目次
点と線
一  目撃者
二  情死体
三  香椎駅と西鉄香椎駅
四  東京から来た人
五  第一の疑問
六  四分間の仮説
七  偶然と作為の問題
八  北海道と九州
九  数字のある風景
十  北海道の目撃者
十一 崩れぬ障壁
十二 鳥飼重太郎の手紙
十三 三原紀一の報告
解説(平野謙)
点と線
一 目撃者
安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》は、一月十三日の夜、赤坂の割烹《かっぽう》料亭《りょうてい》「小《こ》雪《ゆき》」に一人の客を招待した。客の正体は、某省のある部長である。
安田辰郎は、機械工具商安田商会を経営している。この会社はここ数年に伸びてきた。官庁方面の納入が多く、それで伸びてきたといわれている。だから、こういう身分の客を、たびたび「小雪」に招待した。
安田は、よくこの店を使う。この界隈《かいわい》では一流とはいえないが、それだけ肩が張らなくて落ちつくという。しかし座敷に出る女中は、さすがに粒が揃《そろ》っていた。
安田はここではいい客で通っていた。むろん、金の使い方はあらい。それは彼の「資本」であると自分でも言っていた。客はそういう計算に載る人びとばかりであった。もっとも、彼はどんなに女中たちと親しくなっても、あまり自分の招待した客の身分をもらしたことはなかった。
現に、去年の秋から某省を中心として不正事件が進行していた。それには多数の出入り商人がからんでいるといわれている。現在は省内の下部の方だが、春になればもっと上層へ波及するだろうと新聞は観測していた。
そういう際でもあった。安田はさらに客について用心深くなった。客によっては、七度も八度も同じ顔があった。女中たちはコーさんとか、ウーさんとか言っているが、素性《すじょう》は全然知らされなかった。が、安田の連れてくる客のほとんどが、役人であるらしいことは、女中たちは知っていた。
しかし、招待客はどうでもよい。金を使うのは安田であった。「小雪」は、彼を大事にしておけばよかった。
安田辰郎は、三十五六で、広い額と通った鼻筋をもっていた。色は少し黒いが、やさしい目と、描《か》いたような濃い眉《まゆ》毛《げ》があった。人がらも商人らしく練れて、あっさりしている。女中たちには人気があった。しかし安田はそれに乗って、誰《だれ》に野心があるというでもなさそうだった。彼は誰にたいしても、同じように愛《あい》想《そ》がよかった。
係りの女中は、はじめ当番をもった因縁《いんねん》でお時《とき》さんがなっていたが、座敷だけの気やすさで、それ以上に出る模様もなさそうだった。
お時さんは、二十六だが、年齢《とし》を四つぐらい若く言ってもいいくらいに、色が白くてきれいである。黒《くろ》瞳《め》の勝った大きい目が客に印象を与えた。客に何か言われて、微笑《ほほえみ》を含んだ上《うわ》目《め》使いで睨《にら》む表情が相手をよろこばした。当人はそれを心得てする仕ぐさであろう。瓜《うり》実顔《ざねがお》で、唇《くちびる》とあごの間がせまく、横顔がきれいだった。
それくらいだから、客の中には誘惑する者もあったらしい。ここの女中はみんな通いである。午後四時ごろに出てきて十一時すぎには帰る。その帰りを待って、新橋駅のガード下あたりに来てくれと誘う者がある。客の言うことだからすげなくは断われない。ええ、いいわと返事して、三回も四回もすっぽかしてしまう。彼女に言わせると、それでたいてい察しをつけてほしい、のだそうである。
「血のめぐりの悪いくせに怒ってんのよ。このあいだお座敷に来て、いやと言うほどつねるのよ」
お時さんは、すわったまま、着物をめくってちらりと膝《ひざ》を朋輩《ほうばい》に見せた。白い皮膚の上に、うす青い痣《あざ》のようなものが一点に鬱血《うっけつ》していた。
「ばかだな。君があんまり気を持たせるからさ」
と安田辰郎は、その場で杯を含みながら笑って言った。つまり安田は、それだけ気のおけない客になっていた。
「そういえば、ヤーさん、ちっともあたしたちをくどかないわね」
と、女中の八重子《やえこ》が言った。
「くどいてもはじまらんよ。どうせ肩すかしをくう組だからな」
「やあい、あんなことを言ってる。あたし、ちゃあんと知ってるわ」
と、かね子がはやした。
「おいおい、変なことを言うなよ」
「だめよ、かねちゃん」
と、お時さんが言った。
「ここの女中は、みんなヤーさんに惚《ほ》れてるんだけど、ちっとも振りむいてもらえないのよ。かねちゃん、早いとこあきらめなさいな」
「へーんだ」かね子は、歯を出して笑った。
じっさい、お時さんの言うとおり、「小雪」にいる女中は、多少とも安田に興味を抱《いだ》いていた。くどかれたら、考えてみる気になるかもしれない。それだけの女好きのする魅力を、安田の顔と人がらは持っていた。
だから、その晩、某省の役人の客を先に玄関に見送って座敷に帰った安田が、もう一度くつろいで飲みなおして、ふと、
「どうだい、君たち、明日、飯をご馳《ち》走《そう》してやろうか?」
と言ったとき、そこにいた、八重子ととみ子が、一も二もなくよろこんで承知した。
「あら、お時さんがいないわ。お時さんも連れて行ってあげてよ」
とみ子が座敷を見まわして言った。お時さんは、何かの用事で出て行っていた。
「いいよ。君たち二人でいいよ。お時さんはこの次にしよう。あまり大勢で空《あ》けたら悪いよ」
それはそのとおりだった。女中たちは四時には店にはいらねばならない。夕飯をおごってもらえば遅くなる。三人も遅れたのではまずいにきまっていた。
「じゃ、明日、三時半に、有楽町のレバンテにこいよ」
安田は、目もとを笑わせながら言った。
翌日の十四日の三時半ごろ、とみ子がレバンテに行くと、安田は奥の方のテーブルに来て、コーヒーを飲んでいた。
「やあ」
と言って前の席をさした。店で見なれている客を、こんな所で見ると、気持がちょっとあらたまった。とみ子はなんとなく頬《ほお》を上気させてすわった。
「八重ちゃんはまだですの?」
「もうすぐ来るだろう」
安田は、にこにこして、コーヒーを言いつけた。五分もたたないうちに、八重子も、妙に恥ずかしそうにしてはいって来た。近くには若いアベックが多く、一目でその方の勤めと知れる二人の和装の女は目立った。
「何をご馳《ち》走《そう》しよう。洋食か、天ぷらか、鰻《うなぎ》か、中華料理か?」安田はならべた。
「洋食がいいわ」
二人の女はいっしょに返事した。日本食の方は、店で見あいているらしかった。
レバンテを出ると、三人は銀座に向った。この時間なら、銀座もそう混《こ》んではいない。天気はよかったが、風は冷たかった。ぶらぶらと歩いて、尾張町《おわりちょう》の角から松坂屋の方に渡った。三週間前の年末と打って変って、銀座も閑散だった。
「クリスマスの晩はすごかったわねえ」
安田のすぐ後ろで、二人の女はそんなことを言いあっていた。
安田は、コックドールの階段をのぼった。ここも空《す》いていた。
「さあ、なんでも好きなものを言いたまえ」
「なんでも結構だわ」
八重子もとみ子も、いちおう遠慮したが、やがてメニューをかかえて相談しはじめた。なかなか決らなかった。
安田は、腕時計をそっと見た。八重子がそれを目ざとく見つけて、
「あら、ヤーさん、おいそがしいの?」
と目を向けた。
「いや、いそがしくはないが、夕方から鎌倉《かまくら》に行く用事がある」
安田が卓の上で指を組んで言った。
「あら、悪いわ。じゃ、とみちゃん、早く決めましょうよ」
それでようやく決定した。
スープからはじまったから、料理が終るまで、かなりな時間をとった。三人はとりとめのないことをしゃべりあった。安田はたのしそうだった。フルーツが出たとき、彼は、また時計を見た。
「あら、お急ぎになるんじゃない?」
「いや、まだ、いいよ」
安田はそう答えた。しかし、つぎのコーヒーが出たとき、彼はもう一度、カフスをめくった。
「もう、お時間でしょう。失礼しますわ」
と、八重子が腰を浮かしそうにして言った。
「うん」
安田は、煙草《たばこ》をすいながら、目を細めて何か考えるようにしていたが、
「どうだい、君たち。このまま別れるんじゃ、おれ、ちょっと寂しいんだ。東京駅まで見送ってくれよ」
と言いだした。半分、冗談ともつかず、本気ともつかぬ顔つきだった。
二人の女は顔を見あわせた。彼女らも、いいかげん、店にはいるのが遅れている。この上、東京駅に行って来たのではもっと遅れる。しかし、このとき、安田辰郎の表情には、さり気なさそうにしているが、妙に真剣なものがあった。ほんとうに寂しいのかな、と女たちは思ったほどだった。それにご馳走になった手まえ、すげなく突っぱなすのも悪い気がした。
「ええ、いいわ」
と先に思いきったように言ったのは、とみ子だった。
「お店に、も少し遅くなるからと、電話で断わってくるわ」
そう言って、彼女は電話のある方へ立って行ったが、まもなく、にこにこして戻《もど》って来た。
「なんとか言っておいたわ。じゃ、お見送りに行きましょう」
そうか、悪いな、と言って安田辰郎は立ちあがった。このとき、彼はまた腕時計を出した。よく時計を見る人だと女たちは思った。
「何時の電車にお乗りになるの?」
八重子がきいた。
「十八時十二分か、その次に乗りたい。今、五時三十五分だからな、これから行けばちょうどいい」
安田はそう言いながら、せかせかと勘定を払いに歩いた。
車は駅に五分ぐらいで着いた。車のなかで、安田は、
「すまんなあ」
とあやまっていた。八重子もとみ子も、
「いいわよ。ヤーさん。これぐらいのサービスしなきゃ、こちらが悪いわ」
「そうよ、ねえ」
と言っていた。
駅につくと安田は切《きっ》符《ぷ》を買い、二人には入場券を渡した。鎌倉の方に行く横須賀線は十三番ホームから出る。電気時計は十八時前をさしていた。
「ありがたい。十八時十二分にまに合うよ」と安田は言った。
だが、十三番線には、電車がまだはいって《・・・・・・・・・》いなかった《・・・・・》。安田はホームに立って南側の隣のホームを見ていた。これは十四番線と十五番線で、遠距離列車の発着ホームだった。現に今も、十五番線には列車が待っていた。つまり、間の十三番線も十四番線も、邪魔な列車がはいっていないので、このホームから十五番線の列車が見とおせたのであった。
「あれは、九州の博《はか》多《た》行の特急だよ。《あさかぜ》号だ」
安田は、女二人にそう教えた。
列車の前には、乗客や見送り人が動いていた。あわただしい旅情のようなものが、すでに向い側のホームにはただよっていた。
このとき、安田は、
「おや」
と言った。
「あれは、お時さんじゃないか?」
え、と二人の女は目をむいた。安田の指さす方向に瞳《ひとみ》を集めた。
「あら、ほんとうだ。お時さんだわ」
と、八重子が声を上げた。
十五番線の人ごみの中を、たしかにお時さんが歩いていた。その他所行《よそい》きの支度といい、手に持ったトランクといい、その列車に乗る乗客の一人に違いなかった。とみ子もやっとそれを見つけて、
「まあ、お時さんが!」
と言った。
しかし、もっと彼女たちに意外だったことは、そのお時さんが、傍《そば》の若い男と親しそうに何か話していることだった。その男の横顔は、彼女たちに見おぼえがなかった。彼は黒っぽいオーバーを着て、これも手に小型のスーツケースをさげている。二人は、ホームの人の群れの間を、見えたり隠れたりして、ちらちらしながら列車の後部の方に向って歩いていた。
「まあ、どこに行くんでしょう?」
八重子が息をのんだような声で言った。
「あの男の人、誰《だれ》でしょうね?」
とみ子もかすれた声を出した。
三人の目にさらされているとは知らずに、お時さんは、連れらしい男といっしょに歩いていたが、やがて一つの車両《はこ》の前に立ちどまって、列車の車両番号を見ていたが、ついと男の方から先に内部《なか》にはいって、姿を消してしまった。
「お時さんも、なかなか隅《すみ》におけないね、彼氏と九州まで旅行するのかな?」
安田は、一人でにやにやしていた。
二人の女は、まだ棒のように立っていた。びっくりした表情が、まだ顔からさめていない。お時さんが姿を消した車両を見つめて声をのんでいた。その前には絶えず旅客が動いている。
「お時さんは、いったいどこへ行くのかしら?」
八重子がやっと言った。
「特急に乗るなんて、近い所じゃないわね」
「お時さんにあんな人がいたの?」
とみ子が声をひそめた。
「知らないわ。意外だわね」
二人は大変なものを見つけたように、低い声で言いあった。
八重子もとみ子も、じっさいはお時さんの私生活をよく知っていなかった。彼女は、あまり自分のことはしゃべりたがらない方である。結婚はしていないらしい。恋人がある様子もないし、浮いた噂《うわさ》も聞かなかった。いったい、そういう店に勤めている女には、朋輩《ほうばい》になんでもあけすけに話したり、相談したりする型と、自分のことは石のように黙っている型とがあるらしい。お時さんは、その黙っている方だった。
だから二人の女は、知らない彼女の一部分を偶然に発見した思いで、衝動をうけたのだろう。
「どんな男か、あのホームまで行って窓からのぞいてやるわ」
八重子がはずんだ声で言った。
「よせ、よせ。他人《ひと》のことは放《ほ》っとくものだ」
安田が言った。
「ああら、ヤーさん、妬《や》かないの?」
「妬くものか。おれもこれから女房《にょうぼう》に会いに行くんだ」
安田は笑った。
そのうち横須賀線の電車がはいってきた。これは十三番線だから、この電車のために、十五番線のホームはかくれて見えなくなってしまった。あとで調べたときに、この電車は十八時一分にホームに到着したことがわかった。
安田はその電車に片手をふりながら乗った。これは十一分後に出るから、しばらく間がある。
安田は窓から顔を出して、
「もう、いいよ。いそがしいだろうから、帰ってくれたまえ。ありがとう」
と言った。
「そうね」
と、八重子が言ったのは、これから十五番ホームに駆けて行って、お時さんとその相手をのぞいてみたい気持が動いていたからである。
「じゃ、ヤーさん。失礼するわ」
「行っていらっしゃい。また、お近いうちね」
二人の女は安田と握手して離れた。
階段をおりながら、八重子が、
「ねえ、とみさん、お時さんをちょっとのぞいてみない?」
と誘った。
「わるいわ」
と、とみ子も言ったものの、まんざらでもないらしい。二人は、そのまま、十五番ホームに駆けあがった。
たしかに、それと思われる特急の車両の近くに寄って、見送りの人たちの間から、窓を見た。車内は贅沢《ぜいたく》に明るい。その光線は、座席にすわったお時さんと横の若い男とを、あざやかに浮き出した。
「まあ、お時さんはたのしそうに話しているわ」
八重子が言った。
「ちょっと男前ね。いくつぐらいかしら」
とみ子は男の方に興味をもった。
「二十七八かな。五ぐらいかしら」
八重子が目を凝らした。
「じゃ、お時さんより、一つ上か下ぐらいね」
「内にはいって、ひやかしてやりましょうか」
「およしよ、八重ちゃん」
さすがにとみ子はとめた。それからしばらく二人の様子を観察していたが、
「さ、行きましょ。遅くなったわよ」
と、まだ未練げに見ている八重子をうながした。
二人の女は、「小雪」に帰ると、さっそく、女将《おかみ》に報告した。女将も意外だったらしい。
「へえ。そうなの? お時さんからは、昨日、五六日郷里《くに》に帰るから休ませてくれと言われていたんだけど、へえ、男の人とねえ」
と、目をまるくしていた。
「じゃ、きっと口実よ。だって、お時さんは秋田の方だと言ったじゃないの」
「あんなおとなしい女《ひと》が見かけによらないのね。京都あたりを、いい気持で遊んで歩くのかもしれないわ」
三人は顔を見あわせた。
その翌晩、安田が、また客を連れてきた。例によって客を送り出してから、
「どうだい、お時さんは今日はお休みだろう?」
と、八重子に言った。
「今日はお休みどころじゃないわよ。一週間ぐらい休むらしいのよ」
八重子が眉《まゆ》を上げて告げた。
「ほう。じゃ、あの男と新婚旅行か?」
安田は杯を口からはなしながら言った。
「そうなのよ。あきれたもんね」
「あきれることはないさ。君たちもやればいいじゃないか?」
「おあいにくさまね。それとも、ヤーさん、連れて行ってくれる?」
「おれか。おれはだめだ。そう何人も連れて行けない」
そんなことを言いあって、安田は帰ったが、仕事の都合なのか、また、あくる晩に二人の客を連れてきて飲んだ。
このときも、とみ子と八重子が座敷に出たので、安田との間に、お時さんのことが話題となった。
しかし、そのお時は、同伴《つれ》の男といっしょに、思いもかけぬ場所で、死体となって発見されたのである。
二 情死体
鹿児《かご》島《しま》本線で門司《もじ》方面から行くと、博《はか》多《た》につく三つ手前に香《か》椎《しい》という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮《かしいのみや》、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。
前面には「海《うみ》の中道《なかみち》」が帯のように伸びて、その端に志《し》賀島《かのしま》の山が海に浮び、その左の方には残《のこ》の島《しま》がかすむ眺望《ちょうぼう》のきれいなところである。
この海岸を香《か》椎潟《しいがた》といった。昔の「橿《かし》日《い》の浦《うら》」である。太宰帥《だざいのそち》であった大伴旅人《おおとものたびと》はここに遊んで、「いざ児《こ》ども香椎の潟に白妙《しろたえ》の袖《そで》さへぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠《よ》んだ。
しかし、現代の乾いた現実は、この王朝の抒情《じょじょう》趣味を解さなかった。寒い一月二十一日の朝六時半ごろ、一人の労働者がこの海辺を通りかかった。彼は、「朝菜を摘む」かわりに、家から名《な》島《じま》にある工場に出勤する途中であった。
朝は明けたばかりであった。沖には乳色の靄《もや》が立っていた。志賀島も海の中道も、その中に薄い。潮の匂《にお》いを含んだ風は冷たかった。労働者は外套《がいとう》の襟《えり》を立て、うつむきかげんに、足早に歩いていた。この岩の多い海岸を通ることが、彼の職場への近道であり、毎日の習慣であった。
が、習慣にないことが、そこに起った。彼のうつむいた目が、それをとらえた。黒い岩《いわ》肌《はだ》の地面の上に、二つの物体が置かれていた。いつもの見なれた景色の中に、それは、よけいな邪魔物であった。
まだ陽《ひ》の射《さ》さない、青白く沈んだ早朝の光線の中に、物体は寒々と横たわっていた。じっさい、衣類の端は寒そうに動いていた。が、動いているのはそれと、髪の毛ぐらいなものであった。黒い靴《くつ》も、白い足袋も固定したままであった。
労働者の平静が破られて、いつもの習性とは異なった方向へ、彼の足を走らせた。彼は町の方へ駆けて行き、駐在所のガラス戸を叩《たた》いた。
「海岸に死人がありますばい」
「死人が」
と、起きてきた老巡査は、冷たそうに上着の釦《ボタン》をかけながら、通告人の興奮した声を聞いた。
「はあ。二人ですたい。男と女のごつありましたやな」
「どけえあったな?」
巡査は起きぬけの事件に、びっくりしたように目をむいた。
「すぐ、そこの海ばたですたい。あたしが案内ばしまっしょ」
「そうな、じゃ、ちょっと待ちんしゃい」
巡査は少しあわてていたが、それでも届出人の住所氏名を書き取り、香椎の本署に電話で連絡をとった。それから二人で交番を急いで出た。二人とも、白い息を凍った空気の中に吐いていた。
もとの海岸の場所に引きかえすと、二つの死体はやはり汐風《しおかぜ》にさらされて横たわっていた。労働者は、こんどは巡査がついてきたので、少し落ちついて、その物体を眺《なが》めることができた。
男よりも、女の方が先に目についた。女は仰向けに顔を見せていた。目は閉じていたが、口は開いて白い歯が出ている。顔はバラ色をしている。鼠色《ねずみいろ》の防寒コートの下には、海老《えび》茶色《ちゃいろ》のお召《めし》の着物があり、白い衿《えり》が、ややはだけていた。着衣は少しも乱れていない。行儀よく寝ていた。ただ裾前《すそまえ》が、風に動いて、黄色な裏地を見せていた。きちんと揃《そろ》えた脚には、清潔な足袋があった。土には汚れていない。すぐ横に、これもていねいに揃えたビニールの草履があった。
労働者は、つぎに男に目をやった。男の顔は横を向いていた。これも頬《ほお》は、生きている人のように血色よく見えた。まるで酔って眠っているようである。濃紺のオーバーの端から茶色のズボンがのびて、黒い靴をはいた足をむぞうさに投げ出していた。靴は手入れがとどいていて、なめらかに光っていた。紺に赤い縞《しま》のある靴下がのぞいていた。
この男女の二つの死体の間は、ほとんど隙《すき》間《ま》がなかった。岩の皺《しわ》の間を、小さな蟹《かに》がはっていた。蟹は男の傍《そば》にころがったオレンジ・ジュースの瓶《びん》にはいあがろうとしていた。
「心中したばいな」
と、老巡査は立って見おろしながら言った。
「かわいそうに。年齢《とし》もまだ若いごつあるやな」
あたりが、だんだん昼の色に近づいてきた。
香椎署からの連絡で、福岡署から捜査係長と刑事が二名、警察医、鑑識係などが車で来たのは、それから四十分後であった。
死体をいろいろな角度から撮影しおわると、背の低い警察医が、しゃがみこんだ。
「男も女も、青酸カリを飲んでいますな」
医者は言った。
「この、きれいなバラ色の顔色がその特徴です。このジュースといっしょに飲んだのでしょうな」
ころがったジュース瓶《びん》の底には、飲み残しの橙色《だいだいいろ》の液体がたまっていた。
「先生、死後どれくらい経過していますか?」
捜査係長がきいた。彼は小さな髭《ひげ》をたくわえていた。
「帰ってよく見なければ分らんが、まず十時間内外かな」
「十時間」
係長はつぶやいて、あたりを見まわした。計算すると、それは前夜の十時か十一時ごろになる。係長の目は、そのときの情死の光景を想像しているようであった。
「女も男も同時に薬を飲んだのですね?」
「そうです。青酸カリ入りのジュースを飲んだのですな」
「寒い場所で死んだものですね」
小さい声で、ほとんど呟《つぶや》くように、ひとりごとを言う者がいた。警察医はその声の主を見あげた。よれよれのオーバーを着た四十二三の、痩《や》せた風采《ふうさい》のあがらぬ男だった。
「やあ、鳥飼《とりがい》君」
と医者は、その刑事のしなびた顔に話した。
「そんな考えは、生きているやつの言うことでね。死場所に寒いも暑いもないだろう。そういえばジュースだって冬向きではないね。それに当人たちは」
医者は、ちょっと笑った。
「倒錯的な心理があるんじゃないかな。普通の状態とは逆な、倒錯した一種の恍惚《こうこつ》的な心理が」
背の低い警察医が、そんな不似合な文学的な言葉をつかったので、刑事たちの間に、小さな笑いが起った。
「それに、毒薬をのむということは、やはり決断がいるからね。やはりそういう心理の力で死ぬことを望むだろうな」
係長もそんなことを言った。
「係長さん。こいは無理心中じゃなかでっしょな?」
刑事の一人が訛《なまり》をまる出しにして言った。
「無理心中じゃないね。着衣の乱れもないし、格闘した形跡もない。やはり合意の上で、青酸カリをのんで死んだのだな」
それは、そのとおりであった。女の姿態は、行儀よく横たわっていた。白い足袋は、傍《そば》にきちんと揃《そろ》えられてあるビニール草履から、脱いだばかりのようにきれいだった。両手は前に組みあわせていた。
あきらかに、情死とわかったので、刑事たちの顔には、弛《し》緩《かん》した表情があった。犯罪がなかったという手《て》持《もち》無沙汰《ぶさた》がどこかにあった。つまり、犯人を捜査する必要がなかった《・・・・・・・》のである。
二つの死体は、運搬車で署に持ち去られた。刑事たちも寒そうに肩をすくめながら車に乗った。あとは、邪魔もののなくなった香《か》椎潟《しいがた》が、弱い冬の朝の陽《ひ》を浴びて、風を動かしながら、おだやかに残った。
署にかえった死体は、綿密に検査された。それは衣類を一枚ずつ剥《は》ぐたびに写真に撮るという念の入った方法である。
男の上着のポケットから名刺入が出た。身もとはそれによって知られた。名刺入は定期券入を兼ねていた。阿佐《あさ》ヶ谷《や》・東京間の定期券、佐《さ》山憲一《やまけんいち》、三十一歳とあった。名刺はさらにくわしかった。名前の横に、「××省××局××課 課長補佐」の肩書があった。左には自宅の住所名がある。
刑事たちは顔を見合せた。××省××課といえば、目下、ある汚職事件が摘発の進行中で、ほとんど毎日の新聞に、記事が載っていないことはなかった。
「遺書は?」
係長は言った。
それは入念に探された。しかし、どのポケットにも遺書らしいものはかくされていなかった。一万円たらずの現金、ハンカチ、靴《くつ》ベラ、折りたたまれた昨日の新聞、皺《しわ》になった列車食堂の受取証。
「列車食堂の受取証? 妙なものを持っているもんだね」
係長は、それをとって、ていねいに皺を伸ばした。それはポケットの底に何気なしに残っていたという様子で、くたくたになっていたのだ。
「日付は一月十四日、列車番号は7、人数は御一人様、合計金額は三百四十円。東京日本食堂の発行だ。何を食べたかわからん」
係長はその伝票の要点を言った。
「女の方の身もとは、どうだね?」
それは出てきた。八千円ばかりはいった折りたたみの財《さい》布《ふ》の中に、小型の女もちの名刺が四五枚、バラにはいっていた。みな同じものだった。
「東京赤坂×× 割烹料亭《かっぽうりょうてい》小雪 時」
名刺の行書体文字はそう読まれた。
「とき《・・》というのがこの女の名前だな。赤坂の『小雪』という料理屋の女中らしいな」
係長は判断して、
「役人と料理屋の女中の情死か。ありそうなことだな」
と言った。それからすぐに男と女の名刺にある住所に電報を打つように言いつけた。
死体は、さらに警察医によって精細に調べられた。外傷はどこにもなかった。男女の死因は青酸カリによる中毒死であった。推定死亡時間は前夜の九時から十一時までの間ということである。
「すると、その時刻にあの海岸を散歩して、心中したのだな」
と、誰《だれ》かが言った。
「ずいぶんとこの世の別れを惜しんだことだろう」
しかし、死体の所見は、死の直前の交渉の形跡を認めなかった。それを知らされて、刑事たちは意外な顔つきをした。あんがい、きれいに死んだのだな、と一人が言った。死因は両人とも青酸カリの中毒死であることが確認された。
「十四日に東京を発《た》ったとみえるな」
係長は列車食堂の日付を見ながら言った。
「すると今日が二十一日だから、一週間前に出たのだな。ほうぼうを遊んで歩いて、この福岡に来て死場所をきめたというところか。おい、この列車番号の7というのは何か、駅にきいてみろ」
刑事の一人が電話をかけていたが、すぐに報告した。
「列車は東京発の下り博多までの特急だそうです。《あさかぜ》という名だそうです」
「なに、博多までの特急だって?」
係長は首を傾《かし》げた。
「じゃ、東京からまっすぐこの博多に直行したのかな。それでは一週間もこの福岡にとまっていたか、九州のどこかをうろついていたことになる。どうせトランクは持っていたろうから、それを捜す必要もある。写真を持って市内の旅館を調べてみてくれ」
と、刑事たちに命じた。
「係長さん」
と、一人の刑事がすすみ出た。
「ちょっと、その受取証を見せてください」
それは痩《や》せた、色の黒い、目ばかり大きい不精《ぶしょう》気《げ》な男だった。死体の発見のときに、香椎潟に行った男である。着ていたオーバーがくたくただったように、洋服もくたびれていた。使いふるしたネクタイが撚《よ》れている。鳥《とり》飼重太郎《がいじゅうたろう》という古参の中年の刑事だった。
鳥飼刑事は、骨ばった汚ない指で受取証をひろげてみていたが、
「御一人様? この男は一人で食堂で飯を食べたのですなあ」
と、ひとりごとのように言った。
係長が聞きとがめて、
「そりゃ、君。女の方は食べたくなかったから、いっしょには食堂には行かなかったのだろうよ」
と口を出した。
「しかし――」
と、鳥飼は口ごもった。
「しかし、なんだね?」
「いや、しかしですなあ、係長さん、女というやつは食い気が張っていましてね。腹はいっぱいでも、同伴《つれ》が食べるときは何かつきあうものですよ。たとえば、プリンとかコーヒーとかですな」
係長は笑いだした。
「そうかもしれんな。しかし、この女はそんなつきあいもできないくらい、胃がいっぱいだったかもわからんな」
と軽口を言った。
鳥飼刑事は、何か言いたそうだったが、そのまま黙って帽子をかむった。それも古いもので、ふちが歪《ゆが》んでいた。その帽子によって、鳥飼重太郎なる人物が、いっそう、精彩を加えたようであった。彼は踵《かかと》と減った靴《くつ》をひきずって出て行った。
刑事たちの出はらったあとの部屋の空気は妙にむなしく、がらんとしていた。居残った一人二人の若い刑事が火《ひ》鉢《ばち》に炭をついだり、ときどき、係長に茶を持って行った。
そういう状態で昼もすぎ、窓の陽《ひ》ざしが薄くなったころ、どやどやと大勢の足音が前後して闖入《ちんにゅう》してきた。
刑事連が帰ってきたのではなく、新聞記者たちであった。
「係長さん。××省の佐山課長補佐が心中したのですって。いま東京の本社から逆に知らされて、飛びあがったところですよ」
彼らは殺到しながら、わめいた。察するところ、今朝、署から打った電報で東京の新聞社がかぎつけ、福岡の支局に急報したらしい。
翌朝の朝刊には、××省課長補佐、佐山憲一の情死が大きく扱われていた。A紙は小倉で、M紙は門司で印刷しているから、この日本の二大新聞をはじめ、地元の有力紙もみな大きな見出しのスペースをつくった。それは単純な情死事件ではない。目下進行中の××省の汚職問題にひっかけていた。どの新聞も佐山の死は、汚職に関係があるとみていた。東京検察庁談としては、佐山課長補佐を召喚する予定はなかった、と載っていた。しかし新聞の観測的な記事によると、佐山課長補佐が参考人として取りしらべられることは必至であり、同人は上層部に事件が波及することをおそれて、愛人と情死を遂げたのではあるまいか、と書かれてあった。
その新聞が重なって、係長の机の隅《すみ》に置いてあった。当の係長は、革製の小型のスーツケースの内容物を調べていた。
昨日の昼間から深夜にかけて、刑事たちが福岡市内の旅館を洗って歩いた結果、捜しあてたもので、今朝、捜査係長が出勤そうそうに披《ひ》露《ろう》したのである。
それを突きとめたのは若い刑事で、市内の丹《たん》波屋《ばや》という旅館で、宿では、たしかに、写真の主を客に泊めたと証言した。宿帳には、「会社員、藤沢《ふじさわ》市南仲通り二六、菅原泰造《すがわらたいぞう》三十二歳」と記帳してあった。十五日の晩から一人でつづけて宿泊し、二十日の夜、勘定をすませて出て行ったという。その時客は、このスーツケースはあとでとりに来るからと言って、置いて行ったというのである。
さて、今、そのスーツケースの内容をことごとく出してみたのだが、洗面具だとか、着がえのワイシャツや、下着の類とか、汽車の中で買ったらしい娯楽雑誌が二三冊といった平凡なもので、何一つ書置めいたものはむろん、手帳らしき物も出なかった。
係長は調べおわると、その獲《え》物《もの》を持って帰った若い刑事に顔を向けた。
「なに、男が一人でとまっていたって?」
ときいた。
「はあ、一人だそうです」
若い刑事は答えた。
「ふうん、おかしいな。女はどうしたのだろう。その間、どこに行っていたのだろう。十五日の晩なら、東京から《あさかぜ》でこの博多に着いた日だ。それから二十日までの一週間、男は宿にずっといたのか?」
「どこにも出かけず、一人で宿にいたそうです」
「その間、女は訪ねてこなかったか?」
「いえ、誰《だれ》も来なかったといいます」
この問答の最中に、鳥飼重太郎は、そっとその場をはずした。彼は、古帽子をつかむと、音のせぬように部屋を出て行った。
彼は表へ出ると、市内電車に乗った。ぼんやり向い側の車窓から見える動く景色を見ていた。しばらく乗ってある停留所まで来ると、そこで降りた。ひどく年寄りじみた動作であった。
彼は横丁をいくつもまがった。歩き方はやはり緩慢であった。それから、ゆっくりと丹波屋という看板のかかった建物を見あげると、磨《みが》きのかかった廊下の見とおせる玄関にはいった。
番頭が帳場から出て、警察手帳を見てかしこまった。
若い刑事が主任に報告した事実をあらためてたしかめたのち、鳥飼重太郎はとがった頬《ほお》に微笑の皺《しわ》をよせながら、質問した。
「その客が来たときの様子は、どうだったね?」
「なんですか、たいそう疲れた様子で、夕食をたべると、すぐに寝てしまわれました」
と、番頭は答えた。
「毎日、外出もせずにいると、ずいぶん、退屈だろうが、どんなふうでしたな?」
「女中もあんまり呼ばないで、本を読んだり寝ころがったりしていました。そういえば、陰気なお客さんだと女中も話していました。ただ、あのお客さんは、電話がかかってくるのをしきりと待っていたようです」
「電話を?」
鳥飼は大きな目を光らせた。
「はあ。自分に電話がかかってくるはずだと、女中にも言い、私にも言っていました。電話がかかってきたら、すぐに取り次いでくれとおっしゃるのです。どうも、毎日、外出もなさらなかったのは、そのためではなかったかと思われます」
「そうかもしれんな」
鳥飼は、うなずいた。
「それで、その電話は、かかってきたかね?」
「かかってきました。私が電話を聞いたのです。二十日の午後八時ごろでした。女の声で、客の菅原さんを呼んでくださいと言いました」
「女の声でな。佐山と言わずに、菅原と言ったのだな?」
「そうです。私は、お客さまが毎日、じれるくらいに電話を待っていたのを知っていたので、すぐに部屋につなぎました。そうです、ここは各部屋に電話を切りかえるよう交換台があるのです」
「それで、どんな会話があったか、わからなかったかな?」
番頭は、この問いにうすく笑った。
「へ、へ。私どもでは、お客さんの電話は盗聴しない躾《しつけ》をしておりまして」
鳥飼は、残念そうに舌打ちした。
「それから、どうだった?」
「話は、一分ばかりで切れたようです。それから、すぐにそのお客さんは、計算してくれとおっしゃって、勘定をおすましになり、あのスーツケースをあずけて、出て行かれました。まさかあの人が心中なさるとは夢にも思いませんでしたなあ」
鳥飼重太郎は、鬚《ひげ》の伸びたあごに指を当てて考えていた。
――佐山課長補佐は一週間も前から、女からの電話のかかってくるのを、じりじりして宿で待っていた。そして、やっと電話がきた晩にすぐ情死した。どうも、奇妙な話だ!
彼の目の先には「御一人様」という列車食堂の受取証が、まだ揺曳《ようえい》していた。彼はつぶやいた。
(佐山は女の来るのを宿で待っていた。なぜ彼は心中する相手を、一週間も待たねばならなかったか?)
三 香椎駅と西鉄香椎駅
鳥飼《とりがい》重太郎は、七時ごろ家に帰った。格《こう》子《し》戸《ど》が開いた音はたしかにしたのに、誰《だれ》も出てこない。狭い玄関で靴《くつ》をぬいでいると、女房《にょうぼう》が奥から姿も見せずに、
「お帰んなさい。お風呂《ふろ》がわいていますよ」
と、襖《ふすま》ごしに声だけかけた。晩飯の前に、まず風呂にはいれという意味である。襖を開けると、女房は編物を片づけているところだった。食卓には白い布がかかっている。
「お帰りが遅いと思ったから、すみ子とさきに御飯をすませましたよ。すみ子が新《にっ》田《た》さんと映画に行くと出かけましたから。さあさあ、お風呂へはいってらっしゃい」
重太郎は黙って洋服をぬぐ。くたびれた洋服で、裏地が破れかかっていた。ズボンの折返しにごみや砂がたまって、畳の上にばらばらとこぼれた。今日一日歩きまわった疲労が、音立ててこぼれたといえそうだった。
仕事の都合で帰りが不規則なのは、いつものことであった。女房と娘はあてにしないで、六時半をすぎたら飯をたべることになっている。すみ子というのが娘の名で、新田は近くその夫になる男の名だった。二人は今夜、映画に出かけて留守だというのだ。
重太郎はあいかわらず黙ったまま風呂にはいった。古い釜《かま》の五《ご》右衛《え》門《もん》風呂《ぶろ》である。
「どうですか?」
と、女房が湯加減をきく。
「いいよ」
と重太郎は、面倒くさそうに答える。面倒なのは、よけいなことを言いたくないからだ。湯につかっている間、ぼんやり考えごとをするのが彼の癖であった。
彼は昨日の情死体のことを考えていた。どういう事情で心中したのであろう。それは東京から家族が死体を引き取りにくるという電報がはいったから、やがてわかるかもしれない。新聞は佐山課長補佐が、目下摘発進行中の××省の汚職事件に重大な関係があり、その死によって上層部のなかには安《あん》堵《ど》する者がある、などと書き立てている。佐山という男は、そういう気の小さい、善良な人間であったらしい。また、新聞によれば、佐山とお時とは深い関係があり、そのことで佐山は悩んでいる口吻《こうふん》をもらしたこともあるという。して見ると、佐山は、事件と女関係との二つの悩みを死で解決したのであろう。いや、この場合、事件の懊悩《おうのう》が直接の動機であって、女のことが死へ駆けだすはずみをつけた、と想像できそうである。
(それにしても)
と重太郎は、湯を顔にかけて考える。
(《あさかぜ》でいっしょに博《はか》多《た》駅に到着したのに、女は佐山だけを旅館においてどこに行っていたのか。佐山は十五日の夜に丹波屋旅館にはいっている。彼のポケットから出てきた列車食堂の受取証によれば、その日が博多着の日に間違いないから、彼だけはまっすぐ旅館にはいったことになる。このときは女は姿を見せなかった。十五日から二十日までの五日間、佐山は宿でじりじりして女からの連絡を待っていた。お時という女は、その間、どこで何をしていたのだろう)
重太郎は、タオルで顔をふいた。
(その連絡が佐山にとって、どのように大事であったかは、彼が毎日宿にいて外出もせずに待っていたことでわかる。待ちかねた電話は二十日の午後八時に女の声でかかってきた。それはお時であろう。なぜなら、宿の者に佐山を呼んでくれと言わずに、菅原《すがわら》を呼んでくれと電話口で言っている。その変名を使うことを二人で打ち合せしていたに違いないからだ。さて、佐山はその電話を聞いて、待っていたとばかりに出て行った。その晩に香《か》椎《しい》の海岸に行って心中した。少々気の早すぎる心中のようだな。せっかく会ったのだから、もう少しゆっくりしてからでよさそうなものだが)
重太郎はいったん、五右衛門風呂から出たが、石鹸《せっけん》を使うでもなく、ぼんやりすわって、体の冷えるにまかせていた。
(最後のよろこびの時間も十分に与えないだけの、切迫した事情がそこにあったのか、あったとすれば、それはなんだろう。そういえば、遺書もなかった。しかし遺書のないことはたいしたことではない。だいたい、遺書を書いて死ぬのは若い人で、中年以上は遺書のないのが多い。遺書のない方に、よけい追いつめられた原因が多いようだ。ことに、佐山の場合は、うっかり遺書を書くこともできなかったであろう。女は男に引きずられて、これも遺書を残さなかった。そういう情死だった。そうだ、情死であることは間違いない。が――)
重太郎は、体の寒いのに気がついて、もう一度、風呂の中にはいった。
(だが、あの列車食堂の御一人様が、まだ心にかかる。少し気にかけすぎるのかもしれないが)
女房の声が聞えた。
「あんた、まだ上がらんのですか?」
鳥飼重太郎は、湯気の出ている顔で食卓に向った。晩酌《ばんしゃく》二合を長い時間かけて飲むのが彼のたのしみである。雲丹《うに》、イカの刺《さし》身《み》、干《ひ》鱈《だら》、そんな肴《さかな》が膳《ぜん》の上にはならんでいる。今日は歩きまわって疲れた。酒の味がうまかった。
女房《にょうぼう》は、こんどは着物を縫っている。赤い派手な柄《がら》だから、むろん、近く嫁にゆく娘のものである。針を動かすのに余念がない様子だった。
「おい、飯だ」
と杯をおいて言うと、女房は、
「はい」
と、そのときだけは縫物の手をやめて、給仕してくれたが、また着物をとりあげる。針を運びながら、重太郎の飯のおかわりを待っているのだった。
「おまえも、お茶ぐらい、いっしょに飲んだらどうだ?」
と言うと、
「いいえ、欲しくないのよ」
と答えて、顔も上げなかった。重太郎は飯を口に入れながら、それをつくづくと見た。女房も年齢《とし》をとったものだ。これくらいになると、亭主《ていしゅ》が飯を食っていても、茶のつき合いをする気もおこらぬらしい。彼は香《こう》の物を噛《か》み、茶碗《ちゃわん》の黄色いお茶を飲みこんだ。
そのとき娘が帰ってきた。まだ満足のほてりが表情に残っていた。何か、いそいそとしている。
「新田さんは?」
と女房がきくと、娘はオーバーをぬいですわりながら、
「そこまで送ってくれて、帰ったわ」
と答えた。幸福そうな口ぶりだった。
重太郎は、新聞を読むつもりをやめて、娘の方を向いた。
「おい、すみ子、おまえは映画の帰りに、新田君といっしょに茶を飲んできたかい?」
娘は、笑いだした。
「何よ、お父さん、出しぬけに。そう、お茶ぐらい飲んだわ」
「そうか。その場合だな」
と彼は、何を思いついたのか話しだした。
「たとえばだよ。新田君は腹をへらして何か食べたがっている。おまえはお腹《なか》がいっぱいで、何も咽喉《のど》に通らないという……」
「へんなたとえ話ね」
「まあ聞け。そのときに、新田君が、じゃ僕《ぼく》だけで何か食べるから、君はその間、ショーウインドでも眺《なが》めて待っていてくれと言えば、そのとおりになるかい?」
「そうね」
と娘は、ちょっと考えるふうをして言った。
「やっぱり食堂について行くでしょうね。だってつまらないもの」
「そうか、やっぱりな。お茶も欲しくないと思ってもか?」
「そうよ。そんなときでも、新田さんの傍《そば》についていてあげたいわ。ものが食べられなかったら、コーヒーでもとって、おつきあいするわ」
そうだろうな、と父親はうなずいて相槌《あいづち》を打った。それが真剣に聞えたので、今まで黙って縫物をしていた女房が笑った。
「何を聞いてるの、お父さん」
「おまえは黙っていろ」
と、茶のつきあいをしてもらえなかった重太郎は、一喝《いっかつ》した。
「それは、なんだな、新田君にたいしてすまないという気持からだな」
「そうね。それは食欲の問題よりも愛情の問題だわね」
と、娘は言った。
「なるほど、そうか」
うまいことを言うと思った。重太郎が考えていたことを、娘は適切な一ことで言いえた。食欲よりも愛情の問題か。そうだ。それである。
「御一人様」の列車食堂伝票にいやにこだわるようだが、鳥飼重太郎が漠然《ばくぜん》と考えていた不審はそこにあった。男と女のはるけき九州までの情死行である。愛情は普通よりもいっそうに濃厚なのだ。まして列車の中だ。女がいくら食べたくなくても男が食堂車に立てば、コーヒー一ぱいぐらいのつきあいに同行するのが人情ではないか。席は指定になっているから、二人があけても場所をふさがれる心配はない。それとも、網棚《あみだな》の荷物が気になって、女は用心のために残ったのであろうか。だが、どうもそんな気持がしない。この佐山とお時という女との間は、重太郎には、何かちぐはぐなものが感じられてならない。
ちぐはぐといえば、博多についたときから、二人の関係は妙である。女は佐山を一人で旅館に五日間もおいて、自分はどこかに行っている。五日目に電話で男を呼びだすと、すぐその晩には心中を決行してしまう。このお時の行動には、情死という感情に密着しない、何かが含まれていそうだった。
だが、香椎の浜にならんだ二つの死体は、どこから見ても情死のそれであった。現に彼の目が現場で確かめているのだ。そのことは絶対に間違いはない。(すると、やっぱり自分のよけいな思いすごしかな)
鳥飼重太郎は浮かぬ顔つきになって、煙草《たばこ》を喫《す》いながら考えた。
翌日、二つの死体の引取人が、東京から福岡に到着した。死体は、最後に解剖した病院の屍《し》室《しつ》に安置してあった。
佐山憲一の引取人は、その実兄という四十二三の、髭《ひげ》をたくわえた、肥えて風采《ふうさい》のよい男であった。彼は某銀行支店長の肩書のある名刺を署員にさし出した。
お時の方は、その実母と名乗る六十歳ばかりの老《ろう》婆《ば》と、二十七八の粋《いき》づくりの感じのする女が引取人として出頭した。彼女はお時のつとめていた赤坂の料亭《りょうてい》「小雪」の、いわゆるお座敷女中で、とみ子という名だと言った。
ところで、奇妙な現象が起った。この両方の引取人は、決してたがいに口をききあわないのである。警察署の調室《しらべしつ》でも、病院の待合室でも、彼らはつねにいっしょになるのだが、両方で目をそむけあっていた。もっとも、その空気をつくったのは、佐山の実兄の銀行支店長の方であろう。彼は、この女二人をさも憎々しげな目つきで見すえ、終始、堅い表情で構えていた。それは女たちがさもいまいましくてけがらわしいと言いたげな顔であった。これでは女二人も取りつく島がないというものである。彼女らは、佐山の実兄のその目を恐れるように、おどおどとしたところがあった。
そのことは、署の捜査係長が事情聴取のために三人に質問した答弁に、はっきり出た。
「弟さんが心中をなさる原因とでもいう事情に、お心あたりがありますか?」
ときくと、この髭のある支店長は、どこかもったいぶった口ぶりで答えたのであった。
「今回は弟がとんだ恥さらしをして赤面しております。死の原因については、新聞などにいろいろ言われていますが、役所のことは、私にはとんとわかりません。汚職事件で弟が上司を、死をもってかばったかどうか、もちろん知りません。最近会ったのは三週間ぐらい前ですが、そのときはだいぶ沈んでおりました。弟は無口な方で、別段何も言いませんでした。家内を三年前になくし、前から、二度目の結婚の話が持ちあがっていたのでした。ところが、弟はどうも再婚の話には気が乗っていないようで、話は渋滞していました。こんどのことで、はじめて弟にそういう女があったのかとわかったようなしだいです。弟はまじめな性格で、女のことでかなり苦しんでいる様子だったとは、弟の親しい友人からこちらに発《た》つ前に聞きました。ばかな奴《やつ》で、そんな問題があれば、一口、私に言えばよかったのにと残念に思うくらいです。残念なといえば、相手の女が赤坂の料理屋の女中だったことです。もう少しどうかした婦人なら、私も諦《あきら》めがつくのですが、これではやりきれません。たぶん、女遊びもしたことのない弟は、男には海千山千のその種類の女に翻弄《ほんろう》されて、心中をせがまれたに違いありません。きっと女には死なねばならぬせっぱつまった事情があり、弟を道づれにしたと思います。せっかく、これからという前途のある弟を、そんな目にあわせた相手の女が、私は憎くてなりません」
支店長はその憎《ぞう》悪《お》を、その女の死体引取人に先刻から振り向けているように見えた。彼は女二人にけっして口をきかないばかりか、人目がなく、自分のきどった体裁を構わなかったら、罵《ば》声《せい》を浴びせて、打擲《ちょうやく》の一つも加えたげであった。
お時の母親の方は、捜査係長の質問には、こういう答え方をした。
「お時は、ほんとうの名は桑山秀《くわやまひで》子《こ》と申します。わたしらは秋田の田舎でして、古くから百姓をしておりますが、あの子は一度嫁《かた》づきましたが亭主運が悪く、別れてからはずっと東京に出て働いておりました。『小雪』さんの方にお世話になる前には、二三度お店を変ったようですが、便りも一年に二回か三回ぐらいで、どんな暮し方をしているかさっぱりわかりません。何しろ、あの子のほかに、わたしには五人も子どもがいるものですから、気にはしておりながら、いちいちかまっていられない有様でした。こんどのことは、『小雪』さんから電報で知らされて飛んできたのですが、まったくかわいそうなことをしたと思います」
こんなふうに一気に言ったのではなく、老婆はたどたどしく話した。年齢よりは皺《しわ》が深く、しょぼしょぼした目のふちは、眼病でも病んでいるように、赤くはれていた。
ところで、「小雪」の女中とみ子は、つぎのように述べた。
「お時さんと私とは一番の仲よしでしたから、『小雪』のおかみさんにたのまれて、みんなの代りに私がここへまいりました。お時さんは、三年ばかり前にお店にはいりましたが、お座敷でのお客のあしらいも上手で、お客さまの誰《だれ》にも好かれておりました。けれども、特別にお座敷以外でつきあっているという仲のお客はなかったようです。もっとも、お時さんはしっかり者で、あまり自分のことを言いたがらない性質《たち》でしたから、わりに仲のよかった私にも、ほんとうの生活はよくわかりません。でも、浮いた噂《うわさ》は一度も聞いたことがありません。ですから、こんどの心中のことはまったく驚いてしまいました。いつそんな深い人ができていたのかと、おかみさんはじめ、みんなびっくりしているしだいです。佐山さんという人は私は知りません。新聞に写真が出ていましたが、おかみさんも、ほかの女中も誰も見おぼえがありませんから、お店に来たことのあるお客ではないようです。けれど、私と八重さんとは、その男の人を、お時さんといっしょのところを東京駅で見かけたことがあります。八重さんというのは、やはり『小雪』の女中で、私の友だちです」
「見かけたことがある? それはどういうことだね?」
と、このときに係長がきいている。
「十四日の夕方でした。いつもお店を使ってくださる安田さんというお客があります。その方をお見送りに東京駅のホームに八重さんと二人で行ったのですが、偶然、お時さんとその男の人とが特急列車に乗るのを見かけたのです。私たちは十三番ホームにいたのですが、間にほかの列車の邪魔がなく、十五番ホームが見えたのです。安田さんが、おい、あれはお時さんではないか、と言ったので、私たちも気がついたのです。お時さんとその男とはいっしょにホームを歩き、九州行のその特急に乗りこむのが、たしかに見えたのです。私たちは意外に思いました。お時さんが同伴で汽車で旅行に出かけている。妙なことがあるものだと思いました。つぎにはお時さんの秘密な一面を見た思いで、好奇心も手つだい、安田さんを見送ってから、八重さんと二人で十五番ホームに駆けあがり、その特急列車の窓からのぞきこみました。すると、お時さんはその男の人の隣の座席にすわって、たのしそうに話しているじゃありませんか。まあ、あきれたもんだと思いました」
「その場合、君たちはお時さんと話をしなかったのかね?」
「せっかく、両人《ふたり》でこっそり楽しい旅行に出かけているところですもの。邪魔しては悪いと思ったからそのまま黙って帰りました。そのとき見た男の人の顔が、たしかに新聞の写真に出ている佐山さんという人でした。思えばそれがこんどの心中の出発でしたわ。まさかこんなことになろうとは夢にも考えませんでした。お時さんは、お店に前の日からお休みを申し出ていたそうですから、覚悟の心中だったのでしょうね。いい人でしたが、かわいそうなことをしましたわ。なぜ、死ななければならないのか、お時さんの方には心当りがありません。もっとも、前に申しあげたように、あの人は自分のことはあまり話さない方ですから、くわしい事情はわかりませんが、新聞によると、佐山さんという人は汚職事件に関係があって、たいそう苦しい立場だったそうですから、お時さんが、それに同情したのでは、ないでしょうか」
――死体引取りにきた三人の話は、だいたい以上のとおりであった。これは、刑事の鳥飼重太郎も傍《そば》にいて聞いたことである。
遺体は無事に引取人に渡された。引取人は福岡市内でそれぞれ荼毘《だび》に付して、遺骨箱をかかえて帰った。香椎浜の情死事件はなんのとどこおりもなく、まったく声一つ出ない平穏さで、時間の経過に乗って通過したのであった。
鳥飼重太郎が口をはさむ余地はどこにもなかった。彼の心に引っかかっているものが二つある。一つは「御一人様」の食堂車の伝票である。愛情と食欲の問題だ。一つは女が佐山と一つ宿にとまらずに、五日間もどこに行っていたかという疑問である。
だが、これは、この情死事件の異論として提出するには、あまりに弱かった。係長は取りあってくれないであろう。じっさい彼自身も、客観的に考えれば、いかにも薄弱な根拠でしかなかった。だから重太郎も、納得のゆかない気持ながらも、口をつぐんでいっさいの進行を見送ったのであったが、口を出し得ないことと、心の落ちつきとは別のことである。いや、口が出せないだけに、気分のもやもやとしたものは、いっそうこうじたのであった。この二つのはっきりした答えが出ぬ以上は、彼の心は何としても落ちつけそうになかった。
(たかが情死ではないか)
と彼は、一度は思いなおしてみた。しかし、変にこんどのことは気になって仕方がなかった。これは犯罪ではない。ほうっておけばよいことである。それよりも新しい事件はつぎつぎに起って、やらねばならない仕事は彼を待つであろう。しかし――彼は、この引っかかりが解けない以上、いつまでも気分がはれないように思えた。
(よし、これは誰《だれ》にも言わずに、一人で調べてみよう)
と、彼はつぶやいた。そう決心すると、今まで気重かった心が妙に軽くなった。
この情死事件は、汚職事件に関連してちょっと新聞を騒がしただけで、彼の頭上をすうっと通過した。あまりになめらかな通過であった。情死という平凡さに、すぐ答えが出たのか、途中の運算がない。答えが出る前の手数が、どこかにはぶかれているような空隙《くうげき》を感じるのだ――。
重太郎は、心中死体のあった香椎海岸の現場に、もう一度行ってみようと思い立った。
彼は市内電車を箱崎で降り、和《わ》白《じろ》行の西鉄電車に乗りかえた。香椎に行くには、汽車の時間をみて行くよりもこの方が便利である。電車は国鉄よりも海岸沿いを走った。
西鉄香椎駅で降りて、海岸の現場までは、歩いて十分ばかりである。駅からは寂しい家なみがしばらく両方につづくが、すぐに切れて松林となり、それもなくなってやがて、石ころの多い広い海岸となった。この辺は埋立地なのである。
風はまだ冷たかったが、海の色は春のものだった。荒々しい冬の寒い色は逃げていた。志《し》賀島《かのしま》に靄《もや》がかかっていた。
鳥飼重太郎は現場に立った。現場と見おぼえがつかないくらい、あたりは黒い岩肌《いわはだ》のごつごつした、特徴のない場所であった。どのように格闘しても、絶対に痕跡《こんせき》を残しそうにない場所であった。あたりの風景とくらべて、これはいかにも荒涼とした場所であった。
重太郎は、佐山憲一とお時とが、どうしてこのような所を死場所にえらんだのであろうか、と思った。もっと、どうかしたところがありそうに思える。情死者はたいてい場所を贅沢《ぜいたく》に選択するようだ。温泉地や観光地がそうである。まあ、ここも眺望《ちょうぼう》はよいが、この堅い岩肌の浜辺にしなくても、柔らかい草地にすればよさそうに思えた。
しかし、あのときは夜だったな、と重太郎は気づいた。八時ごろ宿を出て、十時ごろにはここで情死している。まるで最初から決定でもしたようにまっすぐここに来ている。暗い夜なのだ。いかにも勝手知った場所のように思えそうであった。
すると、――すると、佐山とお時のどちらかは、以前にここに来たことがあるのではないか、と彼はふと考えてみた。警察でいう犯人の土地カンである。どうも、そういう土地にたいする知識なしには考えられないような二人の行動であった。
重太郎は、少し急ぎ足でもとの方へ引きかえした。西鉄香椎駅を通り抜けて、国鉄の香椎駅へ向った。この二つの駅の間は、五百メートルぐらいしかない。道の両側は、ややにぎやかな町なみであった。
駅につくと、電報受付口に行って、ポケットから古びた手帳をとり出し、書き取った住所を見て、二つの電報を打った。佐山憲一の実兄と、お時の実母にあてた問い合せである。苦心して二十字以内ですむように文句を考えた。
それがすむと、彼は構内にはいり、時刻表を見あげた。二十分ばかりで博多のほうに行く下りの列車のあることを知った。
それを待つ間、刑事はポケットに両手を入れて駅の入口に立って外を眺《なが》めた。うら寂しい、変化のない駅前の風景である。お休所と書いた飲食店がある。小さい雑貨屋がある。果物屋がある。広場にはトラックがとまり、子供が二三人遊んでいる。あかるい陽《ひ》ざしがその上にあった。
重太郎はぼんやりそんな光景を眺めているうちに、突然に一つの小さな疑問が頭の中に浮んだ。
今まで佐山たちは、電車で西鉄香椎駅に降りたこととばかり思いこんでいたのだが、あるいはこの香椎駅へ汽車で来たかも知れないのだ。ふたたび時刻表を見上げると、博多の方から来る上りで二十一時二十五分があった!
鳥飼重太郎は目をつむった。一分間ばかり考えた末、汽車に乗ることをやめて、駅前を横切って店の方へゆっくりと歩きだした。あることを質問するためであった。彼は予感に胸騒ぎを覚えた。
四 東京から来た人
鳥飼《とりがい》重太郎は、香《か》椎《しい》駅前の果物屋の前に立った。
「ちょっと、おたずねします」
りんごを拭《ふ》いて艶《つや》を出していた四十ばかりの店主がふり向いた。およそ、ものをきくと商店の主《あるじ》は無愛想なものだが、重太郎が警察の者だが、と言うと、店主はとたんに真顔になった。
「この店は、夜は何時ごろまで起きていますか?」
重太郎はききはじめた。
「十一時ごろまで店を開けていますが」
店主はていねいに言った。
「すると、九時半ごろに駅から出るお客は、ここから見えるわけですね?」
「九時半? ああ、そうです。九時二十五分発の上りがありますから、それは見えます。そのころは店は暇だし、果物を買ってくれる客はないものかと、見張っていますからね」
「なるほど。じゃ、二十日の晩のその時刻に、三十歳ぐらいの洋服の男と、二十四五歳ぐらいの防寒コートを着た和服の女の連れが、駅から出てきたのを見ませんでしたか?」
「二十日の晩? だいぶ前のことですな。さて」
店主は考えるように小首を傾けた。これは無理な質問かもしれない、と重太郎は思った。四五日前のことなのである。日を言ってもわかるまい。彼は、ふと別な問いかたを思いついた。
「この前、この辺の浜で心中があったことを知っていますか?」
「はあ、朝、死体がわかったことでしょう? 噂《うわさ》でも聞いたし、新聞も読みました」
「それですよ。それが二十一日の朝です。二十日というのは、その前の夜ですが、思いだしませんか?」
「ああ、そうか」
店主は印《しるし》入りの厚い前だれをたたいた。
「それなら思いだしました。そうですか、あの前の晩のことですか。それなら、見ましたよ」
「え。見た?」
重太郎は目を輝かした。
「ええ、見ました。どうして覚えているかというと、翌日、心中騒ぎがあったからですよ。そうですな、あの晩の九時二十五分の客は十人ぐらいしか駅から出ませんでした。いったいにその時刻は汽車から降りる人が少のうございましてね。その中に、今、おっしゃったような洋服の男と和服の女の二人連れがありました。私は、果物を買ってくれそうな気がしたので、その二人ばかりをこちらから見ていましたよ」
「で、果物を買いましたか?」
「買いませんでした。そのまま、さっさと西鉄香椎駅の方へ行く通りを歩いて姿が消えたものですから、がっかりしましたよ。ところが、その翌朝があの騒ぎでしょう。私は、もしやあの二人が心中したのではないかと思いましたから、それはおぼえています」
「その二人の顔を記憶していますか?」
重太郎が見つめると、店主は片手で頬《ほお》をなでた。
「何しろここからは距離がありましてね。それに駅の明るい電燈《でんとう》で逆光線になっているものですから、人間は黒い影みたいなもので、顔がわかりませんでした。新聞には心中した男の写真が出ていましたが、そんなしだいで、私には判断がつきません」
「ふむ」
重太郎は肩を落した。
「服装はどうでした?」
「それもよくおぼえていません。向うの方へ歩いて行くのを見たのですが、ただ、男がオーバーを着ていたのと、女の方は和服だったことが、ぼんやり目に残っているくらいなものです」
「着物の柄《がら》なんかわかりませんか?」
「とても」
と、果物屋の店主は薄笑いした。重太郎は少しがっかりした。店の中には、一人の客がみかんをえらんでいたが、二人の問答に耳をすますようにしていた。
「その、二人が歩いていったという西鉄香椎駅の方角は、海岸の方に当るわけですな?」
「そうです、そうです。まっすぐ突き抜けると浜の方に出ます」
重太郎は礼を言って店を離れた。
だいぶ、わかったぞ、と歩きながら思った。やはりカンは当った。駅前に立ったときに、ふとこの店の者が知ってはいないかと思ったが、はたして見ていたのだ。顔までわからなかったのは残念だが、おそらく果物屋が目撃したのは、あの佐山憲一とお時の二人に違いあるまい。彼らは、二十日の夜九時二十四分香椎駅着の上りで博《はか》多《た》から来たのだ。すると博多駅は九時十分ごろに乗車したことになる。ここまでは十五分ぐらいで着くはずだからだ。
佐山が女からの電話をうけて宿をとび出したのが、午後八時すぎとみて、博多駅から汽車に乗るまでの約一時間、二人はどこで会い、何をしていたのだろう? この調査はたいへん困難で、おそらく絶望である。広い博多の街では、空漠《くうばく》として当りようもない。
鳥飼重太郎が、そんなことを考えつづけながら、西鉄香椎駅の方へ行く通りを歩いていると、後ろから急に呼び止める者があった。
「もし、もし」
重太郎がふりむくと、会社員らしい若い男が、少し恥ずかしそうな笑いを見せて寄ってきた。
「警察のお方ですか?」
「そうです」
重太郎が見ると、男は片手にみかんを入れた袋を持っていた。あの果物屋の客だったと彼は気づいた。
「いま、みかんを買っているときに、ちょっとあなた方のお話が耳にはいったのですが」
と、若い男は重太郎の横に立ちどまって言いだした。
「じつは、私も、二十日の晩の九時半ごろに、あの心中の男女らしい二人を見かけたのです」
「ほう」
重太郎は目を大きくした。ぐるりを見ると、喫茶店とも飲食店ともつかぬ小さい店がある。重太郎は、遠慮するその男をそこに誘った。砂糖水に色をつけたようなコーヒーを飲みながら、彼は男の顔を見た。
「くわしく話してください」
「いや、それがあまり、くわしくはないのですが」
と男は頭をかいて、
「果物を買っているときに聞いたものですから、私の話もご参考までに、と思ってその気になっただけです」
「いや、結構です。どうぞおっしゃってください」
重太郎がうながすと、
「私は土地の人間ですが、博多の会社に通勤している者です」
と、若い会社員は言いだした。
「あの心中死体が発見された前の晩、つまり二十日の夜ですが、私も心中の男女らしい二人を見かけました。私のは、九時三十五分の西鉄香椎駅着です」
「ちょっと」
重太郎は手で、待った、のまね《・・》をした。
「それは電車ですか?」
「はあ、競輪場前を九時二十七分に出る電車です。ここまで八分ぐらいしかかからないのです」
競輪場前というのは、博多の東の端にあたる箱崎にある。箱崎は蒙《もう》古《こ》襲来の古戦場で近くに多々羅《たたら》川《がわ》が流れ、当時の防塁の址《あと》が一部のこっている。松原の間に博多湾が見える場所だ。
「なるほど。それで、あなたはその男女を電車の中で見たのですか?」
「いや、電車の中ではないのです。そのときの電車は二両連結で、私は後部に乗っていました。乗客は少なかったですから、後部にいれば目についていたわけです。きっと前部に乗っていたに違いありません」
「それでは、どこで見かけたのですか?」
「改札を出て、私の家の方に歩いてゆくときです。その晩私は博多で飲んで少し酔っていましたから、歩く速度が遅かったのです。すると、私の後から同じ電車で降りた人が、二三人追い抜いて行きました。それは土地の者ですから、私も見知っています。ただ、知らない男女の一組が、やはり後から来て、かなり急ぎ足で先に行きました。男はオーバーで、女は防寒コートの和装でした。その二人が浜の方へ出る寂しい道を歩いてゆくのです。私は、そのときは気に止めず、自分の家のある横丁にまがりましたが、あくる朝、あの心中でしょう。新聞によると、前夜の十時前後の死亡とあったから、もしやあの男女ではなかったかと思いあたったわけです」
会社員は、そう言った。
「それで、顔を見ましたか?」
「それが、今いったように、後から来て追い越して行ったものですから、後姿しか見えません」
「ふむ。オーバーの色とか、コートの下の着物の模様とかは?」
「それもまるでおぼえがないのです。あの通りは電燈《でんとう》の明りも暗いし、それに酔ってもいましたから。ただ女の言った一言だけが聞えました」
「何?」
重太郎は目を光らせた。
「どんなことを言ったのですか?」
「私の傍《そば》を通り抜けるとき、女が、男に〈ずいぶん寂しい所ね〉と言ったのです」
「ずいぶん、寂しい所ね。――」
重太郎は、思わず復誦《ふくしょう》するようにつぶやき、
「それで、男の方はなんと答えましたか?」
「男の方は黙っていました。そして、ずんずん向うに歩いて行ったのです」
「その、女の言った言葉は、声に何か特徴はありませんでしたか?」
「そうですな。わりあい澄んだ女の声でしたよ。それに土地の訛《なまり》のない、標準語でした。この辺の者なら、そんな言葉づかいはしません。言葉の調子から、あれが東京弁だと思います」
重太郎は、袋のくしゃくしゃになった「新生」を取り出して火をつけた。吐いた青い煙が宙にもつれる間、つぎの質問の用意を考えていた。
「その電車は、たしかに九時三十五分着でしたか?」
「それはまちがいありません。私は博多で遊んで遅くなっても、かならずその電車にまにあうように帰るのですから」
重太郎は、その返事を聞いて考えた。この会社員の見た男女は、国鉄の香椎駅で降りた、果物屋の目撃した男女と同一人物ではないか。この会社員は、その男女を電車の中では見ていないのだ。ただ、自分のあとから追い越した同じ電車の降車客につづいていたから、そう思ったのではなかろうか。国鉄の香椎駅には九時二十四分に着く。西鉄香椎駅は九時三十五分に着く。十一分の差がある。両駅の間は約五百メートルの距離だ。香椎駅を降りて海岸に向う道は、この西鉄香椎駅の傍を通るから、道の順序も時間の順序も合うわけである。
「私の申しあげるのはこれだけです」
と、人のよさそうな会社員は、重太郎が考えている顔を眺《なが》めて立ちあがった。
「果物屋で心中の男女をおききのようでしたから、ついお話したかったのです」
「いや、どうもありがとう」
と重太郎は、その人の住所と名前をきいて、心から礼を言って頭を下げた。女の言った一句を知らせてくれただけでも、収穫であった。
その店から外へ出ると、すっかり夜になっていた。
(ずいぶん、寂しい所ね)
鳥飼重太郎は、会社員が聞いたという女の言葉が、あたかも直接に自分が聞いたことのように、声が耳朶《じだ》に残った。
この短い言葉から三つの要素が分る。
@東京弁らしい調子の標準語だから、土地の者ではない。福岡県はじめ九州一帯はこんな言い方はしない。博多弁に例をとれば、〈たいそう寂《さみ》しかとこ《・・》ですなア〉と言うだろう。
Aこの言葉の意味するとおりに、女にとっては、はじめて来た土地だったらしいこと。
Bしたがって、男にそう言ったのは、同感を求める意味ではなく、この土地を知っている者に自分の受けた最初の印象をもらした口ぶりである。男がそれに答えずに、ぐんぐん道を先にすすんで行ったことが、さらにその感じを深める。
要するに、男は以前からここを知っている者であり、女はその男に連れられてはじめて来たと言えそうである。女は東京弁、しかも心中の死亡推定時間の直前(十時すぎに死亡したとすれば三四十分前、十一時ごろなら一時間半ばかり前。死亡推定時刻には二三時間の幅がある)である。おそらく、果物屋と会社員とが見たその男女が、心中の本人たちとみてまちがいはあるまい。
しかし、用心深く考えれば、これは決定的なことではない。なぜかというと、博多だけでも東京から来た人は何千人かいることだろうし、その時間に歩いていたことも、心中とは関係のない偶然かもしれない。が、そこまで深く考慮することはあるまいと鳥飼重太郎は思った。まず、彼らが心中した当人同士であろう。――
寒い風が吹いていた。うら寂しい商店の旗が揺れている。黒い空には、星が砥《と》いだように光っていた。
鳥飼重太郎は香椎駅に引きかえした。駅に着くと腕時計を見た。古い時計だが、時間は正確なのである。
ストップ・ウォッチでも押したような気持で歩きだす。うつむきかげんに、ポケットに手を入れ、用ありげに足を運んだ。方角はふたたび西鉄香椎駅である。風が彼のオーバーの裾《すそ》をはたいた。
明るい灯《ひ》のある駅についた。時計を見た。六分が切れている。――つまり、国鉄の香椎駅と西鉄香椎駅との間を歩くのに、六分間を要しないことがわかった。
重太郎は思案した。時計を眺《なが》め、こんどは、また国鉄の香椎駅に向ってもどった。前よりは歩く速度を落した。自分の靴音《くつおと》で、速度をはかっているような感じがした。
駅につくと、腕時計を見た。六分と少しかかっている。
重太郎は、それからまた、元の道を歩きだす。こんどはゆっくりとしたのろい足だ。ぶらぶらと左右の家を見ながら、散歩のような恰好《かっこう》だった。そんな遅い歩き方で西鉄香椎駅についてみると、八分ばかり要していた。
この三度の実験でわかったことは、国鉄の香椎駅と西鉄の香椎駅の間は、普通で歩けば六分乃《ない》至《し》七分間で行けるということなのだ。
――国鉄香椎駅で降りて、果物屋が見た男女は九時二十四分である。会社員が見た西鉄香椎駅の男女は、九時三十五分の電車の降車客といっしょだったというから、十一分間の開きがある。この男女が同一人とすれば彼らは、国鉄香椎駅から西鉄香椎駅まで来るのに十一分も要したことになる。
これは、いったい、どういうことなのか、と鳥飼重太郎は考えはじめた。どんなに、ゆっくり歩いても七分ぐらいしかかからない所を、十一分もかかったというのは。――
ここで、会社員の言葉が頭に浮んでくる。(その男女はあとから私を追い越し、かなり急ぎ足で先に行きました)
そうだ。その足なら、五分もかからないくらいだ。十一分の余りは、どう解釈したらよいか。
@途中で用事があったのか。たとえば買物など。
A果物屋の見た男女と、会社員の見た男女は同一人ではなく、別人か。
この二つの場合は、どちらも考えられることだ。
@の場合は、はなはだ可能性がある。Aの場合は、全然、時間的な開きには問題がなくなる。じっさい、この二組の男女が、同一人だったという証明は、何もないのである。類似点は、男のオーバーと女の和装だけではないか。顔もわからなければ、着物の柄《がら》もわかっていない。
すると――と重太郎は、ここでまた考えた。
佐山憲一とお時だとすれば、会社員の見た西鉄香椎駅の男女が、もっともそれに近い。女の言った言葉が強く彼をとらえるのである。
だが、それかといって、国鉄香椎駅の男女が、まったくの別人だとも言いきれなかった。@の場合だって、十分考えられることなのだ。重太郎は、この二つの駅の男女が同一人だという考えをすぐに捨てきれなかった。
結局、はっきりした解釈がつかないままに、彼は博多にもどり、家に帰って寝た。――
翌朝、署に出てみると、二つの電報が重太郎あてに来ていて、机の上に待っていた。
彼は一通をひらいた。
「ケンイチハハカタニタビタビシユツチヨウシタコトガアル。サヤマ」
つぎにもう一通を見た。
「ヒデコハハカタニイツタコトナシ」
昨日、重太郎が香椎駅から打った電報の返電で、一通は佐山憲一の兄の支店長から、一つは、お時本名桑山秀子の母からのものである。
これで見ると、佐山憲一はたびたび博多に出張したことがあるというから、いわゆる土地カンはあった。お時はまったく博多に来たことはないらしい。
鳥飼重太郎の目には、ずいぶん寂しい所ね、と言う女を、黙って海岸の方へ急ぎ足で連れて行く男の、黒い影のような姿が浮んでいた。
鳥飼重太郎は、午前中に一つの仕事をした。
彼は署を出ると、市内電車で箱崎まで行き、そこから競輪場前駅まで歩いた。この電車は、津屋《つや》崎《ざき》という北海岸の港まで通じていて、西鉄香椎駅は、その途中なのだ。
うららかな日で、冬には珍しく暖かかった。
重太郎は駅長室に名刺を通じた。
「どういう御用件ですか?」
まるまると肥えた赭《あか》ら顔の駅長が、机の向うからきいた。
「二十日の二十一時三十五分の西鉄香椎着の電車は、ここを何時に発車ですか?」
重太郎は、言った。
「二十一時二十七分です」
駅長は言下に答えた。
「そのときの改札の係りの人にききたいことがあるのですが、いま、いますか?」
「さあ」
駅長は、傍《そば》の助役に調べさせた。勤務表で名前がわかり、その係りがいま来ていることが知れた。助役が呼びに行った。
「何か事件ですか?」
待っている間に駅長がきく。
「ええ、ちょっと」
出された番茶を一口飲んだ。
「たいへんですなあ」
若い駅員がはいってきた。駅長の前に直立して敬礼した。
「この男ですよ」
と、駅長は重太郎に言った。
「そうですか。どうもわざわざ恐縮です」
重太郎は、若い駅員に向った。
「あなたは、二十日の二十一時二十七分の電車の改札をしましたか?」
「ええ。勤務しました」
「そのとき、三十歳ぐらいのオーバーの男と、二十四五歳ぐらいの和服の女の一組を見ませんでしたか」
「さあ」
駅員は、目をしばたたいた。
「オーバーを着ていた人は多いし、どんな色かわかりませんか?」
と反問した。
「それはね、濃紺のオーバーに、茶色のズボンです。女は鼠色《ねずみいろ》の防寒コートの下に、海老《えび》茶色《ちゃいろ》の着物を着ていました」
重太郎は死体の着ていた服装を言った。駅員は目を宙に向けて考えるような顔をした。
「どうも思いだしません。われわれは切《きっ》符《ぷ》を切る手もとばかり見ているので、何か変ったことでもなければ、お客さんの顔はあまり見ないのです。それに、ここは始発だから、改札が開くと同時に、乗客がつづいてホームにはいるのです」
「でも、あの時刻は、そう客は混《こ》んでいなかったでしょう?」
「そう。三四十人ぐらいだったでしょうか。いつもそのくらいです」
「女の人は近ごろは洋装が多く、和服は少ないと思うが、どうですか、よく思いだしませんか?」
「どうも、はっきりおぼえていません」
「よく、考えてください」
重太郎はねばった。
しかし、駅員は、小首をひねったあげく、どうしても思いだせないと言った。重太郎は、ふと、あることを思いついた。
「じゃ、その時の改札で、あなたの知った人はいませんでしたか?」
「そうですな。それはいました」
「え。いた? 名前がわかっていますか?」
「ふだんから知っている人ですから、名前も住所もわかっています。三人だけですが」
「それはありがたい。教えてください」
重太郎は、駅員の言うその人たちの名前と住所を書き取った。それから礼を述べて駅長室から出た。重太郎の足で歩く活動がはじまった。三人の住所はいずれも沿線である。彼は、和《わ》白《じろ》と新宮《しんぐう》と福《ふく》間《ま》の各駅に降りた。
和白の男は、こう言った。
「私は二両連結の前部に乗っていましたがね、鼠色の防寒コートの女の人は二人いましたよ。一人は四十歳ぐらいの人、一人は二十六七歳でした。でも、その両側は会社帰りらしい女の子でした。濃紺のオーバーの男というのはいなかったように思います」
重太郎は、ポケットからお時の写真を出して見せた。
「その若い方のコートの女はこれではありませんか?」
「違います。全然、違う顔でした」
つぎに、新宮の男は、後部に乗っていたと答えた。
「防寒コートの女? さあ、よくおぼえてませんね。いたような気もしますが。なにしろ、すぐ眠りましたからね。男の濃紺のオーバーも気がつきません」
重太郎は、自殺者の二枚の写真を見せたが、まったく記憶がないと答えた。
最後の福間の乗客はこう言った。
「私は後部にいましたがね、防寒コートの女が一人のっていましたよ。そう、二十五六、ぐらいでしょうな」
「鼠色でしたか、コートは?」
「色までおぼえませんが、防寒コートはたいてい鼠色ですからな。そうかもしれません。横の男とさかんに話していました」
「男と? どんな男ですか?」
重太郎は勢いこんだが、答えは肩すかしであった。
「夫婦でしょうか、男は四十以上の年輩でした。大島の絣《かすり》の着物をぞろりと着ていましたよ」
例によって写真を見せたが、こんな顔ではなかったと言った。濃紺のオーバーの男が乗客にいたかどうか、はっきりおぼえがない、ともつけ加えた。――結局、その電車にお時と佐山が乗っていたという確証を重太郎はつかめずに、彼は肩を落して博多にもどった。
重太郎が、疲れて本署に帰ってくると、
「あ、鳥飼君、いま、東京の警視庁の人が来て、君にあいたがっておられるよ」
と、係長が待っていたとばかり、机の前から立ちあがって呼んだ。
係長の横に、若い背広服の見知らぬ男が、微笑してすわっていた。
五 第一の疑問
鳥飼《とりがい》重太郎を見て、微笑して立ちあがった男は、三十をいくつも出ていないように思われた。背は高くないが、がっしりとした体格で、なんとなく箱を連想させた。だが、顔は血色のいい童顔で、濃い眉《まゆ》毛《げ》とまるっこい目をもっていた。
「鳥飼刑事さんですか? 警視庁捜査二課の警部補三《み》原《はら》紀《き》一《いち》と申します。よろしく」
彼は真白い歯を出して、にこにこして名刺をくれた。
捜査二課と聞いて、鳥飼はすぐ、情死した佐山課長補佐のことを調べに来たのだと直感した。捜査一課なら強力犯《ごうりきはん》の係りだが、二課はいわゆる知能犯罪の捜査であった。
いま東京では××省の汚職事件の進行で、新聞は大さわぎをしている。佐山憲一の属していた課がその中心であった。現に佐山と同僚である課長補佐が一名逮捕されていた。つい一週間ばかり前は、その省と密接な関係にある有力な民間団体の首脳部から二名の拘置者が出た。事件はまだ発展しそうであった。警視庁捜査第二課はその捜査に当っている。
「じつは、当地で情死した××省課長補佐の佐山憲一のことを少し調べに来たのですが」
椅子《いす》に落ちつくと、捜査二課の三原警部補は切りだした。はたしてそのことだった。
「だいたいの事情は、いま係長さんからうけたまわりました」
三原は横の捜査係長をちょっと見て言った。係長はうなずいた。
「材料もこうして揃《そろ》えていただきました。おかげで、たいへんよくわかりました」
なるほど机の上には、現場状況の写真や死体検案などの書類が一そろいおかれてあった。
「しかし、鳥飼さんは、佐山の情死に何か疑問をお持ちだそうですね?」
鳥飼は、ちらと係長の顔を見た。係長は煙草《たばこ》の煙を吐いて、
「鳥飼君。君がこの前、何か意見を言っていたろう。あれを三原さんに僕《ぼく》がちょっと話したら、たいそう興味を持っておられるようだ。よく話してあげてくれ」
と言った。
「そうなんです。佐山の情死に異論をおもちだと係長さんからうけたまわって、たいへんおもしろく思ったものですから、あなたのお帰りを待っていたのです」
三原のまるい目には愛嬌《あいきょう》があった。係長は複雑な顔をしている。
「いや、異論というほど、はっきりしたものではありませんが、まあ、思いつき程度です」
鳥飼は係長を意識して、少し尻《しり》ごみしたが、三原の目は輝いていた。
「思いつきで結構です。どうぞ話して聞かせてください」
鳥飼は仕方がないので、列車食堂の「御一人様」という伝票のことを言った。話しながら娘の愛情と食欲の問題が頭にうかんだが、さすがにそれは話さなかった。
「なるほど、おもしろい着眼ですね」
と三原は、目もとに微笑をたたえてうなずいた。外交員のように柔和であった。
「その伝票は、保存してないのですか?」
「変死ですが別に犯罪ではないので、持物はいっさい遺族が引きとりに来たときに渡しました」
係長が横から説明した。
「そうですか」
三原は眉の間に、失望をかげらせたが、
「伝票の日付は、たしかに一月十四日でしたか?」
と、鳥飼にきいた。
「そうです」
「その日は、佐山が『小雪』の女中のお時と東京駅を《あさかぜ》で出発した日ですな。ええと――」
と言いかけて、ポケットから手帳を出してひろげた。
「ここに、《あさかぜ》の時刻表を控えておきました。東京発が十八時三十分、熱《あた》海《み》が二十時、静岡が二十一時一分、名古屋が二十三時二十一分、大阪が二時になりますが、これは午前ですから、翌日の十五日になります。ですから、伝票の十四日は、二十三時二十一分の名古屋が、最後の駅になりますね」
鳥飼は聞きながら、三原の言おうとする意味がだいたい飲みこめた。そしてこの男も、自分と同じことを考えていると察した。保険の外交員のような男だが、さすがに警視庁だな、と思った。
すると三原は係長の方に、
「これから現場を見たいと思います。おいそがしいところを恐縮ですが、鳥飼さんにご案内を願っていいでしょうか?」
と申し出た。
係長は、仕方のないような顔で承知した。
電車に乗ってから、三原警部補は鳥飼重太郎の横の吊革《つりかわ》にぶらさがってささやいた。
「どうも、あの係長さんはご機《き》嫌《げん》があまりよくないようですね」
鳥飼は苦笑した。目に皺《しわ》が寄った。
「どこでもあることですよ。私は、あなたの考え方がおもしろいと思いましてね。あの係長さんの前ではお話しにくいだろうと思って、現場をご案内願いがてら、引っぱりだしたわけです」
「いずれ、向うに着きましたらお話します」
鳥飼は、若いが、三原の好意がうれしくなって答えた。
競輪場前から電車に乗って西鉄香《か》椎《しい》駅に着いた。ここから現場までは十分とかからなかった。
海岸に出ると、三原はめずらしそうに景色を見た。晴れた日で、海の色が春めいていた。島も沖も霞《かすみ》がかかっていた。
「これが名高い玄界灘《げんかいなだ》ですか? 来るときに汽車の中でちょっと見たのですが、こうして降りて、ゆっくり眺《なが》めると、やっぱりいいですなあ」
三原は海の方に見とれていた。
鳥飼は、いよいよ死体の発見された現場を見せた。こういう恰好《かっこう》で、と彼は当時の状況を説明した。三原はポケットから現場写真をとり出して見くらべ、ふん、ふんとしきりにうなずいていた。
「下は岩地ばかりですな」
三原は地面を見まわして言った。
「そうです。ごらんのように、砂地へ出るまでは、一帯が岩肌《いわはだ》ばかりです」
「これじゃ、痕跡《こんせき》は残らない」
三原は、何を思っているのか、そんなことをつぶやいた。
「それでは、鳥飼さんのお考えをうけたまわりましょうか?」
三原がそう言ったのは、現場をはなれて、その辺の大きな石に二人ならんで腰かけたときであった。午後の陽《ひ》ざしが、オーバーの肩を温《ぬく》めていた。よそ目には陽なたぼっこのように見えた。
「まず、列車食堂の御一人様ですが……」
と、鳥飼は考えを言いはじめた。かねての疑問の理由を述べたのだが、娘の言う「愛情と食欲の問題」も、ついでに話した。
「それで、私は、あの列車には佐山が一人しか乗っていなかったのではないかと思うのです」
三原は興味をもってその話に聞き入った。
「そりゃおもしろい。私もなんだかそんな気がしますね」
と三原は、愛嬌《あいきょう》のある目をくりくりさせて言った。
「しかし、東京駅から女と二人連れで乗ったという目撃者がありますからね」
「それです。ですから、途中で女が、つまりお時がどこかの駅でおりたという推定にはなりませんか?」鳥飼は言った。
「そういう仮定が出ますね。降りたとすると」と三原は、またポケットから手帳をとり出した。
「伝票は十四日だから二十三時二十一分の名古屋までの間です。しかし佐山が食堂に行ったのは、むろん、二十二時の食堂の閉鎖の時間前ですから、お時が降りたとすると、二十時発の熱海か、二十一時一分発の静岡か、ということになります」
「そうですな。そうなりますね」
鳥飼は、自分がぼんやり思っていたとおりのことを三原が言ったので、大きくうなずいた。
「よろしい。今からでは、時日が相当たっているから、はたして効果があるかどうかわかりませんが、とにかく、いちおう、熱海と静岡の駅や宿を調査してみます。女ひとりの行動はあんがいわかるものですよ」
三原は、そう言って、
「ほかに何かありませんか?」
「佐山は博多の丹《たん》波屋《ばや》という旅館に、十五日から二十日まで一人で滞在していました。十五日は彼が東京から博多に着いた日です」
と鳥飼は、佐山が宿で電話が外からかかってくるのを待っていたこと、二十日の午後八時ごろに、佐山の宿での変名である「菅原《すがわら》」と名ざして女の呼び出し電話があったこと、佐山はすぐに出て行き、その晩に情死したと考えられることなどを話した。
三原は熱心に聞いていたが、
「佐山の変名を知っているというのは、やっぱりお時でしょうね。二人は以前から旅館も変名のことも打ち合せしていたのでしょう」
「そうだと思います。ただ、それで一つだけ謎《なぞ》が解けました」
「なんですか?」
「今までは、佐山とお時とは博多にいっしょに来て、お時だけはどこかに行っていたのかと思いましたが、あなたのお話で、お時だけが途中下車したという推定に自信ができましたから、女はあとから来たのですね。つまり、お時は十四日に熱海か静岡かに降りて、佐山だけを先にやり、自分だけ二十日になって博多に着いたのですな。それから宿に電話をかけたのですが、佐山が宿でその電話を待っていたところをみると、二人はそれも打ち合せがついていたのですな」
鳥飼はそこまで言って、
「ただ、打ち合せで、きまらなかったことが一つあります」
「ほう、なんですか?」
「お時が、いつ博多に来るか、ということです。佐山は毎日毎日、その電話のかかってくるのを宿でいらいらして待っていたそうですから、彼女の到着の日はきまってなかったように思われます」
ここで三原は手帳に鉛筆を走らせていたが、書きおわると鳥飼に、
「こんなふうになりますね」
といって見せた。次の表のようなものだ。
「そうです、そうです」
鳥飼は目をとめて言った。
「しかし、なぜ、お時は途中で下車したのでしょうか?」
三原は言った。
そうだ。それなのだ。鳥飼にはその理由がわかっていなかった。それを考えているのだが、思案がつかなかった。
「私にはわかりません。なぜだか」
鳥飼は手を頬《ほお》にあてて答えた。
三原は腕を組んだ。彼の目も、その理由を解こうとするように、茫《ぼう》乎《こ》として海の方を見ていた。海の上には、志《し》賀島《かのしま》が淡く浮んでいる。
「三原さん」
鳥飼は、ぽつんと呼びかけた。
彼は先刻から抱《いだ》きつづけてきた疑問を、このとき唇に出す気になった。
「なぜ警視庁では、今になって佐山の情死を洗うのですか?」
三原は、すぐ返事をせずに、煙草《たばこ》をとり出して、鳥飼にすすめた。ライターを鳴らして火をつけてやり、自分も一本口にくわえて、ゆっくりと青い煙を吐いた。
「鳥飼さん。こうしてお世話になっているあなただから、お話しましょう」
三原は口をひらいた。
「佐山憲一は、こんどの××省事件の重要な参考人だったのです。彼は課長補佐といっても、長い間、実務にたずさわってきた男で、行政事務には明るいのです。したがって、こんどの事件にも大きな役割を演じています。その点では、参考人というよりも被疑者に近いでしょうな。ただ、われわれがうかつだったのは、まだ事件の当初だったので、彼の監視が十分でなかったことです。そのため、うかうかと死なれてしまいました」
三原は、煙草の灰を指で叩《たた》き落して、つづけた。
「しかし、彼の死によって、助かった顔をしている者がずいぶんいますよ。じっさい、調べれば調べるほど、佐山の口から聞きたいことがいくらでもあるのです。ほんとに惜しい証人を死なせてしまいました。悔んでも追っつかないくらい残念です。佐山の死は大打撃です。だが、われわれがくやしがっている反面、こおどりしている者があるわけです。佐山はその連中をかばって死んだのでしょうが、近ごろ、彼の死に疑惑を起しています」
「疑惑?」
「つまり、彼の死は自発的なものではなく、他から強制されたのではないか、という疑いです」
鳥飼は、三原の顔をじっと見た。
「何かその形跡があるのですか?」
「はっきりしたものはありません」
三原は答えた。
「しかし、遺書がありません。たしか連れの女にもありませんでしたね」
そうだ、それは鳥飼も考えて係長に言ったことがある。
「それから、東京で佐山の身辺を洗ってみると、お時との関係の線が出てこないのです」
「え、なんですって?」
「いや、佐山に誰《だれ》か愛人がいたらしいことはわかったのですが、それがお時かどうか、はっきりしないのです。いっぽうお時のほうも、私が『小雪』に行って女中たちにきいたり、彼女の住んでいたアパートに行って調べたのですが、これも確かに男があったようです。アパートには、よく男の声で電話がかかってきて、お時はたびたび外泊したそうです。それが誰だかわからない。男は一度もアパートに姿を見せたことはないそうですからね。たぶん、それが佐山でしょうが、はっきり佐山だと断定する根拠は何もないのです」
鳥飼は、それは少しおかしいな、と思った。現に佐山とお時とは情死しているではないか。――
「しかしですな、三原さん。佐山とお時とが、仲よく《あさかぜ》に乗りこんでいる所を『小雪』の女中が二人目撃しているのですよ。いや、もう一人いたな、たしか『小雪』に来る客でした。三人が見ているのです。それから、この場所で、両人は情死している。それは私も見ているし、あなたがお持ちの本署の現場写真や、死体所見などでも明瞭《めいりょう》なことです」
「そうなんです」
三原は、はじめて当惑した表情をした。
「ここに来て、いろいろな資料を見せてもらって、情死の事実には間違いないことを、あらためて認識しました。だから東京から私が持ってきた疑念とは、現実が合わないので弱っているのです」
鳥飼には、三原の持っている疑念というものがどんなものか、わかるような気がした。
「そろそろ帰りましょうか」
三原が言ったので、二人は立ちあがった。肩を揃《そろ》えて、もとの道に引きかえした。
西鉄香椎駅まで来たとき、鳥飼は、ふと気がついて三原に言った。
「ここは、この駅と、もう一つ五百メートルばかり離れたところに国鉄の香椎駅があります。じつは、ちょっとおもしろい聞きこみがあったのですよ」
と彼は、二十日の夜の、二つの駅の男女のことを話した。それから自分が足で二つの駅を往復して、時間を実測したことも、くわしく言った。
「うむ、そりゃあおもしろい」
と三原は、急に目に光をおびた。
「私にもその実験をやらせてください」
鳥飼は三原を連れて、一昨日《おととい》やったとおり、国鉄香椎駅との間を、三つの異なった速度で歩いた。
「なるほど、どんなにゆっくり歩いても、七分しかかかりませんな」
三原は時計を見て言った。
「十一分は、かかりすぎる。途中で寄り道したのなら別だが」
「二つの駅の男女は、全然別人だったとも思えるのですが」
「それはありますね。しかし」
と三原は、まるい目を宙に向けて考えるようにした。
「私は、それは同一人だったような気がしますね。つまり、彼らは国鉄の香椎駅で降りて、西鉄香椎駅の前を通って海岸の現場に行ったという――」
鳥飼は、その時刻と思われる西鉄駅員の話や、乗客の証言のことをくわしく言った。三原はそれをいちいち、メモに取って、
「結局、どっちともわからないのですね。だが、これはおもしろい。いや、おたがいにこんな仕事は大変ですなあ」
と、齢《とし》とっている鳥飼重太郎の痩《や》せた体を眺《なが》めて、なぐさめるように言った。
翌日の夕方、鳥飼は東京に帰る三原警部補を送るため、博多駅のホームに立った。六時二分発の上り急行《雲仙《うんぜん》》であった。
「東京にはいつごろ着くのですか?」
「明日午後の三時四十分です」
「ご苦労さまですね」
「いや、どうもお世話さまになりました」
三原は血色のいい顔をにこにこさせて頭を下げた。
「どうも、お役に立ちませんで」
鳥飼が言うと、
「どういたしまして、鳥飼さん、こんどの九州行きは、あなたのおかげで、たいそう得るところがありましたよ」
と三原は、彼を見つめて言った。心からそう言っていた。
長崎仕立ての《雲仙》は、ホームにはいってくるのに、まだ十二三分ばかり時間があった。二人は並んだまま立ちつづけていた。
目の前にはたえず列車の発着がある。向う側のホームに停《とま》ったままの貨車もあった。そこには駅特有の雰《ふん》囲気《いき》をもった匆忙《そうぼう》さがあった。三原の方は、遥《はる》けくも九州まで来たという旅愁が顔に浮んでいた。
「東京駅も、さぞホームが汽車で混雑していることでしょうね」
目前の光景から、鳥飼は、まだ見ない東京駅を空想して言った。
「え。そりゃ、たいへんです。ホームは列車の発着が、ひっきりなしですよ」
三原は何気なしにそう言った。そう言ってしまって、三原自身が、電気にでもかかったように、はっとした。彼は、ある重大な事実に思いあたったのである。
東京駅では、《あさかぜ》に乗る佐山とお時の姿を見た者があった。たしか、目撃者は十三番線ホームに立って、十五番線の発車ホームを見たということだった。しかし、東京駅では、その間に十三番、十四番のホームがはさまっている。列車の発着の頻繁《ひんぱん》な東京駅のホームが、間に汽車の邪魔なしに、十三番から十五番線にいる列車が、そのように見通せるものだろうか。
六 四分間の仮説
三原紀一は、夕刻近く東京駅についた。
九州からの長い汽車の旅で、彼はうまいコーヒーに飢えていた。改札口からまっすぐに有楽町に車をとばして、行きつけの喫茶店にとびこんだ。
「三原さん、しばらくね」
と顔なじみの店の女の子が笑った。
三原は、ほとんど一日おきくらいに、この店のコーヒーを飲みに来ていた。五六日、休んだために、店の子はそう言ったのだが、もとより彼の九州行きのことは知らない。店内には常連の顔も二三見えた。いつもと少しも変っていない。女の子も客も、ふだんの生活の時間が継続していた。いや、窓越しに見える銀座の生態そのものが継続していた。三原だけが五六日間、ぽつんとそれから逸脱した気持になった。世間の誰《だれ》も、三原のその穴のあいた時間の内容を知らない。彼がどんな異常なことを見てこようと、いっさい、かかわりのない顔をしている。当然のことながら、彼は、ふと孤独のようなものを感じた。
コーヒーがおいしかった。これだけは田舎では味わえない。それから鞄《かばん》をもって立ちあがると、またタクシーを奮発して警視庁へ向った。
捜査二課の笠《かさ》井《い》警部の名札の出ている刑事部屋のドアをあけると、主任の警部は居残っていた。
「ただいま、帰りました」
主任は太い猪《い》首《くび》をまわして、三原を見ると、
「お帰り、ご苦労だったね」
と、にこにこした。ほかの者は外に出はらい、新しい刑事が三原のために茶をくんできた。
「さっそくだが、どうだったね?」
「はい」
三原は福岡署から借りてきた佐山とお時の情死の資料を鞄から出して、主任の前にひろげた。
「このとおりです。福岡署では情死と認定して処置しております」
「ふむ」
主任は、現場写真だの、警察医の死体検案書だの、現場報告書など子《し》細《さい》に見たり、読んだりした。
「そうか。やっぱり心中か」
主任は資料を指から放すと、厚い唇《くちびる》でつぶやくように言った。念を押してみたが、これで諦《あきら》めたといったような口ぶりだった。
「むだ足踏ませたな」
と、ねぎらうように、あらためて三原を見あげて言った。
「いいえ、まんざらむだ足でもありませんでした」
三原が言ったので、笠井警部は少し驚いた表情をした。
「どういう話だね?」
「少しおもしろいことを聞いてきました」
「うむ」
「これは福岡署の意見ではありませんが、同署の鳥飼《とりがい》というベテランの刑事が、興味のある話をしてくれましたよ」
そこで三原は、食堂車の伝票の話、国鉄香《か》椎《しい》駅と西鉄香椎駅での実験の話などくわしく述べた。
「ふむ、食堂車の伝票の考え方など、おもしろいね」
と、主任は考えてから言った。
「お時は、熱《あた》海《み》か静岡で下車したというんだね。そうすると、その辺で四五日つぶして、後から福岡に行き、先着の佐山に電話をかけたとすれば、辻褄《つじつま》は合うわけだな?」
「そうです」
「佐山がなぜお時を途中で降ろしたか、熱海か静岡で四五日も何をさせたか、これはいちおう調べてみる必要があるな」
「主任さんも、私と同じ予感がするのですね?」
その言葉で、主任は三原の顔を見たが、二人の目はぶっつかるように合った。
「つまり、二人の情死は、この資料のとおり少しも疑問がない。しかし何か別なものがかくされているという感じでしょう?」
三原が言ったので、主任は遠い目つきをした。
「三原君。僕《ぼく》たちは誤っているかもしれないな。佐山の死が今度の事件の捜査上残念なため、彼の情死まで疑ってかかろうとしている。知らず知らず岡《おか》ッ引《ぴ》き根性になっているのかもしれんよ」
言われてみると、そういう危険な心理は、はたらいていた。
が、三原は、この底をもっと突っこんでみたかった。その上で、だめなら諦めよう。このままでは、なんとも落ちつかない気がした。
三原がそう言うと、主任もうなずいた。彼も同じ気持に違いなかった。
「よし。やってみよう。少々横道に深入りするようだがな」
と、彼は腕を組んで言った。
「ね、君。《あさかぜ》は特急だろう。特急なら三等車でも定員制だ。お時が途中下車したら、そこから穴があくはずだよ。それを調べてみようじゃないか。誰かをやって当時の車掌を尋問しよう」
翌日、三原紀一は東京駅に行った。昨夜は熟睡したせいか、頭がすっきりして気分がよかった。疲労が一晩でなおるのも、やはり若さのせいだった。
彼は十三番ホームにたたずんで、八重洲《やえす》口《ぐち》の方向を眺《なが》めていた。さも人を待っているというふうに、一時間以上も突ったっていた。
眺めているというのは当らなかった。たえず視界が眼前の列車の障害にさまたげられて、遠くを見ることができなかったからである。十三番線は横須賀線で、長く連結した電車の発着が激しい。その向うの十四番線は、これまた列車の出入りがしきりである。この二つが重なりあって、十三番ホームに立って十五番ホームを見通して眺めることはできなかった。電車が出て行っても、十四番線には汽車が停止している。始発だからこの停止は長いのだ。それがやっと動きだすころには、こちら側の横須賀線の電車がホームにすべりこんでくるというわけである。要するに、十三番線と十五番線との空間は、絶えずこういう電車、汽車に埋《うず》められて、見通しの視界は不可能であった。
三原は、博多駅のホームで、鳥飼刑事が吐いた一言で暗示めいたものを受け、その直感から出発して、この実験《・・》を試みたのだ。
(なるほど)
と彼はうなった。一時間以上もこうして突っ立ってのぞいているが、ついぞ十五番線がのぞけなかった。
(すると、どうなるのだ。佐山とお時とが《あさかぜ》に乗りこんだのを見た目撃者は、たしかに横須賀線のこの十三番ホームからだった。《あさかぜ》は十五番から発車する。彼らが見た《・・》間だけ、見通しがきいたのであろうか?)
三原はしばらく考えていたが、ゆっくりとホームを歩いて階段をおり、構内の建物の方に向った。
助役に会って身分を打ち明けたうえ、
「つかぬことをうかがうようですが、十八時三十分の《あさかぜ》が十五番線から出発する前に、十三番線ホームに立って、それを見ることができるでしょうか?」
ときいた。
頭に白《しら》髪《が》のまじりかけた助役は、妙な顔をして三原を見た。
「十三番線から十五番線の《あさかぜ》が見える、というと、ああ、間に列車がはいっていない時があるか、という意味ですね?」
「そうなんです」
「さあ、たいてい、どれか列車が邪魔して見えないと思いますが、念のために調べてみます。少しお待ちください」
助役はそう言って、運行表《ダイヤグラム》を机にひろげた。無数の線が錯綜《さくそう》している紙の上を、助役は指でたどっていたが、
「あっ、ありますよ。わずかな時間ですが、十三番線にも十四番線にも列車がなくて、十五番線にはいっている《あさかぜ》が見える時がありますね。なるほど、こんな時もあるんだなあ」
と、助役は、めずらしいものを発見したように言った。
「ありますか? じゃ、見通しは可能ですね」
三原は、どこか落胆を感じたが、つぎの助役の言葉でまた耳が緊張した。
「可能です。ですが、たった四分間ですよ」
「四分間?」
三原は目をむいた。心が急に騒いだ。
「それを、もう少しくわしく教えてください」
「つまりですね」
と、助役は説明しだした。
「《あさかぜ》が十五番線のホームにはいってくるのは、十七時四十九分で、発車は十八時三十分です。四十一分間ホームに停車しているわけです。この間の、十三、十四番線の列車の出入りをみますと、十三番線の横須賀行一七〇三電車が十七時四十六分に到着し、十七時五十七分に発車します。それが出たあと、すぐに一八〇一電車が十八時一分に同じホームに到着し、十八時十二分に発車します。しかし、その電車が出ても、十四番線には静岡行普通の三四一列車が十八時五分にはいって、十八時三十五分まで停車していますから、となりの十五番線の《あさかぜ》の姿をかくして見えないわけです」
三原は手帳を出した。一度聞いただけでは、よくのみこめなかった。
助役は、その様子を見て、
「口でいっただけでは、よくわからないかもしれませんね。では、ちょっと、要点を書いてあげましょう」
と言って、その時刻を、表のように紙に書いてくれた。
三原は警視庁にかえると、助役から書いてもらった時刻表をしばらく眺《なが》めていたが、机の引出しから便箋《びんせん》をとり出し、その裏に鉛筆で、表みたいに書いてみた。(図参照)
なるほど、こうして書いてみると、よくわかった。十三番線の一七〇三電車が、十七時五十七分に発車して、つぎの一八〇一電車が十八時一分に到着する間隙《かんげき》の四分間だけが、なんら、間に邪魔物がなく、《あさかぜ》が見通しできるのである。
すると、《あさかぜ》に乗りこんでいる佐山とお時をみた目撃者は、偶然に、この四分間のうち十三番ホームに立って見ていたことになる。
三原は、その目撃者の証言が非常に重大なのに、このとき気づいた。なぜかというと、「佐山とお時とが、仲むつまじく特急《あさかぜ》に乗った」という言葉が、この二人の情死説を裏づける、ほとんど唯一《ゆいいつ》の証言となっているからだ。
二人が、それほどの関係だったと立証する客観的なものは、そのほかなんにも表面的になかった。佐山にも、お時にも、それぞれかくれた愛人があるらしいという聞きこみはあったが、判然と眼前に見たのは、偶然、この四分間に、十三番ホームにたたずんでいた、目撃者だけであった。
(よくも、偶然、その時間にそこにいたものだ)
と三原は思ったが、そう思いながらもそれから発展した別な考えが頭の中をひらめいて光った。
(この偶然は、まったくの偶然だろうか?)
偶然を疑いだしたら、きりがない。しかし四分間という枠《わく》の中の偶然が、三原にもっと複雑なものを感じさせた。
彼は目撃者を思いだした。「小雪」の女中二人と、そこに来る客であった。その客が鎌《かま》倉《くら》に行くというので、女中二人が十三番線のホームに見送りに行って、《あさかぜ》に乗る佐山とお時の姿を見たのだ。それは三原が福岡に出張する前に、その女中の一人、八重子という女から聞いて知っている。そのときは、なんにも考えずに聞いてしまったが、これはもう一度、念を入れて聞きなおさねばならないな、と思った。
朝の遅い料理屋のことを考えて、三原が赤坂の「小雪」に行くと、八重子は掃除している最中とかで、モンペ姿であらわれた。
「あら、こんな変な恰好《かっこう》をして」
と、八重子は赤い顔をした。
「このあいだは、どうもありがとう」
と三原は言った。
「ところで、このあいだの話だがね、ほら、あんたともう一人の女中さんとが、お客さんを東京駅に送って、佐山君とお時さんを見かけたことですよ」
「ええ」
八重子はうなずいた。
「あのときは、つい、うっかりして聞き忘れたかもしれないが、そのお客さんの名前はなんというの?」
八重子は、じっと三原の顔を見た。
「いや、心配しなくてもいいんだよ。べつに、そのお客に迷惑をかけるわけではないのだから。ただ参考のために聞いておきたいのさ」
三原は、八重子の気持を察して言った。料理屋にとっては、なじみ客は大事だから、八重子の気づかいはわかる。
「安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》さんとおっしゃいます」
八重子は低い声になって言った。
「安田辰郎さんね? ふむ。どういう職業の人?」
「日本橋の方で、機械工具商を手びろくやっていらっしゃるとうかがいました」
「なるほど。もう、この店には古いなじみ客かね?」
「三四年前からです。たいていお座敷はお時さんが係りをうけもっていました」
「それで、お時さんをよく知っていたわけだな。ちょっときくけれど、ホームからお時さんを最初に見つけたのは誰《だれ》?」
「安田さんです。安田さんが、あれはお時さんじゃないか、と言って指さして、私ととみちゃんに教えたのです」
「安田さんがね、ほほう」
三原は言って、あとを黙った。それは、つぎの質問を考えているようでもあり、別なことを考えているようでもあった。
しばらくすると、三原は微笑を浮べながら唇《くちびる》を動かした。
「その、安田さんを、あんたととみちゃんがホームに見送ったことだがね、それは、その日に急にきまったの?」
「ええ、銀座のコックドールで、安田さんにご馳《ち》走《そう》になっているときに、そうなったんです」
八重子は答えた。
「なに、銀座でご馳走になった? じゃ、そのご馳走のことは前からきまっていたんですね?」
「え。前の晩に安田さんがいらして、明日、三時半に、私たちと銀座に集まろうとおっしゃったのですわ」
「三時半にね。それから?」
「食事がすむころに、安田さんは、自分はこれから鎌倉《かまくら》に行くから、ついでに駅まで送ってくれないかとおっしゃったので、とみちゃんとお送りしたのです」
「それは、何時ごろ?」
「そうですね」
八重子は首をかしげて、考えるような目つきをしていたが、
「そうそう、私が何時の電車にお乗りになるの、ときいたとき、十八時十二分の横須賀線に乗りたい、今、五時三十五分だから、これから行けばちょうどいい、とおっしゃったことをおぼえています」
「十八時十二分発の横須賀線」
三原の頭には、昨夜自分のつくった時刻表が浮んだ。十八時十二分の電車は十三番線に十八時一分にはいってくる。安田が十五番線の《あさかぜ》を見ているのだから、この三人の到着は、それ以前でなければならなかった。これは大事なところだぞ、と三原は思った。
「君たちが十三番線に到着したとき、電車ははいっていなかったのだね?」
「はいっていませんでした」
八重子は言下に言った。
「それでは、十八時か、そのちょっと前ごろに着いたのかな」
三原がひとり言のようにつぶやいたのを、八重子が引き取って答えた。
「そうでした。ホームの電気時計は十八時前をさしていました」
「へえ、よく気がついたものだね?」
「そりゃ、安田さんが駅に向うタクシーの中で、何度も腕時計をながめるんですもの、私だって十二分の電車にまに合えばいいがと気になっていましたわ」
三原は、それをとがめた。
「なに、安田さんは、何度も腕時計を眺《なが》めていたって?」
「ええ、そりゃ、もう、たびたび。コックドールにいるときからですわ」
三原は、すっかり考えこんだ。それは、八重子と別れて、バスの中にすわっているときでも同じであった。
安田が、たびたび時間を気にして腕時計を見ていた。これを単純に電車にまに合うためと解釈してよいであろうか? まに合いたいのは、他《ほか》のことではなかったか。もしやあの四分間にまに合いたい《・・・・・・・・・・》ためではなかったか?
なぜなら、《あさかぜ》を見通すためには、四分間より、早すぎても遅すぎてもいけないのである。早すぎれば、同じ横須賀行の十七時五十七分発の電車がはいっているから、安田はそれに乗らなければならない。遅すぎれば、次の電車が十八時一分にはいって、《あさかぜ》を見ることが不可能になるのだ。安田が、しげしげと時計を気にしたのは、まさに《あさかぜ》の見える四分間をねらったのではあるまいか。
(こんなふうに考えるのは、勘ぐりすぎかな)
三原は、一度は反省心を起した。が、やっぱりいけなかった。振り捨てようとすればするほど、この懐疑は執拗《しつよう》にとりついてきた。
――安田はなんのために、そんな工作をしたのだろう? この答えは、三原の仮説をすすめると簡単であった。
(安田という男は、佐山とお時とが特急《あさかぜ》に乗るところを、八重子ととみ子に見せたかったのだ。つまり、さりげなく目撃者をつくったのだ)
三原の胸は、ひとりでにたかぶっていた。
安田辰郎という人物が、彼の前に大きく浮んできた。
(安田に会ってみよう)
三原がそれを実行したのは、午後の陽《ひ》ざしが窓ガラスから流れこんで明るい、安田辰郎の事務所の応接間においてであった。三原の名刺を受け取って出てきた安田辰郎は、鷹揚《おうよう》に微笑して、客に椅子《いす》をすすめた。
七 偶然と作為の問題
「ちょっと、妙なことでおたずねにあがりました。お忙しいところをどうも」
と、三原は切りだした。
「ああ、そうですか。それはご苦労さまです。どうぞ」
と安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》は、卓の上の接待煙草《たばこ》をすすめた。自分でも一本とり、ライターをつけてくれた。いかにも落ちついたものなれた態度だった。三十五六であろうか、髪の毛が少し縮れ、血色のいい下ぶくれの顔には、愛嬌《あいきょう》のあるまるい目があった。大きな商売をしている経営者の自信といったものが、この中年の人物の様子に出ていた。
「じつは、××省の佐山課長補佐の情死についてのことですが。新聞に出ていたので、ご承知かもしれませんが」
三原が、そこまで言うと、安田辰郎は煙を吐き、
「ああ」
と、大きくうなずいた。
「知っているどころじゃありません。佐山さんには私もお世話になっているほうです。というのは××省が私のほうの品物の納入先なので、その関係です」
三原は、なるほど、安田商会も××省の出入り商人だったのか、とはじめて合《が》点《てん》した。
「佐山さんは、お気の毒でした。おとなしい、いい人でしたがね。あんな人が女と心中するとは思いがけませんでした」
安田の口調には、感慨があった。
「その佐山さんのことなんですが」
と三原は、ポケットに手を入れて、手帳を出そうか出すまいかとためらいながら言った。
「あなたは、東京駅のホームで、佐山さんが女といっしょに汽車に乗るところを、ごらんになったそうですね。じつは『小雪』という料理屋の女中から聞いたのですが」
「それですよ」
と、安田はソファーをすわり直し、前に体をかがめて言った。
「あのときは、夕方でしてね、鎌倉《かまくら》に行く用事があったものですから、『小雪』の女中が送りに来てくれたのです。そのとき、向い側の特急列車に乗りこもうとしていた佐山さん《・・・・》とお時とを見た《・・・・・・・》のですよ。私が気づいたので、女たちに教えてやったのです。私は両人とも知っていましたから、ちょっとびっくりしました。どうして二人がそんな仲なのか、予想もつかなかったので、世の中は広いようで狭いと思いましたよ」
煙がしみたのか、安田は少し目を細めた。
「あれが、二人の死出の旅とは気がつきませんでしたねえ。かわいそうなことをしました。色恋も、あんまり深《ふか》間《ま》になるもんじゃありませんな」
笑うと、目にいっそう、愛嬌が出た。
「佐山さんは、『小雪』に行ったことはないのですか?」
三原はきいた。
「ないと思いますね。私は、商売上、よくあの料亭《りょうてい》を使うのですが、まだ佐山さんを招待したことはありません。お役人をご馳《ち》走《そう》すると世間の目がうるさいのでね。ははは。いけない、あなたが警視庁の方だからそう言っているのではないのです。そうでなくとも、××省は汚職事件で火がついていますからね」
「佐山君の自殺は、その事件で上司に累《るい》をおよぼさないためだという観測もあるのですがね。お時という女は、それに同情していっしょに死んだという見方はどうですか?」
「わかりませんね」
それは、あなたの領分でしょう、と言いたげな表情を、安田はした。
「ただ、おどろいているのは、両人がそんな仲だったという事実です。まったく気がつきませんでしたからね」
「お時という女は、あなたはよくごぞんじですか?」
「まあ私の座敷では係り女中みたいになっていましたからね。よく知っていました。もっとも、特別の意味はありませんよ。『小雪』というのれん《・・・》の内だけのつき合いです。のれ《・・》ん《・》の外の交際は何もありません。だから、知っているといえば、知っている。知らないといえば、知らないのです。現に、佐山さんという恋人があるのを、ちっとも知らなかったのですからね」
三原は、もう一つ質問した。それは大事なことだった。
「あなたは、よく鎌倉にいらっしゃるのですか?」
安田は少し歯を見せて笑った。
「鎌倉には、家内がいるのです」
「奥さんが?」
「胸を悪くしていましてね。ずっと前から別居しているのです。極楽《ごくらく》寺《じ》の辺に一軒借りて、ばあやを一人つけて静養させています。それで私は、一週間に一回ぐらいは行っています」
「そうですか。それはご心配ですね」
三原がそう言ったので、安田は礼のつもりで少し頭を下げるような恰好《かっこう》をした。もう質問はないか、何かきくことが残っていそうな気がしたが、三原はすぐには思いつかなかった。
「どうも、おいそがしいところをお邪魔をいたしました」
三原が立ちあがったので、安田もソファーから立った。
「どういたしまして、ご参考にならなかったでしょう。また、ご用がありましたら、いつでもいらしてください」
安田辰郎は、まるい目を細めて微笑し、ていねいに言った。
(安田はあの四分間の見通し《・・・・・・・》を知っている。鎌倉の妻のところへ始終行っているのだから、いつかそれに気づいていたに違いない。少なくともその可能性はある)
三原は、天気のいい通りを歩きながら、そう思った。
三原は、本庁にもどると、主任の笠《かさ》井《い》警部に話した。それは報告というほどではない。ただ、四分間のホームの透視のことが興味があったから話したのである。ついでに安田辰郎に会ってきたしだいも、言い添えた。
ところが、笠井主任の顔色は予期以上に動いた。
「そりゃ、おもしろいね」
と、主任は机の上で両手を握り合せた。
「そんなことがあるのかね。僕《ぼく》らは気がつかなかったが」
主任が、あんまり興がるので、三原はポケットから例の十七時五十七分から十八時一分を中心とする十三、十四、十五番線の列車の出入り表を出して見せた。笠井主任はそれを手にとって熱心に眺《なが》めた。
「なるほど、よくわかった。だが、よく気がついたね」
と、主任は目を三原の顔にうつしてほめた。だが、それは自分の手《て》柄《がら》ではない、福岡署の鳥飼《とりがい》という老刑事の言った言葉の暗示からですよ、と、三原は心でつぶやいていた。
「問題は、安田という男が、四分間の目撃者をつくったのが、偶然か、作為かということだな」
主任は、四分間の目撃者などという、うまい言葉をつかった。それから三原の説明を聞きなおして、紙につぎの要点を書いた。
@安田は、前日から「小雪」の女中二人を食事に誘ったが、これは東京駅に一緒に行くための準備である。
A食事をする時から、始終、時計を見て気にしていた。
B彼は、問題の四分間にまに合うように、十三番ホームに到着した。
C佐山とお時とが、《あさかぜ》に乗車するのを発見したのは安田で、彼がそれを女二人に教えた。
主任は書きおわると、小学生がするように、鉛筆の頭で自分の頬《ほお》をたたいて、紙をじっと見た。
「よし」
と、しばらくして笠井主任は言った。
「偶然ではないな。はっきり作為があるよ」
三原は、主任のぎらぎらしている目を見た。
「作為があるとしたら、重大ですな」
「重大だ」
主任は反射のように答えた。彼は目をつぶって考えていたが、大きな声を出して一人の刑事を呼んだ。
「君、××省に安田辰郎という機械商が出入りしているんだが、どの程度に食いこんでいるのか調べてくれ」
承知しました、とその刑事は、手帳に名前を書きとめて退《さが》った。
「さてと」
主任は検討するように、自分の書いた文字の上にもう一度目をさらして、
「安田に作為があるとしたら、なんのためにそれをしたか、ということになるな」
と言って、煙草《たばこ》を出して一本すった。
作為は、つねに本人が自身の利益のためにするのだ。すると、佐山とお時とが博《はか》多《た》行の特急に乗る現場の目撃者をつくって、なんの利益があるというのだろう。
「第三者の目撃者が必要だったからです」
三原は、考えてから言った。
「第三者の?」
「そうです。安田だけが見たのではだめだったのです。彼以外の者に、目撃させる条件が必要だったのです」
「では、安田は第三者ではなかった《・・・・・・・・・》というわけか?」
「そういうことになります」
そうなるではありませんかというように、三原は主任の目を見た。主任は、思案しているような顔をした。
「よろしい。まとめてみよう」
と主任は、自分にも確かめるように言った。
「佐山とお時とは博多の近くで情死をした。彼ら二人は、特急で東京駅を発《た》った。連れだって汽車に乗るところを、安田は女二人に見せて、いわゆる第三の目撃者をつくった。――変だね」
主任の変だという意味は、三原にはわかった。情死に出発する二人に、目撃者をつくっても仕方がないのだ。第三者でない安田は、それではその情死事件にどんな役を果しているのか。三原にもそれは疑問だった。
「とにかく、何かがありますね」
「それは、ある」
主任はうなずいて同意した。
「こうして条件を組み立ててゆくと、あらゆるものが安田辰郎の作為を指向している。しかし、この作為には目的がない。作為がある以上、目的がなければならないが、今のところわからない」
「しかし、作為の必然性を追及してゆくと、その目的《・・》もわかりますよ」
三原が言うと、
「そうだ」
と、笠井主任は答えた。二人は熱意の浮いた目を見あわせた。
「君は、安田が、わざわざ十三番ホームから四分間の間隙《かんげき》を狙《ねら》って、十五番ホームの特急列車を女たちに見せた意味はわかるかね? 見せるためだったら十五番ホームに行ったらいいじゃないか?」
主任は試験でもするようにきいた。
「そりゃわかりますよ。十五番は長距離列車専用発車ホームですから、そこに行ったのでは、わざとらしくなるからです。それよりも、鎌倉に行く用事があるといって、十三番から望見させたほうが、自然ですよ。四分間のねらいの苦心は、まさにこの自然らしさを装うためです」
主任は微笑した。賛成している意味であった。
「あ、それから、一月十四日の《あさかぜ》の車掌の報告がはいったよ」
主任が言った。
「え?」
三原は体をのり出した。
「残念なことに、その車掌は空席のことをおぼえていないのだ。前のことだから記憶がないというのだ。ぼんくらな車掌だ。それさえおぼえていてくれたら、お時がどこで降りたか、すぐわかるんだがなあ」
八 北海道と九州
朝、三原紀一が出勤すると、主任の笠《かさ》井《い》警部はもう登庁していた。
「お早うございます」
三原が挨拶《あいさつ》すると、書類を見ていた主任は首を上げて、
「お早う。君、ちょっと」
と手まねきした。
「どうだね、九州の旅の疲れは、もうなおったのかね?」
すし屋が出しそうな大きな茶碗《ちゃわん》で茶を飲みながら言った。
「はあ。二晩寝たから、もう大丈夫です」
三原は笑って言った。
「うむ。ほんとうは一日休暇を上げたいのだが、いそがしい時だから我慢してくれ」
「いえ、平気です」
「ところで、さっそくだが、安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》のことだがね」
主任は仕事の話にはいった。
「まあ、そこに掛けてくれ」
「はあ」
三原は机に向いあった椅子《いす》に腰をおろした。
「調べさせたが、相当、××省に食い入っているらしいよ」
「やっぱり、そうですか」
「納品の量はまだびっくりするほどのことはないが、あそこの××部長の石《いし》田《だ》芳《よし》男《お》にたいそうかわいがられているそうだ」
「え。石田部長にですか?」
三原は主任の顔を思わず眺《なが》めた。石田芳男というのは××省の中枢《ちゅうすう》で、現在進行している汚職事件の××部の部長であった。頭脳《あたま》がよく、仕事のできる男として省内で評判だったが、内偵《ないてい》によると、こんどの事件では相当に臭い存在であった。
「うん。かなり親密だというのだ。これは、ちょっと参考になるな」
「そうですね」
三原は昨日会った安田辰郎の風。《ふうぼう》を思い浮べた。切れる男ということは彼にもわかる。愛嬌《あいきょう》のいい、まるこい目には、いかにも商売にかけてソツのなさそうな、よく動く瞳《ひとみ》があった。仕事の上の自信というものは、他人に一種の重圧を感じさせるのか、昨日の安田辰郎に、三原は寄りつきがたいものを覚えていた。なるほど、あの男なら、狙《ねら》いさえすれば石田部長あたりにはわけなく取り入りそうに思われた。
「それで、安田と、死んだ佐山とはどうなんでしょうか?」
三原はきいた。
「うん。君もやっぱりそれを考えているんだね。ところが、その関係は、あんがいあっさりしているんだよ」
主任は、大きな茶碗を指でかこって言った。
「佐山は、あのとおり××課の課長補佐として実務に通じていたから、まるきり安田と交渉がないわけではない。が、今まで調べたところでは、役人と出入り商人という関係を出ないようだ。裏で特殊な結びつきがあったという事実は、まだ浮んでこないのだ」
「そうですか」
主任が、煙草《たばこ》を出してすすめたので、三原は一本ぬきとって火をつけた。「新生」だった。
「どうだね、安田を少しほじくってみるか?」
笠井主任は、顔を突き出した。何か気分が乗ってきたときにする、彼の癖であった。
「必要がありそうですね。やってみたいですな」
三原は、主任の光ってきた目を見つめて言った。
「偶然と作為の問題だね?」
主任は突然昨日の話をしゃれて言った。そんなことを言うときは、機《き》嫌《げん》のいい証拠であった。
「作為と言いたいですな。四分間の作為。ありゃア偶然が希薄ですよ」
「作為の必然性を追及してゆくと目的がわかると、君は昨日言ったね?」
「はあ。そうでした」
「情死行《じょうしこう》に出発する佐山とお時に、なぜ安田は自分以外の目撃者を必要としたか。作為は、その目撃者を自然らしく《・・・・・》つくることによみ取れる、君はそう言ったね?」
「そうです。そう思います」
「よかろう。同感だ」
主任はあらためて賛成した。
「では、君の思うとおりにかかってくれ」
三原は煙草を灰皿《はいざら》にもみ消して、
「承知しました。割れるところまでがんばってみます」
と、頭を軽く下げて言った。
だが、主任はすぐに三原を手放すのに未練気だった。
「君、どこから手をつけてみるのだね?」
ときいた。さり気なさそうだが、熱心なことは顔色に出ていた。
「まず一月十九日と二十日と二十一日の、三日間の彼の行動を洗ってみましょう」
三原が言うと、主任は目を宙に止らせた。
「十九日と二十日と二十一日。そうか、二十一日朝に情死体が香《か》椎《しい》で発見されたから、その前の二日間も調べるというわけだね。二日間は東京と九州の距離だね?」
「そうです。そういう意味では二十二日も必要でしょうね?」
「東京と博《はか》多《た》は急行で何時間だな?」
「約二十時間とちょっとです。特急なら十七時間二十五分ですが。例の《あさかぜ》です」
「そうか。往復の所要時間だけでも、四十時間ぐらいはかかるわけか」
主任は煙草をはさんだまま、親指で目のふちを撫《な》でて考えていた。
三原は、昨日の応接間にまた通された。いま電話で話しているから、少しお待ちくださいと茶を運んだ女の子が言ったが、その言葉のとおりに、安田辰郎は容易に姿を現わさなかった。三原は、ぼんやり壁にかかっている静物の油絵を眺めていた。商用の電話というものは、ずいぶん長くかかるものだと思っていると、
「やあ、お待たせしました」
と安田辰郎が、にこにこしながらはいってきた。昨日と同じに、三原は彼の態度に気圧《けお》されるのを感じた。
「おいそがしいところを、たびたびお邪魔します」
三原は腰を浮かせた。
「いや、いや、どうも。あいにくと電話をかけていたものですから、お待たせしました」
安田は目もとに微笑を見せて、悠然《ゆうぜん》と言った。
「ご繁忙で結構です」
「どうも。しかし、今の長い電話は商売じゃないんですよ。鎌倉《かまくら》の家《うち》と話していたんです」
「ああ、奥さんですか?」
三原は、昨日きいた、安田の妻が鎌倉で療養している話を思いだした。
「いや、女房《にょうぼう》の付添の者です。ここんとこ女房の病状があまり思わしくありませんのでね。私が毎日鎌倉に行けないので、電話で容体《ようだい》をきいているわけです」
あいかわらず安田は、微笑を消さずに言った。
「それはご心配ですね」
「ありがとうございます」
「ところで、安田さん、今日はちょっとおうかがいにあがったのですよ」
三原は、できるだけ気軽に切りだした。
「はあ、なんでしょうか?」
安田の表情には、不安げなものはなかった。
「少し古いことですが、今年の一月二十日から二十二日まで、あなたは東京にいらしたでしょうか? これは参考程度におたずねしたいのですが」
三原が言うと、安田は笑いだした。
「ははあ、私に何か嫌《けん》疑《ぎ》でもかかっているのでしょうか?」
「いや、そういうわけではないのです。参考までです」
三原は、安田が佐山の情死のことに結びつけて言いだすかと思ったら何も言わなかった。二十日から二十二日の三日間の意味を、安田がどんなふうにとっているのか、彼の表情だけではわからなかった。
「ええと、一月二十日ですね」
安田は目をつむっていたが、引出しの中から小型の手帳を出すと、ばらばらとめくって見た。
「わかりました。その日は北海道に出張しています」
「え、北海道に?」
「札幌《さっぽろ》に双《ふた》葉《ば》商会といって私の方の大口の取引先があるのです。そこに行ったのです。北海道には二日ばかり滞在して二十五日に東京に帰ってきていますね」
安田は手帳を見ながら言った。
北海道。――三原は茫《ぼう》乎《こ》とした目をした。九州とは、まるで正反対ではないか。
「くわしく申しあげましょうか」
安田は、三原の顔を眺《なが》めながら、目《め》尻《じり》に皺《しわ》をよせて言った。
「そうですな。うかがわせていただきましょうか」
三原は、ともかくも、手帳と鉛筆とをとり出した。
「二十日の十九時十五分の急行で上野を発《た》っています。これは《十和田《とわだ》》号です」
「ちょっと。そのご旅行は、お一人でしたか?」
「一人です。仕事で出張の時は、今までたいてい一人です」
「わかりました。どうぞおつづけください」
「青森には翌朝の九時九分に着いています。これは九時五十分発の青函《せいかん》連絡船に接続がありますから、それに乗船しました」
安田は手帳に書きつけた字を拾いながら言った。
「連絡船は十四時二十分に函館《はこだて》に着きます。これも根《ね》室《むろ》行の急行に接続があります。十四時五十分発の《まりも》です。札幌には二十時三十四分に到着しました。駅まで出迎えてくれた双葉商会の河西《かわにし》さんという人の案内で市内の丸惣《まるそう》という旅館にはいりました。これが二十一日の夜です。二十二、二十三日はそこに滞在して、二十四日に北海道を発ち、二十五日に帰京しています」
三原は、そのとおりを手帳に写した。
「どうですか、こんなことでお役に立ちますか?」
安田は手帳を置いて、やはり笑いながら言った。
「よくわかりました。ありがとうございました」
三原も応《こた》えて唇《くちびる》をほころばせた。
「あなたのお仕事も楽ではありませんね。いろいろと調べなければならないわけですね」
平静な言い方だったが、三原の耳には多少皮肉に聞えた。
「お気を悪くしないでください。ただ、われわれの気やすめに、うけたまわっただけですから」
「いやいや、そんな気持は少しもありませんよ。また、どうぞなんでも聞きに来てください」
「おいそがしいところを失礼しました」
三原が帰るのを、安田は出口まで送ってくれた。あいかわらず、落ちついた、不安のない態度であった。
三原は、本庁に帰る前にいつも行きつけの有楽町の喫茶店にはいってコーヒーを注文し、手帳を見ながら、安田の言ったことを紙に表に書いて整理した。
1月20日。上野発19.15(十和田)  青森着21日、9.09。
青森発9.50(青函連絡船)  函館着14.20。
函館発14.50(まりも)  札幌着20.34。(駅に出迎え人あり)
21日(旅館丸惣滞在)  24日。同日発、25日帰京。
三原がこれを眺めていると、注文のコーヒーを持ってきた女の子が、
「あら、三原さん。北海道に旅行なさるの?」
と、紙を上からのぞきこんできいた。
「うん。まあね」
三原が苦笑すると、女の子は、
「いいわね。このあいだ、九州にいらしたばかりで、こんどは北海道なの? 西のはてから北のはてまで飛びまわるのね」
と、うらやましそうだった。
そうだ。確かに舞台は、日本の両端にひろがったといえそうだった。
本庁に帰ると、三原は笠井主任の前に報告した。安田の話と自分の作った表を披《ひ》露《ろう》した。
「うん、うん。なるほど」
主任は熱心に表を見た。
「しかし、北海道とはおどろいたね。九州とはあべこべではないか」
「そうです。ちょっと、がっかりしました」
三原は、じっさいにそう思っていた。
「これは真実だろうね?」
主任は頬杖《ほおづえ》をついて言った。
「安田という人物は、がっちりした男で、すぐにばれるような嘘《うそ》をつくとは思えません。じっさいと見ていいでしょう」
「うむ。しかし、この言い分の裏づけは必要だな」
「そりゃ、もちろんです。札幌の警察署に依頼して、安田を駅に出迎えたという双葉商会の人と、旅館に聞き合せてもらいましょう」
「そうだ。そうしてくれ」
三原が椅子《いす》から立ちあがろうとすると、
「ちょっと」
と主任はとめた。
「安田の家族は、どうなんだね?」
「はあ。細君がいるのですが、胸をわずらって鎌倉に別居しているのです」
「そうだ。それは昨日聞いたね。それでたびたび鎌倉に行くので、例の四分間の見とおしを知っていたのではないかということだった」
「そうでした。その細君の病状が思わしくないとかで、今日行ったときも、電話をかけていたようです」
「そうか。で、彼は一人でこっちにいるのかね?」
それは、一人で阿佐《あさ》ヶ谷《や》の家に女中二人を置いているのである。これは彼が調べていたことなのだ。三原が、それを言うと、主任はぼんやりしたような顔つきをしていたが、何も言わなかった。
三原は、札幌中央署に長い電報を打った。この返事が来るのは早くて明日か明後日であろう。だが、その返電には期待が持てそうになかった。あの安田辰郎が尻《しり》の割れそうな嘘を言っているとは思えないからだ。そんな隙《すき》のある人間ではなさそうだった。
三原は、何か手《て》持《もち》無沙汰《ぶさた》のようなものを感じた。それは、とにかく、返電待ちという意識が心のどこかに働いていたせいかもしれなかった。理由のわからぬ焦燥に似たものが湧《わ》いてきた。
ふと、あることを思いついたのは、この心理の作用かもしれなかった。
(いったい、安田の女房《にょうぼう》というのは、ほんとうに鎌倉で療養しているのかしら?)
かすかな疑問であった。
安田の妻が、こんどの事件に関係があるとは思えない。だが、くどいようだが、四分間の見とおしに、三原の心はあくまでも拘束されていた。安田がそれを知った《・・・》というのは、鎌倉にいるという、妻の見舞の往復だったではないか。ふと起った疑問は、これに引っかかるのだ。もしや、女房ではなく、別の人間ではないか? 安田が北海道に行ったことは証明されるであろう。それは、傍証を調べられる可能性を相手は心得ているからだ。しかし、女房が病気で寝ていることなどは――うっかりとこちらが頭から信用してしまいそうなことだった。あまりに平凡でわかりすぎていそうな錯覚をおこすのだ。言ってみれば、疑問の死角のようなものだった。
(危ない、危ない)
三原は自戒するようにつぶやいた。
主任の席を見ると、彼はどこかに出かけたらしく姿がなかった。三原は、メモに「鎌倉に行きます」とだけ書いて、主任の机の上に置き、警視庁を出た。これから鎌倉に行くのでは、帰りが夜になりそうであった。
東京駅の名店街で菓子折を買った。万一のときは見舞品が必要だったからだ。
十三番線に上がって、おりからホームに着いている電車に乗った。こうして見ると、今も、この電車と十四番線についている列車にさまたげられて、十五番線ホームの見とおしはやっぱりできないのだ。
(四分間の隙とは、うまいところに気がついたものだな)
三原はあらためて感じた。やはり偶然ではなく、安田の作為がありそうであった。
(そうだ。安田はいつか自分が調べられることを予期していたのではないか。その時にそなえて、「小雪」の女中という目撃者をこしらえたのだ。第三の目撃者の必要はそのためだった)
三原は直感した。
電車が動きだした。鎌倉までの約一時間、彼の頭の中はいろいろなことが渦《うず》巻《ま》いていた。たしかに安田の行動には何かある。だが、なんだろう。たかが男女一組の情死ではないか。それに目撃者をつくってどうなるのだろう? その意図がわからなかった。
それに、佐山とお時とが情死した二十日の夜から二十一日にかけては、安田辰郎は北海道に向っている。九州と北海道、九州と北海道。これは結びつきそうにない。
鎌倉駅に着くと、三原は江の島行の電車にのりかえた。小学生の修学旅行で、車内は燕《つばめ》の群れがさえずるようであった。
極楽《ごくらく》寺《じ》の停留所で彼は降りた。番地は確かめていないが、谷間のような所にかたまった集落だから、じっさいにそんな家があれば、すぐわかるのである。
三原は、そこの駐在所にはいって、若い巡査に身分を言い、安田という家が区域内にあるかどうかをきいた。
「奥さんが病気で寝ている家でしょう?」
巡査の方から言った。その言葉を聞いたとき、三原はがくんと妙な落胆をおぼえた。やっぱり、そうだったのか。安田は嘘をついてはいなかったのだ。
ここまで来たのだから仕方がない。三原は見舞の包みをぶら下げて、教えられた方角にあるいて行った。
静かな場所である。まだ藁《わら》屋根《やね》があった。山が片側にせまり、屋根の上には蒼《あお》い海が見えていた。
九 数字のある風景
電車通りからはずれて、ゆるい勾配《こうばい》を下ったところにその家はあった。付近は竹垣《たけがき》や杉《すぎ》垣《がき》をめぐらした家が多い。安田の家は、杉垣に植込みの茂った、こぢんまりした平《ひら》家《や》で、いかにも病妻を養うにふさわしい構えにみえた。
家と家の間には、蒼《あお》い海の一部が見えた。
三原は玄関の釦《ボタン》を押した。ブザーが家の中に鳴ったのがわかる。彼は、なんということなく息をととのえた。こういう場合の訪問のむつかしさを思っていた。
玄関の戸を内側から開けたのは、五十ぐらいの老《ろう》婢《ひ》であった。
「東京から来た三原といいます。安田さんにはお近づきを願っている者ですが、今日、ご近所を通りかかりましたから、奥さまにお見舞に上がりました」
三原の言葉を、老婢はていねいに腰をかがめて聞き、奥へ取りついだ。
「どうぞお上がりくださいまし」
ふたたび現われた老《ろう》婆《ば》は、膝《ひざ》を突いて言った。
三原は奥まった座敷に通された。八畳ぐらいのひろさである。南側のガラス戸からさしこんだ陽《ひ》が、座敷の半分まではいっていた。その位置に床がのべてあった。早春の明るい陽に、床は清潔に輝いてみえた。
白い顔の婦人が、その床の上に半身を起して客を待っていた。老婢が肩から羽織をかけてやっている。羽織の紅を点じた黒っぽい地色が、人物と床に急にアクセントをつけて、妙に艶《つや》があった。三十二三歳ぐらいであろうか。髪をゆるく束ね、細い顔には、見舞客を迎えて、急いで薄く化粧した様子があった。
「はじめまして。とつぜんおうかがいいたしました」
三原は言った。
「東京で、安田さんにお近づきを願っている三原と申します。通りがかりと申しては失礼ですが、ぶしつけとはぞんじましたけれど、お見舞にうかがわせていただきました」
警視庁の文字のある名刺を出すわけにはゆかなかった。
「それは、どうも恐れ入ります。安田の家内でございます。主人がいろいろお世話になっております」
安田の妻は美しかった。目が大きく、鼻筋が細く通っている。頬《ほお》から顎《あご》の線はとがっているが、病的な頽廃《たいはい》は目立たなかった。いくぶんの蒼白いやつれが、その広い額とともに、理知的な感じをあたえた。
「お加減はいかがでございますか?」
三原は見舞を言った。あざむいている意識が、うしろめたく言葉の背後にただよっていた。
「ありがとうございます。長い病気ですから、急によくなることはあきらめております」
病人は軽い微笑を小さな唇《くちびる》にのぼせて言った。
「それはいけませんね。しかし時候も陽気になりましたから、お体にはいいと思います。今年の冬は寒かったようですから」
「この土地は」
と安田の妻は、ガラス戸の陽ざしに、目を細めて話した。
「冬は暖かくて、東京とは三度ぐらい違うんだそうでございますが、なんですか、やっぱり寒うございますわ。近ごろは、ほんとうに助かりますの」
それから三原の顔を仰ぐような目つきをした。きれいな澄んだ瞳《ひとみ》で、彼女自身がその効果を心得ているのではないかと思えそうな見つめかたであった。
「あの、失礼でございますが、安田とは仕事のことでお世話になっているんでございましょうか?」
「ええ、そういったことですが」
三原は返事をぼかした。苦しかった。安田への弁解はあとでするつもりだった。
「さようでございますか。それは、つねづね、お世話になっていることとぞんじます」
「いえ、私の方こそ」
三原は額にうすく汗が出た。
「それで、安田さんは、よく、こちらにいらっしゃいますか?」
彼は急いで話を変えた。病人は、それに、ゆったりとした笑いで答えた。
「いそがしい人ですから。でも、一週間に一度は来てくれます」
それは、安田から聞いた話と合っていた。
「おいそがしいのは結構ですね。奥さんにはお気の毒ですが」
三原はそんなことを言いながら、病室をそれとなく見まわした。床の間の脇《わき》にたくさんの本が積み重ねてあった。病人だから退屈なのであろう。一番上に見えているのは文学雑誌であった。娯楽雑誌でなく、そんなものを読んでいるのが少し意外であった。もう一つの山の上には翻訳小説がのっていた。が、すぐ下には、同じような厚みのある、少し小型《・・》の雑誌のような《・・・・・・・》ものが積み重ねてあった。表紙が隠れているので何かわからなかった。
老婢が茶を出した。三原はもう立たねばならないと思い、すわりなおした。
「どうも突然におうかがいしましてたいへん失礼いたしました。どうぞ、お大切にお願いします」
安田の妻は、きらっとした目で見上げた。蒼味のかかった、澄んだ目であった。
「わざわざ恐れ入りました。どうもありがとうぞんじました」
見舞品をさし出すと、彼女は床の上でていねいなおじぎをした。三原は、はじめてその肩の細いのに気づいた。
玄関には老婢が送ってきた。三原は靴《くつ》をはきながら小声で、
「おかかりのお医者さんはどちらですか?」
と、何気なさそうにきいた。老婢はためらわずに、
「大仏前《だいぶつまえ》の長谷《はせ》川《がわ》先生でございます」
と、好意をみせて、すらすらと教えた。
三原は江の電を大仏前で降りた。あいかわらず小学生の行列が騒ぎながら歩いていた。
長谷川病院はすぐわかった。三原は、ここでは普通に名刺を出した。
院長というのは、白《しら》髪《が》にきれいな櫛《くし》目《め》を通した赭《あか》ら顔の肥《ふと》った人であった。彼は、三原の名刺を卓の上に置いて向いあった。
「安田さんの奥さんの病状についておうかがいしたいのですが」
三原が言うと、院長は細い目を名刺に走らせ三原の顔にもどした。
「それは、公務上に関係のあることですか?」
「まあ、そうです」
「患者の秘密にわたることですか?」
院長はきいた。
「いえ、べつに秘密ということではありません。あの奥さんの病態についておたずねしたいのです。普通のお話で結構です」
三原が言うと、院長はうなずいた。それから看護婦にカルテを持ってこさせた。
「病気は肺結核です。播《は》種性《しゅせい》肺結核症といって、ずいぶん長くかかって治癒《ちゆ》にやっかいなものです。奥さんのは、もう三年もかかっていますが、はっきり言うと全治の見込みは薄いのです。これはご主人の安田さんにも言ってあります。まあ、目下は新しい注射薬などで保《も》たせている状態です」
院長はそう言った。
「すると、あんなふうに寝たきりなのですか?」
「寝たり起きたりというところでしょうな」
「そんな状態では、奥さんの外出は全然できないのですか?」三原はきいた。
「いや散歩ぐらいはできます。湯河《ゆが》原《わら》に奥さんの親戚《しんせき》がありましてね。ときにはそこに、一泊か二泊で遊びに行くこともあります。その程度ならできるのです」と、医師は答えた。
「すると、先生は毎日、往診に行かれるのですか?」
「急に変化する状態ではないので、毎日行ってはいません。火曜日と金曜日に診に行くことにしています。それに、日曜日の午後、ときどき、行くことがあります」
三原がちょっと妙な顔をしたものだから、院長は少しふくむような微笑をした。
「あの奥さんは文学趣味がありましてね。ああいう患者には俳句とか和歌とかをする人が多いのですが、奥さんは小説もよく読むし、自分でも短いものを書きたいらしいのです」
三原は病間《びょうま》で見た文学雑誌や翻訳書を思いだしながら院長の言葉を聞いた。
「じつは、私も文学のまねごとが好きでしてね。久米《くめ》正《まさ》雄《お》さんなんかともご懇意にしていました。いま鎌倉には文士の方がたくさんおられますが、私のお交際《つきあい》は久米先生ぎりです。もう、この年齢《とし》になっては恥ずかしくてできません。ただ根が好きなものですから、老人の仲間うちだけで、随筆とか和歌、俳句のようなものを薄い雑誌にして季刊で出しています。盆栽いじりみたいなものですよ。そんなことで、あの奥さんの趣味とも合うので、日曜日には、たまには行って話すことがあるのです。向うでもよろこびましてね。半年前でしたが、随筆の原稿をもらいましたよ」
院長は自分で興に乗ったようであった。その随筆を掲載した本を見せようか、といった。三原は頼んだ。
これですよ、と持ってきた雑誌は「南林《なんりん》」という表紙がつき、三十ページぐらいの薄さであった。三原は目次を見て、ページを開けた。
「数字のある風景」という題で、下に「安《やす》田《だ》亮子《りょうこ》」とあった。ははあ、亮子という名前なのかと三原ははじめて知った。彼はその奇妙な題の本文を読みはじめた。
長い間、寝たきりでいるといろいろな本が読みたくなる。しかし、このごろの小説はみんなつまらなくなった。三分の一まで読んだら興を失って閉じることが多い。ある日、主人が帰って汽車の時刻表を忘れて行った。退屈まぎれに手にとってみた。寝たきりの私には旅行などとても縁のないものだが、意外にこれがおもしろかった。下手な小説よりずっと面白い。主人も、仕事の上で出張が多いから、時刻表をよく買っている。じっさいによく見なれているらしいが、それは実用からで、病床の私には非実用のおもしろさである。
時刻表には日本中の駅名がついているが、その一つ一つを読んでいると、その土地の風景までが私には想像されるのである。それも地方《ローカル》線の方が空想を伸ばさせてくれる。豊《とよ》津《つ》、犀川《さいがわ》、崎山《さきやま》、油須《ゆす》原《ばる》、勾金《まがりかね》、伊田《いた》、後《ご》藤《とう》寺《じ》、これは九州のある田舎の線の駅名である。新庄《しんじょう》、升形《ますかた》、津谷《つや》、古口《ふるくち》、高《たか》屋《や》、狩川《かりかわ》、余目《あまるめ》、これは東北のある支線である。私は油須原という文字から南の樹林の茂った山峡《やまかい》の村を、余目という文字から灰色の空におおわれた荒涼たる東北の町を想像するのである。私の目には、その村や町を囲んだ山のたたずまい、家なみの恰好《かっこう》、歩いている人まで浮ぶのである。徒然草《つれづれぐさ》に「名を聞くより、やがて面影《おもかげ》は推しはかるる心地するを」という文句があったことを覚えているが、私の心も同じである。所在ないときは、時刻表のどこを開けても愉《たの》しくなった。私は勝手に山陰や四国や北陸に遊んだ。
こんなことから、つぎに時間の世界に私の空想は発展した。たとえば、私はふと自分の時計を見る。午後一時三十六分である。私は時刻表を繰り、十三時三十六分の数字のついた駅名を探す。すると越《えち》後《ご》線の関《せき》屋《や》という駅に122列車が到着しているのである。鹿児島本線の阿久根《あくね》にも139列車が乗客を降ろしている。飛騨《ひだ》宮《みや》田《た》では815列車が着いている。山陽線の藤《ふじ》生《う》、信州の飯《いい》田《だ》、常磐《じょうばん》線の草《くさ》野《の》、奥《おう》羽《う》本線の北《きた》能《の》代《しろ》、関西本線の王《おう》寺《じ》、みんな、それぞれ汽車がホームに静止している。
私がこうして床の上に自分の細い指を見ている一瞬の間に、全国のさまざまな土地で、汽車がいっせいに停《とま》っている。そこにはたいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている。私は目を閉じて、その情景を想像する。そのようなことから、この時刻には、各線のどの駅で汽車がすれ違っているかということまで発見するのだ。たいへんに愉しい。汽車の交差は時間的に必然だが、乗っている人びとの空間の行動の交差は偶然である。私は、今の瞬間に、展《ひろ》がっているさまざまな土地の、行きずりの人生をはてしなく空想することができる。他人の想像力でつくった小説よりも、自分のこの空想に、ずっと興味があった。孤独な、夢の浮遊する愉しさである。
仮名のない文字と、数字の充満した時刻表は、このごろの私の、ちょっとした愛読書になっている。――
「ちょっとおもしろい考えでしょう?」
三原が読みおわるのを待って、院長は口を開いた。笑うといっそう細い目であった。
「寝ているから、こんなことを考えるのですね」
「そうですね」
三原は気のない相槌《あいづち》を打って雑誌を返した。彼には安田亮子の感じ方よりも、本文の冒頭にある「主人も、仕事の上で出張が多いから、時刻表をよく買っている。じっさいによく見なれているらしいが」の一句が目に残って、しばらく院長の存在を忘れていた。
警視庁に三原が帰ったのは、夜の八時ごろであった。主任の笠《かさ》井《い》警部は帰ったあとでいなかった。
机の上にインク瓶《びん》を押えにして、電報がおいてある。三原は、あんがい早く来たな、と思った。彼は立ったまま、すぐにひらいた。思ったとおり、北海道の札幌《さっぽろ》中央署からで、問い合せにたいする返電であった。
「フタバシヨウカイノカワニシノシヨウゲンニヨレバ、一ガツ二一ヒ、サツポロエキニテヤスダニアツテイル。二二ヒ、二三ヒ、ヤスダハ〇ソウニトマツテイル」
半分は予期したことだが、三原は落胆をどこかにおぼえて、椅子《いす》に腰をおろした。
(札幌の双葉商会の河西という男は、一月二十一日に駅で確かに安田と会っている。二十二日、二十三日に、市内の丸惣《まるそう》旅館に彼は滞在している。――安田が言ったとおりだったな)
三原は煙草《たばこ》をとり出して喫《す》った。部屋には誰《だれ》もいない。ぼんやり考えるには都合がよかった。
この返電の結果は予想したとおりであった。安田の答弁と食い違うのが嘘《うそ》なのだ。すぐにシリの割れることを安田が言うはずがなかった。すると、彼はやはり二十一日に北海道に到着していたのだ。二十日は、九州で佐山とお時とが情死を決行した夜であり、二十一日朝はその死体が発見された。その時間は安田は北海道に向う急行《十和田》の列車の中であった。それでなければ、札幌駅で双葉商会の河西という男と会えるわけがない。
しかし三原は、安田が東京駅で四分間の巧妙な間隙《かんげき》をねらって、佐山とお時の出発に第三の目撃者をつくったことが頭から離れなかった。その目的はまだ分らない。分らないだけに、二十日(その夜、佐山とお時は情死)から二十一日(その朝、死体発見)の両日にかけて、安田の行動を九州になんとなく結びつけている。いや、そうしたがっている気持を、自分で執拗《しつよう》だと意識している。だが、現実は、安田は九州とは逆に行動していた。西へ行かずに、北に行った!
(待てよ。逆の方向に行ったのが、おかしいぞ)
三原は二本目の煙草に火をつけた。逆に行ったことに何か安田のわざとらしさがあるような気がした。例の四分間と同じ作為の匂《にお》いがする。
三原は、思いついて、引出しから佐山の一件の調査書類のはいった袋を取り出した。それは福岡署の鳥飼《とりがい》刑事が、非常な好意で揃《そろ》えてくれたものだ。彼は久しぶりに鳥飼重太郎の痩《や》せた頬《ほお》と、目《め》尻《じり》の皺《しわ》を思い浮べた。
佐山とお時の情死――佐山とお時とが青酸カリを服毒した――は一月二十日の午後九時と十一時の間である、と死体検案書は推定していた。
三原は、備えつけの時間表を持ってきて繰った。その時刻、急行《十和田》は常磐《じょうばん》線に沿い、古跡で名高い勿来《なこそ》から平《たいら》を過ぎ、久《ひさ》ノ浜《はま》、広《ひろ》野《の》あたりを走りつづけているころであった。
つぎに試みに、死体の発見された二十一日朝の六時半ごろを見ると、列車は岩手県の一《いち》戸《のへ》駅を発車したばかりであった。安田がこの列車に乗っていると、九州香《か》椎《しい》の海岸の出来事とは、まったく時間的にも空間的にも隔絶されている。
三原は、こんなことを思っているうちに、自分の時刻表の見方が、安田の妻が雑誌に書いた考えに似ているのに気づいて、苦笑した。
その妻は、安田が時刻表を見なれていると書いている。見なれているということは、精通している意味に発展しないか。
(何かありそうだ。汽車の時刻を利用したアリバイではなかろうか?)
アリバイというのはおかしい。安田は東京にいなかったことを確認しているからだ。この場合のアリバイは、安田が「九州に行っていなかった」という不在の証明である。
三原は、また電報をとり上げ、繰り返して読みおわると、指の間に紙の端をもてあそんだ。この電文を信頼しないわけではない。事実はこのとおりであったに違いない。しかし、表通りから建築の正面を眺《なが》めるような感じがしていた。建築のどこかに見えざる工作がほどこされているような気がした。
(北海道に行ってみよう)
組み立てられた建築の不正の部分を発見するには、いちおう、それを叩《たた》いて調べねばならぬ。三原は一つ一つに当り、どんな反応があるか、自分で確かめようと決心した。
翌朝、三原は、笠井主任の出勤するのを待って、その机の前に立った。
「札幌から返電がありました」
彼は電報を主任に見せた。主任は読みくだして、
「安田の言ったとおりだね」
と言って、三原を見上げた。
「はあ」
「まあ掛けてくれ」
主任は、三原が長い話をしたそうにしていると思ったのか、そう言った。
「じつは、昨日、鎌倉に行きました。主任はお出かけのときでしたが」
「そうそう。君の書いたメモを見た」
「安田の細君に会いに行ったのです。安田が言っていることの裏づけを調べに行ったのですが、やはり細君というのは肺結核で寝ていました」
「すると、安田の言うことは、みんな信憑性《しんぴょうせい》があるわけだね」
「まあ、いちおうそうです。しかし、ちょっとおもしろいことがありました」
三原は、ここで安田の妻の書いた文章を医者から見せてもらったこと、その中に安田が鉄道の時刻表に精通しているらしいことが書かれてあったことなどを話した。
「なるほど、それはおもしろいね」
主任は机の上で両手を組んだ。
「例の東京駅の四分間の作為に通じるね、それは」
「私もそう思います」
三原は、主任が乗り出してくれたので、元気づいて言った。
「四分間の目撃者を安田がつくった作為は、佐山課長補佐の情死に、彼が何かの役割を演じているという印象に強くつながります。これはカンです。何かわかりません。しかし、何かがかならずあります」
それは、その情死に犯罪を直感するという意味であった。
「そのとおりだ」
主任は、すでにその意見であった。
「それで、これから北海道へやらせていただきたいと思うのです。安田が、情死の当日、北海道に向っていた《・・・・・》ということが、どうも肚《はら》におさまらない。札幌署の報告は信じるとしても、何か企《たくら》まれた事実のような気がするのです。この企みを発見した時が、なぜ安田が、東京駅で佐山課長補佐の出発に第三の目撃者を必要としたか、という謎《なぞ》を解いた時と思います」
主任はすぐに返事をせずに目を逸《そ》らせて考えていたが、
「よかろう。ここまで来たのだ。とことんまで追って見たまえ。課長を僕《ぼく》が説いてみる」
とぽつりと言った。その言い方が少し変だったので、三原は主任の表情を思わず見つめた。
「課長は、この捜査に反対なのですか?」
「反対というほどではないが」
主任は言葉をぼかした。
「情死と分っているものを、深追いしても無意味じゃないかと言ったことがある。その意味で積極的でなかった。が、心配しなくてもいい。僕が説く」
笠井主任は、三原をなぐさめるように微笑した。
十 北海道の目撃者
翌日の夕方、三原は上野駅発の急行《十和《とわ》田《だ》》に乗った。
安田が乗ったという同じ《十和田》であった。北海道に行くには便利のよい理由もあったが、安田の「実地検証」のつもりでもあった。
三原は平《たいら》を過ぎたころから睡《ねむ》りにはいった。前に腰かけた二人が、東北弁でうるさく話しあっていたので、それが耳について神経が休まらなかったのだ。が、十一時近くなると、昼の疲労で睡気が緩慢におそってきた。仙台《せんだい》で、周囲がちょっと騒がしくなったので目がさめたほか、浅虫《あさむし》にとまるまでおぼえがなかった。
海が、明けたばかりの乳色の白さの中に、新鮮に見えた。車内では降りる支度がはじまっていた。
車掌がはいってきた。入口に立って、お早うございますと乗客に挨拶《あいさつ》した。
「まもなく終着駅青森でございます。長途の御旅行お疲れさまでした。なお青函《せいかん》連絡船で函館《はこだて》にお渡りの方は、旅客名簿にご記入を願います。ただいま、お手もとに用紙を持ってまいります」
車掌は、手をあげた乗客に用紙をくばりはじめた。北海道に渡るのは、三原ははじめての経験だった。三原もその用紙を一枚もらった。
名簿は一枚の用紙だが、どういう理由か、甲・乙と二つの欄に同じことを書かねばならなかった。これは改札口で渡した。
青森到着は九時九分。連絡船が出るまでには四十分の間《ま》があったが、船までの長いホームを旅客がいい席を取るため、気ちがいのように競走していた。三原は背中を何度もこづかれた。
函館に着いたのは午後の二時二十分であった。三十分待って、急行《まりも》が出た。連絡はすべて鎖をつなぐようだった。
それからの五時間半、はじめて見る北海道の風景であったが、三原はさすがにうんざりした。夜の札幌《さっぽろ》の駅に着いたときは、くたくたになっていた。安田はおそらく、上野から二等寝台か特二で悠々《ゆうゆう》と来たのであろう。刑事の出張旅費の少なさは、そんな贅沢《ぜいたく》を望むべくもなかった。三原は尻《しり》が痛くなっていた。
駅前で三原は、なるべく安い宿をきいてとまった。丸惣《まるそう》に投宿すれば、安田の調査と一挙両得だが、切りつめた旅費では我慢せねばならなかった。
その夜から雨が降りだした。三原は雨の音を聞きながら、疲労のはて、欲も得もなく眠りこけた。
朝、十時すぎになって、あわてて起きた。昨夜の雨はあがっていて、畳の上に陽《ひ》がさしていた。少し寒い。やっぱり北海道だなと思った。
三原は飯を食うと、まず札幌中央署に行った。これはいちおうの仁義である。このあいだの依頼調査の礼を言って挨拶した。
「どこか不備なところがありましたか?」
警視庁からわざわざ捜査に出張したというので、出てきた向うの捜査係長は不安なような顔をした。三原は、そうでないことを断わり、別の、独自な調査に来たことを弁明した。
丸惣に行くというと、案内に刑事を一人つけてくれた。これは便利だからべつに謝絶しなかった。
旅館では、前に調査をうけているので、事は簡単に運んだ。係りの女中が出てきて、すぐに保存の宿泊人名簿の安田辰郎の記入の分を見せてくれた。
「ここにお着きになったのは、一月二十一日の夜の九時ごろでした。二十二日と二十三日におとまりでしたが、昼間は仕事だといってお出かけになり、夕方早くお帰りでした。べつに変った様子もありません。静かな方でございました」
係り女中の言う人相と、安田の特徴とは合っていた。三原は安田の記帳した宿泊人名簿を念のために押収した。この旅館を出ると、彼は、ついてきてくれた刑事に帰ってもらった。これから先は、一人がよいのだ。
双葉商会というのは、目抜きの通りにある、機械器具などあつかう、かなり構えの大きい店であった。陳列窓にはモーターなどがならべてあった。
河西は五十ばかりの頭の禿《は》げあがった男で、営業主任だといった。三原の名刺を見て、目を大きくした。
「このあいだも、札幌署から刑事さんが見えて、安田さんを駅に出迎えたかどうかときかれましたが、何か安田さんに疑いがかかっているのですか?」
河西はまったく意外そうな表情をした。
「いや、そういうわけではありません。少し他《ほか》のことから参考に調査しているだけです。ご心配になるようなことではありません。安田さんとはもう長い取引ですか?」
三原は平静に言った。
「五六年ですが、信用のおける誠実ないい人です」
河西は保証した。三原は、相手を安心させるように大きく何度もうなずいた。
「それで一月二十一日に安田さんが札幌に来たときは、あなたは駅に出迎えたわけですね?」
三原は、はるばるとここまできた最大の質問の核心にはいった。
「そうです。二十一日の《まりも》で到着するから、駅の待合室に来てくれという電報をもらったから行きました。その電報はあいにくと破って捨てましたが」
河西は答えた。
「いつも迎えに行くのですか?」
三原はきいた。
「いえ、いつもはそんなことはありません。夜なので店はしまっているし、いそぎの商談があったので、会ったわけです」
「なるほど、それで安田さんは《まりも》が着くと、すぐに待合室にいるあなたのところへ現われたわけですね?」
そうきくと、河西はちょっと考えるような顔をした。
「そうですね。すぐというわけではありませんでした。あの急行が到着するのは二十時三十四分です。下車客が改札口を出て、駅前の広場に流れて行くのが待合室のガラス窓から見えたものですから、もう現われるだろうと待っていた記憶がありますから、十分ぐらい遅れて来たと思います」
十分ぐらい遅れたということは問題でなかった。やっぱり安田は、その言葉のとおり、《まりも》で到着しているのであった。
三原は失望した。このような結果は予期していたが、まだ弱い未練があった。確かに、その男は安田辰郎に間違いなかったでしょうね、と愚かな念を押したくらいであった。
安田は確かに二十一日の二十時三十四分着の急行でこの札幌に着いている。その夜から丸惣旅館にもとまっている。疑点は毛筋ほどもなかった。三原は石のような壁の前に自分が立っていることを感じた。
非常にむだな努力を自分が懸命にしているように思われ、それが自分を支援してくれている笠《かさ》井《い》主任にわびようのない気持になった。課長はもとからこれに熱意がなかったという。それをなんとか引っぱってがんばったのは主任だった。三原は責任を感じないわけにはゆかなかった。
三原が非常に暗い顔になったので、相手の河西という男は、うかがうようにしていたが、やがてためらいがちに、低い声で言った。
「三原さんとおっしゃいましたね。こんなことを私が言ったのでは、安田さんにたいへん申しわけないのですが、あなたが東京からわざわざいらしたので、気づいたことを申しあげます。ただし、これはあくまでも参考ですよ。重要な意味にとられては困りますが」
「わかりました。どういうことですか?」
三原は河西の顔を見た。
「じつは、さっき安田さんが私を呼んだのは急ぎの商談と申しましたが、また、そういう電文をじっさいに安田さんからもらったのですが、会ってみると、それほど急を要する用件でもなかったのです」
「え? ほんとうですか?」
三原は問い返した。咽喉《のど》が唾《つば》で鳴った。
「ほんとうです。それは、翌日、安田さんが店に来て話しても、ゆっくりまにあうことでした。それで、そのとき、私も内心で変だなと思ったことでした」
三原は目の前にふさがった壁に、突然亀《き》裂《れつ》が生じたのを感じた。彼は胸がおどった。が、表面ではその動揺をおさえた。彼は落ちついた口調で質問し、河西にそのことをもう一度繰り返さした。
なぜ、安田辰郎は急用でもないのに、河西を駅に来させたか?――
(安田は自分が一月二十一日の《まりも》で札幌駅に到着したことを確認する目撃者が欲しかったのだ。えらばれたのが河西だ)
これだった。理由はこれ一つである。東京駅では四分間の目撃者を作ったが、またしても、あの同じ手である。その作為は共通していた。繰り返しであった。
すると、それが作為であるなら、安田が《まりも》で到着した事実《・・》の内容は逆を指向することになる。つまり彼はその列車では到着しなかったのではないか。
ここで三原は重大なことに気づいた。彼はおさえても、目が光ってきた。
「河西さん。あなたが安田さんと会ったのは、待合室でしたね?」
「そうです」
河西は、自分が口をすべらせた一言から、何をきかれるかと不安そうな表情をした。
「ホームに立って迎えたのではないのですね?」
「そうです。待合室にいてくれという電報でしたから」
「では」
三原は突っこんで念を押した。
「あなたは、安田さんが列車から降りるところは見なかったわけですね?」
「それは見ません。しかし――」
しかし、その時刻に東京の安田辰郎が駅の待合室にいる自分の前に立ったのだから、その列車で降りて来たのはまちがいないのだ、と、河西の表情は言いたそうであった。
三原は双葉商会を出た。どういうふうに河西に礼をのべて立ちあがったかおぼえぬくらいであった。彼は、はじめての土地である札幌の街に迷い出た。幅の広い街路には、アカシヤの木が直線にならんで高く伸びていた。それも彼の目には、ぼんやりとしか見えなかった。一つの思考を追いながら、街を彷徨《ほうこう》した。
安田は嘘《うそ》をついている。彼は、急行《まりも》で到着したかのようによそおい、その時刻に合わせて、電報で呼びつけた河西と札幌駅の待合室で会ったのだ。つまり、それが「駅で会った」ことになるのだ。札幌署に依頼した調査の返電がそうだった。「駅に出迎えて会った」といえば、誰《だれ》でも、下車した人間を迎えて会ったのだと思いこむ。安田は、その錯覚を盲点に利用したのだ。
東京駅では、料亭《りょうてい》「小雪」の女中二人が、作られた目撃者であった。北海道では河西なのだ。
(よし。安田の化けの皮をはがしてやるぞ)
三原は手帳を出してメモを見た。安田が説明したところは、こうだった。
20日上野発、急行(十和田)で21日朝、青森着。9時50分発の青函連絡船で14時20分函館着。
函館発、急行(まりも)で20時34分、札幌着。
三原は、これを見ているうちに、思わず、はっと息を吸いこんだ。
(どうして、今まで、これに気がつかなかったのか)
青函連絡船では乗船客から一人一人、名簿に記入させているではないか。それを調べあげたら、安田の主張の崩壊が決定的となる!
彼がじっさい乗船していたなら、その名簿が残っていなければならないのだ。
三原は、胸が、おどったが、すぐに不安がきた。
一月二十一日といえば、すでに一カ月前であった。乗船客名簿は、はたして保存されているだろうか。破棄されていたら、せっかくの糸も切れたことになる。
駅にきけばわかるに違いない。彼は息せく思いで札幌駅に向った。
鉄道公安官室にはいって、三原は身分を言い、名簿の保存期間のことをききあわせた。
「青函連絡船の乗船客名簿は」と、いあわせた中年の公安官は、顔をなでて言った。
「保存期間は、六カ月です」
六カ月。それなら十分である。三原はほっとした。
「じゃ、青森駅に行けば、保管してあるわけですね?」
「青森から、乗船したのですか?」
「そうです」
「青森まで行く必要はないでしょう。函館駅にも保存があるはずです」
三原がわからない顔をしたので、公安官は説明した。
「乗船客名簿は、甲・乙両方に名前住所を書きます。駅ではこれを切り離して、甲片は発駅に保存、乙片は船長が受け取って到着駅に引きつぐのです。だから函館駅にもあるわけです」
ああ、そうか、と三原は納得した。自分も両方書いたことをおぼえている。
「何日のをお調べになりたいのですか?」
公安官はきいた。
「一月二十一日です。ええと、函館に十四時二十分に着いた連絡船です」
「そりゃ17便です。あなたが行かれるのでしたら函館に電話をかけて、その便の名簿を出してもらうように言っておきましょうか?」
「そうしていただけばありがたいですね。ぜひ、お願いします」
三原は、今晩の夜行に乗るから、明日の朝早く函館駅に出向く旨《むね》の伝言も頼んで公安官室を出た。
夜行は二十二時に出る。それまで八時間の間があった。早く結果が知りたい。一刻も早く名簿を調べたいのだが、彼の前には、乗車前と列車中と都合十六時間の長い時間が意地悪く拒んでいた。
三原は乗車までの八時間をもてあまし、札幌市内を歩いた。だが、気がかりなことに圧迫され、目は見物のそれになりきれなかった。
ようやく黄昏《たそがれ》が来た。
焦燥と、睡眠の十六時間がようやくに経過した。緩慢な、もどかしい経過であった。
函館駅に着いたのは、六時すぎという早さだった。風が冷たかった。
係員が出てくる二時間あまり、三原はいらいらして時間を消した。
係りというのは若い男であった。三原の来意をきくと、
「昨日電話で連絡があったから、えり出しておきました。二十一日の17便ですね」
と、紐《ひも》でくくった乗船客名簿の束をどさりとおいた。
「二等と三等と分けてあるのですが、どちらですか?」
係員はきいた。
「二等と思いますが、三等かもわかりません」
三原は答えた。三等の方はうんと数が多く、一枚一枚見てゆくには時間がかかりそうであった。
「二等はこれだけです」
それは三十枚にもたりなかった。
三原は、片端からしらべていった。安田辰郎の名があるはずがない、あるわけはない、そう歌うように心でつぶやきながら見てゆくうちに、十二三枚目のところで、おや、と彼の目は一枚の文字の上にとまった。
「石《いし》田《だ》芳《よし》男《お》 官吏 五十歳 東京都――」
石田芳男が××省の××部長であることを三原は知っていた。いや、知りすぎていた。捜査二課が努力を集中している汚職事件の中心地にある問題の部長であった。
(石田部長がこの船で北海道に来ていたのか)
悪い予感のようなものが働いた。
三原は、つぎつぎと慎重にめくった。さらに五枚目ぐらいのあたりで、彼は思わず、叫びを上げるところだった。
あった!
「安田辰郎 機械工具商 三十六歳 東京都――」
彼は文字に目をむいた。信じられなかった。こんなものがあるはずがない。が、彼の目にそれは冷然と大写しに映っていた。
三原はあえいだ。ふるえる指で鞄《かばん》の中から丸惣で押収してきた安田の宿泊名簿を取り出し、横にならべた。二つの筆跡は、三原を嘲《ちょう》笑《しょう》するようにみごとに一致していた。
やっぱり安田辰郎はこの船に乗っていた!
三原は自分で顔色が蒼《あお》くなるのをおぼえた。
この船に乗っていることが証明されている以上、接続の《まりも》に乗車したことも当然に証明されたのだ。安田辰郎の供述には、一《いち》分《ぶ》の嘘《うそ》もなかった。
壁に亀《き》裂《れつ》を見たと思ったのは幻覚であった。この現実の前に三原は完全に敗北を悟った。彼は名簿をひろげたまま、頭をかかえてしばらく動きえなかった。
十一 崩れぬ障壁
三原は警視庁前から新宿行の都電に乗った。
夜の八時をまわって、ラッシュアワーは過ぎていた。車内は空《す》いている。彼はゆっくりと腰かけ、腕を組んだ。背中にこころよい動揺がある。
三原は都電に乗るのが好きだった。べつに行先を決めないで乗る。行先を決めないというのは妙だが、何か考えに行きづまったときには、ぼんやり電車にすわって思案する。緩慢な速度と適度の動揺とが思索を陶酔に引き入れる。頻繁《ひんぱん》にとまり、そのたびにがたごととぶざまに揺れて動きだす都電の座席に身をかがめる。この環境の中に自分を閉じこめ、思考のただよいにひたるのである。
(安田は、それほど急用でもないのに、札幌《さっぽろ》駅に双葉商会の河西《かわにし》を電報で呼んだ。なぜ、呼ばねばならなかったか)
三原はつかれたような目をしてそれを考えていた。乗客の話も出入りの動きも邪魔にはならなかった。
駅に呼んだのは、自分が確かに札幌駅に《まりも》で到着したことを河西に確認させたかったからだ。つまり、安田は、河西に自分の姿を見せ、アリバイの証人としたのだ。
アリバイ? 三原はふと自分の胸に浮んだこの言葉に引っかかった。なんの不在証明か。どこで《・・・》安田は不在《・・》であったか。
今までぼんやりとしたものを、三原は、はっきりと形にまとめあげようとして突っこんだ。すると、どこ《・・》というのは、九州の香《か》椎《しい》の海岸以外にないのだ。この情死の現場に不在《・・・・・・・・・・》だったという証明である。
三原は、このごろポケットから放さぬ時刻表を取り出した。佐山とお時の情死が一月二十日の午後九時から十一時の間と仮定して、その後に乗りうる博《はか》多《た》から東京へ向う一番急速の列車は、翌朝の七時二十四分発の急行《さつま》しかない。安田が北海道札幌駅に現われた二十時四十四分ごろ(河西が彼に会った時刻)には、この急行《さつま》は、ようやく京都駅を発車して動きだしたときである。
安田は、これが主張したかったのだ。自分が情死の現場には不在だったということをである。しかし、なぜ、彼は不在を主張したいのか。――
「もしもし」と、車掌が三原の体をつっついた。気づかぬうちに新宿の終点になっていた。彼は降りた。それからちょっととまどい、明るい灯《ひ》の通りを歩いて、別の電車に乗りかえた。荻窪《おぎくぼ》行の都電であった。
(そうだ、安田の主張はもう一つ類似がある)
と、三原は新しい座席にすわって、つづきを考えた。
東京駅の例の四分間の目撃だ。今までは佐山とお時とがいっしょに《・・・・・》汽車に乗る現場を「小雪」の女中に見せるのが目的とばかり思っていたが、じつは、もう一つ理由があることに気がつく。それは、安田が、あの二人の情死行《じょうしこう》にはまったく無関係であることを目撃者に証明させたのだ。あのとき、安田は目撃者の女中たちに、「あれは、お時さんじゃないか?」と言ったというではないか。その注意の仕方は、いかにも自分が第三者の立場に立っていると言いたげである。じっさい、「小雪」の女中たちは、佐山とお時とが《あさかぜ》の列車に乗っているのを見たが、安田は情死に出発する彼ら二人とはいっしょでなかった。安田は横須賀線の電車で去ったのだ。ここにも彼の不在の証明がある。のみならず、安田は、その翌晩もそのつぎの晩も、「小雪」に遊びに来て姿を見せている。何か念を押しているようなやり方ではないか。
四分間の偶然の目撃は、もはや、偶然でなく、必然であった。安田の作った必然である。札幌駅の河西も、東京駅の女中も、安田に作られた目撃者である。安田自身がこの情死事《・・・》件には不在《・・・・・》であるという証明のためにである。
札幌、東京の二つの駅でおこなわれた安田の作為の行末は、交差の点を九州博多の近郊香椎に結んでいる。すべて彼がそこにいなかった、という結像である。
ここまで考えてきて、三原は、安田辰郎がかならずそこにいた《・・・・・》という自信を強めた。作為が加わっている以上、その結像は虚像である。実像は反対に転倒している。一月二十日、午後九時から十一時の間、佐山とお時との情死の現場、九州香椎の海岸に安田辰郎はかならず立っていた。そして、何かしていた《・・・・・・》! 何かしていた――何をしていたか、今はまだわからない。要するに彼はそこに、その日、その時刻にいたのだ。佐山憲一がお時と、毒をあおいでたおれるのを、安田の目は見つめていたに違いない。彼は事件に不在どころか、確固として存在していたのだ。安田の努力を検討すると、この実像を反対に結像して見せることに指向している。
理屈の組み立てはまさにそうだった。しかし、その想定から出発すれば、安田は翌朝の七時二十四分の急行で博多を東に出発しなければならない。その《さつま》は京都に二十時三十分に着き、四十四分に発車するというのに、彼は、そのとき、北海道札幌駅に河西とにこやかに会っているではないか。河西が嘘《うそ》をつくとは思えない。いや、疑問はなかった。札幌の旅館丸惣《まるそう》が玄関に安田を迎えたのは、二十一時ごろなのである。しかるに《さつま》はその時刻、近江《おうみ》の琵琶湖《びわこ》畔《はん》を走っているころであろう。この論理と現実の矛盾をどうするか。
まだある。安田の主張を強力に証明する事実が青函《せいかん》連絡船の乗船客名簿の記載だ。これだけでも三原の仮説を粉砕する絶対の槌《つち》だった。
が、三原の心は負けなかった。それとたたかうだけのものを彼は安田に対して抱《いだ》いていた。それは現象では説き伏せられない安田辰郎への本能的な不信だった。――
「もしもし」
車掌が来た。電車は荻窪に着いていて乗客がいなかった。三原は降りて、そこから国電に乗りかえ、もときた方へ逆もどりした。
(安田はうまく作った。構築はがっちりしているように見えるが、どこか弱い一点がある。どこだろう)
三原は、窓の風を顔にうけながら、目を半開きにして考えつづけた。
四十分ばかりして彼の目は急に開いて、ゆらゆら動いている車内吊《しゃないづり》のポスターを見つめた。しかし、ポスターは化粧品の広告で、なんの意味もない。
三原は、あのとき函館《はこだて》駅で乗船客名簿を繰っているうちに、××省の××部長石田芳男の名前のあったのを思いだしたのである。
「石田部長のことはわかったよ」
と、笠《かさ》井《い》主任は三原に言った。刑事が直接部長にききに行ったのでは、先方を刺激してまずい。それでなくとも、石田部長は進行している省内の汚職事件に神経をとがらせているときだから、慎重にした方がいいというのが主任の意見だった。わかったよ、と言ったのは、ほかから手をまわして調べた結果の意味だった。
「一月二十日、たしかに北海道に出張している。上野を十九時十五分発の急行《十和田《とわだ》》で出発し、二十一日の二十時三十四分着の《まりも》で札幌に着いている。つまり、安田辰郎とまったく同じ汽車で行ったわけだね」
主任は石田部長のそのときの日程のメモを示した。それによると石田部長は札幌に下車せずに、そのまま釧《くし》路《ろ》まで乗りつづけている。あとは北海道の各管轄《かんかつ》地《ち》をまわっているのだ。
「それとなく、安田辰郎のことを聞かせたがね。たしかに札幌までは同じ汽車だったと言ったそうだよ。安田も二等車だったが、車両《はこ》が違っていた。しかし、ちょいちょい挨拶《あいさつ》にきたから間違いないというのだ。出入りの商人だから顔はよく知っているそうだ」
主任は、調査の結果をそう説明した。
「そうですか」
三原はがっかりした。ここにも、安田が確かにその列車に乗っていたという目撃の証人が現われていた。しかもこんどは安田に作られた証人ではない。一省の高級官吏であり、出張の予定《スケジュール》は数日前から決っている役人なのだ。現に連絡船の乗客名簿にも名前をつけている。疑点は塵《ちり》ほどもなかった。
「君」
と、三原の沈んでいる様子を見て、笠井主任は立ちあがった。
「天気がよさそうだな。五分ばかり、そこいらを散歩しようか」
じっさい、外は明るい陽《ひ》が降りそそいでいた。強い光は初夏が来たのを思わせた。上着を脱いで歩く者が多かった。
主任は先に立って歩き、車の流れる電車通りを横切って、お濠端《ほりばた》にたたずんだ。皇居の白い城壁が輝いている。暗い庁内の部屋から出た目には、あたりは素抜《すぬ》けたようにまぶしかった。
主任は濠を眺《なが》めるように少し歩き、ベンチを見つけると腰をおろした。よそ目に会社員が二人、事務所を脱け出してさぼっているように見えた。
「君が北海道に行っている留守の間、僕《ぼく》は佐山憲一とお時とのあいだを洗わせたよ」
主任は煙草《たばこ》をとり出し、一本を三原にすすめて言った。
三原は思わず主任の顔を見た。――情死した二人の間を洗う。とっさに意味がわからなかった。何を求めようというのか。
「情死するくらい深かった両人の関係を今さらほじくる必要もなかったが、念を入れたわけだ」
主任は三原の気持に答えるように言った。
「ところがね、よっぽどうまく会っていたとみえて、はっきり佐山とお時との関係を知った者がないのだ。『小雪』の女中どもは、お時の心中の相手が佐山というのでびっくりしているのだ。ああいうところの女は、その方面には嗅覚《きゅうかく》が鋭いのだがね。全然、気がつかなかったそうだ。しかし」
しかし、と言いかけて主任は煙草をふかした。それは、これから言うことに意味があるというそぶりであった。
「しかし、お時に愛人がいたのは確かのようだね。彼女は小さいアパートに一人でいたが、よく彼女あてに電話がかかってきたそうだ。管理人の話だと、女の声で《青山》と名乗っていたそうだが、ときどき蓄音器の音楽なんかいっしょに聞えていたというから喫茶店の女かもしれない。が、その女の声は、体裁上、お時を電話に呼び出すときに誰《だれ》かから頼まれたもので、お時にかわると、先方も男の声に変ったに違いないと管理人は言うのだ。その電話がかかると、いつもお時はすぐ、そそくさと身支度して出て行ったというのだがね。そのことは、彼女が死ぬ半年ぐらい前からつづいていたそうだ。お時は一度も男の客をアパートに迎えたことがない。つまり、それほど彼女は用心深く男と会っていたわけだね」
「その相手が佐山というわけですか?」
三原は、心のどこかに不安のようなものを感じながらきいた。
「たぶん佐山だろう。佐山の方も調べたが、これはお時以上にわからない。日ごろから無口な男だったそうで、それに小心だった。自分の情事関係を他人にもらすような性質ではなかったようだ。現にお時と情死しているから、彼女と関係のあったことは確かだね」
主任の断定には、口ぶりに重量感の空《くう》疎《そ》さがあった。それが三原の漠然《ばくぜん》とした不安を大きくした。
「つぎに安田辰郎の情事関係を内偵《ないてい》させたよ」
笠井主任はそう言うと、目を皇居の松の梢《こずえ》に向けた。石垣《いしがき》の上には、警手が一人、小さい姿で立っていた。
三原は主任の顔を凝視した。自分が北海道に出張している間に、見えない流れが渦《うず》巻《ま》いてこの主任の周囲に押し寄せたことを知った。むろん、主任は一個の粒である。捜査《・・》という有機体の中のである。
「これもわからんな」
主任は三原の顔色などかまわずに、ぼそりと言った。
「安田辰郎という男は、一週間に一度は、鎌《かま》倉《くら》の病妻のところへ帰る。だから、他《ほか》の女関係を考えられる可能性があるのだが、はっきりした実証がつかめない。もし、あったとしたら、よっぽど巧妙に外にもらさないでいるのだね。それとも、そう考えるのは、こっちの勘ぐりで、安田は女房《にょうぼう》孝行一《いち》途《ず》の亭主《ていしゅ》かもしれない。じっさい、調査すると、夫婦仲は円満らしいからね」
三原はうなずいた。それは彼も鎌倉に行って、安田の妻に会ったとき感じたことであった。
「どうも、お時といい、佐山といい、安田といい、いや、もし安田に女があったとすればだが、三人とも情事の秘密をずいぶんうまく外部にかくしたものだね」
三原は、その言葉で、どきんとした。いままで、ぼんやりとひろがっていた予感が、急速に一個の形に収縮されてゆくのを感じた。
「主任」
三原は動《どう》悸《き》をおぼえながら叫んだ。
「何かあったのですか」
「あった」
笠井主任は言下に言った。
「課長がね、この情死事件に急に熱心になったのだ」
課長が熱心になったという一句で、三原は、それはもっと上の方から《・・・・・》急に課長に来たのだと直感した。
これは当っていた。主任がそれを話した。
その翌日、三原が外から帰ってくると、笠井主任が三原を呼んだ。
「君。××省の石田部長から申し出があったよ」
主任は机の上に両肘《りょうひじ》を突いて拳《こぶし》を組み合せていた。それは彼が多少困惑しているときの癖であった。
「いや、直接本人が来たのではないがね。事務官がやってきた。ああ、ここに名刺がある」
名刺は、「××省事務官 佐々木喜太《ささききた》郎《ろう》」とあった。三原は、それを一瞥《いちべつ》して主任の話を待った。
「石田部長の申し出というのは、安田辰郎について先日、某氏から問い合せがあったが、これは警視庁からの意向だとわかったので、あらためて直接に届けると言うのだ。彼は確かに一月二十日からの北海道出張のときに自分と同じ列車に乗りあわせていた。もっとも車両は異なっていたが、ときどき、挨拶《あいさつ》にも来たし、顔を合わせた。もし念のため自分以外の証人を求めるなら、小《お》樽《たる》を過ぎたころに、北海道庁の役人で稲村勝三《いなむらかつぞう》という人が自分と同席していたから、その男に照会するがよい。稲村氏とは函館から偶然乗り合せたのだが、安田がつぎの札幌で降りますからと挨拶に来たので、稲村氏にも引き合せたから知っているはずだ。と、まあこういう主旨なのだ」
「ずいぶん、安田のために弁じたものですね」
三原は言った。
「そうもとれるがね。しかし安田の行動を警察が調べているというので協力してくれたのだろう」
主任は微笑していた。その微笑には意味があり、三原にもそれはわかった。
「その石田部長と安田の関係はどうなんですか?」
「役人と出入り商人だからね。たいてい察しはつくよ。ことに石田部長は汚職の中で疑惑の人だ。が、現在のところ石田部長と安田の間には問題になるような線は出ていないね。しかし、安田は××省に最近かなり食い入っているから、部長に盆暮の挨拶は適当にしているだろう。石田部長のわざわざの申し出は、その返礼のつもりかもしれないな」
主任は、組んだままの指を鳴らした。
「しかしね、返礼であっても、言うことが事実なら仕方がないよ。念のために、北海道庁の役人には照会電報を打っておいたが、返事は石田部長の申し出のとおりだろう。つまり、安田が一月二十一日の《まりも》に乗っていたことは、嘘《うそ》ではないということなのだ」
また、安田の《まりも》乗車を証明する目撃者が一つふえた。三原は、うんざりして主任の前を離れた。
ちょうど、午《ひる》すぎであった。三原は庁内の五階食堂にはいった。ここは地方のデパートの食堂ぐらいに広い。窓からの明るい陽射《ひざ》しが溢《あふ》れていた。三原は飯を食う気になれないので、紅茶を運んできて一口すすったが、思いついて手帳をひろげ、鉛筆で書いてみた。
○安田辰郎の北海道行き。
@青函連絡船に彼の自筆の乗船客名簿があった。(17便。函館から《まりも》に連絡する)A石田部長の証言。B北海道庁の役人が小樽をすぎたころに石田部長の紹介で安田に会う。C札幌駅で河西に会う。
三原はこれを見つめて考えこんだ。この四つの章は、四枚の岩盤の重なりのように崩しようがなかった。しかし、これは崩す必要があるのだ。いや、絶対に、崩さなければならないのだ。
二十一日朝七時二十四分博多発の急行《さつま》と、同日二十時三十四分札幌着の急行《まりも》と、どう結んだらよいか? 結ぶ方法は不可能だった。不可能ということは、それがない《・・》ということなのだ。――しかし、しかし、安田辰郎は確実に北海道札幌駅に現われている。
三原は、頭をかかえ、十何度目かの目を表にさらした。すると、彼は、奇妙なことに気がついた。
北海道庁の役人稲村某氏が、安田辰郎に会ったというのは、小樽駅をすぎてからである。安田はそのとき、別の車両から石田部長に別れの挨拶をしに来たというのだが、小樽駅をすぎるまで安田が一度も来なかったのは、少しおかしな話である。
石田部長、稲村氏、安田辰郎の三人は、車両こそ違え、函館から乗車したのだ。ちょいちょい石田部長のところに挨拶に顔を出したという安田を、稲村氏が小樽を過ぎるまで見なかったというのは、どういうわけだろう。
三原は時刻表をとり出した。函館・小樽間は急行でかっきり五時間かかることがわかった。あれほど部長と懇意だった安田が、五時間も知らぬ顔をして別な車両に引っこんでいるわけがない。いや、もう一つ突っこめば、安田はどうして石田部長と同じ車両に乗って、長い退屈な旅行を談笑でまぎらわさなかったのであろうか。一歩ゆずって、それが遠慮から出たことであっても、五時間もの間、寄りつかなかった理由がしれない。
稲村氏は厳正な第三者である。その稲村氏が、小樽をすぎて初めて安田を見たというのは。――
(安田辰郎は、小樽駅から《まりも》に乗車したのではあるまいか?)
三原の頭をこれがかすめた。これなら、稲村氏が小樽を過ぎたころに安田を初めて見たということがわかる。車両が違うということは、安田が小樽駅から乗りこむ姿を見られたくなかった、と解すれば理屈が合う。彼は小樽を列車が発車すると、悠々《ゆうゆう》と石田部長と稲村氏の前に現われ、あたかも函館から乗車していたように稲村氏に思いこませた。――
まだ、厚い霧の中から、三原は前方に薄い明りがさし、ぼんやり物の形が見えたような思いがして、息がはずんだ。
しかし、安田が小樽から乗車することはありえない。なぜなら、そうなると《まりも》より前に函館をたち、小樽に到着していることが絶対に必要である。時間の連絡から考えて、そのことがありえようか。
だが、この小樽駅から乗ったのではあるまいか、という着想は、三原の気持に何か前進を起させた。わけがわからない。今はわからないが、何か奥にひそんでいる、何ものかが、そこにありそうだ。しかも真実の姿で伏せているようだった。
三原は、冷たくなった紅茶にやっと手を出して飲みおえ、食堂を出た。夢でも見ているように、あたりのものがかすみ、無意識のように階段をおりた。
安田はなぜ、小樽駅から《まりも》に乗ったのか、なぜ、小樽から乗らねばならなかったのか、――三原は心の中で繰り返して唄《うた》のようにつぶやいていた。
もし、小樽駅から乗ったとすれば、安田は《まりも》よりも前の汽車を、利用しているはずだ。その前の汽車といえば、函館発の十一時三十九分の《アカシヤ》がある。それ以前は、普通が二本と、六時初発の急行があるが、不可能事はいよいよ拡大するばかりである。
三原は、どうしても安田を二十日の午後九時から十一時の間、九州香椎の情死の現場に立たせなければならなかった。理由はあとで考えればよい。ともかくも安田をその地点にねじふせなければならなかった。すると、博多から北海道の方角に向うには、翌朝の七時二十四分発の東京行上り急行に固定されるのだ。どう考えても、不可能は堂々めぐりしていた。
「翼《はね》でもないかぎり、安田はその時刻に北海道に行けないが」
三原は口の中で思わずつぶやいたが、そのとたんに階段の最後を二段すべった。暗かったのではない。
あっ、と危うく叫ぶところだった。どうして今までこれに気がつかなかったのか。耳が鳴った。
彼は部屋に走るように帰り、おののくような指で時刻表の最後のページを繰った。「日本航空」の時間表であった。念のために、わざわざ一月当時の運行ダイヤを調べた。
福岡8.00  東京12.00(302便)
東京13.00  札幌16.00(503便)
「あったぞ」
三原は、息を大きく吸った。耳鳴りはまだやまなかった。
これだと、安田は九州博多を朝の八時にとび立ち、午後の四時には札幌に到着できるのだ。どうして今まで、旅客機に気がつかなかったのか。汽車だけに観念が固定していたから、七時二十四分博多発の急行《さつま》に取りつかれて身動きできなかったのだ。自分の呆《ぼ》けた頭をなぐりたかった。が、妄念《もうねん》はこれで去った。
三原は日航の事務所に電話をかけた。札幌の千《ち》歳《とせ》空港から市内までのバスの所要時間をきいた。
「約一時間二十分かかります。そこから駅まで徒歩で十分ぐらいです」
という返答を得た。
十六時に一時間三十分を加えると、十七時三十分だ。この時間には安田辰郎は札幌駅に現われることができる。《まりも》の到着時刻二十時三十四分までには、三時間の余裕がある。――彼はそこでどうしていたか。
三原の指は、函館本線の上りを捜索した。
十七時四十分札幌発の普通列車がある。指を下にすべらすと、これが小樽に十八時四十四分に到着する。
こんどは同じ線の下りを見る。十四時五十分函館を出た急行《まりも》は、小樽に十九時五十一分に着くではないか。その間一時間七分の幅がある。安田は小樽駅でゆっくりと待って《まりも》の客になることができるのだ。彼の乗った列車は、ふたたび札幌の方へ逆戻《ぎゃくもどり》する。稲村氏にはその直後に顔を見せたに違いない。
安田辰郎が、小樽をすぎてからはじめて稲村氏に姿を見せた理由はこれでわかった。彼は札幌で三時間をむだに費やしはしなかった。空港からのバスを終点で降りると、駅まで大《おお》股《また》で歩き、十分後に発車する小樽までの普通列車に駆けこんだのだ。
札幌では十分、小樽では一時間、この僅少《きんしょう》な時間を最大に利用したのだ。それは、彼の東京駅での四分間の見通しの利用を連想するのだ。ああ、安田辰郎という人物は時間の天才だ、と三原は驚嘆した。
三原は、笠井主任の机に歩いてゆき、時刻表を見せていっさいを説明した。話しながらも彼の声はまだたかぶってふるえていた。
「やったね、君!」
主任は聞きおわると、三原の顔を正面から直射するように見た。彼の目にも怒りに似たような興奮があらわれていた。
「やったな、よくやった」
咽喉《のど》の奥から自然にもれるように二度もつぶやいた。
「これで、安田のアリバイは崩れたね。あ、アリバイといっては、おかしいかね?」
しばらくして主任は言った。
「いや、おかしくありません。安田が情死の時間に現場にいるはずがないという条件は、これで消えたのですから」
三原は主張した。じっさいにそれは信念だった。
「いるはずがない、という条件が消えれば」と主任は、机の端を指でこつこつと叩《たた》いた。
「いたかもしれぬという条件が起るのか?」
「そうです」
三原は、昂然《こうぜん》と答えた。
「こんどは、その理論を君が証明する番だね」
主任は言ってから、三原の顔をふたたび凝視した。
「今、ここではできません。もう少し時間をください」
三原は苦しい顔になった。
「まだわからないところが、たくさんあるというのだろう?」
「そうです」
「たとえば、安田のアリバイの崩壊にしても、まだ完全ではないね」
主任は微妙な表情になった。三原はすぐそれを理解した。
「石田部長のことでしょう?」
「うむ」
主任の目と、三原の目とは宙で一線に衝突した。何秒かのたがいの凝視であった。が、先にそれをはずしたのは主任の方だった。
「石田部長の方はいい。それは僕《ぼく》がやる」
主任は言った。重大なことを複雑に包んだ言い方であった。三原は容易に解した。
そのことを言葉に出して話すのは今でなくともよい。もっと後でできる。二人の間の空気はそう語っていた。
「それは別としても、まだ崩せぬ山があるぞ。乗船客名簿はどうする? これは人間のいい加減な証言ではない。ぜったいの物的な反証だからな」
そうだ。それを見たからこそ、函館の駅で三原は打ちのめされたような惨敗《ざんぱい》を知ったのだ。だが、ふしぎに今はその敗北感がなかった。なるほど、その堅固な壁はまだ崩れない。しかし、前に感じたほどの威圧感はなかった。
「それも破ってお見せします」
三原が言うと、主任ははじめて笑った。
「元気がいいね、北海道の出張から帰って来たときとはまるで違うな。よろしい、頼むよ」
三原が机の前から離れようとすると、主任は手を少し上げて引きとめた。
「ね、君。石田部長は念を入れすぎて、とんだボロの端を引きださせたね」
安田のたくらんだ《まりも》の設定はこれで打破したと三原は思った。つぎにはこれを証明しなければならぬ。彼はその方法を紙に心おぼえをした。
――日航の事務所にきいて、一月二十一日の福岡発の八時の便を予約し、さらに東京から札幌までの十三時発の乗りつぎを予約した者の名前を知ること。
これを考えて三原は(待てよ)と思った。安田は二十日の上野発十九時十五分の《十和田》で青森に出発したと言っているから、彼はかならず二十日の午後までは東京にいたに違いない。あとから調査されることを予想している彼のことだから、二十日をまるで東京を留守にしているような不用意をするはずがない。事務所かどこかにかならず顔を見せているであろう。すると二十日の午後から汽車で博多に行ったのでは香椎の現場に間にあわないから、これも飛行機を利用したに違いない。――三原は日航の時刻表をまた調べた。東京発十五時、福岡着十九時二十分という最終便があった。羽田まで車で飛ばせば三十分で行ける。安田がよそをまわって上野駅に行くからといって、二時すぎに事務所かどこかを出て行っても少しもおかしくはないのだ。
そこで、安田が利用したと思われる飛行機と汽車と、その推定行動を書いてみた。
20日 15.00 羽田発  19.20 福岡板付《いたづけ》着
(この間、香椎に行き、福岡市内に一泊したと思われる)
21日 8.00 板付発  12.00 羽田着
13.00 羽田発  16.00 札幌千歳着
17.40 札幌発(普通列車)  18.44 小樽着
19.57 小樽発(まりも)  20.34 札幌着
(札幌駅待合室にて、河西と会う)
21日、22日、23日市内丸惣旅館に宿泊、帰京。
(できた)
と三原は思った。何度もこれを見なおしているうちに、ふと一つの疑点が浮んだ。
(なぜ、安田は河西に、札幌駅の待合室で待っているように電報で命じたのであろうか?)
安田は、小樽から《まりも》に乗ったのであるから、ホームに河西を出迎えさせておいた方が、確実に自分が列車から降りたところを彼に見せつけて、効果はより有力なはずである。が、それをきらうかのように、わざわざ待合室を指定した理由はなんだろう。
安田ほどの周到な男だから、何かの理由があったに違いない。それはなんだろう。三原はいろいろと考えたが、どうしてもわからなかった。
まあ、いい、それは後まわしとしようと思った。そこでこの行動を証明する方法だが、
@日航に当日の名簿を調べること。――それに付随して、安田を羽田まで運んだ自動《タク》車《シー》、板付から福岡市内、千《ち》歳《とせ》から札幌市内に安田が乗ったバスか自動車を調べることだが、これは日時が相当たっているので困難であろう。
A福岡市内に安田が宿泊した旅館の捜査。
B札幌から小樽までの普通列車内で安田を見た者。小樽では《まりも》が到着するまで一時間の待ち合せ時間があるので、この間安田を目撃した者。
証明の方法はだいたいこんなことであろうと思った。このうちBはもっとも期待が持てない。なんといっても、キメ手は@とAであった。
三原は支度をすると警視庁を出た。外はあいかわらず明るい。銀座も人の歩きが多かった。もう陽《ひ》が強いので、人の顔が真白であった。
日航の事務所にはいって、国内線の旅客係に三原は会った。
「一月の旅客者名簿というのが残っていますか?」
「今年の一月ですね。ございます。一年間、保存していますから」
「一月二十日の三〇五便を福岡まで予約し、二十一日の三〇二便を東京まで、さらに東京から五〇三便を予約した人の名前を知りたいのですが」
「同じ人ですか」
「そうです」
「ずいぶん、いそがしい人ですね。そういう例は少ないですから、すぐわかります」
係りは旅客者名簿《パッセンジャア・リスト》というのを持ち出し、一月二十日のところを開いた。この便は大阪に寄るが、福岡までの乗客は四十三名であった。二十一日、福岡からその便で羽田に来た客は四十一人、羽田から十三時で札幌に行った客は五十九人であった。この三つの旅客者名簿の中には、安田辰郎の名前はなく、また同一名の重複はなかった。
安田は、むろん偽名して乗ったであろうからないのは当然として、三つの旅客機の乗客の中に、同じ名前が見あたらぬので三原は愕《がく》然《ぜん》とした。総計百四十三名の名前はことごとく違っていた。
そんなはずはないのだ。
「乗客の申し込みは当日では乗れないでしょうね?」
「前日でも困難です。三四日前に予約していただかないと、指定の機には乗れません」
安田にとっては、東京・福岡の二十日の三〇五便、福岡・東京の二十一日の三〇二便、東京・札幌の五〇三便というのは絶対であった。これが狂うと、彼はその日の《まりも》に乗れなくなるのだ。この三つの飛行便の確保は、かならず一人で三四日前に予約したに違いないのだ。偽名でも、当然に三つの旅客者名簿に同じ名前がなければならない。それが丹念に調べてみてもないのである。
「どうもありがとう。しかし、これを二三日貸してください」
三原は名刺に預り証を書き、名簿を借りた。彼は外に出た。すっかり憂鬱《ゆううつ》になっていた。来るときの元気はなかった。有楽町まで来て、三原はなじみの喫茶店に寄りコーヒーをのんだ。飲みながらも、思考は彼にまつわりついていた。わからない。そんなはずはない、そんなはずはないといつまでも繰り返していた。
喫茶店を出ると彼は警視庁の方へ歩いて行った。日比谷《ひびや》の交差点では赤信号が出ていて、長々と待たされた。目の前を自動車の流れがはしってゆく。なかなか信号が青にならなかった。
いろいろな型の自動車が走ってゆく。三原は興味のないその流れを見てぼんやりしていた。退屈だから頭脳の思考が働いたのかもしれなかった。彼は口の中で、あっとつぶやいた。
なんといううかつさだろう。名前は一人《・・》の必要はなかったのだ。べつべつな名前で予約を申しこんでもよいではないか。安田は自分で日航事務所に行かずに、べつべつな人間を使いにして申しこんだであろう。Aの名で福岡に行き、Bで翌朝福岡から東京につき、Cで札幌行きの機に乗りかえる。羽田では一時間の余裕があるから、それは悠々《ゆうゆう》とできるのだ。
乗った人間が一人だから、一つの名前で通したと思いこんでいたのが錯覚であった。どうして早くこれに気がつかなかったのか。三原は人目がなかったら、自分の頭を拳《こぶし》でなぐりたかった。どうも頭が硬化しているぞと思った。
信号は青になった。三原は歩きだした。
(そうすると、少なくとも三つの偽名がこのリストの中にある。それが安田辰郎の分身なのだ。よし、このリストの中の名前を一つ一つ当ってみよう。かならず名前も住所も架空のものが出てくるはずだ)
三原は歩きながら目をあげた。はじめて勝利の攻撃路が見えた。
三原は帰って主任に話すと、主任はすぐその意見に賛成した。
「よろしい。みんなで百四十三人だね」
主任は名簿を見て言った。
「都内が半分以上だね。あとは住所が地方になっている。都内の方は刑事たちに手分けさせて当らせよう。地方はそれぞれの所轄署《しょかつしょ》に調査を依頼する」
その手はずはすぐに実行に移った。刑事たちは自分の分担の名前をリストから手帳に控えた。
「ああ、電話のある事務所や自宅は電話で問い合せてもいいよ。確かに本人がその飛行機に乗ったかどうかを念を押してきくのだ」
主任はその後で、三原を見て言った。
「しかし、これが割れても、まだまだ難物があるな」
「船の方の乗客名簿ですね」
この壁はがんこにふさいでいた。びくともしないでいる。三原の攻撃をがっちりと受け止めて仁《に》王《おう》立《だ》ちになっているようであった。
が、三原の頭には一つの暗示がかすめてすぎた。飛行機と船と、妙に名簿がまたがっているではないか。両方に名簿という相似がある。これはまたしても錯覚であろうか。共通点というところに観念が引っかかって錯誤に誘いこまれる危険はないか。
三原が変な顔をして黙ったので、主任が、
「どうした?」
と言った。
「あの方はどうですか?」
三原は逆に別なことをきいた。
「うむ。じつは昨日、検事さんに呼ばれた」
主任は低い声で言った。
「捜査が困難になっている。なんといっても、佐山の情死が障害になったのだ。課長補佐というのはね、まったく実務のベテランだね。部長も課長も実務はこういう人たちにまかせきっている。まかせているというよりもわからないんだね。彼らはとんとん拍子《びょうし》に出世の階段を上ってゆく。実務に通じる間がないのだ。そこへもってゆくと、課長補佐というのは長年その仕事をやっているからあらゆることにくわしい。まあ、年季を入れた職人のようなものだ。そのかわり、出世は頭打ちだがね。後輩の大学出の有資格者が自分を追い越してゆくのを見ているだけだ。本人もあきらめている。内心の憤懣《ふんまん》はあろうが、そんなことをいちいち顔に出しては役所勤めはできない」
主任は刑事が運んできた茶をのんだ。
「しかし、一度、上の方から目をかけられると、そんな人たちは感激するね。今まで諦《あきら》めていた世界に希望の光明がさすのだ。将来の出世が望めそうなのだ。だから、その上役のためには犬《けん》馬《ば》の労をつくそうと思う。ところでその上役の方ではどうだろう。じっさいに、下僚の熟練を買って引き上げようとするだけなら立派だがね。利用する下心から目をかけてやるとしたら、罠《わな》にかけるようなものだ。いくらえらくても、熟練の実務者を抱きこまねば仕事ができない。そこでたいそう目をかけてやるわけだ。命令だけではできないことだからね。実務者の方も、それを承知で、自分の保身というよりも出世のために、いつか上役の意を迎えて協力することになる。それが人情だろう。人情といえば、ああいう役所はずいぶん、人情がからみあっている」
主任は机の上に肘《ひじ》をついた。
「こんどの事件もね、あらゆる線が佐山課長補佐に集中している。それほど佐山という男は優秀な実務者だったのだ。検事さんが悔んでいるのは彼の情死だ。彼の死によって捜査が非常に困難になり遮断《しゃだん》されている。逆にいえば、佐山は上役のあらゆる糸を握っていたのだ。いわば鍵《かぎ》であった。それが死んだのだから、検事さんは口惜《くや》しがっている。捜査が進めば進むほど、この障害の口が大きく開いてくる。そのかわり上役は身の安泰を笑っていられる」
「石田部長も笑っている一人ですか」
三原が言った。
「一番大笑いしているに違いないね。なにしろ課長補佐というのは義理人情家とみえて、一省の危急存亡を背負ったつもりでよく死んでくれる。大きな汚職事件で自殺する者は、かならず課長補佐クラスだ」
「すると、佐山の死も――」
「今までは、たいてい一人で自殺している。佐山のは女が道づれだ。ちょっと変って、妙な色気があるね」
主任は、そう言ったきり、ぷつりと黙った。主任が何を考えているのか三原にはよくわかった。わかっていながら彼は何もこたえなかった。彼は、検事も、捜査課長も、この主任も、自分の方向を支持してくれていることをはっきりと知った。勇気が出てきた――。
三原は、その日、佐山とお時との情死の一件書類をひっぱりだし、あらためて検討した。現場報告書も、死体検案書も、現場写真も、参考人調書も詳細に調べた。一字一字に注意した。男も女も青酸カリ入りのジュースを飲んで、抱きあうような姿勢で死んでいる。今まで何十度となく目をさらしたとおりであった。新しい発見は少しもなかった。
この二人の出発を、わざわざ第三者に目撃させた安田辰郎の位置を、三原はいま創造しようとしていた。
――旅客機の乗客の身もとの調査が完全におわったのは、三日の後であった。
偽名は一人もなかった《・・・・・・・・・・》。三つの飛行機の乗客のことごとくが旅客者名簿のとおり実在していた。
「たしかに私はその飛行機に乗りました。間違いはありません」
百四十三人、異口同音に返事していた。
三原は目をむいて驚愕《きょうがく》した。彼はふたたび、頭をかかえて懊悩《おうのう》した。
十二 鳥飼重太郎の手紙
三原警部補殿
鳥飼重太郎拝
長い間、御無沙汰《ごぶさた》いたしました。初めて博《はか》多《た》でお目にかかって以来、三カ月たちましたが、生来の筆不精《ふでぶしょう》のため失礼いたしております。今回、思いがけなく長文の御芳簡をいただき、まことにありがとうございました。小生の失礼をおわび申しあげるとともに、御芳情を厚く御礼申しあげます。
早いもので、はじめてお目にかかったときは、まだ玄界灘《げんかいなだ》の寒風が吹く早春でしたが、ただいまではもう五月の半ば、陽《ひ》ざしの中を歩くと汗ばんでまいります。当地名物のどん《・・》たく《・・》祭は、この月のはじめに例年のごとくにぎやかにおこなわれましたが、これが過ぎると当地では夏の来る前ぶれとなります。ついでながら、お暇のときはぜひ一度、博《はか》多《た》どんたくを御見物においでくださるようおすすめ申しあげます。
とはいえ、御芳書によりますと、あいかわらず困難な事件と四つになってお取り組みの御様子、小生老来の怠惰を慚《ざん》愧《き》するとともに、御精励の御活動にたいして羨望《せんぼう》の念を禁じえません。小生今少し若かりせばと田舎住みの老体の身をかえりみて、いささか憮《ぶ》然《ぜん》としております。いや、これはとんだ繰り言を申しあげました。
思えば、この一月二十一日の朝、香《か》椎《しい》の海岸で発見された男女の情死事件について、小生が署の諸先輩の冷視の中を些少《さしょう》の調査にかかりましたが、それが尊台《そんだい》のお手にかかって思いもよらぬ大事件の暴露になりそうなことをうけたまわりまして、感慨とも欣快《きんかい》ともつかぬ衝撃を感じております。詳細にその後の推移をお教えくださいましてありがとうぞんじました。
さて、事件について種々と御苦労の御様子、いちいち御文面を拝読しながら推察申しあげました。何か小生によき知恵があれば申しのべよとのお申しこしですが、小生ごとき老衰した頭脳にこれぞと思う気の利《き》いた知恵が浮ぶはずはなく、ただただ御熱心ぶりに敬意を表する次第でございます。
申すまでもなく、捜査官の信念はぜったいに事件を放棄しない押しのがんばりでございます。こんなことを申しますと、何を老人がわかりきったことをと、にがにがしくおぼしめすかわかりませんが御懇情にあまえて、あえて年寄りのいらざる差出口を許していただきとうぞんじます。
小生も警察勤め二十年、長い間、取りあつかった事件もわれながらおどろくほど、たくさんな数になっております。おかげで無事に勤めてまいりましたが、反面、未解決の事件もけっして少なくはございません。捜査の反省と申しますか、今から考えますと、あの事件はこうすればよかった、ああすればよかったと思うことが少なくはございません。それがことごとく押しのたらなかったことに帰結するのでございます。もう一押しして突っこめば、あの事件は解決したろうにとくやまれるのでございます。それが、ほんの些少なところで押しが不足しているのでございます。
今でも忘れられない一例を申し上げますと、二十年前当福岡の郊外の平《ひら》尾《お》という所で老《ろう》婆《ば》の腐《ふ》爛《らん》死体が発見されました。咽喉《いんこう》に索条溝《さくじょうこう》があるので絞殺死体と判明しましたが、発見が五月ごろでございました。警察医の鑑定では三カ月以上経過しているとのことでした。というのは死体は綿入れのチャンチャンコを着た冬支度だったからでもございます。ところが一番怪しいと思う容疑者に小生が目をつけましたが、その者は四月のはじめに台湾から被害者の家の近くに移転して来たものです。つまり、綿入れのチャンチャンコを必要とする一月、二月、三月はじめという寒い時期には容疑者は台湾にいたのでございます。(被害者は山中の一軒家に住んでいて、日ごろから近所の交際がなく、二月に殺されたとしても、その後の姿を見た者がないので、殺害時日は不自然ではなかったのです)小生は目星をつけた台湾帰りの人間がどうも犯人のように思えたのですが、死亡が三カ月以前であったことと、容疑者が一カ月前に移転してきたことの食い違いのために、ついにあげる決心がつかず、事件は未解決におわりました。
今から考えると、その警察医は、どうも死亡時期の幅をひろげる癖があったようです。古い死体となると、鑑定はむずかしいらしく、人によって長く言う者と短く言う者とがあります。今の言葉で言えば、その癖を個人誤差というのでしょうか、その医者は長く鑑定する方でした。それに綿入れの袖《そで》無《な》しを着ていたこともその鑑定の材料になったようです。
今でも、ふと、思うのですが、四月の初めでも寒い日があります。これも新しい言葉でいえば、寒冷前線が通過した日には気候はずれの寒さになります。老婆は殺された日、あまり肌寒《はださむ》いので、いったんしまいこんだ綿入れの袖無しを行《こう》李《り》の中から引っぱりだして着たかもしれない。老人にはよくある癖です。すれば、綿入れを着ていたからといって何も冬とはかぎらないのです。四月でもいっこうかまわないのです。つまり、小生の容疑者の犯行が成立するわけでございます。
が、こう考えついたのはあとの祭、二十年前に考えおよばなかったのを後悔するばかりでございます。あのとき、もう少し押してみればその知恵も出たのでしょうが、警察医の鑑定と、綿入れの袖無しにひっかかって、あっさり見のがしてしまいました。
これは、ただの一例だけを思いついたまま申しあげただけでございます。同じような後悔がほかにもたくさんございます。
要するに、どのような点からも、この男の犯行に間違いないと信じたら、二押しも三押しもすることでございます。それから人間には先入主観が気づかぬうちに働きまして、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがあります。これがこわいのです。この慢性になった常識が盲点をつくることがたびたびございます。きまりきった常識でも、捜査の上ではいちおう御破算にして検討すべきだと思います。
いつぞや尊台から、安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》なる人物が、東京駅で情死行の佐山とお時とを第三者に目撃させたというお話は、たいへん興味深くぞんじました。お説のように、たしかに安田という男は、この情死に重要な関係をもっているように思われます。いや、御想像のように、香椎の現場に彼はその当夜、たしかに何かの役を演じて居合せたと思われます。
それにつけても思いだすのは、心中の当夜、つまり一月二十日の夜、国鉄香椎駅から下車した二組の男女が、一組が佐山とお時とであり、一組が安田とある婦人ではなかったかという想像であります。この二組はほとんど同時刻に下車して現場の海岸の方に向っております。
すると疑問なのは、安田の連れの婦人がどのような役割をしたかと言うことです。裏返していうと、安田が情死の両人にある作為をもって立ちあったとすると、それにはある婦人が必要だったということになります。つまり安田とその婦人が一体とならなければ、安田の企《たくら》む工作はできなかったと言えそうです。
それはいったいなんなのか。小生は御芳書をいただいて、もう一度あの香椎の海岸にまいりました。時間もちょうど夜をえらびました。あのときと違い、今はここちよい涼風が吹いています。それに誘われてか、アベックの影が幾組か散歩していました。町の灯《ひ》は遠く、男女の組はただ黒い影だけでございます。若い人にとっては、いたって好都合な場所です。いや、これは年寄りがいのない言い方をしましたが、言いたいのは、佐山とお時、安田とその婦人の二組も、一月二十日の夜、こうして黒い影となって、この辺を歩いていたということです。それから、この二組の間隔は、六七メートルも離れると、たがいの存在がわからないほど暗かったということです。残念なことに、小生にはこれくらいのことしかまだ申しあげられません。もやもやとした感じは持っておりますが。
つぎに、おたずねの二十日の夜、安田が宿泊した旅館のことですが、いろいろと手をつくしましたが、なにぶん以前のことではあるし、宿帳には偽名が多く、また、まったく記帳を出さないふとどきな旅館もあるので、現在のところ手がかりがありません。今後も調べてみますが、まず絶望に近いと思います。
これは、小生の思いつきですが、佐山の宿に電話をかけて二十日の夜、彼を呼び出した女の声の主は、今までお時とばかり思いこんでいましたが、もしや安田の連れの婦人ではなかったでしょうか。むろん、これは根拠はありません。ただの思いつきですが、しかし、安田が佐山と連絡して「菅原《すがわら》」という佐山の宿での偽名を承知していれば、その婦人に「菅原さんを呼んでください」と電話で言わせるくらいなんでもありません。お時でなくてもいいわけです。
この論法で一歩すすめますと、佐山が博多の旅館で一週間も待っていたのは、心中相手のお時ではなく、あんがい、その謎《なぞ》の婦人ではなかったかと思います。そうすると、お説のように、お時は佐山と博多まで同行せずに、熱《あた》海《み》か静岡で途中下車したわけがわかります。つまり、お時の役は東京駅から途中まで佐山と同車するだけだったと考えられないでしょうか。こう考えると、安田が第三者に、佐山とお時とが同じ汽車に乗るのを目撃させた理由につながりそうです。安田は、情死した両人が仲よく揃《そろ》って東京を出発するところを見せたかったのではないでしょうか。なぜか。これにはべつだん、裏づけになる根拠もないことですから、小生も今少し考えてみたいと思います。
もし、この推測があたっているとすると、熱海か静岡に下車したお時は、二十日の夜、九州香椎の海岸で情死するまで、どこにいたか、という問題になります。これが突きとめられれば、この推測の根拠は出てくるわけであります。お時が佐山と博多まで同行しなかったということは、佐山の死体のポケットから出てきた「御一人様」の列車食堂伝票で十分に立証されると思います。これは尊台が御来福の折、小生が愚考をくわしく申しあげたとおりでございます。
御文面のように、安田辰郎が二十日の夜、香椎の海岸の情死現場にいたことを絶対の条件にすると、二十一日に《まりも》で札幌《さっぽろ》に着くわけがありません。さりとて飛行機にも乗った形跡がないというのは、どこかに常識的な見のがしがあるのではないかと案じております。小生のいう「綿入れの袖無し」でございます。どうかもう一度、一押しも二押しもしてくださるようお願い申しあげます。
久しぶりに御芳簡をちょうだいしたうれしさに、とりとめのないことを長々と書きまして恐縮でございます。それに老いの繰り言めいたこともまぜて書いたようでおはずかしいしだいです。俊鋭の尊台と違い、小生はおいぼれの駑馬《どば》で、とるに足らぬ愚見を長々と申しあげて汗顔《かんがん》のいたりでございます。御憫笑《ごびんしょう》ください。なお、福岡方面のことで、小生でも役に立つようなことがございましたら、いつでも御用をおおせつけ願います。できうるかぎり御協力いたします。
御努力によって、この困難な事件が一日も早く解決するようお祈り申しあげております。そのうえでお体がお暇になりましたら、ぜひ九州にお遊びにおいでくださるようお願いいたします。
敬具
三原は疲労していた。囲まれた壁の中に彼はいた。どの壁面も打ち破ることができない。
鳥飼重太郎の長い手紙をポケットに入れたまま、彼は警視庁を出ると、いつもの店にコーヒーを飲みに行った。
昼すぎで、店の中は客で一ぱいだった。席を探していると、女の子が、
「こちらへどうぞ」
と誘った。若い女が、ぽつんと一人ですわって紅茶を飲んでいた。そのテーブルの前だけが空《あ》いていた。知らない女客の前に相客となるのは、なんとなく具合が悪い。三原は椅《い》子《す》に半分尻《しり》をすえたまま、落ちつかない気持でコーヒーを飲んでいた。自分ながら浮かない顔を意識した。
鳥飼重太郎の手紙は、憂鬱《ゆううつ》な彼の心に一つの弾みをつけたことは確かである。しかし、それがまだ勇気とまでは行かない。示唆《しさ》はあったが、抽象的に過ぎた。
なるほど、二十日の夜、二つの香椎駅で降りた二組の男女から帰納して、新しく謎《なぞ》の女を出した着想はおもしろい。しかし、それには鳥飼自身のいうように、なんの実証もないのだ。この二組の男女は、偶然に同じ時間に違った駅で降りたというだけで、まったく関係がないかもしれないのだ。あるいは国鉄香椎駅で降りた佐山とお時とが、西鉄香椎駅を歩いてすぎたころ、べつべつの人間によって目撃されたかもしれないのである。二つの駅の距離は鳥飼自身が足ではかったことであり、その可能性は十分にあった。
安田が情死の現場にいあわせて、なんらかの役割を演じたことは、もう間違いないと思えるが、そこに新しく一人の女を付加することは、少しとっぴすぎるように思える。安田の役は複数では困難のような気がする。それが何か《・・》はっきりは知れない。が、ぼんやりとわかるような予想はあった。
だから、佐山の宿に電話をかけた女の声がお時でないという鳥飼説も、二つの香椎駅の四人の男女を、佐山とお時、安田とXの女と想定したあやふやな仮説の上に立つのだ。
それよりも、三原は、安田が東京駅で佐山とお時とを第三者に目撃させたのは、両人の恋愛関係を他人に確認させる目的だったという文句の方に興味があった。なんのために確認させる必要があったか――つまり、それは、佐山とお時との間は、じっさいは恋愛関係がなかったという意味である。ないからこそ、第三者にその関係を印象づけるよう、両人が仲よく同じ汽車に乗りこむところを目撃させたのだ。だが、その《あさかぜ》号列車の終着駅博多の近郊で両人は情死した。どのような点からみても、それが情死であることに疑問はない。ここに矛盾があった。恋愛関係のない者がどうして情死するか。この矛盾の中に安田辰郎の影がちらちらと動くのである。
疑問は、お時がどういう理由で、熱海か静岡かで途中下車したか、ということも一つあるが、これとても決定的ではなかった。要するに鳥飼老刑事が、列車食堂の「御一人様」の伝票から割り出したことなのだ。鳥飼のは、男女の心理の機微から出発したおもしろい説なのだが、これも裏づけがあるわけではなかった。あくまでも臆測《おくそく》の域の中にあった。老刑事のカンは鋭いが、同時に弱点がここにあった。熱海か静岡で降りたお時の行動を調べよというが、今になってその捜査は困難だし、調べること自体が無意味かもわからないのだ。――
三原が渋い顔をしてコーヒーを飲みながら、ここまで考えたとき、急に傍《そば》に人影がさしたかと思うと、前の席の若い女の横に青年がならんですわった。
「やあ、遅くなりました」
と青年は女に言った。今までしおれていた若い女は、にわかに生き返ったように顔を輝かした。
「何を召しあがる?」
女はいきいきと青年の横顔をのぞいた。
「コーヒー」
と、これは給仕に注文しておいて、青年は女に微笑しながらきいた。
「ずいぶん、待った?」
「そう、四十分ぐらい。コーヒーだけでは間がもてなくて、紅茶をいただいたわ」
「すみませんでした」
と、青年はわびた。
「バスがなかなか来なくてね。あの路線のバスは時間が正確でないから困るんです。二十分ぐらいは平気で遅れるんですからね」
「バスのせいになさるんでしたら仕方がありませんわ」
若い女は、それでも、うれしそうに言ってしなやかな腕をあげて時計を見た。
「もうはじまっていますわよ。さあ、大急ぎでコーヒーを召しあがれ」
三原はこの会話をぼんやりと聞いた。ありふれた若い男女のやりとりである。三原が煙《たば》草《こ》に火をつけている間に、青年はせっかく運ばれてきたコーヒーを一口すすっただけで、女友だちをうながして席を立った。
三原はすわりなおして、腰を落ちつけた。前の客がのこした茶碗《ちゃわん》は片づけずに置いたままである。一つの茶碗には黒い液体がいっぱいに残っている。
(定期のバスが時間どおりに来ないとは、よっぽど不便な郊外にいる男らしい)
今の思考には関係のない、そんなことをむだに考えた。
しかし、むだではなかった。三原は、はっとした。突然に、ある考えが閃《ひらめ》いたのだ。
(安田が札幌の河西を駅のホームに迎えに来させずに、とくに待合室を電報で指定したのは、万一、飛行機が天候の加減で延着する場合を考慮したからだ!)
三原は壁の油絵に目をすえたまま、すくんだようにしばらくじっとしていた。
――安田としては、じっさい、《まりも》で到着するのだから、河西をホームに来させるのが効果的である。それをさせなかったのは、飛行機には、天候や機材の関係で二時間も三時間も遅れることがあるからだ。それだけ遅れたら、彼は札幌駅から小《お》樽《たる》に逆行し、そこで《まりも》をキャッチするというような芸当は不可能になる。《まりも》に乗れなかったらホームに迎えに出た河西にわざわざその汽車で来なかったことを証明するようなものだ。
思慮深い安田は、その辺まで計算に入れて「待合室で待て」という電報を打ったに違いない。
三原の目は喜びに燃えた。
(やった!)
と思った。安田の小細工が、かえって、彼自身が飛行機を利用したことを証明したようなものではないか!
三原は、興奮して外に出た。外の陽《ひ》が強烈に明るい。
待てよ、と三原は思った。安田はその電報をどこから打ったのであろう?
三原は、とにかく、安田の北海道行きを叩《たた》くのが先決だと思った。
安田の北海道旅行は、いかにも、後から調べられることを予想したような手が歴々《ありあり》と打ってあった。《まりも》の車内で北海道庁の役人と会ったのもそうだが、一番いちじるしいのは、河西を札幌駅に出迎えさせたことだ。河西にきくと、それは駅に呼びつけるほどの急用ではなかったというのだ。それでは、問題の電報はどこから打ったか。三原が札幌できいたとき、河西はその電報を破ってしまって手もとにないということだった。発信局名も、うっかりして見なかったという。
安田は二十一日の朝、福岡を飛行機で出発した。それでは福岡局か博多局か、板付《いたづけ》の空港から打ったのか、いやいや、そうではあるまい。用心深い安田のことだから、万一、発信局を河西に読まれた場合を想定して、東京から打ったであろう。それなら、羽田に飛行機が着いて、札幌行に乗りかえるまで、一時間の待ち合せ時間があるから、その間を利用して打ったのであろうか。
だが、これは意味がなかった。なんとなれば、羽田に着けば、札幌行が確実に定時に出ることがわかったはずだからである。定時にとべば、間違いなく札幌から逆行して《まりも》に乗れるのだから、待合室に待たせる理由がなくなる。何度も言うとおり、河西をホームに出して、自分の姿が《まりも》から降りるところを見せるのが、より効果的なのだ。
ここで三原は手帳をひろげてみた。彼のメモしたところによると、河西の言葉として、「その電報は、普通電報で、たしか二十一日の十一時ごろに受け取ったと思います」とある。
二十一日の十一時ごろというと、東京・札幌間が普通で配達まで二時間を要するとして、朝の九時ごろに打ったことになる。その時刻は、安田は板付を発した飛行機の中だ。おそらく広島県か岡山県の上空を飛んでいるころであろう。安田自身が東京から打つことはありえない。
それなら福岡にしてはどうか。福岡・札幌間もだいたい二時間少々とみてよいから、安田が板付発八時前に打ったとしたら、およそ河西の手に十一時ごろ配達されるという時間は合うのだ。
(それでは、やっぱり福岡から安田は打電したのだろうか?)
発信局がわかるから、安田がそんな不用心なことはしないだろうと思うが、三原はいちおう福岡署に連絡して、二十一日の市内の受付電報を調べてもらうことにした。
三原は警視庁に帰ると、主任に自分の考えを申し出た。
「そりゃ、いいところに気がついたね」
と、主任は目もとを笑わして言った。
「なるほど、河西を待合室に待たせた理由はそれでわかった。福岡署にはそのように依頼しよう。しかし、東京から安田自身が打たなくても、誰《だれ》か、依頼をうけた代人が打つ、ということもありうるぜ」
「そりゃそうです」
と、三原は答えた。
「それを今、言おうとしたところです。ですから、都内の電報局も調べたいと思います」
「よかろう」
そのあとで、主任は茶をすすりながら笑った。
「君は、外にコーヒーを飲みに行っては、ときどき妙案を持って帰るね」
「外のコーヒーが性《しょう》に合ってるんでしょうね」
三原も気が軽くなって言った。
「しかし、東京からその電報を打ったことがわかってもなんにもならないね、あたり前の話だから。これが福岡から打ったとなると、安田がその朝、福岡にいたことが証明できるので、しめたものだがね」
「いや」
と三原はさえぎった。
「東京から打ったとしてもおもしろいのですよ。その時間に安田が自身で打てるはずはないから、誰か代人を頼んでいるはずです。私は、その代人が知りたいのですよ」
「安田が使っている事務員かもしれないよ」
「それは、ありえないでしょう」
「どうしてだ?」
「安田が札幌に行くといって出発したのは、二十日の午後二時ごろですからね。その日に打つならわかるが、翌二十一日の九時ごろに打ってくれと注文したら、変に思われますよ。安田という男の性格として、些《さ》細《さい》なことまで注意深いですからね。それに彼は、自分があとで調べられることを十分に警戒していますよ」
問答はそれでおわった。
しかし、二三日たっての結果は、都内のどの電報局も当日、そんな電報を受けつけたことがないことが、調べにあたった刑事たちから報告された。
福岡署からの回答も同様であった。福岡、博多両電報局とも受けつけていなかった。
三原は、ぽかんとなった。
(発信しない電報が届くはずがない。奴《やつ》、どこから打ったのだろう?)
三原は、自分の頭をまたなぐった。
(おれは、なんといううかつだろう。受信局を調べたらわけはなかったのだ)
どうもこの事件では、頭脳が硬化してしまったようだ。
三原はさっそく、札幌署に調査を依頼した。
その返事は翌日にはいった。
「その電報は一月二十一日八時五十分、青森県浅虫《あさむし》駅より発信された」
東京でも福岡でもなかった。とんでもない、青森県浅虫温泉からだった。急行で行けば終点青森駅の一つ手前の停車駅である。
三原は意外だった。
が、よく考えると意外でもなんでもない。東京から北海道へ行く道順ではないか。彼は、八時五十分という発信時刻に注意した。時刻表を調べると、まさに上野発急行《十和田》が浅虫駅を発車したばかりなのだ。
(車掌が、乗客から車内で依頼を受けた電報だ)
三原は直感した。
二十一日の朝、浅虫を過ぎる《十和田》といえば、安田が乗車したと主張している列車ではないか。これが青函《せいかん》連絡船17便によって函館から《まりも》に接続するのだ。
(ああ、それではやっぱり安田は、主張のとおり《十和田》に乗っていたのか!)
わけがわからなくなった。調べれば調べるほど、安田の主張を裏づけることばかり出てくる。
三原が頭をかかえていると、主任が言った。
「君、その電報を打ったのは、はたして安田辰郎だったろうか?」
「え?」
三原は頭を上げた。
「ほら、君が言ったじゃないか。代人《・・》を知りたいとね」
代人。――
三原は主任の顔を凝視した。
「そうでした。わかりましたよ、主任」
三原は勢いづいて言った。
「自分で言って忘れる奴《やつ》があるか」
と、主任は声を立てずに笑った。
三原は、すぐに電話をとって、上野の車掌区を呼び出した。
「もしもし。《十和田》号に乗務する車掌さんで仙台・青森間はどこの車掌区ですか?」
「そりゃ、全部うち《・・》ですよ」
と、返事はこともなげだった。
三原は警視庁の車をとばして、上野車掌区に駆けつけた。
助役という人に会うと、
「今年の一月二十日の二〇五列車《十和田》ですね。ちょっと待ってください」
と勤務表を開いて調べてくれた。
「梶谷《かじたに》という男です。いま、ここにいるはずですから呼びましょうか?」
「ぜひ、お願いします」
三原は期待に胸がおどった。
呼ばれてきた車掌はまだ三十そこそこで、いかにも気のききそうな顔をしていた。
「そうですね。電報の内容はよくおぼえていませんが、たしかに浅虫の近くの小湊《こみなと》あたりで札幌の電報を頼まれた記憶があります。たぶん、一月二十一日の朝だったと思います。その前後には、その付近で電報を頼まれた覚えがありませんから」
「その頼んだ客は、どんな特徴の人かおぼえていませんか?」
三原は、どうかこの車掌の記憶にあるようにと心に祈った。
「そうですね。それは二等寝台車の客でした」
「なるほど」
「なんでも、痩《や》せて背の高い人だったように思います」
「え、痩せている? でっぷりと肥えてはいませんでしたか?」
三原は、内心よろこびながら、念を押した。
「いいえ、肥えてはいません。痩せていましたよ」
車掌は記憶をしだいにとりもどしたようだった。
「それに、二人づれだったです」
「えっ、二人づれ?」
「私が検札にまわったから知っています。その人が連れの人の切《きっ》符《ぷ》もいっしょに持っていて出しました。連れといっても、上役といった感じでしたね。少し威張っていましたよ。痩せた方は、その人にすごく丁寧な様子が見えましたよ」
「じゃ、その、下役といった人が、電報を頼んだわけですね」
「そうです」
――安田辰郎の電報の代人《・・》はわかった。その上役という男こそ、××省の石田部長に違いなかった。下役というのは、お供の事務官か何かであろう。
三原は今までひとりがてんをしていた。石田部長が単独で北海道に出張していたとばかり思いこんでいたのだ。なるほど、一省の部長クラスともなれば事務官ぐらいは随行するであろう。
三原は、それから××省にまわって、一月二十日から石田部長に随伴して、北海道に出張した事務官の名前をひそかに調べた。
「佐々木喜太郎」というのがその名前だった。この名前なら、石田部長の命をうけて数日前に、笠井主任に安田辰郎が《まりも》に乗ったことを証明しに来た男である。
翌日三原は青森に飛んでいた。
一月二十一日乗船の青函連絡船の名簿をかたっぱしから調べた。
石田部長の名も安田辰郎の名もある。しかし佐々木喜太郎の名はどこにもなかった。――佐々木が安田辰郎の名前で乗船したことは、この結果で明瞭《めいりょう》だった。
三原の前に屹立《きつりつ》していた巌壁《がんぺき》は崩れた。彼はこんどこそ勝利をつかんだ!
あとは安田の筆跡がどうして名簿に載ったかということを追及するだけである。がここまで来てしまえば、それはさしたることではなかった。
十三 三原紀一の報告
鳥飼重太郎様
ずいぶん、暑くなりました。炎天の下を歩くと靴《くつ》がアスファルトにのめりこみそうです。勤務から帰ってくると、真裸《まっぱだか》になって行水し、井戸水で冷やしたビールがたのしみです。いつぞや、あなたに連れられて、香《か》椎《しい》の海岸に吹きさらされてふるえた、玄界灘《げんかいなだ》の寒風が恋しいくらいです。
このような落ちついた気持で手紙を書くのは久しぶりです。あなたにはじめて博《はか》多《た》でお目にかかったのは今年の一月でした。香椎の海岸で、玄界灘の吹きさらしの風にふるえながら、あなたのお話を聞いてから、七カ月経《た》ちます。経ってみると早いものですが、捜査に心を追われて一日としてしずかにやすむ余裕がありませんでした。今日は、初秋の陽《ひ》ざしのように心がおだやかです。事件がおわったせいでしょう。困難な事件のあとほど、この憩《いこ》いの気持は格別です。いや、これは先輩のあなたに申しあげるのは釈《しゃ》迦《か》に説法でした。だが、この充実した気持は、事件についてあなたに手紙を書かねばならぬ衝動となりました。それは、あなたにたいする私の義務でもあります。そして私の喜びです。
いつぞや、安《やす》田《だ》辰《たつ》郎《お》の北海道行きが一番のなやみだとあなたに手紙をさしあげましたね。それにたいしてご親切なご返事をいただき、激励してくださいました。ありがとうございました。どんなに元気づけられたかわかりません。
安田辰郎が、一月二十日、上野を急行《十《と》和田《わだ》》で発《た》ち、十七便の青函《せいかん》連絡船で函館《はこだて》に渡り、《まりも》に乗って、翌二十一日、札幌二十時三十四分着という彼の鋼鉄のような主張は破れました。安田が《まりも》の車中で北海道の某役人に会っていること、到着時刻に札幌《さっぽろ》駅で出迎え人に会っていること、青函連絡船では、彼の自筆の乗船客名簿が残っていることなどで、この堅い巌壁《がんぺき》は私の前にそびえて容易に崩れませんでした。なかでも、もっとも困ったのは名簿の一件です。条件がことごとく揃《そろ》いすぎています。
一方、航空機の仮定の方は、まったく何も出てきません。東京↓福岡、福岡↓東京、東京↓札幌の三便とも彼の仮名はおろか、合計百四十三人の乗客が、調べてみるとことごとく実在者で、確かに乗った、というのです。安田が幽霊でもないかぎり、乗ってはいないのです。これも安田の主張の条件は完璧《かんぺき》です。
つまり、汽車の北海道行きは、有《・》の条件が完成しており、航空機は無《・》の条件が完全なのです。
しかるに、私が安田が出迎え人を札幌駅の待合室に指定したことから疑問をもち、それは飛行機は遅れることがあるからという懸《け》念《ねん》に出発していると考え(飛行機でくれば、安田が小樽から《まりも》に乗ることが可能)、その指定の電報はどこから打ったかを調べました。それは二十一日の朝、《十和田》の乗客が浅虫《あさむし》付近で車掌に託送した電報でした。車掌は依頼の乗客をおぼえていました。その人相から××省の石田部長と、随伴の佐々木喜太郎という事務官であることがわかりました。佐々木事務官が電報を渡したのです。
これで、ぴんと来ました。乗船客名簿には石田部長の名はあるが、佐々木喜太郎の名はないのです。佐々木事務官が安田辰郎の名簿票を渡して乗船したことに間違いはないのです。この随行者のことに、まったく気がつかなかったのは、われわれの迂《う》闊《かつ》でした。後のことですが、佐々木事務官を調べてみると、半月前から乗船客名簿の用紙を安田が用意していたというのです。
乗船客名簿の用紙は、青森から乗船するとき、受付の窓口に、ちょうど、郵便局の電報頼信紙のように何十枚も置いてあるから、誰《だれ》でも勝手に何枚も取れます。これも石田部長が安田に頼まれて、部下の北海道出張者に取って来させたもの、安田はそれに自分の名を書きいれて、ふたたび石田部長に渡したのです。安田と石田の関係は後で説明しますが、安田辰郎の自筆ということにわれわれは引っかかって困惑したが、トリックはこんな単純なものでした。
安田の北海道行きの問題はこれで消されました。つぎは、旅客機の乗客だが、これは乗船客名簿の裏返しだと気がつきました。有《・》の条件が無《・》の条件と入れかわっているわけです。
百四十三人の搭乗客《とうじょうきゃく》を、もう一度検討してみました。その中から、名簿に記載してある職業を調べました。われわれはある目標をもっていました。それでしぼってゆくと、五六人に縮小されました。この人たちは、××省にもっとも関係の深い職業、出入りの商社の人たちです。彼らの一人一人について、さらに厳重に追及すると、三人がついに白状しましたよ。
東京↓福岡はA氏、福岡↓東京はB氏、東京↓札幌はC氏でした。彼らはじっさいには、搭乗していなかったのです。それは調査したらわかることだから、いつまでもしら《・・》はきれません。三人とも石田部長に内密に依頼され、名前を貸したと白状しました。
「非常に秘密な役所の要件で出張させる者があるのでね、万一あとで警察からでもきかれたら、たしかにその旅客機に乗ったと答えてくれたまえ。決して迷惑をかけることではないから」
石田部長はそう言ったそうです。おりから汚職が進展しているので、出張の役人はそのもみ消しに奔走するのだと三人とも思ったそうです。その辺は、出入り商人だから心得たものです。はたして、その後、石田部長から商売上の便宜を与えられました。
安田辰郎は、A・B・C三氏の名によって東京、福岡、札幌間を旅客機で往復しました。なぜ、一人にしなかったかというと、あとで名簿を調べられたとき、その行動が目だち、ばれそうだったからです。安田辰郎という男は、どこまでも、あとから調査されることを念頭におき、万全を期していたのです。
こうして、彼の北海道行きが壊滅し、博多行きが証明されました。すると、残る問題が一つある。それは例の東京駅で佐山憲一課長補佐と料亭《りょうてい》「小雪」の女中お時とが、一月十四日、十八時三十分発特急《あさかぜ》に同乗したのを、同じ女中の二人が目撃したことです。いや、目撃したというのはあたらない。これはあきらかに安田が目撃させたのです。
佐山とお時とがどのような関係であったかは確証がないからわかりません。お時は利口な女で、「小雪」の女中たちに言わせると、好きな人はあるらしいが、よくわからないと言いました。かばうのではなく、じっさい知らぬらしいのです。一方、お時のアパートでも、男の声で誘いだしの電話があったが、決して相手を連れてくることはなかったという。してみれば、お時にかくれた情人はあるらしいが、正体がわかりません。むろん、それが佐山憲一であったと、両人が香椎で情死した後は、誰もが思いあたるでしょう。
しかし、ふしぎなことがあります。
そのような恋仲の者を、どのような理由で安田は、第三者に目撃させたのでしょう。彼らが《あさかぜ》に確かに乗車して九州に行ったということを証明したかったのか?
だが、特別に《あさかぜ》にする理由はなさそうです。九州行きの汽車なら、なんでもよい。なぜなら、その両人は、九州で情死しているのだから、九州に行ったことは間違いないからです。では、ほかの理由だ。
佐山とお時とが同車する現場、これを安田が第三者に見せたかったのです。そこで苦労して目撃者をホームに引っぱって行ったのでしょう。つまり、佐山とお時とが恋仲であることを、誰《だれ》かに確認してもらいたかったのです。
妙な話です。恋人同士を、どうして他人に認めさせる必要があるのでしょう。
いろいろと考えた結果、佐山とお時とは、恋仲ではなかった《・・・・・・・・》という逆説が出てきました。これだと思いました。恋仲ではないから、恋仲のように他《ほか》の者に確認して証明してもらいたかったのです。
それにしても、思いだされるのは、列車食堂の一枚の伝票から、佐山は一人で博多に来たのではないか、と疑念をもたれた、あなたの達眼に敬服します。「御一人様」と書かれた文字に、あなたの不審が起り、さらにお嬢さんの恋人心理の話など、私ども大いに啓発されました。確かに、お時は途中で下車し、佐山だけが博多に行っていたのでした。二人は、恋人でもなんでもない、という結論を得ました。
安田は「小雪」に商売の関係上、客の招待をよくする馴染客《なじみきゃく》でした。佐山は「小雪」には行かないが、お時を知っていました。おそらく、誰も知らないが、安田は佐山とお時と三人で、どこかで何回も会ったことがあるのです。それで、佐山とお時とは顔見知りだから、いっしょの列車に話しあいながら乗りこんだのです。それを第三者から見れば、いかにも恋人同士が仲むつまじく旅行に出かけるように思えたに違いありません。安田の狙《ねら》いがこれでした。
ですから、《あさかぜ》に二人が乗るように工作したのは安田です。彼にはそれができる力がありそうです。
さて、ここで安田が困ったことがある。ほかの女中に見せるのはいいが、十五番線のホームに行く理由がないから、《あさかぜ》のすぐそばに目撃者を連れて行くわけにはゆかない。彼の狙いは、わざとらしくなく、いかにも偶然に見たようにしなければならないのです。十五番線は遠距離の発車ホームですから、用もないのにそこに行ったのでは作為が知れます。どうしても、他のホームから眺《なが》めなければなりません。それは彼が妻の所にしじゅう行く鎌倉行の十三番線ホーム(横須賀線)を利用するのがもっとも自然で、作為が目だちません。
しかし彼は困りました。十三番線から十五番線の列車は見とおせないのです。いつも間に列車や電車の発着があって、それに邪魔されるわけです。このことはいつか書きました。それで苦心の末、九州行きの列車を待っている時刻で、しかも十三番線からその列車が見えるのは、一日のうち十七時五十七分から十八時一分の間の、たった四分間しかないことを彼は発見しました。貴重な四分間です。まったく大切な四分間です。
そこで、前に私は九州行きの列車ならどれでもいいと書きましたが、ここで、十八時三十分発の《あさかぜ》でなければならない必然が生じてくるのです。安田は、二人をどうしても《あさかぜ》に乗せなければならなかったのです。他の九州行き列車では間がふさがれてだめなのです。自然らしく目撃者にふるまうために、この四分間の間隙《かんげき》を発見した安田は偉大でした。おそらく東京駅員も、この四分間の見とおしがあることに気がつくものは少ないでしょう。
かくて、佐山とお時の出発は、安田の工作であることがわかった。しかし、奇怪なことがある。両人がそれから六日後、香椎の海岸で情死したことです。佐山とお時が青酸カリ入りのジュースを飲んで、お互いの体を密着するようにして自殺したことです。検案書によっても、現場状況(私は写真しか見せてもらえなかったが)によっても、はっきり情死であることに間違いはありません。
これがわからない。恋人でない者がどうして情死したか。まさか安田が指《さし》図《ず》しても、他人同士で情死まで引きうけて実行するばかはいないでしょう。両人は恋愛の間でなかったと推論しても、情死の現実を見ると、根底から崩れます。やはり情死を決行するほどの深い仲だったとしか思えません。この矛盾がどうしても解けない。
だが両人の出発が、安田の仕掛けである以上、香椎海岸の情死が、どうしてもちぐはぐなものとなります。かといって、情死の現実は否定できない。この相反する出発と結末の矛盾が、いかに考えても、解決できませんでした。
が、出発が安田の指図であるかぎり、この情死の結末にも何か安田の臭《にお》いが強くします。私は漠然《ばくぜん》とだが、その直感から脱けられませんでした。私が彼の北海道行きを調べて歩いた間でも、両人の心中当夜、その香椎の現場に安田が影のように立っているのを絶えず確信していました。どういう役割かわからない。まさか催眠術を使って心中させたわけでもあるまい。正気で安田の命令で、恋仲でもなんでもない者が情死するはずもない。が、何かわからないが、どうしても安田を情死当夜、その現場にいあわせたという線を強引にひいてみました。
さいわい、安田の北海道行きが崩壊し、一月二十日の十五時羽田発の日航機で博多に向い、十九時二十分板付《いたづけ》着、香椎海岸の同夜二十一時ごろの情死時刻には、彼はその現場にいた《・・》証明ができましたが、それなら両人の情死と安田の関係となると、壁に突きあたったように行きどまりました。いかにしても、その推測ができない。私は頭をかかえこみました。
そんな苦悩のつづくある日、私は喫茶店に行きました。私はコーヒーが好きです。それでよく主任に笑われるのですが、そのときもなんだかくしゃくしゃしたので街へ出かけました。いつもなら行きつけの有楽町の店にはいるのですが、その日は雨なので、近い日比谷のはじめてのコーヒー店にはいりました。
その店は二階がありました。入口のドアを押そうとすると、ひょっこり若い女が横から来てかち合いになりました。私は紳士の精神を発揮して、先をその女に譲りました。派手なレインコートを着たきれいな若い女です。微笑して会釈《えしゃく》し、先にはいって階段下で店の女の子に傘《かさ》をあずけます。続いてあとから私がはいり、同じく傘を預けようとすると、店の子は同伴だと思ったのか、二つの傘をいっしょに紐《ひも》でくくって一枚の番号札をくれました。若い女は少し赭《あか》くなり、私はあわてて、
「違う、違う。連れではないんだ。べつべつだよ」
と言いました。失礼しました、と店の女の子は、一つにくくった傘を二つに離し、あらためてもう一枚の番号札をくれました。
うれしい勘違いをされて、よけいなことを書いたように思われるかわかりませんが、じつは、この偶然なことで、私は不意に啓示を得たのです。私は、はっとしました。頭の中に閃光《せんこう》を感じたとはこのことです。二階にあがり、注文のコーヒーが来ても、しばらくそれが見えませんでしたよ。
女の子は、私たちがいっしょに店にはいって行ったからアベックと間違えた。普通です。誰《だれ》でもいちおうそう思うでしょう。事情を知らないから、二人でならんではいった位置《・・・・・・・・・・》から早急に判断《・・》したのです。これでした。暗示となったのは!
私たちは、失礼ながらあなたをはじめ、貴署の方々もふくめて、佐山とお時とがならんで死んでいるから、情死と判断してしまったのです。私は、今、それを知りました。二人《・・》は別々に違う場所で死んだ《・・・・・・・・・・・・》のです。死んでしまってから、二つの死体を一つところに合わ《・・・・・・・・》せた《・・》のです。おそらく、佐山は誰かに青酸カリを飲まされて倒れ、その死体の横に、これも誰かによって青酸カリを飲まされたお時の死体が運ばれて密着されたのでしょう。佐山とお時とはばらばらな二つの点でした。その点が相寄った状態になっていたのを見て、われわれは間違った線を引いて結んでしまったのです。
男と女とが抱きあわんばかりにして、くっついて死んでいれば、ただちに「情死」だと認定した誤謬《ごびゅう》は、しかし、笑われるべきではないでしょう。それは、古来、何万何千の情死死体がそうだったからです。誰も疑う者はありません。そして他殺でなく、心中死体となれば、検《けん》屍《し》もとかく他殺死体ほど厳重でなく、捜査の発動はまったくありません《・・・・・・・・・・・・・・・》。これこそ安田辰郎が狙《ねら》ったものです。
あなたは、前に手紙をくれました。その中の文句を私は覚えています。「人間には先入主観が気づかぬうちに働いて、そんなことはわかりきったことだと素通りすることがある。これがこわいのだ。この慢性になった常識が盲点を作ることがたびたびある」まさに、そうでした。男と女がいっしょに死んでいる。わかりきったことだ、情死だ、と思いこむ先入主観に頭脳がにぶったのです。いや、くらまされたのです。敵からいえば、その慢性になった常識で盲点をついたのです。
犯人は、こうしてみごとにわれわれをだました。しかし、まだ不安がある。それは佐山とお時とは、もともとなんの恋愛関係もないのだから、「情死」の裏づけが必要です。「恋愛関係にあった」という印象です。それが東京駅で、「小雪」の女中に両人の仲のよい出発を見せた理由です。彼は、裏づけまで用意したのです。犯人の心は不安に不安を重ねるものです。どこまでも周到に準備していました。そして四分間の目撃という苦心の時間を発見しました。
そうだ、そういえば、この事件は、何から何まで汽車の時間、飛行機の時間ばかりです。まるで時刻表に埋まっているようなものです。安田には、はたして、そんな方面の興味があったのか。そんな疑いさえ起ります。これはどうも、時刻表に特別な関心をかねてから抱いていた者の、計画のような気がしてなりません。
佐山とお時とが、どのような手段で死にいたったか、これも、ちょっと後まわしにして、その時間のことからはいりましょう。
私の頭には、まざまざと一人の女が記憶に浮んできます。彼女は時刻表に特別な興味をもっていました。その随筆をある雑誌に発表したくらいです。随筆は詩情に溢《あふ》れ、素人《しろうと》には無味乾燥に見えるあの横組の数字が、いかなる小説よりもおもしろいらしいのです。数字の行間からは、蜿蜒《えんえん》と尽きぬ旅情の詩が湧《わ》き、随想が生れるらしいのです。彼女は長いこと肺結核で臥《ふ》せており、病床でたのしむ時刻表は、彼女にとって聖書のように無限の人生伴侶《はんりょ》であり、古今の名作をよむように退屈しないのでした。彼女というのは、鎌倉で療養生活を送っている安田辰郎の妻です。亮子《りょうこ》という名です。
とかく肺をわずらう人は、頭脳が病的に冴《さ》えているといいます。安田の妻亮子も、蒼白《あおじろ》い顔で何を思索していたか。いや思索というよりも計算という方が正しいのではないか。数字の無限の組み合せ、それを頭の中で解いたり組んだり、あたかもダイヤグラムを作製するように、縦横に線を引き、交差させて、瞑想《めいそう》していたような気がします。
私は、あるいは、この事件は安田の発想ではなく、亮子のアイデアではないか、と、思いあたりました。
ここで、事件当夜、国鉄と西鉄の二つの香椎駅の、二組の男女が浮んできます。一組は、むろん、佐山とお時です。あとの一組は、安田と妻の亮子ではないか。そう考えるのは自然です。これはあとで、半分は思いもよらぬ間違いでしたが。――
あなたも、手紙の中で言われました。「すると疑問なのは、安田の連れの婦人がどのような役割をしたかと言うことです。裏返していうと、安田が情死の両人にある作為をもって立ちあったとすると、それにはある婦人が必要だったということになります。つまり安田とその婦人が一体とならなければ、安田の企《たくら》む工作はできなかったと言えそうです」
まったく同感です。その疑問の婦人を、安田の妻の亮子に当てはめて考えたとき、私は彼女の追及を決心しました。
しかし、彼女は療養で病臥《びょうが》の身である。計画者であっても、実行者になれるだろうか。つまり、鎌倉から九州まで行くことがはたしてできただろうか、という疑問が湧きました。
私は鎌倉に行き主治医に会いました。すると、医者の返事には、亮子はかならずしも寝たきりではない。ときには湯河《ゆが》原《わら》の親類の家に遊びに行くこともあると言いました。そこで、一月二十日を中心として彼女の動静を聞きますと、十九日から二十一日まで自宅には不在だったことがわかりました。それは、病床日誌を調べてわかったことです。医者は一週間に二度しか亮子を訪問しません。この医者は、二十二日に往診していました。
そのとき、亮子に熱があったものだから、どうしたのですか、と聞くと「十九日から湯河原に行って今朝帰りました。少し遊びすぎたので疲れたのでしょう」と、亮子は言ったそうです。
私は、しめた、と思いました。十九日の夜発《た》てば、博多には翌日着きます。すなわち、情死の時刻と場所にまにあうわけです。湯河原というのは嘘《うそ》だ。九州に行ったのだと思いました。
それから私は、亮子の家の老《ろう》婢《ひ》をこっそり呼び出して責めました。そして、ついに亮子が午後二時ごろハイヤーで湯河原に行ったことを知りえました。
私は亮子を乗せた運転手を探しだしました。
その運転手は、亮子を湯河原までの約束で乗せたそうです。ところが、湯河原まで来ると、熱海に行ってくれと命ぜられました。そして、熱海の海風荘という旅館の玄関に着けて亮子を降ろし、帰ってきたといいます。
私は雀躍《こおどり》しました。すぐに熱海に急行し、海風荘を調べたことはいうまでもありません。するとつぎのような事情がわかりました。
亮子は「楓《かえで》」の間《ま》の女客に面会したそうです。この女客というのは、一月十四日の八時過ぎに、一人で来て、五日間滞在していたのです。年齢、人相からみて、お時に間違いありません。宿帳は、むろん偽名です。偽名ですが、なんと、名前が「菅原雪《すがわらゆき》子《こ》」になっていました。菅原というのは、ほら、佐山も博多の宿の丹《たん》波屋《ばや》で使っていた偽名です。亮子は海風荘の玄関では、菅原さんに会わせてくれと言ったそうです。ここにおいて、はっきり、佐山、お時、亮子の打ち合せがあったことがわかりました。打ち合せというよりも、亮子の計画でしょう。二人の女は、部屋で夕食をとり、十時ごろ宿を出ていったそうです。そのとき、お時の滞在の宿料は亮子が払いま《・・・・・・・・・・・・・・・》した《・・》。
さて、お時が十四日の午後八時半ごろに宿についたのは、《あさかぜ》から下車したことでわかります。《あさかぜ》は熱海着十九時五十八分ですから、まさしく彼女は、佐山と東京からここまで同車し、途中下車したのです。あなたの推理された「御一人様」は適中したわけです。
つぎに、彼女たちは十九日の午後十時ごろに旅館を出た。これを時刻表で考えると、熱海発二十二時二十五分の博多行急行《筑《つく》紫《し》》があります。この列車は、終着駅博多に二十日の十九時四十五分に着くのです。
まさに、ぴたりという感じです。博多の丹波屋にいる佐山のところに、女の声で呼び出しがあったのは、午後八時ごろではありませんか。すなわち、彼女たちは列車から降りると、すぐに佐山を呼び出したのです。
ここまでわかったが、それから先が行きづまりました。佐山を呼び出したのは、お時か亮子か。むろん、はじめはお時とばかり思いこんでいましたが、お時では、どうも辻褄《つじつま》が合わなくなりました。佐山とお時とは、なんでもないのだから、電話で呼び出しても佐山が応じるわけがない。佐山は一週間も、博多でその電話のくるのを、いらいらして待っていたのですから、お時では変です。亮子の方なら可能性があります。
なぜなら、亮子は安田の妻だから「代理」になれます。つまり、佐山は安田が来る《・・》のを待っていたのです。だから彼は亮子が安田の代理で来た、と言えば、すぐに出かけられるわけです。
亮子は佐山に会うと、彼の一番心配していることを告げました。それが香椎の海岸に連れて行ってからです。どういう口実を言ったか定かでないが、おそらく秘密を要するからと言って、人《ひと》気《け》のない場所をえらんだのでしょう。この香椎の海岸も、かねての設計図の中にはいっていました。
佐山が心配したこと、それは進行中の汚職事件の成りゆきでした。佐山は課長補佐として実務に通じており、捜査の手が伸びる寸前でした。佐山に言いふくめて、「休暇」のかたちで博多に逃避《・・》させたのは石田部長です。彼こそ汚職の中心人物ですから、佐山が拘引されたら危なくなります。それで佐山に因果を含めて博多に逃避《・・》させたのです。十四日に《あさかぜ》に乗ることまで指示しました。それから何分《なにぶん》のことは、安田が博多に行って言うから、宿で待っていろ、と命じたのです。
佐山は、上司の命令に唯々《いい》諾々《だくだく》と従ったのでした。彼をわらうことはできません。律《りち》義《ぎ》で目をかけられている上司に、自分の供述で迷惑がおよぶことを恐れただけです。課長補佐には、そういう人が多いのです。自殺した人さえあるくらいです。いや、この自殺の可能性が犯人の狙《ねら》いでした。
石田部長は、安田が事件のもみ消しをするから様子をみているように、とでも言ったのでしょう。佐山は安田が来るのを今か今かと待っていました。その安田は来ないで、「代理」の亮子が来ました。佐山は安田の家に行ったこともあるので、亮子を知っていたのです。いや下心のある安田は、佐山を鎌倉の家に呼んで、亮子を引きあわせていたと思います。
この二人は博多から国鉄香椎で降りました。すぐあとから安田とお時とが西鉄香椎駅で降りて同じ道を海岸に来ていることを知らないで。いや、知らないのは佐山だけで、亮子は万事、知っていました。
亮子は佐山に話しました。万事、都合よく運んでいるからと安心させ、寒いからウイスキーを飲めとすすめました。酒好きの佐山は安心してウイスキーを飲みました。青酸カリがはいっていて、佐山は倒れました。現場に残っていた青酸カリ入りのジュース液の残り瓶《びん》は、亮子の偽装でした。
一方、すぐあとから来た安田は――彼は板付到着十九時二十分の日航機で東京から来たばかりで、お時とどこかで会って、いっしょになったのです。落ちあう場所も決められていたでしょう。それは亮子が告げたと思います。その安田は、お時を海岸につれて出ました。途中で、お時は「ずいぶん、寂しいところね」と言い、それを通行人に聞かれています。
その人気のない、寂しい暗い夜の海岸で、安田はお時に同じく毒入りのウイスキーを飲ませたのでしょう。それから彼女の死体を抱いて、息の絶えている佐山の横に置きました。そこには亮子が立っていました。おそらくお時が殺された場所は、佐山の現場と二十メートルとは離れていなかったでしょう。暗い闇《やみ》だから、お時には何も見えなかったのです。
安田はお時を殺すと、
「おおい、亮子」と、大きな声で呼んだに違いありません。亮子は、
「はあい、ここよ」
と、闇の中で答えたでしょう。安田はお時の死体を抱いて、佐山の死体のころがっている妻の声のあった方へ歩きました。鬼気迫る光景です。
ここで現場の様子を考えましょう。あの辺は私もあなたのご案内で実地に見ましたが、岩肌《いわはだ》だらけの海岸です。少々、重いものを抱いて運んでも、足あとが残りません。犯人にとってはどこまでも計算ずくめです。おそらく、安田は香椎の海岸を前から知っていて、殺人の場所はそこにしようと考えたに違いありません。
情死に見せかけた殺人は、夫婦合作でした。亮子は計画者だけでなく、その実行者の半分でした。お時は安田夫婦の言うとおり、なんの疑いもなく従ったのです。
ここで、奇妙なのは、安田夫婦とお時の関係です。以上でもわかるように、安田とお時とは深い情事関係があることが想像されます。それはきわめて秘密に保たれたから外部にもれませんでした。二人のなれそめは、安田が「小雪」に通っているうちにできたのでしょう。お時は、安田の係り女中でした。お時が電話でときどき呼び出されたり、外泊したりした相手は安田です。
だが、亮子の態度は奇怪です。いわば、夫の愛人であり、敵でもあるお時に会ったり、いっしょに汽車に乗ったりして、むつまじいのは、どういうわけか。
私は、ふと亮子が熱海の宿でお時の滞在費《・・・・・・》を支払った《・・・・・》ということで、事情を察しました。亮子は万事を知っているのです。のみならず、お時の月々の手当《・・・・・・・・》は、亮子の手からも出ていたのです。亮子が病弱で、夫とは夫婦関係を医者から禁じられていることに思いいたってください。いわば、お時は、亮子の公認の二号さんだったのです。歪《ゆが》んだ関係です。われわれには想像もできないが、世間にはよくあるのです。封建時代の昔にはあったことですが。
はじめの計画では、佐山一人を自殺に見せかけるつもりだったのでしょう。しかし、これはどうも危ない。遺書もないし、自殺は弱い。そこで「情死」を思いたったのです。情死の方がずっと検案もゆるやかで、解剖もありません。捜査も起りません。きわめて安全性のある殺人です。かわいそうに、お時がその相棒にえらばれました。
安田にとっては、お時にはそれほどの愛情もなく、どっちでもいい存在でした。「生理」のおかわりはいくらでも都合がつきます。亮子は、お時を夫の道具と思って割りきっており、ついでに情死の道具にもしました。やはり意識の底では好感をもっていなかったのでしょう。恐るべき女です。頭脳も冷たく冴《さ》えていますが、血も冷たい女です。お時の死体の着物の乱れを直し、用意してきた新しい足袋を、死体の土によごれた足袋とはきかえさせたのは、お時が覚悟して死んだという見せかけの操作で、どこまでも周到な注意です。
その晩は、夫婦で博多にとまり、安田は一番の日航機で東京へ、さらに北海道に乗りつぎして行き、亮子は上り列車で鎌倉に帰ったのです。
それから、お時と佐山とが十四日に出発したあと、なぜ安田が六日間も間を置いて福岡に行ったか、という理由ですが、これは安田がすぐ東京を離れては疑われるという用心からです。現に、彼はお時が出発した十四日のあとも二三日つづけて、「小雪」に現われています。そして何食わぬ顔で、「お時が恋人と旅行に出た」という女中たちの話を聞いています。あくまでも、無関係を他人に印象づけたかったのです。だから、お時も、熱海の旅館で五日間足どめされていたわけです。
かくて、親しい石田部長の依頼をうけた安田辰郎は、完全に佐山課長補佐を抹殺《まっさつ》し、部長を安泰ならしめました。ひとり石田部長のみでなく、安《あん》堵《ど》の胸を撫《な》でおろした佐山の上役はずいぶん多いでしょう。同時に機械工具商安田辰郎は、××省石田部長に絶大な恩《・》を売りました。
安田と石田部長の結びつきは、外部で想像した以上の深さでした。自己の商売を××省に広げるために、安田は石田部長に必死に食いこんだに違いありません。おそらく供応や金品の贈与もあったでしょう。それは今度の汚職でも、石田の疑惑の濃厚なところから、彼の性格がわかるのです。現在では、まだ、それほど大した納品はなかったのです。それでわれわれは両者の関係を表面だけで見のがしてしまったのですが、安田こそは将来を望んで、持ち前の社交的な魅力で石田に近づいたのです。それは個人的な、ひそかな交際にまで成功しました。安田は、石田部長が発展中の汚職事件で、自分の身辺が危険なため懊《おう》悩《のう》していることを知り、捜査のもっともキイポイントに立っている佐山課長補佐抹殺の役を引きうけました。いや、それはあんがい、安田から言いだして石田部長を説き伏せたのかもしれません。
もっとも、石田部長には、はじめから佐山を殺す《・・》意志はありませんでした。ただ、できれば自殺に追いやるようにしたかったのでしょう。他《ほか》の同じ性質の事件の、犠牲者のようにです。
しかし、それは不可能です。そこで安田は自殺に見せかける他殺を考えたのです。自殺は単独よりも、情死する方がよけいにそれらしく見えます。単独自殺なら、もしや他殺ではないかと疑われることもありますが、女と心中したとなると、まず疑われる心配は薄くなります。うまいところに着眼したものです。現に捜査当局がそれでだまされましたから。
まさか佐山を殺すためとは知らない石田部長は、彼を自殺に追いこむ工作とばかりに思いこみ、安田のゴマカシの言いなりに、北海道出張のことや、青函連絡船の乗船客名簿用紙の用意や、旅客機乗客の謀略を遂行したのです。一省の高級官吏ともなれば、出張はいつでも自由なのでしょう。部下の一事務官を抱きこむことも容易です。
その後、「佐山が青酸カリで女と《・・》自殺した」と知ったときの石田部長は、さすがに顔色が蒼《あお》くなったでしょう。はっきり安田が殺《や》ったことをさとったからです。こうなると安田の方が居直って、かえって石田部長に圧力をかけたと思います。石田部長は、ただ、おろおろしていたでしょう。佐々木事務官を、警視庁にやらせて、安田のために北海道行きを立証させたのも、安田の指《さ》し金《がね》だと思います。かえって、それが安田の墓穴の一端になったのですが。
しかし、安田は、佐山を殺す道具に、飽きの来たお時を使いましたが、安田の妻の亮子は「夫の手伝い」よりも、あんがい、お時を殺すほうに興味があったかもしれません。いくら自分が公認《・・》した夫の愛人であっても、女の敵意は変りはありません。いや、肉体的に夫の妻を失格した彼女だからこそ、人一倍の嫉《しっ》妬《と》を、意識の下にかくしつづけていたのでしょう。その燐《りん》のような青白い炎が、機会をみつけて燃えあがったのです。佐山もさることながら、この事件の犠牲者は、お時です。安田自身も、石田部長に恩を売るために佐山を殺すのが本体か、うるさくなったお時を抹殺するのが本体か、しまいにはわからなくなったでしょう。
以上は、私の推理のしだいと、あとの部分は、安田夫婦の遺書によったものです。
そうでした、安田辰郎と亮子は、私たちが逮捕に行く前に、鎌倉の家で死んでいましたよ、どっちも、青酸カリを飲んで。こんどは、偽装はありませんでした。
安田辰郎は、われわれが追いつめたことを知ったのでした。そして病勢が悪化した妻と自らの生命を断ちました。安田に遺書はなく、亮子だけに遺書がありました。
それによると、罪を意識して死んだとあります。はたしてそうでしょうか。私には、どうもタフな安田辰郎が自殺したとは思えません。死期遠くないことをさとった亮子が、またも何かの詐術《さじゅつ》をもって、夫を道づれにしたように思えます。亮子という女は、そんな女なのです。
しかし、実のところ、安田夫婦が死んで、ほっとしましたよ。なぜかといって、これには物的証拠がまったくといっていいほどないからです。情況証拠ばかりです。よく逮捕状が取れたと思ったくらいです。公判になったら、どうなるかわからない事件です。
証拠がないといえば、××省の石田部長もそうです。彼はさすがに、汚職問題でその部をやめて他部に移りましたが、なんと移った新しい部が前よりはポストがいいのです。そんなばかなことはないのですが、役所というものはふしぎなところですね。将来、局長になり、次官になり、あるいは代議士ぐらいに打って出るかわかりません。かわいそうなのは、その下で忠勤をはげんで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮しますからね。「出世」したい気持はかなしいくらいです。そうそう、石田部長のため一役買い、安田辰郎の片棒をかついだ佐々木喜太郎という事務官は、課長になりましたよ。これも、安田夫婦が死んでしまった今は、われわれはなんともできず見送るばかりです。
なんとも後味の悪い事件でした。こうして、今日、家で冷たい井戸冷やしのビールを飲みながら、ほっとした気持でくつろいでいても、犯人を捕えて検事さんに送った他の事件の解決のように、すっきりしないのです。
長い手紙を書きました。さぞ、わずらわしかったと思います。
お招きもありますので、九州には、この秋、女房《にょうぼう》でも連れて、休暇をもらってゆっくりと遊びにまいります。
時《じ》節柄《せつがら》、おからだ御自愛願います。
(注) 本文中の列車、航空機の時間は、昭和三十二年のダイヤによる。
解説
平野謙
『点と線』は昭和三十二年二月から昭和三十三年一月まで雑誌《旅》に連載されたもので、推理小説としては松本清張の処女長編である。同年四月からは『眼の壁』を《週刊読売》に連載し、また、同年十月からは雑誌《太陽》に『ゼロの焦点』を連載するなど、著者はこの三十二年度に推理小説の長編三本の連載に着手し、あるいは完結させている。長編だけではない、『地方紙を買う女』『鬼畜』『一年半待て』『捜査圏外の条件』『カルネアデスの舟板』『白い闇《やみ》』などの推理小説あるいは犯罪小説の短編群を精力的に書きついでいる。のちに社会派推理小説とよばれるようになった新しい文学エコールは、実質的にはこの昭和三十二年度から開始された、というべきだろう。その劈頭《へきとう》を飾る秀作が『点と線』にほかならぬのである。
ところで、『点と線』は推理小説のなかではいわゆる「アリバイ破り」というジャンルに属する。この「アリバイ破り」というジャンルをだれがいちばん最初に工夫したのか、いま詳《つまび》らかにしないが、すくなくとも「アリバイ破り」というジャンルの推理小説の秀作を多数書いた作家が、イギリスのフリーマン・ウィルス・クロフツであることは、ゆるがぬ文学史的定説といっていい。客観的にはわが松本清張も鮎川哲《あゆかわてつ》也《や》も、クロフツの影響のもとに「アリバイ破り」というジャンルの推理小説を書きだした、といえないこともないのである。いま鮎川哲也のことはしばらく措《お》き、松本清張に限っていえば、私がはじめて『点と線』を読んだとき、こりゃクロフツ張りで、しかもクロフツより新しい、と感心したものである。単行本になった『点と線』を読んだのは偶然のことにすぎないが、以来私は松本清張の推理小説の愛読者となった。このことについては、すでに私は書いたことがあるが、ここでもう一度くりかえさないではいられぬのである。ただ一言訂正しておけば、私は松本清張の作品として『点と線』をはじめて愛読したわけではないということである。筑摩書房が《太陽》という新しい型の総合雑誌を昭和三十二年十月に創刊したとき、松本清張が起用されて、『ゼロの焦点』が連載されはじめたのである。たまたま私はその『ゼロの焦点』を読み、新婚生活にはいったばかりの男が失踪《しっそう》したという発端の暗いムードに惹《ひ》かれて、毎号読みつづけたのだが、数号にして《太陽》が廃刊となり、残念な思いをした経験がある。おそらくその経験が私をして『点と線』を読ませたのだろう。その点をここに訂正しておきたい。
ここで「アリバイ破り」という推理小説の作風について一言しておけば、推理小説のポイントは真犯人は誰《だれ》かにつきるわけだが、「アリバイ破り」の作品では、最初からあるいは途中から完璧《かんぺき》なアリバイを持つ人物が真犯人たることは暗々《あんあん》裡《り》に読者に前提されているのである。つまり、真犯人は誰かという作者と読者との知恵くらべをきそう知的ゲームとしての推理小説の建て前からいえば、「アリバイ破り」の推理小説は変則的であって、鉄壁のアリバイをいかに探偵《たんてい》が歩一歩と破ってゆくか、に読者の興味は賭《か》けられているのである。作者と読者とではなく、探偵と犯人との知恵くらべのスリルや意外性を読者は愉《たの》しむわけである。そういう「アリバイ破り」の推理小説として、はじめて『点と線』を読んだとき、こりゃクロフツよりも新しいな、と私は感心したのである。
クロフツはフレンチ警部(のちに警視に昇進する)という試行錯誤をくりかえしながら、ねばりづよく足で調査することによって歩一歩と真相に近づいてゆく凡人型の探偵を創造したのだが、奇想天外な真犯人を案出すべく苦心惨澹《さんたん》するあまり、天然自然な人間性など苦もなく無視する偏向のあったいわゆる本格的な推理小説に、はじめてリアリズムの新風をもたらしたといわれている。ほぼおなじことがわが松本清張についてもいわれよう。なぜ殺人罪を犯さねばならなかったかという動機づけにおいて、従来の本格派推理小説はともすれば人間性を無視しがちなところがあったが、松本清張は犯行の動機づけにリアリスティックな状況設定をおこなって、わが推理小説界に文学的な新風をもたらしたのである。しかも、私がひそかにクロフツより松本清張の方が新しいと思ったのは、犯行の動機づけをクロフツがつねに個人悪に限定しているのに対して、松本清張は個人悪と組織悪とのミックスしたものに拡大している点である。この点において松本清張は明らかにクロフツより新時代である。松本清張の推理小説以来、社会派推理小説という新造語が流布《るふ》されたのも、そのことに由来している。
そこで『点と線』のどこに私が感心したかを、もうすこし具体的に解説しておきたい。推理小説のネタを割るような解説は厳につつしむべきだが、さきにふれたように、この長編は「アリバイ破り」の作品で、真犯人は途中から読者にもハッキリしてくることではあり、あえてもうすこし具体的に語っておきたいのである。私が感心したのは、まず第一に心中というかたちに偽装した殺人という巧みな方法であり、第二にその殺人の動機を汚職にからませた状況設定の新しさである。別々に毒殺した男と女とを一緒にならべておけば、誰しもそれを偽装心中と看《み》破《やぶ》ることは困難である。男には汚職摘発の危険が迫っており、相手の女性は水商売の女ということになれば、その偽装心中は一見完璧にちかい動機づけを持つことになる。しかも、その男女が一緒にならんで特急列車に乗りこむすがたを、たまたま女の同輩が目撃したとしたら、彼らの情死行というデータをひっくりかえすことは、ほとんど不可能にちかい。まして、その男女が心中死体として九州の海岸に発見されたとき、偽装心中のお膳《ぜん》だてをした真犯人は北海道にいたというアリバイ(現場不在証明)を持っているとしたら、完全犯罪にちかいその知能犯に挑《いど》む探偵の惨澹たる辛苦は、察するにかたくない。しかし、東京と九州にわかれた二人の探偵は、その鉄壁のアリバイを、歩一歩と打ち破ってゆく。『点と線』の主眼は、いわば不可能に挑みかかるその「アリバイ破り」のおもしろさにかかっているのである。さきにふれたように、『点と線』における犯行の動機づけは個人悪と組織悪との二重構造になっていて、アリバイづくりの共犯関係なども、その組織悪という新しい動機づけから無理なくひきだされているのである。松本清張の『点と線』をひとつの画期として、推理小説界にいわゆる社会派的な新風のもたらされたのも、ゆえなしとしないわけである。
ところで、そういうクロフツの塁を摩す見事な『点と線』ではあるが、やはりそこにはひとつのキズがある。というのは、やがて偽装心中させられる男と女が一緒にならんで特急に乗りこむとき、目撃者はおなじプラットフォームからではなく、横須賀線のフォームからそれを目撃するのである。これも犯人の狡《こう》知《ち》によるのだが、横須賀線で鎌倉へゆく犯人を見送りにきた料亭《りょうてい》の女たちが、たまたま東海道線のフォームを歩いている男女を目撃するといういかにも自然らしい仕掛けになっていて、おなじフォームで出逢《であ》って、女たちが話でもされると、かえって偽装心中のネタの割れる心配もあるのである。そのため犯人は時間をはかって目撃者の女たちを横須賀線へつれてくるのだが、しかし、ここで注意すべきは、列車の発着に妨げられないで、横須賀線のフォームから東海道線のフォームがみとおせる時間はおそろしく限定されていて、何時何分から何分までというわずか四分ほどのあいだしかないことである。その局限された時間に、目撃者は特急“あさかぜ”に乗りこむべくプラットフォームを歩く男女のすがたをみかけなければならないのだ。ということは、真犯人は目撃者を何時何分に横須賀線へつれてくるだけでなく、おなじ時刻に被害者の男女をして東海道線フォームを歩かせねばならぬことを意味する。指定券の切《きっ》符《ぷ》を工作すれば、座席をならべて、その男女をすわらせることはそんなに困難ではない。しかし、たとえ顔みしりだとはいえ、何時何分という局限された特定の時間に男女を一緒に歩かせるような細工を、どうしてあらかじめ工作することができたか。この男女はともに偽装心中などというおそろしい運命が自分たちの前に待ちかまえていることなど夢にも知らない。それをまちがいなく何時何分に一緒にプラットフォームを歩かせるような工作を、どうして男女に強《し》いることができたか。この一点が合理的に説明されない以上、『点と線』全編のプロットは、その針の穴ほどのキズから土《ど》崩《ほう》瓦《が》壊《かい》する危険もなきにしもあらずである。――といえば誇張にすぎるが、すくなくともその点の説明を、作者がうっかり忘れていたことだけは、指摘されねばなるまい。実をいえば、よく出来た推理小説のキズを指摘することほど、読者の虚栄心を満足させることはないのである。私は『点と線』を最初に《東京新聞》紙上に書評したときから、このキズについては、すでに一度ならず書いているのだが、やはりここでも書きとめておく次第である。最後にいたって、この真犯人は妻と共犯関係にあることも判明するから、プラットフォームの舞台裏で、犯人の妻が顔みしりの男女を指定の時間に一緒に歩かせる工作をするくらい、さして困難ではないともいえよう。ただその点を作者は度忘れしたか思いちがいしたまでだろう。そういえば、クロフツの有名な処女作『樽《たる》』にも論理上かなり重大なミスがあることは、今日よく知られている。
最後に、松本清張が推理小説の領域に新風をひらいた作家的必然性について、一言しておきたい。すでに文壇的処女作『或《あ》る「小《こ》倉《くら》日記」伝』に明らかであるが、松本清張は処女作以来あたら能才をいだきながら下積みの世界に埋れねばならなかった不遇の人々になみなみならぬ作家的関心を持ちつづけてきた。生理的な劣等感を持っていたり、社会的に孤立していたりしながら、胸中にこの世の中をみかえしてやりたいという熱烈な現世欲をいだく、孤独で偏執的な人間の生涯《しょうがい》に、松本清張は特別の関心をいだきつづけてきた。『或る「小倉日記」伝』以来『菊枕《きくまくら》』『石の骨』『断《だん》碑《ぴ》』などみなそうである。そこから作者はさらに一歩すすめて『真贋《しんがん》の森』『装飾評伝』のような一種の復讐譚《ふくしゅうたん》を書くようになる。前者は美術史家としてすぐれた才能をいだきながら、オーソドックスな学閥に容《い》れられぬため敗残の生活を送らねばならなくなった一人物が、その敗残の底から学問のオーソドクシイに挑戦《ちょうせん》する一《いち》か八《ばち》かの復讐譚であり、後者は天才肌《はだ》の画才に圧倒された凡庸な一人物が、やはりその敗北の底から復讐を完了する物語である。島崎藤村《しまざきとうそん》なら、わが運命のつたなさに涕《な》くというようなポーズで、読者の同情を集めるところを、わが松本清張はそんな被害者意識の私小説などに甘ったれないで、いわば犯罪小説すれすれのところまで、主人公たちを居直らせたり、彼らの人間的呪《じゅ》咀《そ》を不合理な社会全体の仕組みのなかに普遍化したりするのである。ここから松本清張独特の悪の必然を肯定する犯罪小説や『日本の黒い霧』のような社会悪そのものに挑戦するノン・フィクションが生れてくることとなる。こういう作家が推理小説の領域で『点と線』以下かずかずの秀作を書くにいたるのもまた必定というべきだろう。
(昭和四十六年五月、文芸評論家)