森田誠吾
魚河岸ものがたり
目 次
1 市場通り
2 門跡橋《もんぜきばし》
3 築地川《つきじがわ》支流
4 波除《なみよけ》神社
5 海幸橋
6 勝鬨橋《かちどきばし》
7 晴海通り
8 隅田《すみだ》河口
あとがきにかえて
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1 市場通り
吾妻《あずま》健作《けんさく》が、はじめてこの|まち《ヽヽ》に入ったのは、もうひとむかしから前のことになる。
はたちも半ばをすぎていた。
颱風《たいふう》のなごりが|まち《ヽヽ》を吹きぬけて、コバルトの空に塵屑《ちりくず》が舞い、通りには|から《ヽヽ》のボール箱が飛びはねていたのを憶《おぼ》えている。
ひとつの秘密に追われていた。
「そこを、曲がって行きましょう」
和服の恭子が裾《すそ》をおさえ、風を避けて狭い横町に健作をさそったが、なお露地の植木は、しきりに葉裏をひるがえしていた。
日曜の昼さがりとはいえ、店という店は戸をおろし、影となって軒下を走る猫《ねこ》のほかは、人の見えない汚れた|まち《ヽヽ》であった。
「お母さん、誰《だれ》もいませんね」
「|きょう《ヽヽヽ》はね」
「|きょう《ヽヽヽ》は?」
「ええ、|あした《ヽヽヽ》はいっぱい」
横町を抜けてふたたび通りに出ると、風が鳴り、恭子が押しもどされて健作に支えられた。
「見えるでしょ、あそこに」
恭子の指さす看板の群の中に、鰹節《かつおぶし》問屋・吾妻商店≠ニカッチリ彫られた文字が読めた。
その店のくぐり戸の前には、小柄《こがら》な老人が風に晒《さら》されて人待ち顔に立っていたが、二人を見とめると小走りに近づいて、恭子の荷物に手をかけた。
「お待ちしておりました、奥様」
風の合い間に、丁重な物言いが聞きとれた。
それから健作の方におだやかな視線を向けると、ゆっくり頭をさげた。
「関根でございます。若旦那《わかだんな》には、さぞ……」
老人の言葉の続きが、吹き返す風の中に飛び千切れて行った。
誰もが、|かし《ヽヽ》と呼ぶこの|まち《ヽヽ》は、湾岸に開いた隅田《すみだ》河口にあった。
東と北を、切れ目なく車輛《しやりよう》の流れる大通りにさえぎられ、西と南を、河とその支流が阻《はば》む。
さらに、この四角な区域は、小さな鉄の橋を|かすがい《ヽヽヽヽ》にして、|なか《ヽヽ》と|そと《ヽヽ》の二つの|まち《ヽヽ》に分かれていた。
風に耐えて、健作と恭子がたどりついた吾妻商店は、|そと《ヽヽ》の町中にあった。
健作は、家にしみついた|かつぶし《ヽヽヽヽ》の強い匂《にお》いに包まれ、拭《ふ》きこまれて長い月日を見せるがっしりした階段を昇り、店の三階に行きついた。
通りを見おろす北向きの八畳が寝室にあてられ、南の堀割《ほりわ》りにのぞむ日当りの良い六畳には、すでに大ぶりな文机《ふづくえ》が据《す》えてある。
「いかがでございましょう」
窓外に目をやっている健作に、老人がのどかな声をかけた。
「僕《ぼく》には十分です」
「それはようござんした」
しかし、淀《よど》んだ堀割りの向う岸には、たてこんだ町並が、見苦しい裏側を遠慮なくむき出しにしている。
机に向ってみると、もはや風の音の届かぬ落ちついた二タ間ではあったが、それは健作のために、恭子と老人が用意してくれた檻《おり》であった。
次の日の明け方、かん高い水鳥の啼《な》き声に、健作の夢が薄れた。
河口にあるこの|まち《ヽヽ》を、過《よぎ》る水鳥は何だろう、あれが|みやこ《ヽヽヽ》鳥か。
耳をすますと、啼き声は通りから聞えてくる。
そっと床をはなれた健作が、窓から暗い通りを見透かすと、水鳥の声と聞いたのは、向いの店の古びたシャッターのきしみ上がってゆく音とわかった。
そして、その音を合図のように、あちこちの店からも|はだか灯《ヽヽヽび》がもれて、明暗の縞《しま》を作る通りに日除《ひよ》けが繰り出され、とりどりの品物がせり出してくる。
空《むな》しかった|きのう《ヽヽヽ》の|まち《ヽヽ》が、にわかに面変《おもがわ》りをはじめたのだが、夜の白むとともに、|まち《ヽヽ》は、恭子の言った通り雑踏の|まち《ヽヽ》へと変身した。
|かし《ヽヽ》は、巨大な都市の巨大な食欲を充《み》たす市場である。
|せり《ヽヽ》売りにはじまる大きな商いは、広い|なか《ヽヽ》の受け持ちだが、狭い|そと《ヽヽ》での商いは、小ぶりでこまかい。
起きぬけから健作が見守ることになった|そと《ヽヽ》の|まち《ヽヽ》は、時とともに数をます人また人に埋まり、往き来も不自由な人|ごみ《ヽヽ》に変わったが、多種多様な品物を、より早くより多く売りさばく呼び声に湧《わ》き返った。
昼をすぎると、いつか人の波は引いて、|まち《ヽヽ》は活気を失い、夕暮れには、|きのう《ヽヽヽ》とおなじ空しい|たたずまい《ヽヽヽヽヽ》に戻《もど》ったが、わずか一日の間に、この|まち《ヽヽ》の見せた虚と実の激しい落差は、なにはともあれここに住もうときめた健作の心に、物憂《ものう》い|かげり《ヽヽヽ》を広げていた。
四月《よつき》というものを、健作は檻という意識に耐えて送った。
風邪を引いて外出を禁じられた子供のように、読書に疲れると二つだけの部屋を往き来して、そとの雑踏を見おろし、堀割りの上の雲に移りゆく季節を仰いだ。
あとは、二階におりて恭子の居間で食事をとり、関根老人をまじえて雑談の時を過すのが、わずかな憩《いこ》いであった。
恭子に代わって店を取り仕切る、この律義《りちぎ》な老人には、思いがけない洒脱《しやだつ》な一面がうかがわれた。
「この|まち《ヽヽ》には何でもございます」という話の揚げ句に、
「駈《か》け落ちまでございます」
と澄ました顔を見せて二人の笑いを誘い、|まち《ヽヽ》の恋人たちの折々の奇縁を語った。
また、要を得た商売物の談義も、味わいのある語り口で健作を楽しませた。
「鰹節と申しましても、山伏、目つぶし、一中節ではありませんで、まず鰹の身を水炊《みずた》きしまして|なまり《ヽヽヽ》節、これを何度もいぶりまして荒節《あらぶし》、荒|いぶし《ヽヽヽ》でしょうか。
この荒節を日に当てましてから、樽《たる》に入れておきますとカビが出ます。カビを落としてまたカビを出す、これを繰り返しまして、本枯《ほんが》れ節が出来上るという寸法で。
身のおろし方によりまして、本節《ほんぶし》に亀節《かめぶし》。本節は男節《おぶし》、女節《めぶし》と対《つい》になります。
出来ます季節によりまして、春節、秋節。
西の方から、薩摩《さつま》節、土佐節、伊豆《いず》節、また房州ものは房熊《ぼうくま》と申しまして、いずれも海に近く、水清き所で作ります。
それから、魚によりまして、マグロ節、サバ節、サワラ節、イワシ節とございます。
一と口に鰹節と申しますが、それは様々でございます」
老人の硬軟とりまぜた茶飲み話は、健作にとって外界をのぞく小窓でもあった。
健作が、みずから籠《こ》もった檻を開き、外界に出るようになったのも、その関根老人の思慮による。
「かれこれ四月《よつき》になりましょう。御辛抱のよいのには感心致しますが、先行きのことを考えますと、おからだによくありません。
わたくしが考えますに、早朝、|なか《ヽヽ》の方を歩きます分には、まず、お知り合いに逢《あ》う気づかいは無いと存じます」
健作と恭子と関根老人の三人は、いつとも知れず、どこからとも知れぬ便りの届くのを心待ちにしていた。
その便りが届くまで健作は、人目を避けて過去を伏せていなければならない。
老人は、健作に場所を限って夜明けの散歩をすすめ、恭子も不安気ながらうなずいた。
早春の朝まだき、健作は、恭子の見立てたジャンパーと、関根老人の支度した長靴《ながぐつ》に身をかため、航海の果ての船乗りのように、久しぶりの大地を踏みしめた。
そして、心から自由と呼びたい外気を吸いこんで、|なか《ヽヽ》と|そと《ヽヽ》を分ける小さな鉄の橋、青いペンキの海幸橋《かいこうばし》を渡って行った。
市場の中心は、煌々《こうこう》と灯をともす長大なアーケードである。
その下には、千二百軒からの仲|おろし《ヽヽヽ》の店がぎっしり詰め合って、盛りの時間には、五万を超える人を呑《の》みこむ、とは関根老人の話にあった。
健作はアーケードを目指したが、そこに達するためには、それぞれに荷を積んで、勝手気ままに走り回る大小さまざまの車の流れを渡らねばならなかった。
目を見張る思いの健作は、大阪は堂島の米市場を描いた西鶴《さいかく》の一節に思い当たった。
「山もさながら動きて、人馬に付け送れば、大道とどろき地雷のごとし」
今も昔も変わらぬ荒々しい市場の奔流に、健作は暫《しばら》く立ちすくんでいたが、車の動きなど眼中に無く渡って行く人々の何気ない表情に勇気づけられ、人々の群れにまじった。
アーケードの下は、荒磯《あらいそ》であった。
多彩な魚類が解体されて溝には鮮血が流れ、泡立《あわだ》つ生簀《いけす》からは活《い》き魚が水をはねかえし、路《みち》という路は濡《ぬ》れそびれている。
|あわび《ヽヽヽ》、赤貝、|ほたて《ヽヽヽ》などの貝類は、電光に光って磯の気を吐き、|たこ《ヽヽ》は山積みになり、|いか《ヽヽ》は背|たけ《ヽヽ》をそろえて横たわり、|かに《ヽヽ》はからみ合って鋸屑《のこくず》の中にもぐってゆく。
ここでは、やはりジャンパーと長靴が、健作のたのもしい味方となった。
その朝、健作は、|なた《ヽヽ》でぶち切られ、|のこぎり《ヽヽヽヽ》で挽《ひ》かれ、長剣に似た大包丁で切りさかれるマグロを、目の前に見て圧倒された。
喧騒《けんそう》をはね返すアーケードをあとに、興奮と疲労を背負って引きあげた健作に、関根老人は恐縮した。
「悪い日にお出ししました。
この辺は、月|ずえ《ヽヽ》より月|はな《ヽヽ》、曜日で申しますと、月曜日が一番に混《こ》み合います。
それを、よりによって、|おついたち《ヽヽヽヽヽ》の月曜という日にお出しするなんて、全く気の利《き》かんことで」
「いえ、そんなことはありません」
健作は、恭子のいれてくれたコーヒーが、心の|しこり《ヽヽヽ》を解いて、からだの芯《しん》にしみてゆくのを感じた。
「初めてのことですから、疲れるのは当り前です。それより、誰も彼も生き生きとして、実に勇壮な風景でした」
「そんなに?」
恭子は、吾妻商店の主人でありながら、一度も|なか《ヽヽ》に足を向けていなかった。
「ええ、それは大変なところです。お母さん、一度、一緒に行ってみましょう。
この国が、海の国だということが、つくづくわかります」
恭子は微笑するのみで答えなかったが、健作は、檻から放たれた昂《たか》ぶりもあって、見たままを語るに、恭子と老人が目を見かわすほど饒舌《じようぜつ》であった。
その日を境に、降っても照っても、健作の夜明けの散歩が始まった。
未明の市場が、|まち《ヽヽ》に潜んで時を待つ健作の、ややもすれば沈んでゆく心に、生気を吹きこむ思いがあったせいもある。
そして、闇《やみ》に目のなれるように、|なか《ヽヽ》の気配に馴染《なじ》んでゆき、ある朝、見事な硝子《ガラス》のケースにめぐり逢うことになった。
それは見事なケースであった。
いや、ケースが見事だというのではなく、見事なのは、その中身であった。
見上げるばかりのケースの中は五段に仕切られ、ガーゼに巻かれたマグロの輪切りが、光る断面を見る者に向けて並べてある。
最上段の右から、一キロ七千五百円を筆頭に、下段左の千三百円まで、三十通りに値をつけられたマグロが、きちんと間合いをとって標本のように陳列されていた。
これを下段から追って行くと、ほぼ二百円きざみに上がってゆくのだが、隣り合って新鮮な色|つや《ヽヽ》を見せている輪切りに、どうして二百円という値|はば《ヽヽ》があるのか、健作にははかりかねた。
ただ、上段と下段、ことに筆頭と末尾の切り口を見くらべてみると、明らかな違いが見てとれて、うなずかないわけにはいかなかった。
筆頭の値札を脇《わき》に立てた一塊のマグロを見つめた健作は、暫くの間、放心して立ちつくした。
樹木の年輪とも、広がってゆく波紋とも見える断面は、神の手になる作図を眺《なが》めるようで小気味が良かったし、唐紅《からくれない》と呼びたいその色目も、見とれているうちに花やかさを隠してしまい、ただただ深い光沢としか見えなくなってゆく。
マグロというサバ科の魚類の哀れな断面に、造化の妙を見る思いの健作は、その光沢のうちに吸いこまれた。
ケースの前に釘付《くぎづ》けになっていた健作は、やがて光沢の魔力から醒《さ》めると、頭をふってそのケースを離れたが、うしろ髪を引かれる思いに、ためらうことなく引き返し、またケースの前に立った。
その時、ふとケースの脇の陰の中に、健作を捕えている小さな白い目を見とめた。
それに気付いた健作も、目の|はし《ヽヽ》で相手を捕え返した。
四十がらみで痩《や》せぎすの浅黒い男の目とわかったが、お前はどこの誰だ、買うのか買わないのか、用が無いなら寄り付くな、とでも言いた気な、性急で意地の悪い白い目であった。
たしかに、一ト目で|しろおと《ヽヽヽヽ》とわかる服装の健作であり、あても無くアーケードの中を往復して、気を散じている|のん《ヽヽ》気な|よそ《ヽヽ》者には違いない。
健作には、男が白い目を向ける気持がわからないではなかった。
おそらく男は、筆頭のマグロを凝視する健作に気づいたのであろう、これは、お前などの手におえる代物《しろもの》ではない、という傲《おご》りの色さえ、その目の光にまじえているかに見えた。
無造作に着こんで、ボタンの一つも取れていそうなシャツの内側に、利かぬ気の構えが見てとれる。
それは市場の烈《はげ》しい駈け引きには、欠かせぬ気構えかもしれないが、自分のような若者相手では、無用の虚勢ではないか、健作は、その目に怯《ひる》まず、ケースを眺め続けたが、いつか胸のうちに不思議な懐《なつ》かしさがこみ上げていた。
この|まち《ヽヽ》に来て、喧嘩腰《けんかごし》であろうがなかろうが、健作を一人前にあつかってくれた初めての目だったからである。
再び立ち去る前に、健作は、男の目の中にほんのわずかな微笑を送り、かすかに頭をさげた。
健作に他意は無く、佳《よ》いものを見せてもらったという謝意と、これからも見せてもらいますという挨拶《あいさつ》をこめた積りであった。
男は、健作の微笑と会釈《えしやく》をたしかに見とめた。
見とめた証拠に、白い目の中に狼狽《ろうばい》の色を現わすと、いきなりケースの裏に消えたのである。
うろたえた様子は滑稽《こつけい》であったが、健作は、男が悪い人間でないと直感し、機会に恵まれるならば話し合いたいという親しみさえ持った。
鉄骨のむき出しになった高いアーケードの下の、人と物とがごった返す濡れる路を、少しばかり引き返した健作が振り返ると、種々雑多な看板の上げられている中に、「浜富海産」と肉太に大書された柿《かき》色の幟《のぼり》が見える。
それが、見事なケースを擁するあの店の屋号であった。
次の日から健作は、アーケードに入ると、一度は浜富海産のケースの前に立ち、朝ごとに値札の変わるマグロと例の人物に対面することになったが、彼がフクさんと呼ばれているのを聞きとった。
もはやフクさんは、健作に白い目を向けることなく、また来たか、といった一瞥《いちべつ》を与えるのみであったが、やはり、健作の思った通り、利かぬ気の持主であり、それも喧嘩早い気性であることを、健作のとんだ災難を通じて暴露してみせた。
おまけに雨ときて客の少い火曜日の朝、浜富海産の脇の十字路で、フクさんがわめきながら、一ト回り大きな男と揉《も》み合っている最中に、健作は行き合わしたのである。
たちまち四方から何人もの男たちが飛んで出て、二人は引き離されたが、口から赤い唾《つば》を吐いたフクさんは、店先にあったバケツに手を伸ばすや、いきなり相手に投げかけた。
その瞬間、店からおどり出た赤いセーターの女が、フクさんの腕にすがり、バケツは行き場を失って、近づいた健作の足もとに飛んだ。
そのバケツはよけたものの、中から一トかたまりになって跳ね出した汚水が、出会いがしらに健作の下半身にかかった。
「すいません!」
あわてて健作に駈けよったセーターの女は、半分泣いていた。
「だいじょぶですか」
「ええ」
「ああ、こんなに濡れて、入って下さい、こっちに」
「いえ、すぐ近くの者ですから」
健作が女の申し出をことわると、女は、再び男たちに組み止められているフクさんの方に向き直って、絶叫した。
「あんたぁ!」
群がっている男たちが、一斉《いつせい》に女の方に顔を向けた。
「ケンカすんなら、勝手におやり! けど、ひとさまに迷惑かけていいのかい!
あやまんな! あやまれったら、あやまれ!」
女は、泣き声を上げてフクさんに武者ぶり付くと、白い二つのこぶしでフクさんの胸を打ち続けた。
女は、これも四方から飛んで出た女たちにかかえられて店に入り、男たちは、気が抜けたように輪を解いて散って行った。
健作が、左右の長靴に入った水を捨てて履き直していると、浜富海産の奥から白い髭《ひげ》の老人がタオルを持って近寄るなり、濡れた路にひざまずいた。
「これは、申しわけない」
老人は健作のズボンを拭《ふ》きながら、丁寧な詫《わ》び言をつらね、中に入って着換えてほしいと言ったが、健作も丁寧にことわった。
下半身のつめたさよりも、思いがけなく喧嘩の仲裁に役立ったことに満足し、足早やにアーケードを出た。
健作は、翌日にも浜富海産に行って見たかったが、なにかためらうものがあった。
ほとぼりがさめ、フクさんたちが健作のことを少しでも忘れてくれることを願った。
十日ほどして、健作は、そっとケースの前に立った。
相変わらず、見事な断面の群れが並んでいる。
やがて、健作の横に来て、同じようにケースを見つめている男のいるのに気がついた。
黙って煙草《たばこ》をふかしている。
男は、まぎれもなくフクさんであった。
健作は、ケースの中の筆頭のマグロを指さした。
「これ、一キロ、買えますか」
「……なんにすんだ?」
奇妙な質問であった。
「食べます、……食べてみたい」
率直に答えた。
「しょうがねえなあ、持ってけ」
乱暴な結論であった。
健作の差したマグロは、その日、八千二百円の値がつけてあった。
フクさんは、店の奥の誰かに何かを言いつけると、元通り健作の横に立った。
「一キロなんか切れねえんだけどよう、食いてえって言われちゃあ、かなわねえや、まあいい、特別だ」
何が特別なのかはわからなかったが、健作が札《さつ》を渡すと、フクさんは、ハンパはいい、と言って切りのいい釣《つ》りをよこした。
しかし、健作は、ハンパである百円玉二つを、フクさんの手の|ひら《ヽヽ》に置いた。
いつか、関根老人が、正札というものは、いい加減に付けてあるものではございません、それを大事にして下さる方が、本当のお客様です、と言ったのを憶えていたからである。
フクさんは、百円玉二つをしばらく眺めていたが、
「そうかい、……もらっとかあ」
と言うなり、ひょいとその手を額に上げた。
それからフクさんは、そのマグロが金華山沖でとれたホンマグロであり、いつもあるとは限らない極上のものであって、これから馴染|み《ヽ》の料亭《りようてい》に持っていってしまうのだ、と健作に教え、
「食ってみな、うめえから」
と強く言い添えた。
健作は、フクさんの粗野《そや》ともいえる物言いに、一つの嘘《うそ》も無いことを感じとり、健作もまた、何の駈け引きも無くありのままにマグロを買い、すべてが原始社会の物々交換のように、自然であったことに心足りた。
「ありがとう」
「ああ、また来な」
健作が包みをさげて歩き出すと、うしろから、
「よお……」
と力の無い声がかかった。
「こないだ、……わるかったなあ」
健作は、フクさんの困り切った顔を知った。
「怪我《けが》は無かったですか」
「……まあな」
「奥さんも?」
フクさんの目が、遠くに走った。
「……うん」
「それはよかった」
「……でもよお、あれっから、|かかあ《ヽヽヽ》のやつ、出てこねぇんだ」
「出てこない?」
「そうなんだ。帳場じゃ困ってらあ、……なにしろ、気がつぇえんだから」
首をひねったままのフクさんと、笑いをこらえた健作は、それで別れた。
持ち重りのする包みをあけた恭子は、声をあげて中身の光沢に見入り、その日の昼食は賑《にぎ》やかなものになった。
ホンマグロは、近くの庄寿司の手を借りて大皿《おおざら》に盛られ、客として向いの八百松と佃久《つくひさ》のおかみさんが招かれて、関根老人もお相伴にあずかった。
寿命が延びます、いえいえ、たまにはこんなことも、たまだなんて奥さん、これからもちょくちょく、という女|達《たち》のはしゃいだ掛け合いを引き取って、関根老人が、鯛《たい》も一人はうまからずと申します、こうしたお集まりが何よりの御馳走《ごちそう》ですが、これも若旦那《わかだんな》のお手柄《てがら》で、と締めくくった。
ともあれ、その日のホンマグロは、フクさんの言った通り、誰もが、うめえ、としか言いようの無い味わいであった。
次の日の朝、フクさんは、健作に初めての笑顔を見せた。あの白い目が細くしばたいて、健作には、昔から知っている誰かの笑顔のように見えた。
「うまかったろ、あにさん」
いつか、健作はあにさんになっていたが、ホンマグロのうまさを、生れて初めて、と素直に認めた。
「見なよ、きょうは、こんなのしかねえ」
その日のケースの中の筆頭は、|しけ《ヽヽ》ということで七千円を切っていたが、箱のような狭い帳場の中には、算盤《そろばん》を弾《はじ》くフクさんのおかみさんの真剣な顔が見えた。
それからも健作は、毎日のようにフクさんと顔を合わせたが、よお、とか、元気だな、とか声をかけられ、時には、きょうは持ってきな、五百、切ってやるからよ、と身内のように引きとめられた。
こうして健作は、夜明けの散歩の小さな偶然から、不思議な友人に恵まれることになった。
時として鴎《かもめ》の影を落とす海幸橋、その|たもと《ヽヽヽ》に、小ぢんまりとした|やしろ《ヽヽヽ》がある。
あたりの者が、波|よけ《ヽヽ》さんと呼ぶ神社だが、その猫《ねこ》の額ほどの境内の伸び盛りの銀杏《いちよう》は、武骨な鉄の橋に一抹《いちまつ》の余情を添えていた。
健作は、|なか《ヽヽ》からの帰りしなに、よくここに立ち寄っては、白む空を区切るその梢《こずえ》を振り仰いだ。
初めは葉を落として寒々としていた樹影が、いつか芽ぐんで、遠くからもうるんで見える陽気になったが、健作たちの待ちわびる便りはもとより、その|きざし《ヽヽヽ》さえも見えなかった。
すでに|なか《ヽヽ》の隅々《すみずみ》まで歩きつくした健作は、散歩の限界を広げて、自分が住みながら避けてきた|そと《ヽヽ》の|まち《ヽヽ》を歩くことで、少しでもいら立ちをまぎらそうと思い立った。
「やはり、朝も早いうちなら、どうでしょう?」
恭子は首をかしげたが、関根老人は考え考え、思いがけない思案を述べた。
「|なか《ヽヽ》と違いまして、こちらは|しろおと《ヽヽヽヽ》衆も多うございますから、万に一つ、お知り合いに逢《あ》う恐れはありましょう。
ただ、おいおい御近所にも、若旦那の顔見知りもふえまして、これ以上、下手な隠し立ては、かえって足元から妙な噂《うわさ》が立ちかねません。
ここは、逆手を取りまして、早朝などと言わず、|かし《ヽヽ》のうちなら|なか《ヽヽ》でも|そと《ヽヽ》でも、御随意になさって、よろしいかと存じます」
健作は、|かし《ヽヽ》という孤島の中の自由を得た。
健作は、狭い間口の店また店が、目白押しにたてこむ|そと《ヽヽ》の|まち《ヽヽ》を歩いて、ここは、巨大な|なか《ヽヽ》に寄生しながら、|なか《ヽヽ》のはたらきを補う狭小な|まち《ヽヽ》と知った。
|そと《ヽヽ》には、関根老人の言ったように、何でもある。
小ぶりにはなるが、|なか《ヽヽ》と同じ|もの《ヽヽ》を扱う店のほかに、湯葉だけの店、寄せ物だけの店、玉子を焼くだけの店など、|なか《ヽヽ》では見受けなかった店が点在し、|たにし《ヽヽヽ》、|いなご《ヽヽヽ》、|むつごろう《ヽヽヽヽヽ》など、故郷をしのぶ小さな味覚も姿を見せる日があった。
一方、食べ物とは切っても切れない品物も取り揃《そろ》えてあった。
包丁と俎板《まないた》の店、割烹着《かつぽうぎ》と高下駄《たかげた》の店、経木と折箱の店などが、狭い店構えの中に荷を山と積み上げている。
健作は、一つ一つの店を丹念に覗《のぞ》き、その道その道にそなわる知恵をながめたが、やはり、白い目の光を浴びることがあった。
しかし、すでにフクさんの白い目の洗礼を受けていた健作には通じなかった。
さらに、健作は、この|まち《ヽヽ》のここかしこに、とりどりの食べもの屋が潜んでいることも見届けた。
ここに集まる人々の朝は早く、それこそ朝めし前であったから、人々のその日の口にかない、|ふところ《ヽヽヽヽ》にかなう朝食が求められ、とりどりの食べもの屋がそれに応《こた》えていた。
北の大通り、一名市場通りの歩道に沿って、ちまちまとした小店の並ぶ中に、いつも人だかりのしているたった一坪のラーメン屋・青葉亭があった。
その一坪が調理場であって、客は歩道にはみ出した三つの丸椅子《まるいす》に掛け、そのうしろに三人ずつが順を待って立つのだから、人だかりに見えるのは致しかたないとしても、それだけのことがあるのだろうか。
健作は、人だかりの|わけ《ヽヽ》を確かめようと、群れのうしろから店の中を覗き、目を見張る手際《てぎわ》の冴《さ》えを見た。
糊《のり》のきいた白衣、白帽のキリッとした中年の主人が一人、その狭さを生かしてどこにでも手を伸ばし、素早い手順でラーメンを作っていた。
湯の沸きたつ支那鍋《しななべ》に玉を三つ放《ほう》りこむと、丼《どんぶり》を三つ、絵柄《えがら》をそろえてキチッと並べ、色の濃い|つゆ《ヽヽ》の|もと《ヽヽ》を汲《く》み入れ、きざみ葱《ねぎ》をふりこみ、ずんどうの大鍋からスープをそそぐ。
それまでに、鍋の玉は泡《あわ》を吹き、|さい箸《ヽヽばし》でくるくる湯掻《ゆが》かれて茹《ゆ》で上がり、一ト玉ずつ網ざるですくわれ、一ト振りで水気が切られると、そろりと丼にすべりこむ。
あとは、器用な箸さばきで、焼肉の切り身とほうれん草が行儀よく乗せられて出来上り。
すると、それまで坐《すわ》っていた三人が、しめし合わせたように頃合《ころあ》いもよく食べ終って席を代わり、代わった三人の前に、今あがったラーメンが配られる。
そして主人は、濡《ぬ》れ布巾《ぶきん》でまわりを拭《ふ》きおわり、もう玉を手に取って鍋を睨《にら》んでいた。
とかく気の短い連中の多いと言われるこのあたりで、青葉亭は、ラーメンだけでなく、きれい好きで小気味の良い主人の手際も、売り物にしているのであろう。
健作は、その運びの鮮やかさに拍手を送りたかった。
それに、食べ終って歩き出した二人連れが、湯気にほてった顔を見合わせ、ラーメンなら、ここだよな、そうだよな、とうなずき合っているのも聞き取った。
健作は、軽快な早技を見ているだけでなく、ここに限るというラーメンを、家での朝食に代えて是非とも食べてみたいと恭子に訴え、そうなさい、という許しを子供のような気持で聞いた。
青葉亭のラーメンには、健作の期待を上回る風味があった。
その夜の床の中で、その味わいが蘇《よみが》えると、無性に食欲がわいてならなかった。
そうか、素麺《そうめん》を思わせるあの麺の細さは、ただ早く茹で上がるばかりでなく、牛骨からとった淡白な|つゆ《ヽヽ》をたっぷり含み、|のど《ヽヽ》越しのこころよさを与えるものであったか、と健作は感心した。
そして、週に二度、健作の朝食は青葉亭ですませることになった。
青葉亭の奥にかかる衛生管理者の額によれば、主人の名は、青野正義という。
近くの店の連中も、青ちゃん、ひとつ、たのまあ、と声をかけ、頃合いを見はからって取りに来る。
そして、その青ちゃんが、すこぶる付きの無愛想で無口なことを、週に二度ずつ通うようになった健作は知った。
まず、客と口をきくことがない。
客の方も、そこは心得ていて黙って坐り、黙って食べ、黙って勘定を置いてゆく。
たしかに、「中華そば、百六十円」と書かれた札が一枚|貼《は》ってあるだけなのだから、口をきかずとも済む。
しかし、心得を知らぬ客もあって、話しかけてはみたが、一切、黙殺された。
青ちゃんは、ひたすら青ちゃんの信ずるラーメンを作り続けるために、湯気のこもる小さな仕切りの中の苦役に耐えて、とても|むだ《ヽヽ》口などきく気にならないのだ、と健作は諒解《りようかい》した。
その無口な青ちゃんが、向うから健作に口をきいたのは、青葉亭に通い出して半年近くたった頃であったろう。
横なぐりの雨の朝、そんな日は、やはり立つ人の少い青葉亭。
健作は、いつものように出かけて行って、ただ一人、椅子に掛けたが、それを追うようにして、また一人が来て隣り合って坐った。
健作が、何気なくその客の足元を見おろすと、履いている地下足袋のそこここが破れ、一方の親指がはみ出して濡れているのが目に入った。
思わず横目で見ると、襟首《えりくび》がまだらに煤《すす》け、濡れた服は一そう垢《あか》光りして、一ト目で浮浪者とわかる男であった。
出された丼をかかえた男は、熱いラーメンを恐れることなく啜《すす》りこみ、|つゆ《ヽヽ》も一滴残さず呑《の》み干すと、よろよろと立ち上がり、頭を垂れたままでいる。
「バカヤロオ!」
色白の細|おもて《ヽヽヽ》を真っ赤にした青ちゃんは、咆哮《ほうこう》して男をにらみつけた。
健作の丼には、まだ半分もラーメンが残っていたが、初めて出会ったすさまじい空気に気おされて、箸が動かない。
「ニドトクルナッ!」
青ちゃんがもう一度咆哮すると、男は頭をさげてからゆらりと歩き出し、青ちゃんは、男の丼をポリバケツに投げこんだ。
鼓動を押さえて健作が箸を取り直すと、手が伸びて健作の丼が引かれた。
「すいませんでした、御気分、悪かったでしょう、すぐ作り直します」
初めて聞く青ちゃんの声であった。
健作は、構いません、と手を伸ばしたが、青ちゃんは、もう新しい玉を鍋に放りこみ、じっと沸騰《ふつとう》を見つめている。
「お残しになって結構ですから、もう一杯、手をつけていただきます」
恐ろしかった青ちゃんの顔に自嘲《じちよう》の色が浮かび、健作も何か言わずにはいられなくなったが、無銭飲食ですか、というありきたりの問いしかなかった。
「そうなんです。よく、あるんです。わかっちゃあいるんですが、のっけから、銭《ぜに》持ってるかたあ言えませんし、それにこっちは一人ですし、百六十円のことで警察|沙汰《ざた》にも出来ません。向うも、その辺のことをよく知ってますんで」
青ちゃんのうがった話を聞いた健作は、世間を捨てながら、なお生きねばならぬ者の知恵が悲しかった。
青ちゃんは、新らしい丼をそっと差し出しながら、呟《つぶや》くように言った。
「いつも、釣り銭のいらないようにして頂いて、ありがたいと思っております」
健作は、青ちゃんの言葉を聞いて、きまりが悪かった。
一人で何から何までやっている青ちゃんが、釣り銭に手間取る時はリズムを崩すように見えて、健作はいつも、釣り銭の無いように小銭を用意していたのだが、青ちゃんはそれに気付いていたのである。
その日以来、青ちゃんは、健作が坐ると軽い会釈《えしやく》をするようになった。
健作は、|そと《ヽヽ》の|まち《ヽヽ》の散歩でも、青葉亭の青ちゃんという心の通う友人に恵まれた。
しかし、考えてみれば、フクさんにしても、青ちゃんにしても、健作が何者であるかを全く知っていない、聞こうともしない。それでいて、それなりの挨拶《あいさつ》を交わし、なんとなくお互いを認め合っている。
この|まち《ヽヽ》では、どこの誰《だれ》かよりも、どんな誰か、を大切にしていることに気がついた。
気持の良い朝、健作が、例によって青葉亭の前の行列に並ぶと、隣から肩で健作を押す者があった。
酒の匂《にお》いをさせたフクさんである。
「あにさんも、ここい、くンのかい」
機嫌《きげん》のいい顔でささやいた。
週に二度は、と答えると、うめえからなあ、ここのは、とフクさんも太鼓判をついた。
健作はフクさんと並んで坐り、幸せな気持で青ちゃんのラーメンを食べ、フクさんが千円札で二人分払うと言うのをなんとかなだめて、きちんと二人分の勘定を置いた。
二人して店を離れると、フクさんは煙草《たばこ》に火をつけた。
「ちょっとおれンとこい寄ってけやあ、ゴチになったっぱなしじゃあ、かっこがつかねえよ。
でもよ、あにさん、顔じゃねえか。あすこのおやじ、おめえに挨拶しやがったなあ、珍らしいこった、雨が降らあ」
健作には答えようが無い。
「なにしろ、変わりもんだからなあ、あいつ、そうだろう?」
そうだろうか、それなら、フクさんは変わりもんでないのだろうか。
その日一日、健作は思い出すたびに、独《ひと》りで笑った。
いくつかの颱風《たいふう》が吹き抜けて、また|まち《ヽヽ》は秋に包まれ、一年がたった。
相変わらず、待ち続ける便りは霧の中に隠れていたが、物憂《ものう》かった|まち《ヽヽ》の印象は跡形もなくなり、この|まち《ヽヽ》の一人になっている自分を、健作は知った。
健作は、この|まち《ヽヽ》で、自分なりにはたらくことが出来ないか、を考えた。
数こそ多くはないが、ここにも住んでいる者がいて、当然、子供たちもいる。
夜の時間を割いて、その子供たちの勉強を見てやることが出来ないか。
健作の考えが関根老人から、さらに気さくで面倒見のいい八百松のおかみさんに伝わると、おかみさんはたちまち自分の娘を含めて四人の中学生を集め、小さな吾妻塾が生れることになった。
健作自身のこれまでの読書に加えて、塾を開く支度と、初めて接する生徒の理解に時間をとられ、二タ月ほどというもの、朝の散歩が途絶えた。
その年も押しつまった一日。
張りのある新らしい毎日が淀《よど》みなく流れるようになって、健作は久しぶりに浜富海産のケースの前に立った。
すると、どこで見ていたのか、やにわに飛び出して来たフクさんが、目をむいて健作を叱《しか》りつけた。
「何してたんだ、ええ、どこ行ってたんだ、心配させんじゃねえよ」
健作が言いわけをしようとしても、フクさんは受けつけず、いいから、来な、と行きつけの小店に連れてゆき、水割りを飲み飲み、嘆息まじりの打ち明け話で、健作を恐縮させた。
もしや病気ではないか、と心配になり、それなら見舞ってやろうか、と思っても住まいはわからず、たまりかねたフクさんは、青葉亭に出かけて行ったと言う。
ところがフクさんは迂闊《うかつ》であった。健作の名前を聞いていない。困ったフクさんはやむを得ず、いつも来る若いの、ということで切り出そうとしたのだそうだが、押し黙って仕事をしている青ちゃんを見ると、どうにも|きっかけ《ヽヽヽヽ》がつかめない。
しょうこと無しにラーメンに取りついていると、青ちゃんがちらちらフクさんを見ている気配がある。
それで顔を上げると、青ちゃんがそっぽを向く、仕方なく下を向くと、こちらを見る。
そんなちぐはぐの繰り返しのあげく、どこにラーメンが入ったかわからぬまま、とうとう帰って来ちまったが、あん時ほど、あせったこたあ、無かったぜ、とフクさんは嘆いてみせた。
健作は、誇り高きフクさんが、そうまでして安否を気づかってくれたことに感謝し、自分が吾妻商店の息子であり、子供たちの面倒を見るようになったことを打ち明けた。
フクさんは、長い告白を了《お》えて機嫌を直していたが、
「じゃあ、あにさんは先生かい、……でもよ、仲間に心配かけちゃあ、いけねえよなあ、そうだろ、先生」
と決着をつけた。
翌日の朝、健作は、これも久しぶりに青葉亭の椅子に坐った。
青ちゃんは、忙しい手を止めると健作を見つめた。
「お元気でしたか、……なら、ようございました」
青ちゃんは、手を戻《もど》しながらも話し続けた。
「いつも見える方が見えませんと、気になるもんでして、……いつか御一緒だったマグロ屋さんがお一人で見えましたんで、うかがってみようと思ったんですが」
そこまで話した青ちゃんは、それから|ため《ヽヽ》息をついた。
「うかがおうと思いますと、あちらさんは召し上がっていますし、あちらが箸をお休めになるのを見はからって、うかがおうと思いますと、また召し上がっているという案配で、とうとう聞きそびれました」
健作は、その時の二人のおなじ心を持ちながら、どうにも掛け違ってしまう姿をまざまざと思い浮かべることが出来た。
人見知りの強い二人が、なんとか話をしようと、我と我が身に鞭《むち》を打っている。
それも、名も知らぬ若者のために。
健作は、フクさんに言ったと同じ言いわけを繰り返し、身の上を明かした。
「そうでしたか、吾妻さんとこの坊《ぼ》っちゃんで……、でも、なによりでした」
初めて見せた青ちゃんの笑顔も、懐《なつ》かしい誰かに似ていた。
先生であり、坊っちゃんである健作は、青葉亭のラーメンを前にきちっと箸を割った。
健作と恭子と関根老人の三人が待ちわびた便りは、その後、十余年を経て、なお届くことがなかった。
そして、その便りに代わって二人の男の訪問を受ける日まで、健作は、塾の先生と呼ばれて、フクさん、青ちゃんのみならず、|まち《ヽヽ》の人々から親しまれ、河口の|まち《ヽヽ》に埋伏した。
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2 門跡橋《もんぜきばし》
薄れ初《そ》めた朝|もや《ヽヽ》をくぐって、|もんぺ《ヽヽヽ》姿に、こまかい花柄《はながら》のエプロンをかけた小ぶとりの女が、橋とはいっても、ほんの一トまたぎの門跡橋を渡ってくる。
八百松のおかみさんだ。
いずれは、|ほんけがえり《ヽヽヽヽヽヽ》という年ごろだが、色が白く、頬《ほお》の赤味がすけて見える丸ぽちゃ、若いころは、可愛《かわい》かったにちがいない。
スタスタとためらいなく運ぶ小さな長靴《ながぐつ》の足どりは、降っても照っても、四十年から通いつづけた道筋のせいだろう。
それにしても今日は、すこうしばかりうつむいて、なにかしら呟《つぶや》いているのが、わずかに動く口元でわかる。
なに、いってんだい。
口|びる《ヽヽ》だけが動いて、声にはならないが、伝法《でんぽう》な独《ひと》り言《ごと》だ。
じょうだんじゃないよ。
また、口|びる《ヽヽ》だけの独り言だが、ないよ、というところだけが、強い息になって洩《も》れた。
どうにも面白《おもしろ》くないといった顔付きで、いきおい、うつむき勝ちになるが、ふっくらと結いあげた髪に乱れはない。
橋をすぎると、すぐ大通りを左に渡るのだが、ここは押しボタン式の信号なので、たいていは待たされる。
機嫌《きげん》の良くないおかみさんは、何人かのうしろに突っ立って信号の変わるのを待ったが、
やだ、やだ、
と、また、声にならない独り言。
|きのう《ヽヽヽ》の夕食には、鰻重《うなじゆう》の上を出前してもらった。
純子と悦子のふたりの娘に、どうしたの、なんかあったの、と聞かれても、ま、いいからさ、と|わけ《ヽヽ》は話さず、そろって箸《はし》をとった。
今夜は、することがあった。それも大事なことである。だから、|あと《ヽヽ》片付けをしたくなかったのだ。
食べ終ると、これも良い方のお茶をいれたが、なにか気がせいて、いつものようにゆっくり出来ず、さて、とわざわざあらたまって立ちあがり、
「純ちゃん、ちょいと、二階に来とくれ」
と、妹の悦子と、やたらにうるさいテレビに見入って、吹き出している純子に声をかけた。
先に二階にあがったおかみさんは、すぐの六畳の押入れをあけると、よっこらしょ、の|かけ《ヽヽ》声もろとも、|じゃがいも《ヽヽヽヽヽ》なら百キロは入ろうというダンボール箱を引き出した。
これでよし、おかみさんはきちんと坐《すわ》り、息をととのえて純子を待った。
けれども、おかみさんの目は、ついつい隣の八畳の方に行ってしまう。
八畳の衣桁《いこう》には、仕立て上がったばかりの純子の訪問着と帯が掛けてあって、それこそ光り輝いている。
いい柄だ、おかみさんの目が細くなる。柄がいいだけではない。値段がまた気に入っている。いやしい、と言われるかもしれないが、値段のことを考えると、せいせいしてくる。
珍味屋の番頭のバネさんとは、長い|つきあい《ヽヽヽヽ》で気のおけない仲だから、純子の嫁入りの話も、まとまるとすぐにしておいた。
するとバネさんが、妙なことを言い出した。|きもの《ヽヽヽ》を買うようなら、まかしとけや、と言う。
バネさんは、方々のうまい物をあつかう珍味屋で、それと|きもの《ヽヽヽ》とどこでどうつながるのか、こっちはきょとんとしちまったが、話はこうだった。
バネさんのとこのお得意に、赤坂の料亭の扶桑《ふそう》があり、扶桑のおかみさんの実家が、日本橋の江浪だった。江浪といえば、呉服|もの《ヽヽ》では名の通った店である。
なんでもバネさんの娘の成人式の時に、晴れ着一式をなにしてもらったそうだが、いい物を飛び切り負けてもらった、と言う。
そりゃあ、あんただから、と言うのをバネさんはおさえて、親戚《しんせき》ってことよ、そうだ、純ちゃんは姪《めい》っ子ってことにするよ、と万事|呑《の》みこんだ顔をした。
たしかに、純子には訪問着を買ってやるつもりだったので、いい話だった。
バネさんのおかみさんに付いていってもらったが、さすがにいい物があり、いい物はいい値だと感心しながら選び始めたが、これならと二人で気に入ったのに見入っていると、向うも察したらしく、御紹介が御紹介ですから、と一割や二割の値引きでない金額をささやかれ、一も二もなくきめた。
あとから、バネさんの方には、それなりの礼をしておいたが、バネさんだって普段から、扶桑さんの方に尽しているにちがいない。
|にんげん《ヽヽヽヽ》、やっぱり普段が|かんじん《ヽヽヽヽ》、としみじみ思ったものだ。
きのうも、佃久《つくひさ》のおよしさんが見にきて、値引きの一件は知らず、正札すれすれの値をふんだあげく、それだっていい買物だよ、でも、おテルさんも大変だねえ、と|ため《ヽヽ》息まじりに言ってくれた。
八百松のおかみさんは、若松テルという。
戦争前、草加の奥の貧乏百姓の娘に生れたテルは、小学校を了《お》えると町一番の酒屋へ奉公に出され、子守りから始まって洗濯《せんたく》、炊事と小|まめ《ヽヽ》にはたらいたが、年ごろになって店の若い者に|わるさ《ヽヽヽ》を仕掛けられ、生れて初めて人をたたき、蹴《け》とばして、神社の裏手から|はだし《ヽヽヽ》で家に逃げ帰った。
ところが、そこの主人というのがよく出来た人で、わざわざ、あやまりに出向いてくれた上に、なんと縁談まで持ってきた。
相手は、東京の|かし《ヽヽ》という大きな市場に根を張った八百屋のひとり息子、以前から農家の娘で気立ての良い子を、と頼まれていたそうで、それが今度のことで、テルのいたのに気がついたのだそうだ。
灯台もと暗し、|テルや《ヽヽヽ》なら太鼓判が押せるのに、子供だ、子供だと思っていて、と頭をかきかき見合いをすすめる。
気はすすまなかったが、なんとなく事がはこんでしまい、色は浅黒いが鼻筋の通った男前の相手に逢《あ》った。
けれども、八百屋といったって妻屋《つまや》という方で、上物の野菜しかあつかわないというし、そういえば、相手も、付いて来た父親も、身なりは良いし、ものの言いっぷりもてきぱきして、テルも、テルの両親も気が重くなって、尻《しり》ごみしたものだ。
一度はことわってみたものの、先方は気に入ったらしく、風呂敷包《ふろしきづつ》み一つでいいから是非にもとねばり、酒屋の主人も、支度の|たし《ヽヽ》になにがしかの金を祝ってくれる、ということで押し切られた。
とはいえ、戦争が激しくなってゆくころではあり、|はたらき《ヽヽヽヽ》手の兄が大|やけど《ヽヽヽ》をする不運もあって、せっかくの祝儀も家に置いてくる始末、本当に風呂敷包み一つも同様の嫁入りとなった。
幸か不幸か、嫁入り先の八百松では、|しゅうとめ《ヽヽヽヽヽ》の死んだあとで、すぐにも台所をあずかることになり、身一つの嫁入りを、どうのこうの、言ったりする者はなかったが、それだけに誰《だれ》もが、知って知らぬ|ふり《ヽヽ》をしているようで、我から肩身のせまい思いをした。
その時の切なさは、なかなか消えなかった。消えないどころか、つのって行くのに気がついた。
おかみさんと呼ばれ、八百松さんと立てられるにつれて、婚礼の日のことを思い出すと、生ま身に刃物でも当てられるような、いやあな心地になる。
だからこそ、今度、純子の縁談がまとまって、先方の母親が、もう時代が違いますから、お式もお支度も二人にまかせませんこと、なんて物わかりのいいような口をきいても、それには答えず、話をそらしたのだ。
兵隊にとられても、なんとか生き延びて、せっかく、シベリヤくんだりから帰ってきながら、大酒呑みで肝臓をいため、純子が小学生、悦子が幼稚園という時期に、死んでしまった亭主《ていしゆ》のあとをうけて、|しゃかりき《ヽヽヽヽヽ》に八百松を切り回してきたのも、いうならば、ふたりの娘に気のすむ支度をして、嫁にやるためだったと言えそうである。
それでどうやら、あのいやあな心地が拭《ふ》きとれる、と気持のどこかで思いつづけたテルである。
そのテルの意地ずくを、二人にまかせませんこと、なんて軽々しく言ってもらいたくない。
テルは、それはいらない、あれがほしい、といちいちうるさい純子の口出しをかわしながら、八百松の娘として、恥ずかしくない支度をしたつもりである。
「なあにい、かあさん」
はしご段の中途から、声をあげて純子はあがってきたが、ダンボール箱を前にして神妙にかまえた母親の姿に気をとられてか、上がりはなで蹴つまずき、つんのめった。
「言っとくけどね、これからは、ちゃんと坐ってから物を言うんだね、|おてんば《ヽヽヽヽ》は、このうちかぎり、先様《さきさま》で笑われらあ」
テルは、眉《まゆ》を寄せて、足をさすっている純子を叱《しか》った。
とにかく、純子は|おてんば《ヽヽヽヽ》だった。
男の子を泣かしちまうんだから、手におえない。
瀬戸物屋の七郎ちゃんなんか、よく、つっころばされたらしく、親爺《おやじ》さんから、
「七がだらしがねえんだけど、怪我《けが》させねえように頼むよ」
と笑われて、あやまる一方だった。
たまたま、塾の吾妻《あずま》先生に行きあったから、先生からも言って下さいと訴えると、いつものおだやかさに輪をかけてニコニコし、
「いいじゃないですか」
の一点張り、あげくのはてに、
「勉強もよくするんですから」
と、変な|とどめ《ヽヽヽ》をさされた。
たしかに、勉強は出来たようで、海苔屋《のりや》の麗子《れいこ》ちゃんのように大学に行くのかと思っていたら、短大というのに入った。
どう違うのか、聞いてみたら、麗ちゃんは先生になるから、いいのよ、あたしは、早く就職して、目いっぱい遊んでから結婚するの、だから短大でいいのだそうだ。
純子は、その通りのことをした。
「この人」と純子が岡田をつれてきた時、「いつも、純子がお世話になりまして」と、テルはまともに頭をさげたが、内心では、なんだい、いい人見つけた、なんて言っといて、ひねた|そら《ヽヽ》豆じゃないか、と岡田の|のん《ヽヽ》気な面《つら》がまえに気がぬけた。
それでも、二度、三度と遊びにくるにつれて、岡田のおっとりさ加減にも慣れ、悪い|にんげん《ヽヽヽヽ》じゃない、という気もして、これなら、うちの|おてんば《ヽヽヽヽ》とも、うまく行こうかと思えてきた。
若い男である岡田から、お母さん、お母さんと呼ばれるのも、はじめはくすぐったかったが、そのうちに、「はい、はい」と二つ返事をするようになると、もう情がうつっていて、男は顔じゃないとすっかり割り切れたが、話がすすんで岡田の家に顔を出し、どうにも不安になった。
銀行を退職したという|やさ《ヽヽ》形の父親はともかくも、テルとおっつかっつのいい年をして、髪を栗《くり》色に染めた母親が、あれこれと純子を褒《ほ》めながらも、おかあさまは、おかあさまはと|さま《ヽヽ》呼ばわりをするあたりから、テルの胸のうちに、釣《つ》り合いという言葉が浮かんで、この先が気になり出した。
そういえば、岡田の家の中は、どこからどこまでハイカラだった。
おとうさまのお書斎だの、お紅茶をいただくテラスだのがあって、およそ八百松の|すまい《ヽヽヽ》とは違う。
自分のところは、野菜物の下|ごしらえ《ヽヽヽヽ》をする土間につづいて、八畳の茶の間と台所、二階は、ただの六畳と八畳に、はんぱな三畳、それにあぶなっかしい物干しがあるだけだ。
家だけのことではなく、どうも勝手が違って、しっくりしない。自分が嫁入りする時の|ふた《ヽヽ》親の気分も、こんなだったろうか。
それなのに、ふたりの成行きに引きずられて、手もなく嫁にやっていいのだろうか。
もっと双方、気楽に親戚|づきあい《ヽヽヽヽ》が出来て、先行きに不安のない口があるのではないか。
|おてんば《ヽヽヽヽ》の、どうのと言いはするものの、純子は、八百松の大事な娘なんだから。
テルは長い習慣で、いつも朝の三時半に目をさますのだが、岡田の家に行ってからというもの、二時ぐらいから目がさめてしまい、うまく行く、いや行かない、の|どうどう《ヽヽヽヽ》めぐりにふけってしまう。
こんな時、相談にのれそうな身内もいないし、かといって、|まち《ヽヽ》の仲間に打ち明けるには、言いにくいことも言わねばならず、どうも、うっとうしい。
どうしたものか、どうしようの末に、そうだ、あの人だ、あの人なら。テルは相談相手を見つけた。
吾妻先生のお母さんだ。あの奥さんなら、小さい時から純子のことも知っていて、親身になってくれようし、だいいち、智恵者だ。それがいい、きめた。テルは、明け方の床の中で、手を打つ思いでうなずいた。
吾妻さんのとこは、古い|かつぶし《ヽヽヽヽ》問屋で、八百松のななめ前にある造りのしっかりした店だ。
テルが嫁に来たころは、二代目の旦那《だんな》の姿を見かけたが、気の毒に兵隊に引っぱられて、名誉の戦死。
三代目をその弟さんが継いだが、この人は学者とやらで店は番頭さんまかせ、その三代目がまた病気で死んでしまい、今の奥さんが顔を見せるようになった。
顔を見せるったって、商売は相変らず番頭さんまかせで、ときたま近所に挨拶《あいさつ》すると本宅の方に帰ってしまったが、そのうち、どうした風の吹き回しか、息子さんを連れて移ってきた。
もう、十年ぐらい前のことだ。
この数えて四代目にあたる息子さんというのが、京都の大学に行ったほど頭はいいのに、因果と|ひ《ヽ》弱い|たち《ヽヽ》ときて、ぶらぶらしている。
よほど男の子に恵まれない|うち《ヽヽ》らしく、それで奥さんが、息子を大事に大事にしているのは無理ないが、せいぜい、近所の子供の勉強を見てやるか、その辺を一ト回りするぐらいで、あとは家に籠《こ》もりっきりだ。
どうするんだろう、いいのかね、あれで。時折、テルは余計な心配をした。
昼すぎ、店を仕舞うとテルは、胸に一物、手にメロンを二つさげて吾妻商店に入っていった。
落ち着いた二階の奥の間に通されると、丁度、息子さんもいて、座をはずそうと言うのを、いえ、先生にも聞いてもらいたいんですよ、と押しとどめ、二人を前にして、実は、純子に縁談がありまして、と切り出した。
「それはそれは、お目出とうございます」
と奥さんは丁寧に頭をさげるが、それが目出たくないから来たわけで、
「いえ、それでね」
と打ち消そうとするのを、息子さんまでが、
「そうですか、純ちゃんが。良かったですねえ」
とよろこんでくれる。
「いえ、それがねえ」
テルは、早のみこみの二人に少々|はら《ヽヽ》を立てながら、ちっとも目出たくないわけを、ああしてこうして、と一ト息にうったえた。
念入りにお茶をいれて出してくれた奥さんは、布巾《ふきん》をたたみながらうなずいた。
「そうでしたか、御心配、よくわかります。昔から言いますものね、釣り合わぬはなんとやらって」
「そうでしょ、奥さん」
テルは乗り出したが、奥さんは目を伏せ、ゆっくり言った。
「それで、純子さんは、どうなんでしょうか」
「それなんですよ、あたしが、ちらっと言ってみましたらね、かあさんが行くんじゃないでしょって、こうなんです」
息子さんが笑った。
「そりゃそうだ、相変わらずですね」
笑いごとじゃない、テルはふくれて話の継ぎ穂をなくしたが、奥さんが引きとった。
「あのね、お母さんの御心配はわかります、よおくわかります、わかりますけども」
けども、どうなのか、そこが聞きたい、テルは次の文句を待った。
「純子さんが、そんな風で気になさらないなら、私は、いいと思います」
若い頃《ころ》には、女学校の先生をしたことがある、と聞いている奥さんの、背筋がぴんと伸びたように見えた。
「と言いますのはね、釣り合いというのは、気にし出したら、|きり《ヽヽ》のないことではないでしょうか」
そうかしら、テルは納得できない。
「八百松さんは立派なお店ですし、純子さんも活溌《かつぱつ》でしっかりなさっていて、どこに引け目がありましょう」
そうかなあ、テルはくすぐったくなったが、純子がしっかりしていることはたしかで、と思い当たる。しっかりなんてもんじゃない、あれは、ちゃっかりだ。
初めて岡田をつれて来た晩に、岡田が一人息子と聞いたテルは、翌朝、八百松の|のれん《ヽヽヽ》はどうするのか純子に聞いてみた。
純子は平気な顔をして、まだ、かあさんは十年やそこらは大丈夫だし、そのうち、岡田にその気が出れば、それはその時のことだし、悦子のおムコさんに、そういう人をもらったっていいし、両方ダメなら、お店売ったっていいじゃない、あるわよ、買い手は、なんてケロリと言った。
「釣り合いということは、当のお二人が気になさらなければ、考えなくていい時代になったと思いますけど……」
ははあ、時代ねえ、テルの気持に、いく分か風がかよった。そういうものか。
「健作さんは、どう思います?」
奥さんが息子さんに聞いたが、この親子の|やりとり《ヽヽヽヽ》は、いつも行儀がいい。
「そうですねえ、僕《ぼく》は|ひとりもん《ヽヽヽヽヽ》で、大きな口はきけませんけど、いいんじゃないんですか、心配しなくても。……と言いますのはね」
こんどは、息子さんが背中を丸め窓の方に顔を向け、本を読むような調子で言う。
「よめとり、むことり、目下《めした》より取ってよし、っていうのが、昔の本にあるんです。
これは、取る方の言い分ですけど、いい、って言うんだから、うまいこと行くのでしょう。
まあ、釣り合わぬは不縁のもと、の逆になるわけですが、これも、本当かもしれない。
かりに、先方さんの格が上で、八百松さんが下だとしましょう。勿論《もちろん》、そんなことはないんですが、かりにですよ。
そうすると、これはいいんですよ、よめとりですからね。
ということは、その|あべこべ《ヽヽヽヽ》は、まずいんですね。
たとえば、八百松さんに息子さんがいたとして、大金持の娘さんを|よめ《ヽヽ》にとるとしますね、どうですか?」
そりゃあ、まずいわ。テルは胸のうちですぐに答えられた。つとまるわけがない。
「ま、昔の話ですけどね」
息子さんの昔話とやらが、テルの身にしみてくる。
自分がそうだった。貧しい家の娘だった。嫁入りしてから、酒くせの悪い|しゅうと《ヽヽヽヽ》の機嫌《きげん》をとり、酒|呑《の》みの亭主の介抱をして、二人の死に水をとるまでつくし抜いて、一度だって実家へ帰ることなど考えなかったのは、奥さんの言った時代の|せい《ヽヽ》もあろうが、ほんとうは、実家の貧しさが、テルを押さえつけていたからではなかったか。
それではじめて、八百松のおかみさんで通るようになれたのではなかったか。
それから思えば、純子なんか恵まれすぎてる。
テルは、吾妻さん親子の話で胸の|つかえ《ヽヽヽ》がおりたし、そういえば、自分だって、半分はそう思っていたような気もしてきて納得出来た。
その日から、純子の支度はするする進んで、明日は荷物を送り出し、こんどの日曜日には式、という|はこび《ヽヽヽ》になった。
「とにかく、ちったあ、行儀をよくおし、わかったね」
テルが念をつくと、
「わかった、あ、わかりました」
と、切り口上で答えた純子の目が、すぐにダンボール箱にとまった。
「どうしたの、こんなもん出して」
と言いながら箱の方に伸ばす手を、テルがはらった。
「わかったって口の下から、すぐこうなんだから、落ち着きなさい、いやしいよ、ほんとに」
純子はふくれた。
「いやしいって、なによ」
「いいから、聞きなさい」
テルは、吾妻さんの奥さんの姿を思い出して、背筋をぴんと伸ばした。
嫁入り支度こそ、世帯なりの金にあかしたつもりだが、それだけでいいのだろうか、自分は、父親でもある。
こんな時、父親ならば、心がまえの一つも言ってきかせるのではないか。けれども、ろくに学校に行きもしなかったテルに、気のきいた口はきけない。
それならせめて、この話だけでもしてやって、親の気持というものを教えてやろう。すこしばかり、てれ臭いが、そうしよう。テルは、二、三日前から考えていた。
「これはね、みいんな、貰《もら》いもの。
いいかい、盆暮にもらった手|ぬぐい《ヽヽヽ》やら、タオルやら、婚礼によばれた時の引き出もの、香典返し。あんただって、見れば知ってるよ。
それを、かあさん、みいんな、しまっといたんだ。
そりゃあ、なかには、使おうかなってものもあったさ、けど、それは贅沢《ぜいたく》。だって、無いわけのもんじゃないんだから。
けど、新世帯ということになれば違う。手|ぬぐい《ヽヽヽ》一本だって、買わなきゃなんない。だから、あんた達《たち》のために、しまっておいたのさ」
「へええ、そうなの、これ、みんな?」
「そうだよ。それを二つにわけて、あんたと悦子に持ってってもらうのさ、で、これがあんたの分、わかったかい」
テルは、思いのありったけを言ったつもりだった。これで済んだと思った。
純子の方は、ダンボールのふたをはねて、中をのぞきこんでいる。
「これ、あの時のコーヒー・セットだ」
「そう、あんたったら、すぐ使おうって言ったけど、かあさん、しまっちまったろ」
「そうそう、おぼえてる」
「あんた、ふくれたけど、かあさん、考えてのことだったんだから」
「ふううん、……これ、なんだろ?」
純子は、子供がおもちゃ箱にとりついたように、夢中になって中味をひろげ始めた。
そうした純子の横顔をながめていると、テルは、ながい年月の実りを手にしたようで、|からだ《ヽヽヽ》が熱くなった。
そこまでは良かった。思い通りだった。それからいけなくなった。
「かあさん、じゃあ、悦子の分は別にあんのね?」
底の方をかきまわしながら純子が言った。
「ああ、あるよ、ものにもよるけど、|えこひき《ヽヽヽヽ》なしに、半分こにしたよ」
テルが胸を張るようにして答えると、一瞬の間をおいて、
「ねえ」
と純子がいやな声を出した。
その時、いやな声だ、と思ったかどうかは忘れたが、あとから思い出すと、どうにもいやな声であった。
「もっと頂戴《ちようだい》」
テルは、わが耳をうたがい、返事につまった。
「だってさ、今は半分ずつよ、でも、あたしが行っちまったあと、また、たまるじゃない、悦子の分」
テルは、息をのんだ。
「手|ぬぐい《ヽヽヽ》なんか、これでいいけど、ちょっとしたもんで、すぐいるもんがあると思うんだ、だから、悦子の分、見してよ」
それは理屈だ。テルは混乱しながらも、純子の理屈はわかった。けれど、腹が立った。理屈なだけに、いっそう腹が立った。
今夜は理屈の話じゃない。娘を嫁にやる片親の心の話だ。それを純子は、土足にかけている。
「純子」
かすれ声だった。一ト息して、声をととのえた。
「なんてこと言うの、あんたって人は」
われながら情ない調子だった。純子は、それを振りはらうようにして言った。
「だってそうじゃない、悦子が結婚するの、まだ先の話じゃない、いい、かあさん、学校出て、おつとめして、どう早くったって二年、ふつうなら五年あるわ、私がそうだもん、その間にはさ、……」
テルの目に涙がにじんだ。理屈じゃない、その気持が情ない、どうして、こうなんだろう、と思うと胸がつまる。
「泣いてるの?」
純子は、箱から身を引いた。テルは、下を向いたまま、あごで指した。
「押入れにあるよ、……悦子の分」
テルの声がふるえ、純子の声がかたくなった。
「やだなあ、そんな意味で言ったんじゃないのに」
「どんな意味だっていい、いいようにおし、って言うの」
「おこってんのね」
テルは、もう答えなかったが、それこそ煮えくりかえる思いだった。|しと《ヽヽ》の気持もくまないで、理屈ばっかし並べやがって、なにいってんだい、じょうだんじゃないよ、テルは、心のうちでわめいていた。
「変なの、そんなにおこんなくったって、いいのに」
純子は面食らったように言い、
「あたし、約束があるの」
と、|ばね《ヽヽ》をきかして立ちあがると、いそいで下に降りて行った。
やっと信号が青になり、八百松のおかみさんも大通りを渡り始めたが、ダーンと遠くの方で大きな音がした。
またなにか新聞の隅《すみ》にでものるようなことでもあったのだろうか、でも、そんなことを気にしてはいられない。
こちら側に渡れば、もう、おかみさん達の|まち《ヽヽ》だ。いつもの通り、朝の|まち《ヽヽ》の活気がにじみ始めている。
「おはようッす」うしろから声をかけて、おかみさんを追いぬいてゆく者がある。バネさんのとこの若い衆で、ヒデオとかいう子だ。
「ちょっとお」
おかみさんが呼ぶと、ケンケンを踏んで止まり、ななめに振り向いた。
「なに、いそいでんだよお」
「なんか、あったんだあ」
と、向うの方を指さした。
「なにがさあ?」
「わかんねえけどよお」
ヒデオは、返事も|はんぱ《ヽヽヽ》に、また、どんどん駈《か》けて行く。
あれだ。この辺の連中は、ほんとに弥次馬なんだから。
もっとも、うちの亭主《ていしゆ》もそうだった。小火《ぼや》だ、で駈け出すのはまだしも、犬の|さかり《ヽヽヽ》だ、ですっ飛んで行くんだから、バカバカしいっちゃありゃしない。
でも、そのかわり、さっぱりしたもんだった。
そういえば、ゆうべ遅くに帰ってきた純子も、ひとの寝顔をのぞきにきて、酔っちゃったあ、なんてケロリとしていたが、蛙《かえる》の子は蛙だ。
あたしも、いやなことは、すっぱり忘れよう。今日もこれから、なんだかんだ、いそがしいんだから。
おかみさんの顔付きが、明けてゆく空を映して晴れてきたが、それでも、もう一度、口|びる《ヽヽ》だけが動いた。
「でも、なさけないねえ……いもうとじゃないか、相手は、……バカ」
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3 築地川《つきじがわ》支流
「来た、来たっ」
朝っぱらから頓狂《とんきよう》な声をあげたのは、諸国珍味専門・岩木屋の店先で、一夜干《いちやぼ》しの城下鰈《しろしたがれい》の荷を解いていたヒデオである。
もっとも、朝といわず、いつも騒々しいヒデオだが、何が来てあわてたのか、いきなり荷をほっぽり出すと、一目散に店の奥に駈《か》けこんで、わざっと息をはずませている。
番頭格のバネさんはじめ、それぞれ注文の品揃《しなぞろ》えに追われていたみんなも、手をとめて|おもて《ヽヽヽ》の通りを見る。
店の横っ手のせまい帳場にうずくまって、引っきりなしに伝票を切っているイサムまでが、ヒデオの勢いにつられて中腰になり、|おもて《ヽヽヽ》をうかがう。
べつに、どうということもなく、|おもて《ヽヽヽ》はまだ、ぱらりとした人通りだ。
「誰《だれ》がよお?」
また荷造りに手を戻《もど》したバネさんが、ムッとした声で聞いた。
「ど・く・ま・む・し。いま、来る」
|おもて《ヽヽヽ》を見つめているヒデオが、半分は笑いながらも吐き出すように答えると、みんな銘々にいやあな顔をした。
「ふううん、そうかい」
バネさんは、|ひも《ヽヽ》を掛け終った包みの上に、錦華亭《きんかてい》様、とマジックでちょんちょん書きつけてから、渋い顔をして唸《うな》ってみせた。
やれやれ、朝っからついてねえな、今日は。あいつにゃあ、かなわねえ、よく言ったもんだよ、毒|まむし《ヽヽヽ》たぁ。
バネさんの渋い顔がふくれっ面《つら》に変わり、別の荷に手を伸ばすと、それ、おれがやります、と隣のヤスが引き取った。
そうか、そうだった。今日はいつもと違うぞ。このおとなしいヤスが、あの毒|まむし《ヽヽヽ》を退治にかかるかもよ。
バネさんは、ヤスのおだやかな黒い横顔をながめ、ついでに帳場で背を丸めているイサムに目をやると、イサムの方もこっちを向いて、指で丸を作り振って見せた。
みんなは知らないが、ヤスの|まむし《ヽヽヽ》退治、立会人はイサムとこのおれだ。
バネさんは、少しばかりドキドキした。
近頃《ちかごろ》は、この界隈《かいわい》にも、わざわざゴム長をはいたり、ジャンパーを着込んだりして、|しろおと《ヽヽヽヽ》が出はいりするようになったが、やはりこの|まち《ヽヽ》は、|くろおと《ヽヽヽヽ》の来る所だ。
その為《ため》に出来た|まち《ヽヽ》なんだから、これは当り前で仕方がない。
ことに珍味類をあつかう店は、一般の家庭の毎日の食卓には、ちと乗りかねる値|がさ《ヽヽ》の張った品を揃えているから、客筋でいえば、主人か使用人かはともかくも、包丁の使える者の来る店であって、|しろおと《ヽヽヽヽ》さん向きの店ではない。
「|しろおと《ヽヽヽヽ》さんはな」
いつかも狭い三階で、膝《ひざ》つき合わせて茶碗酒《ちやわんざけ》を呑《の》みながら、バネさんは自分の考えを言っておいた。
「物が良くって安くって、おまけにそれも少々とくるんだから、つき合いづらいよ。こっちだって慈善事業やってるんじゃねえんだから、お|馴染み《なじヽ》さんの場|ふさぎ《ヽヽヽ》にならねえよう、適当にやってくんな」
するとヒデオの|やつ《ヽヽ》が、|さきいか《ヽヽヽヽ》をくわえたまま聞き返した。
「適当って、どう適当さ?」
その答えは、新ちゃんが二番番頭格で引き取った。
普段はニコニコしておとなしいが、一杯入ったとなると人が変わり、ねっとりとからんでくる新ちゃんだ。
「適当ってのは、適当よ、当らずさわらずってことよ。ヒデオちゃん、そのくらい、わかんなくっちゃあ。
重役さんを困らせるんじゃないよ」
そこで、バネさんはカチンと来た。
重役さんはねえだろう、おれへの当てつけかい。
そりゃあアルバイトの若い者をいれても十人ちょっとのこんな店だが、岩木屋も株式会社ということになっている。
けど、それはあくまで表向きのことで、内実は、縦から横からどう見たって個人商店もいいところだ。
|おやじ《ヽヽヽ》が社長で、社長は|おやじ《ヽヽヽ》。ただ、税務署の手前がある。それでおれまで、取締役ということになってるだけだ。
それを知ってて新ちゃんが、今更みんなの前で、重役さんもねえもんだ。
そうかい、新ちゃんは、心の底の底じゃあ、そんなことにこだわってんのかい。
でも、それはねえよ、おれだって、新ちゃんだって、イサム、ヒデオ、ヤスだって、みんな岩木屋に流れついた奉公人だ。
揃いも揃って学校の好きな方じゃあない。
本物の会社に就職出来るような学校へ行った|やつ《ヽヽ》なんか、一人もいやしない。
ただ、働かなくっちゃいけないし、働くことは嫌《きら》いじゃない。だから一生懸命、働いているんで、その点なら世間の誰にも引けはとらないし、てんでんの|おまんま《ヽヽヽヽ》のためにも店を盛り立てようって、|なかま《ヽヽヽ》を組んで働いてるんじゃないか。
|おやじ《ヽヽヽ》には、しみったれた所もあるが、店を開いてここまで持ってきたのは、やっぱし|おやじ《ヽヽヽ》だし、だいいち、店は|おやじ《ヽヽヽ》の物だ。
大きな会社なら、組合作って駄々《だだ》もこねられようが、こんな店でそんなことしてみろ、待ってましたと得意を取られて、一遍につぶれちまわあ。
だからこそ、おれが矢面《やおもて》に立って、言いにくいことも言って、|おやじ《ヽヽヽ》と渡り合ってきたんじゃないか、双方の為なんだから。
それを重役さんなんて、妙な言い方はねえだろう。
それに、今日の|しろおと《ヽヽヽヽ》の話にしてからが、実は、新ちゃんあたりが、|しろおと《ヽヽヽヽ》の奥さん達《たち》につかまって、ちっとばかり鼻の下をのばして、|からすみ《ヽヽヽヽ》の良し悪しの講釈を始めて、お馴染|み《ヽ》さんを待たせたりしたから言ってみたことなのに。
とはいうもんの、新ちゃんは、悪い酒だからなあ。
バネさんは、のど元まで出掛かった言い分を、酒と一緒に呑みこんだ。
以来、若い連中は、バネさんの言った適当を、|しろおと《ヽヽヽヽ》さんが何を言っても、正札通りの値を言って、あとは逃げの一手と心得たし、新ちゃんたち古顔は、|はかり《ヽヽヽ》を甘くしたり、|はした《ヽヽヽ》を切り捨てる|ふり《ヽヽ》をして、|しろおと《ヽヽヽヽ》さんには、お早くお引き取りねがっている。
しかし、その|くろおと《ヽヽヽヽ》と|しろおと《ヽヽヽヽ》の間に、半|くろ《ヽヽ》というか、半|しろ《ヽヽ》というか、どっちとも言えない曖昧《あいまい》なのが居ないわけでもない。
あの毒|まむし《ヽヽヽ》も、そういった曖昧な一人のようだった。
「おれンとこの食堂はねえ」
バネさんが初めて岩木屋の店先に立った毒|まむし《ヽヽヽ》と、口をきいた時の|ぶっつけ《ヽヽヽヽ》である。
「ほう、食堂ですか」
いかに初顔とはいえ、食堂と聞かされては、バネさんも慎重にならざるを得ない。
たとえ少々の注文でも、食堂ということなら途切れない。|あきない《ヽヽヽヽ》は牛の|よだれ《ヽヽヽ》で、そういう客は、ありがたい客で、ふやしたい客だからだ。
「そう。それがさ、口のおごったやつが多くてね、すこうし手を抜くと、横を向いちまって手をつけないんだから」
「そうでしょうなあ」
バネさんは、わかったようでわからない話に、まずは当りさわりのない|あいづち《ヽヽヽヽ》を打って見せた。
太って背は低いが、色の白いせいか、唇《くちびる》の赤さがやけに目立つ五十がらみの男だった。
もう半年ほど前のことである。
「だからね、材料から|ぎんみ《ヽヽヽ》してかからなくっちゃあ」
「いや、それだったらまかして下さい。大将に恥をかかせませんよ」
バネさんが軽くいなすと、笑顔の男はなれなれしくバネさんの肩に手をまわして、
「あんたァ、いいこと言ってくれるよねえ、そうこなくっちゃあ」
と、いきなり嬉《うれ》しがって見せるので、すかさずバネさんは切り込んだ。
「で、今日ンとこは、なんにしましょう?」
「そうねえ……」
男はバネさんを引き連れた|かっこう《ヽヽヽヽ》で、路《みち》にはみ出した置き荷からケースの中の品物まで、一つ一つ名をたしかめて値を聞いた。
「この都桜っての、なに?」
「これすか、京の白味噌《しろみそ》で」
「そお、白味噌なの。甘いんだよね、この手は」
そうかあ、こいつぁ商売人じゃあねえな、京の白味噌をつかまえて、甘えもねえもんだ。バネさんは、少々、拍子抜けしながらも、相手を見抜いたが、その時はもう遅かった。
男の口から、途切れることのないムダ話の糸が、次から次と吐き出されてバネさんにからみつき、途方に暮れる羽目になった。
「ねえ、味噌なら、信州か仙台《せんだい》だよね、合わせるとまた格別だ。ありゃあ、いい。
こないだもさ、松本まで遊びに行った帰りにね、一ト樽《たる》、買ってきたんだけど、いやあ、うまかった。
モモセってとこ知ってる? ほら、松本のちょっと手前の、あるじゃない、知らない、そう、でもいいや。
そのモモセから、山の方ってのか、こっちから行けば、左っかわ、南がわかな、そっちに入ったとこのね、ちっぽけな村なんだけど、うちのカミさんの友達の|さと《ヽヽ》、実家があるんだ。
カミさんが|おどり《ヽヽヽ》、日本舞踊やってるじゃない、そこで知り合いになった友達なんだけどね、これが四十過ぎて、まだ独《ひと》りもんってやつ、近ごろ多いよね、そういうの。
それがさ、一度、寄ってみろ寄ってみろって、うるさくってしようがないからね、行っちゃあみたんだけど、おどろいたおどろいた、いやあ、広い|うち《ヽヽ》でね、おまけに、じいさん、ばあさん、それに子供もいっぱい居て、にぎやかだったら、ありゃあしない。
あとで聞いたんだけど、信州でも長寿村のひとつなんだって。やっぱし、あすこまで行くと、空気もいいんだねえ。
|ひるめし《ヽヽヽヽ》も御馳走《ごちそう》になってさ、馬刺《ばさ》しが出てね、これがさっぱりしてうまかった。あんた、仲町の|けっとばし《ヽヽヽヽヽ》、行ったことあるでしょう、そう、ないの、一度、行くといいや、でもね、あすこの馬刺しなんか目じゃないね、そりゃあ、うまかった。
でさ、その帰り道、いや、ひどい目に会った。高速に上がってから、そう、ものの一キロも行ったかなあ、ガード・レールにぶつかっちまって、ガーン」
途切れそうになるとまた盛り返す|けったい《ヽヽヽヽ》な話に、バネさんは面食らったが、それでも、驚いてみせる|ゆとり《ヽヽヽ》がまだあった。
「そうすか、そいつあ、いけませんねえ」
「そうなんだ、それがまた、ばかな話。というのはね」
男は、伝書|鳩《ばと》を飼っているのだと言う。そして、遠出の時など連れて行くのだが、籠《かご》なぞには入れず、車の中で放し飼い。その時も、二羽を放しておいたそうだが、その二羽が運転中の男の足|もと《ヽヽ》で喧嘩《けんか》をはじめ、足にからみつくので、つい右手で引きはなそうとするうちにハンドルをとられ、ガーンという騒ぎになったのだそうだ。
なるほど馬鹿《ばか》な話に違いなかったが、それからまた、話があらたまってしまった。
すっかりくつろいでケースにもたれた男は、十年前からの友達のような顔をして、鳩の飼い方のお談義を始めたのだ。
まずは、子供の時分から、鳩とどう親しんだかを皮切りに、バネさんが聞いたところでどうしようもない話を繰り出してくる。
バネさんは気が気でない。もう二十分近くつきあって、店の時計は八時をまわり、これからが|かき《ヽヽ》入れで、ぼちぼちお馴染|み《ヽ》の顔も見え出したし、店の者は店の者で、せかせか動きまわりながら、なに話しこんでるんだ、と言わんばかりに、ちらちらバネさんの方を見ては、また目をそらす。
「傑作なんだ、その鳩が取りもつ縁で、女房《にようぼう》と一緒になっちまったんだから、それというのがさ」
冗談じゃない、今度は女房の話かい、あわてるバネさんの目に、八潮の板前の姿がうつった。|もっけ《ヽヽヽ》の幸とはこのことである。
「すいません、旦那《だんな》。ちょいとお待ちを」
いよいよ女房との馴れ染めを、話してやろうという男の出鼻を、やっとおさえたバネさんは、逃げるようにして男からはなれた。
八潮の板前はおしゃれな男で、今日は糊《のり》のきいた青シャツ、手をポケットに突っこんだまま、スッポンの箱をのぞきこんでいる。
「西さん、おはよう、お茶のみに行こうや、話もあるし」
バネさんは小声で西さんに呼びかけ、
「今日のは、痩《や》せてるよなあ」
という不平ったらしい西さんの文句は聞き流して、そっと鳩の好きな男の方を見てみると、ニコニコしながら、バネさんから目を放さない様子だ。
話が中途で、|あと《ヽヽ》が聞きたいでしょう、もどって来たら話したげる、こっちは急ぐ旅でなし、とでも言いそうな顔付きである。こっちはゾッとする。
しようがねえ、バネさんは男の|そば《ヽヽ》にもどり、
「すいませんねえ、旦那。ちょいと用が出来ちまって、出かけますんで」
と、不得手で下手なウソをついた。
「あ、そう、行ってらっしゃい。また、こんどね」
男は素直だったが、それは文句だけで、また始まった。
「そうそう、あんたんとこ、若布《わかめ》、あったかな?」
「あります」
「ある、よかった、うちではね、鳴門のね」
「おおい、ヒデオォォ……」
バネさんは、正に|ね《ヽ》をあげた。
「こちらさんにな、若布、お見せして」
と、男をヒデオに押しつけ、西さんの|いき《ヽヽ》なシャツを引っぱり、ほうほうの|てい《ヽヽ》でアスナロに逃げ出した。
人ひとりがやっとこという急な階段を、地下に降りてアスナロに入ったバネさんは、あいた席に坐《すわ》ると|あくび《ヽヽヽ》と一緒に大きな|のび《ヽヽ》をしながら、つくづくと言った。
「いやあ、まいった、まいった」
「そうかい」
西さんは、|おしぼり《ヽヽヽヽ》で丹念に手を拭《ふ》き、ついでに気の無い生返事をする。
「いや、どうもこうもねえんだ、おしゃべりな客につかまっちまって、まいったよ。それがもう、並大抵のおしゃべりじゃないんだから」
「災難だったな」
「そうなんだ。なにしろ、相手かまわず手めえの話を、べらべらべらべら、のべつ幕なしにしゃべりゃあがって、放しゃあしねえ。うちのカミさん、踊り、やってるだろ、ってこうだ。今日、初めて会って、そんなこと知るかい、……おどろいたよ」
「……いるぜ、そういうの」
「そうかなあ、でも、ひどすぎるよ」
「なにやってんだ? そいつ」
「わかんねえ……食堂たあ言ったけど」
「どんな?」
「さあ」
「どこで?」
「さあ……とにかく、こっちにゃあ、しゃべらせねえんだから、見当がつかねえ」
「御立派だな」
「ああ、御立派もいいとこ」
ママがコーヒーを運んできた。
「赤羽さん、顔、青いんじゃない」
「ほんとかい?」
バネさんはすぐ脇《わき》の、鏡の壁で顔色をたしかめたがそうでもない。
ま、ムードってやつを変えるこった、アスナロのコーヒーは、とくにうまいわけではない、うまいのが飲みたければ、スコットだ。
でも、なんたってアスナロは目と鼻のさきだし、調度はくたびれてるがいつも坐れるし、ちっとばかり気取った音楽を流しているスコットよりは、気楽なとこが取得だ。
バネさんは、|おひや《ヽヽヽ》のお代わりを頼んでから、来しなに帳場のイサムから受け取った白封筒を、|なに《ヽヽ》気無く西さんに渡した。
西さんも|なに《ヽヽ》気無く受け取り、二つに折るとズボンのうしろのポケットに突っこんで、ボタンをかけた。
割|りもどし《ヽヽヽヽ》、今風に言うリベートだ。
それで、話というやつは終りで、あとは世間話になるのが順である。
ところで、岩木屋の|おやじ《ヽヽヽ》は、割|りもどし《ヽヽヽヽ》というのがきらいである。いい顔をしない。
いつも税務署から文句をつけられ、税金がかさむ。もう、こういう古いやり方はやめよう、なんて言う。
でもバネさんは、言うことをきかない。それじゃあ、板前たちが|よそ《ヽヽ》の店に散ってしまうのは、目に見えているからだ。きょう日、岩木屋にしか無い、なんて品物のあるわけがない。なのに岩木屋で買ってくれるのは、割|りもどし《ヽヽヽヽ》のお蔭《かげ》なんで、|ほか《ヽヽ》の店だってやってる。
それなら、その分、値引きでどうだ、向うさんにもいいし、税務署だって通る、とどっかで聞いてきたらしいことを|おやじ《ヽヽヽ》は言う。
そうじゃあない。それじゃあ、板前の|ふところ《ヽヽヽヽ》に一銭だって入らない。
だから、こればっかしは、どうしようも無いことだ。こんなこと、日本中、上から下までやってることじゃないのか。
それで、うまくやっていけてるなら、よしとしなきゃあ、しようがないんじゃないか。
ぶつくさ言うものの、おやじだって貧乏してるわけではなし、おれ達だって、毎|とし《ヽヽ》、少しずつとはいえ給料もあがってる。
それに、板前の方にしたってそうで、割|りもどし《ヽヽヽヽ》で|うち《ヽヽ》を建てたなんて、聞いたこともない。西さんにしたって、二十年から安い給金ではたらいて、やっと板長《いたちよう》になったんで、なったらなったで金もいる。
だいいち、割|りもどし《ヽヽヽヽ》って手は、おやじが店を開いた時からの仕来《しきた》りで、その手口をバネさんが引きついだまでだ。
それを、税務署に痛めつけられたからって、今更やめようなんてバネさんに持ちかけるのは、見当違いもいいところだ。
いつかも、その話からむしゃくしゃして、庄寿司に行って大分引っかけた揚句、丁度、来合わせた吾妻《あずま》先生に、割|りもどし《ヽヽヽヽ》の|からくり《ヽヽヽヽ》をぶちまけてしまった。
子供の塾の先生にこぼす話じゃなかったが、なにしろ口の堅い人と信じこんでいるもんだから、ついついぼやいちまった。
ねえ、先生よお、世の中、理屈だけで通るもんですかよお、なんて息巻いた。
先生は、相変わらずおだやかなもんで、水清ければ魚すまずとか、そんな話をして慰めてくれた。
バネさんと西さんは、かれこれ二十分ほどアスナロでおしゃべりしてから別れた。
そして店に戻《もど》ったバネさんは、我と我が目を疑った。
店先で奈良《なら》の支那梅をつまみ、新ちゃん相手に話しこんでいるのは、まぎれもないあの|おしゃべり《ヽヽヽヽヽ》だったからである。
男の目をさけるようにして、店の奥にずり込んだバネさんは、ヒデオをつかまえた。
「あいつ、まだ居るんか」
「そうなんだよお、おれ、とっつかまえて、どこで生れた、八戸《はちのへ》なら行ったことがある、どうしたこうした、ぐだぐだくっちゃべって、もう、げんなりよ。
とっても適当なんてわけにいかねえ、新さんに代わってもらったけど、誰《だれ》よ、あれ?」
もちろん、バネさんに返事の出来るわけもなく、ただ、そこら中を片づけては、時々、男の方をのぞいてみるだけだった。
結局のところ、男は、小一時間ほど店先で|とぐろ《ヽヽヽ》をまき、蒲鉾《かまぼこ》三枚を買い、
「じゃ、またね」
と、ニッコリ手をあげて消えた。
昼の仕出し弁当を食べながら、みんなの話は、当然、あの男のことになった。
さすがの新ちゃんも、すっかり閉口したようで、
「くどいにも、限度ってものがあらあ、ありゃあ、行き過ぎだ」
と曇った顔をしてみせたが、くどい方では|ひけ《ヽヽ》をとらない新ちゃんだけに、若いもんをクスリと笑わせた。
笑っていられないのはバネさんで、
「今度っから、相手になるな、用件だけで突っ放すんだ」
と、至極あたり前の結論を掃いて捨てるように言った。
四、五ン日《ち》して、また、あの男がニコついた顔を見せた時、岩木屋の連中は、いつもに輪をかけてせわしく動き回り、男がなにか問いかけても聞えない|ふり《ヽヽ》をし、よんどころないおたずねには、「キロ、三千円」とか、「|もろみ《ヽヽヽ》よ、四国の」とか、木で鼻くくったお答えをして逃げまくり、取りつく島の無い男は、やがて白けた顔色になり、ふわふわとした足取りで帰って行った。
そこをヒデオが、はしっこく跡をつけ、今度は、海苔屋《のりや》の高見さんとこに寄り、旦那と話しこんでいるのをつきとめ、やがて旦那の口から、男の身元のようなものを聞きこんで来た。
高見の旦那は年寄りだし、海苔屋というのは、そうそう目まぐるしい商売ではないので、あの男を苦にはしていないようだったが、それでも、よく舌の回る人だね、と言ったそうだ。
男は、なんでも千住《せんじゆ》あたりで工場をやっているそうで、そこの工員たちの給食の買い出しに来るのだ、とわかった。
「高見さんで、なに、買うんだ?」
バネさんがつっこむと、
「パックの味付け|のり《ヽヽ》だってさ、それも徳用の。ほら、封切るとグッタリしちゃうペラペラのがあるじゃないか」
と、抜け目の無いヒデオらしく、それも聞いては来たが、ともかく、|しろおと《ヽヽヽヽ》に毛の生えたシケた買い出しで、いくらでもヒマの作れる身の上とわかった。
「ま、今日みたいにお帰りねがおう」
バネさんは、その一ト言で片をつけたつもりだったが、そう簡単に問屋がおろさなかった。
また一週間ほどして、ついに、あの男に毒|まむし《ヽヽヽ》の異名をたてまつる事件が起ったからである。
週休二日とやらがふえて以来、この|まち《ヽヽ》の混《こ》みようも変わって、金曜の午前中がごたつくようになった。それで、手がすいていれば、二階で帳簿を付けている千代子さんも店先に立つ。
千代子さんは、ここの|おやじ《ヽヽヽ》の遠縁に当たるとかで、もう五十を越したが、役所づとめの御主人との間に子供もなく、痩せぎすなからだつきも手伝って、|とし《ヽヽ》には見えない。
なにせ女のことで、そうそう役には立たないが、猫《ねこ》よりは|まし《ヽヽ》である。
みんなで、助かるよう、なんておだてるものだから、千代子さんも楽しそうに店に出てくる。
その金曜日も、帳簿の方に一ト区切りつけた千代子さんが出てきたが、頃合《ころあ》いがまずかった。
女と見てか、いつもよりニコついた例の|おしゃべり《ヽヽヽヽヽ》が、あっという間に千代子さんをつかまえていた。
千代子さんは、男のこれまでのことを聞かされていない。
岩木屋の一同が、あれっと気のついた時は、もう二人は笑顔で、身ぶり手ぶりを混ぜながら、|やりとり《ヽヽヽヽ》を始めていた。
でも、千代子さんだって、結構、おしゃべりの好きな方だし、なんたってかんたって女のことだ、なんとかなるだろう、うまくすると向うが逃げるかな、という望みは、みんなが持った。
話がはずんでいるらしい。時折、千代子さんが、|からだ《ヽヽヽ》を折って笑い、男の方は、そりっ返って笑っている。
いたずらなヒデオが、ちょろっと二人のうしろに回ってみると、こんな立ち話が耳に入った。
「……いい奥さんじゃありませんか」
「そうなんだ、それはそうなの」
「文句言って、|ばち《ヽヽ》が当たりますよ」
「でもさあ、男には男の|つきあい《ヽヽヽヽ》ってのがあるの、だから、|へそ《ヽヽ》繰りがいるわけ」
「そこんとこがちょっとねえ」
「だいたいさ、男ってどこに隠すと思う? おねえさん」
なにがおねえさんだ、ババァつかまえて、よく言うよ。ヒデオは、|どぶ《ヽヽ》のところへ行って|つば《ヽヽ》を吐いた。
十分たち、十五分たち、そして二十分もたつと、やはり千代子さんに変化があらわれた。
笑いが薄くなり、そわそわし出して、ほかの客とも受け答えするようになったが、そのたびに男は、千代子さんのうしろにくっついて話を聞き、なにか口をはさみ、客が行ってしまうと、また千代子さんに話しかけるといった案配で、それが二度、三度と重なると、千代子さんの顔がこわばってきて、泣き出すんじゃないか、と思えるまでになった。
バネさんはこれまでと思い切って、奥からどなった。
「千代ちゃん! 二階で電話が鳴ってるう、だめだ! おしゃべりしてちゃあ」
電話なら下に切りかえてあって、鳴るはずのないことを知っている千代子さんは、一瞬、キョトンとしてバネさんを見つめたが、バネさんの目付きでそれとわかり、
「すいませえん……」
と高い声であやまり、足早に奥に引っこんで二階へあがろうとしたが、足がもつれたらしい、中途で階段を踏みはずし、向|うずね《ヽヽヽ》をおさえてへたりこみ、バネさんにかかえられて二階へ消えた。
「千代ちゃん、言っとかなかったけど、あいつ、ダメなんだ、相手にしちゃあ」
事務机にうつぶして痛みをこらえているらしい千代子さんは、息をつめたまま返事も出来ない。
「さ、足、出しなよ」
バネさんは、蓋《ふた》の馬鹿になった救急箱を持ち出して、血のにじんだ千代子さんの向|うずね《ヽヽヽ》を消毒し、|ばんそこ《ヽヽヽヽ》を貼《は》ってやった。
「すいません……あんなにしつっこい人と……知らなかったもんですから」
「だろう……すごいんだから」
千代子さんは急に立ちあがって、|びっこ《ヽヽヽ》を引き引きトイレに入った。
バネさんが下に降りようとすると、千代子さんが、トイレでもどしている気配がわかった。
その日、千代子さんは、それから小高医院に行き、タクシーを拾って早引けした。
三時すぎ、バネさんがとなりの千代子さんの机の上を片づけてやっていると、イサムとヒデオとヤスの三人が、きちんと身支度して顔を見せた。
「バネさん、帰るよ」
年|かさ《ヽヽ》なりに兄貴分のイサムが、二人の分も合わせて口をきいた。
「おう、御苦労さん……つるんで、どっか行くんか」
「ちょいとね」
イサムが、コップを上げ下げする手つきをして答え、それから真顔になった。
「なんか言ってきた? 千代子さん」
「ああ、心配ねえそうだ。先生は食|あたり《ヽヽヽ》だろうって、薬くれたそうだが、当人は思い当たらねえとよ」
ヒデオが、ピタンと指を鳴らした。
「あいつに当たったのよ、すげえもんだ、向|うずね《ヽヽヽ》に噛《か》みついて、ゲロはかすんだから」
「向|うずね《ヽヽヽ》?」
配達に出ていて、その場に居合わさなかったヤスが、黒い顔をかげらして聞いた。
「知らねえの? |はしご《ヽヽヽ》段でけっつまずいて、向|うずね《ヽヽヽ》切ったのさ」
「吐いたって聞いたけど?」
「それはあと、まず向|うずね《ヽヽヽ》さ」
ヤスは、ヒデオの解説を聞くと、ゆっくり首をねじり、窓から目の下の埋め立てられてゆく築地川の支流を見おろしていたが、
「そんなら、|まむし《ヽヽヽ》だ」
と呟《つぶや》いた。
ヤスは、この店で一番の無口、黙々という言葉通りに仕事を片づける。
手早い方とは言えないが、それは丁寧にやるからで、バネさんは、うるさい得意の納品になると、出来ればヤスに頼む。
ヒデオだと、時に、|ちょんぼ《ヽヽヽヽ》をやりかねない。
「なんだい、|まむし《ヽヽヽ》って」
ヒデオが聞いた。ヤスはうつむいて、自分の足に目を落とした。
「おれも子供ン時、|まむし《ヽヽヽ》に、向|うずね《ヽヽヽ》噛まれてさ」
みんな、黙った。
「それから、吐いてさ」
「……そうか、それだ、あいつは毒|まむし《ヽヽヽ》だ」
ヒデオがけたたましく叫び、みんなで笑い、行こう、とイサムが声をかけて三人は出て行った。
それからも毒|まむし《ヽヽヽ》は、天災同様、忘れたころになるとやって来た。
ただし、バネさんが電話にかこつけて千代子さんをどなったのがきいたらしく、以前とはちがって、あまり口をきかず、うつむき勝ちに用件を言い、少々のものを買って帰る。
毒|まむし《ヽヽヽ》の買った品物は、かわいそうに邪険にあしらわれて包まれた。
「ま、結構なこってす」
新ちゃんは、そんなことを呟いて、おとなしくなった毒|まむし《ヽヽヽ》を見送ったが、その結構が三月とはもたず、今度は、変|てこりん《ヽヽヽヽ》な営業妨害を始めたのだから、迷惑どころか、|こと《ヽヽ》である。店の者でなく客をつかまえる、それも、商売人を選んでつかまえる。
馬鹿ではないとみえて、ちゃんと商売人と見抜き、すり寄っては何だかだと聞いた上で、自分もそっちの方だとにおわし、|れい《ヽヽ》のおしゃべりに引きずりこむのだ。
つかまった方は初対面だから、なれなれしいとは思っても、初めは丁重に構えるが、やがて茫然《ぼうぜん》とし、最後にはおこった。
おこるといっても、毒|まむし《ヽヽヽ》におこるのでなく、岩木屋の誰かにおこるのだ。
「なんだ、あいつ」
と新ちゃんはにらまれ、
「一体、どうなってんだ」
とヒデオは小突かれ、
毒|まむし《ヽヽヽ》から大根の煮方を教えられた新泉楼のおやじさんは、
「この店は、あんな馬鹿野郎まで相手にすんのか、見そこなったぞ」
と真っ赤になってバネさんに詰め寄る始末で、毒|まむし《ヽヽヽ》に噛まれたお得意さんをなだめるのに、みんな、ふうふう言うようになった。
バネさんが、八潮の西さんとその手下の若いのと三人で、アスナロでコーヒーを呑《の》んでいると、吾妻先生が控え目に入って来た。
バネさんは二人にことわって、隅《すみ》の席に入って備えつけのマンガ本を読み出した先生のとこに行った。
「や、先生。おはようございます。いつも、ツトムのやつが、すいません」
バネさんとこの男の子も、週二回、吾妻先生のとこへ行って、勉強を見てもらっている。
「あ、おはようございます」
先生は、いつ逢《あ》ってもおだやかで、気分がいい。これで|からだ《ヽヽヽ》さえ丈夫なら、こんなとこで鼻|たれ《ヽヽ》の相手なんかしてる人じゃない。
「先生、マンガ読むんですか?」
「ええ、面白《おもしろ》いですよ。それに読んでませんとね、子供たちと話の通じないことがあるんです」
「へええ、そういうもんですかねえ」
バネさんは、えらいな、この人は、と感心したが、今日は、そんなこと言っちゃあいられないと気を取り直した。
頭の|うしろ《ヽヽヽ》を、ひとつ引っぱたいたバネさんは、毒|まむし《ヽヽヽ》退治についての相談を持ちかけた。
なにしろ京都の大学の、そのまた上の大学インとやらに行った人だというんだから、法律のことだって、おれたちより詳しいにちがいないし、法律でなくったっていい、なんか名案というものがありそうだ。
バネさんは、毒|まむし《ヽヽヽ》なる岩木屋の邪魔物について、事の初まりから一部始終を語り、|ため《ヽヽ》息をついた。
「なんとかなりませんかねえ、お得意さんのひとりびとりに、ふれ回って歩くわけにもいかねえし、ほんとに弱ってんですよ」
先生は首をかしげた。
「むずかしいでしょうねえ」
「やっぱり」
「じゃないですか。歩き回るのも、話しかけるのも、違法とは言えないでしょうし」
「でも、被害は受けてんですがねぇ」
「……無形のね、そういう無形の被害って、いろいろありますからねぇ」
先生まで、|ため《ヽヽ》息をついてくれている。
「|はた《ヽヽ》迷惑って言葉があるくらいですから、人が集まれば起ることの一つなんでしょう。一軒の|うち《ヽヽ》の中だって、なにかしらありますものね」
「|うち《ヽヽ》ン中にもねぇ、……そうだなぁ」
バネさんは、娘の由美子のことで思い当たる。
高校を出て会社に勤め、二タ月もたつと帰りが遅くなり出した。バネさんは朝が早いから、九時前後には寝るのだが、由美子が居ない。家族の中でひとり欠けているな、と思うと寝つけない。うとうとして、やっと帰って来たなと思うと、自分の部屋でテープを鳴らす。うるせえ、とどなると小さくはするが、それでも、ダンダカ、ダンダカという心臓の音のような拍子が伝わってくる。
こないだ、親子四人で話し合ったら、由美子は、別に部屋を借りたいと言い出した。
好きなものを聞く自由ぐらいはある筈《はず》、と言う。それなら、早く帰ってきて、早いうちに聞け、と言ったら、|つきあい《ヽヽヽヽ》があるって言う。|つきあい《ヽヽヽヽ》? なんの|つきあい《ヽヽヽヽ》だ、とバネさんが力んだら、お父さん、|つきあい《ヽヽヽヽ》って知らないの、って小生意気な|つら《ヽヽ》をしたんで、ひとつぶんなぐり、ふたつ目が、間に入ったかみさんに当たり、それ以来、赤羽一家は、冷戦という状態に入って、少くともバネさんと話す者は居なくなった。
ほんとに面白くないこの頃である。
「赤羽さん、毒|まむし《ヽヽヽ》ってあだ名がついたと言われましたね?」
吾妻先生の笑いながらの質問に、バネさんは、にがい連想から我にかえった。
「そうなんす」
「それで思い出したのですけど、沖縄《おきなわ》や奄美《あまみ》に、ハブって毒蛇《どくへび》がいますね」
「ええ、ええ、ハブってね」
「あれも、|まむし《ヽヽヽ》の仲間だと思うんですが、それをマングースってイタチの一種が食べてしまうでしょう」
「そうそう、テレビで見ました」
「ああいうのを、ハブの方に言わせると自然敵って言いますね、天敵とも言うけど」
「テンテキねえ」
「そのおしゃべりさん、毒|まむし《ヽヽヽ》さんですか、その人を食べちまうような、いや退治するような天敵、要するに、寄せつけない何かがありませんか?」
「……寄せつけない何か、ねえ……」
すぐに、バネさんはあきらめることにした。
毒|まむし《ヽヽヽ》とは言ったもんの、それは|あだ《ヽヽ》名で、あの男は蛇じゃない。それを食べちまうなんて、突《と》っ拍子もないことを言われたってどうしようもない。やっぱり、先生は先生だ、持ちかけた|おれ《ヽヽ》がいけない。
「よく考えてみます、すいませんでした」
バネさんは話を切りあげた。
「お役に立ちませんで。でも……なんか、その毒|まむし《ヽヽヽ》さんにも、天敵のようなものが、きっとありますよ」
先生は、マンガ本を閉じて宙を見つめ、まだ、そんなことを言っている。
マンガの読み過ぎだ、バネさんは西さんたちの席にもどった。
夕方、バネさんが帰ろうとして店を出ると、ばったり、湯道具をかかえて帰って来たヤスにぶつかった。
ヤスは、岩木屋の三階の三段ベッドに寝とまりしている。もう二人、若い者も一緒で、ヤスは、住み込みの元締めというところだ。
「風呂《ふろ》か」
「ええ」
「ちょうどいい、つきあえや」
二人は、夕焼けの見通せる門跡橋を渡り、|かど《ヽヽ》の|もつ《ヽヽ》焼き屋に入った。
十人は坐《すわ》れるカウンターには、まだ一人しか先客が無い。珍らしい日だ。
バネさんは二級酒を呑み、塩の|もつ《ヽヽ》焼きをむしゃむしゃ食べながらしゃべり、ヤスは手酌《てじやく》でビールをあけ、タレの|もつ《ヽヽ》焼きをゆっくり噛んだ。
バネさんが三本目を頼んだころから、話が行きつくところに行きついた。
毒|まむし《ヽヽヽ》の話だ。
「野郎、今日も来やがったなあ、……あのおとなしい梅豊さんつかまえてさ、……でも、十分ぐらいで済んだな、今日は。はらはらしちゃうよ……もうお手上げだ、どうしようもねえ」
その時、めずらしくヤスが、きっぱり言った。
「こんど、おれ、相手します」
「なにい」
ヤスが答えないので、バネさんはあわてた。
「相手するって、おい、ヤスよ、……お前、喧嘩《けんか》売ろうってンじゃねえだろうな」
ヤスは首をふったが、バネさんは、ヤスが牛のように見えた夜のことを思い出した。
|おととし《ヽヽヽヽ》だったか、店の慰安旅行で温泉場に行った夜のことだ。
岩木屋様御一行のちんまりした宴会が、それでも騒がしくなり、新ちゃんが年増《としま》芸者相手に拳《けん》を打ち、若いもんは|めし《ヽヽ》の一杯もかっこんで町へ出ようというおきまりの頃合いになって、真っ先に廊下へ出て行ったヒデオが、ほかの団体客の一人と喧嘩をはじめ、向うのパンチがうまくヒデオの|あご《ヽヽ》に入って、のびちまった。
それまでは、止めに入っていたらしいヤスが、ヒデオののびたのを見るや、突然、相手の肩を両手でがっちりつかんだ。
そこから、バネさんは見ている。
肩はおさえられても相手の両手は自由だから、ポカポカ、ヤスの頭をたたく。
しかし、それは見た目で、やはり肩をおさえられているから、力は弱い。
ヤスは、相手をつかまえたまま、しっかりしっかり押してゆく。相手は後ずさりしながら、相変わらずポカポカやるが、廊下を七、八間、押されていって、行きどまりの砂|ずり《ヽヽ》の壁に押しつけられた。
相手のポカポカが間遠になり、目が白くなった。見ると、それまで肩をつかんでいたヤスの手が、相手の|のど《ヽヽ》のところにずれて締めあげている。
バネさんたちは、そこで初めてヤスに飛びつき、二人を引き放したが、相手はくず折れてハアハア言うばかり。
二百人からの向うの団体の幹事役なども、すっ飛んでは来たが、すぐに話はついた。
まずは、酒の上であること、したがって、お話にならないことから始まったこと、そして、こっちは|かし《ヽヽ》の者であり、向うは銀行の支店の連中であること、それで終りであった。
翌日の朝|めし《ヽヽ》の時、給仕に出た女中さんが、新ちゃんの誘導尋問に引っかかり、|たち《ヽヽ》の良くない団体のベスト・スリーをしゃべっちまった。
一に役人、二に教員、三、四が無くって五に銀行、ということになるらしい。
「そおれ見ろ、向うからインネンつけてきやがったんだ」
|ゆうべ《ヽヽヽ》やられたヒデオが大声をあげると、イサムが笑ってたしなめた。
「そういうことがあるから、喧嘩の仕方、おぼえとくんだな、ヤッちゃんに教えてもらいな」
そうだ、その通り、バネさんはうなずいた。ヤスの喧嘩っぷりは見事だった。
ありゃあ、牛だ、牛みてえな野郎だ、ふだんはおとなしいが、やるとなったら、テコでも動くもんじゃあねえ。
三本目をコップにあけて、半分ほどあおったバネさんは、一ト息入れてから言った。
「ヤスよ、いくら毒|まむし《ヽヽヽ》だからって、喧嘩はいけねえよ、それで済むなら、おれがやってらあ、……わかるな」
ヤスは、うっすらと笑った。
「しません、喧嘩は」
「そうか、……で、どうすんだ?」
「話、つけます」
「来ないでくれってか」
「いいや」
「じゃあ、なんだ?」
「おれ、二度ほど、|まむし《ヽヽヽ》さんと話しました」
「それで」
「あの人の奥さんも、久慈だそうで」
「ほんとか、おい」
久慈は、バネさんとヤスの故郷である。
「ちょっとだけど、居たことがあるって言ってました」
「お前が先に、久慈だって言ったんだろう」
「そうだったかなあ」
「そうだよ、きまってらあ、いい加減なこと言っちゃあ、引っかかり付けるんだから」
「でも、何かあったら相談にのるって」
「相談するんか」
「ええ」
「来ないでくれか」
「いや」
「じゃあ、何を」
「…………」
ヤスは答えなかったし、バネさんにも酔いが回って、それ以上、|だんまり《ヽヽヽヽ》のヤスの口を割らせる根気がなくなっていた。
「来たっ」とヒデオが声をあげ、奥に駈《か》けこんで、「ど・く・ま・む・し、いま、来る」と告げ、みんながいやあな顔をしたその朝。
バネさんと、バネさんからヤスの|まむし《ヽヽヽ》退治の決心のようなものを聞かされていたイサムの二人が、何が起るかを期待するうちに、「いやあ」とでも言いたげな毒|まむし《ヽヽヽ》の、ニコついた鎌首《かまくび》が店先にあらわれた。
バネさんは、並んで荷をまとめているヤスを、横目でのぞく。
ヤスは、いつもと変わったところもなく、合い鴨《がも》を包みおわると、若竹さん行きの籠《かご》におさめ、伝票と品物をたしかめてから、頭をあげた。
そして、ゆっくり店先を見渡し、明石《あかし》の鮹《たこ》の頭を突っついている毒|まむし《ヽヽヽ》をみとめると歩き出した。
バネさんは腕を組んで、ヤスの|うしろ《ヽヽヽ》姿を見送り、帳場のイサムは、そろばんをカチャカチャ揺すってヤスを見守った。
毒|まむし《ヽヽヽ》のところへ真っ直ぐ近づいたヤスは、一言、二言呼びかけ、毒|まむし《ヽヽヽ》がびっくりしたようにヤスを見つめると、ヤスはひょいと頭をさげた。
ヤスが頭さげるなんて、珍らしいことがあればあるもんだ、どうなっちまうんだろう、バネさんは、|のっけ《ヽヽヽ》からドキドキした。
ヤスのさげた頭を見おろした毒|まむし《ヽヽヽ》は、ひどく嬉《うれ》しそうに|からだ《ヽヽヽ》をもんでニコニコし、ヤスの肩を抱くようにしてしゃべり始めたが、それも束《つか》の間のことで、ヤスが何か言い出すと真顔になり、逆にヤスにかかえられるようにして、店の端《はし》|っこ《ヽヽ》のケースの方へと押されてゆく。
あいつ、また押しの一手かい、とバネさんは呆《あき》れたが、よく見ているとそうでもないらしい。話がありますから、まあ、こちらへ、とでもいったような丁寧な素振りである。
毒|まむし《ヽヽヽ》は、端っこに片付けられ、ちょっと何かにつまずいてよろけたりしながらも、相変わらず真顔で聞き手にまわっている。
ふうん、あのヤスがしゃべって、あの|まむし《ヽヽヽ》野郎が聞いてるんか。
バネさんがうなっている間に、毒|まむし《ヽヽヽ》の顔付きが、真顔どころか、不安を浮かべた|しかめっ《ヽヽヽヽ》面《つら》に見えて来た。
毒|まむし《ヽヽヽ》が、何か短かくヤスに問い返した。ヤスの垂れた右手の手の|ひら《ヽヽ》が、そろりと開いた。ジャンケンで言えば、パーである。
毒|まむし《ヽヽヽ》は、ヤスのパーをじっと見おろしていたが、こんどは、毒|まむし《ヽヽヽ》の垂れた右手が二本指を作っている。チョキだ。
なんだ、あいつら、バネさんはびっくりした。ジャンケンはねえだろう、いったい、なんの真似《まね》だ。
イサムの方を見ると、イサムは、おかしくってしようがないといった顔で、バネさんを見返し肩をすぼめた。
ヤスがまた何か言っている。毒|まむし《ヽヽヽ》の様子が、すっかりおかしい。うつむき加減になって、まるでヤスに説教を食らってるみたいだ。
そして、実に真面目《まじめ》な表情をつくり、ヤスに物を言い、ヤスがそれを受けて頭をさげた。
なんだ、結局は負けかい。パーにチョキじゃあ、勝ち目はねえや、と見る間に、毒|まむし《ヽヽヽ》はヤスから離れ、もと来た方へと足早やに引返していった。
ヤスは、また、バネさんの隣へ戻《もど》り、別の伝票を取って荷揃《にぞろ》えを始めた。
「おい、どうした?」
「|まむし《ヽヽヽ》さんですか」
「そうよ」
「当分、来ないでしょ」
「ふううん」
「ずうっとかな」
「ほんとかよ」
「わかんないけど、多分」
「ふううん」
バネさんは、もはや、うなるだけだったが、ズボンを揺すり上げてバンドをきつく締めた。
よおし、|こと《ヽヽ》の次第は、ゆっくり聞かせてもらうぞ、イサムと一緒に、じっくりうかがうぜ。
さっきからドキドキしていたバネさんの胸は、ワクワクに変わっていた。
夜、庄寿司のカウンターに、ヤスを中にはさんでバネさんとイサムの三人が並んだ。
板前のテッちゃん御推選の天然の鯛《たい》を手はじめに、好きなものから切ってもらい、なんとなく、「じゃあ」と|ぬる《ヽヽ》燗《かん》のコップを上げた。
この辺で寿司屋といえば、なんてったって庄寿司だろう。銀座の一流|どこ《ヽヽ》と、そうそう引けをとらないタネがある上に、勘定といえば、半値とまではゆかないが、納得の行く値段だ。
それでも、こと勘定にかけてはお安くない寿司屋のことで、そう、しょっ中、来るというわけにもゆかない店ではある。でも、今夜は特別だ。
イサムが切り出した。
「ヤッちゃん、どうした、|まむし《ヽヽヽ》の大将」
イサムの方が、ヤスも話しいいだろう、とバネさんは、黙って呑《の》んで聞いてる|つもり《ヽヽヽ》である。
「話、した」
「なんて?」
「うん……」
それでも、ヤスの口は重く、ゆっくり魚を噛《か》んでいる。
イサムも、それ以上、口をきかずに呑んでいる。バネさんの、聞いている|つもり《ヽヽヽ》がすぐぐらついた。黙ってなんかいられない。
「来るな、って言ったわけじゃないだろな」
「そんなこと言わない」
「なら、何て言った? あいつ、ふうって行っちまったじゃないか、びっくりしたぜ、何て言った?」
「お願いがありますって」
「お願い?」
「旦那《だんな》にしか頼めないけど」
「頼めないけど?」
ヤスは、一口、酒を呑んでから言った。
「金、貸してほしいって」
「金? あいつにか?」
「そう」
イサムも、我慢出来なくなったようで口をはさんだ。
「いくら?」
ヤスが、いたずらそうな顔して答えた。
「五十万」
「五十万、ほんとか」
バネさんは、朝のつづきでうなり、イサムは、ふくんでいた酒にむせたが、どんとカウンターをたたいた。
「わかった、そうかそうか、バネさん、これよ、これ」
イサムがパーを出した。
「五十万だったんだ、な、ヤッちゃん」
ヤスはうなずいてから、ぽつぽつ話し出した。
「実は、|くに《ヽヽ》にまとまったものを送らなくっちゃあならないんだけど、貸してもらえないだろうか……店では借りにくいし、旦那しか頼める人がない……月々、間違いなく返すからって、……そう言ってみた」
ははん、そうか。バネさんは合点が行った。
何でもいいから自分の店を持ちたいと考えているヤスは、無駄《むだ》使いはせず、残業をいやがらず、せっせと貯金をしている。
ところが、時たま、十万、二十万、とおろしてくれるように千代ちゃんに頼む。なんにするんだろうって千代ちゃんに聞くと、お友達に貸すらしいの、ヤッちゃん、いやって言えない人だから可哀《かわい》そうって言ってた。
いつも、友達かなんかに口説かれてる文句を、そっくり使ったな、って合点が行った。
イサムが、指二本出して、ヤスを突ついた。
「するとなにか、ヤッちゃん、これは二十万てわけ? 毒|まむし《ヽヽヽ》が値切ったんだね」
「はじめはね、そのくらいならって」
「へえ、二十万ならね」
「でも、それでもいいって言ったら」
「どうした?」
「すぐには無理だって」
「きたねえの、……いつなら、いいっての?」
「この次まで考えとくってさ」
「へええ、この次って、いつ来るんだろう?」
「しばらく旅行するから、|ほか《ヽヽ》も当たれってさ」
「よおし、ヤス、やってくれたなあ、さあ、ゆこう」
バネさんが|ちろり《ヽヽヽ》の酒を、ヤスのコップにタプタプついだ。
「ヤスが、今朝言った通り、多分もう、寄りつかねえだろうよ、たとえ来たとしてもだ、今までみたいに、のさばれねえよ、なんたって気合い負けだ」
「なんか、景気のいい話のようですね」
カウンターの向うから、テッちゃんがあおった。
「そうなんだよ、いい話なんだ、酒がうまいよ」
バネさんが合わせたが、ふいっと真剣な顔をヤスに向けた。
「でもなあ、お前、どうしてそんな芸当、思いついたんだ?」
「……自分の体験」
「体験って、どんな?」
ヤスは、カウンターの上に、こぼれた酒で丸を書き書き言った。
「金がからむと、|つきあい《ヽヽヽヽ》って、切れるもんね」
バネさんは、ヤスの肩をたたいた。
「おい、お前は天敵だったんだ」
「……テンテキ?」
イサムが聞きかえしたので、バネさんは、吾妻先生から聞いた話をした。
「そうか、ヤッちゃんは、マングースなんだ」
「……ちがう、おれじゃない」
ヤスは首を振った。
「ちがわねえよ、お前が毒|まむし《ヽヽヽ》の天敵でなきゃあ、誰《だれ》が天敵だ?」
バネさんも、ヤスが天敵であると言い張ったが、珍らしくヤスは黙らなかった。
「毒|まむし《ヽヽヽ》さんの天敵は……」
「天敵は?」
「|かね《ヽヽ》ですよ、|かね《ヽヽ》。……|にんげん《ヽヽヽヽ》、みんな」
ヤスに言われて、二人ともうなりながら同意した。
その夜、三人はしたたかに呑んだ。明日がきつくなるとは思いながら、庄寿司を皮切りに、三軒、|はしご《ヽヽヽ》をした。
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4 波除《なみよけ》神社
午後の三時。
|あかね《ヽヽヽ》色の西日が傾く。
だだっぴろい市場の構内は、人の気配も絶えて、|こだま《ヽヽヽ》が返りそうである。
あちらこちらの水溜《みずた》まりも乾きかけ、猫《ねこ》が猫を追って消えた。
どうにも殺風景な見|はらし《ヽヽヽ》である。
その見|はらし《ヽヽヽ》の片隅《かたすみ》が動いて、ちっちゃな安普請《やすぶしん》の建物から、一匹の蟻《あり》さながらに縞《しま》模様のシャツを着た男がひとり、ふらりと出て来た。
建物の入り口には、雨ざらしの薄い木札がひっそり掛かっているが、かろうじて「築地《つきじ》将棋|倶楽部《クラブ》」と読める。
えてして将棋なるものは、横丁の暇つぶしと蔭口《かげぐち》をたたかれるが、それは「ピンからキリ」のキリの方で、縁台将棋という口だろう。
ここの倶楽部の将棋ならピンの方に違いなく、毎年のようにアマチュアの大会では、医師会の先生連中を向うにまわして優勝を争ってきた。
とはいえ、ここ数年の成績は思わしくない。
ご大層な謝礼をはずんで、専門の将棋指しを稽古《けいこ》に招く旦那《だんな》衆が少くなった|せい《ヽヽ》だというが、これも御時世のようだ。
軒並みの店屋が、会社という野暮ったい肩書を付けて、旦那の小遣いが社長の交際費、祭礼のお祝儀が公課と名を変えて、いちいち帳簿にのせられては、稽古|ごと《ヽヽ》の謝礼を書き出すわけにもゆくまい。
ふらりと倶楽部から出て来た男は、一旦《いつたん》、濃い眉《まゆ》を寄せて眩《まぶ》し気に空を見上げたが、それからゆっくりと海幸橋《かいこうばし》の方へと歩き出した。
どこに行く|あて《ヽ》もないといった気の無い足取りである。
男は、市場の|そと《ヽヽ》の庄寿司の主人・倉橋庄之助である。時代劇にでも出て来そうな本名だが、昔仲間の何人かはバンちゃんと呼びかける。
なんで庄之助がバンちゃんなのか、詮索《せんさく》好きな誰《だれ》かが、庄寿司の職人のテツオに聞いてみたが、せっせと寿司を握って、こちらには目もくれず、
「そうなンすよねえ、不思議ですよねえ、でも、わからないンすねえ、それが」
と、あっさりかわされた。
今日のバンちゃんは、一時過ぎから倶楽部に入り、常連の勝負をのぞいているうちに、三段だという新顔に引き合わされ、慎重ながら思い切った駒《こま》|さばき《ヽヽヽ》で一気に攻め立て、七、八人の見守る中で粘り抜く相手をねじ伏せてしまったのだから、機嫌《きげん》が良くていい筈《はず》なのに、足取りといい、後ろ姿といい、どう見ても生気が無い。
市場を|うち《ヽヽ》と|そと《ヽヽ》とに分ける海幸橋の中ほどにかかると、青いペンキの手|すり《ヽヽ》にもたれ、真下の黒い水面に目を落とした。
白いスチロールのかけらが、砕け散って浮いたまま動こうとしない。
やっぱり病気だ、おれは。
バンちゃんは、子供が|いやいや《ヽヽヽヽ》をする時のように頭をふりふり、|ため《ヽヽ》息と一緒に呟《つぶや》いた。
とてもその歳《とし》には見えないが、とうとう還暦が来ちまった男の|いやいや《ヽヽヽヽ》は、どうにも、いじましい。
おれの病気は、笹野《ささの》先生の言ったあんな病気じゃあない。誰も知らない、いや、おれだけが知っている病気だ。
聖光病院の笹野先生は、バンちゃんの父親の代から、ということは戦争前からの御《ご》贔屓《ひいき》で、なにかとお世話になってきた。
その笹野先生がこの前に見えた時、バンちゃんの顔を見上げて、元気が無いねえ、少し痩《や》せたかなと言われ、そうでしょうかと首をひねったら、その返事からして気力が無い、一度、ドックに入りなさい、神経科の方にも頼んでおくからって、|ひとり《ヽヽヽ》極|め《ヽ》してしまうので、バンちゃんはあわてた。
神経科ですか、と聞き返すと先生は、もう一つ真面目《まじめ》な顔付きになり、そう、君ぐらいの年代には、ショロー性ウツ病というのが、意外に多いんだよ、と言う。
もとより病院の|にが《ヽヽ》手なバンちゃんは、ドックの方はそのうちに必ず、ということで勘弁してもらったが、先生が箸紙《はしがみ》の裏に書いてくれた初老性|鬱病《うつびよう》の五文字には、お初にお目にかかった。
たしかに、もう中年とも言えないし、憂鬱であることにも間違いないから、そんな病気なのか、とちらっと思いもしたが、正直なところ違うなと思い直した。
自分の憂鬱は、昨日今日に始まったわけではなし、ことに、ここへ来ての憂鬱には、身に|おぼえ《ヽヽヽ》が大|あり《ヽヽ》だったからである。
ほぼ一年というもの、あれだけ通った競馬場へ出這入《ではい》りしていない。
それがこの一ト月、二タ月、どうにも行きたくって仕方がなくなった。客の引いたあとの昼過ぎなど、ムラムラっと出掛けたくなって仕方がない。
仕方がないが、金輪際、行かないと誓いを立てたからには行ってはならないと、我が身に言い聞かせながらも、誓いったって、あれは、|おれ《ヽヽ》が|おれ《ヽヽ》に誓ったまでで、誰に迷惑を掛けるでなし、それほど行きたいのなら行くがいい、とも言い出す自分が顔をのぞかせる。
行くな、いや行け、の問答の繰り返しが、毎日バンちゃんにのしかかり、憂鬱にならざるを得ないのだ。
そのあたりが、笹野先生の目に止まったに違いない。
だから、ここのところ昼過ぎには、倶楽部に出掛けて将棋を指すようにしている。
そして、その時は気がまぎれるのだが、倶楽部を出ると元の杢阿弥《もくあみ》、憂鬱がまた押しよせる。
結局、将棋ではどうしようもないことがわかった。まだ、ジャンケンの方が気晴らしになる。でもジャンケンは、どこまで行ってもジャンケンで、競馬ではない。
バンちゃんは朝のうち、一度は|かご《ヽヽ》屋の永尾に顔を見せ、ジャンケンをやってくる。
というのも去年、あの|こと《ヽヽ》があってピッタリ競馬をやめたあと、笊《ざる》を買いに永尾に行き、二代目の次郎の|やつ《ヽヽ》が近所の若い者相手に、ジャンケンをやっているのを見つけたのだ。
二人は、狡《ず》るそうな笑いを含んで向い合い、暫《しばら》くにらみ合っていたが、やがて、ヨイヨイヨイと|こぶし《ヽヽヽ》を三度振ってからジャンケンをし、一瞬のうちに次郎の手が伸びて、目の前の台に乗っていた百円玉二枚をつまみ取ったのである。
「チキショウ!」
若い者が地団駄《じだんだ》を踏み、また一枚、ポケットから銀貨を出した時、次郎の目が|おもて《ヽヽヽ》に立っているバンちゃんの目と合った。
すぐに次郎がささやくと、若い者はちらっとバンちゃんを見て、さっさと行っちまった。
「なんなの、大将、|きょう《ヽヽヽ》は?」
わざわざ腕組みまでした次郎は、それこそ何食わぬ顔をして見せた。
「なに、やってた?」
「……なあんにも」
「一回、百円か」
「……なにが」
今更、白ばっくれることもないのに、次郎というのは、死んだ父親に似て何かしら|かっこ《ヽヽヽ》を付けたがる。血筋っておかしなものだ。
「ジャンケンなんてお前、出会|いがしら《ヽヽヽヽ》だろうが」
「…………」
「うまい、まずいがあるわけでなし」
「……あるんだな、それが」
呟くように言ってから、次郎はしまったという顔になり、横を向いて貧乏|ゆすり《ヽヽヽ》を始めた。
「あるって、どうあるんだ?」
バンちゃんも、しつっこくなった。聞かせて貰《もら》おうじゃないかとばかり、一|間《けん》しか奥行が無く、上も下もびっしり竹細工だらけの店にずいと入った。
次郎は観念したらしく、|しら《ヽヽ》を切るのはやめにして、いろいろと白状した。
たかがジャンケンと言うなかれ、見た目は子供の遊びだが、金がかかれば立派な大人の勝負|ごと《ヽヽ》だ。
ところでその肝所《かんどころ》だが、賽《さい》|ころ《ヽヽ》にだって一つ一つ癖があるように、ジャンケンにも、人それぞれに出し癖のようなものがあり、そこを読んでかかる、そのまた裏の読みもある。
最後は、思いっ切りで勝負に出るが、客待ちの暇|つぶし《ヽヽヽ》には持ってこいの遊びだ、と次郎は言う。
「よし、やってみよう」
バンちゃんは百円玉を出して、次郎に挑戦《ちようせん》した。
「よしなよ、大将、かないっこないから」
鼻|ったらし《ヽヽヽヽ》だった次郎にそんなことを言われて、黙って引っこめるバンちゃんでない。
「うるさい、さ、ものは|ためし《ヽヽヽ》だ」
無理矢理、やることになった。
次郎は、ちょいと通りの方をうかがって、
「大っぴらにしていいことじゃねえからな」
と神妙なことを言い、それから立て続けに三回勝って、ニッコリした。
バンちゃんが首をかしげ、もう一ト勝負もちかけたところで、客が来てお流れ。
糊《のり》づけになったような顔をしたバンちゃんは、買物を忘れて帰った。
翌朝、バンちゃんは、また永尾に出掛けた。
「来たね、大将」
「おう、来たとも、けど用足しが先だ」
とバンちゃんは、|きのう《ヽヽヽ》忘れた笊を選び、それから二人して人通りをたしかめてから、ジャンケンを始めた。
不思議なことに、また立て続けに三回やられて、四回目に初めて勝った。
熱くなったバンちゃんは、|むき《ヽヽ》になってジャンケンを続け、たまさか勝ちもしたが、やがて用意してきた十枚の銀貨を巻きあげられた。
「|あした《ヽヽヽ》も来るからな」
バンちゃんが、わざっとこわい顔をして見せると、にんまりした次郎がすり寄った。
「そりゃあ、いいけどさ、そんなら、これだけは教えとかあ、子供|だまし《ヽヽヽ》は厭《いや》だから」
「なにい」
「いいから聞きなさいって、ねえ、朝の|うち《ヽヽ》ってえのは、運動神経にぶいんだよねえ、だからさ、まずハサミは出しにくい、わかる?」
永尾を出て歩き出したバンちゃんは、左手に笊をさげ、右手でハサミ・イシ・カミと順に作りながら、その細かい違いを感じとり、思わず唸《うな》った。
あいつの言った通りだ。その辺から読まれて、|きのう《ヽヽヽ》も|きょう《ヽヽヽ》もしてやられたってわけか、なるほど。
しかし待てよ、そいつは、ごく初手《しよて》のことじゃないのか。たまたまおれが、それに嵌《は》まっただけで、いつもそうは行くまい。こんなことに、うまいまずいのあるわけが無い。
バンちゃんは、|もったい《ヽヽヽヽ》ぶった次郎のハッタリに気がついて、笑ってしまった。
以来、朝な朝なバンちゃんは、永尾に行っては小銭を争ったが、見抜いた通り、次郎の理屈など当てにはならず、すぐに勝ったり負けたりの好敵手となった。
|読み《ヽヽ》という面白《おもしろ》さなら、将棋の方がジャンケンに勝《まさ》る。それはそうなんだが、どっちがしたいか、ということになると、これはジャンケンだ、何故《なぜ》か。
金がかかっているからか。それなら将棋にだって金は賭《か》けられる。じじつ、賭けませんかと誘われたこともあるが、断わった。
将棋はバクチじゃない、強い方が勝つ。バクチとは、そこンとこが違う。
バクチなるものには、誰も知らない運がひそんでいる。強い弱いではなく、運だ。
それが証拠には、競馬を知らない者だって、当り馬券を買うことが出来る。運だからだ。
バンちゃんは、その運に強く惹《ひ》かれる。
運が、バンちゃんの方を振り返り、しっかりと手を握り合う。その時の気持ばかりは、握り合った者でなければわかるまい。
バクチというのは、酒みたいなものではないのか。運という強いアルコールが入っていて、一度、酔い心地をおぼえると病|みつき《ヽヽヽ》になっちまう。
それを断《た》ったから、方々、ガタピシ来ちまって、笹野先生が鬱病なんて言い出したのではないか。
要するに、おれの病気は、初老性じゃなくてバクチ性なんだ。
バクチの底に住んでいる運という|やつ《ヽヽ》が、にっこりしておいでおいでをしているのに、じっとこらえているだけでは治りっこない。
海幸橋の欄干に引っかかったようになっているバンちゃんは、火のついてない煙草《たばこ》をくわえ、ライターを手にしたまま、遠くを見つめている風だが、何も見えてはいない。
とにかく|おれ《ヽヽ》が、バクチにこだわるというか、取っつかまったというか、そうなったには深い|わけ《ヽヽ》がある。
本来なら今ごろは、寿司屋なんかでなく、材木屋なり株屋なりになって、男らしく生きていた筈の|おれ《ヽヽ》なのに、運というものに突き放されてしまったんだ。
誰だって、おれのような目に会ってみろ、バクチでもやらずにいられるものか。
昔は、この橋の下の水も、隅田川《すみだがわ》の分れの、そのまた分れで、みち潮、ひき潮のたんびに動いたものだが、こう、あっちこっち埋め立てられては、行き止まりの水溜まりになっちまって、ただ淀《よど》んでいるだけだ。
まるで、|おれ《ヽヽ》みたいじゃないか。
バンちゃんは、やっと煙草に火をつけた。
バンちゃんこと庄之助の父親は、寿司職人から上がって店を持つことの出来た一人だが、それだけに大層な|はたらき《ヽヽヽヽ》者だった。
食べものにかけては、一ト言も二タ言もある連中のそろったこの辺で、小体《こてい》ないい寿司屋という評判をとったのも、ただ腕がたしかだというだけでなく、根が|はたらき《ヽヽヽヽ》者で、何事にも行き届いていたからだろう。
その庄寿司の|のれん《ヽヽヽ》は、中学を出ると浜町の方で修業をすませ、店にかえって父親を助けるようになった庄之助の兄が継ぐことになっていた。
庄之助の方はというと、兄弟そろって寿司屋になることもあるまい、という父親の意向をうけて、商業学校を出ると、遠縁に当たる木場《きば》の材木屋に奉公することにした。
もともと、食べもの屋という家業が好きになれず、さりとて勤め人というのも、いま一つぴんと来なかった庄之助は、ゆくゆくは|のれん《ヽヽヽ》を分けようという奉公先に、青空をのぞくような晴れ晴れとした望みを持ったからである。
そして、その甘い望みは、いきなりきつい力仕事から始まった。
まずは、川並《かわなみ》と呼ばれる|いかだ《ヽヽヽ》師の仕事から、身につけねばならない。
夏でも冬でも朝の六時、起きぬけに味噌汁《みそしる》と沢庵《たくあん》で炊《た》きたての飯をかっこむと、筒袖《つつそで》の襦袢《じゆばん》、股引《ももひ》きに毛糸の腹巻き、尻切《しりき》れ半纏《ばんてん》に地下足袋という|なり《ヽヽ》で、堀《ほり》に降りる。
堀には、丸太、角材、とりどりの材木がおとなしく浮かんでいるが、これに乗り、これを渡り、これをさばく段になると、どうして言うことを聞くものでない。
手|かぎ《ヽヽ》を操って、こっちの言い分を通そうとすると、それまで寝そべっていた材木は海獣のように身をひねった末に、庄之助の足をすくって、何度もつめたい水の中にふるい落とした。
それでも文句を言わず、一本一本引っくり返しては、水につかった裏側の青|みどろ《ヽヽヽ》をブラシで洗ってやったが、これも季節によっては辛《つら》い下仕事だった。
どうやら言うことを聞くようになると、いよいよ、|いかだ《ヽヽヽ》に組んで堀から川へ出る。
手|かぎ《ヽヽ》一本を頼りに、買い手の所へ届ける役目だが、これがまた一ト仕事で、堀とは違った川の流れのしたたかさに、ここでも濡《ぬ》れ鼠《ねずみ》になり、熱を出して寝込んだこともある。
しかし庄之助は、男ならではのこの世界が気に入って骨身を惜しまず、水の匂《にお》いと木の香りの中で|おとな《ヽヽヽ》になって行った。
川並の仕事は、数をこなせば身につく。それよりも材木屋の本領は、売り買いだ。
おやじさん、跡取りの清太郎さん、それに古顔の幸|どん《ヽヽ》などは、セリに行ったり、大工の棟梁《とうりよう》たちと符牒《ふちよう》だらけの|やりとり《ヽヽヽヽ》をして、涼しい顔をしている。
庄之助も、早くそんな風になりたかった。
小柄《こがら》ではあったが|からだ《ヽヽヽ》の引き締まったおやじさんは、遠縁ということを忘れ、てきぱきとはたらく庄之助がお気に入りで、山を見に行く時など、鞄《かばん》持ちということで連れて行くことがあった。
秋田の奥の丸太小屋のような宿屋では、地酒の相手をさせながら、
「庄|どん《ヽヽ》、この道十年とは言うが、|あきない《ヽヽヽヽ》の運びは、どうということもない。
それより、肝腎《かんじん》なのは|あきない《ヽヽヽヽ》の読みだ。こいつを身につけるのに、十年かかるのよ。
つまり、読みが勝負で、読み勝った|やつ《ヽヽ》が、あの堀の中から|ぜに《ヽヽ》を掴《つか》みとるのさ。
こいつは男の仕事だ。その積りで、よおく見ておくんだぜ」
とおやじさんは教えてくれた。
庄之助は、びっしり虫のたかったランプの下で、おろし立ての手帖《てちよう》の初めに、
この道十年
読みが勝負
男の仕事だ
と書きつけたが、次の頁《ページ》にも、
堀の中に金が沈んでいるなり
つかみ取るべし
と、もっともらしい文句を書き足した。
二年ほどたつと、川並のコツから手抜きの要領までを呑《の》みこみ、仕来《しきた》りから符牒にも通じた上に年下の新入りも来て、木場の若い|もん《ヽヽ》、と言われて胸が張れるようになった。
それがある晩、むずかしい顔をしたおやじさんに呼ばれ、すぐ帰んな、とだけ言われ、いったい何がどうしたのか、ひたひたと夜道を急いで|うち《ヽヽ》に戻《もど》ったが、父親は頭を垂れて坐《すわ》りこみ、母親は、部屋の隅っこで黙って涙をこぼしていた。
そうか、出征して行った兄貴が戦死したな、と直感したが、誰《だれ》にも話しちゃなんねえ、と前置きした父親のひそひそ話によると、戦死どころの沙汰《さた》ではなかったのである。
兄の謙一は、庄之助が木場に奉公すると、間もなく召集されたが、その兄が大陸で、共産軍とかの捕虜になったという。
道理でここ一年ほど便りが無く、両親をやきもきさせたわけはわかったが、捕虜になったと聞いただけでも、身ぶるいするほど恐ろしいことなのに、今度は日本軍に向けて、我が名を名乗って、戦争を止《や》めるようにと放送を始めたというのである。
途方も無い悪夢を見ているような話だったが、夢ではない証拠に、憲兵隊に連れて行かれた父親は、身のすくむような取り調べをうけ、それ相応の謹慎を言い渡されてきた。
「|おれ《ヽヽ》たちはな、非国民なんだと」
父親は、手拭《てぬぐ》いで顔を覆《おお》った。
「……そうだろうか、非国民が、可愛《かわい》い|せがれ《ヽヽヽ》を兵隊に差し出すか」
父親は、抜け殻《がら》のようになった女房《にようぼう》と、逞《たくま》しくなった息子の二人を相手に、声をしぼって訴えた。
憲兵隊からの帰り道、せっぱ詰まった父親は、人目を忍んで聖光病院に回り、笹野先生に逢《あ》ってもらった。
先生は、軍医中尉として大陸に渡り、一時、召集解除となって病院に戻っていたのだ。
話を聞いた先生は頷《うなず》くばかりで、そのことには何一つふれず、ただ、庄之助を呼び戻して、店を継がせることを強くすすめたそうである。
「ということは、もう謙一は、生きてこの|うち《ヽヽ》の敷居をまたげねえってことだ。
どうして、こんなことになっちまったんだ。いっそ、弾丸《たま》に当たってくれたら、まだ諦《あきら》めもつく。
あいつは一体、何をやってんだ」
取り乱した父親には、もはや推量の及ばぬ椿事《ちんじ》だったが、すべてを聞き取った庄之助には、ある想像が浮かんでいた。
兄は、笹野先生と|おない《ヽヽヽ》歳で、庄之助よりも七つ年|かさ《ヽヽ》だった。
やんちゃな弟を可愛がって、活動写真に連れて行ってくれたり、祭礼の時には、びっくりするほど沢山の小遣いをくれたり、物わかりがよくって気|っぷ《ヽヽ》のいい兄だった。
近所でも、おとなしくって良く出来た|むすこ《ヽヽヽ》で通っていたが、ある時、それだけではないことを庄之助は知らされた。
庄之助が商業学校に入ったころ、留守の兄を訪ねて来て帰りを待っていた友人の一人が、こんな話をしてくれたのである。
「君の兄さん、見かけによらず、|しん《ヽヽ》は強いぞ。柔道の対抗試合で、兄さんが落ちた話知らないだろう」
落ちる、というのは、首を締められて気絶することだそうだ。
「謙ちゃんはね、最後に向うの大将と合わされたが、向うはでっかくて黒帯の二段、兄さんはあの|からだ《ヽヽヽ》で一級の白帯、誰が見たって、かないっこない。
おまけに、もう三対一で勝負はついてる。たとえ、謙ちゃんが勝ったって駄目《だめ》なんだ。
向うは呑んでかかって、いい気なもんで、得意の寝|わざ《ヽヽ》に引きこんで、いきなり締めにかかった。
そんな時は、締められた方が、参ったって畳をたたけば終りさ、みんな、そうすると思って見てた。
ところが兄さん、たたかない、なんとか、はね返そうとする。おれ達《たち》の気持では、もうやめろだ。でも倉橋の|やつ《ヽヽ》、真っ赤になってこらえてる。
それを見ておれ達は、倉橋、倉橋って大合唱して審判に叱《しか》られたが、気が付いたら、向うの生徒も合唱の仲間入りしてた。
叱られて静かになったところで、謙ちゃん、もう一ト踏んばりしたが、向うの締めがはずれず、すうって落ちてった。
先生が褒《ほ》めたよ。倉橋は勝負に負けたけど、自分には負けなかったってね」
その話を聞いた庄之助は、おとなしい兄の中に、本当の男というものを見つけた気がして、いよいよ兄が好きになり、自分もそうなりたいと思った。
その兄のことである。そうあっさりと手を上げて捕虜になったとは考えられないし、ましてや、やすやすと敵の言いなりになるとは信じられない。
きっと耐えに耐え、トコトンまで頑張《がんば》って、何かをはね返そうとしているのではないか。
庄之助は、行けるものなら飛んで行って、兄の胸中をたしかめてみたかった。
「帰ってくるよ、かならず」
「…………」
野太くなった庄之助の一ト声に、両親は泣きはらした目を開いて泣くのをやめた。
せっかく木場の水にも馴《な》れ、これから腰を入れて、材木屋という|あきない《ヽヽヽヽ》をおぼえよう、向うでも教えようという矢先に、降って湧《わ》いたとしか言いようのない災難に見舞われた庄之助は、つくづくとおやじさんに惜しまれながらも暇を貰《もら》った。
そして庄寿司に帰ってきたが、丁度、それが|きっかけ《ヽヽヽヽ》となったかのように、食べもの屋という食べもの屋のやりにくい、というよりもやれない御時世になってしまった。
なにせ米粒が、宝石よりも大切な世の中となっては、とても寿司屋なんか、やれたものではなかったし、裏口からの闇《やみ》商売やってつかまったひには、鬼よりこわい憲兵隊から何を言われるかわかったものでない。
その上、おそらく兄のせいで、庄之助までが疫病神《やくびようがみ》とでも思われたのだろう、徴兵検査がすみながら入営通知も来ず、工場に引っぱられて無理矢理はたらかされる徴用令状も来なかった。
休業の札を掛けて、ひっそり閑とした店の中で、行けるところまでは貯えで居食いをしようという三人の、息をつめた毎日が始まったのである。
こうして、生れて初めての不運に押し流されて、|はたち《ヽヽヽ》を過ぎたばかりで、しかも五体強健の庄之助は、そのころには珍らしいぶらぶらしているだけの青年にされてしまったのである。
|はんぱ《ヽヽヽ》人足。
木場で、何かの折に、みんなで口にした|はんぱ《ヽヽヽ》人足、それは|おれ《ヽヽ》だ。気が付いてみたら、いつの間にやら|はんぱ《ヽヽヽ》人足だ。
庄之助は口惜《くや》しかったが、兄の身の上を思うと、辛抱しないわけにはいかなかった。
しかし、この|まち《ヽヽ》には、庄之助のほかにも、それこそ本物の|はんぱ《ヽヽヽ》人足が幾人かいた。
五十過ぎの年寄りやら、どこかに不自由のある者やらは、ただただ|からだ《ヽヽヽ》に鞭《むち》打って、はたらけはたらけの時代となっては、お役に立たない正真正銘の|はんぱ《ヽヽヽ》人足である。
|おもて《ヽヽヽ》通りの瀬戸物屋・陶化堂の御主人は、六十過ぎで背が高く、鶴《つる》に似た細|づくり《ヽヽヽ》で、これまた戦争のお役には立たない|はんぱ《ヽヽヽ》人足、でも、おだやかで品のいい年寄りだった。
その陶化堂さんが、ある朝、庄寿司をのぞいて、寝起きでぼんやりしていた庄之助に、
「今夜あたり、おいでなさい」
と小さく声をかけ、すっといなくなった。
なにしろ、外出を控え、ラジオをつけっ放しにして、裏表一枚になった新聞を取っかえ引っかえ読むほかは、物干しの小盆栽の手入れをするのがせいぜいという、辛いほど|ひま《ヽヽ》な毎日である。
|わけ《ヽヽ》はわからないが、何かありそうな「おいでなさい」なので、父親に話してみると、日が落ちたら行くんだな、と言う。
出|しな《ヽヽ》に父親から、陶化堂さんに渡せと包みを持たされ、二人の間には話が通じている|ふし《ヽヽ》があり、一体、何があるんだろうと、灯火管制で真|っくら《ヽヽヽ》な路《みち》をたどった。
行ってみると、どうぞと二階に案内され、そこで、あそこから三階に上がってごらんなさい、面白《おもしろ》い人がいますよ、と言われた。
三階への上り口は、商売物の瀬戸物の山にかくれて、言われなければわからなかったが、天井の低い三階に上がっても、ここも瀬戸物の山で、その向うに、ほんのり明かりが見えなければ、とても人が居るとは思わない迷路の果てだった。
回りこんで、やっと明かりの見えるところに出ると、三畳ほどの古|絨緞《じゆうたん》の上の|ちゃぶ《ヽヽヽ》台を囲んで、海苔屋《のりや》の高見さんと八百松のおじいちゃんが酒盛りをしているではないか。
「さ、こっちへ、いらっしゃい」
と高見さんが脇《わき》へまねいてくれ、おじいちゃんが茶碗《ちやわん》をよこして酒をついでくれた。
「ま、一ト口おあがり。ここへ来たら無礼講、無礼講。今日のは、良い酒だよ。でも、なんだねえ、お前さんとこのお父っあん、いい職人のくせに、酒がいけないという変わりもんだ、それで、お前さんが名代《みようだい》さ」
名代? 何の名代だろう。それにいきなり酒が出て、庄之助は首をかしげる思いだったが、気|さく《ヽヽ》な二人にうながされて久しぶりに口にした酒は、|からだ《ヽヽヽ》にしみ渡った。
陶化堂さんが、刺身を盛った伊万里《いまり》の大皿《おおざら》をかかえて入って来た。
「どうです、豪勢でしょう、庄ちゃんとこからの差し入れです」
陶化堂さんが披露《ひろう》すると、あとの二人は手をたたく真似《まね》をして相好《そうごう》をくずし、不思議な宴会が始まった。
「庄ちゃん、おわかりだろうけど、一切、内緒ですよ。こうして気の合ったどうし、たまには寄り合い酒で息|ぬき《ヽヽ》って寸法ですから」
陶化堂さんの種明かしで、息|ぬき《ヽヽ》ということがわかり、庄之助の気持がほぐれた。
今度は、前歯がバラバラのおじいちゃんが、陶化堂さんの尻《し》り馬に乗って気勢を上げた。
「そりゃあね、兵隊は大変だよ。だからって、おれ達にどうしろって言うんだい、飲まず食わずでいろってえのかい。
そりゃあ、違う。ねえ。みんなが帰ってくるまで、生きていてやるのが|つとめ《ヽヽヽ》ってもんじゃないか。それにゃあ、息|ぬき《ヽヽ》もいる、そうだろう」
言われてみれば、どこの|うち《ヽヽ》でも誰《だれ》かしら兵隊に取られている。
おじいちゃんの言い分を、高見さんが引き取った。高見さんは、まだ四十代だったが、背が一センチほど規格に足らず、丙種という烙印《らくいん》を押されて、兵隊に取られていなかった。
「庄ちゃん、あんただってそうだ。あにさんが帰ってくるのを待っている両親のためにも、元気でいることだ」
庄之助は、すっかり納得した。年こそ違え、みんな|はんぱ《ヽヽヽ》人足、薄々は庄寿司に起った椿事も知っていて、庄之助をいたわってくれているのだろう。みんな仲間なんだ、ここにいるのは。
庄之助は、頭を下げてから、茶碗の酒を干した。
「ところで、登さんは?」
高見さんが陶化堂さんに聞いた。
「来るでしょう。言ってあるから。
そうそう、庄ちゃんは知らないけど、もう一人、仲間がいましてね。あたしの甥《おい》で、登って言いますが、まだ三十前でね、話し相手にいいでしょう、仲良くしてやって下さい」
三十前の仲間がいると聞いて、庄之助は嬉《うれ》しくもあり、不思議にも思った。
茶碗を置いて一ト息ついたおじいちゃんが、
「登って|やつ《ヽヽ》は、気分がいい。あれに逢うとさばさばする、なにせ」
と登さんとやらの噂《うわさ》を始めた時には、もう、その登さんが瀬戸物の山を回って、足を引き引き入って来ていた。
登さんは、紺サージの背広を着ていた。
世間は、軍服やら国民服やらカーキ色一色の時節に、背広姿は|いき《ヽヽ》で、勇気のいる|なり《ヽヽ》だった。
そして、目のくりっとした男前の登さんが、この若さで兵隊に取られないのは、足の不自由なせいだ、とわかった。これまた、|はんぱ《ヽヽヽ》人足。
暗い灯の下の、声をしのばせての酒盛りだったが、登さんが加わると、急に座が明るくなったのは、登さんのキビキビした話しっぷりによるのだろう。
「とうとうサイパン島もいけないようだが、この先どうなるのかねえ」
高見さんが、沈んだ声で登さんに聞いた。
「空襲が始まるでしょう。本格的な」
「それで」
「そんなに、先までは読めませんよ」
おじいちゃんが口をはさんだ。
「株屋だろう、登は。先が読めなくてどうする」
へええ、登さんは兜町《かぶとちよう》の人なのか、道理で時々、目がきらきら光る。庄之助は、勝手にこじつけた。
「それが休業も同様でね、こうなると勘の方もさっぱりでお先真|っくら《ヽヽヽ》……もっとも、一つだけ、わかっていますがね」
「何だい、その一つだけってのは」
陶化堂さんが、乗り出した。
「もう、戦争は敗《ま》けだってこと……こんなこと、みんな、腹の中では知ってても、こわいから口に出さないだけさ」
「そうとも、そんなこと言ったら、引っぱられて、半殺しだ、間違いねえ」
おじいちゃんが請《う》け合ったが、登さんは頭をふり小声ながらきっぱり言った。
「いや、そうじゃない。引っぱられるよりも、敗けたら自分達がどうなるか、それがこわいんだよ、経験の無いことだからねえ」
庄之助は、そうか、その通りだ、と登さんの意見に、目を開かれる思いがした。
「……敗けたら、どうなるのかねえ」
高見さんが問い返すと、おじいちゃんが、
「女は、ひでえ目に会うし、|おれ《ヽヽ》達は皆殺しだあ」
と言い切ったが、登さんは微笑した。
「そんなこと無い、絶対に無い」
「どうしてよ」
「考えたってわかるでしょう、日本軍だって、向うの捕虜を殺しませんよ。それが国際公法の取りきめなんだから。
まして、我々は、なに一つ武器を持たない非戦闘員ですよ、下手な抵抗さえしなけりゃあ、殺されるわけがない」
陶化堂さんと高見さんは、そんなものかとうなずき、庄之助も、兄の件があるだけにわかる気がしたが、おじいちゃんは聞き分けがなかった。
「日本の軍隊とは違うんじゃないのか、向うは?」
「鬼だって言いたいんでしょう」
「まあな」
「政府の宣伝ですよ、それは。そう言っとかなきゃあ、みんな手を上げちまうもんね。いいですか、向うの兵隊は国際公法を教えられるが、こっちは教えていないんだ、いないどころか、捕虜になったら死ね、とまで言ってる、どっちが鬼だかわかりゃしない」
庄之助は、登さんの話を聞いてはらはらしたが、これは、新聞やラジオと違って本当の話だ、と胸のすく思いをした。
「おじいちゃん、一億からの人間を、そう簡単に殺せませんから大丈夫。そんなことより、殺されない一億が、それからどう生きるか、その方が心配ですよ」
「……どうすればいいのかねえ」
陶化堂さんが、肩を揉《も》みながら呟《つぶや》いた。
「こればっかりは、その時にならなきゃあわからない。その時が来たら考える、それしかないし、それでいいんだよ」
庄之助は、足こそ不自由だが、てきぱき物を考え、年寄りを力づけている登さんに、兄と同じ本当の男らしさを見た。
やがて、食べ物が片づき、酒がほどよく回ったところで、おじいちゃんが登さんに声をかけた。
「そろそろ、行くかい」
「そうしますか」
もう終りなんだな、と庄之助は受け取ったが、高見さんが|ちゃぶ《ヽヽヽ》台を片づける、陶化堂さんが花札を二組出してくるで、ささやかな宴会場が座蒲団《ざぶとん》一枚を囲む賭場《とば》に変わった。
「庄ちゃん、出来るんでしょう?」
高見さんに聞かれて、面食らったが、
「ええ、少しなら」
と思い切って答えると、
「やりましょう、もう、このくらいしか遊ぶこともないんだから」
と高見さんは手際《てぎわ》良く札《ふだ》を切った。
賭《か》け金は、庄之助の小遣いでまかなえるぐらいの額だったし、木場でも時折、花札は引いたことがあって、時のたつのを忘れた。
そして十時過ぎになると、少しずつ間を置いて、表口、裏口と別れて散って行った。
登さんの言ったように、戦争の方は敗け続けで暗いニュースばかりになったが、庄之助の毎日は明るくなった。
戦争からはみ出した|はんぱ《ヽヽヽ》人足の仲間が出来たこと、その仲間に会え、話が出来ること、が嬉しかった。
集まる日には、誰かから知らせがあり、日の落ちるのを待ちかねて、そっと出掛けた。
年寄りの昔話、登さんの内緒話、いずれも為《ため》になったが、そのあとで花札を引く楽しみには、非国民である我を忘れた。
その花札を引く段になると、小柄《こがら》でおとなしい高見さんが、キリッとして大きく見え、しかも、まず負けないのにもおどろいた。
陶化堂さんの話によると、
「年季が入ってますよ。あれでね、若い時には、|くろおと《ヽヽヽヽ》を相手にしたっていいますからね」
ということで二度びっくり。高見さんにもそんな骨っぽい青春があったのか、と親しみがまし、その遣《や》り口をおぼえようと目をこらした。
一度、庄之助が大勝負に出たことがある。
「いいんですか」
胴を取っていた陶化堂さんに念をつかれた。
「ええ、ここはひとつ、バンと張らしてもらいます。バンと行きます」
おじいちゃんから声がかかった。
「そりゃあ、いい。バン助のバンちゃん、バンと行け」
庄之助が勝ち、その夜は、バンちゃんバンちゃんとはやされ、そのつぎの時に、高見さんと二人で皆を待っていた時、
「ねえ、バンちゃん」
とまた言われて、庄之助は頭をかいた。
「こないだは、思いっきりが良かったねえ、勝負ごとだけじゃなく、|にんげん《ヽヽヽヽ》、ここ一番て時がある、かならずある……」
高見さんは、しみじみと自分ごとのように言った。
「そういう時は、勝負に出ていいんでしょう?」
高見さんは首を振った。
「勝負に出るか出ないか、出て後悔するか、出ないで後悔するか。それが、その人の持ってる運って|やつ《ヽヽ》です、むずかしいもんです」
なるほど、むずかしいもんだな、庄之助は、またひとつ教わった。
やがて、登さんの言ったように空襲が始まり、それも激しくなって東京は焼けに焼けたが、この|まち《ヽヽ》だけは、手付かずに残っていた。
高見さんの家の押入れの奥から、三つ星の付いた舶来のブランデーが一本見つかり、おじいちゃんとこのお嫁さんの田舎から猪《いのしし》の肉が届いて、夜、五人の顔がそろった。
「いよいよ、一人になりました」
妻子を疎開させて淋《さび》しそうな高見さん。
それを、一人暮らしではすでに先輩のおじいちゃんと陶化堂さんが慰める。
「足手|まとい《ヽヽヽ》は無い方が気楽よ」
と、|しし《ヽヽ》鍋《なべ》の|かかり《ヽヽヽ》で忙しいおじいちゃん。
「ま、一回、一回、お別れのつもりで、気持よく過しましょう」
と、相変らず、どこ吹く風の陶化堂さん。
登さんと庄之助には、とくに慰める言葉が無かったが、|しし《ヽヽ》鍋を肴《さかな》にすするブランデーのうまさに、すぐに五人は憂《うれ》いを解いた。
「山鯨にブランデーなんて乙だねえ。この辺もそのうち焼けるんだろうが、これで思い残すことなしだ」
陶化堂さんが、ほてった顔をほころばして、みんなの胸のうちにある同じ思いを口にしたが、登さんは違った。
「僕《ぼく》は、焼けないと思う」
四人が登さんを見つめた。
「ここは、聖光病院があるから焼けないって噂は、本当だと思う」
たしかにその噂は、庄之助も聞いていた。
聖光病院は、この|まち《ヽヽ》の連中も随分と厄介《やつかい》になっていて、頼りにしている病院だが、屋上に建てた金色の十字架でわかるように、アメリカの宣教師とやらが造った病院だ。
それで、間取りや建物の寸法も大き目で、中に入るとゆったりした気分になる。
その病院に、アメリカが爆弾を落とすわけがない、従って隣り合ったこの|まち《ヽヽ》にも落ちない、というひそひそ話である。
しかし、噂なんて当てにならない。庄之助は、登さんに聞いてみた。
「でも、B29があんな高さから、病院だけ焼けないように爆撃出来るもんですか」
登さんは大きくうなずいた。
「それなんだよ、問題は。
これは海軍に行った友達から聞いたんだが、去年、ドイツの戦艦のビスマルクっていうのが沈められた。
それがさ、英国の爆撃機の落とした爆弾三発でだ。それも八千メートルの上空から落としたっていうから、驚くじゃないか。戦艦一隻って言うけど、君、せいぜい小学校ぐらいの大きさだぜ。
おまけに、まだ驚くことがある。雲量10の夜間だったということは、空一面雲だらけの闇夜《やみよ》だ。
要するに、もう下なんか見えなくったっていい。レーダーという精密な装置にまかせればいいんだ。向うでは、レーダーは完全に実用化されたということになるね」
四人は、登さんの話に引きこまれた。
「だからね、類焼を防ぐためにも、病院とその回り一帯とを避けることぐらい、お茶の子だと思うよ。
聖光病院がやられないということはね、彼等《かれら》が、戦争の終りを見越していることなんだよ。
戦争に勝って日本を占領する、当然、その中心である東京を押さえる。アメリカ式の病院が残っていれば、それに越したことはない、その辺までお見通しなのさ。
そう思わない、バンちゃん」
「夢みたいな話だけど、そう言われれば、そうですね、すると……もうすぐなんだ、戦争、終るの」
「そう、もうすぐ戦争は終る」
登さんは断言した。
「僕は、株屋の|くせ《ヽヽ》なのか、新聞を見ては、爆撃を受けた所を地図に書きこんでいる。
するとね、焼かれないのは、こんなちっぽけな所だけじゃない、丸々、残っている|まち《ヽヽ》がある。
京都、奈良、全然やられていない。
向うは|おとな《ヽヽヽ》だ、やることに|そつ《ヽヽ》が無い。何でもかでも焼いちまえっていうのじゃない、古い都は美術品あつかいで大事にしてるのじゃないのかな。
そりゃあ、まだゴタゴタはあろうがね、間違いなく戦争は終る」
登さんの推測に四人は沈黙したが、暗い沈黙ではなかった。
その夜は、登さんと庄之助の二人が最後に残った。
「登さん、戦争敗けてからどうなるか、わかりませんか」
「勿論《もちろん》、わからない」
庄之助は、弱り切った両親のことを思うと不安だった。
「でもね、バンちゃん、今より悪くなるとは思えないよ。B29の撒《ま》いたビラにだって、悪いのは、日本の指導者だって刷ってある、僕は、それを信じるね。
だから、我々が罰せられたり、まして、殺されることなんかない。
そうなると、多勢が生きて行かなきゃならない。
その時、必要なのは、まず食べ物、それから着る物に住む所さ、当然、物の流れが起きる。
今だって闇の流れがあるね、あれが表に出てくる。そうなっても君は黙って見てるかい、……僕は、その流れの中に飛びこんで、一トはたらきするよ、なんでも出来ることをするのさ」
「……そうか、はたらけばいいんだ」
「そう、そうすりゃあ、この息のつまるような今より、良くはなっても悪くはならない、そうでしょう」
庄之助の胸に、風が吹きこむ思いがした。
戦争が終れば、もう非国民ではあるまい、|はんぱ《ヽヽヽ》人足なんかじゃない。力一ぱいはたらいてみせる、それも、もうすぐらしい。
二人は、底に残ったブランデーを分け合った。
「登さん、ひとつだけ聞かせて下さい。どうして登さんは、株屋さんになったんですか」
登さんの庄之助からそらした目が一段と光り、庄之助はこわくなった。
「それはさ、この足の話からしなきゃあならないんだ」
庄之助は、悪いことを聞いたか、と身のちぢむ思いをしたが、登さんの目は|もと《ヽヽ》に戻《もど》っていった。
「小さい時の僕の記憶に、今でも、ボールとレールと、ふくれ上がってくる電車の正面とが、人の唸《うな》り声と一緒に残ってる。
筋道をたどると、こういうことだ。
電車道に転がったボールを、あたり構わず追いかけた子供が、走ってくる市電の前に出た。
それを見た大学生が、これも反射的に飛び出して子供を突き飛ばし、自分もよけようとしたが間に合わず、はねられた。
子供は助かったが足の骨を折り、大学生は頭を路《みち》にぶつけて死んだ。
新聞にも出た美談だったが、僕には残酷な美談だった。
そうだろう、僕の命を助けた人は死に、助けられた僕は、正に片輪で生き残った。
新潟《にいがた》から秀才として東京に出てきた大学生が、ためらっていてくれたら損失は一つで済んだ筈《はず》だ。
それが、善意によって二つの損失を生み、人並みでなくなった子供が、命まで落としてくれた善意を背負って生き続ける、残酷だよ」
「……すいません、余計なこと聞いちまって」
庄之助は、下を向くしかなかった。
「いいンだよ、バンちゃん、その先を聞いてもらおう。
僕は、足を引きずり引きずり、小学校から中学へ行った。勉強はした方だが、体操、教練、|からだ《ヽヽヽ》を使う方は落伍者《らくごしや》だった。
運動会も遠足も行かなかった。淋しいよりも、腹が立ってあの市電を憎んだが、ある時、たったの一秒か二秒のことで、こうはならなかったと思いついた時、あの市電のうしろについて、どんどん押してきた|やつ《ヽヽ》の顔が見えたんだ」
庄之助は、登さんの次の言葉を待った。
「……あいつさ、運て|やつ《ヽヽ》さ、運て|やつ《ヽヽ》が、丁度、僕を突き飛ばした長岡さんをはね飛ばすように、あの市電を押しまくっていたんだ。
僕は、運というものが、この世の中にあることを見た。
それなら、その運を相手に、一生戦ってみよう。運は、どこの世界にも住んでいるが、兜町には一杯住んでいる筈だ。それに、株屋なら、足が不自由でもつとまる。
ほんとは数学が好きで、そっちに行こうかと思ったこともあったが、すっかり気が変わって、中学を出ると兜町に行ったのさ」
「……わかりました。それで、また株をやるような世の中になりますか」
「それは、まだわからないね」
「駄目《だめ》ですか」
「そうとも言えないが、そう願いたいね」
「じゃあ、五分五分ぐらいで、そういう世の中が来ると思っていいですか」
「……そんなとこかなあ」
「それなら、五分と五分なら、いい方に乗りましょうよ」
「…………」
「僕も乗せてくれませんか」
「なに?」
「僕は、寿司屋って商売、好きになれないんです」
「ふうん、そうかねえ、なんでまた」
「大体、食べもの屋って、いじましくって厭《いや》なんです。
苦労して作ったものを、愛想をふりまいて食べてもらって、頭をさげてお代を貰《もら》って、あとであの田舎|もん《ヽヽ》が、なんて息巻く。
うじうじしていて、性に合いません。
それよりか、どうせ生れたからには、自分ひとりの才覚で金をつかみとりたい。
それこそ、登さんの言った運と戦うことじゃないですか」
「そうなるね」
「僕は、登さんに教えてもらって株屋になりたいんです……」
「……やってみるか、バンちゃん」
「登さん、おねがいします」
この夜を境にして、|はんぱ《ヽヽヽ》人足だった庄之助は、人間として蘇《よみが》えった。
戦争が終った。
それを潮時のようにして、庄之助の母親も死んだ。夏の盛りに、枯れ木のような姿であった。
父親は、いよいよ気落ちしたが、この分なら息子さんも帰ってくるよ、と回りからはげまされ、何とか毎日を送り迎えしていたが、庄之助は、登さんと組んで闇屋になった。
二人で約束したその日の来るまで、何としてでも生き延びよう、そのためには、何だってしよう、とまず始めたのが闇屋である。
食べ物はいうまでもなく、布地《きれじ》でも紙でも、登さんの聞きこんでくる話をもとに、庄之助は、店に残っていた自転車に、陶化堂さんのとこのリヤカーをつけて、遠い近いを問わず若さにまかせて漕《こ》いで行った。
何処《どこ》へ行っても、多勢の人が無気力な列を作っていたが、自由に動き回れるのが嬉《うれ》しくてならない庄之助は、登さんが心配するほど気力に溢《あふ》れて飛び回った。
戦争が終って二タ月たった秋の夕暮れ、小松川の先の農家から手に入れた野菜を運んで、丁度、聖光病院の脇《わき》まで帰ってくると、戦時中になくなった屋上の十字架のあとに、派手なアメリカの国旗のひるがえるのが見えた。
登さんの見通しに間違いはなかった、やはり、戦争は終ったのだ。これからが、高見さんの言ったここ一番て時で、勝負だ。
庄之助は、しばらくの間、星と横縞《よこじま》でハイカラな旗に眺《なが》め入った。
二人の闇商売は、時とともに|つぼ《ヽヽ》を押さえて、手|ぎわ《ヽヽ》もよくなり間口も広がった。
さすがに米軍はこわかったが、ガタついた警察など、憲兵のことを思えば、こわくもなんともなかった。
そして、品物が入ると、すぐ売ろう、暫《しばら》く置いておこう、という登さんの読みが当たって、面白《おもしろ》いほど儲《もう》かった。
三年目の春先に、福島の山奥まで豚の買い付けに行った時は、大きな勝負だった。
雪の深い村落に五十頭ほどの豚がいるのを嗅《か》ぎつけたのだが、問題は、豚を雪の山奥から鉄道の駅まで運ぶことだった。
豚は、三十キロもある山道を歩けっこないのだが、雪さえ積っていれば、馬橇《ばそり》で運ぶことができる。
しかし、もう三月も末のことで、一度、雨が来たら山道の雪は融《と》けて、馬橇は役に立たず、また、次の冬を待たねばならない。
庄之助は、すでに買い手を見つけた登さんと細かい打合わせをしてから、満員の夜行で東京をたった。
雪道を踏みわけて着いてみると、たしかに豚はいた。この手の話には嘘《うそ》が多いので、まず安心した。
ただ、橇が足りなかった、三十頭より運べない、売り手は全部を売りたがって、一日待てば、よその村から橇の都合をつけようし、雨はまだ来ないと言う。
庄之助は、その村に泊まることになったが、何と言われても野宿にきめて、冷えこむ農家の軒下で、毛布をかぶって坐《すわ》りこみ、地酒をなめた。夕方から雲が出始めていたからである。
夜中に気がつくと星が消えて、それこそ雲量10の空模様。そして、一粒の雨が庄之助の額に落ちた。
はね起きた庄之助は、売り主を叩《たた》き起すと、割り増しをつけて四台の橇を出させた。
夜道を二十キロ降りたところで夜が白み、本降りになった。
庄之助も、売り主に合わせて馬に声をかけ、鞭《むち》をふるった。
人も馬も橇も、びしょ濡《ぬ》れになって駅へ乗りつけ、登さんが手を打っておいた貨車に、臭い豚を積みこんだが、売り主も、笑顔で庄之助を見送ってくれた。
三十頭ではあっても、儲けは充分過ぎるほどあった。
「バンちゃん、よく外で寝てくれたね。今度ばかりは、運より努力だった。教わったよ」
話を聞いた登さんは、珍らしく褒《ほ》めてくれたが、庄之助は、いつか高見さんから聞いたその人の持っている運が、あの夜の自分にはあったのだ、と思えてならなかった。
それよりも、登さんがもっと良い話を聞かせてくれた。ことによると来年あたり、兜町《かぶとちよう》の取引所が再開されそうだというのである。
二人の約束が、陽《ひ》の目を見る日が近づいて来たのだ。
その秋の一日。
二人の事務所兼倉庫である庄寿司の店の電話が鳴った。登さんは、浜松まで布地を買いに行っていて、庄之助が留守番をしていた。
電話に出てみると、けだるそうな登さんの声がする。取引きが手間取るうちに、風邪をこじらしたようで、熱が出て肺炎の気味だから、|すっぽん《ヽヽヽヽ》を持って来てくれないか、と言う。
庄之助は、|すっぽん《ヽヽヽヽ》を鞄《かばん》に入れて、浜松の小さな個人病院に駈《か》けつけた。|すっぽん《ヽヽヽヽ》というのは、米軍から横流しのペニシリンの、二人の間での符牒《ふちよう》である。
登さんは、赤い顔をしてベッドでうつらうつらしていたが、庄之助をみとめると笑顔を見せ、すぐに良くなるだろうから、|いちんち《ヽヽヽヽ》、|ふつか《ヽヽヽ》、居て欲しい、と庄之助の手を握った。
|すっぽん《ヽヽヽヽ》をためつすがめつした年寄りの医師は、黙って注射してくれたが、あろうことか、登さんは一時間もたたぬうちに死んだ。
死亡診断書に書かれたたった四文字の急性肺炎によって、二人の夢は跡形も無く消えたのである。
登さんが死んでからも、庄之助は闇屋だったが、もう元の勢いはなくなった。気の抜けた男に、闇屋なんか出来っこない。
世の中も、気のつかぬうちに落ち着いてきて、おなじ闇屋まがいだった|まち《ヽヽ》の連中も、そろそろ昔の商売に戻りはじめている。
材木屋になりそこない、株屋になりそこない、闇屋にも向かなくなって、また|はんぱ《ヽヽヽ》人足に戻った庄之助は、二十五の春を迎えていた。
生まあったかい陽気の夕方。庄之助が家に戻ると、いつも二階でガサゴソしている父親が店に降りて、馬乗りにまたがった椅子《いす》を子供のように揺すり揺すりして、人待ち顔であった。
裸電球の照らす店の中は、カウンターのある造りだけが、わずかに寿司屋だった昔を残して、あとは荒れ果てたとしか言いようがなく見えたのは、珍らしく白の上っ張りを着た父親が居たからであろう。
「誰《だれ》が来たの」
と聞いたのは、カウンターの上の茶碗《ちやわん》で、来客があったとわかったからである。
「木場のおやじさんが来てくれてなあ」
「木場の……元気だった?」
「ああ、元気どころか、さすがに深川の人間だ、威勢がいいやあ」
そういえば、父親までが、いつもと違って元気だった。
「商売の方は?」
「それが、建て直しの最中らしい。もう一ト花、咲かせてみせるとよ」
本来ならば、戦争の終った日にも駈《か》けつけて、様子を見てくるぐらいのことはすべきだったのに、登さんとの約束が頭にあって木場など眼中に無く、闇《やみ》商売にもかまけてトンと御無沙汰《ごぶさた》、そうなるといよいよ足が向かなくなっていた。
「それでなあ、お前のことなんだが」
「……また、来いってか」
「いや、……それが……別の話だ」
なんだか歯切れが悪い。
「あのなあ……お加代さんをな……お前の嫁にどうかって、そういう話だ」
「お加代さん?」
庄之助は、びっくりした。
木場の店には、跡取りの清太郎さんのほかに娘が二人いた。
姉の方のお加代さんは、庄之助より一つ年|かさ《ヽヽ》で、庄之助が奉公に行くと入れ違いに、陸軍の軍人のところへ嫁入りした。
しかし、一ト月ほどで夫は大陸に渡り、三月ほどで戦死して、半年たったら実家に戻って来たのである。
折も折、二人いた女中が|ひま《ヽヽ》を取ったあとで、お加代さんは、おかみさんと一緒に店の者の面倒を見ることになった。
綺麗《きれい》で、落ち着いた人だった。
みんなが出はらった日曜日など、たまさか庄之助が一人でいると、遠縁ということもあってか奥の間によばれて、晩御飯を食べた。
おかみさんとお加代さんと、女学校に通っていた妹娘の三人から、何やかや話しかけられ、花やかで楽しかった。
食事の終りに、お加代さんが残った焼き海苔《のり》を沢庵《たくあん》に巻くと、いい音をさせて食べたのを憶《おぼ》えている。ちょいと贅沢《ぜいたく》だが、気の利《き》いた食べ方だと思った。
それからこっち、六、七年になるが、思い出すこともなかった。
「年上で、出戻《でもど》りで、申しわけ無いが、どうだろうって言うんだ」
とても即答の返せる話ではない。
「でもなあ、年上ったって一つ違いだろう。こいつあ昔から、|かね《ヽヽ》の|わらじ《ヽヽヽ》で探せってくらいなもんだ。
出戻りっていうが、聞いてみりゃあ、手入らずも同然じゃないか。今日び、お前、生娘《きむすめ》なんたって、あやしいのが多いんだろう」
「そんなことは、どうだっていいよ」
「そうか、わかった……それで、おれはな、お加代さんはどうなんだって、聞いてみたのよ」
「…………」
「そしたらな、なんとこれは、お加代さんが言い出したんだと」
庄之助は、また、びっくりしたが、|からだ《ヽヽヽ》の芯《しん》が揺れていた。
「それでな、お前に相談なしで悪かったが、双方とも子供でなし、二人で|じか《ヽヽ》に話し合うのが一番てことにしたんだ。ともかく一度、逢《あ》うだけ逢ってみてくんな、いやならいやでいいんだから」
庄之助は、この父親を相手に何を言っても無駄《むだ》と思い、二人の父親の手筈の通り、銀座の喫茶店に出掛け、お加代さんに逢った。
これまで庄之助は、お加代さんを女として見ることを避けていたようだ。
遠縁とはいえ縁者だったし、主人の娘であり、未亡人であり、姉のような人ときめていたからである。
それが、自分の女房《にようぼう》になっていいと言い出し、隅《すみ》のテーブルに懐《なつ》かしい笑顔を見せている。
艶《あで》やかというのか、半袖《はんそで》のブラウスから伸びた|かいな《ヽヽヽ》の肌《はだ》は、剥《む》きたての|きぬかつぎ《ヽヽヽヽヽ》のように白く柔らかそうで、わずかに紅を指した形のいい唇《くちびる》がしっとり、切れ長の目がうっとり、こんなに綺麗な女がいたか、と庄之助はどぎまぎした。
考えてみれば無理もない。木場に居たころ、至極当然のように州崎《すざき》の遊廓《ゆうかく》に連れてゆかれて筆|おろし《ヽヽヽ》。以来こんにちまで、金で片づく女しか知らない庄之助の物差しでは、お加代さんは計り切れなかった。
「ごぶさたしました」
庄之助は、ぎごちない挨拶《あいさつ》をして坐った。
「いえ、こちらこそ……でも、お元気のようで……」
お加代さんの目には|いたわり《ヽヽヽヽ》があり、庄之助の目には|とまどい《ヽヽヽヽ》があった。
お加代さんは、やっぱり落ち着いていて、やんわりとではあったが、すぐに本筋に入った。
「こんどのこと、御迷惑だったでしょう?」
「いえ……」
「……出戻りですし」
「……知ってます」
「そうでしたわね……それに年上だってこともね」
お加代さんは、ちょっとうつむいた、|まつ《ヽヽ》毛が長かった。そして顔を上げ、ぱっちり眼《め》を開いて庄之助を見つめた。
「よろしいんでしょうか」
話が早すぎる。庄之助としては、まだ、お加代さんに対する心構えの整理がついていない。しかし、心構えよりも何よりも、|からだ《ヽヽヽ》の中の答えは出てしまっている。もう、ええか、いいえ、しかないところに来てしまった。
「……ええ」
と答え、ただ、と付け加えようとしたが、その|ひま《ヽヽ》もなく、お加代さんは頭をさげた。
「ありがとうございます」
つられて庄之助も頭をさげ、また、ただ、と言おうとしたが、こんどもお加代さんが早かった。
「みんな承知で逢って下さって、ありがとう。わたし、ほんとに|ふつつか《ヽヽヽヽ》者です、よろしくおねがいします」
庄之助は、ただ、私には、ちゃんとした職がありませんので、しばらくは、と言う積りだったが、それはもうやめた。
ゴタゴタ言ったところで、お加代さんは、何でも呑《の》みこんでしまうだろう、と思えたからである、あとで言えばいい。
コーヒーが来ると、砂糖を自由に入れることの出来る上等な店で、お加代さんが入れてくれた。
「庄之助さんて、変りませんのね」
「……そうでしょうか」
「ええ、あのころから余計なことは言わないで、そのかわり、言う時は、きっぱりおっしゃる。……そういうとこ、いいなあと思ってました」
そうだろうか、庄之助は少し赤らんだお加代さんを見ながら、首をひねった。
そしてお加代さんは、こんなことを初めから言えた義理ではないが、と前置きして、結婚の条件というか筋書きというか、とにかくこれからの話を持ち出して、庄之助をおどろかした。
庄寿司を昔通りにしませんか、と言うのである。
今更、嫁入り支度でもないので、おとうさんと庄之助さんが許して下さるなら、建物から造作まで一新する材料と手間を、父にねだると言うのである。
その話のあたりから、お加代さんの目が光り出し、庄之助の目が曇り出した。
お加代さんは、物静かながらも生き生きと話した。
材木屋という仕事は嫌《きら》いだった。自分の夢は、食べもの屋さんだった。娘のころ、何度か庄寿司に連れてゆかれ、こんないいお店がやれたら、とつくづく思ったそうである。
少しでも、お二人の手伝いが出来て、昔のお店のように出来たら、どんなに嬉《うれ》しいかしれない。実は、二タ月ほど前に、用があって庄寿司の前を通ってから、そんなことを考え続けた、とも言う。
そうか、この話の|あらまし《ヽヽヽヽ》を親爺《おやじ》は聞いてるな。嫁が来て、店が開けて、自分もはたらける、それで、あんなに元気が出たのだ。
だが、おれは寿司屋に戻りたくない。戻れというなら、材木屋の方がずっと|まし《ヽヽ》だ。
「父の本心は、庄之助さんに戻って頂くことなんです。けど、庄之助さんは跡取りだからって、それは諦《あきら》めました」
世の中、どうしてこうも食い違うんだろう。
|おれ《ヽヽ》もお加代さんも、自分の|うち《ヽヽ》の商売が嫌いということでは、おなじ穴の|むじな《ヽヽヽ》だ。おまけに、相手の商売をやりたがってる、どっちの魂胆が勝つか。
今のところ、一ト目|惚《ぼ》れしちまった|おれ《ヽヽ》の方の分がわるいが、切り札を出してみるか。
「跡取りってますけど、あの店は、兄貴のものなんです」
「ええ、うかがってます。ですから、お兄さんがお帰りになった時、すぐにでもおやりになれるようにしておきましょうよ。私たち……ごめんなさい、こんな言い方……でも、私たち、その時は、支店を作りませんこと、それでいいのじゃないでしょうか」
切り札は、見事に切り返された。
読み抜いて打った札でもなく、負けたら潔《いさぎよ》く引きさがろうと度胸で打った札でもない。ふらふらっと、いわば女の立て膝《ひざ》に目がくらんで、思わず打ったカス札だった。
それに、お加代さんの話の運びようは、こっちの内幕を心得てのことだ。ははん、親爺の|やつ《ヽヽ》、何から何まで、俺《おれ》が闇屋だってことまでバラしたな。
向うに手の内をのぞかれては、勝てるわけがない。
あとは、お加代さんの熱心な目論見《もくろみ》を聞くばかりで、すってんてんになった庄之助は、良い匂《にお》いのするお加代さんと、初夏と言いたいほどの光を浴びた四月の舗道を、ふわふわしながら歩いて別れた。
一生に一度のことなのにいい加減だと言われるかも知れないが、あれこれ考え合わせると、これより無いんだから仕方がないと庄之助が折れると、善は急げで工事が始まり、二タ月ほどで、くすぶった庄寿司が、見違えるばかりの店に生れ変わり、庄之助と加代は一緒になった。
なにしろ米が材料という寿司屋だから、違法に違いない時節だったが、警察の人間だって腹がへるし、おなじ日本人を取り締まるのだから、米は客が持参したなどという見えすいた嘘《うそ》も通って、まずは庄寿司の再開を聞き伝えた昔|馴染み《なじヽ》から、客は殺到という言葉通りに集まった。
年季に物を言わせはしても大分くたびれた父親と、若いとはいえ|はんぱ《ヽヽヽ》職人としか言いようのない庄之助とで、なんとか満員の客をさばけたのは、客の舌も落ちていた上に、まだまだタネが不足で、すぐに売り切れたからであろう。
そして、地味な和服に白の割烹着《かつぽうぎ》を掛け、帳場に坐った加代の美しさは、心細い親子二人が汗だくになっている庄寿司の文句無しの看板にもなった。
しかし、この美しい帳場は、そんじょそこらのただの帳場ではなかったのである。
こまめに店の中を往き来して、握る側とつまむ側双方のかゆい所に手の届くような気使いをしながら、抜かりなく商売の裏表をのみこみ、誰もそれと気づかぬうちに、店を切り回し始めていた。
二年もすると、加代ひとりで、寿司ダネの買出しに行けるようになり、三年たって、寿司職人の部屋にも顔出しするまでになった。
いずれも、義父と夫の手引きを受け、許しを受けてのことである。
そうしてタネがふえれば職人をふやし、職人がふえれば、惜しみなく店の造作を変え、椅子の数をふやしていった。
五年目には、夫と話し合った上で、義父を説いてカウンターの外に出てもらった。
「何をすりゃあいいんだ?」
「お馴染|み《ヽ》さんのお相手をおねがいします」
「腕が落ちたってわけか」
「いいええ、お父さんのお人柄《ひとがら》がお目当てのお客様が多いんです。お話のお相手をしたら、皆さん、よろこばれると思います。
職人さんはいくらでもいますが、こればかりは、お父さんのほかには、誰も出来ません」
そんな寿司屋があるかい、と渋々ながらも、弱ってきた足腰を口にはしないがいたわってくれる嫁の察しがうれしく、結構たのしそうに馴染み客を待ち、相手欲しやの馴染み客は、この年寄りと昔話にふける不思議なサービスが気に入ったようだった。
相変わらず口数の少い高見さんが顔を見せると、湿めり勝ちな声で、どうやら運が向いて来て、いい嫁が来てくれたし、一ト目、ばあさんに見せてやりたかった、ともらしたり、いよいよ痩《や》せて、ますます、鶴《つる》そっくりになった陶化堂さんには頭をさげて、あん時は地獄に仏でしたよ、でも辛抱した甲斐《かい》があって、どうやら持ち直しました、|にんげん《ヽヽヽヽ》、どっかで埋め合わせがつくもんですねえ、と神妙なことを言った。
果ては、庄之助と加代の|なこうど《ヽヽヽヽ》までしてくれた笹野《ささの》先生に手を合わせ、面倒の見ついでに、今度は、孫の顔をおがませて貰《もら》いてえ、と頼みこんで先生を困らせたりした。
その笹野先生は、庄之助の頼みをきいて、兄の謙一の行方を探してくれていたが、ある日、内緒で庄之助を呼び、一つの結論を告げた。
「生きておられると思う。
というのは、いくつかの手|がかり《ヽヽヽ》を手繰《たぐ》って行くと、いつも肝腎《かんじん》のところでプツンと切れてしまう。いや、切られてしまうと言った感じなんだ。亡《な》くなられたのなら、切れはすまい。亡くなったということは致し方ないことなのだから、いつどこに葬られたかという話があっていい筈《はず》だ。
推測になるが、兄さんは、向うの人間になられたのではないか。君から聞いたような芯の強い性格の持主なら、戦争に対する決着としても、自分の納得としても、もはや日本の土を踏まず、中国人として生きる決心をされたのではないか。
こちらから辿《たど》って行く糸を切ってしまうのは、実は、御本人なのかもしれない、私には、そう思える。
勿論《もちろん》、これからも心掛けてはおくが、もし私の推測が当たっているなら、下手に探し回られるのは、かえって迷惑かもしれない。
江戸時代の初めのころ、明《みん》という国がほろんで、その遺臣が随分と日本に渡って来ている、そして、みんな、この日本という小さな異国に溶けこんだ。
ましてや、あの地大物博を誇る中国のことだ、一人の勇気ある日本人を生かす余地は充分にある。
兄さんは兄さんなりに、そこで立派に生きておられると考えてはいけないだろうか」
庄之助は、笹野先生の言葉を噛《か》みしめ、おそらくそうだろう、そうあって欲しいとねがったが、その話は自分一人の胸にたたみ、庄寿司ならではの名物となった父親は何も知らず、新らしい店になって十年目の冬、心臓の加減が悪くなって死んだ。
今度は庄之助が、カウンターの外に引っぱり出された。
「お父さんに代わってということもありますけれど、外から見るのも、主人というものの仕事だと思うんです」
これには、一も二もなく庄之助は従った。
職人として一ト通りのことはおぼえたが、どこかしら俄《にわ》か仕込みのところがあって、加代のつれてくる本職を横目に、ハラハラしていたのが掛け値の無い話であった。
それを加代が見抜いてのことと思うと、ありがたくもあり、こわくもあった。
こうした成行きから、|はた《ヽヽ》目には、押しも押されもせぬ庄寿司の主人になった庄之助だったが、その主人の胸のうちには、またぞろ、|はんぱ《ヽヽヽ》人足の声がひびき出した。
客の一人が酔いにまぎれて、
「この店はな、おかみさんで持ってる」
と余計なことをわめき、
「とんでもない、出来た人がおりますんで、私もはたらけるんです」
と加代が真顔で打ち消し、
「おう、御馳走《ごちそう》さま」
と居合わせた連中にはやされたが、本当に出来た人も、本当にはたらいているのも加代であることは、一番に庄之助が知っていた。
主人で、|ひま《ヽヽ》で、小遣いがあって、いい御身分だと、昔仲間に羨《うらや》ましがられる庄之助だが、本当は、力一杯はたらきたい。でも、その気になれない囲いの中に居るようで、やり切れなくなる時がある。
自然と、また花を引くようになった。
八百松のおじいちゃんは亡くなったが、兵隊帰りの二代目が、庄之助と同じ年恰好《としかつこう》で、これも賭《か》けごとがきらいでない。
だいいち、陶化堂さんと高見さんがピンシャンしていて、顔が揃《そろ》うと始まった。
ただ、三人とも庄之助ほどの|ひま《ヽヽ》は無い、となると、一人の時が困る、それでいつか、競馬もおぼえるようになった。
なかなか子供の出来ない二人の休日は、食べ歩きだった。それも加代には仕事のうちのようで、庄之助はお供といった恰好である。
加代は、うまい物屋の噂《うわさ》を聞きこんでは出かけて、気のつくことがあれば、うちでもああしたらこうしたらの相談を持ちかけるのだが、庄之助に異存のあろうわけもなく、そして加代のすることに、まず外れはなかった。
千住《せんじゆ》の先まで鰻《うなぎ》を食べに出掛けた日、二人っきりの部屋で自慢の大串《おおぐし》を食べていると、取って付けたような明るさで、加代が切り出した。
「あなたにして欲しいことがあるんですけど」
「……なんだい」
「ゴルフ、始めて下さいな」
「ゴルフ?」
「ええ、木場の兄も始めましたし、御近所でも、なさる方が多くなりました。とっても面白《おもしろ》いんですって、それに|からだ《ヽヽヽ》にもいいってます。笹野先生も教えて下さるって」
「……いやだね、おれは、……寿司屋の|おやじ《ヽヽヽ》がゴルフなんて、お門違いだ」
加代は暫《しばら》く黙っていたが、いきなり口調があらたまって話も変わった。
「あなた、お小遣い、減りませんのね」
庄之助は不意をつかれたが、花札やら競馬やらで、その辺は適当にまかなっていることを話した。加代も知ってはいようし、|つき《ヽヽ》もあろうが、まあまあの出来だという多少の自慢もあったからだが、加代は箸《はし》を置いた。
「わたし、あなたがお金を使うことに、一ト言も文句ありません。あなたが主人なんですから、気持よく使って下さい。わたしも気持よくはたらきます。
でも、バクチは嫌《きら》いなんです。暗い感じがして好きになれないんです、主人のあなたが、バクチをするのは辛《つら》いんです」
庄之助は答えようがなかった。
「|ひま《ヽヽ》を持て余すようなら、ゴルフでも何でもなすって下さい。好きな所へ旅行に出掛けるのもいいと思います。でも、バクチは嫌いなんです……わがままでしょうか」
そうとも、わがままさ。|かっこ《ヽヽヽ》ばっかり付けて、お嬢さん根性、丸出しじゃないか。店はおろか、おれまで自分の気のすむようにしたいのか。おれだって、男らしく力一杯生きる積りだったんだ。それが、どういう加減か、ここ一番て時に突き飛ばされて。
庄之助は、|のど《ヽヽ》元まで出かかった|せりふ《ヽヽヽ》を呑《の》みこんだ。
「考えておこう」
「すいません」
で、その話は終ったが、庄之助は不満だった。不満といえば、ほかにもある。
いつだったか、笹野先生が子供のことを心配してくれて、二人とも病院で見よう、と言ってくれた。
昔とは違って、その方面の研究が進み、ちょいとした手当てで、子宝に恵まれる夫婦がふえていると言われた。
庄之助は子供が好きで、|まち《ヽヽ》の中の子供とよく遊ぶ、自分の子も欲しい。
早速、寝物語りに笹野先生の話をしてみたが、加代は受け付けなかった。
「私だって、赤ちゃんは欲しいわ」
たしかに、加代も子供好きだった。高見さんとこのちっちゃな孫娘の麗《れい》ちゃんを可愛《かわい》がって、|ねんねこ《ヽヽヽヽ》でおんぶして歩き回ったこともある。
「ただ、さずかり物って言いますよね。十年、十五年たって出来たって話もありますもの、自然のままで待ちましょうよ」
そこまでは、庄之助もわかったが、そのあとが面白くなかった。
「それに今、お店が大切な時でしょ。こんな時に出来ないって、なにかのお引き合わせじゃないかしら」
そうかも知れない、加代にとっては、そうかも知れない、庄寿司は、加代の生んだ子供なんだから。
だが、おれは違う。おれは、加代の色香に迷って庄寿司を始めちまったんだ、そんな店なんかより赤ん坊が欲しい。庄之助は、蒲団《ふとん》を引っかぶって|ふて《ヽヽ》寝をした。
それにもう一つ、これだけは恥ずかしくて、誰《だれ》にも言えない不満だったが。
一緒になって一ト月ほどしたころ、床の中で庄之助が、加代をうしろから抱きしめると、おびえた目付きでふり返った加代は、それを拒んだ。
ひどくみじめな気持になった。
加代は、庄之助が求めればいつも応じたが、たった一つの形しか許さず、そして、加代から求めることはなかった。
要するに、加代は自分の引いた図面の通り、ことを運んでいる。床の中の形まで加代の流儀だ。
それじゃあ、あんまりわがまま過ぎる。独《ひと》りで生きてんじゃない。
登さんだって、おれだって、自分の図面は持っていた。その通りに運びたかったのは山々だった。でも、いつも運というやつが、こっちの図面を引きちぎった。
それでもおれは、世の中なんてこんな物かと我慢して、ほんのわずかな息|ぬき《ヽヽ》にバクチを選び、自分の夢を果たす|まねごと《ヽヽヽヽ》をしているんじゃないか。
なにも大金をつかもうなんて気は、さらさら無い。おれの読みに、少しでも運がふり向いてくれれば、それでいいんだ。
それを、バクチは嫌いだの、暗いだの、辛いだの、御託《ごたく》を並べたあげく、ゴルフをやれなんてお為《ため》|ごかし《ヽヽヽ》は、人の気持を知らなさすぎる、おれは、加代の着せかえ人形じゃない。
なんで兄貴は捕虜になっちまったんだ。なんで登さんはペニシリンで、それも、よりによってこの|おれ《ヽヽ》が、浜松くんだりまで運んで行ったペニシリンで、ショックとかを起しちまったんだ、命の綱と頼んだ薬で死ぬなんて皮肉すぎる。
加代には思い及ばなかったろうが、加代が鰻屋で持ち出した話は、つれない響きで庄之助を突き放す恰好になった。
以来、庄之助は、|ひま《ヽヽ》の許す限り、以前に倍して花札、競馬に打ち込んで仲間をおどろかしたが、陶化堂さんが亡くなり、八百松の二代目も若死にし、さすがの高見さんもがっくりしちまって、花札の集まりは消えた。
そうときまれば、あとは競馬一ト筋、露骨な競馬場通いとなったが、あれだけ嫌いだと言った加代は、二度とバクチのことには触れず、黙って庄之助を送り出し、月日がどんどんたっていった。
加代が、尿毒症とかいう思いがけない病気のために、あっ気なく死んでしまったのは、珍らしく、本人が聖光病院に行くと言い出し、庄之助も放《ほう》ってはおけず、抱きかかえるようにして付き添ってゆき、そのまま入院となった翌日であった。
翌朝一番に、加代から言いつかった身の回りの物を、おろおろしながらも掻《か》き集めて届けた時には、もう昏睡《こんすい》に入って物言わぬ加代になっていた。
お医者や看護婦さんがあわただしく出入りする病室の、隅《すみ》|っこ《ヽヽ》に坐っていた庄之助は何をすることも出来ず、そのうち誰かにうながされて加代の手を握ったが、依然として一ト言もないままに、柔らかな日差しの午後に息を引き取った。
庄之助は、ただ茫然《ぼうぜん》とするばかり。
たしかに、二、三日前から顔色も悪く、時折、立|ちぐらみ《ヽヽヽヽ》でもするのか、しゃがみ込んだりしたが、声を掛けるとすぐに立ち上がって、大丈夫、何でもありません、と言っては伝票の整理なんぞを始めるので、手のつけようが無かったのだ。
これが長|わずらい《ヽヽヽヽ》の末とでもいうなら、覚悟もしたろうし、せめて昨日だって、生|き《ヽ》死|に《ヽ》にかかわると聞かされていれば、付きっきりでいたろうに。
頼みの笹野先生は、学会とかで関西に行っていて、若いお医者のわかりにくい話を聞いただけで、まるで神隠しに会ったかのように、突然、加代が居なくなったのである。
あまりの突然に、加代の臨終には庄之助一人が立ち合っただけで、それから寄るべ知るべに電話を掛け続けて部屋に戻《もど》ると、加代の遺体はすでに霊安室とやらに移され、婦長さんから、少しお休みになりましては、と言われてとりあえず屋上に上がってみた。
深呼吸をしては、遠く近くに目を移していると、よく加代と出掛けた銀座の灯がちらほらつき始め、加代と昨日まで住んでいた|まち《ヽヽ》が目の下にうずくまっている。
振り返れば、幾つかのビルにへだてられて見え隠れしながらも、にぶく光る隅田川の流れが見えた。
とすると、あれが佃《つくだ》の大橋で、そのずうっと向うが、加代が生れ育ち、庄之助も二年の月日を送った木場になる。
屋上に立って、かえって二人にゆかりの時と所が見通しになり、切なくなった庄之助の思わず引き返そうとしてめぐらした視界に、光が入った。
塔屋の上の金の十字架が、尖端《せんたん》に最後の陽射《ひざ》しを受けながら、錆《さ》びの色目にどっしりした貫禄《かんろく》を見せている。
いつも遠くから振り仰いで|おもちゃ《ヽヽヽヽ》のように思えた十字架の、思いがけない大きさに驚きながらも、この十字架が神様だというのなら、神様はいつも|おれ達《ヽヽたち》を見おろしていたのか、加代が死んじまったのも、その神様の言いつけなのか、と信心めいた気持が湧《わ》きあがり、切なさが幾分なりとも和むように思われた。
十字架の光がかげって、夕風の立つ気配に、これからは一人なんだと我にかえると、高見さんと加代の兄の清太郎さんが近寄ってくるのがわかった。
二人とも何も言わず、左右から庄之助をかかえ、三人して、四方の暮れて行く景色に眺《なが》め入った。
白木の位牌《いはい》の戒名のわきに、俗名、倉橋加代、享年《きようねん》四十八歳とあった。
二十年の間、庄寿司を切り回し、庄之助の母親でもあった女房《にようぼう》が、たった一ト晩で消えてしまっては、何をどうしていいのやら見当もつかず、人の手でするする進んで行く|おとむらい《ヽヽヽヽヽ》を、ただ見ているだけの庄之助は、集まった人たちの涙に頭をさげるばかりで、自分は泣くことを忘れたようだった。
泣いたのは、初七日の帰り道、みんなと別れてただひとり、人気の無い日曜のこの|まち《ヽヽ》に入って来た時のことである。
いつもは、こんな日のこんな時間に、すぐうしろについて、機嫌《きげん》よく何のかの言っていた加代が今日はいない。
それは不満もあった、庄之助なりにむずかっても見せた。でも、それは相手が加代だったからで、加代だけが、むずかれるたった一人の身内だったのだ。
その加代の図面も、思い通りに出来かかった矢先に、あっさり引きさかれた。こんな結末になろうなんて、加代もくやしかろう、だが、そんなもんなんだ、世の中は。
そうか、そうだったのか、加代もおれの仲間だったのか、加代……、庄之助はいま一度加代をだきしめてやりたかった。
途端に、涙があとからあとから溢《あふ》れ出してきて、上を向けば水の中にいるようだし、下を向けば、乾いた舗道の上にばらばらと落ちてゆく涙が見えた。
加代に死なれてからというもの、|いっとき《ヽヽヽヽ》、庄之助は忙しくなり、そしてひまになった。
帳場に女の子を置いては、とすすめられたが、それはしなかった。
加代でない女が帳場に坐《すわ》る庄寿司なんて、どうにも気色が悪く、庄之助が相つとめることにしたところ、何分にも馴《な》れぬこととて天手古舞。その忙しさに気もまぎれて、実は有り難《がた》い結果になったのだが、これがまたぞろ、続かなくなったのである。
なにしろ庄之助も、いつの間にか、この辺では古顔の一人に数えられて、組合やら親睦会《しんぼくかい》やらの役|どころ《ヽヽヽ》をおおせつかっている。
それで、よんどころなく店を留守にする段になると、十五年からつとめてくれたテツオが、弟分のタケシと交代で帳場に坐り、造作無く取り仕切るので、それが次第に当り前になってしまったのだ。
テツオに言わせると、大将を帳場に釘《くぎ》づけにするなんて、|うち《ヽヽ》らしくないのだそうである。
高見さんに言わせてみても、バンちゃんには、自然に備わった人徳というものがあって、回りの者が押し立てたくなるんだよ、それがバンちゃんの運勢なんだから、店の者の言うようにするのが一番、なのだそうだ。
またしても贅沢《ぜいたく》な言い分になるが、何かにつけて中途|はんぱ《ヽヽヽ》にされてしまう自分の運勢、どうなっているんだろう。
庄之助は、吾妻《あずま》商店の若旦那《わかだんな》に、ふっと聞いてみる気になった。
「運て、何でしょうねえ、若旦那」
「え?」
若旦那は、出しぬけのおたずねに|ぐいのみ《ヽヽヽヽ》を置いた。
古い|かつぶし《ヽヽヽヽ》屋の一人息子で、年は若いが学問がある上に人当たりが良くって、話をしているとさばさばしてくる人だ。
見た目には元気なんだが、心臓とかどことかがよくないそうで、子供の塾の先生ぐらいが関の山だという。
それでも庄寿司がお気に入りのようで、ちょくちょく見えては、行儀のよい酒を飲み、好みの寿司をつまんでゆく有り難いお|馴染み《なじヽ》さんだ。
「運ですよ、若旦那、運勢の運」
「ああ、運命の運ですね」
「ええ、それなんで……たとえばの話、人間の一生なんて、運できまってんですか」
「……待って下さい」
若旦那は、暫く|から《ヽヽ》の|ぐいのみ《ヽヽヽヽ》を傾けて底をのぞいていたが、
「一切の人間、運は天にあり、って、本に書いた男がいました」
「……運は天にありねえ」
「ええ、ですから、人間には、どうすることも出来ないって言うんでしょうね」
「すると、どう足掻《あが》いても駄目《だめ》なんで」
「そういうことになります」
「なりますって、若旦那、若旦那はどう思うんです」
「……待って下さい」
今度は上を向いて、コツコツ|ぐいのみ《ヽヽヽヽ》でテーブルを叩《たた》いている。
「……|あした《ヽヽヽ》のことって、僕《ぼく》達にはわかりませんよねえ」
「そうです……本当にわからない」
庄之助は、兄のこと、登さん、それに加代のことを思うと、うなずかざるを得ない。
「わかれば、いいんですけどねえ」
「そりゃあ無理ですよ、若旦那」
「そうでしょ。だから、わからないのが人間で、わかるのは天だというんでしょう」
「なるほど」
「それで、運は天にあり、と言うことになります。……ただし」
若旦那は、庄之助の酌《しやく》を受けると、珍らしく一ト息に飲み干した。
「運は天にあり、では、どうするのか」
「どうしましょう」
「サイカクという男は、運は天にあり、雷に打たれて死ぬるも、前世よりの定めごと、と言って、じたばたしても無駄だという口振りでした」
「へええ、そうなんで」
「ええ、でもサイカクは、人間を|わき《ヽヽ》から冷静に見ていた男でしてね、いわば、天みたいなもんです」
「ほう」
「|わき《ヽヽ》からでなく、真っ正面から人間に取組んだ連中、たとえば合戦で、生きるか死ぬかの最中に居る武者《むしや》なんかですとね」
「ほお」
「運は天にあり、一歩たりとも引くべからずって、今の|おれ《ヽヽ》達人間には、敗《ま》けそうに思えても、結果は天しか知らないんだから、一歩も引かず戦ってみようって言うんです」
「ふううん」
若旦那は、また一杯、さっと明けてから、にっこりして庄之助を見た。
「生きて行く本人は、運が天にあるからこそ、諦《あきら》めてはいけない、僕はそう思いますが、どうでしょうか」
庄之助は、若旦那の話が気に入って、腹をくくった。
こうなったら、|はんぱ《ヽヽヽ》人足だろうと何だろうと、死ぬまで、一歩も引くものか。うじうじせずに、好きなように生きて行ってやる。
庄之助は、時に帳場に坐り、時に寄り合いに顔を出し、そして、競馬場に通うといった暮らしに落ち着いて、また月日がたった。
去年のことである。
ひとしきり混み合った昼時に|めど《ヽヽ》がついた一時過ぎ、店から二階に上がった庄之助が、おきまりのジャンパー姿に着換えていると、襖《ふすま》の向うから、「タイショウ」という小声がするので明けてみると、アキオが頭をさげて封筒を差し出した。
「これで」
「よし」
それだけの問答で、庄之助は封筒を受け取ると、裏口からするりと出て行った。
アキオは、古手の職人の一人である浅野がトラックにはねられ、まず一年は無理だろうということで、三月ほど前に庄寿司に来た新入りである。七人の中では、一番に年若《としわか》で住み込みということにしたが、仕事はたしかのようだった。
「ちいっとばかり癖のありそうな|やつ《ヽヽ》ですが、その時は言って聞かせます」
と言うテツオの話しっぷりは、言って聞かせるだけの見込みがあるということで、少々の癖の方は、とかく有り勝ちな職人の世界のことである。
しかし、アキオは、さっぱりした気性のようで、庄之助には気楽な子であった。
朝のうち店のテーブルで、庄之助がスポーツ新聞の競馬欄を読んでいると、アキオも、もう店に出て何か下|ごしらえ《ヽヽヽヽ》にかかり、
「大将、あたしも好きなんですが、やっぱり、いけないことなんですかねえ」
とカウンターの向うから、しんみりした声を出した。
庄之助は新聞をおろし、ちょいといやな気がした。
「競馬か」
「ええ」
「……いけないとは言わないが、打ち込むと怪我《けが》するぞ」
「それなんで、だから、一ト月にこれだけって極めて買うんで」
「それなら、遊びでいいだろう」
「そうすか、よかった」
庄之助のいやな気が消えた。
「どんな買い方するんだ」
「いえ、もうほんの少しですから」
「穴狙《あなねら》いか」
「いえ、穴とか、本命とかいうんじゃなくて、よおく調べますんで」
「ふううん」
庄之助は、面白《おもしろ》くなった。
「大将、競馬ってえのは、競輪や競艇と違って、調べることが一杯あるのとちがいますか」
「まあね」
庄之助は、愉快になった。
「あたしの生れたとこは、山ン中でして、馬もいましてね」
「そうかい」
「馬は可愛《かわい》いす」
「そうだな」
庄之助は、うなずいた。
「あたしは、沢山買うか、買わないかじゃなくて、どの騎手の、どの馬がくるか、それを調べるのが楽しいんです」
庄之助は、アキオが可愛くなった。
「時々、このレースは買いたいな、ってのがあるんですが、あたしら休みでなきゃ買えませんから、普段の日にくやしい思いをすることがありますが、それでいいんでしょうね」
普段の日だって、買って買えないことはないのに、アキオは、まだそんな手|だて《ヽヽ》を知らないようだ。
庄之助は、少しばかり可哀そうになり、少しばかり後ろめたかった。
「あのな、大っぴらにするなよ、おれとお前だけのことにしよう」
「…………」
アキオは、|きょとん《ヽヽヽヽ》とした。
「普段の日のレースでな、これはってのがあったら、おれが買ってやる。でも、そうさなあ、一ト月に一度ぐらいにしな」
「そうすか」
アキオは、目を輝かした。
そんな|やりとり《ヽヽヽヽ》があって、一ト月ほどしたゆうべ、アキオが、明日のレース買えましょうか、とそっと聞きにきて、今日、封筒を渡されることになったのである。
五千円も入っているのか、タクシーの中で庄之助が封筒を明けると五万円入っていて、まずあわてた。
つぎに、小さなメモに「8レース、1―5」とだけあって、いよいよあわてた。
急いで新聞を出してみると、やっぱりそうだ、こんなのが来る筈《はず》が無い、冗談じゃない。
あいつ、穴は狙わないって言わなかったか、調べるのが楽しいって言わなかったか、この目に五万円ぶちこむなんて、どう調べたかしらないが、大穴も大穴だ、話が違う。
庄之助は、咄嗟《とつさ》にノムことにした。
アキオのためだ。あいつの顔も立てて、1―5も一万円は買ってやるが、あと一万円ずつ堅い目に張って、出来れば元は取ってやりたい、その上で、よおく言って聞かせよう。
たしかにこのレースは、庄之助もお目当ての面白いレースだった。そしてその通り、庄之助が真っ青になるほど面白いレースになったのである。
アキオのメモ通り、1―5が来て、配当が八千五百円。
アキオの取り分は、四百二十五万。1―5は一万円買ってあるものの、差引き三百四十万は、庄之助が都合しなければならない。
それも、今日のうちに現金で渡してやらなくては、倉橋庄之助の面目丸|つぶれ《ヽヽヽ》であるが、もう三時を回って、三百万からの現金がどこにあるか。
8レースの興奮のなお残る競馬場を飛び出すと、くらくらしながら庄之助は、公衆電話のボックスに飛びこんだ。
ガラスに薄く映る庄之助は、情無い顔だった。でも、|おれ《ヽヽ》がいけない。
庄之助は、思い当たる方々の知り合いに電話を掛け、みっともない嘘《うそ》をならべて汗だくになり、都合四軒の知り合いを回って現金をそろえ、夜の八時過ぎ、ようやく店にたどりついた。
裏口から店の中をのぞくと、いつもと変わりなく客が詰まっていて、アキオにも変わりがないようだ。
こっそり二階に上がった庄之助は、|さつ《ヽヽ》を数えてから明りを消して横になった。
三百万の痛さもさることながら、アキオの馬券をノンだ自分の|はんぱ《ヽヽヽ》な善意が、たまらなく痛かった。
アキオの注文通り、買ってやるがいいではないか、はずれた時は、はずれた時のことだ。でも、今更それを悔むなら、初めっから、馬券を買ってやろうなんて言わないがいい。
どうしておれは、こう中途|はんぱ《ヽヽヽ》なんだ。
いい年をして、庄之助は涙ぐんだ。
とにかく今日限り、おれは競馬をやめるぜ、庄之助が闇《やみ》の中の加代に呼びかけると、黙って伝票を繰る加代の横顔が見えた。
それから一ト月もたたぬうちに、|くに《ヽヽ》に帰ると言って、アキオは庄寿司から暇を取った。
渋い顔をしたテツオが庄之助に頭をさげ、あいつは、飛んだ競馬狂いで、それも八百長話ばっかり漁《あさ》ってる食わせもんでして、ゆくゆく店のためにもなりませんで、半分は追い出したようなわけで、相すいません、今後、気をつけます、と|わび《ヽヽ》言を言ったが、庄之助は、うん、うんと聞いているほかはなかった。
金輪際、競馬はやめたと決心をした上に、後味の悪い話まで聞きながら、一年もすると、またぞろ、尻《しり》がむずむずして来て、行くな、いや行けの繰り返しの毎日、いったい、どうしたらいいんだ。
バンちゃんが、根元まで吸ってしまった煙草《たばこ》のフィルターを、海幸橋の手|すり《ヽヽ》越しに堀割《ほりわ》りに投げて向き直ると、向う側の手|すり《ヽヽ》の前で手を振る者がある。
白い花のような女の子だ、笑っている。
バンちゃんも手を上げると、女の子は、今はもう車の往き来のまばらな橋の上を、さっさと渡ってくる。
麗《れい》ちゃんだ。母親のおなかの中に居る時から知っている高見さんとこの娘だ。
この子の生れるについては、いろいろ|わけあり《ヽヽヽヽ》で、高見さんもそれは苦労をし、バンちゃんも片肌《かたはだ》ぐらい脱いだことのある娘だが、ちょっと見ないうちに、すっかり一人前の女になっている。
皮膚が青ざめて見えるほどの色白で、女優って言っても通るぐらいの器量|よし《ヽヽ》だが、勉強が好きで、大学を出たのに、また大学に通っていて、先行きは先生になりたいのだそうだ。
「どうかして、庄おじさん」
庄おじさんなんて、めったに聞かなくなった呼び名も久方ぶりだ。
「どうして」
「だって、こわい顔でぼんやりしてて」
「……別に、どうってことないよ」
とは言ったものの、わかるかねえ、やっぱし、というのが胸の内である。
「なら、いいけど、心配しちゃった」
「そうかい、すまないね」
バンちゃんは、無理に笑って見せた。
「……で、麗ちゃんは?」
「…………」
麗ちゃんの顔から表情が消えた。ははん、この子だって何かある。
「あんたも、なんかあんの?」
麗ちゃんの顔に、表情が戻《もど》って笑った。
「ほら、庄おじさん、何かあるんじゃない。あんたもなんて言って」
「そうか」
バンちゃんは、一本取られて|にが《ヽヽ》笑い。
「ま、|にんげん《ヽヽヽヽ》、いろいろさ」
「……そうねえ」
二人は並んで堀割りを見おろした。
「あのね、笑わないでね。今、|おみくじ《ヽヽヽヽ》引いてみたの、波|よけ《ヽヽ》さんで」
麗ちゃんは、細長い紙|っきれ《ヽヽヽ》をひらひらさせた。
「ふううん、学校の先生になろうって人が、|おみくじ《ヽヽヽヽ》をねえ」
「だから、笑わないでって言いました。……でも、いいのよ、誰《だれ》だって迷う時はあるし、そんな時は、藁《わら》をつかむ気にもなるじゃない?」
「そうか……藁か、|おみくじ《ヽヽヽヽ》は」
「ううん、藁でもないんだなあ、良いヒントだったら、乗ってみる手はありそうよ」
「……なるほど、|おれ《ヽヽ》も引いてみるか」
バンちゃんは、橋の|たもと《ヽヽヽ》の波|よけ《ヽヽ》さんの方を振り返った。
「もう駄目《だめ》、さっき、閉まっちゃった」
「……そうか」
「じゃあ、私ので間に合わしたら」
「……いいのかい、そんないい加減で」
「それはね、庄おじさんが、この|おみくじ《ヽヽヽヽ》に賭《か》けようってきめればいいのよ。悪いことが出てるかも知れないんだから」
「……よおし、賭けた」
バンちゃんは、一本指を麗ちゃんの持つ|おみくじ《ヽヽヽヽ》に突き出した。
ひょっと、バンちゃんは思い出した。この子が小さかったころ、加代が可愛がって、よく|おんぶ《ヽヽヽ》していたっけ。
その子が、|おみくじ《ヽヽヽヽ》を持って橋の上にやって来て、苦しんでいる|おれ《ヽヽ》に、賭けてみろと言う。これは加代が、あの世から寄越したんじゃないか。
勝手だが、そう思わしてもらおう。いけませんと出たら、諦めよう。
遠目には、親子して、じゃれ合っている風景に見えるだろうが、こっちは真剣である。
「じゃあ、まず庄おじさんの問題から聞きますよ、よくって……商売?」
「いいや」
「じゃあ、恋愛かな」
「とんでもない」
「病気?」
「……とも違うなあ」
「何かしら一体……旅立ち?」
「……それだ、それにしよう」
「それにしようって、ほんとにそうなの」
「うん、行きたいとこがあるんだ。それで迷ってンだから、旅立ちでいいんじゃないかなあ」
「そうね、いいかもね、……庄おじさん、この旅立ちってね、私も、それで引いてみたの……いいわね、読みますよ」
「いいとも、読んでくれ」
「旅立ち……わざわい無し、よろこびに逢《あ》う」
二人は、笑顔を合わせた。
「庄おじさんは、どこへ」
「ううん……四方八方だな」
「へええ、不思議な旅立ちね」
「まあね」
バンちゃんの気持はふっ切れた。これがほんとの、おんぶした子に教えられて浅瀬を渡るだ。去年のような馬鹿《ばか》な|まね《ヽヽ》は二度とすまい、|もと《ヽヽ》の|おれ《ヽヽ》に戻るんだ。
「で、麗ちゃんは」
「わたし……」
麗ちゃんは、海幸橋の鉄の欄干を見つめると、そっと手を置いた。
「庄おじさんは四方八方……それなら私は、西の方」
キリッと締まった娘の白い顔を残して、橋の上に夜が来ていた。
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5 海幸橋
吾妻《あずま》先生
思い立って、麗子は京都へまいりました。
そして、この手紙を書いています。
もう夜の十二時を回りました。ここ北白川のあたり、静寂そのものですが、ただの夜更《よふ》けのそれでなく、ことに味わい深い静寂と思われるのは、東から西の都へとのぼった娘の感傷からでしょうか。
今、しみじみとした夜気に包まれて、大切な手紙を書くのにふさわしい、時と所に恵まれました。
さて、何を思いたって京都へ来たのか。
まずそれから申しますと、私は、二つの秘密を解き、そして一つの決心を固めよう、と思い立ってこちらに来たのです。
二つの秘密。
一つは、私の出生の秘密、もう一つは、先生の人生の秘密です。
一つの決心。
それは、私が先生と結婚する。それが出来なければ、一生を未婚で通すという決心です。
いきなり、こんなことから書き出して驚かれると思いますが、ゆっくり昔話から聞いていただいて、その上で先生のお考えをうかがいます。
十年前のこと。
私は、吾妻|塾《じゆく》第一期の四人の生徒の一人。
戸川七郎君と泉梅治君が月・木組、若松純子さんと私が水・土組で、先生の御指導が始まりました。
今にして思えば、それは見事な御指導でした。
一人一人の個性に合わせての行き届いた手引き、それによって、四人ともぐんぐん学力を伸ばしました。
たとえば、そのころ学習の意欲をなくして成績の落ち始めていた私は、先生に接して学習することの楽しみをおぼえ、自然と成績も元に戻りました。
学力だけではありません。ものの見方、考え方を、幼いとしか言いようのない私たちに、しっかり植えつけて下さいました。
学習よりも、むしろその方が大切で、あとになればなるほど私の力になりました。
素晴らしい私たちの吾妻先生に、あらためて御礼を申します。
そして、とくに私には目をかけて下さったことにも。
言うまでもなく、先生は、差別や贔屓《ひいき》をなさる方ではありません。
それなのに、とくに私には目をかけて、と言い出したのには理由があります。
それは、私がある意味で孤児であることを、ふとしたことから先生があばくことになってしまい、その償いと憐《あわ》れみの気持から、私に目をかけて下さったと思われるからです。
吾妻塾に通って半年ほどたってから、先生は、私|達《たち》の家庭のことをお調べになりましたね。
私の場合、まず先生は、両親の名を書くように言われました。私は、半二郎、よね、と祖父と祖母の名を書きました。
すると先生は、レイちゃんのお母さんは、信子とか、信とかいうのではないの、と言われました。
そうです。たしかに、私の実の母は信子といいます。でも何故《なぜ》、先生がそれを御存知なのか、一瞬びっくりしましたが、すぐにわかりました。
それ以前に、作文を書かされた時、私は不用意にも、「人間にとって大切なことの一つは、信頼にそむかぬことである。私は、母の名のさし示すように、信の一字を守りたい」と生意気なことを書いたようです。
まさか、あとになって、両親の名を書かされようとは思いませんでしたし、信子という実母の名が、いつも胸の中にひびいていたからでした。
先生は、その作文の一節をおぼえていらしたのです。
先生の質問に、私はためらいましたが、先生になら言ってもいいと思われて、わけを話しました。
私が小さい時、母が亡《な》くなり、それで祖父母の籍に養女として入ったということを。
先生は、それなら本当の両親の名も書きなさい、と言われました。
私は、多分、当惑した表情を見せたと思うのですが、それでもはっきり、父の名はわかりません、と言いました。
先生は、それを聞くとうつむいて、暫《しばら》く考えていましたが、やがて困ったような顔をされ、レイちゃん、ごめんね、聞かれたくないことを聞いてしまったようだね、でも僕《ぼく》は、君達の勉強を見る参考にと思ったし、また、君達が自分の家を例にして、人間の家系というものを考えてもらおうと思って、聞いたことなんだ。今日の話は、お互いに忘れよう、半二郎さんとよねさんが君の御両親だ、と言われました。
先生、先生は、忘れようと言われましたけれど、お互いに忘れられる話でしょうか。冷静な先生にしては、苦しまぎれの決着。でもそれだけ、やさしいお気持がうかがえます。
ですから先生は、その後、日曜日などに私だけを、何かにこと寄せてはよんで下さったのだと思います。
お部屋で色々な画集を見せて下さったり、時には、映画やコンサートにも連れていって下さったり、そして、先生のお母様がお食事を作って下さって、三人で食べたりしました。
おそらく先生は、お母様にも、私のことを話されていたと思います。
楽しくって明るい日曜日のこと、今でも懐《なつ》かしくてなりません。
ある日のお食事の時、お母様が、一家三代でお食事をしているようね、と言われたのを、先生、おぼえておいででしょうか、そして、先生が何と言われたか。
先生はお母様に、いいえ、親子二代ですよ、三代じゃ勘定が合いません、僕とレイちゃんは、兄と妹、それならお母さんも、おばあちゃんにならずにすみますよ、そう言われました。
お母様が、そうね、あにいもうとでよろしいわね、でも、それなら、いっそのこと若夫婦ではいかが、おままごとの御夫婦のようで可愛《かわい》くってよ、と言われましたが、そこで先生は、何と答えられたか。
私は忘れません。
はい、ありがとうございます、お見立てによりまして、お嫁さんを貰《もら》うなら、高見麗子嬢に致しましょう、そう答えられてお辞儀をされ、お二人でお笑いになりました。
お二人にすれば、私など、ほんの子供と思われての冗談口だったのでしょうが、私は中学の二年生、日ましに子供でない部分のひろがって行く時期でした。
私は、お二人につられて笑顔を見せながらも、もし、それが事実になれば、とからだを火照《ほて》らせて坐《すわ》っておりました。
それだけでしたら、いいのです。
一場の夢ということ、あるいは、ほのかな初恋の思い出ということで終りです。
ところが、そのあとがあるのです。
それは、ロンドン橋の歌です。もしくは、海幸橋の歌と言っていいかも知れません。
あの歌の話、おぼえておいでとは思いますが、もう一度、この手紙でおさらいします。
おかしくて、やがて悲しい話、話の筋をたどってみます。
それは、ある晩の英語の時間から始まりました。
先生は、やさしい英国の童謡を例にして、外国の詩は韻を踏む、ということを教えていたのです。
とくにマザー・グースの歌の中の「ロンドン橋、落ちる」の説明の時には、ふしまでつけて歌って下さったのですが、歌い終ると純子さんが、それ、お母さんが歌っているのを聞いたことあるけど、「海幸橋、落ちる」じゃないの、と言い出して大騒ぎになりました。
先生は、原曲のロンドン橋が、日本のこのあたりで海幸橋に変ったいきさつ、いうならば文化|伝播《でんぱ》の経路と変化に大きな興味を持たれ、すぐに純子ちゃんを家に帰して、お母さんから確かめられましたが、これが、おかしなおかしな誤伝だとわかりました。
まず、純子さんのお母さんである八百松のおかみさんが、若いころ、子守りに行った先の近くの幼稚園で、園児の合唱から聞きおぼえたのが、誰《だれ》かが翻訳した「太鼓橋、落ちる」という歌詞でした。
そのお母さんの何気ない口ずさみを、幼い日の純子さんが、地元の橋の名、海幸橋と聞き誤まっておぼえていたのでした。
タイコバシとカイコウバシ、歌ってみれば聞き違えるのも無理はなく、先生のお母様まで交じえて大笑いになりました。
次の日曜の午後、三人でわざわざ海幸橋へ出掛けて行き、人通りの無い橋の上で、日なたぼっこをしながら話し合いました。
純子さんは、変なこと言ってごめんね、お母さんたら恥ずかしいっておこっているの、としょげていました。
先生は、そんなことはない、いい勉強をさせてもらった、と言われ、その勉強について詳しく話されました。
先生はこれまで、ロンドン橋が落ちる、という意味もわからずに鵜呑《うの》みにしていたこと、今度のことから海幸橋まで出て来て、初めてその事に気付き、一体、橋が落ちるというのは何のことか、を調べたこと。
昔は、架橋技術が拙《まず》く、何かあると橋は流失、すなわち落ちてしまったこと、だから、橋の落ちる歌は、ロンドン橋の英国に限らず、ヨーロッパの方々にあること。
しかし、橋というものは、人間の暮らしにとって欠くことの出来ないものであって、人々は、落ちない橋をかけるために挑戦《ちようせん》し続けたこと、従って、ロンドン橋の歌は童謡とはいいながら、昔の人々の嘆きと願いがこめられていること。
最後に先生は、落ちない橋が出来るまでは、致し方なく人柱を埋めたが、その悲しい風習は、日本をふくめて世界中のどこにも行われたことを話され、
物言えば父は長柄の人柱
鳴かずば雉《きじ》も射られまじきを
という切ない古歌の由来も教えられました。
先生は、こんなにいろいろ勉強出来たのも、純ちゃんとお母さんのおかげだよ、と彼女を慰めました。
それから先生は、私達二人に向かって、こう言われました。
橋というものは、川にかけるだけではない。人と人、村と村、民族と民族との間にもかけて、何かを通わせるものだ。
そういうことから言えば、君達も、父と母という異性の間にかかった橋と言える。
すると純子さんが、例によってぱっと言いました。じゃ、離婚っていうのは、橋が落ちることね、って。
それを聞いた私は、私も落ちた橋、それもどこで落ちたかわからずに、ひたすら流れて行く橋、と感じました。
純子さんは、更に追い打ちをかけました。
吾妻先生は、いつ橋をかけるの、そう言ってから、私にいたずらな笑顔を見せました。
先生はにが笑いして、僕は生れつき、からだが弱くて結婚は出来ないんだ、橋だってそうだろう、基礎がしっかりしてなければ、かけられないって。
私は驚きました。先生がお丈夫でないとは聞いていましたが、結婚出来ないほど、からだが悪いとは。
そして反射的に思いました。それなら私も結婚すまい。しかも私は、思いがけない言葉を胸のうちで呟《つぶや》いていました。
先生のほかに、誰を愛せよう。
その夜ひとりで考えました。先生が結婚しないなら、私もしないというのも一つの橋ではないだろうか。
目には見えないが二人だけの橋、そして、誰も割りこむ余地のない橋。
でなければ、二人とも人柱、何かのための人柱、悔いのない人柱。
いかにも少女の感傷と言われそうですが、それだけとは言えないものが、私の心の中に根付いたのです。
海幸橋落ちる、の一ト幕が引き出した先生の告白と私の独白とによって、一場の夢に終る筈《はず》だった恋が、現実に存在する愛に変ったのでした。
ここで、暫く話を切りかえ、私の出生の秘密、それに触れることにします。
私には、実の母、高見信子についての記憶はありません。生後十ヵ月で亡くなったというのでは、当然のことです。
小学生のころ、同級生の両親にくらべて、自分の父母は随分と年寄りだな、と思ったことはありましたが、それを疑いはしませんでした。
しかし、中学に進むことになって、祖父母は真実を打ち明けました。それは、これから戸籍を見る機会のあることを前提として、養女となったいきさつを、あらかじめ知らせておくということでした。
私は、少しばかり驚きましたが、悲しむことはありませんでした。やさしい祖父母の庇護《ひご》のもとに、なに不自由なく過してきたのですから、事実がどうであれ、ひとごとのようにしか聞かれなかったからです。
そして祖父は、お前の父親が誰であるかもわからないのだが、それは、信子が明かさずに死んでしまったからだ、と身をすくめるようにして言いましたが、私に動揺はありませんでした。
もうその頃《ころ》には、私も未婚の母という存在を知っており、実の母もそうであったか、ぐらいにしか思いませんでした。
その時、私は、一つだけ希望を言いました、母の写真を見たい、ということを。
その希望はかなえられ、高見信子が、可愛いい幼な子から、美しい娘へと成長して行った一冊のアルバムを与えられました。
そうして祖父母は、私に何のかげりも無いことを見極めて安心したようでした。
けれども私は、それ以来、アルバムの中の信子という娘、未婚の母というものに、限りない憐れみを抱くようになりました。
それが、一人の女の信念にもとづこうと、やはり、子の父の名を両親に告げ得ない悲しみは深かろう、と憐れで憐れでならなかったのです。
日本橋の海苔屋《のりや》・カネタカは、うちの本家に当たります。本家には、私とおない年の清美ちゃんという又《また》従姉妹《いとこ》がいて、時折、遊びに行きました。
そしてある日、私は、清美ちゃんのアルバムの中に、息の止まるような一枚の写真を見つけたのです。
寺院とおぼしき建物をバックにした二人の男女のスナップ。その幸せな微笑と寄り添う姿態から、二人の間に愛のあることのたしかなスナップでしたが、一方の女性こそは、まぎれもなく、私のアルバムの中で成長して行った青春の信子でした。
私は清美ちゃんに、これは誰か、どうしてこの写真を持っているのかをたずねました。
清美ちゃんの話では、誰だかは知らないが、お母さんが整理して焼こうとした写真の束の中から、気に入って抜いておいた何枚かのうちの一枚ということでした。
初めて貰ったアルバムが、なかなか埋まらなかったし、この二人、とてもいいので貼《は》っておいたの、という子供心が拾いあげてくれた一枚だったのです。
私は清美ちゃんにねだり、清美ちゃんはこだわらず、その一枚は私のものになりました。
家に戻《もど》って、あらためて見直しますと、その写真の裏には、男らしい力強いペン字で、
長吉、信子
の署名がありました。
私は、長吉なる青年が、私の父であることを直感しました。言いかえれば、私は、初めて父にめぐり合ったのです。
それに母の着ているスーツが、母のアルバムの最後の一枚と同じとみとめられて、私の直感は、事実に近づきました。
よほど私はその写真を、祖父母なり、清美ちゃんのお母さんなりに、示してみようとしましたが、すんでの所で思い止まりました。
それは、何故その一枚が私の家になくて、清美ちゃんの家にあったのか、しかも、焼き捨てられようとしたのか、そこまで考えた時に、おとな達がぐるになって、(乱暴な言い方ですが適切なので使います)この二人を、とくに長吉を抹殺《まつさつ》しようとしたことに気付いたからでした。
それには、わけがあったのでしょう、私には知らせたくないわけが。そして、信子が明かさなかった、などという苦しい嘘《うそ》まで用意したわけが。
それでは、いくら私がたずねてみても、おとな達は、決して真実を語らないだろう、と察したからでした。
それならばそのわけを、ひとりで解くほかはない、と私は心にきめました。
でも、私の手がかりは、たった一枚の写真だけ。
私は、辛抱強く機会を待って、まいごのまいごの長吉さんを探しあてよう、と自分に言い聞かせました。
今も残っている吾妻塾時代の私のノートには、漢文の時間の、
「行ナイハ、隠レテ、アラハレザルコトナシ」
があります。先生の講義もノートされて、
「何故《なぜ》、隠してもあらわれるか、それは時間というものの、見えない力による。
今日、わからなくとも、明日、わかることがある。
今、わからなくとも、三年後、十年後、百年後にわかることがある。
それが時の力である。 例、シュリーマンのトロイ発掘」となっています。
すでに長吉の問題をかかえていた私に、先生の言葉が深く滲《し》み通っていったことを憶《おぼ》えています。
初めて時の力が顔を見せたのは、大学の唐詩の講義の時でした。
「長安ニ男児アリ、二十ニシテ心スデニ朽チタリ」
に始まる李賀の詩の憂愁に、まず私は心打たれました。
担当の先生は、この二十七歳で死に、鬼才と呼ばれた李賀の略歴にもふれました。
黒板に大きく、李賀、と書かれて、その脇《わき》に、字《あざな》、長吉、と付け加えました。
私は、何かで頭を打たれたような思いをしました。
たずねる父、長吉は、日本人にきまっていて、その国籍など考えもしなかった私です。
しかし、長吉という名が、日本人に限らないことを知りました。
唐代の中国に、すでに李長吉がいました。
また、クラスメートで韓国《かんこく》籍の金恵姫さんのお父さんが、金永吉でした。
吉という一字が、中国、朝鮮、日本にまたがる名付けの一要素であることに気付かなかったのは、私の盲点でした。
父、長吉は、中国人、王長吉、あるいは朝鮮人、朴長吉であったかもしれない。
とすれば、母は国際結婚をしたわけであり、その結婚の時期を思えば、そこで起ったであろうトラブルが容易に察せられました。
今から四半世紀前の日本には、私達の世代では薄れて行きつつある中国、朝鮮に対する偏見が色濃く残っていたと思われます。
祖父母たちや母達は、そういった理由の無い偏見を植えつけられた世代です。
母、信子は、一切を越えて異邦人長吉を愛し、二人はその愛を貫こうとしながら、偏見の世代によって引きさかれてしまったのではないか。
可愛そうな長吉と信子。
そして、私は、養女の制度によって、混血をかくす混血児。
でも、私については、悲しみも後ろめたさもなく、先生の言われた二つの民族にかかる橋の誇りが生れていました。
以上のことは、それだけでは一つの推測に過ぎず、私の独断と言えましょう。
ただ、それからの私は、私のまわりに、中国、朝鮮を示すなんらかの痕跡《こんせき》が残されていないか、をさぐる目を持つようになりました。
そして私は、ついに父、長吉が遺《のこ》していったメッセージを受けとりました。いえ、そう思いたいのですが。
半年ほど前のことでした。研究室でこんな会話を聞いたのです。
「シマケンが、よそに行くらしいぜ」
「じゃあ、アベハチが昇格か」
シマケンは、島賢治先生、アベハチは、安部八郎先生のことです。
私は、ハッとしました、そういう省略法なら、高見麗子はどうなるか。
コウレイ、いえ、コウライ、高麗《こうらい》になります。
古くから動乱の絶えなかった朝鮮半島の王朝の中で、三十四代、五百年にわたって平和を守ったのは、高麗王朝でした。
この王朝は、高麗青磁、高麗版大蔵経などに、その一端をのぞかせる高麗文化を築き、朝鮮民族の心の中に、誇るべき王朝として遺っているのではないか。
長吉は、高見信子の生んだみどり子に、その姓の高の一字を奇とし、これにからめて輝かしき高麗に因《ちな》んで麗子と名付けたのではないか。
私は、この観点から、もう一度、自分の周囲を見直しました。何か、朝鮮にゆかりのものがないか。
ありました。祖母が、信子の形見と言って渡してくれたアクセサリーの小箱の中に。
ブローチ、ネックレスなどにまじって、アメジストの指環《ゆびわ》がありました。
そして、そのリングの内側に、それは虫眼鏡でやっと読み取ったのですが、KOREAの五文字が刻まれてありました。
そうでした。欧米人が、朝鮮をKOREAと呼ぶのも、かの高麗に由来します。
私は、小箱の中にあった三つの指環を祖母に見せて、祖母が買い与えたものをたずねてみました。
祖母は二つを指し、残りの一つは信子が買ったのだろう、と証言しただけで、私の質問の下心を疑いませんでした。
祖母の証言によって、KOREAの刻印のあるアメジストの指環は、母、信子が買ったものとされたのです。
いいえ、それも違います。信子が買ったものではないと思います。
何故なら、アメジストは二月の誕生石。母は二月生れ。この指環は、長吉から信子への誕生日の贈り物だったのではないでしょうか。
長吉と信子の写る一枚の写真。
高見麗子という名。
KOREAを刻んだアメジストの指環。
その一つ、一つだけでは、何の証拠にもなりませんが、この三つを私が合わせ持っていることは、私が日朝の混血児であることのあかしではないでしょうか。
更に、そのあかしを支えるものは、私の父をめぐっての祖父母、親戚《しんせき》の不気味な沈黙です。
そして先月のこと、私は思い切って、研究室の若い仲間との雑談の席に、黄ばんだ長吉・信子の写真を差し出し、この写真のとられた場所はどこだろうと、さり気なく、しかし願いをこめてたずねてみました。
それは、長吉・信子の背後に見える寺院らしい建物、ただし、よく見えているのは屋根なのですが、せめてそれによって場所の見分けがつかないものか、という藁《わら》をもつかむ思いからだったのです。
また、五人の仲間は、それぞれに出身地も違い、そろって旅行好きだったのも、一つの頼みではありました。
ところが驚くべきことに、私の願いは立ちどころに叶《かな》えられたのです。
初めに写真を取り上げた京都出身の宮川君が、いきなり、
「うずまさのお太子さんや、間違いない、これな、あそこの太子殿の屋根や」
と、京都弁にかえって答えてくれたのです。
うずまさのお太子さんとは、古くは蜂岡《はちおか》寺と呼ばれ、また秦公《はたのきみ》寺とも呼ばれ、今日では広隆《こうりゆう》寺と呼ばれているあのお寺でした。
宮川君は、太秦《うずまさ》に隣り合う花園に生れ育って、うずまさのお太子さんは、我が家の庭も同様だったそうです。
広隆寺。
かすかに指先を頬《ほお》にあて、静かな微笑のまま、何に思いふけるのか、半跏思惟《はんかしい》像。
その国宝第一号の弥勒菩薩《みろくぼさつ》を擁する広隆寺は、朝鮮より渡来して、京都を開いた秦河勝《はたのかわかつ》の建立《こんりゆう》と伝えられます。
一昨日、こちらに着いた私は、まず広隆寺を訪れ、かの御仏をおがんでから、一枚の写真を手に、高校の修学旅行の時には、何の関心も持たずに通り過ぎてしまった太子殿をめぐり、宮川君の証言をたしかめました。
おそらく長吉と信子は、周囲の無理解の故《ゆえ》に、かえって強く朝鮮を意識したでしょう。
そして、朝鮮にゆかりの深い広隆寺に、七世紀の日本にあった日朝の美事な融合を見に来て、変らぬ愛を誓ったと思います。
私は、太子殿を前に立ちつくしました。
もはや、これ以上の真相をつきとめるには、私の知り得た限りを、祖父母に示して問うしかありません。
祖父母が否《ノー》と言おうとも、正直な祖父母では、否《ノー》の中にも然《イエス》を見せるでしょう。
でも、そんな詮索《せんさく》はすまいと思います。
二人とも年老いて、平穏のうちに生きています。
そして、押しつけられた偏見とはいえ、私のためを願って、真実を蔽《おお》いかくして来ました。それを私がつき崩すことは、孫としてというよりも、人間として出来ません。
私は、すべての民族の新らしい世代とともに、新らしいモラルのもとに生きてゆけばよいのですから、私の出生の真実を知りたければ、なお一人で時の力を待つべきでしょう。
先生、私は、日朝の混血児であると信じます。そうでないという証拠があらわれない限り、私は、そう信じて生きて行きます。
それが、高見麗子の出生の秘密です。
三時を過ぎました。
今しがた、八千代がドアから顔をのぞかせて、まだ起きてるの、レイ、もう寝なさい、と私を叱《しか》って引っこみました。
八千代は、大学のクラスメート、親友の一人。
その八千代のお父様は、先生も御存知ではないでしょうか、こちらの大学の西洋史の三枝《さえぐさ》繁樹《しげき》先生です。
それで、三枝先生の御宅に泊めていただいているのです。
順序としては、これから吾妻先生の秘密に触れなければいけないのですが、八千代に叱られましたし、いえ、それよりも、明日といっても、もう今日ですが、三枝先生の御紹介で、ある方にお目にかかった上で触れた方が、すべてはっきりしますので、それは次の便りにゆだねます。
随分と大胆に、恥ずかしいことまで書きつらねましたが、私の一生の中で、今こそ物言わねばならぬ時と考えたからです。
身勝手な私の言い分を、今度だけ許して頂ければ幸です。
おやすみなさいませ。
[#地付き]高見 麗子
*
吾妻先生
京都から二通目の、身勝手な麗子にとっては、嬉《うれ》しい手紙を差しあげます。
今夜は、三枝先生御夫妻が、京料理のお店に連れて行って下さいました。
八千代は、京料理なんていやや、フランス料理にしょ、なんて駄々《だだ》をこねて、お母様に叱られていましたが、それはお母様のお気使いによるものです。
私には、京料理の方が嬉しいのですから。
八千代を見ていると、もう京女だの東《あずま》男だのという存在は、なくなってしまったような気がします。
日本中、どこへ行っても、ムスメはムスメ、ムスコはムスコ。
懐古的には淋《さび》しいけれど、未来的には望ましい変わりようかもしれません。
ムスコといえば、つい先ほど、陶化堂の戸川七郎君に、この京都でばったり逢《あ》いました。ところは、夕食のあと、八千代と二人で三条から四条へ抜けようとした高瀬川ぞいの道筋でした。
七郎君もびっくりしていましたが、お店の御用でこちらの窯元《かまもと》の所へ来たのだそうです。悪いけれど、昔の泣虫小僧もすっかり大人びて、みんな一人前になって行くんだなあ、と感心しました。
とにかく吾妻塾のたった四人の一期生の二人が、こんな日に、旅先の狭い夜道でめぐり合うなんて、私には奇縁としか思えません。
それから、八千代と新京極のコーヒーショップでおしゃべりして、今しがた帰って来たところです。
その夕食に先立って、午後四時、私は、大学の研究室に、山名教授をおたずねしました。
十余年前、吾妻先生の指導にあたられた国文科の山名文隆先生です。
いったい、高見麗子が山名先生に何の用があるのか、吾妻先生は不思議に思われましょう。もしくは、余計なことをすると御不満かもしれません。
たしかに、私の勝手気ままな行動としか言いようがありませんが、そうなった次第を書いてゆきますので、どうぞ、お聞きとりねがいます。
ことは、先便で繰り返し言いました吾妻先生の人生の秘密から始まります。
ここ一、二年というもの、やはり私も適齢期のようで、縁談がいくつか持ちこまれ、そのたびに、まだ早いとか、その気になれないとか、筋の通らない理由で断わってきましたが、とうとう祖父母から膝詰《ひざづ》めの談判をうけました。
そのやりとりを並べてみますと、
結婚をするのか、しないのか、
――しないとは言わない。
誰《だれ》か好きな者でもいるのか、
――いないと思って欲しい。
それは、どういうことか、
――片思いのようなものだから。
誰か、
――言えない。
祖父母は暗い表情を見せました。娘、信子の思い出が蘇《よみが》えるのでしょう、私は、二人の不安を解こうとして言い添えました。
その方と結婚出来ないようなら、一生、未婚で通したい。
祖父母は沈黙してしまいました。私は正直に、しかも明るい気持で言っているのに、二人の受け取り方は深刻なようで、私は、更に言い添えました。
もし、その人と結婚出来るようだったら、その前に必ず祖父母の許しをうけるし、許されなかったら諦《あきら》める。
二人は、ほっとしたようでしたが、許されなかったら諦める、というのは言葉のアヤで、吾妻先生となら許すにきまってる、と読んでいるのです。私って、狡猾《こうかつ》な女なのでしょうか。
すると祖父が乗り出して、それなら誰かを中に立てて、先方さんの意向をうかがってみよう、と言い出しました。
私は、決心して言いました、私が直接うかがってみるわ、と。
それは、二人に追いつめられての決心ではなく、私が私を追いつめての決心でした。
それにしても、私が結婚を望む相手は、いうまでもなく吾妻先生。そして先生は、結婚の出来ない弱いからだの持主。ですから、うかがってみても無駄なこと。でも一度だけはうかがってみて、私の愛を知っていただいて、それから、諦めよう、そこまで考えて行った時、突然、私は驚くべき呟《つぶや》きをもらしました。
ウソだわ、先生のからだが弱いなんて。
そして、それまで見過してきた幾つかのシーンをみつめていました。
あれは、私が中学を卒業した春休み。その日曜日の朝、先生は、私を映画に連れて行って下さいました。
時間にゆとりがあったので、有楽町の新映座まで、地下鉄には乗らず散歩がてら歩いてゆきました。
三原橋のたもとで、先生は新聞を買われましたが、その新聞でたしかめると、新映座だけが三十分ほど開始時間の早いのがわかったのです。
先生は、映画の筋書きを御存知で、この映画は初めから見ないとつまらない、レイちゃん、急ごうかって、二人で半分|駈《か》け足のようにして急ぎました。
映画の始まりにやっと間に合い、ラストの奇想天外などんでん返しの面白《おもしろ》さもわかり、そのあと、御馳走《ごちそう》になったピザもおいしく、満足した一日でした。
その夜、私は、少しばかり不思議に思いました。庄寿司の庄おじさんに聞いたところでは、吾妻先生は心臓がよくないらしいとか。
それなのに、三原橋から有楽町まで、急ぎ足といっても駈け足のようにして行って、先生はケロリとして、間に合って良かったね、って息も切らずにおっしゃった。私は、苦しいほど、息をはずませていたのに。
本当に心臓がよくないのだろうか、それとも、大人と子供の違いなのだろうか。
小さい疑いを持ちました。
次のシーンは、私が大学に入ってから、八千代たちと三人で庄寿司に行った時のことになります。
カウンターで、にぎりを注文していると、テーブルの方から、レイちゃん、と先生が声を掛けました。先生は、庄おじさんのお相手でお酒をあがっていました。
私も御挨拶《ごあいさつ》をしてカウンターに戻《もど》りましたが、それからは、うしろに目でもあるように、先生に気を配っていました。
先生は、静かに庄おじさんとお話をしていましたが、それから帰るまで、何度かお酒を注文していました。
お帰りになったので、私は庄おじさんに、先生はお酒が強いのね、って聞きました。
そうなんだ、若いせいもあるが一升はいける、今日は五合ってとこかな、とにかく強いって太鼓判をつきました。
先生、生れついて心臓の悪い方が、結婚も出来ない方が、映画の開始時間に間に合わないからといって、あの長丁場を急ぐでしょうか、そして、息も切らずにいられるでしょうか。
また、いくらお酒に強い体質だからといって、一升も呑《の》むものでしょうか。
そういう疑問を下敷きに考えて行くと、私の知る限り、先生が寝こまれたという話を聞いたことがありませんし、いつも、朝、暗いうちから散歩に出られ、お元気だなあ、と思っていたのも、ますます不思議です。
不思議ということなら、先生とお母様は、十年前に、青山から移ってこられましたね。健康でない方が、静かな青山から、わざわざゴミゴミした街中に移ってこられるなんて、おかしくはないでしょうか。
この幾つかの謎《なぞ》を解く鍵《かぎ》はただ一つ、先生とお母様が、からだが悪いというウソをついていらっしゃるということです。
ウソならば、すべての疑問が解けます。
混雑の街中に住みながら、いつも人の集まる時と所を避けられていたことまで。
健康の問題は口実で、真実は別のところにある、言いかえれば、吾妻先生の人生には、秘密があるのです。
八千代の意見も同じでした。
八千代と私とは、同じクラスで知り合ったその日から、本当に息の合う友人となり、おたがいに隠すことの無い間柄《あいだがら》になりました。
私は、私の出生の秘密は勿論《もちろん》のこと、吾妻先生に対する私の思いも聞いてもらっていました。
そして、先生の秘密に思い当たってからも、何度か私の推測を述べ、ついに達した結論を話してみますと、八千代も、そうね、ウソでしょうね、辻《つじ》つまが合わないもの、やっぱりアレじゃない、アレだったら、すごいわねえ、と嘆声をあげました。八千代の言うアレとは。
今から一ト昔前のある年の秋から、翌年の春にかけての新聞記事を調べて、私たちは次のような見出しを、既に拾い出していました。
東京都内三ヵ所で爆弾爆発
日比谷《ひびや》公園で火炎ビンによる火災発生
新宿でツリー爆弾爆発
連合赤軍 浅間山荘に籠城《ろうじよう》
日本赤軍 テルアビブ空港襲撃
その時期を逆算しますと、先生は大学に籍を置かれていた筈《はず》です。
そして、それから暫《しばら》くして、先生とお母様は、青山からあの街中に移ってこられたのです、病弱な子と、その子を抱える母として。
八千代と私の推測では、先生は、そういった激しい学生運動の渦中《かちゆう》にあった一人になるのです。それをアレと言ったのでした。
先生は、雑踏する街に潜伏したのです。
十日ほど前、八千代から電話がありました。
とにかく京都へおいでよ、今、いろいろ当たって、吾妻先生の尻尾《しつぽ》がつかめそう(ごめんなさい)、見せたい物もあるけど話が遠くて、レイが来るのが一番よ、一生の問題なんだから、それに広隆寺にも行ってみるべきよ、と私の心を揺さぶるのです。
私は迷いました。
今や、吾妻先生は仮装人物です。その仮面を剥《は》ぐ、それを私がしていいのか、それとも、先生をそのままにしておくことが、私の愛か。
私の結論は、先生の仮面を、誰でもなく私が剥ぐ、そして、仮面の下からあらわれる先生の真相がどんなものであろうとも、私の愛に変わりのないことを誓う、ということでした。
さきおとつい、こちらに着いた夜、広隆寺に行った興奮のさめやらぬ私の前に、八千代が一冊の薄い刷り物を置きました。
レイ、吾妻先生のウソの証拠よ。
それは、ある年の大学の運動部の名簿でした。八千代の開いた頁には、ラグビー部の部員の名が並び、そこに、
吾妻健作・国文・東京一高
とあるのがみとめられました。
じっとその一行をみつめる私の目は、嬉しさに曇ってゆきました。
ウソでも何でもいい、先生はお丈夫だった。嬉しくてたまりませんでした。もう、それだけで充分でした。
でも八千代は、その名簿を手がかりに、先生が山名教授のゼミナールに属していたことをつきとめ、お父様を通じて、山名先生にお目にかかる手筈もつけておいてくれました。
何をうかがったらいいの、私は当惑気味でした。なに言ってんの、聞きたいことを聞けばいいじゃない、山名先生が、おっしゃるかどうかは別として。
そうでした。吾妻先生の先生にお目にかかるだけでもいい。名簿よりも何よりも、それが私の拠《よ》り所になる、私は、八千代の配慮を、ありがたく受けることにしました。
そういう次第だったのです。
省みて、悪知恵のはたらく、イヤミな娘|達《たち》だったと思います。けれど、先生が教えて下さったように、容赦なく時の力が、隠したものをあらわにして来たのではないでしょうか。
時が、麗子を一人の女に成長させ、京都へと送り出したのではないでしょうか。
山名先生は、お元気でした。
もっとも、見事な銀髪でしたが、吾妻先生が御指導を受けた頃《ころ》は、どうでしたでしょう。そして、先生の先生にふさわしく、温和なうちにも節度を保って話して下さいました。
そのお話を要約します。
吾妻君は、印象に残る学生の一人です。江戸っ子というのでしょう、はきはきして気持のいい青年でした。
文武両道といいたいところだが、ラグビーの名ハーフ・バックとして、我々の血を湧《わ》かせてくれた懐《なつ》かしい選手と言っておきましょう。
山名先生は窓越しに、暫くグラウンドを見おろしていました。麗子も、かつて吾妻先生の走り回ったであろうグラウンドを眺《なが》めました。一見、やさ男に見える先生が、名ハーフ・バックであったとは。
おそらく、十年に及ぶ潜伏の御苦労に、先生は、すっかり人が変わられたのでしょう。
すべての謎が、するすると解けてゆくようでした。
ごめんなさい、山名先生のお話に戻します。
あなたは、吾妻君についての記録、ことに身体検査表が見たいそうですが、それはプライバシイの問題もからんで、学校当局は見せないでしょう。
また、大学を中退した理由、これも明らかにならないでしょうし、事実、私にも、当時の状況からの推測しかありません。
あのころは、学生運動の最後の高潮期で、闇《やみ》から闇へといった具合に、消えてしまった学生がおりました。
秋の新学期になって、吾妻君だけでなく、何人かの学生が姿を見せなくなりました。私が期待を掛けていた一人も混じっていたので、その時のことは記憶に残っています。
ただし、吾妻君をふくめて、消えた学生と学生運動を直ちに結びつけることは出来ません。私の推測であり、ほかの理由でやめていったことも、十分に考えられるからです。
三枝《さえぐさ》さんのお話では、あなたは吾妻君のフィアンセのような方ということですが、それなら、私などにたずねるよりも、直接、吾妻君に聞かれるべきでしょう。
それが出来ないから聞きに来たというのでしょうが、それはおかしい。
少々の思惑などは乗り超えて、二人で話し合うべきです、その中から、二人の将来をさぐるべきだと思います。
私は多分、真っ赤な顔をしていたと思いますが、山名先生のおっしゃる通りであって、まことに軽率であったことをお詫《わ》びしました。
最後に、山名先生は、人生の行方なんて、わからないものですなあ、あの元気者が、学習塾の先生とはねえ、と首をかしげられましたが、いや、事の良し悪しはともあれ、自分の信念に殉ずるということは大切です。あの時は先頭に立って旗をふりながら、流れが変わると逆の立場に立つ連中とは、席を同じくしたくない。
吾妻君には、健康と幸福を祈り、再会の機会が得られれば嬉しいと伝えて下さい。
先生は、私を見つめてそう言われました。
麗子は大きな感動を胸にして、八千代たちの待つ料亭《りようてい》に行きました。
三枝先生御夫妻と八千代は、麗子の報告を聞いてから、麗子の前途に幸あれと乾杯して下さって、それから、綺麗《きれい》で可愛いいお料理をいただきました。
その席上、八千代が御両親に、韓《かん》国のお土産は何がいいかしら、と切り出しました。
話が前後しますが、今度、京都へ来る前の夜、八千代がいきなり電話して来て、パスポートを持って来なさい、と言ったのです。
ぽかんとしていますと、レイ、思い切って、レイのパパの国へ行ってみようよ、すぐ隣なんだから、と言うのです。
パパの国、朝鮮へ。
私は、一つの機会の到来を感じました。
もし今後、私が朝鮮に行きたいと言えば、祖父母は、大きな不安を持つかもしれません。今なら、八千代の所に行くわけで、これは十日や二週間帰らなくとも、二人は安心しています。
八千代のすすめる四泊五日の韓国旅行パックは、正に好機と思われて、八千代のプランに従うことにしました。
八千代のお母様は、韓国のお土産なら、アメジストなんか良くはなくって、と言われました。
アメジストって、あの紫水晶ですか、私は知らないものですから、耳を疑って聞き直しました。
三枝先生が答えられました。アメジスト、紫水晶は、朝鮮語でチャスジョンと言い、韓国の特産品ですよ、僕は、ダイヤだの、ルビーなどという宝石よりも、紫水晶や真珠の方が好きだね、と。
お母様が、あなたは、お値段からそういうことをおっしゃる、と笑いましたが、先生は、いや、そうではない、異文化というものは、そう簡単に融合しないのだ。早い話が、白人の女性の和服姿は、どこかおかしい。紫水晶も真珠も極東の宝玉であり、極東の女性は、極東の宝玉をもって飾るべきだよ、麗子さんには、ダイヤよりもアメジストがそぐわしい、とおっしゃいました。
またまた、私の身のうちにひそむ磁石のようなものが、朝鮮に向かって揺れていました。
吾妻先生
そういうことで、麗子は明日、アメジストの国を目指して、西の空へ飛び立ちます。
父と母と私の三人が、時代に阻《はば》まれなかったら暮らしたであろう国へ行き、その山河を眺め、その大気を浴びて来ます。
それから、先生のところへうかがいます。
先生のお気持に変わりがなければ、麗子を、先生の生涯《しようがい》の伴侶《はんりよ》にして頂くために。
だって先生は、お母様と私の前で、お嫁さんを貰《もら》うなら、高見麗子嬢に致しますと、はっきりおっしゃったではありませんか。
それに、これ以上、先生の秘密を知ろうなんて致しません。
ただ、麗子にも、その半分を背負わせて頂けませんか、それが、どのような重荷であろうとも。
[#地付き]高見 麗子
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6 勝鬨橋《かちどきばし》
するりとベッドから抜け出し、パンツひとつに|はだし《ヽヽヽ》のままの七郎が、こわごわ窓に忍びよって、ほんのすこしカーテンを分けると、午前三時の|まち《ヽヽ》は、まだ、濡《ぬ》れたままに眠っている。
一時はきつい音をたてた|ゆうべ《ヽヽヽ》の雨は止《や》んだようで、残りの糠雨《ぬかあめ》に赤くにじんだ街灯があちこちに見える。
邦子が寝返りを打ったらしく、ベッドのきしみが聞えたが、また眠ったようだ。
この窓からは、大倉食品の|かげ《ヽヽ》になって、七郎の|うち《ヽヽ》である陶化堂は見えないが、あそこでも両親が眠っていよう。
そして、このホテルの裏手になる八百松の住まいでは、悦子ちゃんが眠っている筈《はず》である。
夜明けには間のあるこんな半端な時間に起きているのは、どうも七郎ひとりぐらいではなかろうか。
安物の椅子《いす》に坐《すわ》り、これも安物の鏡台兼用のテーブルに面と向かった七郎は、煙草《たばこ》に火をつけ、大分くたびれた自分の顔をのぞき、小さくむせた。
あろうことか、陶化堂のひとり息子、戸川七郎は、|まち《ヽヽ》の東側の大通りを渡ったこっちとはいえ、わが家と百メートルも離れていないビジネスホテル末広に、芸者小鈴こと八島|邦子《くにこ》と一緒に泊まっているのだ。
どうして、こんなことになったのか。
ちらっと不思議な気がしたが、いや、今日から昨日、昨日からその先と、|ひも《ヽヽ》を手繰《たぐ》るように時を後戻《あともど》りして行けば、こうなって一向に不思議は無い。
そして、その|ひも《ヽヽ》を手繰りきって、一番初めの切|れはし《ヽヽヽ》をあらためてみれば、そこに父親の一ト言がぶらさがっている。
あの一ト言から、平凡で乾いた七郎の毎日に、思いがけない波浪が押し寄せ、今、末広の四階の一泊七千五百円のダブルベッドに邦子が寝ているのだ。
うつ伏せに寝る癖のある邦子は、輪郭のはっきりした横顔を七郎の寝ていた抜け殻《がら》の方に向け、細い片手を差し伸べているが、|ゆうべ《ヽヽヽ》泣いたせいで瞼《まぶた》がふくらみ、またまた変わった顔になっている。邦子の顔というのは、その時々でいろいろに変わり、いまだによくわからない。
ベッドに戻った七郎が、あおのけにしてやると、大きく一ト息ついた邦子は、いきなりぐるっと七郎にからまり、長い髪を七郎の|あご《ヽヽ》の下に押しこむと、また、かすかな寝息をもらした。
ゆうべの夜中のシャワーから、おしろいっ気無しの邦子には、あるかなしかの邦子の匂《にお》いがあって、母親とか、女|きょうだい《ヽヽヽヽヽ》の匂いを知らない七郎には、これが身うちの女の匂いのように思われる。
|こめかみ《ヽヽヽヽ》の横の薄い青|あざ《ヽヽ》は、自転車で転んだ時の|あと《ヽヽ》だというが、いかにも利《き》かん気の邦子らしい。
そっとその青|あざ《ヽヽ》に、七郎は唇《くちびる》をつけた。
「ううん」
邦子はうなって、|こめかみ《ヽヽヽヽ》を引いた。
「起きたん、もう……」
目もあかずに邦子が言う。
「うん」
「……なん時?」
「もうすこしで、四時かな」
「もう、そんなん。……お店、なん時からやん?」
なん時からと言われても、この際、答えようがない、なん時だって構うことはない。それよりも邦子の都合だ、でも、それは言いにくい。
「なあ、なん時からやん……なん時まで、寝とってええの?」
「……それなんだけど、邦ちゃんは」
「うち? うちは、どうでもよろし、もう、ええわ」
ようやく邦子は目を開き、七郎の目をのぞきこんだ。
「七郎はんの、都合でよろし」
「……そうか、……じゃあ、そろそろ起きよう、どっかに行って何か食べて……新幹線の始発まで……一緒にいるよ」
からんでいる邦子に力がこもり、七郎を締めつけた。
「もう帰れ言うのんか……いやや、やっぱり、いやや」
「……邦ちゃん……きのうの蒸し返しはよそう」
「……そうか、未練か」
邦子の|からだ《ヽヽヽ》から力が抜けて行った。
「ほなら、さいなら」
七郎を振りほどいた邦子は、ぷいと白い背を向けて寝返ったが、はずみにベッドが揺れて、丸い|からだ《ヽヽヽ》が七郎の胸やら|もも《ヽヽ》に弾んだ。
もう、この|からだ《ヽヽヽ》に触れてはいけない、七郎はこらえてベッドから降りた。
すこし|さば《ヽヽ》を読んだ時間も、二人の時はいつも駈《か》け足ですぎて行き、やがて四時だ。
「邦ちゃん、起きてんか、……な」
この一年の間に、なんとなくうつった変な関西|なまり《ヽヽヽ》で七郎は、邦子のか細い|うなじ《ヽヽヽ》に勇気を出して呼びかけた。
あの一ト言、今度の中和会には七郎を出そう、と父親が言い出したのは、去年の春先のことである。
|まま《ヽヽ》母の常子は、例によって何の反応も示さず、七郎も答えない。
「やっぱり、具合いがよくねえ」
父親は、ぎっくり腰とやらを押さえ、顔をしかめて見せた。
「万事、庄寿司さんに頼んどくから、お前が行け」
それできまった。それが、この家の三人の話のつけ方だった。
七郎が五つの時、母が死んで、すぐ後添いに迎えられた常子は、父親の友人でもある同業者の妹だった。
しかし、もともと人見知りの強い七郎は、新らしい母に馴染《なじ》めず、また口数の少い常子の方も、あえて七郎の機嫌《きげん》を取ろうとはしなかった。
まだ元気だったおじいちゃんは、自分に似て背|たけ《ヽヽ》ばかり伸びて行く七郎を可愛《かわい》がり、常子との仲を案じながらも死んでしまった。
しかし、常子と七郎とは不仲というのでもない。いじめもしなければ、わがままを言うわけでもない。
七ちゃんと呼ぶでもなく、お母さんと言うでもなく、用があれば、用件だけを手短かに言うだけだから、|のん《ヽヽ》気なところのある父親は、気にしなかった。
それで何かきめる段になると、ひとり言のような父親の一ト言が物を言う。
中和会というのは、陶化堂のある中通りをはさんだ一帯の親睦会《しんぼくかい》で、年に一度、それぞれの店の|あるじ《ヽヽヽ》達《たち》が集まって総会を開く。
それが毎年、温泉場でのどんちゃん騒ぎに終るので、喫茶店スコットの白川さんに言わせると、おやじさん達の体《てい》のいい息|ぬき《ヽヽ》、みみっちい道楽ですよ、ということになる。
なんでも戦争前から始まったのだそうで、今年はその何十周年とかに当たり、にぎにぎしく開催、という刷り物も回って来ていた。
それに七郎を行かせるというのである。
ふっと七郎は、恥をかくのじゃないかという気がした。
七郎の数少い友達も、団体旅行に出かけては、なにやかやと色がかった土産話をぶらさげて帰ってくる。そんな話を聞かされるたびに、少々は羨《うらや》ましく思わないでもないが、使った金高を聞いていると、よくそんなに使えるな、とびっくりする。
行くのはともかく、わずかな小遣いを持たされて、何かの時には恥をかきはしないか、そう思ったからである。
翌日の午後、七郎は、陶化堂から五軒ほど行った先の露地奥にあるスコットに行き、白川さんにいろいろ聞いてみることにした。
スコットのコーヒーは、この|まち《ヽヽ》では一番うまい、ということになっていて、それだけ少し値も高い。
それは、素姓《すじよう》のいい豆を使うせいであろうが、白川さんは音楽好きで、これもいい装置にいいレコードを掛け、したがってインテリアも垢抜《あかぬ》けして、ということは店にお金がかかっていて、そのせいでもある筈だ。
また客種も悪くない。場所|柄《がら》としては珍らしいネクタイ姿の客も多かった。
白川さんの|うち《ヽヽ》は、むかし、駿河屋《するがや》という乾物屋だったが、七郎が子供のころ、あっという間に喫茶店に早変わりした。
「あすこの伜《せがれ》は、学校のころから不良だったからねえ。駿河屋という|のれん《ヽヽヽ》を放《ほう》り出して、死んだ両親に申し訳けが立つのかい」
父親が顔をしかめ、近所の誰《だれ》かをつかまえて嘆いていたのを七郎は憶《おぼ》えている。
それに、美人の奥さんも、キャバレーの女給上りとかいう評判。
それやこれやで子供の七郎は、不良という得体の知れない白川さんがこわかった。
いつもいい|なり《ヽヽ》をして髪をきちんと分けていたが、眼付《めつ》きが鋭くて、路《みち》の途中でぶつかったりすると、なんとはなしに横に逃げてやり過ごした。
しかし、七郎が大学に通うようになり、寄せ物屋の梅ちゃんに誘われて初めてスコットに行き、すっかり白川さんを見直すようになった。
コーヒーは香りがいいし、カップがいいし、女の子も感じがいいし、とりわけいいのは、本当の客を大切にしていることだった。
二度目に、今度は七郎が誘ってスコットへ行った日に、その現場を見た。
三人連れの客のうちの一人が酔っていて、何度も大声をあげた。するとカウンターから出て来た白川さんが、正気の二人に言った。
「相すいません、ほかのお客さんもおります、また、おいでになって下さい」
「なにい」
と力む酔っぱらいを、二人が押し抱えて出て行った。
その時の白川さんの言葉|つき《ヽヽ》は穏やかだったが、その裏に、出ようによっては何者も許さないという気迫があった。
そして三人組の一人があたふた戻ってきて、勘定を払うと言った時、これも丁重に、
「すいませんでした、また、お寄りねがいます、その時は頂戴《ちようだい》します」
と言って頭を下げ、相手もつられて、
「そう、じゃ、また」
と素直に受けられるような扱い方だった。
梅ちゃんは、やるなあ、と呟《つぶや》き、七郎は、不良ってのはえらい、なれるものなら、ああなりたい、と感心した。
それからは、一人でもちょくちょく行くようになり、そうなると目と鼻の先にいるのだから、口こそきかなかったが知ってる仲であり、あまり客とは話をしない白川さんも、いらっしゃい、だけでなく、どうです、お店の方は、などと言ってくれて気が楽になり、学校を出て店を手伝うようになると、日に一度は、スコットのコーヒーを飲まずにはいられなくなった。
七郎は、中和会に行くことになったんですが、とカウンターの中の蝶《ちよう》タイを締めた白川さんに打ち明けた。
「そうですか、お父さんがねえ、……。いいじゃないですか、行きましょうよ。あの会は、遊んでくればいいんです、総会なんて、ほんの付け足しです。
七郎君みたいな若い人が来てくれるのは、大歓迎だな。四十過ぎの僕《ぼく》が、これで若手なんだから、かなわない、一緒に行きましょう」
白川さんは喜んでくれた、それはいいが、その遊ぶ方がどうなるのか、小遣いはどのくらい、いるのだろう。
「小遣い べつに、どうってことないでしょう」
白川さんは、その辺はわかってくれない。七郎の小遣いは、いるたびに貰《もら》うという子供の時からのやり方で、無いも同然である。
いくら持っていけば恥をかかないのか、それが切り出しにくくて、もじもじしていると、白川さんがニッコリした。
「空手《からて》でおいでなさいな、いるようなことがあったら、立て替えますからお言いなさい、大丈夫、私がついてます」
七郎は、安心した。
スコットを出た七郎は、その足で庄寿司さんへも行ってみた。ここのおやじさんは、中和会の会計幹事とかだが、それよりもこの人は、七郎のおじいちゃんのお葬式の時に、おじいちゃんの歳《とし》が歳だけにそれほど悲しむ人もいないのに、涙を流しながら最後にお棺の釘《くぎ》を打った人だったと憶えている。
「ああ、その件ならうかがってます、お父さん、やっぱり行かれませんか、そうですか、ま、何分ともよろしく」
父親とおない歳とかいう庄寿司さんに、一人前にあつかわれて七郎は面食らったが、いい気分でいよいよ安心した。
中和会の総会の土曜日になった。
四畳半の自分の部屋で、新らしく買った鞄《かばん》に身の回りの物を詰めていると、父親が入って来て、持って行きな、使って来いよ、と封筒をくれた。
あけて数えると、ちょっきり十万。これは、しっかり鞄の底に入れた。あまり着たことのない背広の内|かくし《ヽヽヽ》の紙入れにも、何となく残った三万円ほどが入っているし、これなら恥はかくまい、すっかり安心した。
六時までに現地に集合ということで、約束の三時になるのを待ちかねて、スコットに行った。
本日閉店の札のかかるドアを押すと、弾むような調子のいい音楽が耳を打った。
おや、と思って中に入ると、隅《すみ》のボックスにお客が一人いて、白川さんが相手をしていたが、振り向いて七郎を手まねぎした。
吾妻《あずま》先生だ。先生もスコットの常連。
「戸川君、こちらへ」
先生に呼ばれた七郎は、白川さんと並んで腰をかけた。
「旅行ですって」
「ええ」
「気を付けて行ってらっしゃい、白川さん、戸川君は昔の教え子でして」
「そうだそうですね」
「素直で勉強もよくしましたが、難を言えば、おとなし過ぎた、ね。
君は、純ちゃんやレイちゃんと一緒だったねえ」
「ええ、梅ちゃんもそうです」
「ああ、そうか。あの時は、女子の方が元気で、君たち、かなわなかったね」
白川さんが笑った。
「この節は、どこへ行ってもそうですよ、男が男らしかったのは、せいぜい我々まででしたかね」
「いや、私なんかの時は、もう、いけませんでした」
吾妻先生が笑った。
レコードが切れ、白川さんがプレーヤーの方に行くと、先生がテーブルの上のジャケットを七郎に渡した。
「今日、たまたま見つけてね。白川さんにプレゼントして、今、聞いてたところ、今度、聞かしてもらいなさい」
ジャケットには、スコット・ジョプリンの横文字が読めた。
「ジョプリンって知ってる?」
「いえ、知りません」
「アメリカの黒人でね。ラグタイムってジャズの一種の、そう、開祖というかな。
それだけに、ういういしいところがあって、素朴《そぼく》でとてもいい」
白川さんが戻《もど》ってきた。
「いや、本当にいいですねえ、今の若い人でも受けつけるんじゃないですか」
「そうだといいですね」
「ともかく、ありがとうございました。大事にします。この店にスコット・ジョプリンとは、願っても無いことです」
「じゃあ、僕は、これで」
吾妻先生は帰って行った。
白川さんは、七郎を立たせ、上から下まで眺《なが》めてから小首をかしげた。
「Yシャツにネクタイねえ、もうすこしラフでいいんじゃないかなあ……おおい」
白川さんは二階の方に声をかけた。
「七郎君、余計なお世話だけど、ちょっと、それ脱いでくれない」
階段の中途に、奥さんが首を出した。
「この前、なにしたタートルがあるだろ、ベージュの、あれ持って来て」
七郎は、白川さんの言いなりになった。
奥さんが、柔らかなウールのセーターを着せてくれる。
「ワァ、よくお似合い、主人にはちょっとあれだけど、あなたならピッタリ。背は高いし、色は白いし、……あなた、気をつけてあげてよ」
奥さんは、いい匂《にお》いのする香水をぷんぷんさせながら、七郎の着たセーターのあちこちをつまんで形をととのえてくれ、明るいシャツの襟元《えりもと》に渋いスカーフをのぞかせた白川さんは、機嫌よく、
「それで行きましょう、失礼だけど、貰って下さい」
と言って、七郎を恐縮させた。
暮れかかる駅を出る。客引きの群れをさっと分けてタクシーに乗る。宿に着くとうなずいて出迎えを受ける。|ゆかた《ヽヽヽ》と丹前に着がえる。風呂《ふろ》につかる。そして部屋に戻って一服、と何から何まで七郎は、白川さんのうしろについて、白川さんのする通りにした。
早春の宵《よい》である。
広くとったガラス窓の向うには、陽《ひ》は沈んだもののなお明るい夕空に、海からすぐに切り立った山並が黒い|かげ《ヽヽ》を立てかけ、その山肌《やまはだ》を這《は》いあがるように、おびただしい灯が群れていた。
両親、ことにあの母親がいなくて、ほぐれて行く気分と、こうして白川さんと二人向き合って、自分もどうにか一人前だという緊張とが貼《は》り合わさって、七郎の桜色に染まった四肢《しし》に、何かがみなぎってゆく。
「白川さん、スコットってお店の名前、あの音楽家からつけたんですか」
「いいや、……うちのスコットは、ロバート・スコットからです」
「…………」
「知りませんか、ロバート・スコット。イギリスの南極探険隊長で、南極点を目指すんですが、ノルウエーのアムンゼンに先を越されましてね、おまけに引き返す途中で、遭難します」
「死んだんですか」
「そう、四人ともね、……悲劇の探険家の名をとるなんて、不思議でしょう、……僕は山が好きでね、随分と登ったもんです、……最後が冬の立山《たてやま》、……五人のうち三人死んで、僕はリーダーでした、……スコットって名は、つぐないの気持もこめてね、忘れないように……」
白川さんと七郎は、空と山が一つ闇《やみ》にとけて行くのを、しばらく眺めていた。
会の連中も、次々と集まってきたようで、磨《みが》きあげた廊下の往来が騒がしくなり、総会の始まりが部屋ごとに知らされた。
七郎は、また不安になった。
「席、きまってるんですか」
「席?」
「ええ、白川さんの|そば《ヽヽ》にいられますか、僕なんか、|はじっこ《ヽヽヽヽ》でしょ」
白川さんは笑って立ちあがり、七郎をうながして廊下に出た。
「びくびくしないでいいですよ、早く行って、|はじっこ《ヽヽヽヽ》に坐《すわ》っちまいましょ、上座なんかに坐って、えらい人のお相手なんてまっぴらです、からだによくない」
七郎は安心した。
やたらと金色で眩《まぶ》しい大広間に入ると、一番末席というのもキザなもんで、と白川さんは|おしり《ヽヽヽ》から五、六番目の席をとり、お楽にしなさいと|あぐら《ヽヽヽ》をかいた。
大広間の正面には、幕のおりた舞台もあり、やがて百五十人を越す会員が、ずらりと居流れたところはなかなか見事だったが、そおっと見て行くと、知った顔、知らない顔がまじり、知った顔と目が合うと、向うは、おやっという顔をするので、七郎は頭をさげた。
やがて、上座の方から拍手がひろがって、KP商事のおやじさんが舞台に出てマイクを握った。今日の幹事で、痩《や》せっぽちな|からだ《ヽヽヽ》に似つかわしいキイキイ声で開会を宣言しておかしかった。
「七郎君、知ってますか、KPさんとこの噂《うわさ》?」
白川さんが舞台を見つめたまま、腹話術みたいに隣の七郎にささやきかける。
「なんかやったらしい、大|どこ《ヽヽ》の会社と組んで……サツの手も入ったって」
「へええ」
「それでね、KPさん、今日は、厄払《やくばら》いでパーっとやるそうですよ、……おかしいよねえ、そんなの、……いざとなるとゲン直し、……それも身銭を切るわけでなし……」
開会の宣言につづいて、磯村《いそむら》のおやじさんが、いや中和会の会長が舞台に上がった。
|べっこうぶち《ヽヽヽヽヽヽ》の眼鏡をかけ、会長だけは|ゆかた《ヽヽヽ》がけでなく、仕立ての良さそうなダブルの背広を着こんでいる。
「|ゆかた《ヽヽヽ》、着ないんですか」
「気取ってんです、……ああいうのを、野暮ってんです」
白川さんに斬《き》り捨てられた野暮な会長は、それでもよく通る声の持主だったが、挨拶《あいさつ》の|めりはり《ヽヽヽヽ》は、どこかで聞いたことがある。
「こんど区会に出るらしい、……選挙のお稽古《けいこ》ですよ、あれ」
そうか、七郎は、白川さんの解説で思い出した。あの|めりはり《ヽヽヽヽ》は、テレビで聞いた大臣の答弁そっくりだ、真似《まね》してんだな。
そして、七面倒くさい言葉を長々と並べて、御静聴、まことにありがたく存じました、と頭を深々とさげた。
次は、庄寿司さんの会計報告。
こっちの方は、声が低くて聞きとりにくいが、書類の数字を読み上げておしまい、簡単でよかった。
「苦労人ですね、庄寿司さん、……何にも言わなくっても、職人がついてくんだから、……立派なもんです、……」
白川さんは、手放しで庄寿司さんを褒《ほ》めた。
七郎は、おじいちゃんのお棺に、泣きながら釘を打った庄寿司さんが他人とは思えず、親戚《しんせき》なのかと父親に聞いてみたら、違うけど、親戚以上のつきあいさ、と言ったのを思い出した。
舞台には、また、ゲン直しのKPさんがあがっている。
「それでは、これより、中和会、五十周年の、記念、祝宴に、うつりたい、と存じますが、御異議、ございませんか」
KPさんが、奇妙に区切りながら奇声を張り上げると、方々から、異議なしの声と拍手が湧《わ》きあがって、総会は終ったようだった。
なるほど、これでは、総会は|つけたし《ヽヽヽヽ》らしい、では、何が|つけたし《ヽヽヽヽ》でないのか、よく見ておこう、七郎は、いつの間にかはだけてしまった襟元を掻《か》き合わせた。
「やれやれ、セレモニイ、一巻のおわり、あなたも私も、御苦労様でした」
白川さんが振り向いて、薄ら笑いの顔を見せたが、うなずきながらも七郎の目が舞台に走ったのに気がついて、また向き直った。
一度おりた幕が、また上がって行く。
そして舞台には、カラフルな和服にとりどりの髪型の女|達《たち》が、何列にも並んで手をついている。白川さんが呻《うめ》いた。
「ふううん、集めたなあ、KPさんのパーってやるってのは、これでしたか」
女達は、顔を上げると立ちあがり、舞台の両|袖《そで》から客席に流れ出した。
芸者たちである。年齢もさまざまなら、器量も体|つき《ヽヽ》もさまざまだが、遠目には蝶の群れとも見える。
七郎は、落ち着かなくなった。芸者の出てくる席など初めてだったからだ。
芸者たちは、上座から客の前に坐ってゆく、そして、二人の前にも一人が坐って、軽く頭をさげた。
涼しいというのか、それはいい目付きの芸者だった。白川さんの奥さんぐらいの年恰好《としかつこう》だとすると、年増《としま》芸者というのだろう、黒の勝った着物に鮮やかな赤い襟をのぞかせ、色白の際立《きわだ》った手をすんなり伸ばして銚子《ちようし》を取りあげた。
「やあ、御苦労さま」
白川さんは、慣れた手付きで酌《しやく》をうける。
「はい、こちらのおにいさま」
ぼんやり年増芸者の手元を見ていた七郎が、あわてて猪口《ちよこ》をとると手がすべり、猪口は膳《ぜん》の下を抜けて年増の膝元《ひざもと》まで転がった。
「あわてない、あわてない」
からかい気味の白川さんが年増に向かって、
「若旦那《わかだんな》は|うぶ《ヽヽ》ですから、お手やわらかに」
と言い、七郎は赤くなった。
年増は微笑《ほほえ》みながら懐紙を取り出し、猪口を拭《ふ》いて七郎に返してくれた。
舞台では、何人かの芸者が踊り始め、その鳴り物が、年増に差された酒のしみ入ってゆく胸にひびく。
七郎のもう一つ末席は、|ねり《ヽヽ》物屋の唐沢さんだったが、総会の終るまではうつ向き勝ちで、黙りこんでいたのに、これも年のいった小柄《こがら》な芸者が坐ってから、同じ人かと思うほど陽気になってしゃべり出し、女にも酒をつぎ、隣の七郎にも酌の手を伸ばしてくる。
いつもウィスキーの水割りを飲んでいた七郎は、一ト口で猪口を明ける。
すると、唐沢さんの相手をしている女が差してくる。明けると、今度は年増が差す、白川さんまで、七郎の猪口の明くのを待っていて差してくれる。
四方から伸びる手で七郎は忙しくなったが、ようやく、すぐ明けてはまずい、とわかって差されたままの猪口を置いた。
年増が七郎に目をやって、白川さんに聞いた。
「こちら、お若いのねえ」
「そう、今日の会では最年少でしょう」
「まあ」
「二代目の、いや三代目でしたか、とにかく、取っておきの箱入り|むすこ《ヽヽヽ》ですよ」
「三代目なんて、いいわねえ」
「いいでしょう、取って食べますか」
「やまやまですけど、こんなおばあちゃんじゃ、気が引けます」
「えらいね、それがわかってりゃあ」
「やな方。はい、若旦那、どうぞ」
七郎は、恥ずかしかった。若旦那はない。
同年輩の友達で、それこそ若旦那と呼ばれていい者がいる。しかし、こっちは使いっ走りのようなものだ。
仕事らしい仕事は、父親と通いの持田さんでなければ話にならず、帳面の方は常子の受け持ちで、あと二人の若い者と七郎とは、その三人の指図の通り動くだけだ、若旦那はない。
白川さんは年増とそつなく話しこんで、相手を笑わしているし、隣の唐沢さんは、いよいよ人が変わって女にコップ酒を強《し》い、自分もコップ酒をあおっては、エッチな冗談を飛ばして二人で笑いこけている。
誰《だれ》も彼も、普段は見せない自分をむき出しにしてわめくので、高声が高声を呼び、大広間は騒がしさに溢《あふ》れていた。
気がつくと、年増のうしろにKPさんが立っていて、白川さんに声をかけた。
「スコットさん、なにか御不自由は無いかね」
「やあ、幹事さん、御苦労さまです。盛会ですねえ」
「お蔭《かげ》さんで、……これから余興を始めるけど、今年は|くろおと《ヽヽヽヽ》に来て貰《もら》ったよ」
「ほう、そりゃあいい、いつも旦那芸ばかりで参ってました」
「それを言いなさんな、ま、見てておくれよ、で御注文は無いんだね?」
「いや、御注文と言われますとね、無いわけでもない」
「何だい」
「見て下さい、この若旦那」
白川さんが七郎の肩をだき、KPさんは七郎をみつめた。
「ああ、陶化堂さんとこの」
七郎は頭をさげた。
「こういう生きのいいのには、女の子も生きのいいのを当てがって下さいな」
「失礼ねえ」
二人の芸者が目を合わして笑った。
KPさんは、ぐるっとあたりを見回し、いきなり、うしろをすり抜けようとした女をつかまえた。
「ここへ坐れ」
「うち?」
その女は、振り戻された拍子に躓《つまず》いた恰好になり、不機嫌《ふきげん》な声を出したが、すらりとした|からだ《ヽヽヽ》付き、髪をつめた顔立ちには、たしかな若さが見えた。
「そうだ、まあ、坐れ」
KPさんは女の肩をおさえて、年増の隣、ということは七郎の正面に手荒く坐らせた。
女は年増を見とめると、その半身にすがり付いた。
「ああ、おねえさん、うち、遅れてしもうて、かんにんな」
年増はその挨拶を受け流して、きちんと坐らせた。
「どうだ、こんなとこじゃあ」
「やあ、結構、さすが名幹事、……」
白川さんが手を打った時には、もう名幹事は誰かに呼び立てられて向うに連れてゆかれていた。
「君は、関西だね」
白川さんが女にたずねると、女は年増に甘ったれた目を送ってから、うなずいた。
「言葉が、ちょっとも直らしまへん」
若い女の嘆きに、年増が助け舟を出した。
「いいのよ、小鈴ちゃんはそれで」
白川さんも相乗りした。
「そうとも、女の関西弁はいいよ、……どのくらいになんの、こっちへ来て」
「まる一年」
「それじゃ無理だ、菊代さんの言う通り、それでいい、いや、その方がいい」
白川さんは、もう年増の名前を知っていた。やっぱり、不良の早業だ。そして、こっちは小鈴というのか、綺麗《きれい》だ、七郎は小鈴の顔に見とれた。
「京都かい」
「……にも居ました」
「大阪は」
「そんなこと、どうでもよろし、それよりお酌しましょ」
小鈴が眉《まゆ》を寄せて、すねた顔を見せた。可愛《かわい》い、七郎がそう思うと、小鈴の方も七郎を見つめて菊代に聞いた。
「皆さん、東京の旦那衆やって?」
「そうよ、それも気っぷのいい方ばかり」
「こちらも?」
|しな《ヽヽ》をつけた小鈴の人差し指が、七郎の膳に触れた。
「だめよ、そんなことして」
菊代が小鈴の指をおさえた。
「三代目の若旦那様ですって」
「そおか」
小鈴の黒い目に見つめられ、七郎があわてて膳の下から煙草《たばこ》を取り出すと、ライターを持っているのに、菊代がマッチをすってくれた。
上座の方で拍手が起り、舞台には、それぞれに楽器を持った三人の芸人が上がって、けたたましいコーラスを始めている。
女たちも、舞台が見通せるように客の側に移り、七郎の左右に菊代と小鈴が坐った。
舞台の三人は、互いにぶったり、蹴《け》ったり、転んだりして、笑いをさそっている。
小鈴も、少女のような笑い声を立てた。
「……ふとん、敷いたら」
七郎は、自分の座蒲団《ざぶとん》をずらしてやった。舞台を見るなら、その方がいいだろう。
小鈴が黙って七郎の顔を見つめるので、七郎もどうかしたのかと見返すと、すっとからだを寄せ、花のような匂《にお》いとともに小鈴がささやいた。
「なんにも知らはらへんのね、ぼんぼんは。芸子がお座敷でおふとん敷いたら、叱《しか》られますがな」
「……そう」
「そうですのや……でも、うれしわ、うち、ビールもろうてよろしい?」
七郎は、コップを渡しビールをついでやりながら、そうか、こっちもビールにすればよかった、と気がついた。ビールの出ていたのは知っていたが、いきなり猪口を持たされてそのままになっていたのだ。
「ぼんぼんは、お酒?」
「いや、僕《ぼく》もビールが飲みたい」
小鈴は、あたりを見回した。
「コップ、あらへんなあ、……ほなら、うちのコップでよろしやろか」
七郎は胸のときめく思いで、はい、御返盃《ごへんぱい》、と差し出す小鈴のコップを受け取り、つがれたビールを一ト息に飲み干した。
うまかった。酒であたたまったからだを、ビールがつめたく降りて行ったが、両隣の膳の上に、コップののっているのも見えた。
小鈴の妙な嘘《うそ》が気になった七郎の手から、コップがすっと取りあげられて、
「今度は、うちの番」
小鈴も一ト息に飲み干して、
「おいしい」
と言い、またコップを返す。
二杯ずつ飲んで二人は視線を結び、声を立てずに笑った。
声こそ立てなかったが、気配は白川さんに伝わったようで、振り返って驚く|ふり《ヽヽ》を見せたが、七郎は平気だった。酔いが、やはり七郎を変えていたらしい。
舞台は、三人組から女の歌い手の演歌に変わっている。
小鈴がまた、|からだ《ヽヽヽ》を寄せた。
「今夜、散歩せえしまへん?」
「……僕はいいけど……」
「|あとくち《ヽヽヽヽ》、ことわりますう」
「……|あとくち《ヽヽヽヽ》って?」
「もう一つ、お座敷ありますねん」
「……いいの」
「かめしまへん、うちはな、わがまま言えますう……車に乗らはってな、海岸のホープ言えばよろし、喫茶店や」
酔いのひろがる七郎の|からだ《ヽヽヽ》に、これまで知らなかった嬉《うれ》しさが走り抜けた。
うつむいて腕時計をたしかめる小鈴の襟足《えりあし》が白く細い。
「今、七時半、九時までには終りますやろ、そしたら十時に。つめたいコーヒ、飲みたいわあ」
袖で七郎の右手を隠すと、その小指に小指を巻きつけてきつく握り、そして小鈴は、ぽっかり空間を明けて席を立った。
演歌が終ると、座が乱れ始めた。
|とり《ヽヽ》をつとめる噺家《はなしか》の噺は、何人かが|かぶりつき《ヽヽヽヽヽ》に座を占めて笑っているだけで、隣の唐沢さんと相手の女は手をつないで出て行ったし、白川さんはトイレに立ち、菊代は上座によばれて行き、一人になった七郎の前を、「マージャン」「マージャン」と口々に呼び交わして引き上げて行く者もあった。
本来ならうろたえる筈《はず》の七郎だが、じっと坐ったまま、喫茶店のホープ、忘れるなホープ、そうだ、煙草のホープと憶《おぼ》えておこう、ホープだ、煙草の、と頭の中の酔いをはらいながら繰り返した。
やがて白川さんの姿が見え、七郎をまねいた。
「もういいでしょう、ひとまず引き上げますか」
勿論《もちろん》、白川さんに従うべきだし、小鈴の話は、あとで言おうときめた。
「そうそう、一応、庄寿司さんに挨拶《あいさつ》しときましょう、その方がいい」
白川さんは、七郎をつれて上座に向かった。
庄寿司さんは、上座の一角に女をまじえて出来た車座の中にいたが、会長と並んでいる。
「まずいな」
白川さんが呟《つぶや》くのと一緒に、会長の|はば《ヽヽ》のある声が向うからひびいた。
「おう、白川君」
「あ、御馳走《ごちそう》になりました」
白川さんに続いて、七郎もゴニョゴニョ言って頭をさげた。
「御馳走はないだろう、まあ、坐りなさい」
女たちが輪を広げた。
「十分、いただきました」
白川さんは逃げ腰である。
「なに言ってる、いいじゃないか、坐れったら坐れ」
会長も酔っている、乱暴な物言いだ。
「ちょっと、つき合いますか」
白川さんは逆らわず、七郎をうながして坐った。慣れたものだ。軽くいなされた会長は満足気だった。
「白川君とは、カンタン、アイテラスナカだが、そちらのお若いのは」
会長は、丸く肉のさがった目で七郎を見据《みす》えた。
「あ、そうそう、戸川さんとこの息子さんです」
庄寿司さんの紹介で、七郎は頭をさげた。
「なんだ、陶化堂さんとこのか、いや、お見それした。あんたんとこのお父さんとは、竹馬の友だし、御先代には、一方ならぬ御指導をいただいた。お帰りになったら、よろしくお伝えねがおう。ま、ひとつ、大きいのでゆこう」
コップが七郎に渡され、脇《わき》から白い手が伸びて酒がつがれた。もう飲みたくはなかったが、会長の視線をうけて、半分飲みこんだ。
「さあ、白川君が来た、恒例によって始めようか」
会長は、隣のおばあさんと言っていいような芸者に目をやると、三味線が鳴り始めた。
何が恒例なのか、七郎がきょろきょろすると、会長が歌い出した。
いま逢《お》うて
すぐに惚《ほ》れたが どうして悪い
思案してなら 惚れはせぬ
ははあ、|どどいつ《ヽヽヽヽ》だなとはわかったが、お次の番だよ、の掛け声で、次の座の汐見屋さんが、別の|どどいつ《ヽヽヽヽ》を歌いついだ。
七郎はびっくりして、みんなと一緒に手拍子をとっている白川さんに聞いた。
「順番にやるんですか」
「そう」
「僕、出来ません」
「出来ませんか」
「ええ」
「なら、いい」
「いいんですか」
「飛ばしてあげます」
「すいません、……白川さんは」
「やります」
「…………」
「それで引き上げましょう」
本当に頼り甲斐《がい》のある白川さんだった。七郎は気楽になりながら、不良ってえらいもんだ、とまた感心して手拍子を合わせた。
回っている|どどいつ《ヽヽヽヽ》には|わけ《ヽヽ》のわからない文句もあったが、笑わせるもの、なるほどと思うもの、いろいろで結構|面白《おもしろ》かったが、七郎の隣の女は、
かたくにぎった
手と手のなかに
こんど逢う日が書いてある
と歌ってつめたい小鈴の小指を思い出させた。
「お次の番だよ」
の声がかかる。
「この人、飛ばして、わたしの番だよ」
白川さんが|ふし《ヽヽ》をつけて言ってくれた。
会長が七郎をにらんだ。
「どうしてだ」
「まだ修業中、教えときます、今度まで」
「白川君に聞いてるんじゃない」
会長に押さえられて、三味線がやんだ。
「戸川君、やりたまえ、顔見せのお祝儀というもんだ、|どどいつ《ヽヽヽヽ》がいけなきゃあ、何でもいい」
七郎は混乱した。何でもいいったって、三味線で唱《うた》う歌なんか知りっこない。演歌でごまかすにしても文句が|うろ《ヽヽ》憶えだ、会長は御祝儀だと言い、みんなは注目している。どうする、|おれ《ヽヽ》の歌ったことのある歌は……。
咄嗟《とつさ》に、松ちゃんの歌声が耳をかすめた。
「木|やり《ヽヽ》、木|やり《ヽヽ》を歌います」
「木|やりくずし《ヽヽヽヽ》ね」
おばあちゃんが、すっくと立ち上がった七郎を見上げて、三味線を取り直した。
「いえ、木|やり《ヽヽ》です、鳶職《とびしよく》の歌う。三味線はいりません」
「なに、本物の木|やり《ヽヽ》か、そりゃあ、いい」
会長が手を打ち、四方から、いいぞ、の声がかかったが、白川さんはじっと腕組みしたまま動かなかった。
木|やり《ヽヽ》なら、松ちゃんのとこで聞きおぼえ、松ちゃんと二人して、何度か歌ったことがある、何はともあれそれしかない、笑わば笑えのやぶれかぶれだ。
「よおおおおお…… やあありよう…… やああれええ……」
念仏にも似たメロディーが、思いのほかのボリュームで七郎の|のど《ヽヽ》から溢《あふ》れ始めると、大広間のざわめきが火の消えるように静まって行くのがわかった。
歌は嫌《きら》いではないが聞くだけだった七郎が、せっぱ詰まって開き直り、強《し》いられたコップ酒の酔いにも助けられて、勝鬨橋《かちどきばし》の夕日を思い浮かべながら歌う木|やり《ヽヽ》は、広間いっぱいにこだました。
「ほおうおおお…… こおおれええ…… わああせええ……」
低く降りてゆくかと思えば、また高く登ってゆき、これっきりの所まで登りつめると、急速にまた低みに向かって行く。
木|やり《ヽヽ》の文句は、わけがわからないが、素朴《そぼく》なことには間違いない。
今日も、吾妻先生が、素朴でういういしいのがいいと言ったっけ、気取らずにおぼえたままに歌うのだ。
小学校で同級の松ちゃんは、鳶の|かしら《ヽヽヽ》の子だった。そして、親の|あと《ヽヽ》を継いだ。
だから時折、高い足場の上から短い髪にねじり鉢巻《はちまき》で、
「おおい、シッチャアアン」
と呼びかけて手を振ったりする。
松ちゃんは七郎とおない年なのに、もう二人も子供がいる。
おかみさんというのが、松ちゃんより七つ八つ年上だそうだが、なんでも東京中の鳶職が少くなって、松ちゃんに釣《つ》り合う娘が、やっとそのおかみさん一人だったという。
|かしら《ヽヽヽ》の子は、|かしら《ヽヽヽ》の子どうしで一緒になるのだ、と誰《だれ》かが言っていた。
小さい時から七郎は、元気な松ちゃんと気が合って、よく松ちゃんの家の裏の空き地で遊んだ。
松ちゃんとこの若い衆たちも遊び相手になってくれたし、よく木|やり《ヽヽ》の稽古《けいこ》も聞いて、真似《まね》をしたことがある。
中学に上がってから、|うち《ヽヽ》に帰りたくない日があって、学校から松ちゃんの|うち《ヽヽ》に行って|ひま《ヽヽ》をつぶしたことがあった。
夕食の時間になったので、やっぱり帰ることにしたが、松ちゃんは、七郎の気持を心配してくれたらしく、勝鬨橋の真ん中まで送って来てくれた。
何となく二人で手|すり《ヽヽ》にもたれ、木|やり《ヽヽ》を口ずさんだ。やっていると、ところどころでそこはこうと直してくれて、また合わせた。
それが終ったら、もう一度、本番で行こうということになり、歌い始めたら二人とも、夕日に向かってだんだん大きく声を張って行き、競争のようになった。
歌い終った時、三、四人の|おとな《ヽヽヽ》がうしろに立っていて、手を叩《たた》いてくれたが、二人は恥ずかしくて右と左に駈《か》け出して別れた。
七郎の胸のうちのもやもやは、なくなっていた。
威勢がいいようでいて、切れ目、切れ目で、ふっと悲しくなるような木|やり《ヽヽ》だが、温泉場の大広間で七郎が、長く尾を引いて歌いおさめると、静まった大広間の隅々《すみずみ》から、わけのわからぬ|どよめき《ヽヽヽヽ》が起り、それとともに拍手の波が、潮のように寄せて七郎を包んだ。
「さあ、これで勘弁して頂こう、みなさん、お先に」
立ち上がった白川さんが、有無を言わさず七郎を車座から連れ出してくれた。
歌い終った安心と酒の酔いに足を取られて、よろめくように廊下に出ると、襖《ふすま》の|かげ《ヽヽ》からすらりと二本の手が伸びて七郎の襟《えり》を引き、小鈴の顔が思い切り近付いてくる。
「よかったなあ、ぼんぼんとわかったら、涙が出てもうて」
ほんとに、その目がうるんでいる。
「おいおい、どうしようってえの」
白川さんが、割って入ろうとする。
小鈴は白川さんを振り切って、七郎をうしろに回し、
「ええやないの、ほっといて」
と白川さんに|たて《ヽヽ》をついた。
「酔ってんな、この子」
「すこうしや」
「どうすんだよ、若旦那《わかだんな》を」
「いけずやな、きらい」
小鈴は、それなり広間に引き返した。
部屋に戻《もど》った二人は、敷いてある夜具の上に、そのまま引っくり返った。
「七郎君、酔いました?」
「ええ、すこし」
「そう、そう言えるなら大丈夫……でも、あんたって人も、隅に置けないねえ」
「いえ……コーヒーを飲もうという話でした」
「なに?」
白川さんは向き直って吹き出した。
「木|やり《ヽヽ》のことですよ、僕の言ってんのは、……そう、コーヒーって、あの子に誘われたんですね」
「ええ」
「そうだろうなあ……そうときまれば、さあ、行った行った、|くろおと《ヽヽヽヽ》からのお誘いだ、据え膳《ぜん》、据え膳、若い時は二度無いってやつ、マブはヒケスギ、何時の約束です? ……それなら、急いで着換えなさい」
白川さんは、わけのわからないことを立て続けに言うと、七郎の手を引っぱった。
「着換えるって?」
「服に着換えなさい」
「これじゃあ?」
「だめ、だめ、|ゆかた《ヽヽヽ》なんて寝巻き、そんな|かっこ《ヽヽヽ》じゃ、せっかくの色男が台無しだ、さあ、早く」
七郎はよろめきながら服に着換える。
「お金は」
「十万持ってきました」
「そりゃ多い。そうねえ、半分持ってきなさい、足りなきゃ電話しなさい。
それとね、万事たのむって、あの子にまかせちまう手もある、あとで払えばいい。いずれにせよ、金のことなんか、これっぽっちも心配しなさんな」
どうなるのだろう、七郎は、わけがわからなくなった。
「それからね、明日は八時に|めし《ヽヽ》だそうだから、それまでに帰ればいいんです」
そんなことになるのだろうか。
「もう一つ、変な約束しちゃいけませんよ、遊びは遊びなんだから、わかってますね」
一向にわからないが、なにしろ白川さんは、我がことのように急いで着換えを手伝ってくれる。
そうして玄関まで追い立てられるようにして行くと、丁度、タクシーが客をおろしていた。白川さんが下駄《げた》をつっかけてタクシーをとめ、七郎を押しこんだ。
「場所は」
「ホープです、煙草《たばこ》の」
「何ですって」
「いえ、海岸のホープです、喫茶店の」
「運転手さん、わかるね」
運転手がうなずき車が動き出した。
「がん張れよ、七郎君」
白川さんが手をあげた。
その夜、岸壁すれすれにある喫茶店の二階で小鈴に逢った七郎は、月の照ったりかげったりする遊歩道を夜更《よふ》けまで往復して、本名を八島邦子という小鈴の、とりとめは無いが初めて知るさまざまの話を聞き、邦子の言うがままに小さな旅館に行き、邦子の言うがままに邦子を知った。
きっとまた逢うてな、うん、という約束の|のち《ヽヽ》にである。
中和会の総会だか、どんちゃん騒ぎだかがすみ、また以前と変わらぬ七郎の明け暮れが始まったが、気持の方は、桁《けた》ちがいに変わっていた。
いつも邦子を感じている。ということは、あの夜を境に|ふたり《ヽヽヽ》で生きているので、それ以前は、七郎|ひとり《ヽヽヽ》で生きていたな、と思えてならないことだ。
そしてスコットに行くたびに、その思いがいよいよ強まる。スコットには、|ふたり《ヽヽヽ》の秘密をただ一人知っている白川さんがいて、これから先、力になってくれることになっているからである。
あの翌朝、浅い眠りの床を蹴《け》って、あわただしく邦子《くにこ》と別れ、時間ぎりぎりに宿に帰ると、待っていた白川さんから恥ずかしい質問を皮切りに次々とたずねられて、結局、洗いざらい白状することになった。
「すると、あの子は、七郎君に一銭も使わせなかったわけだ、……冗談でなく、これはお安くないね。どう付けるかなあ、決着を」
白川さんは煙草の火を見つめている。
七郎は、拙《まず》いことをしたのかと不安になったが、ついでのことに、今月のうちには、また来てくれ、と言われたことも話した。
「そう、……わかりました、任せなさい、その件は。うまいこと帳尻《ちようじり》を合わせましょう。
それでね、ゆうべのことは一ト先《ま》ず置いといて、当分は仕事をしましょう。いいですね、お店の仕事、きちんとやって下さいよ」
七郎に、いいの、わるいのは無い、白川さんだけが頼みの綱なのだから。
それで言われた通り、変わることなく使い走りに精は出したが、邦子に逢いたい思いはつのる、つのる思いの七郎のすることは、ひとりで部屋に寝そべって、梅乃家・小鈴という角の丸い小さな名刺を眺《なが》めることだった。
三週間ほどたった日の午後、白川さんから電話で呼び出された。
すぐに駈けつけると、カウンターをはさんで白川さんとひそひそ話になった。
「あさって一日、都合つきませんか」
「……なんとかします」
「むこうから、|ふたり《ヽヽヽ》来ます」
「|ふたり《ヽヽヽ》?」
白川さんは|にが《ヽヽ》笑いしたが、|ふたり《ヽヽヽ》というのは、菊代さんと邦子のことだった。
それから白川さんが、噛《か》んで含めるようにして話してくれたのは、こうだった。
相手は、売り物に買い物の芸者である、初めから金銭|ずく《ヽヽ》で遊んだのなら文句はない。
ところが、七郎と邦子の場合はそうでない。芸者だって立派な人間で、恋愛もすれば、時に息|ぬき《ヽヽ》もする。息|ぬき《ヽヽ》というのは、金銭抜きの遊びと言っていい。
まあ、二人の場合は息|ぬき《ヽヽ》だとして、そうなら、せめて五分五分で行きたい。
この前は小鈴の|おごり《ヽヽヽ》ということにして、今度は七郎がおごり返して、おあいこ。
その段取りは、菊代と邦子があさって昼前に東京へ来るから、四人で食事をして、あとは別々になって相手をする。七郎がよければホテルも取っておく、そしてお土産を持たせて最終で帰す、ただし、その日の費用一切、こっち持ち、というのである。
七郎は、一も二もなく承知した。
多分、下手な嘘《うそ》をついて心細い遠出をするとばかり思っていたのに、向うから出向いてくれるとは。
白川さんも一緒だし、金も手つかずにあるし、何よりかにより邦子に逢《あ》えるのだ。
「いいですか七郎君、この際だから言っておきますが、ここで一ト区切りつくわけですから、あと続けるなら、二人で話し合ってからおやんなさい。
あの子にはパトロンも居る筈です。その辺もきちんと聞いて、息|ぬき《ヽヽ》なら息|ぬき《ヽヽ》と割り切らなくっちゃね。
それが出来るなら、中継ぎぐらいは、うちでしてあげますが、中途半端は駄目ですよ。
後悔先に立たず、遊ぶってことは、これで大変なんですから」
七郎はうなずいたが、もう上の空の心地であった。
翌々日、嘘をついて一日休むことにした七郎は、白川さんの指図通り、東京駅に行き人目を気にしながら、最終の座席指定を二枚買い、少し離れた所から改札口を見守っていると、時間通り、人ごみの中に菊代さんと邦子らしい二人を見つけた。
たしかにその二人だった。それが証拠に、邦子の方が七郎を見つけて手を上げた。だが、二人とも洋装で、邦子の方はサングラスまで掛けていて別人のように見え、妙な気持がする。
改札を出た邦子は、いきなり七郎の手を取ってうれしと言い、菊代さんは、その節はどうもと頭をさげたが、こんな所に長居は無用である。
二人をうながしてタクシーに乗り、邦子のはしゃいだ話に空返辞をしながら、新宿の高層ビルの一つに着いて、エレベーターの乗り場まで行くと白川さんが立っていた。
七郎は、ほっとすると同時に、汗のしみた肌着《はだぎ》のつめたさに気がついた。
四人は、果てしない東京を見おろす最上階のレストランに入り、ワインで乾杯した。
邦子はよくしゃべり、白川さんと菊代さんが受け答えしたが、七郎は聞き役。
一ト通りの食事が終ったところで、白川さんは、最終の切符と小さな包みを二人に渡し、邦子には、七郎君からのプレゼントですよ、と言い添え、七郎には、隣にあるホテルのキーを渡してくれた。
不良という人は、まったく手順がいいと思う間もなく、じゃ、ごゆっくり、われわれは消えますか、と白川さんは菊代さんに言い、菊代さんは邦子に、遅れないでねと言い、二人ともコーヒーには手をつけずに出て行った。
こうして、七郎と邦子の、人目をしのぶデートが始まったのである。
月に二度、多い時には三度、示し合わした日に、邦子が出て来て最終で帰ってゆく。
初めての日に邦子が言った。
「若旦那いうたかて、おとうはん、いやはるうちは自由にならへんのやろ。それに、うちかて、あっちで逢うのもなんやし。そやから、うちが来るさかい、七郎はんは、一日だけ都合してくれはったらよろしねん」
七郎も嘘をつくのはやめた。その日は、何にも言わないで姿を消す。父親も常子も、何にも聞かない。遅く帰っても裏口は明いており、それから、のびのびした気持でぐっすり寝た。
そのうちに、邦子は、ホテル代まで持つと言い出した。
「うちはな、ようけ、お小遣いありますねん」
しかし、それだけは勘弁してもらった、そのくらいは七郎でもなんとかなったし、白川さんの言った、せめて五分五分、|おあいこ《ヽヽヽヽ》で行きたかったからだ。
というのも、最終までの一ト時、明るい街中をびくびくしながら歩いている時など、邦子がショーウインドウを覗《のぞ》いて、スポーツシャツやらブレザーなどを買ってしまうのである。
「あんなあ、一目ぼれ、言いますやろ、うち、七郎はんに一目ぼれや。
七郎はんの顔、思い出すと、お座敷におっても、どこにおっても、胸、痛うなるねん、
これ、今度の時、着てみせて、きっと、ええ思うわ」
と押しつけるのである。
梅雨に入って、一つの傘《かさ》を持ち合って歩いた。
夏が来た、邦子は、大胆な身|なり《ヽヽ》で若さを見せた。
秋になった、街路樹のやさしさを、初めて七郎は知った。
その頃《ころ》になると、デートごとの切れぎれの話がつながって、邦子の身の上もおぼろにわかってきた。
煙草の輪を吹いて邦子が言った。
「うちはなあ、おじいちゃんの|おもちゃ《ヽヽヽヽ》や」
「おじいちゃん?」
「名前、言うたら、七郎はんかて知ってるわ」
そうか、白川さんの言ったパトロンというのは、誰《だれ》か有名な老人だったのか。
「大阪で水揚げされたんや、その晩一ト晩、泣き通したわ」
そのおじいちゃんが、邦子を大阪から今の所に移し、月に何度か通ってきて、一ト晩とまってゆくらしい。
七郎は、おじいちゃんの話が出ると、どこかに針をさされるようで辛《つら》かった。
抱いている邦子のこの|からだ《ヽヽヽ》を、その老人が抱くのかと考えると、頭がくらくらした。
「おじいちゃんはな、もう男やないねん。ただ、|うち《ヽヽ》をおもちゃにしてな、いろうたり、ねぶったりするだけで若返るんやって。
けど、|うち《ヽヽ》は女や、七郎はんは男や」
そう言った時の邦子の顔付きはきつく、それまでになく荒々しく七郎に挑《いど》んだ。
冬になった。邦子は、長い毛皮に身をくるんで出てきた。
そして、今年はこれでおしまいという十二月なかばの午後。
邦子はベッドで、いつ言い出すかと思っていたことを、あっさり言ってのけた。
「なあ、七郎はん、|うち《ヽヽ》を嫁はんにしてんか。
商売は好きやし、焼き物も好きやし、きっとええ嫁はんになるよって、嫁はんにしてえな。
こないだ、よう当る占いに見てもろうたらな、来年はええことあるのやて、それも縁談やて。
たしかに、うちは処女やあらへん、芸子もしてますう、けど、そやったら結婚出けへんのか、一生、こうしてな、あかんのんか」
邦子が鼻をつまらせて言った。
「……考える、真剣に考える、……この次、来年、ちゃんと結論を出す」
七郎は、これはもう、決心しなければならない、と決心した。
続ける気なら二人で話し合ってから、中途半端は駄目です、と白川さんに念をつかれながら、どうにも息|ぬき《ヽヽ》だなんて思えなかったし、下手な話で邦子を失いたくもなく、話しそびれていたツケが回って来たのを知った。
邦子と結婚するとして、第一の関門は、七郎の両親の考えだろう。
だが、どう話したって、いいなんて言う筈《はず》がない。しかも、話すからには、これまでの|いきさつ《ヽヽヽヽ》に触れねばならず、駄目とわかっていながら、洗いざらい言ってしまうなんて馬鹿《ばか》な話だ。
第二の関門は、おじいちゃんとやらいう人だろう。こっちの方は、いよいよ見当がつかない、どうしたらいいのだろう。
こういう話は、結局、白川さんに相談するしかないが、そこはチャンと釘《くぎ》をさされていて、今更、持ちこめた義理ではない。
では、どうするのか。
七郎は、とくに慌《あわ》ただしいこの|まち《ヽヽ》の歳《とし》の瀬を、内心、青ざめて送った。
正月の十日すぎ、邦子が出て来た。
「僕《ぼく》は、君と一緒になりたい。でも、親は、うんと言わないと思う、おじいちゃんて人も、そうじゃないかと思う、……考え続けたけど、どうしたらいいんだか、わからないんだ」
七郎は、邦子の白い膝枕《ひざまくら》の上で嘆いた。
「七郎はん……ほんまに、……ほんまに、|うち《ヽヽ》と一緒になりたい?」
「……ほんまだ、……ほんまだよ」
邦子はニッコリして、七郎の両の耳|たぶ《ヽヽ》を引っ張り、口をつけてささやいた。
「そんなら、簡単やん」
「……簡単?」
「そおや……か、け、お、ち、……駈《か》け落ちするんや」
「駈け落ち?」
「……世間って広いようで狭い、言いますやろ。ほなら、狭いようで広いとも言えるんや。
東京と大阪だけが、人の住むとこやあらへん、北海道かて九州かて、住めば都や。
そうや、四国の丸亀《まるがめ》には友達もおるわ、な、二人で駈け落ちしょ」
そうか、どっかへ二人で行ってしまえばいいのか……その手はあるし、その手しか無いのだ。
「……駈け落ちかあ」
「いやか」
「いやじゃない、僕は何をしてはたらこう」
「なにかて出来ますがな、その気にさえなりはったら。
|うち《ヽヽ》はな、貧乏育ちやさかい、少々のことは平気や。貯金もあるし、二人してはたらいて時を待つんや。
おじいちゃんかて、もうじき八十や、そうは持たへん。それにな、|やや《ヽヽ》子でも生れてみい、七郎はんのお父はん、お母はんかて許してくれはるのとちがいますか、……時の来るのを待つんや」
七郎は、吾妻塾《あずまじゆく》で先生の言った、時の力は強いというような文句を思い出した。あれは何の時間のことだったかは思い出せなかったが、邦子の言うようなことではなかったかしらん。
「そや、こうしょう」
邦子は、宙を見つめて明るく叫んだ。
「今、冬やろ、寒いし、あかん。四月にしょ、それまでに支度しょ、な、そうしょ」
そして、七郎にかぶさった。
それからは来るたびに、邦子は駈け落ちの手筈に熱中し、七郎は無い知恵をしぼって手伝ったが、二月に入って話が急変した。
いつものホテルで待っていると、いつもよりきつい顔で入って来た邦子は、オーバーも脱がずに七郎の手を取ってベッドに坐《すわ》った。
「もう、ぐずぐずでけへん。七郎はん、覚悟してや。おじいちゃん、探偵《たんてい》、つこうてな、うちらのこと調べはった」
「探偵?」
七郎は、いやあな気持になった。
「そや、興信所いうのんか、それつこうてな、8ミリ取ったわ。ううん、取られたんは七郎はんやない、別の人やけど」
「別の人?」
「やきなはんな。別の人いうたかて、なんもあらへん、土地の人で、贔屓《ひいき》にしてくれはる人や、その人と喫茶店から出てくるとこ、8ミリに取ったんや。
うちはな、絶対なんも無い、言い張ったん、ほんまやもん。けどな、おじいちゃん、誰かいるて気い付いたわ。
今日やて、|あと《ヽヽ》つけられんの気にしいしい来たんよ。
そいでな、三月になったら大阪に帰す、言い出してん。もうあかん、今がチャンスいうのん、ちがうか」
七郎は、邦子の言う通りだとは思ったが、七郎には七郎で、一つの|たくらみ《ヽヽヽヽ》があった。
「邦ちゃん、この月末じゃ、間に合わないかな?」
「ええよ、今月のうちなら」
邦子は手帖《てちよう》を出した。
「ちょうど、二十八日がこっちへ来る日や」
「そうか、その日にしよう」
よし、この月末にやってしまおう、七郎はきめた。
「……うちはどないしょう」
「……とにかく、いつもの通り、ここに来てくれればいい、それからだ」
「それから?」
「ああ、|けり《ヽヽ》をつける」
邦子は七郎にしがみついた。
その日は、この季節にしては生まあたたかい曇り空の日であった。
十時になると、七郎は店を出て地下鉄の銀座駅まで大股《おおまた》で歩いた。コインロッカーから、|おとつい《ヽヽヽヽ》運んでおいた鞄《かばん》を引き出した。
地下鉄に乗って稲荷町《いなりちよう》まで行き、地上に出ると筋向いの青柳ビルを見つめて深呼吸をした。
青柳ビルの受付で、顔なじみの女の子に鞄をあずかってもらい、二階にあがって青柳商事の社長室のドアをノックした。
鞄の件と深呼吸をのぞけば、あとはいつもの集金日と同じパターンである。
いつもと大違いになったのは、青柳さんに挨拶《あいさつ》してからだった。
「すいませんけど、今日いただく分ですが、線引|き《ヽ》無|し《ヽ》にして頂けないでしょうか……」
思い切って、一ト息に言ってのけた。この間から繰り返しておいた|せりふ《ヽヽヽ》でもある。
線引|き《ヽ》の小切手では、店の口座に落ちるだけで、駈け落ちのための現金にはならない。青柳さんのイエスかノーで、駈け落ちはつぶれる。この一ト言に賭《か》けた。
「どうした?」
これの答えも考えてある。
「なにか仕入れの方で、急に現金がいるとかで、お願いして来いって言ってました、それで、……あとで御挨拶するって言ってました」
しまいの方の文句が、すこし|よろけ《ヽヽヽ》気味になった。
「そうか、お父さんは目が利《き》くからな、協力しよう」
七郎の|からだ《ヽヽヽ》の張りが、へなへなになって行った。
青柳さんは、会計のじいさんを呼び、残高を確かめた上で、線引|き《ヽ》無|し《ヽ》の小切手を切ってくれ、七郎は、
一、金参百七拾五萬四|阡《せん》参百五拾円|也《なり》
と打ち込んで来た領収証を差し出した。
「去年は、後半になって良くなったなあ、君んとこもそうだろう」
「ええ、お蔭様《かげさま》で」
青柳さんは機嫌《きげん》が良かった。食いこんでいるホテルが、地方に三つもホテルを作り、その食堂の食器類を一手に納めたようだ、勿論《もちろん》、和食の陶器は陶化堂に集めさせた。
「わからんもんだ、悪い悪いって時に、良い|とこ《ヽヽ》もあるんだから。もっとも、おたがい、長いことやってんだから、陽《ひ》もさすのさ」
七郎は、精いっぱい笑ってみせ、小切手を財布に入れてから内ポケットに入れてボタンを掛け、立ち上がって一礼した。
青柳ビルを飛び出すと、すぐにタクシーを拾い、京橋の交叉点《こうさてん》までと頼んだ。
七郎の予定では、地下鉄に乗ることになっていたのだが、小切手を|ふところ《ヽヽヽヽ》にしてみると、混み合う地下鉄は避けたくなった。
道路は渋滞していたが、店を出てからトントン|こと《ヽヽ》が運んで、時間の|ゆとり《ヽヽヽ》はたっぷりある。七郎はシートに|からだ《ヽヽヽ》を埋めた。
七郎が邦子《くにこ》に月末と言ったのは、この|たくらみ《ヽヽヽヽ》の為《ため》だったのである。
駈け落ちもいいが、金が欲しい。
邦子の方には、金目の宝石類のほかに、三百万ほどの貯金もあって、もう現金にしてあるという。
それなら自分の方だって、五分五分で行かなくてはと思うのだが、何にも無い。
そこで思いついたのが、店の集金をさらうことだった。集金は、七郎の|かかり《ヽヽヽ》になっている。
どの口をさらうか。邦子が、今がチャンスいうのん、ちがうか、と言った時に、青柳さんのこの口、と|まと《ヽヽ》がきまった。
古いお得意の青柳さんなら、七郎も子供の時から知っている。そして、|いち《ヽヽ》か|ばち《ヽヽ》か、線引|き《ヽ》無|し《ヽ》を頼みこみ、それが見事、図に当たったのだ。
邦子のと合わせて七百万近い現金があって、二人してはたらけば、時とやらが来るまで何とかなるだろう。
二時に東京駅に邦子が着く、切符を買っておいて、すぐ二人で邦子の|まち《ヽヽ》に引き返す。車中で計画を話し、邦子の支度の出来次第、東西南北どっちでもいい、高飛びとやらをしてみよう。
とにかく、うまく行った。邦子もよろこぶだろうし、自分には、もうこれしかない。
あれ!
七郎は青くなった。鞄を忘れた。なんて間抜けだ。放《ほう》っておくか、中身は無ければ無いですむものばかりだ。だが待て、落ちつけ、電話を掛けられたらどうする、そうだ、引っ返せ。
七郎は、京橋を目の前にして、タクシーに戻《もど》ってもらうことにした。
それは、イライラする往復だったが、七郎が青柳ビルに駈《か》けこむと、女の子がケラケラ笑いながら鞄を出してくれた。
「案外、あわてもんなのね、戸川さんって。今、お電話しようと思ってたとこ」
七郎は、ぞっとした。
待たせておいたタクシーに乗りこむ時、七郎の首に雨が当たった。雨か、七郎は走り出した車の窓から街をながめ、うんざりした。
ちょっとした不注意から、一時間以上の無駄《むだ》が出た。落ちつくんだ、今日一日、慎重にゆけ、目をつぶって七郎は自分に言い聞かせた。
京橋に着き、小雨の中を足早やに銀行に入り、まずハンケチを出して肩を拭《ふ》いた。濡《ぬ》れたままで大金を引き出すなんて、疑われるようなことをしてはならない、せいては事を何とかだと独り合点していると、不思議なことに、七郎のよく知っている二人の男が、向うの椅子《いす》から立ちあがって近付いて来る。
七郎は何も言えなかった。その二人は、父親と白川さんだったからである。
三人は、銀行のすぐ隣の広い喫茶店の奥に坐《すわ》り、コーヒーが来て、はじめて渋い顔の父親が口を切った。
「白川さんからみんな聞いた。その子と一緒になりたいならなっていい、その小切手が欲しいならお前が使っていい、でもな、駈け落ちだけはやめてくれ、お前はあの店の跡取りなんだぞ」
父親は、立て続けにそれだけ言うと、一気にコップの水を飲み干した。
七郎は、父親の言葉を心の|うち《ヽヽ》で繰り返した。
邦子と一緒になっていい、小切手もやる、跡取りなんだぞ、七郎の内側で、何かが折れたような気がした。
「七郎君、びっくりしたでしょう」
今度は白川さんが笑顔で言った。
「でもねえ、あの金額をいきなり線引|き《ヽ》無|し《ヽ》で寄越せは、ちと乱暴ですよ。
向うさんが念のため、お父さんに電話してくるのは、|あきんど《ヽヽヽヽ》の常識です。
それにね、おそらく君の顔にも、何か書いてあったと思いますよ」
そうか、そういうことだったのか、でも何故《なぜ》、白川さんまでがここに居るのか。
「お父さんは、すぐ私の|とこ《ヽヽ》においでになった。やはり年の功です。不良の僕と君が、仲良しだって御存知の上で、お父さんとしては言いにくいこの話を、全部打ち明けられた。
僕も、そのお話をうかがえば、君が何をしようとしているか、すぐ察しがつく。それでお供をして、まず銀行へ駈けつけた。
その上で、僕も、隠さずみんな申し上げた。これは君に対する裏切りじゃない、男同士の話合いです。
お父さんは、駈け落ちだけは反対だと言われる。僕もそうだ。どうやら、それだけは食い止められたようだけど、随分とまた時間を食いましたね、どうしました」
悲しいからではなく、七郎は涙をこぼした。
この一年の間、七郎の肩ひとつに積み重なって行った重荷を、二人がかわるがわる取りのけてくれるように思われて、涙がこぼれてしまったのだ。
東京駅で出迎えてびっくりさせる筈だった邦子が、逆にホテルで七郎を待ちくたびれていた。
「おそかったなあ、心配したわ」
非難はこめながらも、機嫌のいい声をあげたが、七郎はその手を取って邦子を窓際《まどぎわ》の椅子に坐らせ、差し向いに自分も坐るなり頭をさげた。
「……すまない」
「どうしたん」
邦子の顔がかげった。
「……僕《ぼく》は、……やはり、駈け落ちするわけにはゆかない、許してほしい、……そうして、別れてほしい」
「……|けり《ヽヽ》つけるて、それかいな」
邦子は唇《くちびる》を震わせ、けわしい口調で言ったが、それっきり、黙って窓の雨を見つめていた。
さっき、白川さんが言った。
「お父さんや僕が話をつけに行くより、君が行ってはっきり言うのが一番です。
こういう場合は、本人がどう考えているかを知りたがるにきまっているからです。
勿論、本人の前だけに、泣いたりわめいたりするでしょうけど、そのたびに一つずつ|けり《ヽヽ》がつくのだから、君の方は別れると言い続ける、一ト晩かかったっていい、とにかく引いては駄目です。
でもね、それがせめてもの誠意ですよ。苦しまぎれに、その場|しのぎ《ヽヽヽ》を言って、気を持たせるのが一番いけない、罪です」
やがて、邦子が自分を押さえて静かに言った。
「なにがあったん」
「……なにもない、ただ、僕は駈け落ちが出来ないし、別れてほしいんだ」
「別れる、別れるって言やはるけど、おじいちゃんの方から、何か言うてきたんか」
「いや、そんなことはない」
邦子は、また窓に目をやっている。
白川さんは、こうも言った。
「菊代さんから聞いたけど、あの子は、大変な人の持ち物だそうじゃないですか。
そりゃあ、今の世の中ですから、人権ってものはありますよ、だけど、それは表向きの話です。
火遊びなら、間違いですみましょうけど、駈け落ちなんてことになったら、そのじいさんの方だって黙っていますまい、メンツってものがある、草の根分けても探しましょうし、ごたすたするのは目に見えています」
そう言われればそうだろう。
「うちよりも、お店が大事なんやね」
「……そういうことになる」
「なる? ……なるなんて言い方、卑怯《ひきよう》や」
邦子は高い声をあげたが、白川さんは予言者のようだった。
「いいですか、七郎君、あたしとお店のどっちを取るか、なんて言われても、相手になっちゃ駄目ですよ、比較出来ないことなんだから。
でも、女はそれを言ってみたい、そういう時は答えないことです。べつに卑怯でも何でもない、答えの無い時は答えない、それが勇気ってもんです」
邦子は、コップを取りあげて弄《もてあそ》んでいたが、立ち上がるなり壁にぶつけた、ついでにもう一つも取り上げて、また投げた。
「みんな、終りや」
そして、机にかぶさって泣き出した。
「七郎君とあの子とは、恋人としてはいい組合わせでしょう、でも、夫婦になる二人じゃない。
夫婦というのは、夫婦になれる二人がなるもんです。
なんでも、パトロンの威光もあって、すっかり甘やかされて、大そうな機嫌買いだって聞きましたけど、どうですか」
白川さんの推察通り、わずか半日の間に、怒ったり、泣いたり、甘えたりして、どれだけ七郎が振り回されたことか。
でも、そんなところが可愛《かわい》く思えた邦子だったのだが。
「夫婦ってねえ、肩がこるよじゃ、駄目ですよ。
お父さんは僕に、二人を一緒にしてやってほしい、と言われた。下駄をあずけられるのは光栄だが、そう言われた途端に、僕は、君達の仲をこわそうと思いました。
大きな理由は、いま言った通りだが、そのほかにも|わけ《ヽヽ》があります。
僕は、あの子の味方として君に手を引いてもらいたい。
二人がうまく行かなくなった時、不幸なのは君だけじゃない、むしろ、あの子の不幸の方が大きいと思いますよ。
あの子は、おそらく貧乏の中から這《は》いあがって、今は人並み以上の暮らしをしている。そりゃあ、年寄りの囲い者がいい、とは言わないけれど、そうそう何から何までうまく行きますか、世の中をごらんなさい。
それをすべて投げうって、七郎君と一緒になる、しかし、別れることになったら、あの子が元通りになれる保証はどこにもない。
それだったら、手を引いて下さい。
七郎君、ひとつこう考えられませんか。君は、あの子の人生にとって、好ましくない人物なんだと。不幸にする可能性の強い人物なんだと。
あの子の幸せも考えてやってくれませんか」
一時間はたったろうか、窓《まど》硝子《ガラス》を落ちる雨の筋がまとまった流れに変わり、部屋の中は夜のようだった。
「どうしても、あかんか」
机につっ伏したままの鼻声だった。
「……ああ」
「別れるのんか」
「……うん」
「どうして、こんなことになったんやろ、わからへん」
わからないだろうなあ、七郎だって何時間か前まで、駈け落ちの意気込み十分であったのだ。
それが、持ちつけぬ鞄《かばん》一つのために。
もし、鞄を忘れなかったら、タッチの差で七郎は、この都会の人の潮の中に消えていたろうに。鞄の生んだ一時間のために、七郎は二人の追手に手もなくつかまり、しかも追手の話が七郎の逆をついて、七郎に正気のようなものが蘇《よみが》えってしまったのだ。
絶対駄目という筈の父親が、一緒になれと言い出して前にのめり、ガンバレと言ってくれる筈の白川さんが、絶対駄目に回って後にのけぞり、ふらふらになってみると、邦子が遠くの人のようになってしまったのだ。
邦子がすっと立ち上がった。今度は何をするのだろう、七郎はこわかった。
邦子はそのままバスルームに入って、シャワーを浴びはじめた。
七郎は壁際に行き、コップの|かけら《ヽヽヽ》を丹念に拾った。ここは辛抱ひとつだ。
「七郎君、今日一日の辛抱で、なんとしても別れなさい。かえって、いい機会ですよ」
白川さんが言ったっけ。
バスルームから出て来た邦子は、タオルだけの姿で鏡に向かっている。
「七郎はん、……」
やさしい声だった。
「……なに」
「お嫁さんの話でもあったんか」
「いや、べつに、……」
七郎は、すこし嘘《うそ》をついた。邦子は、ゆっくり化粧を始めている。
嘘というのは、さっき父親の話の中に、そのお嫁さんの話らしきものもあったのである。
「七郎、おれがな、その子と一緒になってもいい、と言ったには|わけ《ヽヽ》がある。
常子がなあ、どっかにマンション買って移ろうって言い出したんだ。それで、店をお前の住まいにして、おれ達《たち》は通うようにしようって言うんだ。
ついでに、はっきりこうも言われたよ。
自分がこのうちへ嫁に来る時、あんたは何て言ったか、おれのことはどうでもいい、七郎のことを頼むって。
おれは憶《おぼ》えてないんだが、多分、そう言ったろう。
あいつは腹が立ったそうだ。自分は嫁に行くんで、子守りに行くんじゃない、そりゃあ子守りもするだろうけど、まずは、あんたの女房《にようぼう》になる、それを、おれはどうでもいい、そんな言い草があるか、この話は断わりたい、そう思ったそうだ。
けれども一切合財、|まわり《ヽヽヽ》が運んじまって、足掻《あが》きがつかずに嫁に来ちまった。
ところが七郎は、一向になついてくれない、そっぽを向いて、時々、死んだ母親の写真を眺《なが》めている、手のつけようが無い。
それで決心したんだそうだ。
とにかく店を守って、この子に渡してやろう。はたから、|まま《ヽヽ》母だと言われてもいい、機嫌《きげん》をとって|ちやほや《ヽヽヽヽ》するよりも、ちゃんと店を渡せばいい、そう思ったそうだ。
それで、その時期が来たように思う、そう言うんだ。
おれは、あやまったよ」
七郎の胸の中がおかしくなった。
「それになあ、三人でここに住んでちゃあ、嫁の|きて《ヽヽ》がないって言うんだ。あいつは、八百松の妹娘に目をつけて、小当たりに当たっているらしい。
でもな、その子だっていいんだぜ」
七郎はびっくりした。八百松の妹娘といえば悦ちゃんだ。姉の純ちゃんは、どっちかといえば|おてんば《ヽヽヽヽ》だが、悦ちゃんの方は、おとなしい子だった。
ともかく、悦ちゃんと一緒になるならないは別として、七郎の目の前には、これまで考えたことのない風景が見え出した。
その風景は、父親の話から見え出したのだが、描いて見せているのは継母の常子にちがいなかった。
長い化粧のあとで、身仕舞をととのえた邦子《くにこ》は部屋中の明りをつけると、七郎の前に坐って笑顔を作った。
「七郎はん……うち、あきらめた」
「……ごめん」
七郎があきらめさせたのじゃない、父親と白川さんが、それに常子まで一緒になって、邦子をあきらめさせたのだ。
「無理やったわ、やっぱり、……夢、見てたんやね、……」
「いや、僕が悪かった」
「いい、悪い、ゆうんやないの、縁が無かったんよ、……うち、来月、大阪へかえるわ」
「……そうか」
「そやから、今日が最後や。……今日だけ、うちの好きにさせてんか、……思い出や」
「……いいよ」
「これから、おいしいもん食べて、それから、あすこのホテルに泊まる、……あしたの朝、さいならや」
「あそこのホテル?」
邦子の言うあそこのホテルとは、七郎たちの|まち《ヽヽ》のビジネスホテル末広のことだった。
去年の夏、いちど七郎の店を見たいと言い出して聞かず、こっそりタクシーに乗って、表通りを往復したことがある。
その時、やあ、ここにもホテル、あるんやないか、振り返って声をあげた、その末広に泊まると言うのだ。
「わかった、そうしよう」
「そうしてくれるか」
二人は、なお雨の降りしきる中を銀座に出て、レストランでコースを選び、横町のバーに入って、水割りとカクテルを飲んだ。
七郎は、末広に電話して部屋を頼んだが、家にも電話を掛けてみた。
思った通り、常子が出た。
「今夜、帰らない」
「そう」
「明日、帰る」
「……、そう」
「…………」
いつもの二人と変わらないそれだけの|やりとり《ヽヽヽヽ》だったが、いつもと全く違う|やりとり《ヽヽヽヽ》のように思えた。
末広にタクシーを乗りつけたが、雨が強くて通りかかる人は見えず、フロントにも見知らぬ年寄りが居ただけだった。
部屋に入ると、邦子はトロンとした目付きで、それでも暫《しばら》く窓から|まち《ヽヽ》を見おろしていたが、
「ここに、住む筈《はず》やったのになあ」
と言うなり、また泣き出したのである。
夜明け。
二人は、ホテル末広の一階に降りた。
七郎は、タクシーを止めるから、と邦子を入り口に待たせて通りに出ようとしたが、強く引き戻《もど》された。
「七郎はん、わてら、人に後ろ指、差される仲やのうなった。ちゃんと二人で出ていこ、銀座まで歩いていこ」
二人は、揃《そろ》って通りに出た。
夜が明けてゆく。低い雲が早く動いて、切れ目に青味のつよい空がのぞく。
二人の靴音《くつおと》が、時に合わさって一つに響いた。
向うから来る人の歩みがゆるんだ。
「おはよう」
吾妻《あずま》先生だった。二人は立ち止まった。
「おはようございます」
七郎がきちんと挨拶《あいさつ》すると、先生は、ななめに空を見上げた。
「ゆうべは、よく降りましたねえ……でも、今日は良い天気でしょう、行ってらっしゃい」
三人は、それぞれに会釈《えしやく》して別れたが、
「ああ、戸川君」
先生が向き直って手まねぎした。七郎は、どきどきして、先生のところへ駈《か》け寄った。
「お出かけの時になんだけど、今度、本場の木|やり《ヽヽ》ですか、是非、聞かせて下さい、白川さんから聞きました」
「……ああ、あれ、まねごとなんです」
「いいですよ、まねごとで。是非、聞いてみたいんだ。……では」
先生は、勝鬨橋《かちどきばし》の方へと歩き出した。
木|やり《ヽヽ》かあ、七郎は、思わず呟《つぶや》いた。あれから一年たったのだ。
「だれや、あれ」
邦子は、吾妻先生の後ろ姿を見つめたまま聞いた。
「……塾の先生、中学の時の」
「ふううん、……京都の人やないか」
「いいや、かつぶし屋の息子さんだよ」
「……さよか」
二人は、また歩き出した。
「塾の先生が、こんな早よう、なにしとん」
「散歩が好きなんだよ、先生は、……朝とか夜とか、すいてるしね」
「へええ、散歩なあ、……けど、男前やねえ」
七郎は笑いながら肘《ひじ》で邦子をついた。
「邦ちゃん、……」
「うん?」
「どうでもいいけど、気が多いよ、君は」
「なんやて、……いけずう」
邦子が七郎をはたこうとし、七郎がするりと逃げ、邦子が追いかけたところは、兄と妹の戯《ざ》れ合いのようだった。
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7 晴海通り
その朝の十時過ぎ。
岩木屋の店先で、琵琶湖《びわこ》の川蝦《かわえび》に水を掛けていたバネさんは、ヒデオから変な話を聞かされて、大汗をかく羽目になった。
「かつぶし屋で、なんか、あったってよお」
「かつぶし屋?」
「吾妻商店よ」
「吾妻さん? なんかって、何だ」
「泥棒《どろぼう》でも入ったんじゃねえの、|おまわり《ヽヽヽヽ》が来たってよお」
「誰《だれ》に聞いた?」
「スコットのマスターとさあ、瀬戸物屋の息子が立ち話、してた」
「お前にも話したんか」
「いや、おれ、二人のうしろ通る時、聞いたのよ」
ヒデオらしい地獄耳だ。
「おい、八潮さんでも、梅豊さんでも見えたらなあ、この川蝦、お願いしときな、いいな、おれがそう言ったって」
バネさんは、ヒデオに言いつけると、ふらふら歩き出した。
生|まもの《ヽヽヽ》は気骨が折れていけねえ、……でも吾妻さんとこ、何があったんだ、こっちの方も気にかからあ。
横町に曲がって、植え込みのゴムの葉から水の落ちてるスコットに入ると、バネさんは真っすぐカウンターに行って小声で呼んだ。
「マスター」
「ああ、いらっしゃい」
「あのねえ、吾妻さんとこさあ」
マスターの目の奥が動いた。やっぱし、なんかある。
「泥棒ですか」
「泥棒?」
マスターはびっくりしたようだ。違うらしい、あの野郎、なに聞いてきたんだ。
「そのね、|おまわり《ヽヽヽヽ》が来たとか」
「いや、……デカって聞きましたけど、|おまわり《ヽヽヽヽ》ですか」
「いえ、デカでしょう、……ああ、アイス下さい、今日は。で、どうしたんです」
「はっきりしないんですよ、それが。奥さんが連れてかれたってだけでね」
「奥さん?」
「らしいんですが、その辺がどうにも、……あの奥さんに限ってねえ」
「……そうすねえ」
「お店の若い衆《し》かなんかのことじゃないですか、車の事故とか、違反とか……」
マスターも、本当のところ、よく知らないらしい。
「そうならいいけど……で、誰から聞きました?」
「七郎君ですよ、陶化堂さんとこの」
「ああ、若旦那《わかだんな》ね」
スコットのコーヒーは相変わらずうまく、マスターはしゃれたネクタイが似合い、てきぱきした動きも気分がよく、ここで暫《しばら》く油を売りたいところだが、バネさんはアイスコーヒーを一気に飲みこむと、氷を一つ頬張《ほおば》って店を出た。
陶化堂の店先には、うまい具合に息子が出ていて、特価品の棚《たな》を並べかえている。
以前は、なにか口のききにくい子だったが、近頃《ちかごろ》はめっきり大人びて話が通じるようになった。やっぱし、時の勢いだ、世の中も、すっかり春だ。
「若旦那」
「あ、赤羽さん。あれ、扶桑《ふそう》さんとこへ届けておきました」
「そう、すいませんでしたねえ」
岩木屋と陶化堂は、食べ物と食器の違いはあるが、共通の得意先も多い。それで、ちょいとした届け物を、頼んだり頼まれたりする。
「ところでさあ、吾妻さんとこの奥さん、なにがあったの」
バネさんは、背の高い若旦那を見上げて聞いた。
「……誰から聞きました?」
「スコットのマスター」
「ああ……」
「どうしたんだろうねえ」
「庄寿司さんが見えましてね、おやじと話してたんです」
「ほおお……」
「おやじ、呼びましょうか」
「……いや、いい、じゃ、また」
そうか、庄寿司さんからの話なら、じかに聞いた方が早い。
バネさんは、特価品の皿《さら》をチーンと弾《はじ》いてから引き返した。
庄寿司の近くまで行くと、店の前におやじさんが突っ立って腕組みしているのが見えた。なんかあったことは、たしかのようだ。
「社長」
バネさんは、庄寿司のおやじさんを社長と呼ぶ。何故《なぜ》かこの人は、社長と呼びたくなる。バクチの好きな社長なんて、場所|柄《がら》で面白《おもしろ》いや。
「ああ、岩木屋さん」
「どうしたんです、吾妻さんとこ」
もう一気に切り込んだ。
「それなんだ、二人とも、しょっぴかれちまって、わけがわからない」
「ふたり?」
社長は変な顔をした。
「知らないの?」
「なあんにも」
バネさんは、手の内を見せて降参した。
「……言いなさんなよ、人には。まだ、何にもわかっちゃいないんだから」
「そりゃあ、もう」
「奥さんと息子さんのふたり」
「息子さんて、吾妻先生?」
「ああ……それでね、今、知り合いの刑事に電話したんだけど、出かけててねえ」
「……しょっぴかれたって、社長見てたの」
「いや、それが高見さんからの話なんだ」
「海苔屋《のりや》の」
「そう」
社長は、煙草《たばこ》を捨てると下駄《げた》で踏みにじった。いらいらしているらしい。
「旦那」
カネタカの店に入ったバネさんは、新聞を読んでる高見さんに呼びかけた。
「ああ、赤羽さんかい、何です」
「吾妻さんとこの」
「うん、なんか、わかりましたか」
「いや、こっちが聞きてえんで」
「……なら、八百松のおかみさんに聞くといい、妙な話だけど」
「妙な話?」
「…………」
高見さんは、それ以上は、この件についてはしゃべらない、という不機嫌《ふきげん》な顔付きである。
「じゃあ、また」
「ああ」
「そうそう、お嬢ちゃん、元気ですか、ここんとこ見えないけど」
「関西に行ってます」
「なにしに」
「おおかた、物見|遊山《ゆさん》の口でしょう、友達もいるし」
「そいつはいいや、じゃ」
この人は、娘の話をすると機嫌がいい、口直しの話をしとくのも、心配りというものだろう。
バネさんは、いい加減くたびれてきたが、八百松のかみさんなら、身内のようなものだし、なんたって女のことだ、知ってるだけはしゃべるだろう、それでいけなきゃ、帰ろう。
混み合う中通りをすり抜けて、八百松に行ってみると、いる、いる、おかみさんは奥のちっぽけな机に向い、指をなめなめ伝票を繰っている。
横っ手からそおっと店に入って、おかみさんのうしろに回ってささやいた。
「吾妻さんとこ……」
「ワァー、びっくりすんじゃないか、いきなり、……何だよお」
「吾妻さんとこさあ」
「そうなんだよ、あたしゃ、心配で心配で……。いえさ、うちの若い衆がさ、吾妻さんとこのね、事務所に行ったらさ」
二人は、ななめ筋向いの吾妻商店を見つめながらしゃべる。
「若い衆って、カツだろ、カツがなんで吾妻さんとこの事務所に行くのよ?」
「色気づいてんだよ、もう。あすこに女の子がいるだろ、事務やってる」
「わかった、わかった、で、どうした?」
「そしたらさ、ぬうってデカが二人入って来てさ」
「デカって、どうしてわかンの?」
「お聞きよ、警察の|もん《ヽヽ》だけど息子さんに会いたいって、言うんだって」
「ふううん、先生が目当てか」
「そいでさ、カツの野郎、びっくらして帰って来て言うんだよ」
「バカヤロウ、そいだけで帰ってくるこたあねえだろう」
「そおなんだよお、だから、あたしゃね、そおっと見てたんだよ。そしたらね、先生とデカが出てきてさ、向うへ行くんだよ」
「手錠は?」
「そんなもん、はめてなかったよ」
「どんな風だった、先生は」
「それが、落ちついてさ、……でね、カツにあとつけさせたら、晴海通り越えて警察へ入っちまったって」
「じゃあ、奥さんは一緒じゃねえんだ」
「そう、奥さんは|あと《ヽヽ》から」
「|あと《ヽヽ》からあ?」
「カツが戻《もど》ってきたら、今度は奥さんがよそ行きの恰好《かつこう》で出てきてさ、こっちは、すごかったよ、青い顔してうつむいて、初めて見たよ。
そいでさ、またカツをやったら、奥さんも晴海通り越えて警察へ入っちまったってさ。
もう、気がもめて、気がもめて」
風邪っ気なのか、おかみさんは、横を向いて鼻をかんだ。
「何だろう、いったい」
バネさんは、柚子《ゆず》を二つとってお手玉のまねをした。
「あたしゃ、関根さんとこ行ってね」
「番頭の?」
「そう、……どうしたんですって、聞いたんだよ」
「どうした」
「いえ、御心配には及びませんが、御内密に、って言うんだろう、変じゃないか。
だからさ、言ったんだよ、内輪も同様なんですから、|わけ《ヽヽ》、話して下さいってね、そしたらさ、……」
「そしたら?」
「わけ合いは、手前にもわかりかねますが、奥様が心配ない、とおっしゃっておりますので、そう承知しております、だと」
「なるほど」
「なるほどなもんかい、それじゃあ、なんで御内密になんて言うんだよ」
「……そうだな」
「そうだろ、なんだか落ち着かなくって、もう、早仕舞にするよ」
おかみさんはベソをかいていたし、バネさんも、もうこの話は諦《あきら》めた。
世の中には、わけのわからないこともあるもんだ。その方が多いんじゃないかな。
バネさんは、汗ばんでつかれの出た|からだ《ヽヽヽ》を引きずって、八百松を出ていった。
「おまちよお、……」
おかみさんが呼んだ。バネさんが振り返ると、
「たけの子、もってけやあ」
と、籠《かご》を指している。
「ありがとよお、今度にすらあ」
バネさんは手を振った。食欲がなくなっていて、戻る気がしなかったからである。
供述書 一[#地付き]|淡路《あわじ》 桂一郎《けいいちろう》
……………………………………………………
私が、その淡路桂一郎です。
この十二年の間、吾妻健作という名で通しましたが、それは友人の姓名です。
……………………………………………………
私は、昭和二十年三月、京都市に生れました。
母、松子は祇園《ぎおん》の芸妓《げいぎ》、父は、当時、府庁に勤めていたそうで、私は私生児です。
私が生れた直後、父が中央政庁に転勤になり、母との関係は切れました。
戦後、母は再び芸妓となり、私は祖母の手で育てられましたが、父から渡った財貨もあって、暮らし向きは楽であったようです。
小学校三年の時に祖母が亡《な》くなり、叔父の家に引き取られましたが、高校三年の時には、母も亡くなりました。
……………………………………………………
大学に進んで国文学を専攻しましたが、同級に東京から来た吾妻健作がおり、親交を結びました。
大学院に進んだ年の春、吾妻から、新らしく一軒家を借りることにしたが電話を引きたいので、君の住民票を貸してほしいと言われ、一通、渡しました。
当時、吾妻が学生運動に加わっていたことは、うすうす知っていました。
私は、いわゆるノンポリという類で、自分の研究課題を追うのに忙しく、吾妻の情熱を否定はしませんが、彼の運動を支援する気持はありませんでした。
住民票を貸して、彼の日常生活のためと思われる電話を引かせたことが、支援したということになるなら致し方ありません。
……………………………………………………
その夏、私は三週間ほどの予定で、北陸回り東京までの旅に出ました。目的は、国文学関係の史跡を見て歩くことでした。
東京では、青山の吾妻の家に泊めてもらいました。それまでも三回ほど、上京のたびに世話になり、吾妻の母も、我が家と思っていつでも泊まるように言ってくれたからです。
八月の末、夜の九時すぎ、京都の叔父の家に電話をして、明日帰るむねを伝えようとすると叔父が出て、話すことがあるが来客中であるから、十二時きっかりに必ず電話をせよ、と言って切りました。
言われた通り、その時間に電話をしますと叔父が待っていて、五日ほど前に警察から人が来て、お前がいるか、どこに行ったかとたずねるので、旅行中で所在はわからないと答えておいたが、お前は九条の方に家を借りて、爆薬のようなものを作っていたそうではないか、と食ってかかるのでした。
私には、すぐに事情がのみこめました。吾妻は私名義で電話を引いた筈《はず》で、それから私が追われているに違いありません。
吾妻たち運動家というものは、自分たちの運動を至高のものと考えるあまり、ノンポリの迷惑など意に介さないという気風を、ともすれば持ってしまうようでした。
しかし私は、そういった事情をことこまかく叔父に説明する気持になれませんでした。
まず、事実か否《いな》かを聞こうともせず、激昂《げつこう》して迷惑がるその心根に反撥《はんぱつ》をおぼえました。
次に言葉のはしばしに、これを奇貨として二度と戻ってくるな、という賤《いや》しい意図が聞かれたからです。
叔父は、母の死後、その遺産の運用を私に知らせず、授業料を渡すのみだったので、私は、アルバイトをして研究費を捻出《ねんしゆつ》しておりました。
私は、叔父にとって邪魔者にすぎないことが、はっきりわかりました。
叔父のことはともあれ、それでは警察に出頭して、せめて身の潔白を明らかにするかどうかですが、これもすまいと思いました。
それは、警察に行けば、当然、吾妻のことを話さなければならないでしょう、そうなれば、今度は、吾妻たちが追われる身になります。
生れ故郷を捨てる気の私が、どこかに潜んでいれば、吾妻のことはわからない。
なかば自暴自棄から、なかば自己犠牲から生れたヒロイズムのようなものが、当時の私を支配していました。
それで私は、京都へ帰ることをやめ、警察の目を避けて、どこかでひっそり暮らそうと思いました。
しかし、吾妻のお母さんも事情を知ってしまいました。
……………………………………………………
供述書 二[#地付き]吾妻 恭子
私は、吾妻健作の母の吾妻恭子でございます。
……………………………………………………
淡路桂一郎さんにかかわります件は、すべて、吾妻健作が責めを負うべきことでございます。
御検討をお願いする為《ため》にうかがいました。
健作は、法に触れたばかりでなく、何の罪科《つみとが》の無い親友の一生を曲げてしまったのですから、その母である私は、ただただ申し訳けなく、切ない立場でございます。
何でもお聞きねがいます。
……………………………………………………
あの夜、淡路さんが、十二時に電話しろなんて、けったいやなあ、と言われましたので、私も不安になり、それで御一緒におりました。
電話の途中で、どこの警察が、とたずねられました。そして最後に、もうそちらには戻りません、と言われて電話を切りました。
私は、なにか大変なことが起ったと思い、お話の内容をたずねましたが、淡路さんは、私がいけないのです、お母さんには関係の無いことです、明日おいとまします、を繰り返すばかりで埒《らち》があきません。
それで、朝になったらもう一度、話し合うことでやすむことに致しました。
明け方の四時ごろでしたでしょうか、電話が鳴りますので出てみますと、健作からでした。
暫《しばら》く外国に行く、と申すのです。どこに行くのか、と聞いても、そのうち知らせる、という曖昧《あいまい》な答えなので、淡路さんのことと関係があるように思われ、淡路さんも警察|沙汰《ざた》でお|うち《ヽヽ》へ帰れないようだがと申しますと、健作は驚きまして、淡路さんのお名前を借りたことで、淡路さんに嫌疑《けんぎ》がかかってしまったことを打ち明けました。
私もそれは驚きましたが、健作は時間が無いとかで、いずれ必ず連絡はするが、それまでは自分だと思って淡路を大切にしてくれ、と言うなり電話を切ってしまいました。
健作は、わがまま者でございます。
朝になって私は、淡路さんに、健作からの電話のことを申し上げて、手をついておわびを申しました。
また、警察に行って、すべてを明らかにしてほしいともお願いしましたが、淡路さんは、あわてることはありません、暫く様子を見てからでも遅くはありません、とおっしゃって取りあげて下さらないのです。
また、親子とはいっても、吾妻のしたこととお母さんとは何の関係もありません、自分は自分で、別のことから京都へ帰らないのですから、御心配には及びません、なんとか、やって行けるでしょう、とおっしゃるのですが、どうしてそれに従えましょう。
淡路さんのお|うち《ヽヽ》の事情は、健作から聞いておりました。二人は本当に仲が良かったようで、おれはメカケの子や、なんてことまで健作に話されたようです。
その上、淡路さんは成績がよろしくて、御指導の先生の後継ぎになられる方とも聞いておりました。
あれこれ考え合わせますと、私は、目のくらむような思いでございました。
そして、決心致しました。
淡路さんがそういうお積りなら、健作からの便りを待ち、淡路さんの身の明かしのつくその日まで、警察には名前のわかっていない健作になっていただき、なんとかかくまい通そう、そして、出来るだけのお世話もさせて頂こう。
そう決心致しました。
……………………………………………………
私の夫は、場外市場で鰹節《かつおぶし》問屋をしております吾妻商店の次男でございまして、大学の研究室に残りまして発酵の研究をしておりました。
ところが、吾妻商店の|あるじ《ヽヽヽ》であった夫の兄がシベリアで病死してしまい、夫は店を継ぎましたが、それは名ばかりで店は番頭さん方に任せきりでおりました。
そして夫も、昭和四十年に病死致しまして、あとは私が、青山の自宅から通って、わからないながらも、采配《さいはい》をふるようになっておりました。
そんな具合でしたから、店の者も御近所の方も、健作につきましては御存知ない筈でした。
私は、閑静な青山に淡路さんをかくまうと、かえって目に立つのではないか、それよりも、いっそ店の方に移り、吾妻健作として暮らした方が警察の目をくぐれるのではないか、と浅はかながら考えました。
それで、一ト月ほどの間に、三階を淡路さんのお部屋にし、私が二階に住むように手配して移ることに致しました。
今から思いますと、よく、そんなことが出来たと我ながら感心致しますが、あの時は必死でございました。
淡路さんは、そんな私を哀れに思われたのでしょう、僕は、ひとりで勉強さえすればいい|からだ《ヽヽヽ》です、勉強の成果は、いつか世に出ることもありましょう、僕は、それで構いません、お母さんの考え通りにしましょう、と言って、私ともども、あの人混みの中に移って下さいました。
……………………………………………………
初めのうちは、いろいろ戸惑うこともあり、冷汗の出る思いを致しました。
青山の方へ、健作を訪ねて下さる方がありますと、外国へ旅行をしているというようなことで、なんとか辻褄《つじつま》を合わせたり致したものです。
淡路さんには、健作さんと呼ばせて頂くことをお願い致しましたが、つい言いまちがえて、取り繕うのに骨を折ったこともございます。
京都|なまり《ヽヽヽ》は、淡路さんが御自分で直されました。テレビのニュースで、完全な標準語を覚えられました。
お育ちに、伸びやかなところがありながら、その後の御苦労もあって、よく気のつく方でして、私の気持も汲《く》んで下さって、手がかからないというよりも、お世話の仕甲斐《しがい》のある方でした。
私は、健作を失いましたが、その痛手は淡路さんによって癒《いや》され、生きて行く力にさえなって下さったのです。
……………………………………………………
それだけに申しわけなくて、胸の痛むこともございました。
何度か結婚のお話もありました。就職のお話さえありました。けれども、籍があって籍の無い方です、からだが弱いということで、お断わりしました。
それもこれも、私どもの|あやまち《ヽヽヽヽ》から、お若い淡路さんに不自然な生活を強《し》いるわけで、つらい思いを致しました。
……………………………………………………
何よりもつらかったのは、四年前のことです。
淡路さんのお部屋を掃除して、お読みになった新聞を始末しておりますと、死亡記事と思われる箇所が切り抜かれてありました。
余計な詮索《せんさく》は|たしなみ《ヽヽヽヽ》の無いことと思いましたが、記事が記事だけに気になりまして、同じ新聞を手に入れて確かめてみますと、大臣までおつとめになった方の記事でした。その御経歴の中には、京都府庁にもおられたとありまして、私は息のつまる思いを致しました。
淡路さんのお父様に違いありません。そのお父様をお見舞いすることも、お別れすることも出来なくしたのは、私どもでございます。
私は、淡路さんに隠さず新聞のことを申し上げ、日がたちましたら、私もお供してお墓参りに行くことで許して下さるよう申しあげました。
淡路さんは、即座に、その人は赤の他人です、僕《ぼく》は吾妻の家の子です、と言って笑っておられましたが、私は、ひとりでお墓参りをすることで、わずかに気を休めました。
……………………………………………………
身から出た錆《さび》とはいえ、健作のように逃げ回ることもつらいことでしょうが、理由も無く、息をひそめて生きてゆかねばならなかった淡路さんは、どんなにおつらかったでしょう。
その後、あの子からは、何の便りもありません。私としては、もう諦めておりますが、諦め切れないのは、淡路さんの空《むな》しく送られた歳月です。
そういったわけで、淡路さんにはなに一つ罪はありません。
罪は、友人の名を盗用した健作と、人をすりかえようとした私にあります。
罰は、私に加えていただきます。どのような罰でありましょうとも、従います。
供述書 一 続[#地付き]淡路 桂一郎
……………………………………………………
吾妻のお母さんは、本当によく面倒を見てくれました。
日常の身の回りのことは言うまでもなく、本代も小遣いも十分過ぎるほどで、行動の自由をのぞいては、不自由ということはありませんでした。
その行動の自由にしても、読書と研究に打ち込んだほか、時を選んで古書店を回り、図書館などにも出入りしましたが、さすがに東京は広く、ただ一度、大学の先輩の姿を見かけただけでした。
しかし、吾妻のしたことに寄りかかって、面倒を見てもらうのも心苦しく、また、わずかなりとも外界の動きに遅れまいと、近隣の子供たちの勉強を見るようにしました。
この長くもまた短い歳月の間、私は、実の母も及ばぬ母に守られて、充実した生活を持ったと言えます。
私の行為が、法に抵触して罰せられようとも後悔はありません。
……………………………………………………
最後に、吾妻健作のその後につきまして、おわかりのことがありましたら、教えて下さることを希望します。
淡路桂一郎と吾妻恭子は、それぞれ別室で係官の質問に答え、簡単な昼食の後、再び質問を受け、その後、長いこと待たされてから署長室へと導かれた。
あとから入った桂一郎を見あげて、恭子は泣き出しそうな視線を送ってきたが、桂一郎は微笑して恭子の隣に坐《すわ》った。
すでに四時に近く、窓外に見えるビルに沈む陽《ひ》が映えて、こちらの室内まで、眩《まぶ》しいほどの赤さがこもっていた。
二人の係官を伴って勢いよく入って来た若い署長は、席につくと早口に語り出した。
「長い時間、恐縮でした。
いささか複雑な言い方になりますが、淡路桂一郎を名乗る吾妻健作に関する本件は、すでに時効にかかったものの、吾妻健作を名乗る淡路桂一郎氏にも、多少の関連があると思われましたので、御出頭を願いました。
なお、吾妻恭子さんも、本件に関して御意見があるというお申し出でありますから、あわせてお二人から、参考までに事情をうかがったわけです。
お二人のお話には、何の疑点もなく、事情はすべて諒解《りようかい》致しました。また、お二人には、何の違法行為もありません。以上です。
御苦労様でした」
それぞれが頭をさげると、しばらくの沈黙ののち、にわかにくだけた署長の言葉が恭子に向けられた。
「お母さん、大変な御苦労でしたねえ」
恭子は頭をさげたが、やがてハンケチで顔を覆《おお》った。
「私どもに言わせますと、お二人とも、そんな御苦労をなさる必要はなかったのですが、吾妻健作という容疑者を御存知である以上、やむを得なかったのでしょうか」
署長は、係官をかえり見て言った。
「我々は、まだまだ市民の信頼を受けていないようだね、……ところで、淡路さん」
署長は、桂一郎にも、くだけた調子で呼びかけた。
「あなた、時効のこと、知りませんでしたか」
「おぼろ気ながら、知っていました」
「それで」
「……それでも、やはり、法律のことについては、わからないことばかりで……また、今、署長の言われたように、警察はうっとうしいものですから、つい、そのままに」
係官|達《たち》は苦笑したが、署長は天井をふり仰いだ。
「淡路さん、率直な御感想はうけたまわっておきますが、私にも、率直な感想を言わせて下さい、……本日の調書を拝見致しましてつくづく思ったのですが、女性というか、母性というか、まことに強靱《きようじん》なものと、あらためて感心しました、いかがですか」
「その通りです」
桂一郎もうなずいた。窓の外の夕陽の跳梁《ちようりよう》はかげをひそめ、ビルの手前の小公園にはすでに白い灯がともり、だらりとさがったブランコが、まちの一瞬の沈黙を告げていた。
「余計なことですが、淡路さんは、これからどうされますか」
「……そうですねえ、母ともよく相談しまして」
「……母とねえ、……それがいいでしょう」
桂一郎の|からだ《ヽヽヽ》に、隣の恭子の震えが伝わった。
「とにかく、本日のことは、あくまで当方内部のことでありまして、御尽力に感謝致します。
なお、吾妻健作の動向につきましては、目下のところ、残念ながら公開出来ませんので、御諒承ねがいます。
おつかれになったでしょう、どうぞ、お引き取りねがいます」
署長は立ち上がって、しっかり一礼した。
署の石段を降りると、桂一郎は立ちどまって恭子にささやいた。
「お母さん、吾妻は生きてます」
「…………」
「さがして来ますよ」
桂一郎が、ぼんやりしている恭子の背を押して歩き出すと、道一つへだてた向う側の人影も動き出した。
二人が、交叉点《こうさてん》に向かって歩くのに合わせて、向うの影も動いている。
「お母さん、関根さんが来てます」
「…………」
二人は、二人の秘密を知っていたもう一人の老人を見つめて、足早やになった。
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8 隅田《すみだ》河口
高見麗子様
京都から吾妻《あずま》健作に宛《あ》てた二通のあなたのお手紙は、私、淡路《あわじ》桂一郎《けいいちろう》が読ませていただきました。
まことに不審なことと思われましょうが、あなたがこれまで吾妻健作と信じ、しかも、その虚構を感じとって実体を追求なさった男は、この淡路です。
私は、まず吾妻の名をかたり、さらに病弱な青年をよそおって、二重に世間を、そして、あなたをあざむきました。
何故《なぜ》、そんなことをしたのか。
はからずも、あなたが山名教授をたずねて吾妻健作の実在をたしかめられた日に、私は、警察の求めに応じて、ことの次第を陳《の》べていました。
あなたの御不審に対しては、吾妻の母上が詳しく申し上げたいと言われますので、御帰京ののち、一度、母上をおたずね下さいませんか。
ただ私からは、吾妻の母上も御存知ない二人の若者の心の曲折を申し述べることで、せめてもお許しを乞うことにします。
只今《ただいま》、午前三時半。
あなたが生れ育ち、はしなくも私が住みついた隅田河口のこのまちは、まだ眠っています。
窓から見える春の星は、以前にくらべますと、数も多く、それも光さやかに瞬《またた》くようになりました。
窓ひとつの枠《わく》の中にも、時は、淀《よど》むことなく流れて行ったようです。
一個の人間が、別の人間になりすまして生きるということは、空想としてはあり得ても、現実には稀《まれ》なことでしょう。
しかし、今から十余年前に、私自身がその稀なケースに追いこまれ、友人に変身することを余儀なくされました。
話は、一ト昔前の京都から始まります。
その春、東京から来て私と同じ教室に坐《すわ》ることになった吾妻健作は、若者として望ましいすべてを備えていました。
秀《ひい》でた眉目《びもく》の吾妻は、すぐれた脚力を生かした新人ラガーとして、まず評判になりましたが、クラスでも、物事にこだわらぬ性格によって誰《だれ》からも親しみを持たれました。
しかも、意外なことに読書量が抜群で、彼の語る文学論議は私たちに強い刺戟《しげき》を与えました。
吾妻は、明快な輪郭と充実した内容を持ったブリリアントな若者でした。
それに引きかえ、私はといえば、可も無く不可も無く、一ト言でいえば、おとなしくて目立たない学生でした。
しかも、この目立たない学生は、率直に物を言わず、何事も胸のうちで反芻《はんすう》を繰り返す煮え切らない京育ちでしたから、一年というものを同じクラスで過しながら、彼とは、ろくに口もききませんでした。
ところが、一年たって学生寮を出た吾妻が、たまたま私の住まいの近くに下宿をするようになり、それから異質の二人の往き来が始まったのです。
私は土地の者ですから、吾妻にとっては、なにかと重宝な存在でしたし、彼は、すでに申し上げたような若者でしたから、私にとっては兄事すべきクラスメートでした。
こうした間柄《あいだがら》から、二人が相たずさえて行動するようになるのは、自然の成り行きでしょう。
若さにまかせて酒を酌《く》みかわし、興いたれば、当てども無い旅に出て語り明かしました。
時には深夜、東京の吾妻家の門をたたき、母上の夢を乱したこともあります。
それは、まぎれもない青春の一刻《ひととき》でした。
しかし、身近かに接するにつれて、吾妻の見えなかった一面があらわになり、その実像を知るようにもなりました。
たとえば……。
吾妻は、いつも金銭を裸のままポケットに入れていました。しかも、それがいくらなのかもわかっていないのです。
私の方は乏しいながらも、財布と小銭入れの二つをきまった隠しに入れて、今いくら持っているのか、百円きざみで心得ていました。
また、吾妻は、よく友人に金を貸しましたが、返済を求めませんでした。求めないのでなく憶《おぼ》えていないのです。
こうしたルーズな金銭感覚は、吾妻の家の豊かさにもよるのでしょうが、やはり性格から発していました。
彼の物事にこだわらぬ性格と見えたのは、実は、大らかと讃《たた》えていい一面と、大雑把《おおざつぱ》とたしなめていい一面とが、表裏をなしているものでした。
また、たとえば……。
吾妻の恋愛|沙汰《ざた》にも手を焼きました。
ただの一ト言にほだされて、相手の年齢、境遇、そして性格など眼中に無く、突っ走ろうとしたからです。純といえば純、雑といえば雑です。
私などには、とても理解し得ないことでしたから、彼に直言しました。
君は直情径行のあまり、一生の大事を軽視しているのではないか。
そして、思わず、
江戸っ子の軽はずみと違うか、
と付け加えていました。
結局、吾妻は、私の執拗《しつよう》な説得に負けて、乱暴な婚約を思いとどまりましたが、相手はほどなく結婚しました。
やがて、学生|達《たち》が将来の進路を模索する季節になりました。
当時、私は家庭の事情もあって、ゆくゆくは研究生活に入りたいという望みを捨て、なんらかの職について自立せざるを得まい、と考えていました。
それを知ると、この時は、吾妻が直言しました。
貧乏がこわいのか、たった一度の人生の志を、月並みな平安のために売り渡すのか、自分の資質を信じて、行ける所まで行ってみるべきだ、食えなくなったら、その時はその時ではないか。
いかにも吾妻らしい無謀な考えとは思いましたが、たった一度の人生の志、という一句は私の胸を貫きました。
吾妻は、直言の末に、京都の男は優柔でいけない、と付け加えました。
二人は、こうしたやり取りを重ねながら、友情を深めていったのですが、もうあなたもおわかりのように、二人の長短には、性格の違いに加えて、東京と京都という二つの地方の気風も含まれていました。
あなたがお気に入りの京都という土地柄は、排他性が強く、よそ者には住みにくい所と言われます。
たしかに、私が少年のころ、京者である祖母や母は、蔭《かげ》にまわると他国の人を、「いけず」(根性が良くないというほどの意味でしょうか)という表現をもって蔑視《べつし》していました。
本来ならば、京者たる私も、吾妻の生き方を「いけず」と呟《つぶや》いて蔑視するところなのでしょうが、吾妻という爽《さわ》やかな実例に接しては、江戸者の心意気もまた良し、と評価せざるを得なくなっていました。
一方、私が覗《のぞ》いた東京は、昔語りにある「諸国の掃《は》き溜《だ》め」でした。
街は無秩序に立ち並び、人は、誰が土地の者か、旅の者か、見分けもつかず、引っくり返したおもちゃ箱同然でした。
もっとも、それ故《ゆえ》にこそ、のちに何処《どこ》の誰ともわからぬ私を、知り合ったその日から、仲間として迎えてくれた有り難い土地柄ではあったのですが、やはり京都にくらべては、雑駁《ざつぱく》の評はまぬがれないでしょう。
吾妻も、京の男は優柔ときめつけはしたものの、要するにおれは江戸者だ、五月の鯉《こい》の吹き流しではらわたが無い、君を見習いたいものだ、と私を通じて、京の分別を認めるようになってゆきました。
若者は多感なだけに、互いに感化し合うものです。
私が、吾妻の心意気をうらやめば、吾妻は吾妻で、私の分別に習おうとする。
そうした奇妙な交錯の時点で、一枚の紙片が事を起しました。
吾妻が留年し、私が彼の直言にはげまされて大学院に進んだ春、吾妻が下宿を換えることになり、私の住民票を一枚欲しいと言い出したのです。
吾妻もまた、たった一度の人生の志を立て、ひそかに退学の手続きをとり、学生運動に加わっていました。
それも、運動の正面には立たず、地下の工作に入っていたようです。
それとなく感じていた私は、彼の求めに不安を覚えて、京風の「考えておく」という婉曲《えんきよく》な拒絶を言おうとしましたが、心意気を目ざす私はためらいました。
それで、何に使うのか、という未練がましい一ト言を言ってみました。
吾妻は、一瞬、沈黙しました。隠しごとの出来ないおのれと戦ったのでしょう。
そして、分別の名のもとに、なに、電話を引くだけさ、と真実を洩《も》らすことを拒みました。
もし、彼が本来の吾妻のままに真実を洩らしたならば、私もことわりを言えたでしょうが、洩らさない限りは、言葉通りを信じるのが私の心意気というものでした。
ともあれ、私の住民票は彼の手に渡り、吾妻は私になりすましました。
吾妻には、私に迷惑をかける考えなど無く、ほんの一時の方便でいずれはうやむやにしてしまう積りだったのでしょうが、彼の大まかさでは無理だったようです。
こうして、二人の若者がめぐり合い、友情とともに交換した気風に押し流されて、一人は変身したまま国外に逃亡し、一人は変身を余儀なくされて国内を潜行することになりました。
以上が、包まず申し上げて、あなたの御諒察を乞う二人の若者の心の曲折です。
四時を回りました。
墨を掃いたような夜空が、濃紺一色に変わって来ています。
人の名をかたってこのまちに住み、いつ元のおのれに戻ることが出来るのか、ともすれば心の揺らぐ私に、夜明けは近い、と黙示してくれたあの未明の空です。
私はこの深海のような空を仰いで、よくエリュアールの詩の二行を口ずさみました。
夜が 夜であったことはない
苦しみのはてに 窓がひらく
あなたの出生の秘密、詳しくうかがいました。
お手紙にもある通り、私の不注意から御両親の事情にふれてしまった時には、全く当惑しました。
私の両親にも事情がありましたが、そこは男の子のことでもあり、とりわけて辛《つら》い思いはしませんでした。
でも、レイちゃんの場合は少女であり、デリケートな心を傷つけはしなかったか、私は、吾妻の母上に聞いてみましたが、その答えはきっぱりしたものでした。
麗子さんは賢い娘さんです。その娘さんが打ち明けたのは、あなたを信頼しているからで心配はいりません。
お手紙によれば、その通りでした。
しかも、賢いレイちゃんは、その後、父上をたずねて長い旅に出られたという。
あのくだりを読み進んだ時には、私は、あなたに声援を送りました。
また、あなたは、父上について的を射た仮説に達しながら、もはや、おじいちゃん御夫妻に重い証言を求めず、新らしいモラルで生きてゆく、と決意されたそうですが、私も全く同感です。
どうぞ、そうなさって下さい。
そして、なお独《ひと》りで父を知る時を待つというあなたに、同封の書簡一通をお目にかけますが、この書簡がどういうものなのか、申し上げましょう。
わがささやかな吾妻塾は、この春から自然消滅ということになりました。
かつては低い家並の続いたこのまちも、今はビルが入り混じって視野をさえぎり、子供たちもわずかになっては無理からぬことです。
このいきさつは、庄寿司さんにも、雑談として申し上げておきました。
すると、その次に庄寿司さんにうかがった折、御主人から一通の封書を手渡されたのです。
中には、十万円という現金の包みとともに、御覧のような
「吾妻塾、御閉鎖の由《よし》、長年の御指導に深謝し、寸志を贈らせて頂きます。一父兄」
という書簡が入っていました。
まことに有り難いお気持ではありますが、この一父兄とはどなたなのでしょう、その場で御主人に聞いてみました。
しかし、名前は出さないということでお預りしました、そのまま頂いてよろしいでしょう、と言われるだけです。
では、お目にかかったことのある方ですか、とたずねてみても、無いでしょう、とこれも取りつく島のない答えでした。
逢《あ》ったこともなければ名もわからない、いわば見ず知らずの方からの御厚意は、なんとも気がかりなものです。
それで、吾妻の母上、関根さんともども、あれこれと謎《なぞ》解きをしてみたのですが、結局、わからず仕舞いになりました。
そして先日、京都からのあなたのお手紙を読んでいるうちに、これはもしかするとレイちゃんなら解き得る謎ではないか、と思いつきました。
というのも、あのお手紙の中に、
「その写真の裏には、男らしい力強いペン字で、長吉、信子の署名がありました」
とあったからです。
御覧下さい、この書簡の筆蹟《ひつせき》も、男らしい力強いペン字です。
とくに「長年の御指導に」とある長年の長の一字に御注目下さい。あなたがお持ちの写真の裏にある「長吉」の長とくらべて見て、どうでしょうか。
筆蹟というものは、時とともに微妙な変化をしてゆきますが、筆法は特長を残すものだと言います。
更に、庄寿司さんは、私の、お目にかかったことのある方ですか、という問いに対して、なに気なく、無いでしょう、と答えられました。
その答えを信じますと、私の教え子三十余名のうち、丹念に記憶をたどってみても、御両親にお目にかかっていないのは、レイちゃん、あなただけなのです。
一つの時の満ちてくるのを感じるのは、私の夜明けの幻想でしょうか。
さて、申しおくれましたが、あなたの吾妻健作に対するお気持は、私が有り難くうかがいました。
これからは、私が誠実にお答えしなければなりませんが、その前に私は、このまちを離れて二つのことをしたいのです。
まず、失ったものを回復したい。
私は、十年あまり、このまちに閉じこもって、井の底の蛙《かわず》同様の視界しか持たなくなりました。
さいわい、私と吾妻の共通の友人が、この列島の南端の島におります。この|まち《ヽヽ》から、ひそかに文通を続けた唯一《ゆいいつ》の知己です。
その彼のもとまで、泊まりを重ねて旅を続け、この列島の変わりようをたしかめて、淡路桂一郎としての視界を取り戻《もど》したいと思います。
つぎに、吾妻健作に逢いたい。
おそらく、海を渡る遥《はる》かな旅になるでしょう。
そして吾妻に逢って、来《こ》し方、行く末について心おきなく話し合いたい。
ただし、逢えないならば、なぜ逢えないのか、その答えを得たいと思います。
それは、今なお彼のことを案じ続けている吾妻の母上のためにも、また私のためにも、一つの終止符を打つために。
私は、その二つをなし了《お》えてのち、あらためて淡路桂一郎としてあなたの前に立ち、あなたのお気持にお答えしたいと考えます。
やがて四時半になります。
濃紺の夜空も、すでに赤味の強い紫に染め変わりました。
地平のすぐ下に太陽が迫って来ているのでしょうが、西の空はなお夜を残して、白く透けた大きな月がありありと掛かっています。
子供のころ、あの月の中の淡い影を兎《うさぎ》と教わりましたが、南の島では、水桶《みずおけ》をかつぐ人と見るのだそうです。
それは、環境が生み出した人間の思いなのでしょうか、私には、あの月影が、このまちの親しい人々の誰彼のように見えるのです。
私は、十年余にわたって日課とした夜明けの散歩を今朝で打ち切り、吾妻の母上の慈愛と、まちの人々の温情に謝してこのまちを離れます。
[#地付き]淡路 桂一郎
追伸
一昨夜、庄寿司さんに立ち寄ったところ、御主人とあなたが、波よけさんのおみくじ一枚で、二人の旅立ちの吉凶を占ったというエピソードを、ほのぼのとした心地でうかがいました。
庄寿司さんは、その後、おみくじ通り、南船北馬して、心身ともにお元気だそうで、なによりです。
それで私も旅立ちを前に、きのう、波よけさんに寄っておみくじを引いてみました。
べつに迷いがあるわけではありませんが、今では氏神さんのように思われる波よけさんの考えを、聞いておくのも悪くないな、と思ったからです。
その神占に曰《いわ》く、
家移り、普請《ふしん》、旅立ちなど、春、始めて善し、……だそうです。
あなたは、良い卦《け》が出たら乗っていい、と言われたそうですが、なるほど、悪い気はしませんね。
時は正に春。
境内の銀杏《いちよう》は今年も青い芽をふき、海幸橋《かいこうばし》を行き交う人々も、軽快なよそおいに微風をうけていました。
更に、神占は曰く、
縁談、あまり急ぐは可ならず、また、あまり、ゆるゆるするも良からず。
[#改ページ]
あとがきにかえて
[#地付き]森《もり》 田《た》 誠《せい》 吾《ご》
「魚《うお》河岸《がし》ものがたり」は、昭和六十年九月新潮書下ろし文芸作品≠ニして刊行され、その後、幸運にも第九十四回直木賞を受けました。
それが今、新潮文庫の一冊に加わり、そのあとがきを求められましたが、受賞直後「直木賞ものがたり」と題して、日記をもとに作品の執筆経緯を一文にまとめましたので、その抄文≠もってあとがきにかえます。
*
十一月二日
パーティーニ行ク 梅ノ字ニ叱《しか》ラレル
メモのような私の日記に、こんな記事があるが、その表紙には昭和五十八年とある。
毎年、晩秋に恒例のパーティーがあって出席するのだが、この年は行きたくなかった。
私の処女長編「曲亭《きよくてい》馬琴《ばきん》遺稿《いこう》」(以下、「馬琴」)の出版を手がけてくれた梅沢さん(梅ノ字)に逢《あ》いたくなかったからである。
「馬琴」から二年半というもの、折にふれて次作への励ましをうけながら、無為に過してきては顔向けが出来ないではないか。
果たせるかな、梅沢さんと顔を合わせ、それでも何とかごまかせないかという甘い考えは、たちまち砕かれた。
「進んでますか」
「それが、ちょっと脇道《わきみち》にそれまして」
梅沢さんの目が光った。
「漢詩の戯訳をやってまして」
「何ですか、それ?」
嘘《うそ》ではなかった。私は以前から漢詩が好きだった。そして井伏《いぶせ》鱒二《ますじ》さんの手になる戯訳には舌を巻く思いをし、そのまねごとをしては一人で面白《おもしろ》がっていたのである。
話を聞いた梅沢さんは、目をむいた。
「あなた、おいくつになりました。漢詩をいじくるなんて、もっと先の話でしょう。それではペテンではないですか。私たちは、あなたが小説を書ける人だと見込んで、あの作品を出版したんです。それを漢詩の戯訳だなんて、やめて下さい。小説を書いて下さい、小説を。それだけは、お願いしておきます」
私は、下を向いているだけだった。
十一月六日 終日雨
漢詩戯訳稿 オ蔵ニスル 午後 酒
昭和五十六年の三月に「馬琴」が出版され、五月には直木賞候補にノミネートされたが、受賞作は青島|幸男《ゆきお》氏の「人間万事|塞翁《さいおう》が丙午《ひのえうま》」であった。この時の候補作の作者には、その後の受賞者、神吉《かんき》拓郎《たくろう》、胡桃沢《くるみざわ》耕史《こうし》、村松《むらまつ》|友視[#底本では「示+見」]《ともみ》氏らも名をつらね、今にして思えば豊年のおもむきがある。
しかし私は、その直後に五十枚ほどの短編一本を書きはしたが、以後、小説には手をつけようとしなかった。受賞できなかったのでふてくされたわけではない。
「馬琴」という小説は、新聞、雑誌の書評に取り上げられ、見た目には景気が良かったが、漢字が多いことで敬遠され、実際に読んでくれた読者は、きわめて少なかったのだ。
七千部も刷ってもらった小説が、碌《ろく》に読まれないと考えると、小説を書く気がしなくなったのである。
十二月一日
心底ニ ウヌボレアリ 小説トハ何ダ
十二月二十六日
再出発、御礼奉公、初心ニカエレ
梅沢さんの、ペテンじゃないですか、という一ト言はこたえた。単に人をなじったのではなく、期待していたのにという嘆きがこめられていたからである。
「馬琴」の構想が生れた時に、詩人の吉岡実《よしおかみのる》さんに相談してみると、言下に、新潮社の新田さんに読んでもらうといい、彼がOKするようならいい小説だし、彼がOKするような小説を書けと言われた。
脱稿して新田さんにお願いすると、読了後、梅沢さんに逢うように言われ、梅沢さんに逢うと、いい小説でした、読み了《おわ》ってから、まだ江戸という雰囲気《ふんいき》に酔っています、とまで言われ、我がこと成れりと喜びながら、それを忘れて、世の中|闇《やみ》だ、なんて、ひとりですねていたのでは、申しわけが立たない。
御礼奉公ということばに思い当って、そうだ、なんとしても、もう一本、御礼奉公のつもりになって書いてみよう、という気になったのが、今、日記を調べてみると「梅ノ字」に叱られたその年の瀬であった。
昭和五十九年一月一日
酒一滴モ呑《の》マズ越年 何ヲ書クノカ
一月二十六日
「カシノハルアキ」構想ウカブ
小説のテーマを探りながら身辺を整理していると、以前、西鶴《さいかく》まがいの擬古文を綴《つづ》った断片が出て来た。題名も、江戸の昔を気取って「春秋《しゆんじゆう》世間噺《せけんばなし》」などとつけ、しょっ中、出はいりしていた築地《つきじ》魚河岸で見聞したエピソードを短章にしたものである。
この戯文から、一つの構想が浮んだ。築地魚河岸の人々を書いてみようか、というのであり「かしのはるあき」という軟弱な趣きの仮題をつけた。
二月三日
「海幸橋《かいこうばし》」「むすめ」上リ、「なかま」ヘ
いつの間にかタイトルが、「かしのはるあき」から「海幸橋」に変った。築地魚河岸を|なか《ヽヽ》と|そと《ヽヽ》に分ける小さな橋の名である。
「むすめ」というのは、八百屋《やおや》の母と娘の話で順調に書き進み、「なかま」という一軒の珍味屋に働く人々の話も、はずみがついてどしどし書き進んで行った。
三月二十八日
「海幸橋」導入部 書キ初メル
二つの章を書き上げたところで、構想に大きな変化が生れた。「むすめ」の中で母親の嘆きを聞いてやる男があらわれ、「なかま」の中にも人々の相談にのる男があらわれる。
それぞれに独立した短編の連作のつもりだったが、二人の男を一人の男にし、これを狂言回しとして、全編を貫けないか、という構想である。
四月十二日 五時 |かし《ヽヽ》ニ行ク
二十一日 七時 |かし《ヽヽ》、場内ニ行ク
五月六日 「海幸橋」序、了
狂言回しの男のつもりになって、早朝、|かし《ヽヽ》をうろつくと、これまで気付かなかった風景が見え出し、生硬な序章を書きあげたが、やがて廃棄することになる。
五月十三日 二章 了 三章へ
二十三日 四章ニ入ル
構想が変って新らしい序章が出来ると、出来上っている二、三章も書き直すことになったが、順調に進み手ごたえもあった。
五月二十四日
突如難航 錯乱 飲ミアルキ、築地―上野
四章に入って行きづまってしまった。冒頭の部分が気に入らず、そうなると気になって、その先を書きながらも力が入らず、俺《おれ》には現代物を書く力なんて無かったんだ、うぬぼれだったんだ、そんなこと今更わかったのか、などとおのれを罵倒《ばとう》し、何もかも手につかなくなる。
夕方、|かし《ヽヽ》の珍味屋のアラさんと瀬戸物屋のゲンちゃんと待ち合わせて、三軒はしご。
この二人は商売|柄《がら》、専門的な見方があって面白いし、よく食べ、よく飲むので、私には、まったく安心出来る仲間である。しかしそんなことよりも、二人が発散する|かし《ヽヽ》の人間の匂《にお》いが、私に何かを与えてくれる。
そんなこたあ、ねえよ――いや、あるんだ、それが、なあ――しんねえよ、おれは、なんてやっていると心がほぐれてくる。そして当然のように二日酔。
六月十一日
昨日、四章 了 今日ヨリ五章 幸セナ日
七月十四日
最終章 了 午後十一時 三百七十枚
四章の停滞後も、なお筆の渋ることはあったが勢がついて、ついに脱稿した。構想以来、約|半歳《はんさい》であったが、翌日の日記は、
七月十五日 全編通読シテ愕然《がくぜん》 体ヲナサズ
と記して失敗をみとめている。今、あらためて見ても、序章と終章とが未熟であって、たしかに世に出せるものではない。
八月二十五日
ユウベ、テレビデ「老仏師」ノ語ルノヲ聞ク
「器用不器用デハナク、ネバリ強サダ」ト言イ、「多数ヲ相手ニスルナ」トモ、「我ヲ消セ」トモ言ッタ
「海幸橋」出直スツモリ 今日ヨリ机ニ向ウ
初稿をあきらめて再出発するまでに、一ト月以上のブランクがあった。
九月三十日 第二章ニカカル
十月三十日 第四章ニ入ル
昭和六十年一月十六日
麗子章 了
麗子章というのは、第五章のことで、日韓《につかん》混血と思われる娘の手紙から成るのだが、私の中にある隣国への思いを、別の角度から声低く語ってみたいと思った。
三月一日
第二稿 脱稿 要|推敲《すいこう》
三月六日
「海幸橋」送ル
三月十日
梅ノ字ヨリ応答ナシ
三月十一日
梅ノ字ヨリ拍手ヲ浴ビル
「海幸橋」全七章は、梅沢さんの賛辞を受けることが出来た。ただし、やはり第一章のモノローグ風な構成を客観描写でいってはどうか、のアドバイスと、もう一章、追加がいるという注文がついた。
「ゆうべ、最後まで読みましたが、その時にね、森田さん、終っていません、と思わず言ってしまいました。もう一章いります」
「それ、蛇足《だそく》になりませんか」
「いいえ、読者は蛇足が読みたいんです、あれでは終っていません」
たしか、そんな会話を交わしたが、編集者というものは最良の読者の代理人だ、という自説に従うなら、そうすべきだと納得した。
四月十六日
終章 マトマラズ
一章の書き直しは、割合に順調であったが、もう一章追加の最終章には、手古《てこ》ずった。
マラソンでゴールしたあと、もう千メーター走れと言われるようなものである。
五月十三日
最終章 進マズ
五月十七日
昼前、ニワカニマトマル 夜、浄書
追加の一章は、二十枚だったが、ほぼ一ト月というものを苦しんだあげく、まとまったのは、たった一日だった。しかし、その一ト月は無駄《むだ》ではなかったと思う。
五月二十七日
「魚河岸ものがたり」トキマル
タイトルの「海幸橋」は、自分では悪くないと思っていたが、梅沢さんは首をひねり、考え直してほしいと言う。題名の大切なことは、わかっている。故・石川達三氏は、二十も三十も考えて、編集者に選ばせたというが「結婚の生態」なんてうまいなと思う。
「魚河岸ものがたり」という題は、梅沢さんとの対話の中から生れた。私がいろいろなタイトルを口走るのを、彼はじっと聞いていたが、こちらもいやになってしまって「今更、魚河岸物語でもないでしょうし」と言ったところ、パッと顔を上げた梅沢さんは、「それ、行けそうですよ、ううん、第一候補だなあ」と言い、そして、きまった。
九月十八日
「魚河岸ものがたり」初版一部届ク
ついに、陽《ひ》の目を見た。私の予想通り、安野《あんの》光雅《みつまさ》さんの装幀《そうてい》に淡い味わいがあって、何とも言えない。造本もしっかりしているし、担当の加藤女史の書いてくれた帯のコピイもぴったりで、素晴らしい小説本に見える。「馬子《まご》にも衣裳《いしよう》、髪かたち」の文句が思い出された。
夜、梅沢さんに逢う。
「これで御礼奉公をすませた、ということにして頂けますか」
「ええ、ええ、御苦労様でした」
梅沢さんは、やさしかったが、それも束《つか》の間で、しみじみとした口調ながら、
「ねえ、森田さん、一生に三本は書きましょうよ」
と白刃をつきつけたのである。
十月二十五日
生誕後満六十年 人 我ヲ還暦ト呼ブ
十月二十六日
文春 阿部達児氏ヨリ過褒《かほう》
阿部さんは、私の「馬琴」発表後、すぐに小説を書くように言って下さった。これまでに、そう言ってくれたのは、あとは朝日の涌井《わくい》昭治さんだが、無名の作者にとって、おのれをみとめてくれた人は忘れ難《がた》い。
十二月十日
書状届ク 直木賞候補作品トナル
賞が受けられるかどうかは別として、候補作品には、あげてほしかった。
というのも、本が出来上って梅沢さんと食事をした夜、別れ際《ぎわ》に彼が宙をみつめて「今度は」と呟《つぶや》いた一言が、私の中で、次第に大きくふくれ上って行ったからである。
編集者としての彼が、狩人《かりゆうど》のように狙《ねら》いをつけているのは、直木賞に違いなかった。
それには、まず候補作品にならなければスタートにつけないわけで、そういった意味で、ノミネートされたことは、賞よりもうれしかった。走ることが出来るからである。
昭和六十一年一月十六日
「魚河岸ものがたり」直木賞受賞
自分ニデハナイ 小説ニデアル
間違エナイヨウニ
七時半ごろであったか、受賞の知らせがあり、記者会見場に来るように言われた。第一報を梅沢さんに、そして会場の東京会館でなく、帝劇の前で逢いたいと申し入れる。
小雨模様の中を、帝劇の前まで行き、闇を見つめて立っていると、タクシーがつき、なつかしい笑顔が見えた。あの「梅ノ字」だった。
(文藝春秋刊『銀座|八邦亭《はつぽうてい》』所収「直木賞ものがたり」より抜粋・再録、昭和六十三年六月)
この作品は昭和六十年九月新潮社より刊行され、
昭和六十三年七月新潮文庫版が刊行された。