フォーチュン・クエスト バイト編1 夕日が二つに見えた夜
[#地付き]深沢美潮
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)冒険談《ぼうけんだん》
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いまでないとき。
ここでない場所。
この物語は、ひとつのパラレルワールドを舞台《ぶたい》にしている。
そのファンタジーゾーンでは、アドベンチャラーたちが、
それぞれに生き、さまざまな冒険談《ぼうけんだん》を生みだしている。
あるパーティは、不幸な姫君《ひめぎみ》を助けるため、邪悪《じやあく》な竜《りゆう》を倒《たお》しにでかけた。
あるパーティは、海に眠《ねむ》つた財宝をさがしに船に乗りこんだ。
あるパーティは、神の称号をえようと神の出した難問にいどんだ。
わたしはこれから、そのひとつのパーティの話をしたいと思っている。
彼らの目的は……まだ、ない。
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リーバンクリフ牧場
1
よかった。何事もなくて……。
遠くの山々の輪郭を徐々に明るく染めていく、いつもと同じ夕日を見て、わたしは心からほっとした。
そして、作業の手を休め、思わず見とれてしまった。
広々とした牧草地。その先には黒々の森と呼ぼれる森。そして、薄茜色《うすあかねいろ》の山々があった。山の回りに散った雲のひとつひとつが夕日に照らされ、燃えるように輝いている。
季節は春……というには、ちょっと早い頃。だから、この時間になると身が引き締まるように寒い。
でも、静かだなあ。こんな夕暮れは、妖精《ようせい》たちに出会いそう。
「ぐううう……」
ありゃりゃ。せっかくロマンティックな気分だったのに。お腹《なか》のほうが勝手に鳴ってしまった。
ま、そりゃそうよね。朝から働き通しなんだもん。お昼ご飯は出たけど、あんなの、消費エネルギーに比較すれば……。
「おらおら、パステル。何、ぼさっとしてんだよ。早いとこ、片づけろって。じゃなきゃ置いてくぞ」
後ろから声をかけられた。夕焼け色に染まった横顔。いつもの余裕はまるでない。ひょろっとした体型のわりに体力のある彼も、そうとうへばってるみたい。
彼の名前はトラップ。先祖代々盗賊という家の出で、彼ももちろん盗賊。目下のところ、わたしたちとパーティを組んで修行中の身なのだった。
「パステル―!」
「ひゃあ! は、はいはい。ちょっと待ってってば」
こんなところで、ひとり置いてかれちゃ大変。
わたしは刈り取った草を荷車に積み上げる作業をあわてて再開した。ここから厩舎《きゆうしや》まで、けつこう遠いんだ。そこまで、この大きな荷車をひとりで押していくのは辛いもんね。
厩舎の前に、クレイやルーミィの姿が小さく見えた。
クレイっていうのは、わがパーティのリーダー。ファイターの卵で、すらっと背が高くなかなかのハンサムボーイ。
ルーミィっていうのは、エルフ族の女の子。シルバーブロンドのふわふわヘアーと青い目がチャームポイント。彼女は魔法使いの卵。
彼らはミケドリアたちの餌《えさ》を、バケツに入れていた。
「んしょ。んしょっと」
山と積み上げた草。さっき一雨降って水分をしっかり吸ってるもんだから重いの重くないのって。いや、重いんだけどね。
その重い重い手押し車の取っ手を持ち上げようとして、いきなり。バランスを崩してしまった。
「うわあああ……」
草と一緒に倒れこむ。えーん。頭も服も草だらけ。
「なに、やってんだよ」
草の山の中からトラップが助けだしてくれたんだけど、びしょ濡《ぬ》れになってしまった。あー、もう泣きたい。
「だあああ。もう、そういう情けねえ顔すんなよ。ほら、さっさと立て立て。日が暮れちまうぜ」
こういうとこ、クレイとは全く違う。トラップは決して手伝ってくれないんだよな。彼はこうしてハッパをかけるだけ(あ!? 期せずしてダジャレになってしまった!)。まあ、でもね。ほっといて行っちゃうこともできるんだから。それ、考えたらちょっとは優しい……とも言えるのかなあ??
立ち直りが早いのが取り柄《え》のわたし。気を取り直して、起きあがった。体についた葉っぱを払い落とし、その辺に散乱した葉っぱをもう一度手押し車に乗せる。
「ああーあ……なんでおれたち、こんなことやってなきゃなんねえーんだよぉ」
隣で待ってくれているトラップがため息をついた。
「…くそっ! クレイの奴《やつ》がだらしねーばっかりに!」
彼はそう言うと、持っていたスキで葉っぱの固まりにグサッと突き刺した。
「それは言わない約束でしょ?」
わたしが言うと、彼は声もなくもう一度ため息をついた。
「パステルー、トラップ――!」
声をしたほうを見る。森のほうからやってきたのは、小柄なキットンと巨人族のノル。凸凹コンビの二人は、薪《まき》を両脇《りようわき》に抱えるだけ 抱え、えっちらおっちら歩いてきていた。
いつのまにか夕日は燃えるように色味を増し、彼らふたりを照らしている。長く伸びる影。
「すごい……」
さっきまでは単純にきれいだと思った夕日が、今では怖いほどだ。紅色……とでもいったほうがいいだろう。空がこんな色をしている…のをわたしはあまり見たことがない。
べっとりと紅を落としたような空と山々。対照的に墨のように黒々とした森。
トラップは目を細め、軽く肩をすくめた。
「ちえ、伝説なんか信じちゃいねーけど。やっぱなんか薄気味悪りいな」
2
シルバーリーブという小さな村を拠点に決めたわたしたちは、冒険者として初めての春を迎えた。
これといった特徴のない村だけど、のんびりしてるし、なにより物価が安い。砂漠の中の商業都市、エベリンに比べると、十倍くらい違うんじゃないか。
わたしたちは冒険者になるため、しばらくエベリンに滞在していたから、シルバーリーブの物価の安さには感涙ものだった。
みすず旅館っていう、安宿もあったしね。それでも、まさかずーっと泊まるだけのお金はない。幸い、村はずれの農家の納屋に、しばらくの間ならという条件で、寝泊まりさせてもらっていた。
でもねえ。いっまでもそんなことしてらんない。迷惑だし。それに、それじゃただの浮浪者だ。
まがりなりにも、わたしたちは冒険者なんだから!
でも、レベル1でしかない我々に何かクエストが舞いこむなんてことあるわけない。
まずはバイトをしながら、宿代を稼ぎ装備などを整えていこう。
そんでもって、暖かくなったら近所の森にでも出かけてって、小さなモンスター相手にちゃっちゃかレベル上げをしてこようかと。そんな話をしていた矢先だった。
「いっものように、猪鹿亭《いのしかてい》という大衆食堂に夕飯を食べに行った時、そこの看板娘のリタが元気な声をかけてきた。
「ねーねー! いいところに来たわ。来なきゃ、後で行こうかと思ってたよ」
彼女はオレンジがかった髪をくるっと上でお団子にして、きりっとピンで止めている。
きれいな額にくっきりした眉《まゆ》。いかにもしっかりものっていうイメージ。赤と白のチェックのエプロンをして、両手を腰にわたしたちを見回した。
「ほら、あんたたちバイト探してたじゃない?」
「うんうん。何かある!?」
「ちょうどいいのがあるの。ちょっと安いんだけど……でも、変な仕事じゃないよ。ちゃんと冒険者の仕事って感じなんだなあー」
「ええー!? なによ。もったいぶらずに教えてよぉ」
「えヘへ。あのね…」
そう言って、リタが教えてくれたバイトとは、モンスターから牧場の家畜たちを守るボディガードの仕事だった。まあ、たしかにモンスター相手というんだし、冒険者らしくはある。
でも、そうとう遠い。ズールの森というのが近くにあるんだけど。
その大きな森、そこのさらに北西だというから、ここシルバーリーブから歩いていくと五日はたっぷりかかる。
それに、バイト代がめちゃ安い。
「でもさ。ここでじっとくすぶってるよりはいいじゃないか」
クレイが即座に言った。
「そうですねえー。そこだと寝泊まりするところもありますし、食事もついてるんでしょ? けっこういい話だと思いますが」
キットンも賛成した。ノルは黙ってうなずいた。
それを見て、クレイも力強くうなずき、
「うん。ただここにいるのはもったいないからな。それに、何より人助けになる」
「それ言うんなら、ミケドリア助けって言わないか? この場合…」
トラップはメニューに描いてあったミケドリアの串焼きを見ながら言った。
ミケドリアってのは、その我々が守るべき家畜の種類。羊と牛の中間みたいな動物で、串焼きとかにすると、すんごーく美味《おい》しいんだよね。
「うちの父さんが頼まれた話なのよ。父さんたらさ、かれこれ二週間も前に頼まれてたのに、今までコロッと忘れてたんだって。だから、焦ってんの。どうだろ。頼まれてくれないかなあー?」
と、リタ。トラップは彼女の肩に手を回して言った。
「リタちゃん。じゃあさ、今日の夕飯、お宅のお父様のおごりっていうのはどうだろうねえー!?」
「うん。いいよ。だいじょうぶ。じゃんじゃん食べて!」
「へ!?」
意外にも、リタに二つ返事で了解されて、トラップは拍子抜けした顔。でも、すぐに体勢を立て直し、
「よおーし。そうと決まったら、今日は食うぞー! 飲むぞー! 騒ぐぞ―!!」
「わあーい。ルーミィもくうんらー! のむんらー! しゃあぐんらー」
エルフ族のわりに、すごい食いしん坊のルーミィが大はしやぎ。
わたしたちも、ずーっとシルバーリーブでくすぶってるのがいい加減|嫌《いや》になってきたところだったから、気分もウキウキ。じやあ、お言葉に甘えて乾杯でもするか!? ってな感じで、その晩は大いに盛り上がったのだった。
ははは。
どんなことになるかなんて、ぜんぜん知りもしないで。
3
リーバンクリフ牧場――。それが、我々のバイト先だ。
でも、さすがにこの季節、五日もかけて森を抜け、歩いていくのはしんどい。せめて近くまで乗り合い馬車で行って、それから一日くらい歩くというのはどうか? という案が出て、みんな一も二もなく賛成した。馬車のお金はもったいなかったけど、まあ、これから稼げるんだから元は取れるだろう。
いや、だってね。森の中にはけっこう怖いモンスターがいるんだ。
前に森で出会ったゴブリンとかね。スライムだって、この季節にいるようなのは手に負えない。
…はぁぁ。
そんなわたしたちなのに、ミケドリアをモンスターから守るなんてこと、本当にできるんだろうか!?
どういうモンスターか、それはリタもリタのお父さん(猪鹿亭の主人)もわからないと言っていた。
「パステル、なに浮かない顔してんだ!?」
隣の席のクレイが聞いた。
「うん…あのね。どういうモンスターが出るんだろうかって。ちょっと心配になっちゃって。わたしたちでも何とかなるのかな!?」
わたしが言うと、すかさずトラップが笑いだした。
「ばあーか。んな、何とかなるわけねえーだろうが。スライム一匹出てきただけで、きゃーきゃー逃げるようなメンツなんだぜ!?」
スライム一匹できゃーきゃー……それはわたしだ。
クレイは身を乗り出して、前の座席にいたトラップの口をふさぎ、
「まあ、行ってみなきゃわからないだろ!? いや、だいじょうぶ。
何とかなるって。どんなモンスターが出るのか、最初からわかってれば対策も検討できるじやないか」
と、言った。いいよね、こののんびりとした明るさ。
すると、トラップの隣にいたキットンもこう言った。
「そうですよ。リタたちもそう言ってたじゃないですか。とにかくこれだけ安いバイト代で来てくれる冒険者なんだから、向こうだって最初からそんなには期待してないから心配するなって。だいじょうぶです。わたしたちでできる範囲のことをしましょう!」
はははは……。だあああ……情けない!
わたしたちが乗った乗り合い馬車は、目的地リーバンクリフ牧場までは行かない。この次の停車場はマリドという町。そっちに行って、一晩泊まるっていうのも魅力あったんだけど……でも、そんなぜいたく言える身分でもないしね。
だから、そのちょっと手前で降りたんだ。
「どうもありがとうございました」
巨人族のノルが御者台から降り、御者さんに声をかけた。
荷馬車の中では狭すぎるので、御者台に座らせてもらっていたのだ。
ここから、牧場まで急ぎ足で歩けば半日かからないで行ける。
一日一便しかないという馬車を見送り、わたしたちは林道を急いだ。正午を少し過ぎていた。だから、うまくすれば夕飯に間に合う かもしれない。
ノルはわたしたちの荷物の一部が入った大きなリュックを背中に担ぎ、ルーミィを抱っこして歩いた。
堅い土の道が延々と森の中を続いている。この道をまっすぐ行けば、リーバンクリフ牧場に着くらしい。どうしても、夜になる前には到着したいわたしたちは、乾パンや干し肉を食べながら歩いた。時間が惜しいからね。
三時間ほど歩いただろうか。向こうから、男の人が二人、はぁはぁと息を切らしながらやってきた。
皮服を着て、腰に短いダガーをさした…普通の旅行者のようだ。
ずっと走ってきたからだろう。日に焼けた赤い顔がますます赤く火《ほ》照《て》っていた。
一方はひょろっと背が高くて長い顔。もう一方はその正反対で何もかもがまん丸。だから、何となく鉛筆とボールが走ってるような、そんな印象だった。
鉛筆のほうが、わたしたちを見るなり聞いた。
「の、乗り合い馬車を、ハァ、ハァ、見なかったか?」
「乗り合い馬車なら、さっき降りたところですよ。いや、さっきといっても、もうずいぶん経《た》つかな」
クレイが答えると、男二人は顔を見合わせ、そして、その場にしゃがみこんでしまった。
「くそー。遅かったか」
「だぁら、ジャスパー兄貴。兄貴がグズグズあいつに文句っけてっからこういうことになるんですぜ、兄」
「いんや、フォーレス。あれはな、はめられたんだ。あいっ、馬車の時間知ってやがったんだ。いやに引き留めるなと思ったんだ。ふん、奴《やつ》の考えそうなことじゃねーか!?」
「ちえ、リーバンクリフのドケチ野郎め。地獄に落ちやがれってんだ!」
彼らの話を聞いて、今度はわたしたちが顔を見合わせる番だった。
4
「はっはっはは。 そりゃご愁傷様」
「悪いこたあ、言わねえ。あんたら、さっさと帰ったほうがいいぜ。なあ、フォーレス」
「そうそう、ジャスパー兄貴の言う通りさね。んなちっちゃい子もいるんだしさあ。命が惜しかったら、おれたちと一緒に乗合馬車に乗ったほうがいいって」
彼らは、わたしたちが想像した通り、わたしたちがこれから行くリーバンクリフ牧場で、つい今日まで働いていたんだそうだ。
名前は、鉛筆のほうが兄貴分のジャスパーで、ボールのほうが弟分のフォーレス。だって、何度も何度も名前を呼び合うんだもの。
んで、そのジャスパーとフォーレスが言うには、そのリーバンクリフという牧場主。この人がくせ者で、とにかくケチで牧童たちを さんざんにこき使う。それはもう想像を絶するほどの使いようで、何人もの牧童が重労働に耐えかね、倒れたらしい。
ある牧童は、高熱を出して寝こんでしまった。
それでも、リーバンクリフは彼が休みたいから仮病を使ってるんだろうと、休んでいる間の給金を削った上で、医者にかかったお金や薬代、それから一日の食事代までも取ったというのだ。
「ひどい……」
わたしは思わずつぶやいた。だって、その熱を出してる人、かわいそうすぎる。
……でもなあ。
ここまで来て、行きもせずに帰るわけにはいかないじゃない?
もちろん、責任感の強いクレイもそう思ったようで、
「実は、知り合いに頼まれてあそこに行くことになったんです。だから、行きもせずに帰るなんてことできないんですよ。せっかく忠告してもらってるのに、すみませんけど」と、言った。
「そうそう。それに、ここまで来る馬車代だってバカになんねーもんな。それだけでも取り返さなきゃ丸損だし。ヘへ、なあーに。いくらゴウツク野郎だからって、おれに任せとけって」と言ったのは、トラップ。
すると、彼らは「お話にもならない」って顔で肩をすくめ、ニタニタと笑いあった。そして、急に思いついたように両手を打ち鳴らした。
「そうだ。あんたら、例の言い伝え。あれは知ってんだろうな?」
「ええ? 何ですか?」
クレイが聞き返すと、彼らは意味ありげに笑った。
「そうかあ。知らねえのかあ…。知らねえんだってよ、フォーレス」
「なるほどね。だからだな。あんたらがそんな平気な顔、してんのは」
「へへ。まあ、いいや。おれたちにはもう関係ねえことだし」
「そうそう。そういうこと。んじや、悪いな。急ぐもんで」
なんてことを言って、二人でまた変な笑い方しながら去って行こうとした。
ちょ、ちょっと。そりゃないんじやないの!?
何なのよ、何なのよ。『例の言い伝え』って!?
5
朝焼けに、緑の雲がかかった年、
夕日が二つに見えた真夜中、
黒々の森から、ブラックウーゴがやってくる。
一匹、二匹の騒ぎじゃない。
ウジャウジャ、ウジャウジャやってくる。
ブラックウーゴの通った後は、ペンペン草さえ残っちゃいない。
残るは、空しいため息だけ。
そして、気が変になる。
これがその『例の言い伝え』なんだそうだ。
あの後、当然のことながら、二人の男たちをとっつかまえ、説明してもらったんだけどね。
「まあ、あの不信心者のリーバンクリフのとっつあんは信じちやいねえようだがな。でも、おれたちははっきり見たんだ。なあ、フォーレス」
「んだ、兄貴。あーんな驚いたことなんぞ、今まで一回だってねえや。燃えるみてえに真っ赤な朝焼けに、はっきり緑色した雲がかかってたんだからな」
「つまり、その言い伝え通り、緑の雲がかかったってことですね」
クレイが聞くと、彼らは身を震わせてうなずいた。
「それって、いつのことですか!?」
「そうだな。二週間くれえ前かな」
わたしはすぐにリタの言葉を思い出した。彼女、言ってたもんね。彼女のお父さんが二週間くらい前に頼まれてたのをすっかり忘れてたんだって。
クレイもそれを思い出したらしい。
「そのリーバンクリフさんも、言い伝えのことを気にしてるんですよ。だから、冒険者を雇ったんだ」
フォーレスが丸い顔をしかめて言った。
「でもよ。わりーけど、あんたらの手に負えるような代物《しろもの》じやねえぜ。ブラックウーゴってのは」
「ぶあっくうーこって、なんら!?」
ルーミィが無邪気な顔で聞くと、それを受け、
「そうそう。その問題のブラックウーゴなんですが。いったい何なんです!? 一匹、二匹と勘定するんだから、やっぱりモンスターなんでしょうね!?」
と、キットンも聞いた。
二人は顔を見合わせ、
「そ、そうだな。そりやあそうじゃねえのか!? なあ、ジャスパー 兄貴」
「あ、ああ。そうだろう!? そうにちげえねえ。なあ、フォーレス」
最初は何を当たり前の……という感じだったが、改めて聞かれると急に自信がなくなったようだ。お互い、居心地の悪そうな顔で肩をすぼめた。
なんだ。それさえはっきりしないんだ。
「うーん…さっきから調べてるんですが、それらしいモンスターは出てないんですよね」
キットンがページをめくって見ているのは、モンスターポケットミニ図鑑。冒険者たちから寄せられる情報や各モンスター研究家からの報告などをまとめたもので、携帯に便利なように小型軽量化されている。
そうとう珍しいモンスターまで網羅しているはずなので、それにも出ていないとなると…けっこう厄介かもしれない。
「でも、たしかにこれはどう考えてもモンスターだろうなあ」
と、クレイ。
「しかも、伝説《レジエンド》の……」
キットンが付け加えた。
わたしも、実はすっごく恐いことを連想してしまっていた。
それは、『一匹、二匹の騒ぎじゃない。ウジャウジャ、ウジャウジャやってくる。ブラックウーゴの通った後は、ペンペン草さえ残っちゃいない』という部分……。
実は、わたしの故郷ガイナを突然襲った、チャクデスというモンスターを思い出したのだ。
チャクデスは、ふだんとてもおとなしい草食のモンスターなんだという。しかし、突然、彼らは狂いだし、集団で村を襲い、森を食いっくしながら行進を始める。文字どおり、彼らの通った後には、ペンペン草さえ残っちゃいないのだ。しかもチャクデスのもっとも恐ろしいところは、彼らの体内に巣くった病原菌だった。
故郷ガイナも壊滅的な打撃を受けた。家々が破壊され、多くの人々が亡くなった。彼らを救おうとした人々も病原菌にやられ、その中には、わたしの両親も入っていた…。
それに、最後の「そして、気が変になる」という一行……。
まさか、そのブラックウーゴにも何かの病原菌があり、それが人の気を狂わすとしたら!?
「パステル、どうしたんだ?」
ふっと我に返ると、心配そうな顔のノルがわたしを見下ろしていた。
「あ……ごめん。何でもない。だいじょうぶょ」
「そうか? ならいいけど」
ありがとう、ノル。いつもは無口な彼だから、優しい言葉が胸にしみる。
「じゃあな。本気で次の乗合馬車に乗り遅れると、やべえんだ。行くそ、フォーレス」
「んだな。そうしよう!」
彼らが急いで行こうとすると、その背中にトラップが声をかけた。
「あのさぁー、さっきから気になってたんだけど。乗合馬車主もう来ねぇーぜ?」
ぎょっとして振り向く二人。
「このガキんちょめ。いい加減なこと言うと、ぶっとばされっぞ!」
と、すごんだのは背の高いほうのジャスパー。
「あ、でも。ほんとですよ。今日の乗合馬車、わたしたちが乗ったので最後だって。御者さん言ってたもん」
わたしが言うと、
「いつから一日一便になっちまったんだぁ!?」
丸顔のフォーレスが情けない声をあげた。
「いや、正確に言うと一日一便じゃねーぜ。十日に一便だって話だったぜ? ここ当分の間は。なんでなのか、不思議だったが、あんたらの話聞いてやっと事情が飲みこめたぜ」
しらーっとした顔でトラップが言ラ。
「えー? そ、そうだっけ?」
わたしが聞き返すと、彼はしきりに目配せ。トラップが何をたくらんでいるのかわかんないけど、まぁ、とにかく調子を合わせるしかない。
「あ、そうね。そうそう。たしかそんな話だったかも…」
「ヘへ、あんたら、気の毒だけど、おれたちと一緒にその牧場まで戻るしかねえようだぜ。近くの町に行くにしたって、夜中になっちまうだろうし。今の季節、夜の森をウロウロする勇気があるなら別だけどな」
トラップがうそぶくと、フォーレスたちは大げさにため息をつき、その場で抱き合っておいおい泣き出してしまった。
「おれたちは悪魔に魅入られた。呪《のろ》われちまった!」
「もう逃れられない! ブラックウーゴに食われるか、森の化け物に食われるか……」
「そりゃ、あんた。ブラックウーゴたらいう化け物は伝説かもしんねえーけど。森の化け物のほうは確実にいる。後、二、三時間も経《た》てばこの辺ウヨウヨ出てくる。森の化け物に食われるほうに千Gかけてもいい」
意地悪なトラップはさらに追い打ちをかけ、フォーレスたちはますます声をあげて泣きくずれたのだった。
6
そして、我々はこのリーバンクリフ牧場ヘフォーレスたちに案内されながら到着した。
広大な牧草地の真ん中に、寄り添って建つ厩舎《きゆうしや》と納屋、そして家。
ミケドリアたちの「ブゴー、ブゴー」と鳴く声が印象的だった。
わたしたちはフォーレスたちに従い主その家に行った。
丸太をそのまま組み合わせて作ったょうな家で、赤々と燃える暖 炉の前には、大きなムク犬が寝そべっていた。
彼はわたしたちをちょっとだけ見たが、すぐに興味を失ったらしく、また声もなく自分の毛のなかに顎《あご》をうずめた。
「冗談だろ!?」
真っ白の髪を後ろになでつけ、やがて現れた牧場主のリーバンクリフはわたしたちを見て開口一番こう言った。
どこか鷹を連想させる、尖《とが》った鼻と顎。鋭い目。
六十歳近いだろうけれど、引き締まった体格といい、日に焼けた顔といい、歳を感じさせなかった。
「いえ、本当です。それを見てください。シルバーリーブの猪鹿亭のご主人からの紹介状です」
クレイが言うと、リーバンクリフは手に持っていた紙を目を細めて見た。
いぶかしそうに何度も見る。
そして、しかめっつらのまま、クレイに聞いた。
「それで? あんたら、レベルは?」
「は、はい…まだ一ですが」
「はぁ?? なんだって。まさか、おれの聞き間違いだろうな」
「いえ、聞き間違いじゃないです。しかし、それはまだクエストとかに出た経験がないだけで、ちゃんと冒険者資格試験にも合格していますし……」
しかし主リーバンクリフはクレイの説明を中断させた。
「まぁ、いいさ。どうせ伝説なんぞ最初から信じちゃいないからな。しかし、レベル1とはな。恐れ入った。しかも、そんな子供までいる…はっはっは。言っとくが、子守りはいないぞ」
きぃ――!!
なんて失礼なんだろ。
トラップが何か言ってくれるだろうと期待したが、なぜか彼は黙ったままだった。
「ジャスパー、フォーレス!!」
いきなり怒鳴りつけられ、わたしたちを紹介した後は部屋の隅で小さくなっていたジャスパーたちは飛び上がって驚いた。
「は、はい!!」
「この冒険者さんたちを部屋に案内しろ」
「は、はい。えーっと、旦那。ルイスの野郎がいた部屋ですかねえ、それともエドモンドのいた部屋で? それとも……」
「ルイスの部屋と、その隣を使ってもらえ。しかし、そっちの大男。
あんたは、悪いが納屋を使ってくれんか。あんたみたいな大きいのが寝る場所はないんでな」
もちろん、大男とはノルのことだ。ノルは黙ってうなずいた。
彼は、シルバーリーブの旅館でも断られた経験がある。かわいそうだけど……まぁ、でも、あの大きさのベッドはないだろうしね。
でも、本人は全く気にしてない様子だった。
「じゃあ、こっちだ。ついて来な!」
リーバンクリフと対する時とは打って変わって大きな態度。
ジャスパーがわたしたちを部屋の奥にあった階段へとうながし、先頭を歩いていこうとした時、
「ジャスパー、フォーレス。おまえら、わかってんだろうな」
いきなりその背中にリーバンクリフが怒鳴りつけた。
「は、はいはい!!」
二人はとたんに首をすくませ、卑屈な声で答えた。
「へへ、もっちろん心得てまさぁ。今晩は飯抜きってことで……」
「ふん、わかってんならいい。どいつもこいつも。タダ飯、食うことしか考えてないんだからな。冒険者の皆さん。あんたらも明日からはこいつらと同じように働いてもらうからな」
「え、えぇー!?」
思わずわたしが叫ぶと、リーバンクリフは鋭い目でわたしをにらみつけた。片手に號珀色《こはくいろ》の液体の入ったグラスを持ってね。
たぶん……いや、きっとあれはお酒だ。さっきからプンプン臭《にお》いがするもん。
「ちょっと話が違うんじゃねーのか? おれたちは冒険者だ。ミケドリアをモンスターから守るって聞いてきた。別に野良《のら》仕事しに来たわけじゃねーんだ」
やっとトラップの毒舌が炸裂《さくれつ》した。
リーバンクリフは片目を細くして、トラップを見た。彼はカツンカツンと堅い靴音を響かせ、トラップの前にやってきた。
ピッカピカのロングブーツだ。
トラップの首にかかっていた冒険者カードをつまみ上げ、
「ほほー。レベル1の冒険者がでかい口を叩《たた》いてくれるじゃないか。ああ?」
と、言うなり、ドンッとトラップの胸を叩いた。
ゲホッと言って、床に尻餅《しりもち》をついたトラップ。
「何をするんです!」
さっとクレイがトラップの前に立つ。ひとり、納屋に案内されるのを待っていたノルも後ろから駆けつけた。
「ふん。弱い分、チームワークは万全ってわけか」
「弱い、弱いって繰り返すなよな。ちぇ、失礼な奴《やつ》だぜ。どういう躾《しつけ》されたんだか。っけえー、それに酒くせえー!」
トラップが立ち上がりながら憎まれ口を叩く。
言ったれ! 言ったれえー!
いつもは彼の毒舌に悩まされているわたしだったけど、今だけは別。こーんな失礼な奴に遠慮なんかいらないもんね。
でも、リーバンクリフは全く動じない。
「よし、じゃあ、おれに勝ったら、働かなくてもいい」
そう切り替えされるとは思ってもみなかったトラップ。ぐっと言葉に詰まった。
「か、勝つって……何をするんだよ。おれは盗賊だぜ。鍵開《かぎあ》け勝負とかならいいぜ!」
「盗賊か。冒険者じゃなきゃ、単なる犯罪者の…」
「な、なにいー!」
「ト、トラップ。落ちつけよ」
リーバンクリフに飛びつこうとしたトラップをクレイが止めた。
そしてクレイはリーバンクリフに言った。
「剣の勝負でいいなら、わたしがお相手しますが」
「ふん。おれは何でもいい。よし、じゃあ表に出ろ」
「父さん、どうしたというんです?」
わたしたちが上がろうとしていた階段。そこから、細身の青年が降りてきて声をかけた。
わたしたちは耳を疑った。
だって、『父さん』と呼んでるからには、この人、リーバンクリフの息子《むすこ》なんでしょうけど。でも、どう見たって血のつながりはなさそうだ。
抜けるように白い額にさらさらの金髪を無造作にたらして……こう言うと怒られちゃうかもしれないけど、ちょっと見ただけだったら女の子と間違えられるかも。
深い湖のように澄んだ緑色の目がとても印象的だった。
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牧場主の息子《むすこ》
1
息子の名前はクリフト。十七になったばかりというから、わたしたちより少しだけ年上だ。
さっきの大きなむく犬。わたしたちの騒ぎには目もくれなかったのに、クリフトが現れた途端、ぱたぱたと尻尾《しつぽ》を振つてうれしそうに彼の回りを回った。
彼はリーバンクリフの一人息子。二年ほど前におかあさんを亡くして、今は父と息子だけなんだとか。
もちろんフォーレスのような牧童達はいたにはいたけれど、一人辞め、二人辞めして。残るは、出戻りのフォーレス&ジャスパー、この二人だけ。例の病気だったトムっていう子も結局はクビにされたらしい。
あ、そうそう。あれから、クリフトは父さん……つまりリーバンクリフを止めようとしてくれたけれど、結局剣の試合はすることになってしまったんだよね。
でも、決着はあっという間についた。
男らしく一本勝負にしようということになったが、それこそ一秒くらいで決着がついたような気がする。
だって、始まったかとこっちが身構える隙《すき》もなく地面にクレイが膝《ひざ》をついていたんだもん。剣も投げ出して…。
あの時のクレイって、思い出すだけで胸が詰まってしまう。
彼も何が何だかわからないって顔だった。でも、すぐにさっと顔を曇らせ、ゆっくりと立ち上がった。
「あんた、いい剣を持ってるのになぁ。ま、いくら剣がよくても腕がおいつかなきゃ話にならんか。それを宝の持ち腐れっていうんだ。どうせ親が持たせたかなんかだろうが」
リーバンクリフはそう言うと、笑いながら母屋に戻っていった。
悔しかったけど、でも、ここで何か言うってことはさらにクレイの立場をなくしてしまうことになりかねない。
だから、黙って見守るしかなかった。
リーバンクリフが閉めた家の扉を見ていたクリフトが振り返った。
「気にすることはないですよ。父さんは昔冒険者だったんです。それも、かなりのレベルまでいったファイターだったそうです。それを今も自慢にしていて、今だに毎日トレーニングしているくらいですから。ま、だから、例の言い伝えだって平気な顔をしてられるんでしょうが……あ、ご存じですか?」
「は、はい。夕日が二つ見える夜……っていう、あれですね?」
わたしが答えると、彼は大きくうなずいた。
「この辺の住人は全員逃げ出してしまいましたよ。やはりあの伝説は本当だったんだってね。うちの従業員たちも次々に辞めていきました。まぁ、それだけが原因なんじゃないんですが……。父さんのやり方じゃ、いてくれっていうほうが無理ですよ。特に最近は酒浸りになっちゃったし。あなたたちもいつまでいてくれるんでしょうか……」
そう言う、クリフトの寂しそうな顔が印象的だった。
だから、わたしはついつい無責任にも、
「そんなことないですよ! 仕事で来たんです。ちゃんといますから!」
なんて言っちゃった。
でも、そういえば…今の剣の試合でクレイが負けたってことは、明日から牧場の仕事をみっちりやらされるってことで。
う――む。
でも、まぁ、なんとかなるんじゃないの??
なんてね。例によつて、甘いことを考えたわたしだったけれど。
「けっ、おまえさんたち。よくそんな無責任なこと言えるなぁ」
と、どこに隠れていたのか、例の凸凹コンビ、ジャスパーとフォーレスがへらへらと笑いながら現れた。
「そうさ、ジャスパー兄貴の言う通りだ。牧場仕事の大変さを知らねぇから、そんなことが言えるんだろうけんど」
「そうそう。それに、あの悪魔のようなとっつぁんが満足するまで働くってことが、どんだけ恐ろしいか」
でも、彼らはクリフトの険しい表情を見て、ひょいと肩をすくめ、黙ってしまった。
主人の気持ちがわかるのか、むく犬も心配そうにクリフトを見上げている。
でも、結局はジャスパーたちの言う通りになっちゃったんだよね。悔しいけど。
2
と、いうわけで、冒頭部分に話がつながるんだけど。
正確に言うと、牧場に来て三日が経《た》っていた。
でも、こんなにも長い三日をわたしは経験したことがなかった。
これでも、いろんな仕事してきたつもり。でも、こんなにまで心身共にこき使われたことはない。
朝はまだ四時。夜明け前の真っ暗な時に叩き起こされる。あのリーバンクリフがドラム缶《かん》をガンガン叩いて起こすのだ。
それから朝食もとらしてもらえないまま、一日の仕事が始まる。
やっと朝食にありつけるのは、ミケドリアたちに朝食をあげた後。
でも、あのすさまじい臭《にお》いの厩舎《きゆうしや》を掃除した後だから、そんなに食欲も出ない。だいたい食欲が出るような、んなごちそうが出るわけもない。カチカチに堅い黒パンに薄いコーヒー。それから、向こうが透けて見えそうに薄いハム(味はいいけどね)だけ。
さすがの食いしんぼルーミィも泣きそうな顔で、「ルーミィ、おなかいっぱいだおう」とパンを残した。
不幸な朝食が終わると、今度はミケドリアたちを牧草地にと連れていく作業が始まる。これがなー。慣れてればなんてことないんだろうけど(リーバンクリフなんかだと、ミケドリアたちもすんなりと言うことを聞く)、わたしたちにとっては至難の業。
だいたいミケドリアたちがわたしたちの言うことを全く聞かない。
後、もうほんの二、三メートルというところまでトコトコ歩いてきたかと思っても、いきなりテコでも動かなくなってしまったりした。こうなると、もう、何をどうしようがダメなんである。
なだめてもすかしても、前に回ってお願いしても、後ろに回ってけっ飛ばそうとしても。
石にでもなったかと思うくらいに、ビクともしない。
なのに、クリフトとかリーバンクリフとかがチラッとこっちを見たりした途端、今までのことはウソか幻だったかのように、いきなり素直に動きだしたりする。
まーったく、頭来るんだからなー。
そうそう。例のムク犬。ジャックっていう名前なんだけどね。彼は立派な牧羊犬……ならぬ、牧ミケドリア犬。彼が追い立てていくと、、ミケドリアたちが本当によく言うことを聞く。我々全員分よりも有能なんじゃないのかな。
クリフトにとってもなついていて、……っていうより、まるで兄弟のよう。その信頼関係は、こっちが見ていてもうらやましくなるくらいだった。
昼食は外ですませた。といったって、朝食とメニューは変わらない。変わるといえば、超極薄のハムがチーズになったりするくらい。
「ルーミィ、ほんとはおなかぺっこぺこんあけど、おなかいっぱいだおう」
と、またまたルーミィが情けない声で言った。
仕事はミケドリアの世話だけじゃない。みんなの食事の支度、後片づけ、掃除、洗濯《せんたく》、暖炉にくべる薪《まき》集め、薪割り……とキリがない。
しっかし、感心するくらいにリーバンクリフの人使いは荒かったし、うまかった。だって、ひとりとしてサボったりする時間はないんだから。的確に指示し続けていた。
まぁ、自分もキビキビと働きづめだったから、まだ好感が持てるといえばもてるんだけど。でも、考え方を変えてみるとだ。全て自分を基準にしているような気がするんだな。そんなにみんな頑丈《がんじよう》でもないし、経験もないでしょ? なのに、リーバンクリフと同じだけの仕事量を課してくるんだから、所詮《しよせん》無理っていうもんだ。
夕飯の頃には、みんな物も言えないほど疲れ果て、テーブルについたまま寝てしまいそうになった。
ううん、筋肉が痛すぎて椅子《いす》に座ってることすら辛いという状態 なんだよな。わかる!?
3
「へえ。エベリンにいたことがあるんですか。ぼくも前はよく行ってたんですよ。最近は父さんが連れていってくれなくなったんですがね」
三日目の夜……。
珍しくゆっくり食後の紅茶を飲む時間があったんだよね。
その日はリーバンクリフが外出していて、夜遅く帰ってくるってことだったからなんだけど。わたしたちは暖炉の前の椅子に腰掛け、ひとときの休みを精いっぱい楽しむことにした。
ここにいれば、リーバンクリフが帰ってきたのがいち早くわかるし、そうしたらパッと解散することだってできるもんね(とほほ)。
そうそう。彼はわたしたちとクリフトが仲良く話をすることすら気に入らない様子だったんだ。
でも、クリフトのほうは反対で。暇さえあればわたしたちに話しかけようとした。
「クリフトは外に出ようとは思わないんですか?」
わたしが聞くと、彼はかすかに微笑《ほほえ》みを浮かべ……そして、ちょっと思い詰めたような顔でわたしを見た。緑の目がきらりと光る。
「あなたがたは秘密が守れますか?」
「え!? え、ええ。そりゃ……」
急に『秘密』なんて言われると、びっくりしてしまう。
「別に誰に言うってんだよ。もったいぶらずに言えよ」
「おい、トラップ、そういう言い方はないだろう」
クレイに言われ、トラップはぷいと横を向いた。あーあ、どっちともそうとう不機嫌そうだ。
でも、クリフトはぜんぜん気にしてないようで。にっこり笑って、少し待っててくれと言うように人差し指をそっとかざし、自分の部屋のほうに行ってしまった。
その後をジャックが追いかけていく。
「あ、寝ちゃったよ」
ノルが言う。見ると、彼の膝《ひざ》の上に座っているルーミィが完壁《かんぺき》に寝てしまっていた。
「ルーミィも疲れてんのよね」
「そりゃそうだ。こいつ、腹いっぱい食つてねーもん」
トラップが目を閉じたままそう言った時、クリフトが手に何冊かの本を持って戻つてきた。
そして、目を輝かせながら、わたしに見せてくれた。
『新しい牧場経営』、『事業主への道』、『家畜としてのミケドリア』などの専門書だった。
「父さんには秘密なんですがね」
「どうして? だって、こんな真面目《まじめ》な本ばかりなのに。偉いなぁ、ちゃんと跡継ぎとして勉強なさってるんですね」
「いやあ、独学ですからね。つまり……ぼく、ひ弱じゃないですか。でも、父さんは、あんなふうでしょ。力も強いし、剣の腕もたつ。病気なんかしたこともない。やり方は決してよくないと思いますが、あれで回りの人間には一目置かれている部分もあるんです。特に母さんが生きていた頃は、父さんが厳しい分、母さんのほうがフォローしてましたからね。わりにバランスが取れて、いい牧場だったんです。たくさんの牧童たちが生き生きと働いていた……。
でも、ぼくは体も弱いし、力もありません。これで、けっこうがんばってるんですがね。体質的なものもあるようです。日向《ひなた》に長時間出ているだけでめまいがするんですから。ははは。そんな牧童はいませんし、まして牧場主は無理です」
そう言って、目をふせた。青白い頬《ほお》に長いまつげの影が落ちる。
でも、次の瞬間。パッとこっちを見た目は生き生きと輝いていた。
「だから、ぼくは父さんのようなやり方をするつもりはないんです。いや、やろうといったって無理なんですからね。
ぼくとしては、経営や新しい牧畜方法などをしっかり学んでですね。信頼のおける牧童たちを見つけ、彼らと一緒に今までとは違うやり方でやっていきたいと思ってるんです
そのためにも独学じゃなく、ちゃんとエベリンなどの学校で勉強がしたいんです。その受験勉強もしていますし、学費もためてるんです」
「へえー。ますますえらいなぁ」
「まぁ、ぼくもほんの少しですが、給金をもらってますからね。それに、こんなところにこもってるんじゃ、使いたくたって使えないじゃないですか。でも、そこそこのお金にはなってるんです。何年もかかってますからねえ」
「しっかし、それじゃあの石頭のとっつぁんがいい顔をするはずはねぇわな」
と言ったのは、トラップ。
クリフトは輝かせていた目を曇らせた。
「そう、そうなんですよね。何度か話してみたんですが、父さんには全く理解しようという気持ちがないんです。新しい方法がいいってことになったら、今までの父さんのやり方は間違ってたように感じるらしいんです。でも、そういうんじゃないんだ。いろんなやり方があっていいんだし。その人に合ったやり方ってのがあるってだけで……」
「ってなことを話したわけ?」
トラップに聞かれ、クリフトはがっくり肩を落とした。
「…いえ」
でも、気を取り直したように顔をあげたクリフト。ずっと黙っているクレイに聞いた。
「クレイさん、あなたはどう思います?」
クレイは何かを言いかけたんだけど、かすかに首を振り、
「い、いや……ぼくにはわからない。あなたの気持ちも立場もよくわかるけど」
と、まるでひとつひとつの言葉をかみしめるようにして言った。
でも、そうか……そうだったよね。
クレイもやっぱり同じような苦悩を抱えたまんま冒険者としての修行をしていたんだ。根が脳天気な人だから、ついつい忘れちゃうんだけど。
ほら、お父さんもお爺《じい》さんも、お兄さんたちも。全員優秀な騎士でしょ。ひいお爺さんなんか伝説の聖騎士なんだもの。
そのプレッシャーたるや尋常じゃない。わたしみたいな普通の家の子には想像すらできない。
何となくみんな押し黙ってしまったもんで、話題を変えようとわたしはミケドリアの話をしてみた。
「ねえ、前から気になってたんだけど。ミケドリアって、どうして隙《すき》あれば森のほうに行こうとするの?」
クリフトは「ああ、あれか」という顔で答えてくれた。
「ぼくもよくわかんないんです。でも、どうやらあの森のほうに彼らの好きな草があるようです。それに、あっちは……ほら、あの伝説のある森だから行かせないようにしてるでしょ。だから反対に行きたがるんじゃないですかね」
あ、そっか…。『黒々の森』だったもんね。
いかん! また、なんか気まずーい沈黙が………。と、その時、遠くで馬の鳴き声がした。全員、ハッと顔を強ばらせ、中腰になる。
リーバンクリフが帰ってきたのだ。
4
「まったく。話にならんな。腰抜けばかりだ」
リーバンクリフの吐き捨てるように言う声が響く。声だけ聞いても、そうとうお酒を飲んでるぞ、こいつぁってのがわかる。
わたしたちは大急ぎで二階へと上がったんだけど、キットンが階段の途中で転んでしまって、それ引き上げたりしてる間にリーバンクリフが部屋の中に入ってきちゃったんだ。
二階の床はちょっと歩くだけでギシギシ悲鳴をあげるから、わたしたちは階段の上で身動きできなくなってしまった。
「でも、父さん、みんなが恐れる気持ちもわかるよ。だって、あの伝説は本当の話だっていうもっぱらの噂《うわさ》だし。ぼくらも早くどこかに避難しておいたほうがいいと思うよ。一時のことなんだし」
クリフトが遠慮がちに言うと、いきなり何かが壊れたようなすごい音! と、同時に盛んに吠《ほ》え立てる犬の声。
思わずわたしたち全員身を乗り出した。その上、またもやキットンが思いっきり階段を踏み外してしまった。しかも、しかも。キットンは階段から落ちる時、わたしの足首をつかんだ。つまり、道連れ……。
「ぎゃああー」
「うわ、わわわ!」
二人で転がり落ちてしまった。階段の下まで、一気に。でも、そのわりにうちどころがよかったのか、怪我《けが》もなかった。
でも、はっと我に返って見上げると、そこにはリーバンクリフの怖い顔が……。
「あ、ああ……いや、その……」
「ははは、いい天気でしたねー、今日は。はは、あ、そうそう! 今日も無事、夕日はひとつだけでしたから、はい。よかったですねー」
ったく。キットンたら余計なことを!
案の定、リーバンクリフの額にはモリモリと筋が浮き上がった。
真っ赤になった顔が、赤鬼のよう。
「だいじょうぶか!?」
階段の上からクレイたちが走り寄った。
「う、うん。だいじょうぶみたい」
彼らに助け起こされ、やっとこささっきの大きな音の正体がわかった。
だって、リーバンクリフが仁王立ちしている後ろ、テーブルとクリフトがうずくまっているのをジャックが心配そうにのぞきこんでいた。
あ、いや。テーブルがうずくまるわけはないか。テーブルはひっくり返ってて、クリフトがうずくまっていた。
あーもう! そんなことはどうでもいい!
「クリフト! だいじょうぶ??」
急いでかけよろうとしたら、
「よけいなことはするな」
リーバンクリフ。がわたしの腕をつかんだ。
「何するんです!」
クレイがさっとわたしをかばってくれた。
「ふーん、おまえさん、いつも格好だけはいいんだな。実力のともなわない者に限って格好つけたがる。ぼうず、冒険者なんぞとっととやめて、何か女子供相手の商売でも始めたほうがいいんじゃないかね。花屋とか玩具《おもちや》屋とか」
ひっどぉーい!
そんな言い方ってある!?
ま、たしかにクレイの花屋さんとか玩具屋さんとか、すっごく似合いそうだけど……って、ちがうちがう!
あー、それにしてもお酒臭い……。
クレイは黙ったまま唇をかみしめていた。
「ちえ、やだやだ。そうやって弱いもんイジメばっかして、それで楽しいわけ? 実力のともなった人物ってのは、それこそそういうことしないと思うけどなぁー」
しらーつとした顔で言ったのはトラップ。
そうだそうだ。言ったれ、言ったれ!
リーバンクリフは、ジロリとトラップをにらみつけると、わたしの手を離し、今度はトラップのほうに向かっていった。
「ほーら、そうやってすぐ暴力に訴える」
その時、
「父さん、この人たちに……関係はないでしょう。彼らを侮辱したり……手をあげるのは…や、やめてください」
苦しそうに息をつきながら、クリフトが言った。
「きゃぁー、クリフトー!!」
わたしは思わず悲鳴をあげた。
だってだってだって。彼の顔、血だらけ!!
それでも、リーバンクリフは平気な顔で、
「腹が減った。飯!」と、怒鳴り、大股《おおまた》で奥の食堂へと歩いていってしまった。
なんなの、あれでも親!?
それに、それに、なんてことだろう。クリフトはよろよろ立ち上がり、彼の後を追おうとしたじゃないか。
でも、さすがに二三歩歩いただけで、倒れそうになってしまった。
「いいよ。ぼくが食事の用意をするから。パステル、怪我《けが》をみてあげて」
クレイがクリフトの手を取り、やさしく押しとどめた。
「で、でも……」
クリフトがなおもクレイに言おうとしたけれど、そのままついに気を失ってしまった。
5
「たぶん、出血したために気分が悪くなったんじゃないですかねえ。まぁ、一時的なもんだと思いますが」
キットンが薬草を出しながら言った。
こういう時、キットンの薬草とか彼の応急手当の能力《スキル》がとっても役にたつ。特にわたしたちのパーティは、防御系の魔法を使う人がいないからね。
そうそ。あれから、ノルにクリフトを彼の部屋まで運んでもらったんだ。
クリフトの部屋は、わたしたちの部屋の並び。質素な部屋で、息子だからって他の牧童たちと何の変わりもなかった。
堅いベッドの上で、苦しそうに眉《まゆ》をしかめるクリフト。さっきの血は鼻血と口の中を切った血だった。ほんと、ひどいことするよ、あのオヤジ。
ジャックが、ずっとクリフトの顔をのぞきこんでいる。
「シャック、だいじょうぶだから。そんなに心配しないでも」
と、声をかけると、彼はわたしのほうを見た。やっと安心したようで、部屋の隅の自分の寝床に行って寝そべった。ジャックは毎晩、ここでクリフトと寝ているらしい。
「あ、ノル、ありがとう」
部屋にもどってきたノルにわたしが声をかけると、
「ルーミィはよく寝てる。おれ、ここにいると部屋が狭くなるから、納屋に行くよ」
そう言って、そっと部屋を出ていった。
ううう、ありがとう、ノル。
「あ、気がついたようですよ、パステル」
キットンの声に振り返ると、クリフトがうっすらと目を開け、不思議そうにわたしたちを見上げていた。
でも、すぐに事情が飲みこめたようで、「す、すみません…」と、起きあがろうとした。
「いいのいいの。今日はもう寝たほうがいい。そうだよね!? キットン」
「そうです。あなた、だいぶ精神的にも肉体的にも疲れてるようですし。これ、よく眠れる薬です。ほんの軽い薬だから、飲んでみてはいかがですかね」
キットンがそう言って、薬草を煎《せん》じたものを差し出すと、クリフトは小さく首を振った。
「お心遣い、感謝します。でも、いつ何があるかわからないから、だからいつもすぐに起きられるようにしておかなくっちゃ」
「ああ……ブラックウーゴ? でも、夕日が二つに見えた夜だけでしょ?」
「さぁ。それは伝説によればそうなってますが、いったい何が本当なのかわからないじゃないですか。この近所の人々は、もうほとんど避難してしまいましたからね」
「うーん……やっぱりお父さんを説得したほうがいいんじゃないのかなぁ」
と、わたしが言うと、クリフトはため息をついて言った。
「聞く耳を持ってくれればね」
「そ、そだね。あーあ、わたしったらつまんないこと言っちゃった。ごめん」
「いえ。いいんですよ。パステルさんたちもいいんですよ、出て行かれたって。あの二人、ジャスパーたちも出ていく相談をしていましたよ」
「あの……じゃあ、あなたも一緒に行かない? こうなったら実力行使しかないんじゃない? お父さんだって、そうなったら仕方ないからあきらめるかも」
でも、彼はまた首を振った。
「父さんを残して行くわけにはいきませんよ」
「……そっか。ごめんね、わたし、またまたつまんないこと言っちやった!」
クリフトは弱々しく微笑《ほほえ》み、どこか虚《うつ》ろな表情で黙ってしまった。
「じゃ、そろそろわたしたちの部屋にもどろうよ。わたしたちがいると寝られないだろうしさ」
「そうですね。パステル、パステルにしては気がきくじゃありませんか」
「キットン、そういう余計なこと言わなくっていいの!」
つい大きな声をあげてしまい、はっと手で口を押さえた。
でも、クリフトは遠い目をしたままだった。
そして、ぼそりとつぶやいた。
「父さんも……きっとたまらなく怖いんだ。だから、あんなに苛立《いらだ》ってる……。でも、母さんと一緒に作ってきた、この牧場を手放したくないから、だから、みんなのように去るわけにもいかない……」
そして、彼はわたしたちのほうに顔を向けた。
「ぼく、母さんによく似てるんです。父さんがイライラするのは、そのせいもあるんですよ」
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ブラックウーゴ
1
それにしてもなぁ……。
「こら、ぼやっとするな。考えごとしてねえーで、手を動かす!」
トラップに怒鳴られ、はっと我に返った。
あぁ、それにしてもお腹《なか》空いた……。今朝も今朝とて、朝食はお預け状態。わたしたちは毎度おなじみ、ミケドリアの厩舎《きゆうしや》を掃除し てたんだけど。掃除っていっても、そのほとんどが彼らのウンチ、オシッコ除去作業なわけで。
この空腹に、この強烈な臭《にお》い!! たまんないよ、全く。
目にしみるもんなぁ……ううう。
「おい、水流すぞぉー!」
クレイの声。わたしたちは厩舎の隅に逃げた。
「まぁだ、こんなことしてんのか。早いとこ、やっちまいな」
「そうだそうだ。じゃねえーと、おれたちまで朝食、食えねえもんな」
ジャスパーとフォーレスのコンビがはやしたてる。
さすがに彼らはプロだからね。同じ仕事でもさっさと片づけてしまう。
「それにしても……クリフト、どうしたのかな。やっぱり怪我《けが》がひどくって起きられないのかなぁ」
クレイが言うと、
「怪我したんかぁ?」
ルーミィがぼんやりした目のまま聞いた。
彼女は、お腹がすいてるのと朝早いのとで、なかなか目の焦点が合わないのだ。
「うん……ちょっとね。まぁ、そんなにたいしたことないみたいだったけど。でも、しばらくは痛いだろうな。……ねえ、クレイ。やっぱりわたし思うんだけど、あれってよくないよ。いくら親だからって、あんな……いきなり殴《なぐ》りつけるなんて」
でも、クレイは眉間《みけん》にしわを寄せたまま何も答えてくれなかった。
だから、「ねえ、トラップ。そう思うでしょ?」と、トラヅプにも言ったが、彼もクレイと同じょうな顔で肩をすくめた。
「だからといって、何をするんだ。おれたちで、あのリーバンクリフに意見でもするのか?」
「……っていうか……」
わたしは口ごもってしまった。たしかに、そう言われるとなぁ……。あのリーバンクリフがわたしたちの言うことに耳を貸すとは思えないし。
「あのな。これは親と子の問題なんだよ。おれたちにはどうしようもねえ。本人同士が解決することだ」
トラップは厳しい口調でそう言うと、またさっさとワラをかき集めだした。
そのようすをぼんやり見ていたら……当のクリフトが現れた。
でも、一目見るなり、何かただごとではないのがわかった。
昨日、リーバンクリフに殴られ、顔半分、紫色に腫《は》らしたクリフト。彼は唇を噛《か》みしめ、思い詰めたような目をして、入り口のところで立ちつくしていた。大きな荷物を持って。
彼の横には、ジャックがいて、彼を心配そうに見上げていた。
「どうしたんだ?」
クレイがかけよった。わたしも遅れてかけよる。
「…………」
でも、彼は真っ青な顔のまま何も言わない。腕にそっと触って、驚いた。小刻みに震えていたのだ。
「何があったんだ?」
もう一度クレイが聞く。ちょっとびっくりするくらい大きな声だった。クリフトはクレイを見上げ、やっと口を開いた。
「ぼくは、もう……我慢できない。ここを出て行きます………」
2
我々が朝の仕事をやってる間のことだ。
昨日リーバンクリフに殴られ、調子の悪いクリフトがやっと起き出したところをいきなりリーバンクリフが叱《しか》りつけた。
彼が言うには、使用人に尊敬されたかったら、自分が誰よりも先に起きることだというのだ。
「父さん、ぼくは毎朝毎朝、誰よりも早く起きています。寝る時も一番遅い……。それはあなたもよく知ってるでしょう?」
クリフトはそう言って、父親に殴られた顔を突き出した。そんなことでひるむリーバンクリフではない。
「ふん、みっともない顔だな」と、あざ笑った。
クリフトも言い返した。
「みっともない顔は父さんも同じでしょう。毎日毎日お酒を飲んで、よくそんなお金がありますね。付けで飲んでるんでしょうが、ノリスの店だって大変なんです。ちゃんと払ってあげなきゃ」
ノリスの店というのは、このあたりで一軒だけある酒場だ。牧場の男目当てに開いている店で、酒だけではなくいろんな生活用品を売っている。
以前、妻が亡くなった後、リーバンクリフが毎晩のように行った店で、当時、よく酒代を溜《た》めていた。
「おまえがノリスの心配をするこたあない。ちゃんと払ってるさ。それも即金でな」
そう言った後、なぜかリーバンクリフは奇妙な顔でクリフトを見た。それが一見、泣き顔のように見え、はっとしたのだが、次の瞬間にはクックッと笑い始めた。笑いの波はどんどん大きくなり、彼は肩を揺らして笑い転げた。
なぜ、そんなにも笑うのか。
クリフトは父親の顔を見ながら、悪い予感がした。
「と、父さん、まさか……」
パッときびすを返し、自分の部屋に走った。急いで、自分の粗末な机の引き出しを開けた。鍵《かぎ》がかかっているはずなのに、すんなり開いた。案の定、引き出しの奥に大切にしまって置いたはずの貯金が半分以上なくなっていた……。
クリフトは、最近、チェックしなかったことを悔やんだ。
いや、そんなこと。
と、彼は思った。
まさか父親が息子《むすこ》の大切な貯金に手を出しているなんて、想像もしなかったんだから。
貯金の一部には、母が彼に残してくれていたお金も含まれていた。
悔し涙が目の端ににじむ。涙でゆがむ自分の部屋……狭く、なんの飾りもない質素な部屋。
そんな部屋のひとつひとつを見た後、彼はついに決意した。
この家を出ていくことを。
「でも……」
何か言おうと、とりあえずそう言ってみたんだけど。
決意を固めたクリフトの、真剣な顔を見たら……何を言ったらいいのかわからなくなってしまった。
「いいんじゃねぇーの? あんなオヤジ。ちったぁ、人の気持ちってもんを考えるとかさ。してみりゃいいんだ。全部、自分中心に考えてつから、どんどん人が居着かなくなるんだ」
自分中心といったら、彼こそその最たるもんだと思う、トラップがそう言った。
意外にも、クレイさえ、「君が決心したんなら、それでいいんじゃないのかな……」と、賛成した。
でも、そうね。そうかもしれない。
たぶん、リーバンクリフって自分があまりにもいろんなことできちゃって、強くって、すごいもんだから、弱い人たちのことってわからないんだろう。体が弱かったり精神的にもろかったりする人がどんなふうに感じるかとか、どんな悩みを持ってるかってこと。
「じゃ……君たちはどうするの? ぼくは、次の乗り合い馬車でとりあえず町まで行く。それからエベリンに行くつもりだけど」
すると、それを聞いたフォーレスとジャスパーがあわてて叫んだ。
「なんだって!? 乗り合い馬車があんのか!?」
クリフトは不思議そうに振り返る。
すると、フォーレスたちはやっと事情が飲みこめたらしく、
「この細っこい小僧めが。よくもおれたちをだましやがったな!」
と、トラップに食ってかかった。でも、すぐにそれもやめ、
「おい。クリフトさんよ、おれたちも一緒に行くぜ。馬車があるんなら、こんなところ用はねえ。おれたちは町まででいい。今、用意すっから、ちっと待つててくれ」
そう言うと、二人は大急ぎで母屋のほうに戻っていった。
荷物をまとめるつもりなんだろう。
彼らを見送った後、クリフトはもう一度聞いた。
「で? パステルたちはどうします? ここに君たちだけ残すわけにもいかないし。どうでしょう。一緒に行きませんか?」
たしかに、そうしたいのはヤマヤマだけど……。
クレイはみんなの顔を見回した。
「一度に全員がいなくなるのは、さすがに悪い気がする。おれたちはもう少しいるよ」
トラップもキットンも、他のみんなも黙っていた。
同意見だったからだろう。
その様子を見て、クリフトは寂しそうに笑った。
「で、でも……ジャックはどうするの?」
わたしが聞くと、クリフトは一瞬泣きそうな顔をした。
でも、小さく首を振り、
「……過酷な旅になるのはわかってますからね。…やっぱり連れていくのは無理です。それに、ジャックにはここにいてもらわなきゃ」
そう言つて、足下のジャックの前に座りこんだ。
「ジャック。頼んだぞ。父さんのこと、頼んだからな」
ジャックはクリフトの言うことがわかったんだろうか。ワン! と、一声大きく鳴いた。
クリフトは、黙ったままジャックを抱きしめた。
「おーい。クリフトのぼんぼん、待たせたな。行くぜ!」
「早いとこ、行こう。まぁーた乗り遅れるのはいやだからな」
荷物を持ったジャスパーたちが戻ってくると、
「じゃあ……」
そう言って、クリフトは少し心残りのある顔でわたしたちとジャックを見た。
でも、ひとつ深呼吸をした後は振り返りもせず、大きな荷物を背負って走り去っていった。
3
なんだけどね。
結局、わたしたちも次の日の朝、牧場を出ていくことになってしまった。別に、何か事件があったとかそういうんじゃないの。
リーバンクリフから「あんたたち、もう用はないから出て行ってくれ」って言われたんだ。つまり、解雇されちゃったってこと。
「でも、どうするつもりなんですか? 誰もいなくなってしまって。あなたひとりでミケドリアたちの世話、できるんですか?」
クレイが聞いたんだけど、リーバンクリフに一笑された。
「おまえらみたいな素人《しろうと》にそんなことを心配されるとはな。よう、いい剣持ってるファイターさんよ。あんた、人のこと心配するより自分の腕を磨いたらどうだい。剣が泣くよ、剣が」
こんなひどいことを言った。
「なぁ、行こうぜ。クビになっちまったんだから、別におれたちが頼んでいさせてもらうこともないだろう? でも、いただけるもんはいただいていかなぎゃな。なぁ、これまでのバイト代、どうなってんだよ」
トラップが言うと、意外にもリーバンクリフは黙ってお金をくれた。ジャラジャラと…なんか小銭がいっぱい詰まった、袋。それをトラップに投げてよこしたのだ。
んでまぁ、わたしたちは出ていったわけ。
リーバンクリフ一人を残して、牧場を去るのは心配だったけれど。まぁ、たしかに彼の言う通り、あんなベテランの牧場主の心配をわたしたちがするってほうが変だもんね。
例の伝説の話も、結局本当なのか何なのかわかんないし。今のところ、ぜんぜんその気配ないし。
「ねえ、ぱぁーるう。もうしうばーりーぶ、かえおうよぉ。ルーミィ、おなかぺっこぺこだおう。いのしかてえ、いこう」
森の中、クレイに手をひいてもらってるルーミィが振り返って言う。
「そうだね。急いで帰ろう。ああーあ、わたしも久しぶりにまともな食事したい。なんか最近、やせちゃったような気がするもん」
「おー、ほんとだ。ない胸がもっとなくなった」
「あ、あのねぇー!」
わたしの反撃をひょいとかわし、トラップは身軽な足取りで森の中へと走って行ってしまった。
「あの人のパワーの源はいったいなんなんでしょうねえ」
キットンがあきれたように言った。
なんかでも、わたしたちって何やってたんだろうか……。
この何日か。いったい何だったんだろう。
乗り合い馬車に乗れなかった時のことを考え、朝、日も昇らない「うちに出発したのがよかった。
思った通り、馬車には乗れなかったんだけど、夕方には一番近くのマリドという町のすぐ近くに来れた。
深い森の木々の隙間《すきま》から、真っ赤な夕日の光が差しこんでくる。
燃え立つような赤。
……でも。なんだかいつもとちょっと違うような。どこがどうってこともないんだけど。
それを感じたのは、わたしだけじゃなかったみたい。クレイも、トラップも、ノルも、あのうるさいキットンさえも黙りこんで、あたりの気配をうかがっていた(ルーミィはクレイにおんぶされて寝ていたけど)。
だんだんと不安が大きくふくらんでいく。
脈も早くなってきた。
お互い、顔を見合わせる。
まさか……!?
まさかね。
でも、ここからでは森の木々にじゃまされ、夕日が二つあるかどうか調べることはできない。
「……ちょっくら見てくる」
いつになく真剣な表情でトラップが言うと、近場の木をスルスルと登っていった。
「どうだ!?」
下でクレイが聞く。
しばらくして、トラップの声だけが返ってきた。
「やっべえー……」
4
とにかく一度はマリドに行こうってことになった。ブラックウーゴっていうのは、たしか森の方からやってくるって話だったし。
案の定、町は蜂の巣をつついたような騒ぎ。
大八車に荷物を乗せて、逃げ出す人……家の窓や扉に板を打ち付けて準備をする人……食料を買いに走る人……ただ、パニックを起こしてオロオロと歩き回る人……。
そのようすを呆然《ぼうぜん》と見ていたわたしたちだったけれど、
「んで、どうすんだよ」
トラップがポツリと聞いた。
クレイはちらっとわたしたちを見て、
「そりゃ戻るしかないだろ?」と言った。
な、なんちゅうか、その。
今、わたし、すっごくドキドキしてる。
クレイもトラップも、ノルもキットンも。みんな緊張しきった顔。でも、すっごくいい顔してる。
ルーミィを除く全員……パーティ全員が今、心を一つにしているっていうのか。
か、感動っ!!
これぞ、冒険者じゃない!?
「もう遅いですかねぇ。クリフト、エベリンに行ってしまいましたかねえ!?」
キットンが聞くと、クレイは首を傾《かし》げた。
「とにかく捜してみよう。牧場をあのままにしておくわけにはいかないし。人手は一人でも多いほうがいい」
パニックを起こしている人たちの中、人捜しをするのは大変だった。
でも、ようやく町はずれで例の凸凹コンビ、ジャスパーとフォーレスを見つけた。
彼らも大急ぎで町を逃げ出すところだった。
「クリフトー!? あぁ、あのボンボンなら、とっくの昔にエベリンに向かったぜ。くそー。おれたちも一緒に行けばよかった! なぁ、フオーレス」
「ほんと、ほんと。おめぇたちも逃げ出したんだな。やっば、どうやらあの牧場が一番先にやられるっちゅう話だ。例の黒々の森に一番近いからな」
とりあえずクレイは彼らに頼んでみた。
一緒に牧場に戻ってくれないかってね。
もちろん、二人とも滅相もないって顔で断った。そして、
「ま、まさか、おめえら、戻るってんじゃねえーだろうな」
と、ジャスパーが聞いた。
クレイが黙っていると、二人とも信じられないという顔。
「ばっかじゃねえのか? ヘヘーん、だから、冒険者なんちゅう人種はわかんねえーつてんだ。かなう相手かどうか考えてみろよ。なぁ、フォーレス」
「そうだ、そうだ。悪いこたぁ言わねえ。おめえらも逃げたほうがいいって」
「クレイ……」
トラップが促すと、クレイはうなずいた。
「じゃあ、残念だけど。あなたたちも気をつけて」
そう言って、わたしたちはジャスパーたちと別れた。
それから、我々は馬車を借りることに成功した。
あの後、町の役場にかけこみ、牧場に 戻ることを話したんだよね。だって、徒歩で帰ってたらとてもじゃないけど、夜には間に合わないじゃない? 伝説によれば、ブラックウーゴがやってくるのは真夜中だっていうし。
リーバンクリフって、この町でも有名人らしくって、彼がひとりで牧場に残っていると聞いて、町長さんたち、すっごくびっくりしてた。
わたしたちが馬車に乗りこんだ時には、もうすっかり暗くなってしまっていた。
ほんとに、間に合うんだろうか!?
それに、ブラックウーゴっていったいなんなんだ!?
5
わたしたちが牧場にやっと到着したのは、まさに真夜中。
いくら明かりがついているからといって、暗い森の道、馬車を走らすのは大変だったのだ。
なんだか、すっごい風が吹ぎ荒れちゃってるし。
まさか、もう襲われた後では!? と、心臓、バクバクいわせながら走っていったんだけど。
厩舎《きゆうしや》のほうで、長身の人がひとり板を打ち付ける作業をしていた。
「リーバンクリフさん!!」
風の中、クレイが叫ぶと、リーバンクリフは心底驚いた顔で振り返った。足下にいたジャックはわたしたちを見ると、うれしそうに尻尾《しつぽ》を振った。
でも、リーバンクリフのほうは何も言わず、すぐに作業を再開した。我々のことは完全無視ってわけ?
「手伝います!!」
クレイやノルが走りより、リーバンクリフが支えている大きな板を持とうとしたが、
「いらんお世話だ。おまえら、なんで帰ってきた」
と、二人の手を払った。
でも、クレイはその手をつかんだ。
「リーバンクリフさん。今、つまらない意地を張ってる時間はありません。あなたはいいかもしれないが、襲われるのはミケドリアたちだ」
しばらくの沈黙。
長身の二人はしばらく睨《にら》み合っていたけれど、リーバンクリフのほうが折れた。
「ただし、足手まといになるなよ。そこの女子供、おまえらは手伝わんでいい。風に飛ばされんよう、足を踏ん張って見ていろ」
「そ、そんなぁ! わたしだってお手伝いできます。ロープでしばつたりとかできるもの」
わたしが口を尖《とが》らせて言うと、
「そうだおう! ルーミィだってルーミィだって、ろーぷしばったいできうもん!」
ルーミィも同じように言った。クレイも、
「そうですよ。おれたち、これでも冒険者なんですからね。女の子だって、普通の子より力はありますよ」と、言ってくれた。
リーバンクリフはあきれた顔をしたけれど、もう文句は言わなかった。そのかわり、例の調子でテキパキと指示を始めた。
「おい、そこの板、持って来い。二枚だ、二枚。おい、そっちは釘だ。まっすぐ打つんだぞ!」
ビュウビュウと吹きまくる風が髪を逆立てる。
風がすべての雲を吹き飛ばしてしまったようで、空は満点の星。そして、正円に近い満月。
来るのかどうか、わかんないけど。
でも、なんだか……やっばり不気味だ。
厩舎の中のミケドリアたちも、嫌《いや》な予感でもするのか、不安そうに目をキョロキョロさせ、しきりに足を踏みならした。
「きゃあ!!」
一度打ち付けた板がいきなり足下に落ちてきた。
「だいじょうぶか!?」
ノルがやってきてくれた。
「う、うん。だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっとびっくりしただけ」
なんて話していると、すぐ隣にいたジャックがいきなり吠《ほ》え始めた。
「うわあぁ、びっくりした。なによ、ジャック。驚かせないでよ」
そう言って、ジャックの背中をなでようとして、手を止めた。
なんか様子がおかしいのだ。
ジャックの視線を追う……月の光に照らされた牧草地、その先にはあの黒々の森……があるだけ。
「どうしたんだ、ジャック!」
リーバンクリフも異常に気づいたようだった。
でも、ジャックはしきりに喩《うな》り声をあげるだけ。
「き、来たんじゃないですか!?」
キットンの声が裏返る。
「どこだ!?」
「どこにいるんだ?」
クレイとトラップも、ジャックの視線の先を見据えた。
でも、やっぱり黒々の森が……あ、あれ!?
「も、森が動いてない?」
「森が動く? まさか」
「ううん、動いてるよ……」
そうなんだ。最初はあまり突飛な考えだったから、自分でもなんか信憑性《しんぴようせい》なかったんだけど。
黒々とした森が、ざわざわとうごめきながらこっちに近づいてきていたのだ。
ううん、森だと思ったけど、それって違う!!
人だよ、人。
いや、人に見えるもの。
それも、途方もなく多い……黒い絨毯《じゅうたん》のような……。それは、行進を続け、だんだんと牧場を包みこむように広がっていった。
6
「はっはっは……」
ドスンと膝《ひざ》をついたリーバンクリフが急に笑いだした。
何がそんなにおかしいんだろう。
しまいにお腹《なか》を抱えて、苦しそうに身をよじった。
「ぱぁーるう、ルーミィ、こあいよお!」
ルーミィがしがみついてくる。
わたしも泣き出したいくらい怖い。だから、ルーミィのちっちゃな手をしっかり握りしめた。
「なぁ、グズグズしてる暇はねぇぞ。ミケドリアたちにゃかわいそうだが、おれたちだけでも逃げた方がいいぜ」
珍しく真剣な顔でトラップが言った。
「わたしもそう思いますよ、あんな数でこられちゃ、どんな勇者だってひとたまりもないでしょう!」
キットンも同じく真剣な顔。
リーバンクリフを見ていたクレイも、トラップたちのほうを振り返り、大きくうなずいた。
「よし、じゃあさっきの馬車で逃げよう。ミケドリアたち、閉じこめておくのはかわいそうだから、逃がしてやろう!」
厩舎の扉を開けようとしたら、リーバンクリフがクレイの前に立ちはだかった。
「勝手な真似はよしてくれ。ああ!? これはな、おれと……いや、おれが大事に育てあげたミケドリアだ。逃げたいなら、おまえらだけで行けばいい。おれは最後まで戦う。こいつらを守る」
「正気か!? このとっつぁん」
「トラップ、黙れ!」
クレイに言われ、トラップはプイとそつぼを向き、馬車のほうに走っていってしまった。そして、御者台にひらりと飛び乗ると、
「そいつは勝手に残るって言ってんだ。ほっとこうぜ! ほら、パステル、ルーミィ、キットン、ノル!! 早く乗れよ! ほら、ジャック。おめぇもだ!」と、怒鳴った。
で、でも…どうすれば……。
「パステル、ほんとに一刻も早く逃げないと、もうダメです。行きましょう!!」
キットンがわたしの手を引っ張った。
「で、でも、クレイは!?」
見ると、クレイはまだリーバンクリフと押し問答をしていた。ジャックもその横から離れない。
それを見ていたノル、のっしのっしと彼らに近寄ると、問答無用。
いきなりリーバンクリフを抱え上げてしまった!!
そして、
「クレイ、行くそ」
と、声をかけ、暴れるリーバンクリフを抱えたまま馬車に戻ってきた。
すっごーい怪カ!!
「よし、じゃあ……行け!!」
クレイはミケドリアたちを一斉に逃がした。
彼らはブゴーブゴー……と叫びながら、森とは違う方向に走りだした……と、安心したのも束《つか》の間。
なんてことだろう!
ミケドリアの一頭が何を考ぇたか、いきなりの方向転換。
なんと、あの黒い絨毯《じゆうたん》の中心めがけて突っこんでいったではないか。
しかも、他のミケドリアたちも全員くっついて行ってしまった!!
みんなが呆然《ぼうぜん》となった時、ノルの手も緩んでしまった。その隙《すき》をついて、リーバンクリフが馬車から飛び降りた。
そして、ミケドリアたちの後を追いかけた。
「戻れ! 戻るんだー! ほら、どうどうどう!! 戻れぇー!!」
絶叫のような声。
わたしの横にいたジャックもすぐに飛び出し、リーバンクリフの後を追った。
「ど、どうすればいいの!?」
でも、誰もどうしたらいいのかわからない。
クレイは思い詰めたような顔をしていた。そして、頭をかきむしった。
「忘れてた! ミケドリアたち、どうしてか、あの森に行きたがってたってこと」
「ああ!!」
わたしもいきなり思い出した。
そう言えばそうだ。だって、わたし、クリフトに聞いたじゃない? どうして、ミケドリアは森のほうに行きたがるのかって。
「おれ、行ってくる。おまぇら、馬車で逃げてくれ。トラツプ、ノル。頼む」
クレイはそう言うと、馬車を降りてしまった。
「クレイ!!」
思わずわたしが叫ぶと、彼は振り返って「だいじょうぶ。後で落ち合おう!」と言い、微笑《ほほえ》んだ。あのいつもの優しい笑顔で。
「トラップ! ノル、だめよ。クレイだけ行かせるなんて!!
わたしはもうベジョベジョに泣きながら言った。
「だぁあぁぁぁ……どうせこういうことになると思ったぜ!!」
「はは、そうですねぇー。そういうことになると、わたしも思いました!」
トラップとキットンがため息をつきながら馬車を降りた。
ノルもゆっくり降りて、こん棒を持った。
トラップはパチンコ、キットンはクワ。わたしもショートソードを構えようと思ったけど、あれ、持ったまま走るのは危ないし。ルーミィもいるもんね。とりあえず戦闘になった時に構えることにして、走りだした。クレイたちのほうに。
走りながら、ルーミィが唯一使えるファイアーの呪文《じゆもん》を書いたメモをリュックから出した。
万が一ってこともある。威力はないけど、ルーミィのファイアーだって役に立つかもしれないもんね。
「パステル……」
戻ってきたわたしたちを見て、クレイは絶句した。
「もう何を言っても無駄だからね。さぁ、早くミケドリアたちを誘導しなきゃ!」
でも、黒い森のように見える……何者かはどんどんと包囲網を狭めていっていた。
ミケドリアの犠牲が出るのも時間の問題かもしれない……。
「早く帰ってこい!! ドリー!! ネルス!! アンバ!! ルゴ!!」
リーバンクリフの切羽詰まった声が夜空に吸いこまれていく。
……と、
「父さん! 父さん!!」
そんな声がした。
どこかで聞いた声!? それに「父さん」ってことは……。
見ると、華奢《きやしや》な男の子が馬に乗ってやってきた。ふわふわの巻き毛の金髪、緑色の瞳……。
!?
えぇ――!? うそ。
「クリフト? ど、どうしたの!?」
わたしが聞くと、馬から降りたクリフトはちょっと決まりの悪そうな顔をした。
「やつばり……行けなかったんだ。エベリンまで行きかけたんだけどね。マリドの町に戻って、このことを知って……大急ぎで戻ってきたんだ」
「ワン、ワンワンワン!」
クリフトを見つけたジャックがピョンピョン跳ね回りながら、尻尾をちぎれるほど振っている。
リーバンクリフのほうを見ると、彼は息子《むすこ》の顔をまじまじと見つめていた。感動の再会! と、思ったのに、彼は何も言わず、また「ほら、帰ってこい! ルーゴ、ファイゴー!」と、ミケドリアの誘導を始めた。
クリフトはリーバンクリフの前に回りこみ、腕をつかんだ。
「ねぇ、父さん。もうミケドリアたちはあきらめよう。それより、
早く逃げなくちゃ。この人たちを死なせちゃだめだよ」
「おれが頼んだわけじゃない。逃げたいなら、おまえらだけで逃げろ」
「ばか!!」
クリフトはリーバンクリフの頬《ほお》を思いっきり叩《たた》いた。
呆然と立ちすくみ、不思議そうな目で父親は息子を見下ろしていた。
「父さん、父さんも一緒に逃げるんだよ」
クリフトに言われ、リーバンクリフは肩を落とした。
7
でも、その決断は遅かった。
ついにブラックウーゴたちに完全包囲されてしまったのだ。
人型をしたモンスターだったが、体長一メートル足らずで、全身墨をかけたように真っ黒。鷲鼻《わしばな》で大きな口。小さな目が赤く光っている。針金のように細くて手足が妙に長い。
「ワシャサワシャサワシャサ」
というようなことを言いながら、その長い手足をカマキリのように振り上げせかせかと近づいてきた。
「先におれとノルが行く。トラップ、後ろから援護してくれ」
馬車のほうへの突破口を作るため、ノルとクレイがそれぞれ武器を手にブラツクウーゴたちに向かっていった。
「でええぇぇ――い!」
「とおおお!!」
二人がその辺にいる奴《やつ》らめがけて武器を振り下ろす。これだけの数いるんだから、どうしようがどれかには当たるはず。
でも、どちらの武器もスカッとはずれた。
っていうより、その辺にいたブラツクウーゴたちがまるで蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げてしまったからだ。
な、なんだ!?
その上、逃げ遅れた何匹かは、ぶるぶる震えながら両手をすりあわせ、ペコペコ頭を下げた。
首をひねるクレイとノル。
ためしに……と、一歩前に出る。すると、やっぱりその辺にいたブラツクウーゴたちは大慌てで逃げまどった。逃げるだけで、全く危害を加えようとはしない。
不思議ぃ――!
「なんだ? こいつら」
拍子抜けした声のトラップ。
「あれ? このブラックウーゴ、何かをねだってるようですよ」
キットンが言う。たしかに、そのブラックウーゴは両手をそろえて出し、「ちょうだい」のポーズでキットンを見上げていた。
「ルーミィにも、ちょうだいしてうお。おなか、ぺっこぺこかぁ?」
と、ルーミィ。
ほんとだ。お腹《なか》すいてるのかもしれない。
ためしに、ボケットにあったクッキーをあげてみた。すると、その辺にいたブラックウーゴたちが「ワシャワジャ」「ワシャワジャ」
と大騒ぎで一枚のクッキーを取り合った。
「なんか……この人たち、お腹空いてるだけみたいよぉー!?」
そうなんだよね。
あれだけ世間を騒がせ、我々を震え上がらせたブラックウーゴたちの正体が……ただのおなか空かせた子供みたいなもんだったとは。
彼らはそれから、リーバンクリフ牧場にある、ありとあらゆる食料を食べ尽くした。
まぁ、体が小さいからすぐにお腹いっぱいになるらしいんだけど
ワインだのウィスキーだの……リーバンクリフが大切にしていたらしいお酒類も全部飲み、ブラックウーゴたちは黒い顔を赤く火照《ほて》らせ、いい気分。飲めや歌えやの大騒ぎ。
「わしゃ――、わしゃわさしゃぁ――!」
「さの、わしゃしゃ!」
「わしゃぁ――、わしあぁさぁあー」
「さの、わしゃしゃ!」
ってなぐあい。
「なんでおれたちが、こんな奴らの給仕しなきゃなんねえーわけ!?」
トラップがぶつくさ文句を言う。
「ほら、次、上がったぞ」
「次々、出して!」
厨房《ちゅうぼう》のほうで料理をしているクレイとクリフトが怒鳴る。
「ば、ばかもの! この酒はダメだ。これだけはダメだぞー!」
リーバンクリフはまだ無駄な抵抗をしていた。
「ひゃぁ、おいしーねえー」
ルーミィときたら、ブラックウーゴたちと一緒にケーキを食べてる。あぁーもう。顔、べたべたじゃないのぉ。君は人間としての……いや、エルフとしての尊厳はないのかねえ。
8
翌朝早く……。
ブラックウーゴたちは二日酔いのようで、少しふらつきながらも黒々の森へと帰っていった。ふふふ、かわい 朝焼けに、緑の雲がかかった年、
夕日が二つに見えた真夜中、
黒々の森から、ブラックウーゴがやってくる。
一匹、二匹の騒ぎじゃない。
ウジャウジャ、ウジャウジャやってくる。
ブラックウーゴの通った後は、ペンペン草さえ残っちゃいない。
残るは、空しいため息だけ。
そして、気が変になる。
伝説はすべて当たっていた……。ま、「気が変になる」ような気がしたってだけだったけど。ため息のほうはたっぷりついたもん。
わたしたちは物も言えないほど疲れ果ててはいたけど、でも、なーんか晴れ晴れとした気持ち。彼らが食べ散らかした後かたづけをしながら、とっても充実した気分を味わっていた。
「ああ、いいよ。ぼくが後でやるから」
父親と戻ってきたクリフトが言った。二人は、ちりぢりになっていたミケドリアたちを集め、厩舎《きゅうしや》に戻していたのだ。
「ううん、だいじょうぶ。もうおおかた片づいたから」
わたしが言うと、クリフトはにっこり笑った。
「ありがとう……で、ほんとにもう行くの? 少し休んで行ったら?」
「うん……でも、この馬車借り物だし。町の人たちにも早く知らせてあげなきゃ。ブラックウーゴの恐怖は去りましたよって」
そう言った途端、わたしたちは同時に吹き出してしまった。
「はっはっはは。ブラックウーゴ!!」
「あっはっはは、おっかしいー!」
そこにトラップたちがやってきた。
「パステル、準備できたぜ」
「うん。じゃ、……えーっとリーバンクリフさんによろしくね!」
「うん。ありがと」
「でも……クリフト」
「なんですか?」
「あの……エベリンにはもう行かないの?」
すると、クリフトはちょっと肩をすくめた。
「ううん。また貯金するつもり。で、今度はちゃんと父さんにわかってもらった上で出ていく」
「そうだね。それがいいよ」
「うん」
「じゃ…」
そう言って、クリフトと握手しようとした時、リーバンクリフがやってきた。
「クリフト。おまえも行っていいぞ」
床に視線を落としたまま、彼は言った。
「ええ?」
「大学……行きたいんだろ」
「そ、そりゃそうだけど……でも、いいよ。やっぱり父さんひとりじゃ無理だよ」
「ふん、そんなもの。言い伝えのことが片づけばまた帰ってくるさ。新しい牧童を雇ってもいいし。ま、ジャスパーたちは絶対戻ってくるに決まってるがな」
「でも……いいよ。ほんと。今じゃなくてもいいんだし」
「いや、今じゃなきゃできないことだってある。ほら、金だ。おれの気が変わらないうちに取っておけ。落とすんじゃないぞ」
リーバンクリフはクリフトにお金のずっしり入った袋を手渡した。まだ下を向いたまんまだ。そうか。この人って、すっごいシャイなんだ。
「父さん……」
クリフトが大きな緑の目を見開き、父親の手を握りしめた。
そこでやっとリーバンクリフは息子《むすこ》の顔を見た。
「何年でもいい。おまえの気のすむまでやってこい。しかしな。これだけは約束してくれ。必ず、ここに戻ってくるんだぞ。この牧場に。ここは、父さんと……」
と、そこまで言ってリーバンクリフは歯を食いしばった。目をしばたかせ、空を見上げる。
「……母さんが、おまえのために守ってきた牧場なんだから。だから、必ず戻ってきてくれ。……頼む」
クリフトは大きな目からボロボロと涙を落とし、鼻をすすった。
そして、何度も何度もうなずいた。
その肩をリーバンクリフの大きな手が包んだ。
正午に近い太陽が、広々とした牧草地を照らしている。
まだ肌寒いくらいの風が草の波を作り、馬車の上のわたしたちの髪もゆらしていく。
わたしたちは、何度も何度も後ろを振り返った。
そこには、ミケドリアたちを追うリーバンクリフとジャックの姿があった。
もうすぐ牧場は春になる。
[#地付き]END
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あとがき
角川ミニ文庫、おめでとうございます。
こんなかわいい文庫に、わたしのフォーチュンが参加できるなんて。なんだかほんとにワクワクします。実は、この文庫の企画を伺った時、ぜひわたしも参加したいです! と、手を挙げてしまったんですよね。
なので、これは全くの書き下ろし。ミニ文庫のために書いたものですが、こういう話をいつか書きたいとはずっと思ってたのも事実。
クエストとかに出る前の話……。名付けて、「フォーチュン・クエスト バイト編」です。
シロちゃんが登場しないのが、ちょっと寂しい(書いてても寂しい)けど、昔のパステルたちのようすが書けるのはその寂しさを上回るくらいに楽しい。どうですか? いつものようにハラハラドキドキしていただけたでしょうか。
また、この続きを書きたいなぁと思ってます。彼らはいろんなバイトをしてきてますからね。わたしもこれでけっこうおもしろいバイト経験があります。
何か、こんな話を聞きたいなんていうことがあったり、ぼくは(わたしは)こんなバイトをしたことがあるよ、とか。したいなとか。そういうのがあったら、お便りください。
そうそう。本編の方もどうぞよろしく。角川から@〜Gまで、メディアワークスから新@〜Bまで出ています。
ではでは、またお会いする日までこぎげんよう!
[#地付き]深沢 美潮