フォーチュン・クエスト6
大魔術教団の謎(下)
深沢美潮
FILE#01 クレイ・S・アンダーソン
職業:ファイター(冒険者レベル5)
年齢:18歳
身長:182cm
体重:68kg
目の色:茶
髪の色:黒
主な所持品:ロングソード、ショートソード、ブレストアーマー、竹アーマー
長所:責任感が強い。人望が厚く、やさしい。根本的に人がいい。
短所:長所がアダになることが多々ある。
その他:曾祖父が伝説的な聖騎士。代々騎士の家柄。現在修行中の身ではあるが、騎士として志願するかどうかは未定。
FILE#02 トラップ
職業:盗賊(冒険者レベル4)
年齢:17歳
身長:174cm
体重:58kg
目の色:明るい茶
髪の色:赤がかった茶
主な所持品:パチンコ、派手な服、盗賊の七つ道具
長所:金銭交渉に長け、運動神経は抜群。
短所:口が悪い。本音をズバズバというため、トラブルを巻き起こすこと多し。寝起きが悪い。
その他:代々盗賊の家柄。無類のギャンブル好き。
FILE#03 キットン
職業:農夫(冒険者レベル3)
年齢:不明
身長:156cm
体重:55kg
目の色:濃い茶
髪の色:茶
主な所持品:クワ、モンスターポケットミニ図鑑、各種薬草
長所:博学に富み、頭脳明晰(な部分もある)、薬草関係にはめっぽう強い。探究心旺盛。いい意味でマイペース。
短所:ふだんは鈍感なくらいにノンビリしているくせに、ここぞというところでパニックになりがち。興味のないものには冷たいほど無関心。悪い意味でもマイペース。
その他:キットン族の王族の血筋らしいが、詳細は不明。パステルたちと出会う前の記憶を喪失している。
FILE#04 ノル
職業:運搬業(冒険者レベル4)
年齢:23歳
身長:221cm
体重:122kg
目の色:うす茶
髪の色:うす茶
主な所持品:斧、大八車、パーティの荷物
長所:やさしく、おおらか。動物によっては話ができる。
短所:特になし。しいていえば、狭い所に入れないこと。
その他:行方不明の妹を探している。
FILE#05 ルーミィ
職業:魔法使い(冒険者レベル3)
年齢:不明
身長:114cm
体重:18kg
目の色:青
髪の色:シルバーブロンド
主な所持品:銀のロッド、ジャンプスーツ各種、呪文を書いたメモ
長所:かわいらしいこと。
短所:手がかかること。
その他:エルフ族の子供。親兄弟とは死別しているらしく、天涯孤独の身。
FILE#06 シロちゃん
職業:なし
年齢:不明
身長:小犬並だが、少しの間なら10mほどにもなれる。
体重:6kg(小犬サイズ時)
目の色:黒、または緑(危険を察知したとき)
毛の色:白
鼻の色:黒
肉球の色:黒
主な所持品:帽子、黒の宝玉
長所:けなげな性格。ファイヤーと目つぶしのブレスを吹くことができ、空が飛べる。
短所:空を飛ぶのがかなりヘタなこと。つい「わんデシ」といってしまうこと。
その他:ホワイトドラゴンの子供。
FILE#07 パステル・G・キング
職業:詩人(小説家)、マッパー(冒険者レベル4)
年齢:16歳
身長:162cm
体重:46kg
目の色:明るい灰色
髪の色:金髪に近い茶
主な所持品:クロスボウ、ショートソード、ブレストアーマー、マント
長所:明るく立ち直りの早いこと。
短所:泣き虫、方向音痴。
その他:両親をなくし、冒険家となった。パーティの財務管理をしている。
いまでないとき。
ここでない場所。
この物語は、ひとつのパラレルワールドを舞台《ぶたい》にしている。
そのファンタジーゾーンでは、アドベンチャラーたちが、
それぞれに生き、さまざまな冒険談《ぼうけんだん》を生みだしている。
あるパーティは、不幸な姫君《ひめぎみ》を助けるため、|邪悪《じゃあく》な竜《りゅう》を倒《たお》しにでかけた。
あるパーティは、海に眠《ねむ》った財宝をさがしに船に乗りこんだ。
あるパーティは、神の称号をえようと神の出した難問にいどんだ。
わたしはこれから、そのひとつのパーティの話をしたいと思っている。
彼らの目的は……まだ、ない。
口絵・本文イラスト  迎 夏生
Dedicated to
Mr. Bruce Geller
with Great Gratitude.
STAGE 9
「ちぇ、幸せそうな面《つら》しやがって。寝《ね》てんじゃねーよ」
突然《とつぜん》耳元でトラップの声がした。
わたしはいきなり眠《ねむ》りの沼《ぬま》から引きずり出され、寝ばけたまんま「ううー」と唸《うな》った。
ノルの妹メルを救う方法をアレコレ考えてはいたんだけどね。なにせほら、救いようもないほど睡眠《すいみん》不足でしょ。いつしかすっかり眠りこんでしまっていたのだ……。
「え!? ん、トラップ……どうかした……あ、ああ!」
そうだそうだ!
ピートから聞くだけじゃなく、自分の目で確かめてみたいからって。トラップはひとりで教祖の家のようすを偵察《ていさつ》に行ってたんだっけ。
「う、うーん……、トラップか。……どうだった?」
「ふにゃぁ……?」
クレイやキットンも目をこすりながら起きだした。
トラップはおおげさにため息をつき、
「け、薄情《はくじょう》だよなぁ。こちとら命かけて敵地に偵察行ってるっつーに、ぐーすか寝てんだもんなぁ」
なーにいってんのよ、さんざん昼間寝てたのは誰《だれ》よ、誰!
「いいから、クアーティの家のようすはどうだったんだ」
わたしが口を尖《とが》らせ文句をいおうとするのをクレイが止めた。
トラップはふっと真顔になって首を振《ふ》った。
「ダメか……」
「ああ、思ったより警備は厳重だ。こんな深夜だっちゅうに、門番ふたりに、塀《へい》の回りを巡回している奴《やつ》もいた。どいつもすげーマッチョなおあにいさんだし、武器も持ってる。うまく潜入してメルを救出できたとしても、すーぐバレちまうな」
「と、なると……当然すぐ村中に知らされるでしょうねぇ。信者たちは事情を知らないんだし、クアーティの命令は絶対ですから。総出で追いかけてこられちゃ、いくらこっちにはヒポがいるっていったって……」
「だな……」
きょうの大《だい》術《じゅつ》式《しき》を見てきたばかりのわたしたち、信者たちの一糸乱れぬ団結力のすごさはいやというほどわかっている。
彼らにしてみれば、わたしたちは単なるよそ者。いくらNO.2のメルを救うといっても通用しないだろう。だいたいこっちの事情を説明してるゆとりも機会もないだろうし……。
「んで、まぁ帰りながら考えたんだが……」
「なにか思いついたの?」
わたしが聞くと、ゆっくり顔をあげたトラップ。
「へへ、ちょっとな」
ランタンに照らされた彼の目は、とんでもないイタズラを思いついた悪ガキのよう。
「なによ、なに?」
「どうするんだ!?」
勢いこんで聞くわたしたちを押《お》しとどめ、
「まぁまぁまぁ。……とりあえずちょっくらピートを連れてきてくんないか?」
そういわれたクレイ、
「あ、ああ……ピートだけでいいんだな?」
と、素直にはしごを降り、ピートを呼びにいった。
「ど、どうするの?」
「どんな作戦を思いついたんですか?」
すっかり眠気《ねむけ》も去り、興味|津々《しんしん》トラップに聞くわたしとキットンに、
「まぁ、焦《あせ》るなって」
得意気に鼻の頭を人差し指の背でこすった。
「どうかしたんですか?」
やがてクレイに連れられてピートがやってきた。
「ああ、ちょっくら質問があんだよ。そこに座ってくれるか?」
「は、はぁ……」
ピートったら元気のない返事。
「トラップがね、なにか名案を思いついたらしいのよ」
わたしがいうと、とたんにブルーアイを輝《かがや》かせ長いピンク色の舌を出し、
「な、な、なんなんです? どうするんですか。ぼくにできることがあったら、なんでもいってください!!」
息づかいも荒《あら》くトラップに迫《せま》った。
「う、うわ、ちょ、ちょっと待てよ、待てってば!」
トラップはピートを押しとどめ、襟《えり》を正した。
「そんじゃ、聞いてくれ」
みんな固《かた》唾《ず》をのんでトラップを見つめる。
「まずピートに聞いておきたいんだが……」
「はい?」
緊張《きんちょう》した顔のピートが眉《まゆ》のあたりをぎゅっと上げた。
「クアーティの家の中を知ってるのはおめぇだけだ。メルが今|監禁《かんきん》されてる場所に心当たりはないか?」
「実は……あります。たぶん、あそこしかないと思う……」
「どこなんでぇ、その場所は」
「はい、以前、魔《ま》法《ほう》使《つか》いがやってきたことがあったのですが。彼はぼくらの宗教をバカにし、自分の力をこれみよがしに見せつけたのです。指先から炎《ほのお》を放ち、村人たちが逃げまどうのを笑ってみていたのです」
「ひどい奴《やつ》だな……」
と、つぶやいたクレイにピートはこっくりうなずき、
「怒《おこ》ったクアーティさまは、急きょ自分の部屋の一部を改造し、牢《ろう》を作られました」
「部屋の一部?」
「ええ。続き部屋になっているんですが、その小部屋に鉄格子をはめ、いつでもご自分で監《かん》視《し》
できるように配慮《はいりょ》されたというわけです」
「なるほど、そこにメルもいると……」
キットンがいうと、
「はい、そうです……たぶん。いや、きっと」
ピートは険《けわ》しい表情でため息をついた。
「その魔法使い、結局どうなったんだ?」
と、トラップ。
「はぁ、捕らえられ、しばらくの間その部屋に監禁されていたのですが、クアーティさまのお言葉にふれるうちに改心したようで。おとなしく村から出ていきました」
ふううん、すごいもんだなぁ。
「あと、もうひとつふたつ聞いておきてぇんだが。おれ、あんたらの信仰《しんこう》してる、あのギャミラ像な……」
「は、はぁ……」
「どうやらあれが諸悪の根源《こんげん》だと思ってんだ」
「そ、そんなぁ!!」
ピートがまっ赤《か》な顔でトラップにくってかかろうとするのをグッと押さえ、
「まぁ、待ちなって。実はな、前にもチラッと話したが、この村があるのを知ったわけは……」
と、あのノルの村で起こった悲《ひ》惨《さん》な出来事を、もう一度くわしく話して聞かせた。特に像を手にしてからの村長の急変ぶりや彼の死に様《ざま》を。
深刻な顔で聞いていたピートは、無言のまま苦しそうに首を振《ふ》った。
「そりゃ、これまで聖なるものとして崇《あが》めていたんですからね。すぐに信じろというほうが無理というものです。しかし、これは残念ながら事実なんですよ。そうじゃなきゃ、わたしたちがここにいるはずないわけで……」
キットンがすまなそうな顔でいった。
ピートはしばらく下を向いて考えこんでいたが、キッと顔をあげた。
「では、では……クアーティさまがおかしくなったというのも、ギャミラ像のせいだと?」
「そうです。いや、わたしはこう考えています。彼はあの像を手にした……メルが持っていたあの像をいつ手にしたのかは知りませんけどね……とにかく、あの像を手にした瞬《しゅん》間《かん》から実は狂《くる》ってきていたんだと思うんです。それをいったらメルだって同じこと。ノルの話では兄思《あにおも》いの、気だての優しい娘さんだったそうですからね。ノルや他の人たちになんの挨拶《あいさつ》もなく村を出ていったというのは、おかしいと思いませんか?」
無言でキットンの言葉を聞くビート。彼の返事を待たず、キットンは続けた。
「それに、実はですね。あなたがたを侮《ぶ》辱《じょく》するわけじゃないんで、そこんとこわかっていただきたいんですが……」
ピートは不安そうにうなずいた。
「きょうの儀《ぎ》式《しき》、あれですね。あれはほとんど……いや全部インチキですよねぇ?」
「い、いや! 最初のは……そりゃ……」
「そう。最初、クアーティさんが空中に浮《う》かんでいた……、あれは確かにインチキだ。それにあの釘《くぎ》踏《ふ》みの儀式、あれも仕掛《しか》けがあるんですよね?」
深くうなだれたピート……。そうだ、そういえは『最近は体調が思わしくないからといって、儀式のところどころ幹部に手伝わせインチキをしている』といってたっけ。
しかし、ふっと思いついたようにピートは顔をあげた。
「でも、あの治癒《ちゆ》の術……あれ見ましたよね?」
「ああ、あの禿《はげ》を治したりする……」
「ええ、あれだけは本当ですよ! ぼくだって一度ひどい腹痛で寝《ね》こんだことがあったんですが、クアーティさまが清めた水を飲んだら、あっという間に治ってしまったんですからね!」
「うーん……これは、実にいいにくいことなんですが……」
キットンは口ごもった。
「いったれ、いったれ!」
トラップがはやしたてる。
「こうなったら何でも、包み隠《かく》さず教えてください。ぼくは真実を知りたい!」
ピートは必死の口《く》調《ちょう》でキットンに迫《せま》った。
「では、いいますが。実をいうと、あれと同じ作用をするものが、いつもわたしの立ち寄るエベリンの薬草ショップに売ってるんですよね」
息を飲むピート。
「それはいったん病気を起こしておいて、それをたちどころに治癒《ちゆ》するという変な薬草でして。それを煎《せん》じた粉はほとんど無味《むみ》無《む》臭《しゅう》、無色ですから水に溶《と》かせばわからないのも当たり前。種類はいろいろありますよ。ま、ポピュラーなところで、その腹痛ね。あと、禿《はげ》にする薬、目が見えなくなる薬、足が動かなくなる薬、腕《うで》がしびれる薬……」
キットンの言葉を聞くうち、ピートの目がみるみる曇《くも》っていった。
「そういうの、あったでしょ?」
キットンに聞かれ、ゆっくり……とても辛《つら》そうにうなずく。
「それに、クアーティか……または誰《だれ》か幹部の人でもいいんですが、エベリンに行ってるようすはないですかねぇ。その店はかなり特殊《とくしゅ》な店ですから、彼は必ずあそこで買ってると思うんです」
「クアーティさまは、アスダフさまと一緒《いっしょ》に月に一度は外出されます。大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教《きょう》を広めるためだとかで……」
やっぱりという顔のキットン。アスダフというのは、たしか教団のNO.3の存在だといってたっけ。
「まぁねー。病気を瞬《またた》く間に治してもらっちゃあ、みんな信じちゃいますよね、そりゃ。だから、あなたがたが気づかなかったことに落ち度はないと思います。しかたのないことです。憎《にく》むべきはクアーティ……いや、そんなことを彼にさせた、あのギャミラ像です」
キットンの理にかなった説明に何も言い返せなくなったのか、ピートは大きくため息をつき、
「そうですか……結局、ぼくたちはものの見事にだまされていたというわけですね……」
放心したように、静かにつぶやいた。
「気落ちしてっとこ、わりーんだけどさあ」
デリカシーのかけらもないいい方で、トラップはピートに質問を続けた。
「そのギャミラ像な、あれが諸悪の根源《こんげん》だとしたら、まずはあいつをぶっ壊《こわ》すとかしなきゃなんねぇ」
「メルを救うのに!?」
わたしはつい大声を出した。
だってだって。そりゃ……その、教団の人たちをこのままほっとくわけにはいかないよ。でも、わたしたちが今一刻も早くやんなきゃいけないのはメルを救って、そんでノルのもとに連れていくことじゃん。
「おめぇのいいたいことはわかってる。メルを救い出すのが最優先ってーんだろ?」
わたしは大きくうなずいた。
「だけどさ、もしかして……メルを救い出すとき、ついでにギャミラ像も叩《たた》き壊《こわ》せるチャンスがあるかもしんねぇじゃん」
「そうだな。このままザックたちをほっとくわけにはいかない。クアーティが彼らをだましているのは確かなんだし。それに、ギャミラ像が諸悪の根源だとしたら、第二、第三のクアーティが出てくるのは時間の問題だ……たぶんそうなると……」
「あの謎《なぞ》の行商人の思うつぼですね」
キットンがクレイの言葉を続けた。
謎の行商人!!
すっかり忘れていたけど、城のことといい、今回のギャミラ像といい。彼は厄介《やっかい》の種になるようなものばかりをあちこちにバラまいて歩いている。しかも自分では何も手を下さない、その手口……。いったい何が目的なんだろう!
「まぁ、奴《やつ》のことはこの際忘れようぜ。それより重大なのはメルのこと、そしてここの村人のことだ」
と、クレイ。
「わかった。じゃ、もう何もいわない。ただし、メルのことが最優先だっていうのだけは忘れないでね」
「OK! そんでだ。あのギャミラ像ってな、どこにあんだ? いつもは」
しかし、トラップにそう聞かれたピートは首を振《ふ》りつつ、
「それが、ギャミラさまを安置しておられる場所というのは、クアーティさましか知らないんです……」
「やっぱり彼の部屋ですかねぇ」
キットンがいうと、
「いや、そうじゃないようです。いつもクアーティさまは大術式の始まる前、昼過ぎぐらいに、庭にある池のほうへ取りに行かれますからね」
「池!?」
「はい。ただし、池のほうというだけで、もしかしたらその奥《おく》の森の中かもしれないし。いつもクアーティさまはご自分で取りに行かれていましたから……」
「そうか。だけど、その場所さえつきとめればなんとかなりそうだな!」
と、トラップはいったが、ピートはまた首を振った。
「それが……これはもうかなり前の話になるんですが。ぼくたちに金庫を見せてくださったことがあったんです。エベリンで買ってこられたそうで、そこに大切な教団の財産やギャミラさまを保管しておくんだと、たいそううれしそうに話しておられたのを覚えています。その金庫の鍵《かぎ》が、実は数字のボタンを押す方式になっていて。その順番はご自分の頭のなかにしか書いておかないんだって……」
「パスワード式かあ……それ、どういう奴《やつ》?」
「えっと……たしか」
「あ、これ使って!」
わたしがノートとペンを渡すと、ピートは絵を描《か》いてくれた。
金庫自体はふつうだったが、その扉《とびら》に0から9まで数字の書かれたボタンが並んでいる。
「ついでに、クアーティの家の見取り図ってのかな。だいたいでいいから書いてくれっかな」
トラップに言われ、ピートは何度も修正しながら家の中、それから周辺の見取り図を描いていった。
「ふうむ、その教祖の部屋《へや》の前の……それ、祭《さい》具《ぐ》室《しつ》って!?」
キットンが興奮した口調《くちょう》で聞いた。
「はい、ここに例の治癒《ちゆ》に使う……クアーティさまが清めた水などを保管しているんですが……さっきの話によると、要するに薬部屋のようですね」
ピートが暗い表情でいう。
「ふうむ、それって中に入れます? やっぱり鍵とかかかってるんでしょうね」
「はい。鍵《かぎ》はクアーティさまの部屋にあります。ぼくも使わせていただいたことがありますから場所はわかっていますが……」
「それなら、トラップに開けてもらうとして」
「おいおい、簡単にいうなよ」
「や、ダメダメ!」
ピートが激《はげ》しく首を振《ふ》った。
「あ……やっぱ鍵だけじゃなく、警備員もいるわけ?」
「いえ、警備の者はいませんが、その代わり部屋の周辺はクアーティさまの部屋の中から常に監《かん》視《し》できるような仕掛《しか》けになってるんです」
「仕掛け!?」
「はあ、いくつもの鏡を使った仕掛けでして。ぼくもどういう仕組みなのかはよく知らないんですけどね。廊《ろう》下《か》と部屋の前、それから祭具室の前が部屋にいながらにして監視できるようになってるんです」
「はあぁぁぁぁ……」
なんたる用心深さ。
「ちぇ、よっぽど後ろ暗いところがあるとみえるな。ま、いいや、ちとその図面見せて」
ピートが描《か》きあげた図面をトラップはブツブツいいながら見ていたが、
「よーし、わかった。とりあえず、まずは何がなんでもメルがいると思われる教祖クアーティの家に潜《もぐ》りこまなきゃなんねぇ。そうだよな?」
トラップは再びわたしたちを見回した。
「うん、うん」
「たしかに」
「しかし、普《ふ》通《つう》の人も入れないのに、冒険者《ぼうけんしゃ》であるあなたがたがどうやって……」
ビートが不安そうに言いよどむと、彼の顔の前にトラップが指をつきつけた。
「それだ!」
ハッと身を引いたピートに、
「へっへっ。冒険者のなりで乗りこむわけねーじゃんか」
意地悪そうに笑うトラップ。
「それじゃ、変装《へんそう》するんですか?」
「何に?」
「何に変装したって、潜りこむのは難しいんじゃないのか?」
わたしたちは互《たが》いに顔を見合わせながら、トラップに聞いた。
「誰《だれ》が潜りこむっていったかよ」
またも意地悪そうにクックッと笑う。
「あんたがいったのよ! さっき」
わたしが指《し》摘《てき》すると、「へっ?」という顔で自分を指さし、
「いった? 潜りこむって……」
「いった!」
ひとりでかっこつけてたトラップは、とたんに気まずそうにポリポリ頭をかいていたが、すぐに体勢を立てなおした。
「あー、っと。まぁいいや。とにかくだ。潜りこむんじゃねぇ。クアーティに招待させるのよ、おれたちを!」
「招待!?」
「あああぁ!! わかった」
突然《とつぜん》、キットンがバカでかい声をあげた。
「しっ、静かに……」
ピートは注意しつつ、キットンの次の言葉を待った。
「旅芸人ですね、トラップ」
キットンの言葉にトラップは大きくうなずいた。
「そうさ。あいつ、なぜか旅芸人や行商人には親切だそうじゃねーか。特に旅芸人は必ず自分の家に泊《と》まらせ、次の大《だい》術《じゅつ》式《しき》には前座までさせるっていうじゃん。大術式のときはさすがに警備も手《て》薄《うす》になるはずだ。村人もみんな集まってるしな。そんときを狙《ねら》えば……」
「たしかに……そうだな、それなら自然ですね。しかし、誰《だれ》もかれも前座をさせてもらえるというわけじゃないんですよ。クアーティさまの部屋でオーディションを受け、それに合格しなけれは前座は務めさせてはもらえません」
ピートは元気のないまま、そういった。
「ふん! 合格すりゃいいんだろ!」
トラップが軽く毒づいたとき、いきなりキットンがワナワナと震《ふる》えながら立ち上がった。
「ど、どうしたの? キットン……」
彼は一《いっ》瞬《しゅん》わたしをほうけたように見たが、ひどくどもりながらつぶやいた。
「ち、ちちょ、ちょっとちょっと……ちょっと待ってください。わわたし、とんでもない考えが……いま、ここんとこに浮《う》かびそうなんで……」
バリバリバリバリッと頭をかきむしり、グルグル部屋のなかを歩き始めた。
あっけにとられたわたしたちはお互《たが》いに顔を見合わせるだけ。
急に立ち止まったキットン、
「トラップ、ちょっとそのノートを見せてください」
バッとトラップからピートの描《か》いてくれた図面を奪《うば》い取ると、「そうだ、ここの鍵《かぎ》さえ……いや、そう、オーディションだから……ふむ、こいつぁ好都合……いつすり替え?……あ、ザックの……いいぞいいぞ!……んで、パスワードだから……あ、だめだ……いや、もしかして!?……で、どうする……」などとひとりでつぶやき、太短い指でトントン図面を叩《たた》く。そして、なおもバリバリ頭をかきむしった。
ひぇー! フケがパラパラとわたしのノートに舞《ま》い落ちる。
しばらくの間、ひとりでブツブツいっていたキットン。バンと床《ゆか》に手をつき、わたしたちを見あげた。
「うまくいくかどうかわからないけど、とりあえず作戦は思いつきました。トラップ、あんた旅芸人は旅芸人でも、手品の興《こう》行《ぎょう》やろうってんじゃないですか?」
トラップはキットンをびっくりした顔でみた。
「うん、そうだ。実は手品の興行をやろうかと思ってる」
「おおお、そういや、おまえガキの頃《ころ》から得意だったよな。よくやってくれたじゃんか、カードのマジック」
と、クレイ。
「そうさ、なんかできるっていやぁそれくらいだしな。親《おや》父《じ》の古くからの知り合いがエベリンでマジックショップやってっから、奴《やつ》に相談すりゃぁ道具くらい、いくらでも貸してくれると思うんだ。ま、衣《い》装《しょう》その他は買うとして……」
キットンはなおも興奮《こうふん》した口調で、
「それはそれは、なお好都合です! トラップ、これからエベリンに行きましょう」
トラップの肩《かた》をガクンガクン揺《ゆ》らした。
「お、おお!? そ、そうだな。おれもそうするつもりだったが、おめぇも一緒《いっしょ》に行くか?」
「はい。例の薬草ショップ、あそこで情報を入手しなくてはいけませんしね」
「キットン、で……いったいどんな作戦を思いついたんだ?」
クレイが聞く。
そうよね、そこが肝心《かんじん》要《かなめ》。でも、キットンは少し考えこんで、
「今思いついただけなんで、詳《しょう》細《さい》は後でよく練るつもりなんです。もちろんアイデアは、手品が得意というトラップにも出してもらいますが……」
「まかせとけ!」
トラップはキットンの背中をどついた。
「ですから、申し訳ないけど、とりあえずわたしたちに任せてくれませんかね。ただ、この作戦はみんなの協力がなければ成功しません。だから、詳《くわ》しい段取りが決まり次第その都度《つど》お話ししますが……」
「そうか……わかった。じゃあ、今は何も聞かない。キットン、トラップ、おまえらに任せた」
クレイはリーダーらしく即座に決断した。
「ありがとう!」
キットンは、ほんとにうれしそうにわたしのノートを抱《だ》きしめた。
わたし、こういうところ、クレイってすごいと思うんだ。普《ふ》通《つう》だったらリーダーをないがしろにして……とかなんとかゴネたりすると思うんだけど。その点、彼はさっぱりしてる。
「で? 手品道具はいいとして、他にもいるだろ? 衣《い》装《しょう》とか……」
クレイが聞いた。
「そうよそうよ! お金かかるんでしょ? いくらくらいなの?」
わたしもクレイの質問に重ねて聞くと、キットンとトラップは同時にさっと手を出した。
「なにこれ」
その手を指さすと、
「銀行の通帳くれよ。いくらかかるかわかんねーからな」
「や、やだ! だめよぉ。あんたに通帳渡すくらいならわたしも行くわ!」
わたしはきっばり断った。
「ちぇ、信用ねぇなー」
「ったりまえでしょ――!」
財務担当としては、ですねぇ。キットンとトラップのコンビになんか、こともあろうにパーティの全財産をほいほい預けたりは断固できない!
わたしがまっ赤《か》な顔でトラップをにらみつけていると、
「わぁったよ。じゃ、来ればいいじゃんか……」
おおげさにため息をつきながら、トラップがいった。
「そのかし、眠《ねむ》いだろうけど即出発だぜ。いくらカバがいるからって、あそこまで往復するにゃ最低二日はかかるからな」
「ええ、いいわ!」
トラップったら一日|寝《ね》てたもんだから、目なんかギンギンに冴《さ》えた顔しちゃってさ。ん、でも、こういう展開になるとは予想もしていなかったけど。きょう一日トラップが寝てたっていうの、結果的にはよかったな。
「おれは? 待ってる間なんかすることないのか?」
クレイが聞くと、キットンはちょっと考えこんでからいった。
「そうですね……。わたしたちが帰ってくるまでにルーミィの特訓しておいてくれませんか」
「ルーミィの特訓? 魔《ま》法《ほう》のか?」
「そうです。ストップの魔法、あれです。あれをスラスラ、メモなんか見ないでもいえるよう厳しく特訓しておいてください」
そういえば、ルーミィはストップの魔法が使えるんだったっけ。あらま、すっかり忘れてた。
だってあまりに効果がないから(なにせ止まるっていったって一《いっ》瞬《しゅん》なんだもん)、ほとんど使ったことないんだよね。
クレイはシロちゃんと丸くなって寝《ね》ているルーミィを見ながらいった。
「手品に使うんだな」
「まあ……そうです」
「OK! じゃ、くれぐれも気をつけるんだぞ」
「はい。あー、そんで……ピート、あなたも……」
まだ放心状態でじっと床《ゆか》を見つめていたピートが、ハッと顔を上げた。
「は、はい!?」
「教祖の家のなかをよくわかっているのはあなただけです。うまく潜《せん》入《にゅう》できたときには、一緒《いっしょ》に来てくれませんかね。あ、もちろん、なんとかバレないような工《く》夫《ふう》はしますが……」
ピートは決意をこめた目でわたしたちを見た。
「あなたがたのおかげで目が醒《さ》めた思いです。どうして、あんなチャチな仕掛《しか》けに今まで気づかなかったのか……。いや、しかし。まだ純《じゅん》粋《すい》な気持ちでクアーティを尊敬し、慕《した》っているんですよね。村人たち全員!」
握《にぎ》りしめた挙《こぶし》を力いっぱい自分の膝《ひざ》に打ちつけた。
「ぼ、ぼくは……ぼくは、許せない!」
そのきれいなブルーアイにはくやし涙《なみだ》がにじんでいる。
「わかりました。ぼくにできることなら、なんでもお手伝いします。いや、お手伝いさせてください!」
STAGE 10
「お待たせ!」
わたしが走ってもどってくるのを見て、街灯の下に座りこんでいたトラップが立ち上がった。
「いくらおろしてきたんだ?」
「一応、どれだけかかるかわかんないから、一〇〇Gだけ残して全額よ」
「んで、どうしても自分で持ってるっていうんだな」
「そ、そうよ。あんたなんかに渡せないわよ」
「ふん、せいぜいすられないよう注意するこったな。後で泣いたって知らねーぜ」
「わかったってば」
わたしが口を尖《とが》らせると、
「あ、そうだ。これ、待ってる間に買ったんだ。おまえにやるよ!」
「ええ!? なになに?」
ふ――ん、珍《めずら》しいこともあるもんだ。トラップがわたしにプレゼントだなんて……。
「じゃ、目を閉じて……」
「う、うん……」
ドキドキ、ワクワクして待っているわたしの手に、何か変なものを押《お》しつけた。
「ぎゃああっぁああ!!」
な、なに、なんなのお!?
うわっとばかりに、その変なウニョウニョした物体を放り投げた。
ケタケタお腹《なか》をかかえて笑うトラップ。
「あーあ、せっかくのプレゼントを……」
「な、なんなのよ! それ!」
「ん? これか? グニョグニョっていってな……」
そういって、地面に落ちていたそのスライムみたいな……文字通りグニョグニョした緑色の物体を拾いあげ、
「ほら! かわいいだろー」
なんちゃって、わたしに差し出すのだ。
「や、やめてよお! も――! あんた、この非常時に何考えてんのお?」
「へへへ、だって安かったんだぜぇ。なんとたったの二〇G!」
『X!』 とばかりに、指を二本突きつけた。
「そういう問題じゃないでしょお」
わたしがため息をつきながらマーケットへと歩きだすと、
「ちぇ、あれくらいで驚《おどろ》いてちゃ、手品師の助手なんかできねーぜ」
首の後ろで両手を組んで、トラップがブツクサいいながら歩いてくる。
「そうだ!……そういえば」
わたしはクルッと振《ふ》り返った。
「は、なんだ?」
「ねぇ、トラップ。あんたが手品得意だなんて、わたしちっとも知らなかったわ。まぁ、盗賊《とうぞく》の仕事って手品みたいなもんかもしれないけどさぁ」
「ふん、能ある鷹《たか》は爪《つめ》を隠《かく》すってな」
「どういうのやるの? やっぱカードのとか、切ったロープをつなげたりとか?」
一度子供の頃《ころ》、生まれ故郷ガイナで父に連れられ、手品の興行を見に行ったことがある。その時の手品師は帽《ぼう》子《し》の中から白い鳩《はと》を出したり、きれいなハンカチを何枚も何枚も出したりしてみせたっけ。
「まぁ……そういうのもやるが、メインはもっと大がかりな奴《やつ》をやるつもりだ」
「ヘー、やったことあるの?」
「ない」
ドテッ……。
わたしが軽蔑《けいべつ》の眼《まなこ》でトラップを白々と見ると、
「ちぇ、素人《しろうと》はこれだからなぁ」
彼はおおげさにため息をついてみせた。
「手品ってのはトリックがあるんだぜ。それも大がかりになればなるほど、聞いてみればしょーもねー仕掛けなんだ。それさえうまくいきゃあ後は演技力よ」
「んな付け焼き刃でうまくいくの?」
「いんだよ! うっせーな」
うるさそうに一言いい残すと、人ごみをすり抜《ぬ》けマーケットの奥《おく》へと入っていった。
「あ、待って待って!」
もうそろそろ夕暮れだというのにたいへんなにぎわい。とりあえず建てましたっていうような店がごちゃごちゃ立ち並ぶ細い道は、歩くのも困難なほど人であふれかえっていた。
ちょっと油断するとトラップの帽子が見えなくなってしまう。
さすがはロンザ国有数の商業都市エベリンだ。
どうしたことかヒポちゃんの調子がよくってね。さすがに山道はそんなにスピードも出せなかったけれど、平地になったら元気元気。道中、トラップとキットンは、あーだこーだと作戦を練っていたようだったが、わたしはとにかく眠《ねむ》くって眠くって。ちょっとウツラッとしたと思っただけなのに、はっと気づくともうエベリンについていた。ほんとにヒポちゃんがいてくれてよかった。
キットンは例の薬草の店に行ってくるとかで別行動。後で落ち合うことになっていた。
(せいぜいすられないよう注意するこったな。後で泣いたって知らねーぜ)
そうだよな。気をつけなくっちゃ。
今、わたしの財布のなかにあるお金って、文字通りパーティの全財産なんだから。
銀行でおろすときも緊《きん》張《ちょう》したけど、今また人でごったがえす通りを急ぎながら、改めて胸がドキドキしてきた。
といったって全部で三万Gないんだけどね。わたしたちにとっては大金だもの。でも、ヒールニントでもらったお金、そっくり貯金しておいてよかったぁ。
あ、あれ? トラップは……?
ちょっと油断した隙《すき》にあの特《とく》徴《ちょう》ある帽子も上着も見えなくなってしまった。前後左右ふりかえって見てみる。
う、うそお……。
手作りの銀細工を黒いビロードの上に並べている店、水《すい》晶《しょう》玉《だま》のようなものを売っている店、上からズラズラと布や皮でできた鞄《かばん》をぶらさげている店……。
押《お》しあいへしあい、人々がゆっくりと行き来するなかでわたしは呆然《ぼうぜん》と立ちすくんだ。
「あ、すみません」
ひぇぇぇ……!!
ノルと同じくらいの背の高さ。スキンヘッドにドラゴンの入れ墨《ずみ》をした怖《こわ》そうな人にぶつかってしまったのだ。
その人はギロリとわたしを見おろし、何もいわずに行ってしまった。
トラップ、どこなのよ……。
またキョロキョロと回りを見回していると、突然《とつぜん》後ろから声をかけられた。
「おじょうちゃん、なぁーにしてーんの?」
歌うような口《く》調《ちょう》。
くるっとふりむくと、三人の男がニヤニヤしていた。
背の高さはちょうどキットンぐらい。ずんぐりした体格で、ミケドリアの毛皮で作ったべストをだらしなく着て。腰《こし》には太いダガーや手《て》斧《おの》をぶらさげている。
特《とく》徴《ちょう》ある体格といい緑がかったドス黒い皮膚《ひふ》といい、彼らはグラーナ族だろう。グラーナといえは、たしかキットンのモンスターポケットミニ図《ず》鑑《かん》にも載《の》っている、あまり人間に友好的ではない……危険な種族だ。
「あ、いえ……別に……」
わたしが後ずさると、彼らはニヤニヤしながら寄ってきた。
ええーん、あっち行ってよお。
困って回りを見回したが、助けてくれそうな人はひとりもいない。
「仲《なか》間《ま》とはぐれちゃったの?」
「ねえねえ、おいらたちと飲みに行かねぇかい?」
じょ、じょーだんだろお?
「い、いえ……わたし、用事があるんでごめんなさい」
必死にそれだけいうと、わたしは歩きだした。足がガクガクしていたが、それを悟《さと》られてはいけないと懸命《けんめい》に平気なふりをした。
「つれねーこといわねーでさぁ」
なのに、彼らはわたしの後をついてくる。
無視して歩調を早めると、
「つめてぇなぁ!」
さっとひとりがわたしの前に回りこんで、わたしの手首をつかんだ。
「や、やめてください!」
はらいのけようとしたが、驚《おどろ》くほど力が強い。毛深い手。不潔な黒い爪《つめ》がわたしの手首にがっちりと食いこんでいる。
ばっと後ろを見ると、そこには他のふたりがニヤニヤ笑いながら立っていた。
「だ、だれか!」
すぐそばでヌードルを売っている男を見たが、彼はわたしのほうを見ているにもかかわらず全くの無表情。
道行く人も素知《そし》らぬ顔で行き過ぎていく。
トラップ、どこにいるの?
キットーン……。
こんなときクレイやノルがいてくれたら。
(最後に頼《たよ》りになるのは自分だけだ。おれたちを頼りにするな)
いきなり頭の中にトラップの言葉がリフレインしてきた。
そうだよな、そだそだ!
わたしだって冒険者《ぼうけんしゃ》のはしくれなんだ。
よ、よおーし、こうなったら自分でなんとかするしかない。
わたしは腹をくくり、大きく深呼吸した。
「やめてくださいといってるんです」
自分としては、かなり厳しい口《く》調《ちょう》でいったつもりだった。
だからなのか、彼らもちょっと驚《おどろ》いたような顔をして、
「ほおおー。怖《こわ》い怖い!」
と、ふざけた口調でいい、わたしを見あげた。
しかし、
「そんで? やめないといったら、どうする? え?」
男は顔を近づけてすごんだ。一週間前に食べたチーズが口のなかにこびりついたままなんじゃないかと思うような悪《あく》臭《しゅう》。太い眉《まゆ》の下に光る目は悪意に満ちている。
わたしはお腹《なか》にぐっと力をいれ、
「では、しかたありませんね……」
思いっきり体当たりして男を突《つ》き飛ばした。
だしぬけの攻撃《こうげき》に男は尻もちをついたまま。
信じられないといった表情。
「ぎゃっははっはは! ニダ、こんなあまっこにやられてやんの」
「ひゃあはっはっっは! こいつぁいいや!」
他のふたりが大笑いを始め、ニダと呼ばれた男はわたしをにらみつけながらゆっくり起きあがろうとした。彼が油断なく腰《こし》に手をやるのも見えた。
その顔にはもうニヤニヤ笑いはない。
彼が腰のダガーを引き抜《ぬ》く前にわたしはその手をふみつけ、ショートソードをぬき、彼の喉《のど》元《もと》に突きつけた。
(攻撃こそ最大の防御なり。パステル、弱気になるなよ。先手先手で相手に出番を与《あた》えるな!)
剣《けん》のスクールでわたしに教えてくれた、ロドリゲス先生の言葉通り、わたしは相手に出番を与えるつもりなどなかった。相手の出番があったとき、すなわちそれはわたしの敗北のときなのだから。
にわかに戦闘《せんとう》が始まってしまった……しかも相手はわたしみたいな女の子だからして。見物客が集まってきた。
く、くそ――!
見物なんかしてないで、誰《だれ》か止めに入ってよお。
そのわたしの一《いっ》瞬《しゅん》の弱気に乗じて、ニダはわたしの足をつかみあげた。
ド――ンとその場に倒《たお》れたらしい。
背中のリュックがクッションの役になってくれたからさして痛くはなかったが、形勢は一挙逆転。
体勢を立て直そうとしたときには、顔の前にヌメヌメと光るダガーが突きつけられていた。
「それくらいにしとけよ」
見物客のひとりがぬっと出てきた。
はっと横目で見あげると、それはさっきわたしがぶつかったスキンヘッドの男の人だった。
グラーナ族の男たちが束《たば》になってかかったって、とうてい歯がたたないだろうという体格。
ダガーをわたしに突きつけていたニダは、「ふん!」と一声。不承不承立ち上がった。
倒れたままになっているわたしを、そのスキンヘッドの人が起こしてくれた。
「す、すみません……」
彼はなにもいわず、ちらっとグラーナ族たちを見た。
「おい、行こうぜ」
「そうだな……」
グラーナ族の男たちがコソコソと逃げるように立ち去ろうとした。
そのひとりを、ひょろっとした派手《はで》な服の男がつかまえた。
見慣れた帽《ぼう》子《し》に緑のタイツ。
トラップだ!
「な、なにしやがんでぇ!」
「あ、いやね。こいつ、おれの仲《なか》間《ま》なんだ。すんませんねぇ、無礼をしたようで」
「ふ、ふん! 今回ばかりは見《み》逃《のが》してやらあ!」
「そいつぁどうも。さすがぁ心が広い!」
ペコペコと頭を下げ、男たちを見送っている。
な、なにやってんだよおお。わたしは、わたしは……もう少しで死ぬかもしれなかったんだぞお。
うらみがましい目でトラップを見ると、
「おめぇ、どこ行ってたんだよ」
「だって、トラップ! あんたがねぇ‥…」
口を尖《とが》らせて文句をいおうとする、わたしの手に何かを押《お》しつけた。
「あ、あれ? これ……わたしのお財布……!?」
「しっかりしてくれよなあ。すられねーよう、ちゃんと気をつけろっていったばっかじゃんか」
「そ、それじゃ、さっきの奴《やつ》らが?」
トラップは返事もせず、大きくため息をついてわたしを見た。
どへえぇぇ――!
いつの間にぃ??
「お、おい、パステル!」
わたしはトラップの腕《うで》にすがりつつ、ヘナヘナとその場に座りこんでしまった。
あの連中にあわや全財産を盗《と》られそうになったが、トラップがちゃっかりすり返してくれたおかげで事なきをえた。
そのため、文句をいえる立場じゃなくなってしまったけどね。
いやいや、よかった。
あ、そうそ! お礼をいおうと、さっきのスキンヘッドの人を探したんだけど、そのときにはもう見当たらなかったんだ。
なんか怖《こわ》そうな人ではあったが、いい人なんだなあ。
「ほら!」
まだドキドキいってる胸をおさえていたわたしに、トラップが手を差しだした。
「なに? だ、だめよ。やっぱ……」
「はあ?」
「財布でしょ?」
トラップはまたも深いため息。
「ちやうって。おめぇまたはぐれちまうと厄介《やっかい》だからな。手え貸しな」
そういうと、わたしの手をつかんでズンズン通りの奥《おく》へと歩いていった。
ふぅーん、けっこうやさしいじゃん。
でも、ちらっと前をいくトラップの横顔を見たら、彼は少し不機《ふき》嫌《げん》そうな顔をしていた。
やっぱりわたしのこと、お荷物だと思ってるんだろうな。
そうよねぇ……冒険者だとかいって。わたしっていったい何の役に立ってるんだろ。体力だってないし、剣《けん》も魔《ま》法《ほう》も使えない。マッパーとかいって方向|音《おん》痴《ち》だしな。こんな普《ふ》通《つう》の町中で迷っちゃうんだもの。
いかん、いかん。
ドンドコ落ちこみの坂を下ってく一方じゃないか。
なんだかトラップの手につかまってないと、スランプの底なし沼《ぬま》に引きずりこまれていきそうな気がしていた。
「お、ここだここだ!」
パッとわたしの手を放し、トラップはわたしをふりかえった。
「え?」
「おれが話してた手品屋さ」
その店ほ他の店と同じようにチャチな作りだったが、大きな看板を掲《かか》げていた。
看板には、燕《えん》尾《び》服《ふく》を着たウサギがステッキを持って大きなシルクハットから半身《はんしん》乗り出している絵があり、その下に『アンドラスのマジックショップ』と書かれてあった。
「人が多いからな。財布、握《にぎ》りしめておけよ」
わたしは大きくうなずいた。
たしかに、たくさんの人が店の中を覗《のぞ》きこんでいる。
「さぁ、ここに取りいだしましたる一枚のハンカチ。ほら、種も仕掛《しか》けもござんせん」
トラップと一緒に店のなかを覗きこむと、そこには、はげちょろけの燕尾服を着たおじさんがいた。
彼の前の台には商品と思われる、怪《あや》しげな絵が描《か》かれた箱や色とりどりのボール、キラキラ光る金モール、カードのセットなどが並べられている。
おじさんは緑のハンカチをヒラヒラと裏返したり表返したりしていたが、ハンカチを手のなかに丸めて入れると、目をしっかり閉じて「アブラカタブーラ……」と呪文《じゅもん》のような言葉を唱えた。
みんなが静かに注目していると、ゆっくりと目を開け、これまたゆっくりと手を開いていった。
あ、あれええ?
ドヨドヨと見物客たちがどよめく。
さっきの緑色のハンカチはどこにもない。代わりに一匹の小さなカエルがいたのだ。カエルはさっきのハンカチと同じ色をしていて、ゲコッと一声鳴くとピョンッと見物客のほうへ跳《は》ねた。
「きゃあぁ!」
「わあっ!」
見物客がおおげさに騒《さわ》ぎ、それと同時に拍手《はくしゅ》が起こった。
黒《くろ》眼《め》鏡《がね》をかけたおじさんは頭にかぶっていたシルクハットを取り、何度も小さくお辞儀《じぎ》をして拍手に答えていたが、ふとトラップを見てニカッと笑った。
「おや? ぼうず、珍《めずら》しいじゃねーか」
店の奥《おく》に招き入れられたわたしたち。トラップのお父さんと友達だというこのおじさん、名前は看板に書かれていた通りアンドラスといった。
背の高さはトラップと同じくらい。少々太り気味で燕《えん》尾《び》服《ふく》が窮《きゅう》屈《くつ》そう。きれいな銀色の髪《かみ》をしていたが、筆で書いたような形のいい眉《まゆ》と口髭《くちひげ》はまっ黒だった。
「ふうん、そうかい。そんなことがあったんかい。そいつぁ、あんたらも災難だったなぁ」
トラップに事の顛[#(てん)の字は(眞頁)]末《てんまつ》を聞いたアンドラスは、お茶をすすりながらしんみりといった。
「でさあ、おれ。そいつどうしても許せねーんだよな。手品を、こともあろうに神聖な宗教に利用しやがって人だまして金とってんだろ? まぁ人だまして金|盗《と》るのはおれたちも一緒《いっしょ》かもしんねーけどさ。やり口が汚《きた》ねぇ!」
興奮した口《く》調《ちょう》でいうトラップにアンドラス、
「おめぇのいうとおりならな」
そういって、腕《うで》組《ぐ》みをした。
「そいつ、その教祖、なんてぇ名前なんだ?」
「クアーティっていうそうだ」
「クアーティか……」
シルクハットを小《こ》脇《わき》に抱《かか》え、アンドラスはきれいに整えられた口髭を指先でしきりにさわっていた。
「なんか心当たりでもあんのか?」
トラップが聞くと、
「ん? あ、ああ……」
そう言いつつ、ふと店先を見て、
「あ、それですかい? そのゾンビナボールなら二〇〇Gです」
店先に並べられた商品を手にとっていた男の人に声をかけた。
しかし男は冷やかしだったらしく、あいまいな笑いを浮《う》かべて箱を元に戻《もど》し立ち去っていった。
アンドラスはまた口髭《くちひげ》をさわりながら、小さな椅子《いす》に座りなおした。
「実はな、ここ一年ちょっと前から……そうだな、ひと月に一度の割で来るようになった上客がいるのよ。名前はカーツウェルといってたが。そいつといつも一緒《いっしょ》に来る男が奴《やつ》をいくら『カーツウェル』と呼んでも返事をしなかったりしてな。肩《かた》を叩《たた》かれて初めて『ああ、そうかそうか』なんて……ありゃぁ偽《ぎ》名《めい》くせえなあとは思ってたんだ」
「どういう風体《ふうてい》だった?」
トラップは身を乗り出した。
「ふむ、こう……額《ひたい》のとこで切りそろえた黒い髪《かみ》で妙《みょう》に彫《ほ》りの深い顔をしてたなぁ……。眉《まゆ》なんか黒々としてさ」
「ええ、そう、そうです!」
わたしも夢《む》中《ちゅう》でいった。
「変にギラギラと血走った目をしていたから、気持ちのわりぃ男だとは思ってたが、まぁ上客だったしな……」
アンドラスは嫌《いや》なものでも思い出してしまったといった顔で肩をすくめた。
「それだ! まちげーねぇ! そんで? そいつ、どういうものを買ってたんだ?」
トラップが床《ゆか》にあぐらを組んで座りなおし、アンドラスを見あげた。
「ああ、そりゃいろんなもんさね。よっぽど手品好きと見えて、手品と名がつきゃなんでもござれってかんじだな」
あの赤い目で……たぶんニヤニヤ笑いながら……ここに並んだ商品を見ていたんだろう。わたしはクアーティの姿を想像して体中が鳥肌《とりはだ》だつ思いだった。
「てっきり地方の好きもんの金持ちかと思ってたが……そうかい、あいつエセ教祖なんぞやってやがったのかい」
アンドラスはおさえた低い声でいったが、
「好かねぇな……」
ぽつっとつぶやいた。
「だろお? 詐欺師《さぎし》の風上にもおけねぇや! でだ。ちっとおれたちにも作戦があんだよ……」
トラップはそういうと回りに目を配り、アンドラスの耳元に手をやって何やらゴニョゴニョいった。
小さくうなずきながら聞いていたアンドラス、
「よし、だいたいわかった。おれが全部お膳《ぜん》立《だ》てしてやろうじゃねぇか。ふん、人をだますのがトリックだがな。笑えねぇだましはルール違《い》反《はん》だ。しかもおれの作ったトリックで、とくれば黙《だま》って放っとくわけにはいかんしな」
「やったやった! さすがはアンドラス。伊達《だて》に歳《とし》はくってねーな!」
アンドラスは、喜んで万歳《ばんざい》をするトラップの頭をポカリと叩《たた》いた。
「相変わらず口の減らねぇガキだっ!」
「しかし、いいかい。トラップはもうわかってるとは思うが、絶対に種は関係ねぇ奴《やつ》らにしゃべんじゃねぇぞ。それがマジック界の掟《おきて》だからな。万一バラしたとなったら、そんときはこうだ!」
アンドラスは怖《こわ》そうな声色《こわいろ》でそういうと、自分の首をキッとかっきる真似《まね》をした。
もちろん、わたしは神《しん》妙《みょう》な顔でうなずいたが、それは彼の取り越《こ》し苦労というもの。だって、それから敢えてもらった数々の手品のほとんど、いったいどうやっているのか、わたしには理解しがたいものだったのだから。
「ね、ねぇ……わたし、覚えきれないわ……」
トラップの脇《わき》をつっつき、小さな声でいうと、
「いんだよ。おめぇは自分のやる奴だけ覚えれば。後はおれに任しとけ」
なんとも頼《たの》もしい言葉じゃないか。
そう聞いたら、なんか肩《かた》の力がすぅーっと抜《ぬ》け落ち、ますますアンドラスの説明が両耳を通り過ぎていった。
だいたい早すぎるんだよね。一回しか言ってくんないし、動作だって滑《なめ》らかすぎて。
なんにもなかった指先に赤い小さな玉が突然《とつぜん》現れたかと思ったら、次々に玉が増えていって……あれよあれよという間に全部の指の間に玉が並んでしまったり。わたしの肩から七色の花を取りだしてみせたり、短かったロープが長くなったり、継《つ》ぎ目のない銀色のリングを次々につなげていったり……。
「いいか、最初にこれ、次にこれ。順番を間《ま》違《ちが》えるなよ」
トラップが真剣《しんけん》な表情でアンドラスの指先を見つめ、いちいちうなずいてみせている間、わたしは所在なく横でだまって見ていた。
だって、フォーシングだのフィンガーパームだのと専門用語がいっぱい出てきて、何が何だかわかんないんだもの。
「よーし、これくらいで事は足りるだろう」
アンドラスは見事な手際でカードを切りながらいった。
彼から借りた手品用品をひとつひとつ確認しながら紙《かみ》袋《ぶくろ》に入れていたトラップは、ふと手を止めた。
「そうだ。アンドラス、あんた来てくんねぇか? ひょっとすると、あいつが貯《た》めこんだお宝、ごっそりだまし盗《と》れるかもしんねぇぜ」
え、ええ?
そりゃ、彼が来てくれたら鬼に金棒だけど。クアーティの貯めこんだお金って、村の人のものじゃないかぁ……。
しかし、アンドラスは首を振《ふ》った。
「いんや、行きてぇのは山々だがな、おれは面《めん》も割れてるし。それにな、実は嫁《よめ》に行った娘《むすめ》が臨月でさ。きょうか明日《あす》にでも産《う》まれそうなのよ……」
残念そうな表情を作ってみせるアンドラスだったが、うれしさを隠《かく》しきれないようす。
「ふうん、そうか……初孫とあっちゃ外せねぇな。うん、わかったぜ! に、してもめでてぇじゃん。アンドラスもこれでじいさまだな」
「まぁな、ありがとうよ。おめぇだって早く所帯でも持って初孫でも見せてやれよ、親《おや》父《じ》さんにさ。そうだ、パステルといったな。彼女なんかどうだ。明るそうだし健康そうだし、お似合いじゃないか」
と、アンドラスはわたしを見た。
「はぁ? わたし?」
わたしもトラップもポカンとした顔でお互《たが》いを見ていたが、
「おれと、こいつが?」
トラップはいきなり大《だい》爆《ばく》笑《しょう》。床《ゆか》を叩《たた》いて笑いころげ、
「勘弁《かんべん》してくれよお。こんな……どこが胸だか背中だかわかんねーような色気のイの字もねぇガキと一緒にしねぇでくれよな」
ヒーヒーお腹《なか》をおさえながら、こーんなことをホザキオッタ。
し、失礼な!!
あんねぇ、わたしだって願い下げよ。あんたみたいなトラブルメーカーとなんか。命がいくつあったって足りやしないわよ!
わたしがトラップをにらみつけていると、
「いやいや、おじょうちゃん。悪かったね。こんな失礼なガキとお似合いだなんて、こいつぁおれの失言だった」
アンドラスはわたしに謝《あやま》ってくれた。
それを聞いたトラップ、笑うのをやめて不満そうに「けっ!」と悪態をつき、再び荷物をまとめはじめた。
ふんだ。わたしの理想はジュン・ケイなんだからね。あんたなんか、どこをどうひっくりかえしてつっつきまわしたって、及びもつかないんだからね。
ふんだ、ふんふん!
そんなわたしを見て、アンドラスはさもおかしそうにクスクスと笑うのであった。
アンドラスさあん、あなたが変なこというからこういうことになったんだよお!?
「よお、キットン。待たせたな」
キットンは待ち合わせ場所でひとり、ブツブツいいながらわたしのノートを見ていたが、トラップの声にハッと顔をあげた。
「どうでした、そっちの首《しゅ》尾《び》は」
「おお、完璧《かんぺき》さ。そっちはどうだ」
「へへへ、後は仕上げをごろうじろってね」
くそー、ふたりで含《ふく》み笑いなんかしちゃってからに。
いいかげん、その作戦とやらを教えてくれたってよさそうなもんじゃん?
まぁ、リーダーのクレイが『何も聞かない。ふたりに任せる』っていったんだもんなぁ……。
わたしがプチプチと心のなかで愚痴《ぐち》っているなんて、ぜんぜん気づかないんだもんね、この鈍感《どんかん》なふたりは。
「お、そうだ。紹《しょう》介《かい》しとく。こっちが例のマジックショップの親《おや》父《じ》のアンドラス。んで、こいつがさっき話したキットン」
「どうもどうも、このたびは大変ご面倒《めんどう》かけまして、はい……」
アンドラスはにやりと笑ってキットンの肩《かた》を叩《たた》き、
「いいってことよ。ほんとならおれも一口かませてもらいてぇところなんだがな」
「孫が生まれるんだってさ」
「へぇー、そいつはめでたい!」
「ありがとうよ。さ、それよりおめぇたち時間がないんだろ。歩きながら話すとしようぜ」
彼にうながされ、わたしたちはアンドラスの知り合いの店へと向かった。そこで衣《い》装《しょう》だのを調達するというわけだ。
「ふむふむ、そうですか。そっちにもクアーティは出《しゅつ》没《ぼつ》していましたか……」
わたしたちの話を聞き、キットンがそういった。
「そっちにもって? じゃあやっぱりその薬草の店にも来てたの?」
「ええ、そうらしいですねぇ。ここ一年とちょっとの間、ひと月に一度の割で現れてはいろんな薬草を買っていくんだそうです。特別に顧《こ》客《きゃく》リストを見せてもらったんですが、そこには『クアーティ』ではなく『カーツウェル』と書いてありました。しかし、人相|風体《ふうてい》はクアーティにほぼ間《ま》違《ちが》いない模様です」
「そうそう。アンドラスさんの店にもカーツウェルっていう名前でやってきたんだって」
わたしがそういうと、アンドラスは黙《だま》ってうなずいてみせた。
「そうですか……やっぱり。店主の話じゃ、いつも柄《がら》の大きな男と一緒《いっしょ》に来ていたそうです」
「ああ、うちの店にも来てたな。短い金髪《きんぱつ》で目の小さい……貴族さんみてぇにやたら偉《えら》そうな男だ」
アンドラスがいうと、
「そうそう。そのとおりの風体だといってました、薬屋の店主も。それから、さらに聞いた話では、彼らいつもエベリンに来ると必ずグランドハリソンホテルに宿《しゅく》泊《はく》しているんだそうです」
「ほお……あんなゴージャスなホテルにかあ」
アンドラスが驚《おどろ》くのも無理はない。だって、グランドハリソンホテルといえば、エベリンでも有名な一流ホテル。わたしたちみたいな貧乏《びんぼう》パーティには、ロビーでお茶を飲むことだってできやしない……それくらいリッチなホテルだ。
「ちぇ、よっぽど儲《もう》けてやがんだな……」
トラップが吐《は》きすてるようにいうと、
「そうらしいですねぇ。なかでも一番高いスイートルームを借りて飲めや歌えの大宴会《だいえんかい》。その上ホテル内のカジノでも派手《はで》に遊んでいるそうですから……」
「っけぇ―――!」
「なんて奴《やつ》なの? ザックたちが毎日働いて作ったお金で……」
ゆ、許せない!
「でも、よくまぁキットン、そんなに調べることできたわね」
「ヘヘヘ、薬屋の店主がホテルの話をしてくれたんでね。パステルたちと待ち合わせした時間には少し間があるし、ちょっとホテルまで情報|収集《しゅうしゅう》に行ったんですよ」
「えらぁ――い!」
わたしが感心してキットンの肩《かた》を叩《たた》くと、あっと何かを思い出したように懐《ふところ》をゴソゴソと探り、一枚の紙きれを差しだした。
「なに? これ……」
「必要経費です」
「必要経費ぃ?」
見てみると、それはグランドハリソンホテルの領収書で、ジュース代一二〇Gと書いてあった。
「あ、あとですねぇ。ホテルのドアボーイに謝礼として一〇〇G渡しましたんで、そっちもお願いします」
「………………………」
小さくため息をつき、わたしはキットンに二二〇Gを支《し》払《はら》った。でも、ジュース一杯《いっぱい》一二〇Gだなんて、なんて暴利な……。わたしたちが根城にしている、みすず旅館なんか一人|一泊《いっぱく》一〇〇Gだよ? んなホテルのスイートルームって、いったい一泊いくらくらいなのか、わたしには全く見当もつかない。
「しかし、クアーティの奴《やつ》、意外と甘《あ》めぇな」
トラップが独《ひと》り言のようにつぶやいた。
「どうして?」
「ん? だって、これだけ大勢の人間に覚えられてんだぜ。派手《はで》なことやってさ。もっとうまく変装《へんそう》でもすりゃあいいものを。人相|風体《ふうてい》覚えられててさ。名前変えたぐらいでだませると思ったのかね……」
そうね。たしかに、いわれてみれはそうよね。
「ふふふ、この分じゃ、こっちにもつけこむ隙《すき》がありそうだぜ」
などとわたしたちが話している間に、一軒の古い二階建てのアパートに着いた。
そこは小さな店がぎゅうぎゅう詰《づ》めになっていて。一階にはケーキ屋と靴《くつ》屋《や》と古本屋が看板を並べ、通りにまではみだして営業していた。
「この上だ」
アンドラスが顎《あご》をくいっと上に向けた。
細い……いまにも崩《くず》れ落ちそうな古びた階段の上に看板が下がっていた。
金目の黒猫《くろねこ》がカード(ハートのA)をくわえ、こっちを見ている絵の下に『マリーナの店』と書かれてあった。
その看板を見上げ、トラップはアンドラスに信じられないといった顔を向けた。
「マリーナ……って、あのマリーナかい!?」
アンドラスはニコニコして答えた。
「他にマリーナがいるかい」
その時、二階の窓がバンと開いた。黒いとんがり帽《ぼう》子《し》をかぶった女の子がキラキラ光った布をバサバサと払《はら》いはじめた。
そのようすをしばし見つめていたトラップは彼女を大声で呼んだ。
「マリーナ!!」
呼ばれた女の子、一《いっ》瞬《しゅん》どこから呼ばれたのか……とキョロキョロしていたが、
「こっちだこっち!」
と、いうトラップの声に、
「きゃあぁ――! うっそー! トラップじゃないのおお!」
持っていた布を抱《だ》きしめ、
「そ、そこに待ってなさいよお!」
そういって布を放り投げた。ふわりふわりと下に落ちてくる布をキットンがつかまえようとして頭で受けとめたとき、バタン! と派手《はで》にドアの開く音がした。
「マリーナ!」
「トラーップ!」
黒いシースルーのヒラヒラしたパンタロンスーツには、小さな光るビーズや星がいっぱいついているし、先がくるりとそっくりかえった靴といい、ピンク色の髪《かみ》の毛といい……彼女はまるで妖精《ようせい》か魔《ま》法《ほう》使《つか》い。
崩《くず》れ落ちそうな細い階段を足音もさせずに軽々と降り、下で待ちかまえているトラップの首にジャンプして抱きついた。
トラップは彼女を抱きあげたまんま、
「おめぇ、こんなとこで店やってたのかよ」
「何年ぶりかしらね!」
「くそー、知らせてくれよなあ。おれ、エベリンなら何度も来てんだぜー!」
「だってここに来たの、つい一か月前よ。だいいち知らせようがないじゃない。旅に出たまんま便りもよこさないって、親《おや》父《じ》さん怒《おこ》ってたわよ」
「ええ? 家に帰ったわけ?」
「ううん、こっちで親父さんに会ったのよ」
「そっか」
「そんで? きょうはどうしたのよ」
ピョンとトラップの腕《うで》から飛びおり、わたしやキットンを珍《めずら》しそうに見た。
「あ、ああ……紹《しょう》介《かい》すらぁ。こいつ、パステルと……それからキットン。おれが今パーティ組
んでる仲《なか》間《ま》よ」
わたしはちょっとモジモジしながら頭を下げた。
横を見ると、キットンったらまださっきの布と格闘《かくとう》している。
「きゃ、ごめんなさーい!」
そういって、彼女はキットンの頭から布をはぎ取った。
「ひゃぁ、ふうふう……やあ、初めましてぇ」
グシャグシャになった……いや、いつもそうなんだけどね……頭をグシャグシャかきまわしながら、キットンはマリーナに挨拶《あいさつ》をした。
「ねぇ、クレイは?」
マリーナはなおも珍しそうにわたしたちを見ていたが、ふと思いだしたようにトラップに聞いた。
「ああ、クレイな。あいつはちょっと訳ありで他の場所で待機中なんだ」
「あ、そう……。そこって遠いの?」
「うん。遠い」
「なぁーんだぁ……」
あきらかにがっかりした顔。でも、パッと明るい表情にもどった。
「とにかくあがってよ。なんか特別な用事みたいだしさ」
少し意味《いみ》深《しん》な目でアンドラスを見て、パチリとウィンクした。
ピンク色をしているのはツンツンとんがった前髪《まえがみ》だけ。両側にたらした三編みは金色をしている。きっと前髪だけ染めてるんだな。
こぼれ落ちそうなほど大きな瞳《ひとみ》は明るい茶色。その日を縁《ふち》どるクリンとはねあがった長いまつげ。透《す》き通るような白い肌《はだ》にポツポツと薄《うす》く浮《う》かんだソバカスもチャーミングだし、ぷくんと小さなよく動く唇《くちびる》もかわいい。
歳《とし》はきっとわたしたちと同じくらいか、少し下か。女のわたしが見とれてしまうほど、彼女はチャーミングな女の子だった。
前後の話から判断すると、きっとトラップやクレイの幼友達なんだな。
わたしの後から階段を昇《のぼ》っていたキットンが小さな声でいった。
「ねえねえ、パステル。彼女、グラマーですよねぇ」
あ、あーたねぇ。どこ見てんのよぉ。
まぁ、たしかに認めるけどさぁ。
これだからな、男ってーのは……。
「うわあぁ!」
マリーナの店は古着屋さんだったんだけどね。入るなり、つい声をあげてしまったほど数えきれない服や布で埋《う》まっていた。
服特有の匂《にお》いと花の香りが入り混じった不思議な匂い。
「椅子《いす》、ひとつしかないのよ。どっか適当に座ってちょうだい」
奥《おく》の部屋からマリーナが大声でいった。
わたしたちがキョロキョロと物《もの》珍《めずら》しげに店のなかを見回していたら、彼女は大きなお盆《ぼん》にお茶を載《の》せて現れた。
そのお盆を床《ゆか》に置くと、自分もあぐらをかいて座りこみ、大きな瞳《ひとみ》を好奇心でキラキラさせながら問いた。
「さぁ、話してちょうだい。いったい何がどうなって、わたしは何をすればいいの?」
後からトラップに聞いた話によると、手品や古着の店をやっているのは表向きの顔で、アンドラスとマリーナは時々|詐欺《さぎ》の仕事をするんだそうだ。
アンドラスはトラップの親《おや》父《じ》さんのところでしばらくの間|一緒《いっしょ》に仕事をしていたこともあったそうだし、マリーナも小さな頃《ころ》からトラップたちと修行をしてたんだそうだ。と、いうと、彼女も盗賊《とうぞく》!?
いやぁ、びっくりしたよね……それ聞いたときは。だって、そんなこと信じられないほど彼女は屈託《くったく》なくかわいかったから。
でも、そういわれてみれば……ひとりで店を切り盛《も》りしているせいなのか、たくましいっていうのかな……小さな(グラマラスではあるけど)体からあふれんばかりのエネルギーが感じられた。パワフルなんだよねー。
彼女を見るときのトラップのようすといい、もしかしたら彼はマリーナのこと好きだったのかもしれない。いや、今も……かな?
そんでだ。
事のあらましをざっと聞いたマリーナ。
「じゃ、わたしはあなたたちに奇《き》術《じゅつ》団《だん》の衣《い》装《しょう》を貸してあげればいいわけ?」
さすが詐欺師をやっているというだけあって飲みこみが早い。
わたしたちやルーミィ、それからシロちゃんのサイズを聞くやいなや、瞬《またた》く間にひと抱《かか》えの衣装を並べ始めた。
「あなたは女の子だから、やっぱりこういう……衣装よねぇ」
彼女はそういって、わたしの胸に衣装をあてた。
「げ! う、うそ!」
思わず叫《さけ》ぶ。
だってだって! キンキンキラキラ光る紐《ひも》みたいなのがいっぱいぶらさがった……あぶない水着みたいなんだもん。
「そ、そのぉ……もうちょっと地味というか、肌《はだ》を隠《かく》すほうが……」
「なぁーにいってんのよ。だって手品の興行やんでしょお? もうひとりの女の子って、まだ小っちゃいっていうし。だいじょうぶ! 絶対似合うってば」
そ、そうかなぁ……し、しかしい。
「もちろん、そういうヘアスタイルじゃダメよ。そうねぇ……」
と、わたしを上から下まで見て、
「アップにしてさ。こういうので止めるの」
わたしの髪をすっと持ち上げ、これまたキラキラ光る大きなリボンをあててみせた。
「は、はぁ……」
「アクセサリーも必要ね。もち、お化《け》粧《しょう》もバッチリしなきゃダメよ。あなた、お化粧したことあるでしょ?」
「え? えっとぉ……」
自《じ》慢《まん》じゃないけど、ないぞ、そんなもん。
わたしがどうにも困り果てていると、
「あ、ダメダメ。こいつ、色気ねーし、胸もねーし」
自分用の燕《えん》尾《び》服《ふく》に袖《そで》を通しながら、トラップがいった。
「ま、失礼ねぇ。あんた、その口の悪いの、ぜーんぜん直っちゃないんだから」
マリーナはトラップをにらみつけ、わたしに困ったように肩《かた》をすくめてみせた。
「だいじょうぶだからね。そんなに心配なら一度着てみる?」
「い、いえ! いいです。それ、わたし着ます。お借りします!」
ふん! こうなりや意地でも着てやるもんね。わたしだって、やろうと思えば変身くらいできる……と思うもんね。
マリーナはびっくりした顔をしたが、ふっと笑った。
「OK! どっちにしてもこれだけじゃいくらなんでも寒いもの。上から燕尾のジャケットでも羽織《はお》る?」
マリーナがそう聞いたとき、トラップが叫んだ。
「あ、ダメダメ! こいつにはなんか……足元までゆったり包むような、そういうマントないか?」
「え? うん、もちろんあるわ! OK! じゃ、これ、このマントを上から羽織ってればいいわね‥…」
山とつまれた衣装のなかから、内側がキラキラ光る黒いマントを引っぱり出した。
「あ、そうそ、それから……網《あみ》タイツの下にこのタイツをはくといい。これ、薄《うす》いんだけどあったかいんだよー。よかったらタイツはプレゼントするわ」
「そんなぁ……じゃ、買いますよ」
「いいのいいの。いつも、あーんな悪ガキの面倒《めんどう》みてもらっちゃってんだから、プレゼントする。させて!?」
彼女の笑顔って、こっちまで釣《つ》りこまれてしまいそうな……そんな笑顔なんだよね。
わたしたちは彼女に衣装一式+化《け》粧《しょう》道具などを借りて、ヒポちゃんに積みこんだ。わたしたちが衣装合わせをしている間に、アンドラスが太《たい》鼓《こ》、笛《ふえ》といった鳴り物もどこかから調達してくれていた。
ほんとならトラップ、彼女ともっと話をしたかったんだと思うけど、なにせわたしたちには時間がない。
これから村まで順調に帰れたとして、すでに二日はロスしてるんだ。手品の練習もやんなきゃいけないし。クアーティの家に乗りこんで……その先いったいどうやるのか、わたしにはわからないけど。メルが生《い》け贅《にえ》にされるという次の大《だい》術《じゅつ》式《しき》まであと一週間……いや、正味五日しかない。
「幸運を祈ってるわ! だいじょうぶ。きっとうまくいく。そういう予感がするもん」
マリーナはヒポちゃんの鼻面をやさしくなでながら、すでにヒポちゃんに乗りこんでいたわたしたちを見上げた。
「おお、おめぇの予感は当たるからな!」
トラップが運転席から答える。
「みんな無事すんだら、今度はクレイも連れて遊びに来てよね! 絶対よ!」
「わかった!」
トラップは短く答え、今度はアンドラスを見た。
「じゃあな!」
「ああ、しかし、くれぐれも慎《しん》重《ちょう》にな」
アンドラスが声をかけると、トラップは親指を突《つ》き出してみせた。
ヒポちゃんは爆音《ばくおん》をあげ快調に走りだした。一路、クレイたちの待つ大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教《きょう》団《だん》の村へ向かって。
STAGE 11
「わ、ったた……」
銀色の大きなリングを取り落とし、わたしは再び途《と》方《ほう》に暮《く》れてしまった。
アンドラスが一度だけやってみせてくれた、チェイニーズリングっていう手品なんだけどね。これをわたしがやることになったんだ。だけどぉ……。
練習期間はたったの二日。トラップがやるのを見ると、そりゃあ簡単に見えるんだけどな。これが自分でやるとなると大違《おおちが》い。
朝からぶっとおしで練習してるっていうのに、どうにもうまくいかない。
「ちょっと貸してみそ」
横で赤い玉を指先でクリクリしていたトラップが、わたしの手から銀のリングを取りあげた。
「いいかあ? よっく見てろよ。まず、お客にこっちを見せる……」
「うんうん……」
これで何度目だろ……。いいかげん頭きてるのがよーくわかる。だって人一倍気の短いトラップだものなあ。
「わかった? じゃ、ちょっとやってみ」
六本のリングを返してもらい、わたしは慎《しん》重《ちょう》にリングを腕に通していった。
「だめだめ、んな手元見ていちいち確認しながらやったんじゃ、種があるなって感づかれちまあ。いいか、顔にはいつも笑顔だ。客に愛想ふりまきながら、チラッと目の端《はし》で確認するんだ」
「う、うん……」
「ほれ、もう一度。笑いながらやってみ」
にまらぁっとぎこちなく笑顔を作る。
「なんだ、その顔! それじゃヘビににらまれてションベンもらしてるカエルだぜ」
「そ、そんなぁ……」
「ほら、続けて続けて!」
泣きそうになりながらも、また笑顔をはりつかせる。お客にリングを見せるふりをして、ふたつのリングをカチンとぶつけた。
「あ、あれぇ?」
もう一回。
「ダメダメ! んなんじゃ、もろバレだぜぇ」
うううう……。
「おーい、キットン。そっちの首《しゅ》尾《び》はどうだ?」
「まあ、なんとか……」
わたしが何度もリングをカチカチいわせていると、トラップはキットンに声をかけた。
キットンはヒポちゃんのお腹《なか》に書かれていた例の『冒険者のあなたが主役……』というプルトニカン生命の宣伝文句を消し、代わりに『トラップ大《だい》奇《き》術《じゅつ》団《だん》』と大きく書いているところだった。
ヒポちゃんもつくづく不《ふ》憫《びん》な奴《やつ》だなぁ……。
トラップはわたしに視線をもどし、
「じゃ、なんか質問ある?」
「……ない」
「そんじゃ、何度も練習すんだ。練習あるのみ!」
「はぁーい……」
「返事が暗い!」
「はいっ!」
「よろしい!」
ったくなぁ……自分が得意だからって。いばっちゃってさー。
「ヨメダヤチイ、ゴウモテシ、タイタイ、デンロコガン、サマルーダ……」
横でルーミィが眉《まゆ》をしかめながらブツブツいってる。
ルーミィの役割はとにかくストップの魔《ま》法《ほう》をスラスラどこででもパッといえること。クレイが特訓してくれたおかげで、もうメモを見ないでもいえるようになっていた。でも、ずっと練習してないと忘れちゃうらしく、クレイは三十分おきに「ルーミィ、ストップの魔法!」といって彼女に練習を続けさせた。
「ヨメダヤチイ、ゴウモテシ……」
ん! ルーミィだってこんなにがんばってんだもんね。
わたしだって、やってやるぞっ。
よしっとばかりにガッツポーズを作り、もう一度リングを腕《うで》にかけた。
想像上の観客席に向かってにまらぁーっと笑ったとき、ふとクレイと視線が合ってしまった。
彼は小さなおもちゃの剣《けん》を空中に投げてはつかみ、投げてはつかむというジャグラーの練習をしていたんだけど(さすがファイターだけあって上達が早い)。
わたしの笑顔にギョッとしたクレイ。眉《まゆ》をひそめて自分の頭をトントンと指さし、その手をパッと広げた。「頭、パァ?」といいたいらしい。
く、くっそぉ―――!
ふんとに、こんな付け焼き刃でうまくいくんかいね……。
そして、練習に練習を重ねた二日はあっという間に過ぎさり。いよいよきょうは興行当日。大《だい》術《じゅつ》式《しき》まで、きょうを入れてあと二日となった。
とりあえずほとんどはトラップがやり、わたしたちはニギヤカシの役をすればいいということになったんだが……。
うう、でも、チェイニーズリングだけはやんなきゃいけない。
「おまえがその燕《えん》尾《び》服《ふく》で、おれがこれ?」
クレイは胸に派手派手《はではで》の服をあて、トラップを恨《うら》めしそうに見た。
なんといいますか……クレイの服っていうのは赤いダンダラ模様のダブッとしたつなぎ、大きな襟《えり》にはでっかい金色の蝶《ちょう》ネクタイという……まさに『ザ・色物!』ってかんじの服だった。
それに引きかえトラップはかっこいい。黒い燕尾服に白いドレスシャツ、同じ蝶ネクタイではあるけど、彼のは普通の白い奴《やつ》。靴《くつ》だって、クレイのは赤いまるっこい……ちょうどピエロが履《は》くような靴だったけど、トラップのは黒いエナメルシューズ。そのまんまお城の舞《ぶ》踏《とう》会《かい》にだって出られそうなスタイルだった。
「だってさ、一応おれが座長なわけだろ? 奇《き》術《じゅつ》といやあ燕尾服よ」
「いんや! 前に見た大奇術団の座長はキラキラしたド派手なスーツ着てたぞ!」
「ふん、そんなのはおれの趣《しゅ》味《み》じゃねぇ」
へーヘー! トラップの趣味がその黒の燕尾服だとはとっても思えないけどねぇ。
「ほれ、替《か》えはねえんだから、とっとと着て。パステル、おめぇも早いとこ着ろよ。期待してっからさ」
「ふんだ! 覗《のぞ》かないでよ!」
「頼《たの》まれたって覗かねーよ!」
男どもは馬屋の下が着替え室。つまりヒポちゃんやロバ君のいるところ。わたしとルーミィはハシゴを昇《のぼ》って……わたしたちが寝泊《ねと》まりさせてもらってる場所で着替えをすることになった。
「さ、ルーミィ。それ脱《ぬ》いで」
ジャンプスーツを脱がすと、ルーミィ用に借りてきた子供服を着せた。
「きゃあ! かっわい――!」
「きゃ! かっあい――!」
ほんとにほんと。すっごく似合う。心配してたけどサイズもぴったんこ。
ピンクのタイツの上にやはりピンクのレオタードを着せ、その上からふんわり透ける薄ピンクのブラウスとパンタロン。袖口《そでぐち》と足首のところをラメの入ったキラキラ光るリボンで結ぶと、まるでどこか異《い》国《こく》の王女さまみたい。
フワフワしたシルバーブロンドをふたつにわけ、上のほうで結び、服と同じ布でできたリボンを結んだ。
「かっわい――!」
「かっあい――!」
わたしはルーミィを抱《だ》きしめ、何度も何度もそういった。
これでちゃんとお化《け》粧《しょう》したら……想像しただけで胸がワクワクしてくる。
「なーに騒《さわ》いでんだよ! もうそっち行っていいのかあ?」
下からトラップの声。
「まだよ。用意ができたら、そっち降りてくから」
そうなんだよねぇ。ルーミィはいいんだけど、わたしが問題。
ええーい! ここまで来たら後には引けない。
根性すえて、水着だろうがレオタードだろうが、着てやろうじゃんかあ!
ほとんどやけクソで服を脱ぎ始めた。
ひやぁっ。
さ、っむ――い!
「ほっほお―――!」
「ひぇ―――!」
「はあぁぁぁ――」
男どもが目を皿《さら》のようにして注目するなか、わたしはルーミィをだっこしてハシゴをそろそろ降りていった。う、はきなれないハイヒールでハシゴを降りるのってば、怖《こわ》い。
くそ、んなに見るなよお!
胸元もあらわな黒いラメのレオタード。裾《すそ》にはキラキラ光る長い紐《ひも》がいっぱいぶらさがっていて、歩くたびに網《あみ》タイツをはいた太股《ふともも》が出てしまう。
したこともなかったけど、マリーナが教えてくれたとおりに化粧もした。
ちょっと……いやかなり濃《こ》い目。
髪も彼女のアドバイス通りアップにして大きな光り輝《かがや》くリボンで止めた。
首と耳には、色とりどりのガラス玉でジャラジャラしたネックレスとイヤリング。
じとーっとクレイたちを上目遣いに見上げ、わたしは小さい声でいった。
「ふん、似合わないっていいたいんでしょ」
一《いっ》瞬《しゅん》、言葉を失ったクレイは、あわてて手を振《ふ》った。
「い、いやいや! 似合うよ、似合う。ほんと」
「へっへ――、馬子《まご》にも衣《い》装《しょう》ってーのはよくいったもんだな。おい、胸、どうした? パットも入れたん?」
「ばかもの!」
持っていたリングでゴツンとトラップを殴《なぐ》る。
「いやぁ、しかし。女は化けるもんですねぇ……あのパステルが色っぽい」
金縛《かなしば》りから解放されたキットンがしみじみといった。
「あ、あのねぇ……キットン」
そのキットンはクレイと同じような派手派手《はではで》の衣装。緑と黄色のダンダラ模様のダブダブの服。頭にはターバンをまいていたが、ボサボサッと前髪がたれたままだから、イメージは変わらない。
変わったといえば、クレイとトラップだよね。
前にいったとおりの衣装で、クレイもキットンと同じようにターバンをまいていた。トラップは黒いシルクハット。なんかこー、ひとりだけズルイよなぁ。
「おお! ルーミィもかわいいじゃんか!」
「でしょ?」
「うん、かわいいかわいい」
みんなに誉《ほ》められて、ルーミィはうれしそうにクルクル回ってみせた。
「ぼくもかわいいデシか?」
とことこやってきたシロちゃんを見て、わたしは息をのんだ。
「きゃああぁあー! かっわい―――!」
だってだって、あの白いフワフワしたシロちゃんが、トラップと同じように黒い燕《えん》尾《び》服《ふく》(もちろん犬用のだけど)を着て、頭にはちょこんと小さなシルクハットをくくりつけられてたんだよ。
「へへ、親子に見える?」
トラップがシロちゃんを肩に乗せると、
「みえる――!」
「みえう――!」
「おお、うりふたつ!」
と、みんなヤンヤの喝采《かっさい》を贈った。
そのとき、母《おも》屋《や》のほうからザックとピートがやってきた。
「おお! 準備はできたみたいですね!」
ザックがわたしたちをびっくりした目で見ていった。
「はい、みんなが起きる前に森へいったん隠《かく》れます」
「じゃ、後のことはわたしに任せてください。せいぜいサクラをやって盛りたてますから」
「頼《たの》むぜ! なんせ即席の大《だい》奇《き》術《じゅつ》団《だん》だからな」
トラップの言葉は、情けないけど真実以外の何物でもなかった。
「それじゃ、ぼくも一緒《いっしょ》に……」
黒いシャツとタイツ姿のピートが緊《きん》張《ちょう》した面《おも》持《も》ちでいった。彼の格好はまるで盗賊《とうぞく》のよう。
最初の打ち合わせ通り、教祖の家のなかをよく知っているピートに加わってもらう。ただし顔が知られている彼は奇術団の一員としてではなく、ヒポちゃんに隠れて潜《せん》入《にゅう》する手はずとなっていたのだ。
「ああ、それからキットンさん、これ。例のものですが……あと小麦粉って、これくらいで間に合いますか?」
ザックが少し大きめの布《ぬの》袋《ぶくろ》と小さな袋をキットンに渡した。
例のもの? 小麦粉?!
しかし、キットンは布袋を受け取り、ちらっと中身を確認し、
「はいはい。十分です! いろいろとすんませんねぇ」
後はただニコニコとしているだけだった。
うーん、やっぱり手品に使うのかなぁ。
「うう、ほんとにうまくいくと思う?」
マントを体にまきつけ、わたしはガタガタ震《ふる》えながら聞いた。誰《だれ》に聞いたってわけじゃないんだけどね。
「だいじょうぶ。うまくいくって!」
クレイがターバンをなおしながら元気にいった。
「そうですよ。ま、失敗したってそこはそれ、愛《あい》敬《きょう》でカバーすれば平気でしょう。要は観客が喜んでくれればいいんですからして」
キットンもヘラヘラ笑いながらいった。
「そうよね! もうここまで来たら後には引けないもんね。ジタバタしたって時間の無駄《むだ》だよね」
「そうそう。わかってんじゃん」
トラップはクルクル回していたステッキで、わたしの頭をコツンと叩《たた》いた。
「あ、トラップさん。合図ですよ、ほらザックの……」
黒《くろ》装《しょう》束《ぞく》を身につけたピートが村を指さした。
わたしたちはザックの家が見下ろせる、少し離《はな》れた森のなかに隠《かく》れていたんだけどね。
もう村に入ってもいい頃合《ころあい》になったら、ザックが洗濯物《せんたくもの》を干《ほ》すことになっていた。
ピートがいったとおり、ザックが大きな白いシーツを干し始めるのが見えた。
「よし、手順を忘れるなよ。みんなカバに乗りこんでくれ」
真剣《しんけん》な表情でトラップがいう。みんなも黙《だま》ってうなずき、ヒポちゃんに乗りこんだ。
お腹に『トラップ大《だい》奇《き》術《じゅつ》団《だん》』とデカデカ書かれたヒポちゃんは、キラキラ光るモールで飾《かざ》りたてられたうえ、小さな目にはバチバチのまつげ、ほっぺにはまぁるく頬紅《ほおべに》。どこから見ても異《い》様《よう》だった。
「ぼくはどこに隠《かく》れていましょうか」
ピートが聞くと、
「ああ、わりいけど。この毛布のなかに隠れててくれ」
トラップが座席の隅《すみ》を指さした。
「はい、わかりました。みなさん、幸運を祈《いの》ります」
そういって、彼は毛布を頭からかぶって座席の下に寝そべった。
「いいな、おれたちは陽気な旅芸人。村々を回ってひとときの夢《ゆめ》を運ぶ浮《う》かれ者だ。パステル、笑顔だぞ笑顔」
わたしが引きつった笑いを浮かべると、
「よーし、音楽スタート!」
紫《むらさき》色《いろ》の裏地を見せ、トラップは黒いマントをひるがえして運転席にスタンバイした。
音楽といったって、みんなテンデバラバラ。
キットンは太《たい》鼓《こ》、クレイはシンバルを打ち鳴らし、わたしはタンバリンを振《ふ》り、ルーミィは小さな笛《ふえ》をピューピュー吹くという代《しろ》物《もの》。
でも、静かだった森のなかがいきなりにぎやかになり、驚《おどろ》いた烏たちはバタバタと飛びたち、リスたちも自分の巣《す》にあわてて逃げこんだ。
そう。まさに鳴り物入りで、わが『トラップ大奇術団』は大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団の村へとゆっくり進んでいったのである。
「トザイ、ト――ザァーイ!」
村のほぼ中心、村の人々が興味|津々《しんしん》で見守るなか、わたしたちは興行をおっぱじめることとなった。メルのことが気にかかっているせいか、どことなくみんなの表情は暗い。
「さぁて、教えてくれたまえ。我々、トラップ大奇術団が到着したこの村は、なんていう村なのかなあ?」
トラップは遠巻きに見ている村人をひとりつかまえてきて尋《たず》ねた。
「大魔術教団の村です……」
トラップにつかまえられた若者は、まっ赤《か》な顔でモジモジしながらつぶやいた。
「ええ? 聞こえなぁ――い!」
おおげさな身ぶりで一方の手を腰《こし》にあて、もう一方の手を耳にかざして聞きなおす。
小さな笑いが広がった。
「大魔術教団の村! ですぅ!」
丈《たけ》の短いローブを着た彼が必死に大声をあげると、
「ふむふむ、大魔術教団の村と申すのか。おおお! なんという奇《き》遇《ぐう》! なんという幸運!」
トラップは彼の両《りょう》肩《かた》をがっしとつかみ、ガクンガクンと前後にゆらしながら芝《しば》居《い》がかった口《く》調《ちょう》で叫《さけ》んだ。
「あんたたちが大魔術教団なら、我々は大奇術団!」
そこで、ふっとみんなを見渡し、
「ちょっとちがったかなぁ?」
いきなりくだけた調子でポリポリ頭をかいてみせた。
どっとおこる笑い声+拍手《はくしゅ》。
「う、うまい……」
「うますぎる……」
わたしとクレイは硬《こう》直《ちょく》した笑顔を顔にはりつかせたまんま、つぶやいた。
口が悪いのと達者なのはトラップの十八番だけど、彼はすでに村人たちの心をがっちりつかむことに成功したようだ。
暗かった村人たちの表情に明るい光が差していく。
「いやしかし、ここに我々が通りかかったのも何かの縁《えん》。しばらくの間、楽しんでいただけれは身に余る光栄。さてさて、いかなる奇《き》跡《せき》が起こるのか、いったい何が飛び出すか。まずはとくとご覧《らん》くだされ!」
短いロープの若者の肩に手をかけ、再び芝居口調でいうと、
「一同、礼!」
と、シルクハットを取り深々とお辞儀《じぎ》し、ついでに彼の頭も下げさせた。
わたしたちもあわてて頭を下げる。
当然、巻き起こる拍手《はくしゅ》の嵐《あらし》。
頭を上げながら、ちらりと見ると。ザックが一番前でニコニコ笑って拍手をしていた。
「まずは小手調べ。ここに取りいだしましたる……」
さっきの若者が困った顔でまだ横にいるのを見て、トラップはピタッと言葉を切った。
「は? あんた、何やってんの?」
「え? えーっと……その、もう戻《もど》っていいんですか?」
「いいのいいの……もう。用はすんだんだから、とっとと帰って帰って」
あっち行け! っとばかりに手を振《ふ》る。
「じゃ、……はぁ……」
などと口ごもりながらみんなのはうに帰ろうとすると、トラップはさっと彼の袖《そで》をつかんだ。
「え?」
びっくり眼《まなこ》で振り返る彼。
「あんた名前は?」
「んと、デニィです……デニィ・オクトーバー」
それを聞いたトラップ、
「みなさん、わが友人、デニィに盛大なる拍手をどうぞ!」
白い手《て》袋《ぶくろ》をした手で拍手をした。もちろん観客も相手拍手。その拍手のなか、デニィは頭をかきながらもどっていった。
すると、トラップは両手を広げ、
「やめ、やめ、やめぇー」
と、大声で拍手を止める。
「いいの、それくらいで。癖《くせ》になるでしょ?」
「わあーっはっはっはっはっっは!」
「ぎゃっははっははっはは」
トラップは腰に手をやり、困ったような顔でみんなの笑いがおさまるのを待って、
「あのぉー、手品の続きやりたいんですけど、いい?」
またもわき起こる笑い声。
なんか、もうトラップの独壇《どくだん》場《じょう》ってかんじじゃないか。
奇術団っていうから、もっとシリアスなものを考えて緊《きん》張《ちょう》しまくってたわたしだったけど、なんとなく肩の荷がおりた思いで一緒《いっしょ》になって笑ってしまった。
「さて、ではこのひと組のカード!」
そういって広げてみせたのほ、通常のカードの四倍はあろうかという大きなカードセットだった。
そのカードをつくづくと見て、
「こんなんでポーカーやったら、アホだよなぁ」
と、ため息。
どっと起こる笑い声。
もう観客たちはトラップが何をいっても大受けに受けてくれる。
「このカードの中からお好きな一枚を引いていただいてだ、おれが当てるっちゅう……まぁ、よくある奴《やつ》よ」
トラップったら、最初は「わたくし」とかいってたのに、もう「おれ」になってる。
「さてと……」
彼は観客をぐるりと見渡しながら、誰《だれ》を引っばりあげようかと見定めるふりをした。
村人たちも次は自分の番かとドキドキして待っているようす。
しかし、この手品は引いてもらう人=トリックなのだから、最初から誰を引っぱりあげるかは決まっていた。そう、サクラ役のザックだ。
トラップは一度他の女性の手を取ろうとしたが、パッと気が変わったようにザックの手を取った。
「はい、あんた。手伝ってくれるね?」
そういわれたザック、びっくりしたようすで自分の顔を指さし、頭をかきながら村人たちを見た。
ザック、うまい!
村人たちは大喜びで「ザックさーん! がんばってぇ」とかいって声援を送っている。まさか彼がサクラとは思ってもみないというようす。ま、あったりまえだよね。
照れくさそうにザックがトラップの横に立つと、
「あんたの名前は?」
「えっと……ザックといいます」
「ふむふむ、じゃあザック、ここから好きなカードを一枚引いてくれる?」
一度シャッフルして、きれいに広げたカードを観客に見せてからザックの前にカードの裏側を見せた。
ザックはあれこれ迷った後、一枚を抜《ぬ》きとった。
「ふむ、それね。じゃ、おれに見せないようにチェックしてみそ」
胸元にカードを押《お》しつけるように持っていたザック、そろそろとカードを見て、トラップに笑ってみせた。
「何のカードかわかった?」
うんうんうなずくザック。
「そんじゃ、おれたち、あっち向いてっから。その間にみんなに見せてくれる?」
トラップはそういうと、わたしたちに、
「ほれ、早く早く!」
と、急《せ》かした。わたしたちは大急ぎで目を両手で覆《おお》い、後ろを向いてしゃがみこんだ。シロちゃんもあわてて同じように後ろ向きに伏《ふ》せの姿勢をして、目を押《お》さえた。
「よーし。そんじゃみんなに見せて。後ろの奴にも見えるように、よーく見せるんだぞ」
観客のざわめきが聞こえる。
かなり時間が経《た》ってもトラップは黙《だま》ったままだ。もうカードは見せたと思うんだけどなぁ……。
そう思ったとき、
「あ、あのぉ……」
ザックの遠慮《えんりょ》がちな声がした。
「あ? なんだ?」
今度はトラップの声。
「もう見せ終わったんですけどぉ……」
「それを早よいわんかい!! 日が暮《く》れちまうかと思ったぜ」
ぎゃあぎゃあ笑っている観客の声が聞こえたが、わたしたちは打ち合わせ通り、そのままの姿勢で待っていた。
しばらくの沈黙《ちんもく》と、またもクスクス笑う声。
「えーっと、君たち、君たちぃ?」
わたしたちはくるりといっせいに振《ふ》り向いた。トラップが両手を腰《こし》にやってこっちを向いて立っている。
「ご苦労。もういいの。もう立って」
やっとトラップのお許しを得て、わたしたちも立ち上がった。
ここで大《だい》爆《ばく》笑《しょう》。
そうか、そういうわけだったのか。打ち合わせのときは、ただ単に「おれが立っていいっていうまで、後ろ向いてしゃがんでんだぞ」としかいわなかったからね。こんな演出だなんてぜんぜん知らなかったんだ。
「さてと」
笑い声がおさまるのを待って、トラップは観客のほうを向いた。
「あんたが今持ってる、そのカード」
ザックが大事そうに持っていたカードを指さした。
「それをだな、こんなかにもどしてくれる? 好きなとこでいい」
トラップはカードを広げて差しだした。
おずおずとザックが持っていたカードをもどした。
「ん、じゃ、気がすむまで切って」
と、カードセットを渡そうとしたが、またも気が変わったようにさっと他の観客に渡してしまった。
「やっぱこの人に切ってもらおう」
カードを渡された人は、大喜びでカードを切り始めた。
ザックはまいったなぁといった表情で苦笑しながら、顎《あご》に手をやり足を組んだ。
これだ!
これが『サイン』だ。
実をいうと、最初からここでザックはわたしたちにサインを送ることになっていた。だから他の人に切ってもらうというのも予定通り。
顎にやった手が数字を表わしている。親指だけ折ったら、それは一、人差し指も折ったら、それは二。順々に三、四、五を表わしている。要するに全部の指を折って拳《こぶし》を作っていたら、それは五というわけで……。
えぇーい、わかりにくい。図で説明しよう。
おわかりいただけただろうか。
で、数字はこれでいいとして。カードにはスペード、ハート、ダイヤ、クラブという四種類のマークがある。こっちはどう表現しているかといったら、彼の足、これだ。
普通に足をそろえて立っている場合=スペード。
足を広げて立っている場合=ハート。
足を組んでいたら=ダイヤ。
片方だけに体重をかける……いわゆる『休めの姿勢』=クラブ。
……と、こういうわけ。
だから、今、ザックは小指と薬指を立てた手で顎《あご》をなで、足を組んでいるんだからして、
『三のダイヤ』だとわたしたちに教えてくれているんだ。
「ね、これ、これよね?」
わたしは観客にはわからないよう、カードをクレイに見せた。
クレイは真面目《まじめ》な顔でうなずいた。
実はこっちにもうひと組、トラップが持っているのと同じカードセットがある。このなかからザックが持っているのと同じカードを用意し、大きな封筒《ふうとう》に入れて待機している手はずとなっていた。
何度も確認しているからだいじょうぶだとは思うんだけど、いざとなると胸がドキドキしてくる。
震《ふる》える手で『ダイヤの三』を封筒に入れ、テープでしっかり封をした。
こっちでわたしたちがそんな仕掛《しか》けをやっている間、トラップはいろんな人たちにカードをシャッフルさせたりして、相変わらずの口調で観客たちを笑わせていた。
チラッとこっちを見たトラップに、わたしは合図を送った。
用意はできてるぞという合図だ。
トラップは素知《そし》らぬ顔で、
「はいはい、これくらいでいいっすか?」
大きなカードだから切りにくそうに、しかし丹念《たんねん》に何度もカードを切っていたおばさんからカードを取りあげつつ、
「あんたも疑り深いねぇ……」
ゲラゲラ笑っている観客の誰《だれ》ひとりとして、こっちの作業など目に入らなかったようだ。もちろん、わたしは次の用意をするふりをして、シルクの布や羽毛でできた花などが詰《つ》まった箱の中でさっきの作業をしたんだからして。何かやってると気づいた人はいたかもしれないが、それが何なのかは絶対にわからないはずだ。
「よおし! じゃ、これでおれには全くわかんなくなった。あんたの選んだカードが、どこに戻《もど》されたかなんてね」
トラップはそういい、ザックを見たが、
「まぁしかし。これでも疑う奴《やつ》はいるんだよなぁ。いんや、カードに印をしてんだろとか、それも人には見えないインクで……とかさ。あんたねぇ、人に見えないインクがどうしておれに見えるわけ? じゃ、なに? おれって人間じゃないっていいたいの?」
あっはっははっは。
「だから、このカードは捨てる」
そういって、カードをポイッと後ろに放り投げた。赤と異の模様を見せて、ヒラヒラとカードが舞《ま》う。
ああーああ――……と、観客が残念そうな声をあげた。
そりゃあそうだ。あれだけ丹念にいろんな人が切ったカードなんだもんね。自分たちの苦労はいったいなんのためかといいたいわけだ。
「いいのいいの。過去はさっぱり捨てなくっちゃ。過去にばかりこだわってたら、明るい未来はこないよ!」
なに、いってんだか。
「でだ。ザックさん、あんたが何を選ぶか、実はおれ最初っからわかってたの。へへ、これほんと。シロ!」
「わん!」
『わんデシ』といっちゃダメよと口を酸《す》っぱくしていったかいあって、シロちゃんは見事に犬そっくりの声でひと声|吠《ほ》えた。
「ちょっくら、その箱《はこ》んなかから例の封筒持ってきてくんねーか」
「わんわん!」
シロちゃんはトットコ歩いて箱の中に飛びこみ、さっきわたしが用意しておいた封筒をくわえて出てきた。
おおおお! と、これだけで観客はどよめいた。
「はいはい、さんきゅ。こっちのおにいさんに渡してあげて」
トラップの足元まで来て彼を見上げていたシロちゃんは、封筒をくわえたままくるっと向きを変え、ザックのほうを向いて後ろ足で立ち上がった。
パチパチパチ……。観客は「かわいいー」「おりこうさんねぇ」と、シロちゃんに拍手《はくしゅ》した。
ザックはシロちゃんのくわえた封筒を指さし、トラップを見た。
「うんうん、それ。それを開けてみて」
トラップの許しをえて、ザックはシロちゃんの口から封筒を取った。シロちゃんは後ろ足で立ったまま、シッポを振《ふ》っている。
「さぁーて、みなさん。あんたたち、さっきこのザックが選んだカードがなんだったか覚えてるな? 忘れたなんて言わせねーぞ!」
村人たちは大きくうなずいた。
ドラムロール、スタート! といっても、キットンがやってんだから実にバラバラした情けないドラムロールだったが、それでも場面は緊《きん》張《ちょう》感《かん》に満ちあふれた。
彼らが注目するなか、封筒のテープを引き剥《は》がしたザックは中のカードを取り出し、ハッとした表情を作った。
次の瞬《しゅん》間《かん》、パッと頭上にカードを差し出す。
一瞬の間をおいて、わああぁぁぁぁ―――! と巻き起こる歓声!
大きな拍手《はくしゅ》に混じって、ピーピーと鳴る指笛《ゆびぶえ》や「いえぇーい!」という歓声。
トラップは大きく手を広げ何度もお辞儀《じぎ》をし、ザックとガッチリ握手をした。
わたしたちもお互《たが》いに笑い合いながら、後ろで拍手した。
なかなか鳴りやまない相手。トラップはシロちゃんをひょいと扁にのっけて、もう一度手を広げる。
再び大きくなる拍手……。
ひゃあぁぁ、よかった!
大成功じゃん!!
こんな調子で、トラップは観客をうまく巻きこみつつ(実際次々と村人たちを引っばり出してきた)マジックショーというよりは観客参加のバラエティショーの趣《おもむき》で、なごやかに演目を進行させていった。
だから、手品自体は大したものではなくっても、村人たちの顔には退屈という文字はまったくない。
もちろん、わたしがやったチェイニーズリングやクレイのジャグラーなどは危なっかしいものだったが、そこはそれ愛《あい》敬《きょう》というわけで。あたたかい拍手をもらうことができ、ホッと胸をなでおろした。
そうそ。箱の中にキットンが入り、再び箱を開けたらどこかに消失していたという手品は、ものの見事に失敗した。
キットンが仕掛《しか》けのある台の中へ移動するのに手間取ったせいだ。しかし、その時もトラップがうまくフォローした結果、大《だい》爆《ばく》笑《しょう》のうちに終わり観客が白けてしまうということはなかった。
トラップが例の赤い玉を指先に出現させていくという、『スカゴの四つ玉』なる手品をやって観客をわかしている間、帽《ぼう》子《し》を口にくわえたシロちゃんとルーミィ……いやいやルーミィは手で持ってだけど……が観客の間を回って歩いた。
彼女たちの帽子に、観客は喜んでコインを投げ入れてくれ。そのたびに、ルーミィは「おばちゃん、あいがとー!」などとお礼をいい、シロちゃんはシロちゃんでシッポを振《ふ》って応《こた》えていた。そのようすがあまりに愛らしかったため、みんなが彼女たちの頭をなで、なかには抱《だ》きしめたりしているおばさんもいた。
へへ、いいじゃん、いいじゃん。
うまくいくかどうか不安で不安で。まさかこんなに受けるとは思わなかったから、わたしは本来の目的である『クアーティの家に潜《せん》入《にゅう》する手段』というのもしばし忘れ、うれしくってしかたなかった。
なんだったら、このまんま奇《き》術《じゅつ》団《だん》として生活費を稼《かせ》ぎながら冒険《ぼうけん》するんだって悪くないなぁとか。
いやはや、やみつきになっちゃいそう。
などと浮《う》かれていたら、銀色のローブを着た人がトラップの前に進み出た。
トラップは赤い玉を即座に消し(?)、「はい?」という顔でその人を見た。
なごやかにぎわめいていた村人たちが途《と》端《たん》に静まりかえった。
「エンチラーダ!」
彼はそういって、後ろ頭を三度ほど叩《たた》いた。
「アンチラーダ!」
あわてて村人たちも頭を叩く。
男は、トラップに向き直り、
「たいへん興味深く拝見いたしました。実は、あなたがたがここで興行をされているというの
を聞き、わが大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教《きょう》団《だん》の教祖であらせられるクアーティさまから『わが家でも手品をしてみせてほしい。それで、もしあなたがたの芸がすばらしいものであれば次の大術式で前座をつとめさせてもよい』というありがたい申し出がございました。
クアーティさまは、あなたがたのような旅芸人たちをたいへん優遇《ゆうぐう》されていらっしゃるのです。いかがですか? 食事も用意しております。いずれにせよ、この村には宿屋はありませんからね」
いんぎんな調子だが、どこか威《い》圧《あつ》的《てき》な……いやとはいわせない押《お》しの強さ。
それに、口元には微《ほほ》笑《え》みを浮《う》かべていたが目は笑ってない。
ふと首を傾《かし》げたトラップ、
「あ、あれ? ここに……」
と、いいながらクアーティの伝言を告げた彼の肩に手をやった。
「え?」
と、振《ふ》り返る彼の前に、トラップは羽毛で作ったきれいな花をつきつけた。
緊《きん》張《ちょう》がほぐれ、わあっとはかりに笑う村人たち。
しかし、銀色のローブの男はすーっと目を細めただけで、はりついたような微《び》笑《しょう》は崩《くず》れない。無気味なほど無表情な人だ。
「ははは、どーもどーも! すんませんねぇ。いや、その申し出、ありがたくお受けしますです、はい」
トラップは両手をもみさすりながらペコペコ頭を下げた。
その手の中から、出てくる出てくる。どんどん花が湧《わ》いて出て、彼の足元にハラハラと落ちた。
観客は大喜び。
その観客たちに向かって、銀色のローブの男は静かな声でいった。
「まもなく真《しん》上《じょう》術《じゅつ》の会が始まる時刻ですよ。一同解散!」
人々は素直に腰《こし》をあげ、無言でそれぞれの家へと帰っていった。
ザックが帰りながら、少し心配そうな顔でこっちを見ていたのが印象的だった。
「では、支《し》度《たく》がすみ次第いらしてください。クアーティさまの家はこの通りをまっすぐ進み、突《つ》き当たりを右に行った場所にあります。門番にはもう話してありますから」
微笑みを浮かべたままそういうと、さっとロープの裾《すそ》をひるがえし去っていった。
彼をニヤニヤ見送っていたトラップがいった。
「へへへ、おいでなすったぜ。そんじゃ、お言葉に甘《あま》えて訪問させていただきましょうかね」
まるで楽しい夢《ゆめ》を見ていたのに冷水《れいすい》を浴びせられ、いきなり起こされたような、そんなかんじで……わたしはトラップのニヤニヤ笑いを見ていた。
予定通りクアーティの家に潜《せん》入《にゅう》できることになったのは、いいとして。じゃあ、その先、いったいどうやってメルを救出するのだろうか。
トラップたちはどうやらメルを救出するだけじゃなく、あの諸悪の根元《こんげん》のギャミラ像をも破壊し、クアーティの野望を打ち砕《くだ》こうだなんて、大それたことを考えているらしいし。
いくらズル賢《がしこ》いトラップ、それからキットン族として目覚めて以来|冴《さ》えっぱなしのキットンとはいえ、あんな無気味な人たちがいっぱいいて、がっちりガードを固めた家で。しかも信仰《しんこう》心《しん》の厚い信者たちのまっただなかで、そんなことできるんだろうか……。
わたしたちが対するべきは、あの神とも崇《あが》められるクアーティ、その人。もし可能であれば壊《こわ》そうなどと考えているのは、この教団のご本尊なんだぞ。
信仰心というのはわたしが考えていた以上に強い力となるようだ。時には、その敵となる者に対して、団結力という最大の武器で立ち向かっていくんだろう。
わたしは急に寒気がして、むき出しになっていた肩《かた》を両手で抱《だ》きしめた。
STAGE 12
クアーティの屋《や》敷《しき》はあの術《じゅつ》殿《でん》の隣《となり》にあった。高い塀《へい》に囲まれた屋敷は、深い森を背にし……その大きさこそ他の村人たちとは比べ物にもならないほど大きかったが、術殿と同じく簡素な佇《たたずま》 い。
エベリンの一流ホテルで豪遊《ごうゆう》するような人だし、あんなに派手《はで》な演出で儀《ぎ》式《しき》をするんだもの。もっともっと……そうそう、あのエグゼクの息《むす》子《こ》、リグレクの復活屋みたく成金|趣《しゅ》味《み》の家を想像していたわたしは少し意外な気がした。まぁ質実|剛健《ごうけん》といった教えを説く教団の教祖の家なんだからして、そこがキンキンキラキラしてたんじゃまずいのかな。
「旅芸人の方ですね。入りなさい」
大きな木の門の両側に立っていた、ひざ丈《たけ》のローブを着た男たちが頑《がん》丈《じょう》そうな閂《かんぬき》を開け、わたしたちを中に入れてくれた。トラップが話していた、例のマッチョな門番だな。
しかし、どの人もさっきの人と同じく、はりついたような微《ほほ》笑《え》みを浮《う》かべている。ううう、なんだかとっても無気味!!
「その乗り物はわたしどもが運んでおきましょう」
門番のひとりが、ヒポちゃんから降りようとしていたトラップに声をかけたが、
「あ、えーっと実はこれ、なかにいろいろと商売道具が入ってるんすよ」
彼はペコペコしながら断った。
「そうですか。では、ここで荷物を降ろせばよろしい」
げげっ!
まずいじゃん。だって、ヒポちゃんのなかには毛布にくるまってピートが隠《かく》れてるんだよ。
しかし、トラップはあわてず騒《さわ》がず、
「ああ、そうすねぇ。そんじゃ、ちと……おい、ノル!」
つい無意識に、そう声をかけてしまったんだろう。
みんながぎょっとしてトラップを見ると、
「……は、いねーんだよな。……クレイ、キットン、手伝ってくれや」
ひょいと再びヒポちゃんの上に乗り、ガサゴソやり始めた。
どうするつもりなんだ?
毛布ごと運ぶのかな……。
しかし、わたしの予想は外れた。
「よーし、落とすなよ! 大切な商売道具なんだから」
いろいろな手品道具やわたしたちの荷物が詰《つ》まった箱を慎《しん》重《ちょう》に降ろし、下でキットンとクレイが受け取る。
そして、次にさっきの興行でキットンが見事失敗してしまった……例の消失の手品で使った箱を重そうに持ち上げた。
「う、うう……次のは重いぞ。し、慎重にな」
銀紙や色テープで描《か》いた幾何《きか》学《がく》模様の派手《はで》な箱。
あれ? あれってばそんなに重くないはず……あ、あぁ! なるほどね。
「う、うう……キットン、おれが支えてっから下を頼《たの》む!」
クレイはトラップから受け取ったその箱をまっ赤《か》な顔で支えた。
「もうよろしいですか?」
その他、細々したものを降ろし、下でふうふう肩《かた》で息をしているトラップたちに門番が聞いた。
「はい、これだけです。お待たせしてすんませんねぇ、はい」
「その小犬も馬屋に連れていきましょうか」
彼はシロちゃんを見ながら聞いた。
「あ、いえいえ、こいつも手品をするんですよ!」
無《む》邪《じゃ》気《き》に彼とトラップをかわるがわる見上げているシロちゃん。門番はさして興味も引かないようすで、
「そうですか。それでは、あちらに小さな木のドアが見えますね」
彼が指さした先、たしかにドアがあった。
「あそこから入ってください。なかにフェルトマンという術師がおります。彼が部屋に案内します。では、エンチラーダ!」
門番は無表情に後ろ頭をポンポンと叩き、ヒポちゃんを連れて行ってしまった。
「そんじゃ、行くか。キットン、そっちの箱持ってくれ。おれたちはこっちの重い重い箱を……」
クレイとトラップでピートが隠《かく》れている箱をえっちらおっちら運び、キットンはキットンでもうひとつの箱をひとりでアワアワいいながら運び。
わたしたちは木のドアをノックした。
「旅芸人の方ですね。クアーティさまがお待ちかねです。まずは部屋に案内しましょう」
フェルトマンという名前の男。背の高さはさほどでもないが、がっちりした肩幅《かたはば》といい、黄土色のローブから突き出た手といい。見るからに強そう。
彼はわたしたちの顔を見るなり、さっさと歩いていこうとした。
「あ、すみません。ちょっと待って」
箱を持ったクレイとトラップがドアのところでモタモタしていたから、わたしはあわてて彼の背中に声をかけた。
「はい? あぁ、重いのですか?」
フェルトマンは無表情のままクレイたちの手から箱を取りあげ、軽々と箱を肩に担ぎあげてしまった。
「いやぁ、さすがですねぇ。おれたち、カードより重てぇもんを持ったことなくって……」
「いえいえ、これもギャミラさまのありがたいお力。みなさんもクアーティさまの御教えにふれれば自然と潜在《せんざい》している能力が目覚めますよ」
「はぁ、そうですかぁ……」
「はい、ではまいりましょう」
フェルトマンは微《ほほ》笑《え》んだまま、わたしたちを見た。
わたしたちが入ったドアは、いわゆる商人たちや下働きの人たちが出入りする勝手口らしい。フェルトマンは昼なお暗い……複雑に入りくんだ家のなかを迷うことなくズンズン進み、階段を昇《のぼ》ったところで一息ついた。
こんなに複雑な……たぶん建て増しに建て増しを重ねたんだろう……家のなか。方向|音《おん》痴《ち》な
わたしだもの、注意しなきゃ迷ってしまいそうだ。
実をいうと、すでに『さぁ、さっきの勝手口にもどりなさい』といわれたって、すんなりもどれる自信はなかった。
フェルトマンは階段から見て左手にあったドアの前で立ちどまった。
「この部屋《へや》です。続き部屋になっていますから、後は好きなように使ってください。まずは旅の疲《つか》れをいやし、クアーティさまにお会いする心の準備をなさるとよろしいでしょう。クアーティさまは、すぐにもあなたがたの芸が見たいと仰《おお》せられております」
「は、はい。光栄です」
クレイが頭を下げた。
フェルトマンはクレイの返事に満足したようにうなずくと、肩《かた》に乗せていた箱《はこ》をドスン!と派手《はで》な音をさせて降ろした。
「あっ!!」
ついつい、わたしったら大きな声をあげてしまった。
「はい?」
フェルトマンは太い眉《まゆ》をあげ、わたしを凝視《ぎょうし》した。
ま、まずい!
「いえ、なに……この箱は手品に使う大切な商売道具なんすよ」
トラップがすかさずフォローすると、
「あぁそうですか、乱暴に扱《あつか》って申し訳ありませんでしたね」
彼は素直に謝ってくれ、
「では、後で呼びにまいりましょう」
と、立ち去った。
「おめぇなぁ……」
トラップににらまれた。
あ――しかし。なんにせよ、よかったよかった。
今ここで不《ふ》審《しん》に思われちゃ、みんなオジャンだもんね。
「ごめんごめん。だって、わたし……」
そういいかけたとき、
「ああ……」
下のほうからフェルトマンの声が!!
ギクリと後ろを振り返ると、彼は階段の下で何かを差し出し立っていた。
「鍵《かぎ》をお渡しするのを忘れておりました」
「あ、すみません!」
バタバタと階段を降り、彼から鍵をもらった。
「あなたがたも興行をしたばかりゆえ、疲《つか》れているでしょう。二時間ほど経《た》ってから呼びにまいりますが、それでよろしいですね?」
「はい。お心《こころ》遣《づか》い感謝します」
「エンチラーダ!」
後ろ頭を二、三度|叩《たた》き、丁重に頭を下げたもんで。思わず、わたしってば、
「アンチラーダー」
と、頭を下げてしまった!
フェルトマンはふっと目を細めて、
「よいことです」
一言そういい、にやぁっと笑った。
そして、今度こそちゃんと去っていったのだ。
その後ろ姿を見送り、わたしはホォーッと安《あん》堵《ど》の息をもらした。
ああ、しかし。今の彼の笑顔は怖《こわ》かったぞ……。
「ピート、だいじょぶかな……」
部屋《へや》に入るなり、手品用の箱《はこ》を開ける。この箱、もちろん仕掛《しか》けがあり、上の箱は人間ひと
りやっと入れる大きさで四方がバラバラになる。その箱の下に一見ガランドウに見える台があるんだけど。しかし、実は鏡を使ったトリックで、そこにもひとり隠《かく》れるスペースがあるのだ。
「おい、もう出てきていいぞ」
トラップが後ろ側の板をノックすると、その板をはね上げながら、コソコソとピートが出てきた。
「はぁあ……」
「だいじょうぶ?」
「はぁ、平気ですぅ……」
短い間とはいえ、狭《せま》いところに押《お》しこめられていたんだ。辛《つら》かったと思うのに、ピートは文句もいわず、長い茶色の耳を両手で押さえながらにっこり笑った。
「さーてと。続き部屋になってるっていってたな」
クレイが物《もの》珍《めずら》しそうに部屋のなかを見回した。
部屋のなかには堅《かた》そうではあったが、ベッドがふたつ。それからタンスと机。出入り口のドア以外にもふたつドアがあった。
「こっちは?」
クレイは左のドアを開け、
「おーい、パステル。喜べ、バスルームだ」
「えええ!?」
バタバタと彼の開けたドアからなかを覗《のぞ》きこんだ。
「ほんとだ。お風呂《ふろ》がある。トイレも!」
「ほんとら、おふおあう。といえも!」
ルーミィも同じように走り寄って、わたしの口《くち》真似《まね》をした。
「ルーミィ、後で一緒《いっしょ》にお風呂入ろうねー!」
「ぱぁーるぅ、るーみい、おふお!」
う、うれしい。なにせ冒険《ぼうけん》中はゆっくりお風呂につかるなんてできやしない。いつも冷たい水で簡単に髪《かみ》を洗い、濡《ぬ》れたタオルで体をふくのが精いっぱい。ザックの家にもお風呂はなかったから、彼に運んでもらった冷たい水で髪を洗ったりしていたのだった。
「こっちは続き部屋ですよ」
キットンがもう一方のドアを開けていった。
そっちの続き部屋もこっちと同じような作りになっていて、やはりベッドがふたつあった。
「じゃぁ、あっちの部屋はわたしたちが使っていいよね」
「ああ、いいよ。男たちはこっちで着替え……あ、だめか。これからまたクアーティに手品見せなきゃいけないんだったな」
まだしばらくの間、この派手《はで》な服を着ていなきゃいけないのかとクレイは眉《まゆ》をしかめた。
「わたし、顔と手だけ洗っていいかなぁ」
慣れない化《け》粧《しょう》をしているせいで、なんとなく気持ち悪い。
「ああ、時間はあるんだ。おれもタイツ洗っておこっと」
トラップは荷物の詰《つ》まったほうの箱をゴソゴソやりながら答えた。
そうかそうか。大《だい》術《じゅつ》式《しき》まで、最低あと三日ほ滞在《たいざい》するんだものね。この際だから全部洗っちゃおう!
それぞれ、顔を洗ったり洗濯《せんたく》をしたりして、こざっぱりなったところで。キットンとトラップが全員を召集《しょうしゅう》した。
「クアーティの部屋で手品をやる、その手順を説明したいと思いますが……」
キットンはここで言葉を切り、意味ありげにわたしとクレイを見た。
「ん? そんで?」
クレイがベッドの端《はし》に座りなおすと、
「はい。オーディションに受かり大術式の前座をやらせてもらう……というのは表向きの目的でして。実はもうひとつ、大きな目的があるんです」
ふむふむ!
いよいよ、この前からキットンたちがゴニョゴニョやってた作戦とやらが明かされるわけ!?
「手品をやっている間にわたしは薬部屋に忍《しの》びこみ、例の薬をみんなすり変えておくつもりです」
「ええ――!?」
ついつい大きな声をあげてしまい、わたしはみんなからシーシー! ッと静かにするよう注意された。
「ご、ごめん……だって、びっくりして……」
「しかし、薬部屋には鍵《かぎ》がかかってるんだろ? それに監《かん》視《し》用《よう》の仕掛《しか》けがあるとかいってたじゃないか」
クレイの質問に、キットンはにっこり微《ほほ》笑《え》んだ。
「もちろん対策は考えてます。じゃ、この先はトラップに説明してもらいましょう」
キットンにバトンタッチされたトラップは、ベッドの上に立《た》て膝《ひざ》ついちゃって、
「おーし、そんじゃ具体的な手順だ。いーな、これ、どれかひとつでも失敗したら後がねーんだ。耳ぃかっぽじって、よ――く聞いてくれよな!」
まるで、盗賊団《とうぞくだん》のお頭《かしら》みたい。
「今回、サクラはいねぇ。だから、あのカードの手品はバツだ。なに大した手品をする必要もない。いや、あんまりうまくやるとまずいくれぇだ」
「どして? だって、これからやるのっていわばオーディションみたいなもんでしょ?」
「まぁな。だけど、いわゆる手品手品した……そういうほうがいいんだ。手品好きのクアーティをいい気分にしてやること、これが大切だからな。それに、あんまりうまくやって警戒されちゃ元も子もなくなっちまうし」
ふむ、よくわかんないけど……。
「最初、おれがダンシング・ロッドをやる」
「なにそれ?」
「ああなに、ステッキの手品さ。その間おまえらは後ろでニコニコして見てればいい。次は……、クレイ、ジャグラーやってくれ。しかもわざと失敗すんだ」
「わざと?」
クレイが聞くと、
「ああ、できればクアーティの足元に剣《けん》を投げる」
「そんなことして機《き》嫌《げん》悪くしたりしないか……」
「だいじょうぶ! かえって喜んで拾ってくれるさ。その隙《すき》におれが薬部屋の鍵《かぎ》をいただく」
わたしたちは、はっと息を飲んだ。
「ピートに聞いたとこによるとだ。いろんなとこの鍵がひとつひとつ壁《かべ》に並《なら》んでかかってるそうだ。ちょうど図面でいうと、ここだ。だよな?」
ピートに描《か》いてもらった教祖の部屋の図面をポンと指で押《お》さえた。部屋に入って左手、ドアの横の壁にあたる。
「はい。薬部屋の鍵は右から二番目にかかっている……小さな鍵です。たくさんかかってますから、くれぐれもまちがいのないように」
ピートが緊《きん》張《ちょう》した面《おも》持《も》ちで答えた。
「うん。この鍵をちょっと失敬してだ。キットンに渡す。そんでお次はそのキットン、例の消失マジックだ」
「あ! わかった。例の箱《はこ》から消えて下に隠《かく》れてるところ、こっそり抜《ぬ》け出すんだな?」
クレイは大きく膝《ひざ》を叩《たた》いたが……、
「しかし、クアーティの目の前でどうやって部屋を抜け出すんだ?」
そうよね、そうよね!
「へへ、そこですよ! ルーミィの出番は」
キットンが含《ふく》み笑いをしながら、シロちゃんと無《む》邪《じゃ》気《き》に遊んでいたルーミィを見た。
「え? なんら‥‥‥」
急に自分が呼ばれたもんだから、ルーミィはうれしそうに走り寄ってきた。
「クレイ、特訓の成果は……」
「ああ、ストップの魔《ま》法《ほう》だな。もちろんだいじょうぶ!……だと思うが」
最初はバンと胸を叩いて太《たい》鼓《こ》判《ばん》を押《お》そうとしたクレイだったが、彼を見上げるルーミィと目があって……いきなり自信のない声になってしまった。
「ルーミィ、ちょっとまたストップやってみ」
クレイに言われ、ルーミィは少し空中を見つめ、
「う――んとぉ……」
なんともかわゆらしい声。クレイが焦《あせ》って、
「うまくできてたじゃ……」
と、いいかけたとき。ルーミィのふっくらした唇《くちびる》が動き始めた。
「ヨメダヤチイ、ゴウモテシ、タイタイ、デンロコガン、サマルーダ……しおちゃん」
すごいすごい! よどみなくスラスラと呪文《じゅもん》をつぶやき、銀のロッドをさっとひとふり。ロッドの先から小さな光の結《けっ》晶《しょう》がこぼれ出て、ちょうどベッドの上に飛び乗ろうとしていたシロちゃんの鼻先を包んだ。
そうか! 呪文の最後に術をかける人の名前を呼ぶんだな。
お、おおおお!?
シロちゃんが空中でピタリと止まってる!!
「すっごーい!」
わたしはシロちゃんの顔を覗《のぞ》きこんでみた。
生き生きした黒い瞳《ひとみ》もピンク色の舌も……全く変わりはないのに、とにかくピクリとも動かない。
しかし、それも一《いっ》瞬《しゅん》のことで。わたしがシロちゃんの黒い鼻面にそっと触《ふ》れようと手を伸《の》ばした瞬《しゅん》間《かん》、シロちゃんはポンとベッドに着地した。
みんなが彼を見つめていると、シロちゃんも不思議そうにわたしたちを見回した。
「どうかしたデシか?」
ほぉーっと出るため息。
「いいじゃん、いいじゃん、いいじゃん!!」
トラップがクレイの背中をポカポカ叩きながら喜んだ。
「そりゃ、ここまでくるのに、どれだけ苦労したことか……」
トラップに叩かれながら、クレイが心底ほっとした顔でいう。
「いやぁ、ごくろうごくろう! うんうん、この分だと成功まちがいなしだぜ!!」
トラップの説明を聞いた後、念のためということで、わたしたちは一度通して入念なリハーサルを行った。
「ちがう! そのタイミングじゃバレちまわ!」
トラップの容赦《ようしゃ》ない注意が飛ぶ。
「ほら、キットン!」
「はい!」
「クレイ、ルーミィにストップをいわすんだ!」
「よし、ルーミィ! 肩《かた》を叩《たた》いたら呪文《じゅもん》をいうんだぞ。ほら!」
「ヨメダヤチイ、ゴウモテシ、タイタイ、デンロコガン、サマルーダ……しおちゃん」
「ば、ばか! しおちゃんじゃねーだろ、クアーティだろーが!」
一番|肝心《かんじん》な……あの箱 |脱《だっ》出《しゅつ》作戦。あれは特に念入りに、失敗しないと確信するまでくり返しやった。
「ふう……ま、これくらいだぁな」
一通り終わり、トラップがストンとベッドに座りこんだとき。コンコンとドアがノックされ、わたしたちは思わず飛び上がった。
「あ、はーい。すみません、いま着替《きが》え中で……ちょ、ちょっと待ってください」
わたしはドアを押《お》さえ、ピートが隣の部屋《へや》に隠《かく》れるのを待つ。
しかし、ドアの向こうから「着替え中ですか? 失礼しました。では準備が整いしだい呼び鈴《りん》を鳴らしてください」という……たぶんさっきの……フェルトマンの声。
「はい、わかりました!」
わたしが大声で答えると、彼は立ち去っていったようで。足音が遠《とお》退《の》いていった。
そーっとドアを開けてみると、階段を降りていく彼の後ろ姿が見えた。
「はぁぁぁ……」
再びドアを閉め、わたしはみんなのほうを向いて胸をなでおろす。
「よしっ! じゃ、みんな急いで支《し》度《たく》しようぜ」
クレイはそういって、自分の頭に巻いていたターバンをなおしはじめた。
そだそだ! お化《け》粧《しょう》しなくっちゃね。
わたしは化粧道具を持ってバスルームに走り、鏡に向かった。
クアーティとは一度対面しているんだ。ちゃんとメーキャップしなくっちゃね。
まぁ、あのときはみんなスカーフや帽《ぼう》子《し》を目《ま》深《ぶか》にかぶり、顔半分|隠《かく》していたんだし、集団のなかでチラッとしか対面しなかったんだから、まずだいじょうぶだとは思うけどさ。
「健闘《けんとう》を祈《いの》ってますね!」
ひとり、部屋《へや》に残るピートがいった。
「うん、ありがと! 鍵《かぎ》はかけて出るけど、ピートは向こうの部屋で待っててね。万が一|誰《だれ》か来ちゃうとまずいし」
「はい、そうします」
一度しか対面しなかったにもかかわらず、忘れようにも忘れられないクアーティの赤い目。しかし今こうして見てみるとさほどでもない。少し血走ってるかな? と思うくらい。
彼はその目をさもうれしそうに細め、わたしたちをゆっくり見定めていた。
「ふむ、おまえたちの噂《うわさ》はすでに聞いておる。なかなかに達者な芸で、信者たちも喜んでおったそうじゃないか。前にも奇《き》術《じゅつ》をする旅芸人たちが釆たことがあってな……」
屋敷内の誰も、みんながみんな同じように無表情で。こりゃ、クアーティはよほど無気味な人だろうなぁと覚《かく》悟《ご》してきたというのに。
こうして会ってみると、あの大《だい》術《じゅつ》式《しき》で見た教祖教祖したイメージとはかなり違《ちが》う。もっと気さくな……なんていうか、ふつうっぽい感じだ。
眉《まゆ》の上で切りそろえた髪《かみ》も太く立《りっ》派《ぱ》な眉もまっ黒。彫《ほ》りの深い顔立ちで、顔色ほどす黒く目もどんより曇《くも》っていたが、黒いロープを羽織《はお》った体はガッシリした体格だった。
漆黒《しっこく》のローブは、彼が動くたびにキラリキラリと光り、袖口《そでぐち》や裾《すそ》から見える裏地は目にも鮮《あざ》やかな赤。その対比が無気味といえば無気味だ……。
わたしはクアーティの話を聞きながら部屋を目だけで見回した。
さすが教祖の部屋というだけあって広い。立派な椅子や重厚な机が部屋の隅《すみ》に配置されている。たぶんわたしたちが手品を披《ひ》露《ろう》する場所を空けてくれたんだと思うけどね。
部屋の入口側の壁《かべ》にはクアーティの肖《しょう》像《ぞう》画《が》やギャミラ像の絵が飾《かざ》られ、床《ゆか》には不思議な幾何《きか》学《がく》模様のじゅうたんが敷《し》かれている。
ドアを入って正面の壁にはドアがふたつ。きっとこのどちらかのドアの奥《おく》に、メルの監禁《かんきん》されているかもしれない牢《ろう》があるのか……。今、彼女はどんな思いでいるんだろう。そして……。
おお、あるあるある!!
入口の左手、ちょっと下のほうにジャラジャラと。数え切れないはどの鍵《かぎ》が並んで下げてあるじゃん!
ピートの話じゃ、あの右から二番目の奴《やつ》、あれが薬部屋の鍵……。
「ごほ、ごほん!」
キットンの咳払《せきばら》いで、はっと我に返る。
ひゃ、ごめん! わたしは首をすくめ、彼を見た。でもキットンは何くわぬ顔でコキッコキッと首を鳴らしているだけ。
ううう、もしかしたら……キットンがトラップにしか作戦の細部を敢えてないのって……わたしたちがポーカーフェイスできないからなのかなぁ。そういやクレイだってすーぐ顔に出ち
ゃうタイプだし……。
なんてーことを考えているうちにクアーティがしゃべり終わったらしく。ひょいとトラップが前に進み出て、
「いやぁ、そんな芸なんちゅうたいした代物《しろもの》じゃあねーんすけどね。なんか早速ご招待なんかされちゃったりして。いやぁ、すんませんねぇ、ほんと。こんなすげー屋《や》敷《しき》だし、おれたちビビってたとこなんすよ。ははは……」
と、彼にしては最高級の敬語で応じた。
クアーティはますます目を細め、
「いや、礼には及ばん。わが大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団では、よそからきてくれた客人を丁重にもてなすのがしきたり。出会いというのは偶然《ぐうぜん》のように見えてそうではない。すべてはこのギャミラさまのご意志、お導きなのだ」
と、壁にかかったギャミラ像の絵を差し示す。
あの術《じゅつ》殿《でん》にあった大きなギャミラ像と同じく、目を閉じ、ひし形の口も閉じている。
まさかこれまで目を開けたり、口を開けて何かしゃべったりしないでしょうねぇ。
でも、それより目を引いたのは隣《となり》にかかっていたクアーティの妙《みょう》にリアルな肖像画でも、不思議な文字の書かれた銅板でもない。そのギャミラ像のちょうど上あたりにかかっていた三つの鏡だ。
ついしげしげと眺《なが》めていると、
「それが珍《めずら》しいか? ふふふ、それはこの部屋の外を映しておるのじゃよ」
「あ、すみません……あまりに不思議だったもので」
わたしはあわてて取りつくろった。
しかし、クアーティは上《じょう》機《き》嫌《げん》で、この鏡で外の様子を監《かん》視《し》しているんだと説明してくれた。確かに、左の鏡には廊《ろう》下《か》の入口のようすが、まん中の鏡には小さな木のドア(たぶん薬部屋の)が、右の鏡にはこの部屋のドアが映っている。
「ほお、そいつぁすげぇ。いったいどういうカラクリになってんで?」
トラップがクアーティをおだてるように聞くと、
「ふふふ、いったところでわかりもしまい。まぁ話は後にして。早速おまえたちの芸を披《ひ》露《ろう》してくれんかな。わたしが気に入ったら、今度の大《だい》術《じゅつ》式《しき》の……わが教団の儀《ぎ》式《しき》なんじゃが……前座をつとめさせてもよい。むろん、報《ほう》酬《しゅう》もはずもうではないか」
「ヘヘ、そうと聞いたらぜがひでも気に入ってもらわなくっちゃ。おい、おめぇら、気を引き締《し》めてやるんだぞ!」
「おう!」
……と、元気に叫《さけ》んだのはクレイだけ。
彼はパッパッとバツが悪そうに、わたしたちを見回した。
「さてさて。まずは小手調べ!」
トラップはさっとマントをひるがえし、空中をばっとつかんだ。
その手にきれいな花束が現れ、腕《うで》をひとふりするや長いステッキに早変わり。
大きな椅子《いす》にゆったり腰《こし》かけ、にやにや笑いながら見ているクアーティはパチパチと……ほとんど義理といっていい程度の拍手《はくしゅ》をした。
トラップはその拍手に小さくお辞儀《じぎ》をし、すっとステッキから手を放した。
あらら? ステッキは彼の手と手の問に浮《う》かんでるじゃないか。
この手品、今初めて見る(さっきのリハーサルでは省いてたし)けど、いったいどうなっちゃってるの?
スイッスイッとステッキはまるで生き物のように、トラップの前で踊《おど》る。
「へへへ、きょうはこいつ機嫌いいみたいっすねぇ」
と、彼がいった瞬《しゅん》間《かん》、ステッキはポトリ床《ゆか》に落ちてしまった。
「あらーぁ? ったくよお、誉《ほ》めるとコレだぁ! かわいげがねーんだから……」
ブチブチいいながら、拾おうと腰《こし》をかがめ、手を出すと……スイッとステッキは逃げた。
「くそ!」
もう一方の手でつかもうとするが、また逃げる。
いや、逃げようとしたところをダンッと踏みつけた。
クアーティは口元に手をやり、クスクスと笑っている。
いいぞいいぞ、受けてる受けてる!
やっとつかまえたステッキを持ちなおしたトラップ、
「いいか、おまえ。このお客さんは、すんげー偉《えら》いお方なんだ。ちったぁ真面目《まじめ》に働かんかい!」
ステッキに向かって必死にいった。しかし、そういったかいわないか……今度はステッキがグニャリと曲がり、すっかりやる気がないよーってな感じ。
「ちぇ! あぁそうかいそうかい、わかったぜ!」
ポイッとグニャグニャになったステッキを床に放り投げると、あれま!
赤やピンクの羽毛でできた、きれいな花束にもどって床にストンと立ったじゃない。
「あはははは……うんうん、よいよい」
クアーティはうれしそうな顔でさっきよりもたくさん拍手《はくしゅ》をくれた。
トラップは首の後ろに手をやり、
「ヘヘ、どうもどうも!」
と、ペコペコ頭を下げる。
うーん、ほんと。トラップってば、もしかして冒険者《ぼうけんしゃ》なんかやってないで手品師になったほうがいいんじゃないの?
「ではでは、わがトラップ大《だい》奇《き》術《じゅつ》団《だん》一の色男、クレイの剣《けん》さばき、とくとごろうじろ!」
トラップはそういうと、すっと後ろに下がり壁際《かべぎわ》に立った。
その代わりにクレイが照れくさそうに前に出る。
「えい、やぁ、とう!」
かけ声とともに、オモチャの剣を両手で持って派手《はで》なアクションで振《ふ》り回す。
ピーヒャラ、ドンドン!
わんわんわん!!
キットンは太《たい》鼓《こ》を打ち鳴らし、わたしはタンバリンを振《ふ》り回し、ルーミィは笛《ふえ》をでたらめに吹き、シロちゃんも大きな声で鳴きだした。
クレイの剣の演技の途《と》中《ちゅう》にトラップが薬部屋の鍵《かぎ》を盗《ぬす》む手《て》筈《はず》だからして。ここはできるかぎりにぎやかにし、クアーティの気持ちを散漫《さんまん》にしなきゃいけないのだ。
ほとんど音楽とはいえない、単なる雑音のなかでクレイは額《ひたい》に汗《あせ》してジャグラーを始める。
しかし、しばらくして、
「わあぁ!」
大きな声をあげ、一本の剣をクアーティの足元に放り投げた。
「うあ!」
クアーティが思わず声をあげ、ひょいと両足をすくませた。
「ひゃ、す、す、すみません、すみません!!」
大あわてでクレイが何度も頭を下げ下げ、クアーティの足元にかけよろうとしたら、
「ふふふ、よいよい」
と。剣を拾いあげて、その剣先を指で押《お》した。剣先が出たり引っこんだりする……いわゆる手品用の剣だからして。当然、剣が引っこむ。
クアーティはさも満足そうに何度か出したり引っこめたりして、ひょいとクレイに投げて返した。
「もうしわけありません!」
もう一度クレイが頭を下げると、
「ええーい! 未《み》熟《じゅく》者《もの》めが!!」
後ろからトラップがシルクハットでクレイの頭をボカスカ叩《たた》きながら登場。
本気で痛かったのかもしれない。クレイは頭を抱《かか》え、ほうほうの体《てい》で後ろに下がった。
それにはクアーティも大笑い。しきりに目をこすりながらお腹《なか》をゆらした。
ちらっと見ると、例の鍵はなかった。トラップ、成功したんだな!
めいよばんかい
「名《めい》誉《よ》挽回《ばんかい》! 今度のはすごいですぜ。あ――ら不思議、人間がきれーさっぱり消え失せる、ミステリーボックスでござぁい!」
それを合図にわたしは例の箱を前に運び、横でポーズを取った。
クアーティは目をもう一度こすって、その箱をしげしげと見て、にんまりと笑う。さも、そんな手品、種は先刻ご承知だぞといいたいようす。
「ほら、キットン! 寝《ね》てんじゃねー!」
後ろにぼっとつっ立ってるキットンの頭をポカリと叩く。
「ほへ?」
絶《ぜつ》妙《みょう》なる間だよねー。
キットンたら、どうしました? という顔でつっ立ったまま。
「だぁぁぁ、これだ!」
トラップは額《ひたい》に手をやり、おおげさにため息をついた。
「おめぇなあ、太《たい》鼓《こ》叩《たた》くしか能がねーんだから、自分の番くれえ覚えててくれよなぁ。おいおい、パステル!」
今度はわたし!? ええ? なんか失敗した?
「おめぇなぁ、この手品はこおゆう場所じゃできないの!」
クアーティのすぐ前にわたしが置いた箱をズリズリと引っ張ってかなり後ろに下げつつ、
「なあなあーみんなよおお! ちったぁサクサク働いてくれよなあ! 大の男ふたりに女子供、ついでに犬まで……くそっ! おめぇらの面倒《めんどう》みてるおれの身にもなってくれ」
演出とはいえ、トラップあんた……なんか実感こもってないか?
トラップはキットンの首根っこをつかまえ、あぐあぐいってる彼を箱の前に立たせた。
「どうにもまったく、見苦しいところをお見せしちまって……」
しかし、クアーティは笑って笑って、あげくのほてにゴホゴホ咳《せ》きこんで返事もできない。目の端《はし》に涙《なみだ》を浮《う》かべながら手を振った。
「ほらみろ! 寛大《かんだい》なお方だ。今度はしっかりやんだぞ! 箱《はこ》の中に入るだけなんだからな」
「はあ……まぁ、善処しますが、はい……」
「ぐずぐずいってねぇで、とっとと入る!」
足で背中をどつかれたキットンはノロノロと箱の中に入った。
さっきも説明したとおり、この箱は下に支えの台がついていて、そこはガランドウに見える。ただし、それにはカラクリがあって、実はその台の中に人間ひとり隠《かく》れるスペースがあるのだ。
トラップが上の箱を閉じた後、すかさず下のそのスペースに移動するわけだが……。さっき村人たちの前でやったときは、そのタイミングが遅《おそ》くて見事失敗した。
キットン! がんばれ、あわてずに……だけど急いで。
「ええ――、ご覧のとおり、あのバカ……いや奇術団きっての……んと、まぁ……その、キットンっていうんですがね。奴《やつ》が入りましたこの箱! 種も仕掛《しか》けもござんせん!」
ここでクルリと台ごと箱を回して見せる。キットンは箱から脱《だつ》出《しゅつ》し、すでにわたしのマントの陰《かげ》に隠れている。
「さて! 呪文《じゅもん》を唱えると……」
トラップは目をつぶり、
「ア――ブラ、カタブーラの……パッ!!」
大きな声で叫《さけ》んだ。
やれやれ、何度聞いてもまのぬけた呪文だこと。
「ええ―――い!!」
気合一発、ポンッと箱を叩《たた》くと、その瞬《しゅん》間《かん》上の箱の四方がバラバラと倒《たお》れ、見事キットンは消えていなくなっていた。当たり前だけどさ。
はぁぁぁ……とりあえず、ここまでは成功。
トラップも同じく安《あん》堵《ど》のため息をつき、バラバラになった箱の上に手をつき、
「はぁぁぁ……疲《つか》れた。一時はどうなることかと思ったぜ……」
ぜいぜいと肩《かた》で息をするのだった。
消えてしまったキットンの代わりにクレイがドンドコ派手《はで》に太《たい》鼓《こ》を叩き、わたしもタンバリンを叩きつつ、精いっぱい笑顔を作った。
このにぎやかしをバックにトラップが次の手品をやっている……その隙《すき》に、キットンがわたしのマントの陰からドアの方へと移動する手《て》筈《はず》になっているのだ。
「さぁーて、このロープ、種も仕掛《しか》けもござんせん! ほら、ちょっくら調べてくだせえ!」
今始めたロープの手品は、ロープを持ってもらったりハサミを入れてもらったりとクアーティにも参加してもらう。彼の視線を釘《くぎ》づけにするためだ。
(きゃ!)
わたしは思わず声をあげそうになり、ぎゅっと目をつぶった。
だってだって、キットンたらわたしの足元でゴソゴソやってんだもん。
そろそろとキットンをマントに隠《かく》したままドアのほうへ移動し、彼がドアを開けて出ていく体勢が整ったとき、クレイがルーミィの背中をポンッと叩いた。
ルーミィは一《いっ》瞬《しゅん》ビクッとクレイを見あげたが、まっすぐ前を向き口のなかでモゴモゴいい、小さく銀のロッドを振《ふ》った。
光の結《けっ》晶《しょう》がフルフルと部屋を漂《ただよ》い、トラップが手にしたロープにハサミを入れようとしたクアーティの鼻先を包む。
口を半開きにし、ハサミを持ったまんまでピタリ!
「今だ!」
クレイの声とキットンがドアを開けた音は同時だったと思う。
あのキットンにしてほ、拍手喝采《はくしゅかっさい》もののすばやさでドアから出ていった。
と、ドアがカチャリと閉まるか閉まらないか……クアーティがふっと動きだした。
ひやぁ、間一髪《かんいっぱつ》とはまさにこのことだ。
頭からすーっと血の気が失せていくようで、足なんか、もおおガッタガタ。もちろん胸は動《どう》悸《き》でドックンドックン脈打って、それに合わせてタンバリン叩いてたくらい。
やれやれ、よかったねぇ……とクレイを見上げると、彼は左の壁《かべ》を見て絶句していた。
ええ!?
どわあぁぁ!!
壁にかかった監視用の鏡、あれね。あれにちょうどキットンがあたりをうかがいながら薬部屋のドアの鍵を開けているようすが、ありありと映しだされていたのだ!
しかし、最初の計画通りトラップがうまくクアーティを誘導《ゆうどう》し、ロープを切らせたり切ったのを持たせたりしていたから彼は全く気づかない。
またも足がガクガクとゆれ始めた。
だ、だめだ! がんばんなきゃ。次はわたしの番なんだぞ。
「ほれ、これこのとおり! 先はど切っていただいたロープが……」
トラップがのん気な声で、クアーティの目の前にロープを長々と伸《の》ばしてみせた。
「はっはっはっは!」
こっちの冷や汗もんの事情なんて、ぜーんぜん知らないクアーティ。大きく拍手《はくしゅ》しながら椅子《いす》にゆったり座りなおした。
「では、わが奇術団きっての美女! そりゃ、女といえるのはこいつだけですからねぇ……、ほら、とっとと来る!」
余計なことをつけくわえながら、トラップがわたしを手招きした。
ただでさえ慣れないハイヒールだもの、ガクガクなんないよう注意しながら銀色のリングを腕《うで》にかけ、クアーティの前に。
彼は指先を軽く合わせ、わたしを品定めでもするように見た。
(ほら、笑顔、笑顔!)
トラップが隣《となり》でささやく。
あ、そだそだ! と、あわてて笑顔を作り、ハイ、ポーズ!
ひとつひとつリングを見せながら、種も仕掛けもないよってとこを見せていく。
が、がんばんなきゃ!
退屈なんかさせて……そんであの鏡でも見たりさせちゃ……。
きっとね、この気負いが失敗の原因だったんだと思う。
わたしはリングを次々につなぎ合わせるところで、さんざん練習していたのにもかかわらず順番を間《ま》違《ちが》えてしまったようだった。いくらガチンガチンとリングをぶつけてもつながらない。
クアーティはニヤニヤ笑いながら軽くため息。
この時だ。ふっと目の端《はし》に、あの鏡が入った。そこにはちょうどこの部屋の前に立ち、クレイに開けてもらう(このドアは中からしか開かないから!)のを待っているキットンが映しだされていた。
そっちを見てはいけない! と思っているのに、ついつい見てしまう。
出たときと同じく、ここでルーミィがストップの魔《ま》法《ほう》をかける手《て》筈《はず》になってるのに……クレイ、なにやってんのよぉ!
しかも間の悪いことに、クアーティが軽く首を左側に傾《かたむ》けた!!
チャリーンチャリン!
わたしは思わず彼の足元にリングを全部落としてしまった。
「あ、すみません!」
あわてて拾おうと腰をかがめる。いいぞ、クレイのときと同じようにまた拾ってくれようとしてる。
早く早く、ストップの魔法を!!
しかし、クアーティはいっこうに止まる気配がない。
だからといって後ろを振《ふ》り返ってみることもできないし。
ええーい、いったいどうしちゃったのよ。
わたしがパニックしているのを、手品に失敗したためと思ったらしい。
「ははは、そんなに緊《きん》張《ちょう》しないでもよいよい」
などと笑いながら、クアーティは手にしたリングをガチンガチンと見事につなげてしまった。
「ええ!?」
そして、満足そうに全《すべ》てのリングをつなぎあわせ広げてみせたところで、彼の鼻先に光の結《けつ》晶《しょう》が……。そして、その笑顔が凍《こお》りついた。
さっと後ろをふりかえると、クレイがドアを開け、キットンが部屋に滑《すべ》りこんでいるところだった。彼はすかさず箱の下に隠れた。
「いやぁ、ほんと……いつもはこんなに失敗なんかしないんですがねぇ。さすが教祖さまの前で、こいつらあがっちまったようで。必ずや舞《ぶ》台《たい》まで部屋に缶詰《かんづめ》して特訓させますんで、ここ
はひとつ、ぜひ……!」
ひと通り手品が終了した後、トラップは心底すがるようにいった。
しかし、クアーティは、この上もなく上《じょう》機《き》嫌《げん》。
「いやいや、じゅうぶん楽しませてもらったぞ。うんうん、この前来た奇《き》術《じゅつ》団《だん》のほうが確かに腕前《うでまえ》は上だったようだが、おまえたちのほうが……なんというか、微《ほほ》笑《え》ましいな。好感がもてる」
「そ、そういっていただけるたぁ! さすが大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団の教祖さまでらっしゃる。心が広れぇや!」
そりゃぁもう、手をすりすりハエみたい。ペコペコ頭を下げ、わたしたちにもお礼をいうんだとギャーコラわめいた。
「あ、でも、教祖さまが手品も得意だとは知りやせんでしたぜ!」
クアーティはちょっと驚《おどろ》いた顔をしたが、
「ん? いや、なに。まぁ魔術の研究にもなるからな。手品とは人の心理をつく技だし。われわれ大魔術教でも心理というのは重要だ。さて、今晩は歓迎《かんげい》の意味もこめて食事を用意してある」
そういってゆっくりと立ちあがった。
「へへ、気ぃつかっていただいちゃってまぁ、すんません、はい」
「うむ、それではそれまで部屋でゆっくり休むがいい」
わたしたちもトラップと同じくペコペコと頭を下げ下げ、部屋を出ていこうとした。ちらっと見たが、あの薬部屋の鍵《かぎ》はちゃんと元に戻《もど》されてあった。
と、トラップがふと立ち止まり……あのギャミラ像が描《か》かれた絵をしげしげと眺めた。
「どうした?」
クアーティが聞くと、
「いえ、いやぁ……やっぱり似《に》てる」
「ん??」
「いえね。これはちょっとある街で聞いた噂《うわさ》なんすけど……不思議な物ばかりを売って歩く行商人がいて。そいつが持っていたという像に似てるなぁと思って……」
さっとクアーティの顔色が変わった。
「しかも……」
トラップはもう一歩絵に近づき、首を傾《かし》げた。
「この像にはどこやらの王様が隠した財宝のありかを示した地図が隠されているっちゅう話で。……うーん、まぁ……人づてに聞いた話だし。まさかねぇ! こちらのご本尊さまとは関係のない話ですよねぇ」
「う、うむ。しかし、まぁ不思議なパワーを秘めたギャミラさまゆえ、そのような伝説もあるやもしれん。もう他には覚えておらんのか? その噂話《うわさばなし》とやら」
さして興味もないぞというポーズだけはとっていたが、実は興味|津々《しんしん》というのが、その目でわかった。
「えぇーっと……なんだっけかなぁ……いやぁ、なにぶん昔《むかし》の話だもんで。……えっと……」
トラップは遠い目をして、しばらく宙をみつめていたが。ポンと手を叩《たた》いた。
「あ! そっかそか……そういやぁ……シッポみてぇなのがあって、それがポロッと取れるしくみになってて、そんでそこに穴があるとかないとか……。地図が隠《かく》されているとしたら、その穴でしょうなあ……たしかそうだったような」
クアーティの頬《ほお》がすーっと引き締《し》まる。
そりゃぁそうだ。だって、この絵にはギャミラ像の上半身が、しかも前向きにしか描かれていない。ギャミラ像を見たことがないはずのトラップがシッポのことまで知ってるとなると、これはもう本当っぽいじゃないか。
「ふむ、確かにギャミラさまには情《じょう》念《ねん》尾《び》と呼ばれるものがある」
「それだ! そいつですぜ」
勢いこんでいうトラップに、クアーティはしきりに顎《あご》をなで、
「このことは絶対に口外してはならぬ。もしかして、それがギャミラさまの力の秘密を解く鍵になるやもしれん。くれぐれも極秘にするのだぞ、よいな!」
すっかり信じこんだようすでそういうと、さっきまでの上機嫌はどこへやら。わたしたちをさっさと部屋から追い出してしまった。
「ひゃぁ、やれやれ!」
部屋に帰るなり、トラップは蝶《ちょう》ネクタイをはずしベッドに大の字になってひっくりかえった。
「ごくろうさま! どうでした? そのようすじゃうまくいったみたいですね」
ピートが隣《となり》の部屋から顔を出した。
「うん、途《と》中《ちゅう》何度もひやひやしたけど、うまくいったわ」
「ほんとだぜぇ。あー疲《つか》れた」
トラップは寝転んだまま靴《くつ》を脱《ぬ》ぎ、その靴をポンポン放り投げる。
クレイはその横に腰《こし》掛《か》け、
「なぁ、さっきのギャミラ像の話、あんなウソ、なんでいったんだ?」
うんうん、だってあんな話、聞いてなかったもんね。
「ああー? ああ、キットン、おめぇが話してやれよ。おれぁ、もー話す気力もねぇ。しばらくくたばってる」
トラップにふられたキットンは、頭に巻いたターバンを取りながら、
「ええ。えっとですね。あぁいっとけば……ほら、今夜にも必ずギャミラ像を見に行くと思うんですよね」
「あああ!!」
「そっかぁ!」
クレイとわたしは顔を見合わせた。
「すげー!」
「あったまい――い」
たしかにあんな話聞いちゃ、欲の皮がつっぱらかっちゃってるクアーティだもの。すぐにでも飛んでいって確かめてみたいだろう。
「その時にあとをつけるんだな?」
と、クレイ。
「はい、それはクレイとパステル、それからルーミィに行ってもらいます。あぁそうだ、シロちゃんも一緒《いっしょ》に連れて行ってはどうです? 万が一見つかってもシロちゃんにトイレをさせるために庭に出たんだっていえば……」
「あ、あれ!? そういえは……シロちゃん、どこにいるの?」
部屋に帰ってからシロちゃんを見てないぞ。だいたい、「シロちゃん」といえばすぐ「なんデシか?」と来るはずなのに。
わたしがキョロキョロしていると、
「ああ、シロちゃんにはクアーティの部屋の見張りに行ってもらってるんですよ」
と、キットンがいった。
「ええ!? そ、そんな、だいじょうぶなの? 危険じゃないの?」
「だいじょうぶ。もし見つかっても、シロちゃんなら大目に見てもらえるでしょうし。それに、彼は賢いですからね!」
「う、うん……まぁ、そうかもしれないけど……」
「まぁたぶん、あれだけ極秘だ極秘だといってましたからね、クアーティが像をチェックしに行くのは深夜、遅くなってからだとは思うんですが。それにしても確証はないわけで。だから、念のためです」
ふむ……まぁ、たしかにシロちゃんなら適任だ。ちょっと不安だけど……。
「で、続きなんですが、いいですか?」
キットンが聞いた。
「ああ、おれとパステル、ルーミィとシロでクアーティの後をつけるってんだろ?」と、クレイ。
「でも、そんなに大勢で!? 後をつけるんなら、やっぱトラップの仕事でしょう!?」
「いんや、おれには他に仕事がある」
トラップは寝《ね》たまま低い声でいった。
「ん??」
不思議そうにキットンを見ると、
「では、手順を説明しましょう。ちょっと複雑なようですが、やることは単純なんです。よおく覚えてください」
そういって、わたしのノートを広げた。
「いいですか? ここがわたしたちのいる部屋です。そして、ここがクアーティの部屋」
とピートの描《か》いてくれた図面を指さす。
ふむふむ……。
「まぁ、念のため今はシロちゃんに見張ってもらってますが、さっきもいった通り、たぶん彼が見に行くのは深夜だと思うんです。で、まぁ、さほど遅くはないと思いますが、適当な時間にわたしとトラップがシロちゃんの代わりにクアーティの部屋近くで張っています。彼が出ていったら、わたしが部屋にもどって報告しますから、それから彼の後を追ってください。わたしはそのままここに残ります。ひとりは部屋に残っていたほうがいいですからね。何かあったとき、ピートひとりでは困るでしょうから」
「それで、トラップは?」
「はい、トラップはクアーティが部屋にいない間に、なんとか警備の目をごまかして彼の部屋に潜《せん》入《にゅう》し、メルと事前に打ち合わせをします」
「ああ、続き部屋に行くのね? でも、万一そこにいなかったときは?」
「はい。そのときは……」
「ふん、しかたあんめい。屋《や》敷《しき》内を探索《たんさく》して回りゃいんだろ?」
やはり寝転んだまま、トラップがいった。
「まぁ……ピートの話から察すると……ここしかないとは思うんですけどね。とにかく救出する手《て》筈《はず》を事前に打ち合わせておく必要がありますから。突然《とつぜん》我々が出ていっても面食らうでしょうし、これまでの事情を説明している暇《ひま》も当然ないでしょうから」
そりゃそうよね!
「で、おれたちほどうすればいいんだ。なにもそんな大勢で行く必要もないだろ? まぁルーミィを連れてけってとこみると、またなんか魔《ま》法《ほう》が必要なんだろうけどさ」
そういうクレイに指をつきつけ、
「そうそう、その通り。またここでストップの魔法をかけてもらう必要があるんですよ」
ルーミィのストップの魔法って、これまで役に立った試《ため》しなかったのにね。今度ばかりは大《だい》活躍《かつやく》だ。
「そうだ! そういえば、さっきキットンが部屋に帰るとき、どうしてストップの魔法、なかなかかけなかったの?」
ほんと、あのときは生きた心地がしなかった。
「ああ、あれか……」
クレイはルーミィのシルバーブロンドをなで、
「ルーミィさぁ、こいつ寝《ね》てやんの」
「ね、寝てたぁ!?」
「うそ!!」
「ほんと……熟《じゅく》睡《すい》はしてなかったけどな。うつらうつらやってたわけ。まぁ、ずっと魔法の持訓してたしな。疲《つか》れたんだろう」
んも―――!
相手がルーミィじゃ、怒《おこ》るに怒れない。
わたしがため息をつきながら彼女を見たとき、キットンがさっきの続きを話しはじめた。
「それで、です。人数のことなんですが、ルーミィを入れて、どうしても最低三人必要なんです」
「どうして?」
「はい、クレイたちにはクアーティのあとをつけてもらって。例のギャミラ像のありかを確認してもらいます」
「盗《ぬす》み出さなくってもいいのか? 破《は》壊《かい》するとか……」
「いえいえ、だめです。たぶん、大《だい》術《じゅつ》式《しき》の前に取りに行くとは思いますが……その前に何か使うかもしれませんからね。ぎりぎりまで置いておき」
そこで言葉を切り、自分のカバンからゴソゴソと袋《ふくろ》を取り出した。
「それ、たしかザックさんからもらった……」
キットンはそれには答えず、袋から……なんとたった今、話をしているギャミラ像を取り出した。
「そ、それ!?」
「これはザックさんが作っているギャミラ像のコピーです」
「わかった。それとすりかえるわけだな? 本物と」
「そう。その通り。ただ、そのすり替えは、さっきもいった通り大術式の当日、クアーティが取りに行く前に行ないます。だいたい昼過ぎに取りに行くそうですから、まぁ大事をとって明け方トラップにやってもらいましょう」
「ふむふむ!」
「そんで?」
「はい。ですから、クレイたちには金庫の場所、それからパスワードを確認しておいてほしいんです」
「そこでルーミィのストップを使うわけだな?」
「そうそう!」
キットンはうれしそうにうなずいた。
「これは、なかなか大変な作業になるとは思いますが、ぜひがんばってやっていただきたい」
「うん、なんでもやるわ!!」
とはいったものの、その方法を聞いて思わず「げげっ!」とうめいてしまった。
クアーティが金庫のパスワードを入れようとボタンに指を伸ばした瞬《しゅん》間《かん》、わたしがルーミィにストップの魔法をいわせる。彼が止まっている間に、押《お》そうとしていた数字をクレイが確認する。彼が動きだす前に、また物陰《ものかげ》に隠《かく》れると。
そこまではいいよお。でも、一体何回ボタンを押すのか、それはわからないわけでしょ。とにかく何度もストップさせちゃ見て隠れ、させちゃ見て隠れ……。そのすべてをメモるっていう……。
わたしもルーミィも大変だけど、一番大変なのはクレイだよね。
そのようすを想像したのか、クレイは横で深々とため息をついた。
「あ、あれぇ?」
わたしはふとつぶやいた。
「はい? なにか質問ですか?」
「ん、だってさ。トラップ、クアーティの部屋に潜入するって……鍵は?」
「ふん、そんなもん開けられねーで、盗賊《とうぞく》たぁ名乗れねえぜ」
トラップは何を今さらといった口《く》調《ちょう》。
「じゃ、じゃあぁさ。何もさっきあんな思いして、キットン、薬部屋に行くことなかったんじゃないの?」
「へ?」
「だって、だってさ。クアーティがいない隙《すき》に、メルと会うんでしょ?」
「あっ!!」
「ああぁ!」
トラップがバッと起き上がり、キットンと顔を見合わせて叫《さけ》んだ。
「たしかに……いわれてみれば、そうだったような……」
キットンは、すまなさそうな顔でポリポリ頭をかいた。
そうよ、だったらそのときついでに薬部屋のドアもチョチョイと開ければよかったじゃん。何もあんなヤヤコシイことしなくたってさ。
「ハハハ、キットン君、うっかりさんだからあぁ!」
トラップったら妙《みょう》な声だしちゃって、キットンの背中をドーンとどついた。
「ぬ、ぬわにが『うっかりさん』よお」
「やだ! パステルさんたら、怒《おこ》っちゃ、だ・め!」
ええーい、さわるな。
ほんとにもおお、信じらんない!
あ―――んな死にそうに緊《きん》張《ちょう》して、ばっかみたい。
クレイなんかもう怒る気力も出ないって顔。
わたしは一気に疲れてしまい、もうひとつのベッドに顔を埋《うず》めた。
STAGE 13
小一時間ほどたってから、またあのフェルトマンが迎《むか》えにきてくれ、わたしたちはダイニングへと向かった。
広々とした部屋《へや》には、白いテーブルクロスのかかった大きなディナーテーブルがまん中にあり、上には白いナプキンや食器がセットされていた。
天井から吊《つ》り下げられたシャンデリアにも、テーブル上の銀の燭《しょく》台《だい》にもロウソクが灯《とも》され、あたたかな光が満ちている。
席についている人はまだ誰《だれ》もいない。
座ってクアーティを待つようにいわれ、わたしたちは適当に座った。
こういうところでご飯食べたりするのって、久しぶりだなぁ。
わたしたちは手品用の衣《い》装《しょう》を脱《ぬ》ぎ、普《ふ》通《つう》の服に着替《きが》えていた。もちろん防具だのはつけてなかったけどね。
やっとあのきわどいレオタードから解放され、ほっとしたわ、ほんと。
一応、簡単な変装《へんそう》の意味もあって髪型《かみがた》は変えていた。
ルーミィはそのまんまの髪型で、わたしは単に髪をおろし、ヘアバンドがわりにリボンを結んだだけ。反対にクレイはトラップのように後ろで結んだ。これがけっこう似合うんだよね。キットンも本当は変えたかったんだけど、やたら抵抗《ていこう》されて、あのまんま。
「うーん、いいにおいがするなぁ」
「あー、腹減った!」
「ルーミィ、おなかぺっこぺこだおう!」
「くそー、腹が、腹が……すいてる」
考えたら、みんなお昼も食べてなかったわけで。お腹がグウグウ鳴るのを押《お》さえつつ、クアーティが来るのを辛抱《しんぼう》強《づよ》く待った。
やがて、やっと両開きのドアが開き、はっと身構えて待ったが、現れたのは別の人だった。
背が高く、短い金髪《きんぱつ》で目のちっちゃな人。
少し光沢《こうたく》のある紺色《こんいろ》のローブを羽織《はお》り、なんだかやたら偉《えら》そう。
わたしたちをちらりと一瞥《いちべつ》し、席に着いた。
「あ、どもども……そのお、おれたちは……」
トラップがあわてて立ち上がると、
「旅芸人の一座だな。話はクアーティさまから聞いておる」
「あ、あぁ、そうすか……」
なんとなく取りつく島もないというかんじ。トラップがヘラヘラ笑いながら席にもどったとき、またドアが開かれ、今度こそお待ちかねのクアーティが現れた。
「やぁ、待たせたな」
ゆっくりと上《かみ》座《ざ》に向かいながら、ドアの横に立っていた若い男に目《め》配《くば》せした。男はさっと一礼すると部屋《へや》の外に消えた。
わーい、やっとご飯だ!
上座に着席したクアーティ、向かい側のさっきの金髪《きんぱつ》の男を手で示し、
「紹介しよう。彼はアスダフといって、わたしの右腕《みぎうで》を務めておる者だ」
ああ、この人が噂《うわさ》のアスダフ!?
改めて見直す。
でも、彼は再びわたしたちを軽く一瞥《いちべつ》しただけ。まるで旅芸人なんぞに頭なんか下げられっか! ってかんじ。
この人とクアーティが毎月エベリンで飲めや歌え(歌ったかどうかは知らないけど)の贅沢《ぜいたく》ざんまいしてたわけね。
でも、想像してた人とずいぶん違《ちが》うな。なんかえらく神経質そう。
「では、食前の祈《いの》りを捧《ささ》げる。おまえたちも我々にならうがよい」
げ、なんだそれ……うーんうーん、早いとこご飯にしてほしいよお。
わたしの切なる願いも空しく、
「グワンバラ、ギヤンバラ……本日もギャミラさまのありがたーき御《み》心《こころ》により、糧《かて》をいただくこととなりし、この幸せ、ひとかーみひとかーみ味わいつつ選ばれし我の血となり肉となーる……」
などと、延々祈りの言葉は続いた。
う、うう、お腹《なか》が鳴り出しそう!
必死に下腹を両手で押《お》さえ、ただただ頭を下げて待ち続けた。
「エンチラ――ダァ!」
ひときわ高くクアーティがそういい、後ろ頭をポンポンと叩《たた》くと、
「アンチラーダァ!」
と、アスダフや給仕の人たちが、やはり後ろ頭を叩いた。
「あんちあーだ!」
ルーミィったら、元気よく言って頭をポンポコ両手で叩いた。
「ア、アンチラーダ……」
わたしたちもあわてて頭を叩く。
「ふむ……」
クアーティは満足そうにうなずき、「もう、よし!」といった。
それを合図に、まず食前酒が運ばれ、それをなめている間にオードブルがわたしたちの前に並べられていった。
ふぇ―――、ザックんちで出された食事とずいぶん差があるじゃん。スモークモーサンの切り身がお皿のまんなかで上品にクタッと寝てて、その回りには季節の果物が彩《いろど》りよく配置されちゃってたりして。
ルーミィにナプキンをかけてあげながら、ついにお腹がグウゥと鳴ってしまった。
オードブルから始まって、青豆のスープでしょ、ニグルっていう川魚のソテー、ミミウサギの照り焼きに温野菜がたっぷり。ここらへんでお腹のほうはギブアップしているっていうのに、生クリームどっちゃりのフルーツケーキが登場して、その上果物どかどか。
いくらお腹が空いてたからといったって限界がある。
育ち盛りのわたしたちがふうふういいながら食べてるのに、クアーティは平気な顔で食べるわ食べるわ! フルーツケーキなんかおかわりしたくらいだよ。
でも、アスダフとクアーティって実はあんまり仲よくないみたい……。
食後のお茶を飲みつつトラップとクアーティが楽しそうに話しているのを、アスダフは終始|眉《まゆ》をひそめて見ていた。
旅芸人ふぜいと談笑するなんて……と苦々しく思っているのかもしれない。
クアーティが笑い声をたてるたびに顔を上げ、露《ろ》骨《こつ》にイヤな顔をする。
「しかし、こんなに教祖さまが手品にお詳《くわ》しいとは怖《おそ》れいりましたぜ! なんだったら今度の前座で教祖さまも出演なさったら?」
トラップがいうと、アスダフが不《ふ》機《き》嫌《げん》にしているのに気づかないクアーティはますます上機嫌で、
「ハッハハッハ、そうはいくまいて」
「いやいや、そのほうが皆《みな》さんも喜ばれるでしょうよ」
「そうかぁ?」
アスダフはここで、バンとばかりに席を立った。もう我《が》慢《まん》の限界だという感じ。
唖《あ》然《ぜん》とするクアーティに、
「クアーティさま、ちょっとお話がございます」
「あ? ああ、ああ。そうか……? この茶を飲んでから後で聞く。それで、おまえはどこで手品を……」
クアーティがなおもトラップに話しかけようとすると、
「クアーティさま!!」
アスダフは刺々《とげとげ》しい声で彼を呼んだ。さすがにクアーティもあわてて、
「おお、悪かった。そうか、急用なのだな」
うなずきもせず、黙《だま》って立っているアスダフ。
「では、続きはまた明日ということで……」
クアーティがそそくさと立ち上がりドアから出ていくと、アスダフも無言のまま後に続いて出ていった。
「ひゃー、食った食った!」
「うう、もう入らないですぅ」
「あー、くるしい」
部屋《へや》に帰り、みんなベルトをゆるめてひっくりかえった。
「あ、あの、さっきシロちゃんがもどってきて、クアーティが出てきたって報告してくれたんですが、やっぱり夕食のために部屋を出ただけなんですね?」
「あ、ああ! そっか、そうそう。それで? シロ、また見張りに行ったわけ?」
クレイが聞くと、
「はい。皆さんも呼ばれたことだし、たぷん夕食に出ただけだと思うよって、ぼくがいったら『わかったデシ』って……」
う――むうーむ。
なんて、なんて……いい奴なんだ。
「あ、そうだ。はい、ピート。これ、夜食用にって包んでもらったの。食べて」
「あ、ああ。すみません、お気《き》遣《づか》いしていただいて……」
「しかーし、それにしてもザックたちの食べてる食事とはえらい違《ちが》いじゃないか。粗《そ》食《しょく》がどうのっていう話はどこいったんだよなぁ」
クレイがつぶやくと、
「クアーティさまは、すでに魔《ま》力《りょく》を身につけたものにとっては、粗食であろうが贅沢《ぜいたく》な食事であろうが関係はないからよいのだとおっしゃってましたが……」
ピートが悲しそうな顔でいった。
「まー、いいじゃん。おかげでうまいもん、たらふく食えたんだしさ。あー腹いっぱいになったら眠《ねむ》くなってきたぜ」
ベッドにひっくり返ったまま、トラップが大あくびをした。
「そうですね。深夜ひと働きしなきゃいけないんだし、ちょっと休《きゅう》憩《けい》しましょうか……。あと二時間ほどしたら全員を起こしてくれますか?」
キットンがもう一方のベッドに腰《こし》掛《か》け、ピートに聞いた。
「ええ、もちろん。ぼくは何にもしてないんですからね、皆《みな》さんゆっくりお休みになっててください」
「じゃ、寝《ね》ようか……」
ルーミィを見ると……あらまあ、もうすっかり熟《じゅく》睡《すい》してる。
「ほーら、ルーミィ、あっちの部屋《へや》に行くよー」
「ふわぁーぁ」
半分寝たまんまのルーミィを急《せ》き立て、続き部屋へ向かうと、ピートがさっとドアを開けてくれた。
「ありがと」
隣《となり》の部屋に入ろうとしたとき、
「あ、ねえねえ、パステルさあ」
後ろからクレイに声をかけられた。
「え? なぁに?」
「こいつら、もう熟睡しやがったし、おれもそっち行って寝ちゃだめ? ほら、ルーミィなら小さいし。パステルと一緒《いっしょ》でも平気だろ?」
ふっと見ると、ふたつしかないベッドをそれぞれトラップとキットンが大の字になって占《せん》領《りょう》し、すでにグーグーいびきをかいていた。
「や、やあぁよ! こっちは女の子の部屋だもん」
クレイには悪かったけど、バタンとドアを閉めた。
「お、おい! そんなこといわねーでさぁ、なあ!……」
「おやすみー!」
ドア越《ご》しにそれだけいうと、ルーミィを一方のベッドに寝かせ、毛布をかけ、わたしは靴《くつ》を脱《ぬ》ぎ、そのなかに脱いだタイツを押《お》しこんで。久しぶりのベッドに倒《たお》れこんだ。
あぁー、疲《つか》れた……。
隣の部屋では、まだクレイの「くそお! おめぇらズルイぞ。こら、トラップ、もっと隅《すみ》に寄れよお」「おい、キットン!」とかいう声が聞こえてくる。
しかし、それも束《つか》の間のこと。
深い眠りに落ちていくのに、ほんの五秒もかからなかった。
「起きてください。パステルさん、もう二時間|経《た》ちましたよ」
ピートの遠慮《えんりょ》がちな声。
うつらうつらと目を開けながら、
「やだ!」
と、いってしまった。
「そ、そんなぁ……他のみなさんがどうしても起きてくれないんですよお。早くしないとクアーティさまが部屋《へや》を出てしまいますよ! シロちゃんも待ってるでしょうし」
クアーティ……シロちゃん……?
「あ、あぁ、いっけない!」
ガバと飛び起きる。
目をパチクリさせ、目をこすってもう一度ピートを見た。
「お疲《つか》れでしょうが、もうひと働きがんばってください」
おお、そうだそうだよな。
「ごめんごめん、すっかり寝《ね》ぼけてた。んで? クレイたちは?」
「まだです……どうやっても起きてくださらないんです」
ったくぅ……!!
急いでベッドから飛び降り、タイツをはこうとして。ふとピートを見た。
「あ、ごめん。ちょっと向こうで待っててくれる?」
「ああ! す、すみません、気がつきませんで!」
ピートはかわいそうなくらいアタフタと向こうへ行った。
「クレイ、キットン、トラップ!」
深夜だから、そんなに大きな声も出せない。
その代わりにわたしは大口開けて寝《ね》こけている彼らを力まかせにゆすった。
「ううううぅ……」
「ふわあ、もう食べられません……」
クレイもキットンも寝ぼけてるし、
「うっせー!」
トラップなんか、起こそうとするわたしの手をピシャッと叩《たた》いた。
んもおお!
わたしだってねえ、慣れないお化《け》粧《しょう》して、あんなけばい服着て。緊《きん》張《ちょう》しまくって疲《ひ》労《ろう》こんぱいなのよ。だけど、起きたんだもん。手に手をとって、おまえ百までわしゃ九十九まで……って、そりゃあ仲のいい両まぶたひっぺがして、機《き》嫌《げん》だって少なからず悪いわよ。
クレイは結局トラップの横で寝ることにしたらしく、ふたり仲良く折り重なって熟《じゅく》睡《すい》している。キットンはというと、相変わらずの寝相の悪さ。たて長のベッドを横に寝て、頭は向こう側に完璧《かんぺき》に落ちてる。
ええ――い! かくなるうえは。
「ちょっとピート、シーツの端《はし》っこ持って」
「え? こっちですか?」
「そそ」
彼に足元のほうを持ってもらい、「せーの!」でトラップとクレイをベッドの向こう側に放り出しちゃおうというわけ。
ピートはにっこり笑って、
「じゃ、いいですかぁ?」
「OK! せ――のぉ!」
ドサ、ドスン、バタ、ごき……。
形容しがたい音がした後、一《いっ》瞬《しゅん》の沈黙《ちんもく》が部屋にもどった。
「っててぇ……な、なんなんだ?」
「重い、つぶれるうぅ……」
毛布にからまってモゾモゾしていたふたり、ベッドに手をかけはい上がってこようとした。
そこをすかさずピシャリ!
「ってえぇ!」
「なにすんだよお!」
「静かに! ほら、もう時間なのよ。トラップ、キットンとクアーティの部屋まで偵察《ていさつ》に行くんでしょ?」
「そ、そっか……」
クシャクシャになった髪《かみ》をかきあげながらいうクレイ。隣《となり》から頭を出したトラップはクタッとベッドに顔をつけた。
「それにしてもずいぶん遅《おそ》いな……」
これからの作業を考えると、もうすっかり眠《ねむ》気《け》も覚めたわたしたち。トラップとキットンがクアーティの部屋《へや》へようすを見に行ってから、かれこれ一時間は経《た》ってる。彼が部屋を出たら、すぐにキットンがこっちにもどってきて、その旨《むね》報告することになっていたんだけど……。
「でも、まだたった一時間ぐらいだもんね。シロちゃんなんか、もっともっとず――っと見張ってたんだもんね」
キットンたちと入れ代わりに戻ってきていたシロちゃん、
「楽ちんだったデシよ。ドアが開けば音と臭いでわかるデシ。だから暗いとこに隠れて、じーっと座ってただけデシ」
その「じーっと座ってただけ」というのが辛《つら》いのに……。
「ほら、ルーミィ、寝《ね》ちゃダメ!」
油断すると、すぐうつらうつらしてしまうルーミィを膝《ひざ》の上に抱《かか》えあげた。
かわいそうだけど、彼女がちゃんと魔《ま》法《ほう》をかけてくれないことにはパスワードを探り出すことができない。
「ルーミィ、もう一回ストップの魔法練習しょうか」
クレイがやさしく彼女に聞くと、
「ヨメダヤチイ、ゴウモテシ……」
ルーミィは眠《ねむ》そうな目でぼーっと前を向いたまま、スラスラと呪文《じゅもん》をいった。ほとんど条件反射だ。
「よーし、えらいぞ。ルーミィ!」
すごいもんだなぁ……わたしがいくら練習させても、ぜんぜんだったのに。クレイには小さな子に何か教える才能があるのかも。まぁ、きっとルーミィは相手がわたしだと甘《あま》えちゃって真剣《しんけん》になれないのかもね。
「これからはクレイがルーミィの教育係になったら?」
「ええ?」
「だって、クレイのほうがルーミィもいうこときくみたいだし」
「そんなことないさ。まぁ、子供も動物も一緒《いっしょ》でさ。愛情と根気、これさえあれば誰《だれ》だってだいじょうぶ」
「ふうん……クレイって……」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
わたしはふと自分の父親のことを思い出したんだ。
おとうさんも同じようなことをおかあさんに言ってたっけ。
わたしがあんまりいうこと聞かなくって、しまいにおかあさんまで途《と》方《ほう》に暮《く》れて泣《な》きそうになってたら、たしか似たようなことをいったんだよね。そのときは、『わたしは動物じゃない!』なんて思ったりしたけど。そっか、こういう意味だったのね。
クレイって、うちのおとうさんに似てるのかなぁ。
なんてことをぼんやり考えていたら、カチリと小さく音がして。
ドアが開くや、キットンが興奮したようすで滑《すべ》りこんできた。
「は、早く!! いま、出て行きました!」
「OK!」
「よし、ルーミィはおれが……」
「あ、クレイ、メモとペン持った?」
「うん!」
「シロちゃん、後をついてきて」
「はいデシ!」
にわかに緊《きん》張《ちょう》感《かん》が部屋《へや》を占《せん》領《りょう》した。バタバタとわたしたちは用意して、部屋を出た。
「がんばってください!」
「ちゃんとメモしてくださいよ」
「さんきゅ、じゃあね」
心配そうに見送るピートとキットンに声をかけ、わたしたちはこっそりと部屋を出た。
「こっちだ」
クレイはそういうと、階段とは反対の方向に向かった。
わたしたちがあてがわれた部屋のある廊《ろう》下《か》を突《つ》き当たったところに、いつもは使っていない非常階段があるとピートが教えてくれたのだ。
そこから直接裏庭に出ていける。
クアーティはギャミラ像を取りに行くときは、必ず庭の奥《おく》にある小さな池のほうに行くそうだ。だから、池の近くまで先回りしておけばいいと。
幸い、月が出ていたから非常階段の回りは薄《うす》ぼんやりと照らしだされていた。かなり急で細長い階段だから、これで何の光もなかったら、急いで降りるなんてとうてい無理だったろう。
いいぞいいぞ、ついてる。
チャッチャッチャ……。
変な音が後からついてくる。はっと後ろをふり返ったが、そこにはシロちゃんが「なんデシか?」といった顔でわたしを見上げているだけ。
気のせいかと、また階段を注意深く降りると……。
チャッチャッチャ……。
あれ?
今度はすばやくふり返ってみた。
チャッ……。
な、な、なああぁんだああ!
シロちゃんの足音だったのか! 爪《つめ》が長いから、そんな変な音したんだね。
「おい、なにしてんだ。早く!」
「あ、ごめんごめん」
もう下に降りていたクレイがしきりに手招きしていた。
シロちゃんのチャッチャカチャッチャカいう足音とともに、わたしもできるだけ急いで下に降りた。
「ふう……さすがに裏庭までは警備してる人いないみたいね」
「ああ、そうだな。んと、池はこっちだ」
ピートが描《か》いてくれた地までの地図を見ながら、クレイが暗い森のほうを指さした。
「じゃ、急ぎましょ」
夜《よ》露《つゆ》に濡《ぬ》れた草むら。月の明かりだけを頼りに、ルーミィを抱《だ》いたクレイ、それからわたしとシロちゃんは一路池を目ざした。
「ホオ、ホオ、ホオ……」
どこかからフクロウの鳴く声がする。
すぐ横に見える深い森はまっ暗で。闇《やみ》はすべての音を際立たせる。
クアーティの屋《や》敷《しき》から、クネクネと延びた小道が見えた。
たぶん、あそこから彼はやってくるだろう。
「この奥《おく》に池があるはずだ……しかし、この道を行くのは危険だな。奴《やつ》もこの道をやってくるだろうし」
「あ、ねぇ、クレイ。こっちにも細い通があるよ」
わたしが指さしたのはシロちゃんがクンクンしていた獣《けもの》道《みち》。
「まさか、『おいしそうなにおいするデシ』じゃないだろうなあ」
「するデシ!」
「げ、うそ!」
「今、モンスターなんかの相手してる暇《ひま》ないぜ」
「でも、でも……」
「うーむ、まぁなんとかなるだろ。よし、そっちから回りこもう」
わたしたちは獣道に入り、先を急いだ。
例の小道から遠く離《はな》れないよう、注意しながら。
しばらく行くと、すぐ横に月の浮《う》かぶ池が現れた。大きな木の影《かげ》になってたから気づかなかったのだ。
「あ、これだな」
「じゃ、この辺で待機してる?」
「そうだな……」
池の縁《ふち》には、小さな彫《ちょう》像《ぞう》が立っている。烏を腕《うで》に止めた男の子のブロンズ像だ。
黒い池の、ほぼ中央に月がぽっかり浮《う》かんでいた。これがなきゃ見過ごすところだ。風がまったくないせいか、その月は微《び》動《どう》だにしない。
「じゃ、いいな。クアーティが現れたら、ルーミィにストップの魔《ま》法《ほう》をかけさせながら後をつけよう。こんなに静かじゃ、ちょっとでも動いたが最後バレちまうからな」
「風が出てくればいいのにね。森がざわめく音で目立たないのに」
「たしかに……ん? なんか臭《くさ》くないか?……あ、あれ? シロ、なに食ってんだ?」
「モグ、ムグ……デシ」
「きゃっ!」
なぁーんてこった。シロちゃんたら、プクプク太ったムウオムの幼虫を幸せそうな顔で食べてる。
そういわれてみれば、草をすりつぶしたような変な臭いがする。
ムウオムというのは、こういう森にいる大きな蛾《が》なんだけど、そのりん粉《ぷん》には軽い毒が含《ふく》まれていて、これが目に入るとしばらく目が見えなくなる。だから学校の先生などからよく、このムウオムの幼虫を見つけたら注意しなさいといわれたものだ。
その独特な緑と黄色のシマシマの、太った幼虫をバクバク食べてるんだものお。
「でも、シロちゃんの『おいしそうなにおいするデシ』がこれでよかったね」
「まぁな……」
クレイがわたしの脇《わき》をつっついた。
え? と見上げると、彼はそっと小道のはうを目《め》配《くば》せした。
クアーティだ!!
キットンやトラップの目《もく》論《ろ》見《み》通り、彼はギャミラ像をチェックしにやってきたのだ。
彼はローブの上から男っぽいガウンを羽織《はお》り、寒そうに両《りょう》腕《うで》をさすりながら足早にやってきた。
なにやらブツブツいってるが、何をいってるのかはわからない。
ザッザッというクアーティの足音が近づいてくる。
わたしは今になって、こんな……それこそまるで曲芸のような作戦が成功するんだろうかと不安でいっぱいになった。
胸がドキドキしてうるさい。
ええーい、静まれえい!
まさかこの音が聞こえたりはしないだろうけどさ。
クアーティがすぐ目の前に来た。
ああ、神様!!
思わず目をギュッと閉じ、体を硬《かた》くする。
しかし、彼はこちらには全く気づかず、池のほうへ歩いていこうとして……。
げ! 何を思ったか、立ち止まった。くるっと振《ふ》り向き、来た道を戻《もど》ってくる。
ま、まさかわたしたちに気づいたんじゃ……!?
しかし、クアーティはわたしたちの隠《かく》れている場所を通り過ぎて行ってしまった。
(ま、まずいぜ! 今、部屋《へや》に帰られたら……)
クレイがうめいた。
わたしも目を力いっぱい開けてクレイを見た。
そ、そうだよ!!
今、部屋になんか帰られたら、潜《せん》入《にゅう》しているはずのトラップと鉢《はち》合《あ》わせじゃない!!
(ど、どうする!?)
(どうするっていったって、知らせようないぞ)
わたしとクレイがパニックしていると、
(シッ、戻ってきた!)
(え?)
見ると、クアーティがブツブツいいながらカンテラをぶら下げて戻ってきたじゃないか。
そうか、カンテラを取りに屋《や》敷《しき》に戻っただけなんだな……。
ああぁああああ……心臓が、破《は》裂《れつ》しそうだ。
クアーティはわたしたちの前を再び通り、池のほうへと向かった。
よし、気を取り直してと……あ、あれあれれ??
ここからさらにどこかへ行くんだとばかり思ってたのに。クアーティは小道をそれ、池の彫《ちょう》像《ぞう》のほうへ歩いていく。あの池に隠《かく》してあるの?
クレイがルーミィの背中をそっと押《お》した。
彼女はクレイを見あげ、例の呪《じゅ》文《もん》をブツブツと口のなかでつぶやいた。
その声が聞こえたのか、クアーティがふっと顔をあげる。
しかし、その瞬《しゅん》間《かん》、光の結《けっ》晶《しょう》がハラハラと彼のほうへ……。
クアーティは不思議そうな顔をしたままの状態で止まってしまった。
ザッと音をたて、クレイが立ちあがる。そして、思いっきりダッシュ。クアーティのすぐ横の木の陰《かげ》に隠れた。
クアーティが再び動き出したとき、クレイが通ったあとの木の葉がまだ揺《ゆ》れていた。
クアーティはふっと首を傾《かし》げたが、気のせいだと思ってくれたらしい。
池のほとりに立っている男の子の彫《ちょう》像《ぞう》に手をかけた。
こちらからでは見えないけれど、なにかをしたようだ。クレイからはわかるよね。クレイの合図を待って、わたしがルーミィに合図する手《て》筈《はず》となっていたが、彼はまだじっとしている。
あ、クアーティが彫像からすっと離《はな》れた。
‥‥‥と!
すごい。
ウィィ――ン!!
変な音がし、その男の子の彫像が台座ごとゆっくりと倒《たお》れていくではないか。
ザバッ!!
息《いき》詰《づ》まる静《せい》寂《じゃく》を破って、大きな水音がした。
その後、またもウィィーンという機械音。
お、おやあぁ?
ちょうど彫像が立っていたあたり、下から四角い箱《はこ》がせり上がってくる。
あ、あ、あれが金庫!?
箱はクアーティの目線までせり上がったところでピタリと止まった。
さぁ、ここからが大変だった。
クアーティが金庫に指を伸《の》ばした瞬《しゅん》間《かん》、クレイが手をあげる。
わたしはあわててルーミィの背中をポンと押し……。
ブツブツとルーミィが呪文《じゅもん》をいい、ロッドを振《ふ》る。
光の結《けつ》晶《しょう》がハラハラとクアーティのほうへ。彼が止まるやいなや、クレイ、木の陰《かげ》から躍《おど》り出る。
彼の手元をのぞきこみ、彼が押そうとしていたパスワードの番号をメモ。大急ぎで木の陰にもどる。
と、すぐにクアーティが動きだす。
またまたクレイが合図。
わたしがルーミィをポン、彼女が呪文をいい、クアーティがストップ。クレイが躍り出て、彼の手元を確認してメモ。また木の陰にダッシュ!
クアーティが動きだしたら、クレイが……。
あ――、もおお! 何が何だか……!!
ルーミィも額《ひたい》に汗《あせ》を浮《う》かべ、泣きそうな顔。
何回|繰《く》り返したか、よくわかんない。
最低でも七、八回はやったぞ。
最後にクアーティがやっと金庫の扉《とびら》を開けたときにほ、思わず大きくため息をつきそうになった。
クアーティは金庫のなかから、大事そうに大きな布に包まれたものを出し、しきりと何かやっていた。
トラップのにせ情報を確かめているにちがいない。
しまいには、いったん布を金庫の上に置き、中から取り出したギャミラ像のシッポをつかんで「うう―――!」と低い声をあげ、精いっぱい引っ張った。
はぁはぁ、肩で息をし、あきらめたのか布で像をくるもうとしたが、またまた「ううう――!」と引っ張る。
いやあ、あきらめないあきらめない。執念深いというか根性があるというか……クアーティは何度も何度も引いたり押したりを繰り返した。
ウプププ……。
「くそ、あいつめ、いいかげんなこと言いやがって!」
クアーティはバンッ! とくやしそうに金庫を殴《なぐ》った。
きっと痛かったんだろうね。その手をさすりさすり、ギャミラ像を金庫にもどした。
まだ未練がましく腰《こし》に両手をかけて「くそ!」とか「ちくしょお」とかいっていたが、バタンと大きな音をたてて金庫の扉を閉め、台座の部分をさわった。
ウィィ――ン……。
今度はさっきの逆。金庫が地中に沈《しず》んでいき、代わりに男の子の像が派手《はで》な水音をさせながら起きあがった。
そのようすを確認していた、クアーティ。
もう一度「フン!」といった後、二度と後ろをふりかえらずに、ズンズン足音を響《ひび》かせながら屋《や》敷《しき》へと帰っていった。
その足音の大きさが、彼の不《ふ》機《き》嫌《げん》さをよく表わしている。
それもすっかり聞えなくなったとき、クレイがこっちに手招きをした。
「ど、どう? わかった?」
「どお? わあった?」
ルーミィも同じように聞いたが、クレイは首を傾《かし》げ返事をしない。
「うそ!! わかんなかったのおお!?」
つい少し大きな声をあげ、思わず自分の口を手で押《お》さえた。
「それはたいへんデシ」
シロちゃんも心配そうにクレイを見上げた。
「いや、ふたつだけわからなかった。……ボタン押すのが早くってさあ」
「ああ、そうね、だってルーミィが呪文《じゅもん》いうのってけっこう時間かかるもん」
「うん……でも、まぁどこがわからなかったか、わかってるし。二か所だもんな。0から9までボタンはあったから、10+9+8……あ、あれ? ちがう。0、1と1、0は違うんだもんな、つうと……10×10で……」
「百通りなわけね……」
はあぁぁぁぁ……。
もう一度深くため息。
「でも、百回試すなんてすぐよ、すぐ」
「だな。そんじゃ、しらみつぶしにやるとすっかぁ」
「あ、ねえねえ、あの仕掛《しか》け……この像が金庫と入れ代わるの、あれどうするの?」
「ああ、あれはねぇ……」
そういって、クレイは水で黒く濡《ぬ》れた男の子の彫《ちょう》像《ぞう》に近づいた。
台座部分をさぐり、
「たしか、このへんに……あ、これだ」
カチッと小さな音をたてた。
「なに? スイッチがあんの?」
クレイは軽くうなずき、台座から手を離《はな》す。しばらくして、さっきと同じように彫像がウィーンという機械音とともに後ろへ。
ゆらゆらと揺《ゆ》れていた月をザバッと壊《こわ》して、彫像が池に倒《たお》れたと同時に……わぁーい! 金庫だ金庫だ。
彫像の立っていたところからせりあがってきた金庫には、ピートが描《か》いてくれた金庫と同じように数字の書いたボタンが並んでいた。
クレイはメモを見ながら慎《しん》重《ちょう》にボタンを押《お》しこんでいく。
「最初は、1で次も1、そんで7だろ……」
1を二回、そして7を押した後クレイは指を止めた。
「次がわかんないの?」
「うん……」
「ちょっと、そのメモ見せて」
「ああ」
クレイの書いたメモを見る。あわてて書いたのがよーくわかる。だって数字があっち向いたりこっち向いたりしてるんだもん。見たってわかんないくせにルーミィものぞきこむ。
「1、1、7、?、9、8、?、4……か」
「うん、じゃ、しかたねぇな。0、0から順に試してみっかぁ」
「そだね……」
わたしはメモの後ろに、「0、0」、「0、1」、「0、2」、「0、3」……と、「9、9」まで百通り書いた。
これを最初っから全部試し、違っているのはバツをつけていくのだ。
「そんじゃ、最初は……1、1、7、0、9、8、0、4……」
金庫はビクともしない。
「ダメー!」
「だよなぁ……そんじゃ、次は1、1、7、0、9、8、1、4……」
やっぱり金庫はあかない。
「残念でした」
何回やったかなぁ……。
さっきクレイは「子供も動物も一緒《いっしょ》だ。愛情と根気さえあればだいじょうぶ」っていってたけど、ほんとクレイって根気あるなぁ。
わたしひとりだったら、途《と》中《ちゅう》であきらめてしまうかも。
ルーミィがかわいそうだからって、背中におぶって。文句ひとついうわけでもなく、ただ黙々《もくもく》と数字を入れていく姿には感動したね。
今回の作戦では、トラップやキットンが中心になってるけど。やっぱり我らのリーダーはクレイしかいない。
しみじみとそう思いながら、もう一度メモをながめた。
こんな八桁《はちけた》もあるような数字、よくもまあ覚えられたもんだ。別にメモを見ていたようすもなかったし。
よく歴史の授業なんかで、年表とか覚えるときゴロ合わせをしたっけ。『イイヨ、変えても、ピオラム政権』、『ダムルの改新、ムシゴ匹《ひき》』とかね。
あ、あれ? もしかして……。
わたしはメモをもう一度見た。
1、1、7、?、9、8、?、4……というと、『イイナ?クヤ?ヨ』 か?
うんうん、この『117』ってのは『イイナ』だと思うな、絶対。
『イイナ、ニク、ヤクヨ』……か?
『イイナ、ヨク、ヤレヨ』?
それとも『イイナ、ヨク、ヤロウヨ』?
わたしがひとりでブツブツいってると、
「パステルぅ、横でブツブツいわれっと、何|押《お》したかわかんなくなるんだけど……」
と、クレイが疲《つか》れた顔でため息をついた。
「あ、ああ、ごめんごめん! あのね、ちょっと思いついたことがあってさ。ねえ、ちょっと私にやらせてくれる?」
「え? ああ、まぁいいけど」
やっぱ『いいな、肉、焼くよ』なんかじゃないだろうけど、ま、ものは試し……。
ダメで元々だ。
わたしはポンポンと、ボタンを押していった。
最後の4を押し、恐《おそ》る恐《おそ》る金庫の扉《とびら》についている取っ手に手をかけた。
カチャリッ!
心地よい金属音。
「うそ!」
あっけにとられた顔で、クレイがつぶやいた。
でも、たしかにスゥ――ツと扉が開いていく。
「わ、わわわぁ――い!」
わたしは思わずクレイの首にしがみつき、「やったやった!」と飛び跳《は》ねた。
「ど、どうなってんだぁ……!?」
「へへへ、いいのいいの! 開いたんだもん」
「そ、そりゃそうだけど……しらみつぶしにやってた、おれって……」
「あっはっはっはっは!」
茫然《ぼうぜん》としているクレイをよそに、わたしはルーミィの手を取りブンブン揺《ゆ》らした。
「あっはっはっはっは、そいつぁクレイらしいや」
部屋に戻《もど》ると、トラップも戻っていて、わたしたちの話を聞いて笑い転げた。
「う、うるさい! それよりそっちの首《しゅ》尾《び》はどうだったんだ。メルには会えたんだな?」
「ああ、会えた会えた!」
「へえー! ねえねえ、どんな人だった? やっぱりノルそっくり? んで、どんなようすだったの?」
「まあまあ、そっちの話が先だ。そんで? 中には何が入ってた?」
「そう! それがねぇ、ね! クレイ」
「あ、ああ。もちろん例のギャミラ像だろ、それから……」
「金か!?」
ガバと起きてトラップが目を光らせた。
「いや、もっとすげー奴《やつ》だ」
「なんだなんだ。宝石か?」
「ピンポーン!」
わたしが明るくいうと、トラップはキットンと目《め》配《くば》せし、「やっぱなぁ……そんなこったろうと思ったぜ」といった。
「ん? どしてどして?」
「いやいや、そんで、それ、どれくらいあった?」
「そりゃあもうザラザラあったわよ。小さな皮《かわ》袋《ぶくろ》があってね。中見たら、赤いのやら青いのやら、白くてギラギラ光ってるの。しかも、全部すっごく大きいの」
「クアーティの奴《やつ》、信者たちの金をエベリンかどっかで少しずつ宝石にかえてやがったんだな」
わたしは、トラップがそういってるのをピートが暗い表情で聞いているのに気づいた。
「ピート……」
そっと声をかけると、彼ははっと顔をあげた。
「あ、ああ、すみません。……もういいんです。クアーティさまが……いや、クアーティがそういう人だったのは、よくわかりましたから。それに彼を変えたのは、あのギャミラ像ですものね!」
彼の言葉を聞いて、クレイが「あ!」と声をあげた。
「なんだ?」
「それがさああ!」
「ああああ! やめて、クレイ、やめてよ」
「へへへへ……」
クレイはニヤニヤ笑って、わたしを見た。
そうなのよ、実はもうひとつ。あのギャミラ像にまつわる小さな事件があったの。
「なんなんでぇ。教えろよなあ!」
「そうです、そうです。もしかして今回の作戦に関係あるかもしれないじゃないですかぁ」
当然のことながら、トラップとキットンは聞くまで許さないという顔。
「いいわよ、いいわよ……クレイ、話せば?」
「そう? そんじゃ……実はねぇ」
「うんうん」
と、クレイが話した、その内容。ギャミラ像にまつわる小さな事件とは。
あの金庫が開いてさ。
そんで、中身をチェックしてたじゃない?
その時、うっかりギャミラ像に触《ふ》れてしまったのよね、わたし。
後のことはよくわかんないんだけど、クレイから「おい、おい! パステル!」と肩をゆすぶられて、はっと気づいたときには……なんと両手で例の宝石の入った皮《かわ》袋《ぶくろ》、あれを握《にぎ》りしめてて。
クレイがいうには、わたしったら目を赤くして、
「これがあれば、当分……いや一生楽に暮《く》らせる。……もう、お財布の心配しなくってもいい……クレイだって立《りっ》派《ぱ》なアーマーが買えるし……ノルだって……」
なんつうことを、ブツブツつぶやいてたっていうんだもの。
「ええ? 目が赤い!?」
と、思わず自分の目を押《お》さえたけど、
「もう平気。赤くもなんともなってないぜ」
クレイがわたしの目をのぞきこんで、笑った。
恐《こわ》かったなぁ、ほんとに。
「じゃあ、やっぱりあのギャミラ像は、今その人が思っているもっとも強い欲望を増幅《ぞうふく》させる作用があるんですね」
クレイから話を聞いたキットンが、しきりにうなずきながらいった。
「やだねぇ、まったく、女っつーのは。金が欲しいってのが一番なわけ?」
ふんだ、ふん!
トラップ、あんたにいわれなくたってねぇ。そりゃ、わたしだってショックだったんだから。わたしがもっとも欲しいものが、お金だなんてさ。
それもこれも、貧乏《びんぼう》がいけないんじゃないかぁ……しくしく。
「さて、そんじゃトラップ、今度はそっちの話を聞かせてくれや。どうした? メルは。話はうまくついたのか?」
クレイが椅子《いす》に座りなおしながら聞いた。
「へへ、それがなあ! メルの詰ってのがこれまたすっげー意外だったんだ。こみいってるし……。なぁ、キットン」
わたしたちを待っている間に、もうキットンには話してあるようで。
トラップに呼ばれたキットンは、深くうなずきつつ両《りょう》腕《うで》を組んでうなった。
なんだ、なんだ?
メルの詰って、いったい何だったの?
STAGE 14
メルは、ピートの考えた通りクアーティの部屋《へや》の奥《おく》で軟禁《なんきん》されていた。
鉄《てつ》格《ごう》子《し》がはめられ、頑《がん》丈《じょう》な錠《じょう》がかけられて(トラップの腕《うで》をもってしても無理だったそうだ)はいたが、部屋のなかにはベッドも机も椅子《いす》もあり、バスルームまでついていて、生活には不自由しない設備が整えられていた。
最初、トラップが声をかけたときは、驚《おどろ》いて声も出なかったメルだったが、「あんた、ノルの妹だよな?」と聞いたところ、すぐにかけよってきたそうだ。
なにせ、クアーティがギャミラ像をチェックし引き返してくるまでの間しか猶《ゆう》予《よ》はない。
ノルが彼女を探していたこと、ついにここのことを知りホーキンス山を越《こ》えようとして、途《と》中《ちゅう》グスフングにやられて死んでしまったこと。しかし、彼を復活させられるかもしれないこと、それにはメルの協力《きょうりょく》が必要なことなどをトラップは大急ぎで話した。
ノルの死を知った彼女は、わっと泣き出しそうになったが、トラップが「泣いてる暇《ひま》はねーんだ!」と一喝《いっかつ》。
ことの事情を知り、時間がないこともわかった彼女は、トラップに話し始めた。とても意外で、しかもすっごくこみいった話を。
この大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団は一年半ほど前に、クアーティ、アスダフ、そしてメルの三人で始めた。
その経《けい》緯《い》は話さなかった(なにせ時間がない)が、メルとしては悩《なや》める人たちをその悩みから解放し、生きる希望を見つける手伝いができれば……と心から思っていたそうだ。
しかし、そう思っていたのはメルだけで、クアーティもアスダフも最初からそんなつもりは毛頭《もうとう》なかった。せいぜい金をだまし取り、当分遊んで暮《く》らせるだけ金がたまった頃、とっとと逃げ出すつもりだったのだ。
そろそろ潮時《しおどき》かとクアーティたちが相談しあっていた頃、何も知らないメルがピートの件で相談を持ちかけた。
もちろんクアーティが金《かね》勘《かん》定《じょう》をしながら笑っていたところをピートが目撃《もくげき》してしまったなどとはいわなかったが、最近あなたがたのようすが変だという忠告じみた内容で……。
返答のかわりに、クアーティはかねてからの計画をメルに打ち明けたのだ。
彼らの計画とは……。
金を持ち逃げするくらいは簡単だ。なにせ教団の財産を管理しているのはクアーティ自身だし、彼とアスダフは毎月エベリンに出かけている。その時に逃げてしまえばよいのだから。
しかし、それではいくら彼らを信じきっている信者たちだって疑いを持つ。総出で探しまわるだろう。ビクビクと一生逃げまわるのもいやだ。
ならば、自分たちは死んだと思わせればいいではないか。
死んだ者を探すバカはいまい。
しかも、その死に方が問題で、できるだけ高貴に、美しい思い出として信者たちの胸に残る……聖職者として最高の死に方を演じてやろうという計画を、なんと最初っから用意していたのだ。
まず、メルを生《い》け贅《にえ》として捧《ささ》げなくてはいけないと信者たちに告げる。
ギャミラ像の口の中を火でいっぱいにし、そこに彼女を投げ入れるという方法をとる。
しかし、このギャミラ像の口だが、実はある仕掛《しか》けが施《ほどこ》されてあった。あの詔《みことのり》を告げるときにパクパクと動く仕掛けと、そしてもうひとつ。
一度火を投じると、外から見ただけでは燃えさかる炎《ほのお》しか見えない。しかし、実は中に横穴があいていて、それは教祖の家の裏庭に通じているのだ。
これらの仕掛けを作っておくため、ギャミラ像の最後の仕上げはアスダフひとりが行なったのだ。
このギャミラ像の口にメルをいよいよ投じる段になったとき、まずはクアーティが「ああ、ギャミラさま! やはり、わが友人メルを犠《ぎ》牲《せい》にするわけにはいきません。わたくしが代わりにまいります!」などと叫《さけ》んで、メルを押《お》しのけ火に飛びこむ。
次に、アスダフがあわてふためいて現れ、「ああ、なんてことだ! クアーティさまだけを犠牲にはできない!」とかなんとか言いながら、クアーティの後を追って火に飛びこむ。
そして、最後にメルが「わたしだけが生き残ることはできません!」と、続いて後を追う。
当然、信者たちは驚《おどろ》き、大混乱になるだろう。後を追おうという者も出てくるかもしれない。そうはさせないよう、メルが飛びこんだと同時にギャミラ像のロを閉め、中から鍵《かぎ》をかける。
火のなかに人型をした骨みたいなものを三つ残しておけば、つぶさに調べたりするものもいまい。
そうしておいて、穴の入口もふさぎ、信者たちがパニックになっている隙《すき》に、裏庭に脱出。用意しておいた馬車に乗って、まんまと逃げ出す。
信者たちは嘆《なげ》き悲しみ、潔く殉職していったクアーティら三人を真の聖職者として崇《あが》め奉り、冥福《めいふく》を祈るだろう……と。
この偽《ぎ》装《そう》自殺は、こういうシナリオになっていた。
「ふっはぁぁぁぁ―――!」
「信じらんない!」
わたしとクレイはトラップの話を聞き、あまりのあくどさ、用意|周《しゅう》到《とう》さに驚《おどろ》き、あきれ果てた。
「そんで、そんで? まさかメルはそれに同意したわけじゃないでしょ?」
「いやいや、あわてるなって。これにはまだ裏がある」
「まだあんのお!?」
トラップはコップの水をごくりと飲み、メルの話を続けた。
当然、そんな話を聞かされたメルは驚《おどろ》き嘆《なげ》き、そして怒《いか》った。
クアーティを人でなし! 悪《あく》魔《ま》! となじり、すべてを信者たちに話すといった。
しかし、クアーティはさっさとメルをあの牢《ろう》に押《お》しこめ、アスダフを呼んだ。
「なんで勝手に計画を話したか!」
アスダフはまっ赤《か》になって怒り、クアーティをなじった。
しかし、クアーティは平気な顔で、
「何をそんなにむきになってるんだ。メルの口を封《ふう》じればすむことじゃないか」と事もなげに言った。
プライドの高いアスダフはますます怒り狂《くる》い、
「メルも一緒《いっしょ》に逃げるのでなければ、この計画は実行しない。いつからおまえが参謀《さんぼう》になったんだ。おまえはわたしの言う通りに動いていればいいのだ!」と吐《は》き捨てるようにいった。
「おれさまが教祖だというのをおまえは忘れたのか!? おれが一言命令すれば、おまえなんぞすぐにも処刑することだってできるんだぞ!」
完全に気が狂ったような声で、クアーティがニヤニヤと笑いながらアスダフに迫《せま》った。
「目を覚ませ! おまえこそ、教祖|面《づら》していられるのが誰《だれ》のおかげか忘れたのか!」
彼らの言い合いを目《ま》の当たりにし、メルはとっさに叫《さけ》んだという。
「わかったわ! あなたがたの計画通り、わたしも一緒に逃げればいいんでしょう?」……と。
もちろん、それならばクアーティもアスダフも異存はない。
しかし、メルはある計画を胸に秘めていた。
彼らの言うなりになっているように見せかけ、土《ど》壇《たん》場《ば》で裏切る計画を。
「ど、どうするつもりだったの? あ、わかった。こうじゃない? 彼らがギャミラ像の口に飛びこんだ後、彼らは裏庭に馬車を待たせて逃げ出すつもりだとか叫んで、みんなに取り押さえさせる……!」
なんだか、まるでサスペンス劇でも見ているようで。胸がわくわく高鳴り、ついトラップに聞いてしまった。
しかし、彼は人差し指を左右に「ちっちっち」と揺《ゆ》らした。
「ちがうの?」
「ああ、そこが人生の深さを知らねぇ奴《やつ》とメルの違《ちが》いよ」
「じゃあ、どうするっていうのよ」
口を尖《とが》らせると、
「彼女は彼らをすんなり逃がすっていうんだ」
「逃がす!?」
クレイもわたしと同じように聞き返した。
「ああ、ま、おれもそこんとこ、よくわかんねーんだが。奴《やつ》らが聖職者として清く死んだと、みんなが思うほうがいいっていうんだな。そのかわり、自分は後を追わないで村に残り、再び信者たちと暮《く》らし、クアーティたちの罪をつぐなうというのさ」
「ふ――ん、で、でもでも、お金をみんな持ち逃げされちゃうんだよ!?」
「いいんだってさ、それでも」
はぁ―――!!
た、たしかに人生の深さの違いかもしんない……これは。
「ま、ギャミラ像のことを話したら、『しかたない』って、了解してくれたけどな!」
「どうして『しかたない』なの?」
「だって、おれたちの作戦ってーのは、パニック起こしてその隙《すき》に逃げ出すっていう点じゃあクアーティたちと同じだけどさ。あいつらのインチキを全部バラして、ギャミラ像も叩《たた》き壊《こわ》すっていう作戦なんだからさ」
「それなんですがね。そろそろクレイたちにも、こっちの作戦を話しておきましょう。メルの話を聞いて、ちょっと変更した点もありますし」
今度はキットンが水を一口飲んで、ゴホンと咳払《せきばら》いした。
「わたしたちは今度の大《だい》術《じゅつ》式《しき》で前座をやる予定になってますよねぇ」
「うん」
「そんで?」
「その時、実はこれまでの手品手品したようなのじゃなく、クアーティとまるっきり同じことをやってみせるつもりなんです」
「まるっきり同じ?」
「ええ、まぁ厳密にいえば違いますがね。まず最初、彼は浮《ふ》遊《ゆう》のトリックで登場しますね。こっちも同じくトラップが空中から出現。ゆらゆらと舞《ぶ》台《たい》を浮遊します」
「そ、そんなことできるの!?」
「ピート、クアーティがどうやって空中に浮《う》かんでいるのか、説明してくれますか?」
後ろで黙《だま》って聞いていたピートは、はっと顔をあげた。
「は、はい。えっとですね。最初は後ろから支えてるんです」
「後ろから?」
「ええ、だからね……こういう装《そう》置《ち》があって……」
そういって、わたしのノートに図解してくれた。
「なぁーるほどー! 上から吊《つ》ってるんじゃないのね?」
「はい。で、後は全身黒ずくめにした背の高い幹部がクアーティの体を持ち上げて舞台の上を行ったり来たりしてるだけです」
なんだぁ、聞いてみるとけっこう単純な仕掛《しか》けなんだな。
「ま、しかし、我々はその仕掛けを使うわけにはいきませんからね」
「ああ、じゃ、ルーミィのフライの魔《ま》法《ほう》、あれでやればいいじゃないか。おれがまたルーミィの特訓すりゃぁいいんだろ?」
と、クレイ。
「そうよ、そうよ。ストップだって、あれだけうまくやれたんだもん。まだ一日あるし、特訓すれは……」
しかし、キットンは強く首を振《ふ》った。
「だめです! 相手が魔法だと偽《いつわ》って手品のトリックを使っているのをバラすんですからね。我々も魔法ではなく、ちゃんと種も仕掛けもあるトリックで挑《ちょう》戦《せん》しなきゃ意味がありません!」
「はぁ……そうなの?」
まぁ、よくわかんないけど。キットンが断言するんだから、そうなんだろうな。
「細かいことはまた後で、ということで。とにかくあの大《だい》術《じゅつ》式《しき》でクアーティのインチキをばらし、大パニックを起こす。この隙《すき》にメルを連れだし、脱《だっ》出《しゅつ》するというのがわたしとトラップが立てた作戦なんです」
「ま、そんなことだろうとは思ってたよ」
そういうクレイにキットンは大きくうなずき、声を潜《ひそ》めた。
「そこで、です。さっきトラップの話を聞いて思いついたんですが。ちょっと一部修正しようかと思って……」
「というと?」
そして次の日の朝。
キットンの話してくれた一部修正案を実行すべく、キットンとトラップが部屋を出ていった。 ピートの話では、午前中はクアーティの部屋《へや》にアスダフがいて何やら相談をしていることが多いという。
もし、今いなかった場合はアスダフを呼び出せばいいが、できればトラップがクアーティの部屋に行ったとき、アスダフがその場にいあわせたほうが都合がよかった。
「どうやら、クアーティではなくアスダフが参謀《さんぼう》なようですしね。まぁしかし、エベリンでの派手《はで》なふるまいといい、参謀といっても怖《おそ》るるに足りないでしょう。しかも、彼らは仲《なか》間《ま》割《わ》れ寸前という間《あいだ》柄《がら》なようだ。それにクアーティは金のことしか考えてないようですが、アスダフはメルのことが好きなんじゃないですかねぇ…‥」
キットンはこう前置きをし、彼らを完璧《かんぺき》に仲間割れさせる修正案を話したのだった。
キットンの創案したシナリオはこうだった。
まず、アスダフがクアーティの部屋にいるところを狙《ねら》って、トラップがクアーティに会いに行く。
トラップは、きのう話した例のギャミラ像について思い出したことがあるとクアーティに耳打ちをし、人払《ひとばら》いを願い出る。ゆうべギャミラ像をチェックし、何も発見できなかったクアーティなら、すぐそれを了解しアスダフを部屋から出すだろう。
たぶん、たかが旅芸人のために部屋を追い出されたアスダフは機《き》嫌《げん》を悪くする。そこにキットンが現れ、ちょっと折り入って相談があるといい、わたしたちの部屋に連れてきて……。
「ささ、こちらへ。どうぞどうぞ、話はすぐにすみますから」
キットンがドアを開け、ペコペコと頭を下げた。
彼の後ろに、怪《け》訝《げん》そうな顔をしたアスダフがいる。
わたしもクレイもパッと立ち上がった。
ルーミィとシロちゃん、それからピートは隣《となり》の部屋で待機している。
部屋にふたつしかない椅子《いす》のひとつをアスダフに勧《すす》め、わたしたちはベッドの横に立った。
「いったい、おまえたちがわたしに何の用があるというのだ」
さも不《ふ》愉《ゆ》快《かい》そうな低い声。
「まぁ、ともかくお座りください」
キットンがなおも椅子を勧めると、
「では、十分だけ時間をやろう」
アスダフはこういうと、不承不承|腰《こし》かけた。
「実は、我々も信じられない話なんですが……」
と、キットンは切り出したのだ。アスダフにとっては寝耳に水、とてもじゃないけど信じられない話を。
そりゃそうだ。だってウソなんだもんね。
「どうもうちのボス(トラップのことだ)のようすがきのうから変でしてね。クアーティさまの部屋で手品をしたんですが。あの後、ボスだけに何か耳打ちをされたんです」
「クアーティさまが、か?」
「はいはい、そうです。その後、部屋に帰ってからもずっとボスは気がそぞろというか、なんというか。どうにも落ち着かないようすでして。これは何かあるなと思ってましたら、ゆうべ……かなり遅《おそ》くですが、ボスがこっそり部屋を抜《ぬ》け出したんですよ。どうにも気になってねぇ。わたし、後をつけました」
ここで、わざとじらすようにキットンがアスダフのようすをうかがった。
彼はイライラした口《く》調《ちょう》で、
「で、どうしたんだ。もう三分は過ぎたぞ」
ちらりと懐中時計を見て、パチリとふたをした。
「はいはい。それで、ですね。うちのボス、裏庭のほうへ行ったんですが、そこで誰と会っていたと思いますか?」
「クアーティと……、いやクアーティさまとか」
「そうそう! そのとおり。いやぁ、びっくりしましたよ。でも、もっとびっくりしたのは、その密談の内容なんです!」
アスダフは懐中時計をしきりにいじりながら、こめかみをひくつかせた。
「ボソボソと小さな声だったので、すべてを聞き取れたわけじゃありませんがね。だいたい察しはつきました。要するに、うちの奇《き》術《じゅつ》団《だん》が使っているあの乗り物、エレキテルヒポポタマスというんですがね、あれで旅をしたいから、その手助けをしろというんですよ。なんでも明日の大術式の後、女の方と二人で長旅に出られるとかで、一刻も早く遠くへ行きたいんだそうです。なぜなら、そのことは村人たちにもここの屋《や》敷《しき》の人たちにも内緒《ないしょ》だからだそうで……」
アスダフは小さな目を見開き、
「女とふたりだけで旅に出るといったのか!?」
と、問いただした。
「へ? あぁ、そうです、そうです。だから、うちのボスなんか『へぇー、教祖さまもなかなかやるもんですなぁ』なんて軽口を叩《たた》きましてね。クアーティさまもまんざらではないって顔で笑っておられましたよ。どなたか、お好きな人と長旅でもされるおつもりなんでしょうか。しかし、教祖さまともなると、たかが恋人と旅行するのも大変ですねぇ」
アスダフの手がワナワナと震《ふる》えだし、白い顔にもさぁっと赤みがさした。
「そ、それで!?」
「はぁ、うちのボス、しかしあれは高かったからと渋ってみせたんですね。でも、クアーティさまは軽くお笑いになられて、あんな乗り物なら何台でも買える金をやろうと約束されました。そしたら、『なら、話は早い。おれもあんな連中とは早くおさらばしたかったんだ。これでしばらくはのんびり遊んで暮《く》らせる』なんていったんですよ! ひどいじゃあないですか!」
キットンたら、アスダフと同じように手を震わせ怒《おこ》ってみせた。
「それで、ですね。なんか明日、大術式の間に騒《さわ》ぎを起こして、その際《すき》に逃げ出すからとかなんとかいっちゃって。うちのボス、今も部屋を出ていったんですけどね。たぶんその打ち合わせに行ったんじゃないですか? 我々もここで置いてきぼりなんか食らっちゃたまりませんからね。他に相談できる人も見当たらず……失礼ながら、あなたならと。そう思ったわけです、はい」
アスダフは何かいおうとロを開けかけたが、ふっとつぐみ……なにか考えこんでいた。しかし、二、三度大きく首を振《ふ》り、
「そんな話、急に信じろというのが無理というものだ。いいや、信じられん。今すぐ問いただしてくる!」
押《お》さえた口《く》調《ちょう》でいい、さっと立ち上がった。
「わ、わったた、ダメ、ダメですよ! 今行ったって、ふたりして口裏合わせるに決まってるじゃないですか!」
キットンがあわてて止める。
「そうです、そうです! うちのボス、口だけは達者なんだから!」
「そうそう、口から先に生まれたようなもんで」
わたしもクレイも必死にいった。
わたしたちをにらみ返したアスダフにキットンがすがりつく。
「ね、ね、短気を起こさないでください。もし、どうしても信じられないというのなら、きょうの夜、クアーティさんのようすを見てたらどうです。きのうの話じゃ、また裏庭でなんか金の用意をするとかなんとかいってましたし。もし、ほんとにそんな気配があったら、わたしたちを信じてくれますね?」
しかし、アスダフは黙ったままだ。それにはかまわずキットンは続けた。
「いいですね。くれぐれも短気は起こさないでください。今、話なんかしたって、アスダフさん、あなたが恥《はじ》をかくだけです。あなたは思《し》慮《りょ》深《ぶか》い紳《しん》士《し》だと思ったから、わたしたちも相談したんです」
アスダフはキットンをにらみつけた後、すっと肩から力を抜《ぬ》いた。
「ふむ、で、わたしにどうしてほしいというのだ」
「はい、これはもう現場を取り押《お》さえるしかないと思うんですよね! だから、明日の大術式の時、彼らが逃げ出そうとしたら……、後はあなたの判断にお任せします」
「わかった。……いいや! まだおまえの話を信じたわけではないからな! しかし、今夜のようすで判断しよう。それでいいんだな?」
「もちろんです!」
アスダフはふっと短く息をついて、わたしたちを一瞥《いちべつ》。くるりときびすを返し、部屋から出ていった。
「アスダフの野郎、さっきそこですれちがったけどな。すっげー目でにらんでいったぜ。うまくいったらしいな」
アスダフが出ていき、わたしたちが「ひゃぁー!」とひっくり返っていたところにトラップが帰ってきた。
「あ、あぁ、バッチリですよ。そっちは?」
「そりゃ、もうクアーティの奴《やつ》、コロッと一発よ。赤んぼの手ぇひねるほうが難しいくれぇだ。一度実際に見てみねぇと、おれが聞いた噂《うわさ》と同じ像かどうかわからねぇっていったらな。今夜、裏庭でおれと落ち合って見せてくれるってぇ話になった」
「そこをアスダフに目《もく》撃《げき》させるっていうわけね?」
「そういうこった!」
「で、でもさぁ……クアーティ、アスダフに話さないかしら」
「何を?」
「ん、だから、ギャミラ像に財宝の地図が隠《かく》されてる話とかを……」
「いや、確認してからだろうな、話すとしても。うーん、いやいや絶対話さねーな、あのようすじゃ。あいつ、ひとり占《じ》めする気でいるらしいぜ」
「そう、それを聞いて安心したわ……」
わたしがほっとしてベッドに腰《こし》かけると、
「しかし、これでアスダフをギャミラ像から引き離《はな》せるからよかったですよ。どうもそこだけ考えつかなかったもんだからね」
と、キットンがいった。
「ギャミラ像から引き離すって?」
「え? ああ、だから、あの大《だい》術《じゅつ》式《しき》の時にね。術《じゅつ》殿《でん》の中の大きなギャミラ像、あれをしゃべらせてるのってアスダフなんですよね。だから、そこをどうしようかと思ってて」
「ど、どういうこと?」
「えっとそれはですね……あっと、まぁいいや。明日になればわかることです」
「ふ――ん……」
「よし、じゃ、とりあえずその術殿に行くとすっか!」
と、トラップが立ち上がった。
そう。この後、わたしたちはリハーサルのために術殿のなかに入らせてもらえることになっていた。手品に使うトリックもセットしておきたいからってね。もちろん警備員付きだけど。
でも、実はもっと大きな目的があった。
この屋《や》敷《しき》に入る時と同じように、あの手品の箱《はこ》の中にビートが隠《かく》れていて。わたしたちや警備の人たちがいなくなった後にこっそり抜《ぬ》け出て、トラップの浮《ふ》遊《ゆう》の仕掛《しか》けをしたり、釘《くぎ》の細《さい》工《く》を変える……という。
釘の細工っていうのは、ほら、あの力を試すからって、釘がいっぱい出た板の上を歩いてみる儀《ぎ》式《しき》あったでしょ?
あの釘にも実は細工があって。最初キットンがいったとおり、スイッチひとつで釘の長さを平均にしたりデコボコにしたりできるそうなのだ。
そのスイッチのオン/オフを逆にしておくわけ。
そうするとどうなるか……!
結果は見てのお楽しみ! つうことで。
いやぁ、なんだかなぁ。
わたしたちは冒険者《ぼうけんしゃ》というより、すっかり詐欺師《さぎし》気分。しかも、なんだかだんだんこのスリルがたまらなくなってきたから困ったもんだ。
やっとこさ夜が来る。
今夜も夕飯はクアーティとアスダフ、ふたりと同席だった。
疑《ぎ》心《しん》暗《あん》鬼《き》になっているアスダフは、トラップがわざとクアーティに耳打ちして笑ったりするようすに、いちいち反応していた。
きょうはきのうと違《ちが》って、堂々とクアーティの部屋に行けるトラップ。深夜、約束した時間に「そんじゃ、後は頼《たの》んだぜ」と出て行った。
わたしたちはしばらくようすを見て、こっそりクアーティの部屋付近に行ってみた。
おお、いるいる!
クアーティの部屋へ通じる廊《ろう》下《か》の手前の角で、アスダフがひとりたたずんでいるじゃないか。
わたしたちを見てアスダフは一《いっ》瞬《しょん》驚《おどろ》いたが、無言であごを後ろに向けた。クアーティやトラップに見つからないよう、自分の後ろに隠《かく》れていろというのだ。
わたしたちがアスダフの後ろに回りこんだとき、カチャリとドアの開く音がした。
「静かにな」
「へぇ、わかってます」
クアーティとトラップの声がし、もう一度ドアの音。
わたしたちが息を殺して見守るなか、ふたりが廊下に現れた。
トラップはわざとらしく回りをうかがい、先に歩くクアーティの後をコソコソとついていく。
ふっと小さくため息をついたアスダフに、「ね? いった通りでしょ?」というふうにキットンが見る。
アスダフは無言のまま、クアーティたちの後を追いかけた。もちろん、わたしたちも一緒《いっしょ》。
静かな庭に出て、なおもクアーティたちの後をつけようとするアスダフをキットンが止めた。 こんなに静かな場所では後をつけていることを悟《さと》られるからと。
キットンの提案で、わたしたちは裏庭の植えこみの陰《かげ》に隠《かく》れてクアーティたちを待つことにした。
「ボスにはほとほと愛想がつきましたよ……だいたいいつも上がりはボスが独占《どくせん》するんですからねぇ」
などと、不平たらたらキットンがぼやいてみせる。
しかし、その横にいるアスダフはキットンの愚痴《ぐち》など耳に入らないといった雰《ふん》囲《い》気《き》。険しい顔でじっと何もない黒い森をにらんでいた。
しばらくして。
人の声が近づいてきた。
クアーティとトラップがもどってきたのだ。
月の明かりに照らされて、「いやぁ、どうもすんませんねぇ!」とクアーティにペコペコしてみせるトラップの姿。
その時だ。
キットンが止める間もなく、アスダフがさっと立ち上がり彼らのほうへズンズン歩いていってしまった!
ま、まずい!!
どうしよう!! と、キットンを見たけど、彼は片手でわたしを押《お》さえた。
ようすを見ているしかないということ!?
アスダフが急にやってきたもんだから、クアーティもトラップもびっくりしたようだ。
「あ、どうもどうも!」
トラップがアタフタと挨拶《あいさつ》をする。
「ん、どうしたんだ? こんな夜更《よふ》けに。ああ、ああ、散歩か?」
クアーティも少なからず動揺《どうよう》してアスダフに声をかける。
しかし、アスダフは皮肉たっぷりに、
「クアーティさまこそどうしたというのですか。こんな夜更けに旅芸人なんぞと密会ですか」
高みから見下すような言い方。ぴしっと背筋を伸《の》ばし、両《りょう》腕《うで》を組んだ。
「え? ああ、ああ。実ほな。おまえにも話そうと思っていたんだが……。こいつが、あるところでギャミラさまそっくりの像にまつわる噂《うわさ》を聞いたと申すのだ。なんでも、どこかの王の財宝のありかを記す地図が隠《かく》されておるといって……」
アスダフは頭っからそんなこと信じないという顔。
お愛想で聞いてやってるという口調で、
「ほお、そりゃぁ興味深い話ですなぁ。それで? 見つかったんですか」
「いやいや、それが……」
クアーティがちらっとトラップを見ると、
「え? あ、あぁ……そ、それが、やっぱちがう像だったみたいなんすよね。い、いやぁ、クアーティさまには申し訳ないことをしちまいました。手間ぁ取らせてすんません」
トラップが必死にとりつくろうようなドギマギした口《く》調《ちょう》でいい、卑《ひ》屈《くつ》に笑いながらしきりに恐縮《きょうしゅく》してみせた。
アスダフはそんなふたりをしばし見つめていたが、
「では、わたくしはもうしばらく散歩を続けますゆえ、失礼します」
と、軽く会《え》釈《しゃく》をした。
「お、おお、そうかそうか。うん、わたしはもう休むことにするよ。おまえも早く寝たほうがいいんじゃないか? 明日がほれ、いろいろと大変だからなぁ」
クアーティは意味ありげな口《く》調《ちょう》で、アスダフの肩にポンと手を置いた。
無言で彼を見返すアスダフ。
その気ずまい沈黙《ちんもく》に耐《た》えきれなくなったのか、クアーティは「それではな、エンチラーダ」と声をかけ、屋《や》敷《しき》へともどっていく。
その後を追いつつ、ペコペコとアスダフを振《ふ》り返りつつ、トラップも屋敷へもどっていった。
「アスダフさま」
ふたりをじっと見送っていたアスダフにキットンが声をかけると、彼はゆっくりわたしたちのほうを見た。
「とんでもない作り話でしたねぇ」
キットンが苦笑しながら近寄ると、
「ふん、どうせウソをつくなら、もう少しもっともらしいウソをつけばいいものを」
「ほんとに、ほんとに。その通りです!」
苦々しげにいうアスダフの横に立ち、キットンは何度もうなずいてみせた。
「しかし、このようなことをいうと失礼かとは思いますが……わたしにはアスダフさまこそ教祖さまにふさわしいお方と……」
アスダフはキットンを見下ろし、
「そのような無礼、いうではないぞ!」
言葉こそ厳しかったけれど、月に照らされた顔には「ふん、そんなこたぁ当然じゃい!」という傲慢《ごうまん》さがあった。
「す、すみません、すみませんっ!!」
キットンはただただ恐《おそ》れ入ったと頭を下げたが、
「ふむ、しかし……どうやらおまえらのいっていたことは本当らしい」
「では!?」
「うむ。しかし、メルがあんな奴《やつ》の口車に乗るとは到底《とうてい》思えないが……まさかあの女め……」
アスダフは眉《まゆ》をひそめてつぶやいた。
「メル??」
初めて聞くようにキットンが聞くと。
「いや、なんでもない! わかった。明日、本当に奴らが逃げ出そうとしたら、その時には……」
途《と》中《ちゅう》で言葉を切ったアスダフの顔には、醜《みにく》いまでの怒《いか》りがありありとうかがえた。
う―――むぅ!
こりゃぁ、明日、大変なことになるぞお!!
STAGE 15
そして、いよいよ大《だい》術《じゅつ》式《しき》の当日となった。
いろいろとありすぎるほどあったけど、泣いても笑っても、後はもう突《つ》っ走るしかない。
わたしたちは緊《きん》張《ちょう》のあまり朝からずっと、落ち着かなかった。
ピートは浮《ふ》遊《ゆう》の仕掛《しか》けと釘《くぎ》の細《さい》工《く》、うまくいったのかしら(彼はきのうからずっとそのまま術《じゅつ》殿《でん》に潜《ひそ》んでいるのだ。携帯《けいたい》食料と水を持たせてあげたけど……あれだけじゃお腹《なか》すいてるだろうな)。
果たして計画通りメルを無事救い出せるんだろうか。
考えだすとキリがない。
明け方、トラップがあのギャミラ像をコピーに、それから宝石もガラス玉(わたしがマリーナに借りてた首飾《くびかざ》りをバラバラにしたの)にすり換《か》えておいたし。
ヒポちゃんに必要な荷物を積みこみ、すぐに脱《だっ》出《しゅつ》できるよう備えたし。
ほんと、こうなったら覚《かく》悟《ご》を決めて……。
何度も何度も、心のなかで「よし!」とか「やったる!」とかお腹に力を入れてたせいか、しまいに気持ち悪くなってきちゃった。
みんなが手品用の衣《い》装《しょう》に着替《きか》えメイクもすませ、スタンバイしていると、
「さーてと、そろそろ行くかぁ?」
黒いマントを羽織《はお》ったトラップが、なんともお気軽な調子でいった。
この人の神経って、どこにどう通ってんだろ。
「クレイ、結局メルがいつあの牢《ろう》から連れて行かれるのか、わかりませんでしたから……」
キットンがクレイにそういうと、
「OK、とにかく始まったらすぐおれだけこっちにもどって、メルのようすを監《かん》視《し》してればいいんだろ?」
「はい。彼女がどこにいるか、常に把《は》握《あく》していてください。で、頃合を見計らって……」
「わかった」
例の派手《はで》な……色物としか思えないキンキラの衣《い》装《しょう》をつけたふたりが、うなずきあった。
「よし、じゃあ最後のふんばりどきだ。行くぜ」
……と、せっかくビシッと台詞《セリフ》を決めたクレイだったのに、
「行くデシ!」
シロちゃんの一言にガクッとよろけ、ドアのノブにすがりついた。
わたしはバカのひとつ覚え、例のチェイニーズリングの手品を披《ひ》露《ろう》し、大急ぎで袖《そで》にもどり息を整えていた。
まだタイマツが赤々と会場を照らしだしていたから、舞《ぶ》台《たい》の袖からでも信者たちが続々と席についているようすがよく見える。
舞台の上では、キットンがシロちゃんの曲芸を始めていた。
曲芸といったって、最初から賢《かしこ》いシロちゃんだもの。輪をくぐったり数字を当てたりなんて造《ぞう》作《さ》もないこと。
でも、観客にとってはあくまでも小犬にしか見えないわけで。シロちゃんが何かするたびに拍手《はくしゅ》が起こった。
観客が全員席に着いたとき、タイマツ他、照明はみんな消してくれと頼んでおいた。
照明係りは友好的で、なんの疑いもなく、わたしたちが頼んだ手順を了解してくれていた。
クレイはキットンとの打ち合わせ通り手品用の衣《い》装《しょう》を脱《ぬ》ぎ、普《ふ》通《つう》のめだたない格好でクアーティの部屋を見張りに行った。
ルーミィはわたしの隣《となり》でおとなしく舞台を見ている。
さぁ、もうすぐだ。
わたしたちの舞台の、本当の幕開けは……。
パッとすべての照明が消えた。
ジャァーン、ジャンジャンジャン!!
ジャ――――ン!!
会場にドラの音が響《ひび》き渡る。
ドラを鳴らす係りの人に鳴らしてもらったのだ。
わたしとキットンは、トラップを吊《つ》り下げる細いヒモを操作するために両袖で待機していた。
おっと……! ヒモがクイクイッと引っ張られた。
トラップからの合図だ。
しっかりヒモを持ちなおすと……ウッ!
舞台の上方(照明などがついている梁《はり》の部分)で待機していたトラップがヒモにぶら下がったんだろう。突如《とつじょ》ズンッとすごい重み。
わたしたちが両側で持っている……上に滑車《かっしゃ》のついた二本のヒモの中央にトラップがぶらさがっている。両側から舞台を横目で見上げながら、向こう側のキットンと息を合わせてそれぞれのヒモを操作するんだけど、まだ一度もリハーサルしていない。最悪、失敗してもいいとトラップはいっていた。しかし……。
お、重い……。
いくら細身のトラップとはいえ、彼の体重をキットンとふたりで支えているんだからして。細いヒモがきりきりと手の平に食いこむ。
すぅ――っと青白い光が舞台に差した。
ぼぉっとトラップの顔だけが空中高くに浮《う》かびあがった……はずだ。
顔だけ出して、後は黒いマントで隠《かく》しているんだものね。
彼はわざと顔を白く塗《ぬ》りたくり、眉《まゆ》を濃《こ》く描《か》き目の端《はし》を赤く塗っていた。
きっとそれはとても奇《き》妙《みょう》で、しかもどこかクアーティを連想させる顔だったと思う。
それが証拠に、会場がざわめき始めた。
再びトラップからの合図がきた。
ゆっくりゆっくりヒモを上へとゆるめていく。
うう、なんて重さだ!
会場では、あきらかにクアーティとは違《ちが》う……しかし、そっくりに見える誰《だれ》かがゆるゆると降りていき、ステージの床《ゆか》から約三メートルほどの高さで止まった。
トラップはここでバサッとマントを後ろにはらった。
おおおお! という声。
下に着ていたのは黒い燕《えん》尾《び》服《ふく》ではなく、七色Tのシャツと白いズボン。
本当ならクアーティの着ているような虹色《にじいろ》のローブならべストだったんだけどね。残念ながら、あのマリーナの店にはそういうものがなかったのだ。
ならば、できるだけ目立つような……ということで、この服を選んだんだそうだが、なるほど、白い照明を受けてくっきりと浮《う》かびあがってみえる。
会場のざわめきがますます大きくなったところで。またゆっくりとヒモをゆるめていった。
さて、今度は左右にゆらさなくてはいけない。まずキットンがヒモをひっぱり……。
と、そのとき。
「やめろやめろ! けしからん。おい、照明をつけろ!」
後ろで出番を待っていたクアーティが大きな声で怒鳴《どな》りながら、わたしのすぐ脇《わき》を通って舞台に上がっていった。
クアーティに命令され、あわててタイマツに火を灯《とも》す術師たち。
明るく照らしだされたトラップは空中に浮かんだまま、クアーティを見下ろしていた。
「こんなもの!」
クアーティはトラップの足をひっばった。
きゃぁっ!
急にヒモがひっぱられ、わたしは思わず手を離《はな》してしまった。
キットンも離してしまったんだろう。ドサッ! と音をたてて、派手《はで》な衣《い》装《しょう》のトラップが床《ゆか》に落ちる。
「ふん、なんのつもりがあって、このクアーティの真似《まね》をする!? こんなもの」
舞台に情けなく横たわっているヒモをいったん手に取り、床に投げつけた。
あれよあれよと見守っていた観客がクスクスと笑いだした。
「さ、ルーミィ、シロちゃん」
小さな声で彼女たちを呼び、わたしはマントでレオタードを隠《かく》して客席へ急いだ。舞台裏のスタッフたち全員舞台のほうを注目している、この隙《すき》に隠れるのだ。思った通り、誰《だれ》もわたしたちを見とがめる者はいなかった。
舞台からはトラップの声が聞こえてくる。
「そうさ。おれがやるのは手品だからな。あんたと違《ちが》って種も仕掛《しか》けもあるのさ」
ついさっきまでペコペコしていたトラップが急に反抗《はんこう》的な口をきいたものだから、きっとびっくりしたんだろう。
しばらくの沈黙《ちんもく》の後、今度はクアーティの声。
「な、なにを……誰か、こいつを捕《つか》まえろ!」
かねてから隠れ場所として目をつけておいた、客席の一番前の端《はし》にある大きな柱の陰《かげ》に、わたしたちが隠れたとき……。
銀色のローブを着た連中がさっと舞台に走り寄った。
しかし、身軽なトラップのこと。
フック付のロープをお尻《しり》のポケットから取り出し、ヒュンと音をさせて天《てん》井《じょう》に向かって投げ上げた。
わっと取り囲む男たちより早く、ジャンプ一番ロープにしがみつき、するすると天井まで登ってしまった。
後を追って、男たちもロープにぶらさがったが、上でトラップがロープを切ったんだろう。
「うわあぁ!」
「わわわわわわ!」
全員、折り重なって派手《はで》に尻もちをつき、悲鳴をあげた。
「な、なにをしている。捕まえろ!」
男たちは大あわてで、今度は舞台の両《りょう》袖《そで》にあるハシゴを昇り始めたが、
「いません!」
「こっちにもいません!!」
大声で叫《さけ》ぶ。
「ま、まさか。今、ここから昇った男が、どうしていないんだ!?」
「わ、わかりませんが……」
舞台の上で地《じ》団《だん》駄《だ》を踏《ふ》むクアーティ。しかし、観客たちが興味|津々《しんしん》で見上げているのに気づき、
「よし、大《だい》術《じゅつ》式《しき》を遅《おく》らせるわけにはいかん。仲《なか》間《ま》を捕《と》らえておけ」
悠然《ゆうぜん》とマントをひるがえし、舞台の袖にもどっていった。
仲間っちゅうと、やっぱわたしたちのことよねぇ。
でも、とっくの昔《むかし》にこうして逃げ出してるんだもんね。
きっと舞台裏では大騒《おおさわ》ぎでわたしたちを探し回っていることだろう。
「まずはうまくいきましたね」
横からキットンの声。
「ああ、キットン。よく見つからずに来れたわね」
「みんな舞台に注目してますからね」
「そりゃそうね……」
タイマツがいっせいに消されあたりがまっ暗になると、会場のざわめきも次第に闇《やみ》のなかへと消えていった。
そして、代わりに例の呪文《じゅもん》が始まったのだ。
エンチラーダ、アンチラーダ……
エンチラーダ、アンチラーダ……
エンチラーダ、アンチラーダ……
エンチラーダ、アンチラーダ……
エンチラーダ、アンチラーダ……
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エンチラーダ、アンチラーダ……
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エンチラーダ、アンチラーダ……
太《たい》鼓《こ》の音が始まり、呪文の声がどんどん大きくなる。
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エンチラーダ、アンチラーダ……
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エンチラーダ、アンチラーダ……
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エソチラーダ、アンチラーダ……
ドン、トントン、ドン、トトドン……
エンチラーダ、アンチラーダ……
呪文の声が術《じゅつ》殿《でん》全体をゆるがすほどになったとき、ドラの音が鳴り響《ひび》いた。
それを合図に全《すべ》ての音が止《や》み、いきなり完璧《かんぺき》なる静《せい》寂《じゃく》が訪れた。
一度は見ていたから、さほどではなかったけれど。やっぱりなんか無気味。
そして、さっきのトラップと同じように、今度はクアーティ本人の顔が青白い光を受けて浮《う》かび上がった。
この人、毎週毎週これやってたのね。
一心に彼を見つめる信者たちのお金をだましとって逃げ出す、きょうの日のために。ただただ、それだけのために。
お金って、そんなに魅《み》力《りょく》的《てき》なのかな。
いやぁ、そりゃね。わたしだってあのギャミラ像を手にしたとき、お金お金と騒《さわ》いだそうで
すしね。大きなことはいえないけどさ。
なんだかこう、空しいというか。悲しいというか……。
でもなぁ、疑いもなく信じている人たちをだますという行《こう》為《い》は、やっぱりよくないと思うわけで。
なんてことを暗闇《くらやみ》のなかでぼんやり考えていると、シュワアアァァァーっと派手《はで》な音がして、紫《むらさき》色《いろ》のスモークが舞台の両袖から吹き出してきた。
「ケホ、ケホ……」
わたしたちが隠れていた場所って、舞台のすぐ脇《わき》だったでしょ。
もろに煙《けむり》に包まれてしまった。
「ねぇ、キットン……このスモークって、たしか幻覚剤《げんかくざい》だとかいってたよね」
隣《となり》でやっぱりケホケホいってるキットンの肩《かた》をつついた。
「え? あ、ああ、だいじょうぶです。これもすり換《か》えておきましたから」
「あら、そうなの? だって、なんか匂《にお》いもするし……」
「匂いは似てますけどね、無害なんです。例の薬部屋にあったのをそっくり全部すり換えておきましたから……」
「そっか、それならいいけど」
わたしは、あのクアーティの部屋で下手《へた》な手品を見せ、冷や汗たらたらで時間|稼《かせ》ぎしたのを思い出した。
「しかしねぇ、わたしが考えていたよりずっと悪質な幻覚剤だったんですよね。あれ、毎週吸ってたら……思考能力が麻痺《まひ》しても当然ですよ。実際、彼らはまだ気づいてないかもしれないけど、かなり障害が出てるはずです。習慣性もあるし、あと何か月か吸い続けていれば間違いなく廃人になってしまったところでしょう」
「え? ほんとに? なんてひどい……」
「ええ、まったく……ひどい話です」
キットンの声は小さかったけれど、静かな怒《いか》りがこめられていた。
わたし、なんだかだんだん本気で悲しくなってきた。
ピートとかさ、ザックとかさ。みんないい人たちなのに。
どうして、そんなお金とかのために、こんなひどい目にあわされなくっちゃいけないわけ??
やりきれない気持ちで、再び舞台を見ると。スモークのなかでクアーティがゆらゆらと左右に浮《ふ》遊《ゆう》している。
トリックを知った今でも、すっごく不思議。やっぱ、こういうの見ちゃうと人間コロッと信じちゃうもんなのかなぁ。
……と。
あれ? あれあれ?
クアーティの下で彼を支えている人がチラッと見えたような……。
お、およよ!?
舞台の上からハラハラと白いものが舞《ま》い落ちてきてる。
しかも、だんだん量が増えていく。
「あれ? なんなの?」
キットンに聞くと、
「小麦粉ですよ」
「小麦粉??」
「シッ、静かに。トラップが上からまいてるんです」
その小麦粉、フワフワと宙を舞《ま》い、クアーティの体を支えていた黒ずくめの人に付着していった。舞台の両《りょう》端《はし》で黒い布をかぶって待機していた人たちにも粉はふり積もっていった。
客席がまたざわめき始める。
白い粉で人の形が浮《う》き上がり、クアーティを持ち上げているのがはっきりわかったのだ。
「なんだ、あれは!?」
という声も聞こえた。
体格のいい男がクアーティを肩に担ぎ、右へ左へと不格好なダンスでも踊《おど》っているようにソロソロと歩き回っている。
小麦粉の量が少なかったから、舞台の上のクアーティたちには何が起こっているのかわからなかったらしい。
仕掛《しか》けがもろバレになっているというのに、なおもクアーティたちはフワフワと空中|浮《ふ》遊《ゆう》を続けている。
両側に並んでいた幹部連中があわてふためき、ダッとばかりに舞台へ駆《か》け寄った。
さすがに客席のようすが変だと気づいたんだろう……クアーティが下を見た。次の瞬《しゅん》間《かん》、彼を下で支えていた男の人の頭をボカスカ殴《なぐ》り、何かわめいた。男は大あわてでクアーティを担いだまま退場していった。
「バ、バカ者! あいつの仕《し》業《わざ》だ! 早く探さんか! まだ上にいるぞ!!」
舞台裏からクアーティの怒鳴《どな》り声と幹部のあわてふためく声が聞こえてきた。
「儀《ぎ》式《しき》のほうは?」
「講話だ、講話いけ!!」
「歌はどうします?」
「ええーい、なんでもいい! さっさとやれい!」
ここがわたし信じられなかったんだけど。こんな状態にもなって少しはぎわめきもしたけど、信者の人たち、やっぱりおとなしく幹部たちの言うことを聞くわけよね。
ちゃんと起立して歌も歌ったし、講話も聞いたし。
まぁ、でも講話といっても気もそぞろ。そりゃそうよ。舞台裏が大騒《おおさわ》ぎなんだもん。
「まだ見つからんのか」
「はい、八方手を尽《つ》くしておりますが……」
「まったく、そろいもそろって役立たずどもが、何をしておる! そうだ、アスダフはどうした!?」
「た、ただいま探してまいります!!」
なんていう声がチラチラ聞こえてくるわ、ドッスンバッタン変な音はするわ。しまいには講話をしている人の頭の上から、変な棒《ぼう》っきれみたいなのが派手《はで》な音をたてて落ちてきたりした。
「へへへ、いくら探したって無駄無駄《むだむだ》」
急に背後から慣れ親しんだ毒舌がしたもんで、心臓が飛び出すかと胸を押《お》さえた。
「ああ、トラップ……びっくりした……」
顔のメイクをゴシゴシこすり落としたんだろう。ところどころ、まだ白いドウランが残っている。
「トラップ、ほら、ここ」
ハンカチでトラップのおでこをふいてあげようとすると、うざったそうにわたしの手を払《はら》った。
「今のところ、うまくいってますね」
キットンがにっこり笑いかけると、
「そんで、例の薬なんだけど……禿《はげ》とかそういうのは塗《ぬ》ればいいんだな?」
「はいはい。今回、なんの治癒《ちゆ》やるか知りませんけどね。腹痛とかだったら、その『腹痛用』って書いてあるのね、それを飲ませてください。足が動かないというんだったら、その『手足しびれ用』ってのをちょっと手に取って患《かん》部《ぶ》に塗ればOKです」
「わかった」
トラップは派手《はで》な七色ストライプTシャツの上から、黒の燕《えん》尾《び》服《ふく》を着てたんだけど。そのジャケットのポケットから小さな瓶《びん》をいくつも出して、ひとつひとつ点検していた。
首筋に汗《あせ》をしたたらせ、赤い髪《かみ》も額《ひたい》に張りついている。
「まだか、まだ見つからんのか!?」
「クアーティさま、そろそろ出番ですが……」
「わ、わかっておるわ!」
あいかわらず舞台裏からは騒々《そうぞう》しい声がもれ聞こえてくる。
舞台では茶色のローブを着た信者が舞台裏を気にしつつ、しどろもどろにクアーティのすばらしさを話していたが、なんだかとってつけたようなしめくくりの言葉をいってペコリと頭を下げた。
場内からはバラバラとした拍手《はくしゅ》。
「さて、そろそろ出番かな」
「トラップ……」
「へ? なに?」
「ううん、んと……がんばってね!」
「ま、ここでゆっくり見物してな」
ポンとわたしやキットンの背中を叩《たた》いて、彼はまたどこかへと消えていった。
「えー‥‥‥本日は、コゲ茶の術師、ロビンの頭部をクアーティさまが治癒《ちゆ》してくださいます」
真珠色《しんじゅいろ》のローブを羽織《はお》った男の人が朗々《ろうろう》とした声でいうと、舞台《ぶたい》の袖《そで》から濃《こ》い茶色のローブを着て赤いバンダナを頭にまいた若い人が出てきた。
「やった! 今回も禿《はげ》の治療ですよ」
隣《となり》のキットンが興奮した口《く》調《ちょう》でいう。
おおお、たしかに。その若い男の人、歳に似合わず頭のてっぺんがツルツル。
ゆっくりと上《かみ》手《て》からクアーティが登場。
ロビンという名前の彼がさっと頭を下げる。
クアーティは彼の後ろ頭を「エンチラーダァ!」と大声で言いながらポンポン叩いた。
「煩悩《ぼんのう》多き者よ。煩悩ゆえに髪《かみ》が失せたのだ。しかし、むしろ喜ばしいことと思え。邪念《じゃねん》は髪とともに消え去った。これ、すなわち魔《ま》力《りょく》の宿る前《ぜん》兆《ちょう》……」
よくいうよお、まったくぅ。
自分でその人の頭に薬|塗《ぬ》ったかなんかしたんでしょ? そんで、禿にしといてさあ!
「祝福とともに、ギャミラさまのお力をもって髪を復活せん!」
クアーティは芝《しば》居《い》がかった口調でいうと、「エンチラーダ、アンチラーダ……」と繰《く》り返しつつ懐《ふところ》から小《こ》瓶《びん》を取り出した。
「ギャミラさまのお力で清めし魔力の水よ、わが友ロビンに御《み》愛《あい》を!」
大きく振《ふ》りかざした手を、ロビンのツルツルの頭皮に置いた。
先週の大《だい》術《じゅつ》式《しき》では、ここで見る見る髪の毛が生えはじめ、信者たちが興奮のるつぼと化したんだけど……。
若いロビンのツルツル頭は、やっぱりツルツルのまんま。
むっ? とクアーティがたじろぐ。
もう一度小瓶から水を手に取り、グイグイと力いっぱいロビンの頭に塗りつけた。
しかし、待てど暮《く》らせど、毛一本生えるようすがない。
そりゃそうよね。だって、あれはただの水だもん。
しまいには、小瓶を逆さにしてロビンの頭にビシャビシャ水をかけたりして。ロビンって人、かわいそー。
信者たちも「どうしたんだ?」「生えないじゃないか……」「きょうはいったいどうなってるんだ」と騒《さわ》ぎ始めた。
「静かに!!」
クアーティが一喝《いっかつ》すると、さすがにシィーンと静まり返った。
ほとんど泣きそうな顔でクアーティを見上げるロビンに、
「ロビンよ、いいか、心して聞け。まだおまえの修行が足らんということだ。ギャミラさまはおまえを試しておられる」
ひょぇー、なんちゅうロからでまかせを!
あきれかえった、その時だ。
「どうしたんですかぁ?」
どこに隠《かく》れていたのか、トラップがひょいと舞台に上がった。
「む、む……お、おまえ……!!」
あまりにも突然《とつぜん》だったので、クアーティは言葉を失ったように口をパクパクしていた。
「あらまぁ、あんた若いのに……。どったの? その頭」
燕《えん》尾《び》服《ふく》のポケットに片手をつっこみ、やはり同じようにびっくりしているロビンの方へヘラヘラと歩いていく。
「ちょうどよかった。おれさ、いい薬持ってんだ。エベリンの薬屋で売ってたんだけど、そういう円形|脱毛《だつもう》症《しょう》によく効くんだってよぉ」
ポケットからカチャカチャ小《こ》瓶《びん》を出し、
「おお、これこれ……はい、ちょっと失礼」
まだ茫然《ぼうぜん》と立ちすくんでいるクアーティをそっと押《お》しのけ、小瓶から液を手に取りつつ「脱毛症だけじゃねぇよ。原因不明の手足のしびれ、腹痛なんかに効く薬も売ってたんだぜ」などとつぶやきながら、ピタピタとロビンの頭に薬を塗りつけた。
「こ、こやつ、早く取り押さえろ!!」
やっと呪縛《じゅばく》から逃《のが》れたクアーティが叫《さけ》び、幹部たちが転がるように出てきたところ、
「おおおおおおお!!!!」
信者たちが騒然《そうぜん》となって立ち上がった。
目を吊《つ》りあげて怒鳴《どな》っていたクアーティも、トラップを捕《つか》まえようと四苦八苦していた幹部たちも一《いっ》瞬《しゅん》凍《こお》りつく。
ツルツルだったロビンの頭から、ふさふさと黒い髪が生えはじめたのだ。
自分の頭をそっと押《お》さえ、信じられないといった顔でトラップを見るロビン……。
「ええぇーい、なにをボサッとしておる! 捕まえんか!」
ポカンと口を開けてロビンを見ている幹部の背中をクアーティが蹴《け》っとはす。
我に返ったように追いかけ始めた男たちの手をスルリスルリとかわしたトラップ。さっとロビンの後ろに回りこみ、
「なんだよお! なんでおれを捕まえるわけ? だってちゃんとこいつの頭、治してやったんだぜぇ。あんたが治せねぇようだったからさ。お礼をいわれるならまだしも、なんでとっ捕まえられなきゃなんねぇーんだ!」
完全に開きなおった口調で、ロビンに向かって「なぁ、あんたもそう思うだろ?」などと聞く始末。
さすがにロビンは「そうですね」なんていわなかったけど、禿《はげ》を治してもらった手前もある。
クアーティとトラップの板挟《いたばさ》みになり、どうにも困った顔。
す――っと大きく息を吸いこみ、憎《ぞう》悪《お》で目をギラギラさせたクアーティだったが……。
これ以上かまえばかまうほど、トラップの思うツボ……墓《ぼ》穴《けつ》を掘《ほ》るだけだと思ったんだろう。
ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうなほど、悔《くや》しそうな顔でトラップをにらみつけ、
「儀《ぎ》式《しき》の邪《じゃ》魔《ま》をしているのは事実だ。いずれギャミラさまが罰《ばつ》を与えるであろうから、覚《かく》悟《ご》しておれ!」
と、吐《は》き捨てるようにいい、ローブをひるがえして舞台の袖にもどっていった。
その後ろ姿を見送り、トラップはロビンの肩になれなれしく手を回した。
「ねぇ、この次って何やんの?」
「力《りき》試《し》式《しき》です……」
「リキシシキィ??」
「はぁ、あの……釘《くぎ》を踏《ふ》んで力を試す儀式でして……その」
「ふーん、ま、いいや。見学させてもらおっと」
そういって、ロビンの肩に手を回したまんま彼と一緒《いっしょ》に客席に降りていき、なんと堂々客席にふんぞりかえって、
「おーい、早くしよーよー!」
などと、さらにあおるような声をあげるのだった。
ほんと、ようやるわ。
「ここまで荒《あ》らされたんだ。もしかすると、今週はこれで打ち切りにしようとするかもしれないな」
キットンが舞台を見つめながらポツリといった。
「ええ? そ、それじゃ困るじゃない……」
「あ? いえいえ、トラップがそうはさせませんから平気ですよ。……しかし、信者たちが末《いま》だに騒ぎださないというのには驚きました。信仰というのは、わたしが思っていた以上に手《て》強《ごわ》いものなんですね。彼らを敵にしなくて、本当によかった……」
しかし、キットンの予想ははずれた。
例の釘とげとげいっぱいの板が舞台に運はれ、再びクアーティが現れたのだ。
こんなにアクシデント続きだというのに、あくまでも手順を変えないだなんて、なんという自信だろう。
「よっ! 待ってました!」
トラップが声をかけたが、クアーティはチラリとも見ない。
完璧《かんぺき》に無視するつもりなんだろう。
「これより力《りき》試《し》式《しき》を行なう。我と思わん者、ここにいでよ!」
そういって。先週と同じように、まず自分が釘の上を歩こうとした。
結果は、お察しの通り。
いくら鋭《するど》く尖《とが》った釘の上でも、その高さが平均していれば体重も平均してかかるから歩いても平気だが、高さがマチマチであれば……。
「ぎゃっ!」
釘の上にポンと飛び乗った瞬《しゅん》間《かん》、クアーティは小さく叫《さけ》んで転がり落ちた。
ざわめく信者たち。
そして、なぜか沈黙《ちんもく》……。
会場中がクアーティを見つめているようだった。
彼は、「わ、わたしとしたことが……下《げ》賤《せん》な者に心かき乱されてしまったようだ……」と、苦々しくつぶやき、再び台の前に立った。
目を閉じ、大きく深呼吸。
台に上る前に、ちらっと台の陰《かげ》を確認したのをわたしもキットンも見逃さなかった。
「い、いま、見たよね?」
「シッ……」
キットンに鋭く注意され、思わず自分の口を手でふさいだ。
きっとクアーティは台の陰にあるスイッチを確認し、内心……「あれ? ちゃんとあってるじゃないか」とか思ったに違《ちが》いない。
普《ふ》通《つう》だったら、これだけ変なことが起こってるんだ。スイッチをいじられたか……とか疑ってもいいはず。きっとそんなこと思いつきもしないほど頭がパニックしてるんだろうな。
クアーティはゆっくりと目を開き、「エンチラーダ、アンチラーダ」とつぶやき、自分の後ろ頭を二、三度|叩《たた》いた。
そして再び、ポンと釘の上に飛び乗る。
今度は上に立ったままじっとしていた。
そして、片足を上げ、一歩踏みだそうとして……たまらず、また台の下に飛び降りてしまった。
うう、あれ、ほんとはかなり痛いんだろうなぁ……。
息を飲んで見つめていた信者たちがざわめく。
立ち上がりかけた人もいる。
クアーティは釘を憎々《にくにく》しげににらみつけ、そしてトラップを見た。
彼の薄《うす》化《げ》粧《しょう》した顔はさらに生気を失い、ここから見ていても不自然な顔色だ。
トラップは平然と、ちょっと首を傾《かし》げ手を広げてみせた。
さっとクアーティのかたわらに駆け寄る幹部たちの手を邪険《じゃけん》に払《はら》い、
「黙力《もくりき》だ、黙力!!」
彼は、まるでダダッコのようにわめき散らしながら退場していった。
「どうされたんだ!?」
「おかしいぞ」
「わたしでさえ、歩けたというのに」
「あんなことで心かき乱されるとは」
「いやいや、さっきの治癒《ちゆ》だって……」
「いつものクアーティさまではない!」
信者たちのどよめきはますます大きくなる。
会場の横や後ろに立っていた幹部たちが「静かにしろ!」「黙力始め!」「座れ! 座れ!」と怒鳴《どな》りつけ、立ち上がりかけた信者の肩を力まかせに座らせているが、騒《さわ》ぎはなかなか収まりそうになかった。
「さて、会場がざわついている間に舞台裏にもどりましょうかね」
キットンがいった。
「う、うん、そうだね……」
わたしたちには最後のダメ押《お》しともいうべき作業が残っていたからだ。
「さ、ルーミィ、シロちゃん……」
わたしはかたわらでおとなしく座って待っていたふたりを見て絶句してしまった。
さっきからいやに静かだと思ったら!
なんてこった。
ふたりともすっかり熟《じゅく》睡《すい》しきっているじゃないか。
「ほら、ほらぁ、起きてってば」
「ぼく、寝てたデシ……」
「ふみゅぅ……もう帰るんかぁ?」
「ううん、もうちょっとなの。もうちょっとの辛抱《しんぼう》よ」
「ふーん……」
なんていうか、あくまでもマイペースなのね、キミタチは。
「おい、メルさまが遅《おそ》いじゃないか」
「バーニーとウィルがお呼びにいったはずですが。おかしいな、そろそろスタンバイしててもいい時間なのに。連中何をモタモタしてるのかなぁ」
「おまえこそ落ち着いてないで、早く見て来い!」
わたしたちは舞《ぶ》台《たい》の袖《そで》にもどり、隅《すみ》っこに置かれてあった道具箱の陰《かげ》に隠《かく》れたのだが。舞台裏では新たな騒《さわ》ぎが起こっていた。
メルが来ないのも当然だ。たぶん、今頃《いまごろ》はクレイがメルを救出しているにちがいないからね。
会場のほうはもう黙力が終わり、いよいよフィナーレともいうべきギャミラ像の詔《みことのり》が始まろうとしていた。
舞台裏とは対照的に会場は静まりかえっている。
どれくらいたったろう。
ジャァアアア――ン、ジャンジャンジャーン!!
派手《はで》なドラの音が静《せい》寂《じゃく》を破った。
ドラが何度も鳴り響《ひび》いた後、クアーティが反対側の袖から登場した。
彼は教《きょう》壇《だん》の前に歩み寄り大きく手を広げた。
片手に小さな像を持っている。
「きょうは思わぬ法難があった。しかーし、心乱されまいぞ。ギャミラさまのお告げである。皆、心して聞くように……」
歌うような口調でいうと、頭を垂れてひざまずいた。
タイマツが次々に消され、まっ暗になる。
こっちからでは見えないけれど、ギャミラ像の目と口が開かれたんだろう。炎《ほのお》の光がまっ暗だった舞台を赤々と照らしだした。
しばらくの沈黙《ちんもく》の後、
「ギワンバラ、グワンテ、エゾ、ライダ……」
あの機械的な声がビリビリと響《ひび》いた。
この時、舞台裏にさっきの男たちがバタバタともどってきて叫《さけ》んだ。
「メルさまが、メルさまが……」
「ど、どうした!?」
「わ、わたくし、クアーティさまに報告してまいります!!」
「お、おい!!」
メルを探しに行った男は興奮状態で。他の連中を押しのけ、舞台へと走った。
「はい、はい、わかっております……」
舞台上では、クアーティが機械のようなギャミラ像の声にもっともらしく相づちをうっていたが、転がり出た男を見て怒鳴《どな》りつけた。
「何だ!? 神聖なる詔《みことのり》の最中に!」
しかし、男は荒《あら》い息を吐《は》き出しながら叫んだ。
「クアーティさま! メルさまが、メルさまが……何者かに連れ去られました!」
「な、なにぃぃ!?」
客席のどよめきは、これまでにない大きさで会場を揺《ゆ》るがした。
やった! やっぱりクレイ、メルの救出に成功したんだ!!
目をギラギラさせ、クアーティがこっちに向かって足早に歩いてくる!
「メルが連れ去られたとは、どういうことだ!?」
「わ、わかりません!」
「ば、馬鹿《ばか》者《もの》!!」
オタオタと立っていた男を殴《なぐ》り飛ばした。
「どこだ、どこでいなくなったんだ!?」
「そ、それが、ここではまだお姿を拝見《はいけん》しておりませんで……」
「そろいもそろって、この……! ええい、もういい。わたしが探す!」
「あ、あの……儀《ぎ》式《しき》のほうは……!?」
「なんとかおさめておけ! それくらいできんのか」
クアーティは幹部たちを押しのけ、屋《や》敷《しき》へ通じる通路に向かって歩きだした。
その後ろをヒョコヒョコ追いかけていったのがトラップ。
クアーティの肩に手をかけ、
「へへ、クアーティさま、うまくいきやしたねぇ! さ、早く。乗り物は用意してあります」
聞こえよがしにそういい、「わ! お、おまえ!!」などと驚《おどろ》く彼の腕《うで》を取り、問答無用とばかりに奥《おく》へと引っ張っていこうとしたが。
「待て! そうはさせるか!!」
通路の横から男が躍《おど》り出て、トラップからクアーティを引き剥《は》がした。
「おお、アスダフ! こいつだ、全部こいつのせいなんだ」
クアーティはアスダフにすがりつき、トラップを指さした。
「そ、そんなぁ! クアーティさま、今になってそりやぁないですぜ」
トラップはますます芝《しば》居《い》がかった声で叫《さけ》んだ。
アスダフはクアーティを見下ろし、冷たく笑った。
「もう茶番はおしまいにしたらどうなんだ」
会場からはワアワアと信者たちが騒《さわ》ぐ声がしている。
「茶番!? なんだ、なにをいってるんだ」
「せっかくの力演だったが、おまえの浅《あさ》知《ぢ》恵《え》なんぞ、とっくにバレているんだ」
「アスダフ、おまえ何を……お、落ち着け、何かの誤解だ! いや、陰謀《いんぼう》だ。そうか、こいつだな、こいつに何か吹きこまれたな?」
しかし、アスダフはもう聞く耳を持たぬとばかり、
「来い! こうなれば死なばもろとも! 全部ぶちまけてやる!」
「な、なにを!? お、おい!!」
アスダフはクアーティの襟首《えりくび》をむんずとつかみ、舞台へと引きずって行った。
何が何だかわからないクアーティは、呆《あっ》気《け》に取られた顔。
わたしは思わず箱《はこ》の陰《かげ》から出て、舞台の横へとかけ寄った。
「だまされやすい馬鹿《ばか》者《もの》ども! よく聞け」
その異様さに会場中が静まりかえる。
アスダフはクアーティの襟首をつかんだまま教《きょう》壇《だん》の前に立った。
「この大ペテン師はな、おまえたちからだまし取った金で、これからメルと逃げ出そうとしたんだ! ふん、メルには興味ないなどとぬかしおって。この卑《ひ》怯《きょう》者《もの》めが」
「ば、ばかな! ウソだ、でたらめだ!!」
クアーティが叫ぶと、
「だまれ!」
バンと教壇にクアーティの顔をおさえつけた。
信者たちがざわめく。
「そうだ。おまえたちが毎日毎日寝る間も惜しんで作った金だ。あれはな、本当ならおれとこいつとで山分けするはずだったのさ。なぁ、クアーティ。よくエベリンのカジノで遊んだもんだよなぁ、こいつらの金で」
アスダフは狂《くる》ったようにクックッと笑った。
「くっくっく……大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教《きょう》だぁ? 知性のかけらもないこいつに魔力などあるわけがなかろうが。あの手品師よりお粗《そ》末《まつ》な代物《しろもの》よ。見ただろ、さっきの醜《しゅう》態《たい》を。ロビン、おまえの頭だってなあ。この前、おれが禿《はげ》にする薬を塗《ぬ》ったんだよ……へっへへ、ばーかが」
指さされたロビンは頭をおさえた。
「あいつ……完璧《かんぺき》に切れたな」
いつのまに来たのかトラップがわたしの横に立って、そうつぶやいた。
アスダフはなおもしゃべり続けた。
「おまえだけじゃない! 腹痛だの、目が見えなくなっただの、あったろ。あれだってみんなおれとこいつの仕《し》業《わざ》よ。いーや、正確にいえば考えたのはおれで、やったのはこいつ。わかるか!? へっへっへ……それをまぁ、治していただいてありがたいだとか、そろいもそろって、救いようのないおめでたさだ……くっくく……」
アスダフが腰《こし》を折って笑いだしたとき。
それまでなすがままにされていたクアーティが彼を思いっきり突《つ》き飛ばした。
「だまれ、だまらんか。おまえ、気でも狂《くる》ったのか」
床《ゆか》に倒《たお》れこんだアスダフをハァハァと息づかい荒《あら》く見下ろすクアーティ。
アスダフは目を細め、彼を見上げた。
「貴様のような無教養のやからに、おまえ呼ばわりされる覚えはない!」
低かったが、はっきりと聞こえた。
茫然《ぼうぜん》とするクアーティ。
アスダフはゆっくりと立ち上がり、いきなりクアーティにつかみかかった。
「教祖だとお!? ふん、笑わせる」
「わ、や、やめろ!」
「おれがいなけりや、おまえなんぞただの浮《ふ》浪《ろう》者《しゃ》じゃないか」
「は、離《はな》せ!」
「おまえがなぁ、教祖|面《づら》していられたのは誰《だれ》のおかげだと、思って、るんだ!」
グイグイとクアーティの喉《のど》元《もと》を締《し》めつける。
「う、うぐ……う、ぐ、ぐるしい……!」
ふたりの醜《しゅう》態《たい》を見た信者たちは、やっと事情が飲みこめたのかパニック状態になった。
悲鳴にも近い声をあげながら舞台へと突進《とっしん》してくる人、立ち上がったまま泣き出す人、口々にクアーティたちを罵《ば》倒《とう》する人、ただポカンと口を開けて見ている人……。
トラップとふたりでそのようすを見ていたら、警備の男に見つけられてしまった。
「あ、こんなところにいやがったな!」
「きゃぁ!!」
「お、おい、もう無駄《むだ》だってばぁ」
わたしたちを両《りょう》脇《わき》に抱《かか》え、男は舞台へと歩いていった。
「手品師どもを捕《と》らえましたー」
しかし、人々にもみくちゃにされつつ、まだふたりでとっくみあっているクアーティとアスダフには、もうわたしたちなんか関係ない。
「あ、あのお……クアーティさま、こいつらを捕《つか》まえたんですが……」
所在なく突っ立ったままの男の手を払《はら》いのけ、
「だぁら、いったろ? 無駄だって」
力の抜《ぬ》けた男の腕《うで》から、わたしも解放された。
「どういうことだ! 説明してくれ、説明を!!」
「アスダフさまの言われたことは本当か?」
男はたちまち信者たちに取り囲まれ、引っ張っていかれた。
それを見送ったわたしたち。
右腕、右足が熱い。
炎《ほのお》の燃えさかる大きなギャミラ像の口の、すぐ横に立っていたからだ。
「この口のなかに抜《ぬ》け穴があるんだね……」
勢いよく燃えさかる炎を覗《のぞ》きこんで、わたしがつぶやいた時だった。
「きゃあ!」
誰かに腕をつかまれたと思ったら、背後からいきなりすごい力で引き寄せられた。
ぎょっとして振《ふ》り返ろうとしたが、恐ろしい力で胸元を締《し》めつけられて動けない。
「おっさん、もうやめろよ。もう終わったんだ」
トラップが苦笑しながら手を伸《の》ばそうとした。
しかし、わたしをつかまえた誰《だれ》かは、さっと後ずさった。
冷たい手がわたしの顎《あご》をつかみ、ぐいっと上に上げた。
う、うそお、チクリと喉《のど》に、なんか当たったよ。
キラリと光るそれは……ぎゃあ!!
目を思いっきり下に向けたわたしは、そのまんま凍《こお》りついた。
だってそれって、ナイフの先なんだもの。
「うげ、うぐ……」
声にならない。
「この女の命が惜しかったら、あの乗り物まで案内しろ!」
特《とく》徴《ちょう》のあるその声……。
思ったとおり、クアーティだ。さっきまでアスダフともみ合っていたと思ったのに、いつの間に!?
「え?」
「おまえらが乗ってきた、あのカバ。あれをおまえが運転するんだ。さっさとしろ」
トラップは困った顔で両手を広げてみせ、
「なに、ひとりで逃げ出そうってわけ? この期《ご》に及んで?」
「うるさい!」
「ひでぇなぁー。アスダフさんはどうするの? あの人見捨てちゃうの?」
「ふん、あんな奴《やつ》、最初から仲《なか》間《ま》でもなんでもないわ。こっちにはまだギャミラさまもあれば、お宝だってたんまりあるんだ」
「あのさぁ、その……ギャミラさまとお宝なんだけど……一回、よーく確かめてみたら?」
トラップはポリポリ後ろ頭をかきながら、すまなさそうにいった。
「な、なにぃ!?」
「イイナ、ニクヤクヨ……」
トラップが小さくつぶやくと、クアーティはハッと身を強《こわ》ばらせた。
「ほら、これ……」
と、トラップ。燕《えん》尾《び》服《ふく》の内ポケットからギャミラ像を取り出してみせる。
「女、動くんじゃないぞ」
わたしにそうすごんだクアーティ。
わたしの喉《のど》を片手で締《し》めつけながら、ナイフを口にくわえ……その手で、脇《わき》に挟《はさ》んでいたギャミラ像をつかんだ。
彼の持っているコピー品の目は単なる赤いガラス玉。トラップが突《つ》き出している本物の像のように無気味な光を放ってはいない……。
「!!」
クアーティはナイフを口にくわえたまま悪態をつき、ギャミラ像のコピーを床《ゆか》に叩《たた》きつけた。
さらに彼はローブをゴソゴソと探り、皮《かわ》袋《ぶくろ》を片手でつかみだしたが……。大きく息を吐《は》き出し、やはりそれも床にぶちまけた。
赤、青、紫《むらさき》……キラキラ光るガラス玉が床に転がっていく。
口にくわえたナイフをつかみ、
「お、おまえ、いつすりかえた……。さてはあの王の財宝とやら……あれもひとり占《じ》めするつもりなんだな。そうはさせん!」
ぎゃ!!
クアーティは再びわたしの喉にナイフを突きつけた!!
うぐぐ……トラップ……たすけ……て……!
「あんた、まーだあんな話信じてたの? ウソだってば! 財宝なんかないんだって!」
トラップはあきれた口《く》調《ちょう》でそういい、一歩前に出た。
「く、くるな! よ、よし、……ほ、宝石はくれてやろうじゃないか。な?」
クアーティはザッと後ずさりし、とってつけたような猫《ねこ》なで声でいった。
「どうだ、取り引きしようじゃないか。え? そんな像、おまえが持っていたところで何の役にも立たんぞ。な、悪いことはいわん、その像を投げてよこせ……」
トラップはクアーティを見つめながら、ゆっくり一歩、また一歩と近寄り、
「ねぇ、あんたさあ、これのおかげで頭おかしくなってたわけ。わかんないかなぁ……これにこりてさあ……」
「く、くるな!」
しかし、トラップはなおも一歩前に踏《ふ》み出した。
ブルブルとクアーティは震《ふる》えだし、ハァハァと息づかいも荒《あら》くなり……。
その、あまりの異様さに、さすがのトラップも唖《あ》[#「口亞」を唖で代用]然《ぜん》として立ちつくしたとき。
クアーティはわたしを満身の力で締《し》めつけ、絶《ぜつ》叫《きょう》した。
「い・い・か・ら、それをよこせぇぇぇ―――――っっ!!」
それは、まるで悲鳴のようでもあり、わたしは思わずギュッと目をつぶった。
彼はまだブルブルと震えていた。
胸が痛くなるような沈黙《ちんもく》……。
そーっと目を開けてみると、トラップはまだ立ちつくしたまま。うっすら口を開けたまんまでクアーティを見つめていた。
はっと我に返ったトラップ。
ひょいと肩《かた》をすくめ、
「わかったよ」
と、投げた。
片手でそれをつかんだクアーティ、
「ひゃあぁ!!」
変な悲鳴をあげた。
その瞬《しゅん》間《かん》、トラップがさっとわたしの手を取って引き寄せた。
見ると、クアーティは緑色のスライムみたいなものを「ひゃあひゃあ」言いながらお手玉している。
「あ、あれ!」
そうだ。あれってば、エベリンで買ったっていう……わたしを驚《おどろ》かせた、グニョグニョじゃないか。
そのようすをまっ青《さお》な顔で見つめていたトラップ、
「全く……全部こいつのせいだ!」
吐《は》き捨てるようにそういうと、ギャミラ像を燃えさかる炎《ほのお》のなかに投げ入れてしまった。
強い炎にまかれた木製の像は、すぐさまメラメラと燃えはじめた。
それを見たクアーティ、
「ウグアァァァァァ!!」
まっ赤《か》に血走らせた目を剥《む》きだし、炎のなかに手をつっこもうとした。
「お、おい、よせよ!!」
トラップが彼を力いっぱい止めたとき、ギィーン、ガガガ……キーン……という、耳をつんざくような金属音が場内に響《ひび》き渡った。
はっと上を見上げる。しばらくして……
「きっとんシャン、コレナンでしカ?」
「ソレガまいくデスヨ。ナンカイッテゴラン、ホラ、るーみぃモ」
「パァールゥ、聞コエウカア?」
なんとも場違いな、なごやかぁな会話が聞こえてきた。
もちろんあの気持ち悪い機械的な声だったんだけどね。
「ナンニモナラナイでしヨ」
「イヤイヤ、ダイジョウブ。チャントまいくハおんニナッテマスカラネ」
「ソウでしカ……ヨクワカンナイでし」
「パァールゥ、るーみぃオナカペッコペコダオウ!」
なんだなんだと上を見上げる信者たち。
両《りょう》腕《うで》をたらし。
同じように口を開けて見上げていたクアーティ。
その場にガクッと膝《ひざ》をついた。
ゴウゴウと勢いよく燃えさかる炎に包まれたギャミラ像は、もう原形をとどめていない。
炎に照らされたクアーティの顔が印象的だった。眉墨《まゆずみ》や白粉《おしろい》が汗《あせ》とともにすーっと流れ落ちている。
その後ろ頭をトラップがポンポンと叩《たた》く。
ふわあーっと空ろな目で彼を見上げたクアーティに、
「ほら、邪念は追い出さなきゃね!」
トラップの声が聞こえたのか、どうか。
彼は燃えていくギャミラ像に、ゆっくり視線をもどした。
「聞こえましたか?」
キットンがルーミィとシロちゃんを連れてやってきた。
「ああ、バッチリ! いいタイミングだったぜ」
わたしは彼らの話を聞きながら回りを見た。
舞台の上は、幹部たちを取り囲んで口々に抗《こう》議《ぎ》している人々でいっぱいだ。
アスダフはゲラゲラと笑い続けていた。彼の体を揺《ゆ》さぶって、信者たちが何か叫《さけ》んでいる。
客席を見る。
多くの人たちが続々と舞台へ詰《つ》めかけていたが。
なかに、じっと動かない人がいた。
ザックだ!!
彼はわたしに気づき、手をあげた。
思わず「ザック!」と叫ぶと静かに微《ほほ》笑《え》み、うんうんとうなずいた。
まるで「心配しないで」というような、表情で。
彼に何かいおうと口を開きかけたとき、
「パステル!?」
聞き慣れた心配そうな声がした。
長くなった髪《かみ》を額《ひたい》にたらした、やさしそうな目。
「クレイ!!」
みんな、クレイのところにかけよっている。
わたしも同じように走っていった。
「クレイ、メルは?」
「ああ、無事だよ。今、ピートが見ててくれてる」
「そう、よかった……」
うう、クレイの顔を見たとたん、ほっとして……つい涙腺《るいせん》がゆるみそうになる。
少し悲しそうな顔で大騒《おおさわ》ぎの舞台を見ていたクレイだったが、短く息をつき、わたしの肩《かた》を叩《たた》いた。
「行こう!」
外に出ると、いきなりまっ暗。そっか、もうこんな時間なんだ……。
クレイが持ったカンテラの明かりを頼《たよ》りに、大急ぎで裏庭に出ると。ピートがヒポちゃんを用意してくれていた。
「あ、メル……メルさんね!?」
初めて間近でみる彼女は、ヒポちゃんの上でこっくりうなずいた。
たしかに、大柄《おおがら》かもしれないけど、座っているからよくわかんない。
「あ、あの……みんなはだいじょうぶなんでしょうか」
ほっそりした顔の彼女、ノルとはぜんぜん似ていないのにどことなくイメージがダブるのはやっばり双子だからかなぁ。
「後は、ぼくとザックとでなんとかしますよ! みんなも落ち着けばわかってくれると思います」
ピートがにっこり笑った。
「それより、お兄さんのことが先です」
そういうピートに、メルはすまなそうに頭を下げた。
「さ、悪いけど、時間がないんだ。急ごう!」
クレイの言葉をきっかけに、わたしたちは急いでヒポちゃんに乗りこんだ。
「ノルさんのこと、幸運を祈ってますよ!」
「ピート……」
わたしはなんだか胸が詰《つ》まった。
別れはいつもいつも、こうなんだ。
「短い間だったけど、いろんなことを教えられました。気づかせてくれて、……ありがとう! クアーティたちも決して心底悪人ってわけじゃないと思うんですよね。あのギャミラ像に惑わされていただけで……。時間がかかっても、ぼく、みんなに[#「を」?]説得してみるつもりです」
ピートは晴れ晴れとした顔で。だけど、口をへの字にして懸命《けんめい》に言った。
(うんうん……)
私はただただ大きくうなずくのが精いっぱいだった。
「あ、そうだ! これをいっとかなきゃ!」
キットンがヒポちゃんから身を乗り出してピートの肩に手をかけた。
「はい? なんですか?」
「あのですね。あの大術式のとき、スモークをたいていたでしょ」
「ええ、始めのほうで……」
「そうそう。あれですけど、実は大変有害な物質が含まれていたというのがわかったんです」
「え??」
「もちろん、すでにみんな破棄《はき》しましたけど、みなさん、もうかなり吸ってるわけで。これから、少しずつ症状が出てくるかもしれないんですよ」
「ど、どうすればいいんですか?」
「治療といっても、特にないそうなんですが。頭が重かったり目が回ったりということがあると思います。ピートはそういう症状、ないですか?」
「いえ、別に……」
「そうですか……もしかしたらそれは種族の差かもしれませんね。とにかくですね。そういう症状があってもあわてず、しばらく安静にしていればいずれ治まります。だんだん毒素が体から抜けていくはずですから」
「わかりました……どうも、ほんとに何から何まで……」
「いえいえ、手遅れにならなくって何よりでしたよ」
ピートは複雑な表情でキットンを見つめ、深くうなずいた。
「じゃ、もういいな? 行くぜ」
トラップがヒポちゃんをスタートさせた。
「また、……また来てください! ぼくら、なんとか立ち直ってみせます。……その時の、その時のぼくらを見てください!」
大声でいいながら、ランタンを持ったピートがわたしたちを追いかけた。
「ピート! ありがとう!!」
「がんばれよ――!」
手をちぎれるほど振《ふ》って、わたしたちも大声でいった。
追いかけるのをやめたピートは一度大きく手を振り、そして何度も何度も頭を下げていた。
彼の姿が夜の闇《やみ》に隠《かく》され、彼が持っているランタンだけが見えた。
その光もだんだん小さくなったとき。
キキイイィィィ―――――!!
いきなりの急ブレーキ。
「うわああぁ!」
もんどり打って、みんなダンゴのように転がった。
「い、いてて……、どうしたんだ?」
「ひゃあデシ!」
「なんなのお?」
「いちゃあおう!」
みんながブーブー文句をいうと、
「わりぃ、わりぃ! ちょっと忘れもん」
トラップは悪びれずにそういい、
「お――い、ピートぉ!」
と、大声で呼びかけた。
しばらくして、
「ハァ、ハァ、ど、どうしたんですぅ??」
息を切らし走り寄ってきたピートに、
「これな、これを渡すの、忘れてた!」
燕《えん》尾《び》服《ふく》の内ポケットから、汚い袋《ふくろ》を取りだしピートに投げた。
「こ、これは……」
ピートが袋からザラッと出したのは、あのクアーティがためこんでいた宝石だった。
「トラップったら、まだ返してなかったのお!?」
「へへ、忙《いそが》しかっただろお? すっかり忘れてた」
「まったくぅー!!」
せっかくの感動的な別れがどっちらけだ。
でも、ピートは袋を抱きしめ、
「これの、一番いい使い方をみんなで考えますよ」
「んだな、がんばれよー!」
「じゃ、今度こそ、出発ね」
「ばいばい!」
再びヒポちゃんをスタートさせ、ピートも見えなくなった頃、
「わあ――――!!」
トラップが大声をあげた。
「ちぇ! しまった!」
「なに、なに、まだなにかあるの!?」
「いやさ、あの宝石……一個くらいもらっときゃよかったと思って」
今度はみんな何にもいわずに、やれやれとため息をついただけだった。
STAGE 16
長い巻《まき》毛《げ》は、ノルと同じ小麦の穂《ほ》のような色。同じような明るい茶色の瞳《ひとみ》は、いまとても憂《うれ》いを帯びて沈《しず》んでいた。
カンテラに照らされた彼女は少し顔色が悪かったが、薄《うす》く浮《う》いたソバカスといい、キュッと結んだ唇《くちびる》といい。元気になったら、きっととっても健康的な美人なんだと思う。
大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団の村を脱《だっ》出《しゅつ》したわたしたちは、一路ノルの待つタル・リコ村へと急いだ。
その道すがら、ノルの双《ふた》子《ご》の妹……メルの話を聞いていた。
ただ、なぜノルにも黙《だま》って村を出てしまったか……これだけはどうしても思い出せないんだそうだ。
その日、きょうも追い返されるだけかもしれないと思いつつ村長の家に行った彼女。何度ドアを叩《たた》いても返答がなく、しかたなく帰りかけた。
しかし、ふと思いついてそっとドアのノブを回してみると……。
鍵《かぎ》がかかっているだろうと思っていたのに、なんなく開いてしまった。
恐《おそ》る恐る家のなかに入ってみて……。
と、ここまでしか覚えていないそうだ。
「で、あのクアーティとかアスダフとかとは、いつ知り合ったんです?」
キットンが聞くと、メルは深々とため息をついて答えた。
「クアーティは隣《となり》村《むら》の宅配便屋なんです」
「宅配便??」
「はい。ふと気づくと、クアーティがわたしを介抱《かいほう》してくれていました。そんなところにどうしていたのか、さっぱりわからないんですが。彼がいうには、わたし、隣村の近くの森で倒《たお》れていたんだそうです」
「じゃ、元々顔見知りだったんですね?」
「はい。わたしたちの村にも時々小荷物を届けにやってきてましたから」
「で、どうしてふたりで行動するように?」
そこで、いきなりメルは両手で顔をおおった。
「ああ、わたしって本当にどうしてあんな人たちにだまされてしまったんだろう!!」
わ、わ! どうしよう!!
キットンもあわてふためいて、あわあわロをおさえてわたしを見た。
そ、そんなぁ! わたしだってどうしたらいいかわかんないわよお。
ふたりであわてていると、
「なぁ、彼女|疲《つか》れてるんだしさ。話は後にして、少し休んでもらったほうがいいんじゃないか?」
クレイがいたわるようにいった。
「は、はい! わたしもそのほうがいいかと……。じゃ、じゃあ、この滋《じ》養《よう》強《きょう》壮《そう》アンプルでも……」
キットンがあわててカバンをゴソゴソ始めたら、
「いえ、いいんです! みなさん、聞いてください」
少なからず興奮状態の彼女は、堰《せき》をきったように一気にしゃべり始めた。
メルが回想するに、あの当時彼女はいつもいつも外の世界に憧《あこが》れていたそうだ。
生まれてから一度も村を出たことがなく、外の世界のことは本で知るしかない。しかも、その本だって数えるほどしかなく、何度も何度も読み返しては見たこともない海や山、町、そしてそこに住む人々に思いをはせていた。
いつか外の世界を見てみたい。いろんな人々と会ってみたい。
しかし、そのことを誰《だれ》にも打ち明けたことはなかった。
たったひとりの肉親であるノルにも。
そして、あの……まがまがしい日をむかえた。
とにかくふと気がつくと、そこは小さな小屋のなかで。横には、どこか見覚えのある男が、あの不思議な像を持ったまま立っていた。
しだいに頭がはっきりして、彼が時々荷物を届けにやってくる隣村の宅配便屋だということを思い出した。
彼がクアーティだった。
すぐに村へ帰ろうとしたメルをクアーティが止めた。
旅に出かけるつもりはないかというのだ。
今になってみれば、このとき……どうしてそんなことを承知してしまったかさっぱりわからないが。
でも、そのときは彼の言葉に「そうだ! そうだった。わたしはこの人と旅をするんだった」と強く思った。
夜もまだ明けぬ頃《ころ》、ふたりは人目を忍《しの》んで村を出た。
彼らは、何かに憑《つ》かれたように旅を続けた。
着のみ着のまま、たいして金も持たずに旅に出たふたりだったが。クアーティが元々好きだったという手品を立ち寄った村でやってみせ、日《ひ》銭《ぜに》を稼《かせ》いだ。
ある時は人家の軒先《のきさき》を借り、ある時は馬屋に泊《と》まらせてもらい……。ほとんど乞《こ》食《じき》同然の旅だったが、ギャミラ像にさわるとなぜか疲《つか》れが消えうせ、気分もよくなった。
そして、ラングーサという小都市にたどりついたふたりはアスダフと出会う。
エベリンほどではないにせよ、人の多いラングーサでは、クアーティの素人芸《しろうとげい》でもけっこうな実入《みい》りになり、しばらくここで暮《く》らすことにしたふたりだったが……。
ある日、立《りっ》派《ぱ》な服を着た男がクアーティの助手をやっていたメルに声をかけた。よかったら自分の家で働かないかというのだ。
彼がアスダフだった。
たいそうな資産家のひとり息《むす》子《こ》で、自分用の下働きを何人もおいているらしい。
しかし、メルはキッパリ断った。目的があるからと。
その目的とは何かと尋《たず》ねられても黙《だま》って首を振《ふ》るだけ。メル自身、いったい何が目的なのか……わからなかったからだ。
クアーティとの関係を聞いても、「何の関係もない、ただ一緒《いっしょ》に旅をしているだけだ」と答えただけ。
どうにも納得《なっおく》のいかないアスダフは、クアーティに金をちらつかせ、ふたりの秘密を教えろとしつこく食い下がった。金に目の眩《くら》んだクアーティは彼にギャミラ像を見せてしまう。
そして、いつからか、クアーティとメルはアスダフの家で寝泊《ねと》まりするようになったのだ。
クアーティとアスダフは毎日毎日、何事かを相談していた。
そして何日かが過ぎ、何の相談をしていたか……やっとメルは聞かされた。
アスダフはメルにいった。
人は死を怖《おそ》れ、病《やまい》を怖れ、裏切りを怖れ……その怖れゆえに悩《なや》み、自分自身がわからなくなっている。
アスダフ自身もそうだった。しかし、このギャミラ像に触《ふ》れ自分がわかった。今は悩みから解放され、晴れ晴れとした気分だ。怖れるものも何もない。
しかし、自分だけがその恩恵《おんけい》にあずかっていいのだろうか。
他の人々にもこのありがたさを伝えるのは、我々の使命だ!
アスダフはメルの肩《かた》を強くつかみ、何度も何度もいった。
これは我々の使命だ!
これは我々の使命だ!……と。
いわれているうちに、「そうか……そのためにわたしは旅を続けていたんだ。わたしたちの目的はそれだったんだ」と強く思ったという。
「そして、わたしたちは再び旅に出たんです。今度は三人で。アスダフがいっしょだったので、宿屋にも泊《と》まれ、こざっぱりした服も着て……前の旅とは比べようもないはど楽な旅でした。
それに、前とちがってわたしたちには目的がありましたからね。
悩《なや》みを抱《かか》えている人々に声をかけては、ギャミラさまの力を教え続けました。
だんだん人が増えていき、三十人ほどになった頃《ころ》、村を作ろうとアスダフがいいました。それが、あの村です。
わたしに留守《るす》を任せ、クアーティとアスダフはふたりで布《ふ》教《きょう》を続けました。
いつの間にか……人が増え、たった一年半ほどであれだけの村になったのです」
メルは話し終えると、また顔を手でおおい、
「わたし、なんにも知らなくって。みんなと力を合わせて働き、だんだん村が大きくなるのがうれしくってうれしくって。悩みから解放されたと喜んでくれる人たちを見るのが生きがいで……でも、でも、彼らは最初っから人を救うなんて考えてもいなかったんですよね!
わたしだけ、ぜんぜん知らなかった。でも、そんなこと言い訳にならない。どうやって償《つぐな》ったらいいのか……」
あとはただただ……泣き崩《くず》れるだけだった。
わたしはオロオロと、彼女の背中をさすってあげるしかなく。
クレイもうつむいたまま、彼の膝《ひざ》を枕《まくら》にぐっすり寝《ね》ているルーミィとシロちゃんを見ていた。
ずっと黙《だま》っていたキットンが遠慮《えんりょ》がちに口を開いた。
「あの、あのですね……わたし、キットンっていいまして。これ、名前だとばっかり思ってたんですが……あ、わたし、最近のことしか覚えてないんです。パステルたちと出会う前のことはすっかり忘れてしまってて……」
メルは涙《なみだ》に濡《ぬ》れた顔をあげ、キットンを見た。
「そんでですね。わたし、自分がキットン族という種族なんだって教えてもらったんです。ゼンさんというおばあさんに。ゼンばあさん、驚《おどろ》いたことに彼女もキットン族だったんですが……」
そこでキットンは姿勢を正し、すーっと深呼吸した。
「『魔《ま》法《ほう》などにたよることなく、知恵《ちえ》と技術で己《おのれ》の道を歩むがよい。頭のなかを聡明《そうめい》にせよ。雑念を生かせ。日々のなかにこそ、真実の扉《とびら》が開かれん。そして、なによりおまえがキットン族としての自覚を持つことじゃ』」
いつものホニャララッとした調子じゃなく、毅《き》然《ぜん》とした口《く》調《ちょう》。
そうだ、そういえば……あのヒール山のダンジョンのなかで聞いたよなぁ、今の言葉。
「これ、これね。キットン族の教えなんだそうです……」
またいつもの口調にもどり、メルに笑いかけた。
「わたし、ずーっと考えてたんです。いったいどういうことなんだろうって。でもね。今度のことがあって、それからメルさん、あなたの話を聞いて……少しわかったような気がするんで
すよ」
彼女は不思議そうにキットンを見つめた。
「人はねぇ、きっと悩《なや》んで当たり前なんじゃないすか? 怖《こわ》いと思うのが普通なんですよ。まして自分のことなんかわかんない。でも、わかりたいと思うし、悩むのは苦しいからイヤだし……だからなんとか解決したいって思う。ね!? 当然でしょ? これ」
メルは小さくうなずいた。
「って……まぁ、そんだけなんすけど。悩んだり怖がったり……っていう、この雑念ね。これって、そんなに悪いもんじゃないんじゃないかって。なんか。どうせ悩むんなら、せいぜいしっかり悩んで役に立てなきゃ損《そん》だぞって。だから、最初っから悩みを否定したり拒《きょ》否《ひ》したりしちゃいけないっていうか……。悩みに鈍感《どんかん》になっちゃいけないというか、なんつうか……。いやぁ、いくら否定したって人間、悩むときは悩むんですよね。
『雑念を生かせ』っていうのは、もしかしたらこういうこといってんのかもしれないなぁ……なんてまぁ、思ったりして……はい。あ、あ、すみません、まだぜんぜん整理ついてないもんで……」
そういって、キットンはペコペコ頭を下げた。
でも、メルは懸命《けんめい》に首を振《ふ》り、
「いえ、そんなこと! なんとなくですが、キットンさんのおっしゃりたいこと、わかった気がします。わたし、悩みから解放してあげたいなんて思ってましたけど、それって思い上がりだったんですね」
「いや、そんな……」
「いえ、そうなんです。神様でもないのに、人を救うとか……そんな大それたこと。だから罰《ばち》が当たったんだわ。でも、でも……あの人たちには何の罪もないのに。わたしはどうやって償《つぐな》ったらいいのかわからない!」
えーん!
またもメルがワッと泣き出してしまった。
キットンもクレイも顔を見合わせて、ため息ついちゃってるし。
困ったぞ、こりゃ……と思っていたら、
「うざってぇーなぁー、ったくよお!!」
ずーっと前を向いてヒポちゃんの運転をしていたトラップが怒鳴《どな》った。
「ちょ、ちょっと! トラップったら」
「おめぇは黙《だま》ってろ!」
「そ、そうはいかな……」
「罪とか罰《ばつ》とか、誰《だれ》が決めんだよ。償《つぐな》う償うって、それがまずひとりよがりだっつーの!」
メルはまだ顔をふせていたが、トラップは前を見たまま続けた。
「あんたさあ、みんなで働いて、そんでだんだん村が大きくなってくのを見てうれしかったっていったろ。それでいいじゃんか。ちがう?」
メルは静かに顔をあげ、じっと前を見つめていた。
クレイがそんな彼女の肩《かた》に手をおいて優しくいった。
「うん、トラップのいう通りだとおれも思うな。そりゃ今はみんな怒《おこ》ってるかもしれない。でもさ、だまされたっていうんなら、あの人たちもそうだけど、メル、君だって同じだ。それに、元をただせは……あのクアーティもアスダフもギャミラ像のせいでああなったんだろ?」
メルはクレイを見てうなずいた。
「あの像……あれね、人が持ってる欲望を変に増幅《ぞうふく》する作用があるんじゃないかって、キットンがいうんだ。おれはさわってないから、わかんないけど。こいつだって変になっちまってさあ、一時はどうなることかと……」
クレイったらわたしの頭をこづき、おおげさにため息をついてみせた。
ぶうう!
「だって、だってさあぁ!!」
わたしがクレイに食ってかかろうとすると、
「あ、そういやぁ……おれは平気だったぜぇ?」
トラップがこっちを向いていった。
「え? あ、ああ!! ほんとだ。どうして??」
「へへ、おれはおめぇと違《ちが》って純真そのものだからなー。んな金が欲しいなんざ、よこしまな考え持っちゃねーもん」
「あんたねぇ、よくもまぁそんなヌケヌケと……」
「い、いてえ!!」
わたしが立ち上がってトラップの後ろ髪を引っぱったとき、
「ああああ―――!! そうか、そうかもしれない!!」
キットンがバカでかい声をあげた。
みんなが彼に注目すると、
「そうです、そうだ。そうに違いない!」
「なんだよ、早くいえよ」
「キットン、なんなの?」
「だからね。欲望といったって、内に秘めた欲望なんですよ、増幅されるのは。だから、トラップの場合は平気だったわけです」
「ハ? だから、さっきからおれがいってんじゃんか」
「ちがうんです。トラップ、あんた欲のかたまりだけど。変に隠《かく》したりしないでしょ」
「ああ??」
「きゃっはっはっは! そっかそっかぁ!」
「あっはっはっは、なーるほどねー」
ひとり憮《ぶ》然《ぜん》としているトラップを見て、わたしとクレイは笑い転げた。
ふと見ると、メルもつられて泣き顔のまま笑っていた。
あぁ、よかった。
結局、メルにとってはなんの解決にもなってないかもしれないけど。とりあえず少し元気になってくれたようで、わたしはすっごくうれしかった。
なんだか笑いすぎて、涙《なみだ》が出てきちゃったよ。
「ちぇ、やってろよな! 人の苦労も知らね−で」
トラップひとり、ムスッとした顔でぼやいていた。
ううん、わたし。今回ばかりはトラップのこと、見直しちゃったんだ。
いまさらそんなこというのも何だから言わないけど。
よくやってくれたよ、ほんとに。
途《と》中《ちゅう》、サバドに立ち寄ったわたしたち。
トマスたちにメルを紹介しようと、はりきって宿屋のドアを開けたんだけど、彼らはもういなかった。
そのかわりに、宿屋の主人がトマスからの手紙を渡《わた》してくれた。
「パステルさん、みなさん。
みなさんが帰って来られるのを待っていたかったのですが、きょう出発しなくてはいけなくなりました。
ウギルギさまが救助に行かれた村のようすがひどく、手伝ってくれないかとの知らせが来たのです。疫《えき》病《びょう》はおさまったそうですが、今度は弱った村人たちを目当てにモンスターたちが集まりはじめたそうで。
幸い、マックスたちの怪我《けが》のぐあいもだいぶよくなってきていますので、取り急ぎ出発することにしました。
パステルさんたちが、この手紙を読むとき……無事メルさんを救出できているよう、また、ノルさんの復活が成功するように心から祈っております。
いつか必ず再会しましょう。
では、お元気で!
トマス
追伸《ついしん》
また手紙を書きます。シルバーリーブのみすず旅館宛でいいんですよね?」
途中、ヒポちゃんを休ませたりはしたけれど、クレイとトラップが交代で運転し、ほとんどノンストップ。
クル・リコ村に到《とう》着《ちゃく》したのは、サバドを出発した翌々日の早朝だった。
「音がしたから、もしやと思ったら! みなさん、よくご無事で……。ささ、中へお入りください!」
朝もやが漂《ただよ》うエグゼクの家から、モジーラが寝間着《ねまき》姿のまま飛び出してきた。
「ああ、モジーラさん。朝早くすみません」
「何をおっしゃる……あ、エグゼクさま」
目をしばつかせながらエグゼクも起きだしてきた。
「よくまあ、帰って来なさった!」
「エグゼクさん、彼女がノルの妹、メルです」
クレイがメルをヒポちゃんから降ろしてあげながらいった。
「おお、そうかそうか。これで材料は整った。あんたらがいつ帰ってきてもいいように準備は万端《ばんたん》整っておる。すぐにでも始めたいところじゃが……モジーラ、あの保管所はいつ開くのかの?」
「えっと、たぶん……早くて九時だと思いますけど」
「そうか、それじゃ、まだ間があるな。ささ、長旅でお疲れじゃろうて。モジーラ、温かい茶でも出してさしあげてな」
遺体の保管所が開いたと同時にわたしたちはノルを引き取った。
ヒポちゃんに乗せてエグゼクの家へ連れて行くと、
「ふむ、遺体の状態はまずまずじゃな……」
エグゼクがノルの肌《はだ》を指で押《お》しながらつぶやいた。
「よし、奥《おく》の部屋に運んでおくれ」
クレイとトラップ、それからモジーラがノルの体を慎《しん》重《ちょう》に運ぶ。
状態はまずまずって、エグゼクさんはいってくれたけど。
わたしはノルの顔を見て、思わず目を閉じた。
だってだって……。
でも、わたしなんか比べものにならないくらい、メルはショックだったらしく。ノルを見つめながら、ずっと小刻みに体を震《ふる》わせて。立っているのがやっとという状態。
「のりゅう、ただぃま」
ルーミィがノルの手をペタペタやったそのとき、メルは感|極《きわ》まったのか、
「ノルにいさん……!!」
うわぁっとノルの体にすがって泣き崩《くず》れてしまった。
「メル!」
わたしがメルの背中に手をやる。彼女は涙《なみだ》でグショグショになった顔を上げ、わたしじゃなく、横で心配そうに見ていたクレイに取りすがって泣き出してしまった。
あら、あらまあ……。
よし、抱《だ》きとめてあげる。この胸で思うだけ泣いて! そりゃ小っちゃいかもしんないけどさ、一緒《いっしょ》に泣こうよ……と差し出していた手が所在ない。
驚《おどろ》いた顔をしたクレイだったけど、彼女の肩《かた》にそっと手をかけ、
「だいじょうぶ、きっとうまくいくさ」
なんちゃって、限りなく優しいのだ。
メルってトラップより少し高いくらいの身長なのね。だから、長身のクレイと並ぶとけっこう様になる。
「さて、メルさんや。あんたに来てもらったんは……」
エグゼクが遠慮《えんりょ》がちに声をかけると、彼女はクルッと振《ふ》り返り、
「わかってます。わたしの血が必要なんですよね? ノルにいさんは、ノルにいさんは……わたしのためにこんなことになってしまったんです。ノルにいさんを殺したのは、わたしです!!
わたし、わたし……たとえ命にかえても……。さぁ、いくらでも血を取ってください。全部取ってくださってもかまいません!」
メルは決意に満ちた悲《ひ》壮《そう》な顔でエグゼクの前に進み出た。
そ、そんなぁ……。メル、あなたが死んじゃ何にもなんないじゃん。
そんなメルを見上げて、エグゼクは困った顔。
「うーん、張り切ってくださっとるところ申し訳ないんじゃが‥…」
手にしたビーカーを前に出し、
「これにな、一滴《いってき》でいいんじゃ」
「一滴!?」
「そう。ほれ、指を出して」
キツネにつままれたみたいな顔で、メルが差し出した指をエグゼクがつかみ、細い針でプツンと突《つ》いた。
プックリ小さくふくれあがる、まっ赤《か》な血。
それをポタリとビーカーのなかに入れて、
「はい、けっこう」
エグゼクは小さく切ったテープをメルの指にペタッと貼《は》って、にっこり微《ほほ》笑《え》んだ。
みんな、ほぉーっと安《あん》堵《ど》のため息。
そんなわたしたちを見回したエグゼクは厳しい表情でいった。
「それでは、これから……力のかぎりやってみるつもりじゃ。しかし、前にも話したように、この何年か……成功した試しがない。もしかしたら、わたしにはもうその能力がないのかもしれん」
メルがはっと息をのみ、堅《かた》く手を組み合わせた。
その肩をクレイがつかむ。
エグゼクは、彼女たちを見て。そして、ノルを見下ろし、
「誠心誠意|尽《つ》くしてはみるが、万一のときは……勘弁《かんべん》してくだされよ」
部屋のなかの空気が急に冷えていったような気がした。
しばらくの沈黙《ちんもく》の後、クレイが進み出て、エグゼクの手を取った。
「エグゼクさん。前にいった通り、ぼくらはそれを承知でお願いしたんです。ノルを……頼《たの》みます」
クレイはそういって、深々と頭を下げた。
ふっと腕《うで》に手がかかった。見ると……メルだった。
彼女の涙《なみだ》に濡《ぬ》れた冷たい手にそっと手を重ね、わたしはぐっと涙をこらえた。
そのとき、シロちゃんがトコトコとエグゼクの足元に歩いていった。
彼の足にピトッと前足をかける。
「ん?? どうした、ワンちゃん」
シロちゃんは前足をかけたまま、
「ワンちゃんじゃないデシ。ぼく、シロちゃんデシ」
「な、なんと……言葉がしゃべれるのか!?」
「あ、あぁ、このコ、ほんとは小犬じゃないんです。ホワイトドラゴンの子供で……でも用心のためにいつもは犬のふりをしてもらってて……」
わたしがあわてて説明すると、エグゼクはますます驚《おどろ》いてシロちゃんを見下ろした。
「ま、まさか……それじゃ、あの伝説の!?」
「いやぁ、よくはわかんないんですがね。あるダンジョンで知り合って、そのまま一緒《いっしょ》に行動してるんです」
キットンが補足した。
エグゼクは腰《こし》をかがめ、シロちゃんの前足を取った。
「そうか、そうか。あんたが幸福の竜《りゅう》なのか……。うむ、うむぅ、だんだん自信がわいてきたぞ。わしらにはホワイトドラゴンがついておるんじゃ。成功しないはずがない」
すくっと立ち上がり力強くいった。
「では、今すぐ取りかかろう。モジーラ、準備を」
「はいっ!!」
黙《だま》って立っていたモジーラが弾《はじ》かれたように答え、キビキビと支《し》度《たく》を始めた。
そのようすを見ていたエグゼクは、わたしたちを振《ふ》り返った。
「復活には三日かかる。モジーラもわたしもかかりっきりになるゆえ、あんたらは宿屋で待っていてくだされ。終わったらモジーラに迎《むか》えに行かせよう」
三日間。
わたしたちは言葉少なに過ごした。
黙《だま》っていてもよくわかる。みんながみんな、ひとつのことだけを考えているのだ。
ノル!
お願い。
もう一度、ううん、もっともっとたくさん。
あなたのおだやかな笑顔を見せて。
一緒《いっしょ》にまた冒険《ぼうけん》しようよ!
四日目の朝、わたしたちはエグゼクの家の前で待った。
一刻も早く結果が知りたかったからだ。
鳥のさえずりと風の音しか聞こえない、肌寒《はだざむ》い朝の風景。
ひとつところに寄り集まって、わたしたちは待ち続けた。
どれくらい経《た》ったろう。
太陽がずいぶん高くなってきた頃。
カチャリ……。
ドアが開き、モジーラが出てきた。
「モジーラ!」
わたしたちがかけよると、彼ほびっくりした顔で「いつからここに?」と聞いた。
「いいから、早く教えろよ。ノルはどうした!?」
「成功したんですか?」
「ノルは?」
口々に言い、モジーラを取り囲んだわたしたち。
彼はまぁまぁとおさえ、
「とにかく終わりました。中へどうぞ」
ドッとばかりに部屋《へや》のなかへなだれこんだわたしたちを、疲《つか》れた表情のエグゼクが迎えた。
「エグゼクさん!」
みんなが同時に叫《さけ》んだ。
エグゼクは答えた。
「成功じゃ」
その後二、三秒間。みんながみんな無口になった。
自分の耳を疑い、そして一気に何かがスパークした。
「ほら、あの部屋におる」
エグゼクが奥《おく》を指さす。
ドドドドドド……ッと、今度はノルの寝《ね》かされていた部屋へ。
ノルは診《しん》療《りょう》台《だい》に寝かされたままだったけど、あんなロウ人形みたいな生気のない皮膚《ひふ》じゃなく、たしかに血が通った肌。じっと動かないけれど、張りがもどり、生きる喜びに脈打った体。
「ノル!」
「ノルにいさん!」
「のりゅー!」
「ノルしゃん!」
彼を取り囲んで、みんなが叫《さけ》ぶと……うっすらノルは目を開いた。
小さいけど、つぶらな瞳《ひとみ》。
わたしが大好きなやさしいまなざし。
「……、……、…………」
かすかに口を動かしたけど、声にはならなかった。
わたしはみんなを見た。みんなもわたしを見た。
「うおおおおおおおぉぉお!!」
「きゃっほ――――――!!」
「やったぁぁぁぁぁ!!」
「ちくしょおおおおおおおおぉ!!」
口々にわめき、お互《たが》いに肩《かた》を背中をどつきあい。
クレイはキットンをふりまわし、トラップはシロちゃんを放り上げ、わたしはルーミィをサンドイッチにしてメルと抱《だ》き合った。
みんな、顔をクシャクシャにして泣きながら笑っている。
「よかったよお……」
「ほんとお……」
「えーん、えーん、よかったよー」
「泣くなよお……」
「泣くよ、ふつう……」
何年分かの気力を使いきったみたい。
わたしたちはヘナヘナと座りこみ、ほお――っと息をついたのだった。
復活したとはいえ、すぐには動けないっていうことだったんだけどね。ノルって基礎《きそ》体力がしっかりあるのか、普《ふ》通《つう》なら一か月くらいは起き上がることもできないはずなのに、一週間でなんとかヒポちゃんに乗るくらいはできるようになったの。
キットンの薬草も効果があったみたい。
わたしたちはエグゼクたちに何度も何度も頭を下げ、わがなつかしのシルバーリーブへともどることになった。
そうそ、いくらいってもエグゼクは一Gももらえないっていうの。
それじゃあんまりだからっていったんだけど。
「いやいや、わしの自信をとりもどしてくれたのはあんたらじゃ。反対にお礼をいいたい。また復活屋を始めるよ。リグレクにも話してみるつもりじゃ。あいつも、いつかわかってくれると思う」
そうそう! ノルの復活に成功したというニュースはタル・リコ中に知れ渡《わた》って、今や続々と人々がエグゼクの家に押《お》しかけていた。
「モジーラさんも、これから忙《いそが》しくなるね」
「はい! ほんとに……わたしからもお礼をいいます。また、近くにいらしたときは必ず寄ってくださいよ!」
モジーラもすっごくうれしそうだった。
シルバーリーブに帰ってきたわたしたちは、みんなからおおげさな歓迎《かんげい》を受けた。
「あんたら、どっかで行き倒《だお》れになってしまったんじゃないかって、みんなで心配してたんだよー!」
猪鹿亭《いのしかてい》のリタなんて、こんなこというの。
事情を聞いたみすず旅館のおかみさんは、ノルのためにせっせと馬小屋を掃《そう》除《じ》し新しいワラを運んでくれたし。
「おお、おめぇ、ほんとかよ。一回死んだっつーのは」
シナリオ屋のオーシまでビールを手《て》土産《みやげ》にやってきた。
「おっとダメダメ! ノルは二、三か月禁酒なの。だから、それはおれが……」
オーシの持ってきたビールにトラップが手をのばしたが。
その手をはたき、
「ばかいうな。おれはノルに持ってきたんだ。おめぇにやるくれぇだったら、自分で飲む」
グビグビと見る間に飲みほしてしまった。
「ほらぁ、ノルが眠《ねむ》れないじゃない! ねぇ、メル」
メルはノルの枕《まくら》元《もと》で静かに微《ほほ》笑《え》んでいた。
彼女、どうしてもつきっきりで看病したいといって、この馬小屋で寝泊《ねと》まりするというの。
あぁ、そうそ。例の、あのスモークの禁断症状がメルにも出て、一時はすっごく辛《つら》そうだったんだけどね。すっかり顔色もよくなって、長い巻毛もつやつや。
今はでも、やっぱりまだどこか憂《うれ》いがあって、わたしはちょっと心配だった。
まぁ、そういう表情ってのも神秘的できれいなんだけどね。
そして、二週間ほど経《た》ち……。
すっかり元気になったノルが、あの大《だい》魔《ま》術《じゅつ》教団の村にメルを送って行きたいといった。
「わたし、みんなのもとに帰って……ピートたちの手伝いをしたいと思うんです。せっかくたくさんの人たちと知り合ったんです。家族同様の人たちもいます。もう一度、みんなと新しく村を作ってみたい……」
そういうメルの表情からは、もう憂いが消えていた。
「あ、あの……メル。クアーティとアスダフのことなんだけど……」
「はい。彼らもギャミラ像に惑《まど》わされてただけなんですもの。悪い夢を見てたと思って立ち直ってくれるでしょう。わたしも村のみんなに、時間をかけて説明するつもりです。きっとみんなもわかってくれると思います」
そっか、そうだね。
実をいうと、わたし、ずっと気になってたんだぁ。
そりやいくら悪いことをしたからって、あの最後のようすはただごとではなかったもんね。
「ねぇ、それじゃみんなで送ってあげない?」
「そうですね! ヒポちゃんで行けばすぐですよ」
「おめぇ、誰《だれ》が運転すると思ってんだよ」
「は? トラップ、あんたでしょ?」
「そうだな。ノルも元気になったとはいえ、さすがにヒポの運転は無理だろう」
なんて、わいわいやってたんだけど……。
ノルは、自分ひとりで送っていきたいっていうの。……とてもすまなそうに、でももう決めてしまったようで。
なんていうか……。
誰も、それを反対できるような雰《ふん》囲《い》気《き》じゃなくってね。
そして、二人は乗り合い馬車に乗って行ってしまった。
わたしたちは馬車を見送ったまま、ずっと立ちつくしていた。
馬車に乗る前、わたしたちひとりひとりをじっと見つめたノルのあの小《ち》っちゃな目が心にひっかかっていた。
いっぱいいいたいことがあって……でも何もいえない……そんな感じ。
「ノル……まさかもう帰ってこないつもりじゃ……」
「んな、ばかな!」
「だって、トラップ……ノルのようす変だったわ。何にもいわなくってさ」
「元々あいつは無口なのさ!」
「そりゃそうだけど……そうよね、帰ってくるわよね」
わたしはたまらなく不安になって何度も何度もみんなに確かめた。
そんなわたしに、
「まぁ、とにかく待つことにしようぜ。きっとさ、ノルはメルとふたりで話がしたかったんだよ。だって、ふたりっきりの兄妹《きょうだい》だろ。それにずっと離《はな》れ離《ばな》れだったんだしさ。やっと再会したのに、また別れて暮《く》らさなきゃいけないんだ。奴《やつ》も幸《つら》いんだよ」
クレイが馬車のたてた土《つち》煙《けむり》を見ながらいった。
「それに、もしメルと暮《く》らすというのなら、それはそれでいいじゃないか。ノルの目的はメルを探すことだったんだし。きっと……奴は口ベタだから、うまくいえなかったんだよ」
そして、さらに二週間が過ぎた。
「ほら、ルーミィ。もう一回!」
「ドゥルミィルファイルゥン……えっと……」
「メモは見ない」
「んと、エセンパヤイ……」
「エセンパサイ、だろ?」
「……エセンパサイ、ガイラァ……」
窓際で剣《けん》の手入れをしながら、クレイはルーミィの魔《ま》法《ほう》の特訓をしていた。
今回、ルーミィがストップの魔法をスラスラいえるようになったというのは大変な収《しゅう》穫《かく》だ。これを機会に覚えている魔法を全部強化して、万一の時に備えようと、クレイは決意表明したのだ。
「でも、ほんとよね。ルーミィがスラスラいってくれたおかげだもんね」
「ふん、どうせ一個覚えたら、また一個忘れるんだぜ」
ベッドに寝《ね》そべっていたトラップがいうと、
「ルーミィ、覚えてうもん! とりゃっぷ、いじわう!」
いいかげん特訓に飽《あ》きていたルーミィがほっぺをふくらませた。
「いいから。あんなのはほっといて、ルーミィ続ける!」
「ぶうう!」
「ルーミィしゃん、がんばるデシ!」
シロちゃんが励《はげ》ますと、ルーミィはやっと機《き》嫌《げん》を直して、
「えっと……エセンパヤイ……えっとぉ……」
と、再び始めた。
うーん、クレイには悪いけど、これはかなり遠い道のりみたいね。
キノコの分類をしていたキットンが、ふと顔をあげた。
「しかし、あのギャミラ像……あれを売りつけた行商人のことは、結局わかりませんでしたね」
「だな。何者なんだろ…‥」
窓際《まどわく》に頬杖《ほおづえ》をついたクレイは、午後の日差しをまぶしそうに見ていった。
「でも……あのギャミラ像のことは別にして。わたしたちって、ほんとに間《ま》違《ちが》ってなかったのかな」
わたしは、誰《だれ》にいうともなしにつぶやいた。
「なにが?」
振《ふ》り返るクレイ。
「うん、だからさ。ザックたちってだまされてはいたけど、でも楽しそうに暮《く》らしてたじゃない? あのまんま、だまされたままでもよかったんじゃないかと思って……」
そうなの。
わたし、なんだかわからなくなってたんだ。
もしかしたら、よけいなことをしてしまったんじゃないのかなって。
「さぁ……それはどうかなぁ……」
「……そればかりはわかりませんね」
クレイもキットンもふーっとため息をついた。
「そうね、わかんないよね……」
わたしもそういって、ため息をついていたら、
「っるせーなぁ、もう。寝《ね》られやしねえ!」
トラップがガバッと起きて、そのまんまバタンと大きな音をさせて外に出て行ってしまった。
が、すぐにドタバタと戻《もど》ってきた。
うるさいのはどっちよ、もう!
バン! とドアを開け、
「おい、ノルだ! ノルが帰ってきたぞ!!」
顔をまっ赤《か》にして叫《さけ》んだ。
「ええ!? ほんと!?」
「どこ、どこに」
「ほら、外に……」
「あ、ほんとだ! おーい、ノルー!」
窓から身を乗り出して、クレイが叫んだ。
ええ!?
どこどこ!
わたしもキットンもトラップもルーミィもシロちゃんも、窓に突進《とっしん》した。
午後の日差しがいっぱいの庭に、ノルがゆっくり歩いてきていた。
井戸の水をくんでいたおかみさんが、「おや、ノルさんじゃないか。お帰り」と声をかけた。
ノルは立ち止まり、わたしたちを見上げ。
そして、大声でいったのだ。
「ただいま!」
END
あとがき
何がうれしいって、あとがきを書く瞬間《しゅんかん》が一番うれしい。
どんなに肩が痛くっても、腕が痛くっても。これを書いている間だけはぜんぜん苦にならないものね。
えー、大魔術教団の謎の上巻を出して、今までになくたくさんのお便りをいただきました(ぺこり)。
上巻のあとがきでやかんをこがした話を書いたもんで、やかんのコゲの取り方を書いてくれた人もいてね。ハハハ、情けない。
あと、多かったのがドラクエ4の必勝法。やり方によってはボスキャラに会心の一撃《いちげき》ばかりを連発できるんだとか……。
あのね、そういうのはね。一度解き終わってから、もう一回遊ぶときにやってみるもんなの。本や人に教わって裏ワザで解いても、最後の達成感ないでしょ? でも、気持ちはとってもうれしかったです、はい。
上巻を書き上げた後、実は肩や脱がひどい筋肉痛になってしまったのだ。特に右腕はひどくってね。毎日|鍼《はり》に通って、湿布《しっぷ》ベトベト貼《は》って。そんでも、一時はスパゲッティさえ持ち上げられなかった。あれは悲しかったなぁ。
一年前から計画していたヨーロッパ旅行も無理かと思って、半ばあきらめてたんだけど。いっそ日本を離れたほうが、パソコンに向かうこともないから養生になっていいんじゃないかとみんなにいわれ、旅立つことにしました。
「美潮ちゃんの話題って、スカイムービーのことしかないのね」
一緒に旅行したフミエちゃんに何度も苦笑された。
ロンドンで泊まったホテルはブラウンズっていってね。あのミステリーの女王アガサ・クリステイもよく泊まったっていう由緒《ゆいしょ》正しいクラシックなホテル。
せっかくそんなところに来ているっていうのに、筋肉痛+風邪(行きの飛行機が超寒かったの)で熱だしてしまったわたし。ずーっとベッドでテレビ見てたんです。持ってきてた本もとっくの昔に読んじゃったしね。
フミエちゃんがいうスカイムービーというのはね、向こうの映画専門のケーブルテレビ。一日中新作旧作、アドベンチャー、ホラー、恋愛もの、コメディ……なんでもござれってかんじで延々やってるのだ。
もちろん、英語のみ。字幕なし! って、ここが辛かったけど。人間、他にないとなれば何とかなるもんですな。しまいには、映画見て笑い転げたりさめざめと泣いたり……ロンドンまで行ってわたしゃいったい何をしてたんだろ。
ああ、でもね。
いいこともいっぱいありました。全部書いてたらキリがないけど、フォーチュン関係でいえば、あれよあれ。
コペントガーデンっていって、エベリンのマーケットみたいに小さな店が立ち並ぶ場所があってね。そこで大道芸をやってるおにいさんがいたんだ。
彼を見て、わたしは大興奮。一緒に来ていた友達の腕をグイグイつかんだ。
「トラップだ! トラップがいるぅ!」
いやぁ、ほんとにそっくりなの。わたしのなかのイメージの彼に。
トラップってほんとはHITOというあだ名の友達がモデルなのね。もちろん彼とトラップも迎《むかい》さんがびっくりしたほど姿形までそっくりなんだけど。だんだんトラップも一人歩きしはじめて、少し違ってきているのだわ。
それが、この大道芸のおにいさんは、今のフォーチュンのトラップにそっくりなの。もし、万が一実写版のフォーチュンを作ることになったら、彼しかいないなっていうくらい。
ひょろっとした体形で、派手派手な服。赤い髪を後ろで結び、身軽に動きまわるんだけど。アハハハ、口が悪いったら、ありゃしない。でも、どっか憎めないっていう……。
カメラ持ってなかったのがほんとに悔《く》やまれます。
と、いうわけで。大魔術教団の謎、完結しました。
いかがでした?
今回は今までになくシリアスでトリッキーだったから、あれれ? って思った人も多かったんじゃないかしら。
わたしもパステルと一緒になって、なんだなんだ、どうなるんだ! と一時も目を離せなかったです。
さて、では恒例のスペシャルサンクスです。
じゅんけ姉、今回は腕がもつかどうかわからないから、覚悟しててねと脅してすんませんでした。アイデア出しや校正を手伝ってくれた安西さん、毎度ごくろうさま。迎さん、今回のイラストもどんなのになるか楽しみです。フォーチュン・コンパニオンを一緒に作ってくれた、あいやん、伸君さんきゅ。ゲームマスター役になってくれた、爆《ばく》ちゃん、たまちゃん、みやび君、でゅーく君、岩清水君、ほんとにありがとうね。やっぱり愚痴を聞いてもらってしまった……健太さん感謝してます。そんで、わたしの肩と腕を治療してくれた松本先生、宮本さん、これからもよろしく頼みます。
手品のアドバイスをしてくださった先江進先生、ほんとにありがとうございました。具体的な手品の手ほどきはもちろん、マジシャンの心意気とか掟とか……精神的な部分を教えてくださったこと、とてもとても参考になりました。お約束通り、教えていただいたトリックの種明しはしませんでしたよ!(なかで種明ししているトリックは自分で考えたものだけです)
そして、今回も読んでくれたみなさん。
ハラハラさせてごめんね。これからももっとハラハラさせます。
ではでは、今度はフォーチュン・クエスト7でね!(こう書いておかないと、もう終わるんですか? とか終わるっていう噂ですが続けてください! とか言われてしまう。どこからそんな噂が出ちゃうんだろ)
SEE YOU S00N (たぶん)!
深 沢  美 潮