魔法戦士シリーズ05 呪縛の国の魔法戦士
著:水野良
口絵・本文イラスト:横田守
目 次
第1章 大いなる船出
第2章 大航海の果てに……
第3章 自由|騎士《きし》、永遠《えいえん》の乙女《おとめ》
第4章 決闘《けっとう》!
第5章 火竜《ファイアドラゴン》の呪《のろ》い
第6章 人魚《マーメイド》の涙《なみだ》
第7章 魔竜《まりゅう》ふたたび
あとがき
第1章 大いなる船出
陽《ひ》が落ち、闇《やみ》が一歩ごとに深くなっている。
今日も土を掘《ほ》り起こし、埋《う》もれた岩を取り除《のぞ》く作業を終えて、カラルの村の人々は家路についた。
重労働で身体《からだ》は疲《つか》れてはいるが、充実感《じゅうじつかん》はある。
“火竜《かりゅう》の狩猟場《しゅりょうば》”と呼《よ》ばれているこの大草原は、土地が肥《こ》えており、耕《たがや》せば作物が豊《ゆた》かに実ることを彼らは知っているからだ。
税を納《おさ》める必要もない。それどころか、開拓《かいたく》を始めた頃には食料の配給さえあった。
肥沃《ひよく》ではあるが有史以来、人が住むことがなかったこの大草原を、穀倉《こくそう》地帯にするための王国の政策《せいさく》からだ。
無論《むろん》、開拓が終わるまでの特例ではあるが、収穫物《しゅうかくぶつ》のすべてが自分の物になるということは、大地の糧《かて》を得ることを生業《なりわい》とする者にとって理想である。
家族のため、自分のための労働ならば、いくら苦しくとも耐えられる。カラル村の人々は、夜明けから日没《にちぼつ》まで惜《お》しみなく働いていた。
彼らの心は、明日への希望に満ちている。
だが、そんな彼らの心にも、一抹《いちまつ》の不安が存在《そんざい》していた。最近、この一帯に流布《るふ》するようになったひとつの噂《うわさ》のせいである。
「揺《ゆ》れて……いないか?」
家路を急いでいた村人の一団《いちだん》のうち、ひとりが不安そうにつぶやき、歩みを止めた。
足を止めると、地面が揺れているのがはっきりと分かる。そう大きな揺れではないが、それはしばらくのあいだ続いた。
「また……だな」
別の村人が答え、大地母神マーファの名を唱える。
「あれを見ろ……」
ひとりが南にそびえるすり鉢《ばち》を伏《ふ》せたような形をした山を指さす。
火竜山《かりゅうざん》と呼ばれるこの島でただひとつの火山である。白い噴煙《ふんえん》が、山頂《さんちょう》に細くたなびいている。
その山頂付近が光を放っていた。
溶岩《ようがん》が放つ赤い光ではない。もっと淡《あわ》く、そして青白い光だった。
見た目には、幻想《げんそう》的で美しい。だが、得体が知れない光だけに、薄気味《うすきみ》悪さが勝《まさ》る。そして山からは獣《けもの》が唸《うな》るような音も聞こえてきた。
「山が……吠えている」
誰《だれ》かがかすれた声でつぶやく。
まだ冬には早いが、村人たちは全身に震《ふる》えが走るのを感じていた。
「噂されているように、やはり竜《りゅう》の呪《のろ》いなんじゃあ……」
ひとりが恐《おそ》る恐るそう口にする。
「火竜山の主だったあの魔竜《まりゅう》シューティングスターの……」
その魔竜はもはやいない。
先年、人間の手で退治《たいじ》されたからだ。それゆえ、この大草原、火竜の狩猟場が人間の領土《りょうど》となった。しかし、最近になって、火竜山に異変《いへん》が起きるようになっている。彼らが今まさに体感したように、山が揺れ、鳴き、そして不思議な光を放つ。
それは魔竜が主であった頃にはなかった現象《げんしょう》だった。
「あの人を呼ぼう……」
誰かがぽつりとつぶやく。
「あの人なら、きっとなんとかしてくれる……」
他の全員が大きくうなずく。
「あの自由騎士パーンなら……」
ロードスという名の島がある。
アレクラスト大陸の南に浮《う》かぶ辺境《へんきょう》の島だ。
大陸の住人は“呪《のろ》われた島”とロードスを呼んでいる。
激《はげ》しい戦乱《せんらん》が打ち続き、怪物《モンスター》どもが跳梁《ちょうりょう》する魔境《まきょう》が各地に存在するゆえに――
「……つまり、わたしたちはそんなところに渡《わた》るというわけよ」
魔法の眼鏡《めがね》をかけた女性《じょせい》がため息まじりにそう言った。
アイラである。剣《つるぎ》の王国オーファンの魔術師《まじゅつし》ギルドに所属《しょぞく》する正魔術師であり、王国で最大の商会を経営《けいえい》する商人の娘《むすめ》だ。
「いくらなんでも、いちばん遠いところを最初に選ばなくてもよかったんじゃない」
黒髪《くろかみ》の少女がため息をつく。
彼女の名はミレル。オーファンの盗賊《とうぞく》ギルドの一員で、今はオーファン王国の密偵《みってい》となっている。
「そう言っていると、いつまでたっても後回しになってしまうからな」
燃《も》えるような赤毛をした長身の女性が苦笑《くしょう》まじりに言う。
ジーニだった。ヤスガルン山脈の小部族出身の狩人《かりゅうど》であり、戦士でもある。
「最初の試練にふさわしいというべきですわ」
豪奢《ごうしゃ》な金髪《きんぱつ》をした女性が相槌《あいづち》を打つ。
彼女はメリッサ。戦神マイリーに仕《つか》える侍祭《じさい》にして神官戦士だ。
「とにかく決めたことだ。みんなには大変だろうが……」
長身でごつい体格《たいかく》をした長髪の男が、申し訳《わけ》なさそうに言う。
リウイである。オーファンの|妾腹の王子《バスタード》にして魔法戦士《ルーン・ソルジャー》。
彼らは今、賢者《けんじゃ》の国オランを離《はな》れ、砂塵《さじん》の王国エレミアの街へと戻ってきていた。
その理由が呪われた島と称《しょう》されるロードスへと渡るためなのである。ロードスからの交易船《こうえきせん》が来航《らいこう》するのは、この国の港だけだからだ。
「ま、あの男に頼《たの》めば事は簡単《かんたん》さ」
リウイは気楽に考えている。
あの男というのは、他でもない。最近、このエレミアの王となったシュメールである。
「それも、あまり気は進まないんだけど」
ミレルがため息をつく。
「また、後宮《ハーレム》で酒宴《しゅえん》が続くのですか?」
メリッサがため息をついた。
「あの衣装《いしょう》に着替《きが》えさせられるのだけは、ごめんだぞ」
ジーニが身を震わせる。
「魔法の宝物庫《ほうもつこ》には興味《きょうみ》があるんだけどなぁ」
アイラが苦笑をもらした。
「しかたないだろ、それが最良の方法なんだから。下手《へた》に小細工をすると、また面倒《めんどう》な騒動《そうどう》に巻《ま》き込《こ》まれる。冒険者《ぼうけんしゃ》時代ならそれもおもしろいが、今、オレたちに与《あた》えられている使命を思うとな」
「たしかにね」
ミレルはしかたないという表情《ひょうじょう》でうなずく。
しかし、
「でも、あの衣装のことだけは譲《ゆず》れないからね」
と、念を押《お》す。
「ああ、それはオレが保証する」
リウイはそう答えて、まかせておいてくれと胸《むね》を叩《たた》いた。
そしてエレミアの王城《おうじょう》を訪《たず》ね、私的な用件《ようけん》であると断《ことわ》りを入れたうえで、エレミア王シュメールに謁見《えっけん》を申し込んだのである。
エレミア王からは快諾《かいだく》の返答があった。
しかし、私的な用件ゆえ、王城で謁見するというわけにはゆかず、退城後《たいじょうご》、後宮を訪ねるようにと言われた。
予想していた展開《てんかい》である。無論《むろん》、断るわけにもゆかず、リウイたちは夕刻《ゆうこく》になってから後宮に向かい、シュメールと再会を果たした。
当然のように、歓迎《かんげい》の酒宴となる。それも、およそこの世で考えつくかぎり、最高に贅沢《ぜいたく》な酒宴だった。
大陸各地から集められたエレミア王の妾妃《しょうひ》に囲まれ、最高の料理と最高の酒が尽《つ》きることなく供されてくる。
楽団《がくだん》が音楽を奏《かな》で、役者や曲芸師、そして道化師《どうけし》たちが場を盛《も》りあげる。
だが、それを楽しむことがエレミアにやってきた目的ではない。宴《うたげ》が一段落《ひとだんらく》ついたのを見計らって、リウイはシュメールに本題を切りだした。
呪《のろ》われた島に渡りたい、と告げたのだ。
「呪われた島だと?」
それを聞いたシュメールは驚《おどろ》きを隠《かく》せなかった。
「いつもながら、おまえの言葉には意表をつかれる……」
と、苦笑する。
「どうして渡りたいかは、今は訊かないでほしい。時期がくれば必ず話すから」
リウイはそう言って、頭を下げる。
「承知《しょうち》した」
シュメールは、大きくうなずいた。
重大な理由があっての渡航《とこう》であるとは容易《ようい》に察知できる。しかし、エレミア王はリウイが言ったとおり、何も問わなかった。
「呪われた島との交易船は、この国の港にしか入らないと聞いている」
リウイはエレミア王に礼を言ったあと、わずかに身を乗りだして言う。
「向こうから交易船が来航するだけだ。我《わ》が国の商人が交易船を出したことはない。貧《まず》しい島ゆえ、我々《われわれ》にとっては危険《きけん》を冒《おか》してまで大海を渡《わた》る益《えき》がないからな」
「どのような島なのですか?」
ともすればずれ落ちそうになる魔法《まほう》の眼鏡《めがね》を手で直しながら、アイラが訊《たず》ねる。
彼女はオランに滞在《たいざい》しているあいだに、様々な書物を調べ、そして彼女がはめている指輪に囚《とら》われている精霊《せいれい》シャザーラの知識《ちしき》も借りた。
しかし、分かったのは呪われた島の過去《かこ》であり、現在《げんざい》ではない。
「呪われた島の名のとおり、魔物どもが跳梁《ちょうりょう》し、戦乱《せんらん》は絶《た》えることがないと聞いている。特産品と呼《よ》べるようなものはなく、文明も技術《ぎじゅつ》も大陸に比《くら》べれば、劣《おと》っているというしかない……」
「辺境《へんきょう》だものな。文明は西方の都市国家|同盟《どうめい》が最先端《さいせんたん》だ。自由人の街道《かいどう》を通って、文明は西から東へと伝わると言われている」
リウイがうなずく。
「伝えているのは我が国の商人だよ。大陸中の文化、技術もここに集まる。もっとも、我が国の職業《しょくぎょう》ギルドは質《しつ》より量が流儀《りゅうぎ》だがな」
シュメールが苦笑《くしょう》する。
「この国に富《とみ》が集中するのも当然というわけか」
リウイがため息をついた。
「大陸中の美女も、この国に集まるしな」
「残念ながら、妃《きさき》として迎《むか》えたい女性《じょせい》を四人も、どこかの王子に奪《うば》われてはいるがね」
シュメールが言って、リウイの左右に並《なら》ぶ女性たちに目を向ける。
「その話題は、やめにしてくれ」
シュメールの言葉に、リウイがあわてて言った。
ジーニ、メリッサ、ミレルの三人は、後宮《ハーレム》という存在《そんざい》そのものを嫌悪《けんお》している。アイラにしても理解はあるものの、好感を持っているわけではない。
この話題が続くと、いつ彼女らの機嫌が悪くなるか分からないのだ。
「彼《か》の地にもこの後宮にふさわしい女性がいたら、勧誘《かんゆう》してもらおうかと思ったのだが……」
「お断りいたします」
リウイが口を開くよりまえに、メリッサが即答《そくとう》した。その顔は微笑《ほほえ》んではいたが、無言の圧力《あつりょく》を感じさせる。
シュメールはわずかに肩《かた》をすくめた。冗談《じょうだん》ではなく、本気の言葉だったのだろう。
「呪われた島の港街ライデンの交易《こうえき》商人と、その街を支配《しはい》するフレイム王国のカシュー王への紹介状《しょうかいじょう》は書こう。もっとも、正式な国交などないゆえ、これがどの程度《ていど》の便宜《べんぎ》になるかは保証《ほしょう》しないぞ」
「フレイム王カシュー?」
シュメールの言葉に、リウイは首をかしげた。
「どうかしたか?」
「いや、噂《うわさ》で聞いただけなんだが、呪われた島にあって、そのライデンとかいう港街だけは楽園のようなところだと。王というものがおらず、街の住人から選ばれた評議員《ひょうぎいん》による自治が行われている……」
「最近までは、な」
シュメールは憮然《ぶぜん》とした表情《ひょうじょう》で答えた。
「王が統治《とうち》しない場所を、楽園というべきかは疑問《ぎもん》だがな。王というものは、たしかに民《たみ》を支配し、そして民によって養われている。しかし、それゆえ民を愛している。もしも国政《こくせい》が悪ければ、それは王の責任《せきにん》だ。王を打倒《だとう》し、入れ替《か》えてしまえばいい。国を我がものと思わぬ輩《やから》が統治者になどなれば、国を食い物にし、私腹《しふく》を肥《こ》やすことに専念《せんねん》しよう。しかも、そういう輩は、自らの不正をたくみに隠すから、取り除《のぞ》くのは容易ではない。また、取り除くことができたとしても、次から次へと現《あらわ》れようしな」
「そんなものかもな……」
リウイは苦笑《くしょう》した。
「たしかに、他人の金だと思えば、いくらだって遣《つか》えるからな」
どういう体制《たいせい》であろうと、大勢《おおぜい》の民が幸せなら、それはいい国ということだ、とリウイは思っている。
「それで、そのフレイム王というのは、いったいどういう人物なんだ?」
リウイは話題を変えて、シュメールに訊ねた。
「二十年ほど前に、アレクラスト大陸から渡った男で、最初は呪《のろ》われた島の砂漠《さばく》で暮《く》らす小部族の傭兵《ようへい》として雇《やと》われたらしい。フレイムという王国は、その砂漠の部族がこの傭兵を王に担《かつ》ぐことで建てられた新興国《しんこうこく》だ」
「傭兵だった男を王に?」
リウイが顔をしかめる。
「聞いたこともない話ね」
アイラが怪訝《けげん》そうにする。
「それゆえ、傭兵王とも呼《よ》ばれているそうだ」
シュメールが言った。
「そして、またの名を剣匠《ソードマスター》……」
「剣匠とは、それはまた大仰《おおぎょう》な称号《しょうごう》だな」
リウイが苦笑をもらした。
もっとも王という人種は、とかく自分のことを誇張《こちょう》したがるものだから、その称号どおりの腕前《うでまえ》かどうかはわからない。
「そう言えば、昔、ロマールの剣闘士《けんとうし》に同じ称号で呼ばれた男がいたな。名前はたしか、ルーファスと言ったが……」
ジーニが思い出したようにつぶやく。
「無敵《むてき》の王者で、最後には自由を勝ち取って引退《いんたい》したという。その後、冒険者に転じ、大成功を遂げて……」
そこまでを言って、ジーニがハッとする。
「どうしたんだ?」
それに気づいて、リウイが訊ねる。
「莫大《ばくだい》な財宝《ざいほう》とともに南の島へと渡《わた》ったと聞いた。そう遠くない過去《かこ》の話だが、あまりにもできすぎているので、ほとんど伝説と化しているが……」
「そのルーファス様とカシュー様が同一人物だとすれば、まさしく本物の勇者ですわね」
メリッサが両手を胸《むね》のまえで組んで、うっとりとした表情になる。
「無敵の剣闘士、成功した冒険者《ぼうけんしゃ》、そして辺境《へんきょう》に渡って傭兵から身を興《おこ》し一国の王にまで……」
本意ですわ、とメリッサはつぶやいた。
「オレには無理だからな」
リウイが苦笑する。
「いえ、勇者への道はひとつではありませんから」
メリッサはあわてて言った。
「本人に会って確《たし》かめてみることだな」
シュメールが笑う。
「幸いなことに、ちょうど呪われた島からの交易船《こうえきせん》が入港している。港にある水軍の砦《とりで》を訪《たず》ねてくれ。伝令を出して、子細は伝えておこう」
「それは好都合というものだ。何ヶ月も待つのかと、思っていたんだが……」
リウイは目を輝《かがや》かせた。
「月に一|隻《せき》、二隻は来航《らいこう》してくる。だが、危険《きけん》な航海になるぞ。嵐《あらし》や海の魔物《まもの》、それに呪われた島の近海には海賊船《かいぞくせん》も出没《しゅつぼつ》するそうだからな」
「ああ、覚悟《かくご》はできているさ」
「おまえという男は、障害《しょうがい》が大きければ大きいほど、楽しそうな顔をするのだな」
シュメールがそう言って笑う。
「船の出航までは、まだ日数もあろう。それまでは、この後宮《ハーレム》でゆっくりとしていてくれ。妃たちもおまえたちとの再会をとても喜んでいるのだ……」
無論《むろん》、リウイに断《ことわ》る理由はなかった。呪われた島へ渡る景気づけとしては、この後宮での酒宴《しゅえん》に勝《まさ》るものはないのだから……
エレミアの港は、言うまでもなくアレクラスト大陸最大の貿易《ぼうえき》港である。
大小の倉庫が建ちならび、桟橋《さんばし》には何十、何百という船が係留《けいりゅう》されている。沖《おき》にも数え切れないほどの船影《せんえい》が見える。
広場や通りには大勢の人が行き交い、けたたましいばかりの活気に満ちている。
荷物を担《かつ》いで倉庫と桟橋とを往復《おうふく》する荷役。
思い思いの場所に品物を広げる露天《ろてん》商。
それを目当ての買い物客。
ひとときの休息に酒場や屋台へと繰りだす船乗り。
馬車馬や騾馬《らば》、駱駝《らくだ》といった動物たちの姿《すがた》もあり、潮《しお》の香《かお》りにまじって、芳《かぐわ》しいとは言い難《がた》い臭《にお》いも漂《ただよ》ってくる。
昨晩の豪勢《ごうせい》な宴《うたげ》の翌日《よくじつ》ということもあり、リウイたちは昼近くにようやく目が覚めて、ここエレミア港へと足を運んできたのだ。
港にあるエレミア海軍の砦に立ち寄《よ》ると、案内役としてふたりの衛兵《えいへい》がつけられた。
衛兵たちに先導《せんどう》されて、リウイたちは今、港を歩いている。
目指すのは桟橋に係留されている呪《のろ》われた島から来航した貿易船だ。
「あれが、そうです」
緊張《きんちょう》した声で、衛兵のひとりが一|艘《そう》の船を指さした。
「あれが、だって?」
その船を見て、リウイは思わず愕然《がくぜん》となった。
桟橋に係留されているなかでも、決して大きくはなく、そして新しくもない。
「あんな船で、よく外洋を航海できたもんだな……」
南の島から来たのだから、もっと大きな船を予想していたのだ。
帆のようなものはついているが、それは追い風を受けるためのもので、風を切って進むためのものではない。
甲板《かんぱん》はあるが、船倉はせいぜい三層ほどだろう。左右に櫂《かい》をだすための小窓《こまど》がついているところを見ると、人力で進むガレー船ということだ。
「我々《われわれ》も、疑問《ぎもん》なのですが、船員たちの話によれば、五十隻に一隻ぐらいしか沈《しず》まないのだそうです」
「五十回航海した船員は、誰《だれ》も生きていないということなんだけど……」
案内役の衛兵の言葉に、アイラが顔をしかめた。
「しかも、最初の一回が安全とは限《かぎ》らないからな……」
ジーニが呪払《じゅばら》いの紋様《もんよう》に手をかけながら、ぼそりと言った。
「良き航海をお祈《いの》りしております」
不安そうな表情《ひょうじょう》で衛兵が言う。
「まあ、なんとかなるだろうさ」
リウイは気楽に答えた。
どんなに危険だろうと行くしかないのだから、余計《よけい》な心配をしていてもしかたない。
「ありがとう。あとはオレたちだけで交渉《こうしょう》してみる」
「承知《しょうち》しました……」
と、衛兵は恭《うやうや》しく答えた。
「もしも、拒否《きょひ》されるようなら、わたしたちに申し付けください。この国への入港|許可《きょか》を取り消すと脅《おど》してやれば、向こうは従《したが》うしかありませんから」
「いざとなったら、頼《たの》む」
そういう事態《じたい》になってほしくはないが、何としてでもあの船に乗り込《こ》まないといけない。
リウイは意を決して、交易船へと向かった。
「なんだ、おまえたちは……」
桟橋に腰を下ろし、酒を飲んでいた船員たちは、リウイたちが近づいてくるのに気づくと、殺気をこめたような鋭《するど》い視線《しせん》を投げかけてきた。
リウイはうなじの毛がちりちりと逆立つのを感じた。
ジーニたちと一緒《いっしょ》に冒険者稼業《ぼうけんしゃかぎょう》を続けてきたおかげで、危険《きけん》を嗅《か》ぎとる感覚は磨《みが》かれている。
(なんなんだ、こいつらは)
リウイはわずかに目を細めた。
男たちは立ち上がり、リウイたちの行く手を遮《さえぎ》るように、桟橋いっぱいに並《なら》ぶ。
(さて、どうしたものか)
リウイはちらりとジーニを見た。
当然のように、彼女と目が合う。そして赤毛の女戦士は、男たちに気づかれないほどの目配せをした。
リウイも小さくうなずきかえす。
そして、ふたりだけで男たちのところへ歩みよる。
そして、
「船長に会わせろ」
と、切りだした。
「なんの用事だ?」
船乗りたちのなかで、年配のひとりが凄《すご》みを利《き》かせながら声をかけてくる。
誰《なまり》の強い共通語《コモン》だった。
魔法《まほう》王国時代に日常《にちじょう》語とされた下位古代語《ロー・エンシェント》から派生《はせい》した言葉なので、大陸のみならず、呪われた島でも使われている。
もっとも、共通語を話せる人間の割合《わりあい》はそれほど多くはない。
「オレたちは、呪われた島へと渡りたいんだ。運んでくれ」
リウイは単刀直入に言った。
「正気なのか、おまえたちは?」
リウイの言葉に、船乗りたちは互いに顔を見合わせて、下品な笑い声をあげた。
「あいにく正気だ」
「おまえたち、ふたりがか?」
「いや、あそこにいる三人も一緒《いっしょ》だ。それと、あとひとり。また乗り物となる大型の動物も、運び入れたい」
リウイは答えて、メリッサ、ミレル、アイラの三人を顎《あご》で示《しめ》した。
「いったい、どんな理由で……」
船員たちは欲望《よくぼう》をむきだしにしたまなざしで、彼女ら三人をじろじろと見る。
メリッサはすました顔で、ミレルはきょとんとした表情で、そしてアイラはそわそわした態度を見せながら、男たちの視線を受けとめた。
「あとのひとりも女で、若《わか》い娘《むすめ》だ」
リウイはニヤリとしながら言った。
「おまえたち、人買いか?」
「この国の後宮《ハーレム》に売り込もうとして連れてきたんだが、な」
リウイは相手の話に合わせることにした。
「正真|正銘《しょうめい》、大陸出身の女だ。呪われた島に渡れば、価値《かち》も出ようってものだ」
リウイが言うと、船員は下品な笑い声をあげながら、だろうな、とうなずく。
「いいだろう、船長に話を通してやる」
船員は恩着《おんき》せがましく言った。
「ああ、頼む……」
ジーニが無愛想《ぶあいそう》に言うと、懐《ふところ》から小さな巾着《きんちゃく》を取りだし、男に手渡した。
ずしりとした重みに、男は一瞬《いっしゅん》、驚《おどろ》いたようになり、ついで満足そうな笑《え》みを浮《う》かべた。
巾着のなかは砂金《さきん》がぎっしりと詰《つ》まっていることを悟《さと》ったからである。
「船賃《ふなちん》も無論《むろん》、用意してある」
ついで、リウイが腰にぶらさげた袋《ふくろ》を取り出し、結びをほどき中身を確《たし》かめさせる。
形も色も、大きさも様々な宝石《ジェム》がぎっしりと詰まっている。
宝石はそれぞれ価値が決まっており、そのまま使うこともできるし、両替商で銀貨や金貨に交換《こうかん》することもできる。高価なものになると、一|個《こ》で金貨の何百倍もの値《ね》がつく。
もっとも、宝石は偽物《にせもの》も多く出回っているし、ある程度《ていど》の目利《めき》きでないと、価格《かかく》の鑑定《かんてい》ができない。それゆえ、日常の買い物などでは、あまり使われない。小さな店では使用を断《ことわ》られることもあるぐらいだ。
そして金貨を宝石に換《か》えるとき、またその逆《ぎゃく》のときも、両替商は手数料を取る。その割合も決してばかにはならないので、一般《いっぱん》の人々は宝石を持つことを疎《うと》む。
宝石がいっぱいに詰まった袋を見て、船員たちの目の色が変わった。
そして顔を見合わせてうなずきあう。
(これで断られるということはないな)
リウイは心のなかでつぶやいた。
(ただ、問題は海へ出てからだが……)
リウイは苦笑《くしょう》を浮かべると、なんとかするさ、と自分を納得《なっとく》させる。
そしてリウイが予想したとおり、交易船《こうえきせん》の船長との交渉《こうしょう》はあっさりとまとまった。
リウイたちは船員たちが寝泊《ねと》まりする大部屋をひとつ提供《ていきょう》され、荷物や乗り物も船倉に入れていいということになった。
無論、その分、搬入《はんにゅう》する貨物が減《へ》ることになるから、それなりの値段《ねだん》を船賃として要求される。だが、リウイが思っていたほどの値段ではなかった。
(ま、そんなところだろうな)
リウイは船長に感謝《かんしゃ》の言葉を述《の》べて、いったん交易船から下りた。
無論、そのあいだに船員たちの数や船の構造《こうぞう》、さらには、荷物などを可能《かのう》なかぎり頭に叩きこんでおく。
船の出航は三日後ということだった。
リウイはそのときまでに、支度《したく》をしておくと伝えて、交易船をあとにした。
三日後、リウイたちは船旅の支度をすっかりと済《す》ませて、交易船へと乗り込んだ。
十数頭もの生きた子羊を船底に押《お》し込み、荷物を何箱にも分けて、与《あた》えられた大部屋へと運びこむ。
武器《ぶき》はリウイとジーニだけが携帯《けいたい》しておく。そして残りの三人には比較《ひかく》的|贅沢《ぜいたく》な衣装《いしょう》を身に着けさせた。
船乗りたちが勝手に誤解《ごかい》したように、人買いの商人とその護衛《ごえい》、そして身売りされた娘を装《よそお》ったわけだ。
夕刻《ゆうこく》近くになって、船はエレミアの港をゆっくりとあとにした。
アレクラスト大陸を離《はな》れ、呪《のろ》われた島まで、およそ二十日の航海《こうかい》と聞いている。
「あれだけの羊を、どうしようというんだい? まさか、ロードスで羊牧場でも始めようというんじゃないだろうな」
沖《おき》へ出た頃、リウイたちの当番になったという船員が部屋を訪《たず》ねてきた。
「あれは餌《えさ》なんだ」
リウイは船員に説明する。
「餌って、女たちのか?」
船員が顔をしかめる。
「食料はたっぷり積んである。わざわざ船のなかで生きた羊を調理しなくても……」
「必要なんだ。そのうち分かるさ」
リウイは曖昧《あいまい》に返答する。
正直なところを話しても、どうせ信用してもらえるはずがない。
だが、あの子羊たちは正真正銘の餌なのだ。他《ほか》でもない火竜《かりゅう》クリシュの……
「そういえば、もうひとり乗り込むはずだったという女はどうなっている?」
「それを説明するのも、大変なんでな」
リウイが苦笑をもらす。
竜司祭《ドラゴンプリースト》の娘ティカが竜に乗り、後からやってくるわけだが、やはり説明する気にもならないし、説明しても信じるとは思えない。
「はっ、逃げられたんだろう。よくある話さ」
船乗りはひとりで納得すると、大声で笑った。
「そんなことじゃあ、立派《りっぱ》な人買いは勤《つと》まらないぜ」
「かもしれない。だから、呪われた島まで行くはめになった」
「無事に到着《とうちゃく》すれば、な」
船乗りは意味ありげに言う。
「そいつは、あんたたちの腕前《うでまえ》しだいだろ。信用しているぜ」
「ああ、まかせな」
当番の男は鷹揚《おうよう》にうなずくと、食事の時間を訊《たず》ねてきた。
「いや、食料も酒も、必要な分は調達してある。かまわないでくれ……」
「そうか。羊をしめるときには、オレたちにもわけてくれよ。塩|潰《づ》けの魚や乾肉《ほしにく》ばかりじや、さすがに飽《あ》きがくるからな」
船員はそう言うと、ばたりと扉《とびら》を閉《し》めた。
「外から鍵《かぎ》でもするかと思ったけど……」
船員の気配が消えるのを確《たし》かめて、ミレルがすっくと立ち上がると、おもむろに着ていた衣服を脱《ぬ》ぎ捨《す》てた。
その下にはいつもの服を身に着けている。
「ミレルは、どう見た?」
リウイが振《ふ》り返って訊ねた。
「どうもこうも、リウイの予想どおりだと思うよ。船内のあちらこちらに血が染みているし、柱や壁《かべ》にも刃物《はもの》の跡《あと》がある」
「そうか」
リウイはうなずいた。
「それじゃあ、今日はゆっくりと休まないとな。目が覚めたら、大仕事が待っているぞ」
リウイはむしろ楽しそうな表情《ひょうじょう》を浮かべて、みんなに言った。
「なんで、こうなるのかしら……」
アイラがため息まじりに首を横に振る。
彼女は今、魔法の眼鏡《めがね》をかけておらず、あでやかなドレスに身を包んでいた。
「だから、言ったじゃない。あいつの行く先々には騒動《そうどう》が待っているって」
ミレルがなぜか得意そうに言う。
「だから、覚悟《かくご》はできているわよ。でも、愚痴《ぐち》ぐらい言ったっていいじゃない」
アイラはすねたような顔をした。
「ま、これも試練と思えば……」
メリッサも神官衣ではなく、貴族《きぞく》の令嬢《れいじょう》といった衣服だが、彼女はまさにそのとおりの生まれなので、まったく違和感《いわかん》が感じられない。
革製《かわせい》の大型の衣料箱に優雅《ゆうが》に腰《こし》かけ、港で仕入れた紅茶《こうちゃ》を、陶器《とうき》の杯《カップ》に注いで味わっている。
「手段《しゅだん》は選んでいられないからな。強引《ごういん》なぐらいでちょうどだ」
ジーニがどっかりと床《ゆか》に腰を下ろし、背中《せなか》の大剣《グレートソード》をはずした。
そして、そのままごろりと横になる。
室内を照らしていた洋燈《ランプ》の灯《あか》りをメリッサが吹《ふ》き消すと、窓《まど》もない室内は真の暗闇《くらやみ》となった。
その暗闇のなか、メリッサとアイラが着替《きが》えをする衣擦《きぬず》れの音が、しばらくのあいだ響《ひび》いた。
「まったく、馬鹿《ばか》な奴《やつ》らだ……」
海賊刀《カトラス》を手にした十人あまりの船員が、リウイたちが寝入《ねい》っているはずの扉のまえに集まったのは、夜半をすぎてからだった。
「この船を、ライデンからの交易船《こうえきせん》と勘違《かんちが》いしやがって……」
そう言って忍《しの》び笑いをもらすのは、リウイたちに当番だと名乗った船乗りだった。
「正しいじゃないですか。この船は間違いなく、ライデンの商人が保有《ほゆう》する交易船だ」
別の船乗りが答える。
「もう違うってんだよ。オレたちマーモ帝国《ていこく》の水軍が乗り組んでいる以上は、な」
「ああ、この船は今やマーモ帝国の私掠《しりゃく》船“隻眼《せきがん》の髑髏《どくろ》”号よ」
船乗りたちが、言葉をかわしあう。
「それにしても、お頭《かしら》も考えたものだな。この船を使って、ただ海賊《かいぞく》をするんじゃなく、そのまま交易船になりすますなんて……」
「交易帰りの船を奪《うば》ったんなら、話は違ったんだが、行きの船だったからな。手形も手に入れたことだし、このほうが何倍もの儲《もう》けになる」
「おまけに、予想もしなかった獲物《えもの》まで飛び込《こ》んでくるのだからな……」
「若い女が四人。あの大女だって、そう捨てたもんじゃない」
「ああ、この航海は楽しいものになりそうだ……」
「女だけじゃねぇ。あいつらが、持ち歩いていた宝石《ジェム》も相当な金になるぞ」
「分け前も期待できるってわけですね」
船乗りたちの表情は、歓喜《かんき》に輝《かがや》いていた。
「踏《ふ》み込むぞ! 一気に片《かた》をつける!!」
乗客たちに当番だと名乗っていた船乗りが、号令をかける。
彼はこの船の切り込み隊長を自任《じにん》している。次に船を乗っ取ったら、彼がその船の船長になるはずだ。
(オレにも運が向いてきたんじゃないか?)
男はそう思いながら、扉《とびら》を蹴破《けやぶ》った。
しかし、彼の予感は見事に裏切《うらぎ》られることになる。
「遅《おそ》かったな」
そんな声とともに、真っ暗だった部屋に突然《とつぜん》、まばゆいばかりの光が輝いた。
「な、なんだ、おめえら……」
青白い光に照らされた乗客たちの姿《すがた》を見て、マーモの水軍を自任する船乗りたちは動揺《どうよう》した。
大柄《おおがら》の女戦士をのぞいて、乗船したときとは、まるで格好《かっこう》が変わっていたからだ。
金髪《きんぱつ》の令嬢《れいじょう》は戦《いくさ》の神の神官衣に身を包み、黒髪《くろかみ》の少女は短いスカートとシャツの上に革製のベストを着ている。あでやかなドレス姿だった女性《じょせい》は、深紅《しんく》の長衣《ローブ》に身を包み、奇怪《きかい》な眼鏡《めがね》をかけている。
ただひとりの大男は、白銀に輝く甲冑《かっちゅう》に身を包んでいた。
そして、全員が武器《ぶき》を手にしている。
「おめえら、もしかして冒険者《ぼうけんしゃ》――遺跡荒《いせきあ》らし、か!」
「そういうこった」
リウイが拍手《はくしゅ》をしてみせる。
芝居《しばい》がかった態度《たいど》だが、それも計略のうちである。
「この船はオレたちがいただく。命が惜《お》しかったら、おとなしく従《したが》うんだな」
リウイは大声をあげて凄《すご》んだ。
それと同時に、ミレルが右手に隠《かく》し持っていた短剣《ダガー》を素早《すばや》く投げた。また、メリッサが神聖魔法《しんせいまほう》の〈気弾《フォース》〉の呪文《じゅもん》を、アイラが古代語魔法の〈|光の矢《エナジーボルト》〉を威嚇《いかく》のために放つ。
「オレたちにそんな虚仮威《こけおど》しは利《き》かねぇぜ」
先頭を切って部屋に入ってきた男が、叫びかえした。
「どうやら、痛《いた》い目をみないと分からないようだな……」
リウイが鼻で笑う。
彼は魔法王《ファーラム》の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた魔法の剣《けん》を手にしていたが、それをここで使うわけにはゆかない。柱どころか、船体さえも紙のように切り裂くことができるからである。
(この鎧《よろい》を着ていたら、拳《こぶし》で十分だな)
リウイは心のなかでつぶやく。
彼が着ている鎧も、ヴァンが鍛えた鎧“番兵《センチネル》”である。それも生きている鎧だった。空中都市レックスの廃墟《はいきょ》で手に入れたものだ。
ヴァンが鍛えた魔法の剣は、あと九本この世界に存在《そんざい》している。
それを集めることが、リウイたちの当面の使命となる。そしてそのための貴重《きちょう》な手がかりも、リウイたちは得ていた。
ヴァンは自らが鍛えた魔法の武器と防具《ぼうぐ》の一覧表《リスト》とその存在位置を示《しめ》す金属《きんぞく》の円盤《えんばん》を作成していたのである。
そして、リウイたちはもっとも遠い位置にある魔法の剣を求めて、呪《のろ》われた島に渡《わた》る決心をした。それゆえ、この交易船に乗り込まねばならなかったのだ。
だが、この交易船はどうやら海賊に奪われたらしい。船乗りの態度や雰囲気《ふんいき》を見て、リウイはそう予感し、船内を確《たし》かめて確信《かくしん》を抱《いだ》いたのだ。
だが、時間が惜《お》しいので、危険《きけん》を承知《しょうち》で乗船したのである。
つまり、こういう事態になることは予想|済《ず》みなのだ。当然、備《そな》えてもいる。
「男は殺せ。女も抵抗《ていこう》するようなら、容赦《ようしゃ》はするな」
殺戮《さつりく》と略奪《りゃくだつ》に慣《な》れた海賊らしく、リウイの恫喝《どうかつ》に、男たちは怯《ひる》まなかった。
そして海賊刀《カトラス》を振りかざして襲《おそ》いかかってくる。
「かかってきやがれ!」
リウイは大声で吠えた。
その声を聞くまでもなく、海賊たちはリウイに殺到《さっとう》してきた。
リウイは海賊刀を鎧の腕《うで》で受け止め、そして拳で殴《なぐ》りつけてゆく。
指の先まで、金属で覆《おお》われた完全な全身鎧だ。しかも、拳の部分には小さな突起《スパイク》までついている。
それだけで、十分な凶器《きょうき》だった。
海賊たちはリウイの拳の一撃《いちげき》を受け、ひとりまたひとりと倒《たお》れてゆく。
そしてジーニたちに襲いかかっていった海賊たちも悲惨《ひさん》な運命が待ち受けていた。
ジーニの小剣《ショートソード》で、メリッサの戦槌《ウォーハンマー》で、ミレルの短剣《ダガー》で、腕や足の筋《すじ》を切られて、床《ゆか》を転げまわる。
ただひとり部屋の隅《すみ》に逃《のが》れ、戦いには参加しなかったアイラだが、何人かの海賊が彼女に襲いかかろうとした。
アイラは勇気を奮《ふる》い起こし、洋燈《ランプ》の精霊《せいれい》シャザーラの魔力を借りた強力な古代語魔法で、それを退《しりぞ》ける。
戦いは一方的だった。
リウイは、海賊たちがすぐに降伏《こうふく》するだろうと思っていた。
そして彼らを働かせて、呪われた島へと渡るつもりだったのである。
しかし、海賊たちはいくら傷《きず》つこうと、犠牲者《ぎせいしゃ》が出ようと怯まなかった。仲間たちの呼《よ》びかけに応《こた》え、次々と新手が駆《か》けつけてくるし、傷ついた者や意識《いしき》を失っていた者も、ふたたび立ち上がると向かってくる。
「オレたちはもはや、海賊じゃねぇ。マーモ帝国の水軍なんだ! 大陸生まれの遺跡荒らしごときに負けるわけにはゆかねぇ!!」
最後には、船長らしき男まで駆けつけ、そう檄《げき》を飛ばす。
「おおっ!」
船乗りたちはそれに、怒号《どごう》で応える。
敵《てき》が必死になって戦う以上、リウイたちとしても、手加減《てかげん》などしていられない。海賊《かいぞく》たちの急所に、それぞれの武器をたたき込んでゆくしかなかった。
そうしないと、自分たちのほうが命を落とすことになる。
(まるで戦争だぜ……)
リウイは心のなかで吐《は》き捨《す》てた。
(これが、呪われた島の海賊なのかよ)
自分の考えが甘《あま》かったことを、リウイは痛切《つうせつ》に思い知らされた。
彼らにとって、戦争とは日常《にちじょう》なのだ。命のやりとりを何度もくぐりぬけてきたからこそ、こんな戦いができるのだ。
しかたなく、リウイも覚悟《かくご》を決めた。
海賊たちを完全に全滅《ぜんめつ》させる覚悟を、だ。
そして長く激《はげ》しい戦闘《せんとう》のあと、リウイたちはそれを果たす。
最後には甲板《かんぱん》で船長である男との一騎《いっき》打ちとなり、リウイはこのときばかりは剣を使って、相手を倒した。
海賊船の船長が、海に落ちた水音と飛沫《しぶき》が、壮絶《そうぜつ》な戦いの終わりを告げる合図であった。
海賊たちの大半が死亡《しぼう》し、あるいは瀕死《ひんし》の重傷《じゅうしょう》を負っていた。降伏《こうふく》した者も全員が手負いで、命|乞《ご》いすら一言も口にしない。
リウイたちは、この船に積まれていた上陸用の小舟《こぶね》を与《あた》えて、彼らを解放《かいほう》してやることにした。
ここまで勇敢《ゆうかん》に戦われては、彼らをただの海賊として扱《あつか》うわけにはゆかない。マーモとかいう帝国の水兵として認《みと》めることにしたのだ。
エレミアの港を離《はな》れてまだ半日、運さえあれば、小舟でも陸地に帰ることはできるだろう。
そして、すべてが終わったとき、血の臭《にお》いに誘《さそ》われたように、上空から赤い鱗《うろこ》の竜《りゅう》が、ひとりの少女に操《あやつ》られて舞《ま》い降《お》りてきた。
リウイが竜の牙《きば》を打ち込んで支配《しはい》している赤竜の幼竜《ドラゴンパピー》クリシュと、竜司祭《ドラゴンプリースト》の娘《むすめ》ティカだ。
(死体でもいい。こいつらを喰わせろ)
クリシュは甲板に着地するや否《いな》や、強烈《きょうれつ》な意志《いし》をリウイにぶつけてきた。
「クリシュが食べるというなら、わたしも食べる。それで竜の心に近づけるなら」
ティカも真剣《しんけん》な顔で言う。
「海に投げこんで魚の餌《えさ》にするのも、おまえの胃袋《いぶくろ》に収《おさ》まるのも同じだろうが……」
リウイはしかし、クリシュの願いを許可《きょか》しなかった。
「人間は喰うな。餌なら、十分に用意してある」
リウイはクリシュに言った。
「ティカ、おまえもな」
リウイは竜使いの娘にも言い聞かせる。
「あなたが言うなら……」
ティカはしおらしくうなずいた。
クリシュは不満そうに喉《のど》を鳴らしたが、竜の牙による支配は魔法《まほう》的なものであり、絶対《ぜったい》だった。
「それにしても、参ったな」
リウイは血に染《そ》まった甲板を眺《なが》めながら、呆然《ぼうぜん》とつぶやいた。
「海賊どもを降伏させて、呪われた島まで運んでもらうつもりだったんだが……」
「まさか、これほどまでに抵抗《ていこう》するとはな」
ジーニが低くつぶやく。
「予想外でしたわね」
メリッサが静かに相槌《あいづち》を打つ。
「しかし敵ながら本意ですわ。死んだ海賊たちも、きっと喜びの野に迎《むか》え入れられることでしょう」
メリッサはそう言うと甲板に片膝《かたひざ》をつき、胸《むね》の前で手を組んで瞑目《めいもく》する。
「それはいいけど、これからどうするの? 漕ぎ手はいなくなったし、あたしたちは航海術《こうかいじゅつ》なんて知らない……」
ミレルがじとりとした目で言った。
「このまま漂流《ひょうりゅう》するしかないってこと?」
アイラが疲《つか》れたような声で言った。
覚悟はしていたものの、いきなり凄絶《せいぜつ》な戦闘《せんとう》に参加することになって、心は滅入《めい》っていた。
(でも、これも現実《げんじつ》だってことよ)
これまで、こういう修羅場《しゅらば》とは無縁《むえん》の世界にいただけなのだ。
(これからは、そうはゆかないのだわ)
アイラはそう自分自身に言い聞かせた。
「ま、オレたちには知恵《ちえ》も勇気も体力もある。なんとかなるさ」
リウイはそう言って、高らかに笑ってみせる。
「ぜんぜん根拠《こんきょ》ないじゃん」
ミレルが泣きそうな顔でつぶやくと、ぺたんとその場に座《すわ》りこむ。
たしかに根拠はなかった。
しかし、なんとかするしかないのだ。
呪われた島へと渡り、魔法王の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた魔法の武具を持ち帰らねばならないのだから……
第2章 大航海の果てに……
大海原《おおうなばら》を一|隻《せき》の船が、波にもまれながら進んでいた。
強い日差しが甲板《かんぱん》に照りつけ、潮風《しおかぜ》が船の右舷《うげん》から左舷へと吹《ふ》き抜《ぬ》けてゆく。
「お〜い、陸地はまだか〜」
リウイは舵《かじ》を握《にぎ》ったまま、マストの見張《みは》り台にいるアイラを振《ふ》り返った。
「ぜ〜んぜん。見渡《みわた》すかぎりの水平線よ」
アイラは魔法の眼鏡《めがね》に手をかけながら、疲れきった声で答えた。
その眼鏡は“四つの眼《め》”と銘《めい》打たれた魔法器《マジックアイテム》であり。その名のとおり、四つの魔力が秘《ひ》められている。
そのひとつ遠見の魔力を彼女は今、発動させている。そして陸地を捜しているのだ。
エレミアの港を出て二十日あまり。そろそろ目的の場所、呪《のろ》われた島ロードスへと到着《とうちゃく》するはずだった。
(オレの航海術《こうかいじゅつ》と操船術《そうせんじゅつ》に間違《まちが》いがなかったらだけどな……)
リウイは心のなかでつぶやく。
呪われた島から来航した交易船《こうえきせん》に乗り込《こ》んで、リウイたちはロードスへと渡ろうとした。だが、その船は航海の途中《とちゅう》で、海賊《かいぞく》たちに乗っ取られていたのだ。海賊たちは何|喰《く》わぬ顔で、交易商人になりすまし、エレミアの港へと入港していたのである。
リウイたちはそれを承知《しょうち》のうえで、あえて乗客となった。海賊たちを屈服《くっぷく》させ、ロードスまで運ばせればいいと考えたからである。
だが、それは極《きわ》めて甘《あま》い考えだったと知ることになる。海賊たちは自らをマーモなる帝国《ていこく》の海軍だと名乗り、一歩も退《ひ》かなかったからだ。
結局、リウイたちは船乗り全員を倒《たお》さねばならなかった。
わずかに生き残った者たちも、まったく降伏《こうふく》の姿勢《しせい》を見せず、しかたなくリウイは小舟《こぶね》を与《あた》えて解放《かいほう》することにした。
もしも運があれば、陸地へとたどり着くだろう。だが、その後、どうなるかまでは、リウイたちの知るところではない。
海の上で取り残される事態《じたい》となり、リウイたちは途方にくれた。
エレミアに引き返すにせよ、このままロードスに向かうにせよ、自分たちの手で船を動かさねばならない。しかも、誰《だれ》もこれまでまともに船に乗ったことがないのだ。
困《こま》り果てたリウイは、魔法の水晶《すいしょう》を使って、オーファン王国の宮廷魔術師《きゅうていまじゅつし》ラヴェルナに連絡《れんらく》を取った。
彼女なら力を貸してくれるのではないか、と期待したのだ。
しかし“魔女”との異名《いみょう》を取る彼女にしても、できることはほとんどなかった。
ラヴェルナは航海《こうかい》術と操船術、さらには船乗りたちの経験《けいけん》談をリウイに講義《こうぎ》し、後は自力で何とかするようにと、冷ややかに言ったのである。
だから、リウイたちは自力でなんとかすることにした。
しかも引き返すのではなく、ロードスを目指すという決断《けつだん》をしたのだ。
最大の問題は、漕《こ》ぎ手である。これには人数をかけるしかない。そして海の上で、船乗りを雇《やと》えるはずもなかった。
しかたなく、リウイとアイラのふたりで魔法人形《パペット》を大量に創《つく》って、働かせることにした。
漕ぎ手としたのは“|石の従僕《ストーンサーバント》”である。
石を素材《そざい》に創造《そうぞう》するこの魔法生物《コンストラクト》は、限《かぎ》られた時間、術者の命令に従《したが》って行動する。
人間より効率《こうりつ》的とは言えないが、|石の従僕《ストーンサーバント》はなにしろ力持ちで疲《つか》れ知らずなので、船は思った以上の速力を出した。
ただ、そのままでは直進しかできないので、リウイとジーニが交替《こうたい》で操舵手《そうだしゅ》となり、力任せに方向を変える必要があった。
しかも、石の従僕は呪文《じゅもん》の持続時間がすぎると容赦《ようしゃ》なく壊《こわ》れる。だから、リウイたちは次から次へと魔法人形《パペット》を補充《ほじゅう》しないといけない。
船底の船倉に重石《おもし》が大量に積まれていたので、素材はなんとか確保《かくほ》できた。しかし、数には限界《げんかい》がある。リウイの計算では、あと三日、節約しても五日のうちには、石の従僕の素材は尽《つ》きてしまうはずだった。
そして甲板の雑用《ざつよう》は“|骨の従僕《ボーンサーバント》”にさせている。石の従僕に比《くら》べると非力《ひりき》だが、いくらか器用で、より複雑な命令をこなすことができる。もっとも、その素材となるもの、すなわち人骨《じんこつ》がこの船で手に入ったということが、考えようによっては恐《おそ》ろしい。
なんとか、労働力は確保したものの、魔法人形は命令したとおりにしか動かないので、任せっきりにはできない。当然、リウイたちにゆっくりと休んでいる暇《ひま》などなかった。
そして航海も二十日を超《こ》え、全員の疲労《ひろう》は限界にまで達しつつある。
(食料も水も、まだふんだんにあるんだけどな……)
石の従僕が創りだせなくなったら、漕ぎ手がいなくなる。そうなったら、あとは海流に任せて漂流《ひょうりゅう》するしかなくなる。
(とにかく陸地だ。小さな島でもいいから、上陸したいものだぜ)
リウイは内心、焦《あせ》りを覚えていた。
上陸できたら、石の魔法人形の素材はいくらでも補充できる。
だから、アイラに見張《みは》り台に上がってもらい、竜司祭《ドラゴンプリースト》の娘《むすめ》ティカには火竜《ファイアドラゴン》の幼竜《ドラゴンパピー》クリシュに乗って、偵察《ていさつ》飛行にでてもらっている。
ここ三日間、それを繰《く》り返しているが、陸地どころか、船影《せんえい》ひとつ見つからない。
(まったく方向違いの場所に来てるんじゃないだろうな……)
本来、楽天家なリウイではあるが、さすがにそんな不安を覚えはじめている。
と、そのとき、どこからか風を切る音が響《ひび》いてきた。
音がしたほうを見ると、空の一点に黒い影が浮かんでいる。そしてそれは見る見る大きくなり、赤い鱗《うろこ》をした巨大《きょだい》な生き物だと分かるまでになる。そして、その背《せ》にひとりの娘がまたがっていることも見て取れた。
ティカとクリシュが帰ってきたのだ。
クリシュは大きくはばたきながら、船の甲板《かんぱん》に舞《ま》い降《お》りてくる。そして浅黒い肌《はだ》をした少女が幼竜の背に取り付けた鞍《くら》から降り立った。
その音を聞きつけてだろう。船倉から三人の女性《じょせい》があがってきた。
赤毛の女戦士ジーニ、金髪《きんぱつ》の女性神官メリッサ、そして黒髪《くろかみ》の盗賊《とうぞく》少女、ミレルである。
メリッサは漕ぎ手である|石の従僕《ストーンサーバント》の見張りで、ジーニとミレルは休息のため船内にいたのだ。
これで六人と一頭、全員がそろったことになる。
「どうだった?」
リウイは鼻息の荒《あら》いクリシュをなだめながら、汗《あせ》で肌を輝《かがや》かせているティカに訊《たず》ねた。
「島はなかった。でも、船を一|隻《せき》、見つけたわ」
「船を?」
ティカの言葉で、リウイたちの表情《ひょうじょう》が輝く。
「それで声をかけることはできたのか?」
リウイは勢《いきお》い込んで言う。
「近づこうとしたら、弓を射かけられたから……」
ティカがすまなそうに言う。
「上空から竜《りゅう》が降りてきたんだから、そりゃあ驚《おどろ》くよね〜」
ミレルが大きくため息をつく。
「しかし、船がいたってことだけでも、朗報《ろうほう》ですわ」
メリッサが言って、戦の神マイリーの名を唱える。
「ああ、陸地に近いという証拠《しょうこ》だからな」
ジーニもさすがに安堵《あんど》の表情を見せて、うなずいた。
「船はどちらに向かっていたか分かる?」
見張り台から降りてきたアイラがティカに質問《しつもん》する。
「太陽がこちらにあって、船はだいたいこの方向に向かっていたわ。わたしたちの船はこのあたり。正確な距離《きょり》は分からないけど……」
ティカは甲板に簡単《かんたん》な絵を指で描《か》きながら答えた。
「今は昼をすぎたばかりだから、ティカが発見した船が向かっているのは、だいたい南西の方向だな」
ティカの説明を腕組《うでぐ》みしながら聞いていたリウイが、ひとりごとのようにつぶやく。
「アレクラスト大陸へと向かっている船でないことを祈《いの》るわ……」
アイラがそう言って、天を仰《あお》ぐ。
「南西へ向かっているんだから、いくらなんでも大丈夫《だいじょうぶ》だろう。呪《のろ》われた島は大陸の南に浮かんでいるんだから」
リウイがアイラに言った。
「そうじゃないと困《こま》る!」
ミレルが子供《こども》じみた言い方をした。
彼女は最初の数日こそ、海の上の暮《く》らしを楽しく感じたのだが、すぐに飽《あ》きてしまった。街で暮らすのが、やはり自分にはいちばん性《しょう》に合っていると思う。
「とにかく、船を南西へ向けよう。ティカとクリシュはしばらく休んでくれ。次は日が暮れてから飛んでもらうから」
リウイの指示《しじ》に、ティカは無言でうなずく。
「うまくいけば、その船に追いつくことができるかもしれない……」
リウイは期待をこめて言った。
期待どおり、夜になった頃《ころ》、リウイたちはティカが発見したその船に追いつくことができた。
すっかり見張り台の住人になってしまっているアイラが、それを見て歓喜《かんき》の声をあげる。
そのとき舵《かじ》を握《にぎ》っていたのは、ジーニだった。
リウイは彼女の足もとで仮眠《かみん》を取っている。
「どちらの方向だ?」
ジーニがアイラに訊ねる。
「この船の進行方向のやや右手よ」
「わかった」
アイラの言葉に、ジーニは大きくうなずく。
「そのまま、見張《みは》っててくれ。相手が海賊船《かいぞくせん》という可能性《かのうせい》もあるからな」
「あまり脅《おど》かさないでよ」
アイラが肩《かた》をすくめる。
そして魔法《まほう》の眼鏡《めがね》に手をかけて、水平線の近くにぼんやりと見える船影《せんえい》を凝視《ぎょうし》する。この眼鏡の暗視の魔力を発動させていればこそ、なんとか発見できたのだ。
「……なにか、あったのか」
そのときジーニの足もとで横たわっていた大きな塊《かたまり》がごそりと動いた。リウイが目を覚ましたのだ。
「アイラが船を見つけたんだ。昼間、ティカから報告があった船だと思う」
ジーニが舵をまわしながら言う。
「お、そいつは朗報《ろうほう》だな」
リウイはすっくと立ち上がった。
「とにかく、その船の船乗りたちと話がついたら、呪われた島までの水先案内《パイロット》をしてもらえるはずだ」
「だといいな」
ジーニが微笑《びしょう》を浮《う》かべる。
「ミレルじゃないが、そうじゃないと困るぜ」
リウイが笑う。
「オレは船室に入って、|石の従僕《ストーンサーバント》どもを急《せ》かしてくる」
「わかった」
ジーニはうなずくと、片手《かたて》を上げてリウイを見送った。
「肩甲骨《けんこうこつ》はロープを取ってきて。大腿骨《だいたいこつ》と上腕骨《じょうわんこつ》は甲板《かんぱん》の掃除《そうじ》を続けてちょうだい。頭蓋骨《ずがいこつ》と肋骨《ろっこつ》たちは武器《ぶき》を構《かま》えて待機すること」
見張り台に登ったまま、アイラが下位古代語《ロー・エンシェント》で声をあげる。
甲板で働いている|骨の従僕《ボーンサーバント》たちに指図をしたのだ。
この魔法人形《パペット》たちの名前は、素材《そざい》として使った骨《ほね》の部位からつけられている。船倉で発見されたこの白骨は、海賊に殺されたこの船の元の船員のものだと思われた。
白骨はメリッサが丁重《ていちょう》に弔《とむら》ったあと、海水で洗《あら》い清めてから魔法人形の素材として使った。不死生物《アンデッド》にするのとは異《こと》なり、魂《たましい》をこの世に呪縛《じゅばく》することはない。
それでも、死者を冒涜《ぼうとく》する行為《こうい》には違《ちが》いないので、メリッサはずいぶん抵抗《ていこう》した。
アイラも平気だったわけではないが、ここは実用的に割《わ》り切ったのである。
(ホント慣《な》れって怖《こわ》いわ……)
アイラは苦笑《くしょう》をもらす。
まさか自分が冒険者《ぼうけんしゃ》になるとは思ってもいなかった。
もちろん、お金や名声が目的ではなく、自分たちに与《あた》えられている使命は極《きわ》めて重大だ。だからといって、日々の暮らしが、普通《ふつう》の冒険者と変わるわけではない。
毎日、服を替《か》えることはできないし、熱いお風呂《ふろ》に入ることもできない。
リウイ以外は全員、女性ということもあって、おそらく他《ほか》の冒険者よりは清潔《せいけつ》にしているとは思うが、街での暮らしとは、まったく違う。
だが、一日一日、アイラは冒険者としての暮らしに慣れてゆく自分を感じている。
(たまには、リウイとふたりだけになりたいんだけどね)
アイラは深くため息をついた。
リウイとは、なんといっても婚約《こんやく》しているのだ。アイラが魔法の指輪に封印《ふういん》されるという大事件《だいじけん》があって、うやむやになってはいるものの、まだその約束は解消《かいしょう》されたわけではない。
しかし、ミレルという恋敵《こいがたき》と互《たが》いに牽制《けんせい》しあっていることもあって、なかなかふたりきりになる機会が得られないのだ。
船のマストに登って見張りをしながら、魔法人形《パペット》たちの監督《かんとく》というのが現実《げんじつ》である。
(そして目指しているのは、呪《のろ》われた島ロードス……」
最低の婚前旅行だわ、とアイラは心のなかでつぶやいた。
それから、しばらくしてようやくリウイたちは相手の船に追いついた。
「オレたちは、北のアレクラスト大陸から渡《わた》ってきた。助けが欲《ほ》しい」
リウイが繰り返しそう叫んでみる。
しばらくのあいだ返事はなかったが、相手の船の速度はいくらか遅《おそ》くなったようだった。
「ロードスを目指して航海《こうかい》してきたんだが、途中《とちゅう》で海賊に襲《おそ》われて、船乗りがいなくなってしまった。漂流《ひょうりゅう》同然で、ここまでやってきたんだが、そちらはどこの船なんだ?」
「……オレたちは、ライデンの漁師《りょうし》よ。大物を狙《ねら》って、港を何日も離《はな》れる。やっと仕留《しと》めて、その帰りだ。だから、おまえたちがもし海賊だったとしても、奪《うば》う物は獲物からとった肉や油ぐらいだぞ」
やっと返事があり、リウイは安堵《あんど》を覚えた。
ライデンというのはロードス島における最大の港街で、リウイたちが目的地にしていた場所である。
しかも、こちらを警戒しているぐらいだから、向こうが海賊ということはまずないだろう。もしも、海賊なら問答無用で襲《おそ》いかかってくるはずだからだ。
「信じてもらうよりしかたないが、オレたちは海賊なんかじゃない。ライデンの交易《こうえき》商人やフレイム国王|宛《あ》ての紹介状《しょうかいじょう》も持っている。エレミアという大陸にある国の王に書いてもらったものだ」
リウイは必死に呼《よ》びかけを続ける。
呪われた島が近いのは間違いないだろうが、だからといってたどり着けるという保証《ほしょう》はないのである。
「お願いだから、ライデンの港までオレたちを連れていってくれないか?」
「船を曳《ひ》いてくれということか?」
「ああ、それで十分だ。いちおう漕《こ》ぎ手はいるし舵取《かじと》りもいる。水先案内《パイロット》をしてくれるだけでもいい」
「……なんとか、助けてくれそうな雰囲気《ふんいき》だね」
リウイの隣《となり》で心配そうに交渉《こうしょう》のなりゆきを見守っていたミレルが、発展《はってん》途上の胸《むね》に手を置いてほっと息をつく。
そして、しばらく間が空いてから、
「分かった。小舟《こぶね》をそちらに向かわせるから、これ以上は近づかないでくれ」
と、相手からの返答があった。
「昼間、とてつもなく恐《おそ》ろしいものに襲われたもんでな……」
リウイたちを警戒したことを弁解《べんかい》するように男の声が届《とど》く。
「いや、ありがたい。本当に助かる」
リウイは思わず、相手の船に向かって頭を下げていた。
恐ろしいものとは、おそらくクリシュのことだろう。幼竜《ドラゴンパピー》とはいえ、赤い鱗《うろこ》をした竜《りゅう》の凶暴《きょうぼう》さは、誰《だれ》もが知るところだ。
そのクリシュは船倉で眠《ねむ》りについている。彼の餌《えさ》として連れてきた羊も、あと数頭しか残っていない。
「なんとか呪われた島には上陸できそうだな。もっとも、それで目的が達成されたわけじゃないんだが……」
リウイたちがこの島にやってきた理由は、魔法王《まほうおう》の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた魔法の剣《けん》を持ち帰ることである。
そして最終的には、世界を破滅《はめつ》に導《みちび》く恐《おそ》るべき存在《そんざい》、魔精霊《ませいれい》アトンを消滅させなければならない。
(メリッサじゃないが、どうやら、この探索《クエスト》で試練は尽《つ》きそうにないぜ)
リウイは心のなかでつぶやいた。
そうしていると、暗い水面を小さな明かりが移動《いどう》してきた。
小舟がやってきたようだ。
「……とりあえず、お互いの船を縄《なわ》で繋《つな》いでおいたほうがいいだろう。ロープは丈夫《じょうぶ》で長さもたっぷりあるから、距離《きょり》を取ってついてきてくれ。頼《たの》むから、ぶつかってくれるなよ」
小舟から男の声がかけられる。
「ひとり、そちらに乗船させるから、縄梯子《なわばしご》を降《お》ろしてくれ」
「分かった。今、降ろす……」
リウイは言って、縄梯子を運んでくるよう下位古代語で命令した。
その命令に答えたのは、魔法人形《パペット》である|骨の従僕《ボーンサーバント》だ。こういった仕事をさせるため、リウイとアイラが人骨《じんこつ》を素材《そざい》として創造《そうぞう》したのである。
そしてこの魔法人形の外見は、人間の骸骨《がいこつ》とまったく同じなのだ。
リウイが創《つく》った骨盤《こつばん》という名前の骨の従僕が縄梯子を抱《かか》えて、がしゃがしゃとやってくる。
「おっ、ご苦労」
リウイはまるで人間に対するように骨の従僕に労《ねぎら》いの言葉を投げかけた。
そして、
「今、降ろす」
と声をかけて、縄梯子を小舟に向かって投げた。
それは狙《ねら》いどおり、小舟に着地する。
「気をつけて、昇《のぼ》ってきてくれよ」
だが、小舟に乗っていた男たちは、まったく動かなかった。
彼らは口をあんぐりと開け、呆然《ぼうぜん》とした表情《ひょうじょう》になっている。
大きく開いたままの目は、リウイの隣で次の命令を待つ骨の従僕に向けられていた。
「ひ、ひゃあ〜」
次の瞬間《しゅんかん》、男のひとりが悲鳴をあげた。
「ゆ、幽霊船《ゆうれいせん》! そ、空飛ぶ曲芸団《きょくげいだん》!!」
別の男が叫《さけ》び、あわてて小舟の櫓《ろ》を動かしはじめる。
リウイたちは一瞬、彼らが何に驚《おどろ》いたのか理解できなかった。この二十日ほどの間に、魔法人形たちの存在《そんざい》に慣《な》れきっていたからである。
「ち、違《ちが》うんだ。こいつは!」
リウイはあわてて弁解したが、小舟は全力で遠ざかってゆく。
「待ってくれ。こいつらは、不死生物《アンデッド》じゃなくて魔法生物《コンストラクト》で、殺された船員の代わりなんだ」
だが、リウイの釈明《しゃくめい》も虚《むな》しく、小舟は闇《やみ》のなかへ消えていった。
「そんな専門《せんもん》的なこと言っても、通じるわけないでしょ」
アイラがリウイをたしなめるように言う。
「で、あたしたちどうなるの?」
ミレルが力のない声で、リウイに訊《たず》ねる。
「こ、こっそりと彼らの後をつけるというのはどうかな」
リウイはひきつった笑いを浮かべた。
「相手がそれを許《ゆる》してくれればですね」
ティカが、無表情に言う。
「無理……かな」
リウイががっくりと肩を落とした。
「無理だな」
「無理ですわ」
「無理よ」
久《ひさ》しぶりにジーニ、メリッサ、ミレルの声がそろう。
そして現実《げんじつ》は、彼女らの言葉のとおりとなった。港街ライデンの漁船は、積荷を次々と海に投げだしながら全速力で逃亡《とうぼう》したのである。
しかも、まっすぐに逃《に》げるのではなく、リウイたちには真似《まね》のできないような急激《きゅうげき》な方向|転換《てんかん》をするなどした。
やがて、ライデンの漁船は、リウイたちの追跡《ついせき》を振《ふ》り切って闇のなかへと消えてしまったのである……
「陛下《へいか》、お耳に入れたいことが……」
そう言って入ってきたのは、ロードスの中北部に位置する砂漠《さばく》の王国フレイムで、傭兵《ようへい》隊長を務《つと》めている男だった。
名前をシャダムという。
彼はまた、風の部族という砂漠の民《たみ》の族長でもある。そしてこの砂漠の民こそが、フレイム王国の母体だった。
「シャダムか……」
陛下と言われた男が振り返る。
フレイム王カシューであった。
別名を傭兵王。昔は、彼のほうがシャダムの傭兵隊で一傭兵として戦っていた。
「オレは今、もっとも親しい友人と晩餐《ばんさん》をともにしているのだ。食事が不味《まず》くなるような話なら、後にしてほしいものだがな」
カシューは冗談《じょうだん》めかして言ってから、シャダムに晩餐を一緒《いっしょ》にするように勧《すす》める。
「わたしたちのことなら、気になさらないでください」
カシューの向かいの席に座《すわ》って、晩餐を共にしていた若者《わかもの》が笑顔《えがお》で答え、その隣《となり》にいる娘《むすめ》が静かにうなずく。
若者の名前はパーン。自由騎士としてロードス中にその名を知られている。
娘のほうは人間ではなかった。白銀《プラチナ》色の長い髪《かみ》に笹《ささ》の葉のような形の耳をしている。
森の妖精《ようせい》エルフ族の特徴《とくちょう》だった。
名前をディードリットという。ロードスの東部、アラニア王国とカノン王国とのあいだにある“帰らずの森”の奥《おく》で暮《く》らすハイエルフの娘である。
娘と言っても、彼女の年齢《ねんれい》は百六十|歳《さい》を超《こ》えている。しかし、ハイエルフには寿命《じゅみょう》というものがない。彼女は今でも“若木”なのだ。そして永遠《えいえん》の時間を、彼女は今のままの姿《すがた》で生き続けることになる。
晩餐にはもうひとり、痩《や》せほそった長身の男が同席していた。フレイムで宮廷魔術師《きゅうていまじゅつし》を務めるスレイン・スターシーカーである。
「シャダム様、まずはお座《すわ》りください。そして、お話しくださいませんか?」
スレインがそう言って、シャダムに椅子《いす》を勧める。
彼らがいるのは、フレイム王国の王都ブレードの街。砂《すな》の川の中州《なかす》に建てられた王城《おうじょう》アークロードの一室である。
「おまえも知ってのとおり、このふたりなら気にしなくていい。秘密《ひみつ》を人に語るようなことはないし、おまえの話の内容《ないよう》によっては力になってくれるかもしれんからな」
フレイム王は大声で笑う。
「カシュー王、わたしたちがこのフレイムに来たのは、カラルの村から依頼《いらい》を受けてのことですよ」
自由騎士パーンが静かに答える。
「そうは言っていても、話を聞けば気が変わるのではないか。おまえは昔からそういう男だ」
「見抜《みぬ》かれているわね、パーン」
カシューの言葉に、ディードリットがくくっと喉《のど》の奥で笑いをもらす。
「それでは失礼させていただきましょう」
シャダムはほとんど表情《ひょうじょう》を変えずに、カシューの左隣の席に着座《ちゃくざ》した。
あわてて騎士見習いの少年が飛んできて、彼のための食器を整える。
「それで、オレの耳に入れたいことと言うのは?」
カシューがシャダムを促《うなが》す。
「どうも、海のほうが穏《おだ》やかではない様子で……」
「嵐《あらし》でも来そうなのか?」
カシューが一瞬《いっしゅん》、真顔になってから、またもとの表情にもどって言った。
「あるいは……」
シャダムはうなずく。
「どのような嵐なのですか?」
スレインがのんびりとした口調で訊《たず》ねる。
「今はまださざ波が立っているという感じなのですが……」
「かまわんから話せ。どんな大嵐も、最初はさざ波から始まる。早くから備《そな》えておくにこしたことはない」
カシューが料理を手づかみで取りながら言う。
「承知《しょうち》しました……」
シャダムはそう答えると、恭《うやうや》しく一礼してから話しはじめた。
「まずはひとつ、火竜《ファイアドラゴン》シューティングスターが蘇《よみがえ》り、我《わ》がフレイムを焼き尽くすために飛来してきたとの噂が入っております」
シャダムはやはり表情を変えずに言った。
「シューティングスターが!」
しかし、あとの四人の顔色は一斉《いっせい》に変わった。
彼ら四人は、ライデンの南にそびえる活火山の主であった火竜シューティングスターと壮絶《そうぜつ》な戦いを演《えん》じた当人たちだからである。
そしてそのときの戦いは、彼らにとって、世の人々が語るような誉《ほま》れでも武勲《ぶくん》でもなく、まさに悪夢《あくむ》でしかない。
「シューティングスターが、本当に蘇ったのだとしたら、真っ先に狙《ねら》われるのは、わたしたちでしょうねえ」
スレインがぽつりとつぶやく。
「やだ……」
ディードリットが美しい弧《こ》を描《えが》く眉《まゆ》をひそめる。
「竜《りゅう》の魂《たましい》は、神と同様、不滅《ふめつ》だとされているが、オレたちは間違《まちが》いなく、奴《やつ》の肉体を葬《ほうむ》り去った。その鱗《うろこ》でオレは竜鱗《りゅうりん》の鎧《よろい》や楯《たて》を造《つく》り、スレインはその牙《きば》や爪《つめ》を魔術《まじゅつ》の素材《そざい》として持ち帰っている」
カシューが憮然《ぶぜん》として言う。
「しかし、最近、火竜の狩猟場《しゅりょうば》で竜の呪《のろ》いがどうの、という噂がさかんに流れているらしいが……」
忌々《いまいま》しいかぎりだ、とカシューは吐《は》き捨《す》てる。
「最初に竜の姿を目撃《もくげき》したのは、ライデンの漁師《りょうし》。彼らは、はっきりと竜に襲《おそ》われたと言っております。そして他にも、竜のような生き物を遠くで見たとの噂が広がっています」
シャダムが話を続ける。
「噂は他にもあります。有名な幽霊船《ゆうれいせん》“空飛《そらと》ぶ曲芸団《きょくげいだん》”が出現《しゅつげん》したとのことです。実は、それを最初に目撃したのも、先ほどの漁師。彼らは同じ日の昼に火竜《ファイアドラゴン》に襲われ、夜には幽霊船に襲われかけたそうです……」
「同じ日に同じ漁師たちとは怪《あや》しいな。酒に酔《よ》って、幻覚《げんかく》でも見たのではないのか? 最近マーモから、服用すると幻覚作用のある薬草が、ひそかに出回っていると聞くぞ」
カシューが今度ははっきりと不機嫌《ふきげん》な顔をする。
その薬草には習慣性《しゅうかんせい》があり、そして次第《しだい》に身体《からだ》を蝕《むしば》んでゆくという。なにより、その薬草は、フレイムと戦争|状態《じょうたい》にあるマーモ帝国の収入源《しゅうにゅうげん》にもなっているのだ。
忌々しいことだ、とカシューは思っている。
「はい、わたしもそう判断《はんだん》し、これまで陛下《へいか》のお耳に入れなかったのです。しかし、ここ数日で別の目撃例も報告されてきまして……」
「信憑性《しんぴょうせい》がでてきた、ということですか?」
パーンが静かにシャダムに訊ねた。
「若《わか》い女たちが白骨《はっこつ》と一緒《いっしょ》に踊《おど》っていたというものだ。まあ、そんな姿《すがた》を見たら、海の男たちなら誰《だれ》でも逃《に》げだすだろうな」
シャダムはそう言うと、わずかに笑《え》みを浮《う》かべた。
海で生活する男たちは、荒《あら》くれ者ぞろいだが、同時に海の恐《おそ》ろしさもよく知っている。それゆえ様々な迷信《めいしん》も広まっているのだ。
“空飛ぶ曲芸団”というのは、昔、実在《じつざい》した大海賊《だいかいぞく》で、当時、独立《どくりつ》王国だったライデンの国王に討伐《とうばつ》され、皆殺《みなごろ》しにされている。
しかし、その後、彼らは亡霊《ぼうれい》となってこの世にとどまり、ロードスの海を彷徨《さまよ》いながら、ライデンの民《たみ》が乗る船を黄泉《よみ》へとひきずりこむとの伝承となった。
「その噂なら飽《あ》きるほど聞いた。本物の海賊に襲われたか、嵐《あらし》や時化《しけ》で船が沈《しず》むたびに囁《ささや》かれる。本物の幽霊船なら鎮《しず》める手段《しゅだん》もあろうが、伝説というものを人々から忘《わす》れさせるのは、さすがのオレでも無理だよ」
カシューが苦笑《くしょう》をもらしたあと、酒で喉《のど》を潤《うるお》す。
「お耳に入れたいことはあとひとつ。こちらは噂ではなく、残念ながら事実だと思われます。アレクラスト大陸に向かった交易《こうえき》船が、海賊に襲われ船ごと略奪《りゃくだつ》されたようです。船乗りの遺留品《いりゅうひん》が、いくつか漂着《ひょうちゃく》したとのことで……」
「おそらく、マーモ帝国の私掠船の仕業《しわざ》だろう。どうやら、これまで以上に、海の警戒《けいかい》を強める必要があるな。幸い、我《わ》が国の海軍も充実《じゅうじつ》してきたことであるし……」
「海軍|提督《ていとく》のガルカンに伝えておきましょう」
心得たというように、シャダムがうなずく。
「興味《きょうみ》深い話ではあったが、どうも、おまえらしくないな。それぐらいのことなら、オレの耳に入れたりはせんだろう」
カシューは言って、片腕《かたうで》ともいうべき、傭兵《ようへい》隊長に視線《しせん》を向ける。
「さすが陛下……」
シャダムは口許《くちもと》に笑みを浮かべた。
「それらの噂《うわさ》が、どうやらひとつになりそうなのでお耳に入れたのです。先ほど、この街の沖《おき》で、漂流中の船を発見いたしました。そして、それは海賊の犠牲《ぎせい》になったライデンの交易船と特徴《とくちょう》が一致《いっち》し、甲板《かんぱん》には白骨が、その上空には竜が飛んでいたとのことです。しかも、それを報告したのは、我がフレイム軍船である“海の鷹”……」
「火竜《ファイアドラゴン》と幽霊船と海賊に略奪《りゃくだつ》された交易船がひとつに……か」
カシューは楽しそうに言った。
「それは是非《ぜひ》、この目で見たいものだな」
そしてパーンに視線を向ける。
「今のわたしはカノンの騎士《きし》。フレイムの内政《ないせい》に干渉《かんしょう》するわけにはゆきませんが、火竜が蘇《よみがえ》ったという話は気になります。もしかしたら、わたしがカラルの村から依頼《いらい》された問題と関係があるかもしれませんので……」
パーンはしばらく思案したあと、そう言った。
「ご同行させていただけますか?」
「パーンが行くというなら、わたしももちろん行くわ」
ディードリットが悪戯《いたずら》っぽく微笑《ほほえ》む。
「海の上だもの。水の精霊《せいれい》の助けが必要になるかもしれないしね」
「そんな事態にはならんよ。海の鷹は、我が国が誇《ほこ》る最新式の帆船《はんせん》。相手が海賊であれ、幽霊船であれ負けることはない。ただ、火竜が本物ということであれば、多少、話は違《ちが》うがな……」
帆船に限《かぎ》らず、あらゆる船にとって、炎《ほのお》は大敵《たいてき》である。そして火竜が口から吐《は》きき出す炎はこの世でもっとも熱いとされ、ドワーフ族のみが鍛えることができる真銀《ミスリル》をも熔《と》かすとされている。
「火竜山の魔竜《まりゅう》は古代《エンシェント》種、そんなものがそうそういるとは思えませんが、ね」
スレインが首をかしげる。
「普通《ふつう》の竜でも、強敵には違いない。スレイン、おまえにも同行してもらうぞ」
「しかたありませんね……」
スレインが肩《かた》をすくめてみせる。
「戦神マイリー神殿《しんでん》のシャーリー司祭にも、ご一緒《いっしょ》してもらいましょう。万が一にも、本当の幽霊船《ゆうれいせん》ならば、彼女の助けが必要でしょう」
「よし、そうと決まれば、すぐに出発するぞ。シャダムはこの城《しろ》の留守《るす》を頼《たの》む」
「心得ました」
最初からそのつもりでいたのだろう。傭兵隊長は素直《すなお》にうなずいた。
「よし、この宴《うたげ》の続きは、船上でとしよう」
カシューはそう言うと、席を蹴るように立ち上がった。
「また、船が見えたわ……」
見張《みは》り台に立つアイラが疲《つか》れたような声で、舵輪《だりん》を握《にぎ》っているリウイに言った。
「どうせ、近づいてはこないだろうさ。あの臆病者《おくびょうもの》の漁師《りょうし》たちが、この船の噂を広めているに違いない」
リウイは投げやりに答えた。
最初の漁船と接触《せっしょく》してから、さらに五日が過《す》ぎている。
呪《のろ》われた島には、どんどん近づいているのだろう。船の姿《すがた》も、しばしば見られるようになった。
だが、陸地を目の前にして、ついに|石の従僕《ストーンサーバント》の素材《そざい》として使っていた重石が尽《つ》きてしまったのである。
だから、今、船は漂流《ひょうりゅう》している。
追い風が吹《ふ》いたときだけ、帆《ほ》を張って船を進ませているが、いつもいつも思い通りの風が吹くわけではない。
目的地を目の前にしてもどかしいかぎりだが、このまま潮《しお》に流されてゆくと、呪われた島から離《はな》れていってしまうかもしれない。
(こうなると分かっていたら、海賊《かいぞく》たちの生き残りに小舟《こぶね》など与《あた》えなかったのにな)
|骨の従僕《ボーンサーバント》を漁師に見られたことといい、後悔《こうかい》することばかりだ。
最大の失敗は素人《しろうと》だけで、大海を渡《わた》ってきたことなのだろうが、リウイはそのことについて、さほど自覚はない。
実際《じっさい》、ここまではなんとかなってきたのだ。
「いつものように、|骨の従僕《ボーンサーバント》たちを武装《ぶそう》させて甲板《かんぱん》に並《なら》べてくれ。こうなった以上、噂《うわさ》を広げるだけ広げさせて、フレイムとかいう王国の海軍を引き出すのがてっとり早いからな」
「今朝、すれ違った立派《りっぱ》な帆船《はんせん》は、どう見ても軍船っぽかったのにね。期待半分、不安半分でいたら、あっさりと離れてゆくから……」
「ああ、がっかりだったぜ」
リウイは吐き捨《す》てる。
「こんな辺境《へんきょう》の地で、帆船にお目にかかるとは思わなかったけどな……」
「ちょっと待って!」
アイラがリウイを遮《さえぎ》るように言うと、見張り台から身を乗りだす。
「落ちるなよ」
リウイが心配そうに声をかける。
「噂をすれば、だわ……」
アイラが呆然《ぼうぜん》となる。
「噂をすればって、もしかして、あの帆船が?」
「ええ、戻《もど》ってきたみたい……。まっすぐこっちへ向かってくるわ」
アイラの声が震《ふる》える。
「急いで、白旗をあげてくれ!」
リウイはあわててアイラに言った。
「わ、わかった……」
アイラはうなずくと、用意してあった大きな白布《はくふ》をマストに結びつける。
「みんな、起きてくれ! 戦闘《せんとう》になるかもしれない!!」
リウイは船室へ向かって、大声で叫《さけ》んだ。
そしてまさにその瞬間《しゅんかん》、リウイたちが乗る船の左右で何本もの巨大《きょだい》な水柱が立った。
「投石機《カタパルト》……」
リウイは呆然となる。
「しかも、いったいいくつ装備《そうび》してやがるんだ」
帆船はやはり軍船だったようだ。しかも、アレクラスト大陸でさえ、めったに見ないような重武装をしている。
リウイの背中《せなか》を冷たいものが走る。
もしも、向こうが、こちらを沈《しず》めるつもりなら、自分たちには為《な》す術《すべ》もないのだ。
「どうするの?」
アイラが見張《みは》り台から降《お》りてきて、リウイに身を寄《よ》せる。
「どうするも、こうするも……」
この展開《てんかい》は、リウイが望んだとおりではあるのだが、この航海ではなぜかその次がリウイの予想を超える。
(どうやら、このロードスって島には、オレたちの常識《じょうしき》が通じないみたいだな)
リウイは心のなかでつぶやいた。
だからこそ、呪《のろ》われた島なのだろう。
投石機による攻撃が続けられるなか、リウイにできることは、相手がこちらを沈めるつもりがないことを祈《いの》ることだけだった――
幾本《いくほん》もの水柱が大音響《だいおんきょう》とともに立ち上っては消えてゆく。
舞《ま》いあがった水|飛沫《しぶき》が、頭上から雨のように降《ふ》りかかってくる。
「どうするの?」
アイラが大声でリウイに何度めかの問いかけをした。
しかし彼女は自らの耳を塞《ふさ》いでおり、とても返事を聞こうとしているようには見えない。
「白旗をあげているのに、攻撃を止《や》めようとしないね」
ミレルがじとりとした視線《しせん》を、前方から迫《せま》ってくる帆船に向ける。
「しかし、当てるつもりもなさそうですね」
メリッサが冷静に言った。
彼女の言うとおり、投石機からの攻撃は、まだ一発も命中していない。
「相手の射手《しゃしゅ》が、ただ下手なのかもしれないがな……」
ジーニが右|頬《ほお》に描《か》かれた呪払《じゅばら》いの紋様《もんよう》を指でなぞりながらつぶやく。
そうでないとしたら、よほど訓練された射撃兵を用意していると言える。
「クリシュの用意はできた。いつでも飛べるわ」
ティカがこの状況《じょうきょう》にもまったく動じた様子もなく、リウイに声をかけた。竜司祭《ドラゴンプリースト》にとって、恐怖《きょうふ》という感情《かんじょう》は克服《こくふく》すべきものなのだ。
彼女の側《そば》には真っ赤な鱗《うろこ》をした竜《りゅう》が、おとなしくうずくまっている。
彼女の部族の先の族長クリシュが転生を遂《と》げた火竜《ファイアドラゴン》の幼竜《ドラゴンパピー》である。今はリウイが竜の爪《つめ》を打ち込《こ》んで支配《しはい》をしている。
「オレが乗り込んでいって、話をつけてくる」
リウイが決意の表情で言った。
「竜に乗る?」
「いや、火竜《ファイアドラゴン》を見ると、相手を刺激《しげき》するだろう。ここは飛空のマントを使う」
リウイはティカに答えた。
「わたしも一緒《いっしょ》に行こうか?」
そう言って、胸《むね》を反らし、両腕《りょううで》を斜《なな》め下に振《ふ》り下ろすような動作をする。と、ティカの背中《せなか》に|竜の翼《ドラゴンウィング》が生えた。
竜語魔法《ドラゴンロア》の能力《タレント》を使ったのだ。
「いや、ひとりのほうがいいだろう。相手に敵意《てきい》があったら危険《きけん》だからな」
背中に竜の翼を生やしている彼女の姿《すがた》も、相手を驚《おどろ》かせるはずだ。竜語魔法の使い手は、大陸でも珍《めずら》しいのである。
「気をつけてね」
心配そうな表情で、アイラが声をかける。
「……あ、そうよね。気をつけてね」
一瞬《いっしゅん》、間があってから、ミレルが取り繕《つくろ》うように言った。
リウイがそう簡単《かんたん》に死ぬとは思っていないから、あまり心配していなかったのだ。このぐらいの危機はこれまで何度もあったし、そのすべてを切り抜《ぬ》けてきている。
「相手がフレイムとかいう国の軍船なら問題はない。そして、あれだけの帆船《はんせん》を海賊《かいぞく》たちが持っているとは思えないからな」
リウイは不敵な笑《え》みを浮《う》かべながら言った。
普段《ふだん》は間の抜けたような顔をしているが、今は自信に満ちあふれている印象だった。
危機的な状況になればなるほど、彼は本気を出し、普段以上の実力を発揮《はっき》する。
(信頼《しんらい》しているからね)
ミレルは心のなかでつぶやいた。
「……こいつを身に着けるのも久《ひさ》しぶりだぜ」
リウイはアイラが船倉から取ってきた魔法器《マジックアイテム》――飛空のマントの紐《ひも》をしめながら笑った。〈飛行《フライト》〉の呪文は最近になって、ようやく使えるようになったが、魔法を使うと精神《せいしん》を激《はげ》しく消耗《しょうもう》する。
最悪、戦いになるかもしれないのだから、用心しておくに越したことはないのだ。
(それにしても、よく導師《どうし》級の呪文を使えるようにまでなったぜ)
リウイは我《われ》ながら感心する。
魔術師《まじゅつし》ギルドで修行《しゅぎょう》をしていた頃《ころ》より、旅をしている合間のほうが、上達が早いような気がする。
時間が足りない分、集中しているせいかもしれない。
それに冒険《ぼうけん》のときには、魔法を唱えるのも真剣《しんけん》にならざるをえない。詠唱《えいしょう》に失敗したら、全滅《ぜんめつ》の危険もあるからだ。
(経験《けいけん》と実践《じっせん》が大事ってことだな)
リウイは勝手に納得《なっとく》すると、ふわりと宙《ちゅう》に舞《ま》いあがった。
「危《あぶ》なくなったら、海に飛び込んでくれ」
リウイはジーニたちに言った。
「わたし、泳げないんだけどなぁ……」
アイラがため息をつく。
「そうならないように、祈《いの》るしかないな」
リウイはアイラに笑顔《えがお》で答えると、敵の軍船目指して、全速力で飛んだ。
「何かが飛んできますね」
最初に、それを発見したのは、フレイム王国の宮廷《きゅうてい》魔術師である痩身《そうしん》の男だった。
彼は遠見の呪文《じゅもん》を使って、交易船《こうえきせん》を監視《かんし》していたのだ。
「竜《りゅう》か?」
フレイム王カシューが、その宮廷魔術師スレインに訊《たず》ねる。
「いえ、人間です。飛行《フライト》の呪文でも使っているのですかね」
スレインの口調は、いつもながらのんびりとしたものだった。
「魔術師ということか?」
「おそらく、ですが……」
「どうします? 大弩弓《バリスタ》で攻撃《こうげき》しましょうか?」
海の鷹《たか》号の船長が、カシューに指示《しじ》を求めた。
「人間相手に使う武器《ぶき》ではないな。相手が魔術師だとすれば、油断《ゆだん》は禁物《きんもつ》だが、とりあえず出方を見てやろう」
カシューは苦笑《くしょう》まじりに答える。
「同じ魔術師として、おまえはどう思う?」
そしてスレインに問いかけた。
「勇敢《ゆうかん》なことですね。わたしなら、さっさと瞬間移動《テレポート》してどこかに逃《に》げてしまいますよ」
スレインの答に、ふたりの後ろにひかえていた甲冑姿《かっちゅうすがた》の若者《わかもの》が笑う。
「マーモ帝国《ていこく》の宮廷魔術師|団《だん》は、黒の導師バグナードを筆頭に恐《おそ》るべき集団だものな」
その若者――パーンは、うなずきながら言った。
「風の精霊《せいれい》の力を借りて、呼《よ》びかけてみましょうか? 相手は何と答えてくるかしら」
パーンに寄《よ》り添《そ》うように立つ森の妖精《ようせい》族の娘《むすめ》がくすくすと笑う。
「ディード……」
パーンが嗜《たしな》めるような視線《しせん》を向ける。
「そうだったわね」
ふたりは今、カノン王国の解放《かいほう》のために働いている。フレイムとは同盟《どうめい》関係にあるものの、出過《です》ぎた真似《まね》をするわけにはゆかないのだ。
「おまえらしくもない。国や王の思惑《おもわく》などとは無縁《むえん》で行動するのが、自由|騎士《きし》の自由騎士たる所以《ゆえん》だろう」
カシューが愉快《ゆかい》そうに笑う。
「恐れ入ります」
パーンはわずかに頭を下げる。
だが、その答は否定《ひてい》ではなかった。彼が今、カノンに協力しているのは、地位や名誉《めいよ》、富《とみ》を求めてのものではない。
「ひとりで空を飛んで向かってくる……どんな人間なのか、興味《きょうみ》を覚えますね」
パーンはそう続けた。
「オレもそうだ。一騎打ちを挑《いど》んでくるというのならそれもよし、オレが相手をしてくれる。たとえ、相手が魔術師であってもな」
カシューはこれまで数え切れないほどの一騎打ちを演《えん》じてきている。そしてそのすべてに勝ってきた。
相手のなかには、彼より強かった者もいた。だが、一騎打ちというものは、最後に生き残っていたほうが勝者なのだ。
(生き続けた者だけが、次の戦いに挑めるのだ……)
カシューは目を細め、空を飛んで向かってくる相手を見すえた。
「こちらに戦う意志はない!」
帆船《はんせん》の上空にさしかかったところで、リウイは大声で叫《さけ》んだ。
そして敵意《てきい》のないことを示《しめ》すように両手を上げながら、ゆっくりと降下《こうか》してゆく。
「まず名乗るのが礼儀《れいぎ》であろう」
甲板《かんぱん》に立つ人々のなかから、ひとりの男が声をかけてきた。
その男が、この船の中心人物のようだ。
「失礼した。オレの名は、リウイ。北のアレクラスト大陸からやってきた。ここにエレミア王からの親書も持参している。確《たし》かめてもらいたい」
リウイはふたたび叫ぶと、船の甲板に向かって、持参してきた親書を投げ落とした。
ひとりがそれを拾い、リウイに声をかけてきた男に手渡《てわた》す。
男は鷹揚《おうよう》にうなずくと、短剣《ダガー》で親書の封《ふう》を切り、書面を取り出した。
そしてそれにすばやく目を通す。
「なるほど、親書は本物のようだな……」
男はうなずくと、リウイに視線を向けた。
「しかし親書が本物であったとしても、おまえに託《たく》されたものとはかぎるまい。おまえたちが乗っている船は、我《わ》が国の商人が所有する交易船であることは間違《まちが》いないのだ。おまえたちが奪ったと考えるのが当然であろう?」
「その釈明《しゃくめい》はこれからさせてもらう。だが、今度はあんたが名乗る番だろう?」
リウイは男を見下ろしながら言った。
「ぶ、無礼であろう!」
男の周囲を取り巻《ま》く何人かが気色《けしき》ばんだ。
しかし男は彼らを手で合図して制《せい》する。
「それもそうだな。オレはフレイム国王カシューだ」
「フレイム王カシューだって?」
リウイは唖然《あぜん》となる。
さすがの彼も、国王自らが軍船に乗って出てくるとまでは予想していなかったのだ。
(それほどまで、オレたちはこの国を騒《さわ》がしていたってことかな……)
こめかみのあたりに冷や汗《あせ》が滲《にじ》んだが、しでかしてしまったことはしかたがないと、すぐ頭を切り替える。
「わたしは剣《つるぎ》が王国オーファンの王子だ。あなたも大陸の出身だから、名前ぐらいは聞いているはず」
「オーファンの王子だと?」
リウイの言葉に、今度はカシューと名乗った男が驚《おどろ》きの表情《ひょうじょう》を浮《う》かべる。
「竜《りゅう》殺しリジャールが、ファン王国から王妃《おうひ》ともども簒奪《さんだつ》したあの新興国《しんこうこく》か?」
「さ、簒奪。それも、王妃ともどもだって!?」
フレイム王の言葉に、リウイはがくっとなり、危《あや》うく落下しそうになる。
(なるほど、そういう見方もできるわけだな)
カシューなる人物がこの島へ渡ってきたのは、オーファン建国から間もない頃《ころ》だから、悪評《あくひょう》が流れていても不思議ではない。
実の父リジャール王が英雄《えいゆう》と謳《うた》われるようになったのは、王国が安定し、その治世が滞《とどこお》りなく続いているからだ。
「あまりに途方《とほう》もない話だが、たとえそれが偽《いつわ》りだったとしても、聞くだけの価値《かち》はあるな……」
フレイム王を名乗る男は、そしてリウイに船に降《お》りてくるようにと呼《よ》びかけた。
リウイも最初から覚悟《かくご》は決めているので、迷《まよ》うことなく帆船の甲板へと降り立った。
たちまち、数人の兵士が曲刀を抜《ぬ》いて取り囲む。
だが、上空にいたときも、何人もの兵士から弓矢で狙《ねら》いをつけられていたから、状況《じょうきょう》は変わらない。
リウイは敵意のないことを示すように、両手を真横に広げる。もとより腰《こし》には魔力《まりょく》の発動体である小振《こぶ》りの棒杖《ワンド》しか帯びていない。
「なるほど、大きいな」
甲板に降り立ったリウイの全身を見て、カシューが思わずもらす。
「竜殺しリジャールも、大男との噂《うわさ》を聞いたことがある……」
「間違《まちが》いなく、オレの体格《たいかく》は父|譲《ゆず》りだ」
リウイは答えた。
「だが、鍛《きた》えてはいるようだが、戦士としてはまだまだ修行《しゅぎょう》不足なのではないか? 大陸最強の戦士と謳《うた》われた男の息子《むすこ》とは、正直言って思えないが……」
「オレは妾腹《しょうふく》だ。だから、宮廷魔術師《きゅうていまじゅつし》である養父に預《あず》けられ、魔術師として育てられた。戦士として鍛えはじめたのは、ここ数年。それまでは剣を握《にぎ》ったこともない。未熟《みじゅく》だと言われたら、残念ながら、その通りというしかない」
「ええっ! あなたは魔術師なんですか?」
カシュー王の隣《となり》に立つ、明らかに魔術師と分かる痩身《そうしん》の男が驚きの声をあげる。
空を飛んできたのだから、魔術師だろうと見当をつけていたのは、他でもない彼だ。
しかし、彼が背中に着けているのが魔法のマントであることに気づいて、考えを変えていたのである。
「魔術のほうも、まだまだ修行中だが……」
リウイは苦笑《くしょう》するしかなかった。
魔法戦士《ルーン・ソルジャー》と言えば聞こえはいいが、今のところは、そのどちらも中途|半端《はんぱ》というしかない。
「いやはや、わたしの一番|弟子《でし》と力|比《くら》べをさせてみたいものですよ。体格と魔術の才能《さいのう》は、無関係とはいうものの……」
スレインはそう言うと、ため息まじりに自分の腕《うで》に一瞬《いっしゅん》、視線《しせん》を向けた。
彼の一番弟子であるアルド・ノーバという若者《わかもの》も、オーファンなる王国の王子を名乗る男に負けないほどの体格の持ち主なのだ。
(やれやれ、わたしのように書物しか読まないというような魔術師は時代|遅《おく》れなのかもしれませんねえ……)
スレインは深くため息をついた。
「とにかく釈明《しゃくめい》を聞かせてもらおう。ひとつでも嘘《うそ》があれば、迷《まよ》わずおまえを斬《き》る。その覚悟はできてるな?」
「無論《むろん》だ」
リウイは即答《そくとう》した。
信じてもらえるかどうかはともかく、嘘をつく必要などひとつもないのだ。
「この状況で、まったく動じた様子もないとはたいした若者ですね」
フレイム王と宮廷魔術師の側《そば》にいた甲冑姿《かっちゅうすがた》の男が爽《さわ》やかな笑顔《えがお》を浮かべて、リウイに握手《あくしゅ》を求めてきた。
まだ敵《てき》か味方かも分かっていないわけだから、彼のその行動は意外だった。
「オレの名はパーン。訳《わけ》あって、この船に同乗してはいるが、基本《きほん》的には主君に仕えない流浪《るろう》の戦士だ。人々は自由|騎士《きし》と呼んでいるけどな」
「冒険者《ぼうけんしゃ》……ということですか?」
「そう呼んでくれてもかまわない。この島では戦乱《せんらん》が鎮《しず》まっていないから、この剣《けん》も活《い》かしようがあるということさ」
パーンと名乗った戦士はそう言って、腰につるした剣を軽く叩いてみせた。
「なるほど……」
リウイはうなずいた。
騎士のような装備《そうび》ではあるが、つまりは傭兵暮《ようへいぐ》らしということだ。
フレイム王が帯剣させたまま、側に控《ひか》えさせているのだから、よほど信頼《しんらい》されているのだろう。一目見ただけで、この騎士が相当な剣の使い手であることは分かる。
そしてリウイは、パーンの隣に寄《よ》り添《そ》うように立つ女性《じょせい》に、初めて視線を向けた。
「わたしはディードリット。この自由騎士の旅の共よ。よろしく、ね」
ディードリットと名乗った女性は、そう言ってにっこりと微笑《ほほえ》んだ。
その瞬間、電撃《でんげき》の呪文《じゅもん》を撃《う》たれたような衝撃《しょうげき》がリウイの全身を走る。
彼女は森の妖精《ようせい》族エルフだったのだ。
華奢《きゃしゃ》で小柄《こがら》な身体《からだ》を草色の衣服で包み、輝《かがや》くような金色の髪《かみ》を腰《こし》のあたりまで伸《の》ばしている。肌《はだ》は透《す》きとおるように白く、森の奥《おく》で滾々《こんこん》と湧《わ》く泉《いずみ》の色をした瞳《ひとみ》が、まっすぐに向けられていた。
「オレは、今……この世でもっとも美しい者と……出会った……」
リウイは惚《ほう》けたような表情《ひょうじょう》で、エルフの娘《むすめ》を見つめた。
そしてその言葉がかつて、ヤスガルン山脈で出会った氷の巨人《きょじん》が語った台詞《せりふ》だったことをふと思いだす。
あの氷の下で眠《ねむ》っていた女性も確《たし》かに美しかった。だが、目の前にいるエルフの娘とは比べるべくもない。
洋燈《ランプ》の精霊《せいれい》シャザーラも、この世のものとは思えない美しさを秘《ひ》めていたが、それでもこのディードリットという名の娘の足もとにも及《およ》ばないと思う。
「どうなさったの?」
ディードリットが不思議そうに、リウイを見つめる。
それに気づいたリウイの顔が見る見る赤くなる。
「彼は、ディードの美しさを讃《たた》えてくれてるんだよ」
パーンが律儀《りちぎ》に説明する。
「あら、そうなの?」
ディードリットは一瞬、意外そうな表情をしたあと、くくっと笑う。
「いつも側《そば》にいる人がなかなか言ってくれないから、自分のことをそんなふうに思ったことなんてなかったわ……」
ディードリットは、そしてリウイに握手を求めた。
彼はあわてて自分の手を飛空のマントで拭《ふ》いてから、両手で彼女と握手をかわした。
「大陸にも森の妖精は大勢《おおぜい》、暮らしているだろう? 出会ったことはないのか?」
リウイのあまりの変貌《へんぼう》ぶりに、カシューは怪訝《けげん》そうな顔で訊《たず》ねた。
「出会ったことはある。しかし、何と言えばいいのか、彼女には大陸で出会った森の妖精とは、まったく違《ちが》う雰囲気《ふんいき》を感じる。もっと神々《こうごう》しいというか、まるでこの世界にありながら、異世界にも同時に身を置いているかのような……」
「よく分かりましたね。彼女はハイエルフなんですよ。このロードスには“帰らずの森”という秘境《ひきょう》がありましてね。彼女らは、そこで暮らしているのです。あなたの言ったとおり、ハイエルフは妖精界とさえ行き来することができるのです……」
スレインという宮廷魔術師《きゅうていまじゅつし》が突然《とつぜん》、語りはじめ、ハイエルフや妖精界、さらには帰らずの森なる場所についての知識《ちしき》を次々と披露《ひろう》する。
知識|欲《よく》というものは、それを人に語りたいという欲望と一|対《つい》であるということを、この魔術師は身をもって証明《しょうめい》しているかのようだった。
リウイも知識の信奉者《しんぽうしゃ》たる魔術師だから、彼の話は興味《きょうみ》深いものだった。しかし今はまったく耳に入らない。ただ彼女が神々の時代に存在《そんざい》した高貴《こうき》なエルフということだけは、しっかりと心に刻《さざ》まれていた。
「この旅は、最初からひどいことばかりだったが、それはこのエルフの女性に会うための試練だったんだ……」
リウイは我《われ》知らず、思いを声に出していた。
そんな彼を、カシューをはじめ帆船《はんせん》の船乗りたちは気味悪そうに見つめていた。
しかし、その場から殺伐《さつばつ》とした空気は完全に消えていた。
「彼女への讃辞《さんじ》はいいから、とにかく船室へ来い」
カシューは苛立《いらだ》ったように言うと、まだ陶然《とうぜん》としているリウイを兵士たちに命じて連行させた――
ハイエルフの女性ディードリットが同席しなかったこともあり、船室に入ったリウイは、いつもの自分を取り戻《もど》した。
尋問《じんもん》したのは大陸の事情に詳《くわ》しいフレイム王カシュー自らで、宮廷魔術師のスレインはそれを興味ありげに聞きながら、ときおり知識欲にかられて質問《しつもん》をするのみ。
もうひとりの自由|騎士《きし》パーンは、腕組《うでぐ》みしたまま、じっとリウイの話に耳を傾《かたむ》けていた。
「……なるほど、おまえの話は分かった。にわかには信じられないがな」
リウイへの尋問を終えて、カシューはため息まじりに言った。
「荒唐無稽《こうとうむけい》ではありますが、彼の説明に矛盾《むじゅん》はまったくありませんね。むしろ、どこかひとつでも嘘《うそ》があれば、すべての辻褄《つじつま》があわなくなることでしょう」
スレインがカシューに進言した。
「つまり、この男は大陸から渡《わた》ってきた冒険者《ぼうけんしゃ》で、その目的は古代王国時代に鍛《きた》えられた魔法の剣《けん》というわけだ?」
「わたしがオーファン王リジャールの|妾腹の王子《バスタード》だと知らされたのは、つい最近なのです。そしてそれまで、仲間とともに冒険者をやっていました」
リウイはうなずく。
「我《わ》が父リジャールは、ひとりの付与魔術師《エンチャンター》が鍛えた魔法の剣を集めている。大事な役目なので、わたしが探索《クエスト》を命じられたわけです……」
リウイは微妙《びみょう》に話を隠《かく》しはしたが、嘘は一言もつかなかった。
フレイムの宮廷魔術師は穏《おだ》やかそうに見えるが、その印象通りの人物だとは思えない。
〈虚偽感知《センスライ》〉の呪文ぐらい使っていてもおかしくない。
「それにしても、冒険者仲間がすべて女性《じょせい》とはな」
カシューはうんざりとした表情《ひょうじょう》をした。
男ひとりが女たちに囲まれての旅が、どういうものか想像《そうぞう》したのだ。
そういう状況《じょうきょう》を羨《うらや》ましいと思う者もいるかもしれないが、それは女という生き物をよく知らないというしかない。
「あの邪竜《じゃりゅう》クリシュが、転生竜《てんせいりゅう》として蘇《よみがえ》ったというのも驚《おどろ》くしかないな。しかもそれをおまえが支配しているとは……」
「成竜《エルダードラゴン》になるまでのあいだだけです。成竜になったとき、あいつは竜の牙《きば》の呪縛《じゅばく》から解放《かいほう》される」
「そのときには、どうなるんだ?」
自由騎士パーンが初めて口を開いた。
「おそらくは、わたしを襲《おそ》ってくるでしょう。そのときには、もう一度、牙を埋《う》め込《こ》むしかありません」
リウイは平然と答えた。
「そのときまでに、わたしは成竜と戦えるぐらいの男になっていないといけないということです」
「幼竜《ドラゴンパピー》はどのくらいで最初の脱皮《だっぴ》をする?」
リウイの話を聞いて、カシューが顔をしかめながら、スレインを振《ふ》り返る。
「竜の生態はよく知られておりませんから、定かではありません。ですが、一年、二年ということはないでしょう」
「それまでに、早々にこの島から出ていってもらいたいな」
スレインの答に、カシューは苦笑《くしょう》をもらす。
「竜殺しの名声は、すでに得ている。もう一度、戦っても無意味というものだ」
「目的の物が見つかり次第《しだい》、早々に出てゆくつもりです。探《さが》さなければならない剣は、他《ほか》にも何本もあって……」
リウイはうなずいた。
「優《すぐ》れた剣を求めるのは戦士の性《さが》だが、リジャール王もかなりの老齢《ろうれい》だろうに」
カシューはひとりごとのようにつぶやく。
「我が父ながらオーファン王リジャールは老いてますます盛《さか》んで、今でも大陸最強の戦士ではないかと思うほどです」
「大陸最強……か」
カシューは遠い目をして、一瞬《いっしゅん》、窓《まど》の外に目を向ける。
「もっとも、大陸最強と謳《うた》われていた戦士なら、わたしはもうひとり知っていますが……」
リウイは言って、フレイム王にじっと視線《しせん》を注いだ。
「それは、ロマールの闘技場《とうぎじょう》で無敵《むてき》の剣闘士《けんとうし》だった人物です。人々は剣匠《ソードマスター》と讃《たた》えていたそうですが……」
この王もまた剣匠と謳《うた》われていることを、リウイは知っている。そしてその名に恥《は》じない戦士であることは、一目見ただけで分かった。
「大陸でのことは忘《わす》れたよ。オレはすでに、このロードスの住人であり、フレイムという名の国の王だ」
カシューは答え、その話に二度と触《ふ》れるな、とリウイに笑いかけてきた。
だが、その目には殺気にも似《に》た迫力《はくりょく》が感じられる。
リウイの全身に鳥肌がぶつぶつと立つ。
「承知《しょうち》しました……」
脅《おど》しに屈《くっ》したわけではないが、リウイはうなずいた。
他人の隠《かく》し事を暴《あば》く趣味《しゅみ》は、彼にはない。
「エレミア王の紹介《しょうかい》もあるし、何より遠方からの来客だ。フレイム王国は、おまえたちのことを歓迎《かんげい》するぞ。おまえも知ってのとおり、マーモという帝国《ていこく》と戦争をしているゆえ、たいしたもてなしもできないが、な」
カシューがそう言って、やっとリウイと握手《あくしゅ》をかわした。
「お世話になります……」
リウイは深く礼をした。
「おまえの仲間たちも、この船に迎《むか》えよう。船のほうは返してもらっていいな?」
「無論《むろん》です」
リウイは即答《そくとう》した。
正直に言って、遠洋航海など二度とやりたくない。帰りは、アイラに瞬間移動《テレポート》の呪文をかけてもらうつもりだった。
「結果的には、マーモの海賊《かいぞく》どもから、船を取り返してもらったわけだ。礼を言わねばなるまい。魔法の剣《けん》の探索《たんさく》にも、できるかぎりの協力はしよう」
「ありがとうございます」
リウイは礼を言い、もう一度、頭を下げる。
「そうと決まれば、宴《うたげ》だな」
カシューは楽しそうに言った。
「おまえたちの冒険《ぼうけん》や大陸での話、我《わ》が宮廷《きゅうてい》の騎士《きし》や婦人《ふじん》たちにも聞かせてやってくれ」
第3章 自由|騎士《きし》、永遠《えいえん》の乙女《おとめ》
フレイム王国の軍船が、王都ブレードの街に着いたのは、翌日《よくじつ》の昼頃《ひるごろ》であった。
リウイたちは国賓《こくひん》として王城《おうじょう》アークロードに案内され、それぞれ客間を与《あた》えられた。そして湯浴《ゆあ》みをし、フレイム王が用意した服に着替《きか》える。
夜には歓迎の宴が催《もよお》されるとのことだが、どちらかと言えば、戦争に疲《つか》れたフレイムの騎士や婦人たちの慰労《いろう》目的のようだ。
「宴なんて、ぜんぜん楽しくないよぉ」
清楚《せいそ》な雰囲気《ふんいき》の真っ白なドレスに着替えさせられたミレルは、鏡に映《うつ》る自分自身の姿《すがた》を気持ち悪そうに見ながら、ぶつぶつと文句《もんく》をこぼす。
「宴というのは、そんなものさ。しかし、いくら嫌《いや》でも参加するしかない」
リウイもうんざりとした表情《ひょうじょう》だった。
「大陸ふうということでしたが、どう見ても流行からは外れていますわね」
メリッサがため息をついた。
彼女が着ているのは、袖《そで》や襟《えり》がやたら強調された濃緑色のドレスで、まるで魚の鱗《うろこ》のような装飾《そうしょく》が縫《ぬ》い込まれている。
由緒《ゆいしょ》ある王国の貴族《きぞく》の生まれだけに、彼女はどんなドレスを着せても似合《にあ》うのだが、今はリウイが見ても違和感《いわかん》があった。
アイラは正女性魔術師《ソーサリス》だということを盾《たて》にとり、正装《せいそう》だからと主張《しゅちょう》して深紅《しんく》の長衣《ローブ》をちゃっかり身に着けている。
メリッサも戦神マイリーの神官衣を着たいと言ったのだが、宴に出るにはそれはあまりに汚《よご》れており、断念《だんねん》せざるを得なかったのだ。
だが、メリッサはまだましなほうで、ジーニもドレスに着替えさせられている。
ジーニは固辞したのだが、宮廷婦人たちはまったく耳を貸さなかった。
城《しろ》に置いてあるなかで、もっとも大きなドレスを手際《てぎわ》よく手直しし、彼女に着せたのである。
だが、彼女のドレス姿はまるで、屈強《くっきょう》の戦士が女装しているようにしか見えなかった。
普段《ふだん》の彼女の服装のほうが、当然、似合ってるし、女らしくも見えた。
竜司祭《ドラゴンプリースト》のティカまでもが、ドレスを着せられていた。竜《りゅう》に転生することを目指す彼女にとって、そういう格好《かっこう》や贅沢《ぜいたく》な宴は修行《しゅぎょう》の妨《さまた》げでしかないのだが、宮廷婦人たちは彼女に対しても強引《ごういん》だった。
(戦争続きで、娯楽《ごらく》に飢《う》えているんだろうな)
リウイは好意的に解釈《かいしゃく》したものの、悪ふざけとしか思えなかった。
哀《あわ》れなクリシュは餌《えさ》だけを与えられ、ブレードの港近くの倉庫に隔離《かくり》させた。倉庫の周囲にはフレイムの衛兵《えいへい》が厳重《げんじゅう》に警備《けいび》している。リウイの命令には完全に服従《ふくじゅう》するから逃《に》げだす心配はないのだが、その件《けん》に関してはフレイム王は譲《ゆず》らなかった。
そして、宴は華《はな》やかに始まった。
フレイムの母体となった砂漠《さばく》の部族の民族音楽が流れ、舞踏《ぶとう》が披露《ひろう》される。
驚《おどろ》いたことに、そのなかにはエレミアで何度も見た剣《つるぎ》の舞《まい》があった。
しかし、エレミアでは女性だけしか踊《おど》らなかったが、ここでは男も踊る。また、女性の舞《ま》い手も露出《ろしゅつ》の多い服を着ているわけでもない。
舞踏というより、まるで剣の稽古《けいこ》をしているかのような迫力《はくりょく》があった。
(ジェニおばさんにも見せてやりたいぜ……)
リウイは剣《つるぎ》の姫《ひめ》と呼《よ》ばれ、かつてはエレミアの街で最高の踊り手とされた戦神マイリーの最高司祭のことを思いだした。
この踊りを見れば、彼女が最高の剣の使い手となることを求めたのも納得《なっとく》がゆく。
大陸式のそれとは違《ちが》って、フレイム王国の宴《うたげ》は思ったより気楽だった。
しばらくするとリウイもくつろいで、騎士《きし》や婦人《ふじん》たちと談笑《だんしょう》し、求められるままに大陸の話を聞かせてやった。
その代わり、この島のことも、つぶさに聞くのを忘《わす》れない。
この島にどれだけ滞在《たいざい》することになるか分からないが、情報《じょうほう》を集めておくに越《こ》したことはない。
そして宴が始まって一段落ついた頃――
宴の場となっている大広間の入口のほうから歓声《かんせい》が起こった。
「何事かしら」
アイラが怪訝《けげん》そうに声のほうを振《ふ》り返る。
リウイの側《そば》にいるのは、アイラとミレルである。
彼女らは相手をリウイとふたりきりにさせまいと互《たが》いを監視《かんし》しているかのようだった。ふたりが好意を持ってくれているのは嬉《うれ》しいが、リウイとしてはあまりそのことは意識《いしき》しないようにしている。
今はそんなことより世界の滅亡《めつぼう》の危機のほうが大事だ。もっともそれは、自分自身の優柔不断《ゆうじゅうふだん》さをごまかしているだけだと承知しているが……
「何だろうね」
ミレルは不思議そうに歓声がするほうを見つめる。
やがて、歓声はリウイたちのほうに徐々《じょじょ》に移動《いどう》してきた。
そしてその訳《わけ》を三人は知ることになる。
自由騎士パーンとハイエルフのディードリットのふたりが盛装《せいそう》をして入ってきたのだ。
彼女の姿《すがた》を見た瞬間《しゅんかん》、リウイは手にしていた酒杯《しゅはい》を取り落とし、そして思い切り手を叩《たた》きながら、歓声をあげていた。
「最高だ!」
当然だが、彼の視線はディードリットだけに注がれている。
「最低だわ……」
「最低よね……」
ミレルとアイラが声をそろえる。
そしてミレルはリウイに足蹴《あしげ》りを見舞《みま》い、アイラは脇腹《わきばら》をつねろうとする。しかし、ミレルの蹴りは彼女の足が痛《いた》くなっただけだし、アイラは贅肉《ぜいにく》のまったくない引き締《し》まった彼の脇腹をつまむことさえできなかった。
「どう見ても、あのふたりは恋人《こいびと》どうしだよ。ううん、きっと夫婦《ふうふ》も同然ね」
ミレルが言って、ケケッと笑う。
「ああ、そうかもな……」
リウイは陶然《とうぜん》とした表情で答える。
「だが、そのぐらいのことで、彼女の完成された美しさが損《そこ》なわれるわけじゃない」
「いろいろ、噂《うわさ》を聞いてみたけど、あの自由騎士は相当な人よ。正真|正銘《しょうめい》の英雄《えいゆう》ね。特定の王国には仕えることなく、ロードスのため、そして民衆《みんしゅう》のために剣《けん》を振るう。メリッサが理想の勇者様だと、うっとりしていたわよ」
アイラが意地悪く言った。
「ああ、恐《おそ》るべき剣の使い手だということは、オレにも分かる。しかも素朴《そぼく》というか純粋《じゅんすい》というか、信じられないほど爽やかな男だな」
「完敗ってことよ、あなたの」
アイラが冷たく結論《けつろん》づける。
「おまけに、あのパーンとかいう人の着ている甲冑《かっちゅう》も、なかなかのものだしね……」
盛装していることもあり、アイラは今、魔法《まほう》の眼鏡《めがね》はつけていない。
だから、遠くの視界はぼんやりとしているのだが、自由騎士の着ている鎧《よろい》は明らかに古代王国時代のそれだ。
「今は置いてあるが、オレの剣や鎧だって、ヴァンが鍛《きた》えたものだぜ。宝物庫《ほうもつこ》の門番だった|魔法の鎧《リビングアーマー》であり、それが使っていた剣なんだから……」
「あら、そうだったわね」
アイラは冷たく言った。
しかし、次の瞬間、彼女ははっとなり、目を細めて、自由騎士の甲冑を睨《にら》みつけるように見る。
「どうした?」
リウイが訊《たず》ねる。
「まさかあの鎧……」
アイラは一瞬、呆然《ぼうぜん》としてから、リウイの手を強引《ごういん》に取って、自由騎士とハイエルフの娘《むすめ》の側《そば》に近寄《ちかよ》ってゆく。
「待ってよ!」
ミレルがあわてて続く。
「リウイ王子」
パーンが笑顔《えがお》で挨拶《あいさつ》をしてくる。
ディードリットはドレスの裾《すそ》をつまんで、軽く膝《ひざ》を折る。
リウイの顔はまたも真っ赤になる。だが、今はこの至福《しふく》の時間を楽しんでいるわけにはゆかなかった。
アイラは、自由|騎士《きし》に挨拶もせず、いきなり腰《こし》をかがめると、彼が身に着けている鎧に触《ふ》れ、そして腰に帯びている剣を確《たし》かめる。
「どうなされました?」
パーンは当惑《とうわく》しながらも、穏《おだ》やかにアイラに声をかけた。
それを見たディードリットは一瞬、頬《ほお》をふくらませる。
その表情《ひょうじょう》さえリウイには魅力《みりょく》的だったが、今はアイラの反応《はんのう》のほうが気がかりだった。
「いったい、どうしたっていうんだ……」
リウイはアイラに声をかけると、腕《うで》を掴《つか》んで立ち上がらせようとする。
しかし、彼女はそのあとしばらくも、自由騎士の武具《ぶぐ》の鑑定《かんてい》をやめようとしなかった。
パーンはどう対処《たいしょ》していいか分からず、顔をひきつらせたまま、アイラのしたいようにさせている。
「どうしたもこうしたも……」
そしてようやく立ち上がってから、アイラは呆然とした顔で、リウイを振《ふ》り返った。
それから背伸《せの》びをして、リウイの耳に顔を近づける。
「見つけたわ……」
「見つけたって、いったい何を?」
リウイは突然《とつぜん》のことに、アイラの言葉の意味がまったく理解《りかい》できなかった。
しかし、彼女の次の一言で、リウイも驚《おどろ》きの声をあげることになる。
なぜならアイラは、
「見つけたのよ、魔法王《ファーラム》の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛えた武具を……」
と、続けたからだ。
「この自由騎士が身に着けている鎧も剣も、ヴァンが鍛えたものに間違《まちが》いない。わたしたちが探し求めている武具なのよ」
そう囁《ささや》くアイラの声は、はっきりと震《ふる》えていた――
呪《のろ》われた島ロードスの砂漠《さばく》の王国フレイムの宴《うたげ》は、夜半を過《す》ぎてもまだ続いている。
人はだいぶ減《へ》ったものの、残っている人々は気合いも十分、この楽しい時間を一瞬《いっしゅん》でも長く引き延《の》ばそうとしているように思えた。
リウイも覚悟《かくご》を決めて宴に残っている。
帰れない理由はふたつあった。
ひとつは、永遠《えいえん》の乙女《おとめ》――ハイエルフのディードリットが宴の席に残っていること。
その美しい姿《すがた》を見ていられることは、彼にとって至福の時間である。
そして彼女の伴侶《パートナー》である自由騎士パーンの存在《そんざい》だった。パーン本人には用はないが、彼が身に着けている剣《けん》と鎧を無視《むし》するわけにはゆかない。なぜなら、それを持ち帰ることが、リウイたちにとっての使命なのだから――
(魔法王の鍛冶師ヴァンが鍛えた剣……)
そのなかのひとつに世界を滅亡《めつぼう》に導《みちび》く魔精霊《ませいれい》アトンを消滅させる魔法王《ファーラム》の剣があるはずなのだ。
(さて、どうして手に入れたものか……)
リウイの目の前には今、その聖剣を腰《こし》に帯びた男がいる。
爽《さわ》やかな笑顔を浮《う》かべて、うっとりとした表情のメリッサに問われるままに自分の冒険談《ぼうけんだん》を語っていた。
「本意ですわ」
メリッサは何度もそうもらす。
彼の冒険談は確かに、彼女が理想とする勇者のそれだった。
(オレたちの冒険談には、いつもどこかしら間が抜《ぬ》けたところがあるからな)
そこがメリッサにとっては不本意なのだろう。
「砂塵《さじん》の塔《とう》とかいう場所に眠《ねむ》っていてくれたらよかったのにね」
ミレルがため息まじりにつぶやく。
自由騎士が所有している魔法の武具《ぶぐ》は、もともとそこに納《おさ》められていたらしいのだ。
「まあ、五百年も経《た》っているんだ。盗掘《とうくつ》されていないほうがおかしいってもんだ」
リウイは黒髪《くろかみ》の盗賊《とうぞく》少女に答える。
「それは覚悟《かくご》してたんだが、所有している人間が問題だな」
リウイたちはパーンとディードリットのふたりが姿を現《あらわ》してからというもの、ほとんど張りついている。
必要に迫《せま》られてのことではあるが、そんなものがなくても、リウイはふたり――というより、ディードリットについて回っていたに違いない。
彼女の姿を見るだけで、リウイは幸せになる。だが、隣《となり》にいる男には複雑《ふくざつ》な気持ちだった。世界でもっとも美しい存在を独占《どくせん》していることに対する嫉妬《しっと》もあるし、あまりにも人間ができすぎていて面白《おもしろ》くない。
酒はそれなりに飲んでいるのだが、崩《くず》れた様子もない。メリッサをはじめとして、フレイム王国の宮廷婦人《きゅうていふじん》たちがうっとりとした目で見ていても、にやけたりすることもない。
過去《かこ》の冒険談を語っていても、自慢《じまん》話には聞こえない。
淡々《たんたん》と事実を語り、自分の想《おも》いを一言だけそこにのせる。禁欲《きんよく》的といえばいいのか、まるで修道僧《しゅうどうそう》のような雰囲気《ふんいき》だった。
(フレイム王のほうが、よほど人間的だぜ)
だが、こんな人間だからこそ、ハイエルフのディードリットは惹《ひ》かれたのかもしれない。
高貴《こうき》な森の妖精《ようせい》が、欲望むきだしの人間に心を寄《よ》せるはずがない。
(立派《りっぱ》な人間なのは、けっこうなんだが……)
いったいどうやって、武具を譲《ゆず》ってもらうかを考えると、頭を抱《かか》えたくなる。
「まずは正攻法《せいこうほう》といこう」
リウイは決心すると、アイラにうなずきかけた。
「武具一式を売ってくれるよう、頼《たの》んでみてくれないか?」
「やってみるけど……、期待しないでよ」
アイラは苦笑《くしょう》をもらした。
魔法の眼鏡《めがね》はしていないものの、それで彼女の人を見る目まで曇《くも》るわけではない。自由|騎士《きし》はどう考えても、商売相手に向いていない。むしろ、その正反対の人間だろう。
アイラにも事の重要|性《せい》は分かっているので、ため息をつきながらもうなずきかえした。
アイラはパーンの話が途切《とぎ》れた隙《すき》をついて、すっと彼の目の前に滑《すべ》りこんだ。
「わたしの父は大陸では、商会を経営《けいえい》してますの」
「そうなのですか」
パーンは素直《すなお》に感心する。
「わたしの友人……いや、この国の宮廷|魔術師《まじゅつし》スレインも、実家はライデンの街の商人なんですよ。魔術師になるには、お金がかかるようですね……」
「書物とか素材《そざい》とか魔術の修行《しゅぎょう》に必要な物は高価《こうか》ですし、ただ魔術師というだけでは収入《しゅうにゅう》は何もありませんから。生活に困《こま》るようでは、難《むずか》しいかもしれませんね」
パーンの言葉に、アイラは笑顔《えがお》を浮かべたまま返す。
そのあいだに、彼女はパーンの背中《せなか》に手を回し、バルコニーへと誘導《ゆうどう》してゆく。これからの話は、あまり他人に聞かれたくはないからだ。
ディードリットが隣《となり》で不機嫌《ふきげん》な表情《ひょうじょう》をしているが、あえて気づかないふりをする。
彼女としては人間の女性に対して、いろいろと思うところもあるのかもしれない。同じ種族ではないことの不安感だろう。
そしてリウイたち六人とパーン、ディードリットのふたりは、広間に隣接《りんせつ》するバルコニーへ場所を移《うつ》した。
「何か、内密《ないみつ》の話でも?」
リウイたちの意図に気づき、パーンが声を低くして訊《たず》ねかけてくる。
「わたしたちの旅の目的はご存《ぞん》じでしたよね?」
アイラが神妙《しんみょう》な表情で、パーンに話しかける。
「特別な魔法の武具を探《さが》しておられるとか……」
パーンがうなずく。
「そのことなんですが……」
アイラはちらりとリウイを見て、目で合図する。
リウイは緊張《きんちょう》の表情で合図を返す。
「あなたのような英雄《えいゆう》に向かって失礼を承知《しょうち》で申し上げるのですが、わたしたちが探し求めている武具は、あなたが身に着けておられる物なのです。魔法王の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた魔法の剣《けん》と魔法の鎧《よろい》……」
誠実《せいじつ》な人間に嘘《うそ》をつくわけにもゆかず、アイラは単刀直入に言うことにした。
「なんだって?」
アイラの言葉に、自由騎士はさすがに驚《おどろ》いた様子だった。
「この剣や鎧を、大陸の国王が求めておられると……」
「はい」
アイラはそう答えて、深く頭を下げた。
「どうか、お譲りねがえませんでしょうか?」
「急に譲れと言われても……」
パーンは当惑《とうわく》した顔で、ディードリットに視線《しせん》を向ける。
「そうね……」
ディードリットは曖昧《あいまい》にうなずいた。
彼女は武器《ぶき》とか防具《ぼうぐ》とかには、さしてこだわっていない。普段《ふだん》、身に着けている物も、森を出たときのまま。無論《むろん》、大切にしてはいるが、物は物だと割《わ》り切っている。
パーンが今、身に着けている剣や鎧は、砂塵《さじん》の塔《とう》に赴《おもむ》いたとき発見したものだ。それまでは、彼は父から譲り受けた聖《せい》王国ヴァリスの甲冑《かっちゅう》を愛用していた。
それをあっさりと替《か》えたので、側《そば》にいたディードリットのほうが、むしろ当惑したのを覚えている。
かまわないのか、とも訊《き》いた。
そのとき、パーンはいつもと同じ笑顔でうなずいただけだった。
「騎士にとって、武具は命と同じぐらい大切なものであるとは承知しております。しかし、わたしたちも命を賭《と》して、この島まで渡《わた》ってまいりました。その武具を頂戴《ちょうだい》しなければ帰ることはできないのです」
アイラは誠意《せいい》に満ちた顔で、パーンを説得した。
(あんな顔もできるんだな……)
リウイは彼女を見て感心した。
昔、ちょっとした話の流れで、商売の秘訣《ひけつ》はと彼女に訊いたことがある。
彼女はそのとき、にっこりと微笑《ほほえ》んで、誠意よと答えたものだ。
そして、
「――商売の基本《きほん》は相手を儲《もう》けさせることなのよ。人を騙《だま》して儲けるような商売は、決して長続きはしないわ」
と、続けた。
リウイは冗談《じょうだん》でも言ってるのかと思ったが、今の顔を見ると、本気だったと分かる。
「あなたの武具にお代をつけることなどできるはずもありません。ですから、売ってくださいではなく、あえて譲《ゆず》ってくださいと申します。無論、私たちは誠意を尽《つ》くして、相応《そうおう》の謝礼《しゃれい》をいたすつもりです」
アイラはそう言って、まっすぐにパーンを見つめた。
いつもより潤《うる》んだような目をしているのは、魔法《まほう》の眼鏡《めがね》をはずしているからだ。しかし、彼女は今の瞬間《しゅんかん》だけは、目の前の騎士《きし》にすべてを捧《ささ》げてもいいくらいの気持ちでいるのかもしれない。
それが相手には誠意として伝わることになる。最初から人を騙すつもりの人間には、おのずとうさんくさい臭《にお》いがつきまとうものだ。
「あなたがたが真剣であることは、わたしにも伝わりました。しかし、リウイ王子の父君は、わたしの武具を収集品《コレクション》として望んでおられるだけなのでしょう? それではお譲りするわけにはまいりません」
そう言って、パーンはアイラに向かって一礼し、リウイを振《ふ》り返った。
濁《にご》りのないまっすぐな視線がリウイに向けられる。
「ただの収集品ではありません……」
リウイにはそう答えるしかなかった。
「我《わ》が父リジャールはさる目的があって、あなたの武具を求めています」
「その目的とは?」
予想された問いを、パーンは返してきた。
「それを答えるわけにはゆかないのです」
リウイは苦しげな顔で言った。
「だったら、わたしにも協力のしようがない……」
パーンは申し訳《わけ》なさそうに言った。
「いえ、無理を言っているのは、わたしたちのほうですから……」
アイラがあわてて言って、リウイの側《そば》に立つ。
「お金とかで譲ってもらうのは難《むずか》しいと思う。いえ、間違《まちが》いなく無理ね」
アイラはリウイだけに聞こえるようにそう囁《ささや》いた。
「だろうな……」
リウイはうなずくと、アイラを労《ねぎら》うようにその背《せ》を叩《たた》いた。
「正攻《せいこう》法じゃ無理ってことだ」
ミレルがすりすりとふたりのあいだに割《わ》り込《こ》んでくると、ポツリと言った。
「分かりました。今日のところは、引き下がります。しかし、オレたちも使命を帯びて、やってきた身、またお願いにあがるかもしれません……」
「いつでも来てください。ただ、わたしは明日にでも、この街を発つつもりです。追いかけてこられるのは、かなり苦労されますよ」
「それを惜《お》しんでは、我々《われわれ》、冒険者《ぼうけんしゃ》は勤《つと》まりませんから」
リウイは言って、笑顔《えがお》でパーンに挨拶《あいさつ》を送った。
それから、ディードリットの手をとって、恭《うやうや》しく口づけをする。
「また、お会いしましょう」
リウイは目をきらきらさせながら、ディードリットに言った。
「ええ、是非《ぜひ》」
ディードリットは微笑《ほほえ》むと、軽く膝《ひざ》を折って、リウイに挨拶を送る。
そしてリウイは、五人の女性《じょせい》たちに連行されるように、バルコニーから去っていった。
あとにパーンとディードリットのふたりだけが残った。
それに気がついて、ディードリットは急いで、パーンにすり寄《よ》ってゆく。
そして彼の腕《うで》を抱《かか》え、静かに頬《ほお》を寄せた。
「ずいぶん陽気な人たちね。大陸の人たちは、みんなああなのかしら?」
ディードリットは囁くように言った。
「それはどうかな? あの王子が特別だという気がする」
パーンはバルコニーからアークロードの中庭を眺《なが》めながら苦笑《くしょう》をもらす。
「これまでに、会ったことのない人間だよ」
「お連れの人が、魅力《みりょく》的な女性ばかりで、羨《うらや》ましいと思ったんじゃない?」
「確かに魅力的な女性たちだね。ただ美しいだけじゃなく、それぞれ芯《しん》が入っている」
パーンは真顔でうなずいた。
(まったく……)
その答に、ディードリットはこっそりとため息をもらす。
(こういうときは、お世辞でもいいから、わたしのほうが魅力的だと言ってほしいのだけど……)
しかし、この自由騎士との付き合いは昨日や今日のことではない。
彼の性格《せいかく》は、さすがに熟知《じゅくち》している。
リウイ王子はディードリットが当惑《とうわく》するぐらいの讃辞《さんじ》を送ってくれた。
人間の世界に来てから、容姿《ようし》の美しさを讃《たた》えられることは多かった。だが、そこには森の妖精《ようせい》族に対する嫉妬《しっと》や嫌悪《けんお》の気持ちが入っていることも少なくなかった。
リウイ王子の讃辞からはそういった否定《ひてい》的なものは欠片《かけら》も感じなかったが、エルフ族を特別視しているという点では同じだった。
しかし、パーンだけは最初に会ったときから、ディードリットのことを人間の女性と同じように扱《あつか》ってくれた。
それが不思議で、彼と一緒《いっしょ》に行動するようになったのだが、後になって、彼は誰《だれ》に対してもそうだということに気がついた。彼は自分自身が人間という種族であることに、自覚も執着《しゅうちゃく》もない。相手の生まれや育ちにも、まったく関心を示さない。
誰であれ、その人をそのままにしか見ない。だから、誰とでも心を通わせることができるのだ。
決して器用な人間ではないが、それゆえに彼は多くの人間から信頼《しんらい》されている。
いつも直感で行動するだけなのだが、彼が動きはじめると、不思議と大勢《おおぜい》の人がそこに集まってくる。
そして大きな潮流《ちょうりゅう》となるのだ。
また彼自身、そういう大きな潮流のなかに自らを投じることが多い。
それゆえに、彼は自由|騎士《きし》になっているわけだし、逆《ぎゃく》に言えば自由騎士にしかなりえなかったのだと思う。
(それなのに……)
ディードリットは顔をあげて、パーンの横顔をそっと見た。
「あの人たちの申し出は、確かに不躾《ぶしつけ》だと思うし、自分勝手ではあったけど、訊《き》いてあげてもよかったんじゃないかしら? だって、何の見返りがなくったって、あなたは誰かのために力を尽《つ》くすじゃない。その剣《けん》や鎧《よろい》にしたって、隠《かく》された魔力《まりょく》があるとスレインが指摘《してき》しているのに、それを解明《かいめい》する努力なんて、まるでしていないもの。あなたにとっては、ただの剣でしかないし、ただの鎧でしかないはずよ……」
ディードリットは小首をかしげながら訊《たず》ねた。
「オレは誰かのために行動しているわけじゃない。ただ、自分の気持ちに従っているだけだよ。だから、感謝《かんしゃ》なんていらないし、報酬《ほうしゅう》だって必要じゃない。ディードの言うとおり、この剣や鎧にどんな力が隠されていようが、オレには関心がない。それでも、オレにとって、この剣も鎧も特別なものだよ」
「特別なもの……」
ディードリットは、愛する自由騎士から出た言葉をかみしめるように繰り返す。
「あなたが滅多《めった》に使わない言葉だわ」
「いつも使ってたら、特別とは言わないよ」
パーンが笑う。
「そういう言葉遊びじゃなくって」
ディードリットはわずかにふくれてみせる。
「大陸から、このロードスまで渡《わた》ってきたんだ。何か重大な使命を帯びてやってきたことぐらいオレにだって分かる。だけど、オレは彼らの頼《たの》みを聞く気にはなれなかった。ただ、それだけだよ。オレのこの剣や鎧に対する思いのほうが、強かったということさ」
「珍《めずら》しいこともあるのね……。もしかして、あの王子が、わたしに好意をもってくれているので嫉妬《しっと》したとか?」
ディードリットがわずかに目を細めて、パーンを見つめる。
「あそこまで純粋《じゅんすい》な好意だと、嫉妬するどころか誇《ほこ》らしい気さえしたよ。連れの女性たちは怒《おこ》っていたみたいだけどね」
パーンの答に、ディードリットは忍《しの》び笑いをもらす。
「わたしは嫉妬したわよ。あなたが、彼女たちに好意を持つんじゃないかって」
「オレが?」
パーンは驚《おどろ》いたような顔をして、自分を指さす。
「考えもしなかったな」
「だったら、考えないで」
ディードリットは甘《あま》えたような声で言って、ふたたびパーンの腕《うで》に頬《ほお》を寄《よ》せる。
「わたしが言うのもなんだけど、あの人たちどういう関係なのかしらね?」
「さあ、オレにも分からないな。愛情《あいじょう》もあるかもしれないし、友情もあるだろう。そして他《ほか》にも、いろいろな絆《きずな》で結ばれているんだと思う」
パーンの言葉はいつものように直感でしかなかったが、ディードリットはそれが正しいような気がした。
「さて、オレたちも部屋へひきあげよう。楽しい寄り道だったが、オレたちにも使命がある……」
「そうよね。カラル村の人たちの不安を取り除《のぞ》いてあげないと。カノンでも、レオナー王子が、わたしたちの帰りを待っているはずだしね」
ディードリットはうなずくと、爪先《つまさき》立って口づけを求めた。そしてわずかな時間、ふたりの影が重なる。
その様子を中庭から見つめる者がいることに、ふたりは気づいてもいなかった
(まったくリウイときたら、アイラには甘いんだから……)
茂《しげ》みに身を潜《ひそ》めながら、黒髪《くろかみ》の盗賊《とうぞく》少女は心のなかでつぶやいた。
(商談で失敗するなんて、商人としては失格《しっかく》じゃない。厳《きび》しい商会ならそれだけで、辞《や》めさせられるってものよ)
ミレルはひとしきり心のなかで文句《もんく》を言ってから、ぺろりと唇《くちびる》をしめらす。
(ま、おかげで、あたしの出番が回ってきたんだけどね)
ミレルはそう言って、ほくそ笑《え》む。
アイラより自分のほうが役に立つことを、リウイに示《しめ》す絶好《ぜっこう》の機会だと思う。
正攻《せいこう》法ではうまくゆかないところを、なんとかするのが盗賊というものなのだ。
(鎧までは無理だとしても、剣だけなら……)
ミレルはそう思っている。
(盗《ぬす》みだすことなんか簡単《かんたん》よ)
無論《むろん》、その後はここから逃だすしかないわけだが、帰りはアイラが〈瞬間移動《テレポート》〉の呪文《じゅもん》を使えば、一瞬《いっしゅん》なのだ。
後味は悪いが、世界の滅亡《めつぼう》に関わる大事なのである。こんな辺境《へんきょう》の島まで二度と来ることもないだろうから、人々の評判《ひょうばん》など気にする必要もない。
(あのふたりだって、だいぶお酒を飲んでいたし、今夜はぐっすりのはず)
こういう事態《じたい》を予想していたわけではないが、ほとんど盗賊としての本能《ほんのう》のようなもので、ミレルはこの城《しろ》の構造《こうぞう》を調べたり、情報収集《じょうほうしゅうしゅう》もやっていた。
当然、パーンとディードリットのふたりが寝泊《ねと》まりしている部屋がどこかも知っているし、間取りも分かる。
窓《まど》から忍びこんで、枕元《まくらもと》に置いてあるはずの剣を盗むことなど造作《ぞうさ》もないはずだった。
ミレルは城の中庭を足音を消して走り、ふたりの部屋の窓近くの茂みに身を潜めた。
あとは、ただ待てばいいだけだった。
スリを得意としているミレルではあるが、屋敷《やしき》に忍びこんでの盗みをやった経験《けいけん》も豊富《ほうふ》だった。ドジを踏《ふ》んだことは、今のところ一度もない。
ミレルは忍耐《にんたい》強くそのときを待った。
そして、東の空がわずかに色を変えたとき、彼女は行動を開始した。
頑丈《がんじょう》な格子《こうし》をいとも簡単《かんたん》にはずし、用意してきた油を蝶番《ちょうつがい》にさす。窓には鍵《かぎ》をかけた様子もなかったので、そのままゆっくりと開いてゆく。
そして、音もなく部屋のなかへと身を躍《おど》らせた。
(簡単すぎるわ)
ミレルは鼻歌でも唄《うた》いたい気分で、寝台《ベッド》の側《そば》に近寄ってゆく。
部屋のなかは闇《やみ》に包まれていたが、目を慣《な》らしておいたので、行動に支障《ししょう》はない。
ミレルは寝台の位置を確《たし》かめ、その近くに置いてある剣《けん》とおぼしきものを見つけだした。
そしてゆっくりと手を伸《の》ばす。
(悪いけど、いただいちゃうね)
ミレルはそう心のなかでつぶやきながら、剣の鞘《さや》を掴《つか》んだ。
しかし、その瞬間――
「わたしたちに何か御用《ごよう》かしら、お嬢《じょう》ちゃん?」
そんな声がしたかと思うと、聞き慣れない言葉が続いた。
そして目の前で、光が爆発《ばくはつ》したように思った。
だが、それは闇に慣れた目の錯覚《さっかく》で、青白く輝《かがや》く光の球が淡《あわ》く浮《う》かびあがったにすぎなかった。
光の精霊《せいれい》ウィル・オー・ウィスプである。
「え、えっ」
ミレルは予想もしなかった展開《てんかい》に、完全に我《われ》を失った。そしてその場にぺたりと座《すわ》りこんでしまう。
部屋の片隅《かたすみ》で夜着を身に着けたエルフの女性《じょせい》がくすくすと忍《しの》び笑いをもらしていた。
「見事な腕前《うでまえ》だったけど、わたしたちエルフはあまり睡眠《すいみん》を必要としないの。それに目や耳もあなたたちより鋭敏《えいびん》だしね」
「これだから、エルフって嫌《きら》いよ……」
ミレルは泣きそうな声でつぶやいた。
「……どうしたんだ?」
そのとき、ようやく目覚めたらしい自由|騎士《きし》パーンが、ディードリットに訊《たず》ねた。
「王子様のために、あなたの剣を盗みにきたようよ。健気《けなげ》なことだけど、盗みはよくないわ」
「あ、あたしひとりの考えなの。こんなことをしたら、リウイは怒《おこ》るってわかってるんだけど、どうしてもその剣を大陸に持ち帰らないといけないから……」
ミレルは必死になって弁解《べんかい》したあと、がっくりとうなだれる。
「それは信じよう。それより、理由を聞かせてくれないか? どうして、この剣や鎧《よろい》が必要なのか? そうでないと、オレとしても協力しようがない……」
「あたしの口から、それは言えない」
ミレルは上目づかいにパーンを見つめる。
「でも、本当に大事なことなの。それは信じてほしい……」
「そこまで言われると、かえって気になるな。バルコニーでのオレとディードの話は、聞いていたんじゃないのか?」
「うん……」
ミレルは素直《すなお》に認《みと》めた。
「悪いけど、すべて聞いたよ。騎士様は、この剣や鎧が自分にとって特別な物だって言ってたけど、どう特別なのかは言っていない」
「それは、オレ個人《こじん》の問題だからな。言いたくないんだ……」
パーンは苦笑《くしょう》し、こめかみのあたりを指でかく。
と、そのとき、扉《とびら》を叩《たた》く音がした。
それを聞いて、ミレルが身を硬《かた》くする。
「どなた……かしら?」
ディードリットが扉に向かって声をかける。
「申し訳《わけ》ない。そちらに黒髪《くろかみ》の娘《むすめ》が忍びこんでいないだろうか? 彼女の部屋を覗《のぞ》いてみたら空だし、こちらの部屋の前を通りかかったら声が聞こえたものだから……」
扉の向こうから聞こえてきたのは、ミレルがよく知っている女性の声だった。
「ジーニなの?」
ミレルは怯《おび》えたように身をすくめた。
「あなたのお友達みたいね」
ディードリットはつぶやくと、扉を開いた。
「どうぞ、お入りになって」
そして廊下《ろうか》の人物に向かって声をかけた。
「申し訳ない……」
そう言いながら、部屋に入ってきたのは、赤毛の女戦士ジーニであった。
そしてもうひとり金髪《きんぱつ》の女性|侍祭《じさい》メリッサの姿《すがた》もあった。
「メリッサまで……」
ミレルは死にたいとさえ思った。
「ミレル?」
光の精霊に照らしだされた室内に、黒髪の盗賊《とうぞく》少女がうちひしがれている姿を見つけて、ふたりは驚《おどろ》きの声をあげ、顔を見合わせた。
「まさかとは思っていたが……」
「やってしまったのですね……」
ふたりは深くため息をつき、パーンとディードリットのふたりに詫《わ》びを言った。
「王子様のために、どうしてもこの人の剣《けん》が欲《ほ》しかったようね」
ディードリットは苦笑しながら、ふたりに答える。
「ああ、わたしたちは自由騎士|殿《どの》の武具《ぶぐ》を、なかでも剣を必要としている」
「そのためには、手段《しゅだん》は選ばない、と?」
パーンが寝台《ベッド》から立ち上がりながら、ジーニに訊ねる。
「それぐらいの覚悟《かくご》はある」
ジーニはきっぱりと答えた。
「実を言うと、わたしはあなたに決闘《けっとう》を申し込《こ》もうかと思っていた。勝ったら、武具を頂戴《ちょうだい》する。負けたときには、この命で償《つぐな》おうと……」
「わたくしも覚悟は同じです。もしも、パーン様がこの身をお望みであれば、捧げていたことでしょう。無論《むろん》、そのような御方《おかた》でないことはすでに承知《しょうち》してますが……」
メリッサが続けている。
「あたりまえよ」
ディードリットが間髪《かんはつ》を入れずに言う。
「あなたがたが実力行使も辞さない覚悟だということは、よくわかったわ。だけど、わたしたちを本気で怒らせないでね。争い事は好きじゃないけど、降《ふ》りかかる火の粉《こ》を払《はら》いのけるぐらいはするから……」
「オレは、自分の気持ちを大切に生きている。他人から無理強《むりじ》いされるのは、あまり好きじゃないんだ。もし、オレが必要だと感じたら、代償《だいしょう》も何も要《い》らない。この剣も鎧《よろい》も持ち帰ってもらっていい。だが、あなたたちは何も語らず、ただ武具を譲《ゆず》れとだけ言う。正直、あまりいい気はしないな」
パーンは素《そ》っ気《け》ない口調で言うと、ミレルの頭を軽く叩いた。
「さ、彼女らと一緒《いっしょ》に帰るんだ。そして、オレたちのまえに、もう姿を現《あらわ》さないでほしいな」
「それは……できないよ」
ミレルはそう答えるしかなかった。
「それは困ったな……」
パーンはため息をついた。
「オレは今日、この街を発《た》つ。そしてオレの使命を果たすため、危険《きけん》な場所へと赴《おもむ》くことになる。正直、あなたたちとかかわっている時間が惜《お》しいんだ」
「とにかく、今は失礼しよう」
ジーニは手招《てまね》きをして、ミレルを呼《よ》ぶ。
ミレルは涙《なみだ》を流しながら、ジーニとメリッサのところへと走った。
「とにかく、彼女のしたことについては、謝《あやま》らせてもらう。しかし、わたしたちの覚悟が変わるわけではない」
ミレルを抱き留めながら、ジーニが言った。
「あなたが真の勇者であることを、わたしは疑《うたが》っていません。どうか、わたしたちの願いを聞き届《とど》けていただけますように……」
メリッサは悲しそうな表情《ひょうじょう》で、深く頭を下げる。
「わかった。だが、オレの気持ちも、すでに伝えたとおりだ」
パーンの言葉に、逡巡《しゅんじゅん》はまったく感じられなかった。
「では、また……」
ジーニはパーンとディードリットに深く一礼すると部屋を後にした。
そしてそのまま、リウイの部屋を訪《たず》ねたのである――
扉《とびら》を叩《たた》くと、リウイはすぐに目覚めた。
そして泣きじゃくるだけのミレルに代わって、ジーニからつぶさに事情を聞いた。
「やり方はあまり賢《かしこ》くなかったが、こちらの覚悟を伝えることはできたかもな。ただ、あれだけの人物だ。こちらが強引《ごういん》にでても、受けてたつだけだろう。最終的には、それもしかたないかもしれないが……」
リウイは苦笑をもらしながら、ジーニたち三人に言った。
やがて、アイラとティカもやってきて、仲間が全員そろう。
「ごめんなさい……」
幾分《いくぶん》、気が鎮《しず》まったらしく、ミレルがあらためて謝罪《しゃざい》する。
「抜《ぬ》け駆《が》けなんてしようとするからよ」
アイラが笑いながら、ミレルに釘《くぎ》をさす。
「そういうことをすると、ひどい罰《ばち》が当たるのよ。わたしがそうだったでしょ?」
「エルフが油断《ゆだん》ならない種族だってこと、すっかり忘《わす》れてたわ。争いの森で、それこそ殺されかけたのにね」
ミレルは床《ゆか》にぺたんと腰《こし》を下ろしたまま嘆《なげ》く。
「こうなったからには、ふたりには死んでもらうしかないのでは?」
ティカが真顔で言う。
「呼べば、クリシュは一瞬《いっしゅん》にしてきます」
「あのふたりはこの島になくてはならない人物のようだ。最後の手段としても、それは避けたいところだな。それに、たとえクリシュと一緒でも、オレたちがあのふたりを倒《たお》せるかどうか疑問《ぎもん》だ。なにしろ、成竜《エルダードラゴン》どころか古竜《エンシェントドラゴン》さえ倒したことがあるそうだぜ」
リウイは肩をすくめてみせた。
「覚悟《かくご》を決めて、すべての事情を話すしかないんじゃないかしら。パーンという騎士《きし》も、協力する用意はあると言ってるんだし……」
アイラが遠慮《えんりょ》がちに提案《ていあん》する。
「あの人にとって、特別な物だから、納得《なっとく》できる理由でなければ渡《わた》したくないみたい。筋《すじ》は通っていると思うよ」
ミレルがアイラの意見に同意する。
「それもひとつの手段《しゅだん》だな。あの自由騎士が噂《うわさ》どおりの人物なら、おそらく魔精霊《ませいれい》アトンと一緒に戦ってくれるだろう」
「でしたら、迷《まよ》うことはないのではありませんか?」
メリッサがリウイを見つめる。
「いや、アトンのことは軽々しく口外しないと、オラン王やマナ・ライ師と約束している。あの自由騎士が、噂どおりの人物かどうか、この目で確かめないかぎり、真相を話すつもりはない……」
リウイはきっぱりと言った。
「どうやって確かめる?」
ジーニが腕組《うでぐ》みをしたまま、リウイに訊ねる。
「簡単《かんたん》さ……」
リウイはニヤリとする。
「ふたりと一緒《いっしょ》に行動するんだ。彼らも、また使命を帯びての旅だと言った。それを、どう解決《かいけつ》するか見れば、ふたりがどういう人間かは簡単にわかる。口では何とでも言えるが、ひとたび冒険《ぼうけん》にでれば、自分を偽《いつわ》ることは難《むずか》しいからな」
「なるほどな」
ジーニは納得《なっとく》したように深くうなずいた。
「歓迎《かんげい》されるかしらね」
「どうかな」
リウイは首をかしげる。
ミレルが強行《きょうこう》手段にでて、ジーニとメリッサが挑戦状《ちょうせんじょう》めいた言葉を投げかけているわけだから、歓迎してもらえるとは正直、思わない。
「それでも、オレたちは彼らふたりに全面的に協力するんだ。それが、誠意《せいい》ってもんだろ?」
リウイはそう言って、アイラにうなずきかける。
「そういうことになるのかしらね」
アイラは曖昧《あいまい》にうなずいた。
ひとつ間違《まちが》えば、彼らふたりと命のやりとりになる。
だが、リウイがそう判断《はんだん》したのだ。
アイラは反対するつもりはない。
そして他《ほか》の四人の女性《じょせい》もそれは同様だった。
「よし、決まった。彼らが、この街を出発したら、オレたちもここを出る。こっそり後をつけるんじゃなく、堂々と行動しよう」
リウイは宣言《せんげん》するように言った。
パーンとディードリットのふたりが、フレイム王国の王都ブレードの街を発ったのは、夜が明けて、太陽が真上に昇《のぼ》りきった頃《ころ》であった。
ふたりはフレイム王をはじめ、大勢《おおぜい》の人々に見送られて、街を後にした。
彼らが向かっているのは、火竜《ファイアドラゴン》の狩猟場《しゅりょうば》という草原に新しく興《おこ》された開拓村《かいたくむら》。その村の住人は、カノン王国の流民《るみん》なのである。
そして、その村の近辺で、どうやら変事が起こっているらしい。
パーンとディードリットのふたりは、それの調査《ちょうさ》と解決を依頼《いらい》されたのだ。
(いったい、どんな事件《じけん》なのかな)
不謹慎《ふきんしん》とは承知《しょうち》しつつ、リウイは気分が高揚《こうよう》してくるのを感じていた。自分たちの流儀《りゅうぎ》が、この呪《のろ》われた島でも通用するものかどうか試《ため》す絶好の機会であると……。
第4章 決闘《けっとう》!
砂漠の王国フレイムの王都ブレードの街は、もう見えない。
リウイは五人の女性とともに、川|沿《ぞ》いの街道《かいどう》を南へと向かっている。
川の上流には、ヒルトという名の王国第二の街がある。
呪われた島の中央部にあるいくつかの城塞《じょうさい》都市を越《こ》えて、神聖《しんせい》王国ヴァリスというファリス教の信者が建てた王国へと続くらしい。
ロードスを南北に縦断《じゅうだん》する主要な街道というわけだ。
当然、行《ゆ》き交《か》う人や馬車、駱駝《らくだ》も多い。
すぐ側《そば》には川が流れているのだが、雨季にならないと流量が少なく、船は通れないのだそうだ。
「砂《すな》の川とは、よく言ったもんだ」
リウイは陽気に笑った。
川床《かわどこ》には緑も生えているから、地下には伏流水《ふくりゅうすい》もあるのだろう。だが、地上には糸のような流れが一|筋《すじ》、二筋、走っているだけ。
しかしこの川は数年前まで、雨季以外には完全に干上《ひあ》がっていたとのことだった。
砂漠化をもたらしていた風と炎《ほのお》の二柱の精霊《せいれい》王を鎮《しず》めたことにより、この砂漠は肥沃《ひよく》な大地へと生まれ変わりつつあるのだという。
そしてその精霊王を鎮めたのは今、リウイの五十歩ほど先を歩いている白銀《プラチナ》色の髪《かみ》をしたハイエルフの女性である。
フレイムの民《たみ》にとって、ディードリットという名のハイエルフは、まさに女神《めがみ》のような存在《そんざい》だという。
リウイにとっても、彼女はまさに女神に等しい。
「鼻の下、伸《の》びてるよ」
ミレルがじとりとリウイを睨《にら》みつける。
「ホント、分かりやすい人ね。隣《となり》を歩いている自由|騎士《きし》の姿《すがた》は見えていないんじゃないの?」
アイラが呆《あき》れたように言った。
「見えているとも」
リウイはきっぱりと答えた。
「今はただ、それだけだけどな」
「旅の目的を忘《わす》れないでくださいましね」
メリッサがいかにも不本意だというように言う。
「自由騎士なる人物がどの程度《ていど》のものか見極《みきわ》めるためだな。たいした男じゃなかったら、あの高貴《こうき》な森の妖精《ようせい》を大陸へと連れ帰りたいところだ……」
「違《ちが》います。あの騎士が所有する魔法の剣《けん》と防具《ぼうぐ》を持ち帰ることです」
メリッサが天を仰《あお》ぎ、戦神マイリーの名を唱えた。
「無論、それもあるが……」
リウイはうなずいた。
「で、あの自由騎士が本物の男だって分かったら?」
ミレルが冷たく訊《たず》ねる。
「そのときは無論、彼女を連れ帰るのはあきらめ、心のなかに永遠《えいえん》にしまっておくさ。ついでに、すべての事情《じじょう》をあの男に話し、剣と防具を譲《ゆず》ってもらう」
リウイはため息まじりに答えた。
「それでも、彼が嫌《いや》だと言ったら?」
「それは矛盾《むじゅん》してるってものさ。あいつが本物の男なら、そんな答は返さない。そんな答を返すようなら、本物の男じゃないってことさ」
リウイは真顔でミレルに答えた。
「なるほど、ね……」
納得《なっとく》したらしく、ミレルはそれ以上、何も訊《き》かなかった。
そして振《ふ》り返ることもなく、前を行く自由騎士とハイエルフに視線《しせん》を向ける。
「向こうは、あたしたちのこと、どう思っているのかなぁ……」
素朴《そぼく》な疑問《ぎもん》が浮《う》かぶ。
「さあな」
リウイは不敵《ふてき》な笑みを浮かべる。
「大陸から渡《わた》ってきた珍妙《ちんみょう》な連中ぐらいだろうな。だが、オレたちが実力を見せるのは、これからだ。ここはもう宮廷《きゅうてい》じゃない。冒険《ぼうけん》へと向かう旅の途中《とちゅう》なんだから、な」
「あの人たち、まだ、ついてくるわね」
ハイエルフの|精霊使い《シャーマン》ディードリットが大きなため息をつきながら、自由騎士パーンに言った。
「だろうな」
パーンはあっさりと答える。
「それだけ?」
「彼らの使命は、オレの剣と鎧《よろい》を持ち帰ることだ。わざわざ大陸から渡ってきたんだから、そう易々《やすやす》と諦《あきら》めることはないだろうさ」
「それはそうだけど……」
ディードリットはまだ不満そうな表情である。
「襲《おそ》ってくるとか、考えないの?」
「ありうるかもな。だが、不意を討つようなことはないだろう。そのつもりなら、あそこまで堂々とついてくることはない」
パーンはちらりと後方に視線を送って、大きくうなずく。
「なんか、おかしな人たちだわ」
ディードリットが、喉《のど》の奥《おく》のほうから忍《しの》び笑いをもらす。
「盗賊の娘《むすめ》の勇《いさ》み足があったにせよ、基本《きほん》的には悪い連中じゃない。このままついてこさせるさ」
「美女が五人も後を追いかけてくれてるものだから、喜んでいるんじゃないでしょうね」
ディードリットがパーンを睨《にら》みつける。
「それは悪い気はしないが……」
パーンが明るく笑う。
「どう見ても、彼女らはあの王子のものだからな。それぞれ関係は違うのだろうけど」
「人間の王子様なら、全員をお妃にできるんじゃない?」
「それはできるだろうが、彼女らがお妃様として納《おさ》まるようには見えないな。あのまま一生、旅を続けるのが似合《にあ》っていそうだ」
「ふうん」
と、ディードリットは鼻を鳴らした。
現実《げんじつ》的に考えると不可能《ふかのう》だろうが、彼らには確《たし》かにそれが似合っているように思える。
「あれだけ個性《こせい》的な女性がそろっていると、誰《だれ》かひとりぐらいあなたにとって理想的な女性がいてもおかしくないから……」
不安だわとつぶやいて、ディードリットはパーンの表情を横からそっとうかがう。
「理想の女性なんて、考えたこともないな。アラニアで偶然《ぐうぜん》、出会ってから、君はいつも側《そば》にいてくれてるし……。オレたちもきっと、こうして一生、旅を続けるんじゃないかな」
「だと、いいけど……」
ディードリットは、わずかにパーンに身を寄《よ》せながらひとりごとのようにつぶやいた。
(人間は心が変わる生き物だと聞いているし、それにその一生は……)
ディードリットはそこで思考を止め、遠くに見える風景に目を転じた。
その先を考えても無意味だということは、すでに彼女のなかで答がでている。
「あの人たちが羨《うらや》ましい……」
それでもディードリットはそれだけはつぶやかずにはおれなかった。
パーンとディードリットのふたりは、その後も旅を続けた。
途中、休憩《きゅうけい》をとったのは一度だけ。
前日が宴《うたげ》で、夜|遅《おそ》かったことを考えると、かなりの強行軍と言えた。
そして完全に日が落ちてから、野営《やえい》の準備《じゅんび》を始める。
河原《かわら》があるので、野宿の場所には不自由しない。
宿屋に泊まってもよかったのだが、日が落ちたのが、村と村とのちょうど中間ぐらいで、このまま進むにも引き返すにも中途半端《ちゅうとはんぱ》だったのだ。
もとより、ふたりは野宿に慣《な》れているので、どうということはない。カノンでは拠点《きょてん》を次々と移動《いどう》しているので、寝台《ベッド》に入ることのほうが珍《めずら》しいぐらいだ。
大陸から来た王子たちの一行も、ふたりから付かず離《はな》れず旅を続けていたが、今は野営の支度《したく》を始めている。
向こうも旅慣れているようで、天幕《てんまく》などは張《は》らない。河原の流木を拾って火をつけて、荷物を枕《まくら》に毛布《もうふ》にくるまる。そして携帯《けいたい》してきた食事をとっていた。
「遺跡荒《いせきあ》らしで生計を立てていただけのことはあるわね」
それとなく、彼らの様子をうかがったあと、ディードリットが感心したように言った。
「どこかしら緊張感《きんちょうかん》に欠ける連中だが、ただ者ではないさ。海賊船《かいぞくせん》と知って乗り込《こ》んで、そのまま船を乗っ取るなんて常識《じょうしき》じゃ考えられないものな」
「しかも、素人《しろうと》たちだけで、船を操《あやつ》って大陸から渡《わた》ってきてしまうんだものね」
運も手伝ったのだろうけど、とディードリットは思う。
しかし、強運であることは、英雄《えいゆう》の条件《じょうけん》のひとつだ。それを持ち合わせているだけでも、あの王子には英雄となる素質《そしつ》があるのかもしれない。
「交替で見張る?」
「その心配はないと思うが、いちおう用心しておくか。向こうに出来心を起こさせても申し訳ないしな」
パーンは笑って、ゴロリと横になった。
「先に休ませてもらうよ」
「はい」
ディードリットは笑顔《えがお》でうなずいた。
ハイエルフである彼女は、人間ほどには睡眠《すいみん》を必要としていない。
そして夜目も利《き》くし、聴覚《ちょうかく》も鋭敏《えいびん》だ。そして精霊《せいれい》力を感じることもできる。見張りとしての適性《てきせい》は、パーンの比《ひ》ではない。
彼が起きるまで、それこそ一晩《ひとばん》中でもこのままでいられる。
しかし、パーンは夜半を過《す》ぎようかという時刻《じこく》にむっくりと起きあがった。
そして何を思ったか、ふらふらと闇《やみ》のなかへと歩きだす。
「どうかした?」
怪訝《けげん》に思い、ディードリットは問いかける。
「ぶらりとしてくるだけだよ。すぐに帰ってくる」
パーンは、笑顔で答えた。
「わかった」
ディードリットはうなずくと、毛布を深く身体《からだ》にかけなおす。
昼間の灼熱《しゃくねつ》の日差しが嘘《うそ》のように、夜には冷たい星空がまたたき、大地を凍《こお》らせる。
水面から靄《もや》が立ち上り、幻想《げんそう》的な雰囲気《ふんいき》が辺りを支配していた。
やがては肥沃《ひよく》な草原に戻《もど》ってゆくはずの大地だが、それは何百年も先のことで、今は過酷《かこく》な砂漠《さばく》でしかない。
ディードリットは焚《た》き火の炎《ほのお》のなかに火蜥蜴《サラマンダー》が見え隠《かく》れするのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
笹の葉の形をした耳もわずかにうなだれる。
そして浅い眠《ねむ》りのなかに、彼女は入っていった。
パーンは白い靄がかかる河原を流れのすぐ際《きわ》まで歩いた。
何かがしたかったわけではない。ふと呼《よ》ばれたような気がしただけだ。
そして河原まで歩いて、その直感が正しかったと知る。
すこし下流のほうで、この凍るような寒さのなか、川の水で身体をふいている巨漢《きょかん》の姿《すがた》を認《みと》めたからだ。
彼の身体からは、白い湯気がもうもうと立ち上っている。それが靄の源なのではと、パーンはふと思った。
パーンはごく自然に、男のほうへと歩いていた。
「たいした筋肉《きんにく》だな」
パーンが笑いながら、|妾腹の王子《バスタード》にして魔法戦士《ルーン・ソルジャー》である巨漢に声をかける。
そう声をかけられるまで、リウイはパーンにまったく気づかなかった。
戦士としては不覚というしかないが、殺気を放っていない相手は、たとえ猛獣《もうじゅう》であろうと危害を加えてくることはない。
喧嘩《けんか》慣れしているリウイには、そういう空気はなんとなく分かる。それこそ、うなじのあたりがぴりぴりとするのだ。
「体力だけなら自信があるな。力|比《くら》べだけなら、たいていの人間には負けないつもりさ」
リウイは王城《おうじょう》にいたときとは、がらりと変わって、くだけた調子で答えた。
それが、彼の普段《ふだん》の口調なのである。
「体力があるに越《こ》したことはないさ。頑丈《がんじょう》な鎧《よろい》を着て、重い剣《けん》を振《ふ》るっていれば、よほどのことがないかぎり、戦場で不覚を取ることはない」
「オレはただの冒険者《ぼうけんしゃ》だから、本物の戦争にはほとんど参加したことがない。あんたは違《ちが》うんだろ?」
「大陸と違って、この島には戦《いくさ》が絶《た》えないからな」
パーンは静かにうなずく。
「嫌でも戦争に慣《な》れるさ」
「オレも何人か殺しているが、正直あまり気持ちのいいものじゃない。だが、戦士として戦場に立っている以上、賭けているのは自分の命だ。それをやりとりするのだから、誰も文句《もんく》は言えないさ。大切なのは勝利することで何が得られるか、敗北しないことで何が守れるかなんだろう」
大陸にも戦争がまったくないわけではない。五十年ほど前には、中原地方を舞台《ぶたい》に大きな戦乱《せんらん》があり、国々の興亡《こうぼう》があった。
「剣は持ってきてるみたいだな……」
パーンは衣服とともに、一振りの剣がリウイの足もとに置かれているのに気がついた。
「呪《のろ》われたと謳《うた》われるこの土地で、さすがに用心させてもらった。もっとも、オレは素手《すで》で戦うことも多いんだけどな」
「それだけの体格《たいかく》だ。拳だけでも十分な凶器《きょうき》だろうな」
パーンは笑みを浮かべる。
「あいにく素手ではかないそうにないから、オレはこいつを使わせてもらう。ちょっと手合わせしてくれないかな?」
パーンはそう言って、腰《こし》に下げたままの剣に手をかけた。
「断《ことわ》るわけにはゆかないな。で、どこまで本気でやる?」
「悪いが剣で戦うかぎり、王子には負けないさ。ただ、王子がどういう剣を使うのか見たい、それだけだ。そちらは本気でかかってきてくれていい。もしも、オレがそれで不覚を取るようなら、剣でも鎧でも自由に持ち帰ってくれ」
「ああ、そうさせてもらう」
リウイは衣服を身に着けると、長剣《バスタードソード》を鞘《さや》から無造作《むぞうさ》に抜《ぬ》いた。
彼が今、持っているのは、魔法王《ファーラム》の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた魔法の剣ではない。
あの剣と鎧はかさばるのと、身に着けると魔法が使えなくなるので、クリシュと一緒《いっしょ》にブレードの港の倉庫に預《あず》けてある。
クリシュという見張《みは》りが一緒にいるし、万が一にも奪《うば》われるということはない。
あの剣と防具《ぼうぐ》は、今も“生きている”からだ。主人以外の人間が、身に着けようとすると、不幸な運命に見舞《みま》われることになる。
今、リウイが手にしているのは、冒険者だった頃《ころ》から愛用している普通の長剣だ。
たいした業物《わざもの》ではないが、使い慣れているので、手にはしっくりとなじむ。
リウイは剣を構えると、パーンに一礼する。
「よろしく」
パーンも笑顔《えがお》で答えて、軽く会釈《えしゃく》する。
だが、次の瞬間《しゅんかん》には真顔に変わる。
「てやーっ!」
気合いの声とともに、リウイは正面から切り込んでいった。
勝つ必要はない。
向こうも認《みと》めているように、剣の技量《ぎりょう》では埋《う》めようのない差がある。
だが、自分の剣がどういうものかなど、考えたこともない。だから、この自由|騎士《きし》をどう満足させられるのかも分からない。
だから、小細工もせず、ただ剣を振るってみた。
相手の急所に向かって、渾身《こんしん》の力を込めた一撃《いちげき》を放ち続ける。
だが、自由騎士は巧《たく》みだった。
リウイの剣を、見事な受け流しで、威力《いりょく》を削《そ》いでゆく。
まるで水でも切っているかのような手応《てごた》えしか返ってこない。
リウイは、ありとあらゆる角度から打ち込んでみた。
だが、そのすべてが見事に流される。そして鋭《するど》い切り返しで、リウイの衣服に彼の刃《やいば》が軽く触《ふ》れる。
衣服が裂《さ》け、肌《はだ》が浅く切られる。
魔法王の鍛冶師ヴァンの鍛えた魔法の剣《けん》だけに、その切れ味は恐《おそ》るべきものだ。
しかも、自由騎士の剣には、まだ秘《ひ》められた魔力があるという。それこそが、あるいは魔精霊《ませいれい》アトンを倒《たお》す究極の魔力なのかもしれないと思う。
(持ち帰らないとな)
そのためには、この誠実《せいじつ》さを具現化《ぐげんか》したような騎士に、自分が持つ使命の重さを伝えるしかないのだ。
リウイは気合いを込め、剣を振るいつづける。
だが、目の前にいる騎士は、リウイの力任せの剣をまるで風のように受け流すだけ。
(これが自由騎士パーンの剣なのか……)
彼の剣には迷《まよ》いも躊躇《ためら》いもない。ただ己《おのれ》の力と技《わざ》を信じ、剣を操《あやつ》っている。
(なんて、まっすぐな剣なんだ)
リウイは感動さえ覚えていた。
幾多《いくた》の戦場に立ち、敵《てき》の返り血にまみれ、仲間の死に立ち会い、それでもなおこの男の剣に邪念《じゃねん》は感じられない。
(親父《おやじ》の……リジャールの剣は、欲望《よくぼう》こそが力だったと、ジェニおばさんから聞いたことがある)
富《とみ》と権力《けんりょく》、名声、そして女、実父はそのすべてを剣の腕《うで》ひとつに託《たく》し、そしてすべてを手に入れていった。
そして剣の姫《ひめ》ことジェニの剣はまさに舞《まい》であった。緻密《ちみつ》で、正確無比《せいかくむひ》で、相手を翻弄《ほんろう》する。一方、相手からの攻撃に対してはたやすく捕らえられそうに見えて、決して捕らえられることはない。
気がつけば、相手は全身を切り刻《きざ》まれて、息|絶《た》えていることになる。
彼女は自らを最高の剣の使い手だと、自負していた。
(オレの剣……か)
これまでは考えたこともなかったし、考える必要もないように思えた。
ジーニと稽古《けいこ》を続け、剣に慣《な》れてゆけば、自然と強くなると漠然《ばくぜん》と思っていた。
だが、才能《さいのう》がないのか、このところ上達しているという実感がない。ジーニが言うには、リウイと稽古をしていて、彼女のほうが強くなったということだが……
力|押《お》しに対抗《たいこう》する技術《ぎじゅつ》が身に着いたからだそうだ。そのせいで、自分が強くなった実感がないだけかもしれない。
だが、自由騎士パーンは、リウイ自身の剣を見たいと言った。
力任せに振るっているだけでは、それは野獣《やじゅう》と変わらない。
だが、リウイが目指しているのは、そういう戦い方だ。
剣を爪《つめ》として、牙《きば》として、強敵に挑《いど》みかかる。それは拳《こぶし》で殴《なぐ》りつけることの延長《えんちょう》線上にあるように思える。
「どうした? 息があがってきたぞ」
自由騎士から叱咤《しった》の声が飛ぶ。
「おまえの剣はこんなものか? そんな男に、オレの剣を託すことはできないな」
パーンの顔には、落胆《らくたん》の表情《ひょうじょう》さえ見て取れた。
「くそっ」
リウイは歯噛《はが》みした。
「あんたの剣の強さ、思いの強さは、確かに受け取った。だが、オレにだって何もないわけじゃないぜ」
リウイは吠えるように言った。
「あんたの本気を見せてくれ。オレはそれに返したい」
「オレの本気? おまえ、死ぬぞ」
パーンは一瞬《いっしゅん》、手を止めて言った。
「それで死ぬのなら、オレはそれまでってことさ。ここで生きながらえても、成竜《エルダードラゴン》になったクリシュに喰《く》い殺されるだけだ。オレが託された使命は、オレの命なんかより遥《はる》かに重いんだ。それが果たせないぐらいなら、生きている価値《かち》はないってもんだ」
「命を軽々しく考えるなよ。命を捨《す》てて思いを遂《と》げた人間を、確かにオレは何人も知っている。大地の妖精《ようせい》族の戦士、砂漠《さばく》の部族の女族長。そして心|優《やさ》しい狂戦士《バーサーカー》。だが、彼らにも、オレは生きていてもらいたかった。簡単《かんたん》に捨てていい命など、ひとつもない。命ってものは、たとえ自分の命でさえ、どうにかしていいものじゃないんだ。戦士であるオレが言うのもなんだけどな」
パーンの目に一瞬、本物の怒《いか》りが炎《ほのお》となって燃《も》えたように見えた。
「かまわないから、かかってきやがれ!」
リウイは絶叫《ぜっきょう》すると、剣を両手で握《にぎ》り、大上段《だいじょうだん》に振《ふ》りかぶった。
そしてありったけの殺気をこめて、その剣を振り下ろす。
その殺気に、自由|騎士《きし》の本能は、反射《はんしゃ》的に動いていた。
剣《けん》を肩《かた》に担《かつ》ぐように振《ふ》りかざすと、まるで電光のような突《つ》きをリウイの心臓《しんぞう》に向けて放っていた。
「しまった」
パーンの顔色が変わる。
強敵と戦うために、彼が必死で編《あ》みだした捨て身の突きだった。
フレイム王カシューでさえ、確実には受け切れぬと言わしめている。
達人というにはほど遠い目の前の王子には、とてもではないが、避《さ》けられるはずがない。
実際《じっさい》、パーンの手には、確かな手応《てごた》えが伝わっている。
「なるほど、これが、あんたの……」
しかし、目の前の男は苦痛《くつう》に顔をしかめながらも、それでも笑おうとしていた。
「恐《おそ》ろしい突きだ。魔神《まじん》でも、魔竜《まりゅう》でも、倒《たお》せそうだな」
パーンの剣は、男の心臓ではなく、その脇《わき》の肺《はい》のあたりを貫《つらぬ》いていた。重傷《じゅうしょう》には違《ちが》いないが、魔法で治療《ちりょう》すれば致命《ちめい》的ではない。
「よく、急所を外したな」
パーンは深く安堵《あんど》の息をついた。
「それよりも傷《きず》の手当てだ。あの戦《いくさ》の神の女性神官は高位の癒《いや》しの奇跡《きせき》は使えるんだろうな」
「まだ修行中《しゅぎょうちゅう》だそうだが、大丈夫《だいじょうぶ》だ……」
リウイはやっと笑顔《えがお》になって言うと、がっくりと膝《ひざ》を落とした。
そして、あわただしい足音がしたかと思うと、リウイの旅の仲間たちが駆けつけてきた。
すこし遅《おく》れて、ディードリットもやってくる。
あれだけの激しい稽古だったのだから、気がつかないわけがないのだ。
「すまない」
パーンは深く頭を下げた。
「話し声は遠くからでも聞こえていた。あなたが悪いわけではない。気にするな」
赤毛の女戦士が答えた。
「ええ、稽古ではありましたが、騎士様の剣、戦の神もさぞや本意でありましょう」
金髪の女性神官が答えて、癒しの奇跡のための祈《いの》りを始める。
「でも、こいつにもしものことがあったら、あたし逆恨《さかうら》みするからね」
黒髪《くろかみ》の盗賊《とうぞく》少女が刃《やいば》のような視線《しせん》を、自由騎士に向ける。
「恥《はじ》をかかさないでくれよ。これぐらいで、くたばるようなオレじゃない」
メリッサから癒しの奇跡を受けると、リウイは顔をしかめながらも立ち上がった。
「無理しないでよ」
アイラが顔色を変えて、リウイを休ませようとする。
「傷は完全に塞《ふさ》がっている。身体《からだ》には、けっこうきているが、大丈夫だ」
リウイはそう言うと、自らの頬《ほお》を叩《たた》き気合いを入れた。
そして立ち上がる。
「オレは、まだオレの剣を見せていないんだ」
「その身体では無理だ」
「そうはいかない。あんたの剣を見て、それを受けてみて、何かが分かったような気がしたんだ。ただ、力任せに振るうだけじゃない、オレだけの剣ってやつを」
リウイは言うと、ふたたび剣を構える。
「もうすこしだけ、相手をしてくれないか」
リウイはそう言って、頭を下げる。
「信じがたい奴《やつ》だな」
自由騎士は首を横に振る。
しかし、剣はしっかりと握っていた。
「いいだろう。見せてもらおうか」
そして剣を構え、リウイに声をかけた。
「ありがたい」
リウイはニヤリとすると、ふたたび剣を振るいはじめた。
先ほどと同じように、ありったけの力を込《こ》めて、ただ叩きつける。
だが、ひとつだけ、異《こと》なっていることがあった。
それは、まだ剣には伝わっていないが、リウイの心のなかでは、確実《かくじつ》な変化となっていた。
(より速く、より強く、だ)
それだけを、彼は念じていた。
その思いを剣に乗せようと、彼は振るいつづける。
「なるほど、な……」
先刻《せんこく》と同様、しばらくリウイの剣を受け流したあと、パーンは大きくうなずくと、剣を引いた。
「今日は、ここまでにしておいたほうがいい。これ以上やると、かえって剣が乱《みだ》れる」
「かもしれない……」
リウイはうなずくと、ふたたびがっくりと膝を折った。
離《はな》れた場所で、それを見守っていたアイラとミレルが先を争うように走り寄《よ》ってくる。
「大丈夫!?」
と、ふたりの声がそろった。
「恥《は》ずかしいな、大丈夫に決まっているだろ。だが、悔《くや》しいぜ。何かが見えた気がしたんだが、それができない」
リウイは拳《こぶし》を膝に叩きつける。
「そうだな。まだ完全じゃなかった。だが、剣が変わってきているのは感じられた」
パーンも、河原《かわら》に腰《こし》を下ろし、ディードリットから手拭《てぬぐ》いを受けとる。衣服を緩《ゆる》めると、その全身からもうもうと湯気がたつ。
「すごい汗《あせ》ね」
ディードリットがくすくすと笑う。
「水で洗《あら》って、着替《きか》えたほうがいいわ」
わかった、とパーンはうなずく。
だが、すぐには立とうとしない。完全に受け流してはいても、リウイの渾身《こんしん》の攻撃《こうげき》に身をさらしていたのである。
体力以上に、精神力《せいしんりょく》を消耗《しょうもう》していた。
「これはオレの直感なんだが、おそらく王子の剣は、人間と戦うことを頭にはおいていない……」
「へえ、よく分かるのね」
ミレルが素直《すなお》に感心し、あわてて口をつぐむ。
「わたしたちは、もともと冒険者《ぼうけんしゃ》ですから、人間より魔物《まもの》と戦うほうが多いのです」
メリッサが澄《す》ました顔で、話題をそらす。
「魔物相手のほうが、たしかにオレも剣《けん》を振《ふ》るいやすいよ。たとえ、相手が古《いにしえ》の火竜《ファイアドラゴン》や炎《ほのお》の巨人《きょじん》であったとしても、な」
「ほ、本意ですわ……」
メリッサがうっとりとなり胸《むね》の前で両手を組む。
そして、
「竜《りゅう》、巨人、竜、巨人……」
と、繰り返す。
「王子の剣こそ、まさにそういう相手と戦うための剣だ。最強の戦士にはなれないかもしれないが、王子でなければ、倒《たお》せない敵《てき》がいるような気がする。その強靭《きょうじん》な肉体を与《あた》えてくれた親には感謝《かんしゃ》することだな」
「実の父には、大陸最強の戦士としての素質《そしつ》も伝えてほしかったところだけどな」
リウイは苦笑《くしょう》する。
「できれば、人間相手でも最強の戦士になりたかった」
それがリウイの正直な気持ちだった。
「オレもなりたかったよ。だが、そうなれないことは、もう分かっている。暗黒|皇帝《こうてい》ベルド、白の王ファーン、レオナー王子、そして剣匠《ソードマスター》カシュー。それからマーモ帝国の黒衣の騎士《きし》にも……。オレが勝てない相手は、このロードスには何人もいるよ」
「あれほどの腕《うで》でかよ。恐ろしいところだぜ、この島は……」
リウイは呻《うめ》き声をもらした。
「王子の思いの強さは伝わったからな。この剣を持って帰ってくれてもかまわないが……」
パーンが提案《ていあん》する。
それを聞いて、アイラとミレルが手を取り合って歓声《かんせい》をあげる。
しかし、リウイは大きく首を横に振っていた。
「オレはまだ、あんたに本当の思いを伝えちゃいない。あんただってそうだろう。稽古《けいこ》だけじゃあ、どんなに激《はげ》しいものでも、どこかに手加減《てかげん》がでる」
リウイは自由騎士を見つめながら、真顔で言った。
「まさか、本気で決闘《けっとう》をしようというんじゃないでしょうね。もし、そうなら、まずわたしが相手をするわよ」
パーンの背後《はいご》に立っていたディードリットが、そう言って、片手《かたて》をゆっくりと持ちあげる。
(怒《おこ》った顔も魅力《みりょく》的だ!)
リウイは思ったが、さすがにそれは言葉にできない。
「そんなことをしたら、それこそ命を無駄《むだ》にするだけだ。どうしても倒さねばならない敵なら逃《に》げはしないが、あんたはそうじゃない」
「あら、そう」
ディードリットは拍子抜《ひょうしぬ》けしたように、腕を下ろす。
「あんたたちの使命とやらに、協力させてくれないか。それを果たしたあと、もう一度、剣のことを話そう。どうせなら、すべての真実を語りたいからな」
リウイはそれだけを言うと、もはや限界《げんかい》とばかり、ばったりと仰向《あおむ》けに倒れた。
すばやく、ミレルが足を伸《の》ばして、リウイの頭を膝《ひざ》で受け止める。
「あ……」
アイラが一瞬《いっしゅん》、声をあげかけるが、すぐににっこりと笑ってミレルの耳に顔を近づける。
「朝まで我慢《がまん》できたら、リウイとの婚約《こんやく》解消してもいいわよ」
「できるわけないでしょ! この魔女《まじょ》!!」
「あーら、女性魔術師にとって、最高の褒め言葉だわ」
アイラは口に手を当てて、上品ぶった笑い声をあげる。
「ほんと、あなたたちって危機感《ききかん》ないのね。あなたがたが考えているほど、わたしたちの使命、簡単《かんたん》じゃないかもよ」
ディードリットが呆《あき》れたように言う。
「そのことなら心配しないでくれ」
赤毛の女戦士が、彼女に答えた。
「使命が大きければ大きいほど、この男はやる気になる」
しかし、その男はすでに鼾《いびき》をかいて眠《ねむ》りについていた。
「その言葉、信じよう」
パーンがゆっくりと立ち上がると、ジーニに手をさしのべた。
ジーニはその手をかたく握《にぎ》る。
「あ、あの……、よろしければ、わたくしにも……」
メリッサが恥《は》ずかしそうに言って、パーンに握手《あくしゅ》を求める。
当惑《とうわく》しながらも、パーンはそれに応《おう》じた。
「開拓《かいたく》村へは、あと二日で着きたい。まだまだ距離《きょり》はあるから、今日はゆっくり休んでくれ。夜明けまで、そう時間はないが、休まないよりはましだからな」
パーンはそう言うと、ディードリットとともに、自分たちの野営《やえい》場所へと帰っていった。
すでに焚《た》き火の炎《ほのお》は消え、流木は炭《すみ》になっていた。そして東の空はかすかに明るくなりはじめている。
「思いもしなかった旅になりそうだな」
パーンは毛布《もうふ》にくるまると、ため息まじりに言った。
「それは違《ちが》うわ、パーン」
と、ディードリットは首を横に振《ふ》って答えた。
「この旅は最初からそうだったのよ。だって、旅の仲間が、あんな人たちなんだから……」
第5章|火竜《ファイアドラゴン》の呪《のろ》い
その開拓村の名前はカラルと言った。
住人たちが、故郷《こきょう》であるカノン王国で暮《く》らしていた村の名前をそのままつけたのだ。
そのカノン王国は、十年近く前にマーモという帝国《ていこく》に征服《せいふく》され、そのままの状態《じょうたい》が続いている。
しかし、カノンの王族で唯一《ゆいいつ》の生き残りであるレオナー王子が祖国《そこく》の奪還《だっかん》のため、抵抗《ていこう》運動を続けている。
自由|騎士《きし》パーンと永遠《えいえん》の乙女《おとめ》ディードリットは、その運動に協力しているのだという。
「……なるほど圧政《あっせい》に苦しんでいる領民《りょうみん》を、村から逃亡《とうぼう》させて、この開拓地に連れてくるわけか」
リウイが感心したように言った。
彼は五人の女性《じょせい》たちとともに、自由騎士パーンと森の妖精《ようせい》ディードリットのふたりに同行し、フレイムの王都ブレードの街から南西の方向にあるこの村へとやってきていた。
到着《とうちゃく》したのは、夕刻頃《ゆうこくごろ》。
すぐに村長の屋敷《やしき》に入り、村長や村の相談役たちに紹介《しょうかい》された。
そしてこの開拓村と、パーンたちとの関わりについて、話を聞いたところだった。
「この肥沃《ひよく》な草原は、かつて火竜山の主シューティングスターの狩猟場《しゅりょうば》だったんだ。様々な事情《じじょう》が重なりあって、カシュー王やオレたちは、その魔竜《まりゅう》を倒《たお》さねばならなくなった。なんとかそれを果たし、この草原はフレイム領となった。そして戦火を逃《のが》れ、ロードス各地から流れてきた難民《なんみん》たちを入植させているというわけだ」
自由騎士パーンが説明をする。
「この草原なら確《たし》かに、何万という人々が移住《いじゅう》してきても土地は不足しないだろうな……」
ジーニが、静かにうなずいた。
「でも、カノンとかいう王国を取り戻したら、この村の人々は故郷に帰るんでしょ? ここを開拓した努力が無駄《むだ》になるんじゃ……」
ミレルが不思議そうな顔をする。
「無駄にはなりませんぞ。わたしたちが故郷に帰るとき、この開拓村はそっくり売りにだします。荒野《こうや》を開拓するには大変な苦労が必要ですが、開拓を終えた村なら、明日からでも作物を育てられます。買い手はいくらでもおりますよ」
カラル村の村長が笑顔《えがお》で言った。
その言葉に、同席している村の相談役たちが力強く相槌《あいづち》を打つ。
「高く買い取ってもらうには、この村を住み良い場所にすることですからな。村人の誰《だれ》もが労を惜《お》しまず、働いておりますよ」
「ご立派《りっぱ》な心がけですわ……」
メリッサが、深く一礼して彼らを讃《たた》えた。
「オレたちと一緒《いっしょ》に、彼らもまた戦ってくれているということだ。生まれ育った村を離《はな》れる悲しみにも、荒野を開拓する苦しみにも耐《た》えて、な」
パーンが爽やかな笑顔を浮かべる。
「マーモ帝国の圧政がひどいということもあるのでしょうけど、カノンの王家も国民から慕《した》われていればこそよね」
ともすればずり落ちそうになる魔法の眼鏡《めがね》を直しながら、アイラが感心したように言った。
「もちろんですとも。そして、わたしたちを命がけで救いだしてくれたこのおふたりを何より信頼《しんらい》しております。おふたりはわたしたちのために、いにしえの呪《のろ》いがかけられていた森さえも開いてくれたのですから……」
村長は力を込《こ》めて言った。
「いにしえの呪いを解放……そのようなことまで……」
メリッサが陶酔《とうすい》しきった表情でつぶやく。
「オレたちはきっかけをつくっただけで、何もしていないんだけどな。森を拓《ひら》いたのは、ハイエルフの長老だし、長老にその決意を促《うなが》したのはリーフっていう名のハーフエルフの少女だし……」
パーンは苦笑《くしょう》まじりに答えた。
「いいえ、きっかけとなっただけでも、ご立派ですわ。志《こころざし》があればこそ、試練は達せられるのですから……」
メリッサはうっとりと言ったあと、厳《きび》しい視線《しせん》をリウイに向ける。
「まったくだよな」
リウイはあわてて相槌を打った。
「それで、この村が直面している危機というのは?」
リウイが、村長に訊《たず》ねる。
彼としては、早く冒険《ぼうけん》に出たくてたまらないのである。
そしてパーンとディードリットのふたりの実力のほどを、我《わ》が目で確かめたい。
彼らふたりも、村が大変だから来てくれと言われただけで、くわしい内容《ないよう》は知らないらしい。
「……実は、数ヶ月前から、山の様子がおかしいのです」
「山っていうと、南のほうで煙《けむり》を噴《ふ》いていたあの大きいの?」
村長の言葉に、ミレルがもとからつぶらな瞳《ひとみ》をいっぱいに開く。
「火竜山でしたわね。魔竜の棲処《すみか》があったという……」
メリッサが眉《まゆ》をひそめる。
「ええ、そのとおりです」
村長がうなずく。
「そういえば、ここに来るまでに、何度か小さな地震《じしん》を感じたな。かすかな揺《ゆ》れで、歩いていると、わたしでも分からないほどだったが……」
ジーニがはっとしたように言った。
優秀《ゆうしゅう》な狩人《かりゅうど》であった彼女は、自然の変化には動物にも劣《おと》らないほどの鋭敏《えいびん》な感覚を持っている。
「オレはぜんぜん、気づかなかったな」
リウイは苦笑をもらすしかなかった。
「そうね、たしかに地震は何度か感じたわ。でも、火山の近くに来ているわけだから、不思議には思わなかったけど……」
永遠《えいえん》の乙女《おとめ》ディードリットが唇《くちびる》に指を当てながらつぶやいた。
「火山は、炎《ほのお》の精霊《せいれい》力と大地の精霊力が強く働いている場所だから……」
|精霊使い《シャーマン》であるディードリットにとって、精霊力の異常《いじょう》な発現《はつげん》である自然の災厄《さいやく》を感じ取るのは苦もないことだった。
そして活火山である火竜山で地震が起こるのは、珍《めずら》しいことではない。
「しかし、村人たちが異変《いへん》を感じるほどだからな……」
ただ事ではないのかもしれない、とパーンが言った。
「そうね、そうかもしれない……」
ディードリットが相槌《あいづち》を打つ。
「地震だけではありません。山から獣《けもの》が唸《うな》るような音が響《ひび》いてきたり、夜中に山が不気味な光を放ったり……。この村だけでなく、近隣《きんりん》の村々は不安に包まれています」
村長は沈痛《ちんつう》な表情《ひょうじょう》で言うと、自由|騎士《きし》にすがるような視線を向ける。
「なんだ、魔物《まもの》が出たとかじゃないんだ」
ミレルが拍子抜《ひょうしぬ》けしたような声で言った。
「残念がることではありませんわ」
メリッサがミレルをたしなめる。
しかし、彼女の表情からもはっきりと落胆《らくたん》がうかがえた。竜とか巨人《きょじん》とかの対決があれば、彼女としては本意だったのだ。
「相手が自然の災害だとしたら、わたしたちにはどうもできないんじゃない?」
アイラがリウイにだけ聞こえる声で囁《ささや》いた。
「ああ、そうかもな」
リウイも同感だった。
だが、それを判断《はんだん》するのは自分たちではない。
リウイはパーンとディードリットのふたりに視線を送った。
「狂《くる》える精霊が暴《あば》れているとか、はっきりした理由があるなら、鎮《しず》めることもできると思うけど……」
ディードリットが自信なさそうに言った。
「ああ、原因《げんいん》があるのなら、取り除《のぞ》くことはできる」
パーンはうなずいた。
「とにかく明日にでも火竜山に向かってみよう。原因が分かれば、それを取り除けばいいし、原因がはっきりしないようなら、さほど心配する必要はないと思う」
「おお、お願いできますか!」
パーンの言葉に、村長や相談役たちは、表情を輝《かがや》かせた。
これでもう安心だと言わんばかりである。
彼らは、それほどまでに自由騎士パーンのことを信頼《しんらい》しているのだ。
(ある意味、大変だよな)
アレクラスト大陸では、村人たちが何かの事件《じけん》に直面したら、領主《りょうしゅ》に訴《うった》えるか、冒険者《ぼうけんしゃ》を雇《やと》うかのいずれかになる。
しかし、領主が動いてくれるかどうかは分からないし、冒険者を雇うには、それなりの報酬《ほうしゅう》を用意する必要がある。
たしかに、不気味な予兆《よちょう》はあるが、それが事件かどうかも分からないというのに、この村人たちはパーンたちに助けを求めた。
そして彼も当然のように、それに応《こた》えた。
カノンの地では、おそらくマーモ帝国《ていこく》との死闘《しとう》が続いているはずである。
彼としては、一刻《いっこく》も早く帰りたいところだろうが、わざわざ強行軍でやってきたのだ。
(勇者ってのは、大変なんだな)
リウイはしみじみとそう思った。
村人たちから、本当にささやかな歓迎《かんげい》の晩餐《ばんさん》を振《ふ》る舞《ま》われた翌日《よくじつ》の早朝には、自由騎士と永遠の乙女は、火竜山なる活火山を目指して出発した。
リウイたちも当然、同行する。
だが、昨日、聞いた依頼《いらい》の内容《ないよう》から、大きな期待をするのはやめることにした。
「オレたちがいる大陸には、大きな活火山はないからな。一見の価値《かち》はあるんだが……」
リウイは歩きながら、パーンに話しかける。
「それはいい。火竜山は、すり鉢《ばち》を伏《ふ》せたような形をした美しい外観をしているからな」
「あくまで、遠くに見る分にはよ。登るのは、けっこう大変。大きな岩がごろごろしているし、足もとは砂利《じゃり》が多くて滑《すべ》りそうになるし……」
パーンが真顔で答え、ディードリットが冗談《じょうだん》めかして続けた。
はたして、火竜山は彼女の言葉どおりの場所だった。
切り立った崖《がけ》などはないので、特別な道具も技術《ぎじゅつ》も必要はないのだが、頂《いただき》へと続く道らしい道はなく、山の斜面《しゃめん》を杖《つえ》の助けを借りながら登ってゆく。
朝早く出発したものの、火竜山の三合目あたりで、日没《にちぼつ》を迎《むか》えた。
暗いなかの山歩きは危険《きけん》なので、当然、夜営《やえい》ということになる。
「……これ以上、頂に近づくのは正直言って、気が進まないなぁ」
焚《た》き火の炎《ほのお》を見つめながら、アイラが不安そうにつぶやく。
「ん、ばてたのか?」
リウイが幼《おさな》なじみであり、魔術師《まじゅつし》ギルドの同僚《どうりょう》であり、忘《わす》れたふりをしているが、許嫁者《いいなずけ》でもある女性《じょせい》に訊《たず》ねた。
最近では、アイラもだいぶ体力がついてきていて、彼女から弱音を聞くのは久《ひさ》しぶりだった。荷物も徐々《じょじょ》にではあるが、重い物を持たせている。
リウイが彼女の分まで持つのは簡単《かんたん》だが、旅を共にする以上、彼女だけを特別|扱《あつか》いはできない。
「違《ちが》うわ。昨日の話を聞くかぎり、考えられる災厄《さいやく》はひとつでしょ」
「噴火《ふんか》……かな?」
リウイも魔術師であり、賢者《けんじゃ》として知識《ちしき》も身に着けている。
アイラが言いたいことは、リウイにも分かった。
「オレも、気にはなっていたんだ。もしも、あの火山が大爆発《だいばくはつ》を起こすようなことがあったら、すそ野にも大きな被害《ひがい》が及《およ》ぶだろうな……」
夕闇《ゆうやみ》のなか、白い蒸気《じょうき》を噴《ふ》き上げる火山の頂を睨《にら》みつけながら、リウイは呻《うめ》くように言う。
「確かに、大地の精霊《せいれい》力や炎の精霊力の揺《ゆ》らぎを感じるわ。わたしも、その可能性《かのうせい》がいちばん高いと思う……」
ディードリットが暗い表情《ひょうじょう》でうなずく。
「狂《くる》える精霊とかの仕業《しわざ》じゃないのか?」
パーンがむしろ期待を込めて、ディードリットに訊ねた。
その精霊を倒《たお》してしまえば、山が鎮《しず》まるかもしれないからである。
「ううん、そんな気配はないわ。すべての自然災害が、狂える精霊の仕業じゃないしね」
ディードリットが申し訳《わけ》なさそうに言った。
上目づかいにパーンを見つめる視線《しせん》の愛らしさに、リウイは息が止まりそうになった。もしも、そんな視線が自分に向けられたら、心臓《しんぞう》まで止まるかもしれないと思う。
「リウイ……」
アイラがわざとらしく咳払《せきばら》いをした。
ミレルもじとりとした視線を向けてくる。
(そのまえに、彼女らの視線で、心臓が止まるか……)
リウイは苦笑《くしょう》した。
アイラが普段《ふだん》からしている魔法の眼鏡《めがね》には、呪殺《じゅさつ》の魔力が秘《ひ》められているから、冗談《じょうだん》ごとではない。
「カシュー王に進言して、被害の及《およ》びそうな地域《ちいき》から住人を退避《たいひ》させるしかないかもな。しかし、いつ起こるともしれないし、必ず起こるかどうかも分からない……」
パーンが悔《くや》しそうに言う。
そして、そのとき、リウイたち全員が感じるぐらいの地震《じしん》が起こり、どこからか落石の音が聞こえてきた。
「今日だけで、五度ぐらい地震を感じたな」
リウイが苦笑をもらした。
オーファンはヤスガルン山脈が近いせいか、地震もときどき起こる。だが、一年に一回とか二回という頻度《ひんど》でしかない。
こうも地震があると、確《たし》かにただ事という気がしない。
「きっと、殺された火竜《ファイアドラゴン》の呪《のろ》いだわ」
いつも無口な竜司祭《ドラゴンプリースト》の娘《むすめ》ティカが、ぽつりとつぶやいた。
彼女は無論《むろん》、昨夜もリウイたちと一緒《いっしょ》にいたが一言も口を利《き》いていないし、晩餐《ばんさん》にも口をつけていない。
彼女はいつも自分で狩りをして、生のまま肉を食べる。
竜《りゅう》の生き方に倣《なら》っているのだ。
竜の能力を身に着けている彼女は、それで身体《からだ》を壊《こわ》すようなことはない。
毒さえも彼女は耐性《たいせい》をつけているし、病気にもかからないのだという。
言うならば、どんどん人間|離《ばな》れしてゆくわけだが、彼女にとってはそれこそ本望《ほんもう》なのである。最終的な目標は、族長であるクリシュ同様、竜に転生することなのだ。
「竜の呪い?」
ティカの言葉を耳にしたパーンが、彼女に視線を向ける。
「どういう意味?」
ディードリットの表情もこわばった。
ふたりには、彼女が竜司祭《ドラゴンプリースト》であることは伝えてある。
この島にも竜の乗り手はいるらしく、ふたりはさほど驚《おどろ》かなかった。ここから南に下ったハイランドという国に、竜を駆る騎士たちがいるのだそうだ。
「あなたがたが竜を殺したから、この山は噴火《ふんか》するの」
ティカは無表情に言った。
「あなたにとって、竜は神様のような存在《そんざい》かもしれないけど、この山に棲《す》んでいたのは、まさに魔竜《まりゅう》だった。人間の街を襲《おそ》い、大勢《おおぜい》の人間を殺した……」
ディードリットが声を震《ふる》わせながら言う。
「そういう感情的な話ではないわ。人間が竜と共存するのが難《むずか》しいことぐらい分かっているもの。わたしが言いたいのはさっきの言葉どおり、竜がいなくなったからこの山が噴火するということ。この火山を棲処《すみか》としていた竜は、炎《ほのお》の精霊に働きかけ、噴火を抑《おさ》えていたのだと思うから……」
ティカは言葉を選びながら言った。
彼女は共通語《コモン》があまり得意ではない。リウイたちと旅を続けているので、これでもだいぶ上達したぐらいである。
「シューティングスターがこの火山の噴火を抑えていたというの?」
ティカの言葉の意味を理解し、ディードリットの顔が青ざめる。
「なるほど、な。だとしたら、まさに呪いかもしれない」
さすがの自由騎士も疲《つか》れた声で言った。
この火山の主であった魔竜を倒《たお》したのは、彼らなのだ。
その結果として火山が爆発《ばくはつ》するのだとしたら、その武勲《ぶくん》にも傷《きず》がつくことになる。
無論、この真の勇者は、そんなことは気にもしないだろう。ただ火山のせいで、多くの被害《ひがい》が出ることに心を痛《いた》めているに違《ちが》いない。
「なんとか、噴火を防《ふせ》ぐ手だてはないのですか?」
自由騎士の心情《しんじょう》を察したのだろう。メリッサがリウイに声をかける。
「なんとか、と言われてもな。相手は自然の災害だぜ。手も足も出ないな」
リウイは顔をしかめる。
「こういうときこその、魔術《まじゅつ》ではないのですか? 天候さえも操作《そうさ》した魔法|装置《そうち》があったではありませんか?」
「その装置が、どんな騒動《そうどう》を起こしたか、忘《わす》れたわけじゃないだろう」
リウイが眉間《みけん》に皺《しわ》を寄《よ》せる。
「真夏のオーファンに雪を降《ふ》らせ、精霊《せいれい》たちを狂《くる》わせ、オレたちだって危《あや》うく命を落とすところだった。なんとか、装置を止められたからよかったものの、あのままだったら、オーファンどころか、中原地方一帯が極寒の地と化していたかもしれない。それこそ、大災害だ」
「ひどい話ね……」
ディードリットがため息をつく。
「強大すぎる魔術も、人間の手に負えるものじゃないということだな」
パーンが自分自身の言葉をかみしめるように言った。
彼にも同じような体験があるのだろう。
「それは分かっていますが、竜殺しの名誉《めいよ》が冒涜《ぼうとく》されるなど、不本意の極《きわ》みです。しかも、村人たちの開拓《かいたく》の努力も水の泡《あわ》となってしまうんですよ」
あんまりですわ、とメリッサは涙《なみだ》をにじませた。
「そりゃあ、オレだって何とかしたいとは思うが……」
「クリシュをこの火山の主にすえるというのはどう? 厄介払《やっつかいばら》いにもなるじゃん」
ミレルが真っ黒な瞳《ひとみ》を輝《かがや》かせて言った。
「呪《のろ》いが解《と》けたら、やっぱりオレを追いかけてくるような気がするな。もしも、この火山の主に落ち着いたとしても、近隣《きんりん》の人々には大迷惑《だいめいわく》だろうし……」
気が進まない、とリウイは言った。
クリシュとの決着は、自分自身でつけるつもりなのだ。
「とにかく火口までは行ってみよう。他《ほか》に原因《げんいん》が見つかるかもしれないしな……」
パーンが提案《ていあん》した。
リウイたちにも異論《いろん》はなく、夜が明けるのを待って、火口へと向かって出発した。
一縷《いちる》の望みをかけてであったが、異変の原因らしきものをその途中《とちゅう》で、探《さが》し当てることはできなかった。
そしてパーンたちは頂上《ちょうじょう》近くの洞穴《ほらあな》へと入り、奥《おく》へと進んでゆく。
彼の話では、この洞穴は火口まで続いているという。そして、その火口のすぐ近くに、魔竜の棲処はあったのだ。
「また、ここに来ることになるとは思いもしなかったわ」
ディードリットが不安そうにパーンに身を寄せながら、つぶやく。
「あとで、あいつの墓に参ってやらないとな」
パーンが神妙《しんみょう》な顔でうなずいた。
(竜との戦いで、たぶん、犠牲者《ぎせいしゃ》が出たんだろうな)
リウイは思ったが、彼らの気持ちを考え、それが誰《だれ》とは訊《たず》ねなかった。
父リジャールや養父のカーウェス、それに戦《いくさ》の神の最高司祭ジェニも、竜との戦いのことはめったに語ろうとしない。人々が伝説に伝えるような勇壮《ゆうそう》なものではなく、彼らにとってのそれは、未《いま》だに醒《さ》めない悪夢《あくむ》のようなものだからだろう。
そして一行は洞穴の奥へと進み、火口を見下ろす場所まで来た。
辺りには硫黄《いおう》の臭《にお》いと蒸気《じょうき》が立ちこめ、熱気で汗《あせ》が噴《ふ》きでてくる。
「今、火山が爆発したら、ひとたまりもないわね」
アイラが苦笑をもらす。
「気のせいかもしれないが、前に来たときより熱が高いように感じる。硫黄の臭いも、きついようだし……」
パーンがそう言ったあと、火口を覗《のぞ》きこむ。
蒸気で白く調《もや》がかかっているが、その底に赤い光がチラチラと見えた。
おそらく溶岩《ようがん》だろう。
「どうかな、ディード?」
パーンは愛するエルフ娘《むすめ》を振《ふ》り返った。
ディードリットは目を閉《と》じたまま、背筋《せすじ》を伸《の》ばし、腕《うで》を広げていた。
心を澄《す》ませて、精霊の声に耳を傾《かたむ》けているのである。
パーンは彼女が、集中を解くのを待ってからふたたび同じ問いかけをする。
「……精霊たちに訊《き》いてみたわ。火蜥蜴《サラマンダー》や|大地の小人《ノーム》にも」
「それで?」
「やはり、この山は爆発《ばくはつ》するみたい。すぐにではないけど、そう遠くない将来《しょうらい》に……」
ディードリットが悲《かな》しそうに言った。
憂《うれ》いを帯びた瞳が、自由|騎士《きし》を見つめている。
(その表情《ひょうじょう》もたまらないが……)
リウイは心のなかでつぶやいた。
(だが、彼女の心が哀しみで満たされているというのは、な)
やはり、この永遠《えいえん》の乙女《おとめ》――世界でもっとも美しいもの――には、笑顔《えがお》のほうが似合《にあ》うと思う。
(なんとかしてやりたいぜ)
リウイは心の底から思った。
相手が自然の災害《さいがい》ではどうしようもない。だが、メリッサが言うように、自然の理《ことわり》を変える技《わざ》こそ古代語魔法の神髄《しんずい》である。
リウイは、落胆《らくたん》の思いを隠《かく》しきれないディードリットの美しい横顔を見ながら、あれこれと考えを巡《めぐ》らせてみた。
メリッサが言うとおり、天候|制御《せいぎょ》の魔法装置のようなものがあれば、大地と炎《ほのお》の精霊《せいれい》力を抑《おさ》え、火山の爆発を防《ふせ》ぐことができるかもしれない。
使い方さえ誤《あやま》らねば、あの魔法装置は人々を幸福にできるのだから。だが、ひとたび野心的な人間の手に渡《わた》れば、恐《おそ》ろしい武器《ぶき》に転用される。
敵国《てきこく》に寒波を襲来《しゅうらい》させたり、大干《だいかん》ばつを引き起こせば、交易《こうえき》は滞《とどこお》り、作物は育たなくなる。
薬と毒とが紙一重《かみひとえ》なのと同じ理屈《りくつ》だ。
それゆえ、リウイたちはあの魔法装置の制御|盤《ばん》を外し、魔術師《まじゅつし》ギルドの禁断《きんだん》の倉庫へとしまいこんだ。
(しかし事件《じけん》は結局、あれだけですまなかったよな)
リウイは記憶《きおく》をたどってゆく。
真夏に雪が降るとの異常《いじょう》気象に誘《さそ》われて、霜《しも》の巨人《きょじん》がヤスガルンの氷河《ひょうが》から降《お》りてきてしまったのだ。
そして気候が真夏の猛暑《もうしょ》に戻り、霜の巨人は氷河まで帰るに帰れなくなった。
巨人は氷室《ひむろ》に避難《ひなん》し、氷の精霊を呼《よ》び寄《よ》せて帰路を切り開こうとしたのである。
だが、雪の精霊フラウの力が及《およ》ぶところではなく、精霊たちは途中《とちゅう》で“狂《くる》って”しまった。
リウイたちは冬が来るまで、巨人に眠《ねむ》ってくれるよう説得し、事件を解決した。
(そして冬が来て、オレたちは巨人を目覚めさせたんだ)
巨人はリウイたちの機知に敬意《けいい》を表し、褒美《ほうび》として自分が所有する最高の秘宝《ひほう》を与《あた》えようと言ってくれたのだ。
そしてその秘宝こそ“世界でもっとも美しきもの”であった。
リウイたちは宝飾品なり芸術品だろうと勝手に勘違《かんちが》いしたのだが、実は氷の下で眠っているひとりの人間の女性《じょせい》であった。
巨人にとっては“世界でもっとも美しきもの”だったのだろうが、今のリウイにはそれが間違いだと、断言《だんげん》することができる。
永遠《えいえん》の乙女《おとめ》ディードリットが目の前にいるからだ。
(オレも、彼女を秘蔵《ひぞう》したいぜ)
リウイは心の底から思った。
自由騎士パーンは、最高の報酬《ほうしゅう》を前払《まえばら》いで受け取っているのだから、これからの一生を苦労して当然だと思う。
だが、すぐ我《われ》に返る。今は、そんな当たり前の事実を再確認《さいかくにん》している場合ではない。
間近に迫《せま》っている火山の噴火《ふんか》を抑える方法を考えださねばならないのだ。
リウイは左右のこめかみを両拳《りょうこぶし》で押《お》さえつけぐりぐりとさせてみる。まるで妙案《みょうあん》を脳《のう》から絞《しぼ》りだそうとでもいうように。
あきらめてしまえば、答は永遠に見つからない。
答はつねにある。答がない、というのも賢者《けんじゃ》にとってはひとつの答だ。そしてその最後の答とも、まだ決まったわけではない。
(そう言えば……)
そのとき、ふとリウイの脳裏《のうり》で閃《ひらめ》くものがあった。
何ということはない。一連の冒険《ぼうけん》には、まだ続きがあったということ。
巨人から褒美としてもらった、世界で何番目かに美しい女性は蘇生《そせい》した後、過去《かこ》に成功しえなかったある目的を果たすため、リウイたちを騙し、協力させようとした。
「炎と大地の複合《ふくごう》精霊を使って、休火山を噴火させること……」
リウイは声に出してつぶやいた。
「そう言えば、そんなこともあったわね。あのときは、珍《めずら》しくわたしも同行していたから」
アイラが懐《なつ》かしそうに言う。
「そうよ、アイラだけ魔法の外套を着ていて、寒さは平気だった。あたしなんか、あの後、霜焼《しもや》けがひどくて大変だったんだから」
ミレルがじとりとアイラを睨《にら》みつける。
「あの頃《ころ》は、冒険《ぼうけん》に慣《な》れていなかったし……」
アイラはとぼけてみせる。
「そういう問題じゃなくってだ」
リウイがふたりのあいだに割って入る。
「炎と大地の複合精霊が、火山の噴火を起こす原因《げんいん》となるなら、その逆《ぎゃく》も可能《かのう》なんじゃないか? 火山の爆発を防《ふせ》ぐとか、規模《きぼ》を小さくするとか、あるいは先延《さきの》ばしにする、ということなんだが……」
「複合精霊は、神々が世界を律《りっ》する以前に存在《そんざい》したとされる混沌《こんとん》よ。古代王国時代に四大《エレメント》魔術師の一派《いっぱ》が復活《ふっかつ》させたと聞くけど、決して自然の存在じゃないわ」
ディードリットが顔色を変えて抗議《こうぎ》する。
「神々が世界を創造《そうぞう》する前には、自然に存在したということでもある」
世界でもっとも美しい存在に反論《はんろん》しなければならないという苦しみにぐっと堪《た》えながら、リウイは言ってみた。
「それよりも、その混沌《こんとん》の精霊が存在しているのかどうか、噴火が起こるより先に見つけだすことができるかどうかが問題なのではないか?」
ジーニが指摘《してき》する。
「それについては、大丈夫《だいじょうぶ》だ。魔神《まじん》シャザーラが教えてくれる」
リウイは自信を持って言った。
「シャザーラって?」
ディードリットが首を傾げる。
リウイは、パーンとディードリットのふたりにシャザーラがどういう存在か、簡単《かんたん》に説明した。
「シャザーラには、全知の能力があります。あらゆる知識《ちしき》を持っているわけではなく、何かを問いかければ、その答が自然に浮《う》かんでくるといったほうが正確《せいかく》なんですが……」
シャザーラと魔法の指輪を通して心が繋《つな》がっているアイラが補足《ほそく》をする。
「すごいものを持っているのね……」
ディードリットが呆《あき》れたというように言った。
「ああ、すごいな」
パーンのほうは、素直《すなお》に感心していた。
「彼女は歩く禁断《きんだん》の宝物庫《ほうもつこ》だもの」
ミレルがぶすっとした顔で言う。
「たしか、この島には湖上都市がありましたよね。湖水の上に浮かぶ美しい都市だったと伝えられていますが……」
アイラが、パーンたちに訊《たず》ねる。
「ああ、確《たし》かにある。もっとも、今ではその大半がルノアナ湖の底に眠っているけどな」
パーンがうなずく。
「この火竜山《かりゅうざん》を南に下ったところに、湖はあるわ」
ディードリットが続ける。
「そう遠くないということか……。それなら、期待が持てるかもしれないな」
リウイはひとりごとのようにつぶやく。
「どうしてですか?」
メリッサが不思議そうに訊ねる。
「魔術師《まじゅつし》たちが、火山の近くに都市を創《つく》るんだ。当然、それには備《そな》えているはずさ」
リウイはニヤリとして答えた。
「だからこそ、期待が持てるということか……」
リウイの言葉に深く納得《なっとく》したようにうなずきながら、パーンはしばらくのあいだ思案をしていた。
「今、この火竜山が爆発《ばくはつ》するのは、どう考えてもまずい。魔術に頼《たよ》りすぎる危険《きけん》も承知《しょうち》しているが、ここは王子が見出《みいだ》した可能性《かのうせい》に賭《か》けてみたいな」
そう言うと、パーンはリウイに右手を差し出した。
「王子の知恵《ちえ》には感服したよ。そして王子の使命感の強さにも……」
リウイはがっしりと自由|騎士《きし》と握手《あくしゅ》をかわす。
「負けず嫌《ぎら》いなだけなんだ」
リウイは照れたように言う。
「それは向上心の源《みなもと》だよ。王子はいつか、自分の本当の剣《けん》を見つけられるだろう」
パーンが力強く言った。
「それができたとしたら、あなたが自分自身の剣を示《しめ》してくれたおかげだと思う」
リウイは素直《すなお》な気持ちで答えると、感謝《かんしゃ》の言葉を続けた。
「安心するのは、まだ早いわよ。わたしたちは、可能性を見つけただけで、手段《しゅだん》を見つけたわけではないのだもの」
アイラが苦笑《くしょう》まじりに言う。
「それは、アイラの仕事だろ?」
「はいはい、分かってます。シャザーラの機嫌《きげん》はひどく悪いから、話をするのも大変なんだけど。でも、彼女も愛するあなたのためなら、協力してくれるでしょうけどね」
アイラは皮肉《ひにく》っぽくリウイに答えると、左の薬指にはまっている指輪を右の手でなぞる。
そして静かに目を閉じ、シャザーラと心を通わせていった。
第6章 人魚《マーメイド》の涙《なみだ》
「怪《あや》しい人間が乗った小舟《こぶね》が、湖面を漂《ただよ》っているですって?」
三叉鉾《トライデント》を手にした男の言葉を聞いて、女は不安そうな表情《ひょうじょう》をして、美しい銀色の鱗《うろこ》で覆《おお》われた尾《お》をゆらゆらと動かす。
ここは静寂《せいじゃく》の湖ルノアナの湖底である。
彼女の上半身は人間のそれだったが、腰《こし》から下は魚の姿《すがた》であった。人魚《マーメイド》である。
ここルノアナ湖で暮《く》らす魚人族《マーフォーク》の集落で、彼女は今、族長の代理という立場にある。先代の族長が先年、死に、跡継《あとつ》ぎとなるべき若長《わかおさ》は卵《たまご》から艀《かえ》ってまだ十五年と幼《おさな》いからだ。
|魚人族の男《マーマン》は、狩《か》りにでかけたとき不審《ふしん》な小舟を見つけ、彼女に指示《しじ》を仰《あお》ぐために集落へと戻ってきたのだ。
男の頭部は魚のそれ、四肢《しし》は人間に似《に》ているが、ところどころ鰭《ひれ》が生えており、全身は青色の鱗に包まれている。
魚人族の男と女は、別の種族かと思うほど姿が異《こと》なる。無論《むろん》、それは人間たちの目から見ればの話で、魚人族の者にとってはそれが自然なのだ。
「油断《ゆだん》なく見張《みは》っていてください」
人魚は男に命じた。
男はうなずき、去ってゆく。
「何が目的でこの湖に来たのだろう?」
人魚は首を傾げる。
長い銀色の髪《かみ》が水草のように揺《ゆ》れ、細かな泡《あわ》が湖面へとあがってゆく。
「北の火山では異変が続いている。そして……」
人魚は側《そば》にある青銅《ブロンズ》でできた竜《りゅう》の彫像《スタチュー》に視線《しせん》を向けた。それはかつて北の火山の主であった火竜を模《も》して造《つく》られたものだ。
その竜の目が、赤く妖《あや》しく明滅《めいめつ》していた。
「いったい何が始まろうとしているのだろう……」
人魚は豊《ゆた》かな双丘《そうきゅう》を隠《かく》すように自らの胸《むね》を両腕《りょううで》で抱《だ》いた。
“静寂の湖”ルノアナは、呪《のろ》われた島ロードスの中西部、火竜山からはほぼ南に位置している。
古代王国の時代には、湖と同じ名前の美しい水上都市がここに建設《けんせつ》されていたという。
だが、古代王国が滅亡《めつぼう》するとき、この都市は水没《すいぼつ》し、その遺跡《いせき》は湖の底へと没した。
その湖上都市の水没遺跡だけではなく、周辺には古代王国の遺跡が数多く残っており、遺跡|荒《あ》らしの冒険者《ぼうけんしゃ》にとっては、格好《かっこう》の稼《かせ》ぎ場となっている。
アレクラスト大陸でいえば、オラン王国の近郊《きんこう》にある空中都市の遺跡レックスと似たような場所だ。
しかし、ルノアナ湖は亡霊《ぼうれい》の類《たぐい》や、水を好む魔獣《まじゅう》や猛獣《もうじゅう》、さらには妖魔《ようま》などが徘徊《はいかい》する危険《きけん》な場所でもある。広大な湿地帯《しっちたい》に囲まれていることもあり、周辺には人もほとんど暮らしていない。
リウイとその五人の旅の仲間、そして自由|騎士《きし》パーンとハイエルフの女性《じょせい》ディードリットの八人は、火竜山から五日をかけて、ここルノアナ湖へとやってきた。
そして壊《こわ》れかけた漁師《りょうし》小屋に置き捨《す》てにされていたぼろぼろの小舟を拝借《はいしゃく》して湖上へと漕ぎでた。
向かったのは、古代都市ルノアナが水没《すいぼつ》している一帯である。
「水は冷たくて、とても綺麗《きれい》ね」
小舟から身を乗り出し、水のなかに手を入れながら、ミレルが嬉《うれ》しそうにはしゃぐ。
早朝から湖面に立ちこめていた霧も次第に晴れ、日差しは強くなりはじめていた。
「ああ、一泳ぎしたら、気持ちいいだろうな」
ジーニがうなずいた。
彼女が普段《ふだん》着ている服は布《ぬの》が少なく、肌《はだ》の多くが露出《ろしゅつ》している。そのまま水に入っても、自由に泳ぐことができそうだった。
「いやというほど、泳ぐことになるわよ。なにしろ目的の魔法器《マジックアイテム》は、この湖の底に眠《ねむ》ってるのだもの……」
アイラが、うんざりとした表情を浮かべた。
「幸いではありませんか? 汚《きたな》い水になど、潜《もぐ》りたくもありませんもの」
メリッサがそう言うと、大きな雲の塊《かたまり》が漂《ただよ》う青空を眩《まぶ》しそうに見上げる。
「この島は、わたしたちの故郷《ふるさと》に比《くら》べると気候も温暖《おんだん》なようですし、いくらでも泳いでいられそうですわ」
アレクラスト大陸から見ると、世界を閉《と》ざす炎《ほのお》の門があるという南に、ロードスが位置しているせいかもしれない。
もっとも、気候はその土地に働く精霊力《せいれいりょく》の強さのほうが影響《えいきょう》する。南の地にも氷河《ひょうが》で覆《おお》われた場所もあれば、北の地にも熱砂《ねっさ》の荒野《こうや》もある。
「ロードスは自然の変化にとても富《と》んでいるわ。砂漠《さばく》があれば、湿原《しつげん》もある。大きな森もあれば草原もある。山々は険《けわ》しく、谷は深い……」
草色の衣服に、硬革《こうかく》の胸当《むねあ》てを着けたハイエルフの|精霊使い《シャーマン》ディードリットが、笑顔で言った。
「精霊たちの働きが、とても豊かなのよ」
「だからなのね。それほど大きな島ではないのに、たくさんの竜が棲《す》んでいるのは……」
竜司祭《ドラゴンプリースト》のティカが目をきらきらとさせる。
竜を神と崇《あが》め、転生を夢見《ゆめみ》ている彼女にとっては、ある意味、理想の場所だった。
時間があれば、竜騎士たちの王国ハイランドに足を延《の》ばして、竜使いたちの暮《く》らしぶりを見てみたいし、正真|正銘《しょうめい》の古竜《エンシェントドラゴン》だという金鱗の竜王マイセンを目に収《おさ》めたいと、ティカはひそかに思っている。
最北の地ターバに棲息《せいそく》している白竜ブラムドのもとにも訪《おとず》れたいし、“竜を手懐《てなず》けた”という大地母神《マーファ》の高司祭にも会って、話を聞いてみたい。
(できれば暗黒の島に棲《す》むという黒翼《こくよく》の邪竜《じゃりゅう》にも……)
幼竜《ドラゴンパピー》の世話ができる今の暮らしに不満はないが、もっと多くの竜に会えば、竜司祭としての修行《しゅぎょう》がさらに進むはずなのだ。
だが、目的を達成したら、大陸へとすぐ帰らねばならない。
主人であるリウイの決めたことだから異論はないが、ひそかに残念には思っている。
「青竜島とかいう島には、水竜まで棲んでいたそうなのに……」
一目見たかったな、とティカは湖水を見つめながらため息をついた。
だが、その翼《つばさ》のない水棲の竜は、火竜山の主と同様、先年、人間の手で殺されている。
「三十年前の魔神戦争と先の英雄《えいゆう》戦争では、何頭もの竜が犠牲《ぎせい》になっている。人と人との争いなのに、妖精《ようせい》にも妖魔にも、そして幻獣《げんじゅう》や魔獣も否応《いやおう》なしに巻《ま》き込《こ》まれてしまう。動物や植物にも被害《ひがい》が及《およ》ぶ。戦《いくさ》に関わった者のひとりとして申し訳《わけ》なく思うよ」
魔法王の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛《きた》えた甲冑《かっちゅう》に身を包み、魔法の剣を帯びた自由騎士パーンが、神妙《しんみょう》な表情《ひょうじょう》で言った。
「なるほど……」
自由騎士の言葉に、小舟《こぶね》の櫂《かい》を握《にぎ》っていたリウイが感嘆《かんたん》する。
戦が始まったら、敵《てき》を倒《たお》すために手段《しゅだん》を選ばないのが人間の本性《ほんしょう》である。その事実に心を痛《いた》める戦士がいるとは思いもしなかった。
(さすが英雄と呼ばれるだけのことはあるぜ)
自由騎士パーンが自分の言葉をまったく飾《かざ》らない人間だということは、十日近く行動を共にしてきたリウイには、無論《むろん》、分かっている。
「戦が、早く終わることを祈《いの》りますよ。もちろん、あなたがたの勝利で」
リウイはロードスの民《たみ》のために、心からそう思った。
「ありがとう」
パーンが爽やかな笑顔で答える。
「それよりも、そろそろ目的の場所に着いたんじゃないかな?」
「そうだと思います」
アイラがパーンの言葉にうなずいた。
「ですが、潜ってみないことには、本当のところは分かりません。シャザーラが教えてくれたところでは、複合《ふくごう》精霊ラーヴァを封《ふう》じた水晶石《すいしょうせき》は、火竜の彫像の右手に収まっているそうですが……」
おそらく、古代王国の魔術師たちは火竜《ファイアドラゴン》があの火山の活動を制御《せいぎょ》していることを知っていたのだ。
だから、火竜山の大爆発《だいばくはつ》を回避《かいひ》するための切り札となる複合精霊を、火竜の彫像に持たせたのである。
アイラは指輪に囚《とら》われているもと洋燈《ランプ》の精霊シャザーラから、近い将来《しょうらい》、起きる運命の火竜山の大爆発を抑《おさ》えるための手段を、大変な苦労をして聞き出したのである。
精霊とは呼ばれているが、シャザーラの正体は、全知の能力《のうりょく》を持った知識魔神《ナレツッジデーモン》なのだ。
全知とは言っても、あらゆる知識を持っているのではない。何かを問いかければ、それに対する答が、自然に心に湧《わ》きでてくるというほうが正確《せいかく》だった。
つまり彼女から必要な知識を引き出すには、正しい質問《しつもん》を与《あた》えなければならないのだ。
これがなかなか大変で、また異質《いしつ》な精神構造《せいしんこうぞう》をしている異界の住人と長く接触《せっしょく》を保《たも》つのは、ひどく疲労《ひろう》する。
しかし、なんとか目的は達し、アイラはシャザーラから火山の噴火《ふんか》を抑えるための魔法器《マジックアイテム》の情報を得ることができた。
驚《おどろ》いたことに、それは溶岩《ようがん》の精霊ともいうべき、炎《ほのお》と大地の複合精霊ラーヴァを閉《と》じこめた水晶石であった。
氷の下で長い年月を眠《ねむ》っていたアリド族の女性《じょせい》エリシアが持っていたものとまったく同じものである。
溶岩の精霊ともいうべき炎と大地の複合精霊ラーヴァは、噴火を誘発《ゆうはつ》させるひきがねになりうる。
エリシアはその複合精霊を休火山の火口に投げ込むことで、火山を蘇《よみがえ》らせ、衰《おとろ》えゆく炎の精霊力を復活《ふっかつ》させようとした。彼女の故郷《こきょう》、ヤスガルン山脈一帯の寒冷化を食い止めるためである。
だが、このロードスに住んでいた古代王国の魔術師《まじゅつし》たちは、小規模な噴火を誘発することによって、火竜山の大爆発を回避しようと考えたのだろう。
その事実を聞き出すために、アイラはほとんどひと晩《ばん》を費《つい》やした。
精神的に消耗《しょうもう》しきり、かえって眠《ねむ》れなくなり、あまり強くもないお酒を無理をして飲んで眠りにつかなければならなかったほどである。
(でも、リウイがしっかり付き合ってくれたものね)
アイラは誰《だれ》にも見られないように顔を伏《ふ》せて、思い出し笑いをもらす。
リウイは魔術師ということもあり、シャザーラと精神を通わせることがどれほど疲《つか》れるか、正しく理解している。
だから、アイラがシャザーラから情報を聞き出しているあいだ、ずっと起きて側《そば》にいてくれたし、終わったあとの酒にも付き合ってくれた。そして酔《よ》いつぶれて眠りについたアイラを背負《せお》って、火竜山を下《お》りてくれたのである。
目覚めたときには、草原を歩いていたのには、アイラは本当に驚いた。恥ずかしいとも思ったが、嬉《うれ》しくもあった。
普段《ふだん》は傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に振《ふ》る舞《ま》っているリウイなのだが、女性が本当にきついと感じているときには、信じられないほど細かな気遣《きづか》いを見せる。
彼が冒険者《ぼうけんしゃ》になるまえ、オーファンの歓楽街《かんらくがい》で遊び回っていた頃、女殺しとまで呼《よ》ばれていたのが、なぜなのか分かるような気がした。
(なんで、わたしだけのものじゃないのかなぁ……)
アイラはため息をついた。
ミレルのリウイに対する想《おも》いは、それこそ命懸《いのちが》けだ。
ジーニにしても、メリッサにしても、心の奥底《おくそこ》では、ただの友情《ゆうじょう》だけではないなにかを、リウイに感じていると思う。
竜司祭《ドラゴンプリースト》であるティカは、まっとうな人間としての生き方を否定《ひてい》しているので安心できそうだが、それこそ竜の爪《つめ》を打ち込まれて服従《ふくじゅう》しているクリシュと同様、リウイのことを絶対的な主人であるとみなしている。彼が望めば、どんなことでも応《おう》じるだろう。
彼にとって最高の女性でありたいと思っているアイラにとっては、由々《ゆゆ》しき現状《げんじょう》なのである。
(世界の破滅《はめつ》を防《ふせ》ぐより、この人を独占《どくせん》するほうが、難《むずか》しいのかもしれないわ)
冗談《じょうだん》ではなく、アイラにはそう思えた。
「さて、殿方《とのがた》たちには陸へと上がってもらいましょう……」
いよいよ湖底の調査《ちょうさ》に入ろうということになったとき、ディードリットが笑顔《えがお》で言って、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「どうしてだ?」
パーンが怪訝《けげん》そうな顔をする。
「服を着たまま、水に潜《もぐ》るわけにはゆかないでしょう?」
ディードリットが眉《まゆ》をひそめる。
「なるほど、そういうことか……」
パーンは納得《なっとく》したようにうなずいた。
「なんで? 裸《はだか》で泳ぐわけでもないんだし、あたしは平気だよ」
ミレルがきょとんとして、ディードリットを見つめる。
嫌《きら》いな男に裸を見られるのは、さすがに癪《しゃく》に障《さわ》るが、この場には積極的に見てほしいぐらいの魔法戦士と、邪《よこしま》な目で見ないと確信《かくしん》できる自由騎士のふたりしかいない。
「わたしは裸でも平気だ」
ジーニがきっぱりと言う。
「む、むやみに見せるものではありませんが、事情が事情ですから、やむを得ないのではないかと……」
メリッサが自分を納得《なっとく》させるように言う。
「わたしはすこし恥ずかしいかな」
アイラは顔を赤くする。
リウイとは唇《くちびる》を重ねただけで、まだ深い仲にはなっていない。下着姿《したぎすがた》を見せるだけにしても抵抗《ていこう》がある。
「いったい何の話?」
ティカはなんでそんなことが問題になるのかまったく分からないという顔だった。
「ごめんなさいね。あなたがたがよくても、わたしはよくないの。ここは殿方には休んでもらって、女だけで湖底を調べましょ」
ディードリットは微笑みながら、しかし、きっぱりとした口調で言った。
「彼女がそう言ってるんだ。オレは無論《むろん》、それに従《したが》う。みんなを手伝えないのは申し訳《わけ》ないが……」
リウイが申し訳なさそうに言った。
「残念だったね」
ミレルが意地悪くリウイの耳に囁《ささや》く。
「残念? いったい何がだ?」
「決まってるじゃない」
へへへ、とミレルは笑って、肘《ひじ》でリウイをつつく。
「下劣《げれつ》な……」
リウイはため息をつくと、ミレルに哀《あわ》れむような視線《しせん》を向ける。
「彼女の美しさは、不変なんだ。衣服を着ていようと、一糸まとわぬ姿であろうと変わることはない」
リウイは詩でも朗読《ろうどく》するような口調で言った。
「あ、そ」
ミレルは呆《あき》れかえって、それ以上、何も言う気がしなくなった。
結局、ディードリットの提案《ていあん》どおり、リウイとパーンは近くにあった小島へと上がり、女たちだけが小舟《こぶね》で湖に戻《もど》り、水中に潜ることになった。
ふたりは小舟に残ることにし、交替《こうたい》で水に入る。
潜るだけなら、泳ぎの上手|下手《へた》は関係ないし、ディードリットが水の精霊《せいれい》の力を借りて、〈水中呼吸《ウォーター・ブリージング》〉の呪文《じゅもん》をかけてくれるので溺《おぼ》れる心配もない。
「そういうことで、始めましょう」
ディードリットは、ジーニたち五人に優雅《ゆうが》に声をかけた。
「はーい」
ミレルが明るく答えると、さっさと下着姿になる。
背《せ》がなかなか伸《の》びないし、胸や腰も女として発展途上なのは、リウイと初めて会った頃と変わっていない。
ジーニ、メリッサ、アイラ、ティカの四人も外に着ている服を脱《ぬ》いでゆく。
最後にディードリットが、硬革《こうかく》の鎧《よろい》だけを外した。
「それだと、動きにくいよ。女たちだけなんだし、恥ずかしがることないでしょ」
さっさと水のなかに入っていたミレルが、ハイエルフの女性《じょせい》に声をかけた。
「そ、そうね……」
ディードリットは一瞬《いっしゅん》、躊躇《ちゅうちょ》を見せたが、草色の服を思い切って脱ぎ捨てると、急いで水のなかに入った。
しかし、ミレルは彼女の体形をしっかりと目に焼きつけていた。
そして、
(生まれて初めて勝ったかもしれない……)
と、自分のなだらかな胸に手を当てながら、しばしの感動を味わった。
それから、ミレルは平泳ぎでディードリットの側《そば》に寄ってゆく。
「もしも、誤解《ごかい》してたらごめんなさい……」
ミレルはディードリットの側に寄ると、彼女だけに聞こえる声で話しかけた。
「あなたが男ふたりを追い払ったのは、リウイに身体《からだ》を見られたくないからじゃなくって、自由騎士にあたしたちの身体を見せたくなかったから?」
ミレルの言葉に、ディードリットは笹の葉の形をした長い耳の先まで真っ赤にさせた。
「決まっているでしょ。あたしはエルフだもの、胸の大きさや腰の豊《ゆた》かさで、あなたたちに勝てるはずがない。パーンに見比《みくら》べられるのは絶対《ぜったい》に嫌《いや》! あの人って、まったく悪気なしに、あなたたちの体形《スタイル》を賞賛《しょうさん》するもの。それで、わたしが傷《きず》つくなんて思ってもいないから……」
ディードリットはすねたように答えると、素早《すばや》く水のなかに潜《もぐ》っていった。
そして水の精霊ウンディーネさながらの華麗《かれい》な泳ぎを見せて、底のほうへと消えていった。
(その気持ち、よく分かるわ)
ミレルは水面に浮かんだまま、心のなかでつぶやいた。
恋敵《こいがたき》の女性魔術師《ソーサリス》は胸は大きいし、腰は豊かだ。
以前は、やや脂肪《しぼう》がつきすぎている印象があったが、ここのところの長旅で、ずいぶんとひきしまってきた。
悔《くや》しいことに胸や腰はそのままで、余分《よぶん》なところばかり肉が減《へ》っているように見えるのだ。
(すべての男の人が、彼女のような体形が好きなわけじゃないって知っているけど……)
ミレルは深くため息をつく。
(アイラよりあたしの体形が好きだという男とは、あまり近づきたくない気もするしね)
しかし、生まれついてのものだから、どうしようもない。
ミレルは、邪念《じゃねん》を振り払うように水の中へと潜っていった。アイラより役に立つところを見せるしかないのだ。
(それも難しいんだけど……)
アイラはなにしろ、全身を魔法器《マジックアイテム》でかためているし、全知の能力《のうりょく》と高い魔力を持つ元|洋燈《ランプ》の精霊シャザーラを指輪に支配《しはい》している。実家には財力《ざいりょく》があり、彼女自身、優《すぐ》れた魔術師だ。
考えれば考えるほど、勝ち目に乏《とぼ》しい気がする。
ミレルは水中で頭をぶるぶると振って、なかなか消えない邪念を追い払った。
そして湖底へとまっすぐに潜ってゆく。
水深はかなりあるが、水は澄《す》んでいるので、底のほうまでなんとか判断《はんだん》がつく。
そして湖底には、かつての巨大都市が静かに横たわっていた。大理石の建物には水草が生《お》い茂《しげ》り、格好《かっこう》の魚の棲処《すみか》となっている。
ミレルたちの仕事は、建物の形や大きさから、太守の館《やかた》を探《さが》しだすことだ。
その中庭に、火竜《ファイアドラゴン》を模《も》した彫像《ちょうぞう》があり、目的の水晶石《すいしょうせき》が安置されている。
易《やさ》しい作業とは思えないが、それを探し当てないと、火竜山の大爆発《だいばくはつ》を止める術《すべ》はない。
(あたしが見つけだすんだから)
ミレルは気合いを入れて、つぶらな瞳《ひとみ》をいっぱいに開く。
たとえ遺跡《いせき》であっても、都市である以上、盗賊《とうぞく》であるミレルの得意分野なのだ――
その頃《ころ》、パーンとリウイはふたりだけで、小さな島に上陸していた。
楽ができると、リウイは思っていたのだが、それはとんでもない間違《まちが》いだった。
実は、その島は浮き島で、ふたりの男が乗ると、足もとがずぶずぶと沈《しず》んでゆく。
ふたりは頻繁《ひんぱん》に場所を変《か》えないと、身体《からだ》が埋《う》もれてしまいそうだった。
しかも、その浮き島の下には巨大蛭《ジャイアントリーチ》が群生《ぐんせい》していたようで、獲物《えもの》が接近《せっきん》してきたことを知ると、次々と姿《すがた》を現《あらわ》してきた。
足場が悪いなかを、パーンとリウイのふたりは武器《ぶき》を取り、血を狙《ねら》ってくる巨大蛭を払いのけねばならなかった。
ようやく蛭がいなくなると、次には半裸《はんら》の美女がいきなり姿を現し、魅力《みりょく》的な笑顔《えがお》でふたりを誘惑《ゆうわく》してきた。
無論、ふたりにはその正体が、何か分かっていた。上半身は人間の女性《じょせい》の姿をしているが、水のなかに隠《かく》れた下半身には、醜悪《しゅうあく》な触手《しょくしゅ》が生《は》えた魔獣《まじゅう》スキュラである。
「……向こうは楽しそうだ」
魔獣と戦いながら、リウイはうんざりとした表情でパーンに声をかけた。
遠くに小舟が見え、ときおり高い笑い声が聞こえてくる。
湖底を探索《たんさく》してくれているわけだが、水のなかはきっと気持ちがいいことだろう。
女性たちは湖底探索の作業を存分《ぞんぶん》に楽しんでいるようだ。
「そうだな。何かの罰《ばつ》でも受けている心境《しんきょう》だよ……」
パーンが苦笑《くしょう》を浮《う》かべて、リウイの言葉に相槌《あいづち》を打つ。
魔物たちが、無防備《むぼうび》な彼女らのほうに行かず、自分たちのところにやってきたことは歓迎《かんげい》すべきなのだが、完全に納得《なっとく》することはできない。
「すまないな。ああ見えて、ディードは嫉妬深《しっとぶか》いんだ……」
「本当に美しい人は、自分の美しさに価値《かち》があることを知らないそうだから」
リウイはうなずいた。
そして水中から次々と伸びてくる触手を、無造作《むぞうさ》に切り払《はら》う。
蛭とか触手《しょくしゅ》とかを切る感触には、正直、飽《あ》きてきていた。
かといって、女性の姿をした魔獣の上半身を切るのは抵抗《ていこう》があるし、そちらが本体というわけでもない。
魔獣の餌場《えさば》に入ってきたのは、こちらのほうなのだから、できれば退散《たいさん》願いたいというのが本音である。
「王子はよくよく女性を惹《ひ》きつけられるようだな」
パーンが苦笑した。
「勘弁《かんべん》してほしいぜ」
リウイは頭を抱えたくなった。
彼の周りにいる女性は皆《みな》、今まさに戦っている魔獣みたいなものだ。外見に騙《だま》されて、男がうかつに近づこうものなら、痛い目を見ることになる。
実際《じっさい》に、痛い目を見た男も、リウイは何人も見てきた。
彼自身、知り合って一年ほどは下僕《げぼく》のごとく扱《あつか》われていたのである。
忍耐《にんたい》と苦労の末に、彼女らに認《みと》められるようになったが、それこそがリウイにとって最高の武勲《ぶくん》と言えるかもしれない。
「勘弁《かんべん》してほしいぜ……」
リウイは同じ言葉を繰《く》り返すと、思い切って踏《ふ》み込《こ》み、魔獣の上半身を一刀で切り落とした。
だが、そのあと踏み込んだ足がずぶずぶと沈み、身動きが取れなくなる。
だが、魔獣はさすがに勝ち目がないと悟《さと》ったのか、それとも生命力が尽《つ》きたのか、水の底へと姿を消した。
リウイはパーンに引っ張ってもらい、なんとか足を泥《どろ》のなかから引き抜《ぬ》くことができた。
だが、そのわずかな隙《すき》に、様々な蟲《むし》が皮膚《ひふ》に吸《す》いつき、リウイは痛みと痒《かゆ》みに、女性たちが小舟で戻ってくるまで苦しめられることになるのである。
夕刻《ゆうこく》近くになって、湖底の探索を進めていた女性たちは、パーンとリウイのふたりを迎《むか》えに戻《もど》ってきた。当然ながら、服はしっかりと身に着けている。
ふたりの男は無論《むろん》、彼女らには何も言わず、小舟へと乗り込んだ。
ただ、蟲から受けた痛みと痒みは我慢《がまん》できず、リウイはメリッサに癒《いや》しの呪文《じゅもん》をかけてもらう。
「ゆっくりできた? こっちは大変だったんだから……」
ミレルが元気な声で、リウイに訊《たず》ねる。
「ああ、楽させてもらったよ……」
リウイは愛想《あいそ》笑いを浮かべた。
説明する元気もないし、悪気のまったくない彼女らに文句《もんく》を言ってもしかたがない。
「もう何度、潜ったか分からないぐらいよ。一度、水の底で呪文《じゅもん》が切れて、死にそうになったしね。胸《むね》のなかに水が入っているから、浮かびあがるのも大変なのよ。ディードが、呪文をかけなおしてくれたから、なんとかなったけど……」
ミレルは早口にまくしたてる。
「でも、この湖、とても素敵《すてき》なの。水はホントに奇麗《きれい》で、あたしがこういうのも変だけど、湖底に沈《しず》んだ都市の遺跡《いせき》は神秘《しんぴ》的な感じがして。意外に、魚が少なかったのが残念だったけど、海老《えび》や貝はいっぱい見つけたよ。大陸にいるのとは違うから、食べられるかどうか分からないのが残念だわ……」
「この湖の近くには人は住んでいないし、周囲には湿原《しつげん》が広がっているだろう? 湿原には水を浄化《じょうか》する力があるんだ。でも、水のなかの養分まで浄化してしまうから、たくさんの魚が棲めなくなる。周囲の湿原にはたくさんの生き物が棲息《せいそく》しているはずだぜ」
リウイはミレルに答えた。
「へえ〜、そうなんだ」
ミレルが大きな黒い瞳《ひとみ》をくりくりさせる。
「さすが、魔術師《まじゅつし》だよね」
リウイたちが上がった浮き島は、おそらく湿原の切れ端《はし》だ。氷河《ひょうが》から崩《くず》れ落ちた氷山のようなものである。
だから、たくさんの生き物が棲んでいたし、魔獣《まじゅう》までもがその生体反応《せいたいはんのう》に惹《ひ》きつけられ、近くにいたのだろう。
「とにかく大変だったのよ」
ミレルはそう言うと、さすがに息切れしたのか、大きくため息をついた。
「それはご苦労さん……」
リウイはミレルの黒髪《くろかみ》を軽く撫《な》でた。
昔の彼女なら、子供扱《こどもあつか》いするなと蹴《け》りが跳《と》んできただろうが、最近では無邪気《むじゃき》に喜ぶようになっている。
「それで成果は?」
「なんとか、ね。太守の館《やかた》らしい建物は見つけたわ。中庭はずいぶん広くて、火竜《ファイアドラゴン》の彫像《ちょうぞう》までは見つけられなかったわ。手頃《てごろ》な石に縄《なわ》と流木を結んでおいたから、明日はその目印を中心に、周辺を調べてみるつもりよ」
「それは朗報《ろうほう》だな」
リウイは安堵《あんど》の表情《ひょうじょう》を浮かべる。
「ご苦労でした。ディードも、ありがとう」
自由騎士パーンが爽やかに礼を言う。
浮き島で苦労させられたことは、もうすっかり頭のなかから消えているような表情である。
そのあたり、リウイとは人間の出来が違うようだ。
「本格的な探索は明日ということだな?」
リウイはアイラに訊《たず》ねた。
「そういうこと」
「じゃあ、明日はオレとパーン卿《きょう》のふたりで、水に潜《もぐ》ろう。宝物《たからもの》を守っているような像だ。しかも、竜の姿《すがた》をしてるんだろ。動きだしたりしたら大変だからな」
リウイは提案《ていあん》した。
「そうね、そのほうがいいかな……」
アイラはしばらく考えてから答えた。
「みんなはディードリットさんと一緒《いっしょ》に、小舟《こぶね》で待機してくれ。合図は目印に使っている縄《なわ》と流木とを使うから」
「分かったわ……」
アイラは笑顔でうなずいた。
「さて、そうと決まれば、明日に備《そな》えるとしよう」
リウイは言って、小舟の櫂《かい》を手に取った。
「野営《やえい》をするの? だったら、そこの小島でいいんじゃない?」
ミレルが不思議そうな顔をする。
「いや、そこは地面が湿気《しけ》ていてな。あまり快適《かいてき》とは言えないんだ。ちょっと遠くだが、島影《しまかげ》が見えるだろう。あそこなら、きっと地面もしっかりしているはずだ」
リウイが苦笑しながら言った。
「そっか、蟲がいるんだったよね。それは確かにやだな」
ミレルは納得《なっとく》したようにうなずいた。
「あの島へ?」
ディードリットが一瞬《いっしゅん》、表情を硬《かた》くして、パーンを振《ふ》り返った。
「そうですが、何か問題が?」
リウイが世界でもっとも美しい女性《じょせい》に訊ねる。
「いや、何でもない。あの小島なら、確かにゆっくりと身体《からだ》を休ませられる」
自由騎士パーンが静かに答えた。
「何年か前に、一度だけ上がったことがあるんだ……」
そうつぶやくと、パーンは遠い目をした。
「本当にいろんなところに行っておられるんですね……」
さすが勇者様ですわ、とメリッサがうっとりと言う。
「ああ、いろいろな場所へ行ったよ……」
パーンは答えたが、それはひとりごとのようにも聞こえた。
「本当にね。そしてきっとこれからも、もっといろいろな場所に行くことになる……」
ディードリットがなぜか寂《さび》しそうな顔でうなずくと、パーンにそっと寄《よ》り添《そ》う。
それから、一行は湖に浮《う》かぶ――しかししっかりと大地と繋《つな》がった――島へと上陸し、静かな一夜をすごした。そして翌朝《よくあさ》、やはり朝霧《あさぎり》がたちこめるなかを、小舟《こぶね》に乗って湖へと漕ぎだす。
目的の場所に着いた頃《ころ》にはちょうど霧も晴れ、穏《おだ》やかで暖《あたた》かい一日になりそうだった。ただ、風は昨日よりも強く、湖面にはさざ波が立っている。
残してあった目印をまず見つけ、舟をその場所につける。
そしてリウイとパーンが鎧《よろい》を脱《ぬ》ぎ、上半身は裸《はだか》になる。布製《ぬのせい》のズボンはさほど邪魔にならないので脱がず、靴《くつ》も履《は》いたままにしておく。
多少、動きにくいが、戦いがあることも想定しておかないといけない。
布一|枚《まい》でも、あるとないとではまったく違《ちが》うのだ。
「水のなかだと、剣《けん》を振るうのも大変だ。槍《やり》があればいいのだが、あいにく用意がない。だから戦いになったら、突《つ》き一本で攻《せ》めよう」
パーンがリウイに声をかけた。
「承知《しょうち》」
リウイはうなずいた。
そしてふたりは、ディードリットに〈水中呼吸《ウォーター・ブリージング》〉の呪文《じゅもん》をかけてもらい、水に飛び込み、湖底へと潜《もぐ》っていった。
潜った先は広い場所だった。
泥《どろ》がわずかに積もっているが、中庭の形ははっきりと分かる。
湿地《しっち》があるため、細かな泥が湖に大量には入らず、しかも水がゆっくりとしか動かないので、沖《おき》まで達するまでに沈下《ちんか》するからだろう。
パーンとリウイは、太守の館《やかた》とおぼしき大きな屋敷《やしき》の中庭を丁寧《ていねい》に調べてゆく。
水中ゆえ、行動は制限《せいげん》されるし、視界《しかい》も狭《せま》くなるので、探索《クエスト》はそれほど簡単《かんたん》なものではなかった。
だが、真昼を過《す》ぎたぐらいの頃、ふたりはついに目指す彫像を発見した。
翼《つばさ》を大きく広げ、鋭《するど》い牙《きば》をむきだしにした今にも動きだしそうな竜《りゅう》の姿《すがた》をした像《ぞう》だ。
(宝物《たからもの》を守っているんだ。どうせ動くに決まっているよな)
リウイは心のなかで苦笑《くしょう》した。
空中都市レックスの遺跡《いせき》でも、リウイは竜の姿をした守衛魔法像《ガーディアンデーモン》と激《はげ》しい戦いを演《えん》じている。
「確かに、シューティングスターの像だ」
パーンが大きくうなずいた。
「もちろん、大きさはまったく違うが……」
彫像の大きさは、リウイが連れている火竜《ファイアドラゴン》の幼竜《ドラゴンパピー》クリシュよりもさらに一回り小さいくらいだった。
材質《ざいしつ》は青銅《ブロンズ》のようで、汚《よご》れてはいるものの錆《さび》などで腐食《ふしょく》されてはいない。
(魔法像《ゴーレム》なら当然だよな……)
リウイはため息をついた。
(こいつを倒して、水晶《すいしょう》石を取ればおしまいということだ)
自分ひとりならともかく、すぐ側《そば》には自由騎士パーンがいるので、いかに魔法像とはいえ楽な相手だと思えた。
リウイは念のため、魔法の発動体である棒杖《ワンド》を取り出し〈魔法感知《センス・マジック》〉の呪文を唱えた。
当然のように彫像は反応《はんのう》する。
「ゴーレムですね」
リウイはパーンに声をかけた。
「やるしかないか?」
「やるしかないだろうな」
ふたりは顔を見合わせ、うなずきあった。
そして剣を構える。
しかし、そのとき――
「お願い、待って……」
と、高く澄《す》んだ声が響《ひび》いた。
水のなかだというのに、その声はとても鮮明《せんめい》に聞こえた。
そして全裸《ぜんら》の女性《じょせい》がひとり、泳ぎでてきたのである。といっても、腰《こし》から下は鱗《うろこ》で包まれ、足はなくその先はヒレになっていたが……
「人魚《マーメイド》かよ」
リウイはびっくりした。
「ここは海じゃなく湖だぜ」
「王子に、来客のようだな」
パーンが苦笑《くしょう》しながら、剣を収《おさ》めた。
「彼女ばかりじゃない。|男の人魚《マーマン》もいるようだが……」
パーンに指摘《してき》されて、リウイは周囲を見回す。
暗くてはっきりとはしないが、光る瞳《ひとみ》が確《たし》かにぽつぽつと見える。
「お願いです。その像を壊《こわ》さないでください。像を壊すと邪悪《じゃあく》な精霊《せいれい》が解放《かいほう》されてしまいます。精霊は荒《あ》れ狂《くる》い、わたしたちの棲処《すみか》を壊してしまいます」
マーメイドは哀願《あいがん》するように言った。
「な、なんだって?」
リウイは思わず叫んだ。
彼らの棲処が壊されるということもだが、ここで複合《ふくごう》精霊を解放してしまったら、肝心《かんじん》の目的、火竜山の大爆発《だいばくはつ》を止めることができなくなる。
「そこまでは考えなかったぜ……」
リウイは思わず呻《うめ》いた。
「どうやら、剣で解決できる問題ではないみたいだな」
パーンが真摯《しんし》な表情《ひょうじょう》で言った。
無論《むろん》、この本物の勇者が、妖精《ようせい》の頼《たの》みを断《ことわ》るはずがない。
彼らを犠牲《ぎせい》にすることで、火竜山の大爆発を防《ふせ》ぐことができたとしても、それは変わらないだろう。まして魚人族《マーフォーク》たちの棲処は荒らすわ、目的は達成できないわでは、選択《せんたく》の余地《よち》すらない。
「そのようだな……」
リウイも剣を収めると、静かにうなずいた。
「しかし、どうするんだ?」
「どうしたらいいかな?」
ふたりは顔を見合わせ、互《たが》いに問いかけた。
しかし幾多《いくた》の試練をくぐり抜《ぬ》けてきたリウイとパーンにも、思いつく解決|策《さく》はなかったのである――
第7章 魔竜《まりゅう》ふたたび
リウイは水中を呆然《ぼうぜん》と漂《ただよ》いながら、途方《とほう》に暮《く》れていた。
彼の側《そば》では、自由|騎士《きし》パーンが、困惑《こんわく》の表情を浮《う》かべていた。
ふたりの周りを、水棲《すいせい》の妖精族である魚人族《マーフォーク》の集団《しゅうだん》が取り囲んでいる。男は三叉鉾《トライデント》などで武装《ぶそう》してはいるが、襲《おそ》いかかってくる様子はない。
そして部族を代表するように、上半身は人間の女性とほとんど変わらず、下半身は魚という女の半魚人――人魚《マーメイド》――が、リウイたちのすぐ近くにまで進みでてきている。おそらくは|精霊使い《シャーマン》で、部族を率《ひき》いているのか、あるいは雄の族長を補佐《ほさ》しているのだろう。
「参ったな……」
リウイはうめいた。
自由騎士パーンが苦笑《くしょう》まじりにうなずく。
「しかし、何か手段《しゅだん》はあるはずだ」
と、リウイに答えた。
「そうだな」
リウイは全身に力を入れ直すと、湖底にしっかりと足をつけた。
そこは細かな砂《すな》が浅く積もっているだけで、石畳《いしだたみ》の硬《かた》い感触《かんしょく》が伝わってくる。
「お願いです。その像をそっとしておいてください。ここは、わたしたちの部族にとって、最後の聖域《せいいき》なのです。ここを追われれば、もはやどこに逃《に》げればいいのか……」
マーメイドが懇願《こんがん》する。
「オレたちは、魔法像《ゴーレム》が持っている水晶石を必要としている。だから、像をこのままにしておくわけにはゆかないんだ……」
リウイは答える。
「そ、そんな!」
マーメイドは大袈裟《おおげさ》に驚《おどろ》いてみせる。
「お願いです。この遺跡《いせき》の宝物《たからもの》を、あなたがたのために探《さが》してきて差し上げます。お望みなら、わたしを食べていただいてもけっこうです。部族を救うためなら、わたしの命など……」
マーメイドはそう言って、両手で顔を覆《おお》う。
「食べる……だって? 彼女をか?」
リウイが首をひねった。
マーメイドの言葉の意味が、まるで分からなかったのだ。
「昔、この島では、人魚の肉を食べると不老|長寿《ちょうじゅ》になるとの風聞《ふうぶん》が広まったことがあるんだ。無論《むろん》、事実無根なんだが。それで当時、マーメイド狩《が》りが各地で行われたらしい」
そのため、魚人族《マーフォーク》は人里から遠い場所へと逃げていったのだ。
目の前にいるマーフォークも、そのときにこの静寂《せいじゃく》の湖へと逃げてきたのだろう。
「ひどい話ですね」
リウイは肩《かた》をすくめると、泣き崩《くず》れているマーメイドを振《ふ》り返った。
「報酬《ほうしゅう》なんかはいらないし、あんたを食べるなんてこともしない。オレたちは、水晶石に封《ふう》じられた混沌精霊《こんとんせいれい》を、火竜山まで運びたいだけなんだ。ここで精霊を解放するようなことはしない……」
「そうなんですか?」
マーメイドは顔をあげ、潤《うる》んだような瞳《ひとみ》でリウイを見つめた。
「ああ、あんたたちに迷惑《めいわく》をかけるつもりはない……」
リウイは答えた。
「ただ、この像《ぞう》をどうやれば運ぶことができるのか、方法が思いつかなくてな」
火竜《ファイアドラゴン》の姿《すがた》をしたゴーレムは、しっかりと台座《だいざ》に固定されているように見える。
「わたしどもで手伝えることがあれば、お申しつけください。この水晶石の邪悪《じゃあく》な精霊が、ここにいなくなれば、わたしどもも安心できるというものです」
マーメイドは流暢《りゅうちょう》な共通語《コモン》で話すと、仲間たちに種族の言葉で事情《じじょう》を説明する。
緊迫《きんぱく》した様子のマーフォークも、それを聞いて、警戒心《けいかいしん》を緩《ゆる》めたようだった。
「一度、水面に戻って、ディードたちとも相談しよう」
パーンが言って、水面へと向かって泳ぎはじめる。
リウイもうなずいて、パーンに続く。
そして女性《じょせい》たちが待つ小舟《こぶね》へと帰り着いた。
「お帰りなさい」
アイラが帰ってきたリウイを見て、笑顔《えがお》を浮かべた。
「どうだった?」
ミレルが小舟から身を乗りだして訊《たず》ねる。
リウイは激《はげ》しく咳《せ》き込《こ》んで、肺《はい》にたまった水を吐《は》きだした。そして大きく息をして、空気になれる。
「火竜の魔法像《ゴーレム》は見つけたんだが、ちょっと問題があってな」
リウイはそう切りだして、湖底で何があったか、事情を説明していった。
「……危《あぶ》ないところだったわね。マーフォークが警告してくれなかったら、混沌精霊をここで解放していたところだわ」
アイラが胸《むね》に手を当てて、安堵《あんど》の息をつく。
「魔法像は水晶石を封印する鍵《かぎ》でもあるのだわ。だから、魔法像を破壊《はかい》すると、混沌精霊が解放される……」
「そんなところだろうな」
リウイは苦笑《くしょう》まじりにうなずいた。
「安易《あんい》に考えすぎていたんだ。アイラに来てもらって、〈命令判定《センスオーダー》〉の呪文《じゅもん》をかけてもらうべきだった」
「魔法像って小さくはないんでしょう。それに金属《きんぞく》でできているんだから……」
軽いはずがないよね、とミレルがつぶやく。
「ああ、引き上げるだけでも難《むずか》しいな。しかも、無理をしたら、魔法像が目覚めるかもしれないし……」
リウイが腕組《うでぐ》みをして、むう、とうなる。
「火竜《ファイアドラゴン》のゴーレムは火山の爆発《ばくはつ》を鎮《しず》めるために創《つく》られたのでしょ? だったら、その命令を実行させるための方法があるのではないかしら?」
ディードリットが唇《くちびる》に指を押《お》し当てながらつぶやく。
「何かの合言葉で行動するように命令を受けていればいいのですが、シャザーラによれば、そのゴーレムは太守の命令にしか応《おう》じないみたいで……」
アイラが申し訳《わけ》なさそうに、永遠《えいえん》の乙女《おとめ》に答えた。
「〈命令《コマンドゴーレム》〉の呪文を唱えることができたらな」
リウイがため息をつく。
「お互《たが》い、もっと修行《しゅぎょう》をしないとね」
アイラが苦笑まじりにうなずいた。
〈命令解除《ディスペル・オーダー》〉の呪文で魔法像《ゴーレム》にかけられた命令を解《と》いてから、〈命令《コマンドゴーレム》〉の呪文が使えれば、新たな命令に服従《ふくじゅう》させることもできたのだ。
「あたしたちにできることってあるかな?」
ミレルが小首を傾げながらつぶやく。
「戦って倒《たお》すわけにはゆかないのだからな」
ジーニが肩をすくめた。戦士である彼女の出る幕はないのである。
「なんとかして、ゴーレムを台座ごと動かす方法を見つけださないとな……」
リウイはひとりごとのようにつぶやく。
そして小舟のうえにどっかりと腰を下ろし、ふたたび腕組みをする。
像は巨大《きょだい》で青銅《ブロンズ》でできている。その重量は、計り知れないものがある。
マーマンたちが協力してくれるといっても、魔法像を動かすのは容易ではない。まして、火山の頂《いただき》まで運ぶのは不可能《ふかのう》だ。
クリシュもまだ幼竜《ドラゴンパピー》ゆえ、そこまでの力は期待できない。
(くそっ、何かないのかよ!)
リウイは心のなかで吐《は》き捨《す》てる。
「ここはフレイム王国にまかせるしかないんじゃないかしら……」
アイラが遠慮《えんりょ》がちに言った。
彼女は知識魔神《ナレツッジデーモン》であるシャザーラに問いかけ、重い物を運ぶ手段はないか、と訊ねてみたのだが、機材を用意しろとか運ぶ人数を増《ふ》やせばいいといった、当たり前の答しか返ってこなかったのである。
それには王国の力を借りるのが、もっとも簡単《かんたん》なのだ。
「そうよね。火竜山が爆発して、いちばん困るのはフレイム王国なんだし……」
ミレルがつぶやいた。
「確かに、カシュー王なら、事の重大さを理解《りかい》してくれると思う。人員を繰《く》り出して、魔法像《ゴーレム》を火竜山まで輸送《ゆそう》してくれるかもしれない」
パーンがため息まじりに言った。
カシュー王に迷惑《めいわく》をかけるのは本意ではないが、これがフレイム王国にとっての一大事であるのも事実だ。
「そうね、それがいちばんかもしれない……」
ディードリットが静かに相槌《あいづち》を打つ。
「それしかないのか……」
リウイはうめくように言った。
それで目的は果たせるのかもしれないが、敗北感を覚えるのである。できれば、自分たちだけの手で、事件《じけん》を解決したかったのだ。
それが、自由|騎士《きし》パーンや永遠の乙女《おとめ》ディードリットに対する誠意《せいい》だとも思える。このぐらいのことができないようでは、パーンから魔法王《ファーラム》の鍛冶師《かじし》の武具《ぶぐ》を受け取る資格《しかく》はないというものだ。
重苦しい沈黙《ちんもく》が、しばらくのあいだ続いた。
リウイはなおもあがくように考えを模索《もさく》したが、青銅《ブロンズ》の魔法像を動かす方法は、ついに思いつかない。
リウイは大きく息をすると、首を横に振《ふ》った。
「王子の協力には、感謝《かんしゃ》の言葉もない。オレたちはブレードの街に戻り、カシュー王に相談してみようと思う」
パーンがリウイに向かって、深く頭を下げた。
「ありがとう、王子」
ディードリットも微笑《びしょう》を浮《う》かべて、リウイの手を握《にぎ》る。
リウイにとっては、これ以上にない報酬《ほうしゅう》だったが、素直《すなお》に喜ぶ気分ではなかった。
「オレの剣《けん》と鎧《よろい》は、持って帰ってもらっていい。代価《だいか》は要《い》らないが、代《か》わりの武具を一式、用意してもらえると嬉《うれ》しいな」
それを王子との絆《きずな》としたい、とパーンは吹《ふ》っ切れたような笑顔《えがお》で言った。
「その申し出はありがたいが……」
リウイは悔《くや》しそうに拳《こぶし》をかためる。
「オレはまだ、それだけのことをあんたにしていない。このままでは、あんたの好意に甘《あま》えているだけになる」
「オレが持っているだけなら、ただの剣であり鎧だ。だが、王子にとっては、きっと重要な意味があるのだろう」
パーンはリウイにうなずきかける。
「できれば、どういう意味があるのか教えてもらいたかったが、オレのほうこそ、そこまでのことはしていないからな」
黙って持っていってくれと、パーンは言った。
その言葉に、リウイは複雑《ふくざつ》な表情《ひょうじょう》を浮かべる。
リウイは無論《むろん》、この誠実な自由騎士を信用している。
だからこそ、真相を語らないほうがいいのではないかとも思いはじめているのだ。
世界を滅亡《めつぼう》させる魔精霊《ませいれい》が解放されたと知れば、果たして彼がじっとしていられるかどうか心配なのだ。彼には、この島で果たさなければならない使命がある。
リウイ自身も、このままロードスに留《とど》まり、この自由騎士に協力したいという気持ちが起こりはじめているぐらいである。
彼の心を裂くような真似はしたくない。
リウイは無言のまま、唇《くちびる》をじっと噛《か》んでいた。
だが、魔法像《ゴーレム》を動かす手段《しゅだん》を考えつかないからには、どうしようもない。
「待てよ……」
そのとき、ふとリウイの脳裏《のうり》に閃《ひらめ》くものがあった。
「どうかされたか?」
パーンが訊《たず》ねてくる。
「いえ、オレは今、ゴーレムを動かす方法を考えていたわけですが……」
リウイは自由騎士に答えた。
「相手はゴーレムなのですから、自分で動くことができる」
側《そば》に近づいただけでは動かなかったが、攻撃《こうげき》をしかけていれば、おそらく自衛《じえい》のため反撃には出るだろう。そのぐらいの命令は与《あた》えられているはずだ。
リウイはパーンに自分の思いつきを説明する。
「しかし、それでは戦うしかなくなる。そしてゴーレムを壊《こわ》してしまえば、混沌《こんとん》精霊はその場で解放されるのだから……」
「ええ、だから破壊《はかい》はしない。戦いながら、火竜山へとゴーレムを誘導《ゆうどう》するんだ。そこで決着をつければ、混沌精霊が解放されたとしても、問題はなにもない」
パーンの疑問《ぎもん》に、リウイは答えた。
「なるほどな……」
パーンは感嘆《かんたん》の声をもらした。
「王子の発想には、いつも驚《おどろ》かされる」
「でも、そんなことが可能《かのう》なの? ゴーレムは決して容易《ようい》な相手ではないわ。しかも、ここから火竜山までの距離《きょり》を考えると……」
ディードリットが不安そうな表情を見せる。
「向こうが火竜《ファイアドラゴン》の姿《すがた》をしたゴーレムなら、こちらも火竜で迎《むか》え撃《う》てばいいだけです」
リウイはそう言うと、静かに話を聞いている竜司祭《ドラゴンプリースト》の娘《むすめ》を振り返った。
「ティカ、クリシュを迎《むか》えにいってくれないかな?」
リウイは彼女に笑いかける。
「倉庫に閉《と》じこめたままというのも可哀想《かわいそう》だからな」
「はい!」
ティカは嬉しそうにうなずいたあと、はっとしたように無表情を装《よそお》う。
「アイラ、〈瞬間移動《テレポート》〉の呪文《じゅもん》で彼女を……」
「了解《りょうかい》」
アイラは笑顔《えがお》で答えると、静かに古代語の詠唱《えいしょう》を開始する。
そして呪文が完成すると、竜司祭の娘の姿が小舟《こぶね》の上からかき消えた。
〈瞬間移動〉の呪文で、ブレードの街へと戻っていったのだ。
「あの火竜はまだ幼竜《ドラゴンパピー》なんでしょ? やっぱり危険《きけん》だわ……」
ディードリットが表情を曇《くも》らせる。
「危険は承知《しょうち》です。だが、他《ほか》に手段はない。ここで解決を王国に委《ゆだ》ねてしまっては、オレは自由|騎士《きし》から武具《ぶぐ》を受け取るわけにはゆかないんです」
リウイは答えた。
「パーンは、もうあなたに剣《けん》と鎧《よろい》を譲《ゆず》ると決めているんだから……。この人は決心を変えたりしないし、後悔したりもしない」
永遠《えいえん》の乙女《おとめ》の言葉に、自由騎士は無言でうなずいた。
リウイにも無論、それは分かっている。これは彼自身のけじめなのだ。
「オレを信じてください。おふたりは、みんなと一緒《いっしょ》にアイラの〈瞬間移動〉の呪文で、火竜山の頂《いただき》へと向かってください。オレとクリシュで、必ずゴーレムを連れてゆきますから」
リウイは笑顔で、パーンとディードリットのふたりに呼《よ》びかけた。
「分かった……」
パーンは静かにうなずいた。
ディードリットは、リウイにそっと抱《だ》きつき、頬《ほお》に口づけをする。
(たとえ、死んでも本望《ほんもう》というものだぜ)
リウイは心のなかで歓喜《かんき》の叫《さけ》びをあげた。だが、状況《じょうきょう》が状況だけに、表情《ひょうじょう》に出すわけにはゆかない。
あとは、クリシュとティカがやってくるのを待つだけだった。
そして昼を過《す》ぎた頃《ころ》、彼らは到着《とうちゃく》したのである――
「魔法像《ゴーレム》と戦いながら、あの火山まで飛ぶというのですか?」
リウイから計画を聞かされて、ティカが驚くというより、呆《あき》れたというような表情を見せた。
「クリシュ、嫌《いや》がると思う。水のなかに潜《もぐ》るなんて言ったら……」
ティカが笑って、小舟《こぶね》の上をゆっくりと旋回《せんかい》する赤い鱗《うろこ》の竜《りゅう》を見上げる。
「泳げることは泳げるんだろ?」
リウイは訊ねた。
「水に浸《つ》かろうとしたことは、一度もありませんね。雨に濡《ぬ》れるのも、嫌《きら》うぐらいですから」
ティカは真顔で答えた。
「クリシュに乗ったままゴーレムと戦うというのは、あきらめないといけないか……」
リウイはひとりごとのようにつぶやく。
クリシュに乗るには、一度、水面まで出ないといけないようだ。
「水面へ出たら、わたしがクリシュまで翼《つばさ》で運ぶわ」
ティカが言う。
「分かった。水面までは、なんとか自力であがってみる」
リウイはうなずいた。
「オレたちも、この舟で待機していよう。王子が、ゴーレムを誘いだすのを確かめたあと、火竜山に先回りする」
パーンが申し出る。
「分かった。ただ、よほどのことがないかぎり、援護《えんご》は無用だ。もしも、あんたたちのほうを攻撃《こうげき》しはじめたら、大変だから」
ゴーレムが攻撃対象とするのは、あくまで囮役《おとりやく》となるリウイひとりでなければならない。
「承知した……」
パーンはうなずいた。
彼は、この大陸の王子を信じると決めている。
「では、火竜山で再会しよう」
そう言って、パーンはリウイとかたく握手《あくしゅ》を交《か》わす。
「清らかなる水の精霊《せいれい》……」
ディードリットがゆっくりと精霊魔法の呪文《じゅもん》をリウイに向かって唱えはじめる。
呪文がかかるのを待って、リウイは静寂《せいじゃく》の湖へと飛び込《こ》んでいった。
出迎《でむか》えたのは、マーメイドである。
おそらく不安でしかたないのだろう。本音を言えば、ゴーレムに触ることなく、立ち去ってほしいと思っているに違《ちが》いない。
だが、実力でリウイの行動を阻止《そし》することはできないとあきらめているようだ。だからこそ、協力を約束したのだ。
リウイは、マーメイドに自分の計画を話して聞かせた。
「ゴーレムを攻撃して、目を覚めさせる……」
話を聞いて、マーメイドは顔色を変えた。
「もしも、あなたがゴーレムに倒《たお》されたら?」
どうすればいいのか、とマーメイドは問い返してきた。
「そう簡単《かんたん》にやられたりはしないが、もしもそうなったときには、何も手を出さないでくれ。攻撃者を排除《はいじょ》したら、ゴーレムはおとなしく台座《だいざ》にもどるはずだから」
リウイは答えた。
それを聞いて、マーメイドは幾分《いくぶん》、安堵《あんど》した様子だった。
周囲にいる者を無差別に攻撃するようなことでもあれば、彼女の部族はこの地を離《はな》れるしかなくなるのである。
リウイはマーメイドに先導《せんどう》されて、火竜《ファイアドラゴン》のゴーレムのところへと戻った。
手にしているのは、長槍《ロングスピア》。クリシュに乗ったときに戦うために用意してあるものだ。
魔力は帯びていない。
だが、ゴーレムをここで倒すわけではないから、そのまま戦っても別に問題はない。だが、すこしぐらい損傷《ダメージ》を与《あた》えないと、ゴーレムが敵対者《てきたいしゃ》と認《みと》めてくれるかどうか疑問《ぎもん》である。
「万物《ばんぶつ》の根源《こんげん》、万能の力……」
リウイは古代語魔法の呪文を唱えて、〈魔力付与《エンチャント・ウェポン》〉の呪文を長槍にかけた。
「合図をしたら、〈水上歩行《ウォーターウォーキング》〉の呪文をオレにかけてくれないか?」
リウイはマーメイドに向かって言った。
それで、リウイの身体《からだ》には大きな浮力《ふりょく》がかかることになる。泳ぐよりも断然《だんぜん》、そのほうが早く水面に着く。
「わ、分かりました」
マーメイドは緊張《きんちょう》した声で言う。
リウイは槍《やり》を構《かま》え、ゆっくりとゴーレムに近づいてゆく。
「形は火竜《ファイアドラゴン》、材質《ざいしつ》は青銅《ブロンズ》……」
どのくらいの強さなのか、想像《そうぞう》もつかない。
ゴーレムは付与魔術師《エンチャンター》がどのように意図したかによって、その強さや能力に差がでるものなのである。
だが、一対一でまともに戦って、勝てるような相手ではないはずだ。火竜山まで囮役を務《つと》めきるのは、そう簡単ではない。
(それぐらいでなければな)
あの自由|騎士《きし》から魔法王の鍛冶師《かじし》が鍛《きた》えた武具《ぶぐ》を受け取る資格《しかく》はないというものだ、とリウイは自分に気合いを入れた。
「精霊魔法を!」
リウイはマーメイドに呼びかけ、彼女が精霊魔法を詠唱《えいしょう》しはじめるのを待って、ゴーレムに向かって、槍を突《つ》きだした。
甲高《かんだか》い金属音《きんぞくおん》が響《ひび》き、槍の穂先《ほさき》がゴーレムに突き刺《さ》さる。
その瞬間《しゅんかん》、マーメイドがかけた〈水上歩行《ウォーターウォーキング》〉の呪文が完成し、リウイはまるで見えない縄《なわ》で引っ張《ぱ》られるように水面へと高速で浮上してゆく。
「二度と来ないでくださいね」
マーメイドがリウイに手を振《ふ》って叫《さけ》ぶ。
「ああ、そのつもりだ。あんたらも静かに暮らしなよ」
リウイは律儀《りちぎ》に答えたが、その声が届《とど》いたかどうかは分からない。
火竜《ファイアドラゴン》の姿《すがた》をしたゴーレムは、金属を軋《きし》ませながら、ゆっくりと動きだした。
そして翼《つばさ》をはためかせて、水中を飛ぶ。
だが、その速度はゆっくりとしたものだった。そのあいだにリウイは、水面まで達していた。
〈水上歩行〉の呪文がかかっているため、リウイは湖面に浮かぶのではなく、湖面の上に立つことができた。
その姿を見つけて、|竜の翼《ドラゴンウィング》を生やして上空で待機していたティカが舞《ま》い降《お》りてきて、リウイを背後《はいご》から抱《だ》きしめる。
「手間をかけるな」
リウイはティカに声をかけた。
「ミレルとアイラに怒《おこ》られそう」
ティカは珍《めずら》しく冗談《じょうだん》っぽく返した。
人間的な感情《かんじょう》を捨《す》てることが、竜司祭《ドラゴンプリースト》としての修行《しゅぎょう》だと思っているので、彼女はあまり感情をあらわにしないのだ。
「飛ぶね!」
ティカは背中《せなか》に生《は》やした竜の翼をいっぱいに羽ばたかせて、リウイを抱《かか》えたまま空へと浮かびあがる。
「クリシュ!」
リウイも火竜《ファイアドラゴン》の幼竜《ドラゴンパピー》に降下《こうか》するように呼《よ》びかける。
ティカは懸命《けんめい》にリウイの巨体《きょたい》を運んで、クリシュの背中に降ろした。
リウイは鞍《くら》に座《すわ》りなおし、革帯《ベルト》で身体《からだ》を固定する。
その瞬間、湖面に巨大な水柱が立ち、青銅製《ブロンズせい》の火竜が姿《すがた》を現《あらわ》した。
「来たな」
リウイはゴーレムを睨《にら》みつけると、不敵《ふてき》な笑いを見せた。
「さあ、空の散歩と行こうぜ!」
リウイは声をあげると、クリシュを旋回《せんかい》させ、火竜山の方向に首を向ける。
後方から金属の軋《きし》む音と、風音が響く。
(飛空の能力《のうりょく》が付与《ふよ》されていて何よりだぜ)
リウイは心のなかでつぶやく。
もしも、ゴーレムが歩行するしかないのなら、火竜山まで誘導《ゆうどう》するのは、大仕事になるところだった。
「だが、幼竜とはいえ、こちらは本物の火竜だ。青銅の翼で、追いつくことができるかな?」
リウイはほくそ笑《え》んだ。
だが、その瞬間――
リウイは自分の全身が、赤い炎《ほのお》に包まれるのを意識《いしき》した。
髪《かみ》がちりちりと音をたて、肌《はだ》が露出《ろしゅつ》している顔や首筋《くびすじ》に激《はげ》しい痛《いた》みを感じた。
「炎《ブレス》を吐《は》くのかよ!」
リウイは悪態《あくたい》をついた。
「そこまで、火竜の能力を真似《まね》ることはないだろう!」
「大丈夫《だいじょうぶ》?」
クリシュの隣《となり》を並《なら》んで飛んでいるティカが心配そうに声をかけてきた。
「クリシュは無論《むろん》、平気だ。オレもなんとかな……」
リウイは不機嫌《ふきげん》に答えた。
心配なのは髪の毛だ。きっとずいぶん焦《こ》げたことだろう。
「わたしなら、炎を浴びても平気」
ティカが声をかけた。
竜司祭《ドラゴンプリースト》としての能力で、炎を無効化《むこうか》できる魔法があるのだ。
「囮役《おとりやく》、代わろうか?」
「相手の攻撃が、炎だけならな」
リウイは憮然《ぶぜん》として答えた。
そして後方をちらりと振り返る。
青銅《ブロンズ》製の火竜《ファイアドラゴン》は、クリシュとほとんど同じ速度で飛んでいた。
どうやら、このゴーレムは火竜山の主であったシューティングスターの能力の多くを模倣《もほう》しているようだ。
(尻尾《しっぽ》を噛《か》まれた!)
クリシュが苦痛《くつう》に身をよじり、憎悪《ぞうお》を湧《わ》きあがらせる。
「もっと速く飛べないのか?」
リウイは訊ねた。
(おまえが重い)
クリシュから冷たい返事がかえってくる。
「分かった……」
リウイはうなずくと、おもむろに古代語魔法の呪文を唱えはじめた。
〈飛行《フライト》〉の呪文をかけたのだ。竜よりも速く飛ぶことができる。
火竜山まで四半日とかからず到着《とうちゃく》するはずだ。
「三人で交互《こうご》に牽制《けんせい》をかけて、ゴーレムを挑発《ちょうはつ》しつづける」
リウイはティカに呼びかけた。
「わかったわ」
ティカはうなずく。
彼女が空を飛ぶ速さは、クリシュとほとんど変わらない。
「久し振《ぶ》りに暴《あば》れさせてもらう」
彼女は言うなり、両手に鋭《するど》い爪《つめ》を生やし、肌には金属光沢《きんぞくこうたく》を放つ薄緑《うすみどり》の鱗《うろこ》を浮《う》かびあがらせる。
竜司祭《ドラゴンプリースト》としての能力《タレント》を使ったのだ。
リウイに対しては従順《じゅうじゅん》な彼女だが、それは彼を主人と定めているからである。
竜司祭である彼女の本質《ほんしつ》は自由であり、ある意味、残酷《ざんこく》でさえある。食料は自ら狩《か》って取り、それを生のまま食べる。
街中では、彼女は人間として普通《ふつう》に暮《く》らすが、クリシュと一緒《いっしょ》に野外にいるときは、まさに竜《りゅう》と変わらない生き方を実践《じっせん》しているのだ。
ティカは目を輝《かがや》かせ、舌《した》なめずりをすると、果敢《かかん》にゴーレムに襲《おそ》いかかった。
首を伸《の》ばし、青銅《ブロンズ》の牙《きば》で噛《か》みくだこうとするゴーレムの攻撃をかいくぐり、首筋を鋭《するど》い爪でなぎ払《はら》う。
そしてゴーレムが前脚《まえあし》の爪で、彼女の細い胴《どう》を掴《つか》もうとするのを、翼をたたみ、自然落下を利用して下方へと逃《のが》れる。
リウイはそれを見て、苦笑をもらした。
出会った頃より、彼女の竜司祭としての実力は上がっているようだ。
「やりすぎて、そいつを壊さないでくれよ」
リウイはふたたび苦笑をもらした。
尻尾を噛まれたこともあり、クリシュも怒《いか》りに燃《も》えており、リウイに攻撃を許可《きょか》するよう求めてきている。
(まだだ)
リウイはクリシュを落ち着かせる。
(戦いの場は、ここじゃない)
(では、どこだ?)
クリシュが問いかけてくる。
(おまえにとって、もっとも快適《かいてき》な場所だよ)
リウイは答えた。
「ゴーレムは、オレたちが敵であることを十分に認識《にんしき》したはずだ」
リウイはティカとクリシュに呼《よ》びかけた。
「このまま火竜山まで一気に飛ぶぞ」
リウイは〈飛行《フライト》〉の呪文の持続時間を拡大《かくだい》してかけているので、途中《とちゅう》で失速し、落下することはない。
「万物《ばんぶつ》の根源《こんげん》、万能の力……」
リウイは〈|光の矢《エナジーボルト》〉の呪文を唱え、ゴーレムを撃《う》った。
ゴーレムとクリシュ、ティカの飛行速度は変わらないようなので、それより速く飛べる自分が囮《おとり》になるのが、やはり最適なのだ。
リウイが期待したとおり、ゴーレムはリウイに向かって方向を変える。
リウイは炎の息を受けないぐらいの距離までゴーレムを引きつけてから、速度をあげて、火竜山に向かって、見えざる翼をはためかせた。
その頂《いただき》、かつて火竜シューティングスターの棲処《レアー》があった場所に、ジーニやメリッサ、ミレル、アイラが、そして自由騎士パーンと永遠の乙女《おとめ》ディードリットが待っている。
そこが、このゴーレムとの決戦の場所なのだ――
「姿《すがた》が見えたわ……」
アイラが、不安と興奮《こうふん》が入り交《ま》じった声をあげた。
彼女は魔法《まほう》の眼鏡《めがね》に付与《ふよ》された遠見《とおみ》の魔力を発動させ、南方の空をじっと見つめつづけていたのだ。
彼女の側《そば》には、ジーニ、メリッサ、ミレルの三人と、自由|騎士《きし》パーンとディードリットがいる。
「火口に戻《もど》ろう」
パーンが静かに、だが、心の奥底《おくそこ》にまで届《とど》くような力強さのこもった声で、女性《じょせい》たちに呼《よ》びかけた。
「承知《しょうち》いたしましたわ」
メリッサがうっとりとした顔で手を組む。
この自由騎士は、彼女の理想を体現したような勇者だ。
だからといって、リウイが勇者であることを疑ってるわけではない。彼女の理想とはかけ離《はな》れたところに、リウイの勇者としての資質《ししつ》があることは分かっている。
それが理解できないのは、彼女のほうの修行《しゅぎょう》が足りないからだ。それゆえ、リウイと共にいることが、彼女にとっての信仰《しんこう》の証《あかし》ともなる。
「ここなら、思う存分《ぞんぶん》、戦えるのだな?」
ジーニが、パーンに訊《たず》ねた。
「ああ、そのはずだ」
パーンがうなずく。
「あたしの出番はなさそうだけど」
ミレルが残念そうにため息をつく。
金属製《きんぞくせい》の魔物が相手では、彼女が得意とする小剣《ショートソード》や短剣《ダガー》などでは、おそらく傷《きず》ひとつつけられないだろう。
「人間相手なら急所を一突《ひとつ》きって戦い方できるんだけど……」
「わたしも、応援《おうえん》だけかな。ゴーレムは魔法に強い耐性《たいせい》があるし、奥の手も使えないし……」
アイラが苦笑《くしょう》まじりに相槌《あいづち》を打つ。
「いえ、皆《みな》さんには、すでに十分な力添《ちからぞ》えをいただいているから」
ディードリットが優雅《ゆうが》にお辞儀《じぎ》をした。
リウイが世界でもっとも美しいと喩《たと》えたことに、ジーニたち四人も異論《いろん》はない。
高貴《こうき》な森の妖精《ようせい》であり、文字どおり人間離《にんげんばな》れした美しさだから、嫉妬《しっと》を感じるようなこともない。しかも、彼女にも人間の女性に対する劣等感《れっとうかん》があることが分かり、親しみも感じている。
パーンと彼女のふたりは本当にお似合《にあ》いだと思うし、このまま永遠《えいえん》に愛しあうのだろうと、素直《すなお》に信じられる。
自由騎士と五人の女性たちは、山頂《さんちょう》近くの洞窟《どうくつ》から奥へと入り、そのまま火口の側《そば》まで向かった。
火山特有の臭《にお》いが鼻をつく。
そして彼らが噴火口《ふんかこう》のすぐ近くまでたどり着いたちょうどそのとき、噴煙《ふんえん》を切り裂《さ》くように、リウイとティカ、そしてクリシュが舞《ま》い降《お》りてきた。
リウイとティカは、仲間たちのところへ降り立ち、クリシュは噴火口のすぐ間近にある大岩の上に止まった。
溶岩《ようがん》こそ見えないが、火口近くの岩や熱気は相当なものだろう。もっとも、火竜《ファイアドラゴン》であるクリシュにとって、熱や炎《ほのお》は快適《かいてき》な寝具《しんぐ》なのかもしれない。
「すぐに来るぞ!」
リウイが呼びかけ、自分たちが飛び込んできた火口を振り返った。
そしてその言葉どおり、ぎいぎいと金属の翼《つばさ》を軋《きし》ませながら、青銅製《ブロンズせい》の竜が白煙《はくえん》の向こうから姿を現した。
その右前足には、しっかりと水晶石《すいしょうせき》が握《にぎ》られている。その水晶石のなかには、赤と黄色の光が、ゆらゆらと燃《も》えている。
それこそが、炎と大地の複合精霊《ふくごうせいれい》ラーヴァなのだろう。
たった一体の精霊で、火山の噴火を誘発《ゆうはつ》できるのだから、その混沌《こんとん》たる精霊力は想像《そうぞう》を絶するものがある。
「奴《やつ》は炎を吐《は》くから、みんな散ってくれ」
リウイは警告の声をあげた。
それを聞いて、メリッサが炎耐性《えんたいせい》の奇跡《きせき》を願い、ディードリットも腰《こし》の水袋《みずぶくろ》に封《ふう》じていた水の精霊を解放《かいほう》して、水の壁《かべ》を全員の前方にたてる。
「わたしが囮《おとり》になる。竜の能力で、炎は利《き》かないから」
ティカが叫《さけ》んで、背中《せなか》に生《は》やしたままの翼《つばさ》を羽ばたかせて、もう一度、上空へと舞《ま》いあがった。
そして石弓《クロスボウ》を構《かま》え、青銅製の火竜《ファイアドラゴン》に向かって、一発を発射《はっしゃ》する。
その短矢《ボルト》には、魔力が付与《ふよ》されていないので、甲高《かんだか》い音を発しただけで、弾《はじ》きかえされる。だが、ティカの目的は相手にダメージを与《あた》えることではなく、敵意《てきい》を向けさせることだから、それで十分なのだ。
ティカはゴーレムをあざ笑うかのように、人差し指を突きつけたあと、くいくいと曲げ伸《の》ばししてみせる。
それで怒《おこ》ったわけないだろうが、青銅のゴーレムはティカの行動を敵対|行為《こうい》と見なしたようだ。
大きく息を吸《す》い込《こ》み、胸を反らすような動作のあと、火竜の姿のゴーレムは口をかっと開き、ティカに向かって炎を吐きかけた。
その余波がリウイたちにも襲《おそ》いかかるが、直撃《ちょくげき》ではないし、メリッサとディードリットの呪文《じゅもん》に護《まも》られていたので、普通《ふつう》に耐えることができた。
ティカは蝙蝠《こうもり》にも似《に》た翼をはためかせて、洞窟を逆戻りしてゆく。ゴーレムは彼女を追いかけて、リウイたちの頭上を越《こ》えていった。
火口の近くは開けてはいるが、すぐに洞窟は細くなる。
ティカはその奥へとまっすぐ逃げ込んで、ゴーレムが翼を広げられない場所まで引き連れる。
翼が岩に当たり、ゴーレムは地面へと降《お》り立った。
「今です!」
ティカがリウイたちに声をかけた。
だが、そのときには、もう彼らは全員、動いていた。
先頭に立っているのは、パーンとジーニである。ディードリットとメリッサとアイラが魔法の援護のために続く。
クリシュも火口間近の岩で翼を休めている。珍《めずら》しく穏《おだ》やかな気分でいるのは、この場所がやはり火竜にとっては、最高の棲処《すみか》だからだろう。
そしてリウイはミレルに手伝ってもらい、普段、着ている革鎧《レザーアーマー》を外していた。
「ありがとうな」
鎧が全部、外れると、リウイはミレルの黒髪にぽんと手を置く。
「なんか、こういうの嬉《うれ》しい」
ミレルが照れ笑いを浮かべた。
「さて、と……」
リウイはつぶやくと、精神を集中させる。
そして――
「魔法王の鍛冶師《かじし》が鍛《きた》えし、“|生ける鎧《リビングアーマー》”センチネルよ。汝《なんじ》が主《あるじ》の名において命ず。契約《けいやく》に従《したが》い、我《わ》が鎧となり、剣《けん》となれ!」
と、高らかに上位古代語《ハイ・エンシェント》を唱えた。
次の瞬間――
「我、契約に従いて、汝が鎧となり、剣となる……」
どこからともなく、そんな声が聞こえたかと思うと、リウイの目の前に突然《とつぜん》、大剣《グレートソード》を手にした完全鎧が姿を現《あらわ》した。
“堕《お》ちた都市”の廃墟《はいきょ》にあった魔法王の鍛冶師の宝物庫《ほうもつこ》に納《おさ》められた最大の宝物であり、またその守衛《ガーディアン》であったリビングアーマーである。
リビングアーマーは青白い輝《かがや》きを放つと、部分鎧に分かれた。そして次々とリウイの身体《からだ》に装着《そうちゃく》されてゆく。
最後に宙《ちゅう》に浮《う》かんだままの大剣を掴《つか》み、リウイは完全鎧に身を包まれた戦士の姿になっていた。
兜《かぶと》の面頬《めんぼう》をあげ、リウイは青銅の火竜を睨《にら》みつける。
そのときには、パーンたちはすでに激《はげ》しい戦闘《せんとう》を繰《く》り広げている。
「遅《おく》れは取り戻すぜ!」
リウイは気合いを入れた。
「頑張《がんば》ってね!」
ミレルが腕《うで》を振りあげて、声をかける。
「まかせてくれ」
リウイは大剣を両手で持ち直すと、全速で走った。
そして、パーンの隣《となり》に並《なら》ぶ。
「早い着替えだな」
激しく戦いながらも、パーンが白い歯をこぼす。
「こいつも魔法王の鍛冶師ヴァンが鍛えた鎧《よろい》であり、剣《けん》なんだ」
リウイはパーンに説明した。
「五百年以上も未来に、自分が鍛えた武具を着た戦士がふたり並んで戦うとは想像《そうぞう》もしなかっただろうな」
パーンがつぶやく。
「オレがこの武具を手に入れたのは、風と炎《ほのお》の砂漠《さばく》にある風の塔《とう》という名の遺跡《いせき》だ。その塔の宝物庫にこの武具は隠されていた」
「風の塔? もしかして風の精霊王ジンが、封《ふう》じられていたとか?」
リウイは大剣を振《ふ》るいながら訊《たず》ねた。
実戦で使うのは初めてだが、剣も鎧も、まるで彼のためにあつらえられたかと思うほどに、しっくりと身体《からだ》になじむ。
「そのとおりだ。よく分かったな……」
「精霊王を滅《めっ》するための長剣サプレッサーと楯《たて》、鎧一式……」
リウイは上位古代語《ハイ・エンシェント》でつぶやいた。
ヴァンが鍛えた魔法の武具の一覧《いちらん》を刻《きざ》んだ石板《せきばん》を、リウイたちはヴァンの宝物庫で発見している。その一覧に記《しる》された名前を、当然、リウイは諳《そら》んじていた。
おそらく、この自由騎士が振《ふ》るっている剣と鎧はそれだ。
(魔法王《ファーラム》の剣じゃないようだな……)
しかし精霊王を倒すための剣であり、鎧であることを思うと、重要な手がかりであるかもしれない。最初から目的の剣が見つかるとも思っていなかったので、リウイは落胆《らくたん》はしなかった。
彼にとって、そして仲間たちも、冒険《ぼうけん》そのものに魅力《みりょく》を感じているのだ。試練を達成することだけが、目的ではない。
(移動《いどう》した距離《きょり》もそうだが、この旅はオレたちにとって、間違《まちが》いなく最高の冒険だった)
その旅も最後の時が近づきつつある。
ブロンズゴーレムは、間違いなく強敵《きょうてき》だった。だが、自由騎士パーンの隣に並んで戦っていると、まったく負ける気がしない。
彼の剣には信念がある。だから、いつも全力を出せるのだろう。
ぎりぎりの戦いになると、そんなわずかな差が明暗を分ける。彼の武勲《ぶくん》はその積み重ねとも言える。
(それが、この自由騎士パーンの剣だ)
一度、剣を交えてみて、リウイはそう肌で感じた。
(そしてオレの剣は……)
リウイは、ゴーレムの隙《すき》を見て、大上段に剣を振りかぶった。
それを見て、パーンとジーニが心得たようにうなずき、今まで以上に猛然《もうぜん》と攻撃《こうげき》を始める。
火竜《ファイアドラゴン》のゴーレムは、青銅《ブロンズ》の爪《つめ》と牙《きば》、そして尻尾《しっぽ》を操《あやつ》って、ふたりに襲《おそ》いかかる。
だが、ふたりは剣と楯とで巧《たく》みにそれを防《ふせ》ぎながら、ゴーレムに斬《き》りつける。
ゴーレムの敵意《てきい》は今や、完全にふたりだけに向けられていた。
リウイはしばらくのあいだ、それこそ彫像《ちょうぞう》にでもなったように動かなかった。
そして十分に精神を集中させてから、竜のごとき咆哮《ほうこう》をあげて、ブロンズゴーレムに斬《き》りかかってゆく。
大剣《グレートソード》を渾身《こんしん》の力を込めて、振り下ろす。
次の瞬間、激しい金属音が轟《とどろ》き、魔力《まりょく》がぶつかりあって生じる青白い閃光《せんこう》が弾《はじ》けた。
リウイの大剣は狙《ねら》いを違《たが》うことなく、ブロンズの火竜の首を切断《せつだん》していた。
「お見事!」
パーンが賞賛《しょうさん》の声をあげ、同時にリウイと剣を交えたときに見せたあの電撃のような突きを竜の胸《むね》に見舞《みま》った。
まるでパーンの全身が瞬間移動《しゅんかんいどう》したかのように動き、ヴァンが鍛《きた》えた魔法の剣《けん》サプレッサーが、ほとんど柄《つか》のところまで埋《う》まる。
「リウイ!」
そして最後に、水晶石《すいしょうせき》を持った右腕《みぎうで》を、ジーニが切り落とした。
ジーニはその腕を拾い上げると、リウイに投げてよこした。
一瞬、見ただけで、水晶石にはすでにヒビが入りはじめているのが分かる。
このブロンズゴーレムこそが、この水晶石を封《ふう》じる鍵《かぎ》なのだ。
「急がないと!」
リウイは竜の腕を拾い上げると、全力で火口へと走った。
そのあいだにも、水晶石に入るヒビは、長く深くなってゆく。
その内部で、赤色と黄色の炎が激《はげ》しく揺《ゆ》らめいた。
「間に合ってくれよ」
だが、リウイの勝手な想像ではとても間に合うとは思えなかった。
リウイは覚悟《かくご》を決め、ありったけの力を込めて、ブロンズゴーレムの右腕を放《ほう》りなげた。
子供《こども》一人分はあろうかというほどの重量だったが、それは見事な放物線を描《えが》いて、火口へと飲み込まれていた。
リウイはそのまま足を止めず、火口を見下ろす崖《がけ》の上に立つ。自分の行為《こうい》の結果を確《たし》かめるためだ。
落下の途中《とちゅう》で、水晶石はこなごなに砕《くだ》けていたのだろう。ブロンズ製の竜の腕の側に、水晶石の欠片《かけら》は微塵《みじん》も見えなかった。
そして、まさに蠢《うごめ》く溶岩《ようがん》といった姿の混沌《こんとん》精霊ラーヴァが、自らの使命を知ってか、それとも自らが存在《そんざい》するにもっとも快適《かいてき》な場所を求めてか、まるで粘液状魔法生物《スライム》のような動きを見せ、ゆっくりと火口の中心、白煙が立ち上る場所へと移動《いどう》していった。
パーンとディードリットが、そしてリウイの旅の仲間たちも集まってきて、その様子を見守る。
「成功したのかしら?」
アイラが不安そうにつぶやく。
「オレは手応《てごた》えを感じてるぜ」
リウイが答えた。
「それじゃあ、きっと大丈夫《だいじょうぶ》だよ。根拠《こんきょ》はないけど、リウイのそういう自信ってたいてい当たるもの」
ミレルが笑顔《えがお》になる。
「でも、成功したってことは、噴火《ふんか》が起きるってことよね……」
恐《おそ》る恐るといった感じで、永遠《えいえん》の乙女ディードリットが声に出す。
「そうだったな」
自由騎士パーンが苦笑《くしょう》をもらす。
複合《ふくごう》精霊ラーヴァは小|規模《きぼ》な噴火を誘発《ゆうはつ》することで、火山の大爆発《だいばくはつ》を防《ふせ》ぐのである。
「逃げないといけないのですね」
メリッサが平静を装《よそお》いながら、ぽつりと言った。
「アイラ! 〈瞬間移動《テレポート》〉の呪文《じゅもん》で、みんなを運んでくれ。場所は、そうだな。麓《ふもと》にある開拓村《かいたくむら》がいい。オレはクリシュに乗って、ティカは〈竜の翼〉の魔法で帰るから」
「わかった……」
アイラが青ざめた表情でうなずく。
「みんな集まって……」
そう呼びかけ、上位古代語《ハイ・エンシェント》の詠唱を始める。
リウイはティカにうなずきかけたあと、クリシュを呼んだ。
クリシュにはまだ鞍《くら》がついたままなので、乗るのは難《むずか》しくない。
クリシュは不承不承《ふしょうぶしょう》、主人であるリウイの命令に従《したが》い、彼の側に移動し、膝《ひざ》を折《お》って座《すわ》る。
リウイはリビングアーマーにも命じて、元の姿へと戻し、そして定められた場所へと帰るよう命じた。
リビングアーマーには限定《げんてい》された〈瞬間移動〉の魔力《まりょく》が付与されているのである。
保管《ほかん》場所と主《あるじ》のもとを行き来するだけだが、使い勝手を考えると、これほど便利な魔法の鎧はない。しかも保管場所の守衛《ガード》の役割さえ果たしてくれる。
ヴァンが比較《ひかく》的早い時期に鍛《きた》えた魔法の武具だが、最後まで手元に残しておいたのも納得《なっとく》がゆく。
リウイは、革鎧はそのまま残すことにし、鎧下の衣服にマントだけを着けて、クリシュにまたがった。
そのとき、アイラの〈瞬間移動〉の呪文が発動し、リウイは仲間たちが消えた空間に向かい、ゆっくりと手を振った。
「さあ、行くぞ!」
リウイはクリシュとティカに命じる。
そのとき、足もとの大地が揺《ゆ》れはじめ、どこからともなく山鳴りの音も聞こえてきた。
もはや一刻《いっこく》の猶予《ゆうよ》もならない。
リウイはクリシュを空に舞い上がらせ、火口から一気に外へと出た。
ティカも背中《せなか》に生《は》やした竜《りゅう》の翼《つばさ》を精一杯《せいいっぱい》、羽ばたかせて続いてゆく。
そしてふたりと一頭は、北の空を目指して全力で飛翔《ひしょう》した。
轟音《ごうおん》とともに、火竜山が爆発を起こしたのは、そのしばらく後であった――
リウイが火竜山の麓カラルの村にたどり着いたのは、それからしばらくの後である。
アイラの〈瞬間移動〉の呪文は無事に成功しており、自由|騎士《きし》パーンと永遠《えいえん》の乙女《おとめ》ディードリット、ジーニたち旅の仲間が迎《むか》えてくれた。
村人たちにも、火山爆発の理由が伝わっているらしく動揺《どうよう》はなかった。
火山岩が斜面《しゃめん》に飛び散り、噴煙《ふんえん》が空高く舞《ま》い上がっている様子は、恐《おそ》ろしくはあったが、山頂《さんちょう》は形を保《たも》っており、流れでる溶岩も麓まで到達《とうたつ》する気配《けはい》はなかった。
「これで、小爆発なのだから、な……」
リウイは噴火する火竜山を振《ふ》り返りながら呆然《ぼうぜん》とつぶやいた。
もしも、何の手だても講じなかったなら、きっと山頂が吹き飛ぶような大爆発となり、灼熱《しゃくねつ》の火砕流《かさいりゅう》や溶岩が、麓まで到達していたことだろう。
上空に撒《ま》き散らされた噴煙《ふんえん》で空が曇《くも》り、農作物にも大被害《だいひがい》が出ていたかもしれない。
初めて間近で見る噴火の様子を見ていると完全に納得《なっとく》はゆかないが、とにかくこの呪《のろ》われた島の危機は回避《かいひ》できたのだろう。
「村人たちの依頼《いらい》は、果たせたのかな」
リウイは自由騎士パーンと向き合った。
「ああ、そういうことだ。これで、オレたちもカノンへ戻《もど》ることができるよ」
パーンは爽《さわ》やかな笑顔《えがお》を浮《う》かべて言った。
「リウイ王子、本当にありがとうございました……」
ディードリットが微笑《ほほえ》んで、リウイの両手を握《にぎ》りしめる。
「これでお別れかと思うと、すこし残念だけど、王子には果たさなければならない試練があるものね……」
ディードリットはそういうと、木の実を繋《つな》いだ首飾《くびかざ》りを外し、リウイに手渡《てわた》した。
「これは千年に一度なるという黄金樹《おうごんじゅ》の実を編《あ》んで作ったものよ。先日、帰らずの森に立ち寄ったとき、母様から貰ったのだけど、思い出の品としてあなたに持っていてほしい。この実にはとても強い生命力が詰《つ》まっているから、毒でも病気でも、すぐに治《なお》るわ。怪我《けが》の回復《かいふく》も早くなるはず。きっと役に立つはずよ」
「感激《かんげき》です」
リウイは今にも泣きそうな表情《ひょうじょう》になりながら、首飾りを受け取った。そして、その場で首につける。
ディードリットの温《ぬく》もりが、首から胸へとかすかに伝わった。
「オレから渡さなければならないのは、この武具だな」
パーンが静かに言った。
そして自由騎士は鞘《さや》に収《おさ》めたまま、剣《けん》を帯から外し、リウイに差し出す。
「王子の思いの強さは、確《たし》かに伝わった。王子ならきっと役に立ててくれるだろう。オレが持っていても、ただの剣であり鎧《よろい》だ。隠された魔力を探《さが》すつもりもないしな」
パーンはそう言いながらも、その表情には珍《めずら》しく一片《いっぺん》の翳《かげ》りが窺《うかが》えた。
「ただの剣であり、鎧というのは嘘《うそ》じゃないのか。そうでなければ、最初にオレが申し出たとき譲《ゆず》ってくれたはずだ。パーン卿《きょう》とともに行動していて、それはよく分かった……」
「そうなの、パーン?」
ディードリットが愛する騎士を見つめ、静かに問いかける。だとしたら、その理由を教えてと、彼女の目が語っていた。
「……まあ、そうだな」
パーンはしばらくためらったあと、照《て》れたように言った。
「この剣と鎧を見つけたあの風の塔《とう》で、ディードは命の危険《きけん》を冒《おか》して、風の王の試練を受けてくれた。あのとき、オレは無力で、君を助けることができなかった。だから、オレはこの剣と鎧に誓《ちか》ったんだ。命を懸《か》けて、君を守ることを、ね」
「パーン……」
ディードリットは両手で口を塞《ふさ》ぎ、しばらくの間、言葉さえ失っていた。
そして言葉が要《い》らないことを悟《さと》ったように、静かに自由騎士の胸に頭を預《あず》けていった。
(なるほどな……)
リウイも素直《すなお》に感動していた。
この自由騎士にとって、ヴァンが鍛《きた》えた武具一式は、最愛の女性《じょせい》との絆《きずな》なのだ。
(確かに簡単《かんたん》に渡せるものじゃないな)
リウイは深く納得《なっとく》した。
「そういうことなら、オレは受け取るわけにはゆかないな……」
リウイはパーンに笑いかけた。
「オレたちが必要としているのは、魔法王の鍛冶師《かじし》ヴァンが鍛えた武具、なかでも剣なんだ。そして本当に必要としている剣は、実はただひとつ、“魔法王《ファーラム》の剣”という銘《めい》の聖剣《せいけん》。パーン卿《きょう》が持っておられるのは、おそらく“サプレッサー”という名の別の宝剣《ほうけん》。無論《むろん》、強い魔力を秘《ひ》めてはいるが、オレたちが真に必要としているものではない。だから、あえて持ち帰らなくてもいい。それに、もしも、その剣を必要とすることがあれば、剣だけではなく、パーン卿もともに大陸に来てもらうさ」
「ファーラムの剣……か」
パーンは聖剣の名をかみしめるようにつぶやいた。
「王子が、その剣を求めていることは分かった。しかし、その剣をいったい何のために使われる? 残念ながら、剣というものは斬る相手がいてこそ、役に立つもの。その聖剣で、王子は何を斬ろうとしている?」
パーンは静かに問いかけてきた。
リウイの言葉から、本質《ほんしつ》を見抜《みぬ》けばこその問いかけだった。
(やはりこの騎士に嘘はつけないな……)
リウイは覚悟《かくご》を決めた。
それに、この男ならば、これから話す内容《ないよう》を受け止めることができるだろう。
「オレが……いや、オレたちが斬ろうとしているものは、アトンという名の魔物なんだ……」
リウイは静かに一部始終を語りはじめた。
古代王国の王都、精霊《せいれい》都市フリーオンのこと、魔精霊アトン誕生《たんじょう》のこと。
アトンがすべての精霊力を食い尽《つ》くし、世界を砂漠化《さばくか》させて滅《ほろ》ぼすことも伝えた。
それから、古代王国の魔術師たちがアトンを滅ぼすために、一振《ひとふ》りの聖剣を鍛えたこと。
それが、古代王国最後の魔法王ファーラムの肉体を素材とした剣である。剣を鍛えたのは“魔法王の鍛冶師”と称《しょう》せられた付与魔術師《エンチャンター》ヴァン。パーンが風の塔という場所で見つけた武具の鍛え手でもあり、リウイが主《あるじ》となったリビングアーマーの鍛え手でもある。
リウイはアトンが復活《ふっかつ》した経緯《いきさつ》も話した。伝説的な冒険者《ぼうけんしゃ》が、フリーオンの廃墟《はいきょ》でアトンを発見し、復活しうるだけの精霊力を与《あた》えてしまったこと。
「……オレたちは、ある国の王から依頼《いらい》を受けて、ファーラムの剣を捜《さが》している。オーファン王である父は協力を約束していて、聖剣|探索《たんさく》の使命をオレたちに与《あた》えた」
リウイはすべてを語り終えて、パーンたちの反応を見つめた。
「世界を滅亡《めつぼう》に導《みちび》く魔精霊アトンか……」
パーンがぽつりとつぶやく。
「なるほど、王子たちが挑《いど》むに相応《ふさわ》しい試練だな……」
パーンはそしてディードリットを振り返る。
「パーン……」
ディードリットは不安そうにパーンに寄《よ》り添《そ》い、愛する自由騎士を見つめる。
「大丈夫《だいじょうぶ》だ。彼らと一緒《いっしょ》に大陸に渡《わた》るようなことはしない。オレには……オレたちには、この島でやらなければならないことがある。世界を救うのは、王子たちにまかせるさ」
パーンは静かに答えた。
「リウイ王子、オレたちはあと数年で、この島の戦乱《せんらん》を終わらせる。そのとき、もしもオレの力が必要なら声をかけてほしい。そのときのために、オレはこの剣を……そして防具《ぼうぐ》を身に着けていよう」
パーンはそう言うと、もう吹っ切れたかのように穏《おだ》やかな笑顔を浮かべた。
そしてリウイと固く握手《あくしゅ》をかわす。
「この剣は、これで王子との絆にもなったわけね」
ディードリットが喉《のど》の奥《おく》で笑う。
「世界を救うという使命を軽《かろ》んじているわけではないんだが、オレはこの冒険を楽しもうと思っている。オレがどれだけ強くなれるのか。相手にとって、不足はないから……」
リウイはふたりにそう答えて、自信の笑みを浮かべた。
「そしてオレの剣を、きっと見つけてみせる。次に会ったときには、もう一度、剣を合わせてもらうぜ」
リウイはパーンに深く礼をした。
「ああ、楽しみにしている」
その言葉に、後にロードスの騎士と呼ばれることになる男は、力強くうなずいた。
すでに太陽は沈《しず》み、あたりは薄暗《うすぐら》くなりつつある。
南の方向には、噴火《ふんか》の続く火竜山の姿が影絵《かげえ》のように浮《う》かんでいた――
呪縛《じゅばく》の島を巡《めぐ》る魔法戦士の物語はこれで終わる。
だが、呪縛の島を舞台《ぶたい》にする戦乱《せんらん》の歴史は、この先も続いてゆくことになる。
自由騎士パーンと永遠《えいえん》の乙女《おとめ》ディードリットは、その戦乱のなかで重要な役割《やくわり》を果たしてゆくわけだが、それはまた別の武勲詩《ぶくんし》で語られよう。
そして、大陸へと帰還《きかん》したリウイたち一行にも、また次なる試練が待ち受けていることは言うまでもない。
あとがき
『呪縛《じゅばく》の島の魔法戦士』いかがでしたでしょうか?
今回は舞台がアレクラスト大陸から海を越えて“呪《のろ》われた島”に行くという文字通りの離《はな》れ業《わざ》で、スニーカー文庫のほうで展開している『ロードス島戦記』とのコラボレーション企画ともいえます。
リウイたちにとっては本編ですが、パーンとディードリットのふたりには外伝といえるかもしれません。しかしロードスではあまり触《ふ》れていない、彼と彼女の関係をクローズアップすることができたので、僕的には満足しています。恋愛は何と言っても、人類にとって普遍《ふへん》のテーマですからね。
“魔法王の鍛冶師《かじし》”ことヴァンが鍛えた剣と鎧を、自由騎士パーンが持っているのは、本書のために創《つく》った設定ではありません。ロードス島戦記本編にもちゃんと書いてある(はずです)。
遠い将来、“魔法王《ファーラム》の剣”を巡《めぐ》る冒険への布石《ふせき》になればいいな、と思ってそう設定しておいたのですが、十五年余の時を経《へ》て、ようやく活《い》きてきました。しかし、まさかリウイがそこにからんでくるとは思ってもいませんでしたが……
もともと『魔法戦士リウイ』は、さほど長いシリーズにするつもりはなく、スケールの大きな『ソードワールド』小説を書いてみたいと思い、一発ネタっぽくはじめたものです。それが様々に紆余曲折《うよきょくせつ》し、現在のような大長編になってしまいました。
世の中、何が起こるかわかりません。
僕は異世界の歴史をつづる作家ではありますが、緻密《ちみつ》に設定するところといい加減《かげん》に放置しておくところをわけています。すべてを緻密に決めてしまうと、世界が硬直《こうちょく》してしまって、新しい作品をかけなくなります。でも、すべてをご都合で処理《しょり》してしまうと、世界観が崩壊してしまう。
双方《そうほう》のバランスを取るのが、こういう大長編シリーズの難《むずか》しいところ。今のところは想定していた展開と想定外の展開とがうまくかみあっていると思っていますが、いつかバランスが崩れてしまうんじゃないか、と作者は不安でいっぱいです。
これからも、綱渡《つなわた》りのような創作活動を続けてゆくことになるのでしょうが、とにかく読者の皆様に楽しんでもらえる作品を提供《ていきょう》できるよう頑張ります。
それでは、次巻『牧歌の国の魔法戦士』でぜひお会いしましょう。
初出 月刊ドラゴンマガジン 2004年2月号〜10月号
富士見ファンタジア文庫
魔法戦士リウイ ファーラムの剣
呪縛《じゅばく》の島《しま》の魔法戦士《まほうせんし》
平成17年3月25日 初版発行