星界の紋章 超外伝秘蹟
森岡浩之
帝都ラクファカールにある主計修技館に入学したリン・スューヌ=ロク・ハイド伯爵公子・ジント。アーヴばかりのこの学校で、戸惑いを感じるジント。そんな彼の前に委員長≠ニ名乗る一人のアーヴの少女が現れ、ジントの心を揺らす。「遠い昔にアーヴの先祖を作った人々たち…」「伝統、文化…」。謎の言葉がジントに新たな試練を課す。
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カバー/赤井孝美
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いよいよゲーム「星界の紋章」が出るときいて、「これはプレイステーション≠買わねばなるまい」と思った。
ゲームをまったくしなかったわけではない。だが、このところご無沙汰だ。どのくらいご無沙汰かといえば、うちにある最新コンシューマー機はスーパー・ファミコンで、それに5年ほど前に発発されたRPGが挿しっぱなしになっている、ということからわかってもらえるだろう。セガ・サターンも縁がなかった。ネオ・ジオもPCエンジンもPC-FXも3DOも縁がなかった。なかには縁がなくて幸いというものも混じっているが。ちなみに、いちばん購買意欲をそそられたのはヴァーチャル・ボーイだったりする。
いや、そんなことはどうでもいい。とにかくプレイステーション≠買うのだ。いまならずいぶん安く買うことが出きる。問題は、まもなくプレイステーション2≠ェ発売されるこの時期にプレイステーション≠購入するのがちと恥ずかしいということだ。わたしは苦悩した。その苦悩をここに書き連ねるのは、紙幅の関係で憚られるので、省略する。
さあ、プレイステーション≠ヘ買ったぞ。それにしても、すこし離れているうちに、面白そうなゲームがいっぱい出ているものだなぁ。いや、いかん。それでなくても仕事が詰まっているのだ。たとえば、ゲームに特典としてつける短編を書かなければいけない。もしも「星界の紋章続本」を買ってくださったかたがいたら、あれに収録されている「饗宴」という掌編を思い浮かべてほしい。
そうだ、このプレイステーション≠ヘあくまで「星界の紋章」のためのものなのだ。「買った機械はとりあえず動作確認をしないと」などという口実のもとに何時間も費やしている場合ではない。ゲーム「星界の紋章」よ、頼むからとっとと来てこのディスク・スペースを埋めておくれ
二〇〇〇年二月十日
森岡浩之
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星界《せいかい》の紋章《もんしょう》 超外伝《ちょうがいでん》秘蹟《ひせき》
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リン・スューヌ=ロク・|ハイド伯爵公子《ヤルルーカル・ドリュー・ハイダル》・ジントは|帝国貴族《ルエ・スィーフ》でありながら、生まれついてのアーヴではなかった、アーヴとして生まれてこなかったことを不幸と思ったことはない。ただ、|アーヴ貴族《バル・スィーフ》になってしまったことについてはときどき不幸と感じないでもなかった。
|貴族《スィーフ》には一定期間、|星界軍《ラブール》に就役することが義務づけられている。ジントにもその義務を果たすことが求められていたのだが、星界軍の中心である|飛翔科翔士《ロダイル・ガレール》になることは、ジントにはできなかった。彼が生来のアーヴではないからである。生まれついてのアーヴには|空識覚《フロクラジュ》という、地上人にはない感覚が備わっており、これが飛翔科翔士には必須なのだ。そこで、彼が選んだのは、軍の事務を管掌する|主計科翔士《ロダイル・サゾイル》への道だった。
そのため彼は、|帝都《アローシュ》ラクファカールにある|主計修技館《ケンルー・サゾイル》、つまり主計科翔士を養成する学校に入学したのだった。空識覚のない人間でも入学できる主計修技館なら地上出身者も目立たずにすむだろうという期待もあったのだが、それは甘かった。新入生はジントを除いてすべて青い髪を持ったアーヴだったのである。
アーヴは宇宙空間での生活に適応するべく遺伝子改造によって産みだされた変異人類である。そのためか、彼らは遺伝子に手を入れるのを厭わない。それどころか、子どもをなすとき、その遺伝子を添削するのを義務とさえ考えている。
自分の子どもが優れた者であってほしいという願いは、アーヴでも変わらない。かつて遺伝子の秘密を人類がまだ解き明かしていなかったころには天のみが与えられると考えられていたものを、アーヴの親たちは自分の子どもに与える。
したがって、アーヴには遺伝病など考えられない。生まれつきの肉体的な欠陥というものがないのだ。ついでに容姿にも注意を払うので、アーヴは美形揃いだった。
美形で老いることを知らず、空識覚と青い髪を持っている――これがアーヴという種族に生まれついた者の特徴だ。老いることは当面考えなくてもいいものの、茶色い髪を持っているのは厳然たる事実で、ジントは否が応でも目立った。それだけならまだしも、身分は貴族であり、しかも入学前、ラフィールという名の王女とちょっとした冒険を果たしたことが知れ渡っていたおかげで、なおさら注目を浴びた。
もっとも、注目を浴びるというのは今に始まったことではないので、それほど困惑せずにすんだ。地上人に混じってアーヴの言語や文化を学んでいた頃からお馴染みの状況である。なんといっても、地上世界の学校でアーヴ語を学ぶ帝国貴族というのは、猫に飛びかたを習う鶏ぐらい珍しい存在なのだ。
困るのは生活習慣だ、ジントがかつて学んだ学校はあくまで|帝国国民《ルエ・レーフ》を養成するために設立されたものであって、卒業生が星界軍翔士になることは想定していない。まして貴族の翔士であることは。したがって、主計修技館では戸惑うことしきりだった。
そんなジントをなにくれと救けてくれたのが、寮で彼の隣室に住む新人生だった。彼女は同級生たちからなぜか委員長と呼ばれていた。
「委員長はなんの委員長なの?」初めて会ってしばらくしたころ、ジントは訊いたことがある。
「べつになんの委員長でもないわ」こともなげに彼女はこたえた。「あたしの一族の|称号《トライガ》みたいなもの」
「代々、委員長と名乗っているわけ?」
「名乗っているわけではないわ。みんなが自然にそう呼ぶの。学校にいるあいだだけ」
「じゃあ、学校を卒業したら、委員長でなくなるの?」
「あたりまえでしょ」
あたりまえでしょ、といわれても、ジントには納得できなかった。「それって、変じゃないかな」
「なぜ?」
「学校にいるあいだだけ有効な称号なんて……」
「称号ではないわ。称号みたいなものよ」
ジントはしばらく考えた。「あの、ひょっとして渾名なの?」
「そのほうが理解しやすいのなら、それでいいわ、でも、ふつうは渾名は代々継承したりはしないけれども」
「ああ、やっぱりアーヴでもそうなんだ」
「そう。だから、渾名そのものでもない」
「じゃあ、いったいどうして……」ジントはますます混乱した。
「それが伝統なのよ」
「きみの一族が学校にいるあいだだけ委員長と呼ぶのが伝統?」
「そう」
「主計修技館の伝統なの?」
「いいえ。アーヴの伝統よ」
「でも、教官は委員良と呼ばないみたいだけれど……」
「あたりまえでしょ、あたしを委員長と呼べるのは同級生だけよ」
「上級生も駄目なわけ?」
「あたりまえでしょ」
アーヴにとっては「あたりまえ」でもジントにとってはちっとも「あたりまえ」でないことが多すぎる。それが諸悪の根元だった。
「ええと、ほくも委員長と呼んだほうがいいのかな」
「お好きなように。でも、同級生に委員長がいるというのはめったにないことなのよ」変人にむける眼差しを感じて、ジントは自問した――誇りに思うべきなのかな?
けっきょく、ジントは彼女を委員長と呼ぶようになった。なぜ委員長なのかは相変わらずわからなかったが、それがアーヴの伝統ならばしかたがない、伝統とはえてしてそういうものだ。
ただ、もうひとつ彼女には大きな謎があった。初対面のときから謎の存在については気づいていたが、それを問いただす勇気ができたのは、昼食をいっしょにできるぐらい親しくなってからだった。
「前から訊こうと思っていたんだけど」食堂でジントは思いきって尋ねた。「きみがいつも顔にかけているもの、それ、なに?」
「眼鏡を知らないの?」委員長は不思議そうにいった。べつに馬鹿にしているふうでもない。
「知っているけど、じつさいに使っている人を見るのは初めてなんだ」ジントは告白した。じっさい、ジントが眼鏡を知っているのは、むかしある博物館を見学したことがあるからだ。
「そうでしょうね」委員長はうなずいた。
「近眼なの?」微妙な話題かもしれないと恐れつつ、ジントは尋ねた。
「そうよ」委員長はあっさりこたえて、彼を安心させた。
「じゃあ、医務室に行けばいいじゃないか」
いくら遺伝的に完璧とはいえ、アーヴも努力すれば目を悪くすることができるだろう。だが、近視や遠視というのは容易に治るはずだ。ジントの故郷は長いあいだ孤立していたせいで医療技術も立ち後れていたが、それでも近眼というのはほんの数分で治療できた。まして、アーヴの医学水準は人類宇宙でも随一である。
「馬鹿なことをいわないで」委員長はにべもない。
「なにか厄介な理由があるのかい……」ジントは声を潜めた。医学的知識に乏しい彼には想像できないような原因で視力を回復できないのかもしれないと考えたのだ。もっとも同時に、たとえそうでも眼鏡などという原始的な矯正器具に頼ることはないだろう、とも思ったが。
「視力が弱いのがあたしたちの|家徴《ワリート》なの」と意外なことをいう。
|家徴《ワリート》――アーヴは一族に共通した先天的な特徴を持つことを好む。皇族アブリアルの尖った耳、スポールの深紅の瞳などだ。だが、ジントの理解していたところでは、家徴というのは外見的なものに限られていたはずだ。それが思い違いだとしても、なにも欠点を一族共通で持つことはない。
「なんだって、そんなことを……」ジントは恩わず呟いた。
「あたしの一族は大事な伝統を守っているの。そのためよ」
ああまただ――うんざりするジントに、委員長は卓子から身を乗りだして顔を近づけ、「わかる?」
「わかるって、なにが?」
ジントの動悸が速くなる。アーヴのつねにもれず、委員長の顔は美しい。ふだんは眼鏡がその美貌を覆い隠しているので、その発見が新鮮に思えた。
ふっくらした唇がことばを紡ぐ。「ほら、この雀斑《そばかす》」
「雀斑だって!?」ジントは素っ頓狂な声をあげた。もちろん、委員長の顔に薄い茶褐色の小斑点が散っているのには気づいていた。だが、まさか雀斑が主題であるとは予想もしなかった。「ええと、その雀斑も伝統なの?」
「そうよ」委員長は微笑んだ。「それからこの髪型も」
まあ、髪型はこの伝統とやらのいちばん無難な側面だな――ジントは思った。委員長は髪をお下げにしていた。アーヴのあいだでは割合に人気のあるかたちだ。
「その伝統って、いったい……」
「あら、もうこんな時間」委員長は|端末腕環《クリューノ》の時刻表示に目をやって、席を立った。「講義に遅れるわよ、|伯 爵 公 子 閣 下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール》」
「委員長、いいかな?」
「図書室では死語は厳禁よ」委員長は小声で、「ほかの人の迷惑になるでしょう」
「はあ」ジントはあたりを見回し、首を傾げた。ふたりのほかにはだれもいない。
このときに限らず、図書室に委員長以外の生徒がいるのを見たことがなかった。図書室はその存在自体が謎である。たしかに厖大な蔵書がある。だが、いくら厖大でも紙のうえに字を記すという、きわめて効率の悪いやりかたで記録された媒体だ。たぶんこの部屋に蓄えられた情報量をすべてあわせても、アーヴならだれでも手首にはめている|端末腕環《クリューノ》に入っているそれに及ばないだろう。
ジントはなにか調べものをするとき、図書室を利用せずに端末腕環を|思考結晶網《エ ー フ》につなぐ。たいていの情報は拾うことができる。思考結晶網が提供しえない知識がこの図書室でえられるとは考えられなかった。
現に委員長以外の生徒や教官はそうしている。むろん、ジントも図書室を利用せずにまったく不便を感じずにいた。図書室を訪れたのはほんの数回、それも本ではなく委員長に用があったからだ。
委員長は図書室の外にいるときも紙の本を持ち歩いている。よそでは紙の本など目にすることもないから、おそらくはここの蔵書なのだろう。委員長が個人的に所有しているということもありそうだが、個室に入れてもらえるほどには親しくないので、よくわからなかった。
ひょっとしてこの広大な図書室も委員長にまつわる伝統の一部なのではないかという考えが胸に浮かんだが、ジントはその答えを知るのが怖かった。
「だれもいないようだけれど」そういってしまってから、つぎに来るものを予測し、ジントは男らしく耐えようと心の準備をした。
「伝統よ」委員長はいい、本を閉じた。「まあ、いいわ。あたしも出ようと思っていたところ」
委員長は立ちあがって扉へすたすたと歩きはじめた。図書室では会話をしないという伝統をあくまで守るつもりらしい。もちろん、脇の下に本を挟んでいた。
図書室から出ると、委員長は振り返った。「なんの用?」
「じつはこの前、ソビークに行ってきたんだ」
ソビークというのは年に二回開催される饗宴《フレーグ》で、アーヴたちにとっては大事なものらしい。饗宴といっても料理も余興もない。主催者もたいへん慎ましやかで、挨拶ひとつしない。ジントの印象からいえば、市場というほうが正しい雰囲気の催しで、売り手と買い手が集まる。売られているものは多種多様だったが、紙の本が大半を占めていた。想像もしていなかったが、アーヴという種族はたいそう紙の本を愛しているようだった。
「いい心がけ」と委員長。
「おかげでアーヴのことがいままでよりもっと深くわかったような気がする」ソビークでのちょっとした事件を思い出しながらジントはいった。彼はそこでラフィール王女と会い、いささか困惑させられたのだ。
「それで?」委員長は続きを促した。
「きみの守っている伝統の正体に見当がついたんだ」
「そう。よかった」委員長はほっと肩を落とし、「どういう伝統なんだ、と訊かれても困ってしまうのよ。ちゃんとわかってもらおうとすると、とんでもなく時間がかかるんだもの」
「そうだろうね」
遠い昔にアーヴの先祖を創った人々は、ある弧状列島の出身だった。世界的な文化混淆のなかで弧状列島文化の独自性が失われるのを恐れるあまり、軌道都市をつくって、自分たちだけで頑なに先祖伝来の文化を守ろうとした人々なのである。創造主である彼らをアーヴの祖先たちは滅ぼしてしまった。その引け目からか、アーヴはいまでも弧状列島の文化に拘りつづけているのだ。
くだんの弧状列島はある時期、世界中に深刻な影響を与える文化を産みだした。ソビークももとはといえばその文化の一端を担っていた催しを継承するものだ。いや、ソビークの原型である催しこそがその文化の中心だったとさえいえるかもしれない。
そして、委員長の守る伝統もまた、その文化と深く関わっている……。
「きみはつまり……」乾いた舌が口腔内で粘るのが疎ましく感じつつジントはことばをしぼりだした。「滅び去った種族の一員なんだろう」
「失礼ね」委員長はにこりと微笑んで、ことばとは裏腹に怒っていないことを伝えた。「あたしの一族がいるかぎり滅び去ってなんかいないわ」
「でも、そうとう無理をしている」
「そんなことないわ。なかなか気分のよいものよ、伝統を守るというのは」
「よかったら、その文化のことを教えてくれないかな。興味があるんだ」
「文化を知るにはじっさいに触れるのがいちばんよ」
「でも、どこから手を着けていいかわからないんだ」ジントは訴えた。
「たしかに。あなたぐらいの歳からはじめるのはつらいかもね。では、甚本から。ちょっと|端末腕環《クリューノ》を貸して」
ジントは端末腕環をはめた左手首を差しだした。
委員長がなにか操作すると、空間に仮想窓が立ちあがった。
「これでいいわ。これがすべての始まり。昔、不連続ながらあたしたちの祖先に当たる人たちが産みだした文化の原初の姿。すべての|端末腕環《クリューノ》にはこの情報が初期状態で書きこまれていて、あたしたちアーヴは幼い頃からこれに親しむの。じゃあ、あとでね」
委員長の後ろ姿を見送ってから、ジントは仮想窓に視線をむけた。
『漫画』『動画』『遊戯』『特撮』『人形』『少年愛』などの文字が踊っている。とりあえず、『遊戯』を選択してみる。
またいくつか文字が並んだ。遊戯の題名らしい。残念ながら内容の要約までは書かれていない、なにがなんだかさっぱりわからないので、適当に選んだ。
画面が変わる。簡素な美しさを持った紋章のしたに記されたのはアーヴ文字ではなく、ジントの故郷で使われるアルファベットだ。
この遊戯が創られたときにはごく普通にいたらしいが、いまや委員長の一族を除いて消え去ってしまった種族――めがねっ娘が出てくればいいな、と思いつつ、ジントはその文字を読んだ。
PlayStation
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【おわり】
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超外伝「秘蹟」
PlayStationソフト「星界の紋章」付録 2000年5月
平成十九年二月四日 入力 校正 ぴよこ