松本清張
赤い氷河期
ミュンヘンの南、シュタルンベルク湖の北寄りにあるベルクの船着場では、日本人の男たちが九人、レストランで他の外国人とともに遊覧船の来るのを待っていた。
小レストランのまわりは、前面に湖がひろがっているほかは深い森林に囲まれていた。桟橋《さんばし》に向うところに遊覧船の切符売り小屋がぽつんとあって、土産物店一つなかった。ベルクの町の中心地は東に一キロ離れたところにある。
日本人一行はさきほど近くのベルク城の庭園をのぞいてきたのだった。九月のはじめで、日本よりは早く秋がくる西ドイツのバイエルン州だが、ここの森はまだ緑であった。
湖岸に沿う森林の間には一条の細い小径《こみち》がついている。小径を奥へたどって行けば水面に建つ朱塗りの十字架が見られる。だがそこまでは六キロの距離と聞いて、平均五十歳の九人は断念した。
その日本人一行は、ラフな格好のヨーロッパ人の観光客とはちがい、きちんとネクタイを結び、行儀よく上着をつけていた。衿《えり》にはえび茶のビロウドの縁どりに金色の菊花紋章が小さく光っていた。だが、そのうちの二人はバッジが違っていた。
一時すぎの日射《ひざ》しが湖面に眩《まぶ》しい光を溜《た》めて反射し、対岸は光線の微粒子の撒布《さんぷ》で霞《かす》んでいた。
この地方はなだらかな丘陵と湖とにめぐまれて、観光客や保養客が一年じゅう絶えなかった。近いオーストリア国境の山塊沿いにはアルペン街道《ストラツセ》もあることだ。
州都ミュンヘンから西南約二〇キロのシュタルンベルク湖は、南北の長さ約二〇キロ、東西の幅わずか四キロという細長さで、ぜんたいが胡瓜《きゆうり》のような形をしている。大きさからいえばすぐ西隣のアメル湖とほぼ同じだが、こちらに観光客が多いのは、湖に沈んだバイエルン国王ルードイッヒ二世(一八四五―一八八六)の悲劇のあとを、人々が眼《め》にしたいためである。
だが、その哀愁に満ちた物語に国会議員バッジの七人はそれほど知識がなかった。尤《もつと》も王の溺死《できし》した場所の水面に十字架が建っているくらいは案内書で読んでいて、その十字架を見に林間を往《ゆ》こうとしたくらいだったが、これは車が入らぬと聞いて中止した。
一行はドイツ連邦共和国とフランス共和国の行政制度視察団であった。構成は与野党の議員で、その人員の割り振りは所属政党の議席数に比例している。いわゆる呉越同舟《ごえつどうしゆう》だが、一行のうち二人はそのバッジが示すように議員ではなかった。一人は四十七、八歳、頬《ほほ》が高く顎《あご》が尖《とが》って蒼白《あおじろ》い顔である。彼は国会の行政委員会事務局の書記だった。こんどの委員たちの視察旅行には世話係として随行した。議員連中は秘書をつれてなかったので、雑用は彼の肩ひとつにかかっていた。
あとの一人は総合商社のミュンヘン本店次長で、東京本社からの指令で議員団のガイド兼通訳の役を云《い》いつかっていた。東京の本社は、かねてより世話になっている政党幹部に議員連の面倒見を依頼され、それをミュンヘンに通達した。現地法人になっているミュンヘン本店の次長は三十五、六歳だった。
行政制度視察団一行は四日前はフランクフルト、三日前はバーデンバーデン、昨夜はミュンヘンに泊った。シュタルンベルク湖見物に来たのはバーデンバーデンの夜のカジノと同じく、息ぬきであった。
一行は湖が見える窓辺の食卓で昼食をとっていた。昼食は簡素な定食しか出さない。ポテトのスープ、川マスのフライにホワイトソース和《あ》え、でなかったら牛の肝臓や肉をみじん切りにして固めたレーバーケーズの一品料理。
これにミュンヘン・ビールでホップのきいたヴァイツェンビーアのレモンの浮いたグラスをとった。こんなことは商社の次長が代ってウエーターに注文するのである。
衆院委員会事務局員はビールをとらなかった。アルコール類は不調法ですと蒼白い顔を振った。では、ラトーマスはいかがですか、これはビールをレモネードで割ってあるので軽いです、と商社の次長がすすめても委員会事務局の書記はそれも断わって、レモンスカッシュを飲んでいた。
商社員当人はヴァイツェンをおつきあいのように飲んでいたが、ころあいを見はからって立ち上った。彼は口辺に愛想笑いを浮べ、両指をつつしみぶかく組み合せた。そうして彼は、侍医とともにこの湖で溺死をとげたバイエルン国王ルードイッヒ二世の話を案内者の口ぶりで披露《ひろう》しはじめたのだった。
「ルードイッヒ二世はバイエルン王国に三つの城を造りました。ノイシュヴァンシュタイン城と、リンダーホーフ城と、それからヘレンキームゼー城でございます。どれも一八〇〇年代の後半で、その出来上ったのはほとんど同時であります。ノイシュヴァンシュタイン城は険阻《けんそ》な山の中腹の、切り立った断崖《だんがい》の上に建てられています。三つのお城ともバロック建築の粋《すい》を凝らし、外観は夢のように優雅、内部は豪華|絢爛《けんらん》、贅《ぜい》のかぎりが尽されております」
三つの城とも訪れる予定のない議員たちは、商社員の説明を上の空で聞き、ビールを傾け、皿《さら》に気をとられていた。隣どうしで勝手に話す者もあった。
「ノイシュヴァンシュタイン城は一名白鳥城とも呼ばれ、山湖を見下ろす雪のように白い二つの高塔をもち、その姿はまるでおとぎ噺《ばなし》の絵本のようでございます」
商社員は議員らの無関心をかくべつ気にするふうでもなく、なおも鄭重《ていちよう》な口調でつづけた。
「王はこの城が気に入って常住し、美しい庭園をもつリンダーホーフ城にも、またここより近いヘレン島にヴェルサイユ宮殿を模して造営したヘレンキームゼー城にも、一度として行っておりません。この白鳥城の内部にある国王の玉座の前はビザンチン様式の接見の間になっておりまして、左右にはアーチ形の身廊《しんろう》があり、列柱の頭飾りと台座は黄金《きん》でございます。サロンの壁画はリヒャルト・ワーグナーの作曲したオペラの『ローエングリン』の各場面が、これまた当時有名な画家二人によって描かれております」
聴き手の議員らは、ガイドのような次長の名調子に、食事の手を休めた。
「で、そのルードイッヒ二世はどうしてこの湖で侍医といっしょに溺れ死んだのかね、次長さん」
顔の長い団長が、窓から見える湖面に眼をやって訊《き》いた。六十近い彼は行政委員会の委員長だった。
「はい。ルードイッヒ二世は狂人でした」
次長は云った。
「なに、狂人?」
「そういうことになっております。いろいろな説がございまして、はっきりはしておりませんが。王はカネのかかる三つのお城を次々と建てて、そのため豊かだったバイエルン王国の国庫が底をつきました。その上、多額の負債をしなければなりませんでした。王の建築執念は異常なものがあっただけでなく、重臣や将軍を斬罪《ざんざい》にしようとしたりしました。気が狂ったとしかみえませんでした。で、とうとう叔父のルイトポルトから退位させられました。そして、ノイシュヴァンシュタイン城からこの離宮のベルク城に移されました。狂人だというので、監視つきで城中に押しこめられたのでございます。さきほど皆さまにベルク城の庭園をごらんに入れましたが、しかしベルク城はいまだに非公開でございます」
「なぜだね」
「王が幽閉されたとき、あらゆる窓に鉄格子《てつごうし》をつくったのでございます。その跡がいまだに遺《のこ》っているからだということです」
「幽閉の身で、ベルク城の外に出られないルードイッヒ二世が、どうして侍医といっしょにこの湖で溺死したのかね」
早くそのわけを聞かせてくれと年長の団長は商社次長に云った。
「はい。それはみなさまご存知の森鴎外《もりおうがい》の小説『うたかたの記』に描かれておりますが」
鴎外の名ぐらいは聞いていても、その小説を読んだことのない団長は、眼のやり場に迷った。
「文豪の描写をわたしごときが要約して申しあげるのは僭越《せんえつ》ですから、ここに『うたかたの記』の一節を朗読させていただきます」
このことあるを予期したように次長はポケットから封筒をとり出し、おもむろに折りたたんだ紙をひき抜いた。
「これはそのくだりをコピーしたものでございます。いえ、この湖にご案内するお客さまのために、わたしがいつも用意して持っているものでございます」
あなたがたのために特別に複写したのではないと念を押したような言葉であった。
彼は重ねた紙をひろげたが、何度も使ったように皺《しわ》だらけであった。
「なにぶんにも明治二十三年に発表された鴎外の初期の小説ですので、文章が漢語まじりの文語体になっております。そのままではお聞きづらいと思いますので、わたしが現代文に直しました。けど、原文には忠実のつもりです。お聞き苦しいかわかりませんが、ま、短こうございますので」
彼は一同に会釈《えしやく》し、朗読をはじめた。
「……岸辺の砂は粘土まじりの泥《どろ》だったが、それに王の足が深くはまりこみ、あがいても自由にならなかった。随《したが》うグッデン老侍医は、これも傘《かさ》を投げ捨て王に追いすがる。侍医は水を蹴《け》って二足三足、王の衿首を握って引き戻そうとする。王はそれをふり切ろうとして互いに揉《も》み合っているうち、王の外套《がいとう》は上衣《うわぎ》と共に侍医の手に残った。侍医はそれを放《ほう》り捨て、なおも王を引寄せようとすると、ふりかえった王は侍医に組み付く。互いに無言のままにしばらく格闘していた。これが一瞬の出来事。時は西暦千八百八十六年六月十三日の夕方の七時、バワリア王ルードイッヒ二世は湖水に溺《おぼ》れて薨《こう》ぜられた。年寄りの侍医グッデンは王を救おうとしてともに死んだが、その顔には王の爪痕《つめあと》があったという。このおそろしい報《し》らせに、翌日のミュンヘン府は大騒動になった。……はい、まずはこのへんまででございます」
読み終った商社の次長は、写しのよれよれの紙を封筒の中に戻し、
「こういうしだいであります。バワリアというのはバイエルンのことであります。ルードイッヒ二世は幽閉中のベルク城から侍医グッデンをつれて散歩に出るというので、監視の者も外出を黙認したのです。王とグッデン老侍医の遺体が発見された場所の湖面には、お聞きのように、いま十字架が建っておりますが、遊覧船がそのそば近くを通りますので、よくごらんになれます」
と結んだ。
「ご苦労さまでした」
団長は、公聴会に召喚した公述人をねぎらうときのような委員長の口調になった。
このとき、周囲のヨーロッパ人客二十人ぐらいが、ばたばたとテーブルを立った。
「遊覧船が参りました」
視察団一行は、次長の声にぞろぞろと桟橋へ出た。
湖上遊覧船は百トンくらいで、真白な船体を紺碧《こんぺき》の湖水に浮べ北のシュタルンベルクの町方面から近づきつつあった。
日本人一行は桟橋にかたまって立ち、船がしだいに大きくなってくるのを眩しげに眺《なが》めていた。
このとき委員会事務局員が商社次長の肘《ひじ》をちょっと突いた。
彼がふりかえると、サングラスをかけた事務局員の頬高な顔が、にっと笑《え》んだ。
「さきほどの『うたかたの記』の朗読は、けっこうでした」
彼が議員たちをはばかって低い声で云ったので、次長は頭に片手をやり、これも小さな声で、
「恐縮です」
と小腰をかがめた。世間|馴《な》れした商社次長は、まだ三十半ばなのに四十歳を超えてみえた。
「けど、鴎外はあの中で間違ったことを書いていますね」
事務局員はぼそりと云った。
商社次長は愛想笑いを収めた。彼は「うたかたの記」を議員団に朗読して聞かせた責任の上からも聞き捨てならないという顔になった。対手《あいて》は衆院行政委員会の事務局の書記で、先生がたのお供で来ているくせにという気持もあった。
「ははあ、どのような点でしょうか」
文豪の作品にケチをつけるとは、と開き直った形だが、表面はおだやかに聞いた。
「はあ、あの小説はよほど以前に読んだので、こまかい部分は忘れましたがね」
事務局員もいちおう云った。
「たしか王が入水する時、対岸に立っていた娘の父親は宮廷に仕える身で、その関係で宮廷の夜会に妻を伴《つ》れて行ったとき、ルードイッヒ二世が彼女を暴力で征服しようとした場面があったと思います」
「そうです。おっしゃるとおりです」
次長はやや驚いた。彼もそのくだりを暗誦《あんしよう》できるくらいに憶《おぼ》えている。
「そこがおかしいと思いませんか。だってルードイッヒ二世はホモだったのでしょう。ホモが女を手ごめにしようとするでしょうか」
周囲を憚《はばか》るように彼はいちだんと小さな声になった。周囲といってもヨーロッパ人なので日本語はわからぬ。もっぱら議員団の耳に届かぬようにしたのだった。
商社員は詰って、一瞬黙した。
「これはですな、鴎外がルードイッヒ二世の同性愛趣味を知らなかったからですよ。ルードイッヒ国王がリヒャルト・ワーグナーの保護者になったのは、ワーグナーの音楽の才能もさることながら、彼との同性愛からです。また、ルードイッヒ二世はオーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフの皇后エリザベートの妹にあたるゾフィと婚約を発表したあと、彼からその破約を云い渡しています。それも、彼がホモだからです」
云ったあと、黒眼鏡をかけた事務局員の蒼白い顔が、にやりとした。
「もっとも当時の鴎外さんがそれを知らなかったのは無理もないですがね」
商社次長は抗弁しようとした。が、そのとき遊覧船が桟橋に着いた。
下船する者よりも乗船のほうが多い。商社員としては案内人の任務に戻らざるを得ず、抗弁のほうはあとまわしにして、みなさん、どうぞお早く、と議員団に声をかけた。抗弁対手の事務局員もそれに混ってどやどやと乗りこむ。
始発港から満員に近い中を議員たちは眼の色を変えて座席をさがし、ようやく割りこんで坐《すわ》ったとき、船は早くも桟橋を離れた。
席がばらばらになったので、商社次長は議員らに気を使うこともなく、ひとり坐って考えた。
あの事務局員は、どういう奴《やつ》だろう。いまだ曾《かつ》て「うたかたの記」のことで、あんな横槍《よこやり》を入れた者はない。案内した客のほとんどは、わかっているのかわからないのか、とにかく朗読をおとなしく聞き、ノイシュヴァンシュタイン城やルードイッヒ二世の説明も黙々と聞いていた。そのかわり聞きっぱなしで、まるで反応というものはなかった。
それにひきかえ、あの事務局の書記め、思わぬところに斬《き》りこんできたものだ。
だが、自分もこれまで「うたかたの記」はくりかえし読んできたが、あの事務局員が云ったような疑問には気がつかなかった。あまりに熟読しすぎて慣れっこになってしまい、感覚が麻痺《まひ》したのだろう。その盲点を衝《つ》かれた思いだった。事務局の書記の質問は鋭かった。
いったい、あの書記はどういう人間なのか。委員会の事務局などにくすぶって、こんども議員視察団の走り使いの役だ。顔色はよくないし、痩《や》せてはいるし、いっこうにうだつのあがらぬ男のようだ。が、ああいう男はあんがいに小説好きなのかもしれない。小説だけでなく、ルードイッヒ二世と作曲家ワーグナーの関係、さらにはゾフィとの婚約解消のことなどなかなかよく知っている。事務局の書記などは出世の道もないし、いろんな本を読むしかなく、そのために雑学を蓄えたのだろう。
左岸はすなわち東側で、そこには繁茂した森林が丘の上まで層々と積み上げられていた。カシ、モミ、ニレ、ブナなどの落葉樹、アルペンローゼなどの群れが深緑|滴《したた》るばかりであった。早くも黄ばみかけた葉もまじり、光線による明暗の変化を与えていた。
船が湖面を進むと白い城が頭をのぞかせてきた。あれがルードイッヒ二世の幽閉されたベルク城かと人々は眼を凝らすが、それは別な建物であった。森のあいだの遊歩道は隠されている。
岸には葦《あし》に似た水草が伸び、うしろの自然林はどこまでもつづく。議員団はそれぞれの席からベルク城のありかをさがしていた。
案内役を自覚した商社次長は、やおら舷《ふなばた》近くに立ち、手を挙げて森林の一点を議員たちに示した。
「あの木立の上に灰色がかった上部を突き出しているのが、王を監禁した鉄格子のあとが残るベルク城でございます。小さいので、ちょっと見わけがつきにくいかと思いますが」
議員たちはいっせいに瞳《ひとみ》を凝らした。よくわからないがという者がいる。あれだ、あれがベルク城らしいよと指さす者がいる。
その風景は後《しりえ》にすさった。遅いようでも遊覧船の船脚は速かった。また森の丘と岸辺の葦とがつづいた。
五分ほど経《た》った。
水面に突き出た赤い十字架が視界の中に流れてきた。
「ごらんください、あの十字架です」
商社員は昂奮《こうふん》気味に声を張り上げる。議員たちの心を煽《あお》るためだ。かれらはひとしく身を乗り出して一点を凝視する。船中の外人もみな同じである。北欧人の老夫婦は手を握り合い、フランス人の男は女友だちの肩をしかと抱いて見入っている。
十字架はあんがいに巨《おお》きかった。水面から出た高さは三メートルもあろうか。もともと鉄づくりなのにそれを朱色に塗ったのは、森林を背景にして浮き立たせるためであった。ドイツの老婦人は胸の前で十字を切った。水草がまわりに生い繁《しげ》っている。
十字架の背後、小高いところに白い尖塔《せんとう》のチャペルがあった。
「あれはルードイッヒ二世の霊を慰めるために建てられた礼拝堂です」
商社員はつづけて云《い》う。礼拝堂の前には少数の観光客がいた。かれらは長い小径《こみち》を歩いてきたのだった。車は入らぬ。
十字架も礼拝堂もあとへ過ぎる。議員たちはまだ身を乗り出して、うしろをふりかえっていた。
「この遊覧船はレオニという所に行って引き返し、もういちどここを通りますので、そのときにまたよくごらんになってください」
商社員は告げた。
ルードイッヒ二世は同性愛趣味者だった。それはひろく知られている。廷臣によってワーグナーが追放されると、こんどは美少年を寵愛《ちようあい》した。ホモが女に戯《たわむ》れるはずはない。
あれはそのことを知らぬ鴎外の間違いです。衆院委員会事務局の書記の言葉が商社次長の胸を鈍器のように撃った。
彼は席で背をかがめている。書記の指摘に素直になれないのは、自分ではルードイッヒ二世について、長いあいだ「うたかたの記」とのつきあいから、いっぱしの通《つう》をもって任じていたからである。その自尊心がある。
彼は、この船がベルクに還《かえ》って上陸したあと、書記にどのように反論しようかと思案していた。国王は同性愛|嗜好者《しこうしや》ではなかった、あれは伝説だと強弁しようか。――それとも王は女をも同時に愛することができた両刀使いだったと云おうか。
だが、それだとゾフィとの婚約を解消したり、短い生涯《しようがい》だが、ずっと独身を通した事実と合わなくなる。……
遊覧船は折り返し地点の桟橋《さんばし》に着いた。若い男女が数組降りた。「Leoni」の立札があった。
此処《ここ》がレオニか。林の間に別荘だかレストランだかが見えた。
「うたかたの記」にはレオニが出る。
[#この行2字下げ](レオニにて車を下りぬ。左に高く聳《そばだ》ちたるは、所謂《いわゆる》ロツトマンが岡にて、『湖上第一勝』と題したる石碑の建てる処《ところ》なり。右に伶人《れいじん》レオニが開きぬといふ、水に臨める酒店《さかみせ》あり。)
書記は丘を見上げたが、ロットマンの岡も石碑も眼に入らなかった。
船はレオニの桟橋をすぐに離れた。船首をまわし、もとの方角へと引き返しはじめる。ふたたび岸辺の葦の群生が眼に流れてくる。岸には「アイヘン」「エルレン」などの枝繁りあい広ごりて、水は入江の形をなし、葦にまじりたる水草に白き花の咲きたる、と鴎外が書く風情《ふぜい》であった。
そのうち、商社員がルードイッヒ二世のホモ説と「うたかたの記」との矛盾にどう反論してくるかと書記は考えて、ふいと皮肉な笑みがおのずと出てきた。
(もし十九世紀の後半にエイズが流行していたら、ホモのルードイッヒ二世は間違いなくそれに感染していたろう。)
われながら思いもよらぬ突飛な空想だった。だが、この空想が商社員にこだわる書記の頭を転換させた。
いまやエイズは世界中に広がり、猛威をふるっている。治療の方法はまったくない。三人に一人は死んだという十四世紀のペスト流行にはいまだ及ばないにしても、将来あるいはそうなるかもしれない。
エイズの本を読むと、エイズ・ウイルスが脳血管に侵入すると突如として精神異常になるとあった。もし、一八八〇年代のバイエルン国にエイズが存在していたら、その感染による発狂者がルードイッヒ二世だったかも知れない。
エイズの最初の患者は一九七九年から八〇年に、アメリカでとつぜん見つけられたとされている。
[#ここから2字下げ]
(数年前、正体不明の疾病《しつぺい》により健康な若者が多数死亡した。医学史ではよくあるように、初期の症例は、通常の疾病範囲の中の極端な例だと考えられた。今振り返って見ると、医療関係者の間ではこの増大する不幸についての認識が十分でなかった。徐々ながら、罹病者《りびようしや》は容赦なく増加して、とうとうこの潜行性の疾病は恐ろしい流行性疾患症となってしまった。
それまでは健康だった者が、奇妙な腫瘍《しゆよう》や普通でない全身性感染にかかった。調査の結果これらの患者は通常の免疫《めんえき》能力を不可解にも突如として失うことがわかった。この疾病は現代の医学では名前もなく、われわれは『後天性免疫不全症候群』つまり、「エイズ」と呼ぶことになった。)
[#地付き](ケビン・M・カーヒル編「AIDS」。恩地光夫訳)
[#ここで字下げ終わり]
このアメリカ人医家による文章は、アルベエル・カミュの「ペスト」の冒頭部分、
[#この行2字下げ](四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠《ねずみ》につまずいた。とっさに気にもとめずにおしのけて階段を降りた。しかし、通りまで出て、その鼠がふだん居《い》そうもない場所に居たという考えがふと浮び、引返して門番に注意した。)
の文章にも匹敵するだろう。
しかしペストは中世から知られていた。エイズの発見は最近だ。発見ならばずいぶん昔からエイズ・ウイルスは隠れて存在していたといえなくはない。ただ医家がそれに気づかなかっただけだろう。医師ベルナール・リウーが鼠の死体に不審を起すまでのように。……
遊覧船は再び水面に浮ぶ朱の十字架と背後の白い礼拝堂の前に近づいてきた。やれやれもう一度先生がたにむかっておしゃべり申し上げねばなるまいといったように商社員が腰をあげたときだった。
「や、や。あれは何だ、人間の死体ではないか!」
一人の議員が日本語で叫んだ。
――二十一世紀に入った二〇〇五年のことである。
日本の一国会議員が発した絶叫に、遊覧船は大騒ぎとなった。
乗客たちは左舷《さげん》へ一挙に集まる。すなわちルードイッヒ二世|溺死《できし》の慰霊十字架の建つのとは反対側で、その西のはるかな湖岸にはなだらかな丘陵が長く横たわっている。
光きらめく水面には黒い物体が浮き沈みしていた。遊覧船の位置からは西へ三〇メートルくらいの距離。
はじめ、その浮遊物が黒いビニール袋に包装された塵埃《じんあい》の投棄物かと思われた。人間の形をしてなく、皮膚の色も見えず、また衣類の模様もなかった。太陽の直射のもとに濡《ぬ》れた艶《つや》を光らせている。これが水面に浮び出たときの印象だった。
だが、小波《さざなみ》の間に手と脚の一部が出るにおよんで、それが人間だと識別できたのだが、ただ、その脚の先には長い水かきがついていた。もちろんこのように大きな蛙《かえる》はいない。
乗客たちは息を詰め、声を呑《の》んで、この漂流物体を見つめている。それが視界から後ろへ去らないうちにと人々が席を立ち左舷に集まったので船体が傾いたくらいであった。
船長が拡声器で何か叫んだ。
「船の速力を速めるので、お客はもとの席に戻ってくれと云ってるのです」
商社員は議員たちに告げた。
そのときになって初めて船内の喧騒《けんそう》が湧《わ》きあがった。婦人客は昂奮してしゃべりまくり、男たちはひそひそと話し合っていた。ドイツ語、フランス語、英語の渦《うず》だった。水面の黒い物はたちまち後方に去って見えなくなった。
「えらいものを見つけたな、きみ」
視察団の団長がいまさらのように目をまるくして発見者の議員に云った。
「おどろきましたな、もう。何が漂っているのだろうと思ってはじめは気にもとめずに見ていたんですがね。まさか西洋土左衛門さんとは知りませんでしたよ」
小肥《こぶと》りの議員は酔いのさめた顔で云った。
「ぼくらは、こっち側の岸ばかり眺《なが》めていたからね」
彼を囲んだ同僚議員が顔を振って云った。
こっち側の岸には森林が急速に流れていた。赤い十字架も白い礼拝堂もとっくに視界から消えていた。
「奇妙なことだな、ルードイッヒ二世の溺死した十字架の前に人間の死体が浮んでいるとはね」
団長が云った。
ミュンヘンのホテル「ヴァワリア・ホーフ」の食堂で視察団一行が晩餐《ばんさん》をとっているとき、商社員が外から急ぎ足で入ってきた。
「お食事中ですが、先生がたにお知らせしたいことがあります」
彼は息をはずませていた。
「何だね?」
団長はフォークの先を皿の端に掛けた。
「いえ、ほかでもありません。たった今、テレビのニュースがシュタルンベルク湖に浮んだ男の他殺死体のことを流しましたので。島村先生が遊覧船の上から発見されたあの死体でございます」
ドッペルボックのビールを飲んでいた小肥りの議員がびっくりしてグラスを口から離した。ほかの議員もビールのグラスを卓に置いたり、ナイフの手をやすめたりした。
事務局員は居なかった。随行者の彼は別なところで食事をしていた。
「あれが、他殺死体だって?」
叫んだのは「発見者」である。
「さようでございます。しかも、首なし死体です」
「なに、首なし死体!」
一同の眼《め》が商社員の顔に注がれた。
「ここにそのニュースをメモしたものがございます」
商社員は皆をじらすように悠然《ゆうぜん》とポケットから紙をとり出した。
「よろしゅうございますか」
彼はひろげたメモを手に持った。
「早く云ってくれ」
団長が催促した。
「はい。わかりました。ええと、……」
「うたかたの記」を朗読するのと変らぬ調子で読んだ。
「……今日午後二時ごろ、シュタルンベルク湖の東岸寄りの水面に死体が浮んでいるのを、通りかかった遊覧船が発見、船長の急報により直ちに警察の巡視艇が出動、死体を収容した。死体の首は切断されて、その行方は不明になっている。死体はダイビングの服装をしており、黒色のウェットスーツとウエイトとライフジャケットを着ており、脚にはフィンをとりつけていた。……フィンというのは水中を進行しやすいように脚に付けた蛙の脚のような形のものでございます。……また、水中で空気を供給するシリンダーは背負っておらず、水深計もなかった。首を切断されているため、その前に水中マスクは外《はず》されたとみられるが、それらは付近では見つかっていない。
検視すると、年齢三十歳前後のヨーロッパ人の男性である。外傷はない。死因は絞殺《こうさつ》か毒殺によると思われる。もし絞殺としても、首が切断されているのでその痕《あと》がわからない。毒殺ならば解剖結果をみないとわからない。肺に水が浸入していないので、溺死ではない。殺害後、湖水に投げ捨てたと思われるが、殺害場所は不明。死後経過時間の推定からすると、今日の午前二時から五時までの犯行とみられる。
捜査当局は、切断された首の行方と、シリンダーやマスクその他の失われたダイビング用具の行方を捜索し、付近の人々について犯行に関係のありそうな挙動不審の者を見なかったかなど聞き込み中である。
なお、シュタルンベルク湖は最深一二七メートルあり、曾《かつ》てヒトラーが湖底に金塊を大量に隠匿《いんとく》したと伝えられている。戦争終結後の一九五〇年に潜水した溺死体が合計十数体も湖面に浮き上ったことがあるが、これはヒトラーの隠匿金塊を奪取するために潜水して、失敗した人々と見られている。深さ一〇〇メートル近い湖底では水圧が強く、そのころの潜水技術では溺死のほかはなかったとみられている。
本日発見の首なし死体もダイビングの用具を身につけているところから、あるいはまたもや『ヒトラーの遺産』を狙《ねら》ったものとも思える。それが仲間割れのために、対手《あいて》に殺され、犯人は被害者の顔がわからないように首を切断したとも推定できる。
最近、『新ナチ運動』はミュンヘンを中心に近隣諸国にますます高まっているので、『ヒトラーの遺産』奪取もかれらの運動資金が目的ではないかとの見方も出ている。当局はこの方面についても捜査するといっている。……」
商社員は紙から上げた眼を一同に移した。
「以上のとおりでございます」
シュタルンベルク湖の湖底に隠匿された金塊「ヒトラーの遺産」を狙って溺死体となった過去の数々の事件と、今日の首なしダイビング男の他殺死体。そしてそれがネオ・ナチズム運動とかかわりあいがあるとの嫌疑《けんぎ》。――
この雄大な現代史的ロマン、想像を絶した怪奇性、しかもその死体を眼前で水面から発見したという現実性を加えて、議員団の質問は湧き上り、紛糾した衆院予算委員会のように、商社員にむかって一時に殺到した。
曰《いわ》く。ヒトラーは金塊を湖底にどれくらいの量を埋蔵しているのか。その理由は何か。時期はいつか。
曰く。連合軍(米・英・仏・ソ)はその事実を知らなかったのか。
曰く。ドイツ敗戦後、隠匿金塊を求めて湖底に潜ったのはナチの残党か。かれらが溺死体となって浮んだのはいつごろか。
曰く。今日の首なしダイビング死体がネオ・ナチ運動者というミュンヘン警察の推定は当を得ているか。
曰く。ネオ・ナチ運動とは何か。
「まあまあ」
一団の食卓中央に陣どっていた団長が、火の粉を抑えるような手ぶりをした。
「そういっぺんに聞かれても答えようがないでしょう。そこで、混乱がないように、わたしが諸君の質問を整理します」
団長は予算委員長のような身ぶりで商社員へ顔を斜めにむけた。
「お聞きのとおりです。まず、おたずねしますが、ヒトラーが金塊をシュタルンベルク湖の湖底に隠匿したというのは事実ですか」
「はい。おそらく事実であろうと思います。たんなる風聞ではないと思います。その金塊はヒトラーがドイツ国内のものはもとより、フランス、ポーランド、オーストリア、オランダ、ベルギーなどなどの占領地域から押収《おうしゆう》した金塊だと思われます。だからその量はたいそうなものと思われます。したがって隠匿したのはシュタルンベルク湖だけではなく、ほかの湖の底にも埋めたといわれています。ドイツには山湖がすこぶる多いですから。その隠匿した時期は、たぶんドイツの敗色が濃厚になったころで、ヒトラーは再起を図ったときの隠し軍資金にするつもりだったのだろうといわれています」
商社員は、ここでも公聴会の公述人のように頭をすこし垂れて、淀《よど》みなく云《い》った。
「戦後、連合軍はその事実を知って、金塊の回収を行いましたか」
「行ったということであります。どこの湖か知りませんが、相当大きな湖では潜水艦を使って捜索したと聞いています」
「結果はどうでしたか」
「結果はわかりません。連合軍ではいっさい公表していませんから。しかし、巷間《こうかん》では、かなりな金塊を回収したといっています。だが、全部ではありません。というのはナチ軍の隠し場所は巧妙で、水深の深い湖底の、岩が複雑に出入りしている奥に匿《かく》されてあるためだということです」
「シュタルンベルク湖にも連合軍の潜水艦が入りましたか」
「それは聞いていません」
「では、戦後の或《あ》る時期にシュタルンベルク湖に多数の潜水したあとの溺死体が発見されたというのは、いわゆるヒトラーの遺産を取りに行った連中ですか」
「そうだと思います」
「それはナチの残党ですか」
「かならずしもそうとはかぎりません。ナチの残党でなくとも、この湖底にヒトラーの匿した金塊があるというのは噂《うわさ》に上っていますから、それを狙った連中も当然出てきます」
「その連中が溺死体で上っているのは、どういうわけですか」
「金塊の隠匿場所を探し得られなかったからでしょう。シュタルンベルク湖の水深は浅い所で五〇メートル、最深部では一二七メートルあります。ヒトラーの遺産がどのへんの水深のところに置かれているかわかりませんが、相当深い水底にあることは想像に難《かた》くありません。それに隠匿場所も、でこぼこした出入りの多い岩の奥だと、ちょっとやそっとでは見つかりません」
「なるほど、そのとおりだね」
「おおびらに漁船を傭《やと》って潜水夫を潜らせ、船からポンプで空気をゴム管に送っていた日には、隠密《おんみつ》行動にはなりません。一人一人が湖中に潜るしかありません。いまと違ってアクアラングなど近代的なダイビングの着装はありませんからね。潜水の耐久時間にも限界があります。それなのに金塊を捜すとなると欲が出ます。で、無理をする、水圧が加わる、水深計など持っていませんから無謀です。で、ついに窒息死する。そういうことではなかったでしょうか」
「さすがです、眼前に見るように述べてくれました」
「おそれいります」
商社員は頭をさげた。
「けど、以上の事件は、もちろんわたしの着任するはるか以前のことであります。前任者の先輩や土地の人たちが語り継いでいることを聞いて、それにわたしの多少の想像を加えているだけでございます」
「いや、けっこうでした」
団長はやはり委員長のような口吻《くちぶり》で云った。
「ところでですな、今日、シュタルンベルク湖から上った首なし死体は、それこそ、たった今の、ほやほやの事件です。ダイビングの着装をしているところを見ると、この人も湖底のヒトラーの遺産を取りに行ったと見てまず間違いない。なのに、なぜ、首を切断されたのか。その首は、生命《いのち》とたのむ空気を詰めたシリンダーと共にどこへ行ったのか、その行方は警察の捜査に待つとして、気にかかるのはテレビのニュースが流したという捜査当局の観測のことだがね。ネオ・ナチ運動の仕業だという推測ですよ。ネオ・ナチ運動とは、われわれにはちょっと縁遠い。かんたんでも、ひととおり話してくれませんか」
「委員長」に云われて、商社員は咳《せき》ばらいを一つした。
「お答えいたします」
彼はあらたまった口調になった。
「いままでお話ししたのは又聞きでございますが、これから申しあげるのはわたしがミュンヘンに着任後またはその直前からの見聞ですから、かなり具体性があるかと存じます」
「ほほう。それを聞きたいものだね」
「と申しましても、ネオ・ナチ運動の実態は、ことがことだけになかなかつかみにくくございます。世間に現われたネオ・ナチの名による宣伝文とか、脅迫状とか、秘密刊行物と称するものとか、集会での演説といったものとか、あるいは戦犯として処刑されたナチ党党員の墓前に花輪が絶えないとか、逆にユダヤ人の墓にはハーケンクロイツ(鉤《かぎ》十字)の落書きがしてあるとか、あるいはミュンヘンのビール祭りに爆弾をしかけるとか、そういうものをとりあげて、ネオ・ナチズム運動の本がドイツやアメリカなど外国でも出版されております」
「それは間違っているのかね」
「間違ってはおりません。ヒトラーはユダヤ人を強制収容所に入れて大量殺人をおこなった。それがみんな西ドイツの犯罪となっています。西ドイツのいまの若い者はヒトラーがやったことにはぜんぜん関係していない。南米アルゼンチンで逮捕され、一九六二年に処刑されたアドルフ・アイヒマンや、戦時にイギリスに逃亡して西ベルリンで九十二歳の服役生活を終ったナチの総統代理ルドルフ・ヘスなどの高齢の世代とは違うというんです。自分ら若い世代はそんな犯罪にはすこしも手を貸していない。だから責任はないんだといっています。その底流には、西ドイツだけが贖罪《しよくざい》意識を背負わされている、東ドイツには寛大だという不満があるようです。アウシュヴィッツがポーランドにあるのに」
「一理ありますね。つまりは反ソ感情」
団長は保守党だからわが意を得たように大きくうなずいた。
「ネオ・ナチは極右派だから当然そうなります。西ドイツ政府では彼らの運動を禁止しています。たとえばハーケンクロイツの腕章を着けたり、旗を立てて行進したり、集会を開いたりするようなことを」
「その弾圧が彼らを非合法なテロに走らせるんですか。さっきミュンヘンのビール祭りに爆弾がどうだこうだと云いましたな。どうですか」
「そのとおりです。お聞きでしょうが、ミュンヘンのビール祭りは世界で有名で、一名十月祭りともいいまして、テレジェンヴィーゼの広場で九月下旬から十月上旬にかけて七つの大醸造会社が数千の座席を設けての大ビアホール園遊会です。古い歴史をもっているので、毎年五百万人からの人出が国の内外からあります。一九八〇年九月二十六日の宵《よい》のこと、その歌と踊りに狂う華やかな群衆のまっただ中に爆弾事件が起ったから、歓楽はたちまち阿鼻叫喚《あびきようかん》と変り、大騒ぎとなりました。主謀者はネオ・ナチ運動のカール・ハインツ・ホフマン五十歳とミヒャエル・キューネン三十二歳でした。二人とも裁判にかけられたが、刑はさほど重くなく、ネオ・ナチの象徴的存在として今でもなお有名です」
「なぜ厳罰に処さなかったのかね?」
「若い層の反撥《はんぱつ》を招いて、ネオ・ナチ運動がもりあがってくるのを政府がおそれたからだと思います。ネオ・ナチ運動はまだ大きくはなかったのです。まとまりもなかったのです。各地で散発的にデモや集会はありましたが、大きな勢力にはなっていませんでした。ただ、これまでとは違ってきたのは、狙う対手がユダヤ人だけではなく、トルコ人などの外国の出稼《でかせ》ぎ労働者、NATO(北大西洋条約機構)のアメリカ軍兵士、この国で暮す難民などにもむけられてきたことです。これは悪いのはなんでも西ドイツ国民だ、第二次大戦の大量|殺戮《さつりく》は西ドイツ人のなせるわざという連合国の罪きせにたいする反感が外国人敵視になったといわれています」
「現在はどういう様子かね」
「横の連絡がひろがり、そして強くなりました。アメリカ軍のキャンプに爆弾が仕掛けられるのは、もう珍しくなくなりました」
「警察はどうしている?」
「犯人たちはすぐにフランスへ逃げこみます。それを手助けするグループがフランスにもベルギーにもイギリスにもあるから、かんたんなものです。十八年前に元ナチのリヨン駐留親衛隊長クラウス・バルビーがリヨンの大法廷で裁判にかけられたとき、戦々|兢々《きようきよう》としたのは、ほかならぬフランス政界だったとは有名な話です。ナチ占領中、ナチに内通したり協力したりした政治家がずいぶん多かったといいますからね」
団長は空咳をした。
「わしがむかし読んだオルチー夫人の『紅はこべ』のようなもんだな。あれはフランス革命時のパリから貴族をイギリスへ救出する冒険小説だったが」
団長が古いところを披露《ひろう》した。
「フランス革命どころではありません」
商社員はおだやかに弁駁《べんばく》した。
「ユダヤは四千年も前から、あらゆる歴史的事件に関係していると、ナチスの理論家は説いてきました。ですから、ネオ・ナチは、エイズはユダヤ人が作ったのだと云っています」
「なに、エイズはユダヤ人が作ったって?」
団長は頓狂《とんきよう》な声を上げた。落ちついたつもりの彼が皿にかけたフォークとナイフを弾《はじ》いて金属性の音をけたたましく立てた。ほかの一同も、あっけにとられた。
「まさか。まさか。……しかし、それは、いったい、どういう次第かね、ユダヤ人がエイズを作ったとは?」
「お答えいたします」
商社員はナフキンをとり上げて、口のまわりの唾《つばき》を拭《ぬぐ》った。
「ネオ・ナチによれば、それはユダヤ教の教典たる旧約聖書の創世記にちゃんと書いてあると云うのであります。創世記第十九章第二十四節には、
[#この行1字下げ]主《しゆ》は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
という章句があります。
ソドムとゴモラは、ご承知のように、死海のほとりの低地にあった町で、そこの住民は堕落と腐敗に落ちていたのでその罪悪に対して神が審判を下し、天から硫黄と火を降らし、住民を滅ぼしたとして、むかしからよく例に引かれています。
ついでに申命記(第二十九章第二十二、二十三節)を見ますと、
[#この行1字下げ]――あなたがたの子孫および遠い国から来る外国人は、この地の災を見、主がこの地にくだされた病気《ヽヽ》を見て言うであろう。――全地は硫黄となり、塩となり、焼け土となって、種もまかれず、実も結ばず、なんの草も生じなくなって、むかし主が怒りと憤《いきどお》りをもって滅ぼされたソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムの破滅のようである。
とあります。
ネオ・ナチの一派は、この旧約聖書に書かれている天から降りそそぐ硫黄と火に象徴され、申命記にははっきりと『病気』と書かれて人類を滅ぼすと予言している病気こそ、今日のエイズだというのです。つまりエイズの流行はユダヤ人の陰謀だというのです。かれらがこれまで、世界史で政治、経済を動かし、現在も金融を握って裏から自由に世界を操っているように。ネオ・ナチの一党は、そう云って激しくユダヤ財閥を攻撃するのです」
衆院行政委員会事務局の書記は、ホテルのレストランのテーブルにひとりでコーヒーを飲んでいた。その時、ウエーターが客を彼の席へ導いてきた。それは彼のせまいテーブルだけが空いているからでもあったが、客が日本人だったためである。じっさい書記は偶然に知り合いの人間が自分をここで見つけ、ウエーターに案内させたのかと思ったくらいだった。
その男は背が高く、チップを渡すウエーターよりは高かったから一八五センチくらいはあったろう。黒いちぢれ毛の髪の下に広い額があり、太い眼《め》と、大きな鼻と、長い顎《あご》とが最初の印象だった。ちょっと日本人ばなれした長い顔なのでハーフではないかと思った。大柄《おおがら》なチェックの洋服をラフに着こんでいるのもその推測をたすけた。年齢は四十そこそことみた。
書記がここまで推察するには、三十秒ほど要した。
「失礼します」
その男は、向いの椅子《いす》に長身を折って掛けた。見ず知らずの人と同席したときにはだれでもあるようなぎこちなさで、しばらくはたがいに視線を背け合っていた。男は忙しげなウエーターたちの往来に眼をやっている。
そのうちにウエーターが近よってきた。男はドイツ語で注文し、ふと書記のコーヒーが残り少なくなっているのを眼にとめて、にこりと笑った。
「失礼でなかったら、ビールで乾杯させていただきたいのですが。同席のご縁で」
すこし舌だるいその云い方に愛嬌《あいきよう》があった。書記は釣《つ》られて、
「ありがとう。ぼくはアルコールはさっぱりダメですが、では、レモネードか何かでおつきあいさせていただきましょう」
と云ってしまった。
男は即座にドイツ語でウエーターに命じた。聞いていても言葉に馴《な》れていることがわかる。もしかするとあの案内役の商社員よりは実力が上かもしれない。むろん旅行者ではなく、在留邦人。ドイツはどこだろうか。ミュンヘンか、それともハンブルクか、デュッセルドルフか。あのへんはミュンヘンよりも日本の商社が集まっている。
委員会事務局の書記がその人物を観測する二分間は、そのような内容であった。
こちらが推測したと同様に、先方でも彼を観察していたらしい。それは、
「こんどはどういう名目の視察団の先生がたがおいでになったのですか」
と訊《き》いてきたからである。
書記は不意を打たれておどろいた。二重の意外性があった。
それは自分の胸に着けているバッジが、議員バッジか議会事務局職員バッジかをうす暗い中で眼ざとく区別したことである。議員秘書バッジも事務局職員バッジも、菊花紋章をデザインし、一見紛わしいくらいに似ている。ただ色がちょっと違うだけだ。
次に、事務局職員バッジを佩用《はいよう》している者がこのミュンヘンの高級ホテルに泊っているからには議員団の視察旅行の随行に相違なし、視察なら名目があろう、とそれを対手は訊いたのだ。「名目」という言葉を使うところに事情に通じた様子があった。この顎の長い男はいよいよ商社の人間にちがいない、と書記は思った。とすれば、あの案内役の商社員と同じく視察議員団を受け入れ、接待に努めているわけで、随行者のバッジの識別ぐらいは当然だろう。
そうなると、最初に不意打ちをくらったときのおどろきも意外性も、書記には淡雪《あわゆき》のように消えていった。
ジョッキのビールとレモネードとが運ばれてきた。
「乾杯!」
いっしょに叫び、調子の合わないグラスをふれ合わせた。男の長い顔は、眼尻《めじり》に皺《しわ》を寄せ、大きな鼻の下に健康そうな白い歯ならびをひろげて、なにか愛嬌があった。
彼はジョッキの半分近くを一気に飲むと、長い顎に垂れる白い泡《あわ》を紙ナフキンで拭《ぬぐ》った。
「では、自己紹介をしなければならなくなりましたね」
書記から云った。
「ご指摘のとおり、わたしは衆院事務局の職員です。今回は行政委員会の議員さんの行政制度視察団のお供でこちらを回っています。今日はシュタルンベルク湖へ行きました。団長さんと団員さんの先生がたのお名前はご遠慮させてもらいます」
対手は頭をさげた。
「ありがとうございました。どうもご苦労さまです」
「こんな議員視察団のことは、商社のあなたにはとっくのとうにご存知でしょうが」
「ぼくが商社員ですって?」
男は手を振った。
「とんでもありません。申しおくれましたが、こういう者でございます」
彼は振った手をチェックの上衣に入れ、瀟洒《しようしや》な名刺入れをとり出した。紳士用のおしゃれ品だった。
書記がうけとった名刺には、日本文字の活字とフランス語・英語の活字とが両面に刷りこんであり、どちらも気のきいたレイアウトになっていた。
「なかなかご盛大なものですね」
名刺の活字に書記は圧倒されていった。
「なに、名刺は見せかけです。パリの本社はアシスタントの女の子が四人です。ロンドンとニューヨークとデュッセルドルフとは出張所なみで、連絡係といいますか留守番の女の子が二人ずつです。ぼくは必要なとき、パリから巡回しているのです」
すこし舌だるい言いかたは、ハーフでなかったら、外国生活が長いせいかと思われた。
「このアイデア販売業もヒント・コンサルタントというのもどういうご商売ですか」
「はじめての方には、みなさん聞かれます。当ててみてくださいといいましても、どなたも的中しませんね。それほどの珍商売です」
福光福太郎という男は横をむいて通りがかったウエーターに指を鳴らし、代りのジョッキを注文した。
「下のほうから先に判断すると、経営の新式コンサルタントですかね。上のアイデア販売業は難解ですが、例えば、外国の婦人服のデザインを日本に輸入し、日本の伝統的な衣裳《いしよう》の文様からヒントを取ってそれを外国婦人服にファッション化するといったようなこと、うまくいえないのですが、そういうことなども入るのでしょうか」
「当り」
福光は手を叩《たた》いて笑った。
「と云《い》いたいですが、残念でした。しかし、もう少々のところです。どなたもそこまでは云われます」
ジョッキが、テーブルにさっと来た。ジョッキの列は泡を噴いてカウンターにならんでいる。
「お名前が二つならんでいるようですが」
書記は複雑な名刺に見入って云った。
「申しあげましょう」
咽喉《のど》仏を快適に動かし、それをぴたりとやめると口辺に流れる滴を拭い、ジョッキをとんと卓上に戻した。
「アイデアとヒントはここではいちおう分けて書いてありますが、もともとは表裏一体をなすもので、分離できないのです。ぼくの取り扱う範囲は、服飾とは限らず、アドヴァタイジング、経営、絵画、小説、映画、政党の政策などの諸方面にわたって、アイデアを提供し、ヒントをアドヴァイスするにあるのです。アイデアの提供が福光福太郎、ヒントのアドヴァイスのほうが田代|明路《あきみち》、いわばこっちはペンネームでしてね。明路は音|訓《よ》みにして迷路に通じます」
書記はキツネにつままれた思いで対手《あいて》の顎を見た。
まだ彼からは説明を聞かないけれど、聞かないうちからこの男はたいへんな法螺《ほら》吹きではないかと思った。何ら具体性のないことをもりだくさんにメニューに書きならべて、金主をさがしてまわる手合いは、三宅坂《みやけざか》の議員会館の廊下にもよく出没する。福光福太郎別名田代明路はフランス、イギリス、西ドイツ、アメリカを股《また》に、議員会館式に出没する人種と同類ではないだろうか。彼のいう事業内容がほんとうだとすれば、本社に女の子が四人、各地の出張所に電話番の女の子が二人ずつでは、とても足りるはずがない。
「どうも信じていただけないようですな」
福光という男は眼もとを微笑させた。
「なに、ことは至極かんたんです。要約してお話しするとわかりやすいのです。基本は一つなんです。その基本というのはアドヴァタイジングです。せまい意味の広告ではなく、ひろい意味の宣伝ですな。それも広い、広い意味の宣伝です。これを活用すると、いわゆる宣伝だけでなく、その製作プロセスから生れたアイデアが各方面へ分流して行きます。まるで谷間から出た流れがそれぞれの支流に分れてゆくようにね。……」
「……」
「ただし、アイデア販売のほうがぼくの主体で、ヒント・コンサルタントは副業のようなものですから、『田代明路』はあまり使いません。けれども、そっちの注文主には『田代明路』の名で知られています」
「そのヒント・コンサルタントというのはどういうことですか」
「それはですね、おもに芸術家方面です。芸術家救済のためのコンサルタントです」
「ほほう、芸術家救済?」
「才能なきという形容詞をその芸術家群の頭に付けましょう。画家でも彫刻家でも、作曲家、小説家でもね。何を描くべきか、何を造型すべきか、何を音楽すべきか、はたまた何を書くべきか。芸術家はいまその目標を見失って、迷い、苦しんでいます。画家のパレットは乾き、彫刻家のノミと槌《つち》は埃《ほこり》をかぶったままであり、小説家が引き裂いた原稿は屑《くず》カゴに山となったままです。つまり迷える地に立つ人に、それを打開するヒントを提供するのです。ぼくの脳裡《のうり》にひらめいた天啓のようなものをね。……日本の芸術家や作家の人たちのことは知りませんが、こちらでは、ほとんどの人が迷路や迷地で行き詰っているんです。ペンネームで明路《めいろ》としたゆえんです。文学ではその指標となるようなすぐれた作家があらわれなくなったんでね」
福光は言葉をついだ。
「で、ぼくは、相談に来られる迷える作家には、途中で投げ出したその小説のプロットを聞き、その続きはこのようにしたらどうか、登場人物の性格をこう変えてみたらどうか、と助言するのです。それでダメになりかけた作品が息を吹き返すのに、けっこう役立つんです。感謝されていますよ。なかには、今後の方向を指導してくれなんて、まるきり主体性を失った作家もあります」
「画家は、どうですか」
「行き詰った画家には、田代明路が画商のところへ行って、画商が二束三文の捨て値で買い、倉庫に入れている新人の画から、その画家とは画風がまったく反対な、異質な画を与えるのです。すると絶望していた画家は復活しますよ。エスプリがあるならね」
「彫刻家はどうですか」
「彫刻家には、彫刻家の患者が入院している精神病院へ行ってもらいます」
「精神病院に?」
「精神病患者に接すると、人間本来の芸術本能にふれられますよ」
福光福太郎は厳粛な顔で向うを見つめた。
書記は唖然《あぜん》として、
「あなたのような多才の持ち主だとさぞ忙しいことでしょうね」
「忙しいことは忙しいです。東から企業の相談があるといわれると東へ行き、西に新技術のヒントが欲しいと乞《こ》われると西へ駆けつける。そして南の作家に小説の筋を手伝い、北には……」
彼はだれやらの詩をもじって呟《つぶや》いていたが、視点はさっきから向うの客席に止っていた。そこはジョッキのビールを傾ける男女でいっぱいであった。
「あそこの客をごらんなさい」
福光が云ったので、書記は眼を遣《や》った。
「まっ赤な髪を耳の上までもじゃもじゃさせているデブの男と、額の禿《は》げ上って黄色い髪をうしろに撫《な》でつけた細身の男が身体《からだ》を寄せ合っているでしょう。おどおどしていますね。ホモです。二人とも音楽家で、デブが指揮者、痩《や》せたほうはヴァイオリン弾きでしょうな。あぶない、あぶない。いまにエイズ反対派にやられます」
福光は眉《まゆ》をひそめた。
「……」
「音楽家には同性愛が多いですからね。近ごろは著名な音楽家がエイズで、ばたばたと倒れている。その影響は深刻ですよ。ウィーンでも、ザルツブルクでも、ミラノでも、パリでも、ロンドンでも。人気のある演奏会は一年も前から前売券が売切れで、ヤミのプレミアムがついていますが、そういう著名な音楽会が、開催直前になって続々と演奏不能になるんです。なぜなら、お目当ての世界的指揮者が、都合により出演できなくなったからですよ。……みんなエイズです」
「……」
「いまは二十一世紀の初めですが音楽はすでに終末期です。このままだとね。天才の芽はエイズ禍《か》のためにみんな摘み取られます」
書記は、上下する長い顎《あご》を見つめるばかりだった。
「欧米人から、音楽を取り去ってごらんなさい。かれらにとって原始時代ですよ。日本人には想像もつきますまい。とくにヨーロッパ人は、クラシック音楽の名演奏を聴いてこそ心の糧《かて》があり情緒の安定があるのです。明日の希望が得られるのです。エイズの蔓延《まんえん》によって音楽が沈黙すると、人々は家に閉じこもって、じっと読書するしかありません。ですから、ぼくは、作家に何を書くべきかの方向を助言しているのです」
「なにを書いたらいいのですか」
「ショーペンハウエルに帰れ、です」
「厭世《えんせい》哲学。虚無思想の文学ですか?」
「でなかったら」
彼はそこでちょっと云い淀《よど》んだ。
「変身小説ですな。これは、ちょっとしたヒントですぞ」
ジョッキに手をかけた。
「人間が動物に変身するとしたら、どうですか」
福光は云った。
「変身ですか。それはダメです。カフカという作家に『変身』という有名な小説があります」
書記は云った。
「それは、ある男が、朝、眼《め》がさめたら自分が一匹の毒虫になっていたという話でしょう?」
「そうです」
「ぼくの『変身』のテーマはですね、そうじゃない。アフリカに住むある男が、ある晩、イヤな夢を見て眼がさめたら、自分がミドリ猿《ざる》になっていた、という話です」
「なんですって、ミドリ猿ですって?」
書記はびっくりした。
「それはエイズ・ウイルスを人間に感染させたアフリカのサルじゃありませんか」
「そうです。人間が中央アフリカあたりにいるミドリ猿に変身して無実を訴えるのです」
福光は自分がサルになったように、口を開けてジョッキのビールを流しこんだ。
「アメリカの国立|癌《がん》研究所|腫瘍《しゆよう》細胞生物学実験室の責任者にR・ガロ博士という人がいます。このガロ博士が一九八四年にエイズ・ウイルスの原因は、中央アフリカに生息するグリーン・モンキーが持っている無害のウイルスが原因だと発表しました。サルに噛《か》まれたり、サルの肉を食ったりした同地域の貧困層の人々の身体で突然変異を起してエイズ・ウイルスになったというんです。そしてそれが戦後独立したコンゴやザイールなどへ支援に行った同じフランス語圏のハイチの技術者に感染して、ハイチにエイズがひろがった、そこへアメリカ人のホモ・ツアーがきてフロリダ州あたりに持ち帰り、アメリカのエイズ流行の原因になったというんです。この説はたちまち世界を風靡《ふうび》しました」
福光福太郎は舌だるいしゃべりかたでつづけた。
「突然変異というのは、いったい何をさすのですかね。ガロ博士によると、HIV、つまり、人体|免疫《めんえき》不全ウイルスは、アフリカのミドリ猿が持っていたものが、人間の血液内に入ってエイズになったというのですが、その原因がはっきりしない。だから、突然変異だなんて曖昧《あいまい》な言葉で云っているんです」
「その説に根拠はありませんか?」
「まったく、何もなしです。だから、その変身小説の題名には『われらは人間を弾劾《だんがい》する』としたいですな。グリーン・モンキーの立場からね」
「どこかで聞いたような題ですね」
「ゾラです。エミール・ゾラがドレフュス事件でときの大統領にあてた有名な公開状『われは弾劾す』をもじったのです。人間は故《ゆえ》なくわれわれをエイズの元凶とするが、これはまったく冤罪《えんざい》である。人間どもを糾弾すべきである、とグリーン・モンキーは叫ぶ、とね」
福光福太郎は笑い、その口にパイプをくわえた。
そこで衆院行政委員会事務局の書記は、身を乗り出して福光福太郎に云った。
「これはぼくのとっぴな想像ですがね、もし百年以上前からバイエルン地方にエイズが蔓延していたら、ルードイッヒ二世の狂気もこれまでの見方を変えなくてはなりませんね」
奇説を吐く福光福太郎の前でしか云えないことだった。書記はさっきから云い出す機会を待っていた。
福光は、訝《いぶか》しげな視線を書記に走らせたが、その眼をすぐに天井《てんじよう》へむけ、しばらく睨《にら》んでいた。もの識《し》りの彼は、書記の言葉の意味を早くも察し、それについて思案しているようだった。
「ルードイッヒの狂気については、すでに通説がありますが、そこへあなたのエイズ病という新説が登場しましたな。エイズ・ウイルスが国王の脳血管に入りこんだという推定ですね?」
「そうです」
彼はパイプの煙を吐いて云った。
「癌は人類の発生と同時に存在し、ギリシャの医聖ヒポクラテスの時代にその症状の記録があるそうです。しかしエイズ・ウイルスの発見はわずか二十数年前です。それまでは、たぶん他の病名でかたづけられていた可能性がありますな。というよりもエイズに似たウイルスの歴史は思ったよりずっと古いかもしれません。そのウイルスがしだいに進化してきて、突然変異により現在のエイズ・ウイルスになったかもしれない。……」
「その突然変異の原因は何ですか」
「わかりません。原因不明だからこそ、突然変異ですよ」
「ルードイッヒ二世の狂気はエイズからきたというぼくの仮説にその前提となるのは、ルードイッヒ二世とワーグナーの同性愛のことです。これが確かなものでないと……」
書記が異論を云いかけると、
「なに、両人の間は、はっきりしています。音楽家には音楽をして告白せしめよ、です」
福光は確信的な口調でつづけた。
「それはどういうことかといいますとね、ノイシュヴァンシュタイン城にはワーグナーの歌劇を主題にした画がたくさん飾られてあるのは有名ですが、とりわけ『トリスタンとイゾルデ』の画は、ルードイッヒ二世の居間や寝室に何点も飾られてあります。これが問題のキイですよ。ワーグナーのなかでも、『トリスタンとイゾルデ』ほど官能的な音律はないのです。あれは愛欲の音律です。いまにも消え絶えなんとしながらも、かぼそくいつまでも続く音律は、すすり泣くがごとく歓喜に慄《ふる》えるがごとく嫋々《じようじよう》としています。織物の糸がてんめんとしてからみ合っているような、ワーグナーのその無限旋律は、まさに愛欲の営み、その官能の歓びを写したものです」
福光福太郎は云いながら、壁ぎわで抱き合わんばかりにしている二人の「音楽家」に視線をくれた。
「あそこに居る痩せたほうの男がヴァイオリニストだったら、彼に、その『トリスタンとイゾルデ』の一曲を弾いてもらいましょう」
彼は指を挙げて、年配のウエーターを呼んだ。耳もとで、その依頼が実現できるかどうか、演奏料は相当に出すし、おまえにもチップをはずむがとでも訊《き》いているふうだった。すると給仕長らしいそのウエーターは、たちまち眼に怒りをあらわし、顔を激しく振った。そんなことをホモに取り次ぎに行くだけでも屈辱だといっているようだった。
「残念です」
福光は、書記を見返って苦笑した。
「あのホモ二人は、そろそろ店から追い出すところだとウエーターは憤《おこ》っているのです。どこの国も同じで、ホモがエイズの運び屋に見られているんですな。中南米あたりの国では、ホモが千人とか二千人とかが集団で殺されたそうです。エイズの運び屋というわけです。新聞に出ていました」
「……」
「こんな事情で、『トリスタンとイゾルデ』をお聴かせできなかったのはまことに残念です。……あの無限旋律は、いまも申し上げたように、セックス行為の表現ですから、そういう曲を装飾画にして居間や寝室に飾らせていたということだけでも、王とワーグナーの同性愛関係は決定的といってよいです。若き国王ルードイッヒ二世は、年上の、ワーグナーを愛し求めていたんですな。ワーグナーは女を次々とりかえて世間の非難を受けましたが、それくらいの手練者《しゆれんもの》です、ホモの技巧にも達していたに違いありませんな」
福光の云うことは、ルードイッヒ二世からワーグナーに宛《あ》てた手紙の内容とも一致した。
「ババリア国王発狂をエイズ・ウイルスに冒されたとするあなたの仮説は、その前提となる同性愛がこれで証明されたわけです。しかし面白い。あなたの新説は」
このとき、ホテルのページボーイが小鈴の付いた立札を持ち、客席の間を歩いて回った。立札には「Mr. Fukumitsu」とマジックインキの貼《は》り紙があった。ページボーイは尋ね人が日本人なので、福光と書記の前に立札を見せてちょっと立ちどまったが、反応がないのでそのまま行き過ぎ、出口から去った。
「ぼくに電話がかかっているんです。けど、相手がわかってますからあとでこっちから先方へかけます」
福光は云《い》った。
「ここ十年来は、海外視察の議員団を迎える関係筋は、ずいぶん楽になりましたからね。議員さんが夜の趣味を希望されても、先生、エイズです、の一言で納得してもらえるようになったそうですから。……だいいち、お世話しようにも、女の子が居やしません。ここのエロスセンターも中央駅裏もすでに二十年前からクローズです」
「閉鎖されているそうですね」
「有名なハンブルクの飾り窓だってそうです。アムステルダムの飾り窓もそうです。公娼《こうしよう》エリアはみな閉鎖です。エイズをおそれて女の子がいなくなってしまったからですが、もう一つは、ああいう場所がエイズの巣窟《そうくつ》として世論の糾弾に遇《あ》ったからです」
福光は書記の肘《ひじ》を指で叩《たた》いた。
「ごらんなさい、ここのお客さんたちを。みんな初老の夫婦者じゃありませんか。働きざかりの紳士が、花のようなティーンエイジャーやお色気たっぷりのお姐《ねえ》さんをつれて愉《たの》しむテーブルは一つもありません。みんな砂を噛むように口を動かし、泥水《どろみず》でも飲むようにワインをすすり、告別式のミサの教会のように笑い声一つ立てません。エイズのおかげですよ。エイズ防衛の安全本位が、人間性を奪い取ってしまったのです。旧道徳の砂漠《さばく》の中で、現代人にこれが我慢できますか」
ジョッキを彼は飲む。
「この無慈悲な抑制は、もちろん、宗教や道徳から来ているんじゃないのです。孔孟《こうもう》の道をめざしているわけでもない。エイズからの避難に、やむをえずやっているだけです。エイズにそれを強《し》いられているのです。我慢がなりますか」
「しかし、正常な性行為にゴム製品を使用すればエイズからの感染は絶対に防げると、医療機関がこれまでくりかえしくりかえしPRしていますが」
「正常な性行為ですって? エイズの感染の大部分がホモ・セクシュアルによることを考えてごらんなさい。なぜ、ホモの性行為にエイズが多いのか。そして、『衛生器具を使用する正常な性行為の家庭』にエイズがどうしてかくも侵入して行くのか。それにね、ヨーロッパのスキン製品は日本製品にくらべてだいたいが粗悪です。とくにソ連や東欧圏のそれはひどいです。……あっ、ぼくばかりビールを飲んでいてもなんですから、あなたもすこしやりませんか」
「じゃ、またコーヒーでも取ります」
「ところで、ホモ・セクシュアルは行為が激しく、直腸の粘膜が薄くて、そこからの出血が多いためと云う人があるんですがね。たしかに激烈なホモ性行為となると、ちょっと口に出せないような、アブノーマルなのがあります。不潔で、不道徳で、動物的です。だが、いくら出血があっても、また、変態的な愛欲であっても、どちらか一方の血液の中にエイズ・ウイルスが含まれていないかぎり、エイズ感染はないはずです。ホモのぜんたいをエイズの元凶のように云っているのは責任のなすりつけです」
「そうでしょうかね」
「ホモ趣味の人はもともと知識階級です。芸術家にも、学者にも多い。現在、エイズを持ちこんだのは麻薬などをやっている無軌道なアメリカのホモ連中ですがね。さて、そのエイズが、アフリカのミドリ猿でないとなると、どこで発生したか。それが謎《なぞ》ですな」
「わかりませんか」
「決定的なことはわかってないです。……しかし、その根元地はともかくとしてですね、さきほどのぼくの憂《うれ》いはまだつづきがあるんです」
福光福太郎はまわりを見わたしていたが、
「いまに暴動が起らなければいいが。……」
と呟《つぶや》いた。
「暴動ですって? 何の暴動ですか」
「エイズに対して我慢も限界を越えると、社会的な暴動になるかもしれません。まず男性がそのデモの先頭に立つでしょう。強制された一夫一婦制ではかならず破綻《はたん》がくる。とくにアメリカ人は性解放と称してスワッピングだの乱交だのの刺戟《しげき》的な経験をもっている。たとえそれを縮小して夫婦交換に絞っても、それには範囲に限界があるから、すぐ飽いてしまう」
「……」
「いま、人類はエイズの独裁下にあります。ワクチンの開発も、全治薬の発見も、当分成功しそうにない。これまでにも、われわれに希望を持たせるようなニュースは何度か流された。けど、不成功です。いまだに実験段階です。実験だ実験だとくりかえしているあいだにも患者はどんどん増加して死亡する。われわれに希望を持たせるその種のニュースは、なにやら世界各国の為政者が人民の不安と恐怖を鎮《しず》め、不測の事態を防ぐ政策のような気さえします。しかし、その間にもエイズは待ったなしですよ。そのエイズは十四世紀のペストの大流行にくらべられていますが、このままだとそれ以上になるかもしれません。黒死病は爆発的に大流行して熄《や》んだが、エイズの流行は、ゆっくりと確実に地球上を蔽《おお》ってゆきます」
彼はビールで、ひと息ついた。
「こうなると、われわれがエイズに対処するには、諦《あきら》めて無抵抗になり、その暴風が通過するまで身を避けてひたすら待つか、でなかったら、奮然として刃向うかです。ぼくが懸念《けねん》している暴動から革命に発展することです」
衆院行政委員会事務局員は身震いした。
「……」
「その暴動をきっかけにして革命が起るかもしれませんね。政府にとってはなによりもそれが恐ろしいのです。エイズ騒動から革命に発展することがね」
福光福太郎は沈痛な表情になった。
「福光さん。あなたはアイデア販売業でしたね。このミュンヘンに来られたのも、そのエイズ対策のアイデアのためですか」
「アイデアの販売人だなんて、G・K・チェスタートンの『奇商クラブ』にでも入れてもらえる資格があるかもしれませんな。しかし、かりにぼくのアイデアが谷間の湧《わ》き水のように各所から流れるといっても、エイズの前には無力にひれ伏すばかりです。純血クラブといった組織が現在大きくなっています」
「純血クラブ?」
「そうです。エイズを排斥した純血者ばかりのクラブです。しかし、その純血同盟を追求すると、その先に同族結婚、血族婚が見えてきます。世にも恐ろしいことが起る。原始生活ですよ。大祓《おおはらい》の祝詞《のりと》にもそれが出ています」
「どんなふうに?」
「己《おの》が母を犯せる罪、己が子を犯せる罪、母と子とを犯せる罪、とね」
「……」
「国学者は困って、ここをいろいろ説明しているが、まぎれもなく近親|相姦《そうかん》です。そういう時代に逆戻りするかわかりません。欧米には父は娘と、母は息子と相姦する例が多いと指摘されていますね」
福光福太郎は太い息を吐いた。彼は何やら思案しているようだったが、またもや話題を変えた。
このとき、入口からふたたび青服のページボーイが入ってきたが、こんどはまっすぐに日本人客の前に進んで持った立札を示した。福光はそれにうなずいた。
≪HerrTashiro≫
「さっきのはミスター・フクミツでした。あれは電話なんです。いまのはヘル・タシロです。ぼくをタシロで呼び出したのは、打合せておいた人物がぼくをホテルに訪ねてきたのです。ミスターとヘルの相違は、まあ暗号ですな。いや、これで失礼」
彼は勘定書を握った。
腰を浮かしてから彼は、書記をふりかえった。
「あ、そうそう、ぼくがミュンヘンになぜやってきたか、あなたの前の質問に、ぼくはまだはっきりお答えしていませんでしたね」
「……」
「それはね、あなたがたが遊覧船でまわられたシュタルンベルク湖ね、その湖水に浮いた首なし死体を見に来たのですよ。ぼくはパリでそのニュースを知りました。なんだ、そうじゃありませんか、死体を見つけたのは、あなたがいっしょの視察団の議員さんだったそうじゃありませんか。湖の遊覧船の上から」
「そうなんです」
「ふしぎな縁ですな。いや、じつはね、ぼくは、あの首なし死体が、もしかすると、ぼくの知人のオランダ人ではないかと思って、心配になってミュンヘン警察署に出頭したんです」
「……」
「幸いなことに違いました」
彼は眼尻《めじり》に愛嬌《あいきよう》ある皺《しわ》を寄せて書記を見た。
「ところで、念のために申しあげときますが、あなたには、ぼくがよっぽど金を儲《もう》けているように見えるかしれませんがね。ぜんぜんその逆ですよ。好きであっちこっち忙しそうに飛びまわっているだけです。まさに奇商ですよ。しかし、世にいう器用貧乏で、友人はぼくのことを、福太郎とは云わずに、貧《ひん》太郎と呼んでいますよ」
気持のいい笑い声を残すと、彼は外にむかった。
福光福太郎が、ほの暗い夜のような通路を往《ゆ》く。飄々《ひようひよう》たる雲片が、新月のような面《おも》を掠《かす》めて。――
IHC(国際健康管理委員会)の建物はスイスのチューリッヒはシュタンフェンバッハ通りにある。
この街は南北に流れるリマト川に沿ったノイミューレ通りの一本東側で、高台になっている。低地の街路とは石段でつなぐ。
建物は四階建のビルで、もと時計会社の社長邸だったのをIHCが買い取り、改築したものである。スイスの時計産業も、高級品は別として、日本の時計メーカーに押されて早くから不況に陥り、精密機械産業も、酪農も不振である。スイスの経済体制は観光と金融だけになっている。とくに金融は、悪名高い銀行預金秘密番号口座制度(完全なる匿名《とくめい》)によって依然として強いのである。
世界の為替相場を決定するのは、ロンドン、ニューヨーク、東京の市場だが、チューリッヒもそれに次いでいる。曾《かつ》て英国の経済相ハロルド・ウィルソンが「チューリッヒの小鬼《ノウム》ども」と罵《ののし》って口惜《くや》しがったほどロンドン市場をも攪乱《かくらん》した。
IHC調査局調査部調査課長山上|爾策《じさく》は、パリから帰った翌日、調査局長に出張報告をした。局長はエルンスト・ハンゲマンという。ハンブルク出身の西独人でハイデルベルクの医科大学の元教授、専攻は癌《がん》の研究である。親縁関係にあってもエイズ・ウイルスの専門ではなかった。パスツール研究所で医務連絡をとり合って帰った山上課長の報告を、ふむ、ふむ、と聴くだけだった。五十二歳、額が禿《は》げ上っていて、温和な眼を持っていた。
山上爾策は、IHCに引きぬかれるまで、WHO(世界保健機構)の管理課第二係長をしていた。東京大学医学部卒、医学博士、専攻は疫学《えきがく》。WHO入りは厚生省からの推薦だが、出向ではなく、プロパーの職員だった。
ジュネーヴにWHOが存在するのに、チューリッヒにIHCが設立されたのは、いわば「官立」と「私立」の違いのようなものである。
WHOは国連の一機関という立場上、たえず国際関係でバランス主義をとらねばならない。東西両陣営を主軸として、赤道をはさんでの南北対立もある。
国連は国際協調主義を第一とするから、こうした対立国家群に絶えず気をつかい、決断できない面が多い。WHOには防疫班があってエイズ対策を練っているが、こうした国連の方針のもとでは、その活動に制約がある。
たとえばエイズ患者数は、各国からの報告をまとめて統計にのせているが、数字に疑問があったり、その報告がボイコットされたりしても、確認や催促を求めることはできない。もとより独自に調査することは不可能である。このような不完全な資料で世界のエイズ対策を確立することはできない。
エイズが世界中に蔓延猖獗《まんえんしようけつ》している現在、これでは人類生存の危機につながるということから、ヨーロッパの各国が醵金《きよきん》をして「エイズ研究基金」をつくり、「独自にして自由な活動」ができるようチューリッヒにIHCを設立した。
IHCにスイス連邦が加盟している意義は大きい。スイスは地元のジュネーヴに国連を持っているのに、これには加盟していない。伝統の中立主義とは名目で、じっさいは国連の機能の弱体を知っているからだ。スイス人で、レマン湖畔から丘上にそびえる壮大な白亜のパレ・デ・ナシオン(国連)の建物を見上げて嗤《わら》わない者はいない。
IHCはその構成する国々から、ソ連・東欧諸国を除外し、アメリカをも外《はず》している。ヨーロッパだけのエイズ防衛である。「エイズ研究基金」は約五十億円であった。
米ソ間のINF(中距離核兵器)は一九八八年に廃棄された。そのため「ヨーロッパはヨーロッパ自身の手で守る」ことから「ヨーロッパ防衛共同体」(European defence community)の成立となった。IHCはヨーロッパのエイズ防衛共同体である。
INF廃棄で、アメリカの「戦力の主体」がヨーロッパから引き揚げたため、危機に直面したヨーロッパ諸国は連合して「ソ連の軍事侵略」を防衛しなければならなくなった。曾てソ連は中距離核兵器の廃棄をアメリカと結んだ。それが核戦力の全廃につながるといった当時の気楽な予想は今や吹きとんだ。
モスクワの政権は曾て「改革」政策をうち出して、官僚主義を排し、民主主義をとり入れ、これを実行に移した。行き詰った経済政策、流通機構を打開するためである。それは成功しただろうか。否《いな》である。流通機構を改めると云いながら軍事費を削減するどころか増額の一途を辿《たど》った。アメリカと競争して高度の軍事科学技術、いうところのハイテクの開発に湯水のようにカネを注ぎこまざるを得ないからである。これらの高度な技術開発はすべて核戦略を中心にしている。ヨーロッパの東隅とアジアの西北にまたがるソ連はロシア時代から他国に侵略される警戒心と、その防禦《ぼうぎよ》のための先制攻撃を考えてきた。猜疑《さいぎ》と謀略がスターリン主義である。
軍事費(軍需産業)の増大をそのままにして、どうして民需の流通がはかられようか。孤立主義に狎《な》れたソ連はロシア以来官僚主義の国である。かれらはアメリカや西ヨーロッパ的な「民主主義」になじめない。「民主主義」を導入した「改革」は、ソ連国内の自治共和国の民族主義を煽《あお》り立て、モスクワにたいして反抗と独立運動に奔《はし》らせた。カスピ海と黒海の中間地帯でも、バルト海沿岸地帯でもそれはひろがった。民族の違い、宗教の違い、伝統の違いからであったが、根本はソ連の政治的抑圧による自由のなさが、「民主主義」政策によって解放されたと考え、過去に失ったものを性急に求めたのだった。
モスクワはこれに手を焼いた。鎮圧は「民主主義」ではなかった。各地の民族運動と抵抗は勢いを増し、それが東ヨーロッパの衛星国に波及した。ソ連の体制は危機に直面したと右派と軍部は見た。アメリカとの軍事生存競争に敗北すると恐怖した。
かくて政権は倒れた。
次の政権が生れた。政権が交替すれば前政権を全面的に否定し、正反対の新政策を行うのがソ連の伝統である。「民主主義」は廃棄され、「逆改革路線」が打ち出され、スターリン時代を思わせる独裁政治がもどってきた。
「放埒《ほうらつ》な」民族運動は懲罰を受け、タガのゆるんだ体制はきびしくひきしめられた。民需品生産のために三〇パーセント割かれた工場はふたたび全面的に軍需工場に復帰し、しかも前政権のときにアメリカに遅れをとったぶんをとり返し、それを追い抜くために軍事予算を異常に膨張させた。鉄のカーテンはまたもや重々しくおろされた。
これが西ヨーロッパとアメリカ側の観測であり、新聞の論調であった。
ヨーロッパ防衛共同体は、こうしたソ連の新攻勢に対抗してつくられた。ソ連は曾てのワルシャワ条約機構軍といったようなナマやさしい軍団ではなく、東欧とソ連の兵力とを直接的に編成する動員計画を完了している。
ヨーロッパ防衛共同体が近い将来に一つの「連邦国家」になる必然性はここにあった。
西ドイツとフランスとイギリスが共同防衛軍の主軸を形成している。NATOによるSHAPE(欧州連合軍最高司令部)指揮下の北・中・南部ヨーロッパ駐屯《ちゆうとん》アメリカ軍主力部隊も減少した。欧州防衛軍総司令本部は西ドイツのハイデルベルクに移った。ここはSHAPEのあるカストーよりも奥へ引込み、フランスとの国境に近い。NATO本部も曾てはパリに在った。
「ヨーロッパ防衛共同体」は、「連邦」の性格をもった。やがては「ヨーロッパ合衆国」(United States of Europe)に発展するだろう。これまでの経済的なEC(ヨーロッパ共同体)からUnited States of Europeへ、である。
してみれば、IHCはエイズ防衛を目的としているが、将来は「ヨーロッパ合衆国」の「保健機関」になるだろうと予想する人が多いが、これほどIHCの性格を明快に位置づけた論はない。――
パリに三日間出張していた留守に、山上の机には郵便物が山のように溜《た》まっていた。新聞も三日ぶんが積まれている。独、仏、英、米紙のほかに日本からの新聞、それに医学の専門紙が加わる。
山上はボン発行の西独紙を見た。フロントページの半分近くを割いたスペースの大見出しであった。
≪シュタルンベルク湖に首なし死体漂流。ネオ・ナチの一味か≫
わき見出しに「日本の国会議員団が発見」とあった。
ボンからの新聞到着は一日遅れである。記事は四日前の出来事であった。
日本の国会議員団は何かの視察旅行にミュンヘンにきていたが、シュタルンベルク湖の遊覧船に乗って湖上の首なし死体を見つけた、というのだ。
山上爾策の関心は、新聞から封書に転じた。日本からの手紙を待望している気持が、航空便の封筒を撰《えら》び出させた。東京の友人からの部厚い手紙があった。高校時代の旧友だが、いまはどこかの女子大の講師で日本現代文学だかを教えている。本人も小説をぼつぼつ発表している。
最初の便箋《びんせん》には、いきなり本からのコピーが貼《は》り付けてあった。本の一ページである。
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≪主人《しゆじん》の翁《おきな》はそこで又《また》こんな事《こと》を思《おも》ふ。人間《にんげん》の大厄難《だいやくなん》になつてゐる病《やまひ》は、科學《くわがく》の力《ちから》で豫防《よばう》もし治療《ちれう》もすることが出來《でき》る樣《やう》になつて來《き》た。種痘《しゆとう》で疱瘡《はうさう》を防《ふせ》ぐ。人工《じんこう》で培養《ばいやう》した細菌《さいきん》やそれを種《う》ゑた動物《どうぶつ》の血C《けつせい》で、窒扶斯《チフス》を防《ふせ》ぎ實扶的里《ジフテリ》を直《なほ》すことが出來《でき》る。|Pest《ペスト》 のやうな猛烈《まうれつ》な病《やまひ》も、病原菌《びやうげんきん》が發見《はつけん》せられたばかりで、豫防《よばう》の見當《けんたう》は附《つ》いてゐる。はんせん氏病も病原菌《びやうげんきん》だけは知《し》れてゐる。結核《けつかく》も、|Tuberculin《ツベルクリン》 が豫期《よき》せられた功《こう》を奏《そう》せないでも、防《ふせ》ぐ手掛《てがか》りが無《な》いこともない。癌《がん》のやうな惡性腫瘍《あくせいしゆやう》も、もう動物《どうぶつ》に移《うつ》し植《う》ゑることが出來《でき》て見《み》れば、早晩豫防《さうばんよばう》の手掛《てがか》りを見出《みいだ》すかも知《し》れない。近《ちか》くは梅毒《ばいどく》が |Salvarsan《サルワルサン》 で直《なほ》るやうになつた。|Elias《エリアス》 |Metschnikoff《メチユニコツフ》 の樂天哲學《らくてんてつがく》が、未來《みらい》に屬《ぞく》してゐる|希望《きばう》のやうに、人間《にんげん》の命《いのち》をずつと延《の》べることも、或《あるひ》は出來《でき》ないには限《かぎ》らないと思《おも》ふ。≫
≪この前、学校の図書室で|鴎外《おうがい》全集の一冊を漫然と拾い読みしていると、こういう文章が眼に入った。「妄想《もうそう》」で、明治四十四年「三田文学」掲載とある。
鴎外がこれを書いてから一世紀になる。だが、彼の予想や期待に反して、癌の全治薬はいまだにできていない。医学は鴎外の予想をはるかに超えて、電子顕微鏡でミクロの世界をとらえるという長足の研究進歩を遂げているというのに。
一九七九年か八〇年になって、エイズという厄介なものが新登場した。新聞雑誌などによると、エイズを退治するのにいろいろとアイデアが出ているようだが、目的を果すまでには、なお前途|遼遠《りようえん》のようだね。近代医学がこれほど発達しているのに、ふしぎなことだよ。エイズ患者に延命が可能な特効薬ができたというから、予防ワクチンの開発も全治薬の発見も、もう少しだとは思うが、その「もう少し」の間に、エイズは勢いよく蔓延してゆくからおそろしい。
エイズのことでよく引合いに出されるのは十四世紀のペストの大流行だが、これは約二十年間にわたって猛威を振い、推定犠牲者約七千万人を出して終熄《しゆうそく》したという。黒死病流行は、戦場でのみな殺しか火山の大噴火のごとき激烈なものだったが、それにくらべるとエイズの伝播《でんぱ》はずっとゆるやかなようだ。しかし、確実に世界にひろがってゆく。
西ドイツ周辺には、ネオ・ナチ運動が起り、またもやユダヤ人排斥をめざしていると日本の新聞にも紹介されていた。十四世紀の黒死病流行のときも、この悪疫はユダヤ人がはこんできたと人々は考えて、ユダヤ人の大|虐殺《ぎやくさつ》が行われた。ネオ・ナチの運動はまだ大きくはないそうだが、七百年前のペスト流行のときをふりかえると慄然《りつぜん》とするね。
日本のエイズ患者や感染者は欧米にくらべると、幸いにもまだ数が少ない。それは東洋人には感染率が低いからだとされているが、今や日本でも発病者の数は十万人単位となった。
君への久しぶりの手紙にあれこれとエイズのことを書いた。これは素人《しろうと》の心配からだ。この上は君らのような医学者が頼りだ。癌の治療薬がもうすぐできるだろうと云《い》った一世紀前の鴎外の予言が「妄想」になったように、エイズのワクチンや全治薬の開発の希望が「妄想」に終らぬように、全人類のためぜひ奮闘を願う。≫
[#ここで字下げ終わり]
山上は友人の手紙を置いた。疲れた眼を外にむける。
窓からはリマト川を隔ててプロムナード広場が見える。細長い三角形になっている中洲《なかす》の先端だが、南には国立博物館の林が繁《しげ》っている。その木立も、川沿いのノイミューレ通りの菩提樹《ぼだいじゆ》の並木も色づいていた。二十世紀が二十一世紀に入っても自然に変りはない。変化は二十世紀の八〇年代から持ちこされた疫病の猖蹶だった。
山上爾策の机の抽出《ひきだ》しの中には、昨年度の「世界各国エイズ患者表」がある。
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△アメリカ 三百十万。△カナダ 四十万。△ハイチ 三十万。△イギリス 三十二万。△フランス 八十五万。△西ドイツ 六十五万五千。△ベルギー 六万五千。△オランダ 十一万。△スウェーデン 六万。△デンマーク 四万八千。△イタリア 四十五万。△バハマ 一万五千。△ドミニカ 二万。△メキシコ 四十五万。△ブラジル 六十万。△ウガンダ 九十万(?)。△タンザニア 七十万(?)。△ルワンダ 二十一万(?)。△ケニア 四十五万(?)。△ガーナ 二十二万(?)。△コンゴ 五十五万(?)。△オーストラリア 二十六万。△ソ連 七十五万(?)。△中国 十五万(?)。△日本 三十一万。
[#ここで字下げ終わり]
これら主要国をはじめ合計すると全世界で約千五百万人である。むろん推定概算である。アフリカ諸国とソ連、中国、その他も含めて極めて少数の報告であるから「?」とした。
遡《さかのぼ》って一九八七年度のWHOの統計。
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△アメリカ 三万九千二百六十三。△メキシコ 千四百七。△カナダ 千四百二十三。△イギリス 八百七十。△フランス 千六百三十二。△西ドイツ 千八十九。△東ドイツ 三。△イタリア 八百五十。△スイス 二百六十六。△ウガンダ 七百五。△タンザニア 千六百八。△ケニア 六百二十五。△コンゴ 二百五十。△オーストラリア 六百二十二。△ソ連 五十八。△ユーゴスラビア 十。△ポーランド 二。△中国 二。△台湾 一。△香港《ホンコン》 四。△日本 四十三。
[#ここで字下げ終わり]
WHOのこの数字は非常に控え目である。関係国への気兼ねがある。
ソ連の「五十八」は「旅行者と外国人留学生」となっている。
しかし、これらを除外しても八七年度の世界のエイズ患者七万が、現在は千五百万人になったのだから二百倍以上である。
これは発病者であって、いわゆるキャリアと呼ばれる感染者は別である。キャリアの数はつかみどころがないが、キャリアと発病者の比は一〇対一・五ないし二といわれている。キャリアを含めると一億五千万人に逼《せま》る。
ソ連の八七年度のエイズ患者「五十八」の数字も、そのことごとくが旅行者と外国人留学生であるとは信じられない。
(エイズのような資本主義国の堕落した疫病《えきびよう》は、わが国の人民にはない)という建て前が見えすいている、とだれもが考える。それでもWHOはソ連側にその確認を求めることもできない。
外国人旅行者といえば、その旅行者がよく語るのは、東欧圏諸国の首都にある国際ホテルのバアに一見してそれとわかる女性が客待ち顔にならんでいることである。あるホテルによっては客室廊下に出没するという。ホテルのフロントマンも見て見ぬふりをし、警察も介入しない。ふしぎに思ってガイドに聞けば、恋愛とイデオロギーとは関係ありませんとのこと。彼女らがドル稼《かせ》ぎのためとは云わない。
WHOには、東欧圏のエイズ患者数の把握《はあく》ができない。その確認も、また追跡調査することもできない。東欧圏はWHOの前に鎧戸《よろいど》を閉ざしている。しかし、これはIHCも同様なのである。
統計に見る千五百万人の患者数は、ソ連や東欧圏諸国を少なめに推定しているから、もしこれを正確に加算するときは、いったいどれくらいの数になるだろうか。キャリアを含むと二億人を越すかもしれない。そうして感染者は数年後には発病するのである。現在の医療状況では、発病者は死ぬと見なければならない。
社会主義国側資料が不明確であるならば追跡調査をしなければならない。それが不可能なら、情報の蒐集《しゆうしゆう》をして補わなければならなくなる。
だが、最近になってその鎧戸の隙間《すきま》からちらちらと向うの世界が見えかくれしてきた。ほんのわずかだが。
IHCは創立からまだ日が浅い。けれどもWHOの延長線上では意味をなさない。しかし、未経験な、新しい仕事にはやり甲斐《がい》がある。冒険には、闘志をかき立てられるものがある。……
山上|爾策《じさく》は、メモを書きはじめた。午後から小さな講演がある。
チューリッヒには日本の商社が少ない。多いのは銀行と証券会社ばかりで、都市銀行や一流証券会社の支店が現地法人の名で進出している。チューリッヒは中部ヨーロッパの為替市場と金融の中心地である。スイスの三大銀行の二つまでが本店をここに置いている。個人銀行は数が知れない。
山上はA銀行支店長(現地法人では社長)に頼まれて、在留邦人のために「エイズの話」をすることになった。月に一回ぐらいこういう小さな講演会があるらしかった。
山上は講演に行く前、調査局長室に挨拶《あいさつ》に入った。講演会の講師としての了解は、すでに上司の局長にはとってあった。
局長エルンスト・ハンゲマンは大きな机の上に、水を半分入れたコップを置き、茶色の小瓶《こびん》から出した白い錠剤を呑《の》もうとしているところだった。
局長は、頑丈《がんじよう》な身体《からだ》つきをしているが、胃が弱い。出勤のカバンにもその小瓶を入れて、部屋でよく口の中に入れている。胃が弱い、弱い、と始終こぼしていた。
山上が挨拶すると、
「ご苦労さまです。エイズの話はむずかしいですから、どうか一般の方にわかるように話してください」
禿《は》げ上った額の顔を大きくうなずかせた。これは錠剤をぐっと呑みこんだからである。
「わたしもできるだけ平易に解説するつもりですが、どこまでうまくやれるか自信がありません。しかし、とにかく懸命にやってみます」
山上はそのために昨夜おそくまでかかって講演のメモを作った。
「おねがいします。エイズ知識の普及のために」
局長は山上を激励して、茶色の小瓶を机の抽出しの中にしまった。
今日は満員の聴衆です、この国のエイズに脅《おびや》かされている邦人には、IHCの方にお話が聞けるというので、曾《かつ》てない多数の申込みです、と今日の幹事役の支店長が迎えのとき山上に云った。
「みんなエイズ、エイズと口々に騒ぎ立てますが、エイズとはいったいどのようなものかとなると、その知識はあいまいです。そこで正確な医学的知識を身につけるために一時間ばかりお話を聞かせていただきたいのです。けれども、なるべくシロウトにわかりやすいように啓蒙《けいもう》的なお話をしてください。じつは、エイズに関する本は、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、日本の各国から出版されている本をみんな熱心に読んでいるのですが、どうも頭に入りにくくて」
ぼくは話がヘタなので、どこまでご期待にそえるか自信はありませんが、と山上は答えた。
集会室は五十人ばかりの邦人でいっぱいであった。ほとんどが銀行、証券会社の社員とその家族であった。子供づれは幹事が断わっていた。奥さんたちは二十代から四十代までで、みんなメモをとる筆記具を用意していた。
支店長幹事の紹介のあと、山上は手編みのレースに縁どられた麻のクロスのかかったテーブルの前に立った。
彼は前置きをちょっと云ったあと、すぐに本題に入った。
「……ご承知のように、エイズとはAcquired Immune Deficiency Syndromeの頭文字《かしらもじ》をとってAIDSとしたもので、日本語でも直訳して後天性免疫不全症候群と名づけられております。
いったい、無数の細胞の集合体であるわれわれの身体には、たえずいろいろなバイキン、つまり細菌やウイルスやカビ(黴)、原虫とかいったものが入りこんでいます。肺のように呼吸器の細胞や、胃、腸、肛門《こうもん》といった消化器系統の細胞にそれらがとりついています。なのに、それに冒されることなく、健康でいられるのは、そうした細胞にとりついたそれらの異物を殺してくれる血液中のリンパ球のおかげです。そのリンパ球のひとつにT細胞というのがあります。T細胞のしくみはあとで申しますが、とにかくそのT細胞の働きで外部から侵入した有害な細菌やウイルスや原虫やカビなどを殺してくれるので、病気にならずにすむわけで、これが免疫機能というものであります。
先天性免疫不全症候群という先天性とは、遺伝でありまして、これはきわめて患者の数が少ないのであります。
ところが、いまから二十五年前、一九七〇年代の終りから八〇年代のはじめにかけて、これまで見たこともないふしぎなウイルスがアメリカで発見されました。この新型ウイルスに対しては、さすがのリンパ球のT細胞も刃向いができません。敗北したT細胞が、あっさり降参している間に、そのウイルスはT細胞の奥に入りこんで居心地よく住みこみ、そうして、どんどん仲間をつくってふやしてゆくのです。
そうなるとT細胞は、各細胞を侵蝕《しんしよく》した異物を駆逐することができなくなる。すなわち抵抗力を失うのであります。すると、それまで筒井順慶みたいにその様子をうかがっていた日和見《ひよりみ》主義の細菌、ウイルス、カビどもが、わっとばかりに洞《ほら》ケ峠《とうげ》を下って、おのおのの細胞を攻めてきます。T細胞に抗力があるあいだは攻めない、抗力がないと見ると攻める、だから『日和見感染』という名があるんです。
新型ウイルスに全面降伏したT細胞は、その敵兵をどうすることもできない。抗戦力を失ったのです。すなわち免疫力がなくなる。それが免疫不全であります。人間の身体から免疫性がなくなったらどうなるでしょうか。侵入した異物、これを『抗原』と申し、その抗原をやっつけるためにリンパ球のT細胞が作る物質のことを『抗体』と申しますが、その抗体を作るのに欠くことのできないT細胞が新型ウイルスにさんざんに破壊されたため、洞ケ峠を下った日和見細菌のなすがままになります。発熱したり、ひどい下痢を起したり、カリニ肺炎という肺炎を起したり、皮膚に癌性の腫物《はれもの》でカポジ肉腫《にくしゆ》といわれる赤紫の斑点《はんてん》ができたりします。それはみな日和見感染のためです。エイズ・ウイルスのためだと思い違いする人がありますが、そうではありません。エイズ・ウイルスが抵抗力を失わせるから、いろいろなバイキンに冒されるのです。そうして患者はスリム症状といって痩《や》せおとろえ、呼吸困難に陥って死を迎えるのであります。だが、そうした症状はいま申しましたように、エイズ・ウイルスそのものが引き起したのではなく、各細胞にとりついた日和見感染のウイルスやカビや原虫が犯人群なのであります。またエイズ・ウイルスは直接脳細胞をも破壊します。怕《こわ》いです。
エイズの知識を身につけようと思って、いろんな概説書や解説を書いた本を読むけれど、複雑で難解でどうもハッキリと頭に入ってこないというさきほどの支店長さんのお話でしたが、それは枝葉《えだは》のことがあまりに詳しく書かれているからで、エイズ・ウイルスの構造じたいはけっして複雑ではありません。エイズとは、リンパ球のT細胞を破壊するウイルスが引き起す病気であり、その構成はエイズ・ウイルス自身の遺伝子とそれをまるく包んでいるタンパク質から成っている。これだけに尽きます。たいへん簡単です」
「いったいエイズはどこから来たのか、アメリカとアフリカにエイズ患者が世界のどこの国よりも多い。だから、その起原はアメリカなのかアフリカなのか。アフリカとすれば、一般に云われているように中央アフリカにいる猿《さる》の一種のミドリ猿の持つウイルスが人間に感染して突然変異を起してエイズ・ウイルスとなり、それがアフリカからカリブ海のハイチへ行き、ハイチからアメリカにひろがったのか。すこぶる興味ある問題です。しかし、ここではそれをあとまわしにして、抗体のことをさきにかんたんにお話しします。
さきほど抗原をやっつける抗体を作る働きをもつリンパ球をT細胞と申しましたが、じつはリンパ球はT細胞とB細胞の二種類で構成されているのであります。まずT細胞のしくみから申します。
T細胞には『キラー』『ヘルパー』『サプレッサー』の三種類があります。『キラー(殺人者)T細胞』とは、その名のごとく、外部から侵入した抗原という名の敵を攻撃して、これを殲滅《せんめつ》する前線の戦闘部隊にあたります。『ヘルパーT細胞』は援助者という名よりも、戦闘部隊のキラーT細胞を指揮する司令部の役です。ですからコマンダーT細胞と名づけたほうが適切ですね。ここには情報部もあります。
外部から細菌やカビや原虫や他のウイルスの敵が細胞陣に侵入してきます。すると、ヘンなやつがやってきたぞ、と識別するのがヘルパーT細胞の情報部であり、これを受けて同じくヘルパーT細胞の司令部は、前線にむかって、キラーT細胞部隊よ、直ちに戦闘を開始せよ、と命令を下します。その戦闘部隊から敵(抗原)へむけて発射される火器が抗体という物質です。
別動隊としてマクロファージという戦車隊の化けもののようなのも前線に配備されていて、これが敵兵を踏みつぶし、ムシャムシャと呑みこんでしまう。これも異物が入りこんでくると、それが敵であるかどうかを認識してヘルパーT細胞の司令部に伝達する斥候部隊の役でもあります。このマクロファージやキラーT細胞だけではなく、ヘルパーT細胞の司令官はB細胞にも攻撃命令を出します。じつはB細胞というのも、異物つまり抗原にたいする有力な戦闘部隊なのです。
前線の二部隊による戦闘を、後方にある司令部のヘルパーT細胞がすべて指揮しているのです。もう一つのサプレッサーT細胞というのがおります。これは戦闘部隊の突撃を逆に抑制させる役目です。あんまり猪突《ちよとつ》しすぎてはいけないよ、というチェック役でしょうね。これもヘルパーT細胞の司令官に所属しています。
ヘルパーT細胞の司令部は、これら三部隊を隷下《れいか》に置き、その司令官は戦況をじっと見まもって、作戦指揮を取っているのであります。司令官はそこから動きません。隷下部隊長らに対して『余は司令部に在り』と通牒《つうちよう》を発しているわけです。
いままではその体制で連戦連勝でした。ナポレオンのように不敗を誇っておりました。
しかし、新型のエイズ・ウイルスだけは、そうはゆかないのです。この魔神の如《ごと》きウイルスは、直接に司令部のヘルパーT細胞の入口でエンベロープといわれる外被《マント》を脱ぎ捨てて殴り込みをかけてきます。司令部の中へ直接侵入して、奥の司令官室を占拠してしまうのです。
司令官室はまことに快適にできているとみえ、エイズ・ウイルスはここにどっかと腰をすえます。そうして、さきほど申しましたように、むやみやたらと仲間をつくり出します。なぜこのようにエイズを増殖するかといえば、数が少ないと自滅するおそれがあるのと、占領地をわがものにするために同族をふやす必要からだといわれています。『人口の増加は国力なり』というどこかの国と似ております。
こうしてヘルパーT細胞の司令部の機能が停止し、司令官が戦死したのでは、キラーT細胞、戦車部隊のマクロファージ、そしてサプレッサーT細胞も、戦うことができません。全滅です。不敗を誇ったナポレオン軍がロシア遠征で敗走し、ウォータールーの一戦でとどめを刺されたようなものです。
かくてT細胞・B細胞そのものがエイズ・ウイルスのために焦土と化し、エイズ・ウイルスもまた宿主《やどぬし》である人体とともに死滅するのであります。ですからエイズ・ウイルスも壮烈な『集団焼身自決』といえなくはありません。
では、そのエイズ・ウイルスは、どういう構造になっているのか、それをちょっと申しあげてみましょう。
エイズ・ウイルスは球形で、その大きさは一五〇ナノメートルです。一ナノメートルは一〇億分の一メートルですから、もちろん電子顕微鏡でないと見えません。わが国の鳥取大学医学部が撮影に成功していますが、それを見ると、北海道の阿寒湖《あかんこ》にあるマリ藻《も》のようであります。ところが、エイズ・ウイルスの中心はリボ核酸(RNA)で出来た遺伝子を持ち、そのまわりをタンパク質がまるく包んでいるのです。エイズ・ウイルスの構造といえばたったこれだけです。
奇怪なのは変異性といって、その機能が激しく変化することです。そのために、エイズ・ウイルスにたいする予防ワクチンができないでいます。これが開発のいちばんの難関であります」
「かりに一つの予防ワクチンをつくっても、対手《あいて》はその情報をつかんだかのように、もう変身している。前のワクチンは役に立たなくなっている。しからばというので、変異したエイズ・ウイルスに見合うワクチンをつくっても、それが出来たときにはまた新しく変異している。京の五条の橋の上の牛若丸のように、ここと思えばまたあちら、というわけです。
どうしてエイズ・ウイルスはそんなに激しい変異性を持つのか。それはこのウイルスがまだ生れてからあまり時が経《た》ってなく、若いウイルスだからという説もありますが、はっきりした原因はわかりません。
とにかく、今やどうしてエイズ・ウイルスを防ぐことができるかという問題に、フランスとアメリカの医学者、日本の医学者など世界各先進国の医学者が競って懸命にとりくんでおります。先進国だけでなく、エイズの患者や感染者を多く出しているアフリカの医学者も熱心に研究し、その論文を発表しております。
そのうちに、エイズ・ウイルスがT細胞に好んで侵入する口は、T細胞のうちT4細胞だということが知られるようになりました。数多いT細胞の構成員のうち、エイズ・ウイルスはほかの構成員のあいだを探してT4細胞に取り付く。そしてそこからT細胞の深奥部《しんおうぶ》にもぐりこむのです。
なぜエイズ・ウイルスはT4を選択してそれにとりつくのか。その理由はまだわかりません。たぶんT4が好きだからでしょう。それは好みの問題だともいえます。
たとえば、このバーンホーフ通りにはたくさんの商店が軒をつらねております。毛皮の店ならHankyがいいとか、Griederがいいとか、いやそれよりもPPPがいいとか、テーブルクロスならSpitzenhausがいいとか、Sturzeneggerがいいとか、それよりもJelmoliのほうが揃《そろ》っているとか、時計店ならどこ、刃物店ならどこ、銀製品や錫《すず》製品はどこ、レストランならここがいい、あそこがいいとお好みによって選択なさいます。エイズ・ウイルスもそれと同じようにT4が好きなようです。
エイズ・ウイルスがT4細胞に入りこんだが最後それでおしまいです。ワクチンも全治薬剤も発見されないなら、これを入口で防ぐのがいちばんいい。強盗や泥棒《どろぼう》に家の中へ入りこまれたら大変、玄関先で防ぐのと同じ理屈です。そこで人工のT4をつくって、それにエイズがだまされて取りつく。するとそれは人造のイミテーションですから、ヘルパーT細胞の奥とはつながっていないのであるから、ウイルスは中へ入りこむことができず、偽造の入口で死んでしまうというアイデアです。主としてボストンとニューヨークの大学医学部が共同で研究をすすめております。しかし、T4にはそれ自体の機能があるし、模造品にはまだ問題点があるという指摘もあります。
次は治療薬ですが、これはワクチンの開発以上に難航しています。抗癌剤《こうがんざい》から日本人の研究員が再発見したアジドチミジン、AZTと略称しますが、これはエイズ患者の症状の軽いものなら効果があります。しかし、全治薬ではないので、延命には有効ですが、エイズを他人に感染させる危険があることが指摘されています。
そのほか開発中の治療薬はいろいろとありますが、いずれも効果がないとわかったり、実験中だったりして、もうひとつはかばかしくございません」
山上は、コップの水を飲んだ。
「わたしはエイズ・ウイルスのこれまでわかっている基本的なことを申しあげております。それに附随するものを述べると複雑になるので省きますが、どうしても重要で、省けないものは、あとで申し述べることにいたします」
彼はコップを置いて、言葉をつづけた。
「エイズ・ウイルスのアフリカ発生説はすでに申しあげました。ミドリ猿のもつウイルスが中央アフリカに住む人々の体内に感染して突然変異を起し、それがかねてから交流のあったカリブ海の島国であるハイチの人々に感染し、一九七九年の終りごろにアメリカに患者を出したというもので、この経路はガロ博士の説です。
ところが、このガロ説にたいして、それには、なんの証拠も裏づけもないと反対しただけではなく、エイズはアメリカの化学生物兵器の産物であるということを、まずインドの新聞が書きまして、これにソ連の新聞『イズベスチヤ』が同調し、次いで東ドイツの科学者が同じ趣旨の論文を発表したのであります。
このソ連説にアメリカ側は猛反撃し、ソ連がまたそれをやり返すといういつものパターンになりましたが、その決着がついてないのも例のとおりです。
ハイチは、エイズの流行地という色眼鏡の意味から調査の対象からはずされているようですが、それでも、およそのことはわかっております。エイズ患者と感染者が非常に多い。七〇年代の終りにフロリダで見つかったエイズ症状の患者というのは、ハイチからの出稼人三人と、アメリカ人二人だったのです。
ハイチとフロリダ半島とは、その中間にキューバがありますが、目と鼻の先です。貧困なハイチ人はフロリダに、いわゆるボートピープル式の難民として密入国します。またアメリカ人も、ドルが高いからハイチで安い費用でぜいたく三昧《ざんまい》に遊べる。ハイチでホモのハンターをする。貧困なハイチ人は奥地から出てきてドル欲しさに少年や青年がアメリカ人のホモ相手をするという悲惨な観光資源です。
では、ハイチにエイズを輸出した『卸し元』といわれる中央アフリカはどうでしょうか。この地域の人たちはミドリ猿を食べております。ミドリ猿はエイズ・ウイルスと似たようなウイルスを持っております。ただしこれは無害なウイルスです。一流レストランではミドリ猿のステーキを出していたそうです。その無害のウイルスが人間の体内で突然変異を起してエイズになったのは一九七〇年代の末であります。長いあいだミドリ猿を食べていたアフリカの人々が、そのときになって、どうして突然変異に遭遇したのか、だれにもわかりません。
しかし、アフリカは熱帯雨林の地域であり、これまでも疫病《えきびよう》の発生地であります。人類の発生地はアフリカという説は依然として強い。疫病は人類の発生と共にあったと見る人もあります。アフリカでヒトに寄生する生物が非常に多様性に富んでいるという事実は、アフリカが人類の主な揺籃《ようらん》の地だったことを示しているという説があるくらいです」
山上は、ひと息入れた。
「人間、動物、昆虫《こんちゆう》、魚類などすべて生物には遺伝子があります。たとえその肉体や物体が亡ぶとも、生殖により子孫にその遺伝子が伝わるかぎり、生命は永遠に生きています。生命の秘密とは何ぞやとは古来長いあいだの謎《なぞ》でしたが、最近の科学や医学の発達でこれを解きあかすことができました。すなわち、生命とは遺伝子なり、であります。
そこで遺伝物質についてちょっとお話しいたしますが、その前に、ある本の文章をご紹介します。
≪遺伝物質は核酸でRNA(リボ核酸)かDNA(デオキシリボ核酸)のいずれか一方だけを有し、両方を持っていることはない。RNAとDNAのどちらであるかは、ウイルスの種類によって決まっている。ウイルスは絶対的細胞内寄生で、宿主細胞内に侵入し、あるいは細胞内に核酸を注入して感染する。自分の子孫を作る増殖に当っては、細胞の代謝機構を利用して|蛋白質《たんぱくしつ》、核酸などの構成成分を合成し、これを集めて組み立てて新しい感染性のウイルスを作る。すなわち細胞の合成のプログラムを取り消して自らの蛋白と核酸の合成のプログラムのために転用し、細胞内に感染性のウイルス粒子を作るのに利用するわけである≫
これは学術概論書ではなく、一般むきに書かれたエイズの手引き書であります。内容それじたいは、たいへん立派なものであります。しかし、いささか学問的理論的に傾きすぎていて、『エイズの話はむずかしい』というシロウトの声が聞えそうであります。
とはいえ、これをかみくだいて一般の方の耳に分りやすく云うのもまた困難であります。
しかし、とにかく、こういうことでしょう。遺伝物質には、RNAとDNAの二種類がある。エイズ・ウイルスは、遺伝物質としてRNAを持っている方のウイルスです。このRNAを鋳型《いがた》にしてエイズ・ウイルスのDNAが作られますが、それを作るのが『逆転写酵素』と呼ばれるものです。こうして、コピー≠フ方のDNAがヘルパーT細胞の遺伝子の中にもぐり込むのです。この『逆転写酵素』をもっているタイプのウイルスをレトロ・ウイルスと呼んでおります。RNAから化けたDNAがヘルパーT細胞の遺伝子に入り込むと、こんどはそのDNAを鋳型にしたエイズ・ウイルスがどんどん増殖します。そして、次々とヘルパーT細胞がエイズ・ウイルスにやられて、免疫機能というものがすっかりダメになってしまうのです。
人間の細胞組織はミクロ単位ですから、スイスの精密機械や、また日本のハイレベルな半導体技術のとうてい及ぶところではありません。『生命』の謎が遺伝子によるものということが、やっとわかったくらいであります」
山上|爾策《じさく》の眼《め》は五十人ほどの聴衆の顔を一巡した。
「人体組織の秩序はきっちりとしております。さきほどから申しましたような各細胞がそれぞれの持ち場で互いに一致団結して連絡をとり合いながら休みなく働いております。外部から異物が侵入してくればリンパ球のヘルパーT細胞が司令して、B細胞やキラーT細胞や外部から侵入した異物はなんでもむしゃむしゃと食べてしまうマクロファージといった戦闘部隊がこれを攻撃して殲滅する。日和見感染の出る幕はありません。これが常からの秩序《オーダー》であります。
ところが、異形なるエイズ・ウイルスだけはそうではなかった。迎え撃つ司令部のヘルパーT細胞そのものを直接攻略し、占領し、その占領地で同類をどんどん製造するんです。
ヘルパーT細胞は、さぞかし狼狽《ろうばい》したでしょう。これまで見たこともない敵だからです。この見たこともない敵、異端の敵、というのは、対手《あいて》が突然変異の物だからです。
突然変異というのは、なぜだか原因がよくわからないが、とつぜん狂ってしまうことであります。
映画でよく登場人物が『おまえ、狂ったか』と対手に云《い》う場面がありますが、エイズ・ウイルスの出現には、ヘルパーT細胞も同じセリフを対手に投げつけるしかないでしょう。いや、リンパ球の細胞だけでなく、世界の医学者も同様なセリフをエイズ・ウイルスにむかって吐きたくなります。
そこで、突然『狂った』ウイルスは、ミドリ猿《ざる》のウイルスから人間へというガロ説がさきほどのソ連説によって崩れそうになります。ここからエイズ・ウイルスは、じつは人為的に造られたのではないかという疑いが起るわけであります。
とにかく、エイズが一躍世界の脚光を浴びたのはハリウッドのスター、ロック・ハドソンの一九八五年十月の死であり、そして品行方正と思われていたハドソンがじつはホモだったというショックであります」
彼は水を飲んだ。ハンゲマン局長が胃薬の錠剤を呑《の》む口の形を思い出した。
「エイズ患者と感染者が、なぜアメリカのニューヨークと西部のサンフランシスコ、ロスアンゼルスのホモに集中しているか。いうまでもなく、この地域は、いわゆる性の解放がもっとも進んだところであります。性生活はほんらい控え目で、謙抑な態度でなければならない。聖書も、汝《なんじ》、姦淫《かんいん》するなかれと説いている。創世記にあるソドムは『背徳の町』ですが、『男色』を意味するソドミーはこれからきているそうです。つまりホモです。同性愛は中世以来長いあいだ法で禁止されていました。最近、一部ではそれらを性への抑圧、弾圧だと考えています。同性愛の解放運動、それが公然たる集団要求となってついには市民権を獲得します。レズもです。その背景にはアメリカの民主主義の落し穴ともいうべき多数有権者におもねる選挙制度があります。市長候補や議員候補もホモやレズの票を欲しがり、かれらの利益代表のような顔をします。そういう公約もする。
ホモの特徴は乱交です。対手は不特定多数、多いので六十人、少ないので三十人平均らしい。サウナのような共同浴場、パブ、街頭など行きずりの出逢《であ》いで交渉が成立すると、安モテル、共同便所、深夜の公衆電話ボックス、原っぱなどで行為する。対手の名も知らなければ素姓もわからない。もちろん男娼《だんしよう》も多い。
かれらは刺戟《しげき》として変態的な行為をする。乱暴な肛門《こうもん》性交となりますから、女役のほうは出血する。腸管の粘膜は薄いのです。エイズ・ウイルスは粘膜の疵口《きずぐち》から入りこみます。男役の疵口からも入る。何十人もの対手と乱交しているのですから、まるでエイズ・ウイルスの海で海水浴をしているようなものです。そのうえに刺戟剤として麻薬と覚醒剤《かくせいざい》です。覚醒剤やハッシシなどはアジア方面から。麻薬のルートは中南米あたりになっていて、パナマ経由です。これらがアメリカのホモによってエイズ感染拡大に拍車をかけているんです。
一方、アフリカのばあいはどうかというに、こちらのエイズ患者と感染者は男女同率なんです。アフリカの社会は貧困で、売春婦が非常に多い。売春婦がエイズの媒介者で、アフリカにくる外国人にエイズを感染させているようであります」
彼は一同を見まわした。
「以上お話ししましたように、エイズがはじめてあらわれて、二十年以上になります。なのに、ワクチンや治療薬の開発は未《いま》だしです。もうすぐだ、もう間もなくだ、と云われながら、なかなかその実現の運びとなりません。それはどこか遅々たる癌《がん》の療法の現状と似ております。
じつは、わたしがここへくる前に東京から旧友が手紙をくれました。その手紙には森|鴎外《おうがい》が明治四十四年に書いた『妄想《もうそう》』という短編小説の一節が貼《は》ってありました。それには、人間の大|厄難《やくなん》になっている病は科学の力で予防もし、治療もできるようになった。癌のような悪性|腫瘍《しゆよう》も、すでに動物に移し植えることができてみれば、早晩予防の手がかりを見出《みいだ》すかもしれない、と鴎外は楽天哲学を引いております。
癌に関してだけでも鴎外先生の予想は、この題名の文字どおり『妄想』にとどまっているわけです。
そこで、エイズの治療薬とワクチンの開発が早急に望めそうにない今日、治療と予防の対策をどうしたらよいか、ここ二十年来、議論がつづけられてきた大問題があるわけであります。
最善の方法は隔離でありましょう。日本では赤痢、ジフテリア、コレラ、腸チフスなど十一種を法定伝染病に指定して、患者を隔離し、伝染をくいとめています。エイズ患者と感染者のばあいは、隔離しても、今のところこれを治癒《ちゆ》させることはできませんが、感染への予防には大いに役立ちます。
十四世紀のペストの大流行のときも、遂《つい》にはペストの猛威から脱出する一団の人々もありました。ボッカッチォの『デカメロン』は、ペストの難を遁《のが》れるためにイタリアのフィレンツェの郊外にある別荘だかに集まった十人の男女が、一座の女王のため退屈しのぎに十日間にわたってかわるがわる話をする。そういう形式ですが、じっさいに貴族や金持ちたちにはそうしたペスト避難方法があったのでしょう。
しかし、現在のエイズ患者や感染者を隔離することはできません。人間尊重、人権問題にかかわります。とくにホモとはまったく無関係な血友病の患者さんたちが、エイズ・ウイルスの入った輸血剤によって被害を受けられたのですから、まことにお気の毒です。これは薬品会社と国の責任であります。
現在ヨーロッパ各国では、エイズ患者専門の病院が続々と出来つつあります。一般の綜合《そうごう》病院だと、とかくエイズ患者を敬遠しがちですが、エイズ専門病院だと専門研究医ですから熱心だし、看護婦も十分にナースしてくれます。患者は安心してそっちへ入院できると思います。したがって専門病院へ殺到する。感染者も自ら進んでそこへ受診に行く。
こうなると、法的に隔離策を取らなくとも、患者の自由意志で病院を選択でき、きわめて自然に、円滑に、平和|裡《り》に事態の収拾ができると思います。げんにこの一般病院と専門病院との『二分傾向』が多くなっております。カリフォルニア州では曾《かつ》て州法でエイズ患者の隔離を決めようとしたが住民投票で否決されたことがあります。とにかく法による規制が問題です。エイズ専門病院を増設し、受診者の自主的希望による入院で解決できるでありましょう。
ソ連はどうでしょうか。この国のことは非常にわかりにくい。
十数年前に全ソ健康生活研究所がモスクワの全世帯の約二百万世帯に洩《も》れなくエイズについての解説書を配ったとノーボスチ通信が報じていましたから、旅行者や外国人留学生からエイズは国民のあいだにひろがったようです。病院の医療従事者用のカセットテープもつくり、国を挙げてエイズ予防と取り組むともありました。……
わたしの予定時間もだいぶん越えたようであります。内容が内容だけに、さぞかしお聞き苦しかった点もあるかと思い、恐縮しております。ご清聴ありがとうございました」
午後二時前、山上は川島|亮子《りようこ》から電話をもらった。今日オフィスのお帰りにお時間があったら、ちょっとお店に寄っていただけないでしょうか、知り合いの婦人に頼まれて内々にご相談したいことがあるのですが、と遠慮がちに云った。川島亮子は市内の「日本橋」という日本料理店のマダムで、エイズ講演会に来ていたのを山上は演壇上から眼にしていた。
夕方六時にバーンホーフ通りから西に入ったバーレン小路《ガツセ》の、その一軒だけは表が和式にできている紺の|のれん《ヽヽヽ》のかかった格子戸を開けると、狭い壁ぎわに菰被《こもかぶ》りの酒樽《さかだる》が三つ山形に積まれ、上から赤い弓張り提灯《ぢようちん》がならぶ。下に調理場とカウンターがつづき、左側にテーブルのイス席、間が漆喰《しつくい》の狭い通路。
調理場には若い日本人の板前、カウンターの前に法被《はつぴ》のブロンド娘と豆絞りの鉢巻《はちま》きを赤毛頭の横で捻《ねじ》ったスイス人|兄《あん》ちゃん、スタッフは揃《そろ》っているが、客は一人もなく、時間が少々早かった。
山上がカウンターの前に腰をおろしかけると、どうぞ、と頬《ほほ》の高いドイツ娘が奥に近い用意のできたテーブル席へ案内した。すかさず板前が奥へむかって、美代ちゃん、と呼ぶ。
白のエプロンを前に朱の着物をのぞかせた若い女が仕切りの縄《なわ》のれんを分けて出てきた。これが美代子。ママの亮子の姪《めい》で、二年契約で東京から手伝いにきてもらっているという。派手な顔をしているところは亮子に似ていた。
先生、いらっしゃいませ、と美代子はきちんとしたおじぎをして、ママがお待ちかねです、と云う。
亮子は八時を過ぎないとパリモードの格好で店に現われることはない。それなのにもう来ているのは、昼の電話のとおり山上に相談ごとがあるからだろう。
亮子夫婦の自宅は近くのアパルトマンにあるので、ここの二階は着更《きが》え部屋とか化粧部屋とか休憩部屋になっているらしかった。亭主《ていしゆ》はスイス人で、別に骨董《アンテイーク》の店を持っている。
二階を降りる足音がして、すぐに縄のれんから亮子が顔を出した。紫がかった小紋に朽葉《くちば》色の帯。大柄《おおがら》で、肉づきがいいから舞踊でもやったら舞台|映《ば》えがしよう。本人はズブの素人《しろうと》。
お忙しいところをお呼びして申しわけありません、と亮子は深々と頭をさげた。講演会場での亮子は地味な服装だった。
「ぼくのエイズの話を聞きに来てくれたママが早速に内々の相談とは、ただごとでないね」
山上は笑った。
「わたしのことじゃありませんの」
亮子は首を振った。
「ユリアさんのことです」
「だれ?」
「ハンス・オリヴァー商会の奥さんです。ミュンスターガッセの大きな食料品店のマダムです。双子塔《ふたごとう》のグロスミュンスター寺院の通りにある店です」
「そういえば、四階建のマーケットのような食料品店があるね」
「わたしはオリヴァー夫人のユリアさんと知り合いなんです。材料を仕込む関係から。おととい、山上さんのエイズの講演を聞いた帰りにオリヴァー商会に寄ってユリアさんに遇ったとき、エイズのお話をかんたんに取り次いだんです。わたしのドイツ語ではうまく話せませんから、かんたんにね。山上博士がIHCのこういうポジションの人ということもユリアに聞かれるままに云ったんです。そしたら、彼女はぜひ先生にご相談したいことがあるから、紹介してくれとわたしに熱心に頼むんです」
「いきなりそう云われてもとまどうけど、どういうことだろう?」
「じつは」
亮子は、ここで声をひそめた。
「ご主人のハンスさんはエイズ患者として、州立研究病院に一年前から入院なさっているんです」
州立研究病院というのは、エイズ患者が撰択《せんたく》して入院する専門病院であった。南北に長いチューリッヒ湖のほぼ中ほど、東岸の低い丘陵上にそれは建てられている。湖面と対岸とを俯瞰《ふかん》し、フェルゼンエッグの連山と対《むか》い合う景勝地で、病院もサナトリウムふうになっている。
「ぼくは臨床医じゃないからね。オリヴァー夫人がぼくにどういう相談があるのか知らないが、研究病院のお医者さんたちは専門家だよ」
「わかっています。病気の相談ばかりではないらしいのです。詳しい事情は今ユリアさんに来てもらっていますから、どうぞ聞いてあげてください」
「夫人がここに来てるって。どこに?」
「二階で待ってもらっています。……山上さん、彼女をここに呼ぶ前に、わたしからちょっとお耳に入れておきますけれど、ハンスさんはエイズ・ウイルスが脳細胞を冒して精神異常を起しているんです。エイズで精神異常になるお話は、おとといの山上さんの講演の中にも出ましたね」
「すこしだけふれましたが」
「怕《こわ》いですわ。ハンスさんがその状態なのです。あとの話はじかにユリアさんから聞いてください。可哀想《かわいそう》に、彼女、とても窶《やつ》れているんです」
亮子は縄のれんの奥に帯のお太鼓を消して、階段の下から二階へ、ユリア、ユリアと尻《しり》上りの声で呼んだ。
山上の前に現われたオリヴァー夫人は五十を過ぎているように見えたが、四十を二つ三つ出ているくらいらしかった。栗色《くりいろ》の髪は額の上と耳のうしろで乱れ、角張った顔だが、頬が削《そ》げていた。
夫人はエイズ・ウイルスが脳障害を起す原因を山上に訊《たず》ねた。彼女のドイツ語にはミュンヘン訛《なまり》の影響があった。
だが、そのようなことは患者の症状を診ている病院の主治医などが病理学的にも家族に説明しているはずであった。だれの答えもそう違わない。
ユリアは青いハンカチを尖《とが》った鼻先に当てていたが、涙を浮べてもいなければ、洟《はな》をかむでもなかった。くぼんだ眼のまわりには黒い隈《くま》が出て、眼がぎらぎらと光っていた。彼女は山上の話すかんたんな説明を無感動に聞いていた。
やがてユリアの山上に援助を求める目的は別にあることがわかった。
彼女は云った。
「わたしの夫はグロックナー銀行の秘密番号口座に相当額の預金をしているのです。このチューリッヒの個人銀行ですわ。預金契約のとき、夫はそれをわたしに秘密にしているのです。ですから銀行側にたいして夫は万一の際の受取人を指定する保証人も立てていません。わたしがその事実を知ったのは、夫が州立研究病院に入って頭がヘンになりはじめたころです。夫は、銀行の個室で番号口座を契約したときの係社員の名と、それに立ち会った銀行の共同出資者の名はわたしに明かしましたが、番号と預金金額とはどうしても告白しません。じぶんでは再起の見込みがあり、そのときに備えてまだ秘密預金口座を独占していたのです。エイズの精神障害で痴呆症《ちほうしよう》に近づいているとはいっても、まだ、そのくらいの意識は残していました」
ユリアは、ここで初めて涙を見せた。夫は隠し金を持っている、万一の際に事業の資金に当てるつもりか、あるいはチューリッヒ株式市場での投機資金のためか、それとも妻には云えない目的があってのことか、いずれにしてもユリアは信頼する夫に裏切られた気持になっているのだった。将来の離婚に備えて、妻には内緒でナンバード・アカウント(秘密番号預金口座)を開いている預金者の例があることも、ユリアを苛立《いらだ》たせていた。
「わたしは、なんとかして夫に口を割らせようと努めましたが駄目《だめ》でした。そのうちに夫は、ドクトルの話されたように、エイズによる脳障害が進んできました。わたしは、それでも夫に預金口座の番号の記憶を呼び起させるために努力しました。たとえば、何桁《なんけた》かの数字のうち、最初にはじまる数字は1ですか2ですかと順々に9まで云って、夫に暗示を与えたんです。すると夫は、わたしが1と云えば1と答え、2と云えば2と答え、以下9まで、山の|こだま《ヽヽヽ》のように同じ答えが戻ってくるだけなんです」
ユリアは無念そうに顔を歪《ゆが》め、洟をすすり上げた。
「わたしはずいぶん努力しましたが、やはり駄目でした。そこで、グロックナー銀行へ行き、夫から聞いた契約時の係社員と立ち会った共同出資者に会いました。そして、事情を話し、預金を全額引き出したいと申し入れました。そのとき両人が云うには、秘密番号口座はすべて番号の数字だけが絶対取引信用だから、番号を明確に云ってくるか、あるいは指定保証人の証明がなければ預金の支払いには応じられない、というのです。保証人の件は夫のほうから設定を拒否していますから、だれもおりません。わたしがいくら両人に頼んでも、頑《がん》として応じてくれません。しまいには、わたしがオリヴァーの妻であることすら、番号の提示がないかぎり、銀行としては認めないというのです」
オリヴァー夫人は、くぼんだ眼《め》から無念の涙を流した。しかし、青いハンカチを当てようともしなかった。
「その銀行の係社員は道でわたしと会うとそれまでは愛想よく挨拶《あいさつ》をしてくれたものです。また共同出資者もわたしとどこかで遇えば、車の中からかならず帽子を脱《と》って会釈《えしやく》してくれたのです。グロックナー銀行のどの社員も家族も、わたしのオリヴァー食料品店へ始終買いものに来ていて、わたしが歴《れつき》としたそのマダムであるのを知っています。それなのに、夫の秘密番号口座の番号をわたしが知らないのを楯《たて》にとって、預金から一スイスフランすら支払おうとしないんです。わたしはオリヴァー夫人ではなく、番号夫人《ヽヽヽヽ》でしょうか」
彼女はグロックナー銀行の方角を睨《にら》みつけた。
「こんな、ひどいことって、ありますか。あの銀行は、預金者の不幸に付けこんで、取りこみ詐欺《さぎ》か強盗を働いているようなのです。これまでも革命で倒れた王室の財産を猫《ねこ》ババしてきたのがスイスの銀行です。ロシアのニコライ帝室、ヒトラーの財産、中南米の倒された独裁政権、イランのシャーの隠し財産などみんなそうです」
ユリアは身を震わせて激しく罵《ののし》った。彼女は夫がグロックナー銀行に、シャーなみの隠し預金をしていると想像しているようだった。
「わたしは州立研究病院の主治医や院長先生に、夫の精神異常は、普通と違ってエイズ・ウイルスに冒されているのですから、グロックナー銀行の頭取あてに、オリヴァー氏の預金を妻たるわたしに無条件に払い戻すように医師としての証明と勧告書を書いてくださいと頼んだのです。その懇願にわたしはなんど病院に足を運んだかわかりませんわ。けれども、それは医師の権限を逸脱することだから出来ないと主治医も院長も冷たく答えて、わたしの願いに取り合わないのです」
ユリアは突然ヒステリックに声を上げた。
「研究病院にはグロックナー銀行からの黒い手がまわっているのです。病院は銀行と結託しているのです」
ユリアのすさまじい言葉と、凄《すご》い眼つきに山上はおどろいた。まさか、と云いかける彼の言葉を彼女は栗色の髪を振り立てて遮《さえぎ》った。
「ドクトルは外国人だからご存知ないでしょうけれど、グロックナー銀行はグロックナー氏経営の個人銀行です。彼でもう四代目で、この土地の名士や顔役には深く喰《く》いこんでいます。州立研究病院が設立されたとき、グロックナー氏は病院に多大の寄付をしています。エイズ患者や感染者の希望入院数は年毎《としごと》に倍々ゲームのように増加するばかりですから、州の予算範囲ではとてもとても足りません。州の予算どころか国家予算でも足りないくらいです。どうしてもスポンサーの寄付金によらなければならないのです。グロックナー頭取はスポンサーの大口のほうなんです。人類愛のために、という美名のもとですが、じつは各方面へ勢力を扶植するその一つなんです。個人銀行は、裏でキタナイことをしているので、法の摘発を逃れるための予防策でもあるんです。そんなわけで、州立ですが研究病院はグロックナー銀行には頭が上らず、銀行の云《い》うがままです」
昂奮《こうふん》に駆られてユリアは一気にしゃべった。山上は彼女の早口のドイツ語についてゆけないくらいだった。
とどのつまり、ユリアの山上博士に依頼というのは、彼がIHCの調査チーフとして、またエイズ・ウイルス研究の権威として、公平な立場から州立研究病院を説得し、グロックナー銀行頭取へオリヴァー氏の預金を夫人に支払うように勧告を出してもらえないか、というのであった。
山上が、事情を聞けばまことにお気の毒であるが、自分の立場上それへの介入は誤解を受けやすいので、ご期待には副《そ》いかねる旨《むね》を、鄭重《ていちよう》にオリヴァー夫人にむかって述べた。
ユリアは額に皺《しわ》をいっぱい集め、彫像のように沈黙することおよそ十分間であった。やがて、彼女は眼を吊《つ》り上げて一点を凝視していたが、無気味にニヤリと笑った。それは現代医学の無気力を嘲笑《ちようしよう》したようにも見え、絶望の自嘲にもとれた。
やがて、彼女は立ち上って云った。どうもありがとう、ドクトル・ヤマガミ。彼に握手を求めたが、その手は大食料品店の経営者夫人にもかかわらず、日ごろから膂力《ちから》仕事をしている人のように固い掌《てのひら》を持っていた。
すみませんでした。と、ユリアが帰ったあと、亮子は山上に謝った。わたしが先生のエイズの講演のことをユリアにしゃべらなかったらよかったんですが、でも、まさか、あんなことを頼むとは思いませんでした。ユリアの声をカウンターで聞いていたらしい亮子もびっくりしていた。
「彼女はあの店を事実上きりもりしているだけに勝気なんです。ご主人のほうは、茫洋《ぼうよう》としていて鷹揚《おうよう》なんです。ユリアが居るおかげで、あの店の大屋台がもてているようなものですわ。オリヴァー氏は遊び人で、そのエイズにしても何処《どこ》でもらってきたかわかりませんわ。中央駅の裏通りには怪しげなゲイ・バアがならんでいますけど、そこで氏を見かけた人もあるくらいです。いくら友だちでも、こればかりはユリアには云えませんわ。それに彼女はあのとおりエキセントリックなところがありますから、火を付けたら、たいへんですわ」
一週間後午後二時すぎ、IHCで執務している山上に亮子からまた電話があった。
「先生。お仕事中にごめんなさい。でも、たいへんです。ユリアさんが、いま、グロックナー銀行へデモをかけています」
亮子の声はあわてていた。
「デモだって? なん人くらいで」
「彼女一人のデモです。いま、ご主人のオリヴァー氏を州立研究病院から引張り出して、それを人質に、もし銀行側が秘密番号口座の預金を全額支払わなければ、オリヴァー氏を銀行の中に入れると云っているんです」
「しかし、オリヴァー氏は……」
「そうなんです、エイズのため精神異常の患者です。けど、病院の患者輸送車の中に寝せて、近くの公園に待機させているんです」
ユリアの吊り上った眼を山上は想像した。
山上が、上着の袖《そで》に左の腕を通したとき、インターフォーンから女秘書の声が流れる。ハンゲマン博士がお呼びです。調査局長室へどうぞ。
ネクタイを締め直しながら山上は困ったなと思う。
ハンゲマン局長の話はいつも長い。
亮子が電話で報《し》らせてきたユリアの行動が気がかりだ。彼女はグロックナー個人銀行へ押しかけ、秘密番号口座の預金全額支払いを要求して、たった一人でデモをやっている。
その一人デモに、ユリアは州立研究病院から入院中の亭主を証人として連れ出し、患者輸送車に乗せて銀行付近に待機させ、交渉次第ではエイズで精神異常の彼を銀行内に入れると喚《わめ》いているのだ。
預金を銀行に奪《と》られる口惜《くや》しさに身を震わせていたユリアならやりかねない行動であった。エイズ患者の夫は預金が返却されるまでの「逆人質」であり、患者輸送車は銀行への示威の旗であった。
ユリアが州立研究病院をどのように説得したかはわからないが、エイズ重症患者の「外出」を担当医師がよくぞ許可したものだ。銀行側は衝撃を受けているに相違ない。なりゆき次第では深刻な事態になりそうだ。……
調査局長室の眼鏡を光らす秘書の机の前を通り、ドアを開けると、広い部屋の奥にハンゲマン局長が広いデスクの前にかけていた。窓から射《さ》すレースカーテンごしのやわらかい光線が局長の禿《は》げた前額の上を陶器のように輝かせていた。
ハンゲマン博士は濃い眉《まゆ》と柔和な眼で山上を迎えた。背後の壁いっぱいくらいのスクリーンに、参謀本部にでもあるようなヨーロッパの大地図がかかっていた。WHOの局長室には国連旗が立てかけてあるが、IHCには未《ま》だ象徴旗が制定されてない。
「お呼びしたのはほかでもない、課長」
局長は葉巻を置いて、机の上で両指を組み合せた。前こごみになって、図体《ずうたい》に似合わずぼそぼそと蚊が鳴くような声で云った。
「昨日入った情報によると、ソ連国内に新しく人民特別保健病院が二つ造られているらしいことがわかりました。まだ未確認の段階だがね」
ソ連の「人民特別保健病院」とは、要するにエイズ患者収容の専門病院のことだ。
「どのあたりですか、局長」
山上が訊《き》くと、局長はもそもそと眼鏡をかけて机辺の広い地図帳《アトラス》を繰った。心当りのページをひろげると、拡大鏡を眼の前に出してこまかな地名をさがしていたが、小指の先を一点に押した。瞬時にして背後のスクリーンに光の丸い点が浮び上り、しばらくあちこちとさまよっていた。やがて定着した。
「ここはコミ自治共和国。ウラル山脈の西側です。州都シックティフカルはキーロフの北約三五〇キロ、空港があります。そこからさらに東北へ約三〇〇キロはなれるとウフタやボイボジなどの地方都市があります。その都市の郊外あたりに新しく人民特別保健病院ができたらしいですな」
光の点がそこに当った。ウラル台地である。荒涼とした原野が想像される。
「推測ですがね、この病院は約五百ベッドの設備を持っている。診療の医局員が二十五人、看護婦は五十人ぐらいかね」
二十ベッドについて医者一人の割合である。
「ほかに研究所があるが、これは小さいです。学術的な研究はあまりやっていない。せいぜい病理検査くらいだろうね。附属設備としては教会堂がある。もちろん東方正教です。医師、看護婦、職員、従業員などの宿舎は一〇キロ離れた町にある。面会人のために造ったホテルもそこにある。病院との間にはバスが通じている。これが従来の例です」
次は、という言葉とともに光の点はスクリーンの右側へ大きく移動した。ウラル山脈を東へ越えて西シベリアの平原が現われる。光の小さな点はその上をうろうろと這《は》いまわった。
「このあたりでしょうかな。ここがオムスク。シベリア幹線の主要駅です。東へ行くと、ノボシビルスク、トムスク、ケメロボ、ノボクズネツクなどと大小の都会がかたまっている。南方からアルタイ山塊がせり出したところですな。このへんは冶金業《やきんぎよう》の中心地で、鉄合金、アルミニュウムなどの工業がさかんです。だから、エイズ患者を収容する人民特別保健病院の所在はここらではありますまい」
光の小点が左へ動いた。
「それより西のカザーフ山地。ここの中心地はカザーフ共和国のカラガンダーです。石炭の町。人口五十三万。わたしも二十年前に、オムスクで学術会議があった帰りに、シベリア幹線から岐《わか》れた鉄道でここを通ったことがある。鉱山技術大学などがあった。ときしも初夏で、アカシアの青い並木がきれいでした。アカシアはカザーフ語でカラガンという。カラガンダーの地名もそこからきています」
――ユリアはどうなっているのだろうか、と山上は気にしている。
グロックナー銀行で支配人らを前に喚き、叫んでいることだろう。冷厳なスイスの個人銀行にむかってどこまで突張れるものか。
彼女の夫オリヴァー氏は患者輸送車の中で気息えんえんとなっているにちがいない。エイズ患者の車が近くの公園に横づけになっているというので、近くの住民は店から飛び出し遠巻きにして凝視しているのだろう。輸送車に付き添った医局員や看護婦は何をしているのか。
亮子《りようこ》が、はらはらしながら山上のくるのを待って立っているはずだ。脅迫された銀行側は警官隊の出動を要請するだろうか。
調査局長の柔和な眼と細い声は、つづいた。
「そんなわけで、カラガンダーの南にあたるアガドイリ、モインツイあたりの小さな町に、人民特別保健病院が造られたようにも思われますね。ドクトル・ヤマガミ」
光の星はスクリーン上のカザーフ共和国の上をさまよったあげく、山地の一点に定まった。
「コミ自治共和国とカザーフ共和国の間、ウラル山脈の西とアルタイ山脈の西のはずれですか。おそろしく辺鄙《へんぴ》な土地に病院を造ったものですな。これではまるで流刑地と同じじゃありませんか」
山上は眼をみはった。
「さすがにソ連は隔離方針が徹底しています。絶対主義体制国家でないとここまではできません。とくに『改革政策』に失敗した以後のソ連は、ふたたび保守主義、スターリンいらいの絶対主義に戻りましたからね」
局長のおだやかな眼に感歎《かんたん》の光が点じた。
「エイズ患者と感染者は隔離しないといけないんですか」
山上は局長のいきいきとした顔を見つめた。
「エイズも伝染病です。隔離は、伝染を防ぐ最良にして唯一《ゆいいつ》の手段です。自由主義諸国は、エイズ患者、感染者の隔離は人権差別だとか人間尊重無視だといって反対する。エイズには各自が警戒心と自衛心とを持てば感染が防げる、そのうちワクチンや治療薬が開発されるから、エイズも天然痘《てんねんとう》なみに終熄《しゆうそく》するなどと楽観しているが、とんでもない話だ。ワクチンや全治薬の出来る見込みが二十一世紀に入っても立たない現在、そんな楽観説を唱えているあいだに、人類はエイズにどんどん減らされてゆきます」
「しかし……」
「まあ聞いてくれたまえ、ドクトル・ヤマガミ。エイズ知識に関する一般書はたいていこう説いている。日常生活の接触によるエイズの感染の危険はない。レトロ・ウイルス(エイズ)陽性の人は、職場でも、家庭でも、学校でも、簡単な衛生生活を実行すれば、普通の生活を送ってさしつかえない、とね。しかし、その一方で、どこの国の保健省でもエイズ感染者と発病者の数が年々倍加してゆくのを公式に予測している。五年後には五倍になるとね。これでもずっと控え目な数字だ。これは甚《はなは》だしい自己|撞着《どうちやく》ではないか」
局長はメモに眼をちらりと落した。
「一般への心得はこう書く。性生活に関しては、レトロ・ウイルス陽性の人は、極力その行為を制限して、粘膜間の接触、精液、血液、その他の体|分泌物《ぶんぴつぶつ》を他人に与えてはならない、とね。ナンセンスな教訓です。一般人に、ベネディクト派のような厳格な禁欲生活を強制するのかね。問題は、人間の本能に根ざしている。しかも現代は中世ではない。現代人はさまざまな性解放を経験してきている。そこにエイズ流行の原因があるのです。それを中世の托鉢僧集団《フライアーズ》の生活に還《かえ》ればエイズの猖獗《しようけつ》がとまると考えているなら、こんな逆流的な疫学者《えきがくしや》の頭はありませんよ」
局長の蚊の鳴くような声は虻《あぶ》の唸《うな》りくらいに大きくなった。
「しかもです。つづいてこう書いてある。エイズの治療は現在テスト中であるが、その効果についての確定的な証拠は得られていない。だが、治療とワクチンに関して希望を持てることは確かである、とね。なんたる図々しい云い方。われわれ医者仲間が書いた文章として読むときこっちの顔が赧《あか》くなります。科学的な云い方はなにもない。あいや、お立会い、ワクチンと治療薬ができるのはいつのことやらわかりませぬ。テスト中のものも効き目がありませぬ。けど、とにかく、エイズの薬のことはこのわれわれにお任せくだされ。まるでロンドンはハイドパーク、ハイドパークはスピーカーズコーナーの演説|稽古《げいこ》が聞えるようですな」
日本流に云うなら、大道|香具師《やし》の口上《たんか》にあたろうか。
「局長は、エイズ患者の隔離が最善の方法と考えられるのですか」
ハンゲマンは組んだ指を解いて揉《も》み合せた。
「エイズは伝染病だ。伝染病は他に犠牲者を出さないことが医者の第一の任務です。流行をくいとめ、早期にその火消しをすることだね。疫病の流行が戦争以上に人類に惨禍《さんか》を与えたのは歴史上知るところです。疫病はもう古くからある。黄熱病、麻疹《はしか》、猩紅熱、チフス、ペスト、コレラ、ハンセン氏病など。スペイン人たちはメキシコや南アメリカで剣よりもウイルスによってたくさんの原住民を殺したのです」
「インカ帝国をスペイン人が滅亡させたことですか」
「アステカ帝国とインカ帝国のインディオーをです。メキシコに渡ったスペイン軍隊は数百人ぐらいだったそうです。土着のインディオーは数百万です。アステカ人がスペイン軍を追いつめて、まさにスペインの軍隊が潰滅《かいめつ》しようとしたとき、奇蹟《きせき》が起って攻撃するアステカ軍の大部隊が自滅したのです。自滅の原因は、疫病です。その疫病のために、アステカ軍には一夜にして死骸《しがい》の山が築かれた。インカ帝国の滅亡も同じ事情です。スペイン人が持ちこんだ疫病にインディオーはやられたというのです」
ハンゲマン調査局長は机から離れて、そのまわりを往復しながら話した。
「しかし、われわれはエイズ疫病の前のインディオーであってはなりません。伝染病は、村から村へ、町から町へ、国から国へと伝わってゆく。これを遮断《しやだん》するには発生地の隔離が最も有効であるのを近代の医学は教えています。ところが、現代はあまりに人口が増殖しすぎ、文化が発達しすぎ、思想が複雑になりすぎて、隔離は人権上許せない、という。これでは一人の感染者の人権に敬意を払うために、他の九十九人に不幸を感染させる結果になります。エイズの感染者はいつかは発病する、発病すればかならず死ぬ。一人のために九十九人の無辜《むこ》の人たちを犠牲にするのですか」
局長は自分の言葉に昂奮してきた。
「わたしはソ連も共産主義も好きではないが、そのエイズの隔離政策にはまったく敬意を表します。こうなると、人類生き残りのために絶体主義を讃美《さんび》したくなります。民主主義を導入した『改革政策』では駄目です。ここ数年のうちにソ連領内からはエイズ患者は激減するでしょうな」
彼は、ぴたりと足を停《と》め、山上の顔を見つめた。
「これは未確認の情報ですがね、ソ連ではエイズ税が新設されたということですよ」
「エイズ税を?」
「ソ連のエイズ患者は推定約七十五万人です。感染者が三百五十万人ぐらい。発病患者の療養費が一人あたり日に百ドルから百五十ドル。月三千ドルとして年に三万六千ドルです。その七十五万倍だから二百七十億ドル。それに医局員や看護婦たちの給料手当て、病院の設備費、さらに患者の増加につれてその負担額の増加や病院の新築費などを見込むと、とても社会保障費では足りなくなる。その補填《ほてん》にはどうしても新税を創設しなければならなくなる。それがいつ果てるともないエイズ戦争です」
「……」
「アメリカ政府がエイズ対策費に二十億ドルを支出したのは二十年前です。いまはそれが二千五百億ドル近くになっている。このままではエイズ対策費は国家予算を圧迫しますよ。ヨーロッパ諸国も同じ事情ですから、早晩エイズ税の創設に踏み切らざるをえない」
局長はまた歩き出した。前よりも苛立《いらだ》たしそうだった。
「ただ、新税の創設には西側の国民は反対するでしょう。増税には絶えず本能的に拒絶反応を示しますからね。たとえエイズ対策でもです。エイズ疫病の対策に新税を創設できない西側諸国は、曾《かつ》てのアステカ帝国やインカ帝国ですよ。ヨーロッパ国民は、エイズ疫病のために自滅の運命にあるインディオーと同じです。ああソ連は偉大です。ソ連は先の先を読んで、思い切ったことをする」
局長は山上の前に進んで云った。
「われわれの努力は、ヨーロッパ諸国に対してエイズ税の一日も早い創設に向けることにあります。課長」
ハンゲマン局長は山上を激励したあと、背をかがめて机の抽出《ひきだ》しから胃薬の小瓶《こびん》をとり出した。それが山上をようやく局長室から解放するしぐさだった。
山上はIHCの建物をとび出すと、タクシーを拾い、リマト河岸の通りを南へ直行し、ケー橋を西へ渡った。チューリッヒ湖の船着場で、遊覧船が桟橋《さんばし》に横付けになっていた。バーンホーフ通りの行き止りでもあり、東角のビルにグロックナー銀行があった。スイスの個人銀行はすべて目立たない存在で、このグロックナー銀行も五階建ビルの下に一枚の小さな真鍮《しんちゆう》看板が出ているだけである。
ひっそりとしているのはそれだけでなく、その入口にもまわりにも人影一つなかった。老夫婦がひと組、手をつないでよちよちと歩いているだけである。
山上は狐《きつね》につままれた気持になった。さぞかし銀行の入口はユリア・オリヴァーの一人実力デモで黒山のような人だかりとなり、赤十字のついた患者輸送車の中にはエイズ重症人のオリヴァー氏が横たわり、そのベッドには白衣の医局員、看護婦らが酸素吸入器を当てたり、脈をとったりしているだろうし、あるいはまた警官が出動して警戒に立っているかもしれないと思っていたが、そんな車は影も形も見えなかった。
山上は呆然《ぼうぜん》となってまわりを見まわした。銀行の前は、目抜きの商店街バーンホーフ通りを隔てて小公園となっている。そこは古着だの古道具だのの青空市場、そのガラクタ市の混雑から、亮子が山上のほうへ小走りに出てきた。
公園には日本人が一人いた。初めて見る背の高い男であった。亮子の伴《つ》れかどうかはわからない。
亮子は、すみません、というように遠くのほうから山上へ頭をさげながら急いで来た。
亮子の息を切らせた顔が間近になり、パールのネックレスが揺らいでいた。
「ユリアさんはどうしたんです?」
「ユリアは引きあげました」
「え、引きあげたって?」
向い側の寂としたグロックナー個人銀行の入口へ山上は眼をやった。
「三十分前です。すみません。IHCへお電話したんですが、会議中とかで、つないでいただけなかったのです」
ハンゲマン局長の部屋に居たときであった。山上が出るときもオールドミスの女秘書は眼で見送ったが、婦人の電話は黙っていた。
「そりゃすみませんでした」
「交渉は、ユリアの勝ちでした。銀行側は無条件降伏です。全額支払いに応じました」
「へええ」
思わず驚歎の声が出た。
「信じられないね。奇蹟だ」
「山上さんにお見せしたかったわ。わたしはこの市庁舎公園に立って待っていたんです。すると、銀行の中からユリアを先頭に、グロックナー頭取、共同出資者のミューラー氏、契約係のベルンハイム氏、それに警備課長などがぞろぞろと出てきて、湖畔のゲネラルグイザン通りの公園に行ったんです。わたしもあとから見えかくれについて行きました。すると、公園の木立の前にバス一台くらいの大きさの患者輸送車が駐《とま》っていて、車体の横腹には大きな赤十字の旗が貼《は》ってあるのです。そうして窓はぜんぶカーテンが閉められていましたが、二つだけ開いた窓からは、白いマスクと白衣のお医者さんと看護婦さんたちでいっぱいでした」
「ほほう」
「上からは点滴の管が車内のベッドに垂れ下っているんです。車の外には巻いた担架を持つ白い上被《うわつぱり》の看護夫たち四人が立っていました」
「それが州立研究病院の患者輸送車で、エイズ患者のオリヴァー氏はその車の中に寝かされていたのかね?」
「外からは姿は見えませんが、それに間違いないように思われました。ユリアはグロックナー頭取らを顧みて、何か激しく云っていましたが、そのうち、輸送車の運転手にむかって合図しました。すると、赤十字の輸送車は、ヨットが走ったり人々がベンチに憩《いこ》う湖畔公園の前を離れて、グロックナー銀行のほうへむかって動きはじめました。担架を持った看護夫四人があとから歩き出しました。窓のお医者と看護婦さんたちが忙しそうに動きはじめました」
「……」
「ユリアは患者輸送車の先頭に立ち、左手を腰に当て、右手を振り振りし、まるで、革命旗を押し立てるデモ隊のようにグロックナー銀行へむかって行進をはじめたではありませんか。しかも、『グロックナー銀行の預金をわれらに返せ』『預金をわれらに』とシュプレヒコールを叫びながらです」
「すごい!」
「まったく、すごかったですわ。その顔つきったら、まるでジャンヌ・ダルクというよりは革命時のレーニン夫人クループスカヤのように意気|軒昂《けんこう》としていましたわ」
「なるほどレーニン夫妻はロシア革命前までこのチューリッヒの靴屋《くつや》の二階で生活していたね」
「エイズ患者のご亭主《ていしゆ》の乗った病院車を、レーニン夫妻の有名な封印列車のように派手に引張ったユリアは、婦人革命戦士のように強く見えました。市庁舎公園の青空市場に屯《たむろ》していた群衆が、さてはグロックナー銀行の取付け騒ぎでも起ったか、といっせいに駆け寄ってきて集まったから、ユリアと患者輸送車はたちまち黒山の人だかりにとり囲まれました」
「たいへんなことになった」
「まったく、たいへんな騒ぎが持ち上りそうになりました。このまま、エイズ患者の食料品店主オリヴァー氏がユリア夫人に扶《たす》けられてグロックナー銀行へ入りこみ、わしの番号口座預金を支払ってくれ、なんて云おうものなら、それこそ恐慌《きようこう》事態になるでしょう。さすが剛愎《ごうふく》なグロックナー頭取も真青になって、ユリアに妥協を申し入れたんです」
「彼女はどうしたかね」
「頭取と握手し、満面に笑みを浮べ、群衆に右手でVサインを高々と示し、銀行の中へ消えました。彼女が支払われたおカネをボストンバッグ二つに詰めて再び銀行の表に現われるまで三十分とかかりませんでしたわ。あのぶんでは、とてもイランのシャーの隠し財産には及びそうになかったようです。彼女は電話で呼んだハイヤーに乗って意気揚々と走り去りました。わたしのほうに手を挙げて」
「ご亭主が寝ている州立研究病院の患者輸送車は、それまで銀行の表で待っていたのかね」
「そんな輸送車なんか、ユリアがVサインを挙げてグロックナー銀行へ入ったとたんに、消えてしまいましたわ」
「なに、消えた?」
「西側のタラッケル通りからジール通りへむかってフルスピードで一目散ですわ」
「なに、フルスピードだって? 重症患者を乗せた病院の輸送車がフルスピードで?」
山上はおどろいた。
亮子は、くっくっと笑った。
「それには重症患者なんか、はじめから乗ってなかったんです」
「なんだって?」
山上は、聞き違えかと思った。
「その患者輸送車はホンモノではありませんでした。ホンモノにそっくりでしたけれど、じつは民間テレビ局の撮影用バスを借りて偽装したものなんです」
亮子の言葉に、山上は声が出なかった。
「白衣のお医者さんも看護婦さんも担架を持った看護夫さんも民放所属のエキストラだったそうです」
山上は呆《あき》れはてた思いで、亮子の顔を見つめた。
ユリアにそんな知恵があったのだろうか。あの昂奮と錯乱状態のユリアに。
「わたしじゃありませんよ。わたしはその場を見てて、ただ、おろおろするばかりでしたもの」
亮子はうしろをさりげないふうに振りかえった。
このとき、市庁舎公園の蚤《のみ》の市をのぞきまわっていた日本人が、ひょいと顔を上げて、亮子の見返りにうなずいたのだった。
その男は、さっきまで彼女のうしろに居たのだが、山上と彼女との立ち話がはじまると、遠慮したようにがらくた道具をのぞきまわっていた。
その男は、外国人にも負けない背丈の高さがあった。亮子に眼顔で呼ばれ、公園から出てきて、並木のマロニエの茂みの下で山上に一揖《いちゆう》したが、そのもの腰は日本人ばなれして見えるくらいに洗練されていた。
「ご紹介しますわ」
間に立って亮子は山上に云った。
「こちらは福光さんとおっしゃいます。ハズが商売の古美術に関する点で、福光さんからいろいろとお教えをねがっております。……こちらはIHCの山上先生。お店をごひいきにしてくださっています」
長身の福光は小腰をかがめたまま金で縁どった革製の名刺入れから大型名刺を抜き取り、しなやかな指先にはさんでさし出した。それは平凡な山上のそれと交換された。
すこしの間、互いが名刺に敬意を払って活字に見入った。福光福太郎は、山上|爾策《じさく》のIHC調査課長の肩書にその長い顎《あご》を軽くうなずかせていた。
「誤解をいただかない前に申しあげますが」
福光福太郎という男は、鄭重《ていちよう》だが、きんきんした声で云った。
「いま、亮子さんが先生にぼくのことをご紹介した言葉にはよほど社交辞令がございます。たしかに亮子さんのご主人クレメンス・ベンドル氏とぼくとは古美術の同趣味ではありますが、いわばそれは同好の仲間といったところで、ぼくの古美術の知識がベンドル氏に勝るとは、とんでもない話でございます。それどころかベンドル氏はこのチューリッヒでは『|鼠の歯《ラツテンツアーン》』という骨董店《こつとうてん》をふるくから開いておられます。骨董はクロウト、なかなかもってわれわれシロウトの及ぶところではありません。ベンドル氏にはぼくのほうが何かとご教示をいただいております」
淀《よど》みなく一気に述べた。
山上は福光福太郎の大型名刺の肩書の部分に刷りこんだ「営業種目」を読んだ。
「アイデア販売とヒント・コンサルタント……。ヒント・コンサルタントは田代明路さんがやっておられるのですか」
「田代はぼくのペンネームです。名刺の上だけでも名を分けています。福光が両方を兼ねていると、営業の印象上、都合が悪いですから」
「ここで立ち話をするのもなんですから、山上先生、もしお時間がございましたら、そのへんでお茶でもいかがですか」
「お茶をごいっしょするのはありがたいですね。わたしもなんだか疲れています」
「申しわけありません。わたしの責任ですわ。お詫《わ》びします」
山上にもおよその筋書が読めてきた。
ユリアがグロックナー個人銀行へ一人デモをかけるのに民放局の撮影車を借り出して患者輸送車に偽装し、エキストラのタレントを州立研究病院の医者や看護婦に扮装《ふんそう》させ、赤十字の付いた輸送車の中にあたかもエイズ患者で神経障害のオリヴァー氏が呻吟《しんぎん》しているように見せかけた演出は、福光福太郎によるものだ。げんに彼の名刺の営業種目には「アイデアとヒントのコンサルタント」とあるではないか。その職がどんなものであるか、福光は曾《かつ》て衆院行政委員会事務局の書記に話したように山上にも説明した。
聞けば亮子《りようこ》の亭主のベンドルは目下ベルンからバーゼルを回って留守をしているという。商売ものの骨董の仕入れのためだ。
そこへ福光福太郎がふらりと訪ねてきた。たぶん今日の午前中だろう。亮子はユリアのことを福光に相談する。数日前、山上にユリアが「日本橋」で相談したが、山上では役に立たなかった。福光がたちまち一計を案じた。すぐに札束で民放局を動員する。電光石火、頭の回転の速さ、行動のスピーディなこと、どう考えても福光福太郎の入れ知恵以外には思えなかった。
さればこそ、その成果が挙がったあとも、福光はここにまだ残って、何も知らぬ山上がIHCから駆けつけるのを待つ亮子の背後で、市庁舎公園をうろつき、ニヤニヤしていたのであろう。
アイデア・コンサルタントの本領発揮だ、と山上は福光の長い顔を窺《うかが》った。
その福光はさりげなく亮子にむかい、
「亮子さん、山上先生をご案内してお茶を喫《の》む場所はどこがいいですかね?」
と相談をもちかけた。
「ここまで来たんですから、ちょっと足を伸ばして、シュタットハウス通りの『キュロスの翼』の前にあるカッフェ・ショップはいかがですか」
「双手《もろて》を挙げて賛成ですな。先生、いかがですか」
福光と亮子とのあいだに事前の打合せはないと山上は見た。
「わたしも賛成です」
三人は市庁舎公園の裏側に出た。リマト川とチューリッヒ湖の合するところにケー橋が架っている。橋を渡らずに、川岸に沿って狭い路地を降りて行くと、路地は屈折し、突き当りにいろいろな看板がならんでいる。右側はすぐ川面で、鴎《かもめ》が群れて浮んだり飛んだりしている。対岸の正面にグロスミュンスター寺院の双子塔《ふたごとう》がそびえていた。
ここは裏通り、ひっそりとしていて通行人が少ない。軒下に等身大の人形がとつぜん出たりしていて驚かされるが、入口をのぞくと小さな骨董屋《こつとうや》である。低い川岸のシュタットハウス通りはこういう貧弱な古道具屋が多い。もう少し先へ進むと、トンネル道になる。路地が川へ突き出て杭《くい》で支えられてある。明り採りに窓があけてある。窓ぎわに鴎の翼がすり寄ってくる。人はあまり通らない。
トンネルにかかる前に、左側へ上る低い石段の道がいくつかある。リマト川に沿うこの路地は、バーンホーフ通りに並行し、西の段丘斜面へと這い上っている。
中間にフラウミュンスター通りがある。この界隈《かいわい》は、骨董屋街である。いずれも堂々たる店舗を構えている。
亮子、福光、山上の三人は、広い陳列窓に大小さまざまな銅版が飾られた古銅版専門店の前を通った。十七世紀ごろのアムステルダム市街風景の銅版画の値段を横眼《よこめ》で睨《にら》んだところでは一万五六〇〇スイスフランの数字が貼ってあった。新聞紙半ページくらいの大きさで。
角をまがって、ゆるやかな坂の石だたみを上ると三叉路《さんさろ》になる。その左角が三階建の「キュロスの翼」である。その名の通りペルシアの古美術品を専門に扱っている。ショーウインドウには、グリフィンの牡牛《おうし》、ロータス文様の磚《せん》、ペルセポリスにある蛮族朝貢図の浮彫りの一部、青銅の剣、ガラス器具、装身具など、アケメネス朝、ササン朝と、とりどりに出ている。もとより破片ばかりで、真偽もさだかでない。というよりは、ほとんどがニセモノ。真物《ほんもの》は地下室の倉庫深くに匿《かく》してあるらしい。
コーヒーハウスはそのペルシア古美術店の斜め前で、こぢんまりとした感じのいい喫茶店であった。時間のせいか閑散としていた。
ビールをとった。
「乾杯」
亮子が云ってグラスを挙げた。
「ユリアのために」
ユリアの成功のためにか。
それだったらつづいて福光福太郎に感謝の言葉が出るはずである。だが、亮子の視線は福光へ向わなかった。グラスをおろさずに、手に持ったままで云《い》った。
「ユリアが無事に回復できますように」
祈ります、というのをビールとともに咽喉《のど》の奥に呑《の》んだ。
「回復だって?」
山上は問い返した。
「ユリアは、今夜から州立研究病院へ入院です」
亮子はグラスをテーブルに音立てて置いた。
「……エイズ感染です。前から陽性です。いつ発病するかわかりませんわ」
あっと思い、亮子の泣きそうな顔を山上は、見つめた。
これまでは銀行の秘密番号口座預金の支払いを要求するユリアばかりを山上は考えていた。夫のエイズを感染《うつ》された妻のことは、うかつにも、彼女の強い性格と行動のかげに隠れていたのだ。
いまにして思いあたるのは、その預金の引き出しもユリア自身が仆《たお》れる前に備えてのことであった。このまま発病して死ねば、オリヴァー家の財産は、たとえ小なりといえども、ロマノフ王朝家かシャーの遺産のように、スイスの銀行に没収されてしまう。「強盗」の手にかかるよりもいまのうちに預金を取り戻し、オリヴァー商会の整理に当てようというのがユリアの入院前の執念だったのだ。
亮子の店で遇った頬の削げたユリアの顔、眼のふちの黒い隈《くま》、あらぬかたに据《す》わった視線、蒼《あお》ざめた皮膚――。エイズに感染した妻の像であった。
テーブルの三人のあいだに沈黙が落ちた。それは一時間もつづいたように思われた。じっさいは五分間ぐらいだったが、ユリアのT細胞の奥で繁殖し蹲《うずくま》ったエイズ・ウイルスが、刻々に無抵抗性への極限点に到達し、同時に体内各部に巣喰《すく》うバクテリア、ウイルス、原虫、カビなどが襲撃を準備する。まるで時限爆弾の時計に合わせるような発病までの分秒を数える思いであった。
亮子の亭主で骨董商のクレメンス・ベンドルとは知己の関係で、亮子からユリアの銀行預金の窮状を愬《うつた》えられたらしい福光福太郎は、商売|柄《がら》のアイデア・コンサルタントらしい奇策でオリヴァー氏の秘密番号口座預金引き出しを成功させたが、どうやらこれは亮子の気づかないところで福光とユリアでことを運んだらしいのだ。でなければ亮子があわててIHCにいる山上に電話をかけて呼ぶわけはないからである。彼女がことの真相を知ったのは途中からで、山上が市庁舎公園前に到着する直前になってからだろう。
福光福太郎という人物と名刺に刷りこんだふしぎな営業種目とを結びつけて、山上が彼の横顔をそれとなく見遣《みや》ると、福光はその顎《あご》を突き出して、素知らぬ気に斜め前のペルシアの古美術店を眺《なが》めていた。
「近ごろは、また古美術ブームですかね、亮子さん?」
福光は隣の亮子をふりむいた。
「とくにブームというほどではありませんけど」
亮子はビールのグラスを置いた。
「けど、ご主人はベルンからバーゼルへ仕入れに行かれているんでしょう?」
「そうです。でも、それは特殊な品物です」
「はて」
「わたしにはよくわかりませんが、なんでも古い壁掛けとか」
「やや、タペストリーで?」
福光はパイプを置いた。
「タペストリーを骨董屋の同業でお探しなさるとは珍しい。珍しいというよりも、見つけなさるのに骨の折れることでしょうな。古代エジプトの王墓の浮彫り壁画を骨董店でお探しなさるくらいに難儀でしょうて。と申しますのは、……」
またぞろ彼のおしゃべりがはじまりそうであった。
「ご承知のように、タペストリーは中世ヨーロッパでは十三世紀ごろに興り、十四世紀が最盛期とされております。フランスのゴブラン織りでしてね、刺繍《ししゆう》ではありません。また中世エジプトの初期キリスト教時代のコプト織りの系統でも、東洋の伝統も引いておりませぬ。この華麗なタペストリーは、王侯貴族が専用に織らせたもので、その用途は即成の間仕切りとなる画の壁、すなわちスクリーンですな。当時の王侯貴族は、兵馬|倥偬《こうそう》の間に暮していました。絶えず山野を移動して、敵の捨て城に入ったり、修道院を仮の宿舎にしたり、あるいは農家に泊ったりする。そのとき、持参のタペストリーを巻き戻して壁に掛ければ、一変して宮殿の内部に見えます。ですから、民俗学者の中には、タペストリーは『ポータブルの壁画』という人もあります」
「タペストリーの遺っている数は多いのですか」
山上が彼にきいた。
「十五世紀から十六世紀にかけてずいぶん作られたのですが、遺されている作品数は少ないのです。それは材料の織物の糸がボロボロに崩れるからです。それと、あまりに大きすぎるからです。巨大なのは七二〇平方メートルというとてつもないものさえあります。いま遺っているものは、むろん断片的なものです」
「それじゃ、骨董的価値は高いでしょう?」
「価値は高いです。だから博物館や美術館では見られます。けど、市場価値はそれほどでもありません」
「どうしてですか。品物が少ないのに、値が安いとは?」
「それも需要と供給の関係です。タペストリーのコレクターがあまりいないんですよ。趣味に合わないんですな。品物は市場に稀薄《きはく》です。それでいて値が上らないのはその理由です。客がいないのです」
福光は向い側の「キュロスの翼」の店先に眼を遣った。
「ごらんなさい、あの陳列窓に出ているペルシアの古美術品はぜんぶマガイモノです。だが、ものすごい高い値段が付いている。客が中に入ると、主人は、揉《も》み手をして、とっておきのものがございますと地下室に案内して、カットグラス、金製の髪飾り、腕輪、頸《くび》飾り、黄金の獅子《しし》のついた深鉢などといった秘宝を取り出すでしょう。これが全部巧妙な贋物《にせもの》といってよろしい。これにひっかかるのはファンにとってペルシアものが垂涎《すいぜん》の的だからです。タペストリーはたとえ真物が店頭に出ていても、手に取る客はほとんどありません」
「それなのに、どうして亮子さんのご主人クレメンス・ベンドル氏は、ベルンからバーゼルの骨董店にタペストリー探しに出かけられたのですかね?」
「亮子さん。それはタペストリーの特別な注文客が現われたからでしょうなア?」
福光が訊《き》く。
「なんでもそのようなことをハズは洩《も》らしていました。わたしは彼の商売のことはぜんぜんタッチしてないのですが」
「注文客でもないと、いまどきタペストリーなどの出物を探しにまわる骨董屋さんはありませんな。だが、その奇特な注文客とはどういう人でしょうな、ぼくには、はなはだ興味深いです」
「ハズは名前をわたしに教えてくれませんでした」
「さもありなんです。いや、そう聞くと、ますます興味|津々《しんしん》ですて」
「それはまたどういうわけですか」
「クレメンス・ベンドル氏がタペストリーを探しに行かれたのがベルン、バーゼル地方だからですよ。十四世紀ごろの最盛期のタペストリーの図柄は宗教画でしてね。キリストとかマリアとか使徒だとかが主題です。ところが十五世紀になると、主題が変って宗教画は影をひそめて世俗的なものになり、騎士物語などが描かれます。そうしてそれがのちに風景とか草花などをテーマとするようになるのですが、その傾向はスイス、フランドル地方、北ドイツにひろがったのです」
「だからベンドル氏はドイツにもフランスにも近い北スイスのバーゼルの骨董屋へ行ったのですかね?」
「たぶんそうでしょう。もしかすると、西ドイツまで足をのばされたかもしれませんな。だが、対象が宗教画でなく、山林とか鳥獣のいる風景とか草花の画のタペストリーを注文したとすれば、興味があります。そのころのタペストリーとなると、色は中間色が多くなり、けばけばしい原色は抑えられ、おだやかなものになっております。……もし、そんな図柄のものを入手したとしても、コレクターはそれをどこへ飾るつもりでしょうな」
福光は自問自答のように呟《つぶや》いていたが、
「鳥獣? はてな、その鳥禽図《ちようきんず》には孔雀《くじやく》が描かれていただろうか?」
と首をひねった。
「たしかにタペストリーの中には孔雀の図があったっけ」
福光は眼を閉じ、ひとりで呟いた。
「……だが、十四、五世紀のタペストリーにはない。もっと古い。そうだ、サラセンの綴織《つづれお》りだ。ササン朝ペルシアの名残りを曳《ひ》いて鳥類文は鷲《わし》、孔雀、不死鳥、鸚鵡《おうむ》、鳩《はと》などだが、パレルモ出土には十三世紀の有名な獅子と孔雀文の絹織物がある。……孔雀は王侯貴族の宮殿邸宅の象徴、その庭園には群をなして放し飼いにしてあります。ササン朝やビザンチン期のころから変りありません」
「白い孔雀」
亮子がひとり言《ごと》をいった。
「何と云われた?」
福光が、屹《きつ》と彼女の面《おもて》に強い眼を据えた。
「白い孔雀と申したのでございます。福光さんが孔雀のことを云われましたので、つい、それを連想しました」
「白い孔雀はインド・クジャクが飼育下に突然変種したもので、それはいつの時代かわからないが、劣性遺伝だそうです。で、その白孔雀がどうかしましたか」
「このチューリッヒの小鳥屋さんに白孔雀を探し求めている婦人がありました」
「ほほう。市内に住んでいる方ですか」
「ベルギーの方だそうです」
「ベルギーからわざわざ? ブリュッセルやアンベルスには白孔雀はいないですかねえ」
「ブリュッセルの動物園に二羽いるそうですが、売りものの白孔雀は、オランダのアムステルダムにもユトレヒトにもありません。色のない孔雀は観賞用ではないということですから」
「そう。純白の孔雀というのは、いただけませんな。わたしの知っている英国の貴族は、マンチェスターから八〇キロ北の田舎に十七世紀時代の古城を持っている。当人はシティの株式仲買店に勤務していて、古城の経営は村びとの協力で、観光収入でまかなっているが、ほかに孔雀を飼育して貴族や金持ちたちに頒布《はんぷ》しています。じぶんの古城の庭園にも美しい羽根をひろげた孔雀の群が歩いています。その色を見るだけでも豪華な気分になれる。孔雀ばかりは極彩色でないことにはねえ。なのに、どうしてそのベルギーの婦人は、色のない孔雀を欲しがるのだろう?」
福光は、とつおいつの体《てい》であったが、須臾《しゆゆ》にして折目のついたズボンの膝《ひざ》を敲《たた》いた。
「わかった。十五世紀以降のタペストリーの傾向と、白孔雀とは一致しておりますぞ!」
「え、どういうふうにですか」
「前者は、それまでのけばけばしい色が消え、中間色で占めるようになってぜんたいが白っぽくなります。白孔雀にいたっては、純白そのものです。つまり、|色彩がない《ヽヽヽヽヽ》という点で一致しておるのであります」
「なぜ、色彩がないのが求められているのですか」
「それは、求めている人の趣味からです。特殊です。一般的にいえば華美、豪華、絢爛《けんらん》といったものを求める。タペストリーでも孔雀でもね。なのに、これは反対です。変っている。たしかに、奇妙です」
ぶつぶつ云っていた福光はまるで発条《ばね》仕掛けのように、ぱっと顔を上げ、山上と亮子《りようこ》を見た。
「この先にミニアチュール(細密画)専門の『マダム・クララ・ウォルフの店』があります。歩いて、ほんの三分くらいのところです。ちょっと付き合っていただけないでしょうか」
三人は椅子《いす》を立った。
「キュロスの翼」の前、三叉路の右側をだらだら坂について下ると、その両側にも大小の古美術店がならんでいる。日は没し、どの店にも灯が入っていて、ならぶ骨董品を耀《かがや》かしていた。
福光の長身は、きれいな店の自動ドアの中に入った。両側に低いガラスケースがならんで、デパートの売場のような感じであり、古美術店とは見えなかった。ケース棚《だな》の中には古い銅版の浮彫りなどがならんでいた。
奥にすわっていた肥《ふと》った女が、福光の顔を見ると、眼鏡を外してやおら立ち上り、腰をかがめて歩いてきた。
「やあマダム。また来ましたよ。元気なようで、うれしいですよ」
「これはこれはヘル・タシロ。ようこそご入来いただきまして、光栄でございます」
まるで中世の宮廷女官長のような貫禄《かんろく》のある肥満した身体《からだ》を福光福太郎の前で屈《かが》めたが、そのおじぎの仕方もどこやら宮廷風であった。彼女の顔はけっして美しくはなかったし、それに五十を越しているようだったが、眼《め》は輝き、口もとは愛嬌《あいきよう》に綻《ほころ》び、しんから福光こと田代|明路《あきみち》の来客を歓迎していた。
「お久しぶりにお元気なお顔を拝見して、ほんとうにうれしゅう存じます」
言葉は鄭重を極め、田代への態度は恭謙であった。
「タシロ」とは福光のペンネームだとは、山上もさきほど彼から聞いたばかりだ。すると、マダムはヒントのコンサルタントとして彼から助言を受けたことがあり、以来「タシロ」で呼んでいるらしかった。
「ご無沙汰《ぶさた》して申し訳ない。いろいろと雑用に追われましてね。今日は日本のお客さまをご案内してきました。マダムの地階陳列場にあるミニアチュールを見学したいとおっしゃるんだけど」
半白の髪を無造作に束ねたマダム・ウォルフは、急いで頭に手をやって髪の乱れを直した。
「けっこうでございますとも。あなたさまの友だちにお目にかかれてわたくしもうれしゅうございます。さあ、どうぞ」
彼女はうやうやしく先導するように先に立った。地階のガラスケースは広くもないスペースにコの字形に配置してあるが、その中には絢爛たる銅版のミニアチュールがならんでいた。
なぜにそれが眼にもあやなばかりにきらびやかなのか。
マダム・ウォルフがケースからとり出した一枚を手にとってよく眺《なが》めよう。寸法は大小さまざまだが、三〇センチ×三〇センチほどのを見ると、径二センチくらいの円形が二十二、三個ぐらいならんでいる。画像の一つ一つは聖書物語からとった男女の人物である。色彩が施され、背景は金箔《きんぱく》を溶いたのが塗られていた。これが円形の中に収まっているので聖像の円光のようである。
マダムは拡大鏡《ルーペ》を持ってきて、画像の微細部分《デテール》を見よと云う。油彩画である。面相の描写はおどろくほど精密である。よくぞかくも細かな筆つかいができたものだと思う。バラ色の頬、微笑した眼もとと唇《くちびる》、夢見るような瞳《ひとみ》、睫毛《まつげ》の一本一本まで描き分けている。赤、青、黄、紫の衣服につけられた襞《ひだ》のやわらかい光線の陰影といい、その写実性といい、あたかも肖像画家ヴェラスケスの入神の技を径二センチの円内に圧縮した感じである。
亮子も山上も感歎《かんたん》した。
マダムは控え目だが、自慢げに顔を微笑させている。試みに値を訊《き》くと、四十万ドルと云《い》うのに山上はおどろいた。
「これはパリのすぐれた肖像画家が描《か》いたんだろうね、十八世紀ごろのロココふうな円形|小函《こばこ》の蓋《ふた》に貴族、婦人、小児などを描いた系統の画家がね」
福光がきいた。
「そのとおりでございます、ヘル・タシロ。だが、わたくしの店が頼んでいるのは一流中の一流画家でございます。フラゴナール、グルーズをご存知でいらっしゃるでしょう?」
「名前だけは聞いたことがある。ロココ美術の大家だ。象牙《ぞうげ》の地に油彩で肖像画のミニアチュールの絶品を遺《のこ》したそうだけど」
「あなたさまのご知識にはいつも尊敬申し上げております。ごらんのようにわたくしの店にあるミニアチュールの画家集団はフラゴナールやグルーズの伝統を引いておりまする。画描きでもピンからキリまでございましてね。大量生産主義のミニアチュール屋の画描きは、このくらいの大きさだと一日で描き上げてしまうかもしれません。そのかわり粗雑で、とても見られたものではございません。わたくしの店のは、みんな芸術品でございます。これだって、制作に三カ月はかかっております」
「そうだろうとも。筆の使い方でも顕微鏡的だ」
「まぎれもなく真物《ほんもの》でございます。だから四十万ドルぐらいは頂きます。……早い話、あなたさまはバグダードのバザールで商人から、コーランの手写本のニセモノを、すすめられたことがおありでいらっしゃいましょう、ものすごく安い値で?」
「その経験はあるね」
「あれはニセモノとわかっているからでございます。それに描かれたミニアチュールもご愛嬌でございます。わたくしの店以外のミニアチュール屋のものは、バグダードの偽《にせ》コーランと変るところがございません」
「恐れ入ったな。そうなると、現代の制作とはいえ、マダムの店のミニアチュールは、中世のゴシック時代にさかんに作られた聖書の手写本、とくに詩篇、黙示録などにつけられた装飾画や挿《さ》し画の芸術性とすこしも遜色《そんしよく》がないことが理解できたね」
「そうおっしゃってくださるあなたさまに感謝申し上げます」
マダムは福光に深々と頭を下げた。
「お言葉を画家たちにお伝えしたら、どんなによろこぶかしれませんね」
「ぜひ伝えてほしい。芸術家は賞讃《しようさん》の声が励みになる」
福光ことヘル・タシロは、煙草《たばこ》を喫《す》っていいかと許可を求めてパイプをとり出した。
「ところで、つかぬことを聞くけど、白い孔雀はいないかとマダムの店に聞きにきた人はいないかね」
「白い孔雀ですって?」
マダムは、ぎくりとして眼を瞬《またた》いた。
横で聞いた山上も亮子もおどろいた。
「わたくしのところは小鳥屋ではございませんけど」
「失礼」
「白い孔雀がどうかしたのでございますか?」
「いや、なんでもない」
福光はもじもじしていたが、
「このミニアチュールの画家たちは、依頼すれば大作の肖像画も描くだろうかね?」
煙を吐いてたずねた。
クララ・ウォルフはちらりと福光の顔に眼をあげた。が、すぐに視線を逸《そ》らせて、
「それは無理でございましょう」
太い頸《くび》を横に振った。
「どうして?」
「なぜなら、彼らはあまりに細密画ばかりを描きつづけてきております。急に大きな画を描けといっても描けない道理でございます」
「しかし、画技の本質は同じではないだろうかね」
「その人たちの本質はあくまでもミニアチュールにございます。仮に臨時に大きな肖像画を描いたとしても、ミニアチュールに戻ったときには腕が荒れてしまって、以前のようには筆運びができなくなっておりましょう。それがおそろしいのです。だから彼らは決して大きな肖像画は引き受けません」
「まったくそのとおりだね。いや、もっともです。マダム」
金色|燦然《さんぜん》とした聖像細密画の眼福を味わわせてもらった礼を述べ、三人はふたたび地階から一階の店舗に出た。そこには普通の浮彫り銅版がならんでいた。
福光はその前に足をとめた。三つ折りの銅版の浮彫り画が眼を引いたようだった。
「これは面白いね。古雅だ。キリスト、マリア、ヨハネの像だね。時代もののようだ。これはいかほど?」
「ヘル・タシロ、五千ドルにしておきましょう」
福光は、ぎくっとしたが、黙って財布をとり出した。タテ一四センチ、ヨコ一二センチの三つ折り、開くとヨコ三六センチになる。相当な重量である。
中央の一枚にはキリスト像、開いた聖書を片手に持っている。左側の一枚にはマリア、右側の一枚はヨハネらしい。タライに入れた幼児キリストに洗礼を行っている。三枚の画のふちどり枠《わく》はブドウの樹《き》の抽象化。文字は何語だか判じがたい。どうやら僧院の僧か信者の携帯用らしい。十八世紀ごろの作とみた。
福光はこれを今日の訪問の義理として買ったようだが、義理にしては少々高い買物だった。
「これの鑑定書が付いているかね?」
「鑑定書はわたくしが書きまする。わたくし自身が権威でございますから」
マダムは、その場で鑑定書に「クララ・ウォルフ」と自信たっぷりにサインし、恭々《うやうや》しく田代に呈上した。単に「オリジナル」と書いただけである。
「この次は、いつごろお目にかからせていただけましょうか、ヘル・タシロ?」
彼女は宮廷ふうに腰を落すように屈めて頭を垂れ、別れを惜しむように訊《たず》ねた。
「さあ。いつのことになるかな。風来坊みたいなぼくの商売だから、自分でも予定がたてられないのさ」
「さようでございますか。どうぞ、お気をつけてくださいますように。大事なお身体でございますから」
「ありがとう、マダム」
「ご入来の光栄で、わたくしの胸はよろこびでいっぱいでございます」
五十を過ぎた初老の肥満した女は、あたかも若い侍女のように憧憬《どうけい》にも似た歓びの瞳で田代を見上げた。
三人は、クララ・ウォルフの店を出て、バーンホーフ通りへ出るゆるやかな坂道を上った。
「いや、おどろきましたね」
山上はクララの店を一度ふり返って云った。
「あのマダムは、福光さんにはずいぶん敬意を払っているようですね。言葉づかいといい態度といい……」
感服した。
「なに、あれは商売人のお愛想ですよ」
福光は無頓着《むとんちやく》そうに云った。
山上には福光がクララ古美術店の上|顧客《とくい》とは思えなかった。なにしろ三聖像の銅版浮彫りがマダムに五千ドルと云われてどきりとなり、しぶしぶ金を支払ったくらいだから。細密画のほうは四十万ドルで客に売っている。
「どの客に対しても、マダムはあんなふうなんですか」
山上の意味は、福光がヒント・コンサルタントの「田代明路」として彼女に利益をもたらしたことがあり、彼女はそれを感謝して特別扱いにしているのではないかというのだった。
「いいえ、そんなはずはありません」
横から亮子が云った。
「このバーンホーフのどんなお店に買物に入っても、あんな礼儀正しい応対ではありません。わたしもあのお店で見てて、びっくりしました。クララのマダムは福光さんにずいぶん敬意を払ってますわ」
「いやア、そうでもないですよ」
福光も、さすがにすこしテレていた。
それにしてもマダムの敬意はオーバーすぎると山上は思った。
時計は六時をまわっていた。こんな時間に局長に電話したことはないが、局長の顔が眼の前に泛《うか》んだ。虫の知らせというか、予感というか、胸騒ぎをおぼえた。
「福光さん。わたしは急用を思い出したので、これで失礼します。どうも、いろいろとお世話になりました」
「や、や。それはどうも。先生にはぼくのほうこそたいへんお世話になりました。ありがとうございました」
長身を折った。
「山上先生。ほんとにこんどというこんどはなんとお礼を申しあげてよいやら……」
亮子《りようこ》が泪《なみだ》ぐんで近づいてくるのを抑え、
「近いうちに店へ行きます」
山上は公衆電話を探しに二人と離れた。
局長室の眼鏡をかけた女秘書が電話に出た。
「局長は、いま嗽《うがい》をしています。でも、お待ちかねですね」
やっぱりそうだったか。虫の知らせが当った。ハンゲマンはいつも五時前にはオフィスを引き揚げる。それが一時間以上も居残っているのだった。
「ドクトル・ヤマガミ」
二分|経《た》って局長の声に代った。嗽が終ったのだ。
「あなたからの連絡を待っていました」
「すみません。私用が長びいたものですから」
ふだんは外から連絡電話を入れたことはなかった。
「三時間前に、ドイツ連邦共和国の保健局からのテレックス連絡によると、去る九月五日、ミュンヘン市南西郊外のシュタルンベルク湖で発見された首なし男の死体の身元が判明した。同人はフランクフルトの製薬会社の販売部係長だそうです。……」
「えっ、なんですって、製薬会社の販売部の係長? なんという名の製薬会社ですか」
「詳しいことは、あなたがこっちへ帰ってから話します」
「わかりました。二十分以内に局長室へうかがいます」
山上はタクシーをさがしに通りに出たが、むろん福光福太郎と亮子の姿は影もなかった。
山上はタクシーを得てIHCの前に降りるまで十五分とかからなかった。
局長が居残っているので、帰れないでいる眼鏡のオールドミス秘書はふくれていた。
「よくきてくれました」
局長のほうが機嫌《きげん》がよかった。
「電話であらましを話したとおり、シュタルンベルク湖に浮んでいた首なし死体は、意外にもフランクフルトの製薬会社の販売係長でした。ここにドイツ連邦共和国保健局がミュンヘン警察部からの報告としての連絡テレックスをくれているから、あとで読んでください。しかし、このことでぼくが同国の保健局の局長に電話を入れて話したのを補足します」
ハンゲマン局長の声は、昂奮《こうふん》のせいか、はじめから高かった。
「殺害された人の名はペーター・ボッシュといいます。三十二歳のドイツ人ですが、母親がイタリア人です。この人は、フランクフルトにある西ドイツ衛生薬業会社に勤務していて、そこの販売部に属し、係長として地方の支店担当だったそうです。そのボッシュ係長はニュルンベルク支店にまわって泊った夜に何者かに誘拐《ゆうかい》されて、三カ月後にシュタルンベルク湖にあの姿で浮んだのです」
「西ドイツ衛生薬業会社では、どうしてすぐに届け出なかったのですか」
「死体は首が切断されていたので、顔がわからなかったのです。指紋は採れたが、これは前科者だけにしか警察が照合できなかった。ボッシュ君にはそのような前歴はなかったのです。それに、首なし死体は、潜水服を着けていたので、湖底の『ヒトラーの遺産』を捜しにきたネオ・ナチの一味であろう、その仲間割れから殺されたにちがいないなどと新聞にも書きたてられてあったので、まさかそれをボッシュ係長と結んで考えてみもしなかった、と会社では云っているそうです」
局長は禿《は》げた前額をつき出し、抑えた声になった。
「わたしのほうで調査してみたんです。西ドイツ衛生薬業会社というのはね、ユダヤ系の色が濃いのです。会長と共同出資者の役員はユダヤ人です。融資銀行はイギリスのロスチャイルド系です。むろん銀行名は違うけれど」
山上は、局長が何を云おうとするかがわかった。
「事件のキイはここにある。ドクトル・ヤマガミ」
局長は沈痛だが、厳かに云った。
「ニュルンベルクは大戦後、連合軍がナチ戦犯裁判の法廷を開いたところです。いまでもナチ戦争犯罪人収容所の跡が保存されている。ネオ・ナチ運動家にとっては『屈辱の聖跡』です。ユダヤ資本の製薬会社の社員をニュルンベルクで犠牲《いけにえ》にしたのは、ネオ・ナチ運動者の連中が聖跡の祭壇に供えるためだったのです。そう思いませんか、ドクトル」
局長は気が昂《たか》ぶっているせいか胃薬を取り出さなかった。
福光福太郎はニュルンベルクに着いた。
シュタルンベルク湖の首なし死体のボッシュが行方不明になったのはニュルンベルクだった。場所|柄《がら》ネオ・ナチ運動のグループの犯行という錯誤を起させる。だがニュルンベルクはたんなる場所だ。偶然に起きた場所にすぎないのではないか。
本命は製薬会社だ。
西ドイツ衛生薬業会社が、どういう薬剤を製造販売していたか、である。
これを知りたい。
時計を見た。五時四十七分であった。
商店街は開いている。
福光は商店街に出て、眼《め》についた薬品店に入った。マイアー兄弟商会という大きなドラッグ店だった。
白い上被《うわつぱり》をつけたかまきりのように痩《や》せて背の高い女が応対に出てきた。
「ぼくは、このホテルに泊っている者ですが」
福光はホテルの部屋番号カードを示して、
「同伴者が血友病なんです。それで血液製剤が欲しいのですが、売っていただけますか」
と、女の背後にある薬棚のラベルを見まわした。
髪の毛のうすい肥った男が出てきた。
「血友病患者さん用の血液製剤は、お医者の証明書がないとお売りすることができません。証明書をお持ちですか」
「旅行中ですから持っていません。これから病院へ本人を連れて行き診断を受けさせたいのですが、あいにくと風邪をひいて動くことができないのです。といってホテルに往診もしてくれないでしょうしね。そこで、ぼくが病院へ行って説明します。ドクトルからこっちに電話があれば血液製剤を売ってくれますか」
「それならお売りします」
「注射は一刻を争うのです。日本から持ってきた予備の薬を切らしたものですから……。念のために聞きますが、どういう製薬会社のがいいですか」
「病院がよく指定してくるのは、バイエルン製薬会社と西ドイツ衛生薬業会社の血液製剤ですね」
「西ドイツ衛生薬業会社……」
「この会社のは、ずいぶん出ますよ」
「そうですか。どうもありがとう。じゃ、これから病院へ行ってお医者さんにたのんできます」
「もしもし、薬は買われても、注射はどなたがされるんですか」
「ぼくも医者です。医師の資格証明書をうっかり日本に置いてきたけれど」
病院の正門出入口は灯を消してドアを閉めている。福光は横の夜間用通用口にまわった。そこは廊下に通じていた。外来患者待合室に出た。真暗である。ところどころに灯があるだけだ。花束を持つ見舞の婦人といっしょになった。そのあとについて行くと、長い廊下を歩いてホールのエレベーターの前に出た。
花束婦人のあとから五階に降りた。内科の病棟であった。都合がよかった。角を曲ると、明るい灯の医局の窓が長くつづいていた。
のぞくと、奥のほうに白衣の男たちが椅子《いす》に坐《すわ》ったり立ったりして話している。若い医者ばかりだ。いま、閑《ひま》な時間らしい。書棚の陰になって見えないのもいるが、五、六人はいるらしかった。
窓口に顔をすり寄せている日本人を看護婦が見咎《みとが》めて寄ってきた。
「何か用ですか」
「クスリをいただけないかと思いましてね。おねがいにきたのです」
「この病院の患者さんじゃありませんね?」
「ちがいます。しかし、緊急に血液製剤が欲しいのです。街のクスリ店は時間が過ぎて閉店になっています。病院で分けてもらうしかありません」
「当病院の診断が必要です。その上でないとクスリは出せません」
看護婦は大きな腕を組んだ。
「知っています。けど、病院の診察も明日の午前九時からです。それまでが待てません。当人が死んでしまいます」
「死ぬ? どんな病気で血液製剤が必要ですか」
「A型の血友病です。転んでケガをし、出血が止らないのです」
看護婦が眼をひろげ、腕組みを解き、雑談している医師たちのところへ歩いた。
彼らのおしゃべりがやんだ。みんな背を傾けて顔を窓口へ向けている。
彼らのあいだでヒソヒソと相談がはじまった。六分間ぐらいはかかったろう。書棚の陰から三十二、三くらいの白衣の、赭《あか》ら顔の男が現われて福光の前に来た。
「話は聞いた。気の毒である。しかし、医局の薬剤を分けるわけにはゆかない。これは入院患者用である。規則である。たとえ血液製剤一個でも規則を曲げるわけにはゆかない」
「しかし、このまま十三時間も放っておけば、本人は死にますぞ」
「そのことだ。そこで、いま、病院出入りの薬品問屋に電話をかけて、店を開けておくように命じておく。グローピウス兄弟商会というのだ。場所は駅前だから、すぐわかる。しかし、患者への注射はだれがするのか」
「わたしは医者です。本人はホテルに寝かせてあります」
さすがドイツ官僚主義。うまいこと人道主義と話し合いがついた。
福光は、ほくそ笑んだ。が、これからが本番である。
タクシーで十三分。グローピウス兄弟商会は、大手お得意さまの電話命令で、神妙に店を開けて待っていた。
店内の照明の一部をつけ、四十ばかりの腹の突き出た男がカウンターのそばで退屈そうに新聞を読んでいた。その前にはすでに買物袋が置かれていた。
「やあ、今晩は。病院のミューラー先生から電話をもらいましたよ。……これです」
広告入りの買物袋を示した。店主らしい。
「友人が血友病でしてね。A型です。ケガをして出血がとまらなくなって困っていたところです。おかげで助かります、拝見してもいいですか」
「何をですか」
「ラベルです。血液製剤のメーカーを知りたいのです」
店主は妙な顔をした。
ホッチキスで止めた袋を破り、血液製剤の瓶《びん》の入った外装函をとり出して印刷を読むと、≪Koln PharmazeutischeGesellschaft≫(ケルン製薬会社)となっている。
「このほかのメーカーのはありませんか」
「それで、充分ですよ」
「西ドイツでは、血液製剤の製薬会社が少なくないと聞いてきたが、念のために、他のも買ってみたいのです」
「あなたは日本人だけに疑り深いね」
「え?」
「わたしの友だちの知り合いにハイデルベルク大学の考古学研究所に留学している日本の助教授がいますがね」
店主は後ろむきになって棚《たな》から薬を探しながら云《い》った。
「その日本人は、ハイデルベルク人とネアンデルタール人との中間の化石人骨をライン川沿いの谷間に求めて一生懸命に探しまわっているそうですよ。ハイデルベルク原人が五十万年前、デュッセルドルフ近くのネアンデルタール旧人類が二十万年前です。その中間の欠けたところ、ミッシング・リンクを探しているんですね。学界では、存在しないというのが定説になっているのにね」
むき直って、福光の前に三つの薬品をならべた。はい、これです。
福光はカウンターの上から順々に血液製剤の外装函を取りあげた。
目ざす名が二番目にあった。
≪WestenHygieneArzneimittelherstellungProduktionAG.≫(西ドイツ衛生薬業会社)
――カンはあたった!
福光福太郎の胸は躍った。
彼は動悸《どうき》を抑え、顔色に出ないように苦労した。
ホテルに戻った。
チューリッヒの「日本橋」にダイヤルした。八時半だった。
美代子の声が出た。
「あら、福光さん? 事務所からですか」
「チューリッヒじゃありませんよ。いま、ニュルンベルクからです」
「あら、まあ」
ざわざわした人声が受話器に入る。
「ママ、来ていますか」
「はいはい。ただいま」
やはり日本語はいい。
「亮子です。先達ってはどうも。いま、ニュルンベルクですって? 相変らず神出鬼没ですわね」
「ご主人は?」
「まだ帰りませんの。バーゼルから電話があったきり。糸の切れた凧《たこ》みたい」
「IHCのドクトルは?」
「山上先生も、先月ごいっしょにお目にかかったきりです」
「それでは山上先生に伝えてください。時間でIHCは閉まっているから。……シュタルンベルクのお客さまの製薬会社は、血液製剤も製造していました、とね」
「シュタルンベルクのお客さまの製薬会社は、血液製剤も製造していました。これでよろしいですか」
亮子《りようこ》は普通に復唱した。なんら疑問を持っていない。
「けっこう。ありがとう」
「IHCは明日の午前十時からです。それからでないと電話ができませんけれど」
「明日でいいです」
「かならずお伝えしますわ」
「お店は、だいぶん賑《にぎ》やかそうだな。電話に入っている」
「おかげさまで」
「ユリアさんの容態はどうなんですか」
「近いうちに病院に様子を聞いてみようと思っています。できたら見舞に。福光さんは、何日《いつ》ごろ、こちらへ?」
「一週間|経《た》ったら、またそっちへ現われますよ」
「ぜひね。お待ちしてますわ」
亮子の声に情《じよう》がこもっているように聞えた。
西ドイツ衛生薬業会社の販売部地方担当係長ペーター・ボッシュを殺害してシュタルンベルク湖に捨てたのは、同会社の汚染された血液製剤でエイズに冒されて死んだ血友病患者の遺族の犯行とする以外には考えられない。――
この意味を、亮子にことづけた短い言葉から、IHCの山上|爾策《じさく》はおそらくくみとるにちがいない、と福光福太郎は食堂でビールを味気なく傾けながら思った。
その患者は少なくとも十年以上前の死亡者であろう。それ以後の血液製剤は加熱処理が完全になっている。
血友病患者の被害者団体がどのように熱心に辛抱強く当の製薬会社に交渉し、国に陳情しても、製薬会社側は言を左右にして誠意なく、政府もはっきりとした回答をせず、えんえんと引き延ばしている。その真意は、ひとたびその主張を認めるときは、血友病患者以外の患者、ホモなどの患者・感染者がこれに便乗し、津波のように押し寄せてくるのを恐れているからだ。かれらのパワーに圧倒される。
だが、患者の遺族の気持からすると憤懣《ふんまん》やるかたないものがあろう。はじめのころは患者も感染者も誤解による孤立を恐れて泣き寝入りをしていた。世間がホモなどのエイズ患者といっしょくたにして見るのにおびえた。これがいけなかった。製薬会社はそれにつけこんで、そのころから無責任な態度をとりはじめたのだ。
エイズ患者・感染者の数はますます増大する。血友病患者被害者団体も強くなった。が、このほうの交渉相手は製薬会社と国である。それに逃げられてはどうしようもない。
裁判に持ちこむか。他の公害病のように。
望みがない。裁判は長引く。製薬会社は対抗して個々のケースについて因果関係を争うであろう。最終の結審・判決までの年月を思えば、遺族団は暗澹《あんたん》たる気持になる。それもかならずしも期待どおりの勝利とはいえない。裁判長もまた他の津波現象を念頭に置かないとは断言できない。絶望である。
絶望した遺族のなかから、怒り狂った者が出て、西ドイツ衛生薬業会社の社員を殺害したと考えてもふしぎはなかろう。会社の組織を潰《つぶ》すことは不可能である。その幹部を狙《ねら》うこともむつかしいなら、手近なところに行動している販売部の地方係長を犠牲にして鬱憤《うつぷん》の捌《は》け口にすることだ。ペーター・ボッシュ君こそ気の毒である。
犠牲者の首を切断し、シュタルンベルク湖に運び、潜水服を着せるなど、犯行は一人の行為とは思えない。血友病被害者団体のうちの、過激なグループの犯罪かもしれない。
そのカモフラージュを思いついたのは、やはり湖底の「ヒトラーの遺産」取りのヒントであった。はたせるかな、みんなそれにひっかかった。あれはネオ・ナチ運動の連中のしわざだぞ。
人は、あるいは云う。被害者が消えたのはニュルンベルク。連合軍によるナチ裁判の行われたところ。ナチ戦犯の収容所はいまも公開されている。陽気なアメリカ人の観光客団体が収容所を見ての帰りは、憮然《ぶぜん》となって押し黙るという。これもシュタルンベルク湖の殺人死体がネオ・ナチのしわざとの説の根拠になっている。
このぶんだと、十五年前にエイズ・ウイルスに汚染された原料を使用し、加熱処理しないままに血液製剤として販売した他の製薬会社三社の社員も安全ではないかもしれない、と福光は思った。
おそらく、製薬会社では、ことの真相にまだ気づいてないであろう。
福光は部屋に戻った。
カバンから三つ折り銅版をとり出してひろげ、枕《まくら》もとの棚に飾った。クララ・ウォルフの婆《ばあ》さんから買ったものだ。レリーフは中央がキリスト、左がマリア、右が幼児キリストに洗礼するヨハネ。
ベッドのボックスに備えつけの聖書がある。福光はぱらぱらとめくった。
[#この行2字下げ]報復の日がわが心のうちにあり/わがあがないの年が来たからである/わたしは見たけれども、助ける者はなく/怪しんだけれども、ささえる者はなかった/それゆえ、わがかいながわたしを勝たせ/わが憤りがわたしをささえた。(イザヤ書第六十三章第四〜五節)
――睡《ねむ》くなった。
山上は、自分の書き取ったメモを机の上に置いて眺《なが》めている。今朝出勤すると、亮子から電話がかかり、昨夜八時半ごろ福光さんがニュルンベルクから電話をかけてきて、山上先生になるべく早くお伝えくださいということでしたと告げた。それがこの文句である。
≪シュタルンベルクのお客さまの製薬会社は、血液製剤も製造していました≫
たしかにこう福光さんから電話でうかがいました。これでよろしいんでしょうか。亮子が山上に念を押したのは、彼女には意味がわからないからだった。
けっこうです、それで。山上は答えてからきいた。
(福光さんはその電話をニュルンベルクからかけてきたんですね?)
(はい、そうです。わたしが、いま、ニュルンベルクですって? 神出鬼没ね、相変らず、とその電話で云ったんですから)
そうですか、どうもありがとう。
≪シュタルンベルクのお客さま≫
シュタルンベルク湖に浮いた首なし死体のことだ。
電話で、そうはっきり亮子に云わなかったのは、彼女のショックを考えてのことだろう。それに、周囲には客も詰めているし、店の者もいる。亮子が不用意に洩《も》らさないともかぎらない。福光の要心深さだった。
≪お客さまの製薬会社は……≫
お客さまはペーター・ボッシュという名だ。三十二歳であった。西ドイツ衛生薬業会社販売部地方担当係長という地位だった。
≪血液製剤も製造していました≫
最後のこの言葉である。
ボッシュの勤めていた製薬会社は、血液製剤を製造していた。血液製剤の用途は、外科手術、貧血や白血病などになっているが、もっとも多い使用は外科手術に次いで血友病だ。
福光福太郎との出会いは何処《どこ》だったのか。
バーンホーフ通りは南の突き当り、チューリッヒ湖の遊覧船が出る桟橋《さんばし》近くの市庁舎公園前であった。亮子に電話で呼ばれ、オリヴァー食料品店主の妻ユリアがいまにもエイズ患者の夫を州立研究病院の患者輸送車に乗せてきて、それを楯《たて》にグロックナー個人銀行に秘密番号口座預金の払い戻しを逼《せま》ろうとしているというのだった。来てみれば、あたりの平穏はいつものとおりで、キツネに化かされた思いであった。
そのトリックの次第は、公園の蚤《のみ》の市で亮子から聞かされたが、福光福太郎とは、初対面からしてエイズが縁であった。
(ペーター・ボッシュの勤めていた西ドイツ衛生薬業会社では、血友病患者用の血液製剤を製造していた)
福光は昨夜ニュルンベルクからの電話で亮子を通じ、じぶんにそう伝えたかったにちがいない、と山上は考えた。
福光はニュルンベルクのどこのホテルに泊っているだろうか。それほど大きくもない都市だから、電話帳でホテルを調べ、かたっぱしから電話してもそう手間はかからない。だが、亮子への「伝言」はひとまず一方的な「通報」であろう。あとは、「追って通知する」という意であろう。げんに、この時間になっても福光自身から直接に電話はかかってこない。オフィスの直通電話番号を記入した名刺は彼に渡してある。ニュルンベルクのホテルに福光をさがし出して電話するのはやめることにした。
なおも三十分ほど思案した。十五分は、福光が何を云いたいかを推察していた。あとの十五分はハンゲマン局長にこれを報告すべきかどうかを考慮していた。
話すとすれば、どのような順序でか。山上は頭に浮んだことをメモ用紙に走り書きした。
午前十一時だった。
局長室の前へ行った。眼鏡をかけた女秘書がインターフォーンのボタンを押して山上が来たことを告げている。局長の返事はなかった。
局長はいま嗽《うがい》をしているが、かまわないからお入りなさいと秘書は云った。
局長室に入ると、部屋に付いている化粧室の中から、家鴨《あひる》のような声が聞えていた。がらがらと咽喉《のど》を鳴らす嗽の音だった。
その音が止《や》むと、ハンゲマンがハンカチで口のまわりを押えて出てきた。
山上が立っているのを見ると、「失礼」と局長は云い、机の椅子にどっかと坐った。
「すこし変った情報が入りましたので、いちおう局長のお耳に入れておきます。尤《もつと》も、情報といえるほど確たるものではありませんが。シュタルンベルク湖で他殺死体として発見された西ドイツ衛生薬業会社の販売部員ペーター・ボッシュのことですが」
ハンゲマンは顎《あご》の下に手をやった。
「局長は、西ドイツ衛生薬業会社がユダヤ系資本なので、それを憎悪《ぞうお》したネオ・ナチ運動の一味が社員のボッシュをニュルンベルクで誘拐《ゆうかい》するか殺害するかして、その死体をシュタルンベルク湖に運んで捨てたという見方をされていました」
「そうです。ウェットスーツを着せて、いかにもヒトラーが隠した金塊を湖底に捜《さぐ》りに行ったように見せかけてね。そのうえ、念の入ったことに、首を切断しておいて仲間割れの結果にも偽装したんです。ニュルンベルクでユダヤ系資本の『手先』を襲ったというところにネオ・ナチの連中の意義があるのですよ。あそこはユダヤ人に味方した英・仏・米の連合軍が、ナチス・ドイツ人を戦犯として裁判にかけたところですからね」
「そこに販売の仕事できたユダヤ系資本のペーター・ボッシュは『聖跡の祭壇に供えられた』のだと局長は云われました」
「そうです。そのとおりだと思いますよ、ドクトル」
例によって低い声だが、確信をもってハンゲマンは云った。
「ところが、こんど入った情報は別な角度からの視点を提供してくれました」
「どういうことですか」
「西ドイツ衛生薬業会社が血液製剤を製造しているという事実です。いうまでもなくその原料血液は自給自足ではなく、多くは外国からの輸入に求めています。たぶんアフリカがおもで、それにアメリカのものもあるでしょう。エイズ・ウイルスで汚染された原料血液です。売血とか献血とかのね。それをろくに加熱処理もしないで製薬会社は血液製剤にして製造してきました。製造の段階でも、その血漿《けつしよう》に完全加熱処理することはなかったのです。だからその血液製剤によってエイズに感染した血友病患者がおびただしく死亡しています」
局長は両の指を組みかえた。
「ドクトルは何を云いたいのですか」
「ボッシュの加害者は、西ドイツ衛生薬業会社の汚染された血液製剤によってエイズ感染して死亡した患者の遺族関係ではないかと思うのです」
ハンゲマン局長の眼《め》が疑問の表情で開いた。
「というのは」
山上はつづけた。
「エイズ・ウイルスに汚染された血液製剤でエイズに感染した患者にはメーカーも国もいっさい補償していないために、被害者団体の憤慨がこの十数年来、積りに積っています。とくに死亡した患者の遺族は、血液製剤の浄化が不手際《ふてぎわ》だったために、その怒りは強いのです。患者は、世間から他のエイズ患者といっしょくたにされて蔑視《べつし》を受け、患者も家族も肩身のせまい思いで暮してきました。近年になってこそ人権を主張して、その差別の理由のないことを堂々とうったえて被害者同盟を結成し、メーカーと交渉できるようになりました。けれども、いっこうに解決されないのはご承知のとおりです。解決を延ばすメーカー側の理由にはいろいろと説明がありますが、被害者側の忍耐は限度に達しているでしょう」
「汚染された血液製剤でエイズに感染した患者は少なくとも十年以上前のことです。すでに死亡しています。個々の患者の症状を当時にさかのぼって調査するのはあまりにも時間が経《た》ちすぎている上に、数が多すぎるというのがメーカーや西ドイツ国保健局の云い分ですね」
局長は云って肩をすくめた。
「それは製薬会社や当局の云いわけというものです。わたしはIHCに来て、西ドイツの血液製剤メーカーの生産状況を調査してみたのです。すると驚くべき状況がわかりました。加熱処理した血液凝固因子製剤はある特定の製薬会社一社には保健局が発売を認可したのに、他の数社には発売許可を三年ほど遅らせていたのです。それは保健局が諮問《しもん》機関にしている薬事評議委員会がそのように答申したからだというのです」
局長は指先をいじりながら黙って聞いていた。そのことは承知しているといった様子であった。
「薬事評議委員会がそのような答申を出した理由は、とりあえず一社だけを先に発売認可するが、後発のメーカーについては、加熱処理した血液凝固因子製剤の出願が出揃《でそろ》うまで、そしてこれらを試験した上で、一斉《いつせい》に承認したほうが患者にとってもっとも安全だからだというのです。つまり薬事評議委員会が業界を調整したわけです。しかし、その調整期間が三年間とは長すぎます。血友病患者は先に認可された一社に殺到するが、とてもその一社だけでは供給が足りない。仕方なく在来の非加熱処理の血液製剤を買う。そのためにエイズ・ウイルスに感染した血友病患者は西ドイツだけでも多数です。統計が手に入らないので正確な数はわかりません。それは幼児が多いということです。血友病は男児にあらわれますから、少年や坊やですね」
「……」
「調整に、どうして三年という長い期間が必要だったのでしょうか。西ドイツの血友病患者でつくられている被害者同盟の間では、他の製薬会社五社がこれまでの未加熱処理の血液凝固因子製剤の在庫をたくさん抱えているため、その在庫の品を完売するまで薬事評議委に働きかけて三年間は加熱処理製剤を認可させないようにしたのだと云い合っています。つまり調整期間とは、汚染の可能性ある血液製剤の在庫一掃の期間というわけです。保健局も、薬事評議委も、業界も|なれあい《ヽヽヽヽ》のうえにです」
局長は眉《まゆ》を寄せ、顔をしかめ、鼻の頭をこすった。
「製薬会社の非加熱処理製剤の在庫一掃のために犠牲になった患者や感染者はたまったものではありません。患者の大部分はすでに死亡し、また死の床に呻吟《しんぎん》しているでしょう。感染者の運命もわかっています。とくにその汚染血液製剤の注射で愛児を失った父親や母親の悲歎《ひたん》はどんなに深いかわかりません。それがそのまま憎悪と化して、狡猾《こうかつ》な製薬会社に向ったとしてもけっして不自然ではありません。そして、西ドイツ衛生薬業会社は、『在庫一掃』の組に入っているのです」
ハンゲマンは机の上に両肘《りようひじ》を立て手を合わせ、その中に自分の顔をうずめた。
「その調整の話は、わたしも聞いていないではありませんが」
局長は、またも蚊が鳴くような声で、だが、呻《うめ》くように云った。
「エイズに感染させられた血友病の被害者か、または死亡者の遺族かが西ドイツ衛生薬業会社の販売部地方担当係長を殺害したというあなたの推測ですが、では、これからわれわれにとってどういう方法がありますか、ドクトル?」
「われわれのとる方法としては、具体的には何もありません、立場上からいいましてね、局長」
山上は頭を垂れて云った。
「しかし、わたしの推測に確認をとりたいと思います」
「確認の方法があるかね」
「二つあります。一つはミュンヘン捜査当局にこの推測を申し入れて捜査の重要な参考にしてもらうことです。ミュンヘンの捜査当局は、いまだにペーター・ボッシュが、ネオ・ナチ運動の隠れた一味で、シュタルンベルク湖の湖底に『ヒトラーの遺産』を取りに行ったが仲間割れして殺されたという見込みで捜査しているでしょうからね。そうして行き詰っているはずです」
「……」
「わたしの考えを当局に云えば、新しい視点を得たと考えて、その線で捜査の出直しをするかもしれません」
局長は気乗りのしない顔で、ものうげに僅《わず》かにうなずいた。
「もう一つは、西ドイツ衛生薬業会社の内部事情をさぐることです。社員のボッシュが殺された事件をどう受けとめているかです。単純な殺人事件だと考えるなら、会社をあげてショックを受けるほどではないでしょう。しかし、この殺人が全社を震撼《しんかん》させ、大騒ぎとなっているのでしたら、わたしの推察と一致しているといえると思います」
ほかの一策は、ニュルンベルクに行ってみることであった。その市の周辺に、汚染血液製剤の注射投与を受けた血友病被害者同盟の支部のような組織があるのではないか。
そうして福光福太郎が果してまだそこに滞在していれば彼と会いたい。会って相談したい。――
が、この言葉は口の中に呑《の》みこんだ。ハンゲマンには云《い》えなかった。われながらおぼつかない調査行になりそうだった。それに、福光がまだニュルンベルク市に残っているかどうかわからなかった。亮子が云うとおり彼の行動はどうやら神出鬼没のようだ。
局長は咳《せき》をして身を起した。
「ドクトル。わたしの感想を云わせてもらっていいかね」
「どうぞ、局長」
「あなたの云われることはごもっともですがね。しかし、やや論理に、その、なんというか飛躍があるように思われます。たしかに、汚染された血液製剤でエイズ・ウイルスに感染した血友病患者たちの怒りは理解できる。とくに非加熱処理のそれの在庫を売り尽す目的でメーカーが薬事評議委員会と結託して三年間の調整期間を設けたのはもってのほかだ。そのために死亡した患者の遺族、とくに可愛《かわい》い男の児を失った両親の悲哀と憤怒は察するにあまりありです。そのうえ、メーカーも国も被害者に補償しようとはしないのだからね。……けれど、そのためにこそ被害者同盟が結成されているのだから、あくまでも団体交渉で押し進むべきです。どんなに怒りに駆られようと、そこから殺人者が一人でも出れば、被害者同盟の運動にはかりしれない悪影響をおよぼすというくらいは、わかっているはずです。かりに、一歩譲って、もし憤激に駆られたあまりの復讐《ふくしゆう》行為でしたら、いわゆる在庫一掃組のメーカーは西ドイツ衛生薬業会社のほかに四社ある。してみると、これから四社のメーカーの社員が連続して殺害されてゆくことになるわけだが、はたして、そのとおりになりますかな?」
「……」
「わたしはね、ドクトル、やはりペーター・ボッシュを襲ったのは狂熱的《フアナテイツク》なネオ・ナチ運動の連中だと思ってるね。したがって、他のメーカーからは第二、第三のボッシュ君のような犠牲者は出ません。ユダヤ系資本のメーカーは西ドイツ衛生薬業会社だけだからね。今後|狙《ねら》われるとすれば、同社の幹部クラスになるかもわからない」
局長は机の横の雑誌をとり除き、その下からフランス語の本をとり出して、ページをめくった。
「ここに西ドイツのネオ・ナチ集団に潜入したフランスのジャーナリストのレポートがあります。読んでみると、まるでヒトラー集団の再来を思わせるような気狂いじみた団体訓練です。悪夢のようです。この連中なら殺人は平気です。人目をごまかすためにボッシュ君の首を切断したり、その胴体に潜水服を着せたりすることもね。わたしは、依然として、そう確信します」
ハンゲマン局長の顔は自信に溢《あふ》れ、その声も高くなっていた。
ニュルンベルクから列車で四十分、西南に走るとアンスバッハという小さな都市に着く。人口約三万五千。バイエルン州はフランケン県の県都である。
古い町がそのまま残っていた。ニュルンベルクは爆撃を受けているが、ここは戦禍《せんか》が及んでいない。十八世紀の建物があって「フランケンのロココの町」と呼ばれ、多くのロココ様式の建造物がある、とは福光もニュルンベルクで聞いてきた。
街の周辺は山塊。南ドイツを南西に横たわるフランケン高原の東からの入口である。
旧市街はすぐうしろに山を負い、前にマイン川の支流フランク川が流れて、バロック風の建物を映す。日本ならさしずめ「小京都」と名づけられそうである。
観光客が街の中をぞろぞろと歩いている。駅前からはウィーンで見かけるような二頭立ての観光馬車が出ていた。
その駅前の本屋で買ったバイエルン州とバーデン・ヴュルテンベルク州とを併《あわ》せた地図を福光はひろげて検《しら》べた。
なるべく人里はなれた山間の道を辿《たど》ろうというのである。フランケン高原が尽きたら盆地になる。シュツットガルト。これは都会だ。すでにバーデン・ヴュルテンベルク州に入っている。都会は避けたがいい。高地の途中を南下する。そのまま南へ行けばウルム市。これも避けよう。
その中間を南西に行くとすれば、シュヴェビッシェアルプ山脈の尾根を伝わることになる。地図を見ると、村の数もまことに多い。
どうやら秘境のようだ。
このへんに候補地を決めた。
福光はアンスバッハ市の画材料店に入った。
大小のスケッチブック五冊。画板とイーゼル。携帯用の水彩絵具一揃え。筆十数本。鉛筆、水筒。トリムチェアー。
スーツケースとトランクは駅のコインロッカーに入れてきた。
「ぼくはこの田舎を写生して回りたいのですがね。三年前に日本から来てこの辺を旅行したとき、ぜひ描きたい土地だと思ったのです。その念願が叶《かな》って、こんどわざわざ日本から来たんですよ。とりあえず水彩でスケッチして、帰国してから油で描くとしてね。だから、たくさん描きたい。描くなら、車でなく、辺鄙《へんぴ》な田舎や山奥へ行きたいのです。しかし、歩くのは、たいへんですから、馬で行きたいのです。どこか、そういう乗馬を貸してくれるところはないでしょうか」
店主は女房や店員と眼を見合せていたが、首を振った。
それなら車でも仕方がないと福光が諦《あきら》めかけていると、石だたみの路上に戛々《かつかつ》と車輪にまじわる馬蹄《ばてい》の音が聞えた。
ふり返ると、白馬二頭を前に立て、黒塗りに金の唐草文様の儀仗《ぎじよう》馬車一台、フロックコートの馭者《ぎよしや》が手綱を厳《いか》めしくさばいて通りかかるところであった。駅前から出る雅《みやび》な、古都にふさわしい観光馬車である。
それに視線を走らせた画材店の四十歳ばかりの主婦は、ひと声さけびを上げて店の中から駆け出し、馭者の鞭《むち》に取りついた。近所の顔馴染《かおなじみ》の主婦にとりすがられて、フロックコートはおどろいて白馬の手綱を締めた。
主婦は、うしろの福光を指し、早口で何かしゃべった。生粋《きつすい》の南ドイツ弁は福光にもよくわからないが、なんでもお前さんの白馬が一頭遊んでいたら高い賃銀でこの人に一日貸さないかと交渉しているらしい。馭者はシルクハットが落ちんばかりにして首を振る。鞭を振ろうとするのを主婦は、また制《と》める。そうしてまた口早にしゃべる。
儀仗車の中には乗客が優雅なカーテンの間から、何ごとが起ったかと画材店のかみさんの顔をのぞいている。馭者は苛々《いらいら》しているが、さりとて近所づきあいのてまえ、振り切ることもできない。空をむいて思案におよぶことおよそ一、二分。遂《つい》に、馭者台から上体をかがめて何やらささやいた。主婦は莞爾《かんじ》とした。観光馬車ははじめて威厳をとり戻して出発した。
「こういうことです。よろこんでください。日本の画伯《せんせい》」
画材店の主婦は、顔を口いっぱいにして福光に云った。「標準語」にもどした。北と南の言葉の境界はドナウ川の線だという。
「ここから西南二〇キロのところにフォイヒトヴァンゲンという小さな町があります。そこに馬車の運送屋をやっているウォルフガング・メイという男がいる。その男に、観光馬車屋のシュトラウスが紹介する日本の画描きさんだといって相談してみな、っていうんです」
「そう?」
「電話をかけてはいけない。前もって電話をかけると断わられるっていうんです。ご本人がいきなり行って頼むことですって」
福光は心から礼を述べた。画材店の主人が女房のうしろで何度もうなずいていたが、それは女房の手柄《てがら》を賞《ほ》めているようであった。
福光は買いこんだ絵具材料一式を抱え(これを買ったから画材店の主婦は観光馬車の馭者と熱心に交渉してくれたのだが)、アンスバッハ駅へ引返してコインロッカーからスーツケースとトランクをとり出した。
駅前のタクシーにフォイヒトヴァンゲンをたのむと、そんな遠いところまでは行けぬと運転手は云う。どうしたらいいかというと、3番の溜場から出るバスがその町を通るので、それに乗るがよいと教えた。
かんたんに車で行けると考えたのは誤りであった。すくなくともタクシーは利用できなかった。ハイヤーも傭《やと》えるかどうかわからぬ。
この上は馬車の運送屋を頼むしかないが、はたして云うことを諾《き》いてくれるだろうか。
道路は県道くらいで、起伏もゆるやかである。バスの客は四十人ばかりで、みな土地の人だ。停留所では学童が二人ずつ降りて行く。そこには家が十軒ばかり。麦畑と森ばかり。もう正午《ひる》をまわっていた。
道路はだいたい平坦《へいたん》だが、左右の丘陵は高く、かなりじぐざぐな稜線《りようせん》がつづいている。福光は瞳《ひとみ》を凝らしたが、まだ、城砦《じようさい》らしいものも、修道院らしい建物も見えなかった。
フォイヒトヴァンゲンの町は見るからに燻《くす》んだ家なみがかたまっていて、古くから近郷の村の物資の集散地といった趣であった。とはいってもよそから商人が買い付けにくるではなく、ほんの農村相手の市場といったところ。
それは東西南北の四つの街道がここで合している地の利を見てもわかる。いわば四街道の市場町。しかし、トラック運送が発達した今日、廃市に近い。
馬車屋はすぐにわかった。商売柄、街道ばたにある。だだっ広い間口は馬車を三台ぐらいならべて格納するからだ。げんに一台が置いてあった。馬小屋は裏のほうにあるらしい。中は暗い。軒に馬の首の透し彫りをした青銅の古めかしい看板が下っていた。伝統のあるドイツの看板は愉《たの》しい。
福光が両わきに重い荷物を抱えて入って行くと、暗い中から六十ばかりの男が白髪頭《しらがあたま》を先に出した。
「おまえさんかね、アンスバッハのシュトラウスの紹介できた日本人の画描きってえのは?」
「そうです」
「おれはウォルフガングだ。みんなは馬車屋のメイと呼んどる。用件をおめえさんの口から聞こうじゃないか。まあ、その荷物をおろしてな」
土間に荷物をどさりと置いた。眼が慣れてくると、土間のつづきには仕切りがあって、炉と|ふいご《ヽヽヽ》があり、鉄床《かなとこ》が据《す》えてあった。馬の蹄鉄を修理する鍛冶場《かじば》である。大小の金槌《かなづち》などの道具が板壁にならべてかけてあった。
福光は画材店の主婦に云ったとおりのことを、もっと詳しく、熱を入れて述べた。どうやら馬車屋メイのおやじの様子からみると、脈がありそうに思えたからである。また、ここで振り切られたら途方にくれる。
メイのおやじはうなずきもせず、返事もせずに聞いていたが、福光の話がひと区切りつくと、咽喉の痰《たん》を咳《せき》で切って、
「見てのとおり、わしとこは馬車の運送屋でな」
椅子《いす》にかけ、臭《にお》いの強い葉巻をふかした。
「トラック屋が相手にしねえ山奥の村々に品物を運んどる。これでも定期便じゃ。一つは北回りコース、一つは南回りコース。それぞれ五、六カ村をまわる。一村でも広いからな。村落が無数にある。山辺の村落がな。一日一便でも時間がかかる」
煙にむせて、激しい咳をした。
「むかしは二便でも採算がとれた。いまは一便でも間尺に合わん。住民が減ったのじゃ。若い者が都会へ出て行く。それに、だいいち、西ドイツの人口じたいが少なくなったのじゃ。けど、わしの商売はやめるわけにゆかねえ。昔からやっているのだからな。いま残っている年寄りは、以前《まえ》からのわしのお得意だ。メイよ、メイよ、と可愛がってくれた。わしの荷馬車が山道を登って荷を届けに行くのを待っている。また駅送りにする荷を荷造りして、わしの荷馬車が登ってくるのを待っておるのじゃ」
裏のほうで馬が板壁を蹴《け》る音がした。廏《うまや》は裏にある。
「おまえさんは画描きか」
「そうです。この辺の村の風景を描きたくてね。車では入らない小道を伝ってね。そこの小村とか、修道院とか、古いお城とかをね。でも、歩いては行けません。このとおり荷物があります」
メイは土間の写生道具や荷物を見た。
「だったら、荷馬車の定期便に乗ったらどうだい」
「写生には時間がかかりますよ」
「仕方がねえな。せっかく日本から来たのだ。おまえさんも坊さんなみにしてやろう」
「なんだね、坊さんなみの扱いとは?」
「教区から教区長の司教さんが山の修道院を見回りなさるのに、わしとこの予備の馬を出しとるんでね。それを使いなされ」
「ほんとうですか」
「仕方がねえ。おまえさんの熱心と、この荷物を見ると、断わることもできめえ」
「ありがとう、メイの親方」
福光は感激の手をさしのべた。
「おまえさんはどこまで行くつもりかしらねえが、画を描くなら同じ道をここへ戻ってくるのも芸がねえだろう。だから、その馬はな、ずっと乗りつづけて、西南に五〇キロばかり行けばワイデンブルクの町に出る。そこの馬車運送店がウチの南回りの折返しだ。あんたの乗った馬はそこに預けなさい。明日の定期便の荷馬車がうしろにつないで引張って帰る。教区の監督司教さんの見回りのときもそうしておる」
「それから先はどうなるのですか」
福光はきいた。
「ワイデンブルクの町には宿屋もあるし、別な荷馬車屋もある。荷馬車屋のおやじはわしと懇意だから、あんたに紹介状を書いてあげる。宿屋でゆっくり寝て、ルイザの世話で馬を仕立ててもらうのだな」
「ルイザ? 女性ですか」
「女性てえもんじゃねえ。ルイザ・ヘッケルはまるで荒くれ男だ。十年前に死んだ亭主のほうがずっと女のようだったよ」
メイはざんばらの白髪を揺《ゆす》って笑った。
「馬の借り賃はいくらですか」
「教区の司教さんなみでええ。一日に五十マルク」
「安いですね。もっとお払いします」
「ありがとう。じゃ、二割増ぐらいを貰《もら》いますかな」
「わかりました。馬の保証料が要るでしょう?」
「司教さんなみにあんたを信用するよ。まさか車のように乗り逃げするとも思えねえから」
「どうも。けど、それじゃ、こっちの気がすみません。百マルクほど預けておきますよ」
「そんなには要らねえ。じゃ、折角だから、その半分だけ預かっておこうかね」
「親方。あんたは教区の司教さんの見回りに馬を出していると云っているが、その十ばかりある修道院というのは、どの派の修道院ですか」
「ベネディクト派じゃ」
「それは何世紀ごろの建造物ですか」
「わしにはよくわからねえ。なにしろ古いことは古いよ」
「アンスバッハにあるような建物かね?」
「あんなクリスマスケーキのようなものじゃねえ。なんといったらええかな。丸屋根のある、石造りの、ごつごつした修道院だよ。中はひどく入りくんでいてね、昼間から蝋燭《ろうそく》の灯をたよりに足を進めないと、真暗でわからねえよ」
ロマネスク様式の建造物かもしれない。だとすれば十一、二世紀だ。北イタリアから南フランス、西南ドイツにかけてロマネスク建築が多く遺っていると西洋美術史で読んだことがある。
「親方、その修道院の所在《ありか》をこの地図の上でマークを付けてもらえませんかね」
彼はアンスバッハの駅前本屋で買った地図をひろげた。
メイは老眼鏡をかけた。彼は地図をじっと眺《なが》めていたが、福光の赤鉛筆でたちどころに×印を入れはじめた。
それはほとんどが山峡で、詳細な地形はよくわからないが、修道院のあるところは、山岳の斜面のようであった。村落の家々は、さらにその麓《ふもと》にあって、修道院を囲う形になっているはずだ。それがメイの定期便荷馬車の立ち寄るお顧客《とくい》先なのだ。
「修道院には、わしはこのごろめったに行ったことがねえ」
彼は呟《つぶや》くように云った。
「年とって、足が弱くなってきたからね。修道院のある険しい岩場には、とても登れなくなったよ。それに馭者台に乗るのも若い者でね。こいつらは村から村へ荷物を集配するだけで、修道院なんかにはてんで見向きもしねえ」
「けど、教区の司教さんが年に二度か三度は回るのだから、各修道院には司祭や修道士が相当住んでいるんだろうな?」
「わしの知っているころは、司祭や平の修道士を含めて多い修道院で四十人、少ないとこで三十人は居たね」
「では、かなりの数だね。……修道士が町に買いものにくる様子から、修道院の人数がわからないかね?」
「ベネディクト派だよ、おまえさん。町で買いものなんかせんよ。働け、そして祈れ、だ」
「あ、そうか。自給自足か」
福光は質問を変えた。
「古い城砦《ブルク》の跡はないかね、親方?」
「知らねえな。そういうのは、いま×印を付けた村の衆に聞いたほうが早い。そこも写生するのか」
「白孔雀《しろくじやく》が遊んでいるところをね」
「白孔雀だって? そんなものはいねえぞ」
メイは、口をぽかんと開けた。
馬車屋のおやじは駄馬《だば》一頭を田代画伯≠ノ貸してくれた。予備の挽馬《ひきうま》だというが、もはや老いた駑馬《どば》である。
見回りに来られる教区の監督司教をお乗せするのもこの馬じゃとメイは云《い》う。親方の言葉なら仕方がない。じっさい、馬のうしろ背にトランクとスーツケースを重ねて縛りつけ、鞍《くら》の前に画架《イーゼル》、トリムチェアー、水彩道具を振り分けにして長身の福光自身がまたがったが、馬の膂力《りよりよく》はびくともしない。長年山路に鍛えた脚はさすがにたくましかった。それに丈は高くとも福光は軽量で、とうていゲルマン人の体重の比ではない。
メイが目印をつけてくれた地図を片手に持ち、白髪頭の親方に訣《わか》れを告げ、フォイヒトヴァンゲンの燻《くす》んだ宿場の四辻《よつつじ》を南へ向った。山の辺の道をぐるぐると辿るけれど、落ちつく先はワイデンブルクの町、そこにはまた荷馬車屋がある。経営するのはルイザという男まさりの後家だ。メイと連絡があるので、そこで馬を乗り換える。宿もルイザが世話するはず。昔ながらの「中馬《ちゆうま》」組織のようだった。
フランケン高原の中を南西へむかって進んでいるつもりだが、山間の小道を拾う。メイの方向指示の地図がたよりであった。ことに馬に乗っていては車からのがれるだけでも気苦労であった。
ようやく僻村《へきそん》の小道に入った。台地はせり上り、松柏に似た針葉樹の木立が蔽《おお》う。小石のごろごろ道は幅がせまく、路肩はところどころ崩れている。車もトラックも入らぬはずだった。
村の家はまだ見えなかった。低い森は黒く、その上に突き出た灰色の岩山の稜線《りようせん》に陽《ひ》が当り、白い斑点《はんてん》をつくっていた。
村落が近いことはたしかだ。
空山《くうざん》人を見ず、ただ聞く人語の響き、返景《へんけい》深林に入る……。人間、頭の中が空《から》っぽな状態だと、前に読んだことが泡沫《あわ》のように浮んでくるものだ。
はたせるかな森のあいだから人の声がしてきた。向うの耳に聞えたのはこっちの馬蹄の響きであった。メイの荷馬車の到着か、教区司教の修道院見回りかと、先方は思ったのかもしれぬ。がやがやと云いながら乱れた靴音《くつおと》が林の間から駆けてきた。
現われたのは子供四人、婦女《おんな》二人、農夫一人であったが、かれらは、騎乗の日本人に出逢《であ》うと、棒を呑《の》んだように足をはたと停《と》め、笑顔を急に消し、眼《め》をまるくし、口を開けたまま、身動きしなかった。
福光は、まずにっこりと笑って彼らにおじぎをした。それからゆっくりと馬から降りて彼らの正面にむかい、胸の前に右手を当て、上体をかがめていささか宮廷召使風な身ぶりの敬礼をした。
とつぜんお目にかかってあなたがたを驚かしたことをお詫《わ》びいたしまする、と福光はまず、奥さんたちに鄭重《ていちよう》に会釈《えしやく》をした。そのうえで、てまえはけっして怪しい者ではありませぬ、日本から参った画家であります、この村の風景の素晴しさに魅せられて写生に来たものであります、と云い、馬の背に積んだ画架だのスケッチ道具だのを示し、げんにこの馬は馬車屋のメイの親方から借りたのですと釈明におよんだ。
男女三人は、まずこの東洋人がわりと流暢《りゆうちよう》なドイツ語を話すのを意外とし、次にその礼儀正しさにいたく感服した。とくに婦人たちはそうだった。子供たちはその馬が荷の配達にくる馴染《なじ》み深いメイの馬車馬であるのを知っており、「シューマン、シューマン」と馬の名を呼んでは鼻柱を愛撫《あいぶ》していた。しきりと吠《ほ》える犬も叱《しか》った。
そうか、それは遠方のところをようおいでくださった、まあ、お茶でもいっぱいあがっておくんなさい、と四十ばかりの赤髭《あかひげ》の農夫が、警戒心を解いて、打って変って、福光に友愛を見せた。かくて坂道を上り、林の奥の村落へと誘い入れられた。彼の荷を積んだ「シューマン」は子供たちが嬉々《きき》として曳《ひ》いてくれた。
福光は五十戸ばかりのその村落で客人《まろうど》の待遇に似た心地とはなった。
彼がその村落で信用されたのは、村民に馴染みのメイ親方の挽馬「シューマン」が身分証明してくれたおかげであった。
この村落の家々の前にも派手な色を塗ったメイ・ポールが立てられている。五月の季節ともなれば色とりどりの吹流しがその柱の先にとり付けられる。
家の軒には、木彫りの像がある。キリスト教の神像よりも動物だの樹木だの女神だの戦士だのが彫られている。キリスト教以前の土地神、ゲルマン神話といったものに関係がありそうである。
家屋の下半分は石積み、その上は厚い漆喰壁《しつくいかべ》である。風を防ぐため窓は小さい。中に入ると土間で、土間の片側には粗いカーペットを敷き、テーブル、イスをならべ居間兼用にしている。仕切りの壁には花模様の壁掛けを下げている。天井には真黒な太い梁《はり》が這《は》っている。コの字形に囲った中庭は刈草の乾《ほ》し場であり、つづく建物は家族の寝室、納屋《なや》、物置小屋、次いで犬小屋などらしい。羊小屋は遠くはなれているようだった。
聞けば、この村落の名は、ヴェルデンベルク(Weldenberg)と云う。戸数五十三。
福光は豆殻《まめがら》で煎《に》た手製の珈琲《コーヒー》一杯を馳走《ちそう》になって、村落を出発した。
ここには修道院はねえだ、城砦《ブルク》もねえだ、修道院のあるところはな、ここから西南《にしみなみ》へほぼ一〇キロ、リンデルハイムちゅう村落だ。そこには川を渡って行かなくちゃならねえ。教区の司教さんもそっちへ見回りに行きなさるで。メイのおやじがこっちに×印を入れて、リンデルハイムに印を入れてねえのは、おやじもだいぶん呆《ぼ》けてきたとみえるの。いいとも、わしがその村の区長あてにおまえさんの紹介状を書いてあげるから持って行きな。
ここの区長が云う「客人《まろうど》」への親切だった。
駄馬に揺られて坂道を降る。ブナ、カシなどの林をくぐり、曠野《こうや》の小径《こみち》をとぼとぼと馬を進める。
雲は頭上に垂れこめるほど空に厚くはなかったが、それでもちぎれ雲が飛んで秋の陽をときどき翳《かげ》らせた。
家はなかった。見えてもひどく遠かった。遥《はる》かな丘陵の端なのである。そこまでは起伏の多い荒地で、耕地一つなく、牧草地一つない。芒《すすき》の穂が鈍い銀色に波揺れる下は、シラス台地か、それとも泥炭地《でいたんち》ででもあるのか。山の形はまるく、頂上が屋根のように水平になっているのもあった。
急激に下り坂にかかった。狭い道はじぐざぐに曲る。馬は前脚を閊《つか》えて崖《がけ》から転落すまいとする。川岸に出るまではそれくらいに断崖《だんがい》に近かった。川幅は広い。一〇〇メートルくらいはあろうか。洋々たる流れ。地図を披《ひら》くとその名前が出ている。
コンクリート造りの橋を渡った。ふと向うを見ると、立派な水道橋がある。古代ローマ時代のそれに擬した六連のアーチ形。見ると両岸に赤屋根の密集がある。浄水を橋で渡して供給しているのだった。さらにその向うには本格的な橋梁《きようりよう》がならんでいた。アウトバーンが通っているのだった。水道橋の下はダムになっていて、白鳥の群が泳いでいた。別荘地とは思いがけなかった。
道を山寄りへと取った。馬を小径へ進ませる。向うから山脈がしだいに近づいてきた。彼は馬の背から前方の尾根ばかりを見つめた。
丘陵の黒っぽい森の上に白い一点がある。この距離から眼に入るのだから相当大きな建造物だ。とすれば修道院以外には考えられない。シューマンよ急げ。鞭《むち》のかわりに手綱を大いに揺った。
山はいよいよ近くなった。白い壁の輪廓《りんかく》も明瞭《めいりよう》になってきた。尖塔《せんとう》がそびえ、上に十字架が輝いている。その横に白壁の建物が長くならんでいた。岩山の上だった。
下方の民家の屋根が森の間からちらちらと見えてきた。頂上の修道院を囲むように麓《ふもと》に展開しているのだ。だが、村は針葉樹の多い林の中にまだ全貌《ぜんぼう》を包みこんでいた。
登り坂にかかった。坂は村落の入口である。その証拠に道の傍に絵馬堂があった。
ドイツの絵馬はVotivgem獲de(フォティフゲメルデ)という。絵馬をいっぱい掲げた堂宇を絵馬堂という。
絵馬は、日本と同じに病気|治癒《ちゆ》の祈願奉納である。祈るは、キリストさま、マリアさま、ヨハネさま、パウロさま、ペテロさまである。その稚拙な聖像や背景の風景に色彩がつけられている。日本の絵馬とはよほど趣を異にしている。
木にも信仰がある。
モミの木は「希望」、カシの木は「神聖」、ブナは「供犠」、菩提樹《ぼだいじゆ》(リンデンバウム)も「神聖」などと仕分けするのは近世思考のこと、もとの原的な自然崇拝はどうやら東方から来ているようだわいと福光は思った。
登り坂に建った絵馬堂に刻された文字を読んだ。
ヴェルデンベルク村の区長から聞いた村に相違なかった。
彼が坂道を進むことおよそ一〇〇メートルばかりのところで皮つきのモミの枝でつくった急ごしらえの柵《さく》の木戸があった。傍の小屋から屈強の男が二人、ばらばらと出てきて誰何《すいか》した。
彼は馬をおりて、一〇キロ東北にはなれた隣村の区長からこの村落の区長あての紹介状をとり出した。
警備人はそれを読み、メイの「シューマン」を認め、区長の家はもう一〇〇メートルばかり上って右に曲ったところだと教え、木戸の門をぎいと押し開いた。
福光のほうがすこしあわて、そこの絵板にはエイズの赤い悪魔が描いてあるが、この村落にはそうした不幸な感染者でも出ているのかと遠慮がちに聞いた。このものものしい警固ぶりを見るとそうとしか判断できなかった。
すると農夫二人は顔を見合せ、そういうことは答えられない、区長に会って聞くがよいと云う。その返事じたいがこの村にエイズの患者か感染者の発生を肯定していた。
遠くから眺めると深い森に見えたが、じっさいは低い木立の群が家々の間にかたまっているだけであって、その民家も赤屋根はなく、石積みと漆喰《しつくい》の建築であった。それらが斜面についた螺旋形《らせんけい》の道に沿って建てられ、頂上が岩山の修道院であった。
区長の家はすぐにわかった。正面《フアサード》に木彫りの紋章《ワツペン》が掲げられてあった。やや楕円形《だえんけい》の中に十八世紀|辺境伯風《へんきようはくふう》な礼装をした先祖の彫像を中心に、上下に文字を入れたリボンが飜《ひるがえ》っている。
先祖の威厳とは似ても似つかぬ七十すぎの腰の曲った区長は、眼鏡をかけて紹介状を熟読していたが、脂《やに》のたまった眼で福光を見上げて、おまえさんは画描きかときいた。
この上の修道院を描きたいのです、と福光は云った。
「修道院は、いま閉鎖されとる。内部《なか》には入れない」
「わたしは画家です。このベネディクト派修道院はいかにも由緒《ゆいしよ》ありげです。どのくらい古いのですか」
「なんでも三百年ぐらい前ということじゃ」
「十八世紀ですか。そりゃ旧《ふる》い。ぜひ描かせてもらいたいです。司祭にお目にかかりたい」
「ダメだ。司祭は疲れておられる。だれにもお会いなさらん。それでのうても、写経の管理が大切でな。この修道院には貴重な写本がいっぱいある」
「次席の司祭に」
「忙しい」
「修道士さんに」
「巡回説教に出ておるのが多い。人手が足りない」
「それでは、外から修道院の建物を写生します」
「それは制《と》められん。だが、遠くから描けよ。けっして近づくな」
「なぜですか。エイズに関係があるのですか」
老区長の顔に狼狽《ろうばい》の色が走った。痩《や》せた肩をぶるんと震わせた。
「おお、神さま」
区長は椅子《いす》から滑り落ち、跪《ひざまず》いて急いで十字を切った。
「そんな悪魔と、神聖な修道院とが関係があるはずはない! なぜ、そんなことを訊《き》く?」
眼は爛《ただ》れていたが、瞳《ひとみ》は鋭かった。
「村の入口の絵馬堂にエイズが描かれていたからです。修道院の坊さんはともかくとして、村の衆にエイズの感染者が出ているのはたしかでしょう? さっきも柵を守る自警団の人がそのことなら、区長さんに聞いてくれと云いましたよ」
福光は修道院への坂道にかかる。
区長は、けっきょく村落内のエイズ患者または感染者について明かさなかった。だが、発生していることは事実のようである。
いったい、ベネディクト派修道院とは、六世紀の前半に聖ベネディクトゥスがローマの南方のモンテ・カシノ山に最初の修道院を営んだのにはじまる。ベネディクトゥスがつくった七十三カ条の戒律は「服従・貞節・清貧」を理想とし、「祈りと労働」を修道士の生活基準とした。
修道院は俗界とはなれた集団生活であり、ひとたびここに入所すれば、生涯《しようがい》を信仰生活に送ることを理想とする。入所規定によって二カ月間の試験期を経て練習生となり、六カ月間の見習修士となって修行ののち誓約を書いて正規の修道士となる。修道士でも、はじめは副修士で、次に正修士に進む。彼らは院長の徹底した統制のもとにおかれる。
修道院はその世界で生活する人々の小社会だから自給自足である。生活の最小限の必需品はここでつくり出されなくてはならない。人々は、祈り、働け、となる。労働は人々の年齢、技能、強弱に応じて、農耕、園芸、建造、書写などの部門にわたる。
ベネディクト派は、東方の修道院のように戒律が峻厳《しゆんげん》に過ぎず、現実社会に即して中庸を得ているため、急速にヨーロッパ諸国のあいだにひろまった。ベネディクト派修道院の開墾労働は、荒蕪地《こうぶち》の開拓ともなり、各地の国王(侯王)の利益とも一致した。ローマ法王からの後援もあって、はじめのころは修道院へ国王から寄進や寄付があった。
しかし、「中世」に黄昏《たそがれ》が訪れかけると修道院の状況も一変してくる。
イエズス会はローマ法王の親衛隊で、宗教改革運動が起るたびに法王のためにその防衛役をつとめた。集団的宗教生活よりも一種の軍隊的組織の行動主義だった。日本にはイエズス会(耶蘇会《やそかい》)のザビエルなどが先に到着して布教して、マニラからきたスペイン組と衝突した。
ヨーロッパのベネディクト派修道院はイエズス会を先頭とする宗教改革反対運動のおかげでふたたび復興したが、こんどはフランス革命が起り、その影響をうけた国々が修道院を破壊した。また十九世紀にはスペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツの各国も修道院の財産を没収した。
こうした受難の歴史にもかかわらず、第二次大戦後のベネディクト派修道院は復活し、伸びている。布教だけでなく、病人や貧民の救済、学術の発展につくしている、とは、どの本の解説にも出ている。
福光は「シューマン」の背に揺られ、坂を上りながら考えた。区長はこう云《い》った。修道院は閉鎖されている。院長は疲労で臥し、次席司祭は多忙をきわめ、修道士の半分は巡回説教で長期不在、残った修道士は手不足のためにきりきり舞いをさせられているようだ。
「巡回説教」とは聞いたことがないが、この修道院だけのしきたりだろうか。
村は出入口に柵を設けているくらいに人の出入りを封じているのである。エイズの噂《うわさ》が流れないようにしているからか。聖なる山上の修道院までエイズに侵されたとは。――その名を聞いたこともない山村が聖堂ごとソドムに墜《お》ちた。……
また区長はこうも云った。
――客人、岩山の修道院には近づくなよ。
エイズは山から麓村へと下りてきたのだ。仙薬《せんやく》霊草のかわりに毒のウイルスを撒《ま》きちらした。修道院はホモの殿堂のようにいわれている。一人でも下界からエイズ・ウイルスを運んでくる僧があれば、その結果は、想像するだけでも恐ろしい。
福光は写生道具をたたみ、シューマンの背にくくりつけた。
雲のふちに夕景の朱色があらわれていた。
夜のワイデンブルクに着き、ルイザ・ヘッケルの馬車屋にシューマンを返却した。
帳場にいた革ジャンパーに長靴の肥った親方が福光の出したメイの伝票を一瞥《いちべつ》し、馬手に客の荷を下ろしてシューマンを馬小屋へ曳《ひ》いて行くように命じた。
「わたしが、ルイザだけど」
どら声で、メイに聞いていなかったら女とは思えなかった。髪は小鳥の巣のようにもつれ、眼は忿《いか》り、鼻は先が仰向き、口は横にひろく、顎《あご》は二重に括《くび》れていた。腹が突き出て、胴がふくれている。
「メイから、あんたのことは聞いてるよ。宿はとってあげている。いいホテルじゃないが、今夜ひと晩だからね。換え馬も用意してある。駄馬《だば》だけどね。メイのシューマンよりはいくらか|まし《ヽヽ》だよ。明朝は何時に出発?」
「八時半にここへ来たいです」
「よかろう。で、コースは?」
「わたしは画描きです。気ままにスケッチをしてまわりたい。それも古い城とか修道院とかをね。なるべく人里はなれた場所にあるような。だから馬に乗って行くのです」
「そういう遺跡はこのへんに多いよ」
福光は、メイが印をつけてくれた地図をとり出して見せた。
しかし、ルイザは机の抽出《ひきだ》しから店の地図をとり出した。
一万五千分の一の地図を田代画伯≠フ前にぐっとさし出した。
「ごらんよ、この地図を。このワイデンブルクを中心にして西と東の区域に※[#castle.jpg]の標示がやたらと出ているだろ。※[#church.jpg]も多いね。※[#castle.jpg]は城跡、※[#church.jpg]は教会か修道院だよ。もう何十となくあるね。このへんアルブーフというんだ。西南のミュンシンゲンのあたりにもそういう旧跡地域がある。もっと西のチュービンゲンの南のほうにも多いね。これらは、みんなウルムよりは西にある。おまえさんがウルムへ下らないで中間の高原を行く気持がわかったよ」
ルイザは云って、田代を見た。金壺眼《かなつぼまなこ》だが、瞳にはやはり女らしいものがある。
「だけど、日本の画描きさんよ。この地図に出ている古い城や教会や修道院は、みんな観光客がバスやドライヴで立ち寄るところだからね。ほれ、地図にもその区域が赤い斜線で囲ってあるだろ? そんな観光地を見たって、おまえさんの画になるかね。観光客の知らない、だれ一人として行かない山奥の城や修道院のほうが画の材料になるんじゃないかね?」
「そういうところがありますかね」
「わたしは知らないが、きっとあるよ。観光地になるには、ひとところにかたまっていないといけないけど、あっちに一つ、こっちに一つ、はなればなれにぽつんぽつんと建っているのがあるよ」
観光地と知られるほど古城や旧寺院がかたまっているこの地方のことだ。ほかにも孤立したものがかならず点在しているはずだった。それも人界を絶した山間にあるはずだ。そう見込みをつけて来た。
「ぼくは気長に馬で歩きます。こちらの次の立場《たてば》はどこですか」
江戸時代の街道「中馬《ちゆうま》」に似た制度。ホース・ステーションのドイツ語で通じた。
「このワイデンブルクから西南にガマーティンゲンという小さな町がある。中継ぎ場だから、そこに馬を返しておくれ。そこには鉄道駅もあるからね」
福光は質問をためらったが、思い切って訊いた。
「ルイザさん。ぼくはリンデルハイムの村から来たんだけど、あの村の何か噂《うわさ》を聞いていませんか」
ルイザは、ちらりと彼を見た。
「さあ、なにも聞いていないね」
のんびりとした返事とは反対に瞬間の視線は鋭かった。
ルイザは知っている。知らないはずはないのだ。
「最後に一つだけ訊きたいのですがね。このワイデンブルクの町は大きいですな」
「そうだよ。人口はほぼ二万よ。それがどうしたの?」
「それだけに大きな都会だから、近隣の風聞も集まってくるでしょうね」
「そりゃ、ここは取引市場でもあるからね。染色《そめもの》、織布《おりもの》、繊維などは昔から有名さ。いまは『ツァイス』などのレンズ工場ができているがね。なにしろ空気が澄んでいるから」
「織布の産地か、するとさぞかしタペストリーも織っているだろうね?」
「ひと昔前までは織っていたけど、いまはやめているね。いまどき、あんな手間のかかるものよりは、みんな製鉄工場や鋼材工場やレンズ工場へ働きに行ったほうがカネになるよ。壁掛けを織る上手な女なんて居なくなったよ」
「だけど、むかし織ったタペストリーは、街の古美術店などで売ってないかね?」
福光は質問をつづけた。
「たぶん、売ってないだろうよ。あんなものはだれも買いはしないからね」
「家に昔から伝わっている壁掛けを骨董屋《こつとうや》に売り払ったのが、骨董屋に積んであるんじゃないですか」
「おまえさん、壁掛けが欲しいのかい?」
「欲しくはないが。タペストリーでも、なるべく色のない、地味なタペストリーを買いあさる人がいると聞いているのでね。それがこのワイデンブルクにも現われているんじゃないかと思ったんだけど」
「さあ。聞かないね」
ルイザは太い首を振った。
「いや、そんなものを買う人間はいないよ。タペストリーは色のあざやかな、派手なものときまっている。そんな、色のないタペストリーを買いあさるなんて、変り者が現われたら、知ってる骨董屋がすぐにわたしの耳に入れるはずだよ。骨董屋といっても、ここには二軒しかないんだからね」
「ではもう一つ」
「まだ、あるの?」
「白い孔雀《くじやく》ばかりを飼っているところを知りませんか」
「白い孔雀?」
「そうです。扇形の羽根をひろげても、色がなくて真白なピーコックです。それを放し飼いしているような庭園です」
「白孔雀ばかりを? おお、気持の悪い。そんなもの、聞いたこともないね」
ルイザは、もりあがった肩をさらにすくめたが、その眼にはガラスの破片のような鋭光があった。
他の荷物は馬車屋に預け、スーツケースだけを持って福光は教えられた宿へ行った。
ワイデンブルクの街は夜おそくまで賑《にぎ》やかで広い大通りにはトラックが頻繁《ひんぱん》に往来している。「ツァイス」のネオンが赤く輝いていた。この市街の上を大きな黒い山塊がのしかかるようにせり出していた。ここはアルプ山脈の山麓《さんろく》。
ホテルは川沿いだった。
シャワー室に入るため上着を脱いだ。上着は重かった。ポケットに銅版の浮彫りキリスト、マリア、ヨハネの折りたたみ三尊像が入れてあったからだ。福光はこの携帯祭壇を「念持仏」と呼んでいる。チューリッヒの古美術商クララ・ウォルフから買った。
クララの地階陳列場が浮んできた。
銅版に肉筆で描いた聖書物語からとった男女の人物像のミニアチュール。
あれだけの腕だ。十九世紀風の肖像画も描けよう。ドミニコ修道院の聖職者たちは、キリスト教と現代美術の結合を意図して活動をしているということだが、そんな純粋な芸術活動ではなく、注文があればなんでも承る職人《アルチザン》のグループだ。
ヴェラスケスのような宮廷肖像画を欲しい人々が居るのだ。福光はそれをチューリッヒでも考えた。冠、楯《たて》、鷲《わし》、獅子《しし》、怪獣などを配す家紋を誇らしげに掲げた貴族の邸第《ていだい》だ。そこには豪華だが色彩を除いたタペストリーを垂らし、まわりには先祖の肖像画が荘重にならんでいる。
――福光はベッドにぐったりと横たわった。
夢を見た。※[#castle.jpg]や※[#church.jpg]が無数の釘《くぎ》となって空中に舞い飛んでいた。
ワイデンブルクを出発したのは朝九時前であった。この辺はウルムの北にあたる。
馬はメイ親方のシューマンよりも二歳若く、まだ逞《たくま》しさを残していた。まったくの予備の挽馬で「ボン」という名だ。ルイザは最後まで福光の前に姿を現わさなかった。が、この丈夫な馬をあてがってくれた彼女の好意はわかった。
町を出る前に食料三食分を仕入れ、買った大きな水筒に蒸溜水《じようりゆうすい》を詰めた。トランク、スーツケース、写生道具、負担は変らないがボンの脚はシューマンよりも軽かった。馬は坂道をひたすらに上った。いよいよシュヴェビッシェアルプ山脈の中央縦断にかかる。
空は曇っていた。が、雨の気づかいはなかった。黒く濁った雲と、それをうすめたような雲とが斑《まだら》になってゆっくり動いていて、ときどきうすら陽《び》が洩れた。
車の往き交う広い道を避け、狭い道を辿《たど》った。それからさらに小さな道を択《えら》んだ。磁石の針を西南にむけ、方向から外れないようにした。
この山脈には、聳《そび》え立つような険嶺《けんれい》は見えなかった。ジュラ紀特有の石灰岩地帯である。
村はところどころに見えた。が、それもメイ親方の馬に乗ってフォイヒトヴァンゲンの町を出発していらい、そろそろ見飽きてきた小群落であった。ちょっとした集落が、向うの丘陵の陰やこなたの木立に赤い屋根と白い壁の点描になっていた。
森林の色は陰鬱《いんうつ》だった。樅《もみ》を主とする針葉樹林がぜんたいに黒っぽい上に、曇天がさらに暗鬱にしている。人の声は聞えず、車輛《しやりよう》の音もしなかった。乗った馬の単調な馬蹄《ばてい》の響きと、蹄《ひづめ》の蹴《け》散らす小石の音だけがわが耳に入った。
これまで、遠望できた一条の山脈もやがて視界から没した。その連山も起伏の少ない、ゆるやかな稜線《りようせん》であった。頂上のところどころが台地のようになっていた。城砦《じようさい》の跡かと凝視したが、どうやら岩山のようで、斜面は白い崖《がけ》になっているところもあった。この州の名になっているバーデン・ヴュルテンベルクにはバーデン(温泉)が多い。あの山頂台地形も火山の溶岩でできたのではないだろうか。
山が見えなくなったのは、谷に下りたからである。道は川に沿っている。川は狭いが、流れは緩《ゆるや》かだった。だが、谿谷《けいこく》の底に包みこまれて周囲の展望がきかない。磁石をみると、川の上流が北の方向である。さきほど見た障壁のような山脈が分水嶺だとすると、その麓《ふもと》はそう遠くなさそうだ。西南を指向した思惑からは外れるが、城砦にしても修道院にしても山ぎわでないと見つからないようだ。
川に沿った小道をたどるにつれて、水の流れが速くなった。川の中の石はみな白い色をしている。
あたりはいっそう陰気な深緑色に蔽われ、黄昏《たそがれ》のように暗くなってきた。生い繁《しげ》った下草が道を隠した。馬は草を踏み折って進む。その下は固い岩質だった。
こんな様子では果して人家のある場所へ出られるかどうか危ぶんだが、道がついている以上、どんなに小さくとも村落があるにちがいなかった。
道標は立ってなく、牧草地も耕地もなかった。ただ、一筋の小道をたよりに、薄明と昏冥《こんめい》がまじる森林の中を上って行くだけであった。
石の多い小道は、やがて川から離れた。そうして曲りくねった道になった。これまでの川音が遠ざかると、馬蹄の音が高くなり、谷にこだました。
森林からは脱し得なかったが、いくらか明るくなった。樹木が少なくなったのである。下草も短くなった。樹《き》は伐採され、下草は刈られたあとがあった。が、まだ家は見えなかった。展望もひらけなかった。
福光は口笛を吹いた。日本の唱歌だった。
人里が近くなれば、こちらから到着の予告を発しねばなるまい。先方にとって、不意に、異人が現われたとあっては、緊急警戒の要があろう。最悪の場合、襲撃を受けるかもしれない。口笛はそのための用心と、自身の気持を引き立たせるためであった。
ボンよ、進め、あの丘の道へ。
馬の背に揺られ、口笛を吹きつづけていると、虚空《こくう》から何ともいえない濁音の合体が降りそそいできた。
見上げると、鴉《からす》の群が騒がしい啼《な》き声をあげて舞っていた。
鴉がいる。村落は近いのだ。
まだ森林の中であった。鴉の群は梢《こずえ》の右に切れ、左に切れた。一群は高く、一群は低く往き交い流れている。旋回運動をしているのだった。啼き声と同時にすさまじい羽音がまじる。混淆《こんこう》して金属性の奇妙な音響となっていた。
ボンがたてがみを振り、前脚をあげ、恐れて嘶《いなな》いた。一陣の風とともに十数羽の鴉が急降下してきたのだ。
真黒な両翼を大きくひろげ、白い眼《め》をむき、太いくちばしを槍《やり》のように尖《とが》らせて突込んでくる。福光は鞭《むち》をとって空へ振るった。鴉の降下は二メートル上のところで方向を転回させた。
馬の抵抗と福光の鞭が奏効したのではない。ハシブトガラスの偵察《ていさつ》は、馬の背に積んだ包みに食べものの臭《にお》いを嗅《か》ぎはしたが、その袋が厚いズック製だったので、ひとまず鉾《ほこ》を収めたためのようだった。
ぱちぱちぱち、と音が林の中から起った。福光が馬をとめて、眼をむけると、ひとりの男が棒で樹の幹を次々と叩《たた》きながら横合いから現われた。
乱れた髪に木の葉や草の屑《くず》が塵埃《ごみ》のようにからんでいた。茶色のシャツの上によごれた黒いチョッキをつけ、木綿製の青いズボンに兵隊靴の古いのをはいていた。日焦《ひや》けしたその顔は四十を越えてみえたが、行く手に立ちふさがるようにして眼を光らせていた。手には太い棒を持っていた。
農夫と知って、福光は馬から降りて会釈《えしやく》した。
「あなたはこの村の方ですか」
そうだと答えた農夫はまだ油断なく身がまえていた。
「よいところでお目にかかって仕合せです。わたしは日本から来た画描きです」
福光は自分の顔を突き出し、馬の背に積んだ写生道具を指し、手つきで画を描くしぐさを示した。
農夫は彼が東洋人の面貌《めんぼう》なのを認識し、馬に積んだ画材を見て、ようやく警戒を解いてきいた。
「どこの家へ行きなさる?」
「知り合いを訪ねて行くのではありません。このへんの景色を写生にきたのです」
「こんな、うら寂しい土地をかね?」
「寂しい風景ほど画になるのです。そこに古い城とか修道院があれば、よけいにいいのですよ」
「そういうのは、もっと北のほうにいっぱい集まっとる。そっちへ行けば、なんぼうでも見られる」
「それはアルブーフ地方ですね」
「ラウターブルク村やアーデルマンシュタン村なんかが中心だ」
地図の上でも※[#castle.jpg]が集まり、※[#church.jpg]が散在するところだ。
「南にあたるこの先のグローザー・ホイベルクあたりには、ものすごく集まっとる」
この僻村《へきそん》の農夫がよくそんなことを知っていると思った。福光が見直した思いでそのことを云うと、なに、わしは若いときあのへんをまわる観光バスの修理工をしていたんでな、と彼は云った。手は大きかった。
「このへんの城跡と修道院というと……」
彼は鼻の頭を擦《こす》った。
「それぞれ一つだけあるがね。修道院は村の上、城は山の上」
両方とも古いかと福光は問うた。
「城は十二世紀。修道院は十三世紀の建物」
ここから遠いか、と福光は昂奮《こうふん》気味に訊いた。
「それほど遠くない。修道院へ行くには村の中を通る。城へ達するには、そこからまた上に登り、尾根伝いになるがね」
ぜひ、案内してほしい。おねがいします。お礼は十分にお出しする。頼むと、農夫は、いま忙しいからと言下に断わった。
だが、べつだん畑仕事や牧場の仕事をしているふうでもないこの村男が、道案内を断わるには案内賃の条件にあるのだろうと福光は察し、相当なお礼をするが、どうだろうか、と持ちかけた。かの男はそれを聞き、カネなんぞはどうでもよい、それよりも、前からの仕事の約束があって道案内するひまがないのだとくり返して、すたすたとまた林の中に入ろうとした。
この男にここで拒絶されたら密林の中に置き去りにされたようなものである。ことに修道院へ行くには村の中を通るということである。昨日のリンデルハイムの村落の経験もあることだし、ぜひとも村の人間の同行が必要であった。
福光は農夫を追い、その肩を押えて云った。いまここであんたに突きはなされると、大海の中に漂流する小舟と同じになる、せっかくいいお方にめぐり遇ったと神に感謝していたのに、ここで見棄てられてはいっぺんに地獄へ突き落されたようなものだ。
農夫は迷いに迷った揚句といった体《てい》で、情《じよう》にほだされたように、しぶしぶながらその依頼を承知した。
「ほんとうに、わしの案内は修道院までだよ」
彼は木の葉の屑がからみついた髪を、いまいましそうに掻《か》いて云った。
「わしはそこで引返すからね。城は修道院からでも、山の頂上《てつぺん》に立っているのが見える。あとはじぶん一人で行くがええ。その約束だよ、いいかえ?」
「いいとも。助かります」
「なんてこった、こんな厄介《やつかい》な風来坊に遇うなんて」
彼は福光を睨《にら》んだ。
「あんたの口笛を耳にして、ここへ来たのがいけなかった。それに、鴉まで押し寄せてきたとはな。聞いたこともねえ怪体《けつたい》なリズムの口笛と鴉とが森の悪魔を呼び寄せるだ。もう口笛を吹かないでくれ」
曲りくねった暗い小道は、谷間の出入りに沿っていた。農夫は先に立って歩いていたが、けっきょくはボンのくつわを取る羽目となった。
この馬はワイデンブルクの荷馬車屋ルイザ・ヘッケルさんから借りた「ボン」という名の馬だが、あんたはこの馬に見おぼえはないかね、と福光が訊くと、農夫は、ボンのことはもちろんワイデンブルクのルイザのことも知っていなかった。このへんの村には荷馬車屋も荷の配達も集めにもきてくれないと云う。よほどの僻村とみえた。
谷間の道が坂上にあがると、隧道《すいどう》をくぐり抜けたように突然あかるくなった。
眼の前に、山嶺と平原とを水平に分割した風景が豁然《かつぜん》と現われた。
灰色の雲は相変らず空を掩《おお》っていたが、近景の広々とした平原には緑の草のカーペットが敷かれ、そこには形のよい木立の群があちこちにあった。思いがけなくも落葉樹が多い。
濃緑色の杜《もり》が遠景の山裾《やますそ》をベルトのように巻いていた。山の三分の一ほどは、うすい黄褐色《おうかつしよく》の岩山であった。これで陽が照っていれば白い岩山が光り輝いて、下方の緑と快い対照になりそうだった。
野には紅葉が斑に点在し、小さな赤い実が葉の蔭《かげ》から出ていた。
福光は思わず叫んだ。
たとえ偽《にせ》画家でも、画の技法は知らなくとも、馬の背からスケッチブックをとり出したい衝動に駆られる景色だった。
山の白い崖が切り立ったようになっている。草の生えた道の下も石灰岩質の岩であった。川の岩も白かった。ジュラ紀の山系が南フランスからスイスにわたっているのに彼は気づいた。
岩山の下に森林があった。なだらかな稜線のようだが、それでも起伏がある。森林のない頂上に白い小さな建物があった。尖塔《せんとう》が見えた。
修道院だね、と確認を求めると農夫は返事もせずに跪《ひざまず》いて十字を切った。
修道院に行くには村の中を通る。福光は視線を下げた。白い家の集まりが、山裾をとり巻く森林の間からちらちらのぞいていた。
何という名の村ですか。
「ヴァルトボイレンというだ」
村の中心に修道院があるのはお定《きま》りである。村落は修道院の周囲に形成され、ひろがってゆく。
「あの修道院へ教区の司教は見回りにみえるかね?」
めったに来ないね、と農夫は肩をすくめた。遠いし、辺鄙《へんぴ》な所にたった一つしかないからだろう。
視線を稜線の右へ移した。そこにも空に突き出た白い岩山があった。その上に、たしかに古い建造物がのぞいていた。城砦の隅《すみ》についた塔の一部だ。
古城。
福光はぞくぞくしてきた。
城の内部は保存されているか。
「見ればわかるだ。だいぶん荒れとるがな」
――して、この村にエイズは?
福光は口まで出かかった言葉を呑《の》みこんだ。
三角形にもりあがった丘陵をめざして進むと、荒蕪《こうぶ》の原野にも耕地や牧畜地があらわれた。丈の低い樹林の中に小さな農家が二軒三軒と見られるようになり、まわりには麦畑があり、果樹園があった。せまい面積の麦畑は貧弱で、果樹園には果実《み》がなかった。囲いのある牧草地には、綿をちぎって撒《ま》いたような羊の群がなかった。
いよいよ丘陵の麓にとりついた。案内の農夫は福光の乗馬の前にさき立って歩いている。登り道は、傾斜面の濃い森林の間についていた。ヴァルトボイレンの村落は、そこにあった。
道は稲妻形に曲りくねって頂上へ向い、その両側が密集した家屋だった。白い石灰岩がむき出た頂上からおよそ七〇メートル下より麓までが針葉樹を主体にした森林地帯で、家々はその中に集まっていた。頂上の修道院を裾でとり巻く家屋の壁もやはり石と漆喰《しつくい》だった。屋根の赤い色は鉄色がかっていた。山に黴《かび》のようにとりついている村は陰気くさかった。
その陰湿な空気は、村の中を通るときよけいに感じられた。すべての家が入口の戸を閉めるか、わずかに開けているだけだった。窓という窓は閉じられていた。
村びとは外を歩いてなく、半開きの戸口の前に立つ女たちは、腕組みして前を通る旅行者の乗馬姿を見送っていた。
旅びとはともかくとして、その馬の前を行くのはこの村の農夫である。彼とは隣り近所のつきあいがあるはずなのに、眼を合わせても声一つかけなかった。
素姓の知れぬ人間を上の修道院へ引張ってゆく農夫に白い眼をむけているようだった。
村落は丘の腰部《ようぶ》をひろげたスカートのようにとり巻いている。曲りくねった道は村じゅうのほとんどを縫っていた。どこまで行っても人々の奇異と敵意の眼があった。
エイズだ、と福光は思った。
リンデルハイム村の経験からだ。村の入口に絵馬堂はないけれど、また誰何《すいか》する木戸は造られてないけれど、外来者にたいする村びとの警戒は同じであった。
中腹にかかって、家が切れたとき、福光は遂《つい》に農夫に訊いた。
この村の家々は日暮を迎えるように戸を閉めているが、なぜだね。
「鴉ですがな」
「鴉?」
「客人、あんたがあの森の中を口笛を鳴らしながらこの馬で通ったとき、空から鴉の群が舞いおりて、おまえさんの食料を狙《ねら》っただろう?」
福光は空を見た。雲は動いていたが、黒鳥の姿は一つもなかった。
「あれはコルクラーベというてな、鴉のなかでもいちばん悪賢くて、悪食《あくじき》で、しかも獰猛《どうもう》なやつだ。クチバシが大きくてな」
コルクラーベとは、日本で云う「ハシブトガラス」に近い種類の鴉だろうと察した。
家の窓や入口を閉めているのはエイズの流行のためかと思っていた福光は、ハシブトガラスと聞いて、拍子《ひようし》抜けした。
「鳥のなかでも鴉はいちばん頭脳《あたま》がええ。コルクラーベになるとそれが悪賢くなる。あいつらは人間の様子をじっと見ておって、隙《すき》あらば食べものを奪《と》る。その群には親分がいて何千何百羽もの手下どもを指図する。手下の鴉どもには、その命令が軍隊のようにぜったい服従でな。じっさい奴《やつ》らは親分の命令で行動を起すと、戦場《いくさば》の兵卒のように勇敢に攻撃してくる。その猛烈な勢いといったら、まるで嵐《あらし》のようなものじゃ。家の入口や窓から中に鴉が入ってくるのを防ぎきれん。棒で殴ろうが、刃物をふりまわそうが、やつらは傷ついても傷ついても入ってくる。なにしろ向うは何百羽もいるのだからな。多いときは何千羽もやってくる。人間のほうが鴉のクチバシに咬《か》まれたり、ひっ掻かれたりして、血まみれになる」
岩場の険しい坂道にかかった。樹林も草も絶えた。爪先《つまさき》上りの道の両側は石灰岩の崖《がけ》。その真白な世界は、曇天の下で洩《も》れるうすら陽《び》でもハレーションを起し、眼がくらむ。
福光は坂の途中で馬をおりた。ボンは首を垂れて下を見つめ、前脚を要心深く運んでいる。
前を歩く農夫はなおも話をつづけた。
ハシブトガラスに侵入されたら、台所はめちゃめちゃに破壊される。食べものは備蓄用の物まで、傭兵隊の蛮行なみに掠奪《りやくだつ》される。鉄砲を撃っても効果はない。五、六羽くらい射落されても鴉の大群にとってもののかずではない。一時はぱっと散って逃げるが、敵意をむき出しにしてまたも襲撃してくる。それも何回となくやって来る。毎日じゃ。その執念深さに人間のほうが参る。
なまじっか鴉に抵抗すると、むこうの復讐心《ふくしゆうしん》と闘志をかきたてるのだよ。
「客人は見たか。牧場には羊一頭いねえのを。果樹園のリンゴは鴉に喰い荒されただ。羊を小屋の中に匿《かく》しているのは、大事な毛を鴉がクチバシでむしり取るからだ。ただひとつの防ぎようは、家の戸を閉め、窓を釘《くぎ》づけにするだけだ」
「鴉は、一年じゅうそんなふうに襲ってくるのかね」
「いや、冬になる前のいまごろが激しい。このへんは土地が高いので晩秋が早くくる。鴉どもは食べものがなくなる冬にそなえて、せっせと食料を貯《た》めこむのさ。それから巣作りだ。牧場で動いている羊をめがけて鴉が襲いかかり、逃げまわる羊の背に乗って毛を引き抜くのじゃ。羊の毛は、柔らかくて暖かくて、巣のベッドにはもってこいだからな」
「いま、鴉はいないようだが」
福光は空を見まわした。
「なアに、どこか離れた森にひそんで様子をうかがっているのだ。ばらばらになってね。親分の命令があり次第、一つ場所に集合する。多いときは何千何百羽という数にふくれあがってね」
鴉の啼き声はどこからも聞えなかった。
とうとう頂上の白い岩石台地に達した。
修道院は麓《ふもと》から見上げたときよりもずっと大きかった。建物は台地いっぱいを占めていて、高さ一〇メートル以上はある六角形の尖塔を持ち、三層の高さの本堂があった。間近に見ると充分に威圧感があった。
建物の壁は煉瓦状《れんがじよう》に割った石で造られていた。石灰岩の割り石は粗野で凹凸《おうとつ》があって、なめらかな漆喰仕上げを見馴《みな》れている眼には荒々しい迫力を感じさせた。出入口の門をはじめ長い外廊の柱間といい、窓といい、すべて穹窿《アーチ》形であった。正面の上部には薔薇《ばら》窓があったが、後世とは違った幾何学文様の彫刻が入っていた。その直下にある半円形の引込みには何やら聖なる群像の浮彫りがあった。出入口の重々しい樫《かし》の扉《とびら》はいつでも信者が入れるように開いていた。
人影はなく、もの音もしなかった。右側の大尖塔と照応するように左側の角には小塔が付随していたが、それにかぶせた三角帽子形の屋根も、本堂の大屋根も、大尖塔の円蓋《えんがい》屋根も、すべて朱色の瓦《かわら》であった。が、暗鬱《あんうつ》な紅殻色《べにがらいろ》に変色していた。
修道院の前まできた農夫は、にわかに身震《みぶる》いを起し、両膝《りようひざ》を地に突き、入口上の聖像レリーフにむかって祈った。次に尖塔上の十字架へ手を合わせた。
台地の下は切りたった断崖《だんがい》だった。麓から丘を見たときはかなりなだらかな円錐形《えんすいけい》だったが、頂上に立つとこのように感覚がちがう。
登ってきた村落の屋根は樹林にかこまれた点描の密集であり、平原は扇をひらいたようにひろがっていた。その先には迷いこんだ黒い樹海があり、その涯《はて》が小波《さざなみ》のように起伏の重なる高原となって、ぼやけていた。
農夫は福光の横にきた。
「さあ、客人。約束どおりわしの案内はここまでじゃ。これで帰らせてもらうぜ」
農夫の厚い唇《くちびる》は、怖《おそ》れのために乾いていた。
「や、どうもご苦労。お礼にはいくらさし上げたらいいかね?」
農夫は考えたあげく、三十マルクはもらわなくてはね、と云《い》った。
福光が五十マルク紙幣に二十マルク紙幣を重ねて彼の手に握らせた。
「客人、こんなにもらっては多すぎる」
農夫は眼をまるくし、おどおどと辞退した。
「遠慮せずに取ってもらいたい。わたしだって、あんたが居なければ途方に暮れるところだった。ここまで来られたのもあんたのおかげだ。あんたは恩人です」
「申しわけないね」
農夫は七十マルクをポケットにおさめてから云った。
「こんなふうによくしてもらっては、修道院の中まで案内しないといけねえが、悪いけど、ここから先はどうしても駄目《だめ》だ」
「いいとも、約束だからね。わたしひとりでも、中に入れば修道士さんが出てきて拝観させてくれるだろう。見たところ、たいそう由緒《ゆいしよ》のありそうな修道院だ。建築のことはよく知らないが、これは初期ロマネスク様式のように思うね。入口上の浮彫りにしても、まん中がキリスト、左にマリア、右はバプテスマのヨハネだろうが、表現が古拙だ。入口や窓が穹窿《アーチ》形ばかりになっているのも、その様式と聞いている。ぜひとも内部《なか》を拝観させてもらいたくなったね」
「修道士はだれも居ないよ」
いい気な福光のおしゃべりに、農夫は浴びせた。
「なに、だれも居ない?」
彼は、ぎょっとした。
「どうしたのだ?」
「正修士は五人、副修士は三人居る。けど、みんな病気になって山を降りただ」
「エイズか?」
遂に福光は云った。
「エイズかどうか知らねえ。わしはなんにも知らねえ」
農夫は急いで十字を切った。あの森林を抜けて、平原からその修道院が見えたときに彼がした「魔|除《よ》け」の祈りと同じであった。
エイズだ。もう間違いない!
リンデルハイム村の修道院よりは深刻だ。あそこには修道士が幾人かは残っていた。ここでは修道士がぜんぶ居なくなっている。エイズ・ウイルスの感染で、遠い病院に入院しているにちがいない。
ヴァルトボイレン村の家々が閉鎖されている理由を、ハシブトガラスの襲撃を防ぐためと農夫は話した。あれは云いわけであった。道理でハシブトガラスの獰猛さを誇張しすぎると思った。
ほんとうは村のエイズの流行を旅行者に隠すため、ハシブトガラスの被害を大げさに話さねばならなかったのだ。鴉は実際にやってくるであろう。げんに自分も森の中で経験した。が、その群はすぐに退散したではないか。それだけでも農夫の誇張がわかる。ハシブトガラスの群よりも村民にとって凶悪なのはエイズであった。
村の閉鎖も、各戸にエイズの患者や感染者が出て、病院に入っているからではないか。
福光は入口に眼を遣った。
「修道士は一人もいないというけれど、入口のドアは開いている。信者は自由に入れるようだ」
「院長さまが居《お》られるでな」
農夫は身体《からだ》を縮めて答えた。
「なに、司祭が?」
「さよう」
「ひとりでか?」
「たったひとりで」
さすがは院長、と福光は感嘆した。
「司祭はおいくつか?」
「六十近いお方じゃ」
道理で、と思った。老司祭はエイズに関係なかろう。
「客人。もうこのくらいでいいかね?」
農夫は福光の顔色をうかがうように云った。
「引き留めて済まなかった。どうか村へ戻っておくれ」
「そうさせてもらいますだ。……おっと、馬はその岩につなぎなされ、それから城跡へ行きなさるなら、修道院の裏手から道がついてるだ。この丘つづきの峰じゃ。ここからは、出ばった大きな岩にかくれて見えんが、その道を行くと眼《め》に入る。せまい道だから馬に乗らんほうがええ。馬は引張って行きなされ。危ないからな」
「親切に、ありがとう」
「城跡からは反対側に道がついとる。こっちへ引返さずに、その道を下りなされ。麓への近道じゃ」
「なにからなにまで」
福光は礼を述べた。
農夫は二度ほど振り返って岩の道を駆け降りて行った。福光は、馬を立石につないだ。そのような石灰岩は建物のまわりにごろごろしていた。
入口の段を上った。中は暗い。それでも小さい窓からのさしこむ外光があり、その薄明の中に前庭の列柱がほのかに浮び上っていた。列柱の柱頭飾りはコリント式だが、純ギリシャ式と違うところはアカンサスの中に天使の顔が花のように入っていることだった。壁間のレリーフは、十字架からキリストをおろす女たちと弟子たちであった。稚拙な顔は大きく、身体が短くて寸詰りだった。衣類の襞《ひだ》の線も硬直していた。眼だけがシュメール人のようにまるかった。
だが、こうした古拙味の彫刻ばかりに気をとられていられなかった。福光は次の礼拝堂へと進んだ。
そこの入口で、彼は息を呑《の》む思いで立った。長方形で、奥行の深い礼拝堂の天井は、穹窿《アーチ》形の梁《はり》が幾何学的に連続し、重なり合い、上方の中心部で鋭い逆船底になっていた。ロマネスク様式でも、これはバシリカ式会堂の特徴を現わしていた。正面の祭壇は、砲弾型の構図の中におさまっていた。
祭壇は、初期教会堂の特徴で簡素だった。だがその単純さが森厳な神秘性を持っていた。背後にはステンドグラスの窓もなければ、壁画もなかった。また金色|燦然《さんぜん》とした荘厳飾りもなかった。あるのは石の壁だけで、その上部には外光を入れる薔薇窓があった。正面の祭り場には大きな十字架が立っていた。
天井からは円輪形の燭台《しよくだい》が吊《つ》り下がっていたが、灯はなかった。祭壇の蝋燭《ろうそく》も消えたままだった。両の身廊にならぶ百ばかりの椅子《いす》には会衆が一人もいなかった。まるで洞窟《どうくつ》の中か、地下会堂《カタコンベ》にでもいるように暗かった。
空虚な会堂の中で、なにやら呻《うめ》き声のようなものが聞えた。
福光ははっとなって正面を凝視した。亡霊の呟《つぶや》きではなかった。まさに人間がそこにいた。
奥壁の司祭座に白髯《はくぜん》の老人が一人、黒衣をまとって坐《すわ》っていた。
院長は、ミサの会衆にむかって説教していた。だれもいない身廊の椅子席を見おろし、低い声で、ぶつぶつと間断なく口を動かしていた。――
司祭座に居る修道院長は、痩《や》せこけた顔で、顴骨《かんこつ》が突き出ていた。黒い司祭服の肩も尖《とが》っていた。額は禿《は》げ上ってひろく、眉《まゆ》は太く黒く、顎鬚《あごひげ》は雪のように白かった。
院長は前こごみになって両の身廊へむかい細い声で話しかけていた。だれ一人としていない百ほどの椅子へ説き去り説き来《きた》るといった様子だった。
それは風変りな光景であった。院長は、そこに会衆が居ようが居まいが関係なく、キリストの訓《おし》えを説いていた。説くこと自体に彼は法悦をおぼえ、陶然となっているように見えた。
修道院は修道士の共同生活の場所であり、祈りによって神と魂が一体となる場所である。また附属の教会には村の人々がミサにくる。だが、教会をもたぬこの修道院は礼拝堂が教会なのだ。修道院そのものが十三世紀という古建築なのだ。村の人々が喜んでミサの日に集まる。しかし、今、その会衆がいなくとも、信者の心に語りかける老院長の姿は感動的であった。
が、なにぶんにも院長の声は低くてよく聞きとれなかった。それに嗄《しやが》れ声で、不透明であった。さなきだに層廊に支えられた穹窿《アーチ》の天井は高く、声は籠《こも》ることなく、遁《に》げてしまう。
福光は思い切って前に進み、祭壇近いところに神妙に坐った。ここだと司祭座が近距離なので、院長の言葉は聞きとれる。
院長には聴き手が一人、礼拝堂に入場してきて、すぐ眼の前の椅子に坐っても、その瞳《ひとみ》はすこしも動かず、身じろぎさえもしなかった。そうして声を中断することもなく、依然として呟きをつづけているのである。院長の法悦境は、見れども見えず体《てい》のようであった。
福光は耳のうしろに手を当て、彼の独り言めいた説教をなんとか聴覚に捉《とら》えた。
「このヴァルトボイレン修道院はな、パウロが伝道に出てこの地に寄ったときに建てた会堂の上に創立されたのじゃ」
院長の呟きが言葉として耳に入ったとき、福光は聞き違えたと思った。
キリスト死後の弟子パウロは、紀元四七年から前後三回にわたり、小アジア西部地方、マケドニア、ギリシャとまわって伝道旅行をした。パウロはその伝道の旅でユダヤ人のみならず非ユダヤの「異邦人」を改宗させ、各地にキリスト教会をつくった。
だが、パウロがゲルマン人世界(ドイツ)へ伝道にきて、教会をつくったなどとは、聞いたことも読んだこともなかった。福光がびっくりして思わず院長の濃い眉と長い白鬚の顔を見上げたのはそのためである。
老院長の茫乎《ぼうこ》とした眼は動じなかった。彼は白い鬚だけをわずかに動かし、変らぬ調子で言葉をつづけた。
「パウロがネロ皇帝のローマへ護送されて投獄されたのち、斬首《ざんしゆ》されたというのはすべて空《そら》ごとじゃ。『使徒行伝』にはパウロが殉教したとは一行も書いてないぞよ。彼はローマに入ったとあるだけじゃ。ローマに行ったからには殉教したにちがいないというのは、ただの当て推量じゃよ。これはペテロのばあいも同じでな。ペテロがローマに行ったからにはかならず殉教したにちがいないというのも、バイブル作者どもの空想でしかない。それどころか、パウロがローマに入ったというのもウソじゃ」
院長の声がかぼそいので、福光は絶えず両手を耳にあてていなければならなかった。
「パウロはな、よいかな、ローマへ送られる途中、警護のローマ兵のはからいで、脱出したのじゃ。このローマ兵は、ひそかにキリスト教に帰依《きえ》していた。それからのパウロは、ゲルマニア(ドイツ)にきて、ゲルマン人のあいだを伝道して歩いておった。そうして教会も建てたのじゃ。パウロが福音の土台をつくっておいたから、ずっとのちになってコンスタンティヌス帝のとき、宗教論争に敗れてローマ国から追放されたアリウス派がゲルマン人の間にひろまったのじゃ。そういうわけでな、わが修道院は、パウロの教会を継いどるのじゃ」
院長の独り言は、たった一人の飛び入り聴衆、東洋人に聞かせているようだが、それにしては視線が福光に定まっていなかった。彼は会堂のあらぬほうを見つめているだけだ。あたかもそこに浮ぶ会衆の幻視にむかって説教しているようであった。
正面祭壇の上の丸窓から射《さ》す一条の外光は、レンブラントやカラヴァッジョの画のようにどぎつい明暗をつくっていて、その強烈な光の中に院長の顔が照らし出されていた。
だが、彼は相変らず表情がなく、身ぶりもなく、司祭座に置きもののように坐っていた。
「ローマ教会は、パウロの教えで、聖職者は生涯《しようがい》を独身でとおせと規定《きめ》ておる。神にささげた身だからというのじゃが、そんなことをパウロは例のニセ手紙の中でも書いとらん。もちろんキリストも云うとらん。法王庁や公会議がその拠《よ》りどころとしとるのは、パウロが『コリント人への第一の手紙』のなかで『未婚者とやもめたちに言うが、わたしのようにひとりでおれば、それがいちばんよい』と書いとる一句だけじゃ。けど、それにつづいて『しかし、もし自制することができないなら結婚するがよい。情《じよう》の燃えるよりは、結婚するがよいからである。男子は婦人にふれないがよい。しかし不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい』と書いてある。公会議やローマ教会の決定は、こっちの続き文句を勝手に削ってしまい、前句の『ひとりでおれ』だけを生かして、これをすべての聖職者に押しつけたのだ。その不自然な、偽善の律法が、歴代教会の腐敗を呼び、修道院の堕落になったのじゃ。これはなにも中世のことではない。現今《いま》もそのとおりじゃよ。この西ドイツの教会ではな」
福光は、どきっとした。
福光が眼をまるくしようとどうしようと院長はそれには反応を示さず、低い呟きを勝手につづけた。
「西ドイツの聖職者の半分以上が女をもっとる。子供を生ませとるのも多い。その生活費や養育費に教会のカネをこっそり流用しとる」
突然、老院長はにやりと独り笑いした。
「女ほど可愛《かわい》い者はおらん」
蕩然《とうぜん》とした眼つきだった。
「キリストが十二使徒と過越《すぎこし》の晩餐《ばんさん》のさい、中座したユダのみちびきでローマ兵が入り、キリストは捕まった。そのとき、ペテロをはじめ弟子どもはみんな一目散に逃げてしもうた。主《しゆ》を置き去りにしてじゃ。ピラト総督がキリストを裁判にかけたときも、使徒どもは隠れたままじゃ。ゴルゴタの丘で十字架から主を降ろしたのは、聖母マリアとその姉妹、クロパの妻でヤコブとヨセフの母のマリア、マグダラのマリアなど女ばかり。マグダラのマリアは売春婦だった。彼女は七つの悪霊を追い出された女となっておるが、これは悪質な性病を癒《いや》されたことをいうとるのじゃ。主の遺体を葬《ほうむ》ったのもこの女たち、後日にその墓に行って棺《ひつぎ》の中が空《から》っぽになったのを見て、イエス・キリストの昇天を知ったのも同じくこの女たちじゃ。なんと女どもは可愛いことよ。そして愛のためにはどんなにか勇気を持っておることか。ああ」
院長は恍惚《うつとり》とした溜息《ためいき》を吐いた。
「それなのに、逃げ散った弟子どもがキリストの死後にペテロをはじめ急に回心して伝道に精を出したというのは、どういうことじゃ。その動機のことは何も書いとらん。つじつまの合わない話と思わんか。こんなことはみなローマ教会の坊主《ぼうず》どもが考えだしたつくりごとじゃ」
院長は「教会のつくりごと」をけだるそうに批判した。じっさい、その口もとは緩《ゆる》み、唇の端に涎《よだれ》が溜《た》まっていた。
やがて、院長の緩み歪《ゆが》んだ口の隅《すみ》から涎が流れだした。彼はそれを拭《ぬぐ》おうともしなかったので、涎は白鬚にかかり、水飴《みずあめ》のように台の上まで垂れた。
窓からの外光で、涎は一条の光の糸となった。
「つじつまの合わん話は、みんな『奇蹟《きせき》』にして、その奥へ逃げこんでしまう。そのほうが、信者にはありがたく聞える。聖職者も禁欲の独り身にしたほうが、ありがたく見える。だがな、その無理な禁欲生活の強制ゆえにモンクは破戒坊主、生臭坊主に堕《おち》る。こりゃローマ教会のお偉方の罪じゃ。あいつらはサタンと同じじゃよ」
このときになって院長の身体がはじめて大きく動いた。彼は、こっちからは見えないが、司祭座の下をもぞもぞと探りはじめた。
「さて、皆の衆。今日は一年じゅうでいちばん大切で、たのしい過越の祭ですぞ」
これまで無表情だった彼の顔に、うれしげなほほ笑みが現われた。
いまは秋の半ば近くである。春四月に迎える過越の祭を、院長は司祭となっていま執り行うと云うのである。
「さあ、ここにご馳走《ちそう》の皿が用意してある。これじゃ。皆の衆、よくご覧《ろう》じろ」
院長は下から重そうに取り出した物を両手に持って、信者のほうへかざした。
福光は見た。渦《うず》巻きの石。渦巻きは菊の花にも似ている。
アンモナイトの化石だった。
ジュラ紀山塊の石灰岩は一億四千万年前のもので、当時の海底が地殻《ちかく》変動によって隆起し、白い山となった。有孔虫、サンゴ、石灰藻など二酸化石灰質を造り、または石灰質の殻《から》をもった生物の堆積《たいせき》である。フランス、スイス、西ドイツ南部のジュラ紀山塊では、軟体動物頭足類のアンモナイトの化石が多く含まれている。殻の構造はオウム貝に似ている。形は大きい。
院長はそのアンモナイト化石を料理を盛った食卓の皿と見ている。しかも、司祭座の下から、かわるがわるその重い化石を取り上げては両身廊の椅子の列に示すのである。福光以外にはだれもいない信者席にむかって。
が、その院長の顔が急に歪《ゆが》んだ。彼は涙を流しはじめた。その独語をよく聞けば、こういう言葉であった。
「ああ、ここにマルコが居たら、いっしょに過越の祭を祝えて、どんなにかうれしいのになア。わたしの愛するマルコは何処《どこ》へ消えたのか。わしのもとから逃げてしまったが。……おお、主よ。お願い申しますから、神の聖霊によってマルコを復活させ、わしのそばに連れ戻してくだされ。奇蹟によって、マルコの顔をもういちど見せてくだされ。わしはあの子の顔を見たい。わしの可愛いマルコの顔を……」
院長は、中空の如《ごと》くに高い穹窿《アーチ》形の天井を仰向いて手を合わせた。
察するところ、マルコとは老院長の「稚児《ちご》」であるらしかった。
その稚児なる年少の修道士はどうやらエイズで死亡したようであった。そうして、彼から感染《うつ》されたエイズ・ウイルスは院長の脊髄《せきずい》に入りこみ、脳を冒したのだ。
やがて老院長は歔欷《すすりなき》をやめた。涙も拭《ふ》かず、涎もぬぐわないままに顔をくしゃくしゃにしていた。じぶんでは笑っているつもりだった。
「さあ、皆の衆、過越の祭じゃによって、感謝の賛歌を合唱してくだされ。終ったら、たのしい晩餐をとるのじゃ。ここにはユダは居らん。安心してくだされ」
司祭として院長は誦《しよう》しはじめた。
[#この行2字下げ]聖なるかな/聖なるかな、聖なるかな/万軍の神なる主。/主の栄光は天地にみつ。/天のいと高きところに……
――突然、司祭はリズムの調子を変えた。陽気な大声で歌い出した。
色白美人 あの娘《こ》はやさしく
可愛いや 添うてくれれば。
腕はまるまる
くちびる 赤く
脚はすばやく 踊るよ。
瞳の澄んだ 青い眼《め》
見れば天国
眺《なが》める 心地よ。……
[#地付き](「ドイツ民謡選」原俊彦《はらとしひこ》、滝本裕造訳詞より)
司祭は、トントン、トントンと床に足踏みして拍子をとった。
福光はそっと椅子を立った。「最後の晩餐」で裏切りの使徒ユダが中座するように、暗い身廊から出口の扉にむかった。
歩く彼の背中に院長の民謡の歌声はつづいていた。こんどは歌が変った。
歌声は、重い扉《とびら》を閉めると同時に断《き》れた。
福光は、コリント式柱頭飾りのある列柱の前庭から外廊を通り、外に出た。
雲が水平にあった。白い崖《がけ》の下には、樹林と陰気な村の屋根があった。その向うは陽《ひ》の翳《かげ》った平原である。次に黒い樹海がはじまっている。
ボンは所在なげに待っていた。ここには食《は》む草がない。彼は、石につないだ綱を解いた。
引きずりこまれるような終末観の意識に陥り、名状しがたい重いものが全身にのしかかってきた。
福光福太郎はボンの手綱を曳《ひ》き、修道院の丘を歩いて降った。小道はほどなく登りとなった。丘陵は双《なら》びが丘のように二つの隆起があって、間が鞍部《あんぶ》になっている。
道幅が狭く、両側が切り立った石灰岩の崖なので、危なくて馬には乗れなかった。
上り坂の途中まで城砦《じようさい》が見えなかったのは、坂の上部に岩角がつき出ていて姿を隠しているからだ。小道は荒れ放題で、雑草こそないが、小石がごろごろしていた。福光は蹄《ひづめ》を傷《いた》めないように馬を引張って行き、自分でも足場の悪さに苦労した。
坂を上りながら考えた。――
エイズにかかって他界した聖職者は、カトリック教会や修道院の共同墓地に埋葬されるだろうか。
自殺者のばあい、信者すら教会の共同墓地に入れてもらえない。「自殺するくらい悩むのは、神への信仰が足りないからだ。自殺は神の御旨《みむね》に背く」。この理由で教会は埋葬を拒否する。天国へは行けないのである。
しかたがないから自殺者は遺族によって他の場所、それも人眼をはばかって谷間のようなところに埋められる。遺族は隠れるようにしてこっそりとその墓に詣《まい》る。
エイズに感染するのは「邪《よこし》まな姦淫《かんいん》」の結果である。律法を破った不義者だ。聖職者として許しがたい。
信者は――エイズが猖獗《しようけつ》をきわめている今日、その病死の信者までも教会の墓地入りを拒絶しては酷にすぎよう。教会は信者には寛大にならざるをえない。しかし、神と人との媒介者、牧人の聖職者は違う。教会は会堂領域内の共同墓地には絶対に埋葬させないにちがいない。
そうなると、聖職者もまた谷間の墓地に埋められるしかない。司教であろうと修道士であろうとその資格は剥奪《はくだつ》される。
大天使ミカエルの秤《はかり》にかけられて最後の審判を俟《ま》つまでもない。エイズ・ウイルスに脳を冒された狂える修道院長。聖書に毒づき、民謡を歌う司教。彼の罪は重く、ミカエルの秤はぐんと傾く。
血友病患者に汚れた血液製剤を売っていた製薬会社は最後の審判によって文句なしに地獄行きだ。かれらは殺人者だ。シュタルンベルク湖に浮んだ西ドイツ衛生薬業会社の販売部員ペーター・ボッシュの首なし死体は、この会社の血液製剤でエイズに感染死亡した血友病患者の縁者による復讐《ふくしゆう》殺人だとじぶんは推定した。それに気づいたのはニュルンベルクにきたときだ。
あの市のホテルからチューリッヒの亮子《りようこ》に電話したが、IHCの山上|爾策《じさく》は理解できただろうか。殺人がつづいて起りそうな可能性もだ。
坂を上りながら福光は考える。
だが、個々の殺人事件などはとるにたりない。エイズ・ウイルスは大量殺人を行っているのだ。その量は戦争に次いでいる。
(赤き死が長い間国内を荒した。これほど人を殺す恐ろしい悪疫《あくえき》は今まで決してなかった。血が、赤い恐ろしい血がその権化《ごんげ》であり、証拠であった。患者の身体《からだ》、殊《こと》に顔に現われる深紅色の斑点《はんてん》がその悪疫の呪《のろ》いで、忽《たちま》ち人々は看護も同情もしなくなる。そしてその病の襲来も、経過も、終局も、すべてほんの半時間ほどの出来事であった。)
これは十四世紀のペスト流行のことをE・アラン・ポーが書いている。
(……しかし、プロスペロ公爵《こうしやく》は運悪く、また勇敢でもあり、怜悧《れいり》でもあった。公の領土の住民が半分も絶滅した頃《ころ》に、公は宮中の騎士《ナイト》や貴婦人の中から千人近い、壮健な、気軽な仲間だけを呼び寄せて、それらの人々と共に城構えした一つの僧院の中に奥深く隠遁《いんとん》した。)
「プロスペロ公爵の隠遁場所」を探そうと福光は決心している。いまやエイズの猛威は貴族、農民、商人の区別なく襲いかかっている。
「貴族の隠遁場所」は人里離れたところにきまっている。ポーの「城構えした僧院」がそこに在る。
福光は先《ま》ずリンデルハイムの修道院へ行って見た。修道士たちが少人数で残っていた。しかし「貴族」は居なかった。そこで馬に乗ってこのヴァルトボイレンの修道院にまわってみた。修道士は退散していた。狂える院長だけが残っていた。「貴族」の居場所ではなかった。――
よほど坂を上ってきた。その道が反対側へまわっていることもあって福光の眼前が開け、城の望楼がにわかに現われた。
険阻な坂を上ってゆくにつれ、高い望楼から次なる楼門を加えていくつかの塔がせりあがってきた。本丸らしい長方形の上部が見え、垂直にそそりたつ防壁が最後に現われた。
全体を出現させた城廓《じようかく》は、半ば破壊された姿で巌上《がんじよう》に立ち、天空へむかってそびえていた。石造の城は七、八百年の星霜《せいそう》を経て黄褐色《おうかつしよく》を帯び、あちこちが黝《くろ》ずんでいた。城は中世最盛期のそれとは比較にならぬほど小規模であった。出城か砦《とりで》といったところだった。
塔の二つは破壊されて上半分を欠いて、断面の割石が無残に露出している。本丸跡の様子は防壁の中に入ってみなければわからないが、堅固なその防壁もほうぼうに亀裂《きれつ》と崩壊があった。
だが、福光の胸はふくれた。
城は廃墟《はいきよ》である。なにびとも寄りつかない。「貴族」の隠遁場所は、きっとこういう所にちがいない。――
空壕《からぼり》の跡はあったが、崩れて石で埋没していた。木造だった吊《つ》り橋はとっくに失せている。防壁が切れて、二つの楼門の間が大手門だった。楼門の上は直線波形の銃眼壁がならんでいる。
福光は馬を曳いて門をくぐった。門の奥行が一メートルもある防壁の厚みであった。
中庭の広場に出た。正面の上に長い箱形の建物が本丸である。楼閣の高さは七メートルもあろうか。そのうしろに十メートルの物見櫓《ものみやぐら》の塔が屹立《きつりつ》していた。本丸の上には波形の銃眼が列《なら》び、塔の上は左右に張り出た桝形《ますがた》の防禦櫓《ぼうぎよろ》がしつらえてある。
福光は馬を本丸前の広場の石につないだ。あたりに音はしない。むろん人声はない。馬に積んだ荷のなかから大形の懐中電灯を取り出した。
本丸の内部へ入るには穹窿《アーチ》形の門を通る。本丸の石の建築は四層になっていた。最下層は倉庫のようにだだっ広かった。石の破片で床が埋まっている。ここは兵粮庫《ひようろうぐら》だったかもしれない。石囲いの井戸があり、地下室への入口があった。
側面についた通路の石階段を懐中電灯で照らし、要心深く上った。二階も広かった。わずかに石壁の間仕切りのあとが見られた。警備兵の詰所だったかもわからない。
また石階段をあがった。階段は端が欠け落ちている。足場を択《えら》んで歩く靴音《くつおと》があたりに響き渡った。いまにも、槍《やり》を持った兵士が兜《かぶと》の顔を上からのぞかせそうである。
三層の部屋に達した。天井は、ドームのように大きなアーチだった。アーチを受ける両側の支点は低い石柱だが、それにはギリシャ式のロータスとアカンサスが硬直した線で彫ってあった。
この大広間はふだんの日は宴会用で、緊急時には軍事会議の場と思われた。
福光の眼にはそこで催される仮面舞踏会の情景すら浮んでくる。
「部屋の模様は間数が七つあって荘厳な構えであった。多くの宮殿ではこうした構えを長い計画にもとづいて造る」とポーによって書かれている。しかし、高貴なお方の緊急な隠遁の場合、他の場所を借りての仮の別荘となるから、「宮殿」を造営するような遠大な計画があろうはずはない。
してみると、その間仕切りに使用されるのは華麗な絵画や文様を織ったタペストリーである。これをほうぼうに掛けることによって積み石の壁はたちまち「宮殿」となる。壁掛けはボロ隠しである。
野戦に出陣した中世の王侯は百姓家を借りて旅枕《たびまくら》の本陣とするが、そのばあい一帳のタペストリーが賤《しず》が家《や》を豪奢《ごうしや》な邸宅に変えてしまう。
だが、その隠栖者《いんせいしや》は赤い色を嫌《きら》った。
忌避はどこからくるのか。
血だ。――赤い色は血を連想させる。血液を想《おも》わせる一切の色を隠遁者は拒絶した。
チューリッヒの町で白孔雀《しろくじやく》を探し求めている女、色のないタペストリーの入手を頼まれている亮子の夫の骨董屋《こつとうや》。――これらが福光の推測の拠《よ》りどころであった。
大広間の上にはさらに一層があった。城主とその家族の居間であろう。福光はまた階段を上った。こんどは短かった。
彼の見込みどおりに最上階は楼閣で占めていた。銃眼と凸部《とつぶ》とが波形に配列された防禦壁を屋上に乗せているので、天井は低く、そのぶん横に細長かった。これだと間仕切りがいくつもできる。七つの部屋ぐらいはあったろう。寝室、家族の居間、執務室、謁見室《えつけんしつ》などである。召使たちの部屋は二層の警固兵詰所の隣になっていたかもしれない。あそこにはへし折れた石の柱が多数あった。いくつにも仕切られた部屋の半分は、侍女、召使用であったと思われる。
最上階のいちばん大きな城主の寝室跡は、その後ここに隠遁した高貴なお方の寝所になっていたろう。まわりには重々しい襞《ひだ》のついたカーテンがあり、先祖の肖像画が楕円形《だえんけい》の金の額縁の中に入ってならんでいるだろう。それらはヴェラスケスのような宮廷画家によって描かれた。
先祖の肖像画以上に重要なのは家の紋章である。それは舞踏会場をはじめ楼閣の各部屋ごとに誇らしげに掲げられてある。
してまた、その紋章はいかなる図像か。
楯形《たてがた》の中を四区分し、それぞれの区にはグリフィン、獅子《しし》、馬、鷲《わし》がおさまり、中央に十字が据《すわ》る。あるいは、冠、剣、箭《や》、旌旗《せいき》、薔薇《ばら》、葡萄《ぶどう》が描かれているか。区画は正方形とはかぎらない。斜線を引き、その対角線が区画になっている。
それとも巨大な冠が中央上部に据り、その下から天幕が左右に流れるように開いて楯形の文様が現われているか。文様の基本は○、×、△のパターンで、このヴァリエーションがさまざまに変化する。
いずれにしても家柄《いえがら》の伝統と神聖的な権威を誇示して剰《あま》すところがない。見る者に威圧感を与えないではおかないのだ。――
福光の空想はここで切れ、現実に戻った。
現実は、いま立っている廃墟の城砦である。高貴なお方が隠遁された離宮は幻と消失して寒々とした石積みの中に自分は居る。人間は一人も住んでいない。
福光は、物見櫓の塔に上った。通路がついていて、上った正面に出入口がある。これも穹窿《アーチ》形の小門だ。塔は本丸の楼閣から横にずれているが、そこは刎出《はねだ》し狭間《はざま》でつながれている。
塔上には防備櫓がある。その間から下界を見おろした。
直下は切り立った断崖《だんがい》である。攀《よ》じ登ってくる攻撃の敵兵を絶対に寄せつけないようにしている。塔上に立つとそのまま下界につながっているようで、吸いこまれそうだった。眼が昏《くら》み、身体がすくむ。
すると、視線と水平の空間に黒い物体が四つ五つ、飛んでいるのが見えた。
鴉《からす》だ。
眼の前の空を、ハシブトガラスが黒い翼を動かしながら飛びまわっていた。弧を描いて悠々《ゆうゆう》と舞っている。ときどき間の抜けた啼《な》き声を聞かせた。ほかに同類の群は見あたらない。
福光は塔を降りた。三層から二層へ、二層から地層へと、石の階段を急いで伝わった。不吉な予感に襲われた。
福光は外に出た。
鴉はいなくなっていた。どこへ飛び去ってしまったのか。
だが、視線をめぐらせたとき、ぎょっとなった。楼門の塔は二つあるが、一つは途中から折れている。残った塔の上部の銃眼がならぶその凸部に鴉が一羽ずつとまっていた。
鴉は、彼のほうを見るではなく、空の一角にクチバシを向けてじっとしていた。まるで黒曜石の小彫刻を五つ置いたようだった。
福光は馬に近づき、繋《つな》いだ綱を解こうとした。そのとき、ふいと脳裡《のうり》を横切ったのは、本丸の探険が充分でなかったことだ。このさい、完全に捜索しておかないと、あとでいつまでも悔いが残りそうである。
或《あ》る物体を捜すとすれば何処《どこ》か。やはり本丸の楼閣以外にはない。
一階の床には、井戸の跡と、地下へ降りる石階段とがあった。あそこだと思った。彼は懐中電灯をズボンのポケットに挿《さ》しこんだ。
上を見ると、五羽のハシブトガラスは銃眼壁にまだとどまっていて、飛び立つ様子がなかった。
馬の背から厚い布に包んだ食料を降ろした。今朝、ワイデンブルクの町を出発するときに買った三食分の食いものだ。万一、道に迷って高原を彷徨《ほうこう》し、野宿しなければならなくなったときの用意だった。鴉が狙《ねら》うのはこれだ。
銃眼壁にとまっている五羽のハシブトガラスは、そ知らぬふりをして人間を油断させ、食料の奪取を企んでいる。鴉は鳥類でもっとも頭がよい。狡猾《こうかつ》だ。そして獰猛《どうもう》だ。食料を積んだまま引返すと、鴉に襲撃される恐れがあった。
福光は、厚い布包みの口を開けて、馬からずっと離れた石壁の前に置き、鴉に提供した。鴉はまだ動かない。人間が姿を消さないと行動を起さないのだ。
彼は五羽に視線を走らせたあと、本丸の中へ引返した。
城砦の地下には、捕虜や罪人を入れる牢屋《ろうや》があるものだ。地下室を兵粮庫の一部のみと思っていたのは間違いであった。捕虜を収容する地下室なら、相当に広いにちがいない。
貴人の座所を求める最後の捜索は此処《ここ》しかない。彼は地下階段に足を踏み入れた。
硬質石灰岩の切石で造られた階段は、他の露出部分とはちがい、風雨を受けてないので破損がなかった。彼は足もとを懐中電灯で照らしながら一歩ずつ石段を降りた。光は、石組みを生きもののように揺れさせた。
四歩五歩と足を踏みしめつつ下へむかった。底部に達するまで何段あるかわからない。石階段の横幅は七〇センチほどで、人ひとりが通れるくらいだ。天井は階段を降りるにしたがって、当然に高くなる。
あるかなしの風が下から吹き上ってくる。降り口以外に、どこに空気の入る隙間《すきま》があるのか。乾燥していると思っていたのに、なんともいえない湿っぽい臭気がしてきた。
それはふだん嗅《か》ぎなれた黴《かび》の湿気とはちがい、何かが発酵したような、妙に甘酸《あまず》っぱい臭《にお》いがまじっていた。
階段を下りてゆくにつれ、石組みの囲いはますます深く、狭くなり、古墳の竪穴《たてあな》へ下降するような思いであった。
たとえ底は広くても、玄室のようなそんな所にタペストリーの幔幕《まんまく》を張った御座所があるわけはないと、福光はよっぽど上へ引返そうかと思う一方、せっかくここまで降りてきたのだから、石段が尽きるのはもうすぐだし、終りまで見とどけてやろうと探険の完成を志した。
とうとう底部の室に達した。その二、三段上のところに立ちどまって懐中電灯をさしむけると、幽暗の中にほの白い睡蓮《すいれん》が咲いているのが見えた。
暗黒の沼底にうすい月光が溜《た》まったような、茫《ぼう》とした形が白い睡蓮のようにも映った。が、こんなところにそんなものがあるわけはない、と彼は段を下りきったところで手に持った灯を件《くだん》のものに集中させた。
懐中電灯の光は、白布をまとった物体をあかあかと浮び上らせた。その物体は二つあって、斜交《はすか》いに横たえて置かれてあった。裾《すそ》長い、緩やかな衣は足の先を包みこんでいた。頭には白い頭巾《ずきん》をかぶり、顔の下半分は広い白布のマスクがかけられてあった。両方の袖《そで》は胸の上で組み合せられていた。灯は、その胸に置かれた銀の十字架を光らせた。
光の輪を、頭巾と口蔽《くちおお》いの間にさし入れた。そこはまるで朽ちはてた黝《くろ》い木片であった。眼窩《がんか》は大きい空洞《くうどう》だった。
数秒間、見つめて彼は踵《きびす》を回《かえ》した。石階段を上るときになって、はじめて恐怖が背から起った。いまにも死者が立ち上って追いかけてきそうであった。石の階段は黄泉《よも》つ坂、蛆《うじ》の軍勢に追われる心地して、転びつまろびつ、駆け上った。
ようやくのことに一階に出た。出口に外光が射しこんでいる。
彼は井戸へ眼を走らせた。空井戸《からいど》の深さはどれくらいあるかしれぬ。その底にも、エイズによる死骸《しがい》が投げこまれていよう。ヴァルトボイレン修道院は、狂える院長一人を残して、修道士はことごとく姿を消し、二人の病死者は捕虜の牢に横たわっていた。副修士を含めて八人居たとすれば、六人の死体は空井戸の底に積み重なっていよう。院長が寵愛《ちようあい》した稚児《ちご》のマルコもその中にいるかもしれない。
井戸の上から懐中電灯をさしこんでも、光は下へとどかない。といって小石を投げこんで有無の反応を知る勇気はなかった。ここも逃げるように福光は中庭にふたたび出た。
見ると、防壁の前に置いた食料袋は前のままで、袋の中身も減っていなかった。
はっとして、上を仰いだ。鴉はいなかった。銃眼の凸部にとまっていた五羽の鴉が、五羽とも影も形もないのだ。
曇った空はあっても、鴉の姿は一つもなかった。
福光は繋いだ綱を解いて曳いた。
楼門を通過した。吊り橋跡の空壕《からぼり》の道を渡った。前の坂道へ出た。
岩山についたこの坂道は、修道院とは反対方向に下れば麓《ふもと》へ出られるとあの農夫は教えた。福光はその道を辿《たど》った。
坂を降りながら思った。
エイズで死んだ聖職者は、教会の共同墓地に埋葬してもらえなかったのか。「ソドムの罪」は聖職者といえども許されなかったのだ。いや、聖職者だからこそ神の刑罰は苛酷《かこく》であったのだ。
修道院の修道士たちは谿間《たにま》の墓にこっそりと埋められるかわりに、荒城の地下囚人室や井戸へ投げ入れられた。
訪《おとな》う人もない廃墟《はいきよ》の底に匿《かく》してしまえば、この修道院の汚名は世間に知られることもない。神の処罰と俗界の隠蔽《いんぺい》と、二つながら目的が果されている。
かれらは病院にも入れられなかった。治療に従う人々――医師、薬剤師、看護婦、賄《まかない》係、掃除婦などの口から秘密がひそひそと外部へ洩《も》れてゆく。もちろん教会経営の病院は、はじめから聖職者のエイズ病人の受け入れを拒むだろう。
では、僧院のエイズ犠牲者八人の遺体は、だれがあの廃城へ運搬したのだろうか。麓の村びとが手伝ったのか。
絶対にそんなことはない。修道院は内部でそれを処理したのだ。
修道士たちは、いちどきに死んだのではない。感染にも、発病にも個々に時間的な差異がある。死亡にも時期の相違がある。
早い死亡者の亡骸《なきがら》は、元気な感染者が担《にな》って、夜なかに修道院を出て城砦《じようさい》へ登ってゆく。死者には白い布をきせ、司教帽に似せた白帽をかぶせ、司祭のように白布で顔を包む。――その死体の白布が、睡蓮に映った。が、神秘な法衣は羸痩《るいそう》した肉体を黒い木片のように包む。
死者の運搬を命令したのは、院長だ!
順々に死者が出るにつれ、運搬者も一人ずつ減ってゆく。今日死骸を担《かつ》いで行く者は、明日はじぶんが担がれる運命にある。
いよいよ最後の一人になった。発病して脳を冒された院長である。院長はもうじき死ぬだろう。そのときだれが荒れはてた古城へ運んで行くか。
村びとだ。村びとしかいない。
村びとは修道院の秘密を知っている。窓も出入口も閉ざした陰気な家々の前で、修道院へ馬に乗った東洋人を案内してゆく農夫に向けた憎悪《ぞうお》を含んだ冷たい眼、その農夫自身が修道院を悪魔のように恐れていた。――
狭い坂道を馬の轡《くつわ》を取って降りつづけた。福光は寂寥《せきりよう》に身をうちひしがれた。
このとき頭上に異様な音響を聞いた。彼は眼を上げた。
鴉だ。鴉の群が集まって、騒々しく啼きながら空を舞っていた。
不安が湧《わ》いた。
鴉の群は旋回しながら、あきらかにこっちを狙っていた。旋回の半径が縮まり、飛翔《ひしよう》の高度を下げている。
食料袋は城砦の中庭に置いてきたのに。
いや、鴉はあれを食べていない。では、何が欲しいのか。ここには鴉の欲しがるようなものは何も持っていない。
大きな翼をはばたかせて一羽が黒い弾丸のように落下してきた。福光は思わず顔を掩《おお》った。
鴉の一羽は翼を半開きにしたまま馬の背に乗る。他の二羽は翼を収めて背にとまる。
ボンは狂ったようにいななき、前脚を宙に上げ、鴉を振り落そうともがいた。それも道理、鴉の太い、鋭いクチバシは馬のたてがみを引き抜きにかかっているのだ。
福光は知った。鴉は巣作りのとき、その床に柔らかいものを敷き詰める。水草、麦藁《むぎわら》、楓《かえで》の葉などだが、このへんは針葉樹が多くて落葉樹が少ない。羊の毛や馬のたてがみは軟らかくて、保温にもなり、最適の材料だ。修道院へくるとき、牧場に羊が一頭も見えず、ことごとく小屋に隠されていたのを思い出した。鴉は巣作りに入っているのだ。
福光は、とっさに馬からたたんだ三脚をおろし、棒がわりに鴉を撲《なぐ》った。鴉は馬のたてがみからぱっと散って飛び立つ。
が、それもつかのまで鴉の群はたちまち攻撃に転じてきた。三脚の棒を振りまわしてもおっつかない。獰猛なハシブトガラスは敵意をむき出しにして彼に襲いかかり、手を刺し、顔や頭を咬《か》んだ。彼は血まみれになった。彼は腕で眼を庇《かば》った。その腕が傷だらけになった。
すさまじい鴉の喚声と翼の音。天地を揺がす音響だ。彼は眼が昏《くら》んだ。
ボンの悲鳴に、はっとなった。馬は棒のように直立し、背首に群がる鴉を振り落そうと身を揉《も》む。それでも福光がそこにいるためか、逸走しないでいた。
彼は三脚を捨てて馬に飛び乗った。馬は坂を奔《はし》りだした。
鴉の群は追跡する。その渦《うず》は竜巻《たつまき》のよう。かわるがわる急降下しては馬のたてがみの毛を抜き取り、|※[#「手へん+劣」]《むし》り取った。ボンの背首から血が流れ、見るまにたてがみの毛が失われた。ボンは口から泡《あわ》を吹いて喘《あえ》いだ。いななく力もなくなっている。いまにも前脚を折って倒れそうであった。
福光はボンを励ました。逃げるしか生きる道はない。だが、鴉は執拗《しつよう》だった。人間に防禦力《ぼうぎよりよく》がないと知ると、彼の眼《め》の前の馬の背に悠々ととまって、たてがみを最後の毛一本まで抜き取り、悪魔のような声を上げている。ついには硬毛の尻尾《しつぽ》を※[#「手へん+劣」]り取りに群がった。ボンは、ハシブトガラスに食い殺されそうになっている。
福光は馬を走らせた。左右の切り立った白い崖《がけ》はまだつづいていた。かなり低くはなったが、まだ俯瞰《ふかん》の視界で、針葉樹林の先端が眼下に粒子でならび、その先にひろがる平原も高所からの視野だ。
福光の服は鴉につつかれて、いたるところに穴があき、肉体が咬まれ、血が流れ出た。
襲いかかり、襲いかかれば、
道化師は
死の苦しみに悶《もだ》えて
遂《つい》に餌食《えじき》となりおわる。
かくて天使らは血潮に仆《たお》れし
悪鬼の爪《つめ》見て咽《むせ》び泣く。(E・アラン・ポー「リジーア」)
福光に詩が浮び、己《おのれ》のことか、と頭をかすめる。
ポケットの中にはチューリッヒのマダム・ウォルフ・クララの店で買った銅版が入っていた。ハシブトガラスのクチバシも、この銅版までは穿孔《せんこう》することができなかった。
まだ奇蹟《きせき》は生じなかった。降りの坂道を走った馬は、石につまずいて傾き、崖から下へ転落した。
黒々と集《たか》っていた鴉の群は灰《はい》神楽《かぐら》のように飛び散って離れた。福光の身体《からだ》もボンから離れて墜落した。銅版も木立の中に落ちた。
福光は動かなくなった。
鴉の群が騒いで空を遁《に》げて行く。――
週末の朝六時半、山上|爾策《じさく》は愛車の|BMW《ベーエムヴエー》を駆って高速道路41号線をスイス領のバルゲン付近で通過し北上していた。この時間だとチューリッヒのアパルトマンを五時半には出ねばならず、五時前の早起きだった。チューリッヒからシュツットガルトまでは約二〇〇キロ。山地地帯を通過する。
週末を愉《たの》しみに西ドイツ旅行へ出るのではない。昨夜、習慣として寝る前に聞くボン放送が地方通信に移ったのでスイッチを切ろうとして、ついそのままにしていたところ、耳に入ったのが「東洋人の転落事故」というニュースだった。
「きょう、二十二日午後一時半ごろ、バーデン・ヴュルテンベルク州のヴァルトボイレン村付近の丘陵上の崖道から乗馬もろとも崖下に転落して人事不省となった東洋人の負傷者があるのを村びとが発見、急報によりヘッヒンゲンの町から救護車がかけつけてシュツットガルト市の中央病院に収容しました。本人は転落のさい破れた衣服からパスポートその他所持品を紛失しており、国籍は不明ですが、日本人らしくもあります。ただ、負傷者の倒れた近くには本人の所持品と思われる折りたたみ式の銅版が落ちており、それにはキリスト、マリア、ヨハネ三聖像のレリーフがあります。……」
ベッドから跳びあがったのは、この一言だった。
福光福太郎だ!
クララ・ウォルフの古美術店で買った銅版の浮彫りに間違いない。古色|蒼然《そうぜん》とした骨董品《こつとうひん》だから、やたらと同類があるわけはない。あれはちょっとした重量《めかた》だから福光の転落時にまっすぐに落下したのだろう。
破れた衣服から失われたパスポートなどの軽いもちものは、風に吹かれてどこかへ散ったにちがいない。
ラジオでは、「馬もろとも転落」と云《い》っていた。福光は乗馬であんなところを歩いていたのだ。バーデン・ヴュルテンベルク州のヴァルトボイレン村などとは、相当精密な地図にも載っていない。手がかりは救護車が呼ばれたというヘッヒンゲン町だ。そこからは遠くないにちがいない。地図にはシュヴェビッシェアルプ山脈と出ている。荒蕪《こうぶ》な山地地帯だ。馬はどこで借りたのだろう。
神出鬼没の男だが、あんなところに行った目的は何か。なんのために危険な崖道を馬に乗って辿《たど》っていたのか。
七時になった。一〇〇キロとすこし来た。アップダウンの多いアウトバーンは小雨に濡《ぬ》れて、時間がかかる。カセットのステレオを鳴らした。シューベルトの「冬の旅」で、「鴉《からす》の曲」が入っていた。
ラジオのニュースは簡単だった。つづいて「エイズ情報」。これは定期的にWHO(世界保健機構)から発表される。大統領選よりも、各国の政変よりも、国際相場の動きよりも、全世界の人間が「エイズ情報」に耳をそばだてている。
「エイズ患者の発病者ならびに感染者数は、各国よりWHOに寄せられた報告にもとづいての統計によれば、前日とくらべ、死亡者において三十一人減、発病者において八十七人減、感染者において百六十二人減となっております。これを先月比にしますと、死亡者は五百八十二人減、発病者は百九十人減、感染者は三百四十八人減となっております。この減少傾向は六カ月以前からはじまっています。専門家の間では、この傾向について、効果あるエイズの治療薬もワクチンも開発されていない現在、曾《かつ》て十三、四世紀のペスト流行のときには野蛮な隔離方法で終熄《しゆうそく》させたが、こんどのエイズ流行の下火傾向は各人にエイズに対する自衛手段が普及したあらわれと思われると云っています。しかし、一方、謎《なぞ》めいた点もあるので、これは充分に警戒しなければならないとも云っています」
謎めいた点もあるので、「充分に警戒しなければならない」というのは、エイズ・ウイルスの下火傾向は、ウイルスがここらで、ひとまず一服、といったところで、やがて新たなエネルギーでもって第二波を起し、襲来してくるのではないかという危惧《きぐ》のことである。
しかし、エイズ流行の下火傾向は、たしかに各人の自衛手段によるところが大きい。各国政府は弘報《こうほう》機関を通じてくりかえしくりかえしエイズ予防の衛生知識の普及に努めている。民間団体もそれに負けなかった。
各国都市の公認売春施設はハンブルクでもミュンヘンでもアムステルダムでも閉鎖された。アメリカのネバダ州にある三十七の公認売春ホテルもついに閉鎖された。その他各国の半ば公認の岡場所も閉じられた。街頭の売春婦はいなくなった。私的施設はさびれた。職業的なゲイも女も、エイズを恐れて姿を消した。
アメリカでは西部のホモの若者たちがエイズを避けて太平洋岸からロッキーをこえて中部地方へ移住した。民族の移動である。
エイズ禍に脅《おびや》かされて、一夫一婦制が|やむなく《ヽヽヽヽ》厳守されるようになった。夫婦以外に他の異性とたとえ一回でも性的交渉をもってはならない。それだけでもエイズに感染する可能性がある。
雑誌に時評が載った。
[#この行2字下げ]《教会はこの傾向を祝福するだろうが、これはエイズから脅迫された一夫一婦の|苛酷《かこく》な律法にほかならぬ。道徳の目ざめによるのではないのだ。すでに性の『自由』を経験した夫と妻にとっては、この抑圧が耐えがたいものとなっている。毎日同じ顔の夫、同じ顔の妻を見ている退屈きわまる日常である。見よ、離婚が急増しているではないか。同時再婚が急激に増加しているではないか。離婚しても独身生活をエンジョイしているのではない。素姓のしれない異性たちと遊んでエイズにかかるよりも、離婚したばかりの人妻と再婚したほうが安全だという次第だ。とくにこの離婚・再婚の電光石火的なケースは中年以上に多い。彼らにとっては、退屈が死ぬほどに辛《つら》いのである。したがって、これまで離婚の障害となっていた慰謝料は、妻のほうからその権利を放棄するようになった。離婚した夫が慰謝料の支払いに『|死んだ馬《デツド・ホース》』(タダ働きの意)になる必要はなくなった。≫
小雨がやんで、空が明るくなっていた。山の中である。
ドライヴ・インに入って、サンドウィッチとコーヒーをたのんだ。カウンターに肘《ひじ》を突いて、ふと壁のポスターに眼をやる。
≪古城と修道院のローマンスの地へ、どうぞ。――Tubingen,Reutlingen,Munsingen.≫
嶮《けわ》しい白い岩の上にそびえる古い城砦《じようさい》のカラー写真が大きく出ていた。
その所在が※[#castle.jpg]と※[#church.jpg]の記号で示されていたが、たいへんな数である。
山上はポスターをじっと見た。古城のある岩山。切り立った崖。
「ヘッヒンゲンの町はここからどのくらいの距離ですか」
「そりゃずっと東のほうだ」
「ヴァルトボイレン村というのを知りませんか。その近くのようだが」
「さあ、知らないね」
「古い城は、ああいう岩山の上にあるのかね」
「お城ばかりじゃないね。このへんの山はみんな白い岩になっているよ。古い修道院もその岩山の上にある。そこが面白いといって観光客が見にくる。山の奥には鍾乳洞《しようにゆうどう》もあるよ」
「あ、石灰岩の山だね」
「そう。こんなものが、いたるところから出るよ」
おばさんはうしろの棚《たな》を指した。大きな菊花に似た渦巻き模様の石が五、六個ならんでいた。
「アンモナイトの化石だね。ジュラ紀の古い地層だな」
外に出た。
中央病院は、シュツットガルト駅前近くにあった。二一〇メートルのテレビ塔は、山に囲まれたこの都市では必然の高さかもしれぬ。市の象徴に午前九時の陽《ひ》が当っていた。
山上が受付から刺《し》を通じると、外科病棟の主任でシューマッハー博士というのが、担当の医局員を連れて面会室で会ってくれた。
「患者さんはまだ半ば昏睡《こんすい》状態です。ときどき譫語《せんご》を発していますが、どこの国の言葉かわからないのでわれわれにはさっぱり諒解《りようかい》できません。日本人の方だと日本語かもわかりません」
シューマッハー主任は云った。
「わたしの知り合いかもしれません。知人はフクミツ・フクタロウという名です。本人かどうかを確かめるために、その患者をちょっと拝見させていただけませんか」
「よろしいです」
医者二人は立ち上った。
外科病棟へのエレベーターに乗った。上の病室ではなく、地下の集中治療室であった。
中は広いが、夜のように暗く、うす明りがついている。ほうぼうに三角形の酸素テントが張られていた。いまどき旧式な集中治療室だ。その古風なのに山上はおどろいた。
担当医員がその中のビニールテントに近づいた。看護婦が寄ってきて、主任に、異常ありません、と報告した。
「この人です」
主任に云われる前に、山上はベッドに寝ている福光福太郎の顔をビニールの酸素テント越しに見た。多少|蒼《あお》ざめているが、血色はそれほど悪くはない。眼を閉じ、口を半開きにし、睡《ねむ》ったような顔をしている。枕《まくら》の上に髪が乱れかかっている。
「たしかに、知人のフクミツ・フクタロウです」
「身もとがわかってたすかりました。本人のパスポートがないので困っていたところです。あとで上の医務局にあがって書いてください」
「わかりました。で、本人の経過はどうなんですか」
担当の医員が持参のカルテに小さな懐中電灯を当てた。
「乗馬で通っているとき、約一〇メートルの崖上から墜落したのですが、幸いなことに下が森林で、それがクッションの役をしてやわらかく受けとめ、奇蹟的にも骨折が起っておりません。脈搏《みやくはく》は百十と速く、血圧は八十二と低いです」
「それはどういう原因でしょうか」
医局員は酸素テントの端をめくって手をさし入れた。ビニールのテントが襞《ひだ》になって揺れた。
医局員の手は福光のパジャマの上衣《うわぎ》のボタン二つをはずし肩を見せた。両肩から背中にかけて繃帯《ほうたい》が襷《たすき》がけになっていた。
「転落するときに岩角にあたった疵《きず》ですか」
「ちがいます」
パジャマをもと通りにする若い医局員を見てシューマッハー主任は云った。
「鴉に咬《か》まれた疵ですよ」
「鴉?」
「クチバシが大きくて鋭い鴉です。その鴉の群がよって集《たか》って、馬に乗っているミスター……」
「フクミツ、いやタシロと云ったかもわかりません。彼のもう一つの仕事名です」
「この人の服を破り、肉体を咬んだのです。あの種の鴉は獰猛《どうもう》です。その咬傷のほうは手当てで一週間ぐらいで全治しますが、脈搏、呼吸、血圧などの正常でないのはショックが原因です」
「……」
「なにしろ現場に墜死していた馬は、たてがみが鴉に抜かれて一本もなくなっていたといいますからね。ひどいものです」
「救護車で現場からこの病院に運ばれて現在までどのくらい経《た》っていますか」
医局員は腕時計を見た。
「約二十時間です」
「二十時間経っても、まだ意識が溷濁《こんだく》状態とは、回復が遅いようですが」
「もしかすると腎臓《じんぞう》に出血があるかもしれませんな」
主任が引きとって云った。
「腎臓に出血ですって?」
「軽い出血ですがね。軽い腎臓出血だったら手術しないで済みます。意識の回復も、あと二、三時間というところでしょう」
酸素テントの中から声が聞えた。
福光福太郎が眼を閉じたままの状態で、口を動かしていた。
「あ、譫言《うわごと》ですわ」
看護婦が小さく叫んだ。
山上は酸素テントに耳をすり寄せた。
「あ、う、う、う、むにゃむにゃ……」
ビニールの酸素テントに遮《さえぎ》られて山上の耳に福光福太郎の譫言が聞えにくかった。彼はシューマッハー主任の許可を得てしゃがみこみ、テントの端に首を突込んだ。傍に置いてある酸素ボンベがかすかに鳴っていた。
福光は眼を塞《ふさ》いだまま、口を小さく動かし、相変らず不明瞭《ふめいりよう》な、言葉にならぬ言葉を途切れ途切れに出していた。が、しばらくすると、それが口の中にものを含んだような云いかたながらも単語になった。
「オオシツノソンゲンハ……」
途切れた。呼吸は九十八。息苦しそうである。一気には云えない。鼻孔をひろげ、口で呼吸《いき》をしていた。
オオシツノソンゲン。
山上は考えた。「王室の尊厳」のことか。
福光は大きく呼吸して言葉を吐いた。
「エイズ・ウイルスニオカサレテハナラヌ」
やはり「王室の尊厳」だった。「王室の尊厳はエイズ・ウイルスに冒されてはならぬ」
福光は、ひと休みして、うわごとを云う。一語ずつだが、次から意味がわかった。
「王室は……神より……加冠された……聖なる一族である。……そのハンペイたる……公侯伯子男その他の貴族ら臣下とは……厳に区別さるべきである。……」
ふうーと大きな息を吐いた。
テントの端をめくって福光の手首を取っていた看護婦が、
「先生、プルスが百十三に上りました」
と報告した。
「まだ譫語《せんご》を聞きますか」
「もう少し聞きたいです」
「血圧を計りなさい」
主任の指示に看護婦が福光の腕に血圧計のバンドを巻いた。
「白い孔雀《くじやく》が見える。……たくさん、群れて、遊んでいるなア。芝生を歩いたり、岩の上で扇をひろげたりして……赤い色がひとつもない。……赤い色は血を連想させるから、いけない。……」
大きな息を吐いて、ひと休み。
「山も白い。……白い岩山。……奇巌怪石の庭園だな。……石灰岩の浸蝕《しんしよく》作用。……好事家《こうずか》が見たら垂涎《すいぜん》ものだ。……泉水がある。……黄金の……一対《いつつい》の獅子《しし》から噴水が上っている。……お城だ。……いかめしい紋章だ。……冠と盾と獅子の。……王室の紋章だ」
「先生。血圧が八十に下りました」
看護婦が云った。
「もう、そのくらいで、いいでしょう」
日本語のわからぬドクター・シューマッハーは山上に云った。
「もうすこしです。いま、大事なことをしゃべっています。もうすこし聞かせてください」
「意識回復は、あと二、三時間です。それからゆっくり話が聞けるではありませんか」
「まともな状態になると、かえって沈黙したり、話を逸《そ》らしたりするものです。いま、本人は正直な経験を話しているのです。それがとても重要なんです。お願いですから、もう、すこし」
「では、あと一分間だけですよ」
主任が顎《あご》をしゃくったので、助手がパジャマの胸をひろげ、聴診器を当てた。
福光は両の睫毛《まつげ》をきれいに揃《そろ》えたままである。
彼の溷濁した意識は、夢見る言葉をつづけさせた。
「このお城は……、どこかの廃城を買い取ったのだな。……山奥の、人里はなれたところ。……そこへ近づけば……、警備隊にさえぎられる。それも道理……お城は……バロックふう。これは離宮だ。きらびやかだ。……始祖の大王をはじめ……中興の祖……第何世かの王、……祖父、先代陛下の御肖像……ならびに祖母、母后陛下の御肖像。……ほほう、宮廷画家式の腕前じゃわい。……例のパリ集団のな。……侍従らがいる。侍女たちがいる。……みな、お供して離宮にきた。……貴公子はお顔をお見せにならぬ。……まさか……中世の伝説に聞く……鉄仮面を、お付けになっているのでは、あるまいに……」
「先生。血圧がどんどん下っています」
看護婦が叫ぶように云《い》った。
「ああ、あたりが暗くなった。……洞窟《どうくつ》だな。……まわりが白い柱だ。……銀殿玉楼とはこのことか。……鍾乳洞のように、変化に富んだ石柱だ。……色のうすい、花模様のタペストリーが……たくさん懸けてある。……これは、あの離宮の、四阿《あずまや》かな。……違う。……紋章が異なる。……別な王家だ。……どこだろう。……どこだろう。……そう遠くないぞ。……探さなくちゃ、……探さなくちゃア。かならず探し出すぞ。……山の離宮を。……」
山上のうしろ肩をシューマッハー主任が強く叩《たた》いた。
医局員と看護婦に手当てされる福光福太郎を山上は酸素テント越しに凝視した。彼の閉じた眼蓋《まぶた》は微動だにもしなかった。
外科病棟の医務局横の応接室にシューマッハー主任は山上を導き入れた。
若い医局員を呼んで持ってこさせたのが三枚折りの銅版であった。中央にキリスト、左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネの浮彫り。
「これが負傷者が持っていた唯一《ゆいいつ》の所持品です」
主任は山上の前にさらに銅版を押しやった。
これを福光がチューリッヒのクララの骨董店《こつとうてん》で五千ドルで買ったのを見ている。地下売場は、同じ銅版でも、肉筆極彩色の細密画で、その聖像の円光は金色であった。
「知っています。間違いなく彼のものです」
「この銅版がポケットにあったために、鴉の鋭いクチバシも本人の皮膚をついばむことができませんでした。その部分だけ疵がないのです。神の恵みです」
山上には、車の中で聞いたシューベルトの「冬の旅」が耳に蘇《よみがえ》る。
からすよ、おかしなやつだ
わたしから離れようとしないのか。
ここでもうすぐわたしの体を
餌にしようと思っているんだな。
今となっては旅だよりに
旅をつづけることはもうないだろう。
からすよ、墓のほとりまで忠実に
つきまとうところを、今こそ見せてくれ。(志田麓訳)
ドアがノックされて職員が入ってきた。手のメモを見ながら主任の耳の近くで云ったが、その声は山上によく聞えた。
「ワイデンブルクの荷馬車業で、ルイザ・ヘッケルという婦人経営者から三十分前に電話がありました。昨夜遅いラジオで聞いた者が今朝話してくれたのだが、ヴァルトボイレン村とやらで馬もろともに崖《がけ》から転落して、そちらの病院に収容されているのは、ウチの馬を借りて行った日本人の画描きです。馬の借用書によると……」
職員はメモに眼《め》を落し、
「名はミスター・タシロです。で、まさかボンが、馬の名ですが、死ぬとは思わないから、紹介者のメイの親方のこともあって普通よりずっと安い一千マルクしかもらっていない。病院に彼の縁者が来ていれば、その馬の補償費を支払ってもらえないだろうか、といっていました」
主任は、わかった、とうなずいた。職員は山上の顔へ視線を走らせて出て行った。
山上は察した。
これは荷馬車屋による馬の賠償請求を取り次ぎに来ただけではあるまい。福光福太郎はパスポートも財布も失《な》くしている。目下無一文だ。病院としては、治療費、入院費をだれに請求すべきかが最大の問題である。馬車屋の電話にかこつけて、じつはその支払い責任の所在を確かめにきたのである。あの職員は外科病棟の経理係らしい。
山上は考えて云った。
「ミスター・タシロは便宜上、画家を称したようですが、じつは、パリに本社をもち、デュッセルドルフにも支社をもつ商社の経営者です。本名をフクミツといい、その名刺をもらっているが、ここには持っていない。チューリッヒのIHC(国際健康管理委員会)のわたしの部屋にある。あいにくと今日は週末で秘書も休んでいるから月曜日でないと開かない。しかし、同胞ですから、病院の支払いはわたしが保証します。また、荷馬車屋のルイザ・ヘッケルさんから再度電話があったときは、馬の弁償はわたしが保証しますとお伝えください。わたしの名刺は受付を通じてさし上げておきましたが」
「いただいております」
シューマッハー博士の顔に安堵《あんど》の色が浮んだ。「IHC調査課長医学博士」の保証なら充分と云いたげだった。
さっきの職員が呼ばれ、あらためて持ってきた入院患者の保証人の用紙に山上はサインした。受けとった会計係もにっこりした。
「患者をよろしくおねがいします」
「わかりました。あと二時間もすれば意識が回復しますから、今日の夕方にでも普通の病室に移せますよ」
主任の博士と握手した。
応接室を出て山上は、ふと足をとめた。
「日本領事館からここへ問合せはありませんでしたか。昨夜のラジオを聞いたはずですから」
主任が医局の中へ入っていったが、すぐに出てきた。
「どこの日本領事館からもないそうです」
西ドイツの日本領事館は、この近くだけでもデュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘンにある。
「ラジオでは、東洋人といったものの日本人とは、はっきり云ってないからでしょうな。それに今日は週末です。のんびりとしているんじゃないですか」
「もし領事館から問合せがあったら、かならずフクミツに相談したうえで返事をしてください。すぐに該当者が入院しているなんて即答しないでください。博士から事務長に云ってもらって、病院のみなさんにそう徹底するようにしてください」
「承知しました」
とは云ったが、シューマッハーは山上のいささかの強硬におどろいていた。
福光福太郎のうわごとは、意識|溷濁《こんだく》の中で、あらぬことを呟《つぶや》いていたのか。
だが、彼は「タペストリー」と「白孔雀《しろくじやく》」の二語を云った。
譫語が深層心理の表出かどうかは専門家にでも聞いてみなければわからないが、この二つの単語には確かな現実性があった。
チューリッヒのシュタットハウス通り、コーヒーハウスの中で、亮子《りようこ》、福光、それに自分の三人が雑談をしていたとき、亮子の主人のクレメンス・ベンドルがタペストリーを探しにベルン、バーゼル地方、フランドル地方、北ドイツへ行ったらしいと聞いて福光がたずねたものだ。
――あのへんのタペストリーの図柄《ずがら》は、十五世紀のものが多く、鳥獣とか花とかのテーマで、色彩は中間色、けばけばしい原色は抑えられ、おだやかなものになります。もしそんなものをご主人が入手されても、コレクターはそれをどこに飾るつもりでしょうかね。……はてな。その鳥禽図《ちようきんず》のなかには孔雀はありませんでしたか。
――白い孔雀。
亮子が呟いた。
――なんと云われた?
福光が、瞬間、屹《きつ》と彼女の面に強い眼を据《す》えたものだった。
――白い孔雀と申したのでございます。このチューリッヒにベルギーから白い孔雀を求めてわざわざきている婦人があったということでございます。でも入手できなかったそうです。……
これは山上自身がその場に居合わせて耳にしたことだ。
(白孔雀がたくさん遊んでいる)
(色のうすい花模様のタペストリーがたくさん懸けてある)
意識不明の福光が呟く|うわごと《ヽヽヽヽ》は、シュタットハウス通りのコーヒーハウスで聞いた亮子の話から妄想《もうそう》が発展している。
人里はなれた古城。それをバロック式に手を入れた宮殿風。
離宮。
冠と盾と獅子などをあしらった厳《いか》めしい王家の紋章。
泉池と、黄金の獅子から上る噴水。
――おとぎ噺《ばなし》が福光の溷濁した脳に創《つく》られたのか。
ロココふうの壁間には始祖大王から先王ならびに母后陛下にいたるまでの肖像画がならぶ。
はては、中世鉄仮面の伝説まで登場する。
王宮は、ほかにもあると口走る。鍾乳洞《しようにゆうどう》という白亜殿だ。もともと日ごろからアイデアマンを自称しているだけに、たぶんに空想家、ロマンティストの福光福太郎のことだ。溷濁した脳味噌《のうみそ》が狂人の如《ごと》き妄想を際限なく発展させているようである。
彼の意識が回復したら、けろりとして、寝言を忘れたごとくになるはずだ。
しかし、心にひっかかるものがある。酸素テントに首を突込み、患者の血圧が下る下ると看護婦に睨《にら》まれ、シューマッハー主任に時間の切迫をつつかれ、もうすこし、もうすこし、いまが大事なところですと譫語を聞きとるのに頑張《がんば》ったあの粘りが、心に戻ってきた。
(離宮は、どこかにある。かならず探す。この辺にある。探し出してみせる)
あれは果して譫語のつづきだったろうか。
ヘッヒンゲンは、谷間にある猫《ねこ》の額のような盆地である。だが南北東西の街道が合して物資の集散地である。奥地からは木材・石灰岩・大理石・鉄鉱石を産し、穀物ができない。穀物は、衣料、食料品などとともに各地からの輸入にたよる。商店街にはフランクフルトあたりから仕入れた婦人服のファッションがウインドウに陳列してある。
この町から西と南へ出た道はいずれも行く手に山岳が崛起《くつき》し、峠の連続となる。それもそのはず、このあたりはシュヴェビッシェアルプ山脈の中だ。
山上はヘッヒンゲンの消防署の前に車をとめた。人事不省の福光福太郎を墜落現場からシュツットガルトの中央病院へ運んだのはこの消防署が出した救護車だからである。
山上が来意を告げると、部長という雲突くばかりの大男が出てきた。
「わたしはヴァルトボイレン村の崖上から転落して遭難した日本人の友人で、ヤマガミと申します。ラジオのニュースで聞いて来ましたが、友人がいろいろとお世話をねがって感謝しています」
名前と職業を云った。が、この部長は、いっこうにIHCの権威を感じぬらしく、きょとんとしていた。
「ついては、ヴァルトボイレン村のその転落現場を見たいと希望します。地図を書いていただけませんか」
巨人の部長は山上を見下ろした。
「あなたは、車で行くつもりですか」
「はい。自分の車で」
「車で行ける道はありませんよ」
「……」
「行くとすれば、単車ですな」
「しかし、救護車が」
「救護車はここから村道までです。あとは小径《こみち》を二キロほど現場から担架で怪我人《けがにん》を運んできましたよ。六人がかりでね」
「……」
「それに、地図を書いてあげても、初めての人にはわかりっこありません。深い森林があり、小道がいくつも岐《わか》れていて、あらぬ方へ迷いこむ危険があります。それとですな、あのへんの村びとは、よそものが入ってくるのを好みませんからな」
「わたしとしては、ぜひ、友人の遭難現場を一目なりとも見たいのですが」
ヴァルトボイレン村はだれに訊《き》いても知らなかった。救護車を出した町を山上が思いついたのは一つの知恵であった。
「よろしい」
大男は二重に括《くび》れた顎《あご》を引いた。
「署員の単車のうしろに乗って行きなさい。単車も日本製、乗るのも日本人、遭難者も日本人とは、こりゃ、またどうじゃ、カードが合いすぎるわい。ふわ、ふわ、ふわ」
おかしそうに呵々《かか》大笑し、これよ、誰かある、とばかりに部下を呼んだ。
「このお客さまをな、日本人が転落していた場所にお前の単車の後部にお乗せして、お連れ申せ。くれぐれも気をつけてな。だから、あんまり飛ばすんじゃないぞよ」
「は」
心得ましたと若い署員は云った。
部長は山上にヘルメットを渡し、場所の状況がよくないから気をつけなさいと注意した。
どうもお世話になります、と山上が単車の後部に跨《またが》った。このとき部長は署員に何ごとか耳打ちした。
町を西へ走ると、この県道はとりわけ幅がせまく、曲りくねった上り坂となっていた。対向車は木材のトラックと生コン車がほとんどで、あいだあいだにこの付近の農民が乗る古ぼけた車がはさまっていた。こちらから行く車がほとんどないところをみると、奥山から運び出す資材運搬路だろう。左右の崖は針葉樹林に蔽《おお》われるが、ブナ、ニレ、モミも多かった。
単車は崖の切れ目を左へ曲った。山上は把手《とつて》をしっかり掴《つか》む。下り坂は細いじぐざぐの小道となる。ここで森林は切れ、県道のついた丘陵はひとまず終った。次の丘陵までは平坦《へいたん》そうな高原だが、じっさいはそうでもなく、村落が見えかくれしていた。
前方を眺《なが》めると曇り空の下に山嶺《さんれい》が一列に遠く連なっている。このへんの山は総じて険しくなく、形がまるみを帯びている。スイス・アルプスとはよほど違っている。
次の丘陵のうねりの中に入った。道は、高原から逸《そ》れて、谷あいに隠れる細い小径となった。小さな川が流れている。河床の石はすでに白い。石灰岩の転石だった。小径の石を単車は跳ね上げて進む。山上は前にしがみつく。曲折をくりかえす小径を、日本製単車は右へ左へと荒れ海の中の小舟のように傾いて奔《はし》る。爆音が密林にこだました。
福光は馬で来たはずだった。とうてい車でこられる場所ではない。徒歩だと案内人が必要だ。彼はガイドを頼まなかった。ガイドも知るまい。ひとりで秘密の青い鳥、いや白孔雀の住む場所をさがしていたのだ。どこにあるかわからぬ。
森の中に入った。川とは離れた。森林は濃密となり、仄暗《ほのぐら》くなった。単車はヘッドライトを点灯する。密林の中で小径がいくつかに岐れていた。署の部長がひとりでは道に迷うと云《い》ったはずだ。両側の梢《こずえ》が剣先のようにヘルメットと顔に降りかかった。
トンネルを抜けたように樹海を通過した。
とつぜん、眼の前に平原がひらけた。
正面にそびえる白い丘。摺鉢《すりばち》を伏せた形の麓《ふもと》には木立と密集した集落とがとり巻いている。天辺《てつぺん》には修道院の建物があって、中世いらいの「門前町」の面影《おもかげ》を残している。
単車をおりた山上が視線をそのまま右に移すと、丘の延長線にもう一つもり上った丘があり、突兀《とつこつ》とした形をなしていた。その頂上には、観光ポスターの写真にありそうな古い城が乗っている。遠望しても画ほど立派ではないが、とにかく白い断崖《だんがい》の上に白亜の城砦《じようさい》がそびえていた。
眼を凝らすと、どうやら半分崩れかけた城のようだ。
単車の署員にきくと、人も住んでいないし、管理もされていない廃城だと云う。
(このお城は廃城を買い取ったのだな。山奥の人里はなれたところ。……)
福光福太郎の|うわごと《ヽヽヽヽ》が山上の耳底に残っている。
「転落現場は、あの稜線《りようせん》を右へ行ったところであります。その上に村へ降りる細い道がついておるのであります。日本人の画家さんはそこで馬に乗って走っておられたらしいであります」
「あんな危険な場所を」
「鴉《からす》の群に追われたのであります」
署員は空を見上げた。鴉は一羽もいなかった。
「転落現場へ参ります」
単車は轟音《ごうおん》を鳴らし、ところどころに林のある平原をよぎって疾走した。修道院と古城のある丘の位置は左へ流れ去り、それにつづいたなだらかな下降線となった。
だが、その手前斜面は石灰岩の断崖になっている。単車はそこで止り、署員は手をあげて山上に説明した。
「転落現場はあそこであります。崖《がけ》の上に糸杉が四、五本かたまっておりますが、あれが目標であります。下までの落差は約一〇メートルですが、三メートルのところで、モミ、カエデ、ブナなどの雑木林がありまして、それらの梢がマットの役をして、日本人の画描きさんは奇蹟《きせき》的に命拾いをされたのであります」
話には聞いていた。その現場を見るのははじめてである。山上は凝視しつづけた。
このとき、署員がヘルメットの前を上げて、妙だな、と呟いた。転落現場の林の中に、遭難者の所持品を村民の応援で捜していた所轄《しよかつ》警察署員の姿が一人もいなくなっているというのだ。
「もしかすると、見つかったのかもしれない」
彼は独り言をいった。
福光の所持品は、パスポート、財布、手帳、パイプ、書類その他だろう。
「村の人が捜索に手伝っていたというなら、その人らに聞いてみてくれませんか」
わかりました、と単車はくるりと方向を変え、人家のほうへまた爆音を立てて引返した。
人家とは、さっきの伏せた鉢形の丘、頂上の修道院を麓でとり巻く村落である。が、そこまで行かないうちに、けたたましい音響を聞きつけて牧場の家から赤シャツ、長靴の男がとび出してきた。
「落ちて散らばった品はみんな見つかったよ。財布、パスポート。それに、壊れて中のものがばらばらになったスーツケースやトランクやらね、こいつは馬の背から落ちたらしい。絵の材料もそうじゃ。そう、一時間前じゃったな、みんな、本人が入院しとるシュツットガルトの病院へ警察が運んで行ったよ。財布の中身は、なんぼあったか、警察のダンナが調べとったからわしらは知らんが、なんでも、金持ちということじゃった」
ありがとう、とヘッヒンゲンの消防署員は牧場のおやじと握手した。
単車はもと来た道へ方向をむけた。
「ちょっと待ってくれたまえ」
山上は急いで署員をとめた。
「はあ?」
「ぼくの友人は、どうやらあの古い城へ行ったようです。その帰りに鴉に襲われたと思う。そこで、ぼくも、あの城へのぼってみたいのです。面倒でも、ちょっと連れて行ってくれませんか」
署員は城のほうをふり返った。
「ダメであります」
「え?」
「立入り禁止区域になっております」
「しかし、きみ、ぼくの友人が、おとといそこへ行ったと思うんだが。なぜ、立入り禁止なのかね?」
「自分は知らないのであります。上司からの命令であります」
「じゃ、あの修道院に、ちょっとお詣《まい》りしたいのだけど」
「修道院も立入り禁止であります」
山上は、消防署を出発するとき、陽気そうな、デブの部長がこの部下になにやら耳打ちして厳命を下していたことに思い当った。
署員はアクセルを踏み、単車の炸裂音《さくれつおん》を平原に轟《とどろ》かせた。
チューリッヒのアパルトマンに山上が戻ったのは夜に入っての八時であった。
途中アウトバーンでも、事故を起さぬようにドライヴ・インごとに入り、しかもゆっくりと憩《やす》んだ。身体《からだ》の疲労に精神的な疲れがのしかかった。
部屋に入ったが、くたくただった。
どのくらい睡ったか、夢うつつの中に呼び鈴《リン》の音がする。郵便配達夫か、訪問客か。電話と判別するのに一分を要した。
サイドテーブルの受話器を取り、ドイツ語で応答したところ、
「もしもし」
女の声だった。東京からの女房の声ではない。
「亮子《りようこ》です」
「やあ、今晩は」
「ごめんなさい。じつは昼間、ずっとおかけしてたんです。今日は週末でIHCもお休みですし」
「すみません。一日じゅう外出していたものですから。……あの、なにか変ったことでもありましたか」
亮子の言葉の調子でわかった。
「ユリアさんのご主人のハンス・オリヴァーさんが亡《な》くなられました」
「とうとう、いけなかったですか。いつですか」
「今朝未明の三時ということです。州立研究病院で。同じ病院に入院しているユリアさんから八時半に電話がありました」
ハンス・オリヴァーはエイズ発病で一年前から専門の州立研究病院に入院していた。
ミュンスターガッセで大きな食料品店を営むオリヴァー氏がユリアに内緒でグロックナー個人銀行に秘密番号預金口座を持っていたのをかぎつけたユリアが、「役者」を立てて銀行にデモを仕かけるという大芝居を打ち、みごと預金引出しに成功したというのは、山上もあとで聞いた。その助太刀のアイデアも福光福太郎で、福光との知り合いもそれからだった。
「オリヴァーさんの告別式と埋葬は明日の午後二時からということです」
「ユリアさんは、それに出られますか」
「発病していますから出られません」
「そうでしょうね。気の毒です」
ユリアもやがて夫のあとを追うであろう。
「亮子さんは、告別式に出ますか」
すこしの沈黙があった。
「出たいとは思っていますが」
ここで、にわかに声が沈んだ。
「わたしにも、心配ごとがありまして」
「……」
「じつは、あれから主人がまだ戻ってきません。タペストリーの買い出しにバーゼルからオランダあたりにまわったところまではわかっていますが、そのあとは消息がありません。もう一カ月以上になります」
フランドル地方は、十五世紀の色彩の淡いタペストリーの織地であり、いまも所蔵家は持っているはずである。亮子の夫の骨董商《こつとうしよう》クレメンス・ベンドルはその持主を探しに行った。
山上に不吉な予感が流れた。
十月二十五日。月曜日。
ハンゲマン局長が出勤したと秘書から山上に連絡があった。午前十時三分であった。いつもよりは十分早かった。
「お早う。ドクトル・ヤマガミ」
局長は血色のいい顔で彼を迎えた。定位置の椅子《いす》に腰をおろすと、たちまち彼がその一部分に見えた。
「週末と日曜日は休養がとれましたかね」
「日曜日はこっちに居《い》ましたが、週末は……」
「おお、けっこうです、すこしは郊外をドライヴしないといかんですな。ぼくは二日間、家から一歩も出ないで資料を読んだり考えごとをしたりしていましたがね」
「局長は勉強家です」
「そんなことはないが、年が寄ると外に出るのがおっくうになります。しかしなんだね、WHOの統計には相変らず腹が立つね」
「また何かありましたか」
「共産国圏のエイズ患者を、外国人の留学生や旅行者がおもだなどとはもう云《い》い張れなくなってきている。そこで国内の感染は資本主義国の連中によるエイズ・ウイルスの持ちこみが原因だと極めつけているが、その感染者数、発病者数、死亡者数は依然として厚いカーテンに包まれている。ソ連は一度開放政策をとって失敗した。その反動としてふたたび軍部や官僚政治だ。経済政策の打開よりも対米戦略です。西側からの脅威だ。これだけはツァーリズムのロシアからスターリンのソヴィエトになっても基本的には変らない。開放政策の失敗のあとだけに軍部も官僚も前にも増して閉鎖的になっている。ソ連といっても、われわれはヨーロッパのソ連ばかりを考えがちだが、いまやエイズはウラルを東へ越え、中央アジアからシベリアに侵入している。もっともアジア人は欧米人にくらべてエイズ・ウイルスに罹《かか》りにくいといわれているがね。それでもウラル以東のソ連領土は広域だが、感染者は相当な数だろうね」
「そう思いますね」
「ところが、WHOへのソ連の十数年前の報告ではヨーロッパ側の感染者・発病者だけでした。現在も変らない。十年前まではそれでよかったかもしれんが、今日では現状と合わないね。ソ連は、民族問題などウラル以東には複雑な事情を抱えているので、あけすけに発表したくないのはわかるけれど、それではエイズの実態はいつまで経《た》っても把握《はあく》できない。WHOは、報告を統計するだけです。もちろん調査権などはない。米ソに握られている国連の弱体をつくづく歎《なげ》くのみだね」
「その後、ソ連国内にエイズ専門の人民特別病院が増設されたという情報がありますか」
「隔離病院と云ってもらいたいね、向うのことだから、歯に衣《きぬ》を着せないで」
ハンゲマン局長は指先で机の上をこつこつと叩《たた》いた。啄木鳥《きつつき》がクチバシで敲《たた》くような音だった。
「場所はまだよくわからないが、いずれにしても風光|明媚《めいび》な湖畔か静寂な山間の仙境《せんきよう》のようです」
「それじゃ、まるで流刑《るけい》と同じではありませんか」
「しかし、一見設備は至れり尽せりで、保養所のような設備でね。……わたしはね、エイズのワクチンと治療薬の開発が当分見込みないとなると、エイズの猖獗《しようけつ》を喰《く》いとめるのは世界でソ連一国だけだと思いますよ」
局長は啄木鳥をやめて腕を組んだ。
「十四世紀のペスト大流行の終りごろになって、ようやく法的な隔離法が公布された。ご承知のレッジオのベルナーボ公の公式の国家的命令です。隔離によって伝染経路を断つという考えは、ペスト流行時にもあったが、なかなか思い切ってできなかった。それをベルナーボ公が断行した。それは残酷な、きびしい処置でした。おりからペストの流行が下火になってもいたが、このベルナーボ令の隔離法はあちこちに採用され、ペストの終熄《しゆうそく》に決定打となった」
「そうですね」
「それまでは、ペストからひたすら逃げるしかなかった。もっともそれは金持ちだけだがね。ボッカッチォの『デカメロン』は、ペストからのがれるためにフィレンツェの金持ちの女主人が近郊の別荘に十人の男女をつれて滞在し、退屈しのぎに一日一話ずつ話をさせる趣向ですが、エイズがこう大流行しては、『新・デカメロン』ができそうですな」
局長は声を立てずに笑った。
山上はその笑いに同《どう》じなかった。福光福太郎の譫語《うわごと》を話すつもりで局長室に来たのだった。
「ペスト流行といえばね、こういう話がありますよ」
局長はその話をまだつづけた。
「ロンドンではまだペストがそれほど流行《はや》っていないときでした。その年も艦隊の要員補充のために強制募集が行われた。それは対オランダ戦争のためであった。力ずくで水兵にされた若者たちは、愛国心よりも、強制されて艦底でコキ使われたり、大砲の弾丸を運んだりする労働などで大不平でした。しかし、そのために陸地で猖獗をきわめたペスト禍《か》を脱《のが》れることができたのです。対オランダ戦争で勝利を収め、イギリス艦隊がテムズ河口に凱旋《がいせん》したときは、すでにペストの猛威も下火になりかけていました。まことに運不運は紙一重です。このとき、ロンドン市内だけでも三週間で発病者が十万人、死者はすくなくとも三万人といわれています。艦隊の兵員は、海戦の死傷者を別にすれば、悪疫《あくえき》からはまったく無キズだったのです。艦隊の出動が兵員をペストから隔離したのです。水兵がわが家に帰ってみれば、父母も兄弟も姉妹もペストで死亡し、親戚《しんせき》、友人みな斃《たお》れ、わが身ひとりが亡骸《なきがら》の山を焼く煙の上る中に蕭条《しようじよう》として立ち尽すありさまだった。……」
局長は、天井の一角を睨《にら》みつけた。
「この教訓ですよ、ドクトル・ヤマガミ」
「なんの教訓ですか」
「ソ連のエイズ患者隔離策です。絶対主義国の強味だね。民主主義を標榜《ひようぼう》する資本主義国が逆立ちしてもこれには及ばん。ソ連は、ワクチンや治療薬が開発されなくても、エイズ・ウイルスに勝利するよ。ペスト流行時のイギリス艦隊が一兵も悪疫に損失を受けなかったようにね。強い国だ、ソ連は」
ハンゲマン局長は、羨望《せんぼう》の溜息《ためいき》をついた。
「しかし、ペストとエイズとは質が違うんじゃないですか、局長」
「もちろん違う。しかし、十四世紀のペスト流行はヨーロッパ地域に限定されていた。そして自然と終熄した。エイズの猖獗は全世界を掩《おお》っている。熄《や》むどころかますますさかんだ。医者はワクチンや全治薬の研究に懸命だが、ひょっとするとエイズ・ウイルスは、癌《がん》細胞のように、人間にとって手に負えない難物じゃないかと思われるくらいだね。やはり、いまのところ、人類をエイズの災いによる破滅から救うには感染者の隔離法しかないと思うね。だが、それが可能なのは絶対主義体制の国だけです」
秘書が書類を運んできた。
局長は、それで初めて気づいたように山上に詫《わ》びた。
「つい、勝手なことをぼくが先に長々としゃべって申しわけなかった、ドクトル。で、なにかぼくに話が?」
ありがとう、局長、と山上は云った。しかし、これは自分の友人に関することで、ご報告すべきかどうか迷ったのですが、いちおうお耳に入れておきます、と前置きした。
自分の友人でいわば代理業《エイジエンシー》のようなことをしている男がいる。金曜日の晩、西ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州の山中で乗馬もろとも崖《がけ》から転落して意識不明となりシュツットガルトの病院に収容された日本人らしい人があるというラジオニュースを聞いた、そこでもしやと思い、土曜日の早朝に自分はシュツットガルトの病院へ車で出向いたところ、それがその友人で、彼は未《いま》だに人事不省状態であった。
彼が乗った馬は荷馬車屋から借りたものとわかったが、いまどき、どうして乗馬でそんな辺鄙《へんぴ》な、不便な場所へ行かねばならなかったのかと思い、病院の帰りに友人を現場からシュツットガルトの病院へ救護車で運んだヘッヒンゲン町の消防署へ寄り、彼の転落現場へ案内を乞《こ》うたところ、親切にも部長は署員に単車を出させ、その後部へ乗せてくれた。
ヴァルトボイレン村というのは、普通の地図にないのも道理《ことわり》で、山奥も山奥、小川の小径《こみち》を行き、密林をくぐりして達する高原地帯、突き当りはジュラ紀の白い丘陵。彼はその石灰岩の崖から道を踏みはずして転落した。というのは、あのへんは獰猛《どうもう》な鴉《からす》が多く、おりから巣作りに馬のたてがみを引き抜きに襲来、これを防ぐ乗り手の人間まで襲撃して、その衣服を破り鋭いクチバシで皮膚を刺したので、それから逃げるためだった。……
話の順序として、ひとくさり前段を山上がここまで語っているあいだ、ハンゲマン局長はいかにも退屈げに聞いていた。彼はさきほど自ら話して聞かせたペスト大流行時のベルナーボ令や、さては対オランダ開戦時のイギリス艦隊に強制徴募されたロンドンの水兵の挿話《そうわ》にまつわる自己の話の十分の一ほどにも興味を示さなかった。
ところが、友人の転落は彼が丘陵上の荒城と修道院とを見ての帰りであり、その二つの古き建物について消防署員が部長の厳命として「絶対立入り禁止」として近寄らせなかったことに及んで、
「立入り禁止の理由については何も云わないのです。わたしはヴァルトボイレン村の帰途に近くの町にある消防署の部長に会い、その理由を質問したのですが、まったく拒否されました。人の好い、親切な部長なんですがね」
と山上が話すと、局長は身を乗り出しはじめた。
「なんだろうね」
「局長。わたしの想像ですが、エイズだと思いますよ」
「え?」
「これはまったくの想像です。修道院の中でエイズの犠牲者が出たのだと思います。これはまったく外聞をはばかります。友人のミスター・フクミツは、神の手に渡されることない修道院のエイズ犠牲者たちを廃城の中で見たのです」
ハンゲマン局長の水色の瞳《め》がにわかに熱意を帯びてきた。
「あなたの友人は、その修道院にエイズ患者が発生し、坊さんたちの遺体が近くの荒れはてた城に捨てられたのを予知していて、それを探しに馬に乗って行ったのですか」
「そうではありません。彼は別なものを探しにあのへんの山中を馬で歩いていたらしいのです」
「何を探し求めていたのですか」
「友人は病院の集中治療室の酸素テントの中で人事不省の状態で|うわごと《ヽヽヽヽ》を呟《つぶや》いていました。譫語《せんご》ですからアテになりませんが、その中の二つの単語はいくらか拠《よ》りどころがあるのです。それは『白い孔雀《くじやく》』と『色のうすいタペストリー』です。つまり中間色で織られた壁掛けで、十五、六世紀ごろにフランドル地方に流行った花鳥模様です。この二つは友人が以前からよく口にしていましたので、うわごとにも出たのです」
「それはどういう意味ですか」
「当人でないと正確なところはわかりません」
山上は答え、間を置いて、すこし語調を変えた。
「あとは、まったくの|うわごと《ヽヽヽヽ》ですから、とりとめのない言葉です。わたしが努力して聞いたところによると、……王室の尊厳はエイズ・ウイルスに冒されてはならぬ……と、そのように途方もないことを云っているのです」
「なに、王室の尊厳はエイズ・ウイルスに冒されてはならぬ……?」
「わたしも聞き違いではないかと思っていると、そのあとに、王室は、神より加冠された聖なる一族である。その藩屏《はんぺい》たる公侯伯子男その他の貴族ら臣下とは厳に区別さるべきである……そういう意味を、いかめしい言葉で呟きつづけたので、聞き違いでないとわかりました」
ハンゲマン局長の表情が石のように硬くなった。が、すぐにそれは爆笑に変った。
「それはまた奇妙|奇天烈《きてれつ》な|うわごと《ヽヽヽヽ》ですな、ドクトル」
「そう。わたしが、その男と知り合いになったのはきわめて最近ですが、それでも発想の豊かな人であり、雄弁家であることがわかります。彼の譫語には、その発想が無意識のうちに妄想《もうそう》となっているのでしょう」
「なるほど。あなたの友人は、ほかにも何かうわごとをしゃべりましたか」
「彼の妄想は、どうやら山中の宮殿を描いているようです。離宮ですね。そんなことを呟いていました。白い岩山のお城。噴水のある池。冠と盾と獅子《しし》のある王家の紋章。それに歴代王の肖像画。……」
局長が、ごくりと唾《つば》を呑《の》みこんだあと、笑いだした。
「その人はおとぎ噺《ばなし》の作家に適《む》いているようですな。で、その、おとぎのお城から王子さまと王女さまとがお出ましになって池の白鳥に餌《えさ》を与えるのですかな」
「白鳥ではありません。白孔雀です。白孔雀がいっぱい遊んでいるなアと譫語で、ぶつぶつ云っているのです。王子さまも王女さまも出ません。侍従や侍女はいますが、主人の貴公子は姿をお見せにならないとも呟きます。まさか、中世の伝説に聞く鉄仮面でもあるまいに、などと独り言をいいます」
「鉄仮面だって?」
局長はふき出した。
「別な離宮が鍾乳洞《しようにゆうどう》の中に造営されてあるとも云っていました。あのへんは石灰岩の山塊だから鍾乳洞が各所にある。その中の宮殿だから、まるで玉楼のよう。しかも紋章が異なるので、他の王室の離宮だとつぶやくのです」
「はてさて面妖《めんよう》な。ヨーロッパ諸国王家の寄り合いの離宮というわけかね」
「溷濁《こんだく》した意識の中で寝言のように呟いていることですから、理屈は通りません。しかし、友人は、かならず、その離宮なる場所を探し出すと云っていました。彼が馬に乗って人里はなれた山路を歩いていたのは、どうやらその目的だったようです。その深層心理といったものが譫語に出たんじゃないでしょうか」
「……」
「孔雀は宮廷や貴族の庭園には不可欠な鳥です。タペストリーは行在所《あんざいしよ》や本陣になくてはならぬ装飾です。が、これに色彩がないのを択《えら》んでいるのは、赤い色が血を連想させるからではないかと思うのです。これはわたしの類推です」
「そうかねえ」
「局長は、さっき、ペストを避けてフィレンツェ郊外の別荘にこもってできたといわれるボッカッチォの『デカメロン』の話をされましたね。友人は二十一世紀の『新・デカメロン』の場所を探し求めに歩いていたのだと思います。彼独特の強い好奇心から。しかし、それはエイズ・ウイルスを避けるための場所ではなく、療養のための静かな場所だと彼は思っていたのです。……」
午後三時、山上はシュツットガルトの中央病院に電話し、福光福太郎の担当医局員を呼び出した。
「土曜日の午後二時ごろから意識が回復しました。いまは個室に移っています。経過は順調です」
酸素テントの傍で、おろおろしていた眼鏡の若い医師の顔が浮ぶ。
「本人はヤマガミが見舞に行ったことをすこしはおぼえていますか」
「ぜんぜん、わかってないです」
「そうでしょうな。そのあと、なにか、ひとりごとをぶつぶつ呟いていますか」
「全くありませんね。譫語《せんご》は意識不明のときだけです。いまは逆に黙りこくっています。疲労のためか、よく睡《ねむ》ります。これは健康な睡りです」
「日本領事館のほうからの問合せは?」
「まだありません」
「昨日は日曜日ですが、領事事務は今日からが開始です。主任さんにおねがいしたように、しばらく問合せには内密にしてください。ご迷惑はかけませんから。IHCのヤマガミが責任を持ちます」
領事館はお役所仕事。邦人が事故死を遂げない限り、動くことはなかろう。
「退院は、いつごろにできそうですか」
「腎臓《じんぞう》の出血部分をもうすこし検査する必要があります。もちろん手術の必要のないものですが。あとは問題ありませんから、それさえ済めば、三日後でも退院できます」
「患者にはヤマガミが迎えに行くと伝えてください。その日まで本人には電話しません。病院のほうの支払いその他の整理はわたしがします。主任の博士にそうお伝えください」
電話を切った。
福光の財布は転落現場から発見されている。捜索隊の話だと、「金持ち」だったという。足りない差額を出してあげてもたいした負担ではない。借りた馬の弁償も二千マルクくらいだ。
これで、さしあたっての問題の一つを処理した。山上は煙草《たばこ》をつける。
福光の譫語をハンゲマン局長に伝えると、彼はげらげら笑って云《い》った。
のみならず、福光の無意識な妄想が、石灰岩の山にできた鍾乳洞にも別な王室の離宮を描き、あたかもそこを十四世紀のペスト禍を避けたフィレンツェ郊外の女富豪の別荘のごとき『新・デカメロン』の場所につくりあげているのではないか。そうしてこの『新・デカメロン』の場所は西欧貴人の「療養離宮」であると友人は妄信し、その所在を夢幻のあいだに探し求めているのだろう。山上がそう云うと、局長の抱腹絶倒はその極に達したものだった。
「西欧貴人の療養離宮」
自分で云ってから山上ははっとなった。いままで、もやもやとしていたものが、はっきりと形になって見えてきた。
しかし、ハンゲマン局長にあっては、そんな意識溷濁者のうわごとよりも、目下、ソ連がとっているエイズ患者・感染者の「隔離政策」に重大な関心を払っている。ああいう思い切った防衛策は絶対主義体制の東欧国圏でないとやれないと羨望の念を抱いている。エイズ禍から脱れることによって、ソ連はますます強くなると考えている。羨望はその危惧《きぐ》の裏返しである。ハンゲマン局長はもとより西側の人である。
だが、山上の現実にあるものとしてはヴァルトボイレン村の丘上にある古城と修道院である。ヘッヒンゲン消防署の部長は、両方とも立入り禁止だといっていた。消防署がそういうからには警察署の方針であろう。立入り禁止の理由は、前に考えたように修道院にエイズ患者が出て、その死亡者らを内部でひそかに始末したものと思える。廃城はその遺体の埋葬場所だ。だが、その秘密は山麓《さんろく》の集落に住む村びとに洩《も》れ、警察の介入とはなったのだろうが、ことがことだけに事件の経緯は公開されてないのだろう。
あの修道院を管轄《かんかつ》する教区はどこだかわからないが、たぶんその教区の司教が外聞を恐れて警察の幹部に頼みこみ、公開を中止させたにちがいない。この場合、IHCといえども調査介入の権限は与えられていないのである。
「西欧貴人の療養離宮」。――
山上はまだこれにこだわっている。シュタルンベルク湖畔のベルク城は、狂王ルードイッヒ二世が隔離された離宮であった。
三十分してから局長室から山上にお呼びがあった。
「やあ、どうも」
山上が入ってきたのを見て、ハンゲマン局長は窓ぎわから振りむいた。両の手をポケットに入れ、今まで外を眺《なが》めていたのである。珍しいポーズだ。思案でもしていたような恰好《かつこう》だった。
「来ていただいたのは、ほかでもありません」
局長は眼《め》もとに微笑を見せ、椅子《いす》を山上にすすめてから云った。
「先刻、あなたからお友だちのお話をうかがっているうちに、つい、その、謹みを忘れて笑ったりしてすみませんでした。しかし、けっしてご友人を侮辱したのではありませんから、あなたも気を悪くなさらないでください」
だいぶん風向きが変っている。
「いいえ、局長。わたしは気にしておりませんから、どうかご心配なく」
山上も明るく応じた。
「それで安心しました」
ハンゲマンは、ほっとした様子を見せた。
「で、お友だちの容態は、どうですか」
両の指先を机の上で組み合せ、憂《うれ》いげにきいた。
「わたしがシュツットガルトの中央病院に見舞に行ったとき、担当医師の話では、意識はまもなく戻ると云っていました。腎臓に少量の出血があったので、意識の回復がすこし遅れているだけだといっていました。じつは、さっき病院へ電話したところ、一昨日の午後に意識が回復したそうです。あとは検査だと云っていました」
「それは幸いです。しかし、とんだ災難でしたね」
「まったく。わたしも彼がシュヴェビッシェアルプ山脈の山中を馬に乗って歩いているとは、ちっとも知りませんでした」
「遭難された現場の村はなんという名でしたっけ?」
「ヴァルトボレイン村というのです」
「その負傷者のお友だちを現場で収容するために救護車を出した消防署の町の名は?」
「ヘッヒンゲンという名の町です」
「なに、ヘッヒンゲン?」
ハンゲマンは何を思ったか、息を呑んだ顔になった。
「おや、局長はヘッヒンゲンをご存知ですか」
「なんとなく名前を聞いたような気がしただけです」
「ヴュルテンベルク州です。シュツットガルトの東南四〇キロぐらいのところです」
「なるほど、なるほど」
彼はうなずいた。
「念をおすようだが、あなたのご友人は、なんのためにそんな山中を旅されていたのですかな?」
「それはわたしにもわかりません。わかりませんが、彼が病院で無意識の中で云った譫語から推測すると、そのへんにあるヨーロッパ各国の王室の離宮を探しに行ったようです。王家にエイズ患者が出たために、その方を隔離するために。しかし、これは彼の|うわごと《ヽヽヽヽ》ですから、夢のような話です」
「|うわごと《ヽヽヽヽ》にしても面白かったです。いや、まったく奇想天外に愉快でした。それで、あの場で、つい、吹き出して失礼したのですがね」
「あの男は、そういう人間です。彼の名刺にもアイデアを売るのが営業だと書いてあります」
「アイデアを売るというのはどういうことですか」
ハンゲマンの質問に、山上は福光から聞いた話をかんたんに伝えた。
「アイデア販売業とは、ずいぶん風変りですな」
聞き終って局長は唸《うな》った。
「まさに、彼の看板とするアイデアそのもので、人の意表を衝《つ》いた営業です。もう一つ、彼が営業種目にしているのはヒント・コンサルタントです。これはタシロ・アキミチのほうです。タシロはフクミツの別名です。ペンネームです。わたしは、友人とはいっても彼と知り合ったのは最近のことですから詳しくはわかりません」
局長は指先を揉《も》み合せた。
「そのご友人のペンネームのほうのお名前は、なんと云われましたかね。もう一度お聞かせくださいますか」
「タシロです」
「タシロ。タシロ……」
ハンゲマンは三白眼を宙にあげた。その瞳には、突如、茫乎《ぼうこ》とした表情があらわれていた。
「タシロ……」
ハンゲマンはまだ或る種の感動の余韻を曳《ひ》くように呟いた。
「税関吏《ツオルネル》……」
「え、なんですって?」
山上は局長の突拍子もない言葉におどろいた。声が小さかったので聞き違いではないかと思った。
「いや、なんでもない」
ハンゲマンは頭を二、三度振った。
「ドクトル。日本人にはタシロという名は高貴な姓になっていますか」
と、見当違いの質問を発した。
「とんでもないです。日本人にはタシロという名がザラにあります。むしろ、わたしの名のヤマガミのほうが少ないくらいです。タシロは庶民の姓です」
「そうですか」
ハンゲマンは顎《あご》に手を当てて、思案げにしていた。そこには何やら、恍惚《うつとり》とした表情さえ浮んでいた。
やがて机の抽出《ひきだ》しから茶色の小瓶《こびん》を出し、昂奮《こうふん》を鎮《しず》めるように白い錠剤を三粒とり出した。胃薬では精神安定にはなるまい。
山上は通勤用の車でIHC事務局を出ると、シュタンフェンバッハ通りをまっすぐに南下し、キルヒ通りのほうへ曲って、オリヴァー食料品店の前を通ると、はたして同店の表の鎧戸《よろいど》は下ろされ、三日後に開店の広告が出ていた。
土曜日の晩にかかってきた亮子《りようこ》の電話によれば、店主のオリヴァー氏は州立研究病院でエイズ患者として入院中だったが、ついに土曜日の午前三時に死亡したという。妻のユリアは感染者として同じ病院に入院中だ。
感染から発病、そして神の手に委《ゆだ》ねられるまであとどのくらいの年月がユリアの上に残されているかわからないが、名うての個人銀行から亭主の秘密番号口座預金を策略をもって全額引き出すほどのしっかり者の彼女だけに、生あるあいだに後事は心配ないようにしているのだろう。
この州立研究病院はエイズ患者を専門に収容しているが、それは法的な強制力を持たず、入院はあくまでも患者自身の希望である。いわば癌《がん》専門の病院に入院するのと同じで、それが「専門」であるが故《ゆえ》に自主的に入院するのである。
だが、当局の狙いはエイズ患者を一般から隔離するにある。エイズが猖獗《しようけつ》をきわめ、世界の感染者数が一億五千万人に達しようとする現在、どうしても感染経路を断つ有効な手段は隔離しかない。
エイズは伝染病ではない。そうではないが、人間の自覚と理性だけでは防禦《ぼうぎよ》しきれない隠微な間に伝播《でんぱ》する疫病《えきびよう》である。この本能に乗じて麻薬がさらに煽《あお》り立てる。麻薬の流通はどう防ぎようもない。西側の取締りは洪水《こうずい》を両手で押えるようなものである。
エイズ感染者の隔離は麻薬と絶縁させる点で絶対に役立つ。未だ発病しない感染者が、麻薬の使用によって発病を早めるのは統計の示すとおりである。
しかし、隔離は人道上の問題や差別の問題をひき起す。そのための「癌研究所病院」と同じに「エイズ研究所病院」の設立となった。患者の自主的入院なら人道上の問題もいわれなき差別観も起らないだろうというのである。
だが、その入院が当人や家族の希望であるかぎりは、「隔離」の程度も徹底さを欠く。そのあいだにエイズはどんどん伝染する。人道主義者の意見に遠慮して、法的隔離策をとらないと、少数のエイズ患者のために第二次、第三次、第四次の感染となり、大多数の無辜《むこ》の人々が犠牲になる。一部の意見はかく主張する。
だが、もしペスト流行時のベルナーボ令のような、その半分ほどの法的な措置が仮にとられても、収拾のつかぬ混乱と恐慌《きようこう》状態になるにちがいない。未だ発病しない感染者は強制的に検査を受けさせられ、隔離されて行く。中世の「魔女狩り」と同じになるのではないか。大暴動が起きるかもしれない。
そのときになっても、エイズ・ウイルスをやっつける全治薬も発見されず、免疫に有効なワクチンも開発されないとなると、医学は不信を糾弾され、不測の事態が起るかもしれない。対エイズ防衛の無策に、みんなが殺気立っているのだ。
局長は、ソ連のエイズ患者「法的隔離」政策を羨《うらや》ましがっていた。エルンスト・ハンゲマンは共産主義者でもなければ、その同調者でもない。だから、ソ連の「開放政策」後に揺り戻された再びの絶対主義体制の下で行われる強制隔離策を、讃美《さんび》ではなく、羨望《せんぼう》したのである。この国では小賢《こざか》しい人道主義論も起らず、反体制運動も起らない。資本主義国には、人民に|言論の自由が氾濫し過ぎて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、当局は思い切ったことを何一つできないといった口吻《くちぶり》だった。エイズ禍《か》をまっさきに克服するのはソ連であり、ペスト流行時のイギリス艦隊のように、いよいよ健在なのはソ連だと云った。
その粗い、短絡的な、飛躍の多い論法がまだ山上の耳底にこびりついている。
山上はリマト川の左岸へ渡った。
フラウミュンスター通りの骨董《こつとう》街の坂道。車なので、バーンホーフ通りから石だたみを下りる。右にエジプトの骨董店。その前を左の路地に入る。角から三軒目。
車をとめて、眼をうろうろさせた。古美術商クララの店はたしかここだと思ったのに、店の構えがまったく変っている。
同じ骨董商でも陳列窓には中国陶器の壺《つぼ》や大皿が飾られてあった。
扁額《へんがく》に擬した木製黒漆の看板を見上げると、中国古陶器と英字で書いてあり、「CHING - TE - CHEN=景徳鎮」と彫られ金箔《きんぱく》が嵌《は》められてある。
店の中には、さまざまな形や色をした壺や皿ばかりがところ狭しとならんでいる。クララの銅版画の陳列とは一変していた。
奥から出てきたのは、中国人ではなくフランス系らしいスイス人だった。
「この店は、たしかマダム・クララ・ウォルフのミニアチュールの店だったはずですが」
山上が云うと、四十年配の顔の長いスイス人は銀ぶち眼鏡の奥から水色の瞳《ひとみ》をむけ、
「マダム・クララ・ウォルフの店は二週間前にわたしどもが譲り受けた。マダムが売りに出されたというのを不動産屋から聞いたのでね。場所はいいし、さっそく即金で買った」
「マダム・ウォルフはどこへ移りましたか。じつはマダムの持っているミニアチュールで欲しいものがあったのです」
「正確ではありませんが、行先はパリともいうし、ニューヨークともいわれていますがね」
「マダムの手持ちのミニアチュールはどうなりましたか」
「みんな同業者らに高い値段で売って処分したらしいです」
「なんだかあわただしい引揚げかたのようですね?」
「そんな感じがしないでもありません。しかし、この店だって、土地は借地ですが、店の権利金は高かったですよ。マダム・ウォルフはがっちりしていましたからね」
山上は「景徳鎮」を出た。
クララ・ウォルフはなぜ急に店をたたんで、チューリッヒを去ったのか。
クララ・ウォルフの慌《あわただ》しい引揚げが山上には気になった。思えば、福光は執拗《しつこ》く彼女にいろいろなことを訊《き》いていた。彼女は何かを知っていると福光は睨《にら》んでいたのではなかろうか。
それとも彼女に身の危険が迫っていたといったような事情があったのだろうか。
そういえば、亮子の夫クレメンス・ベンドルはどうなったか。
土曜日の晩に亮子から電話があり、オランダあたりに回った消息を最後に一カ月近くも便りがないと心細そうな声を出していた。
車をバーレン小路《ガツセ》に入れた。六時二分であった。
「日本橋」はシャッターが下りていた。この時間だと、とっくに店が開いて、格子戸《こうしど》の外には看板の行燈《あんどん》に灯が入っているはずだ。
二階の窓から、営業時間にはハッピを着てお運びしているフランス系の青年がのぞき、山上の姿を見て降りてきた。
「ムッシュ・ヤマガミ。たいへんなことがおこりました」
彼はそこから街路にむけて叫んだ。
「どうした?」
「ムッシュ・ベンドルの死体が、オランダのユトレヒト郊外の森の中に埋まっているのが今日の午後三時ごろ見つかったと、ハーグ国際警察本部からの連絡電話を受けたチューリッヒ署が二時間前に知らせてきたんです」
山上は息を呑《の》んで棒立ちになった。
「マダムとミヨコは一時間前にチューリッヒ空港からアムステルダムへ発《た》ちました」
十月二十八日は木曜日だった。
山上は午前十時すぎIHCに出勤した。かなり冷えてきたが、今日も秋晴れの天気だった。
挨拶《あいさつ》に局長室へ行った。入口の部屋で、女秘書がのんびりとした様子でいたが、山上の顔を見ると急にタイプに紙をはさんだ。
「局長は出張です」
いつもの無愛想な表情になった。
「出張? どこへ」
昨日は出張のことを聞いていなかった。
「WHOです。空港を八時四十分発の便でジュネーヴへ。今夜帰る予定です」
局長が事前に連絡もしないでWHOへ行くのはめずらしい。どういう緊急用事であったのか。
「ぼくあてにメッセージは置いてないかね」
「ありません」
彼女は眼鏡をずりあげた。
山上は自室にもどって一服吸った。
WHOへ出むいた局長の用件はわからぬ。が、ソ連や東欧圏のエイズ患者の実態をもっと把握《はあく》しろとネジを捲《ま》きに行ったのかもしれぬ。WHOは先方の報告を統計するという消極的な受身でなく、確証を求めるくらいの積極性がないと、どうして世界のエイズ患者の対策が立てられようかといつもの持論をぶっているにちがいない。
エルンスト・ハンゲマンはいかなるルートからか知らぬが、ソ連のエイズ患者の隔離病院の所在と新設とを絶えず把握している。もとよりその真偽のほどはわからない。わからないけれど、彼はそれを事実だと信じている。その隔離政策によって強国として生き残れるのはソ連とその衛星国であって、「民主主義」に妨げられて思いきった隔離策がとれない西側諸国はエイズ・ウイルスのために国民が、とくに男子が減少し、劣弱勢力に転落するというのである。エイズは曾《かつ》てのペストのように一時に爆発的に流行して終熄《しゆうそく》するのではなく、緩慢だが長期間にわたって、流行が持続する。しかし、それは上昇線を描いている。
ソ連とその衛星国はそのへんを見こんでWHOに自国のエイズ患者の実数を報告しないのにちがいない。これは西側の危機につながるというのがハンゲマン局長のいつもの言い分である。
局長は一昨日もソ連のどこやらに新しくエイズ隔離病院が出来たことを話していた。彼はいつも苛々《いらいら》している。ジュネーヴへにわかに発って行ったのは、きっと居ても立ってもいられぬ気持に駆られたからだろう。課長の自分に事前に連絡することもなく、またメッセージも置かなかったのは、その衝動に突き上げられたことがわかる。
だが、WHOへそんなことを掛け合いに行っても所詮《しよせん》は徒労である。それは局長自身にもわかっていよう。わかっているけれど、中止できなかったのだ。せめてWHOの連中の蒙《もう》を啓《ひら》くだけでもいくばくかの役に立つと考えたのではあるまいか。
しかし、と山上は揺れる煙の先を見つめながら思った。局長の留守はかえって好都合だった。今日はシュツットガルトの中央病院へ福光福太郎を迎えに行くつもりだった。すでに午後零時十分発の航空機の席も予約してある。車だと三、四時間だが、空路だと五十分だ。正常に戻った福光の経験談を早く聞きたかった。入院費や、借りた馬の補償額の足りないぶんもおよそのところは用意していた。
シュツットガルトの病院着が午後一時半ごろになろう。入院中の福光に電話しておかなければならない。
中央病院が出た。入院患者の受付係へ。
外科病棟の患者でミスター・フクミツの病室の直通電話番号を教えてください。そこへ交換台からつないでもらいたいのです。
「少々お待ちください」
受付係は英語で云《い》った。一分間待たされた。
「ミスター・フクミツは退院されました」
「えっ、退院?」
椅子《いす》を蹴《け》倒すほどおどろいた。
「退院は、ほんとですか」
「間違いありません。こちらは帳簿を見て云っているのです」
「退院は、何日ですか」
「昨日です」
「昨日?」
山上は受話器を握りしめた。
「その、病院の支払いは済んでいますか」
「入院費の支払いが完了しないとご本人の退院はできません」
「なるほど。その支払いは、ミスター・フクミツ本人がしたのですか」
「それはこちらではわかりかねます」
「ぼくはミスター・フクミツの友人のヤマガミという者です。外科病棟主任のドクトル・シューマッハーとお話ししたいのです。ドクトルには先週の週末にそちらの病院でお目にかかっています」
少々お待ちください、とそのまま一分間待たされた。
「すみません。ドクトル・シューマッハーは昨夜おそくまで手術がありまして、今日は午後一時をすぎないと病院に出勤なさいません」
山上は電話をきった。
要領を得ない。電話では埒《らち》があかない。零時十分チューリッヒ発の航空券は取れている。空港まではタクシーで四十分足らずである。
山上は空港の待合室でも機内でも考えつづけた。福光福太郎の退院は彼が自主的にしたのかどうかの疑問だった。もし彼が自らの意志で退院したのだったら、その前にチューリッヒのIHCにいる自分のところに退院のことを通知してくるはずである。彼の意識が戻ったらこういう者が見舞にきたと云ってくれと病棟主任のシューマッハーに名刺を渡し、病棟入院患者の会計担当をしている医局の庶務係にもフクミツの入院費の責任はいっさい自分が負うと誓約して病院側を安心させたのだ。
電話の問合せに福光は入院費は全部支払って退院したという。ヴァルトボイレン村の荒城崖下の捜索では福光の所持品が発見されたと聞いたから、入院費は彼がその中から支払ったのだろう。賃借りの馬を犠牲にしたその補償も、その中から出したとみえる。あのとき村びとは、見つかった転落者のトランクの中には相当なカネが入っていたらしく「金持ちだ」と単車の消防署員に話していたのを聞いた。
しかし、入院費だけならともかく、二千マルクもの馬の補償までそうかんたんに右から左へ出せたものかどうか。福光福太郎は旅行中ではないか。
まだある。それはヘッヒンゲン消防署が福光をヴァルトボイレン村の遭難現場からシュツットガルト中央病院まで運搬した救護車の費用だ。
ヘッヒンゲン消防署は病院側と連絡してこの患者が退院のときは救護車の運賃これこれの金額を徴収してくれと委託しているにちがいない。ドイツ人のことだから、そのへんはしっかりしている。
してみると福光は、乗馬の補償の上にさらに救護車の費用まで加えて支払っていることになる。旅行中の彼にそれだけのカネの用意があったのだろうか。
考えてみると、手落ちは自分にあると山上は反省した。
おとといの二十六日でも昨日でも、中央病院の福光福太郎なり、入院病棟の医局なりに電話しておけばよかったのだ。そうして今日の退院に迎えに行くと云っておけば問題はなかったのだ。
それというのが、病院側の話で二十八日午後の退院になるというものだから、こちらでそう決めてしまって安心していたのである。いけなかったのはそのひとり合点であった。それには入院費用の支払いは当方負担という枠《わく》がはめられてあったからだ。まさか本人がなにもかも支払って昨日のうちに退院しようとは思わなかった。
そうだ。不審なのは、福光福太郎が自分になんの連絡もなく断わりもなくして、さっさと退院したことだ。彼のためにどれだけ心配したか、また費用などで万全の措置を講じたか、病棟のシューマッハー主任や集中治療室の医師や看護婦などから話を聞いているはずだ。
福光への不審は、彼への不信へと変っていくのを山上はどうしようもなかった。
山上のさまよえる思案をのせて、シュヴェビッシェアルプ山脈の上を機はすすむ。下はちぎれ雲、その間から雲よりも白い山が輝く。どの山頂も噴火口の無い小火山のようにまるく、または台地のように平らである。が、側面に切り立った断崖《だんがい》がある。
機が下降態勢に入ると、山岳部が切れて下から平野部がもりあがってきた。秋の茶色と黄色の森林と草原にアウトバーンの白い糸が引かれていた。
「なに、ミスター・フクミツはわたしのほうから病院に迎えに行ったんですって?」
山上はドイツ語を聞き違えたかと思った。ドクトル・シューマッハーの長い顔がうなずくと同時に、すぐそのあとから瞳に怪訝《けげん》な色が浮んだ。なぜそんなことを山上が確認にきたのかといいたげである。
シューマッハーが中央病院の受付の呼び出しに応じて患者待合室まで降りてきての立話であった。
自分のほうは福光を迎えに行ったおぼえはないと云い出す前に、山上はシューマッハーから福光退院の事情を聞いた。
「昨日、二十七日の午前十一時ごろでした。ぼくの病棟の医局に若い男性と女性の二人が訪れてきて、われわれはチューリッヒのIHCのミスター・ヤマガミに云いつかってきたが、ここに入院しているミスター・フクミツが退院できるなら彼を迎えたいと云うのです。もちろん退院は可能だし、こちらもベッドが足りない折なので承諾しました」
「その男と女の国籍は?」
「ドイツ人でしたよ」
「名前は云わなかったのですか」
「云いませんでした。ぼくも、彼らがIHCの者で、ミスター・ヤマガミの部下だと思ってましたからね」
「年齢は?」
「どちらも二十三、四歳くらいです。おや、彼らはあなたの部下ではないのですか」
「わたしはそんな連中をつかったおぼえはありません。だから、そんなこととは知らないで、こうして彼を迎えに来ているのです」
シューマッハーは両手を翼のようにひろげ、神の坐《いま》す天を仰いだ。
「いったい全体、これはどうなっているのです!」
「はっきりしているのは、その男女がIHCやぼくの名を騙《かた》ってフクミツを病院から連れ出したということです」
「誘拐《ゆうかい》ですか。それなら警察へ届けなければいけない」
「それはちょっと待ってください」
山上はあわてた。
「まだ誘拐かどうかはわかりません。それよりも、フクミツが退院したときの様子を教えてください」
フクミツは完全に健康状態に戻っていたと医師は話した。腎臓の出血も治癒《ちゆ》した。カラスのクチバシにやられた傷もふさがった。腰部《ようぶ》の打撲傷《だぼくしよう》も癒《なお》った。フクミツは病室の荷物をまとめた。トランクは若い男と女とが持った。フクミツはドクトル・シューマッハーをはじめ医局員や看護婦たちに世話になった礼を述べてエレベーターに乗った。迎えの男女とはあまり言葉を交わさなかった。初対面のようであった。
「入院費などの支払いは?」
「それは一階の会計部に計算書がまわっていましたからね。ウチの庶務係が当日分の計算伝票を持って両人といっしょに会計部の窓口について行ったのです。入院費用は|〆《しめ》て六千五百マルクです。その二十三、四の男が支払ったそうです」
「馬の補償は?」
「ミスター・フクミツが乗馬用に借りたのはワイデンブルクの町の馬車屋からです。経営者ルイザという後家さんは二千マルクを請求していました。それもその男が支払いました」
「それだけですか」
「まだあります。ヘッヒンゲン消防署から救護車の運搬費用がまわってきていたそうです。五百五十マルクです。合計九千五十マルクです。それも男の人がきれいに払ったそうです」
「……」
「そうして庶務係が見ていると、病院前から三人で車に乗って去ったそうです」
「車の車体番号はわかりませんでしたか」
「市内タクシーです。空港へ行ったんでしょうな」
シュツットガルト空港からは国内線が各方面へ出ている。
「ドクトル・シューマッハー。フクミツは誘拐ではありませんね。これはたぶん連絡の手違いです。IHCでもほかの系統の人間がフクミツを迎えに行ったのでしょう。ですから、ご心配なく。警察には届けないでください」
「あなたがそう云われるなら、当方としてはもちろんそのつもりはありません」
主治医だった彼はまだ解《げ》せぬ面持《おももち》で山上のさし出す手を握った。
山上は駅前の人の流れについて左側の道を歩いた。考えごとをしているのでいつのまにか旧宮殿前西側の広場にきていた。ここをシラー広場という。
カフェ・テラスに坐《すわ》って、珈琲《コーヒー》を取り、ぼんやりとしていた。山国の盆地はもううすら寒い。それでも肩や背中のあたりを秋の陽《ひ》が温《ぬく》めていた。
福光福太郎を中央病院から連れ出したのはだれだろう。
それは福光がその病院に入院していることと、二十八日に退院予定であるのを知っている人間だ。それは二十八日でなくともよい。いつでも退院の状態にあるのがわかっているやつだ。
二十七日の午前十一時に若い男女が「IHCの山上の部下」と称していきなり病院へ福光を迎えに行ったのは、病院側が二十八日に迎えにくる予定の山上に電話で照会する余裕を与えぬためだ。もしその男女が二十七日に電話で病院へ事前にあらかじめ、いまからフクミツを迎えに行くが退院できるかと問い合せると、あのシューマッハー主任はどんなひょうしにチューリッヒの山上へ連絡電話を入れないともかぎらない。いきなり病院へ迎えに行けば、それは防げる。
福光を連れ出した側は、IHCの山上の名と彼との関係を知っている。してみると奸悪《かんあく》な「誘拐犯人」の範囲はおのずと限定されてくる。――
観光客の団体にむかってガイドが文豪シラーの彫像を指して彼の作品を説明していた。
「シラーの代表作の一つに『ヴァレンシュタイン』があります」
ヴァレンシュタイン。この男、中世のボヘミア生れで、名うての傭兵《ようへい》隊長だった。
山上がトアラー通り近くの教会裏手にある共同墓地へ行ったときは故クレメンス・ベンドルの柩《ひつぎ》の埋葬式がすでに終りかけていた。
この場所はチューリッヒ市の北東にあたる高地で、山上が坂下のパーキング場に車を入れると参会者の駐車が三十台ばかりあった。山上が墓地へ登って行くのとすれ違うように喪服の人々がばらばらに駐車場へ下りてきていた。
山上が急いで共同墓地へ上ると、黒いヴェールで顔を蔽《おお》った亮子《りようこ》がひと群の人に囲まれて歩いてきていた。山上を見ると、はっとなったように立ちどまった。彼はその前に進んで頭をさげた。
「おそくなってすみません。……このたびはどうもなんと申し上げてよいか言葉もありません」
いろいろお世話さまになりました、と亮子は低く云っておじぎをした。
「たったいま柩の埋葬がおわりました。柩の中には主人の遺灰が納めてあります」
彼女はハンカチを目に当てた。
お別れのお祷《いの》りをさせていただきます、と山上は云った。亮子と美代子など「日本橋」の従業員らがいっしょに引返してついてきた。一〇メートルとは離れていなかった。
故人の人格を讃《たた》えて説教した神父の姿はすでになく、仮の墓標の前には花が堆《うずたか》く供えられてあった。午後五時前の陽は斜めから花も土も赫《あか》く耀《かがや》かした。山上は跪《ひざまず》いて黙祷《もくとう》した。
「ありがとうございます」
亮子は立ち上った山上に礼を云った。
駐車場までいっしょに下りるまでは黙っていたが、自分の車に乗る前になって、
「山上先生には主人のことで聞いていただきたいお話がございます。これから一時間ほどお時間がいただけますかしら」
と哀願するような眼《め》をヴェールの下から見せた。
「ぼくの時間でしたら大丈夫です」
「ありがとうございます。それでしたらベルビュー・ホテルの二階にあるカフェ・ショップでお待ちいただけたらありがたいと存じます。着がえをして、三十分以内に参ります」
「わかりました」
山上は亮子と美代子の乗る車を見送った。運転は、店ではハッピを着るスイス娘であった。つづく車も店の者だった。
車が去ると、市街が下に俯瞰図《ふかんず》のようにひろがっていた。大寺院の双子塔《ふたごとう》は小さなシルエットで、その背景にはリマト川が夕日に細く光っている。
山上がクレメンス・ベンドルの告別式を聞いたのは、シュツットガルトから空路でチューリッヒへ戻り、IHCの自室へ入った四時半ごろだった。部下がとった電話メッセージが机に置いてあったのが、美代子からのもので、クレメンス・ベンドルの告別式が四時からというのだった。
あれは今週の月曜日の夕方六時ごろだった。バーレン小路《ガツセ》の「日本橋」の前に車で行くと、店は閉っていた。二階の窓から従業員のフランス青年が緊張した顔を出して、たいへんなことが起ったと告げた。
ムッシュ・ベンドルの死体が、オランダのユトレヒト郊外の森の中に埋没しているのが今日の午後三時ごろ見つかった。マダムとミヨコは一時間前にチューリッヒ空港からアムステルダムへ発った。
これがベンドルの不幸な死を知った最初であった。
山上としては夫の遺体確認と現地警察の話を聞いた亮子の帰りを待つしかなかった。商用で旅行に出たまま一カ月以上消息がなかった夫の運命がこれであった。亮子がさっきヴェールの下で哀《かな》しげに唇《くちびる》を動かして云ったのは、埋葬した柩の中にはユトレヒトの火葬場から持ち帰った遺灰壺《いはいつぼ》が入れてあるという。ヨーロッパでは遺骨にする風習がなく、すべて白粉《おしろい》のようにきれいな灰にする。
クレメンス・ベンドルはベルギーからオランダあたりでタペストリーを買い集め売りさばいているうちに何者かの手によって殺害されたのだ。それはたぶん集団によるのだろう。
シュツットガルトの中央病院からIHCの山上の名を騙《かた》って福光福太郎を予定日よりも早く退院させ連れ出した誘拐と、クレメンス・ベンドルの殺人とは、或《あ》る一点で共通している。病院へ福光を迎えにきた若い男女は、たぶん傭《やと》われた人間にすぎないだろう。かれらはたんなる傭兵だ。シラーがその戯曲のテーマにしたヴァレンシュタインのような奸黠《かんかつ》な傭兵隊長は、どこかにひそんで、指揮をとっているのだ。――
福光福太郎はあまりにも好奇心が強すぎた。それが身の禍《わざわい》となった。彼はどこかで殺害されているにちがいない。憎まれて殺されたのではない。悪《にく》まれたのは、彼のキューリオシティと探求心である。これが対手《あいて》側には禍根《かこん》になると危惧《きぐ》された。禍根は芽のうちに断つがよい。
亮子の夫ベンドルの壁掛け買いと、福光福太郎の白孔雀《しろくじやく》の庭探しとは二本の枝である。二本の枝に岐《わか》れた幹の正体を知りたい。
亮子には山上のほうから話を聞きたいところであった。が、夫の告別式が済んだ直後というのではそれが云い出しかねていた。彼女からすすんで話したいと云われて、彼の心は期待に満ちた。
ベルビュー・ホテルの二階、カフェ・ショップで山上は亮子と話し合っていた。彼女は喪服を脱いでいたが、やはり黒っぽいスーツを着ていた。膝《ひざ》の手にはハンカチを握りしめていた。室内には朧月夜《おぼろづきよ》にも似た間接照明が行きわたっている。しかし時間が早いから客は疎《まば》らであった。
さきほどから話はかなり進んでいた。
「ユトレヒト警察署の捜査本部の主任という警部さんのお話をうかがいました」
亮子は云《い》った。
「それによると、ベンドルの死体はユトレヒト市から西へおよそ一〇キロの森林の中に埋められていてその上には落葉が三センチばかり積っていたそうです。殺されてそこに埋められて一カ月近くも経《た》っているあいだに積った落葉です」
「最後の通信はどこからでしたか」
「アムステルダムからです。かんたんなハガキですが」
亮子はハンドバッグから一枚のハガキをとり出した。山上はオランダの切手に捺《お》されたスタンプの日付を見た。二十五日前の日付になっていた。文面はこうあった。
≪例の品物を探し歩いているが、ようやくまとまった数が手に入りそうだ。よろこんでくれたまえ。買い手ははじめから付いているので苦労のかいがある。しかも市価の倍の値で引き取るというのだから、ぼくも大いに張り切っている。この取引が終りしだい帰る。≫
山上は二度読み返して亮子にもどした。
「ベンドルさんは泊ってるホテルの名を書いていませんね?」
「そうなんです。ですから、こっちから電話をかけることもできませんでした」
「遠くに出張して泊られるときは、いつもそうですか」
「短い出張だとホテル名を書きませんが、長期だとたいてい書いていました」
「ホテルの部屋には取引の人が訪ねてくることがあります。内密の取引だと、その重要な話合いのさいに奥さんから電話がかかっても困る場合があるんじゃないですか」
「そうかもしれません。こんどの商売は、とても大事で、あまり人に知られたくないと云っていましたから」
「このハガキは警察の人に見せましたか」
「お見せしませんでした。なんだかベンドルにとって都合が悪いような気がして」
「それはよかった。見せないほうがいいです。……捜査本部の警部があなたに云ったのはどういうことですか」
「ベンドルの死因は、解剖の結果、柔らかい繊維品の紐《ひも》による絞殺《こうさつ》だと云われました。その証拠品のネクタイは遺体のそばにあったといって示されました。ベンドルのものです。わたしがバーンホーフ通りのお店で見立ててあげたものです」
亮子はハンカチで眼を押えた。
入ってきた一組の客が近くの席に腰をおろそうとしてこの場の様子を見ておどろき、向うのテーブルへ移った。
彼女は涙声で云った。
「警部さんがおっしゃるには、死体が埋められた場所と、殺害場所とは違うだろうとのことでした。犯人はベンドルを殺してから森林へ運びこみ埋めたに相違ないというのです。その見込みで、目下捜査をすすめていると申されました」
死体の発見場所が第一現場であり、殺害場所が第二現場である。第二現場はどこかわからないが、第一現場へ死体を運んでくるには犯人が複数という可能性がある。
もっとも車が発達している現在、単独でも運搬ができなくはない。道路までは車に死体を乗せてくる。森林へは、夜間に死体を担《かつ》いで入り、地に穴を掘って埋める。不可能ではないが、山上にはやはり複数の犯人のような気がしてならない。
「警部さんからはベンドルの商売のことをいろいろと訊《き》かれました。でも、わたしは彼の古美術商とは経理的にも運営的にも没交渉なのでなにも知りませんと云いました。警部さんがいちばん興味を持ったのは、銀行の小切手帳が手提げ鞄《かばん》の中にないことです。その後の調べで、ベンドルが小切手で支払った合計額は二万三千五百ドルだったことがわかりました。宛先《あてさき》の控えはありません」
ボーイが足音を忍ばせて横を通りすぎた。
小切手での支払いも「本人持参払い」ならば現金と同じだから、銀行の窓口が支払った先へ追跡の方法はない。あとはベンドルの控えが頼りだが、その控えのある小切手帳そのものがないのだから捜査側も困惑するしかないようだった。
「でも、山上先生」
亮子の声が変った。
「昨日、チューリッヒに帰りましたら、取引のクレディット銀行のベンドルの口座にアムステルダムの同銀行支店から四万ドルの振込み入金がありました」
「え、四万ドル? だれが振りこんだのですか」
「ジョセフ・ルーランという名の人です」
「ジョセフ・ルーラン? どこかで聞いたことのある名だな」
「ヴァン・ゴッホの有名な画のモデルです」
「あ、そうか」
「偽名です。クレディット銀行のアムステルダム支店の窓口に三人づれの紳士が訪れて、四万ドルを現金で出して、これをチューリッヒ本店のクレメンス・ベンドル氏の口座へ振りこんでくれと云ったそうです。もちろん初めての客です」
「その、ルーラン氏の年齢は?」
「ゴッホの画とそっくりの髯《ひげ》の生えた七十ばかりの老人です。アドレスはハーグ市の国際司法裁判所官舎第8号。ほかの二人も初めて見る紳士で、裁判所の書記だといっていたそうです。あとで調査したらデタラメだったそうです」
「人を喰《く》ってる」
「その四万ドルがベンドルから買ったタペストリーの代金にちがいありませんわ」
「四万ドルというと、タペストリーの何枚ぶんにあたりますか」
「ベンドルは、アムステルダムから出した最後のハガキに、こんどのタペストリーの買い手は市価の倍の値で引き取ってくれると書いていました。それはさっきごらんにいれたとおりです。すると、二万ドルが普通の値。とすれば、一枚二千ドルとして、十枚ぐらい売ったのじゃないでしょうか。もしかすると、もう三枚ぐらいはよけいに売ったかもしれません。タペストリーは、数が少ないのに、値のほうは高くないとベンドルは云っていましたから」
十枚でも十三枚でも、市価の倍額の値でまとめて買ったコレクターがいたのだ。十五世紀末から十六世紀初頭にかけての中間色のタペストリーを。フランドル地方からオランダにかけて頻《しき》りと織られたものである。
だが、原色豊かな絢爛《けんらん》たるタペストリーこそ壁掛けの生命なれ。色淡きは自然主義派の芸術でも装飾品にはならぬ。そのために市価が低く、所蔵者は出すのを惜しんで蔵にしまいこむ。子孫代々だれにも語らぬ。それを百方手を尽して聞き込み、諸方の旧家や素封家を歴訪して獲得したベンドルの苦心は察するにあまりある。
それだけにいまどきかえって手に入らぬもの。欲しいあまりに高値を出した理由はよくわかる。しかし、それにしても市価の倍額とは、出しも出したりである。また十枚とか十三枚とかまとめて購買したのはどういう仔細《しさい》か。
壁掛けは一家に二、三枚あれば足りる。してみるとこの数は四家か五家ぶんに相当する。
四家か五家ぶんの「色の淡い壁掛け」を購入したとすれば、福光福太郎の譫語《せんご》にあった「王家の離宮」を連想させるではないか。……
亮子が遠慮がちに声をかけた。
「先生。警部さんはこうも云われました。ベンドルの絞殺死体が埋められていた場所とそう遠くないところにハールツァイレンスという町があるそうです。デ・ハール城の近くということです。その町のレストランに一カ月ぐらい前の日の夕方にベンドルによく似た男が人待ち顔でビールを飲んでいたが、相手がこないので一時間ぐらいして出て行ったそうです」
「それは事件と関係ありそうですか」
「警部さんは、その男がベンドルに間違いないと云っています。そして待ち合せた相手は誘い出し役で、レストランには顔を見せなかったけれど、きっとどこかで落ち合い、ある場所へベンドルを連れて行き、そこで殺害したのだろうと推定を云っておられました。わたしにはその場所がどこかの家の中のように思われてなりません。タペストリーを持っている旧家があるからと云って、家の中へ彼を連れこんだのではないでしょうか。……」
翌二十九日は朝から雨だった。未明から降り出したのである。
山上はトーストを焼き、ウインナソーセージを炒《いた》め、生野菜を冷蔵庫から出し、ミルクをあたためた。これが朝食である。気がむけば東京の妻が送ってきた越後米を炊《た》き、いろいろな缶詰《かんづめ》を開け、海苔《のり》、柴漬《しばづけ》などを箸《はし》でつつくときもある。
朝食が済み、沸かしたコーヒーを飲む。雨雫《あめしずく》の筋を引く窓は白く曇っている。部屋のスチームは一週間前から入るようになった。
山上は背の高い椅子《いす》にもたれて本を読む。時計は八時半である。本の題名は「王ルードイッヒ二世の生涯《しようがい》とその最後」というので、ドイツの歴史家が書いた邦訳である。先日、日本から来た友人がミュンヘンに行き、森鴎外《もりおうがい》の小説「うたかたの記」の舞台を見にシュタルンベルク湖を回るため買ったといって、これを置いて行った。
出勤前のいま、拾い読みしてみた。
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≪ノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)の召使いの控えの間で王は一団の男たちに取り押えられた。フォン・グッデン医師が進み出て云った。「陛下、これは私の一生のうちで最も悲しい運命です。陛下は四人の精神病医により鑑定されました。私は陛下を今夜じゅうにもベルク城へお連れするように命ぜられました」。これに対して王はこう云った。「例のサルタン(当時起った政治殺人事件のことを王が引き合いに出したものである)がやられたようにやるがいいさ。一人の人間をこの世から|抹殺《まつさつ》することなんかいとも簡単だから」。
白鳥城から八時間かかってベルク城に着いた。この城はすでに監獄につくりかえられていた。すべての窓には鉄格子《てつごうし》がはめられ、扉《とびら》という扉にはのぞき穴がほどこされていた。ルードイッヒ二世は静かに平静を保ち、冷やかなほど冷静を保っていた。≫
≪一八八六年六月十三日夕方六時から七時にかけて王は散歩に出たいと云い出した。グッデン医師は看護人二人が付いてこないように手まねで合図して自分だけがついて行った。なぜグッデンがこのようなことをしたのかは定かでない。二度と解明されることのない永遠の|謎《なぞ》である。二人は湖畔へとつづく木々のトンネルへと姿を消したのであった。午後十一時をすこしまわったころ、二人は溺死体《できしたい》として水中に浮んでいるのが捜索隊によって発見された。≫
≪日ごろ報道機関にあまり協力的でないミュンヘン政府も、王の遺体解剖(リューデンガー医学博士執刀)の全記録を発表した。この解剖記録書の中で、脳|萎縮《いしゆく》や慢性の炎症があったとされているが、今日の学問の立場からすると、かなり疑問が多く、同時代の人々には「まゆつばもの」とされている。
さらにこの報告書は、亡《な》くなる前の二日間に見せた王の静かな落ちついた態度が、精神病であるにもかかわらず、いかに周囲の眼をごまかすことができたかという辻褄《つじつま》合せの説明に費やされている。≫
[#ここで字下げ終わり]
この著者によると、ルードイッヒ二世は精神病ではなく、叔父のルイトポルトの陰謀のためにそのように仕立てられたのであり、グッデン医師はルイトポルトの手先であり、王の油断を見すまし、湖中に突き落して水死させようとしたが、かえって王に引きずりこまれ、ともに溺死を遂げたという推定らしいのである。王の咽喉《のど》にあったグッデンの指の掻《か》き傷は、鴎外が「うたかたの記」で書いたように王を助けようとするグッデン医師の忠義とは逆に、王によって水中にひきずりこまれるグッデンの抵抗だったのである。
この本は、王が精神異常者などでは決してなく、おだやかで、理知的で、音楽を愛し、慈悲深く、情操的であったことを側近者たちの証言で盛り立てている。結果的にもルードイッヒ二世の不慮の死後、弟のオットー王子がバイエルン王を嗣《つ》ぎ、ルイトポルトはその摂政《せつしよう》となったのだから、陰謀説を根から打ち消すことはできない。
山上は本を置いた。
その途端に、いま読んだばかりの文章が、頭に揺り戻ってきた。
≪この発表された報告書は、いかに周囲の|眼《め》をごまかすことができたかという辻褄合せの説明に費やされている。……≫
――病症名と実態との矛盾。
山上は、じっと外を眺《なが》める。ガラス窓には雨の筋がまだ流れているし、白い曇りが一面にかかっているのもそのままだ。景色は何も見えない。
人事不省の福光福太郎の譫語《せんご》は、はじめは途切れ途切れだったが、そのうちに言葉がすこし長くなり、語順がつづくようになった。
「うわごと」は、とりとめのないことを、あれこれと断片的に呟《つぶや》くのが特徴ではないか。
それなのに、あの譫語は一貫した物語になっていた。うわごとにしては話が長すぎる。聞いているときは、それほどには思わなかったが、いまになって「長い譫語」だったと気づくのである。
この矛盾。……
バイエルン王は周囲から狂人にさせられて、その矛盾が指摘されている。
福光福太郎の饒舌《じようぜつ》すぎる譫語の矛盾は、彼の演出からきていたことに、いまになって気がつく。――
福光は自分が病院へ来るのを待っていたのだ、と山上は今にして思う。
福光は人事不省でヴァルトボイレン村の遭難現場からシュツットガルトの中央病院に運びこまれたが、その人事不省は集中治療室であんがい早く回復したのだと思う。しかし、彼は日ごろから演技力のある男だ。依然として昏々《こんこん》と意識不明のふりをしていたろう。集中治療室は患者十人に看護婦が一人か二人の受け持ちで、始終ベッドのそばに付ききりではないので、意識回復したときも看護婦が横に居なかったら気づかれないで済む。
ここで山上は、福光の心理になってみた。
(外国人であるおれの事故は重傷だからラジオのニュースで放送されるだろう。西ドイツのニュースは、たとえローカルニュースでも、スイスに流れて聴かれているから山上の耳にも入るだろう。名は知れなくてもニュルンベルクから西の山地地帯をうろうろしていた東洋人といえば福光だと直感するにちがいない。おれは山上に、ニュルンベルクから「日本橋」の亮子《りようこ》に電話して伝言をたのんだ。シュタルンベルク湖で潜水服をきて首無し死体となって浮んでいたペーター・ボッシュは、西ドイツ衛生薬業会社の販売部員だが、この製薬会社は血友病患者用の血液製剤を製造していると。山上はその電話伝言を亮子から聞いているはずだから、ニュルンベルクの西南約一五〇キロのシュツットガルトの病院に収容されている日本人といえば、当然に福光と考えよう。)
山上は、さらに福光の心理になって考える。
もし山上がラジオニュースを聴かなかったときはどうするか。その場合は、日本国民保護の責任として西ドイツの総領事館員が病院にやってくるだろう。総領事館はライン川沿いにデュッセルドルフ、フランクフルトにあるが、地理的にはフランクフルトが近い。
総領事館員が来たら福光は仕方がないから「意識を回復して」、チューリッヒからIHCの山上|爾策《じさく》を呼んでほしいと云《い》うつもりだったろう。しかし山上はラジオを聴いて単独でくるかもしれない。そのときは、二人きりになり、福光は「譫語」なしの、まともな話を打ち明ける。……
しかし、山上は福光の|期待どおりに《ヽヽヽヽヽヽ》西ドイツのラジオニュースを夜聴いた翌朝、集中治療室に現われた。福光は、占めたと思ったろう。彼のつくりごとの「譫語」がはじまる。
はじめは、一語一語がきれぎれに、しまいには、一つに続いて。それをまとめてみる。
[#この行2字下げ]「王室の尊厳はエイズ・ウイルスに冒されてはならぬ。王室は、神より加冠された聖なる一族である。その藩屏《はんぺい》たる公侯伯子男その他の貴族ら臣下とは厳に区別さるべきである。……白い孔雀《くじやく》が見える。たくさん群れて、遊んでいるなア。芝生を歩いたり、岩の上で扇をひろげたりして。赤い色がひとつもない。赤い色は血を連想させるからいけない。……山も白い。白い岩山。奇巌《きがん》怪石の庭園だな。石灰岩の浸蝕《しんしよく》作用。好事家《こうずか》が見たら垂涎《すいぜん》ものだ。泉水がある。黄金の一対《いつつい》の獅子《しし》から噴水が上っている。お城だ。いかめしい紋章だ。冠と盾と獅子の。王室の紋章だ。……このお城はどこかの廃城を買い取ったのだな。山奥の人里はなれたところ。そこへ近づけば警備隊にさえぎられる。それも道理、お城はバロックふう、これは離宮だ。きらびやかだ。……ああ、あたりが暗くなった。洞窟《どうくつ》だな。まわりが白い柱だ。……鍾乳洞《しようにゆうどう》のように変化に富んだ石柱だ。色のうすい、花模様のタペストリーがたくさん懸けてある。これはあの離宮の四阿《あずまや》かな。違う。紋章が異なる。別な王家だ。どこだろう。どこだろう。そう遠くないぞ。探さなくちゃ、探さなくちゃア。かならず探し出すぞ。山の離宮を」
そのほか、始祖や先帝の肖像画があるとか、主人の顔が見えないから「鉄仮面」を連想するとか、侍従や女官らの群がいるとか、福光は眼を閉じ、横たわったままで口走っていた。世にも整然として長すぎる「うわごと」だ。
看護婦が「先生、血圧がどんどん下っています」と医師に報告していたが、血圧が下っても脈搏《みやくはく》が速くなっても、福光の「意識不明」と「譫語」の演技に破綻《はたん》はなかった。頭は冴《さ》えていた。
福光は、ドイツ人の医師や看護婦には分らぬ日本語で自己の探索の目的をすっかり打ちあけたのだ。
このことを知っているのはだれか。自分のほかに、もう一人居る。
山上は、はじかれたように立ち上った。
ハンゲマン局長だ!
彼に、友人の「譫語」をしゃべったのは、おれではないか。
山上は、ありあわせの紙を揉《も》んで、口惜《くや》しそうに窓を擦《こす》った。白く曇ったガラスはそこだけタテに穴があいたように外が映し出された。
街の屋根と樹《き》に冷たい雨が降っている。
局長室で彼の「うわごと」を話したときのエルンスト・ハンゲマンの反応を山上は思い出す。
ハンゲマンはペスト大流行のときのベルナーボの隔離令や、英艦隊が対オランダ戦で出動したため水兵がロンドンのペスト禍《か》から隔離された結果になって助かったことなど機嫌《きげん》よく話したあと、山上から福光の譫語を耳にしたのである。
ハンゲマンは、その話に腹を抱えて笑った。
山上の話に、「それはまた奇妙|奇天烈《きてれつ》なうわごとですな、ドクトル」と云い、涙を流すほど笑い転げた。
その話をしてから三十分と経《た》たないうちにハンゲマンはまたおれを局長室へ呼び出した。そして、打って変った態度で、さきほどはあなたの友人の譫語のことを聞いて、そのあまりの面白さに吹き出したり笑いころげたりしたのは失礼だった、申しわけなかった、と詫《わ》びた。
友人の「アイデア販売業」としての名が「タシロ」であると山上から聞いたときの局長の異様な表情といったらなかった。それは白昼に亡霊の幻影でも見たような驚愕《きようがく》だった。
「税関吏《ツオルネル》……」
と、わけのわからぬことをつぶやいた。
あのしぐさにすっかり欺《だま》されていた。局長は、田代のうわごとに神経を集めていたのだ。すなわちハンゲマン局長は、その譫語がつくりごとの譫語であることを、聞いたあとで気がついたのだ。
福光をシュツットガルトの中央病院から死地へ追いやったのは、このおれではないか、と思うと山上は居ても立ってもいられない気持になった。
――ハンゲマンは、ヨーロッパの王家の中から不幸にもエイズ患者が出て、その隔離場所たる離宮が福光に追跡されていることを、田代の「譫語」から察知した。それは日本人タシロにとっては好奇心かもしれないが、伝統あるヨーロッパの王室擁護者エルンスト・ハンゲマンにしてみれば重大な危機感として捉《とら》えた。
彼は保守派だ。「王党派」かどうかわからないが、保守派は精神的には王室尊重主義である。
普通の病気とちがって「王室の尊厳を冒すエイズ・ウイルス」が王家に侵入したところに運命的なトラブルがある。貴賤《きせん》とも脱れ得ぬ二十世紀から二十一世紀にかけての疫病《えきびよう》だが、いかに宮廷が開放されたとはいえ、こればかりは臣下に洩《も》れることがあってはならない。ために絶対に宮廷からも隔絶された離宮が必要である。感染者は一般の人に顔を見られてはならない。中世の「鉄仮面」の伝説まで蘇《よみがえ》ってくるようになる。
――福光|誘拐《ゆうかい》の首謀者はハンゲマンだ。福光がシュツットガルト中央病院に入院していることも、退院予定日も、山上から聞いて、それを知る立場にあるのはハンゲマンだ。なによりも「IHCの山上」の名を使って、それを詐称《さしよう》させることができるのはハンゲマンだけだ。ほかの者は山上の名を知らない。カネもある。入院費、馬の弁償、救護車の費用、すべて若い男女を使って彼がカネを持たせてやった。
福光の連行とおそらくはその死と、亮子の夫クレメンス・ベンドルの殺害とを、これまでY字の形で考え、その幹にあたるのを探していたが、それこそエルンスト・ハンゲマンにほかならぬ。
彼は「離宮」を窺《うかが》う者を徹底して排斥し、これを防衛しようとしているのだ。だれに頼まれたのでもない。彼の伝統的な保守主義から出た信念からだ。
ハンゲマン局長は、常からソ連圏のエイズ対策に重大な関心を払っている。患者の隔離策を徹底して行うことがソ連ならびに東欧が強大勢力として残れる道だと考えている。これが彼の持論である。ソ連のどこやらに隔離病院がまたまた出来たとか、病棟が増設されたとかといって、壁の地図を凝視して苛立《いらだ》っている。
苛々しているのは、「民主主義」に気がねしてエイズ対策に思い切った手が打てない西側が、絶対体制の東側に敗北する危機感からだ。
この見方、つまりエイズ患者の隔離(あるいは避難)は、ヨーロッパ王室維持のために「離宮」の防衛に努めなければならぬというハンゲマンの信念と一致する。
九時半、山上は中央駅へむかった。雨はやまない。車の暖房でフロントガラスが白くなり、ワイパーの動く扇型が穴があいたようになっている。部屋の窓ガラスを乱暴に拭《ぬぐ》ったが、そのつづきのようであった。
出勤前にはいつも駅へ行って、スタンド売りの新聞を買うことにしている。事務局でも各新聞をとっているが、配られてくるのが遅い。すこしでも早く見たいのである。
エイズの記事は出ていなかった。終熄《しゆうそく》したのではない。これを報道したら天気予報のように毎日掲載しなければならなくなる。六十日目にまとめて患者数を発表する。スイス国の各地方のぶんは政府保健省から、世界各国のはWHOの統計を転載する。
それもフロントページではない。二ノ面か三ノ面に包み込まれている。もはやニュースとしての新鮮さがなくなったと新聞社は判断したように見える。それに、WHOは各国の報告による数字を受動的に毎度|羅列《られつ》しているだけである。政府保健省も国内の患者数を手加減しているのがわかっている。
ありのままに実数を発表すればパニックが起ることを政府が懸念《けねん》しているからだ、と人々はみている。治療方法がまったくないのに、患者数の増大ばかりを公表しつづけたら政府は国民に無策を宣伝するばかりになる。
絶望の結果、ひとたび終末観に捉えられると、人は働く意志を失い、活力を喪失する。かくて生産はとまり、社会的秩序は混乱し、自殺者はふえる。でなかったら、暴動が起る。
そのようなことがないように当局はエイズ統計の数字を抑え、新聞とも協定してその記事を第一面には出さないことにした。
なるべく読者を昂奮《こうふん》させないことである。フロントページに出せば、見出しは大きな活字で躍り、それが人々を刺戟《しげき》し昂《たかぶ》らせ、報道機関が「煽動《せんどう》」する結果になる。
かくてエイズ関係の記事は新聞の奥へ隠れてしまう。
そのかわり、エイズの新しい治療薬とか治療方法とか、またはワクチンが開発されるという報道になると、その大見出しはフロントページに栄光的に跳躍する。だが記事の内容をよく読んでみると、それはまだ試験管の中での「成功」だったり「理論的には可能」だったりするだけである。しかし、「福音」の響きを持つことは疑いない。かくて世界の夥《おびただ》しい医・科学者の「十二使徒」にも比すべき福音伝道がマスコミによって行われる。この伝道が人々に生きる希望を与え、黄金の光となる。
しかし、十二使徒の中には、キリストを裏切ったイスカリオテのユダが含まれているので、エイズ治療法の光が見えてきたという「福音」も裏切りにあわないようにしなければならぬ。
山上が駅で買った新聞のフロントページには、しかし、エイズ治療薬や治療方法関係ではなく、「ネオ・ナチ、西ドイツの南部と北部で一斉《いつせい》にデモ行進」の大活字がならんでいた。
まず、写真が眼を惹《ひ》く。カギ十字の大旗を先頭に押し立てた二列縦隊の若者が、逆卍《さかさまんじ》の腕章を巻き、平服ながら革長靴《ブーツ》をはいて市内目ぬきの大通りを行進している。写真説明に「ニュルンベルク市の第三回ナチス大会会場へ向うネオ・ナチ運動者の示威行進」とあった。
山上は思う。
一九二七年八月、ヒトラーはナチの第三回大会をニュルンベルクで開いた。ヒトラーが政権を握る(一九三三年)幕あけだった。ネオ・ナチの連中はその「聖地」へ押し出して行くところらしい。ナチスはバイエルン地方を中心に起った。
事務局に出勤すると、局長がお呼びです、と連絡があった。
山上は機先を制せられた気がした。こっちから局長室へ行くつもりで、ハンゲマンとの想定問答すら考えているくらいだった。一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかないと思っているからだ。
それにしても局長が定時に出てくるとは珍しい。いつもは十時半近くでないと姿を現わさない。なんだかこっちの肚《はら》を読んで先手を打つように思われる。
ハンゲマンに対する人物評価が一変したいま、彼は鋭い洞察力《どうさつりよく》と智力《ちりよく》とを兼ね備えた人物にみえてきた。
局長室の彼は大きな机の前で回転|椅子《いす》を横むきにまわし、両手を拝み合せて顎《あご》の下に支えていた。その横顔はなにやらもの想《おも》いに耽《ふけ》っている様子に見えた。
それを一瞥《いちべつ》しただけでも山上は自分の予想があたったと感じた。局長は、はやくもこっちの攻撃的な質問に備えて、その答弁を脳裡《のうり》で準備中なのだ。いつもは出勤|匆々《そうそう》書類いじりに忙しがっている男がである。
局長は、ふと小鳥の影を感じたかのように眼を開き、そこに山上が佇立《ちよりつ》しているのを認識すると、椅子をまわして立ち上り、急に微笑を現わして手を伸ばした。
「や。お早う、ドクトル・ヤマガミ」
寝起きのいい機嫌の顔に見えた。まあ掛けてください。ちょっと疲れましてね、失礼した。しかし、もう大丈夫です。晴れやかな顔で、にこにこした。
山上は、おや、と思った。警戒の色も邀撃《ようげき》の表情もまったくなかった。親しげな顔色であった。
が、まだ油断はできなかった。これがこの人の術策かもしれないのだ。
「この前はどうも」
局長が云ったのは、「タシロ」の|うわごと《ヽヽヽヽ》のことでやりとりした件である。局長は陰謀のことは毛筋ほども顔に出していない。
そして局長は別なことを急いで云った。
「わたしはね、昨日の朝九時の便でジュネーヴに行き、WHOの事務局長と会談し、よそをまわりました。日帰りです。あなたに事前連絡できなくて申しわけなかったが、その次第はこれから話します」
田代の「連行」でも、骨董屋《こつとうや》ベンドルの話でもなかった。
「WHOの事務局長との会談内容は非常に重要なことです。新しい事実が判明したのです」
ソ連や東欧のエイズ患者数の報告を機械的に統計表にまとめるだけでは世界のエイズ対策は確立しないとWHOにネジを捲《ま》きに行ったのとはすこし話が違うようである。
「緊急情報です。わたしの手もとに二日前に入った」
どこからそれを入手したとは云わない。いつものことだ。声を低めた。それでなくとも夏の終りの蚊のような声になった。
「バルト海沿岸地方にエイズ患者が急激に増加したという報告です」
「バルト海沿いというと、エギトニア、ボルコニア、カルバニアの三共和国ですか。――いわゆるバルト三国の?」
山上のほうが思わず高い声になった。局長は厚い唇に、萎《しな》びた指一本をあてた。しっ、声が高い。
「まだどの共和国だかはっきりしません。これまでこの地方にはその報告例がなかったからだ。もちろん、わがほうの情報ですよ。東欧圏に関するかぎりは、幸いにも西ベルリンの機関があるので情報入手は便利だし、その内容は正確だね」
西ベルリンはドイツ民主共和国(東ドイツ)の西側孤島であり、通信基地でもある。隣の東ベルリンからも、東ドイツ全領土内からも情報が入る。もっとも東側にしても逆の意味で同様である。
「バルト海沿岸に限定していえば、いまのところエイズ患者と感染者は合わせて約二千人くらいです」
「二千人?」
「地域がせまく、人口が多くないわりに患者数としては多いですよ。どうも、このあたりらしい」
局長は机上のボタンを操作した。スクリーンの地図の上に光のスポットがチョークのように自在に移動した。それはバルト海の東側一帯であった。
「急激な発生と云《い》いましたが」
局長は語を継いだ。
「患者は感染後二年で発病というケースが多いらしいです」
「感染後二年で発病ですって? ずいぶん早い発病ですね」
山上はおどろいた。
「WHOのほうでもおどろいていました。急激というのはむこうで云った言葉ですがね。エイズ・ウイルスもこんなに野放しに流行すると、ウイルスじたいに即効性の新種が加わったんじゃないかという説まで出ていましたよ」
「感染経路はどうなんです?」
「それがぜんぜんわからない。なにしろ正式な報告ではないからね。とくにああいう国のことだからね。はっきりいってこっちもスパイ活動の情報で、数字は不確かです。ジュネーヴでも想像がつかないと云っていた」
「局長の推測はどうですか」
「そうですね。……」
ハンゲマンは片方の手を額に当てた。前額部から耳ぎわにかけて白髪《しらが》が這《は》っていた。
「わたしはソ連の隔離病院がバルト海の東沿岸か、あるいは東ドイツのリュゲン島あたりに作られてあって、そこに収容された患者たちのエイズ・ウイルスが伝播《でんぱ》したんじゃないかという推定を持っている」
地図上のバルト海の周辺を小さな光が駆けめぐった。山上は声を呑《の》んで眺《なが》めた。
「ソ連領もバルト海沿岸地帯あたりとなると、わたしの情報の盲点です。東ドイツのリュゲン島だと、西ベルリンも情報外になります。しかし、地理的にみてそこが推定されます」
「そのバルト海沿岸地域の収容所患者のエイズ・ウイルスに即効性の新種が発生したのですか」
「即効性というのは、WHOが判断していることで、それこそ即断に過ぎるようです。さっきも云ったようにそれは正式な学術報告ではなく、隠密《おんみつ》情報だから、誤解されやすいのです。いまのところ何ともいえないが、なにかの異変が起ったことはたしからしい。さすがのWHOも、わたしの話を聞いて仰天していたね」
山上は誤解していた。ハンゲマンの昨日のジュネーヴ行は、一昨日の田代をシュツットガルトの中央病院から誘拐した件の肩すかし、いうなれば一種のアリバイ行為だと今までは思っていたのだ。
「WHOの事務局長とは一時間ほど懇談しました。今はすでに二十一世紀のはじめです。世界のエイズ患者と感染者の潜在実数は二億人を突破しているというわたしの推定をWHOの事務局長もしぶしぶながら認めましたよ。それだけでもたいへんな進歩だがね」
ハンゲマンは、満足そうにニヤリとした。
「それから、わたしは午後の便でパリへ飛んだ。チューリッヒに帰ったのは遅い便でね。深夜になりました。疲れましたよ」
「パリへ?」
「パリで学生たちの間に不穏な空気が出てきていると聞いたものだからね。まず、カルチエ・ラタンのあたりをぶらぶらした。すると学生たちが路地のあちこちに屯《たむろ》したり、大学構内で小集会を開いたり、カフェに集まってなにごとか相談している。いわゆる進歩派の学生で、男も女もいる。黒人もいるし、東洋人もいる。どの表情も眼を光らせて昂奮した表情です」
「……」
「それからモンパルナスへタクシーで行った。あの狭くて長いパスツール通りを制服や私服の警官が巡察していました。パスツール研究所の前は警戒が厳重でした。次に、バルザックの銅像のそばのカフェ『クーポール』には、|いかれた《ヽヽヽヽ》若い男女客のかっこうをした学生たちの中に偵察組《ていさつぐみ》がだいぶん入っていました」
「どうしたのですか」
「これを見てください」
局長は机の抽出《ひきだ》しから、一枚の謄写版《とうしやばん》のビラをとり出して山上の前に押しやった。
「ソルボンヌ大学の前でアフリカの学生が手渡してくれたのです」
ビラにはスローガンが躍っていた。
≪エイズ・ウイルスに無力な現代医学への不信!科学の名において人民を迷わす現代の魔女。白衣のカネ|喰《く》い虫! ただちに叩《たた》きつぶそう!≫
「世は騒然となりましたな」
エルンスト・ハンゲマンは五本の指の骨をぽきぽき音たてて鳴らした。
「今朝の新聞を見ましたか、ドクトル。西ドイツには黒シャツのネオ・ナチズム運動あり、です。二十一世紀初頭というのに、早くも世紀末の現象を呈しましたな」
ハンゲマン局長は今朝の新聞に出ていた西ドイツ各地の「ネオ・ナチ運動のデモ」記事にふれた。
にもかかわらず、ハンゲマン局長の口舌は意気|軒昂《けんこう》としていて、はなはだ能弁であった。これも事態の容易ならざるを看取しての発奮のようであった。
「しかし、局長。西ドイツのネオ・ナチ運動と、パリ学生のパスツール不信運動とは、性格がまったく違うじゃありませんか。いうなれば思想的にも極右と左翼です。連動性はまったくありませんから……」
云いかけると、
「連動性はぜんぜんないかね? 地図を見て」
と局長は遮《さえぎ》った。
「なんと云われましたか」
局長は背後のバルト海にふたたび豆ランプの標識を点じた。
「このバルト海に面した区域にエイズ患者がにわかにふえたという情報がジュネーヴに入って、それでわたしはむこうの事務局長に呼ばれたのさ。わたしの手もとにも同様の情報が入って、両者の観測が一致したことは、さっきお話ししたとおりだ」
「うかがいました」
「ところが、ドクトル。今朝の新聞が報じているネオ・ナチ運動の北部ドイツは、ヒトラー出現のころから運動に協力している。南のバイエルンとともにいまもなお極右勢力の強いところだ」
山上は頭の中を電気が一瞬通り抜けるのを感じた。
バルト海沿岸地帯にエイズの流行。
それと西ドイツの北部にネオ・ナチ運動。――
ハンゲマンは水色の眼《め》で山上を見返している。見返す彼の瞳《ひとみ》には確固たる自信がこもっていた。
ハンゲマン局長はパラノイアか誇大|妄想《もうそう》に陥ったのではないかと瞬間、山上は思った。
「それはそうと、ドクトル」
局長は唐突に云い出した。
「この前、あなたから聞いたあなたの友人はどうされましたか」
山上は面上に棒を食《くら》った思いで、ハンゲマンを凝視した。
いったい、彼のこの言葉をどのように判断すべきか。本気で云っているのか、それとも空とぼけているのか。
「ミスター・タシロは、シュツットガルトの中央病院から、ぼくの知らないうちに退院しました」
云ってから、ハンゲマンの反応を窺《うかが》ったが、
「全治されたのですか」
との問い返しに「傭兵《ようへい》隊長」の擬態があるかどうか、山上にはすぐには看破できなかった。
山上は事情の詳細を語った。話しながらも局長の反応を見まもった。
聞き終った局長は、黙って椅子を半回転させ、横むきになり、手を顎に当て、前こごみとなった。ロダン作の彫刻「考える人」のポーズにそっくりである。
沈黙およそ三分間。考える人は椅子をもとに回し、山上の前に眼を開いた。
「ミスター・タシロを病院から連れ出したのは、ネオ・ナチか極右の連中です」
決定的に云った。
「えっ、なんですって?」
山上は思わず一歩退いた。
「ミスター・タシロの譫語《せんご》を綜合《そうごう》するに、氏はヨーロッパ各国の王家に発生したエイズ患者の特別隔離病院、いわゆる『離宮』を探しまわっていたようですな。彼は、それを西ドイツの山中にある廃城か修道院のようなところだと見当をつけて歩きまわっているうちに崖《がけ》から転落して負傷したようです。けれども、その意志は日本語の譫語に出て、あなたが聞いたわけですな。しかし、彼の行動は、その前からネオ・ナチの一派に追跡されていたと思う。間違いない。断乎として、そう推定できるフシがある」
ハンゲマンの眼に、ふたたびパラノイアの光が点じたようだった。
「いいかね、ドクトル・ヤマガミ。極右勢力というのは王党派と一体です。ナチスが興ったときも、バイエルンと北ドイツの極右勢力に王党派があった。つまり北ドイツはホーエンツォレルン王朝の復活ですな。バイエルンの極右勢力にも同じく王党派があった。バイエルンはヴィッテルスバハ家の復興だ。ところが、一方に民族的国家主義のグループがあって、ヒトラーのナチスはこの勢力を糾合して政権を握ったのです。けれども、英・仏・チェコの隣国から軍事的な圧迫をうけていた当時の情勢とは違い、いまの西ドイツの極右勢力は王党派です。ホーエンツォレルン家なり、ヴィッテルスバハ家なりの復興悲願は、現存のヨーロッパ各王家擁護につながります」
「……」
「このような見地に立てば、ミスター・タシロの好奇心は、かれらの王室擁護秩序を破壊する行為として抹殺《まつさつ》されたものと思われます」
偏執的な光は、彼の瞳に強くなった。
「かれらの行動とは、北ドイツの極右勢力ですか、それともバイエルンですか」
「シュツットガルトの病院からといえば、地理的にいえばシュヴェビッシェアルプ山脈に近い。しかし、距離の遠近は推測の資料にはなりません。かれらには行動力があるからね」
局長の答えは快刀乱麻を断つの体《てい》だった。眼の光は冴《さ》える。
「ミスター・タシロのうわごとにあった『淡い色のタペストリー』を集めて、それをどこやらに売っていた骨董商《こつとうしよう》は、オランダのユトレヒトの郊外で他殺死体で発見されました。犯人はまだわかりません」
「おお、それです」
局長は指を鳴らした。
「それも、西ドイツの極右勢力が王室の秘密を守るためにやったことです。そうか、死体発見はオランダのユトレヒトでしたねえ。そんなふうに、距離の遠近は問題じゃないです。はてさて、そうなると、連中はバイエルン地方からオランダへ出動したのか、北ドイツから長駆して行ったのか、判断がつかなくなりましたな」
局長は咽喉《のど》が乾いたといって、手洗室に入ったが、がらがらと嗽《うがい》の声が聞えた。
山上は自室へ戻った。ハンゲマンの毒気にあてられて、頭がぼんやりとなり思考力が奪われた状態だった。
数日が経《た》った。山上は本を読んで暮す。
読書で気をしずめるがいい。というよりも、穴の中に入ったつもりであった。
睡《ねむ》れぬままに手にとったオーストリア作家の小説がある。
[#ここから2字下げ]
≪――ウィーンで有名な一大銀行に、まず居ても居なくても差支えのない下級の一行員があった。名をチャルナウエルという小男である。居ても居なくてもいいとはいえ、とにかく大銀行の行員をしているだけでも名誉にはちがいない。
このウィーンに多数いる銀行員というもののなかで、この男にはなんの特色もない。風采《ふうさい》はかなりで、極力身なりに気をつけている。そして文士の出入りするコーヒー店へ行く。そこへ行けば、精神上の修養を心がけているという評判を受ける。こういう評は損にはならない。……≫
[#ここで字下げ終わり]
山上は、ここで本を伏せた。物語が面白くないからではない。主人公のチャルナウエルという目立たない下級銀行員の生活と日本の中年サラリーマンのそれとを途中でひきくらべたからである。この小説の作者ダヴィットは一八〇〇年代の終りの人らしい。
山上は、いまの自分がちょうどこのチャルナウエルのように、IHCの事務局に出勤していても「居ても居なくても差支えのない」存在に思えてきた。
ハンゲマンの反共主義の立場からすれば、西ドイツの王党派極右勢力に同情的なのは当然ではないか。福光福太郎を拉致《らち》したのも、亮子《りようこ》の夫ベンドルを殺害したのもかれら右翼にちがいないと断じている。その眼はけいけいと光っていて、無気味なこと偏執狂のようだ。ヴァレンシュタインのような「傭兵隊長」にはそれがあった。
山上は読んでいる小説の主人公のように「精神上の修養を心がける」ことにした。
金曜日の午後四時ごろだった。
山上がIHC本部の部屋にいると、交換台が「リューベック」から電話です、と告げた。
リューベックは西ドイツのハンブルクから北東へ五〇キロぐらいのところにある。作家のトーマス・マンが生れた土地として有名だ。そんなところから電話がかかってくるはずはないと思い、ほかの人と間違ってつないだのではないかと聞き返すと、
「いいえ、たしかにドクトル・ヤマガミとお話ししたいとおっしゃっています。女性の方です」
と交換台では云う。
婦人からと云われると、よけいに心当りがない。だが、交換台と押し問答しても仕方がないから、とにかく電話をつながせた。
「ドクトル・ヤマガミでいらっしゃいましょうか」
若い女の声である。きれいなドイツ語。
「そうです。山上ですが」
「お忙しいところを申しわけありません」
「あなたはどなたですか」
「少々お待ちください。いま、替ります」
十秒と経たないうちに、男の声が出た。
「もしもし、山上先生?」
その日本語を耳にすると、山上は思わず受話器を絞るように握りしめた。
「あ、その声は?」
「はい、そうです。福光福太郎です」
「福光君、あなたは無事だったのか」
低いが、叫ぶように云《い》った。
「はい。ご心配かけましたが、無事でおります。あの節は、シュツットガルトの中央病院までわざわざお見舞にきていただいてありがとうございました」
「……」
山上は言葉が出なかった。人を喰《く》った挨拶《あいさつ》だけで、あの譫語《せんご》が、つくりごとだったことを福光は白状している。
「その後、ぼくが病院に迎えに行ったら、きみは一日前に退院していた。ぼくね、だれかがぼくの名を騙《かた》って、きみを誘拐《ゆうかい》したと思って、心配していました」
日本語の会話だから交換台に傍聴されてもわからない。それでも声をひそめた。もとよりハンゲマンの名は出せなかった。
「申しわけありませんでした。病院脱出はぼくの自作自演です」
「なに?」
「傭兵隊長」エルンスト・ハンゲマンの策謀ではなかったのか。山上の推測は外れた。ハンゲマンの云う「王党派」による連れ出しでもなかった。
「それについてはいろいろとお話ししたいことがあります。山上先生、明日の土曜日にリューベックにおいでいただけませんか」
「わたしもきみの無事な顔を早く見たい。土、日曜日は空いている。きみはリューベックにいつから居るのかね?」
「実は、あれからこちらに来て、暮しています」
何故《なぜ》、と訊《き》いてもすぐに理由を話す男ではなかった。
「リューベックには、わたしもまだ行ったことがない。その町も見たいね」
「感激です。ぼくにとってこんなうれしいことはありません。それでは、リューベック市内のザンクト・ヤコブ教会の前にきてください。有名な教会ですから、ハンブルクのタクシーの運転手はみな知っています。その教会の前に、ぼくの事務所の女性を立たせておきます。明日の正午から午後一時まで。それに間に合うように飛行機の座席が取れますか。チューリッヒ、ハンブルク間は一日一便で、午前十時チューリッヒ発しかありませんが」
もとは一日三便あった。運航が減ったのはパイロット、スチュワーデス、整備員などの従業員がエイズに仆《たお》れて人手不足になったからだ。
「なんとかなると思う。ぼくの姿が現われなかったら、今回は駄目《だめ》だと思ってください」
「わかりました。ラッキーを祈ります。その女の子には、目印として日本の雑誌を手に持たせてやります」
「それならよくわかるだろう」
「教会の近くにはトーマス・マンの育ったブデンブロークもあります」
「そう。そこも見たいが、きみと早く話がしたいね」
山上の胸は躍った。
土曜日の午前十一時四十分、山上はハンブルク空港に着いた。
チューリッヒ空港発午前十時の座席予約は電話でできたが、このごろは出発時刻が遅れたり、運行が中止になったりする。パイロットなどの入院がふえる。エイズはますます猛威をふるっていた。ユリア夫婦が入ったような専門病院が、いまでは山岳地帯に造られ、それも増設されるばかりだ。近くはウイリアム・テルの伝説地の山村だ。
ハンブルク空港にくるのも何年かぶりであった。通関からバッゲージ・クレームを通り出口へ抜けるまでの長い構内の、いたるところの壁にポスターが貼《は》ってある。
≪赤ちゃんを産みましょう。国家のために!≫
≪あなたの天使に国家が祝福を集中!≫
≪育児手当が倍増になりました≫
マリアのように美しい女性がにっこりと微笑しているカラー写真。下にすこし小さく≪ドイツ連邦共和国政府≫≪ヨーロッパ合邦連帯会議本部≫と入っている。後者はEC(ヨーロッパ共同体)が発展して、「ヨーロッパ合衆国」に近づいた名称である。本部はパリ、総防衛軍司令部は、ブリュッセルのNATOに代るものとして西ドイツのフランクフルトの近くに設置されている。
エイズ禍《か》のために西側ヨーロッパの人口が激減した。総体で五分の一の減少。西ドイツは四分の一が減った。フランスは三分の一、イギリス四分の一、オランダ五分の一、イタリア五分の一未満、ベルギー同、スイス四分の一。……
人口の減少は戦力の低下につながり、国防が危うくなる。
生めよ、増やせのポスターの隣が、
≪愛国者よ、兵役に志願せよ!≫
≪祖国防衛の任務はきみだ!≫
肩を組んだ若者や、人さし指を銃口のようにこっちへ向けている色彩写真となっている。
≪子供を生んで、軍隊へ≫
曾《かつ》てソ連は「開放政策」で失敗した。この国には、西ヨーロッパ的な、アメリカ的な民主主義はなじめなかった。ソ連人民はにわかに得た自由(西側からくらべると僅《わず》かな自由だが)に狂喜した。あまりに有頂天になりすぎて羽目をはずした。
国防費を大幅に削減し、重工業の工場建設費を四〇パーセントも削り、そのぶん食糧の増産や住宅の建設費にまわした。人民は「自由」を得たときに狂喜したように、長い行列をつくらずにいつでも店頭で食肉が買える豊かさに随喜し、消費生活の羽目をはずした。役人も警官も減った。
当時の当局者は人民の人気が集まるのを見てこれでうまくゆくとみて、東欧の衛星国にこれをすすめた。西ヨーロッパの文化に近い衛星国はただちにこの勧告をとりいれて民主主義政策をとった。その結果、独自の路線を歩むようになってモスクワ放れがみえてきた。
ソ連の独自性は伝統的に西ヨーロッパと切り離された存在にある。それは帝政ロシアの昔からだ。地理的にも文化的にも極北にある。ロシアの歴史が太陽と文化を求めて南進政策をとり、そのつど紛争や戦争を起してきた。しかし、ソ連になっても、その広大な領土が西ヨーロッパから切り離されて孤立していることはロシア時代とあまり変りはない。
孤立と拡張とはロシアの伝統政策だ。それには他国から侵略されるという強い警戒心が働いている。革命によって最初の社会主義国になったのはこの国だが、その当座は資本主義国の列強に包囲されて攻撃を受けるのではないかと怯《おび》えた。コミンテルンを通じて世界の同志に「祖国防衛」を訴えた。警戒心と戦力の涵養《かんよう》と極端な秘密主義とはそれ以来である。
「新政策」によって軍備が手薄になったのを知り、軍部は愕然《がくぜん》となった。重工業の削減で兵器は間に合わない。これでどうしてアメリカと戦争ができるか。
西側ではすでに「ヨーロッパ合衆国」が生れようとしている。その「ヨーロッパ合衆国軍」にすら対抗できないではないか。
「新政策」は撤回された。「遅れ」をとり戻すために急激な軍備充実政策となった。スターリン時代の再現を思わせた。民主主義のために緩んだ衛星国の引き締めにかかった。抵抗すれば「プラハの春」を粉砕したように戦車隊を入れる。ワルシャワ条約機構を以前よりも強化した。
ソ連の人口も兵員も多い。これにワルシャワ条約機構諸国を加えるとさらに増大する。
≪子供を生んで、軍隊へ!≫
のスローガンは、ソ連の衛星国東ドイツに隣する西ドイツの悲痛な絶叫だ。
もし「ヨーロッパ合衆国軍」が結成されれば、西ドイツはその主体となるにちがいない。――
タクシー駐車場にならんだ。長蛇《ちようだ》の列。車が容易にこない。エイズで運転手が仆れている。だが、乗客も減っている。
一時間近くかかって、リューベックに入った。ホルステン門の広場ではデモが行進していた。二、三千人くらい居る。プラカードを掲げ、シュプレヒコールを叫び、拳《こぶし》をあげている。
≪徴兵に絶対反対!≫
≪徴兵は戦争を招く!≫
≪若者を殺すな!≫
≪若者を戦場に出すな。もう戦争はごめんだ!≫
プラカードは手書きだ。髑髏《どくろ》の画、魔女の画、顔を蔽《おお》う老母や恋人の画。曇った空から小雨が降りはじめた。デモ隊は濡《ぬ》れている。
デモに遮られてタクシーが動かなかった。山上は腕時計に何度も眼を遣《や》った。
プラカードとデモ隊はつづいている。
≪エイズを暴れ放題にさせている医者よ、くたばれ!≫
≪エイズに無策な医学を追放せよ!≫
ようやく車が動きはじめた。橋を渡って旧市内に辿《たど》りついた。
石だたみの坂道を上っていたタクシーがとまった。ザンクト・ヤコブ教会はここです、と顔色の悪い中年の運転手は客をふりかえった。午後一時だった。
教会はゴシック様式の古めかしいものだった。山上は、日本の雑誌を手にしている若い女を眼で探したが、そこにはいなかった。教会では正面出入口のドアが開かれていて、告別式が行われていた。死のミサの讃美歌《さんびか》が道路に流れていた。今日もエイズの犠牲者が出た。
教会わきに赤い傘《かさ》を持ったブロンドの女が彳《たたず》んでいた。手にした日本の綜合雑誌の表紙を山上の前に見せてほほ笑みながら、近づいてきた。
「ドクトル・ヤマガミですか」
「そう。山上です」
彼も微笑を返した。
「わたしはマリーといいます。ヘル・タシロの使いで、お迎えに参りました」
「タシロ」は福光のヒント・コンサルタントのほうの別名だ。こっちではこの名を使っているらしい。
「彼とはどこで会えますか」
「これから五〇キロばかり北へ行ったところにオルデンブルクという町があります。キール軍港の近くです。その近くで、温室の花の栽培をしています」
マリーは車の駐車場へ歩きながら云った。そこは坂道の上りだった。
「なに、温室の花栽培を?」
山上はおどろいた。何をやりだすのか分らない男だ。
「はい。わたしもそこで働かしてもらっています。前はデュッセルドルフにいたのですが」
「じゃ田代君の名刺にあるデュッセルドルフ支局にいたのはあなたですか」
マリーの横顔が笑ってうなずいた。
≪アイデア販売、ヒント・コンサルタント≫の営業は花屋に転換したとみえる。
「それでは田代君のパリ本社の女性事務員も、ニューヨーク支局の人も、その温室栽培に?」
「はい、みんな一緒です」
狭い道だが、人は少なかった。
「以前だとこの通りが外国からの観光客で混んでいました。いまでは、ごらんのとおり静かなものです。エイズで人が来なくなったのです。商店街は閑古鳥が啼《な》いています、倒産したレストランや商店も少なくありません」
土地の初老の商人らしいレインコートの人が、旅行者の傘を押しのけるようにして坂道の先をやや忙しげに歩く細身の紳士に追い付いて、防水帽を脱《と》り、鄭重《ていちよう》に挨拶していた。
[#この行2字下げ]《――ブデンブローク領事は、広い自宅の地所を急いで通り抜けた。ベッカー通りに出ると背後に足音が聞えたので、見ると仲買人のゴッシュだった。一幅の絵のように長い|外套《がいとう》に身をくるんでいるゴッシュは、やはりこの坂道を登って会議に向うところだった。長い痩《や》せた手の一方でイェズイットふうの帽子を軽く持ち上げ、もう一方の手で恭順の身振りをすんなりやってのけると、ゴッシュは抑えた、不機嫌《ふきげん》そうな声で言った、「領事さん……丁度よいところで!」》(森川俊夫《もりかわとしお》訳「ブデンブローク家の人々」)
いつか読んだことのあるマンの文章と、眼前の情景とが融け合っているように山上には思えた。それも現在の通りがエイズ禍のために人通りがなく、十九世紀のマンの想《おも》い出当時と変らないからである。
駐車場に置いた黒塗りのベンツにマリーは山上を招じ入れると、運転席に彼女は坐《すわ》った。
もとの坂道は通らず、旧市内からアウトバーンへの近道をとった。
助手席には彼女が市内で買ったらしい買物を入れた手提げのふくれたビニール袋が四つ置かれてあった。その二つの買物袋には薬店の名がついていた。
マリーはハンドルを動かしながら、背中ごしに山上に説明した。
「花壇は、この他にもう一カ所、ジルト(Sylt)島にあります。ジルト島はユトランド半島を北へおよそ一五〇キロ行ったところで、デンマークの国境に接し、北海に浮ぶその島と陸地とを鉄道のある細い土堤《どて》一つがつないでいます。避暑地ですわ」
「では、今は引き揚げてるの?」
「いえ、まだです。というのは、社長はその島の形が気に入っているからです」
「島の形が?」
彼女はハンドバッグから一葉のパンフレットをとり出して山上の眼《め》の前に置いた。それは表紙の図案にジルト島だけがタテ長に大きく描かれていた。
「ごらんください、これは何かの形に似ていませんか」
「あ、幽霊《フアントム》!」
「そう、Spukです。スプークです。お化けです。頭が大きく頸《くび》が細長く、胸のところがちょっとふくれて、脚がすうっと消えている。そして口を開け、広い袖口《そでぐち》を前に突き出して、その袖口からは針金のような手が、まるで人を捉《とら》えるように、にょろにょろと出ています」
マリーは、ほほ笑んだ。
「社長は、この島のお化けの形が、とても気に入っているんです。詩を感じるそうです」
「詩ですって?」
「象徴詩でしょう、きっと。社長のヘル・タシロはこう申しております。ジルト島の状況はエイズ時代の今日でも安全であります。天国であります」
「なんだって?」
「はい。そのわけはこうなんです。この略図でもおわかりのようにジルト島と本土とは列車の通る土堤一本でつながっております。距離約一〇キロ。砂嘴《さし》を補強した土堤の幅は鉄道と同じです。その幅は約二・五メートル。車はおろか、人も通行できません。現在、島に渡る人は本土の入口のニィービュル駅で列車を停車させ、シュレスウィヒ・ホルシュタイン州の保健局の医者や看護婦や役人が大勢乗りこんできて、乗客のエイズ非感染の証明書の提示や再検査を厳重にやっていて、すこしでも怪しい者は全部下車させて、病院へ送りこんでいます。そんなわけで、ジルト島には、いまのところエイズ患者は一人も出ていません。おそらく将来も出ないでしょう。というのは、いよいよエイズが猖獗《しようけつ》をきわめると、列車を廃し、土堤を切断してしまいますから。本土とは交通|遮断《しやだん》です。安全な者だけが小舟で通う。食糧は十七世紀の三十年戦争の昔に還《かえ》って、北海の漁業でたっぷりとまかなえる。島の平野部には小麦が穫《と》れます。タンパクと脂肪分の補給には牛が飼える。ジルト島の牧牛は肉がおいしいことで評判ですからね。……じつは、わたしたちはそのときに備えて、ジルト島に土地を二エーカーほど買ってあるのです」
「二エーカーも?」
「ヘル・タシロは、なにごとも大きなことがお好きなんです。二エーカーといっても、そこは草|茫々《ぼうぼう》の原野です。向うのほうに灯台が見えて、こっちのほうは砂丘なんです。でも、土地さえ確保していれば、ヨーロッパじゅうでエイズのために人々がばたばたと倒れたとき、そこにハウスを建てて住めば安全です」
「ヘル・タシロ」だなんて彼女はドイツ語の敬称を使っていた。
「だれが住むのかね」
「ヘル・タシロと、わたしたちのような女助手七人と、それに男子助手五人です。それから、わたしたちの両親や、友だちも呼んでもいいと云《い》ってくださっています。なにしろ二エーカーの土地ですから」
「で、花壇も、そこにあるの?」
「そこは、まだ建設中という看板があるだけです。だって、花を造っても避暑客は居ないし、このシーズンだと午後三時になると、もう暗くなるんですもの」
「それに、夜が早くくる」
「島の繁華街は、駅前あたりでヴェスターラント地区といいますの。その通りの一画に小さなオフィスだけは設けてあります。花壇建設事務所を。その地区はとても賑《にぎ》やかですわ。大学の分校あり、スポーツ学校あり、病院あり、製薬会社や化粧品会社まであるんです。人口が少なくて、空気が澄んでいるものですから。それにジルト島の女性の働き場所になってます」
リューベックから北へ高速道路に上って六〇キロ行くとグローセンブローデという小さな町になる。それからまっすぐ行けばフェーマルン島に入る。その先は海、キール湾となって北半分がデンマーク領である。
このグローセンブローデにくるまでのアウトバーンは海岸線に沿っていて、入江の対岸がじぐざぐの海岸線になっている。しかし、これは東ドイツ領である。
すでにリューベック市の東郊外から東独領との境界になっている。これが海上に延びて、入江のリューベック湾、その沖合のメクレンブルク湾を二つに分割し、バルト海の完全な東独領に入っているのである。
西ドイツの領海は、リューベック湾とメクレンブルク湾の西半分、それにキール湾である。だが、その湾の北半分はまたデンマーク領に付属している。さらにバルト海の北沿岸はスウェーデン領が突き出ているというありさまだ。
だが、なんといっても西ドイツと東ドイツの領土が海岸線で犬牙錯綜《けんがさくそう》している観があるのはリューベック湾付近である。
グローセンブローデの町から海岸に沿って西南へ二〇キロ進むとオルデンブルクというやや大きい町がある。キール軍港への往還もここに集まっているし、湖もあるし、ちょっとした保養地を兼ねている。
三棟ばかりの細長い温室花壇で福光福太郎は山上を待っていた。
「山上先生!」
「福光君!」
しばらくは互いが見合った。西欧ふうだと抱き合って首すじに口づけするところだ。両人はかたい握手をした。
その温室花壇には事務所がついていた。マリーは車から降りると、ふくれた買物袋を提げて中に入った。
二つの袋は町の薬店の名がある。
「あれはみんな薬です。風邪薬ですよ」
福光は、山上の視線に答えた。
「全部が風邪薬?」
山上はおどろいた。
「ここは風が強いですからな。湾とはいっても北海につながっていますから、風が冷たいです。夏場は避暑地ですからね。これから冬に入るとますます寒くなります。風邪をひきやすいですよ」
「そうでしょうね」
「ぼくの温室栽培の花や植物をいろんな人が買いに来てくれます。リューベックからもキールからも。ハンブルクからは業者も買いに来ます」
「繁昌《はんじよう》しているんだね」
「お蔭《かげ》さまで。こういう暗い時代ですからね。みんな花をたのしむんです」
「それはよくわかるね」
「ただ買物が、ここでは不自由です。それで、リューベックに出たときは風邪薬を買ってくるんです。あちこちの薬店へ行ってね。錠剤も買うし、注射用のアンプルも求めます」
「そんなものまで用意してるのですか」
「この近くには、医院がありませんからね。ここには従業員が十人ほどいます。風邪は万病のモトですからね。薬をそんなに買いこむ必要はないと従業員は云うけど、ぼくはなんでも品物をたくさん買うのが好きです」
福光福太郎は、あたたかい温室の花壇に山上とならんでデッキ・チェアに腰をおろし、眼を細めてパイプをくわえていた。彼ほんらいの顔に戻っていた。
温室花壇には若い女たちがさまざまな花の列の間に動いていた。ドーム形の透明なトンネルは季節以外の花卉《かき》の色彩にあふれ、天井からもそれらが風船のように祭典のように吊《つ》り下げられ、ところどころに熱帯植物の幹が支柱のように立ち青い葉をひろげ、白や桃色がかった実をならせていた。ポトス、クロトン、ドラセナなど観葉植物も。
そこには青年たちが四人ほど作業服をきて働いていた。
そのほかに三十すぎの背の高い男が一人いて、植物の葉を一枚ずつ調べるようにして発育状況を見ていた。
「ぼくの退院をシュツットガルトに迎えにきたのは、さっきの娘と、あの青年たちの一人です。娘さんたちはパリの本社詰とロンドン支局と、それにデュッセルドルフ支局詰です」
このオルデンブルクに花壇を設けたのは定めし特別な理由があろうと山上が訊《き》くと、福光はつき出た顎《あご》を二、三度引込めた。
「まさに」
彼は云った。
「そのとおりです。このあたりは西独と東独のスパイ合戦のヒノキ舞台ですよ。すぐ近くにキール軍港がありますからね。東独の連中はあらゆる方法で領海をもぐって入ってこようとする。それを西独の水兵がワナを仕かけて待ちうけている。鼠取《ねずみと》りですな。それを向うは上手《うわて》に行って猫《ねこ》のようにその鼠をさっと咥《くわ》えて行く。ゲームですな。リューベックだって、郊外が国境だからスパイ合戦の火花が散る。中にはほんとうに東独から脱れてくる人々がいる。その偽装者がいる。ここオルデンブルクは、なかなかの観覧|桟敷《さじき》ですよ」
「スパイ合戦の見物桟敷もいいけれど、きみは、どうしてシュツットガルトの病院から予定より一日早く退院したのですか」
山上は詰問《きつもん》するようにきいた。
「フランクフルトの日本領事館から人が来そうだったからです。領事館に事情を聞かれると、面倒なことになりますからね。その前に病院を脱出したのです。先生がぼくの退院を予定日に迎えにきてくださるのは病院側から聞いていたんですが。どうもすみません」
福光は頭をさげた。
「病院へ行くと、昨日退院した、しかもIHCの山上に云いつかって迎えに来たと云って、主治医はぼくの顔を見て、きょとんとしていたからね」
「先生のお名前を使わせていただかないと病院を出られなかったんです」
「ぼくはぼくで、きみが何者かに誘拐《ゆうかい》されたかと思いましたよ」
エルンスト・ハンゲマンのしわざと疑ったことは、もちろん話せなかった。
「まったくもって、お詫《わ》びの言葉もありません」
福光はつづけて叩頭《こうとう》した。
「きみを病院へ見舞っての帰り、きみが落馬して負傷した現場を見に行きましたよ。ヴァルトボイレン村というのがどこだかわからないので、きみを救護車で運んだというヘッヒンゲンの消防署に行って案内してもらいましたよ」
「なに、ヘッヒンゲンの町に?」
福光の顔に驚きが出た。いかに初めて聞いたとはいえ、彼のびっくりした顔が山上には意外だった。
「おや、ヘッヒンゲンには何かあるのかね?」
山上は思わず問い返した。
「いやいや。ああいう山の中の田舎町です、何もありません。ただ、ぼくは山上先生があんなところまでおいでになったかと恐縮しているのです。申しわけありませんでした」
福光は、お詫びのしようもないといった様子で身体《からだ》を前に折った。
「で、ヘッヒンゲン消防署員に現場を案内されたとき、あそこの古城も古い修道院も立入り禁止で、署員はわたしを絶対に近づかせなかったよ」
「そうですか」
福光はさもありなんというふうにうなずいた。
「きみが古い城砦《じようさい》や修道院をまわったのは、ニセの譫語でぼくに聞かせたように、王室のエイズ患者の隔離場所、いわゆる離宮を探しに行ったのか」
「そうです。かならず離宮はそういう場所にあると推定したからです。王室の純血と権威を守るために」
「白孔雀《しろくじやく》はいたかね?」
「見つかりませんでした」
「色彩の淡いタペストリーは?」
「それも見つかりませんでした。しかし、どこかにあるはずです」
「そう考えて、きみはあの村の修道院を訪ねて行った。修道院の中では何を見たのかね?」
「恐ろしいことです。狂気の院長がたった一人で説教をしていました。エイズになって、ウイルスに脳を冒されたのです」
「ほかの修道士たちは?」
「六、七人の修道士がエイズで次々と死んだのです。その死体は、あの古い廃城の地下牢《ちかろう》や空井戸《からいど》の底に捨ててありました。まだ発病しない修道士が先に死んだ同僚を担《かつ》いで行って棄《す》てたのです。世間|体《てい》を恥じての秘密な処理です」
「それでヘッヒンゲンの消防署の部長が単車の署員に耳打ちして、修道院とお城は立ち入り禁止だといってわたしに見せなかったわけだ」
「そんな死体が古城の下にあるから、ハシブトガラスの群が離れないのです。ぼくは城の帰りに馬もろともその獰猛《どうもう》なカラスにやられました」
「それで事情がよくわかった。しかし恐ろしいことだ」
「ぼくも、いま思い出して、あの光景には身の毛がよだちます」
「それでも、きみは助かったからよかった」
山上は太い息を吐いた。
「タペストリーを扱っていた亮子《りようこ》さんの主人の骨董屋《こつとうや》のベンドル氏は十六世紀のタペストリーをオランダで買い集め、それをだれかに売った直後に何者かに殺されたよ」
「聞いています。離宮と色のないタペストリーの秘密が洩《も》れないように、王室の擁護者に殺されたのでしょう」
「古美術のマダム・クララ・ウォルフもチューリッヒから消えた。彼女は離宮に掲げる王室家族の肖像画を、ミニアチュール画家に描《か》かせていたと思う。彼女もまた口封じのために消されたのかね?」
「クララのことは知りません。行方不明になっていれば、あるいはそうかもしれません」
山上は暗い気持になった。
クララ・ウォルフといえば思い出すことがある。彼女の古美術店に行ったとき、クララは福光を別名の「タシロ」と呼んでいた。
ザンクト・ヤコブ教会前に自分を迎えに来たマリーという女の子も福光のことを「ヘル・タシロ」と呼んでいた。
「きみは、こっちではタシロの名で通しているのですか」
山上はきいた。
「そうです。こちらではそうしています。べつに理由はありませんが、フクミツという発音がドイツ人にはむずかしいらしく、|フキ《ヽヽ》ミツになるんです。フキミツと呼ばれるのはイヤなんです。それよりもドイツ人にはタシロが云いやすいのです。だから、こっちではタシロですよ」
――このとき山上には思い出すことがあった。ハンゲマン局長は「タシロ」というのは日本人の姓に多いか、そしてその名は貴族の姓かと山上に問うたことだ。「タシロ」はフクミツよりもドイツ人には発音しやすいらしいが、変った名にも聞えるようだった。
が、それをいま福光に話すと、こっちがハンゲマン局長に彼のことをべらべらしゃべったように福光にとられそうなので、口には出さなかった。
「外に出ましょうか、先生」
福光は誘った。
温室を出ると、急に寒かった。風は汐《しお》の香を豊かに含んでいた。
小道を五メートルほど歩いて登ると海に突き出た台地になっていて、自然の展望台になっていた。
正面斜め右がフェーマルン島、この先が海峡でデンマークの領土がはや夕靄《ゆうもや》にかすみかけていた。この島を分けて西がキール湾、東がメクレンブルク湾だと福光は指を上げて云った。
「おや、コペンハーゲンからの貨客船がリューベック港へ入ってくるところですよ」
福光はその手をメクレンブルク湾の沖合へ向けた。海上だけに日は明るかったが、海霧《ガス》が出かかっていた。その中を霧笛を鳴らして一|隻《せき》の黒い船が近づいていた。まだ形は小さかったが、見たところ五千トンはありそうに思えた。
「そうだ、今日は土曜日でしたね。定期便は月に三回、土曜日に往復するのです。あの船にも亡命者が乗っているかな」
「亡命者だって」
山上は、おどろいて問い返した。
「どこからの亡命者?」
「エギトニアです」
エギトニア共和国はソ連領で、バルト海に面した旧《ふる》い国の一つである。
「その亡命者はリューベックに上陸したら、どこへ行くんですか」
「わかりません。とにかく、ここではぐずぐずできません。東ドイツ国境がすぐそこですからね。|KGB《カーゲーベー》の出先機関員の眼《め》が光っています。どうせ西ドイツにも亡命者のアジトがあるでしょうから、そこへすぐに潜行するでしょうな」
「コペンハーゲンからくる貨客船に、どうしてソ連邦エギトニア共和国の亡命者が乗っているんですか」
海霧《ガス》のかかっているはるかな沖合から抜け出して、しだいに形を明瞭《めいりよう》にさせつつある黒い船を見つめながら山上は横に彳《たたず》む福光福太郎に訊《き》いた。
メクレンブルク湾を抜け、二つの半島の間に狭窄《きようさく》されたリューベック湾へと船は入って来つつあった。近づいてくると五千トンもあろうかと思われるその船体が知れた。船首からいって三分の二ほどが貨物用のスペースで、船尾の三分の一が煙突や操舵室《そうだしつ》やデッキであり、二層の白い客室《キヤビン》がそれに付属していた。船はおんぼろに近い老朽船であった。見ているうちにマストに灯が点《つ》いた。あたりが暗くなっていた。
「エギトニア共和国から西側に脱出するには、二つの道があります」
福光はパイプをふかしながらいっしょに船を眺《なが》めて云《い》った。
「仮に首都のウクカスを鉄路で西へ向えば、ポーランド、東ドイツを通って、西ドイツ領の入口のこのリューベックへ到着する。それまでに、ポーランドのバルト海側を横断し、東ドイツの北部を横切って九〇〇キロぐらいあります。車内の検査がたびたび厳重に行われるから、亡命者にとって列車は危険です。もう一つはフィンランドのヘルシンキへ船で密航し、ヘルシンキ空港から西側へ飛び立つ方法です。ヘルシンキ海峡は首都とは目と鼻の先ですからね。ところがこの密航は絶対に駄目《だめ》です」
「どうして?」
「ソ連のバルチック艦隊が絶えず警戒監視しているんです。巡洋艦や巡視艇が張り付いていて、海峡のソ連領海は封鎖同様です。漁船の操業すら自由になりません」
「すると、どこから脱出してくる?」
「バルト海に面した港は、リューベック港以東には二つしかありません。東ドイツのザスニッツとロストックです。どちらの港からもコペンハーゲンやストックホルムやオスロー行の貨物船が出ていますが、その船が貧弱なものだし、だいいちエギトニアからの亡命者がその船に潜《もぐ》れっこありません。東独の警戒が厳重なのです」
「ヘルシンキ海峡はバルチック艦隊で封鎖、東ドイツの二つの港は駄目。すると亡命者はどんな方法でコペンハーゲンへ辿《たど》りつけるのかね」
「ポーランドのグジニア港です」
「グジニア?」
「グジニアでも商業港のほうではありません。グダニスクのすぐ北の工業用の港のほうです」
あ、そうか。
グダニスクと聞いて山上は合点がいった。曾《かつ》てグダニスク造船所労働者「連帯」によるストライキがソ連への抵抗運動に発展し、たちまち東欧に嵐《あらし》を起したことがある。モスクワ政府は長いことかかってこれを鎮圧した。
ソ連の「改革政策」でポーランドは逸早くこれをとり入れ民主主義国となったが、「改革」撤回後は、ポーランドがどこよりもきびしくモスクワの締め付けを受けている。
「ポーランド人民はエギトニアの民族主義者とその運動家に声援を送っているんです。モスクワ政府の改革政策も、あちこちの自治国で民族運動が激しくなり、独立を要求しはじめてくると、本性をあらわしたというか、弾圧にまわってきたんです。ウクカスでは民衆と進入してきたソ連軍隊の衝突で、約二千人の男女が殺されたということです。地方の都市では千五百人が犠牲になったということです。未確認ですがね。スターリンのころの『冬』の再現ですよ。ソ連の本質はちっとも変ってないんですな」
「……」
「そうなると、エギトニアの運動家は一斉《いつせい》に地下にもぐってしまいました。あるグループは海外へ脱れて祖国の再建を試みています。エギトニア、ボルコニア、カルバニアのバルト三国は、新石器時代に北方から人類が移住してきて以来、印欧系に属する高い文化を持った民族です。それが中世に栄えたけれど、近世から現代になってロシアとドイツにはさまれ、両国の奪い合いや政治的取引の犠牲になって現在の逆境に至ったのです。しかし、誇り高き彼らは、決してソ連の云いなりにはなっていませんよ。みんな知識階級です。インテリゲンチャです。彼らはソ連人をバカにしています。そして虐《しいた》げられた民族として根性を持っています。かれらはソ連戦車のキャタピラの下に流された同胞の血をけっして無駄にはしませんよ。……おお、船がずいぶん近づいてきましたな。ごらんなさい、先生。あの前部の甲板には大きな梱包《こんぽう》の荷が積まれているでしょう。マストの前のクレーン、八つ手のように手をひろげたクレーンがあの大梱包を吊り上げてリューベックの埠頭《ふとう》に降ろすんです。船腹もあの機械の梱包でいっぱいでしょうな。自転車、酪農製品、肥料といったものも積んでいるには積んでいるけれど」
「なんの機械?」
「造船機械ですよ。デンマークの造船機械は世界一級品ですからね。その製造工場はコペンハーゲンに集中しているのです。こう云えば、エギトニアの亡命者がグダニスクに近い港からコペンに脱出できる理由がわかるでしょう?」
「造船機械を積んだ貨物船がコペンから造船所のあるグダニスクの港へ入港してくるんだね」
「そのとおり。そして、その帰りの船でコペンへ行く」
福光はパチンと指を鳴らした。
「これは堂々と船に乗り込めまさアね。ポーランド人のシンパが手伝ってくれるんですからね」
船の灯が輝き、暗くなった海上に光を浮べて湾内へ進入してきた。が、この見晴台の位置からすると突き出た半島に邪魔されて、もうすぐ視界から船の灯は消えるのだった。灯台からの掃射光線が点いて回転しはじめ、入港船を迎え入れていた。
「ごらんなさい。対《むか》い側の岬《みさき》が東ドイツです。貨客船は東ドイツの領海に抵触しないように要心しながら、そろりそろりと動いています。船長がすごく気を使うところです」
客室《キヤビン》の丸窓に眩《まぶ》しい灯がならんでいた。
「あれにエギトニアの亡命者が乗っていますかな。税関の前に行って降りた客の列を見たいものですな」
山上の頭を稲妻のようにかすめて過ぎるものがあった。正確には耳に遠雷といったほうがいいかもしれない。ハンゲマン局長の声であった。
局長は、背にしたスクリーンの大地図に机上のボタン操作による光のスポットを這《は》わせ、ソ連の領土のあちこちに移動させ、エイズ患者の隔離病院の所在を当てた。当人は、これは情報に基づいているので、正確ではないと断わっている。秘密のヴェールで閉ざされている共産国家のことだから精密なことはわかりようはないが、多少の誤りを承知の上で、だいたいこんなところだろうと云っていた。
その「情報」はどこからくるのか。
IHCの機構でないことはたしかだ。つまりはエルンスト・ハンゲマンの持っている情報源だ。
とくに、この前から彼はこう云い出した。
(バルト海に面した地域にエイズ患者がにわかにふえたという情報がジュネーヴに入って、それでわたしはWHOの事務局長に呼ばれたのさ。わたしの手もとにも同じ情報が入って両者の意見が一致した。)
――「わたしの手もとにも同じ情報が入って」とハンゲマン局長は明言したが、これも彼の個人的な情報源からである。
ハンゲマンはそのポストの上からも性格上からも反コンミュニストだ。彼が共産圏に情報ロビーを設置しているであろうことは想像できる。エギトニアからの亡命者も、もしかするとハンゲマンの情報源の一つではなかろうか。
コペンハーゲンから貨客船でやってきたエギトニアの亡命者が、リューベックに上陸するや否《いな》やたちまちにして姿を消す。行先はどこかのアジトだろうと福光は云ったが、想像を伸ばせば、そのエギトニア亡命者のアジトとはハンゲマンのコネクションがひそかについているのではないか。
貨客船の灯は完全に半島の黒い影に没した。汽笛が区切りをつけて何回も高く鳴る。灯台の強い光線が夜空に舞う。
「いまが四時前五分ですね」
福光はパイプを胸のポケットにしまって立ち上った。
「先生。チューリッヒには、いつお帰りですか」
「明日は日曜日。月曜日の朝十時までに出勤すればいいです」
「だったら、今夜はコペンハーゲンに泊りませんか」
「コペンハーゲンに?」
「ぼくもお供します。あの帰りの貨客船に乗るのも風情《ふぜい》がありますが、出航が二時間後です。それに船脚が遅いからコペンハーゲンに着くのに四時間以上かかります。ハンブルクから飛行機で行きましょう。乗っている時間は一時間くらいです。……さてと、SASのコペン行の最終便は七時発だったけど、うまく席が取れるといいですがね」
福光は台地を降りて、温室花壇の横にある小さな事務所をのぞき、若い男にハンブルクの空港へ電話するように命じた。SASのカウンターでは二つの席が予約できるということだった。
「よかった」
福光はもう一度腕時計を見た。
「ここからハンブルク空港まで車で四十分です。夕方で道路が混むとしても一時間もあれば大丈夫です。すぐ出発しましょう。きみ、運転を頼む」
若い男に云った。
コペンハーゲンに何を見に行こうというのか。福光は説明しない。山上も訊かない。福光が行こうというからには、そこに何か目的があるのだ。いまはその目的に黙って従って行く気持であった。こんどはこちらに好奇心があった。
福光がボストンバッグ一つ提げて事務所から現われると、若者の運転する小型のフォルクスワーゲンが前に横付けになった。
「貨客船から降りた客はそろそろ税関を通るころでしょうな。ちょっと行って見ますかな」
リューベックの港へと福光は運転者に云いつけた。フロントガラスが濡《ぬ》れてきた。小雨がまた降りはじめた。
半島から南へ道を下り、リューベックの北入口にかかった。街はトラヴェ川にはさまれた中洲《なかす》で、その北は、川の下流が注ぎこむ海であり、川が国境になっていた。港の税関建物は国境すれすれに建っていた。
雨が強くなった。街灯の列がかすむ。突然、笛が鋭く響いた。フォルクスワーゲンは急ブレーキをかけた。税関前の広場を警察のジープが走る。そこは積荷の山だった。ポールの高い外灯が青白く上から積荷の列を照らしている。その間の闇《やみ》を乱れた靴音《くつおと》が追う。ピストルが鳴った。ジープが走る。
「やっぱり今の船でコペンから亡命者が乗ってきていたんですな」
車が動き出してから福光は云った。
「西ドイツの警察は、東側のスパイが潜入したと思っているんです。税関の前で船から降りた乗客を観察しているんです」
「大丈夫だろうか。捕まらなかったろうか」
「大丈夫でしょう。奴《やつこ》さんたちはすばしこいですから」
福光は時計に眼を落した。
機内では席が別々だったので、山上は福光とは話ができなかった。
変なきっかけから妙な行きがかりとなった。
だいたい、福光福太郎という男、チューリッヒの市庁舎公園の前で忽然《こつぜん》と現われ、亮子《りようこ》の紹介で知り合ったのが縁につながるきっかけだった。それもハンス・オリヴァーの秘密番号口座の預金を個人銀行から全額引き出す芝居を知った(それが福光の脚本だとはあとで知ったのだが)ことからはじまった。
あとはその裏通りにつづく古美術商街をならんで歩いたのだが、彼の講釈がそもそも今回の事件の訝《いぶか》しげな導入部となった。
とにかく奇妙なことをいろいろと知っている男だ。名刺には、アイデアだのヒントだのわけのわからぬ営業種目をならべ、本社がパリ、支局がロンドン、ニューヨーク、デュッセルドルフと派手に刷りこんである。そうしてしばらく消息がないと思ったら、ニュルンベルクから亮子に電話をかけてきて、シュタルンベルク湖で首なし死体となったボッシュの勤める西ドイツ衛生薬業会社は、血友病患者用の血液製剤を製造していると山上へ伝えるようにことづけてきた。
シュツットガルトの中央病院へ自分を引き寄せたことといい、このリューベックへ呼びよせたことといい、福光は何かしら魔法使いのような不思議な超能力を持っているように思える。
考えているうちに睡《ねむ》りかけた。今朝は早起きだった。
隣席に、濃い顎鬚《あごひげ》の中年紳士が乗っていたが、腕時計をみると、やにわに足もとのバッグをとり上げて、口を開けて折りたたんだカーペットを取り出した。席をはなれて通路の床に緋《ひ》のカーペットをひろげると、紳士はその上に坐《すわ》ってメッカのほうへむいて跪《ひざまず》き、頭をカーペットに突き、コーランを唱えはじめた。
経文の句ぎりごとに礼拝するので、そのたびに尻《しり》が上る。まわりの乗客は声をひそめている。
コーランの祈りだけが、ジェットエンジンの音の中に呪文《じゆもん》のように高らかなのを聞いていると、山上はまたもや福光に夢幻の世界へ連れて行かれそうな気がした。
カストロップ空港には午後八時二十分に到着した。
長い構内をエスカレーターに乗って降り、通関を済ませて外に出たが急な冷えこみが山上の身体《からだ》にしみこんだ。あわてて構内の売店へ引返してセーターを買い、上着の下に着込んだ。
雨はやんでいたが、星は出ていなかった。福光は駅前のタクシーと交渉していた。
「コペンハーゲンの市内のホテルはありふれていて面白くないですから、すこし先の田舎町に泊りましょう。保養地です」
タクシーに乗ってから福光は山上に云《い》った。
「どこでもかまわないですよ」
ありふれたところは面白くないという福光の云い方も予期されたように思えた。
「運転手さんに聞いたら、この時間だと四十分くらいで行けるそうです。車が少なくなっていますからね。北へ向います。朝になるとわかりますが、景色のいいところですよ。コペンの市内よりはるかにいい」
賑《にぎ》やかな灯の集団があるコペンハーゲンを右手に見て高速道路を走った。
「クベンハウンの景気はどうだね、運転手さん?」
福光は背を前にかがめてきいた。コペンハーゲンのことを現地ではそう発音する。
「ぜんぜんダメでさ。エイズにやられてまさあね」
四十を越した運転手は瞬間ハンドルから両手を離して万歳のかっこうをした。
「以前はフリーセックスの国として世界からスキ者の観光客が殺到してきたんだろうがね?」
「みんなカメラを首にかけてね。連中、どこでやってる、そこへ案内してくれ、チップはいくらでも出す、なんて客ばかりでしたな。そういう裸の連中が居る場所はクベンハウンの近くにはねえ。ずっと西のストア海峡のほうでね。あそこの砂地や岩場でアダムとイヴの群が盛大にやっとるでね。そこへお客を連れて行くと、物陰から双眼鏡でのぞいたり、望遠レンズのカメラでぬすみ撮りしたりする。待ち時間の料金はハネ上る。往復で料金はハカがゆくし、チップは多い。一日に何回も往復するからあのころは収入《みいり》があったね」
運転手は、ハンドルを動かしながら往年をなつかしんだ。
「いまはそういう客が半減かね?」
「半減どころか、がらがらでさ。だいいち、フリーセックスをしようなどという若い者がデンマークにはいなくなったよ。朝の七時から八時ごろといったら、クベンハウンの道路は工場へ通う若者の自転車でごったがえしでしたが、いまはそのうちの四分の一ほどが減ってる」
「エイズ?」
「あの糞忌々《くそいまいま》しい疫病《えきびよう》のせいでさ。若者がばたばたと倒れるんでね。従業員が不足して、工場は動きませんよ。操短してやりくりをつけるのはまだいいほうで、工場閉鎖が続出してますよ。造船会社でも、その機械を作る会社でも、自転車製造会社でも、ビール工場でも、酪農工場でも、肥料工場でも」
「そりゃ大変だ。女子従業員もかね?」
「そうです。けど、女の子はいいです。北のほうの人口の少ない田舎に帰ったり、スウェーデンやフィンランドの北国へ戻ったりするからね。あっちから働きに来てるのが多いのです」
「それじゃクベンハウンはあがったりだね」
「まだまだ不景気になるね、お客さん。一流ホテルは泣いとります。観光客がまったく来なくなったからね。商売取引でくる連中は、エイズでも仕事でだから仕方なしにやってくるけど、そういうのはビジネスホテルに泊って、用事がすめばすぐに退散です。小さいホテルのほうが、かえって繁昌しとります。モーテルはぜんぜんダメ」
「ヘルシンオアのホテルは大丈夫だろうね?」
「あそこも四ツ星のホテルは閉鎖でさ。殊《こと》にこんな冬場にかかろうという季節だからね。だいたいが避暑客むきの保養地ですからね。でも、ご指定のホテル・ホルゲルは大丈夫ですよ。やってます。お客さんはホルゲルに泊られたことがあるんですか」
「いいや、はじめてだ。ホテルの名は人から聞いた」
「あそこはいいホテルでさ。こぢんまりとしててね。ファンが付いてますよ。マダムが親切だ」
村の灯がとぎれとぎれにつづいている。ハイウェイの両側に暗い森がつづいていた。車のライトが少ない。
「ヘルシンオアというのは?」
山上は福光にきいた。
「クロンボルク城の手前です」
「ハムレット劇の舞台?」
「人はクロンボルク城へ急ぐために途中のヘルシンオアの町を見むきもせんが、風情のあるいい町ですよ。ぼくはそこに泊ったことはありませんが、通過したことはあります。通ったとき、一度宿泊してみたいと思っていたが、こんどがいい機会です」
「いい機会とは?」
「明日になったらわかると思います。たぶんね」
福光はタクシーに乗ってから初めてパイプをくわえた。
「あと十分です」
運転手が云った。
森がつづく中に町の灯がかたまって見えてきた。HELSINGッRと標示の出ているアウトバーンをタクシーはおりて旧街道らしい道に出た。町はその往還に沿ってならんでいた。前にも背後にも林があった。
タクシーは町の辻《つじ》を右に入った。裏通りが切れると、低い焦茶色《こげちやいろ》の煉瓦塀《れんがべい》がつづいた。その門の中がホテル・ホルゲルの正面であった。ホテルの庭も松林の中である。
ドアを開けたとき、汐《しお》の香が匂《にお》ってきた。
「海が、すぐそこのようです」
福光が云った。
眼《め》がさめたのが八時だった。
昨夜はぐっすりと睡った。リューベックの福光の温室花壇にいるときから睡気がさしていたのだが、よくここまで保《も》てたものだと思う。泥《どろ》のように眠りこんで、夢もみなかった。
電灯を点《つ》け、窓のカーテンをすこしめくると、正面に乳色の中に朱をにじませた光があった。夜が明けたばかりなのだ。
部屋はバンガロウふうに独立家屋になっている。家族むきにスイートルームになり、カップルでも広すぎる。こういうのがいくつもならんで、五階建の本館に接続している。まったくの避暑むきである。福光はどこかの家屋で眠っているはずである。
このぶんだと彼と本館食堂で朝食をとるのは十時くらいになるだろう。べつに腹も減ってないから、コーヒーだけを運ばせることにし、室内電話をかけた。
十五分してドアがノックされ、ボーイが銀盆にコーヒーポットとカップ、ミルク、砂糖一式を乗せ、それにビスケットを添えて持ってきた。
「泊りのお客さんは多いかね?」
「昨夜は少ないです。十八人でした」
もみあげを長く伸ばしたボーイは前額《まえひたい》がすこし禿《は》げ上っている。
十八人のうち、二人は福光と自分だ。残り十六人の中に福光が会おうとする人物がいるのだろうか。山上は考える。
「この先は海だそうだね」
「そうです。オアスン海峡です。すぐ対岸がスウェーデンです」
「そうか。友人と朝食をとるにはまだ時間があるから、海岸を散歩してくる。友人が起きたら、そう伝えてもらいたい」
「かしこまりました」
コーヒーを時間をかけて飲んだ。香りのあるのがうれしかった。運転手は、マダムが親切だといっていたが、コーヒーに気をくばっているところにもそれがうかがえる。およそ一流ホテルで出すコーヒーはまずいものと相場がきまっている。このホテルにファンがついているというのもそういうところからだろう。髭《ひげ》を剃《そ》るにも、手がつけられぬくらいの熱湯が蛇口《じやぐち》から出たのはありがたかった。
そんなことで、一時間近く経《た》った。窓のカーテンを開けると、正面のブナと松の梢《こずえ》の上に陽《ひ》がかなり高く上っていた。雲は多い。その中にぼんやりとかすんだ太陽があった。
山上はバンガロウの玄関に出た。雨の中を歩いてリューベックから運びこんだ泥だらけの靴が、きれいに掃除されて、光沢を放っている。昨夜のうちに磨《みが》いてくれたのだ。だれも居ないのに、思わず、ありがとう、と口から出た。ここにもマダムの人がらがしのばれる。
松の多い林の中を歩いた。松だけではない。黄色い葉の繁《しげ》った栗《くり》の樹《き》の森林もあった。その下をリスが走っている。
海峡に出た。対《むか》いのスウェーデンの山なみの上半分は黒みがかった灰色の雲にかくされていた。海の色は冷たくて青い。漁船が川をのぼるように発動機の音を響かせて航行していた。
山上はコートの衿《えり》を立て、砂浜に坐ってこの風景を眺《なが》めていた。すると、こういう光景の場所には、いつだったか、ずっと前に来たことがあるような気がした。
そういう想《おも》いはだれにでもある。「徒然草《つれづれぐさ》」のどこかにもそんな感想が載っていたように思う。昔の人も今の人間も気持は変らない。心理学者はそれを錯覚だと説明する。
海の風景を前にして、だんだん気がついた。以前に一度来たことがあるというのはやはり錯覚であった。本で読んだ景色ととり違えていたのだ。
混乱のはじまりは、今朝、靴が磨かれていたことにあった。昨夜のうちに従業員のだれかが汚れた靴を持って行って、磨いてから黙って玄関へ置いて行ったことである。
――おれは静かな所で仕事をしようと思って、デンマルク海岸の或《あ》る村の小さな宿に逗留《とうりゆう》した、とその小説の話ははじまっている。
その宿に着いてからまもなくであった。扉《とびら》を叩《たた》いて背の高い、体格のいい五十歳くらいの男が入ってきた。この土地で奴僕の締める浅葱《あさぎ》の前掛をしている。
男は響のいい、節奏のはっきりしたデンマルク語で、もし靴が一足間違っていないかときいた。果して、おれは間違った靴を一足受け取っていた。男は自分の過ちを詫《わ》びた。
そのとき、おれはこの男の名をきいた。
(エルリングです)
答えて、軽く会釈して、男は出て行った。
――エルリングという名は北国の王の名である。それを靴を磨く男が名乗っている。ドイツにもフリードリヒという奴僕の名はある。この土地にはお手伝いにインゲボルクがいたり、小間使いにエッダがいたりする。それがそういう立派な名を汚すわけでもない。おれはエルリングのことが印象に残った。
エルリングは靴磨きだが、宿の者からは好意以上に尊敬を受けている。彼は真面目《まじめ》で、静かで、ふしぎに寂しげな眼をしていた。
エルリングはこの宿に住込んでいない。といってよそからの通いでもない。
彼の住いは宿に近い海岸の一軒の小さな木造小屋であった。それをおれが見かけたのは砂浜を散歩しているときだった。小屋の戸は閉まっていた。
(エルリングさんの家です)
女中は教えた。さも尊敬しているらしい調子であった。
ある晩、波の荒れている海の上に、ちぎれちぎれの雲が横たわっていて、その背後に日が沈みかかっていた。いかにも壮大な、ベートーヴェンの音楽のような景色である。ふと槌《つち》の音が聞えた。エルリングは浴客が海へ下りてゆく階段を修理していた。
おれは彼と短い話をした。冬になるとおまえさんどこかへ行くのかね、ときくと、いいえ、ここにいます、と彼は答えた。ここにいるのだって? この別荘造りの宿にかね。ええ。おまえさんのほかにも、冬になってもあの家にいる人があるかね。わたくしのほかにだれもいません。冬はなかなかよござんす、とエルリングはうつむいて云った。
その晩、十時すぎ、もう家の者が寝静まってからおれは庭に出て、凪《な》いだ海の鈍い音をぼんやりと聞いていた。そのとき明りが見えてきた。エルリングの家から射《さ》していた。
おれは思い切って小屋の戸を叩いた。どうぞ、と落ちついた声が内から答えた。
ランプを点けた古机に、エルリングはいつもの仕事着でよりかかっていた。彼は何か書きものをしていたが、傍には猫《ねこ》が眠っていた。背後の書棚《しよだな》には宗教哲学の本がならんでいた。高い台には大きな望遠鏡が据《す》えてあって、海のほうへ向けてあった。地球儀もあった。
彼は煮炊《にた》きは自分でしていると云った。隣村の牧師が冬の晩にときどきくるだけで、ほかに交際する人間はいないと云った。
おれはこの部屋を出るとき、壁の額ぶちに気がついた。肖像や画ではなく手紙か何かのような書いた物であった。
(あれは何かね)
(判決文です)
(誰の)
(わたくしのです)
(どういう文句かね)
(殺人犯で、懲役五箇年です)
ゆるやかな、力の入った言葉であった。憂鬱《ゆううつ》を帯びた目を怯《おそ》れ気もなく大きくみはって、おれを見ながら云った。
(その刑期を済ませたのかね)
(ええ。わたしの約束した女房を付けまわしていた船乗りでした)
(その、おかみさんになるはずの女はどうなったかね)
エルリングは異様な手つきで窓をさした。海の彼方《かなた》である。
(行ってしまったのです。移り住んだのです。行方不明です)
(よほど前のことかね)
(もう、三十年ほど前になります)
暴風が起って、海が荒れて、波濤《はとう》があの小屋を撃ち、庭の木々が軋《きし》めく時、沖を過ぎる舟の中の、心細い舟人は、エルリングの家の窓から洩《も》れる、小さな燈《ともしび》の光を慕わしく思って見て通ることであろう。……
――山上はこの小説「冬の王」をずっと以前に読んだ。名訳(鴎外《おうがい》)なので、それが脳裡《のうり》にこびりついていた。
国もデンマーク。ところも海岸の避暑地。松林のあるホテルといい、「冬の王」を読んだ記憶が、いつか以前に来た場所のような気持にさせたのである。
原作者は無名に近い人で、ナチス時代に消息を絶ったという。あるいはユダヤ系の作家で、ナチスに殺害されたかもしれない。
ナチス。――
またしてもネオ・ナチ運動のことが頭の中に起ってくる。北ドイツの王党派の右翼は、ネオ・ナチ運動と連絡しているのだろうか。
山上は自分のバンガロウに戻った。十時をまわっていた。福光は起きただろうか。
留守のあいだにメイドが厚いカーテンを開けていた。うすら陽《び》がレースのカーテンごしにさしこんでいる。昨夜は気がつかなかった壁の油絵を見た。クロンボルク城が描かれている。
このホテルの名はホルゲルである。ホルゲル・ダンスクはクロンボルク城の英雄である。この地方にはルードリヒ(王)の名の農夫やインゲボルクだのエッダだの宮廷の貴婦人の名のついたおかみさんや女中がふんだんにいるし、エルリングにしても国王の名だ。
クロンボルク城の地下室に何百年と眠るホルゲルの長く伸びた髪は石の卓をつらぬいて床までたれている。祖国がいったん危急に陥れば、彼はすっくと立ち上って敵を駆逐するとの云《い》い伝えがある。
エイズの疫病《えきびよう》で祖国が危機に見舞われているいま、ホルゲル・ダンスクは、起《た》ち上らないのか。――
食堂で、山上は福光と朝食をとった。十時半近くだった。
「先生は朝が早かったようですね」
福光はパンにバターを厚手に塗りながら云った。この国のパンはおいしい。バターはご自慢だ。
「昨夜ここに着いたとき汐の香がしたものだからね。オアスン海峡が目の前だと思うと、スウェーデンを見に海岸へ行きましたよ」
山上はハムを切る。パンをちぎる。
「そうですか。ぼくは寝すごしたようです。睡眠薬の量を間違えていつもよりは多く飲んだようです。済みませんでした、待っていただいて」
寝すごしたなどと本当かな、と山上は思った。福光のような活動的な男が睡眠薬を飲んで悠々《ゆうゆう》と朝寝しているはずはない。朝めしまでにひと仕事してきているのではないかと思った。
食堂のテーブルには客が二組しか残っていなかった。
「今日はこれからどういう予定かね?」
「そうですな」
コーヒーを口に運んで福光は眼を壁の時計に走らせた。
「もうそろそろ連絡があるはずですがね」
だれからとは聞き返さなかった。海霧《ガス》をついてリューベック港へ入ってくるコペンハーゲンからの貨客船が見える。昏《く》れた埠頭《ふとう》でのピストルの音が聞える。
福光の朝寝は、その「連絡」の段どりをつける時間だったのではないだろうか。
ボーイが早々と勘定書を銀盆に乗せて持ってきた。
福光はまだコーヒーを飲み終っていなかった。山上も紅茶を飲み残している。が、あたりには客は一人も居なくなっていた。ボーイの催促はもっともだった。
福光が銀盆ごと受けとり、勘定書にボーイがさし出したボールペンでサインをしたとき、ボーイはその勘定書をくるりと裏返した。
そこに走り書きの英文があった。
≪Wait in the park over there.≫(その先の公園で待て)
福光がボーイを見上げると、ボーイは無表情にその半分をちぎり取ってこまかく破り、ポケットに入れて向うへ行った。
出発には、マダムが玄関の外まで見送った。北欧の女性特有で、色白で背が高い。金髪には銀が混っている。微笑が可愛《かわい》らしい。お車を呼ばないのですか、とは訊《き》かない。歩いて近くの公園に行くことを知っているのだ。
「マダム。このホテルをホルゲルと名付けたのは誰ですか」
福光がきいた。
「主人です。十年前に亡《な》くなった主人です」
マダムは誇らしげに答えた。
「立派な名前です。ホルゲル・ダンスク。クロンボルク城の地下に何百年と眠る英雄ですね。救国の」
「そうなんです。日本の方にわたしのホテルの名の由来を知っていただいて、うれしいですわ」
赤煉瓦の塀に沿った小道に出た。
「いまのはいい質問でしたよ、福光君」
山上は賞《ほ》めた。
どうも、と福光は、てれた顔をした。
汐《しお》の香が強い。風むきがこっちに流れている。ふり返ると松林が見えた。山上は今朝の浜辺を思い出した。
「真向いの岸がスウェーデンのヘルシンボリの町です」
「こっちがヘルシンオア、向うがヘルシンボリ」
「ヘルシンボリとヘルシンオアとの間にはフェリー・ボートの連絡船が出ています」
「なに、連絡船が?」
「貨車くらいの大型バスでも運びます。海峡の幅がデンマークとスウェーデンの国土がいちばん近いところです。渡航時間が十五分か二十分」
「連絡船に乗るのは規制がうるさいのか」
「とんでもない。フェリーは両国民の足です。パスポートの提示も要らないくらい簡単です。両国のおかみさん連中は下駄《げた》ばきで買物袋をさげて乗っていますよ。クロンボルクの近くには鹿《しか》公園やバッケン遊園地や野外博物館などがあるから、土、日曜日にはスウェーデンから子供づれがやってきます」
「そうすると、君……」
「あ、公園にきました」
昨日通ってきたコペンハーゲンから北へ向う広い道路を横断した。
海側にはレストランや土産物屋が建ちならび、住宅がひろがっているが、反対側は小公園になっていた。とくに施設はなく、クヌギ、クリ、ブナ、カシ、シイなどの雑木林の下にベンチが置いてあるだけだった。ベンチには年寄りが日なたぼっこをしていた。今日は天気がよかった。
山上たちもそのベンチの一つにならんで腰を下ろした。
林はほとんど裸の梢になっていた。下の落葉は高く積まれたままになり、その上を幹の間から出たリスたちが実を拾って走っていた。
前の道路を車が北へ向って間断なく走る。子供づれの家族ばかりだ。今日は日曜日。赤信号のとき、割りこんだように車の群がどっとふえる。これも子供づれだった。
「あれはみんなスウェーデンの車です。ヘルシンボリからのフェリーがいま着いたらしいですな。ヘルシンオアの船着場は右へ二〇〇メートル行って海峡側へ曲ったところです」
福光はパイプをくわえる。中にはスウェーデンの小旗をボンネットの先に立てた車もあった。
「そうすると、君……」
山上は、さっき云いかけた言葉を、ここで継いだ。
「エギトニアからの亡命者はスウェーデンを通ってデンマークに入ったほうが楽じゃないのかな。そうすればポーランドのグダニスクの港湾労働者の厄介《やつかい》にならなくて済むと思うがね。グダニスクとコペンハーゲンの貿易貨物船にエギトニアの亡命者が潜りこむのは相当な冒険じゃないかな。もしソ連の秘密警察《カー・ゲー・ベー》の諜報員《ちようほういん》に探知されたら、どうするかね」
「その危険はじゅうぶんにありますね。しかし、スウェーデンは国が広うござんすよ。エギトニアに近いのは対岸のエーランド島をはさんだ本土のカルマルの町でしょう。そこからヘルシンボリまでは鉄道が支線を迂回《うかい》していて二百二、三十キロあります。鉄路はいくらあってもいいとしても、しかし、どうしてエギトニアからバルト海を横断してスウェーデンに渡るのですか。バルト海のソ連領海にはソ連のバルチック艦隊の監視艦艇が絶え間なくパトロールしているんですよ」
「あ、そうか。……」
「フィンランドに渡れないのと同様です」
「……」
やっぱりポーランドの「連帯」の同志の援助によるしかないのか。――
落葉を踏む音がした。リスが逃げた。小さな、黄色い咳《せき》払いが後ろでした。ふり返ると、赤いネッカチーフで頬を包んだ娘が立っていた。革ジャンパーにブーツをはいている。包んだ布からはみ出た髪が額をそよいでいた。
「ホテル・ホルゲルのお客さんですか」
「そう」
福光がベンチから立った。
「手紙を」
福光は内ポケットから二つに折った封筒をとり出した。
娘は黙って受取り、上書《うわが》きと裏を見た。封筒だけで中身はない。
「間違いなくフレデリックの手蹟《て》だわ」
娘はそれをジャンパーの内ポケットに入れ、
「わたしたちの牧場へご招待します。車を持って来ました。どうぞお乗りください」
にこにこして云った。
直立した福光は半身をかがめ前に当てた片手を横一文字に払い、宮廷ふうな敬意を表した。彼女は笑った。
笑ったのも道理、小道に待たせてあるのは宮廷用馬車でなく、配達用の牛乳|缶《かん》を十個ぐらい荷台に入れた中型トラックで、それも古びた代物《しろもの》であった。
「狭くて申しわけありませんが、お二人はここへお詰めください」
運転台の横には長身で痩《や》せた福光が脚を高く折って坐り、ドア側には山上が小さな椅子《いす》に腰をおろした。
方角はどこか、遠いか、近いか、とも訊けない。運転する彼女任せである。コペンハーゲンを含むシェラン島は小さな範囲だ。どこへ連れて行かれようと知れたものである。
中型トラックはクロンボルク方面へ向うのではない。コペンハーゲンへ戻るでもない。その中間の西南へ向う。どこまで行っても平坦《へいたん》な土地、小山ひとつなく、板のように高低がない。小麦畑はひろがっているが、野菜の栽培が少ない。ホテルの食卓にも野菜の皿がなかった。デンマーク人は野菜を食べないと見える。娘にたずねようとしたが彼女は口を真一文字に閉じて前方を見つめていた。福光が珍しく黙っていた。
牧場と牧草地が多い。小川が流れていて、土堤《どて》には灌木《かんぼく》のほかに日本と同じ柳がならんでいた。細い枝だけを川面《かわも》に垂れている姿はいかにも冬入り前を思わせる。
「水洟《みずばな》や裸柳《はだかやなぎ》に北の寒《かん》」
突然、福光が長い顎《あご》を突き上げて、声を出した。彼がいままで沈黙していたのは、これを苦吟していたのだった。
「来ました」
娘が云った。
「ここはスラエルセというところです、わたしたちの牧場です」
広い牛の牧場であった。牛舎がならんでいる。二人が入ったのは牧場主の煉瓦《れんが》造りの家だった。このへんでは中小経営主といったところだろう。町は観光施設は何もないから、観光客はよりつかない。
経営者の家のロビーで福光と山上のために歓迎パーティが開かれた。客はただ「西側の人」というだけである。集まってくるのは、白い上張りの乳牛世話係り。その五人の顔を見て、山上はすぐに合点した。これはデンマーク人ではない。スウェーデン人でもない。フィンランド人とも違うようだ。あきらかにスラヴ系だ。
福光の持参した手紙の手蹟《しゆせき》を見た迎えの娘は、「間違いなくフレデリックの手蹟《て》だ」と云った。フレデリックはデンマーク人の名前である。偽名にちがいない。ほんとうは、ここに乳牛の世話をしている連中と同じエギトニア人にちがいない。ただし、ほかの従業員はここに入れなかった。
ここは彼らのデンマークのアジトなのだ。だが、アジトにしてはオープンなものだ。むしろ「支部」と呼んだほうがいいかもしれない。東側のカー・ゲー・ベーの眼《め》がないからだろう。
早速、地下室から手づくりのビールが運ばれてきた。瓶詰《びんづめ》になっている。アルコール度は弱い。デンマーク人はこのビールは女子供でもお茶代りに飲む。
主人夫婦は揃《そろ》って樽《たる》のように肥《ふと》っている。迎えにきた娘はその長女だという。母娘《おやこ》して世話する。
そのうち、若い衆が手伝って、スモーブロー(オープンサンドウィッチ)が山盛りに大皿にいくつも出た。薄切りのパンの上にバターを塗り、その上に酢漬《すづ》けのニシン、トマト、スモークド・サーモン、コールドビーフ、タマゴ、小エビ、ハムなどをそれぞれ乗せている。その色がじつに美しい。サンドウィッチの最高級品だ。寒い国でないとこの醍醐味《だいごみ》の材料は整わない。朝食をすませてからそう時間が経《た》たないが、スモーブローをつまむといくらでも腹に入る。
お互いに名前は名乗り合わなかった。だが、だんだん様子がわかってきた。
彼らはエギトニアのソ連邦からの分離独立を図っている。エギトニアの民族運動は前々から伝えられていたが、なんといってもソ連の厳重な管制の下で西側には断片的にしか洩れていない。
これまで西側に伝えられた情報では、エギトニア人の民族独立運動はおだやかなもので、無抵抗主義、非暴力主義を標榜《ひようぼう》していた。デモ行進にしても集会にしても参加人員は非常に多いが、まるでピクニックか運動会のようである。打ち振る旗はソ連政府も認めたエギトニア共和国の国旗だから官憲も文句のつけようがない。これとてもエギトニア人の先祖を象徴した三色の合成で、モスクワにかけ合った末、モスクワでも彼らを宥《なだ》めるためにやっと容認した。
その民族運動が、ソ連の「改革」政策撤回以来急激に険悪になった。
なぜ、エギトニアの民族運動が険悪になって、亡命者が出るほどまでになったのか。
「ソ連は、われわれエギトニアの分離独立要求運動が激しくなり、年々燃え上ってきたので、もう抑えようがなくなってきたのです。われわれはガンジーと同じく無抵抗主義ですから、武装警官隊を出すわけにもゆかず、軍隊を出動させるわけにもゆきません。そんなことをしたら、ボルコニア、カルバニアのいわゆるバルト三国の隣接二国の民族運動にすぐ火がつきます。ポーランドだって黙っていません。東のほうからはアゼルバイジャンなどが睨《にら》んでいます」
年嵩《としかさ》な乳搾《ちちしぼ》りが云った。
彼はバルト語を交えて話した。バルト語は彼らの誇りである。
「そこで、モスクワが考えたのは以前からすすめていたエギトニア人のスラヴ混血化政策の積極推進ですね。これをいっそうに強行しようというわけです。しかし、エギトニアのみならず、ボルコニア、カルバニアのバルト三国の国民はロシア人よりも知性があります。知能的にすぐれています。あらゆる点でロシア人に優越しています。誇り高き民族です。だが、悲しいかなロシア人とドイツ人の野蛮な暴力によって小国にさせられ、属国に併合させられただけです。混血は昔からです。しかし、われわれが要求しているのはソ連からの政治的独立です。民族の独立です。混血と民族の独立とは別です。ましてやモスクワの政治目的による混血政策は絶対反対です。優性な血液に劣性な血液が政治目的で混入されたとき、バルト民族は滅びてしまいます」
「いや」
小肥りの餌《えさ》係りが膝《ひざ》をすすめて激しい声で云った。
「滅亡はもうすぐです。エギトニア共和国には、いま、エイズが猖獗《しようけつ》しているんです。それも急にです」
山上は俄《にわ》かに聞き耳を立てた。ハンゲマン局長の言葉が蘇《よみがえ》ってきた。バルト海沿岸のソ連領にはエイズ患者が急増した。WHOでもその情報を入手していて、わたしはジュネーヴに呼ばれた。いまのところ、まだ伝染経路がわからない。――
「ぼくらは思っています」
餌係りは云った。
「モスクワはエギトニアを標的にしてエイズ・ウイルスを持ちこんだにちがいありません」
「その感染経路はどういうことですか」
福光が彼にきいた。
「その点がまだはっきりしないのです。目下、エギトニアのわれわれの同志の手で調査中ですが」
彼は渋い顔で云った。
「現在のところ、エイズ患者はどのくらい居るのですか」
「二千人くらいです。わが国は人口が少ないですから、それでも比率は大きいです。隣国のボルコニア、カルバニアにもひろがっていますから、合わせて約四千人にはなっているでしょうな」
「はじめはエギトニアからですか」
「そうです」
「エイズの感染は第一に性交によりますね。とくに売春婦などとの」
「エギトニアの首府ウクカスには売春婦はおりません」
「ソ連の発表では、エイズ患者や感染者は外国人となっていますね」
「エギトニアには外国人留学生のいる大学はありません。またウクカスには外国人旅行者の宿泊するホテルは二軒しかありませんが、モスクワやレニングラードのホテルと違っていかがわしい女が出没することはもちろんありません」
「職業的なホモは?」
「おりません」
「おかしいですな。モスクワがエギトニアのスラヴ混血政策をいくら推進してきたといっても、スラヴ人の血にエイズ・ウイルスが含まれているわけではないでしょう」
「理屈はそのとおりです。しかし、エギトニアの民族運動が激しくなってきて、モスクワがそれを抑えるべく以前からとっていたスラヴの混血政策をいちだんと強めてきた。そこへ急にエイズがエギトニアに流行したんですからね。これは偶然ではないと思うのです。かならず因果関係がある」
「モスクワの謀略でエイズ・ウイルスをエギトニアにバラ撒《ま》いたということですか」
「われわれはその疑いを強く持っています。というのはエイズの感染経路がまったくわからないからです。これだけの多数発生ですから、必ず感染経路がつきとめられなければならない。それができないというのは、人為的な感染、つまり何らかの謀略としか考えられないんです」
「デンマーク支部長」格のその男は眼を瞋《いか》らせて云《い》った。
「エギトニアのエイズ患者は、いつごろ発生しはじめたのですか」
「ほぼ一年前からです」
「なに一年? すると感染は三年前か四年前ですね。発病までの期間には個人差があるにしても」
「われわれは、感染期はもうすこし近かったと思っています。二年前じゃないかと」
「そんなに早く発病するものかなア」
「即効性ですよ。そういうエイズ・ウイルスが開発されたんじゃないかと思う」
「ウイルス兵器?」
福光は山上の顔にちらりと視線を走らせた。
「さあ」
エギトニア人は答えた。
「そこまで云えるかどうかわかりませんが、エイズ・ウイルスには、アフリカのミドリ猿《ざる》説のほかにアメリカの細菌兵器研究所での偶然の産物説があるくらいですからね」
「しかし、エイズ・ウイルスをウイルス兵器に応用開発したとはまだ聞いてないね。仮にソ連でそれが出来たとしてもその第一号をエギトニアには使用しないだろうね」
「われわれもそう思います。だから、これは、ウイルス兵器ではなく、新種のエイズ・ウイルスじゃないかと。そういうのが撒かれたんじゃないかと思うんです」
昂奮《こうふん》してバルト語で叫んだ。
「感染したのはエギトニア人だけですか。エギトニアにいるロシア人や国境に近いロシア人はどうですか」
「もちろんロシア人も同じように感染し、発病します。ソ連本国の場合は、エイズ患者や感染者の特別保護病院、つまり隔離病院網が発達しているから、感染した者はどんどんそこへ入れます。ウラル山脈の東でもどこでもその隔離病院はありますから」
山上はハンゲマンが局長室のソ連の大地図の上にランプを点滅して見せたエイズ隔離病院の所在を眼に泛《うか》べた。
「モスクワの対策は万全です。なにしろ絶対主義国だし、官僚万能だから法規に忠実で情容赦はない。隔離場所という廃棄所へどんどん入れてしまう。十四世紀にペストが流行したとき、山なす屍《しかばね》をスコップで荷馬車へ投げ入れる銅版画がありますが、あれを連想しますよ。ところが、西側ではそういうエイズ患者の隔離施設はないと同じです。エギトニアでもボルコニアでもカルバニアでも、またポーランドでもね。もっとも、それには人権問題とか差別問題とかのこちら側の事情が絡《から》んでいることも事実です。そのためにモスクワも本国のようには強行できない。しかも、それを逆手にとって何もしないのです。故意に無為無策です。だから、われわれの国は混血政策の前に、エイズのために民族絶滅を待つばかりです。それがモスクワの性急な狙《ねら》いなんです」
叫ぶように「支部長」は云った。
エイズ・ウイルスを何らかの方法でエギトニアの土地にバラ撒いて、そこから人民に感染がひろがったというエギトニア民族独立運動家の推測である。
だが、エイズ・ウイルスは人間の血液とか体液とか分泌物《ぶんぴつぶつ》の中に生きているのであって、それから離れると、たちまち死滅してしまう。エイズ・ウイルスそのものを単独で空気中にバラ撒いても役に立たないのである。かならず人間の血液や分泌物というカプセル(それが微小な粒にしても)の中に入っていなければならない。しかし、それは不可能なことである。エイズ・ウイルスが空気伝染でないといわれる理由がここにある。
エイズ・ウイルスそのものは、各大学医科研究室や病院の病理室に研究のために保存されている。これらのエイズ・ウイルスは厳重に保管されているが、「厳重な」はずなのに、それがルーズになりがちなのは係りの狎《な》れからくる不注意である。
意識的にウイルス兵器として、あるいはそれに近い目的で製造する場合は別だが、もし大学や病院の保管係の不注意とか怠慢とかの偶然の機会で外部に流出したエイズ・ウイルスを悪用した場合、どういう「感染の方法」が考えられるだろうか。――
山上はエギトニア人の「支部長」と福光福太郎の問答を横で聞いているうちに、過去の事例が胸に浮んできた。それは「バーミンガム事件」といわれる有名なものだ。
一九七八年八月、英国のバーミンガムで天然痘《てんねんとう》ウイルスの研究を行っていたベドソン教授は、実験に研究所で保存する天然痘ウイルスを使っていた。
子供のとき一度種痘を受ければ天然痘にはかからない。この予防法ができてから二百年以上経った現在、地球上から天然痘は根絶された。WHOは天然痘の撲滅宣言を出し、全世界の各研究所にたいして研究用の天然痘ウイルスの廃棄を呼びかけていた。というのは、種痘を止《や》めた今日、もし研究所の天然痘ウイルスが外部に漏出した場合、手のほどこしようがなくなるからである。
ベドソン教授の研究室の建物の一階上のフロアにある研究室に、ジャネット・パーカーという四十歳の女性技師がいた。ある日、彼女は朝から身体《からだ》がだるく、ひどく熱っぽかった。午後は寒気がし、高熱が出た。二、三日前の蒸し暑い晩にクーラーをつけ放しにして寝ていたことを思い出し、風邪をひいたのだろうと思い、風邪薬と抗生物質を飲んだ。
二日目には熱はさがった。が、その夕方に顔と手足に赤い小さな発疹《ほつしん》があらわれた。彼女は二週間後に天然痘で死んだ。
ベドソン教授の研究室では試験管の中で天然痘ウイルスが毎日毎日増やされていた。それが不完全な空調設備《エア・コンデイシヨン》が原因で一フロア上の研究室を天然痘ウイルスで汚染し、女性技師の生命を奪ったのである。
ベドソン教授は、責任を感じて自殺した。
山上はもう一つの例を思い出す。
一九七六年、こんどはアメリカのフィラデルフィア市に起ったことである。急性肺炎患者がいちどきに二百二十一人も発生したという事例だ。
患者の三分の二は、折から市で開催されていたアメリカ在郷軍人大会出席の会員とその家族であった。
調査の結果、会場施設の空調装置内に付着していた水滴から新種の細菌が発見された。この新種の肺炎菌は、いまもその大会の名を取って「在郷軍人病」と名づけられているが、これが空調から空気に乗って会場内にバラ撒かれたものとみられている。謀略工作によるという見方が強いが、未《いま》だに犯人はおろか容疑者の逮捕もない。
――ああ、空調!
有名な両事件とも空調装置が媒体となっている。空調が、天然痘ウイルスや肺炎菌の乗った空気を扇風機のように煽《あお》り、送り上げている。……
「われわれ祖国の戦闘的な同志はモスクワからの弾圧が苛酷《かこく》になってからは一斉《いつせい》に地下に潜りました」
乳搾りの車座の中心に坐《すわ》っている「デンマーク支部長」は、福光と山上とを交互に見ながら話をつづけた。が、山上の眼が、何やらほかのことを考えているように虚《うつ》ろな表情なのを見て取り、もっぱら福光に語りかけていた。
「その地下組織からわれわれは短波で受信し、祖国の情勢を知ることができるのです」
「短波だと、ソ連に近い対岸ですね。フィンランドですか」
「フィンランドは無理です。あの国は第二次大戦でソ連に領土の一部を割譲させられてからは親ソ政策をとっていますからね。バルト海を横断してフィンランドに渡れないのも、バルチック艦隊が居すわっているだけではなく、フィンランド側が受け入れないからです」
「するとスウェーデンですね」
「そうです。それも始終、スウェーデン側の受信地を移動しなければならないのです。というのは、モスクワのカー・ゲー・ベーがこっちの交信を傍受してエギトニアの発信基地を襲うからです。発信基地の壊滅と再建ごとにこっちの地下受信地も移動するわけです」
バルト語で勇ましげに云った。
「なるほどね」
「いまにエギトニアには大暴動が起りますよ。これまでの無抵抗運動、非暴力運動は限界にきています。この情勢をぜひ西側世界に知らせたいのです。そのための同志の派遣です。亡命ではありません」
肥った主婦はキチンから新しいスモーブローの大皿を運んできた。娘はそれを小皿に分けてみなにすすめる。主人はビールを従業員へ注《つ》いでやり、自分でも飲む。
この従業員らは西側へ赴くためにこの支部に待機しているらしい。「支部」を貸しているこのデンマークの牧場主は彼らのシンパのようだ。ホルシュタインにしても、ジャージーにしても、アバディーンアンガスにしてもショートホーンにしても、牧牛の世話を北欧の男どもは子供のころからやらせられている。フレデリックのように一人が西側へ去って行けば、また一人がエギトニアからやってくる。
山上はこのとき「支部長」に訊《き》いた。
「エギトニアにエイズが持ちこまれたときだが、それは一時にぱっと患者がひろがったのですか」
「そうです。そのとおりです。爆発的なくらいでした」
「その後は?」
「その後は、そうでもありません。感染がゆるやかになりました。強風がとまったように患者が少なくなりました」
「そう」
これは何を意味するだろうか。
最初はエイズ・ウイルスがエギトニアにバラ撒かれたことである。そして感染者が一時に爆発的に出た。だが、その後、感染や発病者の波及がそれほど進まなかったのは、感染者が医師と協力してそれに見合うような自衛策をとったことである。
逆にいえば、人為的なエイズ・ウイルスのバラ撒きは最初の一回で、しかも少量だったということになろう。
では、どういう手段でバラ撒いたのだろうか。
エイズ・ウイルスを飲みものや食べものの中に入れて人間の胃の中に収めたのでは無害である。
しかし、人の口腔《こうこう》には本人も気づかないような小さな疵《きず》がある。歯を磨《みが》くときにできた歯ブラシによる歯ぐきの疵、固い食べものをかんだ疵、接吻《せつぷん》による疵などである。そこから破れた毛細管にエイズ・ウイルスが入りこむ。
もっと謀略的な工作を考えてみる。たとえば、エイズ・ウイルスを市販のジュース缶とかビール缶またはビール瓶《びん》とかに投入したとするか。だが、この方法は製造過程からでないと不可能である。食料品店の棚《たな》にならんだ缶ジュースは密閉されている。ビールは王冠で塞《ふさ》がれている。人の眼《め》を盗んでウイルスを投入するために、どのように細目に開けても、一度開けたら最後である。
第一、その工作にはエギトニア人を抱きこまねばならない。モスクワのロシア人謀略員がやったのではたちまち市民に見破られて大騒ぎになる。
あらゆる点からみて、この想像は成り立たない。
空調設備。――
山上にはこれが頭に粘りついている。バーミンガム事件も在郷軍人病事件も天然痘ウイルスや急性肺炎菌が空調設備内の空気に煽《あお》られて人体に害を与えた。
しかし、エイズ・ウイルスは、人間の血液や分泌物の中でしか生存し得ない。たとえば、それを乾燥させて空気中に撒布《さんぷ》しても人体には感染せぬ。
――それでも山上は「空調」が頭から離れなかった。よほど空調事件が印象に残っているのだ。
冬が来て、半年後には初夏を迎える。北の国にはないが、日本では杉などの花粉が風に乗って都会に流れ、人々は花粉症に悩まされる。
花粉。――エイズ・ウイルスが花粉と化けて空から撒かれたのではないか。
福光の句「洟水や裸柳に北の寒」ではないが、花粉症にかかった人は、洟水が出る、くさめが出る、咳《せき》をする、まるで風邪をひいたような状態になる。だが、熱は出ない。気分は重いが頭痛はしない。感冒の初期のような状態が五日でも一週間でもつづく。風に吹かれてきた花粉が空を漂う間は、である。
南フランスには糸杉があるが、花粉症があるかどうか。ましてバルト海沿岸には杉はなかろう。花粉のある花といえば、ユリ、リンゴ、ニンジンなどだと山上は読んだことがある。
山上は試みに支部長に訊いてみた。
「そのエイズとは別のことですがね、エギトニアには花粉症がありますか」
「花粉症というのは何ですか」
支部長は、きょとんとして問い返した。
山上はその症状を説明して、
「まあ、風邪をひいたような状態です。その体質の人は、流行病のように一斉に罹《かか》るのです」
といった。
すると支部長は考えていたが、にわかに左右に坐っていた乳搾《ちちしぼ》りの同志たちと母国語で話しはじめた。心当りを相談するような風だったが、その結果を支部長が山上に答えた。
「花粉症のことは知りませんが、そういえば、流行性感冒が一時はやったのを思い出しました。しかし症状は軽いもので、医者に診てもらうほどのこともないくらいでした。薬剤店の風邪薬を飲んで、二、三日もすると癒《なお》ってしまいました。労働も休まずにすみました。それで、あなたに云われるまで、すっかり忘れていたのです。だが、それは流行性感冒だったと思います。時期はエイズのウイルスがバラ撒かれる半年くらい前でしたかな」
「ウイルスがバラ撒かれる半年前ごろ?」
山上は聞き咎《とが》めた。
「そうです。たしかそのころだったと思います。しかし正確ではありません。そのときの流行性感冒が、いま云《い》ったようにたいそう軽かったものですから憶《おぼ》えてないくらいです。というよりもあとのエイズ騒動のショックが大きすぎるのですね」
山上は福光の様子に眼を遣《や》った。
彼はうすいパンの片《きれ》に厚いハムを乗せたスモーブローを頬張《ほおば》り、搾りたての牛乳を飲み、長い顎《あご》を動かすことにわきめもふらなかった。
エギトニアでの感冒の流行と半年後のエイズの流行とは関係があるのだろうか。
感冒はもちろんインフルエンザ・ウイルスで空気伝染である。エイズ・ウイルスは人間(サルなどの霊長動物を含めて)の血液・分泌液の中にしか生存できないから、もとより空気伝染は不可能である。してみると、流行性感冒は、「空調」の場合と同じく、エイズとは無関係である。症状の軽い流行性感冒が、エイズ・ウイルスのバラ撒かれる半年前に、たまたま通過したに過ぎない。
このとき、山上の脳裡《のうり》に起ったのは、西ドイツはシュタルンベルク湖に浮んだ西ドイツ衛生薬業会社販売部係長ペーター・ボッシュの首無し死体であった。
新聞報道によると、警察では、湖底の「ヒトラーの遺産」争いによる仲間割れだと観測していた。
ハンゲマン局長は、それをネオ・ナチ説にした。
だが、犯人はなぜ首を切断して持ち去ったのか。両手の指紋はそのまま。
被害者の身もとはすぐに割れるはずだ。いまさら人相を分らなくするために首だけを隠す必要はない。
下手人が目的としたのは、首を切断することによって、その体内の血液が湖水に洗い出されるというにあったのだ。それこそほとんど体内には残らない。
日本の国会議員団が乗った湖上遊覧船が、明治の頃《ころ》から森鴎外《もりおうがい》の「うたかたの記」で知られた狂王ルードイッヒ二世が入水の場所、十字架の横を通りかかり、その議員の一人が変死体を見つけるまで、ボッシュ君の首無し死体は前夜から湖上を漂流していた。
彼から出た血液は広々としたシュタルンベルク湖の波間に消えてしまったのだ。
血液の中に何か化学的物質が存在していたのではないか。化学的検査をすればそれが判明する恐れがあったので、首ごと切断して頸動脈《けいどうみやく》から血液を流出させたのではないだろうか。
では、それに含まれているのは何だろう。
福光は新しいスモーブローに手を出して云った。
「風邪をひくといけませんね。感冒は体力を弱めます。抵抗力が低下すると、抗原の侵入が容易になり、日和見《ひよりみ》感染もわっとばかりに起ります。ね、先生」
ボッシュは西ドイツ衛生薬業会社の販売係で、この会社は血液製剤を売っていた、と福光はニュルンベルクから亮子《りようこ》に電話して山上に伝言させた。ボッシュが新開発薬の実験に供されて首を切断されるのは、咽喉《いんこう》の粘膜に残る証拠を持ち去ることだ。その化学的物質とは何か。
福光はわざとかどうか他《た》を云っていた。
そのパンの上にはピンク色のイクラが乗っていた。
帰りは、牧場主の娘の運転に代って、デンマーク人の牧夫の運転で、同じトラックに二人は乗せられ、ヘルシンオアのリス公園まで送られた。
そろそろ暗くなりかけてきた。三時であった。ここからコペンハーゲンまでは鉄道がある。四十分だ。カストロップ空港発チューリッヒ行は十七時二十分発である。
「ハンブルク行は十六時五十分発ですね。リューベックのぼくの家へお寄りになりませんか」
列車の中で福光は云った。
「ありがとう。だが、明日は出勤です。再度の訪問はこの次にします」
「昨日から今日にかけて、かなり強行軍でしたね。お疲れだったでしょう」
「しかし、いろいろ興味ある経験をさせてもらいました。福光君はまるで魔法使いのような人だ」
福光は、にやにやしてパイプをとり出した。
「シュツットガルトの病院にわたしを呼び寄せる」
福光は煙を吐いて笑った。
「それからね、シュツットガルトの病院ではうわごとで山中の離宮を語り、デンマークではエギトニア独立運動家の隠れ家へ連れて行ってくれた」
「エギトニアの少数民族はエイズに滅ぼされるって。ヨーロッパの王室もそうですよ。いくら山中に隔離の離宮を造営しても、少数の王室はエイズに滅ぼされる運命にあるんです。いや、ヨーロッパの民族全体がもうエイズのために少数化しつつありますね」
「生き残れるのはどこだろう?」
「最後に生き残れるのはソ連でしょうな」
山上は福光の顔を見た。暗い窓に灯が走る。列車はリズミカルな動揺と音響を繰り返す。
「わたしの上司にエルンスト・ハンゲマンという局長がいる」
山上は云った。
「ハンゲマン局長がきみとそっくりなことを云っている。断わっておくけど、エルンスト・ハンゲマンは根っからの反共主義者です。にもかかわらず、ソ連が最後まで生き残れると断言している。理由は、エイズ患者や感染者を情容赦もなく隔離するからだ。アメリカはいわゆる世論に反対されてそこまでは思い切ってできない。だから先に滅亡する。ハンゲマンはソ連の力の信奉者です。だが、プロシアのフリードリヒ大王を信奉したロシアのピョートル帝とは違って、局長はソ連の力を信奉する西側の人間だからこそソ連を恐れるのです。彼のソ連過剰評価はソ連恐怖主義につながるのです」
「ははあ」
福光は煙を吐いて眼《め》を細めた。
「しかし、局長は頭脳の切れる人ですよ。ヒントが豊富に湧《わ》く人間でもある。アイデアマンだ。つかみどころがないようですがね。ちょっときみに似たところがある。一度、紹介したいくらいです」
福光はますます煙を撒《ま》き散らした。
「とんでもない。ぼくなんかお話に聞く局長さんに及びもつきませんよ」
「ところで、あのエギトニア人の運動家について一つだけ聞きたいと思っているのだが、質問してもいいかね」
「どうぞ」
「ほかでもない。きみはあのデンマークの支部の連中へやすやすと近づけたわけですが、それには前もって有力な伝手《つて》があったわけだね?」
「否定しません。彼らの小さなビューローはあります。西ドイツにも、オランダにも、フランスにも。目下は祖国の実態を告知する宣伝活動ですが、将来は国外の亡命政権を志しているようです。ぼくの知っているのは西ドイツの数人です」
「フレデリックのような人間?」
「そうです」
「その紹介状を持って行ったから乳牛の牧舎が迎え入れてくれた」
「そのとおりです」
「リューベック湾を見渡す岬《みさき》で花壇を営んでいるのは、コペンハーゲンからの船で入ってくるエギトニア人の亡命者を見張っているためかね?」
「そんなワリの合わない商売のために、資本《もとで》のかかる花屋をやってませんよ」
「じゃ、何?」
「花屋はぼくの趣味です。花は昔から好きでしてね」
「そうか。まだ当分あそこに居るのかね」
「そのつもりです。しかし、ぼくのことですから、この次に先生とお目にかかるときは、どこだかわかりませんね。たぶん、また、ひょんな所でしょう。……おや、そろそろコペンに着いたようです」
カストロップ空港は近隣諸国航空路の中心だ。構内に設備された発着機の案内掲示板の時刻数字が絶えず回転する。デンマーク語、英語、ロシア語、ドイツ語を話す人々で混雑している。
山上より出発が三十分ほど早い福光は、先にハンブルク行のゲートに向った。
「じゃ、この次までご機嫌《きげん》よう」
握手をした。この次は、また、どんな所でばったりと再会するかわからない。福光福太郎の背中が搭乗客《とうじようきやく》に混って飄々《ひようひよう》と流れて行く。
山上は見送りを済ませたあと、構内商店街を歩いた。土産物屋、軽食堂、コーヒーショップが多いのはどこも同じである。花屋の前には婦人客が立ちどまっている。切り花が美しくならんでいた。奥の壁にも花籠《はなかご》が吊《つ》り下げられている。山上は、福光の温室花壇を思い出した。助手が如露《じようろ》の水を花にかけていた。
エイズ・ウイルスを花粉のようなものに造り変えられないものだろうか、と彼はまたしても思う。そういうものが出来て、風船に詰め、空から落す。エギトニア人の云うエイズ・ウイルスの「バラ撒き」である。空想のヒントは花粉症からだ。
だが、この空想はすぐに捨てなければならなかった。仮にそうした空気伝染のウイルス兵器が開発されたとすれば、敵国はたちまちそれを模倣《もほう》して、上まわるものを作り、報復手段に出る。毒ガス戦争ができないのがその例である。防禦《ぼうぎよ》手段を開発しておかない限り、どのような化学兵器も使用できないのだ。――
ドラッグ店があった。薬品の匂《にお》いが流れてくる。
母親が五、六歳の女の児の手を引いて出てきた。女の児は買ったばかりの大きなマスクをしている。母親はマスクの紐《ひも》の調子を直してやっていた。
歩いている人でマスクをしているのが多い。福光の「水洟《みずばな》や」の句ではないが、北国は寒気が強い。それともコペンハーゲンでは感冒が流行《はや》っているのかもしれない。
三十分してチューリッヒ行の待合室《ロビー》に入った。出発までにはまだ十五分ある。スタンドバーへ行き、ウィスキーを飲んだ。
向うでは若者たちがハンバーガーを頬張っている。
山上は牧場の昼食に出されたスモーブローが眼に浮んだ。
薄いパン片《きれ》の上に、チーズ、ハム、ビーフ、チキンなど、いずれも「自家製」材料の新鮮なものだ。それにコペンハーゲンの魚市場から買ってきたエビやカニもあった。とくにイクラがうまかった。見るからにきれいなピンク色の粒。
あのサケ・マスの卵の集合体は、顕微鏡下の粒子にも似ている。
粒子がパンに乗っている。
粒子とパンとが結合している。
何か出来そうだぞ。――
待合室の人々がイスから立って搭乗口へならんだ。山上の頭は思案でいっぱいになり、動作が浮き上った。
何か出来そうだ。
ぼんやりと歩く。うしろからつつかれた。シートを間違えて、あとから来た人に睨《にら》まれた。
向うの席では、婦人客がまだ口にマスクをしていた。
耳にエギトニアの「支部長」の声が蘇《よみがえ》った。
(花粉症かどうかはわかりませんが、そういえば、流行性感冒が一時はやったのを思い出しました。しかし症状は軽いもので、医者に診てもらうほどのこともないくらいでした。薬剤店の風邪薬を飲んで、二、三日もすると癒ってしまいました。労働も休まずにすみました。それで、あなたに云われるまで、すっかり忘れていたのです。だが、それは流行性感冒だったと思います。時期はエイズ・ウイルスがバラ撒かれる半年くらい前でしたかな。)
流行性感冒はインフルエンザ・ウイルス。――
これはもちろん空気伝染である。
スモーブローのように、「パン」のインフルエンザ・ウイルスの上に、エイズ・ウイルスを乗せたら、どうだろうか。「パン」のベッドはエイズ・ウイルスを乗せて翼を付け、天空をひらひらと飛翔《ひしよう》し、エギトニアに落ちる。……
機が離陸した。
――エイズ・ウイルスとインフルエンザ・ウイルスとの合成。――これが可能かどうか。
山上は自分の空想に昂奮《こうふん》した。機は夜の雲の中に入った。
数日後、世界じゅうのエイズ感染者は、目下の発病者を含めて、やがて一億五千万台を突破するだろうと伝染病研究所の専門家が予想を発表した。
エイズの感染者は必ず死ぬ。そのすさまじい感染力はこれを複数的に増加させる。完全な治療薬もワクチンもない現在、感染者の数字の上昇は倍数的な加速になる。あと五年もしたら二億に逼《せま》るかもしれない。
[#ここから2字下げ]
≪これほど人を殺す、恐ろしい|悪疫《あくえき》は決してなかった。血が、赤い怖ろしい血がその権化《ごんげ》であり、証拠であった……。
然《しか》しプロスペロ公は運悪く、また勇敢でもあり、怜悧《れいり》でもあった。公の領土の住民が半分も絶滅した頃に、公は宮中の騎士《ナイト》や貴婦人の中から千人近い、壮健な、気軽な仲間だけを呼び集めて、それらの人々と共に城構えをした僧院の中に奥深く隠遁《いんとん》した。
その僧院は宏壮《こうそう》な構造で、公自身の風変りなしかも荘厳な趣味から造り出されたもので、丈夫な、高い壁がその周囲をとり巻き、その壁には鉄の扉《とびら》が付いていた。家来たちは中に入ってから鎔鉄炉《ようてつろ》と大きな鉄槌《かなづち》とを運んできて、閂《かんぬき》を焼きつけてしまった。人々は中から失望や狂気の衝動が突然起っても、出入りの道がないようにしてしまおうと決心したのである。但《ただ》し僧院には食物は十分備えてあった。
プロスペロ公はあらゆる遊楽の手段を考えていた。即興詩人もいた。舞いを舞う者も居れば、美人もいた。すべてこれらの物と『安穏《あんのん》』とがそこにあった。無いものはただ『赤き死』だけであった≫(アラン・ポー「赤き死の仮面」)
[#ここで字下げ終わり]
ポーのこの短篇は、十四世紀に猖獗《しようけつ》を極めたペストをモデルにしている。
福光福太郎が譫語《せんご》で云った西ドイツの山中にあるヨーロッパ宮廷の「離宮」とは、このようなものか。僧院といい、城構えといい、まったくよく似ている。
ただプロスペロ公の隠遁場所は、他からペストが入ってこないようにしつらえられたものである。だが、福光の譫語に語られた「離宮」は、高貴な身分のエイズ病者がその死を迎えるまでの別業であった。
プロスペロ公の閉じこもった僧院は、「赤き死」(ペスト)が外部から侵入するのを厳重に防備されたものであったが、王室の紋章を掲げた離宮は、「赤き死」(エイズ)の被宣告者を閉じこめている場所であった。同じく門の大扉に閂を掛け、それを鎔接していたにしても、後者は内部から出ることを絶たれた道であった。
離宮にも幇間《ほうかん》や即興詩人や舞姫や音楽師がいた。食糧は充分に貯蔵され、それらは絶えず各国の宮廷から補給された。お抱えの腕のいい調理人数人がご馳走《ちそう》をつくり、各地の名だたるワインが地下室の貯蔵庫にいっぱいに詰っていた。廷臣たちは酒を飲み、歌をうたい、美しい侍女たちとワルツを踊った。饗宴《きようえん》は夜ごとに行われ、飽きれば憩《やす》んでロマンティックな詩が詠唱された。
しかし、ここへ派遣された廷臣らや侍女たちはみな忠義者であった。なぜかというに、この人たちは主公がエイズ患者だからといってこれを嫌悪《けんお》することなく、進んで主公のお供をしてこの離宮に移り住んできたからである。
その人たちは主公からエイズに感染する危険をも恐れていなかった。エイズ・ウイルスは、たとえ抱擁によらなくても、その人と毎日一つ家で接していれば、ちょっとした不注意による指先の傷からでも血管の中に入ってくる。
廷臣たちは酒杯を手にしているうちにだんだんと痩《や》せこけてゆき、ピアノを弾きはじめたとたんに、ちょうどトーマス・マンの創《つく》った人物ファウスト博士のように鍵盤《けんばん》の上にうつ伏せになったまま発狂するかもしれなかった。それとも円舞曲を踊っているとき、相手の腕の中に倒れこんで死ぬかもしれなかった。それを覚悟で、連夜饗宴を開いているのであった。
西ドイツの、ジュラ山塊の中にあるらしい「離宮」の人々はそうした覚悟ができているとして、そうでない、一般の人々はどうしたらよいだろう。
それこそ、大きな社会という「城廓《じようかく》」の中に閉じこめられ、鉄の扉には閂が焼きつけられて出口がないようにしてしまわれ、その中でエイズの恐怖に戦《おのの》き、意気阻喪し、死を待つ。
――インフルエンザ・ウイルスとエイズ・ウイルスを合成することは可能だろうか。
山上は、ずっと考えつづけている。
もしそれが出来たなら、流行性感冒が流行った地域(エギトニア)にエイズの感染者が発生したという事実が理解できる。エイズの感染ルートが不明だったことも納得できる。それが空気伝染だったからだ。
エイズの空気伝染!
だれもが思ってもみなかった「伝染」経路だ。いや、方法だ。
インフルエンザ・ウイルスは咽喉粘膜を冒す。その感冒はすぐに癒《なお》る。だが、それに合成されたエイズ・ウイルスは咽喉粘膜に付着したまま残る。これが、本人の気づかぬ口腔内の小さな疵《きず》から血管の中にもぐり込む。
だれも風邪からエイズに感染したとは思わない。エイズになっても、その前に流感にかかったことは忘れてしまう。たとえその経験を憶《おぼ》えていても、エイズと関係があるとは露ほどにも思わない。
空気伝染の想定を考えつづけるのは、英国のバーミンガム事件や米国フィラデルフィア市の「在郷軍人病」事件にみる空調装置が頭から離れず、それにこだわり過ぎるためだろうか。
しかし、両種のウイルスの「合成」を発見できたら、こんな素晴しいことはない。
まず、理論的に考えてみよう。
――インフルエンザ・ウイルスの遺伝子には、病原性の部分、抗原性の部分、自己増殖の部分、感染能力の部分など、さまざまな遺伝設計図が組みこまれている。このなかの病原性の部分の遺伝子を、エイズ・ウイルスの病原性の部分の遺伝子と交換してしまう。
エイズ・ウイルスは人間の血液か分泌液の中でないと生存できない。
そこで血液や分泌液の代りの役目をするバッファー液と呼ばれる培養液を使用する。バッファー液には、蒸溜水《じようりゆうすい》、塩化カルシウム、リン酸などが含まれている。
この培養液でふやしたエイズ・ウイルスから遺伝子をとり出し、その遺伝子の入った試験管内に制限酵素を加えてみる。すると、どういうことが起るか。エイズ・ウイルスの遺伝子がバラバラに分断されるはずだ。つまり制限酵素はエイズ・ウイルスの遺伝子をずたずたに切ってしまう鋏《はさみ》の役目をするのである。
この鋏の制限酵素を使って、こんどはインフルエンザ・ウイルスの遺伝子もバラバラに切ってしまう。次に、それぞれ切られて細片になった両ウイルスの遺伝子を勝手に混ぜ合せる。
こんどはこの二つのウイルス遺伝子の細片どうしを接合しなければならない。くっつけ合せるには糊《のり》が要る。その糊の役目をするのがリガーゼである。リガーゼも酵素だ。これを加えると、バラバラに分断されていた遺伝子どうしが、貼《は》り合せたようにいっしょになる。
遺伝子には目印がついているわけではないので、どの遺伝子とどの遺伝子とを接合していいかわからない。が、この中には目的の遺伝子どうしが組み合わされたウイルスが含まれているはずである。その確率は非常に低いから、大量に作る必要があろう。
次にその目的とする接合ウイルスを撰《え》りわける方法が困難だ。
この選別法をどうしたらよいか。……
山上は腕を組んで思案する。
窓に映るプラタナスの梢《こずえ》にも葉が少なくなった。
ハンゲマン局長は昨日からまたジュネーヴに出張している。ただならぬ情況を迎え、WHOとの相談に忙しい。
山上は思案をつづけた。
――接合ウイルスの選別だ。この方法がむずかしい。
腕を組み、後頭部を叩《たた》いては考えこむ。苛立《いらだ》たしそうに部屋の中を歩きまわる。また椅子《いす》に戻る。頬杖《ほおづえ》を突く。
なんとか思いつかないか。何かないか。
このとき、外でピストルの音がした。
はっとして窓に寄った。下の道路で車がとまった。中から中年の男女が降りた。男は前のタイヤにかがみこんで調べている。さっきのはパンクの音だった。
ピストルの音響とタイヤのパンクの音とは聞き分けられるはずなのに、神経が尖《とが》っているのだ。落ちつけ。こんな状態で、どうして接合ウイルスの選別法が発見できようか。
道路では、男が後部トランクを開けてスペアのタイヤを抱え出している。妻らしい女が手伝っている。ジャッキで前部を持ち上げタイヤを取り替えはじめた。馴《な》れてないとみえ、動作がにぶい。妻は加勢するが、作業は進まない。彼女は立ち上り、道路の左右に視線を動かしていた。通りがかりの車の運転者に助力を求めるつもりなのだ。
走る車は少ない。その少ない車も一台として停《とま》らなかった。女が手を挙げても、見ぬふりをしている。彼女は当惑している。諦《あきら》めて夫の手伝いにもどった。
のろい動作。並木のプラタナスの落葉がボンネットに乗った。山上はぼんやり見下ろしていた。
ようやくタイヤの交換が終った。三十分以上もかけてである。その緩慢な仕事ぶりに山上も無心につきあっていた。
車が走り去り、山上は窓辺から離れた。机の前にかえる。その五、六歩の途中で、棒になって足をとめた。思案が湧《わ》いたのだ。
夫婦者の鈍い作業に眼《め》がつきあっているうちに、こっちの神経までそれに伝染して一種の放心状態になっていた。それがよかったのだ。着想が電気のように走った。
その光明が消えぬうちに、と山上は机上の紙に走り書きした。音楽家が感興の閃《ひらめ》きの遁《に》げないうちに楽譜にスケッチするように。メモの走り書きだ。落書きのように乱暴で、他人には読めない。文字になっていない。線が重なり合い、縺《もつ》れてゆく。思考の発展である。
(目的に合致するウイルスを選別するには……)
山上は前のつづきを書きなぐる。
(まず、インフルエンザの感染能力の部分が含まれた接合ウイルスを選び出す。そのためには、あらかじめ、インフルエンザに対する感受性の高い、ヒトの咽喉の粘膜細胞を組織培養しておく。それをいくつも作り、接合ウイルスの入った培養液を一滴ずつ落していく。
接合ウイルスにインフルエンザの感染能力部分が含まれていれば、ウイルスが増殖し、目に見えて粘膜細胞が壊れ、溶けてくるはずだ。そうなったものを選び、ウイルスを取り出す。さらに、そのウイルスに、エイズの病原性の部分の遺伝子が含まれているかどうかは、動物実験や人体実験で確かめる。
インフルエンザ・ウイルスはヒトの咽喉粘膜で繁殖する。そのさい、当然に免疫細胞と接触するため、エイズに感染する可能性は高い。
インフルエンザの病原性の部分は、エイズの病原性の部分の遺伝子と組み替えられているので、エイズ・インフルエンザに感染しても、発熱などの風邪の症状などはあまり出ない。出ても軽微だ。
エイズはインフルエンザに乗って空中を飛ぶのだ。
このウイルスを「兵器」として使っても、対手《あいて》側にはすぐには使用の事実がわからない。時間が経過してから、ある日とつぜん集団的にエイズが発生することになる。
このエイズ・インフルエンザは病原性だけがエイズで、それ以外はインフルエンザの性質が現われるはずだ。したがって発病までの潜伏期間も短い。)
コペンハーゲンを離れたスラエルセの牧場で働くエギトニア人の亡命者から聞いた話を山上はこれに当ててみる。
エギトニアにエイズ・ウイルスが大量にばらまかれたと思われる時期から約二年半前に感冒が流行《はや》ったと牧夫たちは云った。だが、それはきわめて軽いもので、云われてみて思い出すといった程度のものであった。かれらの話は、いま考えているエイズ・インフルエンザの理論を検証していないか。
またエイズ・インフルエンザに効力があるかどうかは動物実験や人体実験を経ているはずだ。
エイズを含んだインフルエンザ・ウイルスはヒトの咽喉の粘膜に付着し、そこで繁殖する。
咽喉粘膜。――
山上は心臓に石を当てられたようになった。
シュタルンベルク湖に棄てられたペーター・ボッシュは切断された首の所在が分らなくなっている。咽喉粘膜に残る化学物質の証拠を見せないためだ。
すると、ボッシュは新しく開発されたエイズ・ウイルスの生体実験に供されたのではあるまいか。開発したのは、彼が勤める西ドイツ衛生薬業会社だ。血友病患者に、未処理のエイズの血を混えた血液製剤を売って悪名高い製薬会社だ。
ボッシュは出張先のニュルンベルクで約三カ月間行方不明になった。そのあと、シュタルンベルク湖で首なし死体で出てきた。
三カ月もあればエイズに感染したかどうかが確認できる。しかし、問題は、彼の死体から咽喉粘膜が取り去られたことだ。切断された首の未発見がそれだ。
ただエイズに感染させるのだったら簡単だ。エイズ・ウイルスを血管に注射するだけでよい。粘膜にエイズ・ウイルスを付着させたのは、エイズを別種のウイルスと合成したことを意味する。咽喉粘膜に残るものはインフルエンザ・ウイルスが考えられる。……
やられた、と山上は思った。自分の思いついたアイデアを他者がとっくに着想して、すでに実験段階に入っている。ボッシュはおそらくその実験台の第一号であろう。
犯人の西ドイツ製薬会社のプロジェクト・グループは、ボッシュを出張先のニュルンベルクで誘拐《ゆうかい》し、いずれかに監禁し、開発した「試薬」を飲ませた。ボッシュは風邪をひいた。が、それはすぐに癒《なお》った。実験者は三カ月の経過を見まもる。エイズの感染症状があらわれた。
ボッシュの死体からはエイズ・ウイルスは発見できない。首を切断されたため、体内の血液はことごとくシュタルンベルク湖に流れて散った。
ボッシュの殺害を福光福太郎は血友病患者関係の復讐《ふくしゆう》だといい、ハンゲマン局長はネオ・ナチ運動者とか「王党派」とかの仕業だと推測していた。
いずれも的がはずれている。
山上の衝撃は、自分の空想をすでに現実化し、困難な化学的処理に成功したグループが存在していることだった。
山上は市立図書館へ車を向けた。
ここには西側各国の主要な新聞が保存されている。ボン発行の西独紙は過去八十年間にわたってマイクロフィルムに収められていた。
山上は四年前からの記事を丹念に繰った。エギトニアにエイズ患者が爆発的に発生したのは最近だが、その前兆が二年ないし三年前に起っていなければならない。その前ぶれが感冒であろう。スラエルセ牧場のエギトニア人が云《い》う軽い風邪である。
エギトニアの「軽い風邪」だったから、西独の新聞には報道されていないかもしれない。しかし、小さな紹介記事になっている可能性がないではない。
西独紙は、東欧圏の新聞を手に入れて、そこに載っている記事に眼を凝らし、向う側にとって「不幸な報道」を取り上げて大きく紹介している。東側にとって不幸な記事は西側には吉報なのだ。両陣営の対立が、こうした憎悪《ぞうお》と敵意を生む。論評も辛辣《しんらつ》である。
山上は二時間ぐらいかかって四年ぶんの記事を追った。ずいぶん眼を凝らしたが、心当りの活字はなかった。
見落しはないはずである。「軽い風邪」などはエギトニアの首都ウクカス市発行の新聞は問題にもしてないのだろう。ボルコニア、カルバニアの「バルト三国」のうちの二国の新聞にも記事になっていない。もちろんモスクワ紙、ポーランド紙、東独紙には一字も見当らない。
予期はしていたが、落胆した。
エギトニア関係では、DDR(東独)のライプチヒ交響楽団が、エギトニア親善のためにウクカスで二晩にわたって演奏した記事が派手に出ている。これはエギトニア紙はむろんのこと、ボルコニア紙、カルバニア紙をはじめモスクワ紙もポーランド紙も大きく扱って、ウクカスにおけるこの演奏は市民に多大な芸術的感銘を与えて大成功だったと報じていた。
楽団の構成は四十数名、これに少年合唱隊が入る。指揮は名声あるカルル・フェフナーで、その二時間にわたる演奏は聴衆を魅了し、昂奮《こうふん》の渦《うず》をまき起したとある。
ボン紙はこの記事を紹介した上で、例によって皮肉な論評を加えることを忘れない。
すなわち云う。
モスクワ政府はエギトニアに高まる民族独立運動の鎮圧に手を焼いている。戦車を出動させることは、彼らの独立運動に油を注ぐようなものである。ヘタをするとバルト三国は完全にモスクワから離反し、反抗を激化させる。その余波はたちまちポーランドに及び、血の闘争となりかねない。
そこでモスクワ政府は慎重にして巧妙な方法を考え出した。モスクワが正面から出て行かないで、東独を使うことだった。
東独だと、エギトニアもモスクワに生死を握られている共通の立場からシンパシーがある。それがライプチヒ交響楽団の演奏となったのだと指摘する。
なんという巧妙な詐術《さじゆつ》かとボン紙の論評は辛辣さを増す。その狡智《こうち》ぶりは交響楽団だけではなく、同時にエアフルト市の国際園芸博覧会から熟練の園芸家十数名をウクカスに派遣して、市の環境美化に協力させていることでもわかる。
このエアフルトの国際園芸博覧会というのは、一九六一年にドイツ社会民主党の「エアフルト綱領」により常設となったものである。日本の園芸家の間にもこの常設国際園芸博覧会のことはよく知られている。エアフルトはライプチヒの西側にあって、相互の距離は近い。そして西独の国境にも遠くないのである。
エギトニアの民衆の耳にはライプチヒ交響楽団のクラシックな美しい音色を、ウクカスの市民の眼にはきれいな花卉《かき》や植物で中世的な景観を愉《たの》しませようというのである。
モスクワの戦車よりも、東ドイツの芸術でエギトニアの反抗心を宥《なだ》めようというのである。エギトニア人はモスクワのその奸計《かんけい》に気づかずに、その芸術性に欺《あざむ》かれている、かくては抵抗運動も麻薬を飲まされたように麻痺《まひ》するであろう、それがモスクワの狙《ねら》いだ、とボン紙の論評は毒舌調を帯びる。――
山上はこの記事をなにげなく読んだが、しばらくして不審が頭をもたげてきた。
二年半ほど前のこの賑《にぎ》やかな出来事を、デンマークに亡命しているあのエギトニア人たちは、どうして一語も福光福太郎や自分に話さなかったのだろうか。
彼らはエギトニアとはバルト海を隔てての対岸に短波放送の基地を持ち、絶えず母国の状況と独立運動の推移をキャッチしていると話していた。
それなのにライプチヒ交響楽団のウクカス演奏のことには何もふれなかった。ましてやエアフルト国際園芸博覧会から園芸|職人《マイスター》がウクカス市内の公園造りに来たことは一語も口にしなかった。
何故《なぜ》だろう。あんなに東欧諸国の新聞が大騒ぎしたというのに。
そして、そのお祭り騒ぎが、ボン紙の指摘するようにモスクワの策謀であるのを十分に知っている彼らなのに。
それを口にしなかったのは、牧夫となっているエギトニア人の亡命者がライプチヒ交響楽団の演奏のこと、エアフルト国際園芸博覧会からの職人《マイスター》派遣のことを|知らなかった《ヽヽヽヽヽヽ》のではなかろうか。
山上はいったんはそう考えたが、そんなはずはない、あの出来事を知らないわけはない、と思い返した。
しかし、知っていてそれにふれなかったのはやはりおかしい。やはり彼らは知らなかったと考えるほうがほんとうのような気がする。
彼らがそれを知らなかったとすれば、どういうことになるのか。
牧場の亡命者たちはいったい何者か。そういう疑問まで起きてくる。――
山上は図書館を出て、リマト河岸からシュタンフェンバッハ通りのIHC本部へ向った。二時間も新聞記事を検索していたので、網膜が疲労し、目眩《めまい》さえおぼえた。
まるで初心者のように車をゆっくりと運転した。のろのろとした走りかただった。事務所の窓から見たタイヤ取り替えの夫婦の緩慢な動作が浮ぶ。あの退屈な光景がこっちに伝染したかと思われた。
その沈潜した心理状態の中で、ふいと浮んだ場面があった。
リューベックの北オルデンブルクにある福光の温室花壇で見た光景だ。作業員が花に水をやっていた。如露《じようろ》を傾けてまんべんなくシャワーを降りそそいでいた。
水。……
エアフルトの国際園芸博覧会に所属する職人《マイスター》たちが花や植木の苗をウクカス市に運び、ウクカス市の公園美観に協力したとすれば、それらの苗や若木が育つまで、肥料とともに水を絶えまなく供給しなければならない。
その場合は如露では間に合わない。撒水《さんすい》器具でひろく水をそそがなければならない。
(エイズ・ウイルスは乾燥した空気にさらされるとたちまち死滅する。エイズ・ウイルスの培養には、バッファー液が必要である。バッファー液には、蒸溜水《じようりゆうすい》、塩化カルシウム、リン酸などが含まれている。……)
山上は眼の前に閃光《せんこう》を見た。
ウクカス公園にエアフルト国際園芸博覧会寄贈の植物が栽培され、それに水が撒《ま》かれるなら、その水の中に混じるエイズ・ウイルスは生きているのである。その水に塩化カルシウムやリン酸が含まれていれば、培養したエイズ・ウイルスを撒き散らすようなものである。
インフルエンザ・ウイルスと結合したエイズ・ウイルスは、インフルエンザが空気中に散ってヒトの咽喉粘膜にとり付いて軽い感冒の症状となる。しかし、感冒はすぐに癒《なお》る。だが、インフルエンザに乗ったエイズ・ウイルスのほうは粘膜に残る。そこからヒトの血管の中へもぐりこむ。
人々は、まさか風邪とともにエイズが体内に侵入したとは思わない。風邪が通過してから一年半か二年後に、エイズ感染症状が起る。しかし、だれもエイズの感染を風邪に結びつけるものはいない。
エギトニアにふいに発生したエイズ患者の伝染経路がどうしてもわからないといった。エイズの空気伝染は絶対にあり得ないと医学界では云っている。
こんなことを考えるのは、米国フィラデルフィア「在郷軍人病」事件や、英国バーミンガムの「天然痘《てんねんとう》事件」などの影響が強すぎるためかと山上は反省してみた。両事件とも空調装置の欠陥から生じている。つまりは空気伝染であった。
山上はIHC本部の自室に戻ってからも考えつづけた。
ライプチヒ交響楽団とともにエアフルト国際園芸博覧会の園芸|職人《マイスター》十数人がウクカス市に行ったのは二年半前であった。エギトニア共和国全体にエイズ患者が爆発的に発生したのはここ一年である。時期的に因果関係が一致するではないか。
コペンハーゲンの西方スラエルセの牧場で働くエギトニア人亡命者らも、スモーブローをつまみながら、ウクカスに風邪が流行《はや》ったのは二年半前だと話していた。その感冒は、強風が止ったようにすぐに熄《や》んだ。
エイズ・インフルエンザ・ウイルスを樹木の間に装填《そうてん》しておく。風が吹くと、その合成ウイルスは空中に飛び散ってゆく。空気伝染だ。
だが、エイズ・ウイルスには水が必要である。乾燥すれば死滅する。ヒトの咽喉粘膜に付着したとしても、死滅したエイズ・ウイルスでは感染能力がない。
だからインフルエンザ・ウイルスと組み合わされたエイズ・ウイルスは「バッファー液」(蒸溜水、塩化カルシウム、リン酸などを含む)に相当する液体に包まれていなければならない。
では、ウクカス市の公園に寄贈されたエアフルト国際園芸博覧会の花や樹木はどうか。エアフルトの職人によってこの植物には水がそそがれている。その水には、バッファー液のような化学的処理がなされてあったのだろうか。
それだと国際園芸博覧会の派遣員はスパイでなければならない。東ドイツの植木屋がエギトニアにエイズ・ウイルスを撒く工作を行ったとは、いくらなんでも荒唐無稽《こうとうむけい》にすぎる。
だが、この植樹が行われた一年半後にエイズ患者がエギトニア共和国に急激に発生したというのだから、時間的な条件は合っている。東ドイツの園芸職人が秘密工作員だったというナンセンスな想像も、エイズ感染の時間的一致の前には真実味を帯びてくる。
モスクワはエギトニアの反抗鎮圧に自分では姿を出さないで、その肩代りとしてライプチヒ交響楽団やエアフルト国際園芸博覧会を派遣させた、とはボン発行の新聞の観測だった。
こうした西独紙の筆法でゆけば、国際園芸博覧会の工作員に、エイズ・インフルエンザ・ウイルスをエギトニアの首都に撒布せよと指令したのはモスクワということになる。
ソ連のバイオテクノロジーによるウイルス兵器の開発は、すでにそこまで行っているのか。
コペンハーゲンの西、スラエルセ牧場のエギトニア人亡命者らは「エイズはモスクワが、わが共和国に持ちこんだ」と云っていたが、それは彼らの直観によるもので、なんら客観的根拠はない。
しかし、ソ連のウイルス兵器の製造技術がそこまで進んでいるとすれば、彼らの直観は正しかったことになる。
山上はひとりで昂奮してきた。
この「兵器」に対する防禦法《ぼうぎよほう》はあるだろうか。
毒ガスなどの化学兵器を敵にむけて使用するときは、敵側もこっちに対して使用する。これには防禦の方法がない。毒ガス戦争が拡大しないのはそのためである。なにも「人道上の立場からその使用を禁止」(ジュネーヴ議定書。一九二五年)したのではない。防禦法さえあれば、毒ガス戦争や化学兵器戦争は攻撃と報復をくりかえして継続されよう。
では、果して新しいエイズ・ウイルス作戦には防禦法があるだろうか。
ないことはない。――
エイズ・インフルエンザ・ウイルスは、「インフルエンザの抗原性、自己増殖能力、感染能力などの遺伝子」と、「エイズ・ウイルスの病原性の部分の遺伝子」から作られている。これは前に考えたとおりだ。
ウイルスは細胞内に入りこまなければ発病しない。エイズ・インフルエンザ・ウイルスでは、エイズ・ウイルスの細胞内に入る能力、すなわち感染能力はあらかじめ捨ててある。
免疫《めんえき》反応というのは、細胞内に入りこむまえにウイルスの抗原にたいして体内の抗体が反応し撃退する作用を云う。そこで、使用したインフルエンザに対する抗体を作るため、あらかじめそのワクチンを打っておけば、エイズ・インフルエンザ・ウイルスは細胞内には入りこめず、エイズを予防することができよう。
ウイルス兵器に用いたものと同じインフルエンザ・ウイルスの抗原を使って作ったワクチンさえあれば、このエイズの奇襲は撃退できるはずである。
しかもこのエイズ・インフルエンザ・ウイルス兵器の使用とエイズの実際の発病との間には一年ないし三年の隔たりがある。その間、インフルエンザの症状はとっくに通り過ぎてしまっているので、兵器の秘密にだれも気がつかない。
山上はいちおう理論上の筋道をこのように立てた。
だが、あくまでもこれは理屈である。そのウイルス兵器が現実化しているかどうかはわからない。じっさいインフルエンザ・ウイルスとエイズ・ウイルスとを細片にして、その中から目的とするものを択《えら》び出すというのは至難の業である。理論的にはいくらでも云えるが、実際問題となると不可能に近い。
しかし、それでもモスクワがエアフルトの国際園芸博覧会の工作隊をしてウクカスにエイズ・インフルエンザ・ウイルスを撒いた可能性は消しがたいのだ。
そう考えると、ソ連ではエイズ・インフルエンザ・ウイルスのワクチンがすでに開発されていることになる。その防禦手段がなくては、エイズ・ウイルスをばら撒くことができないからだ。
もしそうだとすれば、モスクワの医学陣は驚歎《きようたん》すべき発達を遂げている。西側の陣営をはるかに抜いている。
そのことは科学分野でソ連がスプートニクを一九五七年に打ち上げた実力でも推定される。アメリカがこれに追随し、米ソによる宇宙人工衛星の競争時代に入った。
それからすると、西側はモスクワの開発したエイズ・インフルエンザ・ウイルスの製造技術もワクチンも偸《ぬす》み取って研究しているかもしれない。もちろんそれに改良を加えてである。
チューリッヒ市の東南にマイレンという小さな町がある。チューリッヒ湖に臨んでこぢんまりとしたレストランがあり、湖畔の庭ではテーブルをならべて食事もできる。山上はときどきここに寄る。今日も車できた。
まわりに人が少なく、森が多くて静かである。山上はここでぼんやりと坐《すわ》って湖水を眺《なが》めるのが好きだ。離れたテーブルの三卓には中年の婦人が十人ばかりいて茶を飲んでいる。話し声は低かった。まだ午前九時で、出勤前であった。
山上は、いま、ここへ思案に耽《ふけ》りにきている。またハンゲマン局長は一昨日からジュネーヴのWHO本部へ出張して留守であった。
(局長は、どこにどういう彼の情報源を持っているのだろうか)
思案はそのつづきだった。
湖面を白い観光船がすべって行く。客は半分くらいだ。チューリッヒ中央駅前通りのビュルクリ広場の桟橋《さんばし》と湖南のラッパーズヴィルとの間を往復する。
ビュルクリ広場は市庁舎前公園のあるところで、古道具のノミの市にもなっている。また、この河岸沿いの小公園通りでは、ユリアが夫のエイズ患者オリヴァーを患者輸送車に乗せて駐車していた。そうして近くの個人銀行から秘密番号口座の預金を全額引き出すべく銀行へ重症の夫を運びこむと銀行の頭取以下を威嚇《いかく》したものだった。
その患者の夫もニセ者なら患者輸送車も偽装で、じつは食料品店の女房ユリアが打った大芝居だった。それには彼女へ入れ知恵する人物がいたからだ。
福光福太郎だ。
山上が彼に会ったのはそのときが初めてだった。
福光の名刺は次のようになっていた。
[#この行2字下げ]≪営業種目。アイデア販売業。ヒント・コンサルタント。本社、パリ。支局、ロンドン・ニューヨーク・デュッセルドルフ。≫
現代は宣伝の世の中です、宣伝はアイデアの独創性によって生かされます、と福光福太郎はそのとき自己の風変りな商売について説明した。
「ぼくは自分の頭脳が生産したアイデアを外国へ売りつけます。買い手は企業であり、広告代理店であり、また政府筋でもあります。たんに商業広告とは限りません。デザインといってもアイデアの意味です。そのアイデアは販売作戦あり、工場管理法あり、政府筋にとっては世論の操縦法であります。根本は心理学から出発しているのですが、ぼくの戦略には創意工夫があります。しかもどれ一つとして類似したものがない。全部、独特なものです。それでなくては大きな効果はありません。
ヒント・コンサルタントというのは、その企業なり芸術家が案出したアイデアの相談に乗ってあげる仕事です。本人が案出はしたけれど、うまく発展しない、行き詰ってしまった、それで悩んでいるから知恵を貸してくれというむきが多いのです。で、ぼくがお手伝いするのです」
商売|敵《がたき》どうしから注文がきたらどうするかと、山上はそのとき質問してみた。
「どちらの注文にも平気で応じます。そんな先方の事情に義理を立てていたんじゃぼくの商売は成り立ちません。だから取引は絶対秘密が条件です。先方どうしにはわかりませんからね」
福光は答えて、さらにこうもつけ加えた。
「アイデアマンというと安っぽく聞えるから、ぼくは自分のことをアイデア創造者と呼んでいます。アイデア創造者はアイデアを考えること自体が愉《たの》しいのです。苦しいけれど、愉しい。発明家と同じですよ。それを利用する側のことはいっさい考えません。技術者の立場と似ています。技術者は自己の所属する国家の利益に奉仕するために発明をしたり技術開発するのではありません。自分自身の技術的な欲望のためです。そういう点では祖国を持たないにひとしいです。まったくボヘミアンです。無国籍者です。いまの世でいえば、東西両陣営のどちらにも属しません。自分の技術を高く評価してくれる側に付きます。アイデア創造者もそれとまったく同じですよ」
「福光福太郎だ!」
山上は叫ぶような声で立ち上った。
近くのテーブルからはいつのまにか婦人たちが姿を消していた。
対岸の低い丘陵には、午前十時前の白い陽《ひ》が当っている。
ハンゲマン局長に情報を提供しているのは福光だ。あいつが局長の「注文」を受けて、ソ連のエイズ患者の隔離病院について情報を集め、それを売りこんでいたのだ。
福光ほどの才智《さいち》があれば、ソ連や東欧圏の情報|蒐集《しゆうしゆう》は可能である。その点、彼は超人的な存在だ。その行動は神出鬼没といっていい。
技術者はボヘミアンだ、と彼は云《い》った。
思想もなければ、イデオロギーもない。といって虚無主義でもない。発想することじたいに無限の喜びを感じる。それにとり憑《つ》かれると夢中になる。注文主の立場や都合は知っちゃいないのだ。東西両陣営どちらにも付く。ということは、どちらでもない。無国籍者、根なし草。
山上はそこに立ち尽した。湖の西の彼方《かなた》でフェリー船が横断している。こちら側のマイレンの町と、対岸のホルゲンの町とを結ぶ渡し船だ。
まるでコペンハーゲンの北、ヘルシンオアとスウェーデンのヘルシンボリとをオアスン海峡で結ぶフェリー船のようである。
そのヘルシンオアの森林公園に栗鼠《りす》が走りまわるのを見ながら福光といっしょに待っていると、中型トラックを運転して革ジャンパーの若い女がやってきた。福光が持参の手紙を見せると、フレデリックの筆蹟《ひつせき》に間違いないと確かめてから二人をトラックに乗せた。フレデリックはデンマーク人の名である。行先はエギトニアの亡命者たちがいるスラエルセ牧場であった。
フレデリックという偽名の男もエギトニアの亡命者にちがいない。西ドイツのどこかに居るらしいが、そういう奴《やつ》と福光は早くから連絡をつけているらしい。
スラエルセ牧場の亡命者たちは歓迎してくれた。山上よりも福光が主体だ。だから山上の知らないうちにレポなどが彼に渡されたにちがいない。なにしろ彼らは西ドイツに「祖国」エギトニアの亡命政権をつくり、やがてモスクワの支配から分離して独立国を宣言するつもりらしいから。
げんにあのときも彼らはエギトニア共和国の対岸にあたるスウェーデンの地に移動基地をつくって、エギトニアの同志と短波無線で交信していると云っていたではないか。その情報がみんな福光に流れているらしい。
それらが福光からハンゲマン局長へ供給されている。局長がソ連のエイズ患者隔離病院事情に通じているわけがこれで納得できる。
福光が温室を造っているオルデンブルクにしても、いまになってその理由に山上は気づく。
リューベックの北東にあたるあそこは西はキール軍港を控えている。東はメクレンブルク湾で、その南の入江がリューベック湾だ。
オルデンブルクから北つづきがフェーマルン島であり、この島はフェーマルン海峡を境にデンマークのロラン島に対している。
オルデンブルクは車で通りがかると、なんでもない海岸の景勝地のようだが、じつは西にキール軍港、南にリューベック、はるか北にデンマークのコペンハーゲンという三方を睨《にら》んでいる要衝の地だ。
福光はここに花壇をこしらえて生活している。コペンハーゲンとリューベックとを連絡する貨客船の出入港を彼は見張っているのだ。花壇に働く男女の助手たちは彼の部下で、その部下にも見張らせている。
山上は思い出す。この前、そこを訪れたとき夕闇《ゆうやみ》を衝《つ》いてコペンハーゲンからの貨客船がリューベック港に入るところだった。福光はそれをじっと眺めていた。それは観察者の眼《め》だった。
リューベックの船着場の前へ寄ってみようと福光は云った。すでに暗くなっていた。車で行くと、乗客が下船していた。福光はその群から何者かの姿をさがしていた。
ピストルが鳴った。埠頭《ふとう》の積荷の山の間を靴音《くつおと》が逃げて走る。ジープのヘッドライトが探照灯のように追っていた。
あれは西ドイツの秘密警察で、ソ連の|KGB《カーゲーベー》に当ると福光は車の中で説明し、「逃げた」と云った。
逃げおおせたのがコペンハーゲンから貨客船でやってきた例の亡命者の一人であるのは容易に想像がつく。
西ドイツの警察車がどうしてコペンハーゲンから来た船の客を追跡したのか。エギトニア共和国からの潜入者と知ったからだ。スパイの嫌疑《けんぎ》である。してみると、あの貨客船は彼らによく利用されているようである。
山上はいったん家に戻って身支度をし、急用ができたからと事務局へ欠勤を電話で通告し、チューリッヒ空港へかけつけた。ハンブルク行は午前十一時十分発の便があった。
飛行時間は約一時間。
ハンブルク空港からタクシーで駅へ直行した。リューベックへは向わなかった。オルデンブルクの温室花壇に福光福太郎の姿はないであろう。もしかすると、花壇そのものを閉鎖しているかもしれなかった。これは直感である。
福光はもう一つ花壇予定地を持っていると云った。
東のリューベックからユトランド半島を横断して西の北海へ出たジルト島である。州はシュレスウィヒ・ホルシュタイン。
(エイズ時代の今日でもジルト島は安全です。天国です)
福光の女助手が説明したのを山上は憶《おぼ》えている。
(そのわけは、ジルト島は本土と一〇キロの鉄道一本の土堤《どて》一つだけでつながっていて、本土からの入口にあたるニィービュル駅では州の保健局の医員が乗客を検査し、すこしでも怪しい人はそこで下車させるからです。島には絶対にエイズは入りません)
(ヨーロッパにエイズが猖獗《しようけつ》をきわめると、列車を廃し、土堤を切断してしまいますから本土とは交通|遮断《しやだん》です。安全な者だけが小舟で通う。島の平野部には麦がとれます。牧牛がうまい。もちろん漁業は豊富です。わたしたちは島に二エーカーの土地を買っています。社長(福光)は将来、そこで花壇を建設なさるつもりです。いまはその看板だけが立っています。島の中心地は駅前のヴェスターラント地区といいます。その通りの一画に花壇建設事務所だけを設けてあります)
(そのヴェスターラント地区はとても賑《にぎ》やかです。大学の分校があり、スポーツ学校があり、病院があり、製薬会社や化粧品会社もあります。人口が少なくて空気が澄んでいるものですから)
ハンブルクからニィービュルまでは準急で二時間かかる。山上は車窓に流れるユトランド半島の西海岸の風景を眺めながら福光の「女助手」の言葉を耳に反芻《はんすう》していた。
海は見えたり隠れたりする。見えたときは北フリージア諸島の島々が過ぎる。黒い島の背後にはすでに落日がはじまっていた。まだ三時であった。
右側の窓は平原で、うら枯れた林と赤煉瓦《あかれんが》の小さな農家が流れていた。牧場らしい柵《さく》は見えたが、ホルシュタイン種の牛はなかった。
ハイデという駅に二分間|停《とま》って発車した。
(その製薬会社はフランクフルトに本社があるのですが胃腸薬を造っています。ジルト島の女性に仕事を与えてほしいという州の要請から分工場を作ったのです)
「女助手」に更にジルト島のことを聞いた時の答えである。
(それと隣り合せに化粧品工場があります。これはデュッセルドルフに本社のある分工場です。やはりジルト島の議員たちが誘致したもので、白粉《おしろい》を専門に造っています。女の子の従業員約五十名のこぢんまりとした工場です)
(ジルト島はきわめて狭い島です。お化けが立ち上っているような細い足の先が消えている形で、面積は日本の小豆島《しようどしま》ぐらいしかありません。島の北端の海がデンマーク領です)
ニィービュル駅に着いた。
シュレスウィヒ・ホルシュタイン州保健局の医官はエイズ感染者の検査に乗りこんではこなかった。福光の「女助手」の話とは違う。
列車は桟橋《さんばし》のような鉄路をゆっくりと進んだ。両側の窓のすぐ下に海が来ている。「|お化け《モンスター》」が細長い手をさし伸べている部分だ。砂嘴《さし》の上に築かれた人工的な土の掛け橋。
夜に入っていた。星が輝いている。鉄路の監視員がいたるところに立って手の信号灯を振っていた。
島の灯が近づいてくる。都会的な灯。
はなれたところに灯台の光がまわっていた。星空に届くほど高い。灯台下のまわりには人家のともしびが少なかった。
漁船の灯が暗い海をすべっている。
列車は明りに満ちた構内に入った。アナウンスが聞える。
「江戸須田町《えどすだちよう》、江戸須田町」
山上はびっくりした。
エンデスタチオン(Endestation=終点)の早口がそう聞える。
やはり緊張しているのだ。敵地に乗りこんできた心地だった。
ジルト(Sylt)島のヴェスターラント地区でも中心街で賑やかなのは駅前周辺のザンクト・ニコライ|通り《ストラツセ》や、キール通りとバスリアン通りとに挟《はさ》まれた数条の小路である。ここにはブティックのほかにレストラン、パブ、コーヒー店などがある。
風が冷たくて強い。
ヘンニング通りというのに入った。小レストランを見つけた。
ものを訊《き》く目的と、腹を満たすためである。今日は昼飯をろくに食べないでいた。店の中は客一人いなかった。午後四時半である。いくら早く暮れるといっても夕食には早すぎる。準備ができていない。外国人の夕食は八時ごろからだが、夜が早く来るこの島でも同じらしい。
「この近くに、花壇造営の事務所があるはずだが、その場所を教えてください」
目的はこの質問だった。
「花壇の事務所?」
まるまると肥ったマダムは首をかしげた。
「花壇といっても、この島にこれから造るのです。経営者は日本人ですが。たしか駅前通りにその準備事務所があるそうですが」
「さあ。そんな事務所の看板をこのへんで見たこともなければ、聞いたこともないね」
マダムは無愛想に答えた。
パブに入った。中はがらんとしている。若者が両手を振って開店は六時からだと云った。山上は同じ質問をした。
「知らないね」
追い出さんばかりにして云った。
コーヒーショップは営業していた。若い男女客が七、八人いたが、みなこの島の者らしかった。
「腹が空いているのだが、何ができる?」
三十四、五の逞《たくま》しい男で店主らしいのが横に立った。
「トーストかサンドウィッチくらいです」
「サンドウィッチがいい。それとコーヒーをね」
前の二軒に懲《こ》りて、質問はあとにした。
運ばれてきたのはオープンサンドウィッチだった。鮭《さけ》、ハム、小エビ。スラエルセ牧場で食べたスモーブローと同じだ。このへんになると北欧の風が吹く。島の北端がデンマークとの国境だ。
もう一皿を追加した。空腹だった。
「うまいか」
店主がきいた。
「最高だ。こんなうまいものを食ったことがない」
店主はよろこんでいる。
「ときに」
その機会をとらえて、咽喉《のど》まできている質問を発した。
「はてね」
男は頑丈《がんじよう》な頤《おとがい》に手を当てて考えている。
「わしはそんな花壇事務所を見たこともないが、女房が知っとるかもしれん。あいつは地獄耳だから二キロ四方のうちのことならなんでも知ってる」
店主の幅の広い肩は、いったん奥へ引込んだ。料理を賞《ほ》められたうれしさからか、ほんらいの性質からか、とにかく親切であった。
しばらく経《た》って戻ってきた彼は顔をしかめていた。
「家内もそんな花壇の事務所なんて知らないと云うんですよ、お客さん。二軒先がアクセサリー屋でね、そこのかみさんもこのへんに詳しいので聞きに行かせたが、やっぱり知らないと云うんでね」
彼は両手をひろげた。
――また福光福太郎にかつがれた、と思った。あいつの口の出まかせだったのだ。
もっとも、こっちがジルト島くんだりまで出かけるとは、福光もまさか考えてはいなかったろうから、軽い気持でホラを吹いたのかもしれない。それを真《ま》にうけて遠路はるばるとやってきた自分のほうが悪かったのだと、軽率を悔んだ。
今夜はどこかのホテルに泊り、明日は面白くもない島めぐりでもして、匆々《そうそう》に帰るしかないと鬱《ふさ》ぎこんで苦いコーヒーをすすった。
だが、ジルト島に大花壇の予定地を二エーカー持っていると云ったのは福光ひとりではなく、傍についている「女助手」もそう話していた。まさかみんな揃《そろ》って、益にもならない嘘《うそ》をつくはずはないと思った。
だが、駅前にその準備事務所があると云っていたが、現実にはそれがない。やっぱり嘘だったのかな。それとも準備事務所だけが嘘で、予定地の二エーカーの土地は本当かな、とも思った。
そこへ冷たい風とともにドアが開いて五人づれの若い女が入ってきた。向うの席が先客でふさがっているので、山上の隣のテーブルにきた。
この島の娘たちらしいし、勤め帰りのようである。六時近いから、五時に退《ひ》けるらしい。やはり夜が早くくる島である。
娘たちはオーダーしたものがくるのを待って賑やかにしゃべり合っている。友だちの噂《うわさ》や交際している男の話ばかりで、どういうところに勤めているのかわからない。
そのうち、山上はかすかな臭《にお》いの漂いを感じた。香水とも違っていた。しかし、職場の臭いである。
山上は思い切って、笑いながら訊《たず》ねた。
「あなたがたは、どこへお勤めですか」
娘たちは話をやめて彼の顔を見たが、隣近くに坐《すわ》っている娘が返事した。
「わたしたちは製薬会社で働いています」
薬の臭いだったのか。一人だとわからないだろうが、五人集まると皮膚に滲《し》みついた職場の臭いがする。
山上は、はっとした。福光がオルデンブルクの温室花壇でこう云《い》ったのだ。
(ジルト島には、フランクフルトに本社をもつ製薬会社があります。胃腸薬を造っています。ジルト島の女性に仕事を与えてほしいという州の要請から分工場を造ったのですが、約五十人が働いています。……胃腸薬じゃ、仕方がありませんな)
この、胃腸薬じゃ、仕方がありませんな、と福光が云ったのは、山上が島に製薬工場があると聞き、それが血液製剤を造っている西ドイツ衛生薬業会社の経営ではないか、と疑念を持ったのを見ての答えだった。
仕方がなくはないぞ。
胃腸薬の製造といっても、内部で何を造っているかわかったものではない。胃腸薬をつくる一般女子従業員とは離れた別の建物の中で、秘密にだ。
「その製薬会社はなんという名ですか」
「フランクフルト製薬会社ジルト分工場です」
名称なんかはどうにでも付けられるものだ。
「ははあ。その分工場はここから遠いですか」
「そうですね、八五〇メートルほどあります。海岸の方角で、シュットレン通りにあります」
娘はすらすらと云った。
「毎日お疲れさまですね」
山上は立上り、ボストンバッグに手をかけた。
「花壇事務所がわからなくて、気の毒しましたね」
レジの店主が太い指先でツリ銭を出した。
スチームのきいた店を出ると、また顔に冷たい風が当った。
電気器具店が眼《め》について、懐中電灯の大きいのをそこで買った。
シュットレン通りへ行く道を店の主婦に教えてもらった。
通りがしだいに寂しくなった。町の灯も外灯も少なくなる。初めての土地なので一キロの道は遠かった。かなり重いボストンバッグを提げる手の甲が凍る。
星が近い。光が冴《さ》えている。遠くに波の音がしていた。北フリージアの海である。
高い建物の灯が見えてきた。建物が三つくらい散在している。工場街というには、ばらばらになりすぎている。
人通りはほとんどない。どの工場も操業が終っている。
とっつきの工場の塀《へい》のそばに行った。塀は長い。外灯は疎《まば》らである。閉められた門の前に寄った。外灯の光で、そこに掲げられた銅板彫りの「フランクフルト製薬会社ジルト分工場」の荘重なドイツ文字が浮き上った。
ははあ、これがそうか。
門から建物までは五〇メートルくらいもある。道の両側に低い杉の並木。分工場は三階建である。奥行はかなりある。女子従業員五十人にしては贅沢《ぜいたく》な面積だ。畑だった土地に建てたのだから広いのは当然としても、内部に何か別工場がありそうである。
警備員らしい人影が門内に動いたので山上はそこを離れて、隣の工場建物へ歩いた。間に広場のような空間がある。従業員の運動場か、資材置場といったところだ。
福光福太郎の言葉には意味がある、と山上は歩きながら考えた。ホラ吹きのように聞えるが、考えてみると、あいつの云ったことにまるきりの虚言はなかった。このジルト島の名を口にしたのも、理由があるからだ。
――エイズ・インフルエンザ・ウイルスを製造するには、さほどの場所は要らぬ。材料となるエイズ・ウイルスはエイズ患者や感染者の血液から採ればよい。血友病患者に被害を与えた血液製剤業者は、汚染した血液を使っていた。そういうものからでもエイズ・ウイルスは採集できる。
あるいは疫学《えきがく》研究所とか、医科大学の研究室に保管されているエイズ・ウイルスを持ち出して培養する方法もある。研究所や大学のエイズ・ウイルス管理は厳重に見えるが、あんがいルーズなところがある。
インフルエンザ・ウイルスにいたってはどこにもある。
エイズ・インフルエンザ・ウイルスの撒布《さんぷ》にはそれほど多量を要しない。実験場程度のスペースさえあれば、目的の量は製造できる。感染そのものがひとりでに拡がってゆくからである。下火になりかけると、またこのウイルスを撒く。「兵器」と呼ぶには、あまりに実験室的な「培養的製造」である。
エイズが空気感染《ヽヽヽヽ》するとはだれも予想していない。風邪といっしょにエイズにかかったとは、だれが知ろうか。
しかし、いかなる新開発の兵器も永遠であり得ない。いつかは敵もそれに気がつく。
そのときは廃棄される。風邪と共に去りぬ、である。さらに新しいウイルス兵器が創造されよう。――
次の工場は、海産物の加工工場であった。これは大きかった。
その次は化粧品会社であった。「白粉《おしろい》を造っている」と福光は云った。すべて彼の言葉通りだ。
化粧品工場は最も小さかった。パウダーだけだからだろう。が、敷地はやはり広かった。隣の海産物加工工場からの臭気を防ぐためか境界に樹木の林を造っている。それが背後から反対側にまで回っている。
白粉製造工場というけれど、この防風林めいた囲いかたは、いかにも小工場の秘密を護《まも》っているようである。ウイルスとはまったく縁のなさそうな化粧品製造工場なのも偽装めいているし、小さな工場というのも気にかかる。
そういえば、隣の海産物加工工場も訝《あや》しい。魚介類の強烈な臭いは、すべての秘密を隠蔽《いんぺい》する。
どうしたものか。
こればかりは人に訊くわけにゆかない。また、通る人もなかった。
立ちつくしていると、星空の一角に閃光《せんこう》が流れていた。その光は消えたり現われたりする。
灯台だ。島に近づく列車の窓から見えていたあの灯台の点滅だった。その下は人家のともしびはなくて暗かったのを見おぼえている。
閃光が山上の頭の中にも射《さ》した。
(二エーカーの花壇の予定地には、その看板だけが立っていますよ)
福光の女助手の声が蘇《よみがえ》った。
どうして早くこれに気がつかなかったのか。
その立看板というのを確かめに行こう。まさか「駅前の準備事務所」のように両方ともウソは吐《つ》かないだろう。
その看板さえ見つかったら、この島に福光福太郎が存在しているのは確実になる。
灯台の光が回転する。
(ぼくはアイデアを売るのが商売です)
福光の声が瞬間の光のように点《つ》く。
エイズ・ウイルスをインフルエンザ・ウイルスに乗せるという推理が当っているとすれば、発想者は福光ではなかろうかという気が山上にしてきた。彼は医学者でもなければ科学者でもない。彼は一種の空想家だ。彼の商売じたいが「奇商《クイア・トレード》クラブ」ものだ。空想的なアイデアを実現させるのが科学者ではないか。科学の発達は空想的着想から出発している。
福光からそのアイデアを買った側が科学陣や医学陣を督励して、エイズ・インフルエンザ・ウイルスを創《つく》り出したのかもしれぬ。
してみればエイズ・インフルエンザ・ウイルスの製造工場は、きっとこの島にある。ジルト島は「エイズを入らせない島」といったのは福光の反語だったのだ。「エイズを運び出す島」なのだ。その島の形も、お化けが立ち上って細長い手をさし出している。
花壇予定地の立看板のあるというその二エーカーの空地を見に行きたかった。
しかし、どうしてそこへ行けるのか。場所もわからない。方角も知れない。だいいち車がない。タクシーをつかまえるには、駅前まで一キロ近い道を手荷物を提げてまたぞろ引返さなければならない。
向うからヘッドライトが走ってくるのが見えた。タクシーであれかしと眼を凝らすと、タクシーではなく乗用車だった。
その車は、山上の横で鋭い音をたてて急停車した。
車のヘッドライトは山上の顔を正面から照らした。その眩《まぶ》しさを左へ避けると、光は消え、車が横にとまった。
ドアからひとりの女が出てきた。
「やっぱりドクトル・ヤマガミでしたね」
黒い影と声とが近づいてきた。
「前に、オルデンブルクの温室花壇でお目にかかりましたわ」
女は小さな懐中電灯を点け、その光を自身の顔に当てた。ブロンドの髪と微笑《わら》っている顔とが浮び上った。
「あ、福光君の……」
たしかに花壇の赤い花と緑の葉との間で働いていた女助手の一人だ。
「社長は、ここではフクミツとはいいません。ヘル・タシロとかグラーフ・タシロとか呼ばれています」
「Graf?」
伯爵《グラーフ》とは?
「なぜ福光君がタシロ伯爵なんですか」
「フクミツはペンネームです。タシロが本名だということです」
「田代が彼の本名だって?」
山上は二の句がつげなかった。
「はい。グラーフはそう云っています」
「なぜ、本名の田代が伯爵《グラーフ》と呼ばれるのだろう?」
「そのわけは、車の中でお話しします。風が強くて寒いですから、早く車の中に入ってください。グラーフ・タシロの居《お》られるところへ参りましょう」
「二エーカーの花壇予定地のあるところかね」
「そうです」
闇《やみ》と風の中で女はくすくすと笑った。
「グラーフは、ドクトル・ヤマガミがほどなく島にお見えになるころだと云ってました」
福光福太郎はそれを予想していたのか。
「それにしても、ぼくがこの場所に立っているのが、よくあなたにわかったね」
「知り合いの駅前のコーヒーショップに寄ったんです。すると、店の主人が、お客の日本人が工場地のシュットレン通りへ行くらしいと話してくれたので、てっきりドクトルだと思い、追ってきたのですわ」
「さすがにカンがいいね。花壇予定地へ行こうにもタクシーはないし、困っていたところです。大助かりです」
山上が車に乗りこむと、彼女もつづき、すぐにハンドルを握った。彼は重いボストンバッグを座席の横に置いて、痺《しび》れた腕をさすった。車内は暖かだった。
「オルデンブルクの温室花壇で先生にお目にかかりましたが、わたしの名はヘレーナといいます。どうぞよろしく」
暗い室内では、二十七、八歳くらいにみえた。
「こちらこそ」
駅前通り一帯の密集した灯を右手に通過して走った。
あたりがたちまち暗く寂しい通りとなった。
「さきほど通りすぎたのがこの島でいちばん賑やかなヴェスターラント地区です。これから北へ向うにつれて人里はなれた砂丘地帯になります」
ハンドルを動かしながらヘレーナが云った。
「この島だけでなく、オランダ領の西フリージアの島々は、強い西風によって砂が運ばれてできたのだそうです。海岸はゼロメートルで、すぐ海の中に入ってしまいます。わたしたちがいたリューベックのバルト海側とは違い、潮の満干の差が激しくて、それが高潮となって、よく内陸近くまで洪水《こうずい》になるんです」
灯台の灯が高い空に不気味に回っていた。二〇メートル以上はありそうだった。
「ですから、砂丘が防波堤になっています。木立ちはほとんどありません。強風にやられて樹木が育たないのです。緑の草もありません。海岸近くには石造りの漁師の家が、ぽつんぽつんとあるだけです。昔はヴァイキングの島でしたわ」
荒涼とした島の光景が想像された。が、車窓からは闇だけになっていた。
その中で小さな灯が疎らに流れて行く。
「オルデンブルクの花壇から見た景色はすばらしかったね。岬《みさき》や入江がいくつもあって、森が繁《しげ》っていた」
山上は云った。
「そう。あそこはリアス海岸です。この島は出入りのない砂だけの単調な海岸線です」
「ヘレーナさん。福光君は、どうしてこんな島に花壇を作ろうとするのかね?」
「それは直接ヘル・タシロにお聞きになってください」
「オルデンブルクの温室花壇は閉めたの?」
「閉めました。よくご存知ですね」
「わたしの直感です」
やっぱり想像どおりだったのか。
「ヘレーナさん。福光君の本名が田代と知って、意外でした。が、それにも増して驚いているのは、その田代がこの島で伯爵と呼ばれていることです」
そのわけを聞かせてもらいたい。福光福太郎とは、あまり語呂《ごろ》がよすぎる。平凡な「田代」姓が本名だろう。しかし、伯爵とは。――
「この地方には王党派の人々が多いのです」
ヘレーナは光に浮ぶ一本の白い道路を辿《たど》りながら答えた。
「王党派……」
ハンゲマン局長がよくその言葉を口にしていたっけ。
南ドイツは、バイエルン地方を中心にヴィッテルスバハ家への尊敬が残っている。この王家からはシュタルンベルク湖に入水したルードイッヒ二世が出ている。
北ドイツはプロイセンの繁栄を築いたホーエンツォレルン家がある。この王家からはフリードリヒ大王が出ている。大王はドイツ人の栄光だ。
「ホーエンツォレルン家の遠祖が」
とヘレーナは云《い》った。
「Thassilo Graf V Zollernです」
「ツォレルン伯タシロ五世。……」
山上は呆然《ぼうぜん》と反射的に呟《つぶや》いた。
「もっとも出身地は南に近いところで、遠祖のタシロ三世がカール大帝に征服されてからは北に移り、タシロ五世のとき、シュツットガルトの東南約四〇キロにあるツォレルン丘上のヘッヒンゲンに一|城塞《じようさい》を築きました。それが同王室のはじまりです」
「ヘッヒンゲンに?」
山上は思わず云った。
「おや、その土地をご存知ですか」
「いやいや、どこかで聞いたことのある地名だと思っただけです」
ヘッヒンゲンを忘れてなるものか。断崖《だんがい》から馬もろとも転落した福光をシュツットガルトの中央病院へ担《かつ》ぎこむため救護車を出した消防署のある町だ。その消防署員の案内で自分は福光の転落現場を見せてもらった。
福光の本名が田代であるところからその発音の相似で彼は「タシロ伯」にさせられている。しかもシュツットガルトもヘッヒンゲンも福光の行動とは関係がある。タシロ伯――シュツットガルト――ヘッヒンゲン――の因縁《いんねん》に山上はおどろいた。
福光福太郎はタシロ伯に擬せられてどんな気分でいるのだろうか。
「ご本人も満足です」
ヘレーナはすこしも笑わなかった。
「彼は日本人です。日本人でもいいのですか」
「人種はまったく関係ありません。王党派にとっては『タシロ』という名が神聖なんです」
「ちょっとぼくには理解できない」
「王党派は民族主義です。極端な国家主義者の集団です。だからファナティックなんです。普通では考えられません。それはネオ・ナチ運動をごらんになるとわかります」
ハンゲマン局長もそんなことを云っていたっけ。
「その集団の人数は多いですか」
「ぜんぶだと一万人以上は居るでしょう。十九世紀のプロイセンは、現在の東ドイツはもちろん、ポーランド、エギトニア、ボルコニア、カルバニアのバルト海沿岸の全地域を版図にしていましたから」
それはそのとおりなのだが、いまヘレーナの口から東ドイツ、エギトニアが出たのを聞いて、山上ははっとした。
「すると、その民族主義者集団には東ドイツ人もエギトニア人も含まれているの?」
ライプチヒ交響楽団員とエアフルト国際園芸博覧会員とは東ドイツ人だ。デンマークのスラエルセ牧場にいた亡命者はエギトニア人だ。――
「東ドイツから西側に脱れてくるのがあとを絶たないのは、自由を求める人たちだけではなく、ホーエンツォレルン家の王政を憧憬する王党派もあるのです。エギトニアなどバルト三国の人たちはゲルマン人ではありませんが、モスクワの厳しい統治に反対して、その反動がプロイセン時代への回帰意識となるのです」
ヘレーナの理屈には独断があるにしても、彼女は躊躇《ちゆうちよ》なく云う。
「このジルト島にはそうした集団の集会がありますか」
「組織的な集会はないようです。でも、心を同じくした人たちがしぜんと此処《ここ》に集まります」
「此処に? 何処《どこ》に」
「これから、わかります」
見つめている光芒《こうぼう》の前方を馬が浮んで横切った。ヘレーナは急ブレーキをかけた。
「農家の馬が逃げ出したんです」
徐行に移ってから彼女は云った。
「この辺は砂地道が多いので、地もとの人たちは馬で往復します。車は公道以外には役に立ちません」
五〇メートルくらい進むと、ヘレーナは車を停めた。道がカーブになっている。ヘッドライトの明りはそこから荒地を照射した。
枯草が大地を蔽《おお》い、風に波打っていた。
「ヒースです。ヒースの蔓草《つるくさ》がひろがっているのです」
ヘレーナは云ってハンドルを動かし、ライトの方向を変え、前面をサーチライトのように照らし出した。
一条の光芒の中だが、そこに映し出される荒涼とした風景に山上は息を呑《の》んだ。
「この砂の上にできた草原の二エーカーがわたしたちの花壇建設地ですわ」
ヘレーナは見惚《みと》れるように荒野を眺《なが》めて云った。
「えっ、こんな荒地にですか」
山上はおどろいて叫んだ。
「ここからは見えませんが、あのヒースの中に、花壇建設予定地の立看板が立っています」
彼女はフロントガラスごしに指さした。
「これじゃ探しに来てもわかりようがないわけだ。しかし、なぜ、よりによってこんな場所を福光君は花壇にするのだろう?」
「伯爵は」
と、ヘレーナは福光のことを云った。
「この土地が花壇を造るのに最も適当だといっております。というのは、砂丘が高潮をくい止める自然の防波堤になっているからです」
「高潮がくるのか」
「さきほど申しましたように満干の差が激しいからです。海がもり上り、津波のように島へ押し寄せるのです。それはこのジルト島だけでなく、オランダ領の西フリージアからドイツ領の東フリージア、そしてデンマーク領にかけての北フリージア諸島はみな同じです。とくに北海に突き出たユトランド半島沖の北フリージアの島々は高潮をまともに受けるのです。歴史的にもその大災害が何回も記録されています」
「……」
「そんなわけで、十数メートルの高さがある砂丘の内側は安全という次第です」
「しかし、この辺がまだ開発されていないのは、どういう理由からですか」
「ジルト島は金持ちがやってくる避暑地です。けど、それはさっきドクトルを車にお乗せした南部のヴェスターラント地区です。あの海岸には贅沢《ぜいたく》な海水浴場の設備もあり、立派なホテルもたくさんあります。街はハンブルク市内の出張所みたいでどんな商店でもあります。製薬会社も化粧品製造会社も、海産物加工工場もあります」
山上はうなずいた。見て歩いたばかりである。
「それにくらべると北部のこのリストラント地区の海岸は砂丘の断崖が多くて海水浴場にならないのです。島の形でいえば『|お化け《スプーク》』の頭と顔の部分に当ります」
「ホテルは?」
「北部地区にはありません」
「住民は?」
「漁師が住んでいます」
「わたしは駅前通りで『花壇建設準備事務所』をずいぶん探しました。だれも知らなかったね」
山上は不平を云った。
「すみません。事務所ははじめから無かったのです」
「なかった?」
「あれは伯爵がドクトルをこの島へお誘いする手段だったのですわ」
「手段とはどういうことか」
「事務所を探されるドクトルはきっとあのコーヒーショップに入って在りかを聞かれるでしょう。そしたら、店主は陰で伯爵に電話して、ドクトル・ヤマガミそっくりの日本人がきたことを通知するようになっていたのです」
道理で、店主が、女房に近所を聞きまわらせたと云って、時間をかけたはずである。
「コーヒーショップの店主も王党派の一人だったのか?」
「そうです。グラーフ・タシロの崇敬者です」
「タシロ伯はどこに居る?」
「お待たせしました。これからすぐにご案内します」
ヘレーナはアクセルを踏んだ。
道路は、ゆっくりと湾曲を描いていた。北の突端の岬《みさき》がデンマークとの国境だ。道はゆるいカーブで折り返しになっている。柳の木立があった。
闇《やみ》の前方の高いところに一点の灯火が見えた。
「あの漁師の家です。ドクトルをお連れするのは」
ヘレーナはハンドルを敲《たた》いた。
細い灯火が窓から洩《も》れている家は、近づくにつれて砂丘の上にそのシルエットをくっきりと見せた。
遥《はる》か南のヴェスターラント地区の街の灯が夜空の下方にオーロラのように反射して、それを背景に建物が黒影となっているのである。
波の音が遠雷のように聞えていた。
その家の輪廓《りんかく》は大きかった。横に長い二階建だが、デンマークふうな建築の中でも、とりわけ頑丈そうであった。灯火は二階の窓に一つだけ点《つ》いていた。
「あれは古い網元の家です」
ヘレーナが山上に教えた。
そこに近づくには公道から岐《わか》れた小道を行かねばならない。車がやっと通れるくらいの小道は舗装がしてあった。周囲に集落がないので、「網元の家」のために造られた砂の中の舗道であったから、馬で行かなくとも済む。
砂丘の斜面についた折り曲った道を上ると、家の正面に着いた。
石壁の上に漆喰《しつくい》を厚く塗った建物には、低い煙突をいくつも乗せた切妻の大屋根が蔽い、その裾《すそ》は地上近くまで垂れていた。屋根が急斜面なのも、それが下まで蔽うのも強風から窓ガラスを保護するためだった。黒味がかった楡《にれ》のドアがぴったりと閉ざされている入口の前には外灯が一つあるだけで、暗がりの中とはいえ、見るからに陰鬱《いんうつ》な家だった。
ヘレーナがボタンを押した。家裏のほうで板壁を蹴《け》る音がした。別棟に馬小屋があるらしかった。
廏《うまや》があるのです。ここに集まる人たちが乗ってきた馬です、と彼女は云った。
ドアが開かれた。内側から射《さ》す光を背に女が一人立ち、「お帰りヘレーナ」と云い、山上には「ようこそおいでくださいました」と挨拶《あいさつ》した。逆光でその女の顔はわからなかったが、声は若かった。
うす暗くて階下のありさまがはっきりしなかった。左右に廊下があって小部屋がならんでいるようだ。ヘレーナは廊下まで行かずにその手前の階段を上った。山上の後にはドアを開けた女がついてきていた。
内部はすべて木造であった。階段にしても手摺《てす》りにしても石のように硬いのは造船の用材にされている樫《かし》とか欅《けやき》とか栗《くり》の類だからであろう。板床も船の甲板のようだった。
だが、二階の踊り場から左右に延びる廊下には緋色《ひいろ》の絨緞《じゆうたん》が敷かれ、ランターン形の照明器がさがり一列にならび、あたりがまったく一変してまるでホテルの中のようであった。
階下と階上とは様子があきらかに違っていた。階下は以前のままの古めかしい網元の家を遺していたが、階上はそれを改造して近代的な内装にしていた。その改造もまだ新しかった。
ヘレーナは右廊下の突き当りに近い部屋の前に立ち、楡のドアを忍びやかに敲いた。ドアの上には獅子《しし》の頭が付いていた。飾りは黄金の光を放っていた。
ドアが静かに内側から開かれた。若い女が立っていた。ヘレーナが身をわきにすざると、女は山上を中に導いた。
その部屋はサロン風になっていて、きらびやかにできていた。大理石のマントルピースには炎が渦《うず》巻き、前には白樺《しらかば》の薪《まき》が井桁《いげた》に積み上げられていた。外の寒気とはうって変って、ここは南国であった。
旧家の面影《おもかげ》をのこすために壁は樫の羽目板になっていたが、そこには楯形《たてがた》の中に中世騎士の半身像を入れた青銅の彫刻物がところ狭いまで並んでいた。
そのなかで中央のは大きな楕円形《だえんけい》の懸け額だった。空にリボンを飜《ひるがえ》した王冠が浮び、その下に山岳がそびえている。鉄製に金《きん》鍍金《めつき》を施した眩《まぶ》しいばかりのもので、王冠に結ばれたリボンの片方には「Zollern Hogel」、一方には「Hechingenburg」の文字が荘重な字体で入っていた。ツォレルン家の始祖タシロ伯は、ヘッヒンゲンに一城を築いたのである。
それと対向するマントルピースの上には、五十号ほどの大きさの油彩画が、アカンサス文様の金の額縁に入って掲げられてあった。その画は古代の王が甲冑《かつちゆう》を着けて騎乗している姿で、白馬は前脚を挙げ、王は手綱を握り、一方の手は長槍《ながやり》を垂直に持ち、槍の下には敵兵が刺されて倒れているといった構図である。王の顔は茶色の濃い髯《ひげ》を蓄え、冑《かぶと》の下に見開いた眼は鋭く光っている。背景は森林で、遠くに海がのぞき、空には乱雲が流れている。たぶん始祖のタシロ伯の肖像であろう。画はルネッサンスふうで、画家の腕も相当なものだった。
室内には装飾的な調度がいくつも置かれていた。十八世紀末の仕掛化粧台とか鍍金銅製の置時計とか象嵌《ぞうがん》入りの机とかロココの華美なものばかりであった。
山上が眼《め》をみはってその一つ一つに見入る時間はあまりなかった。隣室との仕切りドアが開かれて、さらに燦然《さんぜん》たる世界があらわれたからである。
それは二部屋をつないだくらいの広さであったが、別棟のように海側へ張り出していた。そのため出入口は横についていた。
山上の眼を奪ったのは正面と左右に張りめぐらされたタペストリーだった。その一帷《ひとまく》ずつの模様を識別するには時間がかかるが、とにかくその華麗さが瞬間|閃光《せんこう》のように視覚にとびこんできたのだった。それは窓の外に聞える海鳴りの、ひときわ高く押し寄せた怒濤《どとう》の響きと同じくらい山上の身体《からだ》をゆすった。
衝撃はそれだけではなかった。タペストリーが垂れている間は、ほどよい空間になっているが、そこは、油彩の肖像画で占められていた。人物には武将あり、白髭《しろひげ》の老人あり、美しい貴婦人あり、気品の高い老婦人あり、幼児を膝《ひざ》に乗せた妃ありといったありようである。
正面のタペストリーの前には祭壇がしつらえてあった。二段になっていたが、下段は人の身長ほどもあって高く、上段はその半分であった。祭壇は燃えるような深紅で、それが天井から垂れる燭台形のシャンデリアに輝いていた。
だが、ほんとうに燦《きらめ》くのは上段の中央にある黄金の彫像である。王冠を頭につけた髯面《ひげづら》の人物半身像である。胸には動物文様の首飾りをつけている。この顔ならさきほど控の間のサロンで見た油彩画のタシロ伯と同一人物である。
そのすぐ下の下段中央には、王冠の下に両翼をひろげた鷲《わし》の彫刻がある。鷲は胸に楯(そこには剣を持った同じ形の鷲が刻まれている)の紋章が置かれてあった。これぞホーエンツォレルン家の家紋である。これは銀であった。
両側には金色の燭台が四つずつ置かれ、そのいずれにも大|蝋燭《ろうそく》が高く立って、まるでミナレット(尖塔《せんとう》)のようであった。そのミナレットの先には火が燃えていた。
中央上段の本尊的な黄金の王の像と、下段の直下の位置にある銀の紋章を中心に、数々の置き物が供献されてあったが、それらは小さすぎて、遠くからはよくわからなかった。
ここには裾長《すそなが》のドレスをきた若い女がかしずいていた。その一人が、呆然《ぼうぜん》と佇《たたず》んでいる山上に、こちらへどうぞ、と低い声で云った。そこは祭壇と向い合った黒大理石の壁になっていた。同色のマーブルの大きなマントルピースがあり、中で炎が渦巻いて上っていた。その煖炉《だんろ》の上には巨大な油彩が掲げられ、その画題は、七年戦争でオーストリア軍、フランス軍、ロシア軍に包囲されたプロイセンのフリードリヒ大王が苦戦の図といったところだった。これは途中で即位したロシアのピョートル三世がフリードリヒ大王の熱烈な讃美者《さんびしや》であったためにロシア軍は包囲を解いて撤し、大王が勝利を手にする栄光ある有名な戦闘場面であった。
だが、山上の眼を強くひいたのは、そんな歴史画よりも部屋のコーナーの飾り台にある一羽の孔雀《くじやく》だった。
その孔雀は高い台の上に造られた銀製の岩に乗って長い尾筒を垂らし、羽冠のある頭を昂然《こうぜん》ともたげていた。天鵞絨《ビロード》のような光沢ある緑色も照明に映えていっそう艶々《つやつや》とし、ひろげると扇の先にあるハート形の斑紋《はんもん》も美しいエメラルド色であった。もとより剥製《はくせい》だが、いまにも歩き出しそうなくらいに迫真性があった。
この部屋の華美をさらに引き立たせるために豪華な孔雀を置いたというのが普通の見方であろうが、山上は特殊な意味をうけとった。
白孔雀。――
エイズの血液を連想する赤い色はもちろんのこと、それより徹底して色彩の一切を排斥する白色。
孔雀はむかしから王侯貴族の庭園に放し飼いされているシンボル。
色彩を忌避する王室の離宮は白孔雀を求める。
それと、タペストリーだ。陋屋《ろうおく》も華美なタペストリー一張を間仕切りに掲げることによって忽《たちま》ち宮殿の一室と化す。
しかし、離宮は色のないタペストリーを求める。こればかりは無色というわけにはゆかないから、色彩のうすい、地味なものを欲する。十六世紀のタペストリーがそれに適合する。
白孔雀と、白っぽいタペストリーはセットのようなものだ。福光福太郎はそれのある「離宮」を探しにシュヴェビッシェアルプ山脈の中を彷徨《ほうこう》した。
しかし、この部屋にあるタペストリーを見よ。ゴブラン織りや絹織りの華麗なものばかりだ。その一つ一つの文様は近づかないと定かにはわからないが、花鳥あり、婦女群像あり、幾何学文様などがある。おそらく十五世紀の最盛期の逸品であろう。
色のない孔雀とタペストリーの「離宮」。それとこの部屋とは、一種の共通点を持ちながらまったく対蹠《たいしよ》的である。
横手のドアが排《お》されて、純白の長いドレスを着けた女が入ってきた。うしろに若い女二人を従えた彼女は、肥満して、堂々たる体躯《たいく》だった。修道女のように頭から白布を垂れて、うつむき加減に山上に近づいた。
「この館《やかた》の主人でございます」
若い女が紹介した。
「よくおいでくださいました」
女主人は、赤ん坊のようにまるまるとした手を山上にさしのべた。
「あなたには、タシロ伯とチューリッヒでお目にかかりましたわね」
太い声といっしょに白布の端をめくって顔をあらわした。
「あ、マダム・クララ・ウォルフ!」
山上は、まわりが転倒して見えたくらいに驚愕《きようがく》した。
「たしかあなたはドクトル・ヤマガミとおっしゃいましたね」
ミニアチュールの数々をならべた古美術店で、(タシロの友だちはわたしの友だち)と云《い》った女は山上に微笑《ほほえ》みかけた。
「どうも、あの節は……」
山上はあとの句がつげなかった。
「ずいぶんわたしが変ったのでびっくりなさったでしょう?」
マダム・ウォルフは、二重にくくれた顎《あご》を動かし、厚い胸にかけた首飾りをきらめかせながら云った。
「まったく……あまりのことに」
山上はまだ声がつづかなかった。
「チューリッヒのお店は人に売りました」
「知っています、マダム。その後、お店を訪ねたときは中国陶器店になっていました」
「あら、おいでくださったのですか。それはどうも」
白布の頭をさげた。
「そうなんです。中国古陶美術店のスイス人にお売りしました。いい値で買っていただきました。商品の骨董《こつとう》も売り払いました。これはとても高い値で引き取ってもらいました。一級品ばかりですから業者が争いましたわ。そうしたお金で、この網元の家を買い、このように家を改造したんです。そして、手持ちのものと他の業者の骨董とを多少交換したりして、ここに飾りました」
クララは、山上を誘うように室内に眼を一巡させた。
「ここは、プロイセンの王室ホーエンツォレルン家の魂の家です」
彼女は山上を促して祭壇の正面に進んだ。上段中央に置かれた金製の半身像に対《むか》い、恭《うやうや》しく手を合わせたが、まるでルター派ふうな礼拝であった。
「このお方が、偉大なプロイセンの始祖王ツォレルン伯、タシロ五世です」
彼女は誇らしげに山上に云った。
「その下にあるのは申すまでもなくホーエンツォレルン家の家紋です」
銀製の鷲の紋章を云った。
「ああ、なんという輝かしい紋章でしょう。この鷲のはばたくところ、プロイセン時代、東方はバルト海沿岸地方からロシア国境まで、西方はフランス国境、南はオーストリア国境まで、すべての全土がひれ伏したのです。威厳のある紋章です。こんな立派な紋章は世界中のどこにもありません」
彼女は山上を肖像画の前に連れて行った。
「ここに掲げられてあるのは、みんなツォレルン伯タシロ五世の子孫の方々です」
古風な軍装を着けた白髪に顎鬚《あごひげ》の肖像の前に立った。
「このお方は十七世紀のプロイセン公ヨハン・ジキスムントさまです。ブランデンブルク選帝侯です。始祖からずっと後の方です」
うっとりと眺《なが》めた彼女は山上の歩を次々と移させた。
「このお方はフリードリヒ・ウィルヘルムさまです。ブランデンブルク大選帝侯です」
肥満した婦人像の前に立った。
「フリードリヒ一世の妃ゾフィ・シャルロットさまです。……畏《おそ》れ多いことながら、わたしと同じくらいにいい体格をしていらっしゃいます」
「こちらはフリードリヒ・ウィルヘルム一世です。有名な『兵隊王』です。プロイセンの基礎をかためられた王です」
「こちらはその子息のフリードリヒ二世です。すなわちフリードリヒ大王ですよ」
彼女は高らかに云った。
「このお方こそホーエンツォレルン家の中興の祖です。輝かしい大プロイセン王国の建設者です。さすがのオーストリアの女帝マリア・テレジアも歯が立たなかったのです。ご存知のように、ロシアのピョートル三世はフリードリヒ大王を敬愛するのあまり、ロシアの宮廷も軍制も一時はプロイセン式になったものです」
――このとき、ドアが開けられ、聞きおぼえのある声がとびこんできた。
「やあやあ、山上先生。いらっしゃい。今晩は」
部屋に入ってきた男は、頭は中世風な惣髪《そうはつ》で、それは法廷で見られる法官の鬘《かつら》のようで、口には短い髭《ひげ》を蓄《たくわ》え、服装といえば、シャツの襟《えり》を高く立てて巻いた白い布を前で結び、そのリネンの結び目を上衣《うわぎ》の狭い胸からのぞかせる中世風で、肩の上からは表が黒|天鵞絨《ビロード》、裏が紅絹地《もみじ》のマント形のガウンを羽織っていた。
彼の姿がここに現われるや否《いな》や、マダム・クララ・ウォルフはじめ、女性たちは一斉《いつせい》に低頭し、小腰をかがめた。
「山上先生。ようこそ。お待ち申し上げておりました。……こんな格好でお目にかかるのは、ちと気恥かしい次第ですが」
つかつかと寄ってきた福光福太郎は山上の手をしっかと握った。
姿こそ変っているが、その声は前と同じで、むしろ以前よりは精気があった。
「驚天動地、意外や意外という言葉があるが、福光君、きみにここで再会してまさにそのとおりを実感してますよ。なんともはや云うべき言葉が出ない」
山上は、舞台上の人物にでもなっているような福光を、ただまじまじと見つめるだけであった。
「恐れ入ります、先生。これについては、いろいろと事情もあり、行きがかりもありまして……」
彼は両手を揉《も》み合せた。
「だいたいのことは、ぼくをここに案内してくれたヘレーナという女性から聞きました。彼女の話による予備知識なしに、いきなりここでタシロ伯のきみに会えば、ぼくは気絶するところだね。それでなくともチューリッヒのマダム・クララ・ウォルフがいきなり現われたのには仰天したから」
「ぼくもそのつもりでヘレーナに意を含めて先生をヴェスターラントへお迎えにやりました。ぼくがこういう状況に巻きこまれた次第をあらましお話し申すようにとね」
福光は云って、そこに侍立している白衣の若い女たちを山上に見せた。
「先生、この女の子らの顔に見おぼえがあるでしょう? オルデンブルクの温室花壇で働いていた連中です」
「あのときの女助手?」
「そうです。……」
そういわれるとぼんやりと記憶がある。
「これはカタリーナ」
「これはハンナ」
「これはルイザ」
「これはエバ」
「これはヒルデガルト」
名を紹介すると、一人一人がにっこりして腰をかがめた。
福光がヘレーナに眼くばせすると、彼女は進み寄って福光の背後にまわり、ガウンを脱がせた。緋《ひ》の裏地が飜《ひるがえ》った。
山上はおどろいた。福光の上衣は黒の短衣、長いズボンは白、それも脚にぴったりの股引《ももひき》のような筒形、どこまでも中世風の服装《いでたち》だったが、上衣の胸には楕円形《だえんけい》の大勲章を佩用《はいよう》していた。
それをよくよく眺めると、中はホーエンツォレルン家の家紋である鷲《わし》が双翼をひろげ、胸には剣が二本交差し、輪で囲み、その中央上部に王冠を戴《いただ》き、それを中心に八方から旭光《きよつこう》が出ている、といった意匠だった。地はルビーとガーネットとの深紅の組合せ。鷲、王冠、旭光は二十二金ぐらいの眩《まぶ》しさ。剣は白銀。直径およそ八・五センチ。華麗・壮大無比である。
マダム・クララ・ウォルフは自身の白布の頭を勲章の前に垂れ、肥満した身体《からだ》を窮屈そうに折った。
「偉大なるプロイセンの祖王《おやぎみ》よ。永遠《とわ》に幸《さち》あれ。神の加護《まもり》あれ。子孫よ栄《は》えませ」
と口ずさんだ。
するとなみ居る女たちもみな跪《ひざまず》いて、鷲の勲章を拝み、
「偉大なるプロイセンの祖王《おやぎみ》よ。永遠《とわ》に幸《さち》あれ。神の加護《まもり》あれ。子孫よ栄《は》えませ」
と斉唱した。
勲章を拝むことは、福光福太郎ことグラーフ・タシロを礼拝するのと同じであった。
どうやらこれが習慣的儀式のようだった。
福光は、あきれた眼で見ている山上の前でもいっこうに照れるふうはなかった。それどころか、かえって倨然《きよぜん》となり傲然《ごうぜん》となった。まさしくツォレルン伯タシロ五世の後裔《こうえい》を演じていた。
もともとこの男、芝居気のある性質だが、いかに周囲の「王党派」に乗せられたとはいえ、こうまで度胸があったとは思えず、山上はただただ舌を巻くのみだった。
福光も山上の顔色を読んでか、
「マダム」
クララ・ウォルフを呼んだ。
「余はドクトルと内密な話がしたい。汝《そち》らは暫時《ざんじ》、別間に引きとるがよかろうぞ」
と、おごそかに云いつけた。
「心得ましてございます、伯爵《はくしやく》」
マダム・クララ・ウォルフはうやうやしく答えて、若い女たちに命じた。
これよ、テーブルをここへ、ブランデーとお料理を運べ、煖炉《だんろ》の火が絶えぬよう白樺の薪《まき》をもっと燃やせよ、すべてが済んだら、一同、御前を退《さが》るのじゃ。
福光福太郎は帆掛け船を思わせる高い背の椅子《いす》に坐《すわ》った。もっともジルト島では、海水浴客用に強風を除《よ》けるため柳の木でつくられた背囲いの特別な椅子が海浜にならんでいる。しかし、福光が坐したのは、金《きん》鍍金《めつき》の枠《わく》に柔らかいクッションの、まるで君主か法王が掛けるような荘重な椅子であった。
対《むか》い合う山上のは普通の椅子だが、それでも四脚が湾曲したロココ風で、楕円形のテーブルとともに、セットになっている。
福光は、二人だけになってさすがに張り詰めた気が抜けたか、太い息を口から吐いた。
やれやれというように卓上のパイプをとり上げた福光を見て山上は膝《ひざ》をすすめた。
「福光君、これは何か特別な計画でもあるのかね?」
カラクリでもあるのかと訊《き》きたいところだが、言葉を変えた。
福光は鬘《かつら》のような惣髪を傾《かし》げ、こればかりは現代の金張りのライターで愛用パイプに火をつけていたが、
「いえいえ、カラクリもインチキもまったくありません」
と、長く煙を吐いた。煙の先は胸の王冠と鷲の燦然《さんぜん》たる勲章にかかった。
「この地方は、北部ドイツでもとくにホーエンツォレルン家の王党派の勢力が強いところです。それはヘレーナがひととおりお話ししたと思います。こういうエイズの荒れ狂う世になってみれば、人間は何かに頼らないと一日も生きられません。といって宗教はダメです。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、エイズの前にはいっさい無力です。そこで魂のよりどころは民族の祖先しかない。すなわち古典に帰れです。つまりホーエンツォレルン家です。そのために、このジルト島を聖地にしているのです」
「ジルト島が聖地だって? シュヴェビッシェアルプ山中のツォレルンの丘ではないのか。タシロ五世発祥の地の……」
「シュヴェビッシェアルプ山脈はすでにエイズで汚染されています」
「きみの譫語《せんご》……」
「そうです、シュツットガルトの中央病院に先生をお呼びして、うわごとに托《たく》して云ったあのことです。修道院はエイズで全滅、古城はその死体の投げ捨て場、村は潰滅《かいめつ》」
「ヨーロッパ宮廷の離宮は、ほんとうに見つからなかったのかね?」
福光は、山上と自分のグラスにブランデーを注《つ》ぎ分けた。三十年間貯蔵ものだった。料理は海の珍味。
海鳴りが轟《ごう》と鳴り、家が軋《きし》んだ。祭壇の蝋燭《ろうそく》の火が大きく揺れた。
「この部屋は海に近いので波の音が激しく聞えるんです。蝋燭が倒れると危ないから火を消しましょう」
福光は椅子から立ち上り、祭壇に進み、大蝋燭八本の火を供えものの花束を振って消した。
彼はもとの椅子には戻らず、そのまま祭壇の前に立った。
「ヨーロッパ王室のエイズ隔離所がシュヴェビッシェアルプ山中にあることは確実です。あのジュラ紀の石灰岩質の岩山ほどその離宮に似つかわしいものはない。その、まる味を帯びた頂上か、摺鉢形《すりばちがた》のドリーネの底か、または水のない鍾乳洞《しようにゆうどう》の中かもしれません。ぼくは確信しています。その各国の離宮は、年々にふくらみ、設備が拡張されます。エイズ患者に差別感はありません。一視同仁《ヽヽヽヽ》です。犠牲的な侍従・女官は増員されていることを」
「……」
「そのかわりそこはこの世の宮廷栄華絵巻です。あらゆる贅《ぜい》が許されます。王室の財政が許す範囲はね。ただし、エイズ・ウイルスを連想する赤い色は禁忌になっています。それの延長である色彩の濃いものは嫌悪《けんお》されます。白孔雀《しろくじやく》、色のうすいタペストリーが揃《そろ》えられるのはそのためです。……ぼくは、もうすこしでその場所を探し当てるところでしたが、古城の崖《がけ》から落ちて目的を果せなかったのは残念です。いまいましい鴉《からす》め。シューベルトの冬の旅の歌のように、すんでのところでぼくをカラスは墓場までつれてゆくところだった」
「福光君」
海鳴りの音響に消されないように山上は大きな声を出した。
「ここには、けばけばしいタペストリーが周囲にかかっているね。色の美しい孔雀の剥製《はくせい》も置いてある」
「ここがエイズが侵入しない離宮だからです」
「離宮だって?」
「そう考えているのは、王党派の人たちです。まあ、ごらんなさい、この祭壇の上段の中央に飾ってあるツォレルン伯タシロ五世の像は、鉄細工に金メッキしたものです。モデルはですな、アーヘンの大聖堂にある銀製に金箔《きんぱく》をつけたカール一世です」
「……」
「この銀製のホーエンツォレルン家の家紋にしたところで」
福光は下段中央の王冠と鷲の紋章を取って両手でさし上げた。
「鉄細工の銀メッキ。こういう鉄細工の看板は街道筋の古いホテルの軒にはいたるところぶらさがっています。マダム・クララ・ウォルフもその一つを買ってきて細工を加えたのかもしれません」
彼はひょいとうつむいて自分の胸を指した。
「同じ家紋入りでも、この勲章の材料はホンモノです。まさに正真正銘のルビー、二十二金、純銀を使っています。マダムがチューリッヒの知己の宝石商と宝石細工師を動員して作らせたものです。人々が眼《め》を近づけたり、ルーペでのぞいたりするような勲章だから、ごまかしはできないと思ったんでしょうね」
「それだけでもずいぶん高い値だろう」
「クララはあの店で儲《もう》けたぶんを貯《た》めていましたからね。それをこの王家の聖所の建設に吐き出したんです」
「どうしてそんなことになったのか」
「クララはマインツの生れです。死んだ夫もそこの生れです。十六世紀のマインツの大司教アルブレヒトはホーエンツォレルン家の出です。フリードリヒ大王の九代前です。それで夫婦とも、こちこちのホーエンツォレルン家びいきでした」
「マインツではブドウ畑でも持っていたのかね」
「どうしまして。クララの主人はグーテンベルク大学の美術学科の教授でしたよ」
「そうか。印刷術の発明家グーテンベルクはマインツの生れだったね」
「ウォルフ教授は大学で近代美術よりも中世美術を講じていました。中世美術といえばキリスト教画です。そして自分でも実技を学生に教えていたそうです」
「読めた」
山上は手を拍《う》った。
「ウォルフ教授に教わった学生たちがパリあたりでミニアチュールのキリスト教画を描いていたんだな?」
「当り」
「そして、教授に死なれたマダム・クララ・ウォルフがチューリッヒに移って古美術店を開いたとき、曾《かつ》ての教え子たちはマダムの要請で、あの宗教画のミニアチュールを描いていた」
「的中」
「すると、そこにならべられてあるホーエンツォレルン伯タシロ五世も、プロイセン公ヨハン・ジキスムントも、ブランデンブルク大選帝侯フリードリヒ・ウィルヘルムも、選帝侯の妃のゾフィ・シャルロットも、兵隊王ウィルヘルム一世も、フリードリヒ大王も、これらの肖像画はみんなミニアチュール画家の手に成ったものだね? 控えの間に掲げられた『フリードリヒ大王七年戦争の図』の大油彩画を含めて」
「おっしゃるとおりです」
「おや、これにはフリードリヒ大王までで、ドイツが統一国家となり、ドイツ皇帝になってからのウィルヘルム一世以下の皇帝の肖像画がないね?」
「マダム・クララ・ウォルフによれば、ホーエンツォレルン家の栄光はプロイセン時代までだそうです。ドイツ帝国になってからの王室は堕落し、ウィルヘルム二世つまりカイゼルにいたってついに国を滅ぼしてしまった。だから肖像画にはしないのだそうです」
「ああなるほどね」
「しかし、先生」
福光福太郎は、ここで反り身になった。
「カイゼルを入れようが入れまいが問題じゃありません。ぼくにとっては、それじたいが噴飯ものです」
胸の勲章を輝かして彼は演説した。
「これらの王さまたちは、みんな未開部落の酋長《しゆうちよう》です。ゲルマン人そのものが北方の野蛮人です。金髪に青い眼、白い肌《はだ》をもつ彼らはこのスカンジナビア半島から北ドイツ地方に住み、狩猟、牧畜をこととして精悍《せいかん》無比、一世紀ごろからローマ領のヨーロッパに侵入していましたが、ローマ政府も彼らをヨーロッパ領地の番犬に使うに及び、ついに四世紀のゲルマン民族大移動をひき起し、母屋《おもや》を取られて西ローマ帝国は滅びてしまいました。これは中国では後漢から三国時代にかけて長城外の北方遊牧民族を傭兵《ようへい》にしたため、彼らの侵略をうけて滅びたのと共通しています。げにや文字も知らず、礼も知らず、寒冷と粗食に耐え、獣を追って山野を跋渉《ばつしよう》する、筋骨|逞《たくま》しい未開人ほど文明人にたいして強いものはない。ゲルマン人はニンニクと玉ネギを食っているから臭い臭いと、その野蛮人ぶりをいまだに云《い》う人がある。ドイツ人はそのゲルマン人が基幹です。すなわち、ここにならんでいるホーエンツォレルン家の王たちは、その野蛮人部落の酋長どもですわい」
波の響きがとどろきわたった。
「ああ、よく海鳴りがする」
福光福太郎は窓辺に寄ってタペストリーをめくり、それに重なったおもおもしいカーテンの一端を開いて窓の外をのぞいた。
「強風といっしょに雨が降ってきました。どうやら嵐《あらし》が来るようです。外は漆黒の闇《やみ》。高い灯台の青白い光だけが回っている。その一条の光に照らし出された空には乱雲が低いところを矢のように走っております」
福光は云った。
「北海のこのへんはすでに初冬、冬から春にかけては嵐といっしょに高潮が押しよせます」
「高潮のことは聞いた」
山上は答えた。
「過去の例を具体的に申しましょう」
福光はカーテンを閉じ、タペストリーを撫《な》でた。
「先生。このタペストリーをごらんください。十五世紀のアラスです。イタリアのアラッツォで製作された最盛期のもので、アラスといえばこの期のタペストリーの代名詞になっているくらいです。このとおり画柄《えがら》は聖書からとったもので、花咲き果実がみのるエデンの庭で神々の男女が饗宴《きようえん》しています。原色の色糸を駆使したじつに美しいものです。祭壇のうしろにさがっているのは……」
福光は正面を指した。
「黙示録に材を取ったものです。黙示録といえばフランスのアンジェ大聖堂の世界一壮大なタペストリーが有名ですが、これはその一部の模写です。模写といっても、アンジュー公の下絵画家ジャン・ド・ブリュージュの弟子がこの下絵を描いたに相違なく、されば同じく十五世紀のものと思います。じつに絢爛《けんらん》たるものです。……それから先生、その右側にありますのは、十五世紀末葉のブリュッセル製の騎士物語です。騎士と貴婦人対面の場で、群像になっておりますな。これも、じつに華麗です。これ、みんなマダム・クララ・ウォルフが蒐集《しゆうしゆう》したものです」
「ブリュッセルといえば、福光君」
山上は口をはさんだ。
「ベルギー、オランダのフランドル地方の十六世紀の色の淡いタペストリーを買い集めて、それをだれかに売ったあと、何者かに殺された亮子《りようこ》さんの主人ベンドル氏の犯人を、きみは知っているだろう?」
「知りませんね」
福光は首を振った。
「あればかりはふしぎです。ベンドル氏から色のうすいタペストリーを買ったのは、白孔雀と同様に赤い色を忌むヨーロッパ王室のエイズ患者隔離所と思いますが、ベンドル氏にその秘密を知られてはならないので、離宮を護衛する秘密警備隊に処分されたと今でも思っています」
雨の音と風の音が強くなった。
福光は窓のほうに顔をむけた。
「おっと、そうだ、高潮のことを云いかけて、つい、タペストリーの話で横道に入りました。ぼくの悪い癖です。ごめんなさい」
「……」
「さて、その高潮による歴史上の洪水《こうずい》は、聖人の月暦であらわされています。ちょうど日本では敗戦直後の台風がアメリカ人によってアメリカ女の名がつけられ、カスリン台風とかキティ台風とか呼ばれたようなものです。この東フリージアや北フリージア諸島では、一一六四年の聖ユリアヌス洪水、一三三四年の聖クレメンス洪水、さらに聖コスマス洪水と聖ダミアヌス洪水がありました。一五七〇年の万聖節洪水では三千八百人が死亡し、ユイスト島とランゲオーク島とが大被害を受けました」
海鳴りがいちだんと高く聞える。山上は「エデンの神々の饗宴《うたげ》」のタペストリーのかかる窓に不安そうに眼を遣《や》った。
「近年の最も大きな高潮は、一九五三年一月三十一日から二月一日にかけてのものでして、イギリス東海岸では四百人を超える死者を出しました」
福光福太郎は胸に佩用《はいよう》の荒鷲《あらわし》勲章を輝かせながらつづける。
「北海沿岸で観測された高潮の平均水位は三メートルを超えますが、じっさいには風と波で高さ五、六メートルに達したそうです。ゼロメートル地帯は、もろにやられ、洪水は標高一メートル地帯にまで及びました。北海に浮ぶ西フリージアのフリーラント島、テルシェリンク島、アーメラント島などのオランダ領、東フリージアのシュピーケルオーク島、ランゲオーク島、ヴァンガーオーゲ島、北フリージアのハリゲン島、アムルム島、そしてこのジルト島の西ドイツ領の諸島はいずれもゼロメートルです。夏は海水浴客が来て賑《にぎ》わいますが、初冬から早春にかけては何年間に一度は高潮の訪問です。日本でいえば、伊勢湾《いせわん》台風なみになることがあります」
福光はここで咳払《せきばら》いをした。
「しかし、山上先生、ご安心ください。最近では島でも高潮に備えて対策が充分に出来上っております。堤防や排水設備が整備されています。この館《やかた》のある砂丘は海岸に近いとはいえ、標高四メートルあります。館の高さが七メートル、まったく安全であります」
「そうかね」
「そうですとも、先生。大被害を与える高潮なんざ滅多に起るもんじゃありません。伊勢湾台風もめったに起らないでしょう?」
「そういえば、そうだね」
「ぼくは学者に聞いたんですが、北海沿岸の高潮による洪水は温帯性低気圧によってひき起されるのだそうです。日本にくる台風は熱帯性低気圧ですね。これは夏から秋にかけて多く起る。温帯性低気圧は冬から春にかけて起る。水位の変化は比較的ゆるやかで、持続性をもつ。水深が浅い沿岸ほど風による吹き寄せ効果も大きく、海面の上昇は、伝播《でんぱ》しながら大きくなってゆくそうです。それに伴う海面上昇は、かならず大なり小なり起る。しかし、大きな高潮となるのは、数年に一度の割合だそうです。ましてや何千人が死んだ、何百人の犠牲者が出たなんていうのは何世紀に一度ぐらいですでな」
またしても海が吼《ほ》える。風と雨の音が激しい。海嘯《かいしよう》が来る。
が、山上は気が落ちついた。
マダム・クララ・ウォルフをはじめ女たちも心配しないのか騒ぐ声も聞えない。
このとき、福光が、ふいと眉《まゆ》を曇らせた。
「この嵐だと本土からジルト島に渡ってくる列車が運転を中止するかもしれない。あの鉄道の堤防は細くて長いから、列車が強風に横倒しにされたり、線路が高潮に流されたりする危険がありますからね。……ハンゲマンさんが、その前の列車でジルト島に渡って来られるならいいが……」
山上は、わが耳を疑った。風の音で、聞き違えたかと思った。
「いま、なんと云った、福光君? もう一度、云ってくれ」
「列車が不通になる前に、ハンゲマンさんがこの島に来ることができたら幸いだが、と云ったんです。エルンスト・ハンゲマンさんが」
山上は椅子《いす》を蹴《け》倒さんばかりにして立ち上り、福光の前に突進して、彼の中世風な襟《えり》もとにつかみかかった。
「きみは、やっぱりハンゲマン局長の情報係だったな?」
想像したとおりだった。
局長がソ連領内のエイズ患者隔離病院の所在やその新設に詳しいのは、「アイデア販売業」の福光福太郎と関係があると推測していたが、いまやそれが眼の前に現実となった。彼自身はこう云っていた。この技術の世界は東西両陣営に属さないと。すなわち無国籍者的なボヘミアンであると。
そして、両陣営に属さないのは、両陣営に属することでもある。
「まあまあ、先生、落ちついてください」
福光は山上の手を自分の胸もとから静かに外した。
山上も逆上に気がつき、椅子に戻ったが、福光を見る眼はまだおさまっていなかった。
「ぼくがハンゲマン局長の情報係というのは、どういう理由でおっしゃるのですか」
福光は微笑の唇《くちびる》にパイプを当てていた。
「きみはエギトニアの反モスクワ運動主義者と連絡がある」
山上は云い出した。
「デンマークのスラエルセ牧場に屯《たむ》ろするエギトニア亡命者のもとにきみはぼくを連れて行ったから、よくわかったが、ソ連領内のエイズ患者隔離病院の実態はエギトニア亡命者の情報だ。そして、きみはリューベックの北の海岸にあるオルデンブルクに温室花壇を設け、コペンハーゲンからリューベックに入港する貨客船を見張っていた。対象はその船に乗っているエギトニア亡命者だ。すべてハンゲマン局長からの指示だと思う。いや、それにちがいない。というのは、西ドイツに逃げこんだエギトニア亡命者たちの受け入れ先だ。これは西独政府の庇護《ひご》がなければならない。つまりIHCのハンゲマン局長が西独政府と連繋《れんけい》しての計画だ。ヨーロッパはすでに合衆国になっている」
「ぼくはアイデア販売業です」
福光はパイプをはずして云った。
「アイデアを販売すれば、行きがかり上、そのテストをやることもあります。ちょうどエンジニアの設計士が試作品のテストを自分でするようにね」
「エギトニアの反モスクワ運動家を引き入れようと考えたのはきみのアイデアか」
「そうです。まだあります。エイズ・ウイルスとインフルエンザ・ウイルスとの結合です」
「なに?」
「ただし、あれは思いつきだけですよ。ヒントはアラビアンナイトの第五百九十七夜にある話です。耀《かがよ》い姫が翼の衣を着て空を飛行する。エイズ・ウイルスに、そういう空飛ぶ衣を着せて、人類のいない世界に放逐したら面白いだろうな、という空想がそもそもの発端です。ハンゲマン局長は医者であり、科学者です。ぼくの話を聞いて、それを兵器に利用することを思いつき、専門家に研究を命じたのです。その研究所は、どうやら彼の出身校のハイデルベルク大学あたりのようですな。詳しくはわかりませんがね」
暴風雨が強くなった。
「千一夜」の翼の衣をインフルエンザ・ウイルスとし、それにエイズ・ウイルスを乗せて、敵国へ空気伝染させる兵器に開発したエルンスト・ハンゲマンの着想はさすがである。
「エギトニアの首都ウクカスに、東ドイツのライプチヒ交響楽団が演奏に行き、その一方、エアフルトの国際園芸博覧会の園芸師である工作員が植樹のさいに水を注いだ、その水はエイズ・ウイルスを含んだ化学液だったと私は見ているが、これもきみが局長に販売したアイデアか」
「あれは違います。あれはハンゲマンさんの発想です」
「そうか」
あの局長は手段を択《えら》ばぬ。
「では、訊《き》く。局長は、この嵐を衝《つ》いて、なぜ、ここにやってくるのだね?」
「いいご質問です」
福光福太郎は反り身になった。深紅と金の鷲の勲章が輝いた。グラーフ・タシロ!
エルンスト・ハンゲマンが「王党派」だからか。
「エイズ・インフルエンザ・ウイルスは、早晩、敵側に知られる。同じウイルスで報復を受ける。そのときの対策をぼくに相談にくるのです。ぼくはコンサルタントが商売です」
「……」
「エイズ・ウイルスは咽喉粘膜にへばりつきます。つまり感染するわけです。感冒のほうが癒《なお》ってもね」
「じゃ、なんの対策だ?」
「感染から発病まで時間がかかりすぎるというのがハンゲマンさんの云いぶんです。感染から発病まで短くても一年半から二年です。それでは、兵器としては遅効性にすぎる、というのがハンゲマンさんの苛立《いらだ》ちです」
「即効性が欲しいのか」
「それをハンゲマンさんは熱望しています」
「その可能性があるのか」
「あります」
「なに、ある?」
福光がその返事をしかけたとき、横のドアが開いてヘレーナが告げた。
「エルンスト・ハンゲマンさまがお見えでございます」
山上はバネのように立ち上った。
「これへ」
福光は剣を床に立てているとでもいった姿勢で云った。
ハンゲマンは入ってくると、正面の福光の前に進んだが、右手を左胸に当て禿《は》げた頭《こうべ》を下げ、恭謙な態度であった。
「これはこれはタシロ伯殿。しばらくでございます。ご壮健なご様子でなによりです」
「ハンゲマン殿。貴下のご入来をお待ちしていました。なれど、この嵐、高潮の懸念があれば本土との細き長堤の鉄路はすぐにも遮断《しやだん》、列車は不通かと思うたに、よくぞ来られましたな?」
「されば、タシロ伯殿。不通になる前の最後の列車に間に合うことができました」
「それはなによりの幸運《しあわせ》。やはりわれらが始祖ツォレルン伯タシロ五世の加護でありましょうぞ」
タシロ伯の後裔《こうえい》になり切った福光福太郎の古典的な格式あるドイツ語を伝えるからには、イギリス生れだがシェイクスピアでも坪内|逍遥《しようよう》訳文の歌舞伎《かぶき》台詞《せりふ》調(おお語りめされ、それこそは待ち兼ねたわ)(ハムレット)式が似つかわしい。
かくてタシロ伯もエルンスト・ハンゲマンも、語り合いに入る前に祭壇正面に飾ってある金色|燦然《さんぜん》とした彫像と銀の荒鷲の聖なる家紋にむかって礼拝した。
と、いつのまに入ってきたのか、この館の主人であり、祭壇の祭司でもあるマダム・クララ・ウォルフが、両人の背後に跼《せくぐま》って、ひれ伏していた。
三人の視野に山上は一向に入っていなかった。
マダム・クララ・ウォルフが司祭と巫女《みこ》とを兼ねたようなおもおもしい足どりで退場すると、福光福太郎とエルンスト・ハンゲマンは俄《にわ》かに姿勢を崩した。
「やれやれ、マダムの前では気が張りましたな、ハンゲマンさん」
福光は、くつくつと笑った。
「まったく。彼女《あれ》の凝り性には参るね、ヘル・タシロ」
ハンゲマンは拳《こぶし》をつくって自分の後ろ頸《くび》を二、三度軽く叩《たた》いた。
二人してテーブルのところにきたとき、山上は、
「局長」
と呼びかけた。早くから椅子を離れて立っていた。
「やあ、ドクトル」
ハンゲマンはべつにおどろいたふうもなく、IHC本部の中で遇ったと同じ態度だった。さっきハンゲマンがここへ入ったとき、彼の視野に映じなかったように見えたが、それはこっちの思い違いであった。
いつのまにか白いドレスの女の子によって新来のハンゲマンのために椅子が用意された。料理も酒も追加された。
嵐《あらし》の強い音が鎧戸《よろいど》の窓を撃ち、その上に垂れたエデンの園のタペストリーをゆるがせた。大波のうねりが暗黒から湧《わ》いて砂丘に押し寄せ、渦《うず》巻く状《さま》がわかった。
「なんら心配は要りません、山上先生」
窓を見つめている山上に福光は云った。
「砂丘は標高四メートル。この館は七メートル。これまでの高潮の最高記録は三・五メートルです。このジルト島は、高潮に対しては、エイズの侵入に対すると同様に絶対に安全です」
「とうとうわれわれの思うようになった」
ハンゲマンが福光のタシロ伯に云った。
「エイズの猛威で北半球の若者は一五パーセントくらい減少した。二十年前にくらべるとね。現在の推定統計では十八歳から二十五歳までの青年が約六億人だ。これだけが生き残りの兵役要員だ。これじゃ、東西両陣営とも戦争はできない」
ハンゲマンは自分のコップにボルドーを注いだ。福光は煖炉《だんろ》に白樺《しらかば》を入れた。
「絶望して自殺した人間の数もこの統計に入っている。世界の全員が非戦闘員となる。これがぼくらの理想だ。核のボタンも押せなくするには、たんなる査察ではなく、両陣営の技術者が入れ替って一年間相手国に駐留して核兵器を徹底的に破壊する。ヨーロッパ合衆国とソヴィエト連邦と、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦と、アメリカ合衆国とヨーロッパ合衆国と、三つ巴《どもえ》の代替駐留だ。こうしてはじめて世界の地上から永遠に戦争はなくなる」
「そのとおりですよ、ハンゲマンさん」
タシロ伯が賛成した。
「しかし、そこまでゆくには、まだまだ時間がかかりますよ。エイズ感染の進行が鈍化の傾向にあります」
「そこが不安だて」
ハンゲマンは肩をすくめた。
「各国ともエイズ対策に懸命になっているからね。隔離方法や衛生観念の普及に努めているから思ったようにははかどらない。そこでヘル・タシロ、あなたのヒントを借りて、エイズ・インフルエンザ・ウイルスを開発して空気感染を試みたわけだが、あれは、まったくうまくいった。ヨーロッパ合衆国の某高官から激賞のお言葉をいただいた」
「局長」
たまりかねて山上が横から口を出した。
「エギトニアのウクカス市にライプチヒ交響楽団の音楽会を催すのを陽動作戦にして、エアフルトの国際園芸博覧会の工作員にエイズ・インフルエンザ・ウイルスを撒布《さんぷ》させたのは、局長の指示ですか」
「いや、あれは東ドイツ人だ。エイズ・インフルエンザ・ウイルスは、ハイデルベルクの特殊研究室のほうから出ている。ルートは、なにもぼくだけとはかぎらない」
「福光君、いや、ミスター・タシロに手引きさせたデンマークのコペンハーゲン郊外にある牧場に亡命しているエギトニア人を、西ドイツに受け入れて保護させたのは間違いなく局長の計画です。ソ連側のエイズ対策情報を取るために」
ハンゲマンは笑い出した。
「彼らはエギトニア人ではない。みんな東ドイツ人です。ドクトル・ヤマガミ」
「えっ」
「東ドイツと西ドイツの間の壁は、まだまだ厳しくも高い。西ベルリンに身内の者が住んでいるのが証明できなければ訪問も移住もできないとか、まだまだ制限が厳重だ。越境の希望者は圧倒的に多数だ。この東ドイツ人たちの中にはバルト三国やソ連本土の事情をよく知っているのがいる。その逃亡を手伝ってあげる」
「どういう方法で?」
「具体的な方法はぼくも知らん。専門の工作員がいるからね。とにかく彼らはリューゲン島からバルト海を横断してスウェーデンの南端の港トレレボリに入るらしい。漁船の底に潜ってね。ここは定期の国際連絡船航路でもあるけど、むろん密航者はそんな船には乗らぬ。漁船は工作員が手引きしてくれるらしい」
煖炉の火は燃える。福光福太郎の「タシロ伯」は荒鷲旭日章《あらわしきよくじつしよう》を胸に輝かせながらパイプをくわえ、眼《め》を微笑《わら》わせていた。外は高潮。内は炉辺談話。
だが、どうしたことか。海鳴りが調子を落した。
「スウェーデンのトレレボリ港に着いたらしめたものです。列車に乗って北上し、賑《にぎ》やかなマルメ市を通過し、ヘルシンボリで下車する。それから狭い水道のオアスン海峡をフェリーでデンマークのヘルシンオアに渡る。ハムレット劇の舞台クロンボルク城のすぐ南です、先生」
国際連絡船のフェリーは気楽きわまるもので、二つの国の両市のかみさん連中が買物の往復のために乗る。船長はろくにパスポートも見ないくらいである。下駄《げた》ばき渡し船だ。
説明する福光が山上ににやにやしている。そのヘルシンオアのホテルに当の福光と泊った。山上は鴎外《おうがい》訳の「冬の王」のモデルはこの地だと思い、なつかしんで、朝起きて海岸を歩いた。
リスの走る小公園で待っていると若い女が牛乳|缶《かん》のトラックで迎えにきた。
あのスラエルセ牧場の「エギトニア人」が、じつは東ドイツ人であったとは!
しかし、いま、東ドイツ人と聞いて、符節が合うのだ。エギトニア人よりも、そのほうが自然であり、理屈が通る。
福光がオルデンブルクに温室花壇を設け、コペンハーゲンからリューベックに入港する貨客船に乗ったエギトニア人を気遣っていたのは、エギトニア人ではなく、じつはスラエルセ牧場からの東ドイツ人だったのだ。その船が入港したあと、警察のジープが発砲し、埠頭《ふとう》の積荷の間を探照灯で捜索していたのは、それが東ドイツからの脱走者だったからだ。エギトニアからの脱走者はそれまで例がなかったはずだ。
「局長」
山上は語気を変えた。
「あなたは、現在のエイズが感染から発病まで時間がかかりすぎるので、もっとこれを短縮できないものかと考えている。つまり遅効性から即効性への変化です。その即効性へのヒントを福光君に、いや、タシロ伯に求めている。なぜ、エイズの発病期をそのように早めなければならないのですか。それがわたしの最大の疑問です」
「その疑問に答えましょう、ドクトル。このエイズ・インフルエンザ・ウイルスの秘密はやがて敵側に知られる。向うに知られる方法はわが陣営から内通者が出ることです」
「内通者?」
「内通は内部反乱です。集団である限り、それは避けられない運命です。……このジルト島をまっすぐ東へ百二、三十キロ行ったところにキール軍港があるね。第一次世界大戦末期の一九一八年十月にキール軍港の水兵が反乱を起した。それがカイゼルのウィルヘルム二世の敗因と退位につながる一因となった。したがって、エイズ・インフルエンザ・ウイルスのテクニックも、すでに内部の反乱者によってモスクワ側に持ち出された形跡がある。いや、持ち出されている。その証拠に……」
「その証拠に?」
「西ドイツの衛生薬業会社の販売部地方担当係長ペーター・ボッシュが首無し死体でシュタルンベルク湖に浮んでいたことです。あれは東側の工作員が買い取ったエイズ・インフルエンザ・ウイルスをボッシュにテストしてその成績を見たあと、首もろとも咽喉《のど》の粘膜を切り取って持ち去ったのだ。……ヒトラーの遺産を湖底に取りに行ったナチの残党の行為とか、ネオ・ナチ運動のやったこととか、汚染された血液製剤を売った製薬会社への血友病患者家族の恨みとかは、みんな間違った推測でした」
もし、ハンゲマンにしても山上にしても、日本の議員団のシュタルンベルク湖観光に随行した衆院委員会事務局の書記と福光福太郎とが、議員の一人が首無し死体を発見した当日の夜、ミュンヘンのホテルで会っていたことを知っていたら、つまり福光がその昼間、シュタルンベルク湖にそれとなく様子を見に行っていたらしいことを知っていたら、会話の様子はまた別なものになっていたろう。
「そんな次第で、ドクトル・ヤマガミ」
局長は、ボルドーのワインをグラスに注ぎ、語も継いだ。いつもの低い声が、さきほどの暴風雨と闘って高くなっていた。
が、いまは、まるで台風の目の中に入ったように、嵐《あらし》は奇妙に静かであった。
「東側への内通者が出る前に、感染から発病までの時間を短縮するエイズ・ウイルスを開発したいのです。これをインフルエンザ・ウイルスと結合すれば敵に勝つこと疑いなしです。内通者が持っているのは現在のデータだからね」
「どうして、そんなに焦慮《あせ》られなければならないのですか。現在《いま》でもすでに若者は戦場に立てそうにないじゃありませんか。これから先、東側も西側も若者をはじめ多くの男女を斃《たお》してしまって、どうするんです?」
「ドクトルよ。エイズの全治薬もワクチンも、遠からず開発されます。かならず開発されます。人類はエイズのためにけっして滅びません」
ハンゲマンは力強く云った。
「十四世紀のペストの大流行さえ、治療薬もなく、ワクチンもなしに、自然と下火となり、ついに熄《や》んだ。ましてエイズにいたっては治療薬とワクチンができるまでの辛抱です。その先に大きな人類の希望が輝いています」
「どんな希望?」
「未知の偉大な文明です。ペスト流行のあと、およそ四世紀を隔ててだが、産業革命が起って世界の文明を根底から変えた。あのような文明改革が必ずやってくる。それがどのようなものか何びとにも予測できない。神のみぞ知るです。それほど偉大です。人類よ、希望を持てです」
「しかし、エイズの全治薬やワクチンが開発されるまでは、どういうことになるんです?」
「ウイルス兵器戦争です」
ハンゲマン局長は云《い》い切った。
「地上兵力の削減、中距離核戦力(INF)の撤廃などといってみたところで、要するにお互いが国内の経済事情が苦しいからです。ギリギリの戦力は残している。いつでもこれを元にもどすだけの弾力《ばね》とエネルギーは蓄えている。両陣営に相互不信感がある限り、戦争の危機は去らない。そこで当面はウイルス兵器戦です。化学兵器禁止を国連で決議するのが、化学兵器を造っている何よりの証拠でね。その製造方法が巧妙になっている」
――このとき、ドアがけたたましく叩《たた》かれたかと思うと、白い衣が雪姫のように舞いこんできた。
福光福太郎がパイプを捨て、椅子《いす》からすっくと立ち上った。
「おお、おまえはヘレーナ」
「タシロ伯爵《はくしやく》。たいへんでございます。いま、ラジオのニュースが伝えました。パリのパスツール研究所に、カルチエ・ラタンあたりの学生たちが暴徒化して、エイズに無力な建物は叩き壊せと口々に叫んで押し入り、研究員らを追い出してバリケードを築いて占拠しているそうです。彼らは警官隊に発砲してよせつけず、市民も学生たちに味方して警官隊を追い散らすなどしていますが、警官隊は軍隊の応援を得て攻撃を加えています。まるで一八七一年三月からパリでつづいたコンミューンとヴェルサイユ軍との戦闘を思わせるような騒ぎだそうです。学生と群衆の流れはマルセイエーズを合唱しながらエリゼ宮殿方面へ押しかけたので、風邪をひいて引き籠《こも》り中の大統領は万一の場合に備えてヘリコプターで北方のルーアンに脱出したという噂《うわさ》です」
「とうとう、やったか」
「未確認情報ですがとラジオニュースは断わって、アメリカではベセズダの国立衛生研究所(NIH)が多数の暴徒《モツプ》にとり巻かれているそうです」
「これもやられるな」
ハンゲマンが呟《つぶや》いた。
「まだあります。チューリッヒのIHC本部は暴徒によって攻撃され、放火のため建物が全焼しました」
「なに?」
ハンゲマンが飛び上った。
「と、とんでもない。なんで、おれとこのIHCに火を付けなきゃならんのだ。お門違いも甚《はなはだ》しい。気違い奴《やつ》めらが!」
「また、続報が入ったらお知らせします」
ヘレーナは、タシロ伯に瞬間熱い視線を注いでドアを閉めた。
ハンゲマンは手を後ろに組み、床を忙しく往復した。
「ドクトル・ヤマガミ。いったい、ぜんたい、これはどうしたことだ。わたしのところは世界のエイズ患者数の正確な統計をとる機関だ。WHOのように政治的な配慮に左右されない独立独歩の調査機関だ。それが世界のエイズ対策に貢献すると思っている。だから治療する医者は一人も居らん。その研究員も居らん。それをどう血迷ったか、わがIHCに火を付けるなんて……民衆は無知|蒙昧《もうまい》とはわかっておるが、いくらなんでも、こうまでバカ者とは知らなんだ。早いとこ政府が警官隊をくり出して彼らを弾圧すべきだ。……ああ、あの中に置いた大切なレポートも、かけがえのない統計表を綴《つづ》ったファイルの山もみんな灰になってしもうたか。どうしよう、どうしよう。……」
両手で顔面を掩《おお》い、椅子にうずくまるエルンスト・ハンゲマンを見下ろして、タシロ伯は云った。
「……労働者諸君、これは偉大な闘争である。寄生虫と労働、搾取《さくしゆ》と生産とが闘っているのだ。……コンミューンを指導する国民軍中央委員会の檄文《げきぶん》は、たしか、そういう文句でしたな」
彼はハンゲマンのまわりを歩いて言葉をつづけた。
「ラジオニュースが伝えるパリのパスツール研究所へ押し寄せている急進的な行動派の学生たちは、十九世紀に起った七十数日間にわたる名誉ある革命事件を想《おも》い出し、その檄文をもじって、市民ならびに学生諸君、これは偉大なる闘争である、エイズ治療の名のもとに行われる搾取に対して人民の生存自衛権との闘いである、エイズに無能で、はてしなくカネを食いつづける人民の寄生虫を叩き出せ、とまあ、こういったスローガンでしょうな」
「畜生」
局長は、はしたない言葉を吐いた。
「アメリカのNIHのことはわかりませんが、ニュースから想像するに、パスツール研究所はいまごろ瓦礫《がれき》の山になっているかもしれませんな。研究所内の各室、各病棟へとそれぞれロビーから分れて行く放射線形の通路、さまざまな観葉植物がならべられ、上からも吊《つ》り下っていて温室花壇のような、あの美しいアーケードも、学生たちに破壊され、外からは警官隊の放水で湖水と化しているでしょうな。もちろん研究資料はその湖に花弁《はなびら》を撒《ま》いたように漂流しているでしょう」
「どうしてくれるんだ」
局長はわがチューリッヒのIHCのことが頭を直撃して悲痛な声を洩《も》らした。
「しかし、市民は学生の味方です。エイズに無能な医学研究所には怒り心頭に発していますからね。いまにも治療の方法やワクチンが開発されるようなことをマスコミで競争で発表しておきながら、どれもこれも泡沫《ほうまつ》のように消え去っている。エイズ研究に対する医学不信感はもう絶頂に達しています。研究者が試験管をいじくっている間に、世界のエイズ患者はどんどん死亡してるんです。市民はパリ・コンミューンのときのように、今ごろは、学生側に味方してパスツール大通り周辺一帯のバリケードを守り、婦人たちが先頭に立って土嚢《どのう》を運び、石|煉瓦《れんが》を築き、負傷者を看護しているにちがいありません。バリケードの前線は、北はモンパルナス大通りに立つ寝巻姿のバルザックの像やカフェ・クーポールあたりから、西は国鉄駅ビル横、東はラスパイユ大通り、南はモンパルナス墓地の北縁まで、市民が占拠している。……」
タシロ伯はあたかも現実の場面を目撃しているようにしゃべった。
エルンスト・ハンゲマンはうめく。
「しかも、応援の市民はパリの南からも東からも西からも北からも地下鉄、国鉄、バス、自家用車、あらゆる交通機関を使ってやってくる。その数はふくれ上るばかりです。昂奮《こうふん》が昂奮を呼ぶ」
「警官隊は何をしている? 軍隊はどうしているのだ!」
ハンゲマンは誘いこまれて拳《こぶし》を振った。
「現在のパリの市民は十九世紀のコンミューンではないです。警察も軍隊もヴェルサイユ軍ではない。市民をどうして虐殺《ぎやくさつ》、投獄できるでしょうか。パスツール研究所がカルチエ・ラタンの学生たちを中心に解放区になる。警官、軍人と学生たちとの間に、ついに一体感が生れるでしょう」
波濤《はとう》の轟《とどろ》きが、またもや高くなった。
「ボストンのハーバードのほうは?」
「わかりません。パスツールのほうは、ラジオニュースの第一報を聞いてのぼくの想像です。そのうちハーバード大学公衆衛生学部のほうにもラジオのニュースが運ばれているでしょうね。パリと連鎖反応が起るはずです」
「……」
「ただね、アメリカの場合はね、麻薬常習者のエイズ感染者が加わって押しかけそうだから、パリよりは厄介《やつかい》ですよ。その数もパリとは比較にならぬほど尨大《ぼうだい》です。これは完全に暴動化する」
「戒厳令だ。大統領の特権発動だ」
ハンゲマンは叫んだ。
「あまり嚇《かつ》とならないでください、ハンゲマンさん。ソ連や東欧諸国の状況はどうですか」
「パリの状況をニュースが云ったばかりだ。ボストンのことさえ伝えないのに、どうしてソ連や東欧圏のことまで、パリの中央放送局がキャッチする余裕があろうか」
「おそらくモスクワではこの種の暴動を永久に発表しないと思いますよ」
山上は、じっと聞いていたが、タシロ伯が、
「しかし、ハンゲマンさん、この医学部研究所|叩《たた》き壊しの民衆騒動は、官憲の上からの鎮圧がなくても、自然とおさまりますよ」
と云ったので、また顔を上げた。
血迷った形のハンゲマンも、その言葉に水を浴びせられた表情になった。
「どうしてだね、タシロ伯?」
「どうしてかというに」
福光福太郎はほほ笑みを泛《うか》べて答えた。
「エイズを研究する現代医学を否定した上、これらの施設を破壊したら、今後だれがエイズ患者を救ってくれるのですか。だれも居ないじゃないですか。さっきも云うとおり、エイズの全治薬やワクチンはいずれは必ず開発されます。必ずね。それは医学研究者の手のみにある。それを叩き壊してしまえば、その行く手には何があるというのですか。無です。ゼロです」
「……」
「パリ・コンミューンの合言葉は、さきほども云ったように、寄生と労働、搾取と生産との闘いでしたが、今回のパスツール襲撃の暴挙は、労働もなければ生産の果実もない。医学に荒廃をもたらせただけです」
「まさに、そのとおり!」
ハンゲマンは椅子から快活に立ち上り、拍手しそうになった。
「学生たちも民衆もやがてそれに気がつく。エイズを退治してくれるのはやはり医者しかなかったんだ、彼らはやはり自分たちの救世主だったんだとね。それにしては効果のあらわれかたが遅々として手間どるが、ほかに頼るところがないから辛抱して待とう。おれの代で駄目《だめ》だったら、次の代に希望をつなごう。そういう諦《あきら》めの気持になってゆくのではないでしょうか」
「や、や。さすがにタシロ伯。さすがにご明察。まさにそのとおりです。そうすると、パスツールに押しかけた学生やパリ市民の狂熱ぶりは、今夜の嵐《あらし》と高潮と同じに、台風一過、そこに気がつけばおさまりますな?」
「いやいや、台風一過というわけには参らんでしょう。暴動というのは理性を失っているのが常です。集団的精神|狂躁《きようそう》状態です。説得しても容易に冷静になれません。時日を要するでしょう。事実として残されたのは、それまでのエイズ関係の研究資料が廃墟《はいきよ》と化したこと、進歩がストップしたことです」
「そうだ、わたしが暴動の終熄《しゆうそく》という枝葉のことによろこんでいたのは間違いだった。何をとり違えたのだろうか。ああ恥かしい。科学者ともあろう者が」
ハンゲマンは少ない髪の毛をかきむしった。
福光の「タシロ伯」はテーブルの前のグラスに近づいた。
「ハンゲマンさん。乾杯しましょう」
「乾杯? なんのためだ?」
ハンゲマンは疑わしそうに彼を見上げた。
「地球上から戦争が不可能になりつつあることです。エイズが人類から戦争を|※[#「手へん+宛」]《も》ぎ取ってゆく方向にあることです」
エルンスト・ハンゲマンは椅子から立ち上った。立って、旭日金鷲盾十字のホーエンツォレルン家の家紋勲章を佩用《はいよう》するタシロ伯と屹然《きつぜん》と対《むか》い合った。
「状況はそう変っていません」
ハンゲマンは、立ち直ったような語調で云った。
「ぜんたいから見ると、停滞しています。武器を放棄するには、ほど遠いです」
「あなたは性急すぎるようです」
「性急すぎて、ちょうどいいくらいです。げんにパリではパスツールが学生たちの襲撃を受けた。われわれのIHC本部もやられた。これがラジオニュースの第一報だ。ボストンのほうはまだだったね」
「続報はまだです」
「ソ連の各地医学研究所はどうだろうか。モスクワをはじめとして」
「人民の反撥《はんぱつ》感情は強いと思います。官僚主義の国だから、よけいにね。しかし、暴動が起る前に鎮圧される」
「ちっとも変っていない」
ハンゲマンは、エデンの園を織った窓掛けに眼《め》を走らせた。その端が飜《ひるがえ》っていた。
「しかし、一方に確実に変化はある。エイズ・インフルエンザ・ウイルスをモスクワが開発に着手したらしいことだ。これは確実な情報です。タシロ伯」
ハンゲマンは山上にも眼をくれた。
「そのエイズ・ウイルスは何かを合成された新型ですか、局長」
山上は椅子から腰を上げた。
「つまり、その強力な効果を持つ合成が何でできているかということです」
「それはまだわからない。情報はそこまで詳細ではないのです、ドクトル。しかし、ぼくが推定するに、それはわれわれの持っているものと同じレベルのものではないかということです。つまり、敵はこっちに追い付いたばかりというところだね。だが、これが怖ろしい。敵はすぐ次の段階に進むだろう。こっちを追い越すためにね。もう愚図愚図してはいられない。タシロ伯。お願いしておいたエイズ・インフルエンザ・ウイルスの感染から発病までの時間を短縮する工夫だよ。いい知恵が浮んだと昨日チューリッヒに電報をもらったので、とるものもとりあえずやって来たのです。この嵐を衝《つ》いてね」
「あなたのハイデルベルク系統の研究所ではどうですか」
タシロ伯が反問した。
「そこで解決がつくようなら、ここにぼくはやってこない」
ハンゲマンは苛立《いらだ》たしげに云《い》った。
「まあ坐《すわ》ってください。お話ししましょう」
このときガラス窓の掛け金が外れ、突風が入ってきた。鎧戸《よろいど》を蔽《おお》う厚いゴブラン織りのタペストリーを帆のように膨らましたので、大股《おおまた》で窓際《まどぎわ》に寄った。
そこにヘレーナのほか四人の女が急ぎ足に入ってきた。
「ヘレーナよ。窓の鎧戸をことごとく釘《くぎ》付けするがよい」
「かしこまりました、伯爵《はくしやく》さま。そのつもりで金槌《かなづち》と釘を用意して参りました」
女たちは手わけして各窓の鎧戸の釘打ちにかかったが、その隙間《すきま》からまた烈風と強雨が流れこんで燭台《しよくだい》の灯をことごとく消し、祭壇の飾り物を倒し、床を水びたしにした。
「次の間《ま》から化粧|箪笥《だんす》でも調度でも、窓|塞《ふさ》ぎになる物はなんでも持ってきてここへ運べ。もう燭台に火を点《つ》けてもよいぞ。窓を閉じたからな」
調度運びには、山上もハンゲマンも手伝った。
外からは颶風《はやて》と波浪とが轟音《ごうおん》を渦《うず》巻かせていた。
「マダム・クララ・ウォルフはどうしているか」
「階下《した》で、ツォレルン伯五世の御霊《みたま》と、神の加護とを静かに祈っておられます。その他の同志の方々も同様でございます」
「そうであろう。この館《やかた》は海抜四メートルの砂上に建つ。砂丘の護岸工事は厳重なものだ。石垣《いしがき》もあり、テトラポッドも積んである。館の建物の高さが七メートル。どんな高潮や津波が来ても、びくともせぬ。もうよい。退《さが》ってよいぞ、ヘレーナとおまえたち」
「かしこまりました」
燭台をテーブルの上に置いて彼女たちは一礼して消えた。
「お聞きのとおりです。なんのご心配も要りません」
三人がふたたび椅子に落ちついたところで福光福太郎のタシロ伯はパイプをとり出した。
「鎧窓の釘付け騒ぎで、話が中断し、失礼しました。……さて、かんじんのエイズ・ウイルスの発病を早める方法ですが、これはぼくもいろいろと考え抜きましたが、なにしろ医学が専門でないので、よくわかりません。しかし、強《し》いて、強いてヒントを求められるなら、部外者の特権として臆面《おくめん》もなく云えることは、いわゆるバイオテクノロジーの理論方法ではまにあわないということです。もっと原始的な方法に戻ったほうがいいと思いますな」
「原始的な方法?」
「エイズの症状をもつ患者が世界ではじめて出たのはニューヨークとカリフォルニアで、一九八〇年秋から翌年の春にかけて二十六例が医師団によって報告されました。みんな同性愛の男子ばかりだった。やがて、第三のウイルスの存在がわかり、エイズ・ウイルスと名づけられる。
古典的な俗説から先に云うと、エイズ・ウイルスの根源はアフリカにいる熱帯ミドリザルで、そのサルが霊長動物たるヒトにかみつくとかして血管に血液を注入したとき、熱帯ミドリザルの血液内にあるウイルスが突然変異を起し、エイズ・ウイルスに変化する。その感染者がハイチに来てアメリカにひろがったという仮説。
もう一つの俗説は、アメリカの化学兵器研究所のようなところが、新しい化学兵器を開発すべく研究中、その途上で、研究対象のウイルスが思いがけず突然変異を起した。それがエイズ・ウイルスで、これが民間に洩れていまのような大騒ぎとなった。こういう推説です」
「そんなことは、大衆むきのエイズの本にはどれにも書いてある」
ハンゲマンが莫迦《ばか》にしたように云った。
「そこですよ。莫迦にしているから、だれも気がつかない。エイズ・ウイルスを強力化するには、突然変異を起させる以外に方法はないです」
ハンゲマンの表情が変った。彼は椅子からまたもや立った。海嘯《かいしよう》の様子を窺《うかが》いに行ったのではない。その証拠に、ふいに鉛の塊を呑《の》んだように棒立ちになっていた。
「突然変異を起させる……うむ、うむ……突然変異をな。……」
呟《つぶや》きは、呆然《ぼうぜん》から驚きと絶讃《ぜつさん》に変っていた。
「して、その方法は。タシロ伯?」
尊敬をこめて訊《たず》ねたのは、間を置いてからだった。
「エイズ・ウイルスに突然変異を起させる方法として、その思いつきになったのは……」
このとき、突然、釘付けにしたすべての鎧戸が一斉《いつせい》に烈風に揺さぶられ、がたがたと軋《きし》みはじめた。が、ハンゲマンも山上もその暴風雨に気を取られることなく、タシロ伯の言葉を待った。
「ニトロソグアニジンです」
「おおニトロソグアニジン。……もともとは細菌などにかけると突然変異を起させる有機化合物。のちには、それがDNA(遺伝子)に反応して突然変異で細胞をガン化させる発ガン物質だとわかった」
「さすがに専門家だけに、すぐに出るんですね。ぼくなんか人に教わるのに苦労しました」
彼は苦笑して、
「ハンゲマンさんのご要望は、エイズ・インフルエンザ・ウイルスの潜伏期間を短くし、発病を早めることです。そのためには、潜伏期間の短い、別なウイルスの遺伝子を持ってきて、これに加えたらどうかという方法をぼくは思いつきました。が、やはり感染力、潜伏期間、症状など、既存のウイルスの性質以上の強力なものを作るためには、何らかの化学物質を加えて突然変異させ、ミュータントを作ったほうが人間の想像以上のものができると思ったんです。その可能性はありそうです」
「それが炭素、水素、酸素、窒素などの元素から成る強力な有機化合物のニトロソグアニジンだね」
山上が云った。
「そうです、先生。そのほかにも細胞に突然変異させる発ガン物質がいくつもあるそうですが、AF2という有機化合物があるそうですね」
「AF2もニトロソグアニジンと同類の強力な有機化合物だ。これを実験で使っていた或《あ》る大学の研究員数名がガンにかかって死亡した例がある」
「で、タシロ伯」
ハンゲマンが膝《ひざ》をすすめた。
どうやら輪廓《りんかく》は見えてきたと察したからであった。
「あなたのヒントは、ニトロソグアニジン、またはAF2のいずれかの有機化合物をエイズ・インフルエンザ・ウイルスに加えようというのかね?」
「……」
「ニトロソグアニジンは粉末状態の薬。実験室で各種有機物を化合して生成する。細菌などにかけて突然変異を起すこともできる。一CCの水に〇・一ミリグラム(一〇〇PPM)の量でよい。パスツール研究所でニトロソグアニジンを扱っていた科学者が三人ガンで斃《たお》れたという報告もある。水溶性のニトロソグアニジン、同性質のAF2をエイズ・ウイルスにかけようというアイデアかね?」
タシロ伯は首を振った。
「その二つとはまた別の有機化合物を使った実験の結果は失敗でした」
「実験してみて効果のないことがわかった? どこで実験したのだね?」
「モスクワの研究所です」
「なに、モスクワだって?」
ハンゲマンは愕然《がくぜん》となった。
「ぼくの情報筋がレポしてきたんですよ」
「その失敗したという新・有機化合物の学名は? モスクワの研究所が付けた学名は何と云う?」
「学名はわからないけど、暗号名ではSYX―10といわれています」
「SYX―10ね。……ふん。耳にしたことがある」
ハンゲマンは呟くように云った。
「あなたも聞きましたか」
「わたしも、モスクワ側には情報ネットを持っている。なにも一つだけではない」
ハンゲマンのこの言葉は山上の皷膜《こまく》の奥まで搏《う》った。ソ連側に置いた情報ネットは「一つだけではない」というのは、タシロこと福光福太郎以外に複数のそれを持っているという意味だ。
山上は、これまでハンゲマンが福光を使って東独人に接近させ、ソ連側のエイズ情勢関係の情報を彼から入手していたと思いこんでいたが、それだけではなかった。福光のほかにも情報機関を持っているようだ。
ハンゲマンの口吻《くちぶり》からすると、複数の情報ネットは、相互のチェックをする役目にもなっているらしい。彼らしい慎重さである。
「着想は、遠隔地で、連絡もなく、偶然に、同時に起ることが、ときどきある」
ハンゲマンは云い出した。
「例に引くにはよほど適切を欠くが、一九八三年ごろからはじまったエイズ・ウイルス発見の先取りをめぐるパスツール研究所のモンタニエ・グループとアメリカ国立ガン研究所のギャロ・グループとの論争も、わかりやすいという意味では、話の例に入れてもいいかもしれないな。……と、なると、タシロ伯。あなたと同じヒントを得た研究者がモスクワの研究所に居たわけだ。そして、その着想による新・有機化合物のSYX―10は失敗した。……そこで、タシロ伯。あんたは今度こそ決定的な、エイズ・インフルエンザ・ウイルスの潜伏期を短縮するヒントを提供するとぼくに打電してきた。そこで、ぼくはこの嵐を衝いてやってきた。さあ、早く、そのヒントを見せて下さい。早く、早く」
このとき、地震のような衝撃がこの建物を震わせた。
鎧戸を押えていた箪笥類は倒れ、テーブル上の燭台は床に落ちて、蝋燭《ろうそく》の火が絨緞《じゆうたん》に燃え移りそうになった。危ない、火を消せ。福光が叫んでテーブルクロースを取って火を叩《たた》いた。山上とハンゲマンは上着を脱いで、ともに手伝った。
真暗になった中を、大きな光の輪が、ドアをこじ開けるようにして入ってきた。懐中電灯を持ったヘレーナだった。
「タシロ伯爵さま。みなさま。たいへんです。ヴェスターラント地区の魚肥会社にある波止場に繋留《けいりゆう》していた一五〇トンの漁船が高潮に引きちぎられて流され、出鼻にあたるこの砂丘に衝突しました」
さては、さっきの地震がそうだったのか!
護岸の堅固な石垣もコンクリートで固めたテトラポッドも一五〇トンの漁船の正面襲撃の前には、文字どおり砂の砦《とりで》である。海抜四メートルの砂丘は、荒波と颶風《はやて》に乗った一五〇トンの漁船に下からひと抉《えぐ》りされた。上の七メートルの館も崩壊して行く。
「みなさま。早くここを避難してください」
「避難とは?」
ハンゲマンがまっさきに訊《き》いた。
「無線で救援を頼んだデンマークの汽船が、もう沖合まで来ています。このジルト島からデンマーク領までは、わずか三キロです」
「マダム・クララと、同志の面々は?」
タシロが訊く。
「避難の用意中です。沖合の親船まではボートに乗らなければなりません。海上を吹きすさぶ強風と怒濤とを乗り切って」
「風速は? 波の高さは?」
ハンゲマンが性急に訊く。
「海上の風速は四〇メートル。波浪の高さは五メートルを越えましょう」
ハンゲマンが飛び上った。
「早く出てください。ドアは開けたままにしておきます。家が|いびつ《ヽヽヽ》になって、閉めるとドアが開かなくなります。わたしは、ちょっと階下へ降りて参ります」
ヘレーナは、懐中電灯をそこに残して、姿を消した。
ハンゲマンは、そわそわしはじめた。皆が一緒なので、ようやく気をとり直し、懐中電灯の光を福光福太郎の顔に真正面から照射した。
「さあ。タシロ伯。もう時間がない。早く、あんたのヒントを」
福光は上着の前を刎《は》ね、短いチョッキのポケットから二つに折ったカードをハンゲマンにさし出した。
懐中電灯の前にしゃがみこんだハンゲマンは、カードを開き、文字を読んだ。短い文章なのに、何度も何度もくりかえし読んだ。
家が、ゆっくりと傾いた。祭壇が崩れ落ちた。つづいて天井の梁《はり》が一本落下した。
ハンゲマンは、びっくりして立ち上った。紙はポケットの中に押しこんだ。
「これまでのようにニトロソグアニジンやAF2系統の有機化合物を使ってないところが嶄新《ざんしん》だ。意表を衝いている。素晴しい。……ただし、これで、じっさいにエイズ・ウイルスに突然変異を起せるものならばな。いずれ研究してみる」
ハンゲマンは読後の感想を云った。
その言葉が切れ終らないうちに彼は対手《あいて》を睨《にら》みつけて云った。
「モスクワの研究所にこのヒントは売ってないだろうね?」
「ぼくは何度も申し上げるように『アイデア販売業』です。アイデア販売業は、その性質上、同種のものを同時には販売しません。とくに商売|仇《がたき》の間にはね。ご安心ください」
「モスクワの研究所がSYX―10と記号名を付けた新・有機化合物はあんたのヒントだろう?」
「あれははじめから自信のないものでした。だから、ハンゲマンさんのほうへは販売しませんでした。モスクワの研究所もぼくとは直通ではなく、間に仲介者《フイルター》が存在するのです。その仲介者に、このヒントは弱いですよ、と断わっておいたんですがねえ。料金もうんと安くしといたんです。……とにかく、ぼくらのようなアイデア屋やヒント屋は、その技術に従属している信念だけでしてね、国家を超越しているんです」
また、梁が落ちかかって斜めに下った。
ヘレーナが別な懐中電灯を持って走りこんできた。
「お客さまがた。早く、ここを逃げてください。そろそろ、ボートに乗る人員を締切るそうですよ」
福光は絨緞の上に中世風な姿であぐらをかき、転んだ瓶《びん》の底からグラスにワインを注《つ》いで悠然《ゆうぜん》としていた。
「福光君、きみはどうするの?」
山上はきいた。
「ぼくですか。ぼくはここに残りますよ」
「どうして?」
「じつはね、先生、それからハンゲマンさん。ぼくは、もうとっくにエイズに感染しているんです」
山上もハンゲマンも一斉に彼の顔を見つめた。声が出なかった。
「ジルト島にはエイズを入れない。聖域だったはずです。ぼくは自分がエイズに感染しているとは知らないで、このヒースの曠野《こうや》に二エーカーの花壇の予定地を買い求め、家を建て、気の合った連中と暮そうと思ってたんです。どこでエイズに感染したかというと、あの古城の崖《がけ》から転落してシュツットガルトの中央病院へ担《かつ》ぎ込まれ、輸血を受けたときだと思います。看護婦が、血圧がどんどん下ります、という声をぼくは聞いていましたから。あれはあきらかにエイズに汚染された血液製剤を輸血されたのです。血友病患者が輸血でエイズになったのと同じコースです。たぶんあの発売品も西ドイツ衛生薬業会社のものではなかったでしょうか」
「福光君。そして、きみは、ここに居残って、どうするんですか」
「死にます。ジルト島はエイズが不可侵だったという聖域の説話を守ります」
「きみひとりで?」
「わたしもいっしょです」
ヘレーナが叫んで、彼の横に走り寄ると、その傍に寄り添い坐《すわ》りこんだ。
梁がまた二本つづけて落ちた。
マダム・クララ・ウォルフが歪《ゆが》んだ入口の外から姿を現わした。手に高々と一本の燭台《しよくだい》を掲げ、その光でタシロ伯の姿を照らすと、燭台をヘレーナに渡し、その前にうずくまって跪拝《きはい》した。
福光は直立して、タシロ伯としての最後の敬礼を受けた。マダムの後には壮年や青年たちが二十人くらい平伏していた。王党派であろう。「王党派」は北部ドイツだけでなく、デンマークに移住して帰化した旧プロイセン人の子孫もいる。オルデンブルクの温室花壇に働いていた若い女たちもいた。
「偉大なるプロイセンの祖王《おやぎみ》ツォレルン伯タシロさま、ご子孫に加護を給《たま》え。永遠《とわ》に幸《さち》あれ。ご子孫よ栄《は》えませ」
クララ・ウォルフの礼讃に、人々の斉唱がつづいた。
「偉大なるプロイセンの祖王《おやぎみ》ツォレルン伯タシロさま、ご子孫に加護を給え。永遠《とわ》に幸《さち》あれ。ご子孫よ栄《は》えませ」
「祖王さまの出《い》でまししツォレルン城の名を永遠に」
山上はこの祈りを聞いて、はっと思いあたった。山上が福光の遭難を伝え、彼のアイデア営業の別名として「田代」と名乗っていると云ったとき、ハンゲマンは衝撃を受けたようにタシロ、タシロと二、三度口の中でくり返し、「税関吏」と呟いていた。そのあとでタシロという名は日本では貴族かと山上にたずねた。
妙なことを呟くと山上はそのときは思ったが、いまにしてわかった。あれは聞き違いであった。ハンゲマンはツォレルンと云ったのだ。それが「税関吏」に聞えたのだ。ZollernとZ嗟lner(税関吏《ツオルネル》)とは発音が近い。とくにハンゲマンの低い声は、ひとり呟きだと蚊の鳴くようだし、語尾がはっきりしない。
あのときハンゲマンはタシロの名を聞いて、Thassilo Graf Zollern(ツォレルン伯タシロ)とひとりごとを云ったにちがいなかった。
彼もまたクララ・ウォルフと同様にタシロの名をプロイセン太祖に結びつけたのである。ハンゲマンも国粋主義者だ。
当の福光福太郎は胸の荒鷲旭日章《あらわしきよくじつしよう》を輝かして立つ。傍《かたわ》らに高燭台を掲げるヘレーナは侍女頭のように威厳をつくっていた。
斉唱がそれにつづいた。
「タシロ伯爵さまの誠実なる侍女《こしもと》ヘレーナに、神よ祝福を垂れ給え」
「タシロ伯爵さまの誠実なる侍女《こしもと》ヘレーナに、神よ祝福を垂れ給え」
あとは歔泣《すすりな》きになった。
女たちは彼の足くびに何度も頬《ほお》ずりした。ヘレーナを抱きしめて離れた。
山上は、最後に福光が手に掲げているものを一条の青白い光の中で見た。キリスト、マリア、ヨハネ三聖像を彫った古い銅版であった。
階下《した》からすさまじい暴風の音を裂いて銅鑼《どら》が響いてきた。
親船に渡るボートが出る最後の報らせであった。梁がまた落ちてきた。鎧戸が全壊すると、強烈な風と飛沫が流れこんできた。
歴代王室の肖像画は傾く部屋じゅうに舞った。それが、壁からむしり取られたタペストリーに絡《から》んで浮游《ふゆう》した。
外には月でもあるかのように青白い波頭《なみがしら》が噴き上る海が低いところにあった。青白い光は大きなボートにとりつけられた一個の探照灯と、二キロ沖合にいる親船のサーチライトであった。
互いに訣《わか》れを惜しんでいる間は寸秒もなかった。
山上に最後の残像となったのは、福光が泰然と坐って、ヘレーナを抱きよせている姿であった。彼は例の中世ヨーロッパの王侯風の格好で、ヘレーナは宮廷女官ふうな純白なドレスでいた。彼女は髪を解いて、その肩に長く垂れたブロンドに一輪の花を挿《さ》していた。暗い中で、そこだけがふしぎと天井の穴から射しこむピンスポットを浴びたように明りが集まっていた。
それは舞台面のようであった。いかにも「アイデア」と「ヒント」を操って、芝居気たっぷりに外国で人生を歩いてきた福光福太郎らしい終焉《しゆうえん》だ、と山上は思った。――
階下そのものがすでに波に洗われていた。船員たちがボートを押えていた。乗りこむ渡し板はボートの後尾を開いたもので、これはあきらかに上陸用舟艇だった。沖合にいる船の輪廓は、汽船ではなく巡洋艦だった。船員と思ったのは水兵だった。
そうだろう、この颶風と波浪では普通の汽船やボートでは乗り切れない、デンマーク海軍はわれらのため巡洋艦をまわしてくれた、ありがたい、と両手を合わせるデンマーク国籍の「王党派」の壮年たちがいた。
舟艇はすぐにいっぱいになった。人数を点呼すると、三十一人であった。男が二十三名、婦人が八名。婦人の中にはマダム・クララ・ウォルフ。それとオルデンブルクの若い女五人。館《やかた》のコックとメイド二人。子供はいない。
男の中には山上とハンゲマンとが入っている。
舟艇の床に一同はひれ伏して、互いが腕を組んでしがみついた。頭を上げれば台風にさらわれてゆく。風速四〇メートルという信じられない魔力であった。鼻を出せば窒息しそうである。
舟艇は発動機をフルに回転して、その高速で高波を押し切ろうとする。が、波浪と波浪の間はスクリューが空転する。高さ五メートルに近い波頭は舳先《へさき》に回り、船尾に回る。舟艇に波が滝と流れこむ。水兵らが浸水のかい出しにかかる。人々は水びたしとなり、舟底に海鼠《なまこ》のように重なり臥《ふ》した。ハンゲマンの内ポケットにある「カード」も、海水に疾《と》うに溶けていた。
青白い光芒《こうぼう》が暗黒の空に、点滅していた。高さ十数メートルの灯台の灯だった。灯台だけは大洪水にも残る。これは自家発電。しかし、悪霊のようだ。ジルト島じたいが「お化け」の形。その象徴のような灯台の光。
巡洋艦からサーチライトの強い光が投げられている。拡声機が怒鳴っている。神の声だ。神と悪霊との闘い。舟艇は絶えず動揺した。腕組みは離れた。横に傾いたとき、一人が舷側から波に落ちた。だれだかわからぬ。気づかぬ者もある。気づいても、もちろん舟艇が停まれる状況ではない。
「この人は異端者。ツォレルン伯五世タシロの御霊《みたま》の名において、除け」
マダム・クララ・ウォルフの巫女《みこ》のような、あるいは持衰《じさい》のような、ヒトと思えぬ声であった。
だれか墜《お》ちたか。水兵が訊いた。
「さあ。知らねえな」
筋骨|逞《たくま》しい王党派の三十男二人は肩をすくめた。
福光福太郎が与えたエイズ・インフルエンザ・ウイルスの感染と発病との期間を短縮する「嶄新なヒント」は、エルンスト・ハンゲマンの水没とともに消え崩れた。
山上|爾策《じさく》はヨーロッパを去った。
この作品は平成元年六月新潮社より刊行され、平成三年八月新潮文庫版が刊行された。