フォーチュン・クエスト2
忘れさられた村の忘れられたスープ(上)
深沢美潮
いまでないとき。
ここでない場所。
この物語は、ひとつのパラレルワールドを舞台にしている。
そのファンタジーゾーンでは、アドベンチャラーたちが、
それぞれに生き、さまざまな冒険談《ぼうけんだん》を生みだしている。
あるパーティは、不幸な姫君《ひめぎみ》を助けるため、|邪悪《じゃあく》な竜《りゅう》を倒《たお》しにでかけた。
あるパーティは、海に眠《ねむ》った財宝をさがしに船に乗りこんだ。
あるパーティは、神の称号をえようと神の出した難問にいどんだ。
わたしはこれから、そのひとつのパーティの話をしたいと思っている。
彼らの目的は……まだ、ない。
口絵・本文イラスト  迎 夏生
STAGE 1
「ルーミィ、シロちゃんがほら、苦しがってるよ」
ルーミィったら、お昼を食べすぎたせいかシロちゃんの首に抱《だ》きついたまま熟睡《じゅくすい》していた。それだけならまだいいんだけど、ルーミィも寝相《ねぞう》のいいほうじゃないでしょ。シロちゃんを抱《かか》えたまま、ゴロンゴロンやってるからたまらない。
「うーん、しおちゃん? しおちゃんはここにいうよ?」
「そうじゃなくって、シロちゃんはヌイグルミじゃないんだからね。息ができないでしょ? そんなに強く首を抱きしめたら」
「ボ、ボク……だいじょぶデシ……が、がまんデシ」
「だいじょぶデシじゃないわよ。はぁはぁいっちゃって」
わたしはルーミィの手を取って、シロちゃんの首から離《はな》した。
シロちゃんはヨロヨロッと起きあがり、
「ちょっとトイレ行ってくるデシ」
と、またヨロヨロ出ていった。
ルーミィは、しばらく目を半開きにしていたけれど、まぶたの重さに耐《た》えきれなくなったのか、またクウクウ寝始めた。
「寝てるほうが静かだし、そのまんまにしとけよ。どうせ準備もなにもないだろうしさ」
クレイにいわれるまでもなく、そうしておくつもりだったわたしは、ウンウンとうなずいてみせた。
またもやわたしたちは旅のしたくをしていた。
|冒険者《ぼうけんしゃ》とかいっても、戦っている時間よか旅をしてる時間のほうが多いんじゃないかな。わたしたちの場合は特にそうだ。移動の方法といえば、テクテク歩いていくしかないわけだしさ。
今回は、一番近くの商業都市エベリンに行くだけなので、旅というまでもない。ただ、年に一度の冒険者カードの書き換《か》えという大事業があるため、みんな一様《いちよう》に緊張《きんちょう》していた。
わたしたち冒険者の生活をバックアップしてくれているのが、冒険者|支援《しえん》グループという団体なんだけれど。その団体が発行している冒険者カード、これを持っていないと、なんの援助も受けられないし、身分の証明もできない。
その年、どんな功績があったか、経験値はちゃんと上がっているか、各ステータスの上がりぐあいはどんなもんか。そういうとこを係のおじさんやおばさん(この人たちはかつての冒険者だったりする!)が、いちいちチェックしてくわけ。
去年までは各人の誕生日《たんじょうび》にカードを更新《こうしん》していたのだが、今年から経費節減のためとかで、冒険者全員が一度に更新してしまうことになった。わたしたちとしても、まとめてやっちゃったほうが楽だしね。
……なんだけどさ。
わたしたちって、ほら、例のヒールニントでの大冒険やってきたのはいいけど、結局のとこ経験値も上がらずじまいだったでしょ? レベルが上がったのっていえば、かろうじてクレイだけだしね。
だから、今回はいつも以上にきびしい。レベル一とか二とか、かけだしの頃《ころ》は、けっこうくだんない冒険でも、ポコポコおもしろいようにレベルも上がったんだけど。やっぱ、一から二へ上がるよりは二から三、三から四のほうがはるかにむずかしいわけだ
|所詮《しょせん》、人生とは、そういうもんだ……なんちゅうことをわたしがいっても、|誰《だれ》もうなずいてはくれないな。
だから、もしかしたら今回は最悪の場合、クレイ以外みんなカード取り直しかもしれなくってさ。取り直しともなれば、また試験を受けて……あぁ、思っただけで胃が痛い。ま、一応「ヒールニントの災難」の件を話して、なんとかそれだけは勘弁《かんべん》してもらうつもりなんだけどね。
そのせいかみんな口数《くちかず》が少ない。いつもなら、うるさくって誰がなにをいってるのかわかんないほどなのに。
わたしたちのパーティは全部で六人プラス一|匹《ぴき》。
ロングソードに粉をかけ、なめし皮で、ていねいに磨《みが》いているのは、代々|騎士《きし》の家系に生まれたファイターのクレイ。|歳《とし》は一八で、わたしよりふたつ上。身長は巨人族《きょじんぞく》のノルについで高く一八〇センチくらいでなかなかスタイルがいい。
|黒髪《くろかみ》に鳶色《とびいろ》の生き生きした目の、けっこういい男なんだが……なぜかいつも貧乏《びんぼう》クジをひいてしまう。この前の冒険でもリズーというモンスターにやられ、笑い病というなさけない病気にかかってしまった。
|腰《こし》にタオルを巻いたまま、|洗濯《せんたく》したばかりの緑色のタイツを窓に干しているのは、|盗賊《シーフ》のトラップ。歳は一七で、早生まれのわたしと学年はいっしょだが、やたらと口がわるく、そのうえ態度もでかい。
少し長めのサラサラした赤毛をうしろでしばっている。目は明るい茶色。今、干しているタイツは代々|由緒《ゆいしょ》あるありがたいタイツらしいが、その色といったら……。いや、個人の趣味《しゅみ》をどうこういいたくはないが、明るいカラシ色の丈《たけ》の短い上着といい、オレンジ色の帽子《ぼうし》といいとても盗賊《シーフ》とは思えない派手《はで》さだ。バツグンに身が軽く逃《に》げ足も速いというところは、さすが盗賊なんだけど。|彼《かれ》、クレイとはおさななじみなんだって。
ボサボサの茶色の髪《かみ》で顔の半分を隠《かく》した農夫のキットン。ドワーフだと思っていたが、前回の冒険でキットン族という由緒正しき種族であるらしいことが判明。ブツブツなにやらつぶやきながら、薬草をすりつぶしている。
そのキットンのまわりをハエみたいな小さな虫がさっきからプンブン飛んでいるのが気になってたんだけれど……そうだ、キットンったらいつからお風呂《ふろ》に入ってないんだろうか。やだなぁ、もう。
巨人族のノルは、ここにはいない。そうでなくても倒《たお》れそうな安普請《やすぶしん》のみすず旅館に身の丈《たけ》二メートル以上もあるノルがドスドス歩いたりしたら、たちまち床《ゆか》が抜《ぬ》けてしまうだろう。
前回の冒険で得た報酬《ほうしゅう》と温泉水をシナリオ屋のオーシに売ったお金とで、わりにリッチになったわたしたちは、少し肌寒《はだざむ》くなってきたこともあって、ここんとこしばらく旅館|暮《ぐ》らしをしていた。しかし、ノルだけはみすず旅館のおかみさんの配慮《はいりょ》で旅館の納屋《なや》に寝泊《ねと》まりしていた
のだ。
ノルはそのずばぬけた怪力《かいりき》だけではなく、動物と話ができるという特技をもっている。
そして、最年少のルーミィ。ふわんふわんのシルバーブロンドの髪とサファイヤのようなブルーアイ。
パーティのなかではゆいつ攻撃《こうげき》の魔法《まほう》を使えるエルフの子供なんだけれど、まぁレベルがレベルだし、まだ赤ちゃん赤ちゃんしているから、ほとんど役には立たない。ファイアーの呪文《じゅもん》、コールドの呪文、ストップの呪文を知ってはいるけど、その呪文もうろ覚えでいちいちメモを見ながらでないといえないっていうんだから、効果のほども想像できるでしょ?
でも、わたしのことを舌《した》ったらずの言い方で「ぱぁーるぅ」と呼び、どこ行くのもついてきたり、わたしのいうことをすぐマネしたがるとこなんか、なんともいえずかぁーいいのよね。
かぁーいい、といえば……シロちゃん。この子をおいて、かぁーいい子はいるでしょうか!?みなさん!……ドンと机を叩《たた》く、くらいにかぁーいい。
前回の冒険で知り合ったホワイトドラゴンの子供。ドラゴンっていうと、|巨大《きょだい》で怖《こわ》いイメージがあるけれど、このシロちゃんはちがう。ふわふわしたまっ白の柔《やわ》らかな毛で全身が覆《おお》われていて、サイズも子犬くらいしかない。ただ、ある一定期間だけは体長一〇メートルくらいまで大きくなれる。その中間はないってのが、不便といえば不便。
まっ黒の大きな目と黒い鼻づら。|額《ひたい》のまんなかにある角《つの》と、背中にたたまれた小さな羽、両手両足の鋭《するど》い爪《つめ》がなければ、ほとんど太ったマルチーズみたい。
伝説の「幸せの白い竜《りゅう》」ではないかとシナリオ屋のオーシにいわれたけど、|真偽《しんぎ》のほどは明らかではない。本当の名前は本人が覚えてないっていうから、「シロちゃん」という愛称で呼んでいる(なんて安易なネーミング!)。
ホワイトドラゴンの子供だというのは隠《かく》しておいたほうがいいと、オーシにいわれていたので、わたしが作った毛糸の黄色の三角|帽子《ぼうし》で小さな角を隠している。こうやっていると、子犬みたいに見えるからね。背中にたたんだ羽は小さいし、全身ふわふわしてるから目だたない。それに、ほら、前回の冒険《ぼうけん》であわやなくしそうになった「ドラゴンの宝玉」ね。あれを緑の風《ふ》|呂敷《ろしき》に包んで、首にくくりつけてるから、ちょうど羽が隠れていいんだよね。それにしても、もうちょっと見栄《みば》えのいいリュックみたいなのを買ってあげたい、とは思ってる。
ただ、話をする犬っていうだけでマークされそうだから、他の人の前では「ワンワン」鳴くようにいってんだけど。
そうだそうだ。そのときの話がおかしいの、なんの!
わたしが、
「シロちゃん、ワン! って鳴いてみて」
って、|頼《たの》んだら。シロちゃんたら、
「ワン! デシ」
……|真顔《まがお》でいうんだもんなぁ。
「シロ、おめぇ……その『デシ』つけずに、しゃべらんないのかよぉ!」
と、いってポコッとシロちゃんの頭をこづいたのは、もちろんトラップだった。
え――っと、それから、申し遅《おく》れましたが、わたくしめが詩人のパステル。方向|音痴《おんち》のマッパーっていうんで、有名になってしまったみたいだけど、確かにそうだからなんにもいえない。
|金髪《きんぱつ》に近い明るい色の髪《かみ》をうしろでしばり、目は、はしばみ色。他にあまり得意《とくい》なものがないため、|冒険談《ぼうけんだん》を書いてはそれを売って生活費の足しにしている。
生活費といえば、さっきいったようにわたしたちは、今|珍《めずら》しくリッチだった。
そもそもは借金を返済するための旅に出たのだったが、その借金もきれいさっぱり返してしまったし、それでもなおかつ潤《うるお》っちゃってるわけだ。いいよね、お財布《さいふ》が充実《じゅうじつ》してるって。人間、現金なものだと思うわ。なんとなく余裕《よゆう》っていうんですか? そういうもんがあってね。|誰《だれ》に対してもやさしい気持ちになれるっていうか。こういう状態をできるだけ維持《いじ》していきたいものだと、財務担当としてはしみじみ思ってしまうわけで。
で、まぁさ。今あるお金の総額から当座の資金だけ引いた分を六人と一|匹《ぴき》で均等に分けたの。
シロちゃんの分をどうするか、これについてはちょっと悩《なや》んだけど。でも、|彼《かれ》がいなかったら、わたしたちこんなふうにはしてられないと思うからね。いつなんに必要かわからないし、シロちゃんの分は貯金することにした。
結果、ひとり一五〇〇Gずつということになった。なんか思ったより少ないみたい? いやいや、んなことないよ。だって、これは純粋《じゅんすい》にお小遣《こづか》いとして、なんだもの。宿賃とかは別でね。いつもだったらお小遣いなんて、一〇〇Gも持ってたらいいほうだもの。
う、なんかだんだんミジメな気分になってきた。お金の話はこれくらいにしようね。
エべリン行きの乗合《のりあい》馬車は一日に一本だけ。シルバーリーブには昼過ぎに着くので、わたしたちは昼食を猪鹿亭《いのしかてい》でとることにした。
猪鹿亭は、すでにランチめあての人々でごったがえしていた。
「やっほー、リタ!」
わたしが声をかけると、猪鹿亭の元気|娘《むすめ》、リタがクルッとふりむいた。赤のチェックのエプロンをつけ、赤い髪《かみ》をクリクリッと頭上に束《たば》ねている。
「やっほー、パステル! きょうだっけ? 出発は」
「そうそう。昼過ぎので行くの。なにか買ってこようか?」
「そうねー、なんかかわいい髪飾《かみかざ》りがあったら買ってきてよ」
「OK!」
わたしたちが女の子同士の会話をやっているあいだに、ルーミィ以外は注文が決まったようだった。と、いっても、昼はAランチとBランチしかないんだけどね。
「オレ、Aランチ」
「あ、オレもクレイと一緒《いっしょ》でいーや」
「じゃ、わたしもAランチでいいです」
クレイ、トラップ、キットン。こいつらは、安いAランチと決まってる。
「ノルは? Aランチ?」
わたしが聞くと、ノルはニコニコうなずいた。たぶん、Bランチ? って聞いても、ニコニコうなずいたんじゃないかなぁ……彼は。
「そんで、ルーミィは?」
ルーミィは、二つしかないメニューを見比べ、|薄《うす》い眉毛《まゆげ》と眉毛のあいだに、ちっちゃいシワをつくっている。
「ルーミィねぇ……。えっとえっとえっとぉ……しおちゃんと同じぃ」
「シロちゃんはどうするの?」
シロちゃんはルーミィの隣《となり》の椅子《いす》にチョコナンと座《すわ》っていた。
「ボクデシか? ボクは、いいデシ。さっきいっぱい食べたデシから」
「しおちゃん、なに食べたの?」
「ルーミィ、いいの。聞かなくって。それよりどっちにするの? Aでいい?」
シロちゃんは、ちょっと我々には考えられないようなものを食べる。毛虫とかスライムとか、そういう……いわゆる聞けばちょっと食欲をなくすような。
「あのね、あのね……ぱぁーるは、どっちにすうの?」
「わたし? わたしはねぇ、Bにする。おいしそーだもん」
「じゃ、ルーミィも!」
わたしたちがランチを食べていると、シナリオ屋のオーシが店に入ってきた。わたしたちを見つけるなり、ドカドカやってきて、
「お、この椅子《いす》貸してくんない!」
と、|隣《となり》の席の椅子を引き寄せて座《すわ》った。
「おめぇら、きょう出発だってな。カードの取り直しに行くんだろ?」
「…………」
なんつぅ、意地の悪さ。
「カードの書き換えだよ!」
クレイがフォークでミケドリアをグサグサ|刺《さ》しながら、いった。
「おお、失敬失敬。そんで? いつまでエベリンに行ってるんだい」
「さぁね、あんたにゃ関係ねーだろ」
トラップが口をモグモグさせながらいった。
「いやさ、もしかしたら後からオレも行くかもしんねぇんだ。おめぇらどうせあの小汚《こぎたね》え柳屋《やなぎや》に泊《と》まるんだろ?」
「ううん、リバージェントホテルに泊まると思うわ」
わたしはさりげなくいった。
「ほっほぉー、ちょっと金回りがいいと、これだ。んじゃぁ、そっちに何|泊《ぱく》すんだ?」
「わかんないけど、たぶん二泊はすると思う」
「そっか、じゃあ行けたら寄るぜ」
「なんか用があんのかよ。用があんなら、今いえよな」
トラップはもう食べ終わって、|楊子《ようじ》でシーハーやりながら、いった。
「友達がいのねぇ野郎《やろう》だぜ」
「はん、友達になった覚えはねぇな」
「|冷《つめ》てぇなぁ。実はさ、うまい儲《もう》け話があるんだ。それに、ほれ、あの冒険《ぼうけん》の話も詰《つ》めねぇといけなかろ?」
「さて、と。そろそろ馬車が来る時分だな」
「おぉ、そうだな」
クレイとトラップはすかさず立ち上がった。
「これ、|勘定《かんじょう》」
チャリーン、とコインを投げてよこし、
「じゃ、停留所んとこで待ってるからさ」
と、さっさと店を出ていってしまった。
わたしも一緒《いっしょ》に行きたかったけれど、ルーミィがまだ食べ終わっていないから、しかたなく残った。ルーミィは顔じゅうベタベタになって、フォークでニグルやタロイモと格闘《かくとう》していた。キットンとノル、もちろんシロちゃんも残ってくれてたからよかったけどね。
オーシは全然あきらめてない顔で、グイッと肘《ひじ》をわたしのほうへ出していった。
「パステル、こいつぁ本当にいい話なんだ。損はしねぇぜ」
「なんなの? また温泉水?」
「ちがうちがう、いや、サラディーって国があるんだがな。まぁ、土地も肥《こ》えてねぇし、国自体はえれぇ貧乏《びんぼう》らしいんだが、そこがこの前発行した記念切手がさ、今コレクターズアイテムとかで人気あってよ」
「じゃ、その国、貧乏してることないじゃん」
「へへへ、その国の奴《やつ》らは知らねぇんだな、これが」
「悪徳う!」
「んでまぁ、ちっとばかし不便な場所にあるから、そこまで行く奴を捜《さが》してるというわけよ」
オーシは不精髭《ぶしょうひげ》だらけのデカい顔を大きな手でなでまわしながら、ニカニカ笑った。
「やぁよ。わたしたちは冒険者なんだもん。さてと、ルーミィ、もういいわね」
ルーミィが食べ終わったのを見て、わたしは立ち上がった。
「そっか、わかったよ。自分らが困ってるときしか、オレなんざ関係ねぇってこったな」
オーシはふてくされた声でいった。
「そんなんじゃないけどさ、今はカードの書き換《か》えのことで頭がいっぱいなの」
「わぁった、わぁった。ま、|達者《たっしゃ》でな。おい、リタ、ビールだ」
オーシはムスッとした顔をしたまんま、リタを大声で呼んだ。
わたしはキットンやノルと顔を見合わせ、ひとつため息をついた。
しかたないよな、んなことばっかやってちゃ、ほんとレベルアップできなくなっちゃうもん。
乗合馬車は、四頭立て。
一歩町の外に出ると、スライムやリズーみたいなモンスターが徘徊《はいかい》しているわけだから、|御者《ぎょしゃ》も頑丈《がんじょう》そうな人がやってる。一度は冒険《ぼうけん》にも出たというような人たちだ。だから、ちょっとやそっとの山賊《さんぞく》なんかじゃ反対にやられてしまうのが落ち。たしかに、わたしたちの乗った馬車の御者さんも顔つきからして、こわそうだった。
「わーい、旅行旅行!」
ひとり浮《う》かれてるのは、ルーミィ。
窓から外をながめては、やれ大きな木があった、川があったと報告している。秋に二、三歩足をつっこんだくらいの、この時期がズール地方は一番いい気候だ。紅葉になる前の木々が爽《さわ》やかな風になぶられ、やさしい音楽を奏《かな》でている。たぶん、よくよく見ると、小さな妖精《ようせい》たちがダンスを踊《おど》っているんじゃないかな。ふだんは警戒《けいかい》して森の奥《おく》深くにしかいない彼らも、この季節だけは別。けっこう近場《ちかば》まで現れ、運がよければその姿を見ることができるそうだ。
馬車は十人乗り。わたしたちの他は商人風の人ひとりだけで、あと三人分は空席だった。
「エべリンまでですか?」
人のよさそうな、その小柄《こがら》な男の人が声をかけてきた。
「はい、そうです。冒険者カードの書き換《か》えに行くんです。今年からは一斉《いっせい》に書き換えをすることになりましたからね」
わたしが答えると、ニコニコとうなずいた。
「それでなんですね、アチコチから勇壮《ゆうそう》な人たちが集まっているのは。きのう泊《と》まった宿でも、ずいぶんと威勢《いせい》のいい大柄《おおがら》な人たちが騒《さわ》いでましたよ」
エベリンはズール地方でも一番大きな都市。ずっとずっと向こうのコーベニアという港町とは姉妹都市にあたり、統治をしているギルドも同じ系列だ。ズール地方にいる冒険者たちはみんなエべリンでカードの更新《こうしん》をする。血の気の多い冒険者たちが一堂に集まるわけだからして、今年からは大変だろうな。きっとエべリンはいつも以上に活気にあふれ、まるでお祭り騒ぎのように、にぎやかになっていることだろう。
「ねぇ、クレイはなにを買うつもり?」
「かうつもりぃ?」
(これは、ルーミィ。彼女はすぐわたしの口まねをする)
静かに目を閉じていたクレイが、パチッと目を開けた。鳶色《とびいろ》の瞳《ひとみ》が窓から差しこむ明るい光を受けて、さらに明るく輝《かがや》いた。
「そうだな……。やっぱり装備《そうび》を整えたいから」
「できたら、アーマーが買えるといいね」
「うん。だけど……高いからなぁ」
クレイのつけているアーマーは、アーマーとは名ばかりの竹アーマー。彼がいうとおり、防具、……特にアーマーはメチャ高い。それで、竹をつなぎあわせた自作のを装備しているのだが、動くとカラコロ鳴ってうるさいし、だいちかっこ悪い。防御率《ぼうぎょりつ》も低いしね。
「もし、わたしのお金で足りるんだったらさ、いいよ、貸したげても」
「なに? 十一《といち》で貸すわけ?」
トラップが意地悪そうな顔つきでいった。十一というのは、十日に一割の利子をつけて貸すという意味。
「まさかぁ! わたしたちはパーティよ。パーティってったら、家族も同然じゃない。利子なんてつけないわよ」
「だったら、おいらにも貸してよ」
「やなこった!」
トラップに貸したって、どうせ賭事《かけごと》かなんかするだけだ。
「ルーミィは魔法《まほう》を買ったほうがいいな」
クレイがそういうと、
「え? ルーミィ、魔法知ってうよ!」
ルーミィったら自分のことが話題になっているもんだから、うれしそうな顔をした。
「そうね。エベリンの魔法屋に行ってみようね。ダメで元々だし」
魔法を使う方法というのは、二種類ある。いわゆる魔法のかかったアイテムを使う方法と、魔力をもった者が精神力を使ってかける方法と。
ルーミィの場合は後者。我々のなかでゆいつ攻撃《こうげき》の魔法を使う能力をもっているが、レベルが低いためなかなか新しい魔法を覚えられないのだ。
新しい魔法やさらに強力な魔法は、大きな街や魔法使いたちの町で売っている。しかし、ただお金を積めばいいってもんじゃない。その魔法屋にいる先生たちに教えてもらう授業料を払《はら》うわけで、実際いくら教えてもらっても本人にその魔法をかけるだけの能力がなかった場合はただ損をするだけ。たいがいは魔法によってレベルが設定されているから、覚えられるかどうか予《あらかじ》めわかるんだけど。しかし、ルーミィの場合ひとつ下のレベルの魔法を覚えるのでせいいっぱい。まっ、こうゆうのは個人差があるからね。
「次はなにを覚えたほうが、いいんだい」
クレイはルーミィには聞かず、わたしに聞いた。
「うーん……。レベルアップしていないからね。できれば今覚えてる魔法を強化したほうがいいんだけど。それは無理っぽいし」
「うーん……」
わたしもクレイもルーミィの顔を見てしまった。ルーミィはキョトンとした顔で膝《ひざ》にシロちゃんを抱《だ》いて、わたしたちを見上げた。シロちゃんはポカポカした陽《ひ》の光をあび、すっかり寝《ね》|入《い》っていた。
魔法を使える人というのは、やはりだんぜん少ない。だから子供だとはいえ、ルーミィが我々のようなヒヨッコパーティにいるというのは、そうとうラッキーなことなんだ。本当だったら、防御系の魔法を使える僧侶《クレリック》とかがいてくれるともっといいんだろうけど。まぁ、上を見たらきりがない。
「キットンは、なに買うの?」
モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》を読んでいたキットンは、「はい?」と顔を上げた。
「やっぱり薬草をね。少し高くてもいいから買うつもりです」
「そうだな。外傷だけでなく病気なんかにも効《き》く薬をそろえたほうがいいな」
クレイがそういうと、待ってましたといわんばかりにトラップが、
「そうだよな。笑い病なんていう病気があるんだからさ。備えあれば憂《うれ》いなしだよな」
と、クレイの神経を逆《さか》なでした。
「いってろよな!」
クレイはすかさず隣《となり》に座《すわ》っているトラップの喉《のど》をつかみ、ぐいぐい揺《ゆ》すった。
「う、ぐぅぅぅ……バ、バスデルーだずげで……」
「ノルは、どうするの? なにか買うの?」
ルーミィの横でアヤトリをしていたノルに聞いた。
クレイとトラップはほっとくにかぎる。彼らは喧嘩《けんか》ばかりしているが、あれでも生まれた頃《ころ》からの幼《おさな》なじみなのだ。
「妹のもの、なにか、買うと、思う」
ノルはポツポツ切れる話し方をする。
「そうか……。ノルは双子《ふたご》の妹がいたんだよね。見つかるといいね」
わたしがいうと、ノルはニッコリ笑ってうなずいた。
ノルの双子の妹は神隠《かみかく》しにでもあったように、|突然《とつぜん》行方不明《ゆくえふめい》になったんだそうだ。それで、彼は彼女《かのじょ》を捜《さが》す旅を始めた。なんの手がかりもなく消えてしまったので、どこか特定の場所を捜すこともできない。こうして冒険《ぼうけん》をしながらいろんなところを旅して歩けば、いつか見つかるだろうということらしい。でも、残念ながらまだそういう噂話《うわさばなし》はひとつとして聞かない。
わたしの身寄りといったら、厳格な祖母だけ。やっぱり兄弟とか姉妹とかっていいよね……。
乗合馬車は、ズール地方最大の砂漠《さばく》、ズルマカラン砂漠へと入っていった。
もちろん、行き交う行商人や旅人のために、整備された道路が作られてはいるが、最近は恐《おそ》ろしいバジリスクなどが出てくるという噂《うわさ》だ。とても歩いてはいけないのだろう、時々すれ違《ちが》うのはみんな馬車だった。
「砂ぼこりがひどいから、窓はしっかり閉めてくださいよ」
御者《ぎよしゃ》が野太い声でいった。
今は、秋だからまだいいんだよね。これが、夏まっ盛《さか》りであってごらん。もう汗《あせ》ダクダクでへばってしまう。
「噂のバジリスクは、出ないんでしょうね」
行商人のおじさんが、青い顔でいった。
おじさんが怖《こわ》がるのも無理はない。そのバジリスクというのは、トカゲみたいな顔をした奴《やつ》で、体長は二メートルとも五メートルともいわれている。幸いなことに、|滅多《めった》に人前には出てこない。しかも、単独で行動しているらしく、集団では襲《おそ》ってこない。
しかし、今年の夏(というから、ほんの二か月ほど前)乗合馬車がやられてしまったのだ。よっぽど運が悪かったのか、その馬車には武装《ぶそう》した冒険者《ぼうけんしゃ》がひとりも乗っていなかった。
バジリスクの武器は、口から吐《は》く毒息と、その目。ふつうは毒息にやられてしまうけれど、その難を逃《のが》れたとしたって、バチッと目を開けられたら一巻のおわり! |恐《おそ》ろしいことに、目を見てしまった生ある者すべてを石化してしまうという……。
その馬車に乗っていた人々の半数も石化されてしまった。今、その人たちは石化を解くため、長期の入院を余儀《よぎ》なくされていると聞く。
しばらくして。
馬車がガックン! と急に止まった。
そのすぐ後、馬たちが暴《あば》れだし、馬車がグラグラ大きく揺《ゆ》れ始めた。
「ど、どうしたんだろ!?」
「ま、まさか……でしょー?」
「おまえたちは、ここで待ってろ」
窓を少し開け、外のようすをうかがっていたクレイはそういうと、ひとり出ていった。わたしも気になるから後に続こうとしたんだけれど、
「ここで、待ってろって」
と、クレイが念を押《お》して、わたしの鼻先でドアをバシンと閉めた。
「クレイ、もしバジリスクだったら、目を見てはダメよ!」
クレイに聞こえたかどうかわかんなかったけど、声をふりしばって叫《さけ》んだ。うぅ……心配だよぉ。
しかたなく、窓を開けて見てみる。当然、他のみんなもそう。
「おい、ちょっとヤバそうだぜ」
「ここからじゃ、よく見えない。ね、トラップどうしたの? トカゲみたいなのはいないわね……でも、なんか馬が……ワ、ワ、キャァー!!」
「ウギャギャギャー!!」
「ヒョエ――!」
いきなりまた馬が暴《あば》れだしたからたまらない。
窓にへばりついていたわたしたちは、みんなドーン、と反対側の座席までころがってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
わたしは商人風の人のお腹《なか》の上で、思いっきりバウンドした。
「……いえ、だ、だいじょうぶ。それより、お嬢《じょう》さんは怪我《けが》ないですか?」
と、|突然《とつぜん》窓からクレイが顔を出した。
「おい、トラップ、ノル、モンスターだ。加勢してくれ」
えぇー!? モンスター?
トラップとノルが急いで馬車から降りてゆく。わたしも後に続こうとしたが、
「パステル、おまえはここでみんなを頼《たの》む。キットン、|奴《やつ》らが何者か、窓から見て図鑑《ずかん》で調べてくれや」
クレイは、そういうなり、また行ってしまった。
クレイってどうしてこう、わたしの行動パターンがわかっちゃうのかね。
まぁ、どっちにしても、ルーミィがしがみついてるし、ここはしばらくようすを見てるより他はなさそうだ。
クレイはなにかわからないモンスターだといった。ということは、バジリスクではないようだ。
少しほっとした、わたしはあわてて回りを見回した。
「あ、シロちゃんは? ルーミィ」
「しおちゃん? しおちゃんなら、あそこだよ」
ルーミィが指さしたのは、座席の下のすみっこ。
ころがっていったんだろうけど。なんと、この騒《さわ》ぎにも関《かか》わらず、シロちゃんはグースカ|寝《ね》てるではないか!
|抱《だ》きあげてみると、シロちゃんは、ひなたぼっこのいい匂《にお》いがした。
シロちゃんを抱いたまま、窓から恐《おそ》る恐る外のようすを見た。
……あれ?
クレイもノルもトラップも、それから御者《ぎょしゃ》のおじさんも砂の塊《かたまり》を相手に格闘《かくとう》しているみたいに見える。
|暴《あば》れる馬の体にも、その砂の塊がいくつもいくつもついているし。
「ね、ね、キットン。あれはいったいなんなの? バジリスクじゃないよね?」
「そうですね。もしあれがバジリスクだというのなら、毒の息で馬は生きていないでしょうし」
キットンは大急ぎでモンスターポケットミニ図鑑《ずかん》を広げ、問題の砂の塊を捜《さが》していた。
「ぱぁーるぅ、くりぇいやとりゃっぷ、だいじょぶぅ?」
ルーミィはわたしの腕《うで》にしっかり爪《つめ》をたてて(この子は猫《ねこ》か?)しがみつきながら、いった。
「だいじょぶ、だいじょぶ!」
そうはいったが、心配。
「キットン、まだわかんないの?」
「あ、っとととと……。これ、これじゃないですか?」
「なに!?」
キットンが開いたモンスターポケットミニ図鑑を、ワシッと奪《うば》いとった。
「なになに? ガラビアスライム?」
バタッと図鑑を胸の上に押《お》しつけ、窓から外をもいっかい見てみた。
「あれが、スライムー?」
どう見てもただの砂の塊《かたまり》だよ。
「いやいや、それより弱点だ」
わたしたちみたいなレベルの低いパーティは、正面から戦おうなんて十年早い。まずは弱点を知り、効果的に突《つ》くこと。これに限る。
ナナメ読みで見てみると……、
「なになに……|砂漠《さばく》に住んでて、んで、高熱を発する?……これって、いったん凍《こお》らすといいって書いてる! ルーミィ、おいで」
「ぱぁーるぅ、どこいくの?」
「コールドの魔法をかけるのよ。あ、そだ、ちゃんと覚えてる?」
ルーミィは、ちょっと眉《まゆ》をしかめてみせた。
だろうだろう、覚えてるわきゃないわな。
「じゃ、メモ帳出して」
モタモタとルーミィが背中の小さなリュックをゴソゴソし始めた。
「わたしが捜《さが》してあげよっか?」
「ううん、あったあったお!」
「よしよし、んじゃ、ちょっと練習してみよっか?」
「えっとぉ……ヨゴナビア……ルード、コーマ……」
ルーミィは、メモを顔にくっつけるようにして、読みあげている。
「きゃ、ルーミィ。そ、そのロッド。それ、こっち向けないでよ」
こんなぐあいだったから、ちょっと手間どったが、いざモンスターを前にして練習するわけにゃいかんもんねー。
わたしたちが外に出ると、クレイたちはその砂の塊《かたまり》に手こずっていた。
なにせ、クレイが自慢《じまん》のロングソードで切りつけても、|怪力《かいりき》のノルが斧《おの》をふりおろしても、ただいったん崩《くず》れてしまうだけで、すぐまた塊に復帰してしまうのだ。
「なんか、いい方法あったのか?」
「うんうん、あのね、ルーミィのコールドが効《き》くみたいよ」
「わちゃーっ! はえーとこ、なんとかしてくれよー」
飛びかかってくる砂の塊を、ヒョイヒョイとかわしながらトラップが叫《さけ》んだ。
「とにかく、まず馬たちを守ってやんなきゃな」
クレイがいった。
見るも無惨《むざん》! |栗毛《くりげ》の馬の首やお腹《なか》に、小さな丸い焼け焦《こ》げが点々とついている。まだそん
なに大きなダメージではないものの、馬のみなさん、痛そう。
このガラビアスライムっての、体長は握《にぎ》りこぶしくらいしかないんだけど。人や動物の体に張りついて局所的に体温を奪《うば》い、自分が発熱するそうだから。いわゆる火傷《やけど》を負ってしまうのだ。
「よし、ルーミィ、やってごらん」
「うん! えっとぉ……ヨゴナビア……ルード、コーマ……リックラック、クリントーン」
ルーミィがたどたどしく呪文《じゅもん》をいい終わると、銀の細いロッドから白い結晶《けっしょう》がキラキラ|輝《かがや》きながら出た。
周囲にいた砂の塊《かたまり》は、そのとたん、動きが止まった。そして、ほんのり緑色に染まっていった。
「いいぞ、これでどーだっ!」
クレイがロングソードで、緑の塊を突《つ》くと、ふたつに壊《こわ》れてしまった。
みんな顔を寄せて、そのようすを見つめていたが、もうその砂の塊ほ再生しないようだった。
「やりぃっっ!!」
「やったやったぁ!」
「んじゃ、ルーミィ、他のにもみんなコールドかけてね」
「ごくろー」
わたしたちが喜んでいられたのも、つかのまのことだった。
というのも、
「みなさん、大変マズイことになりそうですよ」
と、キットンがいいだしたからだ。
「どしたん?」
「実は……『ガラビアスライムが出現するところ、バジリスクが近くにいる』と書いてあったんです」
「うっそー!」
わたしたちは騒然《そうぜん》となって、キットンのモンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》をのぞきこんだ。
たしかに書いてある……。でも……。
「おい、あの馬……」
「きゃああああああああ」
クレイが指さした先を見て、わたしは思わず叫《さけ》んでしまった。
だってだって、馬のうち、一頭が石の彫像《ちょうぞう》みたいになってるんだもの。
「い、い、い、いるんだ、だ、だね……」
「ど、どこだよぉー」
わたしたちは、ひとところに固まって辺《あた》りを注意深くうかがった。
でも、そんなでかいトカゲなんて、どこにもいやしない。
「ク、クレイ、どうする?」
さすがファイターのクレイも顔がまっ青《さお》。|汗《あせ》がプツプツと額《ひたい》に浮かんでいる。
「とりあえず、おまえたちは馬車に避難《ひなん》してろ。お、おれは、周囲を点検に行ってくるからな」
いってることは、|頼《たの》もしいんだけど。クレイ、声が震《ふる》えてる。
じゃ、いったん馬車に戻《もど》ろうと、ふりむいたとき。わたしは、いやぁな物を見てしまった。馬車の屋根の上のアレ、|巨大《きょだい》な爪《つめ》に見えないか……?
「あ、あ、あれ! ば、馬車の屋根えー」
わたしの一言で、みんなその場に凍《こお》りついてしまった。
だって、あの爪のデカサは尋常《じんじょう》じゃぁありやせんぜ、|旦那《だんな》。
あの爪で想像する、その持ち主は……。おいおい、バジリスクが二メートルから五メートルっていったの、|誰《だれ》なんだよぉ。
わたしたちが呆然《ぼうぜん》と立ちすくんでいるあいだに、その爪は馬車の陰《かげ》に消えた。
不気味な沈黙《ちんもく》……。
「クレイ……!」
なんだかんだいっても、やっぱり困ったときには、リーダーのクレイしか頼《たよ》る人はいない。
「よ、よし。お、おれが行ってくる」
もう汗《あせ》でビッショリになっていた、クレイがロングソードを持ちなおしたが。
「き、来たぁぁあああああぁ――!」
なんと、馬車の後ろから、ゆっくりと巨大《きょだい》な影が砂の上をこちらへ移動してきたのだ。
わたしたちは(なさけないことだけど)、その場にヘタヘタと座りこんでしまった。だってしょうがないよ、|半端《はんぱ》じゃないもん、こいつぅ。
その巨大なトカゲみたいなのは、全身が砂の色。目を見てはダメだとはわかっていても、とっさのことで見てしまった、わたしだったが、その目は堅《かた》く閉じられていた。
あれが、開くと……。
「だ、だめだ。おい、|逃《に》げるぜ!」
トラップがいった。
「どこに逃げるんだよ。こんな砂漠《さばく》のまんなかで」
クレイが押《お》し殺した声でいう。
「かないっこねーに、決まってんじゃん」
た、たしかに、トラップのいうとおりだよな。しかし……。
「そだ、キットン。バジリスクの弱点は?」
わたしはキットンの肩《かた》をゆさぶった。
「鏡を見せるんです。自分を石化させるわけですが……しかし」
「しかし、なに?」
「これは、イチかバチかの賭《か》けです。非常に非常に危険です。我々のレベルでは、まず一〇〇パーセント無理です」
「うーん」
うなってるあいだにも、バジリスクは鼻先をこっちに向け、ドスッドスッと、ゆっくりだが確実に近寄ってきた。
「目を閉じるんだー! いいか、息もするなー」
クレイが無理な注文を叫《さけ》んで、わたしやルーミィをかばい、バジリスクの前に立ちはだかった。
照りつけていた太陽の温かさが、ふっと消えた。たぶん、アイツの影《かげ》のなかに入ったんだ。
(神様っ!)
わたしが、思わず祈《いの》ったとき。
ザサッという砂の音がした。続いて、カキーンッという堅《かた》いもの同士のぶつかりあった音。
こわごわ、クレイの足にしがみつきながら、のぞいてみると……!!
直射日光のなか、長身の男が立っていたではないか。逆光だから、よくわからないけれど。白い鐙《よろい》を着た、|金髪《きんぱつ》の男。きっと騎士《きし》だろう。
彼は、バジリスクの足を長く重そうなソードで、ドスッドスッと叩《たた》き斬《き》り始めた。砂色の怪物《かいぶつ》にも、それはかなりのダメージだったんだろう。急に暴《あば》れまくった。サイズがサイズだけに、そこらじゅう砂けむり。ドスンドスンと地《じ》|響《ひび》きがして、前がだぶって見えた。
「す、すげぇー……」
トラップも薄目《うすめ》を開けて見ていたらしい。
わたしたちは、さっきまでの恐怖《きょうふ》もどこへやら。すっかり観戦モードになっていた。
その男は、背が高いには高いが、そんなにガッシリした体型でもない。それなのに、二メートルはあろうかというロングソードを軽がると持っている。もちろん、両手でだけどね。
バジリスクは怒《いか》りまくって、男に、毒息を吹《ふ》きかけようとした。しかし、それより早く、なんとその口をロングソードで串刺《くしざ》しにしてしまったではないか。
「やるやる!」
トラップが、またうれしそうにつぶやく。
「しかし、ソードが使えなくなりましたね」
キットンが冷静にいった。
クレイは、その言葉を聞くやいなや、
「これを!」
と、自分のロングソードを高く掲《かか》げ、男に見せた。
くるっとふり返る、男。|惜《お》しい! 逆光で顔がよくわかんない。
「ありがとう」
なんとも涼《すず》やかな声でいい、男が(こっちに投げてくれ)と合図した。
クレイが投げたロングソードは、クルクルッと空中で二回転して、男の手にすっぽり納まった。
かっこい――!!
いやいや、本当にかっこいいのは、これからだった。
バジリスクが最後の武器、「視線」を使うべく、バチッと目を開けたときだ。強い閃光《せんこう》が男に届く一瞬《いっしゅん》前に、その視線をクレイのロングソードで、ハッシと跳《は》ね返してしまったのだ!
人間|技《わざ》じゃない。
いやはや、そのかっこよさったら、ないよ。
バジリスクは自分の視線を浴び、見る間に、そのままの状態で石化していった。男は、完全に石化する前に、バジリスクの口を串刺《くしざ》しにしていた自分のロングソードを、エイヤッと引き抜《ぬ》いた。
そして、後には大きな大きな石像ができあがったのだ。
「ほお――……」
それまで息をつめて見ていた、わたしたちは全員、深い深い息を吐《は》きだした。
彼は、ロングソードを背中の鞘《さや》に納め、パンパンと体についた砂ぼこりを払《はら》った。そして、ゆっくりとこちらに近づいてきて、
「助かった。これは、すばらしい剣だな」
と、クレイのロングソードを差しだした。
「い、いや……助けていただいたのは、おれ……いや、わたしたちです。
なんか緊張《きんちょう》しまくった声のクレイ。
「ど、どうも……ありがとうございました」
わたしが、|伏《ふ》し目がちに恐《おそ》る恐るいうと、このムチャクチャかっこいい命の恩人《おんじん》は、|薄《うす》い唇《くちびる》の端《はし》っこをキュッと上げて、
「なに、わたしもその馬車に乗るつもりだったからね。馬が石化されちゃ、お互《たが》い困るでしょ」
と、少し照れくさそうにいった。
細い体にピッタリと装備《そうび》した白い鎧《よろい》は、不思議な輝《かがや》きをしていた。きっとなにか高価な金属を使っているにちがいない。輝く金色の髪《かみ》は、短くツンツンと立っていた。|細面《ほそおもて》の端整《たんせい》な顔は、神に祝福された彫刻家《ちょうこくか》が心をこめて作りあげたかのように、冷たさがない。その瞳《ひとみ》は、髪と同じ金色。金色の目って、わたし、初めて見るけど、すっごく不思議。見ているうちに、すぅーっと引きこまれてしまいそう。
わたしは急にめまいがしてきた。
へ、変よ、これって。
なんか、胸がドキドキしてきちゃうし、顔も熱い。
うーん、変。だんぜん、変。
|砂《さ》漠《ばく》病にでもかかっちゃったのかしら。
「やぁ、助かったよ」
どこに隠《かく》れてたのか、|御者《ぎょしゃ》のおじさんがノコノコと現れて、彼にいった。
「いや、わたしも効率のいい経験値|稼《かせ》ぎになったからね。ところで、これはエベリン行きかい?」
「そうだ。|騎士《きし》さん、あんたならタダで乗ってくれていいよ」
「そうかい? じゃ、お言葉に甘《あま》えさせていただこうかな。おっと、それから、わたしは騎士ではない。|傭兵《ようへい》だ」
「え? 傭兵? あんたが……かい?」
「ああ。それはそうと、申し訳《わけ》ないが、早く出発してくれないかな。この剣《けん》を一刻も早く研《と》ぎに出したいんでね」
STAGE 2
馬車はまたギシギシときしみながらも出発した。石化しちゃった馬はかわいそうだったけれど。
「いやぁ、一時はもうどうなることかと思いました。わたくしからも、お礼をいわせてください」
商人のおじさんがいう。
「いや……」
彼が照れくさそうに口ごもる。
「この大活劇の話でもちきりになりますぞ、エベリンは」
「まぁ、それも悪くはないな。仕事の口が増えそうだ」
彼が、またまた照れ隠《かく》しに笑うと、
「あっはっはっは、それはいい! ぜひ宣伝させてください」
と、おじさんも笑った。
彼と商人のおじさんとの会話を、わたしはボーッと聞いていた。
そんなわたしを見て、彼はにっこり微笑《ほほえ》んだ。
そうなの。彼はわたしの隣《となり》に座《すわ》ってらしたの。
「君たちも、カードの更新《こうしん》かい?」
わたしは、口をポカンと開けて、またまた彼の金色の目に吸いこまれそうになっていた。
「おい!」
トラップに後ろ頭をドツかれて、ハッと気づき、あわてふためいて答えた。
「は、はい!」
「わたしは、ジュン・ケイ。フリーの傭兵《ようへい》だ」
「わ、わたしは……パ、パ、パステルです! マッパーで、詩人です!」
どうもこの人と話していると、ついつい声が高くなっちゃう。
「ふーん」
と、ジュン・ケイはわたしの胸を見た。
きゃっ!
し、しかし、彼はわたしの胸につけていた冒険者《ぼうけんしゃ》カードを見ていただけだった。やだなー、わたしったら。
「そっか、君ら、冒険を始めて間もないんだね」
「そ、そうです。レ、レベルも低くて恥《は》ずかしいです」
「そんなことはないさ。みんな最初は低いに決まってる。わたしだって、一からスタートしたんだしね」
「失礼、レベルはいくつなんですか?」
それまで黙りこくっていた、クレイが聞いた。
「わたしかい? 三〇だ。さっきのバジリスクのおかげで、もうすぐ三一になるかな」
「レ、レベル、さんじゅうううう――??」
みんながみんな大声で合唱した。
だってだって、わたしら冒険始めて二年はたつんだよ? んで、まだ三だとか四だとか。しかもはじめにもいったけど、わたしたちがレベルアップするのとは訳が違《ちが》う。三〇から三一に上がるのって、いったいどれくらいの経験値が必要になってくるんだろうか。見当もつかない。この人、いったいいくつなの?
「と、いっても……まだ二六歳だよ。運がよかったんだ。さっきみたいに効率のいい敵《てき》と遭遇《そうぐう》するチャンスが多かったから」
わたしの疑問がわかったのか、ジュン・ケイは、あわてて、そうつけくわえた。
しかし、いくらデカキャラに遭遇できたってだ。|倒《たお》せなきゃおしまいなわけでしょ? やっぱりこの人、ただもんじゃない。
「しかし、どうしてそれほどの腕《うで》をもったあなたが傭兵《ようへい》のままなんです?」
クレイが膝《ひざ》を乗りだして聞いた。
「君はファイターだね。|騎士《きし》志願なのか?」
「いえ……いや、まだ決めかねています」
そう口ごもるクレイを横目に、トラップが、
「こいつんちね、代々騎士の家なんだよね。んで、こいつのヒイじいちゃんが青の聖騎士《パラディン》とかいう、伝説の人でさ。あんた知ってる?」
「あぁ、あの伝説の青の聖騎士か。わたしも噂《うわさ》だけは聞いている」
「ご存じなんですか?」
と、クレイ。やっぱりうれしそうだ。
「うん、わたしたちの間では、彼はヒーローだからね。夜目にも美しい鮮《あざ》やかな青の装備《そうび》で、メイズ島のドラゴンをたったひとりで倒したというじやないか。すばらしいことだ。そんな立《りっ》派《ぱ》な家系に生まれるなんて。じゃ、君も聖騎士《パラディン》志願なんだね!?」
「い、いや……」
クレイが複雑な表情になったのを、ジュン・ケイは見て、
「わたしは自分白身がどれくらいまで強くなれるのか、自分の限界を知りたいだけなんだ。だから、騎士になって誰《だれ》かのために戦おうなんて思わないし、まして聖騎士を目指そうとも思わない。聖騎士の塔《とう》に挑戦《ちょうせん》したいとは思ったこともあるけどね。君はあの塔に行ったこと、あるかい?」
「まさか! そんなレベルではありませんし、ぼくは聖騎士の器《うつわ》ではないと思ってますし」
「聖騎士の器かどうか、自分で判断がくだせると思ったら大間違《おおまちがい》いだぜ。それこそ冒漬《ぼうとく》というものだ。いや、すまない。ちょっといい過ぎだな」
ジュン・ケイは、そういってペコリと頭を下げた。
「いえ、そんな! とんでもありません。ぼく自身、なにになりたいのかまったくわからないだけです」
クレイは、あわてふためいて、いった。
聖騎士の塔っていうのが、どこにあるのか知らない。なんでも、最上階までみごと登ることができた者のみ、聖騎士の称号をもらえるという……塔らしい。
クレイはあんなこといってるけど、本当は聖騎士に憧《あこが》れてるんだと思うな、わたし。だって、胸につけてるロケットの中身を見せてもらったことあるんだけど。そのヒイおじいちゃまの肖《しょう》像《ぞう》なんだよね。そのロケットをクレイは、時々|眺《なが》めてはため息をついてたりするのだ。
ま、クレイのことは、ひとまず置いとくとして。
この、ジュン・ケイって人。かっこよすぎるくらいに、かっこいいのに、全然冷たいイメージがない。そのうえ、|嫌《いや》みったらしいとこもないし。こんなこというと、失礼かもしれないけど、とっても素直《すなお》な感じ。いや、自然体といったほうがいいかな。わたしは、だんぜん興味をもってしまった。
でも、馬車は無情にもそっけなくエベリンに着き、たいした話しもする暇《ひま》なく別れなくっちゃいけなくなった。
「あの、本当にありがとうございました」
クレイがジュン・ケイに声をかけた。
ジュン・ケイは、ちょっと笑って軽く手を振《ふ》り、スタスタとエベリンの雑踏《ざっとう》のなかへと消えていってしまった。
わたしは、といえば。
ただただボンヤリ、その後ろ姿を見送るしか能がなく。
それが、たまらなく悲しくってなさけなかった。
「さて、と。まずは宿に荷物をおろそうぜ。|喉《のど》が渇《かわ》いてベロが張りついたみたいだ。冷てぇビールが、おれを呼んでるぜぇ!」
トラップは、わたしの感傷なんかそっちのけだ。いんや、この鈍感《どんかん》未熟《みじゅく》男《おとこ》。こういう乙女《おとめ》の気持ちなんか考えるスペースなど、その頭にはないんだ。
……あれ?
「こういう乙女の気持ち」って……なんだ? いったい。
あれれれ?
だ、だめだ。
またまた胸が苦しくなってきた。どうも、あのジュン・ケイのことを考えると、決まって調子が狂《くる》ってしまう。
変なの!
わたしたちが宿と決めてたのは、オーシにもいったが、リバージェンシーホテル。いつものわたしたちなら、とってもじゃないが手の届かないホテルなんだけど。年に一度のことだし、せっかくリッチなんだし、今回くらいは張りこもうぜい! ということになったのだ。
予想通り、ホテルは冒険者《ぼうけんしゃ》たちでゴッタがえしていた。
重そうなプレートアーマーをガチャガチャいわせて、大声で笑っている大男。一メートルはあろうかという尖《とんが》り帽子《ぼうし》をかぶり、灰色のローブをひきずり、長い髭《ひげ》をゴシゴシやってる老人。たぶん、かなりハイレベルなウィザードなんだろう。その横には、|汚《きたな》らしいなめし皮の服を着ているわりに、ちょっと見ないほど上等のダガーを腰《こし》にぶらさげた男。|廊下《ろうか》の隅《すみ》に佇《たたず》む、青白くて後ろが透《す》けて見えそうなエルフのカップル……。
「予約しといて、正解だっただろ!」
クレイが得意《とくい》そうに、いった。
いくらエベリンが大きな街であろうと、こんなに多くの冒険者が一堂に会していては、宿を取るのも容易ではないだろう。ファイターにしては、マメなクレイがいたからこそ、予約なんちゅう味な手も打てたのだ。
翌朝。わたしたちは、冒険者|支援《しえん》グループが主催する、カードの更新《こうしん》会場へと向かった。
思った通り、どこよりも冒険者の見本市《みほんいち》のよう。なんかカードの更新という頭の痛い問題はそっちのけ。会場のあふれかえるような熱気に、なんとなくウキウキしたような気分になってしまった。
あの、ジュン・ケイはいないかしらん……。
「おーい、こっちで整理券配ってるぞぉ」
トラップがなにか紙を握《にぎ》って、こっちに振《ふ》っていた。
「じゃ、六枚取っといてー」
うーむうーむ。去年までのカード更新とは、わけが違《ちが》うからな。
去年までは、それぞれの誕生日《たんじょうび》にバラバラと行けばよかったのだから、こんな鬼のような混雑はなかったもの。
「いやぁ、まるで、お祭りのようですね」
キットンもニコニコと、うれしそうだ。
「おまちゅり? わーい、ルーミィ、おまちゅり好きだぉ!?」
「あのね、ルーミィ。これはお祭りじゃないの。とにかく。勝手にどっか行っちゃダメだかんね」
ルーミィは、|素直《すなお》にコックリうなずいた。ルーミィに抱《だ》かれたシロちゃんも同じように神妙《しんみょう》にうなずいた。わかっとんのかねー、こいつらは。
わたしは、ルーミィの手をシッカリ握り、トラップのいる方へと急いだ。
カード|更新《こうしん》のための審査《しんさ》会場は、一〇ブロックに分かれていた。混乱をふせぐためだろう。それぞれのブロックは色で区別されていて、トラップが渡《わた》してくれた整理券も、そのブロックに対応した色をしていた。
わたしたちは、オレンジ色のブロック。行ってみると、冒険者たちの長い列。
「すんなりパスするといいけどな」
心配|性《しょう》のクレイが、いった。
「クレイは、だいじょうぶよ。一応レベルアップしてるしさ」
しかしだ。万が一カードの取り直しなんてことになったら! ううう、またあんな思いをしなきゃいけないんだよ。筆記試験なんて、ほとんど一夜漬《いちやづ》けだったもんな。右から左に頭を通過しただけだよ、実際。
「ったくよぉ、どう考えても腑《ふ》に落ちねーぜ。あんなに大変な思いしてさ。んで、経験値ゼロってこたねーだろ」
トラップも文句《もんく》タラタラだ。
「一応、主張するだけは、してみましょうね。その説明はわたしがやりますから」
「そうだ。おめぇシッカリいうんだぜ。おれたちがいなきゃ、あの村、今でもひでぇ目にあってるとこだったんだからな」
「キットンなら、うまく説得《せっとく》できるかもしれないな」
「うん、キットン。|頼《たよ》りにしてるからね!」
みんな口ではこういってるけど、ほんとのところは不安でいっぱいだった。
「まっかせなさい! ふっふっふ」
キットンは、不敵な笑いを浮《う》かべ、わたしたちをなおさら不安にさせた。
しかししかし。
我々の心配は、|杞憂《きゆう》に終わった。だって、|審査員《しんさいん》のおじさんたら、クレイの冒険者カードのナンバーをチェックした、とたん。
「あ、あなたたちですね。ヒールニントの人たちを救ったのは」
そういって、ニコニコと笑ったのだ。
「えっと、ヒールニントの村長から手紙が届いておりまして。あなたがたには大変にお世話になったから、特別な計らいをしてくださいとのことで」
なあ――んと。
あの村長ったら、いいとこあるじゃん!
結局、わたしたちは審査なしでパス! しかもしかも、経験値を五〇プラスしてくれた。
結果、めでたくルーミィがレベルアップ。
経験値を五〇加算してもらったとたん、ルーミィの胸についてたカードがフラッシュし、ピコーンピコーンと鳴り響《ひび》いた。
もう……わたしたちの回りにいた人たちみんな、大声でレベルアップおめでとうの歌を大合唱してくれた。びっくりまなこのルーミィは、よくわかんないなりにもうれしいらしく、シロちゃんを抱《だ》きしめたままピョンピョン飛び跳《は》ねた。
「よかったよかった」
「ああ、一時はどうなるかと思ったぜ」
「クレイ、おめぇ心配|性《しょう》だからなー。おれなんかハナっから心配なんてしてなかったぜ。ひゃっはっはっは!」
「しかし、あの村長さん。悪い人じゃなかったんですね」
「ほんと、ほんと。後で、お礼状を書かないとね」
後で聞いた話によると、ヒールニントも冒険者|支援《しえん》グループに加入したんだそうだ。あーんなに冒険者を毛嫌《けぎら》いしてたのにねー。
さてと。
心配してた冒険者《ぼうけんしゃ》カードの書き換《か》えも無事|終了《しゅうりょう》。後は、楽しい楽しいショッピングを残すのみとなった。
「じゃ、どこから回る?」
わたしたちは、フレッシュジュースの店で、これからの予定をたてていた。
ここ、ジュースがおいしいんだ! わたしは、|杏《あんず》のジュースを頼《たの》んだんだけど。さっすが都会の味だよね。ほどよく冷たいし、|甘《あま》すぎないし。|渇《かわ》いた|喉《のど》にしみわたるようだわ。
「う――っとさ。各自別々に回るってのに、しよーぜぇ。別にゾロゾロくっついて歩く必要ないじゃん」
トラップが、メロンジュースをジュビジュビと、ストローで汚《きたな》らしく吸いこみながらいった。
「じゅびじゅびじゅずずずず……ぶくぶくぶく……」
「ルーミィ、トラップの真似《まね》しちゃダメ!」
ったく、ルーミィったら。ストローでアブクをたてたり、また吸いこんだり、戻したり……。|彼女《かのじょ》のはストロベリージュースだから、そのツブツブがあっちこっちに飛んで、汚いったら、ありゃしない。
「でも、まずはルーミィの魔法《まほう》を買いに行かなくっちゃ」
わたしが、そのツブツブを拭《ふ》きながらいうと、
「まかせた!」
トラップ、お得意《とくい》のフレーズ。
「あのね――!?」
わたしとトラップが、例のごとく口喧嘩《くちげんか》のジョブを軽く始めると、
「わかった、わかった。おれが一緒《いっしょ》に行くよ」
と、うんざり顔のクレイ。
「だけど。次にどんな魔法を覚えたはうがいいか。それは、みんなで考えてくれよ」
さっすがリーダー。しめるとこは、しめる。
「そうですね。わたしは、新しい魔法を覚えるよりは、現在の魔法の強化をするほうがいいと思いますが」
キットンが提案した。彼が飲んでいるのは、ニンジンジュースだ。
「そうよね。わたしもそう思う」
「でも、まぁ、こっちがいくらその希望をいったってさ。覚えるのは、こいつなんだし」
クレイがルーミィのシルバーブロンド頭に手を置いた。
「だよね……。この前来たときも、ファイヤーのレベルアップしたかったけど、ダメだったしね。ノルは、どう思う?」
「ルーミィ、覚えられるので、いいと思う」
ノルは、アップルジュースをテーブルに置いて、静かにいった。
「じゃあさ、他にどんなんがあるんだよー」
トラップがストローを口に咥《くわ》えたまま、いった。
「|魔法《まほう》のリスト、持ってたよね? ルーミィ」
わたしはルーミィに聞いておきながら、返事なんか待たず、彼女の背中のリュックをゴソゴソ探した。あの呪文《じゅもん》を書きとめたメモ帳に、わたし、書いた覚えがあるんだ。
「あった。これこれ」
小さなメモ帳を広げて見せると、みんな頭をくっつけてのぞきこんだ。
[ルーミィが覚えられそうな魔法の一覧表]
・ファイアー2(|攻撃《こうげき》)
・コールド2(攻撃)
・エネルギーボルト1(攻撃)
・スリープ1(状態変化)
・チャーム1(状態変化)
・コンフュージョン1(状態変化)
・スロー(状態変化)
「じゃ、この……覚えられたらということで、ファイアー2とコールド2ですかね」
と、キットン。
「そうね。まず、このふたつを候補にあげておくわ」
「でもよぉ、このチャームっての、|魅了《みりょう》だろ? 要するに」
「そうよ」
「んな、ガキに魅了されっよーなモンスター、いるかぁ? ロリコンのおっちゃんなら、まだわかるけどよぉ」
トラップはそういって、ゲタゲタ笑いだした。
「あのね……トラップ。これ、|魔法《まほう》なのよ!」
「あっはっはっは、しかし、|奴《やつ》のいうのも道理だぜ。このチャームっての、これは外したほうが、いいんでないかい?」
「まったぁー、クレイまで」
「でさ、きっと……このスローだの、スリープだの覚えてもさ」
「ひゃっはっはっは……そそ、きっと本人がかかっちまうんだぜー」
「ぎゃっはっはっはっはっ」
こ、こいつらぁ!!
しかし、当の本人、ルーミィは、もちろんわけわかってないから、トラップやクレイの顔を交互《こうご》に見上げて、同じように笑いだした。
ルーミィの横に座っていたシロちゃんまで、「わん、わん!」いいはじめた。
結論としては、覚えられたらファイアーかコールドをレベルアップすること、覚えられなかったら……なんか覚えられるもん、ということになった。
なんて、アバウトなんだ!
で、わたしとクレイ、ルーミィ、それからシロちゃんの三人と一|匹《ぴき》が魔法屋《まほうや》に向かって、後のトラップ、ノル、キットンは各自の買い物に行くということになった。五時間後、ちょうど三時に闘技場で待ち合わせということで。
というのも、きょうは冒険者たちの財布《さいふ》を見こんでの、モンスター|格闘技《かくとうぎ》大会、サー・G・クリントン記念特別(サー・G・クリントンというのは、エベリンの市長さんね)が開催されてるんだよね。ま、せっかくだから、見物しようねってことになったのだ。
「おや、ルーミィちゃんじゃないかい!」
魔法屋のおばあさんがルーミィの顔を見るなり、かけよってきた。
「え? ルーミィちゃん?」
|奥《おく》のほうから、今度はおじいさんが小走りに飛び出してきた。
「元気そうで、なによりじゃのう」
「ルーミィちゃん、ケーキ食べるかい?」
そうなのだ。ルーミィったら、ここの魔法屋では、ちょっとしたアイドルなんだよね。何度も何度も魔法を覚えに来ては失敗してるんだけど、そっちのほうはともかく、やたら人気があるんだ。
こぢんまりとした、しかしハデハデの店。
「一度覚えたら、もう忘れない。魔法覚えるなら、ロジャーの店」
大きな看板が店の前に出ていて、魔法のメニューもかけてあったが、わたしたちの他には、お客がいないみたいだった。ここのソーサラーたちも腕《うで》はいいんだけどね。なんでも最近できた大きな魔法屋のチェーン店に、小さな魔法屋は軒並《のきな》みお客を取られてしまったと聞く。
「あのぉ、ところで、ですね」
「え? あぁ、あんたは……」
「あ、パステルです。ご無沙汰《ぶさた》しております」
「ああ、パステルさんか。今度は何に挑戦してみるつもりなんじゃ? ほっほっほ」
うう、このおばあさんたら、わたしたちが遊びにでもきてるような口ぶり。
「ファイアーか、コールドのレベルアップをしたいと思ってます。幸い、ルーミィもひとつレベルが上がりまして。だから、覚えられるかもしれないと思うんですが」
クレイが、ていねいな言葉使いで、いった。
「ほお……。レベルアップしたのかぁ」
と、魔法屋のおじいさん。|紫《むらさき》色のローブに、魔法屋のマーク(クエスチョンマークと星を組み合わせた奴《やつ》)の模様がはいったのを着て、白い髭《ひげ》を足元まで伸《の》ばしている。顔はしわくちゃすぎて、よくわかんない。
「ルーミィちゃん、えらいのぉ」
と、魔法屋のおばあさん。おじいさんとおそろいのローブを着て、髭のかわりに長い白髪《はくはつ》を三つ編みにして、足元までたらしている。やっぱり顔はしわくちゃすぎて、よくわからない。
要するに、このふたり。|双子《ふたご》みたいに似ているんだけど、これで夫婦なんだそうだ。夫婦って、だんだん似てくるんだろうか。
「じゃ、ちょっとやってみるかね。ほんとは、一回一回お金をいただくんじゃが……。ま、ほかならぬルーミィちゃんのこと。覚えられた魔法の分だけで、いいよのぉ、ばあさん」
「そおよのぉ、じいさん。ルーミィちゃんから儲《もう》けちゃぁ、いけませんよ」
彼らは、そんなことをブツブツいいながら、ルーミィに、魔法の言葉を教え始めた。
「ディルムィルパァイルン」
と、急にマジメな声で、おじいさんがいう。
「ほら、ルーミィちゃん、じいさんのいう通りに、いってごらん。おなかに力をいれて」
おばあさんがしゃがみこんで、ルーミィのおなかをポンと叩いた。
「ディル……ムゥルパーイルン……」
ルーミィは、|眉《まゆ》のあいだに小さなしわを作って、|懸命《けんめい》に呪文《じゅもん》を復唱し始めた。
ルーミィ、がんばるのよ!
わたしとクレイはそのようすを、|固唾《かたず》をのんで見守った。シロちゃんも小さな声で、
「ルーミィしゃん、がんばるデシ」
と、つぶやいた。
「デアル、ダ、ファイアーァ――!」
深い息を吐《は》き出しながら、おじいさんがそう叫《さけ》ぶと、彼の持っていた節くれだったロッドの先から、ボォォォーッッと、けっこう強力な火が吹《ふ》きだした。
「デ、アリ、ダ、ファイアーァー」
今度はルーミィ。で、でも、銀のロッドからはブスブスと白い煙《けむり》が出てきただけ。
「ルーミィ、『デアル、ダ』でしょ。『デ、アリ、ダ』じゃないでしょ」
わたしが、つい大声でいうと、
「部外者の方は余計な口出しをしないで、いただきたい」
と、おじいさんからビシッといわれてしまった。
ううう、これって、まるで……父兄参観かなんかの心境なんじゃない? 手伝ってあげたいのは山々なんだけど、なんにもできないっていう、はがゆさ。
クレイも同じらしく、|唇《くちびる》をキュッと噛《か》みしめ、手もギュッと握《にぎ》りしめている。
で、結局、ダメでした。
コールドのほうもね、おじいさんのロッドからは、シューシューと勢いよく冷気が光り輝《かがや》きながら出たっつうのに、ルーミィのロッドからはポタポタ|水漏《みずも》れしてるみたいに、|水滴《すいてき》が落ちただけ。
なさけない!
でもね、ルーミィはルーミィなりにがんばったんだもんね。すっかり疲《つか》れきった顔で、白い額にシルバーブロンドの髪《かみ》がへばりついてる。
「どうしようかねぇ」
おじいさんが、すまなそうに聞いた。
「あのぉ……なにか、じゃ、この子で覚えられる魔法ってないでしょうか?」
「そうよのぉ……なあ、ばあさん」
「そうよのぉ……ねえ、じいさん」
|双子《ふたご》みたいな魔法屋の夫婦は、何やらゴソゴソ相談を始めた。そして、
「もしかしたら、なんじゃが」
「ダメで元々じゃ、あんまり期待はしなさんな」
「は、はぁ……」
「もしかしたら、なんじゃが。ルーミィちゃんは魔法を使う者のなかでも、特に変わった特性を持っておっての」
「それが、えらく変わっておっての」
「はい」
「フライっていう、魔法をご存知か?」
「フライですか? あの、空中|浮遊《ふゆう》の?」
クレイが聞いた。
「そうじゃ。あれ、いってみんかね」
「ええええ?? だってだって、そのフライっての……」
わたしは思わず、魔法屋の店先にかかっている魔法のメニューを指さした。
「ほら、それって中級の魔法でしょ?」
「そうじゃ。じゃがな、ルーミィちゃんなら覚えられるかもしれんて」
「そ、そうですかぁ!? でも、高いんじゃないんですか?」
「いやいや、レベル三のルーミィちゃんから、そんな高い代金を取ろうとは思っちゃないからの」
「そおよのぉ、じいさん。ルーミイちゃんから儲《もう》けちゃぁ、いけませんよ」
「それじゃ、よろしくお願いします」
わたしとクレイは声をそろえていった。
「じゃ、少し時間がかかると思うんじゃが。そのあいだ、しばらくルーミィちゃんを預からせてはくれないかい?」
「いや、ほんの三時間ほどじゃ」
今度は、わたしとクレイ、顔を見合わせる。
ま、しかし、このおじいさんたちが掛《か》け値なしにいい人たちなのは、よーくわかってることだし。
「そうだな。じゃ、三時間後にまた迎《むか》えに来ようか」
「そうね……。ルーミィ、ひとりでだいじょうぶ? わたし、残っててあげようか?」
しかし、ルーミィはキョトンとした顔で、おばあさんにいただいたケーキをほおばりながら、
「だいじょーぶらぉ。しおちゃんも、いっしょらし」
と、シロちゃんにもケーキを分けていた。
「そう? じゃ、ちょっと買い物してくるね。ルーミィやシロちゃんのものは、後で買おうね」
「じゃ、すみませんが、よろしくお願いします」
クレイがペコリと頭を下げた。
わたしもあわてて、お辞儀《じぎ》した。
「じゃ、魔法屋に三時間後ってことで。おれも、ちょっと買い物行ってくるよ」
「OK! じゃ、ねー」
わたしたちは、魔法屋の前の道で、別れた。
わたしはエベリンの商店街をブラブラと見て歩いた。
馬車の車輪ですり減った石畳《いしだたみ》に、|所狭《ところせま》しと屋台が並んでいる。武器屋の店先で、どっかから、かっぱらってきたような武器を売っている屋台もいて。まぁ、なんていう度胸なんでしょうね。
そんな屋台のなかに、古本を扱《あつか》っているのがあったので、ちょっと冷やかしたりした。もちろん、本なんか持って歩くわけにはいかないから、買いはしないが。久しぶりに見る本は、みんな魅力《みりょく》を発散していて、どれもがまれにみる名作に思えた。
そうなんだよねー。わたしたちって、決まった家がないでしょ。だから、結局持って歩ける範囲《はんい》でないと買い物もできないの。たとえば、新しい装備《そうび》を買ったら、古い装備は売らないといけない。どんなに思い出深いものでも。
このへんがジプシー生活の悲しいとこやね。
もうちょっと余裕《よゆう》ができたら、どこかに小さな家でも持ちたいなぁ。
なんだかんだと歩き回って、買ったのっていえば、キャップにピンクのスライムがはりついたペン(これがなかなかの優《すぐ》れ物でさ。夜光|塗料《とりょう》っていうの? これで書くと暗いダンジョンのなかでもバッチリ見えるっていうのだ)、ハンドタオル、チューブに入った携帯《けいたい》用の洗顔|石《せっ》鹸《けん》、それからリタへのおみやげだけ。リタに買ったのは、白いリボンの形をした髪《かみ》止めで、わたしも同じのを買った。
もちろん、ほしいのは、まだまだいっぱいあるんだよ。きれいなタータンチェックの小さめの毛布とかさ、アーマーとおそろいの白いマントと帽子《ぼうし》とかさ。しかし、んなのとても高くて手が出せない。
まぁ、しかし。なんか活気のある商店街を見て歩いただけで、ちょっとしたショッピング衝《しょう》動《どう》は満足された。
まだ時間があるのでキョロキョロ歩いてたら、小さなライブハウスの前に来てしまった。
「エベリン|随一《ずいいち》。ナンバーはホット! 料金はチープ!」
って、入り口に書いてあったし、|冒険者支援《ぼうけんしゃしえん》グループ|加盟店《かめいてん》だったし。ちょっと怖《こわ》いけど、のぞくだけならね。
細くて暗い階段《かいだん》をソロソロ降りていくと、ぼろい木のドアがあった。
ドアからは、中のざわめきが聞こえてくる。
と、|突然《とつぜん》。
バン! とドアが開いた。
逆立てた緑色の髪《かみ》、細くて黒いサングラス、入れ墨《ずみ》入りの太い腕《うで》むき出し、黒い皮のベストを着た男が出てきた。わたしを見て、
「よ、はいんな。これから、最高ゴキゲンなのが始まるとこだぜ」
と、いって、わたしの背中をドンと押《お》した。
店のなかは、タバコの煙《けむり》でもうもう。大きな音で音楽がかかっていて、あやや……わたしには場違《ばちが》いなとこだ。
やっぱり帰ろうかと思ったとき、さっきの男が大きなグラスを持ってやってきた。
「ほれ、じょーちゃん。これはオイラのオゴリだ。ガバジュース。ノンアルコールだから安心しな」
「ど、どうも……あの、でも、わたし」
「いいってことよ。チャージはもらうけどさ。四〇Gだ」
そういって、指輪だらけの手を出した。
「あ、はい!」
お財布《さいふ》から四〇Gつまみだす。
「じゃあ、楽しんでってくれよ、な!」
そういって、また踊《おど》るような足どりで店の奥《おく》へと消えていった。
ああいう足どりって、どっかで見た覚えがあるなぁ。
そう思って見ると、ステージの前のスペースで踊っている人たちの足どりもみんな同じだ。
どこに座ろうかとキョロキョロしてたら、
「やぁ、どうしたんだい?」
はるか頭上から澄《す》んだ声がした。
見上げると……。きゃわわわわわわわ―――――――ん。
「あ、ジュン・ケイさん!」
にっこり微笑《ほほえ》む、ジュン・ケイは、
「ジュンでいいよ。で、ひとり?」
「は、はい。そうです。いま、自由行動中なんです」
「そっか。じゃ、よかったらわたしの席に来ない? わたしもひとりだから」
「よ、あ、は、はい!」
ほとんど、わけのわからない音声を発しながら、わたしは完壁《かんぺき》に舞《ま》い上がっていた。
ジュンの後をくっついて、ステージの横の席についた。テーブルには琥珀《こはく》色のお酒が入ったグラスと、ナッツが置いてあった。わたしたちが座ると、回りのみんながザワめいた。
|肘《ひじ》でつっつきながら、こっちを見ている。ジュンは、そんなこと気がつかないみたいだけど。
いや、気づかないフリをしてるのかな。
そのうち、ひとりの男がやってきた。
「失礼ですが、ジュン・ケイ|殿《どの》ではありませんか?」
男は、|不精髭《ぶしょうひげ》をはやしたモサ男、|鋲《びょう》をビシビシに打った皮のアーマーを着ていた。
「わたしはテディ・ブル。やはり傭兵《ようへい》であります。あの、サインをいただけないでしょうか!」
ジュンは、ちょっと困った顔をしてわたしを見た。そして、
「サインは、宿帳ぐらいにしかしないんですよ。申し訳ないが」
と、男にいった。
「そ、そうですか。では、せめて握手《あくしゅ》をしてください」
男は皮の手袋《てぶくろ》を外し、ごっつい手を腰《こし》でゴシゴシこすってから、差しだした。ジュンも白い手袋を外し、細長くしなやかな手でその手を握《にぎ》った。
男は興奮した顔で、もう一方の手も添《そ》えてギュンギュン握りしめた。
「このことは、一生の思い出にしますよ。ジュン・ケイ殿! あなたはわたしたち傭兵の誉《ほま》れだ」
「や、お互《たが》いに長生きしましょう」
男は、自分の席に帰りながら「ジュン・ケイ殿と握手したぞぉー!」とか叫《さけ》んでいる。
「有名なんですね」
わたしがいうと、
「困ったもんだよね。この歳《とし》でレベル三〇ってのが、よほど珍《めずら》しいらしくってさ。あ、ほらほら、ステージが始まるよ」
|辺《あた》りがさっと暗くなる。|誰《だれ》もいないステージにスポットがあたる。
「ナウ、レディッスン、ジェントルメン! ディスイズ、ララララ、ラップバード!!」
さっきの店員の声が場内に響《ひび》き渡《わた》る。
わぁーっとあがる歓声。
しかし。
おいおい、ラップバードだぁー??
ダカダカダカ、スタタン、陽気なビートでみんな足踏《あしぶ》みを始めた。テーブルを叩《たた》いている人もいる。
そのビートに乗って、ステージの中央に踊《おど》り出たのは!
やっぱり、あのラップバードだ。ヒールニント山のダンジョンのなかで、わたしが迷子になっていたとき、助けてくれた……。いや、ラップバードはラップバードでも、|違《ちが》うんだろうね。まさか、ね。
ラップバードは、二メートル近い巨体《きょたい》に、ジャラジャラと光るものをブラ下げて、ユラユラ|揺《ゆ》れている。
「YO! バ、バ、バカやってるかい!?」
ラップバードが叫《さけ》ぶと、店中が地鳴りのような拍手《はくしゅ》と歓声で揺れた。
「YO! ア、ア、頭が、バカしてるぜ」
ひょこっと、ラップバードの首が増えて、その首がまた叫ぶ。
きゃあきゃあ喜ぶ、お客。
「YO! 顔だぜ、バカにしてんのは」
また、きょこっとラップバードの首が増える。
「YO! 足だ足だ。バカの足。カバの足」
次々に首が増え、どんどん分離していって、ついに七羽になった。
どう見ても、わたしが知っているラップバードそっくりだ。
「へい、ゆう!」
「へい、ゆうぅーう?」
七羽がそろって、足を踏《ふ》みならし、クルクルと回った。
「ス、ス、ス、イェス、シリアス、|坤吟《しんぎん》!」
「ユー、リアリ、|白蟻《しろあり》、|訳《わけ》有り、モハメッド・アリ!」
「アーユー、ビ、ビ、ビビビビビックリ!」
あらま、よく見ると、あの首飾《くびかざ》り……メムコだ。メムコっていうのは、有名な脱臭剤《だっしゅざい》なんだけどね。そうか、そうよね。あんなに臭《くさ》いんだもん、脱臭剤でもつけてくれなくっちゃ。
「きょうの、いつもの、ララララ、ラップバードん」
「クイズだ、だだだだ、だっけ、ゲロゲロ、ゲロンパ!」
「アーユア、レディ?」
急に全員がビッチリ声をそろえて、いった。お客さんは、みんなもう絶叫《ぜっきょう》ともいえる声で「イエェ―――!」とか叫《さけ》んでる。
むちゃくちゃ、かっこいいじゃないかぁ!
やっぱ、あのラップバードとは別烏なんだな。
「オーケイ、ベィビィ、|桶《おけ》、よく聞け!」
「かかかか、かかかか、|堅《かた》いぜ、軽いぜ」
「カラカラカラカラ、音してさ」
「カラじゃないぜ、だだだだ、だけどさ」
「カラつき、コブつき、皮つき、|頭《ず》つき」
おお、お得意《とくい》のクイズが始まった。あのときは、チョコレートだったし、今度もどうせ食べ物だろうな。
「ポリポリポリポリ、ポポポポ、ポリ公」
「コリコリコリコリ、ココココ、|小利口《こりこう》」
「カリカリカリカリ、カカカカ、|花林糖《かりんとう》」
うーん、いったいなんだろう?
あれ? わたしたちの席の、すぐ横に立っていたラップバードが、わたしの手元をチラチラ見ている。
え?
っていうと……あ、あ、あ!
「わかった。ナッツ。ナッツね!」
思わず、立ち上がって叫んでしまったら。
「で、見せてぇーおー」
「えらい、ほんまに、|罠《わな》合法《ごうほう》」
と、ラップバードが手拍子《てびょうし》をしながら、全員集まってきた。
「でーお! 見せて――ぉ!」
「えらい、ほんまに、罠合法」
他のお客さんまで、大合唱。
「で、見せて見せて見せて――ぉ」
しかたないから、テーブルにあったナッツを見せると、
「で、あげてあげてあげて――ぉ」
「で、投げて投げて投げて――ぉ」
と、またまた大合唱。いったい、なんなんだよぉ。こいつら、全員おかしいよ。ま、そういうステージなんだろうし、ナッツを一個一個投げると、ラップバードたちは器用にパクッパクッと嘴《くちばし》でキャッチした。
「えーミスター、足りまん、足りみ、アナー夕」
「えらい、ほんまに、罠合法」
「で、投げて投げて投げて――ぉ」
と、今度は観客に向かって歌う。お客さんたちは、大喜びでナッツを投げ始めた。
「いたっ!」
きゃあ、ナッツがバラバラ降ってくるぅ。
「あははははははは、これはたまらない」
ジュンも頭を押《お》さえて、笑いころげていた。
いやはや。めちゃくちゃなステージだった。
ジュンが帰るというので、わたしも(まだ時間はあったけど)立ち上がった。
「よ、じょーちゃん。さっきのラップバードたちがさ、あんたに会いたいっていってるんだけどさ」
さっきの逆立て緑頭の店員が、そういった。
やっぱり、あれは……あのラップバードなのかしら。
つい、ジュンのほうを見上げると、ジュンはニッコリ笑って、
「わたしも彼らには会ってみたい。よかったら、|一緒《いっしょ》に行ってもいい?」
と、いってくれた。
ひとりでは、不安だものね。うれしいなぁ。
楽屋に入ると、さすがにここはすさまじい臭《にお》いだった。アチコチに脱臭剤《だっしゅうざい》が置いてあるし、|換気扇《かんきせん》もブンブン回っているんだけど、間に合わないみたいね。
ラップバードは、一羽に戻《もど》っていた。
「ひさしぶり」
彼は、ポツッといった。そうだ、そうだ。ラップバードっておなかがいっぱいになると、急に無口になるんだった。
「じゃ、あのヒールニントのときの? わたしがチョコあげた?」
「そ」
「ああらまあー。んでも、どうして、こんなとこにいるわけ?」
「だから、困ってる」
ラップバードがいうには、ダンジョンで出会った商人にだまされ、売り飛ばされてしまったんだそうだ。ラップバードの歌が大流行してしまい、一日に一〇ステージもやらされているんだって。よく見ると、羽もハゲチョロケだし、顔色も悪い(顔は、オレンジ色だったんだけど、茶色がかっていた)。
「ダンジョン、帰りたい」
ラップバードは、ポロッと涙《なみだ》をこぼした。
うわあん、かわいそう。胸がしめつけられる。
「そっかぁ、困ったね……。ジュン、なにかいい方法ないですか?」
と、ふり返ると。ジュンがいない。
あれれ!?
と思っていたら、ジュンが帰ってきた。そして、手に持った紙を見せた。
それは、ラップバードの持ち主がここの店の主人であることを証明した契約書《けいやくしょ》だった。
「そ、それは?」
「や、このラップバードは天然記念物|扱《あつか》いなんだと、いってやってさ。これがバレると、まずいことになるんじゃないかって、ちょっと店主をね」
「ほんとに、天然記念物なの?」
「さぁ、よくは知らないけど」
そういって、ビリビリ、その契約書を破ってしまった。
ひどーい! あはっはっはっは。すごいすごい。
確かに、レベル三〇のジュンになにかいわれたら、|誰《だれ》だって諸手《もろて》上げちゃうよね。
「ほんとは、こんなことしたくはなかったけど……。ま、しかたないよね。彼らと君は友達なんだろ?」
「ありがとうございます!」
わたしは、心から感謝した。
ラップバードは、まだ不思議そうな顔をしていた。
「ね、あなた、自由になったのよ。もうダンジョンに帰ってもいいのよ」
わたしがそういうと、ラップバードの茶色がかった顔が、パァッとオレンジ色に輝《かがや》いた。
「ほんとかい?」
「ほんとに」
「ほんとに」
「ほんとかい?」
ピコッキョコッと首が増え、ひどい臭《にお》いもますますひどくなった。
善は急げ。店主の気が変わらないうちにっていうことで、すぐさま脱出《だっしゅつ》することになった。
ラップバードに荷物なんかない(当たり前だって!)。彼は(彼らは?)、また、あの独特の踊《おど》るような足どりで、ゆらゆらとエベリンの商店街から街はずれへと去っていってしまった。
あの砂漠《さばく》を無事|越《こ》えることができるんだろうか。
わたしは少し心配になったが、長い首をキョコッヒョコッと二つにしたり三つにしたりしながら、小さくなっていく後ろ姿を見ているうち、
(だいじょうぶ。彼らなら、きっとだいじょうぶ。また、あのダンジョンのなかで陽気なラップをプチかましてくんだろう)
と、思った。
そして、ちょっぴりさみしくなった。いやしかし、それでいてきっとまた会えるような予感がしたのだった。
ラップバードを見送った後、ジュンも「またね」と、すぐどっかへ行ってしまった。彼は余計なことをしないし、いわない。たぶん、それがオトナってもんなんだろうな。
ちょっと、つまんないや。
いや、だんぜんつまんない。これで、もう会えないかもしれないっていうのに。少し悲しくなってきた。そして、急に胸がしめつけられるように、またまた苦しくなってきた。
これって……。もしかしたら……。
わたしは、あることを考えついて、ひとりでドギマギしてしまった。
でも、|魔法屋《まほうや》に行くと約束《やくそく》した時間に、すっかり遅《おく》れていることに気づき、これ以上は考えまいと決意した。
「遅いじゃん!」
クレイがニコニコ笑って、わたしを迎《むか》えてくれた。
「ごっめーん」
クレイの笑顔が、なんとなくとてもなつかしい気がして。ほっとした。
「それがね、ラップバードに会ったのよ」
「だれ? それ」
「あ……そうか。クレイは知らないんだっけ」
「それよりさ。ルーミィを見てやってくれよ」
魔法屋の裏の空《あ》き地に行ってみると。
「そうじゃ、そこで気をゆるめるんじゃない!」
おじいさんの大声がした。
あらまあ、まぁ。
ルーミィが、ふわふわバタバタと飛んでいるではないか!
「ルーミィ! 覚えられたのね」
わたしが声をかけると、ルーミィはこっちを見て……その瞬間《しゅんかん》。ドッス――ンと、墜落してしまった。といっても、ほんの一メートルくらいの高さからなんだけど。
「あ、ごめんごめん。でも、すごいよ。飛べてたじゃない」
「ぱぁーるぅ、ルーミィ、すごい?」
ルーミィがかけよって、わたしの足にしがみついた。
「うんうん、すごいすごい。天才」
「るーみぃ、おなかぺっこぺこだぉー」
かわいそうに。考えたら、わたしたちお昼がまだだったっけ。
「ルーミィちゃんは、よく食べるのぉ。さっきもわしらと食べたとこじゃて。のう、ばあさん」
「食べる子は育つもんじゃて。のう、じいさん」
なぁーんだぁ。
「すみませーん。なんだか、すっかりお世話になっちゃって」
「いやいや、よかったのぉ。わしらもホッとしたよの、ばあさん」
「いやいや、ほんに。後は練習しだいじゃてな、じいさん」
この気のいい夫婦、|魔法《まほう》の代金も、本当にレベル二の魔法と同じ代金しか取ってくれなかった。
「ちゃんと、メモした?」
わたしが聞くと、ルーミィはコックリうなずいた。
「じゃ、行こうか。シロちゃん、おいで」
|芝生《しばふ》の上で、ひなたぼっこしながら寝《ね》ていたシロちゃんが「わんわんデシ」と、いいながら走ってきた。
「で、クレイ。なんかいいアーマーあった?」
わたしたちは、屋台で買ったサンドイッチを公園で食べていた。
「うーん、やっぱいいのは高い」
クレイは、最初、|老舗《しにせ》のアーマー屋に行ったんだそうだけど。一番安いのでさえ、|値札《ねふだ》と所持金の額がゼロ二つくらい違ったんだそうだ。
「でも、そこの店員がさ。中古のアーマーの店を教えてくれたんだ。だから、これから行ってみようかと思ってる」
「そっか。|掘《ほ》り出し物があると、いいね!」
「うん、パステルは、どうする?」
「わたしは、この子たちの買い物をしてくる」
そうなの。それで、ルーミィやシロちゃんの買い物をしたんだけど。この辺の話は長くなるから、やめとくね。
だって、だって。こいつらの会話をまともに書いてたら、キリないもん。
結論からいうと、だ。シロちゃんは、ドラゴン印のキャンデーとお煎餅《せんべい》を買いました。
ドラゴン印っていったって、ドラゴン用ってわけじゃない(当たり前だって。んな、そんじょそこらにドラゴンがウジャウジャいてもらっちゃ困る)。要するに、モンスターの子供用のお菓子《かし》なのね。
「これ、おねーしやんも食べるデシか?」
と、いってくれたけど、|丁重《ていちょう》にお断りした。いやはや、その臭《にお》いだけで「ごちそうさま」っていいたくなる奴《やつ》でね。
ルーミィには、ジャンプスーツの替《か》えを買った。それがね。ウソみたいに安い店を見つけたんだ。女の子用の防具を売っている店なんだけど、デザインもかわいいし、|縫製《ほうせい》もしっかりしてるし、素材も悪くない。
そこの店主の人って、わたしより二つくらい年上の女の子で。やっぱり冒険《ぼうけん》に憧《あこが》れてるんだって。でも、ちょっと体が弱くって、冒険者|支援《しえん》グループの審査《しんさ》に引っかかってしまったそうだ。だったらせめて、|貧乏《びんぼう》な冒険者にも買える値段で、しかもいい物を作って売ろうと考えたんだって。もちろん、冒険者になるのもあきらめてなくて、ちゃんと毎日訓練してるらしい。えらいなぁ。
ルーミィのスーツ。今度のは、ルーミィのブルーアイと同じ、きれいなサファイアブルー。前にジッパーがあって脱《ぬ》ぎ着しやすいし、白いボンボンが胸元と背中についてて、かわいい。フードもついてるんだよ。
でね、でね!
わたしのまで、買ってしまったのだ。白いマントを。
おかげでほとんど、おこづかいがなくなってしまったけど、|後悔《こうかい》はしていない。だって、そのマント。「お待ちしておりました!」って呼びかけてきたんだよね、ほんとに。
アーマーと同じ、ミケドリアのなめし皮で作ってあるんだけど、とっても軽いんだ。あったかいしね。アーマーの肩《かた》のとこで留《と》めてもいいし、前でボタンをかけてもいいし。またそのボタンがかわいいのー。金色でね、ドウドウ鳥の絵が彫りこんであるの。こってるぅ!
試着させてもらうまでもないくらい、ピッタリだったし。鏡のなかの自分を見て、ほれぼれしてしまった。
STAGE 3
エベリンの闘技場《とうぎじょう》は、市営なんだそうだ。というか、市長のサー・G・クリントンという人が無類のギャンブル好きでね。ま、半ば趣味《しゅみ》で作ってしまったというもので。すさまじく豪華《ごうか》な設備を誇《ほこ》っている。
モンスターの格闘技《かくとうぎ》が一番の呼び物だけど、その他、|腕自慢《うでじまん》の冒険者《ぼうけんしゃ》たちが腕を競いあったりもするし、変わったところでは、一日がかりで行われるスライムの五〇メートル走とか、イッコー鳥(駝鳥《だちょう》の顔したカンガルーみたいなの)のボクシングとかね。
きょう行われている「サー・G・クリントン記念特別」っていうのは、一年間の総決算ともいうべき、モンスター格闘技の最終戦。もっとも凶悪《きょうあく》なモンスターたちが総登場というふれこみなんだ。
わたしは、さっき買ったばかりのマントを早速はおって、闘技場へと向かった。
すごい熱気。町中の人たちが集まっているんじゃないかと思うくらい。
「さぁ、たったの一〇Gで、次の試合はバッチリだ」
白いタオルをツルツル頭に巻きつけた、おじさんが叫《さけ》ぶ。予想屋さんみたいなんだけど、その方法ってのが笑える。だって、サイコロで予想するんだよ! んなのに、一〇Gも払《はら》う人がいるんだろうか。
焼いたトーモロコシを売っている人、新聞を売っている人、それを買う人たち、それを欲しそうに見ている人たち……。いろんな人たちがいろんな顔をして、それぞれに興奮している。
「パステル、こっちですよ」
キットンのバカでかい声がした。
ふり返ると、さっきの焼きトーモロコシを頬張《ほおば》っていた。ノルもいる。
「ああ、キットン。トラップとクレイは?」
「トラップは、今、|賭《か》け札《ふだ》を買ってますよ」
「あいつもギャンブル好きだからなー」
「クレイはまだなんですが……あ、あ、来た来た!」
なあんだ。トラップとなにか話しながらこっちにやってくる。
「お、そのマント。買ったんだ! 高そうじゃん」
トラップが目ざとく、わたしのマントをチェックした。
「ううん、それがさー、安いんだよね。意外と」
わたしが自慢《じまん》を始めようとしたら……クレイが、ガックリ|肩《かた》を落とした。
「ど、どうかした? クレイ」
「いや、いいんだ」
「ひゃっはっはっは、女なんか、んなもんだぜ。期待するほうが悪い」
トラップがクレイの背中をボンボン|叩《たた》く。
「ま、まさか……」
「いやぁ、ちょっとね。いいアーマーが、中古だけどあってさ。でも、まぁ、それでも足りないもんで」
「あ、ごっめーん!」
そうだった。すっかり忘れてたけど、よかったらわたしのお金を貸そうか、なんて調子のいいことをいってたっけ。
「いいんだよ、ほんとに。似合うじゃん、そのマント」
と、そのとき。ノルが皮の財布《さいふ》を差しだした。
「クレイ、これ、使っていい」
「ノル!」
「だって、ノルは、妹さんのものを買うんじゃなかったの?」
でも、ノルは静かに首をふって、
「やっぱり、よくわからない。女の子、なにがほしいか」
「そっかぁ! わたしが一緒《いっしょ》に選べばよかったね」
「いや、いい。今度で。妹、見つかったら、一緒に買う」
ん――。ノルって、なんていい奴《やつ》なんだ。
「じゃあさ、クレイ。早くそのアーマー買いに行ったほうがいいんじゃない? 誰かに買われちゃうよ」
「そ、そうだな。じゃ、ノル、悪いけど。借りるぜ」
そういって、クレイはノルから財布を受け取り、大急ぎで通りに戻《もど》っていった。
「お――い、おれたちは観客席に行ってるぜぇー。二階の階段上がったとこだからなー」
トラップが叫《さけ》ぶと、クレイは後ろを向いたまんま大きく手をふった。
|闘技場《とうぎじょう》の観客席は、なおいっそうの盛《も》りあがり方。スナックやビール、ジュースを売っている売り子の人たちも、すっかり声がかれている。
今、ちょうど準決勝戦が行われているところ。
赤コーナーは、ご存じ、トカゲ男こと、リザードマン。わたし、本物のリザードマンを見たのって初めてだけど、結構かっこいいんだね。それに、想像していたより、ずっと大きい。いや、こんな試合に出てくるくらいだから、リザードマンのなかでも、かなり大きい人が選ばれたのかもしれないけど。
青コーナーは、上半身が人間、下半身が馬の、ケンタウロス。いやはや、こっちもでかいや。|黒髪《くろかみ》に銀髪《ぎんぱつ》が縞模様《しまもよう》のように混じっていて、わりに歳《とし》なのかもしれない。しかし、ガッチリした、その背中の広いこと! リザードマンの倍はありそう。その背中は水浴びでもしたかのように、|汗《あせ》びっしょりだった。
どちらも、同じような盾《たて》とソードを持って、ガキン! キン! とやりあっている。
わわわわわ!!
リザードマンがケンタウロスの前足を狙《ねら》った。
が、ケンタウロス、すんでのところでよけた。さすがは半分馬。足運びは、まだまだ軽やか。
リザードマン、バランス|崩《くず》してよろけた!
と、すかさず上からケンタウロスが切りつけるぅ!
「そこだ、行け! やっちまえ!」
横で叫《さけ》んでいるのは、トラップ。
おおおおおお!!
リザードマン、|盾《たて》で防いだ。火花が散ったぞ。
体勢崩してるっつーのに、やるやる。
「おめぇー、盾なんか使って卑怯《ひきょう》だぞー! 男なら、いや、トカゲならトカゲらしく素手《すで》で勝負しろい!」
興奮しきったトラップが、がなると、前のはうの席にいた人がジロッとこっちを見た。
げげん!
後ろからだと人間に見えたけど、この人もリザードマンじゃないかあ!
|睨《にら》んでるのは、その人だけじゃない。|隣《とな》りのおばあさんまで、|眉《まゆ》をひそめて見ている。
「トラップ、トラップ、まずいよぉ」
わたしはトラップの腕《うで》をつかんで、ぐいぐいゆすった。しかし、今の彼の頭には、試合以外のことなど考えるゆとりなんかないようで、
「うっせー!」
このひと言で、わたしの手はふりほどかれてしまった。
しんないよー。どうなったって。
と、いってるあいだにも試合は続いていて。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ」
すさまじい歓声が上がった。
ぎゃぁぁー!!!
リザードマンがケンタウロスの広い背中をひと突《つ》き。
やだやだやだやだ!
血がドバァーツ……と、出ない。あれれ??
「ねぇ、トラップ、あれ、どうなってるの?」
「て、てめぇ――! 後ろからやるたぁ、いい了見《りょうけん》してんじゃねーかぁ。ケンクーロスぅ、|反《はん》撃《げき》しろぉ、立ち上がれぇ! 男あげるなら、今しかねーぞ」
まるでトラップの声を聞いたかのように、ケンタウロスは肩《かた》で荒《あら》い息をしながらも立ち上がった。しかし、もう体力が残っていないようだ。やっとの思いでふりおろしたソードも、むなしく宙を切っただけ。ガックリと、四本の足が膝《ひざ》をついてしまった。
「おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ」
今度は、深い深いどよめきが会場に流れた。
ゴォ―――――ーンン……ゴオン、ゴオンゴぉんぉんんん……。
重く響《ひび》き渡《わた》る鐘《かね》の音。あれは、試合の終了《しゅうりょう》を知らせているんだな。
「ただいまの試合、赤コーナー、リザードマン、スライ氏の勝ち。配当は四・二五倍であります」
緑の制服を着た男たちが、大声でふれまわった。
「まだ勝負はついてないぞ!」
と、その制服の人の胸元をつかんで、|離《はな》さない人。|呆然《ぼうぜん》と賭《か》け札《ふだ》を空高く投げ捨てる人。反対に驚喜乱舞《きょうきらんぶ》して、そこら中の人たちに握手《あくしゅ》してまわっている人。通路のまん中で、すっかりふて寝《ね》してしまった人。その人をまたいで、|換金《かんきん》に急ぐ人……。
いやはや、大変な騒《さわ》ぎだ。
横を見ると、トラップがガックリ|肩《かた》を落とし、足元を見つめて何かつぶやいていた。
「なに? なんかいった?」
「……ノ…カ……」
「ええ?」
「……ケンタウロス ノ バ カ…」
「ぎゃっはっはっはっはっはっは」
わ、わたしは、悪いけど笑いころげてしまった。
「げへへへへへへへ、わたし、ちょっと換金してきますね」
キットンが急にでかい声でいった。
「か、換金? キットン、買ってたの?」
「でへへ、あ、はい、まぁ、なんですね。我々キットン族というのは勘《かん》がいいらしくって。なぜかケンタウロスには賭《か》ける気にならなかったと……」
「てめぇー! なら、どーして早くそれいわねーんだよぉー」
トラップはバッと立ち上がり、キットンの首根っこをつかんで、自分の顔の高さまで持ち上げてしまった。
「や、やべて、ぐだざい、げ、ほほ、げ」
「あほぉ!」
わたしは隣《となり》の席に置いてあったパンフレットを丸めて、トラップの後ろ頭をパコンッ! と殴《なぐ》った。しかし、それも今のトラップには通じないようだ。
で、何を思ったか、パッとキットンを離し(だから、キットンは椅子《いす》にシリモチをついてしまった)、
「こーしちゃ、いられねー。おい、キットン、次の買いに行くぜ。今度は決勝だ。当たりゃデカイぜ」
そういい、キットンを引きずり、また賭《か》け札《ふだ》売り場へと戻《もど》ってしまった。
やれやれ。
しかし、ソードでバッサリ切りつけたというのに、どうして血の一|滴《てき》も出なかったんだろう。そんなことを考えながら座った。
「なにあれ。やめてよ。あんな腕《うで》で、よくもまぁ準決勝に残ったもんだ。今年、レベル低いんじゃないの?」
「や、彼は彼でね。昨日は結構いい動きをしてたんだよ。|惜《お》しいね。ま、実力を出しきれてなかったというか。なんか調子が悪かったんじゃない?」
これは、隣に座ってる人たちの会話。さらっとした黒髪《くろかみ》が少しさみしくなった人と四角い顔のおだやかな感じの人。きっとエベリンの人たちだな。
「あのぉ」
わたしが声をかけると、
「はい!」
おだやかな感じの人が、にっこり笑ってこっちを向いてくれた。
「さっき、たしかリザードマンがケンタウロスをバッサリ切ったと思うんですが、血も出なかったでしょ? あれ、どうしてなんですか?」
「あぁ、それはね。あのソード、|刃《は》がないんだ」
「刃がない?」
「そうそう。ほら、この試合に出てくるのって、みんなモンスターのなかでも名士だったり、スターだったりするし。それに、市長はスポーツとしての戦いこそ好きだけど、本当の殺し合いは嫌《きら》いなんだよね」
「でも、じゃあどうやって勝ち負けを決めるんですか?」
「|膝《ひざ》を地面についたほうが負けなの。だから、膝のないモンスターは、また別の試合に出るんだよね。別のルールで」
「なぁーるほどー!」
「なぁーにが、『なぁーるほどー!』だ」
頭をコツンと叩《たた》かれた。
見上げると、さっきの剣幕《けんまく》はどこへやら。|上機嫌《じょうきげん》のトラップ。
「なにすんのよぉ」
「さっきのお返し」
うーむ、こういうことだけはキッチリした奴《やつ》。
「今度はどっちに賭《か》けたの?」
「へへへ、おいらたちはさっきのリザードマンと心中することにしたんだ。なぁ、キットン」
「デヘデヘデヘ……」
キットンは、デヘデヘ笑いながら財布《さいふ》の中身を勘定《かんじょう》していた。
「ねぇ、さっきのでキットンはいくら儲《もう》かったの?」
「それが、こいつバカでよぉ。たったの一〇Gしか賭けてねぇーでやんの」
「じゃ……」
「そう。四・二五倍だから、四二・五Gにしかなんねーの。おれみたく、五〇〇くらい賭けときゃ、おめぇ、えっと……シゴニジュウの……」
「二一二五Gになりますね」
「そうそう、だよったく、よう」
「ト、トラップ……。あ、あなた一度に五〇〇Gも賭けてるの!?」
「ったりめぇだろ。んな金なんてのは増やしてナンボのもんだって、よくじーちゃんがいってたっけ」
「増やして……って、増えてないじゃない!」
「うっせーなぁ。これから増えるの! だから女はめんどくせーんだ。お、そろそろ決勝が始まるぜ」
散らばっていた人たちも、またドヤドヤと帰ってきた。
高らかに鳴り響《ひび》くファンファーレの音。
パン! パン! パン!
花火が威勢《いせい》よく打ち上げられ、ばぁーっと白い烏が飛び立った。
「お待たせいたしました。本日のメインイベント、サー・G・クリントン記念特別。いよいよ決勝であります」
また、さっきの緑の制服の男の人たちが、大声でふれまわった。
「決勝は、さっきのリザードマンとブーツィの戦いになるんだけどね」
|隣《となり》の人が話しかけてきた。
「ブーツィって、どんなんですか?」
「とにかく好戦的っていうか、戦いって聞くと必ずやってくる奴《やつ》でね。だから、どこの町の闘技場《とうぎじょう》に行っても必ず参加しているという……。でも、陽気な奴でさ、にくめないモンスターだよ」
説明を聞いているうちに、試合は始まった。
隣の人が教えてくれた、ブーツィっていうモンスター。全身が黒い巻き毛でおおわれた大男。なんと腕《うで》が四本もあって、全部にジャラジャラと銀色に光る腕輪《うでわ》をしている。それぞれに細身の剣《けん》を持ち、カチャカチャと打ち鳴らしながら、リザードマンのようすをうかがっていた。リザードマンのほうも同じように、間合いを取っている。どちらも準決勝を戦った直後だけに、こうやって体力を回復しょうという考えなんだろう。
かなり長いあいだにらみ合いが続き、会場中から早く戦えというブーイングが巻き起こった。
それを聞いてか、いきなりブーツィの下の二本の腕がリザードマンの盾《たて》を押《お》さえつけた。そして、上の二本の腕が相手の首を剣ではさむ!
リザードマン、いきなりのピンチ。
「て、てぇめぇ―――! |卑怯《ひきょう》ものぉー。その余計な腕、|縛《しば》っとけよぉ!」
トラップが、がなる。
「あぁ……だめだ。あのリザードマン、|喉《のど》が弱点なんだよね。この前、ちょっとした事故でムチウチになったとかで。しかし、ブーツィもよく調べてるなぁ」
と、|隣《となり》の人。
しかし、さすがに決勝まで勝ち残っただけある。リザードマンは、満身の力をこめて盾をグィグィ|突《つ》き返した。喉をしめつける剣はそのままだから、苦しそう。
「わぁああああぁぁぁあああああぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁ……」
会場中から大きな歓声ともドヨメキともつかぬ声が起こった。
何か重大な進展があったんだと思う。
思うんだけど。ちょうどそのとき、前のほうにいたおばあさん(さっきトラップをにらみつけた)が立ち上がったもんで、何がどうなったのか見えなかった。だって、そのおばあさんたら、背も高いし横幅《よこはば》もかなりあるんだ。まるでヌルヌラ(|壁《かべ》みたいなモンスター)みたい。
「ババァ、そこのデカイ、ばばぁ!」
トラップが立ち上がって、|怒鳴《どな》ると。
おばあさんの肩《かた》がピクリとなった。
「ジャマなんだよ。座るか、どくかしろよ」
「トラップ、ちょっとちょっと、もう少し言い方を……」
わたしが焦《あせ》って、トラップを押《お》しとどめようとしたとき、
「そうだよ。失礼じゃないか!」
と、後ろでおなじみの声がした。
「あ、クレイ」
ふりかえって見ると、クレイは小脇《こわき》になかなかかっこいいヘルメットを持っていた。でも、他にはなんの荷物も持っていない。
「アーマー、買えなかったのぉ?」
「うん、タッチの差だったんだよね。買われちゃった後だったんだ」
と、残念そう。
「そっかぁ。でも、そのヘルメット、かっこいいじゃん」
「だろ? |堀《ほ》り出し物だったんだぜ。|頑丈《がんじょう》なわりに軽いし」
クレイは、そういってうれしそうにヘルメットをかぶってみせた。
いわゆるオープンヘルメットという奴《やつ》で、顔まではおおわないタイプ。頭上に、モヒカン刈《が》りみたくギザギザがついてて、ちょっと変なかんじだったけど、それはいわなかった。
などと、わたしたちが会話しているあいだにも、トラップVSおばあさんは、|緊迫《きんぱく》した局面を迎えていたのだ。
このとき、このことが後にどれほどわたしたちを苦しめることになるか、|誰《だれ》ひとりとして予想しえなかったのである。なんて……ずいぶんオオゲサな言い方だけど、ほんとに大変なことになってしまうんだよ!
「だぁら、どけよ。ばばぁ!」
口の悪さなら天下一品のトラップ。ますます声も大きくなった。
と、そのとき。
おばあさんがブツブツといいながら、ゆっくりとこっちを向いた。
黒っぽいローブで、そのでかい体をすっぽり包んだ姿はかなりの迫力《はくりょく》。顔はフードで半分|隠《かく》れているけれど、しわくちゃの口元は相変わらず、気味悪くモゴモゴ動いていた。
|普通《ふつう》の人の倍はあるんじゃないかと思うくらい長い両手をふりかざした。そして、そのやはり長く大きな手をクワァッと、いびつに広げると、
「ルンバ、リンガ、ライ、ザイール!!」
低く太い声でいい放った。と、同時に。指先全部からオレンジ色の閃光《せんこう》が走った。
「あっ!」
と、いう間もなく(いったけど)。
その閃光はトラップを包みこんだ……のではなく。
なんとなんと、身軽なトラップがヒョイとよけてしまったため、後ろにいたクレイに、もろ当たってしまった。
オレンジ色の光に包まれたクレイは、口を「えっ?」という形にしたまんま、|棒立《ぼうだ》ちになった。
もう試合どころじゃない。みんな何もいわず、クレイを注目していた。
その注目のなか、クレイの着ていた竹アーマーがカランカランと音をたてて崩《くず》れ落ちた。ズボンも靴《くつ》の上にヘナヘナとだらしなく折り畳《たた》まれていった。背中につけていた、長いマントもふんわりと落ちた。最後に、さっき買ったというヘルメットがガランと大きな昔をたて、地面に落ちた。
だから、いなくなったんだ。
クレイが。
消えちゃったのよ。
「ク、クレイ!」
最初に叫《さけ》んだのは、わたし。
他のみんなは、ただ呆然《ぼうぜん》と立ちすくんでいた。
「て、てめぇー、おい、このババァ! クレイをどうしたんだ」
はっと我に返ったトラップは、おばあさんにつかみかかろうとした。しかし、トラップの両手はその首、あるいは肩《かた》ではなく、空気しかつかめなかった。
あのおばあさん。ぐわぁあーん、と。さらに大きく雨雲のようにふくれあがり、そして空に溶《と》けていくように消えてしまったんだ。
不気味な笑い声だけを残して。
背筋がゾォーッと凍《こお》りつくような、笑い声。
「あいつ、|魔法《まほう》使いだったんだな。やー、ありやタチの悪い魔女《ウイッチ》だ」
トラップの声も、心なしか震《ふる》えていた。
「ど、どうしよう!」
「どうしようったって……」
「くりぇい、どこいっちゃっらのぉ?」
ルーミィがいった。
「クレイは……」
そういいかけて、わたしはガックリ膝《ひざ》をついた。そして……なさけない話だけど泣き出してしまった。
「泣くなよぉ!」
トラップが目をまっ赤にして、|怒鳴《どな》った。
「どっかに飛ばされたんじゃ、ないでしょうかね」
キットンがいう。
ノルとシロちゃんは、顔中を「心配」という二文字でいっぱいにしていた。
「あれ?」
|隣《となり》の人がいった。
「ヘルメットが動いたよ、いま」
「え??」
下向きに落ちたギザギザ・モヒカン・ヘルメット。
「んな、動かな……ああ!!??」
ほんとだ。動いた動いた。
ズズッズズッと、動いているではないか。
ひょいっとトラップがヘルメットを取ると……。
「!!!!!!!」
ヘルメットのあった場所。そこには、一羽のオームが小首を傾《かし》げていた。
黄緑に、オレンジ色や青が混じった体。黄色い頭の上には、白い羽がピンと立っている。
「トラーップ、トラーップ、ギェッ!」
|甲高《かんだか》い声で、オームが鳴いた。
「ま、まさか……」
「クレイ、おめぇなのか!?」
オームは小首をさらに傾げ、トラップを恨《うら》みがましいような目で見上げた。そして……、
「ぎゃあぁっったたたたたたたたた……」
いきなりトラップの帽子《ぼうし》の上に飛び上がり、その鋭《するど》そうなクチバシでガッツンガツン、つっつき始めた。
「ソウダ、ソウダ! ドーシテクレル! トラーップ、ギェッ!」
|紛《まぎ》れもない。このオーム、クレイなんだ!
だって、この声。なんとなくクレイのなごりがあるもん。
「な、なんてことなの!」
わたしは両手で顔をおおった。
「さっきの魔女《ウイッチ》がトラップをオームに変えようとして、それでトラップがよけたもんで、クレイが代わりにオームになってしまったんですね」
キットンが、これまでの事情を簡単にまとめた。
「わかってることを、イチイチまとめるなよぉ! それより、このオーム、なんとかしてくれよぉ。いてえぇーよぉ」
トラップが顔をまっ赤にして、キットンに喰《く》ってかかった。
「トリさん、かあいい」
なんもわかってないルーミィがそういうと、オームになったクレイ、あっさりトラップの頭からルーミィの足元に降り立った。ルーミィはオームを抱《だ》きあげ、
「このトリさん、おともらちぃ?」
と、わたしに聞いた。
わたしが絶句していると、オームはルーミィのポヨポヨした腕《うで》のなかで、
「コニチワ! コニチワ!」
と、|繰《く》り返した。
「そうやってると、本物のオームみたいね」
わたしが力なくいうと、トラップが空に向かって吠《ほ》えた。
「てぇめぇ―――! 帰ってこぉーい。文句あるんなら、おれをオームにしろってんだ。ばーろー!」
よけたのは、てめぇだろうー? トラップ。
わたしたちは、エベリンの街はずれに来ていた。
決勝戦は結局ブーツィの圧勝だったし、クレイがこんなことになった今、それどころではないのだ。
|途方《とほう》に暮《く》れていたわたしたちに、|隣《となり》の席の、あの親切な人が(あ、結局名前も聞かなかったっけ)同情してくれて、
「この街のはずれに、よく当たると評判の占《うらな》い師がいるんだけど。なにかアドバイスしてくれるかもしれないし、行ってみてはどう?」
と、教えてくれたんだ。
ほんと、ワラにでもすがる……ってのは、このことだ。
いつもなら、占いなんてと頭からバカにする、現実主義者のトラップもなにもいわず歩いてる。一応は責任を感じているのかな? と思いきや。
「ったくよぉ、なぁーにがキットン族は勘《かん》がいいだ!?」
急に、隣のキットンをこづきまわした。
「いたたたたた……。やめてくださいよぉ」
キットンが逃《に》げ回る。
なんだぁ。トラップが元気ないのって、さっきの試合でお小遣《こずか》い全部すってしまったからなのね。さもあらん。
「おい、あそこのばあさん、あれじゃないのか?」
小さな林のなかに建てた簡易的なテント小屋を、小さなおばあさんがウンショウンショとひとりでたたんでいる。
頭をすっぽり包んだ赤いスカーフ、ブカブカの服にブカブカのエプロン。占い師というから、もうちょっと神秘的な感じの人を想像していたのにな。しかし、そのテント小屋。テントのくせに、ちゃんと「占いの館《やかた》」とか書いてあるもんね。
そのかわいいおばあさん、わたしたちを見るなり、
「おお、ちょうどいいときに来なすったのぉ。ちょいと手伝っておくれでないかのぉ」
頭のてっぺんから出ているような甲高《かんだ》い声でそういって、歯のかけた顔でニヤニヤ笑った。
「おれたちはなぁー」
|文句《もんく》をいいかけたトラップの口をふさぎ、
「はいはい、お手伝いします!」
わたしは、あわてていいそえた。おばあさんの機嫌《きげん》はとっておくにかぎる。
それから小一時間。「ちょいと」どころではなく、「かなり」手伝わされた。みんな……特にノルは汗《あせ》ビッショリになって働いた。シロちゃんも、相変わらず「わんデシ」といいながら、荷物を運んだ。オームになったクレイまで、クチバシや器用な足を使って、ロープを結んだりして手伝った。
「あのぉ……、引っ越《こ》しでもなさるんですか?」
テント小屋をたたみ、すべての家財《かざい》道具を荷馬車に乗せ終わったときに、聞いた。
「おうおう、そうなんじゃのぉ。この辺は、どうもお客が集まらんでのぉ。商売あがったりでのぉ。もうちっと、にぎやかな場所に移ろうと思ってのぉ」
と、人のよさそうな、間のぬけた笑顔。おばあさんは、おばあさんでも、さっきの怖い魔女《ウイッチ》とはえらい違《ちが》いよね。
「あんたらには、ずいぶん世話になったのぉ。礼をゆうわのぉ。それじゃ、わしはもう出かけるきにのぉ」
そういって、信じられないくらいの速さで荷馬車に乗りこみ、ロバにビシィッとムチをくれた。
おいおいおいおい!
「あ、待って。待ってくださいよぉー」
「こら、待てぇ」
わたしたちはあわてて、ロバの引く荷馬車を追いかけた。
幸い、ロバはおばあさんと同じくらい歳《とし》をとっていたから、すぐに追いついたけれど。それにしても、肉体労働の後の、全力|疾走《しっそう》は辛《つら》いものがある。
みんな、はあはあ肩《かた》で息をしながら、おばあさんを見上げた。
「なんじゃのぉ。なんか用があるのかのぉ。ぎゃぁ! 痛いっ痛いっ! このオーム、なんとかしてくれんかのぉ!」
オームになったクレイが、おばあさんの手をクチバシで、つっついたのだ。彼も必死なんだなぁ。
「用が、はあはあ、あるから、はあはあ……」
「そうです、ちょっと話を聞いてください……はあはあ」
「あれまぁ、おまいさんたち、もしかしたら、お客なんかのぉ?」
「ギェェッ!!」
わたしたちの代わりに、クレイが一声鳴いて答えた。
|占《うらな》い師のおばあさんに、これまでのことをキットンが話した。
それをフンフンと聞き終わり、
「そうかそうか。それじゃあ、五〇Gかのぉ」
と、おばあさんはため息まじりに、いった。
「あんだけ手伝わせておいて、金まで取るわけ?」
トラップが騒《さわ》ぐのも無理はないと、わたしも思う。しかし、
「手伝ってもらった、お礼はもういったからのぉ。商売は商売。関係ないからのぉ」
と、全く動ぜず。
「わかりました。五〇Gでいいんですね?」
わたしが払《はら》おうとすると、
「ま、初歩的なアドバイスだったら五〇Gでいいがのぉ。中級ともなれば七〇G。上級になれ
ば、一〇〇Gはもらわんとのぉ」
「じゃ、全部聞こうと思ったら……」
「ああっと……。二二〇Gじゃのぉ。まぁ、あんたらのことじゃて、二〇〇Gにしてやらんでもないがのぉ」
と、パチパチッとソロバンをはじいてみせた。
「のぉ、のぉ、いってんじゃねーぞ、このごーつくばり!」
トラップは、顔中まっ赤になってわめいたが、背に腹は替えられない。
「とりあえず、初歩的なのからお願いします。で、参考になりそうなら、またお支払《しはら》いしますから」
わたしがそういって、五〇Gを渡《わた》すと、おばあさんは荷馬車からバレーボールくらいの大きさの透明《とうめい》な玉を出してきた。その玉の上で手をかざし、目を閉じ、精神を集中し始めた。
「天の声よ、地の精よ。雪と溶《と》ける光の結晶《けっしょう》たちよ」
今までとは、うって変わって澄《す》んだ声。
「この愚《おろ》かなる者どもの悩《なや》みを聞き給《たま》え。|愚者《ぐしゃ》には愚者の、浅はかな考えがあろうもの。彼らの行く末を案じ給え」
んな、愚者愚者いわないでほしいけど、でも、なんとなくそれっぽいじゃない? もしかしたらクレイを元通りにする方法がわかるかもしれない。なんて、期待したんだけど。
「|精巧《せいこう》なる……えっと、精巧なる……だな、あれ? え――っと、精巧なる……と……」
「お、おばあさん! どうかしたんですか」
「なんか、ちょっと忘れたでのぉ。それより、おばあさんちゅうのは、やめてほしいのぉ。マリアンヌちゅう名前があるでのぉ」
「…………」
そのマリアンヌさんは、また荷馬車のなかをゴソゴソし始めた。
「どうもいかんのぉ。最近、物覚えが悪うなってのぉ」
「おい、あんなのに任せて、だいじょうぶなのかぁ?」
「だって、他に手だてがないじゃん。トラップは何かいいアイデアある?」
「ないけどさぁ」
わたしたちがヒソヒソ心配していると、マリアンヌさんが荷馬車の上で叫《さけ》んだ。
「おお、あったあった。わかったでのぉ」
「はえーとこ、|頼《たの》むぜ。マリアンヌさんよぉ」
「精巧なる自然の御手《みて》よ。愚者の魂《たましい》を作り上げし責任を取り給え」
さっきの続きを始め、カア――ッと目を見開き、上にかざした手をゆっくりと玉の横に置いたとき。
なんと、玉がジワジワと宙に浮《う》き始めたじゃあないか!
そして、マリアンヌさんの目の高さにくると、ピタッと止まった。
玉のなかはキラキラと輝《かがや》き、さまざまな色に変化していった。そのようすをしばらく見つめていたマリアンヌさんは、わたしたちを見渡《みわた》し、得意《とくい》そうにいった。
「ハンドパワー、じゃのぉ」
「で? なにかわかったんですか?」
「まずは、その人をオームにした、|魔女《ウイッチ》。そいつにしか、この呪《のろ》いを解くことはできんと出ておるのぉ」
「ふむふむ、そうでしょうね、ふつう。それで?」
「いや、ま。だからこれで五〇G分じゃ」
「んなぁー!」
「んなこと、わかりきってるじゃねぇーか!」
「そうよそうよ。そんなことで、ごまかされないわ」
「うるさいのぉ。物には順序っちゅうもんがあるんでのぉ。さぁ、次のを聞きとうはないのかのぉ」
「わかったわ。それだけじゃ、なんにもならないもの」
しかたなく七〇Gを渡した。ほんと、見かけで人は判断できないもんね。人の足元見ちゃってからに。
「しかし……その魔女」
急にマリアンヌさんの声のトーンが落ちた。
「どうしたんですか?」
「いやぁ……その魔女、ちょっとおまいさんたちには、かなう相手じゃあないのぉ。力が強過ぎるよのぉ」
すっごく同情をこめた目で、わたしたちを見て、またまたオオゲサにため息をついた。
「やめよ! だめだ」
トラップは、そういって帽子《ぼうし》を放り投げた。
「クレイもさぁ、別に死んだってわけじゃないんだし。な、おれが一生|面倒《めんどう》みてやるから。あん? ヒマワリの種でいいか? それとも……ギャッったった、たいたい、いたい!!」
オームになったクレイがトラップの頭といわず、|肩《かた》といわず、背中といわず総攻撃《そうこうげき》をしかけた。
「そうよ、やっちゃえやっちゃえ! ったく、トラップったら、誰のせいでこうなったと思ってるのよ」
「ぎゃ、じ、じょーだんだって!」
「冗談もね、いっていい冗談と悪い冗談があるのっ」
「そんなに強い魔力を待った魔女なんですか?」
わたしたちの大騒ぎをよそに、キットンが聞いた。
「ああ、ここいら辺じゃあ、右に出るもんがおらんのぉ。あんな魔女を敵に回すたぁ、おまいさんたちも無鉄砲すぎるよのぉ」
「で? 中級のアドバイスというのを教えてください」
「うん? あぁ、このズルマカラン砂漠を北へ行ったほうに、サラディーっていう小っぽけな国があるんじゃがのぉ」
「サラディー?」
わたし、つい大声を出してしまった。
「おお、知っとるのかのぉ?」
「いえ……別にそのぉ」
サラディー……。どっかで聞いたことがあるような、ないような。
「そんでのぉ。そこの王様に会うがいいと出たんじゃのぉ」
「わかりました。じゃ、上級のアドバイスも教えてください。これ、お金です」
わたしが100G手渡すと、マリアンヌさんは、そのお金を数えながら、
「これは、わしにもよぉわからんのじゃがのぉ。占いには、どうにも困ったときには、そのサラディーという国のさらに北へ行った山の奥にひとりで住んでおる、世捨て人にも会えという、お告げが出ておるんじゃのぉ」
「世捨て人ですか!」
|俄然《がぜん》、目が輝いたのがキットン。この人、どうも最近変なんだ。前から変は変だったけど。近ごろ薬草以外のことにも、こうやって興味を示すようになったんだ。
「でも、あの魔女の居場所はわかんないんですか?」
「そんなお告げは、なかったのぉ」
「きっと、サラディーの王様か、その世捨て人が教えてくれるんじゃないでしょうか」
キットンの目がさらにキラキラしてきた。
「あ、そうか。そうかもしれないね」
「そうですよ、とにかく早くそのサラディーって国に行きましょう!」
「じゃ、もう用はないかのぉ。わしゃ、日が暮れんうちに、|館《やかた》を引っ越さにゃならんでのぉ」
「あ、どうもありがとうございました」
「役に立つはずじゃがのぉ。まぁ、またわからんようになったら、いくらでも見てしんぜるでのぉ」
他に、これといった考えも浮《う》かばないわたしたちは、とにかくそのサラディーという国へ行き、王様に会うことにした。
「早くホテルをチェックアウトしなきゃ」
「あーあ、明日はメタルスライムの障害物《しょうがいぶつ》リレーだったのになぁ」
トラップって、ほんと得な性格してるっつうか。わたしだったら、責任感じて、暗くうつむいているんじゃないかなぁ。
またまた大変な災難(|生涯《しょうがい》最大の不幸かもしれない)に見舞《みま》われたクレイは、ノルの肩《かた》に止まって、身づくろいなんかしちゃって。ほんと、まるでオームに成りきってる。いや、武器や防具の手入れをマメマメしくやるクレイらしいともいえる。どうも、さっきからのようすを見ていると、人間としての自覚とオームとしての習性が微妙《びみょう》なバランスで、両立しているようだ。
わたしが、ついジッと見つめていると、クレイは小首を九〇度曲げて、こっちを見つめ返した。
こ、困ったことに、なってしまったぁ!
リバージェンシーホテルに帰り荷物をまとめ、チェックアウトを済ませたわたしは、フロントの人にサラディーへの行き方を尋ねた。しかし、そこへいく乗合馬車はもう出たという。
「困ったわ。来週までないって」
「うへっ、とんでもねー田舎《いなか》だな」
「しかたないですね。他に方法はないんですか。馬を借りるとか」
「でも、キットン。これだけの大所帯《おおじょたい》よ? それに、いつ返せるかわかんないし」
わたしたちが困っていると、
「お――い!」
と、聞きなれたダミ声がした。あの下品な声は……。
「オーシ!」
きれいなホテルに、およそ似合わない、いつものスタイル。|不精髭《ぶしょうひげ》をなでまわしながら、ノシノシと近づいてきた。
「おお、探したぜぇ。あぁ? おめーら、もう帰るのかぁ?」
「何か用があんの?」
と、トラップ。
「うん? クレイの顔が見えねーなぁ。どこ行ったんだい?」
オーシは、ぐるりと見回した。
「え? うん……その、ちょっとね」
わたしが口ごもると、オーシ、意地悪そうにニヤニヤ笑った。
「お、そのオーム、どうしたんで。しゃべるんなら、高く買うぜ」
「オーシ、オーシ! ぎゃっ!」
オーシがつま先立ちになってノルの肩《かた》に手を伸《の》ばした。クレイにさわろうとしたんだが、いきなりクレイにつっつかれた。
「いっててて。ひでぇことしやがる。おれだよ、おれ。おめぇも薄情《はくじょう》な奴《やつ》だなぁ。忘れたのか? え? クレイ」
「……し、知ってた、の?」
「|闘技場《とうぎじょう》でオームになったクレイっていうファイターの話は、もうエベリンじゃ有名だぜ。ぎゃっはっははっはっはっっはっはっははは」
その笑い声のやらしーこと! 静かなロビーの壁《かべ》という壁に反響《はんきょう》し、はねかえってきて、わたしたちの繊細《せんさい》な心をズキズキいわせた。
「んで? これからどーするんだよ」
「それがね……。さっき占《うらな》い師の人に見てもらって、サラディーっていう……、あ、あ、あぁぁ――! サ、サラディー」
わたしは突然《とつぜん》思い出した。
オーシの汚《きたな》い顔に指を突《つ》きつけ、
「サラディーよ、オーシ。サラディー」
と、叫んだ。すると、
「サラディー、サラディー、ぎぇぇ!」
クレイも大騒《おおさわ》ぎ。
「さあでぃー、さわでぃー」
ルーミィまで真似《まね》し始めたから、うるさいったらない。
「あのぉ……、お客さま。申し訳ございませんが、他のお客さまのご迷惑《めいわく》になりますので……」
ついに、ホテルの人に叱《しか》られてしまった。
「なんなんだよ。サラディーがどーかしたのか? みっともねぇなぁ、ったく」
トラップが吐《は》き捨てるようにいった。
「それがね。あの、ほら、ね、オーシ」
「ああ? サラディーっていやぁ、おれさまがおめぇらに持ってきてやった、おいしい儲《もう》け話じゃねぇか。あいにくリッチで、金持ちで、|裕福《ゆうふく》で、左うちわなおめぇらには、関係のねぇ詰らしかったがなぁ」
「ううん、それがね。オオアリなのよ。実は……」
それから、例の占《うらな》い師のおばあさんの話をしたら、
「そうか。じゃ、めでたく利害が一致《いっち》したってぇわけだな」
「利害って?」
「だってよ。おめぇらは、サラディーに行かねぇことにゃ、ラチがあかねぇ。しかし、そこに行く手だてがねぇわけだ。おれはサラディー関係で、ひと儲けする予定はあるが、自分で行く気はさらさらねぇ。しかし、だ。サラディーまでひとっ走りで行ける乗り物を都合《つごう》できるかもしれねぇ」
「えっ、それ、ほんと?」
「おお、おれの顔の広さを知らねぇな?」
「よ――く、知ってるぜ。おめぇの顔のデカサはな」
「おお、おお。トラップさんよ。おめぇだけ歩いてっても、いいんだぜ」
「ってぇーなぁ、あにすんだよぉ!」
わたしはトラップの腕《うで》を思いっきりつねってやった。
まったくぅ。んな、|悪態《あくたい》のつきっこしてる場合じゃないでしょ?
オーシは、立派《りっぱ》な建物の前で立ち止まった。
ゾロゾロとついてきたわたしたちは、その建物にデカデカと掲《かか》げられた看板を見て、ロをそろえていった。
「プルトニカン生命!」
正確には、その看板。
「|冒険者《ぼうけんしゃ》のあなたが主役。未来を保障する、プルトニカン生命。エベリン支社」
と、|派手《はで》派手しく書かれてあった。
「あの派手な野郎《やろう》、なんて名前だっけか?」
トラップが聞いた。
「ヒュー・オーシだったと思う。ね、オーシ。やっぱり、なんか関係があったのね? 彼と。|親戚《しんせき》か何か? もしかして、兄弟とか」
「ヒューは、おれの従兄弟《いとこ》さ。おめぇら、ヒューの野郎と知り合いなのか?」
「知り合いってわけじゃ、ないけどさ」
「まさか、おめぇらみてーなヒヨッコにまで、営業したんじゃなかろうな」
「それが……その……」
「けっ、あいつも腕《うで》が落ちたもんだぜ」
と、そのとき。
「ローレンス、ローレンスじゃないか!」
だしぬけに後ろから声がした。
いやぁ、きょうは一段と派手さに磨《みが》きがかかってる。緑と赤の細いストライプの入った白い
三揃《みつぞろ》えのスーツ、エナメルの白い靴《くつ》、緑に金色の飾《かざ》りがついた黒いサングラス。
そう。超弩級《ちょうどきゅう》に派手な保険屋、ヒュー・オーシだった。
「ローレンス、おろ? それに、あんたらは……」
びっくりまなこのわたしたちを見て、
「おそろいで、どうしたんだい? あ、わかった。考え改めて、だ。みんな、保険に入りたいってぇ寸法だろ? あん?」
と、ひとりでうなずき、大きな黒いカバンから書類らしきものを取りだそうとしている。
「ち、|違《ちが》うんですよぉ」
「ヒュー、おめぇも相変わらずだなぁ。ちったぁ落ちついたかと思ったのによぉ」
「おお、ローレンス。あんたがあたしんとこに来るなんざ、めずらしいじゃないか。いったい、どういう風の吹《ふ》き回しだい?」
わたしたちは、オーシの顔をマジマジと見つめた。
「ローレンス?」
「オ、オーシ……。あなた、ローレンスっていう名前だったの?」
すると、オーシは赤銅色《しゃくどういろ》に顔を染めて、
「悪いか。なんて名前だって、いいじゃねーか!」
と、すごんだ。
「けっけっけっけっ……! ローレンスねぇー。似合いすぎだぜー」
トラップはお腹《なか》を抱《かか》えて笑いころげた。
「でよぉ、ローレンスさんよぉ、はえーとこ、話つけてくれよ」
「待ってろって」
オーシはブンむくれた顔のまま、|苦々《にがにが》しくいった。
「なんだ? 商売の話か?」
と、ヒュー・オーシ。
「そうなんでぇ。おめぇんとこ、エレキテルなんちゃらってーゆう、えれえ速え乗り物、何台も持ってたよな?」
「エレキテルパンサーか? あれは、あたしの私用だけど。ま、会社にも一〇台くらいはあるわな」
「だろ? それをさ、ちこっと貸してくれねぇか?」
わぉ! そういうことだったんだー。じゃ、あのすごいマシンをわたしたちが使えるかもしんないって、話??
そう考えたのはわたしだけではない。みんな期待に満ち満ちた目で、ヒュー・オーシの返事を待った。
しかし、ヒュー・オーシは渋《しぶ》い表情。
「あれ、いくらすると思ってるんだ? え? いくらローレンスの頼《たの》みったって、おいそれと貸せねぇよな。だいち、あんたら全員乗るってったら、何台になるんだ? 一応、ありゃひとり乗りのスポーツタイプだからな」
しかししかし、ローレンス・オーシも負けちゃいない。そっけない表情のまんま、
「そういや、そろそろ決算じゃねーのか? お宅《たく》の会社はよぉ。今月はどうだったんだ? コーべニア支社よか、成績よかったのか?」
すると、ヒュー・オーシの眉《まゆ》がピクッとなった。
「ここで、何口か契約《けいやく》取れりゃさ。たとえ小口《こぐち》のでも、ちがうんじゃねぇのか? ま、よくは知らないけどさ」
「じゃ、あんたら全員、契約してくれるってーことか?」
おいおい! なんなの? それ。
「ちょ、ちょっと待ってよ、オーシ。んな、勝手に決め……」
わたしがだんぜん抗議《こうぎ》をしようとしたら、オーシがわたしの肩《かた》をぐいっとつかんで、ささやいた。
「ま、待てよ。いいか、おめぇらはなにがなんでも、一刻も早くサラディーへ行きたいんだろ?」
「そ、それはそうだけど。でも、んな私設の保険なんかに入るゆとりないわよ」
「んなこた、百も承知だ。だぁら、例のサラディーの記念切手の件、あれで儲《もう》けた金で何とかお茶をにごせばいいじゃねぇか。あん? 何もでかい生命保険に入れとは、あいつもいわんぜ」
「そう……。ちょっと待ってね」
わたしは、とりあえずみんなに相談した。
「わたしは、必要だと思いますよ。そろそろ率のいい保険に加入するのは」
とは、キットンの弁。
「おれは、必要ねーと思うぜ。思うけどよ、そうしなきゃサラディーへ行けないってんなら、しかたないだろ」
これは、トラップ。
「クレイ、早く元に戻《もど》すため。しかたない」
これは、ノルね。
「ぼく、よくわかんないデシ」
「ほきぇんって、なぁに? それより、ぱぁーるぅ、ルーミィおなかぺっこぺこだぉぅ」
と……、このふたりは関係ないとして。結論、「しかたない」っつうことになった。
「じゃ、オーシ。わたしたちで無理のない範囲《はんい》でなら、OKよ。保険に入るわ」
「おや、そうですかい! そういう話なら、さっきの相談も乗らないことも、ないですねー」
いっきなりデスマス調になるなよなー。
「じゃ、どうです? 前にも話したプルトニカン・スペシャル。これにしたら。こいつぁ、利率もいいし。種類に応じては、|掛《か》け金も少ないし。ま、貯金って考えればよいわけで。未来への投資っていうこってすかね」
ヒュー・オーシは、すっかり営業スマイルになって黒いカバンから分厚《ぶあつ》いノートや書類を取り出した。
STAGE 4
「おい、これほんとにだいじょうぶだろーな」
「だ、だって……きゃああー!! ゆれるぅ、落とされるぅ」
わたしたちは、ヒュー・オーシの会社から借りた乗り物に乗って、サラディーを目指し、またあの砂漠《さばく》をドンドコひた走っていた。
その乗り物っていうのが……。エレキテルヒポポタマスっていう奴で。
「な、なんだ? こりゃ」
「だから、エレキテルパンサーじゃ、あんたら全員乗せていけないだろ? その点、このヒポポタマスは頑丈《がんじょう》だし性能もいいし」
「ヒポポタマスって、はえー話がカバじゃねーか!」
そうなのよね。
保険の契約《けいやく》をすませた後、連れていかれたガレージにいたのは。
|図体《ずうたい》のでかい……カバそのものだったのだ。もちろん、エレキテルとつくからには、その小さなウチワみたいな耳もバチバチッと電光が走ってたりするし、つぶらな瞳《ひとみ》も蛍光《けいこう》グリーンに光ってたりするんだけど。
そのうえ悲惨《ひさん》なのは、カバ君の胴体《どうたい》にデカデカと「|冒険者《ぼうけんしゃ》のあなたが主役。未来を保障するプルトニカン生命エベリン支社」って書いてあったこと。
そのカバ君の背中にカゴみたいなのが、くくりつけられていて。そこに座席が設置されてあった。でも、あんなとこに全員乗るのか? おいおい、って感じの小さなもので、旅の快適さなんてものは全く保障されてないに等しかった。
そのカバ君。さすがに速い。速いことは速いんだけど、旧型だとかで、まだ野生の習性が色《いろ》|濃《こ》く残っているみたいで、
「おい! 急に座りこむな! なんだ、おい、ね、|寝《ね》てんじゃねーぞ! この、カバ!」
トラップは、終始がなりっぱなし。わたしたちもおちおち寝てられない。
「ふむふむ、これ、なかなかよかったじゃないんですかね」
キットンがさっき契約した保険の証書を子細《しさい》に見ながら、いった。
「ほんと? どんな保険なの?」
「うんと、これはパーティのパック保険でしてね」
「うんうん、そんなこといってたね」
「で、メンバーひとりひとりが払《はら》う必要はなくって。|一括《いっかつ》して月々払っていけばよいわけで。満期が二年っていうから、たいしてたまるわけでもないですね。ま、でも、これによると、冒険中に起こった事故や傷害、病気などに対して七〇パーセントまでの保障をしてくれるそうですし。それに、武器などの損害も保障してくれるんだそうですよ」
「ヘー、それはいいね。じや、たとえば今回のクレイみたいなときは?」
「えーっと……。ああ、残念ながらダメです」
「どうして? 冒険中の事故でしょ」
「いや、まず。あれは冒険中ではなかった。そうでしょ?」
「ま、厳密いえば、そうだけど」
「それから、|魔法《まほう》使い、|魔女《ウイッチ》、ウィザード、なんでもいいんですが。このソーサラー系の敵から状態変化の魔法をかけられた場合は、保障の限りではない、とあります」
「そうねー。あんまり頻繁《ひんぱん》にあることじゃないしね」
わたしは、またクレイを見た。
クレイったら、ルーミィとシロちゃんのあいだで寝ている。
その三人(いや、正確にいうと、ひとりと一匹と一羽)のほほえましい寝姿に、またまたため息をついた。
エレキテルヒポポタマスは、最高時速一三〇キロ。ただ、このヒポちゃん、ちょっとポンコツらしくって、八〇キロを超《こ》えると危なっかしい。
そそ。カバとかいうのもなんだから、勝手にヒポちゃんってネーミングしてしまったのだ。
「おい、カバ! まっすぐ走れよ。お、重い! このハンドル壊《こわ》れてんじゃねーのか?」
ヒポちゃんの首から突《つ》き出たハンドルに、ほとんどしがみついたような格好《かっこう》のトラップは、カバって呼んでるけどね。
しかし、なんだかだと文句《もんく》はいってても、実際歩くのとはケタ違《ちが》いに速い。小一時間でズルマカラン|砂漠《さばく》を脱出《だっしゅつ》。後は、|見渡《みわた》す限りの草原だった。
「道はわかってる?」
「ああ、このセンサーが狂《くる》ってなきゃな」
「センサー?」
「ほら、これ」
見ると、ハンドルの下に小さな計器があって。小さな点が点滅《てんめつ》している。
「これを目指してけば、いいはずなんだよな。さっきインプットしたからよ」
「そっか、ヒポちゃんってなかなか進んでるじゃない?」
「なぁーにがヒポちゃんだ。んなかわいいもんかよ、おいおいおい! どこ行くんだよ」
「きゃあ―――!」
ヒポちゃん、何をとち狂ったか、|突然《とつぜん》進行方向から九〇度右に曲がっていった。
「わわわわ……」
「おい、この、バカ! じゃねー、カバ!」
見渡す限りの草原といったけど、よくみると所々に水たまりがある。なんとヒポちゃんは、その水たまり、それもかなり大きなのに向かって突進していったのだ。
「ま、まさか!」
「おめー、|人並《ひとな》みに水浴びがしてーとかいうんじゃねーだろーな」
「うぎゃぎゃぎゃぎゃ……」
その、まさかだったのだ。
ヒポちゃんは、わたしたちの絶叫《ぜっきょう》を無視して、水たまりにバシャバシャ入っていったからたまらない。
「うわあああああー」
「冷たい!」
あーあ……。
「ちょっと、どうなっちゃうの? わたしたち」
「知らねーよ」
わたしたちを背中に乗せたまま、ヒポちゃんは水たまりのまん中で気持ちよさそうに水浴びを始めた。不幸中の幸いというか。全身を水につけるはどは、水たまりが深くなかったからよかったけどね。この水たまりが汚《きたな》いんだ。「泳ぐ」とか「|潜《もぐ》る」とかされようものなら……!
しかし、よほど砂漠《さばく》がいやだったのか。水につかったまんま、一歩も動かなくなってしまった。
「困ったなぁ」
「ちょっとビシッとだな。|尻《しり》でもはり飛ばしてやりゃ、動くかもしんねーな」
「だめよ、そんなことしちゃ。気分悪くして、暴れだしちゃったら、もっと悪いじゃない?」
「あーあーあーあ、なんでおれがカバの気分を考えにゃならんのよ」
「しかたないわ。とにかくヒポちゃんが気のすむまで、ご飯にでもしましょうよ」
「日が暮《く》れるぞ。んなこといってたら」
そう。今日は一日。朝からいろんなことがあったけど。まだ太陽は西に傾《かたむ》き始めたくらいで、|辺《あた》りは明るかった。
「わびしいもんですね」
と、キットンがサンドイッチをほおばりながら、しみじみといった。
「こうやって、水たまりの中、カバの背中で夕飯をとりながら、日が傾いていくのを見るというのも」
いっとくけど、笑いごとではないんだからね。
どうしてこう、わたしたちの冒険って、かっこよさなんてもんから無縁《むえん》なわけ? あのジュン・ケイなんか、かっこよさのかたまりだったじゃないか。あの人からかっこよさを取ったら、服がバサッと落ちてしまうんだろうな。きっと。
現金なもので、ヒポちゃんが水たまりに暴走しょうが、水浴びを始めようがぐっすりと寝《ね》こけていた、例のひとりと一匹と一羽は、夕飯という言葉で目を覚ました。
「あれ? どこなぉ? ここ。わーいわーい、水たまいぃー」
ルーミィは大はしゃぎ。
「もう着いたデシか?」
と、シロちゃん。
「|違《ちが》うの。んとね……。ま、いいや。早くご飯食べたら?」
「ルーミィ、おなかぺっこぺこだおう!」
「はいはい、わかってるって」
そんな一見ほのぼのとした、実はどうしようもなくなさけない状況下《じょうきょうか》。ひとりの農夫が通りかかった。
彼は三〇|歳《さい》くらいの男の人で、ロバに乗っていた。
「やぁ、どうしたんだぁー? んなとこさ、いて」
「あ、どうも。その……この、乗り物がですね。急に水浴びを始めちゃって。で、動かなくなっちゃったんですよ」
「ほんだらば、おめーさんがた、因ってらっしゃるんだか?」
「はい、はい! 大変困ってますです」
「そっかー。そりや、まー大変だのし。んだらば、その辺、サラスちゅう化《ば》けもんが水飲みにくるっちゅう噂《うわさ》だから、気いつけてな。あいつぁ、夜行性だも。日が暮《く》れんうちに、|逃《に》げたほうがよかんべーよ」
その人、もしかして助けてくれるとかいうんじゃないかしら、と期待させながら、反対に不《ふ》吉《きつ》な言葉を残しただけ。ロバにムチをくれ、トットコ行ってしまった。
「サラス??」
「おいおい、|勘弁《かんべん》してくれよぉ」
「ちょっと、お待ちください。今、調べてみますから」
キットンは、モンスターポケットミニ|図鑑《ずかん》を広げた。
そういってるうちにも、日が加速度を増して落ちていく。さっきまであんなに明るかったというのに、みるみる影《かげ》が長くなってきた。
|巨人《きょじん》が太陽を沈《しず》めにくるんだ、という伝説があるのを知ってる? その巨人は、|火傷《やけど》してはいけないからって、手に冷たい息をフウフウ|吹《ふ》きかけながら太陽を沈めるんだって、|昔話《むかしばなし》の本に書いてあったけど。その息みたいに冷たい空気が、草原をサァーッと渡《わた》っていった。
「あ、ありました!」
気味が悪いほどの静寂《せいじゃく》をキットンが破った。
「サラス。主に草原に生息し、単体で行動するモンスター。ウネウネとなった長い髪《かみ》を巻きつかせ、|窒息死《ちっそくし》させる。見かけよりは体力があり……」
「そんで、弱点は?」
「いや、とにかく。このモンスター、知らないあいだに忍《しの》び寄るのが得意《とくい》中の得意らしいですし。注意を怠《おこた》らないようにって、書いてあります。で、弱点なんですが……」
「うんうん!」
「おお、これはラッキーだ」
「なんなの? 気をもたせないでよー」
「あ、すみません。つい興奮しちゃって。えっとですね、このサラス。鳥の羽に弱いんだそうです。鼻とか耳とかを鳥の羽でくすぐると、退散すると書いてありますね」
「よ――し、クレイ。そこ動くんじゃねーぞ」
トラップがガバッと立ち上がった。
しかし、クレイも今は身軽なオーム。ギェッギェッといいながら、空高く飛んで逃《に》げ出した。
「お、おい、この薄情者《はくじょうもの》。羽の一枚や二枚、いいじゃねーか。仲間がピンチだっつーに、どーゆう了見《りょうけん》してんだよー」
「トラップ。あなた、言い方があるでしょ? クレイも今はオームなんだから、あんな言い方して迫《せま》ったら、つい逃げ出すのも無理ないと思うわ!」
「じゃ、おめーが説得《せっとく》しろよ」
「わかったわよ。見てらっしゃい!」
と、わたしがタンカを切ったとき。
「うひゃぁぁ――、た、たすけてぇ」
キットンの声がしたと思って、ふり返ったときにはすでに彼はいなかった。
ボッチャン!
|派手《はで》な水音。大急ぎでヒポちゃんの背中から、下を見降ろすと。キットンとおばしき手が見えた。
んなに深くないって思ってたけど、それはヒポちゃんにとってであって。人間にとっては、結構深いんだ。
「た、たいへん!」
「サラスか?」
「わ、わかんない。クレイ! 早く早く降りてきてちょうだい!」
「チョーダイ! チョーダイ! チョーダイ!」
でも、クレイは空高く気が狂《くる》ったようにグルグル回り、わたしの口真似《くちまね》をするだけ。
ガバッと、また派手な水音。
キットンがビショヌレになって顔を出し、|無我《むが》|夢中《むちゅう》で苦しそうに息をした。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
「キットン、どーなったの?」
「サ、サラス……」
なんなんだ、あれは。
キットンの首や肩《かた》に、ウネウネとした金色の長い髪《かみ》が巻きついている。
「やっぱり、サラスなんだね!」
「で、本体はどこにいるんだよー」
「わかんない。髪の毛だけ、今見えた!」
「キットン!」
わたしは泣き出しそうになるのを、|懸命《けんめい》にこらえ、
「トラップ、なんとかして!」
と、トラップの肩をグイグイゆすった。
「ちぇ、しかたねーな。おい、この紐《ひも》の先、しっかり持ってるんだぜ。あ、おめーじゃダメだな。ノル!」
トラップは自分の胴体《どうたい》に紐を結びつけ、ノルに声をかけた。
「ギュィーチュィ、ギューン!」
しかし、そのとき突然《とつぜん》ノルが大声で叫《さけ》んだ。
すると、クレイ。ピタッと止まって、こっちを見下ろした。
「ギェ、ギェ、ギュィ!」
ノルが鋭《するど》く鳥の鳴き真似《まね》をする。
「ギッギッギ!」
クレイは、さらに鋭く鳴き、さっとノルの太い腕《うで》に舞《ま》い降りた。
そうだ。ノルって、動物と話ができるんだった!
ノルは静かにクレイの体を押《お》さえ、|尾羽《おばね》を一本抜き取った。クレイは騒《さわ》ぎもせず目を閉じている。
「これ」
ノルが差し出した羽をトラップは受け取り、
「さんきゅ! じや、代わりにコレな」
と、さっきの紐《ひも》の先をノルに手渡した。そして、わたしの腰《こし》のショートソードを断わりもなく抜き取り、それを口に咥《くわ》えた。クレイの羽は手にしっかり握《にぎ》っている。
「トラップ!」
わたしの心配そうな声を背に、彼はジャブンと下に飛び降りた。
黒く淀《よど》んだ水に、トラップとおばしき派手《はで》なオレンジの上着やキットンとおばしきボサボサの髪《かみ》が見え隠《かく》れした。
「トラップあんちゃん、だいじょぶデシか?」
シロちゃんが目をまんまるくして、わたしにいう。
「わかんない!」
そう。ほんと、こうなったら神に祈《いの》るほか、ないんだもの。
「ボク、大きくなるデシか?」
「ううん、もうちょっとようすをみよう」
シロちゃんの申し出はありがたかったけど、この場合、大きくなったからといって、|状況《じょうきょう》が好転するとは思えなかった。
「じゃ、熱いの吹《ふ》くデシか? まぶしいのでもいいデシよ?」
そういってくれるシロちゃんを、わたしはたまらなくなって抱《だ》きしめた。
ジャバンジャバンとすごい水音。
見ると、長い長い髪の毛を巻きつかせたトラップが、「なにか」に馬乗りになっていた。
「トラップー!」
「てめー、ざけんじゃねー! こーしてくれるう!」
トラップの手に燦然《さんぜん》と輝《かがや》く(ように見えた)のは、クレイの尾羽。
しばらくして、その「なにか」が猛烈《もうれつ》に暴れだした。そして、トラップの体に巻きついてい
た、ウネウネの金髪《きんぱつ》がウネウネと後退していった。
ありゃあ、なんだぁ!?
長い長い、四メートルくらいある金髪をひきずりながら、ソロソロと水たまりの岸から遭《は》い上がってきた奴《やつ》。黒くて細い、意外に小さな体のソイツ。一度だけこっちをふり返った。その顔を見て、わたしは叫《さけ》んでしまった。だって、だって、むちゃくちゃいい男の顔してるんだもの。他の体はヌメヌメとした、|軟体《なんたい》動物ていうか、スライムみたいなのに、顔だけ整った人間の顔。で、長い金髪でしょ? 気持ち悪い、ったらない。
しかし、とりあえず、なんとかなったみたいで。トラップはキットンをひきずって、上がってきた。
「キットン!」
キットンは、目を白くさせて気絶していた。
「気絶してたから、かえってよかったんだぜ。おい、キットン!」
トラップは自分もずぶぬれになったまま、キットンの背中をどついた。
「ゲホッ! ゲッ!」
キットンは、飲んでいた水を吐《は》きだし、ようやく気がついたみたいだった。
「だ、だいじょうぶ?」
「はぁ、はぁ、ああ、みなさん。こ、この件は、その、さっき契約《けいやく》した保険の対象になりますね、きっと」
あきれかえって、何もいえないわたしたちを前に、キットンはニマニマと、力なく笑ってみせた。
ノルにヒポちゃんの説得《せっとく》をしてもらったら、すんなりOK。ヒポちゃん、|機嫌《きげん》よく、さっきよりずっと快調に飛ばしはじめた。
そうなんだよね。ノルが動物と話せるんだってこと、さっきの事件があるまですっかり忘れてたんだ。わたしたちって、ほんとおバカ。
夕日に染まり、|琥珀《こはく》色の波のようにうねる草原をかけぬけ、我らがヒポちゃん、今度は森の中へと入っていった。
「そろそろ着いてもいいころだぜ」
あれから一時間半くらいたったかな。トラップがいった。
もう日もとっぶり暮《く》れて、細い糸のような月が夜空に浮《う》かんでいる。ヒポちゃんの目がちょうどヘッドライトの代わりになって、前のほうだけはよく見えるんだけど、|辺《あた》りはうす暗くしか見えない。
ホウホウというフクロウの鳴き声や犬とも狼《おおかみ》ともつかない遠吠《とおぼ》えがする。
「ヘックショイ!」
トラップがくしゃみした。
さっきずぶぬれになったから、|風邪《かぜ》ひいちゃったのかも。
「トラップ、寒いんじゃない? はら、このマント着ていいよ」
「け、んな趣味《しゅみ》のわりーマント着られっか!」
趣味が悪いって……(絶句)。いやいや、オレンジ色の上着に緑のタイツという趣味の持ち主には、この純白で小さな金色のボタンが一個ついただけの上品なマントも趣味が悪いと映るのかもしれない。
「趣味とか、そういう問題じゃないでしょ。今、風邪なんかひいちゃ大変だもん。|文句《もんく》いわずに着なさいよぉ」
と、わたしたちがマント関係でもめていると、
「あ、町デシ! 明かりが見えるデシ」
と、シロちゃんがいった。
「え? あ、ほんとほんと。ほら、あの山の陰《かげ》」
その小さな明かりは点々と、か細く山の陰にまたたいていた。
「助かりましたねー」
「いやー、おれの操縦《そうじゅう》もたいしたもんだ!」
ここから、あれくらいの大きさで町の光が見えたということは……。まだまだ、たぶん後二時間くらいはかかるんだろう。山道になってからはスピードもぐんぐん落ちたし。でも、目標がしっかりわかっていて行くのと、そうじゃないのじゃ、気分がぜんぜん違《ちが》うもんね。
トラップもすっかり疲《つか》れがとれたような顔で、いった。
「よーし、後ひとふんばりだ。気合い入れていこーぜ! な、カバ」
サラディーって国。これ、ほんとに国なの? っていうくらいに小さかった。国っていうよりは、村とか町っていうかんじ。
目標と定めていた、町の明かりも消えてしまい、心細い限り。
「いやに静かなところだな」
「そうね、もうみんな寝《ね》ちゃってるのかも」
「おいおい、まだ宵《よい》の口だぜ。これから酒場に繰《く》り出してって時間だろ?」
「でも……」
そう、わたしの考えは当たっていた。
サラディーは典型的な農業国で、だから、みんな日の出から起き出し、日の入りで寝てしまうという……。ま、それはオオゲサだけどさ。夜の九時くらいともなれば、ほとんど深夜。
やっとこさ一軒だけ見つけた宿屋も、看板だけはついていたものの、呼べど叫《さけ》べど、|誰《だれ》も出てこない。
「しかたないよぉ。どっかで野宿しょ」
「やだね。おれやキットンはなー、あのきたねー水ん中で、どんなに苦しい思いをしたか。な、キットン」
「そうですね。できれば、お風呂《ふろ》など入ってあったまりたいですねー」
へー、キットンがお風呂に入りたいなんて、めずらしいこともあるもんだ。
「あのー、どうかしたんですか? 旅の方ですか?」
誰もいないと思っていた、宿の奥《おく》から、小太りの男がひとり顔を出した。
「あ、よかった、助かった!」
「おれたちさ、ここに泊《と》まりてぇーんだけどさ。|部屋《へや》空《あ》いてる?」
宿屋の主人は、明るい茶色のクリクリした髪《かみ》の、人がよさそうな笑顔。
「ああ、やっぱりお客さんでしたか! めずらしいこともあるもんだ。さぁさ、上がってくださいよ」
いわれるまでもなく、トラップはズカズカ入っていった。
わたしは毎度のことだが、ノルに、
「ごめんね。ノル。だいじょぶ?」
と、聞いた。ふつうの宿屋に、ノルが寝《ね》てもだいじょうぶなべッドはない。あのリバージェンシーホテルだとよかったんだけど。
「うん、だいじょうぶだ。じゃ、裏で寝るから」
ノルは、にっこり笑って宿屋の奥《おく》へと行ってしまった。
「わたしのマント、持ってく? 寒いかもしれないよー」
と、声をかけたが、ノルは軽く手をふった。
うーん、なんか悪いなぁ。
「あ、わんこらぁ!」
ルーミィがが叫んだ。白と黒のブチの犬が、さかんに尻尾を振って愛想をふりまいている。ここで飼っている犬らしい。ルーミィはシロちゃんを抱いたままかけよっていった。
「よほど犬が好きなんですね、おじょうちゃん」
と、宿屋の主人。
よしよし、シロちゃんたらすっかり犬らしい振るまいが板についてきたようで、ブチ犬の臭いをクンクンかいだりしている。
「あなたたちの前に泊まったというと、うーん、半年は前になりますね。いや、ほんとめずらしい」
そういって、宿屋の人がお茶をいれてくれた。
「そんなにお客さんがいなくって、よく経営してらっしゃいますね」
わたしが聞くと、
「まぁ、わたしたちは、農家ですからね。副業というか、そういう宿の一軒もないと納まらないだろうっていう、ただそれだけの理由で、宿屋なんかやってるだけなんですよ」
「ふーん、でも、それだけで……だから、半年に一度来るか来ないかだけのために宿屋を経営するのも大変でしょ」
「そんなこともないですよ。宿といったって、ふだんは自分たちの住まい兼用なんだし」
なんか、いやな予感!
「さてと。こんな夜更《よふ》けまで旅をしてこられたんだ。さぞかし、お疲《つか》れでしょう? 部屋に案内しましょうね」
そういって、連れていってくれた部屋っていうのが。やっぱり予感通り、彼の家族が寝ているという部屋の横を通り抜《ぬ》けたところにある、|普通《ふつう》の部屋だった。
要するに、ここは宿屋とは名ばかりの、単なる民家だったのだ。
「こちらにサインをお願いします」
わたしは、|渡《わた》された宿帳にサインをした
「あのさ、|風呂《ふろ》に入りてーんだけどさ」
トラップが宿屋の主人に聞くと、
「申し訳ございません。今日の風呂はもう閉まったと思うんです」
と、ほんとに申し訳なさそうにいった。
「閉まったと思う、ですって……?」
「おいおい、|沸《わ》かしてくんない? おれたち、もうドロドロなんだけど」
「サラディーで、内風呂を持っている家なんて一軒もありませんよ。持っているとしたら、王様だけです」
「じゃ、みなさんどうしてるんですか?」
「共同浴場がありますんで。そこに入るんですよ」
うーん、たしかに、民家にひとつひとつお風呂があるというのは、聞いたこともない。だけど、宿屋にさえないってのは、初めてだ。
「じゃ、寝るしかないってこったな!」
トラップが少し不機嫌《ふきげん》な声でいった。
でもさ、やわらかなべッドで寝られるだけ、まだましかもしれないよ。これで文句いっちゃ、ノルに申し訳ない。
しかし……。
「なんだ、このベッド!」
そう。ベッドはカチカチに堅《かた》く、しかもジトジトと湿気《しっけ》で冷たかった。
「客が来ないって、もしかしたら、前の客が泊《と》まった後、|掃除《そうじ》もしてねーんじゃないのか?」
しかし、すっかり疲れが出てきたわたしたちは、そんな堅くてジトジトのベッドにもぐりこむと同時に、ぐっすり寝てしまった。
「お客さん、お客さん。朝ですよ。朝食ができてますから、起きてください」
ふみゃぁ?
いったい、何時なんだ?
わたしは、かすむ目で柱時計を見た。なかなか焦点《しょうてん》が定まらなかったが、ようやく今が五時
で……ええ?
「五、五時い??」
飛び起きて、時計に顔をひっつけて見たが、やっぱりどう見ても五時以外のなにものでもなかった。
「じょーだんじゃないわよぉ」
「お客さん、お客さん!」
「ったくぅ……」
目を半開きにしたまんま、わたしはドアを細く開けた。
「あ、おはようございます! もうすっかり用意ができております」
昨日の、宿屋の主人は、顔面に『アサ!』というすがすがしい二文字をくっきり浮《う》かべニッコリ笑った。
「ああ、あの、実をいうと。わたしたち、きのうとっても大変で」
「でしょうでしょう。ですから、早く朝食をとって元気をつけてくださいまし」
「い、いや……その、体もその筋肉痛とかで、|辛《つら》いもんで」
「ああ、お風呂《ふろ》でございますね。もうそろそろ共同浴場のほうが開くと思いますよ」
「んとぉ……。わ、わかりました。じゃ、いま行きます」
|押《お》しの強い人だなぁ。
わたしは重いまぶたとタメをはるくらいに重い頭を、なんとか支えながらドアを閉め、部屋をふり返った。そこには、|狭《せま》いベッドに折り重なるように眠る、というより、力という力を抜《む》ききったドロ人形の集団といったトラップたちがいた。
うつぶせになって、ベッドを縦断しているトラップの背中を枕《まくら》に、手を胸の上で組み合わせ、|鼻提灯《はなちょうちん》を出したり引っこめたりしているキットン。もうひとつのベッドには、ルーミイが、またまたシロちゃんの首を抱《かか》えこんで、|正体《しょうたい》なくしてるし。クレイまで、もはや鳥のくせして、そのベッドの端《はし》に止まったまま、コックリコックリやっている。
わたしは、これからの一大作業を思うと、ますます憂鬱《ゆううつ》になった。しかし、そうこうしてい
るうちに、またあの宿屋の主人がやってくるだろう。
「トラップ、キットン……。起きてよぉ」
ふたりの肩《かた》をつかんで、一度にゆすった。
しかし、まったく動かない。
「ちょっとぉ、起きてよってばぁ!」
かなり大きな声を出し、強くゆする。
「あぁ……、んなに、もてねーよぉ。じっちゃん……|勘弁《かんべん》してくれよぉ……」
トラップが寝ばけて、|寝言《ねごと》をいった。しかし、それだけ。
キットンは、うにゃうにゃいいながら寝返りをうち、バランスを崩《くず》してベッドの下にころがり落ちた。それでも、全く起きる気配すらない。あきれたことに、そのまんま床《ゆか》の上でまるまって寝てしまったじゃないか。
「だぁぁぁ……」
しかたないや。かくなるうえは!
「あ、トラップ! こんなところに、宝箱があるよ!!」
と、彼の耳元で叫《さけ》んだ。
ガバッと跳《は》ね起きるトラップ。キョロッキョロッと辺《あた》りを見回し、わたしの顔を凝視《ぎょうし》した。
「何時なんだよ」
「ご、五時……だけど」
しばらくの沈黙《ちんもく》。いきなり陰険《いんけん》に、半開きになる目。
「おめぇ、じょうだんも時と場合考えろよな! おれ、本気で怒るぞ」
そういって、またバンと寝ようとしたから、わたしはあわてた。
「待って、待って。トラップ、あのさ、いったん起きてよ」
しかし、もはやどうしようもなかった。そりゃそうよね。きのう一日、|慣《な》れないエレキテルヒポポタマスを操縦したりして。しかも、あのサラスって化《ば》け物と格闘《かくとう》したんだもの。他のみんなだって、おんなじだ。
わたしは肩《かた》を落とし、ひとりで下に降りていった。
「あ、みなさんは?」
と、宿屋の主人。
「すみません。実は、あんまり疲れているみたいなんです。寝かしておいてくださいません? 朝食は、後でなんとかしますし」
「そうですかぁ……。残念だなぁ。これ、焼きたてがうまいんですよ」
見せてくれたのは、ほんとにホッカホカの焼きたてパン。さっきからいい匂《にお》いがしているな
あと思ったけど、これだったのね。
「じゃ、顔を洗ってきたいんですが」
「ああ、裏に井戸がありますよ」
外は、ゆうべとはうってかわってにぎやかな活気あふれる町となっていた。このバカッ早い時間だっていうのに。
「うっ!」
ちょっと寒いや。やっぱり山間のほうが寒いんだね。
|肩《かた》をすくめ腕をさすりながら、裏に回ってみると。井戸でノルが洗濯をしていた。ノルの横には、きのうのブチ犬が気持ちよさそうに寝ていた。
「あ、おはよ! きのうは眠れた?」
「うん、ここの宿屋の人、馬小屋に特製ベッド、作ってくれた」
「あ、そうなの! わぁ、親切な人ね。ご飯はもう食べた?」
ノルの返事がないので、あれっと思って見ると。ノルがぼーっと通りのほうを見つめていた。
通りでは、若い女の子たちがしきりに笑いながら歩いていた。
「やだなあ! ノルったら、鼻の下長くしちゃって」
ノルの大きな背中をポンッと叩《たた》くと、
「え? あ、い、いや。妹もちょうど同じくらいだなと、思って」
と、ちょっとびっくりした顔。
「あ……、そうか。ごめんね。茶かしたりして」
「いい、別に。気にしないで」
ノルは、ブチ犬の首をやさしくなでながら、ニッコリ笑ってくれた。
「おめーら、何ひなたぼっこなんかしてんだよ!」
と、だしぬけに、不機嫌なトラップの声がした。
ふりかえると、彼は二階の窓から顔を出していた。
「ああ……、トラップ起きたの? 早いわね」
「起きた、とかいうんじゃねぇ。このオームのバカにつっつき起こされたんだ! メシ、メシ、とか騒《さわ》ぎまくりやがって。なんとかしてくれよ」
「他のみんなも起きた?」
「ルーミィとシロはまだ寝《ね》てる」
「じゃ、起こしてやってよ。おいしいパンができてるって」
「えー!? 王様もオームに変えられちゃったんですかぁ?」
わたしが叫《さけ》ぶと、宿屋の主人も他のメンバーも全員、オームになったクレイを注目した。
クレイはしばらくモジモジしていたが、あげくに、
「メシ!」
と、ひと声鳴いた。
「じゃ、じゃあ、このオームも?」
宿屋の主人がクレイを見つめていった。
複雑な表情でうなずく、わたしたち。そして、宿屋の食堂中に重く充満《じゅうまん》する、ため息。
「そう、でしたか……。いや、もしやそうかもしれないとは、思っていたんですが。まさか、そんな失礼なこと、お尋《たず》ねするわけにもいきませんし」
「で? その王様を変えた魔女《ウイッチ》っていうのは……」
「ふだんから図体は大きかったですが、なにやら呪文《じゅもん》を唱えたかと思うと、ムクムクと、まるで雲のように大きくふくれあがったりするんです。|恐《おそ》ろしい人ですよ」
「やっぱり……」
「そのババァだ。おれたちをひでぇめにあわせたのは」
トラップは、すっかりその原因を作ったのが誰だったか、忘れさっているようだった。
「しかし、どうしてまた王様がオームに?」
キットンが聞くと、宿屋の主人はまたまた深いため息をついた。
「実は……」
そういって始めた主人の話は、なんとも割に合わない、ちょっとなさけない(失礼!)ものだった。
その日は、王様の六四回目の誕生日《たんじょうび》だったそうだ。
このサラディーという国。小さく、また貧乏《びんぼう》ではあったけれど、人々はみんな王様を信頼《しんらい》しきっていて、犯罪らしい犯罪もないという……まことにのどかな国なんだそうで。
「ですから、その王様の誕生日はみんな総出で祝おうという計画を立ててましてね。といっても、わたしらは大それたことをするゆとりもなければ、そんなことをして喜ぶ王様でもない。で、考えあぐねていたわけですよ。
去年は、村じゅうの女たちが一年がかりで刺繍《ししゅう》したベッドカバーと、男たちで作った新しいベッドをプレゼントしました。なにせ、王様がそれまで使ってらっしゃったのは、古くって。たしか、先代の先代の、これまた先代が使っていたベッドじゃなかったかしら。もうガタがきて、|寝《ね》ているとギーコギーコうるさかったそうですし。王様はたいそう喜んでくださいました」
「王様って、どんな方なんです?」
「すばらしい方です。ほんとに人が良すぎるくらいの方で。だから、まぁ、王様でいらっしゃるのに、|執事《しつじ》ひとりと料理人をひとりしかつけていないし、とても質素な暮《く》らしをなさっています。毎日、ご自分で庭の手入れなどもなさっていらっしゃるし、とても気さくな方でみんなに声をかけてくださいますし。事情を知らない人が会っても、まさか王様だとは思わないでしょうね」
「なるほどね」
「で、なんにしたんですか? プレゼントは」
「はい。それが、王様がふだん昼寝に使っていらっしゃる、|長椅子《ながいす》もね、かなりガタがきておりましたんで。それを新調してさしあげようということになりました。また、去年と同じく女たちが長椅子のカバーを作り、男たちが手分けして椅子を作ったというわけです。
その椅子は、かなり凝《こ》った出来で。いたるところに彫刻《ちょうこく》をほどこし、自分たちでもそうとうの自信作だったんです。
実際、その椅子のすばらしさに王様も大感激《だいかんげき》してくれましてね。
でも、ひとりバカなことをつい口走った奴《やつ》がいたんですよ……」
そういって、ガックリ肩《かた》を落とした宿屋の主人は、ちらっと横の戸口に目を走らせた。
「いったいなんていったんですか?」
「マラヴォアの婆《ばあ》さんだって、この椅子をほしがるに決まってるって」
「マラヴォアって……」
「あの魔女《ウイッチ》の名前です。伝説によると、マラヴォアはこの世にふたつとない、価値のあるものだけをコレクションしているということで。
いや、その軽率なことをいってしまった奴も彼女が実在する魔女だとは知らなかったんですよ。単なる伝説の恐《おそ》ろしい魔女だと思っていたんです。わたしたちもそうでした。まさか、あの……」
と、主人は両手で目を押《お》さえ、信じられないというように首をふってみせた。
「この村に時々やってきては、野菜だのを買ってゆくひとり暮《ぐ》らしの婆さんがいたんですがね。婆さんにしては体の大きな……。愛想もなにもない、ちょっと偏屈《へんくつ》な婆さんだったけど、まさか」
「ああ、そうか。それが、マラヴォア、その人だったと?」
「ええ。しかも、間の悪いことに、ちょうど奴が軽口をたたいたとき、居合わせてしまったんですよ。その婆さんが。
で、マラヴォアはわたしだが、こんな長椅子などほしくもないといいだして。みんな笑いました。そりゃ、そうでしょ。悪魔も恐れる魔女が、あんな婆さんだなんて。
すると、あの不気味な呪文《じゅもん》をブツブツといいはじめたんです。ちょっと気持ちが悪くなったわたしたちは『いいよいいよ、わかったから』と、婆さんを追っぱらおうとしたんですが、それより前に婆さんは両手をふりかぎし」
「両手の指先から光線が出たんですね!?」
「そ、そうです。さっきの暴言を吐《は》いた男がやられました。あっという間もなく」
「オームになったんですか?」
「いえ、ブチの犬になってしまったんです」
「ブチって……、あの?」
宿屋の主人はガックリ落としていた肩を、ますます落とした。
「はぁ……、その馬鹿《ばか》なことをいってしまった奴《やつ》っていうのが、わたしの息子《むすこ》でして」
「げげんっ!」
「ひょぇー!」
「いやぁ、まだ息子が犬になったってだけならよかったんですよ。マラヴォアは、ムクムクと黒雲のように大きくふくれあがり笑いだしたかと思うと、お城の方へと行ってしまいまして」
「王様をオームに変えたと?」
「ええ。マラヴォアは王様に長椅子を譲《ゆず》るようにいったんです」
「けっ、結局ほしいんじゃねーかよぉ」
と、トラップ。
「いえ、たぶんあれは、ほとんど意地じゃないですか?」
「かったりー|野郎《やろう》だぜ」
「しかし、王様はわたしたちからの贈《おく》り物だから、いくらマラヴォアであろうと、譲るわけにはいかないと……」
ここで、宿屋の主人は唇《くちびる》を噛《か》みしめた。
「いい人なんですね……」
「はい、ほんとに。あんな長椅子、くれちまえばよかったんですよ。なのに、サラディー国に伝わるという宝を代わりに譲ってもよいから、長椅子は勘弁《かんべん》してくれと……」
「そっかぁ……。ほんとに、いい人なんですね」
「そうです! あんなにいい人はいませんよ」
宿屋の主人はこぶしを固く握《にぎ》りしめて、テーブルをドンと叩《たた》き、テーブルの上の食器類がガチャンッ! と踊《おど》った。
そして、彼はその握りこぶしを開き、わたしの肩《かた》をしっかりつかんでいった。
「わたしたちの王様を助けてください。わたしの息子は、ついででいいんですから。あなたがたは、|冒険者《ぼうけんしゃ》ですよね!?」
そうだ。冒険者は、ここで「NO」なんていえるわけがないんだ。
STAGE 5
「ここ、お城デシか?」
シロちゃんが、めずらしそうにキョロキョロしている。
「たぶんね……」
「これが、城かぁ?」
わたしたちはその王様に会うため、お城へと向かったのだが、トラップがそうつぶやくのも無理はない。
だって、お城とは名ばかり。ちょっと大きめの屋敷《やしき》っていう感じで。門番のひとりもいない。|素朴《そぼく》な花を咲《さ》かせた雑草がいたるところに生えてて、門は開いていた。
わたし、お城に入ったことって、これが初めてだけど(外から見たことはあるよ!)。どう見ても、これはお城なんてもんじゃなかった。
「なにかご用でしょうか?」
重くって錆《さ》びついた、ライオンのノッカーで玄関《げんかん》の扉《とびら》を叩《たた》くと、ギシギシいわせながら扉が開き、中から品のいいおじさんが出てきた。
|櫛目《くしめ》のキッチリ通った銀髪《ぎんぱつ》。くたびれた背広を着た背の高い人で、|疲《つか》れ果てたような暗い表情。
ははん、この人が執事《しつじ》さんなんだな。
「実は、カクカクシカジカでして」
わたしがこれまでの事情を説明すると、
「さぁさ、中にお入りくださいまし。よく来てくださいました」
おじさんの顔がパァッと明るく輝《かがや》いた。
通されたのは、応接間。ま、一応お城なんだし、接見の間といったほうがいいんだろうけど、なんていうかとっても庶民的《しょみんてき》な部屋《へや》だった。
「ただいま、お茶をお持ちいたします」
と、執事さんは扉を静かに閉めていってしまった。
「|金目《かねめ》のもん、一個もねーし……」
部屋じゅうをキョロキョロしながら、トラップがいった。
「なんてこといってんのよ!」
「んてこといってのよ!」
わたしの真似《まね》をしたのは、もちろんルーミィ。
「ん? おれの場合、|盗《と》る盗らない関係ないもんね。一応|物色《ぶっしょく》くらいはしとかなきゃさ、プロの盗賊《とうぞく》とはいえねー」
そういいながら、|暖炉《だんろ》の上に飾《かざ》ってあった、|燭台《しょくだい》を取りあげ子細《しさい》に点検しはじめた。
「そりゃ、あなたの商売熱心はわかったけどさ。今はやめなさいよぉ。いつ、さっきの執事さん帰ってらっしゃるか、わかんないじゃん」
「だめだ。これも、|偽物《にせもの》だな。おっと、帰ってきたみてーだな」
わたしには、足音もなにも聞こえないんだけど、さすが盗賊。トラップには聞こえるのかな。燭台を元の位置に注意深く戻《もど》すと、トラップは古ぼけた椅子《いす》にふんぞりかえった。
「銀みたいだったけど、メッキもんだな。本気で貧乏《びんぼう》だぜ、この国はよ」
と、小さくつぶやいたとき。扉がカチャリと開き、なんともいえないいい香《かお》りが部屋じゅうにたちこめた。
「お待たせいたしました」
|執事《しつじ》さんは、なんとも素敵《すてき》な手さばきで、わたしたちに紅茶をついでくれた。
「こんなにおいしい紅茶は、初めてです」
わたしがそういうと、執事さん、なんともいえずうれしそうな顔をして、
「気にいっていただけて、よろしゅうございました。では、早速、王様をお連れいたしますゆえ、今しばらくおくつろぎくださいまし」
と、また扉の向こうへと去っていった。
「|堅苦《かたくる》しい野郎だなぁ、ま、しかし、ほんと、うめぇよ。これ」
トラップが下品にズズッと紅茶をすすりこんだ。
「紅茶といえば、貴重よ。こんな山奥《やまおく》じゃ」
「きっと、特別に出してくれたんでしょうね」
キットンも手元のカップをのぞきこみながら、うなずいた。
それだけ、わたしたちは期待されてるってことなんだよなぁ。う、責任重いし。や、しかししかし。クレイのこともあるんだし。ここはがんばんなきゃ!
執事さんがうやうやしく持ってきたのは、クネクネッと曲がった風流な止まり木に止まった一羽のオーム。
クレイとはちがって、全身が白一色。でも、やっぱり頭のてっぺんに、ピンとはねた羽があって、それだけが黄色だった。
「こ、これが、その、王様なんですか?」
わたしがそう聞くと、執事さんは暗くうつむき、深くうなずいた。
「やっぱ、王様だけあるよな。クレイなんかよか、ずっと気品があるぜ」
ノルの肩《かた》に止まっていたクレイは、そんなトラップの悪態も耳に入ってないようすだった。とにかくオームになった王様に注意が集中していたみたいで、頭の羽がビヤァーツと広がり、せわしく足踏《あしぶ》みをしながら、
「ギィ、ギィ、ギャ!」
と、神経質に囁いた。
そのようすに、王様のほうも同じように反応して、
「ギャァ、ギャ、ギギ、ギャ!」
と、|牽制《けんせい》しはじめた。
なんか、どんどんオーム化してないかぁけ クレイって。
「ノルに、通訳してもらったほうがいいんではないでしょうか」
キットンが提案《ていあん》した。
「そうよ、そうそう。ね、ノル、王様にあの魔女《ウイッチ》に会う方法を知らないか、聞いてみて。とにかく対決してみなくっちゃ話にならないよ」
「そうですね。この近くにいることだけは、確からしいし」
しかし、王様とオーム言葉で話したノルは、
「マラヴォアに、会う方法、王様も、知らないっていってる」
と、絶望的な結論を告げた。
「う―――ん……」
「困ったなぁ、どうしようもないのかなぁ」
わたしたちは腕組《うでぐ》み状態に陥《おちい》ってしまった。
みんなが黙《だま》りこくって、「はぁ」とか「うーむ」とかいってると、|突然《とつぜん》、クレイがバタバタ|騒《さわ》ぎ始めた。
「バカ、バカ、オバカ! インジャ、ウーラナイ、インジャインジャ! ギェッ」
「お、そうだ、そうだった。ほら、あのがめつい占《うらな》い師がいってたさ、|隠者《いんじゃ》つうのに会おうぜ」
「そっか。すっかり忘れてた。さっすがクレイ」
「うんうん、オームになってまで細かい!」
「あの、|執事《しつじ》さん、この近くの山奥《やまおく》に住んでいるという隠者の方って、ご存じありません?」
『隠者の方』っていう言い方も変だけど、『隠者』なんていうと、えらそうでしょ? かといって『隠者さん』つうのも、変すぎるし。
「隠者……というと、ああ、ペンダーグラス様のことでしょうか?」
「ペンダーグラス?」
「はい。サラディーのことはすべてご存じで、いえ、サラディーのことだけではありません。世の中のこと、すべてを正確に記憶《きおく》してらっしゃる、とてもとても偉《えら》い方ですよ」
「へぇー、記憶力が抜群《ばつぐん》なんですね。きっとその人です! そのペンダーグラスさんの住んでらっしゃる場所ってわかります?」
「はい。サラディーの北にライリー山という高い高い山がありまして。複雑な道でもありませんから、迷うこともないとは思うんですが、しかし地図を書いてさしあげましょう」
執事さんが書いてくれた地図は、とてもていねいでわかりやすかった。
「じゃ、山道といってもけっこう大きな道なんですね」
「そうです。馬車くらいは通れます。ただし、その道から、またさらに獣道《けものみち》を通っていかないと、ペンダーグラス様の家には行けませんが。さほどひどい道でもありません。けっこう楽に
歩けると思いますよ」
「なんにしろ、|途中《とちゅう》まではエレキテルヒポポタマスで行けそうだし、ラッキーですね」
と、キットンがいった。
ヒポちゃん……、また変なとこに突進《とっしん》しないでくれると助かるんだけど。
「おい、これのどっこが楽なんだよぉ」
途中までは、たしかに楽チンだったんだよね。すっかりノルになついちゃつたヒポちゃんで飛ばしてきたんだから。
ライリー山っていう、サラディーの北にある山。これが赤茶けた山でね。なんていうか、森なんてものがないのだ。木の代わりに、わたしたちの二倍くらいの背丈《せたけ》のススキみたいな草がボウボウと生えているだけで、まるでやせこけた山。そういえばサラディーの土地もやせてて、だから農作物もあまり育たないし、かといって他に特産物もないから貧乏《びんぼう》なんだそうだけど。
砂ぼこりはひどいし、だだっぴろいだけの道はガタガタだし。ヒポちゃんに乗ってたときだって、わたしたちは舌《した》をかまないようにって苦労したんだ。
その広い道を左に折れて、細い細い、ほんとの獣道《けものみち》に入って最初の目印のとこにたどりついたときだよね。先が思いやられたのは。だって、えらく遠くって三〇分は歩いたというのに、マップ上ではすぐ目と鼻の先みたく書かれてるんだもの。て――ことは? このペンダーグラスっていう人んちまで、いったいどれくらい歩いたらいいんだろう。
「あのヒポ公、|逃《に》げ出したりしねーだろうなぁ」
背の高い草を、うるさそうにかき分けながらトラップがいった。
ヒポちゃんは、さっきの分かれ道のところに置いてきたんだ。つないでおくのにちょうどいいような枯《か》れ木がころがっていたからね。
「だいじょぶでしょ。ノルが十分いいふくめておいてくれたし。ね、ノル」
後ろをふりかえると、ルーミィを肩車《かたぐるま》したノルが大きくうなずいた。
「シロ、だいじょぶか? 肩にのっけてやろっか?」
トラップが聞くと、最初を歩いていたシロちゃんが、
「トラップあんちゃん、ありがとさんデシ。でも、ボク、だいじょぶデシ。それより、こっちおいしそーな匂《にお》いするデシよ!」
と、|不吉《ふきつ》なことをいった。
ご存じのとおり、シロちゃんのいうところの「おいしい匂い」ってのは、とんでもなく「くっさい臭《にお》い」のこと。だって、あの鼻が曲がってしまいそうに臭いラップバードの臭いが、いい匂いだなんていうんだもん。
|執事《しつじ》さんに聞いて、お城を出発したのって、まだ朝の九時くらいだったでしょ。ほら、なにせ起きたのが、とんでもなく早かったから。でも、かれこれ、すでに辺《あた》りはひんやりと夕方の気配。足もズキズキ痛み始めた。
「あれ? おいしそーな匂いしなくなったデシ」
と、シロちゃんがさも残念そうにいったとき、トラップが立ち止まった。
「おい、ほんとにこの道でいいんだろーな」
「だいじょぶだと……思うよ」
「思うってなぁ、おめぇ、自分が方向|音痴《おんち》だっつうこと、常に自覚しておきたまいよ」
「んなこと、いわれなくたってわかってるってば。さっきの大きな岩、あったでしょ? あそこから右に折れて、もうすぐ小さな池があるはずなんだけど」
「右だってぇ!?」
「そ、そうよ。右に曲がったでしょ?」
トラップはわたしの顔をマジマジと見つめ、そして空を仰《あお》ぎ見た。
「ち、ちがった?」
「う、ぁぁっかやろー。あれがどーして右なんだよぉ。いいか、こっちが右。ナイフ持つほう。こっちが左。フォーク持つほう」
トラップはわたしの両手を強く握《にぎ》って、左右の確認をした。
そりゃ、いわれなくたってわかってるよぉ。だけど、だけどお。
「ほ、ほんとぉー? ほんとにさっき、こっちに曲がった?」
わたしは泣きそうになりながら、左手を上げた。
「ああ、そだよ。ったくぅ、これがマッパーだっていうんだからな。笑わせるぜ」
トラップが吐《は》き捨てるようにつぶやくと、みんな気詰《きづ》まりにシーンとなってしまった。
「わ、わたしがマップを見ましょうか?」
重い沈黙《ちんもく》を破って、キットンがいった。しかし、
「うん……、そうしてもらったほうが、いい、みたいね……」
わたしがマップをキットンに渡《わた》そうとしたら、トラップがそのマップを取り上げた。そして、わたしに突《つ》きつけた。
「だめだ。役割は役割だからな。パステル、おめぇはマッパーなんだよ。いっくら方向音痴でも、な。わかるか?」
「うん……でも」
「デモじゃねー。おめぇがここでキットンに代わってもらったら、その時点でもうマッパーじゃなくなるんだぜ。わかってんのか? そんでいいのかよ」
「よく、ない……」
「んじゃ、さっきんとこから、やりなおしだ。気ぃ入れて、やってくれよな。『いつもプロでいろ』こりゃ、じっちゃんの口癖《くちぐせ》だ」
トラップはニコリともしないで、そういって今来た道をスタスタともどっていった。
二度とあんな失敗はすまい。わたしは、ずっと緊張《きんちょう》しながらマップをにらみつけて歩いた。
不思議なもので、さっきまで痛くってたまんなかった足も、あんまり痛くなくなった。というより、んなこと気にしてる余裕《よゆう》がないっていうか。もちろん道が分かれているところなんかは、「ナイフが右、フォークが左」とつぶやき、指さし確認をして「右に曲がります!」とバスの運転手さんみたいに、いちいちいった。
かっこわるいけどさ。みんなに迷惑《めいわく》をかけるよりは、ずっとずっといいもんね。そうだよな。不器用なら不器用なりに、工夫しなきゃいけないんだよな。そうだそうだ。
わたしが、ひとりうなずきながら歩いていると、
「こっちデシ。おいしそーな匂《にお》いするの!」
シロちゃんが急にピョンピョコ走り出してしまった。
「おい、シロ。勝手に走るなぁー!」
トラップがどなる。
「あ、たしかに臭《くさ》い! 臭いよ、これ、何の臭《にお》い?」
わたしがいいだすと、他のみんなも鼻をつまんで「臭い臭い」を連発しはじめた。
「うっげぇー、ひでぇ。卵が腐ったみてぇな臭いだぁ」
「本当ですね。しかし、早くシロちゃんの後を追いかけたほうがいいですね」
キットンが目をシバシバさせながら、いった。
「パステルおねーしゃん。この人がペンダーグラスしゃんデシって」
シロちゃんは、ひとりの老人に抱《だ》かれていた。
「え?」
なんと、なんと。|彼《かれ》はわたしが想像していた人とは、まったくちがう人だった。人とのつきあいを避《さ》けて暮《く》らす隠者《いんじゃ》っていうとだ。ちょっと偏屈《へんくつ》な、そして物知りっていう感じでしょ。当然、長い白髪《はくはつ》とかで、知的で気むずかしくって……という姿をイメージするではないか!
でも、シロちゃんの頭をニコニコとなでている、その人ときたら。黒々としたちぢれっ毛を短く刈《か》った頭。
「やぁ! わたしを人が尋《たず》ねてくれただなんて、何年ぶりだろうね」
|陽《ひ》に焼けて健康的に浅黒い顔がニカァーッと笑う。うわぁ、まっ白な歯並《はならび》がなんて立派なんだぁ。その口元《くちもと》には、やっぱりチリチリした黒い髭《ひげ》。かなりの歳だとは思うんだけど、なんていうか……すっごくチャーミングなおじいさん。
それにしても臭《くさ》い! その臭《にお》いの根元は、ペンダーグラスさんの前でグツグツ煮立《にた》っている鍋《なべ》にあった。
「それ、なにを作ってらっしゃるんですか?」
「おお、これか。これは、シチューだよ。ま、人間にはちょっとばかし臭いかもしれないけど。わたしの友達の大好物でね」
「お友達?」
「そうだ。こんなところで立ち話もなんだし、|拙宅《せったく》に案内しよう」
そういって案内されたペンダーグラスさんちは、さっきの場所から一〇分ほど歩いたところにあった。
大きな岩山にポッカリ空いた穴に木のドアがついていて、そこを入ると中は眩《まぶ》しいくらいに明るかった。
「おい、明かりを消してくれよ。まだそんな時間じゃない」
ペンダーグラスさんが大声でどなると、何かがふわーっとやってきて、明かりを消した。辺りは、岩をくりぬいただけの窓から差しこむ日の光で、やんわりとした明るさになった。
「だ、誰かいらっしゃるんですか?」
わたしが聞くと、ペンダーグラスさんはニコニコと、また白い歯を見せた。
「これが、わたしの唯一《ゆいいつ》無二の友達だ。おい、テディ、|挨拶《あいさつ》くらいしろよ」
さっきまで、なんとなく気配《けはい》だけがしていた部屋《へや》の隅《すみ》。ぼわーっとなにかが浮きあがってくる。まず輪郭《りんかく》が浮《う》きでて、次にうすぼんやりと色が出てきた。大きなウチワのような耳をした、とてもきれいな若い男の人だった。
「コンニチハ……ボクハ、テディ……デス……」
機械的な抑揚《よくよう》のない言葉。
「おお、|彼《かれ》は噂《うわさ》に聞く、レノーラ族ではありませんか!?」
キットンが興奮して、大声を出した。
すると、その男の人はびっくりしたのか、さっとまた姿を消してしまった。
「ああぁ、ダメじゃない。キットン。|脅《おど》かしちゃ。ごめんなさい。ほんとに、この人ったら声がバカでかくって」
「いやいや、気にしないで気にしないで。テディは、あれであなたがたを気に入ったようだ。ふだんは、無口で姿を現わすことも滅多《めった》にないからね」
「でも、そのレノーラ族って?」
キットンに聞くでもなくペンダーグラスさんに聞くでもなく、わたしがつぶやくと、
「レノーラ族というのは、一種の精霊《せいれい》のような種族です。今、ペンダーグラスさんがおっしゃったように、ふだんは人前に姿を現わしたりは絶対しないんです。だから、こんなチャンスは滅多にないんですよ。いやぁ、感動だなぁ!」
キットンが全身で感動を現わしながら、説明してくれた。
「ん??……」
部屋の隅に姿を消したままでいるテディが、ペンダーグラスさんになにかをいったみたいだ。
「そか、いや。しかし……うんうん……」
わたしたちには聞こえないんだけど、ペンダーグラスさんにはわかるんだなぁ、なんてわたしが感心していると、
「あのさー、わりーけど。おれたち、けっこう急いでるんだよな。|内緒話《ないしょばなし》は後にしてくんない?」
それまで黙《だま》っていたトラップが、またまた大胆《だいたん》に失礼な口調《くちょう》でいいだした。
「トラップ! あーた、なんてこというの。わたしたちが勝手に押《お》しかけてるっていうのに」
「いやいや、すまない。わたしたちが悪かった。なにね、テディがいうには、そのオームには呪《のろ》いがかかっていて、それがどうやらマラヴォアのせいみたいだっていうんでね」
「え―――っっ!!??」
「わ、わかるんですか」
「そ、そうでした! レノーラ族というのは、なんでも不思議な透視《とうし》能力を備えた種族だと聞いています。透視だけじゃなく、テレパシーもあると。すごい! じゃ、今のわたしたちの心を読んだんですね?」
キットンがそういうと、
「人ノ心ハ読マナイ。ソンナ失礼ナコト、テディハシナイ」
という、声がした。
「いや、|驚《おどろ》かしてしまって申し訳ない。その方がおっしゃるとおり、テディには特殊《とくしゅ》な能力が備わっている。しかし、彼が今いったように、マナーにもうるさい種族でね、レノーラ族というのは。だから、人の心を黙って覗《のぞ》き見したりは、決してしないんだ。安心してください」
ペンダーグラスさんは、そういって、
「お、それより、早くこちらにきて。くつろいでください。テディ、お茶をお持ちして」
と、わたしたちを奥《おく》の部屋《へや》へ案内してくれた。
外から見た感じと、こうして中に入って見た感じとはまるっきり違う。
特に、今通された奥の部屋は、手作りのタペストリーが壁《かべ》にかかっていたりして、なかなかに優雅《ゆうが》。ゆったりとしたスペースは、あたたかな色で統一されていた。
「そうか。じゃ、またあのマラヴォアが、そんないたずらをしているのか」
ペンダーグラスさんはそういって、大きくため息をついた。
「あの魔女《ウイッチ》をご存じなんですか?」
「あぁ、わたしがこんな人間になってしまう前からの知り合いだ。彼女もあれで昔《むかし》はかわいい女の子だったのに」
「げ、女の子?」
トラップが肩《かた》をすくめる。
「いやいや、そういうが。|誰《だれ》でもそうなんだよ。みんな昔はかわいい女の子、男の子だったんだから。わたしだって、そうだ。これで、昔はけっこうモテたんだよ」
といって、パチリとウインクしてみせる、そのタイミングといい。や、たしかにモテたんだろうな。だって、いまだにかっこいいもん。
そのとき、ドアがすーっと開いて、カップをのっけたお盆《ぼん》がフワフワと宙に浮《う》いたまんま入ってきた。
「ありがとう、テディ」
そっか、そうだった。おっどろくよなー……もう。
カップは、わたしたちの前のテーブルに置かれた。おいしそうな匂《にお》い。
「さ、召し上がって。あ、そうだ。忘れていたが、みなさんお腹《なか》のほうはどうなの? 空いてないの?」
「ルーミィ、おなかぺっこぺこだおう!」
シロちゃんにしがみついて、コックリコックリしていたルーミィが、飛び起きた。
「ルーミィ、さっきサンドイッチ食べたじゃない」
そう。宿屋の主人が作ってくれたサンドイッチやら、お城の執事《しつじ》さんが持たせてくれたクッキーやら。ここまでの道中、歩きながらほおばってきたんだ。
「でも、ルーミィ、おなかすいた」
「まったくぅ……」
「いやいや、よかったら今晩は一緒《いっしょ》に食べていかれるといい。わたしがご馳走《ちそう》しよう」
「わぁ――い!」
「いいんですかぁ?」
「あ、でも、さっきの……ですか?」
「わはははは、まさか。あれはテディの夕飯だよ。シロちゃんが好きらしいから、あれはシロちゃんにご馳走しようね。君たちには、取っておきのハムがあるから、それをステーキにしてあげよう。うまいぞ」
「わぁ、おいしそう」
「へぇー。ハムステーキなんて、ここ何か月も食べてねーや!」
と、わたしたちがワイワイ喜んでいたら、クレイがいきなり騒ぎだした。
「バカ、バカ! オバカ! ハヤク、マラヴォア、ナントカシロー! ギェ」
あ、ごめんごめん。すっかり頭がハムステーキのほうにいっちゃって、|肝心《かんじん》の話を忘れてい
た。
「で、その魔女《ウイッチ》なんですが……」
クレイったら、わたしの頭の上に止まって、少しでも話が脱線《だっせん》しようものなら、つっついてやるぞという姿勢をとっていた。
「ああ、マラヴォアね。|彼女《かのじょ》とは古い古いつきあいになるなぁ」
「そうです、さっき『こんな人間になってしまう前』とおっしゃってましたよね? いったい
それはどういうことなんですか? それに、あなたのような方がなぜこんな山の中に隠《かく》れるように住んでらっしゃるんですか?」
キットンが聞いた。
初めて会った人に、そんな立ち入った話をズケズケと聞くなんて……と、わたしはひとりでハラハラしてしまったが、
「実はね。さっきもいったが、若い頃《ころ》、わたしは本当にモテたんだ。村中の娘《むすめ》が、いや娘だけじゃないな、|奥《おく》さんたちまで、わたしに夢中《むちゅう》になった」
と、きさくに話しはじめた。
「村って、サラディーのことですか?」
「いやいや、あんなに気持ちのよい国ではないよ。もっとふつうの、|平凡《へいぼん》などこにでもある村さ。
で、女たち全員が、わたしを独占しようとしたんだ。それはもうたいへんな騒《さわ》ぎに発展して。女たちはみんなお互《》たがいを牽制《けんせい》しあったし、疑いや嫉妬《しっと》といったあまり愉快《ゆかい》でない感情が蔓延《まんえん》してしまったんだ。
わたしのことを好きになった、ひとりの娘が『わたしに捨てられた!』とメナースという恋《こい》を司《つかさど》る女神《めがみ》に祈《いの》り続けたんだ。『あんなにひどい奴《やつ》はいない。彼こそが乙女《おとめ》の恋愛《れんあい》感情をもてあそぶひどい男。このままにしておくと、みんなが恋をしなくなるだろう』ってね。
メナースというのは、恋の女神であると同時に豊饒《ほうじょう》の神でもあってね。わたしたちの村の守護神だったんだ」
「ほんとに、その娘さんを捨てた! とかしちゃったんですか?」
わたしが聞くと、ペンダーグラスさんは困ったような顔で、首をふった。
「捨てるもなにも。わたしは途方《とほう》に暮《く》れていただけだよ。|誰《だれ》も嫌《きら》いじゃなかったかわりに、誰も特別に好きというわけでもなかった。
|彼女《かのじょ》は、ひとりで恋をして、ひとりで捨てられたと錯覚《さっかく》したんだ」
「ひっでぇー話だなぁ。しかし、いるよな、そういう自己完結型人間って。うんうん」
トラップが妙《みょう》に強くうなずきながら、いった。トラップって、そういう恋愛なんていう心と心のさ、|機微《きび》っていうの? そういうもんには、まったく無関係のように思えるんだけど。
「で、どうなったんですか?」
「最悪の事態になってしまった。彼女は、しまいに精神状態がおかしくなり毒を飲んでしまったのだ」
「ええー!? そんなぁ。んで、助かったんですか?」
「まぁ、不幸中の幸いというか、発見したのが早かったからね。というのも、あれは狂言《きょうげん》自殺ではなかったかと、今になってみれば思えるんだけど。わたしの家の前で毒をあおったんだからね」
「じゃ、発見したのは?」
「もちろん、わたしだ。そのことも、村の者から非難をあびる原因になった」
「あっちゃぁー……」
「そりゃ、まずいですね」
「ああ、マズイもマズイ。みんなわたしがあまりにモテるもんで、ヤッカミもあったんだろうね。そりゃ、おもしろくもないよ。自分の妻が他の男にキャーキャーいってんだから」
「しかし、どうしてまたそんなにモテたんです? と、失礼な質問かしら」
「いやいや、自分でもサッパリわからないんだ。どこがといって、取り立てて特技があったというわけでもなし」
「ふうむ……」
「それでだ。村の者全員がわたしを裁判所に引き立てていったんだ。女も男も、関係のないはずの者たちも。全員がわたしを有罪だと叫《さけ》んでいた」
「ひっど――おい!」
「そういうもんだぜ。人間なんてさ、誰だって人の不幸は楽しいんだから。声には出していわなくたってさ。しかも女のほうが残酷《ざんこく》だよな。ゴシップで喜んでるのは、いつだって女だし」
トラップが悟《さと》りきったような顔でいった。
「そんなぁ。わたしは違《ちが》うわ!」
「だからさ、たいがいの人間はみんなそうだってことさ」
「う――ん、ま、いいや。で? ペンダーグラスさん。お話の腰《こし》を折ってごめんなさい」
「うん……」
たぶん、|辛《つら》い思い出なんだろう。彼はお茶をロに含《ふく》んで、|一瞬《いっしゅん》目を閉じた。
「とにかく、わたしの弁護についてくれる者はいなかった。本当の意味で弁護してくれる者はね。女たちは、まだ感情的にわたしの味方になってくれたりもしていたが。
そして、裁判長がわたしに聞いたんだ。
『彼女を自殺|未遂《みすい》まで追いこんだ、その発端《ほったん》はなんだ?』
ってね。
しかし、わたしには答えられなかった。そりゃそうだよ。まったくわたしには関係のないところで、彼女は悩《なや》み苦しんでいたんだから。一言でもわたしに相談してくれていれば、まだ違《ちが》ったんだと思う。
『わかりません』
と、答えたわたしを裁判所にいた全員のため息が包みこんだのをはっきり覚えているよ。
『では、その後の話をしなさい』
裁判長は、|残酷《ざんこく》にも、わたしにこう聞いた。わたしは、再び『わかりません』と答える他は
なかった。
『|冗談《じょうだん》も休み休みいえ!』
『人の心をいったいなんだと思っているんだ』
『おまえにとって、女なんか一夜の慰《なぐさ》みものでしかないんだな』
なんていう罵倒《ばとう》が、ゴミと共に飛んできた。
ゴミだらけになったわたしを、誰も助けてはくれなかった」
わたしたちは、ペンダーグラスさんの話を黙《だま》って聞き続けた。感情を押《お》し殺した口調で、淡々と語る……その横顔には、何も口をはさめない厳しいものがあったからだ。
「当然の結果だが。わたしは有罪になった。なんの罪で? あはははほ……笑えるんだ、これが。『殺人未遂、|及《およ》び偽証罪《ぎしょうざい》』なんだよ。そして、|最高刑《さいこうけい》がいい渡《わた》された。
そう、『死刑』だ。
みんな驚喜《きょうき》したよ。女たちはヒステリックに泣きだしたがね。でも、そのとき、ひとりの女が立ち上がった。そして、いったんだ。
『死刑じゃ、手ぬるい』 ってね。
彼女がいうには、自分の犯《おか》した罪を一生|悔《く》やむような、そして一生かかって償《つぐな》うような、そういう罰《ばつ》を下すべきだというわけさ。
みんな大きくうなずいた。そして、いったいなにをもってすれば、そういう罰になるんだろうという話になったのだが。その提案をした女は、今こそ恋《こい》の女神《めがみ》メナース様に伺《うかが》うべきときだといった。
メナースという女神は、きっとこの裁判を見守っていたんだと思うよ。だって、タイミングが良すぎるんだから」
「現われたんですか?」
と、キットン。
「そうだ。静かに、しかし威厳《いげん》をもってだ。
裁判長の後ろにかかっていた、ばかでかいメナースの肖像画《しょうぞうが》が動き始めたんだ。そりゃ、すごい迫力《はくりょく》だったよ。わたしも自分の立場を忘れて、見いってしまったくらいだからね。
その肖像画は、|慈愛《じあい》深く目を静かに閉じた絵だったんだが。まず、その日が開いた。信じられないくらいに澄《す》んだ、サファイアブルーの瞳《ひとみ》だった。
そう、ルーミィちゃんのようなきれいな目だったよ」
急に呼ばれたものだから、ルーミィはビックリして、大きな目をいっそう大きく見開いた。
そんなルーミィのフワンフワンのシルバーブロンドを、ペンダーグラスさんは軽くなで、話を続けた。
「そして、|淡《あわ》い薔薇《ばら》の花びらのような唇《くちびる》がほころび、聞いたこともないような美しい声が裁判所中に響《ひび》き渡《わた》ったんだ。
『わたしは恋《こい》を司《つかさど》る神。ペンダーグラスという、その男の罪、以前から聞き及《およ》んでいる。恋は無を有に変える力。無力なる者に希望と活力を与《あた》えるもの。|乙女《おとめ》の恋心をもてあそび、あげくの果てにその一切を忘れたとは、許しがたい。この瞬間《しゅんかん》からおまえは忘却《ぼうきゃく》という力を使えない身となるであろう。日々一切の墳末《さまつ》なことがらすべてを忘れ去ることがなくなるのだ』
……とね。そういったんだ。その美しい女神は」
「たったそれだけ? それで、もう無罪放免だったの?」
と、トラップが聞いたとき。
ペンダーグラスさんは初めて苦しそうな悲しそうな表情になった。
「君たちには、わからないだろうね。この苦しみが。いいかい、この世の中でもっとも不幸な者は、『忘れられた者』と『忘れることができない者』なんだ」
こういって、わたしたちをグルリ|見渡《みわた》した。
忘れられた者っていうのは、わかる。そんなさみしいことってないもんね。でも、でも。わたしみたいに忘れっぽい人間には、忘れることがないだなんて、なんとなくうらやましかったりもするし。
わたしだけじゃなかった。他のみんなもそう思ったんだろう。不思議そうな顔をして、ペンダーグラスさんを見ていた。
ペンダーグラスさんは、そんなわたしたちを見て、深々とため息をついた。
「君たちがほんとうにうらやましいよ。ジャンヌ・モローという女優を知っているかい?」
「ジャンヌ・モローですか? えっと、ジャンヌ・ダルクじゃないんでしょ?」
「ドクター・モローでもないしぃ」
「そうか。いや、遠い国にそういう名前のすばらしい女優さんがいるんだがね。彼女の芝居《しばい》を見たことがあるんだがね」
「へぇ……お芝居ですか」
「そう。ほとんどが彼女の独り芝居でね。いやぁ、すばらしかったね。とても音楽的で。『ゼルリンヌの物語』という題名だった。|小雨《こさめ》が降る、少し肌寒《はだざむ》い頃《ころ》で。雨宿りのつもりで、立ち寄った芝居小屋でかかっていたんだ。
その芝居のなかの台詞《せりふ》でこういうのがあった……。
『|そ《*》れでも、この空しさを忘れることがなければ、忘れられないことは育たない。わたしたち自身、その忘れられないことで支えられているんです。忘れることで時間を育て、死を育てているんです』
わたしは、この言葉を聞いた後、その芝居を見続けるのはやめてしまった。あまりに辛《つら》かったからね。そして、小雨の降る町にもどったんだが。たぶん、今自分が泣いているんだろうと思ったものだ。
あ……。君たちには、こんな話興味がなかったかな?」
「は、はぁ……。その、ちょっとよくわかんなかったです」
(トラップ、あーたわかった?)
と、|隣《とな》りのトラップをつっついて小声で聞くと、
(わかるわきゃ、ねーじゃん。おれ、|途中《とちゅう》で寝《ね》そうになったし)
という、答。
「忘れられないような大切なことっていうのは、日々の雑多なことを忘れることによって育つんだっていうことですか?」
キットンが聞くと、ペンダーグラスさんほうれしそうにうなずいた。
「そうそう。君たちは、まだまだ若いからね。死についてなんて、考えたこともないだろうし、考える必要もないだろう。でも、わたしくらいの年になるとね。|次第《しだい》に死とは友達になっていかなくちゃいけない」
「死と友達!?」
「ああ、そうだ。誰だって死ぬことは怖《こわ》いだろう。でもね、ある時気づくんだ。死を受け入れるだけの人間になっていればよいのだってことに。その手助けをしてくれるのが、思い出なんだ。だからね、思い出っていうと過去というイメージがあるだろうけど、よーく考えてみると、未来のためにあるものかもしれないってね」
「はぁ……」
「ただ、わたしは日々の瑣末《さまつ》なできごと一切を忘れることができない。たとえば、今朝起きたときのことなんか、こうだ。
まず目を開ける。二、三回まばたきをする。一回大きく深呼吸をする。|喉《のど》がちょっとイガラっぽいから、ゴホンゴホンと咳払《せきばら》いを二度する……。そんなぐあいにね。あったことすべて一切覚えているなんて、考えただけでゾッとしないかい? どんなことも忘れることができないんだよ。
だからこそ、こうして人とも離《はな》れて暮《く》らしているんだ。これ以上思い出を増やしたくはないからね。
しかし……。わたしにもきっとなにか忘れたくないような、そんな大切な思い出があったはずなんだ。でも、それがなんだったのか。なさけないことなんだが、よくわからない。くだらない思い出に埋《うず》もれてしまったんだ。
たぶん、わたしには、そんな大切な思い出に抱《いだ》かれて……死を迎《むか》えることはできないんだろうね」
そう言葉を結んで、しばらく沈黙《ちんもく》があった。
わたしには、ペンダーグラスさんがなにをいいたいのか、本当のところわからなかった。特に『死』について、なんて。
でも、とてもとても悲しい気分になってしまった。それは、他のみんなも同じだったみたいで、あのトラップでさえ深刻な表情で目の前に置かれたカップをジッと見つめていた。
「ああ、悪い悪い。すっかり場が湿《しめ》っぽくなってしまったな。いや、老人の愚痴《ぐち》だと思って勘弁《かんべん》しておくれ」
ペンダーグラスさんは、静かに微笑《ほほえ》んでみせたが、それがかえって痛ましかった。
* 『ゼルリンヌの物語』(原作=ヘルマン・ブロッホ 訳=渡辺美佐子)より引用。
STAGE 6
「なんですって!? その……女がマラヴォアですって!?」
わたしは、ハムステーキを突《つ》き刺《さ》したフォークをにぎりしめたまんま、思わず大声をあげてしまった。
あれから、わたしたちは夕飯をご馳走《ちそう》になりながら、話の続きを聞いていたんだが。なんと、あの『|死刑《しけい》じゃ手ぬるい!』といった女性がマラヴォアだというのだ。
「うへぇ、じゃ、あいつって、そんな昔《むかし》から意地悪かったんだ!」
トラップがいうと、
「いやぁ。そうじゃない。あの事件が起こる前は、ずいぶんと親切ないい娘《むすめ》だったような気がするんだ。よくは覚えていないが」
「え? みんな覚えてらっしゃるんじゃないんですか?」
「メナースがわたしに忘却《ぼうきゃく》という力を封じてから後は、イヤってほど正確にみんな覚えているがね。そのかわり……なんだろうな。それ以前のことについては、記憶がボヤけてしまっていてね」
「そうなんですか」
しかし、なんていう偶然《ぐうぜん》なんだろう。
そう思ったとき、あの欲張り占《うらな》い師を思い出した。あの人って、意外と有能な占い師だったんだなぁ。
「じゃ、とにかく。わたしたち、そのマラヴォアっていう魔女《まじょ》に直接会って交渉《こうしょう》しなきゃいけないんです。うちのファイターも、サラディーの王様も、宿屋の息子《むすこ》さんも……一刻も早く元《もと》に戻《もど》してもらわないことには。どこにマラヴォアがいるか、ご存じありませんか?」
わたしはテーブルにしがみついて、ペンダーグラスさんに迫《せま》ったが、
「彼女がどこにいるかだなんて、知ってるといえば……彼女自身くらいのもんだな。ただ……」
「ただ?」
ペンダーグラスさんが言葉をにごしたとき、またドアがすーっとひとりでに開いた。
「ん? テディ、どうした」
ドアの前に、テディの輪郭《りんかく》だけがふわぁーっと浮かびあがってきた。
「ソト、キケン。キケンガ、チカヨッテル」
そう、テディが告げたとき、シロちゃんも押《お》し殺したような声でいった。
「危険があぶないデシ」
見ると、前の冒険《ぼうけん》のとき、|魂《たましい》を操られていたルーミィのことを知らせてくれたときみたいに、シロちゃんの目が鮮《あざ》やかな緑色に変わっていた。
みんな一斉《いっせい》に立ち上がった。そして、各自武器を装備《そうび》し、注意深く外のようすをうかがった。
不安そうな顔と顔。
わたしは、(いったい、なにが危険なんだろうか?)っていう気持ちをこめて、トラップをふりかえって見た。しかし、トラップもゆっくり首を振るだけ。そして、
「おれ、ちょっくら見てくるわ」
と、ひとり外へ出ていってしまった。
息苦しい沈黙《ちんもく》が続いた。
全身を耳にして、外の音を聞く。
でも、なんにも聞こえてこない。
「やっぱり……そうかもしれないな」
ペンダーグラスさんが、つぶやいた。
「なんなんですか?」
わたしが小さな声で聞くと、
「さっき君たちがマラヴォアの居所を問いただろ。わたしは知らないといったが……|彼女《かのじょ》は自分の悪口にすごく敏感《びんかん》でね。どんな場所でささやこうが、すぐに聞きとがめてしまうんだ」
「じゃ、マラヴォアが?」
「もしかしたら、な。だから、さっきいおうと思ってたんだ。彼女に会いたければ、彼女の悪口をいうことだってね」
「で、でも、わたしたちそんな悪口なんていってないのに」
「いや、あいつは被害妄想《ひがいもうそう》の気《け》があるらしくってね。自分のことを話題にされると、その全てが悪口だと思ってしまうらしい」
「じゃ、トラップが危ないわ」
決してなにか悪意をこめた悪口じゃないんだけど、トラップって口が悪いことにかけては、天下一品だものね。
あわてて出てみると、外はすっかり夜の気配《けはい》。見上げると、満天の星と不気味にボッタリといびつに大きいオレンジ色の月。
「トラ――ップ、どこぉー!?」
わたしは小声で叫《さけ》んでみた(小声で叫ぶなんて変だけどね)。しかし、返事がない。
「ったく。どこにいっちゃったんだろ……」
わたしがみんなのほうにふりかえると、キットンが指さした。
「ほら、あそこ。あれ、トラップじゃないですか?」
見ると、少し離《はな》れた場所にある、|崖《がけ》の上に長っぽそい人の影が見えた。
「ほんとだ。呼び戻さなきゃ」
「おれ、いってくる」
そういって、ノルが大股《おおまた》で向かった。
「ウウウ……ウウウ……」
シロちゃんは相変わらず色鮮《いろあざ》やかな緑の目で、うなっている。
「どこにいるんだろう」
「マラヴォアと決まったわけじゃないがね」
と、ペンダーグラスさん。
わたしたちはペンダーグラスさんの家の前で、不安そうに肩《かた》を寄せあい、トラップとノルを待った。
「それにしても、気味の悪い月ね。色なんか、まるで薄《うす》められた血みたい」
と、自分でいってすっごく怖《こわ》くなった。ね、そういうことってない?
でも、でも、ほんとにそうなんだもん。ボッタリと重くって、やたらでかくって。黄色に赤い色を混ぜたばっかりみたいな色。
やることもないから、月を見つめているうち、おかしなことに気づいた。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「あ、キットン。あのさ、あれ、ほらあの月。変じゃない?」
「え?」
「だって、いつもは女の人が本を読んでいるような模様があるじゃない?」
「ああ、あるいはウサギがはねてるような」
「そうそう。でも、ほら……あの、左のはうのシミ、あれ目に見えない?」
「左……ああ、たしかに」
そうなんだ。左……だから、フォークを持つほう。大きな目みたいなシミがあるんだ。あんなの、見たことないぞ。
しかも、そのシミが目だと思ってみていると、真ん中にある亀裂《きれつ》みたいなシミが大きなワシ鼻に見えてくる。その上、鼻の下に大きく裂《さ》けたように広がるのは、ロみたいだし。
「ぎゃあぁぁあああああぁぁああああ――!!」
「あ、あ、あ、あ!!」
「わ、わらったあぁ――!!」
そう。そ、その口が、今にったぁ――って笑ったのぉー!
しかも、しかも、まっすぐ前を見ているようだった目が、ギョロリとこっちを見降ろしたじゃないか!
「あわわわわわわわわわわ……」
わたしたちは、もうヒシと抱《だ》き合ってガタガタ震《ふる》えるしかなかった。
「なーに、やってんだよー」
トラップがノルと帰ってきた。
「ト、トラップ、ノル。ほ、ほら、つ、つき見てよ。月」
わたしが、おおげさに震えながら月を指さすと、
「月だぁ?」
ふりかえってみた。と、同時に尻餅《しりもち》をつき、こっちまでワサワサと遭《は》ってきた。
「な、なんなんだよー、あの化け物は!」
「わかんないよー。ね、キットンわかる?」
「あんなモンスターはいませんよぉ」
「ペンダーグラスさん、見たことありません?」
「い、いや……わたしも、初めてだ。あんなのを見たのは」
「で、でもさ。不気味は不気味だけどさ。ただ、こっちみて笑ってるだけならさ、害はないじゃん。愛想いい奴《やつ》じゃんか」
トラップが説得力のない励《はげ》ましをしたが。
「だ、だめみたいよ。笑ってるだけじゃないみたい」
そう。その不気味な顔は、ゆっくりと表情を変えた。ギョロリと見降ろした目が憎々《にくにく》しげに見開き、|端《はし》をキュッと上げていた口が大きく裂《さ》けた。
「おい、月! なんかいいてーことがあるんなら、さっさといやぁいいじゃん!」
「こ、こら、トラップ!」
ったく……。|怖《こわ》いもの知らずというか、身のほど知らずというか。
その上、|叫《さけ》ぶだけ叫んでおいて、こいつ、さっとわたしの背中に隠《かく》れるんだぜぇ。なんて奴。
トラップの声を聞いたせいかどうかはわかんないけど。月の顔は、いったん大きく息を吸いこんだような表情で両頬《りょおほお》をふくらませ、ふうううううっと息を吹きかけてきた。
「うわわあああ……」
「ぎゃああああ! つ、つめたい!」
大急ぎで、ルーミィやらシロちゃんやらを抱きかかえ、手で顔をおおった。
しばらくして。おそるおそる目を開け、回りの様子をうかがうと。辺り一面、キラキラと光っている。よーく見ると、これが霜《しも》なんだよね。お互《たが》いの姿を見て、またびっくり。頭から靴《くつ》まで、霜ふりになっていた。
もはや恐怖《きょうふ》だけじゃなく、寒さも加わってガタガタ震えていると、
「や、危ないです。早く家の中に逃《に》げましょう」
キットンが叫《さけ》んだ。
見ると、月がまたまたほっぺをふくらましているじゃないか!
ドアは開いてたし、その前にいたんだから、|即座《そくざ》にペンダーグラスさんの家へ逃げこむことはできた。
ドアをバタンと閉めた途端《とたん》。
ぼおおおおおおおおおおお……………!!!
っという、なにやらイヤな音。
「わっちゃ、あちちち!!」
ドアにもたれていた、トラップが飛び跳《は》ねた。
木のドアがブスブスと焼け焦《こ》げてしまったのだ。
「ちぇ、冷風の次は熱風かよ。エアコンみてぇな奴《やつ》」
「でも、いったいなにが目的なんだろ……」
わたしたちはなすすべもなく、|眉《まゆ》と眉の間に力をこめて、困り果てていた。
「出てこい、弱虫ども」
と……。おばあさんの声がした。
「や、やっぱり、マラヴォアなのね!?」
「げ、あの魔女《ウイッチ》なのか?」
「じゃ、あれは魔法なんですね。どうします? 出ていきますか?」
「とりあえず話し合いはしたいしね。でも……」
「|火傷《やけど》も凍傷《とうしょう》もヤダぜ、おれは」
わたしたちが、顔を見合わせて相談していると、
「出てこなけりゃ、その家をふっとばしてくれる」
なんて乱暴な。
ペンダーグラスさんは、
「いや、いくらマラヴォアでもこの家は頑丈《がんじょう》だから、だいじょうぶ。万が一ふっとばされたってかまうものか」
といってくださったけど。
「マラヴォアなら、どっちみち対決しなきゃいけないんだしさ」
「ん、まかせた」
「あ、あのねー、トラップ……」
また、全員で外に出た。なさけないけど、しかたない。弱い者は団結するしかないんだ。小さな魚も集団で泳ぐことによって、身を守ってるんだしさ(いいわけすな、いいわけ)。
「マラヴォアさんなんですかぁ?」
なんとも、なさけない声で、わたしはなんとも間の抜《ぬ》けた質問をした。しかも月に向かってだよぉ。とほほ……。
「いかにも、わたしがマラヴォアじゃ」
月の口がモグモグ動いた。
「わたしの力、思い知ったか」
「は、はい。えっと、寒かったし熱かったし、はい。で、ですね……」
「わはっっはっはっはっはっは」
月が壊《こわ》れるかと思うくらい、大きな口を開けて笑った。うう、なんちゅうばかでかい声だぁ。
「いうな、いうな。わかっておる。わたしがオームに変えた、その男を元《もと》に戻《もど》してほしいんじゃろう」
「は、はい。それから、そのサラディーの王様と宿屋の息子《むすこ》さん……」
「あはっはっはっはっはっは!!」
うぅぅ……また、でかい声。あ、頭が割れそう。
「|馬鹿《ばか》な奴《やつ》らめ。わたしの悪口をいうからだ。よし、じゃあ、ひとつわたしに、ご馳走《ちそう》してくれんかの。たったそれだけで、許してやろうっていうんだから、|慈悲《じひ》深いものよ」
「ご馳走って……な、なにを?」
「ふっふっふ。よう聞けよ。世界でただひとつしかないといわれる、『忘れられた村の忘れられたスープ』じゃ」
そういって、にんまりと笑った。いやぁなかんじ。
「『忘れられた村の忘れられたスープ』ですって!?」
「そうじゃ、それをひとロ飲んでみたい」
「その、忘れられた村って、どこにあるんですか?」
「忘れた」
「…………」
「じゃ、その忘れられた村っていうところに行けば、その忘れられたスープっていうの、手に入れられるんですね?」
「さぁなぁ、忘れてしまった」
「…………」
いったいどーしろっていうのよぉー。んな、わけもわからないものをご馳走しろだなんて。
「と、とにかく。そのスープをあなたに持っていけば、それでみんな元通《もとどおり》りにしてくれるんですね!?」
「|魔女《まじょ》に二言はないわ。舌は二枚あるがな。ほっほっほっほ」
魔女の舌は二枚あるというのは、古くからの言い伝えだ。きっとそれを皮肉っていってるんだろう。
「そのスープを用意できたら、どこへ持っていけばいいか、マラヴォアに会う方法を聞いておいたほうがいいですよ」
キットンが耳打ちしてくれた。
おお、そうだそうだ。また、悪口いって呼び出すなんて、ヤダし。
「で、そのスープが用意できたら、どこへ持っていけばいいんですか? あなたに会う方法を教えてください」
「ほっほぉー。感心じゃな。本気で忘れられたスープを用意しょうというのかい。よしよし。わたしはマラヴォアじゃ。いつでもどこでも飛んでいけるが。よーし、またここで会うことにしようぞ。ここでわたしの名前を呼ぶがいい」
「たったそれだけでいいんですか?」
「そうじゃ」
「でも、でも、また……そのお月さまでいらっしゃるんですか? もしかして。スープを飲めます?」
「わっはっはっはっは!! おかしな娘《むすめ》じゃ。そんなことは、ちゃんと用意できてから心配するがいい。聞きたいことは、それだけじゃな?」
「え? え?……」
わたしはあせってみんなをふりかえってみた。でも、みんな困った顔で首を傾《かし》げるばかり。そうこうしているあいだに、
「じゃぁ、楽しみにしておるからな。はっはっはっは……」
と、みるみる月はしぼんでいった。
残ったのは、暗い夜空に瞬《またた》く星だけ。
「あれ? 月は出てなかったの?」
「あれぇ? 出てなきゃったのぉー?」
わたしの真似《まね》をするルーミィのあどけない声が、黒々として殺風景な山や風になぶられサワサワと遠慮《えんりょ》がちに音をたてている草原に、|響《ひび》き渡った。
「『忘れられた村の忘れられたスープ』って、いったいなんなんだよぉー!」
トラップがわめく。
「これは、まるで呪文《じゅもん》のような、そんな響きがしますね」
ひとりニコニコと、この難題を楽しんでいるキットン。
「スープデシか? ぼく好きデシ」
「ルーミィも大好き! おなかぺっこぺこ……」
「じゃないでしょ?」
わたしがルーミィの「だおう」という言葉にかぶせて、ちょっと強くいうと、ルーミィはほっぺをパンパンにふくらませた。
ああぁ……。困った。いったい、ぜんたい。その『忘れられた村の忘れられたスープ』って、どうやったら手に入れられるんだろうか。
頼みの綱《つな》のペンダーグラスさんも、
「いや、どっかで聞いた覚えもあるんだが……おかしいなぁ。すっかり忘れている。うーん、不思議だ」
と、しきりに首を傾《かし》げ、さっきからうなってばっか。
「ね、サラディーとかエベリンとかにもどって。またいろんな人にさ、聞いて回らない?」
わたしは苦肉の策を提示したが、ちらっとこっちに顔を上げただけで、|誰《だれ》も相手にしてくれない。そりゃ、そうだよね。いいかげん、|疲《つか》れちゃった。
考えてみたら、単に冒険者《ぼうけんしゃ》カードの書き換《か》えにエベリンへ出かけた……ただそれだけの、旅ともいえないような、ちょっとした『おでかけ』のはずだったんだ。
なのに、|砂漠《さばく》ではバジリスクに遭遇《そうぐう》するわ、クレイはオームに変えられてしまうわ。ヒュー・オーシをなだめすかして借りたヒポちゃんでの、笑っちゃうくらいのドタバタ旅行。水たまりで立ち往生するわ、サラスなんちゅう化け物にキットンが捕《つか》まっちゃうわ……。サラディーの王様に会いに行こうっていうと、王様までオームに変えられてるし。
その他、ラップバードとの再会でしょ? 気のいい魔法屋《まほうや》の双子《ふたご》みたいに似ている、おじいさんとおばあさんのおかげで、ルーミィはやっとこさ魔法覚えたし。えらく欲張りな占《うらな》い師のおばあさん、そうそう名前はマリアンヌ。彼女の引っ越しは手伝わされたでしょ? んで、オーシとの取り引きでしょ? ついにヒュー・オーシの顔をたてて保険に加入しちゃうし。宿屋の主人、お城の執事《しつじ》さん、そしてペンダーグラスさんにテディ。
いーっぱい、いろんな人とも出会ったんだなぁ。
ひとり、忘れてるって? ううう、わかってますよぉ。
|金髪《きんぱつ》金目、レベル30の傭兵《ようへい》、ジュン・ケイのことでしょ? うーん。彼のことを考えるのは、やめているのだ。じゃないと、またまた胸がドキドキしてきちゃうし。だいち、今それどころじゃないし。
「おい、パステル!」
「…………」
「おい! こらぁ」
「は、はい?」
トラップに背中をどつかれて、わたしはビクッとして我に返った。
「ったく、なにぼぉ―――っとしてんだよぉ」
「う、いやぁ、なんかさ。いろいろあったなぁって思って」
「しょーもない! んなこと考えてる暇《ひま》あったら、打開策でも考えろよな、ったく」
「う――ん。そ、そだね……しかし」
「『忘れられた村の忘れられたスープ』というのがあるという話は、聞いたことありますか?」
キットンがペンダーグラスさんに聞いた。
ペンダーグラスさん、チリチリの頭をかきむしりながら、
「うん、それは聞いた覚えがあるんだ。確かに。ただ、その村がさ、や、きっと行ったはずなんだが、どこにあったかがわからない」
「『忘れられた村』というくらいだから、その村のことを覚えている人はいないんじゃないですかね」
「そうかも、しれんなぁ」
「そうだ!!」
ドンッとテーブルを叩《たた》いて、キットンはバカでっかい声をあげた。
「なになに?」
「どした!?」
顔を(といっても、ボサボサの頭からのぞく部分だけだけど)|紅潮《こうちょう》させて、キットンがいった。
「ペンダーグラスさん! たとえどんな些細《ささい》なことも覚えているんだって、さっきおっしゃってましたよね?」
「あ、ああ」
「ってことは。その村へ、行ったことがあるってことはです。その村のことは忘れていても、そこへ行く道のりだけは覚えてるんじゃありませんか? そういう目的地だけポッカリ記憶のない、そんな旅を覚えていませんか?」
「う、ううーん、あ、あれあれ? そういえば……」
黒々とした大きな目をクリクリと動かして、
「おお、そうだそうだ。あったぞ。しっかり覚えている。あれは、記憶を消せなくなって、二年目くらいのことだ」
と、話しだした。
こうなると、さすがに早い。タテ板に水のごとく、次から次へとあまり意味のないディティールまでも全部覚えてらした。
その細かすぎるペンダーグラスさんの話を簡単にまとめると、こうなる。
どうにかして、またふつうの人間にもどりたいと考えたペンダーグラスさん。|諸国《しょこく》を巡《めぐ》り歩いて、その方法を探し歩いたんだそうだ。そして、『忘れられた村の忘れられたスープ』のことを、遠く海を渡《わた》った国に住んでいた老人から聞き、忘れられた村を探すことにしたんだそうだ。
結局、その村はあった。やっと捜《さが》し当てたそうなんだが、そのスープを飲むことができたか、とか、その村がどんな村だったのか、とか、どういう人と会ったのか……などなど。ぜーんぜん覚えてないんだって。ポッカリそこだけ、|空洞《くうどう》のように記憶が欠落してしまってるんだという。
「でも、そこまでの道順、そんなに正確に覚えてらっしゃるんだもの。もうだいじょうぶじゃない?」
「しかし、その記憶が欠落してしまったというのが、気になりますね。困ったことにならなきゃいいけれど」
キットンがそういうと、
「いいんだよ、んなもん。そんなこた、因ってから困りゃあいいんだって」
と、トラップが得意の口調《くちょう》で切り返した。
「とにかく。なんとかなりそうだね!」
さっきまで、これは完全に手詰《てづ》まりかと途方《とほう》に暮《く》れていたわたしたちだったが、また活力がわいてきた。それがどんなことであれ、なにかやるべきことが見つかったってことは、めでたい。
大急ぎで、ペンダーグラスさんの話をもう一度聞きながら、マップを作った。そのマップによると、案外『忘れられた村』っていうのは、近いみたい。エベリンの街のある、例のズルマカラン|砂漠《さばく》の東、レーニエの長靴下《ながくつした》と呼ばれる、長細い丘《おか》があるんだけど。その丘の最東端《さいとうたん》。
ハミルの木という大木があるんだそうだ。その木にからまったツタにつかまって丘の下に降り立った所、そこがどうやら『忘れられた村』らしい。
「ツタをつたって、下に降りたってとこまでは、はっきり覚えているんだがね」
「ツタをつたう! うまい。|座布団《ざぶとん》一枚!」
「トラップぅぅ――……」
こうなったら、がぜん陽気な気分になってきた。
「もう夜もふけてきた。明日の朝、|出立《しゅったつ》しなさいよ。きょうはうちでゆっくり休んでいかれるといい」
ペンダーグラスさんのありがたいお言葉に甘《あま》え、わたしたちはいい匂いのするワラのベッドで眠ることにした。
「また、旅行デシか?」
すでにクウクウ|寝《ね》ているルーミィにだかれたまんま、シロちゃんが聞いた。
「ううん、もうこうなったら旅行なんてもんじゃないね。これはもう立派な冒険《ぼうけん》よ!」
「け、立派な冒険かぁ? |唯一《ゆいいつ》のファイターがオームになってよ、しょーもねぇー! いったたたたたたた!!」
トラップがまた悪態をついたとき、クレイがパッチリ目を覚ましてトラップの頭を攻撃《こうげき》した。
「ったたた、たんまたんま。おめぇ、オームのくせに鳥目じゃねーのかよ!」
「『忘れられた村の忘れられたスープ』っていうのは、いったいどんなものなんでしょうね」
キットンの声がしたような気がした。
でも、わたしには、返事をする気力もない。すっかり疲《つか》れていたせいもあって、大きくこいでいたブランコから勢いよく飛び降りたくらいのスピードで夢《ゆめ》の底へと落ちていった。
夢のなかで、あのジュン・ケイに会えるといいなと思いながら。
『忘れられた村の忘れられたスープ』(上) END
あとがき
――忘れられた村の忘れられたスープ(上)――
フォーチュン・クエストの第一巻を読んでくださった方、おひさしぶりです。初めて読んでくださった方、初めまして!
去年の暮れ(一九八九年一二月)、記念をすべき処女作を出版。みなさんのあたたかな応援のおかげで、出版してたったの三〜五日で完売。即重版決定……。どこの本屋さんに行っても見あたらなくなってしまいました。まったくの新人だし、作者のわたしが一番信じられない状態で。いったいフォーチュンのどこが受けたのか、未だにわかんないのだけれど。でも共感してくれた人がいっぱいいたんだってことは、実感できました。
ファンレターが来るというのは、文庫本ではめずらしいんだそうですけれど。発売と同時に続々寄せられ、それもあったかいお手紙ばかり! 自分の冒険者カードを写真入りで作ってくれた人、作中のキャラクターを考案してくれた人、ていねいなカラーイラストを添えてくださった人……。第一巻の後書きで書き添えたとおり、わたしのマジックポイントが減ってしまわなかったのも、そういうあったかなお手紙のおかげです。
しかし。このフォーチュン・二を書いていた、何か月かのあいだ。わたしの環境はなんて変わったんでしょう! まず、住んでいる場所が二転三転どころじゃなく、四転しました。だから、編集さんのアドレス帳の、わたしの貢はグッチャグチャ(笑)。仕事も、小説一本になりました。私生活の面でも、大きな変化がありました。新しい友達もいっぱいできて、そのかわりに疎遠になってしまった友達もいました。
わたし自身の考え方も変わってきたように思えます。と、いうか。基本にもどったような気がする。
「自分が自由にありたければ、人の自由を尊重しょう」
「どう生きたって、一生は一生。思いっきり生きよう」
これに徹することにしようと、改めて思うこのごろ。これから先、なにがどう変わろうが、この考え方だけは変わらないと思います。きっとフォーチュンの底辺にあるのも、この辺かなぁ? まぁ、それは受け取る人が決めてくだされば、それでけっこうなことだけど。
ところで、さっきお話しした、ファンレターのこと。もらさずお返事を害いているつもりなんですけど、万一もれてましたら、その旨催促してくださいね。
いっぱいいただいたお手紙を読んでの、一番の印象は。
「最近のコは活字離れしてる、なんていう定説はウソだ」
ということ。ちがうんですよね。そうじゃなくって、新しい活字のあり方を求めているっていうだけなんですよね。ファンになってくださった人たちのほとんどが、「最近のコ」と呼ばれる年代なんだけど。みんな文章がイキイキしている。書き言葉という呪縛《じゅばく》をまったく感じさせないし、だからとってもいいリズム感を持っている。ま、漢字の使い方はメチャクチャだったりするんだけど、そんなのは注意と根気さえあれば、誰でも解決できる些細なこと。それより、基本的な「文章を書く」という作業が、こんなに自然にできるようになったんだな、っていうのはけっこう衝撃でした。うれしかったしね。単に自分の言いたいことを言うだけなんじゃなく、読み手を意識した文章だし。後は、レトリックだとか、そういうちょっとした技巧を身につけるだけ。どんどんうまくなれると思いました。活字に囲まれて暮らしてきた人たちより、よほど自由に書き言葉を操っているだなんて、皮肉ですよね。
また、小説家になりたい、とか。ゲームデザイナーになりたい、シナリオライターになりたい……という人が多かったし、今実際に書いてますって人が多かったのも印象的。どんなふうにして、作家になったんですか? とか。そういう質問が多かったです。
作家ですなんて、とても恥ずかしくていえない……わたしが、こんなこというのは口はばったいんだけど。これから小説なり何なり、お話を創作したいと考えている人たちに、アドヴァイスするとしたら。
まず一番!
どんな形でもいいから、完成させてください。フィニッシュさせることです。きびしい言い方をすると、完成させたことのない人は、「小説を書いています」とはいえないと思うんです。反対に、完成させることのできた小説というのは、これから先、自信につながります。
わたしにも、子供のころから書き貯めていた、未完成の作品がいっぱいあります。それを読み返すと、なかなかおもしろいんですよね。でも、尻切れトンボ。「おいおい、この後どーなんのよー!」と、昔のわたしに文句をいってしまうくらい。いつか、そういう未完成の作品たちに素敵なエンディングをつけてあげたいと思ってます。
それから!
これもいいつくされたことですけどね。やっぱり、何もかもが経験なんです。物語を作る上で、無駄ってない。どんなに苦しくっても、悲しくっても、そのひとつひとつがかけがえのない経験として、自分のなかに蓄積されていくんです。
わたしは、自分でももてあますくらいに好奇心の旺盛《おうせい》な女の子でした。ふつう、みんな勉強
って嫌いでしょ? わたし、そうでもなかった。歴史とか、現国、古典、地理、数学、物理、生物……。みんな眩《まぶ》しいくらいにキラキラしてる物語が詰まってた。もちろん、単純に公式を覚えたり年表を覚えたりするのは、辛かったけどね。
「受験生です。なのに、こんな小説ばかり読んだり書いたりしてるんです」みたいな人がけっこういました。逃避っていうのかな。わたしも今やんなきゃいけないこと以外がやりたくってしかたないほうだから(笑)、そういう気持ちってわかりすぎるほどわかる!
でも、学校で勉強する、テスト勉強とかする、そういうことが無償でできるのは、若いうちなんですよね。いえいえ、おとなになっても勉強を続ける人って、尊敬してます。わたしの父がそうだしね。でも、でも、やっぱり。それだけのために集中できるのって、限界があるような気がする。
社会に出て、コサインがどーした、漢文が読めるからどーのってこと、役に立たないかもしれない。でも、今になって思うと、その考え方っていうのかな? 数学なら数学の公式を解くだけの根気や理路整然とした考え方とか、そういうのが、すっごく役に立っているの。
こういうのって、お説教くさいかしら? でも、でも。ほんとにほんとなんだから。無駄と思えるようなこと、それもみんな大切な経験なんだってことなんです。結局、おもしろいと思える視点の発見とか、想像力とかって話になるのですから。いまの教育にも問題はあるけれど、勉強の内容自体はおもしろがろうと思えば、いっくらでもおもしろがれる要素をいっぱい含んでいます。
「どーせ、やんなきゃなんないんだったらさ、せいぜい楽しんでやんなきゃ損じゃん!」
ふふふ、トラップならこういうね、きっと。
というわけで。ついつい、関係のない話で頁を使ってしまいました。フォーチュン・クエスト第二巻、いかがだったでしょうか?「んなこと、いってないで早く続きを書けぇー!」って声が聞こえてきそう。
はいはい。『忘れられた村の忘れられたスープ』の下巻は、上巻とうって変わって大活劇!になる予定ですから。首を長くして、待っててくださいね。
んじゃ、恒例のスペシャルサンクス・オンパレードいきますか。
ついに、美青年役でデビュー! わが敬愛する編集のじゅんけ姉。ひどいインフルエンザや打ち身、歯痛に責《せ》め苛《さいな》まれながらも、わたしのお守りをしてくださいました。すっかりフォーチュンを理解しつくしてくれてる、漫画家の迎夏生さん。締め切りに追われながらも、グチや悩みの聞き役を辛抱強くやってくださった、萩原健太兄。フォーチュンが本屋にあった! 売れた! と、まるで親類縁者のように心配してくれた、PC-VAN'98クラブの面々。NIFTYでの宣伝活動に貢献してくれた、弟の千尋君、ANZ'IKKOH'MAMIE、そしてROCK-NETの面々。相変わらず朗読をしてくれた、山口圭さん。
そして、そして。力いっぱい応援してくれてる、全国の皆さん。
どうもありがとう!
『忘れられた村の忘れられたスープ 下巻』で、お会いしましょう。
深沢 美潮