剣の国の魔法戦士
水野 良
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|鍵開け《アン・ロック》の呪文
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
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[#ここから目次]
目次
プロローグ
第T章 魔女の弟子《でし》
第U章 国境|不穏《ふ おん》
第V章 謀略の魔手
第W章 錯綜《さくそう》の一夜
第X章 古《いにしえ》の塔の決戦
エピローグ
あとがき
データ・セクション
[#ここで目次終わり]
[#改ページ]
プロローグ
乾いた廃墟の壁を、魔法の明かりが照らしていた。
床も壁も、黒大理石で造られている。この廃墟に主人がいたときには、表面は鏡のように磨かれ、重厚な光沢を放っていたに違いない。
しかし、五百年あまりの年月に削《けず》られて、輝きはすでに失われていた。
風化しつつある壁に刻まれた魔法文字《ル ー ン》を、ひとりの若い魔術師《ソーサラー》が熱心に写し取っている。
苦々しい思いで、フォルテスは若者を見つめていた。彼が熱心に写し取っている文字はたしかに上位古代語《ハイ・エンシェント》だったが、魔力はまったく感じられなかった。時間をかけて解読すれば、何が書かれてあるかは分かるだろう。しかし、魔術に関係したものでないことは、まず間違いない。
無駄な時間をとフォルテスは思うのだが、オーファン魔術師ギルド創設の賢者偉大なる<Jーウェスは、こういった文字の収集と解読をも推奨している。しかし、そのカーウェスは、今、病《やまい》に伏せっている。魔術師ギルドの実質的な長は、すでに彼であるはずだ。
それなのに、だ。
「なにゆえ、小娘に踊らされねばならないのか」
若者には聞こえぬよう、フォルテスは小声でつぶやいた。その顔は、苦々しく歪んでいた。
荒々しくため息をつくと、廃墟のなかのほこりっぽい空気が喉にからんできた。
口の中までもが、ざらついているようだ。冷たい水で喉を潤したい気分だった。しかし、今、ここにあるのは、革の味の沁《し》みた生ぬるい水だけだ。
フォルテスは、砂ぼこりが厚く積もった床に、ぺっと唾を吐きだした。
口にこそ出さないが、カーウェスはあの女性魔術師に、次の最高導師の名誉を譲りたいに違いない。
フォルテスの半分ほども生きていない魔女<宴買Fルナ・ルーシェンに……
そもそもこの調査行に赴《おもむ》くことになったのも、あの魔女のせいなのだ。
オーファン王リジャールに命じられ、ラヴェルナが行ったアレクラスト大陸を一周する探索行。その探索のあいだに、彼女は今まで知られていなかった古代王国時代の遺影を、いくつか見つけだしていた。
遠方にある遺跡には、調査の手を伸ばす余裕はない。
しかし、オーファン近隣の遺跡ぐらいはオーファン魔術師ギルドの手で、とカーウェスは指示したのだ。
古代王国の遺跡には、莫大な価値のある財宝が眠っている。この財宝を目当てに、冒険者と呼ばれる者たちが、このアレクラスト大陸各地で活動している。眠っているのは、財宝ばかりではない。古代王国時代に栄えた偉大な魔法文明の遺産も、残されているのである。
現在では失もれた強力な呪文の書や、もはや創りだすことさえかなわぬ偉大なる魔法の宝物などは、魔術師ギルドにとってかけがえのないものだ。冒険者たちが持ち帰ったこれらの品々を高い値をつけて買い取ることも珍しいことではない。冒険者の店にとってみれば、魔術師ギルドは好事家《こうず か 》の大商人や、国王と並ぶ上得意《じょうとくい》なのである。
だからこそ、フォルテスを長とする調査隊が派遣され、ラヴェルナが見つけた遺跡を巡ってきたのだ。そして、いがなる精霊力も働かぬ呪われた大地「無の砂漠」の西に位置するこの遺跡が、調査行の最後にあたる。
しかし、たいした収穫は得られていない。
どの遺跡もすでに荒されていたからだ。そして、この遺跡にも人が入った形跡がある。目ぼしい宝物や魔力を帯びた品々は、あらかた奪い去られていて、残されているのは持ち運ぶ意味もない調度品や、すでに壊れてしまった魔法装置ばかりであった。
十人を越える魔術師たちが、貴重な研究の時間を割いて、下賤な冒険者まがいのことをしたというのに、それが徒労に終わろうとしているのだ。
その責任を問われはしないか、とフォルテスは不安になる。
この調査行が、自分をおとしいれるために仕組まれた罠かもしれないとさえ思える。彼がオーファンを留守にしているあいだに、最高導師の引き継ぎが行われているのかもしれないのだ。
本心を言えば、ただちに調査行を打ち切って、オーファンヘ戻りたかった。
だが、先刻、ひとりの魔術師が遺跡のいちばん奥の部屋で、厳重にカモフラージュが施された隠し扉を見つけだしていた。
今は雇いの盗賊が罠がないか調べているところだ。
|鍵開け《アン・ロック》の呪文を使えば、扉を開けることはできる。しかし、そのために罠《トラップ》が発動し、怪我人が出ないとも限らない。そうなれば、まさしくフォルテスの責任となる。だから、厳重に罠を調べるよう、雇いの盗賊には命じておいた。
隠し扉の向こうにいるのが、封印された古代の守護者《ガーディアン》でなければいいが、と願わずにはいられない。
もちろん、フォルテスとて魔術師ギルドの導師であり、高位の魔術師でもある。強力な攻撃の呪文も、数多く心得ている。しかし、生まれてから冒険に縁がなかったので、厳重に魔法防護が施された魔術の実験室以外で、それら禁断の呪文を使ったことはない。
いざ、戦いになったとき、満足に呪文が唱えられるか不安だった。戦い慣れた傭兵たちを何人か連れてきているが、どこまで頼りになるか知れたものではない。
と、そのとき、灰色の長衣をまとったひとりの魔術師がせかせかと部屋に入ってきた。そして、弾んだ声でフォルテスの名を呼んだ。
なんだ、と鷹揚《おうよう》にフォルテスは答える。その表情は明るいので、魔物が出たという話ではなさそうだ。
「隠し扉の向こうにあったのは古代王国の書庫です。何百冊という古代書が、完全な状態で保存されています。ぜひ御検分を」
朗報であった。
フォルテスも、わずかに目を見開いて、大きくひとつうなずいた。そして、灰色の長衣の魔術師に導かれ、遺跡の奥へと歩いていった。
遺跡のいちばん奥の部屋は、ざっと見たところ、この遺跡が館《やかた》であった頃は主人が暮らしていたのだと思わせた。ほこりにまみれているものの、他の部屋よりも豪華な家具が並べられている。
そのひとつ、部屋の奥の壁に、ぽっかりと四角い穴が口を開けていた。数人の魔術師が興味深そうに中を覗きこんでいる。彼らはフォルテスの姿を見ると、うやうやしく頭を下げた。そして、この高位の導師のために、道を開ける。
フォルテスは隠し扉を抜け、古代の書庫へと入った。ひとりの魔術師が、喜びに輝いた顔で、彼を迎えた。そして誇らしげに腕を広げ、部屋の中に据えられた書棚とそこに並べられた数百冊もあろうかという古代書を示した。
フォルテスは感嘆の呻きを洩らし、手近なところから古代書の背表紙を順に見つめてゆく。そして、タイトルに興味を覚えた書物は、手に取って、ぱらぱらとめくる。
「これだけの古代書をすべて調べるのは、たいへんでしょうね」
そう声をかけられ、フォルテスはゆっくりとうなずいた。
「オーファン魔術師ギルドの全力をあげて、解読に取り組むしかあるまい。若い魔術師たちには、よい勉強になるだろう」
そのとき、フォルテスの動きがぴたりと止まった。
茫然とその場に立ちすくんだまま、呼吸さえも忘れてしまったかのように見える。いっぱいに見開かれた目が、一冊の古代書に釘付けになっている。
「いかがなされました……」
心配そうな声が彼の耳に届く。
だが、フォルテスはそれに答えようともせず、震える手をゆっくりと伸ばした。そして、視線の先にある古代書を取りあげた。
「これは……」
喉を鳴らすように、フォルテスはそれだけをつぶやいた。自らの目を疑っているのか、何度も、まばたきをする。
フォルテスは古代書の表紙を見て、背表紙に書かれてある題名と同じかどうかを確かめた。
間違いなく同じだった。
慎重な手つきで本を開き、難解な上位古代語の文章にざっと目を通してゆく。彼の期待どおりの内容が、そこには記されてあった。
フォルテスはごくりと唾を飲みこんだ。
「間違いない、間違いないぞ」
そして、誰にも聞こえぬように、口のなかで何度もそう繰り返した。
彼の五十年を越える生涯で、かつて覚えたことのない興奮が、彼の全身を、いや魂までも包みこんでいた。
開いたとき以上の注意を払って、フォルテスはふたたび本を閉じた。そして、革の表紙に金箔《きんぱく》で記された本の題名に、もう一度、視線を落とす。
もちろん、題名も上位古代語で書かれていた。しかし、修業を積んだ魔術師ならば、簡単に解読できただろう。
その文字が「魔力の塔の建造の書」という意味であることを……
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第T章 魔女の弟子
ファンの街は、いつも活気に溢れている。
日に日に、その姿を変えてゆく不思議な活気だ。落ち着きがないと言えなくもない。混沌たる活気だと吟遊詩人《ミンストレル》たちは謳っている。
アレクラスト大陸でもっとも新しい王国の都だけに、まだ発展途上であるためだろう。
王国の名はオーファン。
|竜殺し《ドラゴンスレイヤー》の英雄リジャールの手によって、二十年ばかり前に建国された王国である。
建国当時、壮年であったこの初代のオーファン王は、初老となっていた。
しかし、二十年という年月は人が老いてゆくには十分でも、国や街を成熟させるには短《みじか》すぎるのかもしれない。
アレクラスト大陸の臍《へそ》、中原地方に位置する大国のひとつとして、近隣の諸国のみならず、はるか極東の国々にまでもその名を轟かせてはいるが、まだまだオーファンは新興の王国である。
王国は三代目の王の即位により安定し、八代目の崩御《ほうぎょ》により混迷する、とある賢者《セージ》は記している。事実、三代目の即位より前に外敵に滅ぼされた新興国は多いし、九代目の即位後に内乱で崩壊した大国は少なくない。
しかし、ファンの街の人々のほとんどは、王国の明日に不安など覚えてはいない。それよりも、もっと重要なことが彼らにはあるからだ。
明日の我が身の暮らしである。
そのために、今日を一生懸命、生きてゆかねばならぬ。
いつもは、それで幸せだと思っているものだ。酒をすごして懐が寂しくなったり、想い人にふられたりしなければ。
そしてファンの街には、実にさまざまな暮らしがある。
たとえば、危険を金に代えて生活している風変わりな者どももいるのだ。
一攫千金《いっかくせんきん》を求めて、古代王国時代の遺跡を探索したり、力なき人々から依頼された仕事を解決し、報酬を受け取ったり。
彼らは、冒険者と呼ばれている。
ファンの街の中心から、すこし南にはずれたところに、その小汚い店はあった。
両開きの扉の左上に、一角獣《ユニコーン》の角亭≠ニ書かれた看板が下がっている。
雑貨屋にも見えるが、置かれている品物は見慣《みな》れない物ばかり。酒瓶《さかびん》が並び、テーブルやカウンターも用意されているが、酒場のような印象も受けない。
今はちょうど昼飯時なのだから、酒場ならもっと客がいてもよさそうなものだ。しかし、店のなかにいるのは、先刻やってきたばかりの四人の若い男女のみ。
男がひとり、女が三人。
四人とも思い思いの武器を持ち、鎧を身につけている。
物騒《ぶっそう》な格好だ。こんな格好で、街を歩く人間はだいたい限られている。王国の騎士や兵士、傭兵志願の戦士。
そして、冒険者だ。
四人のなかには、魔術師やら盗賊ふうの格好をしている者もいるから、おそらくは冒険者であろう。
客が冒険者であるならば、この店が何か容易に想像がつく。
冒険者の店≠セ。
冒険者相手の商《あきな》いを専門にする一風変わった店である。だが、その店で行われる取り引きは、しばしば莫大な金額になる。
冒険者たちが持ち帰る古代王国の財宝には、それほど大きな価値があるのだ。
たった一度の冒険の成功で、一生、遊んで暮らすこともできる。なかには、冒険により富と名声を得て、オーファン建国王リジャールのように、一国の王となった者もいるのだ。
しかし、そんな幸運にありつけるのは、ほんのわずかな冒険者だけ。
ほとんどは、人々が抱えているトラブルを引き受け、それを解決してやることで日銭《ひ ぜに》を稼いでいる。いつしか、幸運が巡ってくることを、商売と幸運の神チャ・ザに祈りながら。
店のなかにいる四人は、どちらかといえば幸運であるようだ。店のカウンターに、大きな袋をいくつも並べて、店の主人らしい中年男とひそひそと話をしているから。
「このところ、ずいぶん稼いでいるじゃないか」
店の親父が、四人の若者の顔をぐるりと見まわして口笛を鳴らした。
「やっぱ、実力ってやつかな」
|革の鎧《ソフトレザー》を着た背の低い少女が、得意げな顔で答えた。
「強く出たな、ミレル」
店の主人は意味ありげな笑いを浮かべた。
「盗賊ギルドも、おまえを手元に置いといて正解だったわけだ」
「まあね」
ミレルと呼ばれた娘は、曖昧《あいまい》な答え方をした。
幼くして身寄りをなくした彼女は、八歳ぐらいまで老夫婦に育てられたが、その後盗賊ギルドに身売りされたのだ。子供の頃は色が黒く、愛嬌のかけらもない顔をしていたので、盗賊ギルドは夜の街で働かせるのも、名家の養女にやるのもあきらめ、早くから盗賊の修業を積ませていた。
そのおかげか、それとも生まれつき器用だったのか、ミレルは十二歳のころには一人前に仕事[#「仕事」に傍点]をするようになった。
その頃から、ミレルは人が変わったように可憐《か れん》になっていった。
おまえには騙《だま》されたよ、と盗賊ギルドの頭《かしら》は、ことあるたびにミレルをからかう。別の修業をさせていたら、莫大な値段で売れただろう、と。
「しかし、こうも続けて冒険に成功するものかねえ」
大袋の口紐を開けて、なかの宝物をカウンターに並べながら、親父がちらりとミレルを見る。
「だから、それがあたしたちの実力なのよ。なんといったって……」
「はしゃぐな、ミレル」
さらに言葉を続けようとしたミレルをたしなめたのは、見上げるような長身の女戦士だった。露出の多い服装で、|大 剣《グレートソード》を背負っている。
どこかの蛮族の出身なのか、左の頬には奇妙な紋様を墨で描いている。
何かの呪《まじない》なのだろう。
「はしゃいでなんかいないわよ」
ミレルは頬をふくらせて、自分より頭ふたつは高い女戦士を睨みつけた。気圧《けお》されまいと、無意識に背伸びまでしている。
女戦士のほうは、もうミレルを見向きもしない。
それがミレルの癇《かん》に触ったらしく、愛らしい丸顔が真っ赤になった。
「なんくせつけといて黙らないでよ!」
耳が痛くなるような甲高《かんだか》い声で、ぎゃんぎゃん叫ぶ。
「うるさいぞ」
女戦士は一瞬だけミレルに視線を落とし、一言、つぶやくように言った。
「うるさくなんかない!」
「まあまあ、ミレルもジーニも落ち着きなって。冒険が成功したんだ。はしゃいで当たり前じゃないか」
そう言って、親父がふたりの仲裁に入った。
ジーニというのが、女戦士の名前なのだろう。
「御主人の言うとおりですわ」
もうひとりの女性が、ジーニとミレルのあいだに割って入って、上品な微笑みを浮かべた。背はちょうどふたりの中間ほどで、胸に|戦の神《マイリー》の紋章《シンボル》が描かれた神官衣を身につけている。
メリッサというのが、彼女の名前だ。
「さっきのジーニの様子を見ると、何か秘密がありそうだな。この店で商うのは、宝物ばかりじゃないって、みんなも知っているだろう」
「もちろん、知ってるさ」
答えたのは四人の冒険者のうち、ただひとりの男だった。
草色の長衣《ローブ》の上に革鎧《ソフトレザー》を身につけている。|魔術師の杖《メイジ・スタッフ》を手にしているので、一目で魔術師だと知れる。
しかし、魔術師にしては立派な体格をしていた。身長では女戦士のジーニを超えている。腰には|長 剣《バスタードソード》を差し、背中には長弓《ロングボウ》をかけている。戦士の訓練を受けているのは間違いないだろう。
彼のような魔術師を、冒険者仲間のあいだでは魔法戦士《ルーンソルジャー》と呼んでいる。
「リウイ……」
驚いた顔で、三人の女たちが彼を見つめた。
「ちょっとした幸運に恵まれたんだ。未盗掘の遺跡を、偶然、見つけてね」
「そうだと思ったよ。そういう情報なら、高値で買い取らせてもらうよ」
親父は上機嫌で言った。
「ごめんだな」
リウイという名の魔術師は、きっぱりと答えた。
「情報を売るのは、オレたちが隅々まで探索したあとだ。まだまだ、オレたちは稼ぐつもりだから」
リウイの言葉に、店の主人は渋い顔になった。
「あんまり稼いでいると、他の連中から恨みを買うぞ」
「親父が誰にも言わなければ、いいだけだろ。常連同士で喧嘩になったら、親父だって大損のはずだ」
「そりゃ、そのとおりだが……」
親父は苦しそうな顔をして、リウイの顔を恨めしそうに見つめる。
「まあ、いいだろう。おまえさんたちが見切りをつけたなら、かならずその遺跡の場所を教えてくれよ。探し残しを期待する連中だっているんだから」
「あたしがいるんだもの、探し残しなんてあるわけないわ」
ミレルが、得意げに笑った。
「そう思わない連中だっているってことさ」
親父は羊皮紙を一枚取りだすと、さらさらと数字を書き並べた。
「こんなところでどうだい?」
そして、羊皮紙をリウイに手渡す。
リウイはその数字にさっと目を走らせただけで、大きくうなずいた。
雑談をしながらも、品物の見積《みつもり》を済ませているあたりは、さずがにやり手の親父だった。
「ま、こんなところだろう」
「なら、これで取り引きは成立だ」
親父はにっこりと笑って、パンパンと手を鳴らした。
それから、不思議そうな表情で、リウイの顔を覗きこむ。
「しかし、毎度のことだが、魔法の宝物がひとつもないのはどういうわけだい? わざわざ避けて持ってきてるんじゃないだろうな。これだけのお宝が眠っている遺跡なら、魔法の宝物だってたくさんありそうなものだが」
「きっと縁《えん》がないんだろ。そのうち、見つかることもあるさ」
そして、リウイが宝石《ジェム》がいっぱいに入った革袋を親父から受け取る。
「わしもそう願っているよ。いちばん金になるのは、なんといっても|魔法の宝物《マジック・アイテム》だからな。魔術師ギルドや貴族たちが争って買ってくれる……」
そこまで言って、親父は突然、言葉を切った。
「どうした、親父?」
「魔術師ギルドで思いだしたんだ。リウイ、おまえに呼び出しがかかっていたぞ」
「呼び出し? 魔術師ギルドから」
親父は、こっくりとうなずいた。
「ちょうど今朝、ギルドから使いが来てな。魔術師ギルドのラヴェルナ導師のもとに、来るようにとの伝言だ」
「ラヴェルナ導師が……」
意外な名前だった。
「ラヴェルナ様といえば、あの博物学を著《あらわ》された女性魔術師ですわね」
メリッサがリウイに声をかけた。
「そう、オーファン魔術師ギルド創設以来の才女だよ」
「そんな女がリウイに何の用なのよ!」
ミレルがいらだった声で、リウイに詰め寄った。
「分からない。とにかく、用があるから呼びだしたのだろう。行ってみるしかないさ」
「悪いことしたんじゃないだろうな?」
親父が心配そうに声をかけてきた。
「真面目な生徒でないのはたしかだな。とにかく、オレはすぐに出かける。冒険成功の祝宴は残念ながら、後回しだ」
リウイは仲間たちに笑いかけて、自分の荷物をまとめて肩に担《かつ》いだ。
「ならば、わたしたちは、いつもの宿屋で待っていよう」
女戦士のジーニが、ミレルとメリッサに目で合図をする。
ふたりはうなずいて、自分たちの荷物を床から拾いあげた。
「またな、親父」
リウイは親父に挨拶すると、冒険者の店の入口の扉を勢いよく押し開けた。
三人の女性たちが、あわてて彼の後に続いた。
店の親父は、わざわざ店の表まで出て、リウイたちを見送った。
そして、ふたたび店に戻ろうとしたとき、親父はもうひとつ伝えねばならないことがあったのを思い出した。
もうひとり、リウイのことを尋ねにきた男がいたのだ。
旅人ふうの男で、自分の名も名乗らなかった。怪しい感じがしたが、まっとうな男は冒険者の店をくぐらない。おそらくは、仕事の依頼にきたのだろう。リウイたちに目をつけるとは、なかなかの目利きだと思った。今はまだ世間に名を知られているような冒険者ではないが、彼らはいつか大きな仕事をやってのけると信じている。
親父は、リウイたちの方を振り返った。しかし、そのときにはすでに彼らの姿は大通りの角を曲がって見えなくなっていた。
「次に来たときでかまわないか」
親父は自分を納得させるようにそうつぶやくと、なかば禿《はげ》あがった頭をかきながら、自分の店の中へと入っていった。
ファンの街の大通りは、往来《おうらい》する人々の活気で、いつも賑わっている。
通りの両側にはさまざまな店屋が立ち並び、ちょっとした隙間を狙って、露天が出される。
吟遊詩人《ミンストレル》たちがその美声を披露し、通りゆく人々から銀貨を投げてもらう。
夜が来るまでこの賑わいは、終わらない。
大通りをまっすぐ進んでゆくと王城があり、その王城の左右を守るようにオーファン魔術師ギルドと、|戦の神《マイリー》の神殿が建てられている。
オーファン建国王リジャールが冒険者であったころ、彼にはふたりの仲間がいた。そのうちのひとりがオーファン魔術師ギルド創設の師偉大なる<Jーウェスであり、もうひとりは中原地方のマイリー神殿を統べる大司祭剣《つるぎ》の姫<Wェニである。
オーファンの建国も、この偉大な仲間たちに負うところ多く、それゆえリジェール王は彼らの助力に報いるため、王城近くのふたつの丘に魔術師ギルドとマイリー神殿を建てたのである。
建国から二十年、リジャールが老いたように、ふたりの仲間も年老いた。偉大なる<Jーウェスは今は病の床に伏しており、回復の兆しがまるで見えない。ジェニ大司祭も、自ら剣を取ることはなくなった。ただ、その信仰心と神聖魔法の魔力は衰えを知らない。蘇生の儀式を毎月四回はこなし、人々の崇拝を受けている。
しかし、ジェニ大司祭にも限界はある。神により定められた寿命を伸ばすことは、できないのだ。
カーウェス最高導師の病を癒《いや》せぬのもそのためだろう、と人々は噂している。
リウイたち四人の冒険者は、一角獣《ユニコーン》の角亭≠出て、ファンの街の大通りをゆっくりと歩いていた。
あちらこちらからやってくる威勢のよいかけ声にも耳を貸さず、店先にぎっしり並べられた品物に目もくれようとしない。
ただ、黙々と通りを歩いている。
「もしかして、ばれたのかな?」
重い沈黙を破って、ミレルがつぶやいた。
「魔術師ギルドの探索隊が帰ってきて、あたしたちのこと報告したんじゃ……」
「安心しろよ」
リウイは仲間たちを安心させようと、口許に笑みを浮かべた。
「誰かが遺跡に入っていたというのは分かるだろうさ。しかし、それがオレたちの仕業《しわざ》とまで、魔術師ギルドの連中には突き止められないよ」
リウイは、ラヴェルナが発見した遺跡の探索に魔術師ギルドから調査隊が出ることを知って、その先回りをしようと仲間たちを誘ったのだ。
そして、準備に手間取る魔術師ギルドの調査隊を出し抜いて、リウイたちは次々と遺跡を暴き、莫大な宝物を手に入れた。
その宝物は、今もある場所に隠している。そして、すこしずつ持ち出しては、銀貨や宝石に替えているのである。
冒険者の店の親父の疑いは、みごとに的《まと》を射《い》ているのだ。
「ですが、ラヴェルナ様はリウイ様とは関係のないお方なのでしょう。そのような方が、なぜ急な呼び出しを」
メリッサは神官衣の胸に描かれた|戦の神《マイリー》の紋章にそっと手を置いた。
「ラヴェルナ導師は、カーウェス爺さんのお気に入りだからな。たぶん、病気の爺さんの代わりに説教しようというんだろう」
「そうだと良いのですが……」
「そうに決まっている」
リウイは自信たっぷりに答えた。
魔術師ギルドの人間など騙すのは、簡単だと決めつけているのだ。
しばらく大通りを歩くと、彼らが常宿にしている沈黙する羊亭≠フ前に来た。
リウイたちは、この宿屋の大部屋をひとつ借り切っているのだ。
もっとも、リウイとメリッサはそれぞれ魔術師ギルドと神殿に部屋があるし、ミレルも盗賊ギルドのそばに、小さな一軒屋を借りている。
いつも、この部屋を利用しているのは、女戦士のジーニだけだ。
ただ、冒険の前後など、この部屋に全員が集まって準備をしたり、冒険の成功の祝宴をあげたりするのだ。
「ならば、わたしはここで待っている」
ジーニが言って、まだ不安そうにしているミレルとメリッサのふたりを急かすように、宿屋のなかへと入っていった。
リウイは仲間たちにかるく手を振ってから、大通りをそのまま歩いてゆく。
その行く先には王城シーダーの勇姿があり、その右側にリウイの目指す魔術師ギルドの荘厳な建物があった。
リウイたちが仲間になったのは、昨年の春頃だ。
それから、およそ一年半が過ぎている。
まず、ジーニたち三人が知り合い、最後にリウイが加わったのだ。
ジーニたちは、最初、女性の魔術師を仲間にしようと思っていたらしい。
しかし、女性の魔術師はもともと多くないし、まして冒険者志望の女性魔術師となると、すでに冒険者に加わっている者をのぞけば皆無といっていい。
ついには、魔術師ではなく、|精霊使い《シャーマン》を仲間に加えようとも考えたらしい。精霊使いならばハーフエルフやエルフなど、冒険者を志《こころざ》す女性も少なくないからだ。
ただ、ある事件がきっかけになり、リウイが仲間に加わったのだ。
事件といっても、おおげさなものではない。
どこにでもある当たり前の出来事だ。
酒場でからまれている彼女たち三人を、リウイが助けただけである。
助けたといっても、彼女たちが困っていたわけではない。むしろ、その逆だ。
彼女たちがからんできた相手を散々にやっつけて、殺しかねないところをリウイが止めに入ったのである。
そして、駆けつけてきた衛兵《ガーディアン》たちから、彼女らを逃がしてやり、自分が身代わりになって捕まった。
リウイにはカーウェスという身元を保証してくれる人がいたから、翌日には牢屋から釈然されている。
その数日後、リウイが街を歩いていると彼女たちが姿を現わし、冒険の仲間にならないか、と誘いかけてきたのだ。|戦の神《マイリー》に仕えるメリッサが、リウイに勇者の資質があるとの神の啓示を受けたのが、理由らしい。そして、ミレルもジーニも異存はなかったのだ。
リウイは最初、断わったのだが、彼女らの意思は固かった。リウイ自身も、冒険には関心があったので、結局、この誘いを引き受けることにした。それから、暇ができるたびに、荒野へ冒険へと赴いた。ほとんどが失敗ばかりだった。でも、ささやかな成功を収めたこともある。
命懸けで怪物だちと戦い、仕掛けられた罠《トラップ》に苦しめられ、難解な謎《リドル》を解き明かしてゆくうちに、最初はいろいろあった彼女たちと連帯感を覚えるようになった。冒険そのものも面白くなり、今では魔術の研究もそっちのけで、冒険にのめりこむようになってきた。
もともと、自分のことを魔術師向きの性格だとは思っていない。
怪物どもと戦うときも、自ら剣を取ることが多い。だが、強敵を相手にする場合には、そうもいかない。三人の女性が戦っているのを魔術で助けていると、もどかしさを覚えることがある。
メリッサが見出したように、自らの資質は戦士に向いているとリウイは思っている。そして、冒険者は自分の天職だとも……
魔術師ギルドを辞めて、自由になりたいと思うのだが、まだ導師の資格を得てない以上、魔術師としては半人前だ。
このまま辞めるのは、負け犬のようで面白くない。
もうしばらくの我慢だ、とリウイは自分に言い聞かせている。導師になれば、オーファン魔術師ギルドを辞し、独立する。そして、三人の仲間たちとともに旅に出ようと思っている。
アレクラスト大陸を巡る冒険の旅に、だ。
そのためにも、しばらくは魔術師ギルドの世話になるしかない。
青白い魔法の明かりが、煌々と部屋のなかを照らしている。
まだ昼間だから、窓を開ければ、明るい太陽の光が部屋に差しこんでくるはずだ。
しかし、太陽の光は羊皮紙を焼き、高価な魔法の薬を変質させてしまう。だから、この部屋の雨戸はいつも閉ざされ、決して開かれることはない。
昔はそのほうが、快適だと思っていた。しかし、今は太陽の光が恋しくなることがある、とこの部屋の主人はふと思った。
部屋の主人は、女性だった。
名をラヴェルナという。
どことなく人間離れした美貌をもつ女性だった。しかし、少女時代の彼女を知る者には、その瞳やちょっとした仕草に、人間的な暖かさを見出し、驚くことだろう。かつては氷のような冷たい印象しか受けなかったのだ。
それゆえ、人は彼女のことを魔女≠ニ呼んだ。
その魔女は今、樫の机の前に座り、一枚の羊皮紙に目を走らせている。
羊皮紙に記されているのは、昨日、ファンの街に戻ってきた調査隊が持ち帰った古代書の目録《リスト》だった。
しかし、彼女の心は、羊皮紙には向いていない。病床のカーウェス最高導師に呼び出され、教えられた驚くべき話に捕らわれたままだったのだ。
最高導師カーウェスの病状は、思わしくない。病気の進行は遅いが、確実に導師の身体を蝕《むしば》んでいる。
若い頃に激しく魔力《マナ》を使った者だけがかかる奇病である。
高位の|魔法使い《ルーン・マスター》以外は、かかることはない。
自らの病気を確信したとき、カーウェス導師は「リジャールのために呪文を使いすぎたわ」と苦笑したものだ。
そばで見ていると導師の生命力が枯渇してゆく様が、よく分かる。痛々しくて見ていられないが、ラヴェルナは最後まで看病するつもりであった。
ジェニ最高司祭が使う、いかなる癒しの呪文でも回復しなかった病だ。
治る見込みはほとんどない。
薬草学の奥義により調合される魔法の薬に頼って、なんとか生き長らえているのが現状なのである。
そして、今朝もラヴェルナは導師のそばにいた。
カーウェス導師は魔法の薬の魔力で、ここ数日、眠りつづけていた。眠っていたほうが、体力の消耗が少なくてすむからだ。
そして夜明け前に目を覚ましたカーウェスは、ラヴェルナの制止も聞くことなく、いくつかのことを命じたのだ。
命令というより、それは遺言ともとれる内容だった。己れの死期が近づいていることを、この偉大な魔術師は悟ったのかもしれない。
カーウェスの願いのひとつめは、彼の死をもって、オーファン魔術師ギルドの最高導師の地位が、フォルテスに引き継がれることであった。そして、もうひとつの重要な職務であるオーファン王国宮廷魔術師には、ラヴェルナが就くように要請されたのである。
この要請を、最初、ラヴェルナは断わろうと思った。
彼女は若いし、実績がない。それに、宮廷魔術師は、魔術師ギルドの最高導師が兼任するのが適切だと思ったからだ。王国と魔術師ギルドが友好な関係を保つには、それがいちばんの方策であるはずだ。
しかし、カーウェスはこの大任を、あくまでラヴェルナにと望むのだった。
ラヴェルナは、カーウェス導師にその理由を問うた。そして、彼の答を聞いて、ラヴェルナは後悔した。
自分が理由を聞いてしまったことを。
聞いた以上、引き受ける他なく、引き受けるにはあまりにも困難な仕事であったから。
それから、カーウェスは彼自身の直第子にあたる、ある若い魔術師のことをもラヴェルナに託した。
かるい気持ちで、ラヴェルナはその依頼を引き受けた。宮廷魔術師の重責に比べれば、弟子のひとりぐらい、取るに足らぬ負担だと思ったから。
しかし、それが大きな落とし穴だった。
この若い魔術師の秘密を聞いて、ラヴェルナは気が遠くなる思いがした。
「すべては、おまえに任せる」
カーウェスはそうつぶやいて、ふたたび眠りに落ちた。
ラヴェルナは、反論することもできなかった。すべてを引き受けるしかなかった。
誰かが部屋の扉を叩く音で、ラヴェルナは長い回想から引き戻された。
そして力強い声が続いた。
「ラヴェルナ導師、正魔術師のリウイです」
ラヴェルナは立ち上がると、扉に向かって、上位古代語の合言葉をゆっくりと唱えた。
魔法で固く閉ざされた扉が、軋んだ音を立ててゆっくりと開く。
「お入りなさい」
そして、ラヴェルナは戸口に立っている若者に呼びかけた。
「失礼いたします」
うやうやしく礼をして、リウイは部屋のなかに入ってきた。
ラヴェルナは彼の姿を、じろじろと眺めてしまった。そして、これがあの、と心のなかでつぶやく。
若者は魔術師にしては精悍《せいかん》な体格をしていた。
背は高いし、胸も厚い。首筋の太さなど、鍛えあげた戦士のそれだ。
「なにゆえの呼び出しでしょうか?」
絡みつくようなラヴェルナの視線に、不快を覚えたのだろう。リウイの方から声がかかった。
「話というのは、他でもありません」
ラヴェルナはリウイに予備の丸椅子《ス ツ ー ル》を勧め、自らも机に向かっていた椅子を逆さに回し、腰を下ろす。
そのときに、机の上に置いたままの羊皮紙を手に取った。
「カーウェス師の病状が思わしくないのは、あなたも承知していますね。そこで、導師よりの伝言で、あなたをわたしが預ることになりました」
以後、よろしくとラヴェルナは簡潔に言った。
「ラヴェルナ師がわたしを?」
どうしてこう女に縁があるのか、とリウイは心のなかでつぶやいた。
「不服ですか?」
「いえ、そのようなことはありません。光栄に思います」
リウイはそう答えた。
しかし、正直な気持ち、あまり嬉しくはなかった。
カーウェス導師はなんといってもリウイにとって養父なのである。年齢が年齢だけに病気になるのはやむをえないかもしれないが、もっと長生きしてほしいというのが正直な気持ちだった。せめて導師の資格を取るまでは、カーウェス導師に師事したかったとも思う。
それに、目の前の女性魔術師は、あまり良い噂が聞かれない。
魔神《デーモン》と契約しているだとか、感情を母親の体内に置き忘れただとか、魔女のふたつ名にふさわしい噂ばかり流れている。
アレクラスト大陸を巡る旅から帰ってきて間もないこともあり、リウイたち若い魔術師にとって、ラヴェルナは馴染みが薄い。
ただ、彼女が著した旅行記と博物学を読むかぎりでは、優れた判断力と行動力の持ち主だと思える。なにより、ラヴェルナがオーファン魔術師ギルドはじまって以来の天才であることは否定しようのない事実だ。十五歳のときにはすでに正魔術師と認められ、わずか十七歳にして導師の資格を得たのだから。
たしかに、オーファン魔術師ギルドの歴史は二十年と浅い。しかし、これから百年のあいだに、彼女に勝る才能が現われるとは誰も思っていない。その才能を恐れるがゆえに、人は彼女に魔性を見出し、魔女と呼んでいるのだ。
「光栄に思います」
リウイはそう繰り返した。
「けっこうです。それでは導師の資格を得るまで、わたしの指示に従ってください」
「承知しました」
リウイには、そう答えるしかなかった。
「では、さっそくで申し訳ないのだけれど」
ラヴェルナはそう言って、手にしていた羊皮紙をリウイに渡した。
「これは?」
「見てのとおりの内容です。一月ほど前に、フォルテス導師を隊長に調査隊が派遣されたのは、あなたも知っていますね。目的は、わたしが見つけだした古代王国の遺跡の発掘なのですが」
もちろん、リウイは知っていた。
彼らが調査する遺跡の場所を調べ、先回りして盗掘しだのは他ならぬ彼なのである。
「ほとんどの遺跡は残念ながら、盗掘されていたようです。しかし、ある遺跡から大量の古代書が発見されました」
無の砂漠近くの遺跡だな、とリウイは思った。
もちろん、リウイも隠し扉の向こうにあった古代王国時代の書庫を発見していた。
しかし、リウイは魔法の宝物や古代書には、ほとんど関心がない。いや、すべての魔術師が関心を持つべきではないと思っている。古代王国時代の強力な魔術を復活させようという努力は、いつしか古代王国の貴族たちが犯した過ちを繰り返すことになると思えるから。
そして彼自身、魔法の力のためにかけがえのないものを失い、いまだにそれを取り戻すことができないでいる。
そのせいで、リウイは昔とくらべてずいぶん自制するようになった。仲間たちも、いろいろ気を使ってくれている。
魔術は剣の力を助けているぐらいでちょうどよいのだ。リウイ自身、超一流の戦士にはなりたいものの、魔術を究めようと思っていない。
だから、リウイは自分が見つけだした魔法の宝物や古代書は、すべてひとつの場所に集めて隠してある。
それは自分が失ったものへの誓いでもあるから……
無の砂漠近くの遺跡のなかに隠されていた古代書は莫大なもので、とても持ち出すことはできなかった。それに、調査隊が自分たちに追いつきつつあることも知っていた。だから、ミレルに隠し扉をカモフラージュさせただけで、あの遺跡の書庫は、そのまま放置してきたのだ。
調査隊に雇われた盗賊は、ミレルが前もって買収しておいたから、あの隠し扉が見つかる心配はないと思っていた。
しかし、どうやら調査隊のなかに運のいい者がいたらしい。
見つかったものは、もはや仕方がない。オーファンの魔術師ギルドならば、あの莫大な古代書を解読し、うまく活用するだろう。
そして、活用するのが危険と判断した書物は、禁断の間に封印するはずだ。
それが賢者の王国オランに今なお健在する、魔術師ギルド開設の祖マナ・ライの教えなのだから。魔術師ギルドを開く者は、すべてマナ・ライの教えに忠実である。そうでない者は私塾を開き、魔術師ギルドなどとは交わろうとはしない。
「オーファン魔術師ギルドは、これら古代書の解読、写本の製作に全力で当たらねばなりません」
リウイは自分の考えに耽《ふ》けっていたので、ラヴェルナの声がずいぶん遠くから聞こえてくるように思えた。
はっと顔をあげると、ラヴェルナの剌すような目が自分を見つめていた。
リウイの背中にぞくりと冷たいものが走る。
「当然ですが、あなたにもこの作業に参加してもらいます。特にあなたの場合、ここ数か月ばかり奉仕の義務を怠っていますから、他の魔術師よりも多くの割り当てを与えますが、それで異存はありませんね?」
異存は、もちろん、あった。しかし、ラヴェルナの言葉は命令であり、彼女の弟子になったリウイが拒否できるわけがない。
リウイには承諾するしかなかった。
そして、文字順に並べられた古代書の目録《リスト》に、あらためて目を通した。
見ているだけでうんざりする。
すべての魔術師が分担で解読しても、かるく一月はかかると思われた。冒険はしばらくお預けだな、とリウイは心のなかでつぶやいた。
それにしても、とリウイはあきれる思いで目録の題名を順に見てゆく。禁断の書と評価されそうな本が、いったいいくつあることか。魔術師ギルドにとっては、喜ぶべきことだろうが、リウイにはとても歓迎できなかった。
精霊王の封印法、異界の門の創造、付与《ふよ》魔術の奥義書、そして……
リウイは、あの本[#「あの本」に傍点]を探そうとして、どんどん題名を追いかけた。
だが、それは見つからなかった。
そんなはずは、とリウイは心のなかで叫び、もう一度、頭から目録に目を通した。ゆっくりと時間をかけて、ひとつずつ慎重に題名を読んでゆく。それでも、目録のなかにその題名は見つからなかった。
魔力の塔の建造の書≠ニいう題名は……
リウィはもう一度、同じ作業を繰り返してみた。しかし、その結果が変わることはなかった。
「ラヴェルナ導師!」
リウイは弾かれたように顔をあげた。
「古代王国の遺跡で発見された古代書は、これですべてなのですか?」
「ええ、この目録に載っているだけです。それが、どうかしたのですか?」
ラヴェルナは怪訝そうな表情で、尋ね返してくる。
「い、いえ、もうすこし貴重な古代書が見つかったのかと期待したのですが……」
正直に理由を答えられるはずがない。リウイは、言葉を濁すしかなかった。
「貴重ではない古代書などないと思いなさい。どの書物にも、著《あらわ》した人間の魂がこもっているのですから」
「申し訳ありません」
リウイはそう返事をしたが、もはやラヴェルナの話はほとんど聞いていなかった。
悪い予感がする。
一刻も早く落ち着く場所に移って、この件についてゆっくり考えたかった。
「明日からギルドに詰めて、古代書の解読にあたります」
リウイはラヴェルナにそう約束すると、あわただしく彼女の部屋を辞した。
そして、ゆるやかな弧を描く魔術師ギルドの廊下を、足早に歩いた。
その一歩ごとに、リウイの胸のなかで芽生えた悪い予感は、どんどん膨らんでゆくのだった。
沈黙する羊亭≠ヘ一階が酒場で、二階から上が宿泊客用の部屋になっていた。
アレクラスト大陸の宿屋としては、一般的なものだ。
リウイが魔術師ギルドから戻ってくると、三人の仲間たちはひとつのテーブルを囲み、浮かない顔でちびちびと酒を飲んでいる。
リウイは、ゆっくりと彼女たちのテーブルに歩いていった。
最初に彼を見つけたのは、ミレルだった。そのとたん、彼女の顔がぱっと輝く。
彼の名を叫んで、椅子を蹴って立ち上がる。椅子が後ろにばったり倒れて、けたたましい音が、酒場中に響いた。
ミレルは舌を出して、こそこそと椅子を戻す。
ジーニとメリッサのふたりも、驚いたように戸口を振り向いていた。そして、必死になって、リウイの姿を探し求める。
すぐに、彼女らと視線があった。リウイは片手を上げて、彼らに挨拶を送った。
そして、仲間たちが陣取るテーブルに歩いてゆき、腰を落ち着ける。
「心配してたのよ」
ミレルが甘えたような声で、リウイの腕に自分の腕をからめた。
「心配するなと言ってたろう」
リウイはやってきた店員にエール酒を一杯、注文した。
「結局、どんな話だったの?」
ミレルが尋ねる。
「思ったとおりさ」
リウイは運ばれてきたエール酒に、かるく口をつけてから自嘲ぎみに答えた。
「もっと真面目にやれと怒られたよ。明日からしばらく魔術師ギルドに詰めないといけないようだ」
「例の件がばれたわけじゃないんだ」
安心したように、ミレルが発展途上の胸を押さえる。
「当たり前だよ。もっとも、その件で気になることはあるんだが、な」
リウイは答えて、声を潜めた。
その気配を察して、三人が顔を寄せてくる。
リウイは魔術師ギルドでの話を、彼女たちに語って聞かせた。
ラヴェルナが自分の導師になったこと。無の砂漠近くの遺跡にあった古代王国時代の書庫が発見されたこと。そして、その書庫のなかで、もっとも貴重で、かつ危険な古代書だけが、目録に記載されてなかったこと。
魔力の塔の建造の書≠ニいう題名をもつ書物である。
他の書物の名前はすべて忘れても、この名前だけは、決して忘れることはなかった。忘れられるはずがない。
「おかしいですわね。そんな貴重な古代書が、一冊だけなくなるということがあるのでしょうか?」
メリッサが疑問を口にする。
「誰かが隠したのだろうな」
ジーニの言葉に、リウイは深くうなずいた。
「同感だな。そして、古代書を隠した人物は、おそらくフォルテス導師だ」
「フォルテスって、次の魔術師ギルドの最高導師なんでしょ。そんな人が、いったいなんのために?」
「フォルテス導師が盗んだというのは、オレの勘だよ」
リウイはミレルに笑いかけた。
「ただ、あの人はいつも、魔術師の地位の低さを嘆いていたからな。優れた魔術師がなにゆえ愚かな人々に、尻《しっ》尾《ぽ》を振るような真似をしなければならないのか、ってね」
魔術師ギルドは学問を教えたり、薬草や共通語魔法《コモンマジック》の指輪《リ ン グ》を売ったりするなどして、一般の人々にも門《もん》戸《こ》を開いている。
「ずいぶん高慢な男なのね」
ミレルは、あきれたように目を丸くした。
「フォルテス導師だけじゃない。魔術師は多かれ少ながれ、そう思っているよ。例外なのは、むしろオレみたいな人間さ。なにしろ、オレは魔法よりも剣を好む変わり者だから」
「それこそ、勇者の資質《し しつ》ですわ」
メリッサがうっとりとした顔でつぶやく。
よしてくれ、とリウイは苦笑いを浮かべた。
「オレなんて、中途半端な魔法戦士さ。ジーニと試合をしても、三本に一本しか取れない。魔術師といったって、導師の資格ももらえない」
「一月前は四本に一本しか取られなかった。おそらく、次の月には二本に一本は取られているだろう」
ジーニは、テーブルのかたわらに立てかけた大剣をぽんと叩きながら、そう言った。
ヤスガルン山脈に住む蛮族の出身である彼女は、部族一の戦士であることを誇りにしている。しかし、自らの強さに固執することはない。他人の強さも、素直に認める。
そこが彼女の気持ちよいところだとリウイは思う。
部族を出なければならなかったのは、彼女が女であったからだ。もしも、男であれば、族長になっていたという。
部族の風習とはいえ、不幸なことだとリウイは思う。彼女ならば、立派な族長になっただろう。
男も女も、魔術師も戦士も、人間としてみればすべて同じなのに。
「どこかに消えた古代書ってさ、そんなに貴重な物なの?」
ミレルが何かを期待するような目で、リウイを見つめる。
「貴重で、そして危険な代物さ。かつて、古代王国の魔術師たちは、魔力の塔を建設することで、無限の魔力を得たんだ。この塔のおかげで、魔法文明は飛躍的な発展を遂げ、古代の魔術師たちは自分たちが神をも超越したと考えるようになったんだ。だから、オレたちの祖先を奴隷として支配し、大陸中の神殿を破壊し、妖精や巨人たちを征服し、幻獣や精霊王までも支配しようとした。もっとも、最後には自らが生みだした魔力の暴走によって滅亡してしまうんだけどな」
「そんなに恐ろしいものなの……」
「使い方によってはな。野心的な人間が手にすれば、アレクラスト大陸はおろか、フォーセリア世界すべてを支配することだってできるだろう」
五百年前に古代王国が滅亡するとき、神々の大戦もかくやと思えるような激しい戦乱がこの大陸を席捲《せっけん》し、多くの人が死んだといわれている。その数は、当時の人口の半分とも三分の二とも伝えられているが、あながち伝説とばかりはいえないのだ。
古代王国の遺跡を巡っていると、当時の戦いの爪跡が生々しく残っているのを目にすることがある。
地面に転がった人骨。そして主人が死に絶えたあとも、戦う相手を求めて動きまわる魔法生物の衛兵《ガーディアン》たち。
「そんな非道を許すわけにはまいりませんわ」
メリッサが、頬を紅潮させながら立ち上がる。もともと肌の色が白いだけに、ちょっと赤くなっただけでも目立つのだ。
「しかし、オレたちにどんな手が打てる。事実を明かせば、罪に問われるのはオレたちなんだぜ。だいたい、誰が古代書を隠したのかまだ分からないんだ。下手に動くと、あの古代書は二度と表に現われないかもしれない」
リウイはそう言って、悔しそうに顔を歪めた。
「邪《よこしま》な行いをした罰なのでしょうか」
メリッサが両手を胸の前で組んで、静かに目を閉じた。
マイリー神から啓示を受けようとしているのだろう。だが、戦《いくさ》を司《つかさど》る神が、彼女の問いに答えるはずがなかった。
思ったとおり、彼女は寂しそうな表情で、ふたたび目を開いた。
「今は、様子を見ているしかない。何も起こらないことを祈ってな」
さいわい明日から魔術師ギルドに詰めることになる。怪しい動きがないか、気をつけることもできるだろう。
たとえ問題の古代書を解読したとしても、魔力の塔を再建するのには、莫大な費用と、そして時間がかかるはずだ。
今日、明日に危険が迫るようなものではない。
「だから、今日は飲もうじゃないか。オレたちの無事と、冒険の成功を祝って」
リウイはそう言うと、ジョッキに残っていたエール酒を一気にあおって、店員にお代わりを注文する。
「そうね、そうよね」
ミレルもにっこりと笑って、グラスを両手で抱えるようにして、真っ赤なワインを口に運んだ。
そのときだった。
店の外で悲鳴が響いた。
ジーニとリウイは、同時に武器を取って、立ち上がっていた。
視線で彼女に合図を送ってから、リウイは表へ飛びだした。もちろん、ジーニも続いている。
表へ出たときには、すでに悲鳴は止んでいた。しかし、大通りを行き交《か》う人々が、右往左往しているのが見えた。どうやら、道端へと逃れようとしているらしい。
いったい、何から──
その答は、すぐに分かった。
大通りの向こうから、早馬が駆けてくるのが見えたからだ。馬の蹄《ひづめ》にかけられまいと、人々があわてて道をあけているところだったのだ。
リウイとジーニは、宿屋の店先まで下がって早馬がやってくるのを待った。
乗っている馬や身につけている鎧などから、大陸中にその名を知られるオーファンの鉄の槍騎士団≠フ一員であることが分かった。おそらく、王城へと向かう急使だろう。
しかし、なにを知らせようとしているのだ、とリウイは疑問に思った。
リウイの目の前を、緊迫した顔の騎士が駆け抜けてゆく。しかし、その考えまで読み取れるはずもない。
「ギルドに行ってみる」
いつの間にかリウイの後ろにきていたミレルが、そう言って、脱兎のごとく大通りに飛びだした。
ミレルが言うギルドとは、もちろん盗賊ギルドのことである。
「頼む」
リウイはその背中に呼びかけた。
盗賊ギルドこそ、もっとも迅速で確実な情報源だ。早馬が王城に着いて数刻の後には、急使がもたらした情報は、盗賊ギルドに伝わっているだろう。
すでに、早馬は王城のほうへと遠ざかりつつある。
リウイにできることは、もはやミレルの帰りを待つだけだった。リウイはジーニをうながして、宿屋のなかに戻った。
メリッサはテーブルのところで立ったまま、心配そうに戸口の方を見つめていた。
リウイとジーニが姿を現わすと、安心したように息をついた。
さっきの早馬が、消えた古代書とは無関係であることは、ほぼ間違いない。しかし、リウイの胸の底では、先刻の悪い予感が、ふたたび疼《うず》きはじめていた。大きな事件の起こる兆《きざし》でなければよい、と願わずにはいられない。
しかし、その願いがかなうとは、彼自身思ってもいなかった。
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第U章 国境不穏
王城の廊下を、ラヴェルナは急ぎ足で謁見の間へと向かっていた。
至急、出仕せよとの知らせがあったのは、数刻前のことだ。彼女は、今やオーファンの宮廷魔術師であり、リジャール王に仕える身である。たとえ、国王に謁見を求め、カーウェス最高導師より宮廷魔術師の職務を引き継ぐよう命じられたと挨拶を行ったのが、今日の昼間のことであったにしても。
呼び出しがあって、ラヴェルナはすぐに王城へ馬を走らせた。
魔法を使えば一瞬なのだが、それは国王に対し無礼にあたるだろうと思い、自重した。早く自分の私室を与えられたいと思う。瞬間移動《テレポート》のための安全な場所を確保しておけば、いついかなるところからでも、跳ぶことができる。
シーダー城の城門をくぐったとたん、城内がただならぬ気配に包まれていることにラヴェルナは気がついた。忙しく人馬が行き交い、その誰もが殺気だっている。
建物のなかに入ると、その気配はいっそう強くなった。
廊下を走る騎士たちは平時の礼服ではなく、光輝く甲冑《ス ー ツ》に身を固めている。
「戦でもはじまるというの」
ラヴェルナは忌まわしげにつぶやき、さらに謁見の間へと急いだ。
謁見の間に着くと、|鉾 槍《ハルバード》を構えた衛兵がさっと行く手を遮った。
「何用か? 謁見の時間はすでに終わったぞ」
衛兵たちの声は険悪だった。
「本日より宮廷魔術師になったラヴェルナです。通ります」
「カーウェス様の後任で?」
衛兵のひとりが驚きの声をもらし、あわてて頭を下げて、非礼を詫びた。そして、呼び出しに取り次いで、内側から閉ざされた頑丈な鉄の扉を開けさせる。
まどろこしい宮廷儀礼に、ラヴェルナは苛立ちを覚えた。
彼女の名を呼び出す声が響き、鉄の扉が重々しく軋みながら、ゆっくりと開いてゆく。完全に開くのさえ待てず、ラヴェルナは謁見の間に足を踏み入れた。
この大きな広間にも、騒然とした空気が流れていた。
ラヴェルナは赤い絨毯の上をまっすぐに進み、玉座の前まで進みでた。
「待ちかねていたぞ。我が美しい宮廷魔術師殿」
玉座に深く腰を下ろしたまま、リジャール王が声をかけてくる。
いかに年老いたとはいえ、|竜殺し《ドラゴンスレイヤー》の風格は、今も全身から漂っていた。
畏怖を覚えたように、ラヴェルナは玉座の前でひざまずき、うやうやしく一礼をした。
「宮廷魔術師として、我が玉座の右側に立つことを許そう」
リジャールは厳《おごそ》かに言って、ラヴェルナに立ち上がるように命じた。
ラヴェルナは命令のままに、リジャールの右隣に進みでた。
そして、振り返る。
謁見の間を見渡すと、文官や武官の主だった者たちがきら星のごとく並んでいた。玉座の左側には宰相リスラーを筆頭に国務を司る大臣たちが控え、右側には鉄の槍騎士団の団長ネフェルをはじめとする上級騎士たちが、すでに戦仕度《いくさじたく》を整えて待機している。
ラヴェルナは二列に並んだ騎士たちのあいだに、もっとも親しい人の姿を探し求めた。
夫、ローンダミスの姿である。
ラヴェルナとローンダミスの出会いは、十年も前にさかのぼる。アレクラスト大陸を巡るラヴェルナの探索の旅に、ローンダミスは護衛として同行したのだ。
この長い旅のあいだに、ラヴェルナは無口なこの騎士に、惹かれるものを感じた。それはいつしか好意となり、気がついたときには深く彼を愛するようになっていた。
婚姻の儀式を挙げたのは、オーファンに戻ってからである。それは、ほんの数か月前のことだ。正式な夫婦となって、まだ半年しかたっていない。
夫の姿はすぐに見つかった。
ローンダミスは石の彫像のように無表情だった。直立不動の姿勢で、ぴくりとも動かない。ラヴェルナと視線があっても、そしらぬ顔だ。
しかし、ラヴェルナは、この男の優しい笑顔を知っている。その笑顔のそばにいると、自分も優しくなれるような気がするのだ。
ラヴェルナは、心のなかで安堵のため息をそっと洩らした。
しかし、表情には出さない。
ローンダミスが石なら、さながら自分は氷の彫像のごとく、王国の重鎮たちの値踏みするような視線を受け止めて、毅然とした態度を片時も崩すことはなかった。
「何事が起こったのですか?」
ラヴェルナは、リジャール王に尋ねた。
「先刻、早馬の急使が王城に着いたのだ。その報告によれば、ファンドリアの騎士団が大挙して越境、野営を行っているらしい」
「真《まこと》ですか?」
ラヴェルナは自分の耳を疑った。
とても、正気の沙汰とは思えない。彼らはこのオーファンに戦を仕掛けてくるつもりだろうか?
ファンドリアとオーファンとは、もとはひとつの王国であった。ともに、前身はファンという名の大国であり、その名はオーファンの王都の名として、今も留められている。
このファン王国は三十年ほど前に内乱によって弱体し、やがて滅亡した。その後、ふたつの王国がその広大な領土を分割して興った。
ひとつは英雄王リジャールの手によって築かれた剣の国オーファンである。
そしてもうひとつは、混沌の国ファンドリア。暗黒神《ファラリス》教団や暗殺者《アサシン》ギルドなどが、傀儡《かいらい》の王をたてて支配している王国である。
建国当時、このふたつの王国は旧ファン王国の領土を統合せんと、幾度となく戦火を交えた。しかし、双方とも国内の統一と治安を回復することが先決であり、総力をあげてぶつかることはできなかった。
やがて、暗黙のうちに国境線が定まり、両国の関係は落ち着いたかに見えた。だが、とても友好的とはいえぬ間柄《あいだがら》であり、両国のあいだには常に緊張がつきまとっていた。
その緊張は、年月を重ねるごとに薄れてゆくと思われた。
しかし、現実はこの淡い期待をみごとに裏切ったのである。
理由はいくつかある。
ひとつはファンドリア王国の闇の部分が、隣国のオーファンにとって、不気味に見えたことだ。この混沌の王国では、建国してわずか数十年のあいだに、ふたりの王が謎の死を遂げたのだ。
ファンドリア国民の誰もが、その死を暗殺だと信じて疑っていない。
ふたりの王はともに、王権の強化を謀った直後に崩御《ほうぎょ》したからだ。
三代目の王として即位した現国王は、政治にはまるで関心を示さず、酒と女に溺《おぼ》れる毎日を送っていると噂されている。
このような政情では、ファンドリアを支配する邪悪な力が自国にも及ぶまいかと、中原地方の諸国が神経をとがらせたとて、不思議ではあるまい。
新王国暦五〇五年に、オーファン王国とラムリアース王国とが同盟関係を結んだのも、ファンドリア王国に対する牽制《けんせい》のためだ。
しかし、この同盟の締結がオーファンとファンドリアの関係をさらに悪化させる結果となった。
ファンドリアは近年、南のロマール王国との結びつきを深めて、オーファン、ラムリアース連合に対抗する動きを見せている。
まさしく一触即発の状況だったのである。
そこに、ファンドリア騎士団の今度の行動だ。
ラヴェルナが彼らの正気を疑ったとしても、無理のないことなのだ。
驚きを隠しきれないラヴェルナに対し、リジャールの表情はむしろ和やかであった。
「仕掛けられた戦だ。受けて立てばよい」
リジャールはいとも簡単に、それもラヴェルナだけでなく謁見の間に居並ぶ全員に聞こえるように言った。
勇ましい歓声が返ってくる。
「ファンドリアを倒せ!」
「旧領回復!」
そんな掛け声が次々と湧きあがる。
おもに騎士たちから湧きあがる歓喜に答えるように、リジャールは玉座からすっくと立ち上がった。
野蛮な戦など、もちろんラヴェルナの望むところではないが、宮廷魔術師という立場にある以上、王国の安全を第一に考えねばならない。
リジャール王の言うとおり、これは仕掛けられた戦である。ならば、武力に訴えることも仕方がないのでは、と思う。
しかし──
ラヴェルナはファンドリア騎士団の行動に、奇妙なひっかかりを覚えた。
「ファンドリアの騎士団は、こちらに戦を仕掛けてきたのですか?」
まるで、宮廷魔術師としての力を試されているみたいだった。ここで判断を誤れば、誰も彼女を信用しなくなるだろう。
「いや、まだだ。しかし、それも時間の問題であろう」
「国境警備の騎士たちには、守りをかためて、こちらからは戦をしかけぬようにご命令願えますでしょうか?」
その言葉は凛《りん》と響いて、謁見の間に集まったすべての者の耳に届いた。
しばらくの沈黙の後、動揺が流れる。
「ファンドリア騎士団の行動は、あきらかに我が国から戦を仕掛けるよう誘っております。彼らの意図があきらかでないうちは、こちらから動くのは得策ではないように思えます」
「自重《じちょう》しろというのか」
驚いた顔で、リジャールがラヴェルナに問うた。
「さようです」
ラヴェルナはうやうやしく一礼しながら、そう進言した。
「せっかくの宮廷魔術師殿のお言葉ではありますが、それはいささか臆病すぎるのではありませんか?」
皮肉をこめた口調で、鉄の槍騎士団長ネフェルが発言した。
彼の周囲から、賛同の声が起こる。
「蛮勇を奮うよりは、臆病であるべきだと思えます。もし、我が国から武力を行使すれば、おそらくラムリアースは我がオーファンとの同盟に応じてはくれぬでしょう。そのおり、ロマール王国がファンドリアに力を貸すならば、我が国はふたつの王国の騎士団を同時に相手にしなければならなくなります」
ラヴェルナは、できるかぎり冷静にそう言った。
「宮廷魔術師殿は、鉄の槍騎士団を侮辱するおつもりか。たとえ、二国の騎士団を相手にしても負けはせん」
「二国だけならばまだしも、もしかすれば、ファンドリアはザインとも同盟を結んだのかもしれません」
このラヴェルナの言葉には、さすがの騎士団長も言葉を詰まらせた。
「数年前に起こった内乱以後、我が国とザイン王国との関係は悪化しておりますゆえ、ありえないことではありません」
ザイン国王は、この内乱をオーファンの陰謀だと信じているのである。
もちろん、そんな事実はまったくない。だが、理由のないことではないのだ。
というのも、内乱を起こしたのは、ザイン国王の前身であるモラーナ王国の旧貴族たちだったからだ。
小国ながら伝統ある王国だったモラーナは、数十年も前に邪竜クリシュによって滅ぼされている。
ファン王国最後の王妃であり、オーファン建国王リジャールの妃でもあるメレーテは、このモラーナ王国の王家の出身である。それゆえ、モラーナ王国の復興を叫ぶ内乱の首謀者たちは、正統の国王としてオーファンの第二王子の名を掲げたのだ。
無論、オーファンへは、何の断わりもなかった。
自国の王子の名を反乱の旗印に使われるという異常な出来事に、オーファンの宮廷は驚き慌てた。リジャールは急速、特使をザインに派遣した。
しかし、内乱の鎮圧に苦慮するザインの宮廷が、オーファンの弁明を聞くはずがない。
ザインは一方的にオーファンとの国交の断絶を宣言し、以後、両国の関係は冷えきったままである。
ラヴェルナ自身、この事件の直接の被害者のひとりである。
アレクラスト大陸を巡る旅の帰路にあった彼女は、ちょうどこの内乱が起こっているときにザインに入国してしまい、警備の者に捕らえられ、一年以上も幽閉されるという憂《う》き目《め》を見たからだ。
ザインのオーファンに対する敵意は、ラヴェルナは身をもって知っているのである。
そして、ファンドリアとロマールの同盟を画策した男についても、ラヴェルナはよく知っている。
男の名前は、ルキアル。
昨年、ロマール王国に招聘《しょうへい》された軍師である。ラヴェルナが出会ったときは、戦乱の渦中にある北東地方の都市国家プリシスの軍師であった。隣国の大国ロドーリルの侵略を防いでいたのは、彼ひとりの力であるといっても過言ではなかった。ただ、戦に勝つためだけに、ルキアルは味方と、そして敵をも思うままに動かしているように見えた。
だが、戦そのものをまるで遊戯盤《ゆうぎ ばん》の駒を動かすように楽しんでいるルキアルの姿に、ラヴェルナは強い反発を覚えたものだ。
まさか、あの賢者がロマールに招かれるとは思いもよらなかった。
圧倒的に不利な状況下であってさえ敗北をきっしなかった男が、潤沢《じゅんたく》な財力と強力な騎士団を誇る大国の軍師となったのである。
ロマールがいったい何を企んでいるのかは、まったくはかり知れない。ただいえるのは、ルキアルの軍師就任と同時に、ファンドリアとの同盟が成立したということだ。ラヴェルナには、危険な野心が感じられてならない。
慎重に行動しなければ、ルキアルの術中にはまる危険がある。宮廷魔術師となったラヴェルナは、彼の座する遊戯盤の向かい側にいるようなものなのである。
そう思うと、今更ながら、重責がのしかかってくる。
「たとえ三国が同盟を結んだとしても、我が騎士団が遅れをとると、思っているわけではありません」
ラヴェルナはしばしの沈黙のあと、ネフェルに言った。
「ですが、苦しい戦いになることは否めないでしょう。戦いの後のことまで考えるならば、徒《いたずら》に騎士団を消耗させるのは、どう考えても得策とは思えません。もちろん、一兵も損うことなく勝てる術がありますなら話は別ですが」
ネフェルは苦い顔をして、ラヴェルナを睨みつける。どんな勝ち戦であれ、一兵も失われないような戦いがあるはずがない。
騎士団長の表情は、そう答えていた。
ところが──
「術ならあるぞ……」
そのとき、玉座の左側に並ぶ文官たちの列の後ろで、嗄《しゃが》れた声が聞こえてきた。
ラヴェルナははっとなって、声のほうに視線を向けた。
その声に聞き覚えがあったからだ。だが、この場にいるべき人物ではない。
文官たちの人垣が、ふたつに割れて進みでてきた男がいた。
「フォルテス導師……」
「最高導師だよ、ラヴェルナ」
フォルテスはラヴェルナに答えると、ゆっくりと玉座の前に進み、うやうやしくリジャール王に挨拶をした。
「何用か! 今は謁見の時間ではないぞ」
鋭い声がして、ひとりの騎士がフォルテスとリジャールの間に割って入った。
ローンダミスだった。
悠然としたフォルテスの態度に、あっけに取られていた騎士たちが、彼の一言で騒然としはじめた。
「魔術師ごときが、無礼であろう!」
騎士団長ネフェルも剣を抜き放って、一歩、前に進みでてきた。
「魔術師ごとき、だと」
憎悪のこもった目で、フォルテスはネフェルを睨みつける。
「フォルテス師、国王への面会を望まれるなら、正規の手続きを踏んでください」
ラヴェルナが一段高い玉座から進み降りて、フォルテスの前に立った。
「そのようなこと、おまえに言われるまでもない」
フォルテスはそっけなく答えて、ラヴェルナたちを無視するように、リジャールの前へと進みでた。
「無礼者!」
ネフェルが叫んで、剣をふりかぶった。
「かまわん、ネフェル」
厳《おごそ》かな声がして、騎士団長の動きがぴたりと止まった。
リジャールの声だった。
彼はゆっくりと玉座から立ち上がると、ネフェルやラヴェルナに元の位置へと戻るように命令した。
ネフェルは渋い顔をしながらも、王命に従った。
ラヴェルナも、そっと夫と視線をかわしてから、玉座の右隣へと戻った。
「最高導師就任の祝も、まだであったな」
ふたたび玉座に腰を下ろしながら、リジャールは静かにフォルテスに声をかけた。
「ありがたきお言葉。ならびに、先刻よりの無礼の数々、ご容赦願います」
フォルテスは、その場で畏まった。
「挨拶はよい。それよりも、先程、申したことをくわしく説明せよ」
「一兵も損わず、敵を倒すための方法を、だぞ」
ネフェルの険悪な声が張りつめた謁見の間の空気を震わせた。
老魔術師が、ちらりと騎士団長に視線を向ける。
ラヴェルナは、内心の動揺を抑えながら、じっとフォルテスの言葉を待った。
いかなる目的があって、この老魔術師が宮廷に姿を現わしたのか、彼女には理解できなかった。
そして、先刻の彼の言葉の意味を。
「もちろん、説明いたしますとも。ですが、その前に、お人払いを願いますかな。できますれば、陛下だけにお伝えしたいと存じますゆえ」
謁見の間に並ぶ人々のあいだに動揺が走った。彼らは皆、自分たちが王国を支えていることを誇りに思っている。ところが、フォルテスの言葉は、あきらかに彼らをないがしろにしていた。
怒りと憎しみの視線が、この新しい魔術師ギルドの長に集中する。その激しい感情の奔流は、まるで目に見えるようだった。
「この広間に集う文官や武官たちは、皆、オーファンの重職にある者ばかりだ。気にすることはない。言いたいことあらば、この場で申せ」
「リジャール王のお言葉なれど、わたしの申し上げたいことは、この国はおろか、中原、いや世界をも左右するかもしれぬ重大な内容。どこから水が洩れても、この王国にとって良い結果は招きません」
フォルテスの言葉で、またも広間の空気がざわめいた。
「我々が、秘密を洩らすとでも言いたいのか!」
玉座の左側に並ぶ騎士団のなかからそんな声が飛んだ。
「洩らすつもりがなくても、自然に洩れてゆくのが秘密というもの。事実、国政には関心のなかった私でさえ、この宮廷会議の開催とその内容を知っておったのです。それゆえ、無礼を承知でこの場に参ったのですからな」
フォルテスは声の主を振り返ろうともせず、あくまでリジャールに対し、話をつづけた。国王以外の者など、まったく眼中にないという感じであった。
「それは、間違いないな」
深い皺《しわ》が刻まれたリジャールの顔が、わずかにほころんだ。
「秘密というものは、重大であればあるほど、隠しとおすのは難しいものだ。わしも、我が王国の秘密を他国の使者にうっかりと洩らしてしまったことがある」
そして、リジャールは立ち上がった。
「皆の者はしばし、この場で待つがよい。わしは、新しき魔術師ギルドの長と話をしてこよう」
一同のあいだからは、不満そうな表情がうかがえた。しかし、誰も国王の命令に異論を唱える者はいなかった。
「この広間の奥に、わしの私室がある。貴公の話は、そちらで聞こう」
リジャールは、畏まるフォルテスに立ち上がるように言った。さらに騎士団長のネフェル、宰相のリスラー、そして宮廷魔術師のラヴェルナに同行を命じる。
「できますれば、方々にも御遠慮願いたいものですな」
フォルテスは、周囲の人々をはばかることなく、そう言ってのけた。
またも広間が騒然とした雰囲気に包まれる。もはや、殺気に近かった。
「貴様!」
烈火のごとく怒って、ネフェルがふたたび剣を抜いた。
ラヴェルナも、この最高導師の正気を疑いたくなってきた。
だが、フォルテスの表情は、魔術師ギルドで見慣れたそれと、まるで変わりがない。尊大であり、いつも他人を蔑《さげす》んだような目で見る。だが、彼の灰色の双眸《そうぼう》は濁ってはおらず、狂気のようなものも感じられなかった。
「私は陛下にのみ、話をしたく思います。もっとも、その後、陛下が誰に話されましょうとも、それは私の関知するところではありません。ですが、私の話を聞けば、公《おおやけ》にはできぬ話だとご理解いただけましょう」
リジャールの表情もさすがに厳《きび》しくなっていた。
フォルテスの話に興味を抱いてなければ、彼を投獄していたかもしれない。しかし、この魔術師の無礼な態度よりも、どうやら好奇心のほうが勝ったようだ。
「よかろう」
リジャールはラヴェルナたちにもこの場で待つように、あらためて命じると、フォルテスだけを伴《ともな》って、謁見の間の奥へと消えていった。
リジャールは、しばらくすると、謁見の間に戻ってきた。
その間、ラヴェルナは行き場のなくなった人々の怒りと憎しみの視線のなかにさらされていた。同じ魔術師ギルドに属する者なので、やむをえないことだと思う。
ラヴェルナはそしらぬ顔で、主人のいなくなった玉座の右側にずっと立っていた。
もともと、他人にどう思われようと気にするような性格ではない。そんな性格だったなら、きっと精神に破綻《は たん》をきたしていただろう。
彼女は幼い頃から恐れられ、妬まれ、あるいは憎まれてきたから。
あまりにも優れた魔術の才能のゆえに。
ラヴェルナは何事もなかったかのように、リジャール王を出迎えた。
呼び出しが、国王の入場を告げたのは、それよりも後のことだった。
リジャールのかたわらにフォルテスの姿は、なかった。
「あの無礼な魔術師はいかがなされました。まさか、切り捨てたので?」
リジャールが玉座に着くのを待って、ネフェルが尋ねた。おどけた口調だったので、本心からそう思っているわけではないのだろう。
「我が国民を切る剣など持ってはおらん。魔術師ギルドの長は、すでに帰った。おまえたちの前には姿を現わさぬほうがよいと、わしが忠告したのだ」
リジャールは答えて、深くため息をついた。
「聡明《そうめい》なるご判断です」
ネフェルは、芝居がかった仕草で国王に礼をした。
「ところで、陛下。あの者の話とは、どのようなものだったのですか?」
リスラー宰相が、リジャールに尋ねた。
謁見の間に集まったすべての人々が、一様に首をうなずかせ、国王に注目した。広間は静まりかえり、人々は息をするのをやめたのではと思われた。
しばし、沈黙が続いた。
そして、
「今は、待て」
と、リジャールは一言、答えた。
「すると、あの魔術師の話は真実だったのですか?」
リスラーがさらに問うと、リジャールはすこし迷ってから、ひとつうなずいた。
「フォルテス最高導師の話は真実であった。だが、実現可能かどうかはまだ分からん。もしも実現が可能であれば、あの男の言うとおり、我がオーファンは一兵も失うことなく、ファンドリアやロマールを打倒することができるだろう」
激しい動揺が一同のあいだを駈け抜けた。
信じられないというざわめきが、そこかしこで沸き起こる。
ラヴェルナにしても、その思いは同じだった。フォルテスのもたらした話の内容は想像すらできなかった。
魔術に関する内容であることだけは間違いないだろう。しかし、いったいいかなる魔術であろうか。魔術師ギルドの封印の間に眠る禁断の魔術を解放することか。しかし、禁断の魔術を駆使してさえ、リジャールの言葉が実現できるとは思えない。
味方に損害なく、ファンドリアやロマールの征服を可能にするような魔術など、ラヴェルナの知るかぎり存在しない。少なくとも、現代においては。魔法の全盛期であった古代王国期ならば話は違う。
いずれにせよ、フォルテスが行おうとしていることは、魔術師ギルドの禁忌に触れるものだ。ラヴェルナは、激しい危惧を覚えた。
「真実ならば、素晴らしいことではないか。この際、我がオーファンでこの中原を支配してみせようか」
ひとりの年配の騎士が笑いながらそう言ったのが、ラヴェルナの耳に届いた。
危険な冗談だと、ラヴェルナはその騎士を睨みつける。
騎士たちは、いつの時代も自国の拡大を望んでいる。戦がなければ、自らが存在する意義がないとでもいうように。
「あの魔術師の無礼も許せるというものだな」
ネフェルが、配下の騎士の冗談に笑顔で応じた。
「朗報であるならば、もったいふることはありますまい。我々にも、ぜひお教え願いたいものです」
しかし、リジャールはむっつりと首を振った。
「時期がくれば、皆にも話そう。だが、今は待て」
リジャールの口調は、苦しそうであった。
ラヴェルナは不審に思った。
ネフェルの言うとおり、リジャール王にとっても、フォルテスの話は朗報であってよいはずだ。彼も武人なのだから。しかし、国王の様子は、とてもそのようには思えない。全身から苦悩が滲みでているとさえ見える。
その理由を、ラヴェルナは知りたいと思った。
「御意にございます。それでは、議題を戻しましょう。越境してきたファンドリア騎士団の処遇についてですが……」
リジャールの苦悩を察したのだろう。リスナー宰相が、その場を取り繕《つくろ》うように言った。
「そうであったな。あの不遜な連中をいかにするかで、我々は集まったのであった」
ネフェルも、リスナーに同調するように、そう言った。
リジャールは良い臣に恵まれている、とラヴェルナは胸の奥で安堵の息を洩らした。
騎士団長の言葉に、人々が思いだしたようにうなずいた。
白けた顔で、どうしたものかとまわりの者と相談をはじめる。予期せぬ客のため、盛りあがっていた気分はすっかり萎えてしまったようだ。
おもに文官たちのあいだから、戦に反対する冷静な意見がぱらぱらとあがりはじめた。
しかし──
「断固、討つべきだ!」
騎士のひとりが声高《こわだか》に叫んだ。
血気にはやる若い声だった。
何人かがその声に呼応して、気勢をあげる。やはり、若い騎士たちだ。
「しかし、戦となれば費用もかかる。それに、国の民が戦いを望んでいるかどうかも分からないのだぞ」
財政を預る文官のひとりが若い騎士をたしなめるように言う。
「ファンドリアの腰抜け騎士どもに、我が国が侮辱されたのですぞ。このまま、放っておけば、我が国の威信に傷がつくというもの!」
激昂する若い騎士の言葉にあおられ、また武官たちのあいだから、ファンドリア討つべしとの声があがりはじめる。
ラヴェルナは、激しい怒りを覚えた。できるかぎり黙っていようと思ったのだが、もう限界だった。
「誇りや威信に固執して栄えた国などありません! 善政を行い、国民が平和な暮らしを営《いとな》めるようになったときこそ、誇れる国となるのではないのですか。他国の騎士が国境をすこしばかり越えたからといって、武力でしか応じられないような国に、いったい誰が名誉を認めてくれるというのです」
ラヴェルナの声は辛辣《しんらつ》だった。
「だが、これは挑まれた戦なのだぞ。黙っていれば、我等、騎士団が臆病者と呼ばれよう。宮廷魔術師殿には分かるまいが、武人にとって、これ以上の屈辱はないのだ」
騎士団長のネフェルだった。
静かな物言いではあったが、その一言一言には反論を許さぬ迫力があった。
そして、ラヴェルナも反論するつもりはなかった。
騎士たちは、名誉を遵守《じゅんしゅ》することを叩きこまれている。だからこそ、戦場でも命をかけて戦うことができる。それを否定することは、彼らの存在そのものを否定することだ。
魔術を侮辱されたとしたら、ラヴェルナとて憤りを覚えるだろう。それと同じである。もっとも、魔術を侮辱する者は多く、またそうすることが間違っているとも思っていない。フォルテスのような考えを魔術師が抱くのも、魔術に対する人々の無理解のためだと思う。
「他に意見がないのなら、国王のご裁断を願いましょう」
リスラー宰相が、まとめるようにそう言った。
ラヴェルナは、うなずかざるを得なかった。
魔術の研究とは違い、国を治めるということに絶対的な真実はないのだ。いかに正論であっても、人々に納得されなければ、意見は通らないのだ。
ネフェルも姿勢を正すと、じっとリジャールの言葉を待った。
「越境してきたファンドリアの騎士どもは、奴らの国へ追い返さねばならん。ただし、今は戦にならんように全力を尽くしてだ」
しばらくの沈黙ののちに、リジャールは宣言するように言った。
ラヴェルナは内心ほっとしていた。
だが、騎士たちのあいだには、ざわめきが起こっていた。ラヴェルナや文官たちが何と言おうと、武人であるリジャールはファンドリアとの戦に踏みきるだろうと信じていたのに違いない。
「なにゆえです! ファンドリアを討つのに、またとない好機ではありませんか。あの混沌の王国を倒さぬかぎり、オーファン千年の繁栄はありえません」
ひとりの騎士隊長が紅潮した顔で、一歩、前へ進みでた。国王の言葉が信じられない様子であった。
「分かっておる!」
リジャールの声は厳しかった。
「控えろ、ベルーガ。国王陛下のご裁断なのだぞ」
鋭く叱責して、ネフェルはその騎士隊長を下がらせた。
「しかし、陛下。理由を教えてもらわねば、わたしとしても納得できません。陛下は最初、ファンドリアとの開戦に賛成だったのではありませんか。それなのに、なぜお気持ちが変わられたのです。あの魔術師にいったい何を吹き込まれたのですか」
「こらえろ、ネフェル」
リジャールは苦しそうに言った。
「理由はいつかあきらかにする。だが、今は何も問うな。そして、わしの命令に従ってくれ」
ネフェルは、その場所で深く一礼をした。
「御意にございます……」
そして、鉄の槍騎士団長は頭《こうべ》を垂れたまま、じっと動かなくなった。
「この問題は、我が宮廷魔術師殿に一任しよう。いかようにも、人を使ってかまわん。ただし、くれぐれも戦にならぬようにな」
リジャールはラヴェルナにそう言った。
もとより、それはラヴェルナの望むところだったので、ラヴェルナは畏《かしこ》まって承知した。
そして、会議はこれで解散となった。
リジャールは閉会を告げると、早々と謁見の間から退出していった。
国王を見送ってから、武官や文官たちも、次々と謁見の間から下がってゆく。彼らの表情はいかにも納得がゆかぬというように複雑なものであった。
そのなかに、ひとりだけほくそ笑んでいる男がいた。
だが、リジャールもラヴェルナも、いや謁見の間に居合わせた誰一人として気づいている者はいなかったのである。
リジャールは謁見の間の奥の扉を通って、自らの部屋に戻った。
部屋には侍女がひとり立っていて、贅《ぜい》をこらしたソファーでくつろいでいる老人に飲み物を作っていた。
リジャールが入ったのを見て、侍女がかしこまって礼をする。そして、気をきかせたように、部屋から出てゆく。
もうひとりの老人も、立ち上がって彼を出迎えた。
新しい魔術師ギルドの長、フォルテス導師だった。
「皆様には、納得いただけましたでしょうか?」
口調こそ丁寧であったが、フォルテスの言葉には、敬意が感じられない。
「納得などするものか。だが、とにかくおまえの望みどおりにしたぞ」
リジャールは憮然《ぶ ぜん》とした顔で、フォルテスに答えた。
「では、ラヴェルナを宮廷魔術師の職務からはずされたので」
「それはできぬ。ラヴェルナを宮廷魔術師に推挙したのは、カーウェスなのだぞ。おまえにとっても、師にあたる人物だろう」
フォルテスはおおげさにうなずいてみせた。
「たしかにそのとおりです。カーウェス師は魔術師ギルドの最高導師であり、そして宮廷魔術師でもありました。私には、このふたつの名誉は兼任されるべきだと思えます。オーファン王国の繁栄のために、城と魔術師ギルドとはともに協力しあうべきであると……」
「両者の協力については、異論はない」
リジャールはこれも豪華な椅子に腰を下ろし、フォルテスと向かいあった。
「だが、魔術師ギルドの最高導師と宮廷魔術師が兼任されるべきとは思えん。宮廷魔術師は宮廷のことを考え、最高導師は魔術師ギルドのことを考える。カーウェスが両者を兼ねていたことが、むしろ特別なのだ」
「ならば、私にもその特別な資格がございましょう」
フォルテスはさらりとそう言った。
「私は王国のことを誰よりも思っております。あの小生意気な女魔術師よりもです。そうでなければ、なにゆえ陛下に、先ほど申し上げたような秘密を語るでしょう」
「魔力の塔の再建……か」
「そう、無限の魔力を紡ぎだす古代王国究極の魔法装置です」
フォルテスはソファーに座ったままで、大きく胸を張った。まるで騎士が自分の武勇を誇るように。
「無限の魔力があれば、千人の騎士を瞬間移動させることも可能です。その剣には魔力を付与し、鎧には|護 り《プロテクション》の呪文を唱えましょう。そして、星界より隕石を召喚し、巨大なゴーレムを何体も造りだして見せましょう」
「夢のような話だな」
リジャールは深く椅子に身体を沈めた。
「だが、危険な夢だ。古代王国が滅亡したのは、いかなる理由であったか、おまえも知っておろう」
「もちろん、知っておりますとも。知っていればこそ、五百年前の魔術師たちの失敗を繰り返さぬ自信があるのです。つまりは、使い方さえ誤らねばいいだけのこと。魔力の塔は無限の可能性であり、至高の力を与えてくれるのです。この無限の可能性と至高の力を、私と陛下のふたりで使ってはみませんか? 遠からず中原《ちゅうげん》は、いえアレクラスト大陸全土は陛下のものとなり、争いのない平和な世界が実現するでしょう。いえ、実現させねばならないのです。私にも、陛下にも残された時間はあまりにも少ないのですから……」
「残された時間か……」
リジャールは瞑想するように、静かに目を閉じた。
フォルテスの言葉は、リジャールの急所を射止めていた。
リジャールには大きな悩みがある。それは、この最高導師の言葉どおりに、自分に残された時間が少ないということだ。
建国から二十年あまりがすぎ、すでにリジャールは老齢の身である。あと、十年生きるか、二十年生きるか、それは分からない。しかし、かつての冒険仲間カーウェスの例をあげるまでもなく、明日にも急な病《やまい》を患《わずら》い、他界するかもしれないのである。
そして、彼の跡を継ぐべき皇太子リトラーは、リジャールから見てさえ、頼りなく思える。もし、平和な時代に即位したのであれば、リトラーも立派な国王となるだろう。しかし、今の中原の情勢を考えると、不安を拭いきれない。
皇太子も、そして、その下の王子カシアスも、ともに母親|似《に》の優しい性格をしていて、武術や馬術の腕前は騎士見習いにも劣る。もっとも、学問には優れており、リジャールにはまるで理解できなかった下位古代語の読解や会話を完全に修得している。
しかし、国王に必要なのは学問ではない。
剣の国、英雄の国と呼ばれるオーファンの国王に期待されるのは、優れた戦士であり、英雄の資質を備えていることだ。まして、隣国のファンドリアをはじめ、エア湖畔の王国ザインなど、オーファンに敵意を燃やす王国は多い。
しかも、近年になって、中原南部の大国ロマールがファンドリアと同盟を結ぶという衝撃的な出来事があった。なんでも、ある辺境の国から招聘《しょうへい》した新しい軍師の方針らしく、この軍師はザイン王国へも同盟への参加を積極的に働きかけていると聞く。
これも成立すれば、オーファンは二国どころか三国の騎士団を相手に戦を強いられるはめになる。
それは、いかにも苦しい戦であろう。
この困難な戦いを勝ち抜くためにも、国王は英雄でなければならないのだ。ときには、陣頭に立って剣を振るってみせることも必要だから。しかし、リトラーやカシアスに、そんな勇気があるとは思えない。よしんば勇気があったにせよ、今の実力ではみすみす死ににゆくようなものだ。
国王が戦死したとあっては、王国の命運はそれまでである。
戦になるのなら、自分が存命のあいだに起こってほしい、とリジャールはひそかに願っていた。だから、ファンドリアの騎士団が越境してきたとの報告を聞き、神の与えた機会だと思ったのだ。
しかし、新しい宮廷魔術師ラヴェルナは開戦に反対した。
ファンドリアの行動の真意が分からぬかぎり、むやみに動くべきではないと反論したのである。
冷静に考えれば、彼女の意見はもっともだと思える。短慮を起こし、戦をはじめていれば手痛いしっぺがえしを受けていたかもしれないのだ。
だが、時間が少ないという焦燥感は、今もリジャールの心を捕らえて離さない。
この魔術師ギルドの長に力を貸して、魔力の塔を完成させれば、たとえ三国を相手にしてでも、やすやすと勝てるだろう。そうすれば、なんの憂いもなく、王位をリトラーに譲ることができるのだ。
しかし──
「なにゆえ、貴公はラヴェルナを疎《うと》むのだ」
リジャールはゆっくりと目を開けると、老魔術師に問うた。
「疎ましく思っているわけではありません。ただ、宮廷魔術師には、私のほうが適任だと申しあげておるのです。魔術師ギルドの序列から考えれば、私のほうが高位にあるのですからな。まして、宮廷魔術師と最高導師が別人であれば、双方に意見の対立が起こらぬともかぎりません。そうなれば、宮廷と魔術師ギルドの関係にも、亀裂が入る恐れがあります。魔力の塔を扱うとなれば両者の協力は不可欠。いかに、陛下が我がラヴェルナ導師をお気に召しておられましょうとも、この条件ばかりは呑んでいただきたいものです。さもなくば、このフォルテス、安心して魔力の塔を再建することができません」
フォルテスが自分の言葉に酔っているように熱弁をふるっているあいた、リジャールはこの魔術師ギルドの長の顔から、片時も目を離さなかった。
彼の言葉はたしかに筋がとおっているように思う。
しかし、何かが間違っているような気がしてならなかった。
具体的に、それが何かは分からない。ほんの小さなことかもしれない。だか、それはかぎりなく奥深い問題かもしれないのである。
迷い悩んだすえに、リジャールは即答を避けるべきだと判断した。
こればかりは慎重に考えなければならない。もしかすると、王国の存亡に関わる選択かもしれないから。
リジャールはカーウェスが病に倒れていることを、心の底から残念に思った。
「しばらく、待ってはくれまいか」
リジャールはフォルテスに言った。
「就任したばかりの宮廷魔術師をさしたる理由もなく辞めさせたとあっては、このオーファンの威信に関わろう。それでは、後任となる貴公も、仕事がやりにくかろう」
「なるほど、もっともなお言葉でありますな」
フォルテスは意味ありげな笑いを口許に浮かべた。
「たしかに、宮廷魔術師を辞めさせるには、正当な理由が必要でしょう。そして、理由など、いくらでもこじつけられるもの。陛下のお言葉どおり、しばらく待ちましょう。それまで、私は魔力の塔再建の準備を進めておくことにしましょう」
どうやら、この魔術師はリジャールの言葉を曲解したょうだ。リジャールは言葉どおりの意味で言っただけなのだが。しかし、ひとりで納得してくれるのは勝手なので、
「そうしてくれ」
と、リジャールは曖昧《あいまい》な返事をしておくことにした。
「それでは、私は今度こそ本当にお暇《いとま》することにいたしましょう」
フォルテスはソファーから立ち上がると、リジャールに向かって恭《うやうや》しく一礼をした。
だが、そんな慇懃《いんぎん》な態度のうちにも、この魔術師にはどこかしら尊大なところが感じられる。
カーウェスにはそんなところはなかった。そして、ラヴェルナにも……
リジャールは椅子から立とうともせず、顎《あご》だけを引いてフォルテスに応えた。
「今度お会いするときには、私はあなたの忠実な助言者として見《まみ》えたいものです」
そして、フォルテスは上位古代語の魔法語《ルーン》を唱えると、リジャールの前から姿を消した。
リジャールは、椅子に腰をかけたまま、老人の消えた空間をしばらくじっと見つめつづけていた。
「いったい、どうすればよいのだ。我が友、カーウェスよ」
リジャールは、ぽつりとつぶやいた。
これからのオーファンのことを思うと、リジャールの胸はしめつけられる。自らの剣ですべてが解決できた冒険者時代のことが、懐かしく思いだされる。
王国の運命を切り開くのが剣の力だけではないことが、リジャールにはたまらなく悔しかった。
ミレルが盗賊ギルドから戻ってきたのは、もうすっかり夜が更けたころだった。
リウイたちは、すでに食事も終えていて、二本の酒瓶を空にしていた。だが、それでも酔った気がしない。
話もまったく弾んでいない。ときどき誰かが話をはじめるが、たいていは二、三言、話がつづくだけで、すぐにみんなが黙りこんでしまう。沈黙が長引くと、また誰かが重い口を開く。
そんなことの繰り返しだった。
周囲の客たちには、リウイたちが祝宴をあげているとはとても思えなかったろう。むしろ、知人の死を悲しんでいるような雰囲気さえあった。
だから、ミレルが元気に扉を開けて戻ってきたとき、ようやくリウイたちの顔に明るさが戻った。全員が無意識に立ち上がって、彼女を出迎える。
ミレルはそんなリウイたちの反応に、最初は驚いた顔をして、それから照れたような笑いを浮かべて、テーブルに戻ってきた。
「ごめんね、遅くなって」
「そんなことかまわないさ。で、どうだった?」
盗賊ギルドでどんな情報が得られたか、とリウイは訊ねたのだ。
「それなんだけどね」
ミレルはグラスにぬるくなった水を注ぐと、それを一息に飲んでから、話しはじめた。
「夕方の早馬なんだけど、ファンドリアの騎士団がオーファン領に越境して、堂々と野営をしてるんだって。その報告と国王からの判断をあおぐための使者だったみたい」
「ファンドリアの騎士団が!」
リウイは驚いて、ミレルの顔をまじまじと見つめてしまった。
「よい度胸をしている。それでは、戦いは避けられまいな」
ジーニが頬に描かれた紋様を指でなぞる。
「と、思うでしょ? でも、なんだか様子がおかしいの。実はさっきまでお城で宮廷会議が開かれていて、あたしはその結果をギルドで待ってたんだけど、どうやら、会議でちょっとした事件があったみたい。魔術師ギルドの新しい最高導師が乱入してきてさ、リジャール王におかしなことを提案したんだって。おかげで会議が中断されたりして、騒然たるものだったらしいわ。結局、ファンドリア騎士団の越境については棚上げされたかっこうで、新しい宮廷魔術師のラヴェルナさんが解決を一任されたんだって」
「ち、ちょっと待ってくれ、ミレル」
あまりのことに、リウイの頭は混乱した。
「宮廷魔術師は、ラヴェルナ導師に決まったんだよな。それなのに、なんでフォルテス最高導師が宮廷会議に姿を現わすんだ」
「だから、乱入したんだって。招かれざる客っていうのかな。それで、魔術師ギルドの長は、いったいなんて言ったと思う?」
「どう言ったんだ」
身を乗りだすように、リウイは勢いこんで尋ねた。
「リウイの予想どおりだと思うわ。くわしい話は国王だけにしたんだけど、味方が一兵も損われることなく、ファンドリアとロマールの二国を敗《やぶ》ってみせるんですって」
ミレルの言うとおり、この情報が暗示していることは、リウイにはすぐに分かった。
「まさか、あれを使う気なのか!」
リウイは茫然とつぶやき、思わず椅子を蹴って立ち上がっていた。彼が店に入ってくるときミレルがそうしたょうに弾みで椅子が後ろに倒れ、大きな音が酒場中に響いた。
周囲の客たちのいぶかしがるような視線を受けて、リウイはあわてたように椅子を起こすと、取り繕《つくろ》うような笑いを浮かべて座りなおした。
「他には、考えようがありませんわね」
周囲の視線が離れるのを待って、メリッサがそっとつぶやいた。
「心配していたとおりになったな」
メリッサの言葉に、ジーニが相槌《あいづち》を打つ。
「どうする、リウイ?」
ミレルが両手を組み、そのうえに顎を乗せ、リウイの瞳を覗きこんだ。
「リジャール王がどう動くかが問題だな。もし、リジャール王がフォルテス導師の考えに同調するつもりなら、オレたちがどうあがいたってかなうはずがない」
「王国ひとつを相手になんかできないものね」
そう言って、ミレルは肩をすくめた。
「でも、リジャール王は迷っているみたいよ。フォルテスの話が何だったのか、宰相や騎士団長をはじめ誰にも話していないみたい。宮廷魔術師ラヴェルナさんにもね。ただ、時期を待てと言ったらしいわ」
「国王は迷っているのか……」
うめくように、リウイは言った。
「すると最悪の場合もあるわけだ。これはなんとかしないとな」
「あたしが魔術師ギルドに忍び込んで、問題の書物を盗みだしてこようか?」
「気持ちはありがたいけどね、ミレル。それは危険すぎる。魔術師ギルドには盗賊たちが入らないよう、魔法の罠をいくつも仕掛けてある。それに、フォルテス最高導師も、問題の古代書の保管には、細心の注意を払っているはずだ。どこに隠してあるのか、突きとめるだけでも大変だろう」
「たぶん、そうでしょうねぇ」
ミレルは組んだ両手に乗せていた顔をあげ、悔しそうに舌を鳴らした。
「あたしたちの力だけでは、解決は難しいと思いますわ。誰かに協力を求めるのがいちばんなのですけど……」
メリッサはそこで言葉を切ると、上目使いにリウイを見る。
「しかし、わたしたちは脛《すね》に傷を持つ身だ」
ジーニは、あいかわらず両腕を組んだままだった。
メリッサもそれが言いたかったらしく、無言でうなずいた。
「それが問題だな。しかし、脛に傷を持っているのは、もうオレたちだけじゃない。魔術師ギルドの最高導師自らが、禁忌《タブー》を犯しているんだからな。オレたちに協力してくれる人だって、きっといるはずだ」
「誰が味方で、誰が敵かを見分けなければならないということですね」
「そういうことだ」
リウイはメリッサに相槌を打った。
「誰か心当たりはあるの?」
不安そうな顔で、ミレルが尋ねた。
「もちろん、あるさ」
リウイは自信に満ちた表情でニヤリと笑った。
それが誰かと問いたがっている全員の視線を浴びながら、リウイはもったいぶるように店員を呼ぶと、新しい料理と飲み物を注文した。
「オレの父親代わりをしてくれた人は、魔術師ギルドの創設者《そうせつしゃ》だったろ?」
そして、注文を聞いた店員が去ってゆくのを待って、リウイは仲間たちの顔を見回しながら、そう言った。
「偉大なるカーウェスね」
ミレルが、そうかというようににっこりと笑った。しかし、すぐにその表情は暗くなった。
「でも、カーウェス最高導師は、今、病気で伏せっているんでしょ。それも、明日をも知れない重病だって……」
「ああ、だから明日にでも見舞いにいって、そのときに話をつけてくるつもりだ。爺さんの病気も、心配だしな。最高導師の名誉を譲ったとはいえ、爺さんの一言はまだまだギルドの魔術師たちに強い影響を与えるはずさ。爺さんの言葉なら、きっとリジャール王も耳を貸すだろう。それに、ラヴェルナ導師だって味方にできるはずさ。あの人は、カーウェス最高導師の愛弟子《まなで し 》だからな」
もちろん、リウイとて、カーウェスに頼めばすべてがうまくゆく、と思っているわけではない。しかし、仲間たちをこのまま不安がらせているわけにはいかなかった。
「若い魔術師のあいだでさえ、フォルテス師の評判はよくないんだ。きっと、彼は孤立して、魔術師ギルドから永久追放の身にされるだろうさ」
リウイの言葉に、三人の仲間はすこしは救われたように、安堵の表情を浮かべた。
ちょうどそのとき、リウイが注文した食事と飲み物が運ばれてきた。
「さあ、暗い話は忘れて、今夜はぱっと騒ごうぜ」
そして、リウイは全員の酒杯に冷たいエール酒を注ぐと、そのうちのひとつを手にとって、目の高さに掲げた。
三人もそれぞれ酒杯をつかんで、リウイの酒杯に勢いよく合わせた。酒杯のなかの液体が飛び散り、全員の手や顔を濡らした。
「今回の冒険の成功と、次の冒険の成功に」
リウイは、心の奥底にひそかな決意をひめて、そう声にだした。
「乾杯!」
三人が答える。
夜も更けてきたとはいえ、朝はまだまだ遠い。今夜だけは存分に羽目《はめ》をはずす気に、リウイはなっていた。
次なる冒険は、きっと命懸けのものになるだろう。
そして、成功したとて、報酬が入ってくる保証は、まったくないのである。
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第V章 謀略の魔手
うねうねと曲がりくねる坂道が、丘の頂《いただき》に向かって伸びている。
魔法戦士を自称する大男は、これから自分が目指す建物をそっと見上げた。
オーファン魔術師ギルドは、漆黒の塔を三角形に配置した奇怪な外観をしている。三つの塔を結ぶように、やはり三角形をした建物が建てられている。
塔の外壁は外から入る光を残らず飲み干しているかのように真っ黒である。夜空を背景にしてさえ、この塔の黒さは、はっきりと分かるのだ。
いいかげん見慣れてもよさそうなものだが、リウイはどうしようもなく嫌悪感を覚えてしまう。
最初、カーウェスに連れられてこの建物を訪れたとき、まだ子供だったリウイは、巨大な化物に飲み込まれてしまいそうな気がして、足が竦《すく》んで一歩も動けなくなったことを記憶している。
正門までくると、|竜 牙 兵《スケルトン・ウォーリアー》の門番が出迎えた。この魔法生物は新月刀《シミター》を構えて、直立不動の姿勢のままじっとしている。
昨日までは、人間の門番を雇って立たせていたはずだ。
これも、フォルテスの趣昧なのだろう。
それならば、死霊魔術《ネクロマンシー》の奥義を使って、不死生物《ア ン デ ッ ド》どもを門番に使えばいいのだ、とリウイはなげやりな気持ちで思った。
竜牙兵がいったいいかなる命令を受けて立っているのかは分からない。リウイが門をくぐっても、この付与魔術《エ ン チ ャ ン ト》で創造された門番は、ぴくりとも動かなかった。
門を潜《くぐ》ると巨大な広間になっていた。
三つの塔を頂点とする三角形の建物である。この建物は四階まであり、それから上はもはや三つの塔をつなぐ通路は設《もう》けられていない。
大広間は全階を貫く吹き抜けとなっていて、壁際に回廊が三段に重なっている。回廊の外側の壁には、扉がずらりと並んでいた。正面と左右に三つある建物の隅には、両開きの扉が設けられ、短い通路を隔《へだ》てて真理、魔術、知識の三つの塔へと続いている。
リウイは正面の隅に向かって歩いた。そこには真理の塔へと続く扉がある。
この真理の塔は、正魔術師以上の者たちの私室が用意されている。いわば宿舎だ。もちろん、リウイの部屋もある。見習い以下は、この建物の四階部分を占めている大部屋で暮らすか、自宅から通ってくるかのいずれかだった。
広間の真ん中まで進みでたところで、リウイは人々の様子がいつもと異なることに気がついた。
普段は正魔術師の資格を得るため、寸暇《すんか 》を惜しんで書物を読んでいる見習いたちの姿が目につくのに、今日は誰も書物を手にしていない。魔術師や見習いたちは、年齢の近い者同士がかたまってひそひそ話をしているのだ。
そして、一般の人々の姿は、まるで見られない。
魔術師ギルドでは、各種の薬や共通語魔法《コモン・マジック》の品物《アイテム》などの販売を、一般の人々に対し行っている。それから、大陸で使われている言葉や薬草、鉱物学など一般的な教養を授《さず》ける講座が開かれたり、個別の相談も受けつけている。
閉鎖的な魔術師ギルドと一般の人々とを結ぶわずかばかりの接点である。
一般の人々の姿がまったく見られないことが、リウイを暗い気持ちにさせた。彼らがこの魔術師ギルドを訪れることは、二度とないような気がするのだ。
真理の塔へと続く扉の前までくると、リウイは上位古代語《ハイ・エンシェント》を一言、唱えた。扉には|魔法の鍵《ハードロック》の呪文がかけられているので、合言葉を知らない者はこれより奥に入ることはできないのである。
扉は開かなかった。もちろん、リウイは正確に合言葉を唱えたつもりだった。
念のために、もう一度、繰り返してみる。しかし、結果は同じだった。
「合言葉が変わったのか」
フォルテスの悪意をかいま見たような気がした。古い体制のすべてを破壊し、自らの好きな色でこの魔術師ギルドを染めあげようという意図がありありと分かる。
「リウイじゃないか?」
そのとき、背後から声がかけられた。
リウイが振り返ると、ひとりの若い魔術師が嬉しいような、驚いたような顔をして立っていた。
「ダリルか」
ダリルはリウイと同い年で、魔術師ギルドにあっては唯一の友人と言っていい。魔術師としての実力はリウイよりずいぶん上で、近々、導師の資格を得るだろうと噂されている。
天才肌の男で、たいして勉強していないように見えるのだが、いつもリウイの一歩も二歩も先を進んでいた。
「ずいぶん姿を見なかったけど、また冒険かい?」
ダリルは陽気な足取りで、リウイに近づいてきた。
「まあな」
リウイは曖昧に答えておいて、目の前の扉を指差した。
「変わったんだな」
「昨日の夜、突然、知らせがあってね。フォルテス導師自らが、すべての扉の合言葉を変更したんだそうだ。君が知らないのも、無理ないけどね」
うんざりだ、とリウイは思った。
「真理の塔に入りたいんだろ」
ダリルは扉の正面に立つと、リウイにはとても真似のできないような明瞭な発音で上位古代語《ハイ・エンシェント》の合言葉を唱えた。
「魔術こそ唯一の真理」
合言葉は、そんな意味だった。いかにも魔術至上主義者のフォルテスらしい。
扉はゆっくりと開き、魔法の明かりで照らされた通路が奥に現われた。
ダリルも真理の塔に戻るところだったようで、リウイと並んで扉をくぐった。
リウイたちの背後で、自動的に扉が閉まる。
「君がいないあいだに、最高導師の交替があってね」
ダリルは横目でリウイを見ながら、低く押さえた声で言った。
「そうだったのか」
リウイはわざとらしく驚いてみせた。
「カーウェス師は、亡くなられたのか?」
「そういえば、君はカーウェス師の養子だったね」
ダリルは、深いため息をついた。
「カーウェス師は、まだ生きておられるよ。でも、いつ亡くなられてもおかしくはないね。どんな薬を投じても治らなかったし、ジェニ大司祭の癒しの魔法でさえ回復しなかったんだ。もう、どんな手段を講じてもだめだろう。神が定めた運命には逆らえないさ」
「それで、フォルテス師が新しい最高導師になったわけか?」
リウイの問いに、ダリルは無言でうなずいた。
「まだ、代行のはずだけどね」
ダリルは、意味ありげにつぶやいた。
「フォルテス師はこの魔術師ギルドを改革したいらしいよ。今朝、導師全員が集められて、新しい方針が語られたそうだ」
「魔術師ギルドの改革?」
「それも大改革さ。たとえば、他国の魔術師ギルドとの交流はやめるみたいだよ。それから、一般の人々の出入りは禁止するらしい。魔術の研究を優先させるために、雑事《ざつじ 》に時間を取られるのは愚かなことなんだそうだ」
「そんなことまで……」
リウイは唖然となった。まさか、他国の魔術師ギルドとの断絶を宣言するとは思ってもいなかった。
「正気の沙汰じゃない」
「しっ! そんなことを言って、誰かに立ち聞きされたらたいへんだよ」
ダリルは不安そうに、あたりを見回した。
リウイたちは奥の扉を抜けて、真理の塔の外壁に取りつけられた回廊へと出ていた。回廊には、階段がふたつ設けられていて、どちらも上の階へと続いている。
リウイたちは左の階段へ向かった。そのほうがわずかに距離が近いからだ。
「今、魔術師ギルドはたいへんなんだ」
「改革のせいだろ?」
「まあね。カーウェス師の方針を完全に覆《くつがえ》す改革だからね。もちろん、反対する者もいる。でも、フォルテス師は反対意見に耳を貸すつもりはないね。導師たちの何人かは、魔術師ギルドを辞めると思うよ。残りたい人は、導師も魔術師も見習いも、みんなフォルテス師に忠誠を誓わねばならないんだそうだ」
「君はどうするんだ?」
リウイは興味をもって、ダリルに尋ねた。
「フォルテス師は、あまり好きにはなれないけどね。オーファンで魔術を研究するには、やっぱりここが一番さ。この国には魔術師の私塾はないし、他国でやりなおすつもりもない。このギルドに残りたいなら、君もうかつなことは言わないほうがいいよ。気に入らない者は、すべて除名するという噂だから」
そういうことか、とリウイは深くうなずいた。疑心暗鬼にかられた男なら、それぐらいはやりかねないだろう。
「これもあくまで噂なんだけど、どうやらラヴェルナ導師も追放されるらしいよ」
「なんだって!」
これには、リウイはむっとなった。
「だから、声を落としなって」
ダリルは、あわてて周囲を見回した。
ちょうどリウイたちは、階段の下までやってきていたが、回廊にも階段にも人影はなかった。
おおげさに安堵のため息をもらしてから、ダリルは階段を昇りはじめた。
もちろん、リウイも続いた。
「カーウェス師を除けば、ラヴェルナ師はこの魔術師ギルドでいちばんの魔術の使い手だ。すでに魔術の奥義を究めているという噂さえある。そのラヴェルナ師を追放するのは、オーファン魔術師ギルドにとって大きな損失のはずだ」
「そうは思うんだけどね。でも、ラヴェルナ師は、以前からフォルテス師とは折り合いが悪かったからなぁ」
「そんな非道をカーウェス師が許すはずがない。カーウェス師は他の誰よりも、ラヴェルナ師を信頼していたんだ」
「フォルテス師には、それが気に入らなかったんだろ」
ダリルはそこまでを言うと、顎をしゃくって、上から人が来ていることを警告した。
やってきたのは年老いた導師で、リウイたちとすれ違うとき、じろりと睨んできた。
その導師が階下に消えるのを待ってから、
「部屋に来るかい? 噂話なら、いろいろ収集しているけど」
と、ダリルは誘いかけてきた。
彼の部屋は、もう一階上だ。リウイはこの階に部屋があるから、ここで別れると思ったのだろう。だが、リウイは最上階のカーウェスの私室を訪ねるつもりだった。
「せっかくだけどね。オレはカーウェス師に掛け合ってみる。ちょうど見舞いにゆこうと思っていたんだ」
リウイの言葉に、ダリルは複雑な顔をして、黙りこんだ。
「どうしたんだ」
「とても言いにくいんだけどさ。カーウェス師に会うのは、難しいと思うよ」
「なぜだ」
リウイはつい声を荒げて、ダリルに詰めよった。
「これも噂だけどね。カーウェス師の部屋の前には、見張りが立てられているんだ。フォルテス師の許しがなければ、たとえ高位の導師だって面会はできないよ」
「本当だろうな」
リウイはダリルの肩をつかむと、彼の身体を揺さぶった。
ダリルは苦笑を浮かべながら、本当だよ、と答えた。
その一言でリウイの思惑《おもわく》は崩れさってしまった。
カーウェスが生きているかぎり、魔術師ギルドの最高責任者はフォルテスではない。カーウェスの言葉さえあれば、フォルテスを失脚させることも難しくない。
だが、そのことはフォルテス自身、十分、承知していたのだろう。だからこそ、暴挙とも思える行動に出たのだ。
「なんて卑劣な……」
挙を握りしめて侮しがるリウイを見て、ダリルはわずかに肩をすくめると、寂しそうに微笑んだ。
「その様子じゃ、このギルドに残りそうにないね。君がいなくなるのは寂しいけど、お互いがんばろう」
人なつっこい笑みを浮かべながら右手を出してくるダリルの顔を、リウイはしばし茫然と見つめた。
ダリルにしても、フォルテスを好ましく思っているわけではないのだ。だが、この秀才は、新しい最高導師の変革を従順に受け入れようとしている。
「早とちりするなよ」
リウイはにやりとして言った。
「フォルテス師は嫌いでも、この魔術師ギルドを出たら魔術の修業ができなくなるだろ?」
「リウイ……」
よほど意外だったようで、ダリルはまじまじとリウイの顔を見つめた。
「何を驚いてるんだ。おまえだって、同じ考えなんだろ?」
「まあね。でも、君がそう考えるとは思わなかったよ。カーウェス師の養子なんだし」
「それを言うなら、オレはフォルテス師の弟弟子さ。兄弟子に従うだけのことさ」
「そうか……、そうだよな。なら、まだ一緒に修業できるんだ」
「もちろんさ」
力強く、リウイは言った。同時に心のなかでは、まったく別の決意を固めていた。
フォルテスと全面的に対決することをだ。古代書を取り返すだけではなく、彼の野望をくじき、この魔術師ギルドから永遠に追放しなければならない。
今は屈辱に耐えねばならないと、リウイは自分に言い聞かせた。フォルテスに忠誠を誓うふりをして、彼の隙をうかがうのだ。
「フォルテス師は、最高導師の執務室にいるんだろ?」
「そのはずだよ」
「ありがとう、ダリル」
リウイは彼に別れを告げると、勢いよく階段を昇っていった。この塔の最上階にある最高導師の執務室を目指して。
すでに日は西の空へと傾き、戸外《こ がい》は薄暗くなっていた。
一日の公務を終えて、王城から帰ってゆく武官や文官たちの姿が、城門のところで列をなしている。
ローンダミスも国王の身辺警護の役目を終えて、宿舎のなかにある自分の部屋へと下がるところだった。
ローンダミスとてオーファンの上級騎士である、ファンの街に戻ればそれなりに大きな屋敷がある。だが、最近の王国の混乱と、リジャールの様子を見ていると、とても屋敷に戻る気になれなかった。
オーファンの建国王は、先日の宮廷会議以来、ずっと悩みつづけている様子だ。
謁見の時間にはいつもの堂々たる態度に戻っていたが、それでもちょっとした動作の合間に、深い翳《かげ》りが表情に現われることがある。
彼の苦悩はファンドリアとの国境に向けられているものではない。
それぐらいのことは、ローンダミスにも分かる。
ファンドリア騎士団の越境問題は、すでにラヴェルナが国境へと飛び、事態の収拾に努めている。
それに、リジャールはファンドリアの武力を軽視している。
ファンドリアの国王や騎士は、ファンドリアの権力を掌握している有力な組織の傀儡《かいらい》にしかすぎない。騎士団というより、傭兵のようなものなのだ。そんな騎士たちが、勇敢に戦えるはずがない。
むしろ、恐るべきは暗黒神教団《ファラリス》の神官戦士であり、暗殺者《ア サ シ ン》ギルドの暗殺者たちだと思っている。
だが、ファンドリアの背後に見え隠れするロマール王国の武力は決して侮《あなど》ることはできない。強力な騎士団を擁して中原制覇に乗りだしたレイド王国でさえ、はるかに数の劣るロマール軍に大敗し、逆に自国を征服されるという最悪の結果になった。
なにより、ロマールの軍師となった賢者ルキアル。ローンダミスは、彼がどのような人物かよく知っている。
油断のできない男だ。目的を達成するためには、常人の考えつかないような策を弄する。ファンドリア騎士団の突然の越境にも、この男の影が見え隠れしている。
また、ロマールの東に位置する王国ザインの動向も気になる。
なにより、武力の優劣にかかわらず、戦は避けるべきだとローンダミスは思う。それは十年の年月をかけて大陸中を巡って得た結論だ。
だから、ローンダミスはラヴェルナの努力が実るよう願っている。もっとも、いざというときの準備は怠っていない。戦は避けるべきであるが、避けられない戦があることも承知しているからだ。
すでに遠征用の荷物はまとめているし、戦場に連れてゆくためのロバも購入した。今、腰に差している剣も、儀礼用のものではなく冒険者時代に手に入れた魔法の|長 剣《バスタードソード》である。
近衛《こ の え》騎士団の騎士隊長である彼は、いつもリジャールのそばにあり、国王の身を守るという使命を担《にな》っている。そして、リジャールは安全な場所にひきこもっているような国王ではないので、近衛騎士隊の騎士はいつも激戦の真っ只中に身を置かねばならない。
それだけに、近衛騎士隊の騎士は精鋭ぞろいである。なかでも、ローンダミスの剣技は、近衛騎士隊|屈指《くっし 》と評されている。
その彼でさえ、リジャールにはかなわなかった。
今、戦っても、勝てる自信はない。
ローンダミスがこの王国に仕えることになったのも、もとはといえばリジャール王との剣術の試合で敗れたからだ。
そのときの彼は、冒険者に加わったり傭兵として雇われたり、と剣一本を頼りに生きている若い戦士だった。
そんな無頼の若者が一国の王との試合を挑めるはずがない。だから、ローンダミスは一世一代の大バクチを打った。
一年に一度、王国中の騎士たちが集まって開催される武闘大会に乱入し、その優勝者を打ち負かしたのだ。
もちろん、そんなことをして、ただで帰れるとは思っていなかった。だが、若かったローンダミスは、自分が大陸一の剣士であることを示せれば、たとえ死んでも本望《ほんもう》だと思っていた。
飛びこみとはいえ、武闘大会の優勝者を負かしたローンダミスに、リジャール王は望みの褒美を取らそうと言った。それは、彼が期待していたとおりの言葉であった。
当然、ローンダミスはリジャールその人との試合を望んだ。
負けた場合には命を差し出せとの条件をつきつけられたが、それも喜んで呑んだ。最初から、そのつもりだったのだ。
しかし、悲壮な覚悟で望んだ試合は、まるで喜劇のように一瞬で勝負がついた。
一太刀合わせたとたん、ローンダミスの剣は弾き飛ばされていた。それが落ちてくるまでのあいだに処刑される覚悟ができたほど、彼の剣は空高く舞いあがっていた。
しかし、リジャールはローンダミスを殺さなかった。それどころか、彼を騎士見習いに取り立て、王国に仕えさせたのである。
騎士の暮らしになど憧れたこともなかったが、ローンダミスはリジャールに忠実に仕えた。いかなる努力も惜しまなかったし、どんな苦労にも耐えた。
試合の結果をあげつらい、彼を嘲笑する者も少なくなかったが、気にもしなかった。非は自分の方にあるのだから、どうして言い返すことができよう。
ローンダミスはすぐに正騎士となり、近衛騎士隊に抜擢《ばってき》された。
ラヴェルナを団長とするアレクラスト大陸探索の使節に、護衛役として加わったのは王国に仕えてからわずか三年後のことだ。
そのときには、リジャールも、オーファンの騎士仲間たちも、彼の実力を認めてくれていた。
新興の王国ならではの、おおらかさであろう。
今から思うと、笑い話である。この話をラヴェルナにしたのは、彼女と一緒に旅をして五年ほどが過ぎてからのことだ。当時のラヴェルナにしては珍しいことだったが、彼女はずいぶん長いあいだ笑っていたものだ。
ふと気がつくと、中庭を渡る廊下の端まで来ていた。
ローンダミスは宿舎の建物に入る扉を開けようと、円環を咥《くわ》える獅子の形をした把手《とって 》に手を伸ばした。
そのとき、視界の片隅で何かが動いた。
中庭とは反対側、城壁に沿うように伸びる花壇の向こう側である。
花壇は伸びたいだけ伸びた秋の草花で、ちょっとした茂みになっていた。植木職人でさえ手入れを忘れているような目立たない場所だ。それだけに、人が姿を隠すには恰好《かっこう》である。
気のせいかとも思ったが、今日の昼頃、宮殿の窓から外へ出ようとしていた怪しい人物を衛兵が発見し、大騒ぎになったことを思いだした。
衛兵は賊に一太刀浴びせたのだが、袋状の武器で頭を殴られ昏倒してしまい、結局、賊を取り逃がしてしまったという。
もしかすると、その賊が大胆にも城内に残っていたのかもしれない。
ローンダミスは、茂みにじっと目を凝らした。
すると、風もないのに背の高い秋の花が揺れるのが、はっきりと見えた。
見間違いではない。たしかに人がいる。
ローンダミスは、姿勢を低くして花壇に近づいていった。
鎧を着てなかったのが幸いし、足音は十分に殺すことができた。
花壇から数歩のところまでくると、ひそひそとした話し声が聞こえてきた。一瞬、誰かが女官と逢い引きをしているのかとも思ったが、聞こえてくる声はどちらも男だった。
そう分かった瞬間、ローンダミスは間髪を入れずに動いた。
「何者だ!」
茂みに飛びこみながら、腰から剣を抜き放つ。
茂みの向こうには、ふたりの男の姿があった。
そのうちのひとりは、すでに背中を向けて走りだしていた。
黒っぽい地味な服装をしており、風のような速さで遠ざかってゆく。盗賊の修業を積んでいるのは間違いない。おそらくは、どこかの国の密偵だろう。昼間の賊と同一人物かどうかは分からない。
追いかけても無駄だ、とローンダミスはすぐに判断した。
賊は彼よりもあきらかに速いし、今から詰所に戻って手配をしても、そのあいだに城の外に逃げているのは間違いない。
ローンダミスは密偵の追及はあきらめ、もうひとりの男に注意を向けた。
男は地面にぺたりと腰を落とし、ローンダミスを蒼ざめた顔で見上げている。
その口が何かを訴えようとぱくぱくと動いているが、声になってはいない。男の傍らには、ぎっしり中身の詰まった革袋が落ちていた。
男の顔には見覚えがあった。
名をマギスといい、ファンの街の徴税《ちょうぜい》を担当している。
もともとは行商人で、東方の珍しい品々を売り込もうと、五年ほど前にこの城にやってきたのだ。
品物よりも、異国話の巧みさでリジャールに気に入られ、そのまま王国に仕えている。
仕事ぶりはとても褒められたものではないが、あいかわらずの話上手で、ことあるごとにリジャールに呼び出されて、街の出来事や噂話をおもしろおかしく語っている。
文官というより、まるで道化《ピ エ ロ》のような男だが、国王のお気に入りであることは間違いない。
ローンダミスは男を見下ろした。
マギスは今にも泣きだしそうな顔だったが、まだ言葉が出てこない様子だ。
口は達者だが、決して悪い男ではない。こんなところで、密談をするような男とはとても思えなかった、
「どうやら、事情があるようだな」
ローンダミスは剣を収めると、自分についてくるよう命令した。
ローンダミスは、マギスを自分の部屋に連れてきた。
宿舎の廊下を歩いているあいだに、男はだいぶ落ち着いたようだ。おそらく、国王の前に突きだされることを、いちばん恐れていたのだろう。
ローンダミスが事情を問いただすと、彼は神妙な態度を取りながら、涙まじりに話をはじめた。
逃げた密偵がどの国に雇われたものか、マギスはまるで知らなかった。
密偵はある男の噂をリジャール王に伝えるように指示したというのである。
「その男の名は?」
「リウイという名の男です」
「リウイ? 誰なんだ、その男は?」
はじめて聞く名前だった。
「魔術師ギルドに所属する正魔術師です。冒険者として、今、売出し中の魔法戦士ですよ。噂は前からわたしの耳に入っておりました」
「そんな男のことをリジャール王の耳に入れて、いったい何のつもりだった?」
ローンダミスが問うと、男は首を振って、そんなことは分からない、と繰り返した。
「オーファンの害になることでしたら、いくら金に困っていても、男の話には乗ったりしません」
そう言って、マギスははらはらと涙をこぼした。
金に困っている理由を、ローンダミスは尋ねた。マギスは言いにくそうにしながら、街で集めた税金の入った袋を、酒場で盗まれたことを白状した。
集めた税金は、銀貨で一万を越えるほどの価値があったという。
決して小さくはないが、大きすぎる金額ではない。徴税官の一年間の俸給の半分にも満たないのだから。
「正直に理由を話せば、免除してもらえたかもしれん。それに、おまえの蓄えだけでも払いきれぬ金額ではあるまい」
ローンダミスが言うと、マギスは深くうなだれた。
「わたしも、そうしようと思っていました。ところが、そこにさっきの男が声をかけてきたのです」
逃げた密偵はマギスから事情を間きだすと、彼の不幸を慰め酒を振る舞ってくれたという。
「こう見えても、わたしは口の軽いほうではありません。ですが、あのときには、誰かに愚痴をこぼさずにはいられなかったのです」
そんなことなら、と相手が持ちかけてきたのが、さっきの話だった。
リウイという名の魔法戦士の噂を、国王の耳に入れてほしいと。そうすれば、盗まれた税金を全額もってやろうと、男はマギスに持ちかけた。
ローンダミスがマギスの足下に落ちていた革袋を確かめてみると、中身は間違いなく銀貨や宝石だった。彼の言ったぐらいの価値がありそうだった。
「わたしも、男にそんな話をする真の理由を尋ねたんです。でも、男は答えようとしませんでした。おそらく国王に自分を売りこみたいのだろうと解釈して、その申し出を引き受けることにしました。リウイという男の噂は、わたしの耳にも入っていましたし、国王好みの話だとも思っていました。男に頼まれなくても、そのうち話をしていたかもしれません」
マギスが話しているあいだ、ローンダミスは彼の表情や態度にずっと注意を払っていた。
気持ちが落ち着いてくるとともに、マギスの話し方はしだいに芝居がかってはきたが、怪しいものは感じられなかった。
「金の受け渡しが今日だというのは聞いていたのですが、まさか城内で声をかけられるとは思ってもいませんでした。それで、あわてて茂みに隠れたのです」
「もういい、分かった」
マギスの口調が言い訳っぽくなってきたので、ローンダミスは話を打ち切ることにした。
「今回だけは大目に見よう。ただし、条件がある。ひとつはこの件を絶対、口外しないこと。それから、逃げた男がもう一度、接触してきたら、すぐにオレに知らせることだ。いいな?」
「も、もちろんですとも」
マギスは大きくうなずくと、感謝の言葉を繰り返しながら、ローンダミスの部屋から出ていった。
「魔法戦士リウイか……」
ひとりになると、ローンダミスは机に向かって腰を下ろし、深く考えこんだ。
「いったい何者なのだ?」
口に出して、そう問いかけてみる。
マギスが嘘をついているとは思えなかった。彼の話から想像できるのは、あの男が巧妙な罠にかけられたということだ。
ただ、罠にかけた人間の意図は、まるでうかがいしれない。
マギスが想像したとおり、リウイとかいう魔術師が自分をリジャールに売りこもうとしたのだろうか?
それはありえぬことではない。実際、その手の売り込みは、頻繁にある。
だが、今度の事件に関しては、もっと深い理由があるように思えてならなかった。
ただ自分を売りこみたいだけなら、もっと他に方法はあるはずだ。マギスに仕掛けた罠は巧妙で手の込んだものだが、それにしては期待できる効果は少ないとも思える。
ローンダミスは背筋を伸ばし、腕を組んだままの姿勢で、じっと考えにふけった。よくよく考えてみると、彼が密会の現場を見つけたことも、偶然ではないような気がするのだ。
賊の逃げ方は、いかにもあざやかだった。最初から、見つけられることを覚悟していたように。そして、近づいてくるローンダミスに、気づいていたような逃げ方。
もしかすると、相手の罠にはまったのはマギスだけではないのかもしれない。
こうして賊の正体と意図とを探ろうとしていることさえ、相手の思う壺なのではとの疑心暗鬼にかられる。だが、考えをやめることはできなかった。近衛騎士として、王国と国王を守ることこそ、彼の使命だったからである。
そして、考えれば考えるほど、ひとりの男の名が浮かびあがってきた。
賢者、ルキアル。
ロマールの軍師──
ローンダミスが椅子から立ち上がったのは、それから、ずいぶんたってからである。
そのときには、すでに部屋の外も中も先を見通せないほどの闇に包まれていた。それに気がつかぬほど、彼は自分の考えにのめりこんでいたのだ。
立ち上がったのは、よい考えが浮かんだためではない。明かりをつけようと思ったからでもない。
部屋の扉を叩く音がしたからだ。
部屋は暗くしたまま、ローンダミスは腰から剣を抜くと、そっと戸口へ向かった。
「誰だ?」
扉の内側から油断なく声をかけると、すぐに返事があった。
「わたしです」
もちろん、それだけで声の主人が誰だが分かった。
「ラヴェルナ!」
ローンダミスは驚いて、扉を開けた。
彼女が国境に向けて発ったのは、今日の朝のことなのだ。
しかし、扉の外に立っていたのは、間違いなく妻であった。廊下の壁のそこかしこで灯されているランプの光で、全身が橙色《だいだいいろ》に染まっている。
「明かりもつけずに、どうなさったの?」
そう言って、ラヴェルナは滑りこむように部屋のなかに入ってきた。
「明かりよ……」
囁《ささや》くように上位古代語《ハイ・エンシェント》を唱えると、天井の一点に魔法の明かりがともった。
ラヴェルナは真紅の長衣《ロ ー ブ》を身にまとい、びっしりと魔法文字《ル ー ン》が刻まれた|魔術師の杖《メイジ・スタッフ》を手にしていた。
魔術師の正装である。
おそらく、国境から瞬間移動《テ レ ポ ー ト》の呪文で帰ってきたばかりなのだろう。
「疲れただろう。国境の様子はどうだった?」
ローンダミスは剣を収めると、部屋の片隅に置かれているソファーに腰を下ろした。
そして、ラヴェルナを手招きする。
「思ったほど、悪くはないわね。越境しているファンドリアの騎士たちの士気は低いし、向こうから戦を仕掛けてくることはないと思う」
「アトレーには、何と言った?」
アトレーというのは、ファンドリア国境を警備する騎士隊長である。
「王命を伝えて、自重するようにお願いしたわ。若い騎士たちの暴発だけは、何があっても押さえてほしいとね」
「それだけなのか」
「ええ、それだけ。あとは、ファンドリアの騎士たちに脅しをかけておいたわ。早く帰らないと命の保証はしませんよ、と」
そして、ラヴェルナはくすりと笑った。妖艶な顔に子供っぽい表情が浮かぶ。
「魔女の噂は、どうやらファンドリアにも伝わっていたみたい。わたしが名乗ったら、向こうの騎士隊長はずいぶん蒼くなっていたわ」
「その気持ちは分かるな」
ローンダミスはそう言いながら、ラヴェルナの腰を抱いて、ソファーに引き寄せた。
「いけませんわ、旦那様」
ラヴェルナはかるくローンダミスにキスをして、それから彼を押しやるように立ち上がった。
「わたしは、これからすぐに立たねばなりません」
「すぐにか? いったい、どこへ行くつもりだ?」
「まずは国王陛下に御挨拶に。それから先は王国の秘密ゆえ、あなたにも教えるわけにまいりません」
乱れた服を直しながら、ラヴェルナは答えた。
「お互い、ゆっくりできないな」
「まったくね。オーファンに帰れば、平和に暮らせると思っていたのに」
ラヴェルナはローンダミスを見つめると、寂しそうに微笑んだ。
「宮廷魔術師など引き受けるからだ」
「カーウェス師に最後の頼みだと言われたもの」
「さすがの魔女も断われなかったというわけか。もっとも、オーファンの騎士隊長としては、君に引き受けてもらってよかったよ。フォルテスとかいう男が、宮廷魔術師になっていたら、オレの気苦労が増えるだけだからな」
「その分、わたしの気苦労が増えているわけね」
ラヴェルナは不満そうな顔をして、戸口へと移動しようとした。
ひとつ思いだしたことがあって、ローンダミスは彼女を引き止めた。
「どうしたの?」
「リウイという魔術師を知っているか?」
ソファーから立ち上がりながら、ローンダミスは言った。
「……もちろん、知ってるわ。彼がどうかしたの?」
リウイの名を口にしたとき、ラヴェルナの表情が一瞬、こわばったのをローンダミスは見逃さなかった。
「街で噂を耳にしたんだ。今、売り出し中の冒険者で、魔法戦士だそうだな。いったい、どんな奴かと興味が湧いてね」
「あなたが興味を持たれましたの?」
ラヴェルナに問われ、ローンダミスはすこし躊躇《ちゅうちょ》してから、そうだと笞えた。答えながら、お互い言葉を選んでいるな、とローンダミスは心のなかで苦笑いした。
近衛騎土隊長と宮廷魔術師の夫婦では、秘密をもたないわけにいかないらしい。公私の区別をはっきりさせないと、すぐに夫婦関係は破局を迎えるだろう。
「リウイはカーウェス師の最後の弟子よ。もっとも、今はわたしが預っているけれど……」
「君が?」
ええ、とラヴェルナはうなずいた。
「魔術師としては、とても優秀とは言えないわね。あと何年か修業すれば、導師ぐらいにはなれるでしょうけど。でも、奔放な性格だから、真面目に修業するかどうかは疑問だわ。おそらく、冒険をしているほうが性《しょう》にあってるのでしょう」
「そいつは野心的な男なのかい。魔術師ギルドの最高導師になりたいとか、宮廷魔術師の地位を望んでいるとか……」
「それはないわ」
きっぱりと、ラヴェルナは言った。
「そうか、ありがとう」
ローンダミスは彼女の答に満足した。
リウイという魔術師がラヴェルナの言葉どおりの男であれば、マギスに罠を仕掛けた張本人ではない。
「いいのよ……」
ラヴェルナは微笑みながら、小さく首を横に振った。
ローンダミスには、その微笑みが悲しげに見えた。
それで、彼女がすべてを語っているわけではないことを、ローンダミスは察した。しかし、これ以上、追及しても彼女を苦しませるだけだ。
答えることができないからこそ、彼女は語らないのだ。
答は、自分自身で探すしかない。そして、ローンダミスはもっとも直接的な方法を取ろうと決めた。
ローンダミスは、出かけようとするラヴェルナを戸口までエスコートした。そして、妻のために、扉を開けてやる。
「くれぐれも気をつけてな……」
ローンダミスは、ラヴェルナの右手を取ると、かるく口づけをした。それから、彼女の背中をぽんと叩いて、扉の外へと送りだした。
「あなたも………」
ラヴェルナは扉を出てすぐに振り返ると、静かにローンダミスに頬を寄せていった。
ローンダミスはラヴェルナを抱き寄せると、彼女の背中に優しく手を回した。そして、ふたりの男女は、しばらくのあいだすべてを忘れ、無言で抱きあっていた。
魔術師ギルドからリウイが戻ってきたときには、夜はすっかり更けていた。
ダリルと別れたあと、リウイは最高導師の執務室にフォルテスを訪ねた。そして、最高導師就任の祝を述べ、新しい魔術師ギルドの方針を歓迎することを明らかにした。
最初、フォルテスは疑惑の目で彼を見ていたが、すらすらと彼の賛辞を並べるリウイに、すっかり上機嫌になっていた。
嘘言感知《センス・ライ》の呪文を使われなかったので助かった。
呪文さえ使われなければ、世間なれしていない魔術師を騙すなど、リウイには造作《ぞうさ 》もないことだ。酒場で働く女の子の機嫌を取ったり、海千山千の商人を相手に値引きの交渉をしているのだから。もっとも、フォルテスにとっては、ラヴェルナのたったひとりの直弟子であるリウイが忠誠を誓ったのがなにより満足だったのだろう。
フォルテスは魔女ラヴェルナの悪口をまじえながら、新しい魔術師ギルドの方針を長々とリウイに語った。
一言で要約するなら、フォルテスが目指しているのは魔術師たちの独立国家を築くことだ。
国王の命令には従わぬ、魔術を理解せぬ民衆にも媚《こ》びぬ。
古《いにしえ》より伝えられる偉大な力である魔術を研究するには、俗事にまどわされないことが、もっとも大切なのだ、と新しい魔術師ギルドの長は力説した。
そのために、フォルテスは魔術師ギルドの移転を考えているらしい。
俗人の住む街から離れ、魔術に関わる者だけが住む新しい都市を建設する。その中央には、魔術の象微ともいうべき塔が建ち、オーファン魔術師ギルドは大陸最大の、そしてもっとも進歩した魔術の殿堂となるであろう、と。
その魔術を象徴する塔とは、もちろん魔力の塔をおいて他にはない。
フォルテスの自慢話を聞いているのは、リウイには苦痛以外の何物でもなかった。嫌悪感のあまり、吐き気さえしてきたほどだ。
だが、リウイはその拷問に耐えて、驚いたり、感心したりする芝居をつづけた。
最高導師から解放されたのは、夕刻のこと。それから、導師をひとりひとり訪ね、丁重に挨拶にまわった。
その後、所用があるからと断わって、魔術師ギルドを出て、いつもの宿屋にやってきたのだ。
沈黙する羊亭≠ノは、三人の仲間が全員、顔をそろえていた。
仲間たちも、思い思いに情報を集めてくれたらしい。メリッサはマイリー神殿に赴き、ジーニは街中を歩きまわって丹念に噂を拾い集めた。そして、ミレルは一日中、飛びまわっていたという。
しかし、たいした情報は手に入らなかったようだ。
分かったことは、宮廷魔術師のラヴェルナが、事態収拾のためにファンドリア国境へと発《た》ったことぐらいだ。
それも、リウイにとって朗報ではなかった。
カーウェス師に会えなかったので、リウイはラヴェルナに会って話したいと思っていたのだ。彼女を通じてリジャール王を動かす以外に、フォルテスの暴走を止める手立てはないと思えたから。
「どうやら、手詰《てづ》まりのようだな」
三人の苦労をねぎらったあとで、リウイはとにかく食事しようと、店の者を呼んだ。
そして、今、リウイたちは、大部屋の真ん中に置かれたテーブルを囲んで、遅い食事を取っている。
酒の瓶も何本か並べられ、そのうちの一本はすでに空になっている。
食事をしながら、魔術師ギルドでのいきさつを仲間たちに語った。
「フォルテスとかいう男も、まったくの能なしではないのだな」
リウイの話を聞いて、ジーニが意外そうな表情をした。
「能なしでは、高位の導師にはなれないさ」
リウイはジーニに笑いかけた。
「もちろん、頭はいい。だが、あまり賢明な男じゃないな。若い頃から魔術の研究ばかりで、世間ってものを知らなすぎる。オレが奴なら、もっと賢い方法で目的を達成している。今のようなやり方だと、どこでつまずくか分からないからな」
「じゃあ、それまで待っていたらいいじゃん」
ミレルが肉料理を頬張りながら、もごもごと言った。
彼女はいつもと違って、袖の長い服を着て、膝下まであるパンツをはいていた。珍しいことなので、リウイはおやっと思った。
「ひとりで転んでくれるのならな」
何かの都合で変装でもしたのかな、と考えながら、リウイはミレルに言った。
「どういうこと?」
リウイの言葉の意味が分からず、ミレルは唇を尖らせて不満を表わした。
「この問題がこじれたら、魔術師ギルドが解体ってことになりかねないだろ。それでなくても、魔術師に偏見を持っている連中は多いんだから」
リウイに代わって、横からジーニが説明した。
「それどころか、オーファン一国の存亡に関わりますわ」
メリッサはナイフとフォークを巧みに使い、優雅な動作で食事を口に運んでいる。
「魔力の塔が建設されたと知ったら、近隣の王国すべてが敵になります。同盟国のラムリアースでさえも」
「なるほど、たしかにそうなるかもね。まったく、迷惑な話よねぇ。たったひとりの狂人のせいで、国中の人が迷惑するんだから」
ミレルは両腕を頭の後ろで組んで、椅子の上でそりかえった。
そのとき、彼女が顔をわずかにしかめたのを、リウイは見逃さなかった。
「ミレル、ちょっと腕を見せてみろ」
リウイは立ち上がって、ミレルのそばまで歩いていった。そして、彼女の服を肱《ひじ》のところまで引っ張りあげる。
彼女の二の腕に、綿布をさらした白布が何重にも巻かれてあった。そして、その布には乾いた血が染《しみ》となってこびりついていた。
「刀傷だな」
ミレルを睨みつけるように、リウイは言った。
「ばれちゃった」
ばつが悪そうに舌を出しながら、ミレルは笑った。
「ごまかすんじゃない。いったいどこで、こんな怪我をしたんだ」
リウイはきつく縛ってある布を丁寧に解いていうた。
「痛いよ、リウイ」
ミレルはおおげさに抗議をするが、リウイはまったく聞く耳をもたない。
包帯がわりの布は解けて、傷口があらわになった。およそ手の平ぐらいの長さである。手首と肱とのちょうど真ん中ぐらいのところに、不気味な赤黒い筋が横切っていた。その周辺が蒼く腫《は》れている。
傷はまだ完全には塞がっておらず、真っ赤な血がたらたらと流れだしてきた。
「傷跡が残るじゃありませんか」
メリッサが静かに立ち上がって、傷の具合を確かめた。
それから、傷口に手をかざして、ゆっくりと神聖魔法の呪文を唱える。
「どこで、怪我をしたんだ!」
リウイは、ミレルをするどく問いつめた。
「ちょっと、ドジを踏んじゃって」
ミレルは上目使いにリウイを見ながら、また舌を出した。
「危険な場所に行ったんだろう。魔術師ギルドか、それとも王宮だな」
「分かる?」
「ふざけるんじゃない!」
「そんなに怒っては、ミレルがかわいそうですわ。彼女は、あなたのためを思って、危険を冒したのですから」
激昂するリウイを、癒しの呪文を唱えおわったメリッサがなだめた。
「それは分かっている。ミレルの気持ちは嬉しいさ。だが、オレはそんなこと望んじゃいない!」
「さ、傷は塞がりましたわ」
メリッサはリウイをまるで無視して、ミレルの肩をぽんと叩いた。
「ありがとう、メリッサ」
しおらしくミレルは礼を言った。それから、リウイを見上げると、
「ごめんなさい」
と謝った。
リウイは言葉を詰まらせると、髪をかきむしりながら、自分の席に戻った。
冷静に考えてみれば、感謝こそすれ、怒る理由などないのである。
酒を一口あおってから、リウイは自分もミレルに謝り、あらためて礼を言った。
「いいのよ、そんな」
ミレルは心底、嬉しそうな顔をした。
「だけど、あまり無茶はするなよ」
リウイは釘を差すのを忘れなかった。
そのときである。
ジーニが椅子を蹴るように立ち上がった。
何事か、と三人が見守るなか、ジーニは扉へと駆け寄り、そのままの勢いで扉にぶつかった。
薄い扉は派手な音をたてて吹き飛び、ジーニは廊下へ転がりでた。
「何者!」
彼女の叫び声で、リウイは誰かが立ち聞きしていたのだ、と悟った。うかつにも気配を感じとることができなかったのである。
あわてて椅子の横に立てかけてあった剣を取ると、戸口へ走った。
と、廊下から派手な音が聞こえてきた。
そして、戸口から抜き身の剣を持ったままのジーニが、姿を現わした。
「逃げられた」
吐き捨てるようにジーニは言った。
「窓を破って外へ逃げたよ。たぶん、盗賊だろう」
「わたしたちの話を聞かれたのでしょうか」
不安そうに、メリッサが胸の前で両手を組む。
「なんで、あたしたちが立ち聞きされなきゃならないのよ」
「分からない。だけど、わたしが街中で噂を聞き歩いているときにも、誰かに尾けられていたような気がしたんだ。気のせいだ、と思っていたが……」
そして、ジーニは窓から身を乗りだすと、表の通りを見回している。
しかし、賊の姿は夜の闇にまぎれるように、すでにどこかへ消えてしまっていた。
「そういえば、わたし、冒険者の店に立ち寄ったのですけど、数日前にリウイのことを訪ねにきた男がいたそうです」
メリッサが思いだしたように言うと、残る三人に緊張が走った。
「ギルドの掟《おきて》を破ったりはしていないだろうな」
ジーニが語気荒く、ミレルに詰め寄った。
「そんな恐ろしいことしないわよ」
ミレルは身を震わせながら、ジーニに答えた。
オーファン盗賊ギルドは正統派の盗賊ギルドなので、非道なことはあまりしない。だが、掟破りを見過ごすほど寛大ではないのも事実である。
禁を犯した者は腕利きの刺客を差し向けられ、想像もできないような残酷な殺され方をするだろう。もっともミレル自身、刺客としての訓練を受けているのだが……
「誰かがオレたちを監視しているってことか」
いったい誰がだ、とリウイは考えた。
フォルテス最高導師か? それは考えられる。しかし、リウイは一介の正魔術師にすぎず、魔術師ギルドでは決して大物ではない。フォルテスが軽蔑する盗賊を雇ってまで、監視するとは思えなかった。
「では、いったい誰がだ……」
リウイは自問するようにつぶやいた。
しかし、その答は見つからなかった。
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第W章 錯綜《さくそう》の一夜
大通りの両脇から洩れる明かりが、リウイたちの足下をおぼろに照らしていた。
夜もすっかり更《ふ》けたというのに、大通りから人々の姿が少なくなった気配はない。商魂たくましい商人たちは、人通りの消えないうちは、と店を開けている。店の開いているうちは、と人ちなかなか帰ろうとしない。すると、また店が開いている時間が延びる。
いずれファンの街から、夜はなくなるのではないか、と心配する者もいる。ふたつの大きな街道が交わる旅人の街、ロマールのように。
隣国ファンドリアと戦になるかもしれないとの噂は、すでにファンの街の隅々にまで流れていた。だが、ファンの街の賑わいは、あまり変わったようにはみえない。むしろ、不思議な高揚感に包まれていると感じられる。
人々はオーファンの勝利を疑っていないのだろう。鉄の槍騎士団は中原最強、おそらくは大陸最強だと信じているのだ。
しかし、リウイたちには、そんな高揚感は微塵《み じん》もなかった。全員が緊張した面持《おもも 》ちで、広い大通りの左端をかたまって歩いていた。
あの晩以来、リウイたちはいつも誰かに見張られていた。街を歩けば後を尾《つ》けられたし、部屋に戻れば、近くの路地に何者かがじっと立っていた。
相手の目的は分からない。リウイは最初、魔術師ギルドに雇われた盗賊だろうと目星をつけていた。
しかし、あの晩のあと、リウイは何度か魔術師ギルドに足を運んでいるが、フォルテスの態度は変わらなかった。先日の話を立ち聞きされたのなら、間違いなく魔術師ギルドから追放されているはずだ。
しかし、その様子は感じられない。
魔術師ギルドでないとすると、リウイには見張られる理由がない。考えられるとすれば、誰かがリウイたちの冒険の成功を聞きつけて、その秘密を探ろうとしていることぐらいだ。知らず知らずのうちに、人の恨みを買っていた可能性も否定できない。
おかげで、リウイたちは、ここ十日ばかりのあいた、まるで身動きがとれなかった。
ラヴェルナが留守をしているあいだに、フォルテスは着々と魔術師ギルドを支配下に収めている。
新しい魔術師ギルドの象徴となるべき塔の建設にも、着手している様子だ。
無限の魔力を約束する魔力の塔≠ナある。
この古《いにしえ》の塔を建てるのに、どれだけの日数がかかるかは分からない。だが、フォルテスは塔の建設を急がせている様子で、街を歩いていると大工《だいく 》や石工《いしく 》の棟梁《とうりょう》が人手を集めている姿が目についた。
あまり、のんびりしていては魔力の塔は完成し、フォルテスは無限の魔力を得てしまう。そうなってからでは、彼に対抗することは至難の技だ。
だが、リウイが頼みの綱と考えているラヴェルナは、まだ王城には帰っておらず、連絡を取ることすらできない。
フォルテスに隙があればと魔術師ギルドに通ってはみても、正魔術師にしかすぎないリウイでは、さしたる理由もなく最高導師に面会を求めることもできない。
こうしていたずらに日数だけが過ぎていた。
大通りを歩いているリウイたちは、たえず周囲を警戒していた。
後を尾けている者はいないか、どこからか毒矢が飛んできたりはしないか、と。変わった気配や物音がするたびに、全員が一斉に同じ方向を振り返った。
「まるで冒険をしているみたいね」
酔っ払いが空《あ》き樽《だる》にぶつかった音に注目したあと、ミレルがそう言ってクスリと笑った。
リウイも同感だった。
「オレたちは遺跡探しのほうが得意の冒険者だったが、これからは街の仕事ももっと引き受けられるな」
「好みではないな」
ジーニがつぶやいて、そっと後ろをうかがった。
「怪物相手に剣を振るっているほうがわたしの性に合う。ところで、どうやら尾けられているようだが」
「え、そんなはずは……」
ミレルが驚いて、後ろを振り返ろうとする。
リウイは彼女の頭を抱えるようにして、それを止めさせた。
「いい機会だ。このまま相手を路地に誘いこんでやろう。そこで決着をつけてやる」
「賛成ですわ」
メリッサが腰に吊るした小振りの|戦 鎚《ウォーハンマー》を、そっと手に取った。
|戦の神《マ イ リ ー》の神官戦士である彼女は、正々堂々と戦うことを信条としている。こそこそと自分たちを嗅ぎまわる相手に、怒りを覚えていたのだろう。
リウイたちは大通りを折れて、狭い路地へと入っていった。
さすがに路地は真っ暗で、人通りも少ない。
「ついてきてるか?」
リウイが尋ねると、ジーニが無言でうなずいた。
路地を何度か折れて、リウイたちは近くの袋小路《ふくろこうじ》へ向かった。この辺りは、リウイたちにとっては庭のようなもので、たとえ目をつぶっていても、目的地に着く自信がある。
袋小路に入ったときには、ジーニだけではなく、全員が尾行者の存在に気がついていた。相手の足音がひたひたと聞こえてくるからだ。
「どうやら、あたしのお仲間じゃなさそうね」
ミレルはほっとしたような顔で言った。
「盗賊じゃないから、尾行に気づかなかったんだわ。でも、これで遠慮なく戦える」
戦いになるとは、リウイも予想していた。
こちらが尾行に気づいたということは、もはや相手にも分かっているはずだ。それでいて、なおも後を尾けているのだから、向こうも決着をつける気になったのだろう。
望むところだった。
行き止まりまでくると、リウイは後ろを振り返り、高らかに上位古代語《ハイ・エンシェント》の呪文を唱えた。|魔法の光《ラ イ ト》が|魔術師の杖《メイジ・スタッフ》の先で輝き、周囲を明るく照らしだした。
そして、リウイは後ろを振り返った。
マント姿の男が、リウイたちから十歩ばかりのところに悠然と立っていた。
フードははずしているので、顔ははっきりと見える。無表情だが、精悍な顔だった。灰色のマントの裾《すそ》からは、剣の鞘が顔を覗かせている。
その物腰から、リウイは相手が戦士だと見当をつけた。それも、かなりの腕利きだろう。剣も抜かず、ただ立っているだけなのにまるで隙がない。気を引き締めていないと、気圧されてしまいそうな威圧感を受ける。
ジーニが背中から|大 剣《グレートソード》を抜くと、ずいっと一歩、前に出た。
それを合図に、ミレルとメリッサがぱっと左右に広がる。
ちょうど、リウイが三人の仲間たちに囲まれるかっこうだ。強敵を相手にするときの、リウイたちの|隊 形《フォーメーション》である。リウイが魔法で援護し、仲間たちが戦うのが、もっとも有効な戦法だからだ。
「おまえは誰だ」
リウイは腰の剣を抜きたい衝動を覚えつつも、魔術師の杖を両手に構えた。
「今は、名乗れんな。おまえがリウイか。魔法戦士リウイ……」
そう言うと、男はリウイの全身をじろじろと眺めると、なるほどな、と笑みを洩らした。
激しい不快感を覚えるとともに、以前にも同じようなことがあったことを、リウイは思い出した。
ラヴェルナ導師に呼びだされたときだ。
「知っているから、尾けてきたのだろう。いったい、何が目的なんだ!」
男に向かって、リウイは叩きつけるように言った。
「おまえがどんな男か興味があった。それでは、いかんか?」
「いいわけないでしょ」
ミレルは、右手で小剣を構えながら、左手を腰の短剣に伸ばしている。両利きの彼女は、たとえ左手で投げたとしても、的をはずすことはない。
「あいにく、面倒なのは嫌いでね。いったい何を探っている。それとも、狙いはオレたちの命か! それなら、ここで決着をつけてもいいぞ」
「その手もあるか……」
男はとぼけたように言うと、肩からマントをはずし、足下に落とした。
そして、腰の剣をすらりと抜き放つ。夜の闇を背景に、刀身がまばゆく輝いた。リウイの杖の先に灯る魔法の明かりを反射したのではない。刀身自体が光を放ったのだ。魔力を帯びた剣に、間違いなかった。
「気をつけろ! どんな魔力があるか分からないぞ」
リウイは仲間たちに警告した。
そして、上位古代語《ハイ・エンシェント》を唱えはじめる。できれば、無傷で捕らえて、相手の意図を探りたい。そのための呪文を、頭に思い浮かべた。
精神を集中し、魔力を高めてゆく。リウイは、一発で勝負を決めるつもりだった。
男は剣を上段に構えると、間合いを詰めようと全力で動いた。
すかさず、ミレルの短剣が飛ぶが、男は頭をひとつ動かしただけで見切った。
ついで、メリッサが短い気合いの声とともに、気弾《フォース》の呪文を唱えた。
無形の魔力が男に炸裂し、男の着ている茶色い服の右肩のところが裂けていた。しかし、男は気にした様子さえない。
「マナよ、戒《いまし》めの力となれ!」
リウイの呪文は完成し、駆けこんでくる男の身体に、青白く輝く魔法の糸が何本もからみついた。
男の動きが、わずかに鈍った。だが、次の瞬間には、目に見えない炎で焼かれたように魔法の糸は消滅していた。
「抵抗されたのか!」
魔力を十分に高めてかけただけに、リウイはすくなからずショックを受けた。
自らに害を及ぼさんとする魔力は、自らの体内に宿る魔力をもって打ち消すことができる。だが、そのためには術者の魔力に勝る強靭《きょうじん》な精神力が必要とされる。
目の前の戦士は、容易ならざる相手のようだ。
さらに、勢いをまして走ってくる。
ジーニは肩の高さにまで剣を担《かつ》ぐと、相手を串刺しにせんと、剣先をまっすぐ向けた。まるで、騎土の突撃を歩兵槍《パイク》を構えて迎え撃つ重装歩兵のように。
そして、ふたりの戦士の間合いが十分に迫った。
鳥の鳴き声にも似た気合いの声とともに、ジーニが|大 剣《グレートソード》を突きだす。
甲高い金属音が路地を駆けぬけ、火花が激しく飛び散った。
と、ジーニの長身が後ろに吹き飛ばされた。彼女の大剣が夜空に高く舞いあがっているのが、リウイの目にはっきりと見えた。
「ジーニ!」
「気をつけろ! 強いぞ、こいつは!!」
ジーニの答が返ってきた。しっかりした声だから、命に別状はなさそうだ。
だが、ほっとする暇はなかった。正面のジーニが抜かれ、リウイの目の前には魔法の剣をきらめかせた男が迫っていたから。
剣に持ち替えなければ、とリウイは魔術師の杖を投げ捨てた。
そして、腰の剣に手を伸ばす。
しかし、相手の動きはそれよりも早かった。
リウイの喉もとを狙って、相手の剣が突きあげるように伸びていた。
その鋭い剣先は、とてもかわせそうになかった。
リウイは自分の死を覚悟した。目は開いたままで、自分を倒す相手の顔を睨みつける。
だが、相手の剣はリウイの喉を貫かなかった。そのわずか手前で、ぴたりと止まっていた。
「仲間を気遣《き づか》ったのが、失敗だったな」
「負けは認めよう。だが、説教なんかは聞きたくない」
リウイは姿勢を正すと、抜きかけた剣から手を離した。
三人の仲間たちが強《こわ》ばった顔で、リウイと敵の戦士のやりとりに注目している。
「オレも説教をするような柄じゃない」
男はそう言って、目だけで笑った。さすがに、剣は収めなかったが、どうやら殺意はなさそうだ。殺すつもりなら、さっき簡単にできたのだ。
「だが、こればかりはオレの言葉に従って……」
そこまでを言うと、何を思ったか、男はいきなり振り返った。そして、虚空《こ くう》に向かって剣を閃かせる。
金属の弾ける音がして、彼の足下に何かが転がった。
リウイが見ると、小振りの短剣が地面の上でくるくる回転していた。
「リウイ様、こちらへ!」
誰かが叫ぶ声がして、リウイははっとなって、顔を上げた。
声の方を振り向くと、路地の向こうから、三人ばかりが走りよってくるのが見えた。そして、もうひとりの男が手招きしてリウイたちを呼んでいる。
「リウイ、逃げようよ!」
ミレルの声が聞こえた。
リウイは一瞬、躊躇《ちゅうちょ》した。
襲ってきた男に、悪意が感じられなかったこともある。そして、助けにきた男たちに、リウイは見覚えがない。
だが、リウイの目の前で、激しい戦いがはじまっていた。
「リウイ、早く!」
もう一度、ミレルの声が飛んだ。
迷っている暇はなかった。
リウイは仲間たちにうなずきかけると、袋小路の出口へ向かって走りはじめた。
「よく御無事で……」
そして、手招きしていた男が、リウイたちを出迎えるように両手を広げて待っていた。
「あんた、誰なんだ?」
「説明している暇はありません。どうか、わたしについてきてください」
男の態度や口調は、丁重そのものだった。まるで、リウイのことを長年仕えてきた主君のように扱っている。
「待て、リウイ! 行くんじゃない!!」
背後から、リウイたちを尾けてきた男が必死の声で叫んでいた。しかし、その声はさらに激しくなった剣戟の音でかきけされた。
「リウイ」
ミレルにうながされて、リウイは決心した。襲ってきた男よりも、助けにきた男を信用するのが当たり前ではないか。
「よし、あんたと一緒に行こう。ただ、事情は残らず話してくれよ。それが条件だ」
そして、リウイは仲間にうなずきかけると、先導するように走りはじめた男の後に従った。
そのとき、リウイたちの背後で、誰かがあげた断末魔の絶叫が響いた。
大通りに出るまで、リウイたちは走った。
それから、後を追ってくる者がいないのを確かめて、リウイたちは立ち止まり、呼吸を整えた。
リウイたちの危機を救った男は、何の説明もなく、ただ自分についてくるように、と言った。
すでに決心したことなので、リウイは何も尋ねようとしなかった。むしろ、どこへ連れてゆこうとするのか興味があった。
この男についてゆけば、きっとすべての事情があきらかになるに違いない。
リウイにとってなによりいまいましいことは、自分の置かれた状況がまるで見えない、ということだった。
男は、ようやく人通りの減ってきた大通りを、王城の方角へ歩いた。
そのまま王城まで行くのか、と思ったが、途中で路地を折れて、豪華な屋敷が立ち並ぶ閑静な一画にやってきた。
一般の人々はめったに立ち寄らない場所である。
このあたりに屋敷を構えているのは、王国の上級騎士や文官、いわゆる貴族たちだ。
こんな場所で、うかつなことを言ったり、うっかりした行動をすると、すぐに衛兵が飛んできて、牢屋にぶちこまれてしまう。
リウイたちは一軒の屋敷に案内された。裏口からこっそりと入るのかと思ったが、守衛のいる正門から堂々と中に入っていった。
「驚いたわ」
ミレルがリウイのそばにより、こっそりと耳打ちした。
「この館、たしか鉄の槍騎士団長ネフェルの屋敷よ」
「騎士団長が、なぜオレたちを?」
さあね、とミレルは肩をすくめた。
「事情を聞けば分かることですわ。悪い話でなければよいのですけど」
メリッサの口調はいつもと変わらなかった。
もうひとりジーニは長身を屈め、うつむきかげんで館の庭を歩いている。一太刀あわせただけで、剣を弾かれたことが、よほど堪《こた》えているのだろう。
やがて、屋敷の中に入り、リウイは応接間のような場所に案内された。
豪華な調度品の並ぶ部屋でしばらく待っていると、体格のいい男が姿を現わした。
そして、リウイの全身をしげしげと眺めたあと、いきなりその場でかしこまった。
まただ、とリウイは思った。
なぜ、他人はこうも自分の身体に関心を示すのだろう。
「ようこそ、おいでくださいました。騎士団長ネフェルにございます」
そして、男は名乗りをあげた。
リウイも名乗りかえしたあと、仲間たちを順に紹介していった。
「とにかく、立ってください。オレは、一介の魔術師で、そんな丁重に扱ってもらういわれはないんですから」
リウイにとっては、目の前の騎士団長の行動や言葉使いは、不気味でさえあった。
「やはり、ご存知ないようですな」
リウイの言葉に従って、ネフェルは立ち上がった。
「あなたさまは、リジャール陛下の御子息《ご し そく》であらせられるのです」
「オレがリジャール王の……」
あまりにも途方のない話だった。こんな話をいきなり切り出されて、いったい誰が信じるだろう。
自分の父親がこともあろうことにこの国の国王だというのだ。
「さようです」
騎士団長ネフェルは、さらりと答えた。
「リジャール王がオレの親《おや》父《じ》……」
リウイはそれ以上、何も言うことができず、絶句してしまった。
「そんなことって!」
ミレルが手で口を覆いながら、リウイの横顔と騎士団長の顔とを交互に見つめた。
ジーニはまるで関心なさそうだし、メリッサは素直に騎士団長の話を信じた様子だ。
「信じられないのも、無理ありませんが」
そう切り出して、ネフェルはリウイの出生について語りはじめた。
リウイの母親は、宮廷つきの女官であったという。
宮廷ではよくある話なのかもしれないが、彼女はリジャール王のお手付きとなり、そしてリウイを身籠《み ごも》ったのである。
同じように生まれた庶子は、何人かいたらしい。しかし、生まれた子供のなかで男子はリウイひとりだった。
しかし、唯一の男子であるリウイは、王位の継承問題に発展しかねない。
他にもいくつか事情があって、リウイの母親はリウイを乳母に託《たく》すと王国を出奔《しゅっぽん》。そして、リウイ自身は成長すると、カーウェス師に預けられ、魔術師として育てられたという。
魔術師であれば、王位を狙うことも、王位に望まれることもない、とリジャールは考えたのだろう。
「ですが、世の中は皮肉なものです。あなたはリジャール王から勇者の資質を受け継いでおられる。しかし、おふたりの王子殿下は王妃様に似られて気の優しいお方。この剣の王国を背負ってゆくには力不足だ、とリジャール王も常々、嘆いておられました。そして、わたしもそれを憂えていたのです」
「何が言いたいのです」
「わたくしは、リウイ様には次代の国王として立っていただきたいと思っております」
「この国の王に?」
リウイは相手の正気を疑いたかった。この言葉の示す意味を、この騎士団長は理解しているのだろうか?
「断わります」
きっぱりと、リウイは言った。
「オレは今まで好き勝手に生きてきた。これからも、そうするつもりです」
それはリウイの偽らざる気持ちであった。
リウイにしても、父親が誰なのかは知りたいと思っていた。
それが分かっただけでも満足だった。まして、相手はこのオーファンを建国した英雄王なのだ。嬉しくもあるし、誇らしくもある。
だが、国王の子であるからといって、その恩恵に預かろうという気持ちはない。
騎士団長ネフェルは、リウイに次代の王になれと勧めている。
彼の言葉が意味しているのは、このオーファンに王位継承権をめぐる内乱を起こすことである。
「オレは王位になど興味はありません。まして、血塗られた王位など」
「わたしも、血を流さずにすむよう願っております」
そういう、ネフェルの表情からは、並々ならぬ決意がうかがえた。
「わたしは、ただ次の王位にふさわしい人物として、リウイ様を推奨するだけです。リジャール陛下も、内心では武人の跡継ぎを望んでおられるのです。しかし、このオーファンには前身ファン王国の遺臣《い しん》が多く、ファン王国最後の王妃であるメレーテ様の血統を、大事に思う者も少なくありません。リジャール陛下も、王妃の気持ちを考えられ、リウイ様をはじめ、腹違いの姉妹を世に公表するのをはばかられたのでしょう。他国ならば、愛妾の子供として王位継承権を与えられておったものを……」
与えられなくて幸いだった、とリウイは思った。
権力にしても、魔力にしても、武力にしても同じなのだが、力を持つということはそれを抑える責任をも同時に抱えねばならないということだ。たとえば、魔術師ギルドが禁断の魔術を規定するのも、魔力が暴走しないよう自らを戒めるためである。
リウイがフォルテスを危険視しているのは、彼が力のみを求め、その無制限の解放を欲しているからに他ならない。
リウイとて力を求めている。
導師級の魔術を身につけ、一流の剣士となることを望んでいる。だが、その力は自分だけで収められるものだ。だが、王位継承権者が持つ権力、そして国王の持つ権力は絶大で、とても自分ひとりの手にはあまる。
自分が、その力をあやまって使わないともかぎらないのである。そんな重責を担うのは、リウイにとって耐えがたいことだ。
自由でいられるということは、すべての責任から解放されることだと思っているから。
ただ、それではあまりに無責任だし、社会で生きてゆくことはできない。実現するためには、山奥で隠棲《いんせい》するしかないだろう。
だから、リウイは自分の抱える範囲の責任だけを負うことに決めている。
それは、自らの力が他人の害にならぬよう気をつけることであり、自分の好きな人間だけは命をかけても守るということだ。
今度の事件で奔走しているのも、あの遺跡で見つけた古代書を始末しなかった責任を感じてのことだ。この事件が終われば、自分が自由になれると思えばこそ、今の苦境に耐えられるのである。
リウイは素直に、自分の考えを口にした。
「オレは無責任な男だ。とても、あなたの期待には応えられないだろう」
だが、ネフェルはリウイの言葉を、すべてうなずいて聞いた。
「今の言葉こそ、勇者の資質だとわたしには思えます。あなたのような考えを待った人間にこそ、重責を担ってもらわなければなりません。とかく無責任な人物こそ、力を求めるものですからな」
それについては、リウイも同感だった。
フォルテスがもっと責任感のある男だったなら、無限の魔力など求めたりはしなかったろう。カーウェス師が健在だったなら、あの危険きわまりない古代書は、魔法の封印を何重にもほどこされたあげく、禁断の間の奥深くに収められていたはずなのだ。
「それに、もはや後に引くことはできませんぞ」
ネフェルの目に怒りがにじみでていた。それは、目の前のリウイに向けられたものではない。
「先程の刺客ですが、誰かご存知か?」
「心当たりもない。ただ、恐るべき戦士だな。あんな強い男にははじめて会った。オレも、ここにいるジーニも、それなりに自信はあったんだが……」
「リジャール王は別格として、あの者はおそらくオーファン一の剣の使い手でしょう。名をローンダミスといいます。オーファンの近衛騎士隊長」
「近衛騎士隊長? あいつが……」
「さようです。そして、付け加えるならば、宮廷魔術師ラヴェルナの夫です」
「ラヴェルナ師の夫……」
それでリウイは思い出した。
ラヴェルナがアレクラスト大陸を巡る旅から帰ってきたとき、その旅の伴であったひとりの騎士と結婚をしたことを。その騎士はラヴェルナの護衛として旅に従っていたのだ。もちろん、オーファンでももっとも腕のたつ騎士を選んだことだろう。
「彼の独断によるものとは思えません。あの男の陛下に対する忠誠について.は、誰も疑問を挟む者がおりません」
「つまり、リジャール王の命令だというのか? オレの実の父親の……」
リウイは愕然となり、その場でくたくたと座りこんだ。
「おそらくは……。皇太子殿下のために、あなたを亡き者にしようと望まれたのでしょう」
リジャール王が父親であるとは、ついさっき知らされたばかりだ。
もちろん、その実感はない。
しかし、行方知れずの母親を除けば、リジャール王はリウイにとってただひとりの肉親であるはずだ。
その人に命を狙われている。
リウイの心のなかで激しい感情が嵐のように吹き荒れた。
「オレを生んだ人が、オレを殺そうとしている……」
「わたしには、それがリジャール王の本心とは思えません」
ネフェルは気を遣《つか》ったように、そう言った。
「次代のオーファンを担えるのは、リウイ様をおいて他にいないとわたしは思っております。失礼ながら御身辺を調べさせていただきましたが、あなたの魔法戦士としての活躍は立派なものです。なにより、あなたは若かりし頃のリジャール陛下にそっくりでいらっしゃる。一目見ただけで、あなたがリジャール王の御子であることを疑いませんでした。魔術師ゆえの見識の豊かさ、街で暮らしていたうえは民の心も知っておられることでしょう。第二代目のオーファン国王として、これ以上ふさわしい人がいましょうか? このネフェル、一命に代えてもあなたを守り、あなたを次代のオーファン王に就ける覚悟にございます」
そして、ネフェルは御決断を、と付け加えた。
言われて、リウイは混乱した。
理不尽な理由で殺されたくはない。相手が実の父親であり、この国の王であればこそ、そう思う。自分を殺そうとしたことが人々に知れたら、リジャールの名声は地に堕《お》ちてしまうだろう。
リジャールのふたりの王子がファンの街の人々には頼りなく映っているのは事実である。いずれが次の王になろうと、血塗られた王座に座っていては、統治が難しくなるはずだ。
そう考えれば、自分が王子の名乗りをあげて、堂々と対決すべきかもしれない。そうなれば、リジャールもうかつに手出しはできなくなるだろう。
まして、騎士団長ネフェルはリウイに全面的な協力を申し出ているのである。
それでも、リウイを殺そうとするなら、王国はふたつに割れ、内乱になることだろう。
挑まれた戦いなら、受けてたつのがリウイの主義だ。たとえ、それが骨肉の争いになろうとも。
リウイの瞳が、重大な決意に燃えあがった。そして、床からすっくと立ち上がる。
それを見て、メリッサがリウイの正面に進みでて、その場で跪《ひざまず》いた。
「やはり、わたしの目に狂いはありませんでしたわ。あなたこそわたしがお仕えすべき、真の勇者なのです」
「おまえには王になる資格があるんだ。わたしとは違ってな。おまえのためなら、わたしもこの剣を捧《ささ》げよう」
ジーニは蛮族の言葉で、短く誓いの言葉を述べた。
「そうよ、あなたは王になるべきだわ」
ミレルも、そう言った。彼女の声はとても明るかった。
だが、それが、偽りの明るさであることは、リウイには手に取るように分かった。
彼女の本心がどこにあるのか、リウイは知っていた。それは、ずっと前から知っていたが応えなかったことだ。自分の気持ちが分からなかったし、心に棘となって突き刺さったままのものがある。それが抜かれることがないかぎり、ミレルの想いに応えられないだろう。
「国王になって、このオーファンを治める。それこそ、あなたがなすべきことなのよ」
ひとりごとのように、ミレルはつぶやいた。
「オレが、なすべきこと……」
何気ないミレルのつぶやきだったが、リウイは頬を殴られたような衝撃を受けていた。
「どうしたの?」
リウイの表情の変化に気づいて、ミレルが心配そうに声をかけてきた。
「ありがとう、ミレル」
リウイは彼女の小さな手を取った。
「オレは取り返しのつかない間違いをおかしてしまうところだった」
「取り返しのつかない間違い?」
ミレルは訳が分からないというように、目をぱちぱちさせた。
「そうさ。オレが本当になすべきことを見失うところだったんだから」
父親のことより、この王国のことより、もっと重大な使命が自分にはあったではないか。
リウイは自らの決意を、騎士団長ネフェルに、そして三人の仲間たちに語っていった。
夜の闇に抱かれるように、ローンダミスは肩で息をしながら立っていた。
彼の目の前には、三人の男が倒れている。その顔には、どれも見覚えがあった。
すべて鉄の槍騎士団の正騎士だ。そのうちのひとりは二番隊の騎士隊長で、武勇を謳われた男である。
それだけに、ローンダミスは手加減することができなかった。事実、彼も数か所の浅手《あさで 》を負っている。
腰を下ろして、ひとりずつ調べてみると、ふたりはすでに絶命していた。そして、もうひとりも虫の息だ。助かりはしない。自分で与えた傷なのだ、致命傷かそうでないかぐらいは分かる。
「いったい誰に頼まれた?」
無駄とは知りつつ、ローンダミスは瀕死の騎士に尋ねた。
「裏切り……者……」
そうつぶやいて、その騎士は息絶えた。
「裏切り者だと? いったい、どちらがだ」
吐き捨てるように言って、ローンダミスは立ち上がった。
まさか、陰謀がここまで進展しているとは思ってもいなかった。ルキアルの高笑いが聞こえてくるようだ。
リウイを擁立し、オーファンの実権を握ろうとする者が、騎士団のなかにいるのだ。それも、騎士隊長にさえ命令を下せるような上級騎士である。
この事実を、どのようにリジャールに報告すればいいのだろう。
処置を急がねば、王国はふたつに割れ、内乱となりかねない。
オーファンの前身であるファン王国から仕えている騎士や文官たちは、間違いなく皇太子を支持するだろう。
だが、リジャールの名声を慕って集まった、騎士や文官たちも少なくはないのだ。
彼らは若かりし頃のリジャールの面影を残しているリウイを、次期国王にと望むかもしれない。
しかし──
「なんという短慮《たんりょ》だ」
ローンダミスは二人の騎士の死体を憮然と見下ろした。
つい先日まで、このオーファンの結束は盤石《ばんじゃく》だと思っていた。
それが、ファンドリアの騎士たちの越境問題を発端《ほったん》に、どんどんと崩れている。魔術師ギルドのこと、王位継承者のこと、このオーファンにこれほどの難問が存在しているとは、ローンダミスは思いもよらなかった。
もしも、王国を二分しての内戦となれば、周辺諸国の介入も招きかねない。それだけは、避けなければならないと思う。
「血を流すのは好みじゃないが……」
ローンダミスはつぶやいた。
いちばんの良策は、リウイの存在が世間に知られる前に、彼と彼を支持する一派を、残らず成敗することだろう。
近衛騎士隊長の役職には、王国内の反乱分子を取り締まることも含まれているのだ。
ローンダミスは、すべてを独断で行う決心をした。
この事実を知れば、リジャール王の苦悩は、さらに深くなるだろう。
また、反乱を企てたとはいえ、実の子を手にかけたとあれば、リジャールの名声に傷がつく。だが、それが近衛騎士隊長の独断であったとすれば、国王に対する非難は小さいはずだ。
告げられないのは、リジャールにばかりではない。妻のラヴェルナにも、告げることはできない。魔女と綽《あだ》名《な》される妻が、実は情の深い女性であることは、誰よりも知っている。
たとえ、わずかのあいだとはいえ自らの直弟子となった者を、夫であるローンダミスが殺すということを知れば、彼女の悲しみはいかばかりであろう。
すべては己の意思で、裁断せねばならない。
それが、このオーファンのためなのだ。
ローンダミスはそう決意すると、騎士たちの骸《むくろ》を一瞥《いちべつ》して、その場を立ち去ろうとした。
と、その歩みがぴたりと止まった。
そして、はっとしたような表情で、三つの死体をじっと見下ろした。
彼の手にかかって果てた騎士たちの身体は、すでに硬直していて、流れでた大量の血もべっとりと固まりかけている。
「裏切り者……か」
その最期のときに、彼らのうちのひとりはローンダミスにそう言った。
だが、ローンダミスが裏切者であるはずがない。王国のために、己の使命を果たそうとしているのだから。
そう自分に言い聞かせたとき、彼の頭のなかで、まったく正反対の考えが突然、閃《ひらめ》いていた。
ローンダミスはそれを一笑にふそうとした。
だが、否定しようとすればするほどに、その突拍子もない考えこそ、実は真理なのではないかという気がしてきた。
「試してみるか……」
ローンダミスは口に出してそうつぶやくと、夜の街を全力で駆けはじめた。
しばらくののち、ローンダミスは王城へと戻っていた。
上級騎士である彼のために、門を守る衛兵はわざわざ正門を開いて彼を出迎えてくれた。
すでに夜は更けている。振り返れば、街の明かりもまばらになっている。ただ、光の河のように大通りに沿った建物だけが、闇のなかに浮かびあがっている。
中庭を抜けて、宮殿へと入る。
当直の衛兵や近衛騎士たちが、怪訝そうな顔で挨拶するなかを、ローンダミスはどんどんと奥へ進んでいった。リジャール王の部屋に向かって。
国王の部屋は城の三階のほとんどを占めている。一階にある謁見の間の奥にも私室が設けられているが、こちらは賓客《ひんきゃく》と個人的に会うための場所で、日頃、国王や王族が暮らしているわけではない。
この私室には、侍女と護衛の騎士たち以外の者は入ることが許されない。彼らにしても控えの間に詰めており、呼び出しがあるか、賊が侵入してくるまでじっと待機しているだけだ。
ローンダミスも、若い頃はこの控えの間に詰めていた。その役からはずれたのは、アレクラスト大陸を巡る旅から帰り、近衛騎士隊長に就任してからのことだ。
ようやく、ローンダミスは王族の部屋へと通じる扉の前にやってきた。
扉は頑丈な鉄製で、その前にはふたりの近衛騎士が椅子に腰を下ろして待機していた。
「隊長!」
ローンダミスの姿を見て、ふたりはあわてて立ち上がる。
「国王に謁見を求めたい。入るぞ」
ローンダミスは、一言、断わって、扉を開けるよう命令した。
「いかなる用件でしょうか?」
近衛騎士は、すばやく扉の前に立ち塞がると、そう尋ねてきた。
隊長といえども例外なく、任務を忠実に実行しようとしていることに、ローンダミスは満足した。もっとも、今は面倒なだけだが。
「くわしい理由は、教えられん。とにかく、緊急の用件があって、近衛騎士隊長のローンダミスが謁見したいと陛下に伝えてくれ」
「伝えてはみますが、陛下は公務以外では誰にも会いたくないと申されておりますので、あまり期待はしないでください」
「断わられても、オレは入るぞ。王国の大事で、一刻を争う問題だと言え!」
ローンダミスは城中に響けとばかりに大声で怒鳴った。
「わ、分かりました」
ローンダミスの剣幕に、まだ若い近衛騎士は脅えたように扉の奥へ入っていった。
しばらく待つと若い騎士は戻ってきた。
「陛下は御会いになるそうです。ですが、かなり御立腹の様子ですので、くれぐれもお気をつけください」
そして、ローンダミスは部屋のなかに通された。
螺旋階段を降り、一階の部屋へと案内された。公私の別ははっきりと分けるという態度である。国王であればこそ、大事な姿勢なのだろう。
案内してきた近衛騎士に下がるよう命じてから、ローンダミスは部屋の扉を叩いた。
「入れ」
リジャールの、たしかに不機嫌な声が返ってきた。
ローンダミスは扉を開け、部屋に入った。
リジャールは、ガウン姿でソファーに腰掛けていた。憮然とした表情で、部屋に入ったローンダミスの顔を見ようともしない。
「王国の大事とは、いったい何だ」
「申し上げます」
ローンダミスは、リジャールの前にひざまずいた。
そして、今夜の出来事を順に話しはじめた。
自分が魔法戦士リウイの身近を調査していたこと。そして、彼自身と接触を持ったこと。
話をするうちに、リジャールが不機嫌さを募《つの》らせてゆくのがありありと分かった。
「誰がリウイを殺せと命じたか!」
話がリウイたちとの戦いの場面に及んだとき、リジャールは憤然と立ち上がるとローンダミスを睨みつけた。
「わしはあの男をそっとしておくよう、命じたはずだぞ」
そのとおりだった。
マギスと不審な男との密会の現場を押さえたあと、ローンダミスは国王お気に入りのこの徴税官がいったい何を頼まれたか聞きだした。マギスは、リウイという名の魔法戦士の噂をリジャールの耳に入れるよう指示された、と答えた。
いかにも不思議な依頼であった。
そんな男の噂をリジャールに伝えて、いったい何の得があるのか見当もつかなかった。
最初、ローンダミスはリウイなる魔法戦士が王国への仕官を望んでいるのかと思った。だが、彼の直接の導師である妻から、リウイが出世欲のない男だということを聞いて、その考えを打ち消した。
それで、このオーファンに仕掛けられた陰謀のひとつだ、と判断したのである。だが、いかなる意図によるものかはまったくつかめない。
そこで、ローンダミスは、この陰謀を逆手に取ろうと考えた。
すなわち、自分自身の口から魔法戦士リウイの噂をリジャールに伝えたのだ。国王がどんな反応をするかで、陰謀をしかけた相手の意図が探れるのではないか、と期待して……
はたして、反応はあった。
それも、驚くような反応であった。
人前であったにもかかわらず、リジャールはひどくあわてて、ローンダミスに向かって、その話をどこから聞いたのか、と問いただしたのである。
街で聞いた噂だと、ローンダミスは事実を隠した。
その答を聞いて、リジャールは安心したようだ。ローンダミスを連れて、ちょうどこの部屋に移ると、リジャールはすべてを明かしてくれた。
リウイが自分の庶子であること。
男子であったので、後継者争いが起こるのを恐れ、宮廷魔術師だったカーウェスに預け、魔術師として育てようとしたという。
まさか、その子が魔法戦士となり、かつての自分と同じ、冒険者の道を歩きはじめていたとは思いもよらなかった、とも言った。
「魔術師として育てようとした子が、我が血をいちばん濃く受け継いでいたとは、な」
そう言って、リジャールは寂しそうに笑ったものだ。
「会ってみたいな、我が子リウイに。だが、妃の気持ちや王国のことを考えると、そうもいかんか……」
そして、リジャールはローンダミスに、このことは忘れてくれと言ったのだ。また、リウイについては、そっとしておくようにと命じた。
「覚えております」
ローンダミスはかしこまった。
「覚えているなら、なぜ守れんかった!」
リジャールは天地をゆるがすような大声で怒鳴った。老いたりとはいえ、鬼神のごとき迫力である。
だが、ローンダミスは動じたりしなかった。
「そっとしておくわけにはまいりません。なぜなら、陰謀の手はリウイ王子にも伸びていたからです。彼を擁立し、決起させようという陰謀が……」
そして、ローンダミスは今夜の事件の話を続けた。
ローンダミスがリウイたちと戦ったのは、彼らの実力を試してみるためだった。
リウイも彼の仲間もなかなか手慣れた戦いをした。特に、最初に手合わせした女戦士はかなりの使い手である。
ローンダミスが、彼女を一太刀で負かすことができたのは、リジャール伝授の技を使《つか》ったからだ。一口で言えば、奇策である。こちらの手の内が知られていれば、相手に反撃の隙《すき》を与えてしまう危険もある。
だが、相手に実力があり、本気であればあるほど、よく決まる。若かりし頃のリジャールが見出したいくつかの秘剣のうちのひとつだという。
ローンダミス自身、リジャールとのあの試合で、この技を使われて、一瞬のうちに敗れた。そのとき以来、ローンダミスは必死になって稽古を積んで、この技を会得した。
めったなことでは使わぬが、敵を威圧するためにはもってこいの技である。
あのときも、一瞬で勝負を決めなければ、魔法の援護のある彼らには、苦戦していただろう。
「|戦の神《マ イ リ ー》の神官戦士が仲間にいましたから、リウイは間違いなく勇者といえるでしょう。それが、彼にとっては不幸なのです。そして、このオーファンにとっても。陛下は常々、皇太子殿下が武人としての資質に欠けていることを嘆いておられました。それゆえ、自分の元気なうちに、外敵を除こうと考えておられたのではありませんか」
「いかにも、そのとおりだ。だからこそ、ファンドリアの騎士どもが越境してきたとき、これは好機と喜んだのだ。フォルテスさえ姿を現わさんかったら、いかにラヴェルナが反対しようとも、兵を出していたかもしれん」
「わたしの妻はなかなか強情ですから、そう簡単には引き下がらないでしょうが……」
「そのようだな。宮廷魔術師殿は彼女なりに我が王国のことを考え、奔走してくれている。さすが、カーウェスが推薦しただけのことはある」
「お褒めいただき恐縮です」
妻になりかわって、ローンダミスは深々と礼をした。
「だが、わしは決心したのだ。おまえの妻には気の毒だが、宮廷魔術師から降りてもらおうと。魔術師ギルドの最高導師からの要請だ。これからの両者の関係を考えると、断わることはできん」
ローンダミスは顔を上げ、じっとリジャールを見つめた。
「彼がもたらすであろう力に魅せられましたか? 武人ならぬ皇太子殿下を護る力になることを期待されたわけですな」
「ローンダミス! 言葉がすぎるぞ!!」
リジャールは激しい勢いで立ち上がった。その顔が怒りのために、青黒く染まっていた。
「無礼は承知しております! 今夜は言いたいことはすべて述べるつもりでまいりました。今のオーファンが苦境におちいっているのは、陛下をはじめ要人たちが互いに秘密を抱いていることが原因であると思われますゆえ」
「誰かがこの王国に害をなそうと企んでいるから国が乱れるに決まっておる。そして、その企みに乗せられている裏切者がこの国にいる。たとえば、王命を守れん騎士とか、な」
リジャールの言葉は、刃のようにローンダミスの胸に切り込んできた。
「それが違うのです!」
ローンダミスはきっぱりとした言葉で言った。
「わたしは、リウイを殺す気など毛頭ありませんでした。ただ、オーファンが安定するまで、この国から離れろと脅すつもりだったのです。だが、それを伝える前に、思わぬ邪魔が入り、リウイを取り逃がしたのです」
ローンダミスは四人の男が襲ってきて、リウイたちを連れ去ったことを言った。
「ならば、リウイはおまえのことを刺客と思ったかもしれぬな。これをもって、リウイが決起したとすれば、おまえの独断は決して許されるものではないぞ」
「はい、そのことについては申し開きはいたしません。罰はいかようにも受ける覚悟です。ですが、わたしもオーファンのためを思い、行動したのです。決して、この王国に害をなそう、と思ってはいませんでした」
「そのぐらいは、わしでも分かる」
憮然とした顔で、リジャールは言った。
「近衛騎士隊長に任ずるのは、わしがいちばん信頼しているからこそだ」
「ありがたきお言葉です」
ローンダミスはふたたび頭を下げた。
「で、おまえの邪魔をした者はいったい誰だったのだ。まさか、取り逃がしたわけではあるまいな」
「取り逃がしはしませんでした。ですが、生捕りにするのも難しく、全員、切り捨てました。そして、その正体を確かめたところ……」
さすがに言いにくく、ローンダミスはいったん言葉を切った。
「今夜はすべてを言うつもりだったのだろう。かまわんから、話せ」
「邪魔をしたのは、我が鉄の槍騎士団の正騎士でした。そして、そのうちのひとりは騎士隊長です」
「なんと」
リジャールの目が一瞬、大きく見開かれた。
「騎士団のなかにリウイを擁立しようと思う者がおるということか?」
「おそらく……、それもかなりの上級騎士です」
「騎士隊長に命令を下せるのは、将軍級の上級騎士だけだぞ。団長ネフェルか、三人の副団長、あとは近衛騎士隊長のおまえか国境警備隊長のアトレー。すべて、我が信頼する騎士ばかりだ。そのなかに裏切り者がいると」
「裏切り者は、おりません」
ローンダミスは声に力をこめた。
「裏切り者がいない、だと?」
「はい、我がオーファンは新興の王国ですが、その体制は盤石であったと自負しております。騎士も文官も、国民もすべてリジャール王と王国に忠誠を誓っております。ですが、興国《こうこく》の英雄のひとりである宮廷魔術師カーウェス師が病に倒れられ、多くの者が不安を抱いたのです。すなわち、リジャール王もいつかは崩御されるのだ、と。英雄王が去ってのち、オーファンは大丈夫なのか、と」
リジャールは黙って聞いていた。それは、彼自身、痛感しているところである。
「この不安を利用したのが、敵の、おそらくはロマールの軍師ルキアルの陰謀のすべてなのです。王国を憂うがゆえに、なんとかせねばと焦る心。それゆえ、全員が常とは違う行動を起こす。その結果、互いの意見が食い違い、対立が生まれる。国内に対立があれば、内乱を引き起こすのは簡単なこと。たったひとつの火種さえあれば、炎は燃えあがります」
「その火種が、リウイであったというのだな」
「さようです。リウイ王子を擁立する者は、裏切り者ではありません。王国のことを考えればこそ、皇太子殿下ではなく、勇者の資質を持つ彼を王位に就けようと思うのです。リジャール王が内心、武人の後継者を求めていることは、我等、臣下の者で知らぬ者はありませんゆえ」
「正直に言えばそうだ。だが、わしの願いは皇太子が武人となってくれることで、武人の王子に王位を譲ろうということではないぞ」
「ですが、リジャール王はそのことをわたしたち臣下の者には、語られなかったではありませんか。それでは、陛下が王妃殿下に遠慮されてのことと、思う者もいるでしょう」
「なるほど、今夜は言いたいことを残らず言ってくれる」
リジャールは顔をしかめながら、言った。
「わたしは昔、死刑の宣告を受けておりますから、恐れるものは何もありません」
「古い話だな。あの頃のおまえは自信に満ちておった。そして、このわしも……」
「まったくです。そして、当時のリジャール王は、メレーテさまを心から愛しておられた。それゆえ、彼女が名門の生まれであったり、亡国の王妃であったりすることも、気にはならなかったはずです。しかし、王国が強大になるにつれ、リジャール王にはこのオーファンの運命を担っているという意識が芽生えた。王国を繁栄させるためには、いったい何をするべきか、と。そのときに、メレーテさまの生まれと育ちは、国を支える支柱のひとつになると考えられた……」
「それは違うぞ」
憮然とした表情で、リジャールはローンダミスの言葉を遮った。
「おまえの意見は穿《うが》ちすぎている。わしは、妃を利用しようと思ったことは一度もない。妃への愛は、昔から変わってはおらん。わしが邪竜クリシュを倒したのは、メレーテのためだ。内乱で崩壊しつつあるファン王国北部を統一し、この王国を興したこともな。メレーテを王妃に迎えたのは、ただただ、わしが妃を愛するゆえだ。オーファンはわしの剣で興した王国だ。カーウェスやジェニ、そして多くの騎士や文官に助けられはしたがな。ファンの名も、妃が名門の姫であることも関係はない」
「それでは、なにゆえにリウイたちをお認めになられなかったのです」
「決まっておる。妾がいたことを、妃に知られたくなかったからだ。たしかに、若かった頃は、何人もの侍女や女官に手をつけた。だが、妃への想いが冷めたわけではないからな。妃を想うがゆえに、子供たちを遠ざけたのだ。勝手な男と思うかもしれんが、わしも人間であり、男なのだ」
ローンダミスはこの部屋に入って、はじめて笑顔を見せた。
「それは理解できます。わたしも男ですから。ときには、妻以外の女性に目が行く場合もあります。生まれつきの無精者ゆえ、手だしはしませんが」
「王国のためにも、そう願いたいな。宮廷魔術師と近衛騎士隊長に争われては、わしの立場がない」
そして、リジャールはしばし自分の考えに耽《ふ》けった。
「なるほど、たしかに王国を思うがゆえに、王国に害なす場合もあることが分かった。だが、リウイを擁して、王国に反旗を翻《ひるがえ》そうとする者がいるのは、もはや動かせない事実。これを収拾するには、武力を使うしかあるまい。だが、隠し子がいたことは、妃にばれてしまうか。それも妃を想うゆえでは、許されまいな」
リジャールは、深いため息をついた。
「悪いことはできぬものだな……」
「王妃殿下はお優しい方ですゆえ、お許しになられるでしょう。それよりも、今は内乱を避けるべく、全力を尽くさねばなりません。リウイと彼を擁立する者の言い分も聞き、公平なる御裁断を願います。なにより、陛下の意思を、我等にもぜひ明かしていただきますように。そのうえで、オーファンのために何がいちばんよいのか、相談して決めませんと」
「以前ならば、すべての難問はカーウェスが解決してくれたのだがな。わしは、威厳のある国王を演じていればよかった。カーウェスが倒れたので、自ら判断せねばならぬと、少々、気負いすぎたかもしれん。おそらく、カーウェスがラヴェルナを遣わしたのは、自分のかわりに彼女を信用しろ、ということだったのだろう。他人の心配などせず、自分の身体のことを考えておれば、もっと長生きできただろうに……」
そして、リジャールは明日にでも宮廷会議を召集する旨を、ローンダミスに告げた。
「明日の会議に出てこぬ者が、リウイの擁立を企てる者だろう。それが誰かを確かめたうえで、しかるべく使者を立てよう。その者が短慮を起こさぬよう願うばかりだ。事が表沙汰になれば、王国の威信にかけて武力を行使せねばなるまいからな」
「同時に、ファンドリア騎士団の越境問題、それから宮廷魔術師の件をあきらかにしたほうがよいでしょう。ラヴェルナを辞めさせることはともかく、あのフォルテスを宮廷魔術師に就任させることには、いささか異議があります。彼が約束した力が真実であるならば、わたしには少々、危険なように思いますゆえ」
「無論、危険だ。だが、それゆえ魅力的でもある」
リジャールはローンダミスの言葉を認めた。
「その力が何であるかも、明日にはあきらかにしよう。明日の宮廷会議は、今夜のおまえのように、すべての者が言いたいことを言えるようにしなければな」
「そう願います」
ローンダミスはその場で平伏し、頭を下げた。
リジャールは聖人君子ではないかもしれない。だが、彼は間違いなく英雄であり、人々を惹きつけずにはいられぬ魅力を持っているのだ。だからこそ、騎士も文官も、表裏なく彼に仕えてきたのだ。そして、この王国の民も。ローンダミスにしても、それは同じであった。
リジャールに命を助けられたから、忠誠を誓ったのではない。この王ならば命を捨ててもよいと思うからこそ、忠誠を誓ったのである。
そのとき、扉を叩く音がした。
「何用だ」
リジャールが扉に向かって声をかけた。
「はい、騎士団長ネフェルさまが謁見を求められております。話は王国の大事であり、一刻を争うことだとのお言葉で……」
若い騎士の狼狽《ろうばい》は、扉越しにも伝わってきた。なぜ、今夜にかぎり突然の来客が多いのか、不思議に思っていることだろう。
リジャールとローンダミスは思わず、顔を見合わせていた。
「おまえの言うとおり、我が王国に裏切り者はおらんようだ。わしはよい臣に恵まれている……」
リジャールは、近衛騎士にすぐネフェルを通すように伝えた。
そして、しばらくすると、ネフェルが姿を現わした。
ひとりの伴《とも》の者を連れて……
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第V章 古の塔の決戦
魔術師ギルドに臨時の宮廷会議を開催する旨の連絡がきたのは、早朝のことだった。
もちろん、最高導師フォルテスにも出席するように、と国王リジャールからの親書が届けられていた。
十日ほど前に、リジャールからはフォルテスを宮廷魔術師にするとの内諾をもらっている。魔力の塔の建設のために、莫大な資金や資材も与えられていた。
この援助のおかげで、魔力の塔の建設は急ピッチで進んでいる。すでに石材の積みあげは完了し、漆喰で塗りかためられている。塔の内装もあらかた片付いた。
あとは外装の仕上げと、塔の心臓部ともいうべき魔法装置を起動させるだけでよい。その魔法の儀式は、半日もかからない。
それで、魔力の塔は完成するのだ。
機能しはじめた魔力の塔は、大地や大気から魔力《マナ》を吸いあげ、額に埋めた黒水晶を通して、フォルテスに無限の魔力を与えてくれるのだ。
その黒水晶を埋めこむ儀式も、昨日、終わっていた。今、フォルテスの額には、魔法の水晶が闇の色に輝いている。
フォルテスは、至福の気分を味わっていた。
宮廷会議の開催は騎士や文官たちに、フォルテスの宮廷魔術師就任を披露するためであろう。リジャールがラヴェルナを国外への使者に遣わしたとの情報は、前々から得ている。あの魔女がオーファンを離れているあいだに、宮廷魔術師を交替させようとリジャールは考えたに違いない。
おそらく、ラヴェルナはまもなく帰ってくるのだろう。
「英雄王にとっても、あの魔女は扱いにくいとみえるな」
フォルテスは、しばしのあいた含み笑いを洩らした。
ラヴェルナが自分に忠誠を誓うなら、魔術師ギルドからの追放を考えなおしてもよい、とフォルテスは思いはじめている。無限の魔力を得たうえは、魔女など恐れる必要はないのだから。
フォルテスは紫《し》紺《こん》の長衣《ロ ー ブ》をまとい、魔力を帯びた装飾品を身につけた。竜の牙の首飾りや魔法の指輪などだ。オーファン魔術師ギルドでは、最高導師にのみ許された|大魔術師の杖《ウイザード・スタッフ》も手にした。
そして、部屋の中央に描かれた魔法陣のなかに足を踏み入れる。
魔法陣の中心まで進むと、フォルテスは上位古代語《ハイ・エンシェント》を一言だけ唱えると大魔術師の杖を振るった。大魔術師の杖には瞬間移動の呪文が付与されているのだ。合言葉を唱えるだけで、望む場所に移動することができる。
フォルテスが姿を現わしたのは、玉座の右隣、宮廷魔術師が占めるべき場所である。
魔術師ギルドの最高導師の突然の出現に、謁見の間に集まっていた人々からどよめきが起こった。彼の無礼を非難する声もあがる。
「魔法の偉大さを理解できぬ、愚かな者どもめ」
フォルテスは心のなかで嘲《あざけ》りながら、玉座を振り返って、リジャールに挨拶した。
「よく参られた」
リジャールはちらりとフォルテスを見て、威厳に満ちた声で応じた。
国王の向こう側の席には、王妃メレーテの姿があった。
あまり公《おおやけ》の席には出ない人物だと聞いていたが、さすがに今日の重大な会議には出席せずにはいられなかったのだろう。
それは正しい考え方だ。
今日の会議は、オーファンの歴史に刻まれるものとなるのだから。
正面に向きなおると、中央に敷かれた真紅の絨毯を挟んで、上級騎士や高位の文官たちが並んでいた。
「皆、そろったようだな」
「御意」
リジャールの言葉を受けて、宰相リスラーが高らかに会議の開催を宣言した。
「まず、皆に紹介したい者がいる」
会議がはじまるとすぐに、リジャールはそう切り出した。
自分のことだ、とフォルテスはわずかに胸をそらした。
そして、待った。
宮廷魔術師フォルテスの名前が呼ばれることを。
しかし、リジャールの言葉は彼の期待を裏切るものだった。
「王位継承権第三位になる我が王子だ」
リジャールが言い終わると同時に、騎士たちの後ろに控えていたひとりの若者が玉座の前にゆっくりと進みでてきた。
若者は国王と王妃に順に挨拶してゆく。そのときには、騒然としたざわめきがこの大広間を支配していた。
謁見の間に集まった多くの人々と同じく、フォルテスもまた驚きを感じていた。それも、彼の場合、二重の驚きであった。
ひとつはリジャールに三人目の王子がいたことである。もうひとつは、若者の顔に見覚えがあることだ。
「リウイ……」
フォルテスはうめくように言った。
若者は魔術師の長衣ではなく、オーファンの王子にふさわしい服装をしていた。
小さめの冠を戴き、裏地に毛皮の使われたぶあついマントを肩から垂らしている。金銀で装飾された濃紺《のうこん》の服を着て、太股のところが膨れたズボンを身につけている。
腰に吊るしているのは、王家の紋章が入った細剣《レイピア》だ。
だが、その若者がオーファン魔術師ギルドに属する正魔術師リウイであることは間違いなかった。
「馬鹿な、あいつが王子でなどあるはずがない!」
フォルテスはリジャールに向かって、詰め寄っていった。
「ここは謁見の場だ。偽りなど言わぬ」
リジャールは手厳しく答え、フォルテスを下がらせた。
さすがのフォルテスも深く頭をさげて、非礼を詫びた。
リジャールは鷹揚にうなずくと、静かに玉座から立ち上がった。そして、リウイの出生について淡々と話しはじめた。
ざわめいていた人々も、リジャールが話をはじめると、水を打ったように静まりかえっていた。
ただ、その視線がときどきメレーテ王妃に注がれていた。
だが、当の王妃は始終、穏やかな顔をしていて、リジャールの話にいっさい口を挟まなかった。
リジャールの話は終わり、彼の口から王子リウイの名前が紹介された。
一瞬、沈黙が流れたが、誰かの拍手を合図に謁見の間が大きな拍手で包まれた。
若い騎士たちから、リウイ王子の名前が連呼された。
リウイはその声に応えるようにかるく右手を上げ、そして、自ら名乗りをあげた。堂々たる挨拶であった。
「ふたりの王子ともども、大事にしてやってくれ」
リジャールは最後に締めくくるように言って、玉座に腰を下ろした。
「それでは、次の議題に移らせていただきます」
リジャールが玉座に着いたのを見届けて、リスラーが言った。
「導師フォルテス」
いよいよきたか、とフォルテスは思った。
リウイのことは驚かされたが、それでどうなるというものではあるまい。
フォルテスは咳払いをひとつすると、一歩前に進みでた。
「導師フォルテス」
ふたたび彼の名が呼ばれた。
もっとも、呼んだのはリスラーではなく、玉座の前に立ったままだった王子リウイであった。
「わたしはおまえを告発するぞ。おまえは魔術師ギルドの掟を破り、禁断の古代書を私物化し、これを使おうとした。世界を破滅に導くかもしれない禁断の古代書をだ」
「な、何を言うか!」
フォルテスの声は、激しい怒りのため震えていた。
「魔術師ギルドの長は、このわたしだ。わたしの定めるところ、これすなわち規則。それゆえ、わたしが規則を破ることなどありえんのだ。たとえば、国王が法を犯すことがないのと同様……」
「それは違うぞ、フォルテス」
リジャールだった。
「国王といえども、守らねばならぬ法がある。この法を犯した王は、臣下や国民の手により裁かれることになるのだ」
「それは詭弁《き べん》というものですぞ。よしんば、国王はそうであったとしても、魔術師ギルドでは違う。最高導師の決めた規則を守れぬ者は、すべて破門なのだ。リウイ、貴様はオーファンの王子なのかもしれぬ。だが、我が魔術師ギルドの正魔術師でもあるのだ。わしに忠誠を誓ったことを忘れたか? オーファンの王子の言葉は、それほど信義に悖《もと》るものなのか?」
「王子に向かって無礼であろう!」
ネフェルが剣を抜きながら恫喝《どうかつ》する。
「魔術師ギルドおよび神殿は、王国の介入は受けぬわ。たとえ、国王、王子といえども礼をつくす必要はない!」
「そこまで言うならば、覚悟はできていよう!」
「ネフェル、捨ておけ」
リジャールの物言いは、あくまでも静かだった。
「貴公の言うとお力、魔術師ギルドと神殿には介入せん。それゆえ、オーファンの法により貴公を裁くことはできんし、そのつもりもない」
「さすが、国王陛下は冷静であられる」
フォルテスの顔は、痙攣《けいれん》をおこしたようにひきつっており、声の震えは今や彼の全身に及んでいた。
「では、導師フォルテス。魔術師ギルドの規則により、おまえを裁くことにしよう。魔術師ギルドの最高導師は、まだ、おまえではない。カーウェス最高導師の逝去《せいきょ》をもって、地位の引き継ぎが行われることを忘れたわけではあるまい。カーウェス師は、まだ生きておられる。それゆえ、魔術師ギルドの規則を変えることは、おまえにはできないのだ。魔術師ギルドから追放されるのはおまえのほうだ!」
リウイは激しく言葉を浴びせ、指をまっすぐに突きつけた。
さすがに、フォルテスは反論の言葉を失っていた。
もはや回復の手立てがないため、カーウェスは死んだものと考え、振る舞ってきた。だが、彼が生きているあいだは、たしかにフォルテスは最高導師の代行にすぎない。
屈辱と怒りのため、フォルテスの顔はすでに赤から紫へと変じていた。
額やこめかみにくっきりと血管が浮かびあがっていた。放っておけば、顔中が膨れあがり、破裂するのではないかとさえ思われた。
「なるほどな、リウイ王子。たしかに、おまえの言うとおりだ。だが、おまえはいったい何を告発している。わたしが私物化したという古代書とは、いったい何だ」
「とぼけるか、フォルテス! 魔力の塔の建造方法を記《しる》した古代書に決まっている!!」
「所持していないとは言わせんぞ、フォルテス。わしは貴公の口からはっきりと聞いたのだからな」
横目でフォルテスを見ながら、リジャールが言葉を挟んだ。
「あの古代書のことか」
フォルテスはやや冷静さを取り戻し、唇を歪めて不敵な笑いを浮かべた。
「あいにくだが、リウイ王子。あの古代書は、わたしが個人で手に入れたものだ。嘘だと思うなら、目録を調べてみるがいい。魔力の塔の建造の書が、魔術師ギルドの蔵書であったと記されているかどうか」
リウイも笑いで応じた。
「目録に記載される前に私物化したのだから、載っているわけがない。ただ、わたしは知っているのだよ。あの古代書をいったいどこで手に入れたかを。フォルテス導師、おまえは古代遺跡探索の団長として、オーファンおよびその近隣諸国の古代遺跡を巡ったな。その探索の最後、無の砂漠の西のはずれの遺跡で、おまえはあの古代書を発見したのだ。無限の魔力に魅せられたおまえは、古代書を自らの物とした。違うか?」
「い、いかなる証拠があって、そのようなことを」
「証拠? 証拠はないな」
「証拠もないのに、よくも見てきたようなことを。作り話で人を陥《おとしい》れるのが、王子たる者のすることか!」
「作り話などしていないさ。なんなら、真実の口で判定してみるか。それに、オレは見たんだよ。あの無の砂漠の西のはずれの遺跡で。隠し扉の奥に収められていた古代書のすべてを。そのなかに、魔力の塔の建造書も、たしかにあった。思い出してみろ。おまえの巡った遺跡は、すべて何者かに荒されていただろう。その遺跡を荒したのはこのオレさ。魔術師ギルドで情報を手に入れたオレは、仲間を誘って先回りしたんだ」
リウイは堅苦しい言葉遣いはやめ、いつもの自分に戻していた。
「な、ならば、貴様こそ規則破りではないか!」
「そのとおり。規則破りはお互いさまさ。だから、一緒に裁かれようじゃないか。オーファンの法ではなく、魔術師ギルドの規則によって」
「ならば、導師たちの会議を召集し……」
「そこまでだ」
リウイは哀れみの表情を浮かべながら、フォルテスの言葉を遮った。
「魔術師ギルドには、すでに手を打ってある。カーウェス師を助けだすため、兵を派遣しているからな。まもなく、その知らせがくるはずだ」
ちょうどそのとき、謁見の間の入口の扉が、あわただしく開いた。そして、ひとりの少女が飛びこんできた。
謁見の間にいる全員が、少女に注目する。
「おまえの負けだよ、フォルテス」
リウイは冷ややかに肩をそびやかし、そう宣告した。
謁見の間に飛びこんできたのは、ミレルだった。
彼女は激しく肩で息をしていた。おそらく、魔術師ギルドから全力で駆けてきたのだろう。
ミレルは玉座の前に正装で立つリウイに、しばらく気がつかない様子だった。きょろきょろと広間を見回したあと、ようやくリウイと視線があった。
「リウイ!」
叫んでから、彼女は自分のいる場所に気がつき、顔を真っ赤にした。
あわててその場で平伏して、リジャール王にたどたどしい挨拶をした。
「カーウェスさんは、無事、助けだしました。薬が切れていたから、意識もあります。今、ジェニ司祭に付き添われ、こちらへ向かっている途中です」
「ありがとう、ミレル」
リウイは彼女に微笑んでから、もう一度、フォルテスに向きなおった。
「そういうことだ。おまえも、オレも共に最高導師カーウェス師の裁きにかけられるわけだ」
「裁きにかけるだと。このオレを裁きにかけるだと。オレは魔術師ギルドのために、魔力の塔を再建しようと思っているのだぞ。おまえには分からないのか、この広間に集まっている者は、ひとりのこらず魔術を軽蔑しているのだぞ。魔術と魔術師を蔑《さげす》み、剣の力を絶対視する愚か者ばかりだ。この宮廷ばかりではない。街の者もそうだ。奴らは魔術師を恐れ、憎んでいる。魔術師であるからとの理由だけで、いわれのない迫害を受けたことが、おまえはないのか? 魔術は高尚な力なのだ。人間がこの物質界の主人になったのは、神より与えられ、古代王国期に完成された魔術のおかげではないか。にもかかわらず、新王国における魔術師の地位は低い。勇者とも英雄とも呼ばれることはない。たとえば、共に竜を殺したとしても……」
「|竜殺し《ドラゴンスレイヤー》の名誉をひとりじめにしたつもりはないぞ」
リジャールは、不思議なほど穏やかな声で言った。
「ごまかすな! カーウェス師がいればこそ、おまえは邪竜クリシュに勝った。この王国を興し、中原の大国にまで繁栄させたのも、すべてはカーウェス師がいればこそではないか? おまえは英雄王として君臨し、カーウェス師はただの宮廷魔術師のままこの世を去ろうとしている。いったいその差はなんだ? 戦士と魔術師、その違いだけであろう」
「無礼者!」
国王を侮辱されてはさすがに黙ってはおれず、何人もの騎士たちが剣を抜いてフォルテスを取り囲んだ。
「切るか! このわしを切るか!! よかろう、受けて立ってやろう。剣が強いか、魔法が強いか、試してやろうではないか! 無限の魔力の前に、剣がいかに無力であるかこのわしが教えてやるわ!!」
狂ったように叫んだフォルテスは、大きく魔術師の杖を横に振るった。
それを合図に、周囲から騎士たちが切りかかってゆく。
だが、その刃が触れるより一瞬早く、彼の姿は煙のようにかき消えていた。
「逃げられたのか!」
ネフェルが、歯がみをして侮しがった。
「大丈夫です。魔術師ギルドも騎士たちが押さえております。あの男に逃げ場はありませんよ」
若い騎士がネフェルに報告した。
「奴は魔術師ギルドには逃げまい」
そう言ったのは、リジャールであった。
彼は玉座から立ち上がると、全員に静まるように言った。
「賢明な貴公らのこと、すでに事情は分かっていると思うが、導師フォルテスは無限の魔力を約束する魔力の塔を再建しつつある。おそらく、完成は間近であろう。どこに建造しているのか、今、早急に調べているところだ。すぐに判明するだろう。完成までに、フォルテスを捕らえられればよい。だが、間に合わぬ場合、我が王国はその威信にかけても、魔力の塔を破壊せねばならない。さいわいにして、塔を守るのはフォルテスひとりだけだ。いかに無限の魔力を持っていたとて、負けることはあるまい。いや、負けるわけにはいかんのだ。たとえ、いかなる犠牲を払おうとも」
淡々としたなかにも、リジャールの断固たる意思は、聞く者すべてに伝わった。
謁見の間が、一瞬の沈黙に包まれた。
しかし、その次の瞬間には、大広間の隅々まで、地の底から湧きあがってくるような高揚感が包みこんでいた。
「我等、オーファンの騎士。陛下の命令とあらば、命をも投げだす覚悟にあります」
ひとりの若い騎士が興奮した声で叫んだ。
たちまち、それに賛同する声が起こる。
やがて、謁見の間は若い騎士たちの歓声で埋まった。最初、無秩序だった歓声は、リジャールの名前の連呼に変わっていった。
オーファンの英雄王、|竜殺し《ドラゴンスレイヤー》リジャールと。
「わしも出陣するぞ。この戦い、絶対に勝つ!」
リジャールは高らかに宣言すると、玉座の横にたてかけてあった|大 剣《グレートソード》をかるがると抜き放った。その鋭い剣先を高々と頭上に差し上げる。
その剣は邪竜クリシュを倒した魔法の剣だ。
この宝剣がリジャールの手にあるかぎり、オーファンは常勝不敗であると信じられている。この伝説のもと、オーファンの騎士団は大陸随一の精鋭と謳《うた》われているのだ。
歓喜が収まりつつあるとき、謁見の間の扉が大きな音をたてて開いた。
全員が注目するなか、呼び出しがジェニ大司祭とカーウェス最高導師の来訪を告げた。
そして、もうひとり、急ぎの使者が駆けこんできた、
「何事か?」
リジャールは、まず急使に報告を求めた。
「はい、ただいま宮廷魔術師ラヴェルナ様が御帰還なさいました。なお、ラムリアースより国王フレアホーン陛下、およびその近衛騎士二百騎が御同道されております。ただいま、ファンの街の門外にて待機されており、リジャール陛下に街に入る許可をちょうだいしたいとのことです。急ぎ御裁断を」
急使の報告が終わると同時に、謁見の間に新たな驚きの声が巻き起こっていった。
「なにゆえ、ラムリアース王が」
「このオーファンの混乱のおりに」
そんな声があちらこちらでささやかれている。
さすがのリジャールも、驚きの表情を隠せなかった。
だが、すぐにその表情は弛《ゆる》んだ。
「我が宮廷魔術師殿も、思いきった手を打ったものだ」
リジャールは独り言のようにつぶやいてから、すぐに一行を城まで案内するようにと急使に申しつけた。
そして、周囲のざわめきなど気にもせず、ゆっくりと扉まで歩いた。
解放されたままの扉のところに、ふたりの男女が静かに立っていた。
ひとりはガウン姿の老人である。もうひとりは、純白の神官衣を身につけた初老の女性。魔術師ギルドの最高導師である偉大なるカーウェス、そしてマイリー神殿の大司祭、剣の姫ジェニのふたりに他ならなかった。
「ベッドを用意しろ。この広間にだ」
リジャールは近くにいた者にそう命令をする。
「ゆっくり、病気にもなっとられんの」
カーウェスは苦しそうな息の下から、そうつぶやいた。
すかさず、ジェニ大司祭が神聖魔法を唱えた。
「世話をかけるの」
カーウェスは会釈《えしゃく》するように、ジェニに礼を言った。呼吸がすこしは楽になっていた。
「気にしないで。そのうちに返してもらうから」
「難しいことを言うな。ならば、喜びの野への道順を教えてくれ。先に行って、待つとしよう」
「もちろん、そうするつもり」
やがて、謁見の間に豪華なベッドが運びこまれてきた。
リジャールは、ジェニとふたりでカーウェスの身体を抱えると、そのベッドに横たえさせた。
「話はだいたい聞いている」
ベッドに横になると、さすがに楽になったょうで、カーウェスは深いため息を洩らした。
「フォルテスのことでは、迷惑をかけてしまったな」
「いや、その件については、わしに責任がある。なにゆえ、おまえがあの男を宮廷魔術師に推さなかったか、もっと考えるべきだった」
「あやつは魔術師としては一流だが、それ以外では大成できん男だ。それゆえ、魔術にこだわったのだろう。その気持ち、わしには分かる。ラヴェルナという天才がいたことも、あやつには災《わざわい》したな」
「そして、あの男の手に禁断の古代書が渡ったことも」
リジャールが、カーウェスの言葉を補足するように言った。
「そのことについては、リウイを叱らねばならんな。父親の名乗りをあげた以上は、おまえの役目だろうが……」
そこまでを言うと、カーウェスは上体を起こし、謁見の間をきょろきょろと見回した。
謁見の間からは、ずいぶん人が減っていた。騎士団長のネフェルをはじめ、おもだった騎士たちは戦支度をするために広間から出ている。
文官たちも、日常の職務を遂行するために、宮廷のあちらこちらに散ったようだ。
今、この広間に控えているのは宰相リスラーとその側近、そしてローンダミスをはじめとする近衛騎士が数人だけだ。
「リウイの姿が見えんようだが……」
「彼なら、さきほど、この広間から出てゆきましたよ。わたしの神殿の神官と背の高い女性が迎えにきて、もうひとり小柄な女性を伴ってこっそりとね」
微笑みながら、ジェニがカーウェスの疑問に答えた。
「いかにも、おまえの息子であろう。女に、ようもてよる」
カーウェスはリジャールに笑いかけると、ふたたびベッドに横になった。
「そして、おまえと同じく無謀なことよ。かたや邪竜、かたや無限の魔力、いずれがより危険であることか」
「やはり、挑むであろうな」
リジャールは目を細めて、リウイが消えていった謁見の間の扉を振り返った。
そして、彼はつぶやいた。
「死ぬなよ、リウイ」
「あの邪竜クリシュに挑んだときでさえ、わたしたちは生きて帰るつもりだったではありませんか」
「そうであった」
リジャールは短く笑い、己れの過去を振り返った。
「死ぬかと思ったことは何度もあったがな、結局こうして生きておる」
「まったくだな」
ベッドに横たわったままで、カーウェスがうなずいた。
「薬をくれんか? この事件が片付くまで、死ぬわけにはいかんからな」
おそらく、魔術師ギルドから持ってきたのだろう。ジェニがどろりとした液体の入ったガラスの小瓶をカーウェスに差し出した。
カーウェスは何回かに分けて、なかの液体を飲みほすと、すぐにぐったりとして目を閉じた。
ジェニは穏やかな表情で、かつて冒険者仲間であった老魔術師の顔を見つめた。
「カーウェスは、わたしが面倒をみましょう。あなたは、ラムリアース王を迎えねばならないのでしょう。それから、騎士団を率いて出陣しなければ」
「そういうことだ」
リジャールは近衛騎士に命じて、カーウェスをベッドごと謁見の間の奥の自分の部屋に運ばせた。
「リスラー! ローンダミス!」
カーウェスとジェニが部屋から出るのを待って、リジャールは宰相と近衛騎士隊長を呼んだ。
「聞いたとおりだ。リスラーはラムリアース王の歓迎の支度。ローンダミスは、出撃の準備を進めてくれ」
「かしこまりました」
ふたりは口を揃えて、返事をした。そして、それぞれの配下を引き連れて謁見の間から出ていった。
「忙しい一日になりそうだな」
独り言のようにつぶやきながら、リジャールはあらかた人のいなくなった謁見の間を、ぐるりと見わたした。
リジャールの予想は、みごとに当たった。
数刻の後には、王城シーダーは目の回るような忙しさに包まれていた。
オーファンの東の隣国ラムリアースの若き王フレアホーン・ラドクリフが突然、来訪したためである。その一方で、魔力の塔へと逃げたフォルテスを討伐するための準備も、着々と進んでいた。
魔力の塔が建てられた場所を突き止めると同時に、先遣隊が出発する手筈《て はず》であった。
ファンの街の郊外では、投石器をはじめとする攻城兵器が次々と引き出されている。
オーファンが戦支度をはじめているのを見て、ラムリアースの近衛騎士たちは色めきたったものだ。
フレアホーン王を謀殺するための罠が仕掛けられていたのか、と思ったのだろう。
しかし、その誤解は事実をあきらかにすることによってすぐに解け、ラムリアース王フレアホーンは、今、オーファンの謁見の間にある。
オーファン王リジャールと朗《ほが》らかに歓談していた。
すでに、公式の会談は終わり、謁見の間にはオーファン、ラムリアース両国の王の他、わずかな側近しか残っていない。謁見の間は、数刻前の荘厳さが嘘のように、和やかな雰囲気に包まれていた。
「まさか、フレアホーン王に来訪いただけるとは思ってもいなんだ」
気分がくつろぐと、リジャールは正直に言ったものだ。
「宮廷魔術師のラヴェルナは、貴国との同盟を強化するためラムリアースを訪問したいとしか言いませんでしたからな」
その宮廷魔術師ラヴェルナは、両国の王の話の邪魔にならぬように、とリジャールの玉座の脇に控えていた。
「ラヴェルナ殿には、昔、お世話いただきましたから」
フレアホーンは立ち居振る舞いも物腰も、アレクラストでもっとも歴史のある王国にふさわしい気品にあふれていた。
「それに、我が国の内乱のおり、リジャール王には他国の介入を許さぬよう御尽力いただきましたから、そのお礼も申し上げねばと思っていたのです」
数年前、先王の崩御をめぐって皇太子であったフレアホーンと従兄《い と こ》のアルモザーン子爵とのあいだで王位継承の争いが行われたのだ。
このとき、リジャールはいずれにも味方することはなかった。だが、この混乱を機にラムリアースに介入しようとする王国がないよう、睨みをきかせていたのである。
フレアホーンはそのことを言ってるのだ。
「同盟国として当然のことをしたまでです。しかし、それだけの理由では、貴国の大臣たちが、フレアホーン王の訪問を認めるはずはないと思うが」
リジャールは心底、不思議そうに言った。
「どうやら、お見通しのようですね。大臣たちは、我が国の歴史と伝統に固執していますから、貴国のような新興国とは対等につきあう必要がないと考えている者もいます」
フレアホーンは正直に言って、すまなさそうに頭を下げた。
「ですが、王国に古いも新しいもありません。王国の価値は、国民がその国のことを想う気持ちで決まるもの──。これは、ラヴェルナが我が国の宮廷会議の場で述べられたことなのですが」
「そのようなことを言ったのか?」
リジャールが驚いて、ラヴェルナを振り返った。
ラヴェルナは悪びれた様子もなく、はい、とうなずいた。
「彼らがあまりに無礼なことばかり言うものですから、つい反論したくなりまして」
「友好の使者で派遣したのだぞ。相手の印象を悪くしてどうする?」
リジャールが苦笑を洩らしながら言った。
「相手の言いなりになっているだけでは、真の友好など結べません。こちらの態度をあきらかにし、相手の言い分をよく理解することが大事だと思われます」
「カーウェスでも、そう言うだろうな」
リジャールは大きく笑った。
「オーファンとラムリアースは同盟関係にあったとはいえ、ほとんど形ばかりのこと。中原の平和のためにも、両国の関係を強化しておくべきだと、かねてよりわたしも思っていたのです」
フレアホーンが言った。
「それは、ありがたいお言葉。もしも、オーファンが戦に巻きこまれた場合、共に戦ってくれるということですかな」
リジャールの言葉は、フレアホーンの真意を探ろうとする意図があきらかだった。
「ともに、戦うつもりはありません。他国と戦をしないことが、ラムリアースの伝統ですから」
フレアホーンは、微笑みながら答えた。
「それでは、同盟を強化したことにはならないではありませんか? フレアホーン王がわざわざ訪問される意味がない」
「意味はあります。これもラヴェルナに言われたことなのですが……」
フレアホーンはそう言って、ちらりとラヴェルナに視線を向けた。
「どんな魔術を使ったのだ?」
リジャールもまた、彼女を振り返って、聞かせてくれと言った。
「魔術など使ってはいません。ただ、ラムリアースに兵を出してくれるようお願いしただけです。しかし、ラムリアースの大臣たちは、まるで耳を貸そうとしませんでした。ひたすら伝統に固執し、他国と戦わぬことが我が国の誇りと繰り返すばかりで……」
「わしには、正論のように聞こえるが」
「わたしには、そうは思えません」
ラヴェルナはきっぱりと言った。
「だから、わたしはこう言ったのです。戦うつもりなら、我が国だけで片がつきます。ラムリアースに出兵をお願いするのは、無益な戦を避けるため。両国の同盟がたしかなものと分かれば、いったいどの王国が兵を動かそうとするでしょう。それでも、兵が出せないとあれば、オーファンは自国の安泰のために、ファンドリアとロマールを相手に戦を交えるのみです、と」
「兵は戦をするために必要なのではない。戦を避けるためにこそ必要なのだとの言葉には、心が洗われる気がしました」
フレアホーンが、静かに付け加えた。
「そこまで言われては、我が国としてもじっとしているわけにはいきません。そこで、わたしがやってきたわけです」
「なるほど」
リジャールは大きくうなずくと、白くなった顎鬚《あごひげ》をさすった。
ラヴェルナの真意は、リジャールにも分かった。
ラムリアースを動かすことによって、ファンドリアやロマールがオーファンへ手出しをしないよう牽制するとともに、オーファンが隣国に侵略することをも牽制したわけだ。
だが、それも彼女なりの判断で、王国のことを思うゆえだろう。独断専行は責めなければなるまいが、彼女の行動を承認する他ない。
「わざわざ、フレアホーン王においでいただいたからには、我が国はファンドリア、ロマールとの戦を控えねばなりませんな。もっとも、ファンドリア騎士団の暴挙については、厳重に抗議をするつもりだが」
「もちろん、抗議は必要です」
遠慮がちに、ラヴェルナが言葉を挟んだ。
「ですが、この問題が起こった根本の原因は、両国のあいだに国境線が確立されていなかったこと。すぐにでも、国境線を定めるための交渉を行うべきです。もちろん、我がオーファンがファン王国を継承することを主張するならば、話は異なりますが……」
「いずれを主張するか、決断しろというのだな」
「はい」
ラヴェルナは、静かにうなずいた。
「我が王国はファンではない、オーファンだ。その前提で、ファンドリアとの交渉は宮廷魔術師のおまえに一任しよう」
「かしこまりました。もっとも、この交渉には時間がかかるでしょうから、まずは緩衝《かんしょう》地帯を決めておこうと思います。そのうえで、ゆっくりと交渉し、できるかぎり我が国の領土を広く確保するよう努力いたしましょう」
「そうしてくれ」
リジャールはふたたび豪快に笑った。
「ファンドリアに関してはそれでよいとして、先程、うかがった魔術師の件は、急いで解決しなければなりませんね。問題としては、こちらのほうがよほど深刻です」
フレアホーンが話題を変えた。声も表情も、深刻なものになっていた。
「フレアホーン王には、恥《はず》かしいところを見せてしまいましたな。しかし、すでに手は打っておりますゆえ、御心配なきように。魔力の塔と問題となった古代書に関しては、わしの名前にかけて、処分を約束しよう」
「そう願います。あまりにも巨大な力は、他人だけではなく、自らをも滅ぼします。古代王国のことを考えれば、それはあきらかですから」
「このような事態ゆえ、ごゆっくりもてなすこともできずに申し訳ない。この非礼は、かならずや償《つぐな》わせていただこう」
「お気になさらずに。それよりも、我が王国を訪《たず》ねてください。両国の関係がゆるぎないものであることを隣国に示すために……」
「お約束しよう。貴国の大臣たちの不満も、すこしは収まるでしょうからな」
ふたりの王は立ち上がると、固い握手をかわした。
「無限の魔力を手にしているとはいえ、しょせん相手は魔術師ひとり。戦は一日で片がつくでしょう。よろしければ、フレアホーン王には、もうしばらくご滞在いただきたいのですが」
リジャールの申し出に、フレアホーンはしばし思案した。
「それならば、お願いがあります」
「なんなりと申されよ」
「魔力の塔を攻めるおりには、わたしも御一緒させてはいただけないでしょうか?」
「それは……」
リジャールは驚いたように、言葉を詰まらせた。そして、救いを求めるようにラヴェルナを振り返った。
「魔力の塔が破壊されることを陛下に見届けてもらうと考えれば、いいのではないでしょうか? 壊しましたと親書を送っただけでは、信用しない人もいるかもしれません」
「それもあります。ですが、わたしは魔法王国の王。魔力の塔がいがなるものか興味があるのです。自分の身は自分で守りますゆえ、その点は御安心を」
フレアホーンが、なかなかの剣の使い手であることはリジャールも聞きおよんでいた。それに魔法王国ラムリアースの国王は、代々、古代語魔法の使い手でもある。リウイと同様、フレアホーンも魔法戦士なのだ。
「そこまで申されるなら」
リジャールは、承諾した。
「ありがとうございます」
フレアホーンは顔を輝かせて、リジャールに礼を述べた。
ちょうどそのとき、謁見の間の扉が開いて、ローンダミスが入ってきた。
「申しあげます」
ローンダミスは真紅の絨毯のうえを、ふたりの王の前まで進みでると、片膝をついてかしこまった。
「魔力の塔の所在、つきとめました」
「そうか……」
虚空に視線を漂わせて、リジャールはつぶやいた。
「騎士団の出撃の準備はできているか?」
騎士団の準備は、もちろん整っていた。いつファンドリアとの戦がはじまるか知れなかったのだ。戦支度をしていない騎士は、ひとりもいなかった。
「ならば、すぐに出撃するぞ。一刻、遅れれば、それだけフォルテスの準備が整うことになるからな」
リジャールは自らの|大 剣《グレートソード》をつかむと、玉座から立ち上がった。フレアホーンも宝剣ヴァンブレードを手に、リジャールに倣《なら》った。
そして、ふたりの王は真紅の絨毯のうえを、並んで歩きはじめた。
リウイたちの姿は、ファン郊外の猟師小屋にあった。
周囲は森で、ファンの街の騒々しさがまるで嘘のようだ。
ジーニとメリッサのふたりが一緒だ。ミレルは街に出ていて、魔力の塔のありかを調べている。彼女なら、すぐに突き止めるだろう。
リウイはジーニと協力して、猟師小屋の床板をはずしている。床下には地下室へ通じる扉があり、リウイたちが今まで集めた魔法の宝物が隠されているのだ。
床板がはずされると、土の地面があらわになった。湿った土の臭いが立ち上ってくる。
その一画に、把手のついた鉄の扉が設けられていた。
リウイは合言葉を唱えて、扉にかけてあった|魔法の鍵《ハード・ロック》を解除した。
すかさず、ジーニが把手をつかみ、力をこめて手前に引いた。鉄の扉はゆっくりと持ちあがり、反対側の地面に裏返って落ちた。
どすん、と大きな音が響く。
扉が開いたあとには、黒い口がぽっかりと開いていた。
リウイは|魔術師の杖《メイジ・スタッフ》の先に、魔法の明かりを唱えた。それを黒い口に向かって、ゆっくりとかざしてゆく。
床下の地面が明るく照らされた。光を嫌う地虫たちが、先を争って逃げてゆくのが見えた。
開いた扉の下には梯子がかかっていて、地下|墳《ふん》墓《ぼ》のような地下室に通じていた。この地下室に、リウイたちは魔法の宝物を隠しているのだ。
秘密の地下室があるような小屋が、ただの猟師小屋であるわけがない。
もともと、この小屋は盗賊たちの隠れ家のひとつだったのだそうだ。この地方が戦で乱れていたころには、頻繁に使われたらしい。
だが、国が治まると、盗賊たちは街で暮らすようになる。そのため、この小屋は使われなくなり、廃棄されたのである。
別の目的があって、ミレルが盗賊ギルドで古い地図を調べているとき、この隠れ家の存在場所を記したぼろぼろの羊皮紙を見つけたのである。
宝物でも隠されているのか、とミレルはこの羊皮紙を買い取った。かなりの金額を払ったらしい。もちろん、盗賊ギルドの長はこの小屋のことを知っていただろう。
一言でいえば、ミレルはみごとに騙されたのである。
だが、隠れ家としての役割は、十分に果たすことが分かった。それで、リウイは冒険に必要な装備品や冒険で得た宝物などをここに貯めておくことにした。
リウイたちが冒険者として成功してゆくとともに、この猟師小屋は最初にミレルが期待したような立派な宝の隠し場所になっていた。しかも、ここに保管されているのは、リウイがある誓いに従って、ここに収めておいた|魔法の宝物《マジックアイテム》がほとんどである。
しかし、今、リウイは自らに課した戒めを破って、これらの宝物を使う気になっていた。
だからこそ、この隠れ家にやってきたのだ。
(使わせてもらうぜ)
リウイは心のなかでひとりの女性に向かって呼びかけた。
リウイは、先頭に立って地下室へと降りた。ついで、ジーニが降りてきた。メリッサは外の見張りとミレルが帰ってくるのを待つために上に残った。
「使えそうなものはあるか?」
ジーニは胸の前で、複雑な指文字を描いていた。
何かの呪《まじない》なのだろうが、リウイはその意味を尋ねたことはない。
リウイは|魔法の宝物《マジックアイテム》を、ひとつずつ手に取って、どんな魔力を帯びているか慎重に調べていった。
「魔晶石は間違いなく役に立つな。それから、炎の力や氷の力を蓄えた水晶も。戦う相手が相手だけに、魔法から身を護る魔法の宝物が欲しいんだが……」
なにしろ、魔力の塔の建造方法を記した古代書が収められていた遺跡である。|魔法の宝物《マジックアイテム》も大量に見つかっている。
「持ってゆけるだけ持ってゆけばいいのじゃありません? たとえ、魔力の分からない宝物でも……」
メリッサが上の部屋から声をかけてきた。
「なるほど、その手もあるな」
リウイはメリッサの意見を採ることにして、小さめの物から選びはじめた。
「マントは動きの邪魔にならないように、重ねて使おう。指輪《リング》は必要に応じて付け替えればいいな。護符《アミュレット》の類《たぐい》は残らず持ってゆくとして……」
「この人形は、ゴーレムに化けるんじゃないか?」
ジーニが手のひら大の木製の人形を手に取ると、リウイに差し出した。
「これは、前に古代書で見たことがあるぞ」
リウイは人形を見ながら、記憶を探った。
「思い出した! |身代わり人形《スケープ・ドール》だ。ゴーレムよりももっと役に立つぞ。何体ある?」
「……四つだな。どんな魔力があるのか?」
「四回までなら死ねるってことさ。オレが怪我をしたら、その人形が代わりに壊れて、オレは傷を負わない。ちょっとした魔法の儀式が必要だけどね」
リウイは髪の毛を抜くと、人形のひとつひとつに結びつけていった。そして、自らの名前を上位古代語《ハイ・エンシェント》で人形に記しておく。
「これでいい。人形はもとに戻しておいてくれ。オレの分身なんだから、粗雑に扱わないでくれ。その人形が傷つけられた場合には、代わりにオレが壊れてゆくんだから」
「呪《のろ》いの人形ではないか」
ジーニは、ふたたび胸の前で指文字を描く。
「使い方によればな。たいていの魔術は呪いと表裏一体さ。両刃の剣と同じだよ」
迷ったすえに、リウイは魔法を使うのはあきらめることにした。
自分の未熟な魔術と魔力では、とうていフォルテスに勝てるはずがない。
魔法をあきらめれば、最強の防具を身につけることができる。両手も自由に使うことができる。
リウイは一揃いになっている板金鎧《プレートメイル》を身につけることにした。
|大型の楯《ラージ・シールド》も持ち、|長 剣《バスタードソード》のなかから、いちばん大きくて頑丈そうなのを腰の剣帯に下げた。短剣《ダ ガ ー》も五本、剣帯に差す。
靴《ブーツ》や手袋《グローブ》も、もちろん魔法の品を選んで身につけた。
考えうるかぎりの準備は整った。
もし、誰かが魔力感知《センス・マジック》の呪文を使えば、リウイの全身が燦然《さんぜん》と輝いて見えたことだろう。
「どうだい?」
リウイはジーニを振り返って、両手を広げてみせた。いろいろと身につけたおかげで、リウイは倍ぐらいに膨れていた。
「不格好だな」
ジーニはたった一言で片付けた。
「まったくだ。だが、今回だけは格好なんか気にしてられない。なんとしても、あいつを倒さねばならないから」
リウイはジーニに下から押してもらいながら、梯子《はしご 》を登った。
出迎えたメリッサも、しばらくのあいだ口に手を当てて笑った。
「よく重くありませんわね」
「それよりも暑くないのか?」
リウイは笑いながら、ふたりの心配を否定した。
「いつもより身体が軽いぐらいだし、暑さもたいしたことはない。これなら、一日中動きまわっても大丈夫だ」
これも魔法の宝物ならではなのだろう、とリウイは思った。
リウイは魔法の長剣を抜くと、その具合を確かめるように何度か振るった。
「扱いやすくて、かえって物足らない感じだな」
ジーニに手伝ってもらって、リウイは剣の稽古をはじめた。かるく当たるだけでも、リウイの剣の刀身からは、まばゆい火花が飛び散った。
「すごいものだな」
ジーニが、短く口笛を鳴らした。
「ミレルが帰ってきたみたい」
メリッサはそう言うと、戸口へ歩き、木の扉を大きく開いた。
「分かったわ!」
転がるように、ミレルが部屋のなかに入ってきた。
「教えてくれ」
リウイは剣を収めて、ミレルのところへ歩いていった。
「どうしたの? その格好……」
ミレルは目を丸くしてリウイの全身をじろじろと眺めた。
「笑ってもいいぞ」
「笑ったりしないけど……」
そう言いながらも、ミレルの顔はすでに笑っていた。
「そんな物々しい格好してどうするつもりなの?」
「フォルテスと決着をつけるに、決まっているだろ」
「でも、オーファンの騎士団がすでに出撃したのよ。攻城兵器だって揃えていたわ。そんな格好をしたって、リウイの出る幕なんてないと思うよ」
オーファンの騎士団がすでに出発したという話は、リウイを驚かせた。
「数を頼んで攻めたりしたら、どれだけ犠牲が出るか分からないのに」
「でも、それが騎士の仕事でしょ。いつも偉そうにしているんだから、戦のときぐらい命をかけなきゃ」
「他国と戦うんなら、それでもいいさ。だけど、今回のは戦いなんてものじゃない。すべての責任はオレにあるのに、罪もない騎士たちを死なせるわけにはいかないんだ」
「でしたら、騎士たちより先に魔力の塔へ着かなければ……」
メリッサが心配そうに言った。
「それは、大丈夫だ」
リウイは自信をもって答える。
「空を飛んで移動することができる。背中のマントにこめられた魔力のおかげでな」
「どのマント?」
ミレルは冗談めかして言うと、背中から一枚ずつマントをめくっていった。
マントは全部で四枚あった。
「リウイがそんな責任を感じることなんてないよ。悪いのは、塔を建てる手助けをした王様なんだから」
「リジャール陛下は、リウイのお父さまなのよ」
メリッサが、ミレルをたしなめる。
「いきなり名乗りをあげたって、そんな実感わくはずないわよ。いくら相手が、この国の王様だってね」
「まあな」
と、リウイは言葉を濁《にご》した。
自分の父親がリジャールであったのにはびっくりしたが、あの英雄王の血が自分にも流れていることが誇らしくもある。
ただ、血のつながりに甘える気持ちはなかった。同時に、それを重圧だと思うこともない。
「でも、オレはフォルテスと決着をつける。これはもう決めたことだ」
「本気……なの?」
ミレルの表情が、いきなり強張《こわば 》った。
「もちろん、本気だとも」
リウイは力強く答えた。
「それが勇者の資質というものですわ。もちろん、わたしたちもお手伝いします」
メリッサは時間が惜しいとでもいうように、戸口へと歩きはじめていた。
「それはダメだ。マントの魔力は、ひとりにしか効かない。騎士たちより先回りできるのはオレだけなんだ。だから、オレがひとりでゆく」
「ひとりだけで、戦うつもりですの?」
リウイの言葉に、メリッサの表情も硬くなった。
「リウイの気持ちは分かる」
ジーニが、じっとリウイを見つめる。
「戦うつもりなら、だまって見送ってもいい。だが、死ににゆくつもりなら、話は違うぞ」
「なんで、オレが……」
「おまえは、この王国の王位継承者だ。それも、王妃とは血のつながりのない妾腹の王子だ。王国の乱れの原因となるかもしれない。ならば、フォルテスと差し違えよう、と。違うか?」
「そんなことは……」
リウイは笑いとばそうとした。が、できなかった。
彼とて、死ににゆくつもりはない。だが、死んでも惜しくはないぐらいには思っていた。ジーニの言うとおりオーファンにとって、害をなすふたりが差し違えれば、この王国は安泰のはずだ。
「分かったよ、ジーニ。約束する。オレは絶対に帰ってくる。だから、今回だけはオレひとりでゆく」
「……分かった」
「そんなこと、ふたりで決めないでよ。あたしの気持ちはどうなるの! あたしは絶対、反対よ。反対なんだから……」
ミレルは泣き叫んで、魔法の宝物でふくれあがったリウイの胸にしがみついた。
「あんなところに行ったら殺されちゃうよぉ」
「リウイは勇者ですもの。果たさねばならない試練がありますわ」
「メリッサにとってはそうでしょうよ」
ミレルは唇を噛んで、メリッサを睨みつけた。
「ジーニは、リウイを友人だと思っている。ふたりとも、戦士だものね。でも、あたしは違うわ。あたしにとって、リウイは……」
「そこまでだ!」
リウイは涙を流しながら自分を見上げてくるミレルの肩をそっとつかんだ。そして、腕を伸ばして、彼女を引き離した。
「オレは行く!」
断固たる口調で、リウイは言った。
「行かせないわ!」
ミレルはリウイの手を振りほどくと、彼の背中に腕をまわして、その動きを封じようとした。
リウイは、やすやすとその腕をひきはがした。
そして、腰を屈めて、ミレルをじっと見つめた。
「オレは行く。ミレルはここで待ってるんだ。いいな?」
「よくない」
消え入りそうな声で、ミレルはつぶやいた。
「でも、言ったって、リウイは聞かないもの。それぐらい分かっているわ」
ミレルは力を失ったようにうなだれ、小さな肩を震わした。
「メリッサ、ジーニ、ミレルを頼む。明日には帰るから、いつもの宿屋で待っていてくれ」
「分かった」
すべてを悟ったかのように、ジーニは一言だけ答えた。
「あなたに、|戦の神《マイリー》の恵《めぐみ》がありますように……」
メリッサはリウイの前にひざまずくと、布製の手袋を手にとり、そっと唇をおしあてた。
そして、リウイは開け放たれたままの扉を通って、小屋の外へと出ていった。
その瞬間、大地は震え、空は叫んだ。
爆発するような巨大な音が耳を打ち、まばゆい閃光がフォルテスの目を焼いた。
儀式は終わった。
部屋の中央の魔法陣のなかに浮いている巨大な水晶球は、万色の輝きに満ちていた。
魔力の塔が完成したのだ。
何万という魔晶石から創られた水晶球が、魔法陣が描かれた天井と床のあいだに浮かびあがっている。天井と床、ふたつの魔法陣の中央には、水晶柱が埋められている。ひとつは天井を通って空へ向かって伸び、もうひとつは床を貫いて地面に突き刺さっているのだ。
このふたつの水晶柱から、虹色に輝く光の奔流が、水晶球に向かって流れこんでいた。
すでに大地と大気から魔力を吸い上げはじめているに違いない。
水晶球の近くにいるだけで、圧倒的な魔力を全身に感じる。鏡を覗くと、額の黒水晶にも、水晶球と同じ輝きがちらちらと宿っていた。
無限の魔力は、今、自分のうちにある。
フォルテスは至福とも思える達成感に包まれて、しばしのあいだ瞑目《めいもく》した。
だが、目を開けるとともに、ふたたび忙しく動きはじめる。魔力の塔は完成したが、やらなければならないことは、まだまだ残っていた。
すぐにもやってくるはずのオーファン騎士団を、迎え撃たねばならないのだ。
幸いなことに、魔力の塔の建造を記した古代書には、魔力の塔を外敵から守るための魔法装置の製法も付記されていた。
強力な結界を発生させる魔法装置だが、無限の魔力をもってすれば、わずかな時間で完成するはずだ。
この結界の魔法装置さえ完成すれば、愚かな騎士たちが何万人攻めてきても、この塔はびくともしないはずだ。
騎士たちが脅え逃げまどう姿が目に見えるようだ。剣では魔法には勝てぬ、自らが蔑《さげす》んできた力によって殺されるのは、さぞ無念なことであろう。
フォルテスの顔に、残忍な笑いが浮かんでいた。
彼は古代書を手に取ると、結界の魔法装置の製法を記した箇所《か しょ》を開いた。
リウイはマントをはためかせながら、空を飛んでいた。
空を飛ぶのはもちろんはじめての経験だ。最初は吐き気を覚えるほどの不快感があった。
だが、しばらく試しているうちに、空を飛ぶ楽しさが分かってきた。
魔法のマントはリウイの意思に従って、自在に動いてくれた。
慣れてくると、リウイは空高く舞いあがった。もしも、魔力が突然、消え去れば、とうてい生きていけないだけの高さだ。
騎士団に追いついたのは、陽《ひ》が西に傾きはじめたころだ。
まだ、しばらく太陽は沈まないだろうが、空の色はずいぶん暗くなってきた。西にヤスガルン山脈の高峰をいただくオーファンは、平原の国よりも日没がわずかに早い。
遠くの方で鋭い閃光が走ったのは、そのときである。
次いで、一陣の風が襲ってきた。バランスが崩れ、急激に高度が下がった。
「間に合わなかったのか!」
リウイは態勢をたてなおしながら、叫び声をあげた。
気持ちは焦るが、すでに全速力で飛んでいる。急ごうにも急ぎようがなかった。
しばらく飛んでいると、魔力の塔が見えた。
魔力の塔は、なだらかな丘の頂に、トゲが刺さっているように建っていた。塔の周囲には、まだ足場が組まれたままだったが、石《いし》工《く》や大工の姿は見えなかった。
リウイは、塔の屋上に降り立った。静かに降りようと思ったのだが、慣れぬことだったので、まるで獣のように両手、両足をついてしまった。
しばらく、気配をうかがったが、誰かが上がってくる様子はなかった。
自分が来た方向を振り返ると地平線の向こうから、オーファンの騎士団がせりあがってくるのが見えた。
「急がなければ……」
リウイは唇を噛んだ。
肩から飛空の魔力を与えてくれたマントをはずす。もはや、このマントは無用の品だ。リウイはマントをあと三枚、身につけていたが、どんな魔力があるのかは分からない。お互いの魔力が相殺しあっている可能性もある。だが、リウイの知識では、いちばん外側につけたマントだけが有効に魔力を発揮するはずだった。
そうでなければ、空を飛ぶことはできなかっただろう。もっとも、いちばん望ましいのは、すべての魔力が同時に働いてくれることなのだが。
そのとき、リウイは目のくらむような不思議な感覚に襲われた。
その感覚はすぐに収まったのだが、気がつくと塔のまわりが白い光の半球《ドーム》に包みこまれているのが分かった。
「結界が張られたのか」
リウイは声に出してつぶやいた。
どのような結界かは、彼には分からない。だが、騎士団の攻撃に耐えうるものであるのは間違いない。
あとすこし遅れていたら、リウイは塔の上にたどりつくこともできなかっただろう。反対に言えば、外からの援助は期待できない。リウイは、ひとりでフォルテスと対決しなければならないのである。
だが、それは彼自身が望んだことだ。だからこそ、信頼できる仲間たちをも後に残したのだ。
リウイは周囲をざっと見渡した。
塔の屋上の中央には、一抱えもあるような水晶柱が突き出ていた。水晶柱は虹色の輝きに包まれている。
塀際《へいぎわ》の一画には、石造りの小部屋が設けられ、そこに鉄の扉がついていた。おそらく、階下へ続く階段だろう。出入りできるような場所は他には見えなかった。
リウイは慎重に歩いたが、鎧《よろい》がかなり大きな音を立てた。
履いているブーツが物音を消してくれるのではないかと期待していたのだが、どうやらそんな魔力はないようだ。
歩く速さもいつもどおりだったから、リウイはこのブーツにどんな魔力があるのか疑わしくなった。踊りだしたら止まらない、なんてことはないよな、とリウイはどこかで聞いた呪いの靴の話を思いだしていた。
リウイは腰に吊るした革袋を探り、じゃらじゃらと指輪を取りだした。指輪の魔力は左右の手に一個ずつしか働かないと記憶していたので、指には填《は》めず袋に入れて、持ってきたのだ。
役に立つものがないか、と調べてみる。
指輪はどれも強い魔力がこめられているようだった。精霊王を召喚する指輪もあったし、光の矢をほとばしらせる紅玉石《ルビー》の指輪もあった。二個で一組になった指輪は、重ねると超人のごとき力を発するはずである。これは、フォルテスとの戦いのときに使おうと、リウイはひそかに思った。
迷ったあげく、リウイは紅玉石と猫目石《キャッツアイ》の指輪を填めることにした。
リウイは鉄の扉の把手を祈るような気持ちで引っ張った。屋上に設けられた扉ならば、魔法の鍵がかかっていない、と思われたからだ。
だが、扉は開かなかった。
|魔法の鍵《ハード・ロック》で閉ざされているのか、閂《かんぬき》がかかっているのかは分からない。
解錠《アンロック》の呪文を唱えようとしたが、|魔術師の杖《メイジ・スタッフ》を持ってきていないことを思いだした。
もちろん、盗賊の技術も持ち合わせていない。いつもなら、腕のいい盗賊がそばにいてくれるから、そんな技術を学ぶ必要も感じなかった。
だが、今はそれが致命的だった。
リウイは唯一の期待を込めて、魔法の鍵をはずす合言葉を唱えることにした。
「魔術こそ唯一の真理」
魔術師ギルドの扉を開けるときの合言葉である。
唱えるとき、リウイはこれで開くはずだという自信があった。
呪文をかけた人間が同じなら、合言葉も同じである場合が多いことは経験から知っていた。
だが、リウイの期待はみごとにはずれた。
扉はぴくりとも動かなかったのである。
「偏執狂め!」
リウイは扉に向かって思わず悪態をついた。
そのとき、塔の下で大きな物音がした。
塔の壁から身を乗りだして、リウイは地面を見下ろした。すると、音の正体が塔の正門が開く音だということが分かった。
「あそこからなら入れる」
リウイは、このまま地面に飛び降りたいと思ったが、この高さから落ちては無事にすまないだろう。
あわてて飛空のマントを取りに戻ろうとしたが、すぐにその気持ちは失せた。なぜなら、正門から姿を現わしたものがいたからだ。
魔法生物たちである。
|樫の木の小鬼《オ  ー  ク》がいた。|石の召使い《ストーン・サーバント》がいた。そして|竜 牙 兵《スケルトン・ウォーリアー》がいた。
付与魔術《エンチャント》の呪文で造られる魔法人形《パペット》たちである。
彼らは主人の命令に盲目的に従う。そして、どんな命令が与えられているか、リウイには察しがついた。
もしも、地面に飛び降りていたら、なぶり殺しにされていただろう。
リウイは安堵のため息をついた。
だが、次の瞬間には、その安堵の思いは凍りついていた。正門のなかから、石色の肌をした醜い生き物が飛びだしてきたからだ。
「ガーゴイル!」
リウイは絶句した。
ガーゴイルは空を飛ぶことができるのだ。
結界の魔法装置の作動を確認すると、休むことなくフォルテスは次の手を打った。
結界はこの塔を守るだけの役にしか立たない。攻め寄せる敵を迎え撃つための力が必要なのだ。それには、リジャールが引き連れている騎士たちのように、愚かだが忠実な戦士が最適である。
幸いなことに、そのための材料はそろっている。
積み残してある石材や樫の木の木片。盛装《せいそう》していたので、竜の牙の首飾りを身につけていた。ガーゴイルを創造する遺失《い しつ》の呪文も、フォルテスの頭のなかにある。
無限の魔力の支援さえあれば、何百、何千という魔法生物を生みだすことが可能だ。そして、フォルテスはそれを実行した。
そして、かりそめの命を与えられた魔法生物たちに、フォルテスはたったひとつの命令を下した。
自分以外の人間を皆殺しにしろ、と。フォルテスが創造した魔法生物たちは、もちろん、主人の命令に逆らわなかった。
正門を開いてやると、隊列をなして外へ出てゆく。
窓から外を眺めると、オーファンの騎士団の姿が目に止まった。
「遅いわ……」
魔力の塔はすでに稼働しており、魔法の結界も張られ、衛兵《ガーディアン》たちもそろっている。
オーファンの騎士団は、魔力の塔がある丘の麓《ふもと》に攻城兵器を前面に押しだして、陣取っている。彼らは十分に距離を置いているつもりなのだろうが、無限の魔力さえあれば魔法は無限に届くものだ。
彼らはすぐにそのことを思い知るだろう。
フォルテスはしばしのあいだ結界を解いて、魔法生物たちが結界の外へ出てゆくのを見守った。
騎士たちの動揺の声が届いてくる。愚かな騎士たちは、魔法生物を見ただけで騒ぎたてているのだ。
フォルテスは唇を歪めて、低く笑った。
が、その表情は、すぐに引き締められた。なぜなら、魔法生物たちの隊列のなかに、ガーゴイルたちの姿が見えなかったからだ。
「どういうことだ」
不審に思ったフォルテスは窓から身を乗りだして、空を見上げた。
ガーゴイルたちは、塔の上空を舞っていた。彼らの動きを見るかぎり、どうやら何者かと戦っている様子だ。
いったい誰とだ?
フォルテスは疑問に思い、床の片隅に置かれた机へと走った。
その机の上には、遠見の水晶球が安置されている。
フォルテスは枯れ枝のような指を水晶球にかざして、その魔力を解放させた。暗い色をした水晶球がぽっと明るくなり、そのなかに魔力の塔の姿が映しだされた。
フォルテスは上位古代語《ハイ・エンシェント》の呪文を唱えて、水晶球の映像を動かしていった。
魔力の塔の屋上が、水晶球に映しだされたとき、フォルデスは信じがたいものをそこに見た。
ひとりの戦士が、何匹ものガーゴイルと死闘を演じていたのだ。
フォルテスはあわてて映像を拡大し、その戦士が誰であるか確かめた。
「リウイ!」
金属鎧《プレートメイル》を着て|長 剣《バスタードソード》を振るっている。だが、その顔は間違いなく、オーファンの王子リウイであった。歯をくいしばってガーゴイルと戦っている姿は、なるほど若かりしころのリジャールとうりふたつである。
驚きが覚めると同時に、フォルテスの顔には残忍な笑いが浮かんだ。
「貴様は、貴様だけはこの手で殺してやる!」
フォルテスは|大魔術師の杖《ウイザード・スタッフ》をつかむと、屋上へとあがる螺《ら》旋《せん》階段を駆けあがっていった。
いったいガーゴイルが何匹いるのか、リウイは数える気にもならなかった。
襲ってくるところを楯で防ぎ、剣で払う。その繰り返しだった。
死んだガーゴイルは石化して、屋上や、はるか下の地面にまで落ちて粉々に砕けていった。
何匹倒したのかも分からない。すでに片手では足りないはずだ。だが、ガーゴイルたちの数が減ったような気配はない。
これでは埓《らち》があかないと思ったとき、リウイの胸もとでなにかが輝いた。
ちらりと視線を落とすと、首にぶらさがったいくつかの護符《アミュレット》のうちのひとつが、光を放っていた。
一瞬だけ手にとって、その輝きを確かめてみる。
すると、淡い光のなかに水晶球を覗いている男の姿が映っているのが分かった。
フォルテスだった。
気づかれたな、とリウイは思った。このアミュレットには|逆 感 知《カウンター・センス》の魔力が与えられていたに違いない。
アミュレットに気を取られているうちに、リウイはガーゴイルの攻撃を二度ばかり受けた。痛みはあったが、傷は受けていない。おそらく、身代わり人形には、するどい裂傷が刻まれたことだろう。
フォルテスは出てくるだろうか、とリウイは自問した。
おそらく出てくるはずだ。いや、出てもらわねばこまる。塔にこもられて、ひたすらガーゴイルを創りだされれば、いつかはかならず負ける。
だが、その心配はなさそうだった。階段を駆けあがってくる音が、鉄の扉の向こうから聞こえてきたからだ。
リウイはガーゴイルたちと一気に決着をつけねばならない、と思った。
腰の革袋の中から、色とりどりの水晶をつかみだした。自然力を封じた魔晶石である。
「炎よ! 氷よ! 雷《いかづち》よ!」
リウイは上位古代語《ハイ・エンシェント》を唱えながら、次々と魔晶石を放り投げた。
魔晶石に封じられた魔力は解放された。
炎が爆発し、氷雪が吹き荒れ、電光が駆け抜けた。
自分の近くで魔力を解放したので、リウイもすくなからず影響を受けた。
だが、その捨身の攻撃のおかげで、ガーゴイルたちはほとんどが壊れていた。
残ったガーゴイルも命からがら逃げてゆく。魔法人形《パペット》たちとは違いガーゴイルは、わずかながら知性を持っている。それだけに狡猾な攻撃を仕掛けてくるのだが、同時に身の危険を感じれば逃げだすこともある。今はそれが幸いした。
リウイは剣と楯を構えなおして、扉に向かっていった。
あわよくば、扉から出てきたところを不意打ちにできると思った。しかし、この期待はあっさりと潰えた。
鉄の扉がばたんと開いて、フォルテスが姿を現わしたからだ。
フォルテスは王城の謁見の間で見たときと同じ服装だった。違うのは、首にかかっていた竜の牙の首飾りがなくなっていることぐらいだろう。
リウイは剣を構えて、フォルテスに突撃した。
と、フォルテスの口から古代語魔法の呪文が発せられた。
抵抗しようとして精神を集中させたが、さすがにその魔力は圧倒的だった。
リウイの身体に、銀白色に輝く魔法の網のようなものがからみついた。〈麻痺〉の呪文か、と思ったがそうではなかった。
身体はそのまま動いた。
しかし──
全身に走る激痛のため、リウイはその場で転がった。
かけられたのは、〈|刃の網《ブレード・ネット》〉の呪文だったのだ。
傷は受けていない。身代わり人形の魔力が働いたためだ。しかし、魔法の人形は痛みまでは代わってくれないようだ。
リウイは苦痛に耐えながら、よろよろと立ち上がった。
「それ以上、動かないほうがいいぞ。全身がばらばらになりたくないのならな」
すかさず、フォルテスが声をかけてきた。
「御指導を感謝いたします」
リウイは皮肉っぽく答えた。
「ずいぶん不格好ではないか、リウイ王子よ。至高の魔術を捨てて、汚れた剣を振りまわす。なんと愚かな選択だ。剣の力に頼れば、このわたしに勝てると思ったか?」
「魔力で勝負を挑《いど》むよりも勝算はあると思っただけさ」
リウイは正直に笞えた。
「間違っている。剣は魔法に劣る力だ。それゆえ、剣では魔法に勝てない」
新王国がはじまって以来、いったい何人の魔術師が戦士たちの振るう剣で殺されたか、この男は知らないのだろうかとリウイは心の中で吐きすてた。
もはや、そのような判断もできぬほどに正気を失っているのかもしれない。
とにかく、状況は圧倒的に不利だ。無理にでも動けば、刀の網が身体を切り刻む。一瞬のことなら、それにも耐えられよう。だが、いつ身代わり人形の魔力が尽きるのか、リウイには分からないのである。
まだ、大丈夫だとは思っている。しかし、ただ思っているだけで、何の確証もないのである。
「魔法は絶対じゃない」
リウイはできるだけ平静を装って言葉を切りだした。
「剣の力と同じだ。結局は、使う者の能力しだいなのだから。いくら無限の魔力があっても、使えない呪文があれば意味がない。オレは知ってるぞ、フォルテス。おまえが使える魔術はたかが知れていることを。カーウェス師はおろか、ラヴェルナ導師の足下にも及ばないことを。本当に魔力が絶対だというなら、魔法生物たちを創る暇に、隕石《メテオ》を召喚するなり、〈|致死の雲《デス・クラウド》〉を唱えればいいんだ。無限の魔力を手に入れるより、究極の魔術を身につけるほうが順番が先だろう。それぐらいのことも分からないのか、この愚か者!」
「愚か者だと、このオレが?」
答えるフォルテスの顔が、痙攣《けいれん》を起こしたように引き攣《つ》っていた。
「ああ、愚か者さ。カーウェス師に言われなかったか? おまえは愚か者だ。真に優れた魔術師になりたければ、魔女ラヴェルナを見習えとね」
その言葉はリウイ自身がカーウェスに言われたことだった。教える人間が同じなら、叱責《しっせき》の言葉も同じだろう、と思ったのだ。
「ラヴェルナ! あの忌まわしい魔女め!!」
フォルテスは両手を広げると、虚空に向かって絶叫した。
「あんな小娘には負けない。オレのほうが、十年以上も長く魔法を学んできたのだから。負けるはずがないのだ」
「あと十年勉強すれば、ラヴェルナ師はマナ・ライを越える大魔術師になっているだろうよ。おまえでは、何百年かかっても無理だがな」
「言うな! 言うな!!」
フォルテスは狂ったように叫ぶと、|大魔術師の杖《ウイザード・スタッフ〉を激しく振りまわした。
と、口早に上位古代語《ハイ・エンシェント》の魔法語を唱えた。
リウイの身体を中心に、氷の嵐が吹き荒れた。耐えがたい冷気が肌を凍らせ、氷のつぶてが全身を貫いていった。
たまらず、リウイは苦痛の叫び声をあげた。
「一度くらいは死んだかな」
と、リウイは心のなかで考えていた。
「なぜ、生きてる! 死ね! 死ぬんだ!!」
フォルテスが狂気におかされていることは、もはや確実だった。おそらく、宮廷で裁きを受けたときに、おかしくなったのだろう。
だが、正気を失っても呪文を唱えることはできるらしい。
リウイが挑発したのは、相手の隙を誘うためだったのだが、それは完全に裏目に出てしまった。フォルテスがふたたび杖を振ろうとしているのを見て、リウイはもはや猶予《ゆうよ 》がないと思った。
剣を上段に振りかざすと、地面を蹴るように大きく跳躍した。
全身を、魔法の刃が切り刻み、するどい痛みが走った。
本当に大きな跳躍となった。だが、それはリウイの想像をはるかに越えていた。
リウイは自分が履いていたブーツの魔力をようやく理解した。
|跳躍の長靴《ジャンピング・ブーツ》──
リウイはたったひと飛びでフォルテスとの距離を完全に詰めていた。だが、フォルテスの頭を越えて、はるかな高さまで舞いあがっていた。
しかも、それに追い打ちをかけるようなことが起こった。
リウイの身体は、まるで羽根が落ちるようにふわふわと落ちていたのだ。|魔法の宝物《マジック・アイテム》のどれかが魔力を発揮しているに違いなかった。
「しまった!」
リウイは絶望的な思いにかられた。彼はフォルテスを倒したい一心で魔法の宝物を頼ったのだ。しかし、最後の最後で裏切られてしまったわけだ。
「オレも、愚か者だな」
リウイは覚悟を決めた。
愚かな死に方ではある。
しかし、彼の死には意味がある。正統ではない王位継承者がひとり減ったこと。
仲間たちとの約束を守れなかっただけが、心残りであった。それと、フォルテスを自らの手で討てなかったこと。
フォルテスはまたも何かを叫んだが、もはやそれは人間の言葉ではなかった唇を歪めて笑うその顔には、狂気と殺意とだけがひしめいていた。
フォルテスは空中に浮かんだままのリウイに向かって、|大魔術師の杖《ウイザード・スタッフ》を振りあげた。
そして、リウイの目の前で|〈火球〉《ファイアボール》が爆発した。すぐに目を閉じたが、それでも世界が真っ赤に染まるのが分かった。
激しい火球の爆発に、リウイはふたたび空高く舞いあがった。
彼の全身に激しい痛みが走っていた。そして、その苦痛はいつまでも続いた。
リウイは目を開けて、ちらりと肌の露出している部分を確かめてみる。
火傷の跡がありありと分かった。最後の人形は消し炭になって消えたことだろう、とリウイはふと思った。
とどめとばかり、フォルテスは三度、杖を振りあげる。
そのときである。
「そこまでよ、フォルテス」
凛《りん》とした声が、フォルテスの動きを遮《さえぎ》った。
リウイはびっくりして、魔力の塔の屋上を見下ろした。
フォルテスから十歩ばかり離れたところに、ひとりの女性の姿があった。
「ラヴェルナ導師!」
いったいどこから、とリウイは信じられない気持ちだった。
「奴は狂っている! もはや、話なんか通じない!!」
リウイは空中から警告を与えた。
ラヴェルナはリウイを瞬時、見上げたあと、すぐに上位古代語《ハイ・エンシェント》の呪文を唱えた。
フォルテスもラヴェルナを目標に切り換えて、呪文を唱えていた。
ラヴェルナの方が一瞬早く呪文が完成した。彼女の身体が魔法のオーラに包まれるのが、リウイには見えた。
フォルテスの唱えた火球がラヴェルナを包みこむ。
彼女の全身が、真紅の炎に飲みこまれた。
しかし、炎が消えたときは、ラヴェルナは平然と立っていた。
それを見たフォルテスは、獣《けもの》のように吠《ほ》えたてた。
もはや、ラヴェルナしか眼中にないというように、大きく杖を振りあげた。
リウイには、ラヴェルナが唱えた呪文が何か分かった。そして、彼女の意図も……
リウイは首に下がった護符《アミュレット》をひきちぎり投げ捨てた。
ついで、腰の革袋の中身をすべて地面にぶちまける。
それでも、リウイはゆっくりと落ちている。
「鎧か、手袋か」
リウイは自分の全身をくまなく調べてみた。
そして、気がついた。
三枚のマントのうち、外側の一枚だけがふわふわとたなびいていたのだ。
リウイは首に手をかけて、三枚のマントを残らずはぎとった。
その瞬間、リウイの身体は自然の理《ことわり》のままに落下をはじめた。
ちょうど、彼の真下に必死の形相で杖を振るいつづけるフォルテスがいた。
リウイは剣を真下に差し出して、頭から突っ込んでいった。
最後の瞬間に、フォルテスはリウイに気がついた。
胸をそらし、両手をいっぱいに広げて、空を見上げる。
リウイの剣はフォルテスの喉もとに突き刺さり、胸を貫き、背中へと抜けていった。
リウイは身体を捻《ねじ》って、腰から地面に落ちた。
激しい衝撃が襲いかかり、全身がばらばらになったような気がした。
しかし、意識ははっきりしていた。
リウイは、深く息をすると、ゆっくりと石の上に横になった。
真新しい漆喰《しっくい》の臭いがふと漂ってきた。
全身が疼《うず》くように痛かったが、動くことはできそうだった。落下の衝撃の激しさを思うと不思議でさえあったが、骨も折れていないように思った。魔法の鎧のおかげだろう。
そのとき、全身を包んでいた魔法の網が、陽の光を浴びた朝露《あさつゆ》のように消えていった。ラヴェルナが|〈魔力解除〉《ディスペル・マジック》の呪文を唱えたのだ。
リウイは手で身体を支えながら起き上がろうとした。と、その目の前に白い手が差し出された。
「ありがとうございます」
リウイはラヴェルナの柔らかな手を握ると、ゆっくりと立ち上がった。
ラヴェルナは息も乱すことなく、立っていた。まるで、芸術を司る神が創った彫像のような完成された美しさを湛《たた》えて……
この女性が魔女と呼ばれつづけている理由が、リウイには分かったような気がした。
「礼には及びません」
ラヴェルナは毅《き》然《ぜん》とした声で答えた。
「フォルテスは?」
リウイは思いだしたように後ろを振り返った。
彼のすぐ後ろに、フォルテスは立っていた[#「立っていた」に傍点]。剣を突し刺したまま、石の彫像となって。
リウイは剣に込められた魔力をようやく知った。
「怪我は大丈夫?」
ラヴェルナが声をかけてきた。
「死にそうですが、死ぬことはないと思います。幸いかどうか分かりませんが……」
「あなたは、愚か者です」
間髪《かんはつ》を入れず、ラヴェルナは言った。
「あなたの戦いぶりは、丘の下からずっと見ていました。命を粗末にするのもたいがいになさい。この世に未練を残して死んでいった人が、どれだけいると思っているのですか。すべての人間は、生きているというだけで価値があるものなのです」
「だが、オレは……」
「お黙りなさい」
ラヴェルナはリウイの言葉をぴしゃりと遮った。
「王位継承権を与えられた以上、もはや、あなたが後継者争いの火種になることはありません。国王の名において、さだめられた順位なのですから、これに異議を申し立てることは、リジャール王本人でさえできない決まりなのです」
「分かりました。オレだって、好きこのんで死ぬ気はありません。オレには、待っている仲間もいますから……」
「ならば、けっこうです」
ラヴェルナはその完成された美しさをほんのわずかに崩して、優しく微笑んだ。
「とにかく、御苦労さま。あなたのおかげで、被害は最小に抑えられました。あなたが姿を消したとき、なにかをしてくれるとは思ったけれど、期待以上の活躍でしたよ」
「褒めていただかなくてけっこうですから、鎧を脱ぐのを手伝ってもらえませんか? このままでいると魔力の強さに酔ってしまいそうです」
無限の魔力を蓄えた塔の上で、魔法の宝物で全身を包んでいると、魔力が体内で飽和して身体が内側から破裂してしまいそうだった。
「申し訳ないけれど、殿方の着替えを手伝うのは夫だけと決めているの」
ラヴェルナはそっけなく答え、塔の壁へと歩いていった。
そして、オーファン騎士団の陣地に目を向ける。フォルテスが繰り出した魔法生物たちは、ことごとく騎士たちに倒されていた。
「どうやら、終わったようね」
ラヴェルナは、そっとつぶやいた。
しばらく見つめていると、ふたりの騎士が魔力の塔を目指して馬を走らせてきた。
魔法を使わずとも、そのふたりがリジャールとフレアホーンであることは、ラヴェルナには分かった。
ふたりの王の後方では、騎士たちが雄々しく勝鬨《かちどき》をあげている。
ラヴェルナは、オーファン王とラムリアース王を出迎えるために、後ろを振り返った。階下へ赴き魔法の結界を解かねばならない。
おそらく、ふたりは同時にこの塔に入場するに違いない。そのとき、この塔は剣と魔法を象徴するふたつの王国が、手を携《たずさ》えて戦った最初の勝利の記念碑となるのだ。
剣と魔法とが対立するのではなく、協力しあうならば、中原は、いやアレクラスト大陸全土は、いっそう栄えていくだろう。
そして、ラヴェルナの目の前には、剣と魔法の調和を体現している者がいる。
その魔法戦士は、苦痛の呻きを洩らしながら、魔法の鎧と格闘していた。
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エピローグ
魔法戦士の英雄譚《サーガ》として世に知られる物語は、ここで終わる。
しかし、剣の王国をゆるがしたこの大事件には、いくつかの後日談が伝えられている。
ひとつめは、魔力の塔の力を使い偉大なる<Jーウェスの病が癒されたことだ。
魔力が枯渇するというカーウェスの病にとって、無限に溢れる魔力は特効薬となりえたのであろう。もちろん、ジェニ大司祭の神聖魔法の助けがあったればこその話だ。カーウェスは魔術師ギルドの最高導師に戻り、オーファン魔術師ギルドの混乱を収拾する。
しかしながら、返上を希望する本人の強い意思があったにもかかわらず、オーファンの宮廷魔術師は、引き続きラヴェルナが務めることになった。
ふたつめは、ロマールの軍師ルキアルからラヴェルナ宛てに親書が届いたことである。
親書にはこう書かれていたという。
「あなたが得られた大いなる勝利に、最大級の賛辞を贈ります。しかしながら、あなたの勝利はわたしの敗北ではありません」
この親書を読んだオーファンの重鎮たちは、ルキアルの意図をはかりかねて、首を傾げるばかりであった。しかし、当のラヴェルナはいつもの微笑みを浮かべながら、こう答えたという。
「考えないほうがよろしいでしょう。考えれば、また彼の術中にはまりますから」
三つめも、やはり親書である。
だが、こちらは中原の王国からではなく、遠くオランの魔術師ギルドからカーウェス宛てに送られてきた。差出人は大賢者マナ・ライで、バレンという名の導師が連署していた。
この親書を受け取ったあと、カーウェスはひどくあわてて国王リジャールや、いまだオーファンに滞在中であったラムリアース王フレアホーン、そして近隣の魔術師ギルドの最高導師たちとの会合を重ねている。
しかしながら、この会合の内容は、いっさいが秘密とされ、決して部外者に洩らされることはなかった。
最後は、ラムリアース王の立ち合いのもと、魔力の塔が破壊されたことである。
魔力の塔は、現地に運ばれていた攻城兵器によって、徹底的に粉砕された。その一方、魔力の塔の建造法を記した古代書は、いがなる理由によるものか廃棄されなかった。
古代書は厳重に封印を施されて、オーファン魔術師ギルドの禁断の間に、安置されることになったのである。封印を解くための鍵は二つの指輪《リ ン グ》とされ、オーファン王とラムリアース王にひとつずつ託されたという。
そして、魔法戦士リウイは三人の仲間たちとともに、ひそかにオーファンを旅立っている。国王リジャールと最高導師カーウェスの連署による密命を受けて。
ときに、新王国暦五百二十一年、初秋のことである。
[#地付き]了
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あとがき
どうも、水野良です。
僕とソード・ワールドとの関わりはとっても古く、最初に出版された基本ルールブックからRPGシナリオ集、さらには短編小説といろんな作品に関わってきました。でも、僕が書いた長編小説は、この本がはじめてだったりします。これには、自分でもびっくりしてしまいました。
もっとも、アイデアを思いついたのは、一年以上前のこと。他の仕事が忙しくて、なかなか手がつけられず、ようやく書きはじめたのはおよそ半年前。長編小説に半年もかかったというのは、前々から仕事の遅かった僕にとっても初めての経験。それだけに、完成した喜びはひとしおです。
僕が書くところのソード・ワールドの作品は、なぜか地味な話が多い。短編集に収録されている「羽根頭冒険譚」のシリーズなんか、その典型的な例。それなら、長編ぐらい派手に書くぞと心に誓い、最初に思いついたのがクライマックスの戦闘シーン。ファンタジー小説でランボーするという乱暴(おそまつ)な発想で、マジックアイテムに身をかためた主人公が、敵の要塞《ようさい》に乗りこんで暴れまわるという大活劇を思い描いたわけです。
たしかに、第五章はそうなった(と、自分では思っている)。だけど、クライマックスに行き着くまでが、見た目に地味な陰謀劇《いんぼうげき》になり、自分でも愕然《がくぜん》としてしまいました。
でも、アレクラスト大陸のヘソ、中原地方を舞台にした国家的な陰謀劇ですから、スケール自体は大きいはず。自分では、長編小説にふさわしい作品に仕上がったと満足しているのですが、読者のみなさんはいかが読まれたでしょうか?
とにかく、今回の作品は登場人物が多い。
主人公の魔法戦士リウイをはじめ、彼の冒険者仲間の三人の女の子。さらには、中原の大国オーファンの英雄たち。竜殺しリジャール、偉大なるカーウェス、剣の姫ジェニ。そして、最近発売されたワールドガイド(宣伝!)でお馴染《なじ》みの、ラヴェルナ&ローンダミスの氷と石の彫像夫婦。
書いているうちに、いったい誰が主人公なんだ、と分からなくなるぐらいで、さすがソード・ワールドの歴史を背負っているキャラクターは違うな、と感心してしまいました。特に、ラヴェルナは書いていて気持ちがいい。「魔女」の面影《おもかげ》を残しつつも、ローンダミスという良き伴侶《はんりょ》に恵まれ、人間として女性として幅が出てきたあたりが、僕好みです。強さと優しさ、それに賢《かしこ》さを秘めた女性って、たとえ自分の恋人ではなくても、そばにいるだけで気持ちがいいと思うから。
エピローグでちょっと触れているように、今回はあまり活躍の場がなかった三人娘、そして主人公である王位継承権を持つ魔法戦士リウイの冒険はこれからも続きます。僕の頭のなかでもまだまだ漠然《ばくぜん》としてますが、彼らの冒険はおそらくアレクラスト大陸全土をまたにかけた壮大なものになるはずです。下村家恵子、山本弘の長編に登場のキャラクターともども、どうか今後ともリウイたちの活躍を応援してやってください。
それでは、またいつかお会いしましょう。
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※画像はすべて初版本です。新装版で書き換えられている可能性あり。ていうか、マジックアイテムの価格は確実に変更されています(笑)