杉本苑子
大江戸ゴミ戦争
目 次
く く り 猿
瓜長者の野望
苦 笑 仏
春のうららの十万坪
芝浦海戦記
瘤
ひらめき息子
あ と が き
[#改ページ]
く く り 猿
1
雨戸が鳴る音で、荒尾勝兵衛は目をさました。
(風が出たな)
気づいたとたん、ガバと夜具を蹴って床《とこ》の上に起き直っていた。
「おい、千登世《ちとせ》」
隣室の妻に声をかけたが、この程度の呼びかけで目をさます相手ではない。太平楽《たいへいらく》な|いびき《ヽヽヽ》の連続に苛《い》ら立って、
「いいかげんに起きんかい」
大喝一声すると、さすがに|いびき《ヽヽヽ》はやみ、
「なんですかあ」
ねぼけ声と一緒に、ゆっくり寝返る気配がした。
「なんですかもヘチマもない。風が強まりはじめたじゃないか」
「あら、ほんと。雨戸がやたらガタガタ言いますねえ」
「どうする? 入れるか?」
「はあ」
と、まだ半《なか》ば眠りの中にいるのか、千登世の反応はにぶい。もっとも、すっかり覚醒していたとしても、その肥満体に見合って、日ごろから受け答えは、しごくのんびりとした女なのである。
「ともかく外の様子を見よう」
勝兵衛のほうは町奉行所の与力という職掌柄、五十を一ツすぎていても動作は早い。寝間着のまま廊下へ出て軋《きし》む雨戸に手をかけた。
「わッ」
ほんの二寸ほど開けた隙間《すきま》から、どっと吹き込んできた風に煽《あお》られ、読みさしの本が宙返る、行灯《あんどん》が倒れる。節約のため、睡眠中は灯《ひ》をともさない習慣だからよかったものの、油皿がすべって畳をよごした。
「こりゃあ、いかん」
あわてて勝兵衛は戸を立て切り、
「えらい烈風だ。やっぱり入れよう」
決断した。
「入れる」
とは、庭に掘った穴蔵に、貴重品を埋める作業をいう。
明暦の大火に懲《こ》りはてた江戸の住民たちは、七十年たった今なお、異常なほど火事には神経をとがらせている。
「風さえ吹けば、かならずどこかで半鐘がジャンと鳴る」
そう信じて疑わないし、また事実、その通りになることがしばしばだから、用心のしすぎを嗤《わら》うわけにはいかないのだ。
千登世もはっきり目がさめたらしく、手ばしこく明かりをつけ、着替えを済ませた。口のききようは|のろま《ヽヽヽ》だが、肥っているわりに身うごきが敏捷で、これは気短な夫に、ガミガミ鍛《きた》え上げられた結果であった。
「外は寒いぞ。風邪を引いてはいかん。どっさり着込め」
「あなたも首巻きを忘れずにね」
押入れの奥から掴み出した布包みを、勝兵衛は片手にひっさげて勝手口へ出る。
さいわいの月夜で、足もとは明るい。物置から鋤《すき》を持ち出し、菜園を兼ねた裏の空地へ勝兵衛は廻りこんだ。
猫の額ほどの畑には、それでも千登世の丹精で漬け菜や葱《ねぎ》が生え揃っている。
その端に立って勝兵衛がそろりそろり、鋤で土を掻きのけると、下からまず、蓆《むしろ》が現れ、つづいて戸板が出てきた。両手をかけて戸板をどけたあとに、ぽっかり口を開けたのは三尺四方ほどの穴蔵である。
深さもほぼ、三尺……。底に砂利を敷きつめ、簀《す》ノ子が置いてある形式は、他家の造りと同じようなものだ。穴の大きさだけが、埋める財の多さ少なさで相違してくるわけで、荒尾家の|それ《ヽヽ》が小さいのは、布包み一つ二つにすぎないからだった。
勝兵衛が後生大事に持ち出した貴重品にしてからが、金銭的にはたいして価値のある|しろもの《ヽヽヽヽ》ではない。
「曾祖父《ひいじい》さまが島原の乱のとき、敵の首を三ツ取り、軍監から頂いた感状」
だの、
「そのさい用いた槍の穂先と兜《かぶと》の鉢」
といった、見ようによっては屁《へ》のカスにもならぬガラクタなのだが、勝兵衛にすれば家の栄誉を証《あかし》する貴重品にほかならぬ。
「身分こそ微禄な町方与力であれ、代々将軍家に仕えた直参《じきさん》……。命を的に、たたかった先祖もおられる家系だ」
誇りでふくらんだ布包みとあってみれば、こんりんざい、灰になどできない。
そこへいくと女のほうが現実に即しているから、
「あなた、これも……」
千登世が運んできた包みは一張羅の|よそゆき《ヽヽヽヽ》やら帯やらで、持ち重《おも》りするほど嵩《かさ》ばっていた。
「早く入れろ」
「いいですか。手を離しますよ」
「あたりに人目はないか。よく見張っているんだぞ」
油断なく念を押したのは、せっかく埋めた財宝を盗賊に掘り出される被害が、頻々《ひんぴん》と耳にはいってくるからであった。
「大丈夫。だれもいやしません」
「よし」
もと通り戸板を乗せ蓆《むしろ》を置き、土を平らにかぶせると、穴蔵の存在はかき消えて変哲もない空地にもどった。
井戸端で鋤と手を洗うまも、身体を捩《よ》じる勢いで風は吹きすさび、隣り合った升目《ますめ》稲荷《いなり》の雑木が右へ左へ、いまにも折れるかと思うばかり梢《こずえ》をゆする。
濡れ手を拭きもせず家の中へ駆け込むと、|ひと《ヽヽ》足先にもどった千登世が、火桶の埋《うず》み火を掻き起こし、あふれるばかり炭をついで部屋をあたためていた。
「芯《しん》まで冷えてしまいましたね。雑炊《ぞうすい》でも煮ましょうか」
「うん」
引き結んだ唇の端を、勝兵衛はグイッと一方へ|ねじ《ヽヽ》曲げる。一見、不機嫌そうな苦虫|面《づら》だが、じつはうれしさの裏返しなのである。古女房への親愛の情を、表情や口に素直に出すなど、
「男の沽券《こけん》にかかわる」
と信じこんでいる夫どもの、勝兵衛も一人なのだ。
ゆうべの食べ残しに水と味噌を加え、これも自家の菜園でとれた香りのよい韮《にら》をたっぷり刻みこんで|ひと《ヽヽ》煮立ちさせると、ちょうど夫婦で一椀ずつの、小夜食となる。勝兵衛の分にだけ玉子を一個割り入れたのは、亭主思いな千登世の心づかいであった。
「さあ、召しあがれ」
箸《はし》を取りながら、
「この風では孝作のやつ、おそらく夜巡りに駆り出されているだろうな」
独りごちるように勝兵衛は言う。
子のない彼は、甥《おい》の孝作を一年前、妹の家から養子に貰い受ける約束をした。
荒尾家とはあべこべに、他家へとついだ妹は男女合せて七人もの子持ちとなり、
「どうだ、末ッ子の孝作を、わしらにくれんか?」
兄の申し出にとびついたのである。
奉行所に頼んで勝兵衛は孝作を、手下《てか》の同心に傭《やと》った。
与力は公儀から扶持《ふち》をいただいている。小なりといえども幕臣だから、親から子へ、子から孫へ、願ってさえ出ればさしたる瑾《きず》のないかぎり、家督と共に与力の職を継ぐことができる。
しかし同心はちがう。奉行所が期限を切って傭い上げるいわば臨時職員なのだ。雇用期間が切れれば、そのつど改めて採用願いを出し、新規に傭われる形をとる。
実際には、何年何十年と勤めつづける同心が多いけれど、形式の上では期限切れのたびに更新の手続きがなされるわけで、同様「お上《かみ》」の御用にたずさわり、十手・捕り縄をあずかりながら、与力と同心では身分の差に、はっきり一線が引かれている。
でも、孝作の場合は、勝兵衛が養子縁組の届けを提出し、公辺《こうへん》に隠居を願い出て家督をゆずれば、与力職を継いで幕臣の末につらなることが可能なのだ。
とりあえず同心にし、組屋敷に住まわせてあるのは、
「町方の仕事に馴れさせるため」
という勝兵衛なりの目算からだし、まだ正式に入籍しないのも、
「いますこし、孝作の人となりを見きわめたい」
との、肚《はら》づもりによるものだった。
十七歳の若さでは、いたし方ないにしろ、どうも勝兵衛の見るところ孝作は優柔不断、剛健の美質に欠けているように思えてならぬ。
「やさしい子なんですよ、つまり……」
千登世の肩の持ち方からして気にくわない。
「あの通り目もとに愛嬌のある鼻筋の凜《りん》と通った美男子ですからね。娘ッ子などにちやほやされます。孝坊のほうも、ですからしぜん、人当りがやわらかくなるんですわ」
「孝坊とは何だ。軽輩とはいえ勤めに出ている一人前の男だぞ。親子の盃もしとらんのにデレデレと甘やかして坊や呼ばわりするから、いつまでも|ど性骨《ヽしようぼね》ががっしりしてこんのだ」
目もとの愛嬌も凜と通った鼻筋も、勝兵衛には生来まるっきり無縁だし、価値もみとめていないから攻撃は辛辣をきわめる。
そのくせ熱々《あつあつ》の韮雑炊をふうふう啜《すす》りながら、吹きすさぶ北風の下、市中警戒の任に出ているであろう孝作の空《す》きッ腹、その寒さを想像し、
(とろけかかって、味噌の味と混ざり合った半熟玉子のうまさ……。食わせてやりたいな)
チラと憐憫の思いが疼《うず》くのは、勝兵衛もまた柔弱な養子見習に、早くも親ごころめいた感情を抱きはじめたということだろうか。
2
やがて再び、夫婦はおのおのの寝床へもぐりこんだけれども、外が気になってなかなか寝つかれない。それでも明け方近く、やっと少しまどろめたのは、風が弱まり、あたりが静まったからだった。
そして起き出すころには、昨夜の荒れが嘘のように空はうらうら晴れ渡り、雀のさえずりさえいつもと変らぬのどかな朝となった。
門松が取れて十日目──。
暦の上ではもう春だけに、風さえ凪《な》げば日だまりは、陽炎《かげろう》が立つほどあたたかい。
勝兵衛はさっそく裏の空地へ廻り、埋めた布包みを掘り出した。このあと、うがい手水《ちようず》に身を清め、垣根越しに升目稲荷の神殿を仰いでうやうやしく柏手《かしわで》を打ったのは、烈風の夜が、無事に明けたことへの感謝であった。
朝飯をすませ、出仕の仕度をととのえて玄関を出ると、門前は掃き清められて、風のあとなのに落葉一つない。打ち水までしてある。
送ってきた千登世は、
「私ではありませんよ。通りまで出たのは、今日はまだ、いまが初めてですもの」
否定する。
「ではまた、『ハハイの婆さん』の仕業《しわざ》だな」
「店を開いてますよ。ほら、いつもの所に」
「早いなあ老人の朝は……。雀と一緒だ」
二人の視線の先に、着ぶくれた小柄な婆さまがちょこなんと屈《かが》まっていた。升目稲荷の鳥居ぎわに、雨の日以外はかならず店を出す飴売りである。
あきないをさせてもらう礼ごころからか、婆さんは稲荷の境内を清掃し、ついでに荒尾家の門前にもすがすがしく帚目《ほうきめ》を立てる。
「神さまへの奉仕はともあれ、うちの門前まできれいにさせては済まないわお婆さん。年寄りには骨が折れるでしょうに……」
千登世がことわっても、
「せめてものご恩報じでござります。ハハイ」
歯のない口をむぐむぐさせ、首をすくめるばかりで、一向に掃除をやめない。
白|ひと《ヽヽ》色の晒《さら》し飴だが、滓《かす》が残らず歯にくっつかず、噛むうちに柔かく溶けて上品な甘みが拡がる。なんとも旨《うま》い飴なので、境内を遊び場にしている子供ばかりか、参詣人や近所の大人たちまでが五文十文と買い求める。
婆さんがしおらしいのは、指の先ほどのくくり猿を、丹念に作り溜めて、飴に添えて寄こすことだ。景物のつもりらしい。
それを貰うのも楽しみで、けっこう客が多いから、はかない蓆《むしろ》店ながら売れ残る日はないようだ。
「達者で何よりだな婆さん」
柄《がら》にもなく勝兵衛が愛想を口にすると、いかついゲジゲジ眉に恐れをなすのか、
「ハハイ」
千登世に話しかけられた以上に老人はちぢみあがり、いじめられた亀さながら布子《ぬのこ》の衿に皺首《しわくび》をめり込ませる。
「わしはこう見えても下戸《げこ》でな。甘味にはうるさいほうだ。そのわしが太鼓判を押すのだからたいした飴だぞ」
「ハハイ」
「景物につける豆猿同様、飴も婆さんとこの手作りだそうだな」
「ハハイ」
何を訊《き》いてもハハイの一点張りである。当人は「ハイ」のつもりだろうが、恐縮の余り吃《ども》るので、「ハ、ハイ」となるのだ。
荒尾夫婦がこの飴売りを、『ハハイの婆さん』とかげで呼ぶのはそのためで、かくべつ恩をほどこした覚えはないけれど、
「たぶん、ちょくちょく飴を買ってやるからでしょうよ」
と結論づけ、したい掃除ならさせておくことにしている。
「おはよう婆さん。精が出るな」
「ハハイ」
と今朝も、慣例の挨拶を交してその前を通過……。石町《こくちよう》二丁目の役宅から堀端ぞいの道を、勝兵衛が歩いて勤務先の北町奉行所に出勤すると、大風のあくる日の寝不足は同じとみえて、同僚の与力たちはだれもが目を薄あかく充血させていた。
勝兵衛がおどろいたのは、やはり昨夜、
「火事があった」
と聞いたからで、
「ただし、燃えたのは人家じゃない。藁屑《わらくず》の山だよ」
と言う。
「そうか。あの烈風で、何ごともなく済むはずはないと思ったんだ。でも藁でよかったな」
「よくはないのさ。火の出た場所がね、江戸橋広小路の蜜柑《みかん》揚場《あげば》なんだ」
同役の大声を、
「まてまて森本、いま、何と申した?」
劣らぬ大声でさえぎったのは、執務にかかる前のひととき、かじかんだ両手を唐金《からかね》の大火鉢で焙《あぶ》っていた奉行の中山|出雲守《いずものかみ》時春である。
「江戸橋広小路といえば火除《ひよ》け地《ち》じゃないか」
「そうです。だからいま荒尾|氏《うじ》にも、場所がよくないと申したわけで……」
「よくないも何も、火除け地でボヤを出すとは言語道断な曲事《くせごと》だ。藁の焼失で済んだにせよ聞き捨てはならぬ。いったい、どういうわけか。仔細《しさい》を語れ」
と力《りき》み返る。
三十そこそこの血気ざかりなのでやたら張り切り、定刻より四半|時《どき》も前に出てくるのはまだしも、何ごとによらず針小棒大にさわぎ立てて点数をかせごうとする。
その焦《あせ》りが見え透《す》くので、勝兵衛ら奉行所内に根を生やしかけている古株どもは、
(若造め、浅ましや……)
つい心中、舌打ちしたくなるのである。
「仔細も蜂の|あたま《ヽヽヽ》もござらん」
森本新左衛門の返答も素気《そつけ》ない。
「蜜柑揚場の近くに積んであった掘っ立て小屋ほどの大きさの藁屑の山が、めらめらボーッと炎上したまででござる」
「火種があったろう。いくら燃えやすい藁だって、ひとりでに火に化けるわけはあるまい」
勝兵衛が上体をねじって、執務室にあてられている隣りの部屋を覗くと、手をあたため終った中山奉行は、次は尻を焙《あぶ》っているのであった。俗にいう股《また》火鉢……。すこぶる行儀がわるいし、寒がりでもある。とっとと歩いて来たせいか、勝兵衛など身体中が汗ばんでいるほどの陽気なのだ。
「申しあげます」
と、このとき、すかさず脇から口と膝を出してきたのは、これまた仕事熱心と出しゃばりの区別がつかぬ工藤佐七郎という若手与力で、かねがね勝兵衛あたり、
(中山奉行と工藤の二人で、北町奉行所を背負《しよ》って立ってる気だな)
苦笑まじりに見ている相手であった。
「おたずねの件につきましては、手前さっそく調査しました。それによると、火種になったのは蜜柑や野菜の運搬に従事した荷あげ人足の煙草の吸い殻でございます」
「そんなことではないかと思ったよ」
尻焙りを終了し、与力溜まりに入って来ながら、中山出雲守は大仰にうなずいた。
「で、下手人は判明したか?」
「入れかわり立ちかわり仕事にたずさわった人足の内、幾人もが咥《くわ》え煙管《ぎせる》の鼻唄で仕事をしていたそうなので、残念ながらどやつの不始末か、特定はできません」
「藁の山があるのに煙草を吸うとはけしからん。ただちに責任の所在を明らかにしろ」
「そのつもりです」
と、工藤与力が意気ごんで出て行った効果は、たちまち現れた。
一刻のちには江戸橋広小路をあずかる本《ほん》材木町一丁目二丁目の月行事、火除け地の見張番人、ならびに河岸《かし》ぎわに揚場を持つ十数軒もの蜜柑問屋と青物の問屋が、始末書を提出──。
「向後、このような不祥事を断じて起こさぬよう、人足どもの行動を監督します」
と詫びを入れて、一件は落着するかに見えた。しかし、そうすんなりいかないところが、中山の中山たる所以《ゆえん》で、
「そもそも事の起こりは藁の山である。場所もあろうに火除け地に、可燃物中もっとも燃えやすい藁屑を、大量に捨て去った不埒《ふらち》者をこそ処罰せねばならん」
息巻きはじめたのだ。
たぶん、そう来るだろうと予測して、奉行が言い出す前に勝兵衛は、
「おい、耳を貸せ」
甥の孝作をものかげに呼びつけた。
「貴様に手柄をさせてやる。朝からのボヤさわぎは知っとるだろ」
「いいえ。何のことですか?」
「何のことだとは何だ。ばかやろう」
「待ってください。きのうは夜っぴて市中を巡邏《じゆんら》してたんです。だから、出動した者は休息してよいと言われて……」
「眠ってたわけか。ふん。それならまあ、いいわ」
鼻|めど《ヽヽ》をいららがせ、声をひそめて、勝兵衛は口ばやに顛末《てんまつ》を語り、
「藁屑を捨てた張本人を洗い出せ」
と命じた。
「藁じたいは悉皆《しつかい》、灰になってしまったが、どうせ近|ま《ヽ》に住むやつに決まっている。界隈《かいわい》で藁を使う商売人を当れば、すぐさまホシはあがるはずだ」
「そうですね。畳屋とか、|こね《ヽヽ》土にスサを混ぜる壁塗りとか、俵を扱う米屋とか……」
「並べ立てるひまに、さっさと行かんかッ」
「はあ」
泡をくって孝作は飛び出す。しかし上手《うわて》はいるもので、彼が帰るより早く、工藤配下の同心が下手人を突きとめてもどって来た。一歩、先んじられてしまったのだ。
その報告によると、捨てられたのは藁屑ではなく、正月飾りの注連縄《しめなわ》だという。
「四日市町に住む植木職で名は辰造。年は二十八。歳末になると門松・蓬莱《ほうらい》飾りのたぐいを出荷するのだそうで、江戸橋広小路に投棄した注連縄も、正月の売れ残りということでした」
さっそく引っ捕えて尋問に及ぶと、辰造はさも心外そうなふくれッ面《つら》で、捨てたのではないと抗弁する。
「はけ切れなかった松や竹、裏白《うらじろ》なんぞが山ンなって、どうにも置き場がねえもんだから、注連縄だけをほんの|ひと《ヽヽ》晩、あすこに積ませてもらったんでさあ。むろん番人には断《ことわ》りましたよ」
「夜が明けてからは?」
「ご定法通り伝馬船《てんません》を傭って、永代浦のゴミ捨て場まで運ぶつもりだったんです。ところがあいにくの大風……。そこへ荷あげ人足の野郎が煙草をすぱすぱやりやがったってんですから、あっしどもに落度《おちど》は皆目《かいもく》ござりやせん。へい」
申し立て通りならば、なるほど罪科には処しにくい。
町奉行職の就任を、老中昇進への最短距離と心得て張り切っている中山奉行は、いかにも無念そうな顔で、
「帰れ」
辰造を無罪放免にしたけれども、つづいて奉行所内に巻き起こったのは、
「注連縄・門松のたぐいは、はたしてゴミなりや否や?」
という各人の宗教観まで問われかねない哲学的──いや、見ようによってはすこぶる即物的かつ現実的な大論争であった。
3
それというのも、辰造があまりにも高慢な面《つら》つきで、「ゴミ、ゴミ」と連発し、中山奉行までが同調して、注連縄をゴミ呼ばわりするのに、荒尾勝兵衛、森本新左衛門ら古参の与力どもが反撥したからである。
「大江戸八百八町」などと大づかみに言うけれど、東照|権現《ごんげん》さま御開府から百年たった現在、江戸の町数は千五百をかぞえ、人口も百万になんなんとする世界最大の都会にふくれあがっている。連日、吐き出されるゴミの量も、当然すさまじい。
再生利用を考えず、何でもポイポイ捨ててしまうこの、近年の風潮が、昔かたぎの勝兵衛あたりには、そもそも気にくわない。
「わしの祖父《じい》さまのころには、ゴミなど|けちりん《ヽヽヽヽ》も出なかったと聞いているぞ」
森本与力相手に、勝兵衛は慨歎する。
「それはなぜか。木《き》ッぱし一つ大根一本、鰯《いわし》一匹にしろ頭から尾っぽの先まで、徹底して使い切ったためだ」
「そうだよなあ。どうにもならんものだけを焼くなり埋めるなりしたけれど、あとの灰は畑の肥《こやし》にしたし、埋めるさいも道の窪地を選《よ》って、でこぼこを均《なら》すのに使ったものだよなあ」
と、森本もうなずく。
「それを、どうだ、近ごろの江戸の町民どもは……。物の大切さを|てん《ヽヽ》から忘れはてて、ちっと繕《つくろ》えば生き返る品々を惜しげもなく捨ておるわ」
「ほんの少し破れた蚊帳《かや》、塗りのはげた椀、口がかけただけの塩壺、柄《え》の取れた包丁」
「ガキどもまでが親を見習ってか、片腕もぎれた人形、半分も磨《す》らぬ墨、図柄が飽きただけの凧《たこ》、武者絵、なんでもござれで芥溜《あくただ》めへ|ぼい《ヽヽ》投げるぞ」
「田舎はそれほどでもないけれど、江戸はひどいなあ。物資があり余り、贅沢に馴れて、冥利《みようり》ということを考えなくなった」
「うちのそばに年寄りの飴売りが店を出すのだがな森本、客に渡す景物が小ぎれいな手縫いのくくり猿なのだよ」
同僚に、勝兵衛は『ハハイの婆さん』の話をした。
「小さいのは小豆《あずき》粒、ふつうは大豆粒、せいぜい大きくて|うずら《ヽヽヽ》豆ほどのその猿を作るのに、婆さんが知り合いの仕立職人から貰ってくる布というのが、端《は》ぎれ屋にも売れない裁《た》ちッ屑……。それでも紅絹《もみ》や鹿《か》ノ子や花柄がいとしい。むざむざ捨てられるのを見るに忍びず、『思い立った手すさびでござります。ハハイ』と言う。何ともうれしい心根《こころね》じゃないか」
「むかし者はみな、そうだ。裁ちッ屑にすら哀憐の情を抱《いだ》く」
「それに引きかえ、近ごろの若いやつらの罰当りぶりは目に余るなあ。あの辰造の言い草を聞いたか」
「やつは門松も扱って、その売れ残りを町内の芥溜めに押し込んだ。しかし近所の住民に文句を言われたため、注連縄の残りは捨てられず、やむなく橋の向こうの広小路へ|ひと《ヽヽ》晩限りのつもりで運び入れたと陳弁しておったな」
「いずれにせよゴミとしか見ておらん。でもな森本、門松や注連縄は、本来ゴミかよ」
「そうは思えんな、わしなどには……」
「そこが近ごろの若いやつらと、われわれ世代の違うところだ。歳神《としがみ》を迎える門松、神棚に張る注連縄を、ゴミと同列にしか思わぬ若造どもの神経が、にがにがしいわい」
当てこすられて、近ごろの若いやつら≠フ仲間である中山奉行が、沈黙しているはずはない。
「貴公らに講釈されんでも、門松・注連縄の使い道ぐらい、百も承知しとるよ」
と、やりとりの中へ割り込んできた。
「だがな、使い終ったり売れ残って空地に山積みされれば、もはやただのゴミにすぎん。さっさと処分せねば溜まる一方だし、辰造の件に見るように失火の因ともなりかねない。おもちゃ屋の老婆のくくり猿も」
「あいや、おもちゃ屋ではござらん。飴売り婆さん。くくり猿は飴の景物でござる」
「どっちだって大差なかろう」
団十郎ばりの大目玉を、中山奉行はグルリと剥《む》き出し、
「その婆さんの、裁ちッ屑への愛着や、貴公らの門松信仰などすでに老人のくりごと。百万都市の実状にはてんで合っとらん感傷論さ」
一刀両断してみせた。
「江戸中から、毎日毎日出るゴミの量が、どれほど凄いものか、監督官庁たる町奉行所の役人なら、貴公らにも身に沁みてわかっているはずだ。一日の遅滞もなく町内の共同ゴミ捨て場からゴミ舟がゴミを浚《さら》え出し、永代浦の築地場《つきじば》や新田造成地へ運んでさえ、あくる日はもう、同量の芥《あくた》がどっと溜まる始末……。合間《あいま》には、やれゴミ捨て場の清掃当番をずるけたの割りふりに依怙《えこ》があるの、ゴミ舟の人足が労力を惜しんで、半分も積み残したの不法投棄したのと、連日のようにゴミにかかわる訴えや悶着が持ち込まれるありさまではないか。くくり猿がいじらしいの神棚にまつった注連縄だから勿体《もつたい》ないのと、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないぞ」
「そうですとも」
これも近ごろの若いやつら≠ノ属する工藤与力が、たちまち迎合の狼火《のろし》をあげた。
「まったく奉行のおっしゃる通りですよ。町家からでるゴミだけでも大変なのに、諸大名の上《かみ》屋敷|下《しも》屋敷、旗本幕臣、大寺大社からもさまざまなゴミが大量に出ます。ことにすさまじいのは魚市場や|やっちゃ《ヽヽヽヽ》場、各種問屋の出す梱包用の資材ですな。俵だ縄だ紐だ木箱だ竹籠だ油紙だ|さんだらぼっち《ヽヽヽヽヽヽヽ》だと、かぞえあげたら|きり《ヽヽ》がありません。魚市場から連日積み出される臓物樽《わただる》だけでも、日に数十、月に数百──。近在の百姓が堆《つ》み肥《ごえ》にするのに買いつけるといっても、百万人が|ひり《ヽヽ》出す糞尿《ふんによう》だけで、もはや満杯の状況ですからなあ」
と、話はだんだん汚なくなる。
「その臓物や糞《くそ》と、門松・注連縄を同一視してよいのかと、わしらは言っとるのだよ工藤、それこそ|くそ《ヽヽ》味噌、一緒じゃないか」
「では、どうしろとおっしゃるのですか」
「焼けばいいだろ。不浄を忌むものは、浄火で灰にして埋めるのが一番なんだ」
「これは荒尾さんにも似合わぬ軽率なご発言ですな」
いまや工藤の鼻息は、当るべからざる勢いとなった。
「明暦の大火以降、公儀が左義長《さぎちよう》を禁じられたのは何のためです?」
「左義長?」
「いわゆるどんど焼き。七草すぎに門松を集めて焼く行事です。地方によってはこの火で餅など焙《あぶ》って食います。無病息災の|まじない《ヽヽヽヽ》だとかいってね」
「そんなことは知っとるわい」
満面、朱をそそいだ勝兵衛を、中山奉行はおもしろそうに横目で見ている。すぐカッカ怒るので、荒尾勝兵衛をもじって同心どもは、彼をかげで『腹を立つべえ』と呼んでいるのだ。
「どんど焼きはあぶない。巨大な火柱になる。火の粉を噴き出す。公儀が厳禁されたのも当り前だが、各人がめいめいの門口に掲げた松や蓬莱《ほうらい》、注連縄のたぐいを焼くぐらい、何でもないことだろう」
「いいや、危険だよ腹を立つべえ」
「は? 今なんとおっしゃいましたお奉行」
「荒尾勝兵衛と、貴公の名を呼んだ」
「ふふん、ごまかしおって……」
と、口の中での独りごと。それにしては大声だったが、中山出雲守は平気な顔で、
「松がとれる季節には春さき特有の突風が吹き荒れる。江戸市中幾十万もの世帯がめいめい火など焚けば、燃やす嵩《かさ》は小さくても不始末による火災発生の恐れは、ぐんと大きくなるぞ」
あとへひかない。
「竈《かまど》に突っこんで風呂や飯の焚《た》き物に使うのは、やっぱり神への冒涜だろう。それなら自己負担であれ町内負担であれ、とっとと割り切ってゴミ舟に積んでしまったほうが、あとくされがないというものだ。そう思わんか腹を立つべえ」
ちっとも、そうは思わないが、お白州開廷の刻限が迫ったため、論争は荒尾・森本派の旗色が悪いまま打ち切りとなった。
4
憤懣やるかたない表情で、この日、奉行所を出た勝兵衛は、升目稲荷の手前まで来て、
(おや? あれは孝作じゃないか)
立ちどまってしまった。
荷をしまいかけているハハイの婆さんに手を貸し、飴の箱を大風呂敷にくるんだり細引きをかけたり、まめまめしく働いている姿は、遠目にもまちがいない。甥である。
勝兵衛に対してはいじけた顔で、ひたすら「ハハイ、ハハイ」とくり返すだけの老人が、血を分けた祖母と孫さながらむつまじげに孝作と何やら喋り交している図も、勝兵衛の目には珍しく、いささか嫉《ねた》ましくさえ映った。
もっとも孝作は、婆さんにすればお得意さんの一人でもある。非番の日、明け番の日というときまって彼は、荒尾家へやってくる。
「組屋敷での自炊では、つい面倒がって茶漬けにたくわんか何かで済ましてしまうでしょう。それでは身体をこわすわ。ときどきうちへ食べにいらっしゃい」
千登世の誘いをよろこんで、精をつけにくるわけだが、婆さんが稲荷の鳥居ぎわに店を出しているときは、かならず|ひと《ヽヽ》袋ぶっ切り飴を買う。伯母への、ささやかな手みやげである。
したがって、顔見知りなのは当然にしろ、
(なんとまあ、親切なことか)
孝作の手伝いぶり、婆さんへの労《いたわ》りぶりに、勝兵衛は目をみはった。どうやらくくった荷を片手にさげて、孝作は老人を家まで送ってやるつもりらしい。
つれだって去って行くうしろ影を、勝兵衛は見送ったあと、先に帰宅して、
「おっつけ甥のやつが現れるぞ」
出迎えた妻に告げた。
「ちょうどよかった。たぶん今晩あたり来るのではないかと思いましてね、|いき《ヽヽ》のよい蛤《はまぐり》があったから少したっぷりめに求めておいたんです。でも、どうして別々に?」
「出先から|じか《ヽヽ》にこっちへ廻って来たんだろう。おまけにハハイの婆さんの荷持ち役を引きうけて、家まで送って行ったらしいよ」
「孝坊は気だてのやさしい子ですからねえ」
菜園の葱《ねぎ》でも抜くつもりか、勝手口へおりながら千登世は言った。
「年でしょうか、お婆さんも近ごろはめっきり足腰が弱ったようです。孝坊はきっと、見るに見かねたんだわ」
やがて飯が炊きあがり、茶の間《ま》に持ちこんだ七輪の上で、蛤鍋《はまなべ》がぐつぐつ音を立て出すころ、
「こんばんは」
玄関の格子のあく音がし、
「おいしそうな匂いですねえ」
孝作が鼻を|ひこ《ヽヽ》つかせながら入ってきた。
「待ってたのよ。外は寒いでしょ」
「伯母さん、はい、変り栄《ば》えしないけど、お土産の飴……」
「いつもありがとう」
「その飴だがな孝作」
勝兵衛はたずねた。
「ハハイの婆さんの住まいは、どのあたりなのだ?」
「ごらんになったんですね伯父さん。送ってやったのを……」
「荷台から床几《しようぎ》までを、ひっ担《かた》げて行ったじゃないか」
「隣り町の、甚助|店《だな》のとっつきが婆さんの家なんです。みすぼらしい長屋の一軒だけど、掃除好きなので、小ぎれいにくらしてますよ」
「家族はいるんだろ?」
「それがね伯父さん。きのどくなことに独りぽっちなんです。いえ、娘がいたんだけど、産後の肥立《ひだ》ちをこじらせて若死したとかで、あとに残ったのはそのとき生まれた女の子と、子の父親の入り婿《むこ》でした」
ところが、この婿が性の悪い無頼《ぶらい》であった。女の子が七ツになった年、知り合いの飲み屋へ子守《こも》り奉公に出し、十二歳まで五年年季の約束で給金を前取りしたあげく、行くえをくらましてしまったのだという。
「ひどい男だなあ、親のくせに……」
「小さな背に、重い赤ン坊をくくりつけられて、女の子は一日|三界《さんがい》、子守りぐらしです。そして赤ン坊が育ちあがってからは、勝手働きに回されたわけですが、色じろの、愛くるしい顔だちの子でね、この正月で十一になりました」
「あと年明《ねんあ》けまで一年か。よく辛抱したな」
「でも、すんなり辞《や》められそうもありません。主人の側が、着物の新調だ夜具の縫い直し賃だなどと、半分はでたらめな支出の立替えを、娘の肩に上乗せしてきているのでね、それというのも縹緻《きりよう》よしな子なので、年季明けと同時に新しく証文を書きかえ、今度は酌取り女として店に出したい肚《はら》なのです。柄《がら》の大きい、大人びた子なので、十二ぐらいになれば、外見だけでも、一人前の女として通用させられますからね」
「いかがわしい店なのだろう。酒の相手だけでは済まないぞ」
「婆さんもひどくそれを心配し、何とか上積みされた借金を返して、約束の年明け前に孫娘を手許に引き取りたいと、毎日|焦《あせ》っているんですけどね。しがない飴売りでは自分一人の口を糊《のり》するのがせいいっぱい……。くくり猿を景物につけても、利潤など知れたものでしょう。苦しいそんな中から、必死で十文二十文と溜めているのが哀れでね」
「つい、お前もなけなしの小遣い銭を割《さ》いて、時おり幾ばくかの助太刀をしてやっているというわけだな」
「助太刀だなんて……。わたしだってご存知の通りの薄給ですから……」
「ま、いいさ。給金の中からならどう使おうとお前の自由だ。貧しい者同士、支え合って生きるのは悪いことじゃない。ハハイの婆さんが『ご恩報じ』と称して、朝ごとに我が家の門前を掃いてくれる理由がこれでわかったよ。なあ女房」
「ほんとに孝坊は思いやり深いんだから……」
巧みに菜箸《さいばし》をあやつって、鍋の中の具を取り分けてよこしながら、
「剥き身より|だし《ヽヽ》を含んで、お豆腐がうまいのよねえ、お二人とも、たんとお代りしてくださいよ」
千登世は目を細める。
「うちの畑の葱が、おれは好きだ。霜をかぶってとろけそうに柔かい。あ、熱《あち》、熱《あち》ち」
舌をもつれさせ、
「お前なあ、孫娘とも懇意なんだろ」
なにげなく勝兵衛が口にしたひとことに、湯気の|ほてり《ヽヽヽ》とばかりは言えない血の色を、孝作は初々《ういうい》しく耳|たぶ《ヽヽ》に刷《は》いて、
「飲み屋のある町が、巡廻の持ち場なもので……。それより伯父さん。今日うかがったのはお願いがあるからなんです」
あたふた、話題を変えた。
「ふん、何だ?」
「お奉行や工藤与力を向こうに回して、論判なさったあの件ですけどね、わたしはまったく伯父さんや森本さんのおっしゃる通りだと思うんです。門松や注連縄をゴミ扱いするのはひどいですよ。聞いてて義憤を感じました」
「お前がかあ?」
「ええ」
「感心じゃないか。で、願いとは何だい?」
「わたしが使っている下ッ引きの一人に、惣吉って男がいます。かねがね生家が、葛西《かさい》在の大百姓だと聞いていたので、ためしに当ってみたところ『正月飾りを塵芥《ちりあくた》といっしょくたにするなんて、とんでもねえ話だ』と惣吉も憤慨しましてね、奉行所から鑑札が貰えれば、一手に引き受けて集めて廻ると言うのです」
「集めてどうする?」
「舟で葛西の持ち地所に運び、浄火で焼いて、灰はこれも塩で清めた浄地に埋めると言うんですよ」
「つまり焼却を請負って、各町内から請負賃を徴収しようというわけだな」
「人夫代や舟の借り上げ代がいりますし、葛西の土地も、総領の兄貴から相応の広さを年決めで借りるわけですからね。無料ではできません」
でも、信仰の対象物をむざむざゴミ溜めに捨てる行為に、抵抗感を抱いている町民は少なくないはずである。土一升、金一升の江戸という過密都市に住んでまんぞくに庭も空地も持たず、焚火にさえ法令の枷《かせ》をはめられている現状だからこそ、やむをえずゴミ扱いしているにすぎないのだ。
「ですからね、『お送り屋はりっぱに稼業として成り立ちますよ』と、惣吉は自信まんまんなんです」
「お送り屋?」
「門松や注連飾りだけではありませんよ伯父さん。七夕《たなばた》の笹竹、お盆の精霊棚《しようりようだな》、灯籠《とうろう》流し……。みんな頭痛の種じゃないですか」
「おう、盂蘭盆会《うらぼんえ》という難物も控えておったなあ」
満ちたりた腹の上を、勝兵衛は丁《ちよう》と叩いて唸《うな》った。
精霊迎えに用いる真菰《まこも》、白木棚、仏飯《ぶつぱん》や蓮の葉、くだものその他の供物《くもつ》、乗り物に擬した野菜の牛馬などが、盆が終った時点で川や海にどっと流されるのは、灯籠供養と同じく先祖の魂を水の力に託して、はるか幽界に送り返す習俗からきている。
しかし、江戸の場合はどうか。
年々歳々ふえつづける人口・世帯数に比例して、盆の品々も厖大な数量となり、それらが堀や川に流される結果、いたるところで流水がとどこおり、西瓜、真桑瓜《まくわうり》、巴旦杏《はたんきよう》、胡瓜《きゆうり》だの茄子《なす》がぷかぷか浮いて舟の往来を妨げる。はては腐敗して悪臭をまきちらすという社会問題に発展しつつあるのだ。
中山奉行みたいな気鋭の論客にかかれば、正月飾りと同様、精霊棚なども、
「使用済みのものはゴミとして処理せよ」
となること請け合いである。
「隅田川を根幹として四通八達している江戸市中の堀割りは、何のために開鑿《かいさく》されたのか。江戸湊に入る諸国からの物資を、各荷揚場まで水上輸送するためではないか。言うなれば堀割りは、江戸という巨大都市の生命をつかさどる血管だ。宗教行事かしらんが、その大切な動脈を瓜や茄子で詰まらせるなど、もってのほか。向後は精霊棚の水中への投棄を、いっさい厳禁する」
などと肝筋《かんすじ》立ててわめきかねない。
問題化しつつも、これまで禁止令が出なかったのは、かろうじてでも行政側の処理能力が、瓜ナスビの量を上回っていたからだが、
(もう今年あたりは、限界だな)
勝兵衛といえども予測せざるをえない。
──となると、注連縄論争を上回る保革の激突が、七月中旬、またもや北町奉行所内を震撼《しんかん》させる可能性はすこぶる大だ。
(おまけに七月は、北の月番ときてるわい)
保守ご先祖派の代表選手が勝兵衛と森本与力、革新現実派の旗手が中山奉行と工藤の青二才となるのは、正月からの成りゆきからして仕方がないが、去年、大城《たいじよう》の外堀までが盆灯籠の残骸で埋まった惨状を目撃しているだけに、
(舌鋒は、注連縄・門松のときよりさらに鈍るのではないか)
との、かんばしからぬ予感も生じる。
大局的には革新派の是《ぜ》とするゴミ処理でいながら、表向き保守派のよろこぶ宗教行事の延長を装い、そのじつ、がっちり事業としての|そろばん《ヽヽヽヽ》をはじいている惣吉の請願に、勝兵衛が食指をうごかしたとしても、あながち彼の不明を責めることはできまい。
「よし、『お送り屋』なる新商売、許可してしかるべきか否か、お奉行に議《はか》ってみよう。『しばらく待て』と惣吉に伝えろ」
「ありがとうございます伯父さん。お許しをいただけたら惣吉のやつ、どんなによろこぶかしれません。正月飾りのあと片づけはもう、間に合わないけれど、盆からは仕事にかからせてやってください。どうか頼みます」
我がことでもないのに飯のお代りそっちのけで、ぺこぺこ頭をさげる孝作の入《い》れ込みようも、あとから思えば胡乱《うろん》だったのである。
5
そうなのだ。惣吉はお盆の直前になって、肩代りを二人、物色し、鑑札を二重売りしたあげく、雲をかすみと逃げてしまったのだ。
中山奉行が、荒尾勝兵衛の話にとびつき、
「なるほどな。送り屋とはうまく考えたものだ。軌道に乗れば、ゴミにあらざるゴミの処分もある程度、片がつく。許可しようじゃないか」
あっさり首を縦《たて》に振ったのは、彼もまた精霊棚の始末に思いを致し、頑固頭《がんこあたま》の保守与力らを向こうに回して一戦に及ぶしんどさに、内心、うんざりしたからであった。
惣吉はこうして、つつがなく鑑札を手に入れ、計画の遂行に取りかかったのだが、肝腎の土地の入手に蹴つまずいて、|にっち《ヽヽヽ》も|さっち《ヽヽヽ》もいかなくなったのである。
「この通り、お上《かみ》のお許しをいただいて、大々的におっぱじめる送り屋商売だよ」
そう言って鑑札さえ見せれば、百姓の兄貴など手もなく恐れ入って、土地の貸借に同意するものと舐《な》めてかかっていたところが、あにはからんや、これが頭から末弟の惣吉を信用していないのだから始末に悪かった。
「あにょう吐《こ》くだ。手前《てめえ》みてえなヤクザ者《もん》が出まかせの法螺《ほら》ァ吹いて、兄《あん》ちゃを騙《だま》くらかそうたって、そうは問屋がおろさねえぞ。おおかたその鑑札だら言うもんも、にせものだんべえ。足もとの明《あけ》え内にとっとと帰《けえ》れ、極道野郎め」
噛みつかんばかりの剣幕で、説明もなにも聞こうとしない。警戒されるような不義理をこれまでさんざん、生家に重ねてきた惣吉だから、鼻をつままれるのは身から出た錆《さび》だった。
仕方なく、他人の土地を二、三あたってみたが、どれもうまくいかない。
「ええ面倒くせえ。おれにはやっぱりサイコロ渡世が性に合ってらあ」
と舌三寸でごまかして知り合い二人に権利を売りわたし、惣吉は要領よくずらかってしまったのである。
奉行所の、いわば臨時傭いにすぎない同心が、わずかな給金の中からほんの鼻ぐすりぐらいの手当で手先に使うのが下ッ引き岡ッ引きだから、その身分は吹けば飛ぶようなものだし、手当だけでは食べてもゆけない。
彼らの本業はヤクザ・博打《ばくち》うちなのだ。同心から渡される雀の涙みたいな金なんぞ、|め《ヽ》ではない。俗にいう『二足の草鞋《わらじ》』をはくことで、仲間うちに睨《にら》みをきかせるのが彼らの狙いであった。
同心たちも闇の世界に通じている博徒らを手先に使えば、蛇《じや》の道はヘビ……。下手人逮捕の実績があがるから、毒をもって毒を制する目的で、ヤクザ者との腐れ縁を切らない。
持ちつ持たれつ、おたがいに利用し合っているわけで、草鞋一足分の収入だけに頼りながら美人の女房と子分までを養い、なおかつ、投げ銭で|かっこ《ヽヽヽ》よく決める正義の味方的岡ッ引きなんぞ、つまりは|てれびどらま《ヽヽヽヽヽヽ》の中にしか存在しないのである。
惣吉あたりは遊び人の中でも下ッぱのペエペエだが、うまうまそのチンピラに乗せられ、一枚の鑑札を二重売りされたとあとで知って、知り合い二人はおどろいた。
「でもね、へたに事を荒立てて虻蜂《あぶはち》取らずになってもつまりませんぜ」
と、そこは惣吉の仲間だけに裏取り引きで話をつけ、一方が一方に金を払って権利を買い取って、六月なかばごろからお盆を当てこんでの送り屋稼業を開始した。
もっとも願い出た当人が入れ替っては奉行所の手続きがうるさいので、鑑札の名義人は『葛西屋惣吉』のまま、その手代・番頭、代理人になりすまして町々を廻り、家主や差配《さはい》、町役らを相手に、
「お精霊さまのあと始末を、丁重迅速に引き受けさせていただきます」
と勧誘したのである。
堀や川へ流す『魂《たま》送り』が、今年から禁止されるらしいとの噂も拡まっていたので、
「助かった。火災があぶないとあって市中で焼くのは法度《はつと》。流すのさえ禁じられては|あがき《ヽヽヽ》がとれない。ぜひお願いしますよ」
出費には代えられぬとばかり依頼があいつぎ、人足と舟を手いっぱい動員しても追いつかない盛業ぶりとなった。
でも、この男はあらかじめ、惣吉から、
「田舎へ運んで浄火で焼くなんてのは、建て前なんだ。奉行所も承知してるからね、永代浦でも六万坪|囲《がこい》でもかまわない。きまりのゴミ捨て場に置いてくればいいんだよ」
すこぶるお手軽な方策を聞かされ、それを真《ま》に受けていたので、人足どもに、平気でその通り実行させたばかりか、しまいには『江戸版・夢の島』まで運ぶのすら|ま《ヽ》に合わなくなって、隅田川河口近くの海中へ、どんどん運搬船の中身をぶちまけ出した。不法投棄である。
賃銭をねぎられた人足どもの、半分は腹|いせ《ヽヽ》もあったけれど、波に乗り満潮時の逆潮《さかしお》に乗り、周辺の海浜や隅田川沿岸一帯に水面も見えないほどおびただしい量の瓜ナスビ、巴旦杏《はたんきよう》のたぐいが漂い寄って、残暑の日ざしに容赦なく腐り、鼻が曲りそうな悪臭を放ちはじめたとの、附近住民からの急報に、荒尾勝兵衛は仰天し、中山奉行も、
「な、なんたる|ざま《ヽヽ》だ。こりゃあ……」
目を吊りあげて、事の糺明に乗り出した。
結果、惣吉の逃走と詐欺《さぎ》行為があかるみに出、代理人≠自称して儲けようとした男は、すぐさま鑑札を没収された。
しかし、これ以上さわぎを大きくすると、最終的に認可の断をくだした中山奉行じたい、責任を問われて窮地に陥りかねない。あぶないところで勝兵衛の首がつながったのは、
「ま、いいか。瓜もナスビもいずれとろけて沈んでしまう。河口や浜辺なら、堀割りを詰まらせるより幾らか|まし《ヽヽ》だものなあ荒尾。来年こそ、確固たる対策を立てようじゃないか」
痛み分けの曖昧《あいまい》な苦笑で、中山奉行がお茶をにごしてくれたおかげであった。
「すべての根元は、杜撰《ずさん》な仲立ちをした孝作にある。おっちょこちょいめ、許さんぞ」
家に呼びつけ、思うさま油を絞ってやる気で帰路についた勝兵衛は、
「訝《おか》しいなあ」
升目稲荷の前まで来て、足をとめた。
「ハハイの婆さんが、今日も店を出しとらん。送り屋の尻ぬぐいに追われてうっかりしていたが、そういえばしばらく姿を見ないな」
首をひねりひねり玄関の土間へ入ると、
「あなたッ、孝坊を叱らないでね」
千登世の肥満体がころがり出てきた。
「可哀そうに、泣いてますよ。十日ほど前に卒中で倒れた飴屋のお婆さんが、つい先ほど、息を引きとったんですって……」
「この履物は孝作のだろ。やつ、来てるのか」
はいと答えて、奥から現れた若者は、土間にとびおりるなり勝兵衛の足許に突っ伏した。
「どうか存分に、撲《なぐ》りつけてください伯父さん。惣吉から渡された五両の礼金に、つい目が眩《くら》んだわたしが、悪かったんです」
「口きき料をもらったのだな」
「飴屋の孫の借金が、おかげで返せました。客をとらされる前に、やっと自由になれたんです。帰ってきた孫娘の手をにぎりしめて、婆さんがうれし泣きしながらあの世へ旅立ってくれたのが、せめてもの慰めでした」
振り上げかけた拳《こぶし》を、勝兵衛は|ばつ《ヽヽ》悪げに、ゆるゆるとおろした。
(結句《けつく》はここへ、引きとる羽目になるかなあ)
天涯孤独の身となってしまった少女……。
(孝作が十七、その子が十一──。四、五年もすれば、似合いの花嫁花婿というわけか)
うまうま嵌《は》められでもしたような、腹立たしさ、こそばゆさに、鼻を|むず《ヽヽ》つかせながら、
「いつまでしがみついているんだ。邪魔だぞ。どけどけ」
妻と孝作を蹴りのけて、勝兵衛は座敷へあがった。仏壇に灯明がともり、千登世が供えたのか、くくり猿が一つ、香煙のゆらぎの中にぽつんと置かれている。
(あと一年──いや、せめて半とし生きていたら、婆さんは孫娘に、猿の作り方を教えたろうになあ)
そんな思いも、ふっとかすめた。
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瓜長者《うりちようじや》の野望
1
いつもは暗いうちに起きて芥溜《あくただ》めへ出勤≠キる佐吾平《さごへい》が、この日にかぎって寝すごしたのは、前日、夕方から女房のお種が産気づき、夜半すぎにしなびた赤児を生み落としたためである。
産婆など頼めるくらしではないから、陣痛をこらえながらお種が|へっつい《ヽヽヽヽ》の前にしゃがんで湯をわかし、いざ生まれたときは佐吾平が臍《ほぞ》の緒を切った。何回目かの出産なので、不器用な手つきだが慣れてはいる。
産湯《うぶゆ》を使わし、ボロ布にくるんで産婦のかたわらに赤ン坊を横たえると、ようやくほっとして瞼が重くなりはじめた。さすがにくたびれたのだ。
(でも、眠っちゃなんねえ。もうすぐ出の刻限だものな)
気を張っていたはずなのに、つい、うとうとしたらしい。
「お前さん、すっかり夜が明けたよ。行かなくていいの?……お前さん」
お種の、弱々しい声に、
「しまったッ」
あわてて飛び出して芥溜めへ駆けつけると、案の定、今朝《けさ》もまた魚与《うおよ》の臓物樽《わただる》がひっくり返って、路上にまで中身が散らばっていた。
それだけなら毎度のことだから急いで片づければいいのだが、こんなときにかぎって口やかましいお駒後家がゴミを捨てに来ていて、佐吾平を見るなり、
「どうしたんだねえ、いま時分のそのそ出てくるなんて……。佐吾さんお前、殿さまかい? お天道《てんと》さまを見てみな。あんなに高く昇ってるじゃないか」
がみがみ、こごとを浴びせてきた。
「すいません、じつは女房が産気づいて、夜っぴて介抱してたもんだから……」
「またかい。お種さんもよく生むよ。いくらほかに楽しみがないからって夜なべ仕事に精を出しすぎらァ。幾人だい? いま……。七、八人の子持ちだろ」
「そんな……お駒さん。さっき生まれた赤ン坊を入れて四人ですよ。妊《はら》んだのは七度だけど、二人ほど水に流したし、一度はお種が添い寝の乳房で……」
「圧《お》し殺したかい」
「い、いえ、あやまちです。もののはずみで、うっかり……」
「ま、いいやね、そんなことはどうだって。それよりこの臓物樽だよ。町内一統、きつく申し入れているのに、どうして魚与は蓋《ふた》をきちっとしめないんだい。まったく近所迷惑っちゃありゃしない。このまあ腥《なまぐさ》い匂いといったら、たまったもんじゃないよ。ヘドが出そうだ」
「すぐ掃除します」
佐吾平があたふた、水を汲んでもどってくるまに、ゴミを捨てに来た町民がまた一人ふえていて、まずいことにそれは、筒井|凌雲軒《りよううんけん》と称する寺子屋師匠の痩せ浪人であった。
独り者の凌雲軒が、女房とも子とも思って可愛がる三毛猫のミイを、かねがねお駒後家は臓物樽荒らしの下手人と睨《にら》んでいたから、
「困るじゃありませんか先生、お宅の猫を夜、外へ出すのはやめてくださいよ。ごらんの通りのありさまですからね」
すぐさま捻《ね》じこみにかかった。
「これはけしからん。うちのミイは夜歩きなどせんし、だいいち、かような汚《むさ》いものを食すほど腹をすかせてはおらぬ」
青しょぼたれた顔面を紅潮させて、凌雲軒先生が反撃に出たのも無理はない。キリギリスそっくりな主人とは逆に、ミイはまるまる肥えて毛艶《けづや》もよく、赤い、丸|ぐけ《ヽヽ》の首輪が似合う近所でも評判の美猫なのである。佐吾平の耳にすらお駒後家の非難は言いがかりに聞こえたが、鼻っぱしの強い彼女はあとへひかない。
「おなかがへってなくてもちょっかいを出すのが、猫の意地きたないとこなんです。げんにわたしゃ、ミイが鯖《さば》の頭をくわえて路地を走ってくのを見たことがあるんですからね」
「それは訝《おか》しい。ミイは好き嫌いのはげしいやつで青魚《あおざかな》には見向きもせん。どこぞ他家の猫とまちがえたのではござらんか」
「いいえ、ミイでした。首輪が赤うござんしたし、鈴がチリチリ鳴ってましたもの」
論判のまっただ中へ、樽を出した張本人の魚与の若い衆が、
「まだ運び出しちゃいねえな、やれやれ間《ま》に合ってよかった。もう一個、追加が出たんだ。佐吾さん頼むぜ」
新しくまた、別の臓物樽を担ぎこんで来たから事はますます面倒になった。
「ちょいと若い衆さん、この|ざま《ヽヽ》をごらんよ。ゆうべの内にお前ンとこで出した樽だよ」
「ひゃあ、ひっくり返しやがった。だれの仕業《しわざ》だい」
「だれもへったくれもあるもんか。猫にきまってらァな」
「待て待て後家どの、何を証拠にその猫を、うちのミイだと……」
「ミイじゃござりますまいて」
と、またまた一人、横から割りこんだ者がある。表通りに三間間口《さんげんまぐち》の店を構える麹屋《こうじや》の隠居爺さまだ。
「以前は魚与さんも、ろくさま蓋もせんで樽を出しなすったが、近ごろはわしらの言い分を入れてきっちり蓋をするようにならしゃった。猫の爪ではこじあけられぬ。鑿《のみ》でも使わんことにゃ埒《らち》のあかぬ|しろもの《ヽヽヽヽ》ですわい」
「そうとも、ご隠居の言う通りだ。こう、見てくれお駒さん、金槌でぶっ叩いて嵌《は》め込んだ木蓋がよ、猫の手におえるかよ」
「じゃ、どうしてこの樽の中身がぶち撒けられてんだよ、えッ? 蓋なんざ、あんなとこまで転がってしまってらァ、えッ? どこのどいつがあけたってんだよッ」
足もとの惨状を指さしてお駒後家は金切《かなき》り声をあげ、ついでに石をひろって、
「畜生、あっちへ行けッ」
投げつけたのは、腥《なまぐさ》い匂いを嗅ぎつけて野良犬が二、三匹、寄って来かけたからだった。
「ええ鶴亀鶴亀。乱暴はよしなされ」
麹屋の隠居がとめたのは、廃止されて二十年にもなるのにまだ、五代綱吉将軍時代のお犬さま保護令が、慣《なら》い性となって骨身にくいこんでいるからだろう。
「猫ではなく、臓物樽を狙うのは野良犬にちがいござらん。ああしてうろうろ、町内を昼間も徘徊している犬どもなら、人の寝しずまった夜中にどのような悪戯《わるさ》をしようと思いのままではござるまいか」
寺子屋師匠の推理を、
「犬じゃねえよう、鴉《からす》だよう」
まのびのした口調で論駁《ろんばく》したのは木ッぱ売りの小僧である。その言うところによれば鴉は群れをなして江戸の上空を旋回し、五、六羽ずつが早暁、持ち場ときめたおのおのの|てりとりい《ヽヽヽヽヽ》へ舞いおりてくるのだそうだ。
「でっけえやつらだぜえ。おらなんざチビだから、ひっつかまれて巣へつれて行かれそうだァ。おっかなくてよ、寄っつきもできねえけど、鴉が金梃《かなてこ》みてえな嘴《くちばし》で樽の木蓋ァこじあけるのを、なんべんだって見てらァ。ああ、雑作もなくあけちまうよ」
つまり鴉が樽の第一挑戦者となって存分に飽食したあと、野良犬が来て樽をひっくり返し、残りをいただく。最後にこれも宿なしの猫どもが集まって、すき腹を満たす。たまたまミイのような気位の高い飼い猫も、好奇心から通りすがりに寄って来て、遠くにころがった鯖の頭なんぞをくわえて走る。
「お駒さんの目撃したのは、そのような一瞬だったに相違ない」
と麹屋の隠居が結論づけるまにも、佐吾平一人は汗みずくになって散乱した樽の中身、流れ出した血脂《ちあぶら》の始末をし、ほかのゴミと一緒に叺《かます》に詰めて、きまりの舟着き場まで運び出した。
手押しの一輪車には叺が二つ積める。町内のゴミ取り人足を引き受けたさい、古材をもらってきて佐吾平が手造りした不恰好な車で、でこぼこ道を押して行くとガラガラ気恥かしいほどの音を立てるが、一つ一つ叺をかかえて運ぶ労力を考えれば、どれほどこの一輪車で助かっているかわからない。
ゴミ取り舟のつく舟着き場が他町にくらべて近いことも、佐吾平にはありがたい恩恵だった。彼の受け持つ芥溜めは二町内で三カ所だけれど、そのどこからも舟着き場まで、毎朝、五往復もすれば、いちおう一日分のゴミは箱舟の中へ浚《さら》え込めるのだ。
いまや町数千五百をかぞえ、人口百万に達しかけている世界第一の大都会江戸である。吐き出されるゴミも、当然、厖大な数量となり、その処理に公儀は頭を悩まさねばならなくなった。
「もったいないという気持が消え失せたのだわ。まだまだ使える品を惜しげもなく捨ておって、罰当りめが……」
と、昔かたぎの老人どもが慨歎したところで、戦国剛健の気風などというお題目はとっくにカビがはえて忘れられ、世はあげての使い捨て|ぶーむ《ヽヽヽ》。おしゃれや贅沢を美徳と見る風潮の前には、口を閉じざるをえない。
権現さまご開府このかた、ほぼ百年になんなんとする泰平──。これからもさらに百年二百年、打ちつづきそうな泰平の世の見通しに従えば、
「ゴミは今後、ますます増えるだろう」
との、恐るべき予測が成り立つし、
「ゴミの量は文明の|ばろめーたあ《ヽヽヽヽヽヽ》。年々江戸市民の生活水準が向上してきた証拠である」
との、楽観論も成り立つ。
そもそも江戸という町は、はじめ表通りにせよ裏道にせよ、道路に面してだけ家が建ち並んでいたのだ。
家々のうしろは共有の原っぱ……。子供が遊び、涼み台が持ち出され、張り板、洗濯ものが日に乾く隅っこに、大穴も掘られて、そこが共同のゴミ捨て場に使われた。
いっぱいになれば土をかぶせて、また別の隅を掘る。それで充分こと足りていたのに、ここ二、三十年のあいだにそんな空地や原っぱがずんずん姿を消しはじめた。
土一升、金一升……。地上げ屋の暗躍があろうとなかろうと、需要と供給の|ばらんす《ヽヽヽヽ》が崩れれば、地価はしぜんと高騰する。
原っぱの跡地には小家《こいえ》が建ち長屋がひしめき、必然的に消滅した穴にかわって、芥溜めを新設しなければ納まりがつかないありさまとなった。
そこで一町内に一、二カ所ずつゴミ囲いがつくられ、ゴミ取り人足と運搬業者が、これも町内|賄《まかな》いで傭《やと》われることとなった。佐吾平はここ、日本橋|堀留《ほりどめ》一、二丁目を受け持つ『船源』所属の人足なのである。
2
けんけんごうごう、まだつづいているかもしれない臓物樽《わただる》論争を尻目に、佐吾平が息せき切って一輪車を押しまくり、三カ所の芥溜めから五十近い叺を舟着き場へ運び終るか終らないうちに、はやくも下流から箱舟が漕ぎのぼって来た。
(どうにか舟より先に済んだぞ)
佐吾平は胸をなでおろした。一カ所でもゴミの取り残しをしようものなら、口うるさい界隈《かいわい》の町民に、またどんな文句を言われるかしれたものではない。
「待たせたなあ佐吾どん」
顔見知りの船頭が舫綱《もやいづな》を投げる。
「おいきた」
と先端をつかまえて杭に結びつけ、渡り板を掛ける佐吾平の手ぎわは馴れたものだ。叺を抱きあげて舟に抛《ほう》りこむ瞬間、中身によっては汚水が飛ぶ。臭いしぶきを浴びるのはたまらないが、これも給金の内と割り切って、佐吾平は渡り板を行ったり来たりしながら黙々と叺を運びつづけた。
「今日はこれだけだよ船頭さん」
「おう、ごくろうさま。また、あした……」
「たのむよう」
ギイギイと遠ざかる舟を見送って、
(やれやれ、ひと仕事、片づいたな)
気がゆるんだのだろう、佐吾平は思わず石段の角にへたりこんでしまった。軽いめまいに襲われたのである。
「おっと、あぶない。堀に落ちるよッ」
降ってきた声におどろいて顔をあげると、旅姿の中年者が石垣の端にしゃがんで、こちらを見おろしていたのであった。
「さっきから拝見していたんだが、お前さん、よく働くねえ、感心なもんだ」
褒められても、佐吾平にはピンとこない。きまりの仕事をきまり通り|こな《ヽヽ》しただけで、格別、精励しているわけではないのに、
「足もとがふらつくまで働いて、いったい幾ら町内から貰っていなさる?」
男はたずねる。そして佐吾平が、口ごもりながら給金の額を告げると、
「安いッ。そいつはべらぼうな話だ。無茶に安いぜ」
腹に据えかねたと言いたげな語調で、さかんに息巻きはじめた。
「まあ、こっちへ登っておいでよお前さん、くわしい話を聞こうじゃないか」
「くわしくも何も、芥溜めの掃除を請け負って、応分のお宝を頂くだけのことでして……」
それでもよろよろ、石段をあがって路上へ出ると、男は待ちうけていたように、
「腹ペコなんだろ。遠慮なくお食べ」
腰糧《こしがて》らしい竹の皮包みを渡してくれた。
「ど、どうしてそれを……」
「ひと目でわかったさ。そちこち正午《ひる》だけど、お前さん、朝めし抜きで出て来たな」
「じつは嚊《かか》ァが夜中に子を生んだもんで……」
「なるほど、それでゴミ浚えの刻限に遅れ、茶漬けも掻っこまずに飛び出して来たってわけか」
「お見透《みとお》しの通りです。へい」
「すき腹かかえて五十俵もの叺をあげおろししたんじゃ目も回るわ。さあ、ぱくつきなさい」
「でも、これは旦那の……」
「いいんだよ。わたしは朝めしを詰めこんで来たし、これから知人を訪ねて茶振舞いにもあずかる身だ。腹はくちいのさ」
押しつけられた包みを拡げてみると、特大の焼きむすびが三つ……。それに金山寺味噌とハゼの甘露煮、厚切りのたくあん漬けまで添えてある。生唾《なまつば》が湧き出して、
「お辞儀なしに、では頂戴いたします」
佐吾平は礼を言うのもやっとだった。
「どうせ旅籠《はたご》で作らせた弁当だ。うまくもなかろうが一ッ時《とき》しのぎにはなるだろうよ」
「とんでもない。盆と正月がいっぺんに来たほどのご馳走でございます」
追従《ついしよう》でも嘘でもなかった。大根の干葉《ひば》を刻みこんだ湯だくさんな薄粥《うすがゆ》さえ、満足には啜《すす》れぬ日常なのである。
産褥のお種、ひもじがっているであろう子供らの顔を思いうかべ、
(持って帰ってやりたいなあ、この焼きむすび……)
ほろりとするのを、目ざとく見てとったらしい。男は佐吾平のくらし向きを聞きほじり、
「よし、わたしが|ひと《ヽヽ》肌ぬごうじゃないか」
膝を乗り出した。
「お前さん五、六日、ほかの稼ぎに出ないかね? なあに、むずかしい仕事ではない。農家の下働きさ。青梅街道の振り出しに内藤新宿って宿場があるだろ」
「へい」
「そこから、そうさな、ものの十丁と行かぬうちに成子坂という坂にかかる。ここら一帯、真桑瓜《まくわうり》の産地だが、中でもずぬけた大百姓が庄屋の治右衛門という仁《じん》よ」
広大な瓜畑を所有しているので常時、人手が不足がちだ。ことにも実を採り入れる今じぶんは、猫の手さえ借りたい忙しさとなる。
「なにせ瓜ってやつは傷《いた》みやすい。ぐずついていると熟れすぎて畠で腐っちまうから人を大ぜい傭い入れて摘み採り籠詰め、やっちゃ場への運び出しなどをやってもらう。給金ははずむよ。ゴミ浚えの|ひと《ヽヽ》月分が五日で稼げるんだからたいしたものだろう」
「えッ? そんなに割りがいいんですか?」
「いいとも。先は瓜長者の異名を持つ鷹揚《おうよう》なお大尽《だいじん》だ。ちっとばかり麦はまじるけど飯は炊きたての白いのが腹いっぱい食えるし、おかずだってお前さん、今たべていなさるぐらいの物はいつでもつく。三度三度、味噌汁だって出るよ」
棚からぼた餅のうまい話だ。すぐにでも承知したかったけれど、
(だめだ)
佐吾平は、ぐったりうなだれた。たとえ五日でも彼がゴミ取りを休んだら、そのあいだ堀留町一、二丁目の芥溜めはどうなる?
(三カ所で、日に叺が五十俵。五日では五五の二百五十俵! ああ、とてもだめだ)
町役どもの閻魔面《えんまづら》が目に浮かぶ。半泣きになった佐吾平の心の内を、男はすばやく察したのか、
「何とでも言いつくろうことはできるじゃないか」
助け舟を出してくれた。
「お前さん、お江戸の産かね?」
「いや、下総《しもうさ》佐倉の在方《ざいかた》で生まれました。しがない野鍛冶《のかじ》の五男坊でございます」
「ご両親は達者かい?」
「よぼよぼながら、父親が一人……」
「それじゃあ、その親爺《おやじ》さまが大病ということにしよう。わたしは近所の者。たまたま商用で出府するついでに、お前さんの兄者にことづてを頼まれた、『病人が|ひと《ヽヽ》目、逢いたがっている。すぐ帰ってこい』とね」
「町役に、あなたさまがそう、おっしゃってくださるので?」
「委せなさい。うまく弁じてやるから……」
「暇《ひま》をもらえるでしょうか」
「親の臨終に、伜《せがれ》が駆けつけようというんだぜ。拒《こば》めるもんかね。もっともお前さんが成子へ行きたいと言えばの話だがね」
「お願いしとうございます。ぜひに……」
地べたへ佐吾平は額をこすりつけた。子供の頭数がふえた今、五日働いて一カ月分にもなる稼ぎ口を逃がす手はない。
男は佐吾平の名をたずね、
「わたしは三州屋弥介。口入れ稼業を仕事にしている。治右衛門旦那とは昵懇《じつこん》な間柄だよ」
と名乗った。そして、
「善は急げという。これからすぐ、頼みに行こうじゃないか」
佐吾平をうながした。
町役人は、表通りに店を構える商家の主人、家作《かさく》持ち土地持ちなど有力な町民の中から選ばれる。
今月の月《がち》行事は紺灰《こんぱい》問屋をいとなむ木村善兵衛、毛筆の卸商《おろししよう》文精堂喜八の両名で、うるさがたの多い町役のなかでも、とりわけ扱いにくい気むずかし屋だが、言葉たくみに弥介は彼らを言いくるめ、
「仕方がない。親の死に目とあらば出してやらぬわけにもまいるまい」
しぶしぶの許可を取りつけた。
「ただし佐吾よ、せいぜい四日、ぎりぎりに見積もっても五日目にはもどってこいよ。佐倉なら夜道をかけて片道一日半、行き帰り三日じゃ。中《なか》一日、病人をみとっても四日あれば事は足りるはず……。ゴミ取り人足で女房子を養うておるのを忘れなさるなや」
相当にきつい言い方だが、
(出てしまえばこっちのものだよ)
三州屋弥介に目くばせされて、
「へい、親爺の顔だけ見たら、とんぼ返りして来ます」
神妙に佐吾平は頭をさげた。
3
内藤新宿のすこし先なら旅仕度の必要はないし、持って行こうにも満足な着替え一つない貧乏世帯である。
豆をこぼしたような子供たちと、まだ起きられないお種を残して出るのが気がかりだが、
「よい稼ぎ口が見つかったんだ。少しまとまった金を握って帰るからな、人には言うなよ」
口止めし、隣家の糊《のり》売り婆さんに世話をたのんで、弥介の待つ舟着き場へ佐吾平は一散《いつさん》に走りもどった。
肩を並べて、いざ歩き出してみると、しかし不安にもなってくる。騙されて、とんでもない所へつれて行かれるのではないか?
(ばかばかしい。佐渡の金山《かなやま》へ叩き売られたにしろ、ゴミ取り人足とさして違いはないじゃないか)
よれよれ布子《ぬのこ》の佐吾平では、身ぐるみ剥《は》いだところで一文にもなるまい。むしろ身なりなら弥介のほうがはるかに上等だった。木綿の縞物《しまもの》ながら着物は仕立おろしだし、手甲《てつこう》や脚絆《きやはん》も|ま《ヽ》新しい。腰に差した煙草《たばこ》入れまでが、根じめに象牙の布袋《ほてい》をあしらった印伝革《いんでんがわ》なのである。
四谷の大木戸をぬけると、あたりの景色は急に鄙《ひな》びてくる。番小屋のわきに渋茶の担《にな》い売りが出ているのを見て、
「くたびれたな佐吾平さん、一服しようや」
煮花をおごってくれたのも弥介だ。路傍に突っ立ったまま欠け茶わんで飲む茶でも、乾ききった咽喉《のど》には甘露にひとしい。
「権現さまご入国のころ、このへんは右ひだりとも崖に挟まれた一本道だったそうな。関を築くには打ってつけの地形《ちぎよう》ということで、大木戸を構えて往来の旅人を改められた。のちに木戸は廃され、町内持ちのこの番小屋だけになったんだよ」
「どうりで、見回しても木戸らしいものはございませんな」
「土地《ところ》の名にだけ残ったわけさ。でも、ごらん、番小屋の中には突棒《つくぼう》や刺股《さすまた》、|※[#「金+戻」]《もじり》など、こわい道具が飾ってあるだろ。昔のお関所の名残《なご》りだろうね」
と、弥介はもの知りぶりを披露する。
「さて、行こうか。もうすぐだよ」
路面も、それまでの石だたみとはちがって、雨降りの日の泥濘《ぬかるみ》がそのまま干し固まったひどく歩きにくいでこぼこ道となる。風に舞い立つ土ぼこりまで馬糞くさい。
新宿の名の通り、新しく宿駅が設けられた当座は、毒茸さながら生《は》え拡がった私娼窟も、刃傷事件が起きたためお取りこわしとなり、
「見る通り、すっかり今はさびれてしまった」
とも弥介は言う。でも、しぶとく生き残ったか生《は》え変ったか、それらしい小店がぽつぽつ建ちはじめ、白粉《おしろい》まだらな女どもが行き交う旅の者や馬子|駕籠《かご》かきなどに、まっ昼間ながし目をくれる姿も見られる。
足ばやにそこを通過して、
「右、八王子・青梅道、左、甲州路」
の石柱が立つ分かれ道に出た。青梅街道と甲州街道の出発点──追分《おいわけ》である。
弥介と佐吾平は道を右手にとり、成子坂の上にさしかかったが、もうここらからは目の行くところ、どこまでもつづく瓜畑だ。さすが『成子瓜』の名で呼ばれ、江戸市中の真桑瓜の消費の、半分をまかなう名産地だけのことはある。
「坂をくだると、神田上水にかけ渡された淀橋……。その先が中野村、橋の東側に鎮《しず》もるのが熊野十二社、手前、西側にこんもり茂る森の中が、瓜長者治右衛門大尽の屋敷だよ」
指さして教える弥介はもちろん、
「のどかな眺めでござりますなあ」
感じ入ってうなずく佐吾平も、この日からかぞえておよそ二百年後、彼らの眼前にある瓜畑が、新宿副都心なる市街地に変貌……。|のっぽびる《ヽヽヽヽヽ》と称する奇ッ怪な建造物群が天空を突きさす勢いで林立することになろうとは、神ならぬ身の知るよしもなかった。
──着いてみると、遠目に見たよりもなお広壮な瓜屋敷の造りだし、待遇も三州屋弥介が保証した通りだった。
「この方《かた》が、お前さんたち日傭いの作男の束《たば》ねをしていなさる小頭《こがしら》だからね、かげ日向《ひなた》なくお指図に従って働くんだよ」
と、弥介は佐吾平を、鉄五郎というがっしりした体格の男に引き合せ、それっきりいなくなってしまったが、
「さあ、あんたは籠詰めを手伝っておくれ」
すぐその場から畑へつれて行かれ、瓜の山に立ち向かうことになったため、かくべつ気にもとめずに働きだした。
佐吾平のほかにも同じような臨時傭いがたくさんいて、夜は大きな納屋《なや》で蓆《むしろ》をひっかぶってごろ寝する。弥介は言わなかったけれど八ツ時《どき》には深井戸に吊るした冷やし瓜がふんだんに出るし、夜なべ仕事になった日は里芋や枝豆の塩|茹《ゆ》でなど小夜食もふるまわれた。
給金は小頭が、毎日きちんと現ナマで支払ってくれる。ゴミ取り作業の何倍もの高給だから、
「ありがたい、ありがたい」
佐吾平はそのつど押しいただき、
「なんなら十日でも二十日でも働いていいんだよ」
と言われて、
「で、では、十日の間お世話になります」
つい、ふらふらと日延べを申し入れてしまった。佐吾平だけではない。給金と待遇のよさに幻惑されて、だれもが容易に帰ろうとせず、中には、
「もう|ひと《ヽヽ》月の余《よ》もここの畑で這いずり廻ってらあ」
と打ちあける古株までいる。
新旧さまざまな|ばいと《ヽヽヽ》仲間と親しくなるうちに、佐吾平はしかし、訝《おか》しなことに気づいた。いつも組んで仕事をする仙次という男に、
「あんた、本職は何だね?」
たずねると、なんと、
「ゴミ取り人足だよ」
と答えるではないか。
「へええ、ご同業かい。じつはおれも日本橋堀留の芥溜めを受け持つ人足なんだ」
「佐吾さんも!?」
仙次は目を丸くし、その目をぱちくりさせながら、
「ほら、あすこで瓜のもぎ採りをやってる小作りな中《ちゆう》じいさん──作さんっていうんだが、あの人も牛込船河原町のゴミ人足だし、いま荷車のあと押しして畦道《あぜみち》を出て行った胡麻《ごま》塩あたまの男も、あれはたしか、丸山片町の、やっぱりゴミ浚えだそうだぜ」
と言う。
「どうしてまた、成子のこの瓜畑に、ゴミ取り人足がそんなに集まっちまったんだろう」
「わからねえ。けど、もっといそうな気配もする。今夜寝しなにでも数を取ってみよう」
と納屋に引きあげてから訊《き》き廻ってみておどろいた。八十人近い作男のうち、半分以上が江戸市中あちこちのゴミ取り人足、しかも彼らを|すかうと《ヽヽヽヽ》して来たのはすべて三州屋弥介と判明したのだ。
(変だぞ。こりゃあ何か、裏に企みでもあるんじゃないか)
うす気味わるくなった佐吾平が、ちょうど約束の十日目が来たのを機《しお》に小頭に申し出て暇《ひま》をとり、稼ぎ溜めた金をしっかり握りしめて堀留二丁目の裏長屋へ走りもどってみると、赤ン坊ごとせんべい布団からころがり出て来たお種が、
「どうしたんだようお前さん」
涙声を張りあげた。
「四、五日で帰るだなんて言うから、そのつもりでいたのに、いったい幾日、留守したと思うんだよう」
「わるかった。一日勘定で貰う銭《ぜに》の高が、あんまりいいもんだからつい、日延べしちまったんだ。その代りほらお種、人足働きの二月《ふたつき》分をたったの十日で稼いだぜ」
「こっちはそれどころじゃないんだよ。ゴミが溜まって溜まって町内の芥捨て場は三カ所とも山のよう……。臭いわ汁は流れ出すわ鴉や野良犬は群れたかるわ、この陽気だもの下積みのほうから腐って、近くの家はブウブウ言い出すわ、町役人は火の玉みたいに熱くなり『佐吾めはまだ帰らんか』と、入れ代り立ち代り責め問いにくる始末さ」
「それを気にかけてはいたんだが……」
「仕方がないから『たぶん佐倉の病人が息を引きとって、通夜だ葬礼だと足止めされているのでしょう』と言いわけに汗をしぼったけど、ゴミが溜まっただけじゃないんだよ。もっと大変なことが起こっちまったんだ」
「大変なこと? な、なんだい、そりゃあ」
「わたしら、お払い箱になるんだと……」
「おれが十日も留守したためか?」
「いいえ、それはそれとして腹を立ててはいなさるが、町役衆が言うにはお上《かみ》のご意向で、江戸中のゴミ人足をご用済みにするんだそうだよ」
「なぜだろ」
「筆屋の文精堂さんが来て何やらごちゃごちゃ言ってたけどね、|しち《ヽヽ》むずかしくてわたしには呑みこめない。『帰り次第、佐吾を寄こせ』と言ってたからお前さん、お詫びかたがた、わけを聞いてきておくれよ」
せかされるまでもない。佐吾平はその足で月行事の家へすっとんで行った。
4
ゴミ人足がもどって来たのを見て、文精堂喜八はただちに触れを回し、同役の紺灰問屋木村善兵衛はじめ、町役人一同の参集を求めた。佐吾平がいない間に町奉行所から召し出しがあり、
「ゴミの収集方法を、新しいやり方に変更する件」
について、各町々の町役たちは諮問《しもん》された。それをここ、堀留一、二丁目でも鳩首《きゆうしゆ》、検討しようというわけである。
「毎日のくらしに関わることだからね、たかがゴミとはいえないよ。町役どもに勝手な取り決めをされてはたまらない。わたしらも、もの申しに出かけようじゃないか」
誘い合って、何であれ町内のできごとというとかならず出しゃばる一言居士の麹屋の隠居、お駒後家、糊屋の婆さん、はたまた寺子屋師匠の凌雲軒先生までが愛猫のミイをふところに抱いて馳せ参じたから、筆屋の店先は土間にまで人が溢れるほどの大入り満員となった。
「さあ、もっと前へ出なさい佐吾さん、今日の寄り合いの要《かなめ》はあんただ」
紺灰屋の善兵衛旦那にジロリと睨まれて、
「申しわけありませぬ」
小心な佐吾平はちぢみあがった。
「五日のお約束がつい、延びまして、ご町内にえらいご迷惑をかけちまいました。へい。ご勘弁くださいまし」
「お父《と》ッつあんが他界しなすったそうだな。お種さんがそう言うていたよ」
「へ、へ、へい」
「ま、ご不幸とあればやむをえんが、今回のこの、佐吾さんの例でも実証済みのように、町がかえのゴミ取り人足が私用で五日も十日も仕事から離れると、とたんに芥溜めが満杯となり、町民の日常にさしさわってくる。そこで奉行所の提案だがな、『江戸中のゴミ処理を大手業者に一括して請け負わせてはどうか』というのだ」
「ほほう、するとつまり、その業者は官許となり、ゴミ取り事業も官営の形をとるということになるわけですな」
町役の一人が首をかしげ、その尾について、
「そりゃあ考えものですぜ」
さっそく麹屋の隠居が異議を唱《とな》え出した。
「はじめのうちはそうでもないけど、官許となるとお上の威光を笠に着て、だんだん頭《ず》が高くなるのがその手の業者の通弊です。町民の言うことなんざ、きかなくなる。手抜きや横着が当り前になっても、文句一つ口にできないんじゃ困りますよ」
これまでのゴミ処理は、百五十軒ほどの請負業者が江戸の町々を、それぞれの能力に応じて分担していた。
問題が起こったとき取りしまる監督官庁は町奉行所だが、業者を選び、金を払ってゴミ処理を委託するのは各町々だから、その町の広さ狭さ、住民の多さ少なさ、財政のゆたかさ貧しさなど、さまざまな条件を勘案し、町に見合った業者にたのむことができる。
げんに堀留一、二丁目を受け持っている『船源』という業者は、箱舟が二艘、船頭が四人、町々に駐在させるゴミ人足が、佐吾平もそうだが常時一人、受け持つ町数もわずか六町という小ぢんまりした業態だ。
それだけに賃金は他の業者にくらべて一割がた安いし、毎朝きちんと集めに来て、取り残しをしない。このたび佐吾平の引き起こしたゴミ十日分の滞留事件≠ネどという不祥事は、例外中の例外なのである。
「それにさ、ゴミ人足が佐吾さんみたいに町の住人だと、芥取りのほかにもいろいろな用が気やすく、すぐにでも頼めるんじゃないかしらね」
と、お駒後家も発言に及ぶ。
「ここらじゃそんなこともめったにないけど、たとえば将軍さまのご通行だ奥女中のご代参だなどというたびに、町によっては通りの掃除をしなきゃならない。この町内だってドブの泥を浚《さら》ったり道ばたの草をむしったり、往来のでこぼこを均《なら》すなんて用事は、みんな佐吾さんにやらせてるでしょ。それ祭りだ普請《ふしん》だ引越しだなんて人手がほしいときも、佐吾さんなら二丁目のお歯ぐろ長屋に住んでるからいつでも頼める。これが官許の大手業者とやらになってごらんなさい。そうはいきますまいよ」
「お駒さんの言う通りだね」
糊屋の婆さんといえども黙ってはいない。いっぱししゃしゃり出て意見を開陳するのだからこの辺の女権は強い。もっとも婆さんはまだ六十五。歯なんか一本だって欠けてはいないのである。
「御用筋をひけらかす請負人になど肩代りしたら、さっと来てさっと掻き集めて、さっと消えちまうにきまってるさ。雑用なんぞ頼めるもんかね」
「そうだそうだ」
「ながいなじみなのに、いまさら佐吾さんをお払い箱にするなんて可哀そうだぜ」
「女房子までが路頭に迷わあ」
ガヤガヤ言い出した町民の声に、佐吾平は居たたまれず、まっ赤になってうつむいた。いかに貧苦に責められればとて、瓜もぎ|あるばいと《ヽヽヽヽヽ》の高給に釣られるなど、ゴミ取り人足の風上にもおけない行為だった。
(すみませんお駒さん、みなさん)
心の中で、手をついて詫びた。
「お静かに願いたい」
と、一同のガヤガヤをこのとき、大音声《だいおんじよう》で制したのは紺灰屋の木村善兵衛だ。
「佐吾への同情もさることながら、官許の業者による独占営業にはまた、それなりの利点がござる。いま、それを申しあげる」
懐中をかきさぐって取り出したのは、大手業者が奉行所に提出した請願書の写しである。
「よいか。よう聞きなされよ」
咳払いして、善兵衛は読みあげた。それによると出願人たる業者は、
「ゴミ処理の賃金を、百文につき五文ずつ引きさげること。支払いを受けるさい切れ小判を歩《ぶ》なしで引き替えること」
の二つを、条件として示してきたという。
「ほほう、それは耳よりな話ですなあ」
いっせいに膝を乗り出したのは、表通りに店を構える旦那衆である。
「切れ小判を歩なしで引き替える」
というのは、端が切れたり一部分が欠けたり、あるいは全体にすりへったりして、貨幣価値が減少した小判を、
「割り引きなしに、一両なら一両の表示価格通りに受け取りましょう」
ということで、これは商人なら飛びつかずにいられない好条件であった。
公儀は青すじ立てて、
「切れ小判の受け取りを拒んだり、突っ返したりしてはならん」
と言いつづけている。
「三|分《ぶ》までの切れ一カ所、三|厘《りん》までの量目不足は切れ小判と認めない。天下のご通用金であるぞ」
でも実際にはだれ一人、切れ小判などをまともにやりとりしてはいない。価値の不足分を割り引いて、支払ったり受け取ったりしているのが実情だから、それを価格通りに持っていってくれるとなれば、どんなに助かるか知れないのだ。
「ゴミ取りの賃銭を値引きする」
というのも、その支出を負担している商店の旦那や土地持ち家作持ち階層には、聞き捨てならぬ申し出であった。
裏町でも借家でも、小庭ぐらい付いた一軒建ちなら、小間一間《こまいつけん》について幾らというように割りふって取られるし、ましてその借家の家主だったり地主だったり、表通りに五間|間口《まぐち》、十間間口の店など持つ連中となると、月々の負担はばかにならない。
そこへゆくと長屋住まいの貧乏世帯は気楽なものだ。ゴミ取り賃にかぎらず、町用の役銭など一文も出さなくてよいのである。
そのかわり公儀は彼ら熊さん八ッつあん連を、正規の江戸市民と認めてはいない。もともと、
「江戸にさえ行きゃあ何とかなるさ」
と、風に吹かれる鉋屑《かんなくず》さながら、近郷近在から集まって来た根無し草だ。江戸で食いはぐれればまた、どこへでも流れ出てしまうような手合いに、住民としての責任感や自覚を求めたところで、どだい無理というものだろう。
生活の基盤をきちっと江戸に置く人々こそ、本当の意味での江戸市民だから、さまざまな出費や諸役の義務を負わせる一方、公儀は彼らに町内の自治をまかせ、それなりに権限を与えている。発言権もその一つだが、えてしてこんなとき衆をたのんでがなり立てるのは、がなる権利など初手《しよて》から持ち合わさない裏長屋族である。
表通りの旦那衆や大家《おおや》地主、差配らが大手企業の提示した好条件に動揺し、ゴミの一括収集方式に傾きかけたと見て取るや、
「いけないよ、お上の息のかかった業者なんて、まっぴらだよ」
「ここらみたいな小態《こてい》な町は『船源』あたりでちょうど間に合う。今まで通りでいいじゃありませんか」
糊屋の婆さんを先頭に、ふたたびガヤガヤが再燃したが、これに対抗して文精堂いわく。
「ちんまりと家族的なのが、かならずしもよいとはいえない。佐吾めが十日も実家にいつづけし、町内三カ所の芥溜めが溢れ返ったのは、ゴミ人足との日ごろのつき合いが裏目に出た例だ。人情の絡《から》まない業者なら一日半日の遅滞にだってびしびし文句が言えるだろう」
「文句なら、同町内に住んでる佐吾平でこそ言えるんだ。出願人の大手業者ってのは、どこに住んでる何者です? 文精堂さん」
「なんでも内藤新宿の先の成子村とか中野村とかで庄屋を務める大百姓だそうだ。名はたしか……治右衛門といったな」
請願書を拡げ直してたしかめる文精堂の言葉に、
(そうかッ、瓜長者め、そうだったのかッ)
おそまきながら佐吾平は、その魂胆を見破った。いまや江戸のゴミ集めは、治右衛門のような資本家の目に、事業として立派に採算の取れる巨大な儲け口とうつったのだ。
そこで三州屋弥介ら口入れ業者を手先に使い、町々のゴミ人足を甘言で釣って瓜畑におびき寄せた。しんじつ人手の入用な農繁期なのだから、高給を払い、少しばかり優遇したところでまるまる損にはならない。
作戦は功を奏し、人足を|ばいと《ヽヽヽ》にとられた町々はゴミの山となる。町民は腹を立てる。困却もする。その|たいみんぐ《ヽヽヽヽヽ》を狙って奉行所に請願書を出し、一気に世論を一括収集方式に持っていってしまおうというのが、瓜長者側の意図だったのである。
(ちくしょう、はかられたッ、仙次さんも今ごろ臍《ほぞ》を噛んでいるだろうなあ)
しかし事実を打ちあければ、嘘をついたことがばれてしまう。
(でも、このさい、いちぶしじゅうをぶちまけて、町民のみなさんにあやまっちまおうか)
青くなり赤くなり、佐吾平が迷っているまにも、
「内藤新宿の先だなんてとんでもない。急に人手が入り用になったとき、請負人がそんな遠くにいたんじゃあ佐吾さんを頼んだ今までみたいに、おいそれとはいきますまい」
論争は白熱化……。収まりのつかない騒ぎとなった。猫のミイまでがニャニャウー、ニャニャウーと凌雲軒先生のふところから鼻づらを突き出し、反対のおたけびをあげる混乱状態では、審議の継続などとても無理だった。
5
やむなくいったん、この日は解散し、あらためて町役だけが集まって幾つか疑問点を洗い出した。そしてそれを箇条書きにして町奉行所へ持参したのである。
堀留一、二丁目だけではない。他町の不安や気がかりも、だいたい似たようなものだったから、奉行所はこれを申請者の成子村治右衛門に質《ただ》し、治右衛門側はさっそく町役らの疑念について答申してきた。
「その内容は、左のごときものでござる」
と、奉行所からの写しを咳払いしつつ読みあげたのは、今回も月行事の紺灰屋善兵衛であった。
答申によると、広大な江戸の町々のゴミ処理を一元的かつ迅速|叮嚀《ていねい》にとりおこなうために、申請人はまず第一に、芥除《あくたよ》け会所《かいしよ》の設立を考えているのだそうである。
「会所?」
つまり業務を管理する総合事務所──。|こんぴゅうたあ《ヽヽヽヽヽヽヽ》こそ置かないけれども、ここに頭脳優秀なる役方および手代を詰めさせて、ゴミの処理状況を把握させ、監督させる。
「大小にもよるけれども町は五町から七町ほどを一つにまとめ、一地域ごとに小頭を二人ないし三人ずつ配置して、彼らが常時、人足の働きぶりを監視する」
「ほほう」
「そのまた小頭の勤務評定は、改方《あらためがた》の手代が毎日現場を廻って採点するのだから、怠けたり手を抜いたりはできないし、これまでの町がかえ人足のように稼ぎのよい働き口があると、五日も十日もいなくなるなどといった言語道断な所業は絶対ゆるされない」
「ほほう」
「万一、よんどころない事情でゴミが溜まったり残ったり、あるいは臨時に出るなどという事態が生じたさいは、小頭の詰め場か会所に通報してくだされば、ただちに駆けつけて処理する、とまあ、こう答申してきたのでござるよ」
「ほほう」
感服の余りとはいえ町役一同、梟《ふくろう》にでもなったように「ほほう、ほほう」の連発である。
佐吾平は気が気でない。とうとうその晩、かねて聞いておいた深川西町のボロ長屋に、瓜採り朋輩《ほうばい》だった仙次を訪ね、
「どうしたもんだろう」
相談した。
「おう佐吾平さん。こっちからじつはお前さんちへ出かけようと思ってたとこだ」
「やっぱり仙さんの町内でも、一括請負を承知しそうな按配《あんばい》かい?」
「おれたち人足風情が歯ぎしりしても、かなう相手じゃない。押し切られるのは目に見えてるよ」
「そうか。ご同様、防ぎはつかないか」
「仕方がないから瓜畑を這いずり廻ったゴミ取り人足仲間が集まって、治右衛門長者の屋敷へ歎願しに行くことになったんだよ」
「何の歎願だね?」
「きまってらあな。大手業者の一手引き受け仕事に変っても、ゴミ取り人足だけはこれまで通り、町々に住むおれどもにやらせてほしいと願って出るのさ」
「くやしいなあ。いまさらあの瓜大尽に頭をさげて、身柄を拾ってもらうなんて……」
「お払い箱になるかならぬかの瀬戸ぎわだぜ佐吾平さん。てんでんばらばらではおれたち、何の力も出せないが、頭数がまとまればこの急場を乗り切れるかもわからない。ぜひ来てほしいとみんなに誘われて、お前さんにも知らせに行こうとしてたやさきなんだよ」
「で、いつ成子坂へ出かけるんだね?」
「ぐずぐずしてはいられない。あす、ゴミ出し仕事が終ったあと、夕七ツに四谷の大木戸に集まることになったそうだ」
「じゃあ行こうかな、おれも……」
「傭ってもらえないと飯の食いあげだぜ。行かないで、どうする」
そこで翌日の日のくれ方、佐吾平は大木戸へ出かけて四、五十人もの人足仲間と合流し、おそるおそる瓜長者の屋敷へおもむいた。
残暑の日ざしの下、汗みずくになって働いた瓜畑は、ひと月近く経過した今、採り入れがすっかり終了したのか、葉や蔓が早くも枯れ色をおびはじめて、カサカサ、夕風に鳴っている。
長者屋敷では、一同が歎願にまかり出るのを期してでもいたように、小頭の鉄五郎と三州屋弥介が待ちかまえていて、
「粉骨砕身、勤めるというならば、町々の内情にくわしいお前らのことだ。傭ってやってもよいと治右衛門旦那はおっしゃっておられる」
あのときとは手の裏かえす尊大さで、それでも聞きとどけてくれた。
「ただし給金は作業の量に準じる」
基本給はいくら、臨時に粗大ゴミを処分したときは|ひと絡《ヽヽから》げについていくら、ドブ浚えを頼まれたさいは一丁につきいくら、道路掃除はいくら、草むしりはいくらと事こまかに申し渡され、月々これまで大ざっぱなどんぶり勘定で賃金を受け取っていた佐吾平らは、一様に胆《きも》をつぶして、いまさらながら事業を推進しようとする資本家のそろばんの、冷厳さ容赦のなさ、計算のこまかさを思い知らされたのであった。
だれもがげんなりし、足取り重くそれぞれの町内へ引きあげたけれど、あくる日にはもう南北両奉行所へ、治右衛門方から追加申請が出された。
「ゴミ取りに従事する人足は、従来、各町々の芥溜めを受け持っていた者におこなわせること。また人足を支配する小頭、小頭を監督する会所の手代役方らは、官許とはなってもゆめゆめお上のご威光を笠に着ることなく、各町々の町役衆のお指図に従うこと。念のため証文を一札、町役お名主、月行事さまにあてて提出すること」
という至れり尽くせりの三カ条である。
こうまで言われて、首を横に振る町役人はいない。うるさがたの町民たちも、
「感心な男じゃないか成子村の治右衛門とやら……」
「こちらの気がかりをちゃんと察して、手を打ってくるんだから心にくいよ」
「佐吾さん一家が路頭に迷うのを、わたしら心配したんだけど、今まで通り使ってくれるなら文句のつけようはないねえ」
と、たちまち軟化……。
「では、大手業者による一括ゴミ取り方式の件、当堀留町一、二丁目に於ては異議なく了承するむね、奉行所に報告してよろしいですな?」
月行事らの言葉に、
「異議なーし」
パチパチと手まで叩いて賛同したのだが、どうしたわけか、それっきり何のご沙汰もくだらない。大江戸一千五百町、百万人を越す住民の九割九分までが、堀留町と同じ答申をしたはずなのに、うんともすんとも奉行所は言ってこないのである。
そこで町役人のだれかれが、顔なじみの与力や同心らにそっと事情を訊《き》くと、
「あ、ゴミ処理の官営化計画ね、あれは中止されたみたいだよ」
と、とぼけ顔で口をにごす。
「へええ、お取りやめに!? 理由は何です?」
「わからんなあ、おれたち奉行所の下ッ端には……。請願書が上のほうへ回ってゆくあいだに、|くれーむ《ヽヽヽヽ》でもついたんじゃないの?」
うやむやな言い方をされると、かえって臆測が乱れ飛ぶ。
「申請人の成子村治右衛門とかいう大金持が、卒中の発作で倒れ、瓜御殿の奥ふかく再起不能の身を横たえる始末になったからだ」
との説。あるいは、
「有力な関係閣僚が治右衛門から多額の袖の下をもらって便宜をはかろうとしたことが発覚──。烈火のごとく怒った吉宗将軍の手で、案件は握りつぶされてしまったのだ」
とする説。中で、もっとも江戸町民らに受けたのは、
「その閣僚は菜食主義者だもんだから、贈賄側は『未公開|蕪《かぶ》』とやらいうおいしい蕪を、なんと一万蕪も送りつけたそうだ」
という珍説である。
真偽のほどはともかく、瓜大尽がもくろんだ独占企業は、夢まぼろしのごとく消え去って、町々がふたたび、もとの平穏をとりもどしたことだけはたしかであった。
堀留町でもゴミ人足の佐吾平が、しらじら明けに芥溜めへ出勤……。鴉や野良犬を追い払ってゴミ叺《かます》を堀割りの舟着き場へ運び出し、『船源』の箱舟がそれを積み込んで、六万坪囲いの埋め立て場へ捨てに行くという|ぱたーん《ヽヽヽヽ》が、町内の朝の風物詩としてくり返されることとなった。
いつのまにか冬の気配が濃くなった午後の往来を、竹|帚《ぼうき》で余念なく清掃する佐吾平の背の丸みも、町民たちにはなじみ深いものだが、彼がのんびり落葉など燃していられるのも今の内だけかもしれない。江戸のゴミ処理が有利な事業として成り立つことを嗅ぎつけた以上、第二、第三の瓜長者が出現するのは、もはや時間の問題であろうから……。
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苦《く》 笑《しよう》 仏《ぶつ》
1
横腹をだしぬけに、何やら固いものでごりごり、こづかれて、
「痛えッ、ちくしょう」
竹次は飛び起きた。
「やっぱり人がいた。乞食だぞ」
声とともに、パッと差し向けられたのは龕灯《がんどう》である。
蝋燭の輝きをまともに顔面へ浴びて、
「わッ、まぶしい」
怯《ひる》んだ一瞬のすきに、僧が二人おどり込んで来、竹次はなんなく掴まってしまった。
腕を取られ、むりやり高縁の下から曳きずり出される。もがいて逃げようとしたが、若い、屈強の荒法師がほかにも三人ほどいて、
「こいつだな、お供え物をかすめとる痴《し》れ者は……」
「懲《こ》らしめろ」
ぐるりを囲まれては、あがきがつかない。鉄拳の雨が降る。四方八方から蹴り倒される。竹次は頭をかかえて地面をころげ回りながら、
「知らねえよう、ちくしょう、おいらじゃねえよう」
叫び立てたものの、声に出る弱みは隠しようがなかった。餓《う》えに迫られ、じつはここ、五、六日というもの、参詣人や寺男のすきを狙っては、仏前の供物《くもつ》、墓に供えられる盆の捧げ物などを、こっそり竹次は盗み食いしていたのだ。
以来、|ねぐら《ヽヽヽ》まで本堂の縁の下に変えた。床《ゆか》が高くて風通しがよいから、涼しいし土が乾いている。掃除もゆき届いて、蜘蛛《くも》の巣ひとつかかっていない。
「しめしめ、ご本尊の慈悲だ。ちょいとした極楽浄土ってやつだな」
衣食住のうち、食と住を寺で賄《まかな》ってもらうつもりになったのは、しかし十七歳の甘さであった。たちまち露見し、仕置きされる羽目になったのも、いわば自業自得、身から出た錆《さび》なのに、
「さっさと失《う》せおれ、泥棒猫め」
「二度と|わるさ《ヽヽヽ》をしたら片手片足、折っぺしょってくれるぞ」
思うさま撲《なぐ》られ足蹴にされたあげく、山門の外へ抛《ほう》り出されると、
「ちくしょう、ちくしょう、おぼえていやがれ。い、い、一寸の虫にも、五|分《ぶ》の魂があるってことをな」
負けん気の強い竹次は、呻《うめ》き声をふりしぼった。
彼にすれば、さして悪事を働いた気はないのだ。この寺──行願寺《ぎようがんじ》は真言宗の大寺である。本尊の聖観音は『厄よけ観音』として参詣人を集めていたから、寺に入る賽銭や祈祷料は毎日、おびただしい高となる。朝ごとに須弥《しゆみ》壇に供える打ち物、くだもの、お参りの老若が寄進する菓子のたぐいも、寺内の僧たちだけで食べ切れる量ではない。
まして盂蘭盆《うらぼん》さなかの今、墓地には仏飯《ぶつぱん》や酒、肴など、亡者どもの好物が溢れ、それは一日二日の日持ちすらおぼつかない。鴉、野良犬の|えじき《ヽヽヽ》になるのが関の山……。雨でも降れば流れたり腐ったり、目もあてられぬありさまとなる。寺男が片づける前におさがりを頂くぐらい、
「わるいことなどあるもんか」
というのが竹次の理屈である。
「仮りにも出家じゃねえか。腹をすかしている者を見たら『どうせ、あり余っている供物です、おあがんなさい』と施《ほどこ》してくれるのが当り前《めえ》なのに、ひとを盗《ぬす》ッ人《と》呼ばわりしたばかりか、さんざんに痛めつけやがった」
どうするか見ていろ、ちくしょう、ちくしょうと歯をくいしばって口惜しがっても、宿なしの浮浪では仕返しさえおぼつかない。
さしあたっては怪我の始末だ。顔面に蹴りを入れられたさい口中か唇を切ったらしく、顎から咽喉《のど》にかけて血が流れ出して、なま乾きのまま単衣《ひとえ》の胸もとを濡らしている。あちこち腫れあがっているのか、頭も割れそうに痛む。
やっとの思いでそんな身体を参道の石畳から引き剥《はが》し、ひょろひょろ、おぼつかなく歩き出した。しかし石段のおり口で足を踏みはずし、山門前の道路へころがり落ちたきり、竹次は気を失ってしまったのである。
「おい、若えの、どうしたい?」
肩をゆすぶられて息を吹き返したとき、あたりはうっすら白みかけていた。
「喧嘩に負けたな。どこもかしこも痣《あざ》だらけ、瘤《こぶ》だらけだぜ」
無精髭まみれの口もとにニヤニヤ笑いを浮かべながら覗きこんでいるのは、風体からして乞食と察しられる七十がらみの老人であった。
「寄るなよ、臭え。虱《しらみ》がうつらあ」
眉をしかめる竹次へ、
「ヘッ、鼻っぱしの強《つえ》え二才《にせえ》だ。手前《てめえ》の|なり《ヽヽ》だってお菰《こも》すれすれじゃねえか」
老乞食はきめつけて、それでも肩を貸してくれた。
「つらかろうが、つかまって歩《あゆ》びねえ。じきそこにおいらのお屋敷がある。手当てしてやるよ」
「いいってば……。ほっといてくれ」
「痩せ我慢するな。もうじきこの通りは荷車や人の往来がはげしくなる。伸びてなどいたら馬の蹄《ひづめ》にかかるか、ヤジ馬にたかられて面倒なことになるのがオチだぜ」
仕方がない。支えられて竹次は起きあがった。ふしぶしの疼痛に、つい知らず、
「いててててッ、ちくしょう」
悲鳴があがりかけるのを、こらえこらえ老乞食とともに半町ほど行くと、行願寺の北どなりに八幡の社《やしろ》があった。森にかこまれた静かな境内である。
麻布《あざぶ》は台地だけに坂が多く、社殿の裏手も雑木の生い茂る崖で、そこに半ば朽ちかけた小屋が建っている。
「さあ着いたぞ。豪勢な御殿だろ」
竹次をおろし、かたわらの羊歯《しだ》を掻きのけて手桶に一杯、老人は冷たい湧き水を汲んで来た。
「まず、こびりついた血泥を落とそう。それから塗り薬だ。世帯道具一式、なんでも揃っているんだからな。御殿の名に恥じねえってわけさ」
誇って言うほどでもないけれど、なるほど手拭でも薬でも、必要な品はどこからか出てくる。
崖の斜面に上下左右、人がこごんで入れるほどの穴をうがち、その前面に古材や竹で、簡単な差しかけの小屋が作ってある。敷いてあるのは、これもどこからか拾って来たらしい簀《す》ノ子に蓆《むしろ》だが、このさい不満は並べられなかった。
「すまねえな、じいさん」
ひと通り手当てをしてもらったあとで、竹次はようやく、ぶっきらぼうな謝辞を口にした。
「なあに、年寄りってものは世話焼きなもんさ。いま湯を沸かすけど、飲むかい?」
「いや、いらねえ」
「飯も、ゆんべ貰い集めた食い余しでよけりゃあるぜ」
「けっこうだよ。腹はくちいんだ」
嘘ではない。昨夜、供物を詰め込んで寝たのだし、よしんば空腹でも、潔癖な竹次には、乞食の飯桶《はんつう》や欠け茶碗で飲み食いする気は起こらなかった。
「若ざかりだ。三、四日もすりゃあ受け合い、良くなるよ」
と老人は木の枝を組み立てて薬缶《やかん》を吊るし、落葉や枯れ木を燃やしはじめた。雑木の幹を梳《す》いて、朝日がななめにさし込み、水色の煙とゆるやかに混ざり合う。
「かまわねえのかい? 火なんぞ焚いて……」
竹次の懸念に、老人は首をふった。
「この崖下は大池で人家はないし、八幡宮の禰宜《ねぎ》さんとは昵懇《じつこん》なんだ。爺《じじ》イの小屋掛けに目をつぶってくれてる代りには、こっちも境内の落葉を掃く。ゴミを拾う。それとなく賽銭《さいせん》泥棒を見張りもする。少しは役に立っているんだよ」
賽銭泥棒ならまだしも、竹次は供え物の盗み食いぐらいで殴打された。
(カビをはやしたり腐らせたりする前に、それで命をつなぐ者がいるなら、食わしてくれたっていいはずじゃねえか)
ふたたび無念がこみあげてきて、
「ちくしょう、くそ坊主めら……」
苦痛の唸り声と一緒に、竹次は思わず呪詛の言葉を吐き出してしまった。
「そうかい。おめえ行願寺で何ぞやらかして、納所《なつしよ》どもに仕置きされたってわけかい」
推量したらしい。
「何をやった。え? 言ってみろよ」
老人はうながす。
「賽銭じゃねえよ。金や仏具をかっぱらったんなら打擲《ちようちやく》されても文句は言えねえけど、おれが手を出したのは、たかが供物だぜ」
かいつまんで竹次は語った。感情が激してきて、喋るうちに涙声になった。
「もともと、何も盗む気なんぞ無かったんだ。ふらっとあの寺の本堂へ入って厄よけ観音さんを見あげたとき、びっくりしたんだよ。ご相好《そうごう》がおふくろに似ている。一日|三界《さんがい》、突っ立ってみつめてるうちに、胃の腑がクウクウ鳴き出した。それで、おふくろにねだるつもりで宝前の菓子を頂いちまった。なんだか離れられなくてね、本堂の縁下を|ねぐら《ヽヽヽ》にしちゃあ、あくる日もまた、観音さんを見る。腹がすくとお供えを貰う。お精霊《しようろう》さまのおさがりも食う。四、五日、そんなことをくり返してるうちに、坊主どもに勘づかれたってわけさ」
2
竹次はみなし子である。鋳物《いもの》の通《かよ》い職人だった父は、竹次がかぞえ年五歳のとき、まだ三十そこそこの若さで急死してしまったから、顔だちすら今となれば定かでない。声の大きな、背の高い男で、裏の空地に一本あった甘柿に、ほんのわずか実がなると、竹次を肩車に乗せ、
「もげよ。坊にも手がとどくだろう」
と、うながす。蝉捕りにも祭礼にも、肩車でつれて行ってもらった記憶が、きれぎれに残っているだけだし、その後、仕立物の内職で懸命に竹次を育ててくれた母親も、過労がもとで亡くなった。一人ッ子の竹次は、十二で天涯孤独の身となったのだ。
さいわい身柄の引き受け手は、すぐ現れた。亡父を傭《やと》ってくれていた鍵屋佐八という鋳物師が、
「伜《せがれ》を仕込んでやってくださいまし親方さま、あの世でうちの人も、それを望んでいるはずでございます」
臨終の床での母の願いを聞き入れ、
「うちへこい」
と言ってくれたのであった。
それだけに親方の指導には容赦がなかった。
「お前のお父ッつあんは腕っこきの職人だった。とりわけ仏像を造らせたら、右へ出る者のない端厳微妙《たんごんみみよう》なご相好の仏を鋳た。お前も辛抱して、父ッつあんに負けない職人になれ」
口癖にそう言って、びしびし竹次をきたえた。総体に弟子の仕込みには厳格な人で、竹次一人にきびしいわけではないから、叱責ばかりか、時には、
「火が弱いぞばかやろうッ、もっと本気で鞴《ふいご》を踏めッ」
怒声もろとも薪ざっぽうや延尺《のびざし》が飛んで来ても、竹次はそれを愛の鞭と受けとって恨まなかった。
むしろ、やり切れないのは兄弟子どもの苛《いじ》めで、これが執拗かつ陰湿をきわめた。親方が格別、竹次に目をかけてくれていたのが、裏目に出たのである。
何をされても勝気な竹次は泣かなかったし、負けるときまっていながら、
「ちくしょうッ、ちくしょうッ」
体当りで相手にぶつかっていったから、
「このチビ、なまいきなやつだ」
ますます憎まれて、『ちくしょう竹』というありがたくない渾名《あだな》までつけられた。
それでも五年、鍵屋での徒弟ぐらしをつづけたが、とうとう半月ほど前、堪忍ぶくろの緒が切れた。竹次いびりの先鋒だった兄弟子と取っ組み合いの大立ち回りをやらかし、寄ってたかって鋳物砂の山に押し込まれて、死ぬか生きるかの目に遇《あ》わされたのを機《しお》に、
「もう、いやだ。こんな所にいるもんか」
仕事場をとび出してしまったのだ。
親方の肩を揉むと駄賃に二文くれる。こつこつ、それを溜めて巾着《きんちやく》に入れておいたのを、懐中していたにすぎない。着替え一枚持って出なかったので、寝る場所はおろか、たちまち食う当てに窮した。
坂の下に佇《た》って荷車のあと押しをやりかけたけれども、これも古くからその坂を持ち場にしている立ちン坊どもに、
「やい、新米、でけえ面《つら》ァして割り込むな」
追い立てられ、ふらふらと行願寺の本堂へ迷い込んだ。
そして……あとは老乞食に語った通りである。本尊の聖観音に、
「おッ母さん」
亡き母のおもざしを重ね合せ、柔和な微笑の虜《とりこ》になって、ひとり決めに寺の縁下を、安住の地と決めたのであった。
鍵屋は唐金《からかね》の獅子や置き物、数奇者《すきしや》の愛玩する花立て、香炉、あるいは寺からの仏像の注文など、高級品の製作に応じる工房だから、職人の中でも微笑仏に特技を発揮した竹次の父が、その妻の顔だちを作品に写し、江戸市中のどこかの寺に、それが祀《まつ》られていたとしてもふしぎはない。
(もしかしたらこの、厄よけ観音さんも、父ッつあんの手がけた一体ではないか?)
そう、どうしても思いたくなるほど、母の生前の俤《おもかげ》を髣髴《ほうふつ》させる慈顔なのだ。
「ふんふん、そういうことかい」
すべてを語り終えた竹次に、老乞食は白湯《さゆ》を啜《すす》りながらたずねた。
「で、おめえ、たしかめてえんだな? 行願寺の本尊がおやじさんの作かどうか……」
「たしかめてえよ。だけど無理だな。須弥壇は壁にぴったりくっついてるし、観音さんは厨子《ずし》に納まってら。まわりはいろんな仏具でごたごた飾られてるから蓮華座の刻印なんざ、とても見られねえ」
「刻印が打ってあるわけかい」
「鍵佐のね。でも、もし鍵佐のお像なら作り手は、うちの父ッつあんにまちげえねえや」
「火でもつけるか」
「ええッ?」
あまりに平静な、淡々としすぎる言い方に、かえって竹次はぎょっとして、
「いま、なんて言ったい?」
反問した。
「あの寺を燃そうかってんだ。そうすりゃあ、あわてて坊主らは本尊を担ぎ出すだろう。おいらも覗いたことがあるが、観音さんはあんまりでっかくなかったよなあ」
「十《とお》ぐらいの、子供の大きさだけど、火つけはじいさん、大罪だぜ。たかが刻印をたしかめるだけのことに、そんなだいそれたことをおめえ……」
「たとえばの話さ」
はぐらかすように老人は咳込んだ。
「たとえば火事のどさくさに、手伝う|ふり《ヽヽ》をして刻印を見るのはたやすいし、うまくいきゃあ引っかかえて、逃げ出すことだってできらあな。父ッつあんの作ったおふくろさんの像だ。おめえ、欲しかろうが……」
「そ、そりゃあ欲しいけど、そう、うまくゆくはずはあるめえ」
「よしんば持ち逃げできなくても、本堂の再建には手間がかかる。仮堂に安置しておがませるあいだなら、本尊の背中だろうが台座だろうが、廻り込んでたしかめるぐれえ、わけねえぜ。どうせ厨子は焼けちまって、むき出しのお像だろうからな」
焚火から薬缶をおろし、老人は土鍋と掛けかえる。飯桶の中身をそれへ移し、湯をたして雑炊を煮はじめながら、
「へッ、つけ火も防げねえ観音を、厄よけとは聞いて呆れらあ。そう思わねえか若い衆」
と、皮肉な語調で笑った。
「坊主どもは飯の種だから、そんな観音を平気で焼け跡に押《お》っ立てるだろうし、世の中の阿呆がまた、うぬが厄すらよけられねえ観音をおがみに集まって、厄よけのお守りを頂いていくわ。いい気なもんだよ。なあ」
返事をするのを、竹次は忘れた。行願寺に火をつける……。老人の口から出た暗示が、たまらない魅力となって彼を捉《とら》えたのだ。
(理不尽な暴行をおれに加えた僧たち……。あいつらを許せねえ。ひと泡、なんとしても吹かせてやりてえ)
『ちくしょう竹』の渾名にそむかぬ口惜《くや》しン坊の本性が、竹次を駆りたてる。
(おやじの作ったおふくろの像を、あいつらの飯の種に使われてたまるか)
とも、唇を噛む。
昼間、本堂は僧や参詣人の出入りが多く、供物のかすめ取りぐらいならできても、本尊を担ぎ出すなどという不敵な所業は不可能だし、夕刻からは扉がしまって、施錠される。火災でも突発しないかぎり、観音像に手を触れる機会は絶無といってよかった。
(それにしても老いぼれ乞食のくせに、胆ッ玉の太え野郎じゃねえか)
煮あがった雑炊を、せわしなく掻き込みはじめた背の丸みへ、竹次はチラチラ目を走らせ、腹の中でつぶやいた。
(まるで役者の噂でもするような涼しい顔で、火つけの話をしやがるんだからなあ)
その、いささかは畏敬を含んだ呆れ顔がおかしいのか、老人は片頬にうすら笑いを滲《にじ》ませながら続けた。
「火事は江戸の華というけどよ。華でもまだ褒《ほ》め足りねえ。おれたちにゃあ天の恵みだわ。風の猛《た》ける晩なんざ、どこかで半鐘が鳴らねえか、鳴らなきゃこの手で、ジャンと言わせてみてえとまで思うくれえだもんな」
「冗談じゃねえや、じいさん。つかまったら火つけは火焙りの刑だぜ」
口での否定とはうらはらに、
(まったくだ。行願寺への放火なら、おれだってやりかねねえぞ)
老人の願望を、竹次は心中、肯定した。
それは彼が、鍵屋佐八の徒弟として、まっとうに生きて来た日常からこころならずも脱落し、宿なし、あぶれ者の仲間入りしてしまったからにほかならない。
垢じみたよれよれの単衣《ひとえ》……。外容だけでなく性格までが、たった半月かそこらの浮浪生活で、
(火つけ、おもしれえ。じいさんの言う通り、観音さんを頂いちまうとすれば、手だてはこれしかねえな)
物騒な企みをめぐらすほど、荒《すさ》みはじめていたのであった。
3
江戸の町民は、大別すると二つに分かれる。その一つは表通りに店や居宅をかまえ、あきないの利潤、家作《かさく》だの店賃《たなちん》だの地代だので、りっぱに生計を立てている旦那衆だ。
彼らは商売の規模や財産の多少に応じて、公儀の課すもろもろの負担をはたさなければならないが、反面、町役に選ばれたり、町民の|たばね《ヽヽヽ》を仰せつかったりしてお上《かみ》に|もの《ヽヽ》申す権限を与えられる。
公儀の認める、これこそが正規の『江戸市民』なのである。
ところが、もう一つの種族──裏|路地《ろじ》の裏店《うらだな》にひしめきくらす熊さん八ッつあん連中には、貢税や夫役《ふやく》の義務はまったくない。そのかわりに、公儀は彼らを、正しい意味で江戸の町民とは見ていないのだ。
火事は、正規の『江戸市民』にとって、華どころか、恐ろしい災厄だった。財産、家屋敷、おびただしい商品や家族使用人の命にまで、時にわざわいの及ぶ魔火《まび》の発生を、何としても防がねばならない。
たとえ棒手振《ぼてぶり》の魚売りでも、荷台に南瓜《かぼちや》を積んだ曳き八百屋でも、叩き大工でも紺屋の下職《したじよく》でも、九尺二間の長屋に住まって女房子を養っているまじめな稼ぎ人《にん》なら、やはり火事による損耗をおそれた。
公儀はむろん、厳重に火災を取りしまったし、町々も自警を怠らないのに、それでも火の手がしばしばあがる。
それは、なぜか。
熊さん八ッつあん族からさえ|はみ《ヽヽ》出した危険な集団がいるからである。彼らは、その日その日を風まかせにすごす無職も同然な手合いであった。
荷車のあと押しをして駄賃をねだる坂の下の立ちン坊は、竹次もやろうとした安直《あんちよく》な一時しのぎだが、そのほか木《こ》ッ端《ぱ》拾い、荷足《にたり》人足、砂利場の畚《もつこ》かつぎ、日傭《ひよう》取りといった裸一貫、ほとんど乞食すれすれの連中だと、火災が起ころうが地震がこようが、失うものは何ひとつない。
かえって混乱に乗じての引ったくりやかっ払いなど、火事場泥棒ができるし、そこまでしなくても大火のあとは、あちこちにお救い小屋が建つ。食う算段に悩まずに粥《かゆ》の施しが受けられ、焼け跡の片づけ、諸|普請《ぶしん》の手伝い、川|浚《ざら》え堀浚えなど、日銭《ひぜに》の稼ぎ口まで山と出る。
「どっかで半鐘が鳴らねえかなあ」
待つだけならまだしも、
「いっそ、火をつけろ」
進んで、稼ぎの種を作りにかかる不埒者《ふらちもの》も、あとを絶たない。江戸に火災が多発するのは、そのためだし、公儀が放火犯を厳罰に処すのも、火による災害の防止を最優先させた結果であった。
宿なしの浮浪どころか、乞食に介抱される身にまで堕《お》ちると、竹次もすぐさま、復讐の快感を手っとり早く放火で味わう気になった。観音像の盗み出しがうまくいけば、それこそ一石二鳥の収穫ではないか。
(でも、この身体じゃ動きがとれねえ)
痛みや腫れがひくあいだ、作戦でも練っているほかないと竹次は観念した。
老人はいつのまにか雑炊を食べ終り、疎《まばら》な歯を、のんびりせせっていたが、やがて、
「じっとしてろよ」
言い置いてどこかへ見えなくなった。
帰って来たのは、日が西へ傾きかけて、カナカナの大合唱が森をゆるがせはじめたころである。片手に紙袋、いま一方の手に一升徳利をさげていて、竹次の顔を見るなり、
「腹がへったろ。食えよ」
その両方を突き出した。
「おめえは、おれの飯桶のものは汚ならしがって口にしねえからな。銭を払って、煎り豆を買って来たんだ。徳利は八幡宮の禰宜《ねぎ》さんとこで貰った。ご新造《しんぞ》がやさしい人で、怪我人に飲ませるんだと言ったら、湯ざましに砂糖を入れておくんなすった。甘露《かんろ》だぞ」
まる一日、何ひとつ口に入れていない。
「恩に着るよ」
がつがつ、竹次は豆をほおばった。こうばしい香りとほどよい塩味が、えも言えずうまい。徳利から|じか《ヽヽ》飲みした砂糖湯にも、蘇生の思いを味わった。
貰い集めて来た残飯を、老人は食う。酒粕らしき物を湯に溶かして、彼もまた、いかにもおいしそうに咽喉《のど》を鳴らして飲む。
二人ながら満腹し、話すこともなくなると、しぜんに瞼《まぶた》が重くなった。
いつのまに眠りこんだか、竹次にはおぼえがない。風の音に目が醒めて見回すと、あたりは闇に包まれ、頭上の枝々がすさまじく揺れていた。
星あかりで、それでもうっすら地上は判別できる。老人は半身を穴ぐらにもぐりこませ、正体もなく|いびき《ヽヽヽ》をかいている。
(何どきだろう? いま……)
行願寺の鐘をあてにしてしばらく聞き耳を立てているうちに、とろとろと、ふたたび寝入った。
二度目の覚醒は、老人の大声が耳もとで炸裂したからである。
「おい、若い衆、起きろ」
「夜が明けたかい?」
「ちがう。半鐘だ。聞こえねえか?」
「あッ、鳴ってる。しかも擂半《すりばん》だぞ」
「近えや。ちょっくら行って見てくるぜ」
年に似あわぬ敏捷さで崖をよじ登って行ったが、待つうちに木々の梢越しに覗く黒い夜天《やてん》の片側が、金泥《きんでい》を塗りつけでもしたように明るみだし、見るまにその光彩は、輝きと拡がりを増しはじめた。
「炎の照り返しだな」
これだけでも近火だとは察しがつく。
ガサガサ藪をこぎながら、このとき老乞食が引き返して来て、
「おどろくな、火もとは行願寺だわ」
告げた。
「なんだって!?」
「それもおめえ、本堂から火が出た」
「ま、まさかじいさん、おめえが放火を……」
「ばかァこくな。酒粕のほろ酔いで、おらあ半鐘が聞こえるまで寝くたれていた。おめえこそ──と言いてえが、その態《てい》たらくでは動けめえ。おたげえさま今夜の一件については潔白だぜ」
その通りだと竹次も思う。そそのかしはしたけれど老人自身が性急に、行願寺を焼くなどということはありえない。
「とすると、いったい、どうして……」
「寺男が喚《わめ》いてた。大香炉の線香が二、三本、うしろッ方《かた》に倒れてたのを知らずに扉をしめ、錠をかけちまったらしい。それがひと晩中ぶすぶすいぶりつづけ、垂れさがっている幡《ばん》やら幕やら、壇にかぶせた錦やら、布《きれ》類に燃えついて、ばっといっぺんに炎に変じたようだ」
「観音さんは?」
「出せるもんかい。もう今ごろはとろけちまって、影も形もあるめえ。なんせ気がついた時は本堂は火の海。庫裏《くり》にも山門にも飛び火して坊主どもは右往左往、泡ァくうだけだったそうだからな」
「消滅しちまったってのか? おやじの……おふくろの……形見のお像が……」
身悶えて竹次は泣き、
「痛えッ、ちくしょう、なぜ、こんなとき手足の自由がきかねえんだ」
焦《じ》れったがった。
「這ってでも行けたなら、扉を叩き破って観音さんを救い出したのになあ」
「でもよう若い衆、物は考えようだよ。行願寺は丸焼けだあ。ひでえ目に遇わされたその日の内に、おめえは手をくださずに仕返しをしてのけたわけじゃねえか。溜飲はさげたんだ。それで得心《とくしん》しねえな」
八幡宮の人々もさわぎだしたらしく、声高な叫び交しや足音が、崖の上から聞こえてくる。老乞食は鼻をひこつかせ、
「さいわいここらは風上だ。煙の匂いがしねえ。火の粉も降ってこねえけど、この風じゃあことによると大焼けになるぜ。もう一度、おらァ様子を見てくるからな。じたばたせずに、おめえは横になってろよ」
すばやくまた、茂みの暗がりへ呑まれて行った。どさくさ稼ぎの好機到来に、よろこび勇んででもいるような活溌な身ごなしだった。
4
夜が明け放たれると、どうにも我慢できなくなった。痛む身体をむりやり起こして、竹次は杖の代りになるものを探した。手ごろな枯れ枝がいくらでも落ちている。
うちの一本にすがりながら、やっとの思いで八幡の境内へあがり、石の鳥居越しに前方を眺めておどろいた。扇形に焼け跡が拡がり、目路《めじ》のはるか末はまだ消え切っていないのか、どすぐろい煙に覆われている。あるいは立ち昇る灰か、土埃《つちぼこり》かもわからない。
昨夜と同じ方向にあいかわらず強い風が吹きつけ、おかげで頭上は、雲ひとつないまっ青な秋空だ。ほんのわずかな風向きの差で、からくも焼亡をまぬがれた八幡宮だが、熱気を浴びたらしく、道路に面した立ち木の中には、葉が縮れたり、茶っぽく変色したものも少なくなかった。
(やれやれ、崖下の穴ぐら小屋だって、すんでのことに危なかったわけだな)
それにしても思いがけない大火である。十町二十町の被害ではおさまるまい。
(五、六十町も焼けたんじゃあるめえか)
よろよろ表通りへ出かかったとき、急ぎ足でこちらへやって来る老乞食をみとめた。
「なんだ若い衆、もう起き出したのかい」
と竹次に気づいて、相手も声をかけてきた。
「まだ歩くのは早《はえ》えぜ。無理するなよ」
「うん、行願寺がどうなったか、やっぱり|ひと《ヽヽ》目、この目で見ねえと納得《なつとく》できねえもんだから……」
「丸焼けだって言ったろう。でもまあ、観音さんに未練があるなら行くだけでも行ってみねえ。ただし、ぐずぐずせずに帰《けえ》ってこいよ。今夜はご馳走だあ」
「なぜだい?」
「これを見ろ」
すり寄って、ふところから掴み出したのは地味な女持ちの財布であった。
「おっと、そんな面《つら》ァするな。焼け死んだホトケから剥《は》いだりはしねえ。落っこちてたんだ。拾いもんだよ」
一両小判が一枚に、小粒が五つほど……。おそらく町女房の|へそくり《ヽヽヽヽ》か肌付き金に相違ない。
「よくあるんだ。あわてふためいて逃げるとき、すぽッと落としていっちまう。これだから火事ってやつはこたえられねえ。天道さまのお恵みだよ」
と、歯ぬけ声で笑う。
「おめえにもな、煎り豆はやめて白い|まんま《ヽヽヽ》を食わしてやる。菜《さい》は焼き魚だ。酒も振舞うぜ」
「そいつあ豪気《ごうぎ》だな」
「ヘッヘッヘ、これだけありゃ当分、左|うちわ《ヽヽヽ》さ。おめえも大船に乗った気でゆっくり養生するがいいや」
「御殿へもどるのかい?」
「まだ日が高《たけ》え。そこらをひと廻りして、もう少し天の恵みにありついてからご帰館あそばすことにすらあ。おめえこそ、とっとと帰《けえ》ってろよ」
「わかった」
その場で別れて、竹次は行願寺の焼け跡を目ざしたが、一夜での余りな変りように、どこがそれか、容易には見当すらつけかねた。
やっとそれらしい石段を見つけ、ほてりの残る参道へあがって、ここでも、
「おお」
思わずおどろきの声をあげてしまった。偉容を誇った山門は黒焦げの木材と焼け瓦の山……。本堂も庫裏も同様の惨状である。
僧たちは住職を守ってひとまず立ちのいたのか、影も見えない。出入りの鳶《とび》か火消人足らしい刺子《さしこ》姿の男がここかしこ、くすぶりつづける個所へ水をかけているだけで、焼失直後の寺域は意外なほど閑散とし、秋の日ざしが目に痛かった。
取り片づけが済むまで、むやみに人を立ち入らせない用心からだろう、焼け跡の周囲には綱が張りめぐらされていたが、竹次はかまわずくぐりぬけて、本堂と思える囲いの中へ踏み込んだ。
火の気どころかここは水|浸《びた》しで、足を火傷《やけど》する憂いはない代りに、たちまち身体中が木の焦げやびしょ濡れの灰にまみれ、ドブ鼠《ねずみ》さながらまっ黒になってしまった。
竹次はしかし、夢中だった。ここぞと見当をつけたあたりを両手で掻きさぐり、せめて観音像の痕跡だけでも見つけ出そうと逸《はや》った。
……その一念が通じたのか、まず台座らしい青銅の塊りを瓦礫《がれき》の下に掘り当てた。原型をとどめぬまで焼けただれてはいるが、二段に鋳《い》られたうちの下段だと判った。一部に蓮弁の形がほんのわずか残り、裏を返すと、折れ曲った底の隅に、かろうじて「佐」と判じられる刻印の、それも右側だけが読み取れた。
「鍵佐の佐にまちがいない。やっぱり行願寺の観音さんは死んだおやじの作だった」
本体はどこだ? と血まなこで探したけれど、どうしても見つからない。僧たちが死にもの狂いで台座からはずし、外へ運び出したのだとすれば、
(ありがてえ。もう一度あの、おふくろそっくりな慈顔に逢えるぞ)
竹次は胸をなでおろしかけた。
よろこびは、だが、すぐ潰《つい》えた。念のためと思って持ち上げた壁土の崩れの下から、むざんにひしゃげた胴体が現れ、その脇に、お首《ぐし》がころげ落ちていたのである。
高熱に溶けて、お首は後頭部がすっぽり無くなっている。でも奇蹟的に、顔面は損傷を受けていない。
「よかったッ、おふくろ、よかったなあ」
煤《すす》まみれの頬を伝って、黒い涙がぽたぽた膝を濡らした。むごたらしい変容をとげさせるに忍びず、父の職人魂が、せめて観音像のお顔だけでも業火から守ったのではないかと竹次は想像する。
「おいらにくれたかったんだ。このお像はおふくろだもの、父ッつあんはおいらに渡したかったにちげえねえ」
とも竹次は思う。
半こわれのお首を抱きしめて綱を跨《また》ぎかけたとき、
「やいこらッ、そこで何をしているッ」
怒声とともに五、六人、半纏着《はんてんぎ》の男が駆けつけて来た。
「何をしてるって……ごらんの通りです。ほら、ここのご本尊がこんな勿体《もつたい》ねえお姿になっちまったんで、持って帰《けえ》って安置しとくつもりで……」
「ならんッ」
男の一人が遮《さえぎ》った。
「その金物《かなもの》、こっちへ寄こせ」
「金物じゃありません。観音さんのお顔ですよ」
「つべこべぬかすな。昨日までは仏像でも、焼け損じた今は屑《くず》金物だ。さあ、ここへ抛《ほう》り込んでさッさと立ち去れ」
見ると、いつのまにか近くに箱車が止まってい、溶けて冷え固まった銅塊や鉄塊、形は残っていても曲ったりねじれたりして使い物にならなくなった金属製のさまざまな品物が、山と積まれている。
竹次にもようやく合点がいった。彼らは焼け跡を廻って屑金物を集めている業者なのだ。
「でも、このお首だけは勘弁しておくんなせえ。ちっとばかりわけがあって……」
「うるさいッ、渡せといったら、とっとと渡さないかッ」
いきなり脇にいた別の一人が竹次の手から観世音の頭部をひったくり、車の荷台へ投げ込んだ。箕《み》に一杯、屑鉄を運んで来た人足が、かまわずその上から中身をぶちまける。
「あッ、何をしやがるッ」
竹次は逆上した。
「ちくしょう、ちくしょう、よくも潰《つぶ》しやがったな。おふくろの顔だぞ。手前ら、どうするか見ろッ」
『ちくしょう竹』の短気をむき出しにし、身体の痛みも忘れてむしゃぶりついていったからたまらない。
「火事場かせぎのコソ泥め、たたんじまえ」
寄ってたかって、袋叩きにあいかけた。
「待て、乱暴はやめろ」
と、|どす《ヽヽ》のきいた制止が聞こえ、このとき人影が近づいた。やはり半纏着ながらでっぷり肥えた、男どもの頭株《かしら》とみえる中年者である。
「こいつは怪我人だそうだ。弱い者いじめをしても手柄にはなるまい。見逃してやれ」
そして竹次の鼻先に立つと、
「お前さん、知らないから|ごね《ヽヽ》るんだろうが、わたしらは通《とおり》新石町《しんこくちよう》の栄屋の者だよ」
名乗った。
「橋のつけ替えや道|普請《ぶしん》、埋め立て工事などを手広く請負《うけお》っている店だがね、ひと月ほど前、ご公儀に願って出たんだ。『もし近々、江戸市中に大火のあったときは、焼け跡の金物を栄屋におさげ渡しくだされ』とね」
金銀は、公儀の金座・銀座に納める。しかし屑銅と屑鉄は徳分《とくぶん》として、栄屋が頂く。その代り越中島の鉄砲調練場の、玉落ちの埋め立て工事および、焼け跡のゴミ棄て作業を無償でおこなう、というのが条件だった。
玉落ちというのは、着弾地のことである。越中島の場合、その三分の一が芦《あし》の生い茂る湿地帯だから、鉄砲方が射撃の練習をするたびに大量の鉛玉が沼底に沈み、回収不可能となってしまう。
「もったいない話だ、何とかせねば……」
と、かねがね要路の口にのぼっていた懸案だし、火事のあとに出る厖大《ぼうだい》な焼け土、焼け瓦、廃材や灰の取り片づけも毎度、頭痛の種だっただけに、栄屋の申請は渡りに舟とばかり許可された。
「つまりわたしらは、公儀の鑑札を受けて屑金物を集めているのだからね。お前さん、なにが欲しくてここを掻き回していたか知らないけれど、あきらめて帰りな。さもないと手がうしろへ回るよ」
口調が静かなだけに、凄みがある。竹次がふと、目をあげると、石段のきわに佇《たたず》んで首を横に振り、しきりに手招きしている老乞食の姿が見えた。
(歯向かってもむだだ。こっちへこい)
そう言っているのは明らかなので、やむなくその場を離れ、足を曳《ひ》きずり曳きずり竹次は老人のそばへ寄って行った。灰まみれ煤まみれになりながらせっかく手に入れた観音像の残欠……。むざむざそれを失ったと思うと、悲しみがこみあげる。一ッ時忘れていたふしぶしの疼痛までが、どっとよみがえって、
「ええい、ちくしょうッ」
竹次は目がくらみそうだった。
「気持はわかるがな。長い物には巻かれろだ。栄屋が相手じゃ勝ち目はねえ。穴ぐら御殿へ帰って寝ちまえよ若い衆」
「そんなに栄屋ってのは、大層もねえ店なのかい?」
「そうともよ」
口入れ業も兼ねていて、いつ何どきでも人足の二百や三百、動員できる大手の土木業者──。今度の火事で、余燼まだ、くすぶりつづける焼け跡に間髪を入れず綱を張り、監視人を配置してのけたやり口にも、
「真似のできるこっちゃねえわ」
老人は舌を巻くが、竹次に言わせれば、
「生き馬の目を抜くいやらしさじゃねえか」
と、なる。
行願寺はともあれ、巻き添えの災禍で焼け出された数百戸もの憤りや歎きを思えば、竹次ですら気持が塞ぐのに、人の災難を金もうけの種に使い、公儀の鑑札に|もの《ヽヽ》をいわせて屑金物の独り占めを狙うなど、いかにも汚ない。
「許したお上もどうかしてるぜ。おおかた栄屋から袖の下を取り込んだんだろ」
「だけどおめえ、焼け跡のゴミの始末ってのは、えらいこったぜ。それを|ただ《ヽヽ》でやろうってんだから、公儀へのご奉公に違《ちげ》えあるめえ」
引き合うからこそ申し出たんだ。それだけ屑銅屑鉄の回収は、ボロ儲けできるってことなんだよと言ってやりたかったが、竹次はくたびれて、これ以上じいさん相手に口をきくのが億劫《おつくう》になった。
「痛みがぶり返してきやがった。ちくしょうめ。仰せに従っておらァ御殿へ引きあげるよ」
「おれも帰る。肩につかまれや」
「大丈夫だ。杖があらあ。それよりじいさん、ほんとに今夜は、一合ぐれえ飲ませてくれねえか? 白い|まんま《ヽヽヽ》も焼き魚もいらねえけど、むしゃくしゃしてたまらねえ。ひさしぶりに酒の匂いを嗅ぎてえよ」
「それがなあ、ワヤになっちまったい」
「ええ? ワヤに?」
先刻の女物の財布を、老人は出して見せた。燦然《さんぜん》と光っていた一両小判は消えてなくなり、小粒だけが五ツ六ツ、ころがっている。
「お上のお偉がたが栄屋から賄賂を取ったかどうか、雲の上すぎてそこまでは知らねえが、あの小頭《こがしら》は『ただではごめんこうむる』と、臆面もなくぬかしやがったぜ」
「じゃあ、虎の子の一両は、あの中年者の半纏着に?」
「やっちまったよ」
「だからこそ、仲裁に入ってくれたわけか」
「一緒に小屋へもどるつもりでここへ来たら、おめえが奴《やつこ》どもに胸ぐら掴まれているじゃねえか。『助けてやってほしい。あいつは怪我人なんだ』と小頭に、おらァ頼んだんだよ」
「じいさん、すまねえ」
竹次はうなだれた。
「心を入れかえて、おれは今から親方のところへもどる。そしておやじをしのぐ腕前になって、もう一度おふくろそっくりな観音さんを、この手で鋳あげてみせる」
「その意気だ。おめえが立ち直ってくれるのを、おれもじつは、心待ちにしてたんだよ」
世にもうれしげに、老人は笑った。
「兄弟子どもの|いびり《ヽヽヽ》になんぞ、へこたれちゃなんねえぞ。柳に風と受け流せ」
「わかってる。こッぱ喧嘩にさく暇《ひま》はねえ。一日も早く腕っこきの職人にならなきゃ……」
「小判はなくなっても、小粒があらあ。酒の一升や二升、屁《へ》でもねえ。今夜は飲もうぜ」
「ありがとう。でも、お預けにしとくよ。穴ぐら御殿は居ごこちがよすぎて、泊まればそれだけ、別れがつらくなりそうだから……」
「はははは、乞食は三日すると、やめられねえ商売だもんな」
「親切は忘れない。きっと恩返しするからね。じいさん、長生きしててくれよ」
帰参を機に、竹次は名を『竹松《たけまつ》』と改めた。音《おん》で読めば『ちくしょう』である。口惜しン坊の口癖を名前に封じ込めて一心不乱、精進した結果、望み通り彼は鍵屋佐八の後継者にまで出世したが、その製作になる微笑仏は、やはりどこか、ほろ苦さを漂《ただよ》わせ、かえってそれが『竹松の苦笑仏』と、もてはやされて、好事家《こうずか》に珍重されたという。
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春のうららの十万坪
1
偶然そこで鼻緒《はなお》が切れたのを、幸運といってよいか不運と呼ぶべきか、あとから考えてもお光《みつ》にはよく、わからない。
「あらァ、困ったなあ」
かがんで、歯のチビた駒下駄の片方を手に取ろうとしかけた瞬間、目の先、ほんの一尺ほどのところに、その包みが落ちているのを見つけたのだ。
「なんだろ」
小さなわりに、ずっしり重い。うす汚れた鬱金《うこん》木綿の布で固くくるみ込んだ上から、さらに十文字に紐《ひも》がかけてある。さしあたりお光には、中身への興味に増《ま》して紐がありがたかった。
月は明るいが、手くらがりな夜道では鼻緒のすげ替えなどむずかしい。下駄ごと紐で足をぐるぐる巻きに縛《しば》って、あと半町もない我が家《や》まで帰りつこうと思ったのだ。
なにげなく、紐をほどいた。とたんに布からすべり落ちて、チャリン、チャリン、路上に軽快な音を響かせたのは、包みの中身である。見るなり、
「ひゃあ、あ、あ」
お光はおどろきの余り、その場にへたりこんでしまった。一両小判が、ひい、ふう、みい、よう……何と十二枚も、散乱しているではないか。
生まれてはじめて目にする貨幣だ。でも、月光を反射して青く輝くその金貨が、小判であることは、すぐ、わかった。
がたがた、全身で慄《ふる》えながら一枚残らず拾いあげ、布も紐も一緒|くた《ヽヽ》にふところへ押しこんで、お光は駆け出した。なまじ月夜なのが恐ろしい。
さいわい前後に人影はない。三、四十歩走って、足の一方が裸足《はだし》なのに気づいた。履《は》いていた片方の下駄をぬぎ、両方とも裸足のまま長屋の路地《ろじ》口にとびこむと、とっつき、右手の家の小窓がガラリとあいて、
「だれだい?」
案の定、差配《さはい》の白髪頭が覗《のぞ》いた。店子《たなこ》どもの出入りを監視するのを、義務とこころえている世話焼き爺《じじ》ィである。
「あたしです」
「なんだ、お光坊か。いま時分まで若い娘ッ子が、どこをほっつき歩いていたんだい」
いつもなら、伯母さんに言いつけられて仕立物を届けに行ったのよ、それにまだ、六ツ半だわと、立て板に水の弁口でやり返すところだけれど、今夜のお光は脛《すね》に疵《きず》を持つ身だ。
「あの……あの……」
思わずへどもど、口ごもるのへ、差配は呑みこみ顔に押しかぶせた。
「読めたぞ。常真寺の庫裏《くり》だろ。あすこの味噌《みそ》すり坊主に近ごろお前がのぼせて、用もないのに出かけて行くと、長屋の連中が噂《うわさ》しとったわい」
「ひどいわ。宋範《そうはん》さんは味噌すりなんかじゃありません。お味噌は寺男の助さんが毎朝するのよ」
一瞬、懐中の大金を忘却し、ムキになって男の肩持ちをしたあたり、やはり十五歳相応の幼稚さであった。
「味噌すりでなければ鐘|撞《つ》き坊主だろ。どっちみち修行なかばの雲水では、話にならん。僧を堕落させると、もろともに地獄へ落ちるというぞ。亭主に持つなら、もっと|まし《ヽヽ》な男をさがして、伯母さんを安心させねばいかんじゃないか」
と、それが癖の説教になりかけるのを、
「はいはい、仰せの通りにいたします」
聞き捨ててお光は、路地のドブ板をいっさんに走った。家は長屋の奥の、どん詰まりにある。伯母のお粂《くめ》と二人きりでくらす女世帯だ。すぐ前の井戸ぎわに、共同の総後架《そうごうか》が建っているので、油障子をしめ切っていても一年中、かんばしからぬ匂いが流れこんでくる。
四ツのときからここで育ったお光は、もうすっかり馴れっこになっているが、伯母は一向に納得《なつとく》しない。
「こんな匂いを常不断《じようふだん》かがされていながら、よそと店賃《たなちん》が同じだなんて、ひどいよ」
箸のあげおろしにぶつぶつ言う。それなら差配に、ねじこみに行けばよいものを、内弁慶の外つぼまりで、愚痴《ぐち》の相手はもっぱらお光ときまっていた。
気ぶっせいなその伯母が、まだシコシコ縫い物に精出している気配を見てとると、お光は家へ入らず、こっそり総後架の裏側へ廻りこんだ。
胸を抑えて、しばらく動悸をしずめたあと、よくよくあたりの気配をうかがい、人目のないのをたしかめてからふところをさぐって拾い金を取り出した。もと通りしっかり布に包み直し、十文字に細紐までからめて、ふたたび懐中におさめる。
「兎《うさぎ》さん、ありがとね」
十三夜のおぼろ月に視線を放って、ようやくほっと|ひと《ヽヽ》息ついた。うれしさが、じわじわこみあげ、口許がしぜん、ほころんでくる。
「宋範さんは卯年《うどし》生まれの二十七……。月の兎が、このお金をあの人に恵んでくれたんだわ」
家の戸口へとって返し、
「ただいま」
油障子を引きあけると、
「遅かったねえ。河内屋のお内儀《かみ》さんに難癖でもつけられていたのかい?」
煤《すす》ぼけた行灯《あんどん》のかげから、伯母のぼそぼそ声が聞こえた。
「いいえ。あちこち克明《こくめい》に見てはいたけど、坊やの一ツ身だし、何も言わずに仕立賃、よこしたわよ。はい、これ……」
袂《たもと》から出して渡すのを、伯母は受け取って巾着《きんちやく》にしまいながら、
「お得意さんの悪口は言いたくないが、まったくあの河内屋のお内儀さんぐらいやかましい人はないね。衽《おくみ》先がちょいと曲ったぐらいでも、容赦なく縫い直させるんだからねえ。たまったもんじゃない」
と、さっそく|おはこ《ヽヽヽ》の愚痴だった。
「今夜だってお前がなかなか帰らないから、てっきり|あら《ヽヽ》さがしをされているのかと思ったよ。つべこべ言うなら表通りの仕立屋に頼むがいいんだ。うちの倍も、縫い賃を取られるだろうけどね」
「あの吝《しわ》ン坊の河内屋さんにしては珍しく、坊やの乳母の里から蓬《よもぎ》がどっさり届いたとか言ってね、草餅《くさもち》を振舞ってくれたのよ」
「ほう、天変地異でも起こらないかねえ」
「そのお礼ごころに、お内儀さんの肩をしばらく揉んであげたりしてたので、遅くなったの」
じつは出された草餅を、自分は食べずに、
「伯母さんにご馳走してやります」
お光は紙に包んでもらい、常真寺の庫裏へ持って行ってしまったのだ。
例によって素気《そつけ》なく、
「腹はくちいんだ。その辺へ置いといて……」
机に向かったきり、とうとう帰るまで目もくれなかった宋範ではあるけれど、訪問の口実に草餅が使えただけで、お光は満足だったのである。
「肩は、わたしだって張ってらあな。まったく年はとりたくないもんだ。目はかすみだす。節々《ふしぶし》は痛む。歯はがたつきはじめる。ろくなこたァない。長生きしたがる世間のやつらの気がしれないよ」
と、お粂の愚痴はつづく。そうは言うもののまだ年は五十二──。髪は黒く、大柄な体躯は背筋がしゃんと伸びて、老婆とも年寄りとも、ほど遠い印象を受ける。
ただし脚気《かつけ》の気味で顔がむくみ、立ち居がいかにも大儀そうだ。一日|三界《さんがい》坐りこんで針だけを動かし、食事ごしらえから掃除から、いっさい姪のお光にまかせっぱなしでいる。この伯母が長姉、二十《はたち》そこそこで亡くなったお光の母親が、四人きょうだいの末ッ子だったそうで、年はだいぶ離れていたようだ。
「おッ母さんのこと、おぼえているかい?」
訊《き》かれても、生後|二月《ふたつき》かそこらで死別してしまったお光には、答えようがない。
「そう言っちゃ何だけど、縹緻《きりよう》よしだったよ。お前の顔だちが半分でもおッ母さんに似ればよかったのに、ねえ」
というのも、耳に|たこ《ヽヽ》ができるほど聞かされてきた伯母の愚痴の一つであった。
ではその、おッ母さんなるものがどういう人だったかというと、これも伯母の話によれば芝神明前の、大きな料理屋の仲居をしていたという。
「そこの板場といい仲になってお前をみごもった。でもまもなく、男に先立たれる、おッ母さんも産後の肥立《ひだ》ちをこじらして亡くなっちまったんだよ」
やむなくお光を引き取ったのだが、まだそのころ、伯母にはつれあいがいた。つまりお光には、義理の伯父に当る人である。繭《まゆ》の仲買いをしていたとかで、めったに家には帰らず、しかも伯母に言わせれば、
「飲む打つ買うの三拍子そろった極道者だった。世の中にわたしぐらい亭主運の悪い女はないよ」
と、際限のないこぼしごとの種となる。
しかしお光の記憶では、旅先からしこたま土産を買って来てくれるし、家にいるときはおぶったり抱いたり、可愛がってくれた布袋《ほてい》さまそっくりな酒ぶとりの伯父さんだったから、七ツになったばかりの正月、卒中で倒れて息を引き取ったときには、
「死んじゃ嫌だァ伯父ちゃん」
その太鼓腹にしがみついて泣きじゃくったのをおぼえている。
2
以来、こんにちまでつづいてきた後家と親なし子の淋しい二人ぐらしだけれど、伯母が歎いて言うほどお光は醜い娘ではない。
なによりは七難かくす色白だし、下ぶくれのおちょぼ口に愛嬌があって、並《なみ》よりいささか低めな鼻が、かえって釣り合っていた。
それに、常真寺の宋範に熱をあげだしてから、女性|ほるもん《ヽヽヽヽ》の分泌がとみに活溌化したらしく、
「番茶も出花とは、このこったなあ。お光坊のやつ、めきめき色ッぽくなってきやがったぜ」
とは、差配をはじめ長屋中の一致した意見であった。
もっとも、肝腎《かんじん》の宋範のほうは、二十七にもなって童貞という持戒堅固なカタブツだから、お光の存在になど目もくれない。いじらしいその思慕にも気づいているのかいないのか、あしらいは日ごろ、冷淡をきわめ、
(うるさいぞチビ)
と言わんばかりな高慢さなのである。
もともと口べらしのために寺入りさせられた心ならずの出家だそうで、
「おれの望みはほかにある」
とも宋範は、気負って言う。
「金襴《きんらん》の袈裟《けさ》にも緋《ひ》の衣《ころも》にも用はない。いつの日かかならず還俗《げんぞく》し、おれは絵描きとして名を成すつもりなんだ。小さいころから三度の飯より絵を描くのが好きだった。上手だともみんなに言われてきた。お光ちゃんはどう思う?」
蕾《つぼみ》のときから素枯《すが》れるまで、丹念に写生した庭の菊、絵手本を忠実に臨模《りんも》した蘭の花など、練習の成果を見せられても、正直なところお光には、さっぱり巧拙の見当がつかない。
ただ、他の会話には乗ってこようとせず、世間話にすらまともに答を返さない偏屈《へんくつ》な宋範が、絵のこととなると目をかがやかせ、お光を一人前に扱って熱心に話し出すのが、無性にうれしい。その語調の強さにも感動して、
(まちがいない。宋範さんはきっと立派な絵師になるわ)
彼女もまた、酔いごこちに確信する。
「でもなあ、独学じゃ駄目だ。良師について研鑽を積まなければ……」
尊敬しているなにがしの法印とやら法眼《ほうげん》とやら、京都の大家《たいか》にぜひとも師事して修業したいのだが、いかにせん京へのぼる路用すら無い。
「おれはもう、三十近い。たかが金の工面《くめん》にはばまれて、あたら才能を朽ちさせるかと思うと無念でならぬ」
歯がみされると、お光まで何やら口惜《くや》しくなって、おろおろ貰い泣きしてしまう。
ああ、しかし、それもこれも、今や、
「むかしむかしの語り草」
に、なりかけているのだ。
京都が江戸からどれくらい離れているのか。そこまでの旅費が幾らかかるのか。大先生の弟子になるためには、どれほどの金を納めるものなのか。お光にはわからないことだらけだけれど、十二両もの大金があれば、いっさいがっさい、それで片が付くのではないかと思われた。
「あげるわよ」
気前よく手に握らせたら、宋範さん、どんな顔するかしら……。びっくりして腰を抜かすかな。わたしだって包みを拾ったとき、道にへたりこんでしまったもの……。
うきうき想像をめぐらすうち、お光は|はた《ヽヽ》と気づいた。
「こんな大枚《たいまい》のお宝、どうやって算段したんだい?」
宋範に問われたら返事に窮する。まさか、
「吉原へ身を売ったの」
とも言えまいではないか。
|ひね沢庵《ヽヽたくわん》さながら|わる《ヽヽ》固い、融通のきかぬ性格だから、宋範はかならず不審して、お粂伯母のところへ理由をただしに来るにちがいない。
(それに……)
拾い金を着服すれば、罪になる。手がうしろへ回ってしまう。
(どうしよう)
進退きわまった。伯母さんに打ちあけたら何と言うだろう。根が気の小さい人だから、すぐさま届け出せとすすめるのではないか。
(それも惜しい)
このさき一生涯、二度とお目にかかることなどできそうもない大金なのだ。放したくはなかったが、
(そうだッ、しくじったッ)
鼻緒の切れた駒下駄を片方、路上にほうり出したまま帰って来たのはまずかった。のっぴきならぬ悪事の証拠を、現場に残してきてしまった凶悪犯の心境にとりつかれ、お光はぞっとして、居ても立ってもいられなくなった。
(ひとまずこのお金、どこかに隠したい)
見回しても、六畳ひと間に台所しかない裏借家《うらじやくや》である。半間《はんげん》の押入れは、上段に夜具が詰めこまれ、下段はがらくたの入った行李《こうり》、ボロ長持のたぐいで一寸《いつすん》のゆとりもない。
壁に寄せかけて塗りのはげた鼠入《ねずみい》らずと、ガタガタの古|箪笥《だんす》が並んでい、それがこの家の家具のすべてだし、伯母がしょっちゅう引き出しをあけたてする。どこへも隠しようがないのであった。
(困った……)
台所はなおのこと浅|ま《ヽ》で、流しもとの水|甕《がめ》、茶わんや皿小鉢を伏せてある洗い笊《ざる》、吊り棚の上の塩壺酢壺、七輪にかけた土鍋など、どこに目をやっても一目瞭然、見馴れぬ布包みを置いたりすればすぐさま露見しかねない。
それでも肌身につけているのは怖《こわ》い。どこかにうまい隠し場所はないか、お光が台所で思案しているうちに、縫いものの区切りがついたのだろう、針箱を片づける気配がして、
「春だってのに、どうしてこう、いつまでも底冷えがつづくんだろ。ごらんな、指先がこごえそうだよ」
伯母の愚痴が聞こえてきた。
「仕舞い湯でもいいから、ひとッ風呂あったまってこようや。お光、仕度をおし」
いそいでお光はことわった。
「あたし、今夜はやめにするわ」
大金を懐中にして湯屋へなど行けるものか。脱いだ着物にどう、くるんだところで、盗まれる心配がつきまとう。おちおち湯舟に浸かってはいられまい。
「あのね。今夜は具合がわるいの」
「そうか。お客さまかい」
伯母は早や呑みこみにうなずいて、
「なら、一人で行ってくるよ。小腹がすいちまったから寝る前に茶漬けでも掻っこもう。すまないけどお光、おこうこを|かくや《ヽヽヽ》に刻んどいとくれ」
湯道具を片手にのろのろと出て行った。
(おこうこを、|かくや《ヽヽヽ》に刻む?)
ぱッと、お光の頭にひらめきが走った。
(ぬかみそ桶《おけ》の中!)
かっこうの隠し場所を思いついたのだ。たとえば役人がお光の|ねこばば《ヽヽヽヽ》を嗅ぎつける。逮捕しにくる。家《や》さがしをする。しかしまさかぬかみその中で、大根や|ひね生姜《ヽヽしようが》の古漬けと一緒に、小判が眠っているとまでは勘づくまい。
伯母のお粂は水仕事をあまりやらない。当然ぬかみそ桶をかき回したりもしない。
「手を荒らすと指がささくれる。紅絹《もみ》などことにひっかかって縫いづらくなる」
という理由からである。
拾ったときは、あす朝、早々にでも常真寺へとんで行って、宋範をよろこばせようと逸《はや》ったが、落ちついて考えてみれば、それはいかにも軽率な、危険な行為だった。よくよく思案し、大金を渡しても怪しまれないだけの、もっともらしい口実をひねり出さなければならない。それまで、二、三日のあいだの隠し場所としては、
(ここしかないッ)
お光は決断したのであった。
押入れをさぐって油紙を取り出すと、布包みごと幾重にも厳重に、金をくるんだ。台所の上げ板をはずし、ぬかみそ桶の蓋《ふた》をあけて底のほうへ、ぎゅッと力いっぱい金の包みを押しこむ。
ついでに蕪《かぶ》のぬか漬けを出し、もと通り表面をまんべんなく均《なら》して、蓋をしめかけたとき、表の戸が勢いよくあいて、
「お粂さん、いるかい?」
差配の無遠慮な大声が、家中にひびき渡った。
3
飛び上らんばかりびっくりしたお光は、
「伯母さんなら湯屋ですよう」
ぬかみそだらけの手で桶に蓋をし、蕪をつかんだまま上り框《がまち》へ走った。
「湯屋? いつのこったい?」
「つい今しがたよ」
「そいつはうっかりしたなあ。お飛脚が状を届けに来たんだよ。お粂さんの住まいはどこか、訊《き》かれたもんだから、つれてきてやったのさ」
なるほど差配の背後に、旅姿の男がたたずんでいるのが見える。この家にしろどこにしろ、貧乏長屋に飛脚を介して手紙がくるなど、めったにあることではない。差配が好奇心をむき出しにし、案内にかこつけて同行したのも、無理はなかった。
「飛脚ですって?」
たまげて、お光も目をまるくした。
「いったいどこから寄こしたんですか?」
差配のうしろから土間に入って来た飛脚屋が、状を差し出しながら言った。
「草加《そうか》の尾花屋さんから頼まれました。賃金も頂き済みでございます」
「知ってるかいお光坊、尾花屋さんとやらを……」
「伯母さんが盆暮れに、あいさつに行くお店《たな》よ。でも毎年出かけるのは、神田須田町の尾花屋さんだけど、草加に本店でもあるのかしら……。あたし、よくは知らないわ」
いずれにせよ差配お立ち合いのもとで、姪御《めいご》さまにお受け取り願ったのだから間違いないはず……。名宛て人にこの状、しかとお渡しいただきたいと言い置いて、飛脚屋がそそくさ去ったあと、しばらくたってのんびりとお粂伯母がもどってきた。
「尾花屋さんからの状だって?」
彼女も驚き、いそいで封じ目を破って手紙を取り出したが、平仮名《ひらがな》の読み書きがやっとでは、本字まじりの達筆は手に負えない。お光も同様なので、差配の出番が到来した。
「どれどれ、見せなさい」
興味しんしん、読んで聞かせたものの、内容はさして入り組んだことではなかった。かねて病臥中だった主人嘉兵衛儀、いよいよ末期《まつご》に近づいた様子なので、今生《こんじよう》の別れかたがた一度ご来駕《らいが》いただきたいと、うながしてきた手紙なのである。
「仕度をおし、お光。あした早立ちするからね」
この伯母にしては珍しい性急なうながしに、
「あたしも行くの? なぜ?」
お光はたじろいだ。
「なぜもヘチマもあるものか。昔さんざん伯父さんが恩になった旦那の、ご臨終だよ。駆けつけなきゃ罰が当るよ」
「だけど、あたしまで行かなくても……」
「お聞き」
伯母は居ずまいを改めた。
「あたしの賃仕事ぐらいで、二人|口《ぐち》を養っていけると思うかい? どうにか餓えずにこられたのは、うちの人が亡くなったあとも、尾花屋さんがおりおり金を仕送ってくださったからだよ。おかげでお前も大きくなれたんだ。嘉兵衛旦那の目の黒いうちに、ぜひとも見舞いに伺って、ひとことお礼申しあげるのが筋というもんだろ」
「なるほど。そういうわけかい」
脇から口を出したのは差配である。
「お粂さんの稼ぎだけじゃ、さぞ苦しかろうと察してたが、やっぱり助《すけ》鉄砲を打ってくれるとこがあったんだな」
聞きようによっては相当きつい言葉なのに、お粂が腹を立てないのは彼女自身、自分の縫いものの腕がお世辞にも上手とはいいがたいのを、先刻、承知しているからだった。
「あれでよく他人さまの仕立を引き受けられるよ、図々しい」
「わたしらより、へたくそなのにねえ」
とは、相《あい》長屋の女房連の陰口で、頼むほうも、だから上等な品は持ってこない。絹物なら縫い直しか、せいぜい長じゅばん、蹴出しどまり……。あとは子供の普段着、奉公人の木綿仕着せ、浴衣といったところで、それもともすれば注文がとだえがちになる。
(伯母さんが欠かさず盆暮れに、須田町のお店へ顔出ししたのは、そのとき幾らかでもお金をめぐんでもらえたからだな)
と、はじめてお光にも、合点《がてん》がいったのであった。
「そんな恩義のある旦那では、こりゃあぜひとも二人揃って駆けつけねばなるまい。里数にして四里とちょっとだ。あす朝早く発《た》てば女の足でも、昼すぎには草加に着くよ。長|逗留《とうりゆう》するわけじゃないんだろお粂さん」
「たぶん嘉兵衛旦那の死に目には逢えないと思いますよ。通夜、葬式の手伝いをすませたらすぐ、おいとましますから、せいぜい五、六日で帰ってくるはずです。お差配さん、そのあいだ留守をおたのみ申しますね」
「引き受けた。念のため戸口を釘づけにしておこう」
内心、お光は胸をなでおろした。大金を持ち歩いて、万一、落としでもしたら一大事だ。戸じまりした家の中の、ぬかみそ桶の底にこっそり忍ばせて出たほうが、はるかに安全といえるのではなかろうか。
ところが草加の尾花屋に着いてみると、嘉兵衛旦那の容態は持ちなおし、家中が愁眉を開いていた。
「それはまあ、ようございました。お手紙を頂いたときは胸がつぶれたけれど、旦那はまだ五十|半《なか》ば……。芯がお強うございます。まちがいなくご本復なさいましょうとも」
ご新造《しんぞ》さんを伯母は力づけ、その背について離れの病間へ参上した。
おずおず、お光もあとに従ったが、到着したときから尾花屋の構えの大きさに、仰天しっぱなしだった。どうやら家業は質商らしい。三戸前《さんこまえ》もの堂々たる蔵が店の裏手に建ち並び、奥につづく総檜《そうひのき》の母屋《おもや》も、うっかり歩くと廊下など、すべって転びかねないほど磨きこまれている。
無口な、ほっそりした身体つきのご新造さんは、どうやら伯母より姪に関心があるようで、それとなくお光の挙動に目をそそぐ。何とも恥かしく、気が張って、お光はこちこちに緊張してしまった。
旦那は痩せおとろえ、立派な吊り夜具の下にぺしゃんこの病躯を横たえていた。
「この子が、かねがねお耳に入れましたお光でございます」
引き合せる伯母の言葉にうなずいて、落ちくぼんだ眼窩の底から、これもじいッと、強い視線を射向けてくるのが、うす気味わるい。我慢して、伯母に教わった見舞いの口上を口ごもりながらお光が述べると、
「なかなか悧発げな娘じゃないか」
しゃがれ声で、満足そうに言った。
「年は……ええと、十五になるはずだな」
初対面なのに、ずばりと年を当てられたのがお光には意外だったが、その晩ふたたび病状が悪化し、嘉兵衛旦那は危篤におちいった。鍼《はり》だ気付けだ、それより早く医者どのをと、家中があわて惑う……。手当ての甲斐あって危機を脱し、安堵したのもつかのま、また、あぶなくなる。必死にみとる。持ち直す。またまた重くなる……。
そんなことをくり返すうちに、五、六日の予定が十日に延び二十日に延び、とうとう一カ月も尾花屋にいつづける羽目になってしまった。
お光は気が気でない。
(ぬかみそ桶の中の十二両……)
どうなったかと思うと、胸がきりきり痛んで、嘉兵衛旦那どころか、こっちが病気になりそうだ。これが須田町の出店なら、ひとっ走り様子を見にもどれるのに、草加では動きがとれない。
「わたしだけでも先に帰らせていただいては、いけないかしら……」
たまりかねて伯母に申し出たが、
「帰ってどうするんだい?」
一蹴された。
「こういうお取り込みの最中こそ、根《こん》かぎりお手伝いして実《じつ》を見せなきゃいけないのに、お前ひとり帰るだなんて、妙なことを言う子だよ。ここにいれば三度三度、お菜《さい》だくさんな温《あつた》かいご飯もいただけるじゃないか。帰って、何をしようってんだ。え? お光」
まさか拾い金の安否が気になる、とも言えない。もじもじ赧《あか》くなってうつむく顔を、
「わかった。常真寺の納所《なつしよ》だね」
伯母は睨《にら》みつけた。
「宋範とかいうあの坊主に逢いたくて、里ごころがついたんだろ」
「ちがうわ。家が心配で……」
「アホなことをお言いでないよ。家は大家《おおや》のもの。戸口は差配さんが釘づけしてくれたはずじゃないか。よしんば空巣が入ったところで、ろくすっぽ盗《と》る物もありゃしない。空巣のほうで気の毒がって、施《ほどこ》しを置いていきかねない貧乏世帯なのに、心配が聞いて呆れるね」
伯母さんこそ知らぬが仏──。あの家には大金が隠してあるのよと、口もとまで出かかるのを、お光はぐっとこらえた。
しかし旦那の状態が、亡くなるのか平癒するのか、一向に|けり《ヽヽ》がつかぬまま一カ月を越すと、ついに辛抱の箍《たが》がはずれて、
「お願い。教えてください」
信吉という若い手代に、奇問を発してしまったのである。
「小判をぬかみそに漬けたまんま、ながいこと抛《ほう》って置いたらどうなるでしょう」
「えッ? 小判のぬか漬け?」
山椒の実を食べた猫みたいに、信吉は目をぱちくりさせ、絶句した。
「ぬかみそには塩気があるでしょ。だから錆《さ》びたり、角《かど》が溶けて、ボロボロになったりしないかと思って……」
「さあ、どうなるか、やったことがないので見当がつきません。小判でお新香を作って食べようってわけですか?」
いたわり深い表情で、信吉は反問した。春の花どき、秋の草枯れどきには、えてしてこの手の病人が現れる。かわいそうにお光も、頭がイカれたのかと同情したらしい。
「そうじゃないんです。ただ、ためしに……ね? 信吉さん、ここに小判が一枚あったとするでしょ?」
「ええ」
「布で幾重にもくるんで、その上からしっかり油紙で包んで、そうしてぬかみそ桶に入れたら大丈夫でしょうか」
「なんだ。そういうことですか」
信吉は笑った。まぶしいほど歯の皓《しろ》い、きりッと目鼻だちの引き緊った賢《かしこ》そうな若者なのである。
「つまり金《きん》は、塩に強いか弱いかという質問ですね。お光さん、さては|へそくり《ヽヽヽヽ》をぬかみそ桶に隠してきたな」
図星をさされて、
「小判なんて、わたしが持ってるわけ、ないでしょう」
お光は躍起《やつき》になった。
「たとえばの話よ。世の中には変った人もいるから、ひょっとして小判をぬかみそ桶に……」
「わかった、わかった。そんなに頬っぺたを膨《ふく》らませないでくださいよ。もっとも膨れたお光さんって、フグが汐《しお》を吹いたようですごく可愛いけど……」
こんどはお光が、きょとんとする番だ。鯨《くじら》の汐吹きは聞いたことがあるけど、フグも汐を吹くのかしらん。
「金《きん》はね。百年二百年、土中に埋めておいても掘り出せばピカピカ光ってるそうだから、油紙で包んでおけば塩にだってぬかみそにだって、受け合い、負けはしないと思いますよ」
頼もしい保証が功を奏して、胸の波立ちが柔かく鎮《しず》まっていく。お光はうっとり、信吉の長身を見あげた。
なんでも祖父の代から尾花屋に忠勤をはげんできた大番頭の伜《せがれ》で、子のない嘉兵衛夫婦に信吉はひどく目をかけられ、ゆくゆくは奉公人から養子の身分に直るそうだと、女中たちがうらやましげに噂するのを、お光も小耳にはさんだことがある。したがって、
(いずれ、この大店《おおだな》の若旦那に納まるお人)
と一目《いちもく》も二目も置き、畏敬のまなざしで対そうとするのだが、信吉の側がすこしも高ぶらず、外から来たお光のような臨時のお手伝いにまで、分けへだてなく気さくな、優しい口をきいてくれるので、つい友だち相手に喋《しやべ》るような|ぞんざい《ヽヽヽヽ》口調になってしまうのだ。
4
嘉兵衛旦那は結局、弥生《やよい》なかばに息を引きとった。お光が伯母につれられて草加の本店へ参上してから、ちょうど三十七日目に当る。
野辺送りや葬儀万端、いっさい済むまで居残って雑用を弁じたあと、やっとご新造さんに暇乞《いとまご》いし、江戸へもどることになった。
「でもね、近々《ちかぢか》お前だけ、また草加へ行くことになるかもしれないよ」
「なぜ? 伯母さん」
「ご新造さんはじめ親戚ご一統が、お前の人柄を気に入ってくださったんだ。亡くなった旦那さまもそれとなく、見ておられたのだろう、『素直で、明るい良い娘だ。裏長屋の育ちにしては立ち居にも品がある。お粂さん、お手柄だよ』とわたしまで、お褒《ほ》めにあずかったくらいだからね」
「つまり尾花屋さんに奉公に行くわけね」
「ま、ひとまずは、そんなところだ」
奥歯にもののはさまったような言い方を、気にもとめずに聞き流したのは、お光の稚《おさな》さというよりも、ぱっと瞼裏《まなうら》に拡がった信吉の面輪《おもわ》に、思考力のすべてを吸い寄せられてしまった結果だった。
陸羽街道を江戸へ向かって歩きながらも、なぜかふしぎに宋範をなつかしむ気持は起こらなかった。あれほど熱をあげた相手なのに、顔を思い出そうとしても薄ぼけて、鮮やかな像を結ばない。
むしろ今、お光の関心は、直接的には十二両の虎の子に集中していた。
(あれはそっくり、伯母さんにあげよう。なぜ、手ひとつ握り合ったこともない冷淡な、自分の出世しか考えない宋範さんなんかに、大枚《たいまい》のお金を貢《みつ》ぐ気になったのかしら)
お光はいまさらながら、わが心を訝《いぶか》しむ。
(尾花屋さんに奉公に上っても、信吉さんは早晩、旦那と仰がねばならなくなる人……。わたしとは身分がちがってしまう。でも、側《そば》近くくらせるだけでも楽しいにきまっている。ぜひ草加に行きたいけど、一人、あとに残される伯母さんがかわいそうだ)
年とって、ますます愚痴っぽくなり増《ま》さるであろう育ての親に、せめて万分の一の孝行をすべきだと、遅まきながら気づいたのであった。
千住の大橋を渡ればいよいよ江戸である。お光たちの住む長屋は、浅草|元鳥越《もととりごえ》の裏路地だが、中途までくると伯母は立ちどまって、
「お光、すまないけどこれを神田須田町の尾花屋さんの出店に届けておくれでないか。わたしゃ、もうくたびれて、一刻も早くうちへ帰りたい。へとへとだよ」
背にくくりつけた荷の中から状箱を取り出した。
「ご本店の番頭さんにことづかったんだがね。商用の大事な書付だそうだ」
「いいわよ。ひと足先に伯母さんはもどってて……。差配さんへお土産を渡すのを、忘れないでね」
「路地口でつかまっちまうもの。嫌でもあの世話焼き爺《じじ》ィの関守に、関銭を召し上げられることになるさ」
と嵩《かさ》ばった袋を、伯母はガサガサ揺《ゆ》する。草加名物の塩せんべいである。
しかし伯母と別れ、神田須田町まで足をのばした一ッ時《とき》ほどの差が、決定的な打撃をお光にもたらしたのだ。
遅れてもどってみると、家の戸障子はあけ放たれ、姉《あね》さんかぶりに襷《たすき》がけという勇ましい恰好《かつこう》のまま上り框《がまち》に腰をおろした差配と差し向かいで、伯母は渋茶をすすっていたが、お光を見るなり、
「大変だったんだよう。お前、すっかり片づいたとこへ帰って来て、得《とく》をしたよ」
さっそく愚痴をこぼしはじめた。
「どうしたの? いったい……」
「差配さんに釘をはずしてもらって家の中へ入ったとたん、鼻がもぎれそうな匂いじゃないか。台所を覗くと板の間《ま》いちめん、這《は》い出したサシで足の踏み場もないんだよ」
「ぬかみそ桶から出てきやがったのさ」
脇から差配が説明した。
「お粂さんの悲鳴におどろいて駆けつけてみると、いやはや手もつけられねえサシの大群だ。なにせ五、六日のつもりが、四十日を越す長逗留になっちまったろ。そのあいだ閉めっきりにした温気《うんき》の中で、ぬかみそが腐って、サシが湧き出したってわけだよ」
蛆《うじ》の仲間なのに、ぬかみそから発生するのに限って、なぜかサシと呼ぶ。
「それで……それで桶はどうしたの差配さん」
「手のつけられねえ肥担桶柄杓《こえたごびしやく》とは、あのことだ。担ぎ出して町内の芥溜《あくただ》めに|ぼい《ヽヽ》投げてきたよ」
「中身ごと!?」
「当りめえだろお光坊。腐ってサシだらけになっちまったぬかみそを、掬《すく》い出したところではじまるめえ。それより、あとの始末がえらかった。わしとお粂さんの二人がかりで今しがたまでかかって、やっとこさサシ退治を……」
差配の言葉を聞き捨てて、お光は芥溜めへ走った。ここらは朝夕二回、町内|抱《がか》えの人足の手で溜めの芥は叺《かます》に詰められ、運搬用の箱舟で運び出される。
息せき切って駆けつけたが、
(ああ……)
ひと足、遅かった。今日夕刻の芥はすでに浚《さら》え出したらしく、溜めはきれいに掃除されて、塵ッぱ一本残っていない。
(ああ、ああ、どうしたらいいだろう)
歎いていても始まらない。金を取りもどす算段をしなければならない。
さらに走って、お光は芥人足の留《とめ》さんの家へとびこんだ。芥浚えの仕事を終えたあと、留さんは咥《くわ》え煙管《ぎせる》で土間に|あぐら《ヽヽヽ》をかき、内職の目笊《めざる》作りに精を出していたが、
「ど、どうしただ?」
お光の血相に胆《きも》をつぶして、煙管を口から取り落とし、股《また》ぐらに転げた火の玉を、
「あちちちち」
あわてふためいてはたき消した。
「どうもこうもないのよ留さん。あたしがいないまに、伯母さんと差配さんが大事な品物を芥溜めに捨ててしまったの」
「あんだね? そいつァ……」
「ぬかみそ桶よ」
「あのサシだらけの、悪臭《わるぐせ》え|しろもの《ヽヽヽヽ》かえ。あんなもんがなぜ、大事《でえじ》だよ」
「桶じゃないッ、ぬかみその中に人からの預かり物を油紙に包んで、隠しておいたのよ」
「ひゃあ、そりゃあハァ、えれえこんだ。もうさっき、あの桶は箱舟に積んじまったァ。取り返《けえ》しはつかねえぞ」
と、お国|訛《なま》りまる出しの髭|づら《ヽヽ》を、留さんは一方へ|へし《ヽヽ》曲げる。
「いいえ、どうあっても取り返しをつけてほしいのよ。ねッ、留さんお願い。小判で一両お礼するから、何とかして……」
「い、い、一両だとォ? ひゃあ、手から咽喉《のど》が出そうな話じゃあんめえか」
と、逆上の余りトチったが、お光にすれば笑うどころではない。
「今ならまだ、まにあうわ。箱舟を追いかけましょう。わたしも一緒に行きますッ」
「一両仕事とあらば、やっつけべぇかな」
「頼むわ留さん、この通りよ」
手を合せるまに留さんは伸びあがり、
「おっ嚊《かあ》、ちょっくら出かけてくンぞ。帰《けえ》りは夜になるかもしンねえぞ」
井戸端の内儀《かみ》さんにどなって、外へ出た。
「もう、はや、箱舟は大川へ出ただんべい。陸路《くがじ》を追ったところで、どっちみち舟を傭わにゃなんねえから、堀さ、漕いで行くべいか。なあお光さん」
「何でもいいから急いでよ」
「合点だ」
舟着き場にもやってある小舟を一艘、留さんは借り出し、お光を胴の間《ま》に坐らせると、
「行くぞう」
すぐさま櫓《ろ》を押しはじめた。目の下に光る水は三味線堀である。甚助橋、稲荷《いなり》橋、鳥越橋、天王橋など、幾つもの橋をくぐりぬけて、ひたすら漕ぎくだるうちにも、荷を積んだ舟と無数にすれちがった。江戸は堀割りの町、水路が四通八達した水の町なのだ。
「箱舟は、毎日どこへ町内のゴミを捨てに行くの?」
「『船鴨』の持ち場は深川の、十万坪だァ。店々によって定めの捨て場所がちがうだよ。お浜御殿の海|表《おもて》に捨てるとこもあるし、同じ深川でも永代浦、三十三間堂、洲崎弁天、猿江まで|のし《ヽヽ》て捨てる店もあるだ。お公儀の言いつけに従って捨ててるだでな」
『船鴨』というのは元鳥越町と堀向かいの猿屋町とが、共同で芥の処理をまかせている業者で、箱舟十四艘を所有する中での大手である。
箱の先端に、鴨を図案化した小旗をひらめかせ、朝夕二回、三味線堀の舟着き場に着岸して、各町内の芥溜めから留さんが集めてきたゴミ叺《かます》を、ぎっしり積みこんで去る舟の姿は、お光も何度となく見かけたことがあるが、まさかその『船鴨』の箱舟を、目を血走らせて留さんと二人、追いかける仕儀に立ち致るなどとは、夢想もしなかった。まったく人間、どうなるか、一寸《いつすん》先がわからない。
(わたしがあの金包みを拾ったのも……)
あの夜、あの場で下駄の鼻緒が切れるという偶然の所産だし、いままた、それを失いかけるという災難も、家に帰りつく直前まで予測すらできなかった。宋範狂いの夢から醒《さ》めて、
(せっかく伯母さんに進呈しようとした金なのに……。ああ、惜しい)
是が非でも取り返してやると、お光は力《りき》む。留さんにもその熱意が乗り移ったか、
「えい、えい、えい」
魯鈍《ろどん》と定評されている日ごろにしては、掛け声おおしく櫓《ろ》を押しまくり、たちまち小舟は本流へ出た。隅田川であった。
5
河口に近いせいか川幅は広く、盛り上らんばかり水を漲《みなぎ》らせて、ゆったりと流れている。
「あッ、いたッ、ゴミを積んだ箱舟よッ」
舷側《ふなべり》から身を乗り出し、叫び立てるお光を、
「ゴミ舟にはちげえねえだども、ありゃ旗印《はたじるし》が鴨でねえわ。トグロを巻いた蛇だで、『弁天屋』の舟だァ。早まっちゃなんねえぞ」
留さんはたしなめる。
それからも箱舟は幾艘となく見かけたが、よそのゴミ処理業者ばかりで、鴨の小旗をはためかせた舟には一度も出逢わない。
「気ィ揉むなってお光さん。うらとこへ来る舟は、帰《けえ》りしなに神田川さ廻りこんで、平右衛門町の芥《あくた》も積んでくだ。十万坪へ着くなァそのぶん、先になるちゅう勘定だでな」
「十万坪って、どのあたり?」
「深川の洲崎だァ。十万坪にぶん投げられては、ちっとべえ面倒だがよ。箱舟に追いつきさえすりゃ顔なじみのうらの頼みだ。叺の中身、見るぐれえのこたァさせてくれるよ」
「船頭さんに酒手を出すわよ」
「お光さんおめえ、娘ッ子のくせして気がきくなあ。一人に一分《いちぶ》も握らせりゃあ恵比寿《えべす》顔で手を貸すだ。二人乗ってるだで、二分の出銭《でせん》よ」
「二分ぐらい、屁《へ》でもないわ」
「ぜんてえ、そのハァ大事な物ちゅうは、何だべ?」
「預かり物だからわたしも知らないの。先祖代々伝わる家宝の硯《すずり》とかいってたみたい……」
「へええ、硯とぬかみそたァ、こりゃまた、とっぴょうしもねえ組み合せだなあ」
しかし、留さんの力漕《りきそう》にもかかわらず、『船鴨』の箱舟には、ついに追いつくことができなかった。いや、追いつきはしたのだが、箱の中のゴミは、すでに十万坪囲いの内側へ投棄され終ったあとだったのである。
収集の順番が今日にかぎって逆になり、先に平右衛門町に寄ったため、留さんの目算より早く、舟が十万坪に着いてしまったのだと、あとでわかった。
洲崎沖にさしかかるやいなや、金壺眼《かなつぼまなこ》を光らせて海上を睨み回していた留さんが、
「あれれ、解《げ》せねえぞ。『船鴨』の箱舟が、空身《からみ》ンなってもどってくるだァ」
わめいた刹那《せつな》、
「まにあわなかったのね」
落胆の極、お光は胴の間にくたくたと膝を突いてしまった。
「おッほーい、おッほーい、うらだよう。鳥越捨て場の留だよう」
ありったけの野良《のら》声で留さんは呼びかけながら、『船鴨』の箱舟へ漕ぎ寄せて行き、事情を打ちあけて、築地内の叺をしらべさせてほしいと頼んだ。背中から腕にまで、|くりからもんもん《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》をほどこした|いなせ《ヽヽヽ》な船頭は、しかし、
「そいつァ留さん、無理な注文だぜ」
そろって二人ながら首を横に振った。
「意地悪で言うんじゃねえよ。囲いぎわへ行って中を覗いてみねえ、こちとらが|ぶん《ヽヽ》投げた五十や百の叺は、とっくのとうによその叺に押されて、底のほうに沈んじまってらァ。よしんば一つ二つ探し出せたところで、そン中にそのぬかみそ桶が入《へえ》ってるたァ限らねえし、それによ、囲いの内側に踏み込むなんてこたァ、できねえ相談だよ。両足はおろか、胴中《どうなか》までズブズブ芥に呑まれて、|あがき《ヽヽヽ》がとれなくなっちまう。きのどくだが勘弁してくんねえ」
言われるまでもなく、このまにも何十艘とも数知れぬ箱舟がむらがり寄って来て、あとからあとからゴミ叺を囲いの内へ投げ入れつづけているのだ。船頭たちの言葉通り、『船鴨』の投棄した分を、おびただしい叺の中から選り出すなどという行為は、まず絶対に、不可能といってよかった。
「だめなのね」
お光は身悶《みもだ》え、沸騰した土鍋の蓋がはじけ飛ぶ勢いで、いきなりワァッと泣き出した。色気も洒落気《しやれけ》も忘れ、涙と洟《はな》をごしゃまぜにして泣く顔は、哀れを通り越して、いささか|ゆーもらす《ヽヽヽヽヽ》な見物《みもの》ですらある。
「留さん聞いて。桶に入ってたのは硯じゃないの。十二両もの小判なの。そ、そ、それをあたし、なくしたのよ、ワァーッ」
留さんは度を失ってキョロつきながらも、
「おめえ、その中から、うらに一両よこすつもりだったのだな? 心配《しんぺえ》すンな。礼なんぞいらねえだ。あきらめよう。な?」
無器用ななぐさめを口にする。
「ごめんね留さん、むだ働きさせちまって……。あたし、あたし、どうしよう。ワァーッ」
とんだ愁嘆場を、
「なんでえ、何を捨てたと思ったら金かい」
笑い消してのけたのは船頭たちだった。
「ねえちゃんよ。おめえにすりゃァ大金かもしれねえけど、十二両どころか、ゴミの山から千両箱が出てきたこともあるんだぜ。金だけじゃねえ。何をとまどったか、位牌《いはい》、骨壺、仏壇なんぞをゴミと一緒に捨てちまったトンチキもいる。人に金を貸した大事な証文を、ぎっしり箱に詰めたまま大掃除のどさくさに、ひょいと芥溜めへ出してしまい、番頭手代、小僧の末までがまっ青ンなって探しに駆けつけたこともあるぜ」
一人が言えば、一人も笑いながら、
「それどころじゃねえよ。むき出しの頭蓋骨《しやれこうべ》、人間の片腕片足、臍《ほぞ》の緒を首に巻きつけた赤ン坊の死骸《しげえ》まで出てくるんだから、おっそろしいやな。おれたちにも、わけがわかんねえ。赤ン坊はまあ、父《てて》無し子を産んだ下女かなんかがゴミに混ぜて始末したんだろうが、腕や足となると穏やかじゃねえ。一応お上《かみ》に届けるが、役人もわざわざ十万坪まで出張《でば》ってくるのは臭《くせ》えし、億劫《おつくう》なんだろう。うやむやになっちまうのがオチなんだぜ」
と、胆《きも》っ玉がでんぐり返るような打ちあけ話をする。
八百八町どころか、いまや江戸は町数千五百をかぞえ、住民の数も百万を越す世界第一の巨大都市となった。毎日毎日吐き出されるゴミの量も、すさまじい。
各町内に配属された専門のゴミ取り業者が、|ぴすとん《ヽヽヽヽ》輸送でそれを所定の場所に運び、海中に築《つ》き出した囲いの中に投げ入れる。
そしてある程度、芥の山が固まると、土をかぶせて『江戸版・夢の島』を造成するのである。
このようにして出来た築地や築島のうちには、すでに宅地化して人家が建ちはじめたところもあるけれど、年々人口が増《ふ》えゴミも増え、いまに処理が追いつかなくなってしまうのではないかと、懸念《けねん》する声さえあがりつつある。それというのも近年、粗大ゴミの量が急激に増加したからだと、船頭たちは論評するのだ。
「染め色が、ちッとばかりはげただけの蚊帳《かや》、まだまだ使える茶だんす卓袱台《ちやぶだい》、武家屋敷からはおめえ、錆長刀《さびなぎなた》や弓矢、櫃《ひつ》に入れたまんまの古|鎧《よろい》古|兜《かぶと》なんぞが、『引き取れ』ってね、突き出されることもあるんだよ」
武具をお払い箱にする泰平を、謳歌すべきか、はたまた贅沢《ぜいたく》に馴れた使い捨て風潮を、慨歎すべきか、
「おれたちにゃあ、どっちとも言えねえなあ」
というのが、船頭どもの結論であった。
ムカつきそうな臭気も、沖へ漕ぎ離れるにしたがって匂わなくなり、薄づきかけた春の日ざしのもと、十万坪のゴミ築地はうらうらと、陽炎《かげろう》にかすんでいる。
「ありゃ、来やがったッ」
船頭の一人が指さす天の一角に、突如、黒雲が現れ、ぐんぐん頭上に近づいてくる。
「どえれえ鴉《からす》の群れだァ、いってえどこから湧き出したもんだべ」
まのぬけた留さんの質問を、
「江戸の町ン中から飛んで来たにきまってらァな」
軽く躱《かわ》して、船頭たちは空舟《からぶね》を漕ぎ出した。
「やつらは夕めしを、十万坪の芥囲いで食うことに決めてんだ。肥《こ》えふとった、でっけえ鴉ばかりだぜ」
海上を煮えたぎらせる残照のもと、煤《すす》を吹きちらしたように拡散しはじめた鴉の大群へ、涙だらけの目を、キッと据《す》えたまま、お光は留さんの押す櫓のまにまに、帰り舟に揺られていた。
筆者の好みとしては、娘の涙で終らせたいところなのだが、残念ながらこの物語は、|はっぴいえんど《ヽヽヽヽヽヽヽ》でしめくくらなければならない。
それというのも、やがて草加の尾花屋へ女中奉公に出たお光が、じつは女中どころか、亡き嘉兵衛旦那の隠し子だったと、公表されたからである。
伯母が語った出生|譚《たん》はでたらめで、神田須田町の尾花屋の支店に小間使にあがっていたお光の母に、嘉兵衛旦那のお手が付き、みごもった。そこでご新造の焼きもちを恐れ、金を与えて、長姉のお粂のもとへ帰らせたというのが真相なのであった。
お光を産んでまもなく、その母はみまかる。嘉兵衛旦那は慚愧《ざんき》に耐えず、年々いくばくかの養育費をお粂伯母に渡していたけれど、ご新造とはとうとう実子を儲けるにいたらず、やむなく忠実な大番頭のせがれ信吉を、養子にすることを決めたのだ。
でも、重病の床に臥《ふ》し、余命いくばくもないと覚《さと》ると、お光の存在が気になりはじめた。非の打ちどころのない若者ではあるけれど、信吉は他人……。やはり血のつながる我が子に、大身代《おおしんだい》を渡したい。信吉とお光を夫婦にして、尾花屋を継がせることこそ、理想的と判断したのである。
「すまん。じつは、わしには娘が……」
打ちあけられて、いったんは立腹したご新造も、遠い昔のあやまちではあり、何といってもこの世でたった一人、夫の血を享《う》けた子供とあれば、折れないわけにいかなかった。
さっそくお粂伯母のもとへ飛脚が差し立てられ、お光ともども草加へ呼ばれたあげく、首尾よく娘は|めんたるてすと《ヽヽヽヽヽヽヽ》に合格──。「尾花屋のお嬢さま&信吉さんの許婚《いいなずけ》」という大出世をとげ、めでためでたの|さくせす《ヽヽヽヽ》・|すとーりー《ヽヽヽヽヽ》と相なったわけだった。
浅草元鳥越の裏長屋へ、伯母にともなわれて別れのあいさつにきたお光が、約束の一両に三倍する礼金を、留さんに渡して去った美談は、一時、近所の評判になったが、常真寺の納所《なつしよ》坊主にまで京のぼりの路銀をめぐんだかどうか、その辺はさだかでない。
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芝浦海戦記
1
「目をさまさんかい、阿呆《あほう》ッ」
いきなり枕を蹴とばされて、
「な、なにをしやがる。だれだ」
三笠屋幸助は、夢うつつに難詰《なじ》った。
「だれも|くそ《ヽヽ》もあるか。海が荒れ出したんじゃわ」
噛みつきそうな父親の顔を、寝ぼけまなこに捉《とら》えたとたん、幸助の意識はたちまち醒《さ》めた。
「ほんとだ、雨の音ですね」
「風も強まりはじめた。南風《ながし》じゃ。わしなど宵の口から一睡もせんで空を睨んでおったに、グースカ、グースカ、太平楽《たいへいらく》な大いびきをかきおって、ようも眠りこけておられたもんじゃ。腰ぬけめが……」
なにもそこまで罵倒しなくてもよさそうなものだと思うが、五十二にもなりながらこの親爺《おやじ》に、幸助は頭があがらない。
「すぐ、見廻りに出ましょう」
寝間着をかなぐり捨て、手ばやく身仕度にかかるまにも、
「起きおれ、小僧どもッ」
次の間《ま》に寝ている孫たちの枕を、爺《じい》さまは片はしから蹴とばしてまわる。小僧呼ばわりされているけれど、幸助の伜《せがれ》たちは長男が二十九、次男が二十七、末息子ですら二十三になるいっぱしの大人で、それぞれ妻子持ちの稼ぎ手である。
世帯も家も別なのを、
「どうも雲行きが怪しいぞ」
幸助が懸念《けねん》して、本家の三笠屋に昨夜は三人ながら泊まり込ませておいたのだ。父の仁右衛門が罵《ののし》って言うように、けっして太平楽に眠りこけていたわけではないのだが、言いわけなんぞ聞く耳持たぬ日ごろなので、孫たちも四の五の言わず、いっせいに夜具をはねのけて飛び起きた。
まだ明け方には間《ま》のある時刻なのに、三笠屋は家中が火事場さながら、にわかに騒がしくなる。これは仁右衛門爺さまのつれあい──つまり幸助の母親のお角《かく》婆さまが、
「暴風雨《あらし》がくっぞう、土地が流されっぞう」
しわがれ声でわめき立てながら、奉公人どもを叩き起こした結果であった。
お角は七十二、仁右衛門は八十にもなるのに、そろって足腰は達者だし、ボケの兆《きざし》もない。それどころか口うるささは無類で、いっぱし家業の采配《さいはい》を振っている。生んでくれた両親《ふたおや》ながら、
(まるで、鬼夫婦だなあ)
幸助はつくづく慨歎せざるをえない。
彼だって分別ざかり働きざかり……。仕事は並以上にこなしているつもりなのに、仁右衛門夫婦の印象が強烈すぎるせいか、
「三笠屋は爺さま婆さまで保《も》ってる店だ」
などと、界隈《かいわい》のわからずやどもに陰口《かげぐち》をきかれるのが残念だ。
もっとも爺さまも、伊達《だて》に頭を禿《はげ》させたわけではない。さすが年の功で、その指示は適切だし、意見は傾聴に価《あたい》する。何にもまして幸助が兜《かぶと》をぬぐのは、ここ、越中島の埋め立て事業に燃やしぬく爺さまの、執念の激しさだ。
「石にかじりついてもやりとげろ」
と、爺さまに鼓舞されなかったら、幸助はまだしも、当世風な育ち方をしてきたその孫たちなど、とっくに嫌気《いやき》がさして、
「転業しようよ」
と言い出したかもしれない。ともあれ一家|眷族《けんぞく》、築《つ》き立てた土地を流されても流されてもあきらめずに越中島の一画にしがみついて、先々代から受けついだ埋め立て工事を、まがりなりにも成功させようと汗水しぼっているのは、ひとえに仁右衛門爺さまの熱意に曳《ひ》きずられてのことなのである。
「太郎助組は父親の助《す》けに回って南の水地《みずち》にかかれ。次郎助と三郎助の組は資材運びじゃ。風雨はますます強まるぞッ。龕灯《がんどう》は持ったか? 松明《たいまつ》に油をしみこませるのを忘れるなッ」
と、今夜も仁右衛門の号令は、一糸乱れない。三軍をひきいる老将軍の威風がある。
風貌がまた、気質の頑固《がんこ》ぶりに似つかわしく、個性的だ。
幸助はさっぱりその方面に暗いけれど、日ごろ懇意にしている南町奉行所の神崎という筆頭与力の評言にしたがえば、
「能面の、鼻瘤悪尉《はなこぶあくじよう》にそっくりだぞ」
と、なる。
「へええ、何やら恐ろしげな名前ですな」
「人間じゃない。神とか魔とか、通力《つうりき》を得た老人に用いる古怪《こかい》な面だよ」
「うちの親爺の鼻には、瘤などありませんぜ神崎さん」
「なくてもさ、ぐいッと抉《えぐ》れた眼窩《がんか》の底に、烱々《けいけい》たる眼《まなこ》を光らせ、がなり立てるときなどカッと耳のきわまで口が裂ける。鷲鼻《わしばな》だしね、どう見ても悪尉|づら《ヽヽ》だな」
他人の親を、よく言うよと神崎与力の遠慮のなさに呆れるが、つれあいのお角が痩せとがった般若《はんにや》顔だから、
(なるほど。能がかった組み合せだ)
と、幸助にすら納得できぬことはない。
幾台もの大八車に土嚢《どのう》や棒杭、鋸《のこぎり》、掛矢《かけや》など工具を積みこみ、四十人ほどの男衆がそれぞれ幸助・太郎助組、次郎助・三郎助組に分かれて横なぐりの雨の中を出かけて行くと、仁右衛門はそのまま神棚に灯明をともし、
「南無、住吉大明神、象頭山金比羅《ぞずさんこんぴら》大権現、八大竜王、深沙《じんじや》大王、なにとぞ波浪を鎮めたまえ」
海の神、水の神を総動員してめったやたら、祈誓《きせい》を凝《こ》らしはじめた。
お角は勝手もとに立ちはだかり、
「朝ンなりゃあ出ていった連中、腹ペコで引きあげてくるからね。大釜に飯を炊いとくれ。みそ汁の実《み》は菜っぱと大根でいいけど、量をたっぷりだよ」
女中どもをせかしにかかる。
幸助は妻を二年前に亡くしたあと、
「息子は三人とも成人したし、いまさら祝言なんぞ面倒くさい」
と後添えを貰わない。したがって大世帯の切りもりは今なお、お角婆さんがてきぱきやってのけているのである。
老人夫婦の祈念奮闘にもかかわらず、しらじら明けに幸助とその伜たち、男衆らは、濡れねずみのざんばら髪でもどって来て、
「だめだ、父《と》ッつあん」
広土間《ひろどま》にへたりこんだ。
「こないだ埋め立てたばかりの三番囲いが、ごっそり浪に削られちまった。死にもの狂いで土俵や砂利|叺《かます》をぶっこんだんだが、水の勢いが強くて防ぎがつかなかった」
「そうか。また、やられたか」
鼻の穴をいららげて呻《うめ》くと、仁右衛門爺さまの悪尉|づら《ヽヽ》は、いよいよ真に迫る。
細引きで身体に縛りつけていても、簑笠《みのかさ》などまったく役に立たない。びしょ濡れのそれを男衆どもが、
「ええい、ちくしょうッ」
引きむしるように脱《ぬ》ぎ捨てるので、見るまに土間は水びたしになった。
「しょうがない。相手が海じゃ喧嘩もできないよ。こうなったら浪が勝つか三笠屋が勝つか、根《こん》くらべだ。力を落とさずに、さあ、みんな、熱々飯《あつあつめし》でも腹いっぱい掻《か》っ喰《くら》っておくれよ」
お角婆さんの付け景気も、毎度のこととなると聞く耳に空《むな》しい。
「相手は、海じゃない。風でも雨でもないよ、おふくろ」
乾いた手拭で、髪の雫《しずく》を拭きながら、幸助が静かに否定した。
「ゴミ運びの業者が相手だ。海や空じゃ負けても仕方ないけど、人間相手の喧嘩に負けっぱなしじゃいられない。今日という今日、おらァ堪忍袋の緒を切ったぜ。なあ親爺どん、伜ども、ぬしらァどう思う?」
日ごろ、容易なことでは怒りを露《あらわ》にしない温厚な性格だけに、幸助の低く抑えた声には、かえって凄みがこもった。
「よく言うた。おめえが言わなきゃ、同じ科白《せりふ》をわしが言うところじゃったわ」
我が意を得た、とばかり仁右衛門が吠えた。
「ゴミ舟の船頭どもがお上《かみ》のお定め通り、越中島の杭内《くいうち》にゴミを捨ててりゃあ、ちっとやそっとの高浪ぐれえで埋め場を崩されるなんて馬鹿なこたァ起きねえ。幸助の言う通り喧嘩相手はやつらじゃ。|ひと《ヽヽ》合戦、やらかすべいか」
「さあさあ、そうと決まればなおのこと、腹ごしらえが肝腎だよ。風呂も沸いてるからみんな、泥ッぱねを落として、飯にしておくれ。そして|ひと《ヽヽ》眠りしたあとで、とっくり船いくさの軍略を練ろうじゃないか」
婆さんの大声も、こんどは空《から》元気とは聞こえない。太郎助、次郎助、三郎助はじめ、男衆や女衆までが、
「えいえい、おー」
鬨《とき》の声をあげて、その|あじてーしょん《ヽヽヽヽヽヽヽ》に呼応した。
2
いったい彼らは、なぜ腹を立てているのか。ゴミの運搬業者が、何をしでかしたというのか。
それは、彼らが居住する場所──つまり越中島という島の、成り立ちと現状に目をそそげば、おのずと理解できてくる。
ひと口で言うとここは、今さかんに造成中の、『江戸版・夢の島』なのである。
もともと越中島は、島と呼べるほど大相《たいそう》な土地ではなかった。隅田川河口の南側にぼちぼち散らばる洲《す》の一つで、まあ、中では大きいほうだったろう。
三代将軍|治世《ちせい》の初め、榊原越中守照清に公儀からこの洲が下賜された。ながいあいだ怠りなく、久能山《くのうざん》東照宮の警備役をつとめたから、そのご褒美の意味でくだされたのかもしれない。
「ありがたき仕合せ……」
ぐるりを海にかこまれて眺めは明るい。魚釣りや汐干狩りが楽しめるとよろこんで、越中守はお礼を申しあげ、さっそく抱《かか》え屋敷を建てて|りっち《ヽヽヽ》な気分に浸《ひた》ろうとした。抱え屋敷というのは、別荘みたいなものである。
予測にたがわず、庭づたいに浜辺へ出られる。小者に網を打たせればボラや黒鯛がいくらでもあがる。
「魚屋をはじめようか。のう三太夫」
「ははは、それも、ご一興」
浮かれていられたのも、わずかな間だった。吹きさらしにひとしい海の突《と》ッぱな……。とりわけ南東からの風が強い。不可抗力の|ながし《ヽヽヽ》だ。
おかげで高浪がしょっちゅう押し寄せ、鉋《かんな》さながら陸地を削り取る。
「あれあれ三太夫。家が傾き出したぞ」
「これは一大事。土台を突き固めねば……」
主従してあわてても、補強工事などおいそれとはできにくい。
とうとう地所は崩れ、築後いくばくもない抱え屋敷まで流されてしまったから、
(ひどい|ぺてん《ヽヽヽ》だ。何がご褒美か)
榊原は公儀を恨んだが、まさか、
「家の建築費、弁償してください」
とも言えない。
「拝領の土地、つつしんでご返還つかまつります」
皮肉たっぷりに申し出て、退去……。越中守の職名のみが、島に残るという涙ぐましき結末となったのであった。
さすがの幕府も、以後この洲を恩着せがましく諸侯に下賜するのを見合せたし、また、くれるといったってだれ一人、貰う気づかいがないまま、土地は公領となっていたずらに、浪に洗われるにまかせていた。
しかし年々、江戸の人口がふえつづけ、宅地が払底して「土一升・金一升」の様相を呈し出すと、
「もったいないぞ、あの洲を無駄に放置しておくのは……」
算盤《そろばん》をはじくみみっちい閣僚も現れる。
「浪よけの杭を打ち、土を入れよう」
そこで元禄年間、上総澪《かずさみお》と呼ばれる水路の底|浚《さら》えを大々的におこなったさい、その浚土《しゆんど》を運んで土地の嵩《かさ》上げにかかった。
おかげでいくらか、地面は高くなり、洲というよりは島に近い体裁となって、草や木も生えはじめた。
「よしよし、もはや立派に宅地として使えるぞ」
公儀は自信をつよめ、正徳元年に幕臣四十三名にここを貸与……。新しく越中島町が成立したのであった。
地主となった御家人らは、めいめいの土地をさらに町人に貸し、地代を徴収して、町には管理のための地守役《じもりやく》を置いた。
でも、いささか地高《じだか》になったとはいえ、風波の力をまともに受ける島の宿命は逃《のが》れがたい。
浸蝕は、あいかわらず止《や》まなかったから、その後も公儀は江戸市中や近郊の川々で底浚えが実施されるたびに、
「泥土はかならず、越中島へ持って行け」
と命令しつづけた。
こうした努力の甲斐あって、島の面積はすこしずつ拡がり、地盤の固い東側には町家の数も増加──。洲にすぎなかったころは関東郡代の支配地だった鄙《ひな》びた場末が、いまや江戸深川の一部と見なされ、南・北両町奉行所の管轄下に組み入れられて、土地としての格や評価も、ぐんぐん上りはじめてきた。
こうなると公儀だけにかぎらない。越中島の埋め立て|ぷろじぇくと《ヽヽヽヽヽヽ》を、
「採算に合う儲け仕事だ」
と見る業者が出てくる。洲崎の弁天社に寄った南側、江戸湾に面した東側は、まだまだ無限にひろがる埋め立て可能な空間だからである。
波除け杭を打ち、土砂を投入してここを新田、あるいは宅地に造り変えれば、将来の値上りは必至だし、莫大な借地料も見込めると業者たちは踏んだのだ。
あいついで奉行所に請願が出された。
提示した条件はさまざまだが、三笠屋も仁右衛門爺さまの先代のときに、
「なにとぞ、ご許可くだされたし」
と願って出、首尾よく新地二千坪の造成権を手に入れた業者の一人なのである。
「埋め立てに用いる土は、どこから算段してくるつもりか」
「海中に散らばって、澪《みお》通りを塞《ふさ》いでいる出洲《です》が多数ござります。これを浚って埋め土に使えば、水路の通《かよ》いがよくなり、廻船にも便……。まさに一石二鳥の妙案と申せましょう」
「して、浚渫《しゆんせつ》に要する費用は?」
「仰せまでもなく、わたくしどもの自己負担といたします所存」
「ほかには?」
「越中島と、深川中島町の間を流れる大島川に、長さ二十間の橋をかけさせていただきます。架橋に要する出費、末々の修繕費まで、すべて出願人たる三笠屋がまかなうつもりでございます」
そのかわり三笠屋は、二千坪の土地を公儀から「永代借地」として下《さ》げ渡される。わずかな上納金をおさめる義務はあるけれど、この土地を多くの町家に貸し、半永久的に地代を取ることができるのだから、子々孫々にいたるまで、たいそうな収入源を確保した勘定になる。したがって、
「よろしい。願いの通り差し許そう」
許可の達しを受けたときは、
(しめたッ、やったぞ)
躍りあがって喜んだのだが、あとから思えば喜ぶのは早すぎた。予想を上回って浪の力はすごく、以来、数十年間も三笠屋は、悪戦苦闘を強《し》いられる羽目《はめ》におちいったのである。
埋め立てる端から崩されて、工事は歯がゆいほどはかどらない。三歩進んで二歩もどるならまだしも、三歩進んで三歩、いや、時には四歩の後退を余儀なくされ、焦《あせ》りぬいたあげく先代は、卒中でぽっくり逝《い》ってしまった。命までを、浪に拐《さら》われたといってよい。
「ようし、こうなりゃ意地だわ。親爺どんの弔《とむらい》合戦じゃぞ」
当主の座を継いだ仁右衛門が、そのころすでに、たのもしい若頭《わかがしら》に成長していた幸助ともども、夜《よ》の目も寝ずにがんばったのだが、結果はやはり思わしくなかった。
三笠屋と前後して越中島の埋め立て工事を請負った浜鉄《はまてつ》、中屋、菊栄《きくえい》ら他の出願人も同様、とんだ思惑《おもわく》はずれにげっそりして、
「いっそ、大損覚悟で手を引こうか」
青息吐息でいたやさき、
「策、無きにしもあらず、だよ」
智恵を貸してくれたのが、南町奉行所の神崎与力だったのである。
「土砂だけに頼るな。ゴミも引き受けろ」
「ゴミ?」
「年々すさまじい勢いで江戸は住民がふえつづけ、その数すでに百万を突破した。ゴミの量もそれにつれて増加の一途をたどり、捨て場に困りはじめている。波除け囲いをいま少し堅牢なものに造り替え、ゴミを囲いの中に投棄させて、上に土を薄くかぶせるんだ。五、六年もすれば、曲りなりにも人の住める土地に生まれかわるはずだぞ」
「お上《かみ》のお許しはいただけますかな」
「そのへんはおれに委せておけ。根回ししておいてやるから、ころあいを見はからって歎願書を提出してみろよ」
地獄に仏の助言とばかり、さっそく言われた通りやってみた。そして目算にたがわず越中島へのゴミ捨て許可がおり、ゴミ舟がわんさと漕ぎ寄せて、積み荷のゴミ叺《かます》を囲いの内側に投げ入れはじめると、効果はたちまち現れ、これまで遅々としてはかどらなかった埋め立て作業が、ようやく|すむーず《ヽヽヽヽ》に進捗《しんちよく》しはじめたのである。
「やれ、ありがたや」
「やっとどうやら、竣工のメドが立ちそうですな」
「冥途《めいど》の先代にも、これで顔向けができるわい。のう幸助」
しかし、そうまでしてもまだ、喜ぶのは早すぎたのだから、よくよくの難局といわねばなるまい。
なぜか半年ほど前から、投棄されるゴミの量が減りだしたのだ。ひところの半量──いや、四半分《しはんぶん》にも足りない日が目立つほど激減してしまったのは、いかなる理由によるものか?
「奇妙だなあ」
「どうも解《げ》せぬ」
埋め立て仲間の浜鉄、中屋、菊栄の経営者らが三笠屋に集まって、仁右衛門父子を中心に首をかしげ合ったが、さっぱりわけが判らない。江戸市中のゴミは減るどころか、確実にふえつつあるはずなのだ。
将軍さまのお膝もとだけに、江戸という町は七割方、武家屋敷で占められている。大名旗本、御家人の邸宅──。大身《たいしん》の諸侯ともなると上《かみ》・中・下《しも》屋敷に別荘まで所有し、そのそれぞれに広大美麗な庭園が附属する。植えられている樹木だけでも気が遠くなるほどの数だから、枝々を剪定《せんてい》する季節ともなれば連日、山ほどのゴミ叺が各邸内から出される。
寺や神社も武家屋敷についで多く、これまたおのおの、みごとな泉石を擁している。それらからも刈り込んだ木の枝が廃棄物として出るわけで、埋め立て用には絶好のゴミと見なされていた。
「火事だってそうだぜ」
とは、中屋の主人の疑問だった。
「ここ一、二年、大火こそないけれど、十町二十町ほどの焼亡はあちこちにあった。そのたんびに今までは、焼け焦《こ》げた木材や壁土、土塀、石垣なんぞの崩れが、しこたま出たのに、火事がありながら焼け跡のゴミが少なすぎる。まったくといっていいほど出ないってのは、どういうことだろうなあ皆の衆」
「げんにこの春はじめ、芝の露月町《ろげつちよう》辺から火が出て、金杉橋あたりまで燃え拡がった。越中島からも、手に取るように炎の伸びちぢみが見えたよなあ」
「そのくせあのときも、ゴミらしいゴミはさっぱり出なかった。面妖《めんよう》な話じゃないか」
「途中で、捨てちまうということも考えられますよ」
と、幸助が言った。
「昔から江戸の下肥《しもごえ》の大方《おおかた》は、下総葛飾《しもうさかつしか》の百姓が年決めで汲み取ってきていたが、ゴミは多摩川沿いの丸子、矢口、ちっと脇に入《い》りこんで奥沢、池上、桐ヶ谷《や》、馬込など、武蔵《むさし》荏原郡《えばらごおり》の農民が、いま、引き受けて持って行くらしい。わたしらが田舎舟と呼んでるゴミ舟だけど、連中にすれば、越中島へのゴミ捨ては廻り道だし、|手間ひま《てまヽヽ》がかかる。そこでこっそり、肥料《こやし》に使えぬ焼け土や瓦礫《がれき》、木々の大枝など、不要の重荷を海の中へ抛《ほう》りこみ、生ゴミだけにして逃げてしまうのではありますまいかな」
「ちがいない」
中屋と菊栄が、異口同音にうなずいた。
「まさしくそれだよ幸助さん。ご明察通りだとわたしらも思うな」
「と、すれば、見すごせないぞ。不法投棄じゃないか。なあ仁右衛門さん」
浜鉄のわめきを受けて、
「訴えよう。法破りじゃ」
悪尉|づら《ヽヽ》に、仁右衛門爺さまも朱をそそぐ。
「待ってください。推量だけで訴えても、田舎舟の側に『そんなことはしていない』と言い張られればそれまでです。現場《げんば》を押えるなり、たしかな証拠をつかむなりしなくては……」
「見張り舟をうんとこさ、繰《く》り出そうか」
「監視されてると知ったら、相手は用心して尻ッぽを出しますまい」
「女なら油断するんじゃないかねえ」
隣りの炉《ろ》部屋から、お角婆さんが骨張った膝をにじり出させた。
「舟|遊山《ゆさん》って見立てで、女衆を五、六人ずつ小舟に乗せ、唄三味線でにぎやかに、海の上を漕ぎ廻らせるってのは、どんなもんだろう」
「駄目だよ、お祖母《ばあ》ちゃん」
うんざり顔で孫の次郎助が首をふった。
「一日二日のことじゃないんだぜ。毎日毎日、女たちを乗せた舟が幾艘も、ドンチャカ囃《はや》しながらうろついたら、ゴミ舟より先に漁師どもが胆《きも》をつぶすよ」
「その漁師じゃがな」
仁右衛門爺さまの目のつけどころは、さすがに鋭かった。
「芝浦沖を働き場にしとる連中じゃで、ゴミ舟の所行を一度や二度、目にせんことはないはずじゃ。あのあたり一帯の漁師に聞けば、証言は得られるじゃろ。やつらを証人に立てて奉行所に訴えて出ようじゃないか」
「それがいい。ゴミの不法投棄で海をよごされれば、まっ先に困るのは漁師だものな。もう今ごろは、漁民どもも怒っているかもしれないぞ」
浜鉄も中屋も菊栄もが、一議に及ばず爺さまの意見に賛同した。
田舎舟と総称してはいるけれど、農家の人々が自身、江戸市中のゴミを浚いに来るわけではない。委託を受けた専門のゴミ取り業者が、町々の芥溜《あくただ》めから、舟着き近くの定めの場所まで人足の手で運び出されたゴミ叺を日に一、二回ずつ集めて廻るのである。
さらにその上に、これら中小のゴミ取り屋を一手に仕切る『鶴与《つるよ》』という業者が存在する。
それまで無秩序に乱立していたゴミ取り屋を、『鶴与』は巧みに統合吸収して傘下に組み込み、いつのまにか大企業にのしあがった事業家であった。
『鶴与』を屋号としているけれど、これは略称で、本名は鶴巻|与勘兵衛《よかんべえ》という。
最初、この名を耳にしたとき、口の悪いお角婆さまなどは、
「なんだってえ? よかんべー? アカンベーのまちがいじゃないのかい?」
茶化《ちやか》したし、孫の太郎助は、
「与市兵衛と勘平を一緒にしたような名だ。とんと忠臣蔵の山崎街道だね」
芝居好きらしい寸評を洩らした。
本業は何かというと、多摩川上流の谷保《やぼ》近辺に広大な梨畑を所有し、梨の栽培と出荷を手がけるかたわら、手びろく薪炭《しんたん》業をいとなむ旧家で、代々、土地《ところ》の村役をつとめ、苗字《みようじ》帯刀まで許されているお大尽《だいじん》さまなのである。
そんな『鶴与』が、なぜ、まったくお門《かど》のちがうゴミ回収業になど乗り出したのか、越中島の埋め立てに従事している三笠屋たちにはいっさい、不明だった。
だいいち『鶴与』とは、直接の関《かかわ》りがまったくない。顔を合せるのは組下のゴミ取り屋──。それも箱舟を漕ぐ船頭と叺を投げ入れる人足だけで、鶴巻与勘兵衛の名は噂に聞いたにすぎなかった。
しかし今や、「どんな男か、会ったこともない」では済まぬ。『鶴与』所属のゴミ取り屋が、不埒《ふらち》な不法投棄をしてのけているのだ。お大尽その人とは言わないまでも、番頭・支配人あたりにはぜひとも面会して、厳重に配下の箱舟を監視するよう申し入れねばならぬ。
「それにしろ谷保とは恐れ入るなあ。出向くとなると一日仕事だぜ」
菊栄のボヤキをなだめたのは、幸助であった。
「谷保は本邸でね、出店が高輪《たかなわ》にあるそうですよ。そのほか南品川と大森の海っぱたに、専用の舟溜まりや倉庫まで建てているようです」
「そいつは助かる。高輪へ談判に行けばいいわけだが、その前に芝浦の漁師村へ出かけて、実否をたしかめなければならないな。みなで手分けしてやろうじゃないか」
中屋の言葉に全員がうなずき、すぐさま調査に乗り出した。
網元《あみもと》から舟子《ふなこ》、漁師や内儀《かみ》さん、海道《かいどう》筋でさざえの壺焼きを売り歩く子供らにまで聞き廻ったところ、
「どうも近ごろ、浜に打ち上げられる芥《あくた》や流木のたぐいが多くなった」
と芝浦の漁村でも、訝《いぶか》る声が出はじめているという。
ただし、外洋につながる広大な海域だけに、ゴミ投棄の現場を目にした者はまだ、いない。|しびれ《ヽヽヽ》を切らした中屋と浜鉄が、高輪の鶴与の支店へ出かけて掛け合ったが、これは当然のことながら番頭と名乗る帳場の中年者に、
「めっそうもない。ゴミの選りごのみなどするものですか。魚河岸から出る臓物《わた》の樽みたいに、肥料として農家に売れると初手《しよて》から判っているゴミのほかは、ご定法通り越中島へ運んで捨ててますよ」
ぬけぬけシラを切られた。
「じゃあ、なぜここへきて、ゴミの総量が減ったんでしょう」
「手前どもにも呑みこめませんな。お上の贅沢《ぜいたく》禁止令が功を奏して、使い捨て|ぶーむ《ヽヽヽ》に歯どめがかかったのとちがいますか」
唐変木《とうへんぼく》め、ふざけたことを言いやがると内心、歯がみしたものの結局は暖簾《のれん》に腕押し……。のらりくらり躱《かわ》されて、引きさがるほかなかった。
芝浦でも高輪でも、「さしたる成果なし」と聞かされて、三笠屋の幸助は、
「こうなったら父ッつあん、神崎さんに相談するほかないな」
仁右衛門に議《はか》った。
「わしもそう思うとったとこじゃ。神崎与力なら、またぞろ智恵を貸してくれるじゃろ。行ってこい」
取りつけの酒屋で三升入りの角樽《つのだる》を詰めてもらい、末息子の三郎助に提《さ》げさせて、さっそく幸助は非番の日、南|槙《まき》町の神崎の家を訪ねた。
三間《みま》ほどの借家ながら椹《さわら》の垣根をめぐらし、小庭の隅に石灯籠など据えて、なかなか風雅に住みなしている。
日本橋通二、三丁目、中橋広小路など大商店が軒を並べる繁華街の近くにしては、人通りもあまりない静かな横路地《よころじ》で、似たような造りの|しもたや《ヽヽヽヽ》ばかりひっそりと、小ぎれいにくらしている一画なのである。
それだけに神崎家から洩れ出している異様な呻《うめ》き声が、なおのこと耳に障《さわ》る。
「やっていなさるな」
葛屋門《くずやもん》の前で足をとめ、幸助は苦笑まじりにつぶやいた。
「せっかくのお楽しみだ。謡い終るまでお待ちしよう」
「謡い?」
すっとんきょうな声を、三郎助が張りあげた。
「あれが謡いですかあ?」
「謡いだよ。『鞍馬天狗』らしいな。……ほら、そもそもこれは鞍馬の奥、僧正ヶ谷に、年|経《へ》て住める大天狗なりィと今、おっしゃったじゃないか」
「よく文句が聞き分けられるなあ。わたしにはとても人語とは受けとれませんぜ。妊婦が産気づいて唸っているのか、さもなきゃ断末魔の病人の苦悶の声かと早合点しかけたくらいですよ」
「失礼なことを言うな。酒のほかは謡いに血道をあげるだけの、ごく|まっとう《ヽヽヽヽ》な固物《かたぶつ》だ。でも、年季のわりにはうまくないなあ」
「とても一曲終るまで辛抱しきれませんよ。かまわないから案内を乞おうじゃありませんか」
「まあ待て。せっかくいい気持で謡っておられるところを、中途でぶっ切るのも心ない業《わざ》だ。もうしばらく我慢しよう」
「通《つう》じを催おして来そうな声だ。よく近所から文句が出ませんねえ」
そのうちに、ようやく、
「影身《かげみ》を離れず弓矢の力を副《そ》え守るべし、頼めや頼めと夕影《ゆうかげ》くらき、頼めや頼めと夕影鞍馬の、梢《こずえ》に馳《か》けって失《う》せにけりィ」
と謡い納めたから、
「いまですよ、さあ、早く早く……。また次のを謡い出したら災難ですからね」
三郎助は父親をせきたて、あわてふためいて玄関へ猪突する。
ご新造が取りつぎに出、すぐさま客間とおぼしいとっつきの六畳へ通されたが、
「おう三笠屋、親子|雁首《がんくび》をそろえて、何の用だ?」
出て来た神崎与力の機嫌は、さほど上々とはいえなかった。
3
(やはり堪能《たんのう》するほど唸りたいところを、邪魔したのが悪かったかな)
幸助は内心、忸怩《じくじ》としながら、それでも一生懸命これまでの経緯を説明し、
「どうしたらよいか、今回もまた、お智恵拝借にまかり出ました次第で……」
頭をさげた。
「ふーん」
気のない素振《そぶ》りで、相手はしかし、鼻を鳴らすだけである。
はかばかしく反応しないのに業《ごう》を煮やして、気の短い三郎助が土産《みやげ》の角樽を神崎の膝先へ押し出した。
「千代の富士の醸造元が、こんど新しく売り出した小錦という銘柄の酒です。お口に合うかどうか、召しあがってみてくれませんか」
いつもなら相好《そうごう》を崩して、
「お持たせで済まんけど、では一緒にやろうじゃないか」
ご新造に燗《かん》の仕度をさせ、有り合せの肴でさっそく猪口《ちよく》のやりとりをはじめるのが通例だし、飲めば口軽く、いろいろ喋り出す神崎なのに、この日はその手にも一向に乗らない。
「千代の富士に小錦だと? ふん、つぎに売り出すのは霧島じゃないのか?」
と、対応は依然、無愛想をきわめている。せっかくの角樽にろくさま目をやろうとせず、やっと一つ、ひねり出してくれた方策も、
「高札《こうさつ》をおっ立てたらどうだい? 三笠屋」
おざなりとしか言いようのない陳腐なものだった。
「どこに立てます?」
「どこだっていいさ。箱舟の船頭の目のつきやすい場所を選んで『芥を海中に捨てること、まかりならず。違背するに於ては曲事《くせごと》たるべきものなり』とでも書くんだな。いまの段階で奉行所の打てる手といったら、せいぜいそのくらいなものだよ」
「効き目がありましょうか」
「なんともその辺は、保証しかねるけどね」
「立てないよりは|まし《ヽヽ》でしょうが、高札場の管理はどこが受け持ちますので?」
「おぬしら越中島の埋め立て業者にきまってるじゃないか。自分らの頭の蠅《はい》まで、奉行所に追わせる気か?」
「そんなつもりは、毛頭《もうとう》……」
「いやなら立てなくったっていいんだぜ幸助。でもな、高札|守《まも》りはお上の代行だ。ちっとばかり管理維持に金を出したからって損にはならんよ。奉行所の権威を笠に着られるんだからな」
言われなくても、それくらいのことは承知している。高札の威力など疑わしいと思えばこそ、神崎の案に乗り気になれないだけなのである。
座がしらけかかったところへ、まるで|たいみんぐ《ヽヽヽヽヽ》を計りでもしたように隣り座敷から、
「あなた、そろそろお仕度なさらないと……遅れますよ」
ご新造が顔を出した。
「おう、もうそんな刻限か」
そそくさ神崎は立ちあがりながら、
「すまんな三笠屋。夕方から師匠の家で謡いのおさらい会があるんだ。出かけねばならん。失礼するよ」
追い出しにかかる。夫婦|馴《な》れ合いの狂言臭いが、こうまで言われては長居できない。
「では手前どもはこれで……」
辞去したものの、何としても幸助には、神崎の言動が腑に落ちなかった。
腕っこきと定評されている鬼与力だけに、特に人当りが柔かとはいえないけれど、幸助とは年齢が似たり寄ったりのせいか、日ごろ気|さく《ヽヽ》に接してくれている。今日みたいなよそよそしい態度を、これまで見せたことは一度もなかったのだ。
「変だよなあ三郎助」
「まるで取りつく|しま《ヽヽ》がありませんでしたよねえ」
「裏に何かあるんじゃないかな」
「こんなことなら小錦を奮発するんじゃなかった。貴花田ぐらいでよかったのに、残念なことをしたなあ」
「まあ、そうケチるな。呑ン兵衛の舌はごまかせない。|らんく《ヽヽヽ》を落としなどして、仇《あだ》をされてはたまらんからな」
ぶつぶつ親子でぼやきながら帰ってみると、越中島の店では仁右衛門爺さまが待ちかまえていて、
「鶴与の正体がわかったぞ」
幸助の顔を見るなり、まくし立てた。
「浜鉄が手を回して嗅ぎ出したんじゃがな、なんでも鶴巻与勘兵衛には、トビ鷹を地でいく縹緻《きりよう》よしの娘が、三人もいるそうな」
「へええ」
「その内の中《なか》娘が、行儀見習のため大目付《おおめつけ》の井上美濃守さまのお屋敷に腰元奉公にあがったわ。な? たちまち目にとまってお手がつく。お部屋さまに成りあがる……」
「大目付のねえ。参りましたなあ」
「まだまだ、こんなことで参っては早いぞ。先があるんじゃ」
大口がカッと耳まで裂けると、爺さまの悪尉|づら《ヽヽ》には一層の、年季がはいる。
「中娘にまして、その上が美人。そこで井上大目付は、さっそく姉娘を屋敷に召した」
「ははあ、姉妹そろって手|活《い》けの花にしようとの魂胆《こんたん》ですな」
「古い古い。秦《しん》の始皇帝時代ではあるまいし、そんな悪趣味は今どき、はやらんわい。熨斗《のし》をつけて姉娘を、安藤|対馬守《つしまのかみ》邸へ献上したのよ」
「老中へ!?」
「袖の下じゃが、名目は何とでもつけられるわな。大目付まで昇ればあとの狙い目は老職じゃで、その布石を打ったのじゃろ」
「受け取りましたか? 安藤どのは……」
「|うるとら《ヽヽヽヽ》美人の|ぷれぜんと《ヽヽヽヽヽ》。だれが辞退などするものか。ありがたく頂いて閨《ねや》にはべらせたから、これまたお部屋さまに成りあがった」
「うーむ」
「わしもな幸助。浜鉄から話を聞かされた時は、つい知らず唸ったよ。老中と大目付をふところに抱《かか》えこんだ鶴与では、町奉行所なんぞ南北|束《たば》になってかかっても、かなうもんか。神崎さんの応対は、どうじゃったい?」
「冷淡を通り越して、奇ッ怪でしたな。『経費そっち持ちで高札でも立てたらよかろう』と、こうなんです」
「さわらぬ神に祟《たた》りなし。手に余る相手にかかわって、火の粉をかぶるのはまっぴらご免。知らぬ顔の半兵衛を決めこもうとしとるんじゃ。町奉行も上級役人──。出世昇進を寝るまも忘れてはおらんからのう」
「頼みの綱の奉行所が、頼みにならぬとすると……どうしたらいいでしょう」
「どうもこうもあるもんか。わしら自力で、鶴与に目にもの見せてやるほかないわい。浜鉄も中屋も菊栄も、言うとったぞ。『こうなりゃ合戦じゃ。芝浦沖を壇ノ浦とやらに見立てて、驕《おご》る平家の鶴与めを、こっぱみじんに打ち砕いてやろう』とな」
えらいことになった。神崎与力が、陣痛とまちがえそうな声で、
「驕れる平家を西海におっくだし……」
と謡っていたのも、今となれば幸助には、なにやら暗示的にすら思えてくる。
しかし生まれつき、柔和な性格なので、
「合戦だなんて、いくら何でもこの泰平の御世《みよ》に物騒すぎます。ほかに打開の手はないものでしょうか」
爺さまを説き仲間を説いたが、もともと血の|け《ヽ》の多い土木業者の集まりだ。娘を利用して権力者に近づき、その威光を背に負《お》って平然と不法行為をしてのける相手など、
「許しちゃおけねえ」
「やっつけろ」
「えいえい、おー」
と気勢をあげ出しては、もはや幸助一人で防ぎのつく問題ではなかった。
4
芝浦の漁民どもを仲間に引き入れるべく、こっそり誘いをかけてみたけれど、
「ゴミ舟を襲撃するだとォ? 何でだね?」
まだ被害者意識が薄いせいか、のんびり構えていて乗ってこない。
「何でだも無いもんだ。あんたら近ごろ、浜に打ちあげられる芥《あくた》がふえたと、こぼしてたじゃないか。やつらが金にならないゴミを捨てていくんだ。このまま見のがしてたらいまに海はよごれて、魚も貝もとれなくなっちまうぞ」
「お上に申し上げて、やめさせて頂くのが筋じゃねえのか。力ずくとは穏やかでねえぜ」
「訴えて通るものなら、とっくに通ってらあ。聞いてくれ、みなの衆」
鶴与が閨閥《けいばつ》で、大目付にも老中にもつながっているいきさつを、埋め立て業者側は漁師らにこもごも語って聞かせた。
「これじゃあ奉行所だって二の足を踏むわな。南の筆頭与力に相談してみたんだが、てんで相手にされなかったよ」
かえってこの話は、網元連中をビビらせた。
「鶴与のうしろに、そんな大物が控えているんじゃ剣呑《けんのん》だ。へたに手出しして、あべこべに訴えられたら勝ち目はねえわ」
「自分のほうが法破りをやらかしてるんだ。訴えたりすりゃあ藪蛇《やぶへび》になる。そこがこっちの付け目ってわけだろ?」
「でもなあ、問答無用で、いきなり襲いかかるってのは乱暴だなあ」
「乱暴は、鶴与のほうじゃないか。お上がそれを取り締まってくれそうもないから、仕方なくおれたちの手でやつらを懲《こ》らしめるんだぜ網元さん。漁民や埋め立て屋が勘づいて、怒り出したと知れば、もともと不法なんだから鶴与は海中へのゴミの投げ捨てを中止するよ」
「そう、うまくいくかなあ」
同じ危惧は、幸助の胸底にもわだかまっている。不法投棄の、確たる現場を押えたわけではない。状況証拠だけで暴力沙汰に出て、はたしておとなしく、詫《あや》まる鶴与だろうか。
荒くれ男の集団だけに、でも中には、
「ゴミ舟の野郎、おらの網を破りながら、あいさつもせず逃げやがったぜ」
「我がもの顔に往来しやがってよ、あぶなくぶつけられかけたこともあらァ」
「一発ぶちかまして、恐れ入らしてやろうじゃねえか。うぬらだけの海じゃあんめえし、でかい|つら《ヽヽ》、するなってんだ」
加担を表明する若い漁師もいて、越中島勢の気勢《きせい》はいやが上にも盛りあがった。海上を、座敷同然と心得ている連中が助太刀してくれれば、もはや勝敗は決まったにひとしい。
手はずをととのえ、日時を打ち合せて、いざ出撃となった当日の、お角婆さんの張り切りぶりなど、とりわけすさまじかった。
「こんなとき、お武家だと勝ち栗に|よろ昆布《ヽヽこんぶ》、冷酒の土器《かわらけ》を三方《さんぼう》に据えて門出《かどで》を祝うんだろ。わたしらもその通りにしようじゃないか」
女衆を督励して古式ゆかしき出陣式を執《と》りおこない、悪尉爺さまはふだんの倍も神棚に灯明をともして、
「なにとぞ加護を垂れたまえ」
住吉、金比羅、その他もろもろの海神に一心不乱、味方の戦勝を祈願した。
ここまできては、もはや幸助も覚悟の臍《ほぞ》を固めざるをえない。向こう鉢巻りりしく、伜どもを引き具して彼は持ち舟のうち、もっとも大きい三笠丸に乗り込んだ。源氏の大将|義経《よしつね》というより、船名から連想すれば、天気晴朗なれど浪高き日本海で、|ばるちっく《ヽヽヽヽヽ》艦隊を迎え撃たんとする|あどみらる《ヽヽヽヽヽ》東郷の心境に近い。
先発は十六艘の小舟に二、三人ずつ男衆を乗せた浜鉄組、つづいては幸助父子が指揮をとる二十艘四十人の三笠屋組、次なる第三陣は十二艘二十六人の中屋組、しんがりを進むのは十五艘三十三人の菊栄組である。
越中島を出てまもなく芝浦村の漁師組と合流。これが腕っこきの漕ぎ手にあやつられた頑丈な漁船九艘に、それぞれ溢れんばかり気負いの若い衆を乗せていたから、
「鬼に金棒、雀《すずめ》に鉄砲、行け行け行けッ」
見るなり全軍がおめき叫び、士気はまさに天を衝《つ》いた。
油断しきっているであろう鶴与のゴミ舟が、不意打ちをくらって四散するのは目に見えている。
「勝利はこっちのもの」
そう信じきって芝浦沖に来てみたところ、あにはからんや、だれが通報したのか鶴与の側も隊伍をととのえ、
「いまや遅し」
とばかり、手ぐすね引いて漁師・埋め立て屋の連合軍を待ち受けているではないか。
これにはいささか、出鼻をくじかれたものの、
「面白い。かえってやり甲斐があるわい」
剛毅の浜鉄はせせら笑って舳《みよし》に突っ立ち、
「おれどもがなぜ攻め寄せたか、手前《てめえ》ら、胸に覚えがあるだろう。前非を悔いて降参するなら今のうちだぞッ」
怒鳴った。
「なにをほざく。降りかかった火の粉だで払うまでよ。理不尽はそっちじゃ。あやまるいわれなど、さらさら無いわ」
と鶴与側からも、番頭か手代か、総指揮官とおぼしき背のひょろ高い男が、塩辛《しおから》声で応酬する。
「しゃらくせえ。問答無用だッ」
気ばやな漁師軍がやにわに突っ込み、ゴミ舟勢を縦横無尽、櫓櫂《ろかい》をふりかぶって蹴散らしにかかる。
数にすれば敵は多い。ざっと見渡しただけでも百艘を越す大船団だし、ゴミ人足を集められる限り掻き集めたらしく、乗り組みもこちらの倍ほどひしめいている。
その頭上めがけて漁師舟の一艘から、さっと投網《とあみ》が投げられた。
「わッ」
動きを封ぜられてあがくところを、
「雑魚《ざこ》めら、思い知れッ」
越中島のめんめんが舷側に漕ぎ寄せ、棒杭を振るって撲《なぐ》り倒す。
このときである。あわや総崩れかと見えたゴミ舟陣が、ぱっといきなり二手《ふたて》に分かれ、背後に潜んでいた新手《あらて》の船団を、
「こなくそッ」
|ぱにっく《ヽヽヽヽ》を起こした鯨《くじら》の大群さながら、猛然と前面に押し出して来たのだ。
「やッ、糞舟《くそぶね》だッ、肥担桶《こえたご》舟を繰《く》り出しやがったぞう」
警戒警報が発せられたときはすでに遅く、味方はざんぶざんぶ、臭気強烈なる黄金水をぶちかけられ、
「ひゃあ、たまらねえ」
右往左往、逃げまどった。
三笠丸も、太郎助、次郎助、三郎助の若手三人が黄色い飛沫を浴び、
「き、きったねえ」
海へ身をおどらせた拍子にあえなく転覆……。幸助は泳いで友軍の舟に這い上りはしたものの、すでに味方の敗色は覆《おお》うべくもなかった。
ゴミ舟勢は下肥《しもごえ》舟を中核とし、鶴翼《かくよく》に陣を構えて包囲しようと迫る。陣鉦《じんがね》・太鼓こそ鳴らさぬまでも、征旗《せいき》堂々、一糸乱れず攻勢に転じたところなど敵ながらみごとだ。よほど戦略にたけた軍師でもいるのか、もうこうなったら三十六計、こちらも孫子《そんし》の兵法を用いて遁走のほかない。
(どこかに、退路はあるまいか)
うろうろ、あたりを見回した幸助の目が、瞬間、奇妙なものを捉《とら》えた。
敵でも味方でもない。まったく新しい兵船団が、いつ、どこから湧き出したのか、夕焼けの海上を飛鳥の迅《はや》さで、こちらへ突き進んでくるではないか。
「なんだなんだ? あの舟は……」
気づいて、だれもが呆気《あつけ》にとられているあいだに、騒ぎの渦を押し包む形で四方八方から早舟は近づき、たちまち、乗り組みの姿ばかりでなく、
「神妙にしろッ、手向かう輩《やから》は射伏せるぞ」
呼ばわる声までが、はっきり聞き取れるところまで寄って来た。
「あッ、奉行所の舟だッ」
「南と北が、一手になってるぞ」
「舟手番所の舟印《ふなじるし》も見える」
「郡代役所まで、お出張りのようだッ」
関係官庁が協力体制を敷き、合同で駆け向かってきたとあっては、かないっこない。
舟はことごとく拿捕《だほ》され、敵味方、恨みっこなしにお縄を頂戴してしまったのである。
海ばたは、人の行き来が織るような東海道に沿《そ》っている。このため、時ならぬ海戦と、それに引きつづく大捕物を見ようとして、いつのまにか浜辺はヤジ馬で埋まっていた。
「ヤーイ、ヤーイ、糞合戦!」
「だらしがねえぞう、勝ち負けを、はっきりつけろやーい」
からかいまじりの罵声が風に運ばれてくるのさえ、いまいましい。
夏の太陽は煮えたぎりながら水平線上に沈みかけ、海はギラギラ下肥《しもごえ》色に輝いて、ふんぷんたる臭気が耐えがたい。トビ鴉《からす》、カモメのたぐいが茜《あかね》の下を翔《か》け交し、やかましく啼き立てる声まで非難に聞こえる。
(まったくだ。これでは当分、芝浦の魚は売れまいし、鳥どもも餌に困るだろうなあ)
加勢してくれた漁師らの苦境を思いやり、連行されてゆく舟の中で幸助は、がっくり肩を落としていた。
お咎めは、だが、そのわりには軽く済んだ。鶴与側も越中島・芝浦側も、ひと通りのお調べだけで簡単に釈放されたのである。
受け持ちは月番の南奉行所だったが、司直の狙いは、鶴与に灸《きゆう》をすえることにあった。芝浦沖だけでなく、その傘下のゴミ舟どもは、じつは隅田川の河口あたりにも、かまわず不用の土砂瓦礫、焼け木、壁土などを不法に投棄していたのだ。
ゴミを積みすぎて荷重《におも》になると、川から海へ漕ぎ出したとたん、逆風をくらって櫓も櫂も、うまくあやつれなくなることがある。運が悪ければ横浪を受けて、舟がくつがえる危険も生じるから、荷を軽くする目的で海中にぶちこむ場合も多い。
奉行所は、ひそかに内偵を進めてこの事実を掴んだが、鶴与の娘の件がやはり障害となった。安藤老中、井上大目付の思惑《おもわく》が憚《はばか》られ、思い切った行動に出られなかったのである。
三笠屋父子の訪問を、筆頭与力の神崎がわざと冷たくあしらったのも、埋め立て業者らを破れかぶれの蹶起《けつき》に追い込み、鶴与と対決させて、騒動の鎮圧を口実に、一気に逮捕、解決へと、事を運んでしまいたかったからにほかならぬ。
合戦に参加はしなかったけれど、鶴巻与勘兵衛は一方の責任者として白州に呼び出され、今回のさわぎを償《つぐな》うという口実で、隅田川河口の澪渫《みおさら》え並びに、芝浦沖の浚渫《しゆんせつ》を命ぜられた。
河口の水路が、ゴミの不法投棄で底上げされると、船の運行にいちじるしく支障をきたす。水流がとどこおり、逆流して、台風の季節など上流部での氾濫の原因ともなりかねない。
奉行所は、だが、あえてそれに触れず、騒擾《そうじよう》事件の引責《いんせき》としてだけ鶴与側に負担を求めたから、脛《すね》に|きず《ヽヽ》持つ与勘兵衛は、お上の温情に感謝して、一も二もなく命令に服し、
「浚《さら》い上げた土や芥《あくた》は、定めの通り越中島に運んで捨てること」
との念押しにも、素直《すなお》に従った。
おかげでふたたび、日に何百艘ものゴミ舟が越中島めざして蝟集《いしゆう》するようになり、囲い内《うち》の埋め立ては、二、三年のあいだに、相ついで完成……。三笠屋も、父祖以来の悲願をやっと達成し、二千坪の借地持ちになれたのである。
ただし、「喧嘩両成敗」も法の原則だ。埋め立て業者らは奉行所から、
「新地に町家が建ち並んだあかつきは、かならず下肥を鶴与配下の肥舟《こえぶね》に汲み取らせること」
と、約束させられた。
むろん、拒否する理由などあろうはずはない。人の糞尿ぐらい質の良い肥料はなく、堆肥《たいひ》作りにも欠かせない。江戸の町民は出入りの農家相手に「年に大根百本、茄子《なす》二百個」などと交換|れーと《ヽヽヽ》を決めて、便壺の中身をいわば売り渡すのだが、しばしば悶着も惹起《じやつき》する。
「隣りにくらべて、うちは野菜の貰い分が少ないぜ」
「んでもハア、おたくの肥《こえ》は水っぽいで」
「人聞きの悪いことを言いなさんな。まるでうちの食い物が粗末なようじゃないか。茄子をあと五十、追加しなきゃ、ほかのお百姓に替えてしまうよ」
「それは堪忍してくんろ。んなら胡瓜《きゆうり》を三十、上乗せするだで、なあ旦那」
この手の|とらぶる《ヽヽヽヽ》が随所に見られるほどの貴重品を、新出来の町ぜんぶから汲み取らせてもらえるのだから、鶴与は大ニコニコで奉行所の裁きに謝意を表したし、老中や大目付の心証もしたがって、上々というめでたい結末となったのであった。
三笠屋父子に対する神崎与力の態度が、旧に復したのは言うまでもない。
「またぞろ、謡いのおさらい会がある。こんどは拙者、大曲《たいきよく》の『山姥《やまうば》』に挑戦するんだ。ぜひ家中で聞きに来てくれないか」
仁右衛門爺さまがあわてて首をふる。
「わしゃ、持病に謡い癲癇《てんかん》がありますでな」
幸助もどぎまぎ、口ごもる。
「わたしは同業の寄り合いで……。伺えない代りに神崎さん、千代の富士をご祝儀に届けさせますよ。小錦の上をゆく特級酒ですぜ」
店先から、そんなやりとりが聞こえてくる今日このごろなのである。
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瘤《こぶ》
1
岩瀬奉行に呼ばれた佐久小左衛門が、
「お召しでございますか」
執務部屋の襖《ふすま》を開けると、いつものあの、黒砂糖特有な甘ったるい匂いではなくて、ほんのかすかだが、花に似たよい香りが鼻腔をかすめた。
「おや、佐久さん、お早かったねえ。別に急ぎの用じゃないんです。お手すきの時でよかったのにすみません。ささ、お進みください火桶《ひおけ》のそばへ……ずーっと、ずーっと」
と相かわらず、奉行の応対は如才ない。当人を目にしなければ、商家の旦那が番頭か手代を相手に口をきいているように聞こえるし、その膝先に拡げてあるのも、近ごろ流行《はやり》の端唄《はうた》集なのである。
佐久小左衛門はじめ南町奉行所の与力や同心たちは、岩瀬奉行が端唄に熱中し、「チリトチ、トッチン、はッ」などと時おり合《あい》の手や口三味線を入れながら首を振り振り小声で練習するのを、見もし、聞きもしているから、松葉散らしの表紙をつけた艶《なま》めかしい綴本《とじほん》の一冊や二冊、執務室に置いてあったからといって、格別おどろきはしない。
「では、遠慮なく寄らせていただきます」
と、手焙《てあぶ》りのそばに座を占《し》める。
「ちらほら、桜便りを耳にしようという季節なのに、お寒いことねえ。お湯《ぶう》でもあがってくださいな」
茶道具に手をのばしかけるのを、
「あ、いや、咽喉《のど》は渇いておりません」
あわてて小左衛門は制止した。奉行の部屋で振舞われるのは茶でも白湯《さゆ》でもなく、墨汁《ぼくじゆう》さながらまっ黒な、黒豆の煮出し汁なのである。しかもたっぷりすぎるほど、汁の中に黒砂糖が溶かし込んであるから、その甘さときたらお話にならない。
でも岩瀬奉行に言わせれば、黒豆の汁は声帯の疲れを癒《い》やす妙薬だそうで、
「浄瑠璃の太夫なんか、二六時中これを身近に置いて飲んでますよ」
と、だれかれかまわず強《し》いてやまない。
でも、今日は、まっ黒けな砂糖湯ではなく、花梨《かりん》の実の輪切りを蜂蜜に漬けたものだと奉行は説明する。
「かりん?」
「ええ、家具調度の材料にする花梨ですがね、あの実がまた、黒豆に劣らぬ薬効を持ってまして、咽喉《のど》の痛みや声の嗄《かす》れによく効くし、痰咳《たんせき》などぴたッととめます。わたしら、声を出す者には欠かせぬ飲みものですわ」
と、いっぱし|ぷろ《ヽヽ》の唄うたいみたいな口をきく。
「ははあ、先ほど襖を開けたさい、そこはかとなく花の香りがしましたが、花梨の匂いでござりますか」
「さよう、さよう。なかなか嗅覚が鋭敏でいらっしゃる。ものは試し。飲んでごらんなさい」
仙界の霊薬でも調合するような手つきで違い棚から高さ八寸ほどの壺を取りおろし、木杓子《きじやくし》を用いて奉行はうやうやしく飴《あめ》色の、どろりとした中身を湯呑みに掬《すく》い入れる。さらにそれに、熱湯をそそいで掻き混ぜながら、
「はい、召しあがれ」
差し出すのを、佐久小左衛門は仕方なく受け取った。口へ持ってゆくと、しかし思いのほか舌ざわりのよい飲みもので、甘さも黒豆汁ほどしつこくない。
「なるほど。これはいけますなあ」
「いけるでしょ。端唄の師匠に伝授されましてね。愛飲することにしたんですよ」
ほほほほと笑うのを陰で聞けば、いかにも遊び馴れた軟弱ざむらい、蕩児《とうじ》然とした優《やさ》男を想像しがちだが、岩瀬伊予守|氏紀《うじのり》の実物は『鬼瓦《おにがわら》』の渾名にそむかぬゲジゲジ眉、ぎょろ目、大口のいかつさだから、見ると聞くとは大ちがい。落差のはなはだしさに、だれもが戸惑う。三味線より鉄扇《てつせん》か鎖鎌《くさりがま》でも握りしめたほうが、まだしも似合う御仁体《ごじんてい》なのである。
(人は見かけによらぬものだ)
つくづく佐久小左衛門あたり、肚《はら》の中でつぶやくけれど、その小左衛門にしてからが痩せて小柄な、猫背気味の喘息《ぜんそく》持ちで、五十そこそこなのに横鬢《よこびん》にはだいぶ白髪が目立つ。
すこぶる風采のあがらないそんな外見に見合って、気性もおとなしい。口べたで陰気……。酒や煙草をやらず、愚痴ばかりこぼすから仲間からも敬して遠ざけられて、孤影、つねに悄然《しようぜん》としがちなのだ。したがって小左衛門の職掌を、
「南町奉行所の古参与力」
と聞いても、知らない人は容易に信じない。これまた、「人は見かけによらぬ」実例を、身をもって示しているのであった。
「ええ、さて、拙者へのご用とは?」
花梨湯の茶わんを下に置き、小左衛門はこころもち居ずまいを改めた。
「いやなに、そう、しゃちこばるほどの事ではないんです。チラと小耳に挟んだんですけどね、佐久さんの持ち場で、揉めごとがおっぱじまっているんですって? ほんとう?」
「ウッソーと申しあげたいところですが、仰せの通りでして……。じつは拙者、はなはだ困却しとります」
「どんな揉めごと?」
「ゴミですよお奉行。鑑札を交附されているゴミ取り業者の組合が、モグリの跳梁《ちようりよう》を取りしまってほしいと騒ぎ出しましたので……」
「やれやれ、ゴミですかあ」
うんざりしたように、岩瀬奉行はゲジゲジ眉をひそめた。
「不粋《ぶすい》ですなあ。揉めごとなら、せめて色恋のもつれから引き起こされる廓刃傷《くるわにんじよう》、さもなければ芸者と間夫《まぶ》の心中事件といきたいところなのに、このせつ聞かされるのはゴミをめぐるいざこざばかり……。色気がなさすぎますわね」
「そうおっしゃっても、拙者の役儀は高積《たかづみ》見廻り……。人身事故といえば、せいぜい土左衛門が浮いた話ぐらいで、粋筋《いきすじ》とはかかわりようがございません」
憮然《ぶぜん》とした語気で小左衛門が言う通り、高積見廻りは川べりや堀端を巡検し、浮き芥《あくた》の有無、土手の整備、舟から上げた河岸《かし》の積み荷の多寡や違法をしらべる役で、色っぽい話題など期待するほうが、どだい無理なのだ。
「なぜここへきて、無鑑札の業者が急増したか、理由を申しますと……」
口べたながら話しはじめようとする小左衛門の鼻先へ、奉行はごっつい掌を突き出した。
「けっこうですよ。ゴミの揉めごとなんぞうかがっても気が滅入《めい》るばかり……。それより解決策を講じて、手っとり早くこの問題に、|えんどまーく《ヽヽヽヽヽヽ》を出しちまおうじゃないですか」
「解決策とおっしゃいますと?」
「いま、佐久さん手下《てか》の同心は、たしか……」
「野口郁之進、十八歳です」
「若い若い。新規採用ほやほやの、饅頭《まんじゆう》ならまだ湯気を立ててる世馴れない青年だし、佐久さんは温厚篤実な君子の上に、蒲柳《ほりゆう》の質ときてます。海千山千のゴミ取り屋に束《たば》になってかかられては、防ぎがつきますまい。そこでこのさい、精鋭を投入しようと考えましたのさ」
「つまり、同心の数を増やすので?」
「その通り。規定では高積見廻りは与力一人、同心一人となっていますが、臨時にいま一名、他の部署から同心を借りてきて、陣営を強化してはいかが?」
「助かりますけど、だれを?」
「定廻《じようまわ》りの中から引きぬいて、春日井采女《かすがいうねめ》を佐久さんの部下に加えましょう。彼が矢面《やおもて》に立てば百人力です。ゴミ取り屋相手の悶着《もんちやく》など、雑作《ぞうさ》なく捌《さば》いてのけますよ」
「はあ」
たしかに奉行の言う通りなので、反射的に承諾のうなずきを返しはしたものの、
(春日井采女か。うーん)
呑みこんだ固いものが、食道に引っかかりでもしたような不安感にとりつかれ、小左衛門は急に落ちつきを失ってしまった。
名前からすると歌舞伎の女形か、湯島の陰間《かげま》を連想しがちだが、これまた「見ると聞くとは大ちがい」の口で、犯人逮捕の実績|なんばーわん《ヽヽヽヽヽヽ》を誇る辣腕《らつわん》の捕方《とりかた》なのだ。
さっそく奉行に呼ばれ、執務室にやってきた春日井は、同席している小左衛門を一瞥《いちべつ》するなり、
「ゴミ組合の件ですな」
用向きを察したらしい。受け持ち違いなのに、
「状況はおおよそ承知しています。つまり手前は、助《すけ》ッ人《と》に駆り出されるわけですね」
とも、ずばり指摘する。頭の回転の早さは呆れるばかりである。
眉が濃く、目もと涼しく、鼻すじの凜《りん》と通った美男子だし、身体つきもほっそりと華奢《きやしや》だから、外側は名前と釣り合っている。ところがそれに晦《くら》まされて、
「へん、にやけ野郎め」
追いつめられた強盗などが舐《な》めてかかると、とんでもないことになる。
八丁堀の組屋敷──。
同心たちが集団で寝起きするこの宿舎の一画には、彼らのための道場が建ち、師範がいて剣術、柔《やわら》、十手術などの指導に当っているが、春日井采女ときたら、そのどれもの師範代を務める腕前の持ちぬしで、ことにも十手の扱い、捕縄《ほじよう》の掛け方の迅速さは目にもとまらない。あっというまに、いかなる凶悪犯も縛りあげてしまう。かの、いにしえの大盗石川五右衛門が、五人十人、隊伍を組んで襲ったとしても、
「春日井の手にかかればウンもスーもなく、お縄を頂戴すること受け合いだよ」
とまで評判されている|すーぱーすたー《ヽヽヽヽヽヽヽ》だ。
(でもなあ、殺しや火附けをつかまえるのではない。むずかしいとはいっても、たかがゴミ屋の揉めごと……。捕物名人の出馬には及ばんと思うがなあ)
佐久小左衛門の逡巡を尻目《しりめ》に、
「ようがす。助ッ人お引き受けいたしやしょう。なあに、あっしが乗り出しゃあこんな一件、いちころでさあ」
得意のべらんめえ調で、春日井はやたら張り切る。
「ほほほほ、頼もしいじゃないの采女さん。なにせ佐久さんはお年だし喘息持ち、野口は未経験ときてますからね、あんたに踏んばってもらわないと困るわけよ」
煽《あお》り立てる鬼面《おにづら》奉行の、|あんばらんす《ヽヽヽヽヽヽ》な猫なで声までが小左衛門には苦々しい。とはいえ、いちいちもっともな言葉ではあるので、抗弁の隙を見いだせないままずるずると、成り行きに従ってしまったのであった。
2
すぐさま春日井采女は、精力的な活動を開始した。これまでの行きがかり上、
「拙者も同道しようか」
小左衛門は申し出たが、
「とんでもねえ。外はまだ、寒うござんすぜ。御大《おんたい》は奥の院に鎮座して、睨みをきかせてておくんなせえ。お出まし願う時がきたら、こっちから申しあげますから……」
春日井は押しとどめ、
「ではせめて、わたくしがお供を……」
言いかける野口郁之進をじろりと見やって、
「足手まといだよ若《わけ》えの。おめえは御大の肩でも揉んであげてろい」
憎態《にくてい》な捨て科白《ぜりふ》を浴びせたきり、さっさと一人で出かけてしまった。
もっとも原則として、与力は町廻りなどめったにしない。出るとすれば配下の同心を引きつれ、荷持ちの小者を従えて、二百石取りの幕臣にふさわしい容儀をととのえる。手先に使う目明《めあか》し岡ッ引きなどと一緒に、裏路地のドブ板を犬みたいに嗅ぎ歩くのは、もっぱら同心の役と決まっていた。
「ま、やるというなら春日井にまかせようよ。邪魔にされてまで出しゃばることはあるまい」
「そうですよね」
と用部屋で、小左衛門が野口と甘酒など啜《すす》るのは、このところ連日、春先にありがちな突風が吹き荒れ、喘息には禁物な砂ぼこりが、空もかすむばかり舞い立っているからだった。
ところで今回の揉めごとだが、ひとえにその原因は、|まんもす《ヽヽヽヽ》都市江戸の、とどまることを知らぬ怪物的膨張にある。
江戸への流入人口は、年々歳々ふえつづけ、ひり出す糞尿《ふんによう》、吐き出すゴミの量も、当然のことながら増加の一途をたどっている。
七、八十年前、町奉行所はゴミ取り業者九十五軒に鑑札を与え、彼らは塵芥《じんかい》清掃|請負《うけおい》人組合を結成して、各町内から出るゴミ処理を担当……。清掃料金を徴収する権利を手に入れた。
一軒一軒に割り振ればたいした額ではないけれど、家数がおびただしい。集めれば、人件費、運搬費などを差し引いても、たいへんな収入になる。
大名、旗本、大寺大社など、大口の依頼者からも大量のゴミの処分をまかされているから、それらを併せればりっぱに営利事業として成り立つのだ。
特権には、しかし見返りも伴《ともな》う。
将軍さまが住まわれる千代田のお城の内堀、外堀、市中を縦横に流れる堀割りなどの浮き芥《あくた》を掬《すく》い取り、橋杭にひっかかるゴミ、土手や石垣のすきまにはびこる雑草などを取りのぞく作業を、監督官庁である町奉行所は、ゴミ業者らに義務として押しつけたのである。
むろん、金は支払わない。ただ働きだから、業者にすれば気が重い。ともすると仕事は怠けがちになり、出動日数も減りかげんとなる。
おかげで下水の落ち口などは、泥が溜まって川底が持ちあがる。引き潮|時《どき》には底が露出し、舟ののぼりおりに支障が出るし、あべこべに満潮になると、浮きゴミがどッと逆流して、外堀はおろか、お城の内堀にまではいり込む始末だ。
「弱っちまわあ、どうしてくれるんだい」
船頭や荷あげ人足、堀を監視する城の番卒らはぶうぶう文句を並べるが、
「手がたりねえんですよう。町家のゴミ浚《さら》えだけであっしら、目が回る忙しさだもの」
ゴミ取り業者から派遣されている人夫どもは、四の五の言い立てて埒《らち》があかない。
そんな間隙《かんげき》を縫って、雨後のタケノコさながらはびこり出したのは、鑑札を持たぬモグリ業者であった。
なにしろ年々、西へ東へ、あるいは北へと拡がりやまない江戸の町だ。彼らモグリ業者が新しくできた町々の、家主地主、町役らと契約をむすび、
「組合がなんだ。そんなもの、屁《へ》の河童《かつぱ》」
とばかり、ゴミ取り業を開始しだしたから、組合に加盟している請負人たちは怒り心頭に発して、
「違法だ無法だ。鑑札なしで業界に参入するなど、断じて許さん」
騒ぎはじめた。
「お上《かみ》に願い出てちゃんと鑑札を受け、組合に入って公平に、川掃除の義務を分担しろ」
というわけである。
しかし、まずいことにこの悶着が起こる少し前、正規のゴミ業者らは組合の名で、奉行所に一通の陳情書を提出していたのだ。
「近ごろ人手不足がはなはだしく、力仕事や汚《よご》れ作業を嫌う若者がふえて、ゴミ取り人夫が集まりません。必要最小限の頭数《あたまかず》をそろえるためには、高給を支払わねばならず、このため堀川筋の清掃もとどこおる有様でございます」
そこで、はなはだ申しあげにくいことながら、無料奉仕の取りきめをいささかゆるめ、恩恵を受ける向きから若干金ずつ、手数料を徴収したい……。
「たとえば薪炭問屋のように、河岸《かし》に矢来《やらい》を組み、炭俵や薪の束を堆《うずたか》く囲《かこ》って置く者、倉庫を建て並べて毎日、品物を出し入れする商店──それら川筋の利用者から一日につき二文ずつ、負担金を出していただく。また、船商売の船頭衆からは、神田川|昌平《しようへい》橋ぎわの荷あげ場、数寄屋《すきや》橋ぎわの荷あげ場、汐留《しおどめ》の荷あげ場に見張り所を設置し、大船小船の区別なくこれも一艘につき、二文ずつ通行料をお納めねがいたいのでございます」
ただし、と陳情書には抜け目なく、こうも附記されていた。
「千代田のお城に運びこまれる荷物、大名お旗本をはじめお武家方の荷船からは、通行料などいっさい、頂きません。河岸の利用も同様、公儀ご用の商品を扱っている問屋や商店の場合は、従前通り無料とさせていただきます」
しかし、この陳情の内容が外部に洩れたからたまらない。
「冗談いうな。一日に二文、一艘につき二文といえばわずかなようだが、一年三百六十五日となれば馬鹿にできぬ金高だ。そんな銭が払えるものか」
問屋や商店、船商売の者たちから大反対の火の手があがり、やっさもっさ、揉めはじめたやさきだったのである。
それに、非合法の弱みもあってか、モグリ業者のゴミ取り料金は三割|方《がた》、組合に加入している業者より安い。だれしも高いより安いほうがいいから、新しい町々の住民もいっせいに、モグリ業者の肩を持ち、
「鑑札制度など、取っ払ってしまえ。やつらは官許の隠れ蓑《みの》のかげで、闇|かるてる《ヽヽヽヽ》を結び、協定料金の釣り上げをはかっとる。あきらかな独禁法違反だぞ」
などと、えらく先端的な用語まであやつって請負人組合を糺弾しだした。
そこへ問屋、商店、船頭などの反対運動までが加わったのだから、事はいよいよ面倒になり、このところ組合側の旗色は、まったく振るわない。
部署ちがいの廻り方から、岩瀬奉行の特別なお声がかりで春日井采女が高積見廻りへ助ッ人にきたのは、
「もう、こうなってはわしらの手には負えぬ。お上《かみ》に訴え出て、モグリ業者の取りしまりを強行していただこう」
と衆議一決──。組合加盟のゴミ取り屋たちが、訴状の文案を練りはじめていた最中《さなか》であった。
3
南北町奉行所は、隔月に執務する。今月の月番《つきばん》は南だが、明番《あけばん》といえども休んでしまうわけではない。法廷を開いたり訴訟を受理しないだけで、奉行以下、全員役所へ出勤はしてくる。そして、調書を作成するなり事件関係の資料をしらべるなり、裁判の段取りを相談し合うなりして、一日中けっこう忙しくすごす。
隠密《おんみつ》廻り、定廻りなど、市内を巡邏《じゆんら》する同心ともなると、まして月番も明番もない。奉行所が閉《しま》っている月でも、南北それぞれの受け持ち地域を、分担して廻り歩く。
与力の数は二十五騎、同心は百人から百二十人いるから、南と北を合せれば相当の戦力だ。
仕事は年番方《ねんばんがた》、吟味方、養生所見廻り、町火消人足改め、町会所掛《まちがいしよがか》りなどこまかく幾通りにも分けられてい、佐久小左衛門と野口同心が|ぺあ《ヽヽ》でこなしている高積見廻りも、その中の一つなのである。
それはいいが、意気ごんで出て行ったにもかかわらず、春日井采女からはあれ以来、何の報告もない。
「どうしたんだろう」
「あぐねているんじゃないですか。人殺しや泥棒を召し捕るのとはちがいますからねえ」
「捕物名人の春日井も、勝手がわからずに手間取っているのかな」
横着をきめこんでいた佐久小左衛門と野口同心が、さすがにそろそろ気を揉み出したころ、
「いやあ、まいった、まいった」
鼻っぱしの強い日ごろに似げなく、春日井がいささか消沈のおもむきで役部屋へ舞いもどって来た。
「ちと、呑んでかかりすぎましたよ佐久さん。連中、なかなか手ごわいや」
「いったいぜんたい、どんな策に出たのかね? 貴公……」
「正攻法ですよ。奉行所の立場からすれば、官許のゴミ取り屋を支持するのは、あったり前でしょう」
そこでモグリの業者らを、組合に加入するよう説得したのだけれど、
「やつら、めっぽう強気《つよき》でね。耳をかそうとしねえんです。『このさい組合なんぞ解散して、自由競争にすべきだ、客にとっても、そのほうが利益になる』と、まあ、そう吐《ほざ》くんですなあ」
いまいましげに采女は舌打ちする。しかめ面《つら》さえ様《さま》になるのだから、美男というのは得なものだ。
「連中の鼻息が荒えのは、言うまでもなくそのうしろに、低料金でゴミ浚《さら》えをさせている新開地の町民どもの尻押しがあるからで、たしかにモグリ業者に依頼するほうが、正規の請負人にたのむより得は得です」
「採算が合うのかね? 三割も安くして……」
「組合業者のやり方を検討してみると、人夫の配分にしろゴミ船の運行計画にしろ、相当に杜撰《ずさん》だし、無駄が多い。そのくせ赤字だ赤字だと言い立てて、すぐ値上げという安易な手段に訴えたがるんですな」
官許の権威に胡坐《あぐら》をかいて、つまりは経営合理化への努力が足らぬというわけだろう。
「河岸通りの問屋や堀割りを使う荷舟の船頭どもも、『倉一つにつき一日二文、舟一艘漕ぎのぼるたびに同じく二文取るなんざ、横暴きわまる。武家方ご用の荷物からは金を取らねえというけど、いちいちその区別を、どうやってつけるんだい』ってね、息巻いてますよ」
「では組合は、もはや解散のほかないか」
「そうはいきませんや」
昂然《こうぜん》と、春日井同心は胸を張る。闘志むき出しな表情がまた、苦み走って魅力的なのだから、どこまでも美男は得なものだ。
「モグリ業者や欲の皮を突っ張らかした町民どもに押しまくられて、請負人組合を見殺しにしたなんてことになれば、永年《ながねん》、鑑札を交附して制度そのものを保護してきた監督官庁──すなわちわれわれ町奉行所の沽券《こけん》にかかわりまさあ。で、正攻法はやめにして、切り崩し工作に替えてみたんです」
「ほう、切り崩しねえ」
「そういう仕事はお手のもんですからね。あらゆる伝手《つて》をたより顔をきかせ、脅《おど》しつ賺《すか》しつ陰に回って働きかけた結果、モグリ業者の側にも船頭どもの側にも、利に釣られて仲間を裏切るやつが出はじめた。こうなると、しめたもんでさあ。あと一《ひと》押しで、請負人組合の言い分が通るってとこまで漕ぎつけたわけですよ」
「うーん」
小左衛門は唸った。どうも今ひとつ、納得《なつとく》しにくいが、春日井は委細《いさい》かまわず、グイッといきなり声をひそめて、
「そこで佐久さん。いよいよあなたに、神輿《みこし》を上げていただく段取りンなりやした」
軍の機密でも明かすような、大仰な言い方をする。つい、その気迫に押しまくられて、
「いいとも」
あやふやなまま小左衛門は、うなずいてしまった。
「では今晩さっそく、お出ましくだせえ。小石川伝通院門前の、『志波多《しばた》』って料理屋です。あっしもお供しますよ」
「りょ、料理屋などへ、何しに……」
「ごぞんじでしょう? 丸多《まるた》に坂伝《さかでん》」
「うむ。名前だけは……」
「会ったこたァねえんですかい?」
「職掌|柄《がら》、拙者がじかに接するのは丸多にせい坂伝にせい、ゴミ取り人足か箱舟の漕ぎ手にすぎん」
「どうりで、お近づきのしるしに一献さしあげてえと、こう言ってきたんです。二人がね」
坂井屋伝兵衛は組合の大|ぼす《ヽヽ》、全会員の頭上に君臨する実力者|なんばあわん《ヽヽヽヽヽヽ》だし、丸屋多市は坂伝の片腕と称されているこれまた切れ者の|なんばあつう《ヽヽヽヽヽヽ》である。
「ただ馳走になるだけか?」
「ええ、大いに飲み食いしてくださって結構ですが、ついでに佐久さん、連中を説得してくれませんか。川筋の商店や船頭から日銭を徴収する案は引っこめろって……」
「うーむ」
またぞろ小左衛門は唸った。窮地に立たされていたときならばまだしも、切り崩し工作が功を奏して頽勢《たいせい》をもり返しつつある今、すなおに彼らが、要求を撤回するとは思えない。
「自信ないなあ」
「弱音を吐いちゃいけませんや。『その代り、奉行所が介入してモグリ業者を一掃する、ことごとく組合の傘下に入るよう申し達してつかわす』とね、こう言ってやりゃあ御《おん》の字じゃねえですか」
「お、おい春日井」
小左衛門は咳《せき》込んだ。
「お奉行にも諮《はか》らずに、そんな無、無責任な安《やす》請け合いが、ででで、できるかよ」
ごほんごほんと胸を抑えて前こごみになりかけるのを、
「気を昂《たか》ぶらせるのは禁物ですよ佐久さん」
あわてて野口同心が抱きとめる。
「岩瀬奉行のお耳には入れてありますさ」
春日井は事もなげに言ってのけた。
「もともと鑑札なしで商売するのは、ゴミ情勢がどう変ったにしろ違法なんですからね、いざとなりゃ、お上のご威光でどうとでもなると、お奉行は仰せでしたよ」
さいわい喘息の発作《ほつさ》にまで移行せずに咳は鎮《しず》まったが、管轄内での揉めごとについて春日井と奉行が、いつのまにか自分の頭越しに話し合っていたと聞いては、温厚な小左衛門といえども愉快ではない。
「よろしい」
ぶすッと彼はうなずいた。
「約束通りにいかなかったら責任は岩瀬奉行に取ってもらおう。拙者は知らんぞ。単なる取りつぎ役だからな」
「それでいいんです。じゃ、退《ひ》け時にお声を掛けます。仕度して待っててくだせえ」
「わたしは? おいてけ堀《ぼり》ですか?」
野口郁之進の不満顔を、
「坊や、組屋敷の道場では投げる口かい? 投げられる口かい?」
可笑《おか》しそうに春日井は眺める。
「柔《やわら》ですか?」
「やっとうもだよ。どれくらいの腕だね?」
「まだ、見習いですから、ほんの入り口」
「もしもだぜ、もしも御大《おんたい》の佐久さんに危難が降りかかったとしても、それじゃあ屁《へ》の役にも立たねえな」
「相手次第です。十手術は少し上達しましたから……」
と初心まる出しに赧《あか》くなる。
「へッ、武術はカラッ下手《ぺた》。そのくせ馳走にはありつきてえのか。食い意地だけは一人前だ。ま、いいだろう、おめえも係官の端くれなんだから後学のためについて来ねえ」
「うれしいなあ」
揉み手せんばかりにニコつくところは、なるほど意地がきたない。
その夜──。
春日井の案内で、佐久小左衛門と野口郁之進が伝通院前へ出かけて行くと、料亭の奥座敷にはすでに坂伝と丸多が先着していて、
「これはこれは、ようこそのお運び、ありがとうございます」
奉行所側の三人を、すぐさま上座に招じ入れた。
「お初にお目にかかります。拙者、高積見廻りを相つとめる南の与力、佐久小左衛門、召しつれましたは配下の同心野口……」
まっ四角に引き合せにかかるのを、
「ご高名はお二方とも、店の若い衆たちからうけたまわって、よう存じております」
やんわり坂井屋伝兵衛はさえぎって、
「手前どもこそ同業仲間のごたごたから、先般|来《らい》、お奉行所お係りさまに何かとご厄介をかけ、お詫びの申しようもござりませぬ」
ふかぶかと頭をさげる。
坂伝は坐り嵩《がさ》のたっぷりした、湯あがりさながら血色のよい肥大漢で、年は五十五、六……。二重|顎《あご》、さがり目尻の満面に愛想笑いの渦を描いているが、丸屋多市のほうは痩せひすばって、への字なりの薄手な口もとに片意地そうな気配を滲《にじ》ませた四十がらみの男である。むずかしい交渉ごととなれば、どっちもどっち……。いかにも手ごわそうな相手に見えた。でも、口ぶりはつとめてさりげなく、
「今宵はお近づき、お詫びのおしるしまでに、ひと口召し上っていただきたく、わざわざご足労をおかけいたしました。どうぞ、ごゆるりとおくつろぎ願わしゅうぞんじまする」
丸多も初対面の口上を述べる。
「どうです佐久さん。町の中とは思えねえほど静かでしょう。門構えに較べて庭が広い。植込みも深いせいですな」
早くも膝を崩して、したり顔な講釈を口にするのは春日井采女である。
「芸者なんぞは入れません。料理のうまさで売ってましてね、食通が落ちついて一酌を楽しむ店なんですよ」
なるほど女中の躾《しつけ》は行き届いて、立ち居がしとやかだし、挨拶に出た初老の女将《じよしよう》も品がよい。
持ち重《おも》りする華やかな九谷の酒器と、小ぎれいに盛りつけられた口取りが運ばれ、
「まず、おひとつ……」
坂伝が銚子を取りあげたが、
「あ、いや、拙者、持病がござってな。酒は一滴もたしなみません」
小左衛門はことわった。
「むり強《じ》いはいけねえよ坂井屋。佐久さんの分までおれどもが引き受ける。なあ野口、お前《めえ》もいける口だろう」
春日井にけしかけられて、野口同心が相好《そうごう》をくずしたのは、若いくせに見かけによらぬ酒豪だからか。
4
「ご病気ゆえの禁酒とあらば致し方ございません。お女将《かみ》、料理をお出ししておくれ」
その前に、小左衛門とすれば一刻もはやく、気がかりを片づけてしまいたい。
「お待ちくだされ坂井屋どの丸屋どの」
女たちをさがらせ、川筋を使う商店や船頭から掃除料を徴収するとの案件は、白紙にもどしてほしいむね、しゃちこばって申し入れた。
「そのかわり奉行所が仲立ちし、無鑑札にてゴミ取りをしておる業者らに、組合への加入をすすめる所存でござる。これにてなにとぞ、ご得心いただきたい」
さぞかし抵抗するか、難色を示すかと思いのほか、
「やむをえますまいなあ」
案外すんなりと、二人の大|ぼす《ヽヽ》が納得したので、小左衛門は拍子抜けしたくらいだった。
「さすがに呑みこみが早《はえ》えや」
すかさず春日井が口をはさんだ。
「そうと決まりゃあ話はつけやすい。さあ、これくらいでヤボ用は切りあげて、はじめようじゃねえか。なあ坂伝」
「けっこうですなあ。わたしらも今夜は、とことんお相伴《しようばん》させていただきますよ」
「そうこなくっちゃ面白くねえ。女中女中」
ばんばん、派手に手を叩くのを合図のように、ふたたび給仕の女たちが現れて、|たいみんぐ《ヽヽヽヽヽ》よく料理を並べはじめる。
椀は、青味に芹《せり》をあしらった白魚の澄まし……。蓋を取るとほんのり、湯気に絡《から》まって吸口の柚《ゆず》の香《か》が立ち、小左衛門の空腹《すきばら》にグウと沁《し》みた。
分葱《わけぎ》と合せて酢で|〆《しめ》たサヨリも、身が透《す》きとおって、見|惚《と》れるばかり美しい。焼きものには旬《しゆん》の蛤《はまぐり》の、びっくりするほど大きなのが殻ごと熱々《あつあつ》で供されたし、刺身は鯛、そして平目《ひらめ》……。
如月《きさらぎ》なかばというのに煮物鉢に、生鱈《なまだら》の腹子《はらご》と一緒に柔かく煮含《にふく》めた筍が盛られて出たのにも、小左衛門は目をむいてしまった。
「ご禁制の走り物ではござらぬか?」
箸をおろしかねてまごつくのを、笑って、
「効き目のないのはヤブ医者の薬、酒の法度《はつと》に煙草の法度、贅沢《ぜいたく》品の禁令と、昔から申すではございませんか佐久さま」
坂伝はうそぶく。上《かみ》役人を前にして、大胆不敵な発言だが、同心二人が平気の平左でむしゃむしゃやっているのを見ると、小左衛門もおのれの小心が恥かしくなった。禁を犯して口にするせいか、筍の味わいは格別で、舌がとろけるかと思うほどうまい。
「いやあ飲んだ飲んだ。料理にも堪能《たんのう》したけど、いま一つもの足りねえのはペンともシャンとも鳴らねえからだよ坂伝。文字春《もじはる》さんとこへ繰り込もうじゃねえか」
春日井の喚《わめ》きを受けて、
「お呼びがかかるのを、じつは待ってたんです。春の字もそのつもりで仕度をしているはずですよ」
坂井屋も、劣らぬはしゃぎ声を張りあげる。
「文字春ってのはね佐久さん、坂伝の内儀《かみ》さんの妹で、今は素《す》ッ堅気《かたぎ》……。道楽半分、近所の旦那衆に稽古《けいこ》をつけてるだけだけど、以前は柳橋随一の売れッ妓《こ》でね、常磐津《ときわず》の名取りなんです。住まいはすぐ、そこ……。目と鼻の先だから、飲み直しに行きましょうや」
「いや、拙者はもう、おいとましよう」
「だめだめ、ヤボは言いっこなし。ふるいつきたいようないい咽喉《のど》ですぜ。常磐津がいやなら短いやつ……端唄でも二、三曲聞いた上でめでたくお開きといきやしょう。やい野口、手前《てめえ》もついてこい」
「お供しますとも」
と足がふらつくほど酔っているくせに、野口同心はまだ振舞い酒にありつく気らしい。
「すぐ近くです。お手間はとらせませんからちょっとお寄りくださいまし」
しつっこく坂井屋にもすすめられて、小左衛門は仕方なく承知した。
女将や女中たちに見送られて『志波多』を出ると、雨もやいのせいか月は朧《おぼろ》に潤《うる》んで、つい十日ほど前の寒さが嘘のように、夜気《やき》もなまぬるく湿っている。
「気味悪いほど、あったけえなあ。このぶんだと上野も飛鳥山も、桜の蕾が一気にふくらむぜ」
だれへともなく春日井がつぶやく。
「駕籠《かご》をお呼びいたしましょうか?」
『志波多』の女中の言葉を、
「腹ごなしのそぞろ歩きに、ちょうどいい近さなんだ。おひろいで行くよ」
心得顔でしりぞけたところをみると、春日井は坂伝としたしく、文字春とやらの家にも時おり顔を出しているのだろう。
提灯《ちようちん》のほの明かりに浮かび上ったその横顔は、酔いにほてって一段となまめかしい。着流しに黒ちりめんの巻き羽織という決まりのいでたちも、一本|独鈷《どつこ》の帯に落とし差しというやや自堕落な風俗さえ、むしろ垢ぬけて見えるのだから、同じ羽織姿でも袴《はかま》をつけなければ外出しない与力とは、印象ががらりとちがってくる。
「なぜ八丁堀の定廻り同心は、袴をはかないのでしょうねえ。佐久さん、ご存知?」
着任したてのころ、岩瀬奉行に質問されて、小左衛門も答に窮したことがある。
「よくわかりません。古老の言《げん》によれば、ずっと昔には股引様《ももひきよう》の下ばきをつけていたらしゅうございますな」
「ほほう。防寒用ですかね?」
「それもあるかもしれませんが、下手人逮捕のさい働きやすいよう着物の裾をからげます。すると脛《すね》が露出する。たぶん、その脛を守るためではありますまいか」
「恰好《かつこう》よいものとは言えませんわなあ」
「それで下ばきの着用を嫌い、いつとはなく、ぞろりとした着流しに巻き羽織という現今の形に変ってきてしまったわけでしょう」
つね日ごろ町の者と接触しているだけに、廻り方の同心には洒落者《しやれもの》が多いし、おしゃれをするだけの金もある。
正規のお手当は、たったの三十俵二人|扶持《ぶち》……。それなのに定廻りの同心のふところが常にあたたかく、目明し手先の類《たぐい》を|ぽけっとまねー《ヽヽヽヽヽヽヽ》で傭《やと》えもするのは、富裕な商家などから盆暮れごとに附け届けがあるからである。
大名や旗本の屋敷からも受け持ち地域の同心のところへ、用人や留守居役が、
「毎度お役目、ごくろうにぞんずる。向後ともよろしくお見廻りの儀、たのみ入《い》る」
と金品を持って挨拶にくる。賄賂でも袖の下でもない。公明正大な余徳だから、金回りのよいのも当然で、禄高こそ二百石ながら、米にして八十俵ほどの年収をやりくりしつつ、一応、幕臣としての体面を保たねばならぬ与力より、身分は低くても同心のほうが、割りははるかによい。
もっとも、附け届けなど貰えるのは、腕っこきと折り紙つけられた春日井采女|くらす《ヽヽヽ》の同心だけで、だれもが甘い汁にありつけるわけではない。春日井あたりになると夏物の絽《ろ》や透綾《すきや》、冬物の羽二重、ちりめんなど幾枚も羽織を持っていて、紋どころがみな違う。拝領先の屋敷のご紋がついているからである。
(今日は笹に雀……。仙台さまのご紋か)
提灯をかざし、佐久小左衛門が羨望の吐息を洩らしたとたん、前を行くその羽織の背がぴたッととまって、
「丸多がいねえ。どこへ消えちまったんだ?」
春日井の巻き舌が暗がりに響いた。
「帰りましたよ。親戚に不幸があってね、今夜が通夜《つや》なんだそうです。『申しあげて、せっかく弾んでおられる潮先を削《そ》ぐのも気がきかぬ、こっそり失礼する』と、そう言いましてね、志波多の門前から別れていきました」
と、これは坂伝の声だ。
「しまったなあ。おれ、丸多に返してもらわなきゃならねえ物があったんだ」
「そういえば女中の一人に、丸屋さん何か預けていましたぜ。小風呂敷に包んだ小さな箱みたいな物でしたっけ……」
「それそれ、それだよ。人から預かって丸多に鑑定を頼んだ香合《こうごう》なんだ。あいつ骨董《こつとう》に、目がきいているそうなんでね」
「女中が春日井さんにお渡しするのを、忘れたってわけですな」
「志波多にもどって、おれ、取ってくる。なあに、ひとッ走りだ。すぐ追いつくから先へ行っててくれ」
言葉|半《なか》ばに、もう春日井は駆け出していた。もと来た道を、提灯の明かりが一つ飛ぶように遠ざかるのを見送って、
「まるで韋駄天《いだてん》ですなあ」
坂伝が首をすくめた。
5
このあたり、右側が水戸殿の土塀《どべい》、左手はところどころ、雑木林の散らばる火除《ひよ》け地《ち》の原である。防火のために草は刈り取ってあり、附近の住民が昼間、行き来するらしい踏み分け道が、うねうねと斜めに延びていた。
「ほら、原っぱのはずれに、遠く町家の灯《ひ》がかたまって見えますでしょ。小石川|下《しも》富坂町……。妹の住まいはあすこでございますよ」
と指さしながら、
「では、お先に立たせていただきます。手前にお続きくださいまし」
坂伝は勝手知った顔で火除け地内へ入って行く。近道をするつもりなのか、馴れ切った足どりである。時刻が時刻なので、人通りはまったくない。淋しい道だが、大の男の三人づれだし、めいめい提灯で足許を照らしている。
「ちと、うたいましょうかな」
酔余の戯《たわむ》れか、坂伝が言い出したので、文字春|直伝《じきでん》の常磐津かと思ったら、これが、
「月宮殿《げつきゆうでん》の白衣《はくえ》のたもとォ」
と観世か宝生か、へたくそな謡曲なのであった。しかも呆れたことに、坂伝の濁《だ》み声に合せて、
「月宮殿の白衣の袂《たもと》の、色々妙なる、花の袖ェ」
と、野口同心までがうたいだしたのは、その方面にいくらか素養があるからだろう。
酔っぱらい同士、いつのまにか肩を組み、右へ左へよろめきながら気持よさそうに高歌放吟しつつ進む……。雑木林の暗がりから暴漢が飛び出し、天秤棒《てんびんぼう》のごときものを振りかざして、やにわに打ってかかったのはこの瞬間である。
「ぎゃッ」
「わああ……」
ひとたまりもない。向こう脛でも掻っ払われたか、坂伝と野口がもんどり打って転《ころ》がり、抛《ほう》り出された提灯がめらめら燃え上った。
素面《しらふ》なのは小左衛門だけなのに、動顛《どうてん》したためか鯉口が切れない。太刀を抜こうとあせるまに、脳天をなぐられて気を失った。
「しっかりしてくだせえ佐久さん、佐久さん」
耳もとで叫ばれ、ゆすぶられて、我にかえると、すぐ目の前に春日井采女の顔があった。
「ゆだんだった。賊に襲われ、不覚をとった」
頭に手をやってみると、巨大な瘤《こぶ》がもっくり、盛りあがっているだけで、出血はしてないし、坂伝と野口の二人も、『弁慶の泣きどころ』を打たれたか、
「いてて……いてて……」
ベソをかいてはいるものの、足を引きずれば歩ける程度の軽傷にすぎない。
「でも、賊をとり逃がしたのは残念だ」
「おれのもどりが、ひと足遅かったんですよ。みんなの悲鳴が聞こえたんで、一散《いつさん》に駆けつけたんだが、その足音に怯《ひる》んだんでしょうな、野郎、姿をくらましやがった。でもね佐久さん、野口も見ろよ、よっぽど泡ァくったとみえて、こんな証拠を残していったぜ」
春日井が見せたのは、うす汚れた手拭であった。
──しかし、後日の捜査で判ったのは、この遺留品が、新開地に新規開店したさる大手の呉服屋の、広告代りの配り物で、総数、千本もばら撒かれた内の一本だという事実にすぎない。
それも、去年の正月、通行人や店に来た買物客など、だれかれかまわず手当り次第に渡したというのだから、もう今となると、貰い手の一人を特定することなど至難の業《わざ》だ。
「あきらめるほかねえなあ」
さしもの春日井も、下手人の逮捕は断念したが、地域から推量すれば手拭が配られたのは、無鑑札の業者がゴミ集めに廻っている範囲に、おのずと限定されてくる。
「要するに、だ。モグリ配下のチンピラか舟賃の徴収に腹を立てた船頭仲間のお先ッ走りが、坂伝や丸多を痛い目にあわせてやろうって魂胆から闇討ちをしかけたわけだろうぜ」
ところが目算が狂って、坂伝ばかりか南町奉行所の与力・同心までを、ポカポカやってしまった。役人に暴行を加えたとなると、単なる腹いせや内輪《うちわ》喧嘩ではすまない。
嫌疑をかけられた側の立場はたちまち弱まり、あべこべに組合側は勢いをもり返して、強気《つよき》な反撃に転じる結果となった。
あげく、正式に願書が出され、
「鑑札を所持せずに塵芥処理業務をおこなうこと、まかりならぬ。営業をつづけたければ請負人組合に加盟すべし」
との命令が、奉行所を通じてモグリの業者に厳達された。同時に、河岸の問屋、船商売の者たちにも掃除手数料の支払いが義務づけられ、戦いは全面的に、組合側の勝利に終ったのである。
「ドジな野郎だよなあ、わッはッは」
虹のごとき気焔を噴き上げ、あたりにひびけとばかり春日井采女は哄笑する。
「なまはんかチョッカイを出しやがったおかげで、全軍総崩れ……。軍略を知らねえ足軽雑兵の、一番駆けというやつだろうぜ」
釣られて奉行所中が笑い声を立てたが、岩瀬奉行の執務部屋はぴったり襖が閉じられ、チリ、トッチリツンと、いつもの口三味線がかすかに洩れてくるだけである。
「訝《おか》しな話を聞きましたよ佐久さん」
野口同心が、ささやき声で告げた。
「お奉行の端唄の師匠は、常磐津文字春。しかもこの女師匠は、お奉行の囲い者ですと……」
「なに、坂伝の妹が、奉行の妾!?」
「シッ、秘中の秘事ですよ。知らぬが仏とはいえあの晩わたしら、お奉行の妾宅に招待されかけたわけですなあ」
操《あやつ》りの糸が切れて、木偶《でく》がガラガラ崩れ落ちるように、佐久小左衛門の胸の中で謎《なぞ》の塊りが、音立てて破《くだ》けた。
(そうかあ、そうだったのかあ)
途中で丸屋多市が消え、春日井采女が消えた。彼らが仕組んだカラクリだったのだ。
組合幹部の襲撃計画を、たった一人きりで実行するのは解《げ》せないし、襲われた三人の怪我《けが》が揃って軽かったのも、今から思うと奇妙すぎる。手加減したとしか考えられない。
(手拭の小細工で、モグリ業者側の仕業《しわざ》のように見せかけはしたが、おそらく真犯人は春日井配下の目明しか下ッ引きだろう。坂伝もむろん、一つ穴のムジナ……。さかんに痛がってはいたけれど、やつは撲られてなどいなかったにちがいない)
味方を使って味方に暴行を加える……。この荒療治のおかげで彼らは形勢を逆転させ、勝を制した。陰で糸を引いていたのは、岩瀬奉行……。文字春とのかかわり以外にも、組合側から奉行のふところへ、
(たんまり貢物《みつぎもの》が届いたはず……)
とは、佐久小左衛門にも想像できる。
「糞《くそ》ゥ、何がチリ、トッチリツンだッ」
「え? なんかおっしゃいましたか?」
部下の頓馬面《とんまづら》をつくづく見やって、
「桜が咲いた、と言ったのさ」
用部屋の窓越しに、小左衛門は空を仰いだ。
「さいわい今日は風もないし……堀筋を見廻りがてら花見と洒落《しやれ》ようか。え? 野口」
「出かけましょう出かけましょう」
「どこか団子《だんご》のうまい店を知ってるかい?」
「おごってくださるんですね。うれしいなあ」
若ざかりの屈託なさに、苦笑しながら、
「酒もやる団子も食う。お前、両刀を使うんだな」
まだ、すっかりとは引っこみきらぬ瘤の上へ、巡廻用の編笠を載せて、小左衛門はのっそり立ちあがった。
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ひらめき息子
1
患家廻りからもどった小宮|暁斎《ぎようさい》が、裏の井戸端で汗まみれな身体を拭いていると、玄関の方角から、
「先生ッ、暁斎先生ッ、助けてください。うちの坊やが死にそうなんですッ」
ほとんど泣き喋《しやべ》りに近い女の声が、耳にとびこんできた。急患である。肌ぬぎの両袖に、いそいで腕を通しながら、声のしたほうへ走ったが、それより|ひと《ヽヽ》足早く、伜《せがれ》の小金吾《こきんご》が応対に出たようだ。
「だめだめ。今日の診療はとっくに終ったよ。どこか、よその医院へつれて行きなさい」
|にべ《ヽヽ》もなくお断《ことわ》りをくらわしている。
「でも、この辺には、ほかにお医者さまなんて……」
「無くったって仕方がない。親爺《おやじ》は留守だからね。診《み》る先生がいないのさ」
庭づたいに、暁斎は玄関先へ廻り込んで、
「先生はいるよ」
ぬぅと馬面《うまづら》を突き出した。
「あれ、いつのまに帰って来てたんです?」
眉をしかめる小金吾とは逆に、女はよろこびに目をかがやかせて、
「地獄にほとけ……。先生、坊やをお願いしますッ」
抱いてきた子供を暁斎の前に突き出す。親子とも身なりの貧しげな、満足に薬礼《やくれい》など払えそうもない裏店《うらだな》の住人だ。小金吾が邪慳《じやけん》に追い返そうとしたのも、そのためだろう。
「どれどれ」
暁斎はしかし、相手の風体《ふうてい》など気にもとめぬ顔で、子供の額へ手を当てる。
「ははあ、風邪じゃな」
「風邪ですか?」
「いま子供らの間に夏風邪がはやっとる。坊やもそれにやられて熱を出し、熱のせいでひきつけを起こしたんじゃよ」
「いきなり反《そ》っくり返って、手足は固くなるし白眼《しろめ》をむき出すし……。てっきりこのまま息が止まるのかと思いました」
「無理もない。子のひきつけを初めて見る親は、だれでも仰天し、あわてふためくがな。熱の出|しな《ヽヽ》に起こる痙攣《けいれん》じゃで、しばらくすれば自然と癒る。ほれ、身体が柔かくほぐれてきたじゃろ」
「ほんと! もとにもどりましたね」
「大人でも熱の出はじめには、ぞくぞく悪寒《おかん》がし、慄《ふる》えがくる。それと同じでな、小さい子の場合はひきつけを起こすのじゃよ」
懇切|叮嚀《ていねい》に言って聞かせたあと、ボロ式台をあがって調剤室に入り、二、三種、暁斎は風邪薬を調合した。
「さあ、これを一つ土瓶《どびん》で煎じ出して、さっそく坊に飲ませておやり」
「ありがとうございます先生さま、恩に着ます。ただ……」
もじもじ、女は言い澱《よど》んだ。
「夢中で駆け出してきたもんで、お代を……」
「そんな心配はせんでよいよ。それより風邪を退散させるのが先じゃ」
薬を押しいただき、子供を抱きしめて帰りかける背へ、
「おい、内儀《かみ》さん、住みどころと亭主の名ぐらい名乗ったらどうだい」
小金吾がとがり声を投げつけた。
「あ、うっかりしてて、すみません。隣り町の甚介店《じんすけだな》に住む曳き八百屋の久六《きゆうろく》のつれあいで、わたしはお菊、この子は……」
「子供の名前なんか聞いたってしょうがない。それより甚介店といえば、その日ぐらしの連中ばかり犇《ひしめ》いてくらすあの、かんぱち長屋だろ」
まっ赤になって内儀さんはうなずく。よほどの貧民窟らしい。
「だけどね。うちも道楽や施行《せぎよう》で医院を開いているんじゃないんだからね。薬礼を持って来なきゃ取りにうかがうよ。いいね」
「は、はい」
調剤室へ逃げこんで、暁斎は耳を塞《ふさ》いでいたが、玄関先から引きあげて来た伜を見ると、
「ああまで、きめつけることはなかろう。可哀そうに……」
つい、なじらずにいられなかった。
「なにが可哀そうなんです? 今の女だってこっちが訊《き》かなきゃ、どこのだれとも告げずにこそこそ帰っちまったとこですよ。父さんがそうやって、医は仁術ぶっている分、わたしや母さんが因業《いんごう》息子だの鬼婆だなんて悪口を言われながら、この家のくらしを支えているんです。さもなきゃ薬種屋への払いにだってすぐさま困るし、第一、医院をつづけていくことだってできないんですよ」
と、父親の|ひと言《ヽヽこと》に、小金吾は十言《とこと》も言い返す。いちいち、もっともせんばんなので、暁斎はそれ以上、抗弁できない。
「腹がへったなあ」
さりげなく話題を変えた。
「そろそろ夕めしの刻限じゃに、お八重が見えぬ。どこへ行った?」
「母さんなら丑松《うしまつ》叔父貴のとこへ出かけましたよ。今夜は葛飾《かつしか》泊まりでしょう」
「また、米を貰いにか?」
「叔父さんは、我が家の命綱《いのちづな》です。父さんが一文にもならぬ病人ばかり診てやっているから、縁につながる親戚にまで迷惑がかかる。さいわい大百姓だし、夫婦そろって好人物だから、たび重なる無心に応じてくれてはいるけれど、伜どもの代になったらわかりませんぜ。渋い顔をし出すんじゃないかな」
これも、もっともせんばんな予見なので、
「うん。丑松どのお茂《しげ》どのの親切は、肝に銘じておる。きりなく甘えてはいかんとも、自戒しとるよ」
と暁斎は、うなだれざるをえない。
丑松は葛飾の柴又に、広大な田畑を所有する農民で、暁斎の妻のお八重には実の弟にあたる。
小宮家へお八重をとつがせるさい、
「土地を持たせてやるわけにはいかぬ。そのかわりお八重一家の食い扶持《ぶち》ぐらいは、いつ何どきなりと出してやれよ」
そう、今は亡き親どのが言い置いた言葉を、丑松は律義《りちぎ》に守って、気持よく米や野菜を持たせてくれたから、厨《くりや》が貧寒《ひんかん》となるたびにお八重は大えばりで実家へ押しかけて行くのである。
しかし暁斎にすれば肩身のせまい話だし、義弟夫婦の温情を当り前とも思ってはいない。背に腹はかえられぬための依存なのだから、いつの日か恩返しできるものならば、ぜひともしたいと念じてはいる毎日なのだ。
「お八重が留守とすると、晩めしはわしらが算段せねばならんわけか」
「自分の弁当を作るついでに、塩むすびと蒟蒻《こんにやく》の煮つけを戸棚に入れておいたと母さんが、出がけに言ってましたからね。そいつを食えばいいでしょう」
「では、湯でも沸かすかな」
と父親が台所の土間に七輪《しちりん》を持ち出し、薬缶《やかん》の下を煽ぎはじめても、小金吾は手伝おうとしない。
自室と決めている玄関脇の三畳に引っこんで、夕餉《ゆうげ》の仕度がととのってから茶の間《ま》へ出てくる身がまえでいる。
かくべつ親不孝なわけではない。一人ッ子だったため母のお八重が溺愛し、自己中心的なわがまま者にしてのけただけで、年もまだ十八──。この正月、やっと元服をすませた若造にすぎぬ。
そのくせ小さいときからくり返し、母の|こぼしごと《ヽヽヽヽヽ》を聞いて育ったせいか、いっぱし父親を軽んじている。当家の大黒柱は母さんだと、公言してはばからない。
「家業を継ぐのはごめんだよ。できものだらけの子供や垂れ流しの爺婆《じじばば》相手に、こんな古ぼけた医院で一生を朽《く》ちさせるなんて、まっぴらだな」
青臭いそんな気焔を、たしなめるどころか、
「そうとも。雨|漏《も》りの繕《つくろ》いすらままならぬ医者商売など、父さん一代限りで願いさげだよ。お前は母さんの生き甲斐なんだからね。どうか、ひとかどの出世をとげておくれ」
と、お八重までがけしかける始末だ。
では、どうやってひとかどの出世をとげるか。その手段方法となると母も子も、見当は皆目《かいもく》ついていない。手に職を持つではなし学問に身を入れるわけでもない。
暁斎の見るところ、どうやら小金吾は発明発見に凝《こ》り、一攫千金を狙って世間の有象無象《うぞうむぞう》を「あッ」と言わせる魂胆《こんたん》らしい。
さらに暁斎先生の観察によれば、小金吾をそのような地に足のつかぬ夢想家にしてのけた根元は、まだ前髪の少年時代、丑松叔父の家の土蔵から見つけ出してきた蝕《むしく》いだらけの古書にある。
『神法大義要方』と、ものものしい題簽《だいせん》を附《ふ》した上下二巻のこの本は、たとえば、
「山上に立ち昇る七色の精気を感得して、土中の金脈を掘りあてる法」
とか、
「天体の運行によって米相場の上下を察知する法」
とか、
「河童《かつぱ》の皿で硫黄《いおう》を燻《ふす》べ、海水を真水《まみず》に変えてのける法」
といった|きてれつ《ヽヽヽヽ》な世迷言《よまいごと》ばかり列挙した筆者不明の、愚にもつかぬ戯《ざ》れ本なのだが、小金吾に言わせれば「秘中の秘を網羅《もうら》した天下の奇書」なのだそうで、めったやたら、これに心酔し、ひまさえあれば読みふけって、誇大妄想的傾向におちいっている昨今なのである。
(困ったものだ)
暁斎は案じるけれど、はなはだしく父権が圧迫されているこの家では、父親の意見など通りっこない。
湯を沸かし、古漬けの茄子《なす》を|かくや《ヽヽヽ》に刻んだ暁斎が、
「めしの仕度ができたぞ。ほれほれ、食いものの匂いを嗅ぎつけて、蠅《はい》がわんわん飛び回りはじめた。早う出て来て食えや」
声をかけるまで、伜どのは三畳間で瞑想にふけっていたのだ。
2
蒟蒻《こんにやく》の煮つけと漬けもので、塩むすびをぱくつく食事でも、空腹だから結構うまい。
「それはいいが、この夏の蠅の多さは、どうしたもんじゃろう」
「異常ですな。ここらだけのことでしょうか」
「いいや。山の手はともかく、下町一帯はどこもかしこも蠅だらけらしいぞ」
「五月の蠅なら少々うるさくても我慢するけど、もうすぐ秋ですぜ。それなのに減るどころか、近ごろますますふえて来たじゃありませんか」
「落ちついて、めしも食えんな」
「畜生ッ、あっちへ行けッ」
小金吾が団扇《うちわ》を振り回したはずみに、一匹大きな蠅がバサッと落ちて、暁斎の白湯《さゆ》の茶碗に飛びこんだ。
「わッ、汚ない。こりゃ飲めんわ」
「油虫やごきかぶり、ネズミなんぞも例年になく、今年は多い気がしますよ」
「どれもこれも、流行病《はやりやまい》のもととなるやつらばかりじゃ。わしには、それが気がかりでならぬ」
膳を片づけて寝る段になっても、むき出しの手足や顔にたかるので、蚊防ぎに蠅防ぎまで兼ねて蚊帳《かや》を吊る。赤ン坊、病人、老人のいる家など昼夜、吊りっぱなしの状態だから、狭い住まいがさらに息苦しくなった。
「蚊帳を持たぬ貧家はやむをえず、松葉や杉の葉を拾って来て焚きたてる。喘息《ぜんそく》持ちなど煙にむせて病状を一層わるくする」
「まったく奇態《きたい》な夏ですなあ。天変地異でも起こるんじゃないかしらん」
父子のこの、訝《いぶか》りは、あくる日ひるすぎに、お八重が葛飾からもどって来たことで、あっさり解《と》けた。
「わかりましたよあなた、小金吾もお聞き。このおびただしい蠅は、洲崎沖の埋め立て地から湧き出して来たんですよ」
公儀は隅田川河口を起点とする深川、洲崎の海岸線を、江戸市中から連日、大量に放出されるゴミで埋め立て、人工の島や築地を長年月かけて造成しつつあった。
東照神君さまご開府以来の、それは大|ぷろじぇくと《ヽヽヽヽヽヽ》だが、泰平が百年、二百年とつづくうちには、市民生活の|れべる《ヽヽヽ》も向上──。ゴミの質が次第に様《さま》がわりして、昔なら、まだまだ使える家具調度などが、惜しげもなく捨てられるようになった。
「とりわけ量が多いのは、家々の台所から出る生《なま》ゴミですと……。一流料亭から担《かつ》ぎの夜泣き蕎麦《そば》まで、食べものを扱う店屋は|ごまん《ヽヽヽ》とあるし、魚市場や|やっちゃ場《ヽヽヽヽば》、魚屋、八百屋、かまぼこ屋、豆腐もち菓子くだもの屋、ありとあらゆる食品店からも生ゴミが出ますからね。いま洲崎沖に築《つ》き立て中の島は、ぜんぶ生ゴミでできているのだそうですよ」
「母さん、それを見てきたんですか?」
「見ましたとも小金吾、遠くからだけどね。その臭さといったら、思い出しても胸がむかつくわ。箱舟の人足が芥《あくた》を詰めた叺《かます》を囲いの内側にほうりこむたびに、そのへん一面、まっ黒になるほど銀蠅がワーンと舞い立つのよ。島には獺《かわうそ》とまちがえそうな大ネズミが、わがもの顔に走り廻っているそうだけど、そのまたネズミどもを狙って、トビや鴉《からす》の大群が襲いかかってくるんだって……。ともかく、すさまじい眺めでしたよ」
お八重がなぜ、洲崎沖の造成地などを目にする羽目になったかというと、葛飾からのもどりは弟の丑松が、かならず舟を仕立ててくれるからであった。女一人の力で米俵や野菜の束など、重い荷物を持ち帰ることはできない。丑松は家のすぐうしろを流れる江戸川から舟を出し、下男二人に櫓櫂《ろかい》をあやつらせて河口から海へ漕ぎ出させる。そして洲崎、深川の沖を通り、隅田川をさかのぼって堀割りづたいに、本所|押上《おしあげ》の暁斎宅までお八重と荷物を送りとどけて寄こすのである。
今回も、すぐにも炊ける精白米二俵、胡瓜《きゆうり》や茄子、枝豆そら豆など前栽物《せんざいもの》をはじめ、お茂手作りの梅漬け、らっきょう漬け、川魚や鰻《うなぎ》の白焼き、池飼いの鯉、田ンぼで捕れた泥鰌《どじよう》まで、たっぷり届けさせてくれたから、
「ありがたい。当分これで息がつけますね」
「丑松どのお茂どの、礼を申しますぞ」
思わず暁斎も小金吾もが、葛飾柴又の方角を伏しおがんだくらいなのに、お八重一人は弟夫妻の厚意など、当り前な顔で、
「まあ嫌だこと。お茂さんたら、玉子を入れ忘れているじゃないの」
と、不満を口にする。夫の下帯を箸でつまんで、別の盥《たらい》で洗うほど、まさか差別はしないまでも、伜べったりの彼女は「育ちざかり」を理由に鰻や鯉など、うまいものはなるべく小金吾に食べさせ、同じく蒲焼風に調理しても、暁斎には泥鰌の|それ《ヽヽ》をあてがった。
「よいとも。わしは脂っこいものは苦手じゃで、泥鰌のほうが口に合うわい」
負けおしみではなく、暁斎がニコニコ頷《うなず》くのは、普段の粗食に較べれば、泥鰌といえども珍味|佳肴《かこう》のたぐいに属するからである。
そんな暁斎には、造成地ができるほど大量の厨芥《ちゆうかい》が、江戸市中から日ごと運び出されるなど、信じがたい話だった。でも現に、異常発生した蠅が町々の民家にまで入りこんで来ているし、お八重は埋め立て場《ば》の状況を目撃してもいる。生ゴミの島はまさしく造られつつあるのだ。
(呆れた世の中じゃなあ)
暁斎が手がけている患者たちは、ほとんどが食うや食わずの貧乏人なのに、それでも、
「しまった。うっかりしてたら丼《どんぶり》の卯の花、饐《す》えちまったよう」
「味噌に黴《かび》がはえた。捨てちまえ」
身のほど知らずな、そんな喚《わめ》きをちょくちょく耳にする。ましてや大名旗本、将軍さまのお城などから出される食料の余り、原料の断ち落としは、えらい数量にのぼるだろう。
「そりゃあ、たいしたものですよ先生」
大奥お出入りの女狂言師に、暁斎は聞かされたことがある。
「お女中衆の用いる上《うわ》草履《ぞうり》をせんぞく≠ニいうんですが、これは一日に千足、履き捨てるので、そう呼ぶんですからねえ」
「たった一日こっきりで、草履を使い捨てるのですか?」
「藁《わら》編みの雑な作りではあるけれど、毎日千足分が|ぽい《ヽヽ》捨てですわ。御台《みだい》さま姫さまがたのお食膳だって先生、十品二十品ものご馳走が二の膳三の膳五の膳付きで並ぶんですよ」
「失礼ながら、それでは食べきれんでしょう」
「むろん、箸をお付けになるのは、ほんの雀の涙ほど……。並《なみ》より小食《こじよく》でいらっしゃるんですもの、目の下二尺三尺の鯛《たい》の焼物を、ひと口ふた口召し上るともう、御用済みで、下にさげてしまうんですとさ」
「捨てるのですか?」
「お次のお女中が、よい所を少しはむしって頂くのでしょうけど、あとはポイ」
「惜しいことじゃ。頭からシッポまで食える鯛を……」
「惜しいといえば暁斎先生、将軍家のご息女が、さる北陸の大藩へお輿《こし》入れあそばした時なんか、江戸屋敷の庭内に建てられた御守殿《ごしゆでん》が何百万両……」
「花嫁がお住まいになる御殿ですな」
「下のお廊下から二階へあがる階段だけでも、節目《ふしめ》ひとつない檜の厚板を揃えましたと……」
「いやはや、豪勢な話よのう」
「しかも、そのピカピカな白木の磨き板に、これまた一升いくらという高価な黒漆《くろうるし》を、すきまもなく塗り立てたんですとさ」
「やれ、勿体ない。漆で隠してしまうくらいなら、節目ぐらい少々ある木でもよかったろうに……。呆れ返った浪費じゃなあ」
「と、思うでしょう? ところがまだまだ、びっくりするのは早いんですよ。すっかり黒漆で塗り立てた階段に、次は上から下までびっしり、南京《なんきん》渡りの緋緞子《ひどんす》を張りつめちまったそうですもの」
暁斎は目をむいた。
「それでは何のために、漆を塗ったのでしょうなあ。その分まったく、余計な費《ついえ》ではありませんか」
「わたしらには不思議としか思えない無駄金を、平気の平左で使い散らすのが、上《うえ》つ方《かた》の楽しみなのではないかしらね」
この女狂言師の言葉は、おそらく氷山の一角──。上は将軍家から下は一般町人まで、いまや江戸中が平和ボケして、贅沢三昧《ぜいたくざんまい》の|ぽい《ヽヽ》捨て時代に突入したあげく、連日連夜ゴミの山を|ひり《ヽヽ》出し、おかげで蠅ネズミ、ごきかぶりなどのシッペ返し的攻勢に悩まされる結果となったのだろう。
(慨歎に耐えん。不潔を見すごしているうちに痢病などがはやり出したら、取り返しがつかんぞ)
気を揉む暁斎をあざ笑うかのごとく、夏が去り秋を迎えて、涼風《すずかぜ》が吹きはじめても一向に蠅の数は減らない。あべこべに秋|闌《た》けるにつれて、倍増しにふえ出した感じさえする。
「団十郎がよ、市村座の舞台でカッと自慢の大目玉をむき出したと思いねえ」
「荒事だな」
「口もおっぴらいた。とたんにその口の中へ蠅がとび込んだから、さしもの成田屋も科白《せりふ》に詰まって、ひと幕めちゃくちゃになったとよ」
こんな噂ならまだしも、ついには、
「柳橋の亀清《かめせい》の主人が、お手打ちに遭《あ》いかかったそうだぜ」
物騒な取り沙汰までが江戸の町々を駆けめぐった。
さるお旗本の隠居が美妓をはべらせて一酌中、二合入りの錦手《にしきで》の徳利の最後の一滴から、ポトと盃の中へ蠅の溺死体が、なんと二匹も落ちたから、
「うう、たまらん。蠅の|えきす《ヽヽヽ》を飲ませおったな」
厠《かわや》へ走ってゲーゲーやったあと、
「おのれ、許せぬ。それへ直れッ」
あやまりぬく主人の首筋へ、あわや一刀が振りおろされかけた。招《よ》ばれていたご贔屓《ひいき》の女形《おやま》が、|たいみんぐ《ヽヽヽヽヽ》よく現れ、ご隠居の袴腰《はかまごし》に取りすがって詫びなかったら、いかなる大事に及んだかわからない。
ゴミ処理問題を担当する官庁は、江戸の場合、南北両町奉行所である。あちこちで蠅にかかわる|とらぶる《ヽヽヽヽ》が頻発し、下町ばかりか山の手にまで蠅軍団の活動範囲が拡がりはじめると、責任上、奉行所も傍観してはいられなくなった。
(とはいえ、さし当ってはいかなる対策を講ずべきか)
南北双方の奉行ならびに与力が集まって、合同会議を開いたけれども、日なたの水飴《みずあめ》──。だらだらと日かずを食うばかりで、答らしい答はちっとも出ない。
3
そんな世間のさわぎをよそに、
「天の啓示を受けた」
と称して、金|儲《もう》けに乗り出したのは、暁斎医師の伜《せがれ》の小金吾である。
「ごらんなさい父さん母さん、蠅というやつはなぜか好んで、天井にばかりとまりたがります。壁や襖《ふすま》より天井がよいということは、すなわち彼らに、垂直面より平面を選ぶ習性があるからだと、わたしは考察したわけですよ」
|しち《ヽヽ》むずかしげに、何をいうか。蠅が天井にとまるのは、ただ単に蠅叩きが届かないからだよと、口もとまで出かかった反論を、暁斎先生はグッと呑みこんだ。言い返されるにきまっているからだ。
「そこで工夫《くふう》をかさね、こういう便利重宝な道具を作ってみたのです」
得意の鼻をうごめかしながら小金吾が取り出したのは、三尺ほどの竿竹《さおだけ》の先端に、厚紙で製した朝顔型の漏斗《じようご》をはめ込んだだけの、すこぶる安直《あんちよく》な蠅捕り器だった。
(これが天啓の賜物《たまもの》とは、おそれ入るな)
むろん、この呟《つぶや》きも暁斎先生は、肚《はら》の中で洩らすにとどまったが、
「ほらね、ざっとこんな調子ですよ」
実際に小金吾が漏斗の部分を天井に押し当てると、とまっていた蠅が竹筒の内部をすべって、おもしろいように下にくくりつけた紙袋の中に落ちる。
「おやまあ、百発百中だ。お前は天才ですよ小金吾。すばらしい思いつきだこと!」
手ばなしでお八重は褒めちぎり、伜どのはいよいよ図に乗って、
「ごきかぶり捕獲器も目下、考案中なんです。|ねーみんぐ《ヽヽヽヽヽ》のほうが先に決まりましてね。『ごきぶりこいこい』というんですが、いかが?」
太平楽を並べる。
とりあえずは『蠅すべり』と名づけた捕獲器の大量生産に乗り出すそうで、
(まさか……)
暁斎が半信半疑でいるうちに、息子どのは新商売を軌道に乗せてしまった。
もっとも発明家をもって任じるだけあって、小金吾自身は|ぷらいど《ヽヽヽヽ》が高い。『蠅すべり』の製作や販売は人手にまかせ、利益だけを吸い上げるという方法をとった。
もっぱら働かされたのは、子供のひきつけを診《み》せに来たあの、お菊という内儀《かみ》さんと、彼女のつれあいの久六である。
小金吾にガミガミ念押しされたせいか、お菊は四、五日あとには、もう、
「おかげで坊の熱がさがり、風邪もすっきり癒《なお》りました」
薬代を持って礼に来た。
蠅捕り器の|あいであ《ヽヽヽヽ》を思いつくとすぐ、小金吾はかんぱち長屋にお菊を訪ね、曳き八百屋の久六にも計画を打ちあけて、
「下|請《う》け職人の心あたりはないかね?」
相談したのであった。
「相《あい》長屋に、笊《ざる》だの籠なんぞを編んでる爺さんがいます。呼んで来ましょう」
「そいつは好都合だ」
さいわい笊屋が話に乗り、小金吾の指示通り試作品を作ってみせたことから、とんとん拍子に事は具体化したわけである。
まず手はじめに笊屋の爺さんが、竹問屋から三十本ほど竿竹を仕入れ、きまりの長さに切ってそれを縦《たて》半分にスパッと断ち割る。節《ふし》をくりぬき、断面に続飯《そくい》をつけて再び合せ、念のため三カ所ほどを細紐でしっかり縛って、本体の竹筒はできあがり……。
紙屋から所定の厚紙を買って来て|ぶん《ヽヽ》回し代りの茶碗をあてがい、朝顔型の漏斗を作ったのはお菊で、筒の下にくくりつける紙袋の製作も、彼女が受け持った。『蠅すべり』が日に何百本も売れるようになれば、界隈《かいわい》の内儀《かみ》さん連中を動員して、内職稼ぎにありつかせる心算だ。
販売係りは久六に押しつけられた。野菜の荷《に》に『蠅すべり』をくくりつけ、効用を述べたてて売り廻る。蠅の跳梁跋扈《ちようりようばつこ》は秋たけなわとなっても衰えず、どの家の天井も黒豆を叩きつけでもしたような壮観さだから、
「なるほど。よく捕れるね」
評判は上々で、三十本はまたたくまに|はけ《ヽヽ》た。味をしめて小金吾は、さらに元手をおろし、次は百本の生産に取りかからせた。好評が弾みになって、笊屋の爺さんや久六夫婦も大いに張り切り、百本のうち七十本ほどを捌《さば》いたところで、売り上げの伸びは急に鈍りはじめた。
「訝《おか》しい。解《げ》せぬ」
小金吾はしきりに首をひねるが、だれにだって作れる単純な道具である。たちまち真似て売り出す商売|仇《がたき》が幾人も現れたし、器用な者は自分で作ったから、儲けの独り占《じ》めは呆気《あつけ》なく崩されてしまったのであった。
──このまにも奉行所の凝議《ぎようぎ》は重ねられ、ついに結論がまとまった。
かねて関東郡代から申請が出されていた井草、井荻、関村、田無、南沢など青梅街道|沿《ぞ》いの農村部の、灌漑用溜め池の掘鑿《くつさく》を急遽《きゆうきよ》、公儀に許可してもらう。
そして、そのさい出るはずの土を、洲崎の造成地に運び、生ゴミの上にかぶせる。もし土が足りなければ、隅田川河口の底|浚《さら》えを大々的に実施し、浚土《しゆんど》を利用する。
「つまり生ゴミの島ぜんたいを土で覆い、島にはびこるネズミ蠅ごきかぶり等々、よからぬ生きものめらの息の根を止める一方、臭気の発生をも併せて防止する」
という一石二鳥の|こーてぃんぐ《ヽヽヽヽヽヽ》作戦をひねり出したわけだった。
しかし作戦を展開しているさなかでも、江戸市民の台所からは、のべつ生ゴミが吐き出される。叺《かます》詰めにして一日数千俵、時には一万俵を越しもする厖大な生ゴミを、どう処分したらいいか。
「やむをえぬ。問題の造成地のさらに南寄りに、かつて公儀が一部、貯木場として使っていた三万坪に及ぶ芦の生い茂る沼沢地がある。さし当ってはあすこに厳重な囲いを設け、第二の生ゴミ捨て場とするほかあるまい」
「さすればまたぞろ、そこが蠅やネズミの温床となるではないか」
と、異議をとなえたのは南町奉行。
「では毎日、休みなく運び出される生ゴミの始末を、どうつけるおつもりか。貴公の知行所にでも捨てさせてくれると言われるのか」
と、せせら笑う北町奉行。
「な、なんたる暴言。それがしの知行所は、常陸《ひたち》の谷田部《やたべ》でござるぞ。江戸のゴミ車などが万一、不法投棄にまかり越したならば、領民どもに下知して断乎、追い返し申すわ」
「たとえばの話でござるよ」
「たとえばの話だとて、無関係な遠隔地にまでゴミを捨てにくるなどという発想が、そもそもけしからん。江戸の尻ぬぐいを地方に押しつけられてたまるものか」
と、どこかで聞いたような論争にまで発展──。双方がカリカリ言いつのるのも、いかにゴミ処理に、行政官同士あぐね果てているかの証左であった。
4
『新・夢の島』の選定場所をめぐって、奉行所内部が揉めているとの、町の風評は、小金吾の|いんすぴれーしょん《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》を再び刺激したらしい。
「またもや天の啓示を受けましたッ」
勢い込んで彼は両親に報告した。材料費や下請《したうけ》への手間賃を除くと、いくらにもならなかったが、ともあれ『蠅すべり』の製造販売で生まれてはじめて現金収入を得た小金吾は、うれしくてたまらず、「夢よ、もう一度」の欲に取りつかれたわけだろう。
今度ひらめいたのは竹製蠅捕り器などとは桁《けた》のちがう壮大な天啓で、
「ぜんぶとはいかないまでも、いまや江戸市政の運営にとって最大の障害となりつつある生ゴミを、引き取ろうという計画なんです」
小金吾はぶち上げる。
「おい伜、正気かよ」
気の小さな暁斎先生にすれば、聞いただけで逃げ出したくなるような|そら《ヽヽ》恐ろしい発言であった。
お上《かみ》の権力、収集能力をもってさえ、にっちもさっちも行かなくなっている生ゴミを、一個人の分際で、小金吾ごときがどう、引き取り、どう処分しようというのか。
「わたしともあろう者が、当てなしで事を企《くわだ》てるとお思いですか? ちゃんと勝算があればこそ打ちあけるんですからね。他言は固く無用ですぞ」
お家乗っ取りの連判状でも拡げそうな顔をするけれど、もともとは曳き八百屋の久六が、
「いま、初物《はつもの》が大|流行《はやり》でねえ、それだけ人の口が贅《おご》ったんでしょうが、雪のある内に掘り出す筍、春先にもう、お目見得する囲い育ちの茄子胡瓜、まだ行水《ぎようずい》を使うころに現れるブドウ、御所柿、早生《わせ》ミカンなんて季節はずれの|しろもの《ヽヽヽヽ》が、目ン玉がとび出るような高値でお屋敷|筋《すじ》や料亭なんぞに引っぱり凧で売れるんですよ」
と話したのが、|ひんと《ヽヽヽ》になっている。
「久六さんも、では初物を商《あきな》ってるのかい」
「冗談言いっこなし。仕入れ値が高くって、わっしらみてえな棒手振《ぼてぶり》にそんな大《だい》それた品は扱えませんさ。表通りに店を張る八百屋の中でも、上得意を掴んでいる奴らが結句《けつく》、うまい汁を吸う仕組みでね、わっしらは指をくわえて、見ているだけって寸法でさあ」
この瞬間、小金吾の脳裏に、ある記憶がよみがえった。まだ額に前髪を乗せていた時分、母親の腰巾着《こしぎんちやく》で葛飾へ出かけたことがあった。用件は例によって例のごとく食料の調達だが、このとき丑松叔父と、彼は次のような問答を交したのである。
「田畑に一番いい肥《こやし》は何ですか?」
「そりゃあ金肥《きんぴ》に決まっとるわい」
「金肥って?」
「金を出して買う肥《こやし》よ。百姓は現金を持たぬゆえ、菜っぱや大根、芋など、成り物と引き替えに汲ませてもらうけどな。中には金でなくては嫌じゃと|ごね《ヽヽ》る仁《じん》もおるで、難儀するのじゃ」
「なあんだ。金肥ってのは、厠《かわや》の糞尿《ふんによう》ですか」
「何にもまさる質のよい肥じゃわ。百姓はな小金吾どん。遠出して小便が出とうなっても、道端でなど、ようせん。家まで堪《こら》えて帰って、おのが畑でジャージャーやるじゃ。下肥《しもごえ》は、それほど大切な田畑の宝よ」
「でも臭いし、汚ないや。魚市場から出る魚の臓物《わた》だの、家々の台所の生ゴミなんかのほうが、まだしもウンコより|まし《ヽヽ》でしょう」
「ありゃあ駄目じゃ。まだ江戸の人数《ひとかず》が少のうて、金肥の足《た》りぬころは臓物や生ゴミを混ぜて使うたがの、もう今は近郷近在、どこも百姓家は引き取りを渋るよ」
「なぜです? 肥としての効《き》き目が薄いのですか?」
「いんや、効きが|むら《ヽヽ》というか、悪く効くというか……。田畑に鋤《す》き入れると雑草ばかり生い茂りおって、米麦|粟《あわ》や稗《ひえ》など、穀類に実が入らんのよ。年越しに作る作毛《さくもう》の根肥《ねごやし》にするぶんには、地味が柔《やわら》いでよいものなのじゃが、土性《どしよう》によって合う合わんがむずかしいし、野菜に害虫が付きやすくもなる。ま、伸び育ちを急ぐ早生物《わせもの》ぐらいにしか使えんじゃろなあ、生ゴミは……」
「ははあ、そんなものですか」
「落葉や刈り草で作る堆肥《たいひ》もな、近ごろは金肥をかけて熟させとるよ。わしら……」
その時はそれっきり、何の気もなく聞き流してしまった丑松叔父の言葉だが、その中から「生ゴミは早生物には使える」という個所だけを、小金吾はパッと思い出したのだ。この辺の「ひらめき」が、天の啓示といえなくもない。
「ね、わかったでしょう」
両親相手に、彼はまくし立てた。
「つまり厨芥《ちゆうかい》は、金肥にくらべて難がある。したがって現在、農民にあまり歓迎されてはいないけど、野菜の促成栽培には利用できる肥料である、ということですよ」
厄介《やつかい》もの視されている生ゴミを引きとり、丑松叔父と提携して促成野菜を生産し、初物として出荷すれば、|ぐるめ《ヽヽヽ》嗜好のこんにち、大儲けまちがいなしと、小金吾は皮算用したわけであった。
「そんなお前、葛飾の叔父さん夫婦まで巻きこんで、もし、しくじったら迷惑がかかるじゃろ。試作中とか言うとった『ごきぶりこいこい』とやらはどうなった? そちらにしとくほうが、まだしも無事じゃろうが……」
父親の忠告など、どこ吹く風と聞き流して、善は急げとばかり小金吾はさっそく、行動を起こした。曳き八百屋の久六を供につれ、葛飾へ出かけて行ったのである。
息子の非凡さを信じ切っているお八重は、その日、暗いうちに起きて弁当を作り、
「いいかい、わたしからも弟宛てに『よろしく頼む』って添え手紙を書いてやったからね、着いたら忘れずに渡すんですよ」
包みの中へ結び文を封じこんだ。
秋も終りに近づき、朝夕、寒さが身にしみ出すと、さしも頑強な蠅軍団も、兵数がやや減りはじめた。これは洲崎沖の生ゴミ島への、泥かけ作業が開始されたことも原因している。
でも、待ったなしで毎日、江戸市中から搬出されてくるゴミ叺が、その南方に新たに設置された囲いの内へ、どんどん投棄されつづける現状だから、おっつけここもまた、蠅ごきかぶり、野ネズミどもの天国となることは必定だった。げんに漁師らの中には、
「おらはァ、ぶったまげただァ、前の夢の島からネズミの大群が、まっ黒にうねりながら海へ泳ぎ出して行くのを見たぞう。おおかた南隣りの囲い目ざして、引越しするつもりだんべえ。おッそろしい数だったぞう」
との、身の毛のよだつ目撃談を口にする者もいる。
「その生ゴミを活用して、高価な初成り野菜を作ろうってんですから、まさに妙案ですな若先生」
「だろう? 初物産業として本格的に軌道に乗せれば、江戸中の生ゴミの一手引き受けも可能だよ」
小金吾と久六が語り交しながら、中川の渡しを渡ると、もうここからは武蔵の国葛飾|郡《ごおり》……。本所押上の、ごみごみした町住まいに馴れた目には、とりとめがなさすぎて淋しくなるほど、いちめんに打ちひらけた田畑の拡がりである。
村々はどこもほとんど田の刈り入れを終らせ、稲架《はざ》に稲束を掛けつらねている。丑松の家はさらに東に寄った江戸川べりにあり、川向こうはすでに下総《しもうさ》の国だった。
柴又の帝釈天《たいしやくてん》へ通じる参道の手前を、北に折れて、畦道《あぜみち》づたいに歩きながらも、
「作男《さくおとこ》を、いっぱいかかえた大百姓だからね。ここらもたぶん、叔父貴の畑だろうよ」
ぐるり一帯を指さして小金吾は久六を煙《けむ》に巻く。
やがて行く手に見えてきたのは、なるほど大きな納屋《なや》門に、板塀をめぐらした堂々たる農家で、広い前庭には放し飼いの鶏がのんびり撒き餌をついばんでいた。
甥《おい》の不意の訪問に、丑松もお茂もが不審《ふしん》顔を隠さなかったが、初物作りの相談を持ちかけられると、はじめのうちは、
「そうさなあ。手間をくう仕事じゃでのう」
なかなか首を縦に振らなかった。保守的な農民|気質《かたぎ》から、
「季節はずれの走りものなどを、高い金払って買う者がおるのか?」
とも危ぶんだが、お八重の手紙を見せ、小金吾と久六がこもごも江戸人の贅沢ぶりを語って、初物の供給が需要に追いつかない現状を説き立てると、生来お人よしの夫婦は若者の熱意に押しまくられ、断り切れなくなった。
「ではまあ、せっかくの小金吾の頼みじゃ。お八重姉貴も口を添えとるし、畑地の三、四枚ほどを初物野菜に切り替えてみるか」
「ぜひ、お願いします。さし当っては正月用に、生椎茸や蓼《たで》、葉生姜《はしようが》、根芋なんかどうでしょう。刺身の|つま《ヽヽ》に欠かせない防風《ぼうふう》も、またたくまに売り切れるはずですよ」
「そんなお前、早くにはできぬ。成りものに合うた土から作らねばならんからな。肥料の生ゴミは、手当てが済んでおるのか?」
「おまかせください。ゴミ取り業者に話をつけてあります。囲い場近くの海上で当方の箱舟に叺を積み替えさせ、江戸川をさかのぼって当家の裏手に運びこみますからね」
買い手のほうは久六が伝手《つて》をたよって奔走し、新規に開業を予定している料理屋四、五軒、そのほか金持ちの食い道楽など、「女房を質に置いても初鰹」と粋《いき》がる客筋にすでに渡りがつけてある。
「そりゃ、早手回しなことじゃな」
「なにしろ促成栽培。先手を取るのが勝という商売ですからね」
丑松叔父が言うように、だからといって今日|蒔《ま》いた種が、あす収穫できるわけのものでもない。待つあいだにもゴミ取り業者との交渉など、細部に亘《わた》っての手はずを練り上げ、
「もはや万端、遺漏なし」
と、小金吾が腕を撫《ぶ》すうちに、正月用には間《ま》に合わなかったものの、春たけなわのころ、茄子、真桑瓜《まくわ》、白瓜《しろうり》、大角豆《ささげ》、胡瓜など、暑いさかりにならなければ出回らない夏野菜が、
「どうやら収穫できたぞよ」
と、葛飾から知らせがはいった。
「試し作りじゃで、量は多くないが、少ないところがまた、走りもの初物の身上《しんじよう》じゃ。使いの者に持たせるゆえ、久六さんとやらにも売り捌きの手配をさせておいておくれ」
丑松叔父からの、その便りを追いかけて、やがて下男が舟で運びつけて来た野菜の、みごとなことといったらなかった。百姓仕事が根っから好きな丑松が、これも|べてらん《ヽヽヽヽ》の作男を相棒にして施肥や藁《わら》囲いに工夫を凝《こ》らし、農法の粋《すい》をそそぎつくして育てただけあって、形《なり》はやや小粒ながら茄子も胡瓜もが、宝石さながらな艶《つや》を放っている。
一個一個、薄紙に包まれ、浅い木箱にきっちり並べて詰められた体裁からして、まるで貴重品扱いではないか。
「真桑瓜三つで、これなら一両の値がつくぞ」
さっそく久六に連絡しようと、門をとび出しかけた小金吾の鼻先へ、その当の久六が、
「大変だァ若先生、えらいことになったァ」
ぶつかりそうな勢いでのめり込んで来た。
「ど、どうした久さん」
「ご公儀から、お達しが出たんだそうです。絹もの法度《はつと》、金銀|錫《すず》なんぞの細工物も法度、そのほかいっさい、金目《かねめ》の品を身につけることまかりならぬ、女が髪にさす鼈甲《べつこう》の櫛笄《くしこうがい》、珊瑚《さんご》玉の簪《かんざし》、なにもかも法度ですぜ」
目に余る使い捨て|ぶーむ《ヽヽヽ》、贅沢競争に歯止めをかけるべく発動された奢侈《しやし》禁止令であった。食べ物ももちろん網にかかったが、
「まっ先に槍玉にあげられたのが青物くだもの魚貝の初物でね。『向後、断じて旬《しゆん》に先がけての走りものを、作ること売ること食《しよく》すこと、まかりならぬ』と、料亭や卸《おろし》問屋、市場なんぞに、厳命がくだったそうですよ」
膝の力が抜けて、門柱の裾《すそ》にへたりこむ拍子に、小金吾のおでこにコツンと固い物がぶつかった。曾祖父の代からぶらさがっていて『小宮慈雲堂医館』の七文字も、もはや|しか《ヽヽ》とは判読しかねるほど古びた看板であった。
丑松叔父貴に無駄|手間《でま》をかけさせたほか、さしたる実害をこうむらなかった点だけが、せめて不幸中のさいわいといえた。
走り物を手がけて|ひと《ヽヽ》財産つくり、表通りに店を出す気だった久六は、また、もとの棒手振《ぼてぶり》八百屋にもどり、小金吾は玄関脇の三畳|間《ま》に引きこもって、『神法大義要方』に読みふけり出した。第三の|あいであ《ヽヽヽヽ》を、この面妖《めんよう》なる珍書から、再度ひねり出す決意らしい。
そのくせ、飯どきになると、のっそり茶の間に現れて、
「うう、この胡瓜の新香ひと切れが、幾らにつくことか。それを思うと舌がちぢんで、味もようわからんわい」
唸《うな》ったり歎じたりする暁斎先生を、うるさそうに小金吾は睨む。
「いいじゃありませんか、あなた。あとにも先にもない栄華の仕納めだと思いましょうよ」
と、息子の失意を慰めるつもりか、取りなし顔に茄子の煮つけを頬ばるのはお八重だ。
ここ当分、葛飾から運びこまれた箱詰めの走り野菜を|おかず《ヽヽヽ》にせざるをえなくなった小宮家の、豪勢かつ、|もの《ヽヽ》悲しくもある食卓風景なのである。
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あ と が き
例外はむろん、ありますが、ヒト科ヒト属ヒトという哺乳類は、だいたい群れて棲《す》む生き物のようです。そしてヒトが集団を作る場所には、必然的にゴミが出ました。貝塚など、そのよい例証といえるでしょう。
浅蜊《あさり》、蛤《はまぐり》、巻貝などを、古代人が剥《む》いては食べ剥いては食べしたあげく、貝ガラを穴の中にぽいぽい抛《ほう》りこんでいた状況がわかりますし、史学界にセンセーションをまき起こした長屋王家跡からの、おびただしい木簡《もつかん》の出土も、もしかしたら王家滅亡後、同じ所に建てられた官庁の廃棄物だったのではないかと推理されています。紙が貴重なので木簡竹簡で代用したわけですけど、関係書類をじゃんじゃん作り、大量に捨てるお役所体質は、どうやら奈良朝いらい連綿と、現代まで引き継がれてきたようですね。
ましてや近世に入ると、もはやゴミ処理問題は、昭和・平成のミニ版といってよいほどの、頭痛の種となりました。江戸のような大都市では、なおさらです。
(いったい、当時のゴミ取りシステムはどうなっていたのだろう)
と、かねがね疑問に思っていた私に、懇切な答を出してくださったのが、「江戸選書」の一環として吉川弘文館から刊行された伊藤好一先生の、『江戸の夢の島』という研究書でした。
この、良心的な好著に助けられながら、私は『大江戸ゴミ戦争』を書いたのですが、小説のほうはすこぶる非良心的・非学究的な出来上りで、伊藤先生に顔向けならぬ思いです。この場を借りて、先生に深甚な感謝を捧げると共に、心からお詫び申しあげます。
単行本にする直前、当時、NHKのミッドナイト・ジャーナルで活躍中だった山根一眞氏と、ゴミ対談をやりました。山根氏は、『東京のそうじ』という本を書かれたことのあるこれまた、ゴミのオーソリティだけに、珍談奇談に事欠きません。
「汲み取り便所のころ、お婆さんが入れ歯を便壺に落としてしまい、バキュームカーの人に拾い出してもらったとたん、そばのバケツの水でシャッとすすいで、口に入れました」
「わッ、きたない」
「たぶん、しくじりをお嫁さんに知られ、叱られるのがこわかったんでしょう」
「うーん、可哀そう……」
「ドブ鼠《ねずみ》がバキュームのホースに吸い込まれて、皮がクルリとむけちゃった。そしたら『チューイしてください』って……」
「はははは」
といった調子です。私も『大江戸ゴミ戦争』を構想したさい、やはりゴミには、悲劇調はそぐわないと思い、一話一話をユーモア・タッチに仕上げました。
でも、ここらにゴミ問題を考える上での障害が潜んではいないでしょうか。笑ってなどいられない深刻な局面にもかかわらず、ついつい吹き出してしまうところに、ゴミというものの負う宿命的な難点があります。
「もっと真剣に、まじめに取り組まなければ、遠からず東京は、日本は、地球は、ゴミで埋まってしまうぞ!!」
と、だれもが承知していながら、身の毛のよだつその光景を、なんとなくマンガチックにしか想像できないというのは困りものですね。
危機はまさに、迫りつつあります。『大江戸ゴミ戦争』などという本は即刻くず籠に押しこんで、蹶起《けつき》しましょう──とアジることで、またもやゴミをふやすことになるとは、ああ……。
[#地付き]杉 本 苑 子
単行本 平成三年六月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成六年六月十日刊