フォーチュン・クエスト3
忘れられた村の忘れられたスープ(下)
深沢美潮
いまでないとき。
ここでない場所。
この物語は、ひとつのパラレルワールドを舞台にしている。
そのファンタジーゾーンでは、アドベンチャラーたちが、
それぞれに生き、さまざまな冒険談《ぼうけんだん》を生みだしている。
あるパーティは、不幸な姫君《ひめぎみ》を助けるため、|邪悪《じゃあく》な竜《りゅう》を倒《たお》しにでかけた。
あるパーティは、海に眠《ねむ》った財宝をさがしに船に乗りこんだ。
あるパーティは、神の称号をえようと神の出した難問にいどんだ。
わたしはこれから、そのひとつのパーティの話をしたいと思っている。
彼らの目的は……まだ、ない。
口絵・本文イラスト  迎 夏生
STAGE 7
「わたしたちって、ほんと移動ばっかしてると思わない?」
わたしたちは、またまたズルマカラン|砂漠《さばく》をヒポちゃんに乗ってひた走っていた。
「そりゃまぁ、しかたねーよな。だってさ、用事のある奴《やつ》がみんなひとっところにかたまってくれてりゃ、いいけどさ。んなわきゃねーし。あったりめーのこと、聞くなよな」
ピープー、|草笛《くさぶえ》を吹きながら操縦《そうじゅう》していたトラップが、その草笛を横っちょにくわえたまんま、ていねいに答えてくださった。
キットンは薬草を煎《せん》じたものをガタガタ揺れる椅子《いす》の上で調合しては、こぼし……拾い集めてはこぼし、そのたびに「ああああああ!!」とか「うぎゃぎゃぎゃ!!」とか大声をあげていた。
ノルはその太い指で器用にあやとりをしていたし、|他《ほか》の……だからひとりと一匹と一羽は、そのノルにもたれて寝こけていた。さっきお昼ご飯を食べたばかりだからね。
わたしはというと、ペンダーグラスさんの記憶を元に書きおこしたマップをチェックしながら、まったく変化のない砂漠をにらみ続けていた。
あの、月に化《ば》けたマラヴォア(ほんと、何するかわかんないよなぁ、あのばあちゃんは!)が出した難題《なんだい》=忘れられた村の忘れられたスープを持って来い! つう……、そのためにまずは忘れられた村とやらを捜《さが》しに出たわけだけど。あのばあちゃんのおかげで、クレイはオームに変えられた。しかも。クレイだけじゃなく、サラディーの王様もオームに変えられ、それから宿屋の息子さんはブチ犬に変えられてたんだよねー。
しかし、あのペンダーグラスさんっていい人だったなぁ。過去の記憶を一切《いっさい》忘れることができないだなんて、|辛《つら》そうだった……。なんとか、ならんもんかなぁ。
「おい、トイレ|休憩《きゅうけい》しなくっていいかぁ?」
トラップがいった。
「あ、それうれしい。どっか適当なとこが見つかったらよろしく! でも、やあよ。さっきみたいな、なーんもないとこは」
「あいよ。……ったくよぉ、女っつーのはどーしてこう、しちめんどくせーんだろうな。|誰《だれ》に見られるってわけでもなし」
トラップは愚痴《ぐち》るけど。でも、このトイレとかさ、あとお風呂《ふろ》とか。こういうのって女性の冒険者《ぼうけんしゃ》にとっては大問題なわけで。
そのうえ、わたしはルーミィの面倒《めんどう》まで見なきゃいけないでしょ?
あのコ、いきなり騒《さわ》ぎだすんだもんなぁ。
「ぱぁーるぅ、ルーミィオシッコ! もれるー! いますぐしたい!」
って、ジタバタジタバタ。
しばらくして。一本、ヒョロヒョロッと生えた木があった。
「んじゃ、あの木の影っつーことで」
トラップがいう。
げ――……あんなやせっぽちの木の影? おいおい、だいち「影」なんてあるのかぁ?
「なんだよ。不服なのかよ」
「う――、ま、いいですいいです。ほれ、ルーミィ。起きて起きて」
「ん? ご飯らのぉー?」
「ちがうでしょ。さっき食べたばっかでしょ。そうじゃなくって、オシッコ。ルーミィ、だいじょぶ?」
と、いったとたん。
「ぱぁーるぅ、ルーミィオシッコ! もれるー! いますぐしたい!」
って、ジタバタジタバタ。
「…………」
やっぱりね。
ついでにシロちゃんも連《つ》れて、わたしとひとりと一匹は木の影に行った。
「ルーミィ、ほら、さっさと脱《ぬ》いで」
ジャンプスーツって、こういうとき不便よね。
「こら、シロちゃん、どこ行くの!」
シロちゃんがトットコ走っていったから、困った。
「ルーミィ、じゃ、ここでやってなさいね。終わったら待ってるのよ」
「お――い、シロちゃん。……ハァハァ、どしたの!?」
ちょっと盛りあがったところで、やっとこさ追いついて。シロちゃんをつかまえた。
「あのね、あそこ。あそこに人がいるデシ」
「え?」
ふっと、シロちゃんの視線の先を見ると。
|砂漠《さばく》のまぶしい光のなかでは、わかりにくいけれど。たしかに、あそこ。
レンガ色のダブッとした服を着たオバさんが座りこんでいた。
「ほんとだー。シロちゃん、悪いけど。ここで待っててくれる?」
「わかったデシ」
シロちゃんは、こっくりうなずいた。
「あの――、すみませーん。こんにちはぁー!」
わたしが大声でいうと、そのオバさん。クルッとこっちを向いた。
「はぁ……なんでしょうかぁ?」
きっと砂漠を歩いてくたびれちゃったんだな。
それにしても、いったいどうしてこんなところに、ひとりで!
「どうかなさったんですか?」
「いいえ。ちょっと疲れてしまって……。それより、あなたがたは? こんな何にもないところに」
「えーっとですね。『忘れられた村』という村に行く途中《とちゅう》なんです。ご存じありません?」
そう聞くと、オバさんはギョッとした顔をした。
「さ、さぁねぇ。いったいそんな変な村に、なんの用なんです?」
これは、怪しい!
このうろたえかたはハンパじゃないゾ。
でも、わたしはそんな表情は出さずに、
「『忘れられたスープ』をいただきに来たんです。それがないと友達が大変なんですよ。ちょっとこみいった事情があって」
「そ、そうですか……。わたしはなんにも知らないもんだから、役に立てなくって悪いわね」
そういって、|額《ひたい》の汗をぬぐった。
しばらくぎこちない沈黙《ちんもく》が続いた。ちょっと様子が変だからといって、何か問いただすこともできない。
「じゃ、お気をつけて!」
わたしは、ルーミィやシロちゃんのところに戻った。
「あの人、どしたデシか? 病気デシか?」
シロちゃんが聞いた。
「ううん。ちょっと休憩《きゅうけい》してたみたい」
「そうデシか。それは、よかったデシ」
わたしたちがヒポちゃんのところに戻っても、あのオバさんはずーっとこっちを見ていた。
彼女のことをトラップ、キットン、ノルに話すと、
「それは、|臭《くさ》いですね。きっと『忘れられた村』を知ってるんでしょう。いや、もしかしたら、村人かもしれない。わたしが考えますに……。『忘れられた村』とは隠《かく》れ里《ざと》のことでしょうからして。きっと何か訳《わけ》があるんですよ。人から隠れて住まなくてはいけない……」
キットンが、あのオバさんを見ながらいった。
たしかにそうだろうなぁ。
レーニエの長靴下《ながくつした》。
そこは、ただのなんのヘンテツもない、赤土がむきだしになった丘《おか》だった。
「あれが、例のハミルの木ね」
|一目瞭然《いちもくりょうぜん》
だって、この丘に生えている木は、その大木一本きりなんだもん。
ノルが両手を広げても、まだ届《とど》かないくらいに太い幹《みき》。四方八方に伸ばした枝には、黄色く色を変えた葉っぱが風のなかでクルクルさざめいていた。
「おーし。んじゃ、おれ、ちょっくら登ってみる」
トラップは、ヒポちゃんからヒラリ飛び降りると、タッタカ走っていった。
「木にからまったツタをつたって降りた場所、そこが『忘れられた村』だということでしたよね」
キットンが大木を見つめながらいった。
「そそ。ペンダーグラスさんのお話だと、そうだったけど」
「でも、単にそれくらいで見つかるんでしょうかね。仮にも『忘れられた村』というくらいの、|隠《かく》れ里《ざと》が」
ボサボサの髪《かみ》からのぞく目がキラリと知的に光った。
キットンの考えは当たっていた。
木に登って様子を見てきたトラップが帰ってくると、
「それらしいツタはあったぜ。木の上から見た限りじゃ、それらしい村なんかなかったけど」
「とにかく、ペンダーグラスさんのいわれたとおり、ツタをつたって降りてみますか」
キットンの意見にみんなうなずいた。
ヒポちゃんは、ハミルの木につないでおいた。
ハミルの木は、引っかかりがあまりない登りにくい木だったが、巨人族のノルに抱きあげてもらって、上の枝まではなんとか登れた。ルーミィとシロちゃんは、ノルの首にしがみついて登った。
クレイは……オームなんだし、オームは飛べるのだからしてパタパタとやってきた。う――むぅ。
大人が何人乗ってもビクともしないような太い枝ではあったが、さすがに巨人族のノルが乗るとグゥンとたわんだ。
こりゃ、早いとこ降りたほうが無難《ぶなん》だな。
ハミルの木にからまったツタというのは、その枝の先のほうから丘の下に伸びていた。
「だいじょーぶぅー!?」
「チョロイチョロイ。さっさか降りて来いって」
「ルーミィ、シロちゃん、ノルにしっかりつかまってるのよ!」
「ルーミィ、つかまってうよー」
「わかったデシ!」
|大騒《おおさわ》ぎをして、降り立った。
しかし、やっぱり何にもない。
「ねぇーじゃ、ねーかぁ!」
トラップが、そのへんの草をなぶって悪態《あくたい》をついた。
「う――ん、どうしたらいいんだろ」
「ベンダーグラスのおっちゃん、いい加減《かげん》なこといったんじゃねーの?」
「いや、そんなことはないはずです。あの人が、その村のことだけ忘れているというのは不自然ですからね。きっと何か仕掛けがあるんですよ」
と、そのとき。
頭上で、クレイが「ギャァギャッ」と騒いだ。
見上げると、長くて青い尾っぽの小さな鳥と鳥語で何か話しているようだった。
「あぁーあ、すっかり烏らしくなっちまって。クレイのじーちゃんが見たら、|嘆《なげ》くぜ」
トラップがオオゲサにため息をついた。
しかし、そのトラップを黙《だま》るようにノルが制した。
「あの鳥、この下に隠《かく》された入り口、あるって、いってる」
「え?」
でも、下は何の変哲《へんてつ》もない地面。
「どこに?」
「ピーピピピピ、チュクピッピピ」
ノルが青い鳥に聞くと、鳥も、
「ピーチュク、ピッピピー、ピチュチュ……」
しばらくやりとりが続いた後、
「その壁《かべ》の青い石、回すらしい」
ノルが、すぐ後ろの丘の斜面《しゃめん》を指さした。
あるある。たしかに、他とは少しだけちがう、青みがかった石が。
「どっちに回すんだろう」
わたしがいうと、
「どっちかだぜ、んなもん」
トラップがグリグリ回してしまった。
と、どうだろう!!
さっきまで何にもなかった地面がポッカリ口をあけたではないか!
「ひょぇ――!!」
「こ、こりゃ、また念のいったこって」
「鳥さん、ありがとう!」
そこは、なだらかなスロープになっていた。入っていくと暗くって一瞬《いっしゅん》何も見えなかったが、目が慣《な》れてくると、うっすら明かりがあるのに気がついた。
「あれ、出口じゃない?」
「そうですね」
「|足元《あしもと》気をつけなくっちゃ。ね、トラップ、ポータブルカンテラ、つけてよ」
「あいよ!」
しかし、思ったより回廊《かいろう》は短かった。
出口から顔を出すと、そこは……。
大きなウロになっていて、あちこちに穴が空いていた。
その穴を村人たちが出入りしていたが、わたしたちを見るなり蜘妹《くも》の子を散らすようにさっと隠《かく》れてしまった。
信じられないものを見たといった、こわばった表情。
「こ、これは! すばらしい。地下都市なんですね……というか、地下村というか」
キットンが興奮《こうふん》|気味《ぎみ》にいう。
アチコチに明かりとりの穴があるらしく、地下ではあっても外の陽光が差しこんでいてジメジメした感じはない。
さっきの村人たちは今頃|大騒《おおさわ》ぎなんだろう。声はしないが、たくさんの気配《けはい》がしていた。たくさんの視線も感じた。
「あのさー、ちと出てきてくんない? おれたち別になんか悪さしようってんじゃねーんだからさぁ」
トラップが声をかけた。
「…………」
コトリとも音がしない。
「なんだよ。ったく。おい! 態度が暗いぞ」
「トラップ、そんなこといっちゃ失礼でしょ」
「だってよぉー……」
「とりあえず、進んでみましょうか」
キットンの提案により、おそるおそる奥のほうへ進んでいったとき。
ひとりの老人が奥の穴から現われた。
長く白い髪《かみ》と髭《ひげ》、すぼめた口元には微笑《ほほえ》みのかけらもなかった。
「あ、どうも!」
わたしがぎこちなく笑うと、
「あんたがたは、いったいどうしてここを知りなすったんですかの?」
老人は苦々しくいった。すっごく迷惑《めいわく》そうだ。
「えっと、話せば長くなるんですが……」
「いいですよ。時間はたっぶりありますからの。こちらにおいでなさい」
いや、そんなに時間ないんだけどなぁ……こっちは。
ま、いっかぁ。
奥の穴から入ってみると、そこは天井《てんじょう》の高い広場だった。
入ってみて驚《おどろ》いたが、村人たちがいっぱい集まっていた。五十人くらいはいたかな。みんなオドオドした表情。|不思議《ふしぎ》なことに子供がいなかった。子供たちは家に隠《かく》れているのかな。
中央にさっきの老人がいて、とても困ったような顔をしていた。
「そこに座って、まずはくつろぎなされ」
老人のいった「そこ」とは、岩で作った椅子《いす》のこと。岩の上には、草を編んで作ったクッションも置かれていた。
いわれたとおり椅子に腰かけたが、どうも居心地が悪い。
それもそのはず。そこにいた村人全員がこっちを注目してるんだもの。特にルーミィが一番目をひいたようで、オバさんたちが腕《うで》をつっつきあって何かいってるようだった。
「わたしは、ここの隠れ里の長《おさ》。名をグスタフといいます。今、ここにいるだけ、これが村民全部です」
え? たったこれだけ??
そう思って、見渡したとき。
「あぁー! さっきの人」
さっきの入り口とは違う別の穴から入ってきたばかりのオバさん。彼女、さっき砂漠《さばく》で会った人だ。キットンのいったとおり、ここの人だったんだなぁ。
「さきほどは、どーも!」
そう声をかけてみたが、オバさんは一瞬《いっしゅん》ギョツとして、ソソクサと他の人の影に隠《かく》れてしまった。
「ヒルダ、おまえが教えたのか!」
グスタフさんが鋭《するど》い声でいった。
「ち、ちがいます! わたしは何もいってはおりません!」
ヒルダと呼ばれたオバさんがうわずった声でいった。
「あ、ほんと。本当なんですよ。ヒルダさんから聞いたわけじゃないんです」
わたしはあわてた。だって、わたしたちのせいで責められてるんだもの。
「ほぉ。それじゃ、いったい誰《だれ》に聞いてきたんですかの。それに、何の用がおありなんです!?」
グスタフさんが、|詰問口調《きつもんくちょう》でつめよった。
そこで、他の村人たちも固唾《かたず》を飲んで見守るなか、マラヴォアにクレイがオームに変えられてしまったこと、サラディー国のこと、ペンダーグラスさんの話、マラヴォアの出してきた条件のことなどを話した。
なんか、話しているうちに、だんだんなさけなくなってきた。だって、わたしたちって、
「こんなはずじゃなかったのにい」ってのばっかじゃない? 運が悪いというか、なんていうか。
「だから、仲間を人間に戻《もど》すために、どうしても『忘れられたスープ』が必要なんです!
サラディーの王様もオームに変えられたまんまで。みんなほんとに困ってるんです。お願いします。ひと皿分だけでいいんです。分けてくださいませんか?」
知らず知らず、わたしはいつのまにか胸の前で手を堅《かた》く組み合わせていた。
「こいつ、ほんとは、ヒイじーちゃんみたく聖《せい》|騎士《きし》になりたいはずなんだ。|頼《たの》むよ。ちょこっとでいいからさ。スープ皿に、とはいわねぇ。カップ一杯でいいから! 分けてくれよ」
トラップも、いつになく真面目《まじめ》な顔でいった。
「くりぇい、かぁいそーだぉ。スープ、ちょうらい」
ルーミィも、ブルーアイをまんまるく見開いてグスタフさんを見つめた。
そんなルーミィのことをなんとも愛《いと》しそうに見つめ、深々とため息をつく、グスタフさん。
彼の目にさっきまで色|濃《こ》くあった警戒《けいかい》の色が、少しやわらいだ。
「そうでしたか……。そんなことが。マラヴォアのことなら存じております。なんでも恐ろしい魔術《まじゅつ》を操《あやつ》る、氷のように冷徹《れいてつ》な魔女《ウィッチ》だとか。今から二〇年ほど前になりますかの。一度、この村のすぐ近くまで来ておったそうです」
「マラヴォアが!?」
「はい。やはり『忘れられたスープ』が目的で。しかし。あなたがたには何でもなかった、あの秘密の青い石」
「あぁ、|隠《かく》し扉《とびら》を開く?」
「そう。あの石は清めてありましての。人に災いをもたらすような者にはさわれない石なんです。ずっとずっと昔《むかし》は村の者だけしかさわれなかったのじゃが、やはり年月が経《た》ったせいで、その効果も薄れてしまったようですな」
「ふむふむ」
「それで、ペンダーグラスさんなんですが。彼もまたここに来たことがあるかもしれないといわれたんですが、覚えてますか?」
キットンが聞くと、ダスタフさんは軽く咳払《せきばら》いをした。
「もちろん、覚えております。なにせ、ここを訪れた外部の人というのは、数えるほどですからな。彼がいらせられたのは、マラヴォアが近くを徘徊《はいかい》していたより少し前でした。
あぁ、それではちゃんとお話しましょうかの。
なぜ、またわたしどもがこんなにも極端に外部から逃げるように隠れ住んでいるのかを」
そういったとき、ひとりの村人が口を開いた。彼もかなりの高齢《こうれい》だ。
「|長《おさ》、よいのですか? そんなことを教えてもうて」
すると、それにつられるように他《ほか》の人々も口々に叫んだ。
「そうだそうだ。今は昔とは事情が違うんだから」
「いったい、その後、どうされるおつもりなんじゃ」
しかし、グスタフさんは大きな手で彼らを制し、
「いや。いずれはこういう時がくるだろうと思っておったのじゃ。皆が外の世界に出たがっておることも、ようわかっとる。どういう方たちかは存ぜぬが……この方々には誠意がある。|託《たく》してみるのもよいかもしれん。どうじゃ。そうは思わんかの?」
そういって、ぐるりと周囲《しゅうい》を見渡した。
グッとつまる人々。お互いに顔を見合わせ、不安そうにわたしたちを見た。
「おいおい、なんか……まためんどくせーことになってきたぜ」
トラップがわたしの袖《そで》をひっぱってささやいた。
たしかに! 託してみるって……いったい何のことだろう(不安!)。
「わしは、もう人を疑うことに疲れはてたよ。裏切られて元々。一生に一度くらいは、外部の人を信じてみてもいいんじゃないかの」
と、本当に疲れきった表情。しかし、さっきの村人がまたいった。
「長、しかし掟《おきて》はどうなさるおつもりじゃ」
「掟か……。たしかに、わしらは掟を頑《かたく》なに守ってきた。しかしの、そもそも掟とは、我々の生活を守るものではなかったのか? 今や掟を守るために生きているようではないか。だから、こうしてひとり減りふたり減り……。ついには、これだけになってしもうた。これでは、|本末《ほんまつ》|転倒《てんとう》じゃ」
長すぎる、息もつまるような沈黙《ちんもく》の後、さっきの村人がゆっくりと深くうなずいた。
「わかりました。長、わしはあんたに従う。会ったばかりのこの人たちを信じるなんてできませんがの。いや、失礼。そういう生き方をしてきたもんで、急には変えられないだけですじゃ。とにもかくにも。わしはあんたに従う」
他の人々も、もう何もいわなかった。
そんな様子を見て、
「失礼した。では、ことの次第《しだい》をお話いたそう」
グスタフさんはドッカリと腰《こし》を降ろした。
「今から二百年余りも前のこと。近くの洞窟《どうくつ》に住む、|邪悪《じゃあく》なるブラックドラゴンが一年にひとり若者を生《い》け贅《にえ》として差し出せと要求してきました」
「ブラックドラゴン!」
「おいおい、また生け贅かよぉ。ドラゴンと生け贅って……まるっきしパターンだなぁ」
トラップが口をほさんだ。
「やはりドラゴンに生け贅を要求された村をご存じなんですか?」
「はぁ……。でも、それは誤解《ごかい》だったんですよね。っていうか、生け贅を要求していたのはドラゴンの名を借りたクルラコーンだったんです」
ここで、ヒールニント村の話をしていたら、また時間がかかってしまう。わたしは、かなりはしょって説明した。
「なるほど……。我々の場合は、実際にドラゴンから要求をされたのです。使いのコボルトが持ってきた文書が残っております」
そういって、後ろに控《ひか》えていた比較的若い人に目配《めくば》せをし、
「いま、持ってこさせます。それで、ですね。我々がどうにも困りきっておりましたところ。ひとりの予言者《シャーマン》が村に立ち寄ったのです。
彼は、我々の悩みを聞いた後、この地下都市を造るよう薦《すす》めました。
ドラゴンの目にふれない場所で隠《かく》れ住めば、ひとりの犠牲者《ぎせいしゃ》も出さずにすむであろうというのです。
ひとりの犠牲者も……というのは間違《まちが》いで、実はその予言者が現われる前、サモエという若者を生《い》け贄《にえ》として捧《ささ》げてしまっていたのです。サモエは好奇心に富んだ者で、きっとドラゴンを説得してみせると自ら進んで出向いてしまったのですが……結局、それ以後何の音さたもなく。きっとドラゴンの牙《きば》にかかってしまったのでしょう。……かわいそうなことをしたものです。
話をもどしますが。その予言者は地下都市を造っている間、どこかに出かけておりました。村の者のなかには、きっといい加減《かげん》なことをいって逃げてしまったのだと噂《うわさ》する者もあったと聞きます。しかし、地下都市が完成する頃、ちゃんと帰ってきたそうです。
そして、あなたがたの捜《さが》しておられる『忘れられたスープ』を作ったのです」
「『忘れられたスープ』!」
わたしたちは、同時に叫んだ。
「そうです。そして、|掟《おきて》を作りました。掟とは、外の世界から隔絶《かくぜつ》して生活を営《いとな》めというもので、万一外の世界の者が来た場合、『忘れられたスープ』を飲ませ、村のことを記憶から抹《まっ》|消《しょう》しろ……と」
「記憶から抹消?」
キットンが聞くと、
「そうです。くわしくは後ほどゆっくりといたしますが……。
地下都市が完成すると、予言者はその人り口を清めました。そのおかげで、二度とドラゴンからの使いはやってきませんでした。やがて、外の世界の人々から、この村は忘れられてしまい、完全に『ありながら存在しない村』……『忘れられた村』になってしまったのです」
「なるほど。そんな事情があったんですか。よほどの事情があると思ってましたよ。で、その予言者は?」
キットンがうなずきつつ聞いた。
「彼は、しばらく村に滞在しておりましたが。また修行《しゅぎょう》の旅に出かけました。風の便りでは、遠く海を渡った国で亡《な》くなったということでした」
「ひとつ質問があるんですが」
キットンは、ひとつ咳払いをした。
「その『忘れられたスープ』なんですが。それを飲むと、いったいどうなるんですか? どうやら、ペンダーグラスさんもそれを飲まされたようですね。だから、記憶の一切を忘れられないというのに、この村のことだけはポッカリホワイトで修正したように消えている……」
そうそう。それは、わたしも不思議だったんだ。すべての記憶をなくすんだったら、まだわかるけど。そんな都合よく忘れさせるだなんて。
「ペンダーグラスさんだけでなく、わたしも、それにあなただって、実をいうと体験したことはみんな覚えているんですよ」
「えー!? そ、そうなんですか?」
「ええ。その予言者が残した本には、そう書いてありました。ただ、時間が経つにつれ、日頃あまり関係のない記憶は、だんだん薄れていくんだそうですよ」
「ああ! それは知ってる!」
キットンがバカデカイ声をあげた。
「ほら、たとえばさ。リンゴという言葉から、赤いとか甘いとか果物だとか、そんなことを思い出すでしょ? で、さらにオレンジとかメロンとか、他の果物のことを思い出したり。いろーんなことが、リンゴというキーワードからひっばりだされるわけですよ」
「ふむふむ」
「で、甘いって言葉からも、やっぱり砂糖とか思い出して。砂糖っていやぁ、塩だったりして……。そういう、延々とですね。記憶っていうのはつながってるんです。よく思い出すことのほうが強くつながってるわけ。でも、時間が経つにつれて、つながり方が弱くなってしまうんですよ」
「ふーん。なんかヤヤこしいけど。要するに、それって『時が解決してくれるさ』とかって、あれ?」
「そうそう。でも、まぁ、それはたんに弱くなって記憶の隅におしやられてしまっただけで、完全に消えてしまったわけじゃない。だから催眠術とかね。特殊な方法を使うと、完壁に忘れ去っていたような記憶を思い出すこともできるそうです」
「キットン。そんな難しいこと、どこで勉強したの? 何かの本を読んだとか?」
しかし、キットンは途端に頭をかかえこんでしまった。
「い、いやぁ……それが。そうだ、どうしてわたしはこんなこと知ってるんだろう。あれ? なんか夢中になってしゃべっていたけど。う――む……。思い出せない……」
「そっか! キットン。きっとグスタフさんの言葉がキーワードになったんじゃない?」
キットンはわたしたちと出会う前の記憶をなくしているんだった。
「そう……そうかもしれませんね。そ、そうだ! パステル。手鏡が発光したとき、あのゼンばあさんがわたしにいった言葉を覚えてますか?」
「え? どんな?」
ゼンばあさんっていうのは、キットンと同じキットン族らしい。ヒールニントでの冒険中、手鏡が急に光って、どこからともなく声がしたんだ。結局、それはそのゼンばあさんの声だったって後でわかったんだけどね。
「『キットンよ。おまえは誇り高きキットン族。思い出すときがきたのじゃ。魔法などにたよることなく、知恵と技術で己の道を歩むがよい。頭のなかを聡明にせよ。雑念を生かせ……』」
「あぁ、そうそう。そういうかんじだったね」
「あの、言葉。あれを今、急に思い出しましたよ」
「なぜ?」
「さぁ……、そこまではわからないけど……」
「あなたは記憶をなくされてるんですか」
グスタフさんが遠慮がちに聞いた。そんなダスタフさんの顔を見て、
「わかったぁ!」
キットンはパン! と手を叩いた。
「その忘れられたスープっていうのは、その、記憶のですね。ある特定のつながりを消してしまうわけですね?」
「そ、そうかもしれませんな」
「でも、やはりわからない。どうやって、特定できるんですか」
「それはですね。スープを飲ませようとする人間が念じるんですよ。たとえば、この村のことを忘れさせたい場合は、そのことを強く念じながら渡すわけです」
「ほおほお、なるほど!」
キットンは興奮して、またまた大きな声でいった。
「で、その『忘れられたスープ』なんですけど。分けていただけませんか?」
わたしが聞くと、グスタフさんは弱々しく首をふった。
「そのような事情なら、分けてさしあげたいのはヤマヤマなんですが。残念ながら、もうないんです」
「な、ないぃ!!??」
またもや、わたしたち全員が叫んだ。
うっそぉ―――!
「いや、ほんとに残念ですが。入り口を清めたせいもあって、この村に迷いこんだ外の世界の人々といったら、まだ数人です。彼らにスープを飲ませただけではなくなるはずもないんですが。なにせ、もう二百年も経《た》ってしまいましたから」
「あっても腐《くさ》ってて、飲めやしねーな。ま、あのババァに飲ませるんなら、腐ったので十分だけどさ」
「こら、トラップ。またそんなこといって、マラヴォアが聞いてたらどうすんのよ。|扉《とびら》に耳あり窓に目ありっていうでしょ」
わたしとトラップのやりとりを聞いていたグスタフさん、
「いえ、腐るということはなかったようです。|不思議《ふしぎ》なことですが。……あぁ、ちょうどさっきお話していたドラゴンからの手紙を持ってきたようです」
さっきの村人が古ぼけた小箱を持ってきた。
そのなかから、一枚の羊皮紙《ようひし》を取り出し渡してくれた。
せっかく見せてくれたのはいいけれど。ミミズがのたくったような文字がテンデンバラバラに並んでいるだけで、何を書いてあるのかはわからなかった。
「いったいなんて書いてあるんですか?」
わたしが聞くと、ダスタフさん、困った表情で、
「残念ながら、わたしにも読めないんですよ」
ドテッ……!
あ、あのなぁ。
「しかし、こちらなら役に立つでしょう」
|拍子《ひょうし》ぬけしてしまった、わたしたちにもう一枚の羊皮紙を渡してくれた。
それには、何やら材料や手順が書きとめられていて。まるで、料理の作り方のようだった。
「あ、これって。もしかしたら『忘れられたスープ』の作り方なんじゃありませんか?」
「そうそう。そうです!」
グスタフさんは、うれしそうに顔を崩《くず》した。
「なんでぇ、作り方があるんじゃねーか!なら、早いとこ言ってくれりやいいじゃんか。もったいつけやがって」
トラップがグチグチいうと、スープの作り方をジックリ見ていたキットンが、
「いや、トラップ。これは簡単には作れないらしいですよ」
重々しくいった。
「おお、その文字が読めますか!?」
グスタフさんがビックリして、キットンを見た。
「読んだことがあるみたいなんです。いつ読んだのかは覚えてませんがね」
「んで? なんて書いてあんの?」
「うーんと、ですね。
材料 ニンジン一万本を煮《に》つめたエキス
トリケラカブトの実、少々
ブラックドラゴンの額《ひたい》に生えた毛一〇本
|鶏肉《とりにく》一キロ
タマネギ 一〇個
セロリ 三本
塩、調味料
作り方
1 ニンジン一万本を煮つめ、エキスを抽出《ちゅうしゅつ》する。
2 別のナベ(できるだけ大きなナベを用意すること)にお湯を入れ、|沸騰《ふっとう》させる。
3 |焦《こ》げ目がつくくらいに炒《いた》めておいた鶏肉、|透《す》き通るくらいに妙めたタマネギ、セロリと、1で用意したニンジンのエキスをナベに入れ、コトコト三時間くらい煮る。
4 トリケラカブトの実少々、ブラックドラゴンの毛一〇本を入れ、三日三晩弱火で煮こむ。
5 最後に塩と調味料で味を整えて、できあがり。
※注意すること
必ず聖なる火で調理すること。また、聖なる火をつけた者が三昼夜寝ずの番をすること。
……と、書いてありますね」
「そ、それで、グスタフさん。材料のほうはあるんでしょうか?」
わたしが聞くと、またもや弱々しく首をふった。
「すみませんのぉ。なにせ、このスープを作ったのは、さっきお話した予言者ですから。トリケラカブトなら、この村の特産ですから用意できますが」
あっちゃぁ――……。
「おれ、悪い予感するぞー」
トラップがいった。
トラップの予感(というほどでもないけど)は、もちろん的中《てきちゅう》した。
グスタフさんがさっきおっしゃっていた「|託《たく》す」とはこのことだったのだ。
しかも『忘れられたスープ』をわたしたちに作ってほしいというだけでなく、そのスープをブラックドラゴンに飲ませてくれないかと。
「げっげー!! ウソだろ。その凶悪《きょうあく》なドラゴンのだぜ。頭の毛、むしってくるのだけだって命がけだっつーのに、スープまで飲ませる!? あんたら、いい根性《こんじょう》してるぜ」
歯に衣着《きぬき》せず、とは、トラップのためにある言葉だ。
「いや、ほんとにずうずうしい頼みだというのは、|重々《じゅうじゅう》承知のうえで……。しかし、それしか方法はない。もう隠《かく》れ住むのも限界なんです」
グスタフさんが、ふりしぼるような声でいうと、
「お願いします。うちの息子は、この村から出ていってしまったんです。体が弱いのに。わたしどもも後を追いたいんですが、村を捨てるわけにもいかず、困っておりました」
「わしらは、もうどうなってもよい。しかし、若い者たちのことを考えると、長のいうとおり、このままでは何の解決にもなりませんのじゃ」
「お願いします。|冒険者《ぼうけんしゃ》どの!」
|他《ほか》の村人たちも、わたしたちにとりすがった。
そのすがるような目!
たまらんぜよー。
「ねー。オーシがいってたじゃない。利害が一致したって。わたしたちの目的もこの人たちの目的も、こうなったら一緒《いっしょ》だもん。どうなるかはわかんないけど……」
わたしが、みんなにいうと、
「そうですね。ダメで元々。なんとか」
と、キットン。
「やってみっかぁー!?」
と、トラップ。
ノルはニコニコ笑いながら大きくうなずいた。
「ルーミィも、ルーミィもぉ、やるおう!」
「がんばってみるデシ!」
「ぎゃっぎゃぎゃ!」
ひとりと一匹と一羽も、力強く賛同してくれた。
かくして。またも難題《なんだい》を気安くOK! してしまった、わたしたち。
この性格だからして、いっつも面倒にまきこまれちゃうんだよなぁ……。
STAGE 8
トリケラカブトの実をもらい、『忘れられた村』を後にしたわたしたちは、とりあえずサラディーに帰った。
なぜなら、そのニンジン一万本というのを用意しなくっちゃいけないからだ。
幸い、かねてから考案中であった植物成長|促進剤《そくしんざい》というのを試してみたいとキットンがいいだして、サラディーの人たちも全面的に協力するという話になった。
「しかし、ここの土は痩《や》せていますからね。この薬がどれくらいの効《き》き目を現わすか……正直いって皆目《かいもく》見当もつかないんですが。ま、なんにせよ、やってみますよ」
口では慎重《しんちょう》なこととをいってても、キットンの顔は生き生きと輝《かがや》いていた。
考えたら、彼ってば農夫だったもんね。
「うん、とにかく。がんばってよね。わたしたちもやってみるだけやってみっから」
「ですね。しかし、だいじょうぶですかね。そのブラックドラゴンというのは。あ、あ、そうだ。このモンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》を持っていってください。それから、それから、この薬草、|毒消《どくけし》しと傷薬《きずぐすり》とありますから、これも持っていってください」
キットンにいろいろと手渡されたわたしたちは、その日はゆっくり休んで、次の日の朝早く出立した。
目指すは、ブラックドラゴンの住むダンジョンなのだぁ。
|う《”》ー、やだよなぁ。[#行頭の文字はひらがなの「う」に濁点]
ブラックドラゴンといったら、あーた。ドラゴン族のなかでも一等|凶暴《きょうぼう》でレベルも高いモンスターではないか!
バジリスクにも全《まった》く歯が立たなかったわたしたちに、何とかできる相手じゃぁないぞ。はっきしいって。
そうそう。モンスターポケットミニ図鑑のなかにあった、ブラックドラゴンのページを見て、わたしはビビリまくってしまった。
ちょっと紹介しちゃおっかな。
−ブラックドラゴン−
ドラゴン……。
すべての冒険者《ぼうけんしゃ》たちが一度はまみえてみたいと願ってやまない、モンスター中最大のアイドル。その知能の高さや、強大な体躯《たいく》。|魅力《みりょく》的なキャラクター、|神秘《しんぴ》的なカリスマ性などから、世界各地で恐れられ、あるいは崇拝《すうはい》されている。
しかし、それが黒くテラテラと鳥《からす》の濡《ぬ》れ羽《ば》のように光る、ブラックドラゴンなら近寄るのはやめておいたほうが賢明《けんめい》だ。もちろん、あなたが命を粗末にしたいと願っているのなら、話は別だが。
通常、|複雑《ふくざつ》に入り組んだダンジョンを住まいにしている。そのダンジョンには人肉の味を覚えたオークやゴブリンたちが徘徊《はいかい》しており、ブラックドラゴンの巣《す》までたどりつくのも容易ではない。
運よくオークやゴブリンどもに遭遇《そうぐう》しないとしても、ダンジョンは巧妙《こうみょう》な罠《わな》に満ち満ちている。手先の器用なコボルトたちに、|執拗《しつよう》かつ奇想天外な罠を作らせているのだ。
さらに運よく(運悪く?)数々の障害《しょうがい》をくぐりぬけ、ブラックドラゴンに対することができたとしても、まずは最初のひと吹きでパーティ全員が死に絶えるかもしれない。いや、これは決してオオゲサではなく。|一瞬《いっしゅん》にして息の根を止めてしまう毒《どく》が、そのブレスに含まれているからだ。
さらにさらに運よく(ここまでくると、まさに奇跡《きせき》としかいいようがないが)毒息をも免《まぬが》れたとしても。|邪悪《じゃあく》にして高い知能をもつブラックドラゴンを敵に回し、戦うことなど誰《だれ》が考えるだろう。いったん、彼を敵に回したが最後、生きてダンジョンから出ることは絶対にできない。
もう一度言おう。黒くテラテラと烏の濡れ羽のように光る、ブラックドラゴンなら近寄るのはやめておいたほうが賢明だ。もちろん、あなたが命を粗末にしたいと願っているのなら、話は別だが。
ねー! ねー! ねー!!
ちょっと、信じられないくらいに怖《こわ》そうでしょ。
まぁ、こういう類《たぐい》の本っていうのは、たいがいオオゲサに書いてあるもんだけどさ。
んでも、やだよー。だんぜん、やだ。
そりゃ、わたしたちだって好き好んで、そんなオッカナイ|奴《やつ》に近寄ろうだなんて思ってるわけじゃない。命だけは大事にしたいし。
初心者のわたしたちがブラックドラゴンを相手にするだなんて、大それたことだよね。
んでも、でもさー、しかたないじゃん。
「おい!」
だからといってクレイを、サラディーの国王を、宿屋の息子さんを、忘れられた村の人たちを見殺しにするわけにいかんでしょ!? わたしたちとしては。え? え?
「おい! こら!」
「ぎゃっ!」
ふっと我に返ると、トラップがドアップで迫《せま》ってきた。
「なぁーに、ひとりの世界にいっちゃってんだよー。ほら、これからマップをインプットすっからよ。そのブラちゃんちまでのマップ、見せてみ」
「ブ、ブラちゃん?」
「ブラックドラゴンとか、しちめんどくせーじゃん」
「そ、それにしても……ブラちゃんってのは……」
しかし、トラップはフンフン鼻歌を歌いながら、マップを検討《けんとう》していた。
ブラックドラゴンのダンジョンまでのマップは、忘れられた村に残された手紙に添《そ》えられてあったのだ。
あのレーニエの丘から、さらに東へいったところに、バウワウの森というのがあって。そのさらに東。ホーキンス山という険《けわ》しい山があるらしい。
んなところまで、わたしたちは行ったことなんかないから、くわしくはしんないけどさ。で、その山の中に目指すダンジョンがあるんだそうな。|目印《めじるし》は入り口近くにある、紫色の大岩。
マップは、そこまでしかなかった。ダンジョン内は自分たちでマッピングするほかないみたい。
モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》によると、ダンジョンの中は複雑に入り組んでるんだとか。しかも罠《わな》がいっぱいとか書いてあるし。
|う《”》―――む。[#行頭の文字はひらがなの「う」に濁点]
マッパーのわたしとしては、だ。なんかまっ白のキャンバスを目の前にして、果たして自分に描けるんだろうか!? とかって自問自答している芸術家にも似て……(いや、全く似てないな)。
ともかく! 大役を前に、|緊張《きんちょう》しまくっていたのだよ。
「ぱぁーるぅ、ルーミィおなかペッコペコだおう」
緊張の糸を裁《た》ちバサミでブッチンと切ってくれた、ルーミィののどかな声と顔。
見れば、ノルは相変わらずアヤトリしてるし。そのノルの頭の上でクレイは何やら楽しそうにピーチュクさえずっていた。
「……。もうおなか空いちゃったの?」
「うん!」
「そっかそか……」
わたしなんか緊張のしすぎで食欲ないってのに。
「パステルおねーしゃん、元気ないデシよ。どうかしたデシか?」
シロちゃんがキョトンとした黒い目で、心配そうに見上げた。
「ううん。ちょっとね。不安なだけ」
「だいじょうぶデシよ。ブラックドラゴンしゃんだって、話せばきっとわかってくれるデシ。
ドラゴン語なら、ボク話せるデシ」
「うーん……、そうね。そうだといいんだけどね。ほんとに」
「もし、わかんないこという奴《やつ》だったら、ボク大きくなって熱いの吹くデシ!」
わたしは、もう……たまんなくなって、シロちゃんを抱きしめた。
「ルーミィもぉ、ルーミィもぉ!」
そういって、わたしの背中にルーミィがペタシとはりついてきた。
バウワウの森という、何やら楽しげな名前の森。一歩入ってみて、すぐに名前の由来がわかった。
ワン、ワン、ワン、ワン、ワン!
ワン、ワン、ワン、ワン、ワン!
ワン、ワン、ワン、ワン、ワン!
ワン、ワン、ワン、ワン、ワン!
うるさいのなんの。
まるで、小犬が一万匹くらいいて、いっせいに吠《ほ》えているみたいな。
「うっせー森だなー」
トラップが大きな声でいった。大きな声を出さないと聞こえないのだ。
「ほんとぉー。いったい、どーしてこんなにうるさいんだろぉーね――!」
「木の……、……部、……ってるから、……てる……える」
ノルが何かボソッボソッといったが、よく聞きとれなかった。
「えぇ――!? なんていったのぉー」
「木の枝、全部、|筒《つつ》になってるから、犬が鳴いてるように聞こえるって、ノルしゃん言ってるデシ!」
シロちゃんが通訳《つうやく》してくれた。
見上げると、たしかにそう。細い木の枝の一本一本、マカロニみたいに空洞《くうどう》が空《あ》いてて、それが風にゆれるたびにワンワン鳴るんだ。
「かんべんしてくれよぉ――」
「頭痛くなってきたぁー」
わたしたちがギャーギャーわめくもんだから、ますますうるさくなってしまい、ソイツが近づいてきているのにぜんぜん気がつかなかった。
最初に気づいたのは、ルーミィだった。
「ぱぁーるぅ!」
「なーに? ご飯ならさっき食べたでしょ」
「ちがうおう。あのねー」
わたしの服をひっぱっては、「あのねー」と「ぱぁーるぅ」を繰《く》り返す。
「だぁぁぁ、だから、なんなの!」
「あのねー、あれ。あれ、だぁーれ?」
「は?」
やっとルーミィの言わんとすることがわかった、わたしは彼女の指さす先を見てビックリしてしまった。
「あぁ――?」
「えー? なんだってぇー?」
「ほら、トラップ、あそこ。あの木の下」
そこには、ピンクの髪《かみ》の毛を逆立《さかだ》てた男が立っていた。
男と書いたが、あきらかに人間ではない。
顔はブルーと白のシマシマ|模様《もよう》。ほっぺにはピンピンとヒゲが立っている。大きなたて長の瞳《ひとみ》が猫の目のように光っていた。
ふつうの皮服《かわふく》を着ていたが、あちこちがビリビリにやぶけて。そのやぶけた部分から、やっぱりブルーと白のシマシマ模様がのぞいていた。全体に「ハデ!」という印象。
|腰《こし》には、重そうな斧《アックス》を下げている。
彼は、なんだかひどく機嫌《きげん》が悪そうで、こっちがアタフタしている間にも、ズンズン近づいてきた。
「おめぇら、うるさいぞ! せっかく人がいい気持ちで昼寝してたっていうのに静かにしろ」[#この1行は強調の太文字]
わわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。
その声のでかいこと!
あぁ、頭のなかがまだワンワンいってる。……と、これは森の音かぁ。
「おめーのほうが、うるせーや。でかい声だすんじゃねー!」
さらに大きな声でトラップががなった。
すると、そのシマシマの彼、ううぅぅぅぅーっとうなりだした。
「犬か猫みてぇな奴だなぁ」
トラップがそういうと、
「ふううううううううぅぅぅぅっっっ!!!」
服の影で見えなかった尻尾《しっぽ》が、ブワァン!とふくらみ、ピンクの髪の毛もさらに逆立った。
「トラップ、よしたほうがいいわよ。先にいこ、先に」
「そだな。そーすっか。あんな野郎、相手にするだけ時間がもったいねーもんな」
わたしたちがヒポちゃんを進ませようとすると、ささっと前に回りこんできた。
「聞いて驚《おどろ》くな。オレさまは、|悪逆非道《あくぎゃくひどう》のアクスと恐れられている山賊《さんぞく》だ。ここまでバカにされちゃぁ、|黙《だま》って通すわけにもいかねぇ。どうしても通るってーなら、オレを倒してからにしろ」
そういって、|腰《こし》の斧《アックス》を両手で持って身がまえた。
「どうするぅ?」
わたしが聞くと、
「別にどうもしねーさ。|迂回《うかい》すりゃいいんだろ?」
トラップはこともなげにそういい、ヒポちゃんの向きをクルッと九〇度変え、
「ほーら、カバ。走れ走れぇー!」
ヒポちゃんのターボスイッチをON!
ドドッドッドドドドドドド……。
すごいスピードで木という木をかいくぐり、あっという間に森をぬけていった。
「おい! こら――! もどってこんかい! お――い!」
さっきのアクスという男がなんかわめいていたけど、それもすぐに聞こえなくなってしまった。
「変な野郎だったな」
「うーん、でもちょっぴりかわいそうだったみたい」
「かわいそう? ちぇっ、|悠長《ゆうちょう》なこといってやがんな。そういうことは、あれ見てからいえよ」
トラップが顎《あご》で指し示したのは、こちらに迫ってくるような切り立つ絶壁《ぜっぺき》だった。
大きな岩はたてに裂《さ》け目が入っており、黒々として誰も寄せつけない厳《きび》しさがあった。はるか上のほうには灰色の雲が重くたれこめ、その崖《がけ》が実際はどれくらいの高さまであるのかさえ見当がつかなかった。
頭上で小さく旋回《せんかい》しているのは、|腐肉《ふにく》を食べるというキケロ鳥だ。
ギ――ィ、ギ――ィ……と、|不気味《ぶきみ》な鳴き声が、あちこちの岩壁《がんぺき》に反響《はんきょう》して返ってくる。
「ま、まさか! これ、登っていけだなんていわないわよね。どっか……それこそ迂回できる場所があるのよね?」
「知らねぇよ。おれが聞きたいくらいだ」
しかし。実際、その他《ほか》に道はないようだった。
すぐ近くまで行ってみたが。よく見ると、その崖《がけ》に釘《くぎ》を打ちこんだ跡がある。ここを登っていった人がいる証拠《しょうこ》だ。
「うっそぉ―――っっ!」
「うっしょお――!!」
わたしが叫ぶと、ルーミィもマネして叫んだ。
「やめてよねー」
「めてよねー!」
「ルーミィ、ちょっと静かにしなさい!」
「おめぇが一番うるせーんだよ。それよか、これがそのホーキンス山らしいし。どうやって登るのかは後で考えるとして。まずは夕飯にしようぜ」
「そうね……お腹が空いててはいい考えも浮かばないしね」
「わぁーい、ごはんごはん!」
ということで、わたしたちは夕飯にした。
そして、ついでにここでキャンプすることにした。こんな危ない崖《がけ》を夜なんとかしようだなんて、|無謀《むぼう》の二乗《じじょう》だからだ。
ノルが大きな石を集めてカマドを作ってくれた。
「この世で最後のまともな飯になるかもしれねーんだ。うまいの作ってくれよ」
トラップが不吉《ふきつ》なことをいった。
でも、実際、|恐怖《きょうふ》や不安もすっごくあるんだけど。しかたないよな……っていう、あきらめと申しましょうか、|諦観《ていかん》といいましょうか。取り立てて騒《さわ》ぐようなものではなくなってきていた。
みんな淡々といつもの作業をやっている。
ノルとトラップは、キャンプの用意をしていたし、シロちゃんとルーミィは小枝を拾い集めていた。
キットンがいれば、食べられる草とかキノコを捜《さが》してきてくれてるだろうし、クレイがオームでなければ自慢のショートソードをブチブチいいながらも料理に使っていただろう。
「きょうは、ミケドリアの蒸《む》し焼きにしよっかね」
わたしがいうと、みんなうれしそうな顔をした。
夕飯の分に用意しておいたミケドリアのモモ肉を薄くそぎ切りにする。それを塩とネギのみじん切りでまぶしておく。キノコや香《かおり》|野菜《やさい》を千切《せんぎ》りにする。それをミケドリアの肉で包むようにして、バラけないよう楊子《ようじ》で止める。
それを携帯用《けいたいよう》のナベに並べ、お酒をちょっとたらし上からフタをして遠火でしばらく蒸《む》し焼きにする。
すっと楊子《ようじ》がさせるくらいになったら、できあがり。
用意してきたパンも火の近くに置いて、ちょっとあぶっておく。お湯も沸《わ》かして、お茶もいれた。
「じゃ、いただきましょ」
「おー。うまそー!」
「うましょー!」
ほんと、我ながらおいしくできた。熱々のところを特製ソースにちょっとつけてほおばる。これは、ナイフで切ったりしないで、はぐはぐ食べてしまうほうがいい。
じゅっと肉汁のうま味が、香野菜といっしょに口のなかに広がる。そこにすかさずパンをひとかけほうりこむのだ。
といっても、ルーミィには無理《むり》だから小さく切ってあげた。
「ぱぁーるぅ、コレ、おいしいぉ。ルーミィ、しやあせ」
ピンクのほっぺをツヤツヤさせて、ルーミィが何度も「しやあせ」を繰《く》り返した。ルーミィにかかっては「しやあせ」も簡単に手に入るものらしい。
夕飯の後、|焚火《たきび》を囲《かこ》んでみんなで崖《がけ》対策について話した。
「とにかく、登るしかねーんだよな」
楊子でシーハーしながら、立て膝《ひざ》をついたトラップがいった。
「|釘《くぎ》が打ってあったっつーことは、|昔《むかし》誰かが登っていったっつーことだ。それか、登っていこうとしたってことだ」
「でも、|絶対《ぜったい》無理よね。わたしたちは。ルーミィもシロちゃんもいるんだし」
「うん、ロッククライミングするのは無理だろうな。おめぇだって無理だろ」
「うんうん」
「んでよ。おれ、考えたんだけどさ。シロに大きくなってもらってだ」
「シロちゃんに?」
とっさにシロちゃんを見ると、彼は大きな黒い目をパチクリさせて小首を傾《かし》げた。
「そう。んでもって、おれたちを上にあげてもらうってのは、どうだい」
「あ、それって頭いい!」
シロちゃんは一〇メートルくらいの大きさになれる。というか、今の大きさか、その一〇メートルかのどっちかにしかなれない。
もちろん、背中にたたまれた羽を広げ、飛ぶこともできるんだけど。あんまり飛ぶのは上手じゃない(シロちゃんには悪いけど、できればどうしようもなくなったとき以外は、シロちゃんに乗って飛びたいとは思わない)。
でも、それにしたって、ただ上に持ち上げてもらうだけで十分なんだから……。
そう考え、持ち上げてもらう図を想像《そうぞう》してみたが、
「でも、それでシロちゃんはどうするの?」
「……うーん? ま、シロは飛べるんだからさ」
「でも、そんなに大きくなったシロちゃんが降りられる場所なんかあるかしら」
「知らねぇ」
「も――!」
「んなこといっても、上に行ってみなきゃわかんねーだろーが」
「ノルは、どう思う?」
わたしとトラップのやりとりを、ただ黙《だま》って聞いていたノルがゆっくり口を開いた。
「トラップの、いうとおりだと、思う」
「ほぉーらな! ま、ふつうそう考えるわな」
トラップは、まるで鬼《おに》の首でも取ってきたような顔でいばった。
結局、次の日、シロちゃん作戦を試してみようということに決まった。他にいいアイデアもなかったしね。
こういうとき、キットンがいてくれたらな……。
わたしはルーミィとシロちゃんの隣《となり》で、毛布にくるまって寝ながら思った。
最近はキットンってやたら冴えてて、わがパーティのなかじゃ、|頭脳《ずのう》労働担当っていう感じだものね。ふつうなら、|魔術《まじゅつ》を使え魔法使《まほうつか》いや僧侶《そうりょ》がその任にあたるんだろうけど、うちで魔法使えるのっていうと……アレだし。
「寝られねーのかぁ?」
|焚火《たきび》の番をしていた、トラップが声をかけてきた。
「う、うん? うーん、まぁね」
「茶でも飲む? あったまるぜ。そーすりゃ寝られるって」
おろ? めずらしいじゃん。トラップがそんな優しいことをいうなんて。
せっかくのお言葉だし、どうせ寝られそうになかったからゴソゴソ起き出した。
|満天《まんてん》の星空。見ていると吸いこまれそうな、いや反対に押しつぶされそうな、そんな感じだ。
オレンジ色の炎がパチパチとはぜながら、わたしたちの顔を赤々と照らし出す。
しばらくふたりとも無言《むごん》で、お茶をズズッとすすっていたが、
「おれさ……」
トラップがボソッと話し始めた。
「ん? なぁーに?」
「ん……、クレイとは幼なじみだったろ?」
「うん」
「まぁ、あいつんちは代々|騎士《きし》の家柄《いえがら》だし。おれんとこは、代々|盗賊《シーフ》だったし。ふつうだったら、とてもじゃねーけどつきあえねーわけよ。
んだけどさ。あいつ、おれんちの父ちゃんとかのこと、すっげー尊敬しててさ。ま、おれんちも盗賊とはいえ、よそさまのものをコソ|泥《どろ》したりするセコイ商売してたわけじゃなくって。|隠《かく》された秘宝《ひほう》とかを探し出したりするタイプの盗賊なんだけどさ。
でも、そういうこと、ふつうのガキじゃ区別つかねーわけよ。あいつんちは泥棒《どろぼう》だって……こうでさ。親たちだって、あのコとは遊ぶんじゃありませんとか、いうわけだ」
トラップが何を急にそんな昔話《むかしばなし》を始めたのか、わからなかったけれど。|焚火《たきび》に照らされた横顔のなかに残る、やんちゃ坊主のような幼い部分を見ているうち。トラップとクレイの子どもの頃の様子を想像《そうぞう》したりした。
「だけど、あいつだけは違ってたんだ。なんていうかな。やっぱ、いいとこのぼんぼんって感じで。ほら、あいつってのん気だろ? |心配性《しんぱいしょう》ではあるけどさ。結局のところ、のん気っつーか、ぼぉーっとしてるっつーか、バカっつーか」
ほめているのか、けなしてるのかわかんない言い方。
「|他《ほか》のガキは恐《こわ》がって近寄りもしねーっつーのに、あいつ、平気でおれんちに遊びに来るわけよ。んで、父ちゃんとか兄ちゃんとか、他の手下たちの冒険談《ぼうけんばなし》を聞いては、えれぇ感動してさ。
んで……。
おれが修行《しゅぎょう》のために、木登りを百回やんねーと夕飯食べさせてもらえなかったことがあってさ」
「百回!!??」
「うん、今でこそおれも身軽に動ける体になったけどさ。昔はデブだったんだ」
「ト、トラップ、オデブだったのぉ?」
まるで小枝のように、一見か細い(しっかり筋肉はついてるんだけどね)トラップがポチャポチャしてただなんて、想像もつかないや。
「デブデブっていうない! まぁ、だからさぁ、父ちゃんたちがおれのために一日の運動量とか食事制限とかを決めてさ。
でもさ、おれ、その頃はすっげー食ったから。もう、腹|減《へ》って腹減って。目が回りそうで。木に登ろうとしても、腹に力が入らねーもんだからズルズル落ちてしまうわけ。んでも、|途中《とちゅう》で落ちたのは回数に入れてもらえねーわけよ」
「きっびしー!」
「おれ、もうヤでさぁ。|恥《は》ずかしー話、木の上でベソかいてたんだよな。このまんま飛び降りて怪我《けが》でもしたら、当分は修行しなくってもいいし、うまいもんでも食わせてもらえるかもしれねーとか、いろいろ考えたりして。
そんとき、クレイの奴《やつ》がコッソリ木の上に登ってきてくれたんだ」
トラップはそういって、寝ているクレイをちらっと見た。
クレイはノルの肩《かた》に止まったまんま、両目を閉じてコックリコックリ舟をこいでいた。
「んでさ。おれは差し入れでも持ってきてくれたのかと一瞬《いっしゅん》期待したんだけど。あいつ、|生意《なまい》|気《き》なこといったんだよな。
『おれ、ほんとは自分の夕飯を持ってきてやろうかと思ったけど。それじゃ、おまえの修行《しゅぎょう》にならない。だから、おれも夕飯抜いてきた。おまえが木を百回登り降りしないと、おれも夕飯食べられないんだから、なんとかしろ』
ってさ。んで、ただ黙《だま》って待ってるのも暇《ひま》でしようがないから、おれも隣で剣のふりおろしをやってるって。
『そんなこと頼《たの》んだ覚えは、ねーぞ』っていったんだけど、『|騎士《きし》っていうのは、そういうもんなんだ』とか、わけのわからねー|理屈《りくつ》いいやがって。勝手に、その木の下で始めやがったんだ。
おれ、しばらく木の上で、それ見てたんだけどさ。ただ見てても腹ぁ減《へ》る一方だし、なんかクレイの奴ばっか、かっこいいのもシャクだったし、木登りをまた始めたんだ……」
トラップは、もうわたしに話しているということを忘れているようだった。
じっと火を煙《けむ》たそうに見つめて。
わたしは膝《ひざ》っ小僧《こぞう》を抱《かか》えて、そんなトラップの顔を見ていたが、彼の目の端っこがキラッと光っているのを見て。あわてて目をそらした。
んで、でも、それが気になって気になって。なんかドキドキしちゃって。目のやりどころもなければ、なんて話していいかも見当つかなくって。
結局、寝たふりをすることに決め、そのまんま膝っ小僧に顔を埋《う》めて目を閉じた。
「おれのせいで、オームなんかになっちまってさ。よくよく運がねーよな。まぁ、ブラックドラゴンがどれほどのもんか、しらねーけど。運のねーあいつとパーティ組んじまったんだ。あきらめて……。
おい、パステル?」
トラップがこっちをのぞきこんでるのが気配《けはい》でわかったが、|一所懸命《いっしょけんめい》タヌキ寝入りを決めこんでいた。
やがて、大きなため息が聞こえ。ふわぁっと毛布が肩《かた》にかかった。
後には、パチッパチッと火のはぜる音だけがしていた。
ごうごうと恐ろしく速い速度で、灰色の雲が流されていく。
|絶壁《ぜっぺき》の下に立ったわたしたちの耳には、その風の音しか聞こえない。
「よし。いつまで見てたって、しかたねーや。シロ、|頼《たの》んだぞ!」
トラップがいうと、
「わかったデシ!」
そういって、シロちゃんはみるみる巨大になった。
おおおおお、大きなシロちゃんを見るのは久々だけど。やっぱ、すっごい迫力《はくりょく》。風になぶられた、ふわんふわんの白い毛。黒い崖《がけ》とのコントラストが美しい。
「さぁ、ボクの手につかまるデシ!」
そういって、わたしたちの前に手をさしだした。
計画通り(といっても、たいした計画じゃないんだけどね)、わたしたちはシロちゃんの巨大になった手の上に。大きな爪《つめ》につかまって、大きな黒い肉球の上にはい上がった。
「落ちないように、シロの毛を自分の体にくくりつけるんだ」
トラップが大きな声でいった。
大きくなったシロちゃんの毛は、体をくくりつけるに十分なほど長い。
「ルーミィ、手をつないどこうね」
「うん!」
わたしは、ルーミィのぽよぽよした手をしっかり握《にぎ》りしめた。
「いいかぁ――!」
「おっけー!」
みんな緊張《きんちょう》した顔でうなずいた。
「よぉ――し。シロぉ――。ゆっくり、ゆっくりだぞ。上に上げてくれや」
「わかったデシ!」
トラップのかけ声とともに、シロちゃんはわたしたちが落ちないよう、細心の注意を払いながら、まずは手を自分の胸元まで上げた。
見上げると、大きな大きなシロちゃんの顎《あご》があった。
「よっし。じゃ、次はもう一方の手で崖につかまりながらだな。ゆっくり立ち上がるんだ」
うひゃぁぁぁぁあぁぁ……。
シロちゃんは、やっぱりソロソロと立ち上がった。
ゆっくりとはいえ、急に高度が変わったせいなのか、耳がポーンとなった。
「変だなぁ。それらしいのがないぜ」
わたしたちは必死《ひっし》になって、目印の紫の岩を捜《さが》した。しかし、目の前にあるのは、延々黒い岩肌《いわはだ》だけ。それらしい岩も穴も見当たらなかった。
左右に歩いてもらったが、やっぱりない。
「もっと上なのかしら」
「そうかもしんねー。んじゃ、シロ、わりぃけど、もう少し上まで見たいんだ。だいじょぶかぁ?」
「は、はいデシ。ちょっと背伸びするデシ」
そういって、シロちゃんはもう一方の手を絶壁《ぜっぺき》について、体を支えながらゆっくりつま先立ちしたらしい。
ぐぅーんと、目の前を壁《かべ》が降下していく。
と……。
「おお! おい、パステル。あれ、あれじゃねーか!?」
トラップがわたしの髪《かみ》をひっばった。
「え? えぇ?」
見ると、ちょうど目の前の高さより少し上方に、ポッカリ空いた大きな穴が。
「その前に、紫色の大岩がある?」
「おお、あるある」
「じゃ、それだ。それだぁ」
「よーし。シロ、わかったかぁー?」
「わかったデシ。その穴のところに、みなしゃんを降ろせばいいんデシね?」
シロちゃんって、ほんと、小さいのに頭いいんだよね。
|要領《ようりょう》を飲みこむのが早いっていうか。
わたしたちを乗せた手を穴の前にゆっくり上げ、固定させた。
「よっし。そのまんまだぞ。シロ、もう少しのガマンだ」
「が、がまんデシ」
シロちゃんがガマンしてくれているうちに、みんな大急ぎで穴の前へと降り立った。
「シロ! もう平気だぞー」
ふぅ―――っと息をついた、シロちゃん。その息で、わたしたちの髪《かみ》の毛はブワぁっと逆立《さかだ》った。
「さてと。今度はシロちゃんだね」
「うん……っと、この辺にはあいつが降りられそうな場所がねーなぁ」
ダンジョンの入り口には、切り立った崖《がけ》をちょっとだけ削りとったような、狭い空間しかない。
「どっしよ」
「最悪、シロは、ヒポと一緒《いっしょ》に留守番《るすばん》っつーことになるな」
ヒポちゃんは下につないできたのだ。
「あ、あら、ダメよ。だって、だって、もしかしたらドラゴン語で通訳《つうやく》してもらわなくっちゃいけないかもしれないんだもん」
わたしたちがアーダコーダいってると、シロちゃんが、
「ボク、小さくなっても飛べるデシ。だから、一度小さくなってから、飛んでくるデシ。待っててくれるデシか?」
「もちろんじゃない! で、でも、こんなに高いところまで……だいじょぶ?」
「わかんないデシ。でも、やってみるデシ」
そういって、スルスルっと小さくなってしまい、もうここからでは見えなくなってしまった。
それから、小一時間くらいたったかな。
わたしたちは、シロちゃんのことが心配で心配で。でも、待ってるより他《ほか》どうしようもなくって。ダンジョンの入り口でイライラしながら待っていた。
「ねぇ、遅すぎるんじゃない?」
わたしは立ち上がった。
「それで、一六回目だぜ。おんなじこというの」
ゴロリと寝そべったまま、トラップがいった。
「でもぉ、|途中《とちゅう》で何かあったんじゃないかなぁ」
そのとき、ルーミィがクレイの頭をなでながらいった。
「烏さん、烏さんは飛べうんでしょ? しおちゃん、迎えにいったげてくえない?」
そのとき感じた衝撃《しょうげき》をなんといおう。
おうた子に教えられ……とは、このことだ。
「そうよ。クレイに見にいってもらえばいいのよ!」
しかし、ノルが首をふった。
「ここ、風が強い。小さな鳥、飛ぶのは危ない」
「そうだよ。んなことして、クレイまで行方不明《ゆくえふめい》になっちまったら、どーすんだ」
トラップもいった。
「行方不明って……、シロちゃんはまだ行方不明になったと決まったわけじゃないわ!」
わたしが、大声でそういったとき、
「お、お待たせしたデシ……」
なつかしいデシ言葉が、後ろから聞こえてきた。
クルッとふりむくと、そこには。
あっちこっちぶつかったりしたんだろう。体中の白い毛をグシャグシャにして、土や小枝をくっつけたシロちゃんがいた。
そして、トボ、トボ、と歩いてきて。クタッと倒れてしまった。
「シロちゃん!!」
「シロ!」
「しおちゃん」
みんな、口々に叫んでシロちゃんをとりかこんだ。
「だいじょうぶ!?」
「ゼイ、ゼイ、ハァハァ、ちょっと、ハァ、疲れたデシ……」
そりゃ、そうだよぉ。こんなに高いところまで、こんな小さな体で飛んできたんだから。
「しおちゃん、死んだらだめら!」
ルーミィがべしょベしょ泣きながら、シロちゃんに抱きついた。
「ほら、シロは死んだりしねーから、|離《はな》れてろって」
トラップが、ひょいっとルーミィの背中をつまみあげた。
でも、なんにしても無事《ぶじ》でよかった。ほんとに、ほんとによかった。
ノルが背中にかついでいる大きなリュックのなかに、シロちゃんを首だけ出して入れることになった。
当分は、歩けそうにないくらい疲れているようだったから。
リュックのなかには何が入っているのか、わかんないけど、やたら大きくってしかもシッカり荷物が詰《つ》まっていた。まぁ、しかし小さいシロちゃんくらいは楽々入った。
「んじゃ、入るとすっか!」
トラップが小さく咳払《せきばら》いしていった。
「うん……」
マッピング用の五ミリ方眼を持つ手が|震《ふる》える。
『人肉の味を覚えたオークやゴブリン』、『|執拗《しつよう》かつ奇想天外な罠《わな》』なんちゅう言葉が、頭のなかによみがえってきた。
え――い、こうなったら後には退《ひ》けないぞぉー!
プルプルッと首を振り、|覚悟《かくご》を決める。
みんなも、お互いの顔を見合わせ、|肩《かた》で大きく深呼吸。
いよいよ、ブラックドラゴンのダンジョンへと踏み入っていったのである。
STAGE 9
ひんやりと湿っぽい空気。
ぽた、ぽた、ぽた、ぽた……。
どこかから聞こえてくる、水の落ちる音。
聞こえてくるのはその昔だけで、後は「し――ん」という音がするだけだった。
「おい、マッピングしてんだろうな」
トラップが小声でいった。
「さんじゅさん、さんじゅし……うん。だいじょうぶ。だって、まだ一本道だもん。えっと、さんじゅし……」
わたしは歩数を数えながら、歩いていた。めんどうだけど、こうやんないと距離感《きょりかん》がつかめなくなるのだ。
ダンジョンのなかは、ノルでさえゆうゆう通れるくらいに広かった。
いきなり天井《てんじょう》から、何者かが落ちてきたり。|床《ゆか》がガラガラと崩《くず》れたり……。どこからいつ敵が襲《おそ》ってきても不思議《ふしぎ》ない状態。
「し、|慎重《しんちょう》にいきましょうね」
「そうだ。|油断《ゆだん》すんじゃねーぞ!」
先頭で、危険がないか調べながら歩いているトラップがいった。
彼の後ろがわたしとルーミィ。はぐれたりしないよう、しつかり手をつないで歩いてる。そして、しんがりはノルとノルにおんぶしてもらってるシロちゃん。
クレイはトラップの肩《かた》にとまったり、ノルの肩にとまったり、気分によって変えているらしかった。
それぞれにポータブルカンテラを持って、キョロキョロと辺《あた》りをうかがいながら、おっかなびっくり歩いていたら。
ガラガラガラガラ……ドッスン!!
「ごじゅうし、きゃっ!」
「わわわ!」
いきなり、何かが落ちてきたからたまらない。みんな思わず抱き合った。
「な、なに!? えーっと、ごじゅうし」
「や、ただの石みたいだな」
「どうして、石が落ちてきたの? ごじゅうし」
「知らねーけど、自然に落ちたってだけじゃねーか?」
「なら、いいけど……ごじゅうし」
あああああ、ドキドキする。
「なんだよ、いちいち『ごじゅうし』って。うるせーなぁ」
「だって、そういわないと忘れちゃうんだもん! ごじゅうし」
「おめぇ、頭わりーんじゃねーの?」
「そういう言い方ってないと思うわ! ごじゅうし」
しばらく歩いていたら、三つに分かれている場所に出た。ひとつは狭い道。ひとつは広い道。
さぁて。いよいよおいでなすったか。
わたしは、ていねいに道を書きこんだ。
「よし。おめーら、ちょっとここで待ってな」
トラップがそういって二本の道を点検に行ったが、ほどなく帰ってきて、
「広れぇ道のほうがすぐ行き止まりだったぜ。しかも、|罠《わな》が仕掛けてあった。よくあるヒッカケだな」
「罠!!??」
「トラップ・ボックス(罠の仕掛けられた宝箱)だ」
「どんな罠だったの?」
「たいした仕掛けじゃねー。|警報《けいほう》が鳴るやつだったけどさ。簡単に外《はず》せたぜ」
「へぇー。で、宝箱は開けたの?」
「もちろんよ。ほれ、これが入ってた」
と、ポケットから金色のメダルを出してみせた。
ドラゴンの紋章《もんしょう》が彫《ほ》りこまれたメダルで、もうかなり錆《さ》びついていた。
「でも、これ、だいじょぶなんでしょうね。|呪《のろ》われてたり、しないでしょうね」
わたしには、なんだか……このダンジョンにある全てのものが呪われているような気がしてならなかった。
「平気だってば。罠、仕掛けたうえに呪いだなんて、だったら怒るぜ。ま、わりといい値段で売れるんじゃねーかな。ほら、それよか書きこんだか?」
「あ、そうね。うんうん。右の太い道は行き止まりで、罠(警報)付きの宝箱あり。中身は金のメダル一ケなり……と」
わたしが書いたマップを一瞥《いちべつ》し、
「よし。じゃ、こっちの道、行ってみようぜ」
トラップは、左の細い道へと歩いていった。
狭いといっても、ノルだけちょっと幸いかな? っていうくらいの狭さ。
「おい、ここに段があるから気をつけろよ」
「はぁーい」
コケの臭《にお》いがする壁《かべ》を水滴がしたたり落ちている。
どうも、このダンジョンって湿気《しっけ》が多いんだな。
「おおおおお!!」
「なに、なになに!?」
先頭をいくトラップが大きな声をあげたから、またまた心臓が飛び上がった。
「おい、コレなんだぁ?」
と、地面を照らす。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
わたしは、後ろにいたノルの腕《うで》にしがみついた。
だって、だって。地面には、小さな小さなスライムみたいな白いゼリー状のものがビッシリうごめいていたんだものぉ――。そのかたまりは幅一メートルちょっと。しかも、地面だけでなく壁にも天井にもはりついていた。
「ああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「あんだよ、うっせーな」
「ほ、ほら、ほら見てよ」
「あんだってば」
「と、|鳥肌《とりはだ》立っちゃってるでしょ?」
「あほっ。それよか、こいつ踏んづけよっか?」
「ま、まさかでしょぉ! なんのためにそんなことすんのよぉー」
「だって、ちょっとは経験値|稼《かせ》ぎになんじゃねーの?」
「やぁよー! こんな無抵抗なのを相手に。よくもまぁ、そんなこと考えつくわね!」
「ちぇっ、そうかいそうかい。そういうこったから、おれたちはいつになってもレベルアップしねーんだよな。他のパーティは経験値稼ぎだけのために旅に出るっつーのに」
「いいのよ。人は人でしょ!」
とにかく、この変なもの、|間違《まちが》っても踏みたくなんかない。いくら経験値を山ほどくれるっていったってね。
わたしはルーミィを抱きかかえ、ちょっと後戻《あともど》りし。目をつぶって思いっきりホップステップジャンプした。
でも、よかったよぉ。知らないで踏んでたりしたら……。
あぁぁあぁ、ダメだ。また背中がぞわわわぁぁーっとしてきちゃった。
ったく。どうして、ダンジョンっていうのは、こう暗くってジメジメしてて気味の悪い奴ばっかいるんだろう。
やっぱ、わたしダンジョンって大っきらい!
細い通路は三二歩+ジャンプ一回で終わり、広い場所へと出た。
しかし、通路らしきものは今来た道以外見当たらない。
「|隠《かく》し扉《とびら》かあぁぁー?」
なにやら、うれしそうにも見えるトラップ。
|腕《うで》まくりして、|壁《かべ》をコンコン叩いてまわっていた。
「あ、パステル。上、見てみて」
ノルがわたしの肩を叩いて、|天井《てんじょう》を指さした。
「ああぁ―――!」
「なんだ、なんだぁ!?」
「トラップ、ここから上に登るんだよ」
そう。隠し扉なんかじゃなく。天井に、ちょうど人ひとり抜けられるような穴が開いていた。
今度は上に行くのだった。
あ―――、やだやだ。またマップがややこしくなる!
わたしは、現在地点に「A−一」と書き、次のページに「A−一」と書いた。
「んじゃ、おれが先に登ってロープたらすからよ。ノル、ちょっくら持ち上げてくれや」
ノルはゆっくりうなずき、トラップの腰《こし》に手をかけ軽々と持ち上げた。
「よぉーし。んじゃ、気をつけて登るんだぞ。最初はルーミィだ!」
そうやって、|無事《ぶじ》上へ登ったわたしたち。今度は全《まった》く別な意味で|途方《とほう》に暮れてしまった。
なぜなら……。
ポータブルカンテラで照らした範囲、四方八方壁がないんだよね。
要するに、なんの特徴もなく、だだっ広いだけ……っていう。
こういうの、一番困る。
「よし。動くな」
トラップが、そういってドッカリと腰を降ろすと、みんな回りに集まった。
「いいな。こりゃ、|冒険《ぼうけん》の基本みてぇなもんだから、こういうときどうすればいいかはみんなわかってるよなー?」
「リング・ワンダリング……だっけ?」
わたしがいうと、トラップは深くうなずいた。
「そうだ。ルーミィ、おめぇはわかってねーんだから、うなずかなくっていいんだぜ」
あははは。たしかに…‥。
「いいか? ルーミィ。おめぇが左|利《き》きなようにだ。人間つーのは、利き手利き足っつーのがある」
「ききえききあしー!」
「うんうん。ま、とにかくだ。利き足のほうが、もう一方の足よか歩幅《ほはば》が大きいんだよな。だから、まっすぐ歩いてるつもりで実は短い歩幅ん方に曲がっちまうわけよ。で、ドンドコドンドコやみくもに歩いてても、こういうだだっ広いとこだったりすると、いつのまにか元の場所に戻《もど》っちまったり。
これをパステルがいった『リング・ワンダリング』というわけだ。
それから、こういう知らない場所だったりすると、ついつい臆病《おくびょう》になっちまって『さっき歩いた場所じゃねーか?』とかって錯覚《さっかく》しちまうこともある」
トラップ、なにやら偉そーじゃん。まるで学校の先生みたい。
や、きっとこういう話、お父さんやおじいちゃんに聞かされてきたんだろうなー。
「で、まぁ、そういうことを防ぐために、何か目印《めじるし》をつけながら歩くわけよ。森のなかだったりすれば、木に印つけたりできるけど、こういう何にもないところだとそうはいかねえ」
「あ、そういうときに使う旗って、なんていったっけ?」
「デポー旗」
ノルがボソッといった。
「そうそう。ま、しかし。今は、んな気の利いたもんもないし……」
と、トラップがいったとき、
「デポー旗、ある」
そういって、ノルが背中のリュックからシロちゃんをいったん外に出して(しかし、それでもシロちゃんは熟睡《じゅくすい》していた!)。ゴソゴソやっていたが、やがて目当てのデポー旗を見つけた。
「おおおお! ヤ、ヤルじゃねーか」
その携帯《けいたい》用デポー旗は、全部で三〇本あった。赤い旗で、支柱の部分が折り畳み式になっていて、伸ばすと一メートル五〇くらいあった。しかも、ちゃんと立てられるようおもりがついてた。
「ノルって、すごいもん持ってんのねー!」
わたしが感心すると、
「いや、これ、キットンが持っていけって、渡してくれた」
そういって、ノルはポリポリ頭をかいた。
「そっかぁ! さっすがはキットンだなぁ」
ノルのリュックが大きな理由がわかった。
この分だと、まだまだキットンの道具が登場してくるかもしれない。
でも、キットンたらいつのまにこんなものを買ってたんだろ。
「よし。じゃ、これを使って探索《たんさく》開始だ。みんなはぐれねーように、前歩いてる奴《やつ》の背中つかまって歩くんだぜ」
「ラジャー!」
デポー旗を、まず、この登ってきた穴の脇《わき》に置いた。
そして、ゆっくり歩数を数えながら歩き出した。
トラップのいったように、みんなつながって歩いてるもんだから。ルーミィの喜ぶこと、喜ぶこと。このコったら、遊んでもらってるつもりなのかも。
「よ――し。ちょうど二〇歩だ」
「にじゅっぼらぁー」
「いんや。おめーにとっては、五〇歩くれぇだ」
「くりぇえだ!」
「ぎゃっぎゃっぎゃ!」
「クレイ、おめぇ呼んだんじゃねーってば」
ふりかえって、ポータブルカンテラをさしだしてみると、さっき立てたデポー旗の赤い布がボンヤリ見えた。
「んじゃ、ここに立てて。さっきんとこにもどるぞ」
こうやって、一辺が歩数二〇歩の正方形を作っていく。それぞれの頂点に目印のデポー旗を置いて、ね。
かったるいと思うでしょ? だけど、急がば回れ! なのだわ。
|冒険者《ぼうけんしゃ》支援グループが主催した講習会でも、先輩の冒険者たちが口を酸《す》っぱくしていってたもん。ちょっとした油断《ゆだん》やちょっとしたなまけ心が死を招くって。そのときできる最大限のことを最高に慎重《しんちょう》にやれって。
で……。結局、その正方形を四方に九つくらい作ったかな。
もう、いい加減へばってきたくらいのときに。
わたしたちは待望《たいぼう》の出口……ではなく、いやぁなモノを見てしまった。
それまでと同じように、デポー旗を立てて、後ろをふりかえったときだ。
動くはずのない赤い布が、ガタガタと左右に大きくゆれていた。
同じ作業を延々|繰《く》り返し、いい加減、頭のほうもだるくなってるときだったから、|一瞬《いっしゅん》、何が起こっているのかわからなかった。
「ト、トラップ、なんであの旗ゆれてるの?」
トラップの返事がないので、ふっと横を見ると、彼はまっ青《さお》な顔をしていた。
「わりぃ予感がするぜ……」
そういって、パッと九〇度横を照らした。
「あああぁぁー!」
ちょっと前に置いたデポー旗もガタガタゆれていた!
ま、まさか……。
いや、まさかではなかった。四方八方、ここから見える限りのデポー旗が、同じようにゆれていたのだ。
しかも、それは風とかそういう自然のものによるゆれ方じゃあない。あきらかに人為的《じんいてき》な……。そう、何者かがガタガタとゆらしているのだ。
でも、だれが!?
いくら目をこらしてみても、何も見えなかった。
「なんにも見えないよ!」
「ああ、見えないな。でも、なんかいるんだぜ」
「ひぇぇ……」
わたしは、ルーミィの手をギュッと握《にぎ》りしめた。
「おっし……んじゃ、ちょっくら様子みてくる」
トラップは青い顔のまんま、そういった。
「だいじょぶなの?」
「なんか、こー長い棒《ぼう》みてぇなもん……あ、そうだ。それ、そのデポー旗、一本貸してくんな!」
ノルからデポー旗を一本受け取ると、
「んじゃ、おめぇらはここ動くんじゃねーぞ」
と、おっかなびっくり歩いていった。
動くんじゃねーぞっていったってさぁ。
「どうする?」
わたしは、ノルを見上げた。
「トラップ、ひとりじゃ、心配だ」
「そうよねー! やっぱ、わたしたちも行こう」
弱者の心理というのは、常に集団で固まって行動するところにある、と何かの本で読んだことがある。なんでも小さな魚は群《む》れて泳ぐことによって、まるで大きな魚ででもあるかのような錯覚《さっかく》を起こさせるんだそうだ。
ま、それとおんなじですわな。
わたしとルーミィ、クレイ、ノル(とシロちゃん)は、そろそろとトラップの後についていった。
|気配《けはい》に気づいたトラップがふりかえった。
「来んじゃねーって、いってんだろ!」
「でも、何かあったときに何か役に立つかもしれないじゃん! ね、ノル」
わたしがノルを見上げ、ノルもウンウンとうなずいているのをみて、
「しょーがねーなぁ」
トラップは吐き捨てるようにいったが、けっこううれしそうな顔をしていた。
そして、デポー旗を持った手を伸ばし、ヒョイッヒョイッと上下左右にふりまわしながら、ちょっとずつ前進していった。
いよいよグラグラゆれているデポー旗のそばまできた。
わたしたちが固唾《かたず》を飲んで見守るなか、トラップは「ほれ、ほれ」といいながらデポー旗を突き出した。
「変だなぁ。何にもいねーぞ……」
と、いったかと思ったら、
「わ、わわぁわわわぁああぁぁぁぁぁぁ!!」
トラップの持ったデポー旗が勢《いきお》いよく引かれ……。
スッテ――――ン!
トラップの体は見事一本背負いを決められてしまった。
ひっくりかえったトラップも心配だったが、わたしたちはもっと驚《おどろ》くことがあったため、みん一瞬《いっしゅん》|黙《だま》ってしまった。
さっきトラップが大声をあげたとき、ボワァーっと赤い何かが浮かびあがったのだ。
「あ、あれ……見た?」
ノルにいうと、
「見た……」
ノルも小さな目をパチクリしてみせた。
「あ、そうだ。トラップは……」
見ると。出し抜けに放り投げられ、地面に叩《たた》きつけられたトラップ。背中をしたたか打ったらしく、うんうんうめいていた。
しかし、すっくと立ち上がり、
「て、てめぇー……」
だああぁぁぁぁぁぁぁ――っと、さっきの見えない奴《やつ》に体当たりをブチかまそうとしたが。あいにく、そこにはデポー旗しかなかったようだ。
「っとっととととと……」
|勢《いきお》い余って今度は顔面からべシャッ……とはならず、すんでのところで踏みとどまったとこなんか、さすが盗賊《シーフ》だ。
「|卑怯《ひきょう》だぞ。姿見せないなんてぁな」
こりないというか、なんというか。いや、|完璧《かんぺき》、頭に血がのぼっちゃってるトラップは、またもデポー旗めがけて突進した。
今度は何かがシッカリいたようで。トラップがしきりに空中をもがき始めた。
「おい、げ! やめろよ。あにすんだよー」
トラップの両手両足、急に変な動きになった。まるでダンスでも踊っているような。
「ぎゃっぎゃっぎゃっぎゃ!」
その様子をみて、クレイが騒《さわ》ぎだした。
「ど、どうしよー!」
わたしが胸の前で両手を組み合わせ、ジタバタ困っていると、
「キットンの、モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》、調べてみたら?」
ノルがいいことをいった。
「あ、そうだそうだ。すっかり忘れてた!」
わたしはリュックから大急ぎでモンスターポケットミニ図鑑を取りだした。
キットンが命の次くらいに大切にしている、この図鑑。何度読み直したかわかんないくらいで、全てのページがキットンの手アカにまみれていた。背表紙のところも、ボロボロで上から何重にもテープで補強《ほきょう》してあった。
「まずは、|索引《さくいん》を見るんだっけな……」
キットンが図鑑の見方を教えてくれていた。
落ちついて、落ちついて……。はやる気持ちをなだめながら、本の最後のほうをめくる。
図鑑に最初っから付いていた索引の他《ほか》に、キットンが独自に作った索引もある。そのキットンが作ったほうのに「姿が見えない、あるいは半透明のモンスター」という項があった。
「や、やめろ! ばか。やめろってば」
トラップのなさけない声がする。
今、今調べたげるからねー、もうちょっと我慢してなさいよ、トラップ。
心の中でそう思いながら、|緊張《きんちょう》のあまり震《ふる》える指で項目をたどった。
「えっと、ゴースト、レイス、スペクター、ポルターガイスト……」
ひとつひとつに簡単なガイド的説明がビッシリ書きこまれていた。それをざっと流し読みをしながら捜《さが》す。
いやぁ、いつも「早く! 早く!」とかって、キットンを急《せ》かしてきたけれど。けっこうたいへんだわ、こりゃ。
「おい、なんとかしてくれよぉー」
ふっとトラップを見ると。両手を上げて左右にふって、足をバタバタさせ、|腰《こし》をカクッカクッと動かし……。タコ踊りのようなダンスはますます激《はげ》しさを増していた。
「うーん、と。これとも違うし……。お次はレッド・ブーツかぁ。三四〇ページね。うん、うん……。おお、おろ? こ、これじゃないかな」
わたしは、そのページをノルに見せた。
「大きな声をあげると、姿が見えるって、書いてある」
「うんうん。そうよ。さっきトラップが叫んだでしょ。だから見えたんだわ!」
きっとこれに間違《まちが》いないみたいだ。
「ねー、トラップ。そこでなんか叫んでみて。できるだけ大きな声で」
わたしがいうと、
「ああぁ――!? なんだってぇ――?」
タコ踊りをしながら、トラップが叫んだ。
「ほら、ほら、やっぱり!」
わたしが指さし、ノルもうなずいた。
トラップの声に反応《はんのう》して、その回りに二体の赤いタコのようなモンスターがぼわぁっと浮かびあがったのだ。
「あああああああああああああああああ―――――――!!!」
わたしは思いきり大きな声で叫んでみた。
あっひゃぁぁぁぁぁ!!
いるわ、いるわ……。遠くのほうからも、その赤い変な奴《やつ》がゆっくり近づいてきていた。
静かになると、すーっと消える。
「わああああああああああああ――――!!!」
叫ぶと浮かびあがる。
「きゃあぁあ!」
なんと。わたしたちのすぐ後ろにも大きなのが一匹いて。ルーミィに触手《しょくしゅ》を伸ばそうとしていた。
その触手を、思わずバシンッと平手打ちすると、スルスルッと引っこめてしまった。
「そだ! 弱点、弱点……と。なになに? うーん、姿が見えないってだけで、ゴーストなんかとは違い実体のあるものだからして、通常の攻撃《こうげき》でもダメージを与えられる……と。んで、特に、その頭の中央のボコッと盛り上がった部分が弱い」
「ああああ――ああああ―――ああああ!」
叫びながら見ると、たしかに頭の上がボコッと盛り上がってる。
「ノル、そういうことだから」
「わかった」
そういって、その……すぐ近くにいてルーミイをねらっている奴の頭をバコッと殴《なぐ》った。
すると、頭がベコッと引っこみ、あっけないくらい簡単に倒れてしまった。
「なぁ――んだ。簡単じゃないの」
「わかったんなら、早くなんとかしてくれぇー」
トラップが踊りながら叫んだ。
しかし、このモンスターって。ああやって相手が死ぬまで両手両足をつかみ、踊りを踊らせ、後でおもむろに食べてしまうというんだから。なんとも気の長い話だ。
わたしが叫んでいるあいだに、ノルがやっつけることにした。
「わあああああああああああああ――――!!」
バコッ! ボコッ!
トラップをつかまえてた二匹のレッド・ブーツも頭を殴っただけで、ヘナヘナとその場に崩《くず》れ落ちてしまった。
「ひえぇ――……」
ようやく自由になったトラップも、そこにへたりこんだ。
その様子をうかがっていた他《ほか》のレッド・ブーツたちは、そろそろと後退し、どこかに本当に消え去ってしまった。
あ――、疲れた。
|喉《のど》がカラッカラだぁ。
「しかし、まぁ、変な奴だったね。わたしなんか喉が痛くなっちゃった」
「喉アメ、なめる?」
ノルが喉アメをひとつくれた。それもキットンがくれたものらしい。
「トラップ、だいじょぶ?」
そうとう疲れたみたいで、はあはあ肩《かた》で息《いき》をしている。
でも、あのタコ踊り!!
「ク、クククク……。ぶっはっはっっはっっは!」
悪いとは思ったけど、ついつい吹き出してしまった。ノルもニコニコ。ルーミィもきゃっきゃっ笑いだした。
「て、てめぇら……なぁ、ハァハァ……」
「テメーラナー、ハッハッ!」
すかさず、クレイがトラップの口真似《くちまね》をしたもんだから、トラップはそのままガクッとうなだれてしまった。
STAGE 10
それから、またあのデポー旗立てを再開。それにしても、なんてまぁ広いんだろう。
いったいいつまでやんなきゃいけないんだ……と、思ったとき。
ふっと前方|斜《なな》め右に、フワァッと不思議《ふしぎ》な色の光が見えた。
「あ、あれ」
わたしが指さしたときには、みんなも見つけていた。
紫がかった、なんとも不可思議な光。
近づいてみると、そこにはポッカリ穴が開いていた。その光はそこからもれていたのだ。
トラップが首をつっこんで、下を見おろした。
「どう? 何か見えた?」
「なんか……変な魔法陣《まほうじん》みてぇなのがあるな」
「魔法陣?」
「ああ。見てみ」
トラップが顔を上げた。
いわれたとおり、わたしも下をのぞきこんでみた。
「あ、ほんとだぁ。なんなんだろぉ……あれ」
直径が二、三メートルの大きな円形の石が置いてあり、それに……ここからではよくわからないが、何かの模様《もよう》が刻みこまれていた。
「どうする?」
「うーん、いっかにもヒッカケくせーんだが。このまんま、ここを探索《たんさく》してもなぁ」
トラップは、ちょっと考えた後にそういった。
「そうね……」
「ふたつにひとつだな。一応、ここを全部調査しつくす。んで、|他《ほか》に方法がなかったら、ここを降りてみる。もうひとつは、まず降りてみる。んで、なんもなったら、またここにもどる」
「どうする?」
わたしはノルを見上げた。
しかし、彼は困ったような顔で首を傾《かし》げただけ。
ノルの肩《かた》に乗っていたクレイも、クィッと小首を傾げていた。
「おれは、下に降りてみるってほうがいいや。もー、いい加減|飽《あ》きちまったからなー。デポー旗立ても」
それはそう。わたしも断然《だんぜん》、飽きちゃった。
「そうね。もう旗も残り少なくなってきたし。降りてみよっか!?」
というわけで、根気のないわたしたちは、|短絡《たんらく》的な道を選ぶことにした。
ノルが上でロープを持って、それをつたって全員が降りた。
最後にノルが降りたが、リュックのなかのシロちゃんは全《まった》く関係なく、くうくうと寝ていた。
しかし、降り立ったはいいけれど。下はとても小さな空間で、それこそ他に出口はないようだった。
中央に、さっき見た魔法陣《まほうじん》のようなものが置かれてあるだけ。
紫色の不思議《ふしぎ》な光は、この魔法陣から発せられているようだった。
「これ、なんなんだ」
「わかんないけど、魔法陣にしては……なんか変だし。この模様《もよう》、何か意味あるのかなぁ」
そう。その円型の石を縁《ふち》どるように、「◎」「☆」「@」「¢」……といった、不思議な模様が刻《きざ》まれていた。
しかも、その模様の部分だけ緑色の光が出ていて。ますます怪しげな雰囲気《ふんいき》をかもしだしていた。
あいかわらず不気味《ぶきみ》なほど静か。しばし、全員|黙《だま》ったままその不思議な光を見つめていた。
「見てても、しかたねーや。とにかく、ここから他に行けねーかどうか。調べてみようぜ」
トラップの提案《ていあん》により、手分けして壁《かべ》を探《さぐ》ってみたが……。
「そっちは?」
ノルが首をふる。
「どこにもないようだな」
「うん。また上にもどってみる?」
「うーん……。いや、それにしても、この魔法陣が怪しいぜ。なんかあるに決まってらぁ」
トラップが腕組《うでぐ》みをして、魔法陣の回りをグルグル回り始めた。
「これ、動かせないかしら?」
「こんな重そうなのを?」
「そう。ダメかな」
「ま、ダメだろうけど。……おおお、おろぉ―――!?」
トラップがいきなりひざまずいて、丸い岩板の端《はし》っこを子細《しさい》に調べ始めた。
「どうかした?」
「あ、ああ。これ、|蝶番《ちょうつがい》じゃねーかな」
指さしたそこには、たしかに大きな蝶番のようなものがあった。
「じゃ、これ」
「んだな。おい、ノル、力貸してくれや」
ノルは大きくうなずき、蝶番のついていた部分と反対のほうを持ち上げた。
「ううううう、、うぬぅぅぅぅ」
トラップもノルも額《ひたい》に大粒《おおつぶ》の汗を浮かべ、丸い岩板を持ち上げていった。
「あああ! ほら、すごいわ。すごいわ!」
「ぱぁーるぅ、階段らよぉー!」
そう。ルーミィがいったとおり、その下にはどこまで続いているのか、わからないが。石を削《けず》って作られた細い階段があったのだ!
トラップとノルが岩板を半分くらいまで持ち上げたとき、カチリという鈍《にぶ》い音がした。ふた
り、顔を見合わせている。
「ううううぅ―――!」
「むぅぅぅ――!」
もう一度力をこめるが、もう岩板はそれ以上ビクともしないようだった。
「でも、ほら。これくらいの隙間《すきま》があれば入れるわ!」
「そうだな。降りてみるかぁー?」
「うんうん。降りてみようよ」
わたしは、もう興奮状態《こうふんじょうたい》にあった。
だって、なんかこういうシチュエーションってワクワクしない?
ちょっぴり怖いけどさ。
わたしたちは足元を照らしながら、その階段をゆっくりゆっくり降りていった。
|途方《とほう》もなく続くようで、ふっと眠くなってしまうくらい単調な道のりだった。
「おい、寝るなよ!」
先頭をいくトラップがふりかえった。
どうやら歩きながら、コックリコックリやってたらしい。
「だって……。いい加減疲れてきちゃったもの」
「おめぇなぁ、こんなチビのルーミィでさえ……あれぇ?」
そう。そのチビのルーミィは、わたしの手を握《にぎ》ったまんますっかり眠ってしまってた。
「しょーがねーなぁ。おし、んじゃ、おれがおぶってやっから」
ルーミィを抱きあげ、トラップの背中にしょわせた。
「あああ、どこにこんな子守りしなきゃなんねー|盗賊《シーフ》がいるかよ。なさけねーぜ、ったく。コラ! おめーはもうデカイんだから、おれにつかまるなよ! あめぇーぜ」
トラップの背中につかまって歩こうとしたら、しっかり拒否《きょひ》されてしまった。ケチだなー、もう。
「おおーっし。んじゃ、景気づけに歌でも歌いながら行こうぜー」
「あぁ、いいわね。なんの歌、歌う?」
「ダ――ンジョンは、暗い。暗い暗い、くら――い!」
「げ……、それ、歌うのぉー!?」
「ダ――ンジョンは、深い。深い深い、ふか――い!」
な、なんと。後ろのノルまでが歌いだしちゃった。
これ、|冒険者《ぼうけんしゃ》のなかでは有名なダンジョンのブルースっていう、ふざけた歌なのね。
えぇ――い。しかたない。歌ってやろうじゃないかぁ!
「ダ――ンジョンは、|怖《こわ》い。怖い怖い、こわ――い!」
やっぱり何もいわずに歩くよりは、まだ元気が出てくる。
だんだんノッてきて、三人とも大きな声で手で拍子《ひょうし》なんか取りながら歌いまくった。
「ダ――ンジョンは、暗い。暗い暗い、くら――い!
ダ――ンジョンは、深い。深い深い、ふか――い!
ダ――ンジョンは、怖い。怖い怖い、こわ――い!
コボルト、ゴブリン、オークがなんだ。
ドラゴン火を吹きゃ、ゾンビもダンス。
これがダンジョン。ダンジョンのブルース
ダ――ンジョンは、寒い。寒い寒い、さむ――い!
ダ――ンジョンは、狭い。狭い狭い、せま――い!
ダ――ンジョンは、嫌《きら》い。嫌い嫌い、きら――い!
ノームのじいさんの、いうことにゃ、
ダンジョン、好きな奴《やつ》ぁ頭も変だ。
これがダンジョン。ダンジョンのブルース」
く、くだらない歌だよなぁ……つくづく。
「ダ――ンジョンは……」
わたしたちが三コーラス目に入ったとき。
ギシ、ギシ、ギシ……。
上から、変な音がした。
「な、なに? あれは」
当然ながら、ふたりとも首をふるばかり。不安そうに上方を見たとき。
ガッタァアァァァァァアァアァアァァァ―――ン!!!
心臓をギュッとつかまれたような気がした。
「し、しまった!」
トラップが唇《くちびる》をかんだ。
「な、なに。なんなのぉー!? さっきの音は」
「ほら、さっきの魔法陣《まほうじん》。あれだ。あの岩がしまった音だぜ、きっと」
「ええぇー!? じゃ、じゃあ、まさか」
「わかんねぇ。ちょっと、ノル。いっしょに来てくれや。おい、パステル。おめぇはルーミィと、ここで待ってろ」
「う、うん……」
トラップはすっかり寝入っているルーミイをわたしに渡した。
そして、ノルといっしょに今降りたばかりの階段を登っていき、ふたりの後をクレイもバタバタと追っていった。
わたしは、しかたなくその場に座って、ふたりの帰ってくるのを待った。
ルーミィをダッコしたまんま。
ポータブルカンテラで、上と下を照らしてみた。
しかし。階段は果てしなく長く、終わりがないように思えた。
もちろん、上からやってきたんだから、果てはあるんだけど。
ふわんふわんの柔らかなシルバーブロンド。子供特有の、ちょっと高めの体温。こんなダンジョンのなかだというのに、なんの不安もなく、わたしたちを信頼《しんらい》しきったルーミィのあたたかさが何よりだった。
ともすると、不安で凍《こお》りつきそうになる心をあたたかく包んでくれているような。
「だ――んじょんは、暗い。暗い暗い、くら――い」
ちっちゃな声で、さっきの歌を歌ってみた。
「う、うーん……?」
あらら。ルーミィが起きてしまった。
眠そうな目をこすり、わたしをぼんやり見上げていたが。やがて、|水晶《すいしょう》のように透《す》き通ったブルーアイをパチッと開けた。
「ごめんね。起きちゃった?」
「ぱぁーるぅ? あれぇ?」
キョロキョロと回りを見て、
「みんなは? どこ、いったのらぁ?」
「ちょっとね。上を調べにいったの。いいよ。ルーミィは寝てても」
「ふーん……」
ルーミィは、ちょっと黙《だま》って。
「ぱぁーるぅ、あのね。ルーミィね」
「うん? なぁーに?」
「いま、|夢《ゆめ》見てたんらぉ」
「へぇ、どんな夢?」
「うんとね。えっとね。ルーミィのママの夢なんら……」
ルーミィはちょっとモジキジしながら、いった。
「ふーん。ママと何をしたの?」
「うんと、うんと……」
ぽよぽよした眉毛《まゆげ》をしかめ、|一生懸命《いっしょうけんめい》考えていたが、
「忘えちゃった……」
そう、なんとも悲しそうな顔でいった。
ルーミィが生まれたエルフの森は大きな山火事にあい、ほとんど全滅状態《ぜんめつじょうたい》だったと聞いている。
わたしはルーミィがかわいそうで。かわいそうで。胸の奥がぎゅーっとしめつけられるような感じがした。
「そっか。忘れちゃったかぁ。だいじょぶ。また、夢のなかで会えるよ。きっと。会いにきてくれるって」
そういって、ルーミィをギュッと抱きしめると、
「また会えうよね!? ママ、会いにきてくれうよね?」
ルーミィの顔に、また薔薇色《ばらいろ》の笑顔がもどった。
しばらくのあいだ、ふたりでシリトリをしたりして待っていたが、待ちくたびれていつか寝てしまっていた。
「おい! 寝てんじゃねーよっ!」
トラップの声。
「う、うん?…‥あ、あぁ……おかえりなさい」
「ったく。んなとこでよく寝てられるよなぁ。しかもこの状況《じょうきょう》において、だ。女っつーのは強い!」
「だって、あんまり遅かったんだも……ああ!! そだそだ。そんで、どうだったの?」
でも、トラップは力なく首を横にふった。
「え――? あ、開かないの?」
「ああ」
「重くって?」
「いんや。なんか、|鍵《かぎ》でもかけられたようにビクともしやしねぇ。な、ノル」
ノルは深刻《しんこく》な顔つきでうなずいた。
「じゃ、もし、もしも、下に出口がなかったら……」
「まんまとしてやられたってこったな。この長っ細い階段に閉じこめられたっつーわけだ」
「そ、そんなぁ!! どうするの!?」
「どうもしやしねーよ。下に出口がないと決まったわけじゃなし。まずは調べてみて。んで、考えようぜ」
トラップらしい言い方。あくまでも冷静にいってのけた後、トットコ階段を降り始めた。
しかし。それは現実の問題となった。
わたしたちは、意外にすぐ階段のおしまいにたどりついたのだが。
「ないね……」
「ちっくしょー!」
トラップが行き止まりになっている。その壁《かべ》をドンッと叩いた。
「い、いってぇぇー!」
|頑丈《がんじょう》きわまりない壁は、当然ながらビクともしない。
「どうしよう……」
「どうしようっていわれても、どうしようもない。ま、ここでみんな仲良く餓死《がし》するしかねーわけだな」
タチの悪い冗談《じょうだん》だ。
でも、冗談じゃないんだ。
よりによって、こんな暗くって狭くってどうしようもないとこで、餓死だなんて!
「そ、そんなぁ……ど、どうするのよぉおぉぉ……」
「泣くなよぉー。泣くと体力使うぜ。酸素も使うしさ。そうそう。さっきのは間違《まちが》いだ。|餓死《がし》するよか前に窒息死《ちっそくし》するな。だって、ここ。|完璧《かんぺき》に密閉《みっぺい》されてるもんなー」
「窒息死!!」
わたしの頭には、全員がもうろうとなって倒れている図《ず》がありありと浮かんできた。
「こ、これで。おしまいなわけないよね? そんな、バカな」
「|壁《かべ》という壁、階段の一段一段シラミつぶしに調べてみようぜ。ひと休みしてからな」
そういって、トラップは行き止まりの壁によりかかった。
「そうだね。それしかないか……。でも、それにしても陰険《いんけん》っていうか、|卑怯《ひきょう》っていうか」
「ばぁーか。相手はブラックドラゴンだぜ。別に、|冒険者《ぼうけんしゃ》ご一行《いっこう》さま、ようこそいらっしゃいましたぁってなぐあいに歓迎してくれるわきゃねーんだ。|油断《ゆだん》したおれたちが悪い」
こんな切羽《せっぱ》つまった状況《じょうきょう》でも、けっこうのんきに話していられるのって。どっか「いやいや、これでおしまいなはずない」って思っているからだろうな。
「あ、ぱぁーるぅ、これなんら?」
と、ルーミィがいったとたん。
「ぎゃああああぁぁぁぁああぁぁぁー!!」
トラップの悲鳴《ひめい》がして。
んで、トラップの姿が消えてしまった。
「ト、トラップ――!! どこ、いっちゃったの?」
みんな顔を見合わせる。
でも、姿もなければ、声もしない。
「ルーミィ、あんたいったい何したの?」
キョトンとした顔のルーミィ、壁を指さした。
「こえ、こえを押したんらおぉー」
見ると、小さな小さなボタンみたいなものが壁に埋《う》めこまれていた。
それはルーミィだからこそ見つけられたんだなってくらい、ふつうだったら見過ごしてしまうような低い位置にあった。
「スイッチだ! きっと、それ何かのスイッチなんだよ」
さっそくピッと押してみた。
すると、どうだろう!!
さっきトラップが立っていた場所にポッカリ穴が開いたじゃない!
スイッチを離すと、またフタがしまった。
「ちょっとルーミィ押したままにしてて」
「うん、わかったぉ!」
穴から下をのぞくと、下でトラップがひっくり返っていた。
「トラップ、だいじょうぶぅ!?」
「ってててててててて……」
お尻《しり》をさすりさすり、上を見て、
「どうなったんだよ」
「こっちに小さなスイッチがあって、それをルーミィが押したのよ」
「ほえぇ……、ま、どっちにしても、よかったな」
「ほんとにー。そっちはどんなとこなの? こっちからじゃあんまりよく見えないけど。明るいじゃない?」
そう。ほんのり明るいのだ。
「ああぁ……」
トラップは、まだお尻をさすりながら周囲《しゅうい》を見回した。
「おおおお!!」
「なになに?」
「なになに?」
わわっわっわっわ!!
「ルーミィ。ダメじゃない。ちゃんとボタンを押しててくんなきゃあ」
ルーミィがボタンから手を離してしまったもんだから、|隠《かく》し扉《とびら》がしまっちゃったのだ。
「ぶぅぅぅ――……」
ぶっくぅーっと、ルーミイはほっぺをふくらませ、またスイッチを押しにもどった。
と、また、扉が開いた。
「あに、やってんだよぉー!」
トラップがこっちを見上げていった。
ふりかえると、ノルがあの太い指でちっちゃなボタンを押してくれてた。
「さんきゅ! ノル。あ、そんでそんで? トラップ、どうした?」
「おお。なんか、|回廊《かいろう》みてぇになってるぞ。人工的に岩をくりぬいてるって感じだな。|壁《かべ》にはたいまつがかけてあったりするしさぁ」
「たいまつが? あぁ、それで明るいのね」
「早いとこ、おめぇらも降りて来いよ」
「うん!」
さてと、じゃ、降りましょうか……と、思ったけど。
「あ、あれぇ? ねえねえ。これ、ちょっと困らない?」
「なにがだよ」
「だってだって、この扉《とびら》って誰《だれ》かが押してないとダメなの。ボタン離すと一瞬《いっしゅん》でしまっちゃう」
「なんかで固定すりゃいいじゃん」
「あ、そうだね! そうしよう」
ちょうどいい岩があったので、それをたてかけてみた。
うまいぐあいにボタンが固定でき、|隠《かく》し扉もすーっと開いた。
まず、ノルに先に降りてもらって、それからルーミィを。それから、わたし。
下でノルが体を支えてくれてるんだけど、ちょうどウエストのとこをつかまれたんで、くすぐったいったらない!
「きゃっはっはっっは……、やめて、やめてよ。ぎゃっはっはっはっは」
「ばぁーか! |騒《さわ》ぐなよ。モンスターが来ちまう」
「だってぇ。きゃっは! くすぐったい!」
と、身をよじったとき、ガッタァーン! という音。目の前で、さっきの岩が倒れてしまった!
「きゃぁぁぁ――!!」
|一瞬《いっしゅん》にして、隠し扉がしまった。
わ、わたしは、当然ながら胸のとこで挟まれてしまい、身動きとれなくなってしまった。しかも、扉はグイグイしめつけていく。
も――、頭んなかパニック。
|必死《ひっし》でジタバタして手を精《せい》いっぱい伸ばしたが、当然ボタンになんて届《とど》かない。
下でもわたしの足を引っぱってくれたりしたんだけど、
「い、いたーい、いたいいたたた……ちぎれちゃうよぉ」
このまんまどうすることもできず、ここにはさまれたまま死んでしまったりして……。
そう思ったら、わぁーっと涙が出てきた。
そんなの、そんなのって! そりゃ、|冒険者《ぼうけんしゃ》になろうって決めたとき、ふつうの死に方はできないかもしれない……とかって覚悟《かくご》はしたよ。だけど、だけど。こんななさけない死に方ってないんじゃないのぉー?
「やだやだやだやだぁ――!!」
そう叫んだとき、ふっと扉が開いた。
「きゃああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁー!」
「うっせ――奴《やつ》だなぁ!」
思わず閉じてしまった目をふっと開けると、そこにはみんなの心配そうな、それから安心したような顔、顔、顔。
「どうしちゃったの?」
「またもや、ルーミィのお手柄《てがら》だぜ」
ルーミィを見ると、
「こっちにもボタンあったんらよぉ」
と、得意そう。
そうなんだ。下の壁《かべ》にも、さっきのと同じような小さなボタンがあったのだ。やっぱりルーミィならでは! っていうくらいに低い場所で、小さな小さなボタンが。
「えーんえーんえーん……」
わたしは、どっと安心したのと、さっきの恐怖《きょうふ》から抜けきれなかったのとで、わんわん泣い
てしまった。
「ぱぁーるぅ、ぱぁーるぅ……」
わたしにつられて、ルーミィまで泣き出してしまった。
「しょーもねぇー!」
トラップは悪態《あくたい》をついたが、ノルは背中をやさしくなでてくれた。
トラップがいったとおり、さっきまでのダンジョンとはガラッと雰囲気《ふんいき》も違って。ここは、まるで整備された石造りの回廊《かいろう》。岩をくりぬいた壁《かべ》と床《ゆか》は、ぼんやり顔が映るくらいなめらかに磨《みが》きあげられていた。
壁には、たいまつが赤々と灯《とも》されていたが。そのたいまつが不思議《ふしぎ》だった。まるでわたしたちを誘《さそ》うように、一歩一歩進むごとに、ひとつひとつ点《つ》いていくのだ。
人間ふたり並んで歩けるくらいの幅《はば》の回廊が、ちょうど四〇歩続いたところで、横道があった。しかし、その横道にあるたいまつは点かない。まるで、そっちではないと教えているように。
「|断然《だんぜん》、怪しいな」
トラップが目を細めていった。
「どうする?」
「おれ、また見てくるよ。ここで待ってろな」
そういって、まっ暗な横道へと歩いていった。
そして……。
わたしたちはトラップを待つ間に、とんでもなく恐ろしい声を聞いた。
「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
身の毛もよだつような、|獣《けもの》の鳴き声。そんなに近くではなかったけれど、回廊の壁という壁に反射し、わたしたちの心臓を飛び上がらせた。
すぐノルに聞いたが、動物の言葉がわかる彼も青い顔で首をふった。
ふつうの動物の声じゃないという。
ふつうの動物じゃないって!?
それじゃ……。
わたしの頭のなかには、また「人肉の味を覚えたゴブリンやオーク」という言葉が浮かんできた。
ゴブリンなら、わたしは一度だけ見たことがあった。
まだクレイたちと出会う前。わたしはルーミィとふたりで旅をしていた。|冒険者《ぼうけんしゃ》の資格《しかく》を得ようと、その試験会場へと向かう道中だった。だから、ふたりともまだ冒険者でもなかった頃《ころ》のこと。道に迷ってしまい、いつか深い森のなかを歩いていた。
そして、見てしまったのだ。薄暗い森を数匹のゴブリンたちが行き過ぎるのを。
幸い、彼らの興味《きょうみ》は別のところにあったらしく、わたしたちの存在に気づかず通り過ぎていったが。忘れようにも忘れられない。|小柄《こがら》で、せせこましく歩く彼ら。その土色の顔とギラギラ光った赤い目。
わたしは、あのいやらしく光った、血のような目を思い出し背筋《せすじ》がゾッとなった。
そして、ゴブリンよりも恐ろしいといわれるのが、オークだ。|不潔《ふけつ》な臭《にお》いをふんぷんとさせ、ダンジョンを集団で徘徊《はいかい》する彼ら。
もちろん、手だれた冒険者たちにとっては、|格好《かっこう》の相手なのかもしれない。でも、ファイターのクレイがオームになっちゃってる、今のわたしたちにとっては脅威《きょうい》だ。特に、こんなダンジョンの中。逃げ道のない場所で取り囲《かこ》まれたりしたら。
ふいに襲《おそ》われたりしないよう、前と後ろ、それから横道も注意深くチェックしていると、暗い横道からボォッとトラップが現われた。
「あ、ああぁぁ……トラップかぁ」
わたしはオオゲサに胸をなでおろした。
「なんだよ」
「さっきね。気味の悪い鳴き声を聞いたのよ」
わたしがいうと、トラップは暗い表情で、
「おれも聞いた。|厄介《やっかい》なことにならなきゃいいけどな」
と、低い声でいった。
|状況《じょうきょう》が状況なだけに、表情が暗いのも声が低いのもわかる。でも、でも、なんか……それにしても、変。
「トラップ……? 何かあったの?」
「何かって、何が?」
「う、ううん……だから、この横道に何かあったのかなって」
「いや。別に大したもんはなかった。先を急ごうぜ」
と、キッパリ。スタスタと歩きだした。
なんか、|隠《かく》してるな……。
わたしは直感したが、それ以上は聞かないことにした。彼には彼の考えがあって、あえてわたしたちにはいわないんだろう。
あえて言わない何か……!
聞いてうれしいもんじゃないことだけは、たしかだ。
わたしたちは、やがて回廊《かいろう》がT字に分かれている場所へとブチあたった。
「右にする? 左にする?」
どっちに行くか、|悩《なや》んでいると……、
「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!」
またまた、あの吐き気がするような声が聞こえてきた。
しかも、さっきよりずっと近くから。
みんな顔を見合わせる。
「左のほうから聞こえたな……」
「そうかしら。右のほうから聞こえなかった?」
「そういわれると、そうかもしんねぇ」
こういう入り組んだダンジョンの中では、音が回ったり反射したり消えたりするため、はっきりどこからとは断定《だんてい》できない。
たいまつは、右のほうだけに灯《とも》っている。
(さぁ、右だ。右においで。おまえたち……)
曲がりくねった爪《つめ》をカチカチといわせながら、歯のない老婆《ろうば》がいやらしく笑いかけてくるような、そんな感じ。
「左に行ってみる? いかにも罠《わな》がありそうじゃない?」
「いや……もしかしたら、ふつうはそう考えるだろうってんで、その裏をかいてんのかもしんねー」
結局、足元の明るいほうがまだマシだろうということになり、右に行ってみることにした。
武器を持つ手がじっとりと汗ばんでくる。
お互いの息づかいが聞こえるはど、静かだった。
鼻の利《き》くオークやゴブリンには意味がないかもしれないが。みんな無言で、|靴音《くつおと》さえたてないように注意しながら歩いた。
カツッ……カツッ……カツッ……カツッ……。
突然、後ろから靴音が、かすかではあったがはっきりと聞こえた。
ギョッとしてふりかえる。
「だ、だれかいる……!」
カツッ…カツッ…カツッ…カツッ…。
聞き間違《まちが》いなんかじゃない。とりたてて耳を澄まさなくっても聞こえてくる。
|回廊《かいろう》のたいまつは、わたしたちが通り過ぎるのを待って消えてゆく。だから、後ろはすでにまっ暗だ。その暗闇《くらやみ》の果《は》てから、靴音だけが近づいてきていた。
「よし、静かに急ぐんだ」
わたしたちは、息を殺したまま早く歩き始めた。
カツッ、カツッ、カツッ、カツッ……。
げげ!!
その靴音も、わたしたちの歩調に合わせたように早くなったじゃないか。
立ち止まると、その靴音も止まった。
「あ、あれ、もしかして。わたしたちの足音なんじゃない? 変なふうに反響《はんきょう》して……」
「じゃ、こういうのは?」
トラップがポンポンとジャンプしてみた。
しかし、それらしい音は返ってこなかった。
「とにかく急ごうぜ。どっか隠《かく》れる場所を捜《さが》すんだ」
でも、この先、隠れたりできる場所があるんだろうか!?
延々と、その回廊は続いていた。
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ……。
相変わらず、靴音は後を追いかけてくる。気のせいか、かなり近づいてきたような……。いや、気のせいなんかじゃない。さっきまではかすかにしか聞こえなかったのに、今やはっきり聞こえる。しかも、こっちの歩調には関係なく、走ってくるではないか。
「トラップ……!」
「よし。走るぞ。ノル、ルーミィを頼《たの》むぜ」
ノルはルーミィを小脇《こわき》に抱《かか》えた。
もう足音を気にしているゆとりなんか……。
全力で走った。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ……。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ……。
胸からあがってくる息と、例の靴音が交錯《こうさく》した。
ふりかえると、そこに立派な鎧《よろい》をつけた大きな騎士《きし》がいる……そんな光景が浮かんできた。しかし、その騎士の顔は、|頬《ほお》の肉も唇も目もない、ドクロなのだ。
ばかっ! パステル。
こんなときは落ちつかなきゃ!
どれくらい走っただろう。
もう目がかすんで、|脇腹《わきばら》がギリギリ痛くなってきたとき。L字の曲がり角が前方に見えた。
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ……
|靴音《くつおと》は、もう、すぐそばまで来ている。
「よし。後少しの辛抱《しんぼう》だ。ふんばれ!」
トラップがいう。
みんな肩《かた》で息をしながら、うなずいた
あの角を曲がったからって、|事態《じたい》がよくなると思えないのだけど。とにかく今とは何か違うことがあるかもしれない。|一縷《いちる》の望みを託《たく》し、|鉛《なまり》のように重い汗ばんだ太股《ふともも》に、活をいれた。
もう残っているのは、気力しかない。
「ギャッギャッギャ!」
クレイが甲高《かんだか》い声で叫んだ。
後、数歩で曲がり角というときだった。
その突き当たりの壁《かべ》に、大きな影がユラリと映し出されたのだ。
わたしたちは、その場で凍《こお》りついてしまった。
これから曲がろうと思っていた場所から、何かがやってきたのだ。
たいまつに照らされ、ユラユラと大きくゆれる、その影。ひと目で、人間じゃないのがわかった。
人型はしていたが、あきらかに違ったのは、その頭だ。小さな頭には、グルッと曲がった角《つの》のようなものが二本生えていた。
長い手は大きなこん棒《ぼう》のようなものを握《にぎ》っているらしかった。
ジリジリと後ずさる。
カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ……。
しかし、後ろからはさっきの靴音が聞こえてくるし。
みんな頬《ほお》をひきつらせた。
進退|窮《きわ》まれり! とは、このことだ。
「しょーがねぇ。戦うしかねぇようだな」
トラップは特製のパチンコに石をこめ、その大きな影の主を迎え討《う》つ用意をした。
わたしは、ノルからルーミィとシロちゃんを預《あずか》った。
怪力の持ち主、ノルは、今や我々のなかで一番の戦力だからだ。
「シロちゃん、起きて。ね。起きて!」
ぐっすり寝ているシロちゃんをゆさぶった。かわいそうだが、|必要《ひつよう》なときは自分の足で逃げてくれないと困る。
「ほわぁぁい。なんデシか?」
トロンとした目をしていたシロちゃんだったが、バチッと目を開いた。
「危険が危ないデシ!」
もうその日は鮮《あざ》やかな緑色になっていた。
「そうなのよ。何かが来てるの」
「どっちからデシか?」
「どっちともから!」
わたしはルーミィの手を握《にぎ》りしめ、もう一方の手にショートソードを持った。
ノルが斧《アックス》を両手で握りしめ、先頭に立ち身構《みがま》えたとき。
ユラリと大きくゆれ、影の主が曲がり角から現われた。
わたしは痛いくらいに目を大きく見開いて、そいつの異様《いよう》な風体《ふうてい》を見つめた。
もちろん、こんな商売をやっているんだし。いろんな変なモンスターは見てきた。だけど、だけど、こんなにいやらしく気味の悪いモンスターは初めてのことだった。
体格は、巨人族のノルより少し小さいくらいの大きさ。しかし、毛深い手足は筋肉で盛り上がり、手にしたこん棒《ぼう》の破壊力《はかいりょく》やさぞかし! と思わせた。手足の指は三本しかなく、大きな爪《つめ》が黒く尖《とが》っていた。
ズタズタの服は何かの皮を引き剥《は》がしたばかりのようで。まだ赤い血の塊《かたまり》があちこちについている。
しかし、それよりも恐怖《きょうふ》だったのが、その顔だ。体格に似合わない小さな頭はツルツル。その頭両側、ちょうど耳にあたる部分にグルッと曲がった羊《ひつじ》の角《つの》のような角が生えていたのだが。顔までがツルツルだったのだ!
いや、よぉく見ると目や鼻、そして口にあたる部分に、切れ目がある。それは単なる縦に長い切れ目であって、とても機能《きのう》しているとほ思えなかった。
その鼻にあたる切れ目を、ほんの少し閉じたり開いたりして、様子をうかがっていた。わたしたちの臭《にお》いがするんだろう。
じっとりと汗ばんだ手で、ルーミィの手を握《にぎ》りしめ、わたしはジリジリと後退していった。
そのとき、ルーミィが何かにつまずいてステンッところんでしまった。
と、その瞬間《しゅんかん》! そいつの目の部分にあたる切れ目。そこがグワァァァァァッッッっと開いた。いや、顔の皮がめくれ返ったというはうが適切かもしれない。
頭の半分まで皮がめくれ、中から蜂《はち》の巣状《すじょう》の目が現われた。|複眼《ふくがん》になっていて、大きなトンボのよう。
口の部分の切れ目も縦に大きく裂け、
「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
と、あの、身の毛もよだつような声をあげた。
そして、大きなこん棒《ぼう》をノルめがけてふりおろした。
しかし、こん棒は空を切り回廊《かいろう》にかかっていた、たいまつに激突《げきとつ》した。
たいまつは火の粉をまき散らし、床に落ちた。
「うっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
一歩大きく前進した、そいつはまたこん棒をふりおろしたが、また空を切っただけ。今度は壁《かべ》をしたたかに打った。石壁《いしかべ》に細い亀裂が走り、パラパラと破片がこばれ落ちた。
どうやら、あまり目がよくないようだ。
しかし、その体力はすさまじく、めったやたらとふりまわす、あのこん棒に打ちのめされた
ら……。|昏倒《こんとう》するくらいじゃぁ、すまない。
「ノル、気をつけて!」
わたしが声をかけると、グリッと、あの複眼《ふくがん》をわたしのほうへ向けた。
「きゃぁぁぁぁっ!!」
ふいのことで、目をギュッと閉じルーミィを抱きしめた。
ガッッツ!!
|頬《ほお》に風圧《ふうあつ》を感じた。
目を開けると、目の前にこん棒がころがっていた。
見ると、片目からダラダラ血を流している。トラップがパチンコで石をぶつけたらしい。
大急ぎで次の石を用意しているところ、
「ぎぇぇっっっっぇぇぇぇっっ!!」
モンスターが両手をかざし、トラップめがけて突進してきた。
ガッッ!!
その肩口《かたぐち》にノルが斧《アックス》をふりおろした。
モンスターは怒りまくり、その斧をむんずとつかんで後ろに放り投げた。
そして、三本の太い指を曲げ怪我《けが》をしていないほうの手でノルの首をつかみ、あの巨体のノルをグイッと宙《ちゅう》に浮かせてしまった。
力をふりしぼって、ノルはもがいた。しかし、モンスターはビクともしなかった。
「う、うぅうぅぅ……」
ノル、息ができないんだ!
苦しそうな顔から、どっと汗が吹き出ている。
「て、てめぇ――!」
トラップがモンスターの背中に、わたしの手からもぎ取ったショートソードを突き立てた。
何度も何度も!
しかし、そいつは手をゆるめない。
ノルの顔が赤紫色《あかむらさきいろ》に変わっていく。
な、なんとか、なんとかしなくっちゃ!!
そ、そだ。モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》……!!
あぁ、でも、そんな……|捜《さが》してるゆとりなんか、ない!
わたしがパニックしている問に、シロちゃんがトコトコ歩いて、そのモンスターの足めがけ、熱いのをボォォォォ――――ッッ!! とおみまいした。
これは、さすがに効《き》いたようだ。
ジュッと焦《こ》げる臭《にお》い。
「うっぎぇえぇぇぇ―――」
モンスターはノルを離《はな》し、わめきながら足をバタバタさせた。
今だ!!
ゲホゲホいっているノルを助け起こし、さっき来た道をもどった。
正体不明《しょうたいふめい》の靴音《くつおと》のことがチラッと浮かんだが、モンスターが火傷《やけど》した足を少し引きずり追いかけてきたから、どっちみちもどるしかない。
しかし、しかし。
わたしたちは先に進むことも、後にもどることもできなくなった。
さっききた通から、細長い影がグングン近づいてきたからだ。
カッ、カッ、カッ、カッ、カッ!
例の靴音を響《ひび》かせて。
モンスターは、さっき落としたこん棒《ぼう》を拾いあげ、それを壁《かべ》にガンガン叩《たた》きつけながらやってきていた。
もう、おしまいか!
楽天的なわたしも、ついにそう思った、そのとき。
「やっぱり、君たちか!」
「えっ!?」
ふっと顔を上げると、たいまつに照らされて、|輝《かがや》くような短いが金髪《きんぱつ》が、白い鎧《よろい》が、そして……あの、やさしく神秘《しんぴ》的な金色の瞳《ひとみ》が浮かびあがった。
「ジュ、ジュン・ケイ……さん!」
なんと、あの謎《なぞ》の靴音《くつおと》の主は、わたしたちをバジリスクから助けてくれた、レベル三〇の傭兵《ようへい》、ジュン・ケイだったのだ。
「な、なぜ……なぜ、ここに?」
「話は、後でね」
彼は、パチッと片目を閉じ、スラッとロングソードを抜きはなった。
「ぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
さっきのモンスターが、目の前に躍り出たジュン・ケイめがけ、こん棒《ぼう》をふりおろした。
ヒラリとよけ、両手で持ったロングソードで、モンスターの大きくむき出しになった目と目の間を上から叩《たた》き斬《き》った。
「ぎゃぁぁぁあぁぁぁぁぁ――!」
耳を覆《おお》いたくなるような絶叫《ぜっきょう》。
指と指の隙間《すきま》から見ていると、ジュン・ケイは、小さな頭から血を吹きだしたモンスターの胸元に長い足をかけ、思いっきり蹴《け》っとばした。
ドォォッと倒れたモンスター。その喉元《のどもと》に、ロングソードを深々と突き差し、息の根を止めたのだった。
この間、ほんの一分少々の出来事だった。
ほぉーっと、つく安堵《あんど》のため息。
わたしの意識はすぅーっと遠ざかっていった。
STAGE 11
ゆらゆらゆらゆら、ゆらゆらゆらゆら。
なんとも、いい気持ち。
それに、ふんわりいい匂《にお》い。
ふっと目を開けると、|誰《だれ》かの肩と首筋《くびすじ》が見えた。
「…………?」
「起きたかい?」
涼やかな声。
よーく見ると、あの短くってツンツン立った金髪《きんぱつ》。
わっわっわっわっわっわわわわ!!
わ、わたし、ジュン・ケイにオンブしていただいてた!
「ど、どーして!?」
「おめぇー、|気絶《きぜつ》しちまったんだ。だからさ」
トラップの声が前方からした。
「す、すみませんっっ! も、もう、ほんとうにだいじょうぶですから。降ります! 降ります!」
「やぁ、別にいいよ。もうちょっといったところに、休める場所があるから。そこまで連《つ》れてってあげるさ」
「す、すみませーん……」
わたしはまっ赤になって恐縮《きょうしゅく》しまくった。
すんなり、しなやかだけど。しっかり筋肉のついた広い肩《かた》。首筋からは、なんともいえないいい匂いがする。
急に胸が苦しくなってきて、こんなにドキドキしてたら絶対バレちゃうな……とかって思った。
「なさけねーよな。あれっくらいのバトルで気絶するような冒険者《ぼうけんしゃ》がどこにいるかぁ?」
「だって……」
さっきのモンスターの最後を思い出して、また気持ちが悪くなってしまった。もちろん、|殺《や》んなきゃ、殺られるんだし。しかたないけれど。ジュン・ケイにとっては何の抵抗もない、|日《にち》|常茶飯事《じょうさはんじ》のことなんだろうか。|涼《すず》しい顔をして、敵を倒す……なんとなくわたしはジュン・ケイが怖《こわ》くなってしまった。あぁ、もちろん、そういうのって勝手な感情なんだけど。しかも、そういうことを考えてたら、冒険者なんてやってけないんだけど。……でもね。
「ルーミィ、おなかぺっこぺこだおぅ!」
ルーミィお得意のフレーズが出てきたところで、ご飯にすることになった。一応、昼ご飯ということになるが……。たぶん、もう夕飯くらいの時間なんだろう。|緊張《きんちょう》の連続《れんぞく》で食欲もわかなかったが、その気になってみればお腹もグウグウいいだした。
ジュン・ケイがいってた休憩《きゅうけい》できる場所というのは、さっきの回廊《かいろう》を曲《ま》がってしばらくいったところにあった。人間六人くらいがゆとりをもって座れるくらいの空間。奥には岩石で作ったベンチのようなものまであった。いったい、なんの部屋《へや》なんだろうか。
「それで、どうしてここにいらっしゃったんですか?」
わたしが聞くと、ジュン・ケイはちょっと苦笑まじりに答えた。
「実はね。あれからエベリンで、貴族に雇《やと》われたんだよ。なんでも、その貴族、どこかの大貴族の三男坊らしいんだが。父親が、もっとも勇気のあるものに家を相続させるといったらしい。それで、長男、次男に対抗して、ドラゴン族のなかでも特に恐ろしいというブラックドラゴンを退治《たいじ》しに出かけたというわけさ。
しかし、その三男坊、今までろくに剣の修行《しゅぎょう》もしてなかったらしくってね。ちょっと小さなスライムが出てきたくらいで、キャアキァアいって逃げてしまう。当然、かなり手だれた冒険《ぼうけん》|者《しゃ》でさえしりごみするようなブラックドラゴンを退治しようなんて無理《むり》な話だ」
「それで、ジュン・ケイ……みたいな傭兵《ようへい》を?」
呼び捨てにしていいっていわれたけど。やっぱりなんとなくまだ抵抗があるなぁ。
「そう。わたしだけじゃなく、総勢三〇人くらい引き連れてね。まぁ、わたしもブラックドラゴンの噂《うわさ》は聞いて知ってたし。その貴族、気前だけはよかったからさ。|腕試《うでだめし》しもかねて参加したわけ」
「その貴族はどうしたの? それに、|他《ほか》の三〇人の戦士たちも」
「うん。それが、さっきのエルトンに殺《や》られてしまったんだ」
「あ、あのモンスター、エルトンっていうんですか!!」
「そう。知らない? この辺のダンジョンじゃ有名だよ。レベル二〇くらいの奴《やつ》で、単独で勝手に行動している狂乱戦士《バーサーカー》だ」
「うげ! レベル二〇もありやがんの!?」
トラップが、さもイヤそうな声をあげた。
「でも……、全員殺られてしまったというわけじゃないでしょ? まさか」
「ああ、殺られたのはふたり。後ふたりほど怪我《けが》はしたが、大した傷じゃない。しかし、その貴族にはもう限界だったんだろうな。他の奴らを連《つ》れてさっさと逃げ出してしまったんだ」
「あ! じゃぁ、あの横道のほうにあった死体、あれ、あんたの仲間《なかま》か」
「さっきの通路とT字になってる先から曲がったほうにあった?」
「そそ!」
「うん……そうだ」
そっかぁ。あの横道をひとりで調べてきたトラップが青い顔をしていたわけが、やっとわかった。わたしたちにあえていわなかったのって……その殺《や》られてしまった傭兵《ようへい》たちの死体だったんだ。
「しかし。あの人には、そのほうがよかったんだ。何も無理《むり》して命を落とすこともない」
「でも、その殺られてしまった人たちがかわいそう……」
わたしがそういうと、ジュン・ケイほちょっと小首を傾《かし》げた。
「そう……かな。我々傭兵は、そんなこと百も承知で雇《やと》われているわけだよ。いつ何があっても、それは自分の鍛錬《たんれん》が足りなかったのと、運がなかったってだけだ。かわいそうも何もないと思うよ」
「そ、そうですか……」
|厳《きび》しいんだなぁ、傭兵の世界って。
「でもさ。なんで、あんただけ残ったんだい?」
トラップが干《ほ》し肉をしゃぶりながら聞いた。
「うん。実をいうと、ここに来るのは二度目なんだよ。で、まぁ、せっかく来たんだし、次回に備《そな》えてマッピングでもしようかなぁとね。そうしたら、聞いたことのある声がして……」
「あぁー! マップ!」
わたしはついつい大声を出してしまった。
「わたし、|気絶《きぜつ》している間、マップ取ってない!」
しかし、ジュン・ケイがにっこり笑って、小さなメモを渡してくださった。
「これにだいたいのことは書いてある」
「見せていただいてもいいんですか!?」
「もちろん」
「よかったぁあ!」
わたしは細い線できちょうめんに書きこまれたマップと、自分のマップを見比べながら、足りないところを補正《ほせい》していった。「これは、|隠《かく》し扉《とびら》だよ」「それは宝箱」とか、いちいち説明してくださったのだけど。すぐ前に彼の端正《たんせい》な顔があったりして。んでもって、わたしの前髪《まえがみ》が彼の額《ひたい》にさわったりして。
こらこら。何、考えてんだ! この非常事態《ひじょうじたい》に。
「ところで、君たちこそ、こんなところに何の用があるんだい? そういえば、メンバーも足りないみたいだし」
今度はジュン・ケイが尋ねた。
そこで、今までの話をかいつまんで話した。ジュン・ケイは静かにうなずきながら聞いてくれたが、
「そうか……。しかし、こんなことをいうと、悪いが。君たちのレベルでこのダンジョンを抜けるというのは難《むずか》しいかもしれないな」
「|重々《じゅうじゅう》承知なんです。でも、でも他《ほか》に方法はないんですもの。このままじゃ、クレイはオームのままだし、サラディーの王様も宿屋の息子さんも、それから忘れられた村の人たちも……。あ、あのぉ、ジュン・ケイさん」
「う、……ん?」
わたしは、そのとき全身全霊《ぜんしんぜんれい》の想《おも》いをこめて彼を見つめていたと思う。
ジュン・ケイは少なからずたじろいだ。
「お願いです。ここで再会できたのも、何かの緑《えん》だと思うんです。わたしたちを助けてくださいませんか!?」
「そ、それは……まぁ、このままほっとくわけにもいかないと思ってたけど……」
「じゃ、じゃあ!?」
わたしも、トラップもノルも期待《きたい》に満ち満ちた目でジュン・ケイを見つめた。ジュン・ケイは困ったような顔で、ちょっと考えていたが、
「わかった。じゃあ、わたしを雇《やと》ってくれないかな」
顔を見合わせる、わたしたち。
わたしは、頭のなかでお財布《さいふ》の中身と貯金通帳の残高を復習した。
「こんなこと、変なこだわりだとは思うんだけど。一応、|傭兵《ようへい》だからさ。ボランティアはしないと決めているんだ」
「いや、そりゃ、そうだと思うぜ。おれも。おれだってたぶんそうする」
トラップはいやに感心して、大いに納得《なっとく》したような顔でいった。
「でも……わたしたち、そんなにお支払いできないと思うんでね。えっと、たぶん、全部かき集めても、一万Gないと思うんです」
みんなの財布にどれくらい残っているかはわからないけれど。貯金してあるのが五千。んで、他に当座のお金として預かっているのが二千くらいでしょ。あぁ、でも、ホテル代とか保険に入るときのお金とか出てっちゃってるからなぁ。
傭兵の相場《そうば》ってわからないけど。レベル三〇のジュン・ケイだったら、それなりに高いんだろうなぁ。
「おれ、ぜんぜん使ってないから」
ノルが布の財布《さいふ》をまるごと渡してくれようとした。
それをバッとジュン・ケイがつかんだ。
「…………!!??」
そして、その財布からひとつだけ硬貨《こうか》をつまみ出し、手の平で一回ポンッとほずませ、ヒョイッとつかんだ。
「これでいいよ。後は、成功|報酬《ほうしゅう》ってことで。ドラゴンの宝でもいただけたらさ、それを分けてくれればいい」
みんながポカーンとしているなか、財布をノルの手にもどして、かなり照れくさそうに微笑《ほほえ》んだ。
く……、くわっこい――い!!
ジュン・ケイのマップがあったため、かなり手間が省《はぶ》けた。
それがなかったら……!
そう思うだけで、頭が痛くなっちゃうくらいに、このダンジョンは入り組んでいた。その上、|罠《わな》もいっぱいあるみたいだった。一歩ごとにある落とし穴とか、落ちてくる天井《てんじょう》とか。
「このたいまつって、いったいなんなんでしょうね」
まるで道先案内のような、|点《つ》いては消えるたいまつを指さすと、
「さぁね。もしかしたら、ほんとに道しるべなのかもしれないよ」
マジメなのか、|冗談《じょうだん》なのか。ジュン.ケイがそういった。
ジュン・ケイのマップで完成していない部分、たぶんそこに何かの糸口があるんだろう。そこに何もなかったら、また隠《かく》し扉《とびら》を捜《さが》すとかしなくてはならない。
わたしたちは、注意深く辺《あた》りの様子をうかがいながら歩いた。
|途中《とちゅう》、|新手《あらて》のエルトンが次々に襲《おそ》ってきたりしたが、今はジュン・ケイがいる。ほとんど一瞬《いっしゅん》で片づいていった。
彼にとって、全ての一撃《いちげき》が|会心の一撃《クリティカルヒット》なんじゃないだろうか。バトルシーンになるたび、わたしはレベル三〇というのがいかにすごいことなのかを思い知らされた。
そして、何時問か歩きまわったとき。わたしたちは難題《なんだい》にぶつかってしまった。
「げ……! 渡れねーじゃんか……じゃんか、んか、か……か……」
トラップの声が遠い遠い場所で木霊《こだま》して返ってくる。
それっくらい深い断崖《だんがい》にぶちあたってしまった。断崖というか、ふつうの回廊《かいろう》の床《ゆか》がいっきなりなくなってしまっていたのだ。
それも長さにして、一五メートルくらいはあるかなぁ。ぜーったいジャンプしたってとどかない距離。
床がないというのに、例のたいまつはずっと奥まで点いている。
どうやって渡れというんだ!
「困ったな……」
ジュン・ケイも考えこんでしまった。
「このなかで飛べるのっていうと……シロと、クレイと」
「あ、そうだ。ルーミィも飛べるんだよ。フライの魔法《まほう》を覚《おぼ》えたんだもん! ねぇ」
「うん。ルーミィ、飛べうよぉ!」
しかし、こういっちゃ悪いけど。覚えたばっかしの魔法だし。ルーミィだし。こんな深い深い……底が見えないくらいに深いとこだもの。危なくって、飛んでもらおうだなんて到底《とうてい》思えない。
「ロープでなんとか渡れないかな」
トラップがいった。
「あぁ、シロちゃんかクレイにロープを運んでもらうの?」
「うん。あぁ、でも……くくりつけられるとこが、ないかぁ」
「このクサビ、打ちこんで。それにくくりつければ?」
ノルがリュックからクサビとトンカチを出した。
「こいつらに、んな作業できると思う?」
トラップが完璧《かんぺき》に疑った顔でノルにいうと、ノルも困った顔をした。
「あ、あれ、あれ見て。ほら、あのたいまつ。あれってけっこうじょうぶそうじゃない?」
わたしが指さしたのは、向こう側のたいまつ。一個だけ大きなたいまつがあったのだ。
「なんか……怪しいけど。ま、いいか。やってみるだけ、やってみっか」
「うん。じゃ、シロちゃん、クレイ、|頼《たの》んだわよ!」
ノルがクレイに烏の言葉で話しかけた。
「オーケー、オーケー!」
「わかったデシ!」
クレイもシロちゃんも、力強く(?)返事をしてくれた。
そして、シロちゃんとクレイはロープをくわえて、向こうまで飛んでいったのである。
……と、言葉で書けば簡単だけどね。これがたいへん。
「ロープを落とさないようにねー」
「クレイ、こら、バカ。|戻《もど》ってくんじゃねー!」
「鳥さん、しおちゃん、がんばるんだぉー」
みんなが手に汗|握《にぎ》って応援《おうえん》するなか、一匹と一羽はジタバタジタバタと、まことに頼《たよ》りなく飛んでいったのである。
そして、やっとこさ向こう側まで飛んでいったのだが。
たいまつにくくりつける作業が、これまた難航《なんこう》した。考えなかったのだけど、たいまつってのは火が点《つ》いてるわけで。だから、熱い。
シロちゃんもクレイも必死《ひっし》で近寄《ちかよ》ろうとするんだけど、ボウボウと燃えさかっているので、ロープをひっかけることも、なかなかできなかった。
「だぁから、クレイ! おめーがロープの端《はし》っこをくわえておいて、だな。んで、シロがもうちょっとこっちをくわえて。んで、セーノッでひっかけてみ!」
自分がやるんじゃなくって、|誰《だれ》かを遠隔操作《えんかくそうさ》するのって難《むずか》しいもんだね。
トラップは、じれったくってじれったくってウズウズしながらわめいていた。
「バカ! じゃね――って。クレイ、おめぇ、元は人間なんだろー。ちったぁ、頭働かせろよ」
こらこら。そういったって、今はオームなんだからさぁ。
「バカバカユーナ! バカ!」
あーあ、ダメだ。クレイったら、完全にいじけちゃってる。
「クレイ、がんばって! ここを渡れないと、あなたを人間にもどせないのよ」
わたしがそういうと、クレイはやっと気を取り直した。
そして、やっとこさ、たいまつにひっかけることができた。
「よし! よくやった。んじゃ、何回もグルグル巻きにすんだ」
シロちゃんとクレイは体を焦《こ》がしながら、何回も何回もロープをたいまつに巻きつけた。
「よーし、よしよし。じゃ、これからが難しいぞ。いいな。結ぶんだ。シロ、おめぇならわかるよな。しっかり力こめて結ぶんだぞー」
「わかったデシ!」
「トラップ、バカ!」
おおおおおおおおおお!!
なんとか成功した……かに、見えた。たしかに、ロープは太いたいまつにしっかりくくりつけられた。
こっちからノルがグイグイ引っ張《ぱ》っても、だいじょうぶだった。
みんな喝采《かっさい》まであげて、シロちゃんとクレイの労をねぎらったんだが。
さて。最初はやっばりトラップからということになり、彼がロープを一度ビシッと引っ張ったとき、バァーン! |無惨《むざん》。たいまつが床《ゆか》に転《ころ》げ落ちてしまったのだ……。
「く、くっそぉぉ‥…」
床に膝《ひざ》をつくトラップ。しかし、彼の肩《かた》に手を置いて、
「いや、君が渡ってる途中《とちゅう》でなくてよかったじゃないか」
ジュン・ケイが心からそういった。
「そうよ。よかったわ。わたし、心臓が止まるかと思った」
|心底《しんそこ》、わたしもそう思った。
トラップが渡っている途中で‥たいまつが落ち……、トラップがまっさかさまに落ちてしまったら。考えただけで、|胸《むね》も凍《こお》る思いだった。
「じょ、|冗談《じょうだん》だろぉぉぉぉ――、だろ――、ろー……ー……」
トラップの大声がまた木霊《こだま》した。
「だって、|他《ほか》にないじゃない!?」
「やだ。おれはぜ――ったいにやだ」
トラップが何をわめいているかというと。
ルーミィのフライの魔法《まほう》ね。あれ、自分だけでなく、他の人や物も浮かせることができるらしいんだ。それをルーミィがヒョコッと思い出したのだけど。
たしかに、このルーミィに全《すべ》てを託《たく》すというのは勇気がいる。
この深淵《しんえん》なる黒々とした、何もない空間を見つめているうち、背筋をはい登る何かがあった。
「や、やっぱやめよ。どっか他からの回り道を捜《さが》そう!」
わたしが、そういうと、
「じゃぁ、わたしがまず試してみよう。ルーミィ、わたしにその魔法《まほう》をかけてくれないかい?」
ジュン・ケイがいった。
「ふりゃい、かけるのかぁ?」
「そうだよ」
「じゃ、ちょっとぉ待ってぉ」
ルーミィったら、自分のちっちゃなリュックから例のメモ帳をゴソゴソ取り出したりしてる。
「だ、だめ。やめておいたほうがいいですよ!」
わたしは必死《ひっし》でそういったが、
「一度飛んでみたかったんだ。鳥に乗ってとか、そういうんじゃなくってね」
なんとものんびりと答える、ジュン・ケイ。|恐《こわ》がってないばかりか、むしろ楽しそうだ。
「あった、あったぉ。じゃ、かけう」
ルーミィがトコトコとジュン・ケイの前に進み出た。
「じゃ、じゃあ、一回練習してみよ。ね? ルーミィ、練習したほうがいいよ」
「ヨイタ……キイデン……、えっとぉ、トゲロヒヲ、サバ、ツニラゾ、オオ、ノア……」
おおぉっと。
浮いた浮いたぁ!
|呪文《じゅもん》を唱《とな》え、小さなロッドをジュン・ケイにかざすと。
ふわぁり。ジュン・ケイのおしりが浮いた。
「わあっとっと……!」
ジュン・ケイは、すっかり喜んで手をバタバタさせてバランスを取ったりしている。
「ねぇ、ルーミィ。それで、これ、いつまで浮いてられるわけ?」
ルーミィに聞いたが、
「しあーないっ!」
……という、なんとも心強い答。
「や、やっぱりやめましょうよ。ジュン・ケイ、あまりに危険すぎるわ!」
「だいじょうぶだよ。わたしがあっちまで行ってみる。で、さっきのクサビを打ちこんでロープを固定させるから。ね。あっはっはっは、これ、気に入ったなぁ。ルーミィちゃんの魔法《まほう》はすごいんだなぁ!」
この人、けっこうガンコなのね。言い出したら聞かないって感じ。
結局、渡ってしまわれましたわよ!
んもー、何度目をギュッとつぶったか、グラァッとするたびに心臓がつぶれそうになっちゃうし。
向こうに無事《ぶじ》着いたときには、こっち全員冷汗ダクダク。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「ふううぅぅぅぅぅーー」
|安堵《あんど》のため息つきまくり大会になってしまった。
当のジュン・ケイは平気な顔で、わはわは笑ってるんだけどねー。
それから、わたしたちはロープを渡って、向こう側までたどり着いた。さっきノルが出してくれたクサビを岩の間にトンカチで打ちこみ、そこにロープをかけ、ジュン・ケイがしっかり持ってくれてたのだ。
渡るといっても、|綱渡《つなわた》りができるわけじゃない。両手両足で綱にしがみつきながら、そろそろと渡っていったのである。
別に高所恐怖症《こうしょきょうふしょう》ってわけでもないけど。まぁ、ちょっと想像《そうぞう》してみて。どこまで続いているのかわかんないくらい深い深あーい穴っていうか、そういうとこ。んな、ちょっと見降ろしただけでクラクラしてくるまっ暗の空間をだよ。不安定なロープ一本にしがみつきながら渡っていくんだもの。頭も背中もジンジンしてくるし。たいして渡ってないのに、|腕《うで》は痛《いた》くなるし。
向こう側にたどり着いたときは、|脱力感《だつりょくかん》っていうんですかぁ? ほっとするとか、そういう生やさしい表現じゃ手ぬるいよね。「生きるって何?」なんて、思わず考えてしまったもの。
ところが、ところがである!
せっかく死ぬ思いをして渡ったというのに、すぐに行き止まりだった。
「これってねぇーよなぁー」
トラップが大きくため息をついた。
しかし、ただひとつだけ希望をつなぐことがあった。
その行き止まりの壁に、あの長い長い階段の上にあった、|魔法陣《まほうじん》。あれそっくりの模様《もよう》が刻《きざ》まれてあったのだ。違うところというと、「◎」「☆」「@」「¢」……といった例の模様、あれがない代わりにボコボコ丸い穴が開いていた。
中をのぞいてみたけれど、ずいぶん深い穴みたいで何があるのかわからなかった。
「ちょっと、手をつっこんでみろよ」
「やっだぁー! 気持ち悪いもんがあるのかもしれないじゃん」
そういうトラップだって、中をのぞくだけで手を入れようとしない。
もしかしたらさ。スライムの親子なんかが「あらまあ、新しい家にちょうどいいじゃないの! ねぇ、あなた」「ああ、そうだなぁ。子供は他《ほか》の穴に住まわせればいいしなぁ」「そうよそうよ。ここにしましょ!」なんちゃって。しっかり住み着いているかもしれないじゃないかぁ。
「よし! クレイ。おめぇちょっくら入って、何があるか見て来いや」
そうね。ちょうどクレイの大きさだったら入れるしね。
でも、クレイはさもイヤそうな顔をして、わざとらしく毛づくろいなんか始めちゃった。
「クレイ、お願いよぉ。で、何かあったらくわえて持ってきて」
ノルも「ギャッピーギギギガガ」って、説得してくれて。|渋々《しぶしぶ》だけど、クレイが穴の中に入っていってくれた。
ワクワクして待っていたけれど、しばらくして顔を土ぼこりやコケで黒くしたクレイがもどってきて、「ギャッギャァ、ガ……」と力なく鳴いた。
「なんて、なんていったの!?」
ノルに聞くと、
「クレイ、鳥目だから、何も見えなかったって」
「…………」
い、いや、だめだだめだ。クレイを責めてはいけない。
「だっせぇー!」
トラップが叫ぶと、かわいそうに、クレイはすっかりブンむくれてしまい、ノルの肩《かた》でタヌキ寝入りを始めちゃった。
ま、しかたないから。ここは公平にジャンケンで順番を決め、手を突っこんでいこうということになった。ルーミィは届《とど》くわけないから、ノル、トラップ、わたし、それからジュン・ケイの四人勝負。
お互いににらみあいながら、両手をクロスさせて組みクルッと反転《はんてん》させてのぞきこんだり、手の平を指で引っ張《ぱ》ったり。それぞれ独自の方法で自分の手を決めた。
「よぉ――し。一回勝負だぜ」
「いいわよ。うらみっこなしね」
みんな真剣な顔で、|輪《わ》を作った。
「ジャン、ケン、ボン!」
「アーイコデショ!」
「……な、なんでぇぇぇ!?」
「だっはっはっはっはっはー」
みんなチョキを出して、わたしだけパー。見事! わたしのひとり負けだった。
「わ、わかったわよ。やりゃあいいんでしょ、やりゃあ!」
「そゆこったな」
みんな……ジュン・ケイまでがニカニカ笑って見ている。
わたしは袖《そで》をまくりあげ、目をつぶって腕《うで》を突っこんだ。
ひぇぇーん。なんか、モショモショしたもんが、腕をくすぐる。なんなんだよぉ。
「どうだ? なんか、あるかぁ?」
そう聞くトラップに、小さな丸い石を突き出してみせた。
「これがあったけど……」
みんな囲《かこ》んで見る。
「これ、あの模様《もよう》だな」
「うん。そうだねー」
そう。例の模様のひとつ、「@」が刻《きざ》まれ、緑に彩色されていた。
他の穴にももれなく入っていて。全部で一二個。わたしたちは腕組みをして考えこんでしまった。
「あの、上にあった魔法陣《まほうじん》さぁ」
「上にあった魔法陣ね」
トラップとわたしは同時にしゃべった。
「そそ。やっぱ、そう思う?」
「うん。あれ、あの順番に入れるとなんかあんじゃねーかなぁ」
「でも……順番覚えてるう?」
「覚えてるわきゃねーじゃん。おめぇこそ、メモってねーのかよ!」
「うん……」
しかし、さっすがジュン・ケイ。
「なんかの役に立つかと思って。メモだけはしといたんだ」
さっと小さなメモ帳を取り出した。
|傭兵《ようへい》のジュン・ケイがしっかりメモを取ってて、マッパーのわたしがすっかり忘れてたんだもん。なんか、|自己嫌悪《じこけんお》に陥《おちい》るなー。いやいや、これから注意すればいいんだ。そうだそうだ!
わたしが落ちこんだり立ち直ったりしている間に、
「次が『£』で、その次が『☆』……」
着々と作業は進んでいた。ジュン・ケイが読み上げる順にトラップがそれと同じ模様《もよう》の石を中に入れていった。
「これで、おしまい!……っと」
最後の一個を入れたとき、ギシギシギシギシ……ガタァ―――ン!! という音が後ろから聞こえた。
|一瞬《いっしゅん》顔を見合わせ、大急ぎで後戻《あともど》ってみた。
「ああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁっっっ――!!」
大声をあげたのは、わたしだけじゃない。
さっきの床《ゆか》のない通路のとこ、あそこに、なんとなんと階段ができているじゃないかぁ!
「そういう仕掛けだったんだねー」
わたし、こんな大がかりな仕掛けって初めて見る。なんか、|冒険者《ぼうけんしゃ》やっててよかったなぁっていうか。これから先、何が待ちかまえているかわからないっていうのに、わけもなく感動していた。それは、他のみんなも同じだったみたいで、それぞれ目が生き生きと輝《かがや》いて、ちょっと興奮《こうふん》|《ぎみ》気味
よぉ――し。ブラックドラゴンがなんぼのもんじゃい!
出るなら、出てこいってんだ。
ジュン・ケイの背中越しに階段をのぞきこみつつ、心の中で啖呵《たんか》を切った。
ほんと、彼に同行してもらえて。わたしたち、なんてラッキーなんだろ。
その階段《かいだん》は、例の魔法陣《まほうじん》の下にあった階段と同じく。長く長く長ぁぁぁ――く続いていた。いや、もっと長かったんじゃないかな。さっきの仕掛けで、こんなに長い階段が降りてきたとは思えない。きっと階段の一部が隠《かく》されていただけなんだろうなぁ。
「ふわぁーい。ルーミィ、疲えたぁ」
「ルーミィ、がんばっふわわわぁぁ……て」
ルーミィのあくびは、わたしに移って。それはシロちゃんに、トラップに……みんなに移ってしまった。
「こんなとこじゃ、寝られないかもしれないけど。ここでキャンプしたほうがいいんじゃないかな」
ジュン・ケイが見張《みはり》りを買って出てくれた。
「そんなぁ、悪いですよ」
「いや、わたしは十分寝てるからさ。もう子供は寝る時間だよ」
そういって腕時計《うでどけい》を見せてくれた。
ひぇー!! もう夜中の一二時じゃない! いつのまに、んな時間|経《た》ったんだろう。|緊張《きんちょう》の連《れん》|続《ぞく》だったから、ぜんぜんわからなかった。ルーミィが眠いわけだ。
ジュン・ケイには申し訳《わけ》なかったが、お言葉に甘えて寝ることにした。これから先、いったいいつになったらブラックドラゴンに遭遇《そうぐう》できるか、わからなかったが。体力は回復しておいたほうがいいもんね。
わたしたちは壁《かべ》にもたれ、体を折り曲げて寝た。|辛《つら》い姿勢《しせい》ではあったが、よほど疲れていたんだろう。一〇数える間《ま》もなく、深い眠りに落ちていった。
「……ん!?」
|肩《かた》を軽くゆさぶられ、重いまぶたを懸命《けんめい》に開けた。
「そろそろ起きたほうがいいんじゃないかな」
「あわわわわわわわ!!」
わ、わたしったら。いつの間に……!!
あわてて、飛び起きた。だって、ジュン・ケイの膝《ひざ》に頭をのっけて……だから、|膝枕《ひざまくら》してもらってたんだもの。
「すみません! すみません!」
必死で謝《あやま》ったが、よーく見ると。なんてこったい! ルーミィや、シロちゃんはまだ許せる。なんとなんと、トラップまでがジュン・ケイに寄りかかって寝ているではないか。
「ば、ばかものー! 起きなさい。トラップったらぁ」
|焦《あせ》る、焦る。こんな状態《じょうたい》で一晩過ごしただなんて。
でも、ジュン・ケイ、ちっともイヤそうな感じではなく。ニコニコ笑いながら、軽く首を回したり手足を伸ばしていた。
簡単な朝食を取り、すっかり元気になったわたしたちは、また延々《えんえん》と続く階段を降りていったのである。
STAGE 12
「おおぉ!」
先頭を行くトラップが、タッタカ走っていった。
「どうしたのぉー?」
「|扉《とびら》がある」
それは、わたしたちの身長を二倍にしたくらい大きな扉だった。|豪華《ごうか》な唐草模様《からくさもよう》の彫刻《ちょうこく》が縁《ふち》どった、ドラゴンの紋章《もんしょう》。
「あ、これと同じだ……」
トラップがポケットから、メダルを取り出した。ダンジョンに入ってすぐにあった宝箱の中で見つけたものだ。
「じゃぁ……!?」
ゴクッと飲みこむ喉《のど》の音。
どうやら、この先にブラックドラゴンがいそうだ。
『もう一度言おう。黒くテラテラと烏《からす》の濡《ぬ》れ羽のように光る、ブラックドラゴンなら近寄るのはやめておいたほうが賢明《けんめい》だ。もちろん、あなたが命を粗末《そまつ》にしたいと願っているのなら、話は別だが』
あの、モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》の脅《おど》し文句を思い出した。
「ちょっとプランを考えよう」
さすがのジュン・ケイも緊張《きんちょう》した顔だ。
「まぁ、この扉を開けてすぐにドラゴンがいるとは思えないけれどね」
「あんた、ドラゴンと戦ったことはあるのかい?」
トラップが聞くと、
「いや。まだない。しかし、ここのブラックドラゴンの噂《うわさ》は有名だからね。一応、調べてはみたんだが。一番恐ろしいのが毒《どく》のブレスなんだ!」
ジュン・ケイ、なんだか興奮《こうふん》してる。
「そうそう。そうみたいですね。このモンスターポケットミニ図鑑にも、そう書いてありました」
「わたしは、これを用意してきたんだが」
背中の黒いディパックから、ものものしいガスマスクを取り出した。
「こんなものが役に立つかどうか……それはトライしてみないとわからないが。ないよりはマシだろうと思ってさ」
「…………」
わたしもトラップも黙《だま》ってしまった。
そりゃ、わたしたちだってお金さえあれば、用意したかった。でも、でも、一番安いガスマスクだって、ヘタしたらクレイのアーマーくらい買えちゃう値段なんだもの。人数分用意するなんて、とても無理《むり》だ。
|銭《ぜに》や、世の中……なんやかんやゆうても、結局銭なんや!
「えっと、だからさ」
わたしたちがちょっとションボリしちゃったもんだから、ジュン・ケイも困った顔になった。
「どうだろう。わたしが先に入って様子を見てくるっていうのは」
レベル三〇の傭兵《ようへい》、ジュン・ケイの提案《ていあん》だ。|異論《いろん》を唱《とな》えられるはずもない。なんて言い方をすると、まるでスネてるみたいだけどさ。
「よし。じゃ、ちょっくら待ってくれや」
トラップが七つ道具を取りだし、扉を調べ始めた。
「うん、|鍵《かぎ》はかかってねぇな。しかし、ま、用心だ」
扉の蝶番《ちょうつがい》の部分に油を差した。
「OK! いいぜ」
「サンクス。じゃ、ここで待っててくれ」
ジュン・ケイはガスマスクを装着《そうちゃく》し、ゆっくりと扉を開けた。扉は音もなく、すんなり開いた。
「気をつけて、くださいね……」
やわらかく微笑《ほほえ》んで返事をする、金色の目を見つめているうち、また胸がキュッとつまった。
そして、ほんの五分くらい後に彼は帰ってきた。
しかし、わたしには途方《とほう》もなく長く感じられた。つまらない妄想《もうそう》がいくつもいくつも浮かんできて、そのたびに頭から払いのけた。
ゆっくり扉が開き、あの短い金髪《きんぱつ》が見えたとき思わず涙がこみあげてきて。自分でもあわててしまった。目にゴミが入ったフリをしてササッと目をこすったから、きっと誰《だれ》にも気づかれなかったとは、思う。
「どうだった?」
トラップが聞くと、ガスマスクをはずし、
「どうにもこうにも!」
首をふった。
「とにかく、危険はないから自分の目でたしかめてほしい……」
危険がないと知って、とりあえずはホッとした。おそるおそるジュン・ケイの後をついて扉《とびら》の中へ。
そこはピカピカに磨《みが》きたてられたホールだった。上からは、時代物のシャンデリアが垂れ下がっていたし、まるで古いお屋敷《やしき》のよう。
そして、また扉が三つ。
「左の扉は台所だった。右は書庫だったよ」
「台所!? 書庫!?」
ブラックドラゴンが台所で何か作っている姿なんか、|想像《そうぞう》できない。書庫で眼鏡《めがね》かなんかかけて、調べ物している姿も。
「中央は?」
「たぶん、リビングに通じる廊下《ろうか》だと思うね。この作りは、まるで小貴族の家と同じだ……」
信じられないといった顔の、ジュン・ケイ。
「わ、わたし。書庫に行ってみていいかしら?」
作家のはしくれだし。どんな本が並んでいるのか、大いに興味《きょうみ》のわくところだ。
書庫はホールと同じくらいの大きさで、|壁《かべ》中が本に埋《う》めつくされ、移動できるハシゴがかかっていた。
一冊一冊、手に取ってみる。
ホコリだらけの表紙をふぅーっと吹く。
『火吹き山の大ドラゴン』、『トンネルズ&偉大なるトパーズドラゴン』、『ドラゴン王の島』、『甦《よみがえ》るブラックドラゴン』、『|冒険者《ぼうけんしゃ》どもの陰謀《いんぼう》』……。
なに、これぇ!?
有名な冒険物語のもじりばっかじゃない!
書庫にあったのは、本だけではない。さも、|残忍《ざんにん》そうな顔をして、いびつなポーズを取ったファイターが王冠をつけたドラゴンを襲《おそ》おうとしている絵などがかけられていた。
これじゃ、まるっきり反対。まるで、冒険者が悪者みたい。
「いったい、どういうんだ……」
後ろでトラップがうなった。
「もしかしたら……、またドラゴンなんかいないとかいうんじゃねーだろうな。ドラゴンに憧《あこが》れた、どっかのじーさんが住んでるだけとか」
温泉場ヒールニントの村を脅迫《きょうはく》いていたホワイトドラゴンというのが、実はかわいいシロちゃんで。|元凶《げんきょう》というのが、クルラコーンのじいさんだったという経験があるわたしたちとしては、そう疑いたくなるのも無理《むり》はない。
しかし、ドラゴンはいた。
ただし、とてもとても意外な……ではあったが。
中央の扉《とびら》を開け、|廊下《ろうか》をしのび足で進んだ。
一番奥に扉がひとつ。
「じゃ、またわたしが先に様子を見てこよう」
といって、ガスマスクを装着《そうちゃく》。ジュン・ケイが扉を開けて、中に入っていったが、今度はなかなかもどってこなかった。
「ど、どうしちゃったんだろ……」
もうかれこれ三〇分くらい経《た》ったんじゃないかな。
心配で心配で、またイヤな妄想《もうそう》がわいてくる。
「ねぇ、ちょっと様子を見に行ってみない?」
「いや、もう少し待とうぜ。何かあったとしても。あいつぁ、レベル三〇の傭兵《ようへい》だぜ? ちったぁジタバタすると思うんだ。静かすぎるぜ……」
そう。ほんとにそう。コトリとも音がしないんだもの。
カチャリ。扉が開いた。
「あっ!」
みんな息を飲んだ。
扉を開けて出てきたのは、すんなり背が高く、|涼《すず》やかな目元のジュン・ケイではなく。わたしのウエストくらいしかない、小さな男だった!
男といっても、顔がテリア犬みたい。あぁ、モンスターのなかでもポピュラーなコボルトだ。そのコボルトはレンガ色のベストを着て、茶色のニッカーボッカはいていた。
「ご主人さまがお待ちでございますんで、えっと、その、みなさんいらっしゃいませ」
オドオドとした表情で、ペコリと頭を下げた。
「ご主人さま? あ、あの、わたしたちの仲間《なかま》が先に行ってると思うんですけど……」
「は、はい。ジュン・ケイさまでいらっしゃいますね? 中でお待ちでありますので、えっと、その、みなさんいらっしゃいませ」
と、またペコリ!
なんか変な言葉使い。キツネにつままれたみたいな感じだったが、とにかくジュン・ケイも帰ってこないことだし。中に入ってみることにした。
中というのが……!!!
広い。運動会できるくらい広くて、どこまであるかわからないほど高い天井《てんじょう》。その一角だけに、|絨毯《じゅうたん》が敷かれ、|趣味《しゅみ》のいいテーブルクロスがかけられた丸いテーブルだとか、フロアスタンドなどが配置されていて。そこだけは、|居心地《いごこち》のいい暖かな色調で統一されたリビングだった。
そのテーブルをとりかこむように置かれた椅子《いす》のひとつに、ジュン・ケイが座っていた。
「ジュン・ケイ! こ、これはいったい……。ブラックドラゴンはどこにいるの?」
ジュン・ケイは複雑《ふくざつ》な表情でちょっと肩《かた》をすくめ、親指をピッと立て後ろを指さした。
暗くってよく見えなかったが。その闇《やみ》に紛《まぎ》れるように、何かがいた!
「あわわわわわわわわわわわわわわわわわわ……!!」
「どっしぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
い、、いたぁぁぁ……。
デ、デカイ!
それは大きくなったシロちゃんの数倍は大きかった。
照明というと、手前のフロアスタンドくらいなんだけど。そのぼんやりした光を受けて、ときどきヌメヌメと光る黒いウロコ。ゆったりと座った、それは紛れもなくブラックドラゴンだった!
トゲトゲのある背中に大きな羽がたたまれており、長くて太い首をこちらに向け、目を細めている。
その目がゆっくり開いた。
うわぁぁぁぁ、まっ赤!!
こ、こあいよぉ―――。
「よくここまでたどりつけたな。誉めてつかわそう」
しゃ、しゃべった!
|地鳴《じな》りのするような大きな声。ゆっくりと威厳《いげん》に満ちた話し方。
なんか……でも、話がちがう。
い、いやぁ、|油断《ゆだん》しちゃいけないぞ。いつ、例の毒《どく》ブレスをぼぉーつとやられるかわかんない。
「しかし、おまえたちが来たという知らせが来たときにほ、まさかここまでたどりつけるとは思わなかったぞ」
「知らせ!? 知ってたんですかぁ? わたしたちが来たこと」
「あぁ、入り口近くに宝箱があったであろう」
「おお、おれが罠《わな》を外した奴《やつ》ね。中にメダルが入ってた……」
「そうだ。おまえはうまく罠を外したつもりだったろうが、こっちのアラームはちゃんと鳴ったんだ」
「げげ! そうだったのかぁ。ちっとも気がつかなかったぜぇ」
「ふっふっふっふ……」
ブラックドラゴンは目を細めて含《ふく》み笑いをした。
「このドラゴンしゃんも、お話できるデシね」
シロちゃんがノホホンとつぶやいたとき、ブラックドラゴンの目がキラッと光った。
「そこにいるのは、ホワイトドラゴンの子供ではないか!」
「そうデシ。シロちゃんっていうデシ」
シロちゃんは恐《こわ》がりもしないで、トットコ前に出ていった。
シロちゃん!
「ふうむ……そうか。どうして人間ふぜいがここまでたどり着けたのか、|不思議《ふしぎ》でならなかったが。そうか、おまえのせいだな」
「ボク、何にもしてないデシよ? ほとんど寝てたデシ」
「ときに、おまえたち」
首をぐるっと回し、わたしたちをハタとにらみつけた。
「ロールプレイングゲームというのをやったことはあるか?」
「……は、はあぁぁ?」
ロールプレイングゲーム
「|R P G《ロールプレイングゲーム》って、いわゆるディーディーとかティーティーとかの?」
トラップが聞き返すと、ブラックドラゴンはニタリと笑った。
「そうだ。知ってるようだな」
「まぁ、子供のころやってたけどさ」
「よしよし。ここまでたどりつけたのも何かの緑《えん》だ。一局つきあってもらおうかな」
「えぇ――!?」
なにそれ、なにそれ。
しかし、わたしたちの動揺などまったく無視《むし》。
「うはっはっはっはっは、まぁ、待て待て。ちょっと待て」
あのサイズで笑うと、まるで台風だね。前に出ていたシロちゃんなんか、コロコロころがってしまった。
「あああああぁぁぁぁぁー!!」
「おおおお、なんだぁ!?」
風がおさまると、ブラックドラゴンの巨大な体がふわぁぁっと消えた。後には紫色の残像《ざんぞう》があるだけ。
いや、いや違う!
代わりに、背の高いガッシリとした体格の男が現われた。
彼は、ゆっくり歩いてきた。キンキラ紫色に光る、ゴージャスな上着。サイドに金色のラインがついた細目の黒いズボン。胸には、大きくていっぱい宝石のついたペンダントを下げていた。
まっ異な顔で目が血ぬられたように赤い。フワフワの黒髪が肩《かた》まである。歳はわからないが、たぶん人間なら四〇歳くらい。
|部屋《へや》の隅《すみ》から、さっきのコボルトたちが三人、チョコマカと走り寄った。
そして突然、男が膝《ひざ》まずいたと思ったら、そのコボルトたちがサッと黒いマントを男にかけた。このマントがまた派手《はで》! 表はキラッキラッと時々光る無地《むじ》の黒なんだけど、裏がまっ赤! しかも、紫に縁《ふち》どられた黄色の星がデカデカと刺繍《ししゅう》されている。総スパンコールなんだな、これが。
男はスクッと立ち上がり、その派手派手マントをふわぁっとひるがえした。
「…………」
わたしたちといえば、ただただアゼン! と見守るしかなくって。彼の一挙手一投足《いっきょしゅいっとうそく》を見つめていた。
「自己紹介をしよう」
とはいったが、コボルトのひとりを指で呼んで、さっとかがんだ。チョコマカとかけよったコボルトが何か耳打ちした。
何かあったのかなぁ……? ちょっと不機嫌《ふきげん》そうな顔。
しかし、またもう一匹のコボルトがかけより、何か報告すると。
男は、また体勢を準え、ニッコリ|微笑《ほほえ》んだ。
「や、すまない。では、自己紹介をしよう」
ダカダカダカダカダカダカダララララララララ……………。
おお、おろ!?
後ろのほうから(だからさっきブラックドラゴンがいたところから)、ドラムロールが聞こえてきた。
「わしの名前は……」
わぁぁ! 目が、目が眩《くら》む。
青、赤、黄色。いろんなスポットライトがクルクル回った。
それだけじゃない。ごていねいにスモークまでたいて、後ろからオーケストラがせりあがってきた。ここからだとよく見えないけど、どうやら全員コボルトらしい。
パパパパラー、ダカダカダカ!!
パパパパラー、ダカダカダカ!!
ラッパが|一斉《いっせい》に鳴り戦く。
そして、|天井《てんじょう》からデカデカと「ジェローム・ブリリアント・三世」と書かれた看板《かんばん》がゆっくりゆっくり降りてきた。
パパパパラー、ダカダカダカ!!
パパパパラー、ダカダカダカ!!
しばらくバンドの演奏《えんそう》が続いた。それに合わせて、男が指で軽く拍子《ひょうし》を取っていたが、やがて大きく手をふりあげた。そして、バッと降ろす。見事なタイミング。演奏がジャン!! と終わった。
「…………」
ド肝をぬかれた、わたしたちはお互いに体を支え合った。
彼は、そんなわたしたちの様子を見て、さも満足そう。
「いささか驚《おどろ》かせてしまったかな?」
口元にはニヤニヤとした笑い。
そ、そりゃあ、ふつう驚くわな。
「わしの自己紹介はすんだ。今度はおまえたちの番だ。こちらの傭兵《ようへい》にはもう聞いた」
わたしたちは顔を見合わせた。
トラップが肘《ひじ》でわたしの腕《うで》をつっついた。
「え、えっと。初めまして。……その、わたしの名前はパステル。パステル・G・キングです」
男はふむふむとうなずいている。
「で、こっちがトラップ。それから、彼がノル。で、この子がルーミィ。あ、このオーム。今はオームになってますけど、彼はクレイ。で、シロちゃんです」
「ほお。で、それぞれ職業はなんなんだ?」
「あ、わたしは一応詩人でして。で、トラップが盗賊《とうぞく》。ノルが運搬業《うんぱんぎょう》。ルーミィは魔法使《まほうつかい》い。クレイはファイターです」
「なんてバランスの悪いパーティなんだ!」
男は吐き捨てるようにいった。
「だいち、なんだ、その運搬業っていうのは。盗賊、魔法使い、ファイターっていうのはわかるぞ。しかし、|僧侶《そうりょ》もおらんのに、詩人がいるなんぞ……よくもまぁ、ここまで来れたもんだ。いや、まさに奇跡《きせき》だ!」
ううう、余計なお世話だい!
「まぁ、立ち話もなんだ。座ってくつろぐがよい」
また、コボルトがかけより、|肩《かた》からマントを外した。そして、別のコボルトがひときわ大きな椅子《いす》を引き、男はその椅子にゆったりと座った。
あのマントは、いったいなんのためだったんだぁ?
「ほぉ、なるほど。では、そのマラヴォアという魔女《ウイッチ》が飲みたいといっておる、忘れられた村の忘れられたスープとやらを作るのに、わしの……」
男はまっ黒の額《ひたい》を大きな手で押さえた。そこには、ピンと張《は》った猫のヒゲのような毛がマバラに生えていた。
「この額の毛が必要だと、そういうわけだな」
後ろでは、さっきのオーケストラが静かな曲を演奏《えんそう》していた。
「そうです。ジェローム……ブリリアント・三世さん。失礼なお願いだとは思いますが……一〇本でけっこうなんです」
わたしは上から吊《つ》り下がったままの看板《かんばん》を読んだ。
「たしかに失礼な申し出では、ある」
男は、低い声でいい、ゆっくりとつけ加えた。
「わしのことはJBと呼んでくれてけっこう」
「はい……」
「だが、まぁ、おまえたちも困っている様子ではあるし」
「そ、それじゃ!」
「しかし、これを抜くというと、かなりの苦痛をともなうわけだ」
ぐ……。
「わかるな?」
わたしはトラップの足をけっとばしながら、|懸命《けんめい》にうなずいた。
JB→[#原文では下向きの矢印、以下同じ]わたし→ルーミィ→シロちゃん→ノル→ジュン・ケイ→トラップという順で楕円形《だえんけい》のテーブルを囲《かこ》んでいた。だから、わたしの前がトラップ。足を伸ばしてけっとばした、というわけだ。
(あに、すんだよぉ……!)
(変なこと、いわれると困るからよぉ!)
「よし。じゃあ、さっきもいったが。ゲームを一局つきあっていただこう」
JBは、さもうれしそうに手をすりあわせた。
「わしがダンジョンマスターになる。おまえたちが見事最終目的を達することができたら、|額《ひたい》の毛でも、なんでも好きなものを取らせよう。そのかわり、おまえたちが負けたら……だから、全員が死亡したり、にっちもさっちもいかなくなって降参《こうさん》したときは、わしに勝てるまでゲームの相手をするということでどうだ」
この人、よっぽどゲームがやりたくてたまんないんだな。これだけコボルトがいるんだから、彼らにやらせればいいのに。
「おれたち、そんなに時間ないんだよな。短いシナリオで頼《たの》むぜ」
JBはトラップをジロッとにらんだ。
「まぁ、いいだろう。とっておきのシナリオがある。オリジナルだからな」
指を鳴らしコボルトを呼び、何か用をいいつけた。
「まずは、キャラクターを作っていただこうかな」
と、JBがいったとたん、音楽が少しだけ活気のあるものに変わった。
「キャラクターって?」
「なんだ。パステル、おめぇRPGやったことねぇの?」
「うん。男の子たちはみんなやってたみたいだけどね。わたしは、ひとりで遊んでたし……」
「くれぇ奴! ルーミィはやったはずねぇし。じゃ、ノルは?」
ノルはゆっくり首をふった。
「んじゃ、ジュン・ケイ。あんたは?」
彼も首をふった。
「なんでぇ! みんな知らねーんじゃねぇか。こりや不利だぜ。クレイがオームでなきゃなぁ」
「クレイ、オ――ム!」
クレイは最近すっかり人の口真似《くちまね》がうまくなってしまい、またそれが得意らしい。
「キャラクターっつうのは……ってゆうよか、RPGの定義から話さねーといけないんじゃないの? JBさんよ」
JBは、待ってましたといわんばかりの顔でうなずいた。
「うむ。そうだな。まぁ、おまえたちが初心者だというのを考慮《こうりょ》して、簡単なシナリオにしてやるから心配はいらないが……。そもそも、ロールプレイングというのは、だ」
といいつつ、テーブルの下で何かゴソゴソやっている。
「……えーっと。ロールプレイというのは、|想像上《そうじょうじょう》のある役柄《やくがら》をだな、演じることだ。|仮想《かそう》というのは、その人物が実際になれる、あるいはなる可能性がある何者かを想定することであって……」
バサッと何かが床《ゆか》に落ちた。JBの隣《となり》に座っていたから、さっとかがんでテーブルの下を見た。
「あ、この本……落ちましたけど」
それは、『G・ガイギャックス著 ロールプレイング・ゲームの達人』という本だった。
「お……! す、すまぬ」
JBはあわてて、その本をひっつかんだ。
ハッハーン。どうやら、彼のアンチョコらしい。
うふうふうふ。なんか、この人ってかわいい。まだちょっと怖《こわ》いけど、あれだけ怖いと思っていたブラックドラゴンだとは思えない。
忘れられた村の人たちって誤解《ごかい》しているんじゃないかなぁ。こんな人が生け贅《にえ》を要求するだなんて。ちょっと考えられない。
「ま、要するに。自分らが絶対なれないような、何かになりきったつもりでダンジョンマスターの用意した冒険をするわけ。だから、おれが魔法使《まほうつか》いになるとかさ」
トラップがフォローした。
「そ、そうそう。そうだ。ふつうは冒険者《ぼうけんしゃ》なんかじゃない人間が遊ぶゲームだからして。おまえたちの場合は、実際になれるというケースもあるかもしれん。ま、できるだけ今の自分とはかけ離《はな》れたものを選ぶんだな。おいおいルールほ説明していくから、まずはキャラクター……だから、おまえたちがそれぞれどういう人を演じてみたいのか、それを決めたまい!」
わたしたちは、それぞれに自分がなってみようというキャラクターを決めた。
|盗賊《シーフ》のトラップは、なんと! |僧侶《クレリック》になった。
神に仕《つか》え、体力の回復とか熱さや寒さからの防御《ぼうぎょ》などの守備《しゅび》魔法を使うっていうんだから。
「あっはっは、似合わないなぁ」
「うっせぇー!」
「それで? 性別は男でいいのかな?」
JBがメモを取りながら聞く。
「うん。もちろんだ。|尼《あま》さんなんかにゃ、なりたかねーもんな」
「あーら。せっかくだから、女の子やんなさいよ。ロールプレイっていうくらいだもん。そのほうが絶対おもしろいよ!」
「てめぇ、おもしろがってるな!?」
「うん!!」
「そうだな……」
JBが顔をあげ、
「そうしたまい。おまえは女|僧侶《そうりょ》ってことに」
「げー! マジかよぉ」
満場一致。かわいそうに、トラップは尼《あま》さんにされてしまった。
あははは、さぞかし元気のいい尼さんだろうなぁ。
お次はノル。巨人族の彼だもの、思いっきり華奢《きゃしゃ》なエルフで、|魔法使《まほうつか》いがいいぞということになった。僧侶とは好対象に、|攻撃《こうげき》魔法を操《あやつ》る。
「じゃ、やっぱノルも女、やれよなー!」
死なばもろとも。ノルがおとなしいと思って、トラップは強引《ごういん》に女! と決めてしまった。
で、ほんとにエルフで女のルーミィ。この子は、今何が行なわれようとしているかなんて、|把握《はあく》できてるわけがない。ただ、なんか知らないけど、みんなと遊べるんだって大喜び。|椅子《いす》の上にクッションを二個置いてもらって、その上にチョコナンと座っていた。
「ルーミィは、|盗賊《シーフ》なんてどう? どうせ盗賊は必要なんだし」
「こ、こいつが盗賊う!?」
トラップがお腹を抱《かか》えて笑いだした。
「ルーミィ、盗賊すうよぉー」
よしよし。どんな盗賊になるのか、楽しみだ。
「ジュン・ケイはどうします?」
でも、彼は笑って、
「悪いけど。わたしは見学させてもらうよ。|演技《えんぎ》というのは苦手なんだ」
と、とてもすまなそうにいった。
そっかぁ。まぁ、|無理《むり》にとはいえないよね……。
「残るは、ファイターだぜ。パステル、おめぇはファイターに決まりだな」
わたしは斜め前のジュン・ケイと顔を見合わせた
「わたしなんかにファイターなんて勤《つと》まるかなぁ」
「やってみるといいよ」
と、ジュン・ケイ。
「そうですね! じゃ、わたし、ファイターやるわ」
「当然、男だな」
「うん。いいよー!」
前、シルバーリーブに男装劇《だんそうげき》の劇団が来たことがあって。スラッと背の高い女の人たちが男装をしてたんだけど、やたらかっこよかったのよね。
「パステルおねーしゃん、ファイターデシか! かっこいいデシ」
シロちゃんがクリクリした目でいった。
「あ、そうだそうだ。シロちゃんは?」
しかし、JBが、
「いや。仮にもドラゴン族だ。このシナリオは冒険者《ぼうけんしゃ》とドラゴンの戦いだからな。その子はこっちについていただこう。こっちに座りたまい」
そういって、シロちゃんを隣《となり》に座らせてしまった。
「ボク、なにするデシか?」
JBの顔を見上げたシロちゃん。しかし、
「いや。おまえはここに座っていればよい」
そういって、JBはシロちゃんの頭をポンポンと軽く叩《たた》いた。
「そうデシか……。じゃ、座ってるデシ」
シロちゃんは、ちょっぴりつまんなそうな顔。
「じゃ、それぞれ、このキャラクターシートに詳《くわ》しく書きこんでくれたまい」
JBがいうと、コボルトたちが紙をわたしたちに配った。
「どんなことを書けばいいんですか?」
「あぁ、そうだな。長所とか短所。性格だな。それと、生まれ素性《すじょう》。ルックス……。そうそう、この厚紙にイラストも描いてくれたまい」
コボルトたちが横四センチ、たて一〇センチくらいの厚紙といろんな色の色鉛筆、それから消しゴムをくれた。
あーでもない、こーでもない。三〇分くらいかけて、イラストを描いたり、性格を書きこんだりした。
「さて。そろそろよいか?」
JBがわたしの手元を見ながらいった。
「はーい。あーららら……ルーミィったら」
|隣《となり》近所のシートをのぞきこんでみたが、|案《あん》の定《じょう》ルーミィは、ものすごい前衛《ぜんえい》絵画を描いていた。
それをチラッと見たJB、|一瞬《いっしゅん》だけどとても|不機嫌《ふきげん》そうな怖《こわ》い顔になった。
「あ、あ、わたしが描いてあげるね。ルーミィ」
「ルーミィ、自分で描いたおぉ!」
「あ、だけどさ。うーんと、わたしの絵じゃイヤ?」
「ううん。ぱぁーるの絵、ルーミィ好きだお!」
「よかったぁ。じゃ、ちょっと貸して」
あー、ビックリした。せっかく機嫌《きげん》よくしてくれてるってのに、こんなことでツムジを曲げられちゃかなわんもんね。
ルーミィの話を聞きながら、適当に盗賊《シーフ》を描いた。ヒゲモジャで、ズングリムックリしたおじさんなんだって。ふふふ、いい線いってるじゃん。
「もういいかね!?」
JBがさも腹立たしいという声でいった。
「あ、はいはい! お待たせしました」
「じゃ、トラップ。おまえから順に説明したまい」
「OK! おれはちょいと年増《としま》の尼《あま》さんだ。年増っつっても、こいつがいい女でよ。胸なんかもムッチムチで、だけどさ、|腰《こし》の辺なんかはキュッとしまってるわけ。|金髪《きんぱつ》でブルーアイだ。もち肌《はだ》でさぁ、男ならみんなグッとくるっつーか……。な、なんだよ。文句あんのか?」
「べっつに――!」
まったく。トラップったら、Hなんだから。
「あ、もち、人間ね。生まれは普通の家の出だ。家族は多い。彼女は一番末の娘で、たいそうかわいがられて育ったんだけどさ。まー、よくある話。年頃になって恋をしたんだが。恋人に先立たれたってんで、一時は世を儚《はかな》んで自殺も考えたわけだ。だけど、そこで自然の素晴《すば》らしさっつーのに目覚《めざ》めたわけさ」
「じゃぁ、信仰する宗教は?」
「もち、大地の神だな。んでまぁ、|布教《ふきょう》活動の旅に、|修行《しゅぎょう》も兼ねて出かけたっていうわけ」
「名前はなんていうんだ?」
「うーんと、マドンナ」
「ははは、安易なネーミングだな。それで、どういう性格なんだね」
「心配性なとこがあって、いわゆる女っぽい性格だ。女ってーのは、すぐアーダコーダ心配したがるからな」
「だって、それは優しいからじゃない! 人のことを気づかうからだわ」
「いんや! ありゃ、ヒステリックだ」
「うむ……まぁ、いいいい。そこでもめないように。えっと、人間ということだから、基本値は一〇だ。六面ダイスを三つふって修正値を出したまい」
コボルトがわたしたちに、いろんな形のダイスをくれた。
「わぁー。こんな形のダイス、初めて見る! あのぉ、どれをいつ使えばいいんですか?」
「うーんと…だな。それはそのつど、わしが説明するからよい」
「はぁ…。あ、あ、んじゃ、基本値とか、修正値ってなんですか?」
わたしが聞くと、JBはシートを指さした。
「ここに、いろんな能力《のうりょく》を書いた表がある」
おお、たしかに。
体[#原文では枠線付きで横向きの表] 力
精神力
敏捷性
頭の良さ
力の強さ
「人間の場合は、基本値がそれぞれ一〇ある。これを今作ったキャラクターに応じて修正していくのだ」
よくわかんないけど……、ま、トラップがやるのをマネすればいいか。
「おれは、自分のダイスを使うぜ」
トラップは、そういって缶ペン(ブリキでできたペンケース)を取り出し、パカッと開けた。
「わぁーお! きれいじゃない!!」
中には、青いガラス製のダイスがいろいろ入っていた。
「ほっほぉー。それほまた……。おぬし、かなりやってるな」
JBは、ますますうれしそうにいった。
「へっへ。ブルークリスタルダイスの威力《いりょく》、見せてやろうじゃあねーか!」
そういって、六面ダイス(ふつうの立方体のダイスね)を三つ握《にぎ》りしめ、「きぇぇーい!」とかって気合いもろとも転がした。
ダイスは三つとも勢《いきおい》いよく転《ころ》がり、「五」「五」「五」と、全部五で止まった。
「ひゃっほー! 五のゾロ目だぜー」
JBは、うーむとうなった。
「ルーミィ、二らよぉー!」
「バカ。おめぇは後でいいの、後で」
「それで、どのように割り振るんだね?」
JBが聞く。トラップは鉛筆で書いたり、消しゴムで消したりしていたが、
「よっし。こういう感じでいこう!」
体[#原文では枠線付きで横向きの表] 力  10 + 5
精神力  10 + 2
敏捷性  10 + 2
頭の良さ 10 + 3
力の強さ 10 + 3
「おいおい、体力に五プラスとは、やりすぎじゃないのか?」
「いいのいいの。この尼さん、大地の神を信仰してんだぜ。毎朝トレーニングしてるわけよ。|腕立《うでたて》てとかさ。それに、ほら、自然食かなんか食べてるから体力もあるってぇわけ」
「うーむ……体育会系の女|僧侶《そうりょ》なんだな。ま、まぁ、いいだろ。それで、|装備《そうび》はどうする?」
「えっと、おれたちどれくらいのレベルなわけ? 忘れてたけど」
「レベル!? おいおい、キャラクターは自分のレベルなんか知らないんだぞ」
「えー!? でも、実際、わたしたち、自分のレベル知ってますよ」
わたしが胸にぶらさげた冒険者《ぼうけんしゃ》カードを出してみせると、それを見て、
「く、くだらん! 実にくだらん! なんだ、その経験値っていうのは。いいか。そもそもの数値っていうのは、だ。仮にわかりやすくするため、実力を数値に置き換《か》えているだけなんだぞ。まったく」
「そんで、おれたちのレベル……つうか、まさかこれが初めての冒険っていう設定じゃないんだろ? それとも、|装備《そうび》を一から整えるってーことになるわけ?」
トラップが鉛筆の端《はし》っこで顎《あご》をツンツンしながら聞いた。
「ああ、そうだな。じゃ、こうしよう。おまえたちはすでに冒険らしい冒険を二、三度経験してきている」
「このパーティで?」
「あぁ、そうだ。で、まぁ、一般的な装備はすでにしているということにしよう」
「ふうん。じゃ、おれはプレートメイル(鉄製の頑丈《がんじょう》な鎧《よろい》)とラージシールド(大きな盾《たて》)、それからヘルメットと籠手《こて》、武器は……」
「おいおい!」
JBが制した。
「どこに、プレートメイルやラージシールドで重装備を固めた女|僧侶《そうりょ》がいるんだ!?」
「でも、体力はあるし力はある。女だからって差別するなよな。あー、わかった。|男尊女卑《だんそんじょひ》なんだな。そのルールは」
「ちがうちがう! そうじゃなくって。|想像《そうぞう》してみたまい。そんな重装備で固めた女僧侶がいて、絵になるか? 効果は半減どころかマイナスだな。せめて、女僧侶らしいローブの上からブレスト・プレート(胸甲)をつけるくらいにしないかね」
「うーむ。じゃ、そうだな。そうまでいうなら、取り引きだ」
「うん?」
「いうとおりの装備で我慢するかわりに、指輪か何かで防御力《ぼうぎょりょく》を上げてくれよな。プレートメイルとラージシールドを装備したのと同じくらい効果があるような」
「う……、うーむ。ま、まぁ、いいだろう。じゃあ、この指輪をつけることにしたまい。恋人がいたっていってたから、その人の形見だっていうことにしたらどうだろう。彼が守ってくれてるっていうことに。だから他に恋人ができたりしたら、効力はなくなってしまうわけだ」
JBがふところから、大きな青い石の指輪を出した。
「ふーん、なんだ。サファイアじゃねーな」
トラップは、目を細めて点検した。
「|魔法《まほう》のかかったリングということにすればよい」
「武器は……そうだな、ロングソードとはいわねぇ。メイスくらいは使わせてくれよ。な、考えてもみろよ。|僧侶《そうりょ》のロープの上にブレスト・プレートを装備《そうび》した、|絶世《ぜっせい》の美女がメイスをふりまわしてるなんて! かっこいいだろ!?」
メイスっていうと、イガイガのついた鉄の塊《かたまり》をくっつけたこん棒《ぼう》みたいなやつ。あれをふりまわす女僧侶!? こ、こわい。
「うーむ……、まぁ、そうだな。よし。じゃ、それでよかろう。で、|魔法《まほう》は何を使う?」
「何が使えるんだ?」
「とりあえず、体力回復、|解毒《げどく》、|恐怖《きょうふ》の除去、熱からの防御《ぼうぎょ》、寒さからの防御、自分自身のプロテクション、ターニングアンデッド(ゾンビなど、死なないモンスターを消し去る魔法)。これだけだ」
「ちぇ、そんだけぇ? じゃ、全部使いたいね」
「あぁ、それでもいいぞ。その代わり、すべて一度ずつしか使えないことになる」
「な、なんでぇ!? んなルール知らねーぞ。オフィシャルじゃ、自分のレベルに応じて何を何度使ってもいいってことになってるじゃねーか。もちろん、どのレベルの魔法は何度って制限はあるだろうけどさ」
「うおっほん!」
JBはわざとらしく咳払《せきばら》いをした。
「いっておくが、DM(ダンジョンマスター)はわしじゃ。だから、わしがルールなのだ」
「ちぇ、いるんだよなぁ、そういうDM。何かっちゃ、自分がルールだとかいって逃げる奴《やつ》…」
JBのまっ黒な額《ひたい》に血管が浮き上がった。
「ま、いいだろ。んじゃ、全部でひーふーみ!…‥七回使えるわけね?」
「そうだ」
「じゃ、わかった。体力の回復が四回、解毒が三回、ターンアンデッドは魔力《まりょく》使わないよな?」
「ああ、そうだ。他のはいらないのか?」
「いらねー」
「よし。じゃ、決まりだ」
その後、トラップ以外のメンバーも、それぞれのキャラクターを決めていった。
まず、ノル。彼が演じるエルフの魔法使いは「シルファ」という可憐《かれん》な名前の女の子。歳はエルフだからかなり上だが、人間にたとえるならまだ一七くらい。純白のローブをまとい、頭には花の冠《かんむり》。バラ色の頼《ほお》をした、|華著《きゃしゃ》な女の子ということだった。
何かの事件があって、過去の記憶をなくしている (なんて、こういうとこは、まるでキットンみたいよね)。
とにかく神秘《しんぴ》的で何を考えているのかわからないといった人物。性格も温厚そうに見えて、実は冷たいところもあり……といったぐあい。
使える魔法は、マジック・アロウ(魔法で出現させる矢)が五回、ミラー・イマージュ(分身の術《じゅつ》。ただし、自分だけ)が二回、スパイダーズ・サレッド(魔法で出す蜘蛛《くも》の糸で相手をがんじがらめにする)が二回、プロテクション(|防御《ぼうぎょ》の魔法。ただし自分だけ)が二回。トラップより使える魔法の回数が多いのは、それだけ精神力や頭の良さがいいせいなんだそうだ。そのかわり、重い装備《そうび》は一切できない。
そして、ルーミィ。彼女が自分であれこれ細かなとこまで決めるには、ちょっと無理《むり》があったから、そこはみんなで意見を出しあって補《おぎな》った。
ただし、ルーミィのたっての希望から、ドワーフの盗賊《シーフ》ということになった(めずらしいよね。エルフがドワーフやりたいなんて)。
名前は「ドーン」。歳は人間でいうと三六くらい。ひげもじゃで、ずんぐりむっくりした体型。ずっとひとりで盗賊|稼業《かぎょう》を営んでいたが、手先の器用さを見こまれ、パーティに加わった。
のんびりした性格で、子供っぽいということにした。だって、ルーミィだもん。
装備は、皮のアーマーに、ダガー。
で、最後にわたしなんだけど。|猪突猛進《ちょとつもうしん》っていうか、カァ――っと頭に血がのぼってしまタイプ。ファイターっていうより、|狂乱戦士《バーサーカー》って感じ。
わたしって、楽天家に見えてけっこう内心アレコレ考えたりするほうだし、すぐ同情しちゃうほうだから。ゲームだもん。スカッと大暴《おおあば》れしたいなぁって思ったの。
もちろん人間。名前は「リジー」。歳は二二歳。けっこういいとこの坊ちゃんだったんだけど、あまりに乱暴《らんぼう》だったし、いたずらが過ぎるっていうんで勘当《かんどう》されてしまった。
能力値は、もちろん体力、力の強さが抜群《ばつぐん》にいい。|他《ほか》のは、あんまりよくない。
装備は、プレートアーマーとヘルメット、それから両手で使うロングソード。ハチャメチャに暴れまくるぞー!
「んで、アイテムは何か持ってけないわけ?」
トラップが聞いた。
「これは簡易シナリオだし、おまえたちは初心者だからな。今回はとりあえず、食料、カンテラ一個、|盗賊《シーフ》は七つ道具と火薬《かやく》。ロープ、それから火打ち石を持っていることにしよう」
「そっか。それで事足りるわけね? ズルはなしだぜ?」
「あぁ、だいじょうぶだ」
という感じで、いよいよゲーム開始となったんだけど。その前に……っていって、JBがコボルトたちに合図《あいず》した。
「げ、げぇー!!」
トラップが叫ぶ。
「あに、考えてんだよぉ――」
JBはニヤニヤ笑って、
「やっぱり雰囲気《ふんいき》を出してもらわなきゃいけないしね。それぞれ、今いったようなものを渡すから、着替えるように」
そうなんだ……。なんと、トラップには女|僧侶《そうりょ》がはおるようなロープやメイスが渡され、わたしにはプレートアーマーやらヘルメットやら。|仮装《かそう》までやれというのだった。
「ぎゃっはっはっはっはっはっは!!」
最高におかしかったのが、ノルとルーミィ。
ノルはヒラヒラした純白のロープを着て、ごていねいに花の冠《かんむり》までかぶった。ルーミィは、あの顔につけひげをつけたのだった。
「うう、重いよぉー!」
わたしは、服の上からプレートアーマーをつけたのだが、これが重いのなんのって。うっへぇ。ファイターって大変なのねー。
「じゃ、席にもどりたまい。その消しゴム、それにカッターで半分くらい切れ目をいれてだ。今おまえたちが描いたキャラクターの絵を差しこんでみたまい」
「チェッ、フィギュアくらい使わせてくれよな、ったく、|贅沢《ぜいたく》なのか、ケチくせーのか、わかんねーよな」
トラップはプチプチ文句をいいながら、慣れた手付きでコボルトの持ってきたカッターで消しゴムに切れ目を入れた。
「わたしたちのも、やって」
「あいよ!」
はたして、キャラクターの絵を描いた厚紙は消しゴムをおもりにして机の上に立った。
その間、JBは自分の用意をアレコレやっていたようだ。皮でできた、ついたてを自分の前に置き、
「よし。|準備《じゅんび》ができたようだな。では、ゲームを始めるとしようか」
と、ゆっくり一同を見渡した。
STAGE 13
さて。いよいよゲームが始まったわけだけど。その様子をお話しするのってけっこう厄介《やっかい》。
だって誰《だれ》かが誰かを演じているわけだし、もちろん演じていない元の自分の発言っていうのもあって。だから、ゲーム上での発言は、そのゲーム上での名前を書くことにしますね。
んじゃ、もう一度整理するとぉ。
キ[#原文では枠線付きの表]ャラクター名 種族   性別 職業    プレイヤー名
マドンナ    人間   女  僧侶《そうりょ》    トラップ
シルファ    エルフ  女  魔法使《まほうつか》い  ノル
ドーン     ドワーフ 男  盗賊《シーフ》    ルーミィ
リジー     人間   男  ファイター パステル
それから、DMことダンジョンマスターが、JBことジェローム・ブリリアント・三世。
〔DM〕さて。このシナリオは、|神聖《しんせい》なるモンスターたちが守る唯一無二《ゆいいつむに》の宝を奪《うば》おうと企《たくら》む、|冒険者《ぼうけんしゃ》どもの物語だ。
そっか。ドラゴンから見たら、わたしたち冒険者って厄介な存在だものね。そういうことになるかも。
後ろのオーケストラが、何やら荘厳《そうごん》な音楽を始めた。
〔DM〕おまえたちは宝の噂《うわさ》を聞いて、無謀《むぼう》にもダンジョンへと向かった。一番近い町でさえ、一〇日は歩かなければならないほどの山奥だ。ダンジョンの入り口はうっそうと草の生《お》い茂《しげ》るジメジメとした場所にあった。さぁ、始めてくれ。
JBがテーブルの上に大きなマス目のある紙を置き、その一番はしっこにグリグリっとマークをし、「入り口」と書き加えた。そして、さっき作ったキャラクターをその前に置くように
いった。この紙にマッピングしていくわけだな。
〔マドンナ〕よっしゃ。じや、ルーミィ……じゃねぇ。ドーン……だっけか? とにかく盗賊の出番だぜ。早いとこ先に入って様子を見てきてくれや。
「ねぇ、トラップ。その言葉使いどうにかならないの? |絶世《ぜっせい》の美女の僧侶なんでしょ?」
〔マドンナ〕うーむ……。わ、わかったわ。じゃ、ドーンさん、ちょっくら行って調べてきてくださらない?
あはははははは。それじゃ、まるでオカマだよぉ。
〔ドーン〕ぇっと、何をすえば、いいのらぁ?
〔マドンナ〕だぁぁぁ……。だから、先に入って罠《わな》がないかとか、調べてくるのよ。ダンジョンの入り口すぐに落とし穴なんていうのは、よくあるパターンなんですのよ。
〔ドーン〕うん! じゃ、ルーミィ、先に入ってみう。
「こらこら、ルーミィじゃないでしょ。ドーンなんだから、今は」
実際、ルーミィが盗賊《シーフ》というのには、|絶対《ぜったい》|無理《むり》があったよなぁ。
と、ここでまた音楽が変わった。今度は静かで、しかも不気味《ぶきみ》な感じ。うーん、効果|抜群《ばつぐん》じゃない!? わたしはすっかり血気盛んなファイターの気分になっていた。
〔DM〕最初に盗賊だけが入るわけだな。よし。入ると中はまっ暗だ。
〔ドーン〕カンテラを持ってうもんねー。
〔DM〕持ってるだけじゃダメだよ。火をつけなきぁ。
〔ドーン〕じゃ、つけたもんねー。
〔DM〕よしよし。では、回り一〇歩四方くらいが明るくなった。ダンジョンは自然の岩をくり貫《ぬ》いて作ったようで、ゴツゴツとした岩肌《いわはだ》そのまま。特に怪しい雰囲気《ふんいき》はない。人間がふたり並んで歩けるくらいの通路がまっすぐあるだけだ。
〔マドンナ〕DMのいうことなんか当てになんね!…‥いや、当てになんてなりませんことよ。ドーンさん、その辺の壁《かべ》を調べてくださいましね。
〔ドーン〕わかったぉ。調べう!!
〔DM〕盗賊は丹念《たんねん》に調べたが、ただ岩があるだけだった。何も落ちていないし、|罠《わな》もないようだ。
〔リジー〕じゃ、そろそろ中に入ろーぜ!
〔ドーン〕そうですわね。
エルフの娘に扮《ふん》したノルは、恥ずかしそうにうなずいた。そりゃ、そうよねー。あんな格好《かっこう》させられちゃ。
こんなぐあいに、ダンジョンへと入っていったわたしたち。なんか考えると変だよね。実際のダンジョンに入って、あれやこれや苦労してだ。やっとこさ、お目当てのブラックドラゴンに会えたと思ったら、今度はゲームでダンジョンを徘徊《はいかい》してモンスターと戦わなくてはいけないだなんて!
でも、わたしはゲームって大好きだし、それに、なんかこれおもしろそうじゃない!?
クレイの手前、|不謹慎《ふきんしん》かもしれないけどワクワクしてきちゃった。
〔DM〕角を曲がると、向こうから怪しい影が近づいてきた。
〔マドンナ〕おっと、おいでなすった……んですわね!
〔リジー〕待ってたゾ! |腕《うで》がなるゼ。
〔ドーン〕じゃ、調べてくうね。
〔マドンナ〕ダメだ。ダメだ。今度は、こっちで待ち伏《ぶ》せするんですのよ。ささ、みなさん、さっきの道にもどりましょう。
〔リジー〕んなもん、オレが一発で決めてみせる。
〔マドンナ〕じゃ、ファイターさん、あなたひとりで戦ってらっしゃいな。わたしたち、犬死にはイヤでございますわ。
〔リジー〕う……。
〔DM〕さぁ、どうするんだね。
〔リジー〕じゃ、マドンナのいったとおり、元の道で待機《たいき》することにするゼ!
〔DM〕よし。しばらくすると、|不潔《ふけつ》な臭《にお》いが辺《あた》りに漂《ただよ》った。
〔マドンナ〕ほらほら、お決まりのパターンだことよ。オークだわ、きっと。あたくし、|賭《か》けてもいいわ!
〔DM〕そのとおり。オークは三匹いた。おまえたちの待機する角まで来ると、人間の臭いを嗅《か》いで立ち止まった。順番はオークAの隣《となり》にオークB、さらにその後ろにオークCだ。
といって、オークを型どった小さな人形をさっきの紙の上に三体置いた。
〔マドンナ〕じゃ、あたくし、メイスでこいつ、このオークAだっけ? こいつをブッ殺してさしあげることにしますわ。
〔リジー〕オレは、えーっと……どうしよ。オークBでいいかな?
〔DM〕だめだめ。オークBをやろうと思ったら、まずは、その隣まで行かないとソードは届《とど》かないよ。
〔リジー〕そっか。じゃ、マドンナ、あんたオークBをやるために、前に出ろよ。
〔マドンナ〕これだから、|素人《しろうと》さんは困るのよねぇ。あたくしたちのレベルで一発でしとめられると思って!? まずは確実に一匹ずつしとめていったほうがいいんじゃないかしら。
〔リジー〕そ、そうか……。じゃ、オレもオークAをやるよ。
〔ドーン〕おいらぁ、何すえばいいだぁ?
ルーミィは、ドワーフらしさを出すために「おいら」というようトラップにいわれたのだ。彼女もだんだんゲームがわかってきたみたい。
〔マドンナ〕おめぇ……いや、ドーンさんは一歩前で待機《たいき》していてくださいな。次にオークBをやっつけてもらいますからね。
〔ドーン〕おいらぁ、わかっただぉう!
〔シルファ〕じゃ、わたしもオークA? でも、ここからじゃ届かないわ。
おっと、ノルまでその気でしゃべってるしい。
〔マドンナ〕シルファさんは、そこで待機しててくださいな。苦戦するようだったら、|魔法《まほう》で加勢《かせい》していただきますわ。まぁ、オークの三匹やそこら、あたくしたちで十分。おーつほっほっほっほ!
な、なんだかなぁ……。
〔DM〕じゃ、それでいいんだな?
〔全員〕おお――!!
〔DM〕よし。じゃ、戦闘だ。
ここで、BGMがまたガラッと変わった。今度はアップテンポの激《はげ》しい曲だ。
〔DM〕オークたちはまだおまえたちの存在を知らないから、当然、そっちの先制|攻撃《こうげき》ということになる。マドンナ、おまえからだな。リジーより敏捷性《びんしょうせい》が高いからな。まず、二〇面ダイスをふりたまい。相手がオークだからおまえの場合、一〇以上だったら当たり。二〇だったら、クリティカルヒットで三倍ダメージだ。
〔マドンナ〕よぉ―――し! 今こそ、このブルークリスタルダイスの威力《いりょく》を見せてやるですわよ!
トラップは怪しげな女言葉を操《あやつ》り、ほとんど球形に近いダイスを気合いもろとも転《ころ》がした。
ダイスはコロコロと転がり、ノルの前まで行ってようやく止まった。
出目は、「二〇」!!
〔マドンナ〕ひゃっほぉ―――っっ!! てっへっへっっへ。ザマーカンカンってなもんだぜぇい。
|一緒《いっしょ》にダイスの行方を見守っていた、JBの表情がす――っと暗くなった。まっ黒の皮膚だからして、顔色の変化はわからなかったけど。
〔DM〕うむ……。じゃ、クリティカルヒットだな。メイスだから、六面ダイスをふりたまい。
トラップは、またまた立ち上がり、何やら念じた後「きぇ――い!」とダイスをふった。ダイスは、コロコロ転がり「五」で止まった。
〔マドンナ〕ぎゃっはっはっはっは!! わりいなー。これ、どう考えても終わりですわね?だって、こちとらクリティカルヒットだろ? どう少なく見積もっても一五以上はいってるもんね。これに、あたくしの力を考慮すると……。
〔DM〕わかった。わかった! そうだ。オークAは、血に飢《う》えた女|僧侶《そうりょ》の一撃で、かわいそうにお陀仏《だぶつ》だよ。
〔リジー〕げげ、じゃ、わたし……じゃない。オレ、出番ないわけ?
〔DM〕そうだな。おまえは一度パスってことになる。
〔リジー〕つまんなぁ――い!
〔マドンナ〕いやいや、|他《ほか》の二匹もいるんだし。それにこれからイヤってほど出てくるだろうから、待ってなさいって。
〔DM〕よし。じゃ、次のターンだ。まずはイニシアティブを決めるぞ。二〇面で一〇以上だったら、こっちの先制だ。ふっふふふ。暗黒ダイスの威力《いりょく》を思い知れ!
気合いは入ってたんだけどねー。まっ黒のダイスがコロコロと転《ころ》がり、「二」で止まった。
ふーっと、JBは重いため息をついた。
〔マドンナ〕ま、そういうこともありますわよ。んじゃ、またこっちから行きまっせ。
オークのフイをつくことができた、わたしたち。強いのなんのって!
ダンジョンの憎まれ役、オークも形無し。あっさり倒れてしまった。
彼らを倒した後も、次々と新手のモンスターが襲いかかってきたが、わたしたちは負傷らしい負傷も負わず、かなりダンジョンの深いところまでくることができた。
どうやら、こっちのサイの目がいいわりに、JBはことごとくついてないようだった。
〔DM〕うーむ。おまえたち、よっぽどバカつきしてるんだな。しかし、その道もこれまでだ。
〔リジー〕えー!? なんだよ、それ。
〔DM〕ふふふふ……。道の選択《せんたく》を誤《あやま》ったようだぞ。上をよく見るんだな。
〔リジー〕え?
〔マドンナ〕んなこと、いわれたってわかるわきゃねー……でしょ。早いとこ、説明してくださいましな。
〔DM〕ふむ。えーっとだ。|天井《てんじょう》から恐ろしく先の尖《とが》った鉄槍《てつやり》が出てきた。
〔マドンナ〕げ! |罠《わな》かよ。
〔DM〕ふっふっふ。このままじゃ串《くし》ざしだね。
〔リジー〕じゃ、早いとこ逃げ出そうぜ!
〔DM〕しかし、背後でガタン! と大きな音がした。見ると、頑丈《がんじょう》な落とし格子《ごうし》が落ちたところだった。しかも、前方にも落とし格子が落ちかかっている!
〔マドンナ〕よし。じゃ、そいつが落ちる前に早いとこズラかりましょうよ。
〔DM〕ふむ。じゃ、成功|判定《はんてい》だ。自分の敏捷性《びんしょうせい》以下を出せば脱出成功だ。
〔マドンナ〕あたくしは一一だから、一〇以下ですわね。ホイッと。
止まった目は「三」。
〔マドンナ〕ケッ、軽いもんだぜ。
〔リジー〕じゃ、オレの番だ。オレは……くそ、一〇ピッタシだ。んなことなら、もうちょっと修正加えておけばよかったな。ママよ!
わたしがふったダイスは九。ふぅ――、命拾い。
身軽なシルファ役のノルはもちろんのこと、わたしより敏捷性の低いドワーフ役のルーミィも軽々とパス。
〔リジー〕よかったなぁー! みんな無事だね。
〔マドンナ〕よし。|罠《わな》はクリアしましたわよ。全員助かる確率は約一六分の一だもんね。ここで、ふたりくらいは殺すおつもりだったんでしょ。残念でした。ほーっほっほっほ。さて、お次はなんですの?
〔DM〕う、うぬぬ……。
その後、登場する敵はだんだん強くなっていったが、ことごとくパスしていった。特にトラップがツキまくってて、ほとんど彼がやっつけていた。もちろん、わたしもバッサバサ斬《き》っていったし、ノルの魔法《まほう》も冴《さ》えていた。ルーミィもちゃんと罠を解除《かいじょ》したりしたし。なんか、実際の冒険《ぼうけん》よりずっとずっとスムーズじゃないか!
わたしはちょっぴり複雑《ふくざつ》だったが、もっと複雑な顔をしていたのがDM役のJB。最初のうちは、|余裕《よゆう》さえ感じられ、わたしたちがモンスターを倒しても「よかったな」といった感じだったのに、今やわたしたちを倒そう倒そうとヤッキになっているようだった。
あれ? ちょっと待てよ。
JBの形相《ぎょうそう》がだんだん変わってきているのに気づいた。単にイライラしているだけじゃない。よーく見ると、さっきまで紳士《しんし》的な顔つきだったのに、何やら怖《こわ》い。口元からは牙《きば》が見え隠《かく》れしているし、目なんかつり上がってる。ブルブル|震《ふる》える指の爪《つめ》がさっきより延びたような気もする。
そう思ったとたん。いやぁな予感がした。
わたしたちは、すっかりゲームに興《きょう》じていたが。このおじさん、実はあの、世にも恐ろしいブラックドラゴンだぞ!? ほんとだったら、|毒《どく》ガスのブレスひと吹きで、わたしたち全員即死だもの。
おいおい。
マズイ! こりゃ、絶対マズイよぉ。
「ちょ、ちょっと作戦タイムもらえませんか?」
自分のシナリオメモをにらみつけていた、JBがふっと我に返ってわたしを見た。その瞬間《しゅんかん》すーっと牙も消え爪も短くなった。
「あ、ああ。そうだな。ここらで休憩《きゅうけい》にしてもよかろう」
「なんだよ! 早いとこ、やっちまおうぜ。せっかく調子に乗ってるんだからよ!」
ブイブイいうトラップをなだめ、|部屋《へや》の隅《すみ》にひっぱっていった。
「なんだよ!」
「あ、あのねー。ちょっとこのままだとマズイんじゃないかな」
「なにが!?」
「もうちょっと低い声で話してよ。あのさ、JBってほら、本当はブラックドラゴンなわけでしょ?」
「あ、あぁ、そうだったな。すっかり忘れてたけど」
「うんうん。でね。こっちがあんまり調子いいもんだから、かなり頭にきてるみたいじゃない?」
「だってよ。しかたねーじゃん。別にズルしてるわけでもなし。あっちの出目が悪すぎるだけよ」
「で、でもさ。あんまり機嫌《きげん》が悪くなると、ドラゴンにもどっちゃって、|毒《どく》ブレスをぼぉーっとかさ……」
「じゃ、なに? 手加減しろってこと? わざと負けるって?」
「う、うん。ま、そんでさ。次のゲームで勝てばいいじゃない? 一応、最初は花を持たせてさ」
トラップは、わたしのほっぺのすぐそばで、パチンと指を鳴らした。
「キャッ!」
そして、すっごく真剣な顔で、
「ゲームはゲームだろ。真剣勝負だ。だから、楽しいんだぜ。んな手加減して勝たせてもらって、|誰《だれ》がうれしい? あいつはな、変な野郎だけど。ゲームのことにかけちゃ、そうとう入れこんでるんだ。今までの様子から判断《はんだん》して、おれたちが加減してるなんて、すぐ見破るぜ。そしたら、どうなる? プライドなんかズタズタだぜ」
「そ、そう……だね」
「うん。だから、いいんだよ。変な小細工《こざいく》はナシにしようぜ。おれは、あいつを信じてる。ゲームに負けたからって、怒りだしたりしたら、笑ってやるだけよ」
「わかった……」
〔DM〕おまえたちは物々しい部屋についた。|壁《かべ》も床《ゆか》も天井《てんじょう》も岩石を組んで作られている。奥には、|扉《とびら》があった。
〔マドンナ〕おっし。そろそろ終わりかしらね。じゃ、ドーンさん、|頼《たの》んますわ。
〔ドーン〕調べうのかぁー? わかったぉ。
〔DM〕どこを調べるんだい?
JBに聞かれ、ルーミイはわたしやトラップの顔を見た。
〔リジー〕扉を調べるんだろうね。|罠《わな》はないかとか、鍵《かぎ》はかかってないかとか。
〔ドーン〕じゃ、そうすうよぉ。
〔DM〕ふむふむ。扉には鍵はかかってないよ。ノブを回すかい?
〔マドンナ〕ちょい待ち! なんか怪しいなぁ。ノブを調べたほうがいい。|爆弾《ばくだん》かなんかが仕掛けられてるかもしれないし。
〔ドーン〕じゃ、そうすうよぉ。
〔DM〕ノブには別に爆弾が仕掛けられた形跡《けいせき》はなかった。
〔リジー〕じゃ、とりあえず開けてみようゼ!
〔マドンナ〕ま、しかたないな。
〔DM〕開けるんだね? よし。扉を開けた途端《とたん》だ。
〔マドンナ〕ほらほら! やっぱり罠だ。
〔DM〕岩で作られた大きな巨人像が立ちふさがっていた。
〔マドンナ〕おっと、ストーンゴーレムだな。いよいよ最後か!? ストーンゴーレムなら、ヒットダイス一〇だからして、|期待値《きたいち》四五だろ。|敏捷性《びんしょうせい》五ぐらいだから……。じゃ、リジー、あんたなら一三以上で命中だわよ。
〔リジー〕なに、そのヒットダイスって……。
と、トラップに聞きかけたがやめた。だって、またJBの顔つきが怖くなってきたんだもの。
〔DM〕説明を続けたいんだが、いいかね?
怒りを押し殺した声でJBがいった。
〔マドンナ〕おっと、ごめんなさい! どうぞどうぞ、お続けになって。おはほは……。
JBはトラップを|憎々《にくにく》しげににらみ、ひとつ咳払いをした。
〔DM〕巨人像は……おまえのいうとおり、ストーンゴーレムだった。
ストーンゴーレムというのはゴーレムの一種。あったりまえのことだけど、石でできたゴーレムということね。誰かに作られたもので、その誰かの命令によって動いている。通常、宝を守ったりしてるんだ。|頑丈《がんじょう》だし、力強いし。かなりの強敵といえる。今はゲーム上だからいいけど、実際会ったら、わたしたちなんかひとたまりもないだろう。
〔DM〕ゴーレムは扉を開けたものを殺すよう、命令されているようだ。おまえたちをいきなり襲《おそ》ってきた。扉を開けたのは、ドーンだな。よし、ダイスをふるぞ。
〔マドンナ〕ちぇ、なんか汚ねーわ。ちゃんと調べたんだから、なんらかのヒントがあってしかるべきじゃないかしらね。
JBはトラップを無視《むし》して、黒いダイスをふった。出目は「一三」。
〔DM〕よしよし。まずは命中だな。
再びダイスをふる。今度は八面ダイス。出目は最高の「八」。
〔DM〕あっはっはっはっは。おまえたちのツキもこれまでだな。かわいそうに、ドーンは死んだよ。
〔ドーン〕おいらぁ、死んじゃったんらぁ?
「ルーミィしゃん、死んじゃったデシか?」
シロちゃんが目をまんまるにして聞いた。
〔マドンナ〕お、おい。たった一撃で? いくらストーンゴーレムが強いからって、んな無茶《むちゃ》|苦茶《くちゃ》な。
〔DM〕ふふふ。このゴーレムには魔法《まほう》がかかっていてね。まぁ、|潔《いさぎよ》くあきらめていただこう。
〔マドンナ〕いや。その前にラックチェックがあるはずだ。いきなり即死ってのはねーだろ。こっちが初心者ばっかだからって、なめてもらっちゃ困るぜ。
トラップはすっかり逆上《ぎゃくじょう》して、変テコな女言葉を使うことさえやめてしまった。
〔DM〕残念ながら、わしのルールにラックチェックなんていう邪道《じゃどう》なものはない。
〔マドンナ〕な、なにいー!?
トラップは立ち上がって、こぶしをブルブル|震《ふる》わせた。
〔DM〕だいたいラックチェックなんてもん、あること自体おかしいと思わないか? いったん死んだのに、「さっきのナシね?」っていうんだろ。そんなのは邪道だよ。邪道。
〔マドンナ〕…………。どうせ、ルールはわしだっていうんだろうな。
トラップが青い顔で座ると、DMは、さもうれしそうにうなずいた。
〔DM〕さてと。他のみんなはどうするんだね? ゴーレムには話し合いなど通用しない。彼は次の獲物《えもの》を狙っているよ。
〔リジー〕く、くそー。よし。おまえなんか、このソードで|粉々《こなごな》にしてくれる!
〔マドンナ〕よし。|総攻撃《そうこうげき》だ。負傷してる奴《やつ》はいねーな?
〔シルファ〕わたしは、まずミラー・イマージュで分身するわ。
しかし、わたしたちの意気ごみなど必要なかったみたい。JBの出目がよかったのは、さっきの一回だけ。何度やっても、イニシアティブを取るのは、わたしたちの方だったし。ゴーレムはスカスカ外してくれるばかり。
それにしても、このゴーレムの頑丈《がんじょう》なこと! やってもやってもなかなか倒れない。
〔マドンナ〕よし。ダメージ六だ。これで六〇は越えたわ。どう考えてもおしまいだな。
〔DM〕いや、まだまだ。
〔マドンナ〕ウソだろー!? いったいライフポイントいくつあんだよ。
結局、やっとこさ倒れたときには、ダイスをふるのもいい加減|飽《あ》きてきていた。
〔マドンナ〕えーっと……合計すっと、げ! なんだよ。八〇だって!? そんじゃマックスじゃねーか! んなバランスの悪りぃシナリオ、見たことも聞いたこともねーや。
〔DM〕…………そうか。いいぞ、ゲームをやめても。その代わりそっちの願いも払い下げだ。
言葉はきついけれど、ひどく傷《きず》ついたような顔。声も少し弱々しく聞こえた。プライドを傷つけられたんだろうな。きっと、今までこんなふうに遠慮容赦《えんりょようしゃ》なくボロクソにいわれたことなんて一度もなかったんじゃないだろうか。そうよね。誰《だれ》がブラックドラゴン相手に、んなこというもんですか。
〔マドンナ〕バカいうなよ。ここまで来たんだ。最後までやるぜ。
JBは、ふっと顔をあげ、なんとも複雑《ふくざつ》な表情をした。うれしそうな、さみしそうな、怒ったような……。
なんか、この人って(いや、ドラゴンなんだけどさ)孤独なんだろうなぁ。これだけ大勢のコボルトにかしずかれて暮《く》らしてても、本当の友達っていないのかも。
これだけゲームが好きで、あんなにたくさんの本を読んだり自分でシナリオまで作ったりしても、|一緒《いっしょ》に遊ぶ友達がいないだなんて。
今はこうしてわたしたちが相手をしているけど、わたしたちが帰ってしまったら、またひとりになっちゃうんでしょ。
わたしは小さい頃、まだ両親が健在だった頃。|誕生日《たんじょうび》のパーティに友達を呼んで遊んだときのことを思い出した。
たしかに遊んでいるときは楽しいんだけど、さて、そろそろお開きにしましょうかっていうくらいになると、本当にさみしくなるんだよね。帰っていく人より、それを見送る人のほうが数段《すうだん》さみしいと、わたしは思うな。
どうせならコボルトたちと遊べばいいのに。
そう思って、飲物などをセッセと運んでくるコボルトたちを見た。よく見ると、みんなシッポを足の間に丸めこんでて。やたらオドオド、ビクビクしている。こんなんじゃ、対等の友達にはなれっこないや。
あれ? でも、そんなコボルトのなかにはさもゲームをやりたそうに、こっちをチラチラ見ているのもいるじゃないか!?
こんなときキットンがいてくれたらなぁ。彼だったらうまくフォロー……あ、反対に難《むずか》しいこと言い出してこんがらがっちゃうかな。
〔DM〕続きを話してもいいかな。
気まずい空気が漂《ただよ》うなか、|遠慮《えんりょ》がちにJBが聞いた。
〔マドンナ〕よし。気分を変えよう。いいわよ。かかってらっしゃい!
トラップがそういったので、JBは心底《しんそこ》ホッとしたようだった。
〔DM〕|崩《くず》れさったストーンゴーレムをまたいで部屋《へや》の奥に入ると、そこには小さな宝箱があった。
〔リジー〕やったやった! それだ。
〔マドンナ〕いやいや、まだ喜ぶのは早いわ。またぞろ罠《わな》かもしんねーでしょ。
〔リジー〕で、でも、もう盗賊《シーフ》はいないんだし。調べることも、罠を解除《かいじょ》することもできないゼ。
〔マドンナ〕しかたない。こんなかで一番体力のある奴《やつ》が開けることにしましょう。
〔リジー〕げげ、じゃ、ファイターのオレじゃないか!
〔マドンナ〕だいじょうぶだって。なんかあったら、すかさず体力回復してあげるから。
〔リジー〕ちぇ、命がけだな。宝箱開けるのも。
〔マドンナ〕そうよ。盗賊はいつも命がけでお宝を取ってるわけよ。ちったぁ、盗賊の苦労もおわかりになった?
〔DM〕じゃ、リジーが宝箱を開けたんだな。残念でした。中は空っぽだったよ。
JBは、さもうれしそうにクスクス笑った。
〔リジー〕え――、そんなぁ!
〔マドンナ〕さては、ダミーだな。しかたない。この部屋のどっかに隠《かく》し扉《とびら》があるはずだ。調べようぜ。
〔DM〕どこから調べる?
〔マドンナ〕え? あぁ、そうだなぁ。じゃ、とりあえず床《ゆか》から。
〔DM〕床? 床って……どのへんの床かね。
〔マドンナ〕んーっと、適当に……このへん。
トラップは、テーブルの上の、すでにいくつもの通路《つうろ》や部屋が書き加えられた方眼紙《ほうがんし》を見つめた。そして、今いる部屋《へや》の左端を指さした。
JBはゴクッと喉《のど》を鳴らし、その指先を見つめた。
〔マドンナ〕お、おろ!? 大当たりかぁ?
〔DM〕そ、そうだ……。隠し扉を発見したぞ……。
〔マドンナ〕へっへっへっへー! おれって天才?
〔DM〕しかし、なぜわかったんだ?
〔マドンナ〕だってさ、ここのダンジョンって床に隠し扉っての多かったじゃん? それに決まって左端だったしさ。あんた、そういうのが趣味《しゅみ》なんだと思ったわけ。
〔DM〕そ、そうか……。気づかなかったな。
わたしは、あの「|隠《かく》し扉《とびら》|挟《はさ》まれ事件」を思い出して、ひとり恥ずかしくなった。そんなわたしに、ずーっと黙《だま》ったままゲームを見ていたジュン・ケイがニッコリ笑いかけた。
ドッキン!
心臓が、またまたおかしくなってきた。
あぁ、でも、こうやって彼をドキドキしながら見ることも……このダンジョンから出たら、そしたらできなくなるんだ。
そう思っただけで、今度はグィーンと胸が苦しくなった。同時に目と目の間が辛《つら》くなってきた。だめだ。なんか泣きたくなってくる。
「おい、なにひとりでため息をついてんだよ。もうすぐだぜ。元気だせよ」
トラップったら、なんにもわかってない。
「そうだよ。君たちはついてるんだ。後一息だ」
ジュン・ケイまでが、そういった。
ほんとに、ほんとになんにもわかってないんだから!
隠し扉を開けると、そこには階段《かいだん》があった。……って、これ、トラップのいったとおり、この人のパターンなんだよなぁ。
そして、下にはドラゴンが待っていたわけである。ドラゴンの後ろには、ゴージャスな宝箱が見えていた。
〔DM〕さて。いよいよ最後の戦いだ。よくここまで生き残ってこれたな。誉めてつかわすぞ。
〔マドンナ〕あぁ、まったくだ。めったやたらに強いモンスターはバカバカ出るわ、ヒントも何もなく罠《わな》は出てくるわ。よくもまぁ、生き残れたもんだと思うわよ。
トラップの皮肉に、JBは一瞬《いっしゅん》ひるんだが、オッホン! と大きく咳払《せきばら》いをして一同を見渡した。
〔DM〕じゃ。どうするかね。
「おいらぁ、調べうかぁ?」
|無邪気《むじゃき》な顔のルーミィは大きなつけ髭《ひげ》をつけたまま。
「あぁ、ルーミィ、あのね。ルーミィはしばらくお休みしてていいのよ」
「お休みぃ?」
「そうそう。ここで応援しててね」
「うん! じゃ、応援してうよ!」
〔マドンナ〕ドラゴンっていったって、いろいろいますものね。どういうドラゴンなんですの?
〔DM〕もちろん、ブラックドラゴンだ。
〔リジー〕じゃ、まさか、ひと吹きで全員死んでしまうとか!?
〔DM〕そ、それは、ない。だいじょうぶだ。
なんかあわてた声。もしかしたら、最初の計画では、そうだったのかもね。でも、トラップにさんざんバランスが悪いとかなんとか文句をいわれたもの。これでブレスひと吹き全滅《ぜんめつ》! なんてやっちゃったら、何いわれるかわかんない。そう思って、急きょ変更したのかもしれない。
〔DM〕|毒《どく》ガスのブレスは吐くが、息をためるのに時間がかかるのだ。だから、五ターンに一度おまえたちは運試《うんだめ》しの判定《はんてい》をすることになる。これで、ひっかかったものは、体力三ポイント|喪失《そうしつ》。その上、|毒《どく》を消さない限り、毎ターン一ポイントずつ減っていく。わかったかね?
〔マドンナ〕|了解《りょうかい》。じゃ、まずは普通の攻撃《こうげき》でいいんですのね?
〔DM〕そうだ。じゃ、イニシアティブを決めよう。
さすがにドラゴンは半端《はんぱ》でないくらいに体力がある。
しかし、相変わらずJBの出目が悪いから、わたしたちは大したダメージもなく、毒ブレスをおみまいされることもなかった。
〔リジー〕次はぁ、誰の番だっけか?
〔シルファ〕リジーさんの番じゃないかしら?
〔リジー〕そだっけ?
それにしても。いくらダメージを与えても、なかなか倒れない。それは、さっきのストーンゴーレムなんて比じゃないくらい。こっちはいい加減めんどくさくなってきていた。
それに比例して、JBもすっかりふてくされていた。そりゃそうよね。せっかくオオゲサに登場させた、最後の切り札であるブラックドラゴンが、|空振《からぶ》り空吹《からふ》きはっかしてるんだもん。
全体的にゲームがダレていたとき。JBは、ふっと隣《となり》のシロちゃんを見た。そして、パッと表情を変えた。
「そうだ! おまえ、今度ふってみたまい。おまえはドラゴン族なんだから、こっちの味方だ」
「ボク、コレふるデシか?」
と、ふわふわした毛でおおわれた、太い前足をダイスの上に乗せた。
「あ、そうか……。いや、口でくわえてだな。で、プッと吐き出せばいい。このテーブルの上で」
〔マドンナ〕あ―――、自分がついてないからって、シロを使う気だな!?
〔DM〕なに。ちょっと疲れただけさ。さぁ、やってごらん。
しかし、さすがに幸いの竜《りゅう》。いっきなり|会心の一撃《クリティカルヒット》! 体力しかとりえのないわたしだというのに、瀕死の負傷。
〔マドンナ〕げげー! 体力回復するったって、間に合わねーよー。んなに魔法《まほう》残ってない!
〔DM〕あっはっはっはっは! よくやったよくやった。引き続き、がんばるようにな。
JBは途端《とたん》に元気いっぱい。|上機嫌《じょうきげん》でシロちゃんの頭を叩《たた》いた。
後ろのオーケストラも威勢《いせい》のいい音楽を始めたし。
シロちゃんは困った顔をして、わたしたちとJBを見比べていた。
〔マドンナ〕いいよ。シロ。|遠慮《えんりょ》するこた、ねー。最初にシロをそっち側につけるっていったときに反対しなかったんだからな。でも、こっちだってまだまだあきらめないわよ。もう魔法は残ってないが、あっちだってもうかなりまいってるはずだ。気合い入れていきましょうよ!
わたしたちもがんばった。|毒《どく》にやられながらも、かなりの防戦《ぼうせん》をした。しかし、すでに僧侶《そうりょ》の魔法も魔法使いの魔法もつき……。
次にシロちゃんが、またまた|会心の一撃《クリティカルヒット》を出したとき、すべては終わった。
「だぁぁぁ……」
「ひぇぇぇぇー……」
みんなテーブルにつっぷした。
シロちゃんは、まるで自分が責められているんじゃないかといった、困った表情でオロオロしていた。
「マケーマケー! オーマヌケ――」
ゲーム中はこっくりこっくり居眠りしていたクレイが途端に騒《さわ》ぎだした。
ひとり、満足そうにワインを飲んでいるのは、いわずとしれたJB。
そんなJBに、
「ま、ちょっくら休もうぜ。次こそは勝ってやるからな」
トラップが頭をかかえながらいった。
しかし、JBはニッコリ笑った。
「いや。もうよい。わしは十分に楽しませてもらったよ。この毛、抜く必要はないんだろ? おい、ハサミを持って来い!」
一同|唖然《あぜん》!!
「ほ、ほんとにいいんですか? わたしたち、勝てなかったのに」
「あぁ、こんなに楽しいゲームは久しぶりだよ。何十年ぶりだろう」
JBは、ほんとにうれしそう。
「もっとわしが若かった頃、ずっとゲームの相手をしてくれた男がいた。しかし、人間は太陽に当たらないといけないんだな。わしは、|全《まった》く気づかなかった。ずっと陽のささないダンジョンにいたから、しまいに病気になって死んでしまったんだ」
ふっとさみしそうな、そんな表情になった。
「あいつは、わしのたったふたりの友達のうちのひとりだ。サモエという名前だった」
そういって、胸に下げている宝石のいっぱいついた大きなペンダントを開けた。それはロケットになっていて、中にふたりの男の肖像画《しょうぞうが》が入っていた。
人のよさそうな、しかも意志の強そうな若い男の人と、立派な青いアーマーで身を固めた知的な顔立ちの男の人。
「あぁぁぁぁぁぁ―――!!」
「あぁぁぁぁぁぁ―――!!」
わたしとトラップが同時に立ち上がり、同時に叫んだ。
「その人、クレイのロケットの中にある青の聖騎士《パラディン》、クレイのヒイおじいさまそっくり!」
「サモエっていやぁ、例の忘れられた村で生《い》け贅《にえ》をかってでたはいいが、とうとう帰ってこなかったっつー人じゃねーのかぁ!?」
わたしとトラップを交互に見上げたJBは、ビックリした顔で、
「そ、そうだ。もうひとりの友達というのは、その青の聖騎士、名前はクレイ・J・アンダーソンといったが……」
「こ、この、この人が、その聖騎士のヒ孫《まご》です!」
ギャーギャーわめくクレイをひっつかまえて、JBに差しだした。
「そ、そうか……! それは、それは。わかっていれば、すぐに額《ひたい》の毛でもなんでもあげたのにな。それに、その……『忘れられた村』というのはなんだね」
「知らねーわけないだろうー!? だって、あんたから逃げるために、あの村はずーっと隠《かく》れ里《ざと》としてコソコソやってきたんだぜ!」
JBの赤い目が、ますます大きく見開かれた。
「ば、ばかな……」
「ウソじゃねーよ。だってさ、おれたちゃ頼《たの》まれてんだぜ。忘れられたスープを作ることができたら、あの村のことを忘れてもらえるよう、あんたに飲ませてくれって」
「そうか……。いや、もう何百年も前のことだからな。そうか。あの村は、|未《いま》だに……」
JBはガックリ|肩《かた》を落とした。
「たしかに最初は生《い》け贄《にえ》を要求した。そうでもしなきゃ、こんなところに誰《だれ》も近寄らないと思ったからだ。近寄ってくるのは、わしを倒して宝を奪《うば》おうという奴か、|功名心《こうみょうしん》の強い奴らだけだ。
そして、サモエが来た。彼はわしを理解してくれたし、毎日いろんな話をしてくれた。しかし、何か月か経《た》って急にぐあいが悪くなったんだ。どんな秘薬《ひやく》を飲ませても回復しなかった。わしはコボルトを使いにやらせ、人間の医者を連《つ》れてこさせた。医者はいったよ。『人間には太陽が必要なんです』とな。しかし、気づいたときにはすでに遅かった。
わしは自分の無知を呪《のろ》った。だが、奴はこういってくれたんだ。
『JB、|嘆《なげ》くんじゃありません。ぼくはちっとも後悔なんかしていませんよ。ブラックドラゴンと親友になれただなんて、最高じゃないですか!』と。
そして、いよいよ危篤状態《きとくじょうたい》になったとき、もう生け贅を要求したりしないでくれ、といった。これが最後の頼《たの》みだと。わしは『当たり前だ! 安心しろ』と手を握《にぎ》った。奴は心穏《おだ》やかな顔で、『それを聞いて安心した。JB、楽しかったよ』と……、息を引き取っていったんだ」
|辛《つら》そうに話すJBをみんな黙《だま》って見ていた。
わたしは、涙があふれてあふれて。止まらなくなってしまった。
涙でゆれる先に、ジュン・ケイがいた。
なんと。あの……なんの感情もなくバッサバサとモンスターを斬《き》って落としたレベル三〇の傭兵《ようへい》、ジュン・ケイまで目の端にキラリと光るものを浮かべているではないか!
わたしは、もっともっと感動してしまい、だから顔中グチョグチョになってしまった。
「ホレ……」
「いい……」
トラップが汚い手ぬぐいを渡してくれたが、断わって自分のハンカチで顔をぬぐった。
「それから、わしは自暴自棄《じぼうじき》の生活を送った。たったひとりの親友をなくしたんだ。それも、自分が無知だったばっかりに」
JBは遠い目をしながら、話を続けた。
「何人もわしを倒しにやってきた。その誰も、友達になってくれるような奴はいなかった。
しかし、たったひとりだけいたんだよ。それが、そのオームの曾祖父《そうそふ》という、クレイ・J・アンダーソンだ。最初は彼もわしの悪い噂《うわさ》を聞いてやってきた。だが、|聡明《そうめい》な彼はわしを一目見て、|謝《あやま》ってくれた。|勘違《かんちが》いしていた。すまないとね。
彼とは一晩語り明かした。もっと滞在《たいざい》しようといってくれたが、わしは断わった。もう友達をなくしたくはなかったからな」
そうだったんだぁ。
クレイ、あなたの自慢のヒイおじいさまのこと、この人知ってるのよ!
クレイの顔を見たが、
「オハヨ! オハヨ!」
と、すました顔でいうだけ。
早く元の姿に戻《もど》してあげるからね! そしたら、このときの話をしてあげるからね。
そろそろ、別れのときがきた。
もらった額《ひたい》の毛は、なくさないようにしっかり包んでリュックの中に入れた。用心に……と、多めにくれたんだよね。
これで、材料のひとつはそろった。あとは、ニンジン一万本かぁ。きっとキットンたちががんばってくれてるだろう。
「どうもありがとうございました。おかげで助かります!」
|名残《なごり》惜しそうなJB。
「いや。こちらこそ、礼をいいたい。なぁ、トラップ」
トラップの肩に手を回した。
「な、なんだよ」
トラップは面くらって、JBを見上げた。
「わしは、今までどんなゲーマーよりもゲームにかけては負けないと自負しておった。誰ひとりとして、わしのゲームに挑戦《ちょうせん》して勝ったものはおらんしな。しかし、そうじゃなかったんだ。おまえがいった通りだ。ゲームに必要なのは、バランスなんだな。
わしは、今まで勝ち負けばかり意識して、|冒険者《ぼうけんしゃ》どもをコテンパンにやっつけることだけ考えてきた。それでも楽しかった。いや、楽しいと錯覚《さっかく》しておったんだな。それがきょうわかった。
いやはや、きょうほど楽しかったゲームはないな。サモエとやったゲームも楽しかったが、あれはきっとあいつがうまくわしを楽しませてくれたんだろう。今になってみるとそう思うよ」
「そ、そうかぁ?」
「あぁ。DMばかり強すぎるシナリオを作ってきたが。それを上回るはどに、おまえたちのツキはすばらしかった。だからだ。そう、バランスが取れていたんだ。強すぎるシナリオに、強すぎるツキをもったプレイヤー。これからは、相手に応じてシナリオを書くつもりだよ……」
そして、JBは、
「まぁ、相手がいれば、の話だがね」
と、さみしそうにつけ加えた。
「なんでぇ。あいつらがいるじゃん! あんなにたくさん」
トラップがアッケラカンとコボルトたちを指さした。しかし、JBは軽く首をふった。
「ダメだよ。あいつらじゃ……あまりにも相手にならん」
「だぁぁぁ! だーからダメなんじゃん。あんた、わかったわかったって、ちっともわかってねーよ。ゲームってのはさ。楽しんだもん勝ちなんだ。わかる?」
「楽しんだもん勝ち?」
「そうそう。だからさ、DMはいかにプレイヤーを楽しませるかに命かけるし」
「というと、弱い敵を出すのか? 簡単に[#「な」の誤植?]罠《わな》にしたり……」
「ちがう、ちがう! たぁぁぁ―――っっ!! ダメだ。あんた、ぜんぜんわかっちゃないよ。ちと、ここに座ってみ」
そういって、トラップはその場に座りこみ、バン! と床《ゆか》を叩《たた》いた。
その勢《いきお》いに押され、JBも神妙《しんみょう》な顔で床に腰《こし》を降ろした。
「いい? あんたはいいとこに気がつきかけてるんだ。あんたがいったように、ゲームってのはバランスが肝心《かんじん》だ。敵だって、罠だってそうだ。弱すぎず強すぎず、簡単すぎず難《むずか》しすぎずってな」
「うーむ、難しいんだな」
「そうよ。ほんとにバランスの取れたシナリオ作るってのは、すっげー難しいと思うぜ。だけどさ、ゲームを重ねてくうちに、そのコツっていうのかな、あ、この辺だなってのがつかめてくるわけ」
「ふむふむ」
「でも、DMがせっかくいいシナリオを作ってきてもさ。プレイヤーが楽しもうって命かけてなきゃ、つまんねー」
「あいつらが、そこまで真剣にゲームをやろうなんて、とても……。ん、んん?」
ふっとJBが顔を上げた。
そして、ふりむくと、そこにはさっきわたしたちがゲームをしているのをうらやましそうに見ていたコボルトたちがいた。
「なんだ? 何か用があるのか」
コボルトたちは、お互いどうしようかとモジモジしていた。
「なんなんだ! わしは、今大切な話をしているところだぞ!」
JBが大声を出すと、コボルトたちはギャッと飛び上がり、耳をふせて逃げようとしたが、それをジュン・ケイが押しとどめた。
そして、オドオドしているコボルトたちから、何か紙を受け取り、JBに渡した。その紙をザッと見て、
「キャラクターシートじゃないか。ああん? なになに。|由緒《ゆいしょ》正しい騎士《きし》の出で、剣の腕《うで》もさ
るものだが人望も厚く顔もいい……」
もう一度、JBはコボルトを見た。
「そうか。おまえたち、やってみるか?」
コボルトたちは、まだ耳をふせたままだったけれど。|懸命《けんめい》にウンウンとうなずいた。
「ふっふっふ。まぁ、よかろう。練習にはなるな。よし、じゃあ、こっちに来て座れ。しかしなぁ、いくらなんでも、おまえ。ちょっと欲張《よくば》りすぎだぞ。だいちなんだ。|跳躍《ちょうやく》力が抜群《ばつぐん》で、一〇〇メートルは軽く跳《と》べるってのは! いいか。ゲームってのはバランスが肝心で……」
わたしたちのことなんか、すっかり忘れたよう。新しいゲームに夢中《むちゅう》になってしまった。
コールタールを塗《ぬ》りこんだようにまっ黒の顔と、まっ赤な目のJB。みんなに恐れられている、ブラックドラゴン。
『もう一度言おう。黒くテラテラと烏《からす》の濡《ぬ》れ羽のように光る、ブラックドラゴンなら近寄るのはやめておいたはうが賢明だ。もちろん、あなたが命を粗末にしたいと願っているのなら、話は別だが』
わたしは再びモンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》の解説を思い出した。
ウソばっかり!
偉そうな顔、|怖《こわ》い顔、困った顔、フテくされた顔、うれしそうな顔、|辛《つら》そうな顔、|神妙《しんみょう》な顔。わたしは、彼のいろんな表情を忘れないだろうな。
「ほんじゃ、行くか?」
トラップがわたしの肩《かた》を叩《たた》いた。
|部屋《へや》を後にするとき、もう一度ふりかえってみたが。遠巻きに様子を見ていた、他のコボルトたちもこわごわテーブルに近寄ってきているところだった。
STAGE 14
「キットオ―――ンっっっ!!」
わたしが叫ぶと、畑のまん中で「ほえ?」とこっちを見たキットン。
「わ、わわわわわ!! な、なんと?」
持っていたクワを放り出し、|転《ころ》がるようにかけてきた。
もちろん、わたしたちも畑の柔《やわ》らかな土に足を取られながらも走った。
「パステル! ど、どうだったんですか?」
「キットン、ニンジンはどう?」
「にんじん、どうらぁ?」
「だははは、おめーやっぱ畑が似合うよなぁー」
「キットンの道具、役に立った」
「あれ? あそこにいるのはジュン・ケイさん」
「そうなのー、ダンジョンで偶然《ぐうぜん》会ってねー」
「ただいまデシ!」
「タダイマ、タダイマ!」
たった三日間だったというのに、まるで何年も会ってなかったような気がする。それは、キットンも同じようで。土や泥にまみれた顔は笑顔でいっぱい。
そんなわたしたちの様子をジュン・ケイや村の人たちがほほえましそうに見守っていた。
そう! そうなんだ。
ジュン・ケイは、ノリかかったヤキソバだってんで。ついでに、マラヴォア対決までつきあってくれるといって、ついてきてくれたんだ。
ダンジョンを出た時点でサヨナラかと思っていたから、わたしはほんとにほんとにうれしかった。
もうひとつ、うれしかったのは例の忘れられた村、あそこの人たちが心の底から喜んでくれたこと。
ちょうど帰り道だったから、寄ってったのね。一刻も早く知らせてあげたかったし。
事情をざっと説明したら、グスタフさん、|固唾《かたず》をのんで見守る村人たちをふりかえって宣言した。
「わたしらはもう隠《かく》れて住む必要はない。|陽《ひ》のあたる場所で堂々と暮《く》らせるんじゃ!」
その言葉に、村人たちはワァァァァー!! と歓喜《かんき》の声をあげ、抱き合った。たぶん、そのときの気持ちって複雑《ふくざつ》だったんだろうな。ピョンピョン|跳《は》ねている人たちもいれば、うずくまって床を見つめている人もいて。でも、全員が泣いていた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
と、何度も何度も繰《く》り返して、わたしの手を離さない人。
「これで、村を出て行った息子に会いに行けます!」
「また一緒《いっしょ》に暮《く》らせます!」
トラップやノルやジュン・ケイを取り囲《かこ》む人々。
ギュッとルーミィを抱きしめているおばさんたち。
わたしは思わずもらい泣きしてしまった。
「……わたしらは、わたしらはこの二〇〇年間、いったいなんのためにコソコソと隠《かく》れ住んでいたんでしょう! |掟《おきて》だけを頑《かたく》なに守って」
グスタフさんが複雑な表情でつぶやいていたのが印象的だった。
「そうですか。それはよかった。これからは、あの村の人たちも外の世界の人たちと自由に行き来できるんですね」
キットンも喜んでくれた。
「さっそく新しい村作りをするんだってはりきってたよ」
「ふむふむ。しかし、あの地下都市も残しておいてほしいですね。なかなかの技術でしたからね」
「うん! あそこを観光名所にしたいとかっていってた」
「だはははは、それは商魂《しょうこん》たくましいな。でも、わたしもそのブラックドラゴンに会いたかったなぁ。それに、ゲームもおもしろそうだし」
「うんうん。また今度遊びに行こうよ」
「そのダンジョンへですか!?」
「そそ。実は、簡単に直行できる階段《かいだん》を教えてもらったの」
そうなのだ。あの後、わたしたちが帰りかけたとき、コボルトがひとり走ってやってきて、あの恐ろしいエルトンなどと戦う必要のない、安全な階段を教えてくれた。
それは、地上に直接行ける秘密《ひみつ》の階段で。外に出てビックリ。なんと、あのキャンプをした、あそこのすぐそばに通じていたのだ。そこを知ってれば、シロちゃんに大きくなってもらったりする必要なかったんだよね。
「ところで、キットンのほうはどうなの? ニンジン一万本は用意できそう?」
しかし、キットンはとたんに暗い表情になった。
「だめ……なの?」
「いえね。ここの土地、かなり痩《や》せてるんですよ。国が貧乏なのもわかりますよ。|鉱物資源《こうぶつしげん》があるというわけでもないし」
「そっかぁ。ぜんぜんダメなの?」
「いえ。それでもなんとか二〇〇本くらいは収穫《しゅうかく》できました」
「やったじゃん! ふつうの土地でも、たった三日間でそんなに育ったりしないよ」
「ま、そこはそれ。わたしの長年研究してきた成長|促進剤《そくしんざい》が効果を発揮《はっき》したんですがね」
と、得意そう。
「そうですよ。この痩《や》せた土地が見違えてしまうはど、いい土になったんです。キットンさんのおかげです!」
「ほんとに、これで少しは国も豊かになるでしょう。王様も喜んでくださる」
わたしたちの会話を聞いていた、村人が口をそろえていった。
「まぁ、オームに変えられてますけどね……」
「あ、だいじょぶ! だいじょぶ。なんとかなりますって。だって、三日で二〇〇本でしょ? だったら、後……何日だっけ?」
「えーっと、だいたい五か月ですかね」
キットンの言葉を聞いて、わたしはため息をついてしまった。
五か月!!
そんなに長い間、クレイはオームのままなの!?
「ゴツカーゲツ、カーゲッゲッ、ゲッチュー」
すっかりオームらしくなった、クレイがキットンの頭に止まってわめいた。
「なんか、すっかりオームになりきってますねー。クレイは」
「そ、そう。そう思う? やっぱし」
「ええ。聞けば、ここの王様もオームが板についてるらしいし」
「できるだけ早く元の姿にもどしてあげたいわよね」
「まぁ、ベストをつくすだけです」
わたしたちも、次の日から畑仕事を手伝った。
なんとレベル三〇の傭兵《ようへい》である、ジュン・ケイまでがクワをもって畑を耕《たがや》してくれた。
「おもしろいもんだねー!」
と、いってくれたが。わたしは気の毒《どく》で気の毒で。
その日も暮れて、山が夕焼けに染《そ》まる頃、わたしたちはクタクタになった体をひきずって宿に帰るしたくをしていた。
最初は、サラディーの人たちの生活のペースについていけなかったが。今や朝焼けとともに起きだし、夕焼けとともに帰宅する生活に慣《な》れてしまった。
「今、何本できたんだっけ?」
「やっと四五〇本くらいですかね」
「そっかぁぁ……」
慣れない畑仕事で、手はマメだらけ。ついついため息をついてしまった。
ダメダメ。弱気をだしちゃ。
山を登るんだって、一合目、二合目って順を追って登ってくんだもん。
「ねえねえ、ぱぁーるぅ、烏さんが来たぉ!」
ルーミィがひょこひょこやってきた。
「烏さん? クレイのこと?」
「ううん。ちゃうぉ。えーっとね。でもね、かあった鳥さんだぉ!」
「うー……。わかったわかった」
疲れてるときに、ルーミィの相手をするのは疲れる。
しかし、
「おい、なんかすっげぇー変な奴《やつ》が来たぜ! おめぇのこと、捜してる」
トラップが息を切らしてやってきた。
「え? わたしのことを?」
わたしは急いでトラップの後を追った。
|斜面《しゃめん》の裏側。村人やノルたちが、問題の鳥を取り囲《かこ》んでいた。
問題の鳥!!
「あぁ――――!! ラップバード!」
くるっとこちらを見たラップバード。
「YO! 友達」
と、片手を……いや片っぽの羽を上げた。
あいかわらずの派手《はで》な格好《かっこう》。だんだん暗くなってきた、畑の中でひときわ目立っている。|臭《くさ》さもあいかわらず。まわりの人たちも顔をしかめている。
「どーしちゃったのぉー!?」
「友達、因って」
「るってーからさ」
「だから、おいら」
「来たんだ、ゼー」
首がキョコキョコ増え、まわりの人たちをビックリさせた。
「で、でも、誰に聞いたのー!? だって、あれからヒールニント山にもどったんでしょ?」
「そうさ、そうだ」
「だけどさ、だけど」
「おいらにゃ、おいらの」
「ルートが、あるさ」
「ア、ハン、ルート66」
「サンセセセ、セット77」
「ま……よくわかんないけど。んで?」
「ヘェーィ、ヤ」
「ウ、ッパ、パパパ、ウンッパ」
「ヘェーィ、ヤ」
「ウ、ッパ、パパパ、ウンッパ」
「アルプス一万尺、ジャックジャック」
「ドウゥエ、オールナイト!」
「アルペンダンス」
「は、はぁぁぁ!?」
「ダダダダ、ダンス!」
「ドウゥエ、オールナイト!」
だめだ……。こいつらの頭についてける奴なんか、どこにもいない……。
と、思ったら、ルーミィとシロちゃんが一緒《いっしょ》に踊りだした。
う、う――む。
わたしが頭をかかえこんでいたら、
「お待ちかねだね」
「そうだ、そうだよ」
「ララララララララ、ラップバードの」
おいおい、またナゾナゾぉ!?
「ナゾナゾタイムだ」
や、やっぱしぃ。
「こいつら、おもしれー!」
トラップたちはすっかり喜んでいる。
そういえば、このなかでラップバードに会ったことあるのっていうと、わたしとシロちゃん、それからジュン・ケイだけだもんね。
「赤いよ。赤い」
「カロチン、ヨーチン、ケンチン汁!」
「ピョンピョン、|跳《は》ねるは」
「ウサギのダンス!」
「ドウゥエ、オールナイト!」
この問題はあまりに簡単だった。だって、わたしたちは毎日毎日ニンジンとにらめっこしながら暮《く》らしてるんだもの。
「ニンジンでしょ!?」
と、|隣《となり》の人のカゴから一本つかんで差しだした。
あっという間に一羽にもどって、
「ニンジン、ちょうだい」
「ボクにニンジン」
「おいらにニソジン」
ニンジンをつかむと、またキョコッキョコッと増えた。
「ニンジン、カンジン」
「増えるよ、増える」
「そ、そうかぁー!!」
一本のニンジンは、|瞬《またた》く間に七本に増えたのだ。
ラップバードは、こうやってニンジンを増やしてくれるといってるのだ。
「キットン、みんな、早く。いっぱいニンジン持ってきて!」
そして、ラップバードに持てるだけ持たせて、分身してもらって。
五〇本が、三五〇本に……。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ―――!」
「すごいすごい!!」
たった三〇分足らずで、そこら中がニンジンで埋《う》まってしまった。
「あ、ありがとう。ありがとう!」
目標の一万本はあっという間にできてしまった。
「友達、助けて、くれたから」
「おいらも、友達」
「助ける、よろし」
「ララララ、ラップバードの」
「恩返し! オーライ!?」
わたしはうんうんうん、と何度もうなずいた。
「それじゃ、これで」
「サラバだ、おサラバ」
「サラバラバラバラ」
ラップバードはゆらゆらとゆれながら、すっかり暗くなってしまった森のなかへと消えていった。
「また、会おうねぇ――――!!」
口に両手を添《そ》えて彼らの後ろ姿に大声でいったら、キラキラ光る体が一度大きくゆれた。あれが返事なんだろう。
「おまえも変な友達いるんだな」
トラップがいったから、
「うん! 最高でしょ」
わたしは、胸をはって答えた。
材料はそろった。
いよいよスープ作りにかかるわけだ。
村人たちが、|総出《そうで》で作り始めた。
ラップバードが増やしてくれたニンジン一万本を煮《に》つめて、ニンジンのエキスを作り。|鶏肉《とりにく》を妙《いた》め、タマネギ、セロリを炒め。
後は、トリケラカブトの実少々、ブラックドラゴンの毛を一〇本人れ、三日三晩弱火で煮こむわけだ。
「必ず聖《せい》なる火で調理すること。また、聖なる火をつけた者が三昼夜寝ずの番をすること、という注意がありましたよね」
料理の総指揮《そうしき》をとる、キットンがいった。
「うん。でも、その聖なる火ってさ」
「そう。シロちゃんの『熱いのデシ』でいいと思うんですよね」
「そうそう。だって、ほら、ヒールニントのダンジョンでモウンをやっつけたでしょ。やっぱり、シロちゃんは聖なるものなのよね」
「よく覚えていましたね。まさしくそうです!」
シロちゃんがトコトコやってきた。
わたしたちがシロちゃんシロちゃんといってたからだろう。
「何かご用デシか?」
わたしはしゃがんだ。
「あのね。実は……この大きな鍋《なべ》を三日三晩、コトコトと弱火で煮こむんだけど」
「はいデシ」
「その火っていうのが、聖なる火じゃないといけないのね。で、シロちゃんに熱いのを吹いてつけてほしいの」
「お安いご用デシ!」
「で、でもね。その……火をつけた人がず――っと寝ないで火の番をしなきゃいけなくって」
「だいじょぶデシよ。だって、ボク、いっつも寝てるから。ボクは寝だめできるタイプなんデシ!」
「そう? ほんとにだいじょぶかな」
「ガッテン承知デシ!」
シロちゃんったら、トラップの影響《えいきょう》で変な言葉を覚えてしまったみたい。
そして、聖なる火、シロちゃんのブレスで点火。|焚火《たきび》はゴウゴウと勢いよく燃えはじめた。
大きな大きな鍋《なべ》が、グツッグツッと音をたてはじめた。
そのまわりで、夕飯を食べたわたしたち。村人たちは帰宅していった。
「みなしゃんも帰って寝ていいデシよ」
シロちゃんは、そういってくれるけど、彼ひとり残してベッドの上でグースカ寝ているわけにもいかない。
みんなでキャンプして、シロちゃんにつきあうことにした。
|遠慮《えんりょ》したんだけど、ジュン・ケイも一緒《いっしょ》にキャンプしてくれるという。
パチパチと焚火のはぜる音。
村の明かりも消え、|辺《あた》りはまっ暗になった。
きょうは月も星も出ていない。
「よぉーし、じゃ、歌でも歌おうぜ!」
トラップって、ほんと歌うのが好きよね。
「なんの歌?」
「ルーミィ、歌う!」
ルーミィが立ち上がった。
「おおお、いいぞ。いいぞ! ピュー、ピュー」
ルーミィはちょっとモジモジした後、ペコッとおじぎした。
パチパチパチ……。
「えう――ふのー、森ぃーはー
きえ――いな――、森ぃ――
えう――ふのー、|鍵《かぎ》ぃーはー
ひみ――つの――、鍵ぃ――」
ちっちゃいけど、かわいい声でルーミィは一所懸命《いっしょけんめい》歌った。
とってもきれいなメロディだから、みんなしんみりと聞いていた。
歌詞のほうは意味不明というか、まったくつじつまが合わない。きっとルーミィもウロ覚えなんだろうな。
歌い終わると、ルーミィはペコリとおじぎをして座った。
パチパチパチ……と拍手《はくしゅ》の音。
「ルーミィ、上手じゃない! こんな歌、知らなかったな」
そう。ルーミィはよくひとりで歌っている。でも、それってほとんどが自作の歌みたい。同じ歌を聞いたことないし。それに、こんなちゃんと曲らしい曲じゃなかった。
「うん。思い出したんらお。この前、ルーミィ、ママの夢見たえしょ?」
「うんうん。ダンジョンの中ででしょ?」
「そうらよ。あんとき、ママ、ルーミィに歌ってくえたんらった」
「そっかぁ。よかったねー!」
そして、トラップお得意の盗賊《シーフ》のルンバとか、キットンの薬草|音頭《おんど》などが披露《ひろう》され、久々に
みんなゆっくりとくつろいだ。
最初、ルーミィが寝てしまって。わたしもウトウ卜してしまった。
はっと気づくと朝!
「あっちゃぁー! 寝ちゃったよお」
見ると、シロちゃんの隣《となり》にジュン・ケイがいた。
「やぁ、おはよう!」
「あ、もしかして夜通し起きてらしたんですか?」
ジュン・ケイはニッコリ笑った。
「ごめんなさぁーい! わたしが代わりますから寝てください」
「うん。じゃ、お言葉に甘えて。じゃ、シロちゃん、がんばるんだぞ」
「はいデシ!」
ジュン・ケイはゴロッと横になると、|瞬《またた》く間にスースー寝息をたてて眠ってしまった。
「ジュン・ケイしゃんって、いい人デシね」
「うん。ほんとにね。それに偉いわよね。ふつうだったら、わたしたちなんて相手にしないだろうし。それに、もっといばってるもんね」
「いばってないデシ」
「そうそう。それに、プロってかんじじゃない?」
わたしはシロちゃんが相手だから安心しちゃって、ペラペラとジュン・ケイを誉めちぎった。
好きな人のことを誰かに話すのって、なんかとってもうれしいことなのね。
最初の一日二日は、まだ元気いっぱいだったシロちゃんだけど。さすがに三日目になると、|辛《つら》そうだった。
ドラゴンは一週間寝て、一週間起きるなんていうことができるんだっていうけど。このところずっと、シロちゃんはわたしたちと同じように生活している。
だから、いくらホワイトドラゴンの子供だからって、三日|完徹《かんてつ》するっていうのは、そうとうに辛いはずだ。
見ると、すっかりススだらけになっちゃって。いくら拭いてあげても、すぐグレーになってしまう。
「シロちゃん、後もう少しだから、我慢してね」
「……はい。ボク……だいじょぶデシ。が、我慢デシ……」
といいつつ、フラフラっと火のほうに転《ころ》がってしまった!
「キャッ! シロちゃん」
|悲鳴《ひめい》をあげたわたしを押しとどめ、トラップがすぐに拾い上げたけれど。シロちゃん、頭から突っこんじゃったから後ろ頭から背中まで少し焦《こ》げてしまった。
「水! 水をかけなきゃ……あ、ノルありがと」
シロちゃんの頭からノルが持ってきてくれた水をザブッとかけた。
「ぷはぁぁー」
シロちゃんはプルプルッと全身を震《ふる》わせ、水をはじきとばした。
「あぁあ、毛を刈《か》ったほうがいいね」
「ハサミ取ってくる」
わたしがシロちゃんのチリチリになってしまった毛を、ノルが持ってきてくれたハサミで刈っていると、
「なぁ、ちょっとでも寝たら、ダメなわけ?」
と、トラップ。
「これじゃ、シロ、病気になっちまわ」
「そうよね、でも……」
でも、シロちゃんが弱々しく、だけどキッパリといった。
「トラップあんしゃん、パステルおねーしやんにいったデシ?」
「ヘ?」
「役割は役割だって」
「そんなこと、いったっけか?」
「いったデシ! ペンダーグラスしゃんちに行く途中《とちゅう》で、パステルおねーしゃんが道をまちがえたときデシ」
「お、おうおう! たしかに」
そうだそうだ。わたしが右と左をまちがえちゃって、すっかり自信なくなって。キットンにマップを渡そうとしたんだ。そんときにトラップが「ここでキットンに代わってもらったら、その時点でマッパーじゃなくなるんだぞ!」っていわれたんだっけ。
「だから、これはボクの役割だから、ボクは代わってもらったらダメなんデシ」
「うぅ、こいつぁ、シロに一本取られたなぁ」
そして、まるまる三日が経《た》った。
「シロちゃん、ありがとう!」
「しおちゃん、あいがとぉ!」
「よくやったなぁ」
わたしたちやサラディーの人たちが見守るなか、シロちゃんはついにダウン。後ろにコテッと倒れて。そのまんまグーグー寝てしまった。
シロちゃん、ほんとにお疲れさま。
いいよぉ、ずーっと気がすむまで寝てて。
その間に、マラヴォアと対決してくっからね。
「あれだけあったのに、たったこんだけかよ」
「しかし、うまそーだな」
「そだな、思わず飲みたくなるぜ」
トラップとジュン・ケイができあがったスープをかきまぜながら話していた。
そうなのだ。できあがったスープは、ドロドロでほんのちょっとしかなかったが、意外にいい匂《にお》い。実においしそうなのだ。
ぐぅぅぅ、きゅるるるるる………。
変な音がしたから、ふっと見ると。ノルに抱《だ》いてもらってスープを見ていた、ルーミィのお腹の音だった。ルーミィったら、みいられたようにスープを見て。あーあ、口なんか開けっ放し。
「あ、ほらほら。ルーミィ! よだれ、よだれ」
「え!?」
しかし、|遅《おそ》かった!
スープの中に、ルーミィのよだれがポトンと落ちてしまったぁ。
「トラップ! 早く早くすくってすくって!」
「へっ」
あっちゃぁぁ。ダメだ、こりや。グルグルかきまぜちゃった。
「どうかしたんですか?」
「あぁ、キットン! 今ね、ルーミィのよだれがスープの中に入っちゃったのよ。しかも、それをトラップがかきまぜちゃったのぉ!」
「あららら……。ま、でも、だいじょぶじゃないですかぁ? それくらいなら」
「そっかな。そうだといいけど……」
しかし、まぁ。
なんだかんだ、あったけど。
いやぁ、ほんとに。ありすぎるくらいに、あったよねー。
ペンダーグラスさんの『ない記憶』を頼りに忘れられた村を捜《さが》しあて。グスタフさんから、忘れられたスープの作り方を教えてもらって。キットンはサラディーの人たちとニンジンを作り、わたしたちはブラックドラゴンのダンジョンへ。
バウワウの森っていう、ヘンテコな森を抜けて……。あ、そうだそうだ。あの変なアクスとかいった派手《はで》な猫みたいな奴《やつ》は、あれからどうしたかな。
シロちゃんに大きくなってもらって、ダンジョンの入り口へ。シロちゃんはいったん小さくなって、一時間もかけて飛んできたんだっけ。
ダンジョンのなかでも、いろいろあったよねー。
まず、|罠《わな》のかかった宝箱をトラップが開けて……。あれ、トラップはうまく罠を解除《かいじょ》したつもりだったんだけど、実はブラックドラゴンのところにわたしたちが来たことを知らせるアラームが鳴ってたんだ。
んで、小さなスライムが集団でいたりして。ありゃ、気持ち悪かった!
行き止まりを上に行くと、だだっ広いだけの部屋《へや》があってさ。迷わないように、キットンからノルが預《あず》かっていたデポー旗を立てながら、|探索《たんさく》。
そうそう! んで、あの大声をあげたときだけ見えるっていう、変なタコみたいなレッドブーツってモンスター。あれにトラップがつかまっちゃって。あはははは。タコ踊りみたいなのをやらされたんだっけ。
その後、その広い部屋《へや》の下に、|魔法陣《まほうじん》のような円形の石が置かれた部屋を発見。石を持ち上げたら、長い長い階段《かいだん》をみっけたんだ。
その階段をダンジョンのブルースなんて歌いながら降りてったら、急にさっきの魔法陣がしまっちゃった!
下も行き止まりで困ってたら、ルーミィが隠《かく》し扉《とびら》がスイッチを発見したんだよね。あぁぁ、そうそう。思い出したくもない! わたしってば、最後に降りるとき、スイッチを固定してた石が倒れて扉にはさまっちゃったんだぁ。でも、ほんとにあんときは怖《こわ》かったんだよぉ。
でも、またまたルーミィがもう一個のスイッチを発見してくれたおかげで、助かったんだ。
それから……! ありゃ、怖かった。
今でも、あのドキドキははっきり覚えてるもん。
後ろからカツカツと足音が迫ってきたんだよね。んで、逃げてたら、行く手に大きな影が! そいつったら、もう、すっごーく不気味《ぶきみ》な、それにむちゃくちゃ強いモンスターで。でも、|謎《なぞ》の足音はどんどん近づいてくるし。
|万事休《ばんじきゅう》す! と思ったら。そうなのよぉ。その足音の主は、なんとなんとジュン・ケイだったのよね。
彼は一瞬《いっしゅん》でそのエルトンっていうモンスターを倒してくれ、その上わたしたちの助《すけ》っ人《と》をしてくれることになった。
ジュン・ケイの作ったマップを見て、ダンジョンを探索《たんさく》して……。で、あの途方《とほう》もなく深い底無しの通路に出たんだ。
シロちゃんとクレイがなんとかロープを渡したんだけど、トラップが渡ろうとしたときに残念ながら外れてしまって。ルーミィが覚えたばっかりの、フライの魔法《まほう》をジュン・ケイにかけて。わたしたちの反対を押し切って、彼は渡ってしまったのよね。
ジュン・ケイが渡してくれたロープをつたって、我々もどうにかこうにか渡ったんだけど。あんときも怖かったなぁ。
そして、また行き止まり。でも、その壁《かべ》にあった魔法陣《まほうじん》が上にあったのに似ているってことから、なんとなんと地下へ降りる階段を降ろすカラクリを解《と》くことができたんだよね。
で、長い長い階段を降りて……。やっとこさブラックドラゴンの元にたどりついたんだ。
「もう寝たほうがいいんじゃないかい? 明日は早いんだろ?」
ジュン・ケイが下に降りてきた。
わたしは宿屋の下で、これまでのことを忘れないよう、メモをしていた。
「そうですね。なんか、|興奮《こうふん》しちゃって。なかなか眠れそうにないんです」
「そっか」
「そういえば、ジュン・ケイって寝つきがすっごくいいですよね? どんなとこでもすぐ寝られるんですか?」
「うん」
彼は向かいの椅子《いす》をグルッと回してまたいだ。背もたれの部分に組んだ腕をのっけて、ふつうとは反対方向に座ったの。
「わたしのような商売をやってるとさ、いつ寝られるかわかんないでしょ? だから、いつでもどこでも寝られるようになったんだ。反対に、どんなに眠くってもすぐ起きるしね」
「へぇー! そうですよね。わたしたちだって、本当はそうでなきゃいけないのに」
「まぁ、そのうちイヤでもそうなるって」
そっかなぁぁ。あいつらの寝起きの悪さったら、ちっとやそっとでは直らないと思うけどなぁ。|日頃《ひごろ》プロがどーのとか、偉そうなこといってるトラップなんか一番寝ボスケだもん。
「いよいよだね」
「そうですよね! マラヴォアは本当に来るんだろっか。それに、約束通りクレイたちを元にもどしてくれるんだろうか……」
「ま、それは明日になってみないとわかんないよね。でも、だいじょうぶだと思うよ」
「そうですか!?」
「うん。別に理由はないけどさ。でも、なんとなくそう思うよ」
女の子って、好きな人にこういうふうに励ましてもらえるって、もしかしたら一番うれしいんじゃないだろか。
だって、今のわたしがそうなんだもん。
うれしくってうれしくって。なんか泣きたくなるくらい。わたしって、ほんとに泣き虫だなぁ。
「でも、ほんとに助かります。ジュン・ケイがいなかったら、スープを作ることもできなかったし。それに、明日だって。すっごく心強いんです!」
ジュン・ケイはふっと笑って、それから少し真面目《まじめ》な顔になった。
「あの、ブラックドラゴンのJBじゃないけどさ……」
「はい?」
「感謝をいいたいのは、わたしのほうなんだ」
「えぇー!? どして?」
「今まで、いろんなパーティに参加してきた。もちろん、|傭兵《ようへい》としてね。今まで誰かと正式にチームを組んだことはない。
それこそ、数え切れないくらいの冒険者《ぼうけんしゃ》と共に戦ってきたんだ。もちろん、いい奴もいっぱいいた。尊敬すべき勇者もいたし、妙に気の合う戦士もいた。
だけど……、なんていうかなぁ。今回みたいに、あぁ一緒《いっしょ》に冒険をしててよかったなって。自分が本当に必要とされてるんだなって。それがこんなにうれしかったことはなかった。
今までガンガンレベルを上げることばかり考えてたしね。
君たちは切羽《せっぱ》|詰《つ》まった目的があるんだし、こういったら、|不謹慎《ふきんしん》だけどさ。ほんと、楽しかったよ」
「楽しいよ」ではなく、「楽しかった」という……過去形が悲しかった。
「あ、あの……だ、だったら! もう少し一緒《いっしょ》に冒険《ぼうけん》しませんか!? あ、あのね。その……実はわたしたちにはとんでもなく難問《なんもん》の大クエストがあって。それ、知り合いのシナリオ屋と取り引きしてて。|挑戦《ちょうせん》する約束してるんですよ。ジュン・ケイがいてくれたら、ほんとに助かるんですけど! きっとおもしろいと思いますよ」
わたしは、もう夢中《むちゅう》で話した。
ずっと前にシナリオ屋のオーシと約束してた、大クエスト。その話は本当だけど、そんなの、当分挑戦するつもりはなかったのに。
顔がジンジン熱い。
声もうわずっちゃって。自分で何をいってるのか、わからなかった。
そんなわたしをじっと見つめていた、ジュン・ケイ。ふうーっと静かに息を吐き出し、
「うん……。そりゃ、わたしも君たちともう少し一緒に旅をしてみたい」
「そ、それじゃ!!」
「いやいや。ちょっと待って。でも、それじゃ君たちのためにならないと思うんだ。知っての通り、わたしはすでにレベルも三〇だ。歳のわりに、やたらレベルだけ高いんだけど。
だから、君たちと一緒に冒険したりしたら。敵に遭遇《そうぐう》したとしてもすぐわたしがひとりで殺《や》っつけてしまうだろうし。知らず知らずのうちに、君たちもわたしに頼《たよ》ってしまうと思う。
それじゃ、いつまでたってもレベルは上がらないだろ?」
「そうですね……今も敵が出てきたら、すぐ逃げてしまうし」
「いやいや! そうじゃない。逃げるのが悪いとはいってない。危険を回避《かいひ》するのも経験のうちだよ」
「でも、でも経験値は上がりませんよ」
「うん。今のシステムではそうなってる。しかし、それっておかしいと思うんだ。そう思わない? わたしは前々からそう思ってて。だから、この前のカード更新《こうしん》のときね。役員にかけあって、これからは回避した場合も経験値を上げるよう、提案してきたんだ」
「そうなんですか……」
「それでね。わたしのいいたいことっていうのは。わたしのようなかけ離《はな》れたレベルの者と旅をしても、得ることは少ないと思うってことで」
「そんなことないです! いっぱい勉強になると思います!」
「そうかな。もちろん、|先輩《せんぱい》たちの意見ってのも大切だよね。ありがたいと思う。現に、わたしもどれだけ助けになったかしれない。
でも、わたしは、同じようなレベルの人たちが一致団結して、経験は少なくってもさ。知恵を出しあい、苦労しあっていくほうがよほど勉強になると思うよ。まちがってるかな?」
そういって、わたしの目をのぞきこんだ。
|不思議《ふしぎ》な金色の瞳《ひとみ》が、真剣に輝《かがや》いている。
こんなふうに聞かれて、「まちがってます!」なんていえるわけない。
わたしは、わたしは……。
あなたと一緒《いっしょ》にいたい。ただそれだけなのに。
でも、そんなこといえるわけがないじゃない!
わたしはションボリとうなずいた。その肩《かた》をポンッと叩いて、
「今はまだわからないかもしれない。でもね、いつか、いつかきっと……今わたしがいった意味がわかるときがくると思う」
そして、立ち上がった。
「さあ、すっかり話しこんじゃったね。もう寝なさい。明日|辛《つら》いよ」
わたしは、もう一度うなずいた。
ジュン・ケイとはドアの前で別れ、自分の部屋《へや》にもどった。
もうルーミィはすっかり熟睡《じゅくすい》していて、毛布をはねのけて寝ていた。
その隣《となり》でシロちゃんも静かな寝息をたてている。後ろ頭から背中にかけて、毛を刈《か》られていて。痛々しい。
ルーミィに毛布をかけながら、思った。
思い切って、告白しちゃえばよかったかな……。
でも、そんな勇気があるわけないの、本人が一番よく知ってる。
大きくひとつため息をついて、ベッドに腰《こし》かけた。
恋をするって。しかも片想《かたおもい》いって……なんて幸いんだろう。なんて悲しいもんなんだろう。きっと両想いって楽しいんだろうなぁ。
そう思うと、また悲しくなってきた。
かわいそうな、パステル!
STAGE 15
「これが、その『忘れられた村の忘れられたスープ』!?」
すでに、なつかしいとすら思ってしまう、ペンダーグラスさんが感無量《かんむりょう》というかんじで、わたしたちの持ってきたスープをのぞきこんだ。
「ほんとはペンダーグラスさんの分も用意したかったんですけど……結局、たったこれだけしか作れませんでした。
そうなんだ。きのうの状態ですでにかなり少なかったけれど、きょう見たらさらに少なくなってしまっていた。きっと何か特殊《とくしゅ》な保存方法があるんだな。
「でもさ、チロッとなめるくらいなら、いいんじゃねーの?」
「そう、そうだよねー」
でも、ペンダーグラスさんは、あのチャーミングな笑顔で手をふった。
「いやいや、ありがたいが……。せっかく苦労してやっと作ったスープじゃないか。マラヴォアがまた、変なことでヘソを曲げるといかん」
「その……マラヴォアなんですが。ほんとに来るんでしょうか?」
「|案外《あんがい》、もう来ているかもしれないよ」
「えぇー!?」
急いでまわりを見渡す。
しかし、そこにはあいかわらずの風景があるだけだった。遠くの山は太陽を受けて、黄色に輝《かがや》いている。赤い土がむきだしになった斜面。そして、丈の長い枯れた草。
「ケハイガ、スル!」
ペンダーグラスさんの後ろから声がした。
「あ、テディね!」
「テディがそういうんだから、まちがいはないみたいね」
「おーい。マラヴォア! いるんなら出てこいよ。約束のもの、持ってきたぞ!」
トラップが大きな声でいった。
「マラヴォアさーん、ほら、これです。『忘れられた村の忘れられたスープ』です」
わたしはスープ皿を、こぼさないよう注意して差しだした。
しばらくの沈黙《ちんもく》。
「やっぱ、いないんじゃねーの?」
トラップがいったとき、
「あ! あそこ。あれ、そうじゃないですか?」
キットンがバカでかい声でいい、指さした。
見ると、斜面にうすぼんやりと黒い影があった。
「マラヴォアさんですか!? そうなんですね?」
わたしがいうと、影の色が濃《こ》くなった。
そして、ぽんやりと人の姿が浮かびあがり、それはだんだん立体的になっていった。
「やっぱり!!」
それほ、競技場で見たときと同じ姿だった。黒いローブで大きな体をすっぱり包み、しわくちゃな口元だけが見えた。
「ほら、約束のスープだぜ。早いとこ、クレイを元の姿にもどしてくれや」
そういうトラップの袖《そで》をひっぱった。
「な、なんだよ?」
「これでまたツムジ曲げられちゃったら、おしまいなんだかんね。言葉使いには注意してよね」
「わ、わかったよ」
「そこでゴソゴソいってるのは、みんな筒抜《つつぬ》けじゃ」
マラヴォアの、キットンに負けず劣らずバカでかい声がした。
「約束のもの、本当に持ってきたとな?」
「はい! これです」
またスープ皿をさしだすと、
「わたしをゴマかそうとしても、|無駄《むだ》じゃぞ!」
「そんなぁー! わたしたちがそんなことをすると思うんですか? ほんとに本物ですよ。|正真正銘《しょうしんしょうめい》『忘れられた村の忘れられたスープ』です! ニンジン一万本を煮《に》つめてエキスをとり、ブラックドラゴンの額の毛一〇本も入ってます。それをこのシロちゃんが三日三晩寝ないで番をしたんです!」
わたしは、くやしくって怒りがこみあげてきた。
「マラヴォアさんよ。あんた、人のいうことを一度くらいは信じてみてもいいんじゃないかな?」
ペンダーグラスさんがそういうと、
「ふん。人を信じる? 昔はそういうこともあったな……。まぁ、いいわ。そのスープを持って来い」
と、|吐《は》き捨てるようにいった。
「さ、じゃぁどうする?」
「持っていけばいいじゃん」
「でも、ほら……」
「そうです。このスープは渡す人が念じたことを忘れるんでしたよね」
と、キットン。
「じゃ、どうしよ!? 何か念じてみよっか?」
「いや……念じ損なってでもして、クレイを元に戻《もど》す、|肝心《かんじん》の呪文《じゅもん》を忘れてしまったりしたらたいへんですからね。ここは、ひとつ何も考えずに渡したほうが賢明《けんめい》でしょう」
「そうね」
わたしたちが相談していると(あー、こんなこと、きのう相談してればよかった!)、
「何をゴチャゴチャいっておるんじゃ! 早く持ってこんか!」
マラヴォアがイライラした声でいった。
「わ、わかったわ!」
わたしが持っていこうとすると、キットンが押しとどめた。
「うん?」
「パステル、あなたは最近何か悩みごとがあるんじゃありませんか?」
「え!?」
キットンにいわれて、ドキッとし、つい一瞬《いっしゅん》ジュン・ケイを見た。
「ここは、ルーミィに持っていってもらったほうがいいでしょう。彼女なら、まさに……」
「そうだ。このチビなら、なんにも考えてないな!」
みんなに注目されて、ルーミィはポカーンとした顔。
「なんか、用なんら?」
「うん。ルーミィ、このスープをね。あそこのおばあさんのとこまで持っていってくれない?」
「いいよぉー」
ちょっと頼《たよ》りないかんじだけど、とにかくルーミィに全てを託《たく》すことにした。
「しっかり持ってね。ゆっくりでいいから、ゆっくり歩くの」
「こけるんじゃねーぞぉー」
ハラハラしながら見つめていたが、ルーミィは無事《ぶじ》マラヴォアのところまでスープを運ぶことができた。
「ばぁちゃん、これ、持ってきたぉー!」
マラヴォアはスープ皿をルーミィから受け取った。
ローブに隠《かく》れて表情はわからない。
わたしたちが見守るなか、マラヴォアは二、三度スプーンでかきまぜていたが、カチンとスプーンを置き、
「ふん、まずそーじゃの。腹でもこわしそうじゃ」
と、そっぽを向いた。
ウッソォォォォ――!!
なにそれ、なにそれ、なにそれぇぇぇ。
「じ……、|冗談《じょうだん》も休み休み言えよなぁぁ――!」
トラップがまっ赤な顔で叫んだ。
「それ、作るのに、どれだけ苦労したのか……」
いけない! また涙が。今度はくやし涙がにじんできた。
見かねたのか、
「あんた、人の情けというのをどう思ってるんだ。あんたのワガママのために、この人たちは今まで|散々《さんざん》な目に会ってきたんだぞ。そりゃ、すでに悪魔《あくま》に魂《たましい》を売った身かもしれん。しかし、|昔《むかし》は人間だったじゃないか。そうだよな。わたしは覚えている。かわいい娘っこだった」
ペンダーグラスさんがそういいながら、マラヴォアのほうへと歩み寄っていった。
「ふん。昔のことなど忘れたわ」
「そりゃ、うらやましい。本当だったら、そのスープ、わたしが飲みたいくらいなんだぞ。その理由はあんたが一番よく知ってるはずだ。
わたしは、あのとき、いっそ死刑になったはうがよかったと未《いま》だに思っている。自分で死ぬ勇気もないからね。|一切《いっさい》の記憶を忘れることができないっていうのがどんなに辛《つら》いことか。あんた、わかるか?
あんたが恋の女神メナースに『死刑以上の罪《つみ》を』と頼《たの》んだよな。その通りになったよ。これは死ぬより幸いことかもしれん」
ペンダーグラスさんはマラヴォアのすぐ前に立った。マラヴォアも大きいがペンダーグラスさんも立派な体格。
「それは、それは難儀《なんぎ》なことじゃな。同情してやろう」
マラヴォアが憎たらしい言い方でいうと、
「きゃっ!」
これは、わたしの叫び声。
なんとなんと。あの伝説にもなった魔女《ウイッチ》、マラヴォアの頬《ほお》をペンダーグラスさんが叩《たた》いたのだ!
もちろん、軽くだけど。で、でも、すごい。
マラヴォアはその頬を押さえ、ブルブル|震《ふる》えていた。
そりゃ、そうだよね。こんなこと、初めてのことじゃない?
「そ、そんなに欲しくば、くれてやろう。こんなもの!」
怒りに震える声でいい、スープをペンダーグラスさんに押しつけた。
ペンダーグラスさんは、そのスープ皿を受け取りまじまじと見つめた。|感無量《かんむりょう》というかんじで。しかし、
「それより前に、あんたは約束を果たさねばならん。あんたの魔法《まほう》で他《ほか》の動物に変えられてしまった人たちを元の姿にもどすんじゃ。それを見届《みとどけ》けたら、ありがたく頂戴《ちょうだい》しよう」
「わ、わかった。元にもどせばいいんじゃろう!」
もうヤケクソっていうか。天下のマラヴォアも今のペンダーグラスさんの迫力《はくりょく》にはかなわないっていうか。
マラヴォアはブツブツと何かをつぶやき、長い手を空に向け、
「バンル、ガンリ、イラ、ルイーザ!!」
低く太い声でいった。
曲がりくねった指先から、オレンジ色の閃光《せんこう》が空めがけて走り、空が一瞬《いっしゅん》赤く光った。
「あっ! ク、クレイ!!」
ノルの頭に止まっていたクレイ。
その瞬間《しゅんかん》に人間に戻《もど》って。当然ながら、地面に転《ころ》がり落ちた。
「イッテテテテテ……!!」
「きゃぁあぁぁぁぁぁぁ――!」
わたしは目をおおった。
だってだってだって。クレイのバカバカ。まっ裸《ぱだか》なんだもん!
「おぉぉぉー、クレイ。おめぇー!」
トラップの声。
「さぁ、これを羽織《はお》って」
と、ジュン・ケイの声。
指と指の隙間《すきま》から、見てみると……。目をまんまるにしたクレイがジュン・ケイのマントにくるまっていた。
「い、いったい……何がどうなったんだぁ? お、おれ、どうしてたわけ? あれ? ここどこなの?」
まさに、|茫然自失《ぼうぜんじしつ》。
「くりぇい、鳥さんになってたんらぉぅ!」
ルーミィにいわれ、
「鳥? えっと、あっれぇ――?」
頭を抱《かか》えこんでしまった。
そりゃそうだよね。オームになってたんだもん。覚えてるわけないじゃない?
「おい、クレイ」
トラップが、とっておきのいたずらを考えついた子供のような顔でクレイを呼んだ。
「あ?」
「お・は・よ・う!」
「オハヨ、オハヨ!」
クレイはパッと口を押さえた。
「ぎゃっはっはっはっは……。こいつぁいいや。これで当分遊べるぜー!」
ト、トラップったらぁぁ。
ブフフ‥‥‥、でも、あははは、おかしいや。
「あっはっはっはっはっは! よかった。ほんとによかったねー」
「よかったぉー!」
「あっはっはっはっは」
わたしたちは、クレイの肩《かた》をポンポン叩《たた》いて笑った。
そんな様子を見ていたペンダーグラスさん。マラヴォアに頭を下げた。
「ありがとう。わたしからも感謝するよ」
「ふん……」
マラヴォアは、プイッとそっぽを向いた。
「それじゃ、ありがたくこのスープ飲ませていただこうかな。いいんだね? 本当に」
「いいっていっておろうが! あんたもしつこい爺《じい》さんじゃ」
「うむ……」
わたしたちも興味津々《きょうみしんしん》。近寄って、その様子を見守った。
さて。そのスープをひとさじすくい、口に運ぼうとしたときだ。
「待て!! それを飲んではならん」
と、女の人の声がした。とっても澄《す》んだ美しい声。
あ、あれぇぇー!?
声がした……っていうか、それいったの、わたしだよぉ?
「パステル??」
みんながわたしを注目していた。あのマラヴォアでさえ、口をポカンと開けている。
う、うそぉ!
わたし、そんなこといった覚えないよ。
「マラヴォアよ。おまえ、いったんはわたしに罪を与えてくれと頼《たの》んでいながら、それを消すようなこと、よくもできるわな」
わたしは……いや、わたしのなかにいる誰《だれ》かがそういった。
そう。誰か他の人がわたしをコントロールしてる!!
わたしは機械的に口を動かしているだけだ。
た、助けて!!
みんなが心配そうにわたしを見つめていた。
「パステル、いったいどうしたんだよ!」
トラップがいった。
それは、こっちが聞きたいわよ!
そのとき、ふっとテディが浮かび上がってきた。大きなうちわのような耳の、とてもきれいな顔立ち。
「恋ノ女神、メナースガ、パステルノ、カラダ、コントロールシテル」
そそ。そうなのよぉぉ! ありがとう、テディ。
「メナースが!?」
「そうだ。そのスープをわたしに渡しなさい!」
わたしは、メナースにコントロールされるまま、ペンダーグラスさんに手を差しだした。
「んなの、こんな奴《やつ》にくれるこたねー。ペンダーグラスのじっちゃん、はえーとこ、飲んじまいな!」
トラップがいったが、
「そうか。この娘がどうなってもいいというんだな」
と、わたし。
トラップはたじろぎ、ペンダーグラスさんも目を見開いた。
「く、くそぉぉー! おめぇ、女神だろ? 女神っていやぁ、おれたち人間を守ってくれるはずじゃねーのかぁ?」
「そうです、そうです! だいち、もうペンダーグラスさんは十分|罪《つみ》をつぐないましたよ。今まで苦しんでこられたんだから!」
キットンもツバを飛ばして力説した。
「だよな! 罪をつぐなうってったってさぁ。実際はなんにも悪いことしてなかったんだろー!?」
「そうそう。勝手に女の人がベンダーグラスさんのことを好きになって。それで、勝手に自殺《じさつ》|未遂《みすい》をしたってだけなんでしょう!?」
ふたりの猛反撃《もうはんげき》をくらって、わたしのなかのメナースはかなりたじろいでいた。
「そうだそうだ。それにさぁ、だいちおかしかねーかぁ!?」
「ペンダーグラスさんだけが、どうしてそこまでモテたかってことでしょ?」
「そうそう。ある日突然っていうんだろ?」
ベンダーグラスさんは、うんうんとうなずいた。
「なぁー!? やっぱおかしーぜ。あんた恋の女神なんだろ? そんな不公平、おかしいぜ。どうして、ペンダーグラスのじっちゃんだけ異常《いじょう》にモテるようにしたんだ!? ちょっと納得《なっとく》いくまで説明してもらおうじやねーか!」
「そうです! じゃないと、こっちだって覚悟《かくご》がありますからね」
(だって……あのとき、ついこぼしちゃったんじゃない!)
えぇー?
なんかわたしのなかで、わたしにしか聞こえない声がした……!
(だってさぁ、オーティスさまから呼び出しくらったんだもん。何事かって思うわよね)
これ、もしかしたらメナースの本心?
(それに、あんなとこに犬がいたなんて! あれ、きっとダイアナのペットよね。あのバカ犬ったら、急に吠《ほ》え出すんだもん。アタシ、びっくりしちゃって。んで、あの壷《つぼ》を落としたんだわよ!)
あぁー、これ、これをみんなに聞かせたい!
でも、でも自分では口を動かすことも、うめくことすらできない!
わたしがジレったくて、ジタバタしていると、
「いや、もういいよ。わたしはこういう運命だったんだ。わたしはもう年寄りだ。パステルはこれからの人だ。彼女を犠牲《ぎせい》にするわけにはいかん」
そういって、ベンダーグラスさん。|悟《さと》りきったような顔でわたしにスープ皿を渡そうとした。
「そうだ。最初っから、素直に従えばよいのだ」
げげ!
ダメよ。ダメダメ。
このメナースって人、なんかおかしいよ!?
だから、メナースがそのスープ皿を受け取るべく、手を出させようとしたけど。わたしは、もー必死に抵抗《ていこう》した。
(この、バカ娘! |無駄《むだ》な抵抗するのはやめなさいよ!)
い、いやよぉ!
(この男が正常な人間に戻ったら、あのことを思い出すじゃない! そしたら、アタシ、オーティスさまに、なんて叱《しか》られるかわかんないんだもん! スープ皿を受け取るのよ。そして、|粉々《こなごな》に叩《たた》き割るんだわ!)
や、やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!
|全身全霊《ぜんしんぜんれい》をこめて、叫んだとき。
メナースの体が、ポン! と転がり出た。
「あ、ありゃぁぁー!?」
「いったぁぁぁぁーい!!」
ころんで、足を押さえワンワン泣き出した、女の子。
歳は、わたしとさほど変わらないようだ。
でも、ちっちゃい。わたしの肩くらいまでしかなさそうだ。クリクリの金色の巻き毛。|透《す》き通るように白い肌《はだ》。か細くって、|華奢《きゃしゃ》な体。うすピンクの、ちょうどバレリーナが着るようなミニドレスを着ていた。
その女の子、みんなが見おろしているのを見上げ、
「フン! なによぉー。ジロジロ見ないでよぉ。失礼ねー!」
そして、ふっとジュン・ケイを見た。
「あぁーら、この人ってば、いい線いってんじゃなぁい!? ねーねー、名前、なんていうのぉー?」
現金な奴! ジュン・ケイの手にすがって起きあがった。
人の体に勝手に入りこんだと思ったら、今度は!!
わたしが怒りにブルブル|震《ふる》えていると、
「へっへーんだ! あんた、彼のこと好きなんでしょ! わかってるわよ」
こ、こともあろうに! ジュン・ケイの腕《うで》にしがみついたまんま、わたしに、んなことをいった。
かぁぁぁ――っと頭に血が昇る……ところまではわかった。
「こ、このぉぉぉー!!」
「きゃぁー、な、なにすんのよぉー!」
わたし、もう頭の中、どうなってるかわかんなかった。
くんずほぐれつ。
「おいおい、やめろよ」
「こら、やめなさい!」
ジュン・ケイとクレイが、わたしたちを引きはがした。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
お互い荒い息を肩《かた》でしながら、にらみあった。
「いっつつつ……」
見ると、|腕《うで》も足も引っかき傷だらけ。手をやれば顔にまで血が。
でも、それはメナースも同じこと。
「どーしてくれんのよぉー! アンタ、いったい誰を相手にしてると思ってんのぉー!? |仮《かり》にも恋の女神メナースさまよ! たかが人間ふぜいのくせして」
そのときだ。
「だったら、女神らしくふるまってはどうだな?」
天から重々しい声がした。
ギクッとなった、メナース。じゃじゃ馬のようだった、とても女神とは思えなかった彼女が、オドオドと目をさまよわせた。
「オーティスさま……!?」
「そうじゃ。バカもの! 人間に喜びと希望を与えるのがおまえの仕事ではないのか! それを反対に脅《おど》かすとは何事じゃ。しかも、自分の失敗を隠《かく》すがために」
「で、でも……」
「でもも、ストもないわ! この期《ご》に及んでまだ言い訳《わけ》をするつもりか!」
「……ご、ごめんなさい」
「そうじゃ。自分の過《あやまち》ちは素直に認めるんだ。神も間違《まちが》いを犯《おか》すことがある。しかし、誠意があれば、人は許してくれるぞ。おまえがそんなでは、人々は安心して恋をすることもできないではないか」
感きわまった、というかんじで。メナースはワァァーッとその場につっぷし泣き出してしまった。
わたし、なんか……このメナースという女神。神様だけど、親近感もっちゃった。
泣いている背中をそっとなでてあげたら、ビクッとふりむき、大きなサファイアブルーの瞳《ひとみ》をさらに見開いて、わたしを見た。そして、ワァァーッとわたしに抱きついて泣きだしちゃった!
かわいーい!
「わかったら、正直に告白するがいい。後で、わたしのところに出頭《しゅっとう》するんだぞ!」
メナースはわたしの腕のなかで、うんうんとうなずいた。
「では、お騒《さわ》がせした。不出来な奴ではあるが、メナースも神のはしくれ。ちゃんと始末をつけるであろう。今回ばかりは堪忍《かんにん》してやってくれ」
オーティスという神様。きっと、神様のなかでもかなり偉い人(いや、神)なんだろうけど。結局、姿は見せなかった。
メナースは、鼻をすすりながら告白を始めた。
実は、ある日の朝。オーティスに呼び出された彼女は、あわてふためいて出かけた。神様のなかでも、あまり優秀でない彼女はしょっちゅう呼び出されては叱《しか》られていたんだそうだ。
そして、雲をポンポンと跳《と》びながら急いでいたところ、美の女神ダイアナの飼《か》っていたマイケルという犬がいきなり吠《ほ》えかかったんだそうだ。
|驚《おどろ》いたメナースは、手に持っていた壷《つぼ》を思わず取り落としてしまったという。
そして、運悪くちょうど下を歩いていたのがベンダーグラスさん。彼の頭に壷はぶつかって、中に入っていた粉《こな》が全部かかってしまった!
その粉とは、「|惚《ほ》れ薬」。
その日から、ペンダーグラスさんは異常《いじょう》にモテるようになったわけだ。
うまいぐあいに、ペンダーグラスさんはいったい何があったのかわからない様子。わからないうちに、なんとかしようと画策《かくさく》したんだそうだ。記憶を消すのが一番なんだが、その方法がどうしても思い出せない。
そして、|裁判《さいばん》の日、やっと記憶を消す代わりになる、いい方法を思いついた。記憶を消すのではなく、全ての記憶を忘れないようにしてしまえ! と。そっちのほうなら、覚えていたから。
あの裁判の日。別にマラヴォアが言い出さないでも、死刑を宣告された時点で現われ、そのことを告げるつもりだったらしい。
いくらなんでも、自分の失敗だというのに、殺されるのを見るのは忍びなかったんだって。
なんか自分勝手な話だよね。
「ごめんなさぁーい!」
メナースは、おいおい泣きながら何度も謝った。
ふうぅーっとため息をついたのは、ペンダーグラスさん。
「今さら、あなたを責めてもしかたないでしょう。それより、元にもどしてください」
メナースはヒックヒクいいながら、ペンダーグラスを指さした。
「そ、その……、ひっく、スープを、飲めば……元に、もどる……わ」
「あぁ、そうでしたな」
さっそくペンダーグラスさんがスープを飲もうとしたとき。
「あ、ちょっと待ってください!」
キットンが待ったをかけた。
「なんなんだよぉー! まだなんかあんのかぁ!?」
「いえ。あ、あのですね。このスープはスープを渡す人の念じたものを忘れる、そういうスープなんですよね。だから、今の場合……」
と、マラヴォアを見た。
たじろぐマラヴォア。
しかし、メナースがいった。
「だいじょうぶよ。マラヴォアはね、最初っからペンダーグラスを元にもどそうと思ってたんだから」
「えええぇ――!?」
「ほら、もうアンタも意地をはるのはやめなさいってば。女の子ってさ、素直なほうがかわいいみたいよー」
メナースはそういうと、スクッと立ち上がって、マラヴォアのほうに歩み寄った。
そして、背伸びをしてマラヴォアの肩に手を置くと、彼女はすぅーっと小さくなってしまい、メナースと同じくらいの背丈《せたけ》になった。
メナースはマラヴォアの黒いローブをさっとはぎ取った。
「ああぁぁぁぁあぁぁぁ―――!!」
「あ、あなたは! あのときの」
「|占《うらない》の……なんだっけ」
「マ……マリ、マリアンヌ!」
そう。そうなのだ。
「占いの|館《やかた》」なる、テント小屋の引っ越しをしようとしてて。わたしたちがその手伝いをした、あのちっちゃなおばあさん。
ペンダーグラスさんは、彼女を見て、
「あ、あれ!? マ、マリアンヌ!? いや、わたしの知ってたのはマラヴォア……」
頭をかかえこんでしまった。
「さぁ、だいじょうぶ。そのスープを飲んでみなさい。彼女の真心がこもっているはず」
女神らしい威厳《いげん》を取りもどしたメナースが、ペンダーグラスの手に、細い手を添えた。
|半信半疑《はんしんはんぎ》という顔の、ペンダーグラスさんはスプーンでスープをすくった。
「ごくり」
|隣《となり》で、トラップの喉《のど》が鳴った。
みんなの見守るなか、とうとう……やっとこさペンダーグラスさんはスープを飲んだ!!
じっと目を閉じたままのぺンダーグラスさん。
やがて、その目の端《はし》からスゥーッと涙が流れた。
そして、ゆっくり両目を開けた。
その様子を心配そうに見上げているマラヴォア(マリアンヌ?)を見おろし、
「そうか。マリアンヌ、君だったのか。わたしがあの朝、会いに行こうとしていたのは」
マリアンヌも泣いていた。しわくちゃの顔で泣きながら、うんうんとうなずいた。
「わたしは……あの朝、君に結婚《けっこん》を申しこもうとしていたんだ……」
それから、|堰《せき》を切ったように、ペンダーグラスさんとマリアンヌの話は続いた。
彼らは恋人同士だったんだって。でも、メナースが落とした惚《ほ》れ薬のおかげで、あんな騒《さわ》ぎに。事情を知らないマリアンヌは嫉妬《しっと》に怒り狂った。
だから、メナースにあんなことを頼《たの》んでしまったのだ。
しかし、その後、苦しんでいるペンダーグラスさんの様子を見ているうち、後悔し始めた。
なんとかペンダーグラスさんを元にもどす方法はないかと、アレコレやっているうち、悪魔《あくま》が誘《さそ》いをかけてきた。|魔女《ウイッチ》になり、|魔法《まほう》を覚えればいいと。
しかし、悪魔は記憶を操作《そうさ》する魔法を教えてくれなかった。たぶん、それは悪魔の思惑《おもわく》なんだろう。
だんだん、幸せそうな他人を見ると、腹立たしく思うようになる。時が経《た》つにつれ、マラヴォアとしての自分が仮についてきたのだ。
ペンダーグラスさんは記憶をゴッチャにしていたが、人間だった頃の名前がマリアンヌ。そして、魔女としての名前がマラヴォアだったのだ。
そして、月日が経《た》ち、ペンダーグラスさんが『忘れられた村の忘れられたスープ』を捜《さが》したが、結局そのスープの効用までは知らず、反対に村のことだけ忘れさせられたということを知る。
代わりにスープを手に入れようとしたが、入り口の石が清められていたため、魔女に変わり果てた彼女にはどうしても入ることができなかったのだ。
それからは、自分の代わりにスープを手に入れてくれる者を捜し続けていた。……で、まぁ、わたしたちが見事、引っかかったというわけ。
「じゃ、あの占《うらな》い師のことを教えてくれた、えっと名前は覚えてませんけど。|闘技場《とうぎじょう》で隣《となり》に座ってた、優しそうな男の人。あの人も!?」
「そうじゃ。あの一言だけだがな。言わせたのは」
「そっかぁぁぁー!」
それにしても、手がこんでるよなぁ。
最初っから、そーいってくれりゃいいものを。
「さぁ、さぁ、|昔話《むかしばなし》が尽きないでしょうが、まずは手をつなぎなさい」
メナースがマリアンヌとペンダーグラスさんの手を取り、重ね合わせた。
|恥《は》ずかしそうに、見つめ合うふたり。
しかし、マリアンヌがパッと手を離《はな》した。
「どうしたの?」
メナースが聞くと、
「わ、わたしはもう人間じゃありませんから。人も恐れる魔女《ウイッチ》ですから」
と、顔をおおった。
メナースはそんなマリアンヌの肩《かた》を抱いた。
「じゃ、何か呪文《じゅもん》を唱《とな》えてごらんなさいな」
「ええ?」
マリアンヌは、何か思い出そうとしたが……。パッと顔を上げた。
「呪文が、呪文が思い出せない!」
「そうよ。さっきあなたを元の人間にもどしたのよ」
「で、でも。|悪魔《あくま》が許すはずがありませんわ。わたしは、|愚《おろ》かにも悪魔と契約《けいやく》を結んだんですもの」
でも、メナースは胸をドンと叩《たた》いた。
「そっちのほうはアタシに任《まか》せてちょうだい!」
そして、キッと空を見あげた。
「なんか文句あるってんなら、今度はこのメナースが相手よっ!」
おおお、かっこいい。
「じゃ、ほんとにごめんなさい。許してっていって、許してもらえるとは思えないけど。でも、今のアタシの力じゃ、ここまでが限界なの」
すまなそうにいうメナースに、
「これから、これからですよ。わたしたちも、あなたも。わたしたちは、これからなくした時間を取りもどすつもりです。あなたも世界中の恋人たちのために、励んでください」
ペンダーグラスさんはマリアンヌの肩を抱き、最高にチャーミングな笑顔でいった。
あぁ、いいなぁ。
「よかった……」
わたしの後ろにいた、ノルがポツッとつぶやいた。
ほんとだね!
わたしたちは、しみじみと感激していた。
「んじゃ、アタシ。怒られに行ってくるわ!」
メナースは、そういってピョンと雲の上に飛び乗った。
「がんばってねー!」
わたしがそういうと、
「サンキュー!」
思いっきり手をふって、それからまたもっと高い雲に飛び移り。やがて見えなくなってしまった。
サラディーに帰ると、もうたいへんな騒《さわ》ぎになっていた。
国王も、あの宿屋の息子も元通り、人間にもどっていたのだ。
わたしたちは、これ以上ないってくらいに厚い厚い歓迎で迎えられた。
そして、国王が記念式典を開いてくれたんだ!
パッパラパパパ――……
パッパパパパ――……
高らかに響《ひび》きわたる、ファンファーレの音。
あははは、あのブラックドラゴンお抱《かか》えのオーケストラより、ずっと貧弱な音だけどね。
王様のこぢんまりした庭に設《もう》けられた式典会場は、国中の人々でゴツタがえしていた。入りきれずに、|塀《へい》のとこに腰《こし》かけてる人たちまでいる。
まっ自の頭と髭《ひげ》。なんとも人の良さそうな王様だった。
でも、さすがに王族だけあるな。大きな長椅子《ながいす》にゆったり座る姿には、なんともいえない気品があった。
その長椅子は、とても見事な刺繍《ししゅう》がほどこされ、|脚《あし》や肘《ひじ》かけの部分の彫刻《ちょうこく》もすばらしかった。
きっと、あれがマラヴォアの欲しがったという、みんながプレゼントした長椅子なんだろう。
「わたしは、きょう、長い眠りから醒《さ》めた」
王様がいうと、うわぁぁぁぁー! っと大歓声があがった。
「すべて、ここにおられる勇者たちのおかげだと聞いた」
またまた、うわぁぁぁぁぁ――!!
トラップがわたしの腕《うで》を肘《ひじ》でつっつく。
わたしはキットンをつっついた。
「ここに感謝を表して、記念の物を授けたい……」
また歓声があがろうとしたが、
「が……」
と、王様がいったため、しゅーんと盛り下がってしまった。
王様はとてもすまなそうな顔で続けた。
「すまない。わたしどもの国は見た通りの貧乏暮《びんぼうぐ》らし。本当ならひとりひとりに記念のメダルを授け、|褒美《ほうび》もたっぷり……と、いきたいところなのだが」
「いいんですよ! そんな。だって、ほら、ついでだったんですから」
「そそ。元はといえば、こいつを元にもどそうっていう、そんだけで」
と、トラップはクレイの頭をグイグイやった。
何か複雑《ふくざつ》な表情のクレイ。
「いやいや。せめてもの気持ちを受け取ってくれんかな」
と、|合図《あいず》した。
横に控《ひか》えていた、|執事《しつじ》さん!
わぁお! なつかしい。あのとってもおいしい紅茶をいれてくださった、執事さんじゃないかぁ。
彼がうやうやしくお盆を高々と持って、わたしたちの前に歩いてきた。
なんだろ!!
そして、キットンの前でピタッと止まり、彼に手渡した。
「なんだぁ!?」
「あ、あぁぁー!?」
なんとなんと。それは、キットンの肖像画《しょうぞうが》が描かれた記念切手ではないか。切手は一〇シートもあった。
あ、あれ!?
それはそうと。わたし、またなんか忘れているような、そんな気がふっとした。
ま、まぁ、いっかぁ。大事なことなら、いずれ思い出すだろう。
「キットン。君はこの痩《や》せたサラディーの土地を肥沃《ひよく》な土地に生まれ変わらせてくれたそうだな」
トラップがキットンを軽くこづくと、さすがにキットンもうれしそう。でへでへと照れまくっていた。
「心から礼をいわせてくれ。これで、サラディーも少しは豊かな国になるであろう。しかし。まさか、それだけでは申し訳《わけ》ない。こちらの気もすまない。ここは、ひとつ。そのファイターの君」
(え? おれのこと?)とクレイがキョロキョロした。
「そうそう。こちらに来てくれ。聞けば、君もわたしと同じくオームにされていたというではないか。何か他人とは思えぬ」
ここで、みんなが大笑い!
この王様って、おもしろい人だなぁ。
クレイが王様の前に膝《ひざ》まずき、一礼すると、また執事《しつじ》さんから何か受け取った。
「さぁ、これを」
な、なんと!
王様がクレイの胸に押しつけたのは、銀色に輝《かがや》き……はしていなかったが、でも、|正真正銘《しょうしんしょうめい》、鉄製のブレスト・アーマー(しかも胸だけでなく背中までおおうタイプの部分|鎧《よろい》だ!)だった。
「こ、これを……おれ、いや、わたしに?」
「あぁ、あまり大した防御《ぼうぎょ》にはならんかもしれないが。これでも、わが国に代々伝わってきた由緒《ゆいしょ》ある鎧だ。部分鎧ではあるがな」
「い、いえ! お、おれ、すっごくうれしいです! ありがとうございます」
クレイは深々とお辞儀《じぎ》して、クルッときびすを返し、わたしたちのところに走ってもどってきた。
顔が生き生きと紅潮している。
「クレイ、よかったね!」
「くりぇい、よかったね!」
ノルもパチパチと大きな手で拍手《はくしゅ》をしてクレイを迎えた。
「う、うん! なんか悪いな。おれ、なんにもしなかったのに」
「何いってんだよ。オームでも結構《けっこう》役に立ったぜ」
「ほ、ほんとか?」
「あぁ、ロープを渡してくれたりだな。狭い穴の中を調べてきてくれたりだな」
トラップったら! ほんと意地が悪い。でも、なんにも知らないクレイ、
「ふーん。ちっとも覚えてないや」
ポリポリ頭をかいていた。
その夜は、国中の人たち総出《そうで》で大祝賀会になった。
でも、わたしはなんとなく悲しい気分に浸《ひた》っていた。
もうすぐ。きっとジュン・ケイのことだ。明日の朝には、サヨナラなんだ。
そう思うと、みんなと一緒《いっしょ》に騒《さわ》ぐ気にもなれなかった。
「おっし! お風呂《ふろ》にでも入ろっと」
こんな気分のときは、あったかいお風呂につかってリフレッシュするにかぎる。
さすがに共同|浴場《よくじょう》は誰《だれ》もいない。ふだんならもうみんな寝ている時間だし。ここもとっくに閉まっている時間だ。でも、きょうは特別。
スパッスパッと服を脱いで、ドッボーン! と浴槽《よくそう》にジャソプ。
「わぁっ!」
げげ、誰もいないと思ってたのに誰かいた!
「ご、ごめんなさぁーい! 誰もいないと思ってたから」
「あぁ、なんだ。パステルじゃないか」
「ええぇ!?」
わたしは目を疑った。
ゴシゴシこすって、もう一回見た。いや、一回どころじゃない。何度も何度も見直した。
でも、いくら見ても、目の前にいるのは頬《ほお》をピンクに上気させたジュン・ケイ!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」
あたしは思わず叫び、そして顔をおおってブクブクと浴槽に潜《もぐ》った。
でも、人間は息をしなきゃいけないし。お湯のなかじゃ息はできない。
「プハァー!」
顔を上げ、息をつくと。
だぁぁぁぁぁ。やっぱりいるぅ。
なんでなんでなんでぇー!?
どして、ジュン・ケイがここにいるのー!?
あ、も、もしかして。わたしったら、まちがえて男湯のほうに入っちゃったのかしら。そうだ。そうにちがいない。
「す、すみません! わたし、まちがっちゃったみたいで。あのぉー、あっち向いててくださいます!?」
ソロソロと移動しようとする、わたしの肩《かた》をジュン・ケイがつかんだ。
げげっ!
なに、なに、なにいー。
この展開《てんかい》はぁぁ。ウ、ウソでしょ。
や、でも……ジュン・ケイだって男だもん。もしかして!?
こ、困るぅぅー!
わたしが頭のなかでジタバタしていると、
「あのね。こうなったら、パステル…‥」
こ、こうなったら!? いや、そんな、ダメですよ。一時の感情で。
「君だけには話しておくけど」
は、はぁ!?
「わたし、女なんだ」
へ?
くるっとゆっくりふりむくと、そこには恥《は》ずかしそうな顔のジュン・ケイ。心なしか色っぽい。
「ま、どうせ誰もそうとは思ってくれないけどね。商売|柄《がら》、そのほうが都合《つごう》がよくって。あえて否定《ひてい》はしないようになったんだ」
ホケーっとロを開けっぱなしのわたしの頭をポンポンと叩《たた》いて、
「じゃ、お先に。これ、みんなには内緒《ないしょ》にしててね!」
と、ウィンクした。
そして、彼……いや彼女は浴槽《よくそう》から上がっていった。
た、たしかに。
彼女は、女の人だった……。
「なんだよ。おめー。サラディー出てから変だぜ」
トラップがいうのも当たり前だと思う。わたしは初恋が破れた……しかもあんな形で破れたショックで、ずーっとポケラーっとしていた。
わたしが予想したとおり、やっぱり次の目早くにジュン・ケイはひとりどこかに旅立ってしまった。
「すまねーなぁ。なんか大した礼もできなくってさ」
「いや、いいんだ。楽しかった。命を粗末《そまつ》にするなよー」
「お互いさまさ!」
朝日を受けながらだんだん小さくなる、その後ろ姿を見送っていたら、
「おめー、|憧《あこがれ》れてたんだろ!?」
と、トラップがいった。わたしが黙《だま》っていると、
「ま、あきらめるんだな。もうちっと釣《つ》り合う相手のほうが無難《ぶなん》だぜ」
釣り合うも、なにも……。
ま、いいや!
彼……いやいや彼女は極上《ごくじょう》の微笑《ほほえ》みをわたしの胸に残した。
それだけで、この思い出だけで十分!
「見てくれよ。このブレスト・アーマー。竹アーマーの上につけるとピッタリなんだぜ!」
クレイ、ほんとにうれしそう。
「さてと。そろそろ、わがなつかしのシルバーリーブでございー」
すっかりヒポちゃんの運転に慣《な》れたトラップがいった。
「おおお、そっかぁ! ほんとだ。ズールの森じゃねーか!」
「ズールの森デシか!?」
シロちゃんもすっかり元気を取りもどしていた。
「おう! ヒポの足じゃ、後一時間ってとこだな」
しかし。その一時間が一日になってしまった。
なぜって?
それは……。
バババババッヒュ――キキキキキキィィィ……!!
ド|派手《はで》なエンジン音を響《ひび》かせ、ヒポちゃんの前に土ぼこりが舞《ま》った。
中から登場したのが、これまたド派手な保険屋ヒュー・オーシだ。いや、その後ろにはシナリオ屋のオーシもいた。
「お! お帰りだね。ずいぶんとゆっくりじゃぁないかい!?」
きょうはまた一段と派手だ。緑と赤の太いストライプの三揃《みつぞろ》え、銀糸で竜の刺繍《ししゅう》をした黒いネクタイ!
「おう? クレイ。おめぇ、オームじゃねーじゃねーか。ちぇっ、高く売りつけようと思ってたのによ!」
と、オーシ。いつもの汚《きたな》い格好《かっこう》にいつもの憎まれ口だ。
「でよぉ。約束のブツ。あれ、渡してもらおうと思ってよ。こうしてわざわざ出向いてきたってわけよ。ちょうど格好のコレクターを見つけたとこで。おめぇらの噂《うわさ》はもう聞こえてたからな」
「あぁぁぁぁぁぁぁっ、それだぁ!!」
わたしはオーシを指さして叫んだ。
なんか忘れてると思ってたけど、それだそれ。
「あ、でも! ねえねえ、キットン。あの切手。記念切手あるでしょ? あれ、一シートくれない?」
キットンの肖像画《しょうぞうが》が描かれた記念切手。これなら、出来立てホヤホヤだし、それにサラディー国発行の切手だってことには変わりない。
でも、オーシはその切手を見るなり、
「……う、な、なあぁぁぁーんだぁぁぁぁー! こ、このマヌケな切手は!」
と、わめいた。
「だ、だめなの?」
「だめに決まってんじゃねーか! |誰《だれ》がこんな切手に高い金払うと思う? ダメだダメだ! もう一回取りに行ってこい!」
「じょ、じょーだん!」
今度はトラップがわめいた。
「おいおい、まずは、こっちの掛《か》け金《きん》。こっちを払っていただこう!」
成りゆきをみていた、ヒュー・オーシがあわてていった。
「だって……、その切手を買ってもらって。んで、そのお金で払うつもりだったもん。銀行行かないとないよー!」
「な、なんだってぇー!?」
そこで、キットンが指をなめなめメモ帳をめくり、
「あ、そうですそうです! 我々、今回の冒険《ぼうけん》ではいろいろとですね。危ない目に会いまして。まずは、わたしとトラップがサラスというモンスターに、|危《あや》うく殺されそうになったんですね。この場合、保険はいかほどおりるんでしょうか? えっと、それからですね……」
などと始めたから、たまらない。
「やめだ、やめだ! てめぇらみたいなド初心者に保険|薦《すす》めた、あたしがバカだった。金も払ってねーのに、何が保証《ほしょう》だ! |解約《かいやく》だ解約。おい、とっとと降りろ!」
「え? 降りろって?」
「このエレキテルヒポポタマス、誰から借りてると思ってるんでぃ! 後で、貸し賃はしっかり払ってもらうからな。首洗って待ってやがれ!」
「あーああ……」
「ちぇえー。後もうちょっとだってーのに、歩きかよ」
「ま、しかたないじゃん? 元々わたしたちはいつも歩いてたんだもん」
「おっ? パステル。元気が出てきたじゃねぇか」
「ん? あはははは! おかげさまでね」
「おかえしゃまえね!」
「おかげさまデシよ」
「よぉ――し、じゃ、気を取り直して行こう。帰ったら、まずは」
「冷てぇービールで乾杯《かんぱい》だな!」
「きゅっきゅーっとね」
「きゅっきゅ!」
ズールの森はもう夕暮《ゆうぐ》れ。
わたしたち、六人と一匹の影が長く延《の》びていた。
END
あとがき
「END」
わたしはゆっくりタイプした後、一瞬息を止め、フゥーツとまたゆっくり息をはきだした。
そして、両手を組んで頭上に上げ小さな声でいった。
「終わったぁぁぁー!!」
時間は朝の七時。そう。フォーチュン3が完成した瞬間です。
いやはや、今回は今までで一番苦労したんじゃないかしら。いえ、別に何を書けばいいか浮かんでこないとか、そういうんじゃなくって。仕事をしようと思うのに、頭のどっかで「書くの、飽きた……」とか「遊びたいよぉー」とかっていってるわたしがいるんです。
このコたちのおかげで、ほんと、遅々として進まなかったなぁ。
みなさんのあったかーい励ましの言葉を読んで聞かせては、こらこら贅沢をいっちゃいかん、というんだけど。「だって、書くの飽きたも――ん!」「遊びたいんだも――ん!」と、ダダこねるこねる。まったく。
でも、なんとか終わりました。やれやれ、ほんとによかったな。
そうそう。みなさんからのお手紙はみんなありがたく読ませていただいてますよ。お返事、なかなか書けなくってごめんなさい。ちょっとずつではありますが、書いてますんで。気長に待っててください。きっと忘れた頃にポロッと届くでしょう。
2のあとがきにも書いたけど、ほんとみんなの手紙はおもしろい。父に見せたんですけど。
「ほぉー、絵もうまいな。あれ、スクリーントーンまで貼ってるじゃない。文章もうまいなぁ。字は無茶苦茶だけど(笑)」って感心してました。
さてさて。3は思ったより長くなりました。これでも、エピソードをまるまる一個削ったんです。たぶん、このエピソードは他のときに登場すると思いますけど、でも、長かった。2でいーっばい伏線を張ったもんだから、その決着をつけなきゃいけないでしょ? そうです。みんな自分がわるい。
あははは。でも、一冊一冊書くたびに新しい技を身につけてるような気がします。フォーチュン・クエストは、まさに「美潮クエスト」でもあるんだなぁ。それにみんなをつきあわしちゃってるんだから、申し訳ないよね。ごめんなさい。
話変わって。
わたしって、背が高いのね。一六七センチくらいかな。だもんで、親戚の人とか久しぶりに会うと、もういい歳だっつーのに「あーら、美潮ちゃん。大きくなって、まあまあ」とか未だにいわれるわけです。「どうしたら、そんなに大きくなれるの?」「お米をタテに食べたんです」「あら、おもしろいことをいう!」……と、この会話、何十回繰り返されてきたことか。
実際、高校を出た頃は一六四センチくらいしかなかったから、それからまた三センチも伸びたんです。ちょっと冗談もいいかげんにしてよねっていいたくなる。「まだまだ成長期なのよ」と友達に笑われるし。今は高いのもいいかなって思うけど、昔はけっこう気にしてたっけ。
あ、話が脱線! んしょっと(戻した音)。
で、まぁ、そういうこともあって。未だに「大きくなったら、わたしはこうしたい」とかって、ついつい言っちゃうわけ。で、「い、いやいや。もう十分大きいんだけどね」って自分で突っこみいれて。「あたりまえだ!」とみんなにあきれられてるんだけど。
その「大きくなったら、どーしたい」っていうの、これは誰でも思うことでしょ? わたしの場合、最初が「ピアニスト」(この辺のくだりはバンド・クエスト1のあとがきを参照のこと……とさりげなくCM!)。次が「動物の研究家」。それも、南米のガラパゴス諸島にあるダーウィン研究所ってとこに入って、イグアナの研究をしたかったという。めずらしいよね。これ、決意したのは小学五年生くらい。
どうしてイグアナかといいますと。まず、恐竜が好きだったのね。で。イグアナって似てるでしょ。それで興味を持ったんだけど、知れば知るほどおもしろいんだわ。彼らは草食で、ケンカなんてしない。テリトリーの争いやメスの取り合いをするときも、にらめっこで決めるという平和主義者。
いいなぁ、だんぜんいいなぁ! と思ったわけです。わたしはケンカって嫌いですからね。
でも、結局、動物の研究はできませんでした。代わりにモンスターを製造してるというわけです。
あなたの場合の……「大きくなったら、どーしたい!」は、なんですか?
というわけで。恒例スペシャル・サンクスを。
今回は歯のかけちゃったじゅんけ姉、迎夏美さん、父、母、弟、萩原健太兄、安西史孝さん、由里子ママ、陽子姉、PC−VANの98クラブのみんな、NIFのFROCK、FADV、FBOOK、FMOVIE、FSWEETのみなさん、コンプネットのみなさん、あいやん、09さん、爆竜さん、クロちゃん、あんらっきー伸さん。
そしてそして、あなた!!
どうもありがとうございました。心から御礼申し上げます。
じゃ、4で、またお会いしましょう!
深沢 美潮