星界の紋章V ─異郷への帰還─
森岡浩之
1962年兵庫県生まれ。京都府立大学文学部卒。サラリーマン生活を経て1991年「夢の樹が接げたなら」で第17回ハヤカワ・SFコンテストに入選、同作品が〈SFマガジン〉誌に掲載され、作家デビューを飾る。入選作は人工言語の可能性を追求した問題作。その後も同誌を中心にシリアスなSF作品の発表を続ける。96年満を持して本書を刊行。
〈人類統合体〉の攻撃をようやく逃れたラフィールとジントだったが、不時着した惑星クラスビュールは、すでに敵艦隊に占領されていた。帝国に戻る手段を失った二人は、味方の艦隊が戻るまで、この地に潜伏しなければならなくなった。だが、宇宙空間では無敵だったアーヴの王女も、地上では、世間知らずの少女にすぎない。立場が逆転したジントは、王女を守って行動を開始した! ――新時代のスペースオペラ、堂々の完結篇
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目 次
1 捜 査 9
2 逃 走 28
3 スファグノーフ門沖会戦 37
4 帝国の戦場 68
5 惑乱の淑女 81
6 大追跡 100
7 幻想園の馬 128
8 勝利の舞い 142
9 天翔る迷惑 164
10 異郷への帰還 193
11 帝都ラクファカール 204
12 帝国の娘 227
終 章 245
付録 アーヴ語の成立の概略 261
あとがき 265
紋章デザイン/赤井孝美
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星たちよ――
汝の命短き眷族の望みを聞くがよい。
我らの望み、
それは――
汝の本降《もとくだ》ちゆく末を看取ること――
――〈アーヴによる人類帝国〉国歌の一節より
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星界の紋章V ─異郷への帰還─
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第U巻のあらすじ
フェブダーシュ男爵領を脱出したラフィール王女とジントだったが、敵の〈人類統合体〉艦隊に先んじてスファグノーフ侯国にたどりつくことはできなかった。二人が乗った連絡艇が通常宇宙に戻ると、そこはすでに敵艦隊に占領されていたのだった。ラフィールは、敵の目を逃れ、船を惑星クラスビュールに不時着させる。ジントは、地上世界では無力な王女を守るため、惑星の住民に化けて、帝国艦隊が戻るまで何とか敵の軍の目を欺くつもりだった。しかし、不時着地の近くのルーヌ・ビーガ市に無事潜入した二人に、反帝国戦線を名乗る怪しげな活動家たちが接触してきた。
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登場人物
ジント……………………惑星マーティンの惑星政府主席の息子
ラフィール………………アーヴ帝国星界軍の翔士修技生。皇帝の孫娘
エントリュア……………ルーヌ・ビーガ市警察犯罪捜査部警部
カイト……………………〈人類統合体〉平和維持軍の憲兵大尉
マルカ┐
ミン │
ビル ├…………………反帝国クラスビュール戦線の同志ダスワニ
葬儀屋┘
トライフ提督……………アーヴ帝国派遣艦隊司令長官
スポール准提督…………アーヴ帝国偵察分艦隊司令官
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1 |捜 査《ナテームコス》
ルーヌ・ビーガ市警察犯罪捜査部警部エントリュア・レイの気分はあいかわらず最低だった。
まあ、最低という概念について考えるにはいい機会だな――とエントリュアは自分を慰めた。これが底だと思ってもまだまだ下がある。
いままた、新たなる底に足が届いてしまいそうだった。
「あとみっつか。おれのカンだと、こりゃ旅亭にはいないな」エントリュア警部はつぶやいた。
「それではどうします?」とカイト憲兵大尉が訊いた。
エントリュアは肩をすくめ、「あんたのいったとおり、全家屋を蝨潰《しらみつぶ》しにするかね。だが……、気が進まないな」
「気が進む、進まないの問題じゃないでしょう」カイトは非難した。
「まあな」エントリュアはことばを濁した。じつのところ、どうもこれが自分の仕事とは思えないのだ。たしかにアーヴは犯罪を犯した。|浮揚車《ウースイア》強奪はけっして軽犯罪ではない。だが、これほどの捜査陣を敷かなければならないほどの重犯罪では――断じてない。
ルーヌ・ビーガ市警察犯罪捜査部のほとんどが、なんの因果か、グゾーニュ市に展開している。それ以外に、一般警官の半分と鑑識官の全員。ルーヌ・ビーガ市警察はすっかりケチな車泥棒にかかりっきりだ。
エントリュアは部下を一五の班にわけた。そのうちよっつは空港に張りこませ、ふたつを遊軍として、残りのやっつの班を宿泊施設にさしむけていた。経営者や支配人のことばを信用せず、客室一つひとつを調べろ、と厳命してある。捜査令状のことなど気にしなくてかまわない、責任は占領軍――なんど訂正されようと、エントリュアには解放軍と考えるのは不可能だった――がとる、と。
できれば、道路の検問も実施したいところだが、人員に余裕がない。どうせ検問は占領軍が行なっているのだ。いちど見逃してしまったらしいが、連中が同じドジを踏んだからといって、それはエントリュアのせいではない。
指揮車の後部座席の画面には、グゾーニュ市にある四〇以上の有料宿泊所の名前が一覧表になって表示されている。あと三ヵ所を残して、すべて赤くなっていた。赤は調査済み≠フ意味である。
宿泊所一覧の隣にはもうひとつ一覧表があった。発見された不審者の一覧だ。宿帳に記入された名前がたしかに本人の名前だと証明できなければ、ここに載るはめになる。この一覧表には二〇人ほどの名前が記載されていた。
クラスビュールの住民なら、財布を提示するだけで身分を証明することができるので、たいていこの不審者たちは偽名を用いているのだった。
ほとんどがつまらない理由で偽名を用いていた。家庭の事情とか、許されざる恋愛というやつ。まちがっても警察が介入することのない事情だ。
ひとりだけ、盗難届けの出ている財布をもっている男がいて、逮捕された。この男は他人名義の財布を二〇ばかり所持していた。いまのところ、一連の捜査の唯一の収穫である。
が、アーヴらしい客は発見されていない。
「警部」通話器を耳につけた、指揮車つきの巡査部長が報告した。「コンドリン班から、調査対象の捜査が終わったので、つぎはどこにいけばいいのか、との問い合わせです」
エントリュアは考えた――未調査の三ヵ所にはすでに捜査班が割り当てられている。応援にいかせようか? いや、それでは現場が混乱する。
「こっちへ呼べ」エントリュアは指示した。「遊軍に組み入れる。つぎの方針が決まるまで待機だ」
「了解」巡査部長はエントリュアの指示を伝えにかかった。
「アーヴを匿《かくま》いそうな市民はいないのですか?」カイトが焦りもあらわに尋ねる。
「あんたたちの民主主義学校を探せよ。アーヴを匿いそうな人間はみんなそこにいる」
「また、それですか」カイトはうつむいた。
「こっちはそれなりに一生懸命にやっているんだ。それはわかってくれるだろう」
「ええ」
「警部」巡査部長が割りこんだ。
「なんだ?」
「ラマシュディ巡査部長からです。占領軍の検問にひっかかって、動けないそうです」
「またかよ」エントリュアはうんざりした。
占領軍に捜査を妨害されたのはもう一〇件に達する。彼らは警察の紋章はしっかり憶えていて、グゾーニュ市でルーヌ・ビーガ市警察の紋章をつけた警官たちが動くのをことのほか不思議がるらしい。
「ほら、あんたの出番だぜ」エントリュアは憲兵大尉の脇腹をつついた。
「ええ」カイトは巡査部長に、「わが軍の指揮官と替わるようにいってください」
車内に流れる異国語の会話をききながしながら、エントリュアはいくつかのもっと重要な事件に思いをめぐらせはじめた。
「終わりました」
「え?」カイトに話しかけられて、エントリュアは現実に戻る。
「ラマシュディ巡査部長はもうだいじょうぶです」
「つぎに検問にかかるまでは、だろう」
「ええ、まあ……」カイトは決まり悪そうな顔をした。
「ちゃんといってくれたのか、おれたちのことを」エントリュアは詰問調でたしかめる。
「ええ。ちゃんと方面憲兵隊司令部には事情を説明しておきました」
「それにしては、なんでこうも検問に呼び止められるんだ?」
「下部組織には浸透していないようです」カイトは視線をそらす。
「いっちゃ悪いが、あんたたちの組織はずいぶん非効率的だな。警察だって、もうちょっと横の連絡がつくぜ」
「おっしゃるとおりです」カイトはますます身を小さくした。
エントリュアは口笛を吹くところだった――嫌なやつだと思っていたが、あんがいすなおなところもあるじゃないか。
今度はカイトの携帯端末が鳴った。
カイトは腰の端末から表示部をとりはずして、画面に視線を走らせた。その顔色が見るみる変わっていく。
「なんだ?」エントリュアは興味をそそられた。
カイトは背もたれに半身を預け、憮然とした表情で、「憲兵隊が動きだしました。例のアーヴを逮捕にむかうそうです」
「へえ、めでたいことじゃないか。すると……、おれたちはお役ごめんか?」エントリュアは期待をこめて尋ねる。
「いいえ。これまでの捜査資料を憲兵隊司令部に渡しますが、われわれは別行動で捜査を継続します。そして……」カイトはいいにくそうに、「アーヴの潜伏先を発見したら、司令部に通報し、そのままアーヴが逃げないように監視して待機するよう、命じられました」
「どういうことだ? 逮捕しちゃいけないってことか?」
「ええ。捕縛はわが軍の憲兵隊が行ないます」
「冗談じゃない! 追いつめるだけ追いつめて、最後の詰めを他人がするのを、指くわえて見ていろっていうのか」エントリュアはかっとなった。ルーヌ・ビーガ市警察、愛すべき職場を侮辱されたような気がした。それに、最初の建前はどこへ行ってしまったのだ、警察に占領軍が協力するという建前は。これでは占領軍の下働きではないか。「なにか、あんたの上官は、アーヴを捕まえるのはおれたちの手に余る、といいたいのか」
「そうではありませんよ」カイトはエントリュアのほうを見ず、説明した。「はじめ、司令部のほうでは、例のアーヴを城館か基地から逃れたのだと思っていました。ですから、あまり関心がなかったのです。城館では十数人のアーヴを捕らえましたから、ひとりやそこら漏れていたからといってどうということもない。しかし、ここに来て、平面宇宙から進入した小型艇の搭乗員である可能性が強くなってきたのだそうです」
「それで?」エントリュアはカイトの横顔を見つめた。
「しかも、その搭乗員は平面宇宙でわが軍が破壊した敵艦に乗っていた可能性があります。だとすれば、重要な情報をもっているかもしれません」
「重要な情報って?」
「それは……」カイトは手をふった。「わたしは知りません。知っていても、いうわけにはいきません」
「だろうな」さほど残念には思わなかった。|星界軍《ラブール》の軍事機密でなければ、星間国家どうしの政治にかかわるなにかだろう。どちらにしろ、エントリュアには関係ない。
「ですから、わたしたちが追っているアーヴの価値は格段にあがったわけです。このアーヴをとらえた功績は人事参謀部も無視できないでしょう」
「話が見えてきたぜ。おれたちみたいな現地警察に手柄を立てさせるわけにはいかないってわけだな」エントリュアの胸にさっきまでとは別種の怒りがつのった。労働は自分のもの、功績は他人のもの。我慢できない事態だ。
「あなたたちにというより、わたしに立てさせるのがいやなのでしょう」カイトがぽつりとこぼす。
「なぜ?」エントリュアは驚いた。「あんたは選ばれた人間なんだろう。その若さで大尉どのなんだから……」
「わたしが若いですって?」カイトの端正な顔に自嘲めいた微笑みが浮かんだ。「警部はわたしをいくつぐらいだと思います?」
「そりゃあ……」カイトはちょっと多めに見積もった。「二七、八っていうところか、標準年で」
カイトの微笑みはさらに深まった。「標準年に換算すると、わたしは今年、四九になります」
「まいったな、おれより年上だったのか! でも、その見かけは……」エントリュァは口ごもり、「そうか、遺伝子改造だな」
「そうです。遺伝子改造はなにもアーヴだけの特技ではありません」
「だけど、あんたたちの宣伝放送じゃ、人間の遺伝子改造は悪だと決めつけていたようだが」
「ええ。〈人類統合体〉では、ヒトの遺伝子改造は重大な犯罪です」
「つまり、あんたは罪の子ってわけか……」
「ああ」カイトは嘆息した。「そうなら、もっと話は簡単なのですが……」
「ちがうのか」
「ええ。シレジア共和国という国をご存じありませんか?」
「いや、あいにくだが」警部は肩をすくめた。
「そうですか……」カイトは腕組みして窓の外に視線をむけた。
シレジア共和国について話してくれるものと思っていたのに、カイトが黙りこんでしまったので、エントリュアは痺れを切らした。「そのシレジア共和国がどうだっていうんだ?」
「シレジア共和国というのは」カイトはぽつりぽつりと話しはじめた。「一二〇年ほど前にシレジア戦役を起こし、破れさった国の名前です。いまでは〈人類統合体〉の一部となっています、幸運にも。それまでのシレジア共和国は、共和国とは名ばかりの軍事独裁制を敷いていました。一〇〇〇家族ほどの世襲的軍人が社会のすべてを握っていたんです。彼ら軍人家族たちはその子弟に遺伝子改造を施しました。といっても、アーヴほど徹底した、つまり髪の色を変えるとか特殊な器官を発生させるとか、そういったものではありません。ただ不老化処置を施したのです」
「その子弟があんたか……」エントリュアはうなった。
「正確には不老化処置を受けたのは祖父の代です」
「けれど……」エントリュアは首をひねり、「それがどうして、手柄を立てさせたくないって話につながってくるんだ? 三代も前の話じゃないか」
「何代前であろうと、関係ありません。わたしの戸籍にははっきりと『シレジア不老族』と記入されているのですから」
「なぜ?」
「結婚のときに問題になるのです。わたしたちは結婚に厳しい制限があります。仕方ないですね、不老化処置を受けている者と受けていない者とのあいだでできた子どもは、例外なく胎内で癌化しますから」
「それこそ遺伝子調整をすればいい」エントリュアは指摘した。「そうすれば、あんたの子どもの代には普通に生活できるわけだ」
「どんな目的があろうと、遺伝子調整は許可されません」
「先天性異常でもか?」
「はい。そもそも受精卵段階の遺伝子検査が違法なのですから。発見されたときには、遺伝子治療ならともかく、全面的な遺伝子調整は不可能です。まあ、たいていの器質的疾患には機械工学的な医療が可能ですから」
「なんとまぁ」警部は呆れた。遺伝子に手を入れるのをこれほど嫌うのは、もはや一種の病気といっていい。
「そういうわけで、わたしはまだ独身です。おそらくシレジア不老族はわたしの世代で滅びるでしょう」
「なんだかおぞましい話だな」エントリュアはつぶやいた。「ちょっと待てよ。まだわからないぞ。なぜあんたが手柄を立てられないってごとになるんだ、それで」
「忘れてください」カイトは手をふり、「わたしは口を滑らしてしまったようだ」
「それはないだろう。そこまで話しておいて」いままで意図的に話がそらされていたのに気づいて、エントリュアは眉をひそめた。
「あなたには関係のないことです」
「関係ないってことはないだろう。あんたたちはおれたちの支配者なんだ。その実情を知りたがることがなぜ悪い? これが知る権利っていうもんじゃないのか」
「わたしたちは支配者ではありませんよ。あなたたちといっしょに、市民社会をつくりあげていくのです。新しい友です」
「なら、なおさらじゃないか。新しい仲間のことは知っておきたい」
「一本とられましたね」カイトは根負けしたように、「要するに、わたしを信用していないのです。シレジア不老族は先天的に民主主義の本質を理解できないとされている……」
カイト憲兵大尉が組織のなかで不遇であることは理解できた。その理由もわかる。人種偏見だ。
いろいろ思いあたる節もある。カイトが部下を持っていないこと。カイトの提言に占領軍上層部があまり注意を払わなかったこと。
アイザンのやつもかわいそうに。一生懸命ゴマをすった相手が、出世街道にはほどとおい細道をつまりながら歩いている人間だと知れば、さぞ喜ぶだろう。
だが、まだ理解できないことがあった。
「おかしいじゃないか」
「なにがです?」
「それだけないがしろにされて、どうしてそう熱心になれるんだ? おれは評価されない仕事はする気がないね。アイザン管理官はもうひとつおれのことを買っていないが、市民たちはおれを評価してくれる。だから、警官をやっていられるんだ。それなのに、あんた、なぜ……」
「幸せですね」カイトのことばは心からのものに思えた。「わたしの故郷では、市民から評価される警官はめったにいません」
「まだ質問にこたえていないぜ」
「わたしは民主主義者です。それだけでじゅうぶんじゃないですか」
「そうか? だって、信用してもらえないんだろう」
「わたしは自分の良心に忠実なだけです」
「ははあ、なるほどね」エントリュアはおざなりな相槌を打った。訊いてもしかたのないこととわかってはいたが、わだかまる疑問をどうしても抑えることができず、「あんた、それで満足なのかい?」
「もちろんです」カイトはきっぱりとこたえた。しかし、どこかその力強さは不自然だった。
「お話ちゅう、すいません、警部」巡査部長が耳の受聴器を指した。「キュア巡査部長です」
「ああ」エントリュアは画面に視線を走らせる。キュア班は〈リムゼール亭〉の担当だった。
「流せ」
「警部、不審者をふたり、発見しました」キュアの声が報告した。
「いちいち音声報告することはないだろう。|思考結晶《ダテューキル》に入力しろ」
「それがすでに立ち去ったあとでして」
「逃げられたのか?」エントリュアには我慢できないことがいくつもある。まぬけな部下はその最たるものだった。
「いえ」キュアはあわてた調子で、「われわれが到着したときにはすでに立ち去ったあとだったんです」
「どうして不審者だと?」
「男女の二人組なんですが、偽名を使っています。戸籍を検索しても、該当する名前が登録されていません」
「なるほど」エントリュアはほとんど興味をもたなかった。男女ひとりずつというのは、追いかけている犯人と同じ構成だ。だが、なにやら神秘的な暗合か、他人や家族に知られたくないたぐいの旅行は、昔から男女ふたりで行なわれることが多い。
「その偽名は『サイ・ジント』と『サイ・リナ』となっています」
「名前なんかより、どんなようすのふたりだった?」
「ごく若かった、と従業員の何人かは証言しています。どうも変な感じだった、とも」
「変な感じとは?」
「ほとんど部屋にこもりっきりだったそうです。とくに女のほうは一歩もでなかったようだ、と」
「そんなに変とも思わないな。男と女がいれば、部屋のなかでもいろいろやることがあるだろうよ。いや、ひとつか」
「それだけじゃありません。部屋に案内した従業員の証言では、女は帽子をかぶっていたそうです。それも、男性用の帽子を」
「ははあ」エントリュアはカイトを見た。カイトはじっと耳を澄ましている。帽子をかぶった女性――あの三人組の証言にあったとおりだ。
「顔は? 女のほうだが」
「目と髪は黒。肌は明るい小麦色。細面。すんごい美少女だったそうです」
「すんごい美少女ねぇ」
「それから、シフを置かなかったそうです」
「シフを? なるほど」エントリュアはうなずいた。たしかにおかしい。人目をしのぶなら、口止め料の意味もこめて心付けをはずむのがふつうだ。それをまったく置かなかったというのは、習慣にうといか、あるいはどはずれたケチのどっちかだ。
「映像記録をまわしてくれ。そのふたりの」
「それが……」キュアはいいよどみ、「残っていないというんです。破棄してしまったそうです」
「残っていない? 支配人はどういっているんだ」
「客が出発して、あとに問題がなければ、破棄してしまうんだそうです」
「そいつは旅亭法を知っているのか? 一年は保存が義務づけられているのを……」エントリュアはことばを切った。そんなことをキュアにいってもしかたない。「受付係はどういっている? 部屋にこもりっきりだったんなら、いちばん間近に見ているのは受付係だろう」
「支配人が受付係をしていたんですが、ぜんぜん証言内容がちがうんです。中年のふたりだったといいはっています。ごくふつうの身なりで、印象に残っていない、と」
「その支配人はあやしいですね」カイトが口を出した。「アーヴを匿《かくま》っているのではないでしょうか」
「その可能性はあるな。キュア、その支配人の名前と市民番号をよこせ」
「はい」
キュアの通話器から情報が指揮車の|思考結晶《ダテューキル》に流れこんだ。
エントリュアは認識番号を打ちこんで警察情報に接触。〈リムゼール亭〉支配人の情報を画面に呼びだす。
「こいつは……」エントリュアは画面に見入った。「意外だな。この支配人は独立党党員で、過激派の心情的支持者だぜ」
「独立党ですって?」とカイト。「それはなんですか」
「名前どおりだよ。|領 主《ファピュート》の追放と|帝 国《フリューバル》からの分離独立を主張する政党だ」
「秘密結社ですか」
「いいや。看板をかかげた本部もあるし、ちゃんと州議会にも議席をもっている」
「そんな政党が存在するのですか?」カイトは唖然とした。
「ああ。知らなかったのか? とっくにあんたたちの手先にでもなっていると思ったが」
「ええ。存じませんでした。反帝国的政党が合法だというのですか」
「べつに|帝 国《フリューバル》の支配に反対することは犯罪でもなんでもないからな。ただ|領民代表《セーフ・ソス》にはなれない。|領 主《ファピュート》に拒否されるから」
「ばかばかしい欺瞞ですね」カイトは嘲るような笑みを浮かべる。「けっきょく|帝 国《フリューバル》の枠組みで動いていただけではないですか。わたしには、議論をもてあそんでいるとしか思えません」
「そう思うのはおれたちのなかにもたくさんいるさ。だからこそ、独立党は選挙に勝てないんだ。そして、独立党のなかにさえ平和的手段では政策は実現できないとする連中がいたんだ。そいつらが党を飛びだして、過激派になった。いくつか団体があるが。この支配人が共鳴しているのは、反帝国クラスビュール戦線か……」エントリュアは公安関係記録から反帝国クラスビュール戦線の情報を引きだした。「まいったな、こいつらの情報はほとんどないぜ。二〇年ばかり前に|軌道塔《アルネージュ》の占拠を企てたことがあるな。そのときほとんど逮捕されて、休眠状態にあるようだ」
「どんなことをするんです、過激派というのは」
「たいしたことじゃない」あんたたちのしたことに比べればな、とエントリュアは心のなかでつけくわえ、「|侯爵家《レーブジェ》の農園に火をつけたり、|星界軍《ラブール》の|募集事務所《バンゾール・ルドロト》を爆破したり。もちろん、それは犯罪だから、おれたちは取り締まる。それで、いちおう独立過激派の構成員や同調者は監視されているんだ。偏執的にならないていどにね」
「しかし……」納得いかない、というようにカイトは首をふり、「そんな団体があることを知っていて、|帝 国《フリューバル》は……」
「|帝 国《フリューバル》が知っているかどうか疑問だね」
「え? しかし|星界軍《ラブール》の事務所を爆破するという快挙を成し遂げたのでしょう」
「それもずいぶん昔のことだ。おれが警察に入る前のことだから。そりゃ、|星界軍《ラブール》には爆破した犯人を教えてやったよ。けれど、やつら、きいたはしから忘れてしまったんじゃないかね。おれの知るかぎり、|帝 国《フリューバル》から独立党や過激派にたいしてどうしろこうしろといってきたことはない」
「そんな馬鹿な……。あなたは欺かれているにちがいない」
「そうかい。可能性はあるな、どんなことだって。けれど、独立党が堂々と存在していることはたしかだぜ」
「でも……」
カイトがなにかいいかけたとき、キュアが痺れを切らしたように、「警部、おれたちはどうすればいいんです?」
「悪い、忘れていた」エントリュアは頭をかいて、「その支配人を拘束しろ」
「連行するんですか?」
「いや、その必要はない。旅亭法違反じゃひっぱれないからな。おまえたち、支配人に張りついていろ。どこにも行くな、と丁寧にご協力を仰げ。おれがいまから行く。待てよ、支配人はどこにも通信していないだろうな」
「はい、していません。ばっちり監視しています」
「よかった。これからも通信させるな。それで旅亭になにか損害が出れば、占領軍が払うといっておけ」
「いいんですか?」キュアの声は笑いを含んでいた。
「いいんだ、約束がちがっても、恨まれるのは占領軍だ」
「了解しました」
「交信終了だ」
「交信終了」
エントリュアは指揮車付きの巡査部長の肩をたたいた。「〈リムゼール亭〉だっけ。そこへ車を回してくれ。こっちへ戻ってくる連中にもそっちへいくよう伝えろ」
「わかりました」
指揮車は動きだした。
「さっきの命令の話だがな」エントリュアは窓の外で流れだした風景を眺めながら、「逮捕しないっていう命令はあんたの受けたもので、おれたちには関係ないからな。そこのところははっきりしておいてくれよ。おれたちはあくまで車泥棒を捕まえるために動いているんだ」
「そうですね」カイトは愁眉を開き、「あなたがたを止めろという命令は受けていませんから」
「とりあえず、支配人の身柄を押さえよう」
「その支配人がアーヴを匿《かくま》っていることがありうるのでしょうか」カイトは疑問を口にした。
「さあな」
「独立党員なら、匿うはずがない。そうですね」
「そうともいえない」
「まさか、独立党とは迷彩組織だと?」
「なんのための迷彩?」エントリュアは首をかしげた。
「こういった場合に|帝 国《フリューバル》の人間に逃亡の手助けをする地下組織です」カイトは自分の思いつきに勢いこんだようすで、「解放を見越して、そういった組織があらかじめ用意されていたとしても、不思議ではないでしょう」
「とっても不思議だね。ありそうにない話だよ」エントリュアは冷淡にいった。
「しかし、どんなことにも可能性はある、あなたのおっしゃったように」
「まあな」エントリュアは肩をすくめた。
「迷彩組織だと思わないのなら、どうして独立党員がアーヴを匿《かくま》うかもしれないと考えるのです?」カイトは追及した。
「おれたち|領民《ソ ス 》はアーヴにたいして屈折しているんだ。屈折の度合いがひどいと独立党に入り、救われがたいほど屈折すると過激派に走る。おれが前に取り調べた過激派は、|帝 国《フリューバル》が弾圧してくれない、と文句を垂れていたっけ」
「そんな馬鹿な!」
「たしかにばかげているな。まあ、わからないでもないぜ。|帝 国《フリューバル》はおれたちの世界には無関心だからな、独立運動をくりひろげるにはじつに張り合いのない相手だよ」こんどの占領でいちばん活気づいているのが過激派かもな、とエントリュアは考えた。独立運動をくりひろげるには、帝国よりこいつらのほうがよっぽど手応えのある相手だ。
「しかし、|帝 国《フリューバル》が惑星社会に無関心なら、どうして各惑星を支配したがるのです」
「もちろん、おれたちに宇宙に出ていってほしくないからだ。簡単なことだろう?」
「ほんとうにそれだけでしょうか」カイトが疑う口調でいった。
「そうさ、ほかになにがある?」エントリュアは軽く応じた。
「わたしにはそうは思えませんが、しかし、いまはそのことを議論している暇はありませんね」カイトは腰の携帯端末をはずした。帝国製|記憶片《ジェーシュ》に対応する付属品がとりつけられている。
「捜査資料の|記憶片《ジェーシュ》をください」と巡査部長に要求する。
「はい」巡査部長はしぶしぶ|記憶片《ジェーシュ》をカイトに手渡した。
「そうだ、独立党が迷彩組織である可能性を示唆してやりましょう」いいことを考えついた、というふうにカイトは微笑した。
「だが、その可能性はほとんどないんだぜ」エントリュアは指摘した。
「ならば、なおいいではありませんか」
「なぜだ?」エントリュアには理解できなかった。
「憲兵隊は人数が多いばかりで、この土地の事情にあまり明るくありません。なるべく目立つ目標を欲しがるはずです。この情報を流してやれば、しばらくは独立党関係施設の捜索にかかりっきりになるでしょう。そのすきに、わたしたちはアーヴを捕まえるという寸法です」
カイトの得意げな顔をみて、エントリュアの気分は暗澹たるものに沈みこんだ。おれはなにをしたんだ、民主主義学校の生徒≠増やしてしまったんじゃないか……。
2 |逃 走《デイヘロス》
「さあ、どうぞ上がって。むさくるしいところだけど、遠慮せずに」とマルカがいざなった。
「むさくるしくて悪かったな」葬儀屋が不機嫌な顔をする。「おれはとっても気にいっているんだよ」
「ここは葬儀屋の家?」ジントは尋ねた。
「ああ」葬儀屋はうなずいた。
〈リムゼール亭〉から一〇街区ばかり離れた都市樹。その三階に葬儀屋の家はあった。
ジントはマルカと葬儀屋につづいて家に上がりこんだ。そのすぐあとにラフィールがつづき、最後にミン、ビル、ダスワニが入った。
「無警戒なやつだな」ビルが嘲った。「おれたちがなにかするつもりなら、ひとたまりもないぜ。後ろががら空きだ」
「ああ、そうか」ジントは背後を警戒することを思いもつかなかったので、すなおにうなずく。いちばん最後に歩くべきだったのだ。
「それで護衛役が勤まるのかよ」ビルはなおも絡んでくる。
ジントは黙って肩をすくめた。護衛役ではないのだが――どちらかというと、ラフィールがジントの護衛役なのだ――説明するのも面倒だった。
ラフィールはというと、葬儀屋の家を自分の寝室であるかのように堂々とふるまっていた。勧められもしないのに、いちばん坐りごこちのよさそうな革張椅子を真っ先に占拠した。
「おい、そこはおれの席だぜ。主人の椅子だ」葬儀屋が忿懣やるかたないといったようすでラフィールに指をつきつけた。
ラフィールは葬儀屋に視線をむけたが、返事はしなかった。
「アーヴ、おまえは人質なんだぜ。ほんとうなら縛られて床に転がされたって文句をいえない立場なんだ。そこらへんを考えてだな……」
ラフィールは興味深そうに聴いている。熱心な生徒というより、奇妙な生きものの研究者のような表情だ。
「ああ、おまえのいいたいことはわかる。自分の意志でここに来たんだし、銃も持ってるっていいたいんだろう。だがな、おれはおまえたちをあくまで人質として扱うぞ。そりゃ、おまえの銃の威力はすごいし、腕前も見せてもらった。たしかにすごい腕前だ。まったくおれたちが束になってもかなわないほどだぜ。けれど、おれは……」葬儀屋の声はしだいに弱々しくなっていった。「まあ、おまえがその椅子を気に入ってくれたんなら、おれもうれしいよ」
力なく長椅子に腰をおろす葬儀屋を見て、泣きだすんじゃないかな、とジントは不安がった。
葬儀屋が涙を流さなかったのでほっとして、ジントは部屋のようすを注意深く観察した。
『むさくるしい』とマルカは表現したが、そんなことはない。家具が少ないせいでけっこう広く見える。卓子はなく、椅子がいくつか置いてあるだけ。壁には絵がかけてある。抽象的な絵柄で、上方から下へ噴く炎を主題としているように思えた。
「これは葬儀屋が描いたの?」ジントは尋ねた。
「ああ、そうだ。よく描けているだろ」葬儀屋はいっしゅん破顔したが、すぐ笑顔をひっこめてわめきはじめた。「まったくおまえらときたら、自分の立場をわきまえているのか!? 人質なんだぞ、人質。べつにおまえらの誕生日を祝おうってわけじゃないんだ。招待された客みたいにふるまうんじゃない」
「ジントくん、坐りなさい。葬儀屋を錯乱させるのはおもしろいけれど、あたしたちは飽きあきしているの」マルカがいった。
「そんなつもりはなかったんだよ」ジントは弁解した。「ただおもしろい絵だなって興味を持っただけで……」
「人質というのはだな、自分の命を心配するのがせいいっぱいで、芸術に興味を持ったりはしないんだ」葬儀屋が指摘した。
「あの絵が芸術かどうかはなお考慮の余地があるな」ミンが論評する。
葬儀屋がミンにいいかえしているあいだに、ジントはラフィールの隣の椅子に坐った。
「さあ、これからどうする?」ジントはマルカの目を見た。
「朝になったら、貨物輸送車の荷台に隠れて市外のとある場所にいってもらうわ」
「おれは輸送車の運転手なんだ」ビルが補足した。「毎日、ディ・セゴンという街の培養肉工場から肉を運んでいる。だから、検問のようすはよくわかっているんだ。いまじゃ占領軍の連中とは顔馴染みだ。いちいち荷台をのぞくようなことはしない」
「肉を運ぶんなら、冷凍車じゃない?」
「そうだぜ。けれど、安心しな。ここから出るときは空で行くんだ、冷凍は切っておく」
「よかった。ぼくはあまり氷詰めにされるのが好きじゃないんだ」
ジントは考えこんだ。
貨物にまぎれて都市を脱出するというのはいい案だった。座席に坐っていると、ラフィールはどうしても目立ってしまう。いくら髪を染めたところで、帽子をとれば|空識覚器官《フローシュ》はごまかしようがない。
だが、それほどこの人々を信頼できるだろうか。貨物に紛れていれば、なるほど発見されにくいだろう。けれど、どこへつれていかれるかわかったものではない。荷台からおりてみると、〈人類統合体〉軍兵士のかまえる銃口が並んでいた――ということもじゅうぶんありえる。
「だめだね。申しわけないけれど、そこまであなたたちを信用できない」
「信用できないっていうのはどうして? 占領軍に売り渡されるとでも?」とマルカ。
「だって、ぼくらは人質じゃなかったっけ。人質に信頼されるなんて、期待しないだろう」
「そうでなくっちゃ」葬儀屋がわが意をえたりとばかりにうなずいた。
マルカは頭に手を当て、「あたしたちが占領軍と結ぶなんてありえないわ」
「どうして? さっきから不思議に思っていたけれど、どうして敵軍と協力しない?」
「あたしたちはあくまで|帝 国《フリューバル》からの分離独立を主張しているの。独立よ」
「だったら、なおさら……」
「そりゃあ、占領されたときは期待したわ。でも、彼らは独立させるつもりはぜんぜんないといいきっているじゃない。どうしてそんな連中とあたしたちが結ぶと思う?」
「まったく連中ときたらアーヴよりたちが悪いぜ」とビル。「アーヴはおれたちをほっといてくれたもんな」
「そんなもんじゃない」ミンが感情をあらわに、「やつらはわたしの髪を剃ってしまったのだ。青く染めていたというだけの理由で。わたしはアーヴに憧れていたわけではない。あくまでこの髭と釣り合いをとっていたにすぎないのに!」と赤と黄色に染めわけられた髭を撫でつけた。
「おれの商売も上がったりだ」葬儀屋が両手をさしあげた。
「葬儀屋が?」敵は葬式のなにが気に喰わないのだろう? ジントは尋ねてみようとしたが、その前にマルカがしゃべりはじめた。
「というわけで」マルカはしめくくった。「あたしたちは占領軍にこれっぽっちも好意を持っていないの。それに、今回は不意を討たれたけれど、アーヴが宇宙空間で後《おく》れをとるとは思えないわね。彼らと協力関係になっても、いいことなんてなにもないわ」
「信頼しているんだね、|帝 国《フリューバル》を」
「|帝 国《フリューバル》の軍事力をね」マルカは訂正した。
「うーん、だんだんあなたたちがどれだけ本気かわからなくなってきたな」ジントは腕組みをした。「そんな強大な|帝 国《フリューバル》から分離独立できると本気で思っているの?」
「しなくてはならないのだ」ミンが主張した。「|帝 国《フリューバル》はいまのところ|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》にさほど関心を寄せていないように思える。しかし、この状態が永遠につづくかどうかはわからない。むしろつづかないと見るべきだ。帝国が地上世界に無理難題を押しつけたとしたら、われわれにどんな対抗手段がある? アーヴは地上に反物質爆弾の雨を降らすことすら可能なのだ」
それはおかしいんじゃないか、とジントは思った。惑星クラスビュールの表面に反物質爆弾をばらまきたいのなら、いちばんてっとりばやいのは、独立を強行することだ。|帝 国《フリューバル》はこれまでにない関心を寄せるにちがいない。
「被害妄想だといいたいようだな」ミンはジントの顔つきを誤解した。
「いや、そんなことはないよ」
「じゃあ、なんだ?」
「ただこういいたかっただけなんだよ。まだなにもされていないのに、親から虐待されるのを恐れて家出をしたがっている子どもみたいだ。家出をしたら、親につれもどされてこっぴどくお仕置きされるのもわからない」
「きみ」ミンは目を細めた。「わたしはこんな侮辱を受けたのははじめてだ」
「悪気はなかったんだ。もしあなたが気分を害したんなら謝る」
「きみの謝罪は受け入れよう。だが、意見は変えないからな」
「ああ。べつにあなたたちの思想にけちをつけるつもりはないんだよ」ジントは懸命になだめた。
「なら、いい。以降、言動に気をつけてくれたまえ」
「そうするよ」
「それはともかく」マルカがいった。「それじゃあ、どうするの? わたしたちの案がのめないのなら、とうぶんはここにいてもらうわよ。市外に出るのは危険だから。占領軍の連中が検問をはっている」
「うん、それはわかっている」
「冗談じゃない!」葬儀屋が飛びあがった。「こいつらをおれの家にずっと泊めろっていうのか?」
「そうなるわね。余った部屋があるでしょ。なにもまずいことはないじゃない」
「だってあんまりいい客じゃないぜ。とくにこいつは」とラフィールに指をつきつけ、「おれを召使かなんかと勘違いしてるんじゃないのか」
「しょうがないじゃない」マルカはクラスビュール語にきりかえて、「このなかで独り暮らしなのはあなただけよ。あたしがこの子たちをつれて帰ったら、夫や娘にどう説明すればいいの」
「生き別れになった弟とか妹とか適当にごまかしゃいいじゃないか」葬儀屋もクラスビュール語で応じた。
「夫には嘘はつけないわ」
「過激派だってことは隠しているくせに!」
「嘘じゃないわよ。過激派じゃないとはいっていないもの」
きいているうち、ずいぶんささやかな組織だな、とジントは感じた。反帝国クラスビュール戦線というごたいそうな名前にも似合わず、構成員はここの五人だけらしい。
「葬儀屋は心配しているのだ」ミンが重々しい声でいった。「自分の家にアーヴを匿《かくま》ったことがばれると、占領軍にどんな目にあわされるかわからないからな」
「そんなことはないっ」葬儀屋はいったが、あきらかに強がりだった。
そのとき、ジントはひとつ肝腎なことを訊いていないのに気づいた。「その冷凍車の荷台にはいっしょに乗ってくれるの?」
「そうしてもらわないと無理だな」とビル。「ふたり乗りの運転席に五人もいたら、怪しまれるから」
「なんだ、それを最初にいってくれればよかったのに」ジントはにっこりして、「それなら、あなたたちを信用する。荷台にいるあいだ、ぼくらは銃をいつでも撃てるようにしておくけれど、とくに深い意味はないから気にしないでほしい」
「これじゃ、どっちが人質かわかったもんじゃない」葬儀屋が嘆く。
「出発はいつなんだ?」それまで黙っていたラフィールが尋ねた。
マルカが時計を見た。「いまから三時間十七分後」
「わたしは眠りが足りない」ラフィールは葬儀屋に、「ここはそなたの家なんだな。客用寝室は清潔であろな? わたしは一眠りするゆえ、案内するがよい」
「敷布をおとりかえいたしますので、すこしお待ち願えますかねぇ」葬儀屋の顔に絶望的な表情がひろがった。
3 |スファグノーフ門沖会戦《ライシャカル・ウェク・ソーダル・スファグノム》
|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》と|艦隊《ビュール》のあいだに横たわる高濃度領域におびただしい輝点が集まっている。
「なんだ、これは」トライフ|提督《フローデ》は|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》の輝点群を|指揮杖《グリュー》で指した。
「〇・九九九七の確率で敵の艦隊です」カヒュール|千翔長《シュワス》が冷静にこたえた。
「そんなことはわかっている!」トライフは吼えた。「おれたちは兵力を見せつけて行軍したはずだな」
「はい。じゅうぶんすぎるほどに」|参 謀 長《ワス・カーサレール》はうなずいた。
「敵はおれたちの兵力を知っているはずだ。そうだな」
「これでわからないようなら、|連絡艇《ペ リ ア 》を出して教えてやらねばならないでしょう」
「敵に勝ち目はない。そうだな」
「理性的な指揮官なら、そう判断するしかありません」
「それなのにっ」劇的な効果を演出するために、トライフは一拍おいた。「なぜやつらはこんなところでぐずぐずしているのだ?」そこでふとほかの疑問を感じて、参謀長に問いかける。
「ところで、敵である確率が〇・九九九七とおまえはいったな」
「はい」
「その〇・〇〇〇三は、敵以外のなんだというのだ?」
「欺瞞情報。感知装置類の一斉故障。未知の自然現象。あるいは未知の知性体集団。もしくは……」
「そんなことがありえると本気で思っているのか?」トライフは呆れた。
「個々の可能性はごく低いものです。ではありますが、それを足しあわせれば……」
「わかった、もういい。おれの質問のことは忘れてくれ」|司令長官《グラハレル》は顎に手をあて、|司令座艦橋《ガホール・グラール》をうろつきまわった。
「|閣下《ローニュ》は戦闘をお望みかと存じていましたが」トライフの不機嫌なようすを見てとって、カヒュールがいった。
「望んでいる」トライフは認めた。「だが、疑いながら戦うのは趣味ではないぞ。やつらがここにとどまっている理由をどう見る、カヒュール?」
「原因としてみっつの可能性が推測されます」カヒュールは即座に応じた。「第一に、勝てると敵が判断している可能性です」
「勝てる? 兵力差がこれだけあるのにか。なぜだ」
「その可能性はさらにふたつに分岐します。まず、敵の個艦性能がわが軍の予想をはるかに超えていることです」
「仮想敵国の技術力をつかみそこねていたというのか」技術力で|帝 国《フリューバル》がほかの星間国家に遅れをとったかもしれないときかされ、トライフは愉快でなかった。
「猫の餌係になにを期待しておいでです?」カヒュールは無表情に反問した。
「そうだった!」トライフは拳で手のひらを打った。「|情 報 局《スポーデ・リラグ》は猫の餌係なみだったのだな。おれとしたことが、忘れていた」
ナントリュア|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》はあきらめ顔でなにもいわない。
「もっとも、わたくしは|情 報 局《スポーデ・リラグ》をもうすこし高く評価しています。この可能性はほとんどないでしょう。ですから、もし敵が自らの勝利を信じているのなら、|星界軍《ラブール》を見|縊《くび》っているか、あるいは敵の指揮官の精神状態に原因を求めるべきかもしれません」
「狂人と戦うのは優雅ではないな」
「第二の可能性として」カヒュールは|司令長官《グラハレル》の感想を無視した。「これが罠だということも考えられます」
「どんな罠だ」
「たとえば、どこか近辺の〈|門《ソード》〉の|通常宇宙《ダ  ー  ズ》側に大艦隊を待たせておき、過小な兵力で戦って、われわれに緒戦の勝利を与え、遁走をよそおって逃げこむという手が考えられるでしょう」
「それのどこが罠なんだ?」トライフはぽかんとした。
「われわれが追撃に熱中するあまり、無警戒に〈|門《ソード》〉に進入したとたん、いっせいに襲いかかるのです」カヒュールは説明した。
「なんだと」トライフは情けなくなった。どんな状況であれ、〈|門《ソード》〉に進入するときに、前哨警戒を欠いてしまうような無能な|翔士《ロダイル》が|指揮官徽章《プトラヘデソーフ》を帯びることはない。「おれはそんなに非常識な男だと思われているのか」
「|閣下《ローニュ》がこの|艦隊《ビュール》の|司令長官《グラハレル》であることを敵は知らないはずですから、個人的要素は関係ありません。|帝国星界軍《ルエ・ラブール》にたいする一般的な印象に起因するものでしょう。あの古くから根強い例の評判を彼らが信じていないとはいいきれません」
「アーヴ、その性《さが》、傲慢にして無謀」トライフは察した。『例の評判』というだけで通るほど、アーヴのあいだでも有名なことばである。「おれたちはまあ、ちょっとばかり傲慢かもしれんが、無謀ではないぞ」
「そのとおりです。戦史がそれを証明しています。もし彼らがまともに戦史研究をしていれば、こんな不確実な作戦をたてることはないでしょう」
「これがおまえのいうような罠だったら」トライフは決意した。「敵の指揮官は生け捕りにすべきだ。もう一度戦術の基礎からやりなおせ、と説教してやらないといけないからな」
「いいお考えです」熱意の欠けた声でカヒュールは応じた。「どちらにしろ、われわれがこのたぐいの拙劣な罠に陥ることはないのですから、とくに対応を考える必要はありますまい」
「そうだな」トライフは同意した。
「第三の、そしてもっとも可能性の高いものは……」
「おまえの悪い癖だ」トライフはカヒュールを高く評価していたが、このもったいぶっているところが不満だった。「どうして可能性の高いものから挙げない?」
「申しわけありません」カヒュールはおざなりに謝って、話をつづけた。「彼らは、すくなくとも主力は〈人類統合体〉です。その軍令部はしばしば柔軟性に欠ける命令を出すことで知られています。敵の指揮官は現有兵力で|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》を死守せよと命じられているのではないでしょうか。もしそのたぐいの命令を受領したと仮定すれば、この領域に兵力を集中するのがもっとも合理的な作戦です」
「おまえはその可能性がいちばん高いというんだな」トライフは腕組みした。
「はい」
例によって、トライフは歩きだした。
考えれば考えるほど、確信は深まった。敵の行動には裏などない、ただありあわせの兵力で対応しようとしているだけだ。トライフ自身がありあわせの兵力で送りだされたように。トライフには退却する自由があるが、敵にはない。相違点はそれだけだ。
|帝 国《フリューバル》領に本格的な侵攻をするのにこんなわずかばかりの兵力しか割かなかったのはなぜか、という疑問は残る。おそらく陽動だ。だが、それに対応するのは|帝都《アローシュ》の|軍令本部《リュアゾーニュ》で、トライフの考えることではない。ここが主戦場でないことは不満だったが、それでも自由に指揮できる艦隊があるというのはうれしかった。
「そうだ、そうにちがいない」トライフは拳をふりあげた。「いまやおれの疑問は大気圏に突入した宇宙塵のように消滅し、もはや欠けらすら見いだせない。おれの心は疑念の岸辺から離れ、勝利の確信に辿り着いた。おれは感謝すべきときを知っている。いまがそのときだ。カヒュール|千翔長《シュワス》、おれはおまえに感謝する!」
「光栄です」カヒュールはきわめて冷静に|司令長官《グラハレル》の感謝を受けとめた。
「しかし」トライフは足をとめて、|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》を眺め、「ちょっと気の毒な話ではあるな」
「敵に同情なさっている場合ではありません」|参 謀 長《ワス・カーサレール》が静かに指摘する。
「そのとおりだ。警告はしたのだからな、遠慮はせんぞ」トライフは|指揮杖《グリュー》を引きぬき、宣言した。「迂回挟撃をするのだ」
「反対です」カヒュールは身も蓋もない。
「なぜだ?」せっかくの高揚感をくじかれ、トライフは肩を落とした。
「敵との距離が近すぎます。相手にもこちらの動きが筒抜けでしょう。この状況で迂回挟撃をすれば、効果が薄いばかりか各個撃破の対象となります。敗北はしないまでも無益な損害を出すでしょう」
「シュリール?」トライフは|作 戦 参 謀《カーサリア・ヨクスクロト》に意見を求めた。
「残念ですが」シュリール|百翔長《ボモワス》は心から無念そうに、「|参 謀 長《ワス・カーサレール》と同意見です」
「そうか」トライフも残念だった。だが、|参謀《カーサリア》の意見は尊重されるべきである。トライフが司令長官として日常的な決裁――戦場にあってもそれは彼を解放してくれない――にかかずりあっているあいだにも、参謀たちは異なった仮想状況を設定して模擬演習をくりかえしていたのだ。損害を無益に増すだけと彼らが判断したのなら、そのとおりにちがいない。
トライフはがっくり肩をおろした。「やむをえない。正面からぶつかるか」
「はい。それが妥当な作戦かと思います」カヒュールは保証した。
「戦闘隊形案を表示しろ」
|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》が消え、仮想隊形が表われた。
|星界軍《ラブール》で一般的な|突撃分艦隊《ヤドビュール・アシャル》は三個の|突撃戦隊《ソーヴ・アシャル》、一個ずつの|護衛戦隊《ソーヴ・メスゲール》、|打 撃 戦 隊《ソーヴ・ヴォートウト》、|補 給 戦 隊《ソーヴ・ディクポーレール》、そして|司令官《レシェーク》直率の|巡察艦《レスィー》三隻と若干の|連絡艦《ロンギア》で構成されている。
いまトライフの手元には、突撃分艦隊が四個ある。その四個を横に並べて、敵に突きだすように配置がなされていた。
各突撃分艦隊の先頭は護衛戦隊。彼らは敵からの|機雷《ホクサス》を防ぐ盾だ。
つぎに打撃戦隊。|戦列艦《アレーク》で構成されたこの部隊は|機雷《ホクサス》を放つ弓だ。|打 撃 分 艦 隊《ヤドビュール・ヴォートウト》〈バスク・ガムリューフ〉が四個突撃分艦隊を横貫して配置され、打撃力を強化していた。
そして各|本部戦隊《ソーヴ・グラール》につづいて突撃戦隊が置かれる。戦闘の最終局面で敵を串刺しにする槍。恐るべき|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉は主力を三分割してこのあいだに伏せられる。
各|分艦隊《ヤドビュール》に属する補給戦隊は、|補 給 分 艦 隊《ヤドビュール・ディクポーレール》〈アシュマトゥシュ〉とともにずっと後方からついてくる。
けれんのない、しごく正統的な布陣だ。
「いいだろう」トライフは承認して、「ただちに組み替えろ」
「はい」カヒュールは敬礼した。
旗艦〈ケールディジュ〉の|時空泡《フラサス》から数隻の連絡艦艇が分離し、各級|司令部《グラーガーフ》へ命令を伝えてまわった。
同じころ、敵陣でも連絡艦艇と思われる小質量|時空泡《フラサス》があわただしく活動しはじめていた。
「敵|時空泡《フラサス》、分離!」|探 査 参 謀《カーサリア・ラグロト》が大声でトライフの注意を喚起した。
高濃度領域の中心部分にわだかまる|時空泡《フラサス》群から無数の軽い時空泡が分離され、トライフ艦隊にむかって突進してくる。
「〇・九九九九六の確率で……」カヒュールがいいかける。
「確率はいいっ」トライフはどなった。
「敵の|機雷《ホクサス》群です」どなられたことなど気づかなかったかのように、カヒュールは平然と告げた。
「わかっているっ」トライフは噛みつくようにいったが、すぐ表情を笑顔にかえて、「始まったな」
「はい」
この大戦で初めての本格的会戦――|スファグノーフ門沖会戦《ライシャカル・ウェク・ソーダル・スファグノム》がこの瞬間に幕をあけた。
「|防 御 機 雷 戦《ホクサティオクス・メジョト》開始!」トライフは命令をくだした。
|巡察艦《レスィー》〈ケールディジュ〉から一発の|機雷《ホクサス》が放たれ、それを合図にして麾下の戦列艦が|機 雷 戦《ホクサティオクス》を開始する。
高濃度領域から撃つのと、高濃度領域へ撃つのとでは、|機雷《ホクサス》の射程に大きな隔たりがある。高濃度領域からの敵機雷は|トライフ艦隊《ビュール・トライム》に到達するだろうが、こちらからは敵を撃つことができない。
この雷撃の目標は敵|機雷《ホクサス》群である。
敵と味方の|機雷《ホクサス》が急速に接近する。
「|時空泡《フラサス》群接触。方位三〇五。距離六五。接触範囲拡大中」|探 査 参 謀《カーサリア・ラグロト》が報告する。
敵の|機雷《ホクサス》を表わす赤い輝点と味方のそれを表わす青い輝点が入り交じりつつあった。
|思考結晶《ダテューキル》に入力された命令に従い、味方は敵と時空融合しようとするが、彼らは抱擁の手から逃れようとする。どうせ艦隊に到達する前に消滅する|機雷《ホクサス》と心中する意味はない。
だが、追いかけられ、行き手をさえぎられて、敵の|機雷《ホクサス》の多くは不本意な|時空融合《ゴール・プタロス》に追いこまれた。
|時空泡《フラサス》が融合し、大量の|時空粒子《スプーフラサス》をぶちまけつつ消滅する。局所的な高濃度領域が生まれては消えていった。
|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》は波打ち、環状に拡散する|時空粒子《スプーフラサス》の大波はときに|時空泡《フラサス》をゆさぶる。
弾幕を突破した|機雷《ホクサス》はさらにトライフ艦隊に迫る。むろんその数は大幅に減少しているが、侮れない数である。
彼らを出迎えるのは|護衛艦《レ ー ト 》部隊。
多数の小口径可動砲を備えた護衛艦は、一|個隊《スューフ》六隻でひとつの|時空泡《フラサス》を形づくり、|機雷《ホクサス》を待ちうけていた。
護衛隊|時空泡《フラサス》は進んで|機雷《ホクサス》の時空泡と融合しようとする。今度は機雷も逃げなかった。むしろ積極的に融合を図る。初期雷撃の目的は護衛艦部隊の壊滅にあるのだから。
時空融合をはたした|機雷《ホクサス》はそのとたんに無数の|凝集光《クランラジュ》や反陽子流の出迎えを受けた。なかには一隻の護衛艦を道連れにしたものもあるが、大半は虚しく護衛隊|時空泡《フラサス》の質量を増やすにとどまった。
沸騰する|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》のなか、彼我の距離はしだいに縮まっていく。
「敵との距離一四二。敵先頭集団がこちらの射程に入りました」と|探 査 参 謀《カーサリア・ラグロト》が告げた。
「よし。|機雷《ホクサス》の目標を敵先頭集団に変更しろ」トライフは命じた。
新しく放たれた|機雷《ホクサス》群は敵方の同族には見むきもせず、まっしぐらに敵艦隊へ突きかかっていく。
邪魔のなくなった敵|機雷《ホクサス》は大挙して護衛艦部隊に襲いかかる。
やがて、護衛艦消失の報告が頻繁になり、|機雷《ホクサス》が戦列艦部隊にも到達しはじめた。
「敵との距離一〇〇」
「そろそろいいだろう」トライフはカヒュールに視線をむけた。「〈フトゥーネ〉をけしかけてやれ」
|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉の|司令官《レシェーク》はスポール・アロン=セクパト・|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》・ペネージュ|准提督《ロイフローデ》である。
スポールといえば大族、|皇 族《ファサンゼール》アブリアルにつづく格式を誇り、その一門に|爵位《スネー》を有するものだけでも五〇〇名以上を数える。わけても、|レトパーニュ大公爵家《ニ ー ミ エ ・ レ ト パ ン》はスポール一族の嫡々をもってなる名門だった。それだけではない。|レトパーニュ大公国《ニーフーニュ・レトパン》はみっつの有人惑星を含み、|帝 国《フリューバル》随一の豊かさを自他ともに認める|邦国《アイス》なのだ。
要するに、彼女は|貴族《スィーフ》のなかでもっとも伝統あり富裕な家の当主なのである。
だったら――と〈フトゥーネ〉|先任参謀《アルム・カーサリア》クファディス|百翔長《ボモワス》はつねづね思っていた――|星界軍《ラブール》を退役して、大貴族としての生活を楽しめばいいのに。
彼女が|星界軍《ラブール》に入ったのはわかる。それが|貴族《スィーフ》の義務だからだ。しかし、義務を果たしたあと、軍にとどまっている理由は理解できなかった。責任≠竍使命≠ニいうことばで納得しようとしたのだが、司令官のふだんの言動を目にするにつけ、どうしても趣味≠ニいうことばが邪魔するのだった。
クファディスが外部から〈フトゥーネ〉|司令部《グラーガーフ》に赴任してきたのは、前任者が不慮の恋愛で突発的に|育児休暇《カグゾフォス》をとってしまったせいだった。内部昇格させようにも、適格者が見当たらなかったのだ。
それからまだ一ヵ月にもならない。まだこの|司令部《グラーガーフ》の雰囲気には馴染めていなかった。
馴染めない最たるものはこいつだな――クファディスは|司 令 座《レシェーキバーシュ》を眺めた。
豪華な天蓋つきの|司 令 座《レシェーキバーシュ》。天蓋をささえる四本の柱は白大理石製で精緻な彫刻が施してある。天蓋自体も手のこんだ刺繍がなされていた。信じがたいことだが、噂によると人間の手でなされた刺繍だという。この装飾だけで、准提督の俸給三年分はかたいだろう。もっとも、|領地《リビューヌ》のある|翔士《ロダイル》は無給だが。
クファディスは|司 令 座《レシェーキバーシュ》の背後を見やった。
|帝国紋章旗《ルエ・ニグラー》〈|八頸竜《ガフトノーシュ》〉、|分艦隊紋章旗《グラー・ヤドビューラル》〈|舞踏の女神《フトゥーネ》〉、そしてスポール家の〈|金色烏《ガサルス》〉が三角形に配置されている。〈金色烏〉は下段にあるが、ほかの旗より一回り大きく、いちばん重要であることを主張しているかのようだ。
もういちど、|司 令 座《レシェーキバーシュ》に視線を移す。
どうにも場違いな――クファディスはその思いを深くした。
宮中歌会におもむくかのように丹念に結いあげられた蒼炎色の髪に、|勅任翔士《セドラリア》の|双翼頭環《アルファ・マブラル》は似合わない。豪奢な長椅子に寝そべるがごとくしどけなく寄りかかる姿と|軍衣《セリーヌ》の取り合わせもしかり。
たしかに勅任翔士にはさまざまな特権が認められている。|司 令 座《レシェーキバーシュ》を私費で飾りたてることもそのひとつ。しかし、ここまで来ると、特権というよりわがままなのではないか。
着任して早々、「もうすこし|司令官《レシェーク》らしくなさってください。士気にかかわります」と諫言したことがあるのだが、「いやよ」のひとことですまされてしまった。
――銀の盆に冷えた|林檎酒《リンメー》を捧げる美少年の侍童がいないだけでもよしとするか……。
そこまで思考を進めて、クファディスはぞっとした。
――ひょっとしてその役割は、この|二等勲爵士《キ   ゼ   ー》にして|参謀徽章《クラペーフ》佩用、クファディス・ウェフ=エスピール・セスピー|百翔長《ボモワス》に期待されているのではないだろうな!?
そんな馬鹿なことはない、とクファディスは頭からその考えをふりはらった。
しかし、どうもこの司令官は理解できない……。
「|閣下《ローニュ》」暇だったこともあって、話しかけてみる。
「なあに?」切れ長の目のなかで赤い瞳が動く。スポール家の|家徴《ワリート》、〈|スポールの紅瞳《キレーフ・ピアナ・スポル》〉だ。終末期の巨星表面のような| 紅 《くれない》。
「|スファグノーフ侯爵閣下《ローニュ・レーバル・スファグノム》とはお知り合いなのですか?」
「知ってるわ。|貴族社会《スイームフェ》は狭いもの」
「どんなお方なのですか?」
「嫌なかたよ」スポールはひとことですませ、「あんなかたを救けるために、あたくしの艦《ふね》たちに傷がつくのは我慢ならないわ」
「はあ」クファディスは呆然として、たしなめるのも忘れた。
「でも、安心して。公私混同はしないから」
公私混同はしないだって? クファディスは|司 令 座《レシェーキバーシュ》の天蓋を注視し、『あたくしの艦たち』という表現の裏にひそむ心理についてつらつら考察した。疑問が胸にいっぱいとなり、眼からあふれた。
「その目つきは上官反抗罪ものよ」批判的な気分に、スポールは敏感に反応した。
「申しわけありません」納得のいかない気分で謝る。
命令が届いたのはそのときだ。
「|司令部《グラーガーフ》より|泡 間 通 信《ドロシュ・フラクテーダル》」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》が|制御卓《ク ロ ウ 》からふりむいた。
「本文を読んで」スポールはいった。
「はい。蹂躙せよ。以上です」
「まあ。トライフ|提督《フローデ》というかたとははじめてお仕事するけれども、簡潔でいい命令をお出しになること」スポールは評価して、「第一から第六、単艦|時空泡《フラサス》、|完全移動状態《ノークタフ・バタ》。|戦隊《ソーヴ》ごとに単縦陣を組み、艦隊の前面に進出しなさい」
〈フトゥーネ〉は|本部戦隊《ソーヴ・グラール》のほかに六個の|偵察戦隊《ソーヴ・ウセム》および一個の|補 給 戦 隊《ソーヴ・ディクポーレール》からなる。|戦隊《ソーヴ》の名称には|星界軍《ラブール》をとおしての番号がついていた。したがって正式名称には第六〇七といった長い数字がついているのだが、これでは不便なので、|司令部《グラーガーフ》では偵察戦隊に第一から第六の番号を割りふり、補給戦隊は第七戦隊と通称していた。たまにはアーヴも機能性を重視する場合があるのだ。
戦列艦にあわせて三隻ごとで組んでいた|時空泡《フラサス》が個艦単位に分離した。それまでの約一・七三倍の速力をえて、時空泡の列は戦列艦の陣を追い抜き、護衛艦部隊も抜き去った。
「|本部戦隊《ソーヴ・グラール》、|停滞状態《スコールタフ》。|集合信号《アーガ・アスパロト》を。第三密集隊形発令」敵の矢面にでてもスポールは動じる色を見せない。冷静に指示をくだす。
本部戦隊の三隻の巡察艦は三角形に並んでいた。先頭はいうまでもなく|旗艦《グラーガ》〈ヘールビュルシュ〉である。
その三角形の背後に五本の列ができつつあった。
「第四の動きが遅いです」クファディスは指摘した。ほかの戦隊が護衛艦部隊の前面で横方向への移動をはじめているのに、第四戦隊だけはまだ戦列艦部隊あたりをさまよっている。
「グズはきらい」スポールは舌打ちし、「いいわ。ついてくるでしょう。残りの五個|戦隊《ソーヴ》で突撃しましょう」
「しかし……」クファディスはたしなめようとして、思いとどまった。
それなりに合理的な判断だ。兵力の集中にこだわって第四を待っていては、敵に対応する時間を与えてしまう。しかも、護衛艦部隊の防御もなく、敵の雷撃にさらされているのである。たしかに速度こそを尊ぶべきときだ。
とはいえ、司令官が単なる感情から決断をくだしたのではないという確信は、クファディスにはなかった。
「第四をのぞく五|戦隊《ソーヴ》、隊列揃いました」クファディスは報告した。
「|艦長《サレール》に伝えるのよ。|完全移動状態《ノークタフ・バタ》。針路三一〇。|信号《アーガ》『われにつづけ』を継続発信」
「はい」クファディスは|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》に司令官の命令を伝えた。
偵察分艦隊〈フトゥーネ〉はふたたび動きだした。その針路上には横にひろがる敵の先頭集団がある。
敵は|機雷《ホクサス》を〈フトゥーネ〉に集中しはじめた。
クファディスは|頭環《アルファ》を外部入力に切り換えて〈ヘールビュルシュ〉の感知装置群に接続した。
たちまち顔をしかめる。およそ五秒に一発の割合で|機雷《ホクサス》がもぐりこもうとしていた。巡察艦〈ヘールビュルシュ〉の可動砲は全力を挙げて機雷破壊に奮迅している。だが、もし一発でも命中すれば、いかに装甲の厚い巡察艦といえども無事ではいられない。
|星界軍《ラブール》の大半の|軍士《ボスナル》とおなじく、クファディスにも実戦経験はない。生まれてはじめて彼は死の恐怖を味わった。
冷や汗が|頭環《アルファ》の裏から眉へつうっと流れた。
司令官を見る――なんて女だ、鼻歌をうたっていやがる! この状況がわかっていないんじゃないか? 熾烈な|機雷《ホクサス》の応酬のただなかにいるということを。
「|閣下《ローニュ》」クファディスはたまりかねて進言した。「|防 御 機 雷 戦《ホクサティオクス・メジョト》を行なうべきではありませんか」
「あなたの前任地はどこだったかしら?」とスポールは|指揮杖《グリュー》をもてあそびながら尋ねた。
そんなことは関係ないじゃないか――クファディスはむっとしたが、いちおうこたえた。
「|第一八四打撃戦隊《ソーヴ・ヴォートウト・キガゴナ》で|先任参謀《アルム・カーサリア》をしておりました」
「そう。じゃあ、わからないかもね。いいこと、|巡察艦《レスィー》には防御に使うような|機雷《ホクサス》は一発もつんでないの。巡察艦の数少ない機雷はすべて艦艇撃破のため。憶えておいて」
「しかし……」
「しかしもなにもないわ。|巡察艦《レスィー》がこのていどの雷撃でおたおたしていてどうするの。あたくしたちは〈フトゥーネ〉なのよ」
「うっ……」ことばにつまったクファディスは、このときようやくスポールの|頭環《アルファ》が艦外空識状態になっているのに気づいた。
――くそっ、虚勢を張っていやがるのか。
いったんは個人空識に戻そうとしたクファディスだったが、意地でも戻すもんか、と決心した。
「第一戦隊|巡察艦《レスィー》〈キュービュルシュ〉より|泡 間 通 信《ドロシュ・フラクテーダル》」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》が報告を中継した。
「われ、大破せり。|電磁投射砲《イルギューフ》、および前部可動砲群、使用不能。後方へ退避する」
この報せにもスポールは顔色ひとつ変えない。きこえた証拠に軽くうなずきかけただけで、鼻歌もやめなかった。
敵の先頭集団は左右に分かれはじめていた。〈フトゥーネ〉のために道をあけているのだ。
たいへん賢明な判断である。先頭集団はおそらく護衛艦部隊だ。とても巡察艦に太刀打ちできない。
クファディスは悪戯心を起こした。この落ちつきはらった|准 提 督 閣 下《ローニュ・ロイフローデル》がどれほどのものか、ここでひとつ試してやろう。「敵先頭集団、回避行動に入りました。追いますか?」
「あなたバカなの?」とたんにスポールの鋭い声。「それともバカのふりをしてるの?」
「失礼しましたっ」クファディスは上官のことばの裏にこめられた非難の色に驚いた。
「あたくしは訊いてるの。どっち?」スポールは容赦しなかった。
「その……。バカのふりをいたしました」
「どうしてそんなことをしたの?」
「それは、その……」まさかカマをかけようとしたとはいえず、クファディスはしどろもどろになった。
「上官がバカかどうかたしかめようとしたわけね」スポールはずばりといった。
「いえ、そんな……」
「じゃあ、なあに?」
「失礼いたしました!」クファディスは観念した。「|閣下《ローニュ》のご推察のとおりです」
「それなら、今回にかぎり許してあげる」意外なことにスポールは寛大だった。「でも、二度となさらないでね。こんどなさったら、いびってやるから」
「肝に銘じます」
「針路はこのまま保持。あたくしたちの目標は|戦列艦《アレーク》のみ。|護衛艦《レ ー ト 》なんて雑魚は後ろのかたたちのためにとっておいてあげなさい」
やがて、〈フトゥーネ〉は敵先頭集団の裂け目を悠々ととおりぬけた。最後尾の第四|戦隊《ソーヴ》もちゃんとついてくる。
その〈フトゥーネ〉に左前方から数列の|時空泡《フラサス》群が突っこんでくる。
「質量からみて|突撃艦《ゲ ー ル 》級個艦|時空泡《フラサス》です!」
「|先任参謀《アルム・カーサリア》、憶えていなさい、|巡察艦《レスィー》の|機雷《ホクサス》はこういうときに使うものなの」スポールは|指揮杖《グリュー》をふりあげた。「左|機 雷 戦《ホクサティオクス》開始っ」
〈フトゥーネ〉の各艦が|機雷《ホクサス》を分離した。機雷群は敵突撃艦群へむかう。
敵|時空泡《フラサス》を示す赤い輝点がぱっぱっとつぎつぎに消滅する。
「右からも来ます。こちらは|巡察艦《レスィー》級個艦|時空泡《フラサス》三個!」
スポールは|指揮杖《グリュー》を頬にあてていっしゅん考え、「第四に対応させなさい。針路がちょうどいいわ」
最初の失敗をとりもどそうというのか、第四|戦隊《ソーヴ》は機敏に対応した。単縦陣をそのまま単横陣に移行し、敵艦をおさえにかかる。
その後しばらくは〈フトゥーネ〉に挑みかかる敵艦もなかった。とはいえ、雷撃は激しさを増し、〈ヘールビュルシュ〉の|時空泡《フラサス》は破片と荷電粒子で満たされた。可動砲に阻まれた至近弾が爆発し、反物質の霧にさらされた破片が灼熱して漂う。
――これが蹂躙戦か。
クファディスはふるえた。
「退屈だわ」とうとつにスポールがこぼした。「そうお思いにならない、|先任参謀《アルム・カーサリア》?」
「はあ?」クファディスは耳を疑った。
「退屈だっていったのよ」スポールはくりかえし、「毎日まいにちつまらない事務におわれるばかりで、やっと本番になったらろくにすることもないんだもの。どうして|勅任翔士《セドラリア》になんてなったのかしら? |艦長《サレール》は楽しそうね」
「そうでしょうか」|機雷《ホクサス》に突撃艦がくわわって、艦長は応戦に追われていることだろう。クファディスにも|艦橋《ガホール》勤務の経験はもちろんあり、その殺気立ったようすが想像できた。演習でさえ、呼吸することを忘れてしまうほどの緊張感だった。ましてやこれは実戦だ。
「あたくしね、もともと|巡察艦《レスィー》の|艦長《サレール》になって敵とやりあうのが夢だったの。けれど、艦長だったときには戦争はなかったし、せっかく戦争になったと思ったら、こんなつまらない役しかまわってこない。戦争が終わるまでは気ままに退役もできないわ。あたくしって運がないのかしら」
やっぱり、趣味でやってやがったのか――クファディスは心のなかで嘆息した。
「その目つきは上官反抗罪ものだっていったでしょ」スポールは目ざとくとがめた。
新手が突進してくる。突撃艦が一隻、〈ヘールビュルシュ〉と時空融合した。
|司令座艦橋《ガホール・グラール》に短い|警報《ドウニート》が響いた直後、|電磁投射砲《イルギューフ》を斉射する振動が伝わった。
突撃艦はいっしゅんのうちに爆散し、|機雷《ホクサス》爆散時とは比較にならない荷電粒子の飛沫が〈ヘールビュルシュ〉の感知装置に浴びせかけられる。まるで至近距離で太陽風にさらされたようだ。
顔をしかめるクファディスの隣で、スポールはなまあくびを手の甲でかくし、「ああ、ほんとに退屈」とつぶやいた。
「みごとである、スポール|准提督《ロイフローデ》!」トライフは激賞した。
敵先頭集団は真っぷたつに分裂し、敵陣の奥は混乱していた。その混乱の中心で〈フトゥーネ〉が密集隊形を守り、しずしずと直進をつづけている。
「ここにありったけの|機雷《ホクサス》を叩きこむのだ」トライフは|指揮杖《グリュー》で敵先頭集団の裂け目を指した。
「断じてふたたび閉じさせてはならん。〈フトゥーネ〉を見殺しにするなっ」
「敵|時空泡《フラサス》群、方位〇一〇、距離三〇。わが針路と交差します。その数、約三〇〇っ」
戦列艦部隊後方からあらわれた|時空泡《フラサス》群が〈フトゥーネ〉の頭を抑えこもうとしているのだ。
「敵主力と思われますっ」クファディスはたしかに自分の身体から血の引く音をきいた。「彼らはわれわれに予備戦力をすべて投入してきました。ただちに回避行動を!」
「お願い、|先任参謀《アルム・カーサリア》、あたくしの|艦橋《ガホール》で騒がないでちょうだい」スポールは|指揮杖《グリュー》で|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》の後方を指す。「計算して。間に合うかしら」
無数の青い輝点――味方の|機雷《ホクサス》がまっしぐらに駆けてくる。
「はい」だれが騒いでるかっ!――むかむかしながらも、クファディスは|思考結晶《ダテューキル》に指示を入力した。
敵艦群から赤い破線が、|機雷《ホクサス》群から青い破線が出る。それは〈フトゥーネ〉の未来位置の右前方領域で交差した。
「針路、そのまま保持」スポールが命じた。
「はい」クファディスはうなずいたものの、まだ安心はできなかった。
味方の|機雷《ホクサス》が〈フトゥーネ〉を右から追い越した。
敵艦群とぶつかりあう。
〈フトゥーネ〉の右前方領域はたちまちにして、融合しようとする|機雷《ホクサス》とそれを避けようとする敵艦との舞踏会場となった。
敵艦列は乱れ、|時空泡《フラサス》の断末魔――局所的高濃度領域があちらこちらで発生する。
――たすかった……。
クファディスはほっと肩の力をぬいた。それまでどんなに緊張していたか、ようやく気づく。
舞踏を抜けだして〈フトゥーネ〉に追いすがろうとする敵艦も、つぎつぎに四散していった。
高濃度領域中心部が近い。敵の戦列艦部隊は目前だった。
「敵|戦列艦《アレーク》部隊は〈フトゥーネ〉の阻止に全力を挙げています。本隊への脅威はほとんどありません」カヒュールが状況を分析した。
「よし、全艦突撃準備だ」トライフは決断した。「〈ロケール〉は右の敵先頭集団を撃滅せよ。〈ワカペール〉は左を殲滅。〈ビュールデーフ〉と〈キティール〉はおれについてこい。ぐずぐずしていると、おいしいところをみんな〈フトゥーネ〉に持っていかれるぞ」
敵の戦列艦は後退をはじめていた。
「遅いわ」スポールは哀れむようにつぶやくと、立ちあがった。「半個|戦隊《ソーヴ》単位であの艦たちを撃破しましょう。|先任参謀《アルム・カーサリア》!」
「はい」クファディスは一歩前に進みでた。
「あたくし、こまかいお仕事は嫌いなの。各|戦隊《ソーヴ》に目標を指示してちょうだい」
「はい」退屈なんだから、自分でやればいいじゃないか――という感想は胸にしまってクファディスは敵戦列艦|時空泡《フラサス》を各戦隊にわりふるのにとりかかった。
「そうそう、あたくしたちのぶんは要らないわよ」スポールはいった。
「了解しました」とりあえず与えられた仕事をおえて、入力した指示目標を|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》に転送してから、クファディスは尋ねた。「われわれは予備兵力になるのですか」
「ちがうわ。あたくしはあれをいただくの」と|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》を示す。六六一と仮の番号を与えられた|時空泡《フラサス》で、戦場のずっと後方に位置していた。
クファディスは戦況経過を参照して、六六一|時空泡《フラサス》が一発も|機雷《ホクサス》を発射していないことを知った。「これは大型|輸送艦《イサーズ》かなにかだと思われます。無視してよろしいのでは?」
「そう見せかけた予備兵力かもしれないわ。無害をよそおって、さいごにあたくしたちを叩くつもりなのかも。それは癪だから、先手を打っておきたいの」
「はい」その可能性もあるな、とクファディスは思った。
「目標指示受領確認、全|戦隊《ソーヴ》から入りました」通信参謀が告げた。
「けっこう」スポールはうなずき、うれしそうに|指揮杖《グリュー》をふりあげた。「全艦、散開! 炎の供犠はここからが本祭よっ。あたくしたちは|舞踏の女神《フトゥーネ》、いかにうまく踊れるか、見せてあげなさい」
〈フトゥーネ〉であった長方形が解ける。三角陣や縦陣、斜陣を組んで、三隻単位の巡察艦はそれぞれの獲物へむかう。
距離が開いてしまうと、|泡 間 通 信《ドロシュ・フラクテーダル》は使えない。これからスポール|准提督《ロイフローデ》は旗艦と随伴する二隻の指揮官となって戦うのだ。
「|艦長《サレール》へ伝達。針路〇一五へ変針。|完全移動状態《ノークタフ・バタ》保持」
|巡察艦《レスィー》〈ヘールビュルシュ〉は二隻の巡察艦を率いて、まっしぐらに高濃度領域から低濃度領域に位置する六六一|時空泡《フラサス》へ|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》を駆けおりる。
「六六一|時空泡《フラサス》、後退中」|航 法 参 謀《カーサリア・リルビコト》が報告。「そのほかの反応はありません。艦内時間で〇七一八には|時空融合《ゴール・プタロス》が可能です」
「襲撃隊形をとりますか?」とクファディスは尋ねた。
「要らない。このまままっすぐよ」スポールは|指揮杖《グリュー》で自分の頬を軽く叩く。
しばらくして航法参謀が報告した。「|時空融合《ゴール・プタロス》まであと十分を切りました」
「|通常空間戦《ダディオクス》用意」独り言のように命じて、スポールはクファディスを見た。「どう?」
「なにがです?」クファディスは戸惑った。
「敵は|投降信号《アーガ・レーガコト》を出していないわ。大型|輸送艦《イサーズ》なら、いまごろ降伏してるはずよ。あたくしのカンがあたったわ」
「ですが、この期におよんでも|機雷《ホクサス》を発射していません。それはどう解釈なされます?」
「知らないわ」スポールはあっさり片づけた。「あのかたたちなりの事情というものがあるんでしょ」
「六六一|時空泡《フラサス》、|時空分離《ゴール・リュトコス》!」|航 法 参 謀《カーサリア・リルビコト》が叫ぶ。
「ほら、来た」スポールは笑顔でうなずく。
「|突撃艦《ゲ ー ル 》級単艦|時空泡《フラサス》、六個です。針路三四五、距離一六、正面から来ます。相対速度三七五|天節《ディグル》」航法参謀がことばをつづけた。
「なんですって!?」スポールの笑みがひきつった。「|機雷《ホクサス》じゃないの?」
「はい」
なにが気に入らないのか、スポールは唇を噛み、「|砲 術 参 謀《カーサリア・トラショト》、|機雷《ホクサス》の残数を教えてちょうだい」
「本艦が四基、〈ボーグビュルシュ〉がおなじく四基、〈ハスンビュルシュ〉が五基。合計一三基です」
「そのぐらい、あたくしにも計算できるわ。前方|機 雷 戦《ホクサティオクス》をはじめて。全弾発射、薙ぎ払いなさい!」
三隻の巡察艦が一三基の|機雷《ホクサス》を時空分離した。一三対六。倍の差がある。
敵の突撃艦らしき|時空泡《フラサス》はひとたまりもなかった。突撃艦は|機雷《ホクサス》攻撃に弱い。
三隻の巡察艦はなにごともなかったように針路を維持している。
「|先任参謀《アルム・カーサリア》」スポールが声をかけてきた。
「なんでしょう?」
「|翔士《ロダイル》にとっていちばんの罪ってなんだとお思い?」
「上官に反抗的なことでしょうか」つい迎合するような答えを出してしまって、クファディスは自己嫌悪におちいった。
「ちがうわ、バカであることよ」スポールは意外なことをいう。「責任感があったって、命令に忠実だって、バカじゃしょうがないじゃない。|巡察艦《レスィー》三隻にたった六隻の|突撃艦《ゲ ー ル 》をさしむけるようなバカじゃね」
「なるほど」司令官が不機嫌な理由を理解して、クファディスはうなずいた。
「あたくしは不真面目かもしれないけれど、バカじゃないわ。部下を無駄に死なせるようなことはしない」
「はい」だれだってそのつもりなんだよ、とクファディスは胸のうちでつぶやく。もっとも、スポールの指揮ぶりは水際立ったものだった。巡察艦部隊に不慣れなこともあって、彼はほとんど|先任参謀《アルム・カーサリア》の職責をはたせていない。
「あたくしの|司令部《グラーガーフ》にもバカは要らないわ。この|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》はね、遊び仲間は選ぶの。遊び相手は選べないけれど」
〈|スポールの紅瞳《キレーフ・ピアナ・スポル》〉に見つめられて、クファディスは冷や汗をかいた。「有能な遊び仲間になるように努めます」
「見こみはあるわね」スポールはわずかに口もとをほころばせた。
「|時空融合《ゴール・プタロス》一分前!」と|航 法 参 謀《カーサリア・リルビコト》。
「|投降信号《アーガ・レーガコト》、いまだありません」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》がつけくわえる。
「|航 法 参 謀《カーサリア・リルビコト》!」スポールはクファディスの顔から視線をはずし、「三隻が同時融合できるように調整して」
「了解」
「全艦に伝達。時空融合ししだい、|電磁投射砲《イルギューフ》を斉射してちょうだい」彼女はすでに|通常空間戦《ダディオクス》指揮に備え、目をつむって|空識覚器官《フローシュ》をすましている。目を閉じたまま、スポール|准提督《ロイフローデ》は期待するように微笑んだ。「さあて、このなかにはなにが入ってるのかしら。わくわくしちゃう」
「|時空融合《ゴール・プタロス》十秒前。八、七、六、五……」航法参謀が秒読みをはじめる。「四、三、二、一、|時空融合《ゴール・プタロス》!」
艦橋に|電磁投射砲《イルギューフ》の発射警告音が響く。
クファディスの|空識覚《フロクラジュ》の感応領域が一挙に増大した。前方に敵艦が空識覚できる。巨大だが、単独だ。
「|投降信号《アーガ・レーガコト》です!」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》が大声で、「|電波通信《ドロシュ・デム》で投降信号を……」
「攻撃中止!」スポールは最後まできいておらず、かっと目を見開き、席を立った。「全艦に伝達、攻撃中止よっ。降伏したものを討ったとあっては、スポールの名折れ!」
|帝 国《フリューバル》の名折れか|星界軍《ラブール》の名折れ、せめてアーヴの名折れといってほしいな、とクファディスは思った。
命令が間にあわず、〈ハスンビュルシュ〉が|電磁投射砲《イルギューフ》を放った。だが、砲弾は敵艦に到達する前に自爆させられる。
「まったくなんで|泡 間 通 信《ドロシュ・フラクテーダル》で出さないのよ。逃げ切れるとでも思ったのかしら」スポールはぼやき、「〈ボーグビュルシュ〉へ通信。敵艦を臨検して受領しなさい。〈ハスンビュルシュ〉はあたくしについてくるように」
六六一|時空泡《フラサス》の主は一隻の大型輸送艦だった。
それを確認して、旗艦〈ヘールビュルシュ〉は〈ハスンビュルシュ〉とともに時空分離する。
「敵|戦列艦《アレーク》部隊はほぼ壊滅」クファディスは状況を報告した。
「そう」スポールは軽く受けた。しかし失望を隠しているのがありありと見てとれた。
「針路の指示をいただきませんと」クファディスは訊いた。
「針路一六〇、|完全移動状態《ノークタフ・バタ》。あたくしの艦たちのいるほうへ戻るわ」
「はい」クファディスは命令を|艦長《サレール》に伝達した。
ついさっき司令官を見なおしたような気がしたが……、きっと魔がさしたのだろう。クファディスにはいいたいことが二、三あった。
「その目つきは上官反抗罪ものよ」スポールはクファディスの顔に|指揮杖《グリュー》をつきつけて、ぴしゃりといった。
「はい」この場は黙っていたほうがいい、とクファディスは判断した。
スポールはそのまま沈思黙考していたが、物問いたげな視線がまだ注がれているのに気づくと、にわかに弁解する必要に駆られたらしく、せっかく丹念にととのえられた蒼炎色の髪をかきみだした。「あたくしのカンだって、たまにははずれるわよっ」
戦闘は終結していた。戦場にあるのは味方か降伏したものばかり。
「〈フトゥーネ〉より|連絡艇《ペ リ ア 》が来ました」カヒュール|千翔長《シュワス》が報告した。
「ふむ」トライフはうなずいて、「で、なんだと?」
「敵の官僚団を捕虜にしたそうです」
「でかした、それはめでたい――だが、なぜ戦場に役人などいたんだ?」
「〈人類統合体〉には督戦官、報道官などの官僚を戦場にともなう風習があるようです。|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》寄りの大型|輸送船《イサーズ》にいたのだそうです」
「ふうむ」まったく〈人類統合体〉のやりかたは不可解だった。トライフは艦橋を歩きまわったが、考えたところでしようがないことに気づき、足をとめた。「まあ、それはそれとして、われわれは勝ったな」
「はい。とうぜんの帰結です」
「とうぜんすぎてつまらんが、ともかくめでたい。全艦隊に集結命令を出せ」
「了解しました」
「それから、〈フトゥーネ〉にはもう一働きしてもらうぞ。補給後、ただちに|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》へ進発すること。もし残存勢力がなければ、単独で|侯 国《レーバヒューニュ》空間領域を制圧せよ。それと、この戦いでいちばん働きの少なかったやつはだれだ?」
「どの|分艦隊《ヤドビュール》もよく職責をはたしましたが……」
「わかっている、べつに叱責をくわえようというのではないのだ、はやく評価しろ」
「あえていえば……」カヒュールは首をかしげ、「〈ビュールデーフ〉の撃破率が低うございました」
「ううむ、そうか。〈ビュールデーフ〉は後始末に残しておけ」
「わかりました」
最終的に判明した|トライフ艦隊《ビュール・トライム》の主な損失は以下のとおり。
撃沈――
|護衛艦《レ ー ト 》 二四隻。
|突撃艦《ゲ ー ル 》 一七隻。
|巡察艦《レスィー》 一隻。
大破――
|護衛艦《レ ー ト 》 五一隻。
|突撃艦《ゲ ー ル 》 四七隻。
|巡察艦《レスィー》 五隻。
小破――
|護衛艦《レ ー ト 》 九五隻。
|突撃艦《ゲ ー ル 》 一一七隻。
|巡察艦《レスィー》 一九隻。
|戦列艦《アレーク》 七隻。
撃沈と大破をあわせて一四五隻。小破したていどなら|工作艦《ダウスイア》によって艦隊行動中に修理することができるから、|トライフ艦隊《ビュール・トライム》の艦籍簿から喪われたのはこの一四五隻のみである。けっして軽微とはいえない数ではあるが――とくに喪われた艦に乗っていた者やその家族にとっては――艦隊の戦闘能力に支障をきたすほどでもない。
それにたいして〈人類統合体〉平和維持軍A派遣艦隊の九〇〇隻を数えた艦艇のうち行動可能な状態で残されたのはわずか二七隻。この二七隻にしてもすべて降伏して|星界軍《ラブール》に鹵獲《ろ かく》されてしまっている。
|帝国星界軍《ルエ・ラブール》の圧倒的な勝利だった。
大破した艦艇は応急修理を受け、単独航行不能のものは工作艦に横づけされたまま、鹵獲された敵艦とともに|帝都《アローシュ》方面へ去っていった。
戦場処理が一段落すると、旗艦〈ケールディジュ〉から二発の|機雷《ホクサス》が発射される。それには反物質爆弾の代わりに花束が封入されていた。
|時空泡発生機関《フ ラ サ テ ィ ア》の燃料がきれ、|機雷《ホクサス》が時空粒子となって四散するしゅんかん、トライフ|提督《フローデ》は敵味方の戦死者への黙祷を命じた。
その黙祷を受けるべき死者はほとんどが敵側であり、それは事実上、アーヴの勝利宣言だった。
4 |帝 国 の 戦 場《ユクラーヴ・フリューバラル》
「あなた、あたしたちのことを夢想家だと思っているでしょ」そうマルカはいった。
「え? なぜ?」ジントはとぼけた。
ここはグゾーニュ市から一〇〇〇ウェスダージュほど離れた山のなか――。
ビルは仕事があるので――配送中に消えてしまっては怪しまれるし、なにしろ彼にも生活がある――ここには来ていない。幹線の傍で彼を除く四人の反帝国クラスビュール戦線の構成員――マルカ、葬儀屋、ミン、ダスワニとともに、ジントとラフィールは歩行機械に乗り換え、山を登っているのだった。
八本脚の歩行機械は六人を乗せ、わずかな足がかりを頼りに山の斜面を登攀していく。といっても道らしき物はあり、一面に生い茂る蔦や雑木もそこにだけは生えていない。
乗り心地はまるで重力制御の効いていない船のよう。座席を水平に保とうと努力はしているのだが、姿勢制御機構はときたま斜面の角度に対応しきれず、上下揺れを起こす。
葬儀屋などはいまにも胃の内容物を恒星スファグノーフのもとにさらしそうな青い顔をしている。もちろん、宇宙育ちのラフィールは涼しい顔だ。
ジントはときおり胃のむかつきを感じないでもなかったが、そうひどい状態ではなかった。
「このお嬢さんを」とマルカはラフィールを顎で示し、「人質にしたからって、|帝 国《フリューバル》はあたしたちの独立を認めるわけはないわ」
「なんだ、わかってたのか」ラフィールはほっとしたように、「そなたたちをだますことになるんじゃないかと気にかかってた」
「でも、じゃあ、なぜぼくたちを人質にするの?」ジントは尋ねた。
「宇宙船よ」とマルカ。「あたしたちは宇宙船がほしいの」
「でも、ミンさんは……」独立を願っていたじゃないか、とジントは口にしかける。
「路線のちがいだよ」ミンはこともなげに、「われわれにはふたつの路線が存在する」
「そう、ミンは一気に独立を手に入れようとし、あたしは段階を踏むべきだ、と考えているの。いくらなんでも、|帝 国《フリューバル》がひとりの生命と引き替えに独立を進呈してくれるはずがないもの。いわば、夢想主義と現実主義ね」
「それは承服できん。なぜなら……」
「宇宙船に乗りたいのなら、|国民《レーフ》になればいいであろに」とつぜんはじまった路線闘争にラフィールが水をさした。
「これだからな、アーヴのお嬢ちゃんは。ウップ」葬儀屋は口を押さえて吐き気をこらえると、ことばをつづけた。「おれたちは宇宙船に乗りたいんじゃない。ほしいんだ。おれたちの自由になる、ウップ、宇宙船を。それも、星系内宇宙船なんてちゃちな代物じゃない。ちゃんと星々のあいだをめぐれるやつをな」
「それは不可能というものだ」ジントがとめるまもなく、ラフィールはさらさらと真実を口にした。「|帝 国《フリューバル》の|星間船《メーニュ》はすべて|皇 帝 陛 下《スピュネージュ・エルミタ》のもの。帝国の管理下にある。大貴族といえども、星間船を私有してないんだぞ」
マルカは目を細め、「だって、|宇宙港《ビドート》にはいろんな|会社《ガリュール》や|諸侯《ヴォーダ》の船が来ていたじゃない。あたしはだまされないわよ」
「あれは貸しだしてるんだ」ラフィールは説明した。「|帝国商船団《ルエ・カソベールラシュ》が乗員ごと。船の大きさや期限はもちろん借り手の自由だけど、乗員の人事権は|商船団《カソベールラシュ》にある」
「そんなバカな……。いいこと、あたしは|帝国法《ルエ・ラゼーム》も調べたのよ。|星間船《メーニュ》の私有を禁じるなんてひとことも書いていなかったわ」
「|貴族《スィーフ》と|帝 国《フリューバル》の関係は慣習によることが多いんだ。成文法を調べてもわからない」
「まったく、ウップ、|帝 国《フリューバル》の秘密主義にも呆れるぜ!」
「秘密にしてるわけじゃない」ラフィールは心外そうに、「そなたたちが知っててもしょうがないじゃないか。そうであろ」
「じゃあ、ウップ、おれたちの夢はどうなるんだ?」
葬儀屋がいったあと、口を開くものはいなかった。不気味な沈黙が座席をおおい、歩行機械のたてるギィギィという音だけが響く。
「ええと、どうするのかな」ジントは居たたまれなくなって、「その、人質にするのがいやになったんなら、そういってくれればぼくたちは……」
「黙って」マルカは二本の指を額にあてた。
「その……」ジントは良心の呵責を覚えて、「まさかあなたたちの狙いがそんなこととは思わなかったから……。だって、ちゃんと説明してくれないものだから……」
「黙ってったら」
「すると、きみは」ミンがジントの顔を見据えて、「宇宙船の獲得よりもわが星系の独立のほうが容易だと思っていたのかね」
「まさか本気だとは思わなかったものだから……」
「本気だとは思わなかっただと? ふん、わたしは冗談は嫌いだ」
「黙りなさいっ」マルカは手を叩いて注意をひきつけた。「まあ、いいわ。なんにでも例外はあるわよ」
行く手に球形の建物が見えてきた。山腹できらきらと恒星スファグノーフの光を反射している。
「ええと、あそこが目的地かな」気まずい雰囲気を救おうと、ジントはその建物を指差した。
「目的地だった[#「だった」に傍点]」とミン。「あれはわたしの別荘でね、きみたちを監禁するつもりだったが、はたしてその価値があるのだろうか」
「慎重に考えるがよい。わたしはどちらでもかまわないぞ」とラフィール。
「おまえたち、アーヴはほんとに傲慢だよな」葬儀屋が吐き気も忘れていった。
「彼女はときどき鼻持ちならなくなるんだよ」ジントはラフィールのために弁解した。「どうか気にしないでほしい」
「わたしは親切でいってるんだぞ!」ジントのせっかくのとりなしも、ラフィールは気に入らないようだ。
「ね」ジントは葬儀屋の耳に口をよせ、「自覚もないんだ」
「おまえもたいへんだよな」葬儀屋は同情にみちた表情でジントを見かえした。
「なにを話してるんだ?」ラフィールは疑わしそうに眉をひそめる。
「あれを見て!」マルカがとつぜん叫ぶ。
彼女の指す方向――山影からふたつの物体があらわれ、こちらへ浮遊してくる。
「ミン、あなた、あんなの買ったの?」
「わたしは知らない」ミンはわずかに狼狽していた。
見つめているあいだに、物体は歩行機械の前後をはさんで着陸した。
「〈人類統合体〉の装甲空中機動兵員輸送艇だ」ラフィールが物体の文字を読みとった。
輸送艇の扉が開いて、わらわらと一〇人ずつぐらいの兵士が走りでる。
「きみたちはだれですか、市民?」指揮官らしい将校が機械通訳の音量を大きくして尋ねた。
「あんたたちこそだれだ!?」ミンが座席から立ちあがってどなった。
「失礼した。わたしは〈人類統合体〉平和維持軍・スファグノーフ派遣地上軍団RC管区憲兵隊のアランガ憲兵少佐です。これできみの名前をきかせてもらえますか?」
「わたしは」ミンは別荘を指し、「あれの持ち主だ。これから友人たちと楽しい宴を開こうと思っている」
「では、きみは独立党員の市民ミン・クルサップですね」
ミンはいっしゅんたじろいだが、「もと党員だ。三年前に離党した」
「でも、市民ミンですね」アランガは確認した。
「ああ、そうだ」
「市民ミン」アランガは通告した。「きみを逮捕します。きみのご友人にも事情をきかせてもらわなくてはいけません」
「なぜだ!?」ミンの顔色は蒼白だ。「いったいなんの容疑で……」
「きみの別荘から大量の武器が発見されました。背後関係をぜひうかがいたいのです」
ミンはふりかえって弁解するように、「大量の武器なんてたいそうなものじゃない。たかのしれた|短針銃《ケーリア》とか|麻痺銃《リブアスィア》とか、そんなもので……」
「どうしていったい……」マルカはさっぱりわからないというふうに首をふった。
「きみたち独立党は|帝 国《フリューバル》のために反動的抵抗運動をする隠蔽組織なのだという、きわめて合理的な疑いがあります。そのあたりについて詳しくお尋ねしたいのです。ご覧のとおり抵抗は無益です」アランガは銃をかまえる兵士たちを身振りで示した。
「なんてぇ、かんちがいだ」葬儀屋が忌まいましげにつぶやく。
とはいえ、アーヴといっしょにいるところを拘束されては、まちがいを指摘したところで信用してもらえそうにない。
反帝国クラスビュール戦線の面々はかなりまずい立場に追いこまれたわけだ。
むろん、状況が悪いことにかけてはジントとラフィールもひけをとらない。
ジントはラフィールを見た。その右手になにかが握られている。|凝集光銃《クラーニュ》の|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》がふたつ。
ラフィールは左手に|弾倉《ヤペール》をひとつ持ちかえた。
ジジジジッとかすかな音がきこえる。
やばい――ジントはとっさに理解した――ラフィールはここで戦争をはじめるつもりだ!
ジントは手をのばしかけたが、その暇も与えずラフィールは腕を胸の前でいったん交差し、鳥がはばたくように両腕をすばやくのばした。
ふたつの|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》が逆方向に放物線を描いた。
ラフィールの重力適応能力は目を見張るものがあった。|弾倉《ヤペール》は狙いあやまたず、一個は前方の輸送艇の装甲に命中し、もう一個は後方の輸送艇の開きっぱなしの扉に吸いこまれる。
ズーンッと腹に響くような音がした。前後で閃光がきらめき、爆発音と悲鳴と怒号が交錯した。
「なんてことを……」ミンが呆然とつぶやいた。
「走れっ」ラフィールは叫び、いちはやく歩行機械から飛びおりた。その手にはすでに|凝集光銃《クラーニュ》が握られている。
いわれるまでもない。ジントは雑嚢をかかえて地面に倒れこんだ。ほかの四人もこけつまろびつ歩行機械からおりた。
「あっちだ」ラフィールは|凝集光銃《クラーニュ》を|指揮杖《グリュー》のようにして灌木の茂みを指す。
六人は茂みに駆けこむ。
アランガがなにか命令を怒鳴った。たちまち銃火が歩行機械をズタズタにし、木々を打ち倒した。
ラフィールは見事な一撃でアランガを倒すと、「急げっ」と指示した。
絡みっく蔦や木の枝を払いながら、ジントは懸命に走った。すぐ後ろでは銃弾を受けて木が吹き飛び、あるいは燃えあがる。彼はこの環境破壊に心を痛め、つぎに破壊されるのは自分ではないかと生きたここちがしなかった。
「くそアーヴめっ」ミンの罵りがぎこえる。「これでわたしはお尋ね者だ!」
「黙るがよい、文句はあとできく」
たしかにしんみり話し合いをする雰囲気ではなかった。敵の兵士は混乱から立ちなおりつつあり、復讐に燃えていた。
「ちくしょう、こっちへこい」ミンが指示した。
このあたりの地理はたぶんミンがいちばん詳しいだろう。奇妙な組み合わせの六人は彼を先導役にして、茂みのなかを駆けた。
「あれを!」無口なダスワニが興奮して上を指差した。
生き残った一台の空中機動兵員輸送艇がゆらゆらと空に浮かんでいる。その着地面には銃座があり、眼下を睥睨《へいげい》していた。
銃口がこちらをむいた直後、六人の周囲の木が燃えあがった。
「こっちだ!」ミンが火の切れ目から手招きした。その姿が掻き消える。
ジントがそちらへいってみると、ちょうど人ひとりくぐれるほどの穴がぽっかり開いている。
「さあっ」ジントはラフィールを穴に押しこみ、つづいて自分も飛びこむ。
意外となめらかな穴を滑降していく。最後にわずかな浮遊感があり、弾力のあるなにかに受けとめられた。
「どけ、早くっ」ミンの声。
ジントはあわてて声のほうへ転がる。
すぐそばでドサドサとなにかが落下する音がした。
「いてぇ〜」葬儀屋のつぶやきがきこえた。
ジントはようやく|凝集光銃《クラーニュ》のことを思いだし、雑嚢からひっぱりだすと、照明状態にしてあたりを照らした。
そこは洞窟だった。人の背丈ほどの直径がある。かたわらに大きな緩衝敷物が置いてある。ジントはそこへ落下したらしい。
敷物のうえではまだ葬儀屋とダスワニが抱きあっていた。ふたりは息を弾ませて敷物からおりた。
「全員、いるか?」ミンがたしかめた。
「そのようね」とマルカ。
「じゃあ、こっちだ」ミンは洞窟の奥を指した。
「あ、その前に」とジントは敷物を|凝集光銃《クラーニュ》で撃つ。
敷物が破れて、どろりとした液体が流れでる。敷物は急速に弾性を失っていった。
六人は洞窟を奥へと分け入った。
「ここは?」前方を照明する必要から先頭のミンと肩を並べたジントは尋ねた。
「溶岩隧道だよ。この惑星は若い。ほんの数億年前まで溶岩の河が惑星じゅうに流れていた。その跡だ」
「けれど、さっき滑り落ちてきたところは……」
「あれはもちろんわたしが万一の時に掘削しておいた脱出路だ。そんなことはどうでもいいっ」ミンは声を荒らげて、「たいへんなことをしてくれたな。これでわたしの名が彼らに知られてしまった。よりによって帝国の協力者としてだぞ! なんという不名誉だ」
「謝罪を」ラフィールの落ちついた声が背後からきこえた。「そなたたちを巻きこんだことは申しわけなく思う。けれど、われらもたやすく捕まるわけにはいかない」
「むかしな、二階から茨の茂みに飛びこんだやつがいたんだ」葬儀屋が陰鬱な声で語りはじめた。「火事でもないのに。もちろん、そいつは擦り傷だらけで病院に担ぎこまれた。まあ、たいした傷ではないんだが、なにしろ全身傷だらけだから、組織再生促進剤まみれになって、うんうんうなっていたっけ。おれは見舞いにいったときに、どうしてそんなことをしたんだ、て訊いたんだ……」
「なんの話よ?」マルカが苛立った口調で質した。
「そしたらそいつはよ」葬儀屋は質問を無視して、「こまかいことは憶えていないんだが、そんときゃいい考えだと思ったって、ぬかしやがった!」
「それがどうしたのよっ!?」
「べつに。なんとなく思いだしただけだ」
「ああ、あなたのいいたいことはわかるわ」マルカは深い溜息をついた。「ほんとにアーヴを人質にとるなんて、なぜいい考えだと思ったのかしら? これであたしは細胞指導者を解任されるでしょうね」
「生き残れたらな」ミンがいった。
目の前で洞窟がふたまたに分岐していた。
「右だ」ミンが指示する。
「こっちから本流に出る」
右に回ってしばらくすると、はるか後ろのほうから規律正しい足音がきこえてきた。
「来たわ」マルカがささやいた。「ジントくん、灯りを消して!」
「うん」ジントは従った。
それからは手探りだけが頼りだ。
やがて、また分岐点にあたった。ミンは迷わず一方を選択した。
「このままいけば逃げられるのか?」とラフィール。
「ああ。本流に出さえすれば、ほかの支流にも入れるし、地上へ出る穴もいくつかある」
「それでは、そなたたち、先へ行くがよい。やつらはわれらが食いとめよう」
「なんだと!?」足をとめる気配。
「これ以上、そなたたちに迷惑をかけるわけにはいかない。行くがよい」
「まったく、人の自尊心をずたずたにしてくれるよな。おまえらは人質なんだぜ。どこの世界に人質に助けられる誘拐犯がいるんだい……」
「いや、葬儀屋」ミンがたしなめる。「たしかにこのままではわれわれは破滅だ。やつらはどこまででも追ってくる」
「そうであろ。早く行くがよい」
「アーヴにはいろいろいいたいこともあるけど、たしかに責任のとりかたは知っているわね」マルカが溜息をつく。
つかのま、沈黙が暗闇に落ちた。
「わかった。行きましょう。どういっても、このお嬢さんは動きそうにないわ」
「そのとおり」とラフィールは受けた。
「おれも、残る」ダスワニがぽつりと決意を明らかにする。
「感謝を。けれど、そなたは武装してないであろ。残ったところで役には立たない。それに、ここは|帝 国《フリューバル》の戦場だ。そなたたちをつきあわせるわけにはゆかない」
「ダスワニ、来るのよ。このお嬢さんのいうとおりだわ」
「くそっ、まったく屈辱だぜ」葬儀屋がぼやいた。
「急ぐがよいっ、敵は近い」
反響のせいでどれだけの距離かはつかめないが、足音は確実に迫っている。
「わかった。じゃあね、生きていたら、また会いましょう」マルカは気ぜわしく別れを告げた。
「重ねて、そなたたちに感謝を」
「けっ、よしやがれ」葬儀屋が毒づく。「おれたちゃおまえらを誘拐したんだぜ」
それきり、四人の気配が離れていく。
「ジント、いるか?」
「もちろんだ」ジントは|王女《ラルトネー》のそばに寄った。「まさかぼくまで追い払わないだろう?」
「うん」微笑をふくんだ声でラフィールは、「そなたの射撃の腕はひどいものであるけれど、いないよりましであろ。すくなくとも弾避けにはなる」
「まったく」ジントは苦笑した。「きみは人の気持ちを明るくするのに長けているな」
「|端末腕環《クリューノ》と|頭環《アルファ》を」
「ああ、そうだね」
ジントは|凝集光銃《クラーニュ》の出力を最弱にして手元を照らし、雑嚢から|端末腕環《クリューノ》と|頭環《アルファ》をとりだした。そのほかにありったけの|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》。八個あったものをラフィールと半分ずつもつ。
「埋めなくてよかったであろ」|頭環《アルファ》を装着するラフィールは、勝ち誇った表情をした。
ジントはまた苦笑した。ラフィールには勝ち誇る権利がある。
灯りを消すと、ジントは銃を射撃状態に切り換え、片膝をついて敵を待ち受けた。
洞窟は狭い。射撃戦なら、人数の多寡は関係ないだろう。こちらの|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》が干あがる前に、敵兵が尽きる。
しかし――。
「重火器を使われたら、やっかいだな。生き埋めにされてしまう」
「安心するがよい」ラフィールは自信にあふれていた。「|星たちの眷族《カルサール・グリューラク》が土のなかなどで死ぬものか」
「説得力があるような、ないような……」暗闇のなかでジントは肩をすくめた。
いまから命のやりとりをするというのに、ジントはひどく安らいでいた。
5 |惑乱の淑女《ロージュ・ラビュルナ》
「先を越されたな」エントリュアは煙草に火を点ける。
目の前で〈人類統合体〉の装甲空中機動兵員輸送車が黒煙をあげていた。負傷者もいておかしくない光景だが、その姿はなかった。野戦病院に運ばれたあとらしい。三人の兵士が輸送車の周囲に縄をはり、眉間に皺を刻んでエントリュアたちを睨みつけている。
「なぜここがわかったんでしょう?」カイトが不思議がった。
「こっちが訊きたいよ。あんた、あの兵隊たちに尋ねてみてくれないか」
「そうですね」カイトは兵士のほうへ歩みよった。
旅亭の支配人の供述から反帝国クラスビュール戦線グゾーニュ細胞の構成員を割りだせたのは、ほんの一時間ほど前のことだ。
構成員たちの住居や勤め先などの関連施設にはすぐ捜査員が飛んだ。そのひとつが、ここ、ミン・クルサップ氏の別荘というわけだった。
いまのところどの関連施設でもアーヴはおろか構成員も発見されていない。だが、ここでただならぬことが起きたのは疑いようもない。
カイトが走って帰ってきた。「市民ミン・クルサップは独立党の党員だったそうです。それもかなり上級幹部級の。それで、捜査の手を入れてみると、大量の武器弾薬が発見されて……」
「なんだって?」エントリュアは眉をひそあた。構成員の一とおりのことは|思考結晶網《エ   ー   フ》で調べてある。「ミンが独立党員だったのは三年も前のことだぜ」
「その情報はあまり重視されなかったようです」カイトは肩をすくめて、「つづけていいですか?」
「ああ」
「とにかく、非常線をはっていたところ、市民ミンが数人の仲間といっしょにやってきたのです。彼を職務質問すると……」
「銃撃戦になってしまったのか」エントリュアはあらためて周囲を見まわした。
撃たれた木々はまだくすぶり、輸送車のそばには歩行機械を構成していたらしい部品が散らばっている。
「派手にやったもんだ」
「まったくです」
「で、ミン氏のほうは? いっしょにいたのはアーヴだったのか?」
「そのことですが……」カイトはいいにくそうに、「取り逃がしてしまったので、よくわからないそうです」
「取り逃がしたぁ?」エントリュアはすっとんきょうな声を上げて、カイトをどなりつけかけたが、一、カイトは彼の部下ではない、二、逃がしたのはカイトの責任ではない、というふたつの点を思いだし、皮肉をいうにとどめた。「あんたらもたいしたことないな。装備だけは充実しているようだが」
「面目ないことです」
「で、どこから逃げたんだ?」
「それが、彼らも」とカイトは身ぶりで兵士たちを示し、「事後に派遣されてきたので、詳しいことはわからないそうです」
「連絡が悪いんじゃないのか」
「C級機密閲覧資格が必要なんです、その情報に接するのは」
「あんたは持っていないのか?」
「持っています。いまからのぞいてみますよ」
「そりゃよかった」エントリュアは煙草の燃えさしを地面に落としてふみにじり、新しい煙草をくわえた。
カイトは通信器の画面をのぞきこみ、なにやらささやきかけた。やがて、情報が表示され、彼は読みあげた。「市民ミンおよびその仲間計六名は、軍標準時0817、RC193 - 401地点より地下へ逃亡。その際、アランガ憲兵少佐以下四名が死亡、一二名が負傷。ムハメドフ憲兵中尉の指揮のもと八名が追跡を開始。軍標準時0830、憲兵隊司令部は応援派遣を地区管理司令部に要請。それにこたえ、軍標準時0855、スリート大尉の指揮する歩兵三個小隊が派遣された。応援部隊は軍標準時0914に現地へ到着し、現在、徒歩で追跡を継続中である……」
「その軍標準時というのはなんだ? おれたちの時計とはちがうのか」
「ええ。いまは軍標準時で0935です」
「二十一分の遅れか」エントリュアは背伸びをした。どうも働きすぎだ。背中が痛い。そういえば、ちゃんと眠ったのは何日前のことだったか……。
「どうします? われわれも地下に入りますか」
「そいつぁいい考えとはいえないな。軍隊のあとをつけたって、じゃまにされるだけだろう」
「では、あきらめるのですか?」カイトはすがりつくような目をした。
「まあ、そうでもないさ」あと半日だけ、つきあってやろう、とエントリュアは考えた。「やつらが逃げこんだのはグゾーニュ大洞窟だ。むかしっから、犯罪者や冒険好きの子どもがまぎれこむ。だから、警察にとっちゃ行きつけの店みたいなもんだ。おれたちはグゾーニュ市警察の連中を穴潜り≠チて呼んでいるぐらいさ。かなり精細な情報が利用できる」
「じゃあ……」
「ああ。アーヴたちが穴のなかで捕まっちまったらべつだが、先回りをすることはできるぜ。お仲間はちゃんと嗅跡探知か熱源探知でつけているんだろうな」
「それはもちろん、そのはずです」
「それならアーヴの行き先もちゃんとわかるだろう。その追跡している連中の現在位置はわかるのか?」
「ええ」カイトは勢いこんで、「もちろんです」
「わかった。じゃあ、その線でいってみようか」エントリュアは深呼吸した。「ただし、いっておくぞ、そいつらのなかにアーヴがいなくってもおれは知らないからな」
暗闇にぽうっと発光文字が浮かぶ。|端末腕環《クリューノ》の熱源探知機能を使っているのだ。むろん、専用機ほどの精度はない。だが、おおまかな距離と方向、熱量は示される。
「近い」ジントはささやいた。「ほんの一〇〇〇ダージュほどだ」
「うん」
敵は照明なしでやってきた。考えてみればとうぜんのことだ。暗視眼鏡かなにかを使用しているにちがいない。つまり、敵にはこちらが見えるはず。ラフィールには|空識覚《フロクラジュ》があるにしろ、不利は免れない。
ラフィールのいるはずの場所でジジジッと音がした。
彼女の動く気配。
とたんに、無数の火線が闇を切り裂いた!
分岐点の奥にいるおかげで、銃弾が飛びこんでくることはないが、それでも洞窟のへりの部分を銃弾がえぐり、小爆発が起きる。
パラパラと岩の欠けらがふってくる。
「伏せるがよいっ」緊迫した声でラフィールがいった。
ジントが従ったとたん、盛大な爆発が起こった。ラフィールの投げた|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》が瞬間的にエネルギーを放出したのだ。
闇がきらめく光に吹き飛ばされ、洞窟の温度が数度、あがった。
火線がとぎれる。
「走るぞっ」
ジントは奥にむかって走りだした。つかのまの光明のなか、すぐ先に小さな洞窟が口を開けているのが見える。
走っているあいだに、ふたたび闇が洞窟におりた。
「とまるがよい」小さな洞窟の口あたりにくると、ラフィールはいった。
「ここで迎え撃つの?」声がふるえている。情けない、と思ったものの、これこそ人間らしい反応だと考えなおす。
「うん。そなた、片膝をついて銃を構えるがよい」
「ああ」ジントはいわれたとおりにする。
ラフィールの手がのびてきて、銃の狙点を修正した。
「合図をしたら、上下にふって撃ちまくるがよい」
「わかったよ。でも、見えない敵を撃つのは不安だな」
「見えたところで、どうせそなたの腕ではあたらないであろ」
「正確な評価、ありがと」ジントは憮然とした。
「いまだっ」|空識覚《フロクラジュ》に敵をとらえたラフィールが撃ちはじめた。
ジントもあわてて銃爪を絞り、銃を上下にふりまわす。
悲鳴がきこえた。
――おお、いま、ぼくは人間を撃っているのか?
これが戦場の心理というのだろうか。憤怒もなく罪悪感もない。しいていえば恐怖がジントを駆りたて、銃爪を引かせていた。
|凝集光《クランラジュ》そのものは闇のなかでも見えない。しかし、犠牲者の身体にあたる光点が闇に浮かぶ。その光はさらにきりきり舞いする敵軍兵士を照らす。
こちらは狙いをつけやすい姿勢で撃つことができるが、敵にはできない。そのちがいが戦果にあらわれていた。
死体がいくつも積み重なっている。
ジントは吐き気を覚えた。
むろん、不利な体勢にあるからといって、相手も射撃の的になってばかりいるわけではない。
銃火がひらめき、洞窟の壁の花崗岩を削ぎおとす。一度など、ジントから一〇ダージュと離れていない場所を一連射が通過した。
洞窟のへりで銃火がうごめく。
ジントはそれを狙って連続掃射。
悲鳴とともに敵兵の銃が弾け飛んだ。銃に腕がついていたような気もする。
口のなかがカラカラだった。
――冷たい水の一杯となら、|爵位《スネー》を交換しても惜しくない。
真剣にそう思った。|爵位《スネー》などそのていどのものだった。
死の輝さで洞窟は仄明るい。薄明りのなかで敵兵の手が動き、なにかが飛んできた。
「ジント!」ラフィールが右脇腹を蹴飛ばした。
一蹴りにこめられた意味を即座に理解し、ジントは小さな洞窟に転がりこんだ。
つづいて、ラフィールも滑りこんできた。
「奥へっ」ジントはラフィールともつれあうようにして、洞窟の奥へ駆けた。
いきなり、爆風が背中を突き飛ばす。
ジントはつんのめり、二回ほど回転した。
|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》はしょせん代用爆弾だということを思い知った。ほんものの手榴弾と比べればビックリおもちゃなみの威力しかない。
爆風が背中を踏みつけていった。
「熱い、ちくしょうっ」ジントは歯を食いしばる。
腹ばいになりながらも、這って前進する。
背後で大量の瓦礫が崩れる音。
落盤だ。
「早くっ」ジントはなんとか立ちあがることに成功し、ラフィールを救け起こす。
落盤はまだつづいている。風化して脆くなった火成岩が剥離し、ジントの肩のうえにも落ちてきた。
ようやく落盤が一段落した。
ジントは背後をふりかえる。あいにく、暗いばかりでなにも見えない。
「どうなっている?」ジントはラフィールの|空識覚《フロクラジュ》に頼った。
「洞窟はふさがってる」
「ほんとかい?」
「嘘をついてどうするんだ?」
「そりゃそうだ」
ジントは銃を照明状態にして照らした。洞窟は完全にふさがっていた。たぶん、上の地面は陥没しているだろう。
ジントはこの事態をどう解釈するべきか悩んだ。
敵と隔てられたのだから、救かったと思うべきかもしれない。しかし、この洞窟に出口がないこともおおいにありうることであり、生きながらにして広大な墓室をもらってしまったのかもしれない。
「とにかく」ジントはいった。「奥へ行ってみよう」
「そうするしかないな」
そのときになって、雑嚢をなくしたことに気づいた。
まあ、いいか――ジントはあきらめた。|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》や現金など、大事なものは|隠し《モスク》に移し替えてある。
ジントは干あがりかけた|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》を新しいものに替え、闇の奥へ進んでいった。
「敵艦隊発見! 方位一〇五 ー 〇一〇。距離〇・一二光秒、相対速度毎秒二一七・五ウェスダージュ、艦数約二〇」
クファディスの|空識覚《フロクラジュ》には惑星クラスビュールが感じられた。周囲には|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉の|巡察艦《レスィー》群。そして、敵艦の影が惑星から浮かびあがる。
敵艦群はあきらかに〈フトゥーネ〉の後方――すなわち|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》を目指していた。
「敵艦、艦型照合完了。大型|輸送艦《イサーズ》一二隻、|巡察艦《レスィー》一隻、|突撃艦《ゲ ー ル 》六隻と思われます」|砲 術 参 謀《カーサリア・トラショト》が告げた。「わがほうの勝利確率〇・九八七と判定」
「降伏勧告を出しますか?」クファディスは|司令官《レシェーク》スポール|准提督《ロイフローデ》に尋ねた。
「要らない。したければするでしょう。あの人たちもそのていどの道理はわきまえてるはずよ」というのがスポールの答えだった。
「そんなことより、|通常空間戦《ダディオクス》の準備を。第五種密集隊形発令」
「了解しました」クファディスはスポールの命令を具体化した。
それでも、敵艦の動きに変化はない。惑星クラスビュールの重力がつくりだす空間の歪みを這い昇るようにやってくる。
「敵艦より入電」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》が報告した。
「立体映像通信です。時間差は〇・二三秒」
「出して」
|司令座艦橋《ガホール・グラール》に像が結ばれた。
クファディスは意表をつかれた。敵の高級士官を予想していたのに、立体映像のぬしはアーヴの男性だ。着るものは汚れており、|頭環《アルファ》も被っていなかったが、|空識覚器官《フローシュ》と虫青《むしあお》の髪、そしてその美貌はアーヴ以外のなにものも持ちえないものだった。
「おや、|司令官《レシェーク》はあなただったのか、|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》」彼は弱々しい微笑を浮かべ、「これは奇遇だな」
「お久しゅう、|スファグノーフ侯爵《レーブ・スファグノム》」スポールは会釈し、「敵艦からあなたが通信してくるとは意外だわ。いったいどうなさったのかしら?」
「面目ないことだが、俘囚《ふしゅう》の身の上でね、伝言をしないとわたしの目の前で子どもを殺すと脅されたのだよ」
「そう」スポールの目つきが険しくなった。「では、どうぞ。伝言をきかせて」
「この艦隊には二一名のアーヴが乗っている。わたしの家族、|家臣《ゴスク》、そして|通信艦隊《ビュール・ドロケール》の|翔士《ロダイル》、そんな者たちだ。われわれの生命が惜しければ、攻撃を控えたまえ。のみならず、|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》でも安全な航行を要求している」
「それがかなうとして、あなたたちはどうなるのかしら?」
「おそらく捕虜収容所のような施設に送られることになるだろうね、|大公爵《ニ ー フ 》」|侯爵《レーブ》はひとごとのように、「彼らはこんな要求がとおると信じざるをえないほど、追い詰められているのだよ」
「興味深いわ」
「まことに」侯爵はうなずいて、「|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》、それではさらばだ。あなたの義務をはたしたまえ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、|侯爵《レーブ》」
立体映像は消えた。
「ほんとに嫌なかたね、|侯爵《レーブ》」スポールは小指の関節をカリッと噛み、特別あつらえの長椅子から立ちあがった。「|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》」
「はい」
「敵艦へ返電」
「立体映像通信にしますか?」
「音声のみでいいわ」
「了解。発信準備完了です。本文どうぞ」
「あたくしは|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉|司令官《レシェーク》スポール|准提督《ロイフローデ》」彼女は朗々と語りだした。
「わが|星界軍《ラブール》の寛容なることを知るがよい。御身らに降伏の機会を与えよう。お互いの距離が〇・〇八光秒に縮まるまで待つ。わが同胞に一指も触れぬが最低条件であることは、いうまでもなきこと。くりかえしていう、わが星界軍は寛大なり。御身らが降伏の機会を逃したとしても、われらはさらに甘美な運命を用意している――|アーヴ貴族《バール・スィーフ》とともに死ねる栄誉を噛み締めつつ、素粒子にまで分解するがいいわ! 御身らの身体を構成していた原子が偉大なる銀河渦動に乗って幾億年かののち、故郷の|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》に降ることもあるでしょうよ」
|艦橋《ガホール》は粛々として声もない。
「さらに、麾下全艦へ通信。平文でかまわないわ」
「了解、準備完了」
「距離〇・〇八光秒で攻撃を開始する。攻撃開始以降、敵からの|投降信号《アーガ・レーガコト》はいっさい受けつけなくてよろしい。徹底的に打ち砕きなさい。|救命莢《ウィコー》であろうと容赦はなさらないで。すべての責めはこの|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》が引きうけるわ!」
「待ってください」クファディスは|司 令 座《レシェーキバーシュ》に進みでた。
「なに、|先任参謀《アルム・カーサリア》!?」スポールは不快げに肩をそびやかした。
「投降した敵を討つのは|帝 国《フリューバル》と|星界軍《ラブール》の名誉に傷をつけます」
スポールは燃えるような紅色の瞳で先任参謀を睨みつけた。
クファディスもここで引くわけにはいかなかった。「わたしが口を出すことではないかもしれませんが、〈|金色烏《ガサルス》〉の|紋章《アージュ》にも汚点が印されましょう」
このひとことが功を奏したようである。
がっくりと――とクファディスには見えた――スポールは|司 令 座《レシェーキバーシュ》に身を預け、考えなおすようすを見せた。
だが、ふたたびクファディスに視線をむけたとき、彼女の毒々しいまでに赤い唇には妖しい笑みが浮かんでいた。
クファディス|百翔長《ボモワス》はぞっとした。もしも猫がもうちょっと表情豊かなら、獲物をいたぶるときにこんな微笑みを浮かべるにちがいない。
「そうね、|先任参謀《アルム・カーサリア》。投降した敵を攻撃するのは美しくないわ。やめましょう」
「はい、進言を受け入れていただき、ありがたく存じます」クファディスは用心深くこたえた。
「ところで、捕虜の移送方法はあたくしの好きにしていいのね」
「はい。ここでは|閣下《ローニュ》が最上級指揮官ですから」どうしてそんなわかりきったことを訊くのか、クファディスには理解できなかった。
「けっこう。敵の人数はどのくらいだと見積もる?」
「大型|輸送艦《イサーズ》が一二隻ですから、二万五〇〇〇人ていどでしょうか。おもに人間を積んでいると仮定してのことですが」
「そう。〈タルス〉級|輸送艦《イサーズ》一隻に乗れるわね」
「乗れないことはないですが……」クファディスは眉をひそめた。
司令官がなにを考えているのか、ますます理解できなくなった。〈タルス〉級は偵察分艦隊に随伴する小型輸送艦で、|兵員輸送《レーヴァス》型もあるが、その定員は一五〇〇人。居住空間節約のため冷凍睡眠させて詰めこんでも、最大限一万人といったところ。二万五〇〇〇人も乗れば、立錐の余地もないだろう。しかも、捕虜を移送するなら、|警 衛 従 士《サーシュ・レートフェク》もおうぶんに座乗させる必要がある。
「じゃあ、計算して。〈タルス〉級|輸送艦《イサーズ》に二万五〇〇〇人を乗せる。そして、|通常空間《ダ  ー  ズ》をとおって|帝都《アローシュ》ラクファカールまで移送したとしたら、船内時間でどのくらいかかる? 減速のことは考えなくてよろしくてよ。すべての燃料を加速に消費してかまわない。加速は二|標準重力《デ  モ  ン》」
「|通常空間《ダ  ー  ズ》のみですか!?」クファディスは思わず問いかえした。
「そうよ。計算して」
彼はしかたなく計算を始めた。
「敵との距離〇・一光秒」事務的な声が告げる。
クファディスは|端末腕環《クリューノ》に〈タルス〉級の詳しい諸元を呼びだし、二万五〇〇〇の人間と必要な食料・水の質量を勘案して、加速時間と最終速度を割りだす。銀河自転速度に目配りしながら、|帝都《アローシュ》までの距離を速度で割り、それに時間膨張率をかけて……。
結果は予想どおり、とんでもないものだった。
「約五万八三〇〇年です……」
「そう」スポールは落ちついて、「そんなにかかったのでは、捕虜の人たちもうれしくないでしょうね」
「それはもう……」
「じゃあ、時間を短縮してあげましょう。|時空泡発生機関《フ ラ サ テ ィ ア》は要らないわ。|姿勢制御機関《ロ イ ラ ー ガ》も不必要。|乗員《ソーク》も乗らない。ついでに|重《ワ 》|力制《ム》|御機《リ》|関《 ア》もおろしましょう。それでも、まだ重そうね。食料と水のことは計算に入れてる?」
「一年分を積載し、そのあとのために最小限の水耕農業施設を……」
「農業施設なんて要らない。それも削除してちょうだい」
「いっそ、とうざの食料・飲料水、それから空気浄化設備も省きますか?」クファディスは自棄《や け 》になった。
「バカね。そんなことしたら、捕虜が死んでしまうじゃない。そんな残酷なこと、できないわ……。さあ、これでだいぶ軽くなったでしょう」
「たいして変わらないと思いますが……」
「計算してちょうだい」
クファディスはそうした。「約四万九一〇〇年です」
「ほら、ごらんなさい。一万年近くも節約できたじゃない。大して変わらないなんて、だれにもいわせないわ」
「ええ、そうですが……」
「|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》」スポールは|指揮杖《グリュー》をあげて指示を飛ばした。「全艦に通達。平文。命令は変更よ。いついかなるときでも投降の意志を尊重しなさい。ただし、戦闘開始後に投降したものについては、|通常空間《ダ  ー  ズ》のみを経由して帝都ラクファカールへ移送するものとする。移送にあたる|輸送艦《イサーズ》は時間節約の必要性に鑑み、|時空泡発生機関《フ ラ サ テ ィ ア》、|重《ワ 》|力制《ム》|御機《リ》|関《 ア》、|姿勢制御機関《ロ イ ラ ー ガ》などを省き、|乗員《ソーク》も搭乗しない。移送にあたり、捕虜には一年分の水と食料が供与される。到着時間は捕虜の人数により流動的だけど、約四万九〇〇〇年後の予定。つけくわえれば、移送にあたる輸送艦の定員は一五〇〇人。以上よ」
「お待ちください、|閣下《ローニュ》!」
「お黙り、|先任参謀《アルム・カーサリア》」有無をいわさぬ口調だった。「これは最終決定よ。これ以上の進言は上官反抗罪と見做す」
「|惑乱の淑女《ロージュ・ラビュルナ》……」クファディスはつい口走った。
「ほーっほほほほっ」スポールは|指揮杖《グリュー》をもつ手の甲を口にあてて笑い、「気に入ったわ、その|称号《トライガ》!」
クファディスはいうべきことばを失った。
「敵との距離〇・〇九光秒」
クファディスは立ちつくし、|空識覚《フロクラジュ》のなかでしだいに相対速度を増しながら近づいてくる敵艦に注意を払った。
ふいに相対速度の増大が鈍化した。加速しているのは〈フトゥーネ〉だけだ。
「敵、加速停止しました」|航 法 参 謀《カーサリア・リルビコト》の報告がクファディスの|空識覚《フロクラジュ》を裏づけた。
「|投降信号《アーガ・レーガコト》です」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》がどこか安堵の感じられる口調で報せた。「敵は寛大な処置を要請しています」
クファディスは肺にたまった熱い空気をふーっと吐きだす。
「もちろんよ」スポールは心外そうに、「あたくしはいつだって捕虜を寛大に扱うつもりよ」
もしもさっきの処遇が『寛大』だというなら、おれはあまり寛大に扱われたくないな、とクファディスは思った。
「安心させてあげましょう。ちゃんと|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》を経由して移送するわ。もちろん、快適な旅を保証する。運とお行儀がよければ、捕虜交換によって故郷の土地を踏むこともできるでしょう、原子にならなくてもね」
「伝えます」通信参謀が|制御卓《ク ロ ウ 》にむかって通信をはじめた。
「|先任参謀《アルム・カーサリア》」
「はい」呼ばれてクファディスは緊張した。
「あたくし、細かいお仕事は嫌いなの。お手数だけど……」
「はい。ただちに敵艦の臨検・受領にあたる艦の割当てを行ないます」
「わかってきたわね」スポールは|指揮杖《グリュー》の先端を頬にあて、「でも、憶えておいてね。あたくし、話の腰を折られるのは好きじゃないの。とくに命令しているときにはね」
「申しわけありません」
「じゃあ、それを実行してちょうだい。第二と第三をあてるように」
「了解しました」
「それ以外の|戦隊《ソーヴ》は惑星クラスビュールの上空を制圧する。いいわね」
「了解しました」クファディスは敬礼した。
二時間後、|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉は惑星クラスビュール上空二〇セダージュで配置についた。
地表偵察を行なったところ、驚いたことにまだ〈人類統合体〉の地上戦部隊が多数、配備されていた。鹵獲《ろ かく》した輸送船に乗っていたのはごく一部らしい。
〈フトゥーネ〉は地上戦能力をもたないので――じつをいえば、惑星全体を溶岩の塊にするのなら造作もないのだが――、上空から敵軍に降伏を勧告し、|領民《ソ ス 》に秩序の回復を求めた。
だが、強力な妨害電波によって通信は攪乱されており、地上に通信が届いたかどうかは定かではなかった。
〈フトゥーネ〉は地表からの攻撃に備えながら地上戦部隊の到着を待った。
「なんて往生際が悪いのかしら」スポールは溜息をついた。「やだわ、|地上戦《ナヘーヌヨクス》なんて優雅じゃないもの。さいわい指揮を執るのはあたくしじゃないから、よろしいけれどもね」
6 |大 追 跡《ヴォーウェーコス》
ズーンと震動が起こって、パラパラと岩の欠けらが落ちてきた。
「まだあきらめていないみたいだな」ジントは脚を速めて、「落盤したところを爆破して道を開くつもりなんだ」
「帰り道ができてよいじゃないか」とラフィール。
「きみといっしょにいると、心配ごとがなくていいや。宇宙は希望に満ちているよな」
戦闘から一時間以上たつ。ふたりはまだ洞窟を歩いていた。くねくねと湾曲のおおい洞窟だ。わずかに上り坂になっているようである。
――ということは、上流にむかっているんだな。
ジントは思った。数億年前、この惑星に流れていた溶岩の川、その支流をさかのぼっているのだ。
また、ズーンと音がした。まだ道は開通していないらしい。
洞窟はだんだん狭くなっていく。
ジントはしだいに焦ってきた。すぐにも洞窟の行き止まり、あるいは人の通りぬけられなくなるほど狭い場所に行きつくことを想像してしまう。
やがて、洞窟は並んで歩くのが不可能なほどの幅になった。
ジントが先頭に立ってさらに奥へ進むが、はたして意味のあることかどうかはっきりしなくなった。
ついに突き当たりを|凝集光銃《クラーニュ》が照らした。
ジントは絶望的な思いで足をとめた。
「どうした?」ラフィールが訊く。
「行き止まりだ。もうこれ以上は……、あれ?」
ジントは顔を近づけてよく観察した。自然の構造物にしてはいやになめらかだ。手を滑らしてみると、結晶陶質製の壁であることがわかった。いや、真ん中に継目が縦に走っている。
「扉だ、こいつは!」ジントは驚きの声をあげた。
「扉?」
「うん、そうとしか思えないな」
ジントは扉を摩《さす》ったり押したりしてみた。開かない。
「ここになにかあるぞ」ラフィールがジントの肩をつかんで、扉の右手を指差した。
照明をむけてみると、|操作釦《ポーシュ》があり、『非常用』と書かれていた。
ジントは恐るおそる釦を押した。
扉が割れて、細長い光がもれた。光の長方形は見るみる横幅を増していく。
ジントは眩しさに目を細めた。
慎重に一歩を踏みだす。
「なんであろ、ここは?」あとから出てきたラフィールがあたりを見まわした。
「ぼくには……」ジントは信じられぬ思いでつぶやいた。「遊園地に見えるよ」
軽やかな音楽が流れている。すぐ前には花壇が広がり、そのむこうに建物が見える。背の低い石造りの建物だ。どこかから子どもたちの黄色い声がきこえた。
花壇のあいだを走る歩道には戯画化された動物たちが人間たちに交じって歩いていた。熊、犬、猫、象、カモシカ、セイウチ……。どれも人間と同じぐらいの背丈で、二本足で立っている。子どもと話しこんだり、芸をしていたり。あちらでは芝生に坐りこんだ鹿が数人の子どもたちにお話をきかせている。こちらではライオンが火のついた松明《たいまつ》でお手玉をしているという具合。
たぶん機械なのだろうが、もしかすると人間が着ぐるみに入っているのかもしれない。
馬だけは四本の脚で歩いていた。たいてい子どもを乗せており、園内の乗り物として使われているらしい。
一輪車に乗って道化の服を着た猪が、目の前を横切っていった。
猪を見送って、ジントはうえをふりあおいだ。金属の骨格と|合成樹脂《ゲ ー ニ ュ 》製らしい半透明の幕でできた天井はかなり高い。
天井から親しみやすい顔をした機械動物が索でぶらさがり、きゃあきゃあ声を上げる子どもをかかえて上下していた。手足が八本あるところを見ると、どうやら蜘蛛のようだ。
ふりかえってみると、扉はもう閉まっていた。『この扉は使えません』と大きな注意書きがある。
ジントはラフィールに視線をむけて、にやにや笑った。「ひどい格好だ」
じっさい、そういう以外に表現のしようがなかった。服といわず顔といわず砂や泥で汚れている。髪もいつになく乱れていた。
「そなたこそ」ラフィールは服をはたきながらいいかえした。「空間投棄直前に塵芥槽から救出されたみたいな格好だ」
「想像はつくよ」ジントは髪から砂や小石をはたきおとした。
犀に手を引かれた子どもが、ふたりを指して笑う。
「無礼な子どもだ、|王女殿下《フィア・ラルトネル》を指して笑うなんて」
「そなたを笑ったのであろ」
占領下にあっても、遊園地は繁盛しているようだった。安心感がふつふつとわきあがった。これだけ一般|領民《ソ ス 》、とくに子どもがいるのだから、〈人類統合体〉もあまり無茶はしないだろう。
「行こう。うまくいけば、新しい服にありつける」
「うん」
ふたりは歩きだそうとした。
そのとき――。
「止まりなさい」上から声がふってきた。「あなたたちは正規の入口以外から当園に入場なさっています。ただいまから警備員が事情をうかがいにまいりますので、その場でお待ちください。なお、要請に従っていただけない場合は、警察に通報することもありえます」
見あげると、キリンの頭があった。肩の高さは人間なみなのに、首は種族的特徴をじゅうぶんに残している。
「いやだ」ジントはラフィールを促して駆けだした。
「止まりなさい、止まりなさい、止まりなさい……」キリンは均衡を崩しそうになりながら追ってくる。
「お客さまに申しあげます」場内放送が響いた。「緊急事態が発生いたしました。緊急事態が発生いたしました。まことに勝手ではございますが、〈グゾーニュ幻想園〉はただいまをもちまして臨時閉園とさせていただきます。入場料は返却させていただきます。出口にお並びになって退場してください。秩序を守っていただければ、危険はないものと存じます。どうか係員の誘導に従い、落ちついて退場してくださいませ。またのおいでを心よりお待ちいたしております。くりかえします。緊急事態が……」
「緊急事態ってなんであろ?」とラフィール。
ジントは手にしたままの銃を一瞥し、追跡するキリンをふりかえった。「ぼくたちのことでないとしたら、想像もつかないな」
まだ惑星クラスビュールが幼かったころ、ここに溶岩の湖があった。湖からは二本の川が流れだしていた。一本は広く、大量の煮えたぎった岩を湖から運びだした。もう一本はそれほどでもなく、べつの溶岩流と合流し、けっきょくは広いほうの川に注いでいた。
惑星が思春期を迎えるころになると、溶岩の供給はとまり、湖は干あがるいっぽうになった。溶岩は冷え固まって湖を狭めるか、川に運ばれていった。運ばれていった溶岩もどこかで冷え固まり、クラスビュールの地殻の一部になったのだが。
あとには切り立った崖に囲まれた、巨大なくぼみが残った。
人間たちがやってきて近くに都市を築き、このくぼみをなんとか利用できないものかと知恵を絞った。農地にするには農耕機械のための道を敷かなければならないが、それに見合う収穫は期待できなかった。
すったもんだの末に動物園にする案が浮上した。くぼみに円屋根で蓋をするだけで密閉された環境をつくることができる。そこをふたつに仕切って熱帯雨林と草原を構築し、クラスビュールに移植されなかった動植物を住まわせようというのだ。
発案者はおおいに称賛され、動物園が建設されることが決定した。そのための会社もつくられ、資金が集められた。すべては順調にいくかと思われた。
だが、屋根が完成したころ、最後の波乱が起きた。動物を鑑に閉じこめるのは非人道的だという古い考えがどこからか復活し、世論の大勢を制してしまったのである。
狭い檻に閉じこめるのではない、という反論はささいなこととして無視された。
けっきょく、生きた動物の代わりに動物の姿を戯画化した機械人形たちを置くことに決まった。
学術的な意義はどこかに忘れられた。学術的ということばにまつわる事柄は、たいていまっさきに忘れられる傾向にある。
ごく少数の動物生態学者をのぞいて、市民はおおむね満足した。
生きた動物は芸もしないし――もちろん動物を調教するなど人間中心的な犯罪にほかならない――、子どもたちとお話もしない。総じて耐えがたい体臭を放っているし、なにか気に入らないことがあるとすぐ暴力沙汰を起こす。
子どもの遊び相手としては、ほんものの動物よりは機械動物のほうがはるかに安心できた。子どもを預けた親は仕事にいそしむか、大人むけの娯楽を楽しむことができる。
こうして開設された〈グゾーニュ幻想園〉は、創立七〇年祭を目前に控えていた。
「来た! うれしいぐらいにドンピシャリだっ」〈グゾーニュ幻想園〉の管理室につめていたエントリュア警部は手を叩いた。「けれど、おかしいな。人数が少なすぎる」
「しかし、アーヴがいます」カイトは目を輝かせた。
「まあな」
「大げさすぎるような気がするんですけどねぇ。まだ子どもじゃないですか」客に入場料を返すはめに陥った幻想園の支配人は、迷惑そうに画面を眺めた。「まあ、ここの客になるには歳をくいすぎてはいますがねぇ」
「その子どもはわが軍兵士を死にいたらしめているのです」カイト憲兵大尉は険しい顔つきでいった。「凶悪な殺人者です」
「はあ……」支配人は物問いたげにエントリュアを見た。
「心配するなって、支配人さん。この損害はきっと占領軍がかぶってくれるさ」
「そうでしょうかねぇ。占領軍たって、いつまでいるか。げんに、いまも……」支配人はなにかいいかけたが、カイトに視線をやって口をつぐんだ。
「なんだ?」エントリュアは気になった。
「三十分ほど前に電波制御の鳥たちが調子を悪くしましてねぇ」支配人はカイトをちらちら見ながら、「技術者に診させたら、機械はどこも悪くない、電波が妨害されているんだそうですよ。たしかに無線式通話器も使えなくなっているんです」
「それが?」
「警部」カイトが口を挟む。「時間がありません、逮捕にむかいましょう」
「あわてなさんな。どうせ客が避難するまで大捕り物は無理だよ。相手は武装しているんだから」
「その客にまぎれて逃げられたら!?」
「こうやって監視しているし、出口には部下を配置してある。さあ、支配人さん、続きをきかせてくれ」
「続きといっても」支配人は気の進まぬようすながらもことばをつづけた。「あとはわたしの憶測ですよ。この電波妨害はだれがやっているのか? 答えはひとつしか思いつかない。なぜこんなことをしているのか? それもやっぱりひとつしか思いつきませんよ。ねぇ、警部さん、ほんとはご存じなんじゃないですか?」
「いや、知らなかった。おれはここに詰めていたんだぜ。そういや、部下の報告が途切れているな。まあ、短いあいだだから気にならなかったが……」
「おかげでいまじゃ音声制御で機械たちに簡単な指示を与えている状態ですよ。ほら」と支配人は画面をつつき、「この追いかけているキリン、こいつの目からの映像がほしいと思っても、このとおりだ」
支配人が操作すると、画面は砂の嵐になった。
「あんたはなにか知っていそうだよな」エントリュアはカイトに目をむけた。「宇宙でなにか異変があったんじゃないのか?」
「知りません」カイトはむきになって否定した。「わたしだって警部といっしょにいたんです。ご存じでしょう?」
「でも、ときどき個人端末をのぞいていたじゃないか」エントリュアは指摘した。「端末のなかに通知が来ているんじゃないのか、電波妨害の予告とその理由とか」
「わが軍内部の連絡事項です。警部にはなんの関係もありません」カイトは表情を硬くした。
「そうかな?」エントリュアはやさしい口調で、「あんたはたしかこの捜査についてはいちいち上層部に報告しなきゃいけないはずじゃなかったっけか。ところが、アーヴがあらわれたっていうのに、報告をしようとしない。そいつぁどういうわけだ? 報告のしようがないからじゃないのか。なあ、大尉どの。おれはあんたが理由を知っていると信じている。もしもみょうな隠し立てをすると、おれも部下たちもとたんに仕事を怠けたくなるぜ」
「脅迫する気ですか!?」カイトの白い顔に血の気がさす。
「そうだよ。脅迫っていうのはおれたちの商売道具なんだ。容疑者っていうのはたいてい協力的じゃないからな」
「わかりました」カイトは厳しい形相でいった。「たしかに、軍標準時1155、すなわちいまから三十七分前に命令を受けました。軍標準時1200から電波妨害をはじめる、ついては当分のあいだ、命令通達は不可能になるが、現在の任務を継続せよ、と」
「おれは電波妨害の理由を訊いているんだがな」
「それは知りません。ほんとに知らされていないんです。信じてもらうしかありません」
「なるほど」エントリュアは目を細めた。
カイトは嘘をついているようには見えない。いかに育った文化がちがうとはいえ、嘘をついている人間は見ればわかるはずだ。彼にはその自信がある。
エントリュアは失望した。だが、はっきりした回答がきけなくても、推測はできる。
「アーヴが還ってきたんだな」彼はつぶやいた。
「お待ちください」白犀がいった。
「お待ちください」皇帝ペンギンがいった。
「お待ちください」ピューマがいった。
ジントとラフィールはすっかり愛くるしい動物たちにとりかこまれていた。子どもたちがいなくなったおかげで、ほかにする仕事がないようだった。
「のくがよいっ」ラフィールは|凝集光銃《クラーニュ》をビーバーの頭につきつけた。
「お待ちください」ビーバーは可愛い前歯をのぞかせた口でいった。
「そなたたち、知性体ではないであろな」ラフィールは確認した。
「ええ、ちがいます。わたくしたちは自由意志を持っていません」ビーバーは片目をつむった。
「でも、このことは子どもたちには内緒に願いますよ。夢を壊してしまうから」
「やむをえぬ。ジント、破壊するぞ」
「ええっ」ジントは叫んだ。「気が進まないなぁ、こんなに可愛らしいのに」
「わたしだって進まない」いうなり、ラフィールはビーバーを撃ち倒した。「けど、しかたないであろ。ぐずぐずしてたら、やつらが来る。だいたい、そなた、人間を平気で撃ってたじゃないか」
「そりゃ、むこうも撃ってきたからね。だいいち、あんまり可愛くなかった」
「警告します!」動物たちがいっせいに声を張りあげた。「わたくしどもは〈グゾーニュ幻想園〉の財産であり、いたずらに破壊すると、器物損壊の罪に問われます。また、損害にたいする賠償を申し受けます。ちなみに、わたくしども一体の平均価格は……」
「ならば、破壊されないうちに消えるがよいぞ!」とピューマを輪切りにする。
機械動物たちは仲間を失ってもひるまず、かえって包囲の輪をちぢめた。
「ごめんよ……」ジントはハイエナを撃ち抜いた。いちばん悪役面をしていたので、まだしも罪悪感が薄かったのだ。
「なんてことを!」貴重な財産が破壊されるのを目のあたりにして、支配人は頭をかかえた。
「ほら、じつに凶悪そのものでしょう」カイトがわけ知り顔でいった。
支配人はきいていなかった。「侵入者から離れろ! 第二四項機能を解除するっ」と場内放送で機械動物たちに指示を飛ばす。
機械動物たちは侵入者に背をむけた。
侵入者たちがそれ以上撃たないのを確認して、支配人はほっと肩を落とした。
「いっそ機械動物を引きあげてくれ」エントリュアはいった。「逮捕のじゃまになる」
「音声制御じゃできないんですよ。技術者がちょくせつ行くか、電波で命令を打ちこまないと。そんなことより、警部さん」支配人はエントリュアに怒りの目をむけた。「なにをボヤボヤしているんです? 早く捕まえてくださいよ」
エントリュアは肩をすくめた。「だからいったでしょうが。あの非常口のまわりに部下を配置させてくれって。園の評判を気遣って反対したのはあんただ」
「ああ、わたしはまちがっていましたよ。そのことは認める。だから……」
「客の避難がすむまで駄目だ。おれたちは市民に愛される警察なんだからな」エントリュアは画面のひとつを指差した。
それは入場者管理|思考結晶《ダテューキル》の端末画面で、『現在の入場者数』はまだ一二〇ほど残っていた。しかもその数字はさっきからほとんど変わらない。なにかの理由で出ていくのを渋っている客が一二〇人。
「もうあのあたりにはいない」支配人は反論した。
「そうですよ」カイトが加勢した。「ただちに捕縛にむかいましょう。通話器が使えないのですから、連絡にはそれだけ時間がかかります」
「通話器が使えないのはだれのせいだ?」エントリュアはくわえていた煙草を灰皿に押しつけた。「だが、まあ、あんたのいうことももっともだ。逮捕にむかうか」
「はい」カイトは勢いよくうなずいた。
動物たちと追いかけっこをしているあいだに、人間の姿は消えていた。動物たちはまだいるが、ジントたちには近づこうとはしなかった。かといって、避けるふうでもない。
「失礼」リスとぶつかりそうになったジントは謝った。
「こちらこそ」リスは悠然と去っていった。
いまふたりのいるところは、まるで迷路だった。路地の両側に店の陳列棚が迫りだしている。陳列棚にはいろんな商品、もっぱら動物の絵柄をつけた文房具や日用品、衣服などが並べられていた。店番をしているのは機械動物たちだ。
ジントは服屋の店先で脚を止め、自分の汚れた|つなぎ《ソ ル フ 》を見たが、すぐにあきらめた。のんびり品定めをしたり、着替えている暇はない。
路地は複雑に入り組み、広い通りにはなかなか出くわさなかった。天井を見あげればどうやら中心部あたりにいるらしいと見当のつくものの、出口がどちらにあるものやらさっぱりわからない。
店番の動物たちは興味深そうにふたりを注視していたが、売り声を張りあげるようなことはしなかった。
「待って」ジントは、前を行くラフィールに声をかけた。
「なんだ?」
「思いついたんだけど、動物に出口を訊いてみよう」
「それはいいな」ラフィールは賛成した。
ジントは雑多な商品を並べているカワウソの店に近づいた。
「いらっしゃいませ」カワウソは短い両手を広げた。
商品の種類はとりとめないが、みんなカワウソの絵柄が入っていることに、ジントは気づいた。
「なににしましょう」
「いや……」ジントは口ごもる。
「ああ、わかっていますよ、ぼくの絵が入っていればなんだっていいんでしょう。じゃあね、お薦め商品はこれに決まり」とカワウソは調爪器を手のひらに乗せ、「お値段も手ごろだし、とっても性能がいい。調爪器なんて余分にあってもじゃまにならないし、なくしやすいもので、そのうえ……」
「そうじゃないんだ」ジントはさえぎった。「出口はどこか、訊きたいんだけど」
「なんですって?」カワウソは叫んだ。「もうお帰りになる? もうちょっと楽しんでいらしてくださいよ。せめて調爪器を見るあいだぐらい。なにかお急ぎで?」
「知らないの? ここは臨時閉園しているんだぜ」
「そりゃなんの冗談? この〈グゾーニュ幻想園〉は二十四時間営業を……」
「だから、臨時なんだろ。教えてくれるの、くれないの?」
「つれない人だな。しかたありません。この路地を真っすぐいって……」とカワウソは出口を教えてくれた。
ジントは礼をいって店を離れた。
「あっちだ」とラフィールに方向を伝え、また小走りに駆けはじめた。
どこかで爆発音が起こった。
「彼ら、非常用|操作釦《ポーシュ》を見逃してしまったみたいだね」ジントはいった。
「だれだ、ばかやろうっ」指揮車のなかで爆発音を耳にし、エントリュアは怒りの声をあげた。
だれか慎重でない部下が攻撃をはじめたのかと思ったのだ。しかし、よく考えると警官は爆発性の武器は装備していないはずだ。すくなくともエントリュアの部下はもっていない。
じゃあ、アーヴか? |短針銃《ケーリア》しか所持していない部下を、アーヴが殺獄しようとしているのか。
その考えもおかしかった。アーヴのいるはずの場所とは方向がちがう。
エントリュアはようやくアーヴを追跡している連中のことを思いだした。
「あんたのお仲間らしいな」エントリュアはカイトに目をむけた。
「そうでしょうか」憲兵大尉はうなだれた。
ここらで打ち切りにしようか――エントリュアの頭を考えがかすめた――もともと乗り気じゃなかったんだし、ほうっておいても、占領軍のやつらが拘禁するだろう。けちな車泥棒のひとつやふたつ、犯人逮捕をあきらめても……。
いいや、駄目だ! せっかくここまで追いつめておいて、いや、正確にいうと、やつらが追いつめる先に網をはっていたんだが、とにかく容疑者を前にして他人が手柄をあげるのを黙って見ていられるものか。
「おい、急げ!」警部は運転手の背中をつつく。
「しょうがないんですよ、警部」若い警官はいいわけした。「ここのきゃわゆい動物たちは道交法を知らないらしくて!」
そういっているあいだにも、幸福そうなタヌキと危うく接触しかけた。
「ここは道路じゃないからな」エントリュアは背もたれに右肩を打ちつけた。「こんなことなら、空中艇を持ってくればよかったんだ!」
「応援を呼びますか?」
「ばかやろーっ、そんな暇、あるか」
後ろで大きな衝撃音がした。
巡邏車の一台が建物に正面からつっこんでいた。それをタヌキが心配そうにのぞきこんでいる。
エントリュアは溜息をついた。思ったより愉快な逮捕劇になりそうだ。
「緊急事態、緊急事態」場内放送が狂騒的にわめく。「園内にお残りのお客さまはただちに退去してください。もうこれ以上、安全に責任を持てません。それから、非常口を爆破したお客さま、いや、侵入者のかた、園内では静粛に願います! 破壊行動はつつしんで! ちくしょう、なんだってこんな無茶しなきゃいけないんだ!?」
「警部、あそこ!」カイトが前方を指で示した。
若い男女がいた。少女の髪は黒いが、被っているのはアーヴの|頭環《アルファ》である。
「よーし、行けーっ」エントリュアは雄叫びをあげる。
一刻も早くこの阿呆らしい仕事から解放されたかった。
「見つかった!」ジントは立ちすくんだ。
一列になった|浮揚車《ウースイア》がつっこんでくる。
ラフィールは銃を構えようとしていた。
われに返ったジントは彼女の手を押さえ、「駄目だ、すくなくともここじゃ! さっきの市場にもどろう」
ラフィールは首をかしげたが、すぐにうなずいた。
ふたりは身を翻した。
「待ちなさい、こちら警察だ!」拡声器から威嚇的な声が響いた。
待てといわれてほんとうに待ってしまう人間がこの銀河にどれだけいるのだろう、とジントは思った。
「警部、これ以上は無理です!」指揮車は急停止した。
たしかに目の前の道は道と呼ぶのにもふさわしくない。人が三人並んで歩くのも危ういほど狭く、とても車は入れない。
店を薙ぎ倒すのならべつだ。だが、市民に愛される警察がそんなことをするわけにはいかない。
「従業員も退避!」場内放送はまだつづいていた。「三級以上の技術員資格を持つものはなるべく多くの機械動物を自動収納調節するんだ。ただし第六、第七両地区の従業員は無条件で退避。さっさと退避しろよっ。なんてことだ、まったく!」
「全員、下車!」エントリュアは号令をかけた。
率先して降りて、後続の巡邏車にも同じ号令を発する。通話器を使えないのがいらだたしい。
総勢二〇名の警官隊が路上に並ぶ。
どこか横道にそれたか店に飛びこんだらしく、容疑者の姿は視界になかった。
「全員、発砲準備」
警官たちが|短針銃《ケーリア》を抜き、安全装置をいっせいに解除した。カイトもそれにあわせて自分の武器を射撃可能な状態にする。
「追跡!」エントリュアは路地に突入した。
カイト憲兵大尉と二〇人の警官隊がそれにつづいた。
「ごめん、通らせて!」ジントはカメの店の陳列棚を乗り越えた。
カメは首をすくめただけで無言だった。
「許すがよい」ラフィールも乗り越える。
カメは背中合わせに坐っていたミミズクの脇を擦り抜けた。
「悪い子だ!」商品を無茶苦茶にされたミミズクは黙っていなかった。「悪い子だ、ほんとに悪い子だよっ」
「ごめんよっ」ジントはふりかえらずに謝った。
「ひとつ指摘してよいか?」ラフィールが息を弾ませながらいった。
「なに?」
「われらはいま、道を戻っているぞ」
「しょうがないじゃないか、だって……、ああっ」ジントは思いだした。「敵の連中がいるんだったっけ」
「忘れてたのか? そなた、神々しいばかりに呑気だな。感心したぞ」
「……、ありがと」
「おや、お帰りにならなかったんで?」あのカワウソがふたりに気づいた。「こんどこそなにか買ってってくださいよ!」
「空中艇か宇宙船、ある?」ジントは店の前を駆け抜けがてら尋ねた。
「もちろんですよっ」勢いよくカワウソがこたえた。
「え?」ジントは思わずふりむいた。
カワウソはおもちゃの宇宙船を手にもってふっていた。きっとカワウソの絵がついているのだろう。
カワウソのむこうに警官の姿がのぞいた。
「やばいっ」ジントは右に方向をかえた。ちょうど路地がある。店を荒らさなくてすみそうだ。
「ラフィール、こっちだ!」
「あれぇ、どこへ行っちゃうの、お客さ〜ん」カワウソが身をのばして叫んだ。
「待たんかぁっ!」警官の声が背中を打つ。
その路地には横へ入る道がなかった。正面に芝生が広がっていて、そのむこうに石造りの建物が見える。
ジントは軽度の広場恐怖症に罹っていた。広い場所に出ると、どこからか弾丸か光線が飛んできそうな気がする。
だが、選択の余地はなかった。
ああ、かんべんしてくれ――エントリュアは呪った――娘たちだってそろそろ色気づくころなんだ。なのに、どうしてこんなところで体力まかせの原始的な追跡をしている?
通話器が使えたら、こんな目にはあわずにすんだんだ。おれは指揮車にふんぞりかえって、部下をふたりずつの班に分けて迷路を探索させ、やつらが迷路からいぶしだされたところに駆けつける。それがずっと効率的だ。
となりのカイトのようすをうかがう。年上とはいえ肉体の若い彼は息があがっていない。
じつに羨ましく、憎しみさえ感じた。
角にあった店の支柱を握って勢いをつけ、方向転換する。
追いかけている相手の背中が見えた。
「いい加減にしろっ」エントリュアは片膝をついて射撃体勢をとった。「止まらんと、撃つ!」
警告がきこえたときには、ジントはもう路地を抜けていた。
もちろん、止まるつもりはなかった。
路地の死角に身を隠す。
とたんに左のほうから叫びがあがった。
緑褐色の制服。敵軍兵士だ。警官よりもやっかいな相手だが、ひとりだけだった。
ラフィールが、流れるような投げ撃ちで、敵が発砲する前に撃ち倒す。
「ジント、急ぐがよいっ。あれは散開索敵中の兵士だ。仲間を呼んだぞ」
「いわれなくたって……」ジントはふたたび走りだした。
とりあえず目標は石造りの建物だ。岩を砕く敵の破砕弾にたいしては石の壁も厚紙どうぜんという予感もあるが、すくなくとも市場の店よりは頼りにしていいはず。
だが、芝生を半分もわたらないうちに、敵兵が出てきた。
立膝撃ちの姿勢で銃を構えるのを、ラフィールが走りながら掃射。
ジントは|隠し《モスク》から|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》をひとつ握り、爆発待機状態にあわせる。チチチチッとさえずるような振動を手のひらに感じた。
ミンチウ競技で培った投擲力だが、距離があるので届くかどうかは確信がなかった。
だから、敵兵が土くれとともにふっとんだときは肩の強さを見なおした。
だが、敵は怯《ひる》むことを知らない。
つぎつぎに新手があらわれてくる。
一歩先を行くラフィールは、顔を目的地にむけたまま右手で|凝集光銃《クラーニュ》を肩ごしに撃ちまくっている。目標を見ていないのにもかかわらず、その狙いは正確だった。
|空識覚《フロクラジュ》のおかげだ。この状況で空識覚は魔法のような力を発揮していた。|頭環《アルファ》をつけたアーヴは三六〇度の視野を持っているに等しい。極超短波で周囲の動きを感じとる。狙いをつけるために立ち止まったりふりかえったりする必要がないのだ。
それでも弾丸は飛んでくる。しだいに激しさをまして。
ジントからほんの五ダージュのところに土煙があがった。
――もうちょいだ。
ラフィールが開きっぱなしの入り口に駆けこんだ。
――よし、つぎはぼくのばんだ。
建物の入り口が手をのばせば届きそうな距離に迫っていた。
「なにごとだよ!?」エントリュアは反射的に地面に伏せた。
アーヴたちを追ってもうすぐ路地を抜けようかというときに銃撃戦がはじまった。惑星クラスビュールではかつてなかったような銃撃戦だ。
――こいつが軍隊と警察のちがいか。
情けないことに顔をあげるのも恐ろしい。
「撤収だっ」気力を奮い起こして、エントリュアは命じた。その声も銃声にかき消されそうになる。「帰るぞ。こんなところは警官の職場じゃない」
「そんな、警部」カイトは抗議した。「あきらめるんですか!?」
「あたりまえだろっ」エントリュアはどなる。怯えている自分に逆上してもいた。「おれたちになにをしろっていうんだ、ああん? 本職の拳闘士が殴りあってるのに力自慢のガキが出ていくようなもんじゃないか。あんたの世界じゃどうか知らないがな、この地上世界じゃ、こんな修羅場をくぐるような装備も訓練も警察にゃないんだよ。いいか、殉職警官をいくら製造したって、世間じゃ評価してくれないんだ。どうしてもアーヴを捕まえたきゃ、あそこにいるあんたの仲間んところへ行けばいいだろっ」
「うっ……」
一発の破砕弾がいくつもの店を貫通してエントリュアのすぐそばを通過し、一体の機械動物を粉砕した。
「どこを狙ってんだ、下手くそっ」きこえないのがわかっていたが、エントリュアは罵った。そして、部下たちにむかい、「なにしているんだ、さっさと下がれ。車のところまで撤収だ。頭を低くして行くんだぞ。くそったれめ、こんなところに来たのがまちがいだった!」
「ジント、速く来るがよいっ」ラフィールが戸口から半身をだして、ジントを援護するために|凝集光銃《クラーニュ》を活躍させている。
ジントは両手から入り口に滑りこんだ。
「いらっしゃいませ」
そこは料理店だった。給仕のウサギたちが耳をパタパタさせて歓迎してくれた。もちろん、人間の客はいない。
ジントはすばやく店内を見まわした。
奥にもうひとつ出入口がある。たぶん、調理場に通じているのだろう。
ラフィールはまだ応戦していた。
「行こうっ」とラフィールの袖をひっぱる。
「うん」ラフィールは最後に三連射をして入り口から離れた。
「お客さま、何名さまですか? お席にご案内いたします」ウサギの一体がいった。
「ありがとう。でも、空席がいっぱいあるみたいだからいいや」と調理場にむかう。
「お客さま、そちらは困ります」そのウサギが制止しようとした。
外では敵が態勢を整えつつある。
窓越しにその光景に気づいたジントは叫んだ。「伏せろ!」
警告を理解したのはラフィールだけだ。無理もない、機械動物の疑似知能設計者は銃撃戦を想定していなかっただろう。
すさまじい攻撃がやってきた。
石の壁はジントが恐れていたほど薄くはなかったが、攻撃に持ちこたえられるほど頑丈ではなかった。
ガラガラと壁が崩れる。石片が飛び散る。崩れたところから破砕弾が飛びこんで、店内を爆風で満たす。ウサギの部品が床に転がった。
「警告します!」数体のウサギが壁の穴から外に、「わたくしどもは〈グゾーニュ幻想園〉の財産であり、いたずらに破壊すると、器物損壊の罪に問われます。また、損害にたいする賠償を申し受けます。ちなみに、わたくしども一体の平均価格は……」
敵の銃がうなり、虚しい警告をしていたウサギたちを吹き飛ばした。
「ラフィール、だいじょうぶか!?」
「あたりまえであろ、|星たちの眷族《カルサール・グリューラク》が……」
「わかったよ」ジントはさえぎり、匍匐前進をはじめた。「それより急ごう」
「うん」
「お客さま」ウサギがジントを見おろしていた。「ここは危険でございます。ご避難なされるのがよろしいかと存じます」
「教えてくれてありがとう。どうもここは危ないような気がしていたんだ」この期に及んでまだ軽口をたたける余裕に、ジントはちょっと気分をよくした。
その直後、避難を勧告してくれたウサギが銃弾を受けて倒れた。
「くそっ」ジントのいい気分は消え去り、怒りを覚えた。
ハイエナを破壊しておいて勝手な感想だとはわかっているのだが、ことばをかわした相手が破壊されるのを見るのは、あまり気持ちのいいものではない。
ふたりの接近を感知して出入口が開いた。
ジントが、つづいてラフィールが調理場に入った。
調理場は別世界のように無傷だ。しかし、それもいつまでもつかわからない。
立ちあがって、調理機械のあいだを駆け抜ける。
また出入口があった。通り抜けると、従業員専用らしい廊下があり、両側に扉が並んでいる。
ふいにラフィールが崩れ落ちるように倒れた。
「どうしたの!?」ジントは驚き、「どこか怪我をしたの」
「そうじゃない」アーヴにはふさわしくない弱々しい笑み。「情けない話だけれど、疲れたみたいだ」
「へえ、きみにも弱点があったんだ」口ではそういいながらも、ジントは同情した。アーヴにとって長時間走るというのはめずらしい体験にちがいない。それも生活環境の倍の重力のもとでだ。
ラフィールのことだから、平気をよそおって体力の最後の一滴にいたるまで燃焼しつくしたに決まっている。
何時間、走っていたのだろう。三時間か、四時間か。止まったり歩いたりもしたが、たいてい小走りで、ことに最後の三十分ほどは全力疾走だった。
ジントにしても体力の塊というにはほどとおい。気が張っていたせいで意識しなかったが、疲れのあまり吐きそうだ。
「でも、行かなきゃ」ジントは吐き気を抑えて笑顔をつくり、「さあ、肩を貸すから」
「すまない」ラフィールは手を差しのべた。
ジントはラフィールを救けおこし、その腕を肩に担いだ。「いっそのこと、おぶってあげようか」
「ばかにするなっ」
「きみらしいや」ジントは安心した。
さすがにもう走るわけにはいかない。急いでいるつもりだが、歩いているのと変わりなく、ひょっとするとふだんの歩行より遅いかもしれない。
「疲れているのは敵も同じだ」ジントはラフィールと自らを勇気づけるためにいった。
そう、敵の兵士も洞窟のなかを徒歩で追跡してきたのだ。それもかなり重装備をしているはずだ。
彼らが地上戦の専門家であり、したがって重装備長距離踏破の訓練を受けているはずだということについては、なるべく考えないことにした。
肩にかかるラフィールの重みを意識すると、ジントの思考はまったくべつの方向へ飛んだ。
かつての彼女なら、こうやってすなおに肩を借りなかっただろう。航行日誌をもってジントひとりで行け、と強硬にいいはったにちがいない。
うれしかった。
7 |幻想園の馬《ワーフ・ギュームヒュン》
いちばん手近な左側の入り口をくぐった。
そこもやはり調理場だったが、料理店というより喫茶店の調理場のようだった。さっきいた場所よりいくらか狭いし、調理機械も小型のものが設置されている。
建物が振動した。敵の銃撃がつづいているのだ。
むしろ都合がいい。ジントのもっとも恐れているのは、敵兵の突入だった。もしここに敵兵が群がってきたら、もう応戦できそうにない。
「坐っていて」椅子がなかったので、ラフィールを壁ぎわに坐らせた。
「なにをするんだ?」
「泥棒の真似ごと」
「そんな暇はないぞ」
「わかっているけど、必要なことなんだ」ジントは鉱泉水の壜を探しだし、ひとつをラフィールに手渡した。「ぼくらに必要なのは水分さ」
壁に寄りかかったラフィールは両手で壜をもって飲みはじめた。唇の端から清水が流れて衣服を濡らす。
ジントも鉱泉水を壜半分ほど飲んだ。胃まで落ちていかず、途中で吸いこまれるかのようだ。
「こんなところを|王家《ラルティエ》の|侍 従 長《ワス・ベイケブレール》が見たら」一息ついて、ラフィールはいった。「痙攣の発作を起こすであろな」
食器洗い器から|硝子杯《スイニューク》をふたつとりだしながら、ジントは尋ねた。「礼儀にうるさい人なの」
「うん。叱られてばかりいた。でも、優雅にふるまうべき時空には、わたしはいくらでも優雅にふるまえるのだから、かまわないんだと思う」
「信じるよ。残念ながら、ぼくはその優雅にふるまうべき時空には遭遇していないみたいだけれど」しゃべりつつ、ジントは横一列に並ぶ壁龕《へきがん》状のくぼみを検分している。
「黙るがよい、いつものわたしは優雅だ」
「そう?」
「それ以上、なにかいうなら引き裂くぞ」
「それは困るな」ジントは逆らわなかった。
『葡萄風味・濃縮糖水』とアーヴ語で表示のあるくぼみに|硝子杯《スイニューク》を置いた。液体が硝子杯に落ちた。
味見をする。なるほど『葡萄風味・濃縮糖水』だ。葡萄のかおりがして、ねっとりとした舌触り、味は蟻でさえ閉口するほど甘い。
炭酸水か酒で割る原液だ。ふだんのジントなら一くちでやめたにちがいない。だが、いまは奇妙に美味だった。
もうひとつの|硝子杯《スイニューク》を満たしてラフィールに渡す。「飲んで」
ラフィールは一くち含んで、「こんなときでなかったら、侮辱と感じたであろな」
「いまのぼくらに必要なのは糖分だよ」
「わかってる」ラフィールは一気にどろりとした液体を飲みほした。そして、鉱泉水で後味を洗い流す。
「行こう」とラフィールに手を貸した。
「もう肩は貸してくれなくてよいぞ。糖分が効いてきた」
だが、ラフィールはよろめき、壁に手をついて身体をささえなければならなかった。
「いくらアーヴでもそんなに代謝が速いはずないじゃないか。無理するんじゃないよ」とジントは肩を貸す。
「うん……」
まだ喉が渇いていたので、飲みながら歩きだした。
かなり近くで爆発があり、廊下へ通じる扉がひんまがった。
表側の店にはだれもいなかった。人間はもちろん、機械動物も。なにやかやと話しかけられないのがありがたい。
店を出た。幅広い柔石の道だ。
ジントはラフィールの銃を持ってやり、かわりに鉱泉水を渡す。
ラフィールはもう一くち飲み、残った壜をふって尋ねごとをする表情をした。
ジントは首を横にふる。
ラフィールは壜を投げ捨てた。有機|合成樹脂《ゲ ー ニ ュ 》製の壜は頼りない音をたてて転がる。
「こんなところをその|侍 従《ベイケブリア》さんが見たら……」
「痙攣の発作じゃすまないであろな」気持ちよさそうにラフィールは目を細めた。
前から馬がやってきた。
「ゴミのポイ捨てはいけないな」と馬はいった。
「ごめんよ」無意識のうちに、ジントは謝った。
「疲れているのかい?」馬は方向をかえ、ジントたちといっしょに歩きはじめた。
「うん。とっても」と正直にいう。
「乗せてあげようか?」
「乗せてくれるの?」ジントは驚いて、額に星型のある馬の顔を見た。
「うん。それがぼくたちの仕事だから」
「ありがたい。でも、ぼくたちは疲れているうえに、急いでもいるんだ」
「じゃあ、急いであげるよ」
「ありがたい」
ジントは|王女《ラルトネー》を馬の背に乗せ、銃を返した。その後ろから彼もまたがる。
「ずいぶん重い子どもたちだな。ほんとは大人なんじゃないのかい」馬は文句をいった。
「体重超過で悩んでいる子どもさ」
「もっと小さい子ならふたり乗せることもあるけれど、こんな大きい子どもをふたりも乗せるなんて初めてだよ」
「無理?」
「ううん。そんなことはないよ」
「そう、よかった。出口まで頼むよ」
「お母さんかお父さんには黙っていていいのかい」
「ふたりとも、お父さんは家にいるんだ」|帝都《アローシュ》ラクファカールや|ハ イ ド 伯 国《ドリュヒューニュ・ハイダル》がここから何百光年離れているか知らないが、嘘偽りなく事実だった。
「じゃ、行くよ」馬はだく足《あし》[#だく「足+包」表示不可]で駆けだした。
ラフィールは馬の首にだきつき、ジントは手綱を握った。馬の速度は人間の全力疾走ぐらいで、かなり距離を稼げそうだった。
ジントのいた場所はかなり長い建物だったが、すぐその切れ目が見えてきた。
ラフィールが銃を握った手をのばす。
建物の端に来た。
敵兵が一〇人ばかり待ち構えている。だが、馬に乗っているふたりに意表をつかれたようだ。反応がいっしゅん遅れた。
すかさずラフィールの銃口から不可視の光がほとばしった。
あっという間に狭い隙間の横を通過し、同じような造りの建物が右手をさえぎった。
「もうちょっと急げない?」ジントは馬に尋ねた。
「ぼくはだいじょうぶだけど、きみたちが危ないよ」
「ぼくたちもだいじょうぶだ」
「そう? 危ないと思ったらいってよね」
馬は速度をあげた。時速五〇〇ウェスダージュぐらい。
たしかに危なかった。|浮揚車《ウースイア》や|地上車《フレリア》とちがって、馬というのはかなりの震動がある。
ジントは鐙《あぶみ》に足をつっぱり、ふりおとされないよう頑張った。
「ジント、のけぞるがよいぞっ」とラフィール。
ジントは手綱をしっかり握って、のけぞった。顎を光線がかすめたような気がした。
逆さになった光景のなかで敵兵が射撃をはじめていた。建物の陰に半身をひそめ、銃を乱射している。
「うわーっ」胸を締めあげられるようだ。つかまっている以外になにもできないという状況が恐怖を倍加した。
ラフィールの|凝集光銃《クラーニュ》が建物の角を削り、敵兵を倒す。
さらにいくつかの建物の脇を通りすぎ、敵の銃撃もおさまったので、ジントは苦労して姿勢を戻した。
半球形の施設があった。
馬はその横を駆け抜け、右に折れた。
「そっちは駄目だ!」ジントはあわてた。
右には敵兵がいる。かなり引き離しているだろうが、銃の射程以上に引き離しているとは思えない。
「どうして? こっちが近道だよ」馬は反論した。
「とにかく!」
馬といいあらそっているうちに、半球形の陰から出た。
広場のような場所。中央に噴水があり、いろんな形態の施設がとりまいている。
右には一直線の街路のある桃色珊瑚三階建ての町。手前の街路の遠くには敵兵が並び、いっせいに銃撃を加えてきた。
ラフィールはすでに射撃を始めている。
ジントも右手をのばして――銃を落としていないのは、われながらたいした功績だった――銃爪を絞った。
射撃の応酬はいっしゅんで不正確なものだった。だが、敵は数が多く、馬は稠密な射撃にさらされた。
さいわい命中弾はなかったが、あたり一面で小爆発の花が咲いた。硝煙の匂いが渦巻いて、柔石の破片がふりそそぐ。
「走りにくいなぁ。なにをしているんだろう?」馬がもっともな疑問を口にした。
「もっと急いで!」射撃が一段落すると、ジントは叫んだ。
「もっとかい? じゃ、行くよ」馬はさらに速度を上げ、まっしぐらに駆けていく。
射撃を受けることなく、広場の三分の二の距離を稼いだ。
「ジントっ」ラフィールが警告の叫びをあげた。「右後方、屋根のうえ!」
ジントはとっさに鞍の後輪をつかみ、左に上半身をかたむけた。
ラフィールが射撃を再開する。
同時に銃弾が飛んできた。
一発がジントの袖をかすめ、鉤裂《かぎざ 》きとみみずばれをつくった。
「くっ」ジントは歯を食いしばる。
「後ろからも来たっ」
ラフィールがいうのでふりかえると、馬に乗った敵兵が追尾にかかっていた。ジントたちに見習って、そこらをうろついている馬と話をつけたのだろう。三頭だ。
「まかしたぞ、わたしは手が回らない」ラフィールがいった。
「そんなこといったって……」
にわかじたての騎兵はあきらかにふさわしい訓練を受けていなかった。馬に振り落とされまいとしがみつく合間に行なう銃撃は、ほとんど効果がない。とはいえ、わずかずっ距離をちぢめてくる。
もちろん、ジントも訓練を受けていない点では同じだ。この不自然な姿勢では銃を構えることもおぼつかない。
ジントは銃を脇にはさみ、|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》をとりだした。
「ラフィール、目をつぶって」ジントは|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》を投げた。不安定な姿勢もあって、敵にははるかに届かない。
落ちるすんぜん、ジントは瞼を閉じて顔をそむけた。
閃光が走る。
ふたたび目を開けたときには、敵のふたりまでが落馬し、目のあたりを抑えて転げ回っていた。
「ゴミを投げちゃダメだって、いったじゃないか」馬が諭した。
「悪い子なんだ、ぼくは」
敵の残る一頭も停止した。
「そこだよ、出口は」馬がいった。
硝子の扉が二〇あまりも並んでいて、すべて開放されていた。
「ぼくはここまでしか行けないから」と馬はとまった。
「ありがとう」ジントは飛び降りる。
「行くぞ、ジント!」ラフィールは走りはじめた。こんどはほんとうに糖分が効いているようだ。
「またのご利用を……」馬がなにかいいかけたとき、破砕弾がその腹部に命中した。爆煙がもくもくと鞍をつつみ、電気火花が走る。
「ぼく、故障してしまったみたいだ……」馬はゆっくり足を折った。
「ごめん!」ジントは拳を胸の前で握りしめた。
「急ぐがよいっ」ラフィールは残った臨時騎兵をしとめた。
「ああ、わかっているっ」ジントは出口に駆けこんだ。
ちょっとした広間。売店や案内図があり、正面には停止した自動階段が一〇ばかり。もちろん、人っこひとりいない。
ジントは出口の横であるものを探した。
「なにしてるんだ?」自動階段にもう足をかげているラフィールは、険しい声を出す。
「五秒間だけ待ってくれ」
望むものがあるかどうか確信はなかった。が、それはあった。
『非常用遮断扉』の文字の下にみっつの四角い|操作釦《ポーシュ》。『警告・むやみに作動させると刑法上の罪に問われます』とあり、説明書きがかかげられていた。子どものいたずらをふせぐためだろうが、ちょっと複雑な手順が必要だった。
説明に従って、ジントは三番、一番、二番のじゅんで釦を押す。釦は押されると発光した。みっつの釦が点滅をはじめる。
「警告します。必要なく遮断扉を作動させると、民事と刑事において責任を問われます。もういちど、状況をよくおたしかめのうえ……」
機械音声が告げたが、ジントは耳を貸さない。その余裕もない。手をみっつの釦に叩きつけた。
「危険! 遮断扉が閉まります。扉から離れてください。危険! 遮断扉が……」
硝子扉がいちどきに閉まる。上から鋼鉄製の扉がおり、ズンと地響きをたてた。
「よし、行こうっ」ジントはラフィールに駆け寄った。
長い階段だ。建物なら五階分に相当するだろう。
それを一気に昇って、肩で息をする。
「だいじょうぶ?」とラフィールを気遣う。
「うん」彼女の顔は蒼ざめていたが、微笑をたたえるだけの余裕はあった。
「街へ戻ろう。また潜伏しようよ。きっともうじき|帝 国《フリューバル》が還ってくる」
無人の出口を抜けた。
もう日はとっぷり暮れていた。出口の外はゆるい上り坂になっており、地面がぼうっと光っている。
ちょっとした広場ほども横幅のある道は、のぼりきったところで左右に分かれていた。
そこまで行かないうちに、両側から浮揚車が出現し、ふたりの行く手を阻んだ。その車には見憶えがある。
「警察だ!」ふりかえったジントの目に、物影から飛びだす警官たちが映った。
「動くなっ!」警官たちは銃を構えて牽制した。
ラフィールの右手が動く。
「いけないっ」ジントはその手首をつかむ。
「なぜだ!? あきらめるのかっ」
「そうだよっ」
相手は前後をはさみ、とくに前方の警官は車を盾にしている。
勝ち目はない。
「|領民《ソ ス 》の警察ならまだいいじゃないか」ジントは説得した。「敵に捕まるよりは」
「けれど、引き渡されたら!?」
「そのときはそのとき。いま、ここで戦えば確実に死ぬ」
ラフィールは下唇を噛みしめたが、銃をおろした。
中央の浮揚車から男がおりた。褐色の肌をして、煙草をくゆらせている。
「おれはルーヌ・ビーガ市警察のエントリュア警部だ」褐色の男はいった。「五日前に発生した|浮揚車《ウースイア》強盗事件についてきみらに話をききたい」
「逮捕するんですか!?」警部にきびしい眼差しをむけつつ、ジントは尋ねた。
「ああ、クラスビュール語を話すのか」エントリュアは破顔した。「よかった。アーヴ語は学校で習ったきりでね。きみがクラスビュール語を話せてうれしいよ。それで、質問の答えだがね、逮捕じゃない、任意同行だ。きみたちがだれかもわからないのに、逮捕状はとれない。もっとも、器物損壊、武器不法所持については現行犯逮捕できそうだな」
「正当防衛を主張します」
「と思うから、殺人は数えなかったんだ。だけど、同行したほうが身のためだと思うよ」
「逮捕じゃないんですね」ジントは念を押した。
「ああ、逮捕じゃない、いまのところは。だから、手錠も拘束服もなしだ」
「器物損壊や武器不法所持については?」
「さあて。じつをいうと、|帝 国《フリューバル》とのあいだにゃ協定やらなんやらあってね、こういう場合にどうなるやら。そいつを決めるのは法廷だよ。きみたちの特殊事情もわかるし。とにかく、いまのおれにはきみらを逮捕するつもりはない。わかってくれたか?」
ジントはゆっくりうなずいた。
「よかった。銃を捨ててくれないか」エントリュアは穏やかにいった。
ジントは銃を放りだした。一個だけ残っていた|光源弾倉《ヤ ペ ー ル 》も地面に落とす。
ラフィールはまだ銃を離そうとしない。
「そちらのアーヴの娘さんも」
「さあ、ラフィール」ジントは小声でささやいた。
「そなたの判断を信じよう」とジントにいって、ラフィールは銃を置いた。
エントリュアは安堵したようすで部下にふたりの武器を預かるよう命じ、「よーし、両手を頭の後ろに組んでこっちに来てくれ。すなおにしたがってくれれば、手荒な真似はしない」
ジントはいわれたとおりにした。ラフィールもいやいやながら、手を後頭部にまわす。
「甘いですよ、警部!」車からべつの人物がおりたった。
緑褐色の制服。〈人類統合体〉の将校だ。
「だましたなっ」ジントは銃を預かった警官に跳びかかろうとした。
緊張が走る。
「待て! 誤解だっ」とエントリュア。「落ちつけ、説明する!」
ジントはその場で凍りついた。
「彼はおれたちに協力しているカイト憲兵大尉だ」エントリュアはまくしたてた。「いいか、おれたちが占領軍に協力しているんじゃない、あくまでここの最高責任者はおれなんだ。だから、おれのいうとおりにしてくれれば問題はない」
「とんでもないっ」カイトは銃をふたりに擬した。「問題はあります。武装解除もしたかどうかちゃんと調べていないじゃないですか! どうして信用できるんです?」
「エントリュア警部とやら」ラフィールがいった。「地上の民にどんな意味をもつかは知らないが、わたしは|アーヴの名誉《バール・レペーヌ》にかけて誓おう。武器はこれ以上、持っていない」
「ああ、信用しているとも」エントリュアは不器用なアーヴ語でこたえた。
「駄目だ!」カイトは金色の髪をふりみだして、「おい、アーヴ、信用してほしければ、素っ裸になってそこへ仰向けになれ。じっくり調べてやる」
ジントは一歩前に出てラフィールを背中にかばった。「そんなことができるか。ばかげた侮辱をするつもりなら……」
「そこをどけ、この奴隷野郎がっ」カイトはいきなり発砲した。
「うわっ」ジントは左肩に灼熱を感じた。風景が揺らぐ。
「ジーントっ」ラフィールがジントをだきとめた。
幸運なことに、カイトの銃は|凝集光銃《クラーニュ》だった。出血は少ない。が、激甚な痛みに脂汗がどっと吹きだした。意識がいっしゅんとおのく。
「きさまーっ」ラフィールは恒星表面の爆発のような怒声を発した。
「許さぬぞっ!!」
8 |勝利の舞い《ワドロス・サーソト》
エントリュアは唖然として、カイトの狂態を見つめた。
彼はまるで別人のようになっていた。気の弱そうな態度は炎天下の水溜まりのように消え去り、加虐的な笑みに端正な顔を醜く崩している。
「許さなければどうするというのだ、アーヴめ」カイトは嘲った。「きさまの愛玩動物がそんなに大切なら、とっとといわれたようにしないか。どうせきさまらは倫理もなく羞恥心もないんだろうが。忌まわしい合成人間、淫蕩なアーヴめ」
アーヴの娘は青年をだきかかえ、|凝集光《クランラジュ》のような視線でカイトを貫いていた。睨みながら、青年を地面に横たえようとしている。
「だ、駄目だ……」青年のつぶやきがきこえた。
なんてこった!――エントリュアは驚嘆した――あのアーヴのお嬢ちゃんは素手でカイトと戦うつもりなんだ。
青年はその意志を悟り、必死で離れまいとしている。脚をよろめかしながら、アーヴ少女の盾になっていた。
即座にエントリュアはどちらに味方をするか決めた。それはクラスビュールの法が命じるところとも一致した。
エントリュアは|短針銃《ケーリア》をカイトのこめかみにつきつける。「いい加減にしろ」
「なにをするんです!?」カイトは狼狽した。「帝国の報復を恐れているのですか。ならば心配は無用です。わが艦隊はたしかに一時的敗北を喫したのかもしれません。しかし、無敵の地上戦部隊は無傷です。神の恩寵により宇宙空間を再確保するまで、この地上世界を護持しつづけるでしょう。安心して正義を貫きとおして……」
「だから、そうしているだろうが」エントリュアはさえぎった。「宇宙をだれが支配しようが、おれには興味がない。だが、この地上はクラスビュールの法と正義が支配するべきなんだ。あんたのいまの行動はあきらかにそれに反している。残念だぜ、すこしはあんたに同情していたのにな」
「わたしはただ厳密に対処しているだけですっ」
「あんたの世界の警官が市民に愛されない理由がわかったよ」エントリュアは部下に命じた。
「おい、この馬鹿の武器をとりあげろ」
いちばん近くにいた巡査が実行した。
「ひどいまちがいですよ、警部! あなたはわが軍によって罰せられるでしょう」
「アーヴの娘さん」エントリュアはカイトの予言を無視して、アーヴの少女に、「ご覧のとおりだ。監督不行届きは詫びる。だが、いっしょに来てくれないか。その青年には治療が必要だろう」
闇色の瞳がエントリュアを見返した。
なんてきれいな娘だ――エントリュアは舌を巻いた。泥にまみれていながら、その美しさはかえって生気に縁どられ、いやましに輝いていた。この見知らぬ人々、敵意をもつ人々のなかで一歩も退かぬ矜恃は、その眼光に隠しようもない。アーヴといえば天空で文字どおりお高くとまっているだけの連中と思っていたが、すくなくとも彼女の身につけた威厳は地上をも払う。
こりゃ忠義も尽くしたくもなるぜ――エントリュアは撃たれた青年をちらりと見た。まちがっても第一期入植者にはいないような典型的な都市の青年だ。どことなく頼りなさそうでひよわな印象は、警官が怖気づく銃撃戦をくぐってきた事実をもってしても動くことはなかった。
カイトの狂笑が響いた。「アーヴをかばっても無駄ですよ、警部! 警察の拘置所から引きずり出してやるっ。忘れたんですか、このアーヴはわたしのものだ。多くの兵士をつれていくからな、あんたもただですますもんか、警部っ」
くそったれめ、そのとおりだぜ――エントリュアは心のなかで認めた――アイザンのやつなら一も二もなくアーヴを占領軍に引き渡してしまうだろう。
いや、そうともいえないな。なにしろあいつの変わり身の速さだけは称賛に値する。アーヴが還ってきたいまとなっては、そうそう占領軍にゴマをするわけにもいくまい。
しかし、占領軍の連中はあまり歓迎されていないのを悟って、ここのところ荒っぽくなっている。警察を吹き飛ばすぐらいのことはやりかねない。
だが、狂犬のお楽しみを、法の番人たる警察がぼけっと見守ることなどできなかった。
「エントリュア警部」アーヴはいった。「そなたは信頼しよう」
「よかった。それなら……」
「だが、しかしっ」
エントリュアはことばの続きをきくことができなかった。
三条の白煙が闇のなかで放物線を描き、エントリュアの足元で炸裂した。
「だれだぁ!?」エントリュアは飛びすさる。
「造霧弾だっ」警官のひとりがうろたえて叫んだ。
霧に閉ざされるちょくぜん、一台の|浮揚車《ウースイア》が土手を乗り越えて突進してくるのを、エントリュアは目にした。
ジントにはなにが起こったのかわからなかった。気がつくと、あたりは濃密な霧に満たされている。
祖母が話してくれた冥途の川の光景にそっくりだな――ジントは思いだした――あの話はほんとうだったのか。それじゃ、ぼくは死ぬんだな。いや、死んだのか。どっちだっけ?
だが、背中にははっきりとラフィールのぬくもりを感じる――彼女も死んだのか? それとも……、ぼくはまだ生きているのかな。
「アーヴ、|国民《レーフ》!」霧のなかから声が飛ぶ。
ジントははっとした。ミンの声だ。
「さっさと来い。時間がないのだ!」
ジントはラフィールの肩に手を回して、声のほうへ進んだ。
「撃つんじゃない、同士撃ちの危険がある」エントリュアが大声で指示していた。
霧のなかに浮揚車が浮かびあがった。
ジントは開いた扉に頭をつっこむ。
ラフィールはというと、ジントを車に押しこんで、きびすをかえそうとしている。
「どこへ行くんだ!?」危ういところで彼女の手首をつかんだ。
「離すがよいっ」ラフィールは猛り狂っていた。
「時間がないんだったら」ジントの隣にいたマルカが手を貸し、ラフィールを車に引っぱりあげる。「いいわよ、ビル!」
「行くぞ!」ビルが叫んだ。
浮揚車は動きだした。あっという間に警官たちのあいだをすりぬけ、道を疾走する。
「離せ、ジント!」ラフィールは右腕のなかでもがいた。「わたしにはやりのこしたことがある!」
「イテテテテっ、怪我人なんだから、お手柔らかに」ジントは肩の痛みに顔をしかめて、「なんのことだい、やりのこしたことって?」
「決まってるであろ、そなたをこんな目に遭わせたあいつを」ラフィールは怒気もあらわに、「宇宙を吹きわたる一陣の|プラズマ《グ  ノ  ー》に変えてくれる! やつにはすぎた詩的な末路であろっ」
ほかならぬジントのことで怒っているラフィールを見るのは、ちょっといい気分だった。だが、希望どおりにさせるわけにはいかない。
「|真空空間《ダ  ー  ズ》じゃないんだから」ジントはなだめにかかった。「地上に横たわる黒焦げの死体、がいいところだよ。あまり詩的とは思えないな」
「それこそ、やつにふさわしいじゃないか」ラフィールはいいはった。
「武器もなしでどうするつもり?」
「奪うっ」ラフィールは断言する。
「無謀だ」葬儀屋が嘆息した。
「ことばは正確に使いたまえ」ミンがたしなめた。「無謀というのはだな、もっと慎重な行動を形容する単語だ」
「あとでゆっくりやったらいいだろう」ジントも呆れて|王女《ラルトネー》にいった。
ラフィールは驚きに目を見開いた。「そなたは残虐な男だな、わたしにはゆっくり人を殺すような趣味はないぞ」
「そういう意味じゃないっ」
「おふたりさんよぅ」運転席のビルがげんなりした声で、「楽しい会話の弾んでいるところ恐縮だけど、扉を閉めさせてくれねぇか。アーヴのあんよが外に出ていて、閉められねぇんだ!」
「くっ、やむをえない」ラフィールはきちんと坐りなおした。そして、はじめて気遣わしげにジントの左肩をのぞきこみ、「だいじょうぶか、ジント?」
「掠《かす》り傷だよ」強がりながらも、どうしてもっと早く訊いてくれない、とジントは不満だった。
「とはいえないわね」マルカがジントの肩をのぞきこみ、「鎖骨が完全にいっちゃってるもの。早く処置しないと、左腕まるごと一本、組織再生することになるわよ」
「頼む」ジントはまた顔をしかめた。「そのことは、ぼくには内密にしておいてくれ。気を失ってしまいそうだ」
「失っていいわよ。ダスワニ、手当てしてあげて」マルカは大男と席をかわった。
ダスワニは無言でジントの肩に止血と局所麻酔をほどこして、再生促進剤をなすりつけた。包帯を巻いて硬化剤を吹きつけ、腕を固定する。
ジントは持ちこたえた。
「なにかいいたいことがあるんじゃないのか」と葬儀屋。「たとえば感謝のことばとか、あるいは感謝のことばとか、ひょっとして感謝のことばとか」
「百万の感謝を」とラフィール。
「傷を治療してくれたことには感謝するよ」ジントは痛みの薄れた肩をさすった。「けれど、人質にするつもりなんでしょ」
「もちろんよ、あたしたちは宇宙船がほしいの」さも愚問だといわんばかりに、マルカ。
「おれは反対なんだぜ」葬儀屋がぞくっと身をふるわせ、「これ以上、不幸になりたくないんだ」
ジントはまずい立場に立たされていることに気づいた。もう武器はないのだ。「わからないな。どうして逃げなかったんだっ?」
「逃げたじゃない。でも、状況が変わったのよ」
「どういうこと?」
「洞窟を抜けてビルに拾ってもらってしばらくすると、電波妨害が始まったわ」マルカは説明した。「検問していた兵士も市の中心部に引きあげたらしい」
「ということは……」
「なによりも、あれを見て」マルカは窓の外を指差した。
夜空にむっつの光点が複雑な軌跡を描いて集まったり離れたりしていた。
「あんな無意味な機動をするのはアーヴぐらいのものだわ」
「無意味じゃない」とラフィール。「あれは〈|勝利の舞い《ワドロス・サーソト》〉だ。上空を制圧したことを告げる示威行動なんだ。そなたもそれで|星界軍《ラブール》の帰還を知ったのであろ」
「アーヴらしく、嫌味ったらしい風習だぜ」ビルが批評する。
「じゃ、|帝 国《フリューバル》が再占領したんだ!」ジントは歓喜した。
「まだよ、地上はね。でも、もうすぐやってくるわ」
「集合! 全員、乗車だ。追いかけるぞ」エントリュアはどなった。
霧はかなり晴れているが、警官たちは記憶と手探りで車を探さなければならなかった。
とつぜん、どーんと地面が鳴動し、霧が蕩揺《とうよう》した。
「こんどはなんだよ」エントリュアは嫌気がさした。「あいつらか。そうに決まっているな。おーい、急げ、なにかややこしいことになりそうだ」
だが、警官たちが出発するよりわずかに早く、規律正しい足音が駆けあがってくる。
「止まれ、きさまらっ」強圧的な声が響く。「動けば撃つ」
「われわれは警察だ!」エントリュアは叫びかえした。「これから容疑者の追跡にうつる。じゃまをするんじゃないっ」
「警察だろうとなんだろうと撃つ」霧のなかから緑褐色の制服があらわれ、車列を見まわした。
「わが軍の将校がいるようだが?」
カイトが敬礼した。「小官はカイト憲兵大尉だ。貴官は?」
「スリート大尉だ。アーヴがこちらにやってきたはずだが?」
「逃げられた」カイトは眉を曇らせた。
「逃げられた? これだけ地元の警官を駆使しておいてか」
「彼らは役立たずだ。しょせん、奴隷民主主義者の走狗にすぎない。貴官らのほうこそ、正規の装備を持ちながら取り逃がしたようだな」
「これは正規の装備ではない。洞窟を徒歩で追跡しなければならなかったため、重火器は後方で待機させておくしかなかった」
「それにしても……」カイトはそこで機械通訳が作動中であることに気づいた。
ふたりの将校が機械通訳をとめたため、それから先の会話はわからなかった。
責任の押しつけあいなど、エントリュアにはもちろん興味がなかった。だが、どうも不吉な予感がする。
不吉な予感が現実となった。
「警部」カイトが見せかけだけのにこやかさで、「われわれはアーヴを追わなければなりません」
「だから、おれたちは追っかけるところだったんだ!」
「われわれが追うのです。あなたたちの車を徴発します」
「なんだって!?」
「わが軍には交通手段がない」スリートが補足した。「だから、諸君の車が必要なのだ。運転手だけ乗車し、ほかの警官はおりてもらう」
「そんな勝手な話があるか。いったいなんの権限が……」
「こいつが権限だ」スリートは拳銃をエントリュアの鼻先に押しつけた。「時間がない。早くしろ」
「そうそう」カイトはあきらかに立場の逆転を喜んでいた。「警部にも同行してもらいますよ。道案内としてね。それから、わたしの武器を返還していただきたいものですね」
「でも、どうしてあそこに出ることがわかったんだい」ジントには不思議だった。
「確率は半々だった」ミンがひょいと肩をすくめ、「けれど、本流のほうに出ると、再会するのは困難だ。出口はいくらでもあるからな。それで、幻想園のほうで網をはっていたのだ。そしたら、客の退避がはじまったから、これは大当たりと確信して、頃合いを見計らっていたのだよ」
「撃たれる前に来てほしかったな、誘拐に」
「贅沢ぬかすな」葬儀屋が苦々しげに、「あれでもそうとう危ない橋を渡ったんだ」
「そんなことより、アーヴのお嬢さんに教えてほしいことがあるの」マルカは額に手をやった。
「なんだ?」夜空に展開する華麗な〈|勝利の舞い《ワドロス・サーソト》〉を眺めていたラフィールはふりむいた。
「さっき、洞窟に入る前のことよ。あなたの耳が見えたわ。あたしね、どうも気にかかってしょうがなかったんだけど、それどころじゃなかったから訊けなかったのよ」
ジントはドキリとした。
「あなたたちとわかれてからやっと思いだしたわ。あたしもドジね。でも、とても信じられないのよ」
「質問はなんだ?」ラフィールがうながす。
「訊きたいのはね、〈|アブリアルの耳《ヌイ・アブリアルサル》〉は|皇 族《ファサンゼール》以外にも許されるのかってこと」
「いいや」ラフィールは明快に否定した。
「そう、やっぱりね。そろそろお名前をおきかせ願えるかしら、|殿下《フィア》?」
「アブリアル・ネイ=ドゥブレスク・|パリューニュ子爵《ベ  ー  ル ・ パ  リ  ュ  ン》・ラフィール」
厳粛な沈黙のとばりがおりた。反帝国クラスビュール戦線の闘士たちはあらたにもたらされた情報を噛みしめるに忙しく、静かだった。
沈黙を破ったのはジントだった。ラフィールの身分が知れた以上、自分の正体を隠していても意味がない、と判断したのだ。「そして、ぼくは……」
「だれもおまえの名前なんか訊いてないぜ、|国民《レーフ》」ビルがさえぎった。
「ああ、そう」ジントは口をつぐんだ。考えてみれば、隠しても意味がないが、明かしたところでやっぱり意味がない。
「どうもおかしいとは思っていたのだ」ミンがいった。「調べてみると、|スファグノーフ侯爵《レーブ・スファグノム》には|公 女《ヤルリューム》がふたりいるが、長女が八歳なのだからな」
「けれど、これだってじゅうぶんにおかしいぜ」葬儀屋がわめく。「どうして|帝 国《フリューバル》の|王女《ラルトネー》がこんなところにいるんだ!?」
「きいたか、ジント」ラフィールは目を輝かし、「|領民《ソ ス 》でさえ|皇女《ルエネー》と|王女《ラルトネー》のちがいは存じてるぞ」
「きみもそうとう根に持つ性格だなぁ。悪気があったんじゃないんだから、いいじゃないか」
「そんなことより、質問にこたえてくれ」葬儀屋は苛立った。
「ぼくはある|巡察艦《レスィー》に乗っていた」ジントが説明を引き受けた。「その巡察艦は攻撃を受けたんだ。ぼくは|翔士《ロダイル》じゃなかったもんだから……」
「|従士《サーシュ》だったんだろ」とビル。
「いいや、|従士《サーシュ》でもない。たまたま便乗していただけなんだよ」
「便乗?」マルカが小首をかしげ、「|巡察艦《レスィー》に便乗なんてできるの?」
「ぼくにはできたんだ。たまたま|爵位《スネー》をもっていたから」とさりげなく表明して、「それで、|軍士《ボスナル》じゃないから戦場から退去するよういわれたんだよ。でも、ぼくには|連絡艇《ペ リ ア 》の操縦なんてできないから、ラフィールがつけられたんだ。彼女は|巡察艦《レスィー》でただひとりの|翔士修技生《ベネー・ロダイル》だったから」
「ちょっと待って」マルカは混乱したようすで、「あなたも|貴族《スィーフ》だというの」
「うん。そういうことになっている」
ビルが口笛を吹いた。「とてもそうは見えないな」
「よくそういわれるんだ」ジントはとぼけた。「なぜかなぁ」
「疑問はいっぱい出てきたけれど」とマルカ。「とりあえず、あたしの関心のあることだけに絞りましょう。あたしたちの人質は|皇 族《ファサンゼール》ひとりと|貴族《スィーフ》がひとり。それにたしかネイ・ドゥブレスクといえば|皇 帝《スピュネージュ》の出身|王家《ラルティエ》の姓じゃなかったかしら。そう考えていいのね」
「わたしは|皇 帝 陛 下《スピュネージュ・エルミタ》の孫でジントは|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》だ」ラフィールは認めた。「けれど、そなたたちの人質になったつもりはないぞ」
「いいえ、なってもらうわよ」マルカはきっぱりと、「これだけ価値のある人質を逃がしてなるものですか。宇宙船と交換するどころか、ミンの望みどおりのものが手に入るかもしれないわ、独立がね」
「そなたたちには感謝してるんだ」ラフィールはマルカの興奮に水をさした。「それゆえ真実を告げよう。いままで|帝 国《フリューバル》を脅迫したものは皆、幸福とは縁遠い生涯を送った。むろん、生きのびた少数は皆、という意味だけれど」
「信じるぜ」葬儀屋がまたぞくりと身をふるわせ、「おれはいまでもじゅうぶんに不幸なんだ」
窓が光った。
地平線に聳える山の頂上が明々と輝いていた。天空から雷光が山頂を鞭打ち、そのたびに光が乱舞する。
「アーヴの対地上攻撃だ……」ミンがつぶやいた。まるでわからない人間がいるかのように。
「なにを攻撃しているんだろう、あんなところで」ジントはその凄絶な光景に魅入られた。
そのころになって、ようやく雷鳴が響きわたる。
「ビル」マルカがなにかに気づき、「電波妨害はどうなった?」
ザーッと雑音が車内に流れた。
「まだ駄目だな」ビルは首をふった。
「そう。てっきり電波局を攻撃したと思ったんだけど」
「たぶん、正解だぜ、それ。さっきまで強力な発生源があったのに、いまはないからな。広域局のほうをやったらしい」
「ほかはどこ?」
「わからねぇ。あっちこっちから微弱な電波が出ている。何ヵ所から出てるのか、見当もつかねぇな」
「たぶん|電波虫《デムブース》であろ」ラフィールが推測した。「|星界軍《ラブール》も似たようなものを持ってる」
「|電波虫《デムブース》? 虫が電波を発生するのか」ミンが興味深そうにいった。
「自己増殖機能のある微小機械だ。駆除するのは厄介だぞ」
「そうか。ところで、アーヴは都市を攻撃するかな?」
「しないと思う」
「思う?」ミンはもっとはっきりした答えを期待していたようだった。
「|星界軍《ラブール》が全面的な地表攻撃を行なうのは最終段階だ。その前に交通系や通信系を破壊するし、あるいは|空挺艦隊《ビュール・ワケール》を投入するかもしれない。きゅうには都市攻撃はしないであろ」
「ぼくたちをどこに監禁するんだ?」ジントは不安になった。場所によっては|星界軍《ラブール》の攻撃にさらされる。
「葬儀屋の家にするつもりよ。ほら、あなたも知っているでしょ……」
「おれは嫌だといっているだろうがっ」葬儀屋が抗議した。
「じゃあ、葬儀屋の職場」
「なぜ、おればっかり!?」
「ほかにどこがあるのよ。それとも、こんなおいしい話をよその細胞に持っていくつもり?」
「いっそミンの別荘がいいんじゃないか」
「正気?」
「だってあんなことがあったばかりだから、かえってやつらの盲点に……」
「望み薄ね」マルカはひとことのもとに斬って捨てた。「決まりよ、ビル。葬儀場にむかうわ」
「とりあえずこの場を逃げる算段をつけたほうがいいみたいだぜ」ビルは切迫した口調でいった。「警察だ。追いかけてきた」
「エ・コン! エ・コン!」スリートが叫んでいる。
〈グゾーニュ幻想園〉出口からしばらくして大きな湾曲を過ぎると、あとは一直線の道路がグゾーニュ市街までつづく。
その一直線道路に出たとき、前方はるかを走る浮揚車が視認された。
「車載兵器はないんですか」カイトが尋ねてきた。
「ないよ、そんなもん」エントリュアは腕組みして前の座席の背もたれに足を預け、「必要なかったんだ、ここの犯罪はたかが知れている」
「残念ですね」カイトはとりかえした銃でエントリュアの頭をつつき、「ところで、ちゃんと姿勢をただしていただきましょうか、警部。あんたは捕虜なんだ」
「へえ、そうかい」エントリュアは片眉をあげた。「道案内に雇われたと思ったが」
「反抗するなっ!」カイトは顔じゅうを口にして怒鳴った。「従っていればいいんだ、この隷属主義者めっ」
逆らうのは得策ではないな、とエントリュアは結論づけた。相手は平衡を失った子どもだ、ばかげた意地をはっても、それは子どもの喧嘩にしかならない。ただ子どもの喧嘩とちがうのは、相手が殺傷兵器を持っていることだ。
「おおせのままに」エントリュアは足をおろした。
「エ・ブリック!」スリートが号令する。
占領軍兵士たちは窓から身を乗りだして銃撃をはじめた。
「彼ら、警察じゃないわ! 警察にこんな武器はないもの」
銃弾がふりそそいでいる。小口径ながら爆発力を秘めた破砕弾は光る道路のいたるところに穴をえぐった。もっとも、車まで届いた弾はない。いまのところ、えぐられたのは通過したあとばかりだった。
「道を逸れるとかなんとかしなくていいのか!?」葬儀屋が悲鳴をあげた。
「無意味だ」ミンが冷静に、「敵は探知機で狙いをつけることもできるはずだ。かえってこちらの速度が落ちるぶん、不利だろう」
「けれど、電波妨害の最中だろうが」
「無知な男だな。通信器と探知機では使っている帯域がまったくちがうぞ」
「そういうこと」ビルが車を増速した。「安心しろ、葬儀屋。こういうときのために安全機構をぜんぶとっぱらってあるんだ」
「だって、こう真っすぐ走ったんじゃ狙い撃ちにしてくれといってるようなもんだぜ!」
「空気力学的にいって、この距離では狙いのつけようがないはずだ」ミンは余裕綽々に解説した。「銃の性能がわからないが、いままで命中弾がないことからみて、まずまちがいないとおもう。だいいち、届いてもいないじゃないか」
「まちがいのないことを祈るわ」マルカが胸の前で手を組みあわせた。
「軍事専門家としてなにかひとことないのかい?」ジントはラフィールに水をむけた。
「わたしは|地上戦《ナヘーヌヨクス》の専門家じゃないぞ」ラフィールはなぜか傷つけられたように、「けれど、|凝集光銃《クラーニュ》への備えをしておいたほうがよいであろ。この距離じゃ減衰はじゅうぶんじゃない」
「なにかある、ミン?」とマルカ。
「ああ、煙幕弾が利用できるだろう。旧カミンテール共和国軍制式K211型。電磁波吸収率はいまだに人類宇宙最高という触れこみだ」
「どうして早くそれを出さない?」葬儀屋が非難する。
「入手にはたいへん苦労したのだよ」ミンが弁解した。
「使ってちょうだい」マルカが命じた。
ミンはしぶしぶ鞄を引き寄せ、缶に見えるものをとりだして、窓から投げ出す。
「ついでにこれもおまけするか」ミンは鞄から直径三ダージュほどの円盤を十数個つかみだし、道にまいた。
「なんだ、いまの?」ビルが運転席からふりかえる。
「感知地雷。対人用だが、車にも効果はあるだろう」
「まったく、どこからそんなもん手に入れやがった、この兵器狂い!」
「いまのは自作だよ。性能試験済み。小型のわりに性能はいい、誤作動も極端に少ない」ミンは自慢して、「それより、ビル、ふりきれるか」
「まかしとけって。こいつはクラスビュールの地面を這いずるもののなかじゃ最速だ。引き離しているぜっ」
「もっと速度が出ないのかっ?」スリートが運転役の警官をどなりつけている。
「無理だよ」すくみあがっている部下のために、エントリュアは口を出した。「こいつは指揮車なんだ。速度違反の車を追いかけられるようにはできていない。巡邏車を先に行かせるんだな」
「くそっ、どうしてそれをもっと早くいわない?」
「訊かれなかったからな」エントリュアはすましていった。
とたんにがつんと衝撃が来た。カイトが銃把で警部の口元を殴ったのだ。
――この野郎!
怒りで目がくらくらした。こちらの待遇には気に入らないこともあったろうが、すくなくとも殴りはしなかったぞ。
なんとか腹立ちを抑え、エントリュアは唇の血を拭った。
ふいに車が減速した。
目をあげると、黒い壁が迫ってくる。
「減速するなっ、ただの煙幕だ」スリートが運転員の頭をこづいた。
もわっとした黒い霧に、指揮車はもろに突っこむ。
射撃のために開け放たれた窓から粘性の高い気体が侵入する。
目と鼻を守ろうと、エントリュアは顔を手で覆った。
その直後――。
ぱんぱんと情けない炸裂音がした。
――撃たれたか!?
エントリュアが状況を把握しきれないうちに、車は左にかしいだ。
「地雷だ! 電磁石をやられたっ」
前部左側の電磁石を破壊されて、浮揚車は均衡を失った。金属が発光舗装を削るいやな音がぎーんっと耳を聾する。
「停車だぁっ」スリートの命令。
「停まるな、逸れろっ」エントリュアは運転席へ身を乗り出した。「後続があるんだぞ、ぶつかっちまうじゃないか、ばかやろーっ」
運転員はエントリュアの指示を採り、道路脇の畑へ乗り入れて停車した。
つづく巡邏車もひどいことになった。
指揮車のつぎに煙幕を突きやぶった巡邏車は後部の電磁石をやられ、前が持ちあがったところを空気抵抗にあおられた。めくれあがるように半回転して、屋根で道路を滑っていく。後続の巡邏車がそれに衝突した。
さらに急制動をかけたあげく追突されるもの、停まっている同僚車のうえを飛び越えてつんのめるもの、うまく避けたあとで地雷を食らうもの……。
ようやく最後尾の一台だけが、音から煙幕のむこうでなにが起こっているかを察知し、手前から車輪を出して畑に乗り入れ、まったくの無傷で停車した。
「離れろ、急げっ」エントリュアは立場を忘れて手をふりまわした。
損傷を負った車から兵士や警官が這い出した。警察車は頑丈なことにかけては定評がある。ひどい損害にかかわらず、負傷者はほとんどいないようだった。
だが、ぐずぐずしていると危ない。
横倒しになった巡邏車の水素燃料に火がついた。爆風が兵士と警官たちを襲う。畑の作物が火炎につつまれ、火のふきあげた煤煙が煙幕と混じりあった。
エントリュアは咳きこんだ。
「事故だ」葬儀屋がしかつめらしく皆に教えた。
「安全運転だけは心がけなきゃあな」小気味よさそうにビルはにやにや笑う。
「まったくだ」ミンが生まじめに同意した。
「電波妨害はまだつづいている?」ジントは訊いた。
「安心しろ、|国民《レーフ》。いや、|貴族《スィーフ》の若さまだったな」とビル。「まだつづいている。やつらに応援は呼べない」
「でも、なにか来るぞ」ラフィールが進行方向を手をかざして見た。
グゾーニュのきらめきはすぐ目の前だ。輝く都市樹のあいまからきらきらと点滅灯をまとったなにかが上昇し、近づいてくる。それは五つほどのより小さな飛行物体をひきつれていた。
頭上を通過する。
飛行物体はジントたちには目もくれずすれちがった。
いちばん大きな物体の腹部に輝く紋章を見て、マルカはほっと肩を落とした。「びっくりさせないでよ。消防局じゃない」
「たしかにあれは豪気な火事だからな、消防局から丸見えだろうぜ」ビルがいった。
「けれど……」ジントは口をはさんだ。「あれは鈍重な消防車かもしれないけれど、空を飛んでいたよ」
「そりゃ、地上を行くより効率的だもの」
「ねえ、敵の乗っていたのは警察車だったよね」ジントはたしかめた。
「そのようだったが、なにがいいたい?」ミンが問いかえした。
「敵は警察車を乗っとったんだよ。消防局に遠慮するかな?」
9 |天翔る迷惑《ロビアシュ・セスラ》
こいつはえらく惚れられたもんだな――エントリュアは腕組みして、表情のないカイトの横顔を見た。
駆けつけた空中消防艇と空中救急艇を占領軍が徴発したとき、彼はようやく解放されると思ったのだが、早計だった。
カイトがエントリュアを同行することにこだわり、スリートがほとんど無関心にそれを承認してしまったのだ。
威嚇されて着陸した消防艇は、消防士と警官、乗りそびれた占領軍兵士をあとにして、消火もそこそこにとってかえした。
伝令として分派された一隻の救急艇のほかは、電波妨害とは無関係の光通信系をグゾーニュ市上空五ウェスダージュに構築し、例の|浮揚車《ウースイア》を発見しようと必死である。
眼下の都市樹のつらなり、その中心部あたりから一群の空中車が浮上して、原始的な点滅信号を消防艇とかわす。
――大げさな話だぜ。
エントリュアはひそかに嘲笑った。たかが子どものように若いふたりをちんけな過激派と奪いあうのに、グゾーニュに駐屯している全軍を投入するつもりらしい。
「警部」カイトが話しかけてきた。「なぜあなたをここまで連れてきたのか、わかりますか?」
「想像もつかないね」愛想の欠けらもない口調で、エントリュアは応じた。
「道案内として、です」
「あんたもご存じのとおり」エントリュアは溜息まじりに、「おれはルーヌ・ビーガの警官だぜ。生まれも育ちもルーヌ・ビーガなんだ。グゾーニュの地理なんて……」
「そうじゃありませんよ。アーヴのための道案内です」
「ああ?」
カイトは虚無的な冷笑を浮かべた。「地獄への道案内ですよ。捕まえたアーヴの目の前で、まずあなたを、つぎに逮捕を妨害した隷属主義者を、そしてやつの愛玩動物に成り果てた青年を殺してやるのです。アーヴの疑似知性がすこしでも感情じみたものを持っていれば、悲しむふりでもするでしょうよ」
「おれとアーヴの縁なんてごく薄いもんだ」あんたの関係とのほうがよっぽど深いんだ、ということばをエントリュアは飲みこんだ。
「ですから、警部は射殺でかんべんしてあげますよ。しかし、もっとアーヴに肩入れした者たちは悲惨な死を経験することになるでしょう。とくにあの青年、彼は一晩じゅう悲鳴をあげることになるでしょうね。もちろん、アーヴにはもっと手のこんだ旅立ちを用意するつもりです」
「あんたらはもうちょっと文明化されていると思ったが」
「むろん、軍法は、裁判をおこなわずに捕虜を処刑することも、残虐な処刑も禁じています。ですが、こんな事態です。われわれは軍司令部の現在地すら知らされていません。ちょっとぐらい裁量の余地はあるでしょう。うるさい本国の目も行き届かない現状ではね」
こいつは本気なのか?――エントリュアには判断しかねた――それとも、おれを怯えさせてささやかな復讐を果たそうとしているだけなのだろうか。
そうだ、こいつにそんなことを決める権限があるはずがない。グゾーニュ市に駐屯している部隊にも大尉より高い階級の将校がいるだろう。
だが、なんといってもよその組織のこと。どんな指揮系統を採っているかわかったものではない。
それに――狂気は伝染するものだ。
すぐそばに装甲空中機動兵員輸送艇が着地した。
「こっち!」マルカに手をひっぱられて、ジントは都市樹の陰に身をひそませる。
浮揚車は、グゾーニュ市街に入るとすぐ乗り捨てていた。そうしていなければ、とっくに車ごと撃破されていただろう。
汚れた服も着替えた。マルカの財布を使って、手近な自動衣料品店から新しい服を購入したのだ。|端末腕環《クリューノ》と|頭環《アルファ》はふたたびしまいこまれ、ラフィールはつばの広い帽子で|空識覚器官《フローシュ》を隠していた。
「地下走路を利用しよう」ミンが提案した。
「そうね」
反帝国クラスビュール戦線グゾーニュ細胞の五人とその人質ふたりは地下へくだった。
明るく照明された地下街に出る。地上の光る道路と同じぐらいの幅があり、五〇〇ダージュおきに自動店が設置されていた。ぽつんぽつんと人が立っていて、小走りていどの速度で流れていく。
一行は自動走路に乗った。
「なんだか大がかりなことになってきたね」ジントはいった。
「そりゃ、あなたたちは彼らの面子に泥を塗りたくって足で踏んづけたんだから。必死にもなるわ」マルカがふりむいた。
「そなたたち、あきらめたほうがよいのではないか」ラフィールが勧めた。「やつらが追ってるのはわれらだ。やはり、そなたたちを巻き添えにしたくはない」
「なにをいまさら」ミンが冷ややかに、「すくなくともわたしは、どうしようもなく巻き添えにされているよ。彼らはわたしの名前を知っているのだからね。こうしているあいだも家族のことが心配でならない」
「ならば、なおさらじゃないか」
「あたしたちは犠牲を払ったの。なんらかの穣《みの》りがほしいわね」とマルカ。
「独立や| 船 《メーニュ》は不可能であるけれど、|クリューヴ王家《ラルティエ・クリュブ》はこれまでの行為にたいして感謝の証しをもたらすであろ」
「アーヴの恩返しだ」葬儀屋が混ぜっかえす。「金銀財宝がざっくざく」
「あいにく、あたしたちのほしいのは|宇宙船《メーニュ》なの」
「それは無理だというに」ラフィールの顔に困惑が浮かんだ。
「貸与ならいいんじゃないかな」ジントは口を出した。「|宇宙船《メーニュ》でなにをするつもりか知らないけれど、|帝 国《フリューバル》に喧嘩を売ろうってわけじゃないんでしょ、将来はともかく、すぐにはね。だったら、問題ないんじゃない?」
「ああ、それならできるかもしれないな」ラフィールはうなずいた。
「しょうがないわね。そのへんで手を打つ?」マルカが仲間たちの顔をじゅんぐりに見た。
「おれは自分の手で|宇宙船《メーニュ》を翔ばしてみたいんだがな」ビルが不満そうに、「ま、いいか。機会を見つけて操舵装置をいじって……」
「どこへ行くかは借り手の意志しだいなんだろうな」ミンがたしかめ、ラフィールが同意の仕草をするのを見ると、「よろしい。回り道もいいだろう。わたしは惑星間の独立闘争協力体制を形づくるつもりだ」
ダスワニが無言でうなずいた。
「ついでに金銀財宝のほうもつけてほしいな」葬儀屋が条件をつけた。
「| 船 《メーニュ》に比べればたやすいこと」ラフィールはうけあった。
「じゃあ、約束して、王女さま」とマルカ。「|宇宙船《メーニュ》を貸してくれるって。無料無期限でよ」
「約束はできない」ラフィールは眉を曇らせ、「約束できるのは、|皇 帝 陛 下《スピュネージュ・エルミタ》にお願いすることだけだ」
「かまわないわ。きっと皇帝も可愛い孫のおねだりならきいてくれるでしょう」
「生きてふたたび|陛下《エルミトン》に謁見できたなら、かならず願おう」ラフィールは逆方向の走路に跳び乗った。「行くぞ、ジント」
「あっ、うん」ジントもつづく。
驚いたことに、マルカも追ってきた。
「生きてふたたび謁見してもらうわよ、かならずね」マルカはささやいた。「いっしょに来るのよ。あたしたちなら、宇宙に帰してあげられるわ」
「どういうこと?」ジントは訊いた。
「葬儀屋はほんとうに葬儀屋なのよ」マルカは謎めいたことを口にした。
「ごらんなさい、あの信号を」カイトは窓の外を指差した。「あれは交通局を押さえたという報せですよ。まもなく地下走路は停められ、わが軍兵士があふれかえる。アーヴに逃げ道はありません」おそらくほかにすることがないからだろうが、カイトはいちいち探索の進展状況をエントリュアに教えた。結びのことばはきまって「アーヴに逃げ道はありません」だ。
抑揚に乏しいカイトの声をきくうちに、エントリュアは氷のように冷たい恐怖が広がっていくのを感じた。
アーヴの捕まったときが死ぬときだ――いまやエントリュアは確信している。カイトにその権限があるかどうかは問題ではない。アーヴ発見の報をきくや、カイトは消防艇で現場に乗りつけ、嬉々としてエントリュアを射殺するにちがいない。
見おろすと、街路のあちこちに炎が上がっていた。例の浮揚車にちょっと似ていたか、検問を無視しようとしたために破壊された車だ。
射撃のきらめきも見える。
「市民たちに告ぐ」空中機動戦車が弧を描きながら高圧的な放送を行なっている。「われわれの捜査に協力せよ。尋問にはすなおにこたえるように。また、不審な人物を見つけたら、もよりの兵士に報せなさい。われわれはアーヴを探している。市民たちに告ぐ。われわれの捜査に協力せよ……」
「あれをごらんなさい」カイトは都市樹の先端を示す。兵士が携帯灯で点滅信号を上空に送っていた。「あの都市樹の部屋すべてを探しおえた、という通信です。全家屋|蝨潰《しらみつぶ》しだ……。アーヴに逃げ道はありません」
「令状もなしに家宅捜索か……。すべての警官の夢だな」エントリュアはせいいっぱいの皮肉を放った。
「あなたたちが悪いのですよ。あなたたちが民主主義と神の摂理にしかるべき敬意を払っていたなら、もっと紳士的にふるまえたでしょう」失われた夢を語るように、「わたしたちは占領軍じゃない、解放軍なんだ」
「来てくれと頼んだわけじゃない。それは認めてくれるだろう?」
「警部、残念です。わたしたちはわかりあえると思っていましたのに」カイトは窓に視線をさまよわせ、指をあげた。「ほら、あれをごらんなさい……」
街は混乱している。
アーヴの帰還にはほとんどの市民が気づいていた。だから、占領軍に協力してなにかいいことがあるのか、と懐疑的になるのはやむをえなかった。
大半の|領民《ソ ス 》は占領軍を愛しても憎んでもおらず、短い期間、クラスビュールに滞在する風変わりな客として見ていた。たしかに政府要人が連行されてしまった事実は彼らの誇りを傷つけた。それに、青く染めた髪を刈られてしまった者もいれば、家族を民主主義学校≠ノ送られてしまった者もいる。
それでも、一連のできごとは一過性の自然災害のようなもの、彼らはそれを楽しみさえし、憎悪を種子の形にして胸にしまいこんでいた。
しかし、この三十分ほどで、憎悪の種は芽吹き、大きく成長しつつあった。
道路をせきとめる、家に押し入る、乱暴な身体検査をする、ささいな誤解から発砲する……。憎まれる要素はたいてい揃っていた。
「市民諸君、この一時的混乱の責任は挙げてアーヴにある。アーヴを探したまえ。アーヴが捕らえられれば街は平穏になるだろう」
上空からの声はくりかえしそう主張しているが、市民の憎悪はやはり緑褐色の軍服にむけられた。なんといっても、血走った目で銃を構えている人間の着ているのは、アーヴの黒い|軍衣《セリーヌ》ではないのだ。
蜂起をするには武器も組織もない。だが、運と注意の足りない兵士が袋叩きにされて武器を奪われる事件は、街の随所で頻発した。
それほど腕力に自信のない、あるいは思慮分別のある市民は情報を交換しあい、兵士と出会わなくてすむ道をたどって家に帰りつこうとしていた。
その流れのなかにジントたちもいる。
「あっちよ」
マルカたち五人はグゾーニュの地理をよく把握していた。敵のいそうな場所にたいする嗅覚もたいしたものだった。あるときは人込みに紛れ、あるときは人通りのない道を行く。停止した地下走路を走り、地上にでて小路を縫う。都市樹のあいだに渡された空中廊下を利用し、広場を横切る。全力疾走したかと思うと、ことさら悠然と歩いてみせる。
あたりに人がいないところでは、二手にわかれてお互いに他人のふりをするそつのなさだ。
その広場に入ったときも、ジントはマルカ、ダスワニと組になっていた。ラフィールは残りの三人と一塊になって一足先に広場を横断していく。
咳きこむような音が頭上すぐ近くでした。
驚いてふりあおいだジントの目にふたりの敵軍兵士の姿が映る。飛行背嚢を負った彼らは、ラフィールたちの前に着地した。
「そこの女、帽子をとれ!」居丈高な命令。
ジントの手になにかが押しつけられた。マルカが|麻痺銃《リブアスィア》をよこしたのだ。
「なんだぁ、この兄ちゃんたちは?」葬儀屋が酔っ払いのふりをした。「おれの姪っこの帽子が気に入ったのかぁ」
「とることなんてねぇぜ」ビルが調子を合わせている。「おれがこの子に買ってやったんだ。なにか文句が……」
「きみたち、あまりに無礼ではないかね」ミンが怒ってみせる。
これでラフィールが怯えた目をしてビルにでもすがりつけば完璧だ。もちろん、誇り高きアーヴの姫がそんな演技をするはずもない。
ジントからは彼女の背中しか見えないが、「そなたらなど唾を引っかける価値もないぞ」と無言無表情のうちに表明しているのは、じゅうぶんに想像できた。
いかにも関わりになりたくないといったふうを装いながら、ジントたちは足早にその横をすりぬける。
「いいから、とらないかっ」兵士のひとりが銃の筒先でラフィールの帽子のつばを押しあげようとしていた。
左右でマルカとダスワニが同時に動く。
ジントも遅れじとふりかえり、|麻痺銃《リブアスィア》を兵士の首筋につきつける。急激な運動のため傷ついた左肩がズキンと落いた。それをこらえて、発射。
ラフィールたち四人は素早く地に伏せた。はずみでラフィールの帽子が宙を舞う。
「ぐわっ」兵士がうめき、天にむかって虚しく銃弾をばらまいた。
もうひとりの兵士は叫びも撃ちもせず静かに崩れおちる。
兵士たちの携えていた武器は無視して――武器を奪っても、目立つだけだ――七人はそそくさとその場を去った。
「茨の茂みに飛び降りた男の話をしたよな」広場から地下街に入ると、葬儀屋がいった。
「きいたわよ」マルカが邪険に応じた。
「じつはあれには後日談があるんだ」葬儀屋は虚ろな声で、「そいつ、退院してから一月ほどたって、また同じことをしたんだ。もちろん、再入院さ。おれはまた見舞いに行って質問をした。そしたら、やっぱりこまかいことはよく思いだせないんだが、どうしてもいい考えに思えてならなかったんだとよ」
「ああ、そう」マルカはそっけなくこたえて、「もうすぐよ、目的地は」
「だれもいなければいいのだがな」ミンがいわずもがなのことを口にした。
「見つけましたよ」カイトがうっとりした目つきで点滅信号を読みとった。「アーヴを見つけました」
「捕まえたのか?」エントリュアは残された時間のことを考えた――短い生涯だったな、娘の結婚相手をぶっとばしてみたかったのに。
「まだです。収容された負傷兵が報告したそうです。アーヴらしい少女を発見。ひとりはたしかに空識覚器官を見たと証言しているそうです。まちがいないでしょう」カイトは幽鬼のような笑みに口元を歪め、「捕まえるのはわたしだ……」
カイトは操縦員になにごとか指示した。
消防艇が回頭する。市街の西北部にむかった。
都市樹の連なりのむこうに尖塔の群れがあらわれた。
「あれはなんです?」カイトは戸惑いを浮かべた。
エントリュアには尖塔群の正体がすぐわかった。同時に、アーヴといっしょに行動している連中の意図も。
「さあね。いったろう、おれはグゾーニュの地理にはうといんだ」エントリュアは嘘をつく。
「調べればすぐわかるんですよ」
「じゃあ、そうすればいいさ。おれなんかに頼らないで」
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市営グゾーニュ葬儀場:諸般の事情に鑑み、しばらくのあいだ閉鎖いたします。
[#ここで字下げ終わり]
葬儀屋が慣れた手つきで鍵を解除した。
扉がなんの支障もなく開く。
「占領軍がやってきたとき、政府の連中、びびって閉鎖してしまいやがったんだ」葬儀屋は先にたって案内した。「だから、たぶん占領軍のやつらはたいして気にしていないはずだよ。ひょっとしたら知りもしないかも」
「なぜ閉鎖したって?」ジントは訊いた。
「対軌道兵器とまちがえられるのを恐れたのだよ」ミンが説明した。「爆撃でもされようものなら、グゾーニュ市街もただではすまないからな」
「兵器?」ジントはますます混乱した。
小さな建物を抜けると、風景がひらけた。広大な敷地に色彩豊かな尖塔が並んでいる。
見憶えがあった。ここを横目で見ながらグゾーニュ市に入ったのだから。
「あのときから、なんだろうって不思議に思っていた」ジントは足早に長い回廊をとおりながら尖塔を眺め、「これはでっかい墓だったのか」
「墓地と葬儀場をまちがえるな」葬儀屋が苦々しげに、「許しがたいまちがえだぜ」
「ごめん。じゃあ、あれはなに?」
「棺桶だ」
「なんだって?」
「墓地はあそこ」と葬儀屋は上空を指す。
「なんだって!?」
「まったく、おまえたち若いもんときたら、しきたりを恐ろしいほど知らないな」
「わたしにはわかるぞ」ラフィールがジントを目つきで咎めた。「そなたは非常識だな。人が死ねば遺骸を|真空《ダーズ》に流すのがとうぜんであろ」
「そういうこと。アーヴなら宇宙船からちょくせつ流すんだろうが、ここ重力井戸の底からは射ちあげてやらないといけない」
「ぼくの故郷では、死体は焼くか埋めるかするんだ」ジントは力なくいった。
「ふーん、この惑星におりるとぎ、ずいぶん塵っぽい惑星だと思った。戦闘のせいと思ってたが、あれは枢だったのだな」ラフィールはひとり納得している。
「でも」ジントは質問した。「|真空《ダーズ》に流したいなら、|軌道塔《アルネージュ》から流せばいいじゃないか」
「情緒の欠けらもないな、若さまよぅ」ビルが大げさな身振りで、「葬式というのは儀式なんだぜ、どーんと派手にやったほうがいいにきまってるじゃねぇか」
「葬儀ってもっとしめやかにするもんだと信じていたけれど……」
「それは偏見というものだ」とミン。「この習慣はたぶんアーヴ文化の影響だろうが、われわれも宇宙から来たのだからね、それほど的外れではあるまい」
「いや、べつに|真空《ダーズ》に流すという考えが気に入らないんじゃないんだ」そこでジントは戦慄すべき理解に達した。「ひょっとして宇宙に帰すって、これに乗れってこと?」
「いまごろなにをいっているんだ!」葬儀屋とビルが声をそろえる。
「だって、だれも教えてくれなかったじゃないか」ジントは抗議した。
「見損なったぞ、ジント」ラフィールが軽蔑の目で見ていた。「そなたにはもっと洞察力が備わってると思ったのに。同じアーヴとして恥ずかしい」
「ああ、ごめんよ……」ジントはうちひしがれる。
「けれど、ひとつ問題がある」ラフィールは葬儀屋に、「わたしはこの形式の船には馴染みがない。ちゃんと操舵できるであろか」
葬儀屋は虚をつかれたようにラフィールを見つめ、「あのな、王女さま、これは操舵できないんだ。その必要もないんだ。どーんと上がる。それだけ」
ラフィールの麗貌から血の気がひいた。
「見損なったよ、ラフィール」ジントは絶好の機会をとらえ、「きみにはもっと洞察力が備わっていると……」
「黙るがよいっ」
ぼくの嫌味を最後まできいてくれるなんて、なぜ期待したんだろうな――ジントが自分の正気を疑っているあいだに、ラフィールは葬儀屋につぎの質問をぶつけた。
「気密はされているのであろな」
「あたりまえだろ。おまえはどう思っているか知らないが、|真空《ダーズ》がどんなものか、地上人にだって少しは知識はあるよ。まちがって生きた人間が乗ってしまったときのために非常用酸素もある。十二時間分な」
回廊の果てに扉があり、それを過ぎてしばらくすると、地下へおりる階段が現われた。
階段のむこうには、いくつもの画面を備えた小さな部屋があった。
「葬儀準備を開始せよ」葬儀屋が画面のひとつに駆けよった。
「市政府の命令により、この葬儀場は閉鎖されています」機械音声が告げた。
「きいていないのか。閉鎖命令は解除された」
「その事実は確認できません」
「すなおじゃない機械は嫌いだね」葬儀屋はふりむいて、「ダスワニ、頼むわ」
ダスワニはうなずくと、|鍵盤《セゲース》をとりだして|制御卓《ク ロ ウ 》とつないだ。ちまちました小さな鍵をダスワニの太い指が目にもとまらぬ速さで叩いていく。
「音声入力を使ったほうが速いといつもいってやるんだが、ダスワニはえらく無口でね」葬儀屋がいった。
「このほうが、ずっと、速い」とダスワニ。
「すげぇ」ビルが感嘆した。「ダスワニがこんなに長話しするのを、だれかきいたことあるかい?」
「興奮しているのだろう」ミンが評した。
「ところで、推進源はなにを使っているの、あの船は?」ジントは『棺桶』ということばを慎重に避けた。
「水素だ」と葬儀屋。
「水素? 核融合なの?」
「ちがう」葬儀屋はみょうにやさしい声音で説明した。「化学反応だ。水素と酸素を結合させると、熱と水が生まれるよな。それを利用してる。要するに水素を燃やして飛ぶんだよ」
「ジント」ラフィールがうめく。「ささえてくれないか、倒れてしまいそうだ」
「あまりお役に立てないな」ジントは呆然として、「ぼくも卒倒しそうだ」
「安心しろよ」葬儀屋は慰めた。「ここしばらくは事故もない」
「ここしばらくは?」ジントは安心できなかった。
「ああ、これはいいかたが悪かったな。惑星社会開設以来、人死にが出たことはない。棺桶がふっとんだことはなんどかあるが」
「……、すばらしい」
「ところで、自爆装置つきのものとそうでないものと二種類あるんだが、どっちがいい?」
「自爆装置だって!?」
「射ってから二時間もすればまた上空に戻ってくるだろうが。そのとき、自爆させてやるんだ。会葬者は夜空を彩る花火をみて、あらためて故人の想い出を偲《しの》ぶって段取りさ」
「……。自爆装置のないもので頼むよ」
「そうか。残念だな。自爆装置つきのほうが高級なのに」
「好意はありがたいけれど」
「葬儀屋」マルカがたしなめた。「いじめるのもいい加減にしなさいよ」
「おれにだって、復讐する権利はあるだろうぜ」葬儀屋は気持ちよさそうにいった。
ダスワニが|鍵盤《セゲース》から顔を上げた。
「葬儀準備を開始せよ」葬儀屋がふたたび命じる。
「了解。葬儀責任者の氏名を入力してください」
葬儀屋は財布を|制御卓《ク ロ ウ 》の溝に滑らせた。
「本人である確認を願います」
葬儀屋は|制御卓《ク ロ ウ 》の小窓をのぞきこみ、網膜を照合させる。
「葬儀執行の有資格者と認めます。執行手続きをはじめてください。まず費用負担者の氏名を……」
「葬儀責任者が立て替え払いする」
「了解」
葬儀屋はラフィールに笑顔をむけて、「あとでちゃんと返してくれよ」
「うん」ラフィールはうなずいた。
「つづいて、埋葬許可番号を提示願います」
葬儀屋は一連の許可番号を携帯端末から流しこんだ。「おまえらはいまからビッグ・テンプルだぜ。ほんもののビッグ爺さんの葬式には一悶着あるだろうなぁ」
「埋葬許可確認。つづいて予定軌道の入力を……」
「マルカ、ここはいいから、このふたりを発射筒に案内してやってくれ。三番だ。場所はわかっているんだろう」
「ええ」マルカはふたりにうなずきかけ、「行きましょう、|王女殿下《フィア・ラルトネル》に|伯 爵 公 子 閣 下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール》」
慣れない帝国仕様の端末で情報を引きだそうと格闘しているカイトを、エントリュア警部は冷ややかに見つめた。エントリュアが教えなくても、消防士に訊けばいいのに、もう彼はクラスビュール人を信用することができないらしい。
やがて、目当ての情報を自分の端末で翻訳したカイトは愕然としたようだった。
「どうして教えてくれなかったんです、クラスビュール式の葬送のことを!?」
「訊かれなかったからな」エントリュアは肩をすくめ、殴られるのを予期して身を固くする。
しかし、カイトは拳を握りしめるばかりだった。
そして、とつぜん哄笑をはじめた。「そんなことで逃げられるものか。アーヴに逃げ道はありません」
同乗していた兵士の肩を叩いて、指示をする。
兵士は点滅信号を送りはじめた。
三番発射筒入棺扉のうえには赤い灯がともっていた。『燃料注入・整備中。お待ちください』。扉の前には新品の素敵な枢が自動台車に乗って待機している。
発射筒は地下にあった。
「市街から衝撃風を守るためなの」マルカが教えた。
ついてきたビルがいった。「おれが子どものころは地上から発射されてて、よく見物したもんだ。けれど、市街が膨らんだもんで、地下に移されたんだよ。葬儀場のほうが先にあったのに、へんな話だぜ」
「いま、思いついたんだけど」ジントはまた不安の種を見つけてしまった。「|星界軍《ラブール》に攻撃兵器とまちがえられないだろうか」
「水素を燃やして進む船をか?」ラフィールが、優美な曲線を描く鼻梁の付け根に皺を寄せ、「まあ、笑い死にさせるつもりなら有効かもしれないな」
「そうかな……」
「そうだ。それにわたしの|端末腕環《クリューノ》が敵味方識別信号をだす。成層圏よりうえには|電波虫《デムブース》もいないであろ」
「ならいいけれど」
「心配性だな、そなたは」
「慎重といってくれ。きみだって、さっきまで蒼い顔をしていたじゃないか」
「わたしはもう覚悟を決めた。この者たちを信頼する」
「光栄ね」マルカがにっこりした。
「いや、ぼくだって信用していないわけじゃ……」
「マルカ」拡声器からミンの声が流れた。「やつらが来た。だが、心配はいらない。例の消防艇だけだ。こっちは一分以内に発射準備ができる」
「あなたたちは、どうするんだい? ぼくらを射ちあげたあと、敵が来るかもしれない」
「余裕ができたわね」マルカは微笑んだ。「あたしたちのことならだいじょうぶ。グゾーニュで生まれ育ったのよ、まぬけなよそ者なんかに捕まらないわ。それより、発射筒から出た直後が危ないわよ、装甲なんてないんだから。気をつけて」
「ありがとう。でも、どう気をつければいい? 操舵はできないんでしょ」
「アーヴは無宗教ってきいたけど、あなたもそう?」マルカは尋ねた。
「いや」とうとつな質問にジントは戸惑ったが、すなおにこたえる。「代々の長老派基督教会。そんなに敬慶なほうじゃないけれど」
「じゃあ、ひとつ方法があるじゃない」マルカはジントの肩に片手を乗せ、励ますように告げた。「祈るのよ」
「応援はまだ来ないのかっ」カイトがわめき散らしていた。
エントリュアの数えたところ、もう五度も同じことを訊いている。
「来ました」兵士がほっとしたように報告した。
五台の空中艇が葬儀場上空に到着した。
あわただしく点滅信号を交換する。
「たった五台か」カイトは気に入らないようすだった。「ここは広大なのにっ。それにあれは非武装の輸送艇じゃないか」
「どこに着陸すればいいのか、尋ねてきていますが」と兵士。
「わたしにもわからないっ。発射態勢にあるものを探すしかないだろう。見つけたら、ただちに撃破だ」
グゾーニュ葬儀場は地下発射方式を採用しており、並んでいる尖塔は展示用の霊柩弾にすぎない。そのことは知っていたが、エントリュアは黙っておくことにした。
――早くしてくれ、アーヴ、さっさと行っちまえ。
どうせ殺されるなら、占領軍が出し抜かれるのを見てから死にたかった。
表示灯が赤から青に変わった。『入棺準備完了』。
「急げ、三十秒後に発射だ」ミンが拡声器を通じて告げる。
「じゃ、|宇宙船《メーニュ》のこと忘れないでね」マルカが柩を指し示す。
「うん。かならず願おう」ラフィールは柩に横たわった。
「ほら、若さまも」ビルがうながす。
「ああ、いろいろ世話になって……」
「ちゃんと恩は返せよ」
ジントはラフィールの横に寝そべった。
柩が扉に吸いこまれ、三重の扉がつぎつぎに閉まる。
中は真っ暗だった。
「屈辱だ」ラフィールがつぶやいた。「艦外|空識覚《フロクラジュ》もない、|制御籠手《グーヘーク》もない船に乗らないといけないなんて」
「これは船じゃないよ」ジントは現実を直視させた。「棺桶なんだ。か・ん・お・け」
「……。きゅうに、そなたがいとわしくなった。あまりくっつくな!」
「狭いんだから、しょうがないだろっ。痛いっ、ぼくは怪我人なんだ!」
「掠り傷なのであろ」ラフィールの口調は冷酷だ。
「嘘をついたんだ。ぼくはときどき嘘をつくんだよ。知らなかった? ……痛いっ、痛いったら!」
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
柩が振動をはじめた。
「あそこだっ」カイトはかっと目を見開いて地下からせりあがってくる尖塔を凝視した。
「なにをしている、なぜ撃たないんだ、気がつかないのか!?」
五台の空中機動兵員輸送艇は分散して尖塔のはざまに着陸し、兵員を展開させている。
「点滅信号だ!」
副操縦席の占領軍兵士が|制御卓《ク ロ ウ 》に屈みこんで着陸灯を点滅させはじめた。
そうしているあいだも、霊柩弾はおごそかな上昇をつづけている。
ついに尾部が地上に出た。衝撃風が地上を薙ぎ払う。数人の兵士が吹き飛ばされるのが見えた。
霊柩弾は速度を増しながらぐんぐん上昇した。
ついに消防艇の目の前にさしかかる。
「ぶつかれ! 体当たりするんだっ!!」狂ったようにカイトが命じる。
だが、操縦しているのは臨時徴用された消防士である。死が確実な命令に従うはずもない。占領軍兵士であっても疑問だが。
むしろ操縦員は衝撃波に巻きこまれるのを恐れて、消防艇を後退させた。
カイトは窓からずりおちんばかりになって銃撃をはじある。「くそっ、来援を仰がないかっ。対空部隊はなにをしている? 砲撃させろ。とにかくあの空飛ぶ迷惑を撃墜するんだあっ」
ズゴーッ。
熱風が開け放たれた窓から吹きこみ、空中消防艇が揺れた。エントリュアはとっさに顔を前の座席の背もたれに押しつけた。さすがのカイトも腕で衝撃風を防いでいる。
エントリュアが顔をあげたとき、すでに霊柩弾ははるかに高く、その噴射炎が夜空に咲いていた。
「ちくしょう、ちくしょぉうっ」カイトが銃撃を再開した。
そのころになってようやく地上からの射撃がはじまった。
が、霊柩弾ははるか成層圏に達していた。下界を睥睨《へいげい》する不死鳥のように、銃火をものともせず噴射炎をはばたかせる。
「無駄ですよ」兵士が冷めた口調で、「空飛ぶ迷惑は天翔る迷惑になっちまった……」
そのことばを耳にしたしゅんかん、エントリュアの胸に笑いの衝動が生まれ、口へ突き抜けた。
エントリュアはのけぞって呵々大笑した。こんなに爽快な気分は久しぶりだった。殺されるかもしれない、という恐れがちらりと頭をかすめはしたものの、笑いの衝動を抑えこむにはいたらなかった。
「くそぅっ」カイトは涙声でわめいた。「なぜだ!? なぜ、あいつらにだけこんな幸運がっ。神はわれらを嘉《よみ》したまわらずか。たったひとりの犠牲すら、与えくださらないのかぁっ。それで、心慰められるものを!」
そのとき、エントリュアは理解した――同じ遺伝子改造で生まれながら、あまりに境遇のちがうふたつの種族、アーヴとシレジア不老族。カイトの憎悪は個人的なものではなく、酷烈な種族的嫉妬にほかならないことを。
憲兵大尉への同情がかすかに戻ったものの、ルーヌ・ビーガ市警警部の爆笑は納まらなかった。
エントリュアは笑いつづけた。
「東経三八度一一分、南緯五二度二四分、仮称第一二八物資集積所の破壊を完了しました」クファディスは報告した。「つぎに……」
「お願い、|先任参謀《アルム・カーサリア》」|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉|司令官《レシェーク》スポール|准提督《ロイフローデ》は、妖しい美貌の前で|指揮杖《グリュー》をふった。「そんな細かい報告であたくしをわずらわせないで」
「しかし、|司令官《レシェーク》……」
「地上目標の掃討に関してはすべてあなたに任せてあるわ」
「ですが、事後の報告だけはいたしませんとなりません」
「|司令官《レシェーク》が必要ないといってるのよ」スポールはそっぽをむいた。「これは戦闘じゃないわ。駆除のたぐいよ」
――同感だな。
クファディスも、この作戦を進言したことを後悔しはじめていた。
|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》空間領域で鹵獲《ろ かく》した輸送船にはクラスビュール駐留軍軍司令部以下一万五〇〇〇人が乗っており、船の記憶巣には貴重な情報が消去もされず残っていた。
それによると、彼らは都市部を中心に三億の|電波虫《デムブース》を放っていた。電波虫はある波長の電波を受けると同波長の雑音を流す微小機械で、ひとつひとつの出力は微弱でも、総合すると侮れない出力になる。〈人類統合体〉製の電波虫はいったん放つと、一拳に駆除するのは不可能だった。|星界軍《ラブール》だけではなく、敵軍にもすぐには電波妨害をやめさせることはできない。
つまり、惑星クラスビュール地表に残存する敵軍二〇万人は統合する軍司令部を欠き、相互に連絡もできない状態にあるのだ。
高山山頂にある電波局を叩くことで、全惑星規模の電波妨害は終息した。辺鄙な土地では衛星軌道からの通告を受信できる場合もある。だが、人口の集中する都市には、まだアーヴのことばは届いていない。
天空を疾駆する重装騎兵、偵察分艦隊〈フトゥーネ〉はしかたなく、すこしでも|空挺艦隊《ビュール・ワケール》の仕事がやりやすいように、都市部から離れた敵の拠点や移動中の部隊を衛星軌道から叩いているのだった。
はっきりいって虚しい。抵抗できない敵を討つのは精神の健全に障りがある。厄介なことに、敵の大部分は都市にひそんでおり、軌道上からは手が出せないのだ。
「|領民《ソ ス 》に被害の及びそうなときだけ、あたくしに事前承認を求めてちょうだい。それ以外は、あなたのお好きなように、このお仕事をやってくれてかまわないわ」スポールは『お仕事』というとき、さも嫌そうに顔をしかめた。
「了解しました」クファディスはうなだれた。
「本隊の到着まであと何時間ぐらい?」スポールは尋ねた。
「艦内時間で四時間十五分後に到着の予定です」
「そう」スポールは席を立った。「では、あたくし、失礼して|司令官室《シル・レシェーカル》にひきとらせていただくわ」
「はい」クファディスは敬礼した。
「|先任参謀《アルム・カーサリア》、緊急通信です」|通 信 参 謀《カーサリア・ドロショト》がいった。
「転送しろ」
「はい」
ぴっと|端末腕環《クリューノ》が鳴って、情報の転送を告げた。
「お待ちください、|司令官《レシェーク》」その内容を一読するなり、クファディスはスポールを呼びとめた。
「なあに?」スポールは身体ごとふりむいた。
「〈ラードビュルシュ〉の|偵察艇《ボデーミア》が衛星軌道上で漂流者を救助したそうです」
「それで?」
「その漂流者ですが、|パリューニュ子爵殿下《フ  ィ  ア ・ ベ  ル ・ パ  リ  ュ  ン》と|ハイド伯爵公子閣下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール・ハイダル》と名乗っておられるそうです」
「|パリューニュ子爵殿下《フ  ィ  ア ・ ベ  ル ・ パ  リ  ュ  ン》? アブリアルのお姫さまがこんなところでなにをなさってるの?」
スポールは首をかしげ、「家出?」
「いえ、たしか……」
「やだやだ」|准提督《ロイフローデ》は|長衣《ダウシュ》を翻して、|司 令 座《レシェーキバーシュ》に戻ってくる。「反抗期の子どもとつきあうのは優雅ではないわ」
「そうではなく」クファディスは説明した。「|パリューニュ子爵殿下《フ  ィ  ア ・ ベ  ル ・ パ  リ  ュ  ン》は|翔士修技生《ベネー・ロダイル》として|巡察艦《レスィー》〈ゴースロス〉に乗りこみ、|ハイド伯爵公子閣下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール・ハイダル》は便乗なさっていた、と記憶しております。したがって……」
「知ってるわよ、|先任参謀《アルム・カーサリア》。あなたもまじめなかたね」
「……。申しわけありません」
「つまらないことで謝らないで」
「も……。はい」
「それにしても、|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》で生きてらしたとはね。おふたりは?」
「まだ|偵察艇《ボデーミア》におられます。〈ラードビュルシュ〉の|艦長《サレール》がどのようにするか訊いております。ちょくせつ、この艦に来ていただくのが適当と、わたしは判断します」
「淑やかなスポールとがさつなアブリアルは昔から反りがあわないのよ……」腕組みをしてうつむいた司令官は、独り言のようにこぼした。
「それでは、〈ラードビュルシュ〉にいったん留まっていただきますか? あとの処遇はトライフ|提督《フローデ》の到着を待つことにして」
「なにをおっしゃっているの?」紅色の瞳が不思議そうに|先任参謀《アルム・カーサリア》の目をのぞきこむ。「おもしろそうだから、ここに来ていただくのよ」
10 |異郷への帰還《サイロス・ロスロータジュ》
|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉の|旗艦《グラーガ》、|巡察艦《レスィー》〈ヘールビュルシュ〉の|離着甲板《ゴリアーヴ》に|偵察艇《ボデーミア》が着艦した。
「着いたね」ジントは傷ついた肩を撫でながら、隣で頭をかかえているラフィールの横顔をのぞいた。「どうしたの?」
「|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》」ラフィールはうわごとのように、「この|分艦隊《ヤドビュール》の|司令官《レシェーク》はレトパーニュ大公爵なんだ。よりにもよって……」
「ああ、スポール|准提督《ロイフローデ》のこと? それがどうしたの」
「性格のいいアブリアルと陰険なスポールは昔から反りがあわないんだ」
「へえ」
「スポールに救けられたうえ、こんな服で会見しなければならないとは!」ラフィールは情けなさそうに、着ているものを見おろした。クラスビュールふうのわんぴーす℃pである。
「乗艦準備が整いました。どうぞこちらへ、|閣下《ローニュ》」|後衛翔士《リニェール》の階級章をつけた|艇長《ポノワス》は、ジントに報せたあと、ちょっと口ごもって、ラフィールに、「アブリアル|翔士修技生《ベネー・ロダイル》」
ラフィールは立ちあがって敬礼した。
「ありがとうございました」ジントも一礼して、|気閘室《ヤドベール》にむかう。
離着甲板にはすでに一〇人ほどの|翔士《ロダイル》が待機していた。
中央に立っているのは肉食性の蝶を連想させる|翔士《ロダイル》だった。艶《あで》やかで猛々しい。階級章は|准提督《ロイフローデ》。彼女こそスポール准提督だろう。
偵察艇の階段をおりると、ラフィールは敬礼し、ジントは頭を下げた。
スポールはラフィールの敬礼姿に咎めるような視線を送り、典雅な物腰で腰を折った。陪従の翔士もそれにならう。
「ようこそおいでくださいました、|殿下《フィア》、|閣下《ローニュ》――ところで殿下、どうかこの艦では|帝室《ルエジェ》の一員としておふるまいください」
「しかし……」
「あたくしは|翔士修技生《ベネー・ロダイル》着任の連絡を受けておりません」
「ですが、|准提督《ロイフローデ》……」ラフィールはなおこだわっていた。
「なにより、|翔士修技生《ベネー・ロダイル》と考えるのは不可能ですわ、そのお召し物では」スポールはとどめをさした。
「では、そうさせていただく」ラフィールは憤然と敬礼をとき、「久しいな、|大公爵《ニ ー フ 》」
「まことに。|殿下《フィア》の|修技館《ケンルー》入学祝宴以来でございます」スポールも辞儀をとき、「殿下の健やかなる成長ぶり、この|レトパーニュ大公爵《ニ ー フ ・ レ ト パ ン》も慶賀の至り――と申しあげたいところですが、どうも審美眼に歪みが生じたようですわね。どうなされたのです、そのお姿は?」
「わたしの考えではない」ラフィールは横目でジントを睨み、「ジントの……、いや、|ハイド伯爵公子《ヤルルーク・ドリュール・ハイダル》の考えなんだ」
「まあ」スポールは驚きに目を見開き、「|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》が|殿下《フィア》にその服を着せ、御髪を黒く染めさせたとおっしゃるのですか」
「これはまだましなほうだ。最初に|公子《ヤルルーク》が買ってきた服ときたら、もっとすごかった」
「まあ」スポールは絶句して、ジントに赤い瞳をむけた。
ジントは当惑した。必要なことだったのだと説明したら、この|大公爵閣下《ローニュ・ニム》はききわけてくれるだろうか。
「お許しください、|閣下《ローニュ》」驚いたことに、格下であるはずのジントにスポールは深々と頭を下げた。
「はあ、なにをです?」戸惑いはますます深まった。
「|バルケー王殿下《フィア・ラルト・バルケール》が|ハ イ ド 伯 国《ドリュヒューニュ・ハイダル》の創建をお許しになったと耳にしたとき、あたくしは粋狂がすぎると存じました。アーヴの生活を知らぬものを|貴族《スィーフ》にしていいものか、と。失礼を承知で申しあげるなら、惑星マルティーニュの地表兵器はなんら脅威とするに足るものではなかったのです」
「粋狂ですか……」ジントは複雑な思いにとらわれた。
「ですが、あたくしは考えちがいをしておりました。|閣下《ローニュ》の功績はじゅうぶんに|伯爵《ドリュー》の位に相当しましょう」
「ど、どうも……」なにが|伯爵《ドリュー》の位に相当するというんだろう? ラフィールを守ったことだろうか。しかし、話の流れからいってそうではないようだ……。
「アブリアルの容易に激怒すること、発動した剛憤の激甚なることは全|帝 国《フリューバル》に鳴り響き、伝説的な恐怖の的となっております。わけても、|クリューヴ王家《ラルティエ・クリュブ》の|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》はアブリアルのなかのアブリアル、その瞋恚《しんい 》の炎たるや、宇宙開闢の瞬間にのみ比喩の対象を見いだせるものとうかがっておりました」
「|大公爵《ニ ー フ 》」ラフィールがなにかいいたそうに呼びかける。
「その|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》に」スポールは無視した。「髪を黒く染めさせ、このような奇矯な衣裳をまとわせるとは。この偉業がかなうとはわが目で見ても信じられません。その功績は|伯爵《ドリュー》どころか|侯爵《レーブ》、いえ、|公爵《レークル》の位にも相当いたしましょう。心より感服つかまつりました」
ジントはうつむいた。すなおに誉めことばと受けとることはできない。それどころか、ラフィールに風変わりな格好をさせたことについて遠回しに非難しているようだった。
「気にするな、ジント」ラフィールが気の毒そうにいった。「そなたをだしに、わたしをからかって喜んでるんだ。スポールの性根は核酸分子のようにねじくれまがってる。|大公爵《ニ ー フ 》のことばを借りるなら、わけても|レトパーニュ大公爵家《ニ ー ミ エ ・ レ ト パ ン》の|ペネージュ閣下《ローニュ・ペネグ》はスポールのなかのスポール、スポール一族が一〇〇〇年にわたって洗練してきた婉曲な罵倒の技術を芸術の域にまで高めた人物とききおよんでいる」
「ほーっほほほほほ」スポールは白い喉をのけぞらせて笑い、はじめてジントの目をまともにのぞきこんだ。「でも、気に入ったのは事実よ、|公子《ヤルルーク》。あなたは|主計翔士《ロダイル・サゾイル》になるときいたけれど、ぜひあたくしのもとで戦いなさい」
「そんな将来のことより、|大公爵《ニ ー フ 》」なぜかラフィールはあわてて口をはさんだ。「|軍衣《セリーヌ》を用立ててくれないか。髪の色も落としたい」
「|軍衣《セリーヌ》のほうはすぐにでも。ですが、御髪の色はどうすれば落ちるのです? 湯浴みでよろしゅうございましょうか」
「湯浴みでは落ちなかった」
「では、どうすればよろしいのです?」
「さあ、わたしは知らない」ラフィールはジントを見た。
スポールもジントを見た。
ジントは途方に暮れた。「そういえば、取扱説明書になにか書いてあったような……。でも、捨ててしまったから……」
ふたりのアーヴ女性はまだじっとジントを凝視している。
「ええと」ジントは提案した。「あの毛染剤はクラスビュールではありふれたものだったから、下へおりてだれかに訊けば……」
「たったいま、どこからか恐ろしい想念が忍びこみました」スポールが身ぶるいし、「わが栄光ある〈フトゥーネ〉の|翔士《ロダイル》が、まだ敵の制圧下にある|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》におりていくのです。そして、敵の抵抗を排除し、|軍衣《セリーヌ》に返り血を浴び、怯える|領民《ソ ス 》を捕らえて、こう尋ねるのですわ。『きみ、毛染剤の落としかたを知りませんか』と。おお、いやだ、〈フトゥーネ〉の威信は地に堕ちることでしょう」
「そうでしたね」ジントは肩を落とした。自分たちが救かったせいでついうっかり忘れていたが、クラスビュールの地表にはまだ敵軍ががんばっている。
「こういたしましょう。|殿下《フィア》の御髪を一本、拝借。|薬剤科《クリューリア》へ回しますわ。分析して洗い落とす薬品を調合させましょう。これでは?」
「頼む。それからこれを」ラフィールは胸元から|記憶片《ジェーシュ》を手繰りだした。「|巡察艦《レスィー》〈ゴースロス〉の航行日誌だ」
ラフィールが|記憶片《ジェーシュ》をかかげると、翔士たちはそれにむかって敬礼した。
厳粛な数秒間のあと、スポールは合図をした。「|先任参謀《アルム・カーサリア》、受けとってちょうだい」
「はい」端麗な眉目になぜか深い疲労の色を刻んだ、鮮緑色の髪の翔士が進みでて、うやうやしい仕草で|記憶片《ジェーシュ》を受けとった。
「それでは|殿下《フィア》、|公子《ヤルルーク》。こちらへいらしてください。お部屋に案内させましょう。ああ、その前に公子は医療室に寄ったほうがいいみたいね」スポールがジントの左肩にうっとりした視線を注ぐ。「まったく、どうしたら可能だったの? 殿下にこんなおもしろい格好をさせて、肩ひとつで許してもらえるなんて!」
「わたしが撃ったわけじゃないぞっ」ラフィールが気色ばんだ。
三十七分後――。
|トライフ艦隊旗艦《グラーガ・ビューラル・トライム》、|巡察艦《レスィー》〈ケールディジュ〉は|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》から|通常宇宙《ダ  ー  ズ》へ舞いおりた。
進入と同時に厖大な通信が〈ヘールビュルシュ〉から発せられ、〈ケールディジュ〉は貪欲に情報を飲みこみはじめた。
「|閣下《ローニュ》」カヒュール|千翔長《シュワス》が呼びかけた。
「なんだ」トライフ|提督《フローデ》は顔を上げる。
「|パリューニュ子爵殿下《フ  ィ  ア ・ ベ  ル ・ パ  リ  ュ  ン》と|ハイド伯爵公子閣下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール・ハイダル》が救助されたそうです」
「はん?」トライフは口をあんぐり開けた。信じがたい情報だった。
|巡察艦《レスィー》〈ゴースロス〉にふたりが乗っていたことは知識としてあった。だが、なぜこんなところで?
「〈ゴースロス〉が健在なのか?」
「いいえ、残念ながら。〈ゴースロス〉はやはり撃沈されたようです」
「そうか。ほんとに残念だ。だが、それならばどうして|王女殿下《フィア・ラルトネル》がここにおられる?」
「|艦長《サレール》の命により脱出して、この|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》に難を逃れたようです。ですが、まだ報告書が作成されておりませんので、詳しいことは存じません」
「うむ。無理もないな」
「|王女殿下《フィア・ラルトネル》は〈ゴースロス〉の航行日誌を持ち帰りました。たいへん興味深い事実が記されています」
「なんだ?」
「彼らがどこから湧いて出たものか、判明いたしました」
「どこだ?」
「|ケイシュ一九三門《ソード・キュトソクンビナ・ケイク》。どうやら彼らはそこから四・一光年離れたバスコットン星系に〈|門《ソード》〉を運んで利用した、と〈ゴースロス〉|艦長《サレール》は推測していたようです」
「レクシュ|百翔長《ボモワス》か……。よい|翔士《ロダイル》だった」トライフは歩き回った。
「はい。推論の過程に無理はなく、わたしも|百翔長《ボモワス》の意見に賛成です。鹵獲《ろ かく》した敵艦に残った情報の分析はまだ端緒についたばかりですが、おそらく百翔長の推論を裏づけてくれるでしょう」
|司令座艦橋《ガホール・グラール》に|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》が浮かびあがる。
「ここと」カヒュールは提言した。「|ケイシュ一九三門《ソード・キュトソクンビナ・ケイク》とのあいだにはふたつの|所領《スコール》があります。|ガムテーシュ子爵領《ベールスコル・ガムテク》と|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》です。ただちに|艦隊《ビュール》を分派し、可能ならば|領 主《ファピュート》と|家臣団《ゴスクラシュ》を避難させるべきでしょう」
「|ヴォーラーシュ伯国《ドリュヒューニュ・ヴォーラク》と連絡ができないか? |ケイシュ一九三門《ソード・キュトソクンビナ・ケイク》を迂回して」トライフは足をとめて考えこむ。
「試してみるべきでしょう。〈フトゥーネ〉を使いますか?」
「〈フトゥーネ〉には休養が必要なのではないかな」トライフは危惧した。
「〈フトゥーネ〉以外にこの任務に耐えるものはおりません」カヒュールは断言した。
「そうだな」トライフはうなずき、「迅速にことを運ばなばならん。〈フトゥーネ〉をこき使おう」
「はい。ですが、救助されたおふたりを同行させるわけにはいきません」
「あたりまえだ。おまえはどうしていつもわかりきったことを指摘するのだ。ただちに移乗する艦を手配しろ」
「了解しました」
「手術おわり。これは応急処置がよかったな」地上人形質の|軍医《ガイリート》が|医療支援機《クリュールポーク》をジントの肩からはずした。「あのままにしておいてもよかったぐらいだよ。まあしばらくは不便だろうが、ラクファカールに着くまでには、組織は完全に再生するはずだ」
|軍医《ガイリート》は絹帯をジントの左肩にかぶせ、硬化処置をした。
「どうも」ジントは左肩を見つめた。新しい繃帯で肘からうえが完全に固定されてしまっている。
「きみの服が届いているよ。意匠が気に入るといいのだがね」軍医は|つなぎ《ソ ル フ 》を渡した。
左の袖は腰のあたりから出ている。そのうえは胴と一体になっているのだ。いまのジントの体形にあわせた裁断だった。
「気に入りましたよ」
ジントは服を着こんだ。
治療がおわるのを見計らったかのように、|列翼翔士《フェクトダイ》が医療室に入ってきた。
「本|分艦隊《ヤドビュール》に新たな任務が与えられました」列翼翔士が告げた。「|閣下《ローニュ》には退艦していただかなければいけません」
「もうですか」ジントは驚いた。
「|艦長《サレール》は残念がっています。ぜひ食事をともにして、冒険譚をきかせていただきたかったのに、と」
「よろしく伝えておいてください」
「はい。では、いらしてください」
ジントは|軍医《ガイリート》にあいさつをして、医療室をでた。
列翼翔士は|離着甲板《ゴリアーヴ》に案内した。
「|閣下《ローニュ》と|殿下《フィア》には|連絡艦《ロンギア》〈エークルル〉に移乗していただきます。〈エークルル〉は|帝都《アローシュ》まで直行しますから、三日ほどで帰還できるでしょう」
「ぼくはラクファカールに行ったこともないんですよ」ジントは告白した。
「そうなのですか?」|翔士《ロダイル》はちょっと驚いたようだった。
|短艇《カリーク》に乗りこむと、ラフィールが待っていた。階級章のない|軍衣《セリーヌ》を着用し、髪も| 黝 《あおぐろ》に戻っている。
「やあ、元どおりだね」ジントは陽気に声をかけた。黒髪でわんぴーす≠着ている姿も捨てがたいものがあったが、こうして見るとやはり黝い髪と|軍衣《セリーヌ》がなにより似合う。
「ほんとうにそう思うか?」
「ああ、もちろん……」ラフィールの目元や話ぶりに剣呑なものを感じとり、ジントは及び腰になった。
「よく見るがよい」ラフィールは髪を手にとり、「色が槌せてしまったぞ」
いわれてみれば、髪の色はやや淡くなり、原色の青に近づいているようにも見える。
「でも、その色もきれいだよ」ジントはなだめ、つづいていいわけをしようとしたが、そんなことをする必要のないことに気づいた。
髪を染めなければならない状況だったのだ。それに、あわてて毛染剤を落とす理由などなかった。もっと時間をかけて分析すれば髪を痛めることなく毛染剤を洗い落とす薬品が調合できたかもしれないのに。
「そなたを非難してるわけじゃないぞ」ラフィールはいった。「ただそなたの記憶力に失望しただけだ」
「でも、たいして変わらないじゃないか!」
それまでラフィールが怒っていなかったとしても、この一ことは決定的だった。
|王女《ラルトネー》はぷいと横をむき、次の日の朝食の席で会うまで口をきいてくれなかった。
11 |帝都《アローシュ》ラクファカール
その都市には地図がない。都市を構成する建造物は大地につなぎとめられておらず、ただ重力のつくりだした空間の湾曲面を転がりながら、位置をつねに変化させている。|帝都交通庁《スポーデ・ビル・アロク》のみがその瞬間の位置関係を把握しているものの、それとてすぐ移ろいゆくものにすぎない――したがって、〈|混 沌 の 都《ビロート・クネーグナ》〉と呼ばれている。
また、〈|竜の頸の付根《サース・ノーシャル》〉とも称される――|帝 国《フリューバル》の|紋章《アージュ》たる〈|八頸竜《ガフトノーシュ》〉は帝国そのものの隠喩でもある。やっつの|王国《フェーク》とそれを貫く|航路《ビール》は、しばしば| 竜 《ノーシュ》のやっつの頸になぞらえられた。であるとすれば、やっつの頸が集まる場所はここ以外に求められない。
より直截的に〈|八 門 の 都《ビロート・ガソーダル》〉と呼ばれることもある――複数の〈|門《ソード》〉をもつ星系はいくつかあるが、やっつもの〈門〉をもつ星系は人類宇宙でここのみ。かつて、この都市の時間で一〇〇〇年ものむかし、広大な宇宙で拾い集めたやっつの〈|閉じた門《ソード・レーザ》〉を巨大な船が宿しきたり、ここで開いたのだ。
あるいは〈|帝 国 の 揺 籃《ギュルソーグ・フリューバラル》〉ともいわれる――人類史上最大の帝国はここから始まり、炎と血に彩られた歴史を積みかさねたのだから。
その凄惨な歴史のなかで〈|陥ちざるもの《ダワトサリア》〉の別称もえた――敗北が予測されてる状況でも傲然と戦端を開く帝国の都として、この都市はみたび、敵艦の|駆動炎《アソート》を見た。が、陥落の憂き目にあうことはついになかった。一時はこの都市にまで攻めこんだ国々もいまや帝国の血肉となってしまっている。
もしくは〈|愛の都《ビロート・ネグ》〉とも呼ばれる――|軌道城館《ガリューシュ》や|艦船《メーニュ》を生活の場とし、広大な領域に薄くひろがる種族には、出会いの機会が限られる。したがって、彼らは生涯の半分をこの都市で過ごすのが通例だった。この都市では招待不要の饗宴がつねにどこかで開かれており、彼らは超新星のような恋愛の相手を探すために集う。
ただ〈|故郷《ムロート》〉といってこの都市を指すこともある――その種族の者は、たいていこの都市で生じた爆発的恋愛の結実であるからだ。彼らはここで生まれ育ち、広い宇宙に散り、やがて還ってくる。
〈|混 沌 の 都《ビロート・クネーグナ》〉、〈|竜の頸の付根《サース・ノーシャル》〉、〈|八 門 の 都《ビロート・ガソーダル》〉、〈|帝 国 の 揺 籃《ギュルソーグ・フリューバラル》〉、〈|陥ちざるもの《ダワトサリア》〉、〈|愛の都《ビロート・ネグ》〉、〈|故郷《ムロート》〉――|帝都《アローシュ》ラクファカール。
|帝都《アローシュ》を照らす恒星はアブリアルという――そう、アーヴにとって、アブリアル≠ニは先祖の住んだ都市船であり、|皇 帝《スピュネージュ》の姓であり、故郷を照らす恒星の名でもある。もとはといえば、アーヴを生みだした種族、非連続的ながらアーヴの祖先である人々が、まだ宇宙の謎も遺伝の神秘も解きあかしておらず、弓状の島で農耕生活を送っていたころ、崇拝していた|太陽の女神《ア マ テ ラ ス》、その名が著しく変容してしまったものがアブリアル≠ニいう音の連なりである――したがってこの星系は|アブリアル伯国《ドリュヒューニュ・アブリアルサル》と呼ばれる。|アブリアル伯爵《ドリュー・アブリアルサル》の|称号《トライガ》はかならず皇帝が帯びるならわしだ。
恒星アブリアルに近づく者は、細い繊維で編んだ、目の大きな球形の籠に恒星が封じられているのを目にするだろう。細い、といっても恒星本体に比べての話で、その帯状の構造物は幅が五〇〇ウェスダージュある。帯の、恒星にむかった側は太陽電池となっており、その反対側に並んだ無数の直線加速器が、休みなく|反物質燃料《ベ ー シ ュ》を製造している。これは|帝 国《フリューバル》のみならず既知宇宙でも最大の|反物質燃料工場《ヨ     ー     ズ》だった。
|帝都《アローシュ》ラクファカールはさしわたし三〇〇セダージュ、おおむね鎌のような形状をして、恒星アブリアルから六ゼサダージュの軌道をめぐっている。|帝宮《ルエベイ》、|王宮《ラルベイ》、|諸侯《ヴォーダ》の|帝都城館《ガリューシュ・アロク》、|士族《リューク》や|国民《レーフ》の|集合邸宅《バ ー シ ュ 》、|空間庭園《デ  ー  ヴ》、|商店館《イレーヴ》、|星界軍《ラブール》施設、|建艦厰《ロ ー ル 》……。そういった人工惑星の集合体だ。無数の|交通艇《ポーニュ》が飛びかい、|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》からおりてきた|艦船《メーニュ》も都市のなかに入ってくる。おのおのの施設はあるていど機動力を持ち、自動的に衝突を回避する。
やっつの〈|門《ソード》〉はラクファカールより一〇〇〇セダージュばかり外の軌道に等間隔で並び、それぞれ|空間機動要塞《ロニーデ・ホーカ》をひきつれて、|帝都《アローシュ》とは逆方向に公転している。
その八門のひとつ、|イリーシュ門《ソード・イリク》から、ジントとラフィールの乗った|連絡艦《ロンギア》〈エークルル〉が、|アブリアル伯国《ドリュヒューニュ・アブリアルサル》に進入した。
連絡艦は|連絡艇《ペ リ ア 》とはちがい、小型|貨客船《レビサーズ》のような構造をしている。情報とともに貴賓や伝令使を運ぶことを想定しているので、衛生設備の完備した客室が一二あり、ささやかな談笑室も備えられていた。
居室で暇をもてあましたジントが談笑室をのぞいてみると、めずらしくラフィールがいた。
「やあ、報告書はもう終わったの」ジントは声をかける。
「うん」ラフィールはふりむくと、正面の大画面を指した。「どうだ、ラクファカールの印象は?」
大画面にはアーヴの〈|故郷《ムロート》〉の姿が映っていた。
はじめて目にする|帝都《アローシュ》ラクファカールは光点の群れ。彩華が競いあい、まばゆいほどだ。連絡艦とラクファカールの軌道は同一平面に乗っているので、銀河を横から眺めているかのよう。
「思っていた以上だ。すごいよ」
「そうか」|王女《ラルトネー》の顔に素朴な満足の笑みが浮かぶ。
ジントは|珈琲《スルグー》をとって、ラフィールの隣に腰掛ける。
ラクファカールの印象について、ジントが口にしたことは正直な気持ちだ。が、彼の心を占めていたのはまったくべつの感情だった。
淋しさ――。
ずいぶんと回り道をしてしまったが、|ヴォーラーシュ伯国《ドリュヒューニュ・ヴォーラク》から|帝都《アローシュ》ラクファカールまでの旅もまもなく終わる。それはラフィールとの別れを意味する。そして、その訣別が永続的なものではないとはかぎらない。
そのうえラフィールは、ジントの思いをよそに、報告書を作成しなければならないとかで部屋に閉じこもり、顔をあわせるのは食事のときぐらいのものだった。
「|艦長《マノワス》からきいたか?」とラフィール。
「なにを?」
「われらは|帝宮《ルエベイ》におもむく」
「ちょくせつかい」ジントは驚いた。
「うん。|皇 帝 陛 下《スピュネージュ・エルミタ》がいろいろ話したいことがあるそうだ」
「きみと、だろ」
「いや。わたしともだけど、そなたとも話したいんだそうだ」
「うへぇ」ジントは肩をすくめた。「気楽にいうんだね。そりゃあ、きみにとってはお祖母さんなんだからだろうけれど」
「お祖母さまに会うのは一年ぶりだ」
「そう。積もる話もあるだろうね」
「話はあるけれど、|陛下《エルミトン》はお忙しいであろ。そなたは忘れてるかもしれないが、|帝 国《フリューバル》は戦争してるんだぞ」
「わかっているよ。戦況はどうなんだろう、なにかきいていない?」
「わたしもきいてない」ラフィールは小首を傾げ、「心配か?」
「そりゃそうだよ。ぼくの故郷がどこにあるのか、きみこそ忘れているんじゃないか」
戦場のむこうには|ハ イ ド 伯 国《ドリュヒューニュ・ハイダル》がある。ジントを裏切り者の息子≠ニ呼ぶ人々の住む故郷だ。
|イリーシュ王国《フェーク・イリク》は円環状の構造をしているから、ただちに連絡が断たれてしまうわけではないが、もし|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》のように占領されていたら、と考えると、落ちついていられなかった。
たぶん故郷の人々はスファグノーフの|領民《ソ ス 》よりうまく占領軍とつきあえるだろう。父である|ハイド伯爵《ドリュー・ハイダル》がどんな扱いを受けるか、想像するまいとしても、どうしても頭に浮かんでくるのだった。
何年も会っていないし、子どものころから縁の薄い父だが、ゆいいつの肉親にはちがいなかった。
「ああ、そうだったな」ラフィールはばつの悪そうな顔をした。「わたしとしたことが、愚問だった」
「いいよ。ぼくだって忘れていたんだ、クラスビュールにいたときは」
「なにかと忙しかったからな」
「きみってときどきすごく控えめにいうんだね」ジントは感心した。
|帝都《アローシュ》の灯りはしだいに近づき、いちばん手前の構造物の姿がはっきりしてきた。いくつもの球が重なり、巨大な管を触手のようにうごめかせている。進化の袋小路にはまりこんだ、奇妙な生きものにも見えた。
「|ベートゥール建艦厰《ロール・ベートゥル》だ。|巡察艦《レスィー》〈ゴースロス〉もあそこで生まれたんだ」ラフィールは教えた。
「ふうん」
「あれは」ベートゥール建艦廠のかなたに浮かぶ球形のものを指し、「|育児園《ソムローニュ》だ。あんなのが〈故郷〉にはいくつもある。なかは無重力で、ふかふかの内張りがしてあって、発泡材の星が浮かんでるんだ。子どもは生まれてしばらくすると、|頭環《アルファ》をつけてあそこに放りこまれる。それで、作用反作用の法則を体得したり、頭環の使いかたを覚えるんだ。脳がかたまらないうちにこれをしないと、|航法野《リルビドー》が形成されない……」
|帝都《アローシュ》の観光案内をはじめたラフィールに相槌を打ちながら、ジントは思った彼女も差し迫った別れに少しは淋しさを感じ、名残を惜しんでくれているのだろうか。
|帝宮《ルエベイ》に着くと、いかめしい顔つきの|侍 従《ベイケブリア》たちがあらわれ、ジントをラフィールから引きはなした。
|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》の一件があるので、あまりいい気がしなかったが、もちろん杞憂にすぎない。広大な|湯殿《ゴーブ》に案内され、ジントは湯のなかで手足を伸ばした。
すっかり清潔になって|湯殿《ゴーブ》を出ると、着替えが用意されていた。
|軍医《ガイリート》の予言どおり、肩は全治している。左肩に開いた穴は新しくもりあがった皮膚に覆われ、骨に痛みを感じることもない。
普通に肩から袖の出ている|つなぎ《ソ ル フ 》を着て、|長衣《ダウシュ》をまとう。|男爵領《リュームスコル》で奪われたものとそっくりな|頭環《アルファ》があり、セールナイから借りっぱなしになっているものに替わる|端末腕環《クリューノ》もあった。
|アーヴ貴族《バール・スィーフ》としての正装を整え、ジントは教えられたとおり合図をした。
「どうかこちらへ」|侍 従《ベイケブリア》がやってきて案内に立った。
廊下では|移動壇《ヤーズリア》が待っていた。
「どうぞお乗りを」
「はい」ジントは壇に上がった。
侍従がつづいて乗ってきて、|制御卓《ク ロ ウ 》に命令を打ちこむ。
「あのう、どこへ行くんですか?」壇が動きはじめると、ジントは怖ずおずと尋ねた。
「〈|謁見の広間《ワベス・ベゾーロト》〉の控え室にお連れするよう、承っております」
「〈|謁見の広間《ワベス・ベゾーロト》〉ですって? たしかそこは重要な行事にしか使われないと思いましたが……」
「そのとおりでございます」
「ええと、なにがあるんですか?」
侍従はふりかえって紺色の片眉を上げた。「ほんとうにおわかりにならないのですか?」
「いえ、いまの質問は忘れてください」藍藻植物なみの洞察力と決めつけられないだけでもましだった。
「そわそわするでない、ジント」ラフィールが眉をしかめる。
控え室には彼女が先に到着しており、飲み物をすすっていた。
「きみはときどき難しいことを要求するね」ジントは落ちつけない。「いったいどうすればいいんだ? その、特別な作法かなにかあるの?」
「たいしたことはない。常識どおり礼儀正しくふるまえばいいんだ」
「ぼくがアーヴの常識にうといってことを忘れてもらっちゃ困る」
「わたしのするようにするがよい。|玉 座《スケムソール》のもとまで歩いていく。最敬礼する。声をかけられるのを待つ。簡単であろ」
「そうきこえるね」ジントは認めた。
「簡単なんだ」
|侍 従《ベイケブリア》が入ってきて、「お待たせいたしました、|殿下《フィア》、|閣下《ローニュ》。用意が整いました」
「はい」ジントは侍従のほうへ歩いていこうとした。
「そっちじゃない。こっちだ」ラフィールが巨大な扉を指す。
「ほら、出だしでつまずいた」ジントはぶつぶついった。
「わたしの横に並べ。歩く速度をあわせるがよい」
「ああ、うん」
「もっと胸を張るがよい。そなたは英雄なんだぞ」
「へえ、それは初耳」
「|ばか《オーニュ》」
大扉が開いた。
〈|謁見の広間《ワベス・ベゾーロト》〉には、朝のやわらかい陽光がふりそそいでいる。恒星アブリアルの光をちょくせつとりいれて散乱させているのだ。
天井には梁がいくつも渡されているが、それがささえるべき屋根はなく、抜けるような青空――|散乱面《シュノベズイア》が広がっている。代わりに梁からは|紋章旗《ガール・グラー》が下がっていた。|帝 国《フリューバル》を構成する|諸侯《ヴォーダ》の旗。ジントはいちばん手前に|ハイド伯爵家《ドリュージェ・ハイダル》の真新しい紋章旗を見いだした。
左右にずらりと威儀を正す|儀仗従士《サーシュ・イダル》のあいだを、黒大理石の床を踏みしめ、|玉 座《スケムソール》のもとへと歩いていく。
|軍 楽 従 士《サーシュ・アロヴォト》たちが|帝国国歌《ル エ ・ オ ル》を奏でた。歌詞は唄われなかったが、ジントは知っている――|帝 国《フリューバル》は永遠の繁栄をつづけ、宇宙の老衰するようすを看取ろうという、いかにもアーヴ的な、つまり傲岸不遜で暴虎馮河な歌だ。
ラフィールとはじめて会ったときのようなしくじりをするのがいやだったので、ジントは対面するかもしれない貴顕の顔を連絡艦のなかで記憶することに努めていた。
おかげで、正面に立つ三人の顔を見分けることができる。
|八王家《ガ・ラルティエ》の|紋章旗《ガール・グラー》にとりかこまれた、ひときわ大きな|帝国旗《ルエ・ニグラー》を背にして、|翡翠の玉座《スケムソール・レン》から立ちあがっているのは、もちろんラフィールの祖母である|皇 帝《スピュネージュ》ラマージュ|陛下《エルミタ》だ。むかって右側、|玉 座《スケムソール》より一段下のきざはしに立つ、青灰色の髪の男性は、ラフィールの父、|クリューヴ王《ラルス・クリュブ》|ドゥビュース殿下《フィア・ドゥビュト》。さらにその下で微笑んでいる、藍色髪の美少年は、ラフィールの弟、|ウェムダイス子爵《ベール・ウェムダイサル》|ドゥヒール殿下《フィア・ドゥヒル》にちがいない。
ジントは頭が混乱した。|皇 帝《スピュネージュ》にしろ|クリューヴ王《ラルス・クリュブ》にしろ、ラフィールの兄弟にしか見えないのだ。ともするとクリューヴ王が皇帝より年上に思えてしまう。頭ではアーヴの歳のとりかたを理解していたつもりだが、こうして目で見ると、やはり不思議でしかたない。アーヴ自身はどうやって折り合いをつけているのだろう?
|玉 座《スケムソール》を見あげる位置に敷かれた白い絨毯でラフィールはひざまずいた。
あわててジントもならう。
「立たれるがよい、|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》」すぐ近くで声がした。
驚いて顔を上げると、ラマージュが|玉 座《スケムソール》をおりて目の前に立っていた。
「立たれよ」ラマージュはうながした。
「はい」ジントは立ちあがる。
「アブリアルの感謝を受けとられるがよい、|公子《ヤルルーク》。この者は」とラフィールを示し、「まだ何者でもない。であるが、いくらか可能性を備えている。その可能性を持ち帰ったのはそなただ。そなたがいなければ、生きてふたたびこの若鳥の姿を見ることはかなわなかったであろう」
「いいえ」ジントは赤面し、「ぼくは……、わたくしはなにもしていません。むしろ救けられるばかりで……」
「そうではない、|公子《ヤルルーク》」ラマージュはジントの手をとった。「そなたも気づいておらぬかもしれぬゆえ、あえて偽りとは申さぬ。しかし、そなたが退くべきときを教えなば、この者はどこまでも進み、倒れていたはず。退くべきときを見誤るのはわが一族の宿痾《しゅくあ》とはいえ、この者の気性はとくに激しい。さらに、そなたは|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》を知るアーヴ。そのめずらかな特質がなくば、どうなっていたことであろう」
ラフィールによく似た美貌から赤褐色の瞳が感謝の色を湛えて間近で見かえしている。|皇 帝《スピュネージュ》の手はひんやりとしていながら、どことなく温かみがあった。
ジントはどぎまぎした。
「わたしからも心からの感謝を捧げよう、|公子《ヤルルーク》」ドゥビュースがいった。「|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》はわれらラクファカールで生を受けたものには異郷なのだ。われらの多くはアーヴの世界で生まれ、地上世界に足跡を印すことなく、アーヴの世界で死ぬ。気を悪くなされるかもしれないが、有り体にいって、われらは地上世界を恐れているのだよ、公子。地上世界よりわが娘を連れ帰ってくれたことに、感謝のことばもない」
「あの」ジントは思いきって反論した。「|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》にも心の真っすぐな人々がいます。今回も、彼らの協力がなければ、敵に捕まっていたでしょう」
「|公子《ヤルルーク》、そなたは誤解しておられる」ドゥビュースは微笑した。「なにも|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》の人間はなべて邪悪な心の持ち主なのだというつもりはない。邪悪であることにかけては、われらも引けをとらぬつもりだよ。ただ、地上人の生活とアーヴのそれはあまりにちがう。異質な文化はたやすく人を殺す。くわえてあの地は、われらを蛇蝎《だ かつ》のごとく忌み嫌う者たちが支配していたのだ。そなたという仲立ちがいなければ、わが娘はいまここに立っておるまいよ」
「そのとおり、|公子《ヤルルーク》」ラマージュがいった。「|王女《ラルトネー》の報告書はすでに読んだ。それゆえ、|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》でそなたと王女を結果的に救けた者たちのことは知っている。その者たちにも尽させぬ感謝を。だが、いまはそなたに感謝すべきときであろう」
「でも、わたくしのほうもずいぶん救けていただきました。とくに|宇宙《ケサース》では」
「それはレクシュより託された任務だった」ドゥビュースがそういうとき、つかのま、その整った顔に憂いの翳がさす。「|公子《ヤルルーク》、そなたは|真空世界《ダ  ー  ズ》に不慣れだった。その不慣れな世界を渡るのを救けよ、とわが娘は命じられていたのだよ。だが、そなたは|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》を渡るのを救けよ、とだれに命じられたのでもない」
「そなたの行為の尊さに思いを及ぼされよ、|公子《ヤルルーク》」ラマージュがいいきかせた。「すくなくとも、いま、われらにとってはこのうえなく崇高な行為である」
「ぼくからもお礼をいわせてください、|伯 爵 公 子 閣 下《ローニュ・ヤルルーカル・ドリュール》」ドゥヒールが控えめな態度で口を挟む。「姉に再会させてくださって、とてもうれしいんです」
ドゥヒールの素直な感謝で、ジントの心ははじめて和んだ。|皇 帝《スピュネージュ》と|王《ラルス》の感謝は格調が高すぎて、どうも感謝されているような気がしなかったのだ。思いは伝わってくるのだが、自分が場違いで、ふたりがべつの人物に言及しているように思えてならなかった。
「光栄です、|殿下《フィア》」ジントは頭を下げた。「|陛下《エルミトン》も|王殿下《フィア・ラルト》も、過分なおことばをたまわりまして恐縮です」
「そなたはそれだけのことをしたのだ、ジント」ラフィールが小声で助言した。「もっと堂々としているがよい」
「そんなにおどおどしているかい?」自分ではせいいっぱい威厳を保っていたつもりなので、ジントは不本意だった。
「うん。顔が蒼い。吊し上げを食ってるみたいだぞ」
「|愛しき娘《ファル・フリューム》よ、そなた、書き落としたな」ドゥビュースが面白がる表情を浮かべ、「そなたと|ハイド伯爵公子《ヤルルーク・ドリュール・ハイダル》がそれほど親しくなっていようとは、知らなかったぞ」
「あれだけの危機をくぐれば、親しくもなります、父上」ラフィールはいいかえした。
「であろうな」ドゥビュースは人の悪い笑みを張りつけたまま同意し、「ラフィール、久しぶりに散策をともにしないか」
「行ってくるがよい、ラフィール」ラマージュが打ち沈んだ声音で、「わたしは不快な義務を果たさねばならないようだ。|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》、わたしについてまいられるがよい」
「はい……」ジントは尋ねた。「あのう、不快な義務とは?」
「そなたに凶報を伝えねばならぬ」
ラフィールは父のあとにつづいて白い砂を踏みしめていた。
敷きつめられた白い砂のうえを清水が小川を形づくる。柔らかい反射光で満たされ、壁も天井も白く、染みひとつない。
いくつもの白い柱。象眼もされていないのでよほど近づかないと読みとれないが、それには小さな文字でびっしりと名前が彫ってある。
|帝 国《フリューバル》のために死んだものたちの名前だ。身分に関係なく歿したじゅんに、同時に歿したのなら文字じゅんに刻まれている。根気よく調べれば、アブリアル≠フ姓を持つものが|士族《リューク》や|国民《レーフ》の名にまぎれて散見できるだろう。
石柱の頂にはどれも同じ文言が彫られている|帝 国 は 汝 を 忘 れ じ《フリューバル・ア・ダール・フローネデ》=B
〈|忘れじの広間《グレーシュ・フローネタラ》〉――あらゆる宗教を冷笑するアーヴにとってもっとも神聖な空間。
ドウビュースはひとつの石柱の前で歩をとめた。「お帰り、といったかな」
「いえ。まだいっていただいておりませぬ」ラフィールはこたえた。
「じゃあ、お帰り、|放蕩娘《ドルフリューム》よ。よく戻った」ドゥビュースはふりかえって、「肉体は若いままでも、精神はかならず年老いる。死ぬまで青春の肉体を持つアーヴでも、ほんとうに若い日々はつかのまに過ぎ去る。わたしはそのことを噛み締めている最中《さ なか》だよ。そなたは真の青春にえがたい体験をしたな」
ドゥビュースは石柱に視線を戻すと、その一点を見つめた。
ラフィールも目を近づけてみる――レクシュ・ウェフ=ローベル・プラキア。
「これもいっていなかったな、|わ が 愛《ファル・ネージュ》。そなたの遺伝子には手を加えていない。自然結合のままなのだよ。そなたの耳がアブリアルにしては小さいのはそのためだ」
ラフィールは顔を上げた。「なぜそのようなことを?」
「もちろんその必要がなかったからだよ、ラフィール。偶然とプラキアがわたしにすばらしい贈り物をしてくれた。わたしていどの才能では、手をくわえたところでそなたをさらに麗しくするのはかなわなかった」
「父上。なぜかよくわからないけれど」ラフィールは自分の気持ちに戸惑っていた。「それをきいて、うれしい」
「そうかね」ドゥビュースは軽やかに笑い、「よかったよ。耳の件ではそなたに恨まれているものとばかり思っていた」
「じつはちょっと、恨んでおりました」ラフィールは告白した。
「まあ、それはしかたないな、|麗しき者《ノーウォン》よ」ドゥビュースはそれきり黙ってしまった。口を閉ざしたまま、石柱に刻まれた名前に見入る。
ラフィールも無言で立ち、父と石柱を眺めていた。
「まったくすばらしい日々だった」やがて、ドゥビュースは語りはじめた。「死にゆく巨星の傍らで、事象の地平線の縁で、まさに星になろうとしている星霧のなかで……、わたしとプラキアは愛しあい、お互いの特権を利用して、盛大に迷惑をかけあったものだ」
「特権? 迷惑をかけるのがですか」
「迷惑をかけられることが、だよ」ドゥビュースの口元に微笑みが浮かんだ。「安心したよ、|幼子《アソーグ》。そなたはまだ恋するには早いな」
「そうであろか……」ラフィールは反発したが、いいかえすことはできなかった。
「そのすばらしい日々が去ろうとしているとき、わたしには信じられなかった。信じられなかったけれど、たしかに過ぎ去ろうとしている足音をこの全身できいたのだよ。だからせめて……」
「まさか、父上」胸のうちに疑いが生じる。「|プラキア卿《キュア・プラケール》の想い出のためにわたしをお生みになった、とおっしゃるのではないでしょうね」
「いけないかね」ドゥビュースはレクシュの名を指でなぞって、「あのとき、わたしにとってはプラキアがすべてだった。なあ、輝く者《セーリア》、あのすばらしい一瞬の想い出をいつまでも手元に置きたいと思うのは当然であろう」
「わたしは記念品ではない、父上。|プラキア卿《キュア・プラケール》の複製でもないぞ」疑いは怒りに変わっていた。
「むろん、|激情の俘囚《ロリューク・イサーロト》、そなたはちがうよ。プラキアは聡明であった。わけもわからず声を荒らげたりはしなかったものだ」
「わけもわからず?」ラフィールはさらに憤る。「わたしはわたしだ。父上はわたしを愛してくださっているものと思ってたのに」
「愛しているとも。それでなくてどうしてそなたを|わ が 愛《ファル・ネージュ》と呼べよう?」ドゥビュースは動じなかった。
「|プラキア卿《キュア・プラケール》の想い出としてであろ」
「ちがうな。そなたをそなたとして愛しているのだよ、|アブリアルの華《グナー・アブリアルサル》」
「信じられぬぞ、父上」
「信じてもらおうとは思わないよ、|麗しき頑固者《クラソーノン・ノーワ》。けれども、これだけは憶えておくがよい、そなたは|プラキアの想い出《ワベード・プラケール》として誕生し、|わ が 愛《ファル・ネージュ》に成長したのだ。いまのそなたはプラキアによく似ているけれども、内側はまったくちがう。どうちがうかはいわないでおくけれどもね。たしかにかつて、わたしの愛はそなたを素通りしてプラキアのもとへ行ったけれども、もはやそなたのむこうにプラキアを見ることもない」
ラフィールは納得していなかった。レクシュ|百翔長《ボモワス》を人間としても|翔士《ロダイル》としても尊敬していたし、憧れてもいた。しかし、ラフィールは独立した人格として父に認めてほしかった。父はそう思っているのだといってはいるが、どうにもごまかされているようにしか感じられない。
「教えてたまわれ。わたしが|プラキア卿《キュア・プラケール》の艦に乗り組むことになったのは、父上のお考えか?」
「偶然にしては出来すぎであろうな。わたしが育てた宝をあの人に仕上げてほしかったのだ、|珠玉《ラーフ》。わたしは予備役だけれども、いちおう|准提督《ロイフローデ》の|位階《レーニュ》を持っているのだから、そのくらいの根回しはきく」ドゥビュースはちょっと物思いにふけり、「ふむ、予備役ももう終わりか。戦争がはじまってしまったからね。|バルケー王家《ラルティエ・バルケール》の坊やのしたにつくのかと思うとぞっとする」
「|バルケー王殿下《フィア・ラルト・バルケール》は父上と同い年であったはず……」なかば無意識に、ラフィールは指摘した。
「三ヵ月、わたしのほうが早く|人工子宮《ヤ ー ニ ュ 》から出たのだ。このちがいは大きいぞ。子どものころには、喧嘩してもあの坊やには負けなかったものだ」
「それより、父上」ラフィールの頭に新たな疑問がふと浮かんだ。「ジントが〈ゴースロス〉に乗ったのも、父上が?」
「ああ」ドゥビュースは肯定した。「まあ、ほとんど偶然だけれども。一五隻ばかり、|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》の乗るのにふさわしい艦があったのだが、わたしがひそかにあの人の艦を推したのだ。そなたに|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》出身の友がひとりぐらいいてもいいと思ったのでね。あんなに親しくなるとは思わなかったが」
「なにもかもが父上の差金のような気がしてきた……。〈人類統合体〉の侵入すら」
「それは過大評価というものだ、|わ が 娘《ファル・フリューム》。敵の手引きなどしてごらん、そなたのお祖母さまに引き裂かれてしまうよ」
「それでも、父上はわたしの知らないところで動いておられるのだな、わたしをつくるために……」ラフィールにはその事実が気に入らなかった。
「そなたの親だからな。プラキアの半身をもらってそなたを生み、わたしひとりでそなたを育てた。けれども、それももう終わりだ、そなたはもう|帝 国 の 娘《フリューム・フリューバラル》なのだから」
「そうであろか」ラフィールは疑惑の眼《まなこ》をドゥビュースの横顔にむけた。
「すばらしい女性だった」愛娘の疑問を無視して、ドゥビュースは追憶に戻っていった。「はじめて会ったとき、わたしはできの悪い|十翔長《ローワス》で、あの人は将来性豊かな|列翼翔士《フェクトダイ》だった。わたしが彼女に魅かれた理由は百も思いつくけれども、彼女がわたしのどこを愛してくれたのか、いまでもさっぱりわからないよ」
「|殿下《フィア》の|称号《トライガ》を、であろ」いってからラフィールははっとした。なぜこんな悪意あることを口走ったのか、自分でもよくわからない。たぶん、父への怒りのせいだろう。
ドゥビュースはふりかえる。その目は細められ、彼の怒りを雄弁に物語っていた。ラフィールの父は一族のなかでは例外的に穏やかな性格だったが、それでもアブリアルにはちがいなかった。「そなたは幼いころからプラキアを知っている。彼女の艦《ふね》にも乗った。そのうえで、そなたの半身の源を、自分に目の眩むような女性だったと評価するのだな、アブリアル・ネイ=ドゥブレスク・|パリューニュ子爵《ベ  ー  ル ・ パ  リ  ュ  ン》・ラフィール。心してこたえるがよい」
「いいえ」ラフィールはうなだれた。「そんなかたではありませなんだ」
しばしドゥビュースは娘のようすを観察した。その態度の裏に真の悔悟を感じとったのだろう、彼はいった。「それならいいのだよ、|愚か者《オーニュ》。二度とつまらぬ想いを口にするでない」
「はい……」ラフィールは顔を上げることができなかった。「もうひとつだけ、教えてたまわれ。|プラキア卿《キュア・プラケール》はわたしをどう評価したか、ご存じか」
「ああ。私信にひとこと――そなたを誇りに思う、と」
「誇りに思う……」
ラフィールの脳裏にプラキアと過ごした在りし日々が駆けめぐる。|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》の多くでなら母≠ニ呼ばれるべき立場にあった女性の記憶がまざまざと甦った。よりによって楽しい記憶だけが……。
ふいに視界がぼやけたかと思うと、頬に熱いものがしたたった。
「泣いているのか、ラフィール」ドゥビュースは気づいた。
「父上に叱られたから、泣いてるのではないぞ」ラフィールはしゃくりあげながらいう。まるで幼い日に戻ったかのよう。
「それではプラキアの死を悼んで泣いているのか」
ラフィールは嗚咽を抑えるのに必死で声が出せない。黙ってうなずいた。
「失望したよ、がっかりだな。わたしは育てかたを誤ったらしい」しかし、その口調は慈愛に満ち、「そういえば、そなたが泣くのは襁褓《む つ き》がとれて以来ではないかな、|鋼の心《ソク・ジェンナ》」
ドゥビュースはラフィールを胸にかきいだいた。
「よいかね、わが一族にも守るべき評判がある。冷酷なるアブリアル、非情なるアブリアル、アブリアルは親しい友や睦まじい恋人を死の手に攫《さら》われようと、眉ひとつ動かさぬ、と。そのアブリアルがなんと涙を流したと皆に知れたら、先祖たちが築きあげてきた悪名はどうなるであろう。怒ってもかまわぬ、ときには笑ってもよい。けれども、アブリアルに生まれた者には泣く権利がないのだ。一族しかおらずとも、安心するでない。どうしても泣きたくなったら、人知れず泣くがよい」
「父上はおずるい」ラフィールは涙に濡れた顔を父の胸から上げた。
「なにが?」
「そのように涙も流さず慟哭するすべを教えてくれませなんだ」
ジントが|皇 帝《スピュネージュ》にともなわれていった部屋では、|軍衣《セリーヌ》姿の男性が待っていた。
「|軍令本部情報局《リュアゾーニュ・スポーデ・リラグ》のビルスクース|副百翔長《ロイボモワス》」皇帝は紹介し、「副百翔長、|ハイド伯爵公子《ヤルルーク・ドリュール・ハイダル》にいまの状況を説明してさしあげよ」
「はい」
部屋の中央に|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》が投影された。人類の既知領域すべてを範囲に含んでいる。
|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》の付近がぽっと赤くなった。
「ここで会戦が行なわれました。それはご存じのことと思います。|星界軍《ラブール》は勝利し、|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》を回復しました」
|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》と|ヴォーラーシュ伯国《ドリュヒューニュ・ヴォーラク》のあいだに赤い点があらわれる。
「ここが|ケイシュ一九三門《ソード・キュトソクンビナ・ケイク》。敵軍の侵入点です。|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉が強行威力偵察をしたところ……」
|ケイシュ一九三門《ソード・キュトソクンビナ・ケイク》から赤い破線が|イリーシュ王国《フェーク・イリク》を分断するようにのびた。破線と交わった〈|門《ソード》〉も赤い輝きになる。
「敵軍は周辺の〈|門《ソード》〉を臨時に軍事根拠地化して、完全に通行を阻んでいます。ですが、ここだけなら|星界軍《ラブール》が突破するのはたやすいこと。問題はここです……」
|イリーシュ王国《フェーク・イリク》の、ラクファカールから見て|スファグノーフ門《ソード・スファグノム》の反対側にもうひとつ赤い範囲があらわれた。いくつかの〈|門《ソード》〉を含み、境界はあいまいだ。
そこから赤い矢印が突きだし、猛然と|イリーシュ門《ソード・イリク》、つまりラクファカールへの入口へ進んだ。
「敵は一二〇個|分艦隊《ヤドビュール》相当の勢力をもって|帝都《アローシュ》をめざしました。|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》方面での敵の動きはあくまで陽動にすぎなかったわけです。われわれもそれを予測はしていましたが、まさか同じ|イリーシュ王国《フェーク・イリク》に侵入点を開いていようとは」
|イリーシュ門《ソード・イリク》から青い矢印が走り、赤い矢印と衝突した。
「わがほうも、|帝国艦隊司令長官殿下《フィア・グラハレル・ルエ・ビューラル》の指揮のもと、一四〇個|分艦隊《ヤドビュール》で迎撃しました。撃退には成功しましたが、損害は少ないものではありませんでした。多くの優秀な男女と艦をわれわれは喪ったのです」
|平面宇宙図《ヤ ・ フ ァ ド 》が消えた。
「現時点で判明しているのがここまでです。現在、|帝国艦隊《ルエ・ビュール》は追撃に移り、侵入点方面の偵察を行なっている、と報告がありました。しかし、この方面でも敵が防備を固めているのは、まちがいありますまい。わがほうには、大規模な軍事行動を起こす余力がありません。|星界軍《ラブール》の再建を図りながら、辺境の防衛にも兵力をさき、べつの侵入点があるかどうかもつぶさに調査をしなければならないのですから。|イリーシュ王国《フェーク・イリク》に出現したふたつの壁を打ち破るには、最低でも三年間の準備期間が必要でしょう。壁のむこうには一個|分艦隊《ヤドビュール》ていどの兵力しかありません。それも糾合すればの話で、実際には統一した指揮系統に属しているものではないのです。本格的な進攻を受ければ一たまりもありますまい」
ジントはそのことばの意味を考えた。壁のむこうには|ハ イ ド 伯 国《ドリュヒューニュ・ハイダル》もある……。
「残念きわまりない、|伯 爵 公 子《ヤルルーカル・ドリュール》」皇帝が沈痛な声で、「そなたのもたらした吉報のかわりにこのような凶報を与えねばならぬとは。これは|帝 国《フリューバル》の失態、ひとことの弁解も見つからぬ。けれども、現実は現実。帝国の一部を救うのに、帝国のすべてを危険にさらすわけにはまいらぬのだ。そなたの|邦国《アイス》との連絡は断ち切られ、しばらくは回復する見こみもない」
ジントは愕然とした。
故郷である|ハ イ ド 伯 国《ドリュヒューニュ・ハイダル》だけではない、友人たちの住む、第二の故郷というべき|ヴォーラーシュ伯国《ドリュヒューニュ・ヴォーラク》とのつながりも断たれ、つまりは彼の過去にかかわるものすべてと隔たってしまったというのに――なんということだ、すこしも悲しみを感じない。
ジントは自分の無感動ぶりを当惑と戦慄をもって受けとめた。
12 |帝 国 の 娘《フリューム・フリューバラル》
ジントとラフィールがラクファカールに到着したその日、|帝宮《ルエベイ》で|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》が開かれた。
|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》は|八王家《ガ・ラルティエ》からひとりずつ選ばれた|上皇《ファニーガ》たちで構成される。その権能はただひとつ、|皇 族《ファサンゼール》である|翔士《ロダイル》の昇進と賞罰をつかさどることにある。
同世代のうちもっとも翔士としてすぐれた皇族が|翡翠の玉座《スケムソール・レン》に坐る建前である以上、|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》の役割はゆっくりとした時間をかけて|皇 帝《スピュネージュ》を選びだすことにほかならない。
今回の主題はいうまでもなく、|クリューヴ王家《ラルティエ・クリュブ》の|第一王女《ラルトネー・カースナ》が翔士として、つまりは皇帝候補としてふさわしいかを協議するためのものだった。
会議は五日にわたった。ラフィールの報告書にくわえて、|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》から引きあげた|前男爵《リューフ・レカ》や|家臣《ゴスク》の証言も精細に検討された。
そして、最終日――。
ラフィールは〈|諸上皇の間《ワベス・ファニガラク》〉へ呼びだされた。
〈|諸上皇の間《ワベス・ファニガラク》〉は円形で、広間の床の中央には〈|八頸竜《ガフトノーシュ》〉が描かれ、正面には一段高い壇がある。
ラフィールが名乗ると、諸|上皇《ファニーガ》の立体映像があらわれた。瑞々しい肉体に老いた魂を閉じこめたアブリアルの長老たち。
ラフィールは頭《こうべ》を垂れた。
「|クリューヴ王家《ラルティエ・クリュブ》の|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》が|翔士《ロダイル》として叙任されるのに適当であるかを判断するため、われらは参集した。いくつか本人に尋ねたいこともあり、これより|王女《ラルトネー》の審問を執り行なう」|前 皇 帝《スピュネージュ・レカ》の|ドゥガス猊下《ニソス・ドゥガス》が宣言した。
「面をあげるがよい、|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》」|皇 族《ファサンゼール》の最長老、|バルグゼーデ王家《ラルティエ・バルグゼーデル》の|ドゥスーム猊下《ニソス・ドゥスーマル》が声をかける。
「はい」ラフィールは顔を上げた。
ふたりのもと|皇 帝《スピュネージュ》を含む八人の|上皇《ファニーガ》たちが彼女を見おろしている。
中央に立っているのはドゥガスとドゥスームである。このふたりが中心となって、ラフィールの査問を行なうようだった。
ドゥガスは|上皇《ファニーガ》たちのあいだでは若い部類にはいるが、すでに一〇〇歳を超えている。むろん、外見は若々しい。童顔の彼は成熟期半ばで加齢が停止してしまったようで、いまだ活発な少年の面影を色濃く残していた。
ドゥスームにいたっては二〇〇をはるかに超えていた。その物腰には風格があり、長く流れ落ちる巻毛は時に晒されたような薄紫。どういう理由からか、彼は|空識覚《フロクラジュ》に頼って、ふだんから瞼を開くことがないという。いまも目はかたく閉じられたままだ。
ラフィールは緊張していた。
|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》で議論の対象とされるのは初めてだったが、話はいろいろときいている。戦闘からも交易からも引退してしまった|上皇《ファニーガ》たちはほかにすることもないので、若いアブリアルの落ち度を探す術に磨きをかけているという噂だった。
「|翔士適性審査《ラデゥラジュ・ブークラグ》というものはたいてい退屈なものだ」とドゥガス。「子どもたちは誤解しているが、|翔士修技生《ベネー・ロダイル》の行状の端々をあげつらってみても、さしておもしろいものではない。われらのなかには一〇万隻の|艦隊《ビュール》を率い、名立たる星間国家を討ち滅ぼしたものもいるというのに、なぜこのような片々たる仕事に喜びを見いだせよう」
一〇〇年以上も過去にシャシャイン戦役を指揮した|ドゥラーズ猊下《ニソス・ドゥラド》が自分の業績への言及に会釈した。
「けれども、今回ばかりは楽しませてもらったわ、|殿下《フィア》」と|ウェスコー王家《ラルティエ・ウェスコール》のラムローニュ。
|殿下《フィア》≠フ|称号《トライガ》を蔑むように響かせるのは、年経りた|皇 族《ファサンゼール》の特技だった。
「そなたの行動にはさまざまな不注意が見られる。とくに|フェブダーシュ男爵館《リューメクス・フェブダク》の大気漏出に注意を怠ったことは許しがたい」ドゥガスがいった。
「この件に関しては|フェブダーシュ前男爵《リューフ・レカ・フェブダク》より請願が来ている」|スキール王家《ラルティエ・スキル》のラミューニュが発言した。「|男爵領《リュームスコル》での行状は咎めぬように、と。だが、|前男爵《リューフ・レカ》は誤解しておられるのだ。|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》はそなたの罪を問うものではない。あくまで、|翔士《ロダイル》としての適性を判断するもの。そなたの華々しい破壊行動はすべて戦闘の一環として|帝 国《フリューバル》が責任を負う」
当然のことだと思っていたので、ラフィールはたたずんだままである。
「ではあるが、大気漏出の件は重大だ。戦闘中はなにが起こるかわからぬ。|星たちの眷族《カルサール・グリューラク》といえども、大気のないところでは生きておられぬことは知っていような」ドゥガスは皮肉っぽくいった。
「はい」さすがに不安を感じた。
義務を果たそうという意欲があるのに、その能力がないと決めつけられることほど、屈辱的なことはない。翔士に叙任するにあたらぬと判断されるぐらいなら、死んでしまったほうがましだった。
「とはいえ、|殿下《フィア》、稚《おさな》い|修技生《ベ ネ ー 》ならいかにもしでかしそうな失敗だということで、|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》は意見の一致を見た」ドゥスームが安心させた。「ここにいる者はみな、より平穏な修技生生活を送ったが、|翔士《ロダイル》となってから驚嘆すべきしくじりを犯した者もすくなくはない。思いだすであろう、|ラムローニュ猊下《ニソス・ラムロン》、そなたがここに立ち、|提督《フローデ》から|百翔長《ボモワス》への降格を敢然と受け入れた日のことを」
「|猊下《ニソス》」ラムローニュは顔を赤らめて抗議する。「そのような大昔のことをいま持ちださずともよいではありませぬか」
「しかし、|殿下《フィア》」ドゥスームはことばをつづけた。「われらとしても見過ごせぬ点がふたつある。その件について、そなたの存念をききたい」
「なにでありましょう」ラフィールは決然とアブリアルの最長老を見つめた。
放棄されたドゥスームの視覚に若きアブリアルの輝く高慢が捉えられたのかどうか。彼の口元にいっしゅん微苦笑が走った。
「|殿下《フィア》」ドゥスームは訊いた。「そなたは|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》において、|皇 族《ファサンゼール》の身分を利用し、|男爵《リューフ》への叛乱を扇動しなかったか」
「|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》よ」彼女がこたえるより早く、ドゥガスが糾弾した。「われらアブリアルは逆鱗で魂をよろうとさえいわれる。不本意だが、そのことは認めざるをえない。わたしでさえときどき怒りにわれを忘れることがあるからな。にもかかわらず、|臣民《ビサール》たちはわれらの支配を容認し、敬愛さえしてくれる。それがなぜかわかるか? 個人の怒りと|帝 国《フリューバル》の怒りを区別してきたからだ。帝国とはかかわりない怒りに駆られたとき、だれひとり対抗すべくもない帝権という鞭で相手を打ちすえようとはしないからだ。もしアブリアルがひとりでも、|皇帝杖《ルエ・グリュー》を感情の棍棒と使う愚か者を|翡翠の玉座《スケムソール・レン》に送りこめば、臣民たちはわれらへの信頼をなくす。|建国帝《スクルレトリア》以来、|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》の最大の役割は、誇りを履きたがえる者を|帝 位《スケムソラジュ》への道から排除することにある……」
「お待ちたまわれ、|猊下《ニソス》」ラフィールはさえぎった。
「いうがよい、|殿下《フィア》」ドゥスームが発言を許す。
「わたしは身分をふりまわしたりはしてませぬ。叛乱を扇動したのでもございませぬ。|男爵《リューフ》の任務妨害にあい、|星界軍《ラブール》の|軍士《ボスナル》として|国民《レーフ》たちに協力を求めただけのこと」
「なるほど、筋は通っているようにきこえるな」ドゥガスは腕組みした。「ではあるが、|殿下《フィア》、そなたがアブリアルの|氏姓《フィーズ》をもっていなければ、はたしてうまくいったであろうか」
「それはわたしには関わりのないことでありましょう」
「どういう意味だ、関わりがないとは?」ドゥガスは眉根を寄せた。
「あれは戦闘でありました。戦闘には運不運がつきものです。わたしがアブリアルであったのはひとつの幸運。それを忘れていたずらに功を誇れば、驕りといわれてもしかたありませぬが、わたしは忘れませぬ」
「もしそなたが|士族《リューク》の出身であったなら、どうした?」
「まったく同じように」ラフィールは遅滞なく返答した。「任務の遂行にあれ以上の方策はいまだ思い浮かびませぬ」
ドゥスームが微笑み、「雛にしてはうまく切り抜けたことを認めねばならぬな」
うまく切り抜けたというのが、|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》でのことを指すのか、この場でのことを指すのか、ラフィールには判断できなかった。
「よろしい、諸|上皇《ファニーガ》の賛同をえれば、この件は終わりとしよう。どなたか、異議のあるかたは?」ドゥガスは異議を待った。
異議はなかった。
「では、もうひとつだ、|殿下《フィア》」とドゥガス。「こちらのほうがよほど重大だぞ。|帝 国《フリューバル》の根幹にかかわる。そなたは|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》の|領民《ソ ス 》に| 船 《メーニュ》の供与を約束したようだな」
「それはちがいます!」ラフィールは反論した。「わたしが約束したのは、彼らに| 船 《メーニュ》を貸すよう、|皇 帝 陛 下《スピュネージュ・エルミタ》にお願いする、ということのみ」
「雛には無理からぬことだが、そなたは|皇 族《ファサンゼール》のことばの重みを理解しておらぬ。アブリアルが可能性をほのめかしただけで、人は確実に実現するものと決めこむのだ。実現せぬものなら、食言したと思うであろう」
「しかも、この場合」とラミューニュ。「そなたが救かりたいがための偽りと思いこむであろう。恥辱というほかない」
「|猊下《ニソス》がた、それはあまりに一方的な仰せであろ!」ラフィールはわれ知らず声を張りあげた。
「そもそもそなたの願いがかなうはずがないのだよ」ドゥラーズが穏やかにいった。「|帝 国《フリューバル》の|慣 習《ダルフォース》では|士族《リューク》以上の身分がなければ、| 船 《メーニュ》の借主になることはできない。知らなかったのかね?」
「存じませんでした……」ラフィールは唇を噛んだ。
|帝 国《フリューバル》の慣習は多岐にわたり、複雑怪奇である。基本的なことは承知していても、あまり些末なことには注意を払ったこともない。
「さあ、この始末をどうつけようか」ドゥガスは首をふった。「そなたが慣習を知らなかったのはやむをえぬ仕儀だが、すこし考えればわかったであろう。|帝 国《フリューバル》と|領民《ソ ス 》はお互いになんの義務も負わぬ。帝国は|領民政府《セメイ・ソス》を庇護し、領民政府は領民を保護する。領民はある意味で帝国とは無関係な人間なのだ。その領民になぜ| 船 《メーニュ》を貸すことがあるだろうか」
「浅はかだったわね、|殿下《フィア》」ラムローニュがいった。
ラフィールはどうしていいかわからなかった。なんといっても、彼女は確実な約束などしていないのだ。理不尽とも感じ、アブリアルの長老たちへの怒りはつのる。しかし、|皇 族《ファサンゼール》のことばの重みを説ききかされれば、そんなものかと思わないでもない。|フェブダーシュ男爵領《リ ュ ー ム ス コ ル ・ フ ェ ブ ダ ク》においても、|家臣《ゴスク》に約束を誤解されたことがあるのだから。
鈴を転がすような笑い声があがった。それまでひとことも口をきかなかった、|バルケー王家《ラルティエ・バルケール》の|ドゥセーフ猊下《ニソス・ドゥセム》だった。
「|猊下《ニソス》がた」ドゥセーフはいった。「|ドゥガス猊下《ニソス・ドゥガス》のおっしゃったとおり、いまだ翼に羽毛の生えそろえぬ者を、そう責めたてるのは酷でありましょう。とにかくこの|王女《ラルトネー》は卑しい偽りを口にしたわけではない。真実のみを申したのですから」
ラフィールは、思わぬ方向から差しのべられた救いの手に驚いた。
「それでは不十分だというのだ、|猊下《ニソス》。かの|領民《ソ ス 》たちはアブリアルにだまされたと信じるであろう。それが問題だ」ドゥガスはいいはった。
「では、| 船 《メーニュ》を貸してやればよろしいではありませぬか」ドゥセーフは気軽いようすでいった。
「そなたまでそんなことを? よいか、|ドゥラーズ猊下《ニソス・ドゥラド》のおことばをくりかえすが……」
「その|領民《ソ ス 》たちは結果として|帝 国《フリューバル》の| 娘 《フリューム》を救ったのです」ドゥセーフはさえぎり、「その功績は|士族《リューク》に叙するに値しましょう。士族に叙し、くわえて| 船 《メーニュ》を貸せば、なんの問題もありますまい」
「|領民《ソ ス 》をいきなり|士族《リューク》に? そのようなことは先例にないぞ」ドゥラーズが異議を唱える。
「|ハイド伯爵《ドリュー・ハイダル》は|領民《ソ ス 》ですらなかったはず。それに比べれば……」
「やすやすと先例をつくったのはそなたの息子だったな、|前バルケー王《ラルス・レカ・バルケール》よ」苦々しげにドゥラーズはいった。
ドゥセーフは涼しい顔をしている。
「待ってちょうだい、|猊下《ニソス》」|イリーシュ王家《ラルティエ・イリク》の|ラモーズ猊下《ニソス・ラムロード》が、「報告書によれば、彼らは|帝 国《フリューバル》からの分離独立を望んでいるわ。果たして帝国の|士族《リューク》となることを喜ぶかしら?」
「喜ぼうと喜ぶまいと問題ではありません。辞退するのは自由です。|士族《リューク》たることを拒むなら、われらとしても| 船 《メーニュ》は貸せぬというだけのこと」
「身を隠すかもしれぬ」とドゥガス。
「隠せばよろしい」|バルケー王家《ラルティエ・バルケール》の|上皇《ファニーガ》は不可解な笑みを浮かべた。「さいわい、|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》には|空挺艦隊《ビュール・ワケール》が展開しています。草の根分けても捜しだし、銃を突きつけてでもつれてくる。万人の前で|士族《リューク》に叙することを告げましょう。辞退せぬのならよし、辞退するなら| 船 《メーニュ》はあきらめよと申し渡し、かわりの褒賞を与えればよろしいでしょう」
「けれど、|星界軍《ラブール》はそのような仕事にむいていないわ」とラモーズ。
「|星界軍《ラブール》の手に余るようなら、|紋章院《ガール・スカス》を使えばよろしいだけのこと」
すごいことになった、とラフィールは蒼ざめた。
|紋章院《ガール・スカス》というのは本来、その名のとおり|貴族《スィーフ》・|士族《リューク》の|紋章《アージュ》を保管し、さらに家格や系図を管理する官衙《かんが 》である。だが、そこから進んで現在では、|所領《スコール》や|邦国《アイス》の内偵をつかさどる、一種の秘密警察的な役割を帯びている。
「われらは感謝≠主題に話しあっていると思ったのだがな」居心地悪そうに、ドゥラーズが身じろぎした。
「もちろん、感謝の話です。忘恩と呼ばれたくはありますまい」|法衣《フェクセイ》の扇状になった袖を、ドゥセーフはひらひらさせ、「叙任式典は惑星クラスビュールの地表で盛大に執り行ないましょう。そうだ、独立党や過激派として知られる者たちを来賓として招くのもいいでしょう」
「なぜそのようなことを……」ドゥガスが困惑しきった顔をドゥセーフにむけた。
「独立をこいねがう者たちは|帝 国《フリューバル》を侮っている節があります。どうせ帝国は弾圧できないのだとたかをくくり、われらを嘲って楽しんでいるのではあるまいか」
「弾圧せよと、|猊下《ニソス》はおっしゃるのか」ドゥガスはおぞましげに袖で口元をおおった。「それは優雅とはいえぬ」
「まさか。そのようなことをすれば、|星界軍《ラブール》も|紋章院《ガール・スカス》も厖大なものになってしまう。たしかに優雅からはほどとおい」ドゥセーフの笑みはさらに凄惨なものになる。「ですが、侮りを我慢することはできない。憎まれるのはかまいませぬが、蔑まれるのは耐えられぬのです。|帝 国《フリューバル》は弾圧できないのではなく、しないのだということ、すなわちその気になればいつでも帝国にまつろわぬ者を狩りたてることができるのだということを、|領民《ソ ス 》に知らしめるのも一興。きけば、彼らの最初の目論みは帝国を脅迫することにあったとか。すこし思い知らせてやる必要がありましょう」
「スポール!」ラミューニュが愉快そうに、「昔から思うておった、|バルケー王家《ラルティエ・バルケール》の|氏姓《フィーズ》はアブリアルではなく、スポールではないか、と。よくそのような陰険なことが思いつけるもの」
「|猊下《ニソス》がたに申しあげます」ラフィールは矢も楯もたまらなくなり、「わたしはあの者たちに感謝しております。好いてさえいるのです。われらと有り様はちがいますが、あの者たちはあの者たちなりの誇りを知る者。どうか猊下がたもあの者たちをお咎めなきよう……」
「これですからね」ドゥセーフは両の袖を広げた。「われらがなにかと誤解を受けるのも無理はない、身内の者でさえ誤解するのだから。まったくわが一族の不徳の至り。|殿下《フィア》、わたしは彼らに感謝すべきだと主張しているのですよ」
「その誤解とやら」ラモーズがぶつぶつこぼした。「わが一族の不徳の至りというより、ある特定の|王家《ラルティエ》がせっせと築いてきたものの結果のように思えるのはなぜ?」
彼女の皮肉は無視された。
「だが、|猊下《ニソス》。われらにそのようなことを決める権能はないぞ」ドゥラーズが指摘する。
「ラマージュ|陛下《エルミタ》に勧め、可否を訊けばよろしい。さして時間のかかることでもなし。しばしお待ちを、|猊下《ニソス》がた」
ドゥセーフの立体映像が消えた。
ほかの|上皇《ファニーガ》たちの像も凍りつく。
ラフィールのきこえないところで、なにごとか話し合っている気配があったが、彼女はただ佇立して声のかけられるのを待つしかなかった。
やがて、ドゥセーフが戻った。
|上皇《ファニーガ》たちの像も生命をとりもどしたかのごとく動きはじめる。
「|猊下《ニソス》がた」ラマージュの声が響く。音声だけで、像はない。「|ドゥセーフ猊下《ニソス・ドゥセム》より話はうかがった。あの|領民《ソ ス 》たちへの感謝の証しには頭を痛めていたところであった。猊下がたのご勧告はありがたい。ただちに採り、|皇 帝《スピュネージュ》の名においてそのように計らうでしょう」
「これで決まりですね」とドゥセーフ。
「そうだな」ドゥガスは気難しい顔でうなずいた。「これでアブリアルの名誉が傷つけられる恐れはなくなった」
「|上 皇 会 議《ルゼー・ファニガラク》の役割に、|翔士修技生《ベネー・ロダイル》の失敗を弥縫《び ほう》することはなかったはずだが」ドゥラーズが眉根にしわを寄せた。
「雛のしくじりをとりつくろうのは、老鳥のつとめではありませんか」ドゥセーフはいいかえす。
「ともあれ、われわれは結論を出すべきであろうよ。もう五日も話しあったのだし、|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》への質問も残っていない」ドゥスームがしめくくった。「諸|猊下《ニソス》の意見を聴こう」
「わたしは|ラフィール殿下《フィア・ラフィル》に|翔士《ロダイル》としての適性あるものと認める」ラミューニュの像が肩口に手をやり、消えた。
「あたしにも異議はないわ」ラモーズが消えた。
「どうもわれわれは慣習に大幅な打撃を与えてしまったような気がするが」ドゥラーズは首をふり、肩口に手をやった。「まあ、しょうがあるまいよ」
「楽しみだわ。そなたなら、きっとわたしの不名誉な過去を霞ませてくれるでしょう」ラムローニュも消えた。
「わが娘の幼いころを見ているよう」自分の立場を慮ったか、無言で参加していた|ラメーム猊下《ニソス・ラメーマル》、ラフィールの曾祖栂がいった。「新しい任務に就く前にかならず遊びにくるがよい」
「ほんとうに、そなたはラマージュ|陛下《エルミタ》に似ていますよ。わが息子のあとを襲うのはそなたかもしれないな」ドゥセーフが消えた。
「また会おう、雛よ。けれども、今度はもっと楽な審査であることを望むよ」とドゥスーム。
「おめでとう、アブリアル|列翼翔士《フェクトダイ》」最後にドゥガスが崩れた敬礼をして、消えた。
アーヴにとって季節とは時間的なものではなく空間的なものだ。|クリューヴ王宮《ラルベイ・クリュブ》には春夏秋冬、四つの苑があり、生態系や気温がそれぞれの季節にあわせて調整されている。
ジントは秋の苑で木製の長椅子に坐り、舞い散る紅葉を数えていた。
「こんなところにいたのか」
声のほうをむくと、ラフィールが立っていた。|軍衣《セリーヌ》姿ではなく、華やかでたおやかな|王女《ラルトネー》の|頭環《アルファ》をいただき、薄緑の|つなぎ《ソ ル フ 》に、山吹色の|長衣《ダウシュ》を着ていた。腕には子猫を抱いている。
「ああ。ここがいちばん落ちつくんだよ。|クリューヴ王殿下《フィア・ラルト・クリュブ》はここをわが家と思ってくれっておっしゃってくださったけど、ぼくのわが家≠フ概念からしてみればちょっと大きすぎるんだよな」
かつて一〇〇万の人口を擁した|帝宮《ルエベイ》に比べれば小さいとはいえ、|クリューヴ王宮《ラルベイ・クリュブ》も一個の人工惑星だ。たっぷり五万人が生活できる容積があり、じっさいに一万人が|クリューヴ門《ソード・クリュブ》や|王宮《ラルベイ》そのものを管理するために住みこんでいた。
「|邦国《アイス》のことを考えていたのか?」ラフィールはジントの隣に腰掛けた。
「いいや」虚をつかれた思いで、「故郷のことなんかぜんぜん思いだしもしなかった」
「ぜんぜん?」ラフィールは驚いたようだ。
「うん。故郷とつながりが断ち切られたときかされても、なぜか悲しくないんだ。むしろほっとしているんだよ。重荷が消えたみたいで……。ひどいやつだろう、ぼくって」
「わたしにはわからぬ」ラフィールは戸惑ったように、「父上のことが心配じゃなかったのか」
「心配しているつもりだったけれどね、ほんとは心配なんかしていないことに気がついたよ――まあ、だいじょうぶだろうさ、父はマルティーニュで生まれ育ったんだし、経験も人脈もある。ぼくらがクラスビュールで生きのびたんだから、父もきっと……」
いいながら、ジントはそれが嘘だと知っていた。地球起源と異質なマルティーニュの生態系は人間には狂暴だし、マルティーニュ人は幼いころから土着の環境にたいする尊重をたたきこまれる。だとすれば、父の生きる道は複合建築物に隠れるしかないが、あのかぎられた環境ではとても本格的な捜査から逃れることはできない。なによりマルティーニュ人の大部分は父を憎んでいるのだ。
おそらく、|ハイド伯爵《ドリュー・ハイダル》はすでにこの世の人ではないだろう。
「その猫は?」ジントは話題をかえた。
「ディアーホ。ホーリアの娘のザネリアの、そのまた息子だ。ほら、ディアーホ」ラフィールは長椅子のうえに子猫を放した。「わたしが実習航行にでているあいだに生まれたんだ」
ジントはホーリアがなにを指すか思いだした。幼いラフィールが一時、母親と信じた猫の名だ。
「じゃあ、きみはこの猫の伯母さんだね」
「|ばか《オーニュ》」
ジントが手を出すと、ディアーホは頭をこすりつけて甘えた。
ラフィールは困ったような顔をして、なぜか弁解をはじめた。「この者は猫のくせに毅然としたところがないんだ。ザネリアにもそんなところがあった」
「可愛いじゃないか」ジントは子猫の喉をくすぐってやる。
「そなたは明日、|主計修技館《ケンルー・サゾイル》に入学するのであったな」
「ああ。明日、朝食をいただいたあと、迎えが来ることになっている。戦争がはじまったんで、繰上げ入学が多いらしくってね、そのなかに混じることができるみたいだ。おかげで、授業の遅れを気にしなくてすむよ。でも、三年の学校生活の始まりだ。落ちこむな」ディアーホを膝にだきあげ、顔をラフィールにむけた。「きみのほうは?」
「まだ乗りこむ艦は決まってない」ラフィールは首をふった。
「そう。まあ、ゆっくりすればいいさ。これからしばらく戦陣暮しなんだろ」
「うん」ラフィールはうなずくと、「三年か……。三年経てば、そなたは|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》なのだな」
「まあ、順調に行けばね」
「三年経てば、わたしは|十翔長《ローワス》になっているであろ。小さな艦をもらえるはずだ。|護衛艦《レ ー ト 》か、|突撃艦《ゲ ー ル 》か。わたしは突撃艦を希望してるけど」
「ああ、そうだね」なにがいいたいんだろうと考えながら、ジントはディアーホの首筋を撫でた。
「|突撃艦《ゲ ー ル 》には|書記《ウイグ》として|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》がひとり必要だ。その……、|星界軍《ラブール》の伝統としてあるていど艦の人事は艦長の意図が干渉する余地がある。ぜったいにというわけじゃないけど、艦長と本人が望めばかなうんだ」ラフィールは物問いたげにジントを見つめた。
ジントにはもちろんラフィールがなにを待っているのかわかった。
「未来のアブリアル|十翔長《ローワス》」ジントはせいぜい気取って、「もしそのときにリン|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》という者がいたら、ぜひ呼んでくださいますように。あなたの忠実な|書記《ウイグ》として」
「うん」ラフィールの顔がぱっと輝き、「そなたがそういうならしかたがないな。わたしは気が進まないんだけれど。三年後、わたしが|十翔長《ローワス》になるのは決まったようなものだから、あとはそなたが精進して首尾よく|主計翔士《ロダイル・サゾイル》にならねばならぬぞ」
「はいはい。努力するさ、ラフィール」
「では、晩餐の席でまた会おう、ジント」ラフィールは勢いよく立ちあがった。「わたしはなにかと忙しいんだ」
「おーい、ディアーホは?」ジントは子猫をだきかかげた。
「そなたが気に入ったみたいだからな、話し相手になってもらうがよい。どうせ暇であろ」
「まあ、暇は暇だけれどね」ジントはあきらめて、膝のうえに子猫を置いた。「話し相手としてはきみはちょっと退屈だよ」
ディアーホはジントの指の匂いをくんくん嗅いだ。
膝のうえで子猫を遊ばせながら、ジントは物思いに耽った――ラフィール、きみは相変わらず嘘がへただなぁ。
けれど、うれしいよ。またきみのそばにいられるんだ。
ぼくは年老いる。寿命もきみの半分しかない。けれど、できるかぎりきみのそばにいよう。きみが|翡翠の玉座《スケムソール・レン》に就くそのとき、あるいは|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》で砕け散るそのとき、ぼくはかならずきみの傍らにいてみせる。
きみが嫌がっても、きみの行く末を見届けるよ。
それがぼくの意志だ。自分の意志で選択した未来だ。
生まれもった自由を売り払った値段で、人生の価値は決まるんだ。クー・ドゥリンなら売りどきが早すぎるって顔をしかめるかもしれないけれど、これほどの好機はまたとないような気がするんだよ。なにしろ、買い手は|帝 国《フリューバル》じゃない、きみだからね、ラフィール。
この醍醐味ばかりはきみにわかるまい。|皇 族《ファサンゼール》に生まれたときから、自由なんてないんだから。
ジントの心に惑星マーティンのエキゾチック・ジャングルが浮かんだ。マーティン人の妻なる大地。だが、どこまでも異質な風景にしか思えなかった。|星たちに《グリューラシュ》比べれば。
「なあ、ディアーホ。ぼくはいったい何者なんだろうね?」
子猫はニャーゴと鳴いた。
終 章
|ラルブリューヴ鎮守府《シュテューム・ラルブリュブ》:|偵察分艦隊《ヤドビュール・ウセム》〈フトゥーネ〉|旗艦《グラーガ》、|巡察艦《レスィー》〈ヘールビュルシュ〉|司令座艦橋《ガホール・グラール》――。
「あたくしから〈フトゥーネ〉をとりあげるですって?」スポールは大声を出した。
「そもそも、|提督《フローデ》の|位階《レーニュ》で|分艦隊司令官《レシェーク・ヤドビューラル》を勤めてもらっているのが、異例な処置だったのだよ」|鎮守府司令長官《グラハレル・シュテューマル》ウニューシュ|星界軍元帥《スペーヌ・ラブーラル》の立体映像は辛抱強く説明した。「承知のとおり、三年前の会戦でかなり艦を消耗してね。ようやく陣容は整った。きみには|艦隊《ビュール》を率い、トライフ|大提督《フォフローデ》のもとで一翼を担ってもらう」
「|艦隊《ビュール》とは?」スポールは不信をあからさまに見せる。
「まだ編成されていない。とうぶん、|鎮守府副司令長官《ロイグラハレル・シュテューマル》という身分で勤めてもらうが、それも長いことではない。そろそろ敵に|帝国星界軍《ルエ・ラブール》の存在を思いだしてもらう時期が近づいているのでね」
「座乗艦は決まっているのですか? あたくしは〈ヘールビュルシュ〉が気に入っているのですけれど」
「〈ヘールビュルシュ〉でないことはたしかだ。それは〈フトゥーネ〉|旗艦《グラーガ》だからね。後任に譲りたまえ」
流れるような蒼炎色の眉が逆立った。
「とにかくそういうことだ」ウニューシュはあわてて、「辞令は三日後に発効する。それまで身辺整理をしておいてほしい。新|司令部《グラーガーフ》の人事についても話しあう用意がある。それでは失礼する。おめでとう、スポール|提督《フローデ》」
|長官《スペーヌ》の立体映像はそそくさと消えた。
スポールは消えた映像のあとをじっと睨みつけた。「おめでとうですって!? あたくしが出世を望んでいるとお思いなのかしら? この身はすでに|大公爵《ニ ー フ 》なのよ!」
クファディスはこのやりとりをきいて、ほっとしていた。
スポールは仕えがたい上官だった。三年も経てばすこしは慣れるかと思ったが、希望的観測にすぎなかった。わがままで気まぐれ。なにより悪いことに、ひどく有能な指揮官でもあるのだ!
今度の指揮官がもうちょっと扱いやすい|司令官《レシェーク》であればいいが――クファディスは夢を描いた。
「なにをうれしそうな顔をしてらっしゃるのかしら、|先任参謀《アルム・カーサリア》?」気がつくと、スポールが険のある目で見ていた。
「あっ、いえ」クファディスは顔を引きしめる。
「あら、よろこんでおよろしいのよ。あなたも身辺整理をいそいで」
「はあ? なぜです?」クファディスは呆気にとられた。
「きいたでしょ。新|司令部《グラーガーフ》の人事には相談に乗ると。新しい|参 謀 長《ワス・カーサレール》はあなたよ」
「ちょっと待ってください」クファディスは狼狽した。「わたしは|百翔長《ボモワス》です。|階級《レーニュ》があいません」
「そろそろ昇進してもいいころでしょう。あたくしが後押ししてあげるわ。なんたって、あたくしは出世したんですものね。部下にもこの喜びを分けてあげなくっちゃ。おめでとう、クファディス|千翔長《シュワス》」
「ありがたき幸せですが……」
「なにか不都合でも?」スポールは腕組みした。
「いえ、たいへん光栄です。ありがとうございます」クファディスはしかたなく礼をいった。
「どういたしまして」スポールはほかの艦橋要員にも宣言した。「みんなも昇進よ。つれていってあげるわっ」
歓声が沸きたつ司令座艦橋のなかで、クファディスはひとり深い溜息をついた。
|平面宇宙《フ ァ ー ズ 》:|クローハ二二九門《ソード・マトマトソクンナ・クローハル》付近を航行中の|軽輸送艦《イサーズ・ソーラ》〈クラスビュール〉船室――。
「あたしの考える宇宙船生活ってこんなものじゃないわ」マルカは文句をこぼした。
「しょうがないだろう」葬儀屋がいった。
「愛する夫や子どもと別れて深宇宙まで来たというのに、どうして|帝 国《フリューバル》のいうままに荷物運びなんかしなきゃいけないのよ」
「しょうがないだろう」と葬儀屋。
「その荷物運びだって、おれたちがやってるわけじゃねぇんだ」ビルがぐっと酒を呷り、「じっさいに操舵しているのはアーヴだ。|帝 国《フリューバル》のおっしゃるとおりの荷物を積みこむほかに、おれたちのやっていることといえば、こうやって酒呑んでいるか、増えていく貯金を眺めているだけ」
「しょうがないだろう」と葬儀屋。
「まあ、来たるべきクラスビュール独立闘争の資金を集めていると思えば気も楽じゃないか」ミンが杯に口をつけた。「しかも|帝 国《フリューバル》の協力によって。うん、愉快だ」
「なにが愉快なもんか」ビルは喰ってかかる。「そのクラスビュールにも帰れやしねぇ。あっちじゃおれたちゃ有名人だからな。『おい、|士族さま《キューク・リューカル》、たいへん恐縮だが、この豚の肩肉を一〇ウェスボーばかり隣町まで運んでくれねぇか』なんていわれてみろよ。うんざりだぜ」
「しょうがないだろう」と葬儀屋。
「わたしはわりと満足しているよ。いろんな世界が見られるからね。独立闘争の戦略にも参考になる。まあ、戦争が終わるまで気長に待とうではないか。戦争が終われば、この船の行き先は自由になるんだ」
「戦争が終わるまでですって!?」マルカは両手をさしあげた。「その戦争がいつ終わるのよ。ろくに始まってもいないじゃないの」
「しょうがないだろう」と葬儀屋。
「まったくだぜ」ビルがダスワニを見た。「おい、おまえの技術《う で 》でこの船の|思考結晶《ダテューキル》を乗っとれないか。人間のほうは引き受けるぜ」
大男は黙って首を横にふった。
「どうすりゃいいんだ、いったい!」
「しょうがないだろう」
「葬儀屋」マルカは同志を睨みつけた。「あなた、『しょうがないだろう』以外にいえないの?」
葬儀屋は酒でとろんとなった目をマルカにむけ、「茨に飛びおりた男の話はしたっけなぁ?」
「きいたわよ、葬儀屋、何百回も」
|スファグノーフ侯国《レーバヒューニュ・スファグノム》:惑星クラスビュールのルーヌ・ビーガ市警察庁舎――。
「選挙結果がでました」部下が飛びこんできた。
エントリュアは事務卓の画面から顔をあげた。なにもきかなくても、部下の表情から結果の察しはつく。それでも訊かずにはいられなかった。「どうだった?」
「アイザン、敗れる!」部下はこぶしをふりあげて、喜びを全身で表現した。「おれたちは一二年にわたるアイザン管理官の支配から解放されました!」
エントリュアはにやりとして、「占領軍に協力したのが、やつのまちがいだったな」
「アイザンの支持者は騒いでますよ。現職の警官が管理官に不利な情報を流すのは選挙法違反だって」
「おれは取材にたいして真実を述べただけさ。嘘ついたんなら、なにをいわれてもしょうがないが、ほんとのことをいってなにが悪い?」
「そうですよね」部下は小気味よさそうに笑った。「もっとも、連中は『取材にこたえるべきじゃなかった』っていってますけどね」
「冗談じゃない」エントリュアは片眉を上げた。「おれたちは市民に愛される警察だ。そうだろう? 報道機関にだんまりを決めこむなんて真似ができるか」
「とうぜんです」部下は重々しくうなずく。「じゃあ、警部。おれはみんなにこの福音を伝えてきますから」
「もうみんな知ってるんじゃないか」
「でしょうね。でも、知らせてやりたいんです。みんなだって、なんべんきいてもいい報せだって思うにちがいありませんよ」
旋風のように飛びだしていった部下の背中を見送って、エントリュアは画面に視線を戻した。
それは、はるか|ウェスコー王国《フェーク・ウェスコール》にある|スィトゥール捕虜収容所《ロニューグヴイ・スィトゥル》から届いたカイト憲兵大尉の手紙だった。
|アブリアル伯国《ドリュヒューニュ・アブリアルサル》:|帝都《アローシュ》ラクファカールから恒星アブリアル寄り三光秒の空域を慣性航行中の|反物質燃料槽検査艇《ラデウィア・ベケーカル》〈セールナイ〉|気閘室《ヤドベール》――。
「まったく危ないところだったわ」セールナイは|与圧服《ゴ ネ ー 》を脱ぎながらいった。「磁束密度がかなり下がっていたのよ。ところが、遠隔監視機構の|思考結晶《ダテューキル》が劣化していて、現状のかわりに|記憶巣《ボワゼプク》の……」
「あたしにまで嘘をつくのはやめてちょうだい」|与圧服《ゴ ネ ー 》を脱ぐのを手伝いながら、アルサが顔をしかめた。「またやったわね、セールナイ」
「ばれたか」セールナイは舌を出す。
「まったくどうして、なんでもない|燃料槽《ベケーク》を修理したことにしてしまうのよ」
「だって、点検のみと点検修理じゃ料金がぜんぜんちがうんだもの」
「そりゃそうだけれどね、そんなことしなくても仕事はいくらでもあるじゃない。いま、グレーダから通信が入ったの。当局は不思議がっているそうよ」
「へえ?」不吉な予感に、セールナイは顔をしかめた。
「どうしてセールナイ商会が点検した|燃料槽《ベケーク》にだけ思いもよらぬ異常が発見されるのだろう、これは統計学の新しい地平を開くのか、それともべつの原因に困るものだろうか、ですって」アルサは一呼吸おいて、「賭ける? あたしは、統計学の新分野が誕生しないほうに、全財産を賭けるわ」
「だいじょうぶ。あたしたちの後ろには|クリューヴ王家《ラルティエ・クリュブ》がついているわ」と強がってみせる。
「|王家《ラルティエ》のご好意をあてにしすぎるのはいけないわ。王家はこの企業の資金を出してくれたのよ。そのうえ、不正に関与してくれなんてどの口でいえて? それこそアブリアルの怒りを買いかねないわ」
「だって、セールナイ商会はまだ発展の余地があるのよ」彼女は唇を尖らせた。
「このままでいくと、その余地も摘みとられてしまうわね」
「わかった……」セールナイはうなだれた。「これっきりにする」
「セールナイ、当局がどのくらい不思議に思ってるか、わかってる?」アルサは溜息まじりに訊いた。
「そんなに不思議がってるの?」
「もっと悪いわ」アルサはぐいっと顔を突きだしてきた。「ぜんぜん不思議がってなんかいないの! これまでのことは大目に見るけれど、これ以上やったら承知しないぞっていう通告なのよ」
「じゃあ、これもなかったことにしろっていうの?」セールナイは両手を広げる。
「そうよ。これもなかったことにするのよ。請求するのは正規の点検料金のみ」
「だって、修理はしたのよ」セールナイは不満だった。「ちゃんと磁束密度計測器は新しいのに交換したわ、|思考結晶《ダテューキル》の書込みもやりなおしたのよ。そりゃあ、必要はなかったけれどね」
「あなたの取り分から引くようグレーダにいっておくわ」アルサはきっぱりいった。
「あたしが会長なのに!」セールナイはいったが、本気で権威をふりかざすつもりはなかった。アルサやグレーダに見捨てられたら、創業間もないセールナイ商会がたちまち左前になるのは目に見えている。困ったことに、ふたりもそのことをよく知っているらしいのだ。
|帝都《アローシュ》ラクファカール:|フェブダーシュ男爵帝都城館《ガリューシュ・アロク・リュム・フェブダク》応接の間――。
「早いもんだな、もう三年か。おまえさんも男らしくなったな」老人が手を差しだした。
「ええ。|前男爵閣下《ローニュ・リュム・レカ》にもお変わりなく」ジントはその手を握る。
「まあ、なんとか元気にやっとるよ」|フェブダーシュ前男爵《リューフ・レカ・フェブダク》はジントに椅子を勧め、自分も腰を落ちつけた。「|伯爵位《ドリューラジュ》を嗣いだそうじゃな」
「はい」ジントはうなずいて、坐った。
〈人類統合体〉の放送によって前の|ハイド伯爵《ドリュー・ハイダル》、つまりジントの父の処刑が確認された。そこで、ジントが|伯爵《ドリュー》に叙されたのだ。叙爵の要件である兵役がまだだったが、|クリューヴ王《ラルス・クリュブ》が後見となってくれたので、問題はなかった。
情報によると、ハイド星系では新しい星系首相が選出され、彼は〈人類統合体〉の強固な一員として|帝 国《フリューバル》と戦うと表明したらしい。新首相の名はティル・コリントという……。
「お悔やみを申しあげるべきかもしれんが、ここはおめでとうといっておこう、|伯爵閣下《ローニュ・ドリュール》」|前男爵《リューフ・レカ》はいった。
「ありがとうございます」ジントは微笑み、祝意を受け入れた。父の死を知ったのは一年近くも前のことだ。覚悟していたこともあって、とうに気持ちの整理はついている。「けれど、|伯爵閣下《ローニュ・ドリュール》はやめてください。なにしろ名前だけで|領地《リビューヌ》はないんですから」
「じゃ、|少年《ファネブ》」
「どう考えても、もう少年じゃありませんよ」ジントは苦笑した。
「そうじゃな、おまえさんも二〇歳か。立派な大人だ。だが、なんと呼べばいい? |青年《ワンシュ》ではしっくりこないな」
「ジントでけっこうですよ。でも、本音をいうと、リン|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》と呼ばれるのがいちばん気分いいんです」
「ああ、そうか。叙任にもおめでとうといわなばならんな。おめでとう」
「ありがとうございます」ジントはふたたび礼をいった。
「飲み物はなにがいいかね?」|前男爵《リューフ・レカ》は|端末腕環《クリューノ》を起動した。「それとも、ちょっと早いが、食事にするか」
「あっ、いえ……」ジントは頭をかき、「じつをいうと、あまり時間がないんです」
「ほう、それは……。忙しいときにわざわざ訪ねてきてもらってありがたいよ」
「ほんとうなんです」前男爵の顔に浮かんだ寂しげな色に気づいて、ジントは懸命に説明した。
「あの、実習航行を終えてから休暇があったんですが、なにかとその……」
前男爵は笑いだした。「べつに嘘だと思うとるわけではないよ、|少年《ファネブ》――うん、やっぱりこの名がしっくりくるな、いちばん。たとえ最後でもこの老いぼれのことを思いだしてくれてありがたい、と思うとるんじゃ」
「そんな、最後なんて。ここはかならず訪れなくては、と考えていたんです」
「礼をいうよ。ラクファカールにも昔の友人がいっぱいいるが、どうも若いままの連中を見ていると落ちつけないんじゃ」
「ひとごととは思えませんね」
|前男爵《リューフ・レカ》のしわびた顔に面白がる表情が浮かんだ。「憶えているかね、三年前にもそういったことを?」
「そうですか」正直いって、記憶にない。
「やれやれ。こんな老人に記憶力で後《おく》れをとってどうする。じゃあ、アーヴとしての心構えを伝授してやるといったことは?」
「それはもう。楽しみにしているのですが、いまは……」
「わかっておる。将来ある若者の時間を無下に奪うようなことはせんよ。若者というのは老人の話をきくとたいてい退屈する生き物じゃからな」
「退屈だなんて……」
「こういうたことも憶えておるかね、見えすいた世辞はかえって人を傷つける、と。あのときももう知っていていいころだったが、もう三年もたつのじゃからな」
「ええ、憶えています」ジントは赤面した。「ですが、ほんとに退屈とは思いませんよ」
「怪しいもんじゃな。だが、無理に引き止めはせんよ。さあ、もう行きなさい、時間がないのじゃろう」
「もうちょっと余裕がありますよ」
|前男爵《リューフ・レカ》は手をふり、「無理するな、|少年《ファネブ》。この耳にリン|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》の活躍がきこえてくるのを楽しみにしておるよ。おっと、これだけは知っておかんとな。おまえさんの赴任先はどこなんじゃ?」
「|突撃艦《ゲ ー ル 》〈バースロイル〉の|書記《ウイグ》として赴任します」
「ほう、きいたことのない艦じゃな。まあ、|突撃艦《ゲ ー ル 》ならしかたないが」
「しかも新造艦なんです。でも、きっとすぐ有名になりますよ」
「おまえさんが乗っとるからか?」
「それもありますね」ジントはうなずいて、「そのうえに、|艦長《マノワス》がたまたまアブリアルっていう姓ですから」
「ほう」前男爵は感激したようだった。「いや、|少年《ファネブ》、ほんとに忙しいときにきてくれたようじゃな。感謝するよ。さあ、さっさと飛んでいくがよい、|パリューニュ子爵殿下《フ  ィ  ア ・ ベ  ル ・ パ  リ  ュ  ン》のもとへ」
「ええ」ジントは心を残して立ちあがる。「慌ただしくて申しわけありません」
「気にするな。そのかわり、暇ができたらいつでも来てくれ。退屈しにな」
「はい。また参ります。|前男爵閣下《ローニュ・リュム・レカ》もご壮健でいてください」ジントは立ちあがると、敬礼した。
「決まっておるぞ、|少年《ファネブ》」|前男爵《リューフ・レカ》はいたずらっぽく笑った。
|帝都《アローシュ》ラクファカール:停泊中の|突撃艦《ゲ ー ル 》〈ハースロイル〉|艦橋《ガホール》――。
なにもかもが新しかった。当然のことだ、〈バースロイル〉は|レスポー建艦厰《ロール・レスポール》を出たばかりの新造艦でまだ慣熟航行もすましていないのだ。
ラフィールは真新しい機器類に触り、新造艦特有の甘い刺激臭を肺いっぱいに吸いこんだ。|似我蜂《ロ イ ル 》を意匠した〈バースロイル〉の|紋章旗《ガール・グラー》を見あげると、誇らしさと喜びで胸がはちきれそうになる。
これは、彼女のもらったはじめての艦《ふね》だ。
この三年間、|星界軍《ラブール》は本格的な作戦を行なっていない。その余裕がなかったからだ。事情は敵も同じらしく、小競り合いという以上の戦闘はなかった。
意外だったのは〈ハニア連邦〉の動向だ。
〈人類統合体〉が先制攻撃した証拠、|巡察艦《レスィー》〈ゴースロス〉の航行日誌をラフィールが持ち帰り、|帝 国《フリューバル》がそれを公表すると、彼らは開戦理由の捏造について〈人類統合体〉を非難し、中立を宣言してしまったのである。〈ハニア連邦〉は〈|四ヵ国連合《ブルーヴォス・ゴス・スュン》〉のなかでただ一国、|帝都《アローシュ》強襲にくわわらなかったので、帝国としてもことを構える理由がなかった。
〈ハニア連邦〉がそれほど正義を重視するとは思えない、というのがおおかたの見方だ。ラクファカールが陥落していれば、彼らはたちまち〈|四ヵ国連合《ブルーヴォス・ゴス・スュン》〉の忠実な一員として帝国領をついばみにかかったにちがいない。要するに、模様眺めをしているのだ。
〈|四ヵ国連合《ブルーヴォス・ゴス・スュン》〉のほかの三ヵ国は連邦の不実をなじっているということだったが、アーヴの多くも不満を鳴らした。せっかく人類最後の戦争に参加できると思ったのに、と。
ラフィールもそのひとりだった。
だが、いまは当面の敵を片づけるべきときだ。
いま、戦線は膠着している。ふたつの壁で隔てられた|イリーシュ王国《フェーク・イリク》の三分の二は敵に制圧され、いまだ回復されない。
このうっとうしい状況も、もうすぐ終わるだろう。
|帝 国《フリューバル》は戦争遂行機関としての相貌をあらわにし、開戦前に数倍する、未曾有の大艦隊を出現させつつあった。
|レスポー建艦厰《ロール・レスポール》からは十分に一隻の割合でロイル級の突撃艦が吐きだされてくる。そのほかの主な|建艦厰《ロ ー ル 》も各級各種の艦艇を製造していた。|ベートゥール建艦厰《ロール・ベートゥル》ではロース級巡察艦にかわって最新鋭のカウ級巡察艦が竣工しはじめている。|ヴォービノート建艦厰《ロール・ヴォービノータル》ではソーフ級|戦列艦《アレーク》、|スュール建艦厰《ロール・スューラル》ではガムフ級突撃艦とヘージュ級|護衛艦《レ ー ト 》、|ゴクローシュ建艦厰《ロール・ゴクロク》では……。
ほとんどの|予備役翔士《ロダイル・キサイナ》に再召集がかけられ、各|修技館《ケンルー》はその再訓練に忙殺されている。新規の志願も過去最高を数えた。諸|地上世界《ナ ヘ ー ヌ 》では|従士《サーシュ》の採用枠が大幅に増員された。
軍艦《いれもの》に乗員《なかみ》がともない、艦隊は生命をえようとしている。
まもなく、本格的な戦いが始まるのだ。その戦いにラフィールとこの艦はおもむく。
ラフィールは深呼吸して、内なる興奮をおさめようとした。
艦橋にはだれもいない。|従士《サーシュ》たちは出港前準備で大わらわだし、|翔士《ロダイル》たちもその監督で忙しい。
ラフィール自身をのぞけば翔士の定員は四人だ。|飛翔科翔士《ロダイル・ガレール》がふたり、|監 督《ビュヌケール》である|軍匠科翔士《ロダイル・スケム》がひとり、そして|書記《ウイグ》である|主計科翔士《ロダイル・サゾイル》。
「|艦長《マノワス》」書記が入ってきて、報告した。「食料および需品の積みこみ、完了しました」
堅苦しい敬礼を見て、ラフィールは苦笑した。リン|主計列翼翔士《フェクトダイ・サゾイル》と呼んだことを根に持っているのだろうか。
「ここにはわたしとそなたしかいないぞ、ジント」
ジントは顔をほころばせた。「ああ、そうだね。会いたかったよ」
「いいか、重大な秘密を打ち明けよう――わたしも会いたかった」
「秘密は守るよ」ジントは目を細め、「それにしても、きみはほんとに変わらないな。三年前のまんまだ」
「三年やそこらで変わってたまるか。そなたはちょっと老けたな」
「大人びたっていってくれ」
「ふん」
「鼻先で嗤ったな、|艦長《マノワス》」
「ここにはふたりしかいないといったであろ」ラフィールは咎めた。
「でも、他人のいる前であんまり親しげにふるまうわけにもいかないだろう」
「うん、士気にかかわるからな」
「うっかりってことがあるよ。ふだんから|艦長《マノワス》とかアブリアル|十翔長《ローワス》って呼ぶ癖をつけておいたほうがいいんじゃないかな」
「そうしたいのか?」不安と憤怒がないまぜになった感情が湧きあがる。
「そうしたがっていると思う?」ジントは目だけで笑った。
「ならば……」ラフィールは胸を反らせた。| 黝 《あおぐろ》い髪がはらりと波打ち、|接続纓《キセーグ》の先端の|機能水晶《コス・キセーガル》が風変わりな耳飾りのようにゆれる。「ラフィールと呼ぶがよい!」
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付 録 アーヴ語の成立の概略
アーヴ語の祖語は多分に人工言語としての側面を持っていた。
というのも、教条的な民族主義者によって再構成された古代語だったからである。その語彙からは、近代になって流入したヨーロッパ諸語起源のものはもちろん、文字と同時に入ってきた中国語起源のものも排除された。
こういった過激な再構成は、とうぜんさまざまな難問をともなっていた。文明を放棄するつもりなどさらさらなかった彼らは、幼稚ながら宇宙航行を実現した科学技術の産物を、金属文明の黎明にいた先祖たちの語彙で表わす必要があったのである。
イスラエルが建国されたさい、ユダヤ人は古代ヘブライ語を復活させた。そのとき以上の努力が払われねばならなかった。
相当の無理があったものの、忘れ去られた単語の意味拡張、擬態語からの造語、そのほかさまざまな手段を用いて、彼らは古代語を科学技術文明に対応する言語としてよみがえらせた。
しかし、不自然な試みだったため、欠点もあった。もともとこの言語は音節数がかなり多い。中国語から借用した単語によってかなり音節数を縮めていたのだが、それすらも廃止したために、ますますその傾向がひどくなった。
アーヴの第一世代が与えられたのは、このような言語だった。
こういった事情を考慮すれば、アーヴ語の語彙に急激な短縮化現象が起こったのは無理からぬことといえるだろう。
同時に原因として挙げておかなければならないことに、初期のアーヴが文字を持っていなかった事実がある。
アーヴを造った人々は決して、アーヴが独自の文明を発展させることを望んでいなかった。ただ教えられたことを反復作業し、緊急時には単純な判断をくだす――それがアーヴに求められることのすべてだった。
文字は不要であるばかりか有害との考えにのっとって、アーヴ第一世代は、文字を使わずに教育され、情報保存の手段としては映像や音声しか与えられていなかった。より歴史があり、なにかと利点のある情報伝達手段、文字は持つことすら禁じられていたのである。
文字を持たない言語が急激に変化することはよく知られている。アーヴ語もその例外ではない。
また、アーヴが閉塞した環境で少人数の生活を営んでいたことも、理由のひとつだろう。だれかが言語を改変すると、たちまちその変化は集団全体に伝播し、定着してしまうのだ。
そのため、音韻法則をも破壊する激変は、きわめて短期間のうちに進んだ。
現存する数少ない資料から推測するに、まず母音の脱落が起こったらしい。単純な母音脱落では同音異義語が多数発生する。それを避ける意識が働いたらしく、残った母音が脱落したものの音に引きずられるという現象が発生した。その結果、母音の種類が増えた。
単語短縮化との関係は不明だが、子音についても発音部位の遷移、鼻音の非鼻音化などの現象が生起し、その過程で語幹の末尾音と格助詞の融合が起こった、と考えられている。
この変化は、激しかったことから考えるときわめて短時間、すなわち二ないし三世代のうちに完了したらしい。
その後、アーヴは自立を宣言、母都市から課せられた制限を捨てて、自分たちのための文字をデザインした。
文字制定後はアーヴ語の変化はきわめてゆるやかになる。
そして、帝国の創建とともに、アーヴ標準語が確定した。それからは、見るべきほどの変化は認められない。星間船や軌道都市など離れて住む同胞たちとのコミュニケーションを円滑にするため、『正しいアーヴ語』を保存しようという、かなり意識的な努力が払われたからだ。
その結果、祖語に比べて複雑化した文法はそのまま保持されている。複雑化した文法のもっとも顕著な例は名詞の格変化であろう。
本稿では、アーヴ語名詞の格変化表を付した。
アーヴ語名詞の格変化
第1型 第2型 第3型 第4型
主格(〜が) abh[a:v] lamh[la:f] duc[du:] saidiac[sεdja]
対格(〜を) abe[a:b] lame[la:m] du1[du:1] saide1[sεde:l]
生格(〜の) bar[bar] lamr[1am] dur[dur] saider[sεde:r]
与格(〜に) bari[ba:ri] 1aml[1a:mi] duri[du:ri] saideri[sεderi]
向格(〜へ) bare[ba:re] lame[la:me] dugh[du:3] saidegh[sεde3]
奪格(〜から)abhar[a:var] lamhar[1a:far] dusar[du:sor] saidisar[sεdis∂r]
具格(〜で) bale[ba:1] lamle[1am1] dule[du1] saidele[sεdele]
註)アーヴ語では、『アース』と呼ばれる独特の文字を用いるが、
ここではアルファベットで代用した。
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あとがき
というわけで、無名の新人のデビュー長篇にも関わらず三冊にわたった『星界の紋章』も、この本をもって完結です。楽しんでいただけたでしょうか。
本書の構想を立てていたとき、星間戦争をあつかったものを書くつもりでした。
ただし、地球上にかつてあった、あるいはいまもあるような国家を銀河規模に拡大したようなものが戦いあってもおもしろくない。
どうせなら、多くの惑星に人類が進出していなくては成立しない星間帝国をいっぽうの主役に立て、地上の政治原理を銀河に展開する国家と敵対させてみたい、と思いました。
そして、地上世界にはありえないタイプの国家として〈アーヴによる人類帝国〉をつくりあげ、帝国を統合する不可欠の要素としてアーヴという種族を創造しました。
なかなかユニークな帝国ができあがった、と自負してます。
この帝国を案内するのに、ジントという少年を配しました。適当に知識があって適当に無知な彼は、案内人として最高でした。『星界の紋章』は紛れもなく彼が主人公です。
なぜそんなことをわざわざ断るかというと、案内人の案内人、ラフィールという少女の印象がちと強烈だったせいで、ジントの影が薄くなってしまったから(笑)。はっきりいっておかないと、なんとなく彼が気の毒です。
まあ、しょうがないですね。ラフィールに関しては、あまり「つくりあげた」という感じがしません。多かれ少なかれ、ほかのキャラクターもそうですが。出演予定もなかったのに出てきたあげく、勝手に壊れてしまった人もいます。
帝国を案内するという観点からすると、『星界の紋章』はまだ不十分です。特に、アーヴの交易者としての側面はほとんど描出できませんでした。
また、ものの順序としてはいよいよこれから戦争だ、というところですが(第T巻、第U巻をすでに読まれたかたへ。まさかこのペース、この巻数で戦争そのものの決着がつくとは思わなかったでしょ?)、「もうこのまま終わってもいいかな」というのがいまの気分です。
じっさい、書き上げたとき、「ああ、この話、これはこれで完結しているな」というのが実感でした。
星たちの眷族の行く末は、現時点では作者にもわかりません。わかっているのは、もし戦いに敗れれば、アーヴは滅ぶしかない、ということです。地上世界に縛りつけられたアーヴはもはやアーヴではないでしょうし、なにより遺伝子調整を禁じられれば、遺伝子的に不安定な彼らは数世代で種族としての死をむかえるしかありません。
アーヴが滅ぶのか、それとも微睡みに似た平和を銀河にもたらすのか、しっかり見届けたくはあります。同時に、こんなことをいうのはすごく気恥ずかしいのですが、このまま彼らに無限の未来を残しておいてやりたい気がするのも事実です。
……などと書いていくと、なにか雄大な構想のもとに『星界の紋章』が生みだされたみたいですね(笑)。
現実は、第T巻のあとがきでも言明したとおり、書きながら設定をつくっていったんですけど。
これを書きだしたのは「SF冬の時代」とささやかれていた頃でして(いまでもSFは冬なのだそうですが)、「こんな時代だからこそ、気楽に読めるSFを」ぐらいの軽い気持ちで手をつけたものです。
出版してもらいやすいように、枚数は四〇〇枚を目標にしましたが、書き出して三日目に不可能だと判明。とほほ。
「それじゃあ、なんとか六〇〇枚で……」と思っていたのが、すぐ「八〇〇枚なら分厚い文庫一冊に収まるよな」に考えを改める羽目に陥りました。
ようやく吹っ切れたのは、五五〇枚ほど書いたとき。ストーリーのバランスから考えて、ちょうどそこが真ん中あたりにならないといけない、と感じてからです。実際には、さらに七〇〇枚ほど書かないと最後まで到達できませんでしたが。
設定や用語もかなりあとから変更しています。
たとえばラフィールは「星界軍翔士修技生」ではなく、「宇宙軍士官候補生」でしたし、レクシュ艦長も「大佐」でした。しばらく書いてから読みかえすと、みょうにその部分が浮いている。「星界軍」や「翔士」といった独特な用語が生まれたのはそのときです。
わりあいしっかりとつくってあったのが、平面宇宙航法とアーヴ語。
まあ、わたしもSF書きの端くれですから、「ワープ」の一言で超光速を実現するのはやめておかなくては、と「平面宇宙航法」なるものをひねりだしました。
アーヴ語のルビを乱舞させたのには、いくつか理由があります。ひとつだけ挙げておくと、異世界的な雰囲気を醸しだしたかったからです。
ジントはわれわれより三〇〇年ばかり未来の人間という設定ですから、ふつうに未来していてくれればいいのですが、ラフィールは二〇〇〇年以上先の人間ですから――なぜこういう食いちがいが起こるかわからない人は、「ローレンツの収縮」について調べてみましょう。作者には訊かないでください、馬脚を出してしまうから(笑)――あまりこてこての外来語を使いたくなかったんです。
もっとも、プラズマとエネルギーだけはどうしようもありませんでした。プラズマには「電離質」という訳語があったように思ったのですが、広辞苑には載っていませんでしたから、これにアーヴ語のルビをふってしまうと、なんのことかわからなくなってしまう。すでに定着していることばに一般的でない漢字を持ってきて、架空言語のルビをふるのは、あまりに不親切な気がしたので、趣味には目をつぶりました。
アーヴ語といえば、第U巻で正体が明らかになりましたが(明らかになりましたよね?)、「これがどうしたらアーヴ語になるんだ。納得がいか〜ん」という人のために、今回の付録を用意しました。三巻いっぺんに買って、これから読む、というかたは読まないほうがいいです。ネタバレですから(というような警告をときどき見かけますが、どういうものか、わたしは守ったためしがない)。
さて、最終巻なので、謝辞を述べさせてもらいます。
野田昌宏氏には、もったいない推薦文をいただきました。ありがとうございます。
じかにお目にかかったのは、一度ご挨拶させていただいたきりですが、『SF英雄群像』をはじめとしてSFマガジン誌上に発表された文章を通じて、スペオペの楽しさを教えていただきました。
くそ暑いなか、トタン屋根の納屋にこもって、SFマガジンのバックナンバーから『SF英雄群像』を拾い読みしたのは、小学生のころの忘れられない想い出です。
いろいろとご多忙でありながら華麗なイラストで表紙を飾ってくださった赤井孝美氏にも感謝します。本書を手にとってくれた人のほとんどは、氏の表紙に惹かれたのだ、と確信しております(あなたもそうでしょ?)。
忘れてはいけないのは、ルビ関係でご苦労をかけたかたがたです。
はじめはそれなりの基準にしたがってつけていたのですが、のち暴走。不必要なものまでルビをつけてしまって、乱舞などという形容ではとてもすまされないほどになってしまいました。
暴走したルビの整理について編集N氏に負うところが大きいです。もちろんルビ関係にかぎらず、N氏には全般にわたりお世話になりました。
さらに、校閲氏と制作氏にとって、本書にまつわる作業は悪夢だったと推察します。ありがとうございました。基本的にルビは少ないほうがいいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
そしてもちろん、ここまでおつきあいくださったあなたに、心よりの感謝を捧げます。感想など送っていただけると、さらに感謝してしまいます。
『星界の紋章』を書くのはほんとうに楽しいことでした。その楽しさの十分の一でも伝われば、気に入っていただけるのではないか、と思っています。
それでは、またいつかどこかでお会いできる日を願いつつ。
一九九六年五月十日
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著者略歴 1962年生、京都府立大学文学部卒、作家
星界の紋章V ─異郷への帰還─
一九九六年六月 十五 日 発 行
二〇〇〇年三月 十五 日 一六刷
著 者 森岡 浩之(もりおか・ひろゆき)
発行者 早川 浩
印刷者 矢部 一憲
発行所 株式会社 早川書房
平成十九年二月二日 入力 校正 ぴよこ