子の挨拶に真情がこもっていたので、気丈な百合子も顔をくしゃくしゃにして、洟をすすった。
咲子は、浦戸と河野の前にゆき、おなじような挨拶を繰り返した。
「お母さんにお詫びをしていただくいわれはなにもありませんよ。ご令息を危険な目に合わせて、心から申しわけなくおもっとります」
浦戸は、自分も床にすわりこんで、逆に咲子に詫びた。
夜の八時に通夜が始まり、駐フィリッピン日本大使の村辺が経を読んだ。
日本人の社員たちは「大使ともなると、読経の心得まであるのか」と感心したが、村辺は仏門の出身なのだそうであった。
翌々日の二十四日、午前九時に、マカティ警察の手配で、パトロール・カーと、二台の白バイ、じっさいはカーキいろの制服警官が乗った黒塗りのオートバイが到着、彼らがサイレンを鳴らして先導し、遺族はロヨラ・メモリアル葬儀場に向った。
遺体は前日にこの葬儀場に運んであり、遺体の前に祭壇が設けられ、小寺の写真が蘭、カーネーション、マーガレットなど、白、黄いろ、ピンクの花々に美しく囲まれて、飾られている。
会場の入口に、遺族と浦戸、河野を初め、社員一同が一列にならんで、会葬者たちを迎えた。日本大使と大使館員、各日本企業の代表と細君連、アマデオ・ミランダ夫婦、アランフェス医師、オノフレ・マーパとシソン・エルカルシオ、厳しい訊問を受けたのか、疲れ切った様子のボベンチーノ・チャンなどが次々と入ってくる。
日本人は日本から持参してきたのか、黒い喪服に黒のネクタイ姿が目立ったが、フィリッピン人はバロン・タガログや明るいいろの背広の胸に黒い長方形のバッジをつけ、腕に喪章を巻いている。黒いバッジはこの国の喪章で、近親の場合は、一年間着用するのである。
会葬者の最後に、シーチャンコとクエトオが姿を現わした。ふだんならシャツ姿で現われそうなふたりが、今日はきちんと背広を着てバッジをつけ、どこで探しだしてきたのか、日本流に黒いネクタイをお揃いで締めている。
今度の事件になんらかのかたちでアグサン木材が絡んでいるらしいことは、社員のだれもが、感づいていたから、社員たちの視線がふたりに集中した。
フランクやフェイ、アデールなどの社員たちが睨むようにみつめるなかで、しかしシーチャンコは、大袈裟に両手を拡げ、首を何度も振って「信じられません。悲しいことです。ミセス・オデラ」と繰り返す。クエトオは例によって、オペラ歌手がアンコールのときに見せるような、派手なお辞儀をした。
──この野郎、とぼけやがって。
激しい怒りがフランクの胸に沸きたった。掴みかかりたい衝動に手足が震えるのを辛うじて抑えた。
十一時から始まった弔いのミサは、小寺がカトリック信者でないこともあって、簡単に終ったが、シーチャンコとクエトオが再び社員の注視を浴びながら、会堂を出て行った直後、おもいがけない騒ぎが起った。
オノフレが、大声をあげて、本社からきた木材部長の河野に食ってかかったのである。
小寺の死にショックを受けたオノフレは揺れ動く感情の渦に巻きこまれているらしく、ミサの間もものすごい眼で、首を曲げたまま、花に囲まれた小寺の写真を睨むようにみつめていたが、帰路、会葬者を送りだす列の前で、突然足を止めた。
「今度の事件の下手人は、きさまだろう」
河野に人差し指を突きつけていった。
「きさまが、無茶苦茶な値下げをミスタ・オデラに押しつけるから、フィリッピン人の恨みを買って殺されたんだ」
河野は、青ざめて、一歩躰をひきながら、
「強盗《ロバリイ》なんだ。強盗《ロバリイ》がやったんですよ」
といった。
「彼は、ゴルフの帰りに強盗に襲われたんですよ」
「なんだと。強盗に殺されただと」
オノフレは、河野に体あたりを食らわせ、右手で喪服の黒ネクタイを締めあげた。首をまげ、自由のきかない左手がだらりと下ったままなのが、異常な迫力を添えた。
「きさまを殺してやる。おれの友だちを殺したきさまを、今度はおれが地獄に突きおとしてやる」
オノフレは、河野の首を振りまわし、河野の眼鏡が床に落ちた。
オノフレのすぐ後ろにならんでいたホベンチーノが驚いて、間に入り、オノフレの手を放させようともみ合った。シソンも飛んできて、オノフレを背後から抱きとめた。
「オノフレ、この事件はだれのせいでもないんだよ。これはアメリカのニクソンのせいだ、とあんた自身、いっていたじゃないか」
ホベンチーノは、警察の厳しい取調べを受けたりして、気弱になっていたのだろう、そこですでに真赤に染っている大目玉にまた涙をうかべた。
「他人をやたらに下手人呼ばわりするのは止せ。そんな真似は止してくれ」
涙がホベンチーノの頬を伝った。
「オノフレ、今日はおれの家にきてくれ。静かにミスタ・オデラのことを話そうや」
オノフレは、なおも河野を睨みつけながら、ようやく腕を放し、ホベンチーノに肩をかかえられて、会堂を出て行った。
お詫びのシソンが、この日もしきりに詫びをいって出て行ったあと、河野は黒ネクタイを締めなおし、社員が拾った眼鏡を受けとりながら、
「なんだ、あいつは。あれが得意先きに対する態度か。PITICOとの商売なんか、即日打ち切ってやる」
顔を赤くして怒った。
「これは強盗事件なんだ。日曜日に棒振り遊びに行って、運わるく、強盗に襲われた、ということなんだ」
河野は感情に駆られて、不用意にいい放った。
会葬客は帰って、社員しか残っていなかったが、異様な沈黙が落ちた。
「棒振り遊びですか。支店長は遊びにゆかれたんじゃありませんよ。商売の交際《つきあ》いでゴルフに行ったんだ」
フランクが気色ばんで、いい返した。
それをしおに、駐在員たちの怒りが爆発した。
「部長、これは重要なご発言ですよ。遊んでいる最中の事件ということになると、東京で社葬も行われなければ、労災補償の対象にもならないことになる。部長は、ほんとうに支店長が遊びに行ったとお考えですか」
「奥さんのまえで、不謹慎じゃないか。これは明らかに公務中の事故なんだ。奥さんの気持も考えずになんてことをいうんだ。本社木材部は、いったいなにを考えてるんですか」
「鴻田の信用をおとすような、えげつない商売しよって、まるで反省のいろがないじゃないか」
次長、課長クラスの駐在員たちが、血相を変えて河野に詰め寄った。
商社というのは、部が違えば、人事の交流もなく、他所の会社も同然、といった性格があるから、いざとなると、部長と平社員の関係など、あっさり吹っ飛んでしまう。他所の会社の部長に文句をいう感じになるのである。
「小寺さんのご霊前だぞ。静かにしたまえ」
浦戸が河野を守るように、一同の前に進みでた。
「私は、社長から全権を委任されて、ここにきている。今度の事件は、明らかに公務中の事故であって、会社の取り扱いは、すべてこの考えかたに拠ることになる。むろん労災補償の対象になるよう努力するし、労災に限らず、ご家族の今後については、鴻田貿易本社が全責任をもってお世話させていただく。小寺さんのご霊前で、この初代マニラ事務所長の浦戸が、はっきり諸君に約束をする」
おだやかな口調ながら、有無をいわせぬ、きびしい表情で、浦戸は全社員の顔を見まわした。
その日、小寺の遺体はマラカニアンの大統領府の傍にある、伝染病院内の火葬場で、八時間もかかって、荼毘《だび》に付され、日本から出張者たちが持参した骨壺に納められた。
翌二十五日には、社員の夫人連総出で、小寺家の日本引き揚げのための荷造りが、行われた。
二十六日、小寺百合子は、フランクと二、三の駐在員の細君に付き添われて、MMCを手初めに、関係先きへの挨拶まわりをした。
MMCに向う途中、百合子は、それまでにない明るい表情で、
「フランクさん、昨夜ね、小寺が夢枕に立たはってな、恥かしい話やけど、私を抱きしめてくれたんよ、おまえも大変やけど、頑張ってくれな、そういうてくれたんよ。それで、私、今朝、力湧いてきてね、これやったらお骨抱いて日本に帰っても、粗相せずにすみそうやね」
といった。
じっさい、その日の百合子は、じつにしっかりしていた。
初めに訪れた鶴井の病室では、顔と躰を繃帯に包まれた鶴井が、辛うじて半身を起し、黙って、涙を流すだけだったが、
「鶴井さんも、しっかりしてください。あんたのような有能なひとには、早う治って、会社のためにもう一度、働いて貰わんと、困るわ。治ったら、小寺の分まで、働いてね」
逆に励ます始末であった。
傍らに立っている藤田は、力ずくで、鶴井をベッドに捩じ伏せてきたので、病人以上に憔悴し、すっかり頬がこけてしまっていた。
石山のほうは、百合子をひと目見るなり、ベッドに正座し、両手をついたが、感情が激して口がきけない。
「石山さんも、近々、東京に帰らはることになるやろけど、帰ったら、今までみたいに家に遊びにきてね」
さ、約束して頂だいと百合子は、陽気な声で手を差しだしたが、石山はその手をぶるぶる震える両手で押しいただくように握り、暫く放さなかった。
「うちの|ぼんくら《ヽヽヽヽ》は、満足にご挨拶もできませんで」
付き添っていた咲子が謝ったが、咲子自身、声が嗄れて、そこまでいうのがようやくであった。部屋の隅では、与田がおおきなちり紙を取りだして、しきりに洟をかんでいた。
事件からちょうど一週間経った二十八日の日曜日、小寺一家は、百合子が遺骨箱を抱き、長男、竜男が写真、次男が白木の位牌を持って帰国の途に就いた。
さらに一週間後、石山も、MMCからパトカーに乗せられ、黒バイに守られて空港に直行、そのまま帰国した。警察は、犯人の顔を知っている石山が再度襲われはしないか、と恐れたのである。
鶴井は、その後、数カ月間MMCにとどまり、アランフェス医師から、以後七回にわたって大手術を受けた。その結果、奇跡的に左足を切断せずにすむことになった。
事故直前に、技術の高いアランフェス医師が、MMCの外科に復帰していた幸運が、彼の左足を躰に繋ぎ止めたのであった。
翌昭和四十七年春、鶴井もまた、MMCから警察に守られて空港の定期便の機体に直行、そのまま帰国した。
鶴井の帰国と前後して、レオノールが石山のあとを追い、日本にやってきた。
母親とは仲違いしたままで、空港に送りにきたのは父親だけだったというが、しかしよほど異国にゆくと決意した娘の身が心配だったのだろう、母親はある日、娘の部屋に顔をだして、
「レオノール、リタを日本に連れてってもいいよ」
といった。
一般大衆の海外渡航を厳しく制限しているフィリッピンなのだが、両親がどう手をまわしたのか、たちまちリタの渡航手続きも整い、結局、レオノールとしては、ありがた迷惑なことに、シャペロンを連れて、日本にやってくる破目になったのである。
昭和四十七年初めの東京では、マンションはまだ充分に普及していなかったが、咲子が方角がよいという、一の橋に新築のマンションがみつかり、そのふた部屋をぶち抜いて、石山はなんとか二人を収容することができた。
到着して早々に、石山とレオノールは、下町では有名な西神田の教会で婚約式を挙げ、そのあと、石山一家が戦前から懇意にしている、池之端の鶏料理屋で、ごく親しい親族に荒川ベニヤの与田を加えて、内祝いをやった。
与田は、咲子に「社長、乾杯をお願いしますよ」といわれて、
「あたしゃ、あんまり実情は知らねえが、この祝言は、亡くなった小寺さんのおかげでまとまったようなもんだろう。まあ、石山高広君も、小寺さんのおもいやりや、奔走に感謝して、レオノールさんを大事にしてあげてください」
いつになく生真面目な声で挨拶し、ビールのコップをあげた。
緊張して表情をかたくしていたレオノールに、与田は、「サン・ミゲル・グッド、バット・ディス・ビア・ベリイ・グッド」などと怪しげな英語でビールを勧め、咲子は咲子で、「ミス・レオノール、デラックスよ、デラックス」と大声でいう。
「お母さん、デラックスじゃない、リラックスだよ」
と石山が訂正した。
咲子は、マニラのMMCでの、息子に対するレオノールの献身的な看護ぶり、それに父親のアランフェス医師の鶴井や石山に対する昼夜を分たぬ面倒見のよさにすっかり参ってしまい、息子とレオノールの仲を許す気持になったのであった。
「しかし鴻田もさすが老舗だわな。小寺さんの奥さんに社宅を二軒払い下げたってえじゃないか。一軒を他人に貸して、その家賃のあがりで、今後生活してゆきなさいってこったろう。浦戸さんの鶴の一声だろうが、これは粋なはからいですよ」
与田は、鴻田本社のやりかたを賞めた。
「ところで、会社じゃ、わざと訊かねえようにしてるんだが、少しゃあ、気持は落ち着いたかい」
与田は石山に訊ねた。
石山は、鴻田貿易への出向を解かれて、荒川ベニヤに復職している。
「当座は、ショックで、めしが喉を通らなくて、体重が十キロ近く落ちましたよ。こっちへ戻って、かなり体重は戻ったけど、気持はまだすっきりしませんね」
──なぜ、あの小寺和男がフィリッピンの地で殺されねばならなかったのか。
小寺こそは「荒廃を招く嵐」からはもっとも遠い、「春の微風」を偲ばせる人物ではないのか。
ウィスキー・グラス片手にアダム・スミスを、ラッフルズを語る小寺にたえず接してきただけに石山は懊悩し、自責の念に捉われて、日本に帰ってきても人心地がつかない。
石山にとって、暗殺の対象とはもっとも遠いところにいる理想主義者、それが小寺であった。たとえ日本商社の全支店長が暗殺の対象になったとしても、ただひとり銃口を向けられずにすむ筈なのが小寺なのである。
「社長がいわれたように、レオノールと結婚するのが、小寺さんへの回向《えこう》のような気がしてきましてね」
石山の衝撃を真に理解し、胸の底から共鳴してくれるのは、レオノールを措いて、いないようにおもわれた。マッキンレイ・ロードで、タイヤをおとし困り果てていたときに、疾風のごとく出現したように、今こそ、レオノールは、石山の前に現われねばならない。
レオノールが次第に「永遠の女性」めいて見え始め、石山は一日千秋のおもいで、レオノールの到着を待ちわびたのであった。
「しかし、この|でこすけ《ヽヽヽヽ》の嫁は、亭主に似ない、立派な心がけを持ってますよ。暫く|シ《ヽ》リッピンの大学を休学して、こっちの聖路加かどっかで、実地の勉強をするんだっていってね。それから来年かさ来年、半年ほどアメリカの学校にやってください、学士になってきますからっていうんですよ。あたしはほんとは|シ《ヽ》リッピンの大学に戻って卒業したいんだけど、もし、私がそうすると、高広さんが|シ《ヽ》リッピンを想い出して、いやな気持がするでしょうからって、こうきたのには参ったね」
咲子は上機嫌であった。
「ただ、名前だけはなんとかならないのかね。ねえ、社長、レオノール・石山なんていったら、これは拳闘のね、ボクサーの名前ですよ」
一同は、どっと笑った。
笑声の輪の拡がるなかで、レオノールの顔にゆっくりと幸福を噛みしめている感じの微笑が、拡がり始めた。
鴻田貿易マニラ支店には、小寺の前に事務所長を勤めた乙沢が再度、支店長を命ぜられて赴任してきた。この際、現地事情に強い者を起用し、悲劇の再発を防止しよう、という方針からであった。
しかし乙沢は「フィリッピンで、刃傷沙汰を恐れていては仕事にならんよ」と平然たるもので、すぐにマーパやシーチャンコやクエトオとも会って、積極的に動き始めた。
皮肉なことに、年が改まって昭和四十七年になると、日本の国内市場の景気は際立って回復し、フィリッピンから内地への合板材輸入は対前年比、十七倍に達する有様であった。これが四十八年には、四十六年のじつに三百倍という空前の合板輸入景気を招来することになる。
それでも最初のうちは、駐在員の使う社用車は全車、窓ガラスを内部の見えない、いろつきにしたり、各家庭にガードマンを配したりしたが、それもトンドで銃撃戦があり、小寺襲撃事件の犯人と目されるふたりが死亡、という新聞記事が現われるにおよんで、中止してしまった。
岸本美千代が戦跡訪問慰霊団に加わって、二十七年ぶりにマニラにやってきたのは、四月末の日本の連休のことである。
「あの事件を新聞で知って心配したわ」という美千代を、フランクはまず自宅に伴い、パシータに紹介したりして、暫くくつろいだのち、旧日本人小学校や本願寺跡へ案内した。
しかしなつかしさよりも、街の変貌が美千代を驚かせ、落胆させたようであった。
かつてマニラ銀座といわれた、エスコルタ通りを走りながら、
「これがエスコルタだなんて、信じられないわ。あんなに広くて、きれいだったのにね。東京の明治通りや神戸の山手通りみたいな通りだったじゃないの」
「広い」というのは、背の低い子どもの眼を通して眺めた記憶だろうが、エスコルタが香港の裏街のように汚い、アジア的な街になってしまっているのは事実だった。
「昔、おれたちは、生水を飲んで育っただろう。今、ここで生水を飲めば、救急車ものよ。アメリカ人は、衛生気狂いだから、彼らがいるうちは安心だったんだけど、アメちゃんがいなくなって、途端にひどいことになった。美っちゃんは楽しみにしているんだろうけど、例の紫いろのウビのアイスクリームだって、今やそんなに安全じゃないんだ」
旧日本人小学校にしても、本願寺跡にしても、美千代の場合、なつかしさよりも、校舎の汚れ、住宅地から場末と化した、周辺の街の変貌を嫌う気持が先きに立ったようであった。
「美っちゃんは、昔からきれい好きだったし、それに病院に勤めているからな。美っちゃんは汚ながるけど、ここの個人個人の家は、きれいなんだよ。フィリッピン人は清潔好きだからね」
フランクはそういって慰めた。
「しかし独立した途端に、どうしてこんなに街が汚くなるの。今は、アメリカからそれこそ搾取されずにすむようになったんでしょう」
「どうしてなのかな。昔はアメリカだけが相手だったけど、今やアメリカ、日本、華僑、入り乱れてお金儲けに狂奔しているせいかな」
昔の本願寺もすっかり形を変えてしまって、日本人小学校同様、ビジネス・スクールになっており、大勢の若者が出入りしている。
それでも路地の左手にあった天野産院、右手のマニラ日日新聞の建物は残っていた。
「この木が、よく美っちゃんが日本舞踊のお稽古をさぼって、登っていたアカシヤだよ。空襲で半焼けになってしまったけどね」
かつて枝をおおきく拡げ、本願寺境内に鬱蒼と繁っていたアカシヤは、半焼けというより全焼に近く、一本の丸太のような幹が、天に向って、無愛想に突き立っているに過ぎなかった。それでも生命は宿っていると見え、幹のあちこちに、ほんの小さな枝が出て、ひと握りの葉むらを繁らせている。
「私がみたかったのは、あれだったんだな」
焼けた木を見あげながら、突然、美千代が若やいだ声をだした。
「あの枝の向うの雲なのよ。フィリッピンの雲って、とってもきれいでしょう。私、フィリッピンの雲をもう一度見たい、とずっとおもっていたのね」
無愛想にアカシヤの枯木が突き立った彼方の蒼空に巨大な積乱雲が湧き立って、急速にふくらみつつあった。
「フィリッピンはいつも夏だけど、夏の雲って、生きてるみたいでしょう。だから入道雲のことを坂東《ばんどう》太郎≠ネんて呼ぶのかな。するとあれはマニラ太郎≠ゥな」
──昔の日本人は死んだひとの魂が雲になるとおもっていたらしくてね、万葉集には雲をみて故人を偲ぶ歌がいくつもあるんだが、フィリッピンの雲をみてると、ほんとに魂がこもっているような気がしてくるな。
そういったのは、小寺だったのではないか。そのとき、フランクは「へえ、そんな歌があるんですか。自分は、古い日本の歌といえば御民われ、生けるしるしあり≠ニか、われは忘れじ、撃ちてし止まむ≠ナすか、あのくらいしか知りませんよ」と応じて、笑ったものだった。
すると、アカシヤの彼方に群れ立つ「マニラ太郎」は、篠田清治であり、馬場康人であり、小寺和男だ、ということになるのだろうか。
三人ともフランクの躰に流れる日本人の血に誇りを持たせてくれた、フランクが限りなく愛する男たちであった。志に反して、この地に倒れた三人が、巨大な入道雲になって、この土地を見おろしている、という幻想は、故人にじかに接しているようなおもいにフランクを誘い、痛切な悲哀の感情を喚び起した。
悲哀の感情を振りきるように、
「しかし日本だって、金儲けに狂奔してばかりいるわけじゃない。ミンダナオのイリガンにゆけば、日本が積極的に協力した工業地帯があってね、小寺さんが手がけたセメント工場も、まもなく完成するよ」
フランクは、いった。
「美っちゃん、そろそろいこうか。ホベンチーノが、一緒にイントラムーロスや、美っちゃんの昔の家を訪ねたいっていってね、事務所で待っているんだよ」
そういって、相変らず「マニラ太郎」を眺め続けている美千代を促した。
[#地付き](完)
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あ と が き
これは昭和四十六年秋、マニラで起った日本人の受難事件を中心に、戦中戦後のフィリッピンに生きた日本人を描こうとした小説である。現実に起った事件にヒントを得て構想したが、登場人物、事件の背景等は、すべて虚構で現実の事件とは関係がない。
執筆にあたっては、木材業界関係者、フィリッピンに駐在した日本企業社員および夫人、旧マニラ日本人小学校教員および卒業生、フィリッピン各大学卒業生、比島派遣の陸軍四十八師団、十六師団、百三師団の関係者、第十四軍野戦貨物廠関係者、第一野戦憲兵隊および「全国憲友会」関係者、カトリック団体関係者、在日フィリッピン人等、百名近い方々からお話を伺い、日記、アルバム、レコードの類を拝借した。
この小説は昭和五十五年十一月から五十七年二月まで「週刊文春」に連載された。連載にあたっては、川又良一、村田耕二両編集長のバック・アップと、担当編集者、藤沢隆志氏の献身的ともいえる協力を得た。藤沢氏の熱意ある協力と鞭撻なしに、この連載は成立しなかった、といっていい。また出版部の竹内修司氏、新井信氏にも大変お世話になった。
文庫化に際し、タガログ文学の権威である、ラ・サール大学講師の寺見元恵氏に、ご多用中にもかかわらず、タガログ語会話の全面的見直しをお願いした。
関係者の方々に、改めて深く感謝いたしたい。
[#地付き]深 田 祐 介
参考文献
アジア太平洋統計年鑑一九七八 国際連合編 原書房 八〇年十月
石原莞爾資料─国防論策 角田順編 原書房 七八年七月
石原莞爾資料─戦争史論 角田順編 原書房 八〇年八月
軍旗と共に幾山河 台歩二会 七七年十月
軍事警察(続・現代史資料(6)) みすず書房 八二年二月
現代フィリピンの政治構造 谷川栄彦・木村宏恒 アジア経済研究所 七七年十一月
国際経済臨時増刊(フィリピン特集 通巻152号) 国際経済社 七六年七月
これだけ讀めば戰は勝てる─熱地作戰の参考─ 大本営陸軍部
防人の詩(比島編) 京都新聞社 七六年十月
三十三年目の証言≪よみがえる死者たち≫ 村上兼巳 七九年四月
昭和五十三年度図説林業白書 日本林業協会 七九年五月
世界戦車戦史 木俣滋郎 図書出版社 八一年十月
戦史叢書捷号陸軍作戦〈1〉レイテ作戦 防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 七〇年十二月
戦史叢書捷号陸軍作戦〈2〉ルソン作戦 防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 七二年十一月
第四十八師団(台湾混成旅団)戦史 南星会 六七年八月
追想のフィリピン─比島戦の歴史 西本正巳 フィリピン・インフォメーションセンター 七五年八月
通じる通じない 貝塚敬次郎 財務出版 七八年三月
南洋材史 日本南洋材協議会 七五年五月
日本憲兵正史 全国憲友会連合会本部 七六年八月
フィリピン・インドネシアの電力事情 アジア経済研究所 海外電力調査会 六五年十二月
フィリピン共和国(世界各国便覧叢書) 在フィリピン日本国大使館編 日本国際問題研究所 七九年改訂版
フィリピン─経済と投資環境 森村勝編 アジア経済研究所 六九年六月
フィリピン史 守川正道 同朋舎 七八年四月
フィリピン従軍記 小野遼二 七七年五月
フィリピン・ナショナリズム論上・下(フィリピン双書4・5) レナト・コンスタンティーノ著・鶴見良行監訳 井村文化事業社 七七年八月
フィリピンのこころ(シリーズ・アジアのこころ3)メアリー・ラセリス・ホルンスタイナー編・山本まつよ訳 文遊社 七七年三月
フィリピン木材市場調査 日本貿易振興会 七九年三月
フィリピン民衆の歴史T〜W(フィリピン双書8〜11) レナト・コンスタンティーノ著・池端雪浦・永野喜子訳(T)、鶴見良行他訳(U〜W) 井村文化事業社 七八年十一月〜八〇年三月
比島作戦の思ひ出 昭和十六年十二月〜昭和十七年九月 垣部隊写真班作製
比島33回忌巡拝団参加記 小野遼二 七七年七月
比島戦跡を偲ぶ─フィリピン戦跡写真集 フィリピン戦跡写真集実行委員会編 七〇年五月
比島派遣軍 比島派遣軍報道部編 四三年六月
比島派遣第百三師団独立歩兵第三五大隊誌 滝上良一
北部ルソン戦(前・後篇)小川哲郎 現代史出版会 七八年五月
マザーテレサと姉妹たち 蛭間重夫編 女子パウロ会 八〇年六月
マニラ生活案内 第一集 医者とくすり 吉田よし子編 日本人クラブ 再改訂版 七七年六月
マニラ生活案内 第二集 くだもの   吉田よし子編 日本人クラブ 改訂版 七七年十二月
マニラ生活案内 第三集 やさい    吉田よし子編 日本人クラブ 七七年九月
マニラ生活案内 第四集 魚      井田 節子編 日本人クラブ 七九年三月
マニラ日本人小学校沿革 河野辰二 七八年四月
マニラ落城手記 秋竹守一 四五年三月
みなつき会会誌第三期丙種学生の記録 みなつき会会誌編集委員 会誌刊行委員会 七〇年三月
村田省蔵遺稿比島日記(明治百年史叢書) 福島慎太郎編 原書房 六九年十一月
木材業界 北田和夫 教育社新書 七七年九月
ルソン島進攻作戦(陸戦史集12) 陸戦史研究普及会編 原書房 七六年七月
ルソンの山々─生き残ったフィリッピン在留邦人の手記 中島静恵編 創映出版 七八年十月
INSIGHT GUIDES PHILIPPINES APA PRODUCTIONS 1980
The Philippine Economic Atlas 1962
ラッフルズ伝(東洋文庫123) 信夫清三郎 平凡社 七四年七月
〈底 本〉文春文庫 昭和五十九年二月二十五日刊
単行本 昭和五十七年五月文藝春秋刊