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松本清張
目 次
アンカレッジの「買物」
コペンハーゲンの「古城」
ロンドンの「公園」
スコットランドの「湖」
スイスの「高原」
アイガーの「壁」
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アンカレッジの「買物」
窓の外は窓になっている。隣のビルも昼じゅう天井の蛍光燈が点け放しだった。秋の半ばから太陽の位置がずれて日蔭がつづく。来年の春にならないと日射しが戻ってくれない。この王冠観光旅行社では二階の窓に陽が当ってくるのを日向《ひなた》の回帰線と呼んでいた。陽光は四階から順々に降りてくる。日照権が問題になるはるか以前の建物だった。京橋では目抜きの通りであった。
営業部企画課の谷村が文章を練っていた。窓際でも終日スタンドが必要で、ひろい机の上にはパンフレット類が散らばって、人工の光をうけ、ここだけは花をならべたようである。パンフは自社のもあるし、他社のもある。ヨーロッパの地図と、電話帳のような国際線の時刻表も横に開かれていた。片方にはカラー写真が積み上げてある。手もとの灰皿に吸殻が堆積してまわりを灰だらけによごしていた。
原稿用紙の最初に小説の題名のように「ローズ・ツア」と大きく書いてある。わきに "Rose Tour" ──英字のほうがうまかった。
コースその他が頭に書いてある。
≪東京==コペンハーゲン==ロンドン──エジンバラ==ロンドン==チューリッヒ──ベルン(ユングフラウ登山電車で)──クライネシャイデック──ジュネーブ==パリ==ローマ==アテネ==テヘラン==バンコック==香港==東京。(※==は国際空路)
二十五日間。──595、000円。航空運賃はもちろん、国際列車、バスの運賃、ホテル代全部を含みます。航空機はエコノミー、国際列車は一等、ホテルは一流です。
当社と契約の銀行ローンをご利用下さると頭金は総経費の十分の一以上、すぐに出発できます。分割回数は3・6・10・12・18・24の6種類です。
出発──昭和四十×年四月十五日≫
ここまでは極り文句である。谷村の腕はそのキャッチフレーズにある。
≪女性だけのグループが体験するヨーロッパの旅! あえて『ローズ・ツア』と名づけました。
男性と混成の旅行ももちろん愉快には違いありませんが、純粋に女性だけの外国の旅も気が置けなくて愉しいものです。女性のみの新鮮な感覚と繊細なセンスが、旅によってかもし出される友情的な雰囲気によって、さらにはその相互作用によって、|より《ヽヽ》磨かれ、洗練されると存じます。おしゃべりと解放感の海外旅行! 見知らぬ男性といっしょではと、とかく気をお使いになる方には絶好の編成です≫
≪その上、女性旅行評論家としてみなさまご存じの江木奈岐子《えぎなぎこ》先生がとくに講師として参加してくださいます。江木先生の深い知識と魅力あるお話しぶりは、現地を見るのにいちだんと興味を深めることと存じます。ヨーロッパの歴史、文学、芸術、民俗などについてみなさまは帰国の際にはひとかどの権威になられます。江木先生はみなさまのどのようなご質問にも親切に答えてくださいます。先生はみなさまの顧問にも友人にもなりたいといっておられます≫
「やれやれ」
声が頭の上から降った。いつのまにか谷村の横に津島が立っていた。
「こっちはこれから雪まじり霙《みぞれ》まじりの冬を寒いアパートで過そうというのに、陽春四月ヨーロッパ花の旅かね。いくら商売でやっているとはいえ、こっちの身の哀れさを感じるね」
同じ企画課の津島はパンフレットなどのデザインや構成をしている。
「いちいちわが身とひきくらべていちゃ、こんな文句は一字も書けないよ。……どうだね、この文章の調子は?」
谷村も鉛筆を投げ出し、背を椅子にもたせて煙草をつまんだ。
「まあまあというところだな。こうしてみるとローズ・ツアという名前も悪くはなさそうだ。広島さんが案を出したときは、甘すぎるってぼくは批判したけどね」
「女ばかりだからそれでいいんだよ。夢を追っているロマンチックな女が集るだろうからな」
「お金の余裕があって、会社からは四週間の年次休暇がいっぺんに取れて、外国を見てこようという結婚前の贅沢なOLか。海外旅行を愉しんで、箔をつけて、ノータックスのあちらものをいっぱい買って帰りたい連中を狙ったのか」
「若い女ばかりじゃあるまい。いつまで経っても亭主が連れて行く気配がないので、しびれを切らしている有閑マダムも居るだろう。亭主も男のいる組といっしょじゃ心配だけど、女ばかりのグループなら安心して無理してでも出す気になるだろうからな。女だけだから気の置けない旅って書いたのは、そういう含みだ。そのほかお金を溜めて独身の自由を満喫しているOL、次の再婚まで亡夫の遺産で生活をエンジョイしている若い未亡人、中企業の女社長とか学校の教師、それにバアのマダムとかホステス。こりゃァ、行けない同性の羨望の的だよ。旅もデラックスをうたっているが、会員の構成も多彩になりそうだ。役得のコンダクターはだれだね?」
「役得? とんでもない、統御するのにひと骨だろう。今度はベテランの門田《かどた》良平に白羽の矢が立ったらしいね」
「門《かど》ちゃんか。うむ、けだし適任だな。広島さんの選定だな。けど、あいつ正月から東南アジア・オーストラリアの旅に出るはずだがな」
「いまもハワイ・メキシコのコースに行って、あと二、三日で帰るはずだよ」
「あ、そうだった。ベテランは息つく間もないというわけか」
「適当にポーカーフェースで適当にウエットで、礼儀正しくて粗野《ラフ》で、ビジネスには正確となると、女ばかりの引率では門田良平しかいないだろうな」
王冠観光旅行社は社長が村田巳太郎といって五十六歳、もと進駐軍の通訳をしていたが、将校に気に入られて物資の横流しではかなりうまいことをしたという風評がある。そんな蔭口を同業者からきかれるのも村田がやり手だからで、進駐軍勤めをやめてから十年ばかりはいろいろな事業に手を出したが、結局海外観光旅行ブームに乗ったいまの商売が当った。戦後の旅行代理業として今では古いほうで、その後ブームに乗って簇出《そうしゆつ》した同業では大手に次ぐ中堅どころになっている。大阪、福岡、札幌に支店をもって本社の従業員百数十名、そのうち三分の二が営業部。その大多数が客の勧誘獲得と添乗要員を兼ねている。あとは普通の会社なみに経理部、総務部に分れているが、特殊なものとしては航空券発行事務の発券課がある。常務の広島淳平は創業当時の添乗員上りであるが、いまは功を買われて役員兼営業部長になっていた。
企画課の谷村と津島の無駄話は四十×年の十一月のことであった。翌年春の企画はおそくとも前年の夏ごろには立てられる。企画は営業の安全性に立って対象を絞る。まとまった団体は料金が安いかわり数でこなせる。農協などはその上客だったが、会社、工場関係、学校関係がある。学校でも普通の学校より洋裁学校、美容学校、料理学校といった女性専門の「民間学校」が案外な穴場で、町の学校といっても軽視はできず、ある小さな料理学校では全生徒のほとんどが十二日間のヨーロッパ旅行に参加して勧誘する側をおどろかせた。
このようにまとまった団体を対象にするほか、不特定な参加者を特定な目的の旅で募集する方法がある。たとえば「ヨーロッパの古城めぐり」「ヨーロッパの古建築と古美術」「ヨーロッパ陶磁器研修」「ヨーロッパ・ファッション」「ヨーロッパの味の旅」「英語研修と民宿の旅」「フランス語研修と観劇」など。
これは不特定な客層から焦点をはっきり定めたもので、大量の参加者は望めないが、その代りそれぞれの愛好者はどこにもいるから確実である。ただ、予定人員に達しない場合は編成を中止する。いつぞや王冠観光旅行社でも「欧亜シルクロードの旅」「インド古文明と高原の旅」を募集したところ会員が足りなくて中止した。
今回の「ローズ・ツア」は女性ばかりというのが特徴で、それに合わせた観光プランも、ショーウインドウに出した飾り見本のようなものだから、人員が集る可能性は十分にあった。過去にも一回その企画で成功していた。営業部員がルートの会社、学校などに当ったり、いままでの会員から紹介を求めたりする一方、団体名簿から心当りの先にパンフレットや案内書をダイレクトにして発送したりする。この事務所のウインドウに看板やポスターを掲げる。この散漫とも見える宣伝がばかにはできず、案外にそれに心を動かされてくる客が多かった。
前の女性団体旅行では、べつに「講師」をつけなかった。ところが近ごろは会員の知識欲を満足させるためか、あるいは権威をつけるためか、旅行社のなかではその方面のちょっとした著名人を「講師」にして同行させるのがはやってきている。今度の「ローズ・ツア」に王冠観光旅行社が旅行評論家の江木奈岐子を「起用」したのは、いわばその流行に立ちおくれないためであった。
──谷村と津島が企画課の冷たい窓ぎわの机のまわりで無駄話をしていた翌日のことだが、この企画の立案者でもあり担当責任者でもある常務の広島淳平が田園調布に江木奈岐子を訪ねていた。
広島は江木に交渉して「講師」を承諾させたのだが、それから日が経っていたので、企画進行についての中間報告と、確認を取りに来たのである。江木も雑誌原稿とか講演とかで、けっこう忙しいので、途中で「申し訳ないけど、オロしてください」と云われないように、このへんで釘をさしておく必要があった。
江木奈岐子は四十五歳だが、四十ぐらいにしか見えなかった。若いときアメリカにしばらく留学したことがあるというが、さだかな経歴はだれにも分らない。そこが彼女の神秘的な魅力でもある。本名は坪内文子。英米で出版された世界の旅行記や紀行文学を翻訳しているうち、彼女の書く随筆で売り出した。江木奈岐子は翻訳者当時からのペンネームである。本名を知る人は少ない。ずっと独身である。
ひとり者だから外国によく出かけた。それをエッセイに書く。
江木奈岐子は世界中の民芸品がいっぱい飾ってある応接間で、細巻きの煙草を片手に広島の出した案内書やパンフレットの原稿を見ていた。ひらべったい顔で、眼も細い。外国ふうの派手さから若くみえるというだけで、あまり美人ではないから、ジャーナリズムにはロマンスめいた噂が出なかった。他人の風聞でも、美しい女でないと雑誌の記者や編集者も興味が湧かない。
「ねえ、この企画、女ばかりなのに会員が集るかしら?」
江木奈岐子は指の間から原稿を落すようにテーブルに置いて、短い鼻髭の広島の顔を見た。
「集りますよ。そりゃ、大丈夫。江木先生が講師じゃ魅力ですからね。断るくらいに申込みがあると思います」
広島がきんきんした声でいった。
「わたしなんかじゃ人集《ひとよ》せにはならないわ。このパンフレットの原稿にはうまいこと書いてあるけど」
原稿は谷村が昨夜居残りしてまで苦労して書いたものである。
「五十九万五千円というのは、近ごろの募集にしてはちょっと高いわね。六十万にしないところが心理的な効果ね。コースは面白そうだけど」
「豪華なんですよ。江木先生も、向うにいらしたら会いたいお友だちがあるでしょう?」
「そりゃ、いっぱい居るけど……」
江木奈岐子は細い眼で壁の油絵を習慣的に眺めた。
三月五日は金曜日である。
天気のいい金曜日というのは長期の旅行計画に関係があるらしい。週末の前日というのが心理的に作用するようだった。
午前十一時ごろ、梶原澄子が王冠観光旅行社に現われた。壁に外国の観光ポスターを貼りめぐらし、青っぽい地球儀や銀色の旅客機の模型をならべたロビーに彼女が姿を見せたとき、カウンターの受付に坐っていた杉山映子は、その女客が四十三、四歳くらいで、頸《くび》が長いという特徴をすぐ知った。顔はぎすぎすした感じだった。
「あの、ローズ・ツアの団体は、もう締め切られましたか?」
女客は、ちょっと傲慢とも聞える口調で訊いた。市場で買物をする客にこういう口のききかたをする主婦がいる。
「いいえ。まだでございます。どうぞ、おかけ下さいませ」
杉山映子はカウンター越しに、青いビロードを貼ったパイプ製のしゃれた椅子をすすめた。
杉山は横に積んである「ローズ・ツア」のパンフレットを一枚とってさし出すと、客は一瞥くれただけでいった。
「これはもう読んでいますの。一週間前に人にたのんでこちらからもらっています」
一週間前からパンフで研究してきたのなら、今日は素見《ひやかし》ではなく、本気に申込みにきたのだと杉山は察して、少々お待ちください、いまその係りの者を呼んで参ります、と二階に上って門田良平に知らせた。
門田良平が急いで「店」に降りると、ベージュのツーピースをきた痩せた女は手帳をとり出していた。
「いらっしゃいませ」
門田は外国の土地を歩いてもひけ目を感じないくらい背の高い男だが、惜しいことに撫で肩なので細く見えた。
「ローズ・ツアに参加させていただこうと思って参りましたの」
客は手帳を持ったままで訊いた。
「ありがとうございます」
「それで、少し、おたずねしようと思います」
「どうぞ」
「行先は、この刷り物に書いてある通りで、変更はありませんか?」
「ございません。これは、どちらかと申しますと、インテリ好みのコースでございます。イギリスでもエジンバラまで行くのは普通にはございませんし、テヘランのような東西文明の接点も十分に見ていただこうと思いまして」
「そう?」
杉山映子はわきで、仕事をするふりをしながら女客の様子を観察していた。
「日程も変りありませんのね?」
「いまのところ、ございません。あまり強行軍でもないし、退屈するほど長くもない、ちょうどいいような日程にしております。あの、失礼ですが、外国旅行はこれまで……?」
「行ったことはありません。もし、参加するとすれば、今度が初めてですわ」
「それでは、ぜひ、このコースをおすすめします。玄人好みと申しましたが、もちろん初めての方にもたいへん興味が深いと存じます。これにも書いてありますように、講師として江木奈岐子先生がご同行なさいますから、ただ、すうっと見て通るというのではなく、外国の歴史や文化がほんとうに自分のものになります。……あの、江木奈岐子先生のことはご存じでしょう?」
「さあ、よく存じませんわ」
「あの、新聞雑誌などに旅行評論家として名前が出ている江木奈岐子さんですが……」
もっとも江木奈岐子はジャーナリズムでは知られていたが、まだ広くは名前が行きわたっていなかったので、その名を知らなくとも、さして無知とはいえなかった。
江木奈岐子は外国小説の翻訳家としても成功しなかった。日本の読者は外国の小説に対しても妙な偏見があり、いわゆる純文学ものは尊敬するが、大衆小説は読まない。もっとも推理小説は別でマニアのような愛好者がいる。江木奈岐子も、せめてハードボイルドの小説を訳せばよかったのだが、彼女の翻訳したのは通俗的な恋愛小説であった。これは日本では受けなかった。せめてその小説にエロがあればまだしも売れたかもしれない。
しかし、アメリカ文学に詳しい評論家の佐田惣一郎氏は江木奈岐子は俗語《スラング》を上手に訳していると賞めたことがある。だが、評論家が一人ぐらい賞めたところで、その訳書が売れなければ仕方がない。誤訳があろうと拙い訳文であろうと、売れる本が勝ちである。
こうして江木奈岐子は、アメリカから出版される旅行記のようなものを訳することに転じ、それが自分でも旅行随筆を書くようにさせた。いまでは「旅行評論家」の肩書がジャーナリズムによってつけられている。
だが、旅行評論家といった存在はジャーナリズムにはまだ地味な存在で、江木奈岐子はペンネームだが、坪内文子という本名を知る者は、記者や編集者にすらいたって少なかった。その顔写真が頻繁に紙上に出ることもなかった。まして、雑誌の新聞広告に出るような派手な扱いはされなかった。
本人もべつにそれを不服と思わず、むしろそれを当然と思い、派手な扱いを嫌っているようだった。その点は、たいへん謙虚な人柄だった。東京の或る私立英学塾を出たということだが、有名校でないためか、それも彼女は日ごろからあまり口にしなかった。
「この旅行には、こちらからどなたか付き添っていらっしゃるんでしょう?」
女客は、江木奈岐子にはふれずに、パンフに出ている添乗員《コンダクター》のことをきいた。
「はい。実は、わたしがお供させていただくことになっております」
「あなたが?」
彼女は細い眼を開けて門田の顔を見上げた。それからその眼はまた微笑にもどった。好奇心とも軽蔑ともつかぬ表情だった。
「どうも行き届きませんが、できるだけお世話させていただきます」
門田も笑顔でカウンターに両手を突いた。
「それじゃ、外国にはたびたび行ってらっしゃるんですのね?」
「はあ。仕事上の経験は積んでいるつもりです」
「今度の旅行は、どういう方がお集りですか?」
「いまのところ、会社などにおつとめの方が多うございます。それから一般家庭の方々や学生さんですね」
「若い方が多いんですのね?」
「いえ、そうでもありません。やっぱり金額が張りますから、そう若い方は居られません」
「じゃ、わたくしぐらいの年配の方が多いんですか?」
「そうですね、ちょうど同じくらいの方々じゃないですか」
門田は客を四十一、二歳か、それより少し下と思っていた。見たところ裕福な家庭の奥さんのようであった。
「団体の方も入ってらっしゃるんですか?」
「そういう方は居られません。まあ、三、四人くらいはグループで申込まれてはいますが、それは仲のいい友だちという程度で、団体というほどではありません」
「ホテルでの部屋は、一室に二人となっているようですが」
と、彼女は小さな活字に眼を落してきいた。
「それは、はじめから終りまで同じ方とごいっしょするんですか?」
「そうでございますね……」
一部屋に二人は、旅行社として、最も厄介な問題の一つであった。その面倒は、添乗者がじかに押しつけられる負担でもあった。で、門田は説明した。
「もちろん、前から親しいお友だちどうしはごいっしょになれます。グループもそうです。それ以外に、この旅行ではじめてお顔を合わせたというような方は、だいたい年齢の同じ方で組み合わせるとか、あるいは抽籤《ちゆうせん》によって組をきめていただくとか、そういうふうにしていただいております。そうして、原則としては、日本を出発して帰国なさるまで、変えないことにしていただいております」
女客は軽く眉根に皺を寄せた。
「わたくしは、その点が心配です。いい方とごいっしょだとけっこうですが、万一、気の合わない方との組合せになると憂鬱ですね。長い旅ですから、せっかくの愉しみが台なしになります。そんなとき、あなたのほうで上手にチェンジしていただくことができますか?」
彼女の言い方は、どこか事務的で潤いがなかった。
「そうですね」門田は慎重に答えた。「どうしてもやむを得ない場合は考慮しますが、少しくらいのことは我慢していただきたいですね。団体旅行ですから」
「わたくしだって、できるだけ相手の方に合わせたいのですが」
「ぜひそうしていただきたいですね、お互いに仲よくして譲り合ってですね。これまでの私の経験では、みなさんうまくいっていますよ。そうご心配になることはありません」
その経験は本当ではなかった。男女の混成でも、それは八〇パーセントがた女だったが、女性どうしの側に面倒《トラブル》が絶えなかった。ことに今度は女性ばかりだから、門田もさばくのに覚悟を要するのである。彼はどんなときでも「中立」と「公平」の立場を崩してはならなかった。
「わたくし、人見知りするほうの性質《たち》なんです。それに口が上手でありませんから、それでもし相手の方が不愉快を感じられて、それがまたこっちにはね返ってくると困るんです」
女客はいった。
「どうしても、ご辛抱ができないようなお相手でしたら、そりゃ、ぼくが適当な理由でほかの方とチェンジするようにはしますがね。しかし、いちいちそうしていると収拾がつかなくなりますから、原則としては初めから終りまで不変ということになっています。あなたのご希望に副《そ》うようにしても、そりゃ内緒ですから、ほかの方には黙っていてください」
「ありがとう。それさえ伺っておけば安心です」
女客の眼が明るくなって、門田から聞いた要領を手帳につけた。
「しかし、そう取り越し苦労をなさることはありませんよ。毎日毎晩、珍しい景色や変った所を見て歩くんですから、そんな気持が起るヒマはないでしょう」
「申込みます」
申込書に記入された姓名は梶原澄子、年齢四十三歳であった。住所は札幌市だった。連絡先は梶原産婦人科病院の院長梶原二郎とあった。
「この人は、わたくしの亡くなった主人の弟です」
梶原澄子は説明した。
「主人は産婦人科病院を札幌市の近くに持っていましたが、昭和三十二年に札幌市に新しく病院をつくりました。個人経営の病院としては市内でも大きいほうなのです。その主人が三年前に死んで、そのあとを同じ医者の弟につがせました。わたくしと共同経営です。そんなわけで、わたくしも閑ができましたから、そこで海外旅行を思いたったのです。主人が生きているときは、ずいぶん働いてきましたから」
彼女は、現在のめぐまれた身分を語るために、自身の事情にちょっぴりふれた。
が、それは旅費の節約でこの旅行団に加入するのではないことを強調したいようだった。それはその通りに違いない。産婦人科は繁昌し、利益も大きいというのが世間の見る眼であった。
「ずいぶんぶってるみたいね。医者の未亡人って、みんなあんなのかしら」
杉山映子が客の帰ったあと、門田にいった。
それより約三時間後に訪れた藤野由美の場合は、ほかの同行者たちのことはほとんど気にしていなかった。
「わたくしは、去年の春、ヨーロッパ旅行をするつもりでしたの」
藤野由美は、小柄だが、整った姿態であった。大きな眼のふちには、うっすらと蒼い色を塗り、細い眉を鋭い弧線で描いていた。
「でも、仕事が忙しくていままでどうしても行けなかったので、こんどは決心をつけました。だって、キリがありませんもの。それにこちらのは女性ばかりの団体だからと思って入ることにしましたの。女ひとりだと旅先でいろんなことがありそうですから」
藤野由美は細く徹った鼻筋と、やや受け唇《くち》の、なまめいた感じの顔であった。スーツの型や配色も洗練されていた。
「そういうことでしたら、みなさんとごいっしょのほうが何かにつけてご安心です。これは、そういうための企画でもあります」
女客のいう「旅先のいろんなこと」というのは、もちろん誘惑の心配であった。フランス人はやさしく執拗に近づくし、イタリア人は露骨に追跡してくる。中近東の男たちには粘《ねば》っこい眼で見つめられる。この顔なら、本人の自負的な杞憂《きゆう》ではなく、その恐れは十分にあった。女ひとりだと、それほどの容貌でないと門田が思っても、向うの男どもからは興味の対象にされる。
藤野由美は、ちょっと眼を伏せたが、「何かにつけてご安心です」といった門田の言葉に、もう一つの意味があると感じたらしく、彼の誤解を訂正するようにいった。
「わたくしは、言葉にはそれほど不自由はしませんの。ですから、コンダクターの方にはご迷惑をかけないで済むつもりです」
「外国にいらしたことがあるんですか?」
「ええ、アメリカにちょっと。デンバーというところですが」
「ああ、ロッキー山脈の麓ですね。夏の保養地で有名ですね。あそこには大学があるはずですから、学生さんのときか何かで?」
「いいえ。べつのときに。ほんのちょっとですが。……そんなわけで、コンダクターの方はみなさんのお世話にたいへんでしょうから、わたくしは英語の通じる国は自分のぶんの用事はできますわ」
「それは結構ですね。ぼくも助かります。仲よくなられた人たちの手助けをしていただけたら、ありがたいですね」
団体だから安心というのは、自分に関する限り、言葉の問題ではないことを彼女は云いたかったようだった。
「あら、そんなお世話はできませんわ。わたくしの自由な時間がなくなりますもの。せっかく外国に遊びに行くのに、ほかの方のために時間をとられるなんて真平ですわ。一度、そういう癖をつけたら、みなさんでわたくしを頼りになさいますもの。くだらないショッピングのお供なんかご免こうむりますわ」
彼女は短い髪の毛を振っていった。
「ま、それは、そうですが……」
藤野由美は、他の同行者のことは気にしていないらしく、一切その質問はしなかった。それだけでなく、自分は自分の流儀で参加するのだから、同行者たちとの交際は無視していいと考えているらしかった。
年齢は三十七歳で、外見はそれよりも三つか四つ若かった。申込書の職業欄には「美容デザイナー」と書いていた。連絡先は東京郊外の姪の家にしてあった。
午後四時半ごろにきた星野加根子の場合は、最近夫が死んでその遺産で海外を遊んでくるといっていた。これも未亡人である。三十八歳の、大柄な、眼も鼻も唇も造作が粗《あら》く見える女だった。彼女は、梶原澄子ほどではないにしても、やはり連れの仲間のことを気にしていた。
三月五日の窓口の受付は、この三人の客だった。が、すでに六人は申込みがあった。ほんとうは八人だったのだが、二人は取消してきた。
四月になると「ローズ・ツア」の団員は一応かたまった。十五日の出発だから、そろそろ準備を完了しないと間に合わなくなるのである。
門田良平は、隣のビルの壁がボール紙のような風景になっている窓際の、古びた机の上で、これまでに決定した団員一覧表をひろげていた。方眼紙にボールペンで、氏名・年齢・職業などを几帳面な字体で書きこんである。ならべ方は申込順。
@北村 宏子 二五 会社員
A杉田 和江 二八 会社員
B竹田 郁子 三一 教 師
C深山かよ子 三二 無 職
D曾我 千春 二四 服飾店
E鈴木美智代 三五 商 店
F梶原 澄子 四三 無 職
G藤野 由美 三七 美容デザイナー
H星野加根子 三八 無 職
I多田マリ子 四〇 飲食店
J佐藤 保子 二五 教 師
K本田 雅子 二〇 学 生
L西村ミキ子 二〇 学 生
M千葉 裕子 二〇 学 生
N浜野ひさ子 四一 無 職
O宮原 恵子 二五 服飾店
P金森 幸江 四五 商 店
Q中川やす子 三六 会社員
R黒田 律子 三一 会社員
S日笠 朋子 三七 無 職
連絡先は都内がいちばん多く、大阪、横浜、福岡、京都、名古屋、関東各県、その他の地方となっている。
門田がくわえ煙草でこれを眺めているとき、営業部企画課の谷村が後を通りがかりにのぞきにきた。
「二十人になったね?」
と、谷村がいった。
「ああ、やっとね」
門田が短くなった煙草を灰皿に捨てた。
「これで固まりそうかね?」
谷村が訊いたのは、出発前になって解約が出るのが普通だからである。ただ、それがなん人で済むか、歩《ぶ》どまりが問題である。
「いや、こんどは減らないだろう。これまでのキャンセルは六人だった。|ひやかし《ヽヽヽヽ》は少ない。こっちは正統派のコースでいった。それがかえってよかったね。よその社の企画は凝って奇を狙いすぎる」
「ぼくのつくった宣伝物の効果もあるかね?」
谷村が笑った。
「ああ、あるね。あと一週間のうちには、まだ四、五人はふえそうだ。問合せがきている組に迷っているのがあるし、こっちから勧誘しているのに最後の決断がつかないままのがいるからね。そういうのが流れてきそうだ」
「会社員というのはOLばかりだろうか。どういう筋だね?」
谷村がリストを見ていった。
「証券会社につとめているのもあるし設計事務所というのもあったな。商店の店員さんも居る。いまは小さな商店でもバアでも株式会社を称しているので、会社員には違いない」
「教師も居るね?」
「高校の教師だ。小中学校と大学の先生はいない」
「服飾店というのはデザイナーかね?」
「いや、経営者らしい。経営者兼デザイナー。例によってパリのショーウインドウぐらいをちょっと見て箔をつけるんだな」
「美容デザイナーというのもある。これは新語だね」
「美容師のことじゃないかね。それもパリの美容院をのぞいて歩き、箔をつけるつもりだろうね」
門田は、店にきた藤野由美の垢ぬけした顔と服装を思い出していた。
「無職はだいたい奥さんがただね」
「そうらしい。未亡人が二人いる。一人は札幌の産婦人科病院長だった人の未亡人。四十三歳のひと」
「ふうむ。年齢の最高が四十五歳、最年少が二十歳。四十歳のは料理店のおかみさんか。東京かね?」
「大阪の人だよ」
「二十歳は学生。並んで申込んだところをみると、同級生のようだね?」
「いや、違うんだ。学校は別々。偶然にその日につづけて申込みがあった」
「まとまった団体ではないから、いちいちの渡航手続の代行が面倒臭くてたいへんだな」
「みんなに手伝ってもらっている。それにしても厄介だが、仕方がないね。それにね、お客さんによっては初歩的な質問もあるし、いやにひねった質問もある。女ばかりじゃ、みんなヒステリーを起しそうだから、緩和剤に男を少数入れたらどうだと半分真面目に提案するのがいたよ。女ばかりというのが受けると思ったのに、これは案外だったな」
「提案者の気持も分らないではないな」
「そうかと思うと、同性ばかりだから安心だとよろこんでくれているのもいる。安心というよりも清潔でいいと賞めてくれるのがいてね。これは潔癖組だろう。さまざまな性格、年齢、職業や生活の女性たちだから、ぼくもまとめて旅するのに骨が折れると思うが、何ごとも経験だ、やってみるよ」
印刷屋が校正刷を持ってきたという知らせで谷村は門田から離れた。
ひとりになった門田は、もう一度煙草に火をつけ人名表に眼を曝《さら》した。
自分が会った客は、ひとりひとりの顔と様子が浮んでくる。梶原澄子、藤野由美、星野加根子。この三人は同日の申込みだった。
病院長未亡人の梶原澄子は最初に組み合わされる室友を気にしていた。星野加根子も同じような口ぶりだった。
実はこれが旅行団の厄介なことの一つで、同じ部屋に寝る室友で第一夜から仲違いするのがいる。同じ部屋のツインベッドに寝ながら日本に帰るまで口を利かなかったという例はざらだった。その反対が、どこに行くのもお揃いで、食卓も隣どうしでないと気に入らないという蜜のような、妙な蔭口が起るくらいに仲のいいのもあった。客のいいなりになって途中で組を変えていたらきりがなく、毎日でも組変えをしなければならなくなる。これは最初から決定したパートナーには変更がないという原則をきびしく客に守らせなければならない。
そのために添乗員は絶対に中立の立場を崩してはならなかった。どのようなことがあっても、少しでも依怙贔屓《えこひいき》がある人間と見られてはならない。客たちに不公平と映ったら統率が利かなくなる。添乗員は、サービス業だが一方では団長でもある。団長の威厳と教師の指導力と|わけ《ヽヽ》知りの相談役を兼ね備えなければならない。
とくに今度は女ばかりの編成であった。神経質なくらい公平に気をつかう必要がある。特定の女性に言葉をかけすぎるとか、笑顔が多いとか、面倒を見すぎるとか、というようにひがまれると、蔭でどんなことを云われるか分らない。反感や非難が起る。統制力を失うと収拾つかない状態になる。だから、ものを云うにも各人に平等に言葉を配らなければならない。Aに七語云ったら、BにもCにもきっちり七語云わなければならぬ。それ以上でも以下であってもならなかった。極端なようだが、それくらいの心構えでいなければならないのだ。笑顔にしても、世話にしても均等に配分することであった。ベテランの門田だが、今回のは覚悟を要した。
梶原澄子、藤野由美、星野加根子の同日申込みのほかにも、門田が店で会った数人がいる。
北村宏子は証券会社につとめている。彼女は一番の登録だから印象にある。背の低い、まる顔の、まだ二十《はたち》くらいかと思うような童顔だったが、門田が渡航手続用紙に署名をもらいに日本橋の証券会社に行くと、彼女は眼鏡をかけていて、ずっと大人《おとな》びていた。わたし、株で儲けたの、と彼女は内緒話を打明けた。三年間の年次休暇を貯めていたのでそれをいっぺんに取ったといった。
会社づとめの女性のほとんどが年次休暇の集中消化であった。二番目の杉田和江は建築設計事務所の助手である。背の高い、痩せた女で、すぼんだ頬をしている。きれいにすき徹った声だが、神経質そうだった。製図に適した細長い指をしている。
竹田郁子は都内の私立高校の教師で、ものの言い方もていねいで、礼儀正しかった。国語を担当しているといった。細くて、小さな身体である。とくべつにきれいというのではないが、どこか清潔な感じで好感がもてた。躾《しつけ》のいい家庭に育った女にみえる。
多田マリ子は大阪の飲食店のマダムである。長身で和服が似合った。顔も面長で、古典的だった。着物の好みも悪くない。四十歳だが、六つくらいは若く見えた。彼女はずっと和服で通したいが、いいだろうかと関西弁で質問した。洋服は自分に似合わぬからという。惜しいことに胸のあたりが低かった。商売柄、高級な着物で、趣味も洗練されている。
この申出でに門田は実は当惑した。和服でくるのはほかにもいるが、あまり立派なものでこられるとほかの女性を刺戟する。目立ち過ぎて向うで衆人の視線をひとりで集めることになったら、同行者の間から嫉妬が起り、トラブルの種になる。門田は、旅行中はお召物がいたみますから、なるべく旅の行動に対応できる身軽なお支度がいいでしょうと婉曲に洋服のほうを頼んだ。彼女に後援者がいるのはきまっていた。
黒田律子は受付の杉山映子に反撥を感じさせた。ほどよい背丈だったが、身体つきは豊かだった。昼間から濃いアイシャドウをし、その青色を金髪と真黒なマキシに対照させていた。真赤な口紅が配色のアクセントになっている。三十分間の話に外国煙草を二本喫った。書類に署名を求めに行った別の係りの報告では、渋谷辺の高級マンションに住み、銀座の一流バアにつとめているということだった。バアは「株式会社クラウゼン」となっている。だから申込書の職業欄が「会社員」だった。
それらと対照的なのは、本田雅子、西村ミキ子、千葉裕子の学生たちだった。本田雅子は横浜に住み都内の私立女子大生、西村ミキ子は名古屋の私立女子大生、千葉裕子は福岡の私立女子大生であった。同日の申込みだが、互いに関係はない。同じなのは、三人とも英文科であった。三週間ぐらい学校のほうは「なんとかなる」といっていた。みんな子供であった。客がこういう女の子ばかりだったら楽である。
黒田律子の翌日に加入を申込んできた日笠朋子は、表情も言葉も心細そうだった。顔も身体も細い。血色もよくなく、全体が薄いという感じの女だった。既婚者だが、身なりもあまりかまわないふうだった。夫の職業欄には紙工業の社長とあって、中小企業の経営者のようだ。
最年長で四十五歳の金森幸江は魚屋である。「商店重役」とは西武沿線沼袋駅近くの魚屋さんのかみさんのことだった。ぶくぶくと肥って真赤な顔をし、どんぐり眼《まなこ》で鼻が低く、唇の厚い、だが、下町弁の早口で、いかにも庶民相手の商売人らしかった。申込みのときは、|ばつ《ヽヽ》が悪そうににやにや笑っていた。──
ここまで門田が申込者の名と風貌《ふうぼう》とを重ねていたとき、今回「講師」として同行を依頼している江木奈岐子から電話がかかってきた。
「どうも、先生。恐縮です。二、三日前にこんどのローズ・ツアのメンバー・リストを使いの者に持たせましたが、ごらんになりましたか。明日あたり打合せにお伺いしたいと思っていたところです」
門田はそう云いながら、旅行中に自分ひとりの手に余ることがあれば江木奈岐子を助手にすることを思いついた。もちろん彼女の威厳を尊重しながらだが。
「わたしねえ、申訳ないけど、急に余儀ない事情が起って行けなくなったの。ほんとに、ごめんなさい。それでお電話をしたんです」
江木奈岐子は謝るようにいった。
「え。そりゃ、たいへんだ。この期《ご》になって、それは困りますよ。とにかく、ぼく、そっちにこれから伺います」
門田良平は講師を電話で断ってきた江木奈岐子のことを、まず、企画担当の広島淳平のところに報告に行った。広島常務は江木女史に交渉した責任者である。広島は、それほどひろくもない二階の役員室でどこかの外国旅行社との契約書に眼を通していた。
「マレーシアのペナンにある南十字星《サザン・クロス》旅行社というのとタイアップすることになった。これはその仮契約書だ」
広島は門田にいった。
「タイ・ツーリストは近ごろ鼻息が荒くなった。外国旅行社との契約がふえたので強気なんだ。こっちの条件をだんだん悪くしてきている。ここ一年で日米の他社との新契約を五つもしている。だから、シンガポールやマレーシア方面に手が回らなくなっていい加減なことをしている。客からの苦情が多い。で、小さいけれどペナンのこの旅行社と手を握ることにした。これでマレーシアの密度がこまかくなるね。向うからこっちにくる客は期待できないが」
広島はそう云って、で、何だね、と門田に短い髭の顔を向けた。門田は江木奈岐子から都合で講師をオロさせてもらいたいという電話があったことを云った。
「都合で? なんの都合だ?」
広島は眼を三角にした。
「はっきり云わないのです。とにかく、申訳ないがというだけです」
「断るなら初めから断るか、もう少し早くそう云えばいいのだ。無理に江木奈岐子でなくてもこっちにはいくらでも頼める先はあったのに。せっぱ詰って云ってくるなんて生意気だ」
広島は怒った。自分が交渉した責任上、部下の前で余計に憤慨してみせるのかもしれなかった。近ごろ少し売れてきたらしいから自惚れが強くなったのだろう、女はこれだから度しがたい、江木奈岐子程度の知名度なら他にいくらでも人はいる、とくに彼女でなければならぬというほどの客の吸引力はないのだ、なにを逆上《のぼ》せているのだと広島は江木奈岐子に悪態をついた。それは門田も同感だった。旅行に詳しいという程度でほうぼうの雑誌などに案内記《ガイド》や軽い読物を書き、それで紀行文筆家とか旅行評論家という肩書をつけられている者は多いのだ。それとて、その名前に惹《ひ》かれてどれだけ団体旅行の応募者があっただろうか。客の知的な虚栄心をくすぐる商策だが、その効果はほとんど期待できない。旅行者は見|学《ヽ》よりも見|物《ヽ》オンリーである。そうして次は買物である。とくに女の場合だと見物よりも買物がしばしば先になる。添乗員ならそうした客の生態をよく経験している。そういう旅行団に紀行文筆家や旅行評論家を付けるのは、会社の宣伝のためのアクセサリーであり、サービスである。悪くいうと知的なアトラクションである。実は門田はそういうサービスは余計なものだと考えていた。それよりも自分が気兼ねなしに自在に使える助手をつけてもらったほうがどれだけいいか分らないと思っていた。
「だが、そういっても一度発表した手前、江木女史はどうしても使わんと困る。このどたん場になってほかを当っても断られるにきまっている。第一、江木女史が行くことになっているのはみんな知っているはずだから、補欠で行くのは嫌がるよ。連中はそれぞれプライドを持っているからな」
「それは、そうです」
「君はこれから江木女史のところに行って、説き伏せてこい。先方に条件の希望があったら、ある程度は呑んでもいい」
「条件というと?」
「江木女史は講師料の値上げを考えているかもしれん。少しくらいならイロをつけてもいい」
「まさか、と思いますがね。そういう駈引だったら少々悪どいですね」
「近ごろは露骨なことが平気で通っている。もう一つは彼女がもったいぶっているのかもしれんということだな。十分に行く気があるのに、ちょっと渋ってみせて自分に貫禄を持たせようというやつだ。旅費は全部当社持ちの上に講師料をもらってヨーロッパを旅行してくるんだから、だれが聞いても悪い話ではない」
「もしそういうお体裁で断ってきたのだったら話は簡単ですがね」
門田は、江木奈岐子が「余儀ない事情が急に起って」というのを繰り返すだけで、はっきりした理由を云わなかったのは、広島の想像が当っているのかもしれないと思った。
田園調布というのは都心からタクシーで行くのに遠くて不便な所である。高速道路で渋谷に降りても、国道二四六号線は工事で混雑しているし、三軒茶屋を過ぎると、渋滞がひどかった。面白くない用事で行くだけに門田はいらいらした。
田園調布の三差路を右に入ったところに江木奈岐子の小さいが、わりと瀟洒な家があった。門には「坪内」と「江木奈岐子」と二つの表礼がならべてかけてあった。
門田は江木奈岐子の家のまん前にわざとタクシーをとめさせた。いかにも違約を責めに乗りこんできたというのを音で聞かせた。
玄関には江木奈岐子が直接に出てきて、門田を見るとその場にへたへたと坐って大仰に頭を下げた。が、顔は困ったように笑いかけていた。門田は、その表情から、おや、これは駈引でなく断ったのだなと直感した。
世界各国の民芸品が飾ってある小さな、女の住居らしい応接用の座敷に通された。
「いったい、どうなさったのですか、先生。急にお断りになったんで、びっくりするやらあわてるやらで、早速駈けつけてきました」
姪《めい》だという女学生が持ってきた茶を一口すすって門田はすぐに切り出した。
「ほんとにごめんなさい。これ、この通り」
と、江木奈岐子は門田に両手を合わせた。眼が細く、口が横にひろい。濃い目の化粧でも笑うと無数の皺がむざんにも現われる年齢だった。
「拝まれても困ります。先生のお電話を広島常務に伝えたら、ぼくはこっぴどく叱られました。社としても外部に先生のお名前を発表して会員を募集したんですからね。もう二十人も申込者があります。あのリストをごらんになりましたか?」
「ええ、ざっと拝見してます」
「あんなに申込者があるのも先生が講師だからというのですよ。それを今ごろお断りになるんですからひどいですよ」
門田の語勢は、いきおい強くなり、詰問調となった。彼も責任がある。いい加減にされては困るという腹立ちが顔に出た。
江木奈岐子はうつむいた。眉の上に険しい皺を寄せたが、それは、半泣きの表情だった。彼女は顔を横にむけて黙って立つと、座敷の隅に置いた机の抽出しから、小さな、うすい函をとり出して、中の小粒な錠剤を掌の上に、二つこぼした。彼女はそれを口に含んで仰向くと、水なしで呑みこんだ。常用者らしい馴れた呑みかただった。門田が小函のラベルにそっと眼をやると、薬はトランキライザーであった。精神安定剤である。
門田は、少々言い方が強すぎたかなと思った。女はこれだからやりにくいと弱った。
江木奈岐子は、しばらくものを云わなかった。眼を半眼に閉じ、片手を胸のところに当て、薬の効目《ききめ》で精神の動揺と惑乱を鎮めようとしていた。
やがて、彼女は眼を開いた。その顔に動揺は去ったが、哀願にも似た表情が代って出ていた。
「ほんとにあなたにも広島さんにも、また参加者の方々にも申訳ありません。でも、門田さん、わたくしを助けてください。一生の浮沈に関する大事なことが起ったんですの」
彼女はしおらしい声で云ったが、その眼にはたしかに真剣な色が出ていた。
「一生の浮沈? それは大げさですな」
門田は呆れた。
「いえ、ほんと。わたしのこれからの運命を決定するようなことが起ったんです。電話では云えなかったのですが、こういうことです」
江木奈岐子の真摯《しんし》と技巧的な表情を交えた話を要約すると、知的読者をもつことで一流といわれている婦人雑誌の『女性思潮』から紀行文の長い原稿の依頼がはじめてあった。先方でも日本に新しい紀行文学を樹立する意気込みで書いてほしいという熱のある注文だった。それが二日前のことである。自分はこれまで雑文しか書いてないので、この一流誌の依嘱に感激し、何とかそれに応えられるようなものを書きたい。もしそれに成功したら、自分の地歩は固まる。単に名声だけでなく、他からの原稿依頼も多くなって生活的にも安定が得られる。しかも、その締切が来月七日までということなので、とうてい旅行はできない。約束を違えるのはまことに心苦しいけれど、こういう運は二度とくるかどうか分らない。自分としてはこれに精魂を傾けたいからこの気持をどうか理解して、この際助けてほしい、というのであった。
「それだけでは、わたしも申訳ないので、責任の百分の一でも果たさせていただくつもりで、お願いしたいことがあるんです」
当惑する門田の顔を見て、江木奈岐子ははねつけられない前にと思ってか、彼女は急いで云った。
「わたしの代りの者をさし出したいのです。表向きは、日ごろからわたしの協力者だということにして……あなたのおっしゃるように、この期《ご》になっては知名の方はどなたもお断りになるでしょう。わたしが断ったあと釜ということでは、みなさんプライドがあって、お嫌《いや》でしょうから」
門田は、自分一人では計らいかねるといって座を立った。
「そのかわり、この埋合せは、きっといたします。広島さんには、くれぐれもよろしくおっしゃってください」
江木奈岐子は、門田を送りに玄関に出るまで、その肩に手でも置きそうなくらい懇願調で云った。
「ええ。伝えるには一応伝えますが」
「ほんとに、それ以外の理由って、ありませんのよ。もし、だれかがこのことであなたの社に云いふらすようだったら、それはみんな中傷だと思ってください。……わたしは、これまで中傷されてきましたし、近ごろはその悪口がいっそうひどくなってきているようですわ」
「そりゃ、江木先生の思いすごしじゃありませんか」
「思いすごしなもんですか。わたしにはその声が聞えているんです」
「だれが先生にそう云ったんですか?」
「まさか。本人に面とむかって云うものはいませんわ。でも、それは直感で分るんですよ。だれがどんなことを云っているか、その見当もついていますわ。わたしの足を引張って、引きずり降そうとしてるんです」
門田は聞きながら、なるほど、これでは精神安定剤も必要なわけだと思った。
しかし、江木奈岐子の現在の位置では、そんな余計な気の遣いかたも分るような気もする、と帰社のタクシーの中で思った。翻訳家でも三流ぐらいのところである。それが紀行作家に転向して出発後間もないのだ。そういう同じぐらいの執筆家の数は多い。マスコミでの地位は不安定であった。出版社や新聞社にゆるぎのない位置を獲得するまでは、お互いが競争である。名声と収入とふたつながら手にできるのだから、それに向っての努力もたいへんだが、マスコミが使う人間はきわめて限られているので、自分を売りこむ一方、一歩出た競争者をひきずりおろす策略も話に聞かないではなかった。
婦人雑誌では一流の『女性思潮』から声がかかったという江木奈岐子は、たしかに望みの階段に足をかけたといえるが、それだけに彼女自身が見えぬ敵を意識し、聞えぬ中傷や讒誣《ざんぶ》を耳にするのは、それなりに門田も理解できる。女性だから殊にそうだろう。が、それにしても彼女は被害者意識が少々強すぎると思った。
江木奈岐子が推薦した土方悦子《ひじかたえつこ》が、王冠観光旅行社に姿を見せたのは、ローズ・ツア旅行団が出発する一週間前であった。旅行社の応接室といっても一般社員用のは狭苦しい部屋で、表の客寄せのためのカウンターのほうが遥かに立派だった。この応接室にも抜け目なく泰西名画のような観光ポスターが貼られていたが、それがこの殺風景な部屋のごまかしにもなっていた。
土方悦子は、小さな身体だった。卵がたの顔は顎《あご》が短くて尖っていた。眼は、何かにびっくりしたように大きかった。持参の履歴書を見ると、二十七歳だったが、その年齢より稚《おさな》くみえるかわり、若い女としての魅力的な感じには乏しかった。
英語の強いことで知られているU大学英文科を四年前に卒業し、アメリカ系の貿易会社に二年間つとめ、いまは何もしてなかった。趣味は、英文学と文化人類学。
王冠観光旅行社では、コンダクター助手《アシスタント》として、そのときだけのアルバイトとしての女性を登録させていた。総勢で十二、三人はいた。いずれも私大の英文科か短大を出て、英会話が上手で、趣味といったら揃って「英文学」だった。土方悦子は、そのほかに「文化人類学」という変ったものを持っている。江木奈岐子の家には、ときどき遊びに行っているという。
女性の多い観光旅行団には、会社でこうしたアルバイトの社外助手をコンダクターに付けていたが、ローズ・ツアの場合は講師として江木奈岐子を頼んでいたので、助手を付けなかった。それは主として経済的理由からきている。団体旅行では客の人数によって会社側の添乗員の航空運賃は無料または割引、ホテル代サービスが行われる慣例になっている。三十名の団体の場合、会社側の人員は二名の枠しかないから、講師にそのぶんをふりむけると、助手を添乗させる余裕がないというわけであった。それだけにコンダクターは忙しくなる。門田が前に江木奈岐子を「助手代り」に使うつもりでいた理由がそこにあった。
江木奈岐子が「講師」をオリたとすれば、社外アルバイトの助手要員を起用すればいいのだが、当の江木奈岐子は、自分の代りにと土方悦子を強力に推した。その人がらは、自分の家に遊びにくるから、推薦できるという。そこらへんのいきさつは、門田が江木家を辞して、常務の広島淳平に報告したときの会話で尽きている。
「江木さんがそんな事情で講師を辞退したのならやむを得ない。彼女にも本職の舞台で脚光が得られるかどうかの瀬戸際だからね。わが社としては彼女の不参加で募集の要項と違うことになり、外部に信を問われかねないから、一時はぼくも江木さんに腹を立てたが、あのひとの立場を考慮することにしたよ。江木さんもそんなに詫びているならね。その土方さんを使うことにしようよ」
「しかし、どこを回っても彼女には説明ひとつできず、何を訊かれても答えられなかったら、どうしますか」
「そんなことはない。江木女史が違約を謝って代理人として推薦したのだから、いい加減な女を紹介するわけはないよ。それに、観光客はそれほど熱心に知識の吸収欲に燃えているかね?」
「………」
「ぼくの経験では、観光団体客は東京のはとバスの乗客と同じだ。有名な所をこまぎれに見せてやって、ガイドブックに載っているようなことを、もっともらしく説明してやればいい。途中の名所、旧蹟の前を通過してもみんなくたびれて居睡りしている。文字通り見れども見えず、聞けども聞えずさ。強行軍だから当り前だがね。どうだね、今はそれと変ったかね?」
「あんまり違いませんね。車内で講釈を聞くより睡ったほうがよさそうです」
「それ見たまえ。だれがついていても同じだ。たとえば江木奈岐子女史が行ってもね。だが、そこは宣伝のアクセサリーだ。知的な味つけで特徴を出した。競争激甚だから、何か特色を持たせないといけない」
「しかし、江木さんが講師だからといって、とくに参加を申込んできた客はあまりいませんでしたよ」
「口では云わなくとも心理的にはある。だから、代役もアルバイトを使うわけにはいかん」
……こうして江木奈岐子推薦の土方悦子が決定した。
「あなたは、海外旅行の経験がありますか?」
と、門田はいま眼の前にいる小さな顔の女に訊いた。
「一度だけヨーロッパを回りました。勤めていた貿易会社が二カ月間の体暇をくれたときです。一人旅でした」
「いつごろですか?」
「二年前です」
「そのときのコースは?」
「デンマーク、オランダ、イギリス、ベルギー、フランス、スイス、西独、イタリア、ギリシャ、トルコ、レバノン、アラブ連合、タイなどです。時間の都合で、主な都市だけですが」
土方悦子はあまり弾《はず》まない声でいった。そのコースが今度のローズ・ツアのスケジュールと同じ所が多かったので、門田は胡散臭《うさんくさ》げな眼になった。彼女のほうは、やはりびっくりしたような眼で門田を見返していた。
門田は、試しに彼女が歩いたという先を訊いてみることにした。ハッタリもあるかと思ったのである。
「デンマークはどこに?」
彼は気軽な調子で訊いた。
「コペンハーゲンから、オルフス、フレデリクスハウンに回りました」
門田はあとの二つを知らなかった。が、知ったような顔で訊いた。
「そんな田舎に何で行ったの?」
「スカエラック海峡を見に行ったんです。スカウンはその北端です」
門田は、内心あわてて、
「オランダは?」
と国を変えた。
「アムステルダム、ハーグ、西独国境に近いアルメロ、ユトレヒト、ロッテルダムです」
アルメロという聞いたこともない町の名を除けば、普通の旅行で、これは門田を落ちつかせた。
「オランダから汽車でベルギーに入ったんですね。ブリュッセルのほかにはどこに?」
「アントワープです」
「今の名前はアンベルスですよ」
「でも、イギリスの旧《ふる》い小説ではアントワープで出てきますから、その名前のほうがわたくしにはなつかしいし、言いやすいのです」
「なるほどね。ブリュッセルに行ったら、ワーテルローを見たでしょうね」
そこは今度のローズ・ツアの予定にははいっていない。門田は狭い応接室で、ナポレオン戦争の記念碑《モニユメント》になっている人工の丘から見下ろした景色の、チョコレートのラベルのような牧場と草原を思い出している。あの前にはナポレオンの見世物小屋があって、日本の観光客は子供の土産に玩具のサーベルや大砲や兵隊を買う。その値段とツリ銭の世話がひと面倒だった。
「それは見ませんでした。ヘントを中心に田舎を歩きました。フランドル派画家の舞台ですから。山岳地方ではアルデンヌ高原の北の麓にあるスパに行きました。温泉地ですが、花祭りを見たかったのです」
「じゃ、春だね?」
「五月です」
門田には平野部も高原も不案内だった。スパという温泉町がどこにあるか見当もつかない。観光旅行団は有名な都会という点から点をひと飛びして、途中をつなぐ線はいつも消えていた。絵葉書名所の詰合せセット。
「スコットランドには行ったことがありますか?」
「あります。エジンバラ、グラスゴー。それからローモンド湖のほうに行ってきました」
門田は北方の湖水を知らない。
「そこにも何か関心があって」
「スコットの小説の舞台ですから。サー・ウォルター・スコットです」
「なるほど、十九世紀初頭の英文学だね。『湖上の麗人』かな」
「それだけじゃありません。あの辺の旅は徳冨蘆花の巡礼紀行にあるんです。それでなつかしかったのです」
土方悦子は門田の知ったかぶりをいちいちはねかえすようにいった。
「あなたのような若い人がどうしてそんな旧い本を読んでいるんですか?」
「祖父がクリスチャンで、祖父の書斎にあったのを読んだのです」
「あなたは、外国の地方をよく回っているようだけど、そういうの日本の旅行案内書で見るの?」
「ランド・マックナリイ社のブルー・ガイドやシエル・ガイドなど。そのほかその土地土地に行って英文の案内書があれば買いました」
Rand McNally というのを土方悦子はきれいな発音でいった。
「でも」と悦子は云い直すように付け加えた。「文化人類学を趣味でやっていると、世界各地方の引例が出ますから、自然と田舎の地名をおぼえてしまうんです」
「たとえば、どんなところですか。あなたの興味のあるところというのは?」
「トルコなんかも興味がありますね」
「イスタンブールですか?」
「旧名はコンスタンチノープル。そこからアンカラに行き、ヒッタイト時代の首都ハットーシャシュの遺跡を見ました。現在のボアズキョイです。西のシリアに入ってアレッポからダマスカスに行きました。ダマスカスでは博物館におさめてあるパルミラの遺物を観て、旧約聖書の世界を見て歩きました。それからレバノンに入りバールベックのローマ時代の遺跡を見て、ベイルートに着きました」
「タイは?」
と門田はうんざりしたついでに訊いた。
「チエンマイの北まで行きました。ほんとうはチエンダオ近くまで行きたかったのですが、女ひとりでは治安が悪いというので。あのへんの少数民族、メオ族とかヤオ族とかマオ族などの生活や宗教を見たかったのです」
「ずいぶんとほうぼうの辺境を歩きましたね」と門田は多少の皮肉を含めていった。「しかし、ヨーロッパの観光団には、そんなに高度な文化的知識は必要ないのですよ。それはいろんなことを知っているのに越したことはありませんがね。だが、そんな質問者もあまりいないでしょう」
「はあ」
土方悦子は、きょとんとした顔でいた。彼女は江木奈岐子の代理に講師で参加するという気負いがあって、それで知識の豊富な端くれをしゃべったらしかったが、門田に出鼻をくじかれて肩すかしされたようであった。
門田はいささか小気味よい気持になって、
「各国をまわるコースでは、現地で当社と特約している旅行社からガイドさんがきます。日本人のいない土地では英語のガイドですが、あなたはそれをマイクでみなさんに通訳してください。ぼくもやりますが、ぼくはほかの事務処理が忙しいのでね」
「分りました。でも、あの江木先生から伺うと、現地を回る前にホテルとか乗物の中でレクチュアをしたり、現地に立って説明したりしなければならないそうですが」
江木奈岐子だったら、そういうプランも持っていただろうから、彼女が悦子にそう云ったにちがいない。だが、背も低く、身体つきも細い小娘のような感じの女がしゃべったところで観光団の連中が権威を感じるわけはなかった。第一、江木奈岐子自身が参加したところで、予備知識が貧弱で、買いものと食べものに関心を奪われ、疲労と睡眠不足であくびばかりしている連中の耳に、どれだけその「高級な」話が入るか分らなかった。
門田は、専門家のように「現場講演」に勢いこんでいる土方悦子をアルバイトなみに使い走りさせることに決心をかため、彼女の小生意気な知性ぶりを破摧《はさい》し、助手として徹底的に叩き直してやろうと考えた。
門田は二階に上って広島に、いま江木奈岐子推薦するところの土方悦子が来ているけれど、お会いになりますか、と訊いた。
書類の山を机の上にかかえて計算に没頭している広島は、横むきのまま、
「どうだね、感じは?」
と訊いた。短い髭に午《ひる》に食べたパンの屑が白く付いていた。
「まあまあです」
詳しく説明するのも面倒だから門田が適当にいうと、
「君さえよかったらそれでいい。今からでは、代りが間に合わないのだからね。ぼくは会わなくてもいいよ」
と、これも面倒臭そうにいった。
門田が出ようとすると、広島はうしろから呼びとめた。
「君、その女の子はどんな感じだね?」
「外国のヘンな土地を歩いてきたらしいです。ちょっと小生意気な娘です」
「江木女史だから、そのくらいの女は寄越すだろう。適当に使うんだね」
「はあ……」
「旅行団の参加者も締切ったし、これでメンバーはきまったね。結団式をあげるばかりだ」
メンバーがきまり、「役者」は揃った。あとは出発である。
四月十五日夜七時四十分から羽田空港の国際線特別待合室で、王冠観光旅行社のヨーロッパ観光旅行団「ローズ・ツア」の結団式が行われた。
出発は二十二時十五分のSAS機で、北回りのコペンハーゲン経由ロンドン行である。アンカレッジ着が現地時間の十五日十時四十五分で空港|待合室《トランジツト》で一時間の待ち、十一時四十五分に出発してコペンハーゲンには十六日の六時三十分に着く予定だった。
特別待合室には三十人の団員と添乗員の門田良平、江木奈岐子の身代り「講師」土方悦子のほか、見送りの家族や友人がきているのでスシ詰めの状況で、もちろん見送り人は廊下に溢れている。これでもまだ時間が早いから見送りは少ないほうで、出発時間が近づくともっと多くなる。
女性ばかりの観光団は珍しい。しかも三十人という人数を集めたので、同業間にも話題となった。ほかの旅行社もこれまで何度か同種のことを企画したけれど成功しないで、結局男女混成となった。それだけに企画担当の広島淳平は気をよくして、この結団式にも頗る上機嫌で出席した。
特別室は、団員だけでもあらゆる絵具の色をパレットに覆《くつがえ》したようであった。若い人は洋装だったが、少し年輩の層は和装の人もいた。
締切三日前には二十三人だった申込者が、その後は門田の予想を超えて七人もふえた。結団式では、メンバー各自が自己紹介をしたが、門田は自分の持っている団員表と見くらべてチェックした。それは土方悦子も写しをもらっているので、ひとりひとりの自己紹介が済むたびに、名前の頭に鉛筆で印を入れた。
三十人だから、ホテルの部屋割りは、一室二人ずつで、ちょうど十五組に割り切れる。単独参加者が多いので、だいたい、居住地・年齢・職業などを標準にして同室者を決めた。これは門田が決定したのであって、当人たちの意志をいちいち確かめたのではない。というのは、お互いがまだ知り合っていないからで、それだけに途中からの苦情は覚悟せねばならなかった。
同室者つまり「ルーム・メート」(室友)は次のように決定された。
@北村・杉田。A竹田・深山。B星野・多田。C原口・田村。D曾我・宮原。E鈴木・中川。F浦辺・小林。G佐藤・川島。H本田・折原。I西村・金森。J千葉・浜野。K喜多・福島。L黒田・日笠。M戸辺・上田。N梶原・藤野。
年齢もだいたいのところで合わせたが、なかには西村ミキ子の女子大生と金森幸江の魚屋主婦とが組合せになっているような組もある。女子大生は三名だから同室者にすると一名あまることになり、それよりもばらばらにしたほうがよく、魚屋さんは外国語が分らぬだろうから、英文科の女子学生を同室者にしたほうが便利だろうという考えになっている。こうした配慮は、ほかにも見られる。
しかし、この「配慮」はどこまでも門田の机上のプランであって、参加申込書を見ただけの配分であった。本人たちの性格、趣味を詳細に知っているわけではないから、旅行中には組合せによる不満が必ず起ってくる。室友が気に入らないから、ほかの人と取りかえてくれという申込みはきっとある。
一件でもそうしたことを認めると、他の組にも大なり小なり同じ感情があるから、苦情続出で収拾がつかなくなる。それで門田はこの「室友一覧表」を特別待合室で結団式のはじまる前に配布したとき、ひとりひとりに、
「こういうふうに決めましたから、二十五日間の旅行中はこれで通させていただきます。多少、お気に合わない方が居られましても、我慢してください。団体旅行ですから、みなさんの気分をこわすようなことのないようにお願いします。みんな和気あいあいのうちに、愉しく旅したいと思います」
と頼んでおいた。
各自とも、それは承知している。いままで見ず知らずだった女性と二十五日間も同じ部屋に寝起きするかと思えば好奇心よりも不安が先に立ち、室友の名を少々心配そうに見ているのが多かった。
結団式では、広島常務が主催者側の代表として短い挨拶をした。
彼は、王冠観光旅行社がこの業務に古い歴史と経験をもち、これまで一度も手違いがなく、ひろく信頼されていることを力説し、また今回の「ローズ・ツア」が女性のみの観光団という異色ある企画に成功したのもその深い経験と信頼によるもので、業界羨望の的であると述べ、これもひとえにみなさまのご参加を得た賜《たま》ものであると感謝したあと、講師のことにふれた。
「ここでお詫び申上げなければならないのは、講師としてみなさまとご同行するはずの江木奈岐子先生に急によんどころない用事ができましてどうしても参加することができなくなったことでございます。事情やむを得ないことで、わたくしどももまことに残念に思っている次第であります。しかしながら、江木先生はご自身の代理としてここにおいでの土方さんを推薦なさいました。土方さんは、まだお若い方ですが、江木先生の高弟であり、先生のご信頼の最も篤《あつ》い方でございます。みなさまとご一緒して、旅さきでその国その土地の歴史や文学、美術などの面白いお話をしてくださることと存じます」
ここで広島は、自分のわきに門田といっしょにいる土方悦子を紹介した。
土方悦子が立って、
「みなさま、わたくしが江木奈岐子先生代理の土方でございます。よろしくお願いします」
と、ひどく簡単に挨拶して、ぺこんとお辞儀をして坐った。顔の小さい、背の低い、そして痩せた女なので、その短い髪とともに二十歳《はたち》ぐらいにしか見えず、「講師」としてはひどく頼りなげにみえ、事実、団員たちの表情には失望の色が露骨に出ていた。みなは、江木奈岐子にそれほど期待を寄せていたわけではないが、彼女だといちおう新聞や雑誌などには文章が散見していたから名前ぐらいは知っていた。それが無名、しかも少女のような代理人なので、なんだか自分たちが主催者に軽視されたような気がしたようだった。
門田がその空気を転換するように勢いよく立って、愛嬌のある中にも厳粛な口調で、旅行中の「心得」を述べた。まさか教師が生徒に向って訓示するようなわけにはゆかないので、注意すべき事項は過去の添乗経験から拾い出して、「たとえ話」にして述べるのだった。
「みなさまには、もう先刻ご承知のことと存じますが、外国のホテルは建物の構造の点や習慣の点で日本とはいろいろな点で違いますので、なかにはまごつく方も居られます……」
食堂でのマナーを外国人は重要に考えるので、過去にある団体の日本流の作法にはこういう困惑したことがあった、とまずスープを味噌汁のように音を鳴らして吸ったこと、椅子の上にあぐらをかいたこと、風呂上りの人がたたんだ手拭いを頭に乗せて持参の浴衣がけで食堂に現われたことなどの例を面白おかしく話した。廊下を端唄《はうた》をうたいながら千鳥足で通る人の話、トイレには、同じような器物が二つあって(一つはビデ)使用を間違った人の話、こういう他愛のない話を他人の失敗談として上手に述べて、団員の自尊心を傷つけない程度に注意した。
「パスポートは、生命から二番目に大事なものですから、どんなときでも大切にしまっておいてください。これを紛失しますと、旅行はおろか日本にも帰れなくなると考えてください。旅先で再交付を受ける手続はたいそう面倒ですから、ほかの人に迷惑をかけることになります。どんなときでも団体旅行だということをお忘れにならないようにしていただきます」
と、最後に門田はいった。
「いちばん厄介なのはお荷物が混乱することです。ホテルのポーターがお荷物を間違えてよその部屋に運ぶ場合が多いですから、その際は、騒がれずに、すぐにお世話させていただく、わたくしにご連絡を願います。わたくしはホテルに入れば、すぐにルームナンバーをみなさまにお知らせしますから、ご用事の節はどんな時間でもお越しください。とくに、ご気分が悪くなったときとか、急病の際は即刻にご連絡を願います。……なお、部屋割につきましては、お手もとにさし上げた表の通りに決めさせていただいておりますから、途中でいろいろな事情が起りましても、そこは互譲の精神を発揮していただき、最後まで愉しい旅になりますようご協力いただきとうございます。これを機会に、日本に帰られましても新たに生れたその友情が永くつづきますことをお祈りいたします」
門田が、注意を兼ねた挨拶を終ると、頭を下げる者もあれば、拍手するものもあった。それから一同は、渡された名札を胸に付けたが、それには王冠観光のマークと社名が入っていた。
門田は、旅客機が出発する一時間前には出国手続を済ませ、トランジットに入らなければならないので、ゲートの前に二十一時に再び集合するようにいい、各自が見送り人らと挨拶を交わすためにひとまず散会することになった。
一同が待合室をぞろぞろと出て行くと、あとは見送りの広島常務と営業部員一人、それに門田と土方悦子となった。そのほか団員二、三名とそれをとりまく見送り人とが片隅に残っていた。
旅先の団員のことを添乗員に頼みにくる人は、参加者が女性ばかりなので、ほとんどがその保護者であった。
もちろん、若い女にそれが多い。
「わたしどもは、本田雅子の親ですが」
と、横浜の会社役員夫妻は、門田に頭を下げていった。
「雅子が学生のうちにどうしてもヨーロッパを見たいといってきかないものですから、こうした女ばかりの観光団ならよかろうと判断して、思い切って外国に出すことにしました。いままで、国内の旅行にも一人でやったことはありませんので、よろしくお願いします。雅子は内気な子で、人見知りする性質ですから、ひとりぼっちになって寂しがるかも分りません」
門田ばかりでなく、土方悦子も添乗員の助手ぐらいに見られているので、そうした依頼をいっしょに受けた。
「学生のうちに、団体旅行で外国をごらんになるのはいいことですわ。卒業後、海外旅行されるときの、いい予備知識になると思います」
土方悦子が応じた。
「はあ、娘も何ですか、そういうことを申しておりますの。娘は、S女学院に通っていまして、画が好きで、それに英語ができます」
「S女学院なら、英語はお得意なんでしょうね」
「はあ、友だちとの電話でも英語で話し合っているような具合です」
母親が自慢しかけると、
「それは結構ですな。旅行先で、われわれの手の及ばないところは、お嬢さんにお手伝いを願うことにしましょうか」
と、門田が横から如才なくいった。
「いえ、そんな実力はないと思いますが、まあ、英会話の勉強にはなると思います。けど、内気な子ですから何ひとつしゃべれないかも知れません。どうか、まあ、よろしく」
その本田雅子は、見送りの学校友だちと手をとり合って話していた。見るからに少女趣味の抜けない様子だった。
「英語が得意だという客には」と、門田は悦子にこっそりいった。「上手に持ち上げて、いい気持にしてあげることです。下手《へた》でも、うまいと讃めるんですよ。それがこの商売のコツでしてね。決して莫迦《ばか》にしたような顔をしたり、嗤《わら》ったりしてはいけません。ときには、うまくおだててね、忙しいときに使うと便利です」
旅行中にもあることだと門田は悦子に経験を語った。参加者のほとんどは、添乗員を共同で「傭っている」意識がある。添乗員は、内心はどうあろうと、とにかく表面では客の上に出過ぎないよう、絶えず控え目にすること、そのためには決して客のプライドを傷つけてはならないというのであった。
門田が悦子に、この添乗員の「心得」を伝えるのは筋違いなことで、おかしい。土方悦子は、江木奈岐子の身代りとして起用された「講師」である。添乗員ではなく、旅行社側が要請して、いっしょに|乗ってもらっている《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》人だった。しかし、客へのサービスという共通目的と、旅行社が|傭っている《ヽヽヽヽヽ》という金銭的な契約関係と、それに江木奈岐子ほどには著名でなく、年齢も若く、見たところ小さな、貧弱な女なので、門田はすっかり助手扱いのつもりでいた。そのことは、すでに広島常務や江木奈岐子には諒解済みのつもりでいる。
同じ学生でも千葉裕子の場合は、その婚約者《フイアンセ》という青年が、裕子を伴って門田たちに挨拶にきた。
「裕《ひろ》ちゃんは、まだ、ほんの子供ですから、ぼく、心配なんです。ぼくが付いていないと、どこかではぐれそうなんです。それに、このひとはお嬢さん育ちで、だれかが横に付いていないと、自分ひとりでは何もできないんです。ほんとうは、ぼくが一緒に行くといいんですが、ぼくは卒論の準備があるし、それに女ばかりの団体じゃ資格がありませんからね」
「どうぞ安心して卒論の準備をなさってください」と、門田が婚約者の青年に微笑していった。「それに、この土方さんがごいっしょしますから、裕子さんのお手伝いなり、ご相談なりはいくらでもしてあげられると思います」
「どうもありがとう。よろしくお願いします。それで、裕ちゃんの|室 友《ルーム・メイト》は、浜野さんという方でしたね。このプリントで見ると」
「そうです。浜野ひさ子さんです。この方は奥さんです。熊本のほうから参加してらっしゃるので、千葉さんが福岡だから、同じ九州どうしということで室友に組み合わさせていただきました」
「裕ちゃんは、お父さんの任地が福岡というだけで、もともと東京っ子なんですよ」
髪を長く伸ばし、真赤なスェーターを着た蒼白い顔の大学生は、婚約者が田舎者扱いにされたのを憤慨するように抗議した。
「それは、どうも。そこまでは、われわれは存じませんでしたから」
「正ちゃんはお節介やきなんです」
と、眼鏡をかけた千葉裕子は横から笑っていった。なるほど東京の言葉であった。
「……わたしは、どんな方とでも、平気ですわ」
「いや、そうはいかない。君は世話のやけるひとだからね。ええと、浜野さんはどこに居られますかね?」
青年は、婚約者のことを頼みに、その室友を探しに行った。
「門田さん、今晩は」
と、洋装の女が歩み寄ってきた。ツバ広の帽子をかぶっているので、門田は一瞬判らなかったが、その声を聞いて思い出した。
「あ、梶原さん」
営業の杉山映子の知らせで「店」に降りたとき梶原澄子はたしかベージュのツーピースだったが、いまは帽子も洋服も喪服のような真黒である。が、ところどころに臙脂《えんじ》色の縁どりがアクセントに配され、二連の真珠の首飾りが陳列窓《ウインドウ》の中のように効果的に浮き出ていた。が、その尖ったような顔には変りがなかった。札幌の産婦人科病院長の未亡人であった。
「わたしが申込んだときより、ずいぶん参加者がふえましたね?」
そうだ、この女が申込みにきたのは三月の初めだった、と門田はうすら寒い気候といっしょに記憶を起した。
「はあ、おかげさまで、賑かになりました」
「賑かなのは、結構ですが」
と、梶原澄子は、それがあまりうれしくないような表情でいった。
「……わたし、室友の方が気がかりです」
「ええと、どなたでしたっけ」
門田がプリントを見ると藤野由美の名になっていた。
「藤野さんですね。いい方ですよ。お話は合うと思います」
偶然だが、藤野由美は梶原澄子が参加申込みをすませて帰ったあと店に入ってきた客だった。が、もちろんそれを梶原澄子に云う必要はなかった。
彼女はやはり事務的な口調できいた。
「この藤野さん、おいくつぐらいの方?」
「ええと……」
藤野由美の戸籍抄本は三十七歳だった。梶原澄子は四十三歳である。むろん、婦人の年齢はいくら同性でも打明けるわけにはいかないから、
「だいたい、同じぐらいの方ですね」
と、門田はぼかした。
門田は、藤野由美についてもだんだん思い出す。申込みに来たとき、彼女は可愛い感じの顔であった。うっすらと蒼くふちどりした大きな眼と、やや受け唇とが印象的だった。アメリカのデンバーというところにちょっといたことがあって、英語には不自由しないといっていた。「美容デザイナー」と称していた。
「その方、何も職業はお持ちにならないんでしょうね?」
院長未亡人は軽蔑するような口調で云った。
「いえ、美容デザイナーということですが」
門田がいうと、果して梶原澄子はツバ広の帽子の下で眼を一瞬光らせた。
「美容デザイナーって、名称がありますの?」
「さあ。近ごろは新しい用語がいろいろとありますので」
「要するに、髪結《かみゆ》いさんのことね」
「美容デザイナー」の呼称がよほど癇に障ったらしく、梶原澄子は吐き出すようにいった。
「ねえ、門田さん。さっきも一応は聞いたけど、この旅行中、室友は絶対に変更しないんですって?」
「はあ、そうお願いしております。まあ、いろいろな事情は起ると思いますが、二十五日間ですから、そこはお互いに友好的な協調精神で……」
門田は、この梶原澄子が最初にきたとき、万一、気の合わない人と室友になったら、上手にチェンジしてくれるか、と訊いたのを思い出した。そのとき門田は、どうしてもやむを得ない場合は考慮する、と慎重に答えておいたが、それは一人でも参加者を得たい営業上の政策からで、はっきりそう確認したわけではなかった。
「でも、あなたは、わたしが申込みに行ったとき、相手の方とうまくいかなかったら、組合せをチェンジしてもいいと云ったわ」
案の定、彼女は当日のやりとりを手帳にまでひかえていて、それを言質《げんち》としていた。
「いや、まあ、はっきりとそう申上げたわけではありませんが……」
門田は、抑えるような手つきをし、しどろもどろになっていた。手帳にメモされたのは痛かった。
「いいえ、たしかに、わたしはあなたからそう聞いて、手帳につけていますよ。あのときは……」
と梶原澄子は横に立っている土方悦子にちらりと視線を流して、
「この方とは違う女のひとがカウンターの中にいて聞いていました。手帳のほかにもそのひとが証人です」
と息巻くようにいった。
「まあまあ、お静かに」門田は往生した。「そりゃ、よっぽど気の合わない室友と分ったら、あなたの場合、とくべつに理由をつけてチェンジしてもいいですがね……、でも、これはほかの方には絶対に内密にしてください。でないと、みなさんの苦情をいちいち聞いていたら、ハチの巣をつついたような状態になって、われわれではおさまりがつかなくなりますからね。こっちの立場も察してくださいよ」
低い声で耳打ちしたが、幸い、あたりはざわめいていて、この秘密交渉に気づくものはなかった。ゲートに入る時間がいよいよ迫り、あらためて見送り人と別離の挨拶を交わす者、手荷物の中を検べ直している者、濃紺色の表紙に金刷りご紋章の旅券を手に持ってやたらとうろうろ歩き回っている者など、出発時の昂奮が活発に流れていた。
梶原澄子がその密約に満足して離れると、門田は溜息をつき、
「やれやれ、ああいうのがいると、さきが思いやられるよ」
と呟き、自分の鞄などの手荷物のとりまとめにかかった。その四角い書類鞄の中には、団体客のための旅行先での必要書類や用紙がふくれ上るほど詰っていた。
折からSAS(スカンジナビア航空)の放送が、ゲートに入るよう、きれいな女の声で響き渡った。慌しいざわめきはいっそう高くなった。
このとき、土方悦子はうしろから肩の上を軽く叩かれた。ふり返ると、五十年配の小肥りの紳士が真白な歯を出して愛想笑いをしていた。歯が真白だという印象が先にきたのは、それが赭《あか》ら顔で、頭髪の半白とともにきわだった対照をなしていたからだった。彼はかなり整った容貌をしていた。
「あなたが、この観光団に添乗される方でっか?」
と、その紳士は眼を細めて悦子を見た。
「はあ……」
「ぼくは、こういう者です」
紳士には関西|訛《なまり》があった。しかし、渡された名刺には高輪が住所の建設会社社長で原野三郎の活字があった。
「お忙しい最中に恐縮でんな。あんたさんのお名前は?」
悦子が答えると、社長はさらに寄ってきた。
「いや、実はでんな、この観光団に入っている多田マリ子、よろしか、多田マリ子ですよ。わたしはその多田マリ子の親戚の者だす。……そこでお願いがあるんですが、この旅行中、彼女の動静をあんさんに報告していただきたいのんだす。もちろん本人には気づかれんようにな。いやァ、これにはちょっと事情がおましてな。面倒でも、毎日航空便にして、この名刺の会社宛に出してもらえまへんやろか。絵ハガキなんぞでのうて封書で頼みます。なに、わざわざ探偵のようなことはせんかて、あんさんが見やはったままで結構だす。たとえば、彼女《あれ》が単独行動をとった場合、夜は何時ごろにホテルに戻ったかとか、ホテルに誘いにくる外人や日本人の男がいなかったかどうか、また、途中で観光団から離れて何処かに行てしもたら、その行先とか日数とか、まあそないなことだす。毎日手紙を書くのが面倒臭かったら、三日おきぐらいでも結構だす。……これは、えろう済みまへんが、そのお礼の印としてとっておくんなはれ。ほんの気持だけだす。中にはドル紙幣にして百ドル入れさせてもらいましたよってに」
社長は、悦子にそっと封筒を押しつけた。
「いけません、こんなことをなさっては」
「まあ、そう云わんと、どこかに分らんように入れておくんなはれ。さ、さ、早うせんと、みんなぞろぞろゲートに入ってますがな」
SAS機は定刻に遅れること十二分で羽田空港を離陸した。強い照明に浮き出た送迎用のデッキは、ひと刷けの白い光芒《こうぼう》のなかに色彩のない人間が群がって手を振っているだけで、もとより、おのおのの顔が判別できるわけではなかった。見送るほうも機体に流れる幾何学的な丸窓の点線を眺めるだけで、どこに訣別の当人の顔が存在しているのやら見当もつかないはずである。ただ、搭乗の前に添乗員の門田が、ウチの団体客は航空会社と交渉して、中央から後部寄りに席を取ってあるとみなに云ってあったので、関係見送り人たちの眼のやりどころが、だいたい翼の後に当てられたのは、せめてもの慰めであったろうか。
門田と悦子は三十人の団員が背中を見せている座席の後尾に並んで腰かけていた。機が滑走路に出る間も、窓際の者はガラスに顔を密着させ、通路を隔てた者はベルトで縛られた身体を伸び上らせるようにして、見送り人の群を見ていた。それを門田は冷やかに横から眺めている。かくべつこの光景が珍しいからではない。彼は添乗のたびにこうした場面を何十回となく見てきているが、それでも凝然と眼を遣《や》っているのは、団員の動作で、その表情やちょっとした素振りで、およその性格を掴みたいからであった。
三十人も居るのだから、もとよりいっぺんに見るわけにはいかなかった。眼に入った限り、その印象を頭の中に登録しておけばよかった。あとは漸次《ぜんじ》が他に及べばよい。
門田によると、こういう別れのときに示す人の動作は何でもないようであるが、当人が横の人間に注意を払わないために、つまり自分だけのつもりになっているために、本来の性格がのぞくというのである。情緒的、合理的と大別できようが、それは細分化して類別される。単純、狡猾《こうかつ》、感傷、ドライ、自尊、追随、細心、昂奮、狼狽などいくらでも型が分けられる。門田は、だいたいこの直観は間違っていなかったことを、これまで付添いの旅が終るごとに思うのだった。
もちろん予想と違っていた人間もいた。これはと眼を瞠《みは》ることがあったが、まあ、それは例外といってよかろう。意外性はどこにもある。およそは間違っていない。
これは自信を持っていいので、彼は隣席の悦子にささやいて、それを伝えた。これからは彼女も「接客業者」としての同僚《パートナー》である。
「あら、そうですか?」
悦子は小さな顔を前にむけて、ハンカチを振ったり、手を動かしたり、何もしないで凝視していたり、うつむいたりしている団員の姿に一瞥を走らせた。
「わたくしなんか、そこまでは判りませんわ。それよりも、団員の方の顔と名前を一致させるために一生懸命です。早く、一人一人の方をおぼえないと……」
彼女の膝の上には、団員リストが載っていた。
「そんなものは自然に分りますよ」
「でも、早くおぼえたほうがお互いに親しみができていいでしょう。わたくしも、先でお話がしやすいんです」
門田は返事をしなかった。この女は、まだ江木奈岐子の代理人のつもりでいる。あれほど云ってやったのに、まだ推察ができないのだろうか。これは遠回しに云ったのでは理解が出来ない女なのかもしれない。これからさきの付き合いようもあると考えた。迂遠な暗示で判らなければ、遠慮なく直接法をとらなければならない。繊細性《デリカシイ》の無い女は感受性に乏しいだろうから、少々なことには衝撃も受けないにちがいない。──
門田は頭の中でそう考えるだけで、眼は団員の動作に注がれていた。が、悦子のことが入っているので、各自の性格の直観がいつもよりは遅れた。
機が上昇して、少しの間、下に東京の夜景を浮かせた。それが過ぎると闇の中に淋しい灯が続いたり切れたりする。が、ここまでは札幌に向うときの風景である。
百二十人乗りの機内は、空席が少しばかり目につく程度だった。中央部の前にも、この団体客のうしろにも乗客がいる。外国人が多いのはさすがだったが、日本人も少ないとはいえなかった。前部の、カーテンで仕切った向うは、もちろん一等客室《フアースト・クラス》である。この二等客室《エコノミー・クラス》は前の椅子との間が狭く、脚を伸ばすにも窮屈だった。航空運賃は普通よりも割引値だから文句はいえなかった。
機が水平飛行に移ると、レストランのサービス服に着かえたスウェーデン人の乗務員とスチュワーデスとが飲みものの瓶を積んだ手押車を通路から押してきた。客のそれぞれに飲みものの好みを訊いている。日本人のスチュワーデスが後から随っていた。男はスコッチ・ウイスキー。早速に本場ものがおどろくほど安いと二本買う者がいた。女性団体は紅茶かコーラかジュース。日本人のスチュワーデスがいるから、門田は、その次の料理が配られて回っても、じっとしていればよかった。
門田が見るに、隣どうしではあまり話を交していなかった。座席はルーム・メートの配分とは関係がない。これが男性のまじる組だと、初期の礼儀的秩序の中で、何かと活発な交渉の徴候が見られるのだが、そうしたことも眼に写らなかった。団員は、まだ、それぞれの殻の中にとじこもっていた。
「みなさん、お静かなんですのね」
悦子がいった。
「そう。このままの調子だと助かるんだけどな。しかし、まだ、飛行機がとび立ったばかりだから……」
猫を被《かぶ》っているというのを門田は呑みこんだ。添乗員の彼は女性客の振舞いにさまざまな経験をもっている。そうした本性が現われてくるのは、これまでの知識からいって、だいたい外国の土地を踏んで二、三日経ってからだった。そうすると、ロンドンからエジンバラあたりということになる。
しかし、実際のところ、門田は女ばかりの団体を引率するのは初めてだったから、これまでの経験からは多少外れてくるかもしれないと思っていた。男女混成の団体さんでは、夫婦者や恋人どうしは別として、相互の間に微妙な交渉がある。多くは心理的なものだったが、内密に深い関係に発展したと推測されるものもないではない。だが、このような場合、概して添乗員を困惑させるトラブルまでにはならなかった。両性の組合せという精神的な安定が、なんとなく苛立《いらだ》ちを鎮めているようにみえた。
なかには、好意をもつ相手が他の同性に惹かれることによって起る嫉妬、仲間はずれにされた不満などから非常識な言動に出る人間もあるにはあったが、それには型にはまった処遇の方法があった。また、あの男とあの女の間がおかしいという噂は、旅行期間中絶えず大小となく渦巻くものだが、添乗員は団体としての節度を越えない限り、客の恋愛まで立ち入ることはできない。幸い、いったんそういう仲が認定されてしまえば、穿鑿《せんさく》的なルーモアは消え、かわりに当人たちにむかって嘲笑と軽蔑が集る。その優越心が周囲を救うのである。優越心というのは、自分は冷静であり、超然としていて、あんな馬鹿な相手はえらばないという自己満足でもあった。
不道徳なことは団体行動以外のところに起る。しかし、男がホテルの外に出て、朝こっそり戻ってきても、まあ、咎《とが》めるには当るまい。心配なのは言葉もろくにできないのに妙なところで少数または単独で行動をし、悪いポン引にひっかかりはしないか、泥棒に襲われはしないか、という点だったが、これまではたいした事故もなくて済んできている。困るのは、女が外で不道徳な交渉を持つことだった。──
今度の旅は男性がいない。つまり、両性配分の精神的安定の要素がはじめから欠けていた。男女混成のときですら、そうだったから、こんどはどんな行動者が現われるだろうか。伝統的なモラルと秩序で日ごろからがんじがらめになっている女性のことで、外国旅行は男性の何倍という解放感がある。男性は国内で小さな解放感を小出しで味わっているが、女性にはその機会がない。抑えつけられていた重石《おもし》がいっぺんにはずされたようなものだった。女性にも、旅の恥はかき捨ての諺が心理的に通用する。女だけの団体を二十五日間、ヨーロッパから南にかけて引張り回している間に、いったいどんなことが起るのだろうか。年齢も、職業も、環境も千差万別である。分っているのは、女ばかりが集ると、男よりも陰険で、残忍で、悪徳になりそうだということだった。土方悦子には、そういうことは分っていない。みなさん、お静かなんですのね、と行儀に感心しているが、このなかからホテルの深夜帰還者や暁の潜入者が出るのを知ったら、どんな顔をするだろうか。
機内では、スチュワーデスが食器をひきあげたあとは、しばらく食後の憩いのひとときとなった。団員で煙草を喫う者はかなりあった。さすがに隣どうしでは話がはじまっていた。頭を下げ合ったりしているのは、名乗ってからよろしくと挨拶しているのであろう。もっとも窓の外は何も見えない。持参の雑誌を読んでいる者もあった。
頃合いよしと門田は書類入れの手提鞄から「入国カード」をとり出した。三十枚を数えて、半分は悦子に持たせようと傍を見ると、彼女は手帳に一心に何か書いていた。
名所案内の「講義」のメモでもとっているのかと思い、いまから講師気どりになられてはかなわぬと、
「これ、デンマークの入国カードだから、半分お客に配ってくれませんか」
と、十五枚を渡した。
わたしがスチュワーデスみたいにこれを配るんですかというような顔つきをされるかと思うと、悦子はべつだん嫌な色もみせず、手帳を閉じて気軽に腰を浮かした。
「あ、ちょっと。お客のなかには英字が書けない人がいるかもしれませんが、それは、あんたが代筆してあげてください。それは、こういうふうに云うのです。ぼくのを聞いていてね」
門田は通路の左側の客に向った。土方悦子にはこれが雑用の押しつけはじめだった。
「お疲れでしょう。あと四時間足らずでアンカレッジに着きます。少し早すぎますが、カストルップ空港着の際に渡すデンマーク入国カードに記入しておいてください。税関に渡さなければなりません。|搭 乗 地《エンバーケーシヨン》はトウキョウ、|目 的 地《デステイネーシヨン》はコペンハーゲン、|永 久 住所《パーマネント・アドレス》は現住所でいいでしょう。それから署名なども上手な崩し字でなく、なるべく几帳面なブロック体、つまり英字を楷書みたいに判りやすいように書いてください。……もし、面倒臭くてご自分で書くのはイヤだとお思いになる方は、わたくしどもが代筆いたします。べつだん、代筆料はいただきませんからご遠慮なく」
うしろの悦子が感心したようにうなずき、右側の客の一人一人に同じことをいってカードを配った。
「チーフ」
と、客がいった。自分に呼びかけるときはチーフと呼べ、と門田は云い渡してある。
「いま、どの辺を飛んでいますの?」
大柄な女だった。ベージュのスーツには「星野加根子」の小さなネームプレートが付いていた。
門田は横の窓に眼をやったが真暗である。雲の中に入っているようだった。腕時計を見ていい加減なことを云おうと思ったが、前方でスチュワーデスが棚から毛布を下ろしはじめているのが見えたので、そっちに歩いた。団員たちに対しての見せ場でもあった。背の高いスチュワーデスは嫣然《えんぜん》として答える。ついでに余計なことを訊いたのは、英会話を長びかせるためであった。あんたがたはアンカレッジで交代か。ホテルはどこか。東京をどう思うか。勤めてからどのくらい経つか。団員がこっちを見ているのを計算に入れて笑ったりした。
「あと四時間もありませんが、記入なさってから、ゆっくり睡ってください。いまのうちに寝ておかないと、あとが疲れます」
隣の眼鏡をかけた女が、門田をちらりと見上げて微笑してうなずいた。「竹田郁子」とある。たしかこの女は学校の教師だった。微笑に色気はなかった。門田の受持ちで入国カードの記入ができないのは二人だった。もっとも書き方について相談をうけたのは、五、六人もあった。
悦子は二十分くらい遅れて、自分の椅子に戻ってきた。
「代筆してあげたのが、三人ありましたわ」
と、彼女は隣の門田に報告した。
「そう。どうも、ご苦労さん」
はじめのうちは犒《ねぎら》っておかねばならなかった。
「でも、さすがに門田さんはご商売柄ですわね。代筆をしてあげますとはいわないで、自分で書くのが面倒臭い方は、なんて」
商売柄といわれて門田は、急に悦子に見下されたような気がして、不愉快になった。こっちは助手がわりに彼女を使うつもりでいても、彼女のほうではそうは考えていない。講師として「客分」の気持でいるかも分らなかった。もっとも、考えてみれば悦子は会社の人間ではないから、部外者として感心していったのであろう。彼女を早急に王冠観光旅行社の「雇員」意識にすることが必要だと門田は思った。
「お客さんを決して傷つけないようにすること。英字が書けなくても、あんなふうにいえば、お客さんは恥しい思いをしなくとも済むからね。これが客扱いのコツですよ。云いにくいことでもユーモアの味つけをすると客はすんなりと受け容れてくれる」
門田は低声でいったが、実はこれが彼女を「雇員」にする教育の手初めのつもりであった。
三人のスチュワーデスが客席の上の灯を一つずつ消して歩いた。うす暗くなっても、団体客たちは椅子の上で頭を動かしていた。初めての外国の旅で(経験者は極く少数であろう)みんな胸が昂ぶって睡れないようだった。うしろで外人の高い鼾《いびき》が聞えていた。
悦子は頭上の読書|灯《ランプ》を点け、また手帳を開いてボールペンで書きこんでいた。機体が揺れると、その手を休める。隣の門田は、眩しいのと、彼女が講義のメモをとっているのが気に障った。
「何を書いてるんですか?」
声も自然と突慳貪《つつけんどん》になった。
「あら、ごめんなさい。灯が邪魔になるでしょう? もう、すぐ済みますから」
「それは、いいけど、何を書いてるの?」
「羽田で、家族の方や知合いの方から注意をたのまれた団員たちの名前を書いてるんです。いま、メモしておかないと忘れますから」
「名前ぐらい、簡単でしょう?」
「そうでもありませんわ。いろんな点をたのまれてるんですから。それも本人に気づかれないようにって。そんなのが五、六人あります。多田マリ子さんなんか、建設会社の社長がその行動を手紙に書いて高輪の会社宛に送ってくれっていうんですもの。百ドル出されたけど、それはお返ししました。でも、依頼されたことは、約束ですから、果したいんです」
──門田が眼を醒まして窓のカーテンを少し開けたとき、薄明の蒼いなかに、荒涼とした入江と雪の山岳が見えていた。山はマッキンレーの遠望だった。
アンカレッジ空港に到着する前から、女性団体客は窓ガラスに顔を寄せていた。窓際の者はガラスに鼻の頭をひしゃげるくらいにしていた。蒼い霧の中に透けているのは黒い針葉樹の森林と鱗《うろこ》のように光る入江の水であった。細長い、川のような湾の対い岸にある丘の下には赤、青、白の建物が砂粒をならべたように行儀よくならんでいたが、それもすぐに隠れて、あとは茶色っぽい寒帯の林が大地から浮き上りながら速力をつけて流れた。
「お家が無いわね」
と、一行のなかから誰かがいった。家はあっても小屋同然のものが林の間にあるだけで、そのどれもがアメリカ空軍の施設のようだった。森の間に熊が歩いているのを見つけたという者がいたが、これは躁《はしや》いでの嘘だろう。とにかく、一行が初めて接する外国の風景で、針葉樹の疎林と灌木の湿地帯には、結構アメリカ文明の微風が眼にそよいでいた。
氷河の名残りの沼が散在する湿地帯の端が切れると、白い滑走路が機を抱きかかえるように伸び上ってきた。着陸した機は建物のほうにのろのろと歩く。JAL(日本航空)が二機、パン・アメリカンが二機、SAS(スカンジナビア航空)とKLM(オランダ航空)が一機ずつ停止し、雪の連山を背景に尾翼のマークをそれぞれの色彩で浮き出していた。
ドアが、建物からカメラの蛇腹のように伸びた乗降口に接着するまでもなく、その前から「ローズ・ツア」の女たちが旅行バッグを肩にかけ、総立ちになっていた。
「みなさん、パスポートを用意してください。税関吏が出口に立っていますからパスポートを見せるのです」
門田が早速にも後部からドアの近くに泳いで行き、身体のむきを変えて、団員に叫んでいた。
「それから入国カードはコペンハーゲンの空港で渡しますから、今はしまっておいてください。いいですか。間違えないでください。あ、黄色い、うすっぺらな手帳のようなもの、予防注射の証明書ですね、これは見せる必要はありません。よろしいですね」
門田は逸早く土方悦子に合図を送った。団員の間を歩いて各自の質問があれば聞くように、という指示だった。
──本日はSAS機にご搭乗くださいましてありがとうございます。わたくしたち乗務員はこのアンカレッジで交替させていただきます。みなさまのつづけての愉しいご旅行をお祈りいたします。……
こんな日本語の機内放送が響き渡るなかを、悦子は人々がはみ出ている通路をかき分けるようにして徐々に前部にすすんだ。
税関吏のいる入口には門田がまっさきにすすみ、あとから通る団員のために役人のそばに立って、通関時の質問に備えていた。アメリカ人の税関吏は、女たちの見せる旅券をのぞき、ついでに本人の顔に一瞥を走らせた。若い、きれいな女には表情にとくべつな関心を示した。
いやらしいわ、と呟く団員もいたが、これはふた通りの反応で、米税関吏に顔をのぞかれた者は内心得意そうだったし、それによって今後ヨーロッパを旅している間、自分が異国人の観賞と興味──少なくとも好奇心の対象になる保証を得たように考え、のぞかれなかった者は、これからもずっと無視され、無愛想にされるのを予感したようで、その不当な差別に心平らかならざるものがあるようだった。
ともあれ、空港ロビーの窓にある風景は素晴らしかった。それはたとえば信州の浅間温泉あたりから平野ごしに日本アルプスの連山を望むスケールの何十倍もの迫力をもっていた。いちばん近いガーディン山が約三千八百メートルで、正面の、ほどよい距離にみえるのが約六千メートルのマッキンレー山であった。それに、このアラスカ山脈はまるでシネマスコープのように観客席にむかって半円を描いていたから、雪山のふところに入りこんだ臨場感といったらなかった。
ロビーは他の機の待合せ客でいっぱいだった。日本人も国内の空港と同じくらいに多かった。JAL機が二機も着いているのだから、これは当然だった。で、早速、門田が、ぼんやりと窓ぎわに立って壮大な山を見物している悦子を引張ってきて云い聞かせた。
「あと二十分したら、東京行のJALが出る。そのあと十分経ってもう一つのJALがロンドンにむかって発つ。ここにいる日本人の客がぞろぞろと出口に行くから、ウチの団員の中のあわて者はその列にくっついて行くかも分らんからね。これから警告して回りたいから、あんたも協力してください。こればかりは、大声を張り上げてアナウンスするわけにはいかないからね。他の旅客の耳ざわりにならないように、ひとりひとりこっそりと注意して回ってください」
門田はそういって場内を見回した。団員はロビーのほうぼうの椅子に坐っている者もあれば、そぞろ歩きしている者もあった。が、つづきにある土産物の売店には団員の姿がだいぶ入りこんでいた。
「あんたは売店のほうに行ってください。ぼくはロビーのほうを歩いて回るから、いいですね。ぼくが小旗を振り上げるまでは絶対によその群にまぎれこまないようにってね。われわれの出発は、あと四十分ばかりだから」
門田は、せかせかといった。
「いい案があります」
悦子は門田を見上げた。
「みなさんをここに集めて、わたしからアラスカの歴史と風土についてお話ししたらどうでしょうか。きっと興味をもって聞いてくださるから、みなさん、ここから動かれないと思いますわ。一挙両得だと思いますけど」
「アラスカの歴史話だって?」
門田は呆れた眼で悦子を見下ろした。
「そんな話は、コーシンの晩にでもしてやってください。さあ、早いとこ向うに行って、もう今から土産物を眼の色変えて見てる連中に注意しなさいよ」
悦子はコーシンを外国語と思ったらしくきょとんとしていた。門田には妙な趣味があって、これは庚申《こうしん》という古い言葉なのである。庚申にあたる日は禁忌で、夜の夫婦の交わりもタブーだったから、することもなく無駄話にひまをつぶした。つまり、庚申の晩とは無駄話をする時と同意語なのだが、門田は何かの本でこういうことを知って以来、若い連中を煙に巻くのを得意としていた。講師気どりでいる土方悦子の小賢しさを摧《くじ》くには、今後もときおりこの種のものを使用するに限ると思った。
売店ではエスキモーの民芸品が幅をきかせていた。ローズ・ツアの団員たちは、棚の間のあちこちに佇《たたず》んだり、歩いたりしていたが、まだ何人かがかたまって話し合うような仲にはなっていなかった。悦子は、一人一人に近づいて門田に云われたようなことを低い声で伝えた。気の弱い者は、それでロビーに引返すのもいたが、ほとんど鷹揚にうなずくだけだった。講師として彼女に敬意を払っている者は一人もなかった。
名古屋の女子大生の西村ミキ子がエスキモーの手織りの壁掛けと、トナカイの木彫りを買っていた。彼女は金を支払うところだったので、近づいた悦子が偶然に瞥見するとその財布は二十ドル紙幣ばかりでふくれ上っていた。その中には五十ドル紙幣も無造作にまじっているらしく、西村ミキ子はよほどドルを持ってきたようだった。
ほかの女たちは宝石の棚の前に足をとめていた。旅の行手にオランダやスイスのダイヤモンド、フランスやイタリアのルビーやサファイヤといった宝石の無税ものが待っているので、手出しする者はないと思われるが、赤毛の女店員に、|これを見せてください《キヤン・ユウ・シヨウ・ミー・ジス・ワン》、と硝子ケースを指したのは、小柄ながらスタイルのいい女だった。甘えたような発音は、その受け唇《くち》からなめらかに出て、なかなかのものだった。胸の名札はコートにかくれていたが、悦子はその特徴のある顔を憶えていた。
藤野由美は、まわりの団員たちの見て見ぬふりの視線を意識しながら、小函からルビーの指輪を出させてつまんでいた。彼女がそれを買うかどうかは分らない。悦子はロビーのほうに歩いたので始終を見届けなかったのだが、たぶんは藤野由美がぐるりにみせた示威のように思われた。自分の指には三キャラットは十分にあると思われるダイヤが輝いていたから、あるいは、これを見せびらかすためかもしれなかった。
ロビーでは、多田マリ子が長椅子に初老の日本人紳士とならんで親しそうに話をしていた。紳士はべつの機でここに到着したらしいが、ロンドン行なのか東京に帰るのか分らない。偶然にここでお互いを見つけて話しこんでいるといった様子だった。それも紳士のほうがこの奇遇をよろこんでいる態度で、やや頬のすぼんだ顔には、短い口髭があり、その下の唇に笑いが絶えなかった。マリ子のほうは何かしきりと話をしていたが、その恰好には習慣的な媚態《しな》があって、相手を愉しませているようにみえた。どのような間柄かは分らなかったが、少なくともマリ子のその態度には、他の団員たちの好奇的な視線を気にしないだけの開放的なものがみえた。
悦子は、多田マリ子の「親戚」だという建設会社の社長原野三郎の依頼を脳裡に浮べずにはいられない。旅先でのマリ子の動静を逐一報告してくれというのである。三日おきくらいに手紙でこっそり報告してくれというのだから、熱心なものだった。
これだけでも、五十年輩の、小肥りの建設会社社長と、表面は独身となっている多田マリ子との間が単純な「親戚」関係でないことは容易に想像がつく。社長の心配は、短い口髭の紳士と嫋々と語りあっているマリ子の様子からも充分に根拠があるように思われた。
やがて東京行の出発を知らせるJALのアナウンスがあった。口髭の紳士が椅子から立つと、マリ子のほうから握手を求めた。相手はよろこんでその手をにぎった。同機の乗客がぞろぞろと出口に向うと、マリ子は紳士の横に寄り添うようにして歩いた。
べつを回っていた門田が戻ってきて、これを見つけ、
「あれ、あの人はウチの団員だろう? 東京行のJALの列に迷いこんで行ってるよ。早く、呼び戻さなくちゃ」
と、悦子の見張りの怠慢を責めるようにいった。
「大丈夫ですよ。知った方を見送ってらっしゃるだけですから」
悦子が答えると、横で声が聞えた。
「ねえ、ご参考までに伺いますけれど、あの女性、どういう職業の方ですか?」
切り口上めいた声にふりむくと、梶原澄子が立っていた。痩せた顔には小皺があって、首が長い。この札幌の梶原産婦人科病院長未亡人は、募集発表の初期に王冠観光旅行社のカウンターに現われ、門田が応対しているので、彼にはとくべつな印象があった。
「あの方はレストランの経営者ですよ」
門田が引きとって答えた。
「そお?」
梶原澄子は眉をひそめた。
「わたしは、バアのマダムでいらっしゃるかと思いましたわ」
それだけをゆっくり云うと、彼女は少し気どった足どりで流れるように売店のほうへ行った。
梶原澄子は、申込みのときからルーム・メートを気にしていた女だった。万一、気の合わない方との組合せだったら、憂鬱ですわ、長い旅ですもの、そんなとき、上手にチェンジしていただけますかしら、と眉をひそめて訊いたものだった。
「ちょっと。君、梶原澄子さんのルーム・メートは誰だったっけ?」
門田は気になって悦子に訊いた。
「藤野由美さんです」
悦子はリストを繰って答えた。
「うむ。そうだった……」
門田は唸《うな》った。これから先、梶原澄子の苦情が思いやられる。門田の眼には沖の荒波を見つめているような表情があった。
東京行につづき、JALのロンドン行が出ると、ロビーから他の日本人の姿がずっと少なくなった。あとは旅行馴れしているような外国機の日本人乗客が落ちついて残っているだけだった。
アラスカ山脈の雪は、金色をとり払って銀色に煌《きら》めき、強い光線は、空に接する連山を明暗に描きわけて、その細部をくっきりと浮き出した。青い空は光に満ちてひろがり、白雲が山の麓をゆっくりとよぎっていた。
SAS機の出発アナウンスがあった。門田は、その英語放送を半分まで聞かないうちに、出口近くに位置し、自社のマークである王冠が青地に白抜きされている手の小旗をさっと振り上げた。団員もほとんどロビーの一方にかたまっていた。
「土方さん、あんたも数を読んで」
と、門田がいった。
迷える羊の一頭が他の群にまぎれこんでそのままについて行かなかったか。彼は自分でも顎をいちいち動かしていたが、また、もう一度頭数を計算しはじめた。
「門田さん。二人足りませんわ」
土方悦子は報告した。門田も自分で分っていたから、苛立たしそうにいった。
「どなたですか?」
「藤野由美さんと星野加根子さんのようですわ。藤野さんは、さっき、売店で指輪を見てらしたようですけど……」
「手洗いかもしれない。土方さん、手洗いのほうを早く探してみてください」
門田は眼を光らせて命じ、小走りに走って行く悦子の姿を見送った。しばらくすると、星野加根子が売店のほうから一人で大急ぎで戻ってきた。
10
藤野由美の「失踪」は、二十分間の長きに亘《わた》った。旅客機出発時の二十分間の空白は重大である。
門田が団員のうちの四人をゲートの入口に残したのは、うかうかするとSAS機が一人ぐらいは残して出発しかねないからであった。JALなら日本人どうしの通じ合いで快く待ってくれるだろうが、合理主義の外国機では人情も利かず冷酷に時間通り離陸しかねなかった。門田が四人を機内に入れなかったのは、自分たちを入れて七人も残っていればいくらなんでもそれを振り切ってまで出発はしないだろうという知恵からだった。
機内からスウェーデン人と日本人のスチュワーデスが出てきて、ゲートのところで蒼腿《あおざ》めている門田を詰問していた。管制塔からはすでに離陸の指令が出ているので、機長の命をうけたスチュワーデス二人が添乗員を責めているのは当然だった。ハネダほどではないにしても、このアンカレッジもけっこう世界各国機で混雑し、離着陸の時間帯も密集していた。
門田は、スチュワーデスに平謝りに謝りながら、もう少し、を繰り返し、眼を吊り上げてロビーを睨んでいた。藤野由美は手洗いに入っているかもしれないと思われたので、そのほうの捜索には土方悦子をやっている。が、その悦子もロビーに容易に姿を見せなかった。
二十分間は門田にとって長かった。横でスチュワーデス二人が腕組みして佇み、傍の四人の団員も不安そうな顔をしていた。機の胴体に密着した乗降通路のためにここからは見えないが、操縦席の窓からは機長がこっちを睨んでいるにちがいなかった。
門田は、いらいらしながらも事故の発生を考えていた。藤野由美は急に気分でも悪くなってトイレで身動きできないでいるのではないか。それなら悦子が報らせに早く戻って来そうなものだが、あの女も気がきかないからぐずぐずしているのだろう。こればかりは男がトイレに見にゆくわけにはゆかない。もし病気だと藤野由美はここに残していかなければならない。その場合は、悦子もいっしょだが、悦子が現地の医者をさがして応急処置をとらせた上、藤野由美を東京行の旅客機に乗せて、あとからコペンハーゲンに追ってくるなり、あるいは癒《よ》くなった彼女といっしょにくるなりする芸当ができるだろうか。そんなことはとても悦子には覚束ない。
また、その処置を悦子に指示するにしても、その前に悦子との交渉がある。ビザ無しの藤野由美だからアンカレッジの医者のところに行かせるには上陸許可が必要だった。そういえば付き添わせる土方悦子もビザを持っていない。その交渉を当局とするだけでも一時間は充分にかかりそうだった。
門田が額に脂汗を出しているときに、ロビーの一角から元気な藤野由美の姿が悦子と手をつなぐような恰好で現われた。門田は、心臓の嵐がぴたりと凪《な》いだようになったと同時に、けろりとした顔で近づいて来た藤野由美に激しい憤りを覚えた。
「いったい、どうしたんです?」
恚《いか》りの眼は、横の土方悦子にもむけた。
「済みません。機に乗ってからお話しします」
と、藤野由美はタクシーでも待たせていたような調子で悠長にいった。
とにかく一秒を争う時で、門田も説明を求める余裕などなく、待っている四人にも我に続けよとばかり通路を急いだ。北欧娘のスチュワーデスは眉をそびやかし、尻を振り振り先に立っていた。
門田は、機内に入ったが、他の乗客は気づかぬとしても、ローズ・ツアの連中は一斉に不審と非難の眼をあとにつづく藤野由美の顔に注いだ。当人がどういう表情でいるかは門田には分らず、座席についても後頭しか見えない。しばらくはベルトで身体を括《くく》られているので立つこともできず、横の土方悦子にまず事情を訊いた。
「手洗いで、売店で買ったばかりのルビーの指輪を失くしたんだそうです」
と、悦子はけたたましい金属性のジェット・エンジンの騒音の中でいった。
「え、ルビーの指輪を?」
「そうなんです。洗面所で顔を洗い、それが済んだとき、見えなくなっていたんだそうです。こっちは指輪のサイズが大きいでしょう。だから、気がつかないうちに脱けて下に落ちたんだろうとおっしゃってました。わたしが行ったときは、タイルの床の上を這い回るようにして探してらっしゃいましたわ」
悦子もまだ息切れがおさまらないように声を震わせて報告した。
「あんたもいっしょに探したんですね?」
「探しました。ころころと転がって、トイレのドアの下の隙間から中に入ったんじゃないかと思い、いちいちドアを開けてみたんです」
「それで見つからないとはふしぎだな。だいたいどのくらいで買った指輪なんだね?」
「千ドルに五十ドル欠けていたんですって」
「九百五十ドル!」
と、門田は眼をむいた。
「わたしも、それを聞いておどろきましたわ」
「いったい、そんな高い買物をどうしてアンカレッジなんかでしたのか?」
「ノータックスだから安かったとおっしゃるんです」
「ばかな。ルビーはアメリカが原産地じゃあるまいし、アメリカだって輸入税を値段に入れている。空港のトランジットの売店の品はみんな無税だと思いこんでるんだから、困ったものだ。みんなに注意してやる必要があるね。……それにしても、まだヨーロッパにも着かない前に、いきなり千ドルに近い買いものをするなんて、どうかしてるね。彼女は、いったい、どのくらい、今度の旅行に持ってきたのだろう?」
「さあ、みなさんのお財布の中まではわたしは知りません」
「そりゃ、ま、そうだけどさ。やっぱり彼女は派手な商売だけのことはあるね、金を持ってるんだな」
と、門田は溜息を洩らしたが、また緊張の表情に戻った。
「で、とうとう判らない?」
「そうなんです。盗られたわけでもないし……」
「盗られるわけはないだろう。ほかに人はいなかった?」
「ほんの、二分か三分のその間、だれも入ってこなかったそうです」
「どうしたんだろう。トランジットだから一般の送迎人は入っていないしね」
「わたしも、もっとよく探してあげればいいんですが、なにぶん出発時間が迫っているので、気が気じゃありませんでした」
「こっちもそうだった。居ても立ってもいられなかった」
「それで、紛失届だけを空港事務所の人に出したら、と藤野さんにおすすめしたのですが、藤野さんは、それはいい、しなくてもいい、とおっしゃるんです」
「届を出さなくてもいい?」
「そうなんです。そういう届けを出したりすると、飛行機の出発が遅れて、みなさんに迷惑をかけるからって」
「しかし、そりゃァ……」
といったが、門田はにわかに藤野由美を見直す気持になった。今まではさんざん人に迷惑をかける女だと腹が立っていたが、千ドルの品を諦める気持になったのはよほどのことで、利己心の強い女にはできないことだと感心した。
機は上昇をつづけ、雲の切れ間にのぞいてゆっくりと動く雪のマッキンレー山脈を下に見ていた。禁煙のサインはとっくに消えたが、身体はまだ自由にならなかった。座席の上にわずかに出ている女性団体の後頭も動かず、隣どうしの話はあんまりはずんでないようだった。
ベルトが除《と》れると同時に門田は立って前にすすんだ。藤野由美はグループのほぼ中央あたりの席にいた。幸いなことに彼女が通路側で、真ん中が北村宏子、窓際が星野加根子だった。
「藤野さん。土方さんから聞いたんですが、アンカレッジでは災難だったそうですね?」
藤野由美は仰向き、揃った歯を見せた。
「ああ、あのこと? あれはもう、よろしいですわ」
災難だったそうですね、と云った瞬間から北村宏子も星野加根子も、藤野由美の横顔に好奇的な一瞥をくれたが、すぐに北村宏子は眼鏡を指でずり上げて読書に戻り、星野加根子は窓に鼻を寄せて下を見ていた。折から窓外は白い山岳のうねりがひろがり、川の黒い紐が匍《は》っていた。色はこの世界からまったく消えていた。
「一応、アンカレッジに事務長《パーサー》から連絡してもらって、指輪が見つかったら羽田空港止めに送ってもらうよう手配してもらいましょうか?」
指輪と聞いて、北村宏子と星野加根子の耳が猫のそれのようにひと震いしたようにみえた。
「いえ、もう、結構です。みなさんに大変ご迷惑をかけた上に、そんなお手間をとらしたら、申訳ありません」
「手間をとるといっても、機のほうから無線で連絡をとってもらうのですから、ちっとも構いませんが、モノがモノですから、一応届けておいたほうがいいと思うんですがね。ご遠慮には及びませんよ」
「いえ、遠慮じゃありません。ほんとに、もうよろしいんです。あんまり大袈裟になると、かえって恥しいですわ。わたくしの不注意なんですから。ヨーロッパに着いたら、もっといいのを買いますから。門田さん、どうぞもうお構いなく」
北村宏子はページをめくって「ヨーロッパ諸国の歴史」を読みつづけるふりをし、星野加根子は窓下に移ってきたユーコン川支流の黒い蛇行を凝視しているふりをしていたが、この会話を注意深く聴覚に吸収していたことはたしかだった。
コペンハーゲンまでは退屈の連続といってよかった。ただ、食事だけはやたらと頻繁に出た。黒パンの上に、キャビア、燻製の鮭、牛肉、ハム、スープ、コーヒー、苺ジャムのアイスクリーム。外国人むけに量が多い上に、一時間おきぐらいに供給されて、はじめはよろこんでいた団員も半分ぐらいを残した。
「食いしんぼうの女性でも、さすがにうんざりしたようだな。これが日本のレストランだと、もったいないといって包ませて持ち帰るところだろうがね」
門田は、機内で買った小瓶のウイスキーをご機嫌で舐《な》めながらにやにやしていた。彼もあと当分は用事がないのだ。隣の悦子は苺ジャムをかけたアイスクリームをいつまでもさじですくっていた。
機はアラスカをはなれ、雪原のような北極海の上を飛んでいる。スチュワーデスが北極通過の証明用紙を配って歩いた。これに名前と宛先を記入しておくと、機長がサインして郵送してくれる。
団員がその記入を始めたのをうしろから眺めた門田は、
「ねえ、土方さん」
と、悦子に話しかけた。
「通過証明カードは一人に一枚だ。連中、だれに宛てて書くと思いますか?」
「ご主人とか、肉親とかでしょう」
「じゃ、女子学生の若いのは別にして、独身の女性は?」
「親しいお友だちでしょうね」
「ふむ。カードは一枚。わたしは、いま、北極をはるばると通過しています、という記念すべき通報。それが問題ですな」
門田は含み笑いをしていた。
「ほら、あんたが羽田空港で大阪の建設会社の社長に多田マリ子さんのことを頼まれたといってたですな。百ドルの袖の下を出されて」
「袖の下だなんて、いやですわ。あれは受けとりませんでしたわ」
「ま、ま。たとえばの話ですよ。つまり、独身女性にはそういうスポンサーもいる。スポンサー宛に出すか、恋人に出すか、そこが独身女性の決心の岐れ目ですね。あんたは、多田さんのほかにも、だいぶん頼まれていて、メモしているといったね?」
「ええ。……」
「そいつをぼくに見せてくれませんか?」
「それは困ります。それはわたくしが個人的に頼まれたんですから」
「プライバシーに関しますか」
門田が変な顔で笑った。
──北極は同じような高さの山が無限にひろがっていた。断崖がほうぼうに見られた。太陽は地球のふちに沈みかけてそこで踏みとどまり、赤い光を夕霞の中に暉《かがや》かしていた。氷の山々は淡い薔薇色に染まり、うすい霞がぼんやりと背景をぼかす。荒涼とした光景もいまは幻想的な抽象画と化した。夕日はいちど上りかけて白く輝いたが、またもとの位置にずり下って停止した。
団員たちは睡っているのが大半だった。黒布の眼蔽いをかけて仰向きになったり、うつむいたりしていた。眠れないでいる女性もいた。門田は、舎監のように通路をそっと往復して視察した。不眠の女性は、リストに従うと、杉田和枝、星野加根子、梶原澄子、日笠朋子、と団員の中では年のいったのが多かった。若い女よりは考えごとを余計に持っているのか、それとも神経質なのか。
うす暗い雲の下からスウェーデンの陸地が見えてきた。小さな灯の輝きはストックホルムの街か。スカンジナビアの丘陵地帯が過ぎて、機は海岸線の上に出た。
「見えた」
と、門田が暗い中に逼《せま》ってくる陸地を指した。コペンハーゲンだ、と弾んだ声でいう。
「さあ、忙しくなるぞ。土方さん、頼みますよ」
[#改ページ]
コペンハーゲンの「古城」
コペンハーゲンのカストルップ空港はヨーロッパでも大きいほうである。滑走路の空には夜があけたばかりのうす明りがひろがっていた。曇り空のせいもあるが、まだ午前六時二十分なのである。
構内の到着口まで、背の低い、若い日本人の男が王冠観光旅行団の一行を出迎えていた。SASの営業部員で、門田は彼とは顔馴染らしく、親しそうに話していた。
赭ら顔で、図体の大きい税関吏たちは、日本女性ばかりの観光団を珍しそうに眺め、団員たちが荷物を検査台に置いても、
「ファイン」
と云って微笑するだけで、眼もくれなかった。
空港ビル前の広場には、バスが待っていた。遠くに黄色と茶色の住宅が針葉樹の木立とならんでいるのが見えた。この観光団にとっては、はじめて本格的に踏む外国の土地から、女性らしい昂奮が一行の間に起った。早朝だし、曇天のせいもあるが、風はまだ冷たかった。
バスは、河のような小さな海峡にかかった橋を渡った。
「これからが、コペンハーゲンの市内になります」
運転台の横に車掌のように立っていた門田が、団員たちに告げる。
住宅のほとんどは、屋根に無数の小さな煙突をもつ四階か五階ていどのアパートだった。煉瓦の色彩が焦茶色と黄色に統一されている。同じ茶色でもオランダのは赤に近いが、デンマークのはチョコレート色である。黄といってもイエローオーカー、日本流にいえば朽葉色である。それだけにこちらは暗鬱な感じがする。が、窓は額縁のように白く塗られ、その白線が清潔に浮き立った。どの窓辺にも花の鉢植えが出ていた。赤い花の多いのが、暗い建物の色に華やかさを点じる気持と見えた。
ロイヤル・ホテルは広場につながる大通りの角にあった。三十数階建だが、これも外観は、伝統を守った色であった。この大通りも時刻のせいで、車が少なかった。北欧人の特徴で、背のひょろ高い、勤め人らしい男と女とがまばらに急ぎ足で歩いていた。
ホテルからかなり離れた斜め前に、コペンハーゲンの中央駅があった。その恰好といい、赤煉瓦といい、丸の内側から見る東京駅にそっくりで女性観光団の眼をひいた。ホテルの前には大きな区劃をとって、林の公園があった。門の上には看板の虹がかかり、「TIVOLI」の大文字があった。
「ああ、チボリだわ!」
だれかが叫んだ。コペンハーゲンの象徴というよりも、世界名物の一つだった。が、それにこたえる声はまわりから上らなかった。よく知らない団員も多かったのだが、懶《ものう》そうに視線を投げただけであった。
時間が早いし、曇っているので、コペンハーゲンの朝は黄昏のようなうす暗さだった。まだ感覚的に朝と夕とをとり違えるのは日本と八時間の時差があるからで、いままさにデンマークに来たという実感や感慨とは別に、眼蓋は痺《しび》れ、後頭部の脳髄には睡気が溜り、全身に倦怠感がゆき渡っていた。
風景に感動が伴わないのは、知覚の疲労に加えて、ホテル側がすぐに客室に通してくれない不愉快さからもきていた。早朝の到着なので、前夜の宿泊客がまだ部屋に残っている。もっとも、二室や三室ぐらいは空いているが、門田としては、だれを先に入れようもなかった。クジ引きというわけにもゆかず、彼が団員に説明すると、
「何時までロビーで待てばいいんですか?」
と、不平を露骨にみせた質問がとんだ。
「十一時がチェック・アウトですから、それまでお待ちねがいたいとフロントではいっています。いかがでしょう、それまで三時間ほどありますが、よろしかったら近所の商店街を散歩されたら? お疲れの方は、このロビーでご自由にお休みになってくださって結構です」
散歩に出てみるという組が若い五、六人で、そのほかは椅子に坐っているといった。バスから降ろされたみなの荷物はロビーの片隅に五つくらいの山積みになって置かれ、網がかけられてあった。
「今日の予定を申し上げます。十二時までお部屋に憩《やす》んでいただいて、それから昼食をこのホテルの食堂で済ませ、一時半ごろからバスで市内見物をいたします」
市内の見物は、まずは港にある人魚の像やアマリエンボール宮殿などである、と門田は不機嫌な女たちをなだめるためにも、愛嬌よく云った。
十一時に部屋に入れてもらっても、十二時からの昼食では一時間しか憩めない。それからすぐにバス出発ではいかにも強行軍だが、このハード・スケジュールこそ団体観光旅行の眼目であった。短い期間にいかに多くの有名地を瞥見《ヽヽ》するかというのが募集の際の献立料理であった。お仕着せのメニューは品目が賑かなほど客寄せになる。
「お疲れの方は、午後ずっと部屋で休養なさることはもちろんご自由でございます」
自由だが、バス代も行先の入場料も全部コミで先払いしていると思えば、無理をしてでも行きたくなる。
門田はフロントで三十二人ぶんのパスポートを出し、記帳を代行し、用意の「室友表」にしたがってキイを十七本うけとった。二本は門田の部屋と土方悦子の部屋のぶんである。団体は十八階と十九階とに分れ、門田は十八階、悦子は十九階、いずれも団員たちの部屋がつづく端の一室をとった。
十一時まで待たされるかと思ったが、案外に早く、十時すぎには各室とも空いた。が、二時間もロビーにいたのではさすがに退屈だった。クッションに崩れて睡った者は別としても、そのような場所では眼を閉じられない者は強張《こわば》った表情でホテルの玄関を出たり入ったりしていた。横のアーケードは九時をすぎると売店が開くので、一群はその前をのぞき見しながらうろうろした。
部屋に全員が入ってからも、各自の荷物が安全に所有主の室に納まるまでがひと騒ぎであった。間違って運びこまれた荷物のとりかえ、迷っている荷物の捜索と、門田も土方悦子も四十分は廊下をうろうろしなければならなかった。
空港からの世話のひきつづきなので、門田もさすがにぐったりとなったが、食堂でのテーブルのぐあいを見に行かねばならないので、一階上にあがって悦子の一九〇六号室をノックした。
ドアを開けると、中に藤野由美が来ていて悦子と立話をしていた。
「おや、失礼」
「あら、チーフ」
悦子が門田ののぞく顔に眼を走らせた。
「ちょうどよかったわ。藤野さんのお話をうかがってください」
助かったという口ぶりでいった。
門田はアンカレッジの指輪紛失の一件で藤野由美が電報で問い合せてくれとでも云いにきたのかと思った。団員には何か用事があったら自分の部屋にきてくれと部屋番号を教えてあるが、団員が土方悦子を訪ねたのは、彼女を「講師」とは思わず、門田の助手扱いにしている証拠であった。
「何でしょうか?」
門田は入っていった。
「いえね、わたしの階《フロア》は土方さんのお部屋と近いのでお話しに来たんですけど……」
藤野由美は門田を訪ねなかった弁解をした。
「いや、そりゃ、どっちだってかまいませんが」
「実は、わたしの知合いの商社マンがこのコペンハーゲンに駐在してますけど、わたしの到着を知って、いまロビーに迎えに来てくださってますの。昼食もその人といっしょにしますので、そのことを連絡に来ましたの」
藤野由美は、下からすくいあげるような眼つきで、微笑していった。上眼づかいのほほ笑みには、客商売に訓れた媚《こび》があった。そういえばロビーの長椅子にぐったりと睡っていた組の彼女も、いまは化粧をし直し、スーツケースから取り出した新しい派手な洋服に着更え、見違えるように生彩をとり戻していた。
「そうですか。それじゃ、昼は一人ぶん減るわけですね。明日はクロンボール城など郊外の観光がありますが、そのほうは、どうなさいますか?」
「今晩はホテルに帰りますから、そっちのほうは参加します」
「分りました」
門田は、その迎えの男の名前を聞いておきたかったが、露骨にもいえず、
「その方は、もちろんコペンハーゲンには馴れておいででしょうが、こちらにはどのくらい住んでいらっしゃるんですか?」
と遠回しにたずねた。
「二年ぐらい経ってるはずですわ。奥さまがウチの店に来てくださる常連なんです。日本をお発ちの前は、大阪に本社のある一流商社の東京支店次長さんでした。わたしがこの団体でくるのを支店の方がこちらに知らせて下さったんだそうです。わたしは何も知らなかったので、フロントから電話がかかってびっくりしましたの」
藤野由美はいきいきと話した。
門田にはこれを制《と》める権限はない。午後十時ごろまでにはなるべくホテルへ戻ってくるようにここでも頼んだが、これは釘をさしたのである。アンカレッジでは出発に遅れて苛々させた女だった。それで思い出して、
「指輪のことを、アンカレッジに問合せの電報を打っておきましょうか?」
と訊くと、
「あ、あれ? あれはもう結構ですわ。諦めてますから。では、ちょっと、行ってきます」
と踵をかえして出て行った。
門田は顎に指を当てた。なんとなく落ちつかなかった。
「土方さん、藤野さんのルーム・メートは梶原澄子さんだったね」
「はい、そうです」
梶原澄子は札幌市にある産婦人科の病院長未亡人だった。これと藤野由美と同室にした。門田は、梶原澄子のとりすました顔を思い泛《うか》べた。
もし、藤野由美が外出のまま今夜部屋に戻らなかったらどうしよう、と門田はほかの者への心理的な影響を考えて少々憂鬱になった。女ばかりの団体だから一人の外泊は深刻な波紋を起すにちがいない。藤野由美ならそんな行動をとりかねなかった。美容デザイナー、店の婦人客の亭主とコペンハーゲンでの邂逅《かいこう》、異郷の空が解放感をそそると外泊の可能性は十分にあった。ことに性解放の本場とされているデンマークではないか。門田の経験でも、それは男女混成の団体旅行だったが、女性団員に解放的な行動があった。
窓辺に寄ると、下にはチボリ公園の木立がかたまり、樹間には東洋風なパゴダの屋根が見えた。
北欧名物のオープンサンドウィッチの昼食が終り、門田が市内見物の時間が切迫していることを丁寧に宣告して立ち上ると、ばらばらと椅子を引いた一同の中から梶原澄子が彼のそばに寄ってきた。
「ルーム・メートの藤野由美さんがここに見えませんが、どうかなさいましたか?」
「あ、藤野さんは、知合いの方が見えて外出されたのです」
門田は軽く云って気がつき、
「外から部屋の藤野さんに電話がかかったそうですね?」
と、梶原澄子の頬のすぼんだ顔を見た。
「いいえ。そんな電話なんか、かかってきませんでしたわ」
同じ部屋に居た室友の梶原澄子は、否定した。
藤野由美の単独行動は仕方がないだろうと門田は思った。彼女には店の客の夫である一流商社の当地支店長が市内の案内に付いてくれるというのだ。支店長はここぞとばかり自分の「顔」のきくさまをデンマークの首都で──料理店とか服装品店とか遊び場所とかそういう所を──彼女に見せたいだろうし、彼女は彼女のほうで、異郷で店の馴染客の夫にたかった上、あとあとまでその夫人のグループをも自分の店につなぎとめておくことができる。コペンハーゲンで商売気の多い藤野由美と支店長との個人的な関係がどう発展するかは門田にも興味深い想像はあっても、目下の希望は、藤野由美の個人的な振舞いが同性ばかりの団員たちに心理的な悪い影響を与えることなく、ひいては統率的な秩序を乱すことになってはならない警戒だった。すでにして藤野由美にはアンカレッジ空港の指輪紛失事件がある。この先、何か起りそうな漠然たる危惧もあった。
三十一人は観光バスの乗場に歩いたが、その広場がコペンハーゲン目抜きの場所でもあり、名所でもあった。
まず、ホテルの前からはチボリ公園の横を通った。チボリは、五月に入らないと開園しないので、いまは門が閉じられていた。だが、塀の中からは槌音や木を打つ音がしきりとしていた。五月一日から十月十日ごろまでが開園期間で、あとの寒い閉鎖期間は修理や準備に費やされる。
広場には、やはり赤煉瓦の古風な建物の市庁舎があった。噴水があり、花壇があり、鳩が舞っている。二時近いので、人通りもずっとふえ、ベンチに腰かけている人間も多かった。万国旗を掲げた対い側のホテル前にはバスが頻繁に発着していたし、車は少なく、古い電車が通っていた。
「ここが市庁舎広場というのです。ここを中心にしてバスが市の八方に出ています」
門田が団員たちに云った。
「この市庁舎は、たいへん古く見えますが、実は十九世紀末から二十世紀のはじめにかけて出来上がったものです。古風に見えるのは、デザインが北イタリアのルネッサンス調と、中世デンマークの建築様式をミックスしたからだといわれています」
彼は教科書《テキスト》どおりの説明をしたが、それを聞いているのは先頭にいる者だけだった。
ストロエットの商店街、アマリエンボールの宮殿の衛兵の交替風景。おさだまりのコースを門田は引具して歩いた。ここまではバスを要しない。
女ばかりの観光団を率いる門田にとって難物は、この狭くて賑やかな商店街のなかに点在する書店で、これらの本屋にはポルノものがおおっぴらに売られている。
門田も、前に男たちの多い観光旅行団に添乗してきたときは、このポルノ出版物買いにきまって手伝わされてきたものだが、こんどの場合は、本屋のウィンドウの前はなるべく早く素通りすることにした。いくら年増女の団員がいるからといって、団体としての「風紀統制」もあった。
が、脚は素通りでも、ウィンドウに出ている本の表紙写真に女性たちの眼は走ろう。写真はあきらかに性愛の場面を見せつけていた。コペンハーゲンのこの種の出版物は、この国の高名なフリーセックスと共に、日本の女性の間にも知識がゆきわたっている。
門田はそれとなしに横について歩いている土方悦子をそっと観察した。彼女は、本屋の店先や陳列窓の前にさしかかるたびに、視線を電光のように当てては急いで反対側に転回していた。その頬はどうやら紅潮しているようだった。これが背後からつづいてくる女性たちの代表的な表情かなと考えて、ひとりでにやりとした。
が、彼はここで藤野由美の行動を思わずにはいられなかった。たださえ旅先の解放感が彼女にあるのに、商社の当地支店長は腕によりをかけて彼女を「歓待」するにちがいなかった。中央駅の裏側には、一般的な観光ルート以外の「観光」場所がある。
そこは、門田が男女観光団の添乗のときには夜に入って案内していたところで、ポルノ・ショップが店を連ねて、デンマーク語でリブ・ショーと呼ばれる映画から実演までがあきあきするほど見られた。べつに添乗員が教えることもなく、観光団の客のほうが日本でガイドブックの次のような紹介記事を読んで、すすんで案内を要求した。
≪ときどき、目のさめるような北欧美人が女友だちとポルノ・ショップに入ってきて、店員となにやら笑いながら、例の器具をいじくりまわしていることもあるが、こんなことはまれで、あとは棚にならぶ本に次々と目を血走らせている旅行者風情。通常の男と女のセックスから、ホモあり、レスビアンあり、SMあり、そして考えつく限りの獣姦ありで、日本でけっこう勇気ある男性でも、少々当惑しかねないありさまである。みれば日本人も多く、本やらスライドフィルムを懸命に買いこんでいる≫
商社の支店長も、そのような場所に、美容院のあるじを案内するにちがいなかった。同性の婦人客には上品を装っている美容デザイナーの藤野由美も、ポルノ・ショップやポルノ劇場に連れこまれたあとは、どういう精神状態に陥るか分らない。門田には、今夜の藤野由美の行動過程が心理学的に予測できた。
もし、藤野由美が一晩じゅうホテルに戻らなかったら、団員たちの間に、ちょっとした刺戟の波紋をひろげそうであった。梶原澄子がまず室友の外泊を皆にふれまわるにちがいなかった。それにはたぶんに不行跡な意味が強調されるだろう。
一般の観光団では、途中からはなれて単独旅行に移り、最後の搭乗地から再び一行に復帰して帰国するという例が少なくない。が、それは初めから旅行社なり添乗員なりに申入れがあって諒解済みの場合である。
藤野由美のことは、もちろんその例にはならなかった。とくにこの「ローズ・ツア」は女ばかりの団体客ゆえ、個人の単独行動は原則的に禁じていた。不慮の事故をおそれたのでもあるが、平和な秩序を保つためでもあった。女ばかりの旅行団では、各人の間の心理が微妙で、過敏なのである。
しかし、観光団は旅行社の営業であって、法人団体のような強権的な規制はない。個人の自由を束縛することはできなかった。そこに添乗員の統制力に限界があり、むつかしさがあった。
もし、今夜、藤野由美が戻らなかったら、この女性観光団の秩序崩壊につながる蟻の穴になりそうだった。一人に認めたのだから、わたしにもというのが続出するかもしれない。だれにも「女のひとり旅」への好奇心と冒険心とがひそんでいる。また、そうした行動のできる女と、できない女とがいる。この二つの群の間に当然のことながら深い溝ができる。反感、無視、邪推、嫉妬、軽蔑。旅行団の空気はとげとげしいものになり、隠微な邪悪さを帯びてゆくだろう。添乗員は何かといえば、そのトラブルに捲きこまれ、団員から突き上げられる。
しかし、門田の心配は、観光バスで一行を人魚の像に連れて行ったときに解消した。
|人魚の像《リトル・マーメイド》は、港沿いにある。写真で見ると大きな彫像を思わせるが、実際は八十センチくらいのもので、これが波打際の岩の上に坐っている。一行がそこに到着したときにも、各国の観光客がまわりに群れていた。
「案外に小さいのね」
ローズ・ツアの団員のなかからもいささか失望の声や、
「写真とそっくりね。でも、写真で見るよりも、ずっと実物のほうが可愛いわ」
と、感嘆の声が入りまじった。
人魚の背景はおよそ童話の世界らしくなかった。河口につながる港は細長く、その対岸には、各国の貨物船が碇泊し、陸地にはドックなどがあって起重機が頭をもたげ、金属性の音が騒々しく聞えていた。
「あら、あれは藤野由美さんですわ、チーフ」
目ざとく見つけて門田の注意を促したのは土方悦子だった。
門田が教えられた方向に視線をやると、いましも人魚の坐る岩の横で、アメリカ人の男たち数人のかまえるカメラの被写体になっている日本女性が、藤野由美であった。
「ほんとだ」
門田は眼をまるくした。
藤野由美は、カメラにむかって婉然と表情をつくり、艶然たる姿態をとっている。
これはたちまち他の団員たちの眼をひくことになった。みなはぼんやりとした顔つきで、藤野由美を見つめていた。彼女のほうはそれと気づかぬげに、注文どおりのポーズを次々とつくっていた。アメリカ人の観光客は大よろこびで、口笛を吹いたりして大騒ぎだった。
おりから天候がやや回復して雲の間からはうす陽が射し、黒い人魚の肌を艶やかに光らせ、それとは対照的に、色彩豊かな日本女性を横にならべて、鮮やかに浮き出させたのだった。
藤野由美は少しも臆するところなく、いわば衆人環視の中に自信たっぷりといった様子であった。このときは来あわせた他の外国人も便乗して彼女にむけてしきりとシャッターを切りはじめ、それはモデルの居る撮影会のような風景を呈した。
アメリカ人たちが礼を云って立ち去ったあと、藤野由美は自分に集る団員たちの眼にひるむ様子もなく、門田のところにまっすぐに歩いてきた。彼女は単独《ひとり》で、べつに日本の商社マンらしい男の姿はなかった。
藤野由美は、こんにちは、と門田に挨拶したげな顔つきで、羞恥をみせるどころか、外国人のモデルになったのが、むしろ誇らしげな様子であった。その様子は門田よりも周囲の団員に示したいようであった。
「あなたは、今日はどなたかの案内でどこかに見物に回ってらしたんじゃないですか?」
門田は呆れた思いで訊いた。
「いいえ、そちらのほうは、もういいんです。お会いしたら、あんまり面白くもない方でしたの。それに、はじめから団体行動からはずれるのも、みなさんのお気持がどうかと思いましたので、タクシーでこっちに乗りつけてきましたの。どうせみなさんもこの人魚の像を見にいらっしゃると思いましたから。その勘はぴたりとあたりましたわ」
「ああ、そうですか」
「門田さんも、みなさんの思惑の上から、わたしが早く戻ってきたほうがご安心でしょう?」
「そら、まあ、そうですが。いや、それに越したことはありませんがね」
「そうでしょう?」
彼女は門田の眼をのぞいたが、門田は自分の内心をのぞかれたような気がした。
「これで、今晩も外出はなさらないのですね?」
門田は思わず念を押した。
「ホテルにずっと居ります。わたしも飛行機では寝不足でしたから、今夜は早く横になりたいんです」
「ごもっともです。みなさんも時差の加減で睡眠不足でおられます。今夜は早くベッドに入って休養をとってください。そうして、明日からの行動に備えてください」
「明日は郊外でしたわね」
「そうです。古城を訪れることにします」
今夜、藤野由美が外泊するのではないかという門田の憂鬱は、彼女の意外に早い復帰で霽《は》れた。これで団員たちの間に、よぶんな感情の波紋をひろげる心配もなくなったと彼は安堵した。
だが、門田は彼女の室友の梶原澄子の言葉をおぼえていた。梶原澄子は、藤野由美に外から電話などかかってこなかったと答えた。同室者の云うことだから、間違いはあるまい。しかし、藤野由美は商社の支店長から呼び出しの電話があったので、と門田に外出の諒承を求めたのだ。
これはどういうことだろう。門田は藤野由美の言葉よりも梶原澄子のそれを信じたい気持だった。というのは、藤野由美の派手な性格からして、単独行動で人魚の像のところに来てみなと合流するのが最初からの計算のように思われてきたからである。
団体の場合、そこから脱ける単独行動というのは、たいそう目立つものである。藤野由美には、自分が一同に顕著な印象となりたい意識が強いようである。そう推定すれば、彼女がアメリカ人たちのカメラにとりまかれて、モデルのように振舞った派手さもわかってくる。目立つ点からいえば、これほど目立つことはなかった。
門田が考えてみるに、──彼の引率した団体はストロエットの商店街を通り、途中の小さな広場で小憩した。そこにも花屋があり、鳩が群れ、色の真白い金髪娘たちがアイスクリームを舐め、蓬髪と無精髯のヒッピーらが隅の地面に尻をすえていた。
が、少し行った教会近くの柵の前には、年老いた男女がベンチに腰かけてならんでいた。老人も老婆も、ほとんど身じろぎもせず、放心した眼つきで坐っていた。べつに通行人を眺めるでもなく、鳩に眼を遣るでもなく、眼は虚《うつ》ろに一点に止まって、腑抜けた姿でいた。見ていて、まるで終日《ひねもす》ここで無気力にじっと腰かけているようだった。
「デンマーク、スウェーデンなど北欧諸国は社会保障政策が行き届いていて、老人は無料でなんの不自由もなく、養老院で余生を送ることができるようになっています。それなのに養老院などで自殺者が多いのはどういうわけでしょう? それは独立して家庭をもった息子や娘たちと疎遠になるからだといわれています。社会保障はよくできていても、国家は老人たちの魂の空虚までは救うことはできないのですね。日本の核家族も、次第に老人たちを孤独化し、虚無感を与える同じような傾向を辿っているようです」
そのとき、土方悦子が傍から眺めて話し、年配の団員たちの共感の眼を得ていた。
それから待たせてある観光バスに乗って、アマリエンボール宮殿に行き、衛兵の交替風景を立ちん坊して見物した。旧市街にあるラウンドタワーは外から眺めた。この三十五メートルの円柱形の塔は、クリスチャン四世が天文台として建てたもので十九世紀の半ばまで使用され、その中の螺旋階段は帝政ロシアのピョートル大帝が馬で、エカテリーナ女帝は馬車で駆け上ったという歴史上の挿話を門田は一同に披露したものだ。門田の説明は常にテキストどおりであった。
(図省略)
とにかく、そのような行程をとって人魚の像まで来たのであるから、そのあいだ三時間は経っていた。藤野由美がホテルを出たのが正午だったから、彼女の単独行動はここで遇うまで四時間にわたっている。
その四時間のあいだ、藤野由美は商社の支店長の案内につき合ったわけだが、相手の男が気に染まなかったので別れてきたといっている。人間は、一目見たときから好感をもてぬ相手もあることで、いちがいには云えぬにしても、四時間ぐらいで突放してきたとは、彼女の商売気のうえからいって短慮に過ぎるのではなかろうか。店の上得意である人の亭主の好意にそむかぬのは、すなわち営業の繁栄につながることなのに。
こう考えて、同室の梶原澄子の「証言」と思い合わせて、藤野由美の云う支店長の案内云々は、まったくの虚言であると門田は断定した。すべては、彼女の虚栄心から出たものであり、同性の団体仲間に対する自己顕示欲のなせるわざとの判断を得た。
虚栄といえば、紛失したルビーの指輪のこともそれに関連しそうだ。アンカレッジの空港売店で高い金を出して買ったのに、それの紛失にはさらに関心のない云い方をした。好意的にとれば、同行の人々に心配をかけないための奥床しい配慮にも考えられるけれど、彼女の場合は、それよりも高価な品の紛失にもいっこう介意せぬといった見栄が強く感じられる。この旅行の第一歩に千ドルもの買いものをするのは、彼女の無邪気な無知というよりは、経済的な豊かさをみなに見せびらかそうとしたところがある。その失った宝石指輪に執着を見せないのも、その痩せ我慢はともかくとして、彼女の虚栄心のあらわれではあるまいか。
門田はそう思った。
夕方、一同はホテルに帰ると、食堂でローストビーフやローストチキンの夕食をとって、それぞれが早目に割り当てられた部屋に一組となってひきとった。門田が作製した室友リストにしたがっての最初の実践であった。門田と土方悦子とはべつべつの個室だった。
機上での睡眠不足と疲労とが団員たちを強く支配したのか、翌朝までなにごともなかった。
午前九時と決めた食堂集合には、全員の顔ぶれが揃った。昨夜はぐっすりと熟睡がとれたのか、みなの顔はいきいきとし、朝の化粧にも生彩があった。朝食は、このごろ日本でもはやっているバイキング形式のセルフサービスだった。さすがにチーズやバターは本場だけに、日本では味わえないうまさだった。
「今日の観光スケジュールは、古城めぐりです」
食後の紅茶になって門田がみなに説明した。
「めぐりといっても古城は二つだけです。一つはフレデリックスボール城。十七世紀初めの建築ですが、これはコペンハーゲンから西北にあたります。次がクロンボール城。十六世紀の古城というよりもシェークスピアのハムレットの舞台として観光客を集めています。これは、このコペンハーゲンを含めるジーランド島の東北端にあって、東のオーレンスンド海峡を隔ててスウェーデンの山々や町が指呼の間に見えます。それで、この市内からバスで西北に行き、フレデリックスボール城を訪ね、そこから東に向い、クロンボール城を見て、南下してコペンに戻ります。つまりコースは逆三角形を描くわけですな」
熱心な団員は、ハンドバッグから急いで地図をとり出してうなずいたりした。
バスは五十席ぐらいあって、ゆっくりと坐れた。コペンハーゲンをはなれると、ゆるやかな起伏の田園風景となった。見わたす限り麦畑で、青の一色だった。その間に白い柵をした牧場があり、赤茶色煉瓦の農家が点在している。今日は天気もよく、空気は冷たいが、陽光が平野に明るくそそいでいた。
「この農家の地下室には、どこも豊富にビールを貯えています」
門田が助手席のところに立ち、客席に対って説明しはじめた。
「ご承知のとおり、このデンマークはビールの産地であります。強いのも軽いのもあります。ホップの軽いのは女性や甘口の人にはよろこばれます。この国の人は、女性でも十五、六歳ごろからビールを飲む習慣がつきます。そこで、どの農家にも倉庫や床下の蔵に、二十ダースや三十ダースの瓶ビールを格納しています。未知の旅人が訪れても、そのビールを出してもてなしてくれます。わたくしも、何度か農家の親切な主婦にビールのご馳走をうけました。みなさんがビール党なら、このバスをちょいと農家の一軒に横づけさせたいのですが、三十本以上もビールの振舞いをうけるのは、気がさすので遠慮しましょう。というのは、それは農家の好意であって、絶対に代金は取りませんから。デンマークのお百姓さんは、日本の農家のように、いや、それ以上に親切なんです」
団員のなかで、デンマークのビールが飲みたいと云いだしたのが女子学生の三人だった。たぶん、門田の牧歌的な話に異国の旅情を誘い出されたのであろう。が、女子学生の希望は、門田を含めて、|おとな《ヽヽヽ》の団員たちの明るい笑いにかき消えた。
緑色の銅の屋根と、三つの尖塔をもつフレデリックスボール城での見物では、一行の間に話題になるような出来事は起らなかった。わずかに、内部の壁に展示された世界各国の盾の紋章のなかに金色燦然たる菊花紋を見て魚屋の専務で四十五歳の金森幸江が恭々しくおじぎをしたのが、同行者たちの眼を惹いたにとどまった。
ここからクロンボール城への行程、門田のいう逆三角形の上辺を辿るバスからの眺めも、これまでの田園風景の延長であった。古城のあるヘルシンゴーの町に入ったのが午後一時近くだった。
この小さな地方都市も茶系統の色に塗りつぶされているが、非常に静かで、伝統的なたたずまいを持っていた。昼食のために入ったレストランも大衆食堂とは思えない上品さと清潔さをもっていた。食事は、例によってオープンサンドウィッチだが、これが十何種類も店の陳列ガラスケースの中にならんでいて、それらを選ぶのに団員たちはうれしそうに迷った。オープンサンドウィッチは、SASの機上サービスでも出たが、ここはそれよりもずっと種類が豊富だった。
「キャビアはここでも高いですから、遠慮してください。そのほかのオープンサンドなら、鮭でもチーズでもエビでも牛肉でも、ご自由に。どうしてもキャビアを召し上りたい方は、ご自分でお金を支払ってください」
門田は、笑いながら団員たちに注意した。旅行社の会費は食事|こみ《ヽヽ》なので、予算を超過するものに対しては個人支払いとなっていた。
門田の|みみっちい《ヽヽヽヽヽ》注意で、一同が会費旅行の悲哀を少しばかり味わっていると、列外の行動に出たのが、藤野由美であった。彼女は、さすがにはじめは躊躇の様子は見せたが、勢いよくチョウザメの卵が真黒な塊で載っているパンを七個ぐらいガラス棚から自分の皿にとりあげると、レジのほうに見せて、そのぶんの金を誇らしげに払った。
みなは、それを見て見ぬふりをしたが、内心では少なからぬ衝撃をうけたようであった。まず、だれ一人として手を出さぬキャビアに彼女だけが敢然と手を出したことの大胆さにおどろき、その人を人とも思わぬげな行動が、昨日の人魚の像でのモデルぶりにも結びついたのだった。
キャビアを食べたい気持はだれにもあったし、個人支払いの余裕のある者もいたにちがいないが、旅費の都合で倹約する人の立場を考えて、だれもが遠慮していたのだった。そのみなの思慮をうち破ったということで、たしかに藤野由美の行動は大胆であった。
その大胆さは人目をひいた。人目をひくから、みなは食欲を抑えつけてキャビアへの手出しを我慢しているのに、彼女の場合は、まるで衆目を集めることが目的のようであった。
「高いといっても、日本で買うのよりは、ずっと安いものですわ。東京だと、キャビアは目がとび出るほど取られるんですから」
藤野由美は、七つのキャビア・サンドウィッチを眼の前の卓上にならべて、ひとりごとを云った。それは周囲への言い訳のようでもあったが、高級レストランで日ごろからキャビアを食べつけているといった自慢にもとれた。
このとき、食事半ばに席を立って、ガラスケースに行ってキャビアのサンドウィッチを十個ほど皿にとりこんで、金を支払い、席に戻ったひとりの女がいた。多田マリ子であった。彼女は美しい顔に余裕たっぷりの微笑を浮べ、右隣にいる竹田郁子と左隣の星野加根子へ等分に顔を振って、
「いかがですやろ? よろしかったら、どうぞ」
と、チョウザメの卵をすすめたものだった。
一同は瞬間に寂然となった。竹田郁子も星野加根子も、多田マリ子の好意を辞退したが、多田マリ子のキャビア買いは、あきらかに藤野由美に対する一種の仕返しであり、挑戦のように見られた。
みなのなかには多田マリ子の「勇気ある行動」に対して内心で溜飲を下げた者も少なくなかったであろう。昨日からの藤野由美に抱いていた反撥が、その気分にさせたのだった。それに藤野由美は、キャビアをだれにもすすめなかったが、多田マリ子はとにかく両隣の旅行仲間にお裾分けを申し出たのである。人間味の点では、多田マリ子がまさっていた。一同の表情からもそれが分った。
門田は、急いでポケットからメンバー表をとり出し、卓の下で一瞥した。記憶に間違いなく、多田マリ子は大阪の「レストラン経営者」であった。が、その服装や、こぼれるような色気からみて、たぶんバアのマダムにちがいない。そうだとすれば、彼女もまた金の使い方がきれいなはずであり、同性に対する競争心も旺盛なわけであった。美容デザイナーとバアのマダムではかっこうな敵手になり得ると、この数分間のさりげない場面で門田は読み取った。
一方の藤野由美は、もっぱら食事に専念して、多田マリ子のほうには眼もくれなかった。彼女は、あきらかに挑戦者を無視する態度に出ていた。
しかし、門田はこの二人に興味を持ってばかりはいられなかった。彼はこの旅行団の添乗者であり、添乗者はローズ・ツアという船の船長であった。これから先、長い旅路には何よりも乗客たちの平和な秩序をねがわねばならなかった。
「オープンサンドウィッチは、ここも種類が多いようですが、コペンハーゲンのオスカー・ダビッドセンというレストランには百八十種類もとり揃えています。お好きな方は、今夜のホテルでの夕食を抜いて、そこへおでかけください。よりどりみどりで、何でも選択ができます。ただし、土産話にしようにも、個々の名前はデンマーク語ですから憶えきれませんよ」
笑いながら云ったが、こういう冗談口でもきかないととかく団員間の融和は図れなかった。
だが、藤野由美の次の派手な行動は、クロンボールの古城のほとりで展開された。
ちょうど土方悦子が、門田からみて、あたかも「講師」口調でハムレットの筋を団員たちの前で語っているときだった。
「デンマークの王子ハムレットは、父王を叔父のクローディアスに殺され、その弑逆者《しいぎやくしや》は彼の生母であるガートルードと結婚して王位に即きました。ハムレットは父の亡霊によってその死の秘密を知らされ、復讐の使命を負わされます。けれど、道徳的で内省的な彼は何度か懐疑に捉われて決行をためらいます。ですが、結局は似たような筋の劇を叔父に見せることによって、弑逆の真実をつきとめ、ついに復讐はとげますが、彼自身も毒刃に仆《たお》れて死にます」
土方悦子は、自分でつくったメモを見ながら話すのだが、それに解説を加えたものである。
「ハムレットは懐疑型人間の代名詞のようになっています。これまでの学者の説では、ハムレットは中世の宗教的な人間観の残影を宿した内省型、憂鬱型という解釈が主流を占めてきましたが、近年では、むしろそれが自己克服を通しての行動人というふうになっています。つまり強いハムレットとなっています。その点ではむしろ近代のニイチェの超人主義に近づいているといってもよいでしょう」
この「講義」に熱心に聞き入っているのは、女子大生のグループと、ほか数人だけであった。
土方悦子は、これも門田から見ての感想だが、女子大生の「聴講生」を得ただけでも気をよくしたか、ハムレットの台辞のなかで有名な "to be, or not to be" のくだりで日本訳の相違をメモによって聞かせた。
「生きるか、死ぬか、そこが問題なのだ。暴虐な運命の矢玉を心にじっと堪えるのと、海と寄せくるもろもろの困難に剣をとって立ち向い、抵抗してこれを終熄させるのと、どちらが立派な態度か? 死ぬるは眠るに過ぎない。……これが坪内逍遙訳です。
長ろうべきか、死すべきか、それは疑問だ。……これは本多顕彰訳です。
生き続ける、生き続けない、それがむずかしいところだ。……これは木下順二訳です。
生きる、死ぬ、それが問題だ。……三神勲訳です。
生か、死か、それが疑問だ。……これは福田恆存訳です」
生か、死か、と最後の訳を土方悦子が高らかに読むと、それがあたかもハムレットの声となって前面にある灰色の古城の頂上にならぶ凹凸の胸壁《パラペツト》のあたりを、ハムレットその人が腕を組み沈思な姿で彷徨しているように思えた。
このとき、
「あれ、あれ、あそこに人が!」
と団員のなかで叫ぶものがあったので、門田は、土方悦子の坪内逍遙を偲ばせる名朗読に(門田はもちろん逍遙の講義を聴いたことはないが)、ハムレットの幻影でも現われたか、と城壁を見上げると、そこにはたしかに人が立っていた。
「あれ、あれは藤野さんじゃないの?」
つづく団員の昂ぶった声のとおり、藤野由美が気どった姿態で立っていた。灰色の城壁上の一点の色彩は、まことに効果的であった。
よく見ると、城壁下の別なところにアメリカ人らしい男のグループがカメラをかまえていて、それが下から声をかけて上にひとりで彳《たたず》む藤野由美にポーズの注文をつけているのだった。アメリカ男の陽気な要求にしたがって、藤野由美は、右をむいたり左をむいたり、身体を半回転させたりしていた。撮影のグループは昨日の人魚の像のところで彼女を撮っていたのとは別人であった。
それにしても、藤野由美はアメリカ語がよく判るわいと、門田は呆れる一方で感心した。彼女のこの行為は、再び団員たちの反感を起させるにちがいなかったが、
「あんな高いところにひとりで上って、カメラのモデルになったりして、怕《こわ》くなかったですか?」
降りてきた藤野由美に、門田が多少の皮肉をこめて云うと、
「いいえ、なんともありませんでしたわ。わたしは、カメラなんか意識してませんでした。あの上からは海峡ごしに対岸のスウェーデンの町がよく見えて、美しい景色でしたわ」
と、藤野由美は、けろりとしていた。
だが、彼女のその特別な癖は、それだけに終らなかった。
クロンボール城からコペンハーゲンまでの帰途は、ヘルシンゴーと最も狭いところで対い合うスウェーデンのヘルシングボルイを北端に、エレサンド海峡に沿って南下し、その間、絶えずスウェーデンの青い丘陵と、その麓にかたまる白い町を眺望するのである。こちらは針葉樹の森がハイウエイの傍につづき、闊葉樹の木立があるかと思うと、その下には必ずリスが駆けめぐっていた。
やがて一見して別荘地と分る町にバスはとまった。三時になったので、門田がレストランの前に着けさせたのだった。店は深い木立に三方を囲まれていた。ほうぼうに見える別荘は森の中にひっそりと静まっているが、婦人たちが寒い風に黄色の髪をなびかせて自転車で走っていた。こういう風景の中で見る金髪はやはり豪華であった。
ホテルもあったし、病院もあった。
「ここはクラペンボールというのです。コペンハーゲンの人たちは、ここをデンマークのリビエラと称して、ここに別荘を持つことを一生の夢にしているそうです」
門田は、コーヒーや紅茶をすする団員たちに云った。
海岸も木立の間から見え、海には白い鴎が飛翔したり浮んだりしていた。ハイウエイには、車の通行する間をキジが長い尾を伸ばしてゆっくりと森にむかって歩いていた。
団員たちが感嘆の眼をむけているなかで、ひときわ高い声が門田の横で聞えた。
「わたし、できたら、此処に小さな別荘を持ちたいと思いますわ。ねえ、門田さん。日本人がここに土地を買うのをデンマークの法律は許してくれるかしら。それとも、手続が面倒かしら?」
「さあ」
門田は、真面目な顔で問う藤野由美に面喰って、
「ちょっと、そのへんは知りませんね。調べてみないと、なんとも云えません」
と、答えた。まわりにいる女たちの眼が鋭く藤野由美と自分の顔に集中したのも、彼のあわてた原因であった。
コペンハーゲンのロイヤル・ホテルに帰ると、門田は今日の藤野由美の言動が団員たちにどのような影響を与えているか、その具体的な反応が知りたくなった。これは一人一人についてたしかめるわけにはゆかないので、土方悦子にまず聞いてみた。
「そんなことは気になさらなくてもいいと思いますわ」
土方悦子は、何でもないといった顔で答えた。
「そうかねえ?」
「ああいうタイプの女性は、どこのグループにもかならず一人や二人は居るものですわ」
「ふうむ。しかしね、昨日の人魚の像のところといい、今日のクロンボール城でのことといい、藤野由美さんは変っているよ。変りすぎているというのは、つまり、自己顕示欲が強いという意味でね」
「そういうひとは、いつも自分がグループの中心にならないと承知できないのです。話題はいつも自分が中心、集っているなかでは常に自分がイニシャーチーブをとらなければ納得できないんですわ。もし、人から少しでも無視されようものなら、こんどは自分が積極的な発言をするなり行動に出るなりして、みなの注目を集めたくなるんです」
「そんなひとは、ほかの者から反感を買わないですかねえ?」
「それは好意はもたれないでしょう。けど、またはじまったかと思って、軽蔑されるだけです」
「しかし、昼食に寄ったヘルシンゴーのレストランでは、多田マリ子さんが藤野さんに対抗するようにキャビアのオープンサンドウィッチを買ったね。しかも藤野さんよりは数が三つも多かったですよ。あれで、みんなは爽快な顔になっていた。ぼくは観察していたけれど。あれなどは藤野さんに対するみんなの反感の現われだと思うね」
「チーフはよく見てらしたんですのね。たしかに多田マリ子さんはあの場合、ちょっとした英雄になっていました。けれど、藤野さんの性格がみなさんに分るにつれて、もう興味もなくなってくるんじゃないでしょうか?」
「そうなってくると、いいんだけどな。女性はとかく同性の仲間には感情過多になるからねえ。ぼくは藤野さんの言動が反撥を呼び、波瀾を起さなければいいがと思ってますよ」
門田はまだ憂いが完全には去らなかった。
「チーフこそナーバスですわ。みなさんは今日の藤野さんの言動をそう神経質には捉えていませんよ」
「そうなら、ありがたいけど。添乗員というのは、取越し苦労が多いんです」
「それは分ります。責任がありますからねえ」
土方悦子は小さい顔に同情の色を見せた。
「そのつづきになるけど、クラペンボールのレストランで藤野由美さんから、ここに別荘を持ちたいけど、デンマークの法律で日本人はどうかしらと真顔で訊かれたのには毒気を抜かれたね」
門田は苦笑いをした。
「あれは、藤野さんがオープンサンドウィッチのことで、多田さんに捲き返しを試みたのだと思いますわ。みなさんは、きっと心の中でばかばかしいと思ってらっしゃるにちがいありません。それに、あのお二人はとくべつじゃありません?」
「とくべつとは?」
「藤野由美さんは美容デザイナーを称していらっしゃるでしょう。多田マリ子さんは大阪のレストラン経営者ですが、あの様子ではバアのマダムといったところですね。美容院の経営者とバアのマダムでは、どちらも見栄を張るご商売ですわ。だからお互いに触発されて、対抗的になるんじゃないでしょうか。そりゃ、藤野由美さんのほうにチーフの云う自己顕示欲がより強いと思いますけど」
「うむ。まあ、あの二人は似たりよったりでしょうがね」
門田は、小柄なために年若く見えるが、土方悦子も存外に人間観察が届いていると思った。まるきり文学的なことばかり云っているようでもなかった。
門田がそう評価するのは、彼女の言葉によって、自分の取越し苦労の理由のないことを保証されたような気になったからである。これは土方悦子の単なる慰めだけでもあるまい。彼女はそういう追従《ついしよう》するような性質の女ではない。女性の心理は、やはり女性が見ぬいている、と思った。
その日の夕食では、門田がヘルシンゴーの小レストランですすめたにもかかわらず、だれ一人としてオープンサンドウィッチが百八十種類もあるというオスカー・ダビッドセンには行かなかった。やはり個人的な食事に浪費するよりも、前払いの会費でコミになっている定食のほうが気が休まるようであった。藤野由美も多田マリ子も、今日の張り合いで気疲れがしたのか、それとも一同をあまり刺戟しても悪いと自省したのか、みなといっしょに、お仕着せの料理の皿におとなしくうつむいていた。
このぶんなら、まずは心配ないと門田は安心した。土方悦子の確言の通りになりそうであった。
夕食が終ると、外がうす暗くなった。白夜の季節にはまだ早く、やはり夜は日本なみに暗かった。これが普通の観光団体だと、男たちにポルノ・ショップに案内してくれとせがまれるのだが、このローズ・ツアではその気づかいはない。
門田はビールが飲みたくなった。このコペンには何度か仕事で来ているので、穴場は分っていた。こんどは女ばかりなので、団員を誘うわけにはゆかなかった。引率者がひとりで脱出するのは無責任だが、さいわい土方悦子が助手代りに居た。
「どうぞ、ごゆっくりと行ってらっしゃい」
土方悦子はその留守を快く引きうけてくれた。
「チーフの心配なさるようなことは起りませんわ」
それでも明日は午前十一時の便でロンドンに出発するため、門田にはその準備の仕事がいい加減にあった。このホテルの支払いは、団員のなかでルーム・サービスを取ったものがないので計算は簡単だったが、あとは出国カードとイギリスの入国カードの点検があった。これらはすでに東京出発前に本社で記入要項欄にタイプで叩いてあった。空白なのは酒、煙草などの税関申告品の所持有無と、署名欄とであった。
申告品の有無は空港出発前は分らないにしても、酒や煙草を買ったとしても免税の制限数量以下であろう。貴金属、宝石などをコペンで買う気づかいはない。藤野由美も、もう二度とルビーの指輪は求めないだろう。かりにだれかがそういう宝石やミンクの毛皮を買ったとしても、難儀なのは羽田であって、ヨーロッパの各空港では問題でない。
署名欄《シグネチユア》だけは、本人の筆蹟でなければならなかった。この旅行参加のためにあわてて稽古したような幼稚なサインが半数近くあった。なにしろ三十枚である。
そのなかで、藤野由美と多田マリ子のサインは際立っていた。文字が上手というのではなく、書き慣れた筆蹟だった。いわゆる枯れた筆である。
門田は、その二人のカードを抜き出して土方悦子に見せた。
「ぼくは、藤野由美さんも多田マリ子さんもこのローズ・ツアの申込みにきたときに営業所で会っているし、眼の前で申込書に字を書き入れたのを見ているけれど、二人とも漢字は下手糞だったな。それなのに、どうしてこうも英字のサインが上手なのだろう? これは、書き慣れている字です。けど、藤野由美さんは美容デザイナーという名の美容師だし、多田マリ子さんはバアのマダムらしいが、両方ともお客に外人がいるのかなあ」
「そうとも限りませんよ。逆に漢字や仮名だととてもきれいな筆蹟だけど、英字だと同じ人とは思えぬぐらい幼稚な字を書く人がいます。わたくしの知合いにもいますわ。それは人それぞれの違いじゃないでしょうか?」
「うむ。そうともいえるが、このサインはやはり書き慣れています。線が少しも渋滞するところなく伸びている。ぼくは思うのだが、多田マリ子さんも英語が話せるらしい。藤野さんはアメリカ人の注文に応じて、人魚の像の傍や、クロンボール城でポーズをとっていたが、アメリカ人とのあれは注文者の英語が分るからです。通くて聞きとれなかったが、短い会話がスムーズだったのは、唇の動きや、両者の対応の仕方で、かなり話せると分りました。それに、彼女は日本の商社マンとどこかで別れて人魚の像のところにひとりで来たというが、それだって英語でないとタクシーの運転手には通じなかったろう。また、多田マリ子さんの場合も、藤野さん同様、通訳なしで店員とやりとりしていたからね」
「チーフの観察は当っていると思いますが」
土方悦子はおだやかに反論した。
「そうとも限らない見方だってあると思いますわ。カメラのポーズの注文ぐらいは相手の手つきでも分ることだし、カンのいい人なら、単純な単語で諒解します」
「まあ、それもそうだがね」
門田はそれ以上は争わなかった。いまは、どっちでもいいことであった。それよりも飲みに行くほうに心が走っていた。
そんな事務的な手間に時間がかかったので、門田がホテルをひとりで出たのは九時をまわっていた。
タクシーをひろって、「ピーレゴード」と命じた。タクシーは市庁舎広場からストロエットに入る道とは別な横町に走りこんだ。横町はさらに裏通りとなり、その裏通りをぐるぐると回った。
降りたのは狭い道で、あたりの家は暗かった。疎らな外燈が石だたみの模様を立体的に浮き出していた。門田は暗い家と家との間の路地を入って、やはり表の暗い一軒のドアを肩で押した。ドアには店の名が彫りこんであるが、明りが乏しいので読めなかった。が、名が「ピーレゴーデン」とあるのを知っていた。ピーレゴーデンとは、ピーレゴード通りの店というほどの意味である。
ドアを開けたとたんに、中の煙が渦巻いて流れてくるのが、吊りランプの光に映った。それと檻《おり》の中で湧き立っているような話し声であった。ドアを閉めると煙草の煙は外に出るのを遮られて逆戻りし、客の群の上で新しい渦をつくった。
若い男女が身体をこすり合わせて室内に腰かけていた。あちこちに置いた木の卓は、布も何もかけてなく、木目も分らぬくらい、斑点《しみ》をつけてきたなくなっていた。それぞれの卓には裸蝋燭が空きビール瓶の口にさしこんであるが、瓶の口は垂れ落ちた蝋が白くもり上っていた。
すし詰めの若い男女は話に夢中になっていて、だれが入ってきても見むきもしなかった。顔をむけるのは仲間か恋人を待っている者だけなのである。赤毛の長髪と口髭に顎髯の男、黄色い髪が肩を掩って垂れ下り、眼も頬も隠れている女、よれよれの上衣やズボンに、ちぐはぐなシャツの重ね着、ゴミ箱から出たような穢《よご》れかたとなると、その種族は一目瞭然であった。
門田が坐り場を眼でさがして立っていると、額は禿げ上っているが、赤い頬髭だけが豊かな五十すぎのおやじが、つき出た腹の下に鼠色になったエプロンを当てて、にこりともせずに、ビールを運ぶついでに彼のそばに寄ってきた。
「いつ?」
こっちに来たか、と酒場のおやじは門田にきいた。
「昨日、こっちに着いてね。例によって例の仕事さ」
日本語ではこう云うつもりの英語を門田はあやつった。
「あんたの坐るところなら、あすこにあるよ」
おやじは顎をしゃくった。デンマーク人の英語だから、ドイツ語のように捲き舌で、アクセントが強かった。
おやじの指示だから、門田は若いヒッピーの間に割りこんで腰を下ろした。先客は、ちょいと臀を動かしただけで、仲間との議論に夢中になっていた。声は決して大きくはない。叫びもしないし、笑いもしない。普通の話し声が集塊となって檻の中に居るような喧噪に聞えるのである。
門田は、ビールを待ちながら、あたりをぼんやりと見回した。地元のデンマーク人が多いのは当然だが、各国人が集っている。東洋人は、いまのところ門田一人だった。が、べつに注目されることもなかった。
きたない卓上に置いたビール瓶の裸蝋燭は三センチくらいの短さになっていて、瓶のまわりは流れた蝋が結氷した滝のようにかたまっていた。門田のすぐ前にいる金髪のデンマーク女の半顔に火の影が揺らいでいた。照明といえば、蝋燭のほかに、天井から一つだけ吊り下がっている洋燈《ランプ》だけで、うすぐらい橙色の火がホヤの中にともっていた。
女には連れがなく、群のなかにひとりぽつんと坐っていた。傍が少しだけ空いているのは、あきらかに待ち人の坐り場所を確保しているのだ。その女は、まわりにいる娘たちよりも少し年齢がいっていて、二十五、六くらいにみえた。顔の造作の大きいのはこの国の女に普通だが、なかなかの美人だった。服装もほかの者よりはこざっぱりとしていた。その女はビール一本を置いて、ゆっくりと飲んでいた。ときどき休んでは煙草を吸った。もっとも周囲の男たちも痛飲することはない。ほとんどの者が笑っても声を出さず、ニヤリとするくらいで、陰気な笑いであった。
男たちの議論は、デンマーク語だから門田にはさっぱり分らない。いつかおやじから聞いたところによると、ほとんどが革命論かドライな猥談だという。彼らの表情からは、マルクス・レーニズムの理論闘争なのか性愛論なのか門田には読み取ることができなかった。もっとも後者では、男が女の乳を長いことかかって撫でたり、耳朶を舐めたりするのがいるから分った。話合いが決まると、両人で出て行く。フリーセックスの国だから、その行先は知れていた。
やっとビールと、つまみものが門田の前に運ばれた。皿はなく、紙ナプキンに包んだフォークの先にハンバーグの団子が一つ刺さっている。暗いから、よく近づけて見ないと団子の正体が分らない。
門田がコップの二杯目を飲んでいると、入口にむけた前の女の眼が輝いた。蝋燭の火だから女の瞳はまさに真赤に光った。彼女は唇から煙草を放して、その手を合図に高く挙げた。
飲み客の間を分けて女のそばに恋人は来た。黒い髪と黒い髭であった。顔の色もここでは暗い。白い顔の女は、背の低い東洋人を嬉々として迎え、大柄な身体を片寄せて男を坐らせた。
日本人だとは、お互いの顔つきで分るものである。外国の空港や街頭などで出遇って顔をそむけ合うのは、自分の顔が鏡に写ったように|てれ《ヽヽ》臭いからである。が、飲み屋の卓を挟んで真正面に坐られたのでは、挨拶をしないわけにはゆかなかった。
「いつ、こっちにおいでになりましたか?」
門田が同じことを云う前に、前の男が口を切った。むろん日本語である。対い合って、どちらもにやにやしていた。おかしくはない。まわりの人間がそういう笑い方であった。
「昨日です。あなたは?」
門田が訊いた。髪は普通の長さで、髭だけがこのごろの恰好だった。若いかもしれないが、この暗さでは三十前後にみえた。細い眼をしている。
「ぼくは、ずっと、こっちに居るんです」
男は黒い髭の間から白い歯を見せ、眼が糸のようになった。
「ずっと? ははあ、このコペンにですね?」
傍に恋人らしいデンマーク女がいるので当然にそう思った。女は、先刻とは見違えるように明るい表情になり、彼のために新しいビールを取りにカウンターへ立った。
「そうすると、商社の方ですか?」
門田の頭には、藤野由美の話に出る商社マンのことがよぎった。
「いや、そういう結構な身分じゃありません。病気していても身体を動かさないと食えない商売ですよ」
男は、ポケットをさぐって名刺を出した。
≪日本スポーツ文化新聞・週刊「ヤング」・週刊「情報界」・月刊「新世界」=ヨーロッパ特派駐在員≫
これだけが右肩の上に小さな活字でならび、中央に「鈴木道夫」とあった。左の下隅には≪オランダ国アムステルダム・ニューベンダイク街一〇七番地一七六八号≫と虫のような活字がならぶ。裏側が英字なのはもちろんだった。
「ははあ、ジャーナリストの方ですか?」
門田は、名刺の鈴木道夫という髭の青年を見た。その顔にも火影がまだらに動いた。
「ジャーナリストというと体裁がいいのですが、実はフリーのルポ・ライター兼カメラマンです。名刺に出ている雑誌とは一応の契約をしていますが、定収入はありません。こっちから送るルポや写真に対して原稿料支払いなんです。それらの雑誌のむきむきに応じてルポと写真を送っていますがね」
ルポ・ライター鈴木道夫は東京弁の歯切れのいい口調で云った。煙と騒音の中である。
「アムステルダムにお住いのようですね?」
「ヨーロッパじゅうを歩くのに便利がいいからですよ。あそこだと、東西南北どこへでもすぐに出かけられる。連絡場所にしています。契約した各社はもちろん、それ以外の雑誌社から注文があれば現地にとんで行きます。こういうのは、旅費が請求できますから歩《ぶ》がいいんです。ハイジャックとか金持の息子の誘拐事件とかね」
戻ってきた女の注ぐビールのコップを彼は一気に飲み干した。
「面白そうなお仕事ですね?」
「面白いときもあるが、つらいときが多いですな。東京から注文の電報がくるような大事件はそうやたらとありませんからね。小さな出版社は、大新聞社のように特派員をおいてないから、ぼくのような人間をその代りに仕立てて、誌面では本社特派員などと肩書をつけていますが、生活費の保証はありません。まあ、便利屋みたいなものですな。だから、こっちでネタをさがして歩き、いま云ったように向き向きの社にルポと写真を送りつけ、送金してもらうのです。そのネタさがしが苦労なんですよ」
デンマーク女性は鈴木に肩を凭《よ》りかからせていたが、二人で何を日本語で話しているのか訊きたげに視線を彼の横顔に当てていた。
「ところで、失礼ですが、あなたはこっちのほうへは観光でいらしたのですか?」
鈴木はきいた。
「それだといいのですが、その観光団を案内してくる役なんです」
門田は名刺を出した。
鈴木は細い眼でその活字を読んだ。
「なるほど。そういうお仕事ですか。道理で、ピーレゴーデンに日本人が一人で来ていると思いましたよ。このきたない居酒屋を知っておられるなんて、よほどコペン通だと思いました」
「添乗員の先輩に教わったのがはじまりです。去年も二回はここに来ました。おやじとも顔馴染になりましてね」
「観光団員の人はここに連れてこられないのですか?」
「男だとこれまでも連れてきました。こんな居酒屋だからよろこばれましてね。ところが、こんどのは女ばかりの観光団ですから、連れてくるわけにはゆきません。で、ぼく一人だけで来たわけですよ」
「女ばかりの観光団ですって?」
ルポ・ライターは興味を示した。
「それはちょっと変っていますね。近ごろ、そういうのがはやっているんですか?」
「いや、そう滅多にはありませんね」
「それじゃ、あなたはまるで女護が島に乗ってヨーロッパ旅行をしているようなものじゃありませんか?」
「そうはゆきません。仕事となりますとね。女ばかりの団体というと、いろいろ面倒なことがあります」
門田は苦笑した。
「どちらを回られるのですか?」
「これからイギリスに行き、スイス、フランス、イタリア……」
と、門田は行先を述べた。
「女ばかりの団体で面倒なことといえば、どういうことですか?」
鈴木は細い眼を開けて門田をのぞきこんだ。すでに職業的な好奇心が光る瞳に宿っているようにみえた。
「まあ、女性ばかりですからね。神経は細かいし、他人のすることが気になるし、口はうるさいし、対抗意識のようなものは出てくるし、ぼくも気を使うわけです。このコペンは旅行の第一歩で、ヨーロッパに着いたばかりですから、まだ、そこまではゆきませんがね」
門田は、相手がルポ・ライターなので要心をした。鈴木は、面白そうなネタを探して歩いているといった。この女性観光団のことを取りあげて、興味本位に潤色された読物的な記事を東京の雑誌社に送られでもしたら迷惑千万であった。鈴木の名刺についている新聞でも雑誌でも、門田は名前だけは知っているが、いずれも二流以下であった。そのうち「日本スポーツ文化新聞」というのは、半分はスポーツ記事だが、半分は芸能界のスキャンダル的な噂話、男の読者がよろこびそうな女の出来事で埋めていた。そんなところに、王冠観光旅行社のローズ・ツアのことが、おもしろおかしく歪曲《わいきよく》されて出されでもしたらたいへんである。団員の家族からは会社に問合せと抗議が殺到するだろうし、門田は社に責任をとらされるだろう。──
鈴木は、名刺の各新聞・雑誌社とは名ばかりの「契約」で、定収入はないと云ったばかりである。彼は記事を各社に送りこむことによって生活している。逆にいえば、ヨーロッパで生活するために話の材料を求め、記事をでっち上げているのだ。アムステルダムに住んでいるというが、そこは郵便物などの連絡先であって、実際はヨーロッパを浮浪する根なし草の生活であろう。帰国の機会を失った留学生などがこの鈴木のような仕事をして暮していると聞いたことがある。
げんに、横にデンマーク女を連れているが、これだって色恋半分、生活半分の関係のように思われる。コペンでは彼女のアパートに転がりこんでいるのではなかろうか。
門田の警戒が鈴木にも分ったか、彼はそれ以上は質問してこなかったが、こんどは女にせがまれて、いまの門田との会話をかいつまんで聞かせていた。デンマーク語はかなり達者のようだった。
女は、話を聞いて、門田をちらちら見ていたが、鈴木に何か云った。それを鈴木が紹介かたがた通訳した。
「このひとは、デンマークの女性ジャーナリストなんです。雑誌の編集者で、そしてウーマン・リブの運動家でもあります」
門田は、へええ、といった面持で女を見た。女は長い金髪を波うたせて門田にうなずき、にっこり笑った。魅力のある笑顔だった。
「で、彼女は、エギ・ナギコをあなたが識っているかと訊いています」
門田は、あっと思い、もう一度、彼女の顔を熟視した。
「江木奈岐子さんというのは、旅の随筆家でもあり、評論家でもあるあの婦人のことですか?」
一応たしかめないと、同姓同名、この場合は同音ということがあった。
鈴木は、すぐ女にデンマーク語で云った。女は、鈴木に口早に何か云った。彼はそれにまた口早に答えていた。そういう問答が二、三交わされた。前で聞いている門田には何のことだか分らなかったが、たぶん鈴木も江木奈岐子の名前を知っていて、彼なりの立場で女に同一人かどうかをたしかめたのであろうと思った。
「やはり、その江木奈岐子さんらしいですね」
鈴木は、微笑しながら門田に通訳した。
「このひとは、ミス・トルバルセンというのです。アンデルセンの銅像を製作した有名な彫刻家と同姓ですが、もちろん関係はありません。さて、四年前の夏に、江木奈岐子さんが、このコペンにひとりで見えたとき、このひとは江木さんと知り合ったのだそうです。日本の女性エッセイストとコペンの女性編集者ですから気が合ったのでしょうね。で、二人きりでデンマークのほうぼうを歩いたそうです。そういえば、江木さんは『白夜の国・女のひとり旅』とかいった旅の随筆集を出版されましたね? ぼくはもう大分まえに読んだので、すっかり忘れてしまいましたが……」
「ええ、そうです。あれはたしかデンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧三国での紀行文だったと思います。実は、ぼくはまだ読んでいませんが。江木さんは独身ですからね、海外旅行でも世界の辺鄙な土地に、ひとりでよく出かけられます。女のひとり旅が読者に好評なんですね。……いや、ふしぎですね。実は、こんどの観光団には江木奈岐子さんを講師におねがいしてたんですが、江木さんの都合が悪くなって、途中でオリられてしまったんです」
鈴木は、そのことを女に通訳した。女が眼をみはって何か云った。
「江木さんにお会いできなかったのは、たいへん残念だ、東京に帰られたら、江木さんによろしく、といっています」
鈴木は、彼女の伝言をつたえた。
「承知しました。申し伝えます」
門田がミス・トルバルセンに軽く頭をさげると、彼女は、にっこりしてそれに答えた。
門田は鈴木の顔に眼を戻した。
「鈴木さんは、江木奈岐子さんをご存じですか?」
「いや、お名前だけです。文章の上でね。ご本人にお遇いしたことはありません」
「ああ。なるほど。江木さんの書かれたものは、いかがですか?」
「そうですね。ちょっと云いにくいけど、やはり旅行者の眼ですね。それも女のね。われわれのように、こっちに長く住んでいる者には、気になるところが多いです」
鈴木は、江木奈岐子を批判した。
「そうでしょうね。やっぱりこっちに住んでいらっしゃる人からみると、変なところがあるでしょうね?」
門田は、それが当然だと思って同感した。
「ええ。やっぱり旅行者の表面《うわべ》の観察ですね。それに、こまかいところでは事実上の間違いが少なくないです。あれは、今月の十日ごろの朝陽新聞の文化欄でしたか、江木さんがノルウェーのフィヨルド地方の旅の想い出を載せていましたが、あの短い文章のなかに間違いが少なくとも五つありましたよ。まあ、思い違いはだれにでもあることですが、あれはちょっとヒドかったです」
鈴木の江木奈岐子批判はだんだん辛辣になっていった。
そこには、日本で著名な全国紙の文化欄にも登場できる随筆家兼評論家に対する無名のルポ・ライターの反撥、敵意といったものが門田には感じられた。鈴木は、自分でも云う通り、日本の二流新聞や雑誌にとっては「便利屋」であり、根なし草であった。ヨーロッパを浮浪しているような下積みの境涯では、江木奈岐子に対して|ひがみ《ヽヽヽ》も出てこようというものである。しかし、彼にもいつの日にかヨーロッパ通のジャーナリストとして浮び上る期待と夢があろう。
門田はそれにうっかり相槌を打つこともできなかったので、
「朝陽新聞の今月十日ごろというと、まだ十日も経っていませんね。それは、どこでお読みになったんですか?」
ときいた。鈴木は鼻を擦《こす》った。
「アムスです、朝陽新聞ぐらいになると、日本人の多いヨーロッパの都市なら、どこにでも来ていますよ」
「ふむ。そうでしょうね。ところで、そういう新聞の政治面とか社会面を見られて、日本が恋しいと思うことがありませんか?」
「たしかに郷愁は感じますね。最近では、日本に三年前に帰っただけですから。そう、二年か三年ごとに、契約出版社などと仕事の打合せを兼ねて里帰りしています」
鈴木は帰国をあえて「里帰り」といった。ヨーロッパにすっかり馴染んでいるのである。根なし草だが、それはヨーロッパという沼の中であった。デンマーク女といっしょになっている境涯も、風の立つ沼のさざなみにゆられて押し寄せられたはずみであろう。同じように、オランダ娘やフランス女ともふれ合っているであろう。
門田は、鈴木と話しているのが何だかうら寂しくなった。
こちらの気持は顔に出るから、相手には伝わるものである。それかあらぬか、鈴木は、ふいとこんなことをいった。
「ぼくもね。こんなふうにヨーロッパを放浪しているような不安定な独身生活から、早く足を洗いたいと思いますよ。その希望の足音のようなものが、遠くから近づいていますがね」
「ほう。それは、けっこうですね。では、いよいよ日本に帰られて結婚されるのですか」
門田は、裸蝋燭の灯に燿《かがや》く彼の瞳を見つめた。
「いや、必ずしも結婚とはいいませんがね。ま、形式はいろいろとありますからね」
鈴木は言葉少なに答えたが、その口吻は明るかった。
鈴木にしても、このヨーロッパの根なし草的な生活がイヤになってきたのであろう。若い時分には面白くてたまらなかったものが、次第に滞在が長くなり年齢《とし》をとるにつれて倦怠を感じ、さきざきの生活に不安をおぼえるようになる。このままだと異国のどこかで野垂死《のたれじに》という予感にも襲われるのであろう。実際、採用してくれるかどうか分らない通信を「特約」の新聞社や週刊誌の雑誌社に送りつける生活にも彼は疲れたにちがいない。帰国して結婚し、落ちついた暮しに入りたいという心境になっているのは、もっともだった。
が、結婚といってもヨーロッパの気儘な生活に馴れている彼には、固苦しい結婚生活には自信がないのかもしれない。そこで、いろいろな形式があるという。つまり同棲生活を意味しているようだ。これだと別れるのも自由である。同棲は、現に眼前でデンマーク娘と肩を寄せ合っているように、鈴木の性分《しようぶん》に合った結婚形式なのだろう。
鈴木は、「希望の足音が遠くから近づいている」といった。そのいいかたには、漠然とした具体性といったものが感じられる。つまり、鈴木には、その|当て《ヽヽ》があるらしいのだ。だからこそ、瞳も灯にかがやき、言葉も明るくなったのであろう。門田の同情的な表情に反撥して、思いつきでいったのでもなさそうである。
「では、ごきげんよう」
門田はせまい腰かけから立ち上って、鈴木とデンマーク女に別れを告げた。
「帰ったら、江木奈岐子さんには、かならず、あなたに遇ったことを伝えます」
これは女に云って、また鈴木に通訳してもらった。
朝、七時半に門田はベッドを起きた。後頭部に睡気が鈍く残っていたが、今日は午前十一時発のロンドン行の飛行機に乗る。十時までにはカストルップ空港に入っていなければならず、そのためには一同が八時半に食堂へ集合して朝食をとることになっていた。女性ばかりだから、ホテル出発までにも化粧や準備に時間がかかるので、門田はそのぶんの余裕をみている。
八時すぎにドアがたたかれた。
「お早うございます」
土方悦子が入ってきた。あっさりと化粧をして、頬にも生気があった。昨夜もよく睡ったらしかった。
その顔を見ただけで門田はまた安堵した。やはり昨夜は団員に面倒ごとはなかったと思った。
土方悦子は出発に際しての簡単な打合せをしたあと、
「昨夜は、遅かったのですか?」
と、眼もとをかすかに笑わせた。
「知った飲み屋に行ってね、帰ってきたのが十一時ごろでした」
「お酒のお帰りにしては、わりと早かったんですのね」
「やはり、こっちのほうが気になってね。あ、昨夜はべつに問題も起らなかったのでしょうな?」
「ええ、みなさん、お静かでしたわ。古城めぐりが遠かったので、お疲れになったのでしょう」
「けっこうでした」
門田は満足した。
では、二十分後に食堂で、と出て行こうとする土方悦子を門田は、ふと呼びとめた。
「そうそう。あなたは、江木奈岐子さんの『白夜の国・女のひとり旅』というのを読みましたか?」
もちろん読んでいるだろう。土方悦子は江木奈岐子の家によく出入りし、親しい間柄だという。そのために江木奈岐子は彼女を自分の代りとしてこの観光団への参加を自分に推薦したほどだった。
「ええ、拝見してますわ」
果してその返辞であった。
「そのなかに、デンマークではトルバルセンという女性といっしょに歩いたという文章がありましたか?」
土方悦子は、瞳を上のほうにむけて記憶をさぐるようにした。
「それはユラン半島のところだったと思います。オーフスからユーリングへ。スカーエラック海峡に面した北端スカウンまでの旅。たしか、そこにデンマークの女性と同行したとありましたが、そのミス何とかという名前は出ていなかったと思います」
「ああそう。では、それだな」
「どういうことですか?」
「いや、昨夜の居酒屋でね。日本人のルポ・ライターというのに遇った。その男の伴れていたデンマーク女がミス・トルバルセンというのだった。四年前に江木奈岐子さんといっしょに歩いたと云ってね。日本に帰ったら、江木奈岐子さんによろしくとことづかった。そうだ、あなたから江木さんにそう伝えてくれませんか?」
「わかりました。ミス……?」
「トルバルセン」
土方悦子は手帳に控えた。
「チーフはデンマーク語も話されるんですか」
彼女は、メモしたあとで訊いた。
「いや、それは鈴木氏が日本語でぼくに取り次ぎましたね」
「あら、そうですか。私はまた、チーフがデンマーク語までおやりになるのかと思いましたわ……。それにしても、そういった挨拶はご本人の口から云われたほうが親しい感情がこもるのに」
「彼女は、英語が分らないのかな。鈴木氏とはデンマーク語で、ひそひそとやっていたから」
「そんなことはないでしょう。江木先生の通訳で歩いたという人だから。先生は英語だったでしょう」
「あ、そうか。なるほどね。ちょっと妙だな。それなのに彼女、全然、英語はぼくにしゃべらなかったですよ。鈴木氏とぼくの、彼女にとってはチンプンカンプンな日本語のやりとりを傍でじっと聞いているだけでしたから」
「そうですか……。その間、彼女はチーフにはちっとも話しかけてこなかったんですか」
「話しかけなかったですね。……いや、そういえば、彼女は何かぼくに云おうとした素振りはありましたね。けど、止《や》めましたよ」
「どうしてですか」
「どうも鈴木氏が止《と》めたようでしたね。彼はデンマーク語で彼女に口早に何か云ってましたから」
「なぜでしょう?」
「女が初対面の日本人に余計なおしゃべりをすると、みっともないと鈴木氏はぼくの手前を慮《おもんぱか》ったからじゃないですか。デンマークの女は相当に饒舌ですからね。しゃべりはじめると際限がなくなります」
「そうですか」
土方悦子は眼をみはっていた。
「鈴木君は、もちろん英語も独仏語も達者でしょうが、デンマーク語も話せるし、やっぱりヨーロッパのコスモポリタンだな」
「その鈴木さんという方は、こちらで、どういう仕事をなさっているのですか?」
「名刺をくれたけどね。それには日本スポーツ文化新聞とか週刊誌とか、そういうもののヨーロッパ通信員と書いてありましたよ。通信員といっても名刺上の肩書だけで、実際はこっちの出来事を原稿にして送り、その原稿料の送金で生活していると思いますね。そんな手合いはヨーロッパに長く居ついて、半分流浪生活のようなものだからね」
門田はポケットから昨夜もらった鈴木の名刺を出して土方悦子に見せた。
「あんまり聞いたことのない新聞や週刊誌ですね」
「二流新聞や二、三流の週刊誌ですよ。ポルノまがいのエロ記事で売っている週刊誌ばかりだ」
門田は軽蔑した口調で云った。
「でも、この方はアムステルダムに住所がありますわ」
土方悦子は名刺を門田に戻して云った。
「それは連絡場所でしょう。特約の新聞社や雑誌社との。ヨーロッパの各地を回ってはアムステルダムに戻ってくるんでしょう。彼は、そのアムスで読んだ朝陽新聞の四月十日付に載っていた江木さんのヨーロッパ紀行の随筆には少なくとも五つの事実的な間違いがあると痛烈に批判してましたよ」
「そうですか」
「江木さんの『白夜の国・女のひとり旅』にもそれがあると云ってたな」
土方悦子は、ちょっと考える眼になった。
「四月十日付の朝陽新聞というと、わたくしたちが出発する五日前の新聞ですわね。そんな新聞がアムステルダムにも来ているのかしら」
「来ているでしょうな。日航機は毎日ヨーロッパに飛んでいるから、そのつど、日本の新聞を積んで来ていますよ」
「そうですか」
土方悦子は、ほかのことを考えているように気のない返辞をしていたが、
「鈴木さんは、日本女性ばかりが三十人も観光旅行団体で来たというので、びっくりなさっていたでしょう?」
と、訊いた。自分たちの団体の評判は気になるものだなと門田は思った。
「いや、鈴木氏は、団体員の人数のことは何も訊かなかったですね」
「女ばかりでも、あんまり珍しくないのかしら」
土方悦子は少し失望の様子だった。
「あの男も、ヨーロッパずれがして、日本からの観光団には関心がないのでしょうな」
門田は云った。
「でも、女性ばかりの観光団というのは、珍しいと思いますけれどね」
「こっちはそう考えてますがね。彼は、いまの根なし草的な不安定な生活がイヤになっているようだから、何ごとにも虚無的になっているのかな。……そうそう、そういえば鈴木氏は日本に帰って結婚するようなことを云ってたな」
「近いうちにですか?」
「鈴木氏は云ってましたな。ぼくもこういうヨーロッパを放浪しているような不安定な独身生活から足を早く洗いたいと思いますよ。その希望の足音のようなものが、いま、遠くから近づいていますがねって、それがうれしそうでしたな。何か、そういうアテが彼にあるのでしょう」
女だけに、そんな話を、土方悦子は興味深げに聞いていた。
土方悦子が部屋を出て行って間もない八時四十五分ごろだった。ホテルのボーイが眼の色を変えて門田の部屋にとびこんできた。
日本女性が一階下の十七階の一七〇三号室で首を絞められて倒れているというのを上ずった声で告げたのだった。
背の高い、赤い制服のボーイが十七階の一七〇三号室から飛び出して、一階上に昇る階段を長い脚で飛鳥のように駆け上り、添乗員の部屋の前に到着するまでには少なくとも二分は要したろう。また、被害者の姿を発見するや否や、眼をむいて瞬時にボーイがその部屋を飛び出したわけでもなく、彼は床に横《よこた》わっている日本人婦人客の様子を凝視するのに一分はかかったろうから、彼が彼女を発見したのは八時四十二分ごろということになる。
門田はボーイの急報に魂を消した。はじめは場所が一階下で、そこはどの部屋もこの団体がとってなかったから、報告は見当違いだろうと思ったが、ボーイはドイツ語のような英語でたしかにおたくのメンバーの婦人だと急《せ》きこみのあまりに吃って云い、それよりも頻りと一階下を指さすのだった。
門田は、土方悦子を探しに出たが、こんなときには影も形もなかった。もっとも、彼女は彼女なりに出発近くなって十九階の一同をまとめているのかもしれなかった。門田は女性の事故現場に男の自分だけが駆けつけるまずさを考慮し、リフトを待つまでもなく悦子を呼びに階段を走り上ろうとしたが、ボーイは彼の手を握って方向が逆だと云わんばかりに階下にむけて引張った。いや、こういうときには女性の立会いが必要だ、といった簡単な言葉も出ず、門田が喘《あえ》ぐ思いで、どぎまぎしていると廊下に女が両手にスーツケースを提げて現われた。
「あ、星野さん」
多田マリ子の室友を見て門田はいくらかほっとして、
「土方悦子さんをすぐに呼んでくれませんか。たしか十九階の部屋に居るはずです。ぼくはこれから十七階の一七〇三号室に行きますから、急いでそこにくるようにって」
と口早に告げた。大柄な星野加根子は、のっぽのボーイに手を把《と》られて蒼くなっている門田の異常な様子におどろいたようだった。
「まあ、どうしたんですの、門田さん?」
「いや、ちょっと。……土方さんに来てもらえば分ります」
ここでだれかが殺されたらしいと云おうものなら、団員が蜂の巣をつついたように騒ぎ立てるのは目に見えているので、今は変事を気どられないようにと奔出しそうな声を懸命に抑えた。
「でも、もうすぐにバスで空港に出発するんでしょう?」
星野加根子は片手のスーツケースをゆすって見せた。
「そら、そうですが。いや、とにかく土方さんに十七階一七〇三号室に大急ぎで来るようにいってください」
「ええ、わかりました」
不審そうに見送る星野加根子の姿を残し、門田はボーイに引張られて階段を駆け降りた。脚がもつれたが、彼の頭の中も混乱していた。彼としても団員が殺されたのは初めての経験であった。
これからどういうことになるのか。警察から刑事がどやどやとやってきて、被害者の検視、解剖、参考人の取調べ──引率責任者の自分は当然に一番先に訊問される。それも二回や三回では済まないだろう。そうして三十人の団員全部がその取調べを受けるだろう。刑事どもは、この三十人のなかに犯人が居ると睨むかもしれない。むろん全員が足どめである。先のスケジュールは滅茶滅茶になる。旅行が出来ないばかりか、足どめを喰った期間中の滞在費はどうなるのか。団員のなかから一人でも二人でも被疑者が出れば、コペンハーゲン発の至急電で外務省と警視庁に報告され、それが新聞に発表されて新聞は一斉に大見出しをつけて書き立てるにちがいない。
≪観光団殺人事件! 女性団員、コペンハーゲンのホテルで絞殺さる!≫週刊誌はもっと煽情的だ。≪本誌独占≫──
こういう場合はどうすべきか。すぐに日本大使館に連絡したほうがよいかもしれぬ。正面玄関の上に日章旗の垂れ下っている大使館がこのホテルから程遠からぬところにあるのを門田は知っていた。万一、被疑者が出て警察に留置された場合、そのほうの面倒は大使館にまかせて、自分たちは予定通りの出発が可能かどうか。駐デンマーク大使館には日本から参事官の肩書で出向している警察庁のアタッシェは居ないかもしれない。そうだ、フランスが日本も参加している国際刑事警察機構《インターポール》の加盟国だ。するとパリから駐仏大使館参事官、実は警察庁の役人が飛行機でやってくる。怕い眼つきをして、困ったことをしてくれたね、君、国際的な恥辱だよ、そういう団員が事前にチェックできなかったのかね、とまるで共犯者のように睨むだろう。営利事業の旅行代理店にそんな眼光が届くはずはありませんよ、と抗弁しても重大事故を起した責任者としての弱い立場では、頭を下げるしかない。これが日本なら味方が多くて気丈夫だが、海外万里では孤立というほかはなく、商売の観光旅行には馴れていても、団員が殺され、団員に犯人が出るかもしれないとなっては、ただただ狼狽するばかりであった。本社には至急に国際電話を入れて指揮を仰がねばなるまい。その本社の手前を恰好づけるにはあまりに事故が重大すぎた。
団員との間には募集時の契約がある。かりに四、五日足どめを喰ったとしても、そのあとの観光予定はきちんと済ませ、約束は履行しなければならない。そうなるとこのホテルの払いは臨時ということになり、莫大な宿泊費・食費が要求される。悪いことに、観光団は見栄を張って、実はそれが客募集の策略でもあり、旅行社どうしの激甚な競争のためでもあるが、どこも一流ホテルばかりを契約している。予算はほんの二晩くらいのつもりの、ぎりぎりだから、それ以上に滞在が延びれば延びるほど大きくアシが出る。電報為替で送金してもらうにしても、なみたいていの金額ではなかった。社長、専務の苦り切った顔が眼に見えるようであった。が、ことによると、それだけではおさまらず、責任上から担当役員の広島淳平がやってくることになるかもしれなかった。
不可抗力の事故でやむを得ないと、団員も理屈では了解してくれようが、感情は別で、そこは女ばかりのこと、期待外れの不満と、不愉快で陰惨な殺人事件に足どめされた鬱憤とが昂じてヒステリー症状の激化が予想される。よりによって、そんな|面倒を起す女《トラブル・メーカー》が何で自分の団体に紛れこんできたのだろう。
いったいぜんたい、うちの団員が何で一七〇三号室なんかに入っていたのだろうか。十七階には一室も予約していないのだ。この団体は十八、九階で、そのことはみんなにもよく判っているはずだ。このアメリカ式の建物はどこの階《フロア》も部屋《ルーム》も外見がみんな同じだから間違わないようにと団員一同に、コンダクターとして門田も注意している。それなのに団員が一階下の部屋で殺されているという。どうしてそんな部屋に入りこんでいたのか。
──この門田の思案はたいそう長い時間を要したように思われるが、十八階から十七階への階段をボーイに引張られて駆け降り、降りたところから十メートルとは離れていない一七〇三号室の半開きのドアの前に来るまで、実際は三分ぐらいしかかかっていなかった。人間は危急の場合、脳味噌まで異常に昂奮するのか、あらゆる想念・思考がいちどきに瀑布のように流れるものらしかった。
ドアが半開きになっているのは、変事発見のボーイが部屋を飛び出したままだったからで、ほかの部屋は全部閉まり、緋の絨毯を敷いた廊下の左右にならんだ各室が遥か向うの一点に集中している状《さま》は、遠近図法による舞台の書割を眺めるようであった。
門田は、先に飛びこんだボーイの赤い制服の背中をおずおずと見ていたが、まだその室内の情景がよく分らないうちに、彼の眼には、女の他殺死体の恰好がまず浮んできて、脚を竦《すく》ませた。しかし、ボーイがこっちを振り返り、指を上にむけて掬《すく》うように手招きするので、胸を戦《おのの》かせながら室内に入ったが、死体は見えなかった。
その部屋はツインベッドで、奥のほうのベッドは薄茶色のカバーが整然としてかかっていた。入口側のベッドはカバーこそかけてあったが、それは皺が乱れ波打っていて、あきらかに凶行がこのベッドの上で遂行された形跡を見せていた。門田は、そこには誰の姿も眼につかないので、あの忌《いま》わしい殺害死体、二つのベッドの間から一方のベッドの下に押しこまれて隠されている半裸の白い肉塊を想像し、膝頭を慄わせながらも、責任上、勇を鼓してベッドの端を回って床に眼を落した。が、そこには死体の手も脚も出てないばかりか、着衣の端すらも見えなかった。
このとき、入口近い横のドアが軋《きし》って開いたので、門田は心臓を握られたようにびっくりした。洗面所に潜んでいた犯人が急に出てきたと思ったのだ。
しかし眼の前にひらいた色彩が蹌踉《そうろう》として揺らいだ。
「あ、多田さん!」
門田が幻を見たように棒立ちになった。横のボーイもあっけにとられたように呆然としていた。
多田マリ子は、よろよろしながら閉めたドアに背中を凭《も》たせかけ、咽喉に片手を当て、瞳を宙にむけて、大きな息をいそがしく吐きつづけていた。肩の背のあたりをドアにかけ、崩れ落ちるのをやっと踏みこたえているようなそのかたちは、ほどよい弓状を描き、酔余の艶《あ》で姿にも錯覚された。だが、その顔色は蒼白だった。
「多田さん、いったい、これは……」
どうしたのですか、と介抱半分、問い詰めようと近づきかけると、多田マリ子は空いたほうの片手をゆっくりと二、三度大きく振って、それ以上自分に寄らないでくれとの意志表示をした。
そうしている間も、彼女は自分の咽喉輪の前を片手で押え、いまにも嘔吐しそうに、ゲイ、ゲイと咽喉から声を出し、上を仰いでは、深呼吸をするのだった。
「階《フロア》を間違えて……この階でエレベーターを降りて……」
苦しい息の間を縫うようにして、そこから瞬きもせずに見詰めている門田に、彼女は喘ぎ喘ぎ云ったが、その声は老婆のように嗄《しやが》れていた。
「この部屋の前を通りかかると……いきなり……うしろから、抱きすくめられて……この部屋の中に引きずりこまれて……うしろから首を両手で……絞められてしもて……そのまま、うしろから押されて突伏しに倒されたまでは、ぼんやりおぼえてるけど……あとは、なんにもわからんようになりました」
ものを云うたびに、声を絞り出すように肩を上下させた。
「で、その男の顔は分っていますか?」
門田はせきこんで訊いた。
「へえ、顔はよう見てまへん。そんなひまなどはおまへんでしたわ。うしろから羽交締めにされましたのやから」
抑えていた手の蓋をぱっと除《と》ると、その咽喉の前には皮膚の掻きむしられたあとに血が滲んでいた。
門田が思わず一歩退ったとき、入口から土方悦子の顔が入ってきた。
その後にも五、六人の女の顔があった。
以後の騒動──処理に向っての騒ぎは門田を中心に竜巻のようにホテルの十七、八、九階の間を駆けめぐった。まず、十七階一七〇三号室から多田マリ子のふらふらした身体を十九階の土方悦子の部屋にみんなで運んだ。みんなというのは門田のあとから凶行の部屋に駆けつけた悦子をはじめ藤野由美、竹田郁子、日笠朋子といった顔ぶれだが、マリ子は肩を扶《たす》けられ、背中を支えられて昇降機《リフト》によろめきながら入った。彼女の商売柄、酔って介抱をうけている女が千鳥足で歩いているみたいだった。
マリ子を彼女の部屋に戻さずに、悦子の部屋に入れたのは、同室者星野加根子への気がねからで、悦子のとっさの計いだったが、適切な処置だった。
門田はここで決断を揮った。もし、空港行のバスがホテルの玄関に待っていなかったら、たとえ待っていても時間の余裕がたっぷりとあったら、門田の勇断はこうまで決まらなかったろうが、なにぶんにも時間が切迫していた。そのゆとりのない時間の中でこの突発事件の処理を完了せねばならなかった。自分がひき当てたこの貧乏|籤《くじ》を呪《のろ》ってばかりいるゆとりはなく、せかせかした気持は心臓まで汗をかいているようだった。
彼はボーイにチップをはずみ、つづいて眼をまるくして馳せてきたホテルの支配人と|客 室 主 任《ルームズ・マネージヤー》とに手短に「事故」について話した。
「さて、あなたがたはどうしますかね、当の婦人は頸を下手人の指によって掻かれた程度で、それ以上の実害はないのです。われわれは冷静にこれをおさめたい。それにわれわれは、あと二十分以内にバスで空港に駆けつけなければならない。予約したフライトをのがすともう一晩このホテルに滞在しなければならないかもしれないが、そうなると三十二人ぶんの部屋を都合してもらわなければならない。するとこの騒ぎは当然にホテルの内外に伝わるでしょう。暴漢が部屋を間違えた泊り客の婦人を空室に引きずりこんだとなると、このコペンハーゲン第一級のホテルとしても迷惑な事態を予想しなければならない。自分としては警察に被害を届ける気持はない。なにぶんにも出発時間がさし迫っているのですよ。しかし、あとになってこの突発事故が警察に知れたら被害届を出していないということでホテルのほうが大目玉を喰うかもしれないので、われわれの今後の行先と宿泊ホテルは日付順に書き遺しておくから、いつでも連絡してもらっていい。さて、あなたがたはどうしますかね?」
切羽詰った状態が門田を能弁にさせた。
ホテル側幹部は顔を見合わせ、どうかそういうことに願いたいといった。自分たちにしても他の客に無用な不快感を与えたくないというのだった。彼らはすっかり下手に出て、まるで暴行者がホテルのボーイででもあるかのように恐縮していた。もちろんこの椿事については全従業員に厳重な箝口令を布くといった。
門田が十九階に飛び昇り、コンダクター助手としての土方悦子の個室を開けると、多田マリ子が首に白い繃帯を巻いて椅子に凭りかかっていた。傍に悦子と梶原澄子とが付添っていた。
「お医者さんか警官かがくるんですか?」
と、悦子は門田に訊いた。
「両方とも来ない。ホテル側とは話をつけた。何しろすぐに出発しなきゃ間に合わない。さあさあ、みなさんに玄関にすぐ降りるように触れまわってください」
門田は悦子をせき立てると多田マリ子に近づいた。
「大丈夫ですか?」
のぞきこむと、マリ子は力なくうなずいたが、蒼い顔をし、吐き気がくるように咽喉元の繃帯の上を押えていた。
普通だったら、詳しい様子を聴取するところだが、いまはとてもそんな時間はなく、なにしろ災難が軽くて済んだのは不幸中の幸いでした。詳細な話は飛行機の中ででも伺うから、とりあえず自室の荷物をとりまとめて玄関に出てほしい、動けますか、大丈夫ですかと訊いた。
「警官はきてくれはらへんのでっか?」
と、多田マリ子はいかにも不満そうな顔で門田を見上げた。これだけひどい目に遇ったのに、警察も来ずに放置されるのが忿懣に堪えないようだった。当人にしてみればもっともなことだが、門田としては団体行動の上から我慢してもらうより仕方がない。が、そう云うとマリ子が自分の災難を無視したといって憤りそうなので、門田は気が急く中にも言い訳をし、事件の調査結果はたぶんコペンの警察からロンドンの警視庁に通報されるかもしれない。警察でもこの観光団のスケジュールの動かせないことを十分に理解しているので、到着先の警察署が責任者、つまり門田に事情聴取なりしてコペンの警察署に連絡し、それから署の腕利き刑事がこのホテルを中心に捜査を開始するだろうと、マリ子の納得がゆくように説明した。
多田マリ子は不承不承に椅子から立ったが、門田を振り返り、
「わたしを絞め殺そうとした手は、日本人やおまへんで。大きな手で、あれは外人ですわ。泊り客の一人ですやろ。たくさん泊ってはる外人のなかやから、このホテルを捜しても犯人は挙らへんと思います」
と、念を押すようにいってひとりで部屋を出て行った。
「あれ、大丈夫かな?」
門田は、多田マリ子の立ち直りかたの早さにおどろきもし、不安でもあった。
「もう大丈夫ですわ。わたしが応急手当てをしましたから」
声は梶原澄子だった。その声も眼も落ちついていた。
「ああ、あなたは……」
門田は梶原澄子が産婦人科病院長未亡人だったことに気がついた。
「ご主人がお医者さまでしたね? 助かりました」
亡夫が医者だから、その妻にも医術の簡単な知識や看護の心得があるというのは早呑みこみだが、門田の考えは世間一般の誤った常識どおりでもあった。
「いいえ、主人はそうでも、わたくしは医者ではありません」
梶原澄子は門田の錯覚を冷静に訂正した。
「でも、若いとき、主人の医療室を手伝っていましたから、怪我の手当ては一般の方よりはいくらか|まし《ヽヽ》かもしれません」
梶原病院も、ずっと以前はまだ小さかったので、若いころ、夫人は夫の命令でその医務を手伝わされたのであろう。看護の知識はそのとき身につけたのだ、と門田は察した。なんにしても、そういう女性が団員のなかに居たことで、門田はほっとした。外国を移動する旅先では、外部から看護婦を呼ぶことはできなかった。
「梶原さん。ありがとうございます。多田さんのことを、どうか、よろしくおねがいします」
門田は頭をさげた。
「わかりました。でも、こういう際は、お互いさまですわ。ご一緒しているお仲間ですもの」
梶原澄子は善意に満ちた答えをした。
[#改ページ]
ロンドンの「公園」
ロンドン行のSAS機は、定刻にコペンハーゲンのカストルップ空港を離陸した。もとよりスチュワーデスたちの顔ぶれは前と変っていた。アンカレッジから乗務したのよりは美人ぞろいだったが、愛嬌のない点でも揃っていた。
北の国の天候はさだめがたい。昨日は晴れていたのに、今日は朝から曇っていて、機が水平飛行に移ったころは、窓ガラスに雨が斜線で走った。
雲の中で、機内は梅雨《つゆ》の屋内のようにうす暗かった。門田は、団員たちを観察するために通路を往復した。とくに気にかかるのは、多田マリ子の様子だった。で、その座席の横には二度ほど立ちどまった。
多田マリ子は、窓ぎわの梶原澄子と、通路側の星野加根子の席にはさまれて、まん中に坐っていた。梶原澄子には多田マリ子の介添役に門田が頼んで隣に坐ってもらったのである。星野加根子は、多田マリ子の室友だった。
多田マリ子は元気だった。
「おおきに。もう、疵《きず》の痛みもおまへんし、気分もよろしですわ」
彼女は門田の見舞に、その席から礼を云った。その見上げた瞳と、身体の動かしかたに、客馴れした色気と嬌態《しな》とが見えていた。彼女の咽喉首のあたりには、肉色の絆創膏が小さく上品に切って貼ってあった。梶原澄子が手当てしたのであろう。もっとも、今日の彼女は襟の立ったスーツをきていて、その頸を隠していた。
その梶原澄子は、スチュワーデスから借りたグラフ雑誌に見入り、星野加根子は、旅行印象のメモか、小遣い銭の記入か、小さな手帳をひろげて臙脂色の軸のボールペンで何か記入していた。門田に最も気にかかるこの一列の座席は、なにごともなかった。
門田が自分の座席に戻ると、雨滴がたばしる窓を見ていた土方悦子が低く声をかけてきた。
「多田さんの様子は、どうですか?」
「大丈夫らしい。すっかり元気ですよ」
門田は、ようやく煙草を一本とり出した。
「それはよかったですね。今朝の騒動では、一時はどうなることかと思いましたわ」
土方悦子も愁眉を開いたといった表情だった。
「ほんとうです。ぼくも気が気でなかったです」
いま、その心配も想い出になりかかっていた。
「ロンドンのホテルに着いたら、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)から事情を聴きにくるでしょうか?」
「さあ。コペンハーゲンの警察が犯人を挙げたのなら別だが、そうでもない限り国際刑事警察機構《インターポール》に通知することもないでしょう。実害もないし、だれか泊り客の外人が人けのない廊下で日本女性を見かけて出来心に悪戯をしかけたという、いってみれば小さな事件ですからね」
門田は、自分に云い聞かせるように、なるべく過小評価をした。
「わたくしも、ホテル側が警察に届け出ないと思いますわ。ロイヤル・ホテルといえば、コペンハーゲンでは日本の帝国ホテルのように格式のある一流ホテルでしょう? 実害のなかった事故を届けて表沙汰になると、人気商売にさし障りがありますからね」
「そりゃ、そうです」
門田は勢いよく同意した。
表沙汰になって困るのは、自分の立場であった。これがコペンハーゲン警察署から発表されて、外電で日本の新聞に載ろうものなら、えらいことになる。新聞は、女性だけの観光団に起ったというので派手な紙面をつくるだろうし、そうなれば団員の家族から本社に問合せが殺到する。本社からもこっちにむけて、きびしい照会電報がくるにちがいない。女性団員が十七階の一七〇三号室で≪締め殺されている≫とボーイに聞いたときから渦巻いた惑乱が、またしても思い出された。
だが、たぶん警察の動きにはなるまいと土方悦子がその理由をあげた推定に、門田も気分が明るくなった。
それに、門田自身もロイヤル・ホテルの支配人を巧みに説得してきたのだ。
「アンカレッジの指輪の紛失は藤野さん、今日の災難は多田さん。もうこれ以上の事故がみなさんの帰国まで起らなければいいと祈っていますわ」
土方悦子は眼を瞑《つむ》って云った。
門田もまったく同感で、祈りたいのは自分のほうだった。これが団員どうしのいざこざだと自分の手で処理できるが、高価な品の紛失だとか、襲撃を受けるとかいったような事故は、警察沙汰につながることで、万一その強権の介入をうければ、彼の力では、ことを穏便にというわけにはゆかなくなる。
団員にとってショックといえば、指輪の紛失よりも、暴力の襲撃のほうが、はるかに度が大きかった。前者では、他人の持ち物が失くなったというだけで、だれにとっても関係のないことだった。その紛失に盗難の疑いがあるというのなら、話は別になる。団員間には、疑惑、猜疑、邪推といった暗い空気が発生するが、藤野由美の場合は、化粧室に置き忘れたと具体的に言明しているからそういうことはなかった。むしろ、彼女が宝石入りの指輪を失ったということで、なかには小気味のいい思いをしている者があるかもしれない。人によっては、とくに女性の中には、他人の不幸に対してひそかな喜びに浸る傾向があるようである。
しかし、多田マリ子の場合は、他人ごとだけでは済まされなかった。犯人も分らず理由が分らないとすれば、この未遂事件は彼女に限定されたとはいえなくなる。女がひとりでホテルの廊下、その無人地帯を歩いていたのが犯罪の原因であったと考えられる。そうなると、将来、いつ、同じことが自分の身に起るかもしれないという危惧がみなに抱かれる。犯行の原因が「女」であれば、団員の三十人は、みな「原因」をもっていた。今日は他人《ひと》の身、明日《あす》はわが身になりかねないのである。だれもが、いつでも、多田マリ子と同じような被害者になり得るのだった。
ただ、その種の被害者の資格には多少の条件が考慮されよう。ひとしく女だといっても、美醜の問題がある。襲撃者は、だれでもというわけではなかろう。狙う対象に、選択が動くのだ。げんに、多田マリ子は、きれいで、魅力のある女だった。その魅力は、職業上の自然の訓練で、男心を唆《そそ》るものがあった。彼女は四十歳だということだが、外国人には、顔の皮膚が|きめ《ヽヽ》こまかくて、小柄な日本の女性が小娘に見えるから、彼女も二十代に見られたのであろう。
しかも、女性はなべてどこかに自分の容貌に自信をもっているものである。これが、団員たちに被害者資格の意識と不安とを抱かせていると思われる。門田はそう推察した。
そのせいであろうか、三十人の女たちは一様に寡黙であった。隣席どうしで面白そうにしゃべり合う者はいなかった。みんな座席に身体を沈めこんで、孤独な姿になりきっていた。
もっとも、窓には黒味がかった灰色の厚い雲がまだらに動いているだけで、本を膝の上にひろげるか、思索するかしかない状況の中にあった。
門田は、機内のアナウンスにしたがって、いまオランダの沖を通過しているとか、ドーバー海峡の東にさしかかっているとか、通路を往復して団員たちにふれて歩いたが、だれもが雲に視線を走らせるだけで興味を示さず、すぐにもとの懶《ものう》げな表情と姿勢に戻った。
ヒースロー空港からロンドン市内に入るまで高速道路ができていて、しばらく市内の建物を見おろして走る。イギリスの煉瓦は赤いが、煤煙にくすんだようにくろずみ、埃っぽい古色を帯びている。コペンハーゲンや郊外で見たデンマークの煉瓦建は、赤味のかったチョコレート色だが、ずっと清潔で明るい。これがオランダとなるともっと赤の絵具を強める。ヨーロッパの北の国の建物が暖色系統なのは、眼で寒さをやわらげようというのであろうか。ともかく、ロンドンの暗鬱で荘重な赤煉瓦の建物は、雲が重く垂れこめた空とふしぎに似合う。みるからに質実な住宅のかまえがどこまでもつづき、門内の小さな庭には八重桜に似た花が小雨の中に一、二本咲いていた。
高速道路を降りると、市内の中心地となった。車の渋滞と道路工事とはまるで東京の町なかを通っているようだった。ロンドンも中心街となると伝統に固執してはいられず、高層建築物も商店もよほどアメリカふうになっていた。
商店街をようやくのことにふり切ると、バスの右側の窓に森林の間から川が見えた。川かと思うとそれは細長い池で、水の上には霧雨がかすんでいた。木立と池とはバスの方向回転につれていっしょについてまわった。
ハイドパークの北側に高層白堊で建っているランカスター・ホテルのスタイルは純粋にアメリカ式であった。ベイズウォーター通り、ランカスター・ゲートのある前にバスはとまった。一同の荷物を降ろし、ロビーのフロント近くに運んでひとかたまりにならべるボーイやポーターらの要領もよく、動作もきびきびしていた。
ここではコペンハーゲンのホテルのように長いこと待たされることもなく、フロントの受付係は予約簿に眼を落すと、三十二枚の宿泊人カードを一束にして門田の前に出した。むしろ客のほうが、門田の指示にハンドバッグからパスポートをあわてて出すやら、その記載どおりをカードに書き写すやらでざわざわと手間どった。十七の部屋(十五室は団員二人ずつ、あと二室は門田と土方悦子の各個室)の鍵は添乗員の責任で門田が一括してうけとり、十五個は室友リストにしたがって団員に配分した。みなが各室に荷物を入れて落ちついたのは、すでに夕方であった。
門田は、ロビーで鍵を渡すときに一同をまわりに集めて申し渡していた。
「みなさん。今日はロンドンに着いたばかりでお疲れでしょうから、七時に食堂で夕食をとっていただいたあとは、お部屋で休養をとってください。わたしも、今朝のことがあって(多田マリ子が襲撃された事件の意)くたびれていますから、今夜の市内見物のお伴はいたしかねます。グループのお出かけもご遠慮ください。また、ここはごらんのようにハイドパークがすぐ前に大きくひろがっていて暗く、東京で云うならさしずめ神宮外苑のようなところ、女性のそぞろ歩きは禁物です。それに、これより東に五百メートルばかり行ったところがマーブルアーチで、その南北の横町には安ホテルがならび、各国のヒッピーをはじめえたいの知れぬ若者たちが木賃宿の宿泊人よろしく雑居しています。どうか、ご注意をねがいます。なお、明日からの詳しいスケジュールについては、今夜の夕食のときにお話し申上げます」
今晩の外出禁止に、夜の神宮外苑や木賃宿の浮浪若者の例を出したのは、もちろん今朝の多田マリ子の事件に対応して利かせたのだった。これくらいに警告しておかないと門田も気が休まらなかった。
一同の晩餐は屋上のレストランでとった。このときは、門田がちょっとした癇癪を起した以外、みなは平穏にナイフとフォークを動かした。ローストビーフにヨークシャー・プディング、それに舌平目《ドーバー・ソール》というのが一同の択んだメイン・ディッシュだった。
門田が少々腹を立てたというのは、彼の言葉がボーイに通じなかったことである。ボーイは、門田の言葉に耳を寄せ、入念に聞いていたが、
「あなたはフランス語が話せますか。話せるなら、どうぞフランス語でいってください」
とたのんだ。
門田は言葉を失い、顔色を変えて、ボーイを睨《ね》めつけていた。英語に自信のある彼も、本場のロンドンのホテルに通じないとあっては、土方悦子をはじめ観光団一行の手前、たいそうな恥辱であった。
門田は仕方なく、不得意なフランス語を手真似でいうと、給仕は鼻に皺を寄せ、莫迦にしたようなうす笑いを浮べて、向うに行った。門田はその後姿をなおも睨んで、
「あいつは愛蘭人《アイリツシユ》にちがいない。こういうところのボーイやポーターにはアイリッシュが多いからな」
と、腹|癒《い》せに毒づいた。
門田の英語は、鼻にかかったアクセントの米語である。tの発音もはっきりしない。彼は、バスの中でこの白いホテルがハイドパークの黒い樹間から見えてきたとき、「ヒアウイアーハン?」(Here we are, ha? やあ着いたね)と鼻先で云っていたし、機内のスチュワーデスにむかってもこの調子であった。
門田がアイリッシュのボーイに癇癪を起したとき、土方悦子は眼をそむけるようにしてうつむいていた。
もっとも、ロンドンのホテルのボーイに米語が通じないからといって愛蘭人とはかぎらない。このごろはホテルの従業員にもイタリアやギリシャからの出稼ぎ人がふえていた。
それはともかく、食後のデザートのとき、門田はロンドンでの明日からの予定をこのように団員たちに話した。
「明日、四月十九日は、午前九時にこの食堂に集ってください。それまでは、すぐ前のハイドパークを散歩なさるのもけっこうです。夜は駄目ですが、朝はきっと気分がよいでしょう。九時半にバスに乗って、トラファルガー広場、ホワイトホールを通りウエストミンスター寺院に行きます。内部を見たあと、バッキンガム宮殿前に行き衛兵の交替を見物します。これは十一時三十分から行われます。昼食は、セント・ジェームス通りの海産物料理で有名なレストランのオーバートンズが予約してあります。午後はロンドン塔の見物です。夜はピカデリーサーカスやトラファルガー広場の賑かなところをバスで観光します」
(図省略)
これは型通りの観光コースだったが、門田も旅行社のテキスト通りのスケジュールではあきあきすることがあった。で、彼はときどき臨機応変に、自分の好みを択ぶことがあった。
次の日は、午前中を市内見物、午後は自由行動。そのまた次の日は郊外をバス・ドライブ、ウインザー城を見て、夕方に戻り、ホテルで夕食、休息やら荷物の準備やらをして十時にホテルをバスで出発して駅へ、十一時発のエジンバラ行の夜行列車に乗る。エジンバラ着が翌朝の六時半。すなわち四月二十二日である。スコットランドの観光は二泊三日の予定で、それからは旅客機でヒースロー空港に戻り、スイス航空機に乗りかえてチューリッヒに向う。──
こういうことを門田は、ときどき軽口を交えながら述べたのだった。
軽口は、女性団員たちの気持を引き立てるつもりだったのだが、テーブルに集っている表情を見ると、その配慮は余計なようだった。というのは、みなの顔には少しも沈んだ様子はなく、ロンドン一流のホテルでイギリスの典型的な食事をとって充分に満足げであった。さらには明日からの市内見物やスコットランドの観光に眼をかがやかしているようだった。
藤野由美も多田マリ子も、その例外ではなかった。門田から見て、両人とも、けろりとした顔つきだった。
すると、コペンのホテルでの事件は、当の多田マリ子にとっても、他の団員たちにとっても、さしたる衝撃ではなかったのか、と門田は案外な思いであった。いろいろと考えてきたのは、考えすぎであり、女性団員たちの心理を深読みしたのであったか。飛行機の中での団員たちの寡黙と沈思とは、窓の外が雲ばかりで下界の眺望を諦めた末の不機嫌のなせるわざであったのか。あの事件にくよくよしていたのではなかった。
自分の取越し苦労だったと門田はさとった。が、杞憂で済んでよかったのだ。女性だけの観光団体に添乗したのは初めてなので、彼も団員たちの心理の把握ができずに困惑した。
しかし、これからも長い日程の旅だった。そのうちに、次第に彼女らの心理状態がつかめるようになるだろう。そうなれば、こっちのほうが積極的にみなをコントロールできる。いまはその機のくるのを待つしかなかった。
食卓がデザートに入る前だったが、横にいた土方悦子が、門田にそっと云った。
「わたし、デザートのときにでもピーター・パンのお話でもしようと思いますの。このハイドパークの隣にあるケンジントン公園の森がピーター・パンの舞台だったということを。有名な童話ですから、みなさんきっとおよろこびになると思いますわ」
悦子がまだ「講師」気どりでいるのが門田には抵抗があった。彼女はときどきいいことも云うが、この点が彼の気に入らなかった。何か一言云い返してやりたかったが、すぐには適当な言葉がなかった。
「成人にならない妖精的な永遠の少年のピーター・パンが子供たちをつれ出して、おとぎの島ネバ・ネバ・ランドに遊び、行方不明になった子供たちを守ってやったり、海賊と戦ったりする児童劇だったんですが、作者ジェームス・バリーはのちに空想をふくらまして、あのケンジントン公園閉鎖後に小さいときに行方不明になったままのピーター・パンが妖精たちと遊びまわるというふうに小説に書き直しましたの。そういうことをお話ししようと思いますの。実際に舞台になった場所を見ながらですから、みなさん、きっと興味をもってくださると思いますわ」
土方悦子は江木奈岐子のピンチヒッターとしての任務を自覚して云っているのだった。あれほど出発前に間接的に云い聞かせたのに彼女にはまだ通じていないと思うと、門田は、この小柄な女が意外に鈍感なのか、それとも我意が強すぎるのか、判断ができなかった。
「その話は、みんなの食事が終ったときの様子を見てからにしたほうがいい」
と、門田は結局穏当な返辞をした。窓外の闇の下に沈む森の中に大人になりきらないままの悦子が妖精の群と遊んでいるようにみえてきた。
だが、妖精の囁きにも似た声は、翌朝になって、まったく別人によって門田の耳にもちこまれた。
八時ごろだったが、門田が自分専用にとった部屋で、コペンハーゲン以来の支払いの覚書や領収証などを整理していると、ノックが聞えた。土方悦子が来たと思いドアを開けると、梶原澄子の尖った顔が廊下に立っていた。彼女はすっかり外出の支度でいた。
「お早うございます。これからハイドパークなどご散歩ですか?」
門田は愛想よく挨拶した。この札幌の病院長未亡人には、多田マリ子のことで世話になっていた。
「ええ。それもありますけれど、ちょっとあなたにだけお耳に入れておきたいことがございますの。みなさんが散歩にお出かけになってらっしゃる間に」
梶原澄子は、どこか真剣な眼つきで云った。
「そうですか。どうぞ、おはいりください」
門田は身をわきによけた。
梶原澄子は、門田の机の横にある来客用椅子に、少々威張った足どりでまっすぐに歩いて行った。門田が廊下の見えるドアを開け放したままにしたのは、むろん男の部屋に婦人客を迎えたときのエチケットだった。もっとも、ベッドが寝起きの乱れたままになっていたのは気にかかったが。
梶原澄子のほうは、そんなものには眼もくれず、椅子にかけると、対い合いに坐った門田に、少し性急と思えるような速い口調で云った。
「わたくしが、ここに来て門田さんに何かしゃべっているところをほかの方に見られると、変にカンぐられても困りますから、早速ですが申します。多田マリ子さんのことですが」
「あ、多田さんのことでは、梶原さんにたいへんお世話になりました」
門田は、彼女の話の途中なので、急いで頭をさげた。
「いいえ。実はそれなんですが、門田さんは、あのコペンハーゲンのホテルで多田さんがほんとうにだれかにうしろから頸を締められたと思ってらっしゃいますの?」
梶原澄子は、じっと門田の顔を見つめた。
「それはどういう意味ですか? 多田さんがそう云っているから、そう信じているのですが」
門田も相手の顔を見返した。
「いいえ。わたくしは多田さんが他人に背後から頸を締められていないと思います」
「え?」
「わたくしは、多田さんの頸を手当てしてさしあげました。ところが、締められた部分の疵というのは、前頸部の左右両側の表皮が少し剥離しているだけでした。それは爪で掻かれた痕なんです」
≪前頸部左右両側の表皮の剥離≫などというところは、さすがに医者の妻で、若いときに夫の医療仕事を手伝ったというだけはある、と門田は思った。咽喉のあたりで右と左の両側の皮が剥けている、というのが普通の言い方であろう。
「それは、あのときに分っていましたが」
「疵のことはそうですが、状況についてはわたくしがほんとうのことを云ってなかったのです。多田さんの前ではもちろんのこと、あのときの雰囲気ではいえなかったのですよ。いいですか、もし、他の者にうしろから頸を締められたとすると、その両指が頸動脈を圧迫しますから、前頸部の両側には、その部分の皮膚下に鬱血がみられます。チアノーゼといって、指の喰いこんだところが暗紫色を呈するものです」
「………」
「ところが、多田さんのはそのチアノーゼも見られず、うしろから両手の指が喰いこんだ痕もありません。皮膚の色は変ってなく、きれいなものでしたわ。ただ、爪で引き掻かれて、皮膚から血が滲み出ているだけでした。そんな扼殺の方法って、ありませんわ。ついでに申しますと、紐のようなもので締め殺すのが絞殺で、手で締めて殺すのが扼殺です」
梶原澄子は、絞殺されかけたと騒ぐ多田マリ子の言葉と、同じことを云う門田とを訂正した。
門田は、眼をひろげて聞いているだけだった。
「もっと、大事なことがありますわ」
梶原澄子は、門田のおどろきを冷やかに見てつづけた。
「爪で頸を掻くような扼殺の方法はないばかりか、多田さんの頸は、その爪の方向がうしろから前にむかっているのではなく、前から上のほうにむかっていることです。背後から抱きつかれて両手の爪を咽喉に当てられると、爪の先は前にむかっているものです。多田さんのはその逆でした」
門田は、自分の手でその状態を宙に試してみた。梶原澄子の云う通りだった。
「そうすると、多田さんは、自分の手で咽喉を締めたのですか?」
門田は、口の中で低く叫んだ。
「絞めるつもりが、爪で皮膚を傷つけるだけに終ったのですね。あの方のマニキュアした爪は、長くて先が三角に尖っていますわ。多田さんは、だれか男にうしろから頸を手で絞められたと云ってらっしゃるけど、男の爪は女のように伸ばしていませんわ」
「………」
「それに、多田さんの顔の色は蒼白でしたわね。あんなに長い間、十七階の空き室で意識を失ったみたいに仆れていらしたんですから、顔色も暗赤色になっていなければなりません。わたくしは、主人の手伝いをしていたときに、縊死をしかけた自殺未遂の患者さんを見たことがありますから、わかるんです。そういう例に、顔の白い人って居ませんでしたわ」
「そうすると、多田さんは自分で絞殺、いや、その、扼殺されかけたという狂言を工作したのですか?」
門田は呆然となって云った。
「狂言かどうか、そのへんの判断はあなたにお任せしますわ」
梶原澄子は口辺にうっすらと微笑を浮べていった。
「狂言だとすれば、どうして、そんな、人騒がせなことを」
門田は、多田マリ子に憤りが湧いてきた。
「人騒がせなことをする方は、いつも自分の存在を周囲《まわり》に目立つようにさせる人に多いというじゃありませんの?」
梶原澄子の言葉に、門田は唸った。たしかに多田マリ子は藤野由美と張り合って、そういう自己顕示欲があった。クロンボールの古城のほとりで展開されたキャビアをめぐる女のいくさが思い出された。
「でも、門田さんにとっても、わたくしたち旅行団にとっても、警察沙汰にならなくて仕合せでしたわ。もし、コペンハーゲンの警察がホテルに乗りこんでこようものなら、多田さんの偽装工作はすぐに看破されますもの。そうなったら、わたくしたちも迷惑します。わたくしは、コペンハーゲンの警察がやって来はしないかと、ひやひやしていました」
梶原澄子は、ここで太い息を吐いた。
門田もそれに合わせて溜息をついた。まったく彼女の云うとおりであった。
「でも、門田さん。このことは、多田さんにはもちろん、どなたにも絶対におっしゃらないでください。土方さんにもね。無用なショックを与えたくないのです。この旅行団が羽田に帰るまで、わたくしは団体の平和を維持したいのです。そして、みなさんとご一緒に、たのしく見物してまわりたいですわ」
「わかりました。梶原さん。あなたのお気持には感謝します。だれにも絶対に口外しません。もちろん、土方さんにも黙っています。ぼくの胸の中にたたみこんでおきます」
「多田マリ子さんにもこれを気づかれるようなことのないように、門田さんもいままでどおりに接してください」
「そうします」
門田は、梶原澄子の慎重な助言に頭をさげた。
「多田マリ子さんは、大阪の方ですね?」
梶原澄子の表情は、ふいと、それまでのものとは変った。ちょうど、雲の通過で、景色の光線が変化したような具合だった。
「そうです。あのとおり大阪弁ですしね。大阪でレストラン経営というのですが、もしかすると、それよりも、やわらかい、バアのマダムかもわかりません」
門田は遠慮なく云った。万人の見るところがそうだからである。
「そう?」
梶原澄子は、首をかしげていたが、
「わたくし、あの方には、ずっと以前に、どこかでお目にかかったような気がしますわ」
と、ひとりごとのようにいった。
「ほう。やはり、大阪ですか?」
「いえ。もっと、違った所で」
梶原澄子は思案していた瞳を、前の門田との会話の眼に戻した。
「……でも、記憶違いかもしれません。もう、いいんです、そんなこと。それよりも、くどいようですが、いまお話ししたコペンでのことは、ご本人の多田さんにはもちろん、どなたにもおっしゃらないでくださいね」
梶原澄子は念を押して、門田の見送りをうけ、ハイドパークの散策のため、部屋を出て行った。入ってくるときと同じように歩み方が威張った感じだった。
午前九時の朝食風景から、門田の眼にはそれまでと違った色合いとなった。
みなの中で、多田マリ子は何ごともない顔でいた。一行に男性がいないので際立ったものではないが、それでも同性に対して嬌態を含んだ気どりを見せた。彼女は自分の魅力を意識していた。
だが、彼女がホテルで襲撃されたのが自身の狂言であったと門田にわかってみれば、彼女への憤りもあったが、その事件の魅力に多少惹かれていただけに、索然たる気持になった。
索然といえば、団員のすべてが女性なるがゆえに、コペンのホテルのような被害者の資格があると思っていたのが多田マリ子の偽装被害と分ってからは、門田の中にその観念が消えたことだった。もはや、団員には何の危険も起り得ず、その種の不安もなくなった。そうなると、なべて平凡な女ばかりに見えてきた。多田マリ子と競争心のあるらしい藤野由美まで、そう映ってきたから妙だった。
梶原澄子は知らぬ顔をしていた。普通は、ことあれかしとねがい、立てぬでもよい波瀾をみんなの間に立てたがるのが女というものだが、彼女は一行の平和をねがうといって口を閉ざし、門田にもそれを要求した。さすがに病院長未亡人で、良識をもっていると門田は感動した。多田マリ子の咽喉首の看破といい、その医学的知識も相当なものだわい、と彼は素人だけに感服した。
しかし、多田マリ子はこの先も警戒しなければならないと門田は思った。彼女の自己顕示欲が、いつまた人騒がせな事件を起すかしれないのだ。コペンのことは、梶原澄子との約束で黙っているが、次にまた何か妙なトラブルを起したら、そのときこそ、みっちりと云ってやらなければいけないと思った。
その再発の防止には、土方悦子にも多田マリ子の事件の真相を打ちあけて、彼女にも協力させるのが万全というものだった。が、これも梶原澄子との確約を破ることはできなかった。
朝食後、バスで、ピカデリーサーカスを経て、トラファルガー広場からウエストミンスター寺院の参観、バッキンガム宮殿前での緋色の衛兵交替見物、さらには北海産の魚料理店での昼食など、門田は一行をコース通りに無事に引率することができた。
ピカデリーサーカスでは、例の翼をひろげた天使《エンゼル》が弓に矢をつがえている銅像に、だれにも絵はがきなどでお馴染だったので車内に歓声があった。その中で、五人ぐらいは声も出さず眼も笑わせなかったが、それが気取りからきているのか、それともこの団体の旅にまで日本からの屈託をかかえてきているのかはまだ門田には判別がつかなかった。沼袋で魚屋をしている金森幸江が血色のいい丸顔で、ピカデリーサーカスにさしかかったとの門田の車内放送で、あたしゃイギリスの軽業《かるわざ》なんかまだ見たかないよ、と下町言葉で不平をいったのはまわりの明るい失笑を招いた。
門田の説明は、一種の節《ふし》と抑揚《よくよう》を持ち、聞く者によってはイヤ味だったが、初めての人にはけっこうガイド風な名調子だった。テームズ河に出てビクトリア・エンバンクメントの河岸通りを大きく回りながら東に折れ曲ったところに長い橋がある。門田は片手をあげて映画「哀愁」のウォータルロー橋《ブリツジ》を説明した。橋の上は車の往来《ゆきき》が激しかったが黒ずんだ雲が層々と空にひろがり、暗い、淋しい色合いになったのはいくらかでも舞台の雰囲気を思わせた。
ロンドン塔に着くと、中世風の灰色の城壁に囲まれた塔の前で、卵大のダイヤをちりばめた王冠見たさに観光客が順番を待って長蛇の列をつくっている。ようやく順番がくると中世の赤い番人服をきた守衛が一組二十人くらいの割合いで塔の中に入れる。狭く、うす暗い階段を登ってゆくと、数人の守衛が、早く、早くと下から急き立てる。それが恰も牢獄の房から断頭台にいそがせる獄卒の叱咤のようである。──
門田がそれとなく多田マリ子のほうに気を使っているとき、土方悦子は悠然と文庫本を片手に持って読みながら脚を動かしていた。門田が憤《むつ》として悦子に近よると、彼女は小さな本から眼を上げていった。
「門田さん。みなさんに漱石の『倫敦塔』の一節を読んでお聞かせしましょうかしら? この実物を見るよりも漱石のこの文章のほうがどれだけ雰囲気が出てるか分りませんわ」
≪「朝ならば夜の前に死ぬと思へ。夜ならば明日ありと頼むな。覚悟こそ尊べ。見苦しき死に様こそ恥の極みなる……」弟又「アーメン」と云ふ。その声は顫へて居る。兄は静かに書をふせて、かの小さき窓の方《かた》へ歩みよりて外《と》の面《も》を見様とする。窓が高くて背が足りぬ。床几《しようぎ》を持つて来て其上につまだつ。百里をつつむ黒霧の奥にぼんやりと冬の日が写る。屠《ほふ》れる犬の生血に染め抜いた様である。……「牢守りは牢の掟を破りがたし。御子等は変る事なく、すこやかに月日を過させ給ふ。心安く覚《おぼ》して帰り給へ」と金の鎖りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖りばかりは敷石の上に落ちて鏘然《しようぜん》と鳴る。……「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云ひながら女はさめざめと泣く≫
文庫本から悦子は気に入った文章だけを拾って読んで聞かせると門田に云う。
「素敵と思いませんか、ここの部分?」
門田は、まるで幼いエドワード五世兄弟の母が背後の高い小窓の下に立つ幻覚をつくるかのような悦子の朗読に苛々《いらいら》していった。
「そんな本は、庚申《こうしん》の晩にでもみんなに読んでやるんですね。さあさあ、あんたも、団員に、はぐれて迷う人はいないか、よく見張っていてください」
ほんとうは、多田さんに気をつけていてくれ、と云いたいところであった。
無事はその夜の観光と、翌日午前中の見物にもつづいた。門田には、ありがたいことであった。多田マリ子は、何ごともしなかった。
この午前中の予定はまことにスムーズにいった。九時には全員が揃って、大型貸切バスに乗って、門田の指揮通り、羊の群のようにおとなしく動いた。大英博物館も規模の壮大におどろくだけで滅多に行かない上野の博物館ほどにも興味を示さず、各室ともが素通りで、これは美術館も同様であった。
予定が一時間も早く済み、したがって、バスがゆるやかな坂を上って、閑静な住宅街の、とある古めかしい家の前にとまったときは、まだ十一時十分前であった。
予定を早め早めとこなしてゆくのは添乗員にとって大満足で、門田は土方悦子を機嫌よく顧みて、
「土方さん、ディケンズについて、みなさんにちょっと説明してあげてください」
と頼んだ。講師としての機会を与えられた悦子はその文学好きの小さな顔を急に明るくさせて、早速に日本にも馴染の深い『二都物語』の著者チャールズ・ディケンズについて説明をはじめ、この家は彼が一八三七年から九年までの新婚時代を送り、同時に『オリバー・ツイスト』などの作品を書いたことを述べた。西暦でいわれるとピンとこないけれど天保八年から十年なので、「文豪」の幻影はいかにも古色蒼然とし、またシェークスピアほどに有名でないから、屋内を見て回るのも一同はあまり気乗りがしてなかった。
一階の記念品売場、地下室の厨房《ちゆうぼう》、三階の書斎と寝室など、狭い階段を三十人以上の女がぞろぞろと昇り降りするだけで、それも肩を押し合うような混雑であった。自然と分散のかたちとなり、それに他の参観者が混り合ったので、門田が多田マリ子の動静をこっそりと観察するにはまたとない機会になった。
門田は、脇腹をつつかれて横を見ると、梶原澄子がかすかな笑いを浮べながら立っていた。地下室の厨房で、壁には赤銅色のフライパンだとか鍋だとかがレンブラントの画のようにうす暗いなかに鈍い金色の光で浮び上っていた。
梶原澄子の微笑の意味は門田にもわかった。いましも多田マリ子は、同じ厨房に降りてきたアメリカの中年男三人の観光客に愛嬌をふりまきながら何やら話し合っているのだった。
アメリカ人たちはすっかりよろこんで、眼をかがやかしながら彼女の前に集り、しゃべっていた。むずかしい話ではなく、冗談も入っている。その会話はピンポンのように弾みのあるやりとりであった。多田マリ子の米語は決して上品ではないが、達者なものだった。梶原澄子の微笑は冷嘲であった。
ちょうど、上の階段をこの地下室に他の団員と降りてきた土方悦子が、多田マリ子の米語に聞き入っていた。それを多田マリ子が意識して得意でいる様子だった。
門田は門田で、多田マリ子がこれから行く先々で、こういう自己満足のゆく機会をとらえるなら、もう人騒がせなことをする必要もあるまいと思った。
午後は自由行動だが、ホテルに帰る道順なので、マダム・タッソー館の蝋人形館に寄ることにした。これも団員の興味をひくと門田が判断したからである。
マダム・タッソー館は、ディケンズの旧宅のある山の手の閑静な住宅街を東にむかえばよい。メアリレボーン通りの四つ角にあって、その南にあたるベーカー街の坂道をさらにまっすぐに下ると、自分らのホテルの方向となる。
蝋人形館を、要するに見世物小屋さ、と片づけるのはたやすいが、このくらい世界的に有名になれば、堂々たるものだった。正面屋上に英国旗がならび、前庭には一流ホテルなみに万国旗が林立していた。タッソー夫人は九つのときから蝋人形の製作をはじめ、一八五〇年、八十一歳で死ぬまで似顔の人形作りをつづけた。団員たちには、世界じゅうの歴史上の有名人物──それは政治家、芸術家、思想家、哲学者、科学者などである──を観ても、生憎と映画スターや歌手の似顔に対面するほどの興味はなかった。聞いたような名前、たとえばロイド・ジョージとかマルクスとかアインシュタインとか、このディケンズにいたっては、さっきその旧家庭を見てきたばかりなのに、それらの説明札を見ても、蚊がとまったほどにも顔面の動きがなかった。
「さあ、この地下室から残酷場面になりますよ。暗殺、死刑、ギロチン、そういった場面がふんだんにありますから、気を失わないでくださいよ」
門田はみなの気持を少しでも刺戟するように呼びかけた。自分でも、昔、浅草の奥山にあった見世物小屋の幽霊屋敷の呼び込みのようだと気がさしたが、このときばかりは女たちの間にざわめきが起り、互いに顔を見合わせたり、尻ごみするような様子を見せたが、地下の「恐怖室」に降りるのを中止する者は一人もなかった。
ここは一階や階上とは違い、通路はお定まり通りうす暗くしてあり、各場面にも蒼白い、淡い照明が当っていた。妻殺しのクリプリン博士の肖像といった犯罪者たちの顔はいずれも中年の紳士で、その知的な相貌から冷い血を感じて、ぞっとした団員は果して幾人居たであろうか。ただ、二百八十四人の婦女を欺し、そのうち九人を殺した「女性の敵」ランドルウの禿頭、髯面の前に立ったとき、さすがにみなの眼は輝いていた。本もののギロチンに頭から突込んでいる髪を乱した男の首、肩に短剣を刺しこまれて、裸体を朱に染めているマラーの断末魔の顔、処刑者を椅子に坐らせていまや絞首刑の縄の前に立っている死刑執行人といったところは、陰惨な背景と照明で、さすがに悲鳴に似た低い叫びを上げさせるに十分であった。最も同情を唆《そそ》ったらしいのは、暗殺者が忍び寄っているとも知らずに、幼い兄弟が寝台に寄り添って睡っているシーンで、弟は兄の頸に右手を軽くまわして抱きついている。
≪兄「朝ならば夜の前に死ぬと思へ。夜ならば明日ありと頼むな。覚悟こそ尊べ。見苦しき死に様こそ恥の極みなる……」弟又「アーメン」と云ふ。その声は顫《ふる》へて居る≫
『倫敦塔』の台辞《せりふ》が聴えてくるようである。
場面によっては舞台に引入れられたように参観者の三人が通路に佇《たたず》んで凝視している。人品卑しからぬ老夫婦と若いアメリカ人であった。その背後に人は移り動いても、その三人だけは魅せられたように立ったまま微動だもしない。口も利かぬ。瞳も動かぬ、と気づいた誰かが、これも蝋人形だ、と叫んだ。
蝋人形館を出ると、バスに乗るまでもなく、だらだら坂の道を歩いて下った。こんどは土方悦子が先頭に立っていた。
あたりを見回しても何の変哲もない煉瓦建の小店と住宅《しもたや》のならぶ坂道の通りなので、だれもが怪訝《けげん》な顔をしていた。
「ここがベーカー・スツリートでございます」
土方悦子が笑顔で説明をはじめた。
「と申しましたら、みなさまは、きっとシャーロック・ホームズの下宿を思い出されると思います。ロンドンにまだ自動車がないころ、ガス燈の光が濃い霧に巻かれている晩、表に戛々《かつかつ》と四輪馬《コーチ》車の音が聞えて家の前に停ります。重々しいノックの音が玄関に聞え、家主のハドソン夫人が取次に出て行く。室内のマントルピースの前では肘掛椅子《アーム・チエア》にかけているホームズが傍らの親友でもあり記録係でもあるワトソン医師を顧みて、ほら、ワトソン君、依頼人だぜ、どうやらお客さまはボーア戦争から戻った退役軍人のようだね、なんて、まだ顔や姿を見ないうちに推理をしてわがワトソンをおどろかせる。あのなつかしいホームズのベーカー街二二一番Bがあのあたりでございます。いまは保険会社の事務所があって、少々がっかりでございますが……」
がっかりしたのは土方悦子自身にちがいない。せっかく、ホームズ探偵物語の代表的な冒頭の一節を披露に及んだのに、団員の顔はいずれも無反応であった。ホームズくらいは読んだことがあるに違いないと思われるのに、団員の三十女には反応がなく、二十代の女には翻訳ものでも観念小説か純愛物語しか愛読しないのか、これまた無表情であった。それでも悦子は何とかみなの興味を起そうとして奮い立つ様子だった。
「ホームズ物語を愛読した世界中の旅行者がロンドンに来た機会にここを訪れるそうでございます。なかには、大真面目で、ベーカー街のホームズさんの家を見たいとお巡りさんに訊く人が多いそうでございます。申すまでもなく、フィクションですから、現実にはそういう家はございません。熱海のお宮の松のようなものでございます」
いかなる軽口も機知も団員一同には通ぜず、比喩《ひゆ》の熱海のお宮の松で、ちょっとした反応、それも見当違いの反応があったにすぎなかった。「講師」の悦子もそれ以上しゃべる意欲を失ったようだった。
もしかすると、女性団員たちは蝋人形館の虐殺や拷問場面に衝撃を受けたので、ひきつづいて人殺しを推理する探偵小説の主人公が居た街などを見せられてうんざりしているのかもしれなかった。
それにしても土方悦子は、変った女だと門田は彼女の小さな姿を見て思った。ハイドパークを見れば童話を云い、ロンドン塔を見れば漱石の『倫敦塔』を朗読し、ディケンズの旧居では大衆小説を語り、ベーカー・スツリートではシャーロック・ホームズ探偵を物語る。いや、まだあった、デンマークのクロンボール城では、シェークスピアの『ハムレット』からその一部の邦訳を逍遙から現在までのものをならべてみせた。土方悦子はそれほどまでに英文学が好きなのか。それにしては少しく焦点が拡散しすぎているようである。普通なら、古典に絞るとか、アイルランド文学に限定するとか、そのなかでも少数の作家にだけ対象をあてそうなものだった。
彼女は英文学の常識を広く浅く知っているのかもしれない。とくに、蝋人形館の殺人場面のあと、シャーロック・ホームズの説明に力を入れたところをみると、案外、探偵小説が好きなのかもしれないと門田は思った。女には探偵小説の熱烈な愛読者が少なくない。
午前中の見物場所が多すぎたので、そのぶんの時間が午後の自由行動に食いこんでしまった。ホテルで昼食をとったのは、屋上レストランが閉じる二時に三十分前だった。
腹が空《す》いていたので、団員たちはいずれも食欲があった。これまでは食事のすすまぬ者もあって、不揃いだったが、ようやく外国の旅に馴れてきたせいもある。
自由行動は、前からの予定なので、みなの頭には活気と不安とがまちまちな表情になっていた。不安は、言葉の不便と、地理の不案内だった。王冠観光旅行社では、その経験から二つの刷りものを用意していた。一つは最小限度に必要な英会話集で、発音は片カナで付けてあるが、そんなものを読んでも英国人には通じないから、意味するところの英文活字をそのまま先方に見せたほうがよいと門田は云った。
もう一つは、ロンドンの略図だが、これは地下鉄路線が主体になっている。馴れない者には、あの黒い箱型の古典的な恰好のタクシーに乗るか、地下鉄を利用するのがいちばん便利である、とくに、このランカスター・ホテルの地階は、地下鉄ランカスターゲート駅になっているので重宝このうえない。ここから東に三つ目、オックスフォード・サーカス駅でピカデリー線を南行きに乗換えれば、ピカデリー・サーカス、トラファルガー、ウエストミンスター、チャーリング・クロス、ウォータルロー(終点)となって繁華街が目白押しなので都合がよく、迷うこともない、万一、迷い子になったら日本大使館に駆けこみなさい、その住所《アドレス》と電話番号はこの略図の下に印刷してある。門田は、そういうことを食事のあとにこまごまと云った。
「みなさんのお買物やご見物に、ぼくがお供をしてお手伝いすればよいのですが、午後はぼくも休養させていただきます。で、なるべくみなさんはグループごとに行動されることをおすすめします。そして、できればそのなかに英語の話せるお方が一人か二人、はいっていただければ、いっそうけっこうでしょう」
自由行動となれば、当然に気の合った者どうしのグループに分れるが、その際、添乗員は通訳兼ガイド役として各グループから引張り凧になる。グループは七、八組、こっちは身一つで、どこにはいりようもなかった。とくに女性の自由行動というと買物が主体となりがちである。門田の経験では、うっかりと一つの組に参加したばかりに、他の組から白い眼で見られ、買物のときに何か袖の下をもらったのだろうなどというあらぬ嫌疑をかけられたこともあった。男女混成の団体にしてそうだったから、女ばかりの団体では、その邪推や反感や怨恨をもっと強く持たれそうである。万事は平等、依怙贔屓《えこひいき》のないようにしなければならないと、広島常務にこの勤務を命じられたときから彼は心に決めていたのだった。
そうなるとよくしたもので、四人または五人と七つに分れた女性グループには英語の出来る、あるいは出来そうな女がそれぞれ入った。女子学生などがそれだったが、その点では能力のある多田マリ子と藤野由美と、それに土方悦子とは、各グループに取られて行った。
もっとも、藤野由美の場合は彼女をとりまく五人に云った。
「わたくしは、ナイトブリッジ街のハロッズに行ってみます。ロンドン一有名なデパートで、女王陛下もそのお得意だそうです。高級品ばかり扱っていて、ハンドバッグなんかは、お高いけど、無類にデザインも質もいいと聞いていますので、それを買いたいと思います。それから、ピカデリーの Fortnum and Mason にまわります。ここも高級品ばかりあつかっていて、売場の男の店員はモーニング、マネージャーは十八世紀の服装をしてるんですって。わたくしは、そこで日本のお友だちにあげる贈りものを択ぼうと思いますの」
彼女はこの高級デパートの名をフォートナム・アンド・メイソンとは云わず、ちょっと聞くと、ファーナマンメースンというように発音した。アメリカ人のようにTが舌にきわめて弱かった。彼女は王冠観光旅行社の受付にきたとき、コロラド州のデンバーにちょっと居たことがあると門田に云っていた。
五人の団員は高級デパートまわりと聞いて困惑したが、デパートなら安物売場もあろうと想像して、ぜひ連れて行ってくれと頼んだ。美容デザイナー藤野由美の、これ見よがしのもったいぶった今までの言動に好感はもたなかったが、この際、眼をつむるしかなかった。
多田マリ子は、六人の女たちに同行をたのまれたとき、藤野由美のほうへ、ちらちら眼を送りながら云った。
「わたしはデューク街のアランズへ行ってみようとおもてます。そこは高級専門店だすわ。なんぼ女王陛下のご指名店やいうても、デパートはデパートだすやろ。そら、高級専門店に越したことはおまへん。そのアランズは生地の専門店で、なかには一メートルが八万円から十万円するのんがおますそうや。値段は高うても、生地さえ立派やったら、けっきょくは買い得でんね。それから、ニューボンド街のアスペリーの店にまわります。こここそイギリスの王室の御用達で、宝石、貴金属の女性用アクセサリーから高級時計がそろてます。わたしは、婦人用金側のパティックが一つ欲しいなとおもてます」
六人の女たちは溜息をついたが、高級専門店ばかりでなく、その近くには一般専門店もあるだろうと推量して、ぜひ同行させてほしいとたのんだ。多田マリ子が手づくりというパティックの時計を買っても、ルビーの指輪をアンカレッジの空港で紛失させた藤野由美の二の舞をするのではないかと六人はあやぶんだが、それは当人自身のこと、自分らには関係ないと割り切った。スポンサーが居るにちがいないバアのマダムとは買物が違うのである。
土方悦子は、その点、まったく八人の女たちに重宝がられた。藤野由美と多田マリ子とが、自分のまわりに集ったグループを引具してまわる格好とちがって、土方悦子は八人のグループのお供をして行くかたちだった。
有名レストランや名物料理店で晩餐をおとりになるのはご自由だが、九時までにはかならずこのホテルにお帰りください、というのが各グループに対してひとしく下した門田の鄭重な厳命だった。初めての土地で、女の夜ふかしは危険だというのである。
門田はひさしぶりに解放された気分になり、今夜はソホー地区にでも出かけるつもりでいた。ピカデリー・サーカスに近いこの歓楽区には仕事でロンドンにきてから顔馴染になった飲み屋がある。知り合いの商売女もいた。
その飲み屋には寄りたかったが、商売女とわびしい宿に行く気分にまではなれなかった。女ばかりの団体にはいっていると、心理的に中和状態になるのか異性に接したい興味は減殺される。女どもに気を使い、その彼女らの欠点《あら》ばかりが見えてくることも索然とさせた。
門田の知っている一人の商売女は赤毛で、背は一六五センチ、やせぎすで、顔もどこか日本人に似ていて、二十八歳でイースト・エンドに住んでいる。夜になるとそこから出動するのだが、外燈の少ないソホーの街角に立ったり、下等なバアのカウンターに仲間と三、四人で凭《よ》りかかっては網を張っている。
門田がその女を初めて知ったのも街頭に佇んでいたときで、うす暗い場所で目立つようにどぎつい化粧をし、けばけばしい色の安もの衣裳を着ていた。このへんの裏通りには、そういう女がほうぼうに立っている。
門田は東京の西にあたる立川の生れで、米軍基地のまわりにはアメリカ兵相手の特飲店があって、そこに巣喰っているのや、夜のゲート近くにたたずむアメリカ風にメーキャップした女たちを、小学生にならないころに見ていた。初めてソホー地区に足を踏み入れて立っている女らを見たときも、その記憶が出てきたことだった。
暗くなるころまで、昼寝でもしようと思っている矢先に、ドアが遠慮げにかぼそく鳴った。
顔を半分のぞかせたのは星野加根子だった。おじぎするように背をかがめていた。
「やあ、星野さんですか。あなたは、まだ外出してなかったんですか?」
「これから出ようと思っているのですが、その前にちょっとチーフにお話がありますので」
星野加根子は、小さな声で云った。
「それなら、どうぞ中におはいりください」
ひとりで来ての話なら歓迎する内容ではあるまい、と門田は思ったが、とにかく入室をすすめた。
「いえ、このままでけっこうですわ。一言だけ申し上げればいいんですから」
星野加根子は、半開きのドアの向うから動かなかった。
「はあ、そうですか。どういうお話でしょうか?」
星野加根子は口を開く前に、素早く顔を振って左右に眼を配った。仲間はほとんどが出て行き、廊下に足音はなかった。
「藤野由美さんがアンカレッジ空港の店でお買いになったというルビーの指輪のことなんです」
彼女は門田を正面から見て云った。
「ああ、洗面所に落して、わからなくなった指輪ですね?」
ルビーの指輪紛失は、一行の間には知れわたった「事件」だった。
「そうです。あの指輪は、もう永久に出てくることはありませんわ」
星野加根子は決定的な口調で云った。まるで秘密を告げるときのように低く押えた声だった。
「紛失したまま、発見できないということですね?」
「さあ、紛失したかどうか、とにかく出てきません」
「とおっしゃると、盗難に遇っているということですね?」
星野加根子は何か云いかけたが、それを口の中に呑むようにして、
「それは、ひとまずあなたのご想像に任せますわ」
と、暗示的な言葉に代えた。
「想像といわれても、ぼくにはよく分りませんが」
「いまは、それだけを申上げておきます。というのは、あの紛失したという指輪のことを添乗員のあなたが、いつまでも気にかけてらっしゃるように思ったからです。いま、みなさんが出払って、どなたも居られないので、それだけを云いにきました」
「………」
「わたくしもこれから外に出ます。失礼しました」
半開きのドアの間から星野加根子の顔が逃げ、廊下を歩む足音が向うで消えた。
あの女は、ふしぎなことを告げにきたものだと門田は思い、新しい胸騒ぎが起った。紛失したというルビーの指輪は藤野由美の手には戻らないと彼女は云った。この紛失した|という《ヽヽヽ》言い方に門田は直感するものがあって、それは盗難ですか、と彼女に訊いたのだ。これまで考えてなかった線だったからだ。
星野加根子は明答を避け、さりとて肯定も否定もせず、ひとまずあなたの想像に任せると云った。想像にまかせるというのは、その質問に直接肯定しにくいときによく使われる言葉で、意味上、間接的な肯定の場合が多い。
星野加根子が、みなの留守にこっそり云いに来たことといい、盗難を暗示的な肯定にとどめたことといい、団員のなかに指輪を盗んだ者があるのを、彼女は密告にきたようである。
藤野由美は、手洗所で指輪を指から抜いてそのへんの棚に置き、手を洗ったと主張していた。新しく買ったばかりの指輪だから、すぐに水に浸けるのがなんとなく惜しまれて指からはずしたのであろう。その女心は理解できないでもないが、指輪は棚から落ち、タイルの床を転がって見えなくなった。いくら探しても発見できなかった。機の出発時間が切迫しているので諦めた。これが藤野由美の説明であり、あとから指輪さがしを手伝った土方悦子の云うところでもあった。
その限りでは盗難が行われる余地はない。が、藤野由美には前後の記憶違いがあるのではないか。つまり、手洗所に入る前にすでに盗難に遇っていたことである。買った指輪を指にさしたつもりが、それは買ったときに売店で指にはめてみただけで、あとはすぐケースにおさめ、ポケットに入れていたのを盗まれた。それを彼女は手洗所の出来事として錯覚したのではなかろうか。
初めての海外旅行であり、最初に着いた外国の地だ。だれしも気持が上ずっている。その昂奮が彼女に錯覚を起させたともいえなくはない。
もしそうだとすれば、藤野由美のポケットから指輪を盗《と》った者がこの女性団員のなかに居る可能性となる。あのときは、売店に同じ機や他の機で降りた旅客も多かったが、自分ら三十人も含めて、各売店とも混雑していた。数機の乗客がいちどきにかち合ったときのアンカレッジ空港売店は、ひやかし客を含めてたいそうな混みようである。上気しているとき、ポケットから取られても気がつかない。げんに、あのときは到着した旅客機の客が五、六十人も群がって入ってきていた。
星野加根子は、問題のルビーの指輪を団員のだれかが隠し持っているのを知っているのだ、と門田は判断した。彼女がどうしてそれを知ったかは分らないが、とにかくそれを確認しているからこそ、こっそりと告げに来たのだ。門田が紛失指輪を気にしているのが気の毒だから、というのがその内報の理由だが、それはおそらく表むきで、実際は自分ひとりが知っている事実をだれかに云いたくて云いたくてしようがなかったのであろう。人間には、とくに女性には、云ってはならないことを洩らしたい衝動癖がある。星野加根子の場合は、犯人もまじっている旅仲間に教えるわけにはゆかないから、添乗員に密告して、その衝動癖を満足させたのかもしれない。
星野加根子は三十八歳の未亡人だった。大柄だが、行動は活発でない。どんなものを見ても表情を変えず、おしゃべりの仲間にも入らなかった。その眼は隅からいつも他人の素振りを観察しているようだった。わざと孤立をよろこんでいるようなふしがあり、何を考えているか分らないところがあった。彼女の「見たもの」には、それだけに信憑性《しんぴようせい》があると門田は思った。
星野加根子のような陰性の感じのする団員はほかにもいた。日笠朋子、竹田郁子、杉田和江がそうだった。竹田郁子は高校の教師で独身であり、日笠朋子は中小企業の社長夫人、杉田和江は勤続年限の長い独身の会社員であった。このころになると、添乗員の門田も団員の個々の性格がだいたいつかめるようになっていた。
ところで、藤野由美の指輪をひそかに持っているのは誰だろうか。門田はそれぞれの顔を浮べたが、こればかりは推定ができなかった。二、三はそれらしい顔に見当をつけてみたが、もちろん当てずっぽうに近かった。確実なことは星野加根子の言葉を聞くしかなかった。
門田にとって煩わしさが新しく起った。星野加根子から密告を聞かないうちはともかく、聞いてからは思案にあまる面倒に捉われることになった。団員のなかに盗人が居るというのだからおだやかでなかった。
しかし、これは団員には当分極秘にすることだから、いま急に波紋が起るわけではなかった。土方悦子にも黙っておこうと思った。梶原澄子から聞いた多田マリ子の狂言扼殺未遂といい、星野加根子から暗示された藤野由美の紛失指輪の実態といい、ここしばらく、土方悦子に云えぬことが重なった。
とにかく面倒なことはあとでよく考えることにして、門田は上衣とズボンを脱ぎ、メイドがきれいに支度してくれたベッドに入った。窓のブラインドを下ろし、部屋を暗くして、すぐにも睡りに就くつもりでいると、電話が鳴った。
ロンドンには部屋に電話をかけてくるような友だちはいない。自由行動で迷い子になった団員のだれかが電話したのだと思い、舌打ちしたい気持で受話器を取ると、いきなり男の声で日本語だった。
「もしもし、王冠観光旅行社の門田さんですか?」
低音で、電話馴れのした声だった。
「はあ。そうですが。……」
「ぼくは、A─新聞ロンドン支局の浅倉ですが」
「はあ」
A─新聞は、日本の全国紙だった。
「いま、フロントまで来ています。ちょっとお目にかかってお話を伺いたいのですが。ぼくのほかにB─新聞の諏訪君、C─新聞の高村君、連合通信社の内藤君もきています」
B─紙、C─紙も全国紙で、A─紙を入れて三大新聞などといわれている。連合通信はいうまでもなくそれ以外の全国の地方紙やテレビ局にニュースを供給している。
門田は胆をつぶした。これは共同記者会見であるらしい。
「ど、どういう話ですか?」
門田の語尾はふるえた。
「いえ、それはお会いしてから。けっしてご心配になるような取材ではありません。こちらからお部屋に参りましょうか。ルームナンバーは、いま、フロントで聞きましたから」
「それにはおよびません。ぼくのほうからロビーに下りて行きますから」
門田は急いで身支度をした。動悸が速くなっていた。
英国式の荘重な装飾を施したロビーの正面に四人の日本人記者が股をひろげ、クッションに自堕落な恰好でかけていたが、門田を見ると立ち上って笑いながら近づいてきた。四人ともカメラを持っているのを見て、門田はまた怯えた。
「やあ、門田さん。わざわざ済みません。ぼくは、A─新聞支局員の浅倉です」
浅倉は三十五、六、縮れ髪で、四角い顔は色黒で、がらがら声をしていた。いかにも社会部にいそうな記者の型をしていた。
あとの三人がそれぞれ名刺をくれた。が、門田には、最初に声をかけてきた浅倉以外には、三枚の名刺と三つの顔とが容易に一致しなかった。彼は日本の代表的マスコミの来襲に少々|逆上《あが》っていた。
「まわりには日本語の分る者はいませんから、ここで話しましょう」
周辺は欧米人の男女ばかりで、日本人は見当らなかった。浅倉は門田を長椅子のクッションに落ち着かせた。その右隣に浅倉、左隣に諏訪、門田の前に椅子を引きよせて高村と内藤がならんでかけた。門田は囲まれた。
「門田さんは、団体旅行の添乗員としてはベテランだそうですね?」
浅倉は、門田を気楽にさせるためか、手帳も出さず、煙草を喫いながら云った。ほかの三人もダンヒルの煙草を出したり、パイプをくわえたりした。
「ええ、まあ、馴れているほうかもしれません」
質問の焦点がまだ分らないので門田は少々不安な気持で答えた。
「ヨーロッパは、これで何回目ですか?」
「五回目だと思います」
「団体の観光客を引張って回るのには、やはり、心配なこともあるでしょうな?」
「楽ではありません。相当な人数のお世話をしなければなりませんから」
「そうでしょうな。初めて外国旅行に出た人が圧倒的でしょうから。こんどは、何人ぐらい連れておいでですか?」
「三十人です」
「三十人とは多いですな。女性ばかりだそうですね?」
「そうです」
「珍しいですな。そのなかで、男性はあなただけですか?」
浅倉が、にやにや笑いながらきいた。
「ぼくは、添乗員ですから」
「いや、それは分っています。しかし、女性ばかり三十人を引率なさるとは羨しい。ぼくらもできたらその中の一コースだけでもあなたと代ってみたいですな。ロンドンから何処へ行かれるのですか?」
「ロンドンから、スコットランドです。その次はスイスに行きます」
「スコットランドは何日?」
「今日は自由行動で、みんな出払っていますが、明日はウインザー城を見て、そのあと夜行列車でエジンバラに向います」
「いい旅ですな。ぼくは、これでまだスコットランドに行ったことがないのですよ。この機会にあなたの助手にしてもらいたいくらいですな」
浅倉が云うと、ほかの三人も笑いながら同感を示した。四人とも仕事が忙しくて、スコットランド見物をしてないというのである。
「助手には、やはり女の子がいますから」
門田は当惑し、真面目にいった。
「冗談ですよ。ところで、門田さん、ロンドンの前はどこの観光でしたか?」
「コペンハーゲンです。二泊三日です」
「どこのホテルでした?」
「中央駅に近いロイヤル・ホテルです」
「一流ホテルですね。そこを出発されたのは?」
「一昨日の朝ですから、四月十八日です」
「その出発の朝、ホテルで団員の方に、何か変ったことは起りませんでしたか?」
この質問に門田もはじめて事態を察した。あれだ、多田マリ子の一件にちがいない。
しかし、あんなことで、どうしてこんな「記者会見」をしなければならないのか。第一、そのことをどうしてロンドンの各社支局が知ったかである。国際的な権威と信用を誇るロイヤル・ホテルが軽率な発表をするはずはないのだ。
「変ったことは別にありませんでしたよ」
焦点が分れば、門田もようやく落ちつくことができた。いくらか気持の余裕ができたので、そらとぼけた。
「そうですか。それなら伺いますが、団員に多田マリ子さんという方がおられますか?」
やはり、あのことだった。
「おります」
「その多田マリ子さんが、十八日の朝七時ごろに、ホテルの十八階の部屋にいるところを怪漢に押し入られ、ピストルを横腹に押しつけられて一階下の十七階の空部屋に連れこまれたそうですね。そしてクロロホルムをかがされて、意識不明になったところを危うく乱暴されそうになったそうじゃありませんか?」
浅倉はそう云って、はじめて手帳をポケットから出した。ほかの三人も同じようにした。
門田は唖然となって、眼を三人の顔に往復させた。
「ピストルとクロロホルムですって? そんな安もののギャング映画のような話をだれが云いましたか?」
「東京の今日の夕刊に大きく出ているそうですよ。もちろん、ぼくらはまだ読んでいませんが、今朝早く、本社から電話がかかってきたのです。ここにいる連中は、みんなそうです」
いうまでもなく、ロンドンと日本との時差は九時間である。東京本社のデスクがその夕刊を見てすぐにロンドン支局に電話したのが午後六時ごろとしても、ロンドンでは午前九時ごろである。
「そ、それは、なんという新聞に出ていたのですか?」
門田は呆れるとともに、うろたえた。日本の新聞に出たというのが彼を狼狽させた。
「いや、それがね。ちょっと格の低い新聞でしてね。ぼくらも、ちょっと眉ツバだとは思ってるんですが、本社から云ってきたのだから、捨ててはおけないので、門田さんのところに来たのです。夕刊の日本スポーツ文化新聞というのをご存知ですか?」
「日本スポーツ文化新聞……?」
「スポーツと芸能関係が主ですが。その新聞に大々的にいま云った記事が出ているそうです」
門田の脳裡に、コペンハーゲンの居酒屋で遇った通信員兼ルポライターの顔が電光のように閃いた。
あいつだ、と思った。たしかにもらった名刺の肩書には「日本スポーツ文化新聞・特派員」という活字があった。ヨーロッパの根なし草的な日本人が食うために、でっち上げの記事を送ったのだと知った。煙草の烟が、ビールの空瓶に立てた裸蝋燭の火に渦巻き、ヒッピー族の男女が群がり喋り合う中で、髭面の黒い、扁平な顔が浮ぶ。たしか鈴木道夫という奴だった。デンマークの恋人を肩に凭りかからせ、うすぎたない歯を出して笑っていた。
しかし、どうしてあいつが多田マリ子の出来事を知ったのだろうか。しかし、これも容易に推定がつく。鈴木は、女ばかりの日本人観光団と聞いて、何かの材料になると思って、ロイヤル・ホテルにのぞきに行ったのだろう。材料さがしには彼の生活がかかっている。それが自分たち一行の出発したあとだったから、彼は、しまった、と思ったにちがいない。そこで、ボーイをつかまえ、いろいろと様子を訊いた。ボーイらの見た観光団の行動から記事をつくろうと考えたのだろう。ところが、ボーイの顔色や態度が違う。何かがあったらしいと気づく。鈴木は、そのときもデンマーク女を連れて行ったであろうから、この女がおもになってボーイを口説く。さしもヨーロッパに聞えた誇り高いロイヤル・ホテルの支配人も、女の媚態に釣られたボーイの軽口までは防ぎきれなかったのだ。
門田が鈴木に思い当ってそう推測するまでには一分とかからなかった。
「その記事の材料を東京の日本スポーツ文化新聞とやらに電話で送った人間には心当りがあります」
門田は四人の一流新聞社の支局員の前で色をなした。
「……しかし、それは、まったくの事実無根です。その人間のでっち上げですよ。こっちはたいへんな迷惑です」
「そうすると、それは、根も葉もないことなんですか?」
B─社の諏訪がおだやかに門田に訊いた。彼は童顔をもっていた。
根も葉もないことか、と訊かれると門田も返事につかえた。多田マリ子が「扼殺」されかかって、ホテル側を騒がせたのは事実である。事実だが、内容は違う。それは「被害者」の自演であり、狂言であった。病院長未亡人の梶原澄子の言だが、その疑いはきわめて強い。
難儀なことに、門田の立場からはそのことが新聞記者には明かせなかった。この事実は、団員一同にも伏せていることなのだ。
門田は、ロイヤル・ホテルの名誉心と矜恃《きようじ》を信じた。で、一か八か、逆に新聞記者に訊いてみた。
「それが根も葉も|ある《ヽヽ》ことかどうか、コペンのロイヤル・ホテルに国際電話ででも問い合せてみたら、いかがですか?」
コペンには各社の常駐特派員はいない。電話だと、ホテルの支配人は叮重に、それが事実でないことを答えるかもしれない。
「いや、実は、もうそれはコペンのホテルに問合せ済みなんです」
連合通信社の内藤という、いかつい顔の男が云ったので、門田は心臓が一つ大きく鳴ったのが自分の耳に聞えるくらいだった。
「……ところが、ホテルでは、そういう事実はないといっていました」
いちど大きく波をおこした鼓動は急にはおさまらなかったが、次第に平穏にはなって行った。彼はロイヤル・ホテル側の信用防衛に感謝した。
「それごらんなさい。ホテルもそう云ったというんですから、ぼくの云うことに間違いないと分ったでしょう」
門田は、しぜんと上体が反った。
「そういうウラを取っておられながら、どうして、わたしのところに訊きにおいでになるのですか?」
「いや、それはですな」
A─社の浅倉が苦笑まじりに云った。
「その日本スポーツ文化新聞には、よっぽど派手に、大きく出たとみえましてね。本社のデスクがあわてて電話してきたんですよ。ぼくらも、あの新聞の性格からして、あなたの云われるようなことではないかと半信半疑ではいましたがね。本社があんまり云うもんだから、コペンのホテル問合せだけでは済まなくなったのですよ。いや、お話をきいて、よく分りました」
ほかの記者もばたばたと手帳をポケットにしまった。
「すみませんでしたね」
彼らは急に姿勢を崩して云った。
「どういたしまして。ご納得いただけて、こんなうれしいことはありません。……それでは、あなたがたは記事にはなさらないのですね?」
門田は念を押した。
「もちろんです。実態がわかったのですから。本社のデスクも、日本スポーツ文化新聞なんかに煽られるなんて、どうかしてますよ」
浅倉のがらがら声は、他の三人を代表した。
「それにしても、門田さん」
連合通信の内藤が眼もとを笑わせて云った。
「女性観光団だから、こういうデマが報道されるんですな。ひとつは、冷やかし半分、嫉妬《やつかみ》半分ですよ」
それに浅倉が加わった。
「せっかく東京から取材を命令してきたのだから、あなたがたに随行して、ぼくらもエジンバラに遊びに行くかな。こういう機会でないとスコットランドには社用で見物には行けないよ」
あとの言葉は仲間に云った。
「賛成だな。婦人欄用にでもすれば、本社もよろこぶだろう」
諏訪と内藤が云った。
冗談ともつかぬ新聞記者たちの話に門田はその真意を測りかねた。
東京から電話がかかってきたのは、門田が新聞社の四人と別れて部屋に戻った直後だった。
「門田君か。広島だ」
王冠観光旅行社常務の声は、雑音に妨げられてはいたが、その感情を伝えるくらいにははっきりしていた。口調ははじめから性急だった。
「あ。こんにちは。いや、そっちは今晩は、ですね?」
広島淳平常務が何で真夜中の東京から電話をかけてきたか門田には分っていた。記者たちとの「会見」が終ったあとだけに、門田には気持のゆとりがあった。
「そんな挨拶なんかどっちでもいいけどね。そっちには何か変ったことはないか?」
広島は言葉だけはまず落ちつきをみせようと努めているようだった。
「変ったことは、なんにもありません。お客さまは全員ご健康で、外国の旅をたのしんでおられます」
門田は、いくぶん切り口上で答えた。
広島は黙った。門田が事実を隠し、体裁をつくっていると取って、質問の言葉をさがしているように思われた。
「ほんとに、お客さんには変ったことがなかったかね?」
広島は、疑わしそうに声を出した。それには不安が混っていた。
「いま申し上げたとおりですよ、常務。目下、みなさんはロンドン市内の見物や買物にこのホテルから全員出払っています。今日は自由行動なんです」
「そうか。それに間違いなければいいが」
広島の声には安堵と疑問が半々に出ていた。
「どうかしたんですか?」
門田から訊いた。余裕があった。
「実は、こっちの日本スポーツ文化新聞に君の添乗しているローズ・ツアのことが大きく出ているんだ。団員の多田マリ子さんが、コペンハーゲンのロイヤル・ホテルで何者かにピストルを突きつけられ、泊っている部屋の一階下の空室に連れこまれてクロロホルムを嗅がせられて扼殺されかかったところを、折よくボーイに発見されたという記事なんだ」
広島の声は速くなった。
「デマですよ。日本スポーツ文化新聞なんて、低級な興味本位のいい加減な新聞じゃありませんか? 第一、ピストルとかクロロホルムとか下手な悪漢映画の道具立てそっくりじゃありませんか?」
「そりゃ、ま、そうだが、なにしろ、ここに派手に出ているのでね。ほとんど一ページをそれにつぶしている。日本女性観光団員、ホテルで扼殺さる、という大見出しが眼を剥いている」
広島は手もとに日本スポーツ文化新聞をひろげているようだった。
「扼殺さる、ですって?」
門田はびっくりした。
「いや、扼殺の下にカッコが入って、未遂、と小さく出ているがね」
「赤新聞がよくやる手だ」
門田は憤慨した。煽情的な紙面が眼に見えるようであった。
「それじゃ、嘘か?」
「まったくの出鱈目です」
門田は云い切った。多田マリ子の「狂言」をこの電話で云うのは広島常務を混乱させるばかりだと思って止めた。帰国後に、ゆっくりと説明すればよいのだ。
「さっきも、そのことで、A、B、C、連合のロンドン支局の記者がやってきましたよ」
門田は、内容をかいつまんで話した。コペンハーゲンのロイヤル・ホテルが事実無根を言明したという話が広島をいっぺんに安心させたらしかった。彼の声がにわかに明るくなった。
門田は、さらに、その記事をコペンから送った人間に心当りがあること、それはヨーロッパを浮浪同様にしている通信員であることをつけ加えた。
「たぶん、そんなことだろうとは思ったがね。だが、反響が大きいので、君にたしかめてみたんだ。ひどい。さっそく日本スポーツ文化新聞社に抗議と取消を要求するよ」
「反響が大きいですって?」
「うん。ローズ・ツアの家族からだ。いまのところ、東京関係からだけだが、本社に問合せの電話が殺到している」
門田もそこまでは考えていなかった。が、聞いてみると、きわめてありそうな事態だった。
「ぜひ、そうしてください。そのほか、その通信員は週刊誌などとも契約していると云ってましたから、あらかじめ、そのほうにも手を打っておいてください。そうだ、いま、その雑誌名を云います」
門田は急いでハンガーにかけてある上衣のところに行き、名刺入れをとり出した。鈴木道夫の名刺はあった。
「ええと、日本スポーツ文化新聞のほかには、週刊ヤング、週刊情報界、月刊新世紀などの特派員とあります。むろん、特派員というのは名刺の上だけで、原稿を送りつけてその稿料の送金で生活をしているらしいんです」
「よろしい。そういう雑誌社にも掲載を見合せるようたのんでおく。……実はね、門田君、問合せは団員の家族からだけではなく、江木奈岐子さんがたいへん心配されてね、ぼくのところに何度も電話をかけてこられた。江木さんは、自分の名代として土方悦子さんを団体に加えているので、責任上、心配なんだよ」
江木奈岐子は、ローズ・ツアの団体結成直前になって「講師」を辞退した。身代りとして弟子同様の土方悦子をさし出したのだから、日本スポーツ文化新聞のセンセーショナルな記事を見て土方悦子の身を案じたのは当然であろう。
「土方さんのことも、ご心配はいらないと江木さんに伝えてください。たいへん元気でおられますから」
「そう伝える。ところで、どうだね、この先、そういう不祥事が起る懸念はないかね?」
「懸念ですって? そんなことはぜんぜん考えていませんよ」
「そんならいいがね。こんな報道があると、なんだか先が心配になってね。こんどは実際に何かが起るんじゃないかとね」
「冗談じゃありませんよ。そんなことが起ってたまるものですか」
「そうだけど、やはり留守しているこっちのほうは取越し苦労になるよ」
「常務は、日本スポーツ文化新聞のおかげで、少々ナーバスになられましたね」
門田はそう云いながら、これは土方悦子に自分が云われた台辞だったと思った。
「やはり、確度は低いと思っても活字で読むとショックだからね。それに、あんな記事を出されると、わが社の信用にもかかわる。営業成績にもひびくよ。だから、この先にも何かが起らなければいいがとヒヤヒヤしてるわけだ」
「お気持は分ります。が、そのご心配はいりません。大丈夫です」
門田は強調したが、自分をも鼓舞するところがあった。
「たのむよ。団員どうしの仲はいいかね?」
「いいほうです」
絶対的に融和があるとは云い難かった。
「ところで、元気だということだが、土方悦子さんの調子はどうかね?」
「彼女はなかなかの才女ですね。ぼくも助かっています」
広島常務に、皮肉が分るはずもなかった。
「そりゃ、よかった。江木さんの不参加は残念だが、土方さんがそれならよかった。さすがに江木さんの推薦だけはあったね?」
「はあ。……」
「ま、よろしくおねがいする。ローズ・ツアの無事帰国を祈っているよ」
東京との国際電話が切れて、門田はベッドの端に腰かけたままでゆっくりと煙草に火をつけた。
煙が肺の奥から頭のなかに這い上ってゆくようだった。彼はそのもやもやとした中で、コペンのルポ屋に対してまたも臓腑が沸いてきた。
いまにして、あの居酒屋で鈴木から名刺を渡され、それに「特派員」となっている二流以下の新聞雑誌名に要心をしたのを思い出した。そんな印刷物に王冠観光旅行社のローズ・ツアのことがおもしろおかしく歪曲されて出されでもしたら団員の家族からは会社に問合せと抗議が殺到するだろうと空想したものだが、それが空想に終らずに現実のものとなったのである。なんであのとき「ピーレゴーデン」なんかに行ったのかと、こんどは自分の不運な行動がくやまれた。そうしなければ、二流ジャーナリズムの「便利屋」通信員で、ヨーロッパの「根なし草」に会うこともなかったのだ。
門田はソホー地区に出かける気勢もそがれたが、こうしてホテルで腐っていてもしようがないので、少し早いが部屋を出た。フロントにキイを預けるとき、正面のキイ・ボックスを見ると、団員のキイはすべてきれいに揃って置かれてあった。ホテルに残っている者は一人もなく、全員の外出がたしかめられたので、門田は少し気分を直し、客待ちのタクシーを軍装のようなドアマンに呼ばせた。それが四時すぎだった。
ソホー地区のまん中で降りて、寄席《よせ》に入り、エロがかったショーを見て時間を消した。外に出ると暗かった。前から知っているバアでスコッチをオンザロックで飲んだが、妙に味がなかった。心に屈託があると酒もおいしくなかった。こういうときは馴染女に会いに行く意欲も起らない。この辺は裏通りが鉤の手に曲ったままで行きどまりが多く、迷路のようになっているが、例の女たちはその迷路の界隈に佇んだり、行きつ戻りつしている。
彼は早目に切りあげ、戻りのついでだからパークレーン通りに降りた。ヒルトン・ホテルの近くには「プレイ・ボーイ」などのカジノがある。紳士の国で、ルーレットは設備されても大金は張れないし、会員制度である。が、フリの客が入れる小さなカジノもある。門田は一時間ほどいて、二十ドルほどすった。
ヒルトンの裏側のカーゾン通りの路地にも夜の女がそぞろ歩きしているらしいが、これは値の高いほうだろう。高級の女の居場所は、テームズ川の西側、チャリング・クロス駅の鉄橋下を中心にウォータルロー橋までのビクトリア河岸である。ただし、通っただけでは眼につかぬ。その道の者に案内してもらうか、タクシーの運転手にチップをはずむかしなければならない。門田は、前にこういうことを教えて観光旅行団の男たちに感謝されたことがあった。
ランカスター・ホテルに戻ったのが十一時前だった。ロビーの照明は半分消えていた。門田はフロントから鍵をうけとるとき、事務員の背中にあるキイ・ボックスを見渡した。団員の部屋番号の鍵はすべてそこに無かった。全員異常なく帰館しているのだった。「この先、また何かが起りそうな予感がする」という東京電話の広島の声が門田の耳底にこびりついていた。こんな|しんどい《ヽヽヽヽ》添乗の経験は初めてだった。
電燈が半分に消えたロビーには、五、六人の客が坐っていた。広い場所なので、よく見ないと眼に入らないくらいだった。リフトのほうへ行きかけた門田の足がそこで停った。ロビーの椅子にひとりでぽつんと掛けている影が、どうやら日本人の女らしいのである。
「梶原さんじゃありませんか?」
近づいて行って門田は眼をまるくした。
梶原澄子は、膝に両手をおいて、ひとりで行儀よく腰かけていた。向うにいる外国人客ともだいぶん離れていた。まるで瞑想しているような、また、役所で名を呼ばれる順番を待っている主婦のような姿だった。
彼女は、門田を見上げたが、腰は上げなかった。半分の消燈で、その顔は暗かった。
「わたくしは、ここで待っているのです」
梶原澄子は、そのままの姿勢で云った。
「待っている? どなたをですか?」
門田は彼女の横に立って訊いた。こんな時刻にまだ訪問客があるのだろうか、と思った。
「藤野由美さんですわ。わたくしのルーム・メートです」
彼女は冷たい口調で答えた。
「藤野由美さんですって?」
門田は眼をフロントのキイ・ボックスに投げた。
「藤野さんはまだ帰らないんですか? 部屋のキイはあなたがフロントから受けとって行ったんじゃないのですか?」
「藤野さんは部屋のベッドに入っておられます」
「………」
「わたくしは、あの方が、眠られるのをここで待っているんです。眠ったと思われる時間に上って、そっと隣のベッドに入るつもりです」
一部屋に二人は、むろんツイン・ベッドである。
「どうしてそんなことを? 藤野由美さんからいろいろと話しかけられて、煩《うるさ》いんですか?」
室友にはそんな饒舌家がいて、相手を悩ますことがあった。
「いいえ。とんでもない。わたくしは藤野さんとは性《しよう》が合わないので、口もききませんわ。それで藤野さんもわたくしには黙りこくっています。……ねえ、門田さん」
梶原澄子は突然椅子から立ち上ると、門田の顔を正面から見据え、激しい語調で云った。
「あなたは、いつ、わたくしの希望を入れて、|室 友《ルーム・メイト》をチェンジしてくださるんですか?」
「はあ。……」
「はあじゃありませんよ。あなたは約束したのです。いつでもチェンジしてくださると云ったじゃありませんか。これで、わたくしが云うのは二回目ですよ」
とげとげした顔の梶原澄子は、喰ってかかった。
「まあまあ。それは分っています。心得ていますよ。しかし、室友の変更は、他に及ぼす影響が少なくありませんから、いま、時機をみているんです。決して放っているわけじゃありません」
門田は両手で彼女を抑えるようにした。
「時機をみるって、それは、いつまでですか? わたくしはその時機がくるまで、毎晩こうして部屋の外におそくまで起きていなければならないんですか?」
彼女は歯ぎしりをせんばかりだった。
「まあ、待ってください。あなたがそこまで藤野由美さんと合わないとは知りませんでした」
それは門田の嘘ではなかった。意外に思っているのは事実だった。
「よろしいです。では、明晩から、いや、明日の晩はグラスゴー行の夜行列車ですから、明後日のエジンバラのホテルからチェンジすることにします。それとなく、みなに目立たぬような具合にやりたいです。ですから、今夜ひと晩だけは我慢してください」
「ほんとうですね?」
梶原澄子は、うなずいたうえで、門田の違約を封じるように睨んだ。
「ほんとうです。間違いはありません。ぼくがこれだけ云うんですから」
「あなたを信じましょう」
梶原澄子は、ようやく得心して、態度を柔らげた。
「梶原さん。あなたは、藤野由美さんのどこがお気に入らないのですか?」
門田は念のためにきいた。
「そうですね。いろいろありますが、あのかたの不潔な感じが、わたくしには我慢できないのです」
「不潔ですって?」
門田は二度意外だった。
「藤野さんは綺麗なひとじゃありませんか。美容デザイナーとおっしゃるだけあって、髪の手入れにしてもお化粧にしても美しくなさっているし、服装だって洗練されたものを召してらっしゃると思いますが」
門田が云い終らないうちから梶原澄子は冷嘲を顔に浮べていたが、彼の言葉が切れるのを待って云った。
「男の方には、それだけが、きれいに映るんですかねえ。そんなのは、形のうえだけで、美しくも、きれいでもありません。それと清潔とは違いますよ。藤野由美さんが、どんなに厚化粧がお上手でも、あの方は不潔です。わたくしは、昨夜を入れて四晩ほど、あのひとといっしょに同室にいましたが、その不潔さが気になって、もう辛抱ができません。それは男性にはわからないでしょうが、敏感な同性には判るものです」
病院長の未亡人は顔をしかめ、胃液でも吐くような身振りだった。
藤野由美の自己顕示的な言動に好感がもてないことは門田にも理解できたが、「不潔」というのは分らなかった。人間、相手が嫌いになると、その嫌悪感が生理的にまで昂進するものである。梶原澄子の使っている「不潔」という表現はその結果かもしれないと門田は思った。
二人はいっしょに夜ふけのリフトに乗り、同じ階に降りた。門田は梶原澄子をその部屋の前まで送った。彼女は廊下に立ち止る門田をちょっとふり返ったが、さも忌々しそうにドアをそっと開けて身体を暗い中にすべりこませた。かすかに金属性の閉まる音が、これまた、いやいやながらのように聞えた。
バスで、ウインザー城の下に着いたのが二十一日の午前十一時すぎであった。
何回となく団体客の添乗員として来ている門田には丘にそびえる中世の灰色の城を見ても何の感興もなかった。彼は西側城壁下に沿った坂道を一応みなの先頭に立って歩いた。城壁の角に出張った小さな塔(ソールズベリー・タワー)について曲ると、「ヘンリー八世の門」という古い、狭小な門の前に出る。ここからは、すでに遠く下から見えていた大きな筒形のラウンド・タワーが、いよいよ巨大に映る。今日はその塔上には、金茶色の地に一隅を濃紺に染めた女王旗が翻っていた。
門田は塔を境に東半分のアッパー・ウォードには足を運ばなくとも済むのをよろこんだ。そこで、皇居なら桜田門の半分くらいのヘンリー八世の門をくぐってローワー・ウォードの広場に出た。衛兵がいた。前には教会だの記念礼拝堂だのがあるし、修道院もあった。右手、ラウンド・タワーからの向うは高台のアッパー・ウォードで、そこにあるステート・アパートメンツ、女王のアパートメンツなどの館が見える。門田が一同に、今日は女王さまがお城にお見えになっているので、ラウンド・タワーに登ることも、ステート・アパートメンツを参観することも生憎と許されない、と云うと、団員たちは残念がるどころか、女王さまがおいでになっているときに、お城の中を歩けるとはありがたいと仲のいいどうしはお互いにうなずき合い、女子学生などは、蔦葛《つたかずら》の蔽う女王のアパートメンツの窓辺に女王さまのお姿が見えるのではないかと躁《はしや》ぎ、魚屋の金森幸江までが大口を開けてそれに加わった。
門田は案内のほうはこれも初めての土方悦子に任せ、ラウンド・タワーの北、ノルマン門と呼ばれる狭き門をくぐって北側テラスに出た。
ここは直下に緑の公園ホーム・パークがテームズ川のふちまでひろがり、公園の西側にはウインザーの小さな街が俯瞰できた。このテラスから街の入口までは、いわゆる「百段の階段」でつなぐ。
街は東西の主要道路一本のほかは南北ともいりくんだ小路になっていて、表通りには赤煉瓦造りのレストランや土産品店がならんでいた。駐車場に車が玩具のように整列し、人々の小さな群が動き、すぐ下の百段の階段にも上ったり降りたりしていた。真向いには、街を底にして、丘陵地帯が青くひろがり、斜面には住宅が点々としていた。この日は、空の半分が晴れて、ひさしぶりの陽光がこの眺望に降りそそいでいた。
が、春のイギリスの天候は変りやすい。午前中は晴れていても、午後からは小雨となる。下に動いている人々も、たいていは細身の洋傘を腕にかけていた。
門田がテラスの手摺りに凭《よ》りかかって眺めていると、日本女性が十人ばかり左手の坂道をばらばらになって街のほうに下りているところだった。見ると、自分の旅行団である。そのなかに土方悦子の小さな姿もあった。
城内での見物は、いわば自由行動で、一時間後に下の駐車場にいるバスに集合することになっているので、団員はばらばらになっている。いま、来たときと同じ坂を戻っているのは十人ばかりだから、あとの二十人はまだ城内に残っているはずだった。その連中をまとめてローワー・ウォードの広場へ引返そうかと思っていると、眼が一つの情景をとらえた。
濃紺のレインコートをきた男が、土方悦子に近づいて彼女をよびとめ、話しかけていた。遠いのでその男の顔も小さいが、小さくてもその髭面と背かっこうに見覚えがあった。
あいつだ、と門田は思わず手摺から身体をはなし、こんどは反射的に手摺に上体を折るようにして乗り出した。一心に瞳を凝らすと、おりから陽ざしが男の顔を真白に輝かしたので、距離はあっても人相を明確に浮き出した。まさしくコペンハーゲンの居酒屋「ピーレゴーデン」で遇った三流ジャーナリズムの「便利屋」通信員に違いなかった。
門田は頭に血が上って、すぐにでも百段の石段を駆け降りたくなったが、その通信員と土方悦子とが何やら問答をはじめたので、まず、その様子をじっと観察した。
土方悦子は、通信員がいろいろと質問するのに対して極めて消極的な態度のようだった。通信員が三口も四口も口を開くのに、彼女は一口ぐらいしか答えなかった。あきらかに通信員の問いを避けて、彼をふり切るように先に歩いていた。それを通信員がメモ帳を片手に追いすがり、なおも質問を発していた。
門田は、こんどこそ石の百の階段を蹴って走り下りるつもりでいると、うしろから軽く肩を叩くものがあった。
A─社の浅倉の笑顔がそこに立っていた。
「昨日はどうも」
浅倉はもじゃもじゃした髪をかいた。
「いや。どうも、失礼しました」
門田がうろたえたのは、浅倉にふいに挨拶されたこともあったが、それよりも大新聞の支局員がここまで来ている事実だった。「便利屋」通信員のような男といっしょに一流新聞社が現われたとなると、例のコペンのホテル事件を追っていると考えるほかはない。
「あそこで、しきりと取材している男が、あなたの話したコペンハーゲンの通信員ですな?」
浅倉は、おかしそうに土方悦子になおもまつわっている男の姿を見下ろして、にやにやしていた。
「そうです。コペンで足りずに、あいつ、このロンドンまで追いかけてきたらしいです。あんな出鱈目記事を東京に送っただけでは足りずに、まだこの上、われわれに迷惑をかけるつもりでいるようです。ひどい男だ」
門田は、通信員の姿に腹を立てて云った。
「しかし、あの鈴木君というのは、なかなかやるじゃないですか?」
浅倉もそれを眺めていたが、眼は細まっていた。
「おや、あなたは彼に遇われたのですか?」
「さっき、ここの修道院の前でね。彼はコペンからロンドンに飛んできて、ランカスター・ホテルできいたところ、あなた方がこのウインザー城に行っているというので、あとを追ってきたと云ってました。そこで、あなたの団員に取材しているわれわれとかち合ったんです」
「われわれ?」
「昨日、ランカスター・ホテルでお会いしたB─社の諏訪君、C─社の高村君、連合の内藤君です」
門田は呆れ、これにもすぐには声が出なかった。
「誤解しないでください。われわれはコペンの事件を追っているんじゃないのです。本社からああいってきたのを機会に、女性ばかりの観光団を婦人欄用のヒマ記事にしようと思っているのです。あなたや団員の人たちには絶対に迷惑はかけませんよ。そういう意味でわれわれの取材には協力してください」
浅倉は、がらがら声だが、どこか鷹揚さがあった。その余裕《ゆとり》は大新聞のせいかもしれなかった。
「そうですか」
門田は不本意だった。それで、せいぜいの抵抗だと思って云った。
「あんな、コペンのような根も葉もないようなことをきっかけにして、日本のマスコミは少し騒ぎすぎるんじゃないですかね?」
「たしかにそうですがね」
浅倉はまず逆らわずにうなずいて、
「しかし、今回に関する限り、これはわれわれが遊びに時間をつくったのですよ。大きな声では云えませんがね。実は、日本の女性観光団の取材を口実に、あなたがたといっしょにスコットランドに行ってみるつもりです。ホテルでもお話ししたように、こういうときででもないと、社用で遊びには行けませんからね」
と、うちあけた。
「しかし、浅倉さん、それは……」
「まあ、心配しないでください。しつこくはつきまといません。実はね、エジンバラには居ないで、セント・アンドリュースに行って、みんなでゴルフをしようという計画なんですよ」
浅倉は、子供みたいに眼をほそめた。
セント・アンドリュースはゴルフ発祥の地である。五百年以上も昔、この地の羊飼いの少年が、羊を追いながら石を棒で打って遊んだのがゴルフの起りだという。セント・アンドリュースは世界ゴルフの聖地《メツカ》であった。
「セント・アンドリュースでゴルフをしたといえば日本に帰ってゴルフ仲間にハバが利きますからね。実は、そこの会員の一人で知った人間がエジンバラに住んで居るので、それにたのんでビジターにしてもらうように、もう話がついているんです。エジンバラからセント・アンドリュースまでは車でも汽車でも二時間くらいですからね」
「おどろきましたね」
門田もそう云うより仕方がなかった。
「われわれにとって千載一遇にも似たチャンスです。そういうチャンスのきっかけをつくってくれたのが鈴木君だと思うと、われわれは彼に感謝しなければならないわけです。……おや、鈴木君の姿が見えませんね?」
浅倉は話の途中で気がついて云った。
云われてみて、門田はテラスの手摺から下を見た。そこには通信員の姿は消えていた。というよりも、観光客の群に一時かくれていたのであって、通信員の姿は土方悦子をはなれて、いまや一人の女性の傍にいることが分った。門田がよく見るとそれが多田マリ子であった。
多田マリ子は、コペンの「扼殺未遂事件」を起した張本人である。鈴木「特派員」はまさに本体にとりついて、ここぞとばかり取材しているのである。門田は、多田マリ子がその妙な自慢心から、あの事件を得々として「特派員」に語らなければいいがとひやひやした。その可能性は充分にある。彼女が話に尾ヒレをつけ、芝居気たっぷりに「談話」する可能性は充分にあった。
だが、梶原澄子の観察を信ずれば、その事件は彼女の自作自演であった。そのことを病院長未亡人は彼女の前頸部に残る爪の痕から証明してみせた。そうだとすれば、多田マリ子は、それがあばかれたとは知らずに、「遭難談」を大げさに語るだろう。それが狂言であればあるほど、当人は話に輪をかけるものだ。
門田は、浅倉にろくに挨拶もせず、テラスから出て「百段の階段」をとぶような勢いで、駆け降りた。本人の気持はそうでも、あたりに多くの観光客が上ったり下りたりしているので、何ごとが起ったかと訝《あや》しまれそうである。すべて取り澄ましている国民性のことで、ここで粗暴な振舞いは禁物であった。門田は他人にぶっつからないように、また奇異な眼で見咎められない程度に、大股に石段を降りていると、五十段ぐらいのところで、下から登ってくる土方悦子と鉢合せになった。
「あ、チーフ」
土方悦子は眼を大きく開いて棒立ちとなった。
「どこへ? いま、チーフをさがしていたところですよ」
「なんですか?」
門田は気が急《せ》くので、ぶっきら棒に云った。
「新聞記者の方がたくさん見えて、わたくしたちの話を訊かれるんで、困ってますわ」
土方悦子は当惑した表情で、額にはうっすらと汗さえ滲ませていた。
「どんな話です?」
「それが、コペンハーゲンのホテルで多田マリ子さんが扼殺されかかったというのを質問の中心にしているんです。とくに、しつこい訊きかたをする人がひとり居て、困るんです」
門田がよほど眼に近くなった家なみのほうを見ると、その通信員の姿はまた消えていた。多田マリ子のほうは、ほかの団員仲間と、のんきに土産物屋の窓などをのぞいていた。
土方悦子もいっしょにその方向に眼を放っていたが、
「あ、あの方です。赤煉瓦建のレストランから二軒ぐらい路地に入った民家の前で、藤野由美さんに何かしきりと話している紺のレインコートをきた日本人の男のひとです」
と指した。
そのときは、門田の眼にも、通信員の姿がとまっていた。通信員は、多田マリ子からはなれて、こんどは藤野由美に取材しているのである。「便利屋」とはいえ、なかなか精力的であった。
藤野由美からの取材だったら、まあまあだろうと思って、門田もそこで眼下の様子を遠望しながら足をとめた。一つには、あの男がどういう取材の仕方をしているか土方悦子に聞いてみたくなったからだ。彼女は先刻取材されている。
「コペンのロイヤル・ホテルのボーイに聞いたけど、女性団員の一人が空部屋でだれかに絞められかかったというが、そのときの様子を話してくれ、というんです。わたしをいきなり馴々しく、土方悦子さんですね、と呼びとめて」
土方悦子は眉をひそめて報告した。
「ふうん。図々しい男の云いそうなことだ」
「名刺をもらいましたわ。例の日本スポーツ文化新聞とか週刊何々とか、たくさんの雑誌社の特派員の肩書がついている名刺です。そうそう、チーフにはコペンでお会いしたと云ってましたわ」
そんなことまでしゃべって取材しているのか、と門田は彼との居酒屋での出逢いをまた後悔した。
「この前も話したけど、わざわざ会ったというのではなく、偶然にちょっと言葉を交わしただけです」
門田は渋い顔で、弁明した。
「で、あなたは、どう答えました?」
「なんにも云いません。どんなに訊かれても、ノーコメントでした」
「ノーコメント?」
「ええ。返事もろくにしなかったんです」
土方悦子が髭の通信員からなるべく離れようとしている様子を門田は見ていたので、その話はうなずけた。しかし、何も返事をしなかったというのは、相手に対して少々勘がよすぎると思った。
「実は、チーフには話す機会がなかったのですが、今朝の八時ごろ、東京から江木奈岐子さんが国際電話をかけてこられたんです」
土方悦子は、門田に一歩寄ってきて云った。
「ああ。江木さんは日本スポーツ文化新聞を読んだといったのでしょう?」
「そうなんですよ。コペンハーゲン鈴木特派員発として、コペンのホテルで多田マリ子さんがピストルで脅かされ麻酔薬をかがせられて扼殺されたような大見出しで書き立てられてあるといわれるんです。もっとも、扼殺の下にはカッコの中に未遂と小さく入ってはいるそうですが。それで江木さんは心配して、わたしに国際電話をくださったんです。こっちのほうがびっくりしましたわ」
土方悦子は大きな眼をさらにひろげた。
「それはね、ぼくのほうが早く、昨日の三時ごろに本社からの電話で聞いているんです。広島常務からの問合せでしたが、そのとき、江木さんが心配されていることを広島さんは云ってました。そうすると、江木さんは、代りにこの旅行団に出したあなたのことが気にかかって、あとで直接あなたに電話なさったんですね?」
「そうだと思います。わたくしが事情をお話しすると、ひとまず安心なさってらっしゃいました。そんなことを今朝の電話で聞いているものですから、あの髭の人がくれた名刺に日本スポーツ文化新聞特派員とあったので、記事を送ったのはこの人だなとピンときたんです」
「なるほど、そういうことでしたか。特派員といっても、あの通信員は……」
門田は下に眼を遣ったが、
「おや、あの男、まだ藤野由美さんから取材している。しつこい奴だ」
と、そこから睨んだ。
「ほんとに。まだ、話を取っていますわ」
土方悦子も眺めて云った。
「特派員といっても、一流新聞社のとは違って、あの男のは名目だけですよ。日本スポーツ文化新聞が使える原稿を送ったときだけ、原稿料を送金してもらうのです。ほかの週刊誌でも同じことでね。これは当人が云ってたから間違いはないが、自分で便利屋といっていた。外国によく居る手合いで、ヨーロッパの根なし草です。どうせ、新聞か雑誌の記者崩れでしょうな」
「でも、大新聞の人たちもその取材に来ていますわ」
「その連中も昨日ホテルにぼくを訪ねてきた。あなたがたが自由行動で外出しているときにね。やはり日本スポーツ文化新聞のその記事を見た本社のデスクにハッパをかけられて、飛んできたというんです。どうも、日本のジャーナリズムは上調子で困る」
「大げさに騒ぎすぎますわね。何かがあると、わっと押し寄せるんです」
「A─の浅倉というのがさっきもぼくのところに来て云ってたが、四社の記者も明日はエジンバラまで行って、われわれの女性観光団を取材すると云ってましたよ」
「え、そりゃ、たいへんだわ」
「いや、内情を聞くと、それを口実にセント・アンドリュースにゴルフに行きたいらしい。だから、そう心配はないでしょう」
「あの日本スポーツ文化新聞の通信員もスコットランドに行くんでしょうか?」
「さあ。それはどうかな。大新聞社の支局員とは違って、彼の場合は旅費もホテル代も一応自費ですからなア」
「おや、やっと藤野由美さんからの取材が終ったようですわ。こんどは少し長くかかったようですね?」
「まったく、しつこい」
通信員は、ようやく藤野由美を解放し、こんどは次の獲物を探しているらしいので、門田は本気に、あとの五十段を駆け降りた。
降り切ったところが、テームズ通りの角で、まっすぐ行けばジョージ五世記念像があるが、そこへは向わず左にとって五十メートルも歩き、次の角を右に曲る。城の北側テラスから眺め下ろして見当をつけたところで、レストランや土産物屋がならんでいた。そこで、ひとりでぶらぶらと歩いている通信員を門田はつかまえた。
「あ、こんにちは」
鈴木は紺色レインコートの片袖を挙げた。その袖口はよごれていた。さすがの通信員も、門田の強い視線を受けたときは、顔に混乱を見せた。
先夜は、コペンの飲み屋で、どうも、と彼が云い出すのを、
「困るじゃありませんか」
と、門田は一撃した。
通信員は、はじめとぼけそうな様子だったが、門田の見幕に諦めて、髪をごしごしと掻いて、頭をさげた。
「済みません。ご迷惑をかけました。けど、ちょっと釈明させてください。誤解されたままでは、ぼくが浮ばれません」
彼は髭を動かして早口に云った。
「なんですか?」
「ぼくは、コペンのロイヤル・ホテルにあなたがたの団体がロンドンに発たれた直後に行ったんです。女性観光団というのが珍しいと思って、何か記事にならないかと思いましてね。それが出発後だというので、せめて話でもと思い、あのホテルのポーターに聞いたんです。あそこのポーターやボーイのなん人かはあのピーレゴーデンの常連で、ぼくとは顔馴染なんです」
「………」
「結果だけをいえば、ぼくはボーイやポーターの話をそのまま日本スポーツ文化新聞に電話で送ったんです。すると、デスクがたいそう派手な見出しの読物記事にしてしまったらしいんです。ぼくは、いま、そこでA─の浅倉さんやB─の諏訪さんたちからはじめて話を聞いてびっくりしました。それは日本スポーツ文化新聞のデスクのでっち上げですよ。ピストルだのクロロホルムだのとね。ぼくの電話送稿にはそんなものはありません。まったくデスクの舞文曲筆です。これは信じてください」
鈴木は、眼も口も、その乞いに熱意を見せた。
「で、本社はあんまり反響が大きいのによろこんで、つづけて女性観光団を取材しろと電報をくれたのです。珍しく稿料もはずむし、旅費も持つというんです」
「それで、あんたは、ここまでわれわれを追いかけてきて、もう一発、デスクがでっち上げできるような材料をつくろうというわけですな?」
「いえ、いえ。とんでもない」
通信員は激しく首を左右に振った。
「その逆ですよ。前の記事の訂正を送るつもりです」
「訂正を?」
「そうです。浅倉さんたちから聞いても、あんまりひどそうなので、いま、あらためて団員さんの談話をとっているんです。こんどの取材が正確で、それによって前のを訂正するように日本スポーツ文化新聞のデスクに云ってやるつもりです」
門田は自分の中で忿懣が次第に融けてゆくのをおぼえた。本人の顔を見ると、気が弱くなってくる。正面から詫びられると、怒りをぶつけることもできず、それに彼の言訳にも一理があった。鈴木は悪い人間ではなさそうだった。ただ、生活のためにルポの原稿料生活をしている。生活を保証され、取材費を供給されている大新聞社の恵まれた海外支局員の環境とは違うのである。
「ぜひ、日本スポーツ文化のほうには訂正させてくださいよ。あの記事が出たおかげで、団員の家族もずいぶん心配しているのです。昨日から、ぼくも本社の電話に呼び出され、こっぴどく叱られている状態です」
門田は、まだふくれ面で云った。
「すみません。デスクがでっちあげたこととはいえ、ぼくにも責任があります、あなたにご迷惑をかけました」
鈴木は、また頭をさげた。
「それで、あなたはこんど日本スポーツ文化以外にも、あなたが契約を結んでいる週刊誌などに、この観光団のことを書くつもりですか?」
門田は訊いた。
「日スポ文化(日本スポーッ文化新聞の略称であるらしい)の記事を間接的に|より《ヽヽ》強く訂正するためにも、女性週刊誌にこの観光団の動静を送りたいと思います。浅倉さんに訊くと、全国紙のほうでも取材するそうですね?」
鈴木は気弱そうな眼で云った。
「そうらしいです。ぼくのほうからは頼まないけど、先方がエジンバラまで行くというのを中止させる権利はありませんからね」
各社支局の四人がセント・アンドリュースにゴルフをしに行くという内緒話までは、門田は、鈴木に云えなかった。
「それはそうですね。全国紙が三人に連合通信まで加わってエジンバラに行くとなれば、ぼくも行きたいですな」
髭の通信員は云った。
「え、あなたも行くんですか?」
「行きたいけど、ぼくの場合はすべて自費ですからね。それに、そのルポを週刊誌が買ってくれるかどうかも分らないのです。東京に問い合わせた上でないと、貧乏なぼくには行動ができません」
通信員はかなしそうな眼をした。ヨーロッパの「便利屋」の悲哀であった。
門田は同情したが、それを表明できなかった。あんまりつけ上らせるのは禁物だった。
「それじゃ、これで」
門田は脚を動かした。
「そうですか。では、お元気に。門田さん、もし、エジンバラに行くようなことにでもなれば、その節はよろしく」
門田は、それには、否とも応とも云わず、
「コペンのトルバルセン嬢によろしくね」
と、最後は笑った。髭の通信員は叩頭して去った。
門田はそのあとで、多田マリ子に、通信員の取材質問にどんなことを答えたのかと訊いた。
「コペンハーゲンのホテルで聞いたと云やはって、いろんなことをたずねられましたけど、わたしはみんないい加減な返事をして逃げました。だって、日本の新聞に出たら、えろう迷惑しますがな。大阪のお客はんにえろう恥ずかしうて、顔むけができんようになります」
団体の同性に対しては自己顕示欲の強い多田マリ子も、大阪の男性には営業上の配慮があるらしかった。彼女はもちろん日本スポーツ文化新聞の報道を知っていないようだった。
藤野由美は、門田の問いに答えた。
「コペンのホテルのこと、云うだけでも、ばかばかしいですわ。日本スポーツ文化新聞をはじめ、四社の特派員にいろいろと訊かれましたが、わたしはなんにも存じませんと答えるだけでした。新聞記者というのは、ずいぶんクレージイな話題に興味をもつものですわね」
ばかばかしいとか、気違いじみた話題だとか藤野由美が口にするのは、彼女の意識に多田マリ子への対抗がまだ燃えているからだった。
いずれにしても、二人の答えに門田は安心した。
[#改ページ]
スコットランドの「湖」
ローズ・ツアはキングス・クロス駅発グラスゴー行二十三時二十分の列車に乗った。エジンバラまでは約六時間かかる。
一等寝台車は贅沢だが、これも団体募集の条件になっていた。旅客機の二等席《エコノミー》を除くと、ホテルにしても乗物にしてもすべてデラックスにしているのがローズ・ツア募集条件のウタイ文句であった。もっともイギリスの一等寝台車といっても、列車そのものが古めかしいので、たとえコンパートメントになっていても、日本ではとっくに廃車になっている時代ものだった。門田はバスの中で、コンパートメントの同室者はルーム・メートがそのまま組み合せになることを申渡した。
窓の外を見ると、照明燈に浮んだ無数の側線が次々と減ってゆき、複線の線路だけになる。ロンドンの灯も少なくなり、最後の郊外が闇の中に消えて行った。線路と並行した道路を走る車のヘッドライトも少なくなり、二、三台が消えては一台が現われるというぐあいだった。夜行列車の窓はどこでも同じである。ロンドンの郊外は東京よりもっと寂しい。
門田が暗い電燈の下でホテルや食事代の受取証を整理していると、ドアが低く鳴った。列車ボーイかと思って扉を開けると、梶原澄子が身体を半分わきに寄せて立っていた。
「入ってもいいですか?」
「どうぞ」
梶原澄子は、室内に半分しか進んでこなかった。
「門田さん。今晩も藤野由美さんと同じ部屋ですのね?」
早速の抗議であった。
「列車の中ですから、まあ我慢してください」
梶原澄子は、昨夜門田から言質をとっているつもりだった。
「でも、いっしょのコンパートメントですよ」
彼女の声は、その顔と同じに、ぎすぎすしていた。
「そうなんですが、今夜はどうにも都合がつかなかったのです。明晩のエジンバラ泊りからはかならずご希望のとおりにしますから」
門田はなだめたが、梶原澄子のわがままにも少し腹が立ってきた。藤野由美の「不潔」を理由にするにしても限度があると思った。
「そうですか。じゃ、きっとですよ」
さすがに彼女もそれ以上は主張をつづけなかった。
彼女はドアの外に行きかけて門田を見返った。
「今日のウインザー城での騒ぎは何ですか。日本の新聞記者などが押しかけたりして」
「ははあ。あなたも新聞記者につかまえられましたか?」
「つかまりました。コペンのホテルで起った多田マリ子さんのことを訊くんですよ。わたしは、よっぽど、あれは多田さんの狂言だと云ってやりたくなりました」
「それだけは止めてください」
門田は顔色を変えた。
「ええ、実際には云いませんでしたよ。あんなこと、口にするだけでも阿呆らしいですからね」
梶原澄子は、唾でも吐きそうに云った。その限りでは、藤野由美と同じ答えだった。
「どうか穏便にねがいます」
門田は頭をさげた。このとき、ふと気がついて、
「ところで、あなたは新しい室友として、どういう方がご希望ですか? もっとも、そのご希望通りになるかどうかは、いまのところ分りませんが、参考として伺うのです」
と、訊いてみた。半分は機嫌とりの気持だった。
「そうですねえ。……」
梶原澄子は、ちょっと考えていたが、
「多田マリ子さんと室友にしていただいても結構ですわ」
と、急に微笑をつくって云った。
「え、多田さんですか?」
門田は意外だった。
多田マリ子も藤野由美も、その派手な面では似たり寄ったりだった。梶原澄子が藤野由美に反撥するなら、多田マリ子にも反感をおぼえそうなものであった。梶原澄子はニヤリと笑って出て行った。
五分もすると、土方悦子がドアを敲《たた》いてはいってきた。
「いま、梶原さんにわたしのコンパートメントをのぞかれ、通路へ呼び出されました」
土方は報告した。
「室友の変更のことでしょう?」
門田は察した。
「そうなんです。チーフに頼んであるけど、あなたにもお願いするわね、とわたしに云われるのです」
「しようのない人だな。たったいま、それをぼくに云いに来たばかりなのに。じゃ、ここを出てすぐにあなたのところへ寄ったんだ」
「梶原さんは、藤野由美さんとは、よっぽど性分が合わないと見えますね。いったい、変更の理由は何ですか?」
「それがよく分らないんだ。なんでも藤野さんが不潔だから嫌だと云ってましたがね」
「不潔ですって? あんなきれいな方が?」
土方悦子は眼を大きくした。
「ぼくもそう思うんだけどね。なんでも、生理的な感覚らしい、不潔というのがね。男にはそれが分らないが、同性にはそれが分ると梶原さんは云うんです。あなたは、どうですか?」
「わたくしは藤野さんが不潔とは思いませんわ。きれいで、美しい感じのひとだと思っています。いいえ、これは、あのかたのおしゃれのことを云っているんじゃありません。お化粧が美しくても、服装がおしゃれでも、清潔でない方は、どこかにそれがのぞいているものです。ちょっと気づかないようなところに、それがあるんです。でも、藤野さんにはちっともそれがありません」
「ぼくもそう思うんですがね」
「もしかすると、梶原さんは、藤野さんのおしゃれとか、少々人に目立つような言葉や振舞に、反感を持ってそう云ってらっしゃるんじゃないですか?」
「それだったら、梶原さんは新しい室友として多田マリ子さんを希望するはずがないと思いますがね」
「え、梶原さんは多田さんを室友に望んでらっしゃるのですか?」
「希望をきいてみたら、そう云ってましたよ。多田さんは藤野由美さんと同型じゃないですかね? そこんところが、ぼくには理解しかねるんですよ」
列車の動揺の中で、門田はパイプに火をつけた。この旅行団中、たった一人の男性という理由で門田が独占しているコンパートメントの一隅には、ストーブのような燻《くす》んだ銀色のアルミの容器が置いてある。置いてあるというよりも立ててあるといったほうが近い。実はこれが抽出し式の便器であった。二段の抽出しになっている。ちょうど土方悦子はそのストーブ型の便器の前に凭りかかるようにしていたので、門田はおかしくなった。彼女も揺れ、容器も揺れている。
「それは、こうなんじゃないでしょうか」
土方悦子は、ゆらゆらする姿勢で考えた末に云った。
「藤野由美さんを毛嫌いなさっている梶原さんは、藤野さんと競《せ》り合っている多田マリ子さんに好意をもっているから、そうおっしゃっているんじゃないでしょうか?」
「なるほど。そういう見方もできますね」
門田の気がつかないところだった。
「きっと、そんな梶原さんの心理からだと思いますわ。あの方は、藤野由美さんとは、それこそ生理的に合わないんですね。そういう例は多いと思います。室友の変更をチーフに頼む理由がないものだから、不潔だという何だかよく分らないことを持ち出されたのでしょう」
「梶原さんにとっては、藤野由美さんが多田マリ子さんと共同の敵になるので、二人の結合ということかね?」
「結合かどうかは分りませんが、梶原さんは多田さんに親近感をもったのではないでしょうか?」
「しかし、それにしては分らないことがある。実はね、梶原さんは、ぼくに多田マリ子さんのコペンのホテルでの扼殺未遂事件の真相なるものをこっそり告げに来たんです」
門田は、梶原澄子の「密告」をもう土方悦子にだけは洩らしてもいいと思った。それは、多田マリ子の今後を土方悦子にも監視させるためだった。後には広島常務が国際電話で云った「これから先も君の旅行団に何かが起りそうな気がする」という言葉が耳底に残っていた。
門田は広島の「取越し苦労」をあのときは笑ったが、いまは笑えない気持だった。いやな予感がしないでもなかったのだ。その予防のためにも、自分一人では三十人の団員に眼が届かなかった。
土方悦子は、門田から梶原澄子の「密告」の内容を聞くと、口から叫び声が出そうなくらいびっくりした。
「梶原さんは、札幌の病院長未亡人ですからね。亡くなったご主人の手伝いもしたことがあるらしいから、患者の怪我の様子も分るようですよ」
これは、前頸部に残った爪のあとから判断して、外部から扼殺の攻撃をうけたのではなく、自分の爪で咽喉を引っ掻いてつくった狂言のことだった。
土方悦子は、列車の動揺に身を任せて考えていたが、今後は多田マリ子にも気をつけてくれという門田の依頼に、
「よくわかりました」
と、かなしそうに云い、何ともいえぬ暗い表情で、そのまま外に出て行こうとした。
が、その間際に、彼女は忘れものでもしたように一歩戻ってきた。
「チーフ。今日の昼間、ウインザー城で遇った日本スポーツ文化新聞の通信員に、わたくしの名前を教えましたか?」
「いや、ぼくは云わないけど」
「あの方は、わたくしに土方悦子さんですか、といきなり呼びかけましたわ」
「そりゃ、ほかの団員に聞いたのでしょうな。あの男は、団員たちにいろいろと聞き回っていたから」
土方悦子はその答えにちょっと迷うような眼をした。が、すぐに、
「多田マリ子さんのことは、わたくしもそれとなく気をつけます。それから、梶原さんの話は絶対に団員の人には知られないほうがいいと思います」
と述べ、おやすみなさいを云ってドアを出て行った。
門田はベッドの下段に入ったが、気にかかることがもう一つあるのを思い出した。それは星野加根子の言葉である。
(藤野由美さんがアンカレッジで紛失されたというルビーの指輪は永久に出てきませんわ)
空港の手洗所で落したまま指輪の行方が分らなくなったというから、たしかにそれは紛失である。あとで、入ってきた者が指輪を見つけて届けなかったら、それは紛失である。永久に出てこない可能性は充分にある。げんに、あのときは、ローズ・ツアの団員は全部、機内に入るかゲートのところに待っていたし、折から着いたルフトハンザ機の乗客五、六十人もが群をなして待合室に入ってきた。それらのだれかが手洗所に行って、落ちていた指輪を拾い、自分のものにしたという可能性もある。
それは、だれでもが考える推測なのに、どうして星野加根子は、指輪は永久に出てこない、などと特に意味ありげに云ってきたのだろうか。
星野加根子は、目立たない女というよりも、陰気な女だ。珍しい風景を見ても、ほかの団員のように感動を見せなかった。そういうのは世間にはよくいる。星野は未亡人だが、長らく会社勤めをしている独身の女などに多い。彼女たちには何を考えているのかよく分らないところがある。また、何でもないことを、さも意味ありげに、重要なことのように、ひそひそとささやきにくるものだ。
星野加根子の云った指輪のこともその一つだろうか。それとも、彼女だけが本当に何か知っていることがあるのだろうか。──
思案しているうちに、門田は昼間の疲れで睡くなってきた。
次の停車は、ドンキャスター駅である。
エジンバラのウェーバリー駅に着いたのが午前七時前、街は趣があった。建物の窓の灯も少なく、街燈だけが輝いてならんでいるのも佗しい。街は駅の上にあって石段を昇って行く。吐く息が白いくらいに空気が冷えている。四月末のエジンバラの日中の気温は平均華氏四十八度、ロンドンよりは六度くらい低い。緯度からすると樺太の北部に当る。暖流のせいで樺太よりは温いが、それでも早朝は冷え込む。団員たちはコンダクター門田の注意で列車の中で支度をした。厚着の上にコートを羽織り、厚い布のネッカチーフを頭に被り、衿巻きをした。
手配したバスがひろい陸橋の傍に車内の灯をつけて待っていてくれたのには、門田も胸を撫で下ろした。これで約束通りバスが来ていなかったらホテルにも入れず、戸を下ろして暗い早朝街を慄えながらうろつき、団員たちにどんなヒステリーを起されるか分らないところだった。ありがたいことに、バスでは熱い紅茶とサンドウィッチを用意してくれていた。これも契約通りとはいえ、門田は英国人の律義さに感謝した。引率者というのは、自分はたとえ飲まず食わずでも団員たちには不自由させたくないというふしぎに英雄的な犠牲者心理になる。この場合は商売気をはなれていた。
「みなさん。わたしたちはいよいよ憧れのスコットランドに参りました。エジンバラ市内の見物は、いまが早朝の時間という関係から、午後にし、これより北の海岸線に沿って往復六時間ばかりの旅をたのしみたいと思います」
門田が車内朝食を頬張っている三十人の女性団員に微笑みながら云った。
「窓から見える海は北海です。このへんはファイフ地方、つまり横笛地方というんですが黄金に縁どりされた乞食のマント≠ニいう奇妙なあだ名があります。エジンバラからセント・アンドリュース、ほら有名な世界のゴルフの発祥地ですが、そこへ行くまでの海岸線はスコットランドのリビエラと称されています。おや、どうやら夜が明けてきましたね。では、ごゆっくりおくつろぎください」
運転席に背をむけて通路に立って一同に対き合う門田は故意にみなに仕合せそうな身ぶりをみせた。何よ、あの言い方、ずいぶん気どっているわね、という団員たち隣どうしの囁きもあったろう。バスの座席だけは室友の秩序はなかった。土方悦子は荷物のバス積込みの点検にくたびれたのか、それとも夜行列車ではろくに睡れなかったのか、前列の座席で眼をうつらうつらと閉じていた。
空の薄明の下に商店街は黒い影になっていたが、背後の丘にそびえたエジンバラ城は細部の輪郭を描き出しつつあった。街が終り、郊外がはじまって、幅広い河口に架ったフォース・ブリッジの長い橋を渡るころはすっかり陽の輝く朝となった。海の上も昼間に近い白い光線に変っていた。
団員でセント・アンドリュースの名を知っている者も知らない者もいた。クラブを握れる女性でもそこが聖地《メツカ》であると心得るものは少なかった。道は農村地帯を走っていて、いっこうに海が見えなかった。案内書を過信した門田の錯覚で、往還《ハイウエイ》は必ずしも風光明媚な蘇格土《スコテイツシユ》のリビエラを通るとは限らなかった。無理もない、門田もこの地方は初めてであった。
スコットランドといえば高地《ハイ・ランド》ばかりのように思われるが、海岸寄りのこのへんはいわゆる低地《ロウ・ランド》地方で、なだらかな丘陵は左手西側に起伏をゆるやかに繰り返していた。少しも変化のない景色だが、幸いなことに、乗客のほとんどは座席に睡りこけていた。今朝の到着が早かったのと、それに夜汽車の睡眠不足もあったりして、バスの動揺がけっこう揺り籠の役目をつとめていた。
二時間かかってバスがセント・アンドリュースの静かな町に入ったころには、乗客の半分が眼ざめていた。
ゴルフ場は北海に面した岩場の台地上にある。古めかしいホテルが建ちならんでいるが、ゴルフ場はもっと古色をもっていた。地面《スペース》の関係上、海岸に沿って横に長く、その先は鉤の手に曲っていた。眼も遥かな広々とした芝生と人工的な枝ぶりの木立をもつ日本のゴルフ場からくらべると、この世界の聖地《メツカ》は漁村の球ころがし場といってよかった。威厳を添えているのは中央のロイヤル・ハウスの王朝風な建物で、時代がかったところが壮重である。ゴルファーも、ほんの三組ぐらいしかいなかった。
例の全国紙三社と連合通信の支局員の姿はなかった。いずれ、明日あたりにここにやってくるにちがいない。自分らは思わぬことで彼らに「恩恵」を与えたものだ、と門田は内心くすぐったくなった。
門田の土地説明で、団員たちはゴルフ場をカメラで撮りはじめた。日本の世界観光団多しといえども、ここまでくるのはおそらくあなたがただけであろうといい、帰国してゴルファーに話したらきっと驚きと羨望の的になるだろうと持ち上げたので、団員は余計に撮影の価値を見出したようだった。
「奇妙なものですわ」と土方悦子が門田とならんでいった。
「お互いの記念写真を撮り合っているのが自然といくつかのグループに別れるんですのね。室友は案外少ないんじゃありませんか」
その現象に門田は気づいていた。しかし、彼も、経験からもうそろそろ分裂と集合の現象が起るころだと思っていた。おおまかにいって、年齢の近いものどうしがかたまるものだが、学生を除くと、ふしぎと同種の職業をもつ女はいっしょにならない。まったく異なった職種が仲よくなりがちだった。このローズ・ツアの会員《メンバー》は後者の現象がきわだっていた。
室友の点については悦子の観察通りだが、その原因は梶原澄子が藤野由美に反撥するように、同じ部屋で寝起きしている間に気まずさが起るのである。それに同室でいるときは双方で遠慮しているので、その鬱積がどうしても他室の者に新鮮さをおぼえさせるらしいのである。もっとも、藤野由美の場合、梶原澄子の反感には、さらに反応がないようだった。病院長の未亡人など歯牙にもかけていないふうだった。
北海の沖は寒そうな海霧にかすんでいた。
海際は岩礁の断崖になっていて、歩行路がそこで階段になって下にかくれている。崖下には夏季の海水浴場の施設、レスト・ハウス、プールなどがあった。
ゴルフ場を窓硝子越しに見渡すホテルの食堂で早目の昼食になった。バスの中では朝食にサンドウィッチだけだったからみんな食欲がさかんだった。
土方悦子は隅に坐って悪戯書きのように何か紙片に書いている。門田が覗くとそれぞれのテーブルに着いている顔ぶれの名前であった。門田は、ははあ、と思った。つまりはこれが仲よしのグループ別であった。その中には少ない例だが、同室者《ルーム・メイト》の仲よしも含まれていた。それらは非常にうまくいっている組で、早い話がどこに行くのも肩を寄せ合い手を握り合っているのである。
門田が、土方悦子にそういうグループ別の人名を機会あるごとにメモしておいてくれとそっと頼んだのは統率の資料にするためだった。仲のいい組は分裂と結合を繰り返すから、そのメモの変化はなかなか参考になる。
その逆が、星野加根子、竹田郁子、日笠朋子などの冷却型ないしは孤立組であった。
むろん、別の意味で梶原澄子、藤野由美、多田マリ子の三人には門田の二重圏点が付けられていた。
世界ゴルフの発祥地を眼の前にして、藤野由美と多田マリ子の口からゴルフ談義が出ないはずはなかった。
「わたくしのお顧客《とくい》さまは、みんないいところの奥さまやお嬢さま方ばかりでしょ? みなさまがゴルフにお誘いくださるので、つい、わたくしもゴルフを習いましたの」
美容デザイナーはいった。
「五年前からなんですが、いまではもう少しでシングルになれそうな腕になりましたわ。現在、K─カントリークラブの個人会員なんですの。あそこの譲渡価格はいま三千万円ぐらいするんですってね。いいえ、わたくしのは、懇意にしていただいている方がタダで譲ってくださったんですけれど。あのクラブは有名人ばかりがいらっしゃるでしょう。政界や財界や文化人などの奥さまやお嬢さま方ともお親しくしていただき、そのご主人さまとも昵懇《じつこん》にしていただいてますの。でも、殿方とのお付合いは、正直いって面倒ですわ、わたくしだけをこっそりお誘いくださったりして。そりゃ、奥さまがたの微妙なお気持も、いろいろなかたちで出てきますから、そのへんの呼吸がとてもむずかしいんです。わたくし、ほんとに無心にクラブを振っていられたら、どんなにいいかと思うことがあるんです」
多田マリ子も、別のグループでだが、負けずにいった。
「わたしはゴルフをはじめて十年になります。三年前からハンディが9だすよってに、もちろんシングルだす。大阪というとこは、関西の財界人が集ってはりますやろ。財界は、何やいうても、中心は関西ですわ。東京は、その関西の支店みたいなものでっしゃろ。昔からそういいますがな。日本の財界の中心は、やっぱり、大阪だす。わたしのお店には、その財界人のお歴々がお見えになりはるよってに、わたしの店を夜の工業倶楽部やいうて、世間ではいやらしい悪口をいわはります」
バアのマダムはそう自慢した。
「それというのも、一流の会社の社長さんがたが、わたしをほうぼうのゴルフ場に誘ってくれはるからでっしゃろ。そう、わたしも、自分の商売が大事ですよってに、何とか時間を都合してくれんかといわれたら、五度に一度ぐらいはお供することになりますわ。ひどいときには十回ぐらい、飛行機や新幹線で大阪・東京を往復したり、北海道や九州のゴルフ場かて行きます。そやけど、わたし一人で社長さんたちのお供をしたことおまへんえ。かならず、店の者を連れて行きます。そんなことで、わたしを夜の工業倶楽部の会頭やいうて蔭口をいわはる人があるんですわ。はじめは、そら口惜《くや》しゅうおましたけど、このごろは諦めて、なんとも思わんようになりました。あれ、みんな嫉妬《やきもち》半分で悪口云わはるんですね。それやったら、しよないわとさとりましてん」
ところで、門田が土方悦子にひそかに訊くと、藤野由美はロンドンのハロッズでは何一つ買わず、多田マリ子もアランズでは店内を見て回っただけということだった。
ロンドンの高級店では気に入ったものがなかった、すべてはパリで択ぶ、まだ旅程の途中なのに、荷物になるものをあわててロンドンで買うこともない。そういう意味のことを両人とも云っていたそうである。
エジンバラに引き返したのが午後二時ごろであった。列車で着いたとき早朝の霧に眠っていた街は、いまは見違えるように明るい陽光の下にいきいきと活動していた。プリンセス街という大通りは両側に大商店がならんだ目抜きの繁華街だが、中央に車がめまぐるしく走り、両歩道には銀座のように人が雑踏していた。海抜一三四メートルの巌上にそびえている七世紀時代の古城は市中のどこからでも見上げられるが、とくにプリンセス通りからのが偉容をおぼえさせる。
(図省略)
ところで、ここで門田は思わぬ蹉跌《さてつ》に遭遇した。せっかくうまくいっていたのに、何ということか、予約したホテルに宿泊を断られたのである。責任は予約客をとりすぎたホテル側にあった。どこのホテルでも、多少のブッキング・オーバー(予約客数超過)はやっているが、これはひどかった。先方の言訳では、連絡の手違いだといったが、アメリカの観光団にすでに十室を提供してキイも渡してある、三室なら何とかなるが、とフロントではわざわざ支配人が出てきて謝る始末であった。
門田はここぞとばかり猛烈に抗議し、何とかほかのホテルを世話しろといった。支配人は事務員を督励してほうぼうに電話していたが、スコットランドもそろそろ観光シーズンに入ったとみえ、エジンバラのホテルは全部|塞《ふさ》がっている。あっちのホテルに二室、こっちのホテルに三室というふうに分宿の方法があるがと支配人は云った。しかし、それではこちらが不便で仕方がない。団員の多くは言葉も通じないので心細いこともあった。
そういった不便だけではなく、分宿は門田に不安であった。この先、何かが旅行団の中に起りそうな予感がすると電話で云った広島の声が、門田にはすでに「警告」として脳裡に滲みこみつつあった。自分までが神経過敏になっていると思いながらも、それを払うことができなかった。
長身の、いかにもスコットランド人らしい支配人が背をかがめ揉み手をして云うには、ここから北十マイルのところにミルナソートという駅がある。鉄道の南北線・東西線の中心で、そばにはレブン湖という湖もある。夏季の客のためにレブン湖畔には立派なホテルがあるが、今だとまだ空いていて十七室ぶんはいっぺんにとれる。この市内のホテルよりも静寂でどんなにいいかしれない、そこに入っていただけるなら、こちらの手落ちだから往復のバス代は当方持ち、宿泊料も割引きする、と申出た。
門田も分宿よりはいいからそれに決めた。支配人は莞爾として、何しろスコットランドは湖が名物でしてな、湖畔の宿りのほうがどんなにロマンチックかもしれないと云い添えた。
日のあるうちにそんな場所に出かけても仕方がないから、二時間ばかりを市内見物に過すことにした。
エジンバラは台地にできた街で、縦横に走る商店街の大通りも勾配《こうばい》だが、ちょっとわきにそれると陥没した谷間になる。谷間は家で埋まっているが、上部の街と低部の街とは高い石段で連絡している。石段に出るには必ず商店と商店の間の露地で、せまい両側には小さな居酒屋などあったりして、カスバのように薄気味悪かった。
こういうときだけ衆をたのんだ女性群は、もの珍しそうに露地を見つけては摺鉢《すりばち》底の「貧民窟」をのぞきに行った。あとから思い合わせると、このあたりから彼女たちの好奇心が醸成されたようである。門田は気が気でなかった。ホテルの違約のこともあって、ここで事故を起して、つまずいてはならなかった。
「さあ、みなさん、ばらばらにならないで。一人になると迷って、どういうことになるか分りませんよ。かたまって、かたまって」
と呼びかけていた。土方悦子は人数のまとめにかけまわった。
そういうことだから、二階つきのバスや車が走る大通りに出て、その小さな広場に建っているサー・ウォルター・スコットの銅像の前に立ちどまり、土方悦子が「講師」にもどって一同に説明するのを門田は苦々しく思うどころか、頗る気持をゆるして聞いていた。
気をゆるすといえば、四人の新聞記者の姿がこの街に現われてないことも門田には気が楽だった。正確には、日本スポーツ文化新聞の通信員を入れて五人というべきだろう。全国紙と連合通信とは、明日あたりセント・アンドリュースに向う予定だろうし、ヨーロッパの「便利屋」通信員には金がない。東京の契約雑誌社に旅費を電報で要請するといっていたが、そんなことに無駄使いをさせる社もないであろう。
スコットというのは、と悦子はいまや小さな身体に高い声をあげていた。ご存じの方もあろうけれど、日本では以前から叙事詩『湖上の麗人』の作者として知られています。西洋ではあるいは小説『アイヴァンホー』のほうが高く買われているかもしれないけれど、日本人には前者のほうが明治以来馴染深いようです(明治二七年塩井雨江訳『湖上の佳人』として出された)。中世の騎士と美姫とにまつわる恋愛と武勇譚は、スコットランドの山中カトリン湖の幽邃を舞台に人の心にこよなく浪曼の夢を植えつけたものです。と彼女は、その荒筋を紹介していた。こういうときの土方悦子の眼の色も顔色もまことに生彩があった。なにしろ繁華街の角にある狭い広場のこととて、ぞろぞろ歩く人の群が立ちどまって珍しそうに日本語のおしゃべりを聞いていたが、知った顔のない強味で、彼女はいっこうに臆するところもなく、佇んだまま半眼を閉じ『湖上の麗人』のなかの詩の一節をリズムを付けてうたいはじめた。
漕《こ》ぎゆく舟の水棹《みさお》にて/しぶきとぶ水泡《みなは》 あはれ儚《はかな》し。/漕ぎゆく舟の跡《あと》の一条 水脉《みを》の光は波に立てども/はかなく失《う》せて湖《うみ》静かなり。/噫《ああ》 思ひ出もはかなく消えて/往《い》にし昔の情《なさけ》を忘る。/さらば旅人 寂しき島を/去りて忘れて 汝《な》が幸《さち》に酔へ。/噫 武夫《もののふ》よ、さまよひ人の/悲しき胸をなだめ鎮めよ。/踏み迷ひたる山路の果に/仮寝結びし寂しき島の一と夜の幸《さち》を偲びがてらに。(入江直祐訳)
悦子の半眼がびっくりしたように開いたのは、団員たちの一斉なる拍手の響きで、どの表情も感動的な笑顔になっていた。思うに、遥か日本を離れて異郷を歩いている「旅人」の心境に、その詩が滲みこんだのであろう。女性には「湖上の麗人」という名前からして詩的で、その陶酔は自らをヒロインに擬しがちである。そこにはデザイナーも教師も事務員も水商売も独身も人妻もなく、均《な》らされたロマンチシズムへの浸《ひた》りがあった。
とくに女子学生たちは悦子に駆け寄ってきて、
「素晴しいわ、土方さん。その湖というのはどこにありますの?」
と訊いた。悦子はそこまでは地理を調べていなかった。
「ねえ、もしかすると、今夜わたしたちが泊るホテルが湖畔だというから、そこがカトリン湖じゃないかしら?」
女子学生は手を叩いて云い合うのであった。ほかの女性たちもそれを希望する表情であった。
この変化を見て喜んだのが門田で、田舎のホテルに追いやられて嘸《さぞ》かし団員一同の不平不満、憤りをぶっつけられるかと今夜を不安がっていたのだが、みんなしてその湖畔の宿を熱望してくれるのなら願ってもないことであり、彼は羽根ペンを握って紙に向っているスコット(彼はバルザックと同じように莫大な借金返済のために書いた)の銅像を見上げ、「文学」の偉大さを認識したのであった。で、土方悦子に近づき、そっとささやいた。
「今夜のホテルの傍にあるレブン湖という湖をみんなには、そのカトリン湖のように思わせておくことだね」
土方悦子は首を振った。彼女が再び一同に云ったのは、間接的には門田への答になっていた。
「みなさん、レブン湖も、スコットの小説の舞台になっているんです。スコットは中世イギリスのロマンチックな物語を歴史を背景に書いていますが、レブン湖にも『湖上の麗人』と似たような美姫と武勇譚がくりひろげられています。その作品が『ザ・アボット』です。いまでも、その湖上の小島には十五世紀の小さな古城があります」
「湖上の古城!」
女子学生たちは夢みるような瞳をした。
「この城には、十六世紀の半ば、スコットランドの貴族たちに降伏したのちに捕われの身となったメアリ女王が幽閉されていました。女王を救い出そうとする計画は何度かありましたが、みんな成功しませんでした。やっとウィリアム・ダグラスという勇士がメアリ女王を救助しましたが、それも束の間で、メアリはイングランドのエリザベス女王によって再び捕われの身となりました。メアリはスコットランドやイングランド各地の城を転々としていたのですが、とうとうエリザベス女王のために断首にされるのです」
この物語の紹介で、レブン湖行が、なんの悶着も起らず、いっぺんにきまってしまった。
門田も、レブン湖をカトリン湖といって団員を欺瞞する必要もなくて、この成行にひどく安心した。レブン湖の物語は日本人に『湖上の麗人』ほど有名ではないのが門田に気がかりだったが、女性団員には湖上の島に古城が残っているというのが、ロマンチックな強い魅力のようだった。
ミルナソート駅というよりキンロスの町にはホテルが多い。事実、キンロスシャーの県都でもあった。この田舎町に似合わない立派なホテルがあるのは、夏になるとレブン湖の鱒《ます》釣りを兼ねて避暑客がくるからだった。門田も「|鱒  荘《トロウト・ヴイラ》」というホテルに入ってパンフレットをもらい、初めてそれと知ったのだが、シーズンになると鱒釣りの競技会が行われ、世界各国から挑戦者が集るとあった。わざわざそれを目指してくるのではなく、むろん避暑のついでである。
そのレブン湖はホテルのすぐ北裏にあった。東部スコットランドはキンロス半島の山地地帯に囲まれた狭い盆地の中の、ほぼ円形の淡水湖で、眺めていると信州の諏訪湖に似ている。ただ、日本アルプスのような高い山は見えず、およそなだらかな山容だが、東側だけはローモンド・ヒルというのが険しい斜面を湖水になだれこませていた。
湖には小さな島が四つあってその島が水面に濃い影を刷《は》いている。その一つに廃城があった。エジンバラからここまでバスで一時間あまりだが、団員の女性たちはこの中世物語風な山湖の風景がすっかり気に入った。
「ほら、湖上に小島があり、その上に古めかしい塔をもった小さな城が見えるでしょ。あれが悲劇のメアリ女王の幽閉されていた古城ですわ。十五世紀のままの姿で、ああして湖面に影を落しているんです」
みんなは、湖中の小島に古色に彩られて立っている滅亡の城を眺め、うっとりと溜息をついた。衰亡や滅亡は、だれにとっても浪曼的で感傷的な心情をゆり動かす。
幸いなことに、今は|季節外れ《シーズン・オフ》でホテルはがら空きであった。不都合を詫びたエジンバラのホテルの支配人からの連絡もあって、「鱒荘」の支配人は一人一室の提供を申出た。みんなに歓声が上ったのはもちろんのことである。もっとも少数の団員には「気心が知れて安心だ」ということで二人同室を希望するものもあった。
さし当り梶原澄子と藤野由美との部屋の割り振りの問題が今夜だけは回避されたので、門田は心を安んじていた。門田は、はからずも梶原澄子との約束を履行したことになった。
彼はすでに夕景色と変りつつある湖畔を、三々五々と散策する女性たちを穹窿《きゆうりゆう》形の窓から眺め下ろしながら、
「ねえ、土方さん。今夜は久しぶりにぼくも神経が休まりそうですよ。エジンバラで泊りを断られたときはどうしようかと思ったけれど、禍転じて福となるというのはこのことだね。どうか今後の旅もこんなふうにあって欲しいね」
と、満足そうに云ったものだった。難物の梶原澄子が心にあったのはいうまでもない。
湖岸にはこぢんまりとしたホテルが六軒ならんでいた。どこまでもイギリス式で、住宅かホテルか見分けがつかないくらい地味であった。どのホテルの裏にも湖の渚《なぎさ》に小さな桟橋が出ていた。それぞれボートが十隻ぐらい舫《もや》ってあったり、岸に上っていたりした。なかには舟底を空にむけて昼間の天日に乾されているのもあった。もちろん古城にも小島にも灯がなく、対岸にも見えなかった。そこは暮色に影を深めてゆく山塊がひろがっているだけであった。
(図省略)
食堂の夕食には当然に鱒の料理が出た。これまで魚といえば舌ビラメのフライかグラタンしか食べられなかった女性たちは手を拍って喝采した。
食後に、窓辺から湖水を眺めていた女子学生の本田雅子と千葉裕子とがボートを漕いで島に上陸してみたいと云い出した。彼女たちは、このレブン湖が舞台となっているスコット作の『ザ・アボット』こそ知らぬが、『湖上の麗人』のことは有名なので、この湖をカトリン湖になぞらえ、自分なりに空想しているようであった。無理もないことで、十九世紀の物語詩と目前の風景とはだれの心にも諧調をつくる。
意外なことに、年上の団員たちまで舟漕ぎによる島の周遊を続々と希望したのだった。とくに島上の古城はロマンチシズムの凝結そのものだった。反《そ》りのある小舟の舳先《へさき》にはランターンが下がっていて、げんにそうした赤い灯の舟が暗い湖上をさまよっていた。
門田は引率者として当然に慎重で、夜のボート遊びの危険を説いたが、多数の団員たちの希望に押し切られた。彼が食堂のマネージャーを呼んで質《ただ》したところ、湖上は池のように静かだし、遠くにさえ行かなければ心配はないということだった。なお、いちばん近い島には湖岸から橋が架かっているので、それを渡ればさらに安全だと云った。昼間だと湖上には小さな周遊船が出る。
門田は、そこで外出者に注意を与えた。
「決して単独には行動しないこと。二、三人でいても絶えず他のグループの近くにいて、連絡が届きやすいようにすること。二時間以内には必ずホテルに戻ってくること。湖上はまだ寒いから、風邪をひかないように厚着すること」
鄭重ななかに威厳を含めた言葉だった。
ばかばかしい、まるで修学旅行の先生なみのつもりでいるわ、と団員で門田をあざ笑う者はいたが、表面はおとなしくこの注意に従うようにみえた。学校の先生と門田との違いは、自分らが金で傭った番頭なみに考えている点であった。縁はこの旅行の間だけなのである。だから、門田が荘重に弁ずれば弁ずるほど彼は道化てみえそうだった。で、こういう抗議的な声が上ったのも自然の成行だった。
「チーフ。わたしたちの自由をあまり束縛しないでください。子供じゃあるまいし、私たちは外国をできるだけ愉しみにきたのですわ。あんまり訓示されるのは興ざめです」
声の主は星野加根子であった。
すると、ほかの女たちの眼が星野加根子を支援するように門田の顔に一斉に集中したのだった。
「いや、わたしはべつにあなたがたを束縛するわけじゃありませんが……」
門田はたちまち弱気になった。
「その、みなさんの安全を考えるものですから」
彼には、みんなに云えないことがある。この団体旅行の将来には、何かが起りそうだという悪い予感のことだった。東京からの広島常務の電話以来、その声が彼の内心に怯えを形づくっていた。
「とにかくみんな大人ですから、あんまり拘束しないように願います」
星野加根子が門田にとどめをさすように云ったが、団員たちには、こちらの気持が分らなかった。
「やれやれ」
門田は団員たちがホテルの外に散って行くのを見送りながら煙草をふかした。悪いほうに考えると、きりがない。門田は胸にこびりつく危惧を振り払うように、土方悦子の傍に歩み寄った。
「土方さん。ホテルに残っているのは、どういう人たちかね?」
「調べてくるんですか?」
小さな顔がふりむいた。
「調べるわけじゃないけど、掌握しておきたいのです」
「調べて回っているようにとられると、また自由を束縛していると文句が出そうですわ」
「まあとにかく、それとなく見て回ってください」
「ドアの閉っている部屋もノックして在否を確かめるんですか?」
「さあ、それは拙《まず》いな。ロビーなどに降りて見るだけでいいかな」
不徹底な指示になったのは、門田がみなの反撃をおそれたからだった。
十五分もすると、土方悦子が戻ってきた。
「ロビーには、団員の姿はありません。そのかわりに、チーフに面会人が見えています」
「面会人?」
門田は眼をまるくした。こんな場所に面会人があるはずはないと思った。
「昨日、ウインザー城に来ておられた新聞社の五人です」
ああ、あの記者連中か、と門田は合点した。が、五人というのにひっかかった。新聞社は四人のはずである。
「もう一人は、わたしにいろいろと質問した髭の人です。日本スポーツ文化新聞の通信員さんです」
あの鈴木という男までがいっしょに来たと知って門田は意外に思った。四人のロンドン支局員はいずれも大新聞社と大通信社、いわばエリート記者のなかに「便利屋」通信員がまじっているのである。
「わたしがフロントに出たとき、ちょうど五人が外から入ってこられて、顔が合ったんです。みなさんは門田さんに会いたいといってらっしゃいます」
土方悦子はとりついだ。
鈴木は別として、支局の四人はセント・アンドリュースへゴルフをしに行くといっていたので、そっちのほうだと思っていたのに、今日、早くもここに現われるとは予期しなかった。
それだけに日本の新聞社がこの女性観光団に強い興味をもっていることがわかった。おそらく本社の指令で、早速にも、ローズ・ツアの動静を取材せよといってきたのであろう。婦人欄用の読みもの的な記事にはうってつけなのである。こちらは少々気が重いが、これが各紙に出れば、王冠観光旅行社にとってもこよなき宣伝となり、社長や広島常務も眼を細くするにちがいなかった。
全国紙がそうであれば、日本スポーツ文化新聞にしても二流週刊誌にしても、同様な興味を持つわけである。一流であろうと二流であろうと、ジャーナリズムの興味は等質である。あとは表現の問題だ。「便利屋」通信員が偶然にも四人の一流紙支局員といっしょにここにやってきたのは、契約の各社から旅費や取材費がとれる諒解が来たからにちがいない。
「じゃ、ぼくはロビーに行って、連中と話してくる」
門田はネクタイに指を当てた。
「わたくしは、外に出ます。ロビーを通ると、またあの人たちにつかまりそうですから、裏のほうに別な出入口があると思うので、そっちのほうにまいります。……でも、日本のマスコミはどうしてこんなに大騒ぎをするんでしょうか。ほんの、ちょっとしたことなのに」
土方悦子はウインザー城で取材攻めに遇って懲りたようだった。
門田にしても、記者連中と会っているときに、土方悦子に傍に居られると、なんとなく気が詰って話しづらい。彼女からそう云い出したのは歓迎だった。しかし、彼女の日本のマスコミ批判には同感だった。
「では、団員たちの様子によく気をつけて見てくれますか。暗いところで、女性ばかりがばらばらに行動していますからね。それに湖もあるし、寂しい小島もある。ボート遊びも各自に注意してもらわないとね」
門田がそう云ったのは、またしても心に漠然と不安の影が横切ったからである。
本来は自分がそうする立場なのだが、いまは新聞記者連中を引き受けている。やむなく土方悦子に代行させるのだが、記者らとの話はできるだけ短い時間にして、そのあと、外に見回りに出ることに決めた。
ロビーには浅倉、諏訪、高村、内藤が一つところにかたまって坐っており、鈴木は遠慮したように彼らと少しはなれた椅子にかけていた。一瞥しただけでも、一流紙記者の仲間意識と、三流通信員の孤立とが分った。
が、ヨーロッパの根なし草は、そんなことぐらい馴れているのであろう。それをあまり気にしていたのではその種の通信員はつとまらないにちがいなかった。
「やあ、いらっしゃい」
門田は愛想笑いをしながら日本のマスコミの出先機関員、五人の顔に云った。正確には四人を一つグループに等分に見て、最後に一人へ眼をむけたのだった。通信員の髭面は、心なしかへりくだった微笑をつくっていた。
門田は彼らの前に椅子を寄せた。
「昨日はどうも」
A─社の浅倉が、三人を代表したように、がらがら声で門田に云った。ウインザー城での取材のことだった。鈴木もその尾についたように、これは少し丁寧に頭をさげた。門田への詫び心であるらしかった。
「ご苦労さまでした」
門田も返した。つづいて、四人には、
「今日あたりは、セント・アンドリュースにお出かけじゃなかったのですか?」
と、やはり眼もとを笑わせて訊いた。
「そのつもりだったんですがね。やはりゴルフは道楽ですから、名目だけでも、まず、こちらの女性団体の様子を見て、それから、ゆっくりゴルフ場へ向おうと思ったんです」
口実にしているほうを、まるきり放ったらかしてゴルフ遊びをするのも、彼らにはやはり気がさすらしかった。
「ああそうですか。よく、こっちにわれわれが来ていることが分りましたね?」
門田は、パイプをとり出して煙草を詰めた。
「エジンバラのホテルに行ったんですよ。そうすると、こっちに宿が変ったと聞いたもんですからね」
「ホテルがブッキング・オーバーをやらかして、われわれははじき出されたんです」
門田はライターを横にしてパイプに火をつけた。
「そうですってね。向うのホテルの番頭も恐縮していました。しかし、こっちのホテルもなかなかいいじゃありませんか。湖水があったりして、まるで芦ノ湖を前にした箱根のようじゃありませんか」
浅倉が窓の外に視線をむけて云った。まわりに針葉樹林をもった山湖は、昏《く》れなずむ中にわずかな光を湛えて、すぐそこにあった。
「ええ。団員のみなさんは、エジンバラよりも、ここにきたのを、とてもよろこんでおられますよ。この湖は、サー・ウォルター・スコットの『ザ・アボット』という名作の舞台でもありますからね」
「その、『ザ・アボット』という小説の筋は、どういうことですか?」
末席といっていい位置にかけていた日本スポーツ文化新聞の通信員は、手帳を出して訊いた。
門田は、一瞬こそたじろいだが、
「それはですね。スコットランドのメアリ女王の数奇な運命をめぐる物語で、美女あり、英雄あり、勇士あり、悲恋あり、戦争ありの、いかにもスコットらしい雄大なロマンスです。そこの小島の上に古城が見えるでしょう。あれが女王の幽閉されていた十五世紀の城なんです。そういうぐあいですから、団員のみなさんは、とてもよろこんでおられますよ。いま、みんな湖畔のそぞろ歩きに出ていますがね」
と、土方悦子から聞いた講釈をとり入れて云った。
「それは、女性だけの観光団にとっては、うってつけですね」
まる顔の諏訪が引きとって云った。
「そうなんです。たいへんによろこばれています。これは、他の観光旅行社には絶対にない企画ですよ」
このレブン湖畔にきたのは偶然のなりゆきだったが、門田は当初からのプランのように自慢した。これが全国紙に出れば、王冠観光旅行社にとってはたいした宣伝になるであろう。コペンハーゲンのロイヤル・ホテルでの「不祥事」の印象も消えてしまうにちがいなかった。
「そうすると、今日はもう夜になるから、明日、出直して団員のみなさんから感想を聞いたり、行動を拝見することにしますかな」
浅倉が、門田と仲間の顔とを半々に見て云った。女性ばかりなので、夜の取材を遠慮する気持から出ていた。
「そうしよう」
一流社の支局員たちは同意した。
「おや、では、あなたがたも、こっちのホテルにお泊りですか?」
門田は訊いた。
「そう。この町の近くにキンロス・ホテルというのがあるんです。そこへ四人で泊ることにしています」
四人という言葉にとくべつの響きがあった。つまりは一流社だけの仲間という意味である。三流新聞の通信員は、てれ臭そうに口髭を撫でていた。
「では、セント・アンドリュース行は明日の午後からですか?」
門田は四人にむかってきいた。自分らの観光団も明日の午後にはこの地を去るのである。
「そういうことになりますな。ま、今晩はホテルでマージャンでもやりますよ」
浅倉が、不揃いな歯を出して笑った。
「マージャンを?」
「みんな好きな連中ですからな。牌《パイ》は携帯に及んでいますよ」
あとの三人も笑いに声を合わせた。
通信員は、もじもじしていたが、思い切ったように立ち上った。
「では、ぼくはこれで失礼します。門田さん。明日の午前中、ぼくもこちらに参りますから」
腰を折って云った。ウインザー城で門田が文句を云ってから、鈴木はすっかり遠慮深くなっていた。
「そうですか。では、お待ちしています」
門田としては、とかく騒ぎ立てる日本の記者たちを平等に扱うつもりだった。ことに、この通信員は週刊誌にも観光団の記事を送って、コペンでの「誤報」を訂正すると云っているのだ。その善意に対しても冷淡にはできなかった。女性向きの週刊誌の影響力は、ある意味では新聞を凌駕している。
だが、通信員の一流支局員らに対する違和感、劣等感は、彼をして一足先に帰らせることになったのだろう。
「あなたも、キンロス・ホテルですか?」
門田が、椅子から立ち上った通信員にきくと、
「そうなんです。同じホテルです。では、お先に」
と、通信員は髪毛を額に垂れさせて四人におじぎをした。
「やあ、どうも」
浅倉が快活にその挨拶に応えた。
通信員の姿が外に消えると、門田はその背中に孤独のようなものを感じたので、
「あの通信員の人もひとりで寂しいでしょうな」
と、呟いた。
すると四人は、どういうわけか互いに眼を合わせて、にやにやと笑い出した。
「いや、門田さん。あの人は、あれで、ちっとも退屈なさいませんよ。われわれよりは、ずっと愉しい状況にあります」
浅倉が意味ありげに云ったので、
「それ、どういうことですか?」
と、門田は訊き返した。
四人は、また顔を見合わせたが、C─社の高村が忍び笑いをして云い出した。
「プライバシーに関することだが、あの鈴木君というのはガールフレンドを同伴してきているんです。なかなかの美人ですよ。だから、野郎ばかりで今夜マージャンをやってるよりも、よっぽど退屈しませんよ」
「ガールフレンドを伴れて?」
門田に思いあたることがあった。
「それ、北欧の美人じゃありませんかね? ブロンドで、色は白子のように真白い、背の高い……」
門田が酒場「ピーレゴーデン」で見た女を描写しかけると、浅倉の言葉がそれを崩した。
「いや、違いますな。あれはラテン系のロンドン娘です。髪は栗色で、美人ではないが、眼がくりくりして愛嬌顔です。色は北欧女のように白くはありません。背丈もそんなに高くないです」
門田は心で唸った。「便利屋」通信員も女のほうはなかなかのようである。コペンハーゲンにいてはデンマーク娘を、ロンドンに来てはイギリス娘をガールフレンドに持っている。本拠のアムステルダムには、むろんオランダ娘を恋人に持っているにちがいない。このぶんでは、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアと、いたるところでその国の女と遊んでいるにちがいなかった。
ヨーロッパの根なし草になるには、そのくらいの腕でもないと資格がないのかもしれない。対手の女も、コペンの居酒屋で見たように、みんな貧しい生活の、ヒッピー族に近い種類であろう。彼はルポを各社に書いては、その稿料の送金で暮しているらしいが、ときには女から小遣いをせしめているのかもしれない。ヨーロッパ各国には留学生崩れの若い者が日本人旅行者のガイドをしたり、ポン引きをしたりしているが、あの通信員も卒業できなかった留学生上りかも分らぬと思った。
私費の女子留学生の場合は、アルバイトにその地の日本料理店のお座敷女中になったのがはじまりで、恋をし、欺されて、ヨーロッパ各地の日本料理店の間を流れてゆく者もある。日本食レストランもちかごろおびただしく増えた。門田はそういう日本の若い放浪者の姿を、添乗で回るたびに、ちらちらと見ている。
四人のロンドン支局員たちは、それから五分ばかり自分たちだけでとりとめのない雑談をしていたが、それでは明日また、と門田に云って一斉に立ち上った。
ようやく一人になった門田は、部屋には戻らず、ポケットからキイを出してフロントに預け、そのまま外に歩いた。湖畔を散歩がてらに、団員たちの様子を見るためだった。
水際にはホテルの灯や外燈の光が映っていたが、その先は暗かった。眼が慣れると、闇の中に島も城も真黒で、両側にせまる谷の輪廓だけがおぼろに分った。湖には点々とボートにつけたオレンジ色の灯が動き、女たちの躁《はしや》ぐ声が流れてきていた。
ホテルで借りたらしい懐中電燈の灯が七つ八つ、墨のかたまりのような島の中に動き回っていた。そこからも女の声が水の上を流れて聞えていた。その小島は湖畔に近く、みんなは橋を渡って行ったのである。
≪あやうき空に 見し火をも うちわすれつつ おだやかに ねむりにつけよ この島の わがこの家は 汝《な》がために くすしきものの 枕となり 床《とこ》をもしかむ≫(塩井雨江訳)
夜と水のせいで、空気は冷たかった。上衣の下にチョッキを着込むのを忘れた門田は、嚔《くさめ》をした。
背中にも寒気がしたので、風邪をひいてはたいへんだと思って門田は匆々《そうそう》に湖辺から引返した。添乗員が万一寝込むようなことにでもなったら一大事である。この三十頭の羊の群を迷わせることになる。
ロビーに入ると、そのあとを追うように小さな靴音が聞えたので、ふりかえると土方悦子だった。門田はそこで立ちどまった。
「チーフ。新聞記者の人たちは帰りましたか?」
彼女のほうから訊いてきた。
「ああ。三十分ぐらい前に、みんな引きあげましたよ」
「なにかまた、コペンのホテル騒動のことで質問しましたか?」
「いや、こんどは何もふれなかったですね。もう飽いたのでしょう。こちらの説明でも分ってくれたから。明日は朝からやってきて、この観光団体の見物ぶりなどの生態を取材すると云ってたな。連中は、今夜キンロスの町にあるキンロス・ホテルというのに泊っているそうです」
「熱心ですわね」
「なに、それは東京本社の手前で、ほんとうはすぐにでもセント・アンドリュースにゴルフに行きたいんです。だから、明日の取材もおざなりなものになるだろうな」
「こんどのニュース騒動を起した日本スポーツ文化新聞の通信員の方は、どうでした?」
ウインザー城でしつこく取材につきまとわれた土方悦子は、やはり彼に関心があるようだった。
「ぼくがウインザーで一喝したせいか、こんどはひどくおとなしかったですよ。あの男も、四社の支局員と同じキンロス・ホテルに今夜は泊るそうですがね」
「みんな一緒なんですか?」
「いや。通信員のほうは、四人の支局員からは仲間はずれにされてるようです。そこは大新聞のエリート記者と、しがない三流通信員の違いだな。どうしても違和感がある」
「まあ、気の毒に」
土方悦子は、話を聞いて同情に回った。
「なあに、そう同情することもない。あの通信員はそれはそれで快適なんです」
「どうしてですか?」
門田は顔に意味ありげな微笑をひろげた。
相手が若い女だからとためらったが、考えてみると、土方悦子も二十歳《はたち》前というわけではないのだ。顔も、身体も小さいから、小娘のように見えるけれど、オトナには違いない。それに、門田のほうでもしゃべりたい話題であった。相手にもその種の興味を起させたい。彼は椅子に腰をおろした。
門田は、通信員が女づれできていること、それはコペンの居酒屋でいっしょにいたデンマーク娘とは違うこと、四社の支局員の話によると、今度のはラテン系のロンドン娘らしいことなどを、うすい笑いを眼もとに湛えたまま話した。
土方悦子は聞いているうちに頬をかすかに赭《あか》らめたようだった。男の眼にはそれもたのしかった。
が、彼女はその話には興味を示さなかった。あるいは興味を持たないふりをした。その話題にはふれないで、
「チーフは、もういちど外に出て見るおつもりですか?」
と、訊いた。
「いや、実は、なんだか寒気がしてね。風邪を引いてもつまらないと思って引返してきたんですが、このまま部屋に戻ろうと思ってます」
「まあ、それはいけませんわ」
土方悦子は眉を寄せて、
「早くお寝みになったら、いかがですか?」
と、すすめた。
「ありがとう。外の様子は、どうですか?」
「みなさん、とても愉しそうですわ。あのぶんでは、あと一時間くらいしないと、湖畔からお戻りにならないようです」
門田はフロントの電気時計を見上げた。
七時四十八分であった。
「八時半くらいまでに全員がホテルに戻れば申しぶんないのだが。おそくとも九時までにはね」
「大丈夫ですわ。みなさん、常識のある方ばかりですもの。あんまり云うと、また自分たちの自由を束縛するといって、星野加根子さんのように抗議が出ますわ」
「うむ」
門田は渋い顔をした。
「それよりも、チーフは早くおやすみください。風邪でもひかれて寝こまれると、みんなが困りますわ。みなさんのほうは、わたしがもういちど、外に出て様子を見てきます。なんだか咽喉がかわいたので、ジュースを飲みに戻ったんですが」
「それでは、あとをおねがいしますかね」
こういうときは、土方悦子も居ないよりは|まし《ヽヽ》だと門田は思った。
彼はフロントの前に行った。額の禿げ上った事務員は日本人の顔に面倒臭そうに視線を走らせただけで、キイをボックスから出してカウンターの上に置いた。
キイ・ボックスには、土方悦子のぶんを含めて、三十一の鍵が揃って入っていた。
枕元の電話のベルで門田の眼が開いた。窓のブラインドの細い横縞に朝の眩《まぶ》しい光線が走っている。半身をベッドから起し腕時計を透かしてみると六時半であった。フロントに「|起  し《モーニング・コール》」を頼んだ覚えはないが、と受話器をつかむと、いきなり男の大声が鼓膜を打った。早口なので、すぐには分らなかったが、声はえらく昂奮していた。
「まだ、まだ」
その声はそう叫んでいた。(何が未だ未だ)だ、と門田が思ったのは彼も半分は寝ぼけていたのである。スコットランドのホテルのフロントが、日本語を云うはずはなかった。
「|人殺し《マーダー》?」
気づいて訊いた。
そうだ、とフロントはいった。
「誰が殺されたんだ?」
「|日本の婦人《ジヤパニーズ・レデイ》だ。すぐこっちに来るか?」
門田はベッドから転がるように下りて、パジャマを脱ぎ捨てズボンを穿いた。昂奮したときはズボンもうまく穿けないものだと知った。脚に縺《もつ》れるのである。
日本の婦人というと、ウチの団員しかいない。殺された? まだ半信半疑だったが、脳味噌を震わせたのはコペンハーゲンのホテルで襲われた多田マリ子のことだった。ロイヤル・ホテルで彼女の首を絞めた犯人が執拗にも、このスコットランドは湖畔の町、キンロスのホテルまで忍びこんで目的を達したのか。
指先に感覚がないようで、ネクタイが上手に結べなかった。難儀して上着に手を通している間に、こういう際、土方悦子が少しも役に立たないので苛立った。男だったらすぐに叩き起せる。いや、女でも会社がつけてくれた助手だったら命令できるのだが、江木奈岐子の「講師」代理とは何とも中途半端な存在であった。
リフトからも階段からも遠い、端の部屋から廊下にとび出すと、この一階の両側の部屋はドアが閉っていてまるで一つの壁を見るようだった。多田マリ子の部屋は何号室だかおぼえていないが、たしか廊下の真ん中あたりと思っている。歩きながら耳を澄ましたが、どこからも人の騒ぐ声は聞えなかった。
フロントでは、眼のくぼんだ事務員《クラーク》が中年と若い刑事らしい二人の男と話をし、その横に巡査が一人立っていた。玄関のドアごしに十人ばかりの弥次馬がのぞいているのを見ただけでも、門田の胸は波濤のように騒いだ。
事務員は門田に喰いつくような顔で近づいてきた。
「そこの湖で日本人の婦人が水死体で発見された。警察では|殺し《マーダー》だと見ている。あんたが連れてきている婦人たちの一人にちがいない。昨夜ホテルに戻っていないのが一人居るはずだ」
引率者の門田に昨夜は人員の点検をしたかと訊いた。中年の刑事が事務員の差出口を押えて、にこにこして門田に云った。
「まだ警察は殺人と決めたわけではない。事務員の云い過ぎである。団体の日本婦人がこのような場所で自殺するはずはないから、殺しかもしれないといったまでだ。過失死という可能性もある。とにかく死体を見てくれ」
門田は刑事と巡査に連れられて外に出た。朝の陽が湖面に燦《きらめ》いていた。北に近いこの地方では夜明けが早い。夜もいつまでも薄明がつづく。ホテルをふりかえると、団員の泊っている一階の後部も二階も窓にみんなカーテンが降りていた。まだこの騒ぎを知らずに眠っているらしかった。昨夜湖水で遊んだ連中が多く、その疲れからだろうが、仲間がそこで死んだのを気づかずにいるのがいかにも薄情に思えた。
刑事が道々説明した。
「死体の発見場所は、そこの橋を渡った小島の反対側である。一時間前に、魚釣りの人が見つけて報らせてきた。あのへんは土地の不良どもが出没して、一人でいる観光客の婦人を襲うことがある。四年前にもベルギーの婦人が殺された」
警察の者と歩いていると、橋までは遠かった。渚《なぎさ》を拾って進んだが、客待ちのボートの群が水辺に舫《もや》ってあるのもあれば、用なしのボートが岸に上げられ、底を上に乾して、魚の腹をならべたようになっているのも昨日見た通りであった。
かなり長い橋を渡ると森の繁った小島となり、そのまわりについた遊歩道に沿い橋とは反対側に出た。ここからは島の森林にかくれてホテルの建物も見えなかった。
制服の巡査二人が立ち番しているので、死体が水ぎわに引き上げられていることがわかった。毛布をかぶせられた人のかたちが見えた。
ここまでくる間、門田の全身を襲っているのは、悪い予感が当ったという衝撃であった。ロンドンのホテルに東京からつながれた広島常務の声がまたもや聴えてくるのである。「この先、何か起りそうな気がする。帰国するまでは十分に注意するように」コペンのホテルでの多田マリ子の「扼殺未遂」事件が日本スポーツ文化新聞に出て衝撃をうけた広島は神経過敏になってそう云ってきたのだが、以来、門田も広島のナーバスが染《うつ》ってきた。何かが起るかもしれない、そんなぼんやりとした不安におびやかされてきたのだが、そのおそれていたものがとうとう現実のこととして眼の前にあらわれた。あの予感は、不吉な、避けることのできない予告であったという超自然なものにさえ思われてくる。その超能力の前に、門田には敗北感とも慴伏《しようふく》感とも知れぬものが意識の底から湧いてきた。これが夢であったら、どんなによかろうに。
実際の恐れがもう一つあった。もの見高い日本のマスコミがすぐ近くまで来ていることだった。A、B、Cの全国紙と連合通信の支局員、それに、ご丁寧にも三流紙と週刊誌の通信員とがキンロス・ホテルに泊っている。まるで、この事件を予知したような出動にみえた。日本じゅうがその記事の話でもちきりになるさまが眼に見えるようで、門田は心が戦《わなな》いた。
私服が中年の刑事の眼顔で毛布の端をめくった。肩を押されてのぞきこんだ門田の眼に映ったのは水の精のように髪を乱している日本女の顔だった。
藤野由美!
門田はびっくりして離れた。
藤野由美が水死した。自殺、他殺、事故死いずれともまだ決まっていないと刑事は云うが、とにかく藤野由美の死顔を此処で見るとは思いもよらぬことだった。門田には多田マリ子へは予感があったのだ。コペンの宿のこともあって、もし、次に犠牲者が出るとしたら多田マリ子だろうという予想のようなものがあった。
刑事は死人には外傷がないといった。現場には他からの犯行を証明するような痕跡は発見されないと述べた。死後経過は検視時より七時間ないし九時間という推定だった。検視は七時ごろに終っている。だから死亡時刻は昨夜の十時から十二時ごろの間となる。遺留品はハンドバッグだけで、これは近くの草の上に置いてあった。中に異状はなく、ドルの入った財布もそのままだった。
朝のレブン湖は、周辺の谷にも、森林にも、小島にも、古城にも、湖面にも澄明な静寂をみなぎらせていた。森の中から小鳥の声がし、日本では見かけぬその小鳥の何羽かは水面にくちばしをさし入れては飛んでいた。そのたびに水に影を落す古城の塔のまんなかあたりが乱れた。断首された女王の精霊がまだ古城に幽閉されて、その陰鬱な窓から湖面を覗き見しているようであった。昨夜は女性たちが、あんなにロマンチックな鎮魂歌を唄ってあげたのに。
警察官は、とにかく変死人だから解剖に付したいと云った。遺骸の確認が済んだので早速にはじめるのである。日本の家族に報らせること、遺骸の引取りにくるかどうかの返事を取ること、もし誰もくることができないようだったら引率者たる門田が遺骸を持って帰国し家族に引渡すようにしてほしいこと、などを警察官は要求した。この難儀な事務的な問題が門田の昂奮をいくらか鎮めたかわり、彼を新しく憂鬱にさせた。
水死人のパスポートの提示、昨夜の行動、また彼女についての事情などを聴取したいからホテルで話してくれとイギリスの刑事は門田にいった。このころになると、さすがにこの椿事を聞きつけてか団員六、七人がきた。北村宏子、宮原恵子、星野加根子、佐藤保子といった顔が見えたが、その中から土方悦子が走り寄ってきた。
「チーフ。たいへんなことになりましたわねえ。だれですか?」
悦子は毛布を被った死体を見ておそろしそうにいった。
「藤野由美さんです」
「え、藤野さんが!」
悦子は呆然としていた。
橋を渡ると、救急車がきていて、白服の係員二人が担架を持って降りるところだった。救急車は歩行者専用の狭い橋が渡れないのである。
「たいへんだわ、チーフ。いま人数を点検したら、もう一人ホテルに戻っていないのです」
悦子は門田の傍でいった。
門田が眼をむいて、
「だれです?」
と、恐ろしい形相をした。
「梶原澄子さんですよ」
門田は自分の耳を疑った。
「梶原澄子が?」
藤野由美と最も仲の悪い同室者だった。
「そりゃァ間違いじゃないですか。朝の早い散歩に出ているんじゃないですか?」
「いいえ。フロントのキイ・ボックスには梶原さんのキイは預けてないのですが、室内電話をかけてもドアを叩いても返事がないのです。それでフロントの人が合鍵で入ったところ、彼女は居ないのです。それだけでなく、ベッドには寝た跡がありませんわ。外出着もハンガーにはかかってなく、また寝巻をとり出すためにスーツケースを開けた様子もありません。キイも見えません。きっと本人が持ったまま外出したと思うんです。今朝から梶原さんの姿を見た者はだれもいませんわ」
日本語はわからなくても、昂奮した表情と語調で会話しているので、英国の刑事が怪しむのは当然だった。
「何か変ったことがあったのか?」
「いや、べつに……」
それでも、門田は土方悦子に素早く訊いた。
「昨夜、あんたはロビーの前でぼくと別れて、もういちど外に出ましたね。あのときがフロントの時計で七時四十八分だった。ぼくは部屋に戻ってトランクの中から風邪薬をとり出して飲み、すぐにベッドで睡ったが、あんたは何時ごろまで外に居たのかね?」
「八時半まで外を歩いていたんです。そのころになると、団員の方もだいぶんホテルのほうに帰っていましたから、わたくしも帰りました」
土方悦子は、イギリスの刑事のほうを横眼で、ちらちら見ながら云った。
「あとに残っていたのは、どれくらい?」
「さあ、点検はしませんでしたから、よく分りませんが、七、八人くらいだったんじゃないでしょうか?」
「そのひとたちの名前は?」
「暗い、ああいう広い場所ですから、それはとても分りませんわ。でも、フロントのキイ・ボックスを見たら、キイが七、八個くらい預けてあったのです。その人たちもすぐに戻ってらっしゃると思って、わたしはお部屋に入り、お風呂をつかって、ベッドで本を読んでいるうちに睡ってしまったんです」
土方悦子の「無責任」さを門田が責めてもはじまらなかった。ただ、正式な社員でもない者を助手扱いにして、あとを任せた自分がいけなかったのだと思った。
もし、風邪気味でさえなかったら、自分が最後までホテルの前に立って戻ってくる団員の人数を点検したものを。そうすれば、こんな事故は未然に防げたであろうと思うと、門田は自分の不覚が悔まれた。
ホテルで調べると、今朝のキイ・ボックスには16号室と34号室のキイが預けてなかった。16号室は一階の藤野由美の部屋で、34号室は梶原澄子の部屋である。むろんほかの団員の部屋のキイも預けてあるのもあり、ないのもあった。預けてあるのはいま小島に水死人の死体を見にきた連中であり、預けてないのは部屋に引込んでいる連中であった。
水死人のキイがボックスに預けてないというのは、本人がキイを持ったまま外出したか、室内に置き去りにしているかである。藤野由美のハンドバッグにはキイが入ってなかったから、室内に残っていることになる。パスポートはみんなのといっしょにホテルが預かっていた。げんに事務員が金庫から三十二人ぶんのパスポートをひと束にして持ち出してきた。門田がその中から藤野由美のを取り出した。梶原澄子のパスポートはまだ刑事に提示する段階ではなかった。
中年の刑事は──これが日本でデカ長というところらしいが──藤野由美の旅券に貼った顔写真を眺めて大きくうなずき、これは預かるといった。
刑事二人は16号室を見たいと事務員から合鍵を受け取った。門田はついて行った。
16号室は一階でも奥に近いところにあった。フロントから食堂になり、それから11号室からはじまって19号室まである。端の11号室が土方悦子の部屋だった。
16号室の内部はあまり整頓されていなかった。が、ここで異常な事態が発生したという跡は見えなかった。ベッドは支度されたままで、人が寝た形跡はなかった。キイは机の上で見つかった。
16号室のキイは部屋の中に在ったのである。藤野由美は昨夜湖畔からホテルに戻ってフロントからキイをうけとり、自室に入って机の上に置いたのだった。ドアは内側から閉めた。だが、これが「密室殺人」でないことはあとで分った。
刑事はこの観光団の引率者でもあり責任者でもある門田からその場で事情の聴取をはじめた。窓際にあるテーブルと椅子二つが臨時の取調室の設備になった。
刑事は、藤野由美に不自然な行動は見られなかったかと訊いた。門田はべつにそういうことはなかったと答えた。藤野由美の家族関係や友人関係は分らぬかという質問には、彼女とはこの観光団が東京を出発してからの知合いであって、それも「客」としての関係である。それ以上、私的なことは何も分らないと答えた。
団員の中で、彼女と親しい者はいないかと刑事は訊いた。それもお互いが羽田以来のつき合いであって、とくに親しい者はいないといった。門田の頭には藤野由美の同室者《ルーム・メイト》が浮んだが、彼女の迷惑になりそうなので黙っていた。このホテルではじめて一人一室になったのは幸いだった。
刑事は遺書はないかといった。机の上にも抽出しにもそれがなかったので、彼女のスーツケース二個を探すしかなかった。婦人の荷物を開けるのは憚《はばか》られたので、この役のために門田は土方悦子を呼びに行った。
悦子は恰度二階から階段を降りてくるところだった。
「チーフ。梶原澄子さんはこのホテルのどこにも居ませんわ。やはり今朝から見た人はいないんです」
悦子は蒼白い顔でいった。
「梶原さんのほうはあと回しです。いまは藤野由美さんのことで手いっぱいだ。刑事の前で梶原さんの所在不明をひと言でもいっちゃ駄目ですよ。面倒になるからな。日本語が分らなくとも、様子でもってべつな異変が起ったことを察するからな」
門田は悦子に注意した。これまでずっと藤野由美の室友はあの梶原澄子だったことが頭にあったのだ。
「ここのホテルの部屋割り表を」
門田が云うと、悦子はハンドバッグからメモを出した。このへんはなかなかの助手ぶりであった。
藤野由美の16号室を中心にして、両隣の15号室が魚屋の主婦の金森幸江、17号室が教師の佐藤保子、廊下を隔てた16号室の真ん前の23号室は学生の西村ミキ子、両隣の22号室が本田雅子、24号室が千葉裕子であった。二階の34号室は梶原澄子だった。藤野由美の階下16号室の真上にあたっていた。一人一室がとれたばかりに、梶原澄子はやっと藤野由美と別になることができたが、同時に藤野由美とは永遠の別れであった。
もう、梶原澄子から激しい要求をうけることはない、次のスイスからは梶原澄子を多田マリ子と組み合せよう、多田マリ子と室友になりたいというのは、梶原澄子の希望だったのにと門田は思った。
門田につづいて土方悦子も16号室に入ってきた。彼女の立会いで、被害者藤野由美の大型のカバン一個、化粧道具カバン一個、スーツケース一個が開けられた。土地の部長刑事は東洋の婦人の秘め匣《ばこ》をのぞく好奇心と殺人の手がかりを求める穿鑿心とを眼の片方ずつに現わしていた。婦人警官を呼ぶところだろうが間に合わなかったようである。
大型カバンは着更えの衣裳と下着類がぎっしり詰っていた。藤野由美はやはり几帳面な性格ではなかった。その下着類も旅先の洗濯をしないままに突込まれてあったので、土方悦子は異国の警察官の手前|赧《あか》い顔をしなければならなかったし、部長刑事は困惑した顔になった。が、その場を救ったのは衣裳類の間にジョニーウォーカーの黒ラベルの瓶が包装されたまま四本ならべられていたことだった。それとスーツケースからはダンヒル社製のブライヤーのパイプが一つと金色のライターが十個! 化粧道具カバンの内容物は国産品ばかりで、ロンドンのハロッズで買った高価な品は一つもなかった。藤野由美は紳士ものの土産品を優先的に整え、自分用の買物はあとまわしにしたようだった。
変ったものといえばマダム・タッソーの蝋人形館で買ったらしいパンフレットが一冊あった。年輩の刑事はそのパンフレットに載った残酷場面の写真を迂散《うさん》臭そうに眺めていたが、その所持者が犯人ならともかく、被害者なので手がかりにはならなかった。もっともたいていの女性は残酷な絵画をひそかに好むものである。
藤野由美の職業は「美容デザイナー」になっているが、これが曖昧《あいまい》だというのが門田の当初からの直感であった。
外国の経験はアメリカのデンバーに住んだことがあると彼女は旅行社に初めてきたとき云っていた。ロッキー山脈西麓の高原の町とは変っている、なぜにニューヨークやロスアンゼルスでなく、そんな田舎町の名を口にしたのか。ともかく彼女はその経験から外国で男どもにつきまとわれた煩雑さを話し、わざともの憂げな顔を見せていた。それなのに女ばかりの観光旅行団に入って、誘惑するような伊達《だて》男の一人も居ない淋しい山湖の土地で殺されたとは、どうした不運か。
こうしている間にも若い刑事二人は室内のほうぼうを検査してまわっていた。浴室のほうにも入っていた。
部長刑事は椅子に坐って部下二人の動きにときどき眼をくれながら門田に被害者の事情を訊いた。
「わたしどもは旅行代理業でして、この観光旅行団の加入者の個人的な事情は何一つ存じませんので。はい」
日本の警察の調べだと、こういう言葉になったろうが、イギリス警察の「事情聴取」ではそんな卑屈な表現を用いる必要はない。幸い、英語には敬語が日本語のように豊富ではなく、性別すらよくわからない。
日本の小説で、≪……と彼は云った。……と彼女は云った≫式の会話が書かれているが、あれは翻訳の文章で、作者はしゃれた文体だと思っているのだろうが、たった二人だけの会話の場合、いちいち≪と、彼が云った。……と、彼女が云った≫と断わらなくても、日本語だと男性の言葉と女性の言葉がはっきりしているから、会話の言葉だけで区別できる。英語は性別が明瞭でないから≪と、彼が云った。と、彼女が云った≫という断わりを会話の間に挿入しないと、読者に混乱を起させるからだ。それを翻訳家が忠実に訳す。その訳文がハイカラだと思って、小説家が真似をしている。≪と、顔をしかめながら彼は云った。と、笑いながら彼女は云った≫というふうに付帯状況がついているならともかく、日本語の会話の場合、いちいち性別の説明が必要だろうか。
門田はそんな余計なことを頭の隅で考えながら、眼のひっこんだ、顔骨の張った、口髭もチェンバレン(チャーチルの前の英国首相。第二次大戦勃発時の首相)風な部長刑事の事情聴取に答えていた。
問 その方《ほう》が被害者を最後に見たのは昨夜の何時ごろであったか。
答 正確には、ホテルの食堂で団員一同と夕食をとったときである。それは五時二十分ごろにはじまって六時二十六分ごろに終った。そのあとは団員の各自は湖畔の散歩に全員出て行ったから、藤野由美も当然にその中に入っていた。しかし、自分は外に出ないうちに日本の新聞記者五人とロビーで会見したので、湖畔でミス藤野を直接に見たり、または話したわけではない。
問 日本の新聞記者との会見が終ってから、その方はどうしたか。
答 会見が終ったのは七時十分ごろであった。新聞記者が帰ったあと、自分はホテルの玄関を出て湖畔に行った。そのときは団員たちの愉しそうな声が暗い中から聞えていた。自分は見まわりに行くつもりだったが、寒気がしたので、風邪をひいてはいけないと思い、ホテルのロビーに引返した。そのとき、すぐあとから、この団体の講師でもあり、自分の補佐役でもあるミス土方が入ってきたので、自分らはロビーで約二十分ばかり話をした。その間に外から戻ってきた団員は一人もいなかった。自分は寒気がするので、あとのことはミス土方に頼み、フロントからキイをうけとった。そのときフロントの時計は七時四十八分であった。キイ・ボックスには団員の鍵が全部預けられてあった。自分が部屋に戻って睡ったのは八時ごろであったと思う。今朝、変事を報らせるフロントの電話で起されるまで、何ごとも知らずに熟睡していた。
問 その方は、途中で起きて、団員を点検する意志はなかったのか。
答 点検は、団員の自由を束縛することにもなるので、昨夜は遠慮した。ミス土方は八時半に外から帰ったが、そのときはまだ七、八人ぐらいの団員が湖畔に残っていたとのことであった。そのなかに被害者のミス藤野が居たかどうかは分らない。
──旧式を尊ぶ保守的なイギリスの警察のことだから、斯《か》く you を「その方」と翻訳できる。
調査すると、湖畔に最後まで残っていたのは、本田雅子、西村ミキ子、千葉裕子であった。三人とも八時五十分ごろまでは湖畔に残っていて、フロントでキイをうけとったのが九時一分だったと云った。その時、キイ・ボックスの鍵は全部なくなっていた。
「藤野由美さんのことは知りません。なにぶん暗い中ですし、場所も広いので、十メートル先を歩く人の顔も分りませんでした。わたしたち三人は、いっしょにおしゃべりしながら散歩していたのです」
三人は、口々に云った。
ほかの団員たちに、門田がいちいち当ったところ、三人と同じ理由で藤野由美を見かけたというものはなかった。もっとも、団員の一人だけが、ちょっとつかまらなかったが。外では見かけなかった団員で、ホテルに無事に戻っている者も少なくなかった。
やはり、闇の中で広い場所に散っていたのが、相互目撃を阻害したようである。
刑事は、門田の話を聞き、その確認に団員リストを門田からとり寄せ、その一人一人を呼んだ。団員リストは英文タイプで打っているのがあった。通訳は、こんどは門田以外の人間をという刑事の希望で土方悦子が当った。彼女の英語は、学校で教わったとおりの、几帳面な表現と発音であった。門田は興味深げな顔で横からそれに聞き入っていた。
「おそろしいことだわ」
と、「証言」が済んで竹田郁子は門田にむかって云った。
「……コペンハーゲンのホテルでは多田マリ子さんが首を絞められて殺されそうになるし、今度はほんとうに殺人事件が起るし、この次にはどうなるのかしら」
竹田郁子の顔は蒼ざめていた。
「いま、彼女は何と云ったのか?」
部長刑事は竹田郁子の私語を咎《とが》めたが、門田の通訳は適当なことを云ってごまかした。
「ここで余計なことをしゃべられては困ります。どうぞ部屋に帰ってください」
門田が竹田郁子にいうと、
「わたしたち、いつ、ここを出発できるのですか?」
と、彼女は真剣な眼になって訊いた。これは団員全部の関心事だし、門田の懸念でもあったから、彼は刑事に通訳した。
「そんなことを今は云えない。なにしろ殺人死体が発見されたばかりだからな。いろいろと調べることもあるし、聞かねばならぬこともある。捜査途中での出発は自分の一存ではいかない。上司の命令次第だ。しかし、なるべく早く出発できるようにとり計う」
部長刑事は、今はそれどころではないという顔で答えた。
「この団員リストによると、ミセス・カジワラの証言が脱けている。彼女だけがここにこないようだが」
請求されるまでもなく土方悦子が部屋を飛び出して行っていたのだが、戻ってきての報告はやはり梶原澄子の姿が見えないというのだった。藤野由美の|室 友《ルーム・メイト》で藤野由美には反撥を持っている女であった。
仕方がないので門田は刑事にいった。
「ミセス梶原はこの変事前から朝の散歩に出かけていると思う。たぶん小島のほうを散策していると考えられるので、まもなくホテルに帰ってくると思う」
「戻ったらすぐに呼んでくれ。ほかの人も別命あるまでホテルから外に出ないようにしてほしい」
チェンバレンに似た顔は少し苛立たしそうに云って全員の軟禁に出た。英国の刑事にしても日本から来た観光団の殺人事件なので、少々勝手が違うようであった。
部屋に制服の警官に連れられて青服のボーイが入ってきた。
「ホテルの荷物運搬車が湖のそばに持ち出されて置かれてありました。このポーターが見つけて裏口まで持って帰ったのですが、事件に関係があるかどうかわかりませんが、一応報告しておきます」
警官の横には、まだ、おさない顔のきちんと正装したボーイがもの云いたげな顔つきで立っていた。
「それはどういう荷物運搬車だな、君?」
部長刑事がユニフォームの青年に眼をむけた。
「二輪の|手押し車《プツシユ・カート》です。あれは少々古くなったので、裏口の通路のところに置いてあったんですが、いつのまにか湖の岸のところに持ち出し、抛《ほう》ってありました」
青年は勢いよく云った。
「古物の手押し車か」
部長刑事は考えて云った。
「そんなものは事件《これ》と関係はない。もとの位置に戻しておいたのなら、それでいいよ」
青服のボーイはがっかりした様子で警官に促されて出て行った。
このとき、浴室を出てきた顔の長い、若い刑事がひどく昂奮した眼つきでドアのところから先輩にサインを送ってきた。
門田は部屋主の代理として部長刑事のあとから立会いについて行った。
浴室は、浴槽、洗面場、便器、ビデと合理的に詰めこまれていた。そこにも一人の若い小肥りの刑事がいて、洗面台の白い陶器をのぞきこんでいた。門田ははじめその刑事が顔を洗っているのではないかと思ったくらいである。
「イングルトンさん」
とその刑事は洗面台から顔をあげて部長刑事を呼んだ。
「この水の吸込みパイプの穴のところを見てください」
部長刑事は身体を退《の》かした部下に代って洗面台にかがみこんだ。
「何があるのか、デービス。おれにはよく見えんが」
と、尖った顔を突込んだまま部長刑事は訊いた。
「その吸込み穴のところに何か小さなものが引っかかっていませんか。青い、糸屑のようなものですが」
「糸屑だって?」
「それに魚の鱗《うろこ》が二、三枚」
「鱗?」
部下のさし出した懐中電燈を奪うように取った部長刑事は、灯を点じて吸込み穴を照らした。そこには金属性の十字形の輪がはまっていて光線を反射した。
部長刑事は部下のさし出したピンセットの先を金属性の輪の内側にさし入れて出すと、ピンセットの先には青々とした糸屑のような筋が挟まれていた。筋には小さな小枝のような結節が生えていた。
「湖の藻だな」
窓からの外光に透かして見てイングルトン部長刑事は呟いた。
「まだ、そこには魚の鱗も付いていますよ」
イングルトンは少し自分の威厳を損《そこな》われたような顔になったが、同じピンセットが鱗を三枚はさんで、さっきの藻といっしょに紙の上に標本のようにならべたとき、機嫌をとり戻し、眼は輝いていた。
「なるほど、これは鱒の鱗だ」
湿った鱗は白い紙の上に、半透明に貼りついてきらめいていた。
「これは、どういうことだ」
部長刑事は独白調に呟いたのだが、部下に聞いているのは明らかであった。
「鱗は鱒の腹の真んなかあたりですな。全身四インチくらいなやつです。このレブン湖にはいちばん多い鱒です」
「それは知っている」
「藻も湖の水草です。この藻もレブン湖には普通に見られるものです」
「そんなことは分っている。デービス」
部長刑事は部下の意見を急いだ。
「つまり、こうです。いえ、わたしは、こう思います」
発見者の部下の刑事は謙遜を装いながら自信のほどを見せて云った。
「だれかが昨夜レブン湖の水を桶かバケツのような容器で運んでこの洗面器の中に満たしたのです。たぶん、そのときは鱒が一尾と藻も少し混じっていたでしょう。その人物は、この部屋に早く帰ってきていたミス・フジノに、湖から魚をもってきてあげたといって部屋に入ってきた。もちろん人目につくロビーは通らずに裏口からね。裏門にも裏口にも錠がかかってなかったことはフロントの事務員からわたしがたしかめています。ミス・フジノがその人物の親切に感謝して洗面器の中に泳ぐ鱒を観賞しているとき、うしろから頭を押えつけられて洗面器の水の中に強く突込まれたのだと思います。床は、このとおりタイル張りなので、上半身を押え込まれると、下がすべって足がかりがない。つまり半分宙に浮いた形になります。洗面器の水でも窒息死は容易です。死体はそれからホテルの外に運び出して湖水の発見現場に犯人が棄てて溺死に見せかけたのだと思いますよ。ところで、犯人は死体を部屋から運び出すとき、外からドアを閉めた。それで自動的にドアはロックされた。したがって、これは密室内の殺人ではありません」
小男ながら肩幅が広く、燃えるような赤い髪と水色の瞳をもったいかにも敏捷な捜査係にみえる部下の刑事が滔々《とうとう》と述べる殺人方法の推定を、のっぽの部長刑事は腕組みし、顎の下に人さし指を匍わせながら聞いていた。
彼はそんな犯行の筋道くらい分っているという顔をしていたが、実際は部下の意見に感服していたのだった。
「質問してもいいでしょうか?」
横から土方悦子が発言したので門田はびっくりした。素人の、しかも女の分際でイギリス警察官どうしの会話の中に割りこんだので、そのもの怯《お》じしない大胆さにも胆を冷やした。それと、助手(門田はそのつもりでいる)の立場を忘れて生意気な出しゃばりという気持もあった。
部長刑事もすばしこそうな刑事も悦子を見かえった。相手が婦人であることと、被害者の一行であることから、
「|どうぞ《サンキユウ》」
と、部長刑事は鷹揚に質問を許可した。
「どうも。いまのお話では犯人が近くのレブン湖の水をくんできてこの部屋の洗面器の中に充たしたということですが、その水を運んだ容器の桶かバケツはこの部屋の中にあるのでしょうか?」
部長刑事は彼女のきれいな発音に微笑を浮べて答えた。
「さあ、それはですな、ミス……」
「……ヒジカタです」
「ミス・ヒジカタ。それはですな、いまのところ見えないけど、必ずどこかから出てきますよ。この部屋になかったら、外に。……なあ、デービス、そうだな?」
と、部下のほうを向いた。
「そうです」とデービス刑事は返事した。「ぼくはむしろミス・フジノの死体を部屋から湖に捨てに行ったときに犯人が容器もいっしょに持ち出したと思いますね。だから、湖か湖畔を探せばきっとバケツか水桶が出てくると思います」
「水を運ぶ容器は桶やバケツとは限りませんわ。塩化ビニールの袋だってあるでしょう? もし、桶やバケツだったら、犯人は前もってそれを準備しておかねばなりませんが、ビニールやポリエチレンの袋だったらたたんでポケットにしまいこんでおくこともできます」
「うむ、なるほど」
部長刑事は部下に眼を走らせて、
「それも一つの考えですな」
と、うなずいた。しかし、デービス刑事はちょっと抵抗を感じたとみえ、
「ビニールの袋とは婦人らしい推測ですな。ビニールは婦人が浴室で頭にかぶるキャップにも使えるし……」
と、いったが、彼は途中で気がついたらしく、いそいで部屋の戸棚を開いた。
「この部屋のぶんはありますね」
手に持って見せたのは洗濯物を入れるビニールの大袋二枚であった。客がクリーニングをたのむときに使うもので、にぶい艶の表面には Trout Villa というこのホテルの名前が赤い色で印刷されていた。
袋ははじめから濡れた形跡はなかった。乾かしたのではなく、新品だった。
「その袋の寸法はどれくらいだな?」
部長刑事がきいた。刑事はポケットから洋服屋が使うような小型の巻尺をとり出して測った。タテが約六〇センチでヨコが約四五センチだった。
「これに水を入れると何ガロン入るだろう?」
口を残して満たすと三・二ガロン以上はたっぷりと入るというのが刑事二人の一致した意見だった。一合は約〇・〇四ガロンだから、ほぼ八升だな、と傍で見ている門田は暗算した。
「洗面器の容量は?」
部長刑事がいった。部下の刑事が実験するとその陶器製のふちいっぱいで一・六ガロン(約四升)は入った。
「人の顔を浸して窒息死させるには〇・八ガロンもあれば十分だ」
と、部長刑事はかなり活発な顔になって云った。洗濯物入れのビニール袋にはその四倍も水が入るのだから問題はない。
水は重い。〇・〇四ガロンは〇・一八リットル、すなわち一合である。〇・八ガロンは二升になるから、三キロ六〇〇グラムが淡水の重量である。レブン湖は淡水湖である。イギリスはガロン単位である。ガロンをリットルに直し、リットルから合《ごう》に直し、さらにリットルとグラムとを照合させる門田の頭は混乱を起すくらい忙しかった。
「ビニール袋で水を運んだとすれば」と、部長刑事が云った。「重いから袋を二枚重ね合せたにちがいない。人間が単独で運搬する負担を考えると〇・八ガロン(約二升)がせいぜいだろうな。それだと袋には四分の一くらいしかないので、口を絞って運べる」
「まだ、単独かどうか分りませんよ」
デービス刑事はふくれ面をしていった。いつのまにかビニール袋のことを云い出した土方悦子のペースになったので忌々《いまいま》しそうであった。
「ミスター・カドタ」
と、部長刑事はデービスの様子にかまわずに門田をふりむいた。
「君の引率している団員の全部について各自の部屋の備えつけのビニール袋がどうなっているかを調査してもいいかね?」
どうやら藤野由美殺しの嫌疑はこの観光団の中にあると部長刑事は眼をつけたようであった。
「どうぞ」
土方悦子がよけいなことを口出ししたばかりに、と門田は思ったが、捜査権の行使を受け入れるより仕方がなかった。
門田は悦子をデービス刑事に付添わせた。
「団員には決して心配しないでもいい、念のためだからとよく云ってください」
門田は案内役兼通訳係の悦子にいった。
「そうします。でも、チーフ、もし団員の中でビニール袋を紛失していた人がいたら、どうしたらいいでしょう?」
門田は返答に詰った。
「そういうことはないと思うがなァ」
門田にも或いは団員の中に、という不安はあった。げんに梶原澄子の姿が消えている。
「ま、そこは適当に。君の臨機応変で」
と、門田はさし当り不得要領なことをいう以外になかった。
デービスと悦子が出て行ったあと、門田は部長刑事と対い合った。こういうときは間《ま》がもてないもので、口髭のチェンバレンは煙草函を出して一本を門田にすすめた。日本でも売られているウインストンで、ウインストン・チャーチルとチェンバレンとでは絶妙の取合せとなる。
「ビニール袋に鱒の三、四尾も水といっしょに入れて洗面器に移せば、被害者は珍しがって洗面台を上からのぞく。それを犯人がうしろから押して倒しかけ、頭を押えつけて洗面器の水に顔を漬《つ》ける。床はタイル張りで、足がすべるから被害者の身体は宙に浮く。こうして窒息死させ、死体を湖に捨てると溺死に見せかけられることは間違いなしだな。被害者の心臓や胃に入っている水のプランクトンも同じだし、おそらく洗面台から発見された鱒の鱗や藻の断片も気管に吸いこまれているにちがいない。解剖結果が分るのは今日の夕方だが、この推測は間違いなかろう」
部長刑事は煙草をふかしながらいった。
「人間の頭を押えつけて洗面器の水で窒息させるのは、一人でもできることですか? たとえ、タイル床で足がすべっていても、被害者は苦しんで必死にもがくにちがいないが」
門田はさっき部長刑事が、ビニール袋に入れた水の重さを単独の運搬の負担から割り出して云っているのを聞いていたからそう訊ねた。
「被害者も必死だが、犯人も懸命だ。被害者に暴れられたらそれでおしまいだからね。犯人にもわが身の破滅がかかっている。わが国の例だが、かよわい女がひとりで大の男を絞殺したことがあるよ。もっとも男は酔って寝ていたが、それでも首に紐がかかっていると知ると暴れたそうだ。女でも懸命なときは意外な莫迦力が出る」
部長刑事が「女」といったので、門田は警察が団員に眼をつけているのをいよいよ知った。
「ところで、まだ帰らないミセス・カジワラは丈《せい》の高さがどれくらいあるかね?」
門田は緊張し、
「はっきり分らないが、一五五センチくらいあると思います。日本女性としては普通のほうです」
「体重は?」
「肥えていないから四五キロぐらいと思います」
「体格はいいほうかね?」
「まあ普通でしょうな」
門田は行方の知れない梶原澄子の姿を眼に浮べて答えた。げんに死体となって出た室友の藤野由美のことで何度も変更を要求に来た女だからその特徴をはっきりと思い出すことができる。
「被害者のミス・フジノはもっと小さな女だね」
部長刑事は死体を見た感想で云った。たしかに藤野由美は丈が梶原澄子よりも低く、身体つきが華奢《きやしや》にできていた。梶原澄子に頭を押えつけられたら、それをはねのけて、洗面器の水の中から顔をあげるだけの膂力《りよりよく》はなかったかもしれない。
「しかし、死んだ人間はすごく重いと云いますからね。もしミセス梶原が犯人だとしたら、女ひとりの力で死体を抱えてホテルから湖畔の島のところまで行けたでしょうか。犯人が二人だったら別ですがね」
門田は、犯人一人説だと梶原澄子になるので、二人説をのぞかしてみた。現在、姿を見せないのは彼女だけである。
痩せて背の高い部長刑事は、門田の言葉を聞くと、何を思い出したか、すっくと椅子から立ち上り、部屋の外にいる部下を呼んだ。
「ボーイを呼んでこい。さっき|手押し車《プツシユ・カート》のことを証言したボーイだ。それに支配人もだ」
部長刑事は自分のヒントから死体運びに荷物運搬用の手押し車に気づいた、と門田は知った。さっきは土方悦子の話からビニール袋の水運びに気づいたり、イギリスの警察官はいつもシャーロック・ホームズにしてやられている小説の通りだと思った。もっとも此処はスコットランドの田舎警察で、|警 視 庁《スコツトランド・ヤード》なみにはゆかないのかもしれない。
室内に働いていた三人の鑑識係が被害者の指紋以外、不審な指紋は一つもないと報告した。とくに犯人が殺害後にロックしたと思われるドアのノブは入念に調べられた。
「犯人は手袋をしていたのだ」
イングルトンは呟いた。
間もなく、ホテルのボーイが支配人に連れられて入ってきた。
「さっき君は手押し車のことを話していたな?」
部長刑事はその顔を見るや否や言葉を浴びせた。
「はい、云いました」
「よし、その手押し車のところに案内してくれ。マネージャー、君もいっしょだ」
門田も三人のあとについて行った。フロントとは逆に通路を裏口に向った。通路は二つあって、一つは一階の客室の廊下がそれで、一つは客室のならぶ建物の外についていた。一方の側は鉄柵の中に煉瓦で囲んだ花壇がしつらえてあり、柵越しに湖の風景が見えている。が、それも裏門のところにくると景色は建物に遮断されていた。この建物は折れて客室の廊下にも通じ、一方は裏門にも通じていて、本館からL字型になっている。その建物は雑多な道具を仕舞いこんでいる倉庫代りのようだったが、客室の廊下からきたコンクリートの中央通路のわきに問題の手押し車が置かれていた。
「これか」
ボーイに指差されて、刑事部長は長い背を屈めその物体にハンカチの上から手をかけて検べた。
|手押し車《プツシユ・カート》というのは客の手荷物を運搬するため後部に把手《とつて》のついている二輪車だが、荷物台は前のほうが下がって地についている。台は木製である。ホテルのロビーでもボーイが、荷をのせて押しているのを見かけるが、駅の構内でもよく見る普通のものだった。
その荷物台は死体をエビのように曲げさせて乗せればたしかにそのくらいの広さはある。台の本の一枚が半分ほど折りとられたようになくなっていた。
「台がこわれているので、修理に出そうと思いながらも、つい、ここに放って置いたのでございます」
支配人が弁解した。
台板が一枚欠けているからといって死体を乗せるぶんに支障はない。部長刑事は自分から手押し車を土間に押して試《ため》してみたが車輪はなめらかに動いた。すると、その轍《わだち》のあとにうすい褐色の砂がこぼれているのがみえた。
おや、というように部長刑事が車輪のタイヤを指先で擦《こす》るとそこからも同じ砂が土間にばらばらとこぼれ落ちた。
これだ! と部長刑事が叫ばないまでも、見ている門田はこの手押し車が湖畔に放置されていたというさっきの話を思い出した。湖のそばがこの砂地なのである。
チェンバレンの顔が英軍のノルマンディー上陸の第一報を聞いたときのように颯爽としてきた。つい、五分ぐらい前に手押し車のことを報告にきたボーイを、事件と関係なしと斥《しりぞ》けた彼だったが、いまはその思いの到らなかったのをさとったのだ。
そこへデービス刑事が土方悦子と、このあまり清潔でない現場にやってきた。
「部長、ここでしたか」
デービスは部長刑事に、日本人観光団の部屋でも洗濯物用ビニール袋は員数が揃っていたと報告した。土方悦子も門田に失くなったビニール袋は一つもないと告げた。
部長刑事はビニール袋のことではいっこうに落胆しなかった。
「デービス。これを見よ」
と、手押し車の車輪に付着した砂とコンクリートの土間に落ちた砂とを示した。
「お前の云った通りだった。だれかが死体をホテルの外に運び出したのだ。そして、その道具がこれだ!」
門田の耳の傍で土方悦子が、梶原澄子はまだホテルに戻ってこない、とささやいた。
門田は、最悪の事態になったと、また心が慄えた。藤野由美の他殺死体発見で、かねて抱いていた不安な予感は的中したが、いまはそれをもう現実のこととして受けとめていた。だんだん受けとめざるを得ない気持になっていた。それだけの諦めはつきかけていた。絶望は、それなりに落ちつきをもたらすものだ。仕方がない、どうあがいても現実がこうなのだ、という神秘的な諦念にも似た心境であった。
しかし、こんどは梶原澄子の姿が見えぬという。被害者藤野由美の室友。あの、感じのあまりよくない病院長未亡人はどこに行ったのか。彼女もまた仲の悪いルーム・メートと同じ運命になったのか。門田の胸には暴風が吹いていた。
眼の前に浮ぶのは広島常務の顔だった。いや、それよりも先に、これから再び聞えてくる広島の国際電話の声だった。
門田の恐怖にかかわりなく、部長刑事は事務的に、部下のデービス刑事に云わせて鑑識課の刑事を呼び寄せ、荷物運搬用の|手押し車《プツシユ・カート》の指紋をとるように命じた。鑑識係が雪をまぶしたように車を粉だらけにして指紋の検出につとめた。とくに両手がかかる柄のところは入念を極めた。
「どうだな?」
部長刑事のもどかしげな催促に指紋係は肩をすくめ、あまりはっきりした指紋は出ないが、古そうなのが何個か不明瞭ながら採取された、と云った。
「犯人の指紋が古いはずはない。犯行から十五時間と経っていないぞ。しっかりするんだ。この手押し車が荷物台の木製を別にして、あとは全部表面が粗い鉄製だから指紋がよく付いていないだけだ。一部分でも付いていればそれで手がかりになる。ここにいる日本人団体の全員から指紋を頂戴して照合すれば、たちどころに下手人が判明するだろう。その手押し車から採れた指紋をしっかりと記録しておけ。とくに柄のところをな」
部長刑事はほくそ笑んだ。
土方悦子がびっくりした眼で部長刑事に近づいた。
「あの、われわれ全員から指紋をお採りになるんですか?」
部長刑事は彼女のほうをむき、小腰をかがめ莞爾《かんじ》として鄭重に云った。
「われわれとしてもご気分を悪くするようでまことに遺憾ですが、みなさんのご協力をねがうより仕方がないのですよ、お嬢さん。なに、みなさんの中に可哀想なミス・フジノを無理に昇天させた……ああ、日本の女性は仏教徒《ブツデイスト》でしたな?」
「ほとんどそうですが、人によって違います。クリスチャンもたくさんいます」
「おお、ミス・フジノがクリスチャンでしたらなおさらですが、仏教徒でもこの場合は同じことでしょう、当人の意志ではなく現世と別れを告げたのですからな。よりによって、このスコットランドの風光明媚な保養地でね。お気の毒です、遠い異国で、不慮の死を遂げられるとは。……あ、わたしはあなたからどういう抗議を受けていましたかな?」
「団体の婦人全員から容疑者扱いのように指紋をお採りになることですよ、部長刑事さん」
「わたしの名は、エドワード・イングルトンです、お嬢さん」
「イングルトンさん。あなたが全員から指紋をお採りになろうとすることは、わたしたち一同にとってどんなにかショックであることをお考えください」
「もちろん十分に考慮していますよ、お嬢さん」
「ヒジカタです」
「ミス・ヒジカタ。あなたからみなさんによく説明してあげてください。われわれは決してみなさんだけを強制的な指紋蒐集の対象にしていないことをね。このホテルの他の宿泊客、従業員全員からも洩れなく指紋を採らせてもらいます。どうぞみなさんの友人の霊を慰めるためにもご協力をおねがいします、とね」
イングルトン部長刑事は悦子に云ったあと、手押し車に眼を走らせ、もう一度上衣のポケットとズボンのポケットから一枚ずつハンカチを出し、それを手押し車の柄《ハンドル》に距離をあけて掛けた。手袋の代りだったことは、その上に両手を掛けて、車の先を持ち上げて、二、三メートルばかりごろごろと押して輪を転がしたことで分った。
「この通り、この車輪は故障していません。荷台の板が一部分はずれていますが、人体を乗せるぶんにはさしつかえありません。おい、デービス。お前、この荷台に坐ってみろ。なるべく死んだ人間のようにぐったりしてな」
デービス刑事はクサった顔で実験台になったが、手押し車は彼を乗せても軽々と動いた。
「男ばかりでは信用されないかも分りません。わたしたちの代りに婦人が実験されてもかまいませんよ。それでも手押し車は同じようにやすやすと動くはずです。被害者の体重は測定によると一〇五ポンドと少しですからな。手押し車は力学的関係からいってうら若い婦人でも遠くまで死体が運べるわけです」
イングルトン部長刑事が云ったのは、こうである。犯人はホテルの藤野由美の部屋から、当人の洗面所での窒息溺死体を裏門内の通路に放置してあった手押し車に乗せて、湖の小島まで運搬した……。裏門から小島の死体発見現場まで一キロは十分にあった。
「イングルトンさん」と土方悦子が口をはさんだ。「その手押し車に人間の重量がかかると、それだけタイヤの轍《わだち》の跡が深くなるはずですけれど、いまデービス刑事がそれに乗っても、それほどつきませんね?」
部長刑事は微笑《ほほえ》んだ。
「それはここの地盤が板のような岩でできているからですよ。砂浜はずっと渚のほうですからね。だから、死体運搬の際には車輪の跡は初めから付いてないくらいにほとんど消えます」
「死体発見の現場までずっとこうなんですか?」
門田が初めて口を開いた。彼は初期の動顛《どうてん》からやや立ち直ったものの、不慮の事件の収拾を思い、それだけに理性的な苦悶が深まっていた。気がかりなのは、梶原澄子が昨夜からホテルに帰ってないことだった。彼女はやはり逃亡したのだろうか。彼はもう一つ爆弾を抱えている心地であった。
「さあ、ひとつ実地を検分してみますかな」
部長刑事はデービス刑事を従え、門田と悦子とを促して先に立った。
このレブン湖畔は砂地が少なく、ほとんど岩層でできていることが歩くにつれて分った。用のない閑《ひま》なボートがその岩場の陸《おか》にひっくりかえり、腹を見せて陽の下にならんでいた。上をむいた底の赤ペンキの色が多少眼に毒々しかったが、その有閑ボートは十七、八隻もうつ伏せになっていた。
検証では、現場まで軟い土が少しもないことがわかった。小島にかかったのも固いコンクリートの橋だし、島の水際も岩磐でできていた。手押し車のタイヤの跡は深さどころかその識別すら困難であった。
イングルトン部長刑事は顔をしかめ、何という土地だと岩場を靴の先で蹴った。彼は「ジーザス・クライスト!」(こん畜生め)と呪いの言葉を吐いた。
「これで車輪の痕から証拠をつかむことには希望が遠くなったが、なに、犯行ははっきりしているからいまにその尻尾をつかんでやるぞ」
彼は足もとの岸をのぞいた。水面までの距離が五フィートくらいだったが、いちばん近いところの水深は二十フィート以上はあるということだった。ここで藤野由美の溺死体が浮上していたのである。
「犯人は、賢そうにみえて、案外知られすぎているトリックをつかっている」
と、部長刑事はほくそ笑みを浮べていった。
「ここに溺死体が浮んでいた。だれでもこの場で誤って水に落ちて溺れたか、自殺したか、突き落されたかと思うにちがいない。溺死体というやつは、よほどの外傷がない限り、自他殺の推定がつかないくらいだからな。わしもよっぽどだまされるところだった。被害者の洗面台の落し水のパイプにひっかかっていたこの湖の鱒の鱗三枚と、糸くずのような藻を発見しなかったらな。……それは、まあデービスの手柄だが」
「部長|刑事《チーフ》さん。犯人はどうしてそんな面倒な方法をとったのでしょうか。被害者の部屋の洗面器にこの湖の水を汲み入れ、当人の顔をその水の中に押しつけて窒息死させ、その死体をこの湖に運んで捨てるような……?」
門田は訊いた。
「利点は二つある」とイングルトンは答えた。「一つはこの場で凶行を演じたら、その闘争をだれに目撃されるか分らない。自分では気づかなくとも、どこにだれがのぞき見しているか知れないからね。また、犯人の心理としてその恐怖は十分に持っている。それにくらべると、野外よりも密閉した室内で殺人をするのがはるかに安全だ。被害者を安心させて突然に襲えば凶行が外部に洩れる気づかいはない。被害者は声をあげる余裕もなかったろう。死体の運搬は少し危険だけれど、夜間に行えばわりあいに安全だ。死体は犯人と格闘しないし、悲鳴も上げないからね」
「………」
「もう一つの利点は、捜査陣の眼をごまかすことだった。殺人現場が屋内でなく戸外、しかも死体の浮いていた小島の湖岸であったということをだね。これは成功しそうな手だ。しかし、わが英国警察は微細なところまで入念に眼を届かせるのが伝統でね。捜査はアメリカのように派手ではなく極めて地味だが実績は確実に上げている」
「はあ、なるほど」
「だいたいね、洗面器や浴槽《バス》に海水を入れて頭を押しつけて窒息させ、その死体を海に棄てて溺死のように見せかけるトリックは探偵小説でちょいちょいお目にかかるよ。小説では海水のプランクトンの有無で、犯行が暴露するようになっている。ところが今度の事件の犯人はそこを考慮して、レブン湖の水をビニール袋に入れて持ってきて洗面器に満たしている。被害者の肺や胃に溜った水のプランクトンはレブン湖のそれとまったく同じだから、だれだって現場の湖水で溺死したように思う。ただ犯人の失策は、さっきも云ったように、洗面台の水を落すパイプの中に鱒の鱗と藻の屑とがひっかかって残っていたことだね。われわれもあれを発見しなかったら、犯人のトリックは見抜けなかったろうね」
一行はもとの道に引返した。腹を返して陽に干されているボート群の横を通り、巡査が番をしている手押し車の傍に戻った。
このとき、遠巻きの弥次馬の中から、五人の日本人記者の顔があわただしげに現われた。弥次馬を防いでいる制服の警官が制止するのも諾《き》かず、門田の傍に殺到した。
「門田さん、団員の女性が殺されたというのは、ほんとうですか? ぼくらは、たったいま、キンロス・ホテルのボーイから話を聞いてびっくりしたのですが」
A─社の浅倉が、がらがら声で怒鳴るように云った。B─社の諏訪、C─社の高村、連合通信社の内藤、これにあの日スポ文化紙と週刊誌の通信員鈴木も加わって、みんな血走った眼になっていた。
五人とも、この変事を知ることが遅かった。日本のように、親切な市民が新聞社の社会部に電話を入れて速報することもなかった。ロンドン支局員四人は、マージャンで半徹夜になったにちがいない。例の通信員は、ロンドン娘の恋人と深夜までベッドで愛を語り合ったであろう。五人とも寝不足な顔で遅く起きて、朝食の食堂にでも現われたところを、ボーイからこの変事を伝え聞いたのかもしれない。
遅れを取った日本のマスコミは、息まで喘《あえ》ぐように荒々しく吐いていた。
「それは何という名前? 死体はいつ、どこで、だれが、どのようにして発見したの? 殺害の方法は? 犯人の遺留品などは? 犯人は分ったのか? 殺害の原因は何か? 被害者のパスポートについている顔写真があるだろうからそれを撮させてくれ」
要約すると、彼らの質問と要求はこういうことだった。それを五人とも、かわるがわる、途切れ途切れに口から出した。昂奮しているので、新聞記者特有の無礼なくらい冷静な言葉も出ずに混乱していた。鉛筆とメモ帳をかまえているのはもちろんだった。ロンドンのホテル・ランカスターのロビーに来て、椅子に傲慢《ごうまん》に大股をひろげてかけていた余裕はすっかり失われていた。
門田もおどおどしていた。どこからどう考えていいか分らなかった。質問されても、まだわからないことがあったし、判明したことでも、そのとおりに新聞記者に云っていいかどうか、思慮を要することもあった。日本の新聞に出たときの「門田談話」の責任を考えなければならなかった。
イングルトン部長刑事が、そのとき、助け船を出した。というよりも、彼は警察官の立場から日本の新聞記者たちを制したのだった。
「何も訊いてはいかん」
彼は眼を三角にして、手を横につき出して遮《さえぎ》った。
「しかし、警官《ポリス》、われわれは日本の新聞記者《プレス・マン》でして。これは日本女性が殺害されたのですよ。当然、母国に早く報道する義務と責任があります」
浅倉はどもりながら部長刑事に喰ってかかった。英語の熟達者も、気持が上ずっているので、とかくつかえがちだった。
「そういう話は、あとだ。いまは捜査中だからな」
部長刑事はそっけなく答えた。
「あなたのお名前は?」
「エドワード・イングルトンだ。キンロス警察分署の部長刑事だ」
ぶっきら棒に云うのを、新聞記者たちはメモに急いで書き取った。
「それではエドワード・イングルトンさん。あなたに、われわれはおたずねしますが、この事件は……」
諏訪がおだやかに発言するのを、
「この事件については、何も云えん」
と、部長刑事は無慈悲に拒絶した。
「では、あの、せめて、事件の輪廓でも……?」
鈴木が、その髭面に卑屈な微笑を機嫌とりに浮べていった。
「輪廓かね?」
エドワード・イングルトンは、じろりと鈴木の顔を見た。
「そうだな。ミス・フジノという日本婦人が今朝の六時ごろ、このレブン湖の中で水死体となって発見された。自殺か、他殺か、それとも当人が散歩中、暗い中で過《あやま》って湖水に落ちたか、それはまだ分らん。そうだ、死後経過時間から推定して、死亡時刻は昨夜の十時から十二時の間だな。アウトラインは、そんなものだ」
彼は面倒臭そうに云った。五人は忙しく鉛筆を走らせた。
と、同時に、そんな遅い時間に女性の散歩とはおかしいという日本語のささやきが起った。
「現在の見込みとしては、自殺、他殺、過失死、どの線が強いですか?」
浅倉が手帳から顔をあげて訊いた。
「そうだな。目下のところ、他殺の線で捜査しているとだけは云っておこう」
五人の顔が再び昂奮した。殺人事件である。
「門田さん」
浅倉が、門田を睨むように見た。
「このデカ長さんは、被害者はミス・フジノと云ったが、殺されたのは多田マリ子さんではなかったんですか?」
コペンハーゲンのロイヤル・ホテルの一件が新聞記者の頭にこびりついているのは当然で、この疑問的な念押しもまた当然であった。
「それが違うんです。水死体として湖の水辺から発見されたのは、藤野由美さんです。多田マリ子さんは、無事でいます」
門田はイングルトンに気を使いながら答えた。
新聞記者たちは、藤野由美の年齢、住所、職業の有無をきいた。門田は、彼女の年齢と、それが「美容デザイナー」であることだけは即答したが、住所は東京都の何処になっているか、部屋にもどってリストを見なければ分らないと云った。
「パスポートを貸してくださいよ。その顔写真を撮って東京に電送したいのです」
浅倉が門田にそっと手を合わせる真似をしたが、パスポートという語が耳に入って、イングルトン刑事の眼が光った。
「パスポートを見せることはできない。まだ捜査中だ」
彼は、浅倉にどなった。
「し、しかし、イングルトンさん。こ、これは事故死には間違いないでしょう。自・他殺、過失死いずれにしても。いまは、それだけでも報道して、顔写真を付けたいのです。顔が載るのと載らないのとでは、紙面効果が違いますからね」
英語に切りかえた浅倉は、はじめのほうで調子が狂った。
「駄目だ。いまの捜査が一段落ついてからだ。そうすれば、パスポートも貸すし、捜査状況も発表していい」
「それは、何時ごろですか、イングルトンさん?」
「何時になるか分らん。発表の段階になれば共同記者会見する。それをこっちから知らせるまで、諸君はキンロス・ホテルで待機していてくれ。このへんをあまり、うろつかんでもらいたい。ミスター・カドタや、旅行団の女性たちに質問することも、それまでは禁止する」
部長刑事は威厳を見せていった。
あまりに官僚的だ、という日本語の非難が新聞記者の私語として起った。アメリカの警察はもっと民主的だ、イギリスの警察は日本以上に官僚的で威圧的だとワシントン支局員の経験のある高村が云ったが、イングルトンの耳は理解しなかった。しかし、言葉は分らなくても、記者五人の仏頂面は彼に分った。
「さあ、さあ、向うに行って」
イングルトンは彼らが不平を抱いていると知ると、余計に弾圧的となった。
「諸君が報道内容の正確を期すなら、わしの捜査経過発表まで待ちなさい。勝手な臆測で記事を送ると、それこそ日本の読者に赤い顔をしなければなるまいな」
これは新聞記者たちの逸《はや》る心をいくぶんか冷却する効果があった。
が、浅倉は巡査が番をしている手押し車を不審そうに見た。
「イングルトンさん。この手押し車は、何か事件と関係があるのですか?」
「なんにもないよ。ただの手押し車さ。さあ、向うに行って。いまの間に、レブン湖の写真でも撮っておくことだな。ミス・フジノの水死体が見つかった現場は、あの、いちばん手前の小島が正面に見える湖畔だ」
新聞記者たちがようやく立ち去る気配になった。
「もうその番をするのはいいよ。ナップ」
部長刑事は巡査に声をかけた。
「盗まれないようにホテルの物置にでも入れて置け」
彼は記者五人の背中を見遣った。
ホテルの建物が近づくと、部長刑事は門田の気にかけていたことを口から吐いた。
「ミスター・カドタ。昨夜からホテルに帰らない婦人の名前は何といったかね」
「ミセス・カジワラです」
門田はおどおどして答えた。
「そうそう、そのミセス・カジワラが、われわれが実地検証で留守をしている間に、ホテルに戻ったかどうか見てくれるかね?」
悦子がさきに駆け出してホテルに入ったが、イングルトン部長刑事とデービス刑事に随って門田が臨時捜査本部用に警察がとった一室に入ると、悦子が絶望と緊張を湛えた顔で現われた。
「梶原さんはまだホテルに戻っていません」
覚悟はしていたが、門田は心臓まで蒼ざめる思いだった。
梶原澄子が藤野由美を殺して逃げたのだろうか。あの病院長未亡人は、室友の藤野由美との組合せ変更を執拗に申込んできていた。
理由をきくと、藤野由美が「不潔」だといっていた。別に具体的な原因はないのである。人によっては好き嫌いの激しいのがある。なんとなく性《しよう》が合わないというか、嫌いとなると、さしたる理由もないのに、徹底して毛嫌いする。梶原澄子は、それを「生理的な感情」と表現していた。
彼女の藤野由美に対する「生理的な」までの嫌悪感は、逆に衝動的な殺害にまで上昇したのだろうか。太陽のせいで不条理な殺人を犯す小説(カミュ『異邦人』)もあることだから、女性の「生理的な」憎悪が、不条理な殺人へ瞬間的に奔騰することも、あながち否定はできない。──
が、門田は「あまりに文学的な」思索に頭をゆだねている余裕はなかった。団員どうしの殺人事件! これが日本の新聞や週刊誌に発表されるときを考えると、眼の前《さき》の風景が半日蝕のように黝《くろず》んできた。
彼は、よろめく足どりで部長刑事に従い、藤野由美の部屋の真上にあたる二階34号室に入った。
梶原澄子の部屋はよく整頓されていた。というのは、シングルのベッドが少しも乱れていなかったからである。昨夜から一度もそこに横たわった形跡はなかった。その持物を調べたが異状はなかった。
この部屋には犯罪の影が残っていなかった。
洗面所を調べていたデービスが戻ってきて、何ら異状のないことを告げた。洗面台のパイプには鱒の鱗も藻も発見されなかったらしい。
「指紋は一応採っておけ」
と、イングルトンが鑑識係に云った。
「さてと……」
彼は顎の下に手を当てて思案していたが、決断をつけたように門田にむかった。
「君の団体から一人の殺害された婦人が出た。さらに一人の行方不明者が出た。この部屋の主だ。彼女がどのようなわけで失踪したか君にも分らないという。してみれば、だれにもその理由が分らないわけだ。その失踪と殺人事件とがどう関連しているのかも明瞭でない。しかし同じ夜に殺人と失踪とが起ったのだから相互に何かの関連があるのは確かだ。これからわれわれの部屋に戻って、君の団員の一人一人を呼んで事情を詳しく訊くことにする。とくに昨夜、小島に遊びに行った者についてはな。ついでにそのとき指紋もとる。このことをみんなに伝えてもらいたい」
悦子が気重そうな顔で先に出た。
前の部屋にみんなが戻った。ホテル側では気をきかしてコーヒーのルーム・サービスをした。
窓の外は午《ひる》近い日光になっていた。門田はそっと腕時計を見た。十一時三十二分だった。
「ミセス・カジワラの身もとから教えてもらおうかね?」
イングルトンが上品にコーヒーを啜ったあとで門田に顔をむけた。
観光団の客の身もとについては、その参加申込書の記載以外には旅行社は何も知っていない、と門田が説明をはじめたとき、何やら騒々しい足音が急いでこの部屋に近づいた。ノックもあわただしくドアを乱暴に開けて入ってきたのは、表にいた警官の一人だった。
「部長刑事。日本婦人の死体がもう一つ発見されました。すぐ其処で」
イングルトン部長刑事は横の卓に置いた飲み残りのコーヒー茶碗を引っくり返して椅子から腰を浮かせた。茶色の液体は卓の木地を匍《は》い、うす緑色の絨毯に滴り落ちたが、当人をはじめだれもそれに眼をむける者はなかった。みんなの凝視は若い警官の顔を射ていた。
「どこで見つけたのだ、ピーター?」
部長刑事は見張りの警官に急《せ》きこんで訊いた。
「ボートの下です」
イングルトンは瞬間にその状況を察したようであった。またしても水の中である。一艘のボートが湖に浮び、その底の下に東洋婦人の死体がへばりついている。黒い髪は水中で藻のように揺らいでいるが、身体はボートの下に押えられた恰好で水面に浮上することができずにいる。彼はそのように想像した。だれかが小島の岸辺に佇んでか、鱒釣りのために近くを漕いで通るかして澄んだ水底の異変の影を知ったにちがいないと。
「水から引きあげても無駄なのか? 人工呼吸などの手当てをするまでもないのか?」
部長刑事は蘇生の見込みを訊いた。
「水から引きあげるのですって? いいえ、死体は土の上ですよ」
警官は上司の誤解を訂正した。
「ボートが土の上」
イングルトンは眼をむいた。瞬間の想像はひっくり返された。彼は早合点と錯覚をさとり、あやうくも立ち直った。
「ああ、陸《おか》に上げているボートか。その下敷きになっているのなら、死体はボートの重量で潰《つぶ》されているのか?」
「いいえ、死体はどうもなっていません。わたしはのぞきこんで見ましたが、死体は安全にボートの下にうずくまっていました」
「死体は、あそこにひっくり返しにして乾されていたボートの下ですわ」
傍から土方悦子が叫んだ。
「その通りです、お嬢さん」
黒毛で垂直形の烏帽子《えぼし》を付けさせたらバッキンガム宮殿の衛兵にしても似合いそうな端正な顔の若い田舎巡査は悦子のほうにむいて眼もとを笑わせた。
「あ、あそこの……」
立ち上っていた門田も叫び声が口を衝いて出た。彼の眼には岸辺に赤い底を見せて太陽の光を吸っている伏せたボートの群が浮んでいた。
「それは梶原さん……いや、日本人婦人に間違いありませんか?」
門田が警官の前にすすむと、部長刑事は彼の肩をかなり乱暴な力で押えて引き戻した。
「君らがいま口出ししてはいかん」
イングルトンは苦り切っていた。
「ピーター。お前がそれを発見したのか?」
「いえ、子供が知らせて来たのです。たった今、わたしが立ち番をしているところに」
「日本の新聞記者どもは、どうした?」
「レブン湖の写真を撮っていましたが、引揚げて一人も居ませんでした」
イングルトンは安堵の太い息を吐いた。
「その子供は、どこに居る?」
「廊下に待たせてあります」
警官がドアを開くと、九つばかりの男の子が勢いよく入ってきた。少年は黄色い髪を額に垂れかけ、眼は手柄と好奇心とに輝いていた。
「坊やの名前は何というのかね?」
「ロバート。家はそこの花屋」
「よしよし。それじゃ、坊や。おじさんたちを坊やの見つけたボートのところへ連れてっておくれ」
子供が駆け出したので、イングルトンを先頭にみんながそのあとを歩いた。デービス刑事が子供の背中で距離を縮めた。
ホテルから歩いて十分もかからぬところで、ロバート坊やはデービス刑事といっしょに立って部長刑事と日本人の男女二人を迎えた。
イングルトンは素早くあたりを眺めたが、日本の新聞記者の顔はなかった。連中は、云うことを聞いて、自分らのホテルに引込んでいるとみえた。
「これだよ、おじさん」
男の子は指を下にむけてさした。
十七、八艘の暇なボートが裏返しにされてならび、日向ぼっこをしていた。吃水線の赤いペンキがなかったら、それは市場で魚腹がならべられているのに似ていた。
この日干しにされたボートの光景だったら、昨日から門田は何度も見て横を通っている。そこは水際から二十二フィート(七メートル)ぐらいはなれた陸《おか》で、下は例の平らな岩磐だった。岩の割れ目には短い草が生え、それが点々と散在しているところは砂漠の乾からびた灌木に似ているが、この岩磐の上には砂はなく、うすい土がばらばらと乗っていた。
まさか、こんなボートの下に死体が隠されようとは、と門田は眼をむいていた。岸辺に乗りあげてならんでいるボートはある。が、椀のように伏せられた遊休ボートにだれが注意しようか。
蒼い湖は彼方にあり、小島なる森の影を濃く落していた。一個の壮士湖辺に道を失い、佳人湖心の島より舟を盪《とろか》し来る、とはスコットの『湖上の麗人』の坪内逍遙翻訳「泰西活劇・春窓綺話」の一節だが、だれしも行方不明の梶原澄子の不幸が報告されたときは、藤野由美と同様に湖心の島だと思っていたのだが。
警察の一行が乾されたボートの列の端にある一艘をとり囲んだので、その辺の散歩者が早くも集った。警官がその弥次馬連を追い散らした。
「さあ、ロバート。お前がこのボートの中に人が隠れているのを見つけたときのことを教えておくれ」
イングルトンが男の子の頭を撫でて云った。
「銅貨《コイン》を落したんだよ。そいつが転がってこのボートの下にもぐりこんだので、ボートの端を持ち上げようとしたら重くて動かないんだ。それで果物屋のおじさんを呼んで、少し持ち上げてもらって、ぼくが中を見ると、人が奥にかくれていたんだよ」
男の子がいったとき、いままで離れて立っていた白い前垂れかけの四十男が近づいてきて云った。
「そうなんですよ、旦那。あっしがボートの端を持ち上げたんです。コインをさがしているこの子がそういうもんだからね。あっしが中をのぞきこむと女の死体がうずくまっているじゃありませんか。それで、子供をこちらの旦那に知らせにやったのです」
果物屋は若い警官を指した。
「なんだ、君が発見者なのか?」
「へえ、この子と二人なんで」
イングルトンが肩をすぼめると、警官がいった。
「それで、わたしもここへ来てボートの端をこの果物屋のおやじに持ち上げさせて中をのぞきこんだのです」
「よし。お前はホテルに行って鑑識係を呼んでこい。連中はまだ残って食堂あたりで駄法螺《だぼら》でも吹いてるだろうからな」
部長刑事の不機嫌に、若い警官はあわてて駆け出した。イングルトンはデービスといっしょにボート周辺の地面を検べて回ったが、不審な足跡はついていなかった。なにぶんにも岩床の地面なので、土は少なく、砂はなかった。
到着した鑑識係によって、伏せたままのボートの状態が撮影され、ついで例の白い粉がふり撒かれたが、指紋は浮いてこなかった。それから警察官たちによって、入念にボートが起された。土方悦子はうしろを向き顔に両手を当てた。
「やっぱり……」
梶原澄子だ、と門田は声より心のほうが先に叫んだ。顔はうつ伏せになっている。が、その洋服の柄で分った。身体つきも間違いなかった。洋服も髪も土まみれになっていた。
死体が長く横たわらずに、うずくまった状態になっている理由は分った。ボートの横桟二つが邪魔をするからである。二つの横桟の間、そこだけがボートを伏せたときの空間であり、隠れ家になっていた。ハンドバッグが身体の横にあった。
そのままで死体が検べられた。背部には外傷は見えなかった。うしろ頸にも索条溝のあとはなかった。絞殺ではない。死体が仰向けになったとき、イングルトンがひと眼見て、
「水死だな」
と呟いた。
ハンドバッグには自室の34号室のキイが入っていた。彼女はどういうわけか、キイを部屋にも置かず、むろんフロントにもあずけずに、死の外出をしたことになる。
水による窒息死というのは、あとの解剖でも証明された。死亡時刻は昨夜の十時から十二時の間。藤野由美の死亡時刻とあまり違っていなかった。肺臓や胃が呑んでいた水は、このレブン湖の水質と一致していた。
もちろん投身自殺ではなかった。溺死者が水から上ってひとりで歩き、伏せてあるボートの中にもぐりこむわけはない。札幌の病院長未亡人は、不仲な室友、藤野由美と同様な悲運に遭遇したのだった。何者かによって湖水に漬けられ、溺死状態になってからひき上げられて、この伏せたボートの下に隠匿されていた。水死の間際の苦悶が梶原澄子の死顔に顕《あら》われていた。
この犯行は一人ではなさそうだった。ボートは三人乗り用だった。伏せたこのボートをいったん起し、死体を中に入れ、再びボートを上から伏せる。一人の力でできる仕事ではない。
「犯人は複数だ」
と、イングルトン部長刑事が判断したのはその理由からだった。
門田は、梶原澄子が藤野由美を殺して逃亡したものとばかり思っていたが、その梶原澄子がボートの下に死体となって匿されていたのには仰天した。のみならず、これは二人がかりの犯罪だとイングルトン部長刑事は推定を云った。被害者が団員二人となると、門田も、かえって自暴自棄的な度胸がすわってきた。日本の新聞も、週刊誌も、広島常務も、もう怕《こわ》くはなかった。どうにでもなれ、という心境だった。
梶原澄子が水死によって殺されたのならば、藤野由美を水死させたのも、その同一犯人である。一晩のうちに、それもあまり時刻が違わないうちに、二人の女性を殺したのだ。犯人も、原因もその推定は、まったくつかなくなった。想像すら浮ばなかった。
犯人二人は外部の者か、内部の者か、見当がつかない。外部の者といえばこの土地の者だろうが、そんなことはとうてい考えられなかった。内部の者なら、団員の女性である。このほうが、外部説よりも、まだ、関連性がある。その原因も動機もよく分らないのだが、いわゆる「内輪の犯罪」の範疇に入りそうである。
そうなると、この女性団員のなかに、少なくとも二人の犯人がいることになる。二人の被害者と二人の犯人をこのローズ・ツアから出したのだ。門田は、この観光団へ魔王に乗りこまれたように考える力も失ってしまった。
「ミスター・カドタ。君の団員全員を禁足する。すぐにも各自の取調べを開始する」
部長刑事は顔を真赤にして云った。
札幌の病院長未亡人梶原澄子も水死だった。が、それが自殺でないことは明確である。死んだ人間が自力で湖から匍《は》い出し、地面に伏せられたボートの下にもぐりこむわけはないし、そのボートも一人ではとても持ち上げられるものではなかった。たとえ死体に外傷がなくともその溺死状況は他殺である。
解剖のために死体運搬車が二度目にやってきた。同じサー・ウォルター・スコットの小説の舞台となった静かなカトリン湖ならぬレブン湖は、いまや「湖上の死美人」のイメージに変り、ホテルのトロウト・ヴィラには東洋の魔女群が巣くっているように見えた。
死体解剖に立会うかどうかを部長刑事は一応門田に訊いたが、門田は藤野由美の場合同様辞退した。婦人の遺体解剖だからこれは当り前として、土方悦子にもその資格はない。なぜなら彼女は旅行社の社員でも何でもなくその責任がないからである。
観光団員全員に対するイングルトン部長刑事の事情聴取は難航をきわめた。なにぶんにも「複数の犯人」という見込みだから「複数の嫌疑者」を想定しなければならないが、これが容易に絞れなかった。イングルトンはどうやら日本婦人の弱い膂力を考慮に入れて二人、ないし三人の犯行と推定しているらしくみえた。
──訊問の前に、刑事たちは基本的な質問要点をきめた。
あとで分った藤野由美の解剖所見では、検視したときの推察通り、死亡時刻が午後十時から十二時の間という推定結果になった。梶原澄子の検視でもだいたいその死亡が同じ時間帯ということになった。その前後は、はっきりと分らなかった。
同時間帯の中で、二人の女が殺された。しかも死体の発見場所は別々で、藤野由美は湖にある小島の水際に、梶原澄子は岸辺のボートの下に、となっている。前者はホテルの自室で洗面器の中に顔を突込まれて、洗面器に湛えられたレブン湖のプランクトンの浮ぶ水で「溺死」を偽装された。後者は、室内ではなくまさしく湖水そのものに水死して、その死体はボートの下にひきずりこまれている。
時間的順序は、藤野由美の殺害が先でもよく、また梶原澄子のそれが先でもよい。なんとなれば、死亡時刻が同一時間帯だからである。ただし、この場合は「手段の順序」は考慮に入れられていない。
藤野由美を殺した犯人と、梶原澄子を殺した犯人とが、別人とは思えない。たとえ手を下した者が別人であっても、その相互間に連絡がなかったとはいえない。そのような偶然は考えられぬからである。そこに犯人多数の推測が生れてくる。
では、なぜ二人の殺害方法が違っていたのだろうか。一人は室内の洗面器で、一人は戸外の湖水においてである。犯人が同一ならばなぜそのように手のこんだことをしたのだろうか。どうしていっしょに同じ方法をとらなかったのであろうか。
こうした基本要項を頭においたらしいイングルトン部長刑事の観光団の各人に対する事情聴取が行われたが、通訳は門田がつとめ、悦子がその助手になった。
各団員とも事件のあった夜は九時までに湖畔からホテルにひきあげたと云った。
「それを証明できるのは?」
いっしょに遊び、いっしょにホテルに戻ったのは五、六組であり、その他は一人ずつ夜の湖畔を眺めてぶらぶらし、お互いに姿を見ないまま九時ごろまでに、単独で戻っている。
ホテルに戻ってからは各自が個室に閉じこもった。この場合も相互にアリバイを証明しあう者がいなかった。
二十八人について通訳つきの事情聴取だからおそろしく時間がかかった。最後の一人が済んだときは午後二時を回っていた。
イングルトンは事情聴取からは有力な手がかりがつかめず、いらいらしていた。だいたい訊問は直接に言葉の往復がないと生きてこない。ピンポンゲームのように言葉の打ち合いによって心理の機微もつかめるし、不意を衝いて不用意な答弁をひき出すことによって、思わぬ収穫を得たりするものだ。それは一問一答の緩急自在な呼吸から七縦七擒《しちじゆうしちきん》の技巧も使用できるのである。
だが、それが通訳を通してだと、まことに迂遠なもので、呼吸は間伸びするし、言語表現の微妙なニュアンスは伝わらない。これでは訊問の効果は半減する。
イングルトンは例の|手押し車《プツシユ・カート》について各人に質問した。
そういう荷物運搬車がこのホテルの裏側、物置のような通路に置いてあるのを知っている者はひとりもいなかった。そんなところを通ったこともないと云った。
部長刑事は取調べに使っている部屋に手押し車を運びこませた。いったんはホテル側に引き渡したのだが、もう一度刑事に曳いてこさせたのだった。
手押し車には指紋は残ってなかったから、団員たちの指紋を採っても照合のしようはなく、車は参考人に「見せる」だけであった。みんなこの同類はホテルの玄関で客の荷物運びに使っているのを見たことはあるが、見せられている現物には記憶はないと答えた。そこで部長刑事はそれぞれに手押し車の把手《とつて》を持たせ、室内でちょっとばかりごろごろと押させたのだが、だれにも難なく動かすことができた。
そこで今度は死体と同じ重量の物を手押し車に載せた。ホテル側に云ってサイド・テーブルだの椅子だのその他のガラクタを積んで五〇キロぶんの重量をつくった。藤野由美も梶原澄子もあまり違わない体重であった。
日本の婦人たちは不愉快な顔をし、いやいやながら手押し車のハンドルを持ち上げたが、精いっぱいの力を出すとそれがだれにでもできた。
把手を持ち上げさえすれば、手押し車は六フィートでも七フィートでも動いた。室外の実験だったら、たとえばホテルの裏門から岸辺のところまで(つまり手押し車が放置してあったところ)荷物を押してゆくことはわけなくみえた。
部長刑事は愛想よく感謝の言葉を口にしていたが、それは被実験者への礼儀で、決して心からのものではなかった。手押し車はほとんどの者が死体を積んで動かせるのである。
イングルトンはすっかり機嫌を悪くし、はては門田の通訳が正鵠《せいこう》であったかどうかを疑う始末だった。もっともその疑念の何分の一かは門田の語学力から見て当っている。
「カジワラの解剖結果は今夜のうちに分るだろう。その結果によっては、もう一度事情を聴取し直さなければならない。みんな明日の別命あるまでこのホテルから出てはいけない」
イングルトンは苛々《いらいら》して云い渡した。
10
「これから、キンロス・ホテルに行く。日本の新聞記者諸君がお待ちかねだろうからね。それに、部下の報らせによると、エジンバラの新聞記者も来ているし、ロンドンからも新聞記者が午後の飛行機でくるらしい。面倒臭いことである」
彼は顔をしかめたが、ロンドン・タイムズに自分の名が出るのは、千載一遇のことで満更ではないようだった。しかし、明快な解決が足踏みしているのは、やはり残念そうだった。タイムズ紙だけでなく、イブニング・ポストなど大衆的な夕刊紙の記者もくるだろうが、即時解決できなかったことで、部長刑事イングルトンの顔写真はたぶん出ないにちがいない。
イングルトンは、日本人記者との会見には、門田と土方悦子が同席するよう両人に要請した。旅行団の責任者ならびに介添人という立場からだった。
キンロス・ホテルは、ホテル・トロウト・ヴィラから一キロ足らずの距離だった。キンロスの町なみの端だが、レブン湖からは五、六百メートルほど離れている。その間には針葉樹林があって、その森がキンロス・ホテルの環境を美化しているのでもあるが、レブン湖はそれに遮られて見えなかった。
ロビーに待ちかまえた日本人記者団の前に、イングルトン部長刑事は渋々と坐った。A─の浅倉、B─の諏訪、C─の高村、連合通信の内藤、それに日スポ文化通信員の鈴木が、彼の前に椅子を半円にならべて陣どっていた。日本人記者たちは、鈴木を除いて、セント・アンドリュースでのゴルフ遊びの夢も吹き飛んだかっこうだが、その不平が顔にないばかりか、眼をらんらんと輝かしている職業《プロ》根性はさすがであった。さらに、その横には、エジンバラから急行してきたという背の高い新聞記者が三人ほど立っていた。
「記者会見がずいぶん遅れたようですが、事件の新しい事実でも分って、その捜査に手間どったのですか、イングルトンさん?」
浅倉が口を切った。
「新しく第二の被害者が発見された。この観光旅行団のミセス梶原だ」
イングルトンが眉間に皺をよせて云った。
「湖岸に底を乾かしてあるボートの下からですね?」
浅倉が云ったので、イングルトンは眼をかっと開いた。
「君たちは知っていたのか?」
「ここから五百メートルしかない岸辺の出来事ですよ。騒ぎが聞こえてこないはずはありません。ぼくらは、あなたがたがホテルに引きあげたあとで、現場の写真を撮りましたよ。ボートと、問題の手押し車とをね」
部長刑事は両手をひろげ、呪いの言葉を吐いた。ジーザス・クライスト。
「イングルトンさん。これまでの事情を説明してもらえますか?」
地元のエジンバラ紙の記者が要求したので、イングルトンは仕方なしに二つの事件発生とこれまでの捜査結果を発表し、捜査はなお継続中であると述べた。
「梶原澄子さんの身もとは、どういうことですか?」
浅倉は、部長刑事の話が終ると、その横に控えている門田に日本語で訊ねた。
「梶原さんは、札幌の梶原産婦人科病院の院長だった方の未亡人です。現住所も札幌市内です」
門田は答えた。
「あの、多田マリ子さんには異状はありませんか?」
諏訪が質問した。だれの考えも同じことで、コペンハーゲンのホテルで危うく扼殺されかかった多田マリ子の現在は、記者たちにも関心があった。
「多田さんは大丈夫です。元気でおられますよ」
門田は云った。
「多田さんのコペンでの災難と、こんどの二つの殺人事件との間には、何か因果関係はありませんか?」
内藤が顔をつき出して訊いた。
「ないと思います。いや、ありません」
門田は答えた。が、すぐそのあとで、果してそう確言できるだろうかと思った。
多田マリ子の災難を、彼女自身の芝居だと見ぬいて教えたのは、梶原澄子だった。その密告は門田にだけしたもので、門田もそれを土方悦子以外には誰にも洩らしていない。団員のだれも知らないことである。このイングルトン部長刑事にも明かしていない。
その「密告者」梶原澄子が殺されたのだから、コペンの出来事と、こんどの事件とにまったく関係がないとは云い切れないような気がした。
が、いやいや、そんなことはないと門田はすぐに心の中で首を振った。もし、関係があれば藤野由美の殺害をどう説明できるか。また、多田マリ子の挙動にまったく不審な点がないのをどう考えるべきか。
やはり、コペンの出来事と、このレブン湖畔殺人事件とは、何の相関関係もないのだとうなずき直した。
「君らは、日本語で話してはいかん」
イングルトンはきびしい口調でたしなめた。理解できない外国語で何を云われているか分らない不愉快さと、門田が捜査の内容を勝手にしゃべっているような越権が気にさわったようだった。
「諸君に質問があったら、英語でわたしにききなさい。捜査に支障のないかぎり、できるだけお答えする」
そこで、記者団と捜査官の一問一答がはじまった。
問(浅倉)犯人が複数だというのは、どこから推定したのか。
答 被害者二人は、同時間帯に別々の方法で殺されている。単独犯では無理だ。これまで話したようにミス・フジノはその自室内で殺されたのちに外に運び出されて湖中に投棄され、そこで水死したように偽装された。ミセス・カジワラは湖中で溺死させられたあと、陸上に乾されているボートの下にその死体を押しこめられていた。このような複雑な犯行を同一犯人が同時間帯に行うことは困難である。溺死させた死体を湖岸に引き上げ、それをひきずってボートの傍に行き、重いボートをこじ起して死体をその中に匿すというのは、一人ではできない。これだけでも二人以上の犯行である。
問(諏訪)藤野由美の殺害は単独でも可能ではないか。
答 ミス・フジノの殺害のみならば、あるいはそうかもしれない。ミセス・カジワラも違う場所でほとんど同時に殺されている。それにミス・フジノの殺害にしても単純ではない。犯人はレブン湖の水と鱒を彼女の部屋に運び、その興味を唆らせて洗面器に満たし、彼女の顔をそれに漬けて窒息させ、さらに死体を裏口から手押し車で運び出して湖中に捨て、あたかもそこを殺害現場と見せかけるという工作で、ミセス・カジワラの場合よりはるかに手間をかけている。一人の人間が同時間帯に犯行できると考え得る可能性はきわめて少ない。
問(内藤)ロンドンのホテルまで、藤野由美さんと梶原澄子さんは室友であった。同室者が二人とも殺されたのは、犯行原因の推定にならないか。
答 重要な質問である。われわれもその点を考慮に入れて捜査している。
問(内藤)被害者二人は以前からの知合いか。知合いならば、犯人と被害者二人の間には共通の関係があると思われるが。
答 ミスター・カドタによれば、被害者二人は以前からの知合いではなく、この観光団の参加ではじめて知ったということである。したがって、犯人と被害者二人との共通関係の線は、いまのところ、うすい。
問(鈴木)室友として被害者二人の仲はよかったか。
答(門田に聞いて)両人の間は友好的であった。
問(浅倉)さきほどの部長刑事の説明にもあったが、藤野由美の場合は、レブン湖の水死という過失死の偽装をしているのに、梶原澄子の場合は死体をボートの下に匿すという明瞭な他殺状態にしている。これは犯人の犯行に大きな矛盾があるようだが。
答 よい質問である。犯行に統一性がない。ミス・フジノの場合は手のこんだ過失死偽装をしているのに、ミセス・カジワラの場合は、露骨な他殺を示している。これも犯人の複数を推測せしめる。
問(諏訪)しかし、犯人が複数でも、謀議ならば、偽装の線で統一できるではないか。
答 犯人は複数だが、互いの間に犯行について意見の不一致も考えられる。かならずしも謀議によって統一されるとは思えない。
問(高村)二つの殺害犯行はその方法においてそれぞれ独立していたということか。
答 そのとおりに解してよい。
問(鈴木)しかし、二つの殺人はだいたい同時間帯に行われたということである。これは複数の犯人相互の間に打合せがあったことではないか。
答 その点は共同謀議であろう。
問(浅倉)藤野由美の16号室のドアは閉っていて、ボーイが合鍵で開け、捜査官らを部屋の中に入れたということである。その藤野由美は室内の洗面所で殺された。これはいわゆる密室殺人か。
答 そうではない。ミス・フジノが湖畔から帰ったところに、顔見知りの犯人が訪れたので、彼女は中に入れた。犯人は、さきほども説明したように、レブン湖の水と鱒とを持参に及んだのだ。それを洗面所の洗面器に入れて、彼女が観賞しているときに、うしろから押えつけて洗面器の水に顔を突込ませたのである。それは洗面台の排水パイプに鱒の鱗が引っかかっていたことで明白だ。被害者が窒息死すると、犯人は死体をかかえて部屋を出たが、その際にドアは閉り、自動的にロックされた。したがって密室犯罪ではない。
問(浅倉)犯人は死体を抱えてロビーを通って玄関を出たのか。
答 それはあり得ない。ロビーを通れば、フロントの事務員の眼にふれる。ロビーにも客がいるかもしれないという懸念が犯人側にあるから、死体を抱えて裏口に行った。その証拠に、裏の物置前にあった手押し車が湖までミス・フジノの死体運搬に利用されている。裏口の戸は錠がしてなかった。
問(鈴木)その手押し車は藤野由美の死体の運搬に使われたと断定できるか。
答 そのとおりに推定している。
問(鈴木)そうすると、藤野由美の殺害が時間的に先か、または梶原澄子の殺害が先か。
答 手押し車を死体運搬に利用した点から考えるとミセス・カジワラが先かもしれない。しかし、これは、どちらが先ともいえない。
問(鈴木)その点は、複数の犯人の間に謀議があったということか。
答 そうだ。
問(内藤)梶原澄子のハンドバッグから盗まれたものはないか。
答 被害者が死んでいるし、他に確認する者が居ないので詳細なことは分らないが、たぶん盗難はないと思う。その点は、ミス・フジノの場合も同じだ。この二つの犯罪は強窃盗によるものではない。
問(内藤)犯行動機と原因は、怨恨か。
答 その線が強いが、詳しいことはまだ分らない。
問(内藤)梶原澄子のハンドバッグには自室の34号室のキイが入れてあったというが、彼女はキイをフロントに預けもせず、また部屋の中に置きもせずに外出した。彼女がキイを持って外出したのを、どう考えるか。
答 普通の外出なら、キイをフロントに預けるだろう。また、フロントに黙って外出したいときは、キイを持って出る。彼女の場合は後者であろう。
問(鈴木)では、梶原澄子は、その外出から部屋にすぐに戻ってくる意志があったということか。
答 そう推測できる。
問(諏訪)それは犯人に誘い出されたのか。
答 その可能性はある。だが、フロントの昨夜の係員に訊くと、だれもミセス・カジワラを訪ねてこなかったし、外部から電話もかかってこなかったと云っている。この点が分らない。
問(鈴木)犯人は、男性と思われるか、あるいは女性と考えられるか。
答(慎重に)いろいろな状況からみて、男性とは思えない。女性の犯行という可能性が考えられる。しかし、決定的なことではない。
問(浅倉)女性の犯行といえば、この日本婦人観光団の中に被疑者がいるのか。
答 重大な質問だが、答弁をさし控えたい。ただ、こういうことは云える。昨夜、湖畔から帰った女性観光団員には、全員とも完全なアリバイがないことだ。それは一人一人が個室をあてがわれて、犯行時間と思われる十時から十二時の間はいずれもベッドに入っていたからである。その時間、団員で他の個室を訪問している者はいなかった。
問(鈴木)女性団員全員にアリバイがないということは、全員のだれでも被疑者になり得るということか。
答 かならずしもそうではない。団員の中に、現在のところ、怪しい行動をした者がいないからである。
問(浅倉)昨夜の十時ごろから十二時ごろまでの間に何をしていたか、団員の一人ずつに訊いて、その裏付けをとっているのか?
答 そう努力している。
問(浅倉)捜査はいつごろ終る見込みか。
答 分らない。
問(諏訪)捜査が終るまで、観光団は次の予定地に出発できないのか。
答 捜査の目鼻がつくまで、そういうことになろう。
問(鈴木)それでは今後数日あるいは十数日間、ここに留め置くのか。
答 捜査はなるべく早く終らせたい。観光団を留め置くにも限界がある。
問(浅倉)事件の解決が長引けば、観光団の処置をどうするか。
答 上司に相談して、善処する。
エジンバラ紙の記者との質問応答があったが、内容は日本人記者とのそれと大同小異だった。このようにしてエドワード・イングルトン部長刑事の記者会見は終った。この一問一答を土方悦子がノートに取っていた。
イングルトン部長刑事は分署に向うためホテルを出た。門田も土方悦子とこのホテルを去る前に、疲れを癒すためにロビーでコーヒーを喫《の》んだ。ホテル・トロウト・ヴィラに帰れば、団員たちの金属的な突き上げの声が待っていることは分りきっていた。
十五分ばかりそこに居て、玄関を出た。ホテルの門まで通路の傍には針葉樹の杜《もり》がある。土方悦子が、何かを眼にとめて、ふいに立ち停った。
さっき、記者会見の席にいた鈴木が、栗色の髪をした、細い体格の女と肩をくんで木立の中を歩いていた。
あれが、新聞記者から聞いた鈴木の恋人のロンドン娘か、あいつ、なかなかの腕だ、と門田はその女を見て、また思った。
それにしても、記者団の中で、鈴木の質問は冴えていた。イングルトン部長刑事の急所を衝いていた。三流紙の通信員とはいえ、ヨーロッパを徘徊する一匹狼、さすがに感覚は鋭いと門田は感心した。
ホテルに戻った門田は、まっすぐに自室に入り、東京の本社に至急電話を申し込んだ。
11
局面が転換した。
だが、二つの不幸な殺人事件が解決したわけではなかった。転換は観光旅行団の特殊事情を考慮する外的な動きからだった。
ロンドンの駐英日本大使館からは参事官と一等書記官とがやってきた。一行にはパリの日本大使館付参事官桐原五郎が加わっていた。桐原五郎は肩書こそ大使館員だが、実は警察庁から出向している人で、身分は警察庁参事という警察高級官僚であった。パリには知られている通り、インターポール(国際刑事警察機構)の本部がある。そこで日本は警察官僚を駐仏大使館員の身分にしてパリに駐在させている。
いつぞやオランダはアムステルダムで、日本商社員のバラバラ死体がトランク詰になって運河に浮んだことがある。このときもパリの日本大使館から某参事官がアムステルダムに出張しているが、その人も警察庁からの出向役人であった。不幸なことに、その警察庁参事の出馬にもかかわらず、アムステルダム運河殺人事件は迷宮入りとなったが。
桐原参事官と、これは外交官として本職のロンドンの大使館員二人がスコットランドの田舎町にやってきた。また、|ロンドン警視庁《スコツト・ランド・ヤード》からも応援の警部が派遣された。もちろんロンドンの新聞記者も押しかけてきた。
だが、名にし負うスコットランド・ヤードの警部もイングルトン部長刑事のやった通りの現場検証と事情聴取を行ったが、これという手がかりを見つけることはできなかった。桐原参事官も門田コンダクターについて事情を聞いたが、これも当惑するだけである。
王冠観光旅行社の本社からも、有力な容疑者がいなかったら、一行をなるべく早く出発させてくれという陳情が直接にイギリス警察当局になされた。また外務省を通じて大使館がそのように働きかけてくれるようにという要請をした。
門田の第一報の電話を聞いたときの広島常務の驚愕と衝撃の声といったらなかった。イギリスからいって、地球の裏側にあたる東京の回線は、名状しがたい広島とその本社の混乱をナマのままに伝えてきた。広島常務にとっては、まさに「悪い予感」が的中したのだった。いくら門田に注意するようにいっても、起るべくして起ったものは不可抗力に近かった。
「よろしい。ぼくは至急に社長とも相談して、すぐにそっちに飛ぶ。それまでは、君に適宜な処置を任かせる」
広島は叫ぶように云った。
「なるべく早く、おいでをお待ちします」
門田も、本社の上役の声を聞くと、思わず胸がせまって声も半泣きになった。
「しっかりするんだ、門田君。落ちついてやれ。そうだ、土方悦子君は大丈夫か?」
「大丈夫です」
「江木奈岐子さんにこれから報らせる。彼女もぼくと一緒にそちらへ行くかもしれないよ。そうだ、コペンハーゲンの出来事から、ひどく土方君のことを心配していたから、こんどそんな事件が起ったと知ると、江木さんは矢も楯も堪らずにそっちに行くだろうな」
本社が外務省に至急陳情を行ったのはそのあとであった。
まったくこれは初めてのケースであった。旅行会社による外国観光旅行団は年々盛大になってゆくが、いまだかつてこのような重大事故はなかった。
これが普通だったら、有力参考人を取調べのために残して、他は「釈放」して次の目的地に出発させるところだが、有力参考人すなわち容疑者が一人も見つけられないのだから始末におえなかった。
もはや、この鱒釣りで有名なだけのレブン湖のホテルには団員二十八人、講師一人、添乗員一人が忌わしい事件のまき添えを喰って、空しく三日間も滞在を延期していた。一同はトロウト・ヴィラの食卓に出される鱒のフライにはもう飽き飽きしていた。
梶原澄子の解剖結果が判明したが、それは検視の推定と一致していた。水死によるもので、死亡時刻も藤野由美のそれとあまり違ってないという判断であった。すなわち四月二十二日の午後十時から十二時の間である。やはり同じ時間帯に二人の女がレブン湖の水によって窒息死したのである。
ただ、二人に対する犯行の方法が違っていた。イングルトン部長刑事がスコットランド・ヤード派遣の警部や桐原参事官らに示した犯行推定を要約すると次のようになる。
@藤野由美は自室で殺害された。この場合、犯人はレブン湖の水と鱒を容器に入れて持参し、藤野由美の部屋を訪問した。それを洗面所の洗面器に移して満たし、鱒を一、二尾ぐらい泳がせていた。藤野由美がそれをのぞきこんでいるとき、犯人は彼女の首を洗面器の水の中に突っこみ、力ずくで押えて窒息死させた。この推定の証明となるのは、水にはレブン湖と同じプランクトンが含まれていたこと、洗面台の水の落し口に当るパイプに鱒の鱗と湖の藻の一片がひっかかっていたことである。死体はその後、ホテルの荷物運搬用の|手押し車《プツシユ・カート》に乗せて湖上の小島の水の中に捨てられ、いかにもその発見場所が犯行現場であるかのように見せかけられていた。
A梶原澄子はホテルの外で殺害された。まず湖岸の近いところから水の中に突き落されて窒息死させられ、犯人によって死体をひき上げられ、岸辺に伏せて乾してあるボートの下に隠された。
B二つの場合、共通しているのは犯人の指紋が検出されないことと、また現場が岩場になっているため足跡がついていないことである。
以上は、イングルトン部長刑事と日本人新聞記者との会見による一問一答で、もっと詳細が尽されたことであった。
犯人は単独ではない。このような複雑な二つの方法を同じ時間帯(それが一時間ぐらいであろうと)に実行できるはずはないからである。それは梶原澄子の場合を見ても分る。あの重いボートを一人の力で起して濡れた死体をさし入れることは不可能に近いのである。
犯人は日本人以外にはあり得ない。レブン湖のまわりには土地の不良もうろついていないことはなかった。彼らを警察で洗ってみたがおかしなことは何も出てこなかった。湖畔のいくつかのホテルにもいかがわしい外国人客が泊っていたが、それにも怪しい行動者はいなかった。@の場合をみても、見知らぬ外国人(日本人以外)が藤野由美の部屋に出入りしていれば目につかぬはずはないのである。藤野由美も親しい人間でなければ、いくら湖の鱒が珍しくてもひとりだけの部屋には引き入れない。
また、外国人が日本女性を二人も殺すような動機はなかった。死体を解剖してみても性的な暴行の痕はなかったし、奪られた金品もなかった。それに外国人だったら行きずりの犯行だから、こんな手のこんだ犯罪計画はしない。
複数の犯行という点だけに絞ると、容疑者を日本人側に求めるのにこと欠かない。一行は三十人もいる!
しかし、動機が発見されなかった。観光団体だから寄せ集めの人間ばかりであった。ほとんどが、この旅行に出る前にはお互いに会ったことも見たこともない間柄であった。知り合ったのは飛行機に乗ってからである。それも東京出発以来一週間しか経っていなかった。一週間のあいだに友情もできるし、不仲も生じるだろうが、いくら敵愾心をもっていたところで殺意にまで発展することは常識のうえから考えられない。
藤野由美も梶原澄子も同一犯人(複数)の手にかかったのだから、二人の女性は犯人にとって殺意の対象であった。それなら被害者の二女性はお互いが知合いであるか、知合いでなければ何らかの意味での関係がなければならない。だが、そういう様子は、少なくとも旅行途上では見出せなかった。
もっとも、犯人がAとBとを狙っても、AとBの間は無関係という場合はあり得る。この場合、動機の発見はたいそう困難になる。なぜなら、それはこの旅行団が結成される以前の事情にさかのぼらなければならないからである。その事情の中に犯人の動機は伏在している。が、この発見は日本国内の調査でないと無理のようである。
無理のようだ、と歯切れの悪い言い方になったが、犯人は必ずこの王冠旅行社主催のローズ・ツアの団体の中にいるとイギリス警察側も日本警察側(駐フランス大使館)も見込みをつけていた。だれだかは分らない。しかし犯人は潜んでいる。
目下のところは容疑者すら判らないが、これから先の旅をつづけている間に必ず犯人はその尻尾を出すだろう。それを待つしかなかった。つまり、このまま犯人を泳がせておくのである。そうすれば、団員一同はこの軟禁状態から解放され、予定の観光を愉しむことができて、一石二鳥なのである。
そうなると、誰が団員の観察者になるかという問題が起ってくる。この場合の観察者とは探偵の役である。
ほんとうは専門家が──本職の警官にしても私立探偵にしても──一行の中に参加すればいいのだが、それではあまりに団員たちを刺戟しすぎる。それに容疑者の見当すらついていないのに、探偵が途中から加わってみんなの個人的行動を監視するとなると、人権問題が起ってくる。
そこで桐原参事官は、門田コンダクターと土方講師とをひそかに呼んで説明した。
「……そのようなわけで、君たち二人がよく気をつけて二十八人を注意し、何か変った様子があったり、これはと思われるフシがあったら、旅行さきの大使館にこっそり通知してもらいたい。各地の大使館にはこっちから連絡しておくから」
「そういたします」
門田は、ほっとして答えた。出発できるのが何よりありがたい。いまや団員の不満はヒステリックなまでになり爆発寸前になっていた。いくら門田の滑らかな弁舌をもってしても限界に到達していた。探偵役とは大任だが、なに、それはそのときのこと、本職ではあるまいし気軽にみんなの様子を眺めておけばよい、べつに責任をもつこともない。それよりもここを無事に出発することが焦眉の急であった。
「で、この次は何処に行くのかね?」
桐原参事官は門田に訊いた。
「三日間もこの事件でロスをしたので、当初のスケジュールを縮めねばならないでしょう」
門田は二十五日間の日程表を警察庁出向の参事官に見せた。
≪東京==コペンハーゲン==ロンドン──エジンバラ──ロンドン==チューリッヒ==ベルン(ユングフラウ登山電車で)──クライネシャイデック──ジュネーブ==パリ==ローマ==アテネ==テヘラン==バンコック==香港==東京≫
「さっきスコットランド・ヤードの警察官の人にロンドンの各航空会社の支店に聞いてもらったのですが、幸いなことに、チューリッヒの直行便が一つだけ都合つきます。ロンドン、チューリッヒ、ウィーン線のスイス航空ですが」
門田は云った。
「やれやれ。これがパリ直行だと観光団の鬱《ふさ》いだ気持もいっぺんに晴れると思うんだがね」
「ぼくもそう思いますが、スイスだって悪くありません。あそこはどこを見てもチョコレートの化粧函に付いているような風光明媚な景色だし、雪のアイガー絶壁を見ただけで、気持がスカッと晴れると思いますよ」
桐原参事官はもう一度スケジュール表をのぞいて、
「では、ベルンの日本大使館に早速電話連絡をとっておくよ」
と云った。こうして行く先々に連絡されると、この観光団はまるで旅行中厳重な監視付のようなものだった。これは団員の客には絶対に内緒であった。
二遺体の引取りについては、東京の王冠観光旅行社から門田のもとに電報が来て、広島常務が遺族に従ってイギリスに明日にでも飛来するということだった。その際、江木奈岐子も一緒にくるという。観光旅行社としても責任の重大さを自覚したからである。
同様な電話はロンドンの大使館にも入っていた。本来なら遺族の到着まで遺体を旅行社員が護っていなければならないのだが、なにしろ添乗員は門田一人だし、アシスタントもいなかった。土方悦子は講師であって社員ではない。
江木奈岐子の飛来は、その身代りとした土方悦子を気遣うあまりであろう。すでにコペンの騒動でも、江木奈岐子の心配が広島によって伝えられもし、土方悦子は江木から直接に電話を受けている。江木奈岐子は、スコットランドで二人も団員が殺されたと聞いて、じっと東京に落ちついてはいられなくなったらしい。
門田は、不平不満の団員二十八名を引具して一刻も早く次の観光地に出発しなければならなかった。
そこで、結局、大使館員が二遺体を護るためにこのキンロスという保養地だが、スコットランドの田舎町のホテル・トロウト・ヴィラに居残ることになった。これも「邦人保護」という在外公館の役目の一つといえた。
出発と聞くと二十八人の団員に生色が蘇った。
金を返してくれとか日本に帰るとか嘆いていた連中もおとなしくなり、一刻も早く次なるスイスに飛び立ちたいふうであった。
それだけではない。女性一行の間には、こんどの事件がまたとない経験のように思われ出した。殺人事件のある観光団などというものが、そう滅多にあるものではない。その団体に参加していたというだけで自分自身にとって将来の語り草にもなるのである。だれもが今後この観光団の旅をつづけてもわが身に同じ災難がふりかかってくるとは思わなかった。自分だけは安全であり、災厄の局外者であり、傍観者だと信じて疑わなかった。してみれば、平凡な団体旅行をしているよりも、このほうがはるかにミステリアスであり、刺戟的であった。未解決の殺人事件ほど神秘的で戦慄的で、また或る意味で耽美的なものがあろうか。なかには『悪の華』を書いたボードレエルの「一行の詩」(芥川龍之介の遺作)を感覚的に連想した文学女性も、少数だがあったにちがいない。
とにかく、彼女らはこれに参加していることに俄かに価値感をおぼえ、意義を重要に考えるようになった。生涯に一度あるかないかの経験をのがすてはなかった。返金の要求者も脱落の希望者も、次第に声を絶ってしまった。
そこへくると、新聞記者たちは職能的であった。彼らはこの二つの殺人事件が未解決なので、スコットランドに釘づけされていなければならなかった。事件の徹底的捜査は、派遣されたロンドン警視庁の手によって行われる。それには桐原警察庁参事官(駐仏大使館付参事官)も協力するのだ。捜査の進展によって、どのような事実が出てくるかわからない。また、いつ犯人の名が割り出されるか知れない。その場合、レブン湖畔の捜査本部に詰めていないと、他紙に出し抜かれる。各本社からも、そこにとどまって取材活動をするよう厳命が来ているらしかった。この未解決の状態にある二つの殺人事件の報道は、日本の読者にたいそう受けていることは間違いなかった。この旅行団に随《つ》いてスイスに行くことも一つの取材ではあったが、ウエイトはやはりスコットランドの現地だった。
女性観光団がエジンバラに向うため、ホテル・トロウト・ヴィラの前からバスに乗りこむとき、四人の新聞社ロンドン支局員と一人のヨーロッパ通信員とは別れの挨拶を兼ねて、彼女らに最後の取材にやってきた。
たいへんな迷惑でしたね、ご感想はどうですか、と彼らは団員の一人ずつに訊いてまわった。バスの出発時間が迫っているので、返辞は短い言葉に制限されたが、旅行仲間から二人の犠牲者が出たことを悲しむ言葉と、またとない経験でしたという感想とが大部分であった。もちろん本音は後者だった。
このように新聞記者から質問をうけるのも、一行の中に殺人事件が起ったせいである。平凡な旅行だったら記者たちから洟《はな》もひっかけられない。生れてはじめて記者らの質問をうけた者(ウインザー城で質問された者は二度目ということになるが、それもこの外国の旅でである)は、それだけでも感動し、さらに羽田空港に帰りついた際にはこれに何倍する記者団に囲まれるかと思うと、いまから昂奮が起ってくるのだった。
門田にはもちろん記者たちの質問が集中した。また傍にいる土方悦子もその捲き添えを食った。が、門田は、当局で捜査中なので、その筋のご命令もあり、なにごとも申しあげられない、ただ、自分が添乗員となった旅行団から二人の犠牲者を出したことは痛恨のきわみであり、責任の重大さを自覚していると神妙に語って首を垂れた。土方悦子は、門田よりもずっと言葉少なだった。
記者たちは、記念撮影だといって二十八人の女性団員と、門田と土方悦子をならばせて持参の高級カメラをむけた。むろん「日本スポーツ文化新聞」兼週刊誌数誌の通信員も大衆カメラでシャッターを切った。
表むきは、記念写真だが、このならんだ顔の中に、藤野由美と梶原澄子殺しの加害者が居るかもしれないのである。捜査陣の推測からしても、その可能性が大きかった。記者たちは、それに備えてこの「記念写真」を撮り、また、その前から一人一人のスナップ写真を撮りまくっていたのだった。加害者が分ったとき、それらの写真は紙面で「なにくわぬ顔で微笑する犯人何々(人名)」とか「大胆不敵にもカメラの前にポーズをとる何々」といった式のキャプションがつくにちがいなかった。
しかし、そんな下心を記者たち五人は顔に塵ほども見せず、友情を表情に浮べ、惜別の言葉をいった。
「せっかくお知合いになったのに、お別れとは残念ですな。しかし、ぼくらもできたら、あなたがたのあとを追って行くかもしれませんよ。なにしろ、こんな華やかな観光団に加わることができれば、またとない愉しいチャンスですからね」
彼らは笑いながら冗談めかして云うのだが、これは半分は真剣な予告であった。スコットランドで殺人犯人の名を知り、スイスあるいはその先の旅行地で逮捕の取材をする可能性に備えてである。
バスの窓の下に、五人のプレス・マンたちはならび、笑いながら手を挙げたり、カメラをさしむけたりしていた。窓からは女性たちが無邪気に手を振った。
通信員の鈴木が、最後にバスに乗りこむ門田のところに走り寄ってきて彼の手を握った。
「門田さん。こんどはご迷惑をかけましたが、また、いろいろとありがとうございました。おかげで、日スポ文化からも週刊誌からもたくさんの原稿注文をもらいました」
髭面がうれしそうに歪んでいた。
「それは、けっこうですな。しかし、あんまりヨタは書かないでくださいよ」
門田は釘をさした。コペンハーゲンのロイヤル・ホテルの一件を利《き》かせたのだが、鈴木はむろんそれを感得して頭を掻いた。
「こんどは、絶対に、そんなことはしません。それに日スポ文化のデスクにも週刊誌の編集長にも、興味本位に、また煽情的にならないように、よく云っておきます」
鈴木がそう約束しても、彼のレポをリライトするのはそれらの新聞や週刊誌の編集部であった。
そこでは読者に大受けするような記事に書き直される。女性だけの観光団殺人事件だから、こんな華麗で、異国的で、セクシーな材料はなかった。それはどのようにでも輪がかけられる。
それにしても、髭の通信員は、この事件の送稿で当分は懐が潤うわけである。彼のうれしそうな顔は、ここしばらく生活に心配がないという安心を率直にあらわしていた。定収入のない、放浪同様の通信員のあわれさを門田は彼の顔に見た。コペンの居酒屋で初めて遇ったときは、放胆な無頼通信員だと思っていたのだが、やはり生活からくる本性は人間的であった。彼がほうぼうに女をつくっているのも、その寂しい、やるせない生活をまぎらわすためであろう。そういえば、土方悦子の眼にとまり、門田も一瞥したロンドン娘は、ここには姿が見えなかった。
一行はその晩エジンバラ駅を出発して夜行でロンドンにむかった。長い軟禁のあとの解放感で、さすがに疲労し、寝台車ではよく熟睡した。
ヒースロー空港で、土方悦子は日本に電報を二つ打った。
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スイスの「高原」
スイス航空機は午前十時の離陸であった。
イギリスの陸地が、その南端の丘を最後にして遠|退《の》いて行った。
「悪魔の地よ。素晴しき国よ。さようなら」
心の中で呟いて窓から見下した女性団員も多かったにちがいない。
蒼い海峡の上を飛んでいるとき、土方悦子は下を航行する小さな白い汽船を眺めていたが、「あ」と、小さな声を出した。
「どうしました?」
かなり神経過敏になっている門田は、何事が起ったかと思った。
「ボートの謎が解けました。梶原澄子さんの水死体がかくされていたあのボートの謎です」
悦子は下を眺めながら云った。
「あれは複数の犯人がしたことではありませんわ。謎解きの手がかりはヒースロー空港での光景がヒントでしたわ」
折から、このボーイング727スイス航空機はドーバー海峡を渡っていた。フランスのカレーの西側を通過し、アミアン、ランス、ナンシーと同国の西北部を直線コースで南下し、フランス・西ドイツ・スイス三国国境のバーゼル空港の上に進入するのに離陸後約二時間かかり、それより方向を東南に変えてチューリッヒ空港への着陸態勢に入る。
海峡を渡り切るころから雲が地上を蔽って、フランスの景色を見ようと窓に顔を寄せるローズ・ツアの女性団員たちを失望させた。それでもこれがフランスの上空かと思えば灰色の雲までが薔薇色に輝き、香水の匂いをも含んでいるみたいに彼女らには見えるらしかった。それで、雲の切れ間に青い地上が見えたり、白と赤と砂子をかためて撒いたような小都市が望まれると、若い団員などはたいへんな昂奮ぶりだった。
スコットランドの忌わしい田舎町の軟禁から解放されて自由を得た歓びが彼女らの有頂天を手伝っていたのはもちろんであった。彼女らのなかで窓の雲にむかって手を振るような大げさな身ぶりがあっても咎《とが》むべきでなかろう。それは長いこと手足を縛られた人間が縄を解かれたのちに行う本能的な自由運動と違わなかったからである。
雲の上は晴れ上り、ひどく身近な太陽は燦々《さんさん》と光をふり撒いていた。気流の関係で機に多少の横ぶれはあったが、そうした動揺も一行には快いハンモックに感じられた。
その座席の片隅で、門田は土方悦子の言葉を咎めていた。
「なんと云ったんです? ヒースロー空港での光景が、どうしてボートの謎を解くヒントになったんですか? あの二人の殺人事件の犯行がどうして複数の犯人によるものでないと云えるのですか?」
門田は、幼稚なことを云い出した相手を眺める眼つきで、口辺に多少軽蔑した笑いを浮べていた。
「力学的な解決ですよ、門田さん」
それは門田にとって生意気な口のきき方に聞えた。
「わたしたちは同じ時間帯の中に二人の女性が水死したことを、単独犯ではとてもむつかしいと判断していました。この時間帯はおそらく一時間とは違わなかったでしょうが。藤野由美さんは湖の水辺で溺死体で発見されましたが、梶原澄子さんの場合は、その水死体が重いボートの下に隠されていて、犯人にとっては、余分な労力が加わっていました」
「その通りです」
「わたしがヒースロー空港で見たのは、ポーターたちの荷物運搬ぶりです。バスが建物の前に横付けになる。各自の荷物はバスから降ろされて建物の中のスイス航空搭乗受付のデスクの前までポーターが二輪の手押し車に乗せて運びましたね。あのプッシュ・カートというのは把手で起さない限り、荷物台の先端のほうが地面に付いています。これがヒントでしたわ」
「なんだ、そんなことかね」
門田は憫笑《びんしよう》を洩らして云った。
「君は|鱒  荘《トロウト・ヴイラ》の裏に放っておかれた古手押し車のことを云っているのでしょう? あれは藤野由美さんを室内の洗面器で窒息させた犯人がレブン湖畔まで運搬用に使ったというのはもう分り切った話じゃないですか。イングルトン部長刑事もその線で捜査を進めていた」
「そうでしたね。でも、犯人は藤野由美さんの死体をホテルから湖畔に運搬したあと、なぜ、手押し車を元の場所に戻して置かなかったのでしょうか? そうすれば、手押し車が死体の運搬に使用されたことも分らなかったでしょうに。そうして、室内の洗面器での水死のトリックも、手押し車の使用が見つからなかったら、死体運搬はどのようにして行われたかという難問題に捜査陣を逢着させたはずですわ。なのに、なぜ、手押し車を湖岸に放ったらかしておいたのでしょうか?」
「君の云う通りだけどね。犯人の心理として死体運搬の目的を果せば、あとは安心するものでしょうな。そういう気のゆるみが手押し車を裏の物置小屋の廊下に戻さなかったのだろうね」
「たしかに犯人の気持には目的を果したあとの安堵感はありますわ」
「もう一つはね、手押し車を元の場所に格納するだけの余裕が犯人になかったことです。それはそうでしょう? だって、手押し車を元の場所に戻すには時間もかかるから、その間に、万一、他人にその行動を目撃されたら、それこそ九仞《きゆうじん》の功を一簣《いつき》に欠くじゃないですか?」
「それもあります」
土方悦子は顔を伏せた。門田はこざかしい女の幼稚な発想を砕いたと思った。
「でも」と土方悦子はその顔をゆっくりと挙げた。「藤野さんの部屋の洗面器にレブン湖の水を張ってそれに藤野さんの顔を押しつけたほどの犯人が、どうして手押し車だけを完全に始末しなかったのかという不思議さは残るんです。門田さんのおっしゃることはよく分るんですが」
「君の考えには矛盾があるようだね。正反対の両方とも考えられるという……」
「そうなんです。手押し車を岸に放置したことと、洗面器の落し水の穴に鱒の鱗と湖の藻草の一片とがひっかかっていたこととは、犯人のわざとらしい手落ちのような気がしてならないんです」
「わざとらしい手落ちだって?」
「少なくとも、魚の鱗と藻の屑とはそんな気がするのです。わざと落し水のパイプにひっかかるようにしておいたという……」
「そんな莫迦なことはなかろう。あれはデービス刑事がパイプの中に指を突込んで探り当てて発見したものです。ぼくもそれを見ていた。犯人が水を落すとき、その水にまじっていた鱗と藻とがパイプの中に偶然にひっかかっていたのです」
「犯行を組み立てると、こうでしたわね。まず犯人はレブン湖の鱒を獲って水といっしょにかなり大きなビニールの袋に入れてホテルの裏口から戻り、藤野さんの部屋を訪問した。藤野さんに泳いでいる鱒を見せるつもりで洗面器に水といっしょに移した。藤野さんは興味をもって洗面台をのぞきこむ。それを犯人はうしろから頭を押えて洗面器の水の中に顔を押しこむ。そして藤野さんが窒息死したあと、手押し車で小島に運び、湖の中に捨てる。こうすると、藤野さんの肺や胃からはレブン湖のプランクトンを含んだ水が出るので、あたかも湖で水死したように見える。……そうでしたわね?」
「その通りです。だいたいね」
「では、藤野さんの口の中や鼻孔から、どうして鱒の鱗や藻の端が出てこなかったのでしょうか。洗面器の落し水のパイプにひっかかっていたくらいだから、同じ水にはまだまたほかに鱗とか藻の屑が浮いていたと思いますわ。藤野さんが窒息死前にそれを苦しまぎれに水といっしょに飲んでもよいわけですが……」
門田はちょっと黙ったあとで云った。
「鱗も藻の屑も少なかった。それに藤野さんはなるべく水を吸いこんだりしないように必死に抵抗したろうから、微細なプランクトンのほかは鼻や口に入らなかったのでしょうね」
「鱗はたくさんあったと思いますわ。だって、洗面器の中には生きた鱒が入っていたはずですもの。鱒は人間の顔が水に突込まれたもんだから、暴れて跳《は》ねまわったに違いありません。魚の鱗は洗面器のタイルや藤野さんの顔に当って水中に散乱したと思います」
門田は黙った。実は、洗面器の中に鱒が泳いでいたことを忘れていたのだった。
「鱒が暴れたりすると、そのヒレで藤野さんの顔に傷がつくはずですわ。ところが死顔は擦り傷一つなく、きれいなものでした」
「鱒がそれまで洗面器の中で元気でいたという証拠はどこにもありません」と門田は答えた。「水の中から獲って、ビニールの袋に詰めてホテルに持ち帰ったのだから、すでにかなり弱っていたことも考えなければいけない。もしかすると、洗面器の中に移したときは死にかかっていたかもしれませんね。それなら飛んだり跳ねたりできないから、藤野さんの顔にヒレで傷をつけることもないし、鱗も散乱しはしない」
「では、その死んだ鱒はどこに処分されたのでしょう?」
「もちろん藤野さんの死体といっしょにレブン湖に投げられたろうね。だから死んだ鱒が一尾、湖上に浮んでいたはずだが、あんなに広い湖だもの、死んだ魚の一尾ぐらいは分りませんよ」
「犯人が女性だとすると」
と、土方悦子は小さな声になって慎重に云った。が、ジェット機のエンジンの音と、女性団員たちの注意が窓辺に向っていたので、このヒソヒソ話に眼をむける者はなかった。二人の座席は最後尾だったので、隣には可愛いスイス航空のスチュワーデスが休憩に腰かけているだけだった。
「……加害者である女性の力で、洗面器の中に顔を押しつけたまま、被害者の抵抗を封じきれたでしょうか?」
「君は知らないが、その点はイングルトン部長刑事もぼくに云ってましたよ」
と門田はちょっと肩をあげて答えた。
「洗面台は外国人むきに高くなっている。日本人には高い。藤野由美さんは一五二センチで日本の女性としても平均よりやや低いほうだった。で、うしろからふいに顔を洗面器の中に入れられたら、脚の先が床から浮き上る。この床がタイル張りですね。すべすべして足先のひっかかるところがないからよけいに足が宙を泳ぐ。すると上体に重心がかかり洗面器の中に顔がよけいに落ちこむ。……さらに、藤野さんにとって不幸なことは、洗面台のふちもタイルの釉《うわぐすり》が充分にきいた滑らかなもので、これに手をかけてもつるつる滑って手でつかまるところがない。西洋の洗面台のふちは板のように広くて、つかみ場所がない。ガラス板の上に手をかけるようなものです。うしろから押えつけられたら、いま云ったように前に傾いた自分の重心と手のつかみ場所がないのとで、無駄にもがくだけだったでしょう。すなわち女の力でもあの犯行はやり遂げられたのさ。イングルトン部長刑事はそういう意見だったが、ぼくもそれには同意できたね」
門田は少々興に乗ってこういう例を出した。
「君は『浴槽の花嫁』という新妻殺しの事件を聞いたことがあるでしょう? 日本でも戦前に読み物で紹介されたから有名だ。イギリスで起った保険金欲しさの犯罪だが、花嫁を浴槽に入れた新夫が彼女の裸の両肩をうしろからふざける恰好で押える。そしていきなり力を入れて湯の中に押しこむ。タイルの浴槽はすべすべしていて重心を失った身体が浅い底にすべりこむ。手でふちをつかもうにも、これもまた手の先が滑るばかりさ。二十世紀の初めにジョージ・スミスなる男がロンドンのビスマーク街(現在のウォータルロー街)のアパートで行った水死に偽装した殺人犯罪だと、さすがに同国人だけにイングルトン部長刑事はぼくに詳しく教えてくれたよ。この犯罪例でも分るように、すべすべした浴槽とか洗面台とかは手のつかみようがなくて、気味の悪い場所さ」
「ほんとにあの底が浅くて縦の長い、すべすべした西洋風呂は怕いですわ」
土方悦子は経験から同感した。が、それにつづいて云った。
「その犯罪実話例で思い出しましたが、外国の推理小説に、海の中に浮んだ溺死体を解剖すると、肺や胃の海水にはその海域に特有なプランクトンがなかった、それでよそで溺死させて現場の海に死体を持ってきて捨てたということが分ったというのがありましたわ」
「………」
「その逆をいったのが、プランクトンを含んでいる沼の水を家の中に運んできて容器に入れ、そこに被害者を突込んで窒息死させ、死体を前の沼に捨てておく。そのため解剖結果からしても死体の浮いていた沼が溺死現場だと判定されるという推理小説もありましたわ」
「藤野由美さん殺しがまさにそれですよ。だから、デービス刑事が洗面台の落し水のパイプから鱒の鱗と藻の屑を見つけたとき、イングルトン刑事は、たちまち本当は屋内の犯行、湖畔の犯行偽装というトリックを見破ったのさ」
「そのまた裏だってありますわ。あまり知られ過ぎた犯罪手口だと、盲点を突いて、その逆を行くかもしれません」
「なんだって?」
「考えてみると、洗面台のパイプの中に鱗や藻の端がひっかかっていたのも、わざとらしい気がするんです。もし、藤野さんの肺や胃の中に同じ鱗や藻の屑が入っていたら、わたくしもこんな疑いは持たなかったのですが」
「それは、さっきも説明したように……」
「鱗も藻も少なかったというんですか。それじゃ犯人は藤野さんを洗面台の前に誘うための鱒をレブン湖からどうして獲ってきたのでしょうか。釣ったのですか?」
「………」
「わたくしは団員のみんなに訊いたんです。あの晩、釣り道具を借りて釣りをした人は一人も居ないし、そういう人を見た者もいないんです。ほとんどが散歩でした。あのレブン湖を『湖上の麗人』のカトリン湖になぞらえて、ロマンチックな詩情に浸っていたといいます」
「………」
「釣りでなかったとしたら、犯人は鱒を釣堀から買ってきたのでしょうか? でも、あれは午後十時以後の犯行でした。釣堀はおろかすべての商店は閉っています」
「………」
「そうすると、犯人はレブン湖から鱒を手でつかみ取りしてきたのでしょうか?」
門田は返事ができなかった。
「わたくしの疑問はこんなところからも起りました。結論を云うと、洗面台には鱒なんか入っていなかったんです。犯人はレブン湖の水をビニール袋に入れて持ち帰るだけでよかったんですが、その中に鱗が一、二枚と藻の細片とが偶然に入っていたんです。洗面器の水を落すときに、それがパイプにひっかかり、デービス刑事に見つけられ、鱗と藻のことからイングルトンさんの推理になりました。けど、犯人が湖の水と鱒の鱗と藻とを洗面器に入れたのは、湖で藤野由美さんを溺死させたあとだったんです」
坐っていたスチュワーデスが窓の外を青い瞳でのぞきこんだかと思うと立ち上って、純白の手套にマイクを握り、自国語のあとにつけてアナウンスした。
「……We are flying over the city of Basel, and will be arriving at Zurich international airport in twenty minutes」
チューリッヒのクローテン空港はほとんどスイスを感じさせない。それほど山岳は見えないし、空港を出ても平板な景色である。構内にレンタカーの会社が窓口をならべているのは、スイスに限らず、ヨーロッパの旅が車の気儘に任す愉しさにあるからだ。「ローズ・ツア」のようにお仕着せのコースでは規制の悲哀を感じる。広場にひしめいてならんでいるレンタカーの大群を見やりながら、観光団員たちはちょっぴりその寂しさをうけとった。ロンドンからの連絡でさしまわされたバスは観光用の大型で、山の頂上が見えるように屋根近くまでガラス張りになっていた。
しかし、チューリッヒからベルンまでのほぼ百二十キロほどは雪の山頂は一つも見えず、低い連山を遠景に庭園のような森と原野と牧場の風景だった。白いハイウェイの左手には渓谷があるらしいが渓流は窓からは見えず、ゆるやかな起伏をくりかえす田園の丘が映るだけだった。農家は小さく、煉瓦色の屋根と白壁を持ち、柵で囲った牧草地には乳牛が必ず群れていた。チョコレートの化粧函に貼った風景意匠がそのまま生きていた。
観光団の女性たちは「スイス」が展開するにつれて満足していた。スコットランドの憂悶も不平も、きれいに忘れているようにみえた。彼女らは発剌さをとり返し、新鮮な感動を表現するのに身もだえしていた。
「犯人がレブン湖の鱒の鱗と藻とを洗面器に入れたのは、湖で藤野由美さんを溺死させたあとだったんです」
惜しいことに飛行機が着陸態勢に入ったあわただしさに──あわただしさにかこつけたかもしれないが、土方悦子はあとを云わなかった。ヒースロー空港で見た手押し車のヒントのつづきも口の中にのみこんでしまった。いま、最後尾の席に悦子とならんだ門田は、その先を聞こうと小さな声で促したのだが、悦子は窓をむいて、折から走ってきた「バーゼルに七〇キロ」の道標に眼をむけ、唇に人さし指を当てた。滅多なことをここで云えますかと、素知らぬ表情だった。
三人がけのシートで門田の隣の通路側が竹田郁子であった。まさかこの高校教師が関連者《ヽヽヽ》というわけでもあるまい。第一、彼女はせまい通路を隔てた向う隣の服飾店経営の曾我千春と上体を傾け合って話している。こっちの話を聞く余裕はないはずだ。前の席には星野加根子、多田マリ子、金森幸江の背中がならんでいる。未亡人、バーのマダム、魚屋のおかみさんと多様な顔ぶれの同席だがこれは偶然である。うしろの話声はわりと耳に届きがちだが、彼女らもロマンチックな風景の展開に夢中だった。
土方悦子が話に用心するのも当り前で、藤野由美と梶原澄子を殺した犯人がこのバスの中に何喰わぬ顔で乗っている可能性はほとんど百パーセントに近い。門田もそこを察して質問を打ち切ったのだが、土方悦子の尤もな顔つきを見ていると、無理に訊かなくてもいいという気になった。
チョコレート函の風景も二時間近くも走っていると飽きがきたのと疲労とでバスの揺れに誘われ、頸を前に垂れる者が出てきた。折から空は日ざかりの光線が弱まりつつあった。
ベルンのホテルは台地上にあった。下は抉《えぐ》りとったような渓流で、深い川が蛇行している。渓流はアーレ川という。主な市街地は低地にひろがっている。窓からみると、高い橋に旧い電車が走る。橋の下の川沿いも、台地上も並木道だった。ホテルじたいも、古典的な装いでクリーム色と白の構成だった。ロココ風な装飾過剰は煩わしさよりも婦人たちをよろこばせた。部屋の割りふりに苦情が一つも出なかったのは、ひとえにこの宿のクラシックな豪華さが団員たちに気に入ったからで、部屋での振舞いも廊下の歩みもしぜんと気どりたくなるのである。
不幸が|幸いして《ヽヽヽヽ》、藤野由美と梶原澄子の同室二人が永遠に抜けたため、十四組の室友の組合せできちんとおさまった。梶原澄子に新しい室友として望まれていた多田マリ子は、もとどおり星野加根子との組合せであった。
「今までの組合せで、うまくゆくかしら?」
土方悦子が心配した。
「そんなことを気にしてたらキリがありません。いま、一つでも動かしたら、一波が万波をよんで収拾がつかなくなる。今までどおりでおさまったので、ぼくはほっとしてるんです」
「それは、そうだけど」
門田はふいと思いついて、小さな声で悦子の耳もとに云った。
「それとも……今度事故が起るのは星野加根子さんの番かな?」
悦子が銃声でも聞いたようになったので、門田はあわてて、
「いや、もちろん冗談だ、冗談だ」
と云った。逃げのついでに、三時のお茶にみんなを食堂に集めるのを手伝ってください、市内見物の手はずを説明するから、と命じた。門田には、星野加根子が何やらこの団体のことで秘密を知っているらしいことが頭にあった。
「これから一時間半ばかりベルンの街を見物いたします。この街は中世の面影がよく残っておりまして、いたるところに旧い伝統的な建物が見られます。お疲れの方はホテルに居残って休養してください。明日は登山電車でユングフラウ・ヨッホまで登ります」
食堂の茶席に静かなどよめきが揺れ渡った。ホテルに居残る者は一人もいなかった。
駅前広場から東の熊公園までのおよそ一キロのオールドタウン、中世の街路を日本女性団はぞろぞろと歩いた。数多い中世の噴水塔と中世の時計台。時報の鐘が鳴り響くにつれて伝統的衣裳の人形群が操り芝居のように動き出すのを彼女らは塔の下から口を半開きにして見上げていた。
この善良な女たちの中に、どうして殺人鬼がまじっていると信じられよう、と門田は脇に立って眺めていた。彼はひそかに団員たちの動静や表情を窺っていたのだが、そこには外国の初旅に出た女の好奇心に満ちた素直なよろこびしか発見できなかった。だれ一人として何の秘密も何の詐術も持ってないようにみえた。
どうも分らない、女というのはふしぎなものだ、女は魔性というが、ほんとうだわいと門田は、英語のガイドブックを片手にグループに説明している土方悦子の澄んだ日本語と、傍を通りすぎる抑揚の強い、巻き舌のドイツ語の境目に佇んで思うのだった。
時計台は「牢獄塔」ともいう。十六世紀の噴水の一つが「食人鬼の噴水」である。ふだんはそうは感じないが、この際のことで門田は不吉に思わないわけにはゆかなかった。
「牢獄塔」をすぎてマルクト通りに入ると建物は荘重にくすんでいる。それを沈鬱にしているのは中世風なアーケードと家々の下、通路沿いにつくられた酒ぐらだった。灰色の蓋の下には五十年、百年の葡萄酒も貯蔵されているだろうが、道路にせり出しているような古めかしい蓋を見ただけで、その下の暗室からクモの巣が身体にからんできそうであった。
「中世と聞いただけで血なまぐさい暗さをおぼえますが、こういう建物を見るとその実感が肌にきますわ、チーフ」
土方悦子が門田に話しかけた。
「……ホームズはヨークシャーあたりの田舎の平和な風景を見ても、こういう田舎だからこそ隠された殺人事件があると呟くのですが、わたくしはこういう中世の街だからこそ陽の目を見ない殺人事件が埋もれたままになっているような気がしてなりませんわ。たとえば、この道路傍からも入口が見える葡萄酒貯蔵の地下室に白骨死体がかくされているというような……」
この小柄な女は、スコットの『湖上の麗人』の浪曼主義に感傷を引き立てられる一方、古典的探偵小説の興ざめな論理性にも興味を持っているようで、門田にはちょっと捉えようがなかった。土方悦子は、この女性ばかりの観光団の中に置いても整った容貌のほうなのだが、性的な魅力を感じないふしぎな存在だった。添乗員が助手の女と旅行先で醜聞を起すのは珍しい例ではないが、土方悦子に限って自分との間にそんな問題の起りようはないと門田は妙な自信を持った。それというのが、これまで何かにつけてこのこましゃくれた小さな女から鼻づらをひきまわされてきたような気がしたからでもあった。
手押し車とボート下の死体と、レブン湖の殺人が洗面器の鱗や藻の投入よりも先だったという説明を悦子から聞く機会は容易にこなかった。街の見物から帰ると、団員たちはひと風呂浴びるし、上れば食堂での夕食会であった。その食堂の内部もまた装飾過剰もいいとこだったが、門田はそんな観賞よりも、みんなが揃うたびに頭数《あたまかず》を読まねばならなかった。
食事が済みデザートになったとき、肥った金森幸江が手を挙げて門田と一同に発言の許しを求めるしぐさをした。
「わたしたちはスコットランドの宿でとても面白くない日々を送りました。その憂さ晴らしをしたいのですが、女の憂さ晴らしといっても何もできませんわ。東京で知った人に聞いてきたんですが、このベルンにはカジノという賭博場《ばくちば》があるそうです。安い賭け金だそうですから、今晩はそのカジノとかいうところに連れて行ってもらいたいと思います。希望者は居られませんか?」
魚屋のおかみさんの勢いのいい提案は一同の共感と賛成を得た。どちらかというと団員の中で知性が低いということで軽蔑的な眼で見られがちだった彼女も、このときは喝采を博した。拍手まではしなかったが。
門田は渋い顔をした。キンロス町のホテルでもレブン湖の夕の散策に団員を出したばかりに重大な事故を起した。夜の集団外出にはろくなことは起らない。けれども添乗員としては、断わり切れなかった。一同の意志がそこにあったし、その気持にも同情できた。
カジノはホテルから五百メートルばかり歩いた丘の上にあった。モナコやエヴィアンのような本格的な豪華さを想像すると当てはずれで、何台かのルーレットの前にはタキシードの係が坐ってはいたが、庶民的な娯楽場であった。一回の賭けに五スイスフランが制限だが、現金を張るのがバクチの魅力だった。
日本の女たちははじめのうち躊《ためら》って他人の勝負を見ながらルールをおぼえたり、損得の様子をうかがっていたが、そのうちに何人かが手を出すと、ほとんど全員がカラカラと鳴る白い球の運命的な行方にとりつかれた。何しろルーレットは生れてはじめてだし、まるで外国映画のヒロインになったような気分に浸りはじめた。そして、五フランが一挙に三十五倍《アン・プレーヌ》の百七十五フランの賞金に偶然になったりすると、次第に熱中した。テーブルの文字盤に置いた銀貨がそのつど情容赦もなく奪《と》られると、恨めしそうな眼になるが、すぐに奮起して次々と賭《は》るし、五倍になってもよろこんだ。碁盤目のまん中に金を置く八倍《カレー》組がいちばん多かった。慎重組は二倍という安全率を狙った。
「こうしてみると、賭け方によって性格が分りますわ」
土方悦子が隅に立ってゲームを見物しながら云った。
「それもそうだが、持ち金にもよるだろうな。小遣いをふんだんに持ってきた者はどうしても賭け方が大胆になるよ。ほら、魚屋の金森幸江はアン・プレーヌばかりねらっているよ。魚屋さんは儲かるらしい」
門田が眺めながら答えた。
「でも、バアのマダムの多田マリ子さんは、さっきから見ていると五倍のとこか二倍のとこですわ。ときどき十一倍のとこに、銀貨を置く程度です。あの方、案外慎重なんですね」
土方悦子は眼で追いながら云った。
門田はここで悦子から飛行機の中で聞き損なった彼女の殺人事件推理のつづきを云わせることができたら、と思った。たいして期待はしてないが、やはり気にかかった。
今はみんながルーレットに熱中しているから、誰もこっちの話を聞く者はない、という門田の言葉に悦子がうなずいて、つづきを云い出した。
「ヒースロー空港でポーターが客の手荷物を器用に積む|手押し車《プツシユ・カート》の操作を見て思い当ったんです。あの車は運搬しないときは荷台の先が下がって地面についていますね。荷物を積むと、ポーターが把手をさげる、荷台の先が上る。荷物を積まないで人が手押し車を同じ操作をしたら、荷台の先が梃子の代りになりますわ」
「梃子?」
「陸に乾かしたボートは伏せてありました。ボートのふちは起しやすいように小石をはさんだりして二センチばかりの隙間がつくってありましたね? そのわずかな隙間に手押し車の荷台の先端をさしこむのです。そうして把手を下げると、荷台の先が上ってボートの隙間をこじあける。そこに荷台の先をもっと突込む。こうして荷台の先をボートの下に充分に噛ませて把手を下げると、梃子の法則で伏せたボートは片側が持ち上ってきます。死体を入れるだけの大きな隙間になったら、そのへんのかなり大きな石を二つぐらい運んできて、隙間に噛ませる。そうすると手押し車をはずしても持ち上ったボートは落ちません。そのようにして湖畔のすぐそばに突き落して溺死させた梶原澄子さんの死体を岸からひきあげ、手押し車に乗せ、ボートの傍までくる。手押し車から死体をおろして、その荷台の先をボートの隙間に押しこんで、ボートを持ち上げ、大きな石を噛ませる。そうして死体をボートの間に押しこんだあと、噛ませていた石を除ける。そうすると、ボートは元通り伏せた状態になりますわ」
悦子の説明につれて門田はその操作を眼の先に描いた。
「あの重い、大きなボートを持ちあげたり死体を中に入れたり、とてもひとりの力では不可能だから、犯人は複数だと思われました。イングルトン部長刑事もそういう見方から犯人複数説でしたわね。でも、手押し車を梃子代りにすると、ひとりでもそれができたんです」
女ひとりでも──と悦子は云いたそうだった。
ホテルの廃品手押し車は、死体の運搬用でもあり、梃子用でもあった、という悦子の推理を聞いて門田は背中を叩かれたようになり、頭が混乱して、すぐにはその説明の分析ができなかった。
それから二時間もすると、団員の全員をカジノから無事にホテルに「引率」して帰った門田のもとにロンドンから電話がかかってきた。
「門田君か。さっきから二度ほど電話したのにどこにみんなを連れて行ったのだ?」
東京から来た広島常務の怒鳴るような機嫌の悪い声だった。門田もカジノに行ったとはとっさに云えず、市内見学していました、と答えた。また何ごとか起ったのか、門田は時ならぬ常務の電話に鼓動のほうが先に速くなった。
「犯人はその観光団の中に居る。|警 視 庁《スコツトランド・ヤード》の結論が出た。全員そこに居るな?」
「はあ、居りますが」
「よし。おれは明日にでもそっちへ行く。それから江木奈岐子さんもおれと同行する」
ロンドンから広島常務が江木奈岐子と飛来してこようがこまいが、その日の朝から門田がローズ・ツア観光団をユングフラウの登山見物に連れて行く予定に変りはなかった。
新しいスケジュールではこうなっている。──ベルンのホテルを八時にチェック・アウトする。このとき団員の大きな荷物はひとまとめにしてホテルに|一時預け《デポジツト》しておく。午後四時までには山から戻ってホテルで荷物をうけとり、バスでジュネーブに行き、午後十時発の国際列車に寝て、あくる朝パリに着く。
みなは軽い手荷物だけを持ってベルン駅を出発する列車に乗った。ほとんどの女性がカメラをバッグから出して用意をしていた。団員たちの気持は、これから行くアルプスの山々に集中していたので、コンダクターが面倒を見るような事態にはならないようだった。
最後部の席に門田は土方悦子とならんで坐った。
インターラーケンの駅で乗りかえた二十八人の団員は登山電車の窓を一様に無邪気に眺めていた。乗客は観光客がほとんどで、英、米、仏、独、伊といった人種の混合だった。年配の夫婦づれはホテルの庭でも散歩するような恰好で、男は背広にネクタイと短靴、女はドレスにハイヒールだった。若い連中は登山帽にジャンパー、登山靴といったどこでも寝転がれる無造作な服装で、なかにはヒッピー族スタイルも少なくなく、これは日本と変りなかった。この観光団のほかに日本人は一人もいなかった。
インターラーケンの長い湖が消えて電車は山の間を抜ける。高原の田舎風景が展け、森と原野に農村と牧場とが点在する。前方の山の間に眩しいくらいに白い高峰が見えでもすると、あれがアイガーだと指さして騒ぎ立てる。農家の上に断崖があり、それに滝でもかかっていると、団員たちは車窓から一様にカメラをむけた。
「わからんもんだな。この二十八人の中に、女二人を殺した犯人が居るとはね」
門田は低い声で呟いて嘆息した。
「広島さんと江木先生は、ロンドンから何時にこっちに見えるんですか?」
悦子が、さっき見上げた瀑布が違った方向で遥か下のほうになっているのを見やりながら云った。地面よりも空の領域が広くなっていた。
「何時とは云わなかったな。電話口でだいぶん昂奮していたから忘れたんだろう」
「無理ないと思いますわ。担当役員は全責任がありますもの。イギリスに飛んで来られるときも、遺族やほかの家族、それに新聞記者などにずいぶんつき上げられたと思いますわ」
「江木奈岐子さんも、あんたを心配して、こっちに飛んでくる。広島さんは江木さんの心痛をそのつど電話でぼくに云ってましたよ」
「わたくしもロンドンのホテルで江木先生から心配の電話をもらいましたわ。コペンの多田さんの災難が日本スポーツ文化新聞に出た日です」
「ああ、そうでしたね。君はそう云っていた。……江木さんは、大事な仕事が入ったとかで、団体のメンバーが揃ったところで急に講師辞退を社の方に申し出て、君を代理に推したんだが、こうなると、その大事な仕事のほうも手がつかなくなって、広島さんといっしょにくることにしたんですな」
「わたくしのことだったら、先生もそうご心配なさらなくてもいいのに」
土方悦子は眼を伏せて云った。
「しかし、江木さんも君を代りに出した責任を感じているのでしょう。愛《まな》弟子だしね」
「愛弟子というのではありませんわ。ときどき、江木先生のお宅にお邪魔しているだけです。わたしは地理が好きなので、旅の話を先生に聞きにうかがっていたんです」
「そうすると、弟子ではない?」
門田は意外に思って訊いた。
「世間で云う弟子ではありません。先輩のもとに出入りしているといった程度です」
「しかし、江木さんのほうは君を弟子だと思っているんだろうな」
土方悦子の小利口《こりこう》さからしても、江木がそう考えるのはあり得ると門田は思った。
「それは、わかりませんけど」
「いや、きっとそうですよ。だから江木さんは自分が行けなくなって、あんたを代理に推薦したんです」
「そのお話も急でしたわ。なんとか都合をつけて行ってくれということでした。わたくしも、あまり急なのでびっくりしましたが、ちょうど手があいていたのでお引受けしました。好きな外国の旅ですし、それに旅費一切を王冠観光旅行社で持ってくださるというので」
正直いってそれが彼女には魅力だったのであろうと門田は察した。
「こんなことになるのだったら、江木先生にはじめから来ていただいたほうがよかったと思いますわ。わたくしでは荷が重すぎます」
土方悦子は小さく溜息をついた。
「ぼくだって荷は重い。しかし、君のおかげで、こんどはずいぶん助かりましたよ」
門田は云ったが、お世辞でなく、本気にそう思った。本社が付けてくれる助手よりもよほど有能だったことにはじめて気づいたのだった。
土方悦子は、それには答えず、うつむき加減になって眼を閉じていた。賞《ほ》められて照れているようでもあり、考えごとをしているようでもあった。
登山電車はいよいよ高所に登った。車体は揺れながら、山の稜線を匍い上ってゆく。
ツバイリュッチネン駅では登山電車が右のコースと左のコースとに分れる。ここは右の「白い谷」と左の「黒い谷」との落合いで、どちらのコースをとるにしても、もう少し上のクライネシャイデック駅を経由してユングフラウの中腹を一周できるようになっている。
一行の電車は右コースをとった。ゆるやかな斜面には小さな家が赤茶色の屋根をのせて散らばっている。特徴のあるアイガーの白い尖った先が見えかくれしたが、その大きさにはここから眺めても圧倒された。
クライネシャイデック駅は標高二千メートルの山腹にとりついている。アイガーの北壁はすぐそこにのしかかるようにそびえている。陽が氷河に反射して青い空の下にもう一つの光源体が輝いているようだった。サングラスなしには正視できない。
眼を据えるのは下の緑色の斜面で、ここには広い牧場と小さな民家が白い黴《かび》のように群れてとりついている。赤に白十字のスイス国旗は、紺碧の空と緑の原野とその中間に突出する雪の峰々を背景にして生々とした色彩効果をもった。
この駅では乗降客が多い。ツバイリュッチネン駅から左に岐れた登山電車がグリンデルワルトを経てここに来ているので、その乗換え客と、ここで降りて徒歩で登山を試みる者がいるからである。だれでもが一度はここで途中下車して高山の町を散策したくなる。終った者は、さらにアイガーをめざして、この駅から電車に乗る。
電車は出た。急カーブばかりを走った末に、もう一つの駅を最後にトンネルに入った。長い長いトンネルであった。アイガーの胸の中を抉り抜いているので、トンネル内の駅にとまると電燈が粗い岩肌を無気味に照らした。構内には岩肌に窓をあけて外の山景が眺められるようになっているが、電車の中の人間は暗黒の中を走るだけである。アイガーの胎内くぐりだった。
「チーフ」
土方悦子が長い闇にうんざりしたように話しかけた。
「キイのことが、まだ、よく分りませんわ」
「キイ? キイって、なんのキイ?」
「ホテル、トロウト・ヴィラの16号室のキイですわ。藤野由美さんの部屋《ルーム》の……」
「ああ、あれは藤野由美さんの部屋に置いてありましたね。藤野さんは夕方のレブン湖の散歩から戻って、フロントから預けたキイをうけ取って部屋に帰った。そのキイは、そのまま部屋のテーブルの上に置いてあったわけだが」
「それが、奇妙ですわ」
土方悦子がここまで云ったとき、車内がざわめき立った。終点のユングフラウ・ヨッホに到着したのだった。
門田は急いで席を立った。降車する団員たちが気になったのでもあるが、土方悦子の言葉を何とも思ってないからでもあった。
彼女には考えすぎる癖がある。それがときにはいい考えになって話をするが、だいたいが思索を弄《もてあそ》ぶ詭弁学派《ソフイスト》の組だと門田は思っている。なんでもないことを重大そうにこねまわす。そういうところがこざかしげに見えるのだった。いまも「奇妙ですわ」と云ったのは、その癖が口を衝いて出たのだと思った。門田の反撥もその癖に対して起る。
ユングフラウ・ヨッホ駅。──深夜の駅のように、輝く照明は電車の中だけである。トンネル内の荒々しい岩肌の両側を、同じく岩の天井についた一列の灯が乏しく照らし、電光板は駅名と、標高三四五四メートルの数字、それにホテル、レストランの名を浮き出している。
ローズ・ツアの女性たちは添乗員の門田を先に立ててトンネルの中を歩く。これはスフィンクス・トンネルといい、途中にはホテルもある。先にすすむとエレベーターがあり、その名もスフィンクス・リフトというのだが、これが巌上のスフィンクス展望台まで運ぶ。ここに来て、はじめて人は岩洞内の暗黒から解放され外の空気にふれるが、こんどはいっぺんに三千メートルの日光と山の雪の殺到である。
アイガーの北壁は写真などで見馴れてはいても、その迫力は実際に眼にしないとわからない。登山電車で上ってくる途中でも、その遠景は車窓に隠顕していたが、すでにトンネルがアイガー中腹内をつらぬき、メンヒ(四〇九九メートル)の胎内をくぐり、ユングフラウが東に落ちた稜線の肩に出るのだから、電車がトンネルに入る前とは光景が一変し、突如として氷の殿堂に放り上げられた思いである。リフトを降りた女たちが叫びをあげて展望台のテラスに駆け寄ったのは当然だった。
右にユングフラウ、左にアイガーの壁がすぐそこにある。天と地を圧倒した巨大な二つの峰は他の山脈を切りはなして孤独に聳立《しようりつ》している。蔽った雪はそれじたいが白い光源だが、その雪の隙間からは岩肌の裂け目が無数の条線を描き、黝《くろ》い色と茶褐色とが奇怪に混合して、斜めにある太陽を受け、くっきりと陰影をつけていた。その背景はどこまでも青い空である。
展望台のあるメンヒとユングフラウの間に落ちこんだところは氷河の高原となっている。そのまわりに動く人々はケシ粒ほどだが、赤や青や黄色の彩りとなっている。鳥が絶壁の前を舞い、風が起ると雪が白煙を起す。ときどき、遠雷のような音が聞えるのは、アイガーの雪崩である。
展望台の観光客はさまざまな人種だが、むろんローズ・ツアとは違う日本女性の顔もある。
門田は山とは反対のあたりを見回して、瞳を絶えず動かしていた。
こういう偉大な景色、憧憬した壮観に接すると、人は昂奮して落ちつかない。とくに女性は刺戟されやすい情緒をもっているから、じっとしてはいられないようだった。それに、ここは場所が悪かった。山岳の見物は展望台ばかりではないのである。リフトでここに上る前、トンネルの反対側を行くと「|氷の宮殿《アイス・パレス》」という氷の見世物があって、これが雪のトンネルになっている。そのトンネルを出ると、ここから人々がケシ粒ほどになって見える氷河の高原に立てるのである。
そのほか、レストランもあるし、ホテルのロビーもあって、茶も飲めるし、土産物も買える。引率者にとってまことに人員の掌握に都合の悪い条件が揃っていた。
門田は展望台にいる団員の顔を見回し、
「ええと、金森幸江、黒田律子、千葉裕子、竹田郁子、曾我千春、星野加根子、川島嗣子、杉田和江……」
と、心で読んでゆき、八人だなといった。あと二十人がここには見えなかった。
「アイス・パレスのほうに行ったんじゃないですか。氷河を歩くのを面白がってるのかもしれませんよ」
土方悦子が雪原の端に動くケシ粒の群を眺めて云った。もちろん顔の識別はできなかった。
「氷河の上は危ないんだがな」
門田はそのほうへ眼を凝らしていた。
氷河は静止した氷原のように見えるけれど実はゆっくりと動いている。注意の標識は出ているが、だれもがそれを忘れがちであった。
「女子学生三人をはじめ、わりあいに若い人がここから消えていますわ。氷河のほうでしょう。向うのほうがちょっぴり冒険的で面白いにきまっていますから」
「あんなところで事故を起さなければいいが。といって禁足するわけにはいかないしね」
門田はしきりと団員の掌握に気を揉んでいた。
土方悦子は、それで思い出したように、ふと訊いた。
「チーフ。コペンハーゲンの居酒屋で、日本スポーツ文化新聞の鈴木さんと会われたとき、鈴木さんはこの女性観光団体の人数のことは訊かなかったと云われましたね?」
「そうです。彼は質問しませんでしたな。それは、あのとき、君に云ったでしょう?」
門田は、何を今ごろという気だった。
「ええ。うかがいました」
土方悦子はうなずいて、また思い出すような眼つきを雪の峰のほうへむけた。
「鈴木さんは、江木先生によろしくというミス・トルバルセンの言葉を通訳してチーフに伝えたのでしたね?」
「そうです」
「ミス・トルバルセンは英語が話せるのに、なぜ直接にチーフに云わなかったのでしょうか? そのほうが、|なま《ヽヽ》な感情が伝えられるのに」
それもコペンハーゲンのホテルで、あの翌る朝にこの土方悦子と云い合ったことだった。トルバルセンは鈴木の恋人だ。トルバルセンとしては鈴木を立てて、自分が出るのを控えていたのであろう。げんにあのとき、トルバルセンが門田に何か云いかけたのを鈴木は制《と》めたようだった。両人は、デンマーク語で、何やら口早に話していた。
門田は、そのことをもう一度、土方悦子に云った。それから、鈴木が「希望の足音が遠くから近づいている」という表現で、帰国して結婚したいような話も、ここに再びつけ加えた。
「そうでしたわね」
土方悦子は、うなずきはしたものの、しかし、腑に落ちないように首をちょっと傾《かし》げていた。
「鈴木さんといえば、朝陽新聞の四月十日付に載った江木先生の北欧旅行の随筆を批判されていたそうですね?」
彼女は、また訊いた。
「ああ。事実の間違いがあると云ってね」
「朝陽新聞の四月十日付といったら、このローズ・ツアが出発する五日前のことでしたね?」
「そう。そのくらいです」
その会話も、コペンハーゲンの繰り返しであった。
「彼は、その新聞をアムステルダムで読んだと云ってましたね。アムスのどこだか憶えてないと云ってたけれど」
「アムスには日本の最新の新聞はそんなに入ってないはずですけど。大使館とか商社、それに日本航空の事務所くらいのものでしょう」
土方悦子は、ひとりごとのように呟いた。
「なんだか知らないが、鈴木君の口にかかっては、旅行評論家として、いま売り出しの江木奈岐子さんも型《かた》なしでしたな」
「江木先生もね。……チーフ。あなたは江木奈岐子さんの本名が坪内文子さんと云うのをご存じですか?」
「いや。知らないですな。そうですか、江木奈岐子というのは、ペンネームですか? そう云えば、表札がもう一つかかっていたようだが……」
門田もそれは初耳だった。
「そうなんです。でも、先生の本名をご存じの方は少ないですわ。読者は、ほとんどペンネームを本名だと思いこんでいます」
「それは、そうでしょうな」
門田は腕時計を見た。
「土方さん。悪いけど、ちょっと団員の様子を見てくれませんか?」
門田は、そんな話よりも団員の掌握が気にかかった。
「わかりました」
土方悦子は、素直に承諾し、勢いよく出て行った。
「やっぱり素晴しいですわね、チーフ」
と、いう声が聞えた。見返ると、これが星野加根子だった。彼女の造作の粗い顔は、ネッカチーフに包まれて、いくらか可愛げに見えた。
「それにしても、土方さんはお気の毒ですね?」
星野加根子は昂奮を曳いた声で云った。
「え、どうしてですか?」
「だって、この風景をおちおちと見ていられないんですもの。さっきもあなたの命令でリフトで降りて行かれたのは、ほかの団員の方の様子を見るためなんでしょう?」
星野加根子は同情的な瞳を見せた。眼を細めたのは前面の雪が眩しすぎるからである。
「命令というわけではありませんが、お願いしたのです」
団員たちにそう見られていると知って門田は、
「……土方さんは社員ではなく、この観光団の講師としてついてきてくださっているんですから」
と、弁解した。
「でも、あなたの助手みたいですわ」
「困りましたね。そういうつもりではないのですが、土方さんが気軽に何でもしてくださるのと、人手がないものですから、つい、その、なにかとお頼みすることになるのです」
「わたくしがこの観光団に加入するとき、たしか旅行評論家の江木奈岐子さんが講師ということでしたわ」
「そうなんです。それが江木先生に急に事情が出来て、土方さんが代りになったのです」
「土方さんは、江木先生のお弟子さんですか?」
「土方さんに云わせると、弟子というほどでもないそうです。江木さんの家に出入りはしているけれど。しかし、江木さんの都合が悪くなって、彼女を代りに推薦されたのはたしかです。江木先生と話し合って、そういうことになったのです」
門田は答えながらも、営業部長を兼任している常務の広島淳平が当の江木奈岐子と、いま、ロンドンからこのスイスに飛来中だと思うと、胸がしめつけられた。
このあと、アイガーの中腹、一〇三四メートルのグリンデルワルトで休憩する予定であった。そこまでなるべく早く下山して、宿に入り、ベルンのホテルに待機している広島と連絡しなければならない。
「土方さんが江木先生の講師代理だとすると、土方さんの旅費はあなたの会社持ちなんでしょうね?」
星野加根子の質問が門田の瞬時の想念を破った。
「はあ。ま、そういうようなことでしょうね」
門田は、質問の意味がはっきりすると、躊《ためら》いがちに答えたが、これはかなり露骨な問いである。女が金銭関係になると細かいことは分っているが、この旅行中にはじめて受けた直接的な質問であった。
観光団員のなかには、自分たちの費用で添乗員を賄《まかな》ってやっているという意識が大なり小なり存在している。ことに講師に対してはその偏見が強い。観光団に講師を付けるようになったのは、主催の旅行社のサービスであり、それも募集上の政策であった。しかし、添乗員は仕方がないが講師の旅費までこっちの会費にかかっているとはやり切れないという気持が、団員が女性ならなおさらのこと起るかもしれない。
いまも星野加根子の露骨な言葉には、江木奈岐子のような一人前の評論家ならともかく、その弟子格が来たのだから、門田が助手代りに使うのは当然だといった承認が含まれているように感じられた。
「チーフ」
星野加根子は、門田の眉間に浮んだ微妙な皺をめざとく見たように話を変え、しかも声を低めて云った。
「藤野由美さんと梶原澄子さんとが殺された事件は解決がつきそうなんですか?」
まわりには外国人ばかりだった。
門田としても、この質問を無視するわけにはゆかなかった。同じ団員なのである。
「ご心配かけて申訳ありません」
門田は詫びるように頭を下げた。
「……こんな不幸な事件が突発しようとは夢にも思いませんでした。さぞ、みなさんはショックをうけられたり、不安なお気持になられたでしょうが、幸い、落ちついていただいているので、ぼくも大助かりです」
「そら、はじめはびっくりしましたわ。でも、いまさら騒いでも仕方がありませんもの。費用は前払いしてるし、早く帰国しても、そのぶん返してはいただけないでしょう?」
「はあ。まあ、ごもっともですが……」
星野加根子は金銭欲の強い女だ、と門田は思った。しかし、これは一同の気持を代表しているのであろう。
「それは冗談です。今となってはわたくしも、この団体で旅をつづけることが面白くなりましたわ」
「えっ、面白い?……」
「そういっては犠牲になられたお二人に悪いけれど、わたくしにとっては貴重な経験ですもの。二度とこういう旅ができるかどうか分りませんもの」
「はあ。それはそうですが」
「で、事件の解決のほうはどうなんですの? イギリスの警察がずいぶん動いていたようですが」
「それが、どうもぼくにはよく分らないのです」
団員に広島常務のことは打ちあけられなかった。
「そう?」
星野加根子は小首をかしげ、微笑を浮べていたが、
「……捜査に必要なデータが揃ってないからじゃない?」
と、あとは独り言のようにいった。
「データですって?」
「いくら優秀な警察でも、事件のデータが不足していれば捜査がすすみませんわ」
「というと、あなたは何かご存じなんですか?」
門田は、星野加根子の思わせぶりな云い方に、ついつりこまれた。
「知っているというわけじゃありませんが……」
彼女は眼をアイガーの頂上にあげて、大きく薄い唇から小さな声を洩らした。
「事情はわかりませんけれど、わたくし、見たんです」
「え、見た? 何をですか?」
「あら、そんなにびっくりなさらないで。つまらない、ちょっとしたことですから、そんな顔をなさると、わたくし、困りますわ」
星野加根子は、少しあわてた眼になったが、門田から見て、それがいかにもこっちを焦《じ》らしているようだった。
「いや、どんなことでもけっこうですよ、だれにも云いませんから、ぼくだけに話してください」
「あとで申します。あなたがそんなに重大そうに期待されると、わたくし、恥かしくて云いづらくなりました」
星野加根子は寒い風を除けるようにして背中を回した。
集合の時間が迫っていた。
人員の掌握が完全に終ると、責任者は心にやすらぎをおぼえる。ユングフラウ・ヨッホでは見物場所がほうぼうにあって、団員の所在も散漫になり、門田の視野からかくれるものが多かったが、集合時間になると、これがぴたりと駅前に二十八人の員数を揃えてくれたのだった。
崖ぶちだとか氷河だとか雪のトンネル(アイス・パレス)とか事故の起きそうな舞台装置は揃っていた。門田は、気が揉めただけに、一人も欠けずに集った団員たちの顔を眺めて、羊の番人のように安堵した。とくに多田マリ子の無事な顔を見てそうだった。彼女はケロリと無邪気な表情でいた。
安心すると、にわかに神経が視覚から脳味噌のほうに移るようだった。電車は登りの時に停車したクライネシャイデックにいったん戻って、今度は別なルート、アイガーの胴体を東へむかって進みつつあった。同じ道を上下往復するという単調さを避けるために、上はクライネシャイデック、下はツバイリュッチネンを紐の結び目として、線路は間の山を挟んで東西に岐れてひろがっていた。そうして東コースが伸び切って屈折するところがグリンデルワルト駅である。だから、前の上りとこの降りの車窓の風景はまったく違っていた。だが、団員たちは、アイガーの頂上風景を極めた満足感の後と歩き回った疲労とで、登りの風景に接したときのような初経験の昂奮が衰えていた。彼女らも窓辺に移る光景を静かに観賞していた。土方悦子は、門田の隣席で頭を垂れて居眠りしていた。彼女もヨッホでは門田に云われて団員たちの観察につとめ、その気疲れが出ていたようである。
星野加根子は気どったものの云い方をする女である。いつも思わせぶりな表現法をとる。だから、彼女の|見た《ヽヽ》ものは彼女の云うとおりに本当に「つまらない、ちょっとしたこと」なのかもしれない。この云い方は、普通には重大な意味のあることをさりげなく人に語るときに用いられるパラドックスなのである。それをもう一つ裏返すと、何でもないことを思わせぶりに云って相手に気をもたせる効果になる。
門田は、いったんはそう考えたが、それだけで捨て切れないものがあった。彼もかなり神経質になっていた。
星野加根子が|見たもの《ヽヽヽヽ》のことをすぐに云わなかったのは、それをはばむ何かが彼女の気持にあったからではあるまいか。目撃したものには重大な意味があった。だから、はっきりとは云えなかった。
その目撃なるものが二人の団員が殺された不幸な事件に関係があることはたしかなのだから、少なくとも、彼女が「あとで申します」といった言葉から事件のスフィンクスを開く暗示になりそうにはみえたが。
そんなに期待されてはわたくし恥かしくて云いづらくなりますわ、と星野加根子は下をむいたが、これは何とか方法を尽して彼女の言葉を引き出さなければいけないと門田は固く考えた。
とみこうみ、いろいろと門田が思いをめぐらす間にも電車は一方の車窓に上からのしかかるアイガーの白く輝く北壁を、一方の窓には起伏をくりかえして涯しなくひろがった北麓の雄大な展望をみせていた。座席にひと息入れた日本の女性たちは、ふたたび元気をとり戻し、好奇心と興味とをもりかえして、しきりと車窓にカメラをむけていた。
さて、こうして電車は東回り線第一の停車場であり、スイス第一の賑やかな山のリゾートでもあるグリンデルワルト駅に到着した。停った衝撃で、いままで睡っていた土方悦子が眼を開き、きょろきょろと車窓や車内を見回した。ここで降りてお茶の時間とするように門田は団員に云い渡してあったから、みんな座席から立ち上っていた。
「あらあら。どうも済みません」
土方悦子は失態をしでかしたように門田にとぼけたお辞儀をぴょこんとしてあわてて座席を立った。
ここは、ほかの降車客も多く、ホームはいちどきに雑踏した。その中から黄色い髪毛の、丈の高い、蝶ネクタイに燃えるような赤服の男が、日本人の女性団体からようやく門田を探し当てたように近づいてきた。エキスキューズミー、アーユーミスタカドタ? イエス、アイアム。
「ベルンのオテル・ベルビューからあなたさま宛にメッセージが届いております」
赤い制服の胸には「ホテル・スピンネー」のワッペンが付けられていた。
電話連絡らしくホテルの用紙に英語で書き流してあった。
≪ミスター・ヒロシマよりミスター・カドタへ──。一同『ホテル・スピンネー』に入って私の到着を待て。団体は予定を変更し、今夜は同ホテルに一泊せよ≫
どうぞ手前がホテルにご案内いたします、と出迎えのドアマンは微笑して腰をかがめた。
「どういうことになったんですか?」
土方悦子が横から門田の手にある伝言紙をのぞいた。
「ロンドンからスイスに来た広島常務がベルンのホテル・ベルビューに入って帳場から、ぼくらの登山と此処で下車するスケジュールを聞き、こっちへやってくるらしい。例の話らしいね。今夜はここのホテルに宿泊せよとあるから、ジュネーブ行きは変更だ」
門田は云って、
「これは団員にまた何とか理屈をつけて変更の説明をしなければなるまい」
と、沈みがちの顔色になった。
いかめしいスタイルの赤服を先頭にホテルにむかって日本女性ばかりの一団がグリンデルワルトの一本道を練り歩くさまは何かの儀式の行列のようで、通行人はもとより、レストラン、カッフェなどの表に出したテーブルに坐っている世界中から来た観光客の眼をそばだたせるには充分であった。
この土地は標高約千メートルで、よほど麓のほうに近く、高山という感じはあまりなかった。それだけに高原保養地といった雰囲気が豊かである。まず、駅を出たところにいくつものホテルがある。ホテル・バーンホーフ、ホテル・レジナ、グランド・ホテル。彼女らのホテルはそこにはない。もっと奥にすすんだところだ。
銀行が二つもある。片側は山の斜面で、通りのレストランはその斜面の上にまでせり上っている。土産物屋、カッフェ・ショップ、バー、観光案内所、ヒルシエン・ホテル、山案内人の組合事務所、カメラ店、食料品店、雑貨屋、洋服店、理髪店、運動具店兼本屋、郵便局、ガソリン店、レンタカーの店と駐車場、婦人用品店、菓子屋、果物屋、ミニ・ゴルフ場、──小都会にあるあらゆる店舗を小さく凝集していた。それに、贅沢な客のために店の装いはどれも垢ぬけていた。
そういう店舗街を女性の一団は先頭の軍服めいた赤いユニフォームの背中に従って、あちこち眼を遣りながら歩いた。山の斜面の反対側は、建物の途切れた間から見ると、ゆるやかな緑の波がくりかえす高原で、その涯のずっと下の麓のほうは渺茫《びようぼう》たる山の霧の中に融けこんでいた。またそれらの間には、針葉樹の森と、赤や茶色や青色の屋根に白い壁の農家とがばら撒かれ、ほうぼうの牧場に乳牛が遊ぶ典型的なスイス風景になっていた。
ホテル・スピンネーはそうした一本道の繁華街に沿った中ほどにあった。赤服のドアマンは一同を五階建ての白堊のホテルの玄関に招じ入れた。
団員がロビーに集ったところで、門田は今夜は「都合で」このホテルに泊ることになったと慇懃《いんぎん》に告げた。都合の理由は、ジュネーブ旅行代理店の手違いで、今夜の予約が実行できなかった、たったいま、その連絡がジュネーブからあったというのである。これだと門田の責任ばかりとはいえないので、彼はみなからの攻撃を免れた。それに団員たちは、このアルプス山中の保養地《リゾート》がむしろ気に入っていた。
添乗員を含めた三十人の部屋割は昨夜のベルンのベルビュー・ホテルに準じてきめられた。みんなはいったん部屋に入ったが、まだ陽が西の空に高かったので、それぞれ三三五五と商店街や付近の散歩に出かけた。この通りの端には教会もあり、登山用リフトの発着駅もあり、さらには別荘もならんでいるということだった。
門田はロビーに土方悦子とならんで坐り、コーヒーをとっていたが、星野加根子をつかまえる機会を狙っていた。彼女も散歩に外出していた。あまり人目につかないように上手に捉えて質問しなければならなかった。
「広島さんと江木先生は、何時にこっちに見えるんですか?」
土方悦子は腕時計に眼を落して訊いた。
「さあ。六時ごろにやってくるんじゃないかな」
「お二人だけでしょうか?」
「さあ。どうして?」
「殺人事件のことで、ロンドン警視庁が何かをつかんで結論を出したということですから、団員の訊問のためにイギリスの警察官といっしょかも分らないと思ったからです」
そういう予想はたしかにあった。広島がいくら事件の有力な材料を握ってくるにしても、彼には訊問権も捜査権もなかった。
「キンロス署のイングルトンさんだったら、面白いですね。また、お遇いすることになるから」
「あれは現場を捜査した第一線の警察官だが、なんといっても田舎刑事ですからね。こっちにくるとすれば|警 視 庁《スコツトランド・ヤード》の腕利きだろうね」
「それともパリ駐在の桐原参事官かもしれませんよ、広島さんといっしょにここにくるのは。あの方は警察庁の出向だそうですからね。日本への外交関係の影響を考えて、英国警察が直接に人数の多い女性団体の訊問に乗り出すことはないかもしれません」
「うん。そうかもしれないな」
「それだったら、レブン湖畔にいた日本人新聞記者たちも、いっしょに此処にくるかも分りませんわ」
「新聞記者?」
門田は、どきりとした。
「だって、都合によっては、あとからぼくらもあなたがたを追って行きますよと云ってたじゃありませんか。捜査官がこっちに来て、事件の解決にかかるのでしたら、絶好の取材チャンスですわ。レブン湖畔殺人事件の大詰として」
「………」
「きっと、あのひとたち、広島さんや江木先生や捜査官などと一緒に来ますわ」
聞いてみれば、もっともだった。レブン湖畔を発つときの、新聞記者たちの予告もまた実現されそうである。
広島常務が聞いた捜査官の推断がどういうものか分らないが、とにかく、この女性団体の二十八人のなかに、藤野由美と梶原澄子殺しの犯人が居るとするのである。新聞記者たちは、その日本女性の犯人が逮捕される瞬間を眼前で取材しようとするのであるか。
門田は、またも心がふるえ、頭に血が上ってきた。
日本の新聞に踊る大きな見出し活字、逮捕された日本女性の顔を隠した写真が浮ぶ。場所はスイス。スイスはユングフラウの山腹。──舞台効果は申しぶんない。
とくに、「日本スポーツ文化新聞」や女性週刊誌は、ここぞとばかりに「舞文曲筆」するであろう。いくらあの髭の通信員が舞文曲筆はデスクの細工だといっても。──また、よしその記事が興味本位の歪曲であっても、ことがことだけに、抗議のできにくいものであった。
この会話の間、二人は前の一本道の通りを眺めていた。向い側が商店街で、レストランの隣がカメラ店、その隣が食料品店であった。レストランの前では客が道路わきにならべた椅子に坐って、陽だまりと通行人の見物をたのしんでいた。
ガラス窓にはさまざまな人々が左から右へ、右から左へと通りすぎた。軽装の若い男女、退職旅行の老夫婦、山男、ヒッピー・スタイル、身ぎれいな紳士、女ばかりの群。道ばたでビールや茶を飲む連中。
土方悦子は、まるでその人々を品定めするような眼つきで眺めて黙っていた。
門田は門田で、新聞記者たちが再来襲する予想にふさぎこんでいた。
「どうも、おかしいんです」
彼女が道路に投げかけた視線のままで呟いたので、門田は、
「何がですか?」
と訊いた。ものうげな問いかたになった。
「藤野由美さんが一人でいた16号室の洗面所の排水パイプにひっかかっていたという鱒の鱗と藻の数片のことですけれど……」
彼女は思案顔でいった。
「ああ、デービス刑事が洗面器の排水孔の下にひっかかっていたのを見つけ出したあれですね? しかし、君はあれを犯人の偽装工作だと云った」
門田がポケットのパイプをとり出した。前に彼女から一度聞いたことだった。
「そうです。そこを復習しますと、イングルトン部長刑事によると、藤野由美さんが自室の16号室にひとりでいるとき、犯人がレブン湖の鱒と藻といっしょにビニール袋か何かに入れて訪れた。藤野さんが興味を起したので洗面器に水を充たし、鱒をそれに入れて藤野さんに見さした。そしてそれを犯人がうしろから襲って藤野さんの顔を水の中に押しつけて窒息死させた。そして、例の手押し車に死体をのせて湖畔に運び、湖に捨てた。こうすると、藤野さんはちょうど湖水で水死したのと同じ状態になるから、だれも自室内で殺されたと思う者はない。水死現場は、死体の発見された湖と思わせる偽装犯行だ、とイングルトン刑事はいってましたが、そういう考え方の裏をかいたのが、犯人の知恵ですわ。それは、ロンドンからチューリッヒに向う機内でチーフに云いましたわね?」
「ああ、聞きました」
門田はパイプをふかした。
彼にもそのときの話が耳に残っている。
犯人はレブン湖の水を16号室の藤野由美の洗面器に満たした。水中のプランクトンから解剖所見は湖畔を現場とするだろうという古いトリックのもう一つ裏をかいて、実際の犯行現場は湖畔だった、という推理である。
「でも、おかしいんです」
土方悦子は、もういちど云った。
「16号室のキイのことですわ」
門田は、彼女のその言葉を前に聞いている。この登山電車がユングフラウ・ヨッホ駅に着いたときだった。少々、面倒くさかったのと、団員たちが降りはじめたのとで、そのまま聞き捨てになったのだが、いまは、こうして、じっと坐っているのだから、なんでも耳に入れられる。
「どういうことですか?」
「イングルトンさんの推理どおりでしたら、16号室のキイの在《あ》り方はあの考えでよかったんですが、いまは、犯行トリックが逆転して考えられるようになりました」
土方悦子は、通りを眺めながら口を動かした。
「わたくしは、二つの場合を考えています。一つは、藤野由美さんが湖畔の散歩からホテルに戻って、フロントからキイをもらい、16号室に入った。しばらくして、犯人がそこに訪れる、藤野さんはドアを開ける。ここまでの順序は、犯人が湖の水と鱒とを持ってきたというイングルトン推理のとおりでよいのですが、藤野さんは自室で殺されたのではなく、湖畔に連れ出されて湖中につき落され、水死させられたのですから。犯人は藤野由美さんを誘い出したわけです。ところで、いったん自室に戻った藤野さんが、かなり遅い時間、それはもう十時ごろだったでしょうが、そんな時刻に再び外出する気になったのは、よほど犯人を信頼していて、その誘い方も上手だったということになります。あんなにもプライドの高い、自己顕示欲の強い藤野由美さんを誘い出すなんて、よっぽどの人物だと思いますわ。そういう女性が団員のなかにいらっしゃるでしょうか?」
「さあ」
聞いてみると、理屈だった。その通りというほかはなかった。藤野由美を誘い出せるような女はいそうになかった。
「それに、藤野由美さんは、その誘い出した人と共に、フロントを通って外に出ていません。フロントの事務員は、湖畔からひきあげた日本女性たちは、そのまま一人も外出しなかったといっていたでしょう?」
「そうです」
「藤野由美さんが二度目の外出をしたとすれば、十時ごろです。二人も出て行くんですもの、キイをあずけなくとも、当然、フロントの眼につきますわ」
門田は、風邪をひきそうなので早目に寝たが、湖畔からいちばん遅れてホテルに帰った団員でも、その時刻は九時ごろだったと思われる。藤野由美もその時刻だったとすれば、再度の外出が十時ごろという土方悦子の推測は間違っていない。十時ごろといえば、湖畔にはだれも残っていなかった。暗い湖畔の犯行を目撃した者はなかったことになる。
「ですから、藤野由美さんと誘い出した犯人とは、フロントを通らずに裏口から出て行ったんです。あの裏口は、手押し車が簡単に持ち出されたように、ドアに錠もかけてなく、門も開いていましたから」
「うむ」
「フロントを通らずに遅い時刻に裏から誘い出した人とこっそりと出て行く。そんなにまで藤野由美さんが信頼した人が、団員のなかにいるでしょうか?」
「いない」
門田は、思わず強い返事をした。
「しかも、その犯人は、藤野さんを湖に漬けて溺死させたうえ、その水と藻の断片と鱒の鱗とを採取して引返し、裏口から入り、藤野さんのハンドバッグからキイを取って16号室に入り、洗面台の工作をしたのですから」
「ちょっと待って。藤野由美さんも、梶原澄子さんと同じようにキイをハンドバッグに入れて外出していたのですな?」
「それは、そうですわ。あのホテルの部屋のドアは外から閉めると、ひとりでにロックされますから」
「うむ。なるほど」
「その工作のあと、犯人はキイを発見された室内の場所に置いて、部屋の外に出たのでしょう」
その論理は整ったかたちをとっていた。
「でも、それでは少し不自然なところもあります」
土方悦子は、自分の言葉の下から云った。
「というのは、それでは犯人が手間をかけすぎるからです。わたくしは、藤野由美さんが、湖畔の散歩からホテルに帰らずに、そこに残ったままで殺されたのではないかと思います。それが、第二の推測なんです」
「えっ、ホテルには戻らなかった?」
「そういう考え方もできると思います。そうすれば、犯人は藤野由美さんを部屋から誘い出す必要はありません。それに、誘い出された藤野さんが、フロントを通らずに裏口から出て行くのはどうしても不自然です。あの誇り高き藤野由美さんの性格を考えて、そう思うんです。また、そんなことをすれば、いくらなんでも藤野さんは相手を訝《あや》しみます。それに、そんなことのできる人に心当りがないのですから」
「犯人は藤野由美さんを湖で殺したあと、水と鱒の鱗とを彼女の部屋に運んで、キイはそこに置き、部屋を出て行ったのですか?」
「あとは同じですが、誘い出した点が消されるのです」
「ふむ」
門田は、うめくだけだった。それを頭に整理するのがすぐにはできなかった。
「そうすると、16号室のキイが問題になります。なぜかというと、藤野由美さんが湖畔にそのまま遅くまでいたとすると、フロントのキイ・ボックスには16号室のキイだけが預け放しになっていたことになります。ところが、フロントの事務員の話では、九時ごろには、みんなキイを取りに来て、ボックスは空っぽだったということでした」
「そして八時前にぼくがフロントに寄ったときには、たしかにまだ全員のキイが残っているのを見ましたよ」
「だからふしぎなんです。だって、藤野由美さんの死亡時刻は当夜の十時から十二時の間という解剖結果でしょう。九時ごろといえば、まだ彼女は生存していたのです。その時点で犯人がどうしてフロントから16号室のキイを受け取ったかです。キイを渡すとき、事務員は相手の顔を見るはずですから。かりに、藤野さん自身がキイをフロントから受け取ったとすれば、どうして彼女がそのキイを持って現場の湖畔に引返したかその理由がわかりません。これが、どうも奇妙なんです」
土方悦子はそう云って、
「あのとき、チーフは風邪気味で部屋に引取られるし、わたくしも、あんまりみなさんを監視するようで、イヤですから八時四十分ごろにはロビーからひき上げました。もう少し、残っていれば、16号室のキイをだれがフロントから受け取ったかが判ったと思うと、とても残念ですわ」
それは門田とても同じだった。
「いや、責任はぼくにあります。風邪をひくのをおそれて、早く部屋に引きとったのがいけなかったのです」
「それだけではないでしょう。星野加根子さんの抗議があったのが、どこか心理的に影響してたのですわ」
星野加根子は、添乗員があまりに団員の行動を拘束しすぎると文句を云っていた。たしかにそれが気になって、あの晩は団員たちの行動を放任し、自分は風邪の要心に自室へ早く閉じこもった。
ああ、星野加根子の文句さえなかったなら、もう少しロビーに居るか、玄関の外に立って、全員の帰るまで待っておられたものを、と門田は星野加根子をうらむ気にもなった。
「わたくしは、犯人が16号室のキイをフロントから九時ごろにもらったと思います。なぜなら、16号室のキイがいつまでもボックスに残っていれば、部屋主の帰りがないということで騒ぎ立てられますから。それでは、十時から十二時までの間の犯行ができなくなります」
それはその通りだと門田は思った。女性団員のキイが一個だけフロントに預け放しになっていれば、一人がまだ外から帰ってないことになって、湖畔を捜索に行くことになる。犯人はそれを考慮して、16号室のキイを九時ごろにフロントから受け取ったのだ。それは、女性団員の一人にちがいない。フロントの事務員には、そのキイが日本女性の宿泊客のものと分っているからだ。
「16号室のキイをフロントから九時ごろに受け取ったのが犯人だとすると、それを手渡したフロントの事務員がその顔をおぼえていたため、捜査陣に犯人が分ったのだろうか。それで、この団員のなかに犯人がいるというロンドンからの電報になったのかな」
門田はまた肩のへんが冷たくなった。ベルンからくる一行の到着は間もなくである。だれかが彼の目前で手綻をかけられる瞬間がくる。
「だが、そのキイのことが、あのキンロス警察にどうして分らなかったんだろうか?」
門田は、ふと疑問が湧いた。
「まだ、あのときはだれもそこに考えが及ばなかったんでしょう。わたくしたちも今まで気づかなかったんですから」
土方悦子は沈んだ声で云った。
「で、捜査官がそこに気がついて当夜のフロントの事務員に訊く。事務員はそのキイを手渡した相手の顔はおぼえているが、名前はむろん分らない。なにしろ、君を含めて二十九人の日本女性の数ですからね。そうすると、事務員はどうして相手の女性を捜査官に指摘できたのだろうか。そうか。事務員もみんなといっしょにこっちにくるのかな」
「そうとは限らないでしょう。警察では、この団員のパスポートについている顔写真を複写して取っているでしょうから、それによって事務員は、この顔だと指摘することができますわ」
「ああ、そうか。なるほど」
全員のパスポートは、キンロスの鱒荘を出発するまで、警察に押えられていたことを門田も思い出した。
「そうすると、君がキイのことで、まだ判らないことがあるというのは何ですか?」
門田は土方悦子のもの思わしげな顔に訊いた。
「犯人には九時ごろに16号室のキイをフロントから取るのが、どんなに危険であるか分っているはずです。それは、わざわざ、わたしがこれから藤野由美さんを殺すのですよ、と自分の顔を事務員に教えるようなものですわ。げんに、それから犯人が警察に判ったと思われますから。あんなに手のこんだ殺人計画をする犯人が、どうしてそんな愚かなことをしたのでしょうか。それが、わたくしには奇妙なんです」
奇妙だとかふしぎだとか土方悦子が呟いていた理由は、その点であった。
「それは、たしかに奇妙だけど、犯人の女性には、フロントにいるイギリスの男には日本の女客の顔がよく区別できないという点で、タカをくくっていたのではないのかな。日本人にも外国人の顔がちょっと同じように見えるようにね。しかも、約三十人の団体だから」
門田は、考えついたことを云った。
「わたくしも、そのことは一応考えてみました。でも、犯人にとっては、それはたいへんな冒険です。もし、フロントの事務員に顔を鮮明に憶えられてしまったら、それきりですからね。慎重な犯人が、そんな単純な、危ない橋を渡るでしょうか。それはとても考えられません。だから、わたくしは16号室のキイをフロントから受け取ったのは、犯人ではないと思うようになりました。では、だれがそのキイを受け取ったのか、それがふしぎでならないんです。団員のなかに、共犯者が居るとは思えませんし……」
通りの前はカメラ店であった。二人の坐っているところからガラス窓ごしにそれが見える。まるで外の風景がガラスのケースに入っているようだった。
そのカメラ店から女子学生が出てきた。本田雅子、西村ミキ子、千葉裕子。フィルムを買ったらしい。みんな写真を撮りまくってきたから、フィルムも足りなくなる。
「それに、いちばん大きな疑問は、やはり二人を殺害した動機ですわ。これが、どうしても解けません」
土方悦子は、女子学生が窓枠から左に切れるのを、ぼんやりと見て云った。
それは門田にも最大の謎であった。以前に、思いついて云ったカミュ張りの「不条理な殺人」では、むろんのこと、片づく話ではなかった。
門田が何度目かに眼を表に投げたとき、星野加根子がカメラ店に入ってゆくところだった。彼女もフィルムが切れたらしい。門田は、内心で星野加根子の所在を探していたときなので、おや、あんなところに居たのかと思った。ロンドンのホテルと、それからきょう展望台で云った言葉が気になって、もういちどつかまえてゆっくりそのつづきを聞こうとさっきから考えている。
星野加根子が云うひそかに「見たもの」が、事件解決の手がかりにならないとも限らない。いや、自分勝手な想像だが、なにかそんな気がしてくる。
星野加根子がカメラ屋から出てきて、ここに戻ったら、こんどこそつかまえようと思った。
ただ、それは横でしゃべっている土方悦子には内緒でしようと思った。口を入れられるとかえって面倒になりそうだった。
「藤野由美さんと梶原澄子さんは、どういうわけか仲が悪かったですね」
土方悦子は、回想するように呟いた。
「相性《あいしよう》が悪いというのかな。藤野由美のほうはそれほどでもなかったが、梶原澄子が彼女との同室を嫌っていましたね。不潔だ、不潔だと云って。あれは少々ヒステリックな嫌悪感でした」
門田は彼女に前に話したことをくりかえした。
「その梶原さんが、藤野さんとは同じようなタイプの多田マリ子さんとの同室を希望していたとチーフは云いましたね?」
「そう。ぼくが梶原澄子に、では新しい室友にはだれがいいかと訊いたら、多田マリ子を希望していました。ぼくも、それは意外だったんですが」
土方悦子は瞳に思案の表情をあらわした。
「もしかすると、その藤野由美さんと梶原澄子さんの不仲に、殺人の原因があるんじゃないでしょうか?」
「え。そんなことはなかろう。一人が相手を殺したのなら、それも分るけど、二人とも殺されているんですからね」
「でも、犯人には、藤野さんと梶原さんの二人に共通の殺害動機があったかも分りませんわ」
「それだったら、藤野由美と梶原澄子とは前から知合っていたとか、顔馴染だったという間柄でなければならない。共通の原因で犯人に狙われていたとすればね。しかし、このローズ・ツアの団員は、みな参加してから知合いになったんですからね。初対面ですよ。藤野由美も梶原澄子もそうだった。それは、あの二人の様子を見ただけでも分る」
「ええ。それはよく分ります。お二人の様子はそうでした」
土方悦子は、納得してうなずいた。
「……ほんとうに、なにもかも奇妙です」
まったく、二人を殺害した犯人の動機にさっぱり見当がつかない。いずれ犯人が逮捕されたときにそれが判るにしても、予想も推測もつかないというのは、なんとも苛立たしく、落ちつかないことだった。
そのとき、星野加根子が前のカメラ店から出てくるのが見えた。門田は眼で追った。彼女は通りを横切ってホテルの玄関に入ってくる。ロビーに歩いてくる。
門田は、手洗いにでも行くようなふりで椅子を起った。
まだ思案をつづけている悦子を残して、彼はロビーから奥の廊下に行った。三メートル先を星野加根子の後姿が歩いていた。右にまわる。ロビーからは見えないところである。
「星野さん」
門田は呼びとめた。彼女はふり返って立ちどまった。
「ああ、わたしの見たことをお聞きになりたいんですね?」
と、星野加根子は門田に向いてかすかに笑った。
その冷たい微笑はあたかも彼女の知っている秘密を示しているように思われた。
「星野さん。今回の事件で、ぼくがいろいろと悩んでいるのをご存じでしょう? コンダクターとしては大きな責任を感じているんです」
門田は、急にかなしげな顔になった。
「ええ。それはよく分っています」
彼女はうなずいた。
「実は、もうすぐここに、ウチの広島常務がベルンから到着するのです。ベルンにはロンドンから飛んで来たのですが、常務がここにくるまで、ぼくも何か参考的な材料を持っていなければなりませんからね。でないと、まるきりぼくが莫迦みたいな男になります」
「………」
「ぼくがよっぽど無能な男のように常務に見えます。星野さん、あなたのごらんになったという一件をぼくに話して下さい。それが事件の解決の一端にならないとも限りませんから」
門田は哀願調になった。もともと要領を心得た男であった。しかし、知りたい気持は真剣だった。
「わかりました。では、わたしの見たことをご参考までに申しましょう」
星野加根子は、門田が窮地に陥りそうだと聞いて同情心を起したようだった。
「え、話していただけますか?」
門田は希望に眼を大きくした。
「でも、ここでは駄目ですわ」
「はあ?」
「わたしがこうしてあなたにコソコソと話しているところをみなさんに見られたら、何を告げ口してるかと思われますわ」
「そうですね。わかりました。べつの場所に行きましょうか?」
門田は胸をはずませた。
「ホテルの外がいいと思います」
星野加根子は慎重だった。というよりも、彼女の癖の、秘密めいたものの云い方が出たと門田は思った。が、いまは顔をしかめてはいられなかった。
「どこにしますか?」
「さっき、散歩に出たときに、この道路の先三百メートルくらいのところに、キリスト教会がありました。そのへんなら団員の方もあまり来ないでしょう。わたしもあとからすぐに行きますから、待っててください」
「あの、なんでしたら土方さんもいっしょに連れて行きましょうか?」
と、門田がいったのは、逢引のような体裁になるので、星野加根子の思惑をかねたのだった。
「土方さん?」
星野加根子は、一瞬、門田の顔を見た。
「はあ」
「それは困ります。絶対に困ります」
星野加根子は急に激しく云った。
「わかりました。ぼく一人で行きます」
星野加根子は二階の階段のほうに行く。門田はロビーのほうに引返しかけたが、もとの位置に土方悦子の後姿が椅子に凝然と坐って、表のほうを眺めながら何やら思案をつづけているふうなので、踵をかえした。玄関を出るのを見咎められたらおしまいである。
門田はホテルの裏についている通用口を出た。そこから建物の横に沿って道路に出れば、土方悦子の視野からは死角になるはずだった。道路に出れば右に行くので、ホテルの前を通らなくてもよかった。
道は登山電車のグリンデルワルト駅からきた一本道である。商店通りは、ホテル・スピンネーを区切りに、あとは次第に寂しくなる。左側は斜面の上が別荘地帯になって、山小屋ふうの家がならぶ。二百メートルも行くと、別の山に行くケーブルカーの駅があった。
このへんまでくると、右側は道路沿いの建物が少なくなって、広闊な山麓の高原が眼下にひらけてきた。緑色の草原はゆるやかな起伏をくりかえし、その間々には針葉樹の木立がある。森林は草原の端の山麓から山腹に匍い上る。青い山の向うには、峨々たる褐色の岩山が雪を頂上にのせて現われていた。草原は自然の牧場となって牛が遊び、青や赤茶色の屋根が一帯にばら撒かれ、ずっと下の遥か向うには一条の白い滝が光っていた。
人は歩いていたが、外国人ばかりで、日本人はたまに居ても門田の知らない男であった。門田は引率の女性団員さえうろうろしていなければよかった。
教会は、こぢんまりとしたもので、尖塔の先の十字架が壮大なアルプス山麓を背景にして光っていた。埃っぽく、猥雑な市中のと違って、山中の教会はいかにも清冽で、崇高にみえた。
門田が教会を見物するふりをして小さな門を入り、建物の前に佇んでいると、道路から星野加根子の姿が歩いてくるのが眼に入った。彼女もひとりで景色を愉しむふりをしているが、警戒心は十分のようだった。やがて彼女は教会に何気ない恰好で近づいてきた。
門田が口笛を吹くまでもなく、星野加根子は珍しそうな顔つきで教会の門を入ってきた。外から見られないために、二人は建物の袖にかくれるようにして立った。
「どうも済みません」
門田は礼をいい、星野加根子の気持をくつろがせるようにパイプに火をつけた。
「べつに、たいしたことじゃないんです。あまりひとのことをいいたくありませんけど」
「これは、ほかの場合と違います。ご承知のように異常な事態も起っていることです。それに、絶対に他人には口外しませんから」
「あら、わたくしの見たものは、殺人事件とはなんの関係もありませんわ」
星野加根子は、おどろいたように云ったが、それは静かな調子で、年配の女にはありがちな、どこか人を焦《じ》らすような表情だった。
「もちろん、関係はないでしょう。しかし、この際です。参考のために、まったく参考のためにうかがいたいのですが」
門田はひたすら頼んだ。こういう女には低姿勢になるのが得策だと思った。
「その、ご参考にもならないと思いますけど……」
彼女は、なおも門田の心をあせらせた。
「なんでも結構です。ここで、教えてください」
アルプスの山頂に雪が輝き、山麓の針葉樹林の深い蒼みは裾野の斜面で牧場の緑色となり、石垣や白壁の家が散らばる村を見下ろして教会の祈りの鐘が鳴る場面は、絵画や映画でも静寂な宗教的雰囲気を与える。
「それでは、思い切って申しあげましょう」
その宗教的な背景に星野加根子の慈悲心が揺り起されたようだった。
「どうぞ」
門田は眼を輝かした。
「門田さん。アンカレッジ空港の売店で、藤野由美さんのお買いになったルビーの指輪が、洗面所で紛失したという話がありましたね?」
彼女は、すこし少さな声になって云った。
「ええ。ありました」
その事故は団員の間に目に見えぬ衝撃を与えた。出国後、最初の寄港地でいきなり派手な買いものをし、しかもそれを紛失して平然としていた藤野由美の豊かさがみなを刺戟した。多田マリ子がコペンハーゲンで狂言による騒ぎを起したのも、それに負けまいとする自己顕示欲からだったと門田は解している。
星野加根子は、あの指輪は永久に出てこないとささやいた。ロンドンで自由行動に当てられた日の午後だった。それが単なる紛失ではないという口吻にもとれた。いま、彼女はその説明を告げようとしている。
「わたくしがお話ししたいというのは、そのことです。あの時は、だれか来そうで、おしまいまで云えなかったのですが」
「それは察していました」
「ここには、団員の方が一人も居ませんから申しますが、あの指輪は紛失したのではなく、藤野由美さんが同じ売店にそれを返されたのですわ」
「えっ」
門田はおどろいた。一瞬、聞き違いではないかと思ったくらいである。吃驚したあとは唖然となった。
「そ、それは、どうして分りましたか?」
「わたくしが見ていたんです。わたくしもほかの売店のウィンドウ・ショッピングに気をとられて、みなさんの出発の集合におくれたんです」
そうだった。門田は思い出す。星野加根子がいちばん遅れて、出発口の待合せ場所に来た。その急ぎ足の姿を門田も憶えている。そのあとから、藤野由美と、彼女を探しに行った土方悦子とが二人して戻ってきた。
そうすると、藤野由美といっしょに洗面所でルビーの指輪を探していたという土方悦子の言葉は、どうなるのだろうか。
「売店に、その指輪を返品して、金をかえしてもらったのは、あなたの助手格の土方さんですわ」
門田は、あまりの言葉に、星野加根子が嘘を云っているのではないかと疑った。しかし、彼女の顔に意地悪げな表情はひろがっていても、その眼は虚偽を述べているようには映らなかった。
「あなたは、わたくしの言葉を疑ってらっしゃるかも分りませんが、わたくしは事実を申し上げているのですよ」
彼女は門田の心を見すかしたように云った。
「はあ。そうは決して思いませんが、あんまり意外なことを聞くので……」
門田は、星野加根子の、眼尻に小皺が寄っている顔をまじまじと見ているだけだった。
「亡くなった藤野由美さんの霊には申訳ないのですが、藤野さんは高価な指輪の買いものに後悔なさったにちがいありません。といって、みんなに見せびらかすようにして買ったものですから、団員が居る間は売店の売子に返品のことが云い出せなかったのでしょう。わたくしは、はなれたところの売店でエスキモーの民芸品を観ていましたから、藤野さんにはわたくしの姿が見えなかったのです。団員が出発集合のためにみんな行ってしまったと安心してらっしゃるところに、その藤野さんを探しに土方さんがやってこられたのです」
星野加根子は一気に云い出した。
「………」
「土方さんの姿を見た藤野由美さんは、とっさに指輪の返品を土方さんに頼んだのです。藤野さんはあの通り英語がよくお出来になるから、言葉の問題で土方さんにたのんだのではありません。それにアンカレッジ空港の売店の売子は、ほとんどが日本語がわかるし、片ことの日本語も商売用に話しますわ。誇り高い、言葉を変えていえば見栄坊の藤野由美さんには、買ったばかりの高価な宝石指輪を返品することは忍びがたいことでした。わたくしどもでも、それは、ちょっと体裁が悪くて躊躇《ためら》いますわ。売子の不機嫌もわかりきっているんですもの。それで、藤野さんは、ご自分をさがしにきた土方さんをみて、これ幸いとばかり返品の代行をおさせになったのです」
「そ、それで、土方さんは、それをしたのですか?」
「土方さんは気軽に引受けて、指輪をさっさと売子に返しましたわ。他人《ひと》のことですと、頼まれた人はわりあいと平気になるものです。わたくしは、その場面の途中から逃げ出して集合場所に行ったんです。藤野さんも土方さんも、通路のほうには後向きに立って、前の売店の売子と交渉していましたし、折から、到着したルフトハンザ機の乗客がどやどやと売場に群をなして入ってきたので、最後まで、わたくしのことには気がつきませんでした」
「そんなことを土方君は、どうしてぼくに打ちあけなかったのだろう?」
門田は、思わず腹立たしげにひとりごとを云った。
「それは藤野由美さんが土方さんに口止めされたからでしょう。だって、そんなことが分ってしまえば、プライドの高い藤野さんは身のおきどころがありませんもの」
それで、指輪が紛失しても、藤野由美が平気だった理由が分った。そういえば、彼女の予告と違って、ロンドンでは女王御用達ハロッズで何の買いものもしなかったことが思い合わされる。その倹約ぶりは、アンカレッジで高価な指輪の紛失に顔色一つ変えなかった態度と一致しないと思っていたが、いまの星野加根子の話を聞いて、プリズムの像のズレが一つになるように、はじめて一致した。
「しかし、土方君も土方君だ。あれほどの大騒ぎになって、ぼくを心配させた指輪紛失の真相をぼくにだけでも、こっそりと打ちあけてくれてもよさそうなものを」
「わたくしも、そう思いますわ。どんなに藤野さんから口止めを約束させられていても、土方さんはあなたにだけは話してよいはずです。藤野さんも亡くなられたことだし。土方さんも、それをいまだにあなたに黙っているなんて、変った方ですね」
「………」
門田は言葉が出なかった。
星野加根子は、通行人の多い通路のほうを見ていたが、にわかに、そわそわしはじめた。
「門田さん。わたくしの話はこれだけですわ。やはり、こんどの殺人事件には関係がないでしょう? ごめんなさい。あなたに期待を持たせたりなどして。でも、この話をわたくしがしたなんて、土方さんはもとより、ほかの団員の人たちにも絶対に内緒ですよ。それは、約束してください」
星野加根子は、それだけ云うと、急いで彼からはなれて行った。教会の門を出たその姿は、登山姿の通行人の多い道路上をホテルのほうに向っていた。
しかし、門田は星野加根子の姿にはもう見むきもしていなかった。彼は石の上に腰を下ろし、身体を前に二つに折って、垂れた頭を両手で支えていた。
土方悦子がアンカレッジの指輪の真相を匿していた。門田は、なんだか彼女に裏切られたような気がした。藤野由美との約束を守って沈黙していたといえばそれまでだが、問題はそんな小さなことではない。たとえ些細なことでも、それは周囲の事情に対置して考えられなければならない。そこに新しい意味も生じ、別な価値観も与えられるのである。当の藤野由美は殺されたのであるから、彼女の指輪返却の一件も、土方悦子は当然に打ちあけなければならないのだ。たとえそれが藤野由美の殺害に直接的な関係があろうとなかろうとだ。しかるに、土方悦子は何も語らなかった。
そのことは何を意味するだろうか。門田はここで、土方悦子を知って以来の彼女の言動を仔細に点検する気になった。それには長い思案がかかった。彼は腕を組んだ。
門田は石の上に坐りすぎて尻が痛くなったので、いちど腰をあげた。教会の鐘が実際に耳近くで鳴りはじめた。
その振動の波は裾野から山腹を匍い上り、はるかにアイガーやユングフラウの白い山頂に到達しているようだった。その一方では、谷底を降って牧野《ぼくや》を流れ、麓の村々に響きを伝えていた。雪の山にいる人間も、牛を追う牧夫も家の主婦も、この鐘の音にしばし両手を組み、祈りを天空の雲に捧げているにちがいなかった。
門田は、足のうらが地から浮くような思いで教会からホテルへむけて歩いた。
門田はホテルのドアマンの愛嬌をうけて中に入った。ロビーは外国人ばかりがたむろしていた。土方悦子の姿はなかった。
門田はここを出るまでロビーに居た土方悦子がいないので安心した。もし、悦子に見つけられたら、チーフ、どこに行っていたのとさっそく質問されるであろう。彼女の頭脳《あたま》の回転の速さは認めないわけにはいかない。どんなことで門田が外出していたか、その行先と、ひょっとすると会っていた相手まで察しかねなかった。
彼がひと息入れるために、ロビーの隅にある椅子に腰を下ろしかけたとき、
「おい、門田君」
と、いきなり横から大きな声をかけられた。
到着したばかりの恰好で、常務の広島淳平が寄ってきていた。門田は、なつかしいよりも鬼が現われたような気持になった。
「あ、常務!」
その背中から、江木奈岐子があらわれた。
「門田さん。こんどは、たいへんでしたわね」
江木奈岐子は瞳をひろげて、門田に、まず同情の言葉をむけた。
門田は、二人の姿を見て、精も根もいっぺんに尽き果てたような気になり、顔がくしゃくしゃに歪んだ。
土方悦子が小さな顔を見せた。そのあとからイギリスの捜査官たちと、日本人新聞記者らがぞろぞろとあらわれた。
その場にいる欧米人の宿泊客が何事かと一斉に見返った。
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アイガーの「壁」
訊問の場所には、ホテル・スピンネーの集会場が借りられた。集会場といっても、せいぜいが百人足らずの人が入れる程度で、日ごろは会議場とか、パーティの会場に使われる。
スイスは、国際会議がよく開かれるところで、西のジュネーブには国連本部があるし、東端のバーゼルでは国際通貨会議がよく開かれる。ベルンでは国際登山者会議がよく催される。そういう会議に列席した代表たちは、また本会議のあと、このアルプスの景勝地に来て、別途に会議を開いたりする。それは遊山半分の、気楽な会議ではあるが。とにかく、そうしたことで、このホテル・スピンネーには小集会場があった。
訊問は、スコットランドのレブン湖畔で行われた二人の日本婦人殺人事件についてであったが、この審問の形式は少しく変っていた。
訊問に当るのは、犯罪の発生地であるイギリスの警察当局で、そのメンバーは次のとおりだった。
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ロンドン警視庁捜査課 警部 クリフォード・ヒューズ 同 警部補 コリン・エヴァンズ
スコットランド・キンロス警察署 部長刑事 エドワード・イングルトン
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これに記録係の警官二名が加わる。
それに、陪席として当地スイス国側から二人の警察官が出た。
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ベルン警察署 警部 ゲオルク・ウンターハウゼン
同 警部補 ルードヴィヒ・テルトラグリ
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スイスは各州の連邦制度をとっているが、ベルンが連邦政府なので、右の両名は中央の派遣官ということになる。
これに日本側からは、駐仏大使館付で在パリの桐原参事官が傍聴人として出席した。警察庁から出向した参事官である。それと、駐スイス大使館で在ベルンの高瀬一等書記官と臼井二等書記官がこれに参加した。
これに、参考人として、王冠観光旅行社の常務広島淳平と、著述業(旅行評論家)江木奈岐子とが列席した。
訊問する側はイギリスの警察官だが、その訊問の主任格にはクリフォード・ヒューズ警部が当ることになった。
訊問を受けるのは、王冠観光旅行社によって結成された「ローズ・ツア」の全員二十八名と、添乗員の門田良平、講師の土方悦子を加えた三十名である。
団員の二十八人は、いまのところ参考人だが、訊問の結果によっては、そのなかから被疑者が出そうであった。だから、それ以前は、参考人の二十八人の日本女性は同時に潜在的な被疑者でもあった。
訊問側と陪席側は集会場《ホール》の正面に居ならんだ。雛壇こそつくられてはいなかったが、それはさながら「審問廷」の観を呈した。華やかな参考人一同はその前にならび、後方には、日本人記者五名と、イギリス、フランス、それに地元のスイスを加えて七名ばかりの外人記者が椅子にかけて鉛筆をかまえていた。
窓々には、落日の近くなったスイスの山が、展示場の画のように、それぞれの額縁にはまって一列にならんでいた。アイガーの壮大な北の絶壁、その左隣により添うようにしている日本の槍カ岳にも似たフィンスターアールホルン。斜めの陽は、青い暗い影を谷底から上方によほど匍い上らせているが、頂上あたりの雪は、次第にうす紅色に染まりつつあった。
まるでカラーの組写真のようだ、と門田は一列の窓の風景を眺めて思った。が、それがフィルムでないことは、外部の景色が持つ寒冷な空気が窓の硝子を通過してこの会場に流れこんでいるような感覚になるのだった。もとより、この手狭なホールにもスチームはとおっていたが、それでもなお門田が寒気をおぼえるのは、雪の高峰を見ている視覚のせいだけではなく、この「審問廷」の森厳さによった。
「廷内」は、静まり返っている。判事や検察官が着席し、いまや裁判長が木槌を鳴らして開廷を宣する前、数分間の緊張した静粛に似ていた。門田が胴震いをおぼえているのは、その氷のようにはりつめた緊張からであった。
門田は、この「法廷」には判事と検事とが居て、「被告」を防禦する側の弁護人が一人も居ないことに気がついた。これで公正な審問が受けられるだろうかと、そぞろ心配になってきた。
広島常務の電話によると、訊問側は、この二十八人の女性団体の中に、殺人の被疑者が居ると決めて、此処まで来ているのである。どのような証拠を掴んだのか知らないが、それは「審問」側がすでに予断を持って臨んでいることではないか。いかなる場合でも、「予断」を持っての「審問」は公正ではない。
ここでの弁護人格といえば、「審問」側の端に坐っている駐仏大使館の桐原参事官であろう。桐原は四十歳の半ばぐらいで、苦味《にがみ》走った顔の、水商売の女にもてそうな風貌だった。服装もこまかいところに配色の神経が行き届いているという、渋い伊達男《ダンデイ》であった。
弁護人になるなら、この男しかいない。海外邦人保護を目的の一つとする在外公館員だから、それは適格だろう。が、その参事官の冷たそうな眼つき、噛みしめたような唇のかたちを見てとると門田は失望が先に立った。
桐原参事官は、ここでは傍聴者格として陪席している。そうであるなら、彼はこの「審問」には口出しできないのである。弁護人になる資格も権利もはじめから与えられていない。もっとも、彼が人道主義と邦人保護の立場から勇気をもってすれば、弁護人を買って出られないことはないが、桐原参事官は本来《プロパー》の外交官ではなく、警察庁出向の役人である。
重要な各国の日本大使館には、防衛庁出向の「武官《アタツシエ》」がいるように、彼は外事警察担当の警察官《ポリス》である。彼もまたスコットランド・ヤードの「予断」に組する一人であろう。むしろ、彼はこんどの事件に捲きこまれたのを迷惑に考え、埒《らち》もない観光団の日本女性が旅先で殺人を犯すなどとは国辱ものだと苦り切っているにちがいなかった。ここで弁護人役を買って出るとはとうてい思えなかった。
門田は、中央席にいる「審問長」格のロンドン警視庁捜査課クリフォード・ヒューズ警部の顔を見た。鼻がひとなみより隆《たか》く、蒼い眼が山湖のように澄んだ、顎の長い、色の白い、典型的な英国紳士の容貌だった。しかし、その鷲鼻の先には、これまた警察官僚的な冷酷さがぶら下っているように見えた。話をするときには、上流階級の人間らしくわざと言葉を吃《ども》るといった|気取り屋《スノツブ》のようだった。
その隣に居る部下のコリン・エヴァンズ警部補は、体重一六〇ポンドもありそうな肥大漢で、その面構えは動物的な獰猛さを備えていた。鼻はひしゃげたように低く、赭かった。これは被疑者を取調べるとき、相手がどのように狡猾な悪漢でもたちまち精神的に降参させるような重圧をもっていた。彼は、訊問する上司に助言する役目であるらしかった。
ヒューズ警部の右隣は一人ぶんだけ空席になっていた。そこに誰が坐るのか分らなかった。
キンロス警察署のエドワード・イングルトン部長刑事は、門田にはもちろん馴染深い人である。レブン湖畔の捜査ではこの人のためにずいぶんときりきり舞いをさせられた。ひどい目に遭わされた男は、なつかしい。
このホテル・スピンネーで、他の警察官一行と門田が遇ったときも、背の高いイングルトン部長刑事はなつかしそうに背をかがめて強く握手したものだった。
「また、お遇いできて、うれしいですな、イングルトン部長刑事」
門田が云うと、
「わたしもだ、ミスター・カドタ。あんたがたのよき旅のつづきを祈っていたが、ここで再び脚を停めさせる仕儀になったのはなんといってもお気の毒です。しかし、こんどは短時間で済むから、よろしく協力ねがうよ」
と、彼は低い声で云った。口髭をあまり動かさなかったのは愛想笑いを消しているからだった。
それは、彼が土方悦子に会ったときもおよそ同じであった。彼女が持ち前の才気走った言葉で、
「このような風光明媚なアルプス風景の中で足どめをしていただくなんて、美しいレブン湖畔のことといい、お国の警察はとても思いやりがあってうれしいですわ、イングルトン部長刑事さん」
というと、彼は、
「そのお言葉はわがイギリス警察にとって光栄ですし、わたしも安心しました。ミス・ヒジカタ」
と、かすかにほほ笑んだだけであった。
その何気ない微笑の中に秘密がある。イングルトン部長刑事は、スコットランド・ヤードの応援を得て、何を掴んできたのであろうか。広島常務はロンドンからの電話で、この女性団体にレブン湖畔殺人事件の犯人がいると悲痛な声で云ったが、それは捜査にあたったイギリス警察当局から聞いたことなのである。が、「旧知」のイングルトンだが、捜査内容を想像させるような表情はさすがに毛筋ほども見せなかった。
いま、「審問席」の端に坐ったイングルトン部長刑事は、あたかも国際会議に列したチェンバレン英代表のように厳粛な面持で控えていた。
参考人の女性たちを門田は一瞥した。どの顔にも好奇心が浮んでいた。どこに不安な人間がいるのか識別できなかった。
多田マリ子は彼女のクラブに集った男客を見るような眼つきで、正面の男たちを面白そうにじろじろと見ていた。彼女の視線は、ときどき門田と、その隣にいる土方悦子、広島常務、江木奈岐子に流れた。とくに、ここで初めて見る女性旅行評論家の江木奈岐子には、同性特有の観察をしているようだった。
星野加根子は、眼を伏せていた。彼女は門田のほうをあまり見なかったが、それは隣にいる土方悦子を避けているらしかった。アンカレッジ空港売店で土方悦子の行動を「見たこと」について門田に「密告」した星野加根子は、土方悦子に視線を当てるのが辛いようであった。この分別くさい、中年の未亡人は、いまも何かしら独りで思索にこもっているようであった。
同じような型《タイプ》には、竹田郁子や日笠朋子や中川やす子などがいた。彼女らは年齢がわりと高いために落ちついていて、よほどのことでもない限り、たじろがない性質だった。興味がもてることを自分から見放したような陰気さはかくせなかった。
年齢が高くても、魚屋の主婦金森幸江のように、何を見ても興味しんしんといったふうな女がいた。彼女はまるで道ばたで輪をくんで立話をしているときのような穿鑿心と、事故が起った近所の家をのぞいているような好奇心とで、これからはじまる「審問」の成行きを期待する顔でいた。
だが、この型《タイプ》が参考人の女性には圧倒的に多かった。金森幸江ほどには「低級な」趣味でないにしても、たとえば本田雅子、西村ミキ子、千葉裕子の女子学生も同様な興味をこの場面の展開に寄せていた。それらの女たちは一様に顔をあげて、眼を輝かしていた。
要するに、門田にとっては、どの女性が二つの殺人の被疑者なのか、見渡したかぎりでは、さっぱり判断がつかなかった。
彼は、その参考人たちのうしろにある記者席に眼を流した。
A─社の浅倉、B─社の諏訪、C─社の高村、連合通信社の内藤、それに日本スポーツ文化新聞の鈴木がならんでいる。
浅倉のぼさぼさ髪と浅黒い顔、諏訪の坊ちゃんのような可愛い丸顔、高村の七三に分けた髪と大きな眼、内藤の職人のように刈り上げた頭と顴骨《ほおぼね》の出っぱった顔、それに鈴木のもっともらしい口髭と顎髭、いずれも「審問席」を猟犬のような眼つきで注目していた。
ロンドンから警察官一行とスイスに飛んできた彼らと、門田は一時間前にこのホテル・スピンネーの玄関で遇った。浅倉は眼を無邪気に細め、
「こりゃ、いいとこじゃありませんか、門田さん。こんな素晴しいアルプスの保養地で警察の訊問を受けるなんて、スコットランドの山湖のことといい、あんたがたはよっぽどツイていますよ」
と、いきなりがらがら声で云って笑った。
「よしてくださいよ、浅倉さん。ツイているどころか、こっちは再三の足どめで腐っているんですからね」
門田は、彼の言葉を手で制した。この玄関先は外国人客の出入りばかりで、ほかに日本人がいなかったからいいようなものの、具合の悪い話であった。
「いや、ごめん、ごめん。われわれはここまで登ってきて、あんまり素晴しい眺めに、うっとりとしたもんですからね。つい、失言をしました。ところで、門田さん、今日は団員さんたちを連れてアイガーに登ったでしょう?」
浅倉は早速に取材にかかった。これは傍にいる四人も同じ顔つきであった。
「ええ、登りました。予定のスケジュールですからね」
「なるほど。で、みなさんの様子はどうでした?」
「様子ですって? そりゃ、普通の観光客と変りありませんよ。アイガーの雄大さに、ただただ感嘆し、躁《はしや》いでいましたよ」
「そのなかでですね、少し様子が変っているとか、おかしいとかいう女性団員は居ませんでしたか?」
「そんな人は見ませんでしたよ。みんな夢中になって撮影したりしてよろこんでいましたからね。……ところで、浅倉さん、こんどは、こっちから訊きたいのですが、スコットランド・ヤードはどんな証拠を握ったのですか、あのレブン湖の二つの殺人事件で?」
「それが、さっぱり、われわれにもつかめないのです。捜査陣がひた隠しに隠していますからね」
「けど、この団体のなかに被疑者がいると見込みをつけて、連中がここに乗りこんできたのはたしかでしょう?」
「それはそうなんだけど、よく分らんのです。とにかく、あんたの云っているような見込みで、われわれも連中にくっついて此処まで来たのですがね」
新聞記者たちは、実際に捜査の内容やその進展については何も知らないようであった。
例の通信員の鈴木は、
「コペンのホテルの出来事を日本に報じたのはぼくですが、その観光団がこんな大きな事件の渦中に入るなんて、あのときは想像もできませんでしたねえ」
と、はるばるアルプスまで登ってきて、感慨深げな表情であった。
門田は、その鈴木の顔を見て、せっかくのアルプス行に女を伴れてこられなかったのを内心で残念がっているのではないかと思った。彼のガールフレンドのデンマーク娘はコペンハーゲンの裏町の居酒屋で見たし、ロンドン娘は、土方悦子に注意されて、キンロス・ホテルの庭で瞥見した。いやいや、こっちが心配することはない。あのぶんだと、案外スイス娘をどこか近くのホテルに待たせているのではないかと邪推にも似た想像をした。
この五人のプレスマンが一様に視線をくれたのは、ロビーに坐っている江木奈岐子の姿であった。
「あの旅の評論家は、あんたがたが出発したあと、キンロスに広島さんといっしょに来たが、ちょっと魅力があるおばさんだな。名前はつとに聞いていたが、見るのははじめてでね。まだ残んの香といった色気が、しぐさなどに見えますよ」
と、これは浅倉が代表して云った言葉だった。
女性寄稿家は、なべて編集者や新聞記者に愛想がいい。ことに江木奈岐子の場合は、売れっ子の小説家というわけではなし、それが目立つのは当然であった。浅倉らにそう云われてみると、見なれている門田には気がつかないことだったが、こうして外国で遇う彼女の顔も服装もちょっと日本人放れした新鮮さがあり、しかもイタに付いているという感じだった。
「それに、江木女史はすごく英語が達者だな。ちょっと、はたでしゃべっているのを耳にしたのだが」
これは連合通信の内藤が云った。
「それはそうでしょう。女ひとりで世界じゅうを何度も歩いてきているんですからね。旅に関する英書の翻訳もありますよ」
門田は教えた。
そこにロンドンからきたエヴァンズ警部補がやってきて、映画の悪役そっくりの顔で、
「君ら、そこで、ごそごそと話してはいかん。さあ、新聞記者諸君は、あっちに行った、行った」
と、追い立てた。日本語が分らないだけに、記者たちの取材を頭ごなしに叱りつけたのだった。このぶんでは、五人の連中も、ウインザー城で各団員にあたって取材したような活動はできなかった。
隣の土方悦子が遠慮深そうに小さな咳をした。そのまた隣の席が、先刻、新聞記者たちの話題に出た江木奈岐子であった。
江木奈岐子と土方悦子がこのホテルで会ったときの様子は、門田は見ておぼえている。
「土方さん。あなたには、ご苦労をおかけしたわね。ごめんなさい」
江木奈岐子は、小走りに寄ってきた土方悦子の手を把って云った。
「いいえ、先生。わたくしはなんでもありませんわ。それよりも東京からわざわざお電話をいただいたりして、かえってご心配をおかけしました」
土方悦子は、小さな身体を折っておじぎしていた。
「わたしがあなたを代理に出したばっかりに、こんどのようなひどい目にあわせました。ほんとに許してね」
「とんでもありません。わたくしはこのように平気ですし、元気なんですもの」
「それを見て安心しました。やっぱりこの眼で確かめないことには落ちつかないものね。わたしは、あなたのことが心配で、東京にじっとして居られないもんだから、広島さんがこっちに飛ばれると聞いて、お願いして随《つ》いてきたのよ」
「まあ、そんなにまでご心配していただいて申しわけありません。ほんとに、どう申し上げていいかわかりませんわ」
「いいのよ、そんなに気を使わなくても。わたしはあなたの元気そうな顔を見て安心したから、此処が済んだら、明日にでもギリシャに飛んで中近東をまわって帰るわ。ちょうど、そのへんにひっかかる仕事があるもんだから」
「それは、先生がわたくしに気がねしておっしゃっているからで、わたくしのことで、やはりわざわざいらしたんでしょう?」
「いいえ。中近東に取材があるのもほんとうなの」
「それならいいんですが。……」
「でも、今日はいまからがたいへんね。殺されたお二人もお気の毒だけれど、この女性団体のなかから犯人が出るなんて、ほんとうにイヤだわ。それをこれから警察が訊問でみんなの前で摘発するなんて。まるで、ヨーロッパ中世の裁判のようだわ。ああ、ここは中世の面影の濃いスイスだけど」
「でも、ここで一気に解決してもらったほうがいいかもしれません。たとえ嫌疑者が出たとしても、裁判でないと有罪か無罪か分りませんし。とにかく、このままお互いが疑心暗鬼のような状態で団体旅行するのは、たまりませんわ」
「わたしには、どっちがいいか、よく分らないけれど」
「先生、ここで結果をごらんになって、中近東の旅にお出かけになったほうが、かえって落ちつかれると思うんですよ。遅かれ早かれ、いずれは一つの結論が出るんですもの」
「それは、そうかもしれないけれど」
その両人は、いま、門田の傍にならんでいた。土方悦子の小さな身体ごしに、江木奈岐子の横顔の一部分が見えた。フランス香水の匂いがそこからかすかに流れてきた。土方悦子は香水をほとんどつけない女であった。
門田は、土方悦子に抱いた不信感がまだ残っていた。星野加根子が教会の横でこっそりと打ちあけたのは、事実にちがいない。彼女は、土方悦子がアンカレッジ空港の売店で藤野由美に協力してルビーの指輪を返品したのを見たと云った。
そのこと自体は、何度も考えるように、こんどの忌わしい事件とは関係がないであろう。しかし、それを未だに自分に隠しているのが不満だった。何でも話し合い、相談した間柄なのに、そんな秘密主義が気に喰わなかった。女というのは、とかく詰らないことをひた隠しにして満足しているものだが、この一点だけでも、土方悦子に対するこれまでの信頼感が揺らいでいた。
江木奈岐子の隣にいる広島淳平常務は、門田からいって同列の三人目にあたるが、そこにちらりと見える横顔はまことに沈痛であった。犯人は別として、広島ほど衝撃を持続させている人間はこの小集会場の中に居ないであろう。無理もないことで、自分の社が組んだ観光団の中で二人が殺害され、しかもその犯人が同じ団員だというのである。数ある旅行社にとっても前代未聞のことであった。もしかすると、この不祥事件から王冠観光旅行社は世間から爪はじきをうけて社運が急速に傾くかもしれないのだ。最悪の場合、その不評から社は潰れないとも限らない。その責任はすべて企画担当役員の広島常務の上にあった。それはまさに深刻な危機といってよかった。彼は不運と受難とを一身に背負った顔で、石のように凝乎としていた。このホテルで、門田が最初に遇ったときの彼の怒号、叫び、それにつづく蜒々とした愚痴は、諦めの涯に、すっかり沈んでいた。
広島といえば、このホテルで土方悦子と遇うと、すぐに電報を二通彼女に渡した。日本からホテル・ベルビュー気付で彼女宛に来ていたのを持参したと云っていた。団体がベルンを出発して山に来たあとで電報は到着したらしい。この二通の電報の内容について土方悦子は門田に何もふれなかった。これも彼女の秘密主義に思えて、門田の不満を唆った。
門田の視野が、テレビ・カメラのように、訊問者席、参考人席、記者席を舐《な》めまわし、次いで自分の横にいる三人の上を匍《は》い、最後に再び中央の訊問者席に戻ってぴたりと止まったとき、「審問長」格のクリフォード・ヒューズ警部は、会場の静寂を破って大きな咳払いをした。それは恰度、裁判長が開廷を宣する木槌の音にも聞えた。
「それでは、これから、去る四月二十二日にわがブリテン連合王国はスコットランド、キンロス町のレブン湖畔で起った日本婦人二人の殺害事件について、ここに集られた参考人の方にいろいろと質問を開始いたします。ご協力をおねがいします。なお、当方の質問に答えられる参考人の答弁や陳述は、すべて記録されますので、その旨をおふくみください」
警部は、上流社会風の気取った抑揚で云ったが、この場合、その気障《きざ》がかえって厳粛に聞えた。
「次に、言葉の問題でありますが、ここでは公用語として英語を用いることにします。参考人の発言は、ここにお見えになっている江木奈岐子さんに通訳をおねがいすることにし、われわれ質問者側の通訳は、駐スイス日本大使館の高瀬一等書記官に特におねがいすることにしました」
クリフォード・ヒューズ警部が眼顔でさし招くと、かねて打合せができていたのであろう、江木奈岐子がついと起って、ヒューズ警部の右隣の空いた椅子に坐った。門田には空席だった理由がはじめて呑みこめた。
江木奈岐子は、椅子に坐る前に、正面の参考人席、二十八人もの華やかな同性に対して、日本流に頭をさげておじぎをした。
「江木奈岐子でございます。ただいまクリフォード・ヒューズ警部の命令で、ふつつかですが、わたくしが通訳をさせていただきます。質問者側の通訳は、ここにおいでになります駐スイス大使館の高瀬一等書記官におねがいすることにしました。もうお分りになっている方もあると存じますが、ただいま、ヒューズ警部が云われたのは、こういう意味のことでございます」
彼女は、さっそくヒューズ警部の「開廷」の言葉を通訳したのだった。
江木奈岐子は、心もち眉を上げ、いくらか上気した顔でいた。参考人の女性たちの視線が自分に集中しているのをやはり意識しているからであった。
痩せた高瀬一等書記官もその白い顔を紅潮させた。
「それでは、始めます」
ヒューズ警部は、もう一度、荘重な咳を一つして云った。
初めは、クリフォード・ヒューズ警部によって、団員二十八人の簡単な身元調べといったものが行われた。
日本人二十八人について、こと細かに調べることは、時間的・地域的条件からいっても不可能である。ことに訊問は外国人であるから、日本の警察官が根掘り葉掘り訊問するような調子にはいかなかった。身元を調べる資料といったものもないのである。それらしいものは、パスポート記載ただ一つだけだった。
一人一人が、自分のことを簡単に述べた。どこで生れ、どういう職業を持っているかを云い、勤め先の名前をあげた。既婚の者は亭主の職業と名前を云った。こうした供述は一方的な話で、審問側にはそれに反対訊問する力はなかった。横にいた記録係の部下が書き取っていた。もちろん江木奈岐子の淀みない通訳だった。
最初の問題は、団員それぞれが、殺された藤野由美と梶原澄子と、個人的に知合いだったかどうかの点であった。これは二十八人全部が否定した。
「私たちは、お互いがこの団体に入ってから初めて知り合ったのです。もちろん藤野さんも梶原さんも含めてです。それまでは、会ったことも、見たことも、話したこともない仲です」
通訳は、決定どおり訊問側を高瀬一等書記官が日本語に、観光団側を江木奈岐子が英語にそれぞれ担当した。彼女の英語は、非常に慣れていた。
ヒューズ警部は門田のほうを向いた。
「ルーム・メートは当人たちの希望で決ったのですか、それとも主催者のほうで決めたのですか」(高瀬・通訳)
「それは私の責任で割り振りを決めました。基準といってはありませんが、大体年齢的に近いもの、または居住地域が同一か近いものを一緒にするようにしました。これはいままでの経験から、習慣的にそうしたのです」(江木・通訳)
「ルーム・メートに組合せられてから、それぞれお互いの感情はうまくいっていましたか」(高瀬)
門田は、訊問者が藤野由美と梶原澄子のことを言っているのだと気がついた。おいでなすったという感じである。しかし、ここで妙に隠し立てはできなかった。彼は、殺された両人の仲がしっくりしていなかったと述べて説明した。
「団体旅行には、同じ部屋に二人で泊るので、そうした小さなトラブルは付きものなのです。それは私が過去の添乗でしばしば経験したところです」(江木)
「藤野由美と梶原澄子との仲違いの原因は何ですか?」(高瀬)
ヒューズ警部は眼に冷たい光を見せた。
「別にたいしたことではなかったと思います。人によっては、相手が何となく気にくわなかったり、反りが合わなかったりするものです。たいした理由もなしに、ルーム・メートを替えてくれとか、あるいは、お金を出すから個室をとってくれとかいう人は、必ず出てきます。しかし、それでは団体統制上、困りますので、規約として、最初に決った組合せは、終りまでその通りに実行させることにしています」(江木)
「君は藤野由美か梶原澄子から、そのことで苦情を訴えられたことがありますか」(高瀬)
「それはございます。けれどもいま申し上げたように、別に取り立てた理由ではなく、やはり相手が気に入らないからという、単純なことでした」(江木)
「それは、藤野由美のほうが云ったのですか、それとも梶原澄子が君に訴えたのですか」(高瀬)
「梶原澄子さんです。この人は、札幌の梶原産婦人科病院長の未亡人で、人一倍潔癖感が強かったように思います。人には、そうした方面で、異常に神経質の方がありますから」(江木)
「梶原澄子は、藤野由美に対する感情をどういうふうに君に云っていましたか。なるべく具体的に話してください」(高瀬)
「梶原澄子さんは、藤野由美さんが不潔な感じがすると云っておりました。しかしわれわれから見て、藤野由美さんが不潔とは思われませんでした。それどころか、おしゃれで、服装も洗練されたものを身につけていましたから、たぶん梶原澄子さんが不潔だというのは、彼女に対する反発が、そんな言葉を発させたと思います。特別な理由もなしに毛嫌いするということは、人にはよくございますから。梶原澄子さんの場合も、藤野さんに対して、生理的に不潔だという表現を使っておりました」(江木)
「梶原澄子は、君にたびたび室友の取り替えを要求しましたか」(高瀬)
「それほど激しくはありませんが、できるなら早くほかの人と替えてくれとは云ってきていました」(江木)
「その場合、梶原澄子さんは、どういう人と新しい室友になりたいと希望していましたか」(高瀬)
「多田マリ子さんです」(江木)
会場の参考人の間には、一種のざわめきが静かに起った。名前を云われた多田マリ子は、その派手な顔を審問長のほうへ振り向けた。
「それは、彼女の希望どおりになったのですか」(高瀬)
「なりませんでした。何となれば、スコットランドのキンロスのトロウト・ヴィラでは、一人一室だったからです」(江木)
「それは四月二十二日の宿泊のことですか」(高瀬)
「そうです」(江木)
「観光団の最初の予定では、この日はエジンバラのホテルに泊ることになっていた。それがどうしてキンロスのトロウト・ヴィラに変ったのですか」(高瀬)
「エジンバラのホテルでは、ブッキング・オーバーから、われわれ全員の宿泊がそこではできなかったからです。ホテル側では、よそのホテルに分宿するよう取り計らってくれましたが、私はそれを断わりました。なぜならば、この団員は外国に初めての方が多いですし、女性でもあります。万一不測の事故が起った場合、私の責任になりますので、なるべく同じホテルに一緒に泊ったほうが、私の目が行き届くと思ったからです。それで分宿を断わり前述のレブン湖畔にあるトロウト・ヴィラに移りました」(高瀬)
「なぜその土地を選んだのですか」(江木)
「それは、まったく偶然です」(高瀬)
そこで門田は、エジンバラの街を歩いているとき、街角にあるサー・ウォルター・スコットの銅像から、団員一同が、スコットの作品に出てくる湖に大きな興味を抱いたこと、それは日本人の間には明治時代から英文学の知識がかなり行き亘っていて、スコットの『湖上の麗人』が広く親しまれていること、そのためにエジンバラのホテルが紹介したレブン湖畔の宿をみんなが喜んだことを説明した。
「サー・ウォルター・スコットの銅像について、そのような文学的説明をしたのはだれですか」(高瀬)
「それは私の横に坐っております土方悦子さんです。土方さんは、講師としてこの団体に付き添っていただいております。彼女の深い教養は、われわれのこんどの旅行で、どれだけ大きな知識と慰めをみなさんに与えたかわかりません。それは、ここにいる団員のみなさんのひとしく認めるところであろうと思います」(江木)
「ミス・ヒジカタ」
と、ヒューズ警部は彼女のほうに顔を向けた。
「いま門田さんが云ったことに間違いはありませんか」(高瀬)
土方悦子は立ち上った。
「間違いはありません。スコットの銅像を見て、私が『湖上の麗人』についての説明をみなさまに申し上げたのです。そうするとみなさまは大変興味を寄せられ、スコットランドのレブン湖畔に移ってからも、大変喜んでおられました。もっともそこはスコットの『湖上の麗人』のカトリン湖とは違いますが、それでも、あの中世の王女と騎士が活躍する物語には、十分ロマンチシズムを満足させられたようであります」
「そうすると、レブン湖のトロウト・ヴィラに移ったのは、最初の予定になかったのですね。ブッキング・オーバーをやらかしたホテル側が責任を感じて紹介したという、まったくの偶然からですね」(高瀬)
警部は質問を門田にむけた。
「そうです。まったくの偶然からです」(江木)
門田は答えた。
「そのホテルに入ったのが、四月二十二日の午後五時ごろでしたね。夕食は早めに、六時に一同がとっている。その晩は、みなはどのように行動しましたか」(高瀬)
「すでにあたりは暮れかけておりましたが、夕景の湖畔の眺めは素晴らしいので、みなさんはそこに行って散歩しておられました。とても楽しそうでした」(江木)
「部屋には団員が一人も残っていなかったのですね。それはどうしてあなたにわかりましたか」(高瀬)
「はい、それはフロントにあるキイ・ボックスに、部屋の鍵がことごとく預けられてあるのを見たからです」(江木)
「団員は、何時ごろまで湖畔にいて、何時ごろホテルに戻りましたか」(高瀬)
「大体九時ごろだろうと思います。あとでみなさんに聞いても、そういうことでした」(江木)
「君は、それを見届けましたか」(高瀬)
「いや、私は風邪をひきそうなので、早々に部屋に帰って寝ました。それが八時ごろでした。ですから、そのあとのことはわかりません。みなさんが九時ごろにホテルに帰られたということは、あくる日になって確かめたのです」(江木)
「土方さん。あなたは何時ごろまで湖畔にいましたか」(高瀬)
警部は彼女に問うた。
「わたくしは湖畔までは参りませんでした。門田さんが風邪をひきそうなので、八時ごろ部屋に帰って寝られたあと、四十分ぐらいして、つまり八時四十分ごろ私は部屋に戻り、本を読んだりなどして眠りました」(江木)
土方悦子は答えた。
「そうすると、門田さんもあなたも最後までは団員の帰りを見なかったというわけですね」(高瀬)
「それには理由があります。われわれがおしまいまでみなさんの傍にいると、まるでみなさんを監視しているように見えるので、その晩は、無責任なようですが、門田さんもわたくしも早くから離れてみなさんの自由行動にお任せすることになったのです」(江木)
ここで、警部クリフォード・ヒューズは、団員の一人一人についてホテルに戻った時間を訊ねた。それぞれがまちまちの時刻を答えたが、一番あとまで残ったのは本田雅子、西村ミキ子、千葉裕子の女子学生の三人だった。さすがに、学生だけに三人とも最後まで一緒に湖畔で遊んでいる。竹田郁子と日笠朋子は、一緒ではなくばらばらに帰って行った。ホテルに戻って、フロントからキイをもらったのも別々であった。
「そのとき、湖畔に残っているほかの団員の姿は見えませんでしたか」(高瀬)
とヒューズ警部は、竹田郁子と日笠朋子に訊いた。
「ほかにはだれも湖畔には残ってないようでした。けれどもそれは必ずしも正確ではありません。なぜならば、そこはあまり暗すぎて、人の姿がよくわからなかったからです。木立ちもあるし、遊歩道も丘の裾を廻ったりしていますから。また、島に行っている人は、湖畔からは見えませんでした」(江木)
ここで一人一人についてフロントに戻った時刻を云わせた結果、その順は大体決ったが、それらの中には、相手の姿を認めた者もいるし、竹田郁子や日笠朋子の場合のように、お互い単独でしかいない者もあった。そういうのは相互の目撃がないために、アリバイがないとも云えた。もっとも、一緒に帰ったといっている人たちでも、もしそこに工作があれば、口裏を合わせることもあり得るので、厳密な意味では、これも正確なアリバイとは云えなかった。それには裏づけ調査が必要となる。
ここでヒューズ警部は、列席のキンロス警察署部長刑事エドワード・イングルトンに、事件の発見から捜査状況をあらまし述べるように命じた。
イングルトンは、ときどき口髭を指で撫でながら、ヒューズ警部に命じられたとおり事件の概要を述べた。それを高瀬一等書記官が淡々と日本語に通訳した。こうである。
「四月二十三日の朝、レブン湖に浮んでいる日本女性の溺死体を、釣り人が発見して、これをキンロス署に届けた。自分、すなわち部長刑事イングルトンは、部下の刑事デービスらを連れて現場に急行した。彼は、その溺死体が日本女性であることから、近くのトロウト・ヴィラに泊っていると聞いている日本人宿泊客だと思い、ホテルに照会した。王冠観光旅行社の主催するローズ・ツア観光団の添乗員の門田氏が現われて、溺死体を藤野由美と確認した。
それに続いて、第二の殺害遺体が、同じ湖畔で発見された。発見者は近所に住む少年と果物屋のおやじである。二人は、地上に船底を上にして乾されていたボートの下に遺体のあるのを見つけた。これをトロウト・ヴィラにいた自分イングルトン部長刑事に届けた。門田氏によって、それも同じ団員の梶原澄子とわかった。以上は、その日午前六時から十二時ぐらいの間のことである。
解剖の結果によると、藤野由美も梶原澄子も、水による窒息死である。違うのは、藤野由美の死体がレブン湖の中に漂っていたのに対し、梶原澄子は、水死した上、死体がボートの下に隠されていたことである。解剖所見によると、二人とも死亡時刻は前日二十二日の午後十時から十二時の間である。同じ時間帯ではあるが、二人のどちらが先に死亡したのか、その前後関係についてはわからない。ただ推測だが、おそらく藤野由美が先で、梶原澄子があとに死亡したであろう。しかし、その時間的間隔はあまりはなれていないと思われる。
所持品は、遺体が持っていたハンドバッグを含めて、部屋の中の荷物は無事で、何一つ盗られていなかった。強盗による線は消えた。残るのは、明らかに怨恨関係の線である。しかし残念なことに、日本国内における被害者の事情がわからないため、二人の殺害についての原因、動機、その他は不明である。
藤野由美は、推定するに、だれかと湖畔で話しているうちに、急に襲撃され、水中に突き落されたものと思われる。このことは少しく説明を要する。
われわれが藤野由美の16号室を捜索したとき、洗面所の排水パイプに、鱒の鱗と水藻の断片がひっかかっているのを発見した。解剖でもわかるように、藤野由美の肺臓、胃袋には、レブン湖の水と同じプランクトンが充満していたので、彼女は一見するにレブン湖で溺死したものと思えた。だが、洗面所の排水パイプにひっかかっていた鱒の鱗は、この推測を一変させた。つまりだれかが洗面所にレブン湖の水を何らかの方法、たとえばビニールの袋に詰めるなどして運び、洗面器に満たした。このとき、水とともに鱒と藻が入った。16号室の藤野由美は、そのだれかが持ってきた鱒を洗面器に移して、これに見入っているときに、後から襲撃されて、水を満たした洗面器に顔を突っ込まれて窒息死した。われわれは最初、このように推定した。しかし、これはまったく誤りであることが分った。鱒の鱗と水藻とが排水パイプの中にひっかかっていたのは、犯人がわざとそのように工作して、捜査を間違った方向──つまり、最初に推定した方向に導くように仕組んだことにわれわれは気づいた。ここで最初の推理は訂正されなければならなくなった。
第二の、正しい推理をひき出すまでの過程は省略するとして、結論からいえばこういうことになる。
犯行は単独でもなし得る。これは三十人の団体のなかで、複数の犯行だと目立ちすぎて、どこかに破綻があるからである。本件は二人の被害者を出しているが、犯行に破綻が見えない。
当夜十時から十二時の間に、単独の犯人が二人を殺害するのは可能である。同一時間帯といっても二時間の余裕がある。おそらく犯行は一時間のうちに、一人ずつを殺害したであろう。
排水パイプの鱗と藻では、藤野由美を殺した犯人は、レブン湖から、湖の水と鱒と藻の断片を16号室の彼女の部屋に運んだように見えるが、湖の鱒をとらえるのは容易ではない。犯人に釣竿の用意があった形跡はない。また、洗面器に顔を押しこんで窒息死させるほどの水を湖から16号室までどのようにして犯人は運搬したか。そのようなものを運んでいれば、当然にフロントの事務員の眼にもふれる。また、遅い時刻でも、廊下などで他の客に出遇わないとも限らない。そんな危険なことを犯人はするだろうか。決してしない。
水を運ぶ容器が見当らない。わたしは団員の各室を捜査したが、ビニール袋など使用した物は発見できなかった。
このようなことから帰納するならば、藤野由美は湖畔の散歩からホテルには帰らずに、犯人によって湖岸から湖水に突き落されて水死させられたものと思料する。
そうなると、戸外で発見された手押し車が問題となってくる。われわれは最初の推測に立って、ホテル裏の物置の傍から持ち出されたこの手押し車を、16号室から藤野由美の死体を外部に運び出すときに使用したものと思った。しかし、この作業も、湖の水を16号室に運んでくる以上に危険な行動である。
すでに藤野由美が溺死体となって発見された湖畔が犯行現場であるなら、運搬用の手押し車はその意味がなくなる。しかし、この手押し車はあきらかに物置近くから犯人によって持ち出されたものである。では、なんのためか。
梶原澄子は、溺死したあと、底を干したボートの下に押し入れられていた。ボートは三人乗り用だが、かなりの重量である。この伏せたボートを押しあげて、死体を中に入れるのは、一人の力ではまず不可能であろう。ここにおいて、手押し車が持ち出された謎が解けた。犯人は手押し車の先端を梃子の代用にして、伏せたボートをこじ開け、死体を入れたあと、その「梃子」を外し、その近くに放置したものと考えられる。われわれは、その手押し車を使用しての実験によってそれが可能であることを確認した。ただし、犯人にとっては、その手押し車を再びもとの物置近くに戻しておく余裕はなかったのであろう。
このように推理するならば、犯人は、おそらく、第一に藤野由美を湖に落して水死させ、そのあと、梶原澄子を同様な方法で殺害し、その死体をボートの下に入れたのであろう。何が故に、梶原澄子の死体のみ、湖水から引きあげてボートの下に匿したかは分らないが、おそらく、梶原澄子の死体発見が遅れることによって、捜査の眼を彼女の「行方不明」に転じ、あたかも藤野由美の殺害犯人が逃走したかのごとく見せかけたのであろう。つまり、犯人にとっては時間かせぎが狙いだったのであろう。
まだ季節《シーズン》に早いので、ボートの半分以上はペンキを塗りかえて、底を上にして天日に乾されている。それが正常な姿にもどるには、あと一カ月はかかるというのがボート屋のおやじの話であった。すなわち、梶原澄子の死体発見は、一カ月は遅れる道理である。もっとも死体腐爛による悪臭で、それよりは早く異変が発見されるだろうが。
犯人が、ボートの不要期間があと一カ月だというのを知っていたかどうかは分らないが、少なくとも数日はそこに伏せられた状態で置かれることは推察していたであろう。
藤野由美と梶原澄子とを湖畔にとどめておいた犯人の偉力は絶大である。これは、よほど被害者二人に親密であり、信用のある人物でなければならない。
そのうえ、被害者二人はキンロス町の鱒荘にくるまでは、コペンハーゲンのロイヤル・ホテルでも、ロンドンのホテル・ランカスターでも同室者であったが、この同室者どうしは極めて不仲であったということである。その仲のよくない二人に、共通の信頼を得ている犯人は、いったいどのような人間像であろうか。
次に、藤野由美の16号室のキイは、部屋から発見され、梶原澄子の34号室のキイは、死体と共にあった彼女のハンドバッグの中にあった。両人が湖畔の散歩に他の団員と共にそれぞれのキイをフロントに預けていたことは、門田も確認している。門田が自分の鍵を受け取るとき、キイ・ボックスに団員全部の部屋のキイが入っていたのである。
問題は、いつ、だれによって16号室と34号室のキイがフロントから受け取られたかということである。この点については、係員の記憶はきわめて曖昧で、日本女性たちが帰ってきて番号のキイを要求するままにカウンターに置いて渡したと云っている。したがって、16号室と34号室のキイの返還要求についてはとくに印象がなかったと述べている。つまり、係員は日本女性団体客の要求する声に応じて、きわめて事務的にそれぞれのキイをボックスから出して、習慣的に渡したのである。
しかしながら、ここに重要なのは、いくら係員が事務的かつ習慣的に──それは不注意の状態だが──部屋のキイを要求されるままに渡したとしても、相手が女性であったことは確かである。係員は、何号室から何号室までは日本女性団体客が入っていることは、おおよそ頭の中に入れていたと云っている。フロントの係員としては、さもありなんである。したがってキイを渡したのは女性であった。男には渡していない。16号室と34号室のキイをうけとったのが犯人であれば、その犯人は日本人女性であるという結論に、われわれは到達せざるを得なかった」
折から列をなしている窓には夕陽に燃えるアルプスの空が一斉に輝きわたった。イングルトン部長刑事の衝撃的な捜査結論に、その強烈な色彩はさながら音楽の耳を聾するばかりの全奏《トウツテイ》を思わせた。参考人席の女性たちは、高瀬一等書記官の通訳が終ると、一様に心臓を刺されたように沈黙した。
「最後に」
イングルトン部長刑事は、自分の捜査経過陳述の効果に満足したように、参考人席から記者席、門田と土方悦子の席、はては陪席人の横の列まで見渡した。高瀬一等書記官の通訳もまた適切であった。
「……最後に申し上げたいのは、この二つの殺人事件の動機なり原因です。これはわれわれに推定できないのみならず、想像もつかないのです。というのは、被害者の藤野由美にしても梶原澄子にしても、日本国内においてどのような環境を持ち、どのような人間関係を持っていたか、まったくわれわれには分らないからです。もし、この殺人の動機や原因を求めようとするならば、彼女らのこんどの外国の旅行先ではなく、日本国内に在ると思料せざるを得ないのです」
「イングルトン部長刑事。ありがとう。ご苦労さまでした。ひとまず着席してください」
ヒューズ警部が云うと、イングルトンは着席し、ハンカチで口髭のあたりを拭った。
門田は内心でおどろいて、思わず横眼で隣の土方悦子を見た。
イングルトン部長刑事のいまの捜査経過説明は、土方悦子から聞いた彼女の推定とまったく同じであった。よくもこうまで両者が一致したものである。
門田はこれまで小賢《こざか》しい土方悦子を、何かというと生意気に考え、小骨が咽喉に刺さるような邪魔っ気と抵抗感をおぼえたものだが、イギリス警察の捜査結果と同じことを二日も早く読みとった才智に対して降参しないわけにはゆかなかった。
が、土方悦子の横顔は微笑も見えないばかりか、事態の成行に憂い気な表情さえ浮んでいた。
クリフォード・ヒューズ警部は、やおら広島淳平に質問の眼を向けた。高瀬一等書記官の通訳であった。
「広島さん、このへんで被害者の藤野由美さんと梶原澄子さんの身元について、あなたが知り得た知識を述べてくれませんか」
広島は大きくうなずいて、ポケットから手帳を出して片手に持った。
「お気の毒な藤野由美さんと梶原澄子さんの身元につきましては、一介の旅行業者である私には何一つ知識がございません。調査することも困難であります。以下述べますところのことは、遺体を引き取りに日本から見えたお二人の被害者の遺族の方から承わったことであります」
これは江木奈岐子の通訳である。広島は、ちらりと参考人席に眼をはしらせて、ヒューズ警部の正面に向いた。
「藤野由美さんの遺体を引き取りに見えたのは、姪《めい》ごさんの山下好子さんであります。好子さんは、藤野由美さんの姉さんの長女に当られるそうです。好子さんの話によると、藤野由美さんは現在東京の東銀座××番地で、会員形式の高級美容サロンを開いておられます。美容師は二十数人で、かなり手広く経営しておられるということです。
藤野由美さんは広島市の生れで、東京にその店を持たれたのは、昭和三十六、七年ごろだそうです。結婚は一度もなさっておられません。遺産の相続人となれば山下好子さんがそれに当るそうです。藤野由美さんは、現在の店を持つまで、美容師やホステスをして、東京都内の店で働いておられたそうですが、このへんの経歴は姪ごさんの山下好子さんにもよくわかっておりません。また藤野由美さんの男性関係についても、好子さんは詳しくないと云っておられました。なぜならば、好子さんが藤野由美さんと親しくつき合うようになったのは、ここ五、六年前からで、それまでは疎遠だったそうであります。
しかし、藤野由美さんに当然パトロンのような男性があったということは、好子さんも云っておられます。その人は、某実業家で、かなり年配の方でありますから、その関係がこんどの殺人事件の動機、原因その他に影響しているとは思われません。
もとより彼女の現在の庇護者である実業家が現われるまで何人かの男性は存在したようです。つまり藤野由美さんは、次々とパトロンを替えてゆき、現在の店を持つようになったわけであります。この間の事情については、山下好子さんも詳しくありません。これは今後日本の警察の手によって調査してもらうより仕方がないわけです。現在の藤野由美さんには、その年配のパトロンのほかに、男性関係はなかったかという疑問がありますが、好子さんの話によると、そのような様子は見えなかったということです。もっともマンションに住んでいた藤野由美さんは、郊外に住む好子さんと、日ごろからそう緊密に往来していたわけではないので、藤野由美さんのプライベートな点は、好子さんにもわかっていないのです。そうした藤野由美さんとパトロン以外の男性との関係がどのようなものであったかということは、これも日本の警察に調べていただくよりほかわからないわけであります」
江木奈岐子の澄んだ英語の声が、広島の濁《だ》み声のあとにつづく。窓の外に輝いていた朱《あけ》色は急速に褪せ、室内は黄昏《たそがれ》の空気となった。広島は手帳のページを一枚繰った。
「次に、梶原澄子さんのことですが、スコットランドにその遺体を引き取りに見えたのは、義弟の梶原二郎さんです。梶原二郎さんは現在札幌で梶原産婦人科病院の院長をしておられますが、これは兄の跡を継がれたのであります。被害者の梶原澄子さんは、札幌の梶原産婦人科病院院長梶原庄治氏の未亡人で、即ち二郎さんの義姉に当ります。梶原産婦人科病院というのは、現在札幌市××町にあり、昭和三十二年から故庄治氏が開業しておられますが、二郎さんによると、その前は市内でなく市外に近いところに病院があったということです。つまり病院としては大きく発展してきたわけであります。
梶原澄子さんについては、いまから三年前に夫の庄治氏と死別して以来、義弟夫婦に病院の経営権を渡し、自分は近くのマンションにひとりで住んでおられたということです。男性関係については、一切そういうことがないと二郎さんは断言しておられます。澄子さんの性格は、かなり勝ち気で、神経質だったそうであります。したがって人の好き嫌いも激しかったと云っておられます。澄子さんは亡夫の庄治氏と昭和二十三年に結婚されておりますが、終戦後の医薬材料のないとき、あるいは看護婦など人手不足の困難時に、よく夫の庄治氏に協力して、看護婦代りをして働いていたということであります」
ここで広島は、手帳から目をあげた。
「以上のことは、ここにおられるクリフォード・ヒューズ警部ならびにエドワード・イングルトン部長刑事などが、両被害者の遺体引き取りに見えた二人の遺族にそれぞれお聞きになっていることであります。即ち、そうした被害者の環境からは、今回の犯罪に結びつくような点は、いまのところ、明確なものがないのであります。旅行業者としての私どもは、遺族の方のお話によるほかはないわけで、これ以上申し上げることもないのであります」
「いまの広島さんの話は、われわれも遺体引取りに日本から見えた遺族の方々から聞いたことであります。ここは参考人の方々に、一応広島さんの口から説明していただいたわけであります」
ヒューズ警部は、江木奈岐子の上手な通訳で広島陳述を聞くと、一同にその意のあるところを高瀬一等書記官の通訳つきで説明した。
「さて、先ほどのイングルトン部長刑事の話に戻ることにします。お聞きのように、イングルトン部長刑事は、今回の事件についていくつかの疑点を述べました。
これを整理すると、犯人は複数ではなく単独であるということ、それは外部の人間ではなく、この旅行団の中にいるという不幸な結論となります。犯人は非常に緻密な計画の下に二つの殺人を行った点から見て、知能のきわめて秀れた人間ということになります。
そこでイングルトン部長刑事の疑点をさらに細かく分析すると、以下のことになります。即ち犯人は被害者の藤野由美さんにも、梶原澄子さんにも信頼があったということです。この二人は室友でありながら、仲がよくなかったのに、犯人に対しては両人とも信頼感を寄せていたようです。
信頼感というのは、藤野由美さんも梶原澄子さんも、当夜、湖畔からそれぞれの部屋に戻った形跡がない。二人は犯人によって、午後十時から十二時の犯行時まで、湖畔に引き止められていた。これはよほど信用のある人間でないと、被害者二人が素直にその云う通りになるわけがないからであります。
次に、被害者二人の部屋のキイの問題があります。藤野由美さんは16号室、梶原澄子さんは34号室です。二つのキイは、それぞれ発見されています。藤野さんのは部屋の中に、梶原さんのは死体と共にあったハンドバッグの中にありました。これはフロントに預けたキイが両人の殺害される前に受け取られていることであります。しかしながら、被害者二人がそれぞれ自分のキイをフロントからもらったとは思えません。これはキイ・ボックスに二つのキイが残っていると、遅くまで湖畔から帰ってこないのを他の団員に騒がれるため、犯人は犯行に支障を来たすことを考えて、あたかも両人が九時までに湖畔から戻っているということを偽装したのだろうと思います。各団員の部屋は個室であるので、キイがフロントから取り出されていれば、各自は部屋に戻ったものと他の者に思いこまれます。
では、そのキイをフロントから受け取ったのは、どのような人物であろうか。当夜のフロントの係員は、八時から九時までの間に、宿泊の日本女性たちが三十人も次から次にキイを受け取りに来たので、云うままに部屋番号のキイを渡したと云っております。彼は、日本女性にキイを出したことは憶えているが、その顔までははっきりと記憶していないと申しています。ホテルのフロントでは、団体客があると、そういう現象はよく見られることで、一定の時間にたくさんの客がキイの返還を求めると、つい繁忙にとりまぎれ、ろくろく相手の顔も見ないで出すことはよくあることであります。したがって16号室と34号室のキイを求めたのがどのような人相であったかは、残念ながらフロントの事務員には判別がつかないのであります。
さらにイングルトン部長刑事も指摘しているように、犯人は仲の悪い被害者二人に信用があったと同様に、他の団員についても信用があった人物ということになります。参考人のみなさんは、この点についてご留意願いたいと思います」
クリフォード・ヒューズ警部の冷たい眼差《まなざし》は、静かな動揺が小波《さざなみ》のように行きわたっている参考人席を往復した。彼は何事か反応を期待しているようであった。自分の投げた言葉が、女性たちの表情にどのような変化を与えているか、その一人一人の表情を仔細に覗いているような、深い眼差であった。
しかし、低いどよめきが参考人席に広がってはいたが、ヒューズ警部が待っているような顕著な反応は何もなかった。したがって被疑者を識別する手がかりもまだつかみ得ないふうであった。
ヒューズ警部は、少し苛立ったような表情を見せた。彼はメモをのぞいて、小さな咳払いをした。
「われわれは、この旅行団がキンロス町のトロウト・ヴィラに到着するまでの経路を調査しました。この団体は、東京において四月十五日に結成され、羽田を出発し、アンカレッジに寄港して、一時間休憩し、そこから飛び続けてデンマークのコペンハーゲンに到着、同夜は市内のロイヤル・ホテルに宿泊しています。二泊三日の観光スケジュールをこなしたあと、ロンドンに来てホテル・ランカスターに宿泊し、ロンドン市内の見物のあと夜行列車でエジンバラに着き、そこからキンロスのトロウト・ヴィラに来て、悲劇の夜を迎えたのであります。ところが、このコペンハーゲンのロイヤル・ホテルで、奇妙な事件が起ったことを広島さんの話でわれわれは初めて知りました。広島さん、そのことをみなさんの前で云ってくれませんか」
高瀬一等書記官の通訳が終ると、次の担当通訳の江木奈岐子の眼に誘われ、広島はもう一度起立した。
「それは『日本スポーツ文化新聞』に報道されて、われわれも非常に驚いたことであります。その新聞によると、コペンハーゲンのロイヤル・ホテルで、団員の一人の多田マリ子さんが、朝早く何者かのために背後から襲われ、首を締めかけられたという、いわば殺人未遂の報道でありました。私どもはその記事を見て非常に驚き、さっそく国際電話で、すでにロンドンのホテル・ランカスターに入っていた門田君に事情を問い合わせたのであります。その時、門田君はまったくの出鱈目だといいましたが、私が当地に着いてから、門田君はそれが事実であったことを認めました。しかし新聞に報道されておるような大げさな事件ではなかったため、帰国してから報告する積りだったと説明してくれました。それが今回の事件に関係があるかどうかはわかりませんが、一応その事情をヒューズ警部に申し上げたわけであります」
ヒューズ警部は門田に何か問いかけたが、思い返して、こんどは参考人席に目を向けた。
「多田マリ子さんがおられたら、私の質問に答えていただきましょうか」
追う高瀬の日本語に多田マリ子は、大きな声で返事した。彼女はみなの好奇的な視線を浴びながら、その顔にはあまり羞恥の表情はなく、むしろ衆人環視を何か誇らしげなものに感じているようであった。
「多田マリ子さんですか」
ヒューズ警部は訊いた。
「そうです」
彼女は関西弁のアクセントの標準語で答えた。
「あなたがコペンハーゲンのロイヤル・ホテルで受けた災難について、説明していただけるでしょうか」
「承知しました。それは四月十八日の午前七時ごろのことです。私の泊っている部屋は十八階でしたが、その朝私は散歩に出るつもりで早く起き、エレベーターでロビーに下りて、ホテルの外をしばらく歩きました。そして十五分ぐらい散歩してホテルに戻り、エレベーターに乗ったのですが、私は迂濶にもエレベーターのボタンを押し違えて、十七階で下りたのです。ホテルの構造はどの階でも大体同じで、私は一階間違えたことを気づかずに廊下を歩き、自分の部屋と思っていた方角へ歩いておりました。そこにはだれ一人通行人の姿は見えませんでした。すると急に横のドアがあいて、腕がのび、私は中に引っ張り込まれました。私は気も動転して声も出なかったほどであります。そのために相手の顔を見ることができませんでした。というよりも、相手は私の背後にまわっていて、私を抱きすくめていたので、振り向く余裕もなかったのであります。相手は私の喉を締めてきました。私は抵抗したのですが、急に襲われたのと、喉を締めつける腕の力で、いまにも絶息しそうになって、意識がだんだん薄れてきました。そのうちにボーイさんが、意識を失って倒れている私を見つけてくれたのであります。幸いボーイさんの発見が早かったため、私は何の被害も受けずにすみました。犯人の顔はそういうわけでついに見ることができませんでしたが、その強い力といい、たぶん外国人の男であったろうと思っています」(江木・通訳)
多田マリ子の何か自慢話でもするような顔を門田は見ながら、まさかそれが梶原澄子の云った本人の狂言とは、ここで暴露することもできなかった。例によって多田マリ子は、その自己顕示的な表情をいっぱいにひろげていた。ほかの団員にはそうした災難がなく、自分一人に振りかかった受難に、彼女の魅力をそれによって誇示する例の表情であった。そこには羞恥の色といったものはまるでなく、昂然たるものであった。その瞳は、通訳をする江木奈岐子とヒューズ警部とに半々に当てていた。
「ありがとうございました」
ヒューズ警部は、多田マリ子を着席させた。
「われわれは広島さんからその話を聞いたので、さっそくコペンハーゲンのロイヤル・ホテルの支配人に問い合わせました。先方では、その事実を認めましたが、そのトラブルについては警察に報告していないということでした。実際の被害がなかったために届けなかったと云っていますが、それはホテル業者がその信用維持のために、よけいな悪い噂を立てられたくないための配慮でした。したがって、その事故はホテル側が内々ですませたのですが、それがどうして日本の『日本スポーツ文化新聞』に報道されたのか、その間の事情を、コンダクターの門田さん、あなたにわかっているなら、ここで述べてください」(高瀬・通訳)
門田は立った。
「その新聞のことは、私は広島さんから電話で聞いて非常に驚いたのですが、事情はあとになってわかりました。その報道をしたのは、あの記者席にすわっている日本スポーツ文化新聞の通信員鈴木道夫さんであります」(江木・通訳)
門田は、こうなっては仕方がないと考えて、一切のいきさつを述べた。
ヒューズ警部は、記者席に鋭い視線を向けた。
「日本スポーツ文化新聞通信員の鈴木道夫さんはいますか」(高瀬)
五人の新聞記者の中から、髭面の鈴木が起立した。
「私が鈴木道夫です」
ヒューズ警部はその顔に視線を当てた。
「私は、あなたが、どのようにしてコペンハーゲンのロイヤル・ホテルからその事故を取材し、それをあなたの東京の新聞社に通信したかを説明してもらいたいと思います」(高瀬・通訳)
「わかりました。それはこういうことであります」
鈴木は、江木奈岐子に通訳を一任して日本語で云った。
「日本からきた女性ばかりの観光団がロイヤル・ホテルに泊っていると聞いたので、これはニュースになるかもしれないと思い、同ホテルに取材に出かけたのであります。ところがそのときは、すでに一行が出発したあとだったので、直接に一行のだれにも会うことができませんでした。そこで私は、せめてボーイの口からでも、一行の動静を知りたいと思い、その係だったボーイに訊ねたのであります。するとボーイは、意外なことを私に聞かせてくれました。ホテル側では、外聞上秘密にしているが、実はこういう殺人未遂事故があったと云って、内緒に打ちあけたのが、多田マリ子さんの災難のことでした。ぼくはそれをそのまま、ぼくが契約している東京の『日本スポーツ文化新聞』に電話送稿したのであります。ところが新聞のほうでは、ぼくの送稿した内容を、興味的かつ刺激的な記事につくり上げて新聞に出したのであります。このことは、ぼくがウインザー城で門田さんに会ったとき聞かされ、大いに驚き、釈明を試みたところであります」
ヒューズ警部は礼を云って鈴木をすわらせた。
「このロイヤル・ホテルの一件については、われわれもその話を聞いてさっそく調査をしました。その災難を受けた多田マリ子さんの経験は、先ほどの陳述の通りですが、ホテル側が内聞にした点もあって、コペンハーゲンの警察署がその後調べてみても、その犯人の検挙を見るにいたっておりません。しかし、このコペンハーゲンの事故が、それより四日後のレブン湖畔の二つの日本人殺害事件に直ちに結びつくとは思いません。したがって、その判断に立ったわれわれは、コペンハーゲンの事故とレブン湖の殺人事件とは無関係と判断して、これを切り離したいと思います」(高瀬)
高瀬一等書記官の通訳が終ると同時に、多田マリ子が手をあげた。
ヒューズ警部は何事かとその落ちついた顔に眼をひろげ、彼女の発言を許した。
「一つ質問があります」と多田マリ子は立って云った。「ヒューズ警部は、私の受けた災難が、レブン湖畔の殺人事件とは関係がないというお話ですが、それではアンカレッジ空港で藤野由美さんが買われたルビーの指輪が紛失したことも、殺人事件とは関係がないのでしょうか」(江木・通訳)
江木奈岐子の通訳を聞いて、ヒューズ警部の顔に動揺が起った。
「多田マリ子さん、そのルビーの指輪というのはどういうことでしょうか」(高瀬)
「こんどの事件で不幸な死を遂げられた藤野由美さんが、アンカレッジ空港の売店で、千ドルのルビーの指輪をお買いになり、それを洗面所で紛失されたという一件です」(江木)
ここで多田マリ子は、その指輪紛失の話を詳しく述べた。
ヒューズ警部には、江木奈岐子の通訳を通して初めて知る話で、その事実の有無を、こんどは門田に訊ねた。
門田は、答弁にゆっくりと身体を起したが、気持はすこぶる複雑であった。まず、なぜに多田マリ子が、いまになって藤野由美の指輪紛失の一件を持ち出すのかが理解できなかった。藤野由美がアンカレッジ空港で早速に買ったルビーの指輪に刺戟された多田マリ子の感情は、以後の彼女の行動でも分るが、その感情が未だに尾を引いて、ことさらにその話をここに披露するのは、いたずらにこの「審問廷」を混乱させるばかりである。多田マリ子は死者の藤野由美に対してなおも対立意識を捨ててないようである。自分の感情を主体に、見さかいもなく発言する女に門田は当惑した。
しかし、彼の困惑はもう一つあった。その指輪は紛失したものではなく、直ちに売店に返品されたということ、それには土方悦子が一役買っているということであった。その当事者の土方悦子もすぐ横に居るし、その事実を目撃して「密告」した星野加根子も参考人席に坐っていた。彼女は眼を光らせているにちがいなかった。
しかし、門田は警部の質問に答えないわけにはゆかなかった。彼は、多田マリ子の発言の内容が「自分の知る限りでは、そのとおり」であると証言した。
参考人席から手があがって、発言の要求があった。ヒューズ警部がそれに眼をむけて許可の表情を示すと、中年の女性が起立した。
「わたくしは、星野加根子です」
彼女は、通訳の江木奈岐子にむかってまず名乗った。
「いまお話に出た藤野由美さんがアンカレッジで買われたルビー指輪の紛失のことは、事実と違います。あれは紛失ではなく、藤野さんが売店に返却されたのです。それはわたくしが目撃しています」(江木)
星野加根子の暴露に、参考人席には低い声が合体して唸りとなって聞えた。紛失と信じられていた指輪が返品だったと聞いて、団員はいずれも衝撃をうけたのだった。
しかし、もっともショックを受けたのは門田だった。あれほど執拗に「だれにも話すな」と念を押した当人が、こともあろうに満座の中で、というよりも「各人の発言は記録されて、法的な資料となる」と宣告されたこの「審問廷」で自ら秘密を明かそうというのである。彼は惑乱した。
星野加根子は、彼女の「見たこと」を警部に話した。それには土方悦子の名はまだ出なかった。また、さすがに、それを門田に「密告」したことにはふれなかった。
すると警部は訊いた。
「星野さん。あなたのお話をまことに興味深く聞きましたが、その目撃はあなた一人ですか?」(高瀬)
星野加根子は自分の話の信憑性を疑われたように色をなした。
「目撃者というよりも、藤野さんに依頼されて、指輪の返却を実行された方が、ここに居られます。それは、門田さんの横に坐ってらっしゃる土方さんです」(江木)
星野加根子の屹《きつ》とした眼は、門田と広島の間に、江木奈岐子の坐っていた空席一つを置いて坐っている「助手」を射るようにした。
会場には前にも増して大きな嘆声が一緒になって起った。団員たちはもとより、記者席の眼も一斉に土方悦子の姿に集った。
そのなかで、イングルトン部長刑事の彼女に注いだ視線は何か熱線のようなものを帯びていた。
ヒューズ警部は、小さな女に質問をむけた。
「土方さん。いまの星野加根子さんの発言内容をどう思われますか?」(高瀬)
土方悦子は起立した。日本人側の通訳に当る江木奈岐子の顔に微妙な困惑が出たのは、弟子の苦境を心配してのようだった。広島も、同じ思いで、横の土方悦子を見上げ、ついでにその眼をじろりと門田に移した。
「いま、星野加根子さんが云われたことは、すべて事実でございます。わたくしが、藤野由美さんに頼まれて、お買いになったばかりのルビーの指輪を売店に返却してあげました」(江木)
土方悦子の答えが終ると、参考人席の女性たちの間に再び嘆声の揺り戻しが起った。警部は訊いた。
「それを、あなたはいままで、どうしてみんなに隠していましたか?」(高瀬)
イングルトン部長刑事はその質問に乗ったように上体を前に傾けて彼女を見つめていた。
「それは、藤野由美さんからみなさんには内緒にしておいてくれと頼まれたからです。藤野さんは、その高価な買物をすぐに後悔されたのですが、返品のことがみなさんに知れるのは恥しいと云っておられました」(江木)
「しかし、当人は死亡しています。真実を打ちあけてもよかったのではないですか?」(高瀬)
「警部さん。真実を打ちあける機会がどこにあったでしょうか。その紛失の話題が消えてしまったときに、わざわざそれを持ち出す必要はありません。それに、藤野さんが亡くなられた今は、よけいに死者との約束は守らねばなりません」(江木)
警部は、土方悦子の返辞を聞いて、肘を突き、両の指を組み合わせた。
「土方さん。あなたは、その話を門田さんにも云いませんでしたか」(高瀬)
「門田さんには申しませんでした」(江木)
「なぜですか。門田さんは団員ではなく、コンダクターではありませんか。引率者はいわば団長格です。そして、あなたは、その協力者ではありませんか」(高瀬)
ヒューズ警部の質問は、星野加根子の「密告」を聞いて以来、実は門田が土方悦子に訊きたいところであった。土方悦子の沈黙に、彼は彼女に不満と疑問を抱いていた。いま、彼女はその沈黙のことを死者との約束を守ったのだと警部に説明したが、それは一般の団員には適用されようが、自分にまで隠していたのには腹に据えかねるものがあった。と同時に、土方悦子の複雑な性格にはじめてふれた気がしていたのだった。
「そのとおりです。門田さんはこの団体の責任者です。ほんとうは話したほうがよかったかもわかりません」(江木)
土方悦子は、一応認めたがすぐに云った。
「けれども、その小さな出来事を隠してあげるのは亡くなった藤野由美さんの名誉を守るためであります。はっきり申しますと、それは女の虚栄心を守ってあげることなんです。女は死んでから後までも虚栄心を維持したいものですわ。藤野さんとの約束を門田さんにも破らなかったのは、そういう意味です。……それに、指輪のことは、レブン湖畔の殺人事件には、なんの関係もありませんもの。もし、それを少しでもかかわりがあると考えたら、わたくしだって、門田さんには進んで話したでしょう」(江木)
イングルトン部長刑事は席を立ってヒューズ警部と陪席のコリン・エヴァンズ警部補の間に首を突込んで何ごとかを話した。短い打合せは終った。イングルトンはすぐにもとの席に戻った。
ヒューズ警部は、またも軽い咳払いをして云った。
「土方悦子さんに申しますが、この旅行団体の間に起ったどのような小さな事故でも、すべて此処でお話ししてもらいたいものです。それが殺人事件に関連があるかどうかは、われわれのほうで判断いたします」(高瀬)
イングルトン部長刑事がヒューズ警部に云わせたのはその言葉のようだった。審査の絶対性を表明したかったのだ。
そのために、警部は参考人席を見まわして訊いた。
「ほかにそういう事故はありませんか。お気づきの方は云ってください。どんな些細なことでもけっこうです。それがわれわれの大きな参考になるかも分りませんから」(高瀬)
一同に発言はなかった。それは、それ以上話すことはないというみんなの答えが沈黙であった。
イングルトン部長刑事はヒューズ警部に発言を求めた。
「わたしは、いまの土方悦子さんの言葉にある種の興味をおぼえました。それは何かというと、殺害された藤野由美に関する行動の説明が自発的なものではなく、他の、星野加根子さんの発言によって、やむなく引き出されたという点であります。しかも、土方さんは、それはこの旅行団体の責任者である門田氏にも沈黙しておりました。彼女の説明によると、アンカレッジ空港売店での指輪返却のことは、藤野由美の名誉を守ると共に、レブン湖畔の事件には関係がないとの判断で門田氏にも打ちあけなかったということですが、これはいささか不自然と思われます。すなわち、藤野由美は何者とも知れない者に殺害されたのであるから、少なくとも指輪の一件を門田氏に話してその注意を喚起するのが普通の感情ではないでしょうか。もちろん、土方さんは、レブン湖畔のわれわれの捜査中でも、そのことを話してはいないのであります」(高瀬)
通訳される前に、イングルトンの言葉が判って、土方悦子は、さっと表情を変えて部長刑事の口髭の顔を見詰めた。
それを無視したようにつづけるイングルトンの言葉はかなり長かった。
「わたしは、先刻、レブン湖畔の殺人事件捜査経過をここで申し上げたが、その中で、若干の疑点を指摘したと思います」(高瀬)
というのが、そのはじまりだった。彼のチェンバレン的相貌は冴えてみえた。
「この二つの殺人の犯人は一人だと自分は考えます。その者はこの団体の中で特殊な位置にいる人間であろうと思います。なんとなれば、お互いに仲の悪い藤野由美と梶原澄子の両方から犯人は信頼されているからであります。即ちこの二人は、犯人によって当夜遅くまで、つまり十時ごろまでレブン湖畔に留められていたのですから、よほど両人から信頼を受けている人物でなければなりません。藤野由美は、そのあまりに華美好みな特殊な性格のために、団員のだれからも好まれていなかったといいます。また、梶原澄子は反対にその閉鎖的な性格から、これも彼女と親密な団員は居なかったようであります。梶原澄子は病院長の未亡人ということもあって、気位が高く、また性格的にも圭角があり、いわゆる親しみにくい性格だったようであります。
この両人から共通して親しまれていた人物は、どちらにも片寄らない、いわば無色な人間であったということが想像されます。この人間はどのように位置づけすべきであろうか。わたしは、たとえば、それはこの旅行団体を率いるコンダクターの任務がそれに当ると思います。コンダクターは、その義務的な、あるいは職業的な上から、団員のだれにも接触し、団員のだれからも信頼を受けておるからであります。
この犯人は、藤野由美の16号室と、梶原澄子の34号室のキイをフロントから受け取っております。すでに述べたように、キイを受け取った時間はこの二人の死亡時刻よりは少なくとも一時間は早かったと見られます。ここで注意してよいのは、フロントの係員は、その二つのキイを渡した相手の顔をはっきりとは記憶していませんが、それが男性でないことが確かな点であります。もし男性が二つのキイを要求するならば、係員はそれらのキイが日本女性団体客のものであることを知っているから、当然に相手を咎め、キイを渡す前に質問したに違いありません。すなわち、係員には相手の顔が印象に残っているはずであります。それが残ってないのは、度々ここで話したように、係員は多忙のあまりの習慣的とはいえ、相手が日本女性だったからであります。
このように考えるならば、被害者二人に信頼を受けていたコンダクター的な位置の者は、男性ではなく、女性であると云えます。そうして、コンダクター的な位置を持つ人間が犯人であるなら、その利点は、その者が職業的な関係から、三十人の団員のどの部屋にでも、連絡を理由に自由に出入りできるということにあります。スケジュールの連絡とか、あるいは団員の個人的な相談ごとの相手とか、そういうことでいつでもどの部屋にも出入りし、第三者がそれを見ても少しも不思議でなく映るのであります。16号室はトロウト・ヴィラの階下であり、34号室はその真上に当る二階の部屋であります。犯人と思われる人物は、階下にも階上にもこのように自由に出入りできたのであります。もし犯人が、藤野由美と梶原澄子をレブン湖畔に遅くまで拘束しようとするならば、その者は前もって両人の部屋を訪れ、どのような口実を話したかは明らかではありませんが、とにかくそういう予備的な工作は十分にできたはずであります。
こうした立場の人間は、団員同士相反発する者でも、等しく信頼を受けることができます。藤野由美と梶原澄子とは大変に仲が悪かった。二人はロンドンまで同室者でありましたが、梶原澄子は藤野由美を毛嫌いして、生理的に不潔だと云って、その室友としての変更を門田氏に求めていたということであります。このことは、他の団員同士間の性格的に不一致な場合にも、共通して云えることであります。AとBとは不仲だが、コンダクター的な役目の人には共に信頼感を持つ。その人の云うことならば、何の疑いもはさまずに、ほとんど云う通りに従う。あるいは個人的な相談事でも、その者には訴えたでありましょう。こう考えるならば、その人物は、条件的に自然と限定されてきます。私はここで、その資格に相当するのは、土方悦子さんということを指摘せざるを得ません」(高瀬)
満場には、大きな衝撃が起った。その波のうねりはまるで地鳴りのような呻きに似ていた。名指しされた当の土方悦子は、しかし、瞬き一つせずに、その目はイングルトンの顔を射るように見つめていた。それは何か悲壮な剛毅さとでもいう姿に一同には映った。
イングルトンは高瀬一等書記官の通訳で、続けた。
「土方悦子さんを、いま申し述べた条件に当てはめてみると、彼女の環境はことごとくそれに当ります。しかも彼女は、当夜二十二日の八時四十分ごろには、自分の部屋に引き取ったということであります。門田氏に訊くと、門田氏は、八時ごろに風邪気を覚えて自室に引き取っている。土方さんは門田氏の助手格であるから、普通ならば門田氏が早く部屋に引き籠ってしまったならば、あとのことを代行すべきであります。ところが彼女は、門田氏が部屋に入ってから四十分して、自分も自室に戻り、そのまま就寝したと述べています。なぜ彼女は、団員のみなが湖畔からホテルに戻るまで、フロントなり、あるいは戸外に佇むなりして、団員の帰館を見届けなかったのでしょうか。もっともそれには彼女なりの理由がありました。即ち団員はロマンティックな古城の湖畔がひどく気に入って、だれからも心理的な拘束を受けずに自由な行動を欲していた。さらにそれを強く要求したのは星野加根子さんでありました。彼女はしばしばその自由を門田氏に要求したという。それ自体は事実であります。しかし、もし土方悦子さんが真に無事故を望んでいるならば、それとなく、団員の自由を妨げずに、遅くまで観察に残るということはできるはずであります。
本職には、土方悦子さんが、星野加根子さんの要求を幸いにして、早く部屋に引き取ったと云っているように思われます。しかも、彼女が八時四十分に部屋に入ったのを目撃した団員は一人もいないのであります。なんとなれば、その時刻はまだ団員のだれもが湖畔からホテルに戻っていなかったからです。彼女は、八時四十分に自分の部屋に入り、その後は就寝したと称していますが、それを証明する者はだれもいないわけであります。つまり彼女の姿は、ロビーを引き上げる八時四十分前からだれも見ていないのであり、その点アリバイはないと云わざるを得ません。
ここで、本職は、土方悦子さんがレブン湖畔の殺人事件に重要な関与をしていたという想定の下に、その行動を述べてみたいと思います。土方さんは前もって藤野由美と梶原澄子とを別々にその部屋に訪問して、二人が遅くまでレブン湖に留まるような理由を述べ、それを力説したために、両人ともそれに応じたと思われます。本職の想像では、あるいは両人の間の不仲を彼女が取り持つとか、逆にある種の中傷的な言葉を述べて、両人の湖畔での対決といった形にしたのかもしれません。こういう行動は他の団員には不可能なことであります。午後十時から十二時の間に、おそらく湖畔ではあっても別の場所に立っていた二人のうち、まず藤野由美さんを湖中に落とし、溺死させ、さらに次には、別の場所にいる梶原澄子さんに近づき、同じく彼女の不意を狙って襲撃し、これを溺死させ、前もってホテルの裏口にある物置小屋の近くから持ち出した|手押し車《プツシユ・カート》を利用し、太陽の下に乾かしてあるボートの近くに死体を運んでくる。そこでいったん死体を手押し車から下ろし、さらに先刻述べたようにその手押し車を梃子代りに利用してボートを持ち上げ、死体をその下に入れたものと思われます。
そのことは、梶原澄子の遺体発見を遅らせるのであるから、人々に、藤野由美を殺した犯人は梶原澄子であるという推察を容易に起させることができます。もともと二人は仲が悪かったのであるから、遂にそれが衝動的で突発的な殺人事件に発展して犯人は逃亡したとの想像を与え得ます。
そのあと、土方さんは、湖の中から藻と鱒の鱗を採集してホテルへ戻ったと思われる。湖畔は暗いとはいえ、ところどころに外燈が灯《とも》っている。その外燈の下での湖面は、狭い範囲だがまるで探照灯でも当てたように明るくなっています。そういう片寄った照明の下では、かえって湖水の浮流物、藻の断片とか、剥げ落ちた鱒の鱗などは光って見えるものです。彼女はそれらを持ってホテルに戻った。しかし、フロントは通っていません。なぜならば夜十時から十二時の間のそのような遅い時刻だと、当然にフロントの係員に見つかるからであります。彼女は裏口からホテルの廊下に入ったのです。裏口の物置近くにある手押し車を彼女が持ち出したことでも証明できるように、彼女はその裏なる通路を十分に知っていたからであります。
そして彼女は、藤野由美の16号室をフロントから受け取ったキイで開けて入り、湖水から採集した鱒の鱗と藻の断片を、洗面器に満たした水に浮かし、そのあとで水を排水管に落す。そのときに鱗と藻とが排水パイプにひっかかるように彼女は細工したと思います。それは指先で簡単にできることですから、それはわれわれの捜査の目をくらますためであります。
事実、本職の部下のデービス刑事はまんまとその工作にひっかかっております。デービスは排水パイプから鱗と藻の断片を見つけ、ここで第一の犯行が行われ、屍体は手押し車で外に運び出され、水中に投げ出されたと推定しました。本職もデービスの推測に賛成したのであります。これは洗面器の水に顔をつけ、窒息死させた後に、その水のある場所に屍体を投げ入れ、第二の現場をあたかも第一現場の如く見せかけるトリックをしばしば読んでいるからであります。捜査員の心理を応用したトリックといえます。
最後に、本職は、先ほど聞いたアンカレッジでの藤野由美の指輪の返却が、土方悦子さんの口からは門田氏に告げられなかったという一事に留意したいと思います。普通ならば、その指輪の返却を頼んだ藤野由美は殺害されたのであるから、たとえそれが直接に殺人事件に結びつかなくても、関心ある一事として門田氏に告げられるべきであろうと思います。それが通常の心理である。ところが土方悦子さんはそれをしなかった。そのことは彼女の秘密性をよく表わしていると思われます。
先にも述べたように、二つの殺人事件の動機や原因については、われわれは一切推測できかねます。それはたびたび申し上げるように、被害者の身元や環境がわれわれに十分にわかっていないということと関連します。殺人事件の原因は、日ごろの被害者の生活環境や状況に由来することがきわめて多く、またそれが重要であります。われわれイギリスの警察はその調査をすることが不可能であります。あとは日本の警察に頼んで調査してもらい、その報告を待つよりほかはありません。しかし、もし犯人がみずからそのことを供述するならば、その点われわれにとってその理解は早いわけであります。その場合、一カ月ぐらい遅れて日本から到着するであろう被害者二人の身元調査報告は、本職の陳述の裏づけとして価値を持つものと思われます。
本職はここで遺憾ながら明言します。土方悦子さんには重要参考人として此処に一人残ってもらい、その取調べを行う権利を主張したいと思います」(高瀬)
窓の外は完全に夜の世界となった。アイガーの白い絶壁もメンヒの白峯も、ずっと左手の方に壮大な壁を見せていたヴェッターホルンもすべて闇の中に払拭されて、形といったら何も残っていなかった。見えるのは近くのホテルの少い窓の明りか、遠い麓の丘陵地帯に孤独に瞬く農家の灯だけであった。
何も形が知れない外の闇は、そのまま土方悦子を不吉な底に沈めたようにみえた。一同は、寒さに押し包まれたときの戦《おのの》きと沈黙に陥っていた。
土方悦子はその沈鬱な一同の凝視の中に立ち上った。彼女は初め体をよろよろさせていたが、すぐに立ち直って、ヒューズ警部のほうに真直ぐに向き発言の許可を求めた。江木奈岐子が悲壮な顔で、正確な通訳のためにメモを用意した。
「ただいまのイングルトン部長刑事のお話は大変に興味がありました。その洞察力には敬服いたしますが、残念ながらそれをわたくしに引き当てられるのはまったくの間違いであります。わたくしはそれをここでいちいち反駁することは避けたいと思います。それはわずらわしいことであり、無意味であり、時間の浪費だからであります」(江木)
土方悦子の何か挑戦的な云い方に、人々の間にまたもやどよめきが起った。ある者は声を出し、ある者は隣り同士囁き合った。
門田は、胸を震わせ、すぐ横に立っている土方悦子の細い胴体を怕《こわ》いもののように眺め、次に出る彼女の言葉を怕々《こわごわ》と待った。
「イングルトン部長刑事は、犯人はこの女性団体の中にいると判断されております。これはまったくの偏見であり予断であります。わたくしはまずそのことを指摘したいと思います。
レブン湖畔の殺人事件は、外国人の犯行ではないとの推測は妥当であるとわたくしも思います。この犯罪には日本人が関与しております。しかし日本人だからといって、それがこのローズ・ツアの女性だけとは限りません。殺人事件の起ったときには日本人男性も湖畔の現場近い場所に来ておられます。すなわち、ここで傍聴しておられます日本人記者の方々がそれに当ります」(江木)
新聞記者席の五人は、はじかれたように一斉に顔を上げて土方悦子を見た。
「わたくしは、なぜに日本の新聞記者諸氏がレブン湖にやってこられたかということから分析したいと思います。何故その人たちは辺鄙なスコットランドの田舎に取材にこられたのでしょうか。云うまでもなく、それはコペンハーゲンのロイヤル・ホテルで起った多田マリ子さんの例の扼殺未遂事件に関連することであります。原因はそのことにあります。もし多田マリ子さんの事件がなかったならば、新聞記者諸氏はわざわざスコットランドまでわたくしたちを追っては来なかったでありましょう。
いや、その前に、ロンドンのホテル・ランカスターにも五人の人たちは見えなかったでしょうし、ウインザー城の界隈にも姿をお見せにならなかったでしょう。そこでは団員の人々について、プレスマン五人はいろいろと質問して取材されました。それらの取材行動を起させたのは、コペンハーゲンの多田さんの事件からであります。
けれども、扼殺未遂という単純な事件だけでは、記者のみなさんは見むきもされなかったでしょう。そのような熱心な取材となった動機は、コペンでの多田さんの異常な事故が日本の新聞に大きく出て、それが読者の興味を強く引いたからです。さらには、それに刺戟された三大紙と連合通信社の本社が、それぞれのロンドン支局員に指令して、その取材をするように命じたからであります。日本の読者に興味を起させたのは、ヨーロッパ旅行団体が女性ばかりであるという華やかさと、コペンで襲われたのがその女性の一人であったということにあります。
もしコペンハーゲンの事故がなかったならば、そしてそれが日本の新聞に大きく出なかったならば、レブン湖畔に日本人新聞記者の参集はあり得なかったかもわかりません。
|かもわからなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》という云い方は、そこにわたくしの疑問が存在しているからであります。わたくしはこう思います。たとえコペンハーゲンの多田さんの事件がなくとも、別な理由があれば、このツアの取材は行われたに違いないと。つまり『日本スポーツ文化新聞』に多田さんの奇禍があの派手な記事となって出たが、実はそれはほかの出来事でもあり得たと思います。逆に云えば、記事を出すために、女性団体に起りそうな何かのエピソードを通信員は期待していたと云えます。その取材の対象となるものは、起るかもしれないが、あるいは起らないかもしれない。この点は、いわゆる可能性を期待したとでも申しましょうか。だから、何も多田マリ子さんのあのような、多少大げさな事件がなくてもよかったのであります。もっと単純で、些細な女性団体の挿話でもよかったのです。要は、それを日本の特約紙に通信する目的にありました。しかし、通信員にとって幸いなことに、多田マリ子さんの事件が耳に入ったのです。これは通信価値として絶好の材料であったと思います。コペンハーゲンのホテル側では、その信用上、事件を外部に発表しませんでした。通信員はたまたま女性観光団体の様子を見にホテルへ行ったのですが、そのときはわたくしたちの団体が出発したあとでありました。それで彼がホテルのボーイについて取材したとき、多田さんの事件を耳に入れたのであります。
なぜにその通信員は、このローズ・ツア観光団の動静を『日本スポーツ文化新聞』に出したかったのでありましょうか。それはただ単に通信員の使命感とか、プレスマンとしての功名心とか、あるいは本人の生活のためだけに、その行為がなされたのではないとわたくしは思います。つまり通信員は、そのことによってツアのその後のスケジュールの中に参加する機会を得たかったのであります。おそらく最初は、通信員自身が単独に参加するつもりだったでしょう。
けれども多田さんの報道はあまりに日本の新聞の読者に反響を呼びすぎました。このことは通信員の予期しなかった成果ですが、ある意味では彼に幸いしました。彼の単独参加では目立ちますが、他の社の参加ということになれば、その分だけ目立ち方が少なくなるからであります。
わたくしがここまで申しましたのは、私はイングルトン部長刑事とは別途の推定にもとづいて考えているからであります」(江木)
ヒューズ警部は彼女の正面席に向って上体を乗り出すようにした。
「わたくしはここで独演したいとは思いません。それはわたくしの推測が独断にすぎるという印象をお集りのみなさんに与えるからであります。それで、いまわたくしが名指した『日本スポーツ文化新聞』の特派員鈴木道夫さんとの対話を、ヒューズ警部にお許しねがいたいと思います。そうおねがいするのは、その対話から、わたくしの推測の誤ったところは鈴木さんによって訂正され、また、鈴木さんの思い違いはわたくしが指摘することで、わたくしの推測に客観性を持たせたいからであります」
新聞記者席で、名指しされた鈴木道夫がきょとんとした顔を挙げた。その髭面がとぼけたおかしみを持っている。
江木奈岐子の通訳で、土方悦子の要請を聞いたクリフォード・ヒューズ警部は、隣のコリン・エヴァンズ警部補と顔を寄せ合い、次いでエドワード・イングルトン部長刑事を呼んで、三人でひそひそと話し合った。
ものの一分もすると、三人は元の姿勢となり、ヒューズ警部が土方悦子を見て云った。
「土方悦子さん。あなたの希望を認めます」
後方の鈴木がさし招かれた。参考人席の最前列、土方悦子と斜めに対い合うような端の席に坐っていた金森幸江が椅子を空けるように命じられ、鈴木がそこに坐った。彼は落ちついて訊問席を見まわした。
「もう一つ、警部におねがいがあります」
土方悦子は云った。
「それは通訳していただく方の問題であります。わたくしは、イングルトン部長刑事の指摘によって、いまは被疑者と同じような立場にあります。被疑者の通訳を日ごろからとくべつにお世話になっている江木奈岐子先生にしていただくのは、わたくしにとって、とても辛いことなんです。また、江木先生にも同じようなお気持があるのではないかと存じます。……」
「土方さん」
江木奈岐子が正面席から日本語で云った。
「わたしは、そうでもないわよ。あなたさえよかったら、わたしはあなたの通訳もしますわ。警部に命じられたことですから」
「いいえ。先生。被疑者の立場にあるわたくしの答弁や釈明を、先生にしていただくのは、わたくし、恥しくて、とても、いろんなことを述べる勇気がないんです」
ヒューズ警部が、お互いで、どういうことを云っているのだと訊いたので、土方悦子は英語で警部に説明した。
「では、だれにあなたの通訳を頼みたいのだね、土方さん?」
警部は訊いた。
「門田さんです。門田さんなら、わたくしといっしょに、この団体ではずっと行動していましたから、細部のことまでご存知だし、気心も分っております。わたくしの説明不足の点は、門田さんにお気づきのところがあれば、補足してくださると思います」
警部は土方悦子の顔をじっと見た。彼女の発言の裏には、無実の証明に門田の協力を必要とする意味があった。つまり、「被告」席に立たされた彼女は、「弁護人」を求めたのであった。利口な女だという感想が警部の瞳によって語られていた。
「よろしい。土方さんのその希望を採用します。門田さん、お聞きのとおりだから、よろしくたのみます。……江木奈岐子さんには長い通訳をどうもありがとうございました。感謝します」
警部が謝辞を述べると、江木奈岐子はその正面の席を立って、もとの広島常務の隣りに戻った。代りに門田が江木奈岐子の坐っていた席に歩いた。すべて事務的な交替だった。
門田は、しかし、えらいことになった、と思った。これからは名所案内式の通訳のようなわけにはゆかない。どのような発展になるか分らないが、土方悦子の一言一句が彼女の運命をも左右しかねないのである。通訳に正確を期さねばならなかった。ちょっとした誤訳が彼女を窮地に陥れるかも知れないのだ。
もっとも、誤訳をすれば、土方悦子がすぐにそれの訂正を求めるだろう。その点は救われるが、そうなると英語の分る彼女自身が彼のする通訳のモニター的な役目ともなって、はなはだ通訳しにくいことであった。
ヒューズ警部は、眼の前に来て坐っている鈴木道夫の髭の顔を見て、自分らの列の端に坐っている在スイス日本大使館一等書記官に首を回した。
「高瀬さん。鈴木氏をはじめ、他の参考人の通訳は、あなたの隣りにおられる二等書記官におねがいしたいと思いますが、いかがでしょうか?」
「承知しました。警部の要請によって、臼井二等書記官がその通訳の役を引きうけるでしょう」
小肥りの、色の白い、日本外交官臼井が承諾の意を自身の口で表明した。
「鈴木氏は、もちろん英語が自由に話せますが、ここでは参考人席の日本人全部に話の内容を理解してもらわねばならないので、このように全部それぞれの通訳をつけることにしました」
警部は、一同に云ったが、鈴木にも了解を求めたことだった。鈴木はうなずいた。ここまでの、やりとりは通訳なしであった。
すべての準備が完了すると、ヒューズ警部は木槌代りに例によって一咳した。
「それでは、まず土方さんから発言をどうぞ」
土方悦子は、小さな上体をまっすぐに伸ばして、いつもよりは少し高い声を出した。
「ヒューズ警部の公平なご措置に感謝いたします。……」
門田が彼女の発言をさっそく英語にした。
「わたくしは、遺憾ながらイングルトン部長刑事の推理に従うことができないことをさきほど申し述べました。すなわち、女性団員の中のだれもが、レブン湖畔の不幸な二つの殺人事件には関与していないのであります。そうして、この犯罪には、奇妙な外的現象が引き金の役になっていることを申しました。それはコペンハーゲンのロイヤル・ホテルで起った多田マリ子さんのちょっとした事件が鈴木さんの通信によって日本スポーツ文化新聞に大きくとりあげられたことであります。それによって日本の全国紙三社と連合通信社のロンドン支局員が鈴木さんと共にロンドンでわれわれのローズ・ツアの取材活動をはじめられました。これも、さきほどお話ししたとおりであります。……そこで、鈴木さんにおたずねします」
土方悦子は、鈴木道夫に姿勢をむけた。
「あなたがコペンハーゲンから日本スポーツ文化新聞に送られた通信は、同紙にたいへんセンセーショナルな記事になって出たということです。それは、ここに居られる王冠観光旅行社の広島さんや江木先生が読まれて、たいへんおどろかれ、そうして心配されて、ロンドンのホテルにいる門田さんやわたくしに東京から電話をくだすったくらいです。……そういう記事が日本スポーツ文化新聞に出たのでございますね、広島さん?」
彼女は広島常務に顔をむけた。
「その通りです。その新聞の一部を、わたしが書類鞄の中に入れて日本から持参しています。いままで慌《あわた》だしさにまぎれて、みなさんにお見せするのを忘れましたが、ここにございますから、お目にかけましょう」(臼井・通訳)
広島は足もとの手提鞄を膝の上に乗せ、中から折りたたんだ新聞を出してひろげた。
≪日本女性、コペンハーゲンで扼殺(未遂)さる。女性ばかりの欧州観光旅行団≫
写植字を精いっぱい大きくひろげた見出しが紙面の上部に踊るようにならんでいた。土方悦子は、その新聞を手にしてさっと眼を通した。他の団員たちにも初めて見る実物で、土方悦子から渡されたものを順々に回して記事を読み、歎声を洩らしていた。あまりに刺戟的な表現だったためだが、ただ一人、自分のことをかくも煽情的に過大に書かれた当の多田マリ子がさも興味深げに耽読している姿は印象的であった。
「ヒューズ警部には、この新聞記事の内容をのちほど翻訳してさし上げますが、いまは、その記事が、事実を十数倍にもふくらまし、脚色し、読者の好奇的な興味を狙ったきわめてセンセーショナルなものであることにご留意ねがいたいと存じます」(門田・通訳)
土方悦子は警部に云って、あらためて鈴木に微笑をむけた。
「鈴木さん。あなたは、この新聞記事が、あなたの実際の通信とは違って、日本スポーツ文化新聞のデスクによって、|でっちあげ《フレーム・アツプ》られたと、門田さんに云われましたね。あれはウインザー城でお遇いしたときでした」
通訳する門田は、思わず、そうだ、その通りだ、と合点合点するようにうなずいた。
「そうです。そのとおりにぼくは門田さんに云いました。新聞のデスクは大なり小なり材料をふくらませて興味的な紙面構成にするものです。とくに日本スポーツ文化新聞のような性格の大衆紙ではそうです」
鈴木は答えた。答えたあと、臼井の通訳に耳を傾けていた。
「要するに、日本スポーツ文化新聞のこの記事と、あなたの送られた通信とは違うということですね?」(門田・通訳)
「そうです。違います。新聞社のデスクがぼくの送稿を、|書き直し《リライト》したのです」(臼井・通訳)
土方悦子はスーツの右ポケットから折りたたんだ一枚の紙をとり出してひろげた。
「これは、スイスにくるとき、ヒースロー空港からわたくしが日本宛に打った二通の電報に対する返電の一つです。日本スポーツ文化新聞の編集局長からの返電です。ベルンのホテル・ベルビューに宛てて返電してもらうようにたのんだのですが、その通りにしてくださいました。それを広島常務がこのホテルにおいでになるとき持参してくだすったんです。返電の内容は、記事は鈴木通信員の長文の電話送稿をほとんどそのままに使用したものであって、当方はいささかも潤色を加えていない、とこういうことであります。編集局長名は川島となっています」(門田)
「川島編集局長は、あなたの問合せ電報を、たぶん詰問だと思って、云い逃れにそのような返電をしたのだと思います。実際は、ぼくの云うのが正しいのです」(臼井)
鈴木の髭の顔には、電報問合せのことがよほど意外だったとみえ、おどろきが現われていた。
「わかりました。ここではその当否が判断できませんから、それは帰国後の調査ということにして、鈴木さんの言葉を承っておきます。……」
土方悦子は、電報を右のポケットに仕舞いこんで、言葉をつづけた。
「そのウインザー城でのことです。鈴木さんは、この観光団体の取材をなさいました。ほかの四社の記者もそうでした。ところで、鈴木さんは、わたくしにむかって、あなたが土方悦子さんですね、と云われました。そうでしたね?」(門田)
「よくおぼえていませんが、そう云ったかもわかりません」(臼井)
「そのように、わたくしに云われました。それがわたくしにとって印象的だったので、よく記憶しています。鈴木さん、あなたは、わたくしのフル・ネームを、どこで、いつ、どなたからお聞きになったんですか」(門田)
「さあ。……なんとなく、前から聞いていたように思っています」(臼井)
「わたくしは、変な気がしたものですから、そのあとで、門田さんにわたくしの姓名を鈴木さんに教えたのかと訊きました。門田さんは何も教えてはいないと云っていました。門田さん、そうでしたね?」
門田はその言葉を通訳し、ヒューズ警部に土方の質問に答えてよいかとたずねた。
「よろしい。どうぞ」
警部の許可が出たので、門田は、
「土方さんの云うとおりです。わたしは鈴木氏に土方悦子という名前を告げたことはありません」
と、日本語で答え、それを自ら通訳した。
土方悦子が警部に向った。
「門田さんのいまの言葉は重要です。さきほども申しましたように、門田さんはわたくしを助手代りにして絶えず共同の行動をとっていましたから、わたくしの言動はよくご存知です。この審問の進行につれて、必要時には、通訳の役目をはなれて、門田さん自身の証言を求めたいと思います。したがって、門田さんはわたくしの通訳でもあり、証言者にもなり得ることを希望します」
「よろしい。あなたのその希望をうけ入れます」(高瀬)
ヒューズ警部の独断による決定は、「審問長」が「被告」の利益を考慮するのに通じていた。
「ありがとうございます、警部。……さて、門田さんは鈴木さんにわたくしの姓名を教えていないというお答えでした。それでは、団員のみなさんのなかでどなたかわたくしの姓名を鈴木さんに教えられたのでしょうか? そういう方がおられたら、ご発言ねがいます」(門田)
土方が女性団員を見回したが、発言する者はなかった。
「一人も居られないのは当然です。わたくしの姓が土方であるとは知っておられても、悦子という名はどなたもご存じなかったからです。この観光旅行の募集のために刷られたパンフレットには、講師江木奈岐子先生のお名前はありますが、わたくしの名前は載っていません。なぜなら、この観光旅行団のローズ・ツアの募集を締め切ったあたりで、江木先生にほかの重要なお仕事が出来て講師としてのご参加が不可能となり、わたくしが急に代ったからでございます。……広島さん、そうでしたね?」(門田)
広島は自席でうなずいた。
「その通りです。間違いはありません」(臼井)
「このように団員の方もわたくしのフル・ネームをご存じなかったし、門田さんも鈴木さんには云っておられないのです。げんに、他の四社の記者の方は、ウインザー城では、わたくしが土方という姓であることもご存じなく、そういう呼び方もされませんでした。……四社の方、いかでしょうか?」(門田)
土方悦子は後方の新聞記者席を見た。浅倉をはじめ四人の日本人プレスマンは、彼女の言葉を一様に認めた。
「こうなると、鈴木さんはわたくしのフル・ネームを何となく聞いていたと曖昧な記憶をおっしゃっていますが、それはイギリスに来てからではないことが帰納的に結論づけられます。……けれども、鈴木さんのご記憶がうすいようですから、その問題はあと回しといたします」(門田)
土方悦子は、次にすすんだ。
「門田さんが鈴木さんに初めて会ったのはコペンハーゲンの居酒屋でした。ピーレゴーデンというのが店の名前です。それは門田さんがあくる朝、わたくしに話されたことです」
門田はうなずいて、それを英語に直した。
「そのとき門田さんはわたくしに、江木奈岐子さんの『白夜の国・女のひとり旅』というのを読みましたかと聞きました。わたくしは、拝見しましたと言いました。門田さんは、その本の中に、デンマークではミス・トルバルセンという女性と著者の江木奈岐子さんとが、一緒に北欧を歩いているという文章がありましたか、と訊きました。わたくしは、その本のことを考えて、ユラン半島のところに著者のひとり旅があったように思いますと答えました。オーフスからユーリングへ、スカーエラック海峡に面した北端のスカウンまでの旅、たしかそこにデンマークの女性と同行したとありましたが、ミス何とかという女性の名は出ていなかったと思いますと答えました。そうして、ミス・トルバルセンが四年前に江木奈岐子さんとユラン半島を一緒に歩いたので、日本に帰ったら江木さんによろしくと鈴木さんの通訳で云われたと門田さんは云い、そういうわけだから、あなたから江木さんにそう伝えてくれとわたくしに云われました。わたくしはミス・トルバルセンから江木先生宛の伝言を手帳に控えておきました」(門田)
土方悦子はここでその手帳を開き、その名前を書いたページをヒューズ警部のほうに見せた。
手帳は、今回の旅のメモで埋まっていたが、コペンハーゲンでの伝言はたしかに記入してあった。
門田は土方悦子の通訳を終えて、彼女が、なぜ、そんなことを此処に持ち出すのかその真意を疑った。殺人事件の「審問」には関係ないことである。門田は、このときまでそれを土方悦子の余分な饒舌に解していた。
当の鈴木通信員は、何も答えずに坐りつづけていた。別に警部からはそのことに関して質問もされないので、答える必要もないといった様子だった。彼は、女と違って余分な言葉をさしはさまないようにみえた。
土方悦子は、しかし、つづけた。
「ふつう外国の旅をしていると、旅先で出会った人たちの名前は旅の本には印象的なこととしてよく出てくるものです。行きずりの人でもそうですから、まして数日間一緒に旅をした外国の女性となると、その名前は当然に著書に出ていいと思います。ことにミス・トルバルセンは、ユラン半島の旅で江木先生の通訳でした。それは江木先生の英語をデンマーク語に通訳して先生と土地の人々との対話をはかることでした。してみれば、ミス・トルバルセンは先生にとって行きずりの人ではなく、特に緊密な間柄にあったわけです。ガイド兼通訳というのは、数日間旅をしていれば、雇用関係を超えて、そこにこまやかな友情が湧くものです。また、そのガイド兼通訳との友好的な旅を書くことで、読者に異国情緒の感銘を伝えることができます」(門田)
江木奈岐子は、思いがけない土方悦子の言葉から顔に緊張があらわれた。まさかここで自分の著書の批判が土方悦子によって提出されるとは思ってもみなかったようである。彼女は、すぐに手を挙げてヒューズ警部に発言を求めた。警部はそれを許した。
「いまの土方悦子さんのお言葉について、わたしの立場からほんの少し申し上げたいと思います。およそ著書にどのようなことを書こうと、それは著者の自由であり、権利であります」
江木奈岐子は、心外なという表情を隠さずに云った。これは臼井二等書記官の通訳である。
「土方さんはわたしの『白夜の国・女のひとり旅』を批評なさいましたが、批評もまた土方さんの自由であります。しかし、ここで技術的なことをわたしは申してみたいと思います。わたしがミス・トルバルセンという名前を自分の著書から省いたのは、ありきたりな旅の本の書き方を避けたいからであります。事実、土方さんが云われるように、外国の旅の本には、数日間一緒に暮らしたガイドさんとか通訳のことが、かなり詳しく出ているのが多うございます。しかしそれは、はたして土方さんの云うように、異国情緒を読者に与える効果になるでしょうか。わたしは、そのような常套的な描写はマンネリであって読者の感興をうすめるものと信じております。わたしが自分の著書にミス・トルバルセンの名前を避け、彼女と一緒に数日間旅をした経験を省略したのは、そのような文章上の用意からであります。……一言、著者として土方さんの感想にお答えしたくて、申し上げました」
門田から見て、江木奈岐子はかなりお冠を曲げているようだった。それはそうに違いない、と門田も思う。土方悦子は江木奈岐子の弟子同様だし、それがいわば師匠にあたる人の著書を批判したのだから当然であろう。
会場にも、意外と思う顔が多かった。そもそもこのローズ・ツアの講師は江木奈岐子であった。それが結団前になって急に彼女に支障ができ、土方悦子と替った。その交替の事情は、団員も旅行社の側から説明を受けている。土方悦子は、まさに江木奈岐子の推薦で彼女の代理になったのであるから、だれしもそれを師弟の関係と思い込んでいた。
もっとも、門田だけは、土方悦子から前に、江木奈岐子との間が必ずしも世に云う師弟の関係でないことを聞かされていた。土方悦子の話では、自分の趣味から、旅の評論家としての江木奈岐子の許に出入りしていたのであって、世間でいうような門下生ではないというのだった。
江木奈岐子に反駁された土方悦子は、彼女のほうに向って頭を下げた。
「江木先生のいまのお言葉ですが、わたくしは、先生の著書を批評したのでもなければ、また、それを批判したのでもございません。ただ、その著書にミス・トルバルセンという名前が挙げてなかった事実だけをわたくしは申し上げたかったのでございます。……江木先生、失礼があったら、ごめんなさい。でも、わたくしは殺人事件の重要参考人にされているのです。弁護人は付いておりません。自分でこの疑いを晴らすしかないのです。どうぞ、この点をご理解ください」(門田)
「土方さん、その著書の書き方とこんどの事件とは、何かかかわり合いがありますか」(高瀬)
ヒューズ警部は間に入って、ふしぎそうに訊いた。
「直接には関係はないが、一つの参考的資料にはなると思います。いま申し上げたような事実は何を語っているでしょうか。つまりミス・トルバルセンは、江木先生の英語をデンマーク語に通訳したのであります。してみれば、ミス・トルバルセンは英語が話せるのであります。ところが、コペンハーゲンの居酒屋で鈴木さんと一緒にいたトルバルセンさんは、門田さんに向って一言も英語では喋らなかったそうです。すべて鈴木さんが日本語ばかりで話していました。たとえば鈴木さんは、ミス・トルバルセンから江木先生によろしくという伝言を、日本語で取り次いで門田さんに云ったそうです。ヨーロッパを歩く旅行団体の添乗員である門田さんが英語を話すことは、鈴木さんもトルバルセンさんも十分に承知のことだと思います。親密な伝言は、本人の口からナマな言葉で云ってこそ、その感情が伝わるものです。たとえば give my best regards to Miss Egi という平凡な言葉だけでもよいのです。トルバルセンさんは、どうしてそんな伝言を直接に門田さんに英語で云わなかったのでしょうか」(門田)
門田は、土方悦子の言葉を通訳したあと、そうだ、たしかにあのデンマークの女は、鈴木の横にずっとくっついて坐っていて、一言も英語を喋らなかったと思った。
それだけではない。自分と向い合った両人は、ときどき、聞えぬ声で私語を交わしていた。
門田が自分はヨーロッパ観光旅行団体の添乗員《コンダクター》であると鈴木に話したとき、そのデンマーク女は、何をお互いで話しているのかとデンマーク語で鈴木に訊いたようであった。それで鈴木は、かなり達者なデンマーク語で会話の要領を彼女に伝えた。そしてこんどは、「彼女はあなたがエギ・ナギコを識っていますかと訊いている」と日本語に通訳した。これも英語がわかるトルバルセンだから、そのことを直接自分に質問していいはずである。たとえ、横に鈴木が居ようと、デンマーク女は、そんなに遠慮深い性格ではなかった。あのきたない居酒屋はまことに自由奔放な雰囲気で、客の中のある群は「革命」を語り、ある群はフリー・セックスを語っていた。煙草の煙が薄暗いランプの下に濁って渦巻いている不透明な視界の中で、恋人の組はあたりに何の憚りもなく濃密に抱き合っていた。
トルバルセンの「江木奈岐子を識っているか」という言葉には、かつてユラン半島を数日間いっしょに旅をした相手への懐しさが籠っているはずだった。それならば、その感情を現わすために、トルバルセン自身が英語で直接に話しかけてもいいのだ。それは土方悦子が云うとおりだと門田は思った。
のみならず、そのあとミス・トルバルセンは、デンマーク語で鈴木に口早に何か云った。鈴木はそれに口早に答えていた。そういう問答が二、三交わされていたのを門田は憶えている。そのときは何気なく見ていたが、いまにして思うと、女が何か云おうとするのを鈴木が遮っていたような感じであった。あれは、トルバルセンが英語で直接門田に云おうとするのを、鈴木が抑止したようである。もしそうだとすると、鈴木は何のために彼女が英語で自分にじかに話しかけるのを制止したのだろうか。
門田は、自分がこの「審問廷」の通訳であると同時に「証言者」であることを思い出した。それは土方悦子がヒューズ警部に承認させたことである。「証言者」とは重々しいが、モニターぐらいの役目なら、気軽に自分の目撃したことや聞いたことを話せると思った。
そこで門田は、ここからは自分自身の言葉であると警部に断わって、以上のコペンの居酒屋での記憶を簡略に英語で話した。
話しながら、そうだ、こういうことは土方悦子が今日の午後、ユングフラウ・ヨッホで自分に質問した内容だったと思い出した。
しかし、ヒューズ警部をはじめ、陪席の人たちや、参考人席、新聞記者席の人々には門田の述べる意味がよく判断できないようであった。
「鈴木さんにおたずねします」
土方悦子は再び通信員のほうに向いた。
「あなたは、最近、日本にはいつお帰りになりましたか」(門田)
「ぼくはこの三年間は一度も日本に帰っておりません。そのことはいまあなたの言葉を通訳なさっている門田さんにコペンハーゲンで会ったときに申し上げたと思います。ぼくは、門田さんのような人に会うと、日本へ郷愁を感じると云ったと思います」(臼井)
門田は、そうだ、鈴木はそういうことを云ったと憶い出し、彼のほうにうなずいた。
土方悦子はつづけた。
「わかりました。けれどもあなたは、四月十日付の『朝陽新聞』に江木先生が書かれた『フィヨルド地方の旅の想い出』というのを見ておられます。それは三年前の先生の著書『白夜の国・女のひとり旅』とともに、事実の間違いが少なくとも五つはあると批判されました。あなたはその四月十日付の『朝陽新聞』をどこでごらんになりましたか」(門田)
「それは、たしか僕の下宿しているアムステルダムで読んだと思います。日本人のいるヨーロッパの都市ならば、日本の代表紙である『朝陽新聞』はどこにでも来ています」(臼井)
「あなたは、日本の大使館や商社の事務所にはよくおいでになりますか?」(門田)
「ぼくは、日本の新聞、週刊誌の通信員としてヨーロッパを自由に取材していますから、大使館とか商社には顔を出していません。そういう場所には用事がありませんから」(臼井)
「けれども、わたくしが知っているかぎりではアムステルダムにも『朝陽新聞』はそうたくさん来ているわけではありません。あなたがアムステルダムで読まれたというのは何かの錯覚ではありませんか」(門田)
「いや、正確な記憶はないけれども、ぼくはたしかにその新聞をアムステルダムのどこかで読みました」(臼井)
「四月十日付といえば、きわめて最近の新聞です。日付の遅れた新聞ならともかく、そのように新しい新聞が読める場所といえば、きわめて限定されると思いますが……。それに、私はあの記事をスクラップしたので記憶しているのですが、あれは『朝陽新聞』の本紙ではなく、付録の『旅行特集』だったと思います。そんなものまでヨーロッパに来ているのでしょうか。その点は警察のお調べで、すぐに分ることと思いますが……」(門田)
「新聞の付録」という言葉に、鈴木は、はっとしたようだった。が、すぐに平静に戻って答えた。
「読んだ場所はよく憶えておりません」(臼井)
「あなたはコペンハーゲンの居酒屋で、門田さんに、女性観光団ということをお聞きになりましたが、団体の人数が何人であるかということはお聞きになりませんでしたね。これはどういうことでございましょうか。女性ばかりの観光団というユニークな旅行団ですから、その人数はどれぐらいかぐらいは添乗員の門田さんに真っ先に聞くのが普通だと思いますが。とくに通信員の感覚ではね。けれども、あなたはそれを質問していません」(門田)
「人数に興味がなかったからでしょう」(臼井)
しかし、鈴木は虚をつかれたようだった。
「いえ、そうではありません。あなたが団体の人数を聞かなかったのは、その団体の人数を、前もって知っていたからです。つまり、知っていることには質問の必要がなかったわけです。もしあなたが初めてその話を聞いたように装うとすれば、団員の人数を門田さんに訊くべきでした。それをしなかったのは、これは鈴木さんにとって迂闊だったと云わねばなりません」(門田)
門田も、通訳する前に、あっと思った。
「あなたはぼくに何を云おうというのですか」(臼井)
鈴木は色をなして土方悦子に反問した。
「わたくしは、以上のことを総合して、あなたが三年間も日本に帰国しなかったとは信じがたいのです。あなたはことしになって日本に『里帰り』なさっています。それも、この団体が結成されるころと思います。この点は、日本で警察が調査すればわかることだと思います」(門田)
鈴木は何か云いかけたが、沈黙した。そのかわり額に深い皺を寄せた。
土方悦子は顔を元に戻した。
「ヒューズ警部に申し上げます。ここに殺人を意図する人間が一人いたと想定します。その人は通信員で、狙う相手に接近しやすい立場にありました。まず、相手は、ローズ・ツアという観光旅行団体でした。次の焦点はその中に居る相手です。しかし、いくら新聞・雑誌のヨーロッパ通信員でも、理由なしに女ばかりの旅行団体に接近することはできません。そこで考えられたのが、接近のために、きっかけをつくることです。そのきっかけは、報道通信員としてきわめて自然につくり上げることでした。これが、先ほどから縷々《るる》と申し上げているコペンハーゲンでの多田マリ子さんの奇禍でした。もっとも、その事件でなくとも何でもよかったのですが、通信員にとって幸いなことに、センセーショナルな記事をつくり上げる偶然のチャンスに恵まれました。彼は、その記事を淡々と書いて日本スポーツ文化新聞に送稿したと云っていますが、わたくしの照会した電報に対する日本スポーツ文化新聞社の返電は、さきほど披露したとおりです。すなわち、同本社のデスクは、何らの修飾も文飾もほどこさずに、通信員の電話送稿をほとんどそのままの記事にして掲載したのであります。
では、なぜ通信員は過大な報道をしたのでしょうか。それが通信員としての功名心からであり、それによって読者の反響を期待するという意図があったからでしょうか。たしかにそういう心理は、どの新聞記者にもあることです。いわゆる特ダネがとかく誇大になるのもその理由からだと思います。けれども、その通信員の場合はそうではなかったとわたくしは思います。通信員はその観光団体に近づく機会にするべく、コペンのホテルでの多田さんの奇禍をきわめて刺戟的で煽情的な色彩の送稿にしたと思います。
これは図に当りました。はたして本社はその反響によろこんで、通信員にその観光団体の取材をつづけるように命じました。予想外なことに、日本スポーツ文化新聞に刺戟されたA、B、C、連合通信などの代表的な報道機関が、その女性観光団体の動静に興味を持ち、そのロンドン支局員に取材を命じたため、各社の支局員はその通信員とともに、観光団体に接近してきました。その通信員にとっては、まさにもっけの幸いと云えましょう。というのは、自分だけが団体に近づくよりも、大ぜいの中に入っていたほうがはるかに目立たなくていいからです。しかも四社とも日本の大新聞であり、通信社ですから、これ以上理想的なことはありません。
わたくしはいまにして思います。ウインザー城で、その通信員は各新聞についてきて、執拗に取材しました。そのときふと私が目撃したのは、藤野由美さんが通信員から取材されているところでした。ちょうど商店街から少し入った路地のところでした。わたくしは新聞記者の方々の取材活動にいささか嫌悪を感じていましたけれど、それでも通信員がする藤野由美さんの談話取材よりは短い時間でした。藤野さんに限って通信員の談話取材が長かったのです。どういうことを取材していたのか、わたくしたちとはあまりに距離が遠すぎて、話し声は聞えませんでした。
あれは果して取材だったでしょうか。そのときは通信員の取材という意識がわたくしの頭にあったものですから、何の疑いも持ちませんでしたが、藤野さんがレブン湖畔で殺されてからは、奇妙にあの長いインタビューがわたくしにひっかかってきたのです。
レブン湖畔の犯人は、藤野由美さんを長いこと湖畔に止め置きました。これはおどろくべきことです。何の圧力も加えずに、一人の人間を、あの暗い湖畔に長く拘束しておくということは、ふつうではできません。他の団員が遅くとも九時にホテルに戻ったあと、一時間も長くです。
わたくしは、そのことをウインザー城で見た通信員の長過ぎるインタビューと結びつけてみました。あれは単に談話を取材していたのではなく、逆に通信員が、藤野由美さんに何事かを云い聞かせ、説得していたのではないかと考えたのです。そう推察するならば、藤野由美さんは彼の言葉に従いレブン湖畔に残っていたという解釈が無理なく成立します。
ところで、もう一人の被害者、梶原澄子さんの場合ですが、彼女も通信員から湖畔に出るよう説得があったと思います。|残る《ヽヽ》のではなく、このほうは|出る《ヽヽ》のです。通信員がどのような説得を梶原さんに試みたか、わたくしには一つの推測があるのですが、それはのちに云います。とにかく犯人は、梶原さんをいったん部屋に戻して、そのあとで、湖畔にくるように計画したのだと思います。
梶原さんは、九時すぎには湖畔からホテルに一度は帰ったのです。そのときは、彼女ひとりでした。彼女はフロントの係員から自室の34号室のキイと、藤野由美さんの16号室のキイとをいっしょに受け取ったと思います。嫌いだったとはいえ、それまで一つのキイを共有した室友です。梶原さんが藤野さんのキイを受け取るのに、心理的な抵抗はなかったと思われます。フロントの係員は、例によって日本女性客に要求されるまま、二つのキイをボックスから出してカウンターの上に置いたのでしょう。仲間のキイだと思うから、係員は一人の要求で、キイを三つでも四つでも出すのが普通です。いちいち確認はとりません。
わたしは、16号室と34号室のキイをフロントから受け取ったのは、栗色の髪を持つロンドン娘ではないかと最初に考えました。その娘さんは、|鱒  荘《トロウト・ヴイラ》からそれほど遠くないキンロス・ホテルに鈴木通信員と泊っていました。わたくしは、偶然にその娘さんをキンロス・ホテルの庭で見かけましたが。しかし、いくら栗色の髪が日本女性の黒髪に近いからといって、また、その背格好が日本女性のそれと似ているからといって、フロントの係員がイギリス娘を日本女性と見誤るはずはないと、わたくしは思うようになりました。わたくしは考えを訂正しました。
二つのキイをいっしょに受けとったのは、やはり日本女性です。とすると、藤野由美さんか梶原澄子さんです。わたくしは、洗面所の犯人のトリックから考えて、藤野さんは湖畔から自室には戻っていないと推定しました。すると、二つのキイは梶原さんがフロントからもらったことになります。つまり、梶原さんは、犯人に協力して、藤野さんの16号室のキイまで受け取っていたのです。
この推定は、もう一つの推測を生みました。それは、藤野由美さんと梶原澄子さんとを同時に湖畔に残しておくと、二人の間に何かがはじまって──それも犯人の計画なのですが──時間的に早すぎるからです。そのことが起るのは、湖畔から団員がみんなホテルに引き揚げた九時半以後でないと都合が悪いからです。たとえば、藤野由美さんと梶原澄子さんの間で、言い争いがはじまれば、その昂奮した高い声が、湖畔に残る他の団員の耳に入りますから。それから人間を湖に突き落すときに起る水音を聞かれることです。それはなお困ります。それで、梶原さんだけは、ホテルにいったん戻して、時間のズレをつくったのです。梶原さんが、二つのキイを持って自室から再び出たのは十時ごろでしょう。そのとき団員はみんな各自の部屋に閉じこもって就寝していたでしょうから、廊下をそっと歩く梶原さんの姿を見た者はありませんでした。梶原さんは犯人に云われたとおり、フロントの前は通らずに、教えられたように裏口から外に出たと思います。
こうして、梶原澄子さんは、湖畔で待たされていた藤野由美さんと会いました。それはどういう話だったでしょうか。なぜ、二人の女性は、犯人の言葉に動かされて、夜ふけに寂しい湖畔で会ったのでしょうか。
考えられるのは、それが犯人の計画のもとにすすめられたことです。だから、他の団員がいるホテルではできなかったのです。もし、それがふつうの密談でしたら、旅行のスケジュールはまだまだ残っていますから、その機会を先に延ばしてもいいわけです。チャンスはいくらでもあります。けれども、それを先に延ばす余裕が鈴木さんにはなかったのです。スコットランドの山湖という絶好の条件からいっても、犯人は差し迫った心境になっていたと考えます。湖畔で殺すためには、二人をそこに誘い出さなければなりませんから。
犯人は、まず藤野由美さんに対して、室友の梶原澄子さんが藤野さんの将来を破壊する危険な人物であることを説いていたと思います。それがはじまったのは、ウインザー城見物の際でしょう。彼女に対する取材の話合いが非常に長かったのは、実は、その説得だったと思います。以後も犯人は、この旅行団のまわりに付いてきていましたから、その説得をつづける機会があったと思います。
藤野さんは、梶原さんを見ても、二十年前に彼女と特殊な接触があったことを忘れていたと思います。というのは、ロンドンのホテルまでは藤野さんの様子に何の変った点もなかったからです。たいへん明るく振舞っていました。室友の変更は梶原さんが希望するだけで、藤野さんは何も云っていません。藤野さんは、梶原澄子さんが札幌の梶原産婦人科病院長の未亡人で、その梶原病院は、もと千歳の町に在ったことを知っていなかったと思います。なぜなら、団員たちに配布された団員表には、団員の名前がタイプしてあるだけで、その身もとは一切記入してありませんでしたから。
犯人が藤野さんに、梶原澄子さんが彼女の将来を破壊する危険な存在であると知らせたのは、犯人が藤野さんの前身と梶原さんの過去の仕事とを、両方とも知っているからです。どうしてそれを知っていたか。わたくしは、それは犯人自身の知識ではなく、他の者からそれを教えられたからだと思います。他の者──その人こそ、両人の経歴をよく知る立場にありました。犯人は、その人からすべての遂行を頼まれたのです。
藤野由美さんは、東京で美容院を経営していました。自身を美容デザイナーという新しい言葉で飾っていたように既存の複雑な美容界の中に目ざましく進出しておられたようです。彼女は、その才能を持ち、それへの自信から、将来に大きな希望と夢とを持っていたと思います。藤野さんは、自分の客筋のいいことをこんどの旅行中も絶えず自慢しておられました。
それが梶原澄子さんの口から出る一言で、破壊されるかもしれないのです。犯人にそう教えられると、藤野さんが犯人に協力して梶原さんを除く決心になったのも分る気がします。梶原澄子さんは、義弟の世話になっている未亡人にすぎません。この世にはあまり意欲をもてない後家さんなんです。年老いて行き、家族の厄介になるだけの境遇です。
それにくらべると、藤野由美さんは薔薇色の世界に入りかけています。彼女はその美容技術によって多くの女性たちに役立ち、よろこばれていると信じていたでしょう。役にも立たない未亡人のために、世に有益な、しかも将来ある存在の自分が葬り去られることは、まったく不合理だと藤野由美さんは考えたでしょう。
ドストエフスキーの『罪と罰』では、質屋の『後家婆ァ』を殺した大学生ラスコーリニコフは似たような考えを持っています。『意地の悪い病気の老婆。誰にも役に立たないどころか、かえってみんなの害になり、なんのために生きているのか自分でも分らない老婆がいる。その老婆を殺し、その金を奪うがいい、こんな愚かな意地悪い老婆の死なんて、いったい何だろう』という士官のせせら笑う言葉が前にあって、ラスコーリニコフは『人類の恩人になるために、ぼくは殺したのではない、ぼくはただ殺したんだ、自分のために殺したんだ、自分一人のために』と恋人ソーニャに云います。
まったく、藤野由美さんは、唆《そそのか》した犯人のためではなく、自分一人の生活防衛のために、未亡人殺しに協力したのです。
湖畔でどのような順序で殺人が行われたかは、私には詳しく推察はできません。たぶんいままでの類推とは違って、梶原澄子さんが先に湖に突込まれて殺されたと思います。そう推定する理由があります。その一つは、ボートの下に梶原澄子さんの屍体が入っていたことです。これまでは、手押し車を梃子にして伏せたボートをこじあけ、その中に屍体を入れた、だからそれは一人の力でも可能であると考えていましたが、やはりあれは二人がかりだと推定したほうが自然だと思います。
つまり、梶原澄子さんは、犯人にだまされて、殺されに夜ふけの湖畔に忍んで出て行ったようなものです。犯人は、藤野由美さんといっしょに暗い湖畔で梶原澄子さんを迎えました。それは十時すぎだったでしょう。
こうして、いま申しましたような方法で梶原澄子さんは犯人によって水死させられたのですが、そのとき、彼女が持ってきたキイ二つはハンドバッグに入っていました。あとで犯人は梶原澄子さんの遺留品であるハンドバッグから16号室のキイだけを奪ったのでしょう。
こうして、犯人は藤野由美さんといっしょに梶原澄子さんの水死体を湖岸に引きあげ、二人がかりで伏せられたボートの下に入れました。例の手押し車は、それを梃子代用にした単独犯行のように思わせる犯人の知恵でした。わたくしは、それにまんまとひっかかりました。わたくしだけではなく、恐縮ですが、イングルトン部長刑事さんも、さっきのお話によって、犯人のトリックにひっかかっておられるのが分りました」
イングルトンは、ドイツの謀略にひっかかったチェンバレンのように、苦虫を噛んだ顔をした。
「犯人は、このようにして藤野由美さんに梶原澄子さん殺しを協力させたあと、こんどは残る藤野由美さんをふいに襲い、湖に突き落して溺死させました。これも、犯人を操る人にとって、『自分一人のために二人を殺した』ということになりましょう。
藤野由美さんの16号室のキイは、すでに犯人の手にありますから、犯人は湖の岸辺から鱒の鱗と藻の断片とを、ビニール袋か何かですくい上げ、それらを持ってホテルの裏口から入り、キイで16号室を開けて中に入り、洗面所で例のトリックを設置しました。キイはその部屋の中に置いて、廊下に出るとドアを閉めました。ドアは外から閉めたときに自動的にロックされます。このとき、両隣の部屋も前の部屋も、寝ている人には何の音も聞えませんでした。
こうして犯人は再びトロウト・ヴィラの裏口から出ると、自分のホテルに戻ったと思いますが、そのときは、ホテルの近くに待たせてあったロンドン娘と落ち合い、アベックで散歩して帰ったようにキンロス・ホテルのフロントには思わせたと思います。
ロンドン娘に聞けば、彼女が彼と共にキンロス・ホテルを十時ごろに『散歩』に出て、十一時すぎごろに『散歩』から腕を組んで戻ったと答えるでしょう。彼女も恋人の犯行に間接的に協力したのですから、恋人のためにも、また自分自身のためにも、不利な証言はしないでしょう。しかし、スコットランド・ヤードの敏腕をもってすれば、ロンドン娘の偽証も突き崩せると思います。
そこで、疑問ですが、では、なぜ藤野由美さんは犯人と協力して梶原澄子さんの殺害を手伝ったのでしょうか。ここが、こんどの事件の動機を知るポイントだと思います」(門田)
一同は、|しん《ヽヽ》として彼女の言葉に耳を傾けていた。いまや彼女は降りかかった殺人者の嫌疑をひとりで払いのけるために自らの弁論に立ち上っていた。弁護人が一人もいない異郷の空である。それは長丁場の口舌だったが、門田の通訳ぶりもまことに快調であった。
「梶原澄子さんは、同室者の藤野由美さんを、生理的に不潔な人だと云っていました。これは|室 友《ルーム・メイト》を替えてほしいという理由として、たびたび門田さんに要求されていたことでした。藤野さんはあのように派手な方でした。美しいし、服装もアクセサリーも洗練されたものでした。それがどうして不潔なのでしょうか。人にはそれぞれ好き嫌いがあって、嫌いな人には何を見ても嫌悪を感じるものです。特別理由なしに、ただ嫌いとなると、生理的に不潔という言葉でしか云いようのない場合もあると思います。
梶原澄子さんは病院長の未亡人として地味な方でした。二人の性格が、室友として合わなかったのはわかりますが、それにしても不潔というのは、不仲を表わす表現としてかなり不適切だと思います。わたくしは、それには特別な意味があったのではないかと考えるようになりました。生理的に不潔とはいったい何だろうかと。
表面はきれいな身なりをしていても、自分ひとりになるとまったく違った面を持つ人があります。こういうようなことをこの場で云っては恐縮ですが、たとえば下着とか、靴下とか、足袋とかを、ろくに洗濯もしないで、押入や箪笥の中に突っ込んでいる人がいます。そういう人に限って、よそ行きには着飾るものです。藤野由美さんと、梶原澄子さんが一緒だったのは、一週間足らずですけれども、そういう藤野由美さんの内面を、梶原澄子さんは、あるいは見たのかもしれません。けれども、いくら藤野由美さんがそういう性格だったとしても、わずかな時間で、初めて会った梶原澄子さんにそんな自堕落を見せるとは思えません。
梶原澄子さんは、藤野由美さんを別のルーム・メートに替えてほしいと門田さんに早くから云っていました。そこで門田さんが希望を聞くと、彼女は多田マリ子さんを望んでいたそうです。こういうことを云うのは申しわけありませんが、藤野由美さんと多田マリ子さんとは、いろいろな点で共通点があります。もし梶原澄子さんが藤野由美さんを、その華美な点で嫌っていたとすれば、同じような傾向の多田マリ子さんを、どうして新しい室友として望まれたのでしょうか。このへんに梶原澄子さんの何か隠された理由があったとわたくしは思います」(門田)
参考人席に、互いに顔を見合わせる波が伝わった。みんなは、藤野由美と多田マリ子との競争を見て知っている。特にコペンハーゲン郊外のヘルシンゴーでは、一種の果たし合いといってもいい見ものであった。そのことに関して土方悦子がどのように話のつづきを発展させていくか、一同は耳を澄ませていた。その中で当の多田マリ子だけは、相変らず他人《ひと》ごとのようにのんびりした表情で聞いていた。
しかし、土方悦子の話は、みんなの予想から別なほうにそれた。
「次に、わたくしは藤野由美さんの英語をたびたび聞く機会を持ちました。大変お上手な英語で、わたくしなどはとても足もとにも及びません。もっとも、正規なかたちで藤野由美さんの英語をうかがうということはありませんでしたが。でも、外国人とのちょっとした会話でそれを聞くことができたのです。たとえば、空港でもそうでしたし、人魚の像の所やクロンボール城でも、藤野由美さんは折から観光に来合せていたアメリカ人数人と、流暢な英語で喋っておられました。わたくしはそれをよそながら拝聴しました。
ここでわたくしは藤野由美さんに大変申しわけないことを云わねばなりません。藤野由美さんのは、英語というよりもアメリカ語でした。門田さんに訊くと、彼女は西部のデンバーにおられたということですから、そのへんの発言の癖や訛があってもふしぎではありません。ですけど、ただそれだけではなかったように思います。藤野さんの米語には、何か特殊な云いまわしや単語が入っていました。わたくしは、それがあまり上品でないGI米語(アメリカ兵の使う米語。野卑な米語)のように思いました。つまり藤野由美さんは、非常に馴れたGI米語を使っておられたのです。このことは、藤野さんがかつてそういう言葉を使う環境に身を置かれたということを推測させると思います。たとえば日本には終戦後かなり長い間、アメリカの駐留軍兵士が基地に駐屯していました。そこで使われる兵隊たちの、GI語の会話は基地周辺の若い男女に伝染していたということであります。
わたくしは、こう云ったからといって、藤野由美さんの米語を不当に低く評価するのではありません。先ほども申しましたように、彼女の米語は、わたくしなどが学校で教わって苦労して使っている拙劣な英語会話よりも、はるかに馴れたものです。それは生活に馴れた会話の言葉と云ってもいいと思います。生活に馴れた言葉こそ、真に肌身についた外国語といえましょう。わたくしは、ヒューズ警部初め列席のみなさんに、このことをご留意願っておきたいと思います」(門田)
一同には、暗い沖に呑まれる船に乗せられているような、見えない不安が顔に現われていた。
「さて、こんどは、話をまた別な角度から進めたいと思います。わたくしは江木先生の代理で、この観光団体の講師として急に選ばれました。それは江木先生のご推薦があったからです。わたくしは前に一度ヨーロッパ旅行したことがありましたので、かねてから、もう一度ヨーロッパに行きたいと思っていました。それで、その代理になる話を聞いて、いいチャンスだと喜び、参加させていただいたのであります。
ところで、江木先生はなぜ急に講師を辞退されたのでしょうか。先生は、ある有名な出版社からいいお話があって、そのために一度は承諾なさったこの団体の講師として参加することができなくなったということでございました。およそ、ものを書く方には、立派な出版社、一流の出版社から仕事がくることは、その人にとって希望ある未来を約束されるものです。江木先生が観光旅行団体の講師としてヨーロッパを歩くよりも、そうしたチャンスに乗りかえようと決心されたというのは、きわめて当然のことであり、至当なことであります。わたくしもそれを先生のために大変に喜んだのです。ところが、ここに少し奇妙なことがございました。
わたくしにはいろんな出版社に勤めている友だちがございます。先生にお仕事を依頼したという『女性思潮』の編集部にもさいわい勤めている友だちがおり、その友人に訊いてみました。これは、けっして他意ある理由からではありません。江木先生の文名がもっともっと高くなり、文筆家としてゆるぎない地位につかれることを期待するあまりであります。けれども友人は、江木先生にそういうお仕事をお願いしたということを知りませんでした。もっとも、出版社によっては、その企画を外部にあまり洩らしたくない社もあると思います。ですから、その出版企画が秘密であればあるほど、わたくしの耳に入ることがないわけでございますが、江木先生のお仕事は本当にあの編集部から依頼されたのでしょうか。
それはともかくとして、江木先生が講師を辞退された時期が、わたくしに一つの興味を持たせました。なぜかというと、それはちょうどこのローズ・ツアのメンバーがだいたい決った段階に当っているからでございます。わたくしは江木先生の代理として選ばれたあと、門田さんに、そのいきさつを聞いてみました。門田さんの話では、募集して締め切った団員のリストを江木先生にごらんに入れたそうです。
先生の講師辞退は、偶然にも団員名簿の作成と時期的に一致していますが、これは果して偶然だったのでしょうか。それとも何か必然性のあることだったのでしょうか。わたくしは何だか後者のような気がいたします。
ここで、一つの仮定のケースを考えてみましょう。仮にリストに載っている団員の中に、江木先生の気に入らない名前が記載されていたとします。先生には、そういう人たちと一緒にヨーロッパを歩くのは、まったく気乗りのしないことになります。この旅が先生には疎《うと》ましいものに違いありません。
けれども、そうだからといって、あからさまにその理由を旅行社の広島常務に云うこともできかねるでしょう。この名前の人が気に入らないから、わたしは参加を断わる、ということは云えません。もしこのわたくしの想像が許されるならば、江木先生にとって気に入らない人は、単に虫が好かないとか、反りが合わないというだけではなく、もっと根本的に嫌《いや》な原因があったことも考えられます。仮定の問題ですから、江木先生にはお許し願いたいのですけれども、団員リストの中にある名前の人が、江木先生にとって有害であったならば、これは先生のほうでしかるべき理由を云われて、参加を回避されるでしょう。
では、有害とは、どういうことでしょうか。それは先生の未来にとって有害という意味です。わずか三週間余りの外国旅行のつき合いですから、多少の害なら、辞退まではゆかないと思います。それはかなり重大な理由があったに違いありません。わたくしは江木先生が出版社からの架空の新しい仕事を口実に、このローズ・ツアの講師を忌避された原因は、藤野由美さんと梶原澄子さんの名前が団員リストに発見されたからだと思います」(門田)
一同は、あたかも眼前に怒濤を見たような衝撃をうけた。その波が瀑布のような勢いで襲いかかってくる前の、息を呑む瞬間であった。
ヒューズ警部を初め並み居る者は、門田の通訳が終ると、瞳をむき出して、土方悦子の小さな顔を見つめた。だが当の江木奈岐子は顔色こそ白く褪めていたが、その細く引いた眉ひとつ動かさず、「弟子」の土方悦子の発言と、それを忠実に通訳する門田の英語に聞き入っていた。
「わたくしは、ここにもう一通の電報を日本からもらっています」と、土方悦子は左のポケットから折り畳んだ紙を取り出した。
「これは、札幌の医師会長さんからの、わたくしの問合せ電報に対する返電であります。わたくしがヒースロー空港で打った問合せ電報のもう一通というのは、梶原産婦人科病院のことに関してであります。梶原産婦人科病院は、梶原澄子さんの亡くなられたご主人が経営されていた病院でございます。現在はその弟さんの代になっております。
札幌医師会長さんからの返電では、この病院は昭和三十二年に現在の札幌市内に移転新築されましたが、その前は千歳の町にあったということです。千歳といえば、いまは北海道の玄関空港ですが、少し前まではアメリカ空軍の『基地の町』としてよく知られていました。札幌医師会長さんの電文によれば、梶原産婦人科病院は、千歳から札幌に移ってきたとき、立派な病院を新築したということですが、千歳にあったころの梶原産婦人科病院は、小さな規模の病院だったそうです。梶原病院の発展は、千歳時代にその基礎を築いたということになります。
産婦人科病院とアメリカ軍基地。基地の周辺にいた米軍相手の特殊な職業の女性を考えれば、その関係は容易に理解できそうです。
こうした場所で申し上げるのは、わたくしもたいそう心苦しいのですが、千歳基地の女性が同地にあった梶原産婦人科病院に頻繁に出入りしていたことは、悪い病気の問題や妊娠中絶の問題などを考えると、容易にそれが推定できます。そういう治療や妊娠中絶の手術は、医師にとって、ほとんどが秘匿された収入だったでしょう。それらの治療や手術は、性質上、患者からヤミの料金を徴収することが可能でした。そのカルテは税務署員の立入査察の眼からもかくされていました。会計も二重帳簿だったでしょう。現在でも悪質で不徳義な産婦人科病院や外科病院の名があるのを見れば、その間の事情がわかります。梶原病院は、札幌に出てくる前、すなわち昭和三十二年以前の、千歳で、そうした女性患者から荒かせぎしていたのです。同病院が大きくなって札幌市内に進出した秘密はそこにあったと思います。
梶原澄子さんは、当時元気であったご主人の手伝いとして、看護婦の役を勤めておられました。当時は手不足でしたし、そうした婦人患者は多かったに違いありませんから、奥さんが看護婦代りの役をしたのはきわめて自然のなりゆきでした。わたくしは、多田マリ子さんがコペンハーゲンのホテルで何者かによって後から首を締められたとき、その治療に当られた梶原澄子さんを知っています。それは看護婦経験者の熟練した手当てでした。とても素人ではできない処置をてきぱきとなさっていました。そのとき梶原さんは、多田マリ子さんの頸部に残っている傷痕を見られて、或ることを門田さんに示唆されました。それもご主人の手伝いをして治療に当ってこられた梶原澄子さんにして初めて指摘できることでした」(門田)
参考人席で、のんびりしていた多田マリ子がはじめて顔色を変えた。
「わたくしは、梶原澄子さんが藤野由美さんを不潔だと云って毛嫌いしていた真の理由は、千歳時代に藤野由美さんが梶原産婦人科病院の患者であったからだと推定します。梶原澄子さんは、この旅行団で、藤野由美さんの顔を見て、かつての患者の記憶が甦ったのだと思います。あるいは同室者として同じ部屋に泊っているうち、二十年前の自分の病院の患者を憶い出されたのかもしれません。そうだとすれば、病院長未亡人としては、かつて治療をうけにきた基地の女と同じ部屋に寝泊りするのは、我慢のならないことだったにちがいありません。藤野由美さんのほうは、長い年月がたっているので、梶原澄子さんが病院で看護婦のなかの一人として働いていたことなどは、記憶になかったと思います。もしその記憶があれば藤野由美さんのほうでも、室友の取り替えを希望したでしょう。梶原澄子さんは、藤野由美さんの顔だけでなく、その名前にも記憶が蘇ったかもしれません。なぜなら、彼女は患者の名前を隠し帳簿につけたりすることもあったと思われますから。
では、江木先生がリストの中に梶原澄子さんと藤野由美さんの名前を見て、急に講師を辞退されたとすれば、その因果関係はどうなるのでしょうか。江木先生は梶原澄子さんを忌避されたのでしょうか。それとも藤野由美さんを避けられたのでしょうか。
わたくしには、どうも二人とも先生の忌避の対象になったという気がしてなりません。ということは、江木先生も当時、二人をよく知る同じ環境におられたということであります。
けれども、梶原澄子さんも、藤野由美さんも、江木先生の名前には心当りがありません。なぜなら、『江木奈岐子』は十年前に英書の旅行記を翻訳されたときからのペンネームだからです。本名は、坪内文子さんです。
もし、先生の随筆が坪内文子の名で書かれていたら、梶原澄子さんは千歳時代の梶原産婦人科病院の患者として、また、藤野由美さんは、当時の仲間の一人として記憶していたでしょう。そういう人は、ほかにも居たかも分りません。坪内文子さんが早くから江木奈岐子のペンネームになっていたのは、特殊な人々に記憶されている名前を消したいからです。
江木先生の過去に、よく分らない一部があるのはジャーナリズムにすでに知られているとおりです。そこがまた編集者には神秘的な魅力となったのです。江木先生が旅の評論家や紀行随筆家として進出されたのは、もちろん、先生の才能の大によるところですが、一面、先生の経歴の一部が神秘的な空白の魅力となって、編集者の心をとらえ、仕事の依頼がふえたからであります。
しかし、ペンネームだけでは分らないけれど、その顔を当時の知った人が見ると、いっぺんにそれが坪内文子さんだと判ってしまいます。二十年経っていても、それなりに年とった顔で分ります。江木先生が、リストの中から梶原産婦人科病院長の未亡人である梶原澄子さんと、藤野由美さんの名前を発見して、急に講師を断わられたのは、その危険を察知されたからだと思います」(門田)
だれもが叫びを上げたいのを我慢して、身をよじらせた。
土方悦子は、しばらくうつむいて黙っていた。歯を喰いしばっているようだったが、やがて、人形のように呆然として動かない江木奈岐子のほうを見ないようにして顔を上げ、ヒューズ警部だけを凝視して、あとをつづけた。彼女は、江木奈岐子への「義理」よりも、自己の防衛に力を尽さねばならなかった。
10
「さきほども申しましたように、鈴木さんがローズ・ツアの三十人の団員数を知っていたのは、鈴木さんが結団時に日本に『里帰り』したからだという推定ができました。『朝陽新聞』の四月十日付に出た江木先生の文章にはいくつかの間違いがあると鈴木さんは批判されていますが、この新聞の付録版がアムステルダムやコペンハーゲンに来ているのかどうかは疑問のあるところです。鈴木さんが帰国していたとすれば、その新聞を読んだ機会が理解できます。四月十日付の新聞というと、ローズ・ツアのリストがつくられたあとです。ちょうど江木先生が講師を辞退され、わたくしが推薦された直後のことです。
団員の数も、わたくしの名前が土方悦子であることも、鈴木さんが『里帰り』のときに先生と会って聞いていたのです。それが判っていたため、既知の知識として、一方では団員の数を門田さんに質問せず、一方ではわたくしのフルネームをうっかり口にしてしまう失態となったのです。
わたくしは、江木先生と鈴木さんとは以前から知り合いであったと思います。その知り合った時期は、江木先生が例の旅行記を書かれた北欧の旅のときであったと思います。なぜならば、ミス・トルバルセンは江木先生のガイド兼通訳としてデンマークを旅しておりますが、その旅は女二人だけではなかったという気がします。もう一人がそこに存在していたと思います。わたくしは、それは鈴木さんであったと考えます。なぜなら、鈴木さんはミス・トルバルセンの恋人ですから。……もしかすると、江木先生に通訳としてミス・トルバルセンをつけたのは、鈴木さんではなかったでしょうか。江木先生がデンマークに来て、コペンハーゲンで鈴木さんと出会ったのが親密な仲のきっかけだったとしても、あながち行きすぎな臆測ではないでしょう。
とかく何か人に知られたくない事情があれば、その旅行記は故意にその点を伏せた文章になりがちです。江木先生がミス・トルバルセンの名前を挙げられないで、単に『通訳と一緒に旅をした』という、漠然とした記述にされたのは、旅の内容の具体性に触れたくなかったからでしょう。トルバルセンの名前を出せば記述は具体的になり、どうしてもそこにもう一人の陰の存在を類推させるようにもなるからです。また江木先生の著書を読んだ読者が、コペンハーゲンを旅するとき、通訳としてミス・トルバルセンを希望するという事態もあり得ます。そのときミス・トルバルセンの口から、江木先生との旅がどのような構成であったかわかってしまうかもわかりません。旅行記にミス・トルバルセンの名前が伏せられていたのは、そうした防禦の用意からでもあると思います。門田さんによると、コペンハーゲンの居酒屋では、ミス・トルバルセンが門田さんに直接何か云おうとすると、鈴木さんがこれを止めたということですが、それもいまの事情を推測するにたります。
門田さんによると、鈴木さんは江木先生の書かれた『朝陽新聞』の随筆を見て、その旅行記に少なくとも五つの誤りがあると痛烈に批判されたそうです。その誤りは、『白夜の国・女のひとり旅』に共通して云えると云われたそうです。なぜ彼は江木先生の著書にそんな痛烈な批判を浴びせたのでしょうか。そういう言葉をどうして門田さんの前で吐いたのでしょうか。ふつうなら、江木先生は門田さんの団体に講師として参加していたはずの方ですから、礼儀上、そんな批判をするわけがありません。内心ではそうは思っても、だれでも遠慮するものです。それが逆に、鈴木さんが門田さんを目の前にして江木先生の著書にケチをつけたのは、江木先生との間を門田さんに察知されないための意図からです。わたくしは、そのことも自分の推測を助ける有力な材料だと思いました。……」(門田)
江木奈岐子が起ち上った。
彼女の顔は、まばゆいばかりの人工光線の下に、蒼味を帯びた白陶色となり、眼のまわりの皮膚には黝《くろず》んだ隈《くま》が浮び、瞳《ひとみ》が貼りついたように据る眼球の硝子《しようし》体には、網細管が膨れ上って、古典が形容する赤酸漿《あかかがち》のように血|爛《ただ》れて見えた。
「ヒューズ警部」
江木奈岐子は、まっすぐに正面席のスコットランド・ヤードからの派遣捜査官に向って云った。その語尾は忿怒に震えていた。彼女は取り乱しそうな自分を極力抑えて、その唇の端には微笑さえつくっていたが、平静を見せようとする身体はその緊迫のために張り裂けそうな感じであった。
「ただいま述べられた土方悦子さんの陳述は、まったく根も葉もない内容であります。わたしに対する悪意ある中傷であり、重大な中傷であります」(臼井)
彼女のすさまじい迫力に、臼井二等書記官がうろたえて、とっさの通訳につかえたくらいだった。
「江木奈岐子さん」
ヒューズ警部は、土方悦子の陳述に大きな衝撃を受けていた。それは並《なみ》居る人たちも同じであった。とくに、イングルトン部長刑事の顔は放心状態さえあらわしていた。で、ヒューズ警部は、抗議者の発言について即座に質問した。
「あなたは、土方悦子さんの陳述内容を全面的に否定なさるのですね?」(高瀬)
「いいえ、警部。その一部は事実として認めます」(臼井)
江木奈岐子は、高瀬一等書記官による日本語通訳の済むのがまどろこしいように苛々《いらいら》した声で答えた。
しかし、その答えは、一同の呻きのような嘆声をひき出した。
「どのような点を事実として承認するのですか」(高瀬)
「わたしの本名が坪内文子であること、ペンネームが江木奈岐子であることとであります。これは、そのとおりであります。けれど、ペンネームはもちろん変名ではありません」(臼井)
「土方さんの言葉で、事実として承認するのは、それだけですか」(高瀬)
「もう少しあります。きわめて些細なその一部分であります。しかし、ペンネームのことは、いうまでもなく、犯罪にはまったく関係はありません」(臼井)
「あなたは、ここに居る日本スポーツ文化新聞その他日本の週刊誌の特約通信員である鈴木道夫氏を以前から知っていますか」(高瀬)
江木奈岐子は、証人のような態度で鈴木の顔を熟視した。
「いいえ。知りません。いま、此処でこの人を見るのが初めてです」(臼井)
彼女は警部にむかって明瞭に答えた。
「鈴木氏はどうですか」(高瀬)
警部は、髭面の鈴木に訊いた。彼の表情はその濃く蔽われた髭のためか、ふだんと変らぬように見えた。
「江木奈岐子さんとお会いするのは、今日、この席が初めてです」(臼井)
「鈴木氏につづけて訊きますが、あなたは土方さんが挙げられ、かつ、ここに居る門田氏がコペンハーゲンの居酒屋であなたとともに遇ったというミス・トルバルセンというデンマーク娘を識っていますか」(高瀬)
「それは、ぼくの女友だちです」(臼井)
「あなたは、数年前に江木奈岐子さんがデンマークの旅をしたとき、ミス・トルバルセンが江木さんの通訳兼ガイドになったことを知っていますか」(高瀬)
「ミス・トルバルセンから後になって、なんとなく聞いたことはあります」(臼井)
「土方さんは、その旅行には、あなたも参加していたと推測しています」(高瀬)
「バカげた推測です。ぼくはその当時、約一カ月にわたって、スペイン、ポルトガル、モロッコの旅をしていました。コペンハーゲンはもとよりデンマークのどこにも居ませんでした」(臼井)
「あなたは、この四月十日前後に、日本に一時帰っていましたか」(高瀬)
「帰国していました」(臼井)
一同の間にざわめきが低く起った。鈴木が虚偽を云っても、当時のパスポートとか旅客機の乗客名簿があるので、彼はその点は認めたようであった。
「しかし、あなたは、コペンハーゲンで遇った門田氏に、もう三年間も帰国したことがないと云ったというではありませんか」(高瀬)
「それは単なる挨拶というか、言葉のアヤです。日本への郷愁を表現することも、日本からの旅行者に対する感情的《エモーシヨナル》サービスです」(臼井)
「あなたは、東京で江木奈岐子さんに会いましたか」(高瀬)
「会いません。さきほど申しましたようにそれまでは見たことも遇ったこともない人ですから。また、会う用事もありませんから」(臼井)
「あなたが帰国された理由は」(高瀬)
「日本の西部にあたる広島県の母親が重病だという報らせを実家から受けたためです。その見舞と、通信員として特約している東京の日本スポーツ文化新聞社および週刊雑誌社数社をまわって仕事の打合せをしました」(臼井)
「あなたが日本を出発し、コペンハーゲンに行ったのは、何日ですか」(高瀬)
「四月十三日発のSAS機に乗り、十四日にコペンハーゲンに到着しました」(臼井)
「あなたが、朝陽新聞の付録版に載っていた江木奈岐子さんのエッセイを読んだのは東京ではありませんか」(高瀬)
「思い出しました。たしかに東京でそれを読みました」(臼井)
「あなたは、レブン湖の日本女性の殺人事件があったとき、それに近いキンロス・ホテルに泊っていましたか」(高瀬)
「泊っていました。しかし、事件当夜はそのホテルに女友だちのミス・キャロル・ブリンハムと一緒でした。ぼくのアリバイは彼女が証明するでしょう」(臼井)
参考人席に忍び笑いが期せずして起った。鈴木のプレイボーイぶりが女性たちにおかしみを誘ったのである。
鈴木が、一時帰国を認めたほかは、土方悦子の推測の全部を否定したので、ヒューズ警部は彼への質問をひとまず打切った。彼は当面の方向を失ったといった表情だった。
ヒューズ警部は傍の警部補と、ひそひそ相談していたが、やがてその顔を戻し、土方悦子に視線を当てた。
「土方悦子さん。あなたは、レブン湖畔の殺人事件は、江木奈岐子さんが、一時帰国した知合いの鈴木道夫氏を唆して殺害の実行に当らせたと推測しました。しかし、江木さんと鈴木氏とが、江木さんのデンマーク旅行中に恋愛に陥った仲としても、それだけで鈴木氏が恋人の頼みをきいて重大な殺人事件を二つも犯すような心境になれたでしょうか。それのみでは動機が弱く、説得性がないと思いますが」(高瀬)
「おっしゃるとおりです。わたくしもその点は考え抜きました。そこで思い当るのが、門田さんから聞いた鈴木さんの言葉です。コペンハーゲンの居酒屋で、鈴木さんは門田さんにこう云ったそうです。
『ぼくも、こういうヨーロッパを放浪しているような不安定な独身生活から足を早く洗いたいと思いますよ。その希望の足音のようなものが、いま、遠くから近づいてはいますがね』
と、うれしそうだったそうです。
門田さんが、それは日本に帰って結婚することですか、ときいたとき、鈴木さんは、
『いや、必ずしも結婚とはいいませんが、まあ、形式はいろいろとありますからね』
と、云ったそうです」(門田)
通訳する門田は、そうだ、そのとおりに鈴木は居酒屋で云った、とヒューズ警部に向って証言するように、深くうなずいてみせた。
「その言葉と、鈴木さんの一時帰国とは、わたくしには関連があるように思われます。江木先生は鈴木さんを急遽日本に呼ばれたと思います。そのとき、江木先生は鈴木さんと日本で同棲することを約束されたと思います。同棲することによって、先生の力で鈴木さんをマスコミに押し出す。そういう将来も約束されたと思います。
もちろん、年齢からいって、江木先生が鈴木さんよりは十三、四歳も上です。だから、結婚はしないが同棲をする。文筆家には多い例です。事実上の結婚です。鈴木さんが、結婚には、いろいろな形式があると門田さんに云ったのはそのことでしょう。
鈴木さんは有頂天になったでしょう。ヨーロッパの根なし草のような生活から脱出できる。そのヨーロッパの長い生活体験を筆にすれば、マスコミに登場できるだろうと考えます。それを江木先生が応援し、新聞社や雑誌社に売込み半分の紹介をするというのです。鈴木さんが、その『里帰り』からコペンハーゲンに引き返した直後に遇った門田さんに、うれしさのあまり、つい、『希望の足音』という言葉がとび出したと思うのです。これくらいの見返りでもないと、鈴木さんは殺人を請け合いません。それに、江木先生が梶原澄子さんと藤野由美さんの二人のために没落がくるとすれば、鈴木さんにとってもせっかくの希望の足音も幻聴に終ることになります。二人を殺すことは、鈴木さん自身にも『自分一人のため』だったのです。こうなると、それは、もう嘱託殺人ではなく、江木先生と共犯ということになります」(門田)
参考人席も新聞記者席も、打ちひしがれたように身をかがめ、頭を伏せているように見えた。土方悦子の発言が一同の上を轟《ごう》と鳴り渡っていた。
「審問者」の席も色めき立った。ヒューズ警部はまたあわただしく警部補と額を寄せ合い、その打合せにはイングルトン部長刑事も、日本の警察庁出向の桐原駐仏大使館参事官も参加した。
「おどろくべき推論です。ミス・土方。……」
ヒューズ警部が貴族的な面相を紅潮させて、正面に顔の位置を戻した。
「そのあなたの推測には、何か根拠がありますか。根拠もなく、自身で証明もできないとなると、それは単なる臆測ということになりますが」(高瀬)
「わたくしの推測です。いまは、証明できません」(門田)
土方悦子は、うめいて頭を垂れた。
「そうです。土方さん。あなたの大胆な推測、いや臆測です。その殺人の根底にあるものは、あなたの臆測によると、江木奈岐子さんが藤野由美さんと共に、当時、アメリカ兵が駐留していたチトセ空軍基地附近に住み、そのような職業にあった──おお、土方さん、本職はあえて『職業』と云ったが、それはわが国の文豪がその言葉を使っているからです」(高瀬)
「知っています。それは、バーナード・ショウの『ウォーレン夫人の職業』という劇《ドラマ》です」(門田)
土方悦子は、弱い声で云った。
「土方さん。あなたは英文学に詳しいですな。で、その種の職業に、江木奈岐子さんが従っていたという推測ですが、これは重大ですぞ。単なる推察、臆測、想像ですと、江木奈岐子さんに激しい侮辱を加えたことになり、あなたは江木さんに告訴されても仕方がない。土方さん、あなたに、その推定の証明ができますか」(高瀬)
「…………」
「その証明ができれば、殺人の動機が明瞭となり、犯行についても、鈴木氏を訊問することができます。鈴木氏の答弁にも、曖昧な部分がかなりありますからな。しかし、それには殺人の動機をわれわれのほうでつかんでおかなければならない。本職は、あなたの述べた動機・原因には多大の関心を寄せています。しかし、それには裏付けとなる証明がほしい。単なる情況証拠では駄目ですぞ。確たる実証、いわば物的証拠とか、証人による証言とか、そういうものでないと、効力はありません。どうですか、あなたはそれを持っていますか」(高瀬)
満場は、荒野にひろがった深夜のように静まり返った。土方悦子はさきにイングルトン部長刑事によって殺人犯視され、それは自身の事件に対する推理によって脱れはしたものの、こんどはその推理によって再び窮地に陥った。
「思い切って申しますと」
土方悦子は、唇の端を噛んでヒューズ警部に顔をあげた。
「わたくしは、これまで江木先生の英語を充分に聞いたことはありませんが、何かの機会にちょっと聞いたところでは、英語ではなく米語でした。発音や言いまわしがそうでした。それから、先生の翻訳はアメリカの小説が専門でしたが、とくに俗語《スラング》の訳し方がお上手です。俗語は訳者によっては誤訳されやすいものですが、先生のそれは意味のとり方が正確で実にお上手でした。それはアメリカ文学に詳しい文芸評論家の佐田惣一郎先生が、江木先生の俗語の訳し方のうまさを絶讃されていました。GI語には俗語がきわめて多うございます。俗語とGI語、それと基地周辺、基地と日本の『ウォーレン夫人の職業』を、わたくしは江木先生の米語に連想するのです」(門田)
江木奈岐子の「門下生」は、遂に不逞な言辞をいい出した。満場には、もう一度大きなうねりがひろがった。
「仮りにそうだとしても」
ヒューズ警部が、顔をしかめ、両肩をすくめていった。
「それは情況証拠に過ぎない。それも説得力のきわめて弱い。よいですか、ミス土方。あなたの推理だと、江木奈岐子さんはかつてチトセで同じ職業にいた女性の名と、その特殊な女性たちを診療していた婦人科医の未亡人の名とを観光旅行団のリストの中に発見し、彼女は自身の前身が暴露することをおそれて予定されていた観光団の講師になることを取消した。そうでしたね?」(高瀬)
「そのとおりです」(門田)
彼女は小さな声で答えた。
「では、江木奈岐子さんは、講師をキャンセルするだけで自衛の目的は達しているではありませんか。彼女は観光旅行団に参加しなかったのですから、藤野由美にも梶原澄子にも自分の顔を見られずに終ったのです。それで、彼女の安全は確保されたわけです。それなのに、さらに鈴木氏を使ってその二人の婦人を殺す必要があったのですか? 手を出す必要はさらにない。よけいなことをする必然性はないのです。原因にも動機にもなっていない」(高瀬)
ヒューズ警部は、きめつけた。拳で机を叩かんばかりであった。
「ヒューズ警部。こうなったら申しますが」
土方悦子は苦しそうにいった。
「江木先生は、被害妄想に陥っておられたのです。通常の精神状態ではなかったようです。わたくしは江木先生に接してから、しばしばそれを感じました。先生は、いつも自分が誰かによって現在の地歩から引きずりおろされる、そういう見えぬ敵がいっぱい居る、その敵によって破滅させられる、という強迫観念が強かったように思います。それは、わたくしなどから見ても少々異常なくらいでした。先生は、その錯乱状態からのがれるために、精神安定剤のトランキライザーを常用しておられました」(門田)
門田は通訳の言葉が咽喉につかえた。彼が、江木奈岐子の違約をその家に責めに行ったとき、彼女が眼の前でトランキライザーを馴れた呑み方で嚥下した記憶が、土方悦子の言葉で蘇ったのである。
「被害妄想は、次から次へと思い詰めて、徹底的な強迫観念に襲われるのが特徴でしょう」(門田)
彼女が答えると、ヒューズ警部は顔面を硬直させた。
「それでは、江木奈岐子さんのハンドバッグかスーツケースには、いまでもトランキライザーが入っていると思われますか?、ミス・土方。それが発見されると思いますか?」(高瀬)
「いいえ、それは発見されないでしょう。江木先生は、今回は持っておいでになっていないと思います」(門田)
「なぜですか」(高瀬)
「もう、その必要がないからです、警部。強迫観念の対象だった藤野由美さんと梶原澄子さんとが除外されたからです。先生は、安心して此処にわれわれを追ってこられているのです。ここ当分、トランキライザーの飲用は先生に不用だと思います」(門田)
「しかし……しかし。それでも、まだ情況判断にすぎない。有力な証明ではありません」(高瀬)
息苦しい、恐怖を罩《こ》めた静寂の中を、秒が通過する。土方悦子の頭はすでに伏せられ、その小さな身体がいまにも床の上に仆《たお》れそうに傾いていた。闇に形を没したアイガーもユングフラウも背をかがめて、この窓の中で進行するドラマの、緊迫せるカタストロフィーにのぞき入っているようだった。
こうした中から、一人の女が酔ったように身体をゆらゆらさせて参考人席に立ち上った。門田や一同が眼をむけると、それが多田マリ子であった。
しかし、彼女は愉しそうに身体を小揺《こゆる》ぎさせ、満面に笑いを浮ばせて、ヒューズ警部に発言を求めた。
江木奈岐子が、いとも、いぶかしそうに多田マリ子の顔を眺めた。それは初めてその顔に接するといった表情だった。
その江木奈岐子に、多田マリ子はなつかしげに云った。
「江木先生。団員リストには、もう一人、千歳の町にいた『基地の女』の名前が付いとりますわ。藤野はんと梶原はんを消したかて安心するのは早うおますがな。もう一人此処に残ってるのは、多田マリ子という名前ですがな。先生は、その女の名前も顔もご存じなかったんです。そら、ぎょうさんな女の数やったし、絶えず移動がおましたよってに無理おまへん。そやけど、わたしのほうは、当時の先生の顔を見憶えてますがな……しばらくでした、坪内文子はん。あたしが、その多田マリ子です。いまでは、大阪で、ええとこのお客はんばかり来てくれはるクラブ式のバーを経営してますねん」(臼井)
多田マリ子の、おさない「自己顕示」は、現在の彼女の「出世」を誇示し、そのためには過去の暗い経歴の一部も、うたかたのように消えているといいたそうな、いともあどけない顔つきであった。満場の中で、「証言者」の彼女だけが仕合せそうに見えた。
この作品は松本清張全集(全38巻、一九七一年四月より七四年五月。文藝春秋刊)の月報に連載されたものに基づいて、一九七六年一月、文藝春秋より公刊された。
〈底 本〉文春文庫 昭和五十四年六月二十五日刊