魔法戦士リウイ1
水野 良
英雄王《えいゆうおう》リジャールが納《おさ》める剣の王国<Iーファン。その国で新たな物語が始まろうとしていた。
「神の啓示《けいじ》がありました。不本意《ふほんい》ですが、あなたは私が仕《つか》えるべき勇者《ゆうしゃ》です」
そう声をかけられたのは、魔術師《まじゅつし》の見習いを卒業《そつぎょう》したばかりの青年リウイ。声をかけたのは、三人の女性冒険者《じょせいぼうけんしゃ》。盗賊《とうぞく》のミレル、戦士のジーニ、そして戦《マイリー》の神の神官《しんかん》メリッサだった。
突然《とつぜん》降《ふ》ってわいた「冒険者」へのお誘《さそ》い。それは、有《あ》り余《あま》る体力と己《おのれ》の内にたぎる正体不明の感情《かんじょう》に、日々モンモンとしていたリウイにとって、願《ねが》ってもないチャンスであった。
こうして始《はじ》まった冒険者としての生活。
それは同時に、地獄《じごく》の試練《しれん》の始まりでもあった。
水野良が描くフォーセリア・ワールド、待望《たいぼう》の新シリーズ第一弾!!
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[#地付き]口絵・本文イラスト 横田 守
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目 次
第T章 魔術師《まじゅつし》ギルドの異端児《いたんじ》
第U章 閉ざされた扉《とびら》の向こう
第V章 折れた杖《つえ》
第W章 争いの森
第X章 それは愛ゆえに
あとがき
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第T章 魔術師《まじゅつし》ギルドの異端児《いたんじ》
古代王国として知られるカストゥール王国の滅亡《めつぼう》とともに、魔法《まほう》の時代が終わった。
およそ五百年前の出来事である。
その後に続く時代は新王国期≠るいは剣《つるぎ》の時代≠ニ呼ばれている。
魔法の時代に蛮族《ばんぞく》と蔑《さげす》まれた人間が、剣の力によって新しい王国を次々と興《おこ》していったからだ。五百年ものあいだに、いくつもの王国が生まれ、あるいは滅《ほろ》んでいった。
そして、アレクラスト大陸で、もっとも最近、建国された王国が、ここオーファンだ。
竜殺《ドラゴンスレイヤー》し≠フ英雄《えいゆう》リジャールの剣によって興されたゆえ、剣の王国≠ニ呼称《こしょう》されている。
だが、剣の時代、それもこの剣の王国においても、古代王国の魔法文明は完全に失われたわけではない。魔術師《ソーサラー》≠ニ呼ばれる古代の魔術の使い手たちがいるからだ。
そして、そういう魔術師たちのなかに極《きわ》めて希《まれ》だが、戦いの技《わざ》に長《た》けた者もいる。
魔法を操《あやつ》る戦士ゆえ、彼らは魔法戦士《ルーンソルジャー》≠ニ呼ばれている。
「おめでとう」
祝福《しゅくふく》の声が響《ひび》いて、陶器《とうき》の酒杯《ジョッキ》が四つ、高々と掲《かか》げられた。
「ありがとう」
長身で体格も立派《りっば》な一人の若者が、四人の祝福に応《こた》えて酒杯を軽く上げる。そして薄《うす》く泡立《あわだ》つ赤色の液体に口をつけ、一気に飲みほした。
麦酒《エール》である。心地《ここち》よい苦《にが》みと酸味《さんみ》が、口のなかに広がってゆく。
「あいかわらずだな」
若者の右隣《みぎどなり》に座《すわ》っている別の若者か、呆《あき》れているのか感心しているのか分からないような口調《くちょう》で言った。
「この体格だもの、一樽《ひとたる》だって一気に飲みはせるわよ」
同じテーブルを囲む五人のなかで唯一《ゆいいつ》の女性が、隣に座る巨漢《きょかん》を横目で見ながら言った。
茶色がかった金髪《きんぱつ》が酒杯に落ちないよう、空いているほうの手で軽く押《お》さえながら、舐《な》めるように酒杯に口をつけている。
「いくらなんでも、一樽は無理だ」
そう答えながらも、若者は同時にエールのおかわりを店員に頼《たの》んでいた。
「一杯ぐらいじゃ、喉《のど》の渇《かわ》きが収まらないのも確かだけどな」
そう言って、不敵な笑いを浮《う》かべる。
若者の名前は、リウイ。
今年の夏で、十九|歳《さい》になる。世間では、ようやく成人と認められる年齢《ねんれい》だ。オーファンの王都《おうと》ファンの街《まち》にある魔術師《まじゅつし》ギルドに入門している。
資格は、正魔術師《ソーサラー》。職人の世界に例《たと》えるなら、門弟《もんてい》というところだ。
他《ほか》の四人も、全員が正魔術師である。
十年前に入門した同期生であり、見習い時代から同じ導師《どうし》のもとで、あらゆる分野の知識と古代魔法王国の文化|遺産《いさん》ともいうべき古代語魔法を勉強してきた。最初、同期生は百人近くいたのだが、現在までギルドに在籍《ざいせき》しているのはこの五人だけだ。
「結局、オレが最後になったな」
運ばれてきた二杯目の酒杯を見つめながら、リウイは一人《ひとり》ごとのように言った。
正魔術師になったのは、五人ともほとんど同時期だった。
上位古代語《ハイエンシェント》≠ニ呼ばれる魔法言語《ルーン》を唱《とな》え、古代語魔法を発動させられれば、正規の魔術師と認められる。そして魔法の発動体たる|魔術師の杖《メイジスタッフ》≠ニともに魔術師の組合《ギルド》を発足させた大|賢者《けんじゃ》マナ・ライが著《あらわ》した基本の魔術教本が与《あた》えられるのだ。
この書物を完全に修《おさ》めると、教本が変わる。古代王国時代の遺跡《いせき》から発掘《はっくつ》された古代の魔術書にである。
この古代魔術書の授与《じゅよ》≠フ儀式《ぎしき》をもって、オーファンの魔術師ギルドでは、ようやく一人前の魔術師と認められる。一人ずつに担当《たんとう》の導師がつき、その指導のもと、独自の研究活動が許されるようになる。同時に、魔術師ギルドへの奉仕《ほうし》が義務づけられるようになり、たいした額ではないが俸給《ほうきゅう》も与えられる。
リウイが古代魔術書の授与の儀式を受けたのは三日前。五人のなかで、いちばん最後だった。右隣《みぎどなり》にいるクリルと比《くら》べれば、たっぷり二年は遅《おく》れている。
ようやく仲間たちに追いついたわけだ。今日の酒宴《しゅえん》は、その祝《いわ》いとして、仲間たちが開いてくれたものだ。
「いちばん最後も何も……」
同期生のなかでただ一人の女性であるアイラが、口を開いた。
彼女はリウイより二歳、年上である。五人のなかでも最年長だ。
「あれだけ怠《なま》けていれば、遅れて当然だわ」
ぴしゃりとした口調だった。
いつものことなのだが、彼女は言葉を選ぶということを知らない。
「心外だな。オレだって、毎日、夜遅くまで魔術書と格闘《かくとう》してたんだぜ」
リウイは惚《とぼ》けるように言った。
「時間をかければいいってもんじゃないわ。取り組む姿勢の問題ね。リウイって、まるで研究に集中しているように見えないもの。立派な魔術師になりたいと思ってるのかどうか疑問だわね」
「適性がないだけさ」
リウイは苦笑《くしょう》まじりに答えると、運ばれてきたエールのおかわりに口をつけ、ふたたび一気に飲みはした。
「適性……ね」
リウイが空《から》にした二|杯目《はいめ》の酒杯を見つめながら、アイラは肩《かた》をすくめた。
「その体格に、その飲みっぷり。確かに、世間の人が思い描《えが》いている魔術師とは似ても似つかないわね」
「好きで、こんな体格になったわけじゃない。酒だって、美味《うま》いと思うから飲むだけだ」
アイラが言うとおり、リウイの体格はおよそ魔術師らしくない。
武勇を誇《ほこ》るオーファンの騎士《きし》たちのなかに入っても、リウイの体格と体力は抜《ぬ》きんでているに違《ちが》いない。
「カーウェス様の親戚《しんせき》だというのにね」
オーファン魔術師ギルドの長であり、この王国の宮廷《きゆうてい》魔術師を務めるカーウェスは、アレクラスト大陸で最高の魔術師の一人である。
リウイはこの大魔術師の遠縁《とおえん》にあたり、赤子《あかご》の頃《ころ》、両親を失ったため引き取られたのだ。
「爺《じい》さんのほうが、特別なんだよ」
リウイはきっぱりと答えた。
正確には養父《ようふ》なのだが、年が離《はな》れているため、子供の頃からそう呼んでいる。
「魔術師の親戚が全員、魔術師になれるんだったら、今頃、大陸中に魔術師が溢《あふ》れかえっているさ」
ダリルがそう言って、笑う。
「魔術師は皆《みな》、古代王国人の青い血を受け継《つ》いでいると言われてるけどね」
「怪《あや》しいものだな」
ダリルの言葉に、リウイは戯《ふざ》けて応じる。
魔法文明で栄《さか》えたカストゥール王国人の血どころか、カーウェスと血が繋《つな》がっているかどうかも疑わしいと、彼自身は思っている。
偉大《いだい》なるカーウェスは一度も妻帯《さいたい》したことがなく、兄弟《きようだい》がいるという話も聞いたことがないからだ。
リウイは別に、血の繋がりのあるなしを気にしているのではない。そんなものがあろうとなかろうと、カーウェスが|養い親《やしなおや》であることに変わりがないのだ。育ててもらったことを、感謝している。
ただ、自分の身体《からだ》のなかに流れている血が、魔術師とは異質であるように思えてならないだけだ。
「カーウェス様から与《あた》えられたのは、どの系統の魔術書なんだ?」
リウイが黙《だま》りこんだのを見て、気分を害したと思ったのか、ダリルが話題を変えて、訊《たず》ねてきた。
「基本魔術《ソーサリー》だよ。基本|呪文《じゅもん》の唱《とな》え方と呪文の効果の拡大《かくだい》について記述されているそうだ」
そう答えるリウイの顔は、やや憮然《ぶぜん》としていた。
「カーウェス様は基本が大事《だいじ》と教えておられるものね」
アイラが、意地悪《いじわる》そうな笑《え》みを浮《う》かべる。
「オレは拡大魔術《エンハンス》の系統を研究したかったんだけどな」
拡大魔術というのは、古代語魔法のなかで肉体的能力の拡大《かくだい》を得意とする系統である。
瞬間移動《テレポート》や遠見《ビジヨン》といった呪文も、この系統に含《ふく》まれている。
「それだけの肉体をしていて、まだ不満があるの〜」
アイラがあきれたという顔をする。
「リウイらしいよ」
ダリルが楽しそうに言った。
「そんなに身体を鍛《きた》えたいなら、冒険者《ぼうけんしゃ》でも雇《やと》って、古代|遺跡《いせき》の発掘《はつくつ》に行けばいいのさ」
「それはいい考えだ。リウイが研究材料を見つけてきて、僕たちが研究する。そのほうが効率《こうりつ》がいい」
リウイの向かいの席に座《すわ》っている二人が、そう言って笑いあう。
「冒険者か……」
彼らは冗談《じょうだん》で言ったのだろう。
だが、リウイは心の奥《おく》で、真剣《しんけん》にそれを考えていた。
冒険者――
アレクラスト大陸全土を股《また》にかける遺跡|荒《あら》しのことだ。
五百年前に栄《さか》えた古代王国の遺跡に潜入《せんにゅう》し、そこに埋蔵《まいぞう》されている莫大《ばくだい》な財宝《ざいほう》、貴金属や宝石、芸術品、そして魔法の宝物などを持ち帰ることを生業《なりわい》とする者たちだ。
彼らはまた英雄予備軍でもある。大陸各地に跳梁《ちょうりょう》する怪物《かいぶつ》を退治《たいじ》したり、山賊団《さんぞくだん》や海賊団を掃討《そうとう》することもあるのだ。
もちろん、すべての冒険者がそんな大仕事をしているわけではない。冒険者の多くは、隊商の護衛《ごえい》や金持ちの館《やかた》の警備、その他、種々雑多な問題《トラブル》を解決することで、日々の糧《かて》を得ている。いわば、何でも屋≠ナある。
それでも、冒険者たちの生き方は自由かつ波乱に富み、頼《たよ》りになるのは自分自身の才覚であることは間違《まちが》いない。
リウイは、そこに魅力《みりょく》を感じている。
「仲間になろうと言ってくれる奴《やつ》でもいればな……」
リウイは、ぽつりとつぶやいた。
そのときには、同期生たちの話題はすでに変わっていて、彼のひとりごとを気に止めた者はいなかった。
運ばれてきた料理の皿に手を伸《の》ばし、リウイは仲間たちの話題に加わっていった。
祝《いわ》いの酒宴《しゅえん》は、夜遅《よるおそ》くまで続いた。
祝宴《しゅくえん》が終わって、リウイたちは魔術師《まじゅつし》ギルドの宿舎に与《あた》えられたそれぞれの部屋《へや》へと戻《もど》っていった。
他《ほか》の四人はかなり酔《よ》っているから、明日は魔術の研究どころではないだろう。
しかし、リウイはまったく飲みたりなかった。いったん飲みはじめると、とことん飲むまで満足できない性格なのだ。中途半端《ちゅうとはんぱ》なところでやめると、かえって気分が悪くなる。
リウイは私服に着替《きが》えると、一人、街《まち》へと戻っていった。
自然に、足が裏通りへと向く。
街の西南の一角に、ちょっとした歓楽街《かんらくがい》があるのだ。真面目《まじめ》な人間なら、絶対に近づかないような場所。
だが、リウイはそこの常連《じょうれん》だった。
魔術師になる――
リウイは赤子《あかご》の頃《ころ》からそう思っていたし、またそのようにも育てられてきた。
読み書きは二歳の頃から教えられたし、玩具《おもちや》はすべて|魔法の宝物《マジックアイテム》だった。
合言葉《キーワード》を唱《とな》えると様々《さまざま》に形を変える真銀《ミスリル》の球《ボール》や、小型の魔法人形《パペット》や人造人間《ホムンクルス》などだ。
そんな環境《かんきょう》で育ったわけだから、魔術師になる以外の生き方など考えもしなかった。
だが、魔術師ギルドに入り、見習いになった頃から、決められた生き方に対する疑問が芽生《めば》えだしたのだ。
ただの反抗《はんこう》だと思う。
魔術師としての修業《しゅぎよう》に身が入らなくなったのはそれからだ。もやもやとした気分が晴れることなく、魔術書を読むのにさえ、集中できなくなった。
得体《えたい》の知れない衝動《しょうどう》に突《つ》き動かされるように、リウイはこの歓楽街に足を運ぶようになった。酒を飲み、賭《か》け事《ごと》をし、女を抱《だ》き、喧嘩《けんか》をする。そういう刹那的《せつなてき》な快楽に身を任《まか》せていると、いくらか気分が晴れる。
だが、完全に満たされるわけではない。
そして、どうすれば満たされるのかも、リウイは分からずにいた。
大通りを曲がって、リウイは真《ま》っ暗《くら》な路地《ろじ》を、正面に見える明かりに向かって進んだ。
塵《ごみ》のすえた臭《にお》いが鼻をつき、人の気配《けはい》を感じた鼠《ねずみ》たちが逃《に》げ惑《まど》い、リウイの足にぶつかってくる。どこからか、犬の遠吠《とおぼ》えが寂《さび》しげに聞こえてくる。
そのときであった。
リウイが目指している方向から、突然《とつぜん》、誰《だれ》かの怒鳴《どな》り声が響《ひび》いた。何かが壊《こわ》れる派手《はで》な音と、歓声《かんせい》とも悲鳴ともつかね声がそれに続く。
この界隈《かいわい》では聞き慣れた声であり、音であった。
「喧嘩だ!」
瞬間的《しゅんかんてき》に、リウイは走りだしていた。
一歩ごとに高揚感《こうようかん》が沸《わ》き上がってくる。楽しい夜になるかもしれない。
喧嘩の舞台《ぶたい》は、繁華街《はんかがい》に入ったところにある比較的《ひかくてき》まともな酒場だった。逆に言えば面白《おもしろ》みのない店で、これまでリウイは行ったことがなかったのだが、今夜ばかりは行く価値がある。
酒場の入口を取り巻くように、二十人ほどの野次馬《やじうま》が集まっている。かなり激《はげ》しい喧嘩のようで、物が壊《こわ》れたり倒《たお》れたりする音が、店のなかから響《ひび》いてくる。
リウイは人垣《ひとがき》をかきわけて、店のなかへと入っていった。店に入れば、喧嘩に巻きこまれる可能性だってある。内心、それを期待していた。喧嘩は見ているだけでも楽しいが、やるのはもっと楽しいのだ。
だが、喧嘩の現場を見て、リウイは思わず唖然《あぜん》となった。
喧嘩をしているのが、男二人と女三人だったからである。そして、一見しただけでも分かるほど、女たちのほうが優勢だった。はっきり言えば、一方的である。
三人の女たちは、初めて見る顔だった。
一方、相手の男たちのほうには見覚えはある。職人のような格好《かつこう》をしているが、オーファンの騎士《きし》見習いである。
以前、彼らの隣《となり》のテーブルで飲んでいるとき、二人の会話を聞くとはなしに聞いたからだ。はっきりと身分を言ったわけではないが、話の内容からリウイには、彼らの正体はすぐに分かった。
真面目《まじめ》ばかりではいられないという人間は、どこにでもいるということだ。もっとも、オーファンは建国してからの歴史が浅いので、騎士とはいえ、傭兵《ようへい》や流《なが》れの戦士たちとあまり違《ちが》いはない。そのかわり、武勇を誇《ほこ》る気質は衰《おとろ》えていない。見習いであっても、厳《きび》しい戦闘《せんとう》の訓練を受けている。そして、そのなかには格聞術《かくとうじゆつ》もあるのだ。
だが、そんな二人の騎士見習いを、三人の女は問題にもしていなかった。
女の一人は、リウイと同じぐらいの体格をしていた。長い赤毛と豊かに膨《ふく》らんだ胸がなければ、男と間違《まちが》えていたかもしれない。革製《かわせい》の部分鎧《ぶぶんよろい》をつけ、手首と足首には白布《しろぬの》を硬《かた》く巻きつけている。露出《ろしゆつ》の多い肌《はだ》は浅黒く日焼けしていて、文字とも模様ともつかぬ印《しるし》が頬《ほお》や太股《ふともも》、二の腕《うで》などに描《えが》かれていた。
オーファンの北部、ヤスガルン山脈に住む小部族の習慣だと、リウイの知識は教えていた。何かの理由があって、集落から出てきたのだろう。
勇敢《ゆうかん》な山の民《たみ》で、オーファン建国のおりには何十人もの戦士を派遣《はけん》し、建国王リジャールに協力している。その功績《こうせき》によって王国から自治《じち》を認められ、昔《むかし》ながらの暮らしを営《いとな》んでいると聞いている。
もう一人は、ゆったりとした衣服《いふく》を身につけた金髪《きんぱつ》の女性だった。口許《くちもと》には上品な笑《え》みを浮《う》かべていて、喧嘩《けんか》に加わっているようにはとても見えない。しかし、やっていることはまったく容赦《ようしや》なかった。
痣《あざ》だらけになりながら向かってくる男に、優雅《ゆうが》な動作で平手打《ひらてう》ちを入れる。手首の返し方が見事で、男はそれだけで床《ゆか》に倒《たお》される。
形よく膨《ふく》らんだ胸の左には、戦鎚《ウォーハンマー》を意匠化《デザイン》した紋章《もんしょう》が刺繍《ししゅう》されている。
戦《いくさ》の神マイリーの紋章《シンボル》だ。
神聖魔法《しんせいまほう》の使い手である司祭《プリースト》なのか、ただの信者なのかは分からないが、彼女が戦神《せんしん》マイリーを信仰《しんこう》しているのは間違いない。
最後の一人は小柄《こがら》な少女だった。
鼠《ねずみ》を弄《もてあそ》ぶ仔猫《こねこ》にも似た表情を浮かべ、俊敏《しゅんびん》に立回りながら、二人の騎士《きし》見習いに低い体勢から蹴りをたたきこんでいる。
少年のような体形で、胸の膨らみも浅く、腰《こし》の曲線にもまだまだ硬《かた》さが残っている。ランプの明かりに、きらきらと輝《かがや》く黒い瞳《ひとみ》が印象的だった。普通《ふつう》にしていれば、きっと愛らしく見えるだろう。
三人ともまだ娘《むすめ》といってよい年齢《ねんれい》だった。リウイともそう年齢は変わらないだろう。
その三人娘は、二人の騎士見習いを徹底的《てつていてき》に叩《たた》きのめしている。
店の内外にいる野次馬《やじうま》たちは、げらげらと笑いながらそれを見物していた。確かに、見せ物としては面白《おもしろ》い。だが、いくらなんでもやりすぎだった。ここまで容赦なくやられて、は、騎士見習いたちも後に引けなくなる。
「こりゃあ、死人が出るかもな……」
酒杯《ジョッキ》を片手にリウイの隣《となり》で見物していた男が、目を輝かせながらつぶやく。
リウイも同感だった。だが、人死にを期待するほど、彼は悪趣味《あくしゅみ》ではない。
(止《と》めるべきかもしれないな)
リウイは思った。
だが、それを望んでいる者は、やられっぱなしの騎士見習いを含《ふく》めて誰《だれ》もいない。
(どうしたもんかな?)
そう自分の心に問いかけた瞬間《しゅんかん》、騎士見習いの一人が、ついに剣《けん》の柄《つか》に手をかけた。
歓声《かんせい》とも悲鳴ともつかぬ声が、あちこちから起こる。
「衛兵だ!」
それと同時に、店の外の野次馬たちから、そんな叫《さけ》び声が聞こえてきた。
路地《ろじ》の騒《さわ》ぎを聞きつけて、大通りを巡回《じゆんかい》していた衛兵がやってきたのだろう。新興国《しんこうこく》だけに、オーファンの治安《ちあん》は悪くはない。騒ぎがあって、それを見て見ぬふりをしたことが発覚したら、重罰《じゆうばつ》を受けることになる。
「それを抜《ぬ》いたら、生命《いのち》がなくなるよ」
赤毛の女|戦士《せんし》が、不敵な笑みを浮かべながら、騎士見習いを睨《にら》みつけた。
リウイの肌《はだ》にも鳥肌が立つほどの凄《すご》みが感じられる。
その迫力《はくりよく》に、騎士見習いは一瞬、躊躇《ちゆうちよ》した。だが、やはり騎士の誇《ほこ》りは捨てられなかったようだ。腰の剣を引き抜くと、自刃《はくじん》を夜の明かりに煌《きら》めかせた。
もう一人の騎士見習いも、当然のように同僚《どうりょう》に倣《なら》う。
「殺しあいだって、受けてやるさ」
女戦士は悠然《ゆうぜん》と答え、護身《ごしん》用に持っていたらしい短剣《タガー》を抜いた。
小柄な少女も、どこに隠《かく》し持っていたものか、細身《ほそみ》の短剣を取りだしている。
もう一人の金髪の女性は、武器こそ取りださなかったが、精神を集中させて明らかに魔《ま》法《ほう》を唱《とな》えようという態勢だ。どうやら、彼女は神聖魔法の使い手である司祭《プリースト》のようだ。戦士の訓練を受けた神官《しんかん》戦士なのだろう。
両者は互《たが》いに睨みあっているが、動きがあった次の瞬間には勝負は決すると思えた。負けるのは、もちろん、騎士見習いのほうだ。
(放《ほう》っておくわけにはゆかないな)
リウイは決心した。
喧嘩《けんか》は好きだが、命のやりとりまでする必要はないと思っている。
だいたい衛兵たちがやってきているのだ。彼らがこの現場を見れば、騎士見習いたちの立場は更《さら》に悪くなる。女に喧嘩で負けたことが知られれば、一生の笑い者だ。
女たちのほうも、もはやこの街《まち》にいられなくなるだろう。もともと流《なが》れ者《もの》かもしれないが、賞金首《しようきんくび》になるのは本意ではあるまい。
「そこまでにするんだな!」
お節介《せつかい》とは承知しっつ、リウイは大声を上げて、両者のあいだに割って入っていった。
周囲の野次馬《やじうま》から|不満の声《プーイング》があがる。もっとも、新しい展開《てんかい》を期待する歓声も数人分はど混《ま》じっていた。
自分のことを知っている者たちだな、とリウイは思った。
いつもの彼なら、喧嘩を収めたりたしない。むしろ、大きくする。だが、今日のところは、そういうわけにはゆかない。
リウイの行動は決まっていた。五人の男女があっけにとられているあいだに、電光のように動いた。
武器を構えたまま硬直《こうちよく》している二人の騎士《きし》見習いを左右の拳《こぶし》、一発ずつで叩《たた》きのめす。
そして振《ふ》り向きざまに、女戦士の顔面を殴《なぐ》りつける。
不意をつかれた女戦士は、リウイの拳をもろに受け、酒場の壁《かべ》まで飛んでいった。
「何をしやがる!」
声はかわいらしいが下品《げひん》な物言いで、小柄《こがら》な少女が低く回し蹴《まわげ》りを放《はな》ってきた。
かわせないと知ったリウイは、足を踏《ふ》ん張って、その蹴りを受け止めようとする。
鞭《むち》のように鋭《するど》い蹴りが、左の太股《ふともも》に命中した。
「痛え!」
だが、そう叫《さけ》んだのは、小柄な少女のほうだった。
「てめえの足は、丸太《まるた》かよ!!」
愛らしい顔を苦痛と怒《いか》りで歪《ゆが》めながら、少女は足を抱《かか》えてうずくまる。
「女性の顔を殴るなんて……」
金髪《きんぱつ》の女性が、怒りの表情もあらわに進んできた。
目にも止まらぬ速さで、リウイの頬《はお》に右手が飛んでくる。リウイはその手首をなんとか掴《つか》むと、そのまま彼女を引き寄せた。
端正《たんせい》な顔が目の前に迫《せま》ってくる。リウイがその気なら、上品な唇《くちびる》を奪《うば》うことだって可能だろう。
女司祭ははっとなり、全身を硬《かた》くさせた。青い瞳《ひとみ》が怯《おび》えたように揺《ゆ》らぐ。
「男を殴るような女ならな……」
リウイはまず、彼女の抗議《こうぎ》に対して律儀《りちぎ》に答を返しておいた。
それから声を落として、
「衛兵が来ている。この場に残っていると、牢屋《ろうや》に入ることになるぜ」
と続ける。
「衛兵が!」
金髪の女は驚《おどろ》いたように、入口を振《ふ》り返った。
どうやら、喧嘩《けんか》に集中していて、外の野次馬《やじうま》の声が聞こえなかったらしい。
衛兵は店の外までやってきたが、権力嫌《けんりよくぎら》いの野次馬たちと揉《も》みあっているらしく、店のなかにはまだ入ってきていない。
「逃《に》げるのなら、今のうちだぜ」
リウイはそう言って、女司祭の手首を離《はな》した。
そのときには、女戦士と少女も立ち上がっていて、殺気に満ちた目で彼を睨《にら》んでいた。
「聞こえないのか? 喧嘩は終わったんだよ」
納得《なつとく》できないという顔をしながらも、三人の女たちは店の裏口に向かって、走り去っていった。
それを見届《みとど》けて、リウイはほっと一息をついた。
不意をついたからなんとかなったものの、まともに喧嘩をしていたら、勝てたかどうか分からない。
そして、リウイは騎士見習いのほうに向き直る。
よろめきながらも、彼らは起き上がろうとしていた。
そんな二人の前に悠然《ゆうぜん》と立ち、
「おまえたちを叩《たた》きのめしたのは、オレだからな」
と、リウイは言った。
騎士見習いたちは、惚《ほう》けたような顔で見あげてくる。だが、戦意はもう失《う》せているらしく、荒《あら》く息をつくだけだった。
リウイはもう一度、同じ言葉を繰り返し、
「誇《ほこ》りと名誉《めいよ》を大切にしたいのならな」
と続けた。
その瞬間《しゅんかん》、衛兵たちがようやく野次馬たちを押《お》しのけて店内に入ってきた。
「何事だ!」
背後から肩を掴《つか》まれ、リウイは強制的に衛兵たちのほうに顔を向けさせられた。
「見れば分かるだろ。ただの喧嘩さ……」
リウイは衛兵に答えると、手近なテーブルに置きっぱなしにされていた葡萄酒《ワイン》の壷《つぼ》を掴み、ぐいっと叩《あお》る。
「酔《よ》っ払《ばら》いが!」
衛兵がリウイの顔面を殴《なぐ》りつけようとした。
力のない一撃《いちげき》だったので、リウイはそれを避《さ》けもしない。拳《こぶし》が頬《ほお》に当たった瞬間、ふらふらと後ろによろけたのも芝居《しばい》だった。
衛兵たちは、当然のように二人の騎士見習いの正体に気づいた。そして、目配《めくば》せをしあうと、リウイ一人を連行しようとする。
不公平きわまりない処置だが、リウイの狙《ねら》いどおりでもあった。二人の騎士見習いの名誉は守られるし、あの娘《むすめ》たちも王国から追われずに済《す》むだろう。
後ろ手に縄《なわ》をかけられ、リウイはオーファンの王城にある地下牢《ちかろう》へと連行された。
馬鹿《ばか》な真似《まね》をしたとも思うが、今夜の事件は十分、刺激的《しげきてき》だった。
まだ飲み足りないことだけが、リウイの唯一《ゆいいつ》の不満だった。
リウイが釈放《しやくほう》されたのは、翌日の昼前だった。
牢屋《ろうや》に放《ほう》り込まれるとき、養父《ようふ》カーウェスの名を出していたから、この結果は予想どおりだった。
「酔っ払って喧嘩《けんか》とは、な」
宮廷《きゆうてい》に出仕《しゅつし》し、リウイが牢屋に入れられたことを聞いたとき、カーウェスはひどく慌《あわ》てたらしい。
だが、リウイと対面しても、意外なことにそれほど怒《おこ》らなかった。短い説教をしただけで、かえってリウイは拍子抜《ひようしぬ》けした。
「国王には会っておるまいな?」
説教を終えると、カーウェスはそんな質問を投げかけてきた。
「王様は、地下牢によく来るのかい?」
養父の質問の意図が分からず、リウイは戸惑《とまど》いながら答えた。
養子であるリウイが牢屋に入れられたことが国王に知られたら、立場上まずいのは間違《まちが》いない。だが、それぐらいでカーウェスの評価《ひようか》が変わるとも思えない。
「会っておらなんだらいいのだ」
安堵《あんど》のものとおぼしき溜息《ためいき》をついて、カーウェスは会話をうち切った。
そして執務《しっむ》があるからと言って、去っていった。
そんな養父の態度を怪訝《けげん》に思いつつも、リウイは深く詮索《せんさく》をしなかった。
汚《よご》れた身体《からだ》を湯で洗い、牢番《ろうばん》が差し入れた新しい服に着替《きが》えて、裏門から出てゆく。王城がそびえ建《た》つ丘《おか》の斜面《しやめん》を一回りして、王都《おうと》ファンの市街《しがい》に向かう。
すでに昼なので、ひどくお腹《なか》が空《す》いていた。どこかで食事でもして、それからゆっくりと魔術師《まじゅつし》ギルドへ帰ろうと、リウイは思った。
飯屋《めしや》を探して街路をぶらぶら歩いていると、突然《とつぜん》、路地《ろじ》から人影《ひとかげ》が飛び出してきた。それも三つ。
現れたのは、昨晩、会った三人組の娘《むすめ》たちだった。
「おまえたち……」
リウイの目に警戒《けいかい》の色が浮《う》かぶ。
彼女たちは殺気にも似た異様な雰囲気《ふんいき》を漂《ただよ》わせている。
(それほどの恨《うら》みを買うとはな)
意外に思ったが、売られた喧嘩《けんか》から逃《に》げるのはリウイの流儀《りゆうぎ》ではない。
三人の娘は、しかし完全|武装《ぶそう》であった。女戦士は両手持ちの大剣《グレートソード》。神官《しんかん》戦士は、小振《こぶ》りの戦鎚《ウォーハンマー》。そして、小柄《こがら》な少女は細身《ほそみ》の小剣《ショートソード》。
リウイはと言えば、護身《ごしん》用に短剣《ダガー》を帯《お》びているだけ。武器を使った戦いになれば、勝ち目はない。そもそも喧嘩なら慣れているが、武器の扱《あつか》いには慣れていないのだ。
どう考えても逃げたほうが利口だった。最悪、殺されるかもしれない。だが、リウイの心に恐怖感《きようふかん》は湧《わ》いてこなかった。むしろ気持ちが高ぶっている。
(オレは狂《くる》ってるのかもしれない)
心のなかで、リウイはつぶやいた。
魔術師として異端《いたん》なだけではなく、人間としても異端なのではないかと思う。
娘たちは、どう見ても戦い慣れている様子だ。大柄な女性は傭兵《ようへい》経験がありそうで、本物の戦場にも出ているだろう。
金髪《きんぱつ》の女性は戦神マイリーの神官戦士であり、戦いの訓練を受けているだけでなく、神の奇跡《きせき》たる神聖魔法も使う。
そして小柄な少女は、昨晩は気づかなかったが、おそらく盗賊《シーフ》だ。独特な足の運びからそれと分かる。
そんな三人が一緒《いっしょ》に行動しているのは、不自然と言えば不自然だ。だが、たったひとつの言葉で、その疑問は霧消《むしよう》する。
彼女らは、冒険者《ぼうけんしゃ》なのだ。
それもかなりの経験を積んだ冒険者だろう。
そしてすべての冒険者が、善人《ぜんにん》とは限らないのである。
人気《ひとけ》のない路地《ろじ》にリウイを誘《さそ》い、広まった場所に来てから、娘たちは振《ふ》り返った。
リウイは、無言で三人を見つめ返す。
彼のほうには、言うべきことはない。愛想笑《あいそわら》いを浮《う》かべる気もないし、慈悲《じひ》を乞《こ》うつもりもない。なるようになれという気持ちだった。
「おまえ、リウイって言うんだってな」
小柄な女性がリウイの全身をじろじろ眺《なが》めながら言った。
どうしてそれをなどと、お決まりの台詞《せりふ》をリウイは言うつもりはなかった。同時に、彼女が盗賊《シーフ》であることを確信する。盗賊《とうぞく》ギルドなら、人の素性《すじよう》ぐらい簡単に調《しら》べがつく。
「オーファン魔術師ギルドに属していて、最高導師《アークメイジ》カーウェス様の養子《ようし》なのですね?」
金髪の神官戦士が、ゆっくりとした口調《くちょう》で言う。
訊《たず》ねているのではなく、確認《かくにん》している感じだった。
答えるまでもないので、リウイは無言でうなずいた。
「魔術師なんかに殴《なぐ》られるとはな……」
赤毛の女が地面に唾《つば》を吐《は》いた。彼女の右目には昨晩、リウイが殴った痕《あと》が、見事な青痣《あおあぎ》となって残っている。
「不意をついたからな」
「それぐらいで殴られるなら、わたしは戦場で十度は死んでいる」
たいした自信だと、リウイは思った。
だが、自信なら彼も負けない。武器を使って戦った経験こそないが、殴りあいなら負けたことがない。ほとんどの相手を、拳《こぶし》一発で倒《たお》してきた。
「用があるから、誘ったんだろう。オレだって、それほど暇《ひま》じゃないんだ」
どうやら喧嘩《けんか》は避《さ》けられそうにもない。
リウイは覚悟《かくご》を決めて、三人の動きに油断なく注意を払《はら》った。
「昨日の続きといきたいのは山々なのだがな……」
リウイの気配《けはい》を悟《さと》ったらしく、女戦士がそう言って、金髪の神官戦士の肩《かた》を叩《たた》いた。
促《うなが》されるように、彼女は一歩、進みでてきた。
「わたしの名前は、メリッサと言います。ラムリアースに生まれました」
メリッサと名乗った女性は、優雅《ゆうが》な動作と丁寧《ていねい》な言葉遣《ことばづか》いで挨拶《あいさつ》を送ってきた。
間違《まちが》いなく騎士《きし》階級の出身だと、リウイは思った。
おそらく上級騎士――貴族の出身だろう。
ラムリアースはアレクラスト大陸最古の歴史を誇《ほこ》る王国である。宮廷儀礼《きゆうていぎれい》も洗練《せんれん》されている。オーファンの宮廷に出入りしている女官では、とても彼女の真似《まね》はできまい。
「不本意ながら、あなたが勇者であるとの啓示《けいじ》を神から賜《たまわ》りました。本日から、あなたに仕《つか》えさせていただきます」
「はあ?」
思いもかけぬ言葉に、つい間《ま》の抜《ぬ》けた声が出た。
「オレが、勇者だって……」
言葉を失って、メリッサという名の神官戦士の端正《たんせい》な顔を呆然《ぼうぜん》と見つめる。
「啓示を受けたからには、勇者に仕えるのがわたしたちの信仰《しんこう》ですから……」
リウイの視線から逃《のが》れるように、金髪の神官戦士はそっぽを向く。
「仕えるなんて言われてもな……」
なんとか落ち着きを取り戻《.もど》して、リウイは言った。
「いろいろと悪《わる》さはしているが、オレはこのまま魔術師《まじゅつし》を続けるつもりだ。それに魔術師が勇者になったなんて話は聞いたことがない。爺《じい》さんのように、勇者を助けることならできるかもしれないが……」
それにしても、今の実力ではとうてい無理だ。
「わたしだって、戸惑《とまど》っているのです。しかし、神の啓示は絶対ですから」
よく見れば、メリッサは何かを耐《た》えるように拳《こぶし》を握《にぎ》りしめている。あいかわらずリウイの顔を見ようともしない。どう考えても、好意は感じられない。
「残念だが、あんたの期待には応《こた》えられないな。オレは勇者になるつもりなんてない」
「いいえ、応えていただきます」
メリッサという女性は強硬《きょうこう》だった。
信仰の問題だから、それは仕方ない。だが、突然《とつぜん》、勇者だと言われてもどう振《ふ》る舞《ま》えばいいのか考えもつかない。
予想もしなかった展開《てんかい》に、リウイはただ混乱するばかりであった。
「わたしたちは冒険者《ぼうけんしゃ》さ」
そんなリウイの様子を見て、女戦士が溜息まじりに言った。それから、思い出したように、ジーニと名乗った。
「わたしは、見てのとおりの戦士。メリッサは戦神《せんしん》マイリーに仕える神官戦士、そしてミレルは盗賊」
ミレルという名の小柄《こがら》な女性が、不機嫌《ふきげん》そうな顔で会釈《えしやく》した。
リウイの予想は、完全に当たっていたわけだ。
「そして、わたしたちは仲間を探していたんだ。魔術師《ソーサラー》か|精霊使い《シャーマン》のね」
その事情も、リウイには分かる。
冒険者はあらゆる状況に対処《じょうきようたいしよ》する必要がある。そのため|魔法使い《ルーンマスター》は仲間として欠《か》かせないのだ。神聖魔法の使い手たる司祭《プリースト》も魔法使いには違《ちが》いないが、治癒呪文《ちゆじゅもん》が主《おも》で攻撃《こうげき》呪文や補助《ほじよ》呪文は充実《じゆうじつ》していない。危険な仕事を成功させるつもりなら、魔術師か精霊使いが必要なのだ。
「女の魔法使いを探していたんだけどね」
ミレルという名の盗賊の少女が、吐き捨てるように言った。
少女の言葉に、女戦士のジーニが不承不承《ふしょうぶしょう》というようにうなずいた。
「ところが、おまえが勇者だという啓示《けいじ》をメリッサが受けてしまった。彼女はおまえに、仕《つか》えねばならない。だから、選択《せんたく》の余地がなくなってしまった……」
そこまで言われれば、彼女らが言わんとしていることが、リウイにも分かった。
「オレに仲間になれ、というのか?」
「不本意ですけれど……」
ようやくリウイの顔に目を向けて、神官戦士のメリッサが言った。
「オレが冒険者に?」
リウイはうつろな声で繰り返した。
冒険者になって古代王国の遺跡《いせき》を探索《たんきく》する。頭のなかにはそういう考えもあった。
魔術師ギルドの同期生たちが期待したように、研究材料を探すためではない。リウイが欲しているのは遺跡に眠《ねむ》る報酬《ほうしゅう》ではなく、待ち受ける危険≠フほうだった。精巧《せいこう》な罠《トラツプ》や恐《おそ》るべき怪物《モンスター》。
命懸《いのちが》けの冒険。だが、リウイにはそれがたまらなく魅力的《みりょくてき》に思えた。
仲間がいないだろうとあきらめていたのだが、その仲間たちが向こうからやってきた。
リウイは運命という言葉など信じていない。
だが、不思議《ふしぎ》な偶然《ぐうぜん》というのは時にあるものだ。今がまさにそうであるように……
この偶然に乗るかどうかは、リウイ次第《しだい》だった。それに、目の前の三人の表情を見る限り、断《ことわ》っても認めるつもりはなさそうだ。
脅迫《きようはく》されて従うのは、リウイの流儀《りゆうぎ》ではない。だが、生まれて初めて、彼は脅迫されてもいい気分になっていた。
「しかたないな……」
リウイはたっぷり時間をかけてから、渋々《しぶしぶ》と言ったように答えた。
恩というものは売っておいて損はないのだ。
三人の女たちは互《たが》いに顔を見合せたあと、複雑な面持《おもも》ちでうなずいた。
安堵《あんど》しているような、それでいて悔《くや》しそうな表情。彼女たちのほうも、リウイを歓迎《かんげい》しているわけではないのだ。
だが、彼女らの気持ちなど、リウイにはどうでもよかった。自分の心の奥底《おくそこ》で燻《くすぶ》っていたものが、ようやく出口を見つけだしたような気がした。酒でも、女でも、喧嘩《けんか》でも、完全には得られることのなかった充足感《じゆうそくかん》……
冒険《ぼうけん》によって、それが得られるかどうかは分からない。
それは実際に試してみるしかないのだろう。そしてその機会を、リウイは手に入れた。
そう、リウイは冒険者になったのだ。
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第U章 閉ざされた扉《とびら》の向こう
地響《じひび》きが起こり、土煙《つちけむり》が舞《ま》い上がる。
隆々《りゅうりゅう》たる体格の男が、地面に叩《たた》きつけられたのだ。
無様《ぷぎま》に倒《たお》れたのは、リウイである。剣《つるぎ》の王国<Iーファンの魔術師《まじゅつし》ギルドに属《ぞく》する正魔術師《ソーサラー》。
「まだまだ素人《しろうと》だな」
罵声《ばせい》が容赦《ようしや》なく浴《あ》びせられる。
赤毛《あかげ》の女|戦士《せんし》のジーニであった。リウイに劣《おと》らぬほどの長身で体格も立派《りつぱ》だ。浅黒い肌《はだ》には、汗《あせ》が輝《かがや》いている。
春も、今が盛《さか》りだ。
「好《す》き放題《ほうだい》にやりやがって!」
口に入った土埃《つちぼこり》を唾《つば》とともに吐きだすと、リウイはくるりと身体《からだ》を一回転させて、器用に立ち上がった。
「おまえが好き放題にやらせてくれるからな」
ジーニは嘲《あざけ》るように笑い、かかってこいよと挑発《ちようはつ》する。
「剣《けん》の稽古《けいこ》をつけてくれと言ったのは、おまえだってこと、忘れるなよ」
リウイは確かに、そう言った。
ジーニ、メリッサ、ミレルという三人組の女|冒険者《ぼうけんしゃ》の仲間に、なかは強制的に引き入れられて、すでに十日が経《た》っている。
そのあいだ、リウイは魔術師ギルドの務《つと》めを果たしながら、ジーニたちから冒険の誘《さそ》いがくるのを楽しみに待っていた。
知らせがあったのは、昨日である。未発掘《みはっくつ》の古代|遺跡《いせき》の情報が手に入ったらしい。
約束《やくそく》の時刻《じこく》に、リウイは待ち合わせの場所である街《まち》の郊外《こうがい》にある粗末《そまつ》な物置|小屋《ごや》にやってきた。彼女ら三人の隠《かく》れ家《が》であるらしい。冒険に必要な備品などが保管されている。
待っていたのは、ジーニとメリッサの二人だけだった。盗賊《とうぞく》少女のミレルは、同業者でもある情報屋と交渉中《こうしょうちゅう》だという。
仕方なく待つことにしたが、二人の女性はまったく口を開こうとしない。
ジーニは大剣《グレートソード》を振《ふ》るい、メリッサは地面にひざまずいて瞑想《めいそう》している。
不愉快《ふゆかい》きわまりない態度だが、あいにくリウイは退屈《たいくつ》には耐《た》えられない性格だった。それに巨大《きよだい》な剣《けん》を自在に操《あやつ》るジーニの力と技《わざ》に惹《ひ》かれるものを感じた。
(冒険者として生活するなら、身を守るぐらいはできなければ)
リウイは自分にそう言い聞かせて、剣の扱《あつか》い方を教えてくれとジーニに頼《たの》んだ。
確かに、リウイのほうからそう頼んだのだ。そのとき、ジーニは「後悔《こうかい》するなよ」とも言っている。
だが、始まった瞬間《しゅんかん》からリウイは、自分が「犬頭鬼《コボルト》の巣穴《すあな》を覗《のぞ》いた」のだと知った。
ジーニの目的は剣の扱いを教えることではなく、リウイを痛めつけることだったのだ。
「目と身体《からだ》で覚えろ!」
ジーニはそう叫《さけ》ぶと、情《なさ》け容赦《ようしや》なく大剣で打ちかかってきた。
リウイは彼女が予備に使っている長剣《バスタードソード》を貸《か》し与《あた》えられていたが、剣を握《にぎ》ったことさえない彼に防げるはずもない。
稽古《けいこ》だから寸前《すんぜん》で止めるのだが、勢い余って刃《やいば》が身体に当たったことも二、三度あった。皮膚《ひふ》が裂《さ》けて、血が流れる。
「その程度の傷《きず》など、軽い軽い」
しかし、ジーニは高らかに笑いながら、尚《なお》も剣を振《ふ》るいつづける。
あげくのはてに足をひっかけられ、無様《ぷざま》に地面に転《ころ》がされたのだ。
(もう我慢《がまん》ならねぇ)
リウイは立ち上がると、手に唾《つば》をかけた。
精神を統一し、剣を握る右手に力を込《こ》める。それとともに、左の拳《こぶし》も硬《かた》く固めた。
そして、剣を思いきり振るう。軌道《きどう》さえ定まらないような力任せの攻撃《こうげき》だった。それでも、早さと重さは十分にある。
しかし、ジーニは易々《やすやす》とその攻撃を受け止めた。
「剣は棍棒《こんぼう》じゃないんだ!」
ジーニは嘲笑《ちょうしょう》し、反撃《はんげき》に移ろうとした。
しかし、そのときリウイの左の拳が飛んでいた。
剣を大振《おおぷ》りして体勢が崩《くず》れたように見えたのだが、その反動を利用して左の拳を振りかぶっていたのだ。
ジーニは反射的に身をのけぞらしたが、リウイの拳は更《さら》に伸《の》び、右目を直撃した。
目の前に火花が飛び散る幻視《げんし》が見えた。頭のなかでは、無数の星がまたたく。
(まただ)
後方に吹《ふ》き飛ばされながら、ジーニは思った。
(なぜ、この男の拳がかわせない)
地響《じひび》きが起こり、土煙《つちけむり》が舞《ま》った。
「足を使っていいなら、手を使ってもいいんだよな」
リウイは会心《かいしん》の笑《え》みを浮《う》かべながら、罵声《ばせい》を浴《あ》びせかけた。
その様子を脇《わき》から見ていたメリッサは、両手で顔を覆《おお》うと深い溜息《ためいき》を洩《も》らした。
(まるで拳闘士《ボクサー》ね)
メリッサは暗然《あんぜん》たる気分だった。
(剣《けん》を振《ふ》るう姿には優雅《ゆうが》さのかけらもないし、手に唾《つば》をかけるなど、まるで野盗《やとう》のよう。剣の稽古《けいこ》で拳《こぶし》を使うなど、卑怯《ひきよう》きわまりない。このような男が、どうして勇者なのでしょうか?)
メリッサは、心のなかで戦《いくさ》の神マイリーに問いかけた。
この魔術師こそが仕《つか》えるべき勇者であるとの啓示《けいじ》を、彼女はマイリー神から受けている。
天と地とが逆転《ぎゃくてん》したのではないかとの衝撃《しょうげき》を受けたが、神の啓示に逆《さか》らうことなど、聖職者《せいしょくしゃ》である彼女にできようはずがない。
メリッサは「犬頭鬼《コボルト》の巣穴《すあな》に踏《ふ》みいる」ぐらいの覚悟《かくご》で、リウイに仕えることを申し出たのだ。ジーニもミレルも猛《もう》反対だったが、信仰《しんこう》の問題ゆえこればかりは彼女たちの忠告に従うわけにゆかない。
しかし、持つべきは友人であり、美しきは友情である。ジーニとミレルはそれならと、リウイを冒険者《ぼうけんしゃ》の仲間に引き入れてしまったのだ。
仕えると決めたからには、勇者らしいところを見せてもらいたいところだが、今の稽古を見たかぎり、剣を振るう魔術師の姿には勇者の資質など微塵《みじん》も感じられなかった。
(ジーニこそが、わたしが仕えるべき勇者だと思ってましたのに)
メリッサは天を仰《ああ》いで、穏《おだ》やかな春の空を見つめた。
「我らに生きる勇気を与《あた》えたもう戦《いくさ》の神よ……」
メリッサは詠嘆《えいたん》するように祈《いの》りの言葉をあげたあと、声を落としてこう続ける。
「わたしはとても不本意です」
盗賊《とうぞく》少女のミレルが戻《もど》ってきたのは、昼を過ぎた頃《ころ》だった。
「あの鼠野郎《ねずみやろう》! 二股《ふたまた》も三股もかけてやがったのさ!」
ミレルが裏街言葉《スラング》で、口汚《くちぎたな》く罵《ののし》った。
彼女の話によれば、未発掘《みはっくつ》の遺跡《いせき》の場所を見つけた情報屋は、ミレルの他《ほか》にも何人かに声をかけていたらしい。
普通《ふつう》なら、この手の情報は「冒険者の店」に行くものだ。
しかし、遺跡を見つけたのは臨時《りんじ》雇《やと》いで冒険者に加わっていた盗賊《シ−フ》で、雇い主たちはそのことに気づかなかった。
その盗賊《とうぞく》は、当然のように同業者である情報屋に遺跡の情報を売り、情報屋は冒険者を専業《せんぎょう》にしている盗賊仲間に話を持ちかけたというわけだ。それも、片《かた》っ端《ぱし》から。
いちばん高い値をつけた者に売ると、情報屋は言っている。
当然と言えば、当然のやり方だ。
入札《にゅうさつ》は今夕《こんゆう》、行われる。ミレルはいくらまでなら条件を飲むかを相談するために戻ってきたのだ。常客《じょうきゃく》になっている冒険者の店にも立ち寄って、関連情報を探《さぐ》ってみたが、特に役に立つものは手に入らなかった。
冒険に出発するのは、どう考えても明日以降になる。リウイは入札の額などは三人に任せることにして、魔術師ギルドに帰ってきた。
「あの女、無茶苦茶《むちゃくちゃ》やりやがって……」
宿舎に戻ったリウイは汚《よご》れた服を脱《ぬ》ぎ、全裸《ぜんら》になって傷《きず》の具合を調《しら》べた。
切り傷もあれば、擦《す》り傷もある。青痣《あおあざ》になっている箇所《かしよ》は、無数にあった。常人《じょうじん》なら、死んでいるんじゃないかと思った。
しかし、リウイは並《なみ》の男ではない。このぐらいでくたばっているようでは、裏通りの歓楽街《かんらくがい》で大きな顔などしていられないのだ。
リウイは慣れた手つきで傷の治療《ちりょう》をしていった。もっとも、神官《しんかん》戦士のメリッサが神聖《しんせい》魔法《まほう》の癒《いや》しの呪文《じゅもん》を使っていれば、こんな手当など必要なかったのである。
メリッサが魔法を使うことを拒否《きょひ》したわけではない。
何と言っても、リウイは彼女にとって勇者なのだから。
使いはしたのだが、成功しなかっただけだ。
心に迷いがあっては、神聖魔法をかけても成功しないという。彼女は三度、試みたが、すべて失敗し、あげくのはてに気分が悪くなってしまったのだ。
リウイは呆《あき》れてしまい、自分で治療することにした。
喧嘩《けんか》慣《な》れしているから、傷の手当など心得たものだ。刃物《はもの》で腹《はら》を刺《さ》された翌日に、魔術師ギルドの講義に出席したことさえある。
「帰っているんでしょ?」
怪我《けが》の治療がほとんど終わったとき、扉《とびら》の外から突然《とつぜん》、そんな声をかけられ、同時に扉が開いた。
姿を見せたのは、リウイとは同期の女性魔術師《ソーサリス》アイラだった。
「どうして裸《はだか》で?」
アイラはそう言いながらも、それを気にした様子もなく部屋《へや》のなかに入ってきた。
そしてリウイの近くまできて、ようやく怪我に気がつく。
書物の読みすぎのせいか、最近、彼女は視力《しりょく》が悪くなっているのである。そのため、いつも潤《うる》んだような目をしている。
「痛くはないの?」
アイラは手を伸《の》ばして、リウイの傷口《きずぐち》に無遠慮《ぶえんりよ》に触《ふ》れた。
「触《さわ》ったら、痛いに決まってるだろ!」
「まあ、そうよねぇ」
アイラはそう言って、楽しそうに笑った。
「それより、服を着たら。淑女《レディー》の前ではしたないわよ」
「普通《ふつう》の淑女は、裸の男の部屋に平気で入ったりはしないんだがな」
「普通ではなくて、最高の淑女だもの」
リウイの文句を軽く受け流して、アイラは手にしていた袋《ふくろ》のなかから、奇妙《きみょう》な品物《アイテム》を取り出した。
「ちょうどよかったのだか、悪かったのだか……」
そんなことを、ぶつぶつと言う。
「何だ、それは?」
硝子《ガラス》か透明水晶《クリスタル》を円盤状《えんばんじよう》に磨《みが》いた物が二つ、細い金属棒によって繋《つな》がれている。金属棒は更《さら》に尻尾《しっぽ》のように二本伸《の》びていて、その端《はし》が半円を描《えが》くように曲げられている。
「|魔法の宝物《マジックアイテム》に決まっているでしょ」
アイラは答えた。
彼女が専門に研究している系統魔術は付与魔術《エンチャントメント》=B対象物に様々《さまぎま》な魔法的効果を付与《ふよ》するための魔術である。
「四つの眼《め》≠ニ名づけられているわ。分類は眼鏡《めがね》。魔力付与者《デザイナー》は五感を超越《ちようえつ》せし<Vェラル・ル・フェイン。ル・フェイン家と言えば、カストゥール王国の付与魔術師《エンチャンター》一門《いちもん》のなかでも何人もの門主《もんしゆ》を輩出《はいしゆつ》した名門中の名門よ。新王国|歴《れき》前一二〇年代の女性付与魔術師で、子供の頃《ころ》に陰謀《いんぼう》に巻き込まれて呪《のろ》いを受け、視覚も聴覚も、ありとあらゆる感覚を失ったの。しかし、彼女はそんな不利を克服《こくふく》して、失われた感覚を取り戻《もど》すための研究を完成させたの。いろいろな宝物《ほうもつ》があるけれど、この眼鏡はそのなかでも初期の発明ね」
アイラは長々と由来《ゆらい》を説明した。
彼女にとっては研究対象であるから当然なのだが、彼女の|魔法の宝物《マジックアイテム》に対する執着《しゆうちやく》は普通ではない。独特の美学を持っていて、気に入った宝物を見つければ、不眠不休《ふみんふきゅう》で研究に打ち込む。
ル・フェインの名は何度も聞かされているから、彼女のお気に入りの銘柄《ブランド》であるのは間《ま》違《ちが》いない。
「四つの眼≠ニいう割には、ふたつしかないじゃないか?」
聞かないはうがいいのは分かっているが、リウイは疑問をそのままにしておけるような性格ではなかった。
「この眼鏡には、四つの魔力《ましりよく》が秘められているからよ」
待っていましたとばかり、アイラは嬉々《きき》とした表情になった。
「常時、備《そな》わっているのは視力|拡大《かくだい》の効果。知ってのとおり、わたしは目が悪いから、とてもありがたいわね」
そう言うと、彼女は上位古代語《ハイエンシェント》を二言、唱えた。
すると、ふたつの硝子の円盤が真っ黒に変色した。
「この色になれば、透視《とうし》の効果を発揮《はっき》するわ。あなたの裸《はだか》でも見てやろうと思ってやってきたら、期待はずれなんだか、期待どおりなんだか……」
「言っておくが、オレは男娼《だんしょう》でも舞踏家《ダンサー》でもないんだからな」
裸は見せ物じゃないと、リウイは抗議《こうぎ》しておく。
「それは残念ね。売っているのなら、いくら出しても買っていたのに」
アイラの実家はアウザール商会と言って、オーファンでも最大の商家《しょうか》だから、金なら確かにいくらでも払《はら》えるだろう。
しかし、リウイとて養父《ようふ》は王国の宮廷魔術師《きゆうていまじゅつし》であり、魔術師ギルドの最高導師《アークメイジ》である。金に不自由しているわけではない。
そもそも魔術師ギルドには、入門するのに莫大《ばくだい》な費用が必要だから、裕福《ゆうふく》な家庭に生まれた者しか在籍《ざいせき》していないのである。
アイラはひとしきり笑ったあと、また別の呪文《じゅもん》を唱《とな》えた。
硝子円盤《ガラスえんばん》の色が、黒から今度は赤に変わる。
「これで暗視《あんし》の効果。夜でも昼間と同じように見えるわ……」
「それで、四つめの魔力は?」
リウイは訊《たず》ねたが、アイラはうなずいただけで、今度は呪文を唱えなかった。
どうしたんだ、とリウイが問うと、アイラはゆっくりと眼鏡《めがね》を外した。
「最後の魔力をあなたに使うわけにはゆかないわ。あなたが死にたいと思ってるのなら、話は別だけど」
「邪眼《イビルアイ》の魔力か!」
リウイは血の気が退《ひ》いてゆく音が、聞こえたような気がした。
「そんな物騒《ぶつそう》な代物《しろもの》、禁断《きんだん》の宝物庫《ほうもつこ》″sきだろう!」
リウイは大声で言った。
魔術と魔術師は、一般《いつばん》の人々からはひどく恐《おそ》れられている。古代魔法王国を復活させ、ふたたび世界を支配するのではないかと疑われているのだ。
そのため、魔術師ギルドでは死霊魔術《ネクロマンシー》のような邪悪《じやあく》と考えられている呪文の使用を禁じているし、危険な|魔法の宝物《マジックアイテム》は禁断の宝物庫に保管し、悪用されないよう厳重《げんじゅう》に封印《ふういん》を施《ほどこ》してある。
アイラが持ってきた魔法の眼鏡は、間違《まちが》いなく危険である。邪眼の魔力が備わっていることが導師《どうし》に知られたら、彼女は魔術師ギルドから追放《ついほう》されるだろう。
「声が大きいわよ」
アイラは妖艶《ようえん》な微笑《びしよう》を浮《う》かべながら、人差し指を唇《くちびる》に当てた。
「だから、言ったじゃないの。この宝物は、わたしには必要な物だって。これで、あなたの顔がいつもはっきり見られるわ」
アイラは魔法の眼鏡を掛《か》けなおし、また別の上位古代語《ハイエンシェント》を唱えた。
リウイは反射的に身を硬《かた》くして、同時に精神を集中させた。聞いたことのない呪文だったので、邪眼《イビルアイ》の能力を使ったのではないかと思ったのだ。
しかし、魔法の眼鏡は透明《とうめい》に戻《もど》っただけだった。
リウイの反応に、アイラは憮然《ぷぜん》とした顔になる。
「あなたにだけは邪眼の魔力を使ったりしないわよ。よほど、わたしを怒《おこ》らせないかぎりはね……」
眼鏡の向こう側で、アイラの視線が本物の邪眼のように一瞬《いっしゅん》、輝《かがや》いた。
「勘弁《かんべん》してくれ……」
リウイは胸に手を当てて、深く溜息《ためいき》をついた。
全身に、じっとりと汗《あせ》をかいている。
「それより、話を聞いたわよ。あなた、冒険者《ぼうけんしゃ》になったのですって?」
アイラが突然《とつぜん》、話題を変え、大きく身を乗り出した。
視力が悪かったので身に付いた癖《くせ》だったが、今は魔法の眼鏡があったから、あわててもう一度、身を退《ひ》いた。
「うん、このぐらいね」
リウイとの距離《きょり》を慎重《しんちょう》に計ってから、アイラは満足そうに微笑《ほほえ》んだ。
こんなときの彼女の表情には、少女の面影《おもかげ》が感じられる。彼女はリウイより二歳年上なだけだから、ちょうど二十歳になったところだ。魔術師《まじゅつし》ギルドの情報|網《もう》も盗賊《とうぞく》ギルドなみだと思いながら、リウイはそうだと、答えた。
「仲間が見つかってよかったわ。わたしにとっても好都合《こうつごう》というものよ」
アイラは一人でうなずきながら、掌《てのひら》を上にして右手を差し出した。
「なんだ?」
「決まってるでしょ。冒険者と言えば、遺跡荒《いせきあ》らし、遺跡と言えば古代の財宝《ざいほう》、当然、|魔法の宝物《マジックアイテム》を期待しているわけよ」
「見つけた宝物は、全部がオレの物じゃない。どう処分《しよぶん》するかは、仲間たちに相談しないとな。新入《しんい》りのオレは立場が低いから、アイラの期待に応《こた》えられるとは思えない」
もっと正確に言えば、リウイの立場は低いどころかないに等《ひと》しい。あの三人は、彼のことを仲間というより下僕《げぽく》のように思っている。
「そこを何とかしてよ。冒険者の店の仕入れ値より高く買い取るわ。それもどんな物でもね。ここの魔術師ギルドには、もう二級品しか残っていないのよ。強力なのは禁断の宝物庫に封印《ふういん》されているし……」
アイラの夢《ゆめ》は、彼女が師事《しじ》しているファイエット導師《どうし》の跡《あと》を継《つ》いで、禁断の宝物庫の管理者となることだ。強力な魔法の宝物に囲まれるのは、彼女にとって至福《しふく》なのだろう。
「まあ、できるだけのことはしてみるけどな」
自信はないものの、リウイはそう約束《やくそく》した。
あの三人にとっても悪い条件ではないから、案外、応じてくれるかもしれない。もっとも、今すぐというわけにはゆかないだろう。もう少し、彼女たちの信頼《しんらい》を勝ち取ってからでないと、話を持ち出しても、相手にされないどころか逆効果になるかもしれない。
「それよりも、あまり派手《はで》にやると導師たちにばれるぞ。禁忌《タプー》を犯《おか》した魔術師は、破門されるだけじゃなく、〈制約《ギアス》〉の呪文《じゅもん》をかけられて二度と魔法を使えなくされるそうだぞ」
「宝物研究には、魔法を使う必要はあまりないんだけどね。ま、気をつけるわ。それに、禁忌に触《ふ》れるような魔法の宝物なんて、簡単に見つかるもんじゃないでしょ」
「見つけてやるさ」
挑戦的《ちようせんてき》に言われて、リウイは反射的に答えていた。
アイラの術中にはまった気もするが、そのぐらいの成功を収めなければ、一流の冒険者とは認められないだろう。やるからには、中途半端《ちゅうとはんぱ》ではいたくないのだ。
「お願いね」
アイラは満たされたような笑《え》みを浮《う》かべて、悠然《ゆうぜん》とリウイの部屋《へや》から去っていった。
「かなわないな……」
リウイは苦笑《くしょう》を浮かべて、アイラが出ていった扉《とびら》を見つめた。
彼女には、入門したての頃《ころ》からいろいろと世話になっている。リウイのことを弟のように思っているのか、今でも気軽に部屋にやってくる。
しかし、あの三人の女たちに比《くら》べれば、よほど女らしいと思う。
ジーニも、メリッサも、ミレルも、理由は分からないが、男という生き物を嫌悪《けんお》しているような気がする。
「ま、オレには関係ないけどな」
リウイはつぶやくと、机に向かって座《すわ》った。
そこには養父《ようふ》カーウェスから与《あた》えられた古代の魔術書が開かれたまま、置かれている。
「あいつらは、オレの魔法に期待してるのだろうがな……」
魔術書を閉じながら、リウイはつぶやいた。
「あいにく、オレはこっちで勝負させてもらうぜ」
両の拳を握《こぶしにぎ》りしめながら、彼は一人ほくそ笑んだ。
「元気がないようですね?」
突然《とつぜん》、背後から声をかけられて、マイリー神殿《しんでん》の礼拝堂《れいはいどう》で祈《いの》りを捧《ささ》げていたメリッサはあわてて立ち上がった。
「ジェニ最高司祭様……」
メリッサは身体《からだ》を折り曲げるようにお辞儀《じき》をして、アレクラスト大陸西方におけるマイリー教団のなかで、もっとも徳の高い女性の顔をまぶしそうに見つめた。
「あなたの笑顔がないと、神殿が寂《さび》しくなります。差し支《つか》えがないのなら、わたしに話を聞かせてくれませんか?」
ジェニ最高司祭は、もはや老女と呼んでいい年齢《ねんれい》だ。
だが、剣《つるぎ》の姫《ひめ》≠ニ謳《うた》われた頃の面影《おもかげ》を残し、その容姿には上品な美しきを留《とど》め、身のこなしには鍛《きた》え抜《ぬ》かれた戦士の名残《なごり》が感じられる。
メリッサは素直《すなお》にうなずくと、懺悔《ざんげ》するかのように床《ゆか》の上に両膝《りようひざ》を着いた。
そして、ある男と出会った事件の顛末《てんまつ》や、勇者として仕《つか》えよとの神の啓示《けいじ》を受けたことなどを語っていった。
「しかし、その男には勇者の資質がまるで感じられないのです。食人鬼《オーガー》のような体格で、それでいながら魔術師《まじゅつし》なのです。剣《けん》をまともに扱《あつか》うこともできず、しかし、喧嘩慣《けんかな》れはしていて拳闘士《ボクサー》のように拳を使います。そして、女性の顔でも平気で殴《なぐ》るのです」
最高司祭ジェニはいちいち、うなずきながら聞いていたが、内心ではひどい言いようだと呆《あき》れてもいた。
少なくとも、その魔術師は仕えるべき勇者であるとの啓示が、メリッサに下されているのだ。その人物をそこまで酷評《こくひよう》しては、神を冒潰《ぽうとく》しているようなものだ。
だいたい、オーガーのような体格の魔術師で、しかも拳闘士のように戦うとは、想像しがたい人物像である。
(本当にいるのなら、一度、会ってみたいものね)
ジェニは、そんな感想を抱《いだ》いた。
メリッサは、魔術師が受けた傷《きず》を癒《いや》そうと試みて、神聖《しんせい》魔法を三度、唱《とな》えたが、すべて失敗したことを告白した。
それは間違《まちが》いなく、懺悔《ざんげ》に値《あたい》した。
仕えるべき勇者の傷を癒せなくて、どうして戦《いくき》の神の司祭が務まろう。人々に知られれば、教団の評判に関《かか》わる大問題である。
「あの魔術師の顔や身体を見ていると、精神の集中が乱れてしまって……」
よくもそこまで嫌《きら》われたものだと、ジェニは話題の魔術師が哀《あわ》れに思えてきた。
「勇者から遠いような男であればこそ、あなたが神より与《あた》えられた使命は重いと言えましよう。その魔術師に、抱《だ》かれてみるぐらいの覚悟《かくご》がなければ、真に相手を理解することはできませんよ」
メリッサ侍祭《じさい》は、男という生き物を嫌悪《けんお》していると同時に、奇妙《きみよう》な幻想《げんそう》を抱いているような印象がある。そのことが彼女の人間としての、そして聖職者としての成長を阻《はば》んでいるように、ジェニには思えてならない。
優《すぐ》れた素質を感じるだけに、それが惜《お》しくてならないのだ。
男を知れば、よくも悪くも女は変わる。
少なくとも仕えるべき勇者に触《ふ》れただけで、拒絶反応《きよぜつはんのう》を起こしているようでは、従者《じゆうしや》として失格と言うしかない。荒療治《あらりようじ》かもしれないが、相手の男にすべてを許してしまえば、そんな無様《ぶざま》な真似《まね》は二度としないで済《す》むはずだ。
「抱かれてみよと、仰《おお》せですか……」
ジェニの言葉に、メリッサの表情が見る見る歪《ゆが》んだ。
「例《たと》えばの話です」
ジェニは心のなかで苦笑《くしよう》しつつ、そう言い直した。
本当は本気で言ったのだが、メリッサの反応を見たかぎり、無理強《むりじ》いすれば自害しそうな雰囲気《ふんいき》だった。
いろいろな意味で、死なせるには惜しい才能なのだ。
神の代理人たる神聖魔法の使い手としても、戦士としても優秀である。彼女の年齢を考えれば、修行《しゅぎよう》を積めば更《さら》に伸《の》びてゆくだろう。
それに、彼女がこの神殿《しんでん》に来てからというもの、若い男性の信者が増《ふ》えてきているという事実がある。教団を運営してゆくには、信者からの寄進《きしん》は欠《か》かせないから、彼女のような存在は貴重《きちよう》なのである。
「あたくしにも、従者としての使命感はあります。勇者を助け、導きたいとの思いも抱いています。しかし、あの魔術師が勇者であるとは、とても信じられないのです……」
「神の啓示《けいじ》があったというのは、間違《まちが》いないのでしょう?」
ジェニがそう訊《たず》ねると、メリッサは情けなさそうな顔でうなずいた。
思い違いであれば、どれほどいいかと思う。
「魔術師に会ったその夜、マイリー神《しん》に祈《いの》りを捧《ささ》げてみましたところ、神の声がはっきりと聞こえました。あの現実感《リアリティ》は、わたしが初めて神の声を聞いたとき以来です」
聖職者は神の声を聞き、神聖魔法が使えるようになれば人々から司祭《プリースト》と呼ばれる。
しかし、教団内では、司祭という地位は、神殿の長であることを意味している。それゆえ神聖魔法が使えても、教団内での地位は神官《しんかん》でしかない者もいるし、メリッサのように司祭の補佐役《ほさやく》とも言うべき侍祭《じさい》もいる。
反対に、希《まれ》にではあるが、神聖魔法が使えなくても、司祭|位《い》に就《つ》いている例もある。
オーファンのマイリー神殿は中原《ちゅうげん》地方の本神殿であるから、メリッサの他《ほか》にも神聖魔法が使える侍祭、神官は何人もいる。
教団内での地位が低い神聖魔法の使い手は、修行の旅に出たり、冒険者に加わることが多い。いかに聖職者とはいえ人間が作った組織である以上、年齢や教団に入信してからの年数、更《さら》には神学の成績などが、地位を左右する。
そして神聖魔法が使えるかどうかは、聖職者としての徳の高さ、人間としての成長度とはかならずしも一致《いっち》していないのだ。
メリッサは、その端的《たんてき》な例である。
かなり高位の神聖魔法を唱《とな》えられるが、聖職者としても人間としても、未完成な部分が多い。いつかは高徳の聖職者となろうが、それにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「啓示が確かなら、迷うことはないでしょう」
ジェニにはそう言うしかなかった。
神の啓示を疑うなど、聖職者としてあるまじき行為《こうい》だ。信仰《しんこう》の本質を知っているジェニならばこそ黙《だま》っているが、破門を宣告《せんこく》されてもおかしくないほどの破戒《はかい》なのである。
「甘《あま》えたことを申しているとは承知しております。ですが、わたくしは、最高司祭様のように正真|正銘《しようめい》の勇者に仕えたかったものと……」
メリッサの言葉に、今度はジェニのほうが露骨《ろこつ》に顔をゆがめた。
最高司祭が仕えた勇者とは、オーファンの建国王リジャールに他《ほか》ならない。
一介《いつかい》の冒険者から身を興《おこ》して一国の王にまでなった稀代《きだい》の英雄《えいゆう》であり、邪竜《じゃりゅう》クリシュを倒《たお》し、|竜殺し《ドラゴンスレイヤー》の称号《しょうごう》を得たアレクラスト最高の戦士でもある。
(それは事実だけれど……)
ジェニは遠い目をした。
見つめているのは、遥《はる》かな昔だ。
リジャールやカーウェスと、冒険と戦いに明《あ》け暮《く》れた日々。三人とも若く、自分自身に絶対的な自信を持っていた。
「わたしはあなたとは違《ちが》い、神から啓示《けいじ》など受けていませんよ」
ジェニは現実に返ると、静かにメリッサを見つめた。
「そんな、まさか……」
侍祭《じさい》の端正《たんせい》な顔に、驚《おどろ》きの表情が浮《う》かぶ。
(驚くことではないでしょうに)
ジェニは心のなかで思う。
リジャールの従者《じゅうしゃ》であったつもりもない。
当時のリジャールは、オーファンの前身とも言うべき大国ファンの内乱に引き寄せられてきた流《なが》れの傭兵《ようへい》だった。
今でこそ、国王の威厳《いげん》を備《そな》えているが、若い頃《ころ》の彼は、伝説で謳《うた》われているような人物像とは似《に》ても似つかなかった。
反乱者や野盗《やとう》、怪物《かいぷつ》などの噂《うわさ》を聞いては、勝手に行って倒《たお》してしまう。
そして、ファンの宮廷《きゅうてい》に討《う》ち取った首を持ち込んで、強引《ごういん》に褒美《ほうび》を出させるのだ。その金で、傭兵たちを集めては酒と女の狂宴《きょうえん》を開き、吟遊詩人《ぎんゆうしじん》に自分の武勇を謳わせて、仲間を増やし、勇者としての名声を広めていった。
その名声をひっさげて、リジャールはマイリー神殿《しんでん》に乗り込んできたのである。
勇者に仕《つか》えるのは、マイリー神《しん》に仕える者の使命と叫《さけ》び、当時、高司祭にして神官《しんかん》戦士の長《おさ》であったジェニを従者に指名してきた。
ジェニは剣《つるぎ》の姫《ひめ》≠フ呼び名どおり、勇者を助けるより、自ら勇者となることを目指していた。だが、勇者と評判の男の指名を断るわけにはゆかない。教団の評判を慮《おもんばか》って、ジェニは渋々《しぷしぷ》ながら、従者になるのを承知した。
リジャールは同じようなやり方で、当時、聡明《そうめい》な賢者《けんじや》と評判の高かったカーウェス導師《どうし》を仲間に引き入れている。
オレは王になる、が彼の口癖《くちぐせ》だった。
それを実現してみせたのだから、賞賛《しようさん》していいだろう。だが、そのために、ジェニもカーウェスも何度、死にかけたか分からない。
倣慢《ごうまん》ではあるが、繊細《せんさい》なところもあり、野心的ではあっても、悪い人間ではない。酒好きと女好きに関しては、まさに勇者そのもの。武勇談は、数限りなくある。
ジェニも当然のように、リジャールとは男と女の関係である。
激《はげ》しい戦いで身も心も疲《つか》れはてたある夜、どちらからともなく求めあったのだ。
結局、ジェニは正式な結婚《けつこん》は一度もしていないし、一人の子供も産《う》んでいない。リジャールほど個性的な男を知った後では、どのような男も平凡《ヘいぼん》に見えてしまう。
あの男に一生を狂《くる》わされたと言えなくもないが、ジェニ自身は自分の人生に少しも悔いを感じていない。
オーファンを建国し、王妃《おうひ》メレーテと一緒《いっしょ》になってからも、リジャールの女癖《おんなぐせ》の悪さは治ることはなく、何人もの侍女《じじょ》や旅芸人に手をつけている。
メレーテ妃《ひ》は聡明な女性で、何年もかけてリジャールの悪癖《あくへき》を押《お》さえこんでいった。
あのまま放《ほう》っておけば、今頃《いまごろ》オーファンに妾腹《しようふく》の王子、王女が溢《あふ》れていただろう。それは王国にとって継承権争《けいしようけんあらそ》いの火種《ひだね》になるので、必ずしも歓迎《かんげい》できることではない。
ジェニが知っているかぎりでは、リジャールの妾腹の王子は一人だけだ。
「最高司祭様……」
メリッサの心配そうな声で、ジェニは我《われ》に返った
「なんでもありません。神の声が聞こえるかと心を澄《す》ましていただけです」
メリッサに真相を話すわけにもゆかず、ジェニは微笑《ほほえ》みながら言った。
「神は何か仰《おお》せられていましたでしょうか?」
恐《おそ》る恐ると言った感じで、メリッサはジェニに訊《たず》ねる。
「いいえ、何も」
ジェニはゆっくりと首を横に振《ふ》り、メリッサの両手をしっかりと握《にぎ》った。
「神の啓示《けいじ》を受けることは、神に仕《つか》える者にとって何よりの喜びです。それが試練であれば、尚更《なおさら》と言えます。試練を果たしたあかつきには、あなたはおそらく聖女《せいじよ》の列に加えられるような聖職者になっているでしょう。頑張《がんば》りなさいな、メリッサ侍祭《じさい》。わたしも陰《かげ》ながら応援《おうえん》いたします」
「ありがたきお言葉です」
うっすらと涙《なみだ》を浮《う》かべながら、メリッサは力強くうなずいた。
「一度、神殿《しんでん》に連れておいでなさい。戦《いくさ》の神に祈《いの》りを捧《ささ》げれば、勇者の資質が目覚めるかもしれません」
半分は忠告のつもりで、後の半分は興味《きょうみ》にかられて、ジェニはそう言った。
そして、その魔術師《まじゅつし》の名前を訊《たず》ねる。
「……リウイと申します。カーウェス様の御養子《ごようし》だそうです」
しばしの沈黙《ちんもく》の後、消え入るような声でメリッサは言った。
「リウイですって?」
侍祭が告げた名前に、剣の姫は何十年かぶりに動揺《どうよう》を覚えた。
「御存《ごぞん》じ、なのですか?」
「もちろん、知ってますよ。わたしとカーウェスとは三十年来の親友なのですから……」
メリッサの問いに、ジェニはそう答えた。
しかしそれは、動揺を覚えた理由のすべてではない。
(これが、運命というものなの?)
ジェニは心のなかで思った。
(だとすれば、できすぎね……)
だが、そうでなければ人生は面白《おもしろ》くない。このぐらいの波乱がなければ、生きている実感が得られるはずがない。
残念なのは、自分がその運命に関《かか》わる役者ではなく、観客に過ぎないということだ。三十年前とは、そこが決定的に異なっている。
幾分《いくぶん》、羨望《せんぼう》の眼差《まなざし》で、ジェニはメリッサを見つめた。
「最高司祭様のおかげで、少し元気になりました」
メリッサにはジェニの内心は、もちろん分からなかった。ぎこちない微笑《はほえ》みを浮《う》かべながら、ゆっくりと立ち上がる。
「迷うのはかまいません。しかし、決して逃げてはなりませんよ」
ジェニは激励《げきれい》するように言った。
そして、そんな贅沢《ぜいたく》は、わたしが許しませんからと、心のなかで続けた。
礼拝所《れいほいじよ》から去りゆく司祭の姿を見つめながら、新たなる激動《げきどう》の時代の到来《とうらい》を、ジェニは予感していた。
「銀貨《ガメル》で五千、これ以上は安くできないな」
にやついた顔で、情報屋のサムスが言った。
「未発掘《みはっくつ》の遺跡《いせき》なんだぜ。どれだけのお宝が眠《たからぬむ》っているか想像してみろよ」
「もちろん、想像したわよ。全然、眠っていない可能性だってあるのよね」
ミレルは鼻で笑う仕草《しぐき》をした。
ここは盗賊《とうぞく》ギルドが直営する地下酒場。その奥《おく》にある個室《こしつ》のひとつだ。
ミレルは裏の手を使い、入札《にゆうさつ》前に情報屋との単独|交渉《こうしよう》に持ち込むことに成功していた。
盗賊にも仁義《じんぎ》があるから、この交渉に成功すれば、入札のとき白票を出しても、情報を落札できる。
「見つかった宝物《ほうもつ》の一割で手を打たない?」
ミレルは逆に提案をしてみた。
それなら危険《リスク》は少なくて済《す》む。
「知っているだろ。オレは、賭事《かけごと》が嫌《きら》いなんだ」
サムスはそっぽを向きながら、言った。
(賭事みたいな人生、送ってるくせに!)
ミレルは心のなかで毒《どく》づく。
「代金はあくまで定額で支払《しはら》ってもらう。オレの予想じゃ、落札額は銀貨で七千。お得《とく》な取引だと思うがね」
サムスはそう言ってから、思い直したようにミレルに笑いかけた。
「金がないなら、オレと一晩、付き合うだけでもいいぜ……」
一瞬《いっしゅん》、期待しただけに、その言葉を聞いた瞬間、ミレルは懐《ふところ》から手品《てじな》のように短剣《ダガー》を取り出し、サムスの喉《のど》に押《お》し当てていた。
「明日の朝、目覚めたくないなら、いいけどね」
顔は笑っていたが、ミレルの目には本物の殺意が浮《う》かんでいた。
彼女は盗賊ギルドで戦闘《せんとう》や格闘の訓練も受けている。そんな経験がなければ、冒険者《ぼうけんしゃ》などやれるはずがないのだ。そして視力《しりよく》の良さと動きの素早《すばや》さでは、ミレルに勝てる者はいない。経験が足りないので、まだ幹部たちには勝てないが、それ以外の盗賊が相手なら、赤子《あかご》の手を捻《ひね》るようなものだ。
「酒落《しやれ》の分かんねぇ奴《やつ》だなぁ……」
サムスはそう言って、ひきつった笑いを浮かべた。
「あんたが酒落になんないこと言うからでしょ」
ミレルは普段《ふだん》の顔に戻《もど》ると、短剣を懐に戻《もど》す。胸の脇《わき》に鞘《さや》がつってあり、普段はそこに収めているのだ。衣服《いふく》の胸元を緩《ゆる》めることになるので、小さめの胸が半分ほど露《あら》わになる。
「そういや、そうだな。おまえは兎《うさぎ》≠ノなれなかったんで猫≠ノなったんだったな」
からかうように、情報屋は言った。
「なってなくてよかったわよ!」
ミレルは、怒鳴《どな》りかえした。
「そして今や穴熊《あなぐま》≠チてわけだ」
情報屋のサムスは、溜息《ためいき》まじりに言った。
兎や猫というのは、盗賊ギルドのなかで使われている符丁《ふちよう》である。猫はスリ、穴熊は冒険者の仲間に加わっている盗賊を意味している。
符丁は他《ほか》にもあって、王国に雇《やと》われている密偵《スカウト》は犬、詐欺師《さぎし》は狐《きつね》、情報屋は鼠《ねずみ》といった具合《ぐあい》だ。そして、兎とは娼館《しようかん》や地下酒場で客を取る女のことだ。
「しかし、もったいない話だな。おまえほどの腕前《うでまえ》の猫はそうそういるもんじゃねぇぞ」
ミレルは赤子のときに生みの親に捨てられ、路上《ろじよう》で暮《く》らす老夫婦に拾われた。そして、五歳まで育てられ、盗賊ギルドに身売りされたのだ。
だから、彼女が最初にしなければならなかったのは、借金を返して、自由を買い戻すことだった。最初は兎になるはずだったのだが、売り物にならないと判断されたので、盗賊の訓練を受けたのだ。彼女は手先が器用で、猫として抜群《ばつぐん》の才能を発揮《はっき》した。高額の借金を一年たらずで返済《へんさい》している。
盗賊ギルドの仲間からは、猫になるために生まれてきたとまで言われたものだ。
「稼《かせ》ぎの問題じゃないもの……」
ミレルは顔を伏《ふ》せ、ぽつりとつぶやいた。
自分にいちばん必要なのが、金ではないことに気付いたのは、一年前のことだ。そして、冒険者になってからは、稼ぎこそ減《へ》ったが満たされた毎日を送っている。
「ま、人にはそれぞれ事情はあるからな。銀貨《ガメル》で四千と五百。これで手を打とうじゃないか。それと、おまえの笑顔《えがお》でどうだ?」
「サムス……」顔を上げたミレルは、円《つぶ》らな瞳《ひとみ》を一杯《いっぱい》に開いて情報屋を見つめた。
「悪いものでも食べたの?」
「ほっとけ!」
サムスは怒鳴《どな》ると、乱暴に右手を差し出した。
ミレルは首から紐《ひも》で下げた巾着《きんちやく》を取り出し、通貨がわりの宝石《ジェム》をいくつか選んだ。
「半端《はんぱ》があるけど、お釣《つ》りはいいわ」
まけてもらったことなど忘れたように、ミレルは恩着《おんき》せがましく言った。
サムスは宝石を一個一個、調べてから、自分の巾着にしまってゆく。
「情報は、入札《にゅうさつ》が終わったあとでな」
「分かってる」
ミレルは答えると、情報屋に背を向けた。
そのまま出口まで歩き、部屋《へや》の扉《とびら》に手をかける。そこで思い出したように、情報屋を振《ふ》り返った。
「どうした?」
「忘れてたわ」
ミレルは言うと、情報屋に向かって笑顔を浮《う》かべて、片目を瞑《つぶ》ってみせた。
「感謝するわ」
「ミレル……」
サムスは一瞬《いっしゅん》、訳が分からず呆然《ぼうぜん》とした。
しかし、すぐにニヤリとし、右手の親指を立てて挨拶《あいさつ》を返す。
「銀貨五百はまけすぎだったな。もっと女、磨《みが》きなよ」
「そんなの磨きたくねぇよ!」
ミレルは裏街言葉《スラング》で怒鳴《どな》りかえし、扉を蹴り開けた。
「交渉《こうしょう》は、うまくいったようだな?」
翌日の朝、三人の女冒険者たちの隠《かく》れ家《が》に、リウイはやってきた。そして、彼女らが旅の準備をしているのを見て、そんな言葉をかけた。
「分かりきったことを聞くな」
ジーニが冷たく言う。
赤毛《あかげ》の女戦士の右目には、見事な青痣《あおあざ》ができていて、だいぶ腫《は》れあがっていた。昨日、リウイの拳《こぶし》を受けた痕《あと》だ。
もっとも、リウイのほうも一日|経《た》って、彼女との稽古《けいこ》で受けた全身の傷《きず》が、かえってひどくなっている。一歩、歩くごとに身体《からだ》のそこかしこに火箸《ひばし》を押《お》しつけられているような激痛が走る。
それでも、気分は高揚《こうよう》している。
「冒険に出られるのか……」
様々《さまざま》な感情が、リウイの心に去来《きょらい》していた。
その感情のままに、叫《さけ》びだしたいところだが、ジーニたちに馬鹿《ばか》にされるのは目に見えているので、なんとか我慢《がまん》する。
「足を引っ張るんじゃねぇぞ」
盗賊《シーフ》の少女がじとりとした視線《しせん》を送ってくる。
「勇者の資質、見せていただきたいものですわね」
皮肉っぽく言ったのは、メリッサだ。
(まあ、見てなって)
リウイは心のなかでつぶやくと、左の腰《こし》に視線を落とした。
そこには今朝、買ったばかりの長剣《バスタードソード》がある。
長い時間をかけて選んだだけに、手に持つとしっくりくる。柄《つか》が長く、片手でも両手でも使うことができる両刃の直刀《ちよくとう》だ。
この剣こそが、リウイの相棒《あいぽう》だった。今はまだうまくは扱《あつか》えないが、すぐに使いこなせるようになるだろう。
待つこと、しばし。ジーニたちの準備はすべて整《ととの》った。
「出発だ!」
赤毛の女戦士が、声を張り上げた。
いよいよ冒険が始まるのだ。
剣《つるぎ》の王国<Iーファンは、広大な草原に興《おこ》された王国である。
国土の北と西はヤスガルン山脈の高峰《こうほう》によって、南はターシャスの森の鬱蒼《うっそう》たる樹海《じゆかい》によって閉ざされている。そして北東と南東にはふたつの王国、魔法の王国<宴リアースと混沌《こんとん》の王国<tァンドリアと隣接《りんせつ》している。
ラムリアース王国とは相互《そうご》不可侵《ふかしん》の同盟《どうめい》関係にあり、ファンドリア王国とは国境も定まらず、互《たが》いの国土の領有権を主張しあうという緊張《きんちよう》した関係にある。オーファンとファンドリアは、ともにファン王国を前身として持つだけに、統一を求める動きがなかなか絶《た》えないのだ。
建国から二十年が過ぎて、新興国《しんこうこく》であるオーファンの統治《とうち》も国土の隅々《すみずみ》にまで完全に浸透《しんとう》している。王国に乱れはなく、領民たちも新しい王国の施政《しせい》に、ほぼ満足している。
だが、その平和は人間が暮らしている領域においてだけだ。
街《まち》や村、街道《かいどう》から離《はな》れた場所には、危険な野獣《やじゅう》や魔物《まもの》が徘徊《はいかい》している。精霊力《せいれいりょく》の乱れた土地や古代の魔法《まほう》の影響《えいきよう》の残る遺跡《いせき》、邪神《じゃしん》に呪《のろ》われた廃墟《はいきょ》といった魔境も、オーファンの領土内にはまだまだ残されているのだ。
「……そういう危険な場所に行くのは、あたしたち冒険者ぐらいというわけよ」
そう言ったのは、盗賊《とうぞく》少女のミレルだった。
オーファンの王都《おうと》ファンの街から生まれて初めて外へ出るというリウイのため、必要なことをいろいろ説明しているのだ。
最初はいかにもうざったそうだったが、もともと話し好きな性格らしく、説明を続けるあいだに口調《くちょう》も軽くなってきた。
甲高《かんだか》い声でしかも早口にしゃべるので、小鳥がさえずっているような印象がある。
リウイは背を折り曲げるようにして、小柄《こがら》な少女の言葉に耳を傾《かたむ》けた。そして必要な情報を頭のなかに刻《きぎ》みこんでゆく。
「戦闘《せんとう》か探索《たんさく》か、冒険者《ぼうけんしゃ》は普通《ふつう》、どちらかを得意としているわけ」
ミレルの説明は続く。
戦闘が得意な冒険者たちは、怪物退治《かいぶつたいじ》を依頼《いらい》されたり、隊商や要人《ようじん》の護衛、警備などを仕事に選ぶことが多い。
探索を得意とする者は当然、古代王国の遺跡が狙《ねら》いだが、失踪人《しっそうにん》の捜査《そうさ》や盗品などの追跡《ついせき》調査を依頼されることもある。
「あんたたちは、どっちが得意なんだ?」
ミレルの説明を聞いて、リウイが訊《たず》ねた。
「あたしたちは万能よ。全員、武器が扱《あつか》えるし、野外の探索ならジーニ、街中《まちなか》ならあたしが得意としているもの」
なんだってできるわ、と盗賊の少女は誇《ほこ》らしげに胸を張った。
小振《こぶ》りだが形のよい胸が、革鎧《ソフトレザー》を押《お》しあげる。
「どんな依頼でも引き受けられるわけだ?」
「お金に困ればね。だけど、仕事は選んでいるわ。肥満《ひまん》した金持ちの護衛なんか、死んでも御免《ごめん》だもの」
ミレルはそう言うと、露骨《ろこつ》に顔をしかめた。
「あたしたちは、自分を試してみたいのよ。知恵《ちえ》や力、技《わざ》がどこまで通じるかをね……」
「いいかげんにしな!」
尚《なお》も話を続けようとするミレルを、ジーニの声が遮《さえぎ》った。
傭兵上《ようへいあ》がりだけに、彼女の声には殺気を帯びたような凄《すご》みがある。
ミレルは反射的に目を瞑《つぶ》って、肩《かた》をびくりとさせた。だが、次の瞬間《しゅんかん》には赤毛の女戦士に、挑戦的《ちょうせんてき》な視線《しせん》をたたきつける。
「ジーニたちがやってくれないから、あたしが話してやってるんじゃない。予備知識もないまま荒野《こうや》に連れていったら、こんな世間知らず、すぐにくたばっちまうわよ!」
「素人《しろうと》がいなくなるなら、好都合《こうつごう》じゃないか。最初の予定通り、女の魔術師《ソーサラー》か、精霊使い《シャーマン》を探せばいい」
「それは困ります。わたしにとっては、不本意ではあっても、勇者なのですから。神が与《あた》え給うた試練を果たせなかったとあれば、聖職者《せいしよくしや》として失格ですもの」
ジーニの言葉に、メリッサが溜息《ためいき》をまじえながらも反論した。
(勝手に言ってろ)
リウイは心のなかで吐き捨てる。
言い争っているようにも聞こえるが、結局のところ三人とも、リウイのことを酷評《こくひよう》している。世間知らずだったり、素人だったり、不本意ながらの勇者だったり。彼女らが冒険者でさえなければ、一瞬で緑《えん》を切るところだ。
(だが、我慢《がまん》しろ)
リウイは自分にそう言い聞かせる。
目的地は刻々《こくこく》と近づいている。
古代王国の遺跡《いせき》には、危険な罠《トラップ》や怪物《モンスター》が待ち受けている。そういった危険を実力で排除《はいじょ》してゆく。盗賊の少女がいみじくも言ったように、自分を試すにはもってこいなのだ。
全身の血が熱くなるような感覚を、リウイは覚えていた。
だが、そのとき、何かが彼の足を払《はら》った。
リウイは見事に仰向《あおむ》けに倒《たお》れ、尻《しり》と背中を地面に強《したた》かに打った。
「一人でにやけてんじゃないわよ。考えてみれば、なんで、あたしがあんたなんかを庇《かば》ってやらなきゃならないんだ」
盗賊の少女が、裏街言葉《スラング》でまくしたてた。
リウイはわきあがる怒《いか》りを抑《おさ》えながら、ゆっくりと立ち上がった。
荷物は腰《こし》の横にくくりつけてあったので、なんとか無事のようだ。そのなかには、貴重《きちよう》な|魔法の宝物《マジックアイテム》や薬《ポーション》などが入っている。
必要ないと断わったのだが、同期の女性魔術師《ソーサリス》アイラが、冒険に役立つからと、出発|間《ま》際《ぎわ》にいくつか押《お》しつけてきたのだ。
その代わり、例の約束《やくそく》は守るようにと、念を押されている。
付与魔術《エンチヤントメント》を研究している彼女にとって、魔法の宝物は貴重な研究材料なのだ。そして宝物に対する彼女の執着《しゅうちゃく》は、普通《ふつう》ではない。
服に着いた土埃《つちぼこり》を手で払ってから、リウイはむっつりと歩きはじめた。
リウイにかまわず、三人の女たちは先に行っている。言い争いはもう終わったらしく、今は楽しそうな笑い声を響《ひび》かせている。
(そのほうが、こちらもありがたい)
リウイは三人の女たちと離《はな》れて歩くことに決めた。
初めて見る景色《けしき》は興味深《きょうみぶか》く、話をしなくても退屈《たいくつ》はしない。そして古代王国の遺跡《いせき》に到着《とうちゃく》すれば、退屈などしていられないはずなのだ。
(遺跡はもうすぐだ)
リウイはふたたび自分に言い聞かせ、前を行く三人の背中をできるだけ見ないように、歩きはじめた。
目的の古代遺跡に着いたのは、王都《おうと》を出てから五日後のことだった。
ヤスガルン山脈の峰々《みねみね》が、すぐ近くまで迫《せま》っている。だが、街道《かいどう》からそれほど離《はな》れているわけでもない。半日はどの所に、ちょっとした規模の村さえあった。
古代王国の遺跡は草に埋《う》もれていたが、素人《しろうと》であるリウイにも人が残した形跡《けいせき》がいくつか見つかった。
「こんな遺跡に、宝物が残っているのか?」
リウイは素直《すなお》な疑問をロにした。
「地上の遺跡には残ってないわよ」
ミレルがそっけなく答えた。
この盗賊の少女は、口の悪さは三人のなかでも一番だが、さっぱりした性格なので、リウイの相手をするのも平気なようだ。
だからと言って、心を開いているわけではない。道具でも使っているような感覚で、リウイに接しているのだろう。
「街道にこれだけ近いんだもの。とっくの昔《むかし》に荒《あ》らされているわ。もっとも、この規模じゃ、たいした物もなかったろうけど」
「だろうな」
それぐらいは、リウイにも分かる。
遺跡の大きさは小さな館《やかた》ほど。王都の郊外《こうがい》にある養父《ようふ》カーウェスの屋敷《やしき》のほうが何倍も広い。古代王国期の貴族である魔術師たちは、現在の王侯《おうこう》貴族とは比較《ひかく》にならないほど裕福《ゆうふく》だったから、この遺跡のかつての保有者は、おそらく身分も低かっただろう。
「それじゃあ、未探索《みたんさく》の遺跡ってのはどこにあるんだ」
「それも、ここ」
盗賊の少女は意味ありげな笑《え》みを浮《う》かべると、遺跡をぐるりと見渡《みわた》した。
「人里《ひとざと》から近い遺跡にはたまにあることなんだけど、探し忘れってもんがあるのよ」
他の冒険者が探索した遺跡だから、何も残っていないとの先入観が働くのだ。そのために、とてつもなく大きな探し忘れが残されていることがある。
「この遺跡の場合は、地階へ通じる扉《とびら》だったというわけよ」
そう言うと、ミレルは遺跡に足を踏《ふ》み入れ、積み重なっている瓦礫《がれき》の山のひとつに身軽に飛び乗った。そして片膝《かたひぎ》を着いて、足下《あしもと》の瓦礫を調べる。
「この下だわ」
そこには、盗賊にしか分からない印《しるし》が書き残されていた。遺跡の情報をもたらした盗賊が、こっそり記《しる》したものだ。
「こいつをどければ、地下に通じる扉が出てくるはずよ。巧妙《こうみょう》に隠《かく》されているから、分かりにくいとは思うけどね」
ミレルはそう言うと、足下の瓦礫を軽く踏みつけた。
裾《すそ》の短い服を着ているので、高い場所に立ってそんな振《ふ》る舞《ま》いをすると、下着まで見えてしまいそうだ。
「瓦礫の下に、隠し扉があったわけか」
何人の冒険者がこの遺跡を探索したのか知らないが、見つけ損《そこ》なったのも無理はない。
「隠し扉を見つけた盗賊の話じゃ、隅《すみ》の方だけが瓦礫に埋《う》もれていなかったらしいわ」
隠し扉を叩《たた》いて調べると、その下に空間が広がっているような音が返ってきたらしい。
それで、盗賊は隠し扉の向こうに地階へと続く階段があると推測したのだと、ミレルは説明した。
「なるほど……」
リウイは素直に感心した。
盗賊たちが人間|離《ばな》れした知覚力や技術の持ち主だということは聞いていたが、これほどとは思ってもいなかった。
「それにしても、よくこんな遺跡を調べに行く気になったもんだな」
「遺跡を調べたのはついでだからよ。この遺跡にやってきた冒険者たちは、別の目的があったの」
「別の目的?」
リウイは盗賊の少女に訊《たず》ねた。
「妖魔退治《ようまたいじ》よ。赤肌鬼《ゴブリン》の一群が、この遺跡に住みついたんだって。ここに来る途中《とちゅう》に村があったでしょ。食うに困って、そこの家畜《かちく》を狙《ねら》ったわけよ」
邪悪《じやあく》な大地の妖精であるゴブリンは、普段《ふだん》は人間の入り込まない山や森の奥《おく》で暮《く》らしている。だが、彼らは繁殖力《はんしょくりょく》が強く、頻繁《ひんぱん》に部族分けを行う。新しい棲処《すみか》が見つからず、人里近くに降りてくる群れもあるのだ。そして、人間とのあいだに騒動《そうどう》を起こすことになる。
辺境《へんきよう》の村々では珍《めずら》しくもない事件である。その程度のことで、いちいち王国から騎士《きし》が派遣《はけん》されてくるわけではない。
昔《むかし》は、村人たちが武器を取って自分たちの手で追い払《はら》っていたのだが、昨今《さっこん》は、冒険者の店を通じて冒険者が雇《やと》われることがほとんどだ。
それほど、冒険者は余りぎみなのだ。
「せっかく遺跡《いせき》に行くんだから、探し忘れがあるかもしれないって、盗賊を雇って連れていったわけよ。その盗賊は見事にこの扉を発見したんだけど、雇い主の冒険者には、教えなかったのね」
そしてその情報を情報屋に売ったわけだ。
「それって詐欺《さぎ》なんじゃないのか?」
「よく分かったわね。冒険者が雇った盗賊の専門は詐欺師。だいたい臨時雇《りんじやと》いの盗賊を信用するほうが間抜《まぬ》けなのよね」
ミレルがあまりにも平然と言ったので、リウイはそんなものかと納得《なつとく》してしまった。
騙《だま》されるほうが悪いと決めつけるあたり、可愛《かわい》い顔はしているが、この少女もやはり盗賊なのだと思う。
「いつまでも、うだうだ喋《しやべ》ってんじゃない」
それまで無口だったジーニが、耐《た》えかねたように声を上げた。
「わたしたちの前には、誰《だれ》も開けたことのない扉がある。それで、十分だろう」
ジーニの隣《となり》では、メリッサが同感だというようにうなずいている。
(誰も開けたことのない扉か……)
リウイは心のなかで、赤毛の女戦士の言葉を繰り返した。
その言葉は、確かに魅力的《みりょくてき》だ。開かずの扉があれば、その向こうに何があるのか、冒険者ならずとも覗《のぞ》いてみたくなるのが人情というものだ。
「まったくだな。開ければいいだけだ」
「お分かりになりましたのね……」
メリッサが上品に微笑《びしよう》を浮《う》かべて言った。
「それでは、扉を開けるために、その瓦礫《がれき》をどけてくださいませんか?」
戦《いくさ》の神に仕《つか》える侍祭《じさい》は、そう続けた。
従者《じゆうしや》の態度とは、とても思えない。信者の教育はしっかりしろと、リウイは戦神《せんしん》マイリーに文句を言いたくなった。
だが、瓦礫をどけなければ、隠し扉を開けることができないのは事実だ。そして他《ほか》の三人は女性であり、リウイは体力にも自信がある。
「やってやるさ」
リウイは荷物をすべて降ろし、魔力の発動体たる|魔術師の杖《メイジスタツフ》≠その上に置いた。
身体《からだ》を鍛《きた》えるためだと、思えばいいのだ。
リウイにとって、それはほとんど趣味《しゆみ》だった。そして冒険者になったのだから、これまで以上に身体を鍛える必要がある。
リウイは瓦礫《がれき》の山に登ると、ひとつずつ持ち上げて、脇《わき》に放《ほう》り投げていった。
「頑張《がんば》ってくださいませね」
メリッサが楽しそうに声をかける。
リウイは何も答えず、黙々《もくもく》と作業を続けた。
「わたしたちは、食事でもしよう」
赤毛の女戦士は他の二人にそう言うと、手頃《てごろ》な瓦礫に腰《こし》を降ろした。そして背負《せお》い袋《ぶくろ》を外《はず》して、なかから食料を取り出しはじめた。麺麭《パン》や果物《フルーツ》、それから|乾し肉《ジヤーキー》といった保存と持ち運びの利《き》く食料である。
ミレルが歓声《かんせい》を上げながら、乾し肉を掴《つか》み取った。懐《ふところ》に手を入れ、胸の脇《わき》に吊《つる》した短剣《ダガー》を抜《ぬ》き出すと、大きめに削《けず》って口に運ぶ。
「喉《のど》に詰《つ》まらせるなよ」
ジーニが呆《あき》れたように言う。
「子供|扱《あつか》いしないでよね」
口をもごもごさせながらも、ミレルはきっちり言い返した。
「肉ばかり食べていると、身体に悪いと言いますよ」
メリッサは嗜《たしな》めるように言うと、果物を手に取って、小型の短剣で丁寧《ていねい》に皮を剥《む》いた。
そしていくつかに切り分け、木製の小皿《こざら》の上に乗せる。
ジーニが手を伸《の》ばし、三切ればかりを乱暴に掴《つか》み取ると、口のなかに放《ほう》り込んだ。
それを見たメリッサは微笑《ほほえ》みを浮《う》かべながら、次の果物の皮を剥きはじめる。
「やっぱり魔術師がいると便利よね」
黙々と作業を続けるリウイを横目で見ながら、ミレルがしみじみと言った。
持ち上げるには重すぎる瓦礫は〈軽量化《デクリーズウエイト》〉の呪文《じゅもん》を唱《とな》えてからどけているのに、気が付いたからだ。
「それにしても、一人で全部どけるつもりじゃないだろうな」
食事を取る手を休めて、ジーニがつぶやいた。
「男らしいところを、見せようとしているのでしょう。そのうち、疲《つか》れてこちらにやってきますわよ」
メリッサは無関心そうに、果物の皮を剥きつづけている。
「よほどの馬鹿《ばか》じゃないならね」
ミレルはあいかわらず、乾し肉だけを食べている。
ときどき、水袋《みずぶくろ》に口を付け、革《かわ》の味がしみた水を顔をしかめながら飲んでいる。近くに小川や湧《わ》き水があれば、美味《おい》しい水を汲んでこれるのだが、わざわざ探そうという気にはならない。
地上部分の広さから、地階があるといっても、その規模はたかが知れていると情報屋は語っていた。扉《とびら》を開けさえすれば、僅《わず》かな時間で探索《たんさく》は終えられるはずだった。それゆえ、食料や飲料水は最低限しか持ってきていない。
(銀貨《ガメル》四千五百枚分は、お宝《たから》を見つけないとね)
ミレルは乾し肉をしがみながら思った。
それに加えて、自分自身の笑顔分だ。もっとも、それがどのくらいの価値があるのか、
ミレルには分からない。銀貨五百枚を値切ったわけだが、それよりも高いのかもしれないし、安いのかもしれない。こればかりは自分で値打ちを決められるものではなく、他人に鑑定《かんてい》してもらうしかない。
ミレルは瓦礫をどける作業を続けている魔術師を盗《ぬす》み見た。
季節はまだ春だが、夏を感じさせる日差しが容赦《ようしや》なく照りつけるなか、魔術師は片時も手を休めようとしない。革鎧《ソフトレザー》を外し、服も脱《ぬ》ぎ捨て、上半身は裸《はだか》という格好《かつこう》である。鍛《きた》え上げられた肉体には汗《あせ》が噴《ふ》きだし、香油《こうゆ》を塗《ぬ》りこんで闘技場《とうぎじよう》に立つ、剣闘士《グラデイエーター》さながらの姿だった。汗の臭《にお》いが漂《ただよ》ってきそうで、ミレルはちょっとした目眩《めまい》を覚えた。
「あの男、いつまで続けるつもりなんだ?」
手早く食事を終えたジーニが、思い出したように魔術師を振《ふ》り返り、そして言った。
「わたしたちへの当て付けなのかもしれませんね。疲れて倒《たお》れるまで、作業を続けるんじゃありません?」
もともと小食なので、メリッサも食事を終えていた。
だが、あいかわらず果物を切り分け、麺麹《パン》にはバターを塗《ぬ》り、細かく刻《きぎ》んで乾燥《かんそう》させた香草を振《ふ》り掛《か》けている。ほとんど無意識の作業だったが、音《ね》を上げて戻《もど》ってきたリウイに、差し出すつもりはあった。
不本意ではあるが、あの魔術師は勇者なのだ。
しかし、メリッサはまだ本心からそれを信じたわけではない。
勇者らしいところは、どこにもない。女性の前だというのに、平気で裸《はだか》になる神経が分からない。精悍《せいかん》な肉体を誇示《こじ》したいのかもしれないが、すべての女性が男の肉体に惹《ひ》かれるわけではないのだ。それとも、男性の優位性を単に信じきっているのだろうか。
男性は女性より上位の生き物であるがゆえ、女性を敬《うやま》い、守らねばならない――
そんな騎士道《きしどう》精神を、メリッサは嫌悪《けんお》している。
家名を捨てたのは、騎士階級のそういった風潮《ふうちよう》が我慢《がまん》できなかったからでもある。
「女性はただ美しく着飾《きかざ》っていればいいのです」
かつての婚約者《フイアンセ》の言葉が、耳に蘇《よみがえ》ってくる。
オーファンにあるマイリー神殿《しんでん》の門を叩《たた》いたのは、女性の身でありながら、教団の最高位に就《つ》いたジェニ最高司祭に憧《あこが》れればこそである。ジーニと出会ったときには、彼女こそが仕《つか》えるべき勇者だとも思った。
(それなのに……)
メリッサは、深く溜息《ためいき》をついた。
戦神《せんしん》マイリーは、魔術師リウイこそが真の勇者であるとの啓示《けいじ》を与《あた》えたのだ。
メリッサは一生をかけて、仕えなければならない。しかし、その男には英雄性の欠片《かけら》さえ感じられないのだ。
(わたしには重すぎる試練かもしれない……)
メリッサは懺悔《ざんげ》するように頭を垂《た》れた。
そのとき、我慢《がまん》しきれないというように、ジーニが立ち上がった。
「扉《とびら》を開けてからが本番なのにな……」
そう文句を言いながら、リウイの所へ歩き、交替《こうたい》だと声をかけた。
瓦礫《がれき》は半分以上、取り除《のぞ》かれていて、離《はな》れた場所に新しい小山を作っていた。
「もう少しで終わる。それまで休んでな」
作業の手を休めることなく、リウイは答えた。
噴《ふ》きだしていた汗《あせ》は完全に乾《かわ》いていて、埃《ほこり》と塩で肌《はだ》が白くなっていた。さすがに呼吸は荒《あら》いが、疲《つか》れたような表情はしていない。
「それに、いちばん下にある大きな瓦礫は、軽量化の魔法をかけないと動かせない。いくら、あんたが力持ちでもな……」
「そのときには、おまえに手伝ってもらうさ」
ジーニは憮然《ぶぜん》とした顔で答えると、瓦礫を持ち上げはじめた。
「一般的《いつぱんてき》に言えば、こいつは男の仕事だぜ」
リウイはいちおう、そう言ってみた。
だが、赤毛の女戦士からの返事はなく、ただ突《つ》き刺《さ》すような視線《しせん》が返ってきただけだった。誇《ほこ》りを傷《きず》つけられたと、思ったのかもしれない。
(まあ、そうだろうな)
リウイは苦笑《くしよう》を浮《う》かべた。
一般的に言うなら、傭兵《ようへい》も女の仕事ではないのだ。冒険者も、同様である。
「二人で片づけよう。そのほうが早く終わる」
リウイはそう提案すると、ジーニの返答も待たず、作業を再開した。
やはりジーニは何も言わなかったが、今度は突き刺すような視線も向けられなかった。
(それなら、好きにやらせてもらうさ)
リウイは心のなかでつぶやくと、瓦礫を除《のぞ》く作業を再開した。
ミレルとメリッサもやってきたが、作業には加わらない。
猛然《もうぜん》と作業を続けているジーニとリウイの姿を見ていると、そんな必要をまったく感じなかったからだ。
「あの二人って、どこか似ているよね」
両手で頬杖《ほおづえ》をつきながら、ミレルがメリッサに呼びかけた。
「似ているって、体格とか?」
メリッサが訊《たず》ねる。
「それもあるけど、性格なんかもね」
「そうかしら……」
メリッサは首を傾《かし》げた。
リウイの性格がまだ分からないから、何とも答えようがない。しかし、ミレルの勘《かん》の鋭《するど》さを、メリッサはよく知っている。
メリッサが考えに考えたすえに導きだすような結論を、この少女は一瞬《いっしゅん》のうちに、言葉にしてしまうときがある。
幼《おさな》い頃《ころ》から、社会で揉《も》まれたからだろう。人の心を感じ取れないようでは、生きてゆけなかったのかもしれない。
それにもかかわらず、ミレルはまっすぐな性格をしている。いつも笑顔を浮かべているし、思ったことは素直《すなお》に口にする。
メリッサはふとした愛《いと》おしさを覚え、背中からミレルを抱《だ》きしめた。
「どうしたのよ、メリッサ?」
ミレルはくすぐったそうな声を上げたが、逃《のが》れようとはしない。
いかにも貴族の令嬢《れいじよう》らしく、気品があって落ち着いた性格のメリッサに、ミレルは憧《あこが》れにも似た気持ちを抱《いだ》いている。実の姉のように接してもらうと、貧《まず》しい生まれや育ちを一瞬でも忘れることができるのだ。
冒険者でいるかぎり、メリッサとも、ジーニとも仲間でいられる。
しかし、リウイという異分子が入ってきたことで、彼女らとの関係が崩《くず》れてしまうかもしれない。
ミレルはそれを恐《おそ》れている。
(悪い男じゃなさそうだけど……)
メリッサの温《ぬく》もりを感じながら、ミレルはリウイに視線を向けた。
大きな丸い目が、細剣《レイピア》の刃《は》のように細く鋭《するど》くなる。
リウイが邪魔者《じゃまもの》だと分かったら、そのときは躊躇《ちゆうちよ》しない。猫≠ナもなく、穴熊《あなぐま》≠ナもなく、蛇《へび》≠ニして行動するつもりだった。
瓦礫《がれき》が全部、取り除《のぞ》かれたのは、それからまもなくのことだった。
次は自分の出番とばかり、ミレルが石床《いしどこ》にへばりついて、隠《かく》し扉《とびら》を探しはじめた。
(狐《きつね》≠フクインシーが見つけたんだもの)
床《ゆか》を叩《たた》き、かたまった土埃《つちぼこり》を短剣《ダガー》で削《けす》る。床の上に水を流して、それがどう流れ、どこに染《し》みこんでゆくかを追いかける。
「あった、あった」
ミレルは明るい声を上げると、短剣で石床に線をつけていった。その線は、やがて巨大《きよだい》な正方形を形成してゆく。
「いい子だ」
ジーニがミレルの頭を撫《な》でようとした。
「だから、子供|扱《あつか》いしないでよって」
ミレルは言い返し、ジーニの腕《うで》を邪険《じやけん》に払《はら》いのけた。
メリッサとは違《ちが》って、ジーニにはいつもからかうような感じがある。馬鹿《ばか》にされているわけではないと知っているが、言わせっぱなしにしておくつもりはない。
「開け方は分かるの?」
メリッサが訊《たず》ねた。
「調べれば分かると思うけど、せっかく魔術師がいるんだもの。開錠《アンロック》の呪文《じゅもん》を唱《とな》えれば一発よ」
そう言って、ミレルはにっこりとリウイを見つめた。
(人使いの荒《あら》い奴《やつ》らだな)
リウイは思ったが、彼女の言うことにも一理あるので、呪文を唱える準備動作をはじめた。〈開錠〉の呪文は、魔法で封《ふう》じられていないかぎり、あらゆる開閉物を開けることができる。
「今日の魔法は、これで品切れだぞ」
リウイは言った。
肉体的な疲《つか》れはさほどでもないが、瓦礫《がれき》をどけるときに何度か〈軽量化《デクリーズウエイト》〉の呪文を唱えていたので、精神的にはかなり消耗《しようもう》していた。
消耗しきった状態だと、呪文を唱えても発動する確率はかなり低くなる。ひどいときには意識を失ったり、死ぬときさえあるのだ。
魔法とは魂《たましい》を削《けず》って魔力を発生させる行為《こうい》であると、昔《むかし》の大魔術師が言い残しているが、魔術師ならば誰《だれ》もが、その言葉を実感しているだろう。
「こんな小さな遺跡《いせき》だもの、たいした障害《しようがい》もないはずよ。魔法生物が護《まも》っているぐらいじゃない」
ミレルが気楽に言った。
(それは、それでおもしろくないけどな)
リウイは内心、思いながら、〈開錠《アンロック》〉の呪文を完成させた。
次の瞬間《しゅんかん》、石臼《いしうす》を回すような音が響《ひび》きはじめ、正方形の扉《とびら》が、複雑な動きを見せながら開いていった。
そして現れたのは地階へと続く階段だった。その先には、魔法文明で栄《さか》えた古代王国の遺跡が手つかずのまま残っている。
「さ、降りるぞ」
火を灯《とも》した松明《たいまつ》を片手に、ジーニが先頭に立って降りてゆく。その後に、ミレルとメリッサが続く。リウイはいちばん最後だった。
(そう言えば、アイラからあれを借りていたな……)
リウイはふと思い出して、腰《こし》に巻いた小袋《こぷくろ》から、|魔法の宝物《マジックアイテム》をひとつ取り出した。
四つの眼《め》≠ニ名付けられた魔法の眼鏡《めがね》である。冒険に出るときに、アイラが貸してくれた|魔法の宝物《マジックアイテム》のうちのひとつだ。
――あたしには必要な物なのだから、絶対に持って帰ってきてよ。
彼女の言葉を、リウイは思い出していた。
必要な物なのなら、貸さなければよさそうなのだが、彼女は強引《ごういん》だった。共犯者《きようはんしや》にしたいのか、と疑ったほどだ。
この魔法の眼鏡は、禁断《きんだん》の宝物庫《ほうもつこ》に封印《ふういん》しなければならないほどの危険な代物《しろもの》だ。視線《しせん》だけで人を呪殺《じゆさつ》する邪眼《イビルアイ》の魔力が備《そな》わっているからである。
だが、視力|拡大《かくだい》や暗視《あんし》、透視《とうし》の魔力も持つこの魔法の眼鏡は、間違《まちが》いなく冒険の役に立つ。宝物の力を借りることにやや抵抗《ていこう》はあるものの、冒険に不慣れなあいだはそれも仕方がないだろう。
眼鏡をかけ、暗視の魔力を発動させるための合言葉《キーワード》を唱えると、リウイの視界が赤っぽく染《そ》まった。
松明の炎《ほのお》が異様にまぶしく感じられたが、薄暗《うすぐら》い所などは、はっきりと見える。
なるほど、これなら暗闇《くらやみ》でも行動に不自由しないだろう。
リウイは眼鏡の魔力を実感しながら、三人の女性たちに続いて、階段を降りていった。
「何か、臭《にお》うな……」
先頭を歩いていたジーニが、そうつぶやくと、鼻をひくひくさせた。
「埃《ほこり》の臭いじゃないのか? 古い書物にはよくそういう臭いがするぞ」
リウイが声をかけた。
「素人《しろうと》が知ったかぶりをするんじゃない。この臭いはそんなもんじゃない。獣《けもの》の臭いさ。
それから、腐敗臭《ふはいしゆう》……」
「屍人《ゾンビー》がいるんじゃないかな? 不死生物《アンデッド》を操《あやつ》るのが得意な魔術師が、古代王国にはいたんでしょ」
ジーニの言葉を聞いて、ミレルが意見を述べた。
「死霊魔術師《ネクロマンサー》の館《やかた》ってか?だったら、いろいろ覚悟《かくご》しないとな」
死霊魔術《ネクロマンシー》の系統には、ミレルが言うとおり、不死生物を創造したり、操ったりする魔法がずらりとそろっている。そして、吸血鬼《バンパイア》や首なし騎士《デュラハン》をはじめ、不死生物のなかには、強力な魔物も少なくはないのだ。
リウイは全身の血が騒《さわ》ぐのを覚えた。
「メリッサ、ミレルと順番を替《か》わってくれ。ミレルは背後に気を付けて、いざとなったら魔術師を護《まも》ってやれよ」
「はいはい」
ジーニが出した指示に、ミレルは戯《ふざ》けた声を上げながらもすぐに従った。
メリッサとリウイを先に行かせ、隊列のいちばん後ろにつく。
「不死生物が相手なら、メリッサの魔法が何よりの援護《えんご》になるわ。あいつらには毒《どく》も利《き》かないし、おまけに急所もない相手だから、あたしじゃあまり役に立たないのよ」
ミレルは笑いながら、リウイに話しかけた。
「そう言えば、神聖魔法《しんせいまほう》には不死生物を退散《たいさん》させる呪文があったな」
「そういうこと。ところで、どうしてそんな変な物、つけてるのよ。ずいぶん、間抜《まぬ》けな顔になってるわよ」
(好きに言ってくれ)
反論する気にもなれず、リウイは心のなかでそう答えておいた。
アイラにはよく似合《にあ》っていたが、それは女性だからだろう。この宝物の魔力付与者《デザイナー》も女性で、自分が使うために創《つく》ったのだ。
似合わないのも無理ないかもしれない。だが、実用的であるのも間違《まちが》いないのだ。
階段を降りた所は、ちょっとした空間になっていて、正面|奥《おく》の壁《かべ》には、両開きの扉が備えつけられていた。
「いるとしたら、この奥だろうな」
ジーニがつぶやきながら、扉を慎重《しんちよう》に押《お》し開けようとした。
だが、びくりとも動かない。
「鍵《かぎ》がかかっているのかもしれないわね」
それを見たミレルが、あわててジーニの所に駆け寄る。その際に、
「大丈夫《だいじようぷ》だとは思うけど、いちおう後ろには気を付けといて。階段から何か降りてきたら、大声を上げるのよ」
と、リウイに言い残した。
「分かった、後ろに気を付けてればいいんだな」
リウイはうなずきながら、何かが来たらオレが倒《たお》してやるさ、と心のなかで付け加えた。
彼の腰《こし》には、出発の日に買ったばかりの真新しい長剣《バスタードソード》が吊《つる》されている。
リウイは背後を振《ふ》り返り、秘密の扉から続く階段を見つめた。
そして、気が付いた。
(あれは?)
階段の両脇《りようわき》にもちょっとした空間があり、その奥にも扉らしき物が備えつけられているのだ。
松明《たいまつ》の明かりでは奥まで届《とど》かなかったので、ジーニたちは見落としたのだろう。だが、
リウイは魔法の眼鏡に暗視《あんし》の魔力を与《あた》えていたので、はっきりと見ることができた。
(オレの役目は後ろを気を付けることだったよな……)
リウイは自分にそう言い聞かせながら、扉の方に歩《あゆ》み寄っていった。
そして、取っ手を無雑作《むぞうさ》に掴《つか》み、押し開けてみる。
扉は簡単に開いた。
すると――
「ギヤィィィ」
と、奇怪《きかい》な声が響《ひび》き渡《わた》った。
扉の向こうには、ちょっとした広さの部屋があった。そのなかに、子供ぐらいの大きさの生き物が数十匹、蠢《うごめ》いていたのだ。
奇声を上げたのは、その生き物たちだ。
同時に、部屋《へや》のなかから鼻が曲がるかと思うような悪臭《あくしゆう》が漏《も》れだしてくる。
(ジーニが言ってたのは、こいつらの臭《にお》いだったんだな)
予想もしなかった出来事に、リウイは一瞬《いっしゅん》、我《われ》を忘れたが、その生き物の正体はすぐに思い出した。
「赤肌鬼《ゴブリン》!」
ミレルの言いつけを守ったわけではないが、自然に大声が出た。
「馬鹿野郎《ばかやろう》! 勝手なことを」
ジーニの怒声《どせい》が背後から聞こえる。
「下がってください」
メリッサの声が続く。
「なんで、こいつらがいるんだ!」
リウイは、|魔術師の杖《メイジスタッフ》を構えた。そのときには、長剣《パスタードソード》を持っていることもすっかり忘れていた。
リウイは階段の下まで後退《こうたい》し、次々と飛び出してくるゴブリンを迎《むか》え撃《う》った。
ゴブリンどもは、小剣《シヨートソード》や短剣《ダガー》を手にしている。想像していたよりも俊敏《しゅんびん》な動きで、武器を突《つ》き出してくる。
そのうちのひとつが、リウイの太股《ふともも》に突き刺《さ》さった。激痛《げきつう》が走ったが、そう深い傷《きず》ではないことはすぐに分かった。
「よくもやりやがったな」
その瞬間《しゅんかん》、リウイの頭のなかで何かがプツリと切れた。
獣《けもの》の咆哮《ほうこう》にも似《に》た雄叫《おたけ》びを上げると、群がってくるゴプリソたちに、魔術師の杖で殴《なぐ》りかかっていった。
ゴブリンたちは武器を持ってはいても、その使い方は知らないも同然だった。もっとも、それはリウイも同様だったが……
「これは戦いじゃない、喧嘩《けんか》だ!」
リウイは自分にそう言い聞かせた。
そして喧嘩なら、誰《だれ》にも負けない自信があった。
「まったくおまえには呆《あき》れかえるよ」
ジーニが不機嫌《ふきげん》そうに言った。
狭《せま》い部屋《へや》には、赤肌鬼《ゴブリン》の死体が散乱している。そのほとんどを倒《たお》したのは、リウイだった。
|魔術師の杖《メイジスタッフ》が折れるまで妖魔《ようま》どもの頭を叩《たた》きつぶし、杖《つえ》が折れた後は素手《すで》で戦い、それでも三|匹《びき》のゴブリンの息の根を止めた。
「負けなかったんだから、いいじゃねぇか」
戦いの興奮《こうふん》がまだ収まっていないので、リウイも乱暴に言い返した。
彼は数か所、傷を受けていたが、いずれも軽傷《けいしよう》だった。ジーニと剣《けん》の稽古《けいこ》をしたときに負った傷のはうが、よほどひどいと思う。
「勝ち方が問題です!」
メリッサが声を震《ふる》わせながら抗議《こうぎ》の声を上げた。
「ゴブリンごときを相手に、なんという無様《ぷぎま》な戦い方ですか? 妖魔《ようま》どものほうが、よほどうまく武器を使っていましたわ。あなたときたら、杖や拳《こぶし》を振《ふ》り回すだけ。わたしの目には、食人鬼《オーガー》が暴《あば》れているようにしか見えませんでした。これが勇者の戦い方だとしたら、わたしは、わたしは……」
(不本意なんだろ?)
怒《いか》りのあまり言葉を失ってしまったメリッサに代わって、リウイが心のなかで答えてやった。
勝手に勇者に祭りあげておいて、勝手に失望されても迷惑《めいわく》なのだが、彼女にとっては信仰《しんこう》の問題だから指摘《してき》しても無駄《むだ》なのだ。
「そんなことより、未探索《みたんさく》の遺跡《いせき》になんで赤肌鬼が棲《す》んでいるんだ? まさか、古代王国時代から生き残ってたなんて言うんじゃないだろうな」
「誰もそんなこと言わないわよ」
ミレルが元気のない声で言った。
「たぶん、どこかに抜《ぬ》け穴《あな》か何かがあるんでしょうね。ゴブリンが棲みついてるぐらいなんだもの、きっと他の冒険者だって、見つけているわ。探索しても、めぼしい物は残っていないと思う」
「間抜《まぬ》けな冒険者の尻拭《しりぬぐ》いをさせられたってわけだ。ゴプリソの棲処《すみか》が地上の遺跡《いせき》だけだと思いこんでいた馬鹿《ばか》な奴《やつ》らのな」
ジーニが頬《ほお》に描《えが》かれた呪払《のろいばら》いの紋様《もんよう》をなぞりながら溜息《ためいき》をつく。
「もう帰りましょう。ゴブリンの巣穴《すあな》なんかに、これ以上、いたくはありませんわ」
メリッサの言葉に、誰も反対する者はなかった。
もとからの悪臭《あくしゆう》にゴブリンたちの血の臭《にお》いが混《ま》じり、部屋《へや》のなかの空気は耐《た》えがたいまでになっていた。
ジーニを先頭に、四人は地上への階段を昇《のぽ》った。そして古代王国の遺跡を後に、ファンの街《まち》への帰路につく。
街道《かいどう》を歩くあいだジーニたち三人は終始、無言だった。ときおり思い出したように溜息を漏《も》らすだけ。
リウイはしかし、彼女らの元気のない背中を見ながらも、意外に落胆《らくたん》していない自分に気づいていた。
冒険の結末はあっけなかったが、予想外の展開《てんかい》もあり十分に刺激的《しげきてき》だった。
初めて開けた扉の向こうには、また次の扉があったと思えばいい。それを開きつづけることが、冒険者という稼業《かぎょう》なのだと思う。
「けっこう楽しいもんじゃないか」
リウイは街道を吹《ふ》き抜《ぬ》ける風に向かって、話しかけた。
もちろん、風は何も答えず、草原を波立たせながらただ駆《か》け抜けてゆく。もうすぐ春も終わりだ。
今年の夏は暑《あつ》くなるな、とリウイはふと思った。
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第V章 折れた杖《つえ》
「杖を折ったんですって?」
突然《とつぜん》、部屋《へや》の扉《とびら》が開いて、リウイとは同期の女性魔術師《ソーサリス》、アイラが飛びこんできた。
リウイはちょうど腹筋《ふつきん》を鍛《きた》えていたところで、上半身|裸《はだか》になって床《ゆか》に転《ころ》がっているという格好《かつこう》だった。
(この女、狙《ねら》ってるんじゃないか?)
この前も、裸でいるときに入ってきた。
鍵《かぎ》をかけていないリウイも悪いといえば悪いのだが、常識的な人間なら、声をかけてから入ってくるものだ。
四つの眼《め》≠ニいう魔法《まほう》の眼鏡《めがね》をかけたアイラの顔を見あげながら、リウイは側《そば》に放《ほう》り投げていた上着《うわぎ》を手にして立ち上がった。
「そんな体格なのに、まだ鍛えないといけないの?」
開いたままの扉を今頃《いまごろ》ノックしながら、呆《あき》れ顔でアイラは言った。
「ああ、ぜんぜん鍛えたりないな」
リウイはそう答え、あの怪力女《かいりきもんな》に力負けしないためにな、と心のなかで付け加えた。
「筋肉隆々《きんにくりゆうりゆう》なのは、あまり好みじゃないんだけどなあ……」
ひとりごとのようにつぶやくと、アイラは後ろ手に扉を閉めて、リウイの部屋のなかに入ってきた。
「それより|魔術師の杖《メイジスタッフ》のことよ」
何かを期待するように、アイラは表情を輝《かがや》かせる。
「ああ、見事に折れた」
リウイはさすがに憮然《ぷぜん》とした顔になった。
赤肌鬼《ゴブリン》との戦いのとき、狙いの外《はず》れた一撃《いちげき》が、遺跡《いせき》の壁《かべ》にぶつかったのだ。そして破滅《はめつ》の音とともに、魔術師の杖は真ん中からきれいにふたつに折れてしまった。
「あんな硬《かた》い杖をねぇ」
杖が折れた状況《じょうきょう》を聞いて、アイラは感心したように言った。
「わたしなんかじゃ、腕《うで》のほうが折れてしまいそう」
魔術師《まじゅつし》の正装《せいそう》である長衣《ロープ》の袖《そで》をまくりあげて、アイラはしげしげと自分の腕を見つめる。
透《す》きとおるような白い肌《はだ》をしていることもあって、彼女の腕はたしかにか細く見える。
「おまけに大事《だいじ》な杖《つえ》をね」
魔術師の杖は魔術師ギルドに属するという証《あかし》であり、魔術師の魂《たましい》ともいうべきものである。魔術師の杖があればこそ、術者の魔力を活性化できるのだし、即応呪文《カントリツプ》で、古代語魔法を発動することもできる。杖を折る≠ニいう言葉は、魔術師を辞《や》めるという意味にさえ使われているのだ。
「それで、どうするの?」
「決まってるだろ。新しい杖を作ってもらうさ」
問われて、リウイは答えた。
「カーウェス様に?」
「仕方ないだろ。オレの導師《どうし》は、あの爺《じい》さんなんだから」
「魔術師の杖を作るには、五百年は生きた樫《かし》の古木が必要なのよ。おまけに三日を超《こ》える魔法《まほう》の儀式《ぎしき》」
「爺さんは、いや最高導師はやってくれるそうだ。もっとも、素材になる樫の古木は取ってこないといけないけどな」
「五百年もの古木よ。どこにでも生えているわけじゃない」
アイラの言うとおり、そんな古木がそうそう生えているわけがない。王都《おうと》の近郊《きんこう》の森などには入るだけ無駄《むだ》だろう。
「争いの森≠ノでも行ってみるさ。十本ばかり取ってくれば、来年の見習いたちの分にも足りるだろう」
「簡単に言うわねぇ」
アイラは両手を広げて、呆《あき》れたといった身振《みぷ》りをしてみせる。
「争いの森ターシャスには」妖魔《ようま》どもが棲《す》んでいるのよ。それから、恐《おそ》ろしい魔獣《まじゆう》」
「森は広いんだ。そうそう出会うわけじゃない。あの森に入って仕事をしている者もいるんだから」
「毎年、何人かは命を落としているそうよ」
不吉《ふきつ》なことを、アイラはさらりと言った。
「オレは大丈夫《だいじようぶ》だ。妖魔ぐらいなら、やっつけてやる。この前と同じようにな」
「そうして、せっかく集めた杖をまた折ってしまうわけね」
痛いところを致命的《クリテイカル》に突《つ》かれ、リウイは言葉を詰《つ》まらせた。
「こ、今度は、そんな間抜《まぬ》けなことはしない。ちゃんと剣《けん》を使って戦うさ」
「|魔術師の杖《メイジスタッフ》がないと魔法が使えないんだから、止めるわけにはゆかないわね。あなたのお仲間は当然、手伝ってくれるんでしょ?」
「それはない!」
リウイは即座《そくざ》に否定した。
あの三人の女たちには関係ないことだ。それに彼女らは、リウイが魔術師の杖を折ってしまったことを、完全に馬鹿《ばか》にしている。遺跡《いせき》から帰る途中《とちゆう》、罵声《ばせい》の言葉をどれだけ浴《あ》びたかしれない。
「それじゃあ、一人で行くの?」
目をぱちぱちさせながら、アイラは言った。
「そうなるな」
「ふ〜ん、そうなんだ……」
アイラは考えに耽《ふけ》るように、しばらくのあいだ沈黙《ちんもく》した。
そして、
「だったら、今晩ちょっと付き合ってよ」
と、言った。
「どういう脈絡《みやくらく》でそうなるんだ?」
「だって、行ったきりになるかもしれないじゃない。あなたとの思い出を、ちょっとでも増《ふ》やしておきたいのよ」
ふふっ、と意味ありげな笑《え》みを浮《う》かべながら、アイラは言った。
「勝手に言ってろ!」
「冗談《じょうだん》よ、冗談。でも、付き合ってはもらうわよ。冒険《ぼうけん》の話とか、聞かせてほしいから」
そう言うと、リウイより二つ年上の女性魔術師《ソーサリス》は返事も聞くことなく、部屋から去っていった。
それを呆然《ぼうぜん》と見送って、リウイは女たちに弄《もてあそ》ばれる毎日が心底《しんそこ》、恨《うら》めしいと思った。
「オレのことを羨《うらや》む奴《やつ》がいるのなら、代わってほしいもんだぜ」
それはリウイの心の底からの言葉であった。
「……杖《つえ》を折ったのです」
悔《くや》しさのあまり涙《なみだ》が惨《にじ》む目で、戦《いくさ》の神の侍祭《じさい》メリッサは、マイリー教団の最高司祭ジェニを見上げた。
「魔術師《まじゅつし》の象徴《しようちよう》ともいえる大事《だいじ》な杖を。それも赤肌鬼《ゴブリン》ごときに殴《なぐ》りかかって……」
そして、メリッサは不本意ですと五回、繰り返した。
(これは重症《じゆうしよう》だわね……)
メリッサ侍祭の訴《うつた》えを穏《おだ》やかな顔をして聞きつつも、剣《つるぎ》の姫《ひめ》≠ニ謳《うた》われた老女は、心のなかでは憤《いきどお》りを覚えていた。
メリッサが不本意だと言っている相手は、仕《つか》えるべき勇者であるとの啓示《けいじ》を、マイリー神から授《さず》けられた男なのだ。そして個人的には親友の息子《むすこ》であり、子供の頃《ころ》から可愛《かわい》がっていた。
「女性のいる前でわざわざ裸《はだか》になるなど、野蛮人《やばんじん》と誹《そし》られて当然の行為《こうい》。協調性のかけらもなく、なんでも一人でやろうとする。自分勝手な行動をしたあげく、自らを生命の危機に晒《さら》す。もしも彼に死なれでもしたら、神の啓示を果たせなかったわたしは、もはや信仰《しんこう》を捨てるしかありません」
それなら今すぐ捨てたら、と言いたい気持ちを抑《おさ》え、メリッサの言葉にジェニはうなずいてみせる。
(リジャールなんか、女性の前でこそ裸になりたがったものよ)
オーファンの建国王となったあの戦士は、自分の鍛《きた》えあげた肉体が、女性に性的|魅力《みりょく》を感じさせると信じて疑っていなかった。
獣《けもの》ではあるまいし、人間の女性には好みというものがある。優《やさ》しい男が好きな女性も大勢いるのだ。それが、あの男には分かっていない。
(それに、肉体の美しさなら、わたしのほうが上だったわ)
ジェニは、そうも思う。
戦いには美しきが必要だという信念を、若き日のジェニは持っていた。
女性として均整《きんせい》の取れた肉体をいつも保っていたし、戦いのときにも剣舞《けんぶ》を演じているような独特の技《わざ》で相手を倒《たお》していった。剣の姫とは、それゆえについた呼び名なのだ。
「どうしたものでしょうね……」
ジェニは、メリッサに声をかけた。
彼女の聖職者《せいしよくしや》としての素質を、ジェニは高く評価している。体力的には劣《おと》るものの、戦士としての技量もなかなかのものだ。
そして若い信者を集めて、教団の布教《ふきよう》に役立ってもいる。
将来的には教団を背負って立てるだけの人材なのだ。しかし、今はまだ若すぎる。育ちがよいためなのだろう。潔癖《けつペき》すぎる性格もなんとかならないかと思う。
彼女が夢想《むそう》しているような英雄《えいゆう》は偶像《ぐうぞう》みたいなもので、現実には存在するはずがないのだ。品があろうがなかろうが、食人鬼《オーガー》のような体格をしてようが|大地の妖精《ドワーフ》のような体型をしてようが、偉大《いだい》なるマイリー神《しん》はまったく気になきらないであろう。
「わたくしは、どうすればよろしいのでしょうか?」
すがりつくような目で、メリッサはジェニを見つめる。
「最高司祭様の御言葉に従います」
「わたしの声などより、神の声に従いなさいな」
諭《さと》すように、ジェニは言った。
「啓示《けいじ》はすでに下されているのですから。魔術師リウイは、偉大なる神が勇者とお認めになった人物なのでしょう。彼の資質を見極《みきわ》めなさい。それが分からないのは、あなたの信《しん》仰《こう》が足りないためです。繰り返して言いますが、相手の胸に飛びこむほどの覚悟《かくご》がなければ、勇者に仕《つか》えているとは言えないのですよ」
ジェニがそう言うと、メリッサは一瞬《いっしゅん》、とてつもなく嫌《いや》そうな顔をした。
こんな従者《じゆうしや》を側《そば》において平気だとしたら、それだけで勇者の資質としては十分なようにジェニには思えた。
(ウーくんは優《やさ》しい子だったから)
ジェニは子供の頃《ころ》のリウイの姿を、彼の愛称《あいしよう》とともに思い出した。
これがもしもリジャールだったら、メリッサ侍祭《じさい》はどんな扱《あつか》いを受けたことか。
恐《こわ》い考えになりかけたので、ジェニはあわててそれを振《ふ》り払《はら》った。
(自覚はないでしょうけど、あなたは本当に幸せなのよ)
力無くうなだれる侍祭の姿を見つめながら、ジェニは心の底から思った。
「あなたのほうから、もっと積極的に会いにお行きなさい。日常の姿にこそ、勇者の資質は示されているかもしれないのだから」
「……御言葉に従います」
嫌《きら》いな食べ物を咀嚼《そしやく》もせずに飲み込んだあとのような顔をして、メリッサは答えた。
そして、ふらふらと立ち上がって、礼拝所《れいはいじよ》を後にした。
「杖《つえ》を折ったってわけよ」
身振《みぶ》り手振りをまじえたミレルの話に、情報屋のサムスは、腹《はら》を抱《かか》えんばかりに笑い転《ころ》げた。
「間抜《まぬ》けな魔術師もいたもんだな」
「でしょ? 誰《だれ》だって、そう思うわよね」
ミレルも一緒《いっしょ》になって笑ってから、情報屋のほうに一歩、二歩と近づいていった。
「どうしたい?」
情報屋はまだ笑い続けながら、ミレルを見つめた。
「よくもこのわたしに、カスをつかませてくれたわね!」
笑顔《えがお》から一瞬《いっしゆん》にして怒《いか》りの表情に変わり、ミレルは情報屋にくってかかった。
「おいおい、そういう危険《リスク》は覚悟《かくご》のうえだろ」
まったく猫の目のように表情を変える奴《やつ》だなと思いながら、情報屋は勘弁《かんべん》してくれよ、
と言った。
「危険は、もちろん承知よ。だけど、あなたも良心の呵責《かしやく》を感じない?」
ミレルは普段《ふだん》の顔に戻《もど》って言う。
「まあ、悪かったぐらいには思うわな」
「そう思うんなら、ちょっとぐらい払《はら》い戻《もど》さない?」
何千枚という銀貨《ガメル》を使って、実入《みい》りはまったくなし。こんなひどい赤字になるとは思ってもいなかった。路上《ろじよう》で猫≠していた頃《ころ》と異なり、最近のミレルはひどく貧乏《びんぼう》なのだ。
「それをしちゃあ、商売になんねぇ」
サムスはそう言ったあと、何かを思い出したようにぽんと手を叩《たた》いた。
「しかし……」
「しかし、何なの?」
瞳《ひとみ》を輝《かがや》かせて、ミレルがサムスに顔を近づける。
「他《ほか》ならぬ、ミレルの頼《たの》みだしな」
「そうそう、あたしの頼みなのよ」
ミレルはにこにことうなずき、情報屋の次の言葉を待った。
「それじゃあ」
と言って、サムスは満面《まんめん》に笑みを浮《う》かべた。
「な、何よ、その顔」
情報屋に顔を近づけていたミレルは思わず後《あと》ずさった。
まるで鼬《いたち》の屁《へ》を喰《く》らって顔をしかめる野犬のような笑顔だった。
「ほれ、笑顔の払い戻し……」
「ざけんじゃねぇ!」
ミレルは叫《さけ》ぶと、反射的に回《まわ》し蹴《げ》りを放《はな》っていた。
見事に足を払われて、情報屋の身体《からだ》は宙に舞《ま》い、それから盗賊《とうぞく》ギルド直営の地下酒場の床《ゆか》に叩《たた》きつけられた。
「ひ、ひでぇことするな。冗談《じょうだん》なのによ」
強《したた》かに打ちつけた腰《こし》をさすりながら、サムスは立ち上がって抗議《こうぎ》をする。
「八つ当たりに来ているあたしに、そんな悪質な冗談を言うほうが悪い」
ミレルはきっぱりと言い、
「おかげで少し気分が晴れたわ」
と、笑顔に戻って続けた。
「そりゃ、どうも……」
サムスは服についた埃《ほこり》を払いのけてから、酒場のカウンターのほうにミレルを誘《さそ》った。
「今度は、冗談はなしよ」
「あんなめに合うと分かっていて、誰《だれ》が言うもんか」
ミレルはサムスの横に並《なら》び、カウンターに両肘《りようひじ》をつく。
「おまえの相棒《あいぼう》の名前、確かリウイとかいったよな?」
「何、言ってるの。あんたに教えてもらったんじゃない。それも銀貨《ガメル》百枚で」
「ああ、教えた。魔術師ギルドの最高導師《アークメイジ》カーウェスの養子《ようし》にして正魔術師《ソーサラー》。おまけに、札付《ふだつ》きの不良で、オレたちの仲間とも何度も揉《も》め事《ごと》をおこしている」
「お頭《かしら》が盗賊ギルドに引き入れたい、とか言ってたんでしょ?」
「ああ、あの体格で、あの度胸だ。鍛《きた》え方しだいじゃ、大物に育つかもしれねぇ」
「でも、あいつ、不器用《ぷきよう》そうよ」
この前の冒険《ぼうけん》のときの手際《てぎわ》などを見ているだけに、ミレルにはリウイが盗賊に向いているとは思えなかった。
「まあ、その話はいいんだ。ただ、そのリウイって野郎のことで、ミレルに言い忘れていたことをひとつ、思い出したんだ」
「お金は出さないわよ」
ミレルはすかさず釘《くぎ》を刺《さ》した。出したくても、今はまったく余裕《よゆう》がない。
「情報料はこの前もらっているからな。こみにしておくさ」
「助かるわ。それで、どんな情報?」
「情報というか……、あいつの生まれなんだがな。よく分からねぇんだ。産んだ女が誰《だれ》だとか、父親が誰だとか」
「ふうん」
情報屋の言葉に、ミレルは興味《きょうみ》を覚えた。
分からないということは、分かるというより貴重《きちよう》な情報であるときもある。盗賊ギルドの情報|網《もう》は広い。その気になって調《しら》べれば、たいていの事は明らかになる。盗賊ギルドが生まれをつかめないような人間は、そうそういるものではない。
「話は読めたわ」
ミレルはにこりと笑って、サムスに向かって片手を広げた。
「あいつの生まれが分かったら、あんたに教える。カーウェスといったら超《ちよう》大物だものね。案外、面白《おもしろ》い情報がつかめるかもしれない」
「しっかりしてやがる」
サムスは顔をしかめながらも、宝石《ジエム》を一個、ミレルの手にのせた。
(銀貨二百ぐらいか……)
瞬時《しゆんじ》のうちに、ミレルは値踏《ねぶ》みした。
少なくない金額だった。リウイの生まれに対する情報屋の関心の深さが、分かろうというものだ。
ミレル自身もあの巨漢《きよかん》の魔術師に興味を覚えつつあった。なんというか、これまでに見たことのない男だった。よい意味でも悪い意味でも常識外れなところがある。
(冒険のたびに一緒《いっしょ》に行動するんだもの。何か分かるわよね)
安易《あんい》に考えて、ミレルは胸のあいだに吊《つる》していた巾着《きんちやく》のなかに宝石《ジエム》を放《ほう》り込んだ。
そして、サムスに別れを告げて、地下酒場を出た。
「杖《つえ》を折ったわけさ」
そう話を締《し》めくくった後、ジーニは嘲《あざけ》るような笑いを浮《う》かべた。
話し相手は昔《むかし》、ジーニがレイドの傭兵《ようへい》ギルドにいた頃《ころ》の仲間である。名前をバーブといい、腕《うで》も気もいい男だった。
年齢不詳《ねんれいふしよう》の顔をしているが、三十半ばぐらいのはずだ。
「信じられない魔術師だな」
バーブは呆《あき》れたような顔をしながら、ジョッキに注《つ》がれた麦酒《エール》に口をつけた。
鼻の下にたくわえた髭《ひげ》に白い泡《あわ》がつく。
「それにしても、あんたがオーファンの騎士《きし》になっていたとはな」
傭兵時代のバーブは、とても品行方正とは言えない性格だった。
とても騎士が勤まるようには思えない。
「この国は生まれてまだ新しい。人材が不足しているのさ。傭兵として雇《やと》われて、三年目ぐらいかな。剣術《けんじゅつ》大会で、いいところまで行ったんだ」
「それで、オーファンの近衛《このえ》隊か……」
普通《ふつう》の国であれば、近衛隊の騎士は代々、王家に仕《つか》えた名門の出身者が務める。
しかし、一代で王になったリジャールには、そのような騎士がいるはずもない。そこでオーファンの近衛隊は出身に関係なく、もっとも腕の立つ者を集めて組織されている。
アレクラスト最高の戦士と謳《うた》われたリジャールならばこそ、そんな思い切った人選ができるのだろう。そうでもなければ、素性《すじよう》も知れない人間を側《そば》に置いておけるものではない。
「おまえほどの腕前なら、間違《まちが》いなく入れるだろうがな……」
「女だから無理、というわけか」
ジーニは冷ややかな笑《え》みを浮《う》かべた。
同じようなことを過去に言われたのを思いだす。女には族長《ぞくちょう》は勤まらない、そう糾弾《きゆうだん》する男たちの顔が、彼女の脳裏をよぎる。
「そんなことは百も承知だ。それに、わたしは王国などに仕える気はない」
「これから、どうするんだ?」
「さっき話したとおりさ。今は、仲間たちと冒険者をやっている。しばらくは、続けるつもりだ」
「今はいい。それより、将来だ」
「わたしはまだまだ若い。年を取ってからのことを心配するのは、もっと後にするさ」
「たとえば、傭兵に戻《もど》る気はないのか? なんなら、オーファンの傭兵隊に……」
戦《いくさ》さえなければ、傭兵は気楽な稼業《かぎょう》である。そしてオーファンの近隣《きんりん》には、今のところ戦の兆《きぎ》しはない。
「国などのために、戦う気はもう失《う》せたな。自分の成功のためだけに、魔物《まもの》どもを相手に剣《けん》を振《ふ》るうほうが気が楽だ」
ジーニは、肩《かた》をすくめながら答えた。
「そうか……」
残念そうな表情を浮かべて、バーブはゆっくりと立ち上がった。
「わたしはこれから城へ戻らねばならないが、おまえは?」
「ここで仲間たちと待ち合わせさ。冒険の失敗の憂《う》さを晴らさないとな」
「わたしの館《やかた》は大通りの外《はず》れにある。相談ごとがあったら、いつでも来てくれ。できるかぎりの協力はする」
そう言ってから、近衛騎士バーブはわずかにためらうような仕草《しぐさ》を見せた。
ジーニはそれを見逃《みのが》さず、
「どうした? 言いたいことがあるなら」
と、バーブに声をかける。
「い、いや、たいしたことじゃない。館には、その……、一人で住んでいるんだ。それを言っておこうと思ってな」
「そうか? それなら、訪《たず》ねやすいな」
ジーニほ屈託《くつたく》のない笑顔を見せた。
「ああ、歓迎《かんげい》する」
「しかし、騎士になったのだろう。はやく、夫人をもらわないとな。格好《かつこう》がつかないぞ」
ジーニの言葉に、バーブの顔は一瞬《いっしゆん》、渋面《じゆうめん》になり、次いで苦笑《くしよう》に変わった。
「まったくだな」
そして、別れの言葉を元傭兵仲間の女戦士に告げてから、近衛騎士バーブは酒場から出ていった。
「なんで、あんたらが……」
私服姿のアイラを連れて、上品な雰囲気《ふんいき》のする酒場に入ったところで、リウイは正面のテーブルにジーニたち三人が座《すわ》っているのを見て、愕然《がくぜん》となった。
三人の視線《しせん》が、リウイと隣《となり》にいるアイラに一斉《いつせい》に注《そそ》がれる。
彼女たちの表情はそれぞれ違《ちが》ったが、この偶然《ぐうぜん》を歓迎《かんげい》している様子ではない。
「そっちこそ! おまえの|遊び場《テリトリー》は、こっちじゃないだろ」
ジーニが不機嫌《ふきげん》そうに言う。
確かにリウイがいつも遊び歩いているのは、裏通りの歓楽街《かんらくがい》だ。だが、今日はアイラが一緒《いっしょ》にいる。あんないかがわしい所へ連れてゆけるはずがない。
「もしかして、あなたの冒険のお仲間?」
アイラが囁《ささや》くように訊《たず》ねてくる。
リウイは渋《しぶ》い顔をしてうなずいた。
「お互《たが》いに、不本意なんだけどな」
その答に、アイラはふうんと鼻を鳴らして、ジーニたち三人を観察する。
「綺麗《きれい》な人たちね。砂塵《さじん》の王国の後宮《ハーレム》にいる気分なんじゃない?」
砂塵の王国<Gレミアの後宮には大陸各地から何十人もの美女たちが集められ、国王の夫人として囲われているという噂《うわさ》がある。
どこがだと叫《さけ》びたい気分を、リウイは何とか抑《おさ》えた。後宮というより、拷問部屋《ごうもんべや》にいるような気分なのだ。
しかし、そんなことを声に出そうものなら、この酒場が血で染《そ》まることになる。
「場所を変えよう」
リウイはアイラに耳打ちした。
「どうして? せっかく会ったんじゃない。わざわざ場所を変える必要はないでしょう」
そう答えるやいなや、アイラはさっさと歩きだして、ジーニたちのいるテーブルの空《あ》いている席に腰《こし》を下ろす。
「今晩は」
礼儀《れいぎ》正しく挨拶《あいさつ》を送るアイラを、ジーニたちは値踏《ねぷ》みするように見つめた。
(地獄《じごく》だ……)
リウイは闇《やみ》のなかに閉じこめられたような気がした。
こんな面子《メンツ》で、酒と食事を取るはめになるとは……
(味なんかしないだろうな)
リウイはふらふらと歩いて、アイラとミレルのあいだの席に座った。
それぞれが簡単に自己紹介《じこしようかい》を済《す》ませて、飲み物と食事の追加を頼《たの》んだ後は、白々《しらじら》とした空気がテーブルに流れた。
リウイは余所《よそ》を向いたまま憮然《ぷぜん》とした顔だったし、アイラはジーニたち三人を代わる代わる見つめるだけで、別に話しかけようとはしない。
ジーニは不機嫌《ふきげん》そうな顔をしながら、黙々《もくもく》と酒と食事を続け、メリッサは何かに耐《た》えるようにうつむいたまま。
一人、ミレルだけが、何度か話しを切り出そうとしたが、その場の雰囲気《ふんいき》に負けたようで、結局、果たせなかった。
「静かな女性《ひと》たちね」
十分に観察をして満足したのか、アイラがリウイの方を向いて声をかけてきた。
リウイは返事《コメント》をしなかったが、彼の耳にはジーニたちの無言の罵倒《ばとう》の言葉が絶《た》えず聞こえていたので、とても静かだとは思えなかった。
アイラは普段《ふだん》どおりの態度で、冒険の話を聞いてきた。
ジーニたちの目の前では、話しにくい内容なので、リウイはできるかぎり曖昧《あいまい》に答えるしかなかった。
それでも、赤肌鬼《ゴブリン》との戦いに話が及《およ》んだときには、リウイは全身の血がたぎってくるのを感じた。自分でも気づかなかったが、声が一段、大きくなる。
リウイに向かって次々と繰りだされてくる妖魔《ようま》たちの剣《けん》。それを避《さ》けながら、彼は杖《つえ》で殴《なぐ》りかえしてゆく。
必死だったはずだが、身体《からだ》は期待以上に反応《はんのう》してくれた。杖を持つ手に伝わってくる鈍《にぶ》い感覚。力を失い、床《ゆか》に倒《たお》れてゆくゴブリンたち。そして……
「力が余って、遺跡《いせき》の壁《かペ》を叩《たた》いてしまったってわけさ」
そう言って、リウイは自嘲《じちよう》の笑いを浮《う》かべた。
「それで、杖を折った――」
「のね」とか「のさ」とか、語尾《ごび》こそ違《ちが》ったが、四人の女性の声が|一致し《ハモっ》た。
「そうだよ!」
リウイは吐《は》き捨てた。
「それで、今度、杖の材料を取りにゆくことになったんです」
アイラが三人の女性たちに向かって、楽しそうに説明した。
「妖魔が蠢《うごめ》き、魔獣《まじゆう》が吠《ほ》える争いの森<^ーシャスに……」
「ターシャスの森に!」
やはり語尾は違っていたが、今度はジーニたち三人の声が一致《いつち》する。
「それも一人で行くんです。古木が生えているのは、森の奥《おく》のほうだと思うんですけどね」
「そりゃあ、帰ってこられないな」
ジーニがさらりと言った。
「命を捨てにゆくようなものね」
ミレルもうんうんと相槌《あいづち》を打つ。
「そ、それは困ります。何があっても、帰ってもらわねば……」
メリッサがあわてた。
リウイは、頭を抱《かか》えたくなった。
他人事《ひとごと》とは言え、三人とも好《す》き放題《ほうだい》だった。だから、場所を変えたかったんだ、と心のなかで叫《さけ》びを上げる。
「そこでよ……」
アイラが嬉々《きき》とした表情を浮かべ、持参していた革《かわ》の鞄《かばん》を、ごそごそと探《さぐ》りはじめた。
そしていくつかの品物《アイテム》を取り出し、テーブルの上に並《なら》べ始める。
「笛《ふえ》と、棒《ぼう》と、布《ぬの》だな?」
リウイは言った。
アイラのことだから、おそらくすべての品物が|魔法の宝物《マジックアイテム》のはずだ。彼女の専門は付与魔術《エンチヤントメント》である。そして魔法の|宝物《ほうもつ》の研究に、彼女は命をかけている。
「この布は|森妖精の外套《エルヴンマント》=B名前くらいは聞いたことがあるでしょ。魔法の合言葉《キーワード》を唱《とな》えると、着用者の姿は他人には見えなくなるわ。もっとも、臭《にお》いや音は消せないから、動物相手だとどうかしらね」
魔法の宝物と聞いて興味《きょうみ》を覚えたらしく、ミレルが椅子《いす》から身を乗り出して、外套《マント》を手に取った。
二人のあいだにいたわけだから、ちょうど彼女の胸が、リウイの目の前にくる。近くで見ても、やはり彼女の胸は豊かとはいえない。それこそ、|森の妖精《エルフ》の血でも入っているのではと思えるような体型なのだ。
「それから、この棒は二本で一組の宝物よ。地面に刺《さ》しておいて、森のなかで迷ったと思ったら、もう一本を投げるの。そうすれば、この棒は相方《あいかた》がいるほうを指し示すわ」
ミレルは二本の棒を手に取って、しげしげと眺《なが》めた。
「でも、棒には目印がついてないじゃない。これだと、反対側に行ってしまいかねないわ」
「なかなか鋭《するど》いわね」
ミレルの指摘《してき》に、アイラが感心したような顔をした。
「そこが問題なのよ。完全に迷ったときには、右も左も分からないものだものね。まあ、二分の一の確率《かくりつ》になるんだから上等だとは思うけど……」
「使えないな」
ジーニが一言で切り捨てた。
「棒の先のどちらかに、印《しるし》を描いたらいいんじゃない?」
「それが駄目《だめ》なのよ。試《ため》してみたんだけど、棒の先端《せんたん》のどちらがもう一本の棒の方向を指すかは分からないのね。たぶん、地面に刺したほうの棒から微弱《びじやく》な魔力《マナ》が放射されていて、もう一本はその力線《りきせん》に平行になるような魔力が付与《ふよ》されているんだと……」
「そこまでだ!」
アイラが魔法の品物の説明を始めると、とてつもなく長くなることをリウイは知っているので、あわてて止めにはいった。
彼女の話を最後まで黙《だま》って聞いているほどの忍耐力《にんたいりよく》が、ジーニたちにあるはずがない。
アイラが文句を言いたそうな視線《しせん》をリウイに向けてくる。
だが、リウイは知らん顔をした。彼にしてみれば、揉《も》め事《ごと》が起こるのを未然に防いだつもりなのだ。
「この笛は?」
最後に残された|魔法の宝物《マジックアイテム》――小石から造られたらしい小さな笛を手に取って、ミレルが訊《たず》ねた。
「その笛の名は妖魔《ようま》の呼《よ》び子《こ》=B名前のとおりの魔力があるわ」
「それって、つまり……」
「妖魔を呼び集めてくるのよ」
ミレルの問いを途中《とちゆう》で受け取って、アイラがにっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「争いの森で使えば、霊験《れいけん》あらたかよね」
「呼び集めて、支配できるんですか?」
眉《まゆ》をひそめながら、メリッサが訊ねた。
「まさか、そんな強力な宝物《ほうもつ》なら、禁断《きんだん》の宝物庫《ほうもつこ》に封《ふう》じられているわ。ただ、呼び集めるだけよ」
「そんなものを、いつ使うんだ?」
「工夫《くふう》しだいだと思うんだけど……」
小首をかしげながら、アイラは言った。
「どう工夫しろ、というんだ!」
うんざりとした気分になりながら、リウイは言った。
「わたしは冒険者じゃないんだもの。どう応用するかは専門外よ」
アイラはそう言って、髪《かみ》を汚《よご》さないように気をつかいながら、手つかずのままおいていた麦酒《エール》の酒杯《ジヨツキ》に、はじめて口をつけた。
「ま、持っていってちょうだい。何かの役に立つでしょ」
「立つものか」
そっぽを向きながら、吐き捨てるようにジーニが言った。
それを聞きとがめて、
「そうかしら。その場にはいない人間より、確実に役に立つと思うけど」
と、リウイの方を向いたまま言った。
ジーニの顔を見ないところに、かえって挑発《ちようはつ》の意図が見える。
案《あん》の定《じよう》、ジーニの目が険悪《けんあく》になる。
(勘弁《かんべん》してくれ)
リウイは心のなかで叫《さけ》んだ。
「そうだわ。わたしが一緒《いっしょ》に行ってあげようか。魔法《まほう》なら、あなたよりも得意だしね、それに例の|眼鏡《めがね》の最後の魔力もあるしわ」
今は外しているが、彼女が愛用している魔法の眼鏡には、|邪眼の魔力《イビルアイ》が付与《ふよ》されている。
伏目河馬《カトブレパス》のように視線で人を殺すことができるのだ。
「なあ、アイラ。場所を変えて飲み直さないか?」
彼女の挑発で、ジーニたちの怒《いか》りが限界まで達していることに、リウイは気付いていた。
このままでは、修羅場《しゆらば》になるのは必至だ。
「なあに? わたしと二人きりになりたいの? それならそうと早く言ってよ。いいわよ、あなたとなら何処《どこ》へでも行くわ」
だから挑発はやめてくれ、とリウイは言いたかったが、ここで何かを言えば、ジーニたちの怒りが自分に向いてくるのは火を見るより明らかだった。
だから、リウイは愛想笑《あいそわら》いを浮《う》かべて、強引《ごういん》に彼女を立ち上がらせた。
彼女は素直《すなお》に従って、リウイに腕《うで》を絡《から》ませる。
リウイは素知《そし》らぬふりをしながら、ジーニたちに別れの挨拶《あいさつ》を送る。
(頼《たの》むから、誰か代わってくれ!)
心からの叫びをその場に残して、リウイはアイラを連れて酒場を後にした。
「おもしろく、ない」
リウイたちが帰って、しばらくたってからミレルが言った。
「おもしろく、ないな」
ジーニがうなずく。
「おもしろく、ありませんわね」
と、メリッサ。
ミレルが言葉を発するまで、三人は一言も言わず、微動《びどう》だにさえしなかった。
それほどに、彼女らの怒《いか》りは大きかったのである。
「何よ、あの女! 澄《す》ました顔をしやがって、言いたいこと言ってくれるじゃないの! ファンの街《まち》にだって夜は来るんだ。道であったら、こうだかんな!」
ミレルは一気にまくしたてると、指で首をかき切る真似《まね》をした。
「|魔術師の杖《メイジスタッフ》を折ったのは、あの人の責任ではありませんか? その材料を取りに行くのに、どうして、わたしたちがついてゆかねはなりませんの? 責められる理由など、ひとつもありませんわ」
「鈍《にぶ》そうな女のくせに、自分が行ったって足手《あしで》まといになるだけなのも分からないのか。ま、どんな仲かは知らないが、二人|一緒《いっしょ》にくたばるのがおちさ」
それから、ジーニたち三人は思いつくかぎりの罵言雑言《ばりぞうごん》を並《なら》べたてた。
最初のうち、アイラに向けられていた怒りの矛先《ほこさき》は、いつの間にかリウイのほうに変わってゆく。
ひとしきりリウイのことを罵《ののし》った後、三人は顔を見合わせて、深く溜息《ためいき》をついた。
それから、からからになった喉《のど》を潤《うるお》すため、麦酒《エール》の酒杯《ジョッキ》に口をつける。
「……だけど、あの二人、本気でターシャスの森に行く気なのかしら」
飲み終えてから、ミレルが誰に向かうとはなしにつぶやいた。
「まさか! 森の端《はし》ならともかく、奥《おく》のほうへは地元の猟師《りようし》たちさえ踏《ふ》み入らないといいますよ。森の奥に古代王国の遺跡《いせき》があるとの噂《うわさ》もありますが、行こうとする冒険者さえいませんもの」
「しかし、あの男だぞ」
そう答えたジーニの言葉で、三人はそれぞれ頭のなかにリウイの姿を思い浮かべた。
「あいつ、いったい何者なんだろ?」
ミレルがぽつりとつぶやく。
情報屋のサムスが示した関心は普通《ふつう》ではなかった。
「あんな男が勇者であるはずが……」
メリッサの心のなかでは、神からの啓示《けいじ》と最高司祭の言葉とが交錯《こうさく》していた。
「玩具《おもちや》みたいな|魔法の品物《マジックアイテム》のほうが、そこにはいない人間よりも役に立つ、か……」
言ってくれやがる、とジーニは吐き捨てた。
黒曜石《こくようせき》の塔《とう》にひきこもっている世間知らずには言われたくない台詞《せりふ》だ。
そして、三人は顔を見合わせ、ふたたび深く溜息をついた。
「おもしろくない」
やはり語尾《ごび》は違《ちが》っていたが、三人は声を合わせて言った。
そのときだった。
「よう、姉ちゃんたち。何、暗くなってんだ。何なら、オレたちと一緒《いっしょ》に飲もうぜ」
酒に酔《よ》っぱらって、真《ま》っ赤《か》な顔をした二人組の男たちが馴《な》れ馴れしく声をかけてきた。
その瞬間《しゅんかん》、ジーニたちのなかに溜《た》まっていた感情が、堰《せき》を切ったように溢《あふ》れだした。
「ざけんじゃねぇー!」
ミレルの怒鳴《どな》り声が合図だった。
テーブルがひっくり返り、皿と酒杯《ジヨツキ》が宙に舞《ま》う。
たちまち、酒場は修羅場《しゆらば》となった。
その翌日――
リウイはアイラと一緒に、ファンの街《まち》から南へと向かう街道《かいどう》を歩いていた。
ついてこなくていいと繰り返し言ったのだが、今日に限ってアイラは強引《ごういん》だった。
彼女と議論しても勝てるとは思わなかったので、リウイは結局、彼女の同行を許した。
もちろん、|魔法の宝物《マジックアイテム》も持参している。
そして――
王都《おうと》を離《はな》れて、しばらく行ったところで、リウイはジーニたち三人の姿を目撃《もくげき》することになる。
「やあ」
ミレルが気軽に声をかけてくる。
「どうして、あんたたちが?」
リウイは犬頭鬼《コボルト》の姿を目撃したような気分になった。
「あの後、酒場で喧《や》嘩《つ》しちまったんだ」
ミレルはけろりとした顔で言った。
「またか?」
リウイは呆《あき》れる思いがした。
彼女たちと知り合うきっかけになったのも、酒場での喧嘩《けんか》だった。
「そのうち、出入りできる酒場がなくなるぞ」
もっとも、その前に衛兵に捕《つか》まるか、フアンの街にいられなくなるかもしれない。
「あんたに、そんなこと心配されたくねぇよ」
品の悪い裏街言葉《スラング》を使って、ミレルが言った。
愛らしい顔をしているだけに、そういう言葉|遣《づか》いをすると、かえって凄《すご》みを感じる。
もっとも、リウイはもう慣れた。
「それで、どうするんだ?」
「だから、ほとぼりをさましたいのよ」
そう答えて、ミレルは片目を瞑《つぶ》ってみせる。
「ついてくるってことか?」
リウイは思わず絶句しそうになった。
「ついていってあげるのよ。あんたたちだけじゃあ、絶対、生きて帰れないもの」
頬《ほお》をわずかに膨《ふく》らませて、ミレルはリウイの言葉を訂正《ていせい》した。
「あなたにもしものことがあれば、わたしは信仰《しんこう》を捨てないといけませんから」
遠くの丘《おか》を見つめたまま、メリッサが言う。
「新しい魔法使いを探すのも面倒《めんどう》だしな」
と、ジーニ。
(恩着《おんき》せがましい言い方だな)
三人三様の言い分に、リウイはそう思ったが、もちろん口に出せるはずがない。
だが、彼女たちの申し入れは正直に言って、ありがたかった。
争いの森<^ーシャスの噂《うわさ》は、あれからいろいろと耳に入ってくるが、どれも物騒《ぶつそう》なものばかりだ。話半分にしても、危険は覚悟《かくご》しなければならない。
彼女たちがいてくれれば、心強いのは間違《まちが》いない。
ただ、ひとつ問題なのは……
リウイは隣《となり》にいる魔法の眼鏡《めがね》をかけた女性を振《ふ》り返った。
「よかったじゃない」
アイラはそう言うと、にっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「彼女たちが一緒《いっしょ》に行ってくれるなら、わたしがお供《とも》するまでもないわ。魔術師ギルドで待っているから、がんばって杖《つえ》の素材を取ってきてね」
リウイが拍子抜《ひようしぬ》けするぐらいあっさりとした答が返ってきた。
(出発するときの強引きは、いったい何だったんだ)
肩《かた》に下げていた革《かわ》の鞄《かばん》をリウイに押《お》しっけると、アイラは小さく手を振《ふ》って後ろに下がりはじめる。
「杖の素材の大技だけじゃなく、ついでに小枝も持って帰ってきてね。魔法人形《パペツト》を創《つく》るにも樫《かし》の古木は最適の材料だから」
そうして、アイラはリウイたちに背中を向けた。
遠ざかってゆくアイラの後ろ姿を、リウイはしばらくのあいだ呆然《ぼうぜん》と見送っていた。
「早くしろ!」
と、背後から、ジーニの乱暴な声が飛んだ。
「そうそう、あたしたちの気が変わらないうちにね」
ミレルが笑う。
メリッサは無言のまま、物言いたげな視線《しせん》をリウイに向けている。
「分かったよ……」
リウイは答え、ジーニたち三人と一緒に、街道《かいどう》を歩きはじめた。
穏《おだ》やかな春の日差しが、草原の緑を鮮《あざ》やかに輝《かがや》かせていた。
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第W章 争いの森
「信じられませんわ」
豪著《ごうしや》な金髪《きんぱつ》をした女性|神官《しんかん》が、その髪《かみ》を激《はげ》しく揺《ゆ》らすように顔を横に振《ふ》る。
「信じられねぇよ!」
小柄《こがら》な盗賊《シーフ》の少女がそれに相槌《あいづち》をうつ。
「信じられないな」
長身の女戦士もそれに応じて、狭《せま》い部屋《へや》のなかにただ一人いる男を睨《にら》みつける。
(オレだって、信じたくないさ)
その男、オーファン魔術師《まじゅつし》ギルドの正魔術師《ソーサラー》リウイは、三人の女性たちの言葉に心のなかで答えた。
もう何度、その言葉を聞いたか分かちない。
だが、彼女たちが、そう言いたくなるのは当然かもしれない。
リウイたち四人は、今、囚《とら》われの身であった。争いの森≠フ名で呼ばれるここクーシャスの森で、よりにもよって森の妖精《ようせい》エルフ族の集落に軟禁《なんきん》されているのだ。
争いの森が危険であることは、リウイも承知していた。だが、その危険は妖魔《ようま》や魔獣《まじゆう》と遭遇《そうぐう》する可能性があるからだと思っていた。
しかし、リウイたちはそれら魔物どもとはまったく出会うことなく、森の奥《おく》深くまで無事にやってくることができた。
樹齢《じゆれい》五百年を超《こ》える樫《かし》の古木を探すのが、目的である。そして、その枝を魔術師ギルドに持ち帰って、魔力の発動体たる|魔術師の杖《メイジスタッフ》を作ってもらわなければならない。
そうしないとリウイは、魔法を使えない魔術師のままである。加えて、魔術師の杖は、魔術師にとって証《あかし》のようなものなのだ。魔術師の長衣《ローブ》を着て、魔術師の杖を持っていてこそ、世間の人々はその人物を魔術師と認識してくれる。杖《つえ》のない魔術師など、剣《けん》を持たない騎士《きし》のようなものなのだ。
杖の材料となる樫の古木を探しだして、枝のひとつを切り落としたまでは、すべて順調だった。
そして、その木が生えていた場所が、エルフたちの聖地《せいち》でなければ、問題は何もなかったに違《ちが》いない。
だが、そうであったから、問題が起こったわけである。ジーニたちが言うように、まさに信じられないことではあるのだが……
リウイがひとつめの枝を切り落とした瞬間《しゅんかん》、悲鳴にも似《に》た声があがった。
エルフ語だったので、何を言ってるのか、リウイにはさっぱり分からなかった。
エルフ語は、魔術師にとって学ぶべき言葉のひとつだ。だが、優先順位はそれほど高いわけではない。
何と言っても必須《ひつす》なのは、上位と下位ふたつの古代語。これが理解できないようでは、魔力《マナ》を操《あやつ》る優《すぐ》れた資質≠ェあっても、魔術は使えない。
リウイは幼《おさな》い頃《ころ》から、養父《ようふ》であり魔術師ギルドの最高導師でもあるカーウェスから教わっていたこともあり、古代語の読み書きは行える。
そして、今は、アレクラスト大陸の東方で使われている言葉の読み書きを習っているところだ。それを習得すれば、その次あたりに、エルフ語か大地の妖精《ようせい》ドワーフ族の言葉を勉強しようとリウイは思っていた。
だが、今はまったく話ができない。
エルフ語と分かっただけでも、褒《ほ》められていいぐらいだった。
「とても残念なことに、わたしはエルフ語を話すことができません」
樫《かし》の古木の枝の上にまたがったままの姿勢で、リウイは唯一《ゆいいつ》知っているエルフ語で答えた。
だが、声の主は姿を現さなかった。続く言葉も聞こえない。
木の下では、ジーニたち三人が警戒《けいかい》しながら、周囲をうかがっている。彼女たちにも声の主を見つけられないようだ。
雰囲気《ふんいき》から、彼女らのなかにもエルフ語に通じている者はいないことが分かる。
「今のは、エルフ語だ。どこかに森《エ》の《ル》妖精《フ》が隠《かく》れているんじゃないか?」
リウイは樹上から三人に向かって、声をかけた。
「エルフ語ですか? まさかダークエルフではないでしょうね」
一瞬だけ、リウイに視線《しせん》を向けて、戦神《せんしん》マイリーに仕《つか》える女性|神官《しんかん》メリッサが不安そうな表情を見せた。
「可能性はあるな……」
女戦士のジーニが背中にくくりつけてある巨大《きよだい》な大剣《グレートソード》をはずしながら答える。
「ダークエルフだって!」
リウイはつい大きな声を出してしまった。
邪悪《じやあく》なエルフ族であるダークエルフは妖魔のなかでも、もっとも手強《てごわ》い相手だ。精霊魔法《せいれいまほう》に熟練《じゆくれん》しているし、戦いの技能にも長《た》けている。そして、暗黒神《ファラリス》の加護《かご》のゆえか、魔法に対して強い耐性《たいせい》を持っているのだ。
もしも、リウイが古代語魔法の呪文《じゅもん》を唱《とな》えたとしても、とてもではないが、その耐性をうち破ることはできないだろう。もっとも、今は魔法を使えないから、情けない話ではあるが、それは心配しなくていい。
「ダークエルフかぁ、妖魔が巣《す》くう森だものね」
盗賊《とうぞく》少女のミレルが唇《くちびる》をなめながら、胸の脇《わき》に隠《かく》し持っている短剣《ダガー》を、手品《てじな》のように取り出した。
彼女の頭上にいたこともあり、瞬間的《しゅんかんてき》ではあるが、リウイには彼女の胸の膨《ふく》らみがまともに見えてしまった。上から見ても、やはり彼女の胸は豊かとはいえない。
「そこから、飛び降りられるか?」
顔を上げて、ジーニが声をかけてくる。
「無茶を言うな!」
リウイは彼女に怒鳴《どな》りかえした。
杖《つえ》にするのに手頃《てごろ》な枝を取るため、身長の何倍もの高さを登っていたのである。ここから飛び降りたら、怪我《けが》をするのは目に見えている。打ち所が悪ければ、死んでも文句は言えない高さなのだ。
「普通《ふつう》の魔術師なら、落下制御《フォーリングコントロール》の呪文が使えるのだがな」
ジーニが嘲《あざけ》るように笑う。
(それが使えるなら、こんな森になど入っているものか)
リウイは憮然《ぶぜん》としたが、言い返すのはやめておいた。
理由はともかく、彼女たちには「ついてきてもらっている」のである。もしも、凶悪《きようあく》な魔獣《まじゆう》にでも出会っていたら、魔法の使えない今の彼には勝てるはずがないのだ。
これまでは危険な生き物に遭遇《そうぐう》しなかったわけだが、それはただ運がよかっただけなのかもしれない。
もしも声の主が本当にダークエルフだとしたら、その幸運もこれまでと言えるだろう。
それどころか、もっとも出会いたくない相手に出会ったことになる。
(だとしたら、冗談《じょうだん》じゃないぜ)
リウイは心のなかで悲鳴をあげた。
攻撃《こうげき》魔法で狙《ねら》われるか、弓矢が飛んでくるか、姿の隠《かく》しようのない今のリウイは、格好《かつこう》の標的《ひようてき》である。まっさきに狙われるのは目に見えている。
木の下では、ジーニたちが姿勢を低くしながら、声の主を探し求めている。だが、あいかあらず見つけられないようだ。
「あいつに弓でも撃《う》ってくれないかな? そしたらどこに潜《ひそ》んでいるか分かるのに……」
そう話しかけるミレルの声が、やけにはっきりとリウイの耳に聞こえてきた。
「魔法なら|炎の矢《ファイアボルト》とかね」
「それこそ、勇者にふさわしい行為《こうい》ですわね……」
ミレルの言葉に、メリッサが無責任な発言をした。
「勇者ってのは囲《おとり》なのか?」
リウイはうめいた。
そんなことで勇者と讃《たた》えられても、彼にとってはまったく不本意だった。
しかし、飛び降りることもできないし、隠れようもないリウイには、攻撃されたらまったく対処《たいしよ》のしょうもない。
しかたなく覚悟《かくご》を決めて、リウイは精神を集中させた。魔法に対抗《たいこう》するためでもあるし、飛んでくる矢に対する用心のためでもある。
簡単にはくたばらないぞ、と自分を叱咤《しった》する。リウイがよく行く裏通りの歓楽街《かんらくがい》では、殺しても死なない男と、褒《ほ》められているのか貶《けな》されているのか分からない評判をもらっているのだ。
だが、最初に一声あげただけで、声の主はまったく姿を現そうとしない。その気配《けはい》すら殺している様子だった。
「襲《おそ》うつもりなら、はやくしやがれ!」
我慢《がまん》できず、リウイは大声で呼びかけた。
「……分かったわよ」
リウイの呼びかけに応《こた》えたように、流暢《りゆうちよう》な西方語が返ってきた。
そして、左手の方にあった一本の木から、人影《ひとかげ》がひとつふわりと地面に舞《ま》い降りた。
羽根がはえているかと見紛《みまご》うような軽《かろ》やかな跳躍《ちようやく》だった。
その人影が飛び降りた高さは、リウイがいる高さと同じか、それ以上はあった。
(そんなことをされると、オレの立場がないんだが……)
リウイは内心、恨《うら》めしく思った。
ジーニたちがどう思ったかは、容易《ようい》に想像できた。
メリッサなど、そんな高さも飛び降りられないなんて、それでも勇者なのですか、と、心のなかで叫《さけ》んでいるだろう。
「人のことを勝手にダークエルフ呼ばわりしないでほしいわ」
地面に降り立った人影は、そう抗議《こうぎ》しながら、リウイたちのほうにゆっくりと歩いてくる。
「なんだ、普通《ふつう》のエルフじゃない」
ミレルが胸に手を当てながら、ほっと安堵《あんど》の息を洩《も》らした。
彼女の言うとおり、姿を現したのは、森の|妖精《ようせい》エルフであった。
笹《ささ》の葉のような形をした細くて長い耳、ほとんど銀色にしか見えない金髪《きんぱつ》は腰《こし》のあたりまで伸《の》び、小柄《こがら》で華奢《きゃしゃ》な身体《からだ》を濃緑色《のうりよくしょく》の衣《い》服《ふく》で包んでいる。腰には小剣《ショートソード》をつるし、弓と矢筒《やづつ》を肩《かた》にかけている。早春の泉《いずみ》の水の色をした瞳《ひとみ》が、値踏《ねぶ》みするようにリウイたちに向けられている。
見たところ、若い女性であった。もっとも、エルフ族の長寿《ちようじゆ》はよく知られているところだから、実際の年齢《ねんれい》は想像もできない。
いずれにしても、噂《うわさ》で聞くとおりの美しい姿だった。
肉体を持ちながら、よくできた絵画や彫刻《ちようこく》を見ているような気持ちにさせられる。木洩《こも》れ日に照らされていることもあり、エルフの娘《むすめ》には幻想的《げんそうてき》な雰囲気《ふんいき》さえ漂《ただよ》っていた。
いろいろな意味で女性には慣れているリウイであったが、さすがに息を飲んで、その姿にしばし見とれた。それから、緊張《きんちよう》を解《と》いて、ゆっくりと木から降りはじめる。
どうやら最悪の事態は避《さ》けられたようだ。
エルフの娘は、リウイたちから十歩ぐらいのところまでやってくると、そこでぴたりと立ち止まった。
「警戒《けいかい》しているようですね」
メリッサがひとりごとのようにつぶやく。
「なにしろ初対面だからな」
リウイは最後の高さを飛んで、地上に降り立つと、求められてもいない答を返した。
「分かりやすい説明ですこと」
冷ややかな視線《しせん》とともに、メリッサが皮肉っぼく返した。
(もっとも、答が返ってくるだけましかもな)
神の啓示《けいじ》とやらで、メリッサにとってリウイは仕《つか》えるべき勇者である、はずだ。
だが、彼女はよほどのことがないかぎり、リウイに話しかけない。それどころか、視線さえあわそうとしないのである。
こういう態度の従者《じゆうしや》を仕えさせていた勇者が過去にいたとしたら、お目にかかりたいものだ、とリウイは思う。
もっとも、自分自身が勇者だとは考えてもいない。魔術師は賢者《けんじや》と呼ばれることこそあれ、勇者には絶対なれないのだ。
たとえば、オーファン王リジャールが邪竜《じやりゆう》を倒《たお》したとき、養父《ようふ》であり魔術師ギルドの最高《アーク》導師《メイジ》であるカーウェスとマイリー教団の最高司祭ジェニの二人が一緒《いっしょ》に戦った。だが、竜殺し《ドラゴンスレイヤー》の勇者と謳《うた》われているのは、リジャール一人であり、あとの二人はそれを助けたということに世間ではなっている。
だが、竜を倒《たお》すには、どう考えても魔法の力が必要だ。カーウェスとジェニという偉大《いだい》な|魔法使い《ルーンマスター》がいればこそ、リジャールの武勲《ぶくん》は成《な》し遂《と》げられたはずである。
だが、民衆は戦士にのみ称讃《しようさん》を送る。
魔法は忌むべき邪術《じやじゆつ》であり、正義の剣《けん》のために尽《つ》くしてこそ、正当とされる。
それが、剣の時代になってからの民衆の意識なのだ。魔法が世界を支配していた時代に、魔術師たちの奴隷《どれい》にされていたことの反動である。
たいして適性があるとは思えないが、リウイとて世間の目から見れば魔術師であることに変わりない。どのような偉業《いぎよう》を成し遂げようと、勇者とは呼ばれないはずだ。
もっとも、リウイが勇者であるとの啓示《けいじ》をメリッサにもたらしたのは、人ならぬ神である。神が何を基準に勇者に選んだのかは想像もできない。
だが、正直に言って、自分にそんな資質があるように思えない。メリッサが夢《ゆめ》でも見たのではないかと思うことがあるぐらいだ。
だが、そのおかげでリウイは念願の冒険者《ぼうけんしゃ》になることができた。ジーニたちから、できるかぎりのことを学んで、一人前の冒険者となりたい。
特に、戦士として、ジーニには負けぬようになりたいと思う。そのとき、リウイは魔法戦士の名で呼ばれることになるはずだ。
「……困るのよ」
エルフの娘《むすめ》は、リウイたちから十歩ほどのところで立ち止まったまま、どう話を切り出そうかと、かなりの時間、迷っていた。そして切りだしてきたのが、その言葉だった。
「困るんだってさ」
ミレルが他人事《ひとごと》のように言って、リウイの背中を押《お》して、いちばん前に進ませた。
「何が困るのかぐらい聞いてくれよ」
盗賊だけに、ミレルは交渉事《こうしようごと》には慣れているはずだ。リウイは頼《たの》んでみたが、彼女は相手にもしてくれない。
「あんたが聞くのが筋《すじ》というものよ」
ミレルは冷たく言った。
「そのエルフに困ることがあるとすれば、木に登って、枝を切り落としたことしか考えられないんだから」
「……そうだな」
いろいろと反論を考えてみたが、リウイにも他《ほか》に思い当たる節《ふし》はない。
エルフ族は森の妖精《ようせい》であり、森の木々の守護者《しゆごしや》と言われている。
「この木の枝を切ったら、困るわけでもあるのか?」
リウイは困惑《こんわく》ぎみのエルフ娘に、そう訊《たず》ねてみた。
「オレは、別にこの木を枯らせるつもりはない。こんなに茂《しげ》っているんだ。少しぐらい枝を払《はら》ったほうが、木のためにもいいぐらいだろう?」
勝手な理屈《りくつ》とは承知しっつ、リウイはそう主張した。
彼が選んだ樫《かし》の木は、樹齢《じゆれい》五百年を超《こ》える古木だけに、幹《みき》は太く、枝の張りも堂々たるものだった。枝を十本ばかり切り落としたところで、とても枯れるようには見えない。
「枯れたりはしないでしょうけどね……」
エルフ娘は、思わせぶりな言い方をした。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ。オレは理由があって、樫の古木、の枝を必要としているんだ。できれば、さっさと済《す》ませて、この森から出たいと思っている」
「……分かったわよ」
エルフの娘は溜息《むすめためいき》をひとつついてから、覚悟《かくご》を決めたように話しはじめた。
「その木は……、いえ、この辺《あた》りの木のほとんどはいにしえの者の木≠ネのよ。わたしたちの集落では誰かが死ぬと、死体を地面に埋《う》めて、そこに苗《なえ》を植える習慣があるの。妖《よう》精《せい》は死んで、精霊《せいれい》に生まれ変わるとされているから」
「つまり、墓《はか》みたいなものか?」
エルフ娘の言葉に、リウイは少なからず動揺《どうよう》した。リウイのやろうとしていたことは、墓標《ぼひよう》を盗《ぬす》んだようなものだ。
「そういうことよ。ここは、わたしたちの部族にとって聖地《せいち》とも言うべき場所なの」
そう言うと、エルフ娘は、地面に落ちて、いる木の枝に視線を向けた。
それは、リウイがたった今、切り落とした一本だ。
「切ってしまったのね……」
恨《うら》めしそうな顔をして、エルフ娘は言った。
「あ〜あ、知らな〜い」
ミレルが茶化《ちやか》すような笑い声をあげる。
ジーニとメリッサは顔を見合わせ、これみよがしに溜息《ためいき》をつく。
「知らなかったとはいえ、悪かったな」
リウイには、そう言うしかなかった。
「いえ、わたしも木を切るまえに声をかければよかったのだけど……」
そして、エルフ娘は、切ってしまったのね、ともう一度だけ繰り返した。
「だから、悪かったって」
広い森のなかを探し回って、ようやく見つけだした樫《かし》の古木だが、エルフたちの聖地とあってはしかたがない。また別の場所を探すだけだ。
「これは返しておく。と言っても、もう手遅《ておく》れかもしれないがな」
リウイは地面に落ちている枝を拾いあげ、エルフ娘のほうに投げてよこした。
そして、謝罪《しやざい》と別れの言葉を述べ、その場から立ち去ろうとする。ジーニたち三人も苦笑《くしよう》を浮《う》かべながら、彼に続こうとした。
「待って!」
あわてたように、エルフ娘はリウイたちを呼び止めた。
「まだ、何か?」
「この周辺は、わたしたちの森。人間は、猟師《りようし》ですら立ち入らないわ。勝手に歩きまわられては困るのよ」
「わたしたちの森って、言われてもな……」
エルフ娘の言い方は、かなり強い調子だった。
「木を切り倒《たお》したり、獲物《えもの》を狩《か》ろうというわけじゃない。木の枝をほんの少し、持って帰りたいだけなんだぜ」
「だったら……」
エルフ娘はうつむいて、一瞬《いっしゅん》、何かを考えるような態度を見せた。それから、顔をあげると、明るい笑顔を浮かべた。野の花が蕾《つぼみ》を開かせたような清楚《せいそ》な笑顔だった。
「だったら、わたしたちの集落にくるといいわ。集落に戻《もど》れば、樫の古木の枝ぐらいいくらでも分けてあげられる」
「そいつは助かる……」
リウイは満面《まんめん》の笑顔で、彼女に答えようとした。
だがそのとき、誰《だれ》かがリウイの足を蹴飛《けと》ばした。三人のなかで足癖《あしくせ》が悪いのは、もちろん、ミレルに決まっている。おまけに盗賊だから、この少女は手癖も悪いのだ。
「なんだよ?」
リウイは後ろを振《ふ》り返り、小柄《こがら》な盗賊の少女を見つめた。
「いかにも、って感じがしない?」
リウイにだけ聞こえるように、ミレルは囁《ささや》いてきた。
「いかにもって、何がだよ」
つられてリウイも囁き声で応じる。
「決まっているでしょ。あのエルフ女の申し出よ。十日ほど放《ほう》っておいた食べ残しの鍋《なべ》の蓋《ふた》を開けたみたいだわ」
「凄《すご》いたとえだな」
思わず想像してしまい、リサイは顔をしかめた。さぞかし壮絶《そうぜつ》な臭《にお》いがするだろう。
「心配ないさ」
リウイは笑って、彼女の言葉を否定した。
「エルフ族は高貴な妖精族《ようせいぞく》だ。人を騙《だま》したりはしない」
「どういう根拠《こんきよ》でそう言い切るわけ?」
ミレルは、信じられないというように目をぱちぱちさせた。
「オレだって、いちおう賢者《けんじや》だからな。エルフについてはいろいろ知っているさ。邪悪《じやあく》でないからこそダークではないエルフなんだ」
自信満々で、リウイは言った。
エルフに会うのは初めてだが、多くの書物にそう書かれている。間違《まちが》いはないはずだ。
「限りなくダークにちかいエルフの噂《うわさ》なんかも聞いたことあるんだけど」
「それは人間の世界に出てきたエルフだろ? おおかた集落から追放《ついほう》されでもしたんじゃないか。森で暮らしているエルフの言葉は、信用して間違いない」
リウイはそう断言した。
ミレルは呆《あき》れたというように肩《かた》をすくめて、
「そこまで言うんなら、あんたの好きにしな」
と、裏街言葉《スラング》で吐《は》きすてた。
「森のなかを勝手に歩きまわられたくないから、しかたなく言ってるのよ。わたしたちだって、あなたたちにはさっさと出ていってもらいたいから」
リウイとミレルとのひそひそ話を不安そうに聞いていたエルフ娘《むすめ》だったが、二人の話が終わったとみるや、付け加えるようにそう言った。
(しかたなくと言っているところが、かえって信用できる)
リウイはそう判断して、
「このまま森を歩きまわるのも危険だし、エルフたちにも迷惑《めいわく》がかかるんだそうだ。ここは、彼女の申し出を受けようじゃないか」
と、ジーニたちに呼びかけた。
「……勇者様の、お言葉でしたら」
不服そうな表情を見せつつも、メリッサが初めて従者《じゆうしや》らしい台詞《せりふ》を言った。
自信に満ちたリウイの態度を見て、少し見直してくれたのかもしれない。
「ま、命までは取られることはないだろ」
ジーニは不承不承《ふしようぶしよう》という感じでうなずき、ミレルも無言で首を縦に振《ふ》った。
「よしっ、話は決まった」
リウイは会心の笑《え》みを浮《う》かべ、あんたについてゆく、とエルフ娘に言った。
彼女のような美しい妖精を疑うなど、なんて心の寒い女たちだと内心、思いながら。
そして、自らの名前を名乗り、ジーニたちを順に紹介《しようかい》してゆく。
「わたしは、セレシアよ」
エルフ娘はそう名乗ると、軽《かろ》やかな足取りで森のなかを歩きはじめた。エルフ族の集落に向かって……
そして、彼女の集落に着いて、リウイたちを待っていたのが、今の状況《じようきよう》というわけだ。
四人は武装《ぶそう》したエルフ族の戦士たちに取り囲まれ、武器を取り上げられ、狭《せま》い丸太小屋《まるたごや》に軟禁《なんきん》されてしまったのだ。
聖《せい》なるいにしえの者の木≠傷《きず》つけたという罪《つみ》に問われて……
そして、その罪がどれくらい重いのか、リウイたちには、知る由《よし》がなかった。
「信じられない」
語尾《ごび》こそ違《ちが》っていたが、またもジーニたち三人の声が重なった。
まるで本物の姉妹のような絶妙《ぜつみよう》さだ。
「だから、それはもう分かったって」
勘弁《かんペん》してくれ、とリウイは心のなかで魂《たましい》の叫《さけ》びをあげる。
どうしてエルフたちは、男と女を違う部屋《へや》に入れなかったのだろう、と切実《せつじつ》に思う。
今の状況は、リウイにとって拷問《ごうもん》されているも同じだった。
「あたしたち、どうなるのかな?」
ミレルが心細そうな顔をして言った。
「殺されることはない、と思う……」
自分の言葉にさほど自信がなさそうに、ジーニは答える。
「高貴な妖精《ようせい》様の考えることは分かりませんもの」
メリッサの言葉は、いつものように痛烈《つうれつ》だ。
「書物には、そう書いてあったんだよ」
今となっては弁解にもならないが、リウイはいちおう言っておいた。
「でしたら、あなたが正しい書物をお書きくださいませ。森《エ》の《ル》妖精《フ》をむやみに信用すべからず、とね」
「そうするよ」
それから、エルフの高貴さを讃《たた》えた書物すべてに朱筆《しゆひつ》を入れてやる、とリウイはひそかに誓《ちか》った。
「ああ、偉大《いだい》なる戦神《せんしん》マイリーよ。あなたの愚《おろ》かな従僕《しもべ》は、賜《たまわ》りました試練を果たすこともなく生命《いのち》を終えるやもしれません」
そのときにもお慈悲《じひ》をもって喜びの野≠ノ迎《むか》え入れてくださいませ、とメリッサはこれみよがしに祈《いの》りの言葉を続けた。
(行くなら、一人で勝手に行ってくれ)
あいにく、リウイはまだ死ぬつもりはない。だいたい枝を一本、切ったぐらいで、いくらなんでも殺したりはしないだろう。
「罪滅《つみはろ》ぼしのために、何か試練を授《さず》けられたりしてな」
気分を変えようと思い、冗談《じょうだん》めかしてリウイは言った。
「吟遊詩人《ぎんゆうしじん》が謳《うた》う英雄《えいゆう》物語じゃあるまいし、そんなことがあってたまるか」
馬鹿《ばか》にしたように、ジーニが鼻で笑った。
リウイはむっとしたが、この状況《じようきよう》を招《まね》いたのは、全面的に自分の責任なので、文句のひとつも言い返せない。
「武器は取り上げられたけど、荷物はあるもの。いざとなれば逃《に》げだせるとは思うけどね」
だけど、森のなかでエルフに追いかけられるのは嫌《いや》だな、とミレルは続けた。
彼女が言うとおり、武器こそ取り上げられたものの、他《ほか》の荷物は牢屋《ろうや》がわりのこの小屋に、一緒《いっしょ》に投げこまれている。
そしてミレルの荷物のなかには、盗賊の七つ道具などもあるのだ。
(そういえば、アイラから|魔法の宝物《マジックアイテム》を借りていたな……)
ほとんど忘れかけていたことを、リウイは思いだした。出発のときに、強引《ごういん》に持たされた魔法の宝物である。
|森妖精の外套《エルヴンマント》、道標の小枝、妖魔《ようま》の呼《よ》び子《こ》という名の三つである。姿隠《すがたかく》しの能力や方向探知の能力、妖魔の召喚《しようかん》能力をそれぞれ魔力として秘めている。
これまで一度も使う機会はなかったし、今の状況でも役立ちそうにない。
――工夫《くふう》しだいだと思うけどな。
アイラの言葉が思い出される。
魔法の宝物をどう使いこなすかは、所有者の知恵《ちえ》しだいだそうだ。
(やっぱり使えないぞ)
ここにはいないアイラに向かって、リウイは呼びかけた。
「とにかく、できれば話し合いで片をつけたいな。このまま裁《さば》かれるのを待つなんて、我《が》慢《まん》できない」
リウイは三人に向かって呼びかけた。
「やってみればどうだ?」
ジーニが冷ややかに言って、小屋の入口に、視線《しせん》を向ける。
それと同時に扉《とびら》が開いて、例のエルフ娘《むすめ》セレシアが姿を現した。
「オレたちをどう裁くか、決まったのか?」
リウイは、彼女に訊《たず》ねた。
「わたしたちには法律なんてないし、妖魔たちならともかく、人間に聖《せい》なる木を傷《きず》つけられたなんて前例もない事件だしね。今、集落の長老たちが相談しているわ」
「よくも騙《だま》しやがったな!」
ミレルが殺気を漂《ただよ》わせなら、セルシアに怒鳴《どな》った。
裏街言葉《スラング》ということもあり、こういうときの彼女は本当に迫力《はくりよく》がある。
「そのぐらいに罵倒《ばとう》してくれたほうが、気が楽だわ。その男みたいに、信じてくれた人を騙すのはちょっとね」
セレシアは申し訳なさそうに言って、リウイから視線をそらした。
「良心が痛むとでもいいますの?」
メリッサが感情を抑《おき》えた声で言った。
その言い方をしているときの彼女が、いちばん恐《おそ》ろしいことは、すでにリウイは承知済みである。
「いにしえの者の木を傷つけられたままだと、わたしが責任を問われるもの。騙したのは悪かったとは思うけど、あなたたちを捕《と》らえるには、他に方法がなかったのよ。戦って、勝てる人たちだったらよかったんだけど……」
「だったら、容赦《ようしや》なく殺していたわけか?」
ジーニが、低い声で言った。
まるで怒《いか》りに燃える狼が《おおかみ》、唸《うな》り声をあげているようだ、とリウイはふと思った。
「そのときには、枝を切るまえに警告して、追い返していたわ。そうしたかったんだけど、怖《こわ》くてね。よりにもよって、わたしが見張りについているときに、人間がやってくるなんて思いもしなかったわ」
「その人間のなかに、簡単に騙されるような馬鹿《ばか》な男がいてよかったな」
「ええ、本当によかったわ」
リウイの精一杯《せいいつぱい》の皮肉にも、悪《わる》びれることなくセレシアは言った。
「でも、嬉《うれ》しかったわ。わたしたちの種族のことをあんなふうに思ってくれていたなんて。
最良の友人とか言うわりに、人間ってけっこうわたしたちエルフに偏見《へんけん》を持っているものだから」
「どこが偏見なのよ!」
ミレルが間髪《かんはつ》を入れずに、言葉を挟《はさ》む。
「残念ながら、オレだってエルフに対しての認識を変えたぜ」
騙されたはうが悪いのだから、恨《うら》みごとを言うつもりはない。
だが、こういう仕打ちをうけてなお、エルフに対する幻想《げんそう》を捨てないでいたら、それはただの阿呆《あはう》だ、とリウイは思う。
「それは、残念だわ……」
セレシアは寂《さび》しそうな笑顔を見せた。
人間の男なら、騙されてもいいと思うような笑顔である。だが、本当に騙された身では、そこまで思い入れはできない。
(ここのところ、どうも女運が悪いな)
リウイは思った。
小鬼《インプ》に呪《のろ》われたような気分だった。
きっかけは、もちろん、ジーニたち三人に出会ったことだ。
アイラ一人に振《ふ》り回されていた頃《ころ》が、夢《ゆめ》のように思える。
(オレも一生、独身かもな)
養父《ようふ》カーウェスがそうであったことを思い出す。
(さすがに爺《じい》さんは、賢明《けんめい》だぜ)
「とにかく食料と水を差し入れしておくね。評決がどう決まるかは分からないけれど、それまではおとなしくしていて。わたしにも責任があるから、できるかぎりの弁護《べんご》はしておく」
セレシアは言った。
「涙が《なみだ》出るほど嬉《うれ》しいな」
ジーニが乾《かわ》いた笑い声を響《ひび》かせる。
「そう言えは、あなたは先ほど、妖魔《ようま》はともかく人間は初めてだ、とか仰《おつしや》ってましたわね。参考までにお聞かせねがいたいけれど、聖《せい》なる木を傷《きず》つけたら、妖魔の場合はどう裁《さば》いていたの?」
メリッサがエルフ娘《むすめ》に問いかけた。
彼女は一瞬《いっしゆん》、強《こわ》ばったような表情をした。それから苦笑《くしよう》を浮《う》かべながら、
「知らないほうがいいと思うわ」
と、答えた。
「けっこうな答ですわ」
メリッサがさらに感情を殺した声で、うなずいた。
「あなたたちは人間だもの。妖魔たちよりも賢明《けんめい》だと、わたしは信じている。だけど、長老のなかには、愚《あろ》かな人間は妖魔より性質《たち》が悪いと主張している人もいてね。その意見のほうが優勢なのよ。あなたたちが、妖魔たちとは違《ちが》うことを示せればいいのだけど……」
そして、セレシアは幸運神に祈《いの》りでも捧《ささ》げていてと言い残し、去っていった。
「ありがたい忠告だわ」
そう吐き捨てて、ミレルはセレシアが出ていったばかりの扉《とびら》に、手近に置かれていた木製の杯《はい》を投げつけた。
乾《かわ》いた音がして、木製の杯は扉から酢ねかえり、丸太《まるた》が並《なら》んだだけの床《ゆか》に落ちて、二度、三度と不規則に弾《はず》んだ。
「悪い予感がしますわ」
メリッサがジーニたちに向かって、微笑《はほえ》みながら言った。
「試練の時がきたのかもしれませんわ」
「そうかもな」
「そうかもね」
ジーニとミレルが、それぞれ応じた。
「木の枝をひとつ切っただけなんだぜ?」
思いもかけない展開《てんかい》に、リウイは呆然《ぼうぜん》となった。このままだと、本当に殺されるかもしれないのだ。
「あの女が言ってただろ。エルフには法がないって」
「高貴な妖精の考えることなど、わたしたちには分からないものですわ」
「盗賊《とうぞく》ギルドより厳《きび》しい掟《おきて》よね」
ジーニたち三人が口々に言った。
そして、
「おとなしくなんてしていられない」
それぞれ語尾《ごび》は違《ちが》っていたが、そう声を重ねた。
(心話の呪文《じゅもん》でつながっているみたいだ)
リウイは場違《ばちが》いな感想を抱《いだ》いた。
一緒《いっしょ》に冒険をしていると、これほどまで息が合うものなのだろうか。
「暴《あば》れて何とかなるのか?」
殺されるかもしれないと思った瞬間《しゅんかん》、リウイは不思議《ふしぎ》に意識が冷めてゆくのを自覚した。
恐怖《きようふ》はまったくない。ただ自分の考えが甘《ぁま》かったせいで、ジーニたちを危険に巻き込んでしまったことに猛烈《もうれつ》な後悔《こうかい》を覚える。
「エルフたちは精霊魔法《せいれいまほう》を使う。弓矢の腕《うで》だって達者《たつしや》なものさ」
ジーニが薄笑《うすわら》いを浮《う》かべた。
「おまけに多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》だしね」
妙《みよう》にさっぱりした顔で、ミレルが言う。
「人生は戦いだと、偉大《いだい》なるマイリー神は申しておられますもの」
と、メリッサ。
「勝手に覚悟《かくご》を決めるんじゃない!」
自分がすべての元凶《げんきよう》であるとは承知しっつも、いや、だからこそ、リウイはジーニたちに向かって怒声《どせい》をあげた。
二暴れて何とかなるのなら、オレだって喜んで一緒にやる。だが、そうじゃないなら、認めることはできないな」
「他《ほか》に手があるとでもいうのか? エルフたちの慈悲《じひ》にすがるなんてのは、わたしたちの流儀《りゆうぎ》ではないぞ」
ジーニが怒《いか》りの視線《しせん》をたたきつけてくる。
「もちろんだ。それはオレの流儀でもない。だから今、その手を考えているんだ」
「そんなのあるわけないわ」
ミレルが、馬鹿《ばか》にしたようにつぶやく。
「あきらめるな!」
リウイは、必死になって説得《せつとく》した。
あきらめたら、考えは何も浮かばなくなるものだ。絶望するのは、最後の最後でいい。
「そう言えば、わたしたちが妖魔《ようま》たちとは違《ちが》うことを示せればとか、あのエルフ女性は言ってましたわね……」
「そうか妖魔! それだ!!」
リウイは快哉《かいさい》の叫《さけ》びをあげ、反射的にメリッサの両肩《りようかた》を掴《つか》んだ。
「な、なにを……」
なさいますの、と続けようとした言葉を、メリッサは飲み込んだ。リウイの迫力《はくりょく》に圧《お》されたように、声が続かなかったのだ。
「それだ! それだ!」
リウイは興奮《こうふん》したように叫びつづける。
メリッサの言葉をきっかけに、頭のなかで渦巻《うずま》いていたものが見事にひとつにまとまった感じだった。
旅立ちのまえに、同期の女性魔術師アイラが言った言葉がまざまざと思い出される。
工夫《くふう》しだいと思うんだけど。
|魔法の宝物《マジックアイテム》を手渡《てわた》すとき、彼女はたしかにそう言った。どう応用するかは、冒険者《ぼうけんしゃ》であるあなたがたしだいだ、と。
そして、彼女から借り受けた魔法の宝物は、今、リウイたちの手元にあるのだ。
「気でも狂《くる》ったんじゃないか?」
ジーニとミレルが顔を見合わせる。
「オレたちが、妖魔とは違うってことを、エルフたちに教えてやろうじゃないか!」
リウイは力をこめて言った。
どうすればいいかは、完全に頭に浮かんでいた。
そして、リウイはそれを実行してみせた。
「奇跡《きせき》って起こるものなのね」
セレシアが感慨《かんがい》をこめて言った。
「妖魔《ようま》たちの襲撃《しゆうげき》なんて、いったい何十年ぶりかしら。それも、あれだけの数となると、わたしが生まれてからは記憶《きおく》にないわ」
いったい何百年生きているのやら、とエルフ娘《むすめ》の言葉を聞いてリウイは思った。
彼女が言うとおり、あの後、エルフの集落に突如《とつじよ》、妖魔たちの来襲《らいしゆう》があった。
閉《と》じこめられていた部屋《へや》を脱《ぬ》けだし、リウイたちはエルフを助けで、妖魔たちを相手に奮戦《ふんせん》した。
武器は取り上げられていたから、またも素手《すで》で妖魔たちと戦うはめになった。もっとも、今のリウイは、剣《けん》を持つより、素手で戦ったほうがはるかに戦力になる。
何匹《なんびき》もの妖魔が、彼によって叩《たた》きのめされていった。
もちろん、ジーニたちも格闘術《かくとうじゆつ》は心得たものだ。リウイに劣《おと》らないほどの活躍《かつやく》で、妖魔たちを次々と倒《たお》していった。
エルフたちは、彼ら四人のあげた戦果については、さほど評価しなかった。
それよりも、この混乱に乗じて逃《に》げようと思えば逃げられたところをそうしなかった。
それどころか、自分たちを罰《ばつ》しようとしていた者を助けたことを高く評価した。
「この人間たちは、エルフのことを高貴な妖精《ようせい》であると言ってくれました。そして、このような目にあったというのに、その考えを変えなかったのです」
セレシアが長老たちにそんな説得をし、リウイたちは罪《つみ》を許され、放免《はうめん》されることが決まった。
樫《かし》の古木の枝も(アイラの要求どおり小枝つきで)もらいうけ、リウイは旅の目的をみごと果たした。
そして、セレシアの道案内を受けて、ターシャスの森の出口に、ようやくやってきたところだった。
「これから先は、あなたがた人間の世界だわ」
目の前に広がる起伏《きふく》のある草原をまぶしそうに見つめて、セレシアは言った。
「助かったよ。おかげで、無事に帰り着くことができそうだ」
リウイは彼女に礼を言って、白く繊細《せんさい》な手を取って、握手《あくしゆ》をした。
「わたしにも責任があるもの。そんなことはいいのよ」
セレシアはそう言って、わずかに顔を赤らめた。
「それじゃあ、さよならだ」
リウイは森の奥《おく》へと帰ってゆくセレシアに別れを告げた。
「さよなら。また、お会いしましょ」
最後にそう言って、彼女の姿は木々のなかに消えた。
「また会いましょ、だって?」
エルフ娘が消えてから、たっぷり十回ほど呼吸してから、ミレルが不機嫌《ふきげん》そうにつぶやいた。
エルフの集落からの帰路、ジーニたち三人はむっつりと黙《だま》りこんでいた。リウイにとっては不気味《ぶきみ》な沈黙《ちんもく》だったが、彼自身の気分は上々だった。
乱暴とも思える計略《けいりやく》だったが、予想していた以上の結果になったからだ。
リウイたちは晴れて放免《はうめん》となり、目的の物も手に入れた。
妖魔《ようま》の襲撃《しゆうげき》は、もちろん、セレシアが言ったような奇跡《きせき》ではない。妖魔の呼《よ》び子《こ》を吹《ふ》き鳴らして、リウイが呼び寄せたのだ。
妖魔の跳梁《ちょうりょう》する森だけあって、まさに霊験《れいけん》あらたか、何百という妖魔が集まってきた。
激《はげ》しい戦いで、エルフたちにもかなりの犠牲者《ぎせいしや》が出たが、そんなことはリウイは塵《ちり》ほどにも気にしていない。
あのままだと、死んでいたのは自分たちのほうかもしれないのだ。
それに、争いの森の名は、妖精と妖魔とが古来より激しく戦ってきたことに由来《ゆらい》する。
妖魔との戦いは、エルフたちにとって、避《さ》けられぬ運命なのだ。その時期が少々、早くなっただけだと思えば、良心も痛まずにすむ。
「ファンの街《まち》へ帰ろうぜ。しばらくは森なんて見たくもない気分だ」
リウイはジーニたちに呼びかけると、春の日差しを浴びる草原に向かって、悠然《ゆうぜん》と歩きはじめた。
その後ろ姿を、ジーニたち三人はしばらくのあいだ見つめていた。そして溜息《ためいき》まじりに顔を見合わせてから、
「信じられない……」
と、声を重ねた。
もちろん、語尾《ごび》はそれぞれ違《ちが》っていた。
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第X章 それは愛ゆえに
白馬にまたがった一人の騎士《きし》が、ファンの街《まち》の大路《おおじ》を閥歩《かつぽ》していた。白銀色《しろがねいろ》の甲帝《かつちゆう》の胸にはラムリアース王国の一角獣《ユニコーン》の紋章《エンブレム》が、初夏の日差しを浴《あ》びて燦然《さんぜん》と輝《かがや》いている。
髪《かみ》は白金《プラチナ》、瞳《ひとみ》は蒼水色《アイスプルー》、肌《はだ》は新雪《バージンスノー》のごとく。唇《くちびる》は紅《べに》をひいているかのように赤い。
大路を行き交《か》うファンの街の人々は、申し合わせたように騎士を振《ふ》り返ってゆく。そして、絵画のなかから出てきたような騎士の美しきに息をのみ、騎士の性別がいずれかと首を傾《かし》げる。
しかし、騎士のほうはといえば、街の人々には目もくれない。馬の手綱《たづな》を握《にぎ》りしめ、まっすぐに前を見つめている。
やがて、騎士は一|軒《けん》の酒場の前で馬を止めた。慎重《しんちよう》な動作で地面に降り立つと、愛馬を馬小屋に繋《つな》ぎ、そこに用意されていた飼《か》い葉《ば》と水とを与《あた》える。そして、自身は店のなかに入っていった。
昼時《ひるどき》ということもあり、店は混雑していた。食事をしている者がほとんどだが、酒を飲んで盛《も》り上がっている一団もある。
しばらくのあいだ店内を見渡《みわた》して、ようやく騎士は隅《すみ》のほうに空席を見つけた。客の隙《すき》間《ま》をぬいながら、そのテーブルへと移動する。
「よろしいでしょうか?」
テーブルに並《なら》んで座《すわ》っていた二人の先客に、騎士は礼儀正《れいぎただ》しく声をかけた。
一組の男女だった。二人とも長衣《ロープ》を着て、テーブルの脇《わき》には杖《つえ》を立てかけている。そのうちの一本はまだ真新しく、木の香《かお》りが漂《ただよ》ってきそうな感じがした。
二人は魔術師《まじゅつし》なのだ。剣《つるぎ》の国と謳《うた》われるオーファンではあるが、立派《りつぱ》な魔術師ギルドがあることを、騎士は知識として知っていた。
「もちろんですわ、ラムリアースの騎士様」
|魔法の宝物《マジックアイテム》らしき眼鏡《めがね》をかけた女性が、微笑《ほほえ》みながら答えた。
隣《となり》にいる大柄《おおがら》の魔術師は無愛想《ぶあいそう》にうなずく。
リウイとアイラの二人だった。
彼らは魔術師ギルドの次席導師《じせきどうし》であるフォルテスから、魔術師ギルド所有の古代書の解読を命じられ、一晩がかりでその要約《レジメ》を書きあげたところだった。
そして、導師の悪口を言いながら、遅《おそ》い朝食を取っていたのだ。
「失礼ながら、今のわたしは自由騎士の身分なのです」
アイラの言葉に、騎士が決意に満ちた表情を浮《う》かべて言った。
「誓《ちか》いを果たすまで、国には帰らぬつもりでおります」
そうなのですか、と相槌《あいづち》を打ちながら、
(誰《だれ》もそんなこと聞いてないわよ)
と、アイラは心のなかでそうつぶやいた。
(自意識|過剰《かじよう》か、それとも精神的な露出狂《ろしゆつきよう》ね)
その時点で、アイラは騎士本人には関心を失った。しかし、彼が身に着けている武具には、ひどく興味《きょうみ》をそそられた。
「……よい剣《けん》に、鎧《よろい》をお持ちですね」
四つの眼《め》≠ニいう銘《めい》を与《あた》えられた魔法の眼鏡に手をかけながら、アイラは言った。
金属|枠《わく》にはめられたふたつの水晶硝子《クリスタルガラス》がきらりと輝《かがや》く。
「お分かりですか?」
たちまち、騎士の顔に得意そうな表情が広がった。
「鎧のほうは大地の妖精《ようせい》の手になる真銀《ミスリル》製。留《と》め具《ぐ》の形状から、ヤスガルン山脈はサウザー集落の晶とお見受けいたします。そして、剣は古代王国の末期、魔力《まりょく》の塔《とう》の建造以降に鍛《きた》えられた宝剣《ほうけん》ですね。柄《つか》にはめこまれた黒水晶がその証《あかし》。おそらく、強い魔力が付与《ふよ》されていましょう。魔力の付与者は動かざる者<Gル・アラメイン……」
アイラは剣と鎧を交互《こうご》に見ながら、すらすらと言葉をならべた。
「……仰《おつしや》るとおりです」
騎士は驚《おどろ》きを通り越《こ》し、呆《ほう》けたような表情になった。
女性と見紛《みまご》うような端正《たんせい》な顔だちをしているだけに、その表情はひどく問《ま》が抜《ぬ》けていた。
二人のやりとりを見るとはなしに見ていたリウイは、笑いを抑《おさ》えるのに苦労しなければならなかった。
誇《ほこ》り高い騎士《きし》のことだ。少しでも笑おうものなら、それこそ決闘《けつとう》を挑《いど》んでくるかもしれない。
(理由もないのに、戦うことはない)
いくら徹夜明《てつやあ》けで気が立っているとはいえ、リウイにもそのぐらいの分別はある。
もっとも、その物腰《ものごし》や体格を見るかぎりでは、この自由騎士はそれほど強そうには見えない。剣《けん》を振《ふ》り回そうとしたら、かえって身体《からだ》のはうが回るのではなかろうか。
いくら剣や鎧《よろい》が立派《りつぱ》であっても、それを満足に扱《あつか》えるかどうかは別問題なのだ。
(それにしても……)
と、リウイは思う。
アイラの鑑定眼《かんていがん》は知っているつもりだったが、実際に見せつけられると、改めて感心させられる。
(もっとも、常識はずれではあるけどな)
アイラの場合、宝物《ほうもつ》に関する知識や鑑定能力は、学問の範囲《はんい》を超《こ》えている。それに命《いのち》をかけていると言って、過言《かごん》ではないのだ。
そのとき店員がやってきて、騎士に注文を取りにきた。
「軽い食事に、葡萄酒《ワイン》を一杯《いつぱい》、お願いしたい」
騎士は言って、店員が運んできた冷たい水で渇《かわ》いた喉《のど》を潤《うるお》した。
アイラは自分の鑑定が正しかったことで満足したらしく、リウイに向き直ると、フォルテス導師《どうし》の悪口を再開しはじめた。
神経質なこの次席導師は、若い魔術師たちのあいだでは何かと評判が悪い。ちょっとしたことですぐに怒《おこ》りだし、陰険《いんけん》な罰《ばつ》を与《あた》えるからだ。
リウイたちが徹夜で古代書を読まねばならなかったのも、廊下《ろうか》で談笑《だんしよう》しているのを見咎《みとが》められたからだ。
会話の内容が魔術には関係のない話であったため不謹慎《ふきんしん》だと叱責《しっせき》され、魔術師ギルドの倉庫《そうこ》に腐《くさ》るほど貯《た》まっている未解読の古代書の要約《レジメ》を作れと命じられたのである。
そうしておけば、必要なときに必要な書物を容易《ようい》に見つけだすことができるのは確かだ。
しかし、古代書のすべてが役に立つものとはかぎらない。
「……どういう死体が屍人《ゾンビー》に適しているとか、冥王犬《ヘルハウンド》の餌《えさ》には何がいいかなんて書物を読んで、いったいどんな意味があるのかしら?」
「オレが読んだ貴族の日記なんか、食べ物のことしか書いてなかったぜ。それも下手物《げてもの》ばかり。書いた奴《やつ》は、美食家のつもりでいるみたいだけどな……」
リウイたちはそんな会話を交《か》わし、くだらぬ古代書を押《お》しっけたフォルテスに対し、容《よう》赦《しや》のない攻撃《こうげき》を続けた。
そのあいだに、自由|騎士《きし》は運ばれてきた料理を黙々《もくもく》と食べ、リウイたちより先に食事を終えた。そして店員を呼び、銀貨《ガメル》で勘定《かんじよう》を支払《しはら》う。
それから、ゆっくりと立ち上がると、リウイとアイラにかるく一礼した。
「邪魔《じやま》をいたしました」
「こちらこそ、目の保養《ほよう》をさせていただきましたわ」
そう挨拶《あいさつ》を返し、アイラは魔法の剣《けん》とドワーフ製の鎧《よろい》に向かって、心のなかで別れの挨拶を送った。
「邪魔をしたついでにお訊《たず》ねしたいのですが、マイリー神殿《しんでん》がどこにあるか、ご存じありませんか?」
「マイリー神殿……ですか?」
アイラは驚《おどろ》きの声をあげ、リウイと顔を見合わせた。
「驚くようなことではないでしょう」
アイラの反応《はんのう》に、騎士は心外《しんがい》そうに言った。
「……申し訳ありません」
機嫌《きげん》を損《そこ》ねぬよう騎士に謝《あやま》ったが、彼女が驚いたのにはもちろんわけがあった。
二人はまさにこれからマイリー神殿に行くつもりだったのである。
リウイたちは騎士に、神殿まで案内しようと申し出た。騎士はその好意を素直《すなお》に受け、二人に謝意《しやい》を表した。
「感謝されるようなことじゃ……」
社交|辞令《じれい》で、リウイは騎士に答えた。
だが、まさに感謝されることではなかったと、リウイはすぐ後に、身をもって知ることになる。
「……人生とは戦いなのです」
神殿の礼拝所《れいはいじよ》に集まっている信者たちに向かって、戦神《せんしん》マイリーに仕《つか》える神官《しんかん》戦士メリッサはゆっくりと語りかけた。
優雅《ゆうが》な動作と、知性あふれる語り口で、彼女は信者の人気が高い。
集まっているのは比較的《ひかくてき》、若い年代の男がほとんどだ。彼女自身は気づいていないが、彼らの大半は、メリッサが説教に立つときを狙《ねら》って、神殿に礼拝に来ているのだ。
戦《いくさ》の神《かみ》の教義を説《と》き、武術《ぶじゆつ》の訓練を施《はどこ》し、怪我《けが》や病気を患《わずら》っている者には治癒呪文《ちゆじゅもん》をかける。そして、神殿を運営してゆくために必要な寄進《きしん》を受けるのだ。
ファンの街《まち》のマイリー大神殿において、侍祭《じさい》の地位にあるメリッサは一月に一回ほど、この職務に就《つ》いている。いや、就かねばならない。
「……戦いといっても、戦場でのそれを意味しているのではありません。生きてゆくためには様々《さまぎま》な試練があり、それに立ち向かうこともまた戦いに他《ほか》ならないわけです。そして、偉大《いだい》なるマイリー神《しん》は、非力《ひりき》な我らに勇気をお授《さず》けくださいます……」
メリッサは戦の神の教義を説きつづける。
だが、今日の彼女はどこかしら気の抜《ぬ》けたような表情であり、声だった。
争いの森<^ーシャスから帰ってからというもの、メリッサは毎日、こんな様子であった。
(まだ肩《かた》が痛い……)
十日ほど前、リウイに掴《つか》まれたところは、ちょっとした青痣《あおあざ》になっていた。だいぶ薄《うす》れてきたが、その痣がときどき痛んだような気がするのだ。
そして、痛みとともに視界《しかい》いっぱいに広がる魔術師の顔が思いだされる。興奮《こうふん》したような歓喜《かんき》の表情を、そのとき、彼は浮《う》かべていた。
それまで、生理的ともいえる嫌悪感《けんおかん》を覚えていたはずの顔だ。しかし、あのときは何故《なぜ》か、そんな気分にはならなかった。むしろ、彼と一緒《いっしょ》に喜びを分かちあいたいという衝動《しょうどう》さえ覚えた。
(どうして、そんな気持ちになったのでしょう?)
それが分からなくて、メリッサはファンの街《まち》に帰ってからも、まったく気分が落ち着かなかった。
困惑《こんわく》している自分に驚き、また腹立《はらだ》たしくもあった。
先ほど、行った武術|指南《しなん》のときにも、彼女は集中力を欠いていて、稽古《けいこ》相手に戦鎚《ウォーハンマー》を当ててしまいそうになった。
(人生は戦い……)
信者に向かって、マイリー神の教えを語り聞かせながら、彼女は思った。
今の自分がまさにそうであった。
試練に直面し、それと戦わねばならない。しかも、その試練は、神から与《あた》えられたものなのである。
(ですが、神よ。あの魔術師が、勇者だとはどうしても思えないのです)
魔術師のくせに大柄《おおがら》で、筋肉《きんにく》の塊《かたまり》のような体格をしている。下品《げひん》で野蛮《やばん》で、行動には洗練さのかけらもない。
外見の美しさだけで判断して、|森の妖精《エルフ》に騙《だま》された。そして、危機を脱出《だつしゆつ》するためには、おぞましい妖魔《ようま》さえ平気で利用し、そのことを反省している様子さえない。
(そんな男が、どうして勇者たりえましょうか?)
メリッサはその問いを何度、神に投げかけたか分からない。
だが、答は返ってこない。
それを見つけだすことが汝《なんじ》の使命だと言わんばかりであった。
勇者からもっとも遠いところにいると思われる男に、英雄性《えいゆうせい》を見いだす。
マイリー神の教義を思えば、これほど宗教的な命題はないと言えるかもしれない。だが、非力《ひりき》な従僕《しもべ》にしかすぎない自分に、その命題を解《と》き明かすことができるだろうか?
メリッサには、まったく自信がなかった。
唯一《ゆいいつ》、可能性があるとすれば、リウイ自身が心を入れ替《か》え、別人のごとく変わることだけだと思っていた。
メリッサはそれを望んでいた。あの魔術師が変わらなければ、自分が果たすべき役割は何もないと。
だから、彼と目を合わそうとしなかったし、身体《からだ》に触《ふ》れられるなどもってのほかだった。
彼が変わろうとしないのが悪いのだから、それでも許されると思っていた。
しかし、エルフ族に囚《とら》われたとき、額が触れるかと思ったほどの距離《きより》で、リウイと見つめあった。そして症《あざ》が残るほどに強く、肩《かた》を掴《つか》まれた。
それなのに嫌悪《けんお》するどころか、一緒《いっしょ》に喜んでもいいと思いかけたのだ。
その理由が分からない。だから、メリッサは混乱しているのだ。
「真の勇者とは……」
彼女の説教は、マイリー教団が列《れつ》した聖《せい》なる勇者の話にきていた。
聖勇者の話をするとき、メリッサはいつも陶酔《とうすい》したような気分になる。
それら真の勇者に憧《あこが》れて、その傍《かたわ》らにいる忠実なる従者《じゆうしや》になりたくて、彼女はマイリー教団に入信したのだ。
しかし、なぜか今日は気分が乗ってこない。彼女がいちばん好きな聖勇者の話をしようと決めていたのに、だ。
「其の勇者とは……」
メリッサは同じ言葉をふたたび繰り返す。
礼拝所《れいはいじよ》に集まった信者たちは、期待に満ちた顔で、続く言葉を待っている。
聖勇者について語るときの彼女がもっとも魅力的《みりょくてき》だというのが、彼らの一致《いつち》した意見なのである。
いつもは高貴で清楚《せいそ》な雰囲気《ふんいき》をしているのだが、そのときばかりは声に熟が入り、瞳《ひとみ》も潤《うる》んだようになる。その表情がたまらないと、彼らは神殿《しんでん》からの帰り際によく話しあっている。
「真の勇者とは……」
メリッサは三度、言った。
だが、どうしてもその先が続けられない。顔も伏《ふ》せがちになって、声からも力が失われた。額には、汗《あせ》さえにじみはじめる。
信者たちは、いつもの彼女と様子が違《ちが》うことにようやく気づいた。
ざわめきが起こりはじめる。
「其の勇者とは……、いったい何でしょう?」
そして、メリッサは信者たちに向かって、問いかけるように言った。
「はあ?」
誰かが間《ま》の抜《ぬ》けた声をあげた。
それを信者に語り聞かせるのが、戦《いくき》の神に仕《つか》える神官の使命なのだ。そして、これまでのメリッサは、自信と喜びに満ちた表情で勇者たちの物語を語っていたのである。
「……今日は終わりにしましょう」
そう言って、メリッサは逃《に》げるように信者たちのまえから姿を消した。
盗賊の少女ミレルと女戦士のジーニがマイリー神殿にやってきたのと、信者らしい一団が神殿からぞろぞろと出てきたのは、ほとんど同時だった。
「今日のメリッサさん、おかしかったよな」
すれちがうとき、信者たちがそんなことを言いあっているのを、耳敏《みみざと》いミレルは盗《ぬす》み聞いた。
「……メリッサ、まだ変なんだってさ」
隣《となり》を歩く大柄《おおがら》な女性を見あげて、ミレルは深く溜息《ためいき》をついた。
争いの森から帰ってからというもの、メリッサはいつ会っても心ここにあらずといった感じで、ミレルたちが話しかけても、生《なま》返事をするばかりであった。
「原因は明らかに奴《やつ》だな」
ジーニがぼそりと言う。
奴とはもちろん、魔術師リウイのことだ。
「まったく、信じられない男よね」
ミレルがうんうんとうなずく。
「エルフ女に騙《だま》されたかと思えば、あんな手段を使って、脱出《だつしゆつ》しちゃうんだもの……」
「馬鹿《ばか》なのか賢《かしこ》いのか、まったく理解不能だな」
いろいろな意味で、規格はずれの男だった。そんな男に従者《じゆうしや》として仕《つか》えなければならないのだから、メリッサが混乱するのも当然と言えるだろう。
「メリッサ、いつまで我慢《がまん》するつもりなのかな?」
ミレルがぽつりと言う。
「神託《しんたく》だからな。我慢しつづけるしかないだろう」
「彼女、壊《こわ》れないといいけど……」
ミレルは真剣《しんけん》に心配していた。
もともと思いつめるところのある性格だけに、メリッサの精神が保《も》たないかもしれない。
そうなるまえに、リウイを始末したほうがいいのだろうか、とミレルはひそかに考えている。
盗賊《とうぞく》ギルドでは、暗殺術の訓練も受けていたミレルなのだ。その技《わざ》を使ったことはないが、錆《さ》びつかせてもいない。
しかし、メリッサがそれを望んでいるとは思えない。
仕えるべき勇者が死ぬようなことがあれば、神から下された試練を果たせなかったとして、彼女も自ら命《いのち》を断《た》つかもしれない。
やっかいな神託を受けたものだというのが、ミレルとジーニの正直な気持ちなのである。
「今のところそんな素振《そぶ》りはないけど、いつあいつがメリッサに変なことしようとするかもしれないしね……」
悪い奴《やつ》ではなさそうだが、リウイもしょせん男だ。ずいぶん派手《はで》に女性と遊んでいるという噂《うわさ》も耳に入っている。
だいたい男という生き物は、女性と関係を持つことしか考えていないものである。そうでなければ、盗賊ギルドが娼館《しようかん》などを経営していられるわけがない。
男は信用できない――
ミレルたち三人は、一致してそう考えていた。だから、冒険者《ぼうけんしゃ》になったときも、女性しか仲間に入れないと決めていたのだ。
残酷《ざんこく》な運命というやつで、リウイを仲間に迎《むか》えることになってしまったが、それ以来、騒動《そうどう》が絶《た》えたことがない。運にも見放《みはな》されたような気もしている。
「あいつのことは、メリッサの問題だからな。わたしたちは見守るしかない」
ジーニの言葉に、ミレルはうなずくしかなかった。
気分が少し重くなる。
これから、そのリウイと会う予定なのだ。なんでも、彼の同僚《どうりょう》の女性魔術師《ソーサリス》から、提案があるらしい。
リウイから概略《がいりやく》で聞いたところでは、この前、彼がエルフの集落から持ち帰った小枝は、実は古代樹の枝だったのだそうだ。
その小枝は魔法人形《パペツト》の材料に最適なだけではなく、創造魔術《クリエーシヨン》の奥義《おうぎ》を使えば、人造生物を創《つく》りだすことも可能だという。
難《むずか》しいことはミレルには分からないが、ようするに値打《ねう》ちものだということだ。
彼女はその報酬《ほうしゅう》を支払《しはら》いたいと申し出ているらしい。そして、冒険で見つけた|魔法の宝物《マジックアイテム》に関しては、自分が一手に引き取りたいという意志もあるのだそうだ。
悪い取引ではないが、その女性魔術師とは先日、酒場でやりあったこともあって、感情的にはひっかかりを覚えている。
もう少し彼女と話しあってから決めようと、ミレルたちは結論に達したのだ。
嫌《きら》いな奴の仕事は受けないというのが、彼女たちの方針《ポリシー》なのである。
本当なら酒場で会いたいところだが、なじみの店は出入り禁止をくらっているし、メリッサには神殿《しんでん》での務めがあって、しばらくのあいだ外出できないという事情もあった。だから、彼女の休憩《きゆうけい》時間に、マイリー神殿で話し合うことに決めたのだ。
もうすぐ、約束《やくそく》の時刻《じこく》である。
ミレルたちは神殿内に建てられた宿舎を訪《たず》ねて、メリッサを呼びだした。
「あいつは?」
ミレルが遠慮《えんりよ》がちに訊《き》くと、メリッサはゆっくりと首を横に振《ふ》った。遠慮がちに言ったのは、リウイの話題をふると、メリッサは魂《たましい》が抜《ぬ》けたようになるからだ。
「裏庭へ行きましょう……」
熟に浮《う》かされたような表情になりながら、メリッサは理性を総動員してそう提案した。
彼女の部屋《へや》は狭《せま》いし、他《ほか》の司祭《しさい》や神官《しんかん》たちに聞かれたい話でもないからだ。
戦《いくさ》の神の教団は聖職者《せいしよくしや》が冒険者として活動することを、修行《しゅぎよう》のひとつとして認めてはいる。しかし、それによって、神殿での務めが疎《おろそ》かになることに、いい顔をしているわけではない。そして、冒険者|稼業《かぎょう》を営《いとな》んでいるかぎり、生活はどうしてもそちらが中心となる。
神殿での務めに身が入っていないと、メリッサは最近、司祭たちから睨《にら》まれているのだ。
(今日みたいな説教をしていたら……)
また、何を言われることか、とメリッサは心のなかで溜息《ためいき》をついた。
裏庭に出てからは、三人は他愛《たわい》もない話をしながら、リウイがやってくるのを待った。
そして、しばらくして、彼はやってきた。二人の客を連れて。そのうちの一人は予想された人物であった。しかし、もう一人のほうは……
「コンラッド!」
リウイが連れてきた客のうち、騎士《きし》のほうの顔を見て、メリッサは絶句した。
どうしてこんなところにという驚《おどろ》きと、なぜやってきたのかという疑問が、彼女の言葉を奪《うば》いとったのだ。
「おお、メリッサ!」
騎士のほうも彼女に気づいて、やはり絶句する。こちらは感動のあまり、声さえ失ったという様子である。
「知り合いなんだって?」
リウイがメリッサに向かって言った。
「酒場で偶然《ぐうぜん》、会ったんで、案内してきたんだ」
感謝しろよ、とでも言いたげな口調《くちよう》であった。
だが、メリッサのほうは、なんてことをしてくれたのかと、叫《さけ》びだしたいほどだった。
「誰《だれ》なんだ、あいつ?」
ジーニが顔を近づけ、不審《ふしん》そうに訊《たず》ねる。
女性のような顔をしているし、ひ弱そうな体格である。これで騎士が勤まるのだろうか、と他人事《ひとごと》ながら心配になった。
「あの人は、わたしの婚約者《フィアンセ》なんです」
メリッサは消え入るような声で答えた。
「婚約者!?」
思いもかけぬ言葉に、ミレルが目を丸くした。そしてメリッサと彼女がコンラッドと呼んだ騎士ふうの男を交互《こうご》に見比《みくら》べる。
「そのとおり」
コンラッドは感動に震《ふる》える声で言った。
「わたしとメリッサとは、結婚《けつこん》の約束《やくそく》をしているのです!」
「そうなの?」
ミレルが問い、メリッサは顔を赤くしながら、うなずいた。
「そうか、婚約者だったのか」
リウイが感心したように言って、それからにやにやと笑いはじめた。
「立派《りつぱ》な騎士《きし》様だと思ったが、なるほどな」
茶化《ちやか》すようなリウイの言葉に、メリッサの顔はますます赤くなる。
「さあ、わたしと一緒《いっしょ》に帰りましょう。森と泉《いずみ》の王国ラムリアースへ!」
メリッサのほうへと歩《あゆ》み寄りながら、コンラッドが歌いかけるように言った。
(それは困るな)
彼女を連れて帰られると、リウイは冒険者を続けることができなくなる。しかし、このまま連れて帰ってもらったほうがいいのでは、という気もしないではない。
そのほうが幸せだぞ、と犬頭鬼《コボルト》の囁《ささや》く声が聞こえてきそうだった。
「以前、お断《ことわ》りしたはずです」
厳《きび》しい表情でコンラッドを見つめながら、メリッサは言った。
「わたしは家を捨てたのです。父の決めた縁談《えんだん》に従う義務などありません」
「決められた縁談だからではありません。わたしは、あなたを愛しているのです」
コンラッドがああてて言い返した。
「まるで芝居《しばい》を見てるみたいだわ……」
ミレルは地面にしゃがみこみ、頬杖《ほおづえ》をつきながら、成り行きを見守ることに決めた。
ジーニはと言えば、居心地《いごこち》の悪そうな顔をして、頬に描《えが》かれた呪払《のろいばら》いの紋様《もんよう》を指でなぞっている。
リウイの同僚《どうりょう》の女性魔術師は、けっこう楽しんでいる様子だった。
「わたしはあなたのことを愛してなどおりません!」
メリッサはきっぱりと言った。
「いいえ、あなたはきっとわたしを愛するようになる。わたしはもう以前とは違《ちが》うのだから。あなたが望むとおりの騎士になりました。魔術も捨てましたし、あなたが仕《つか》えるにたる勇者の資格を得たとの自信もあります」
「とても、そのようには見えませんわ」
かつての婚約者の頭から足までを観察したあとで、メリッサはわざとらしく溜息《ためいき》をついた。どこが昔《むかし》と違うのか、彼女にはまったく見当もつかなかった。剣《けん》や鎧《よろい》が変わったぐらいではないか。
「それに……」
メリッサは言いかけて、ちらりとリウイに視線《しせん》を向けた。
「それに、なんでしょう?」
「わたしはすでに仕えるべき勇者を見つけております」
不本意ながら、とメリッサは心のなかで付け加えるのを忘れない。
「そのお方を助け、導かねはなりません。身も心も捧《ささ》げなければなりません」
(よく言うぜ!)
リウイには、助けられた記憶《きおく》も、導かれた記憶もない。身も心も捧げてもらったことがないし、されても困る。
「なんですって!」
まるで悲劇役者にでもなったかのように、コンラッドは顔を押《お》さえ、数歩、後ろによろめいた。
「それで、その勇者というのは、いったい誰なのです?」
「この人ですわ」
メリッサは怒《おこ》ったような顔をしながら、リウイにつかつかと歩《あゆ》み寄った。そして、一瞬《いっしゅん》、躊躇《ちゆうちよ》したあと、彼の右腕《みぎうで》を強引《ごういん》に抱《かか》えこんだ。
(な、なんだ?)
思いもかけぬ行動に出られて、リウイは狼狽《ろうばい》した。
それまで、彼の隣《となり》でにこにこしていたアイラが、たちまち表情を一変させる。
「あなたが、勇者……」
コンラッドが、呆然《ぼうぜん》とした顔でリウイを見つめる。
「どうも、そうらしいんだな」
痴話《ちわ》喧嘩《げんか》に人を巻き込むんじゃない、と内心では文句を言いながら、それでも彼女の言葉は事実には違いないので、リウイはしぶしぶうなずいた。
「ま、魔術師ではありませんか? あなたは、わたしが魔術を使うのを、あれほど嫌《きら》っていたのに……」
「そうでしたわね」
嫌《いや》なことを思い出さされて、メリッサの表情がくもった。
ラムリアースにいた頃《ころ》、彼女は魔術師が大嫌《だいきら》いだったのだ。魔法王国≠フ別名で呼ばれるだけに、ラムリアースには騎士のなかにも魔術を使える者が大勢いる。
だが、そういった騎士は、魔術に頼《たよ》ることが多く、武術を軽視《けいし》している傾向《けいこう》がある。それは戦いに対する冒涜《ぼうとく》のように、彼女には思えた。
「ですが、偉大《いだい》なるマイリー神《しん》は、わたしに啓示《けいじ》を与《あた》えたもうたのです。この人こそが、仕《つか》えるべき勇者であると……」
「し、信じられません」
コンラッドは坤《うめ》くように言った。
(オレだって信じたくないさ)
騎士に向かって、リウイは心のなかで同情の言葉を贈《おく》った。
そして、それはメリッサ自身も同じだろう。しかし、今はその事実さえ利用して、婚約者を送り帰そうとしているわけだ。
ひとことで言えば、哀《あわ》れなこのラムリアースの騎士は、とことん彼女に嫌《きら》われているのである。魔術を使うとかどうとかというのは些細《ささい》な理由で、おそらく生理的に受けつけないのだろう。
(嫌われているのは、おまえだけじゃない)
コンラッドにそう慰《なぐさ》めの声をかけてやりたい気がしたが、話をややこしくするだけなので、リウイは口には出さなかった。
「……お分かりいただけたのなら、帰ってください」
メリッサの声は、雪の女王の吐息《といき》のように冷たい。
まるで巨大《きよだい》な鉄槌《てっつい》で打ちのめされたように、コンラッドはその場で呆然《ぼうぜん》と立ち尽《つ》くしていた。両《りよよう》の拳《こぶし》は握《にぎ》りしめられ、身体《からだ》が小さく震《ふる》えている。
なんとも大仰《おおぎよう》な反応《はんのう》だが、それだけ衝撃《しょうげき》を受けたということだろう。理由は分からないが、彼がメリッサを愛しているのは、間違《まちが》いない。
そのとき、コンラッドが、何事かつぶやいたのが聞こえた。
「何か言いましたか?」
メリッサがコンラッドに見せつけるように、リウイに身を預《あず》ける。
(そこまで、やるか?)
リウイは呆《あき》れてしまった。
メリッサに抱《かか》えられた右腕に、彼女の胸の膨《ふく》らみが感じられた。柔《やわ》らかな感触《かんしよく》、見た目の印象より、彼女の胸は豊かなようだ。ミレルとは、比《くら》べものにもならない。
その感触は嫌《きら》いではないが、彼女の意図は見え見えなので喜ぶ気にもなれない。
「決闘《けつとう》だ! 決闘を申し込むぞ!!」
覚悟《かくご》を決めたように顔をあげ、コンラッドはそう叫《きけ》んだ。
「決闘?」
あまりにも唐突《とうとつ》であったので、その言葉が何を意味するのか、リウイは一瞬《いっしゅん》、理解しそこねた。
コンラッドは不器用《ぶきよう》な手つきで、鎧の寵手《よろいこて》を外《はず》し、その下に着けていた綿入《わたい》れの手袋《てぶくろ》を脱《ぬ》いだ。そして、リウイに向かって、それを叩《たた》きつける。
手袋はリウイの胸に当たって、ゆっくりと足下《あしもと》に落ちていった。
「わたしは、貴公《きこう》に決闘を申し込むぞ。いずれが真の勇者か、戦《いくさ》の神《かみ》に問おうではないか!」
リウイは地面に落ちた手袋を、呆《ほう》けたように見つめた。実際、頭が麻挿《まひ》したような気分だった。
「……どうしてオレが、あんたと決闘なんてしなけりゃならないんだ?」
ようやく、コンラッドの言葉の意味を理解して、リウイは悲鳴にも似《に》た声をあげた。
「決まっている。それは愛ゆえに、だ」
「愛って、言われてもな……」
彼のほうには、そんなものないのである。
ところが、だ。
「その決闘《けつとう》、お受けいたしましょう」
リウイの腕《うで》を抱《かか》えている女性が、静かに言った。
「お、おい?」
勝手に決めるな、とリウイは叫《さけ》ぼうとしたが、その叫びはメリッサの刃《やいば》のような視線《しせん》によって情《なさ》けなくも封《ふう》じられてしまった。
「コンラッド、あなたが勝てば、わたしはあなたとともにラムリアースに帰りましょう。
しかし、この人が勝てば、二度とわたしに近づかないでください」
メリッサは、婚約者《フィアンセ》にそう言ってから、
「よろしいですわね、勇者様」
と、リウイを見上げた。
よろしいわけがなかった。
だが、それを言わせない迫力《はくりよく》が、メリッサにはあった。
「決闘は七日後の正午。場所はこの場としましょう」
コンラッドは勝手に日取りを決めると、踵《きびす》を返して立ち去ってゆく。
(待て! 待ってくれ!)
リウイは心のなかで叫んだが、もちろんその声が、彼に届《とど》くはずがなかった。
予想もしなかった展開《てんかい》に、彼は心が灰《はい》になった気がした。
「決闘だとさ」
ジーニがにやにやと笑いながら言った。
「決聞ねぇ」
ミレルも楽しそうな顔である。
「ええ、決闘ですわ」
メリッサが決意を秘めた顔で、彼女たちに応じた。それから、思い出したように、抱えこんでいたリウイの腕を離《はな》す。
「決闘ですって」
アイラもジーニたちの真似《まね》をして、リウイに声をかけた。
「勘弁《かんべん》してくれ……」
リウイはその場で頭を抱《かか》えたくなった。
どう考えても、リウイには決闘に応じる理由がない。
いくらひ弱《よわ》に見えても、相手は大国ラムリアースの騎士《きし》なのだ。剣術《けんじゅつ》の訓練ぐらいは受けていよう。リウイのほうはと言えば、剣を買ってから、まだ一月《ひとつき》も経《た》っていない。魔術の研究の合間《あいま》を縫《ぬ》って、我流《がりゆう》で振《ふ》りまわしているだけなのだ。
(死ぬかもしれないな)
リウイは目のまえが真《ま》っ暗《くら》になってゆくのを意識した。
それほど広くない部屋《へや》のなかには、がらくたにしか見えないような代物《しろもの》と、挨臭《ほこりくさ》い古代書が散乱している。
ここは、オーファン魔術師ギルド、女性魔術師アイラの私室である。
部屋のなかにいるのは、部屋の主《あるじ》の女性とリウイの二人。
戦の神の神殿《しんでん》から帰ってきて、ギルド内の食堂で夕食を食べたあと、そのままアイラの部屋にやってきたのだ。
アイラは部屋の片づけをしながら、さりげなくリウイの様子を観察している。
魔法仕掛《まほうじか》けの椅子《いす》に腰《こし》をかけて、彼は部屋の一点に視線《しせん》を向けている。その表情がほとんど一瞬《いっしゅん》ごとに変わっていた。感情を司《つかさど》る精神の精霊《せいれい》たちが、彼の心のなかで、輪になって踊《おど》っているような印象である。
「それで、どうするの?」
部屋の片づけを一通り終えてから、アイラはリウイと向かいあうように椅子に座《すわ》った。
もちろん、彼女が座っている椅子にも魔力《まりよく》が付与《ふよ》されている。
リウイが座っている椅子は、合言葉《キーワード》を唱《とな》えると、腰を降ろしている者を拘束《こうそく》する魔力が付与されている。アイラのほうの椅子は合言葉によって、|木の魔法像《ウツドゴーレム》に姿を変えるのだ。
「どうするも、こうするも」
決闘に応じるしかないだろう、とリウイは憮然《ぶぜん》として言った。
決闘相手の名前は、コンラッド。隣国《りんごく》ラムリアースの騎士《きし》である。もっとも今は自由騎士という身分で、オーファンにやってきている。ある誓《ちか》いを果たすことが目的だった。
その誓いとは、戦神《せんしん》マイリーに仕《つか》える女性|神官《しんかん》メリッサを連れて帰ることである。なんでも、コンラッドと彼女は婚約者《フィアンセ》どうしであったらしい。
それが不服で、メリッサは貴族|令嬢《れいじよう》たる身分を捨て、戦神の教団に入信したようだ。
コンラッドによれば、彼自身の名誉《めいよ》回復のためではなく、「愛ゆえに」彼女を迎《むか》えにきたらしい。
そこまでは、よくある話とまではゆかなくても理解可能な範囲《はんい》だ。問題はその先である。
なぜ、コンラッドと決闘しなければならないか、だ。
「愛ゆえに」という理由などでは、リウイは納得《なつとく》するわけにゆかないのだ。
「無視《むし》すればいいじゃない?」
まるで、リウイの心を見透《みす》かしたように、アイラが話しかけてきた。
「そんなことをしようものなら、我《わ》が愛すべき従者《じゆうしや》に確実に殺されるな」
「だったら、そのまえに、わたしがあの女を殺してあげるわ」
「アイラ……」
彼女の場合、冗談《じょうだん》とも本気ともつかないから恐《おそ》ろしい。彼女が愛用している魔法《まほう》の眼鏡《めがね》四つの眼《め》≠ノは呪殺《じゆさつ》の魔力が秘められているのだ。
「売られた喧嘩《けんか》から、逃《に》げるのも癪《しやく》だしな」
「あの女性神官が勝手に買って、あなたに押《お》しつけただけじゃない」
「それでも、売り物はオレの手のなかにあるわけだろ」
会話の論点がずれているのに気づいて、二人はしばし沈黙《ちんもく》し、互《たが》いに見つめあった。
「意外に律儀《りちぎ》なのね。それとも、本心はあの女性《ひと》を渡《わた》したくないんじゃないの?」
アイラは咳払《せきばら》いをひとつしてから言った。
「それはないな」
リウイは即座《そくざ》に答えた。
「オレのほうを振《ふ》り向かないような女には、興味《きょうみ》がないんだ。言い寄《よ》ってくる女から、いちばんの女を選ぶのが流儀《りゆうぎ》なんでね」
「贅沢《ぜいたく》な流儀ねぇ。世の男たちに聞かれたら、刺《さ》されるわよ」
アイラが呆《あき》れたように言った。
「ここだけの話だけどな。昔《むかし》、刺されたことがある」
リウイは笑って答えた。
しかし、流儀というやつは、そうそう変えられるものではない。
言い寄ってくる女性だけが、リウイにとっては女性で、そうでない女性は人間として見ることにしている。
たとえばメリッサは、リウイにとって冒険《ぼうけん》仲間なのだ。ジーニやミレルも同様。彼女らにいちいち異性を意識していては、一緒《いっしょ》に冒険などやっていられるものでもない。
「でも、男と女の関係って難《むずか》しいものよ。嫌《きら》いだと思っているのは、好きになるのが恐《こわ》いからってこともあるしね……」
「経験談か?」
「そう思う?」
アイラは思わせぶりに微笑《はほえ》んだ。
「思わないな。そんな時間があったら、|魔法の宝物《マジックアイテム》の目録《カタログ》でも眺《なが》めているに違《ちが》いない」
「ひどい言いようね」
アイラは憤慨《ふんがい》したように言った。
「わたしは今、どこで何をしているのかしら?」
「この部屋《へや》で、オレと話をしているな」
「そうよ。男と女が二人っきりで‥‥‥」
アイラほそう言うと、わざと緩慢《かんまん》な動作で眼鏡を外した。それから、目を閉《と》じながら、リウイに顔を近づける。
「昨晩もそうだったぞ。この部屋で、くだらない古代書を読まされていた」
「そう言えば、そうだったわね」
アイラはくすっと笑って、姿勢を戻《もど》した。そして、魔法の眼鏡をかけなおす。
(案外、鈍感《どんかん》なのよね)
いつも女性からはっきりとした意思表示を受けているためだろう。口説《くど》かれることにしか慣れていないのだ。それとも、精神的な恋愛《れんあい》感情には意外に未熟《みじゆく》なのかもしれない。
愛しているとか、抱《だ》いてとか言わないと、この魔術師は意思表示と受け取らないのだろう。
(でも、それはわたしの流儀じゃないのよね)
アイラはかるく微笑んだ。
「理由なんてどうでもいい。とにかく、オレは決闘《けつとう》に応じてやる」
リウイはふたたび論点がそれかけていたのを修正してそう言った。
女のことぐらいで、決闘に及《およ》ぼうとする根性《こんじよう》が気にくわない。だいたい嫌われているのに気づかないというのは、自意識|過剰《かじよう》だからだ。その性根《しようね》を叩《たた》きなおしてやる、とリウイは思った。
「それで、勝てるの?」
「勝負は時の運だからな。しかし、あの騎士《きし》は見るからに弱そうだ。なんとかなると思っている」
「騎士のほうは、ね……」
アイラはつぶやき、問題は別のところにあるんだけどな、と心のなかで続けた。
もっとも、リウイにそれを言ってもしかたがない。それはむしろ、彼女が解決すべき問題であった。
「決闘の相手は他《ほか》でもないあの騎士なんだぜ? 運が良ければ、勝てるさ」
リウイが怪訝《けげん》そうな顔になった。
「最近、運が落ちてきたとか、言ってなかったっけ?」
アイラの指摘《してき》に、リウイはうっとなる。
「あの女たちと出会ってからな」
実は、彼女たちも、同じようなことを言っているのだが、もちろん、リウイは知る由《よし》もない。
アイラは適当に相槌《あいづち》を打ちながら、理由はともかく、あなたの運の悪さは本物よ、と心のなかでつぶやいた。
(だって、あなたが戦うのは、あの騎士じゃないんだもの)
リウイの顔には、不安など影《かげ》も形も感じられない。度胸《どきよう》が据《す》わっているのか、楽天家《らくてんか》なのか、あるいは両方なのだろう。
「遺言《ゆいごん》でもあれば、聞いておいてあげるけど……」
アイラは冗談《じょうだん》めかして言った。
しかし、冗談にならない可能性が実は高いのだ。
「そんなものはないな。オレには財産《ざいさん》もなければ、守るべきものもない」
「寂《さび》しい人生ねぇ。あなたも、|魔法の宝物《マジックアイテム》でも集めてみたら?」
それはそれで寂しい人生だぞ、とリウイは思ったが、あえて指摘はしなかった。
「ま、決闘の日まで、剣《けん》の稽古《けいこ》でも積んでおくさ」
「あなたには、それしかできないものね。わたしのほうも、わたしにしかできないことをやるとするわ」
「いったい、何をするんだ?」
リウイが訊《たず》ねる。
「魔法の宝物の買い出しよ、決まっているじゃない」
アイラは澄《す》ました顔で答えた。
訊《き》くんじゃなかった、とリウイは後悔《こうかい》した。
そして、彼はアイラに別れを告げ、彼女の部屋を後にした。それから先の話は、遠慮《えんりよ》するにこしたことはないのだ。
昨晩は徹夜《てつや》だったので、リウイもさすがに眠気《ねむけ》を覚えていた。剣の稽古は明日からするとして、今夜するべきは疲《つか》れを残さないために寝《ね》ることだ。
そして、リウイはそれを実行した。その日はたっぷりと睡眠《すいみん》を取り、翌日から魔術の研究もそっちのけで、剣の稽古に打ち込んだのである。
そうして、さらに五日が過ぎたとき、リウイの耳にひとつの噂《うわさ》が飛びこんでくることになる。
ファンの街《まち》の宿屋に五人の野盗《やとう》が押《お》し入り、宿泊《しゆくはく》していたラムリアースの騎士《きし》によって逆に成敗《せいばい》されたというものだ。
街中が《まちじゆう》、その噂でもちきりになった。
リウイの決闘は、明日に迫《せま》っていた。
「聞いたか?」
姿を現すなり、女戦士のジーニが声をかけてきた。
彼女の後ろには、盗賊《とうぞく》少女のミレルと戦《いくさ》の神《かみ》に仕《つか》える神官《しんかん》戦士メリッサの姿もある。
「聞いたよ……」
ふてくされたように、リウイは答えた。
魔術師《まじゅつし》ギルドの裏庭で、彼は剣《けん》の稽古《けいこ》をしているところだった。もっとも、他人が見たら、どう思うかは知らない。
まったくの我流《がりゆう》で剣を振《ふ》りまわしているだけだからだ。
リウイは上半身、裸《はだか》という格好《かつこう》である。鍛《きた》えられた筋肉は鋼《はがね》のようで、上気《じようき》した肌《はだ》には汗《あせ》が滝《たき》のように流れている。
もうすぐ夏だ。
「あの騎士が、五人の賊《ぞく》を倒《たお》したんだって」
リウイがその話を聞いたのはちょうど昼時《ひるどき》だった。リウイとは同期の魔術師ダリルとギルド内の食堂で会って、彼から街《まち》の住人たちのあいだで騒《さわ》がれていたその噂を教えてもらったのだ。
そういう噂には、リウイが関心があるだろうと気を利《き》かしてくれたのだ。
リウイが冒険者の一団に加わったことを、同期の魔術師たちはすでに知っているし、歓《かん》迎《げい》してもいる。古代王国時代の遺跡《いせき》から、研究材料を持ち帰ってくることに、期待しているのだ。
彼らは暗黙《あんもく》の了解《りようかい》で、宝物《ほうもつ》はアイラに、古代書は自分たちで分配することに決めているようだ。
ジーニたちの同意さえ得られればだが、リウイもそのつもりでいる。
自分だけの研究材料にしようなどという考えはかけらもない。
「そうなのよ」
ミレルが目を丸くしながら、進みでてきた。
「盗賊《とうぞく》ギルドで確かめてきたけど、噂は本当だったわ。賊を成敗《せいばい》したのは、間違《まちが》いなくコンラッドとかいう騎士《きし》よ。今は王城に招《まね》かれ、リジャール王と謁見《えつけん》しているみたい」
「感謝状でも、送られるんだろうさ」
リウイは面白《おもしろ》くもなさそうに、鼻を鳴らした。
さすがの彼も、気分が荒《すさ》んでいる。今の彼は、刑《けい》の執行《しっこう》を明日に控《ひか》えた死刑囚《しけいしゆう》のような立場なのだ。
「賊は皆殺《みなごろ》しだったそうよ」
ミレルは、盗賊ギルドで仕入れてきた追加情報を話した。
「全員、急所に一撃《いちげき》を受けて死んでいて、検死《けんし》を行ったオーファンの騎士は、あまりにも鮮《あざ》やかな手並《てな》みに感嘆《かんたん》したらしいわ」
「……容赦《ようしや》のない性格なんだな」
それだけ実力差があれば、殺さずに捕《と》らえることもできただろう。
いかに決闘《けつとう》とはいえ、リウイは相手を殺す気はなかった。そして、相手も同じだろう、
と気楽に考えていた。
どう考えても、命《いのち》までかけて、女性を取り合うなんて馬鹿《ばか》げている。女性など、いくらでも代わりがいるのだ。
しかし、ミレルの話を聞いて、あの騎士が同じ気持ちでいるという考えを、リウイは捨てた。決闘を受けたからには、殺されても文句は言えないのだ。もちろん、殺したほうも罪《つみ》に問われることはない。
「まったく信じられません」
青ざめた顔をしたメリッサが言った。
「些細《ささい》なことでも魔術で解決するしか知らなかったあのコンラッドが、いったいどんな修行《しゆぎよう》をしたものか……」
「あんたごのみの騎士になって、よかったじゃないか?」
リウイは皮肉を言った。
メリッサは、何も言い返さない。ただ、死ぬほど嫌《いや》そうな顔をしただけだ。
(哀《あわ》れな奴《やつ》だ)
リウイはあの騎士に同情したくなった。しかし、そんな奴に殺されるかもしれない自分は、もっと哀れだろう。
「手遅《ておく》れだとは思うが、今から鍛《きた》えてやろうか?」
ジーニが声をかけてきた。
彼女にしては、精一杯《せいいつぱい》の好意と言える。
「いや、遠慮《えんりよ》しておく。あんたと稽古《けいこ》をしたら、身体《からだ》がぼろぼろになりそうだ」
ジーニは苦笑《くしょう》を浮《う》かべたものの、文句は言い返さなかった。そういう教え方しかできないことを、彼女は認めているのだ。
「なんか欲《ほ》しい物とか、してほしいことがあったら言ってね。なんだって盗《と》ってくるし、
やってあげるから」
ミレルが申し出てくる。
「だったら、お願いだ……」
リウイは哀れみの表情を向けてくる盗賊の少女に言った。
「優《やさ》しい言葉なんかかけてくれるな。まるで、オレが死ぬと決まったみたいじゃないか?」
「そうじゃないの?」
ミレルはきょとんとした顔をする。
リウイは頭を抱《かか》えたくなった。
「安心してください。あなたが死んだら、わたしも後を追います。不本意ですが、ともに喜びの野に参りましょう」
メリッサが覚悟《かくご》を決めたように言った。
喜びの野≠ニは戦《いくさ》の神の教えで、勇敢《ゆうかん》なる戦士が死後に赴《おもむ》くという冥界《めいかい》である。
(どう安心しろって言うんだ!)
リウイは心のなかで魂《たましい》の叫《さけ》びをあげた。
そして、死んだら星になろう、とひそかに決意した。
知識神ラーダの教団では、死んだ者は夜空に輝《かがや》く星になると説《と》いているのだ。
魔術師のはしくれでもあり、リウイはいちおうラーダを信仰《しんこう》している。もっとも、一年に一度、ささやかな寄進《きしん》を行うだけの信仰《しんこう》であったが……
星になれば、女性に振《ふ》り回されるようなことはあるまい。間違《まちが》っても双子星《ふたごぼし》にだけはならないぞ、と心に誓《ちか》う。
「そう言えば、いつもの同僚《どうりょう》の姿が見えないな」
ジーニが突然《とつぜん》、話題を変えて言った。
「いつも一緒《いっしょ》にいるわけじゃない」
リウイは不機嫌《ふきげん》に答えた。
いつもの同僚というのは、アイラのことだろう。
自分の後釜《あとがま》として、彼女を冒険の仲間に誘《さそ》うつもりなのかもしれないと、リウイはなげやりな気持ちで思った。
もともと、ジーニたちは女性の|精霊使い《シャーマン》か魔術師《ソーサラー》を仲間に誘うつもりだったのである。
メリッサが神託《しんたく》≠ネるものを受けなかったら、リウイなどを仲間に迎《むか》えようとはしなかったはずなのだ。
(そして、決闘で命を落とすようなこともなかったわけだ)
リウイは思った。
人生には運命の別れ道というものがあり、破滅《はめつ》に通じる道を選んでしまったということだろう。なかは脅迫《きようはく》されて、ジーニたちの仲間になったわけだが、選んだのは間違いなく彼自身の意思である。哀《あわ》れな己《おのれ》の運命を、彼女たちの責任にはできない。
「ここ数日、アイラは買い出しに行って、魔術師《まじゅつし》ギルドを留守《るす》にしている。きっと|魔法の宝物《マジックアイテム》をどっさりと買ってくるんだろう」
リウイは言った。
アイラの実家《じっか》は、ファンの街《まろ》でも一番の豪商《ごうしよう》である。父親が古代王国時代の宝物を集めるのが趣味《しゅみ》だったらしく、アイラはその影響《えいきよう》をもろに受けてしまったのだ。鑑定眼《かんていがん》の確かさなどは、商売人の血をしっかり受けついでいると言えるかもしれない。
彼女とも、明日でお別れだな、とリウイは心のなかで思った。
いろいろ振《ふ》り回されもしたが、彼女の場合、好意的に接してくれたのは間違いない。
別れを告げられないのは残念だ。
「たとえ、相手がどんな手練《てだ》れでも、オレは逃《に》げたりしない。オレなりに全力を尽《つ》くすだけだ。負けたときには、笑って死んでやる。だから、あんたたちも、オレのことなんか、すぐに忘れてくれ」
彼女たちを恨《うら》みはしないが、死んだ後事で酒の肴《さかな》にはなりたくない。
それが、リウイの心境だった。
人は無《む》から生まれて、無に帰る。世界もまた、そうであるように。
死んでどうなるかは、死んだ後にしか分からない。そして、それは人間にとって、探《たん》求《きゆう》すべき最大の命題である。常人《じようじん》よりかなり早いが、自分は明日、その探求の旅に旅立つことになろう。
(急所を一撃《いちげき》というのが、唯一《ゆいいつ》の救いだな)
リウイは自嘲《じちよう》気味に思った。
苦しんで死ぬことだけは、どうやら、免《まぬが》れそうだ。それとも恋敵《こいがたき》≠ヘ、例外なのだろうか?
そして、決闘《けつとう》の当日がやってきた。
リウイは約束《やくそく》の刻限《こくげん》よりかなり早く、マイリー神殿《しんでん》にやってきた。
万が一にも刻限に遅《おく》れて、臆病者《おくびようもの》だと思われたくなかったからだ。
決闘にやってきたという割に、リウイの格好《かつこう》は、完全|武装《ぷそう》とはとても言えなかった。買ってまだ間もない剣《けん》を鞘《さや》ごとぶらさげて、鎧《よろい》などはまったく身に着けず、歓楽街《かんらくがい》などに遊びに行くときに着る私服という姿だ。
すでに覚悟《かくご》は決めている。
しかし、あきらめたわけでもない。勝つために、全力を尽《つ》くす気でいる。体力や敏捷《びんしよう》さで、相手の騎士《きし》に劣《おと》っているとは思えない。相手の技《わざ》を見抜《みぬ》けば、勝機はあるとリウイは信じている。
一昨日の事件の噂《うわさ》が広まったためだろう。マイリー神殿には、大勢の見物客が集まっていた。
ファンの街《まち》にはロマールのような闘技場《とうぎじよう》はないから、本物の戦いなど、滅多《めつた》なことがなければ見られない。
残酷《ざんこく》だとか、野蛮《やばん》だとか言いながら、人間には戦いを求める気持ちがどこかにあるのだ。
マイリー神殿は、そんな人間の気持ちの象徴《しようちよう》とも言える場所だ。
決闘に、これほどふさわしい場所はない。
騒《さわ》がれるのも嫌《いや》だったので、リウイは人混《ひとご》みに混《ま》じって見物人のふりをしていた。
見物人たちは、決闘をするのがラムリアースの騎士だということは知っていたが、決闘の相手が誰《だれ》なのかは知らないらしく、勝手な憶測《おくそく》が飛びかっていた。
ロマールの剣闘士《けんとうし》の元|王者《チヤンプ》だとか、あるいは、昨晩、騎士が倒《たお》した賊《ぞく》の頭領《とうりよう》。オーファンの騎士が相手という噂《うわさ》もあった。
候補《こうほ》にあがっている誰もが、リウイより遥《はる》かに強そうだった。決闘の場に、自分が出ていったら、観客たちはさぞかし、がっかりするだろうと思った。
だが、リウイは彼らを喜ばせるために、決闘を行うのではない。もっとも、それではなんのためかと問われると実は答えられない。
「愛ゆえに」などとは死んでもロにしたくない。結局、冒険者《ぼうけんしゃ》になることを決めたときと同じように、自分の心の奥底《おくそこ》にある得体《えたい》の知れない衝動《しょうどう》に突《つ》き動かされたのだろう。
それに、あんな軟弱《なんじやく》そうな騎士には負けたくないという気持ちもある。あいつに勝てないぐらいなら生きていてもしかたがないとさえ思うのだ。
常人《じようじん》には理解できないだろう。
だが、それこそが自分なんだと、リウイは思った。
「……どうやら、間《ま》に合ったみたいね」
リウイが地面に腰《こし》に下ろして、考えに耽《ふけ》っていると、背後から突然《とつぜん》、声をかけられた。
振《ふ》り返ると、眼鏡《めがね》をかけた女性の姿があった。
「アイラじゃないか?」
彼女が見物に来るとは思わなかったので、リウィは少し驚《おどろ》いた。
「最後になるかもしれないんだもの、来るに決まってるじゃない」
リウイが見せた驚きの表情が不満だったらしく、アイラは油紙に包まれた長い棒《ぼう》のような物を乱暴に押《お》しつけてきた。
「あなたへのお土産《みやげ》よ」
「剣《けん》……みたいだな」
「そうよ、古代王国時代のね」
アイラはそう答えて、意味深《いみしん》に笑う。
リウイは包み紙を解《と》いて、鞘《さや》にも収められていない一振《ひとふ》りの剣を取り出した。
周囲にいた見物人たちがぎょっとして、二人のそばからあわてて離《はな》れる。
初夏の日差しに、古代王国時代の剣は、燦然《さんぜん》と刀身《とうしん》を輝《かがや》かせた。防護《ぼうご》の魔法《まはう》がかかっていなければ、五百年以上前の剣が、それほどの輝きを見せるわけがない。
アイラが渡《わた》してくれたのは、間違《まちが》いなく魔法の宝剣《ほうけん》なのだ。
リウイは剣を調べて、エル・アラメインという銘《めい》が古代語で刻《きざ》まれているのを確かめた。
その人物がこの宝剣の魔力付与者《デザイナー》というわけだ。
(エル・アラメイン……)
どこかで聞いた名前だな、とリウイは思った。もっとも、古代王国期の付与魔術師《エンチャンター》には、エルと名の付く人物がやたら多いから、他《ほか》の誰《だれ》かと混同しているのかもしれない。
「苦戦したときには、古代語で暗闇《くらやみ》で踊《おど》れ≠ニ唱《とな》えればいいわ。きっと霊験《れいけん》あらたかだと思う……」
アイラはそう言うと、疲《つか》れたような溜息《ためいき》をついて、リウイの隣に座《となりすわ》りこんだ。
「物騒《ぶつそう》な魔力が発動されるんじゃないだろうな?」
疑いのまなざしを、リウイはアイラに向けた。たとえば、彼女がいつも身に着けている魔法の眼鏡のような……
「もちろん、魔力は発動されるわよ。でも、剣は所有者の手の延長というのが、戦士たち
の言い分。我らがオーファン王リジャールだって、戦場には魔法の剣を携《たずさ》えてゆくわ。決闘だからと言って、魔法の剣を使って文句を言う人はいない。強《し》いて言えば、見物人ぐらいかな」
「それはそうだが……」
アイラの言葉は正論なのだが、リウイはなんとなく釈然《しやくぜん》としないものを感じた。
「相手だって、古代王国時代の剣を持っているわ。条件は、同じよ」
アイラは言って、眠《ねむ》そうに欠伸《あくび》をした。
「それもそうか」
その言葉で、ようやくリウイは納得《なつとく》した。
相手も確か、立派《りつぱ》な剣や鎧《よろい》を持っていたはずだ。それでなくても、リウイのはうが分《ぶ》が悪いのである。それぐらいのことは、許されていいだろう。
やがて、決闘《けつとう》の刻限《こくげん》が近づいてきた。
アイラはいつのまにか、リウイの肩《かた》にもたれて寝息《ねいき》をたてている。どうも、かなり疲れている様子だった。
そのうち、ジーニとミレルが姿を見せて、見物人たちを強引《ごういん》に押《お》しのけて、最前列にどっかりと陣取《じんど》った。
ミレルが目敏《めぎと》くリウイの姿を見つけて、明るく手を振《ふ》ってくる。声援《せいえん》しているのか、それとも別れの挨拶《あいさつ》のつもりなのかは、判断がつきかねた。無邪気《むじやき》な笑顔《えがお》に見えるが、彼女の場合、それが曲者《くせもの》なのだ。
ジーニのほうはリウイに、何の挨拶も送ってこなかった。持参してきた携帯食《けいたいしよく》を袋《ふくろ》から取り出すと、ぽりぽり食べはじめる。完全な観客気分でいるようだ。
次いで、決闘にいたった元凶《げんきよう》というか、張本人《ちようほんにん》とい.うか、神官《しんかん》戦士のメリッサが、姿を現した。そして、彼女は一人の老女を伴《ともな》っている。その老女のことは、リウイもよく知っていた。
マイリー教団の最高司祭たる剣《つるぎ》の姫《ひめ》<Wェニである。オーファンの建国王リジャールの英雄|譚《たん》で、美しく勇ましい従者《じゆうしや》として謳《うた》われているほとんど伝説の女性だ。
リウイの養父《ようふ》である偉大《いだい》なる<Jーウェスも、若き日のリジャール王と行動を共にしていたから、彼女とは旧知《きゆうち》の間柄《あいだがら》だ。
当然、リウイも彼女とは何度も会っている。子供の頃《ころ》から知っているので、リウイにとっては「ジェニおばさん」という感じだ。
そういう知り合いの前で決闘をするというのは、なんとなく恥《は》ずかしい気がした。幼《おさな》い頃の愛称《あいしよう》などを使われて声援《せいえん》されたら、その瞬間《しゅんかん》に戦意は喪失《そうしつ》してしまうだろう。
メリッサも観客たちのなかにリウイの姿を認めて、それから彼の肩《かた》で眠《ねむ》っているアイラにも気がついた。そして、彼女は冷たい一瞥《いちべつ》を残して、最高司祭に向き直った。
どうやら、アイラに肩を貸しているのが、お気に召《め》さなかったようだ。表向きは彼女の愛をかけての決闘だから、たしかに他《ほか》の女性と一緒《いっしょ》にいるのは、彼女としては立場がないかもしれない。
メリッサは、ジェニ最高司祭に何事か耳打ちすると、リウイに指を向けてきた。
それで、最高司祭の視線《しせん》が、リウイの方を向く。そして彼に気づいて、にっこりと微笑《ほほえ》みかけてきた。
(やっぱり、やりにくい……)
ばつが悪くなって、リウイは集中しているふりをして瞑目《めいもく》し、ジェニおばさんの優《やき》しい微笑みから逃《のが》れた。彼にとっては、思いもかけぬ強敵だった。
そしてついに、ラムリアースの騎士《きし》コンラッドが登場した。
その途端《とたん》、見物人たちから、一斉《いつせい》に拍手《はくしゆ》と歓声《かんせい》が巻き起こった。
(ここはオレの地元《ホーム》なんだがな)
リウイは、白《しら》けた気分になった。
観客たちの頭のなかでは、正義の騎士と悪党《あくとう》との対決という図式が勝手にできあがっているようだ。彼らが期待しているのは、騎士様が苦戦の末に悪党を討《う》ち果たすことだろう。
「……どうしたの?」
拍手と歓声の音に、アイラが驚《おどろ》いて目を覚ました。
「そろそろ時間のようだ」
リウイはアイラに答えると、彼女から渡《わた》された剣《けん》を持って、立ち上がった。
そして、決闘の舞台《ぶたい》に向かって進みでる。
それを見て、観客たちのあいだからざわめきが起こった。
明らかに期待がはずれたという雰囲気《ふんいき》だ。
(黒ずくめの格好《かつこう》で来ればよかったかな)
リウイはそんなことを考えた。
死ぬかもしれないというのに、不思議《ふしぎ》に心は澄《す》んでいる。そういう自分の感性を、リウイ自身、少し異常だと思っている。
死ぬのが恐《こわ》くないわけではない。それなのに、一瞬《いっしゅん》ごとに気分は高揚《こうよう》し、力がみなぎってくるのだ。
負ける気がしていないのではないか、とさえ思う。だが、決闘相手は、五人の賊《ぞく》をたった一人で倒《たお》した剣の使い手なのだ。
すでに勝ち誇《ほこ》ったような顔をしているラムリアースの騎士に、リウイは正面から向かいあった。
「いい顔しているじゃない、ウーくん」
そんなリウイの顔を見て、マイリー教団の最高司祭であるジェニはひとりごとを言った。
「えっ?」
隣《となり》にいたメリッサが、怪訝《けげん》そうな顔をジェ二に向ける。彼女は、最高司祭の言葉を確かに聞いたのだが、神にもっとも近いと謳《うた》われる女性がつぶやく言葉とは思えなかったのだ。
「彼が、あなたの勇者なのですね?」
普段《ふだん》の口調《くちょう》に戻《もど》って、ジェニが厳《おごそ》かに訊《たず》ねてきた。
「はい……」
恥ずかしそうにうつむいて、メリッサは答えた。
できれば、見られたくなかったのだが、最高司祭はどうしても立ち会うと言って聞かなかったのだ。
「よく見ておきなさいな。あなたの勇者の戦いぶりを……」
ジェニが言った。
(負けるところをですか?)
メリッサは内心、そう思ったが、それを口に出せるはずはない。
「はじめなさい!」
そして、マイリー教団最高司祭は声高《こわだか》に、決闘の開始を宣言した。
リウイはその声を待ちわびたかのように剣を構え、コンラッドのほうに進んでいった。
儀礼《ぎれい》に則《のつと》って、一度、かるく剣を合わせる。ふたつの魔法の剣の刃が触《やいばふ》れ合って、共鳴したような金属音が響《ひび》いた。
「行くぜ!」
リウイは気合いの声をあげた。
「来い!踊《おど》りの相手≠務めていただこう」
コンラッドが言葉を返してきた。気取《きど》ったつもりか、古代語を交えて……
そして、鋭《するど》い一撃《いちげき》が襲《おそ》ってきた。
リウイは完全に不意をつかれて、肩口《かたぐち》を浅く、切り裂《さ》かれた。歓声《かんせい》と悲鳴の入り混じった声が、観客からわきあがる。
リウイはそのまま後ろに転《ころ》がって、コンラッドから距離《きより》を取った。
「よくぞ、かわした」
コンラッドが余裕《よゆう》とも思える声をかけてくる。
しかしそのとき、リウイはある事実に気がついていた。
(そういうことか!)
そして、心のなかで叫《さけ》んだ。
剣の一撃が襲ってきたとき、リウイは相手が全身の力を抜《ぬ》いたのを確かに見た。
普通《ふつう》、攻撃《こうげき》を仕掛《しか》けるときは、その反対である。剣を振《ふ》るために、力を入れるはずなのだ。殴《なぐ》り合いの喧嘩《けんか》には慣れているので、リウイは相手の筋肉《きんにく》の動きには敏感《びんかん》になっている。仕掛けてくる瞬間《しゅんかん》が、分かるのだ。
ところが、コンラッドの攻撃には不意《ふい》を突《つ》かれた。当然である。攻撃するときに力を抜くなど、常識とはかけ離《はな》れているのだ。
それだけなら、それが相手の剣技《けんぎ》だと思ったかもしれない。
しかし、決闘をはじめるとき、相手は言葉に、古代語を交えていた。
踊りの相手≠ニ……
(分かったぞ、アイラ!)
リウイは思いだしていた。
相手が手にしている剣の銘《めい》を。その剣に魔力を与《あた》えたのは動かざる者<Gル・アラメイン。そして、それは今、リウイが手にしている剣の魔力付与者《デザイナー》でもある。
優雅《ゆうが》な足取りで、コンラッドが近づいてくる。勝利を確信している顔つきだ。
リウイはその顔に唾《つば》を吐《は》きかけてやりたい気持ちになった。メリッサがこの騎士を毛嫌《けぎら》いする理由が、やっと分かったような気がする。
リウイは嘲《あざけ》るような口調《くちょう》で、コンラッドに向かって声をかけた。
「貴様《きさま》など、暗闇《くらやみ》で踊っているのがお似合《にあ》いだぜ」
そして、改めて古代語で暗闇で踊れ≠ニ言いなおした。
思ったとおりの反応《はんのう》が、手に伝わってくる。
剣が自らの意思を持ったように、動きはじめたのだ。
そして、リウイは剣から手を離《はな》した。
その瞬間、剣はまさしく空中を踊るように、コンラッドに向かって飛んでいった。そして、猛然《もうぜん》と彼に攻撃を仕掛ける。
「卑怯《ひきよう》だぞ!」
見物人から次々と罵声《ばせい》があがった。
しかし、彼らは最初からそれを期待していたはずだ。決闘相手が極悪人《ごくあくにん》であることを。
そして、正義の騎士が、この劣勢《れつせい》を跳《は》ね返すことを。
(お生憎《あいにく》だが)
リウイは、心のなかで彼らに呼びかけた。
(勝つのはオレだ)
リウイは不敵な笑《え》みを浮《う》かべながら、相手の背後にまわりこんでいった。
コンラッドは明らかに狼狽《ろうばい》していた。
踊る剣を相手にしているというのに、その視線はリウイに向けられている。しかし、彼の剣は、踊る剣の攻撃を見事に防いでいる。
息の合った一組の男女が、宮廷舞踊《きゆうていぶよう》を舞《ま》っているような趣《おもむき》がある。
「さて、オレたちの決闘をはじめようじゃないか」
リウイはコンラッドの背後に立つと、嘲《あざけ》るように声をかけた。
もはや我慢《がまん》できないというように、コンラッドも自分の剣から手を離した。そして、リウイを振《ふ》り返った。
「な、なんだ?」
信じられない光景に、観客たちからざわめきの声があがる。
当然だろう。主《あるじ》の剣を離れたふたつの剣が、空中で斬《き》り合いを続けているのだ。魔法の発現に慣れていない者には、神か悪魔《あくま》の所業《しよぎよう》に見えるだろう。
不器用《ぶきよう》な動きで、コンラッドは腰《こし》の短剣《ダガー》を抜《ぬ》こうとする。それを見て、リウイは右の拳《こぶし》をかためると、力を込《こ》めて相手の顔面に叩《たた》きつけた。
確かな手応《てごた》えが、拳に伝わる。
そして、コンラッドは仰向《あおむ》けに倒《たお》れていった。そのまま、地面に転がったきり、起きあがってくる気配《けはい》を見せない。
リウイは勝利の声をあげ、観客たちを見回した。だが、そのときには、ほとんどの観客が溜息《ためいき》をつきながら、帰り支度《じたく》をはじめていた。
そのなかで、まばらな拍手《はくしゆ》が起こった。
拍手をしているのはアイラと剣《つるぎ》の姫《ひめ》<Wェニだ。
ミレルとジーニは乾燥肉《ジャーキー》をしがみながら、白《しら》けきった表情をしている。メリッサはと言えば、端正《たんせい》な顔を真《ま》っ赤《か》に染《そ》めて、感情の爆発《ばくはつ》を押《お》さえているかのようだ。
「……こんな、こんな戦いなんて」
やがて、メリッサは耐《た》えきれなくなったように口を開いた。ほっlそりとした全身をわなわなと震《ふる》わせている。
「わたしは不本意です!」
いつもの台詞《せりふ》を残して、メリッサはリウイに背中を向けた。
しかし、彼女の心のなかでは、そのときある変化が起こっていた。
リウイが勇者であるはずがないと、これまで思ってきた。勇者になるには、彼が変わる必要があるとも。
だが、それは間違《まちが》いだったかもしれない。
少なくとも、この決闘をリウイは受ける必要がなかったのだ。コンラッドはともかく、リウイは自分のことを、なんとも思っていなかったのだから。
決して、愛ゆえではない。それなら他《ほか》に理由があるかと言っても、まったく思いあたらないのだ。メリッサは、お世辞《せじ》にもリウイに好意を示してはこなかった。むしろその逆だった。リウイとて、そのことに気付いていないはずがない。
それなのに、命懸《いのちが》けの決闘から逃《に》げようとはしなかった。
そして、怪《あや》しげな魔剣《まけん》によるコンラッドの最初の一太刀《ひとたち》を、リウイは見事《みごと》にかわしている。メリッサには見切ることもできない一撃だったというのに、だ。
決闘の結果は、メリッサには不本意であった。しかし、結果以外は……
「本意……かもしれない」
メリッサはその場で立ち止まって、リウイを振《ふ》り返った。
食人鬼《オーガー》のごとき体格の魔術師は、ジェニ最高司祭と同僚《どうりょう》の女性魔術師から祝福《しゅくふく》を受け、得意そうに笑っていた。
(あの魔術師が、今のままで勇者なのだとしたら……)
メリッサは心のなかで、戦《いくさ》の神に問いかけた。
(いったい、どこがそうなのでしょう?)
リウイたちの背後で、二本の剣はそのときもまだ、踊りつづけていた。
[#改ページ]
あとがき
お楽しみいただけましたでしょうか?
作者がこんなことを言うのも何ですが、水野《みずの》は実《じっ》に楽しくこの作品《さくひん》を書《か》いています。原《げん》稿《こう》を書く速度《そくど》も他の作品に比べれば格段《かくだん》に早い。半日で、連載《れんさい》一回分を書き上げたこともあります。遅筆《ちひつ》で名高《なだか》い水野としては、異例《いれい》ともいえる速度です。楽しんで書いていればこそ、筆《ふで》も早くなろうというもの。そして、なぜ楽しんでいるかといえば、この『魔法戦士リウイ』に登場するキャラクターたちがお気に入りだからです。
水野は小説を書くとき、普通《ふつう》、世界設定からはじめます。そして物語の構想《こうそう》をかためて、キャラクターに役割《やくわり》を振《ふ》り当ててゆく。つまり、最初に世界、物語ありきなのです。
魔法戦士リウイと三人|娘《むすめ》らが活躍《かつやく》する物語はこれまでに、『剣《つるぎ》の国の魔法戦士』と『湖《こ》岸《がん》の国の魔法戦士』の二作品を発表していますが、いずれも物語から最初に考えました。
どちらも自信作ですが、王国間の謀略《ぼうりやく》をテーマにしているので物語の展開《てんかい》がとにかく厳《きび》しい。キャラクターたちを遊《あそ》ばせる@]裕《よゆう》はほとんどありませんでした。せっかく女性キャラクターを何人も用意したのに、これではあまり効果《こうか》がない。
そこで時代を遡《さかのぼ》って、冒険者《ぼうけんしゃ》であった頃のリウイと三人娘の活躍を描《えが》いてみようと思いいたったわけです。
つまり、この『魔法戦士リウイ』のシリーズは、最初にキャラクターありきなのです。
ヤングアダルト小説ではある意味、主流《しゆりゆう》とも言うべき手法《しゆはう》なのですが、水野は今までこの手法を使ったことはありません。使うのを嫌《きら》っていたのではなく、ただ単に使う機会がなかっただけです。しかし、今回はキャラクターを活躍させるのが作品の目的。それならば、この手法を存分に使ってみようと思い、ドラゴンマガジソ誌上《しじよう》で掲載《けいさい》をはじめたわけです。
初めて使った手法なので、最初の頃は苦労《くろう》もしましたが、何回か掲載してゆくうちに次《し》第《だい》に慣れてきました。連載になった今では、完全に手の内に入れたつもりでいます。それとともに、最初にも言いましたが、書くのが楽しくなってきたわけです。作者自身が楽しいのだから、読者にも伝わるに違《ちが》いないと思っています。
キャラクターを活躍させるために書きはじめた小説ですが、『魔法戦士リウイ』の背景《はいけい》世界はあくまで「ソードワールド」。ゲームデザイナーの一人として、その設定には従っているつもりです。制約《せいやく》が多いことを、水野はそれほど気にしません。架空《かくう》世界ならばこそ現実感《リアリティ》が必要だというのが僕の持論で、そのスタンスを変えたわけではないのです。架空世界の法則に従っていても、魅力的《みりょくてき》なキャラクターを描くことは十分に可能。キャラクターの魅力を引き立たせるための物語を用意すればいいだけですから。
読者のみなさんにも、お気に入りのキャラクターを見つけてもらえれば嬉《うれ》しいかぎりです。キャラクター中心でゆくと宣言《せんげん》している以上、期待倒《だお》れに終わらないよう頑張《がんば》るつもりです。どうか、応援《おうえん》よろしくお願いします。
最後に、これからの予定ですが、『魔法戦士リウイ』のシリーズはドラゴンマガジン誌で連載を行いつつ、「試練《しれん》編」という書き下ろしも、同時《どうじ》に展開してゆきたいと思っています。最終的には『湖岸《こがん》の国の魔法戦士』の続編《ぞくへん》、『砂塵《さじん》の国の魔法戦士』、それに続くソードワールド最大最後の事件へと突入《とつにゆう》してゆくわけですが、それは将来《しようらい》の楽しみということで、しばらくのあいだリウイたちには冒険者|稼業《かぎょう》に励《はげ》んでもらうつもりでいます。
初出 月刊ドラゴンマガジン
97年9〜11月号
98年1・2・4・5月号