目次
孤高の人
第一章 山麓
第二章 展望
第三章 風雪
第四章 山頂
解説(尾崎秀樹)
孤高の人
雪がちらついているのに意外なほど遠くがよく見えた。厚い雪雲の下面と神戸市との間の空気層の間隙《かんげき》の先に淡路島が見えた。雪雲の底の平面は、鉛色をした海と平行したまま遠のいて行って、水平線との間に、くっきりと一条、青空を残して終っていた。そこには春のような輝きがあった。
神戸市の背後の山稜《さんりょう》を覆《おお》った雪雲の暗さから想像すると、間もなくはげしい風を伴った、嵐《あらし》にでもなりそうな光景であった。神戸としては珍しいことである。
若者は、その雲の底を生れて初めて見る怪奇な現象であるかのように見詰めていたが、首が痛くなると、眼《め》を足もとの神戸市街とそのつづきの海にやった。神戸に生れて、神戸に育っていながら、このたった、三二〇メートルの高取山の頂上に、こんなすばらしい景観が展開されることをこの瞬間に発見したような気がした。
若者は、そういう気持になるのは、たぶん、頭上にある雪雲のせいだと思った。いまにも降り出しそうな顔をしていて、いっこうに降りそうもなく、時折申しわけのように雪華を落して来る頭上の雪雲の存在からして奇異に感じられ、その雪雲の下にある空間が冷酷なほど豁然《かつぜん》とした拡《ひろ》がりを持っているのは、その次に、起るべき大きな自然現象の変異を予告しているように思われた。
若者は、突然神戸は大雪に見舞われるかもしれないと思った。ありそうにもないことが、そのときばかりは、ありそうに思われてならなかった。
鈴の音がした。
若者が立っている高取山の頂上のすぐ下に高取神社がある。鈴が鳴ったのは参詣人《さんけいにん》があったことになる。
「この寒いのに、ものずきもいるものだ」
若者は、そのものずきの中に自分自身を含めて嗤《わら》った。間もなく老人が、ひっそりと足を延ばすような歩き方で山の頂に現われた。老人はひっそりと来て、ひっそりと眼を海の方に投げた。老人の呼吸には乱れがなく、まるで平地を歩いて来て、たまたまそこに立止ったような姿であった。老人はかなり時代がかった鳥打帽をかぶり、運動靴《うんどうぐつ》を履き、左手に防風衣《ウインドヤッケ》を持っていた。今日はじめてこの山へ来たのでないことは明らかであった。
若者は、その老人はたぶん毎日登山のメンバーの一人ではないかと思った。神戸には多くの山があった。低い山は鉢伏山《はちぶせやま》の二四六メートルから高い山は六甲山の九三二メートルにいたるまで、十数峰が並んでいた。その多くは神戸の市内から一時間ないし二時間で往復できるところにあった。毎日一回その山のどれかに登るという習慣的登山は古くから神戸市民の間に行われていた。毎日登山一万回完成記念の碑が、再度山や高取山に建てられていた。
若者は老人に話しかけて見たかった。毎日登山がどんなものか聞いて見て、もしやれそうなら、しばらくつづけて見てもよいと思った。若者は話しかけのきっかけを探した。雪の降り方がやや増した。
「大雪になるでしょうか」
若者は老人に話しかけた。
「大雪?」
老人は空を見た。
「多分降らないでしょうね、やがて雪雲は切れて、きらきら輝く冬景色になる」
「分るのですか、それが、なぜでしょう」
「理由はない。加藤文太郎の命日は毎年天気がよかった。だから今年もそうでなければならない」
「加藤文太郎というと?」
若者はやや首をかしげて聞いた。
「不世出の登山家だ。日本の登山家を山にたとえたとすれば富士山に相当するのが加藤文太郎だと思えばいい」
老人の声は意外なほど若かった。
「さしつかえがなかったら、その人のことを話して下さいませんか、……ここは寒いから、どうです、すぐ下の茶屋で……」
「いや寒くはない。それに風もない。加藤文太郎のことを話すには、此処《ここ》がもっともふさわしいところだ、此処は加藤文太郎が最も愛していた場所のひとつなんだ」
「不世出の登山家だとおっしゃいましたね」
「そうだ。加藤は生れながらの登山家であった。彼は日本海に面した美《み》方《かた》郡浜坂町に生れ、十五歳のときこの神戸に来て、昭和十一年の正月、三十一歳で死ぬまで、この神戸にいた。彼はすばらしく足の速い男だった。彼は二十歳のとき、六時に和《わ》田岬《だみさき》の寮を出て塩屋から山に入り、横尾山、高取山、菊水山、再度山、摩耶《まや》山《さん》、六甲山、石の宝殿、大平山、岩原山、岩倉山、宝塚《たからづか》とおよそ五十キロメートルの縦走路を踏破し、その夜の十一時に和田岬まで歩いて帰った。全行程およそ百キロメートルを十七時間かけて歩き通したのだ」
「考えられませんね」
「誰《だれ》もはじめは信用しなかった。そのころ彼はもう、けたはずれの登山家になっていたのだな」
「足が速すぎて、他の追従を許さないという意味でしょうか」
「それもある。だが人間的にも、彼は他の追従を許さぬほど立派な男であった。彼は孤独を愛した。山においても、彼の仕事においても、彼は独力で道を切り開いていった。仕事に対するときと同じ情熱を山にもそそいだ。昭和の初期における封建的登山界に、社会人登山家の道を開拓したのは彼であった。彼はその短い生涯《しょうがい》において、他の登山家が一生かかってもできない記録をつぎつぎと樹立した。その多くは冬山であった。サラリーマンとしての限られた休日を利用してそれをやったのだ。一月の厳冬期に、富山県から長野県への北アルプス縦走を単独で試みて成功したのも彼が最初であった。食糧も装備もすべて彼独特の創意によるものが多かった。彼は疲れると熊《くま》のように雪洞《せつどう》にもぐって眠り、嵐が止《や》むと、また歩いた。不死身の加藤文太郎、単独行の加藤文太郎と言われるようになったころ、彼はもう山から離れられないものになっていた」
「その不死身の彼は実際は不死身ではなかったのですね」
「いや、不死身であった。彼は山で死ぬような男ではなかった。彼はきわめて用心深く、合理的な行動をする男であった。いかなる場合でも、脱出路を計算した上で山に入っていた。その彼がなぜ死んだか――それは、そのとき彼が単独行の加藤文太郎ではなかったからだ、山においては自分しか信用できないと考えていた彼が、たった一度、友人と一緒にパーティーを組んだ。そして彼は、その友人と共に吹雪の北鎌《きたかま》尾根《おね》に消えたのだ」
老人は眼を空に投げた。老人が予言したように張りつめていた雪雲に穴が明いて、そこから光の束が神戸市街を照らしていた。
「見えるでしょうあの和田岬のあたりの日の当っているところ……加藤文太郎はあの造船所に技師として勤めていたのです」
光の束は、若者が、そこを見詰めているかぎりは、そこから動こうとはしなかった。そればかりか、その光の束は時間とともに、その太さを増していって、若者が頬《ほお》に風を感ずるようになったときには、神戸市の半分は、さっき老人が言ったように、きらきらと輝く冬の日射《ひざ》しの中にあった。
「加藤文太郎という人は、なぜそれほど山を愛したのです。ただ山があるから山へ行ったのではないのでしょう。彼を山に惹《ひ》きつけたものはいったいなんなのです。それを話していただけませんか」
若者は、そう言って、老人の方を見た。老人はそこにはいなかった。老人はひっそりと、誰にも気づかれないように、しかも、きわめてしっかりした足取りで高取山の頂からおりていくところであった。
第一章 山麓
そこから道は二つに分れていた。
左へ入れば、丘の中腹にある寺の前を通って須磨《すま》の方へおりていける。右の道は山の方へどこまでも延びている。寺の方へ行く道の方が広く、そっちへ家族づれが二組ほど歩いていった。常緑樹のしげみの陰から桜の花が見えた。花見にはやや遅い時刻だから、花見ではなくこの辺を散歩しているのであろう。寺の方からこっちへ向って走って来る子供たちの一群が通り過ぎると急に静かになった。
寺の鐘が鳴った。
加藤文太郎は寺の方へ眼《め》をやった。なかなかいい音のする鐘だなと思った。桜が咲いているし、それに鐘が鳴れば、それだけで春の気分は満点だなと思った。彼は耳を澄ませて、寺の鐘の音をもっとよく聞こうとした。鐘は鳴らなかった。一度鳴っただけで、いくら待っても二度目の音は聞えなかった。おそらく子供がいたずらでもしたのだろう、いたずらでもいいがもう一度寺の鐘が鳴ったら、寺の方へ行く坂道を登っていくのだがと加藤文太郎は、そういう期待の眼を以《もっ》て寺の方を見ていた。鐘はとうとう鳴らなかった。
彼はひどくがっかりしたような顔をした。寺へ行こうというのに、寺の方から来てくれるなとことわられたような気がした。鐘で誘いをかけておきながら眼の前で山門を閉ざされたような気持だった。
加藤文太郎は道を右側にきめた。それからはもう、寺の方を見ずに、真直ぐにその坂道を登っていった。彼は下駄《げた》を履いていた。坊《ぼう》主《ず》頭《あたま》で、ナッパ服、腰につりさげた手拭《てぬぐい》が、きちんと細長く畳んであった。彼は十六歳にしては、小《こ》柄《がら》の方だったが、足は速かった。カーキ色のナッパ服を着た彼の姿は、笹《ささ》やぶの中へ吸いこまれていった。
よく踏みこんだ道だった。ひとりがやっと通れるか通れないかくらいの細い道だったが、長い年月にわたって踏みこまれた道である証拠に、道はさながら笹やぶの中の溝《みぞ》のように、山肌《やまはだ》深くきざみこまれていた。赤土の道だった。花《か》崗岩《こうがん》の腐蝕《ふしょく》土《ど》の道だからほんとうの意味の赤土ではなく、いわば赤ざれ砂道とでもいったふうな感じの道だったが、外見的にはやはり赤土の道で、笹やぶから、やや、ガレ気味のところに出ると、そこには、雨あがりのあとに歩いてつけた足跡がはっきり残っていた。
下駄の足跡はなかった。そこはもう、神戸の市街からかなり離れているし、下駄で遊びに来るところではなさそうなところだったが、加藤文太郎は別に、そのことは気にするふうもなく、傾斜の急な小道をさっさと登っていった。
笹やぶの小道が雑木林になると、道はなおいっそう細って来たし、道に木の根っ子が出ていて、下駄ばきの彼の歩行の邪魔をした。
彼はヨモギのにおいを嗅《か》いだ。懐《なつ》かしい春のにおいだった。春のにおいというよりも、母のにおいだった。春になって雪がとけ、ヨモギが芽を出すのを待って、彼は野山にでかけヨモギを探した。彼の母は彼が取って来たヨモギを両手で捧《ささ》げるようにして、春が来たのだねといった。その母に彼は草餅《くさもち》を作ってくれとせがんだものだ。末っ子の文太郎は甘ったれで、母もまた彼のいうことならなんでも聞いた。
その母はもういない。
加藤文太郎はヨモギのにおいから逃れるように足をはやめた。顔に風を感ずるのは、高いところまで来ている証拠だった。そのへんで踏みとどまって、神戸市街を見おろしたら、さぞかしいい景色だろうと思った。ふりかえって、見おろしたい誘惑はたえずあったが、彼は立止らなかった。呼吸《いき》の切れるような傾斜でもないし、疲労するほど歩いてもいなかった。頂上はすぐそこなのに、わざわざ、こんなところで休む必要はなかった。それに、そんなところで休んでいると、さっき見捨てて来た寺の鐘がまた鳴るかも知れない。鐘が鳴ると、桜の花が咲いているお寺へこのままおりていくようになるかも知れない。それが加藤文太郎にはいやだった。お寺の方へはいかないときめた以上、お寺へは行きたくなかった。あのお寺がなんという名前なのか、由《ゆい》緒《しょ》があるのかないのか、そんなことはもうどうでもよかった。彼はなるべく早く、お寺との距離をつけたかった。
雑木林はクヌギが主だった。葉芽は青みがかり、そう遠くないうちに葉を開くばっかりになっていた。雑木林の中に混ってトゲの生えたタラの木があった。タラの芽は父の好物だった。タラとはいわず、鬼の金棒と呼んでいたその潅木《かんぼく》の芽を、味噌《みそ》であえて酒の肴《さかな》にする父を思い出しながら、彼は坂道を登っていった。
道はやがて、二度ほどS字型に曲ってからきつい登りになり、尾根道と直角に交わって終りをつげた。それから先は、その尾根道を左右、いずれかに進むか、もと来た道へ引返すか、三つのうち一つを選ばなければならない。
尾根道には松の木が生えていた。
加藤文太郎はそこまで来て、はじめて周囲を見《み》廻《まわ》したが、松と雑木林が視界の邪魔をして、展望がきかなかった。彼は尾根道に沿って右手の更に高い方へ向って登っていった。落葉が積ったままの道だった。踏めばさくさく秋の音がそのまま残されているような道だったが、道はけっしていいとこばかりではなかった。下駄の歯が松の根にはさまったり、落葉の下に石ころがあったり、歩きにくい道だった。
日が暮れかかっていた。日の暮れないうちになんとか見晴らしの効くところまでいって海を見たいというのが彼の最終目的となっていた。海を見たいと思い出したら、いても立ってもおられないほど海を見たくなる。広い広い果てしなく遠くまで見える海が見えるまではうしろも見まい、わき目もしまいときめて懸命に道をいそいだ。
雑木林の尾根道は延々と続いていたが、なにかの間違いのように尾根の一部の樹木が切れて、見とおしがきいた。
彼は眼下に暮れていく海を見た。青い海の色はなく、青色よりも灰色に近い淡い色だった。海と空との区切りがなく一面に暮色として塗りつぶされ、そのまま夜となっていく昼と夜の境の色だった。海岸と海との境界ははっきりしないのに淡路島だけは、別個の存在のように浮いていた。海の中に浮いているといった感じはなく、海でも、空でもなく、そこにそうして、じっと坐《すわ》っているといったような安定した眺《なが》めだった。
加藤文太郎は暮れていく海を見ながら、その暮れていき方が故郷の浜坂の町の近くの城山に登って眺めた時の感じと、ひどく違っているものを感じた。浜坂の町の背後の宇都野《うづの》神社の丘に立って海を眺めた感じとも違っていた。海と空の境があいまいになり、やがて、夜のとばりにつつまれていく暮れ方は、故郷とここでは同じであるべきなのに、違って見えるのは、日本海と太平洋という、海そのものの違いから来るものであろうか。彼はそんなことを考えながら、眼を海から背後の山の方へやった。
山ばかりだった。大きな山はないけれど、見えるかぎりの山の起伏は果てしなく北に向って続いていた。山襞《やまひだ》の間に道が見えた。その道を眼で追っていくと山の中腹に人家があった。一軒家を中心に桃の畑があった。山の中にピンクのインクを一滴こぼしたように美しくもあり、淋《さび》しい光景でもあった。桃畑に通ずる道は尾根に向って延び、更に山を越え谷におりていった。その谷の深さは、彼のいるところからは見えなかった。夕《ゆう》陽《ひ》が西の山にかくれようとしていた。この日の最後の陽光が、峰々のいただきに向って放射され、山々のいただきにかかっている夕靄《ゆうもや》が、残光を乱反射して、山容を意外にはっきり浮び出させていた。
喧噪《けんそう》をきわめる神戸の繁華街から歩いて二時間も登ると、そこはもう人の住むところではないということが加藤文太郎には不思議に思えてならなかった。神戸という都市も、海と山とに挾《はさ》まれたごくせまい面積でしかなかった。巨大な都市だと感じていたのは明らかに彼の錯覚であった。
彼は故郷にいたころ、よく裏山に登った。はてしない日本海の向うが見たかったからである。しかし、山に登っても海は、山に登らずに見た海と同じであり、それよりも、彼を驚かせたことは、海よりもはるかに変化に富み、そしてどこまでも続く山が背後にあったことである。
彼が故郷の山に向って感じたことと同じことがここにもあった。ここで、景観を圧倒的に支配するものは山だった。
(この山のずっと向うに故郷の浜坂がある)
彼は故郷のありかを眼で追った。神戸も浜坂も同じ兵庫県であるが、神戸は太平洋岸に面しており、浜坂は日本海に面している。その二つの町の間は山によってへだてられている。それは当り前のことであり、地図を見てもわかるし、見ないでも常識的にわかることなのだが、加藤文太郎は、眼で確かめたその発見にひどく感動した。神戸と故郷の浜坂とをさえぎっている山の存在が彼にはひどく神秘的にさえ思えたのである。
(北へ北へと歩いていけば日本海へ出るのだ)
彼は心の中でそうつぶやいてから、すぐその地理学的判断が、彼がそれまで抱いていた暮れゆく海の色に対する疑問を解くものであることを知った。
「なあんだ、北と南の違いじゃあないか」
加藤文太郎は海の方に向き直って大きな声でいった。故郷で見る海は常に北にあった。神戸で見る海は常に南に位置する。海と同時に、山の位置も正反対になり、従って海を前にしての日没の方向も故郷と神戸では違ってくる。
夜はもうそこまで来ていた。神戸市街の背後が山であるから、ひとたび日が山にかくれると、神戸は山の影に入る。
おそらく神戸市街から見ると背後の山の稜《りょう》線《せん》は金色に輝いているだろうと彼は思った。ふりかえると、山々の峰には未《いま》だに残光が走っているのに、足下の神戸の海と市街は、夕《ゆう》闇《やみ》の中に吸いこまれ、灯台の灯《ひ》は点ぜられ、海上を走る船のマストの灯さえ見え出して来たことは、なにか奇妙なことのように思われてならなかった。
彼はゆっくり立上って背伸びをし、深呼吸をした。汐《しお》のにおいがした。風に運ばれて来た、あるかなしかの汐のにおいだったが、そのにおいにはっとしたように彼は足元を見たのである。道はもう見えなかったが、道のあることは確かだった。引きかえす道もあるし、尾根沿いに歩いていけば、どこかに出られるに違いない。
彼は未知の方向へ歩き出した。あかりを持っていないし、この夜が月夜かどうかも知らなかった。月がなくとも星はある。彼は心の中でそういった。道はひどく悪く、道か道でないかの区別がつきがたいところがあったが、いまさら引きかえすこともできなかった。つまずいて下駄の鼻緒が切れた。彼は下駄を両手に持ってはだしで夜道を歩いていった。
心細いとも思わなかった。怖くもなかった。ただ帰寮の時間に遅れることが心配だった。加藤文太郎は故郷の高等小学校を卒業して、和田《わだ》岬《みさき》の神港造船所の技術研修生として入社してからやっと一年たったばかりだった。夕食は七時まで、帰寮は九時までと決められていた。たとえ日曜であっても例外は認められなかった。今までに帰寮時間におくれた者はいないから、遅れた者がどういう制裁を受けるかは知らなかったが、おそらく、そんなことをすれば、寮長にひどく叱責《しっせき》されるかも知れないし、研修班長から、故郷の父親へ通知がいくかも知れない。ほかのことはどうでもいいが父に知らされることは耐えがたいことだった。
道は下りにかかっていた。木のしげみの間から灯が見え、その灯が近くなって来ることは、その尾根道が結局は神戸市街へ通ずるものと思われた。だがそれは、彼の錯覚であって、やがて道は左へ左へと迂《う》回《かい》し始め、市街の灯は遠くなる一方だった。
彼はあせった。このままこの道を歩いていれば、それこそ、彼の故郷の山の方へ行ってしまうかも知れない。
彼は道をはずして、市街の灯に向って森の中をおりていった。それからは夢中だった。野ばらで足や腕をひっかかれ、ナッパ服をかぎざきにし、足の裏にとげを刺し、腰の手拭さえもいつの間にかやぶに奪われていた。
森から突然明るいところへ出たと思ったら、そこが赤土のガレ場だった。彼はそのへりを、うしろ向きになって這《は》いずっておりた。そこから市街地につづく小道があった。
彼は橋を渡った。両手に下駄を持って歩いている加藤文太郎の異様な姿を、町の人は不思議な眼で見送っていた。
「加藤君じゃあないか」
その声には聞き覚えがあったが、相手の顔は暗くてよくわからなかった。会社の人であることは間違いなかったが、和服姿で、街灯を背にしていると、背ばかり高く見えて、全然会ったことのない人のようにも見えた。
「やはり加藤君だね、今ごろどうしたのだ」
相手は近よって来て、加藤の顔を覗《のぞ》きこむように見た。技師の外山三郎だった。会社ではいつもきちんとして背広服でいる外山が、和服姿でいると別人に見えた。外山三郎は端麗な容貌《ようぼう》をしていた。貴族的な風貌といったほうが当っているかも知れない。どちらかといえば、殺風景な身なりをした神港造船所の技師たちの中では断然光って見えた。外山三郎は一週に二回研修生に機械工学を教えていた。研修生たちは、外山三郎の整い過ぎた容姿から受ける感じでこういう男にあり勝ちな冷酷な反面を警戒していたが、外山は他の技師たちとは比較にならないほど研修生たちに親切であった。
外山三郎は黙っている加藤にもう一度どうしたのだねとやさしいことばで尋ねた。面と向って話していると、人がへんに思うから、外山は加藤と並んで歩きながら同じことをまた訊《き》いた。
「寮へ帰るところです」
加藤文太郎は両手に持った下駄のやり場に困ったのか、二つ重ねて片方の手に持ちかえたり、うしろにかくしたりしていたが、結局もとのとおりに両手に片方ずつ持つと、
「下駄の緒が切れたんです」
と照れかくしのようにいった。
「山へ行って来たのだね、そして道に迷った……ねそうだろう」
外山三郎は加藤文太郎を改めて見直した。この少年にどんなことがあったとしても、それを見落すまいという眼だった。
「加藤君、足から血が出ているよ、それにそんな姿じゃあ寮へは行けない。とにかくぼくの家まで一緒に行こう」
「帰寮の時間があるんです」
加藤文太郎は口をとがらせていった。
「九時だろう。まだ一時間はある。大丈夫だ。な、ぼくの家まで行こう、すぐそこなんだ」
外山は加藤の肩に手を置いていった。外山の手の重みが加藤の肩にかかったとき加藤は、はっきりとそれをふり切っていった。
「いいんです」
そして、外山がなにかいおうとする前に加藤は身をひるがえして駈《か》け出していた。
下駄を両手に持って加藤文太郎は懸命に和田岬の寮に向って走った。乗物に乗った方が早くつくことはわかっているし、金も持っていたが彼は走った。走らずにはいられない気持だった。加藤は外山三郎がきらいではない。機械工学の教え方もていねいだし、試験の時だって、そう悪い点はつけない。研修生の誰《だれ》にも好かれていた。好きな外山三郎の手が肩にかけられたから加藤は逃げだしたまでのことだった。外山三郎がやさしい手を彼の肩にかけず、
(加藤、きさま、今時分どこを放《ほっ》つき廻《まわ》っていたんだ。こっちへ来い)
そういって、彼の手を取ってぐいぐい引張っていくのだったら、外山三郎の家まで行っていたに違いないと思った。
走ると足の裏がいたかった。少なくとも二カ所にとげがささっている感じだった。
神港造船所の技術研修所の寮は整然としていた。各寮にはそれぞれ入社年度の違った研修生が一年生から五年生まで別々に住んでいた。毎年、二十人から三十人の寮生が春になればこの寮に入って来る。高等小学校を卒業して、ほぼ、十倍近い競争試験を通って来る優秀な少年たちばかりだった。貧しい家庭の少年たちというよりも、農、漁村のしっかりした家庭の子弟を集めるというのが会社の方針だったせいか、集まって来る少年たちの性格は明るかった。大正末期の頃《ころ》は中学校へ進学する者は非常にまれであった。当時は小学校のひとクラス五十人中から、中学校へ進学するものは二、三名、高等小学校へ進学するものが、十五、六名、あとの三十人あまりは小学校六年をすませると、それぞれ職業についたものである。当時高等小学校を卒業した者は、家も中流以上であり、頭脳もすぐれていたということになる。
神港造船所が高等小学校卒業生を選抜試験でふるいにかけて集め、更に五カ年間の教育をほどこして、技術者を作り出すというのは当時としては進歩的な考え方であり、その後この方法を真似《まね》る会社が現われたが、成果はそれほど上らなかった。
研修所は職場の続きだった。学校でありながら、学校でなく、実質的には工場でもあった。ある時は実務をやり、ある時は教室に坐った。実務と学務とが有機的に密着すれば、この研修は成功し、いささかでも、この二つの実行過程に溝《みぞ》ができれば、あぶはち取らずの結果に終った。
加藤文太郎は二十名の同級生と共に研修生になり、二年生となっていた。入った時、二十一名だったが、一年の間に三名が脱落した。一名は家恋しさのあまり、離脱し、二名は病気になって会社をやめた。加藤文太郎は二寮五号室に同級生とふたりで起居を共にしていた。同級生だけを一室に住まわせて、そこに上級生や下級生を入れないのは、寮を兵営のようにさせたくないという会社側の配慮だった。
研修生の寮は年度によって別れていたが、食堂は一緒だった。食堂の隣にピンポン室があった。ピンポン台が三台、二台は窓側にあって、台も取りかえたばかりだったが、廊下側に置かれてあるピンポン台はあり合せのテーブルを二つ組み合せたものだった。それに場所が場所だからひどく光線の具合が悪かった。そのピンポン台には下級生が集まり、上級生は窓側のピンポン台を使っていた。
加藤文太郎をピンポンに誘い入れたのは同室の木村敏夫だった。木村はいやがる加藤に無理矢理にバットを持たせた。
「ただ受け止めればいいんだ。来た球をはじき返せばいいんだ」
木村敏夫は、ピンポンの仕方をそのように加藤に教えた。
「ほんとうにただはじきかえせばいいのか」
加藤は木村敏夫のいうことを忠実に守った。
「そうだ、球が来たら、そこへバットを出せば、球の方でぶっつかって、相手の方へはねかえっていく。自分で打とうとすれば球は出てしまう、打とうとしちゃあいけない、受け止めさえすればいいのだ」
木村はそういって、加藤にバットの持ち方を教えた。
加藤はバットを持って突立っていた。大きく足を開いたままで、ほとんど動かさずに、右手のバットだけが、球の来る方向にしきりに動いていた。
球は加藤のバットに当って調子よくはねかえった。相手がロングで打って来ても、ショートで打って来ても、加藤は同じようにバットを動かすだけだった。ほとんど義務的に球に対して追従しているに過ぎなかったその加藤が試合になると案外強かった。同級生ばかりでなく、上級生に対しても強かった。
加藤文太郎が両手に下駄《げた》を持って山からおりて来た翌日の午後外山三郎は教室で加藤を見かけた。いつもと少しも変らない加藤だった。すりむいていた手にはヨードチンキが塗ってあった。外山三郎は授業が終ったら加藤にどこの山をどう歩いて迷ったのか聞こうと思っていた。話を聞いてやると同時に、この付近の山々についての知識を与えてやりたいと思っていた。外山三郎は大学時代に山岳部にいた。大学山岳部が出掛けていく山と六甲山付近の山とは比較にならないが、山ということにおいては通ずるものがある。山岳部とまではいかないでもいいから、山を愛する者たちの集まりを会社の中に作ろうと考えていた。加藤文太郎はいつも怒ったような顔をして外山の講義を聞いていた。加藤にかぎらず多くの少年は真剣になったときこういう顔をした。しかし、彼《かれ》等《ら》は授業が終れば急に顔の筋肉がたるんで、それぞれ勝手放題のことをしゃべりまくるのである。加藤だけは違っていた。加藤は授業中も、授業が終ったときも、めったに笑い顔を見せたことはない。
外山三郎は授業中、しばしば加藤の方へ眼をやった。授業が終ったら、きのうのことを聞こうと思うから、つい加藤の方へ眼が走るのである。
加藤は外山三郎の視線をはねとばすような眼で見かえしていた。容易には近づきがたい少年の眼にはね返されると、外山はひどくあわてていい間違いをやったりした。
授業が終ると、加藤は隣席にいた木村敏夫に引《ひき》摺《ず》られるようにして教室を出ていった。そのあとを外山三郎が追った。彼はなんとかして、加藤と山のことを話して見たかったのである。加藤と木村は食堂の方へ歩いていった。食事には早い時間だった。研修生たちは食堂の隣のピンポン台のまわりに集まった。いつもと違った空気があった。外山は研修生たちの間で試合があるのだなと思った。彼等は他のピンポン台が空《あ》いているのにもかかわらず、廊下の近くの一番悪いピンポン台のまわりをかこんで試合を始めた。どうやら、同期生同士の試合のようだった。
加藤の番が来た。彼はバットを持ったが、けっして攻撃はしなかった。防備もしなかった。少なくとも防ぐという受身の配慮は彼の頭にはないようだった。加藤のバットはピンポンの球の来る方向に動いているだけのことだった。反射的に球の来る方へ彼のバットが延びて行って、そこへ飛んで来る球をはねかえしているに過ぎなかった。彼がミスをすることもあるし、相手がミスをすることもあった。どっちにしても、彼はあまり嬉《うれ》しそうな顔もせず、さりとて悲しそうな顔もしなかった。相変らずの怒った顔で、仁王立ちに立ちはだかって、ピストンのようにバットを動かしていた。ゲームの渦中《かちゅう》にありながら、ゲームとは別の存在に見えた。激励するのは彼の友人であり、喝采《かっさい》するのも溜息《ためいき》をつくのも、すべて彼以外の誰かだった。
加藤は終始無言だった。勝負にこだわっていない証拠に、加藤は、彼が勝っているにもかかわらず、レシーブの姿勢を取ったままでいた。彼の頭の中にはカウントはなかった。審判がサーブだといえばサーブをし、レシーブといえばレシーブをしていた。勝負には全然関心なく、球の来る方向にバットを出すということだけに全身の神経を集中しているようだっ
た。
それでいて加藤は奇妙に勝った。見ていて、みっともないくらい、つまらない試合にもかかわらず、彼は勝った。彼が勝ったというよりも相手が負けた。相手は加藤という壁に向って、ひとりでピンポンをやってひとりで敗退していくのである。
加藤は五人抜いて、六人目の背の高い男に敗れたが、敗れてもまだしばらくはバットを持ったままで、そこに突立っていた。
外山三郎は加藤文太郎のピンポンを見ながら、なにか胸さわぎを感じた。口ではいえないなにかの感激だった。長い間求めつづけていた人間にめぐり合ったような感激だった。これこそほんとうの山男、名実共に日本を代表する大登山家になる素質を持った男ではなかろうか、外山はそう直感した。
「加藤君、すばらしいじゃあないか」
試合が終ったあとで外山三郎は加藤文太郎にいった。すばらしいというひとことではいい尽せないものがあったが、適当な表現の仕方が発見できなかった。
すばらしいといわれても加藤は別に自分のやったことがすばらしいものだとは思っていなかった。加藤は本来ピンポンがそれほど好きではなかったが、いつの間にか選手にさせられていたのだ。
「きのうの足の怪我《けが》はたいしたこともなくてよかったね」
外山三郎は加藤の運動靴《うんどうぐつ》の足もとを見詰めていった。加藤は黙ってうなずいていた。余計なことをなぜ聞くのかという顔だった。
「あとでぼくのところへ来てくれ、六甲山付近のくわしい地図があるから見せてやろう」
外山三郎はそういい置いてピンポン室を出ていった。
外山三郎は設計課の自分の席に落着いて、煙草《たばこ》に火をつけた。やれやれという気持だった。一時間立ちつづけの講義はつかれる。それも今日一日の仕事の終りの時間だからこたえる。設計の仕事とは別に教育という仕事を背負いこまされていると、なにかにつけて落ちつけない。設計にも念が入らないし、教育にも力が入らない。
「講義の方はなんとかしてやめさせて貰《もら》いたいもんだな」
彼はひとりごとをいった。そして直《す》ぐ、怒ったような顔をした加藤文太郎のことを思い出した。講義をやめるのもいいが、講義をやめると、加藤のような少年と顔を合わせられなくなる。それが外山にとってはたいへん残念なことに思われる。そうかといって、このまま引受けてやっていると、いよいよ講義の方へ深入りさせられてしまいそうだった。事実彼の教え方が上手だし、研修生に人気があるという理由で、彼の授業が、週三回になりそうな気配があった。
「まあ、ほどよいところでやめさせて貰わないと」
外山三郎は書きかけた設計図の前に坐《すわ》った。船の形らしいものはどこにも認められない船の設計図がそこに描かれようとしていた。書き始めであり、その図が、船のアッパーデッキであることは専門家が見ればわかる程度にまで進んでいた。
彼はその図面に喰《く》い入るように見入ってから、大きくひとつうなずいて立上ると急に帰り支度を始めた。
既に設計室には彼を除いては誰もいなかった。彼はテーブルの上を片づけ、あすの朝の準備を整えてから、机を離れた。そこに加藤文太郎が立っていた。
「なんだ来ていたのか。それならそうと、なんとかいえばいいのに、だまって突立っていて……」
外山三郎は加藤をちょっとたしなめてから、彼の机の引出しから、五万分の一の地図を張り合せたのを出して、加藤の前にひろげた。
「ゆうべは驚いたよ。あんなかっこうで山からおりて来たら、誰だってびっくりするぜ。いったいどこから君は山へ入ったんだね。ほら、ここね、ここが君とぼくとが会ったところなんだ」
外山三郎は地図の一点を右手のひとさしゆびでさしていった。きれいに爪《つめ》が切ってあった。ピアニストのように細く伸びたゆびだった。
「どこから山へ入ったんだね」
黙っている加藤に外山三郎はうながすように聞いた。
「わかりません」
加藤ははっきり答えた。口をとがらせて、わからないことが当り前のような口ぶりだった。
「わからないってきみ、わからないからここに地図を開いたのだよ」
「地図があったってわかりません」
加藤文太郎は威張ったようないい方をした。
「じゃあきみが、きのうの夕方どんなところを歩いたかをいうがいい。そうしたらぼくがその場所を地図の上で探してやろう」
外山三郎は、加藤と地図とを等分に見くらべながらいった。
「お寺の桜を見に行こうか、山へ登ろうかとしばらく迷ってから山へ登っていきました」
加藤のそのひとことで、地図の出発点はどうやらきまった。それからは加藤の話のとおりに、地図の上を外山三郎の爪の先が走っていった。
「きみがうしろ向きに這《は》っておりたというのはこれだよ。ここをおりて、山道へ出て、橋を渡って、そしてここでぼくと会ったのだ」
外山三郎は加藤の歩いた道を追跡し終ったあとでさらに、
「今度はきみ自身で、考えながらもう一度自分の歩いた道を追って見るがいい」
加藤は地図を見るのが初めてではなかった。おおよその地図の見方は知っているが、地図を実際使用したことは一度もなかった。使おうと思ったこともなかった。だから、彼が汗を流し、暗闇《くらやみ》の中で彷徨《ほうこう》し、やぶでかぎざきをこしらえた道を、地図上に示すことができるということは驚嘆すべきことだった。彼は図上に足跡を追う遊びに興味を覚えた。
「地図の使い方は、非常に簡単でありながら非常にむずかしいものなんだ。地図の見方がほんとうにわかるようになれば一人前の登山家になれる」
そういう外山三郎の顔を加藤はちらっと見た。地図にはある程度の関心を持ったが、それ以上のことは加藤の頭の中にはないようだった。
「どうだね加藤君、ぼくといっしょに六甲縦走をやろうか」
外山三郎は笑いながらいった。おそらくこの少年は二つ返事で承知するだろうと外山は思った。会社の技師と研修生の関係からいって、技師に誘われたらいやもおうもない筈《はず》だ。しかしこれにも加藤は反応を示さなかった。加藤は縦走という言葉さえ知らなかったのである。
「きみは山が好きなんだろう」
外山三郎はややあせりぎみにいった。
「好きでも嫌《きら》いでもありません」
外山三郎は加藤の予期に反した答え方で、ひどくがっかりした。
「それならなぜ、きのうのようなことをやったんだね」
それに対して加藤はますます期待はずれの答え方をした。
「海を見たかったからなんです」
加藤文太郎はけろりといってのけた。
「海をね、なるほど。君は浜坂の生れだったね。海が見たいのは無理がない、しかし山だっていいぜ、加藤君」
だが加藤はそれには答えず、怒ったような表情にかえると、もうなにを聞かれても答えないぞというようにそっぽを向いた。
海は近いのに海からの風は、研修生たちの住んでいる寮までは吹いてこなかった。夜になると、ぴたりと風はやみ、寮の中は蒸《むし》風呂《ぶろ》のような暑さだった。
「おい木村、外へ出よう」
加藤文太郎が木村敏夫を誘った。木村は返事をせず、ショートパンツ一枚のはだか姿で畳の上に寝そべったままだった。やせた胸のあたりに汗が光っていた。外へ出ないか、加藤は、壁の釘《くぎ》に掛けてある、木村のシャツを取ると木村の方へ投げてやりながらいった。むりにでも引張り出したいふうだった。
「でたくないんだ。外へ出たけりゃあ、きみひとりで出ていくがいい」
木村は天井を見上げたままでいった。
加藤はその木村をしばらく見おろしていたが、自分もシャツを脱ぐと、木村と同じように畳の上にごろりと横になった。ふたりはそのまま無言でいた。三十分、一時間たってもふたりは黙っていた。とうとう沈黙に負けて木村の方で加藤に声を掛けた。
「おれはな加藤、余計な同情なんかして貰いたくないんだ」
「同情なんかしていやしない」
加藤はぶっきら棒にいった。
「それなら、なぜおれを外へ誘い出そうとしたり、おれのそばで寝ころんでいたりするんだ。おれはひとりでいたいんだぜ」
木村は半身を起き上らせていった。
「おれは、きみに夜の海を見せてやりたいんだ」
加藤は木村の腕を取った。こうなったらなにがなんでも外へ引張り出すぞという権幕に見えた。よせよと木村がふり切ろうとしたが加藤は取った腕をはなさずに、引きずるように立上って、廊下の方へ出ていこうとした。木村はしばらくは抵抗していたが、やがて力を抜くと、シャツを着た。どうにでもなれという顔だった。
星はうるんで見えていた。
寮から海岸まではそう遠い距離ではない。その道をふたりは黙って歩いていった。海の見えるところまで来ると、神戸の背稜《はいりょう》の山から吹きおりてくる風が涼しく感ぜられる。
海は全般に暗く海上を走る灯《ひ》はまばらだった。
加藤は海岸伝いに西へ向って、あとからついて来る木村には無関心のような顔で、歩き出した。神社の鳥居の前を通り、運河のところまで来て、加藤はやっと立止っていった。
「もっと歩こうか」
木村は黙ってうなずいた。それから加藤の足は前よりも速くなった。海岸には違いがないが、けっして素直な海岸ではなかった。ところによると、海岸から離れた道を迂《う》回《かい》しなければならないところもあった。へんな男がうろうろしていたり、あやしげな男女が徘徊《はいかい》したりしていた。そういう暗がりをさっさと歩いて、妙法寺川の河口に達したところで二人は申し合せたように海に向って腰をおろした。
「おれは会社をやめようかと思っているんだ」
木村がいった。
「一年半もいてやめるのか」
「おれにはどうもここの仕事が向かないらしい。技師になろうなどと思って入ったのが間違いだったのかも知れない。それに教官の中には影村のようなやつがいるし……」
木村敏夫が影村と呼び捨てにした影村一夫は技師になったばかりの教官だった。木村だけにつらく当るのではなく、研修生の誰《だれ》、かれの差別なく、しめつけていた。教育のための教育というよりも、会社側に対する点数かせぎと見られるようなふしがないではなかった。
「今日だってそうだ、なにもあんなにひどく怒鳴らなくてもいいだろう」
木村はそれまでたまっていたものを一度に吐き出すようないきおいでしゃべり出した。
製図の実習の時間中だった。
教場を見《み》廻《まわ》って歩いていた影村一夫が突然大きな声を出した。
「おい、なん年たったら鉛筆の使い方が覚えられるのだ。紙に対して、鉛筆は常に一定の傾斜角度を保っていなければならないということは、お前たちが研修生になったその日に教えた筈だ。それから一年半にもなる。いったいきみは製図をやるつもりがあるのかないのか。いやいやながらやっていると、そういうことになるのだ。見ろ」
影村は木村の書いた図を指さしながら、
「線の太さが書き出しと終りでは違うだろう、鉛筆の持ち方が悪いからこうなるのだ。本気になってやる気がないなら故郷に帰って百姓をやれ」
故郷に帰って百姓をやれというのは、影村の口ぐせだった。故郷に帰って、こやし桶《おけ》でも担《かつ》げということもあった。農家の子弟が圧倒的に多いからそういったのであろうけれど、それには多分に、彼《かれ》等《ら》の故郷の生業に対する軽蔑《けいべつ》が含まれていた。
木村は青い顔をしていた。鉛筆を持つ手がふるえていた。
「鉛筆のけずり方だってよくないぞ。もう一度一年生に戻《もど》って始めっからやり直せといいたいが、ここは学校ではない。お前たちはちゃんと月給貰って、勉強させて貰っているんだ、できないからといって落第させるわけにはいかない」
最後の方は木村にではなく、研修生全部に対していってから影村は、また、こつこつと靴音《くつおと》を立てて教室の中を廻りはじめた。影村一夫の一重まぶたの細い眼はいつも光を放っていた。容易に妥協を許さない鋭い眼《ま》なざしだった。その視線が当ったところには、きっとなにかが発見され、その発見に理由づけられ、そして結末をつけようとする眼であった。ただ漫然と眺《なが》めている眼ではなく、教官と研修生という相対関係を強度に意識した眼であった。
影村一夫の眼がこわく見えるのはその眼の構造にもあった。彼の一重まぶたは眼《め》尻《じり》に寄ったところで、角を立てていた。鋭角に肩をいからせた眼尻といったら当っているかも知れない。要するに、永続的に眼に角を立てた容貌《ようぼう》を想像すれば、それが影村一夫だった。
一般的に、設計技師たちの仕事中の眼は鋭かった。設計図が彼らのすべてであり、そこから新しい機械が次々と生れ出るために、彼等の眼は図上において百分の一ミリの誤差もないように張りつめていた。だがひとたび彼等の眼が図上から離れた時は彼等の眼は普通の眼にかえっていた。同じ教官の外山三郎は常にその眼に微笑をたたえていた。その外山も一度製図板に対《たい》峙《じ》すると、よりつきがたいほどきびしい眼つきをするのを研修生たちは知っていた。眼がそのように使い分けされるのは、設計技師となる以上やむを得ないことだと考えられていた。影村は例外の人だった。彼の眼は、仕事中も、そうでない時も同じようにつめたく張りつめていた。研修生にとっては怖《おそ》ろしい眼だった。常に研修生たちのあら探しをしている眼に思えてならなかった。研修生たちのあらを探し出しては怒鳴りちらして、研修生に恐怖を与えることが、結局は教育の成果を挙げることだという単純な考え方をしているように思われてならなかった。影村が眼に角を立てるのは、彼のつめたい性格をそのまま示していた。彼の人となりの半生がその眼に圧縮されているようだった。
「おれだってあいつがだいきらいなんだ」
加藤がいった。被害者は木村ひとりではなく、研修生全体であるといいたかった。
「いや、あいつはおれに特に眼をつけているんだ」
木村は暗い海に眼を送りながら、
「あいつは蛇《へび》のような眼の男だ、あいつに見こまれたらおしまいだ、研修を終って技手になっても、上役にあいつがいたら同じことだ。たとえ技師になったって、上にあいつがいたらやっぱり睨《にら》まれるだろう」
そして木村はずっと静かな調子でいった。
「やっぱりおれは会社を止《や》める」
秋のおとずれは海からやってきた。土用波が岸壁に当ってくだけ散る音を聞いていると、かけ足でやってくる冬の海を感ずる。加藤文太郎は秋の海を見ながら、思いは日本海に飛んでいた。故郷の浜坂でも秋は山よりも一足先に海にやって来る。大陸からの風が強くなって秋は深まっていって、やがて季節風帯に飲みこまれてしまうと本格的な冬になるのだ。
海がすっかり秋のよそおいをこらしてから、ゆっくりと、山々に秋がおとずれる。
「おれは冬にならないうちに、おそらく会社をやめるだろう」
木村敏夫は加藤文太郎にいった。
木村の心は、会社から遠く離れていた。木村をそうしたのは影村であり、影村と木村との間は、もうどうにもならない状態にあることを加藤はよく知っていた。
(ふたりはにくみ合っているのだ)
加藤は木村の方をちらっと見た。木村は会社が終ると、食堂にはいかずに、真《まっ》直《す》ぐに寮に帰って来たままだった。二寮五号室には、加藤と木村の勉強机が窓側に並んで置いてあった。木村は勉強机に向ってしきりに烏口《からすぐち》を磨《と》いでいた。
その日の午後、影村教官は烏口の磨ぎ方が悪いといって木村をひどく叱《しか》った。きさまは、とても設計技師などになれる見込みがないから、今直《す》ぐ故郷に帰って、こやし桶でも担いで歩くがいいと、木村を面《めん》罵《ば》した。
烏口の磨ぎ方はむずかしかった。油砥石《あぶらといし》で根気よく時間をかけて素直に磨がねばならない。刃先が合うようにするどく磨ぎ上げないと墨の乗り具合が悪くなるし、そうかといって磨ぎ過ぎると、製図用のクロスを切断してしまうことにもなりかねない。
設計技師になる段階の一つとして、製図はもっとも必要な学科だった。
「烏口は製図工にとっては武士の刀のようなものだ」
影村は製図用具に対する心がまえとして、そんなふうなことをいった。研修生は懸命に烏口を磨ぎ、磨ぎ上げたものを机の上に並べて影村教官の検閲を待った。そうするのが影村の製図の時間の風習だった。木村の磨ぎ方は悪かったには違いないが、ことさら木村だけが叱られるほど悪くはなかった。誰が磨いでも、影村の気に入るようにはできない。こういう仕事には完全だという基準点がなかった。そこに主観が立入る余地は充分にあった。同じように時間をかけて磨いだ烏口に対して、それを磨いだ研修生が、影村の気に入りだったなら、よろしいというだろうし、気に入りでなかったならば、叱るに違いない。
木村は一生懸命になって烏口を磨いでいた。影村から叱られたから、明日の製図の時間には、ほめられるように、しっかり磨いでいこうというのではないことは、木村の顔つきから明らかだった。その一生懸命さが、なにか武器でも磨ぐ一生懸命さに見えた。木村は明らかに怒っていた。怒りをその小さい、銀色に磨ぐ烏口に向けていた。磨ぐことによって、怒りをやわらげようとするふうでもあった。木村の眼は烏口にそそがれていたが、眼を支配する心は別のものを見ているようだった。手は義務的に前後に動いて、いたずらに金属の磨《ま》耗《もう》を促進しているもののようだった。そんなふうな磨ぎ方をしていると、片べりになる可能性がある。少し磨いでは、刃先を明るいところに向けて見てはまた磨ぎ進むというのが常道である。木村の動作は異常だった。磨ぎ方だけでなく彼の眼つきはそれ以上に常軌を逸したものに見えた。
加藤文太郎は黙っていた。いっても無駄《むだ》なことだった。木村をこのようにさせたのは、影村が悪いのだ。影村の偏執的な木村に対する憎《ぞう》悪《お》が、木村になにかの謀《む》叛《ほん》をくわだてさせようとしているかのように見えた。
加藤は自分の机に坐《すわ》って、彼もまた烏口を磨ぎ出した。木村と並んで、その単調な動作を始めると、木村のいかりが加藤に乗り移ったように、加藤もまた、あたりまえでない烏口の磨ぎ方を始めたのである。それでも加藤のいかりは、木村から伝染したいかりであり、直接的なものではないから、彼の磨ぎ方にはいくらかの余裕があった。加藤は、製図用のクロスをひと引きで真二つにするように、その烏口を鋭く磨ぎ上げようと思った。製図用クロスにT型定規《じょうぎ》を置いて、それにそって、真一文字に線を入れると、クロスが見事に二つに切断される快味を想像しながら磨いだ。
「加藤、なにをするつもりなんだ」
木村がいった。木村も加藤の磨ぎ方が普通でないことを知ったのである。
「これでクロスを切断してやりたいんだ」
「ばかな真似《まね》はやめろ。犠牲はおれひとりでいいんだ」
犠牲だと、と加藤は烏口を磨ぐ手をやめて木村の顔を見上げた。間違いなく木村はなにかやるつもりだなと思った。ひょっとすると影村に、鋭く磨いだ烏口の先を向けるつもりかも知れない。そんなことをすればたいへんだと思った。
「おい木村、きみこそばかなことを考えているんじゃあないか。だいたい影村なんて奴《やつ》は相手にしなけりゃあいいんだ。影村は烏口の磨ぎ方をうるさくいうけれど、あいつが仕事に使っている烏口をおれたちに一度だって見せたことがない。おれは、この次の時間に、そのことを影村にいうつもりなんだ。あいつが、おれの磨いだこの烏口にけちをつけた途端に、影村先生、先生の烏口を見せていただけませんかといってやるんだ。影村の烏口だって、おれたちの烏口だって、そう磨ぎ方に違いはないと思うんだ。おれたちはもう、一年半も烏口磨ぎをさせられているんだからな」
加藤はそこまでいってから、木村の表情が突然変ったのに気がついた。木村は、磨ぎかけた烏口をそこに置くと、新しい敵に対して構えを取り直したような眼つきでなにかを考えだした。加藤がいくら話しかけても答えなかった。
翌日の午前中の外山三郎の機械工学の授業が終ったあとで、木村は外山三郎に面倒臭い質問をした。
「一緒にぼくの部屋へいこう。わかるように教えてやろう」
外山三郎は木村の質問が、彼の教えている機械工学とはかけはなれた、船体に関することだったので、彼の設計室につれていって、よく教えてやろうといったのである。外山は研修生から面倒な質問を受けると、よく彼の部屋へ連れていく例になっていた。
「じゃあ昼休みにいきます」
木村はそういってぺこりと頭を下げた。
「昼休みか、昼休みでもいいが」
外山三郎は、木村がなぜいますぐ来ないで昼休みに来るのか疑問に思いながら、木村のうしろ姿を見送った。
木村は設計室の外山三郎のところにやって来ると、ポケットから烏口を取出して、昼休み中で誰もいない設計室をひとわたり見廻してからいった。
「先生この烏口の磨ぎ方は悪いですか」
どれといって外山はその烏口を取って光に当てた。よく磨ぎこんであった。
「いいじゃあないかな、このくらいで」
「影村先生はこれではいけないっていうんです。ぼくは一度でいいから影村先生の烏口を見たいと思うんですが見せていただけないでしょうか」
直接影村技師に、見せて下さいといえばいいのにそういえないのかねと、外山は笑いながら木村にいった。外山は研修生たちが影村をこわがっていることをよく承知していたから、木村を影村の机のところにつれていって、机の上の製図用具の箱から烏口を取ると、
「さあよく見るがいい、どこかきみたちのものとは違う筈《はず》だ」
外山は影村の烏口を木村に渡しながらいった。木村は影村の烏口を持って窓側に寄っていって、自分の持って来た烏口と比較しながら熱心に見入っていた。
「やはり違います」
そういって影村の烏口を、机の上に置くと、どうも有難《ありがと》うございましたと、外山に頭を下げた。
「きみ、船体のことで質問に来たのじゃあないのかね」
「いえ、もういいんです」
木村はなにかそわそわした態度で設計室を出ていった。
影村の製図の時間は午後の第一時間目だった。影村は授業の始まる前、いつものとおり製図用具の点検をやるから、机の上に揃《そろ》えるようにいった。
影村は、すべての研修生が予期していたように、木村敏夫のところで、烏口の磨ぎ方を調べてから、大きな声で怒鳴った。
「なんだ、こんな磨ぎ方ってあるか。いつまでたってもこんな磨ぎ方しかできないなら、ここをやめて、故郷へ帰れ、だいたいきさまは能がないんだ」
その答えを待っていたように木村が立上った。立上るというよりも、席からとび上って身構えるようにしていった。
「影村先生、その烏口をよく見て下さい。それはあなたの烏口です。先生はあなた自身が能がないということを証明したのです」
木村はそういい終ると、あわてている影村をそこに残して教室を出ていった。
「木村と同じ部屋にいるものは誰《だれ》だ、すぐ木村を呼んでこい」
影村が眉《み》間《けん》の辺りに青筋を立てて怒鳴るのを見ながら、加藤文太郎はゆっくり席を離れた。
寮に帰ると、木村は信玄袋をかついで部屋を出るところだった。
「あとで布《ふ》団《とん》を送り返してくれよ。きみにはいろいろ迷惑かけたけれど、あの影村がこの会社にいるかぎり、おれはここにいるのがいやなんだ」
加藤は、木村と一緒に寮の門を出た。そのまま彼と二人で汽車に乗り、故郷の浜坂に帰りたい気持でいっぱいだった。
加藤文太郎は憂鬱《ゆううつ》な秋を迎え、やがて冬を迎えた。木村敏夫が去ってから加藤は、淋《さび》しい毎日を送っていた。ピンポン室にもほとんど顔を見せなかった。彼は会社がひけると寮に帰って本を読んでいるか、時折海岸に出て海を眺めていた。加藤はそれまでも無口だったが、木村敏夫が会社を去った日の午後、しょんぼり帰って来た彼を影村一夫がひどく痛めつけて以来、加藤は徹底的な無口となった。
「きさまは木村を迎えに行ったのではなくて送りにいったのだろう。どうせきさまも、木村とぐるになって、おれの烏口を設計室から盗み出したんだろう」
影村は木村に対する鬱憤《うっぷん》を加藤に向って叩《たた》きつけた。しかし、なにをいっても加藤は黙っていた。全く知らないことだった。どうして木村が影村の烏口を持ち出していたのか、加藤の知らないことだったが、その動機については加藤には思い当ることがないではなかった。影村の使っている烏口を見たいといったのは木村ではなくて加藤だった。
「おい加藤、返事をしないのは、おれのいうことが気にくわないからなのか。もし不満があったら、きさまも、布団を担いで浜坂へ帰るんだな」
影村が浜坂といったとき加藤の眼が光った。加藤の出身地を影村がなぜ知っているのだろうか。出身地まで知っているということは、それだけ、影村が加藤のことを深く見ていることだった。それは決していいことだとは考えられなかった。見方をかえれば、影村に眼をつけられたことになり、いつかは第二の木村敏夫にもなりかねない運命を背負わせようとしているふうにも思われてならなかった。
加藤は研修生仲間の噂《うわさ》を聞いていた。毎年の脱落者は例外なく影村に睨《にら》まれた者たちであった。影村に一度睨まれると、いかにあがいても、もうどうにもならないのだといわれていた。影村は寮の窓の外にしのびよって研修生たちの話を盗み聞きしたり、研修生たちの中へスパイを置いたりするなどという噂さえあった。
影村は加藤に坐れとはいわなかった。彼の授業が終るまで立たせたままで教室を出ていった。その次の時間は外山三郎だった。彼は二十分遅れて教室に入って来た。外山は蒼白《そうはく》な顔をしていた。
「加藤君、木村君はほんとうに寮を出ていったのかね」
外山三郎は加藤に聞いてから、どういうふうにして木村が影村の烏口を設計室から無断で持出したかを説明した。
「ぼくがうっかりしていたからいけないんだ。責任はぼくにある。影村技師にはぼくからよく謝ってあるから君たちが心配することはない」
外山は授業を始めたが、この事件が頭の中にあるらしく、いつになく元気がなかった。
木村敏夫事件はそれで終ったが、影村の木村に対する憎しみは、そのまま加藤に転《てん》嫁《か》されたようだった。それは、加藤だけではなく研修生全体にも感じられた。影村は授業中に突然暗い顔になることがある。絶望の淵《ふち》に立たされたような顔をして教壇に立ちすくんで、なにかに対して、はっきりと心の抵抗をこころみるような顔をする。そして、次の瞬間、ものすごく陰惨な視線を教室の誰かに向けるのである。加藤はその視線をいつでも受止めねばならなかった。がっちり受けとめてけっして眼をそらさなかった。影村の眼から逃れたいときは、加藤もまた木村と同じように、この会社から去らねばならないと思っていた。会社には別に未練はなかった。浜坂の家へ帰っても、叱られる心配はなかった。父も兄も、顔では怒っても、心では、末っ子の文太郎の帰って来たのを喜んで迎えるだろう。しかし、加藤は、影村の眼に反発した。その眼に負けることが癪《しゃく》だった。設計技師の夢を捨てたくないという気持よりも、影村に負けたくない気持が、加藤を支えていた。おそらく、将来、この造船会社にいる限り影村にはいじめつけられるだろうと思った。それを承知で、加藤は、この影村の陰険な眼と闘う決心を示していた。
大正十一年四月、加藤文太郎は研修三年生となると同時に、彼の部屋に同僚が一人入って来た。新納友明は、加藤より二つ年上だった。小学校の高等科を卒業して、研修所には入らず、直接、工員として造船所に勤務するかたわら、勉強して部内の編入試験に合格して、三年に入って来たのである。のっぽで色の黒いやせた男だった。愛《あい》想《そ》のいい男でいつもにこにこ笑っていた。
新納友明は会社の内部のことをいろいろと知っていた。要領のよさも、ちゃんと心得ていた。少年の域を脱して、すっかり大人になったような口をきき、また大人の真似をよくやる男だった。すべての人に愛される型の男で、つきあいも広く話題は豊富だった。
新納友明と同居するようになってから加藤文太郎の生活はまた少しばかり変った。しばらくすると、寮内における生活の主導権は新納が取るようになった。二つ年上で、会社に古く、しかも同県人であるということが、文句なしに加藤を屈伏させた。加藤は新納のいうとおりになった。新納のあとをついて廻《まわ》ればひどく愉快だった。
加藤は時には笑い顔を見せることもあった。
「なあ、加藤、お前地図遊びってことを知っているか」
新納友明がある夜加藤にいった。
「五万分の一の地図を八つに折ってな、その地図を片手に持って歩き廻るんだ。帰って来たら、その地図の上に歩いた道を赤鉛筆で引くんだ。毎週日曜日には、出かけて行くとして、一カ月で真赤になるところもあるし、中には、二つきかかっても三つきかかっても、いっこうに赤線が入らないところもできる。山なんかはそう簡単ではないからな」
新納は、彼の持物の中からその実例を出して示した。神戸の五万分の一の地図の、右下四分の一がほとんど赤く塗りつぶされていた。
「遊びには違いないが時間がかかって骨の折れる遊びだ。二、三人で競争するのもいいし、ひとりだって充分楽しめる遊びだ。面白《おもしろ》いぞ、どうだやって見る気があるか。地図を片手に一日歩き廻って帰って来るとひどく楽しい気持になれるものだ。まるで一週間たまった毒素が汗となっていっぺんに出てしまったような感じになれる」
新納友明はそれ以上特に、地図遊びを彼にすすめようとはしなかった。
「今度の日曜日におれは明《あか》石《し》に行って明石川を上流に向って歩いて見たいと思っている。よかったら一緒に行かないか」
加藤はその計画に参加することを同意した。新納は明石付近の五万分の一の地図を暇さえあれば眺《なが》めていた。時折、黒鉛筆で地図に符号を書きこんだりしていた。同じ地図を飽きもせず、毎晩毎晩眺めている新納の努力が加藤にわからないことはなかった。地図遊びに出発する前に、地図を空暗記するほどよく研究して置けば、道にも迷わないだろうし、いちいち人に訊《き》かないでもいいだろう。地図を何枚か張り合せるのは、遠くの地形を見るためだろうと思った。加藤も新納の真似をした。地図を眺めているのは愉快だった。じっと地形を見ていると、そこに山が盛り上って見えて来たり、音を立てて川が流れているのが見えるような気がした。針葉樹の印のあるところには赤松の幹が見え、濶葉樹《かつようじゅ》のマークのところには、眼を奪うような新緑のクヌギ林やナラの木の林が見えた。
「こうしていると、地形が見えて来るだろう。地図が地図でなく、写真のように見えて来るだろう」
新納が加藤に笑いかけた。
その夜加藤は眠りにつく前に、はっきりと明石川を眼に浮べた。それは悠々《ゆうゆう》と流れる大河だった。大河に沿っての風物は、すべて故郷の岸田川の流域とよく似ていた。山と山の間から流れ出た川は太古のままの静けさを持続しながら海に消えていく。その河口の光景までも故郷のそれと同じだった。
翌朝早く寮を出て二人は汽車に乗った。その出発からして加藤には異様なものだった。汽車は西に走るのに、なんだか東に向って走っているような錯覚に襲われた。明石駅についても、その地理的倒錯は直らなかった。
加藤は新納の後をついて歩きながらおそらく、新納は明石にはもう何回か来た経験があるに違いないと思った。新納は誰にも聞かずに、明石川のほとりに加藤をつれていったのである。
「明石は初めてではないでしょうね」
加藤は念を押すように新納に聞いた。
「いや初めてさ、なぜ」
新納の眼には嘘《うそ》はなかった。加藤は思わず赤い顔をした。おそらく、加藤ひとりでは、一度も人に道を聞かず、地図もろくろく見ずにここまで来られないだろうと思ったからである。
明石川の風景は加藤の想像していたものとはかけ離れていた。山と川と畑と人家とばらばらにして見れば似ているけれども、組立てた景色は全然違っていた。明石川は全体的に明るく華やかに見えた。故郷の落着いた流れをそこに求めようとしても無理だった。
地図を覚えていたつもりでも、なんにも覚えていなかったし、地図と現実とを合わせて見ても、想像していた地形とは違っていた。結局、加藤が地図で知り得ていたことは、そこに川が流れているという事実以外にはなにものもなかった。
加藤は改めて、新納の顔を見直した。いつも軽口を叩いている新納友明が、すぐれた人間に見えた。なにか深遠なものを内部にたくわえているように思われた。友人として上位にすえるに充分な人間であると思われた。
「新納さん、地図が読めるようになるにはずい分かかったでしょう」
しかし、新納は、たいしてもったいぶった顔もせず、
「なあに、ただ地図を片手に歩いているうちに地図の見方を覚えてしまったんだ。もっともこういう遊びのあることや、地図の見方の基礎はうちの会社の外山さんに教わったんだがね」
「外山技師ですか、あの外山三郎技師……」
加藤は思わず大きな声を出した。外山が山に行かないかと誘ってくれたのは丁度一年前だった。
加藤は時々教場で彼に向って笑いかけて来る外山三郎の顔を思い出しながら、もう一度外山技師に山に行こうとすすめられたら、二つ返事ででかけるだろうかどうかを考えて見た。
「外山さんはいい人だよ。あの人がいるから研修生はずい分助かるんだ」
新納がいった。
加藤は大きく何かうなずいた。うなずきながら、外山三郎の端麗な顔と陰険な影村一夫の顔とを心の中で二重に見詰めていた。
「さあ、これからはただ歩くだけなんだ、いそがずに休まずに、歩きつづけるのだ」
新納が先に立って歩き出した。
製図にもっとも力を入れて教育されている研修生たちにとって、夏は苦しかった。額から流れ落ちる汗は鉢《はち》巻《ま》きをして防ぐことができても腕ににじみ出して来る汗はどうすることもできなかった。それでも研修生たちは図を書かねばならない。それが彼《かれ》等《ら》に与えられた仕事であるとあきらめていても、烏口《からすぐち》を持つ手ににじみ出て来る汗を見つめていると、なんのためにこんなところに来たのかとせつなくなることがある。
影村教官はこの暑熱の中に、いささかも手をゆるめようとはしなかった。暑さに負けるのは勉強に身が入っていないからだという、彼の持論を研修生たちにおしつけようとしていた。
「泳ぎたい」
と彼等は、通風の悪い教室の窓から白い空を見ながらためいきをついた。彼等は神港造船所技術研修生という特殊な教育機関の一員ではあるが、広義に解釈すれば生徒であることに間違いがなかった。生徒であるならば、少々の暑中休暇を与えられてもいいし、それは認められないとしても、たまには水泳にでもつれていって貰《もら》いたいという希望を持っていた。しかし、これを口に出すものはいなかった。学校と会社の研修所との違いはこんなところにはっきりと現われていた。彼等は、口ではぶうぶう言いながらも、教官が教室に入って来ると、なんの不平も不満もございません、私たちは勉強だけが生命ですという顔をしていた。
「ひどいな、この暑さは、この教室はまた特にきびしい、これじゃあ勉強は頭に入らないだろう」
そう言ったのは外山教官だった。彼は気の毒そうに研修生たちの顔を一人一人見廻していたが、その眼を加藤文太郎のところで止めると、
「加藤君、きみは浜坂の出身だからこういう日は勉強よりも海で泳ぎたいだろう」
と笑いかけてから、すぐまじめな顔に戻《もど》って、どのぐらい泳げるかと訊いた。
「泳げといわれたら一日中でも泳いでいることができます」
加藤文太郎は立上ってはっきり答えた。
「一日中……」
外山はびっくりしたような顔をした。どのくらいかと彼が聞いたのは、耐泳時間ではなく、五十メートル、百メートル、一マイル、そんな遊泳距離を期待しながら問いかけたのにたいして一日中と、ほとんど想像もしなかった回答になったのに、いささかあわてた。外山がなるほどなるほどと自分自身に納得をおしつけながらうなずいているのも滑稽《こっけい》であった。
「そうだ君の家は漁業をやっているんだったね、それなら、きみが一日中泳ぐことができても不思議はない。ところできみ、もぐるほうはどうかね、潜水だよ、この方は一日中というわけにはいかないだろう」
研修生たちがどっと笑った。加藤はちょっと首を傾《かし》げて考えていたが、
「やって見ないとわかりません」
と答えた。
「ぼくも些《いささ》か潜水には自信があるんだがね、どうだみんなで海へでかけようか。こういう日には、思い切って、海へ出た方が身体《からだ》のためにいい」
外山三郎はなにを思ったか、授業をやらずに教室を出ると、ものの十分もして、にこにこしながら引返して来て言った。
「午後は水泳だ。水着の用意をして午後一時に寮の前に集合すること」
研修生たちはどっと声を上げた。声を上げてからすぐまわりを見廻した。彼等は外山教官の思いやりのある処置に対して喜びながらも反射的に影村を代表とする一部教官の冷酷な面を思い出したのである。このままで済むわけがない。彼等は本能的に、悪い結果を予想した。
海は郷愁に満ちていた。加藤文太郎は沖に向って泳いでいた。やわらかく、ほのあたたかい海水の感触は母の思い出を呼んだ。一日中だって泳いでいられると答えたとおり、このままアメリカまで泳いでいけと言われれば泳いでいけそうな気がした。
メガホンで呼ぶ声が聞えるのでふりかえると、見張り台の上から監視員が引き返せと怒鳴っていた。海水浴場の区域外に泳ぎ出たために注意されたのである。加藤は海水浴場のせまさに不満をいだいた。
(ばかばかしい、海に境があるものか)
みんなの泳いでいるところに帰って来ると、競泳をやろうという話が出たところだった。
外山は白い線の幾本か入った帽子をかぶっていた。泳跡を立てながら、クロールで泳ぐ彼の様子から見ると、学生時代に本格的な水泳をやったことが想像された。加藤は外山の泳ぎっぷりを見ながら、
(あれはプールの泳ぎ方だ。海の泳ぎ方ではないぞ)
と父が言ったことばを思い出していた。
「さあ、用意はいいかな」
外山は肩ならしが終って海からあがると、研修生たちが立てて来た旗竿《はたざお》の間隔を眼で測りながら、研修生たちの中から競泳に加わることのできるものを数名選び出して二組に分けた。加藤と外山がそれぞれの組の大将格となって競泳が始まった。
勝負は外山組の圧倒的な勝利となって終った。その次が潜水の個人競技だった。外山と加藤は赤旗に向って並んだ。審判役を引き受けた新納友明が出発の合図の手をたたいた。ふたりは水中に没し、やがて予定した時間に予定したところに外山がまず頭を出した。
「加藤が勝ったぞ」
研修生たちは手をたたいて喜んだが、その顔は、やがて不安な色に塗りかえられていった。水中に没した加藤の姿はなかなか浮き上って来ないのである。いくら加藤が潜水がうまくとも赤旗を越えることはむずかしいと思われる。加藤になにかがあったとすれば、その途中である。外山三郎の顔色が変った。
彼は今日の責任者である。暑さにうだっている技術研修生を海につれていってやりたいと、研修責任者の設計部長に願い出て、その許可を取ったのも、外山である。間違いがあったらたいへんなことになる。外山はなにか叫び声を上げようとした。その時である。全く意外なところに、加藤がぽっかり浮び上った。予定された赤旗と赤旗の距離を三倍にも延ばした海中に浮び上った加藤は、勝利を誇称するかのようにしきりに手を振っていた。
「加藤君、きみはやはり海の子だ」
外山は賞品の大スイカを加藤に与えながら、彼の卓抜した泳技を誉《ほ》めた。加藤の貰ったスイカはその場で割られてみんなに配られた。加藤はスイカを食べながら海とは離れられないのだなと思った。父もその父も、そのまた父も海に生きて来たのだ。おれは骨の髄から海の男なのだ。神港造船所に入ったのも、船を設計する技師になり、やがては自分が設計した船に乗って七つの海に出ていく。それが夢だったのではなかろうか。
海からはさわやかな恒風があった。浜坂の海岸に坐《すわ》っていても、やはり、海から陸へ向って風は吹いて来る。そして、夕靄《ゆうもや》が水平線に立ち込める頃《ころ》になると、この風はぴたりとやんで凪《なぎ》になる。やがて夜のおとずれとともに風は陸から海に向って吹き出すのだ。それが海の生理であり、日本海でも太平洋岸でも違ってはいないのだ。加藤はそのままの姿勢でいつまでも海を眺めていたかった。彼等がすばらしい午後の時間を終って寮にかえると、そこには驚くべき事実が待っていた。影村教官が指導主任になったというニュースをもたらしたのは、研修生の最上級生の野口だった。
「おれたちは五年生だ。もうすぐ卒業だからいいが、きみたちはたいへんだな」
野口がたいへんだなといった言葉の中には痛々しいほどの多くの示唆《しさ》が含まれていた。
「外山さんではなかったのか」
加藤は新納友明にいった。
「会社が、研修指導主任という役職を作るということは前から聞いていた。候補に外山技師と影村技師があげられていたこともわかっていたんだ」
「なぜ会社は外山さんを指導主任にしないんだ」
加藤は新納につっかかるようなもののいい方をした。
「外山さんは近く課長になるという噂《うわさ》がある。それにな、会社はおれたちをしめつける目的で指導主任を作ったのだ。今までは研修責任者は設計部長ということになっていたが、それでは生ぬるいから、指導主任という名の班長を作ったのだ。なあ加藤、おれたちは会社の道具となるべき教育を受けているんだぜ、会社は人間を作ろうなんて考えてやあしない。すべて会社の利益に結びつく道具としての人間を作り出すための研修所なんだ。だから影村を指導主任にしたのだ。あの残忍な眼で睨《にら》まれたら、道具は光る、中身はどうであっても、表面はぴかぴかに光って見えてくるだろう」
新納は最後の方で影村と呼びすてにした。はき出すようないい方だった。あきらめ切れない憎《ぞう》悪《お》を自分自身に向けようとする皮肉でもあった。
大正十一年十一月十七日――その日、加藤文太郎はいつもより一時間も早く起き出して、海岸へ走った。
薄曇りの空の下に海は憂鬱《ゆううつ》な表情を浮べていた。アインシュタイン博士を乗せた北野丸らしき船は見えなかった。来ておれば、和田《わだ》岬《みさき》に投錨《とうびょう》しているはずであった。
彼は岸壁に坐って一時間待ったが北野丸は見えなかった。新聞によると、もうそろそろ入港して来てもよさそうな時間だったが、それまで待つこともできなかった。
「北野丸はいたか」
寮にかえると新納が言った。
「いや、まだ見えない」
「まあいいさ、来ることには間違いないんだから、それにな加藤、今日午後の二時間目の堀田先生の熱機関の時間は自習になるかも知れないぞ、先生は出張中だ」
新納は加藤の眼を見てずるそうに笑った。自習の時間中に、こっそり抜け出す手もあるぞという暗示だった。自習の時間はごくまれにあった。名目は自習時間であるが、或《あ》る程度の自由は認められていた。彼等は家に手紙を書いたり、こっそり教室を抜け出して、アンパンを買いにいったりした。
「そうだといいがな。一目でいいから、アインシュタイン博士の乗って来た北野丸を見たい」
「おれはちごうぞ、おれはほんもののアインシュタイン博士を見に行くんだ」
新納友明は昂然《こうぜん》と言った。
「見に行くってきみどこへ見に行くんだ、まさか研修所を抜け出して神戸の埠《ふ》頭《とう》まで行くわけにもいくまい」
「頭を使うんだ、頭をな、今朝の新聞を見るとアインシュタイン博士の予定が書いてある。午後三時上陸、午後七時七分三宮《さんのみや》発の列車で博士は京都に向う。おれたちの授業が終るのは四時だ、七時までには充分時間がある、三宮の駅で博士を見ることはできるわけだ」
加藤はなるほどとうなずいた。新納は智恵《ちえ》者《しゃ》だ。なににつけても彼の考えには、具体性がある。
加藤はアインシュタイン博士が世界一の科学者であることを知っていた。アインシュタイン博士の相対性原理というのが、非常にむずかしい理論であり、これを完全に理解する学者は日本に数人しかいないということも知っていた。偉大な科学者であり、音楽に造詣《ぞうけい》が深く、日本にやって来るのも、日本の古い芸術に接したいのが目的であるという新聞記事を読んだ。しかし加藤がアインシュタイン博士を一目でも見たいと思うのは、偉人にたいする、尊敬と憧憬《どうけい》だけではなかった。加藤が博士に心を惹《ひ》かれたのは、博士が上海《シャンハイ》に滞在中の言動を新聞で知ったからである。アインシュタイン博士は、上海を見物して廻《まわ》ったとき、不潔な場所と目される細民街にひどく興味深げに眼を投げた。
「博士、この辺は上海においてももっとも不潔な場所でありますから……」
案内者は博士にその場から立去るように言ったが博士は動かなかった。
「なにが不潔なのだ、私にはなにひとつとして不潔には見えない。人間のもっとも自然な姿の表現をなぜ不潔と呼ばねばならないのだろうか」
博士は案内者に向ってはっきりと抗議した。
加藤文太郎はこの記事に心をうたれた。加藤は上海を知らない。その不潔な場所がどんなところかを想像することもできなかったが、新聞に報道された一面によって、アインシュタイン博士が世界一の大科学者であるとするよりも、もっとも人間愛に富んだ人のように思われてならなかった。彼はアインシュタイン博士を一目見たかった。血のかよっている彼の顔から、眼からほんのかけらほどでもいいから、光となるものを与えて貰いたかった。
午後の堀田技師の時間は新納友明の予想どおり休講となり、自習時間となった。
「おい、加藤、北野丸はもう和田岬に投錨しているぞ」
新納がにやりと笑って言った。
加藤は、机の上に熱機関の参考書とノートを並べて席を立った。教室を出るときには静かだったが、ひとたび外へ出ると、力いっぱい海岸へ向って走った。薄日のさしかける海の上に北野丸が浮んでいた。もうそこに何年間もじっとそうしているように悠々とかまえている北野丸に向って、神戸の埠頭からランチが二隻《せき》近づきつつあるところだった。一隻のランチの中には華やかな色彩があった。加藤はそれを、アインシュタイン博士を迎えにいく学者群と博士に花束をささげる女性たちであろうと見ていた。もう一隻のランチはなにか騒然としていた。時折ちかちか光るのはカメラを持った新聞記者が乗りこんでいるようでもあった。ランチはやがて北野丸の巨体のかげになった。ランチを飲みこんだ北野丸は晩秋の空の下に薄い煙を吐いていた。
「どうだ、アインシュタイン博士を見たか」
その結果がどうだったかを知り切っている新納友明は、加藤にそんなからかい方をした。
「いいか、加藤、夕食を待っていると七時までに三宮へ行くことはできなくなるから、その前に寮を出るのだぞ、なあに、三宮でパンをかじればいいさ」
三宮のプラットフォームに突立ってパンをかじっていると、なんとなく薄ら寒かった。しかし加藤は、間もなく現われるであろうアインシュタイン博士のことを考えると胸がおどった。
「改札口あたりは混雑して駄目《だめ》だ、やはり、プラットフォームで待っているのがいい、きっと博士は列車に乗りこんだら、デッキに立って送って来た人たちに手を振るに違いない。その時よっく顔を見るのだ」
アインシュタイン博士の一行は、多くの人たちにかこまれて発車間《ま》際《ぎわ》に現われた。博士を取り巻く集団は、はたから人の近づくことを許さないほど緊密だった。博士は車上の人となった。新納の予想ははずれて、博士は映画俳優のやるように、デッキで手などは振らなかった。ふたりは列車に乗りこむ博士のうしろ姿をちらっと見たにすぎなかった。
「おい、この列車に乗って京都までいくんだ」
新納が言った。予想がはずれた新納は、同じ列車で京都まで行って、そこで博士を見ようと考えたのである。ふたりは動きだした列車に飛び乗って、席には坐らずにデッキに立っていた。京都につくと、ふたりはすぐプラットフォームに飛びおりて、博士の一行が乗っている車輛《しゃりょう》の方へ走った。
加藤は列車からおりる博士をはっきり見た。博士は足元を見ていた。帽子をかぶってうつむいたまま列車をおりて来る博士の顔は、彼がそれまで新聞で見ていた、童顔の博士の顔ではなく、なにか憂鬱そうだった。博士はすぐ群衆に取りかこまれ、まるで拉致《らち》される人のように駅からつれ出され、自動車に乗せられた。
「こうなったら都ホテルに行くしかないぜ、博士はバルコニーに現われて、われわれにきっと手を振って挨拶《あいさつ》してくれるはずだ」
新納友明は、今度こそ間違いないぞという顔だった。
京都は深夜のように静かだった。アインシュタイン博士を飲みこんだ都ホテルの周辺には、博士の挨拶を期待して集まって来る人はいなかった。新納と加藤は、ホテルの明るい窓を見上げながら茫然《ぼうぜん》と立っていた。万が一博士が窓から顔を出すかも知れないという期待もむなしかった。突立って窓を見上げているふたりを、サーベルを下げた巡査がうさん臭そうな眼で見て通っていた。
「帰ろうか」
新納が言った。ふたりは肩を並べ、だまりこくって京都の駅の方へ歩いていった。神戸について寮へ帰る途中で、屋台の店で支那《しな》そばをいっぱいずつ食べた。新納が支払いをすませた。割勘でいこうと加藤が十銭の白銅貨を出しても新納は受取らなかった。
「すまなかったな加藤」
新納は頭を下げた。
「いいんだよ。きみのおかげでおれはアインシュタイン博士を見ることができたのだ」
加藤は京都駅で見たアインシュタイン博士のうつむいた顔を思い出していた。
翌日は土曜日だった。会社は四時まで仕事はあるが研修生は午後二時以後は自由になれる。指導主任の影村から、加藤と新納が研修所事務室に呼び出されたのは授業が終ってすぐだった。
「昨夜《ゆうべ》きみたちは窓から寮に入ったろう」
きみたちはといいながら、影村の眼は加藤を見ていた。帰寮時間に遅れた理由は聞こうともしなかった。彼は規則をたてに取って叱《しか》った。きみたちとかきさまたちとかいいながら、その対象は加藤ひとりであった。新納の方が年が上であるのに新納は問題にしなかった。
「だいたいきさまは根性がまがっているぞ、きさまは叱られると、すぐふくれっつらをする。きさまの心もそうなんだ、しょっちゅう、おれに向って不平を持っているからそういう顔になるのだ」
影村は加藤にはっきりいった。影村の青く光る眼の中には憎悪だけがあった。
「こんど帰寮時間がおくれてみろ馘《くび》だぞ」
そして影村は帰れとふたりに言った。
「心配するな、会社はおれたちをかんたんには馘にはしない。おれたちにはもう、かなりの金がかけてあるからな。気になるのは、あいつがスパイを使っていることだ。誰《だれ》かがあいつにおれたちのことを密告したのだ」
影村の叱責《しっせき》から放免された直後、新納はそう言って唾《つば》を吐いた。
加藤文太郎と新納友明との地図遊びはその後もつづけられていた。神戸近郊の五万分の一の地図にはふたりの歩いたルートが次々と記載されていた。加藤は地図になれた。未知の地形と対面する前に、彼は地図を見ることによって或る程度その地形を想像することができた。
「光を頭に入れて考えるといいのだ、太陽の位置によって地形は全然別のように見えるものだ……」
新納が言った。地形ではなく景色がというべきところを彼がわざとそう言ったのは、それだけの意味があった。新納は色鉛筆を使って、図上の地形をかげと日向《ひなた》に上手に塗り分ける技術を知っていた。そうすると平面的な地図が立体的に浮き上って見えてくる。
加藤はその真似《まね》をしなかった。それがたいへん意味のあることだとわかっていても、白い地図を色鉛筆で塗りつぶすことを加藤は好まなかった。
「馴《な》れてしまえば同じことだ」
加藤は強情をはった。理屈だとわかっていても加藤は地図を色で塗り分けることには頑《がん》固《こ》なくらい反対した。
「自分の都合のいいようにやればいいだけのことさ」
新納は地図を彩色することをそれ以上すすめようとはしなかった。
「きみたちはなにが面白《おもしろ》くて歩き廻るんだね」
加藤は友人にそう訊《き》かれたことがあった。せっかくの日曜日だから映画でも見にいけばいいのに、巻脚絆《まきぎゃはん》をはき、ルックザックをかついで歩き廻ってばかりいる、彼《かれ》等《ら》のことを友人たちは不思議な眼で眺《なが》めていた。
「ほんとうにぼくらはなにが面白くて歩き廻るんでしょうね」
神戸近郊の山を歩きながら、加藤は新納に聞いた。
「なにもないからさ」
新納の答えは意外だった。
「あと二年もすれば研修所を卒業する。一年か二年して技手になる。それだけだ、まずおれたちのように大学を出ないものは技師にはなれない、一生、同じような設計の仕事を続けるしかない、船の一小部品を、明けても暮れても図に書いて暮すだけのことだ」
将来のことと、地図遊びとはなんの関係もないことだった。新納の回答は飛躍し過ぎていたけれど、加藤には、新納の心の奥のものがなんであるかを読み取れるような気がしてならなかった。新納にかぎらず、研修生の上級になるに従って彼等の行く先が眼の前に見えて来る。彼等に与えられた人生という直線を延長してそれに時間をきざみこめば、何年何月に月給いくらになってなんの仕事をしているかまで予想ができそうだった。
「なんにもないんだ、生きていることだってたいして意味はないんだぜ」
そんなことをいう新納の眼は病的に光って見えた。
年を越えてから新納友明はなんとなく元気がなくなった。地図遊びもしなくなった。日曜日には疲れたと言って寝ていることが多くなった。二月になって彼は風邪を引いた。風邪は彼に執拗《しつよう》に取りついて離れなかった。新納は軽い咳《せき》をしつづけた。夕方になると、熱が出るのか赤い顔をしてふさぎこんでいた。三月のおわりから試験が始まったが、新納はその試験準備さえ大儀そうだった。加藤は夜おそくまで勉強していた。そんなとき、加藤は、額に汗をびっしょりかいて眠っている新納の顔を見て、ぞっとするような不安にかられることがあった。新納の机の上と加藤の机の上に、それぞれ別の新聞から切り抜いて額ぶちにおさめられたアインシュタイン博士の写真があった。アインシュタイン博士の表情も暗かった。
「新納君の身体《からだ》が悪いようです」
加藤は指導主任の影村のところに行って言った。
「どういうふうに悪いのだ。悪ければ悪いとなぜ本人が申し出て来ないのだ、風邪ぐらいで試験が受けられないということもあるまい」
影村は冷酷に突放して置いて、それでも帰りがけに加藤を呼びとめて、新納をすぐ嘱託医のところへ連れて行くように言った。
新納は肺結核であった。彼は荷物をまとめて、彼の故郷へ帰っていった。何人目かの犠牲者だった。それにしても新納の落《らく》伍《ご》はあまりにも急激だった。
その春加藤文太郎は四年生に進級した。新しい研修生を迎えた入所式の時、一年生から五年生までの代表者が、それぞれ、進級の挨拶を会社幹部の前で行う習慣になっていた。
加藤文太郎は四年生の代表として選ばれた。影村は加藤を研修所事務室に呼んでそのことを伝えてから言った。
「きさまは試験の点数かせぎだけはうまいな」
お目出とうとも、よくやったとも言わなかった。むしろ、加藤が四年の代表に選ばれたことが、憎らしくてたまらないという顔だった。加藤は四年生十八名中一番の成績であった。加藤はその栄誉を不思議なもののように思っていた。一年、二年の成績は上から五番目か六番目であった。三年になってから急に成績が上昇したのは、同室の新納友明によるものが多かった。新納は地図遊びのほかに、勉強の要領を教えた。加藤のもっとも苦手としていた実験や実務を新納が援助した。工作実習の点数が伸びたのは全く新納のおかげだった。新納と組んで実験をすれば必ず上手なレポートが書けた。新納友明は工員上りであるからそのような実務実習には精通していたのである。
新納友明の病状が悪化したという通知を、加藤が受け取ったのはその夏の終りごろであった。加藤はその手紙を持って指導主任のところに休暇を貰《もら》いに行った。
「土曜日だけは休んでよろしい」
影村はひとことだけ言って、休暇申請願に印をおした。新納の家は青倉山のふもとにあった。姫路で播但線《ばんたんせん》に乗りかえて何時間か走って新井という駅で下車し、さらに一里余も歩いた山の中の小さい村だった。暗い家の奥の部屋に、新納は骨と皮ばかりになってまだ生きていた。
「来てくれたのか加藤、もう一日君の来るのがおそかったら多分おれは生きてはいなかったろう」
新納は彼の顔を見てそんなことを言った。既にあきらめきっている顔だったが、会社の話はしきりに聞きたがっていた。話す気力はなかった。天井を向いたままで加藤の話を聞いている新納の眼《め》はもう手の届かないほど遠くにいった人の眼であった。
「加藤、あの会社はやめた方がいいな、あの会社に影村がいるかぎり、君にとってはけっしていいことはないだろう」
加藤はいまごろになってなぜそんなことを新納がいうのかわからなかった。透きとおるように澄んだ新納の頭に将来が見えるのであろうか。
「いやおれはあの会社をやめないよ、影村がいるかぎりやめるものか」
加藤は憤然としていった。
「それでもいい……勝てばいいのだ……」
そして新納はしばらく休んでから、
「加藤、長いあいだ世話をかけたな」
その言葉が新納との事実上の訣別《けつべつ》だった。新納はそのまま深い眠りに入り、次の日曜日の朝、加藤がまだ眠っている間に息を引き取っていた。彼の死の瞬間に居合せた家族はいなかった。
加藤は郵便局まで走っていって影村あてに電報を打って、新納の死を報じ、葬式の終るまで休暇を延長して貰うようにたのんだ。
その日のうちに返電があった。一通は新納友明に対する弔電であり、一通は加藤に対する指示であった。
「ひとまず会社へもどれ」
加藤はその電報を手にしたまま涙をこらえていた。その電報を打った影村の顔がよく見えた。彼の冷酷な心の底がその電報に描き出されていた。加藤は会社員であるかぎり、いかなることがあっても会社の方針に従わねばならないことをよく知っていた。自由はそこにはない。あるのは、会社の道具として生長しつつある自分があるだけだった。
その村はせまい谷間の底にあった。両側の山もそう高い山ではなかったが、村の中心を小川が流れており、小川にそって両側にひらけている耕地と村のたたずまいは谷間の村にふさわしいおもむきを持っていた。
加藤は会社から来た影村の電報を新納の枕《まくら》元《もと》に置いて、彼に手を合わせてから、彼の家を後にした。加藤が新納の家を出てふりかえると、それを待っていたように山から霧がおりて来た。霧は、新納の霊魂を迎えに来たかのように、その手の先を器用に伸ばして、彼の家のそばの一本杉《いっぽんすぎ》にかけた。杉は梢《こずえ》の先から、霧の手にとらえられ、やがて、新納の生家が霧の中にかくれると、もうなにも見えなかった。霧の中から鶏の声がしたり、犬の声がした。それも人間世界のほかから聞えて来るもののようにさえ思われた。
加藤文太郎は霧の中を歩いていた。無性に悲しかった。いてもたってもおられないほど新納友明の死に腹が立った。なぜ新納は死なねばならなかったのだ。考えてもすぐ回答の得られるものではなかった。新納を死にいたらしめたのは病魔であって、会社でも、影村のせいでもないが、会社や影村が新納を死にいたらしめたように憎かった。影村を憎めばいく分か気も晴れた。
加藤は畜生め、畜生めといいながら霧の道を歩いていた。駅は意外なほどのはやさで眼の前に現われた。そこで一時間も待てば汽車は来る。しかし加藤はそこにはじっとしていなかった。彼は線路に沿った細い道を歩き出した。当てがあるわけではなかった。ただ歩きたかったのである。力いっぱい歩くと汗が出て来る。汗とともに怒りと悲しみが少しずつ放散されていくような気持だった。
(けっきょく新納は運が悪かったのだ)
それはごく平凡なあきらめ方だった。何パーセントは落伍するという予定のもとに消え去っていく者に対して、誰もが投げかける非情な弔意であった。
霧は、加藤の心と通じて、いつまでも晴れようとはしなかった。永劫《えいごう》に霽《は》れることのないような深い霧だった。夏のおわりだというのに秋のようにつめたい日であった。
加藤はひとりをつよく意識しながら歩いていた。木村敏夫とも別れ、また新納友明とは永久にさよならを言わねばならない運命を呪《のろ》った。
(おれはひとりになった)
そう思うと涙が出そうになる。加藤はそれをこらえた。泣くものか泣くものかと心にいいきかせながら霧の道をどこまでも歩いて行った。おれはひとりなんだ。彼はときどきそう叫んでいた。
静かな揺れ方だったが、揺れはすぐにはやまなかった。風がさわさわと竹やぶを渡っていくような音が聞えた。
外山三郎は黒板に抗力という字を書き終ったままの姿勢で、じっとしていた。立っている彼にも、その地震動は感じられたのである。
「地震だ!」
誰かが叫んだ。低い声だったが、恐怖に満ちた声だった。外へ飛び出すほど大きな地震ではないけれど、静かに長くつづくその揺れは、その地震がどこに起きたとも分らないだけに無気味なものだった。その声に応ずる者はなかった。研修生たちは一様に不安な顔をしながらそのゆるやかな振動のおわるのを待っていた。十秒そこそこの揺れだったが、二分にも三分にも長く感じられた。
地震は終った。外山三郎は、持っていたチョークをそこに置くと、研修生たちの方へ向き直って、ひどく厳粛な表情をしていった。
「海へ行くなよ、つなみがあるかも知れないからな」
そして外山は、研修生たちの礼を受けると、いつものように冗談をいったり、笑いかけたりはせずに、なにか緊張した顔をして教室を出ていった。
大正十二年九月一日土曜日の正午だった。研修生たちはなんとなく浮かない顔のままで食堂へ入っていった。彼等はいつもの土曜日とは比較にならないほどもの静かに食卓についた。
第二の地震があった、前よりも小さく、周期も短かった。歩いていればおそらく気がつかないほどの揺れだったが、地震がつづいて起っていることが、彼等の不安を大きくしたようだった。
「きっと大地震がどっかにあったのだ」
「外山先生がいったようにつなみが起るかも知れない」
「どこだろうな、ひょっとすると東京かも知れないぞ」
それらの話を聞きながら、加藤文太郎はだまって飯を食べていた。彼もまたどこかに大地震が起きたに違いないと思っていた。九州か四国か関東か北陸か或《ある》いは東北かそれらの何《いず》れかであっても、故郷の浜坂ではないと思いたかった。遠くの海の中で起った地震かも知れない。そうだとすれば、外山三郎のいうような津波があるかも知れない。加藤は頭と骨だけになったサンマの皿《さら》を前に置いて、この地震が日本の将来をひどく暗くするきっかけをつくるような気がしてならなかった。欧州戦争のあと、急速に不景気になっていく世相を彼はよく知っていた。彼は神戸市付近の労働組合員がのぼりを立てて市中行進をするのを何度か見ていた。各会社が馘首《かくしゅ》を始め、失業者が街にあふれていることも知っていた。
また地震があった。正午に感じた地震から数えて三つ目か四つ目であった。
「いったい日本はどうなるのだろう」
加藤はそんなことをつぶやいて、はっとした。そのことばと、地震とはなんのつながりもないことだったが、彼は地震によって感じとった不安と世の中の不安とを一つに考えていた。
「日本というよりもわれわれはどうなるのだと考えないのかね」
加藤の前の席で飯を食べていた金川義助がいった。加藤以外には聞えないように、声をおしころしていっただけになんとなく威力があった。金川も加藤と似てどちらかといえば無口の方だった。友人も少なく、こつこつと勉強する男で、成績もいつも上位にいた。青いやや神経質な顔をしていた。
「加藤、外へ出ようか」
金川は加藤にそういうと、やかんを引きよせて、うまそうにお茶を飲んだ。
「話を聞きにいかないか」
外へ出るとすぐ金川がいった。
「話?」
「そうだ、話というよりも話し合いなんだ。みんな若い真面目《まじめ》な者ばかりが集まって勉強をするのだ」
「勉強をね……」
加藤は金川の顔を見た。
(最近、主義者たちが勉強会と称してひそかに会合を開いて、新しい党員の獲得につとめている傾向が見られる。当社研修生はいかなることがあってもかかる勧誘に応じてはならない)
加藤はつい最近研修所の教室の入口にかかげられた一文をすぐ頭に浮べた。
「な、加藤、一緒にいかないかい、勉強になるぞ、おれたちの知らなかったことがいろいろと分って来るのだ」
「その勉強会はいつから始まるんだ」
「二時からだ、一緒に行こう」
金川は、加藤が時間を訊《き》いたので、急に乗り気になっていった。
「いや、よそう、おれは山へ行くことにしているのだ」
金川は、それが加藤の嘘《うそ》かほんとかを確かめるような眼で加藤の顔を見ていたが、それ以上勉強会へ出ようとはすすめずに、ただひとことつけ加えた。
「加藤、すまないけれど、おれがこんなこといったなんて、誰《だれ》にもいわないでくれないか」
急に哀願に変った金川の眼を加藤は気の毒そうに見ているだけだった。返事のかわりにしきりにうなずきながら、加藤は、友人の前で嘘をいったことを悔いていた。土曜日の午後近所の山へ登ることはちょいちょいあったが、別にどうしても登らねばならないことはなかった。いわば土曜日の山登りは、日曜日の地図遊びのための足ならしのようなものであった。加藤は、やや背を丸め気味にして去っていく金川にすまないことをしたと思った。誘われるままに勉強会にいったところで、そこが主義者の集まりだとは決っていないし、たとえ、主義者の集まりだったとしたら、いったいどうだっていうのだろうか。
(主義者ってなんだ、主義者は悪人なのであろうか)
それに答えるものを、彼はなにも持っていなかったが、少なくとも、主義者といわれている人たちが単なる悪人というかたちでほうむりさられるべき人たちではないことだけは、加藤も本能的に感じ取っていた。主義者がなにものであるかは、その主義者のやっている勉強会に入ればわかることなのだ。それなのに金川の勧誘を拒絶したのは――臆病《おくびょう》なのだとは思いたくないが、嘘までいって金川をさけたことが悔いられた。
(結局、おれはおおぜいの人の中に入って議論をやったり、理屈をこねたりすることがきらいなのだ)
加藤は部屋に帰ると、払い下げになった作業服にゲートルをつけて、壁の釘《くぎ》にかかっている麦藁帽《むぎわらぼう》子《し》に手をかけた。同じような帽子が、二つ並んでいた。一つはついこの間死んだばかりの新納友明の帽子だった。
帽子を手にとってから加藤は反射的に部屋の中を見《み》廻《まわ》した。彼のテーブルの上のアインシュタイン博士の写真が彼を見つめていた。
加藤は乗物が嫌《きら》いだった。同じ乗物でも船が好きなのになぜ汽車や電車やバスが嫌いなのだろうか、彼にはその理由がよく分らなかった。
おそらくそれは、まわりに人がおおぜいいるからだろう、彼自身はそのように理屈づけても、それではなぜ、人がいるところがいやなのかと尋ねられても答えられないだろうと思った。
高取山への登り坂にかかってからは、もうなにも考えなかった。彼は同じ歩調で、とっとと坂を登っていった。
(目的地につくまでは、休まないこと、立止ってもいけない、したがって歩調は、かなりゆっくりと、汗の出ないていどに歩きつづけること)
加藤は彼に歩き方の手ほどきを教えた新納友明のことを思い出しながら、高取山への道を歩いていた。高度が増すにつれて、立止って海を見おろしたいという誘惑があったが、彼はそれをおしのけながら一気に高取山の頂上の神社まで登った。
彼のその日の予定はそこまでだった。土曜日だというのに、ここへ来ている人が比較的少ないことは彼の気をよくさせた。彼は海の見えるところに腰をおろして、はじめて、腰につりさげてある手拭《てぬぐい》で額の汗をふいた。
海の表情は静かだった。外山教官が津波があるかも知れないといったような不安はどこにも感じられなかった。すでに津波があったようにも見えなかった。少なくとも、そこから見える範囲の神戸港は眠っているように見えた。一隻《せき》の外国船が港を出ていくところであり、その向うに淡路島がはっきりと全貌《ぜんぼう》を見せていた。いつもなら、煙霧に霞《かす》んでぼんやりと見えるのに、なぜ、今日はこんなによく見えるのだろうか、加藤はその異常な透明につらなる不安を感じた。やはり今日はどこかがなんとなくへんなのだ。会社の寮から、ここまで来る間もそうであって、これといってなにもないが、なにかいつもとは違う神戸がそこにあった。
加藤はそこにそうしてじっとしていることがこわくなった。不安のもとはお昼の地震だった。
「ひょっとすると浜坂が」
彼は自分のことばにはじかれたように坂を神戸の町に向ってかけおりていった。
加藤文太郎が号外の鈴の音を聞いたのは山をおりた直後だった。
関東大震災の発生とその後に起きたものは、加藤のみならず、あらゆる日本人に不安と焦《しょう》燥感《そうかん》を与えた。東京は全滅した。数十万人の人が死んだ。朝鮮人の暴動が起ったなどというデマが次から次と流れこんで来た。デマだと否定するよりも、そうかもしれないと相槌《あいづち》を打つ人の方が多かった。
甘粕大《あまかすたい》尉《い》が大杉栄《おおすぎさかえ》を殺して井戸にほうり込んだのは九月十六日であった。そのことが新聞に出た夕べの食堂で金川義助は加藤文太郎の前でサンマをつついていた。
「主義者だから殺されるのは当り前だ」
北村安春がいった。金川はそのことばを耳にするとサンマに伸ばした箸《はし》を止めた。止めた箸の先を加藤が見詰めていた。やがてふたりはおたがいの顔をたしかめ合うように見て、なにごともなかったように箸を動かし始めた。
「こう毎日サンマじゃあやり切れないな、なんでも、大地震のある年にはサンマがすごく取れるのだそうだ」
北村安春は主義者からサンマに話題をかえ、また東京大震災に話を持ちこんでいった。
主義者たちは震災を利用して革命を起そうとしたのだそうだとか、大杉栄がその主謀者だったとか、いい加減な出たらめをしゃべりながらも、北村は眼を周囲に配ることは忘れなかった。彼のそのくだらない放言も誰がどういう気持で聞いているかを探る眼であった。北村の話は奇妙なかたちで食堂の話題の中心になっていた。ほんとにそうなのかという顔で聞いているものもあり、明らかに不満を表わして聞いているものもあった。てんから無関心を示している者はごく少数だった。その中に金川と加藤がいた。
「外に出ようか、まだまだ暑いな」
金川がいった。加藤と金川はなんとなく連れ立って外へ出るのを、北村安春の眼が追っていた。
「おい加藤、北村はスパイだぜ」
ほとんど寄りそうようにして外へ出る時金川が加藤の耳につぶやいた。スパイってことばは新納友明が生きているときに聞いたことがあった。われわれ研修生の中にはスパイがいる。新納は時折そんなことをいった。それが誰だかは分らないがいることは確かで、それを使っているのは影村一夫であることも確実だといっていた。
「なぜスパイを置く必要があるのだ」
「彼《かれ》等《ら》はおそれているのだ、自分の影におびえているのだ、自分の影だということが分らないからスパイを置いて密告させ自分で自分の影に斬《き》りつけ、ついには自分自身をもきずつけてしもうことには気がついていないのだ」
金川のいったことは加藤にはよく分らなかった。しかし、金川がふと声を落して、
「加藤、うしろをふりかえるのではないぞ、そのままきみは海の方へまがれ、おれは真《まっ》直《す》ぐいく……」
といった言葉の意味はよく分った。誰かがうしろから尾行して来るのだ。加藤は海の方へ曲った。ひとりで夜の海を見るのもここしばらくはなかったことだった。彼は汐風《しおかぜ》に吹かれながら、埠《ふ》頭《とう》を歩いていた。
(このにおいを嗅《か》ぐとおれは泳ぎたくなる)
加藤は汐のにおいにつながるかずかずの思い出と共に明滅する漁火《いさりび》をながめながら、こんなふうに漁火がきらめく翌日はきっと天気が悪くなるのだと考えていた。
「加藤君じゃあないか」
北村安春は加藤と肩を並べて立っていながら、加藤の肩を叩《たた》いていった。
よそよそしい空気がふたりの間を流れていた。北村がしゃべらないかぎり加藤はいつまでも黙っていた。黙っていることにかけては、誰が来ようと加藤に勝つ者はなかった。たまりかねたように北村の方から話し出した。
「加藤君、東京はたいへんらしいな、あっちこっちで主義者が煽動《せんどう》して小さな暴動が起きているそうだ」
それはさっき食堂でいったことのむしかえしだった。
「神戸の主義者も動く気配があるのだそうだ」
急に声をおとして、加藤のはな先へ口をつき出すようにしていった。サンマの口臭がした。加藤はサンマが大好きだった。サンマに限らず、魚ならなんだって好きだった。飯のおかずだけでは満足できず、浜坂から送られて来る、干魚をひまさえあれば、ぼりぼり食べていた。それほど魚が好きな加藤でも、口臭となったサンマのにおいはけっして気持のいいものではなかった。彼は顔をしかめていった。
「君は主義者かね、ずいぶんくわしく主義者のことを知っているじゃあないか」
加藤の一言は北村を沈黙させるに充分だった。彼はあきらかに虚をつかれて狼狽《ろうばい》した。主義者の話のつづきに持ち出そうとたくらんでいたなにかが出せずに、いそいで、話をその問題からそらそうとする努力がこっけいなほど見えすいていた。北村はひとりでしゃべり、ひとりで相槌を打っていた。
「秋になると、一足とびに冬になる。いよいよ来年は五年生だな、来年の春も、おそらくきみが一番ということになるだろう。金川義助がいくら頑《がん》張《ば》ったってきみにはとてもかなわないからな」
加藤は北村の顔を覗《のぞ》きあげた。暗くてよく分らないが、彼は半ばはお世辞半ばはほんきでいっているらしかった。加藤は北村のことばのなかに金川義助をつけたしのように出したのがへんだと思った。金川は成績のいい方だったが、加藤と一、二を争うほどの秀才ではなかった。北村が金川を話の隅《すみ》の方に登場させたのは、北村が金川になにかの理由で大きな関心を示しているもののように考えられたからである。金川は北村のことをスパイといった。スパイだから、金川のことをなにかと探り出そうとしているのではなかろうか。
加藤はしきりに首をふった。
「どうしたんだ加藤、頭でもいたいのか」
「いや頭なんかいたくはないさ、ただおれはひとりでいたいんだ」
ひとりでねと北村はつぶやくようにいった。皮肉ではなく、ひとりでいたいと加藤がいい切ったことに或る種の感動と協賛を得て発したひとりごとにも思えた。
(北村もなやみはあるのだ。こいつはスパイなんて名前で呼ばれるほどいやな奴《やつ》ではない)
加藤はそう思いたかった。
「おれはひとりで歩くのが好きなんだ。ひとりで山を歩くとほんとにいい気持だぞ」
「そうだろうな、おれにも君の気持はわかる。おれたちはみんなひとりぼっちだからな、ひとりぼっちでいるのが当り前なのにひとりでいることがおそろしくなって人につきたがるのだ」
「人につく?……」
と加藤が訊きかえすと北村はいや、なんでもないんだと首をふった。それからふたりはだまりこくって、暗い道を寮に向って歩いていった。
北村安春が予言したとおり、翌年の春(大正十三年)加藤文太郎は一番の成績で五年生に進級した。
「ついこの間、入ったと思ったがもう、五年生になったのか早いもんだな」
新入生をまじえてのパーティーの席上で外山三郎が加藤にいった。加藤は黙って頭を下げた。
「なあ加藤君、そろそろ、ぼくらの山岳会に入会してくれないかね、山岳会といってもこの付近の山を歩く、ごく気安い会なんだ。きみが新納友明君と地図遊びをはじめて、神戸付近の地図を塗りつぶしていることは聞いたよ、そういうきみが入ってくれたら、われわれ神港山岳会はたいへんありがたいんだがね」
加藤はなんともいわずに、外山三郎の口元を見つめていた。同じことはもう三年も前にいわれたことなのだ。それ以来、なんどか、神港山岳会に入ろうとしたが結局、入らずにここまで来たのは、深い理由はなかった。いわば気がすすまなかっただけの話でしかない。
「どうだ、今度の日曜日にでも、おれの家へ来ないか、珍しい山の本があるぞ」
加藤はわずかに微笑の浮びかけた顔で、外山に向ってうなずいた。ふたりの会話をすぐそばで北村安春が眼を光らせながら聞いていた。
次の日曜日の午後加藤は外山三郎の家を訪問した。
「食べないかね」
外山三郎は菓子《かし》鉢《ばち》の桜もちを加藤にすすめてから、庭ごしに見える高取山の方向をゆびさして、
「神戸の山は常緑樹が多いといっても、やはり冬と春とではぜんぜん色が違うな、どうだい加藤君、春の山の色はおどるように見えないかね」
外山は袷《あわせ》を着ていた。
「おどるって形容はおかしいわ、ね加藤さん、もっとなんとかいい表わし方があるでしょう、たとえば陽《ひ》のあたたかさに甘えたような緑だとか……」
みかんを盆に盛って来た外山三郎の妻の松枝がいった。
加藤はあいかわらず怒ったような顔をしたままそこに坐《すわ》りこんでいた。顔はおこったような顔だけれど、心では、陽のあたたかさに甘えた緑という表現が、ものすごくすばらしいものだと感心していた。外山よりも、その妻の松枝のほうがはるかに教養の深いやさしいひとに思われた。加藤は桜もちに手を出した。
外山は、こちこちに固くなっている加藤文太郎を二階の書斎につれていって、書棚《しょだな》にぎっしりと並んでいる山の本を一さつ一さつ引き出して彼に示した。
「これはエドワード・ウインパーの書いたアルプス登攀《とうはん》記《き》、知っているね、ウインパーはマッターホルンの初登攀をやったひとだ」
外山はそんなふうに説明しながらページを繰った。レスリー・スティーブンのヨーロッパの遊山場≠ニかエミール・ジャヴェルの或る登山者の回想≠ネどもあり、ウインスロープ・ヤングの書いた山登り術≠ェあった。
加藤はその本を手に取って、岩釘《ハーケン》の打ちこみ方や、ザイルを使っての自己確保の仕方を興味ぶかそうに眺《なが》めていた。そばから外山が説明してやった。
加藤は、小島烏《う》水《すい》の日本アルプス∞山水無尽蔵%c部《たべ》重治の日本アルプスと秩父《ちちぶ》巡礼《じゅんれい》£メ村《つじむら》伊助のスイス日記≠ネどにもいちいち眼を通したあとで、
「日本アルプスへ一度行ってみたいな」
と加藤は、そういうことを口に出すのも恥ずかしそうにおずおずした様子でいった。
「ああ、いつだっていけるさ、山は逃げやあしない」
外山はそんな冗談をいいながら、この加藤がほんとうに日本アルプスへ出かけるようになったらと考えると、なにかおそろしいような気がした。無口で実行力のある加藤が、なによりも山が好きになり、山に情熱をもやすようになったら、たいへんなことになりはしないか。外山が加藤を山へ誘いこむのは、神港山岳会を充実させる目的以外になにものもなかった。登山家を作るためではなく、会社の中の親睦《しんぼく》団体としての山岳会に彼のような男を迎え入れることによって、いつまでたってもハイキング趣味から脱し切れないでいる会員に新風を吹きこんで貰《もら》いたかったのである。
加藤文太郎は雑誌山岳≠ノ手をのばした。
「この雑誌は古くからあるんですか」
「明治三十九年からずっとあるんだ」
加藤はうなずきながら、その一冊を手に取って開いた。大正十年の夏、槇有恒《まきありつね》がアイガーの東山稜《さんりょう》初登攀成功によって、日本でも本格的岩登りが始められた。関東では慶応大学及び学習院が中心となり、関西では藤沢久造が中心となって芦《あし》屋《や》付近の岩場で岩登り技術の研究を始めたことが書いてあった。
加藤はそのページを見つめたまま、しばらく動かなかった。
「岩登りに入る前には、まず山というものを完全に理解しなければならない」
外山は加藤が岩登りに相当な関心を示したものと見ていった。
「日本の登山も進歩しつつあるんですね」
加藤は本を閉じるとそういった。それが山の本を見せて貰った結論だった。
「そうだ、かなり進歩している。しかし外国の進歩はもっと早い、ぐずぐずしているとヒマラヤの山々は全部、外国人たちにしてやられてしまうかもしれない」
「ヒマラヤですか……」
加藤は彼と縁のない国のことのようにつぶやいただけで、それ以上は、もう山のことからいっさいの興味を失ったかのように、さっき、松枝夫人がいった陽のあたたかさにあまえているような色をした窓の外の新緑の山に眼をやっていた。
外山は加藤に裏切られたような気がした。加藤が山の本を見に来たことは、八分どおり、彼を山の仲間に引きずり込むことのできる証拠だと考えていたのが、そうではなく、加藤が山にはたいした感激も示さず、本から外の景色へ眼をやったのは、未《いま》だに、加藤は山に対してさほどの関心を持っていない証拠に思われた。
「きみは山が好きなんだろう」
外山はいささかの焦燥《しょうそう》を顔に浮べていった。
「好きです」
「それなら、神港山岳会に入ってくれないか」
「いやです」
それは加藤らしいはっきりした拒絶だった。
「いやなら、しょうがない、そのうち気がむいたら入るんだな」
外山三郎はやや、とがった声でいった。そして、彼は、この加藤文太郎という男をなんとかして神港山岳会のメンバーに加えたいと思った。こういう男こそ、山男の見本となる男なのだ。山岳会のリーダーの資格についていろいろ議論の沸騰《ふっとう》している折から、このような男を山岳会に入れて、リーダーにしたら、神港山岳会は充実するだろう。外山三郎は気長に加藤を誘い入れるつもりでいた。
「実は先生、ぼくは山の本を見せて貰うために、こちらへうかがったのではありません」
加藤は気をつけの姿勢を取って、外山にいった。
「なにか話したいことがあるのか、それじゃあ応接間の方で聞こうか」
外山は階段をおりながら、最近、研修生の間になにかトラブルでもあったかなと考えたり、教官仲間の噂話《うわさばなし》などを思いかえしていた。思い当ることはなにもなかった。
「先生、ぼくはなんだか不安なんです」
応接間に来ても、加藤は立ったままでいった。
「話すがいい、立っていた方が話しよければ、そのままでいうんだな、たいていのことは話してしまえばさっぱりするものだ」
外山は静かな眼を加藤に誘うように投げかけていった。
「十日ほど前、ぼくは影村さんに呼ばれていろいろ訊《き》かれたんです」
加藤はひどく緊張した顔で話し出した。影村は研修所の事務室に加藤を呼んで、去年の東京大震災の日をおぼえているかと聞いた。
「あの日の午後君はどこへ行ったかね」
「高取山へいきました」
「ひとりかね」
はいと答える加藤の顔を影村は詮索《せんさく》するように見詰めていたが、
「なにか証拠があるかね……きみが大正十二年九月一日の午後、高取山の頂上にひとりでいたのを誰《だれ》か見た人がいるかね、いればよし、いなければ、それが君の嘘《うそ》だといわれても仕方がないだろう」
影村は妙にひっかかるようなことをいった。
「あの日の午後のぼくの居どころが、なぜそれほど大事なんですか」
加藤は一応いうことだけはいった。
「それをきみにいうことはできない。きみはただ、あの日の午後の居どころを正直にいえばそれですむことなのだ。きみはあの日の午後、山へは行かなかったろう」
影村の眼は執拗《しつよう》に加藤を追った。
「いいえ、高取山へ登りました。高取山の頂上に坐って、しばらくの間、海を見ていました。外山先生がいったようにほんとうに津波が来るかどうかを見ていたことを覚えています」
それはあきらかに影村の訊問《じんもん》であった。加藤を或《あ》る種の容疑のもとに取調べようとしている刑事の態度にも見えた。加藤は自分の顔のほてっていくのを感じていた。いかりが顔に出て来たのである。
「いったい、あなたはなぜ私にそんなことを訊《たず》ねるんです」
「あなただと?」
影村はむっとしたような顔でいった。先生といわずにあなたといったことが影村には不愉快に思えたにちがいない。
「もう帰ってもよろしい」
影村は立上ると、ポケットから鍵《かぎ》の束を出してテーブルの引出しに鍵をかけた。
「それだけのことなんですが、影村さんがなぜそんなことをぼくに訊ねたかを考えると心配なんです」
加藤は外山三郎にいっさいをぶちまけると、肩のあたりから力を抜いた。
「ぼくにもなぜ影村技師がそんなことをしたかよく分らないな、全然見当もつかないんだ。彼は研修所の指導主任という職責上、いろいろと気にかかることもあるのだろう、それだけですんだから、それだけのことなんだ、なにもなかったと同じじゃあないか」
しかし、外山三郎の顔にはわずかながら動揺がみとめられないでもなかった。関東大震災と同時に、全国の警察署がひどく神経質になって主義者狩りを始めたことを外山は知っていた。影村が加藤を調べたのは、或《ある》いはそういうこととなんらかのつながりがあるのかも知れなかった。
「いったいどうしたらいいのでしょうか」
加藤は不安そうな顔でいった。
「なにが?」
「会社は大量の首切りをやるそうじゃあありませんか、研修生だって、今年の新入生は例年の半分でしょう。近いうちに、上級生の数も半分にするという噂もあるんです」
加藤はいつになく早口でいった。
「たとえ半分にされても君は残るだろう、なぜならきみは一番だし、きみのような者を馘首《くび》にしたら会社は損をするからな」
すると加藤はひどくきびしい顔をして、
「冗談じゃあないです。勉強の途中でほうり出されたひとはどうなるんです、家へだって帰れないでしょう」
ほんきでつっかかって来る加藤に外山はあわてたように手をふっていった。
「冗談なんかいって悪かった、大丈夫だ、研修生の首切りなんて絶対にあり得ない、つまらないデマに迷わされずに一生懸命勉強するがいい」
外山はなだめるようにいった。
加藤が帰ろうとすると、松枝が、桜餅《さくらもち》と、ミカンをそれぞれ別包みにして加藤に渡しながらまたあそびにいらっしゃいといった。
春だというのに加藤には、春らしい浮いた雰《ふん》囲《い》気《き》はどこにも感じられなかった。船の出入が急に減って来た神戸は全体的に、灰色に濁って見えていた。街にも、街を歩いている人にも活気がなかった。それでも、繁華街に出ると、日曜だけに人はいっぱい出ていた。放心したような眼で飾り窓を覗《のぞ》きこんでいる男や、あるかなしかの財布をにぎりしめてでもいそうに見える、ふところ手の男もいた。
加藤はそれらの人ごみの中をあっちこっちとくぐり抜けながら、近いうちに不況の波が神港造船所にやって来たとき、彼もまた、ふところ手で、町を彷徨《ほうこう》する一人になるのかと思うとやり切れないような気がした。
三間ほどはなれたところに金川義助の後姿を発見した時、加藤はあやうく声をかけるところだった。が、それよりも驚いたことは、金川義助より一間ほどうしろに、北村安春がいることだった。ハンチングを深くかぶった北村安春は時折鋭い視線を金川義助の背に投げかけていた。
(北村は金川を尾行しているのだ)
そう感ずると、もうどうにもならないほどのいきどおりがこみあげて来た。加藤は群衆をおしわけて北村に追いつくと、
「おい北村、きさまなにをしているのだ」
北村は加藤の声にひどくびっくりしたようだったが振りかえると、
「ぶらぶら歩きさ、君は……」
なんでもない声だった。なにをとぼけやあがって、きさまはあの金川義助を尾行しているのじゃあないか、このスパイめ、そういうつもりで、金川を探したが、金川の姿はもうそこには見えなかった。
金川義助はひとりでいることが好きだった。寮に帰らず、食堂の隅《すみ》で勉強していたり、放課後教室に残って本を読んでいる姿などよく見受けられた。その彼も、月一回第三土曜日の午後開かれる研修生の懇親会には、出ないわけにはいかなかった。もともとその懇親会は、目的のあるようなないような会だったから、やることもまたいい加減なものであった。一年生がひとりずつ立上って歌を歌ったり、三年生の合唱があったり、時には、盆おどりの真似《まね》ごとなどをみんなでやったこともあった。五年生の幹事が、懇親会のスケジュールをたてるのであるが、何年もやっていると、新鮮味が失われ、無為に時間を過してしまうような場合が多かった。教官が出席しないことが、この会の特徴だったが、そうかといって、ひどくはめをはずすようなことは行われなかった。
つまらない会ということになってはいても、毎年入って来る研修生の中には一人かふたりぐらい芸達者のものがいて、それらの人によって懇親会はあるていど維持されていたといってもいい。
金川義助は詩吟が上手だった。研修生一年の時の懇親会の席上、頼山陽の本能寺を吟じて、その才能が認められた。以来、懇親会があると彼は必ず詩吟をやらされた。一年生の時は真先にやらされたが、二年生、三年生となるにしたがってあとに廻《まわ》され、五年生になるとその懇親会の真打《しんうち》としての重きをなしていた。指名されると、にこりともせず立上って、ちゃんと用意して来た紙片をひろげて、堂々と吟じた。研修生たちには、詩吟の上手下手の判断力はなかった。ただ、金川義助の詩吟を聞いていると、なにかしんみりさせられた。ものかなしげな節の引きまわしも、研修生たちの心をうつものがあった。極端にいえば悲《ひ》愴感《そうかん》をむき出しにしたうたい方だった。五年生になって四カ月目の懇親会の席上、彼は棄児《きじ》行《こう》を吟じた。今まで一度もやったことのない詩だった。それを聞いて一年生の一人が涙を流した。
「わが子捨てざれば、わが身立たず……」
と金川義助が吟ずるあたりは真にせまっていた。涙にさそわれたのは、その一年生の研修生ばかりではなかった。加藤文太郎もまた、涙にさそわれそうになったほどだった。それほど、金川義助の詩吟は人を感動させる威力を持っていながら、ひとたび、彼はその任務を果すと、集まってくる研修生の讃《さん》辞《じ》の眼を、かたくなと思われるほど、冷酷にはねかえして坐《すわ》ると、いかにも面白《おもしろ》くなさそうな顔をしてそっぽを向くのが常だった。
加藤文太郎はなにか金川義助の気持が分るような気がした。もし金川義助ほど上手に詩吟を吟ずることができたならばやはり、あのような態度を取るだろうと思っていた。
「いつもながらうまいもんだな」
加藤は金川をほめた。無口のことに於《お》いては、金川とひけを取らないほど無口な加藤が、金川にそんなことをいうのはめずらしいことだった。金川が、びくっと顔を動かした。金川には加藤の讃辞が皮肉に聞えたのである。そう思われるほど、加藤のいい方はぶっきら棒であり、彼の顔には感動がなく、むしろ皮肉と受取られそうな微笑が浮んでいた。
「こういうところで、やったところで分る者はいやあしない」
加藤のことばを軽蔑《けいべつ》と受取った金川義助は、青い神経質な表情をいよいよ固くしてそういった。加藤は自分の失敗に気がついた。そうじゃあない、おれはほんとうにほめているのだぞと、いおうとしたが、それはいえなかった。
「こういうところで駄目《だめ》なら、どういうところがいいのだ」
加藤の第二の言葉は彼の心とは正反対に妙に突っかかるようなひびきを持っていた。周囲の顔がそっちを向いた。
「おれは人に聞かせるつもりで詩吟をやっているのではない。おれは海や山に聞いて貰うために勉強しているのだ」
金川義助ははっきりいった。
「詩吟なんか勉強するところがあるのか」
なんか《・・・》という言葉は金川に取って許しがたいものだった。
「あるかないか詩吟の道場へつれていってやろう」
ふたりの私語に対して幹事がとがめるような眼を向けた。二人は黙った。
「どうだ加藤、詩吟道場へ行くか」
懇親会が終った直後金川がいった。
「いってもいい、が、その前に、きみが海か山に向って怒鳴るのを聞きたい」
どなるだと? 金川義助はきびしい眼で加藤を睨《にら》みつけると、
「よし、聞かせてやろう、山がいいか海がいいか、神戸にはどっちだってあるぞ」
金川義助はこうなったら、たとえ加藤の方がいやだといっても山か海へつれていって彼のほんとうの詩吟を聞かせてやるぞという剣幕だった。加藤は困惑した。金川の詩吟のうまいことは認めている。なにも海や山へ行かないでも、彼の才能については疑いもなく認めているのに、妙なふうに話がこじれてぬきさしならなくなっていることを悲しんだ。
「さあ山へ行くか海へ行くか」
「そんなにいうなら山へ行こう」
加藤は答えた。これが自分の大きな欠点の一つではないかと思った。
相手をほめているのに結果としては相手に敵対視されるのは、おそらく、自分自身のあらゆる表現が悪いのではないかと思った。
(いや、俺《おれ》のことばづかいが悪かった。おれは心から君の詩吟のうまいことに敬服しているのだ)
そういえば、済んでしまうのにそういえない。かたくなな加藤の性格を横から揶揄《やゆ》するかのように、
「だいぶ、面白くなったな、それではおれが、審判官として同行しようか」
北村安春がにやにやしながらいった。
「いや、ことわる、おれたちのことはおれたちで片をつける。おい金川、山へ行こう、高取山のてっぺんで君の詩吟を聞いてやろう」
加藤文太郎は拳《こぶし》をにぎりしめていった。ことばには似ずせつない気持だった。
ふたりは無言で神戸の町を歩いていった。どこの山でもよかったが、加藤は彼の好きな高取山をえらんだ。坂道にかかったときふりかえると金川の青い顔がより一層青く見えていた。加藤は、ゆっくりゆっくり坂を登り出した。いつもの彼の登る速度の半分以下だった。そんなおそい登り方をしていても、それに追いつこうとして金川義助がせいいっぱいの努力を払っていることがよく分った。加藤は靴《くつ》の紐《ひも》でも結ぶような格好をして、金川義助を彼の先に立てた。それからは、ずっと気が楽になった。それにしても金川はなぜ、こんな坂道で息を切らすのだろうかと思ったりした。心臓が悪いのかも知れない。山へつれて来たことが悔いられた。金川は途中で何回か休んだ。呼吸が整わないうちに歩き出そうとする金川に、加藤はもっと休んで呼吸が安定してから歩き出すようにいった。神港造船所の寮を出て、ふたりが口を利《き》いたのはその時が初めてだった。
頂上の神社の前の茶屋は既に店をしめていた。加藤は、神社の裏手へいって、やかんにいっぱいの水を貰《もら》って来ると黙って金川義助にさし出した。山の峰々を越えて来るその日の最後の陽光が加藤の横顔を照らしていた。金川義助はやかんに口をつける前に加藤の顔を見た。加藤の顔には相変らず表情はなかった。いたわりの感情も見えなかったし、優越もなかった。ただ義務的に水を持って来たに過ぎないという顔だった。金川はがぶがぶ水を飲んだ。しばらくは夢中で飲んでから、まだ加藤が一口も飲んでいないのに気がついてやかんを彼に渡そうとした。加藤は首をふって、いらないといった。
「高取山へ登るのは今ごろの時間が一番いいのだぜ」
ベンチに並んで腰をおろしたとき加藤がいった。
「そうだな、まるで、天と地と海とが溶け合っていくように美しい」
金川は暮れていく海を見ながらいった。ふたりの心はそこまで来る間にすっかり通じ合っていた。加藤は金川義助の詩吟をここで聞こうなどと思ってはいないし、金川義助だって、あらたまってここで詩吟をやる気はさらになかった。ふたりは海を見おろしているだけで満足だった。
足音がした。神社から出て来た老人が、そろそろ山をおりるからやかんを返してくれといった。加藤は立上ってかしこまってお礼をいうとポケットのさいふを探した。この山のいただきでは水が貴重なことは知っていた。当然、いくらかの金を置かねばならないことは心得ていた。だが、彼も、金川義助も、いそいで寮を出て来たためにさいふを忘れていた。老人は別にいやな顔もしなかった。お金はいらないと何度もいった。
「いいえ、ただで水をいただいては悪いです。ではぼくが、神社に詩吟を納めさせていただきます」
金川はそういうとつかつかと神社の拝殿の方へ登っていった。老人もちょっと驚いたようだったが、金川のほんとうの気持が分ると、神主を呼んで来るからと、小走りに姿を消した。
金川義助は帰り支度をして出て来た神主の前で乃木《のぎ》大将の金州城外の詩を吟じた。斜陽に立つと吟じたが、斜陽の時刻は既に過ぎて急速に夜がおとずれようとしていた。
「立派なものだ、わしは久しぶりに詩吟らしい詩吟を聞いた」
神主は金川義助をひどくほめたたえて、これからも、ちょいちょいやって来て詩吟を聞かせてくれといった。
「いいひとだな」
山の途中で神主の一行と別れてから加藤がいった。
「うんいい人だ。……それで、加藤、これからどうする」
金川がいった。
「どうするって、寮へかえるしかないだろう」
加藤は、例のぶっきらぼうな調子でいった。
「勉強会を覗《のぞ》いて見ないか」
「詩吟の勉強か……さあ……」
加藤はちょっと考えこんだ。詩吟をやったってうまくなれるとは思わないが、やって悪いとは思わなかった。覗くぐらいなら悪くはないだろうと詩吟の方へ傾きかけた加藤の耳もとで、
「じゃあ急ごうぜ、もうすぐ七時だからな」
「寮の食事はどうする」
「あとで支那《しな》そばでも食うさ」
登るときは時間がかかったが帰りは早かった。高取山をおりて長田神社の前のあたりを通ってから、金川の足が急に速くなった。その辺は何度か来たことがあると見えて、上ったりおりたりの坂の町をさっさと歩く。詩吟道場の始まる時間を気にしていそいでいるのかと思うと、角を曲って、急にゆっくりした歩調になったりする。金川義助が、なにか他人を意識しているのではないかと加藤が気がついた時に、ふたりはせまい路地に入っていった。
「いいか、おれが先に入る。きみは、知らん顔をして行き過ぎてから、しばらくして引きかえして来て門から入るんだ、いいな」
金川は早口でそういうと、加藤とはなんの関係もないような顔で数歩先に立って歩いていって、突然、黒い塀《へい》の家の門の中に消えた。そこに詩吟道場という小さな看板がかかげられていた。
加藤は金川の態度を不審に思った。金川にいわれたようにすること自体がなにか犯罪を犯すようでいやだった。詩吟道場という看板をかかげながら、その中でなにかよからぬことが行われているような気がした。よくよく考えて見ると高取山の頂上で金川は加藤に勉強に行かないかと誘ったが詩吟の勉強だとはいってはいない。
(或《ある》いは主義者たちの勉強ではなかろうか)
もしそうだとすると金川義助もまた主義者ということになる。
そしてすぐ加藤は、
(そんなばかなことが……)
と彼の想像を否定した。
金川義助は無口で、人づき合いが悪い。いわばおれとよく似たような人間だが、主義者なんかではない、危険な思想なんか持った人間ではない。
(それなら、あの門を入ったらいいじゃあないか)
加藤はためらった。ためらいながら、百メートルも歩いたところで、加藤は北村安春にひょっこり出会ったのである。
「おい加藤どうした、今ごろなんでこの辺をうろうろしているんだ」
北村安春の眼《め》はなにかを探る眼であった。加藤はいつぞや、金川のあとを尾行している北村をこのあたりでつかまえて、なにをしているのだといってやったことがあった。丁度そのときとは逆に、今度は北村に、なにをしているのだといわれたのである。いうほうには、いうだけのなにかの理由があり、いわれるほうには、なにかそこに受け身となるべき要素があった。それが加藤にはよく分らなかったが、北村になにをしているといわれた瞬間、どきっとしたことだけは確かだった。しかし、加藤は、すぐ立直った。なにも、北村安春ごときに、訊問《じんもん》を受けるようなひけめはなにも持ってはいないのだ。
「どこをどう歩こうが勝手だ。帰寮時間に間に合いさえすればどこへ行ったっていいだろう。君だって、ここをうろついているじゃあないか」
そういわれると、北村安春はへらへらと追《つい》従笑《しょうわら》いをして、そう怒るなよ、加藤、寮へ帰るなら一緒に帰ろうといった。
「いやだよ、おれはいつだってひとりがいいんだ」
加藤が口をとがらしてそういうと、北村はじろじろと加藤の身体《からだ》中を見廻してから、
「それじゃあどこへでもいくがいい」
口ではそういいながらも、そこを去らずに、執念ぶかく加藤のうしろ姿を見守っているのである。加藤はさらに百メートルは歩いた。速足で歩いたから汗が出た。ふりかえると北村はもういなかった。加藤は詩吟道場、主義者の勉強会、金川義助などをひとつのものに組上げた。北村安春はそのへんのことを嗅《か》ぎつけて、このあたりを徘徊《はいかい》しているのかも知れない。その北村をスパイに使っているのは影村一夫なんだと考えると、それまで沈んでいた怒りが一度に顔に出た。加藤は赤い顔をしてふりかえると北村を探しにいった。つかまえて、詰問《きつもん》し、場合によったらぶんなぐってやろうと思ったからである。研修生同士が会社の外でやった喧《けん》嘩《か》まで会社は口を出さない。
北村はどこを探してもいなかった。北村さがしをあきらめて引きかえそうとすると、その前が詩吟道場の門だった。加藤が立止ると、門の戸が細目に開けられて、金川義助の眼が加藤を呼んだ。
「どうしたおそかったじゃあないか」
「北村安春の奴《やつ》が外をうろついている」
「なにっ、北村が」
金川の顔に恐怖の色がさした。
「きみがここに入ったのを見ていたんじゃあなかろうな」
「大丈夫だ、誰《だれ》も見てはいなかった」
加藤がそういうと金川はほっとしたような顔をして彼の手を取って、玄関をあけ、すぐ二階へ案内していった。八畳の部屋に十人近い男女が集まっていた。頭を丸坊《まるぼう》主《ず》にした若い男が机を前にしてなにかしゃべっていた。加藤と金川が入って来ると、十人の眼はいっせいにそっちを見た。どの眼もなにかを恐れている不安な眼だった。金川と加藤は部屋の隅《すみ》に膝《ひざ》をそろえてきちんと坐《すわ》った。丸坊主の男はひどくむずかしいことをしゃべっていた。いったいなにの勉強をしているのだろうと、男の机の上の本を見ると、それは男のいっていることとは全然関係のない詩吟の本だった。坊主頭の男はカール・マルクスの資本論の講義をしていたのである。そのことも、金川が耳打ちしてくれなければ分らなかった。
「社会集団的所有における対象となるべき私有は、労働手段と労働条件が私人のものである場合に限り許される」
坊主頭の男はそういってから顔を上げてそこに居ならぶ人たちをぐるっと見《み》廻《まわ》して、
「さてこれはどういうことをいっているか分りますか」
坊主頭の眼が加藤のところで止った。加藤は眼を伏せた。なんにも分らなかった。
加藤文太郎は金川義助の渡して寄こした、電気学大要と書いてある本の間にはさみこまれてある紙片を読んだ。
(今度の詩吟の勉強会は日曜日の午後二時)
加藤は紙片を丸めてポケットに入れると、例のおこったような顔で、ぺらぺらと教科書のページをめくりながら、詩吟の勉強会に引きつづいて出ようかこのままやめにしようかと考えていた。勉強会には二度出たが、二度とも、なにがなんだか分らなかった。聞いているうちに分るようになるのだと金川がいうけれど、加藤には、とても、それは無理なことのように思われた。カール・マルクスがほとんどその一生をかけて書きあげた資本論が、一度や二度で分るはずはないけれど、たとえ、十度行っても二十度行っても、おそらく、了解することは困難のように思われた。新しい知識を得たいという希望はあったが、詩吟という名を借りてのかくれた勉強会に出席していることが加藤を本能的な不安感に追いやった。彼は主義者という者を知らないが、もし、そこに集まって来る人たちが主義者だったら――いつか突然、そこに集まっている人たちに、おれたちは主義者だぞ、加藤お前も主義者になったのだぞといわれたらどうしようかと思ったりした。そこへ集まって来る人たちの顔を見ると、そんなことをいって、彼を脅迫するようには見えなかった。彼《かれ》等《ら》のことごとくはインテリであり知識欲が旺盛《おうせい》な人たちばかりだった。ただ彼等に共通したものはなにものかをおそれる態度だった。加藤はその眼が嫌《きら》いだった。人の眼をおそれ、こそこそと勉強するくらいなら勉強しない方がいい。加藤自身で考えた理屈だった。
加藤はノートの端をやぶいて、
(日曜日は山へ行く、詩吟会には出られない)
そう書いてから、たんに山と書いて、嘘《うそ》と思われたらまずいと思って、芦《あし》屋《や》から東六甲山へ登ると書きたした。加藤はその紙片を、電気学大要のページの間にはさんで、金川義助に渡した。
食堂で金川と眼が合っても、加藤は知らん顔をしていた。金川がとがめるような視線をときどきとばして寄こすのを知りながら、加藤は、頑強《がんきょう》によそ見をしていた。
日曜日の朝、洗面所のところで、加藤は金川に話しかけられた。
「加藤、山よりも勉強の方が大事だぞ」
低い声だったがつきさすように鋭いものを持っていた。
「おれは、山のほうが詩吟の勉強よりも必要だと思う」
「おい、加藤、きさま、おれを裏切る気なのか」
「裏切る、裏切るってなんだ」
加藤は、なぜ金川が裏切るなどというおそろしいことばを使わねばならないのかが、分らなかった。金川の眼には憎しみといかりと悲しみがごっちゃになって燃えていた。
加藤は朝食をすませると、いつものように、古い作業服にゲートルを巻いて、すっかり色のあせてしまった帽子をかぶって、手拭《てぬぐい》を腰につけて、寮を出た。
「加藤、ほんとうに勉強会へは出ないのか」
加藤のあとを追って来て金川義助がいった。
「出ない、出たくない。おれは山の方がいいんだ」
「そうか、どうしてもいやなら、しょうがない。だが加藤、誰にもいってくれるなよ、な、たのむ」
拝むような金川義助の眼に加藤は何度かうなずきながら、ひょっとすると、金川は、ほんとうに主義者かもしれないと思った。金川が主義者だとすれば、世間は主義者に対する見方を取りちがえていると思った。
芦屋川にそっての広い道を歩いていって、やがて住宅地をはずれて山道に入ると川のせせらぎが近くに聞えて来る。そして間もなく、せせらぎが滝の音となるあたりの滝壺《たきつぼ》のほとりにお堂がある。加藤はそこまで来て一息ついた。セミの声と滝の音とが入りまじって、なにか深山にでも入ったような気がした。加藤は滝の方を見上げたがそっちの方へはいかずに、指導標に書いてあるとおり、道を東六甲への尾根道に取った。意外なほど、荒々しい白い肌《はだ》の露岩にまつわりつくように松が生えていた。やはり山へやって来てよかったと思った。勉強会では汗が流せないが、山では流せる。汗さえ出せばおれはごきげんになれるのだと、岩に腰をかけて汗をふきながら、左手の谷に眼をやった。
妙なことがその谷を形成する岩壁の傾斜面でなされていた。綱に人と人とがつながれて、垂直にも近いような岩壁を登ろうとしているのである。いつか外山三郎の家へ行ったとき見せて貰った外国の本に、たしかそんなような挿《さし》絵《え》が載っていたが、眼の前で、それを見ることは初めてだった。
加藤にはそれがきわめて異常なことに思われた。第一、岩壁は人が登るところではない。岩壁を登らないでも、その山のいただきには尾根伝いにいくらでも、行きつくことができるのに、なぜ岩壁を攀《よ》じ登る必要があるのだろうか。しかし、その疑問はすぐ彼の頭の中でとけた。岩壁を攀じ登らなければ頂上に達することができない山だってあるのだ。そういう山へ登る準備練習として、あの岩壁を登るのだと考えればいい。第二の疑問は、一つの綱になぜ三人もの人が結ばれるかということだった。
(ひとりで攀じ登ればいいじゃあないか、ひとりで攀じ登れないようなら、やめたらいいんだ)
加藤は、三人が一本の綱につながれて、岩壁登攀《とうはん》をするということは、いかなる理由があったにしても、許すべからざることのように思えてならなかった。
だが見れば見るほどその光景は興味深いものだった。それに、時折、カーンカーンと胸のすくような金属音が聞えて来ることも、加藤をじっとさせては置かなかった。加藤はせっかく登った尾根をまたもとへ引きかえして、岩登りをやっている谷の方へ廻りこんでいった。
岩場の下はせまい砂場になっていて、そこにいる数人の人が岩壁を見上げていた。それらの人たちは、長靴下《ながくつした》を穿《は》き皮の靴を穿いていた。茶色のチョッキを着た男がどうやら指導者らしく、岩壁登攀中の三人の男に、鋭い声で指示を与えていた。加藤の知らない外国語がつぎつぎと飛び出していた。
「そこで一服だ」
茶のチョッキの男は上に向ってそう怒鳴ると、そこにいる人たちに、
「たいしたもんだね、あの連中は、だが岩登りは馴《な》れたころが一番あぶないんだ」
そういって、ふと近くに立っている加藤文太郎に眼をそそいだ。
「やあ、加藤君、来たのか」
加藤にそう呼びかけたのは茶のチョッキの男ではなくその男のすぐうしろにいた外山三郎だった。外山三郎もまた加藤から見ると、まるで外国人のような気取った格好をしていた。
「丁度いい、加藤君、ロッククライミングってどんなものかよく見ていくがいい。なんなら、あとで藤沢先生から手ほどきして貰《もら》ったらいい……」
そして外山三郎は加藤の手を取るようにして、藤沢先生という人の前へつれていって紹介した。加藤は藤沢久造の名前は知っていた。
「いつかお話ししたことのある加藤君です。たのもしい男ですよ、ものすごくファイトがあるんです」
藤沢久造は微笑をうかべながら加藤を迎えて、
「ロッククライミングをやってみますか」
といった。加藤は即座に首をふった。緊張すると、加藤は、赤くなり、やがて怒ったような顔になる。
「いや、無理にロッククライミングをやる必要はない。山はまず歩くことですよ、冬でも夏でも、山が立派に歩けるようになってから、それから岩に取りつくのがいいですよ」
藤沢久造は静かな眼を加藤に向けた。加藤という少年については外山三郎からその噂《うわさ》を聞いていた。地図を持っては、神戸付近の山や村々を歩き廻る、ものすごく足の速い少年というのが藤沢久造が得ている加藤文太郎の概念だった。
「歩くことなんですね」
加藤は藤沢久造のおだやかな眼がなにか外山三郎と通ずるものがあるような気がした。加藤は、素直な気持で、藤沢久造の前に頭をさげた。
「そうです、歩けばいいんです。そのうちにいろいろとおぼえる」
「あれもですか」
加藤は岩壁にへばりついている三人をゆびさしていった。
「いや、ロッククライミングはひとりで覚えるというわけにはいかないだろうな」
藤沢久造はチョッキのポケットから、ハーケンとカラビナを出して、それを加藤の手にわたしながら、
「たとえば、こんな道具にしても、正しい使い方はやはり指導者から教わった方がいい。独学は危険だ」
藤沢はカラビナに、ハーケンを一本かちんとはめて見せた。
「こんな道具まで使って……ロッククライミングはなんのためにやるんですか」
加藤のこの質問には、藤沢久造もかなりびっくりしたようだった。
「それはむずかしいね、なんで山登りをするのかと全く同じように、答えるのはむずかしい」
「山登りをする理由は簡単じゃないですか、それは汗を流すためなんです。山登りをしなくたって、汗を出す遊びはいっぱいあるけれど、その中で、一番私の肉体条件に適しているのが山登りだからぼくは山へ登るんです」
「汗を流す、なるほど、汗を流すために山へ登る……」
藤沢久造は加藤のいったことばを何度か口の中で繰りかえしていた。
外山三郎は、へいぜい無口な加藤が、関西きっての登山界の大だてものであり、指導者である藤沢久造の前で、なぜ山へ登るかについての議論をはじめたのを見て驚いた。やはり加藤は山にかけての大ものになる男かも知れない。その素質が藤沢久造の前でああいうことをいわせるのだ。
「汗を流すために山へ登る。そして、その汗のにおいをあびるほど嗅《か》いでから、ロッククライミングをやるのがいいね。これはまた別な意味で心の鍛錬になる」
「いいえ、私は、これはやらないでしょう。他人といっしょでないと登れないようなところなら私は登りません。私はひとりで汗を流すために山へ行くんです。それが私の山へ行くほんとうの理由なんです」
藤沢久造はそれに対して何度も何度もうなずいてから、加藤の方へ背を向けると姿勢を正して岩壁の三人に怒鳴った。
「さあ、始めろ、始める前に、もう一度ハーケンをよく調べるんだ」
加藤はその声を、彼自身とはほど遠いところのことのように聞いていた。
加藤文太郎にとっては暗い靄《もや》に閉ざされたような毎日が続いていた。暗い靄は神港造船所をおおい、神戸港をおおい、神戸の市街をおおい、そして日本全体をおおっているようにも思われた。暗い靄がなにものであるか加藤にはわからなかったが、その陰鬱《いんうつ》な気体は研修所の教室の中にも、工場の中にも、寮の中にも瀰《び》漫《まん》していた。なにかの折にふと、その靄の存在に気がつくと、息のつまりそうになるのも事実だった。食堂においても以前のように活発な議論もでないし笑いも起きなかった。研修生たちは、さっさと食べてさっさと引っこんでいった。
(いったいこの底知れない憂鬱はなんであろうか)
加藤はまず自分に訊《き》いた。わからない。他人に訊いたところで、答えは得られないことはわかっている。おもてだってはなにも変ったところはないのだが、やはり、どこか、なにかが変っていた。
研修生の五年生になると教室よりも工場にいる場合の方が多かった。工員とも直接つき合うこともあった。彼等は仕事中にはものをいわないし研修生に対しては、なんとなく他人行儀であった。それでも、なかには、
「おい、うちの会社でもくび切りをやるそうじゃあないか」
などという男もいた。不況、馘首《かくしゅ》、失業などということばが巷《ちまた》に氾濫《はんらん》していた。黒い憂鬱は失業に対するおそれであろうか。世界大戦の後、世界中が不況になやんでいた。日本にもその不況の波がおしよせて来たのだという理屈だけでは逃げ切れない黒いガス体が、加藤の身辺を取りまいているような気がしてならなかった。
「おい、なぜ日本は不景気になっていくのか知っているか」
食堂で北村安春が、下級生をつかまえて大きな声でいっていた。
「資本家と政治家があまりにも目先のことしか考えないからなんだ。だからわれわれ労働者はにがい汁《しる》ばかり飲まされることになる」
そういわれても下級生はなんのことかわからず、ただ眼をぱちぱちしているだけだった。北村が大きな声で資本家、政治家、労働者などというのを聞いていると、歯が浮く気持だった。北村が下級生を相手に、資本家だの労働者だのということばを使い出すと、それまであっちこっちで話をしていた研修生たちが急におし黙ってしまうのもおかしなものだった。
会社で首切りが始まるという噂を加藤に知らせてくれたのは、村野孝吉だった。小《こ》柄《がら》だが足の速い男で運動会にはいつも一等を取っていた。足が速いように聞き耳も早く、そして比較的その情報は確かだった。十二月に入ってすぐだった。
(大量首切りの前にまずうるさい者の首を切るのだそうだ)
村野孝吉は大上段に刀をふりおろす格好を見せてから、あたりをきょろきょろ見廻して、
「研修生の中からも誰《だれ》か犠牲が出るかも知れないぞ」
村野はそういうと、彼自身がその犠牲者にでもされたように顔をこわばらせて、
「五年も勉強したのになあ」
と投げ出すようにいった。
村野孝吉がそのニュースをどこから仕入れたかはわからなかったが、加藤にはなにかそれが事実であるように思えてならなかった。誰が犠牲になるかは想像つかなかった。研修成績の悪い者を馘《くび》にするという方法もある。素行の悪い者を対象とするとなると――主義者ということばが加藤の頭の中に浮び上り、同時に金川義助の青い顔が見えた。
村野孝吉からそのいやなニュースを聞いた日の午後、加藤は、工場で顔を知らない工員に話しかけられた。加藤はその時、内燃機関部で試運転のテストのデータを取りおわって、それをグラフに書きこんでいる時だった。その工員は加藤の書いているグラフの誤りを指摘でもするかのように、グラフにゆびをさしながら、低い声で、
「きみの右のポケットに入れた紙を、金川義助に至急渡してくれ」
そういって、離れていった。男が去ってから、右のポケットに手をつっこむと、薬包ほどの紙片が手にふれた。その夜、加藤は金川義助にその紙片をわたした。
その翌日の朝の授業中だった。研修所事務室の給仕の少年が金川を呼びに来た。
「金川さん影村先生がお呼びです」
大きな声だった。一瞬、金川義助は蒼白《そうはく》な顔になった。なにか非常に不幸なことを予期したような顔つきだった。加藤は金川義助の死の影を見たような気さえした。机の両はじを持って立上った金川義助の手はふるえていた。それでも席を立って入口に向って歩いていくときにはもう立直っていた。金川は教室のドアーのところで、みんなに向ってぺこんと頭をさげた。金川が眼を上げたとき加藤とぴったり視線が合った。溢《あふ》れるほど多くの感情がこめられていた。そして金川はその視線を、加藤の斜めうしろにいる北村安春に向けた。金川義助の眼はいかりに燃えていた。北村は金川の視線を受けこたえられずに下を向いた。
金川義助は二度と教室へも、寮へも戻《もど》らなかった。金川義助の部屋には刑事がやって来て、家《や》さがしをした。彼の部屋は閉じられたままになった。
暗い靄はやはりおりて来たのである。研修生たちはひとことも口をきかなかった。ひとりずつになって自分を防衛し、他人と関連を持たないように努力していた。
「金川義助は主義者だったそうだ。神港造船所から一度に二十三名の主義者がひっぱっていかれたそうだ」
村野孝吉が加藤に教えてくれた。
「君だってあぶないぞ」
村野孝吉がいった。金川義助と加藤文太郎との交友関係を村野はいったのである。
「警察にひっぱっていって拷問《ごうもん》にかけるのだそうだ」
村野はそんな余計なことまでいってから、だが、君は外山先生がついているから大丈夫さとつけ加えたり、
「いや、外山先生がついているから、かえって影村先生ににらまれるんだよなあ」
などとうがったようなことをいうのである。研修生は少数である。なにもかも筒ぬけに知られているのである。加藤は村野の顔を見詰めたまま黙りこくっていた。金川義助が姿を消した途端に村野が接近して来たのが、加藤には因縁《いんねん》という言葉以上になにかの宿命を思わせた。木村敏夫は会社を去り、新納友明は死に、そして、金川義助は主義者として警察に拉致《らち》されていった。
(おい、村野、おれのそばへ近寄って来るとけっしていいことはないんだぞ)
加藤は村野にそういってやりたかった。木村敏夫も、新納友明も、金川義助もいい奴《やつ》だった。するとこの村野孝吉も悪い男である筈《はず》がない。
「加藤よ、きみ早いところ外山先生にたのんで置いた方がいいぞ」
昼食のとき食堂で、村野がいった。
「なにをたのむんだ。いったいなにをたのむ必要があるんだ」
加藤は食堂のテーブルをげんこつで叩《たた》きながらいった。
「加藤さんいませんか、加藤文太郎さん」
声がわりしたばかりの給仕は、いやに張切ってばかでかい声をして加藤を呼んだ。
「研修生指導主任が呼んでいます。すぐ来て下さい」
研修生指導主任などとわざわざいう必要もないのに、それをいわないではいられない給仕は、いくらか紅潮した顔をして食堂の入口に立っていた。給仕は彼を動かす、なにかの権力を意識しているのである。明らかに加藤を見くだしている態度だった。
「加藤文太郎か」
加藤が研修所の事務室に入ると、影村一夫と話していた男がいきなりふりかえっていった。眼つきのよくない男だった。
「ついて来るがいい、逃げようたってもうどうにもならないんだ、おとなしく署までついて来るがいい」
加藤は、そうなることを全然予期しないでもなかった。金川義助との交友が、疑われる原因になることはありうることだったが、なんの釈明もさせずに警察へ引張っていくのは無法に思われた。
加藤は影村一夫に眼を向けた。先生、なんとかいって下さいという気持だった。影村の顔には嫌《けん》悪《お》に似た表情が浮んでいた。憐憫《れんびん》も同情もなかった。ふん、ざまあ見ろという、残忍な眼が眼《がん》┠《か》の奥で光っていた。
加藤文太郎は木の椅子《いす》に坐《すわ》らせられたまま二時間放置された。ドアーには外から鍵《かぎ》がかけられてあるから外へ出られなかった。前に机があり、その上に紙と鉛筆が置いてあった。おそろしく寒い部屋だった。廊下を通る人の足音がたえずしていた。時折は立止って、外から内部を覗《のぞ》くような気配が感ぜられたが相手の顔は見えなかった。
なんのためにここへ引張って来られて、なんのために二時間も放置されているのか、加藤にはわからなかった。思い当ることといえば、詩吟道場に二度ほどいったことだった。
(やはり主義者と間違われたのだ)
おれは主義者なんかではない。おれはただ詩吟の勉強のつもりで……。
ドアーが開いて刑事が入って来た。
「どうだ素直にドロを吐くか」
刑事がいった。
「それとも、ここよりもっと居《い》心《ごこ》地《ち》のいい留置場の方へ入れてやろうか」
刑事はそういいながら加藤の周辺をぐるぐる廻《まわ》った。
「なにもかも正直に白状するんだな、そうすればできるだけ早くここから出してやる。もし嘘《うそ》をついたり、だまっていたりすると、ひとつきでもふたつきでも、帰れないことになるんだ、よく考えてみるんだな」
刑事はそういって部屋を出ていったが、三十分もすると、今度は若い刑事とふたりづれで入って来た。
「いつ主義者の仲間に入ったのだ」
加藤の前に坐った刑事の顔は酒でも飲んだのか赤かった。顔も赤いし眼も赤くにごっていた。
「私は主義者ではありません」
加藤がいった。
「きさま嘘をつくか」
その声だけは聞えたが、あとの方がわからなかった。刑事の平手が加藤の頬《ほお》を力いっぱいたたいたのである。加藤は痛いとは思わなかったが、自分の頬から発する音に驚いて本能的に身をかばう姿勢を取った。それが刑事に次の打擲《ちょうちゃく》をあたえる原因をつくった。
「きさま、おれに手向う気か」
刑事の拳骨《げんこつ》が加藤の耳のあたりにとんだ。加藤は椅子からすべり落ちた。
「詩吟道場へなんどいった」
刑事は次の拳骨を用意しながらいった。
「二度行きました」
「主義者たちとなにを話したのだ」
「なにも話しません、ただ非常にむずかしい講義を聞いただけです」
「共産主義者の講義を聞いたというのだな」
「それがなんだか私にはよくわかりませんでした」
なんだこいつ、刑事はもう一度殴るかまえを見せた。若い方の刑事がその手をおさえて小声でなにかいった。
「その時の講義のことで覚えていることをなんでもいいからいってみろ、よく考えていうんだぞ」
考えようとすると刑事に殴られた耳のつけ根がずきずき痛んだ。
「いってみろ、さあいうんだ」
刑事の高い声におびやかされるように加藤はいった。
「社会集団的所有における対象となるべき私有は、労働手段と……」
そこまでいったがその先がいえなかった。
「先をいってみろ」
「覚えていません。そんなふうなむずかしいことを話していたのですが、私にはなにがなんだかさっぱりわかりませんでした」
「どうして二度でやめたのだ」
「面白《おもしろ》くなかったんです。わからない講義を聞くより山へ行った方がいいと思ったんです」
刑事はノートになにか書きつけてから、
「つまり主義者の仲間から足を洗ったというんだな。それならなぜ、レポをやったんだ」
レポといわれても加藤にはなんのことだかわからないから黙っていると、
「とぼけるな、きさまは、金川義助に手紙をとどけたおぼえがあるだろう、これでもレポはしなかったといえるか」
刑事はさらにもっと重大な訊問《じんもん》にでもとりかかるつもりか前に乗り出した。
ドアーが開いて、巡査が現われ、刑事になにか耳うちをした。刑事の顔に不満な色が浮び、そして、その色を加藤に対する憎《ぞう》悪《お》にかえると、
「ふん、一晩とめて置いてやろうと思ったが、きさまは運のいい奴だ」
刑事はそういうと、
「だが、気をつけるんだな。今度ばかなまねをしたら、もう許さんぞ」
刑事は黙って入口の方をゆびさした。出ていけという合図だった。きしきし音のする廊下を刑事の後についていくと、署長室の前で外山三郎が待っていた。
「さあ、おれと一緒に帰ろう」
外山三郎が加藤の肩に手を置いていった。外山が貰《もら》い下げ運動をしてくれたのだということは、すぐ加藤にわかった。警察署長が外山の知人であることは以前に聞いて知っていた。
外山は速足で警察を出ると、
「きみのことは警察の方でもたいして問題にしてはいないが、金川義助のほうは簡単に出しては貰えそうもない」
「金川は主義者なんですか」
それに対して外山は鋭い眼つきで応《こた》えたきりで、主義者とも、そうでないともいわずに、
「金川は向学心に富んだ少年だった……」
外山三郎は悲痛な顔をした。
「加藤、腹が減ったろう」
「いいえ」
「なにか食べたくないか」
「いいえ」
「じゃあ、ぼくの家へ行こうか、新しく来た山の本があるぞ」
加藤は首をふった。
「それもいやか、じゃあどこへ行きたいのだね」
「浜坂へ帰りたい、ぼくは浜坂の家へ帰りたい……」
加藤は唇《くちびる》をかみしめていった。いかりと悲しみの混合した顔で、けんめいに涙をこらえながら、加藤はほんとうにそのまま故郷へ帰りたいと思った。
「もうすぐ正月が来る、その時になったら帰れるじゃあないか。それに、君はもうすぐ卒業すれば技手になれるのだぞ、立派な技術者となれるのだ、今日のことは忘れるんだ」
「忘れられるでしょうか」
「忘れるように努力すればいい、努力するのだ」
加藤はなんどかうなずいた。うなずきながら、刑事になぐられた右の耳のあたりの痛みがいよいよはげしくなるのを感じた。
加藤が寮に帰った時間はちょうど夕食の時間だった。食欲はなかったが食堂に出た。みんなに無事に帰って来た姿を見せてやりたかったのである。食堂には三十数名の研修生が飯を食べていた。彼《かれ》等《ら》は加藤を、恐怖の眼で迎えた。喜びの眼は一つもなく、ことごとくの眼は来ないでいい人を迎える眼だった。安《あん》堵《ど》の表情はどこにも見当らず、迷惑をむき出しにしながら、表面的には無関心をよそおっている顔が多かった。あきらかに彼等は加藤を避けていた。加藤にそばに来られたり、加藤に話しかけられたりするのを極度におそれている顔だった。
「加藤が帰って来たんだって」
大きな声をしてかけこんで来た村野孝吉でさえも、食堂内のつめたい空気にしばらくはたじろんだほどだった。
「よかったなあ加藤……」
村野孝吉だけは、加藤の無事帰還を心から喜んでいた。
「さあ、めしを食べよう。そして今夜は早く寝よう、忘れるんだ」
村野も外山三郎と同じようなことをいった。加藤はめしには手をつけなかった。お茶を飲んだ。やたらに喉《のど》が乾いてしようがなかった。
「加藤、きさまの耳のあたりがひどくはれているぞ」
村野孝吉の眼にも、殴《おう》打《だ》のあとがはっきり見えるほどになっていた。
その夜、おそくなって加藤は熱を出した。もともと風邪気味だったのに、寒い部屋に二時間も置かれたことと、耳を殴られたこととが重ね合わさった。彼の発熱は自分でもわかるように急上昇していった。
村野が加藤の看病をした。氷嚢《ひょうのう》を加藤の額に置いてやりながら、
「なあ加藤、がまんしろ、おれたちはやがて技手になり、技師にもなれるんだ。技師になれるのだぞ」
技師は技術者として最高の名誉である。技手から技師まで何年かかるかわからない。生《しょう》涯《がい》技師になれずに終るかもわからない。しかし道は開かれているのだ。
加藤は、技師ということばを頭の中で繰りかえしているうち、いつかそのことばとは遠ざかり、浜坂の海で父がひとりで舟の櫓《ろ》をおしている姿を眼《ま》のあたりに見た。父はいくら呼んでも返事をしなかった。日本海の沖へ沖へと漕《こ》ぎ出ていく父を加藤はしきりに呼んだ。
加藤が急性中耳炎で入院した日は朝から強い風が吹いていた。風塵《ふうじん》の中を病院に運ばれていく加藤を、もうひとりの加藤が見ていた。
「加藤もとうとう死んだ。あいつは火葬場へ行くんだ」
加藤の耳にそう聞えた。
「死ぬものか、おれはちゃんと生きている」
加藤はうわごとのようにいいつづけていた。入院中、村野孝吉と外山三郎がしばしば見舞いに来た。そしてたった一回だけだったが影村一夫が見舞いに来た。
「加藤、どうだね」
その影村に加藤は顎《あご》を引いただけだった。外山や村野が来ると、ありがとうと小さな声でいう加藤が、影村にはそれをいわなかった。いう必要はないと思った。卒業までにまだ三カ月ある。その間に影村がどんないやがらせをしようとも影村に頭をさげたくはなかった。加藤は白い天井を見詰めたまま頑強《がんきょう》におし黙っていた。
退院を許された加藤は、その足で外山三郎のいる内燃機関設計部第二課を訪れた。もう何度も来たことのある設計室である。机や人の配置は変っても、部屋に入ったときの感じは少しも前と違ってはいなかった。
設計室は白色に溢《あふ》れていた。製図板の白さ、明るい白熱灯、そして、白い上《うわ》衣《ぎ》を着ている技師たちの姿、それは加藤文太郎のあこがれの場であった。いつかは、その設計室で、一つの机の前に坐り、一つの白熱灯スタンドからそそがれる光量を独占して、七つの海を航海する船の機関部を設計することが彼の理想だった。
設計室はいつものように静かだった。技師や技手たちは、設計図に向ったままで、よそ見をする者はいなかった。その部屋の中ほどの外山三郎の机のそばに見馴《みな》れない背広姿の紳士が立って外山と話していた。加藤は外山に来客と見て、引きかえそうとした。
「もう出て来ていいのか」
外山の方から声をかけてくれたから、加藤は、設計台の間を縫っていって、彼の前へ行くと、ぺこんと頭をさげて、いろいろお世話様になりましたといった。
「まだ顔色がよくないな、もう二、三日、休んだらどうかな。今のうちに身体《からだ》を丈夫にして置いて、研修所を出たらうんと働いて貰わねばならないからね」
加藤は外山に黙って頭を下げ、そのそばに立っている紳士にも頭を下げて、廻れ右をした。外山三郎からそう遠くないところに、影村が坐っていることも、影村が、加藤の挨拶《あいさつ》に来たのを意識しているのもちゃんと知っていながら加藤は、影村のところへはいかなかった。
「研修生かね」
加藤が去ってから、海軍技師立木勲平が外山三郎に訊《たず》ねた。
「そうです、五年の研修が終って来年はここへ入って来る予定になっています。研修生のなかでも、飛びぬけて優秀であり、かつ変り者なんです」
外山三郎は笑顔でそう説明した。
「変り者か、それはいい。内燃機関の技術は今のところ行きづまっている。この壁を突き破って前に進むには、変ったものの考え方や設計をしなければならない。おれは変り者大いに歓迎だな、なんという名前かね、あの男は」
「加藤文太郎、泳ぎと山歩きが得意です」
外山は自分の弟子を自慢するような口調でいった。
「加藤文太郎、立派な名前だな、大将か元帥《げんすい》になれるような名前だ。外山さん、あなたはあの男を、内燃機関の設計の大将か元帥に仕上げるんだね」
海軍技師立木勲平は外山三郎に言い残すと、大股《おおまた》で設計室を出ていった。
加藤文太郎の健康は急速に恢復《かいふく》していった。一時痩《や》せていた身体もまた肉づきがよくなった。食欲が増した。彼は浜坂の家から送られて来る、乾《ほ》し小魚をポケットの中にしのばせて、暇あるごとにぼりぼり食べていた。これまでにもよくやったことであった。
「乾した小魚なんかなんで旨《うま》いんだろう」
加藤が、乾した小魚を食べるのを見て友人がそういったことがある。漁師の子として育った加藤はむしろ、そういう相手の方がおかしく思われた。農家出身の子どもたちが、芋をおやつがわりに食べるように、漁業をいとなむ家に生れた加藤が乾し小魚を好んで食べてもちっともおかしくはなかった。
「文太郎や、乾し小魚さえ毎日食べていたら人間は病気をするものではない、乾し小魚は眼をよくするし歯をよくする」
加藤の幼少の頃《ころ》、祖母が彼にいって聞かせたことを彼はよく覚えていた。実際加藤は虫歯が一本もなかった。小《こ》柄《がら》ではあるが、他人には負けない体力を自負していた。日頃乾し小魚を食べていたからこそ、今度の病気にも勝てたのだとも思っていた。
乾し小魚は噛《か》めば噛むほど味が出た。故郷の味と日本海のにおいがした。彼は寮にかえってひとりの部屋に寝そべって乾し小魚を噛みしめながら、おれはけっして孤独ではないと自分自身に言った。
大正十四年の一月を迎えた加藤は、浜坂から多量に送って来た乾し小魚でポケットをふくらませて、研修所と工場と寮との間を三角形に歩いていた。どこへも、いくつもりはなかった。村野孝吉が映画をさそいに来ても、村野以外の同級生たちが声をかけても、一緒に行動はしなかった。研修生全員の懇親会の席上にさえ彼は姿を見せなくなった。もはや、金川義助の詩吟は聞くことはできない。うっとりさせるように語尾をころがしていくあの名調子は、おそらく永久に聞けないだろうと思った。金川義助の消息は、情報屋の村野孝吉でさえ知らなかった。
北村安春が、彼の家から送って来たという乾し柿《がき》を加藤のところへ持って来た。
「いらないよ、おれは乾し柿はだいきらいなんだ」
加藤は、卒業近くなるにしたがって、北村が急に、同級生たちのご機《き》嫌《げん》を取って歩くのをにがにがしい眼で睨《にら》んでいた。
加藤は北村にかぎらず、同級生のすべてに必ずしも好感を持ってはいなかった。
(あいつ等《ら》は、あの瞬間おれを裏切った)
刑事にぶんなぐられて帰って来た夜のことを思い出すと、いまさら彼等とつきあう気にはなれなかった。村野孝吉は別だったが、特別なかたちでの彼との交友が続くと、村野もまた、加藤の今までの友だちと同じように、加藤のもとを去らねばならないことになるかも知れない。近づいた友が必ず離れていくという現実は、加藤にとっておそるべき恐怖だった。
二月になって、加藤の地図遊びがまた始まった。土曜、日曜は例外なく神戸の背稜《はいりょう》の山を歩き廻《まわ》った。雨が降っても、時には、小雪が降ることがあっても、彼は山行きをやめなかった。日曜日には朝早く寮を出て、夜になると疲れ果てて帰って来る。加藤がどこの山へ出かけていったのか誰《だれ》も知る者はなかった。
ルックザックを背負った加藤は、いっさい乗物を使わずに、寮を歩いて出て、歩いて帰って来た。加藤がナッパ服に巻脚絆《まきぎゃはん》をつけ、鳥打帽子をかぶり、時には、毛糸の飛行帽をかぶって、芦《あし》屋《や》の辺や武庫《むこ》川《がわ》のほとりをひとりで歩いているのを見掛けた者があった。
神港山岳会の中条一敏が加藤と六甲山脈縦走路で会った。中条は神港山岳会長の外山三郎にそのことを報告した。
「加藤文太郎という男は風のような男ですね」
中条が話し始めた。
神港山岳会は冬季六甲山脈縦走を計画した。縦走といっても、須磨《すま》から宝塚《たからづか》までの山路五十キロを一パーティーでやるのではなく、縦走路を四つに区分して、それぞれの区分に一パーティーずつを送りこんで、全縦走路をつなごうという計画だった。会長の外山三郎は横《よこ》須《す》賀《か》へ出張中だったから、副会長の中条一敏が総指揮に当った。二月の第三日曜日の朝、四班はそれぞれ目的地点に向って出発した。
第一班の受持区域は塩屋から市ヶ原までであった。比較的楽なコースだったから年輩者がこのコースに参加した。この一行が加藤文太郎に追い抜かれたのは鉄拐《てつかい》山のあたりであった。加藤は風のように近づいて来て風のように去っていった。第二班は摩耶《まや》山《さん》の天《てん》狗《ぐ》道の急登路の途中で加藤に追いぬかれた。加藤は縦走路中もっともつらい登りとされているこの傾斜面を、まるで平地を歩くような速さで、すたすたと登っていったのである。ひとりが声をかけたが加藤は返事をしなかった。
中条一敏は六甲山のいただきで加藤が防火線上を頂上に向って真《まっ》直《す》ぐ登って来るのを見たのである。ここを直登する者はいなかった。そういう馬鹿《ばか》げた登り方をやる奴《やつ》は誰であろうと思って眺《なが》めているうちに、その人影はぐんぐんと近づいて来る。休もうともしない。たたずんであたりを見廻すようなこともない。頂上に向って一定の歩調で近づいて来るその男の歩き方には威力さえ感じられた。男は六甲山のいただきに立った。彼はハンチングを取って、腰の手拭《てぬぐい》で額の汗を拭《ふ》きながら、海の方へちらっと眼をやった。それが加藤文太郎だった。
「おい加藤、加藤君じゃないか」
中条一敏は工場の方の係長をやっていたから、実習に来た加藤を知っていた。
中条に声をかけられた加藤はにやっと笑った。そして近づいていく中条をふり切るように、笹藪《ささやぶ》の道へ消えた。
「その加藤の笑いが、ひとを馬鹿にした笑いなんだ。嘲笑《ちょうしょう》といったほうがいいかも知れない。とにかくひどく癪《しゃく》にさわる笑い方なんです」
中条がいった。
「いや、そうかも知れない、そう受取れるかも知れない。しかし加藤の笑いには、なんの悪意もないのだ。彼はもともと表情を持ち合せない男なんだ。いつも彼は怒ったような顔をしているだろう。あれが彼の普通の表情であり、そして、加藤が笑う時は、よほどの親近感を持った時なんだ。彼ははにかみ屋でもある。はにかみながら、せいいっぱいの親愛の情があの笑いになるのだ。他人には、皮肉とも軽蔑《けいべつ》とも嘲笑とも受取られる笑いになるのだ」
外山三郎の説明で中条一敏はどうやらわかったような顔をした。
「しかし、加藤は損ですね。山の中であんな笑い方をされたら、たいていのものなら腹を立てる」
「そういうな、加藤ももう子供ではない。彼もそのことを充分知っているのだ。知ってはいるがにわかに表情をかえるわけにはいかない。むしろまわりの者が理解してやらねばならない」
「できそうもないですね」
中条ははっきりいってから、
「もう、彼の山歩きは、常識を越えていますよ」
「というと」
外山三郎はさぐるような眼を中条に向けた。
「私と六甲山頂で会った加藤はその足で、石の宝殿、譲葉《ゆずりば》峠、塩尾寺、宝塚と縦走し、宝塚から電車にも乗らずに、和《わ》田岬《だみさき》の会社の寮まで歩いて帰ったんです」
「冗談いっちゃあいけない」
外山は中条一敏の言葉をおしとどめた。
「須磨から宝塚まで五十キロある、夏のいい状態のときでさえ足の達者な者で十四時間はかかる。六時に須磨を出て宝塚へつくのが夜の八時だ。冬場の霜《しも》溶《ど》け道の悪路を一日で踏破することは不可能に近い。しかし加藤のことだからやれるかもしれない。が、宝塚から和田岬まで歩いて帰ったなどということは……、宝塚から和田岬まで歩いたら朝になる」
「そんなことは外山さんにいわれなくたって、ぼくだって知っています。しかし、その不可能と思われることを加藤はやったのです。加藤は日曜日の夜の十一時三十分に寮へ帰っています」
中条一敏はそこまで話すと、身体全体から力を抜くようにして、
「とにかくおそるべき山男ですよ、加藤文太郎という男は」
外山は大きくうなずきながら、おそるべき山男ということばをくりかえしていた。六甲縦走路はまだ完全ではない。よほど調査してないと道に迷うおそれがある。おそらく加藤は長い間、何回となく自らの足で歩き廻って、縦走路を熟知しているのであろう。それにしても、あまりにも常識はずれの加藤の山歩きを、ただ黙って見ていていいのだろうか。
「会長、あなたは加藤を神港山岳会へ入れようと思っているでしょう、もうその時期はすぎていますよ。あいつは、われわれの山岳会なんかでくすぶっている男ではありません。それに、ああいうとびはなれたのが入ることは会の統制上かんばしくありません」
中条一敏は外山三郎にだめをおすようにいった。
「もう、加藤は手のとどかないほど遠くを歩いているというのか」
外山三郎はひとりごとのようにいってからすぐ、
「いや、あれをひとりで置いてはならない、ひとりで置けば、彼はいよいよひとりになり切ってしまうのだ、それはいけない、彼にとっても日本の山岳界にとっても、それは大きな損失なんだ」
「なんですって」
中条一敏は、外山三郎が、日本の山岳界のためなどということをいきなりいい出したので、ひどくびっくりした眼で、外山三郎の顔を覗《のぞ》きこんでいた。
窓の外で小鳥が鳴いていた。一羽《わ》ではない、二羽か三羽がさえずっている声が、研修所卒業生代表として謝辞を述べようとしている加藤文太郎の耳に入った。神戸は山が近いから小鳥が多い。山手の住宅地の庭に野鳥の訪れることはめずらしいことではないが、海に近い和田岬にまで小鳥が姿を現わすことはまれであった。卒業式は会社の講堂で行われていた。講堂と隣接している庭が小鳥を呼びよせるにふさわしいほどの広さを持っているとは思われなかった。おそらく小鳥の訪れは春の陽気のせいにあるのだろう。その日は、小鳥たちが、その遊飛範囲を拡大するにふさわしいほどうららかに晴れていた。
加藤文太郎は謝辞と大きくおもて書きをしてある、包み紙を取りのぞき、折目をつけてたたみこんである紙を開いた。胸の鼓動が高まっていくのがはっきりとわかる。彼は力強い声で、読み出した。ほとんどその内容は暗記するほど頭の中に入っていたが、晴れの席でそれを読むと声が震えた。謝辞の半ばまで読んでようやく落ちつきを取り戻《もど》していた彼はちょっと顔を上げた。前に研修所長がひどく緊張した顔で立っていた。その背後にずらっと並べられた椅子《いす》には、会社の幹部が坐《すわ》り、やや離れたところに研修に参加した教師たちがならんでいた。卒業する十六名よりはるかに多い人がそこに坐っていた。
「無事卒業の栄に浴することができたわれわれ十六名は……」
加藤文太郎はそこまで読んで来たとき、彼の視角のはずれにいる影村一夫が、ぴくっと身体を動かしたように感じられた。加藤はその謝辞の草案を影村一夫に見せたときのことを思い出した。影村は机上からペン軸を取り上げると、
「五年前にこの講堂で行われた入所式に参加したわれわれ新入生の数は二十一名であったが現在ここに晴れの卒業免状を手にするのは十六名……」
と書いた一節を赤インキで乱暴に消してから、
「卒業生十六名だけでいい、余計なことは書くな」
影村はきびしい口調でいった。卒業生十六名中には、途中で補充入学して来た者が三名いる。従って、五年前に加藤と一緒に研修所の門をくぐって、今卒業証書を手にすることのできる者は十三名である。五年間に八名という脱落者がでたのである。
加藤は謝辞を読み終って研修所長の前に置くと一礼して席にかえった。重荷をおろしたという気持のあとから、五年間に消えていった八名の同級生の顔がつぎつぎと浮んで来る。
木村敏夫、新納友明、金川義助の三人は加藤に多くの影響を与えた友人であった。自ら研修所に見きりをつけて、出ていった木村敏夫はその後どうしたろう。刑事に手を取られて寮を出たまま二度と姿を見せない金川義助はどこにどうしているのだろうか。加藤は研修生中一番の成績を持って卒業した自分と、自分以上に実力がありながら卒業できなかった友人のことを考えると胸のつまる思いがした。
「起立、礼」
の声が聞えた。加藤ははっとなって立上って正面を向いて礼をした。卒業式は終ったのである。卒業式に引きつづいて、研修所の食堂で卒業祝賀会が催されることになっていた。卒業生と教官たちはぞろぞろと講堂を出ていった。講堂を出てすぐの廊下の窓が開け放されていた。加藤はそこで立止って、庭の方へ眼をやった。さっきから鳴いていた小鳥の姿を見たかったからである。庭の桜が散りかかっていた。小鳥の姿はみえず、白い上《うわ》衣《ぎ》を着た男が庭の隅《すみ》にテーブルを持ち出して、なにか実験をやっていた。
祝宴会場にビールが用意されていた。卒業生十六名のうち三名は既に徴兵検査が終っており、あとの十三名は、ことし徴兵検査を受ける予定の者ばかりだった。祝宴にビールが出ても、少しもおかしくはない年頃《としごろ》の若者たちだった。
はなやかさはなかった。さすがに卒業という喜びが一般的には祝宴を明るくしてはいたが、隅々に暗いかげがうずくまっているのを見おとすことはできなかった。
「金川義助がいたら、この辺で詩吟をやるだろうなあ」
村野孝吉が、祝宴会がなんとなく気勢のあがらないのを見ていった。
「そうだ金川義助がいたら……」
加藤は突然襲われた悲しみに声をのんだ。加藤ひとりだけではなく、十六名の研修生すべての悲しみだった。陽気な顔をして、ビールを飲み、大声で話していても、彼《かれ》等《ら》の心の中には、八名の脱落者への同情と、彼等と同じような立場にいつ立たされるかも知れないという不安があった。社会全般の暗いかげは業《ごう》のように彼等につきまとっていた。十六名は卒業した。しかし、その中から何名かは、不況対策の犠牲者として会社を去っていかねばならないだろう。会社を去らずとも、会社の内部にいながら、火の出るような生存競争が行われるのだ。技術者としての優秀さを認められて抜擢《ばってき》されるものもあるにはあるが、特別に目立つような仕事をしないかぎり、同期の研修生を抜いて昇進することはまずあり得ない。技術が同等だと仮定すれば、あとは黙って年功序列を待つか、空《あ》いている椅子に向って上手に泳いでいくしか手はなかった。どっちみち技師になるのは容易なことではない。技手としてこつこつ働いて、退職間《ま》際《ぎわ》に技師になるのが、先輩たちの歩いた道だった。十六名の研修所卒業生たちは、卒業免状を手にした瞬間、彼等が老いさらばえても尚且《なおか》つ技手としての肩書きのもとに、大学出の若手技師の頤使《いし》に耐えねばならない人生を見つめていたのである。
隅の方で拍手が起った。田《た》窪《くぼ》健が椅子の上に立上ってしきりに手をふった。田窪という男は剽軽者《ひょうきんもの》だった。人を笑わせることがうまく、こういうパーティーにはなくてはならない男だった。
「これより、はだか踊りをはじめます」
田窪がどなった。わあっと歓声が湧《わ》いた。気の早いのが、田窪のズボンに手をかけた。
「はだか踊りは当世流家元北村安春君の枯れすすきでございます」
田窪がはだか踊りをやるならば、うなずけることだったが、北村安春がやるというので、みんな一瞬意外な顔をした。だが、すぐそのあとでとってつけたような喚声が上った。そろそろアルコールが廻っていたし、この際、田窪であろうが北村であろうが、かまったことはない。景気よくなにかやって欲しいという、ひやかし気分で声を上げたのである。
踊りの場があけられた。田窪の音《おん》頭《ど》で、祝宴とは似ても似つかぬ、枯れすすきの歌が歌い出された。すると、食堂の賄部《まかないぶ》の方から、素裸になった北村安春が赤い布一枚をふりかざしながら踊り出て来て、枯れすすきの合唱に合わせて踊り出したのである。
テンポのおそい踊りであった。北村の持っている赤い布は、器用に動いた。あるときは、それは枯すすきになり、ある時は、船頭の持つ竿《さお》になり、ある時は、オレになりオマエにもなった。赤い布が、種々の役目を帯びて動いている間中、その一端は、北村安春の恥部をたくみにかくそうとしているようであったが、枯れすすきの歌がいよいよ最後に近づいて来ると、北村安春は背伸びするように立上って、赤い布を延ばした。彼の股《こ》間《かん》の動勁《どうけい》がぴょこんぴょこんとこっけいなすずめ踊りを見せてはだか踊りは終った。
拍手が湧くなかで、加藤文太郎ひとりはにがにがしい顔をして立ちつくしていた。会場には会社の幹部がいた。第一工場長は腹をかかえて笑った。第二工場の技師長は今年の卒業生の中にはなかなか元気のある奴《やつ》がいるじゃあないかといった。服を着て出て来る北村安春にビールをついでやる技師もいた。
「ばかな……」
加藤は口の中でつぶやいた。北村は卒業と同時に自分を売り出すことを考えていたのだ。たとえ、まっぱだかになって、男性の象徴を人前にさらけ出しても、自分を他人より先に認めて貰《もら》いたいと考えている北村の根性がみえすいていた。加藤は宴会場に背を向けて廊下に出た。そのあとを追うように外山三郎が手を伸ばして加藤の肩をたたいていった。
「加藤君、はだか踊りをいちがいに軽蔑してはいけないぞ、あれだってなかなか勇気のいることだ。しかし君にはああいうことをけっしてすすめはしない。ぼくは君に、設計者としてのはだか踊りをいつか見せて貰いたいと思っている」
「設計者としてのはだか踊り?」
加藤は立止った。
「設計者となった場合、多かれ少なかれ、他人の真似《まね》ごとをするようになる。他人の真似をしないほんとうの独創的な考えはなかなか出ないものだ。きみは若い。旧来の方法にこだわらず、自由奔放な夢を製図板の上に描くことができる。従来の機械設計者たちがあっと驚くようなはだか踊り的新設計を見せることも、きみならできるのだ」
外山三郎の顔はビールのために幾分紅潮していた。それだけいうと、いつものようににっこり笑って、瀟洒《しょうしゃ》なうしろ姿を加藤に見せながら足ばやに去っていった。
研修所を卒業すると、研修生は寮を出なければならなかった。村野孝吉が加藤に下宿を探してくれた。
「あの下宿がいやだったら、おれが入ることに決っている下宿に君が入ってもかまわないぞ、おれはどっちだっていいからな」
村野孝吉はそういってくれた。
村野孝吉の紹介してくれた下宿は池田上町にあった。加藤はその家が山手にあることで第一に気に入った。外山の家からもそう遠いところではなかった。南面に向いた二階の六畳間だった。同宿人はおらず老人夫妻と小学校に通っている孫娘がひとりいるだけだった。賄《まかな》いつき十八円五十銭もそう高い下宿料ではなかった。
二階の雨戸をあけると、夕焼空が見えた。日はよく当りますよと婆《ばあ》さんが加藤が聞かない前にいった。気さくな婆さんだった。加藤を案内してさっさと階段を登るところを見ていると、身体《からだ》はしっかりしていた。二階は二部屋あって、となりは四畳半だったが、その部屋には、ドアーがついており、洋室づくりになっていた。その部屋を見せてくれと加藤がたのむと、婆さんはきらっと眼を光らせていった。
「この部屋はせがれの部屋ですから」
「おられるんですか」
「せがれは外国にいっているんですよ、いつかえってくるか分りませんが、帰って来るまでこうしておくんです」
婆さんは加藤の顔をさぐるように見て、下にお茶が入っていますからといった。老人はほとんど口をきかなかった。軽く会釈《えしゃく》しただけで、加藤の前から、のがれるように奥へ入っていった。
「主人は変りものでしてね」
婆さんはそういうと、学校からかえって来たばかりの孫娘の頭をなでながら、
「この子は学校で一番成績がいいんです。とくに作文が上手でね……、美恵子ちゃんこのおにいさんに作文見せてあげなさい」
美恵子はすきとおるように青白い顔をした、眼ばかりやけに大きな子だった。美恵子はその眼で加藤の顔を穴のあくほど見つめていた。
加藤は、この家――彼が下宿しようとしている多《た》幡《ばた》新吉の家に暗いものを感じた。日当りはいい、家人は悪い人ではなさそうである。同宿人はいない。加藤は彼をじっと見つめている美恵子の青い顔だけが気になった。
加藤はさめかけているお茶をごくりとのんで立上った。加藤が黙って立上ったのを見て、加藤がここに下宿することを嫌《きら》ったのだと見てとった婆さんは一瞬、固くなった顔に強《し》いて微笑をつくろうとした。その顔が醜くゆがんだ。
「おばあちゃん、このおにいちゃん二階へ来ることになったの」
美恵子が訊《き》いた。
「いいえ、まだそうとはきまっていないのよ」
婆さんは孫娘をなだめるようにいった。下宿人を置くことによって、多幡家の家計がいくぶん助かることと、この暗い家を明るくするために新しい人が来ることを少女は望んでいるのだ。加藤は美恵子の眼の中にその願いを見てとっていた。
加藤は黙って玄関に出ていって靴《くつ》を穿《は》いた。そして、くるっとふりかえって、婆さんのうしろに心配そうな顔で立っている少女にいった。
「明日、荷物を持ってやって来るからね」
そして加藤は二階につづく階段に眼をやってから、彼の新居となるべき、その家の玄関を出ていった。
加藤は内燃機関設計部第二課勤務を命ぜられた。
はじめて貰った俸給袋《ほうきゅうぶくろ》は加藤の上衣の内ポケットでかさこそと音を立てていた。立つときも、坐るときも、定規にそって鉛筆を滑らせるときも、俸給袋は鳴った。よくよく心を静めて聴くと、呼吸をするたびに上衣の内ポケットの俸給袋は鳴っていた。
加藤はその俸給袋を庶務係員の田口みやから受取るときは、もう十年も二十年も俸給を貰いつけている人のように、慣れた手つきで受取ると、記載事項にちらっと眼をやって、ほとんど反射的に俸給受取り簿に印をおした。はじめての俸給を受取る者の感激はどこにも認められなかった。そしてそのごくスムーズに行われていく、金銭の受け渡しについて、誰《だれ》も興味を持って眺《なが》める者はいなかった。加藤は、研修生活五年間、毎月一回、俸給ではないが、研修手当として若干の金を受理していた。その研修手当の金の入った袋も彼のふところで鳴ったはずだが、そのことは記憶にはなかった。はじめての俸給が内ポケットで鳴るのは、研修手当と比較しての金額が格段に多いからではなかった。金額よりも、自ら働いて得た喜びが紙袋の音となって聞えて来るのである。それにしても、その喜びをいっさい、外界に出そうとしない加藤のかたくななほど固定化された表情はむしろつめたいものにさえ見えた。
俸給は午後の二時に貰ったが、退社時刻近くになっても、まだ袋の音はやんではいなかった。俸給袋は歩いているときが一番よく鳴った。会社の廊下を歩いていて、彼のふところの俸給袋の音が、廊下を歩いている会社の人に聞かれはしないかなどと思ったりした。俸給を貰ったのは彼ばかりではなく、会社の人はことごとく、俸給袋をふところにしているのだから、どの人のふところでも袋は鳴っているはずであった。廊下で村野孝吉に会ったら、彼は加藤の耳もとでいった。
「みんなが集まって祝杯を上げようっていう話が出ているんだ。おれたちは初めての月給を貰ったんだ」
村野孝吉はふところをたたいて言った。加藤はうなずいただけだった。
上衣の内ポケットで鳴る俸給袋が気になる原因のもうひとつは、その金の処分であった。彼は頭で算術をする。下宿代十八円五十銭、昼食代九円、洋服の月《げっ》賦《ぷ》、月に十円、小遣十円、交通費五円、計五十二円五十銭、月給が六十円だから差引き勘定七円五十銭残ることになる。その七円五十銭はなんに使ったらよいだろうか。そんなことを想像していると、手の動きがにぶくなった。いままで感じたことのない、妙にくすぐったいうれしさが彼を落ちつけなくさせた。
退社時刻が来たらなにかしなければならないような気がしてならなかった。このまま俸給袋を持って下宿へ帰ってはいけないような気がした。そうかといって行くあてはなかった。そうなると、俸給袋をいだいたまま退社時刻に近づくことが、かえって不安だった。
退社ベルは正確に鳴った。
しばらくは課の中は静かだった。三分、五分ぐらいたつと課員は持場から離れて、それぞれ帰宅の用意をはじめた。
「加藤君、今夜はなにか予定があるかね」
課長の外山三郎が加藤の机のそばに来ていった。
「別になにもありません」
「それなら、ぼくとつき合わないかね、ぜひ君に紹介したい人がいるんだ」
といってから、
「そうそう、きみはいつか芦《あし》屋《や》の岩場で藤沢久造さんに会ったね。すると、別にあらたまって紹介するまでのこともないが、藤沢さんのようなベテランに山の話を聞くのもなにかとためになるだろう」
加藤はうなずいた。別に行くあてはなかった。藤沢久造にどうしても会わねばならない理由はなかったけれど、外山三郎の前で首を横にふるほどの理由もまたなかったのである。
「どうかね、加藤君、俸給をはじめて貰った気持は悪くはないだろう」
外山三郎は歩きながらいった。
「いろいろと胸算用してみるのも楽しいが結局はこれがもっともいいという使い方も見つからないものだよ。自分で働いて得た金だと思うと、そうやたらに使うわけにもいかないしね。だがそれは、最初のときだけのことで、二度目からは、足りない、足りないの連続で、とうとう、結婚まで追いこまれてしまうんだ。ぼくはね、結婚するとき、貯金がたった三十円しかなかった。あまり自慢できた話じゃあないが、ほんとうの話だよ」
そして外山三郎は、急に思いついたように立止って、
「なにか将来金が必要になるようなはっきりした目的があったら、最初の俸給から貯金していかないと駄目《だめ》だよ。たとえば毎月十円ずつ貯金するんだったら、きみは五十円の月給取りだと最初から思いこんでかからないといけない、それはなかなかむずかしいことだ」
外山三郎と加藤は三宮駅の近くで電車をおりると、赤レンガの建物の地下室に入っていった。白いテーブル掛けが加藤の眼に真《まっ》直《す》ぐとびこんで来た。焼き肉のにおいがする。外人が二組と、日本人が一組いるだけで、あとのテーブルはあいていた。
「さあ、加藤君……」
外山三郎が入口で突立っている加藤を誘った。一番奥のテーブルにいる藤沢久造が手をあげて合図した。
加藤は坐《すわ》ってもじろじろとあたりを見《み》廻《まわ》した。身分不相応なほど豪華なレストランに見えた。こんなところへ来ていいのかと自分自身を見直した。彼は、研修所時代と全く同じ、カーキ色の作業衣を着たままだった。
藤沢は外山三郎に課長に昇進したお祝いのことばを述べてから、加藤に坐るようにいった。加藤は、ぺこりと一つ頭をさげただけだった。なんの目的でこんなところへ連れて来られたのかと考えると、また別な不安が持上って来るのである。スープが運ばれた。そして、肉が運ばれて来る。さあ遠慮なくどうぞと、藤沢久造にいわれて、加藤はナイフとフォークを取ったが、それをうまく使うことはできなかった。おそらく神戸でも一流のレストランに違いないと加藤は思った。そういうところへなぜ呼んで御《ご》馳《ち》走《そう》してくれるのか分らなかった。外山三郎がそばにいてくれるからいいものの、もし相手が藤沢久造ひとりだったら、おそらく加藤は逃げだしたにちがいない。しかし、そばにいる外山三郎がいっこう平気な顔で、藤沢久造と、さかんに山の話をしながら肉を口に運んでいるのを見ると、この席が特に警戒を要するものとも思われなかった。
加藤は味のない夕食を終った。うまかったという感じはなく、石のように固い肉が腹の中にたまったような気持だった。
「加藤君、神戸ってところはいいところだね。前が海、うしろは山、神戸の町から歩いて直ぐのところに山があるんだ。岩登りをやろうと思えば、けっこう岩場もあるし、縦走で足をきたえようと思えば、それもある。信州が山に恵まれているといっても、松本から上高《かみこう》地《ち》に入るにはまるまる一日はかかる。信州にかぎらず、日本中どこを探したって神戸ほど、山男向きにできているところはない」
藤沢はその自説に対して外山の見解をうかがうように眼をむけてから、
「こういうところで規則的に登山の下地を作っておくことが、高い山をのぞむ者の絶対欠くべからざる条件なんだな。ぼくはね外山君、このような環境に恵まれた神戸から、やがてはヒマラヤを征服するような登山家がでることを信じているんだ。さっききみと話していたヒマラヤだって、結局のところは足で勝ち取る以外にないのだからね」
なるほどと外山三郎はいくどもうなずいてから加藤に向って、
「加藤君どうだね、ヒマラヤは」
外山三郎は微笑をまじえながら加藤に話しかけた。
「行けない山のことなんか興味はありません」
加藤はそっけなく答えた。
「行けない山だって?」
藤沢久造の眼がきらりと光った。それまでずっとおだやかな顔で外山と話していた藤沢とは別人のようだった。
「行けないのではない、行かないんだ。行かないから未征服の山がそのまま残されているのだ。八千メートル級の山だって、いくつあるのかも、ほんとうはまだ正確には分っていないんだ。まして七千メートル級の山になると、地図にない山、あっても名前のついていない山が数え切れないほどあるんだ」
藤沢久造は加藤の眼をとらえたまま更につづけた。
「行けないんじゃあない、行かないんだ。日本人はまだ誰も行こうとしないのだ、第一に登山技術の未熟、第二に遠征費用……」
「登山技術のどういうところが未熟なんでしょうか」
加藤は藤沢の眼を真直ぐ見ていった。
「今の日本は西洋の登山技術を真似《まね》ることにいそがしくて、それ以上のものを創《つく》り出すことはできない。つまりまだ自信を持つまでにたちいたっていないのだ。登山の歴史と経験が浅いからやむを得ないが、少なくとも日本人の体力の限界なるものが未知数であるかぎりは、ヒマラヤに挑戦《ちょうせん》はできない」
体力の限界……加藤文太郎は藤沢久造のいったことばを口の中で反覆してから、
「たとえば登山技術が向上したとして、遠征費用はどのくらいかかるのでしょうか」
「かけようと思えば、いくらかけても充分とはいえないだろう。しかし、一人最低に見積っても二千円ぐらいは自己負担金を用意する覚悟でないと遠征隊は出せないだろう」
加藤の顔に小さな動揺が起った。彼は二千円を彼の月給の六十円で割ってみたのである。月給をそっくりためても約三年はかかる金高だった。
「しかし、日本人の誰かによって、いつかはヒマラヤのピークが征服されることは間違いない。ぼくはそれが、そんなに遠い将来とは思っていない」
藤沢久造は最後の方を自問自答のかたちでいった。
「藤沢さん、ぼくにヒマラヤがやれますか」
それは藤沢久造にとってもそばにいる外山三郎にもまったく思いがけない質問だった。
「自分に勝つことだ。そうすればヒマラヤに勝つことができる」
藤沢久造は加藤の視線をはねかえすような鋭い眼つきでそういうと、急に顔をほころばせて、
「まだまだヒマラヤのことなど考えないでもいい。ヒマラヤを口にする前に、登らねばならない山が日本にはいっぱいあるからな」
藤沢は怒ったような顔をしている加藤の肩を叩《たた》くと、手をあげてボーイを呼んで、支払いをはじめた。
「ぼくの分はいくらですか」
加藤が大きな声でいった。いいんだよと藤沢がいっても、外山が、加藤君こういう場合は先輩にまかせておけといっても、加藤はきかなかった。彼は上《うわ》衣《ぎ》の内ポケットから、今日貰《もら》ったばかりの俸給袋を出して、ぼくの分はいくらなんです、ぼくの分はぼくが払いますといってきかなかった。藤沢は負けた。そんなにいうなら君の分は君に払って貰おうと、二円五十銭加藤から受取った。加藤は、これで、いっさいのことがけりがついたというように、気をつけの姿勢をとって藤沢と外山に頭をさげるとさっさとレストランを出ていった。
「どうもすみませんでした、なにしろ、加藤は、まだやっと世の中に出たばかりなので」
外山は藤沢久造にわびを入れた。
「いやいや、あの男はたいした奴《やつ》だ。この前、芦屋の岩場で会った時は、汗を流すために山に登るといっていた。あのときぼくはこいつはただものではないぞと思っていたが、やはりあれはほんものだよ」
「ほんものというと」
「いわゆる登山家という奴の中には、にせものが多い。こういうおれもにせもののひとりだ。きみもけっしてほんものではない。ほんものの登山家というのは、すべてを自らの力で切り開いていく人間でなければならない。加藤文太郎といったな、あいつは。彼はそう遠くないうちに日本を代表するような登山家になるだろう」
藤沢久造は、出ていった加藤のほうを見詰めながらいった。
「あの加藤を神戸登山会のメンバーに推薦しようという人がいるんですが、どうでしょうか。彼は冬の神戸アルプスを須磨《すま》から宝塚《たからづか》まで一日で縦走したあげく、余力を持って宝塚から和《わ》田岬《だみさき》まで歩いて帰るという驚異的な実績を持っています。彼のような活動的な若手登山家を神戸登山会に入れたら、神戸登山会ばかりでなく、関西の山岳界全体が強化されることにもなると思うんですが」
外山三郎は藤沢久造の顔を見ながらいった。
「そんなことをいったのは、神戸登山会の岩沼敏雄君あたりだろう。岩沼君は関東の山岳会を意識しすぎる。関東の山岳会に対して対立感情を抱きすぎるようだ。こんなせまい日本で、関東も関西もない。関東の山岳会に対抗するための選手に加藤文太郎を仕上げようなどというけちな考えはやめた方がいい。どうだね外山君、きみの考えは? きみだって、加藤を神港山岳会に引っぱりこもうとして、結局あきらめたのは加藤をもっと広い世界に放してやろうと思ったからだろう」
藤沢久造に開き直ってそう言われると、外山は返答に窮した。
「だが、加藤を、どこの山岳会にも入れずに放って置いていいものでしょうか? やはり、どこかの山岳会に入れてしこまないと」
おいまて、と藤沢久造がいった。
「誰が加藤をしこむのかね。冬の神戸アルプスを一日で縦走して、尚《なお》かつ宝塚から和田岬まで歩いて帰るなどという、超人的な男を誰がしこむのだね。きみたちは基礎的なものを教えるというだろう。その必要はない。基礎的な教育が必要なら、彼を、外山君の書斎へ引張っていって本を与えておけばそれでいい」
「すると、藤沢さんはどうすればいいっておっしゃるのでしょうか」
外山三郎はやや詰問《きつもん》のかたちで聞いた。
「放っておくことだ。彼の芽を伸ばすには放っておくのが一番いい。ああいう大物は下手な先生をつけずに置いた方が、素直なかたちで伸びる。ただ、誰かが常に見守ってやっていることだけは必要だ。そうしないと、とんでもない方向に伸びていってしまわないともかぎらないからな。その目《め》付役《つけやく》には外山君がいい、どうやら加藤は外山君のいうことだけはきくらしいからね」
藤沢久造は葉巻に火をつけた。
「ぼくの食べた分はぼくが払いますか、どうだね外山君。すばらしい根性をたくわえた男じゃあないか。あの精神が登山家の精神なんだと思わないかね。いかなることがあっても、自分のことは自分で処理する。偏窟《へんくつ》にも思われるほど、妥協性を欠く、あの独立精神が、結局は山における人間に通ずるのだ。加藤に関するかぎり、彼が望まないかぎりは決して妙な色に染めようとしてはならない」
藤沢久造は静かに立上った。
加藤文太郎のふところの中の俸給袋《ほうきゅうぶくろ》はもう鳴らなかった。加藤は、怒ったような顔をいくらか紅潮させたままで、宵《よい》の町を彼の下宿の方へ歩いていた。彼の頭はヒマラヤでいっぱいだった。ヒマラヤ行きが不可能ではないと藤沢久造から教えられたとき加藤文太郎の人生観は変った。
「お帰りなさい、ごはんまだでしょう」
多幡てつは加藤の顔を覗《のぞ》きこむようにしていった。
「食べた」
加藤は答えると、てつの方は見向きもしないで二階へ登っていった。
二円五十銭とは高い夕食を食ったものだと思った。彼の一日の稼《かせ》ぎ高よりも上廻った食事をしたのだと思うと、ひどくばかげたことをしたように考えられた。月給を貰ったら高級料理店で思い切り上等な洋食を食べてみたいと思っていた彼が、突如として、金をおしむ気持になったことを加藤は危《あや》ぶんだ。
(はたして、生涯《しょうがい》の目的をヒマラヤにかけていいだろうか)
あらゆるものを、場合によっては、青春さえも犠牲にしてヒマラヤをのぞむことが、意義あることだろうか。加藤は机の前に坐ったまま考えつづけた。加藤はヒマラヤを知らない。ヒマラヤの写真は、いつか外山三郎の家で見せて貰った。その山が彼の頭の中で際限もなく拡大されていった。ふり仰いでも、いただきは見えないほどに高い。彼はためいきをついた。
彼は机上の鉛筆を取って、紙の上にヒマラヤという字を書いた。頭の中のヒマラヤを字としてそこに書くと、ヒマラヤはやはり、彼とは関係のない外国の山に思えてならなかった。加藤は、ヒマラヤの字を憎んだ。彼と関係のないヒマラヤがこうまで彼をとらえて放さないことにいきどおりを感じたのである。ヒマラヤという字は無限に書けた、またたく間にレターペーパーの一枚はヒマラヤで一ぱいになり、二枚目も三枚目もヒマラヤで満たされていった。レターペーパーの最後のページが残った。そこに加藤文太郎は数行の文字を書いた。
和田岬まで歩いて通う
洋服なんかいらない
交際費は使わない
下宿代、昼食代、小遣銭――
彼はその四行を書いてから、下宿代、昼食代、所要小遣銭を頭の中で加算して、その合計を月給の六十円から差引くと二十二円五十銭のおつりが出た。
加藤は彼の俸給袋の中から二十二円五十銭を取り出して、ヒマラヤの落書きでいっぱいになった紙片に包んでから更に、レターペーパーの余白で、こまかい計算を始めたのである。もし毎月二十二円五十銭ずつ積み立てていったら十年かからずとも、二千円の貯金はできる。そのことがヒマラヤへ行くこととつながるならば、ヒマラヤは夢でなくなるのだ。
加藤は鉛筆を置いた。頭の中は整然としていた。いよいよ繭《まゆ》を作る段階に入った蚕のように、自分の頭の芯《しん》まですきとおって見えるような気がした。すきとおった頭をとおして、ヒマラヤが見えた。
翌朝加藤は前日より一時間早く下宿を出た。和田岬まで歩いていくつもりだった。彼の足で一時間はかからなかったが、最初だったから、もっとも通勤に便利な道を選ぶためにそれだけの時間をかけたのである。その日の昼食休みに村野孝吉が洋服屋をつれて加藤のところへやって来た。既に村野孝吉は仕立ておろしの紺の背広を着こんでいた。
「どうだい、似合うだろう」
村野は加藤に彼の洋服を見せびらかしてから、洋服屋を紹介した。薄い口唇《くちびる》をして、金縁の眼鏡をかけた洋服屋だった。ぺらぺらと一方的によくしゃべる男だった。加藤が、作るとも作らないともいわないうちに、見本を出して、これがいい、こっちがお似合いですなどといった。
「おれは五カ月月《げっ》賦《ぷ》にしたよ」
と村野孝吉はいった。
「おれは月賦なんかいやだ」
加藤文太郎は、洋服屋の顔を敵の顔でも見るような眼で睨《にら》みつけていった。
「全額お支払いいただけましたら一割はお引きいたします」
洋服屋は腰をまげた。
「洋服が買えるだけの金がたまったら買うよ」
加藤はそれ以上洋服屋の相手になろうとはしなかった。洋服屋が帰ってから、村野孝吉がいった。
「きみ、どこか洋服屋のあてがあったのか。どうもすまなかったな」
村野はさしでがましいことをしてしまったという顔で頭をかいた。
「いや洋服屋のあてはないんだ」
「じゃあ、きみ……」
「きみたちは新しい背広を作ればいいだろう。おれは当分このナッパ服で通勤する。おれにはこの服がほんとうに気に入ったのだ」
「だが加藤それじゃあ――」
「神港造船所の技手になったんだからそれらしい服装をしろっていうのだろう、ぼくは服装なんかどうだっていいんだ。現に造船所に働いている半分ぐらいの人は、この服を着て通勤しているじゃあないか」
村野孝吉は何度も頭を下げた。村野は人を疑う男ではなかった。技手になったからすぐ洋服を着て、工員たちに見せびらかそうとする、あさはかな魂胆をこっぴどく加藤に指摘されたような気がした。いかにも技手になった。だが仕事はまだなんにもできないのだぞ、と加藤に面と向っていわれたような気がした。
「やはり、きみはちがうなあ」
村野は嘆声をもらした。尊敬と畏怖《いふ》と、ごくわずかながら揶揄《やゆ》のひびきがこめられていた。
加藤は黙っていた。村野孝吉に悪いと思っていた。月賦で背広を買うつもりだったが、ヒマラヤという目的ができたのだから、それをしないのだとはいわなかった。加藤はヒマラヤのために貯金をするという秘密は誰《だれ》にも話すまいと決心していた。父にも兄にも、外山三郎にさえもこれだけはいうまいと思った。誰がなんと批判しようと、ヒマラヤへ行くためには、それだけの犠牲は払わねばならないと思った。
「加藤君、同級会のことな。今度の土曜日の夜にきまったんだ。北村安春にはだかおどりをさせようとみんながいっている」
村野は話題をかえた。場所は銀水という中くらいの料亭《りょうてい》で、会費は二円だった。
「ぼくはでないよ」
加藤はぶっきらぼうにいった。
「なぜなんだ。え、加藤なぜでないのだ」
村野孝吉は不審と不満の同居した顔でいった。
「理由はいいたくない。でたくないんだ」
村野は加藤の顔をさぐるように見詰めていたが、しばらくたっていった。
「そうか、君のきらいな北村安春が出るからだろう。な、加藤そうだろう。しかしな加藤、もうおれたちは会社員なんだぜ。いやなやつとも、時にはつき合わねばならないだろう。君の席を北村と顔を合わせないようなところに取るようにするから出ろよ」
しかし、加藤は首をふった。はげしく振って、くるっと村野に背を向けた。
「やっぱりだめか。きみは、北村安春にひどい目にあったからな。あいつに密告されて警察でぶんなぐられたうらみを、そう簡単に忘れろといっても無理だろうな――加藤、おれが悪かった。もう誘わないよ」
悄然《しょうぜん》と去っていく村野孝吉を見送りながら、加藤は、そうではない、会に参加しないのは、二円の金がおしいからなんだよと心で詫《わ》びていた。なにもかも、善意に受取っている村野孝吉が、いつまでも、その気持で加藤を見ていてくれるとは思われない。いつか、村野孝吉は、加藤に向ってきさまは、けちだ、友人とのつき合いもおしんで金をためてなににするのだ、というに違いない。
(その時はその時のことだ)
加藤はポケットに両手を突込んで廊下を事務室の方へ歩いていった。ヒマラヤを望むならば、或《あ》る程度は友人との交際を犠牲にしなければならないと思った。その覚悟でないと、目的は、達成されない。彼は休み時間中でも社員のために窓口を開いている社内預金係へ行って、二十二円五十銭を貯金した。
事務室を出て空を見上げるとよく晴れていた。青い空を見ると青い海が見たくなる。彼はちらっと腕時計を見てから、海の方へいそぎ足で歩いていった。
外国船が一隻《せき》神戸港を出ていくところだった。国籍旗は遠くで見えなかったが、なんだかその船がインドの港へ向っていくような気がしてならなかった。インドという国が加藤の頭に浮び上ったのは、インドの北にあるヒマラヤが彼の中にあったからだった。
(少なくとも、日本人の、体力の限界なるものが未知数であるかぎりは、ヒマラヤに挑戦《ちょうせん》はできない)
藤沢久造のいったことばが思い出される。山における、日本人の体力の限界が未知数であるということは、日本人の登山が技術においても経験においても頂点に達していないことを意味していた。藤沢久造がいった未知数という抽象語の中には、かずかぎりない、日本の登山界の懸案があった。加藤にはその一つ一つは分らなかったが、日本において、未《いま》だに開かれない分野が今尚多く残されている事実に勇気づけられていた。
(ヒマラヤを望む前に、まず日本の山に登れと藤沢さんはいっているのだ)
加藤は海の青さを見つめながら、山の上の空の青さにあこがれた。六甲山あたりをうろついていたところで、日本の山の未知数なるものを発見はできない。
(おれは日本の山のことをなにひとつとして知ってはいないのだ)
加藤は、なにか足もとに蛇《へび》でも発見したように、飛び上ると、力いっぱい会社へ走りかえった。一時までにまだ五分あった。庶務係員の田口みやが事務机の前で本を読んでいた。
「ぼくも休暇が貰《もら》えるんですか」
田口みやは、びっくりしたような顔をして立上ると、静かな声で、はいと答えた。
「一年に何日休暇が取れるのです。続けて休んでもいいのですか。その休暇をいつ取ってもいいのですか」
田口みやは加藤の立てつづけの質問にこまったような顔をしていた。
「ね、何日取れるんです」
「日曜祭日のほか二週間の休暇は認められています。続けてお取りになる方もございますし、ばらばらに取る方もございます。仕事の都合で、なかなか思うようにはいかないようですわ」
田口みやは低い声で答えると、さらに、休暇は二週間認められているけれど、上役の許可がないと、病気以外は勝手に休むことができないのが実情であることをつけ加えた。
その時から加藤はその二週間をいかに有効に使うかについて考えはじめていた。
その日、会社が終ると、加藤はいつになく元気な、はきはきした声で外山三郎にいった。
「ぼく、日本アルプスへでかけようと思うんです、日本アルプスのことを書いた本を貸していただけませんか」
「そうか、いよいよでかけるか。山の本ならいくらでもあるぞ、必要なときは、いつでも来るがいい」
外山三郎は期待していた日がとうとうやって来たなという顔で加藤を見ていた。
「それでいつ日本アルプスへでかけるのだね」
「夏がいいと思います。七月までに準備をととのえます」
外山三郎は何度もうなずいた。
「そうだ、高い山にはまず夏山から入らねばならない。その前に予備知識をたくわえることと、用具、服装を準備するんだな。日本アルプスと神戸アルプスとはたいへんなちがいだからな」
加藤は、はいはいと威勢よく答えながら、自分にそそがれている影村一夫の視線を感じた。課長の外山三郎から、そう遠くないところの設計台に向って、居残りの仕事をつづけている影村一夫の横顔に、かげのような笑いが走っていた。
バスは非常にゆれた。うっかりしていると、天井に頭をぶっつけそうにも思われるくらい、バスは悪路を白いほこりを上げて走っていた。十人ほどの乗客がいたが、ゆれるのがあたり前だという顔で黙っていた。有明《ありあけ》の駅を出て、バスはすぐ田圃《たんぼ》の中をしばらく走るが、ひといきつく間もなく畑地帯に入り、やがて山地へ向っての勾配《こうばい》を登りだした。
加藤文太郎は、ルックザックを足元に置いて、食いつくような眼《め》で窓外を見ていた。生れてはじめての信州入りであり、生れてはじめての山入りの日でもあった。窓から富士山によく似た山が見えた。彼がそれまでに調べたところによると、その山は有明富士に違いないのだが、有明富士だと決めてしまうほどの自信もなかった。車掌は、景色についても、客についても無関心な顔で、時々思いついたように次の停留所の名前を呼んだ。加藤文太郎の他《ほか》には登山者はひとりもいなかった。途中の村々で五人ほどが下車すると、あとは中房温泉へ湯治にいくらしい客だけになった。この地方の人らしく、老人を混《まじ》えた家族で、食糧でも入っているのか大きな荷物を持っていた。
バスはやがて木のしげみの中へ入り、すぐ渓流《けいりゅう》にそって走り出した。バスの動揺は相変らずはげしかったが、木陰に入ると、道が湿っているせいかほこりは前ほど上らなかった。バスが徐行すると、川の流れの音が聞えた。日本アルプスから流れ出して来る中房川にからむようにして上流へさかのぼっていくことが加藤にはうれしくてたまらなかった。バスは狭い道を窮屈そうに走り、上からやって来た、幌《ほろ》をかけた自動車とのすれちがいで、何分間か時間をかけ、さらにそれから十五分も走ると終点の一の瀬だった。そこからは歩かねばならない。
茶屋があったが、そこでは休まず、加藤は大きなルックザックを背負って歩き出した。
(おれはヒマラヤへの第一歩をいま踏み出したのだ)
加藤は自分にいった。ヒマラヤへのその道は、薄暗いほど木の繁《しげ》り合っている道であった。木陰には青い苔《こけ》がしっとりとした色を見せているし、樹木の種類も、神戸の山や彼の故郷の山々のものとはたいへんなちがいだった。そのちがいがいったいどこにあるだろうかを加藤はまず考える。高度はそれほどではない。木の種類においても根本的な相違はない。渓流の音、これだって、そう違っているとは思えない。それならいったいなにが違うのだ。加藤文太郎は歩きながら深い呼吸《いき》をついた。
(そうだ、においが違うのだ、山のにおいが神戸の山と信州の山とでは全然違うのだ)
加藤はその相違について、それ以上の追求はしなかった。ただ、このすばらしい山のにおいを嗅《か》いでしまったら、この信州の山々と永久に離れられない関係になるのではないかと考えていた。道は山峡《やまかい》にそって続いていた。見上げても山のいただきは見えず、永久に続くかも知れないような森林の道を登りつづけていく気持もまた楽しかった。道は川と離れたり、近づいたりしていた。川の水はかなり豊富だったが、時々見せる河原の白さもまた印象的だった。谷の幅がいくぶんか広くなり、あたりがあかるくなって来るとにわかに前方が白くひらけて、遠く犬の哭《な》き声を聞いた。樹間をすかして見ると、紫の煙が見え、硫黄くさいにおいが鼻をついた。
中房温泉は、意外に大きな宿だった。二階建ての客室が、庭をはさんで建てられていて、廊下の手《て》摺《すり》にずらっと手拭《てぬぐい》がぶら下っているところを見ると、かなりの数の逗留客《とうりゅうきゃく》がいるものと思われた。
加藤は玄関に立った。なんていったらいいか黙って突立っていると、
「お泊りですか」
と宿の番頭がいった。そして、加藤のうなずくのを見てすぐ、
「ウエストンの泊った部屋にしましょうか、ちょうど今日あいたところだで」
とひとりごとのようにいうと、加藤のルックザックをかついでさっさとわたり廊下を歩いていった。ウエストンの泊った部屋へ案内されることはありがたいけれど、宿泊料のことが心配だった。だが、ウエストンの泊ったという部屋はけっしてそう上等なものではなかった。加藤は番頭の好意に感謝してから、明日の日程を相談して、ルックザックをそのままそこに置くと、宿の外へ出た。夕食までの時間を利用してその辺を歩き廻《まわ》って見るつもりだった。
彼は、中房川にそって登って来る間中、一度でいいから河原におりて、その白さをたしかめて見ようと思っていたことを実行に移した。宿の裏から河原に出る道があった。ちょっとした崖《がけ》のふちを廻りこむと、白い河原が眼の前にひろがり、河原からわざと遠慮したように向う岸近くに川が流れていた。白い河原を形成する石は花《か》崗岩《こうがん》が多かったが、花崗岩だけにかぎらず、いろいろな種類の石が、水に洗われて光っていた。
河原に大木が横たわっていた。山の奥から押し流されて来たらしく、きれいに木の皮はむかれていた。加藤は、その河原に立って、その川の荒々しさを思った。今でこそ、その河原の片隅《かたすみ》に流れている川も、ひとたび上流に雨がふれば、この河原いっぱいにあふれ出すのだ。そして、その流れはなにものをも砕く勢いで押し出して来るに違いない。加藤は川の両側にそそりたっている斜面を見上げたが、ここからも山のいただきらしいものは、はっきりとは見られなかった。
河原の上端に白いテントが一つ張ってあった。加藤は登山用テントを見るのが、今度がはじめてではなかった。神戸周辺の山でキャンプをしている学生に会ったことは何回かあったが、中房温泉に泊らず、河原にテントを張っているのは、山の仲間に違いないと思った。加藤の眼は自然にそっちの方へ向いていった。加藤が近づいていく足音を聞いたらしく、テントの中から男たちがつぎつぎと顔を出したが、すぐ引込んでかわりに一人の男がのっそりと現われた。
加藤はその男と視線を交わした。こんちはといえばよかった。こんばんはでもよかった。やあどうもでもよかった。にっこり笑うだけでもよかった。とにかく加藤はかぶっているハンチングを取って、なんらかの挨拶《あいさつ》らしいことをやればよかったのだが、加藤は、テントから出て来た男と視線を交わした瞬間、浮べようと考えていて、既にいくらか微笑になりかけていたその表情がこわばった。彼の癖である。心では話しかけていながら、顔は心とは反対に、不可解きわまる表情――見かたによってはそれが相手に皮肉な笑いとも、卑下した笑いとも、或《ある》いはまた嘲笑《ちょうしょう》にも受取れる、妙に、ゆがんだまま停止した表情になったのである。
テントから出て来た男は一瞬、きっとなった。
「なにか用ですか」
テントに向って、加藤が歩を進めて来たから、テントの主人のリーダーたるべき人はそう訊《たず》ねたのである。
加藤は答えるかわりに首を横に振った。それがまた、相手の癇《かん》にひどく触《さわ》ったらしかった。虚勢のように腕組みをしていた男はばらりと腕をとくと、わざと、加藤の頭からつま先まで何度も何度も眺《なが》めまわしてから、
「どこへいくんです」
と加藤に訊《き》いた。
「今夜は中房温泉へ泊って明日はツバメ、あさっては槍《やり》……」
「けっこうだな」
男はそういうと、もう一度加藤の服装にじろりと眼をやってから、テントに引込んだ。テントから首だけだしていた二つ三つの顔が引っこむと、突然、テントの中で爆発したような笑いが起った。
加藤は笑い声を背に聞きながら、もと来た道を戻《もど》っていった。加藤と顔を合わせて短いながらも言葉を交わした男は、加藤が、外山三郎から借りて読んだ本にあるような服装をしていた。ニッカズボンに長靴下《ながくつした》、皮のふちとりをしたチョッキのポケットにパイプをのぞかせているあたりは、スイスからアルピニストをつれて来たようにさえ見えた。テントの中にいる男たちもおそらく、リーダーにおとらないような服装をしているに違いなかった。
加藤は自分の服装を見た。地下たびを履き、着ふるしたズボンにゲートルを巻き、上《うわ》衣《ぎ》は、いつも山へ着ていくカーキ色の作業衣である。テントの中の男たちが笑った理由が、加藤の貧弱な服装にあったとしてもそのことは、加藤にとって、問題にすることではなかった。ただ加藤は、同じく、日本アルプスという山をめざして来ている山の仲間に、お前なんかここへ来る人種ではないぞと、いわんばかりにそっぽを向かれたことがたいへん悲しく思われてならなかった。
加藤は、彼らと話をしてみたかった。それができないのは、加藤自身に責任の大部分があることを加藤はよく知っていた。加藤の表情が相手の誤解を招くのである。彼の無口とあの怒ったような顔つきが、相手に警戒心と同時に反発心を起させるのだ。加藤にはそれがわかっていても、お世辞笑いはできないし、ごきげん取りのようなことばをかけることもできなかった。
加藤はその朝七時に中房温泉を出て、宿で教えられた燕岳《つばくろだけ》への樹林の道を登っていった。木の根を踏みこえるごとに面白《おもしろ》いように高度をかせぎ取りながら、木のしげみの間から中房渓谷《けいこく》をへだてて反対側にそそり立っている山と対比して彼のかせぎ取っている高度を確かめた。谷をへだてて、自分の高位が間接的に判断できるということが、彼の過去の経験に全然なかったとはいえないけれど、いま彼が自らの足と眼で、原生林の中で発見しつつある一つの登山の法則は見事なくらいあざやかに実証されていて、ひどく彼の心をたかぶらせるものであった。面白いように足が出た。背に負った大きなルックザックも、けっして重くはなかった。むしろ彼は、これからの未知の山行に対処するため、力をセーブすることに懸命だった。森林の木々の中で、特に彼の眼を楽しませたのは、白樺《しらかば》の種族であった。その白い肌《はだ》に加藤はしばし足をとめ、それらの木々が、ここでは、けっして素直に育っていないのを見て取り、この静かな山が、冬を迎え、雪を迎えて、いかにはげしい自然の圧迫をこうむるのかを察知した。
谷をへだてて向うの山のいただきが、やっとその形状を明らかにして来て、その山が有明富士にちがいないという確信を持ちはじめたころ、加藤は一つのパーティーに追いついた。彼らはあとから登って来る加藤に道をあけるために立止った。その先頭にきのう河原で会った男がいた。加藤は、道をゆずってくれた礼をいったが男は黙って顎《あご》を引いただけだった。加藤が一行を追いこしてしばらくいったとき、あとからそのリーダーの声が聞えた。
「こういう坂を、無茶苦茶に急ぐのは素人《しろうと》なんだ、いいか」
いいかというのは隊員全体にいいか分ったかと反問したのであり、素人というのは、加藤を指していることは明瞭《めいりょう》だった。加藤は苦笑した。生れて初めて三千メートル級の山に登ろうとしているのだから、素人に間違いがなかった。傾斜が一段ときつくなり、やや明るさを増したあたりに貧弱な小屋があった。合戦《かっせん》の小屋である。加藤はこの奇妙な名称となんの関係もなさそうな小屋を、立ったまま眺めただけで、先をいそいだ。一刻も早くその上にあるものを見たかったからであった。樹林帯の背の丈が急速にちぢまり、やがて、突然彼は一叢《ひとむら》の這松《はいまつ》を足下に見たのである。そこからはお花畑がつづいていた。もう樹林はなく、彼からそう遠くない上部に稜線《りょうせん》があった。青空と稜線とのあざやかな交わりに眼をみはっていると、どこからともなく、霧が現われて彼の視界を閉じた。すべて未知なるものが彼の前に応接のいとまもないほど次々と現われて来るのを受け止めることはできなかった。彼は、ひねくれたダケカンバの幹の傾斜に、そのあたりの雪崩《なだれ》の方向を想像したり、かつて見たこともないほど美しく咲き乱れている自然のお花畑の中に、本で見たいくつかの花の存在をたしかめていた。期待したものと多くは違っていた。形態は似ていても、強烈に彼の鼻孔をついて来るお花畑からの芳香やこびりつくように触れていく山霧のつめたさは、神戸の山のものとちがっていた。霧は間もなく彼を解放した。そして、霧は二度と来る様子もなく、頭上には紺色の空があった。加藤はその空の色に日本海を思った。故郷の浜坂の城山で見た日本海の色が、ここで見る空の色だった。故郷で見た空の色も神戸で見ている空の色もこのように澄んではいなかった。海の上の空は、どこかにやわらかみがあった。青さの中に白さがとけこんだ色だったが、ここで見る空の青さは、むしろ黒色に近い感覚で読み取られた。白くとけこんだ、水蒸気のやさしさはなく、暗黒の宇宙へつづくきびしさだけが感じられた。
加藤は何度か溜息《ためいき》のようなものをもらしてから、一気に眼の前の岩稜の上に出た。
日本アルプスはそこで加藤を迎えた。見える山々のすべてが加藤よりも低姿勢で彼の到来を迎えた。谷は雲でふたをされていた。雲の上にいただきを見せている山は、また意外なほど高く望まれるのであった。
これほど多くの山が、果てしもなく続いていたことに加藤はまず眼をみはらねばならなかった。山だけの営みがかくばかり大きなスケールで存在していることが、加藤には不思議に思われてならなかった。それにしても、この美しいものと、偉大なるものに、それほど労せずして対面することができたことが加藤には意外だった。腕時計は十時を示していた。中房温泉から三時間で稜線に出られたことが嘘《うそ》のように思えてしようがなかった。歩く時間と、歩く難《なん》易《い》さにおいては神戸近郊の山と大差はなかった。この道がヒマラヤへつづくものだとすれば、それはあまりにも平穏無事であり過ぎるように思われた。
燕山荘《つばくろさんそう》には、老人がひとりでランプを磨《みが》いていた。客はいなかった。部屋の隅にふとんが積みあげてあるけれど、せいぜい三十人ほども泊ればいっぱいになりそうな小屋だった。小さな小屋の割合に炉が広く切ってあり、大きな鍋《なべ》の下で、太い薪《まき》がくすぶっていた。
「燕岳までどのくらいかかりますか」
「三十分もあればいけるずらよ」
老人はランプを磨く手を休めていった。加藤はルックザックをそこにあずけて、外に出た。暗い小屋から外へ出ると、燕岳一帯の白さで眼がくらむようだった。彼は燕岳の頂上への道をいそいだ。いちいち立止って、そのへんの景色を眺めるよりも、一刻も早くこの付近の代表地点、頂上に立つことが、ここまで登って来た目的の第一であることを、胸にいい聞かせながら、白い稜線を歩いていった。燕岳は緑の這松地帯の上に白いなめらかな奇岩を擁していた。風化現象によって細く鋭く磨きあげられた白い岩群は、遠い昔からきめられた作法を維持するかのように、ひとつひとつが欠くべからざる美の要素として、どの一部を取っても、すべて絵の主題になり得るような配列をなしていた。
加藤は、矢沢米三郎、河野齢蔵共著の日本アルプス登山案内の一節を思い浮べた。
(燕岳は中房温泉の西北に在り、海抜二七六三米《メートル》、西林道より、常緑喬木帯《きょうぼくたい》及潅木《かんぼく》帯を登ること三里強にして、頂上に達すべし。山頂花《か》崗岩《こうがん》の風化によりて成れる奇岩多し。偃松《はいまつ》其間を点綴《てんてい》す。眺望《ちょうぼう》絶佳なり。高山植物乏しからず、また高山蝶《こうざんちょう》の飛来するを見ることあり)
加藤は眼を遠くに投げた。彼が本で読み、写真で見た山々はそこにはなく、見ず知らずの峰々が谷をふさいでいる雲海をへだてて続いていた。
加藤は燕岳の山頂に立って一望すれば、どの山がどれと、すべて、そらでいえるように勉強して来ていた。彼は胸のポケットから磁石を出して方向を定めて、静かに眼を廻していった。知識の中の山はさっぱり見当らなかったが、それらの未知の山の中でたった一つだけ傑出して、鋭い槍の穂を青空に突き出している槍ヶ岳が眼に止った。それだけは彼の知識の中の山と一致した。彼はそのすばらしく、よくとがった槍ヶ岳に、満足の眼をそそぎ、槍ヶ岳という根拠点を中心に、北アルプスのすべての山は解読できるだろうと思った。だがやはり、どの山がどれだと指名することはできなかった。彼は黒い尖峰《せんぽう》に再び眼をそそいだ。黒い尖峰は二等辺三角形に見えた。そして、その象徴的穂先を支持している母体となる黒い峰は、その象徴を中心として、根を張り出しているように見えた。彼は足下の白い奇岩が、北アルプスを代表する岩の面貌《めんぼう》ではなく、槍ヶ岳を中心として発するその黒い、固い、強大な、そして永遠のつながりが、北アルプスの表情でなければならないと思った。
彼は地図を出した。槍ヶ岳が分った以上、地図と対照することによって山の名は分るように考えたけれど、たいがいの山は、それらしいと思うだけで、そうだと決めることはできなかった。谷を埋めている霧も、諸峰の一部をかくしている山雲も、彼の知識と現実との密着を疎《そ》外《がい》させるものであった。
加藤文太郎はしばしば、槍ヶ岳から眼をはなし、そしてまた槍ヶ岳へ眼をもどした。槍ヶ岳だけが、加藤の到来を心から迎えている山に思えてならなかった。
加藤の胸の鼓動は燕岳のいただきに立ったときから鳴りつづいていた。呼吸の乱れによるものではなく、予期しないもののなかに突然飛びこんでしまった感激が彼の血を騒がしたのであった。
(山は地図で見ても分らない。本で読んでも分らない。写真でながめたものとも違う。自らの足で登り、自らの眼で確かめる以外に山を理解することはできないのだ)
加藤は、その通俗的な、山に対しての、理論が、彼のいままでの経験の中にきわめて稀《き》薄《はく》な存在でしかなかったことを恥じた。加藤が燕山荘に帰ると、途中で追い抜いたパーティーがちょうど小屋へついたところだった。
「はやいですねえ、もう燕岳へいって来たんですか」
パーティーのなかの一番若い男が加藤に話しかけた。
「あんまりゆっくりもできないんです」
加藤はその男に答えながら、ほかの隊員たち全部の視線が彼にそそがれているのを知った。
「すると、この小屋泊りではないんですか」
その男にかわってリーダーがいった。
「西岳小屋までいこうと思っています」
加藤はそう答えながら、ルックザックを開いて、中房温泉でこしらえて貰《もら》った弁当の包みを出した。
「きみ、この山、初めてだろう。初めてなら、そういうことはやめたほうがいいんじゃあないかな」
リーダーがいった。
「なあに、この人の足は達者だよ。いこうと思えば、いけるさ。だが、途中で、雷様にやられたらいけねえなあ」
小屋の老人は加藤のところへ茶を運んで来ていった。
「雷?」
加藤は老人の顔を見た。
「そうだ、どうも、きょうの雲は落ちつきがねえ、おめえさま燕岳で見て来つら」
老人はいろり端に坐《すわ》った。加藤は老人のついでくれた茶を飲みながら、小児の頭ほどのにぎりめしを一つ平らげると、老人のいう雲のことが心配になって外へ出た。別にかわったものは見《み》出《いだ》せなかった。
槍ヶ岳は雲の上に浮いていた。もし高瀬川の渓谷を埋める雲がなかったならば、槍ヶ岳はもっとすばらしいものに見えたに違いない。雲海は加藤が、燕山荘を出たときから静かな表情をつづけていた。雲海が山と接するところでは、山の斜面にそって這《は》い上った雲は雲海から離別され、それぞれが形のちがったちぎれ雲となって尾根を越えていった。時にはその片雲が加藤の頬《ほお》をぬらしたけれど、それはたんに、山の静けさを形成する一つのアクセントにしか過ぎなかった。
加藤は蛙岩《かえるいわ》をこえるとき、雲海からのし上って来る霧に濡《ぬ》れた。いままでの霧とはちがって濃い密度を持っていた。加藤は、その霧と、霧を吹きあげて来る強い風に異質な山を感じた。恐怖ではなかった。大きな岩の重畳《じゅうじょう》した蛙岩のあたりが、彼をそのようにさせたのではない。彼はその霧と霧を運ぶ原因に、なにか、油断ならないエネルギーを受け取ったのであった。
道はしっかりしていた。面白いように足が運び、道の両側には、這松がせまり、或《ある》いは花畑の群落があった。そのような容易な道を通りながら、槍ヶ岳に近づきつつある彼の右側の高瀬川の渓谷から吹きあげて来る霧は、真夏の太陽のもとにおいてはまたとない冷気の贈りものでもあった。彼は、その雲海からけっして眼を離さなかった。三千メートル級の山には未経験な加藤文太郎であったが、本能的にただならぬ気配を感じつつあった。
燕山荘で教えて貰った喜作新道にかかろうとして、左手にそびえる大天井岳《おてんしょうだけ》に眼をやり、その眼を右側の雲海にもどそうとしたとき、彼は奇妙なものを雲海の上に見たのである。
それまで静かだった雲海の表面がにわかに動き出したのである。温泉の湧出源《ゆうしゅつげん》から、ぶつぶつとたぎり立つ湯のように、雲海の一部の雲が頭を持ちあげはじめると、それにならったように、あちこちの雲海の表面が、垂直に立ちあがろうとする運動を始める。雲海の異状とともに加藤はなにか、山全体が、妙に静まりかえって、彼を包囲の体勢に持ちこもうとするように思えてならなかった。
加藤は周囲を見《み》廻《まわ》した。燕岳の方の雲の動きも尋常ではなかった。燕岳に向って、突きあげていく雲はそれまでになく、威力的な陰影を持っていた。山の雲全体が動き出したことはたしかだった。その動きに反比例して、あまりに静かなのは、なにゆえであろうか。加藤は、この広大な自然の、大きな動きの中に、ひとりで取り残されていることが不安でならなかった。
這松の中で音がした。音と、あきらかに動物の発する声を聞いた。眼を上げると加藤からそう遠くない這松の中を、数《すう》羽《わ》の子をつれた雷鳥がこっちに向っておりて来るところだった。遊んでいるのではなかった。目的地へいそごうとする親鳥の意志に反して、遊び廻っている子鳥を叱《しか》る親鳥の声が静寂をつき破って聞えた。雷鳥は夏のよそおいをしていた。もし動かないでじっとしていたならば、這松と見分けはつかないほど、這松のなかにとけこんだ羽根の色をしていた。
加藤は雷鳥を見たのははじめてであった。本で読み、一度は見たいと思った雷鳥の家族が、突然、眼の前に現われたことは加藤を喜ばした。加藤は、その雷鳥の親子が逃げようとするのは、加藤の出現をおそれたからだろうと解釈したが、彼より高いところにいた雷鳥が沢に向っておりて来る、つまり、彼が立っている方へ向っておりて来るのを見て彼の考えを訂正した。親鳥は、嘴《くちばし》と、時折発する声で子鳥に方向を示していた。そして一群は加藤の見ている前を、加藤をまるで問題にしないように、登山道を横切って、沢の方へおりていったのである。雷鳥の家族が姿を消すと、山は急に暗くなった。見上げると、大天井岳のいただきを山雲が越えるところだった。加藤はあやうく声をあげるところだった。高瀬川渓谷にうごめく雲海に気を取られていて、反対側の梓川《あずさがわ》渓谷から湧《わ》き上って来る雲にうかつだったことに気がついて、あたりを見廻したが、その時はもう、彼の頭上は雲でおおいかくされていた。
その急速な雲の動きは雷の発生以外には考えられなかった。加藤は、逃げこむべきところを計算した。西岳小屋へ走るか、燕山荘へ引きかえすか、彼の頭の中で描いた地図によれば、彼はその中間にいた。中間だとするならば、未知なるものへの逃避より、既知なるものへの退却の方がより安全のように思われた。もうひとつ彼は、雷鳥親子のように、這松の中を沢の下の方へおりていって、どこか岩陰にでも身をよせて雷雨の通過を待とうという考えもあった。だが加藤は、考えただけで、それを実行に移しはしなかった。
「雷様でも来そうだったら、無理しないで引っ返して来るほうがいいずらよ」
加藤は、燕山荘を出るとき、老人がいってくれた言葉を思い出した。北アルプスも未知であり、そこに発生する雷も未知であった。待っていてやり過すという考えには無理があった。加藤は廻れ右をした。雷にたたかれるか、雷より先にどこかへ逃げこむか、その先を加藤は、さっき通って来た蛙岩に求めていた。蛙岩の岩群のどこかに、きっと身をかくす場所はある。彼は尾根道を小走りに歩いた。
雷鳴はどこかで鳴った。どこかで鳴ったことは確かだが、その方向をきめることはむずかしかった。北で鳴ったようにも、南で鳴ったようにも、東から雷雲がおしよせたようにも、西から移動して来たようにも思われる。要するに、雷鳴を聞いた時、加藤は既に雷の勢力域の中にいたのである。
加藤は、雷が、予告なしに、彼を襲撃して来たことが解《げ》せなかった。彼の経験にないことだった。夕立雲が遠くの水平線に上るか、遠くの山の上にかかり、その雲の翼が、だんだんとひろがり、太陽をかくし、やがて大粒の雨となって降って来るという、夕立の法則を破って、ほとんど警告なしに、頭上から、圧伏しようとする、日本アルプスの雷のあり方に加藤は驚いた。それはきわめて意地悪いやり方だった。冷酷な、非情な無作法なもてなし方だった。
大粒の雨を予想していたが、それは雨というよりも霙《みぞれ》のようにつめたかった。加藤はルックザックを開いて、用意して来た、油紙で作った雨合《あまがっ》羽《ぱ》を頭からかぶった。だが、それは、それを着て、数分間だけの用にしか使えなかった。山のくずれるような音とともに、滝のような雨に見舞われ、その通過のあとに竜巻《たつまき》のような轟音《ごうおん》と共におそって来る風雨は、加藤の身体《からだ》からいとも簡単に油紙の雨合羽を奪い取ったのである。雨が上から降って来るという法則を無視して、風とともども、下から吹き上げて来ることにも、加藤は三千メートル級の山のルールとして教えられた。加藤は濡れた。つめたい水が胸を伝わり、臍《へそ》のあたりまで、しみとおっていくのを感じながら彼は歩いていた。そこには身をかくすものはなかった。かくれようとして、道をそれるよりも、明るいうちに燕山荘までかえりつくことが、今となっては唯《ただ》一つの道のように思われた。立っていても濡れ、歩いていても濡れるならば歩けるだけ歩くという理屈は、神戸の山で、しばしば経験したことであった。雨にぬれて歩く自信はあったが、みぞれのようにつめたい雨と、風のために急速に冷えていく彼の体温をいかにしてもちこたえていくかは分らなかった。雷雨とともに、夜を迎えたように暗くなった。しばしば彼は稜線《りょうせん》を這うようにして強風からのがれていた。来るときは、気がつかなかったような稜線も暴風雨の衝立《ついたて》が立てめぐらされ、そこを通るものは一人のこさず谷底へたたきおとそうとする気構えを見せていた。そうなった場合は、生きる道は、やはり、その稜線の道以外にはないことを加藤はよく知っていた。来た道と、帰る道とは、同じ道でありながら別の道だった。
鞭《むち》をふるような、雷鳴を聞いたのは、蛙岩をすぐ眼の前にしてからだった。ぴゅうん、ぴゅうんと山が鳴った。空気が鳴り、尾根が鳴り、彼自身も鳴った。雷光と雷鳴はほとんど同時だった。彼は這松《はいまつ》の中に這いつくばって、天の声を聞き、天の鞭を受けながら、天の火を見た。雷光はアーチに走って山と山をつなごうとしているらしかったが、山は見えなかった。天の鞭の音とともに彼自身のそばを天の火が駈《か》け通るときに、彼は自らの身体が浮き上るような気がした。音は天の火にくらべて、それほど恐ろしいものとは思わなかったが、天の火がちょっとでも彼の身体に触れたら、彼の命がたちどころに終ることは分っていた。
加藤は死を見詰めるということがこのようなことであろうかと思った。恐怖はあったが、死ぬとは思わなかった。生き得るという自信が、恐怖に打勝って、彼は這松の中に伏せたままで、天の鞭の音を聞き、天の火を見詰めていた。加藤の不敵な顔を雷光が照らした。彼の眼は正しく蛙岩の方向を睨《にら》んでいた。
10
夜のおとずれるころ、雷雨はおさまった。風はまだいくらか吹いてはいたが、風の存在が気になるほどではなかった。
加藤文太郎は、暗い稜線を燕山荘《つばくろさんそう》に向って歩いていた。提電灯《さげでんとう》を消すと、おそるべき暗黒が彼の周囲を取巻いていた。高いところにいるという感覚も、彼の歩いている稜線の左右に深い谷があるということも、想像するだけで、実感としては、暗黒以外なにものもなかった。三千世界は、彼の提電灯の光の及ぶ以外にはなかった。光の下に這松が見えたり、岩が顔を出したり、草があったりするというふうな平凡な、限られた景色だけがつづいていた。歩いたはずだが、記憶にはないところを歩いていた。生れて初めて歩く道のようだった。道ははっきりしているから提電灯を持っているかぎり心配はなかった。
彼はときどき提電灯を消して暗闇《くらやみ》の中に立った。じっとしていると、川の流れのような音が遠くから聞えた。それが、高瀬川の渓谷《けいこく》から伝わって来る音だとは考えられなかったが、風の音だときめつける自信もなかった。雷雨の最中にはあれほど、狂暴な音を発した山々が、いまはささやくような音しか残していないのが、加藤には不思議に思われた。彼は暗闇に立って一晩中この峰の音を聞いていたいと思うほど、山のいただきにおける音の存在が貴重に思われた。
加藤は濡れていた。手足もつめたく火が欲しかったが、それよりも、日本アルプスの稜線を夜ひとりで歩いているという感激が彼を有頂天にさせていた。おそろしいこともこわいことも、ひもじいこともなかった。彼の体内では若い命の火が炎をあげていた。おそらく一晩中歩いていても平気だろうと彼は思っていた。雷雨が上ったとき、彼は、一度は西岳小屋をと考えてはみたが、未知の縦走路を夜歩くことの危険をさけて、燕山荘へ引きかえすことにきめたのである。
彼を取りまいていた暗黒は時間の経過にしたがって薄らいでいくようだった。天と地の境界がうすぼんやりと区別ができるようになってから、間もなく天の一角に星が出た。そこから星空が急速にひろがっていった。
彼は浜坂の海でも、神戸の山でも星を見た。同じ星が、同じ天体の位置をしめて、同じ方向へ動きつつあったのだが、彼がこの稜線に仰ぎ見た星はそれらとは違ったものだった。天の雲がすべてぬぐい去られてそこに現出した星は、彼のいままで見ていた星とは違っていた。彼が少年のころから見ていた星、浜坂で、神戸で見た星は、空にあった。空という平面に投影された星であった。が、いま彼の見ている星は平面図上の星ではなかった。星は彼を囲繞《いにょう》していた。星の中に彼はいた。空間にばらばらと存在する星の中に、その一つの星のように彼は存在しているのである。星は平面図に投影された星ではなく、立体無限空間に存在する星であった。その一つ一つが手のとどきそうなくらい身近に輝いていた。
高いところに立っているという自覚、三千メートルの高所に立ったという自己暗示が、空の星を、平面感覚から立体感覚に昇格させたのではなかった。清澄した山のいただきが、当然そうあるべき星の世界を彼に見せたに過ぎなかった。
加藤が天上にいただく星の数は、信じがたいほど多量に見えた。暗黒の空に星が点在するのではなく、星の中に夜が点在するかのように、おびただしい星が彼を取りまいていた。加藤は、その星空の下に、胸をふくらまして立っていた。それを美しいと表現はできなかった。荘厳《そうごん》というふうな、古めかしいことばでも表わせなかった。それは人間の表現感覚を越えたものだった。背筋の寒くなるような美しさだった。ひとりで、噛《か》みしめて、他人には告げることのできない景観だった。
彼は、星の下を歩きながら、こどもの頃《ころ》、絵本で読んだ、星の国の王子のことを思いだした。星の国の王子の馬は、星によって飾られていた。王子のかぶっている帽子も、靴《くつ》も、腰に帯びている剣もまた、星によってかざられていた。王子の馬のひづめが、ときどき小さい星をけとばした。それが流星となって流れ去った。加藤文太郎は、その一節をはっきり思い出していた。彼は今、星の国の王子だと思った。あのすべての星はおれのものだと叫んでも、うそではなかった。
加藤は、おそらく、こんな夜、アルプスの稜線を歩いているものは彼ひとりだと思った。そしてこの夜のすばらしさに触れることのできるのも、彼ひとりだと思った。ひとりで、できるかぎり貪婪《どんらん》にそのすばらしいものを享《う》けようと思っていた。しかし彼は美しさや偉大さの中に自分を見失うようなことはなかった。涙ぐんだり、感傷的な歌など歌ってはいなかった。彼は濡れた小さい身体《からだ》に大きなルックザックを背負って、おそらく、このようにすばらしいものにめぐり会うことができた以上、生涯《しょうがい》、この世界からのがれ出ることはできないだろうと考えていた。
燕山荘の火を見たとき加藤文太郎はほっとした。やれやれと思った。そして、次の瞬間、燕山荘に泊っているだろう、あの五人のパーティーのことを思い浮べた。
「たいへんだっつら、さあ、濡れたものを脱いで、火にお当りな」
燕山荘の赤沼千尋は炉端から立上って、加藤文太郎を迎えた。
「雷様にはどのへんで、お会いなされたかね。きょうの雷様はひどかった、こんなのは一夏に一度あるか二度あるかだで……」
赤沼千尋は加藤の顔を見ながらいった。加藤は返事のかわりに、赤沼に向って、ぴょこんと頭をさげて、小さな声で泊めてくれといった。そして彼は、赤沼が炉のそばで着がえをするようにすすめても、炉の近くにはいかず、土間の隅《すみ》で、ルックザックの中から、油紙に包んで来た下着を取り出して着がえてから、炉をかこんで、加藤を凝視している五人のパーティーの面々に挨拶《あいさつ》した。
「あなたはどこの山岳会ですか」
パーティーのひとりが聞いた。
「どこの山岳会にも入ってはいません」
「すると、全くの単独行主義ってわけですね、遠くから、来たんですか」
神戸からですと加藤が答えると、その男は、
「ああ関西か」
といった。関西かといった中には、あきらかに意識的挑戦《ちょうせん》が感じられた。
「山をやったことがあるんですか」
別の男が、なじるような顔でいった。
「神戸付近の山ならたいてい歩きました」
すると炉をかこんでいる若い人たちはいっせいに笑い出した。
「神戸付近の山なんか山ではありませんよ。まあ丘のつづきみたようなものでしょうな」
それでまた笑いが起きた。
「ろくろく山を知らないのに、無茶をやっちゃあ困るな。だいたい、日本アルプスというところは、明治時代ならともかく、これからは、地下足袋《じかたび》なんかで来るところではない」
リーダーがとがめるような眼《め》を加藤に向けた。侮《ぶ》蔑《べつ》を強調した顔だった。
「それにきみは山の気象を知らない。雷雨が来ることが分っていてでかけて雷雨に会った。とんで火に入る夏の虫だよきみは」
加藤は夏の虫といわれて眼を上げてその男の顔を見た。どこか影村技師に似ているなと思った。
「北森さんは口が悪いねあいかわらず。なあに、気にするこたあねえさ、きょうの雷様だって、ほんとうに来ると分っていたら、おらが止めたさ。来そうだと思ってはいたが、あんなに早く来るとは思わなかった。さあ、めしでも食ってあったまって寝るがいいずらよ」
赤沼は加藤文太郎になにかと好意を示そうとしていた。
加藤は黙っていた。なにをいわれても、聞いているような、いないような、不可解な笑いを浮べながら、眼は美しく燃える炉の火を見つめていた。五人のパーティーを無視しきったようなふてぶてしさだった。すき間から吹きこんで来る風が、炉の上で煙のうずを作った。加藤は煙にむせて、二つ三つせきをしてからいった。
「おじさん、明日の天気はどうですか」
煙にむせた瞬間、加藤は翌日の行程を考えていた。
「天気はいいね、雷様のあった翌日は、とてもいい天気になる。だがなあ、午後になるとまた夕立になるかも知れねえ。この山の夕立って奴《やつ》は、続くくせがあってな」
赤沼は炉にダケカンバの薪《まき》をくべた。白い皮がめらめらとまくれかえりながら橙色《だいだいいろ》の光《こう》芒《ぼう》を放って燃えた。
「おじさん、今夜のうちに弁当作っておいてくれませんか、あすの朝と昼の二食分……」
赤沼は加藤を見た。夕立は続く傾向があるとひとこと聞いただけで、早立ちを決意した加藤を改めて見直す眼であった。加藤はていねいに油紙に包んだ米袋をルックザックから出して赤沼の前に置いた。
「早立ちかね、それはいいずらよ」
赤沼はいった。
朝は空から始まっていた。星が消えて、淡い白さが空一面にひろがっていくと、空の下にあるものは、すべて、その外貌《がいぼう》を黒くうつし出していた。だが表情はいまだにかくされていたし、もちろん声も聞えなかった。山々はまだ眠っていた。夜明けのひとときの深い眠りにおちこんで、眼覚めることを知らないようであった。
加藤文太郎は静かに起き上った。すぐそばで寝ている五人のパーティーの顔にはまだ朝の光はとどかず、彼《かれ》等《ら》がどんな表情をしているかは分らなかった。加藤は土間の方へいざり出ていくと、地下足袋をはいた。ルックザックをかついで、小屋を出ようとすると、あとから、赤沼千尋が起き出て来た。
「きょうはどこまでいきなさる予定かね」
赤沼はまぶしそうな眼を空に投げながらいった。
「大天井岳、西岳小屋、槍《やり》ヶ岳《たけ》、殺生《せっしょう》小屋《ごや》……」
「そうかね、あなたならやれるずら。じゃあ注意してやるがいい、雷様が出そうだったら槍ヶ岳へ登るのはやめた方がいいな」
加藤は赤沼千尋にていねいに礼をいって燕山荘をあとにした。赤沼が加藤のあとをしばらく見送ってから小屋へ入ろうとすると、中から出て来た北森と顔を合わせた。
「あいつ、もう出かけたんだね」
北森は加藤が黙ってでかけたのが気にくわないようだった。
「加藤さんはなかなかしっかりしている」
赤沼は加藤の去った方向へ眼をむけていった。
「しっかりしているんですって、あいつのどこが?」
北森はつっかかるようないい方をした。
「どこがって、加藤さんの歩き方は、やたらへいたらの登山者の歩き方じゃあねえ、長えこと山を歩いた人の歩き方だ、あの若さでね」
赤沼はひどく感心したように首をひねった。
「なんです、やたらへいたらってのは」
北森はやたらへいたらという信州の方言が分らなかった。寝不足なのか、いくらかふくらんだ顔を赤沼に真《まっ》直《す》ぐ向けた。
「やたらへいたらってのは、やたらにそこらあたりにはいねえってことだ。あの加藤さん、という神戸の御人は、いまに、えれえ登山家になる人だぜ」
「あの地下足袋の加藤がか」
北森は笑った。明らかに赤沼千尋の見当違いを笑ったような顔だったが、笑いの途中で急にきつい顔にもどって反問した。
「将来えれえ登山家になるという証拠は」
北森はもう笑っていなかった。赤沼の予言の基礎となるものがひとつでも間違っていたらこっぴどくやっつけようとする顔だった。
「証拠なんてむずかしいことをいわれるとこまるけど、加藤さんの歩き方を見ていると喜作そっくりだ。喜作の若いころはかもしかよりも速く歩くと評判を取ったものだが、そのころの喜作の歩き方によく似ている人だ。どこって口に出していえねえけれど、すいっ、すいっと、こう、体重を前に乗せかけていくところが、そっくりなんだ。それにあの加藤さんてひとは、用意がいいんだ。そこも喜作に似ているな。ルックザックには一週間ぐらいの食糧が、油紙にこまかく分けて包んで入れてあったり、衣類の準備も完全だ。それになあ北森さん、ゆうべおれがあすも雷様があるかも知れねえといったら、この早立ちだ。なにもかも、あの人のやることは山の道理にかなっている」
北森はだまって聞いていた。赤沼千尋が加藤を喜作とそっくりだといったことが、北森の胸にこたえたようだった。喜作新道を開いた、名猟師喜作の天才的な山歩きは多くの伝説となって残っていた。その喜作と同じ歩き方をする加藤文太郎という男を、いささか甘く見すぎていたのではないだろうか。中房温泉で見かけたときも、合戦小屋の下で追いぬかれたときも、おかしな奴としか思われなかったけど、大天井岳の下までいって雷雨に会って引きかえして来ても、なにもなかったように、しゃあしゃあとした顔で着がえをして、飯を食うとさっさと寝てしまうあたりの、神経の太さは、普通ではない。北森はたいへん大きな失敗でもしたように小屋の中へ引きかえすと、
「おい、起きろ、もう夜が明けたぞ。きさまたちは山へなにしに来たのだ、朝寝坊をしに来たのか、さあ起きろ」
北森の突然のかわりようを、赤沼千尋は横目で眺《なが》めながら、炉に薪をくべた。煙が小屋の床《ゆか》を這《は》った。間もなく、小屋の中は煙で見えなくなった。
加藤文太郎は槍ヶ岳を見ながら歩いていた。とがった槍の穂先に、陽光がぴたりと停止すると、そこから、朝は、順序正しく下界へ向っておりていった。槍は黒くは光らなかった。黒い地色の上に、薄い絹が一枚かぶせられていて、そのなめらかな、薄絹が朝日を受けて輝き出したように見えた。薄絹は、薄もも色に光った。薄紅色といったほうが、より事実に近かったかも知れない。だが、その薄絹はあくまで薄く、黒い穂全体を薄紅色に輝かせるほどの作用をしなかった。黒い穂の上に、わずかに、薄紅色を感じさせるていどのものであった。日の出の水平光が、槍の最頂点において、戸惑い遊ぶ、分光現象の一種のようにも思われた。加藤は槍のいただきに、ひどく女性的な美しさを感じた。本で読んでいたモルゲンロートとはいささか違っているように思われた。山全体が紅色に光り輝くというふうには見えなかった。薄絹は紅色からすぐ紫色にかわった。紫色にかわってからは、前よりもはっきりと、山肌《やまはだ》と、薄絹との間隙《かんげき》を感じた。薄絹は、山とは別な存在だった。山にすっぽりとかぶさりかかっている、ごく稀《き》薄《はく》な、靄《もや》の膜が朝日によって光りかがやくように思われた。
槍ヶ岳からは幾条もの白い線が谷底へ向って流れおちていた。その一筋一筋の白い線に日が当ると、そこは、ややはっきりと紅色に燃えた。その白い線が雪渓《せっけい》か、ガレ場かは、断定はできなかったけれど、Yの字型に太く、山肌に切れこんだあたりに、はっきりと雪渓と分るものがあった。
彼は懐《なつ》かしいものを見るようにそのYの字型の白い彫刻に眼を止めてから、再び眼を槍の頂上にもどした。槍の右肩に、寄生したように取りついている小槍が見えた。そこから、偉大なる尾根が北に向って延々と続いていた。その黒くたくましい尾根の名が、北鎌《きたかま》尾根《おね》であることは間違いなかった。槍の偉容にふさわしい、尾根の連続だった。槍の穂に比《ひ》肩《けん》してもなんらおとることのない岩稜《がんりょう》の一つ一つが、朝日にくっきりと姿を見せはじめていた。
北鎌尾根は雄大に続いていって、その末端には既に岩稜は見えず、樹林につつまれたこんもりとした山となって終っていた。
北鎌尾根と、加藤が立っている尾根との間にある深い谷の底は見えなかった。谷と尾根との間には原始そのままの静寂が、まだ、夜のままの姿で、朝の来るのを待っていた。
きのう、雷鳥の親子がいたあたりまで来ると夜はすっかり明けはなれていた。雷鳥はどこにも見えず、空を鷹《たか》が悠々《ゆうゆう》と飛翔《ひしょう》していた。大天井岳のいただきが、ほぼ鷹の飛んでいる位置と並んでいた。
加藤は喜作新道を東鎌尾根の方へおりていかずに、燕山荘の主人に教えられた、這松《はいまつ》の中の道を大天井岳に向っていった。這松がなくなり、岩ばかりの急傾斜になったころ、加藤は朝日を顔にまともに受けた。彼は太陽に向って両手をあげた。声は出さずに、無言の万歳と朝の挨拶《あいさつ》をしてから、頂上めがけてさっさと登っていった。
一坪もないような狭い頂上にケルンが一つ積んであった。特に感激は湧《わ》かなかった。彼はそこから、燕岳の方向をのぞんで、彼が朝のうちに踏破した距離が思いのほか長かったことに満足した。そして彼は、頂上の岩の上に腰をかけて、静かに、槍ヶ岳と対面した。
槍の偉大さを支えるものは、そこから見て、北と南に張り出している尾根であった。その中でも、北鎌尾根こそ、槍のいただきにせまるもっとも、厳粛な尾根に見えた。北鎌尾根こそ、槍の存在を価値づけるものであり、北鎌尾根を無視したら、槍はないも同然に考えられた。
加藤文太郎は、槍ヶ岳から、北鎌尾根へ、そして北鎌尾根から槍ヶ岳へと、なんどか眼を動かした。
「どちらからでもいいのだ」
と加藤はいった。
北鎌尾根をたどって槍の頂上へいってもいいし、槍の頂上から、北鎌尾根へ下っていってもいいのだ。
要するに、槍と北鎌尾根と離しては考えられないのだ。
「いつか、おれは北鎌尾根をやるぞ」
加藤は山に向っていった。
その誓いは絶対のもののように思われた。彼はその美しく偉大なものとの対面に、過ぎていく時間を忘れ果てていた。
西岳小屋がひょっこり眼の前に現われたとき加藤は、この稜線《りょうせん》歩きが、その難《なん》易《い》さにおいては神戸アルプスとさほど変りがないなと思った。そこまでが楽すぎたから、加藤には、それから先のことが心配だった。西岳から一度おりて、急傾斜の東鎌尾根を槍ヶ岳へ向っての道のけわしさは、遠望しただけでも相当な困難が予想された。
道端にひとりの男がしゃがんでなにかしていた。手に光るものを持ち、肩に大きなかばんをさげていた。よけて通れば、通れたけれど、加藤は、その男の奇妙な動作が気になったから立止った。
男はピンセットで、道端に生えている、草を引抜こうとしていた。手で引き抜けばいいのに、ピンセットを用いているところが、加藤には合点がいかなかった。草の名は知らなかったが、ひとところに、同じ種類のものが群生していた。一見苔《こけ》のように見える草だったが、苔でもなさそうだった。男は、その小さい植物の群れの中から、一すじのなよなよとした草を抜きとると、まるで、ダイヤモンドでも拾ったような顔をして、肩にかけていたカバンをあけて入れた。
男はその仕事が終ると黙って立上って、加藤の方を見て、頭をさげた。加藤も挨拶をかえした。ふたりとも無言だった。
「槍ヶ岳へ行くにはこの道でいいのでしょうか」
加藤は分りきったことを聞いた。朝からずっと口をきかなかったから、話してみたかったのではない。道端にしゃがんで、妙なことをした男になんとはなしに興味を持ったから話しかけてみたのである。
「槍へいくのですか、それならこの道を槍に向ってどこまでも真直ぐにいけばいいんですよ」
男は黒い詰襟《つめえり》の上《うわ》衣《ぎ》とそれとついになっている、黒のズボンを穿《は》いていた。ゲートルをつけ登《と》山靴《ざんぐつ》をはいているのがいかめしく見えた。登山靴はかなり履き古されたものだった。
「植物の採集ですか」
加藤は率直に聞いた。
「そうです。この小屋に三日いましたから、そろそろ殺生小屋の方へ移ろうかと思っているところです」
男はそういった。
「さっきピンセットではさんで取ったのは……」
加藤は、男がつまみ取った植物の名を聞いたが、男は加藤の質問をピンセットを使った動作にあると取ったようだった。
「ほかの植物をいためたりしないように、なるべく群生しているのを見つけて、ほどよいところを間引きするのには、ピンセットがいいんです。ああいうふうにすれば他の植物に害を与えないばかりか、間引きすることによって、あの小群落の植物にとってはかえっていい結果にもなるんですよ」
加藤は話を聞きながらその男に好感を持った。
「この山ははじめてですか」
と男はふりかえって加藤にきいてから、はじめてならぼくが案内してあげようかなと、ひとりごとのようにいった。加藤はお願いしますとも、いいえひとりで結構ですともいわなかった。男と一緒に西岳小屋に入って腰をおろすと、その小屋も燕山荘と同じように、ひどく煙っぽくて暗かった。客は植物採集のその男しかいなかった。
加藤がその小屋で休憩している間に、男は出発の身じたくをととのえていた。ルックザックの上に植物採集用の胴乱をつけた格好はあまりいいものではなかった。
「ふたりで歩くとなるとお互いに名を知って置いた方がよさそうですね」
男はそうことわって置いて、矢部多門、親の臑《すね》かじりの東京の大学生ですと奇妙な自己紹介をした。
「ぼくは加藤文太郎、神戸の神港造船所に勤めています」
造船所というと軍艦をこしらえるんですかと矢部はいった。加藤が自分のやっていることはエンジンの設計で、そのエンジンは主として小型商船に使われるものであると答えると、矢部は、商船でもいざ戦争となると軍艦に改造できるんだそうですねといった。
歩き出すと矢部は口をきかなかった。この道はもう何度か歩いたことのあるように、足の運び方がうまかった。急坂をおりて鞍《あん》部《ぶ》に出ると、そのせまいところを、音を立てて風が吹き通っていった。風の音が水の音に聞えた。矢部はそこに立止って左が槍沢、右側が天上沢であることを加藤に教えてから、槍ヶ岳までの険《けん》阻《そ》な登りについて、ただ、ゆっくり歩けばいいだけだと説明した。加藤は矢部のそのいい方がひどく気に入った。そして、矢部は、本格的登山について、かなりの知識を持っているに違いないと思った。
先頭に立った矢部はときどきふりかえった。加藤はその眼にうなずいた。矢部がふりかえる時には、そこにはなんらかの危険があった。道がくずれかかっていたり、浮き石があったり、時に、前方にすばらしい景色があったりした。休むことはなかった。ゆっくりだが、休むことなしに歩を運んでいく矢部のペースに加藤はいつの間にか巻きこまれていた。高度はぐんぐんとせり上っていった。
雲はたえず、湧き立っていた。燕岳の方は雲にさえぎられて見えなかった。いただきにも、沢にも、谷にも雲はあったがその雲と雲の間には連絡はなかった。勝手にできて勝手に消えうせる雲のようだったが、その雲がきのうのように、急にひとかたまりになって雷雨になりはしないかと、それだけが加藤の心配だった。
樹木から遠ざかり、這松地帯になり、そしてごつごつした岩稜に立ったとき、すぐ眼の前に加藤は槍《やり》の穂を見た。
そこで見る槍の穂は槍の穂には見えず、天にそびえたつ巨大な置きものに見えた。
なぜ、そんなふうに、巨大な石のかたまりが、そこにあるのだろうかという、自然の配剤に対する感謝をこめた疑念が青空に向って突き出ている槍ヶ岳を見たときに起った。そして、その槍こそ、日本の山を象徴する中心であるような気がした。槍に向ってではなく青い空に向って歩き出して間もなく、加藤は、槍ヶ岳の肩のあたりで、小屋が作られつつあるのを見て取った。足下に見える殺生《せっしょう》小屋《ごや》とはかなりの距離があったが、よく澄んでいる空気のなかにいると、そのどちらへも声がとどくような気がしてならなかった。静かだなと彼は思った。まるで山は、彼等ふたりのために静かであるような気がした。
「さっぱり人は見えませんね」
と加藤は、矢部に話しかけた。
「七月から八月にかけてはかなりの人が登って来ますが、盆を過ぎると急に人が減って、八月も終りに近づくと山は全く静かになる。いわば今が登山のチャンスですよ」
矢部がいった。
「こんどはあなたが先に立って歩いてください。あの小屋をこしらえているところへ寄って、荷物をおろしてから、槍の頂上へ登りましょう。いまのところ雷様はなさそうだ」
矢部は道を加藤にゆずってから空を見上げていった。
小屋は完成に近づいていた。小屋の前で手をかざして加藤たちが登っていくのを眺めている人がいた。その男は、間もなく矢部多門に気がついたらしく、手をふりながら近寄って来て矢部と言葉を交わした。
「穂苅さんとうとうできあがりましたね」
矢部がいった。
「肩の小屋って名前をつけようと思っているんですがどうでしょう」
「いい名前じゃあないですか。ここへ小屋ができると、冬季槍ヶ岳登山だって、そうむずかしいことではなくなる」
矢部はそういうと、そこへ荷物をおろして背伸びをするように、槍ヶ岳の頂上を見上げた。加藤もそれにならった。そこからほとんど垂直にも見えるほどに突立っている槍ヶ岳の頂上を見上げると、首の根っ子が痛くなるような気がした。
加藤は、ここまで来たことが嬉《うれ》しくてしようがなかった。もうすぐそこに、日本アルプスを象徴する槍のいただきはあるのだ。矢部は三十分もあれば登れるといったが、三十分で登れそうにも見えないほど、ごつごつととがった恐るべき岩峰だった。
加藤は、話をしているふたりをそこへ残して、槍の近くへ寄っていった。
「あのひとは、あなたのお知合ですか」
穂苅三寿雄は加藤のうしろ姿を見送りながら、矢部多門に訊《たず》ねた。
「神港造船所の加藤文太郎という人です。きょうはじめて山で会ったんです」
そうですかと穂苅はひとりでうなずいていたが、
「あのひとはなんとなく嘉門次に似ていますね」
「歩き方がですか?」
「いや、登ってくるところを上から見ていると胸の張り方が嘉門次そっくりなんです。上体をこうぴんと張って、といってもけっして張りすぎているわけではない。ごく自然にぴんと張って、その張りを崩さずに登って来るところは嘉門次そっくりだ。ゆうべは西岳小屋泊りですか」
「ぼくは西岳小屋泊りですが、加藤さんは、今朝燕山荘を出て来たんですよ」
穂苅三寿雄は懐中時計を出して見た。十二時になるところだった。穂苅は時計の針と、加藤のうしろ姿を見くらべていたが、大きくひとつうなずいていった。
「あの若さで、あのように山についた歩き方をするひとはめったに見られない。あの人はもうかなり山を歩いた人ですね。山についた歩き方をするのはいいが、あまり速く歩くということは考えもんだな。足の速いことが、今後のあの人のさしさわりにならなければいいが……」
加藤はふたりの会話を聞いてはいなかった。燕山荘で彼の歩き方が名猟師喜作に似ているといわれたことも、ここで不世出の名ガイド嘉門次に比較されたことも彼は露ほども知らなかった。加藤は、そのへんをやたらに歩き廻《まわ》っていた。岩にも触れて見た。神戸の岩とは性格がちがっていた。槍ヶ岳の岩は、彼が想像していた岩ではなく地球の骨であった。地球の骨の突出部が歳月と風雪を越えて彼の前にさらけだされているさまは、むしろ悲《ひ》愴《そう》でさえあった。
第二章 展望
大正十五年十二月二十五日、大正天皇が崩ずると同時に、改元の詔書が発布されて、昭和と決定された。
詔 書
┯《チン》皇╋、皇宗ノ威靈ニ┷《ヨ》リ大統ヲ承《ウ》ケ萬機ヲ總《ス》フ┿《ココ》ニ
定制ニ┨《シタガ》ヒ元號ヲ建テ大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年トナス
御名御《ギョメイギョ》璽《ジ》
大正十五年十二月二十五日
各大臣副署
その日は土曜日だった。
加藤文太郎は、大正天皇崩御の号外を手にして、関東大震災の日も土曜日で、やはりこうして号外を手にして神戸の町を歩いていたことを思い出していた。関東大震災の日は天気もいいし、暑かったけれど、この日はひどく寒い日であった。
大震災の号外を手にしたときも、加藤は、そのあとに来るものについてなにか大きな不安を予想した。その社会不安は、あれからずっと、じわじわとおしすすめられていた。不景気はますます、深刻になっていき、失業者は巷《ちまた》にあふれ、ストライキは各所におこり、労働者の声は政府を揺すぶるようになっていた。資本主義政党はこれに対して、護憲三派内閣を組織することによって、無産者運動、労働運動にようやく注視しだした国民の眼《め》をそらそうとはかり、さらに普選法施行によって、大衆運動にアメをしゃぶらせ、その一カ月後には治安維持法をつくり、民衆の政治的進出をおさえつけようとした。治安維持法は間もなく、その法力を発揮し、大正十五年、京大生三十八名は同法で起訴され、即日結社禁止となった労働団体もあった。この弾圧法に抵抗するかのように各地で大規模なストライキが起ったが、その労働運動自身にも、分解作用がおこり、労働農民党は社会民衆党、日本労働党、労働農民党に分裂した。
加藤文太郎は労働問題には直接関係してはいなかったが強い関心を持っていた。会社を追放された金川義助がその後どうなったかは分らなかったけれど、おそらく強靭《きょうじん》な神経を持った金川義助のことだから、どこかで、運動をつづけているような気がしてならなかった。
大正が昭和に変ったことは、なにかそこに新しいものが期待されたけれど、すぐ、加藤は、新しいものが、大正時代より更に暗いもの、つまり、大正から昭和への移行は、暗転でしかあり得ないように考えると、見るもの聞くものすべてが、憂鬱《ゆううつ》に思われてならなかった。
憂鬱は昭和二年を迎えてもつづいていた。会社全体の空気は沈滞しつづけていた。一時よりは静かになっていた、馘首《かくしゅ》の噂《うわさ》が、ひそかに、そして、ものすごい速さで神港造船所の中をかけまわり、首切りが始まった場合、それにいかなる方策を以《もっ》て対処するかについて、組合幹部が研究しているという噂や、その幹部の動向を会社が、探知しようとあせっているなどということが、ほんとうらしく伝えられていった。そういうニュースをいちはやく加藤のところへ持って来るのは、村野孝吉だった。
「こんどこそ、会社は首切りをやるらしい。だが、おれたちは大丈夫だ、月給安いからな」
村野孝吉はそんなことをいった。
三月になったころ、加藤は浜坂の兄から手紙を貰《もら》った。父が急病だから帰って来いという手紙だった。文面は簡単だったが、なにか父の身辺に容易ならぬ災《さい》禍《か》が見舞ったように思われた。加藤は土曜日一日の休暇を取って、金曜日の夜、汽車に乗った。
加藤の父の病気の原因をなすものは、加藤が大正から昭和と改元されたとき予感した杞《き》憂《ゆう》が、杞憂ではなかったことの証明のようなものであった。
台湾銀行、第十五銀行の破産に端を発した金融恐慌《きょうこう》は日本全国に波及し、加藤の父もまたその被害者のひとりにならねばならなかった。加藤の生家は、網元であり、彼の父は浜坂では知名人の一人であった。金融恐慌は、加藤家の土台をゆすぶった。加藤の父は、その心労で倒れたのである。
「おれは銀行を信じていた」
加藤の父は低い声で、文太郎にそういった。大きな声を出してもいけないし、興奮してもいけない、そういうふうな環境に持ちこむことが一番いけないのだと医者に言われていても、加藤の父は、彼が最も可愛《かわい》がっていた、文太郎にその愚痴をいったのである。文太郎は黙って聞いていた。
「銀行が信用できないようになったら、日本はおしまいだ」
加藤の父は、そのひとことに、日本政府に対する万斛《ばんこく》の恨みをたたきつけているようだった。しゃべるだけしゃべると、父は眠った。
加藤の兄が、文太郎をかげに呼んでいった。
「お父さんは、お前にやろうと思っていた山林が、銀行倒産のあおりを食って人手に渡ることになったのを、ずいぶん気にしているようだ。それだけではないが、少なくともお前を呼んだのは、そのことをいいたいためなんだ」
兄のいったとおり、文太郎の父は、ひとねむりして起きると、そのとおりのことをいった。
「お前にやるものはなくなったかわりに、おれはお前に、いい嫁を探してやる。いい嫁を探すまではどんなことがあっても死ねないぞ」
文太郎は、そういう父の眼が、まちがいなく、その約束を果すだろうことを疑わなかった。
文太郎は父の眠った折を見計らって町のはずれの宇都野《うづの》神社へでかけていった。裁判所の前をとおり、学校の前を通って、坂道を登りつめたところに神社があった。
加藤はここが好きだった。ここからは町が一望のもとに見え、岸田川の河口からひろがる浜坂の湾が見えた。
加藤はこの石段を登りながら、子供のころ、この石段をなんべんとなく登ったことを思い出した。いつもひとりだった。加藤は、なぜこどものころ、こんなところにひとりでかけ上って来たのだろうかと、その理由を考えながら、ふと、彼は、たいして意味もなく、神戸の高取山へ登っていたのは、つい二、三年ほども、前だったのに気がついて苦笑した。
(だがいまはちがう。今は、ヒマラヤという目標があるのだ)
加藤がそう自分にいい聞かせていると、すぐ近くで子供たちの騒ぐ声が聞えた。今も昔も変りなく、ここはこどもたちに愛されているのだなと、ちょっとこどもたちの方に眼をやってから、神社の裏に廻《まわ》り、こどものころよじ登った松の老樹に触れた。こどもたちの声は遠ざかり小鳥の声が聞えた。加藤は、お前が嫁を貰うまでは生きているといった父のことばを思い出した。
(おれがヒマラヤへ行って帰って来るまでとなるともう十年はかかる)
加藤は大変愉快になった。嫁を貰うまで父が生きていてくれるなら、嫁を貰わないほうが親孝行になるのだ。
加藤はもとにもどると、もう一度海を見た。汀線《みぎわせん》は白く、弧をえがいていた。海の色は、まだ当分春のおとずれを見合せているかのように灰色ににごっていた。
石段を下りかけると、つい走りたくなる。膝《ひざ》小《こ》僧《ぞう》が笑うのだ。かけおりたい気持をおさえながらおりていくと、石段の途中で十歳ぐらいの女の子がひとり、鼻緒の切れた下駄《げた》を片手にさげて、しょんぼり立っていた。その少女を置いてきぼりにして逃げた、年上の女の子たちは、石段の下で、顔をそろえてその少女の災難をからかうように見上げていた。
「どれ、こっちへよこしなさい、ぼくが鼻緒をすげかえてやろう」
少女は、どうしていいやら困った顔で、加藤の顔を見詰めたままだった。つぶらな澄んだ眼をした少女だった。泣いてはいなかったが、いまにも泣きそうになった眼をそのまま加藤にむけていた。
どれ、といって加藤は少女の下駄を取ると、彼の腰にさげていた手拭《てぬぐい》をやぶって、鼻緒を立ててやった。
「さあ、これでいい、履いてごらん」
少女はにっこり笑って、その赤い鼻緒の下駄を履くと小さな声で、やはり恥ずかしいのか、小首をかしげてありがとうと言った。
加藤はこの美しい眼の少女と、神社の参道であったことが、久しぶりで故郷に帰ったなによりの収穫のように考えていた。
少女は元気よく石段をかけおりて、彼女を置きざりにして逃げた年上の少女たちのあとを追っていった。
「名前を聞いとけばよかったな」
加藤はころがるように、石段をかけおりていく少女のうしろ姿に眼をやりながらつぶやいた。
海の見える館《やかた》≠ゥらは海はよく見えたが、館というほどの建物ではなく、ごく平凡な、二階建ての古びた商館ふうの建物だった。かなり前に建てられたものらしく、ペンキははげ、持主はかわったが、もとここに、英国の大貿易商がいたという伝説だけは残っていた。階上も階下も、いくつかのこまかい部屋に分けられ、貸し事務所になっていた。こうした建物がところどころに見受けられるのは、やはり神戸という港町の持つ特徴のひとつであろう。
海の見える館という名称は最初この建物を建てた英国人がつけたもので、今では館ビルと呼ばれていた。ビルディングとはおよそかけちがった建物だけれども、海の見える館より、館ビルの方が貸し事務所として、利用価値があるものと、この所有者は考えて、名前を変えたものと思われた。
神戸登山会の事務所は館ビルの二階にあった。神戸登山会事務所の小さな看板がかかげられてその横に梅島貿易株式会社と書かれた金看板がかかげられていた。神戸登山会は、会長梅島七郎の事務所と同居した格好になっていた。
「神戸登山会の発展策として、まず考えられることは若手の優秀なメンバーの獲得であり、それらのメンバーをできるだけ早くリーダーに仕上げて、実績をつくることだ」
岩沼敏雄は神戸登山会の拡張発展について力説していた。会を維持するためには、たえず新入会員を受入れねばならないし、新入会員が集まるように、或《あ》るていどの会としての業績を作らねばならないと考えていた。当然なことだったから、誰《だれ》も反対するものはなく、具体策として、岩沼敏雄がなにを持ち出すかだけをじっくり待っているようだった。
「関西には人材はいくらでもいる。この神戸にだっている。この間、東京へ行ったとき、明正山岳会の北森大四郎に会ったとき、彼が地下足袋の加藤って知っているかと聞くんだ……」
「加藤文太郎のことかね」
神港山岳会の中条がいった。
「そうだ加藤文太郎のことだ、北森大四郎は、加藤と燕山荘《つばくろさんそう》でいっしょに泊ったことがあるそうだ。加藤の歩き方を燕山荘の赤沼千尋さんが見ていて、喜作とそっくりだといったそうだ。かもしかの喜作のように足が速いのと、用意のいいのをほめていたそうだ」
岩沼敏雄は、北森大四郎から聞いた話を自分が見て来たように話した。いささか誇張が加えられていたけれども、話としては面白《おもしろ》いし、翌朝、明正山岳会を、みごと出し抜いたあたりになると、関東を代表する一つの山岳会を相手取って、加藤が関西の山岳会を代表して戦ったかのごとき語気さえ感じられた。
「地下足袋の文太郎についてはおれも聞いた」
摩耶《まや》山岳《さんがく》倶楽部《クラブ》の会員の能戸正次郎がいった。
「また聞きだから、真相は分らないけれど、加藤は燕山荘を朝発《た》って、十二時に槍《やり》ヶ岳《たけ》の頂上に登り、中岳、南岳、北穂と、あの岩稜《がんりょう》を通って、穂高小屋には、まだ明るいうちにつき、その翌日は奥穂から前穂を朝食前に往復して西穂をやって上高地へ下山している」
「相当な足の速さだな、それでは眺《なが》めるなんてひまはないだろう、ただ歩きに歩いたってところだね」
その批判に対して能戸正次郎は、
「それが、ただ歩くだけではなかったらしいんだ。彼は歩く行程中に含まれている山のいただきには必ず立寄っている。槍ヶ岳の頂上には小一時間もいて、じっと考えこんでいたらしい」
そうだとすれば、その記録は、いかに夏季だといっても、速すぎるようだという批判が、あっちこっちから出た。
「加藤文太郎の歩き方を見ていた、槍ヶ岳肩の小屋の穂苅三寿雄さんは、足の速すぎるのが、欠点にならねばいいがといっていたそうだ」
しかし、信じられないなあという声が起ったとき、神港山岳会の中条が、
「いや、おそらくそれは本当だろう」
と前置きして、加藤が冬の神戸アルプスを須磨《すま》から宝塚《たからづか》まで完全縦走したその足で宝塚から和田《わだ》岬《みさき》まで、たった一日で踏破した話をした。
「それは人間業《わざ》ではない、まさに天《てん》狗《ぐ》だ」
と岩沼敏雄は彼としては最大級な讃《さん》辞《じ》をはなって、
「そういう男こそ、われわれ神戸登山会のメンバーに望んでいた人じゃあないかな。中条さん、その加藤を神戸登山会へ入れようじゃないですか、関東の登山界の名門、明正山岳会の北森大四郎をびっくりさせた男だ、その加藤が神戸登山会に入れば、会の名はあがるだろうし、やがては関西の山岳会が統合された場合、関西を代表する男として売出すのにも好都合だ」
だが中条は首を横にふった。
「だめでしょうね、たとえ加藤を、入会させることに成功しても、加藤はメンバーにはなり切れないだろう」
「それはどういうことなんです」
岩沼敏雄はむっとしたような顔でいった。
「加藤は彼の会社の山岳会、つまり神港山岳会にも籍を入れてはいないんだ。彼はあまりにも、われわれとかけはなれ過ぎているのだ」
中条は加藤文太郎の一面を説明するために、いつか、六甲山のいただきで見た加藤の歩きっぷりを語った。
「しかし、加藤にしても、ひとりで山歩きをしているのは淋《さび》しいだろう。たとえ、けたはずれの超人であっても、どこかの山岳会に名を連ねているということは、それなりに意味があるじゃあないか」
岩沼敏雄はあくまでも加藤を神戸登山会に引っぱりこむことを主張してやまなかった。
「外山三郎さんと藤沢久造さんに相談したらどうだろうかね、加藤文太郎のことは外山さんが一番よく知っているし、外山さんを通じて、藤沢久造さんも知っているはずだ」
中条は、その話にはもうあきらめかけたような低い声でいった。
「話すまでもないことだよ、加藤文太郎のことは、藤沢さんから聞いている」
それまで黙っていた、神戸登山会の会長の梅島七郎が口を出した。
「加藤を無理に山岳会へ引張りこむようなことはしない方がいい。それよりも、加藤にはただ山を歩き廻《まわ》るばかりではなく、歩いた記録をなにかに発表するように、外山さんを通して話した方がいい」
梅島七郎はけっしてはや口ではなかったが、一言一言を噛《か》みしめるような確実さで話し出した。
「大正から昭和に年号が変るとともに、われわれの山に対する考え方も変えねばならないのだ。従来、登山はいうなれば貴族階級か大学山岳部の独擅場《どくせんじょう》だったのが、その後普遍性を増し、いまや登山は大衆のものとなっている。社会人の登山、つまり、社会生活を基礎とした登山でなければ、登山とはいいがたい傾向になっていきつつある。いいことだと思う。社会人の登山ならば、なにも、発展などということをそれほど気にすることはないと思う。登山の好きな者たちが寄り集まって山へ行き、記録を書き、また山へ行く、それだけでいいのだ。まして、関西の山岳会を統合して、関東の山岳会と対抗しようなどという意識を持つものがあった場合は、そのこと自体が山を冒涜《ぼうとく》することであり、自らを傷つけることである。さっき話に出た加藤文太郎にしても、彼が神港造船所の技手という肩書きの一般社会人だから、彼の足の速さが問題にされる価値があるので、彼が、時間にも金にも恵まれている男だったら、彼の存在価値もないのだ、そういう考え方で、今後、神戸登山会もやっていきたいと思っている」
梅島七郎の演説は消極的に見えた。岩沼敏雄は、あきらかに不満を現わして、いくらか紅潮した顔を、横にそらしながら、やや捨鉢《すてばち》的に、
「だが関東の山岳会は、われわれ関西の山岳会に対して、いたるところで挑戦《ちょうせん》的行動を取っているように見えますよ」
岩沼敏雄は窓から見える海に向っていった。岩沼の視線の先に夜の神戸港が見えた。光が海と陸とを区別し、海の上では一団の灯《ひ》が、寄ったり離れたりしていた。
「それが偏見というものだ、きみがそういう考えでいれば、そう見えるだけのことだ、ばかばかしい」
梅島七郎は最後のことばで岩沼敏雄をおさえつけておいて、
「それにしても、加藤文太郎という男に一度会ってみたいものだ」
といった。
「あまりいい印象は受けないかも知れませんよ、とにかく、彼は相当変っていますからね」
中条のひとことは、加藤に対して、好感を持っているとは考えられぬいい方だった。
加藤文太郎は無聊《ぶりょう》の毎日を過していた。少なくとも彼にとってその日その日は無為に感じられた。設計補助の仕事は半年もやれば馴《な》れてしまって、あとは上からの命令どおりに動くだけでよかった。仕事は単純であり、変化は乏しく、同一種類の仕事を続けてさせようとする会社の意図は明瞭《めいりょう》であった。少なくとも、飛躍的な構想を持った、まとまった仕事は、彼《かれ》等《ら》には与えられず、大きな機械のごく一小部分を、ていねいに図に引いている日が多かった。
加藤はそういう仕事に別に不平を持っているのでもなければ、いやだとも思ってはいなかった。ただ、生涯《しょうがい》をぶちこむ仕事としては、なにかたよりないような気がしてならなかった。なんでもかんでもやってみたかった。一カ月も二カ月もギアーばかり描かされたりするのは退屈だった。彼は、ありとあらゆる部品図を描いてみたかったし、それらの部品が総合されて動く、船という巨体そのものを設計したいという望みをけっして捨ててはいなかった。一つのまとまったエンジンの設計はできないにしても、その一小部分でもいいから、彼の創意を入れる余地のある仕事がしたかった。
それは加藤に限らず、研修所を卒業して、ひととおりの仕事を覚えた若者たちを訪れる一種の倦怠《けんたい》期《き》でもあった。実はこの倦怠期こそ、優秀な設計者となるべき、研鑽《けんさん》の舞台であり、それに気がつくものは、仕事中に自ら疑問を発見し、その疑問解決に先輩の智恵《ちえ》を借りて、一段一段と階段を登っていくのであった。
加藤文太郎の倦怠期は、同級生よりも早く訪れて早く解消した。その動機となるものは、海軍技師立木勲平の来訪だった。
或《あ》る日立木勲平は、内燃機関設計部の中で講演をやった。その日は仕事を一時間早く切りあげて、内燃機関設計部全員がこの講演を聴きにいった。
海軍技師立木勲平は背広服のままだった。最近ヨーロッパの視察から帰ってきたばかりだというのに、それらしいそぶりは見せず、全体的には粗野な感じを与えているのが、かえって聞き手に好感を与えた。
立木勲平は主としてディーゼルエンジンについて講義をした。ディーゼルエンジンが如《い》何《か》に効率のよいものであり、近い将来には、あらゆる機械がディーゼルエンジン化する可能性があるという話と、そのディーゼルエンジンについては、今なお研究の余地が充分あり、各国が競ってこの研究に当っていることを話した。
「たとえば、燃料を噴射するノッズルの機構一つを取ってみても改良の余地は無限にあるのだ。いま私が、ここでこうして講演している間に、新しいノッズルがどこかの国の一技師によって発明されているかも分らない」
彼は講演を終った。
立木勲平の最後のひとことが加藤文太郎の胸を衝《つ》いた。誰かがどこかで研究している。そういう研究ができればすばらしいものだと思っていた。
加藤はそのまま下宿に帰らず、設計室に帰って、彼の設計台の前に坐《すわ》った。ここで、あの新しいディーゼルエンジンの設計ができたらいいなあと思うと、急に、その新しい機械についての知識を吸収したくなった。庶務係員の田口みやがひとりで机の上を整理しているだけで広い設計室には誰もいなかった。
「会社の本が借りたいんだ」
加藤は田口みやにいった。会社には備えつけの図書があった。また、各部にも、若干の必要図書が置いてあった。本の管理は田口みやがやっていた。
「なんの本ですか」
「ディーゼルエンジンの本が読みたい」
田口みやは加藤のいったとおりのことを紙に書きとめた。
歩き出すと彼の足は速かった。
池田上町の下宿まで来ると、サンマのにおいがした。秋が来たなと思った。
彼は、下宿の多幡てつが用意してくれた夕食の膳《ぜん》にひとりで坐って飯を食べた。病的なほど青い顔をした、孫娘の美恵子は見当らなかった。加藤はいつも無口だったから、多幡てつも、加藤には、強《し》いて話しかけようとはしないのだが、その夜の多幡てつは、やや饒《じょう》舌《ぜつ》であった。うれしいことがあったようには見受けられないけれど、どこかに落ちつきをかいていた。気にかかることがあるのだなと加藤は思いながら多幡てつの顔を見ていると、彼女は、しきりに二階を気にしているようだった。二階に誰かいるなと思った。すると、となりの開かずの間が開けられて、そこに誰かが居ることになる。食事の終りごろ、二階から美恵子がおりて来て多幡てつになにか言おうとしたがやめた。美恵子は黙って加藤におじぎをした。美恵子の眼の中には加藤を警戒するようなそぶりが見受けられた。
「二階にお客様が来ているんです。東京の親《しん》戚《せき》の人でね、二、三日泊ってから帰る予定ですから、よろしく」
その、よろしくは、なんとなくおかしな響きに聞えた。となりの部屋に誰が来て泊ろうがおれの知ったことではないと加藤は思った。加藤は二階の部屋に上って新聞に眼を通してから、外山三郎から借りて来た山の本を読み始めた。十時を打つまで隣室ではことりともしなかった。
十時きっかりに加藤は読書をやめて、山行きの支度を始めた。いつもどおりの古びたナッパ服に、ハンチングをかぶって、外山三郎から借りた本の中にあった簡易テントに似せて、彼自身が、針と糸で縫い上げたテントを抱きかかえると、一度は玄関におりて、そこで地下足袋を履き、ゲートルを巻くと、懐中電灯をつけた。玄関の上りかまちの下に号外のような新聞が一枚落ちていた。彼はそれを拾ってポケットに入れると、家人には、別にことわらず、一たん玄関を出てから、身体《からだ》をななめにしてやっと通れるような、壁と壁の隙《すき》間《ま》を通り抜けて狭い庭に出た。名ばかりのような泉水には幾年も前から水が涸《か》れたままになっているらしく、青ごけが生えていた。庭の隅《すみ》に、その貧弱な庭には不相応なほど大きな枝ぶりのいい、楠《くすのき》があった。加藤はその木の下に、彼のねぐらを作った。ルックザックの中から一枚のシートを出すとそれを尻《しり》の下に敷き、木の枝に自製の簡易テントを吊《つ》りさげるように引懸けて、その中で、膝《ひざ》を抱くような格好で眠りにつこうとしてから、ふとさっき玄関で拾った新聞の号外を思い出して、懐中電灯を当てた。無産者新聞と書いてあった。加藤はなにかたいへん悪いものを拾ってしまったように、それをもとどおりたたむと、懐中電灯を消して、そっとテントのすそをまくって二階を見上げた。
隣室からは電灯の灯が洩《も》れていたが人の気配はなかった。加藤は無産者新聞を玄関で落したのは、二階の人に違いないと思った。そんなことはどうでもよいことだったが、加藤には、隣室の人と、家人とのわざとらしい関係に妙に暗いものを感じていた。やがて加藤はテントの中で眼をつむった。そのかがんだままの姿勢は苦しい姿勢だったし、明け方になるとけっこう寒かったが、彼はそういう姿勢ですぐ眠りつくことのできる練習をしなければならないと思っていた。かがんだままの姿勢でいるよりも虫のようにちぢこまって横に寝るほうが楽だということも彼は知っていた。そういう実験と訓練について下宿の多幡てつは、あきらかに軽蔑《けいべつ》を含んだ眼でもの好きだと呼んだ。なんといわれようと加藤は、それを止《や》めようとはしなかった。そんなことをやれと書いてある本はどこにもなかったし、すすめる人もいなかったが、加藤は彼の山の経験から、眠るということがいかに必要であるかという点から割り出した彼特有の試練の方法だった。
そういう格好で一週間野宿すると、疲労を感じて来る。そうなれば野宿はやめて下宿の二階で寝ることにしていた。どうしても、野宿をしなければならないというふうに、きびしく自分を責めてはいなかった。彼は下宿で布《ふ》団《とん》の中で寝ることも、庭で膝小僧を抱いて眠ることも、寝ることにおいては同じであり、どっちにしても、そう苦にしないで眠れるように努力していたのである。
翌朝、彼は眼を覚ますと、テントをたたんで、玄関へ引揚げると、ゆうべそこで拾った無産者新聞を、まえのところにそっと置いた。
「物好きですね加藤さんは」
多幡てつは、いつものことをいつものようにいった。加藤は、それにはことさらに答えず、飯を食い終ると、さっさと会社へでかけていった。
会社につくまで無産者新聞という五つの文字が彼の頭の中にあったが、会社の門をくぐるともうそのことは忘れていた。
彼の部屋には田口みやが出勤していた。ほかには誰《だれ》の姿も見えず、広い部屋に、いやに、ぎょうぎょうしく、製図板が並んで見えた。
加藤は彼の机の前に坐った。
製図板の隅に一冊の洋書が置いてあった。背文字を読むと、ディーゼル機関の構造≠ニ英語で書いてあった。
加藤はその本を取ると、すぐ庶務係の田口みやのところへ引返していった。
「この本はどうしたんですか」
加藤は大きな声でいった。
「きのう、加藤さんが帰ったあとにいらっしゃった影村さんが……」
田口みやはよけいなことをしたことをわびるようにひょこんと頭をさげた。
「影村さんが、この本をぼくに貸してくれるっていうのだね」
「そうです、その本は影村さんが、加藤さんの机の上に置いて帰られたのです」
加藤は、自分の机に帰って坐ると、洋書のページを繰った。知らない英語の単語ばっかりだったが、図や写真が多いから、辞書を引きながら読めば読めないこともないと思った。田口みやが、加藤がディーゼルエンジンの本を読みたいといっていることを影村技師に伝えたのだと思った。その親切よりも、影村の好意を、どう解釈していいか加藤には分らなかった。加藤は、単純にはだまされないぞと、自分の心に言いきかせて、すぐ、しばらくは黙って模様を見ようと思った。ページを繰っていくと、次々と図や写真がでて来る。ノッズルという章にぶっつかった。加藤は食い入るように、本の図に見入っていて、影村に肩を叩《たた》かれるまで知らなかった。
影村は笑っていた。
会社の門を出たときから加藤は、なにか異様なものを感じていた。いままで一度も、つき合ったことのない酒宴にのぞむのだから、異様だというのではなく、同期生たちにかこまれて歩いていることに、なんとなく圧迫を感じ、それが異様なものとなっていたのである。同期生ばかりであり、しょっちゅう会社で顔を合わせている連中だったが、彼等全体が加藤ひとりを意識しているようであり、その証拠には、彼等は、前後左右から加藤を取りかこんでいた。
(おれが逃げるとでも思っているのか、ばかな)
加藤は心の中で笑った。今夜は例年の忘年会とは違うのだ。今夜は金川義助が出席するのだ。だから、加藤、お前は出席しなければならないぞと誘ったのは田窪健であった。金川義助が神戸にいるのかと、加藤はおうむがえしにいった。会いたかった、研修所の卒業を前にしてやめた金川とは、かれこれ四年も会わないことになる。なつかしかった。
「金川はいまなにをやっているのだ」
「労働運動をやっているらしい」
田窪はそれ以上言わずに、加藤から会費を受取ると、じゃあ今夜一緒にいこうぜ、と別れたのである。
ひどく寒い夜だった。暮近いせいもあって、眼に触れるものがすべて、あわただしく、こせこせと、逃げ廻《まわ》っている人間のいとなみに見えた。
「金川はほんとうに来るだろうな」
加藤文太郎は、彼と肩を並べている村野孝吉に言った。
「ああ来るよ、来ないことがあるものか、なあ」
村野は、彼の前を歩いている、同期生の肩を叩いた。その村野孝吉のなあが、加藤には、へんに思われた、来るなら来るでいい、なあといって、他人の同調を求めるのは、いかにも自信のないやり方に見えた。加藤は村野の挙動から、ひょっとすると、同期生たちは、自分をかついでいるのではないかと思った。金川が来るなどということは嘘《うそ》で、彼等は加藤を引張り出すための口実に金川を出したのではないかと思った。
一行が、料理屋の前に来たとき、おい、とうとうここまで来たぞ、と北村安春がみんなに聞えるようにいった。それに同調するように幾人かが笑った。加藤はそれを聞いたとき金川義助は来ないのだと思った。金川義助を持ち出したのは、加藤を引張り出すためであることは、わかったけれど、それまでしてなぜ彼等が、自分を忘年会へ引張り出したいのか、加藤にはわからなかった。
加藤は腹をすえていた。ここまで来て逃げるつもりはなかった。加藤は靴《くつ》を脱いだ。そして、その靴が、そこに並べられている、同期生たちのどの靴よりも、はき古されたものであり、自分ひとりがナッパ服のままでいることも自覚した。少しも、それが恥ずかしいこととは思わなかった。靴が古びているのも、背広服を買わずに、ナッパ服でいるのも、すべてヒマラヤという目標のためだと思えば、なんともなかった。他人が、それについて、なんと考え、なんと批判しようが知ったことではないと思っていた。
加藤は上座に坐らされた。そういう配置から考えても、友人たちが、加藤に対して、なんらかの意図を持っており、この忘年会はただでは済まされないように推測された。
床の間には大きな木彫りの大黒があった。それを背にして、あぐらをかいた加藤文太郎の前へ、同期生が、つぎつぎとやって来て酒をついだ。加藤は酒を飲めなかった。飲めないのではなく、飲もうとしないから下戸《げこ》扱いにされていることも自分でよく心得ていた。加藤は飲めと、強くすすめられると盃《さかずき》を、まるで、薬でも飲むように唇《くちびる》に当てて、すぐ下におろした。
「飲まないか」
と同期生がいった。
「飲めないんだ」
加藤はそう答えて、にやにやと、笑うだけだった。忘年会へ、金川義助がいるといって無理に引張り出されたことなんか、少しも根にもっていないふうだった。
「悪かったな加藤」
村野孝吉は、さすがに、そのことを気にしているらしく、加藤の隣の席で、そういった。
「な、加藤、たまにはつき合いもしなければなるまい、いろいろとへんな噂《うわさ》が立つからな」
村野がへんな噂といったことがなんであるかが加藤にはすぐわかった。かなり酔った同期生のひとりが、加藤の前へ坐っていった。
「おい加藤、きさま金をためてるそうだな。電車にも乗らず、背広も作らず、酒も飲まず、一生懸命金をためているそうだが、そんなにまでして金をためてなににするのだ」
加藤は黙っていた。こんな奴《やつ》にヒマラヤ貯金のことなんか話してもわかるはずがないし、説明したくはなかった。貯金のことは誰でも知っているらしいが、その目的は誰も知らないのだ。外山三郎でさえも、貯金の目的については知っていないのだ。加藤は貯金のことが他人に問題にされはじめたことがむしろおかしくてたまらなかった。
「おい加藤、人生は短いんだ。せいぜい楽しく遊ぼうじゃあないか。けちけち金をためて、なんになる。それよりも、その金で女でも抱いて見ろ、いいぞ」
そういった男がいた。
つぎつぎと同期生たちが来て、同じようなことを言って去るのは、彼《かれ》等《ら》が、加藤に対して、平凡なつきあいをすすめているようであり、また、加藤の貯蓄が、単なる吝嗇《りんしょく》から来るものと解釈しているようでもあった。しかし、同期生たちは、執拗《しつよう》に加藤を困らせようとはしなかった。そのうち、加藤は、ひとりぼっちにされて、赤い顔をして、友人たちが、踊ったり、歌ったり、大きな声でいい合いをしたり、それを止めに入った男が、そこで口論を始めたりといった混乱の中にひとり取り残されたように坐っていた。
「いいところへ行こうじゃないか」
と誰かが立上っていった。
「そうだ、いいところへ、今晩はお客様を案内しようじゃあないか」
「そうだ、加藤、いいところへ案内してやるぞ。きさまも、徴兵検査はとっくに終っているんだ。童貞なんか早いところ捨ててしまえ。そうすることが男としての躍進なんだ」
加藤のまわりを、数人の男たちがとりかこんだ。わっしょ、わっしょという声が起った。加藤は料理屋を、友人たちの喊声《かんせい》とともに出ながら、ここまで、ちゃんと、計画されていたことに、驚くというよりも、或《あ》る種の嫌《けん》悪《お》を感じはじめていた。くどすぎるなと思った。しかし加藤は、別にあばれもせず逃げ出しもせず、彼等が宵《よい》のネオンの町の中を、あっちによろけ、こっちによろけ、同じような風体の若者たちと声を交わしたりしながら、巷《ちまた》へ踏みこんでいくなかに呑《の》みこまれたままについていった。
福原遊廓《ゆうかく》については加藤はいろいろと耳にしていた。しかし、そこへ足を踏みこんだのは、その夜が初めてであった。加藤を前後左右から取巻くようにして、やって来た同期生たちも、その町だけが作っている一種異様な陰湿な雰《ふん》囲気《いき》に、行手をはばまれたように、いままでほどの元気はなく、加藤をどこかへ連れこむことよりも、彼等自身の目的が表面に出て来たらしく、ほとんど同じような店がまえの、窓に並び立てられている、女の写真を覗《のぞ》き込みながら、ひととおりの遊び人らしい口調で、女を批評したりしているのを横目で見ながら、加藤は、脱出の機会を狙《ねら》っていた。
加藤をとりこにして、ここまでつれて来た同期生たちはいつの間にか、六人が五人に減り、五人が四人に減っていた。その四人が二つに分れて、この家がいい、いやあっちがいいといい合いを始めたとき、加藤は友人のもとを去った。
「加藤が逃げたぞ」
そういう声をうしろに聞いたが追いかけて来る気配はなかった。
加藤は湊川《みなとがわ》公園まで来てほっとしたように息をついて、うしろをふりむくと、
「つきあいってのはこんなことか」
それをいうと、ひどくみじめな気持になった。自分の眼に涙が浮んでいるのがわかる。原因はよく理解できないが、とにかく、友人のすべてに裏切られ、軽蔑《けいべつ》され、そして足《あし》蹴《げ》りにされたように悲しかった。加藤は、駈《か》け足を始めた。夜の神戸の町を、いち、に、いち、にと自分で自分に声を掛けながら走っていると、やがて、汗がにじみ出て来る。彼はそのままのペースで高取山への登り口の鳥居をくぐると、そこからは、いつもの登りの姿勢で、暗い坂道を、まるで自分の庭を歩くような慣れた調子で頂上へ向って、ほとんど駈けるような速さで登っていった。
(昭和三年、十二月三十一日快晴 茅野《ちの》六時三十分)
加藤文太郎は茅野駅で立ったままノートにそう書きこんでから、周囲を見廻した。汽車をおりたのは彼を含めてたった三人だけだった。毛糸の目出し帽子をかぶり、モンペを穿《は》いた老人が、明けて間もない空を見上げていた。
「上槻《かみつき》ノ木《き》へ行くには、どういったらいいでしょうか」
加藤は老人に聞いた。老人はじろっと加藤を一瞥《いちべつ》してから、
「途中までいっしょにいかずか」
といった。たたけばかんかん音がするように道は凍《い》てついていた。しばらくは、町というよりも村に近いような家並がつづき、三十分も歩かないうちに、坂道になり、それからは、雪におおわれた田圃《たんぼ》と、葉をおとした桑畑と、屋根に石を置いた農家がつづいていた。
「どこへ行くだね」
老人は、ルックザックを背負いスキーを担《かつ》いでいる加藤の姿を、もう一度ゆっくりとたしかめ直すように見廻してからいった。
「今夜は夏沢温泉まで行って泊って、明日は八ヶ岳へ登りたいと思っています」
「夏沢温泉じゃあない、夏沢鉱泉ずら。あそこには誰もいねえぞ」
「いなくてもいいんです。食糧は持っています」
加藤は背に負った大きなルックザックをゆすぶっていった。
「いくら食べものを持っていたって、着て寝るものがなけりゃあ、この寒さじゃあ眠れるもんじゃあねえ。上槻ノ木へいったら、もっとよく聞いていくだね。とにかくえれぇこった」
老人はえれぇこったということばを、二度三度繰りかえしてから、上槻ノ木へ行く道を教えてくれた。
老人と別れてからも加藤は、えれぇこった、えれぇこったと老人のいったことばを口にしながら坂道を登っていった。日が上ると、雪におおわれた八ヶ岳が近づきがたいほど遠くに見えた。それにしてもこの八ヶ岳山麓《さんろく》の広さはどうだ。加藤はしばしば立止って、彼の足元から八ヶ岳の山頂までつづいている雪の高原に眼をやった。だらだらと登っていく、きりもなく長い道を、時々、人に訊《き》いてたしかめながら、透き徹《とお》ったようにつめたい高原の大気を呼吸すると、やはり、出て来てよかったと思った。いつかは冬山へ入らねばならないと思っていた。冬山の経験なくしてヒマラヤなど思いもよらないことだった。その冬山に入る前提としていままで努力して来たのだ。
(山をやり出してから何年になるだろうか)
加藤はふとそんなことを考えたが数えて見ようとは思わなかった。とにかく、冬山へ入ることができたということで、ひどく心がはずむ思いだった。
上槻ノ木には十時についた。村で、夏沢鉱泉のことを聞くと、番人はいないが、ふとんが置いてあるから、中へ入って泊れるだろうということだった。誰に訊いても、親切だった。わざわざ外へ出て来て、あの道を左へ左へと歩いていけば、自然に鉱泉へ行きつくことができるから心配はいらないと教えてくれる人もいた。上槻ノ木の村を離れると、雪道になり、そこからが、いよいよ山の領分だった。茅野からずいぶん、歩いて来たように思ったけれど、八ヶ岳は少しも近づいては来ないばかりか、むしろ遠くにいってしまったような感じでもあった。雪道には馬《ば》橇《そり》のあとがついていた。やがて、そのあともなくなると、あたりは見渡すかぎりの雪の高原となり、どこを見ても、人影は見えなかった。そこで加藤は担いでいたスキーをおろして履いた。天気はよかった。これからはただ歩けばよい。鳴岩《なるいわ》川の音が聞えた。思いのほか、深く切れこんでいる川の底を流れている水が、光って見えるところまでいって、地図を開いて、道を間違えたのに気がついて引返したりなどしながらも、加藤は、高度をかせぎ取っていった。高原が尽きて、樹林帯にかかるあたりから道の勾配《こうばい》がきつくなった。シラビソ、ウラジロ、モミなどの針葉樹林の中へ入ると、寒気を感ずる。ひといき入れて、空を見上げると、いつの間に出たか、上層雲が空一面をおおっていた。薄日はさしていたが、弱い光であり、それに、森林地帯に入ってから、加藤ははっきりと風の音を聞いた。風の音というよりも、それは山の音だった。風が出たのである。
加藤は、天気が悪い方へ向いつつあり、それが、彼の山行の大いなる障害にならねばいいがと考えていた。
加藤は山陰の生れであるから、雪をそれほどおそろしいものとは思っていなかった。しかし、いま彼が足下に踏んでいる雪は、いままでの彼の経験にない雪の感覚だった。固くつめたい足応《あしごた》えのする雪だった。つぎに彼が予期以上に感じたものは寒さであった。夏山縦走中に雷雨に打たれたこともあり、みぞれに降りこめられたこともあった。南アルプスの稜線《りょうせん》を風雨に打たれながら歩いたこともあった。その時も、身を切られるように寒かったが、いま八ヶ岳の森林地帯に一歩踏みこんで感じとった寒さとは違っていた。冬山の寒さは、乾いた寒さだった。とぎすました刃物を眼の前へじりじりとおしつけてくる寒さのように思われた。
加藤は腕時計を見た。午後の三時を過ぎていた。歩いていても、頬《ほお》のあたりに感ずる、この乾いた寒さから、彼は、これから更に高度を高めていった場合の寒さを連想し、冬山のきびしさが、彼の前に大きく立ちはだかっているのを知った。
加藤は初めて北アルプスを訪問した夏、大《お》天井岳《てんしょうだけ》の下で大雷雨に逢《あ》ったことを思い出した。初めての夏山は雷光と雷鳴の御《お》膳立《ぜんだて》によって彼を迎えたが、冬山はいかなる趣向を以《もっ》て彼を迎えるだろうかということが加藤にとっては大《おおい》なる関心事であった。
加藤は、彼の履いているスキーが雪を踏みしめて発する音が、今朝の老人のいったえれぇこった、えれぇこったという言葉に聞えてならなかった。急傾斜の道を登り切って、山腹を捲《ま》くように歩きながら加藤は、足下の深いところを流れている鳴岩川の谷底を眺《なが》めていると、どこからかただよって来る、鉱泉特有のにおいを嗅《か》いだ。
夏沢鉱泉には誰《だれ》もいなかったが、家の中へは入れるようになっていた。彼は大きな声でごめんくださいといった。誰もいないことはわかっていたが、そういわないと気が済まなかったのである。声は暗くしめった鉱泉宿の奥の方へ消えていった。その手応えのなさは腹の立つほどむなしかった。それほど、この鉱泉宿はあちこちに隙《すき》間《ま》だらけだった。午後の四時を過ぎたばかりだったが夜のように暗かった。彼は提電灯をつけて、部屋の隅々《すみずみ》に光を当てた。明るいうちに食べて寝る準備をしなければならなかった。冬山では午後の三時までには、行動を停止して、夜の準備にかからねばならないということを本で読んで知っていた。
入って直《す》ぐの部屋の隅に布《ふ》団《とん》が重ねてあり、その上に、薦《こも》と筵《むしろ》がかぶせてあった。畳は上げられて、部屋の隅に立てかけられていた。
加藤は一畳の畳を床《ゆか》の上に敷いて、その上に坐《すわ》った。やれやれ、という気持だった。ルックザックをあけて、塩尻《しおじり》駅で買って来た汽車弁を出して食べ、上槻ノ木の部落で魔《ま》法瓶《ほうびん》に入れてきた湯を飲んだ。湯はまだ熱く、その熱い湯が喉《のど》を通ると、救われたような気持になる。食事を終ると彼は、畳の上へふとんを持って来て敷きならべてその中へもぐりこんだ。眼を閉じると山の音が聞えた。風がかなり強くなっていることは明らかだった。うとうとしていると風の音と、寒さで眼がさめた。ふとんを二枚も着ているのに寒いのは、肩のあたりから風が入ってくるからだと気がついて、襟巻《えりまき》を首に巻きつけてから、もしこの小屋にふとんがなかったら、自分はいったい、どうして眠ることができたろうかと思った。ふとんどころか、もしここまで来て、この鉱泉旅館がなくて、野宿することになったならばと考えると、また別な寒さが彼を襲うのである。
「おれは冬山へ来たんじゃあないのか」
加藤は自問した。夏沢鉱泉へ泊る予定ではあったが、冬山に対する準備はして来たはずであった。彼は夜半に起き上ると、提電灯をたよりに、彼が持って来たものをすべて身につけて、ルックザックの中へ足をつっこんで、畳の上に横になった。寒かったが、眠れない寒さではなかった。いくらかでも寒さから逃れるためには、でき得るかぎり、自分の身体《からだ》を丸く小さくおさめることが必要だった。彼はネコのように丸くなった。ネコのようになると背中がひどく寒かった。ぶくぶくと長い毛の生えた毛皮のチョッキが欲しいと思った。それをもう一枚だけ着ていれば、この寒気からはのがれることができるように思われた。寒さにこたえようとしていると身体中に力が入る。りきむといくらか身体があたたかになる。加藤は、もう少し、カロリーのあるものを食べて寝るべきだったと思った。もしこんなとき、ビフテキの二人前も食べていたら、と考えるほど、寒さはきつかった。
明方近くになって、彼は眼を覚ました。どうしても寒くてやり切れないから、ふとんをかぶった。それから朝まではぐっすり眠った。
昭和四年の一月一日は雪だった。
加藤は板戸をおしひらいて雪の吹きしきる外の景色にしばらく眼をとめていたが、すぐ家の中へ引返して台所の方へ行って見た。炊事用の竈《かまど》があって、薪《まき》が少々置いてあった。
彼は台所にあった大鍋《おおなべ》をさげて外へ出て、それにいっぱい雪を掬《すく》い取って来ると竈にかけて火をつけた。
赤い火が燃え出し、煙が這《は》い廻《まわ》り始めると、寒々とした鉱泉全体が暖かい雰囲気に包まれる。加藤は、鍋の中にできた水で飯盒《はんごう》の米をとぎながら、ここが鉱泉である以上、どこか近くに水があるに違いないと思った。水があるのに、わざわざ、雪をとかして、飯を炊《た》く自分が迂《う》濶《かつ》であったことが、おかしくなったが、考えて見ると、まだ、雪をとかした水で飯を炊いたことがなかった。飯盒の飯は間もなく煮えたから、鍋に湯を沸かして、カマボコとバターを入れた。
熱い飯とカマボコスープは元旦《がんたん》の朝食にふさわしい豪華なものであった。食事が終って、ミカンを食べようとしたが、石のように固く凍っていた。彼はそれを竈の上に置いた。
雪は降ってはいるがたいした降りではなかった。風はあるにはあるが、吹雪というほどでもなかった。加藤は支度をととのえると、非常食の入ったルックザックを背負ってスキーを履いて夏沢峠への道を登っていった。
道ははっきりしていたから迷う心配はなかったが、新雪の中へスキーがもぐるから歩きにくかった。
「えれぇこった、えれぇこった」
彼は、きのうから愛唱している例のことばを口にしながら、峠への暗い道を登っていった。夏沢峠までの往復が、その日の予定だった。降雪の中を、それ以上前進するだけの勇気はなかった。えれぇこった、えれぇこったといいながら峠の方へ登るにつれて、風が強くなって来て、どうやらほんとうに、えれぇことになりそうな気がした。が、それがどんなかたちで来るかはわからなかった。彼は昨《ゆう》夜《べ》の寒さとの対面によって、おそらく、今日もひどい目に会うにちがいないという予想のもとに、目出し帽をおろして、首のあたりを毛糸の襟巻でぐるぐると巻いた。そうすると寒さはしのげたが、ひどく息苦しく、活動に不便であった。
彼が吹雪を意識したのは夏沢峠の直下であった。一陣の風が起ると視界が煙り、その風が定常的な強さで彼の正面から吹きつけて来るようになると、眼をあけていられなくなった。しばしば彼は立止って眼をおおった。吹雪そのものより、森林のざわめきの方がすさまじかった。彼はその音に恐怖をおぼえた。峠まで来ると雪はかなり深くなっていた。その峠が、南八ヶ岳と北八ヶ岳の中間にあり、北八ヶ岳一帯の暗さが、そのまま峠にまでおおいかぶさっていた。そこから硫黄《いおう》岳《だけ》への登り口はあったが、そこへ踏みこんでいく気にはなれなかった。降りしきる雪と、登るほど強くなる風から判断して、そこから上が、大荒れに荒れていることが想像された。峠に立っているとひどく寒く、そして、そこにそうして立っている自分がみじめであった。視界は効かず、山の音だけが、彼を圧倒しようとしていた。
加藤は帰途についた。寒さからのがれることで一生懸命だった。なぜこんなに寒いのか、寒いことはかねて承知の上で、充分用意して出て来ているのに、寒いと感ずるのは、もともと、寒さに対して抵抗する能力がないのかも知れないと思ったりした。ヒマラヤへ行くというのに、八ヶ岳の寒さにおそれていてはしようがないと思うのだが、やはり寒かった。
加藤は、夏沢鉱泉に帰りついて、雪を払うと、そのまま寝床の中へもぐりこんだ。つかれてはいなかった。つかれるほど歩いてはいないが、寒いし、それにひどく眠かったから、寝床の中へもぐりこんだのである。やがて、あたたかみが彼を包むころ、彼は深い眠りに落ちた。眼を覚ますと、夕方だった。空腹を感じた。彼は起き上るとすぐ台所へ行き、火を焚《た》く準備を始めた。薪がなくなっていたから、外へ出て、軒に積んである薪をひとかかえ抱いて来た。薪は濡《ぬ》れていた。家の中にまだ残っていた乾いた薪に火をつけてそれに外から持って来た薪をくべると直《す》ぐ火が消えた。紙をたきつけにして火をつけると、紙だけが燃えて、濡れた薪には火はけっして燃え移ろうとはしなかった。
加藤は薪で火を焚くことはあきらめてアルコールバーナーに火をつけコッフェルで湯をわかし、飯盒の中の凍った飯を落しこみ、味《み》噌《そ》を加えて、雑炊にした。カマボコをきざんでいれたけれど、噛《か》むと、ざくざく氷の音がした。
それでも、アルコールの燃える明るさがあるかぎり、彼は楽しかった。腹一ぱい飯を食べてから加藤は、さっき、夏沢峠で感じた寒さについて考えた。充分に着こんでいた。飯も食べていた。ただ、昨夜はあまりよく眠ってはいなかった。考えられる原因としては、睡眠不足だけであった。寝不足が寒気を呼ぶという事実はあってもよさそうだった。
(だとすれば、今なら寒くないはずだ)
加藤は、火を見詰めながら、しばらく考えていたが、急に思いついたように、アルコールの火を消すと、提電灯の光で、支度を始めた。彼は昨夜やって見たと同じように、身につけられるものはすべて身につけると、雪の中へ出ていって、シートを敷き、その上に坐りこんでテントを頭からひっかぶった。
実験であった。冬山の寒さを知るには、自らの身体を、山の中へさらす以外にはないと考えてしたことであった。この行為に対して、彼を批判するものはここにはいなかった。バカだという者もないし、えらいとほめるものもいなかった。すべて彼自身の思いつきではあるけれど、そうした格好で正月の夜を過すことに、微《み》塵《じん》の寂寥《せきりょう》も感じていないわけではなかった。
「加藤君、正月の休みにはぜひ遊びに来てくれ。若い人達《ひとたち》がおおぜい集まるから」
外山三郎がそういって誘ってくれた。若い人達の中には、何人かの娘さんたちが交わっていることも、外山三郎は言外にほのめかしていた。娘さんたちの晴れ姿に華やいだ外山三郎の応接間が見える。赤々と燃えているストーブ。加藤は首をふった。そういう世界もあるにはある。その世界を否定しようとは思わないが、その世界と逆の位相のところに、いま、彼が覗《のぞ》き見ようとしている未知の世界があるのだ。
加藤は寒気が、まず彼のどの部分から彼を攻めようとするかを見きわめようとした。足の先、手の先、そういうところから、しみこんで来る寒さ、背中からおしつぶすようにやってくる寒さ、敷いている、シートを通して、伝わってくるつめたさ、それらのすべての方向に対して、加藤は用心深く気を配っていった。眠くはなかった。眠らずに寒さと戦いながら朝を迎えることができるかどうかを試そうとした。
風は、彼がかぶっているテントをはぎ取ろうとした。風の当る部分の体温が奪われ、同じところを、風にさらしていると、そこから知覚が失われていきそうだった。足の先も手の先も冷たかったが、それらとは原因を異にした寒さが彼をせめた。それは濡れることであった。彼の体温が雪を溶かし、その水分を彼の着衣は吸収し、ごていねいに、それもやがては凍りついていくのである。彼は何度か家の中へ逃げこもうと思ったが、耐えた。
「えれぇこった、えれぇこった」
彼は口の中でつぶやいた。これを繰りかえしていると、不思議に気持が落ちついて来る。きびしい寒さは彼の頭を明晰《めいせき》にした。加藤は彼が踏みこんだヒマラヤへの道がいかに遠いかを考えた。夏山を歩くことにかけては、誰にも負けない自信がついていた。彼は大正十四年の夏、北アルプスを訪れて以来、大正十五年、昭和二年、昭和三年と四年間の夏期を通じて踏破した山々を頭に思い浮べていた。
穂高連峰、立山連峰、後立山《うしろたてやま》連峰。南アルプス、富士山、乗鞍岳《のりくらだけ》、御岳《おんたけ》、木曽《きそ》駒岳《こまがたけ》、山上ヶ岳、大山《だいせん》、船上山、白山、扇ノ山、氷《ひょう》ノ山《せん》、許される休暇のすべてを投入した結果だった。登った山はまだあったが、直ぐには頭に浮んでは来なかった。この八ヶ岳も夏に一度は訪れた山であった。冬山への招待は、加藤の名が、関西の山岳界に知れて来るに従って、しばしば彼のもとを訪れたけれど、彼は首を横にふった。冬山に入るまでに夏山のすべてを知ろうという彼の用心深さであった。
加藤は雨の中で野宿したときのことや、みぞれに打たれながら一晩中、歩きつづけたことなど思い出していた。それらの夏山の体験によって得たものと、いまここで得ようとしているものとは原則的に違ったものを持っていた。
(夏山と冬山との違いは寒さだけではない)
加藤はそれを考えつめていた。寒さだけなら、寒くないような、準備さえすればしのげるけれど、それ以外にあるものとすれば、――それは孤独であった。夏山にはどこかに人がいた。小屋もあった。鳥もいるし、動物もいた。花も咲いていた。だが冬の山には人はいなかった。小鳥の啼《な》き声も聞えないし、草木も眠っていた。
加藤は身ぶるいをした。冬山の寒さは、孤独感から来るものではなかろうか。すると、冬山に勝つにはまず孤独に勝たねばならない。加藤は数日前の忘年会の夜のことを思い出した。孤独に勝つことのできない同期生たちが、酒を飲み、歌い、いい争い、そして、ネオンの街の中へ、よろめきながら出ていった姿が思い出された。彼《かれ》等《ら》には彼等の生き方があり、自分には自分の生き方がある。
「おれは孤独に勝って見せる」
加藤は震えながらそうつぶやいていた。
吹雪は二日続いた。三日目の夜半過ぎてから西風に変り、星が出た。
加藤文太郎は午前三時に夏沢鉱泉を出発して、新雪の中を夏沢峠に向った。森の中は真暗で、提電灯をつけていないと、歩けなかった。スキーは新雪にもぐり、雪を踏みつける音がついてまわっていた。明け方の寒気が、ひしひしとせまって来るけれど、吹雪の止《や》むのをじっと待っているあの孤独感はもうなくなっていた。歩くことによって気がまぎれるというよりも、未知のものへの誘惑が加藤を強く引張っていた。
六時に夏沢峠についた。夜が明け始めていた。彼はスキーの先を一度は硫黄岳の方へ向けたけれど、すぐもとへもどすと、そのまま峠を越えて、本沢鉱泉の方へ、急坂をおりていった。ひょっとすると、本沢鉱泉に番人がいるかも知れないと思った。人に会いたかったのである。加藤には丸々三日間、全然人の姿を見なかったという経験はなかったし、人の声を聞かなかったということもなかった。ここでは人の声はおろか、鳥の声さえも聞けなかった。三日間、人の世界から隔絶された加藤は、人が恋しかった。誰でもいいから人に会いたかった。だが、本沢鉱泉は閉鎖されたままだった。彼は自分自身に裏切られたような気持でそこに立っていた。ヒマラヤを目指している加藤が、たった三日間の孤独に耐えられずに、山をおりて来たということが、無人小屋の前で事実として示されると、彼は、その自分の弱さに、猛烈な反発を感じたのである。
加藤は小屋に背を向けた。
朝の光が、硫黄岳の頂に火をつけたように燃えていた。彼はモルゲンロートということばが好きだった。それを彼は数多く見ていた。だが、彼がいま見るモルゲンロートは、それまで彼が見た、いかなるものとも違っていた。
硫黄岳のいただきの雪はバラ色にそまり、そのかげは紫色に燃えていた。朝日を受けて輝くという他動的なものではなく、山そのものの地核からそのたぐいまれなるバラ色が、にじみ出して来て雪肌《ゆきはだ》をそめているように見えた。それは、処女が示す羞恥《しゅうち》のためらいのように清《せい》楚《そ》な美しさを持っていた。
山が輝き出すと彼の胸が鳴った。全然予期しないことだった。その胸の高鳴りは彼がいままで経験したことがない、妙に衝《つ》きあげてくる鼓動だった。加藤はまだ恋をしたことはなかった。恋をするような女性に会ったことはなかったが、もしそういう女性に会ったならば、感ずるであろうと思うような胸の鼓動であった。その時、彼は、おそらくこのように美しいものを見ている者は、日本では自分ひとりであろうと考え、こういう美しいものとの対面が、彼と山とを永遠に別れさせないものにするのではないかと思った。硫黄岳のいただきはバラ色の冠となって一段と光り輝き、やがてその光は大地にしみこむように消えていった。
加藤は、スキーの締め具を直して、ふたたび夏沢峠へ向って急坂を登り出した。孤独感はモルゲンロートを見た瞬間、消えうせていた。
夏沢峠に立ったとき彼はまともに西風を受けた。思わずよろめくほどの風だった。天気がよくなれば、西風が吹くのが当り前だという、このあたりの山の気象についての概念はつかんでいたが、現実、その風に正対して、その風に追いまくられると、少々腹が立った。
加藤は、樹林を出て這松《はいまつ》地帯まで登りそこでスキーを脱いだ。西風は、降ったばかりの雪を飛雪として撒《さん》布《ぷ》した。
アイゼンに穿《は》きかえると靴《くつ》が雪にもぐった。それもわずかの間で、岩と氷の道にかかるとアイゼンはよく利《き》いた。
加藤は硫黄岳のいただきに立った。既に夏一度来たことがあったから未知の山ではなかった。大タルミを越え、横岳、そして赤岳とその姿こそ見違うことはないし、北八ヶ岳の峰々も、ひとつとして、知らないものはなかったけれど、加藤にとっては、それらの山々は未知の山に見えた。夏の八ヶ岳は、石ころの山だったが、冬の八ヶ岳は風と雪と氷の山だった。その風と雪と氷が、彼をどんなふうな迎え方をするかについて、彼は注意深くあたりを見渡した。硫黄岳はひろびろとした雪原に見えた。問題は横岳の稜線《りょうせん》にあるように思われた。
「横岳の稜線をゆっくりと時間をかけてやればいいのだ」
彼はひとりごとをいって、大タルミの方へ向って歩き出した。突風が彼を襲ったのはその時だった。突然、空気中の一点で大爆発でも起って、その爆風に飛ばされたように、彼の身体は軽く飛ばされ、雪の上をころがった。気がついたときには突風はやみ、一定風速の西風が吹いていた。風につきとばされたという感じだった。眼《め》に見えないなにかが、どこかにいて、足をすくったように思われた。どこも怪我《けが》はなかったし、痛いということはなかったが、加藤は、驚きと、冬山への畏怖《いふ》と、わずかばかりの疑惑の中に立ちすくんでいた。吹きとばされ、雪の上をころがされたにかかわらず、ピッケルで身体《からだ》を止めることもできなかった。それを考えると、自分がなさけなくもあった。
加藤は両手でピッケルをかまえてゆっくりと歩き出した。歩幅は前よりもこまかく取り、耳で風の音を聞き、眼で、付近の雪煙を見、足では雪と氷の反応を確かめながら、やや固くなりながら、歩き出した。しかし、第二の突風は、加藤を前よりもはげしくつきとばし、そしてその噴流のような風は、なかなか止もうとはしなかった。
彼は強風の中を這《は》うようにして前進した。目出し帽をかぶり、首のあたりを毛糸の襟巻《えりまき》でぐるぐる巻いているのだが、風はどこからともなく入りこんで来て、彼の体温を奪っていった。
加藤は岩陰に西風をさけてひといきついた。風に吹きとばされながらも、どうにか風の強い領域を突破できたことが嬉《うれ》しかった。なぜ、その部分だけに、風が収斂《しゅうれん》されて、まるで、大河の流れのような密度を持って吹きつけて来るのか分らなかった。
岩かげにしばらくじっとしていると、手足の感覚がもどって来る。彼は、ルックザックの中から、魔《ま》法瓶《ほうびん》を出して、湯をいっぱい飲んでから、右のポケットに入れて来た甘納豆と左のポケットに入れて来た乾《ほ》し小魚とを交互に出して食べた。彼が夏山で体得した簡易食事法は、冬山においてもまた効果的だった。左右のポケットの中身を半分ほど減らしたところで、彼は立上っていた。
腹に力が入った。稜線にかかると風はいよいよ強くなった。風のために雪は吹きとばされて、夏道が出ているところもあるし、思わぬところに、吹きだまりがあったりした。夏来たときは、稜線はかなりの幅に見えたけれど、雪の稜線はせまく、ひ弱に見えた。道は東よりについていて、足下の雪の斜面は、おそるべき急角度で下界に向って延びていた。風に吹きとばされたら、雪の上をそのまま谷底へすべっていってしまいそうだった。
彼は一歩一歩を慎重に運んだ。風に吹きとばされまいとする努力が彼の耳を敏感にした。地物をたくみに利用して、岩峰やこぶのかげを廻《まわ》りながら風をよけていった。岩かげから吹きさらしへ出る場合は、飛雪の方向によって風の流線と速度を推測し、それに応じた用意をしなければならなかった。しばしば彼は、尾根のいただきで風に釘《くぎ》づけされることがあった。両足をアイゼンでしっかり雪に喰《く》いこませ、ピッケルのピックを氷に打ちこみ、尾根の上に這うようにしていても、風が尾根と身体との空間に梃子《てこ》をぶちこんで、尾根から引きはがそうとすることがあった。いかにこらえようとしても、力を入れる甲斐《かい》もなく、ふわりと空中に浮いてしまいそうになることがあった。そのように漸進《ぜんしん》的に風力が高まっていく風の吹き方もまた夏の山では経験しなかったことである。風は、どちらかと言えば、突風性のものを考えていた加藤にとって、この強烈な連続風は未知のもののひとつであった。加藤はこの風こそ、冬の季節風そのものであろうと思った。大陸から吹き出して来て、日本海を越え、そこにひかえている八ヶ岳という孤独な山群の山嶺《さんれい》においても尚《なお》その冬の季節風の面目を崩そうとしないのは見事でもあった。
風とは空気の移動する状態であるという、風の定義をなにかの本で加藤は読んだことがあった。それについて加藤は疑問を持った。川のことを、川とは水の移動する状態をいうと簡単に片づけることができない多くのものを持っていると同様に、風もまた空気の移動として片づけられる問題ではない。
(風とは空気の移動ではない)
加藤は岩稜で、強風にこたえながら考えた。
(風とは空気の重さである)
彼は全身に重さを感じた。十貫目、二十貫目の重さが今や、彼の全身にかかりつつあった。重さだけあって、その形体が確然としない、風はまぼろしの存在だった。風速にして二十メートルだか三十メートルだか想像もつかなかった。速さというよりも滝を肩に受けて立っている行者のように、彼は身を風圧にさらしたままじっとしていた。動けば、吹きとばされることは確実だった。彼の身体にかかっている重みが去るまではいかなることがあろうとも、そこにそうしていなければならなかった。待つことには自信があるぞと、加藤は自分の胸にいい聞かせて、腰をすえる気持になったとき、突然風の重圧が去った。と同時に、その風圧と等しい力で対抗していた加藤の身体は、風の吹いていた方向へ飛んだ。彼自身の力で飛んだのであった。運よく彼の持っていたピッケルが彼の身体を止めたから、彼は尾根から墜落することはなかったが、そのショックで、彼はしたたか腰を打った。
「畜生め」
彼は起き上っていった。怒りが彼の全身を廻った。風になんか負けるものかと思った。このおれを吹きとばせるものなら吹きとばして見やがれという気になると、風の暴威もまた別のものに感ぜられるのである。加藤は畜生め、畜生めといいながら歩いた。冬山とは風との戦いだと思った。風と雪と氷が冬山なのだ。そのどれにも負けてはならない。
「ちくしょうめ」
と風に毒づきながら、横岳の尾根を赤岳へ向って移動していった。横岳には三叉峰、不動尊峰、鉾岳《ほこだけ》、二十三夜峰などいくつかの岩峰があるが、どれがどれだかを調べて見る余裕はなかった。ときどき、岩かげでひといきついているときに、遠景を見ることがあった。北
アルプス、南アルプスの秀麗な山々が眼に入っても、それを美しいと感ずる余裕さえなかった。
彼は戦うことで夢中だった。敵に対してちくしょうめ、ちくしょうめと罵《ば》倒《とう》を続けながら、勝つという実態がなんであるかを考えていた。
横岳の岩峰群を乗り越えて、眼前に赤岳を見たとき加藤は、八ヶ岳連峰の最高峰赤岳の頂上に立つことが敵に勝つことであると考えた。そして加藤が横岳と赤岳との鞍《あん》部《ぶ》へ向って、下降斜面を歩き出したとき、ぴしっという乾いた音とともに、眼前で雪面にひびが入るのを見た。彼は驚いて、もとの位置へ帰った。なだれを起す寸前にいたことが分ると、背筋につめたいものを感じた。ちくしょうめ、と彼は雪に向っていった。加藤文太郎をなめるな、と言ってやりたかった。なめるなといっても、亀《き》裂《れつ》の入った斜面に踏みこんでいく勇気はなかった。雪面は加藤を嘲笑《ちょうしょう》した。雪面からの強烈な反射光線さえも、彼には、雪の挑戦《ちょうせん》に思われた。
加藤はピッケルをかまえたが、その雪面の挑戦には応じなかった。もともと、新雪の斜面を横切るような歩き方をしたのが間違いだったことに気がついた加藤は、あらためて降り道を検討してから、ゆっくりとおりていった。
赤岳への直登は息が切れたが、氷壁をよじ登るというほどおおげさなものではなかった。烈風に打たれながら、雪の急斜面を登攀《とうはん》する気持は、彼の初めての冬山訪問にふさわしい、緊迫さがあった。
彼は登りにかけては自信があった。アイゼンもピッケルも、登りの方が使いよかった。彼は、むしろ、ものたりないほどの経過で、赤岳の頂上に立った。
頂上には強い風が吹いていた。すばらしい遠望があったが、そこに突立って眺《なが》めていることは許されなかった。彼は一瞬、眼を白銀に輝く北アルプスの連山にそそいだだけで、すぐ、もと来た道へ引返していかねばならなかった。
風が体温を奪い取ることは、夏山で充分経験したことであり、強風を勘定に入れて、充分厚着して来たつもりだったが、計算以上に強風は彼の体温を奪い取っていた。それは主として防寒具の不備に起因するものであった。着衣は頭《ず》巾《きん》と、上《うわ》衣《ぎ》とズボンとに分れているから、そのつぎ合せ目に寒気がしのびこむのは当り前のことだったが、これほどはげしいものだとは思わなかった。
足ごしらえは充分だった。靴の中に雪が入りこむことを防ぐために、ゲートルを使用したことはかなり効果があったが、しばしば深雪に踏みこんでいるうちに、左足のゲートルがずれて、靴の中へ雪が入った。強風の中でゲートルを巻きかえることは容易なことではなかった。
二重手袋は寒さを防いだ。潜水眼鏡式の紫外線よけの眼鏡は、まずまずだった。ときおりすき間から粉雪が入りこむ以外には、たいした支障はなかった。
ピッケルについては不安がつきまとっていた。彼はピッケルを氷雪に立てて強風に耐えているとき、もしピッケルがどうにかなったらとしばしば考えた。ピッケルに対する不信感だった。このピッケルは数年前に神戸の運動具店で買ったもので、その時は、ピッケルの良否にはあまりこだわらなかった。冬山のきびしい現実に立たされた彼は、ピッケルが彼の生命を左右するものであることを知らされた。
アイゼンは靴によく合うものを買って来た筈《はず》だったが、氷雪の上を歩くと、どこかに密着を欠くものがあった。
結局、加藤の冬山装備は完全ではなかった。成功したのは魔法瓶の利用と携行食料品だった。彼は朝三時に夏沢鉱泉を出て以来、食事らしい食事は取っていなかった。両方のポケットに入れて置いた甘納豆と乾し小魚を随時口に入れていることによって空腹を処理していた。
加藤は、赤岳をもと来た道へ引返し始めた。赤岳から、行者小屋へ下山するつもりだったが、それをやめて、もときた道をたどろうと決めたのは、一つには彼の装具について不信感を抱いたから、それ以上、未知への突貫はさけるべきであるということと、もう一つは、硫黄《いおう》岳《だけ》であの強風ともう一度戦って見たかったからである。来る時加藤は突風のために二度ダウンを喰ったが、帰途においては絶対に負けないぞというところを風に見せてやりたかったのである。
帰途にかかると風速は更に増したように思われた。北に向っての行進のために、北西の風をまともに受けた。雪煙が前方をさえぎり、このかけらが彼の顔をねらって吹きつけた。
「ちくしょうめ、ちくしょうめ」
と彼はまた風にむかって呪《のろ》いをたたきつけてやった。彼は戦争は知らなかったが、おそらく戦場における兵士の気持はこんなものだろうと思った。彼は、進め、進めの号令のかわりにちくしょうめを連呼しながら、一塁一塁と岩峰を占領しながら、横岳のやせ尾根を北に向って進んでいった。だが、硫黄岳の登りにかかると、そこには前にも増して強風が吹いていた。身をかくす適当な岩がないからでもあったが、その風の壁を突き抜けることは容易ではなく、さりとて、迂《う》回《かい》すべき道もなかった。彼はピッケルをかまえて、その強風の中へ突入した。そして、彼は、予期したとおり、吹きとばされて小犬のように雪の上をころがった。見事な敗北だった。彼は雪の上に伏したままで、風の音を聞いていた。火口壁に衝突して起る音、雪面を摩擦して起る音、遠い音、近い音、あらゆる風の音の中に混って、空高くから聞えて来る音があった。風がなにものかと摩擦して起す音とは違って、それは風自身の声に思われた。
風の声は威《い》嚇《かく》にも嘲笑にも聞えたが、時によるとその咆哮《ほうこう》を突然やめて郷愁をさそうような余韻を持って甘く流れることがあった。風の声には高低もあり、冬山の風の声らしいなまりもあった。声は、同じことを何度も繰り返していた。なにをいおうとしているか分らないけれど、少なくとも、風の声は、加藤を倒した勝利の凱《がい》歌《か》を誇示しているとは思われなかった。もっと高いところから、なにかを教えようとしている話しかけに聞えた。
加藤は雪の上に起き上った。
「えれぇこった」
彼は茅野《ちの》駅から道連れになった老人のことばを思い出した。
「えれぇこった、ほんとにえれぇこった」
そういいながら歩き出すと、不思議に気持が落ちついて来る。気持が落ちついて来ると、風の声がよく聞えた。突風が起る前には、瞬間的に風速が急減することや、旗をふるような音が遠くですることや、部分的に、噴射状の飛雪が風上で起ることなどをみとめることができた。突風が起りそうな予感がすると、彼はいち早く、ピッケルのピックを雪面に打ちこみ、身を伏せて、風の通過を待った。突風が去ると、彼はゆっくり立上って、
「えれぇこった、えれぇこった」
といいながら歩き出した。
もはや、加藤は風に吹きとばされることはなかった。そして加藤は、硫黄岳のいただきに立って、二度とふたたび、ちくしょうめという、不《ふ》遜《そん》のことばを山に向って吐くまいことを誓った。
冬山への挑戦という観念が大きな誤謬《ごびゅう》だった。戦いであると考えていたところに敗北の素因があった。山に対して戦いの観念を持っておしすすめた場合、結局は負ける方が人間であるように考えられた。老人のいった、えれぇこったということばは、えらいことだのなまったものだろうが、その言葉は哲学的な深みを持っているように考えられた。たしかに冬山をやることは、えらくたいへんなことであった。たいへんなことをやろうとする以上、たいへんな覚悟でかからねばならない、いそがず、あわてずに、慎重にやらねばならないということが、えれぇこったと口でいいながら歩くとえれぇことにならなくて済むのだ。それは、あの長い八ヶ岳の山麓《さんろく》を歩きながらためしたことであり、それがまた、冬の八ヶ岳の頂上においても通用することに加藤は刮目《かつもく》した。
加藤は、赤岳に眼をやった。
(あの山をおれは征服したのだ)
そう思ったとたん、彼はまた伏兵のような突風に襲われて、あやうく突きとばされそうになった。挑戦も、戦いも、こんちくしょうも、征服もいけないのだ。そのように、冬山を敵視した瞬間、自分自身もまた山から排撃されるのだ。
彼は硫黄岳をおりた。
スキーは、彼が脱いだところにそのままになっていた。スキーを穿《は》いて樹林帯へ入ると、嘘《うそ》のように静かになり、急に頬《ほお》のほてって来るのを覚えた。
満ちたりた下山だった。彼は口笛を吹きながら、夏沢鉱泉へ引きかえすと、いそいで荷物をまとめた。
人間の世界へ帰りたいという意欲が、彼の帰途を早めた。
あれほど冬山をあこがれていたのに、たった三日間の山での生活が、もう飽き飽きしたようなそぶりで山をおりるのは、自分ながら情けない気持だった。新年早々から会社を休みたくないという気持もあるにはあるが、それよりも、早く人の顔を見たいという欲望のほうが強かった。
「こんなことじゃあとてもヒマラヤなんか行けないな」
加藤は樹林を出たところでひとりごとをいった。雪原には誰《だれ》も踏みこんでいなかった。彼のスキーのあとがどこまでもあとを曳《ひ》いていった。八ヶ岳の全貌《ぜんぼう》が見えるところまで来て彼はふりかえった。雪煙が八ヶ岳の頂上を這《は》っているのが見えた。彼は腕時計を見た。午後四時を過ぎていた。
ショウウインドウに赤ペンキで好山荘運動具店とあまり上手ではない字が書いてある。ショウウインドウの中には、山道具が雑然と置いてあった。陳列してあるという感じはなく、たまたまショウウインドウがあいていたからそこへ山道具をほうりこんであるといったふうだった。店の中には、スキー用品やスケートや、テニスのラケットもあった。ピンポンの玉まで、一応運動具店らしくそろえてはあったが、山道具に比較すると量は少ない。
無精髭《ぶしょうひげ》をはやした若い主人が木の丸《まる》椅子《いす》に腰かけて本を読んでいた。店番よりも、本の方に夢中なので、時折客が入って来ても声をかけないかぎりふり向きはしなかった。
加藤文太郎は店の中を二周した。二周といっても、ほとんど身体《からだ》の向きを変えるぐらいの店の広さだった。
加藤は店の中の物を全部見てしまった。もう見る物はなにもなくなったから、店の主人が読んでいる本を覗《のぞ》きこんだ。それは藤沢久造著の『岩登り術』であった。
おやという眼で加藤は店主を見た。その本は日本における最初の岩登りのことを書いた本であり、藤沢久造が四百部ばかり自費出版して同好者に配布したものであるから、この本を持っている者は、まず、日本における登山の先陣を担《にな》っている人であると考えてさしつかえないと、かねて外山三郎に聞いていた。加藤はその本を持っている店主の顔を改めて見直した。
加藤が店主に興味を持った時、店主の方も彼の前に突立って他人の読んでいる本を覗きこんだ失礼な客の顔を見たのである。
加藤はにやりと例の笑いをもらして、ポケットから外山三郎の名刺を出した。好山荘運動具店主、志田虎《とら》之《の》助《すけ》あてに、加藤君を紹介します、よろしくと書いてあった。
志田は名刺を受取るとゆっくり立上って、加藤に眼で挨拶《あいさつ》した。
「このアイゼンが気に入らないのですが、見ていただけませんか」
加藤は片手にぶらさげて来たアイゼンを、志田の前に置いていった。
「気に入らなかったら、捨てて新しいのを買うんですね」
志田はぶっきら棒に言って、加藤という男を頭のてっぺんからつま先まで見おろした。登《と》山靴《ざんぐつ》を穿いていた。そうたいして穿きふるされてないところを見ると山の経験は浅いらし
い。
「捨てるんですって、もったいない。ぼくはこのアイゼンをぼくの靴に合うように直せるかどうか相談に来たんです」
と加藤はいった。
「そのアイゼンを買った店へ行って相談したらいいでしょう、うちはこんな安物は売ったおぼえはありません」
志田ははなはだ面白《おもしろ》くない話だという顔をした。
「直して貰《もら》いに来たのではありません、直していいものかどうかあなたに相談して見ろと外山さんにいわれて来たのです」
加藤の顔から微笑は消えていなかった。志田には、加藤のその微笑の顔が、薄気味悪いほどに落ちついて見えた。
「どこで使ったんです」
志田はアイゼンの真《さな》田《だ》紐《ひも》を手に持って、くるんくるん廻《まわ》しながらいった。
「八ヶ岳へいって来ました」
「ほう、いつです、あなたはどこの山岳会ですか」
加藤がひとりで八ヶ岳へ登山して帰ったばかりだというと、志田は、それまでの態度をいささか変えて、それでは裏へ廻って貰いましょうかというと、店の奥へ声をかけて、一度は店の前へ出てから、せまいところをくぐりぬけて通って裏へ出た。狭い庭があって、その隅《すみ》に、古畳が薪《まき》の上に、四十度ぐらいの角度で立てかけてあった。
「アイゼンをつけて、そこを歩いて見てください」
志田はそういって腕を組んで、あとは加藤が、アイゼンをつけて、古畳の上を登ったりおりたりするのを黙って眺めていた。
「どうですか、このアイゼン」
加藤は、古畳登山を二、三度やってから、いい加減ばかばかしくなったところで志田の意見を求めた。
「あなたはどう思います」
志田が反問した。
「どうって、よくないですね。がたがありますよあいかわらず」
「それなら、捨てるんですな、一流の登山家になるんなら、道具をけちびっちゃあだめだ。本来アイゼンというものは、自分の靴に合わせて作るものであって、できあがったものを自分の靴に合わせるものではない。アイゼンにかぎらず山道具はすべて、自分本位に作るものだ」
志田は庭石に腰をおろしていった。加藤もそのとなりに腰をおろした。
「注文して作らせろというわけですか」
「まあ、そういうことだな」
ふたりはそろって山の方を見上げた。加藤の頭の中に映像となって焼きついているほど親しんだ神戸の山々だった。
「山はだいぶやったんですか」
「たいしたことはないんです」
「外山さんとは古い知り合いかね」
「はい」
それだけの会話のあとまた空白ができた。ふたりが黙って山を見詰めていると、さっき、ふたりが、すりぬけて通って来たところから、毛糸のセーターを着こんだ青年がのっそりと現われて、志田に目礼して彼のそばに坐《すわ》った。
「大野義照君、摩耶《まや》山岳《さんがく》倶楽部《クラブ》のメンバーだ」
志田は加藤にその男を紹介してから、大野の方には、加藤君とだけ紹介した。
「ところで、八ヶ岳へ行って来たと言っていたね、いつどこから入ったのだね」
志田は長い沈黙の末、やっと質問すべきテーマを発見したように言った。
「十二月三十一日の朝六時三十分茅野駅を出発して夏沢鉱泉まで雪道を歩きました。夏沢鉱泉についたのが午後四時」
ほう、といった顔で志田は加藤を見た。一度しゃべり出すと、加藤はそれからはよどみなくたんたんとしゃべった。吹雪が止《や》んだ朝、三時に夏沢鉱泉を出て峠を越えて本沢鉱泉までいき、また引きかえして夏沢峠へ出て、そこから硫黄岳へ登り、強風の中を赤岳をやって、午後の三時には夏沢鉱泉へ帰着して、すぐその足で茅野まで歩いて夜行列車の人となるという超人的なふるまいを、別にこれといった修飾もなく話すのを聞き終ってから大野義照がはじめて口を出した。
「あなたは、地下たびの文太郎……いや、あの加藤文太郎さんではありませんか」
大野義照はある種の感激を顔に現わしていった。
「そうです、加藤文太郎です」
加藤がそう答えると、それまで腕を組んで、彼の話を聞いていた志田虎之助が、
「なるほど、きみがあの加藤文太郎か、それならそうと外山さんも、紹介状に書いてくれればいいものを」
志田虎之助の耳にも加藤文太郎のことは聞えていた。
「しかし、想像した人間と実物とはずい分違うものだな。おれはまた、地下たびの加藤という男は鬼をもひしぐような顔をした男かと思った」
志田は愉快そうに笑ったが、大野義照はいくらか紅潮した顔で、加藤の顔を見詰めながら、
「摩耶山岳倶楽部の能戸正次郎さんから、あなたこそ、関西の山岳界を代表する登山家となる人だと聞きました、どうぞ今後ともよろしく願います」
大野はぺこりと頭をさげたが、加藤はそれにはなんともこたえず、いやにけむったいような顔をして突立っていた。
「いい天気だな」
と志田がいった。こんないい天気の日に、家になんかいるのはもったいないなと志田はつけ加えた。次の日曜日には、岩登りのトレーニングでもやろうかといった。ふたりを誘ったようでもあり、自分自身にいったようでもあった。
それから三人は長いこと黙って神戸の山を見詰めていた。
「なあ加藤君、山のことで話したいことがあれば、いつだっていいから、うちへ来い、山仲間の誰かがきっといるからな」
志田は二階をゆびさしていった。いつの間にか友人つき合いのことばに変っていた。
山のことが加藤文太郎の頭から離れなかった。雪におおわれた八ヶ岳が、四六時中彼について廻った。風の音も彼の耳の奥に鳴りつづけていたし、首筋に切りこんで来る刀のようなつめたさも、そのまま残っていた。
冬山山行は加藤の山に対する認識を変えさせた。冬山山行を終ってみて、それまでの登山は登山ではないようにさえ思われるのである。
彼は、冬山で孤独を味わった。その孤独が、神戸に帰って来てみると、無性に恋しくなるのである。あの孤独こそ山の魅力であり、妥協を許さない、峻厳《しゅんげん》な寒気こそ長いこと山に求めていたものであることが分ると、もうじっとしてはいられなかった。
好山荘運動具店主志田虎之助は、ほとんど三日おきにはやって来る加藤文太郎に、ときどき鋭い警句をまじえながらも、冬山装備についての知識を与えた。
「ほんとうは、自分で好きなように作るのが理想だと思う。きみが、きみ流の携行食糧を、今度の山行にためしたということは、非常に意義があることだ」
志田虎之助はそんなことをいいながら、輸入品の防風衣《ウインドヤッケ》を加藤に見せたり、新型コッフェルの使い方を説明したりした。
「結局のところ、あのつめたい風を防ぐには、防風衣《ウインドヤッケ》とオーバーズボンしかないのでしょうか」
加藤は防風衣《ウインドヤッケ》とオーバーズボンで、冬山の寒風の侵入を防げるかどうかについては大いに疑問を持っていた。どこかに決定的な欠点があるように思われてならなかった。
「今のところはそうだ。これしかいい装具はない。もし使ってみたいなら、これを山へ持っていって使ってみてはどうだ。気に入ったら金を払えばいい、いやなら金は払わないでもいい、しかし使ってみた結果だけは教えてくれ」
志田虎之助は一組のウィンドヤッケとオーバーズボンを加藤の手に渡した。
加藤は志田虎之助の手からふわりと手渡されたその新しい装具を手にした瞬間、山へ行きたいと思った。がまんできないほど山へ行きたいのである。
その夜は月がなかった。加藤は会社から下宿へ帰って食事を摂《と》ると、ウィンドヤッケとオーバーズボンを持って外山三郎の家をたずねた。神戸の山手特有の起伏の多い住宅街を走るような速さで歩いて外山三郎の家の前へ出ると、立止って二階の窓を見上げた。女の歌声を聞いたような気がしたからであった。はてなと思った。家を間違えたかなと思ったくらい、彼は外山家の二階の窓に映っている女性の影に、異様なものを感じたのである。
ソプラノの美しい声で宵待草《よいまちぐさ》を歌っている女性が、外山三郎の妻松枝でないことは分っていた。若くて張りのあるその声は、閉め切っている硝子《ガラス》戸《ど》をとおして外へ聞えて来るのである。
加藤は玄関に立った。そこに立っていると二階の歌声はすぐ近くで聞くようにはっきり聞える。その声の振動がそのまま加藤の心の琴線をふるわすようにさえ思われた。
「やあ、加藤君よく来たな、さあ上れ」
外山三郎はそういって、すぐ加藤の関心が二階に向けられているのを知ると、
「ぼくの知人の娘さんで園子さんだ」
外山三郎は先に立って応接間へ入っていった。あとから入った加藤がドアーをしめるとソプラノも止《や》んだ。聞えなくなったのではなく、歌うのを止めたらしかった。
「外山さん、また山へ出かけたいと思うんですが、いけませんか」
坐るとすぐ加藤は単刀直入にいった。
会社の有給休暇は、二週間と決められていた。そのほか年末年始の五日間と日曜、祭日があるからこれらを上手に使えば、かなり山へ行くことができる。それは社則できまっていることだったが、実際には、病気以外のことで有給休暇を取る人はまれだった。休んでもいいのに休まないのは、勤め人の悲しさである。有給休暇を取れば、それが勤務成績に響くからであった。しかし加藤はその有給休暇を取っていた。前の年には十三日も取って山歩きに当てていた。有給休暇を取らなければ山へ行けないから取ったのである。会社の規則で許されている休暇だから、なにも遠慮することはないのだという割り切り方ではなく、有給休暇を取ることに、いくばくかのうしろめたさのようなものを感じながらも彼は正規の手続きをへて休暇を取った。そのかわり山から帰ると彼はよく働いた。朝は三十分ないし一時間早く出勤していたし、居残りを命令されなくても、自らすすんで居残って仕事をやった。有給休暇を取って山へ行くかわりにそのぶんだけふだんは働くのだという加藤の気持は、いつか職場の中に知れ渡っていたから、彼が山へ行くといっても、またかという気持で眺《なが》めている者が多かった。加藤は研修所時代をも通算すると、会社へ入ってそろそろ十年にもなるが、いまのところ、ただの技手である。係長でも課長でもない。そういう責任ある立場でないから有給休暇を取って山へも行けるのである。
「二月半ばごろに槍《やり》へでかけようと思っています」
外山三郎はうなずいた。一月に八ヶ岳へ登って、今度は槍ヶ岳かという顔だった。冬の槍となると一週間はかかるだろうと、外山は頭の中で勘定した。
「行って来るがいい、いつかは冬の北アルプスをやるだろうと思っていた。誰《だれ》といくのだね」
「ひとりです」
「なにひとりで厳冬期の槍ヶ岳へ」
外山三郎が大きな声を上げたとき、ドアーが開いて、園子が、お茶と菓子を持って現われた。
「さっき歌を歌っていた園子さんだよ」
外山三郎は園子を加藤に紹介して、園子には、
「例の加藤君だ」
といった。例のといったのは、もう加藤のことは、この家では何度となく話題になっている証拠だった。園子にどうぞよろしくと挨《あい》拶《さつ》されると加藤はなんとなく頭をさげて、そして、ひどく顔のほてって来るのを感じた。自分の顔が真赤になっているのがよく分るけれどどうしようもなかった。さがっていこうとする園子に外山三郎はそこに坐るようにといった。園子さんは洋裁を勉強に神戸へ来たのだよと外山三郎は加藤に向って言った。そして、からかうような顔で園子を見ながらほんとうは洋裁より、歌と本が好きなのだ、この子は歌を歌っているか本を読んでいるかどっちかなんだといった。
「あらいやな小父《おじ》様、小母様にいいつけてあげるから」
園子は外山三郎をぶつようなかっこうをしたが、すぐ加藤の方を向いて、
「加藤さんも山の紀行文をお書きなさるの」
と聞いた。
加藤はその質問を受けたとき、ほんとうの意味の初対面の女として園子を見た。整った顔をしていた。紺のスカートに白いセーターがよく似合った。
「園子さんは本を濫読《らんどく》するんだ。うちへ来てからは、山の本に興味を持って、片っぱしから読み漁《あさ》っている」
外山三郎がいった。
「まあ読み漁るなんて、私はちゃんと系統だって読んでいるつもりですわ。山の紀行文ていいわね。読んでいると、自分自身が美しい自然の中へ引っぱりこまれていくようだわ」
「そういうことばかりではないだろう」
「でも登山家の書いた文章を読んでいると苦痛があっても、苦しいとは書かず、意識的に登山行を美化しようとするのね。それでいいと思うわ。たとえそれが自己陶酔であっても、読んでいる人が楽しくなり、美しくあればそれでいい……」
ねえ、そうでしょうというふうな眼《め》を園子は加藤に向けた。
「こういうふうに生意気なことをいうお嬢さんだよ」
そういっておいて外山三郎は、急に思いついたように、
「そうだ加藤君、八ヶ岳の冬山山行を、神戸登山会誌に投稿してくれないか。会長の梅島七郎君にたのまれているのだ。山へ登ることと、その記録を残すこととは同じように大切なことだからね。原稿締切りは、来週の火曜日なんだ」
加藤はどういって返事をしていいのか迷っていた。神戸登山会の存在はよく知ってはいたが彼はその会員ではなかった。そのことについて訊《き》こうとしていると、
「加藤さんの紀行文ぜひ読みたいわ。その本が出たら、私に真っ先に読ませてね」
園子はむぞうさにいった。
「はい、必ず持って来ます」
加藤はそう答えて、はっとした。いったい山の文章が綴《つづ》れるだろうか、園子に見せて恥ずかしくないものが書けるだろうか、それが心配だった。
十時近くまで外山三郎のところにいて、加藤はつめたい夜の街へ出た。十時近い時間だと教えてくれたのは外山三郎の妻の松枝だった。加藤は時間を忘れていたのだ。そんなに遅くまで他人の家にいることが失礼だということすら忘れていたのは――忘れさせていたのは園子の存在だった。
背稜《はいりょう》の山から吹きおりて来る風のつめたさで加藤は、自分がかぎりなく上気していることを知った。頭の中は園子でいっぱいだった。頭の中だけでなく身体《からだ》中に、園子が入りこんで来つつあるような気がした。下宿へ帰ってつめたい寝床に入っても、園子の顔がちらちらした。しかし眼をつむって園子の顔を思い出そうとすると、写真を前に置いたようにはっきりとした特徴が浮き上っては来ないのだ。園子は特徴のないところに特徴がある女かも知れない。眼が細く、鼻は高からず低からず、鼻筋は通っているけれど、それほど高くはない。口はやや大きいけれど、白く揃《そろ》った歯が美しい。
(そうだあのひとの頬《ほお》の線が美しい)
と気がついて加藤は、やっと園子の顔の特徴は、人形店に飾ってある日本人形の顔だと思った。
(だがあの女《ひと》は日本人形ではけっしてない)
日本人形的の型にはめこまれた女でないことは、ぴんぴんひびくような言葉のやり取りを聞いているとよく分った。
(すばらしい女だ)
加藤は身体の熱くなるのを感じた。しかし加藤は、そのすぐあとに、園子と彼との場の違いを感じた。
加藤は闇《やみ》の中で深く大きくひとつ深呼吸をした。長く深く空気を吸いこんで吐き出していく途中で、彼はやりようもない淋《さび》しさに襲われて来るのである。孤独の淋しさではない、厭世感《えんせいかん》でもない、それは、ときどき、無警告に襲って来る劣等感であった。大学を出ていないということだった。大学を出ていなければ、一生かかっても技師にはなれない。生涯《しょうがい》大学出の技師の下に技手として過さねばならないのだ。そんなとき心の中で、人間は学歴だけの尺度で計ることはできないのだと理屈をつければさらにみじめになっていくのである。
「だが山には学歴は通用しないぞ」
彼は闇に向っていった。
「現在は、大学山岳部が事実上、山におけるエリートの座に坐《すわ》っている。しかし、近いうち、そのエリート意識は社会人によって追放されるのだ、それをやるのはおれなんだ」
加藤は叫ぶようにいった。いたるところの山で、それまでに会った大学山岳部員の姿が交錯し、その中へ園子の顔がクローズアップされた。
(いったいおれはなにを考えようとしているのだ)
加藤はがばっとはね起きると、電気をつけて、いつものように、山の服装に着かえると、ルックザックと携帯テントをかついで階下におり、裏の庭へねぐらを求めていった。冬山へ向うための鍛練ではなかった。暖かい寝床の中で、余計なことを考えるよりも、もっと現実的な寒気に触れることの方が大事だと思った。
彼はルックザックに足をつっこみ、蝦《えび》のように丸くなり、すぐ安らかな寝息を立て始めた。
梓川沿《あずさがわぞ》いについている踏みあとを加藤はひとりで歩いていた。沢渡《さわんど》から中の湯まで誰にも会わなかった。少年の幽霊が出るというカマトンネルもひとりで歩いた。小雪がちらちら舞うような天候であった。梓川は雪におおわれていて、その清冽《せいれつ》な川の音は聞けなかった。踏みあとは、梓川の川床におり、上高地の広々とした雪の樹林の中へ続いていた。人の踏みあとをたどって歩いていると孤独感はなかった。踏みあとは自信ありげに続いていって、小屋の前で止っていた。その付近に足跡が乱れていた。足跡から見ると、先行者は、その小屋へ泊って、今朝あたり、更に奥へ入っていったように思われた。
その小屋には常さんがひとりでいた。加藤は雪を払って中へ入った。常さんという素《そ》朴《ぼく》な男がひとりで小屋の番をしているから、酒を一升背負っていけ、と志田虎《とら》之《の》助《すけ》に教えられたとおりにしてよかったと思った。
常さんは加藤を十年の知己のような笑顔で迎えた。炉に薪《まき》をどんどんとくべ、彼が生活の糧《かて》のために獲《と》った岩《いわ》魚《な》をおしげもなく加藤のために出してくれた。客人をもてなすというよりも、親友のために、ありったけのふところをたたくといったふうな張り切り方だった。
加藤は他人からそれほどの好意を持った歓迎を受けたためしはなかった。常さんのことは聞いて来たが、常さんは加藤のことは知らなかった。一面識もない人間を、無条件に受け入れて心からもてなすということはなかなかできないことであり、常さんがそうするのは、人里はなれた上高地にひとりでいるという立地条件がそうさせるのではないかと思った。
(常さんもまたなにかの理由で孤独を愛する人に違いない)
加藤は上高地に終生ひとりで暮した嘉門次のことを話で聞いていた。嘉門次も常さんのような人にちがいないと思った。
「常さん、こんな山の中にひとりでいたら淋《さび》しいでしょう」
と加藤がいうと、
「いんや、さびしくなんかあらずけえ、さびしくなったら、おらあ歌を歌うだ」
といって常さんは安曇《あずみ》節《ぶし》を歌い出したのである。
白馬七月 残りの雪の
あいだに 咲き出す
あいだに 咲き出す
花のかず
花のかず
チョコサイコラコイ
常さんの酔った顔に榾《ほた》火《び》が映えた。常さんは一緒に歌えとは言わなかった。くりかえし、くりかえしひとりで歌っている顔いっぱいに、淋しさがあふれていた。常さんは孤独を愛していながら、一方では、しきりに人を求める淋しがり屋に違いないと加藤は思った。そこには明らかな矛盾があったが、加藤にはよく分るような気がした。加藤自身もまたつい一カ月前の八ヶ岳山行において孤独を求めながら、孤独から逃げ出そうとした。
人影を求めて夏沢峠を越えて本沢鉱泉へ行ったのも、赤岳の頂上をきわめると、逃げるように山をおりたのも孤独からの逃避ではなかったろうか。
「明日の天気はどうでしょうか」
加藤は常さんに天気のことを聞いた。
「まあまあだね。冬になると、いいっていう日はめったにねえからね」
いいって日はめったにないというのが、北アルプスの冬の気象を率直に表現したものであり、ぴったり身にしみることばでもあった。日本の冬の気象を雪と晴れとの二つに区分する、中央背稜山脈の核心部に近づけば近づくほど、いいって日はめったになくなるのだ。
加藤は、湿ったふとんにもぐって風の音を聞いた。ひとつき前の八ヶ岳山行よりも更に困難なことが前途にあるように思えてならなかった。
翌朝常さんの小屋を出るときには青空が見えたが、明神池まで行かないうちに、空はもう曇っていた。
先行者の踏みあとは梓川の雪の河《か》原《わら》に真直ぐ続いていた。常さんに聞くと、先行したパーティーは五人の大学生だということだった。
横尾の出合から一《いち》の俣《また》小屋《ごや》への道はかなりの積雪の道だったが、先行者によってラッセルしてあるから、さほど苦労することはなかった。
その道は既になんどか通った道だったが、違う道のようだった。夏と冬との懸隔は、八ヶ岳の場合より大きいように思われた。
一の俣小屋は裏口を開ければ中へ入れるようになっていた。布《ふ》団《とん》もあったし、炊事用具も薪もあった。
彼はそこで少々おそい昼食を摂《と》ってから、から身になって槍沢へでかけていった。ラッセルのあとはいささかのよろめきも見せずに槍ヶ岳の方向へ延びていった。槍沢の小屋は雪に埋もれて、屋根だけしかなかった。踏みあとはそこで、ワカンから、アイゼンに履きかえられていた。
槍ヶ岳から吹きおりて来る風は強烈だった。その風上に槍ヶ岳の姿を求めたが、稜線を閉ざした霧は容易に去るような気配は見せなかった。
加藤は踏み跡に眼をやった。先行した大学山岳部が今《こ》宵《よい》はおそらく大槍か、殺生《せっしょう》か、槍ヶ岳の肩の小屋のうちいずれかへ泊るのだろうと思った。
(すると、明日槍ヶ岳をやるつもりなんだな)
加藤は頭の中で、一の俣小屋から肩の小屋までの所要時間を六時間と仮定した。
(四時に一の俣小屋を出発すれば、十時には肩の小屋へつける、そうすれば、或《ある》いは学生たちがまだ槍ヶ岳へ登らないうちに槍ヶ岳の頂上へ到着できるかも知れない)
そう思った。
大学山岳部と競争するつもりは毛頭なかったのだが、二日間、他のパーティーのラッセルしたあとをたどって来たことが加藤の自尊心をはなはだしく傷つけていた。明朝の天候如何《いかん》によっては或いは彼等より早く、槍ヶ岳の頂上につくかも知れないと思うと、加藤は、いま来た道を一の俣小屋へ向ってとっとと引きかえしていった。問題は朝早く出発できるかどうかにかかっていると思った。朝のうち、山の天気は安定していて、日が昇るとともに荒れ出すのは、山の生理現象であるから、山がまだ眼をさまさないうちに、行けるだけ行った方がその日の行程は楽になる。
朝予定どおり出発できるかどうかは、朝食の摂《と》りかたによる。加藤はいままでの経験でそのことをよく知っていた。
彼は暗くならないうちに、腹いっぱい食べた。魔《ま》法瓶《ほうびん》の中へ湯を入れておいて寝た。
風は一晩中、小屋をたたいて止《や》まなかった。彼は三時に眼をさまし、うとうとしていると四時になった。彼は懐中電灯の光で布団をたたみ、身ごしらえをすると、魔法瓶の湯でドーナツとチーズを食べて外へ出た。満天の星が彼を待っていた。
加藤は、しばらくその美しく、つめたい冬の空に眼をやっていてから、懐中電灯の光をたよりに、きのうの踏み跡について歩き出した。
風はたいしたことはなかった。寒さも、きついとは思えなかった。好調なスタートだった。出だしのいい日は、すべてについてうまくいくのだという確信のようなものが加藤の頭にひらめいていた。
雪に埋もれた槍沢小屋で、ワカンをアイゼンに履きかえるころにはもう懐中電灯は必要なくなっていた。
日の出と風が出るのとはほとんど同じだった。まるでその二つの自然現象が心を合わせたように、日の出が槍《やり》ヶ岳《たけ》を赤くそめるのを、ちらっと見ただけで、加藤は槍ヶ岳の肩を越えて吹きおりて来る猛烈な向い風に前途をさえ切られた。飛雪の幕が意地悪く、視界を閉じ、飛雪とは別に、どこにひそんでいたのか、突然湧《わ》き出して来た山霧が稜線をかくしこんでしまった。
それでも、槍ヶ岳の朝日に輝く一瞬を見たことは、加藤に取ってもうけものであった。二月の槍ヶ岳のモルゲンロートの美しさは、見た人以外には分らないのだと考えながら、ふと彼は、園子の言ったことを思った。
(ひとりだけで山の美しさをたのしんでいるのはエゴイストじゃあないかしら。美しいものはみんなに見せてやればいいのよ。絵でもいいわ、写真でもいいわ、文章でもいいわ、ねそうでしょう、加藤さん)
しかし、あの美しさをどうして文章に現わしたらいいのであろうか。まだ夜の表情をそのままに残している空に向って突き出した白い槍の尖峰《せんぽう》に、なにかひとかけらの、光る物体が衝突したような異常な輝きをみとめた。次の瞬間、その尖端はバラ色に燃え始めていたのである。輝きの、すみやかな変化と、なにものにも比較することのできない、清らかなルージュに染められた槍の穂先に向って、加藤が声をかけようとしたとき、ふわりと山霧の衣がかけられたのである。
加藤はその光景をなんどか頭の中で反芻《はんすう》しながら、これを園子の求めに応じて、文章に組立てることは至難中の至難であると思った。加藤は肩の小屋へ向っての急斜面を風とたたかいながら登っていった。雪はよくしまっていて、アイゼンの歯が効いた。もし風がなかったら、夏よりもはやく登れるだろうと思った。ナダレについては、梓川の渓谷《けいこく》を歩いているときからずっと不安だった。ナダレについての文献は読んでいた。降雪の翌日ではないから、ナダレの危険は少ないが、強風によって起るナダレも考えられないことはなかったが、いつか加藤の頭からは、ナダレのことは、消えていた。ナダレより当面の強風が問題だった。しばしば彼は吹きおろして来る強風の中で呼吸困難におちいった。風に顔をそむけるようにまげても、風は彼の吸うべき空気さえ奪い取った。止むなく彼は、雪面に這《は》うようにして、いくらかでも風の攻撃をさけ、盗むように呼吸をした。八ヶ岳の風も強かったが、八ヶ岳の比ではなく、寒風は、志田虎之助から借りて来た防風衣をさしとおして、加藤の体温を引きさげようとした。八ヶ岳のときは、風をさける岩の陰があったが、槍沢から肩の小屋にかけての急斜面にはそういうところはなかった。そこだけが風が強いのか、その強さは、高位差に対して平均的なものであるのかは全く見当はつかなかった。
それは耐えがたい寒さと風の強圧であり、そのまま前進することは本能的に危険であることを彼は知った。それまでの夏山山行においても、本能的に危険を嗅《か》ぎ取って引きかえしたり、転進したことはなんどかあった。夏山と違って冬山だから、危険を感じたら、無理をしないで引きかえすべきだと思った。
加藤は地形のくぼみに這いこんでひといきつきながら、進退を考えた。山霧の間から時折姿を見せる槍ヶ岳には雪煙らしいものは見えなかったが、それだけで上の方が風が弱いとは判断できなかった。雪煙の見えないのは、雪が風に吹きとばされてないからだと考えるべきだった。しかし、加藤は山霧の動きに多くの疑問を持っていた。上の方も、彼のいるところと同じように風が強いならば、山霧にもっとはげしい動きがみられていいはずだった。吹きとばされるか、少なくとも、風下《かざしも》に向って、山霧の急速な流れを見ることができる筈《はず》であった。
加藤はにっこり笑った。
正体を見破ったぞという気持だった。やはり風の強いのは、この付近だけなのだ。肩の小屋まで行けば、それからは、割合楽に槍の穂に取りつけることができるに違いない。
加藤の小《こ》柄《がら》な身体は雪の斜面を、手堅い速さで這い登っていった。
肩の小屋が半ば雪に埋もれており、その付近に足跡が乱れていた。雪を掘ったあとも見えた。先行者が小屋を掘りおこして泊ったかどうかを見きわめるまでにはいたらなかった。肩の小屋から右に足跡を眼でたどっていくと、槍の穂の夏道登山道のあたりに、数人の人かげが動いていた。
加藤は思わず声をあげた。風に吹きちぎられて相手に聞えるはずがないのに、声をあげずにはおられないほど、人に会ったことは嬉《うれ》しかった。
加藤は追いつくことに懸命だった。槍の肩に出ても、風はつのるばかりで、いっこう弱くなりそうにもないし、山霧の中に閉じこめられたので眺望《ちょうぼう》は効かなかった、視程距離はせいぜい千メートルそこそこであった。
白く見えた槍の穂も近よってよく見ると、雪が吹きとばされて、岩が露出している部分が多かった。
五人のパーティーはザイルを組んで、ゆっくりと登頂をつづけていた。五人のパーティーのうちの誰《だれ》かが、加藤を発見したらしく、パーティーは行動を中止して、いっせいにふりかえった。それを加藤は、五人のパーティーの歓迎と見た。加藤はピッケルを空中にあげて、ぐるぐる廻《まわ》した。五人のパーティーからの応《こた》えはなかった、五人の男たちは、石に化けたように動かなかった。加藤は、もっと大げさの合図をおくるべきだと思ったから、そこにルックザックをおろして、前よりも激しくピッケルを振ったり、踊り上って見せたりした。
しかし、加藤が、それを始めると同時に、五人はそろって、加藤に背を向けて、今までどおりの前進運動を始めたのである。無視されたと加藤は思った。山で挨拶《あいさつ》されたら挨拶しなければならないというルールを守らないけしからぬパーティーだと思った。
加藤は若かった。五人のパーティーの立場から、加藤自身の行動を客観視しようとしなかった。厳冬の槍ヶ岳へひとりでやって来るという、常識を無視した登山者の暴挙に対して五人のパーティーは批判の眼を投げていたのだったが、その登山者からピッケルを頭の上でぐるぐるふるという奇妙な合図を送られると五人のパーティーは驚きを越えて、近づいて来る加藤に無気味なものを感じたのである。
加藤は、きのう雪に埋もれた槍沢小屋のあたりで考えたとおり、見事に大学山岳部を追抜いてやろうと思った。彼は雪の多いところはさけて、夏の登頂路をすぐ右側に見ながら、岩尾根をよじ登っていった。
槍の穂の登攀《とうはん》を始めてすぐ加藤は、風が静かになったことを知った。やはり上層の方が静穏であったのだ。槍の穂の半ばを過ぎたところで、加藤は、五人のパーティーと並び、そして追抜いた。その時も、五人のパーティーは、行動を停止して黙って加藤を見送った。加藤は二度と手を上げたり声をかけたりはしなかった。そこで挨拶して、また無視されたら、救いようのないほどみじめになるだろうと思った。
加藤は槍の穂の頂上に立った。
頂上の雪は意外に少なく静かであった。ほとんど風はなかった。頂上三角点の標石も、祠《ほこら》も、夏のままであった。
大正十五年の夏、はじめてこのいただきを訪れて以来、この五年間に、何回この頂上を踏んだことだろうか。そしてとうとう厳冬期に槍の頂上を踏んだのである。
加藤は冬山に入るまでの長い間の基礎山行が無駄《むだ》ではなかったと思った。
山霧をとおしての視界はせまかった。せまい頂上をぐるぐる歩き廻《まわ》っても、なにも見えないと同然だった。
加藤は北鎌《きたかま》尾根《おね》への下り口までいってみた。大きな岩を抱くようにして廻りこんで行く道には雪がぎっしりつまっていた。その岩陰を通って北鎌尾根へ出ることは危険だと考えながらも、その道は行きたい道だった。
人の声がした。五人のパーティーは次々と頂上に登って来た。頂上に六人が立つとそれでいっぱいになりそうにも思えるほどせまい頂上で、知らん顔をしているのも気になることだった。加藤は、パーティーのリーダーらしき男の方へ近づいていった。挨拶すべきだと思ったのである。加藤は雪眼鏡をはずした。そして笑いかけた。加藤はそこでは笑いかけずに、むしろ怒ったような顔をして、挨拶した方がよかったのだが、加藤は、彼の最大の好意と親愛の情を、あの不可解な微笑に託して送ったのである。
リーダーの男は眼鏡をかけたままだったが、彼の表情がこわばったことは加藤にも読み取れた。
「ええ日和《ひより》やな、ほんまによかったな」
加藤がいった。
相手は軽く頭を下げただけで、加藤が更に一歩近づこうとすると、加藤に背を向けた。五人は加藤を意識して、つめたくかたまった。加藤は、雪眼鏡をかけ直した。ここに長くとどまるべきではないと思った。加藤が下山をはじめると、パーティーの中のひとりが加藤に聞えるように言った。
「関西らしいなあいつ」
「いやな奴《やつ》だ、こんなところでわざと追抜きなんかやりやあがって」
加藤はその二つの言葉を背負いこんだまま槍の穂をおりた。関西らしいなといったのは、加藤のことばから察したのだろうが、その語気には関西に対する反感の針がひそんでいたし、わざと追抜きをやったという言葉のなかには敵意が感ぜられた。別に追抜く必要はなかったのだが、そういう結果になったことを悔いた。
孤独な下山は加藤の足をはやくした。彼はその日のうちに上高地までおりて、常さんのところに一晩泊ると、翌朝早く松本へ向って、雪の道を安曇《あずみ》節《ぶし》を歌いながらくだっていった。常さんから教わった安曇節はどうやらものになりそうだった。
梅雨という文字が新聞紙上で眼につくようになったころには、梅雨期は終りに近づいていた。はげしい雨がしぶきを立てて通りすぎると、一時小止《こや》みになり、すぐまたどしゃぶりになるというような日が、幾日か続いた。
加藤文太郎は雨の中を長靴《ながぐつ》を履き合《かっ》羽《ぱ》をかぶって徒歩で会社へ通勤していた。合羽をかぶると身体《からだ》がむれるように暑かった。あまり格好はよくなかった。レインコートを着て、蝙蝠傘《こうもりがさ》をさしていく一般のサラリーマンと比較すると異例に見えたが、加藤は別にそういったことを気にするふうもなかった。そういう格好で、会社に通勤することに、なにか意味づけようとするならば、やはり、それは山に通じていた。雨が降ろうが風が吹こうが、歩くことを止めたくないという気持が彼に雨合羽を着せかけたのである。
雨の道を走るような速さで歩いて会社へ出勤すると、会社はまだ夜のようにひっそり静まりかえっている場合が多かった。受付で部屋の鍵《かぎ》を貰《もら》って、内燃機関設計部第二課のドアーを開け、電灯のスイッチを入れると、部屋は眼を覚ます。ずらりと並んでいる設計台が、そこに坐《すわ》るべき人はまだ出勤していなくとも、生きもののような形に見えて来るのである。
ときによると、彼よりも早く、庶務係の田口みやが出勤していることもあった。田口みやはもともと無口なたちだし、加藤文太郎も必要のこと以外はしゃべったことはないから、ふたりは顔を見合せても、ちょっと頭を下げるていどの挨拶しかしたことはなかった。
田口みやはいつも紫の袴《はかま》をはいていた。出勤して来ると、ざっと部屋の掃除をしてから事務机に向うと、昼食時まで立つことはほとんどなかった。
その朝も加藤はいつものとおり、一時間近くも早く出勤して、設計台に向って、きのうの続きの仕事をやっていた。彼の手の下から生れ出ていく線や円が複合され、やがてそれが唸《うな》り音を上げて回転する新しい機械になるのだというふうな新鮮味の強い仕事ではなかった。それに類似する仕事は、すでに何度かやったことがあり、いうなれば過去の模倣のような仕事であった。
加藤は鉛筆の線が創《つく》り出すものが未来への幻想につながるなにか――たとえば立木勲平海軍技師が、つね日《ひ》頃《ごろ》口にしている、画期的な設計であったらと考える。画期的な機械となると、いち早く加藤の頭に浮び上るのはディーゼルエンジンであった。ディーゼルエンジンは、いまや脚光を浴びつつある機械だった。改良発展の余地はいくらでもあった。
「一つの部分品の改良によってその機械全体としての能率が一パーセント向上されたとすれば、それは潜水艦が敵艦一隻《せき》を撃沈したと同じぐらいの価値に相当するのだ」
加藤は立木技師の言葉を念頭に浮べながら設計をつづけていた。あり来たりの図面を書くより、なにか新しいものを設計して見たかった。研究試作課へ転勤したいというのではなく、彼自身で考え出したものを製品化したいという希望は持っていた。神港造船所はどこの職場においても、従業員の創意工夫は歓迎されていた。新しい考えがあれば、どしどし申し出るように奨励されていたけれど、比較的、職場部内からの改良や発明はなかった。あってもほとんど目立たないような小さいものばかりだった。
(そのうちおれはディーゼルエンジンの構造について、なにか新しい考えを打ち出してやるぞ)
ディーゼルエンジンの設計図を書きながら加藤は、いつもそんなことを漠然《ばくぜん》と考えていた。どこといって指摘するところはないけれど、ディーゼルエンジンのメカニズムはスマートとは思われない。鈍重な機械という既成観念のもととなる、なにかがあるのである。それが掴《つか》めなかった。
加藤は鉛筆をおいて、コンパスを持った。誰《だれ》かが彼の名を呼んだような気がしたからふり向くと、田口みやが立っていた。
「加藤さん」
と田口みやは小さな声でいった。
「あなたの有給休暇はあと二日しか残っておりませんが……」
やっと聞き取れるような声だった。
「あと二日、すると今年になって、もう十二日休んだということになるのか」
加藤は口をとがらせていった。
「はい、すみません」
田口みやは加藤の休暇を消費した責任が自分にでもあるかのように、もう一度すみませんといって頭を下げた。
「わかったよ。あと二日は、なにかの用意に取って置いたほうがいいっていうんだろう」
それにしても、ほんとうに十二日も休んだかなと加藤は首をひねった。一月、二月、三月と連続して冬山へ入ったのだから、その積算が十二日になるのは当り前だとしても、加藤には、それが当り前のことに思われなかった。一月に、生れて初めて冬の八ヶ岳を訪問して以来、冬山のとりこになって、二月、三月とつづけて北アルプスを訪れた彼の、冬山に憑《つ》かれたような行動の実録が十二日という数字になって現われたのである。有給休暇があと二日ということになると、事実上、今年は、山へはもう行けないことになる。それ以上休めば、欠勤となって成績に関係するということを田口みやは警告したのである。
加藤は田口みやの事務机の方へ眼をやった。そのことを教えてくれたのは田口みやの好意と思われた。おそらく彼女は、加藤が、例年のように梅雨あけと同時に、活発な登山活動を始めるものと思ったのにちがいなかった。
「今年はもう高い山はあきらめるさ」
加藤はひとりごとをいった。遠く日本アルプスまで行けなくとも、神戸の近くには、土曜、日曜を利用して登れる山はいくらでもあった。山には不自由しない自信があった。それに、冬山に入門した加藤にとっては、夏山にはそれほど魅力は感じなかった。
(ヒマラヤへ行くための下準備は冬山をみっちりやることなのだ)
彼自身が考えた理屈だった。冬山をたっぷりやるためには、休暇をそっちの方へ廻して、夏は山が多い神戸にいることもやむを得ないだろうと考えていた。
「毎朝早いんだね、加藤君」
そういって入って来たのは影村技師であった。加藤は立上って朝の挨拶をした。
「梅雨のうちはなんとかなるが、この梅雨があがったら大変な暑さになるぞ」
影村技師は額の汗を拭《ふ》きながら、
「だが、君はいいね。山がある。暑くなったら山へ行けばいい」
影村がいった。
「だめなんです。休暇はあと二日しかないんです」
二日ね、と影村はいった。
「二日じゃあ遠くの山へは行けないだろう。そうかといって、これから暮まで、ずっと休暇なしじゃあ気の毒だ。なんとかして貰うんだな。君自身の口からはいいにくいだろうから、ぼくが課長に頼んでやってもいい」
頼んで見たところで、どうにもならないことは分っていながら、そういうのは影村の単なるなぐさめのことばだけのようでもなかった。
「確かに君は山へ行くために会社をよく休む。しかし、君は休んだだけのことはちゃんと取りかえしている。だから君だけは特別な扱いを受けてもよいと思うんだがね」
公式にはできないが、外山課長さえ納得させれば、有給休暇が二、三日オーバーしてもなんとかなるだろうと影村はいいながら、彼の机の引出しから小冊子を出して、
「読んで見るがいい。なかなかいいことが書いてある」
といった。論文の別刷《べつずり》だった。白表紙に「渦流燃焼《かりゅうねんしょう》室における燃料消費率についての考察」と印刷されてあった。
高速ディーゼルエンジンの燃焼室は、直接噴射式、予備燃焼室式、空気室式、そして渦流燃焼室式の四種類があった。直接噴射式以外は燃料の霧化混和を促進するために、補助室を持っていた。渦流燃焼室式は渦流を利用して、燃料の霧化促進をはかる方法であった。
「ディーゼルエンジンの今後の発展は、いかにして霧化促進をはかるか、というあたりに問題が集中した感があるな」
影村はそこで言葉を切った。始業のベルが鳴ったからである。
「霧化促進……」
加藤の頭にはそこが残った。機械技術者の一人として、加藤もまた、急速に進歩しつつあるディーゼル機関に対して多くの夢を賭《か》けていた。ディーゼル機関については理論上の大発展は期待されないとしても、小改良点はいくらでもあった。例えば加藤が、現在設計しつつある、小型ディーゼルエンジンにしても、同じ体積と重量で、更に高度の出力を得ることだってできるのだ。
彼は製図板に向った。彼の設計している部分はそのエンジンのカバーの部分だった。カバーというよりも、船体に取りつける部分といった方が当っていた。燃焼室や噴射弁《ノッズル》のような部分についての設計は、ベテランの技師たちが担当していた。
彼は鉛筆を持ちなおしてから、口先をとがらせて図面の上をふうっと吹いた。彼の設計に当っての癖であった。研修所時代のケシゴムのこなを吹きとばす癖が、そのまま残っていたのである。
図上には、ごみはなかったが、吹けばなんとなくさっぱりした気持になり、彼の描いた図が見えて来る。
(いったいこのディーゼルエンジンは、なにに使うのだろう)
彼はふと思った。漁船用のエンジンではないし、港湾内の小型船のものでもない。すると、やはり、軍事上の目的のものかも知れない。彼はそのことについて、昼食時間に、食堂で影村一夫に聞いて見た。
「海軍で使う小型舟艇《しゅうてい》のエンジンだよ」
影村はけろりとした顔でいった。
「海軍で使うんですか。それならなぜ秘密扱いにしないんですか」
「それほどの必要がないからさ。あんなエンジンはどこだって作れる。もっとも海軍の狙《ねら》いは、いざとなったら、どこでも作れるように民間会社の技術を高めることも考えているんだ。いわば、会社は注文をいただいて練習させて貰っているみたいなものなんだ」
影村は皮肉の微笑をもらしながらいった。
「いざとなったらって、どういう意味なんです」
「戦争になったらということだ」
戦争と聞いて、加藤は背になにかうすら寒いものを感じた。
「戦争が始まるんですか」
「始まらないと、どうにもこうにもやり切れないだろう。この沈滞した空気を吹きとばすものは戦争以外になにもないんだ」
加藤は影村とそれ以上話しているのが不安だった。影村一夫は変った。研修所時代に、陰険だった影村を知っている加藤にとっては、影村のさし伸ばして来る好意の手をすぐには握れないし、影村の話も、額面どおりに受取ることを躊躇《ちゅうちょ》した。
「加藤君、戦争がこわいのか」
影村がいった。加藤は首をふった。
「そうだろう。山男の君が戦争をこわがるはずがないと思っていた。ところで加藤君、君がいま設計している図面のことだが」
影村は加藤をつれて、昼休みでがらんとしている設計室に入っていった。
「この取付け角度は少々あまいんじゃあないのかな。ここはこう直して置いた方がいい。もう一度考えて見たらどうだろう」
影村は、一枚の略図を加藤のために用意していた。計算書もついていた。
加藤は影村がいなくなってからも図面を睨《にら》んでいた。影村のいうとおりだった。
(影村技師は、なぜあんなにぼくに好意を示すのだろう)
ふとそう思ったが、すぐ加藤は、それはこの世界における先輩、後輩のあり方であって、他意はないものであろうと考えようとした。そう考える以外に考え方はなかったのである。
梅雨があけて、やたらとセミのうるさい日曜日の午後、山手住宅街の坂道を、加藤は、白ガスリの着物を着て歩いていた。
外山三郎の家の二階の窓は明け放されていた。園子の歌声が聞えることを期待していったが、二階は静かだった。しかし、玄関に立つと、すぐ庭の方から、園子の甲高《かんだか》い声が聞えた。外山の声と、知らない男の声がした。それらの声に混って、コツンコツンとなにかものを打つような音がした。
「そのまま庭の方へお廻《まわ》りになったらどう……」
松枝夫人はにこにこ笑いながらいった。
松枝夫人がいつになく化粧を濃くしていることと、着物を吟味して着こんでいることから、加藤は、外山家にとって大事な客が来ているだろうことを想像した。
加藤は玄関でちょっと迷った。来客中ならば邪魔しては悪いという気持と、明日の午後来いと外山三郎にいわれたこととがオーバーラップした。
「めいわくではないでしょうか」
加藤は、庭の方の物音に耳を傾けながらいった。
「あなたの来るのを待っていたのよ。あなたが来たら、いくら、佐倉さんでもかなわないだろうって、うちのひとがいっていたところなのよ」
「なにをやっているのです」
「ピンポンなのよ。園子さんがまた、下手のよこ好きでしてね」
加藤はうなずいた。音はピンポンのはねかえる音だったのだ。それがなぜピンポンに聞えなかったのだろうか。加藤は玄関を出てから枝《し》折《おり》戸《ど》を押して、庭に廻った。
庭の芝生の上に組立て式のピンポン台が用意されていた。ピンポン台をかこむようにして、白いワンピースを着た園子と、白ズボンに長袖《ながそで》のシャツを着た外山三郎、それに縞《しま》のズボンにワイシャツ姿の佐倉という男がいた。佐倉は蝶《ちょう》ネクタイをしめていた。
「待っていたよ」
と外山がいった。加藤は佐倉に紹介されるとすぐ、ピンポンの相手をさせられた。佐倉はピンポンについては自信ありげだった。外山三郎や園子に対しては、本気でやっていたのではない証拠に汗を掻《か》いていなかった。
佐倉は、加藤の出現に対してもたいして驚いた様子は見せなかった。鼻梁《びりょう》の幅がせまくて、その鼻の先が鉤型《かぎがた》に曲っていた。口が小さく、眼《がん》窩《か》がくぼんで、奥の方でよく光る眼が加藤を見ていた。一見してインテリ風だった。おそらく、どこかの大学を出て、かなり名の通った会社の、やがては、幹部となるべきコースに乗っているように見える男だった。加藤は、佐倉の鼻が嫌《きら》いだった。本能的に彼はそういう顔が気に入らなかったのである。大学というエリートを看板にした顔だった。他人を隷属《れいぞく》的に見る、許すべからざる顔であった。
加藤はバットを持って、佐倉と向い合ったとき、負けてはならないと思った。加藤は下《げ》駄《た》を脱いで芝生に立った。しばらくぶりのピンポンだった。研修所を出て以来のピンポンだったが、やればすぐそのこつを思い出すだろうと思った。
加藤は佐倉に三回続けて負けた。負けると彼は練習不足だからといった。もう、何年もやったことがないからだといった。佐倉は加藤のそのことばに、冷笑をむくいた。五回目に加藤は一点差で勝った。佐倉の額に汗がにじんだ。
「もう負けませんよ」
と加藤は佐倉に宣言した。
「いや、ぼくの方も負けませんね」
佐倉は、自信のほどを顔に表わしたまま加藤を見かえしていた。
「五回勝負で決めたらいいわ」
と園子がいった。
「もういい加減にして、つめたいものでも飲もうじゃあないか」
外山三郎が心配そうな顔でいった。佐倉と加藤が、意識し合っていることがはっきりして来たからであった。
「いいえ、小父《おじ》様。ちゃんと勝負をつけてからよ」
園子はプレーを宣した。
佐倉は憤然としたように加藤を攻めた。遠慮会釈《えしゃく》ないはげしい攻撃だった。加藤はその球を受けそこなって、遠くまで拾いにいかねばならなかった。
加藤のピンポンは守備の戦法だった。徹頭徹尾相手の球をショートカットで受け止めるという方法だった。加藤の腕はピストンのように前後に動いて、佐倉の球を受け止めた。いくら激しい勢いで打ちこんで来ても、柳に風と受け止められていると、佐倉の方はあせりが出て来る。それがエラーに直結した。
三対二で加藤は佐倉に勝った。
負けました、と佐倉はバットをピンポン台の上におくと、きちんと両足をそろえて加藤に向って頭を下げた。加藤は、それに挨拶《あいさつ》をかえしながら、なんと気障《きざ》な男だろうと思った。試合を始める前には、そんなことはしなかった。負けたとたんに、いかにもおれは礼儀をわきまえている紳士だぞといわんばかりのふるまいが気に入らなかった。
「大学時代には、もう少し打ちこみが効いたのですが」
佐倉はピンポンのネットをはずしながら園子にいった。
応接間に入ってからは、加藤はほとんど口をきかずに、佐倉と外山との話を聞いていた。話の様子だと佐倉は大阪の大会社に勤めているらしかった。経済問題がしばしば彼の口に乗った。政治問題も出るし、社会問題もでた。社会問題がでると当然のように、彼は労働問題に言及した。
「あいつらのほとんどは、なにも分っていないんです。分らずに主義者たちにおどらされているのです」
内容はどうでもよかったが、加藤にとって聞き捨てにならないのは、労働者をあいつらといったことだった。
「話題を変えようじゃあないか」
外山三郎がいった。外山も、佐倉の一方的な熱弁にいささかおされ気味だった。
「この加藤さんは、すばらしい登山家なんだよ」
「登山家?」
ほほう、この人がという眼で、佐倉は加藤を見直した。二人の視線がからんで、ほどけた。佐倉がいった。
「山なんてどこが面白《おもしろ》いんでしょうね」
明らかに加藤に対する挑戦《ちょうせん》だった。
「山へ行ったことのない人には分らないことです」
そういって加藤は立上った。それ以上ここにとどまるべきでないと思った。
園子が玄関まで加藤を送って来ていった。
「加藤さんの山行記録読んだわ……外は吹雪だ。なぜおれは、眠ることさえできないほど寒いこの夜を、たったひとりですごさねばならないのだろうか。この山小屋にはネズミ一匹もいないのだ。……読んでいて眼頭《めがしら》が熱くなって来るほど感激したわ」
そして園子は加藤のうしろ姿に、また遊びにいらっしゃいませといった。
加藤はふりむかなかった。なにかこうおおぜいの人に、よってたかってばかにされたような気がしてならなかった。
「折角の日曜日なのに」
加藤はつぶやいた。外山三郎が遊びに来いといったから、山へ行くのをやめて行ったのだと、加藤は鬱積《うっせき》したものを、外山三郎に当りちらしながら坂をおりていった。不愉快になった原因は、佐倉の出現にあった。佐倉さえいなければ、楽しい日曜日であったはずである。佐倉と園子とをしいて結びつけて考えるつもりはなかったが、園子の服装も態度もいままでと違っていたし、彼女が佐倉の来訪を強く意識していたことは確かだった。
丘をおり切ったところで右へ曲れば、おそらく彼の足は好山荘の志田虎《とら》之《の》助《すけ》のところに向ったに違いない。左へ曲れば、そのまま下宿へ帰ることになる。
彼はそのまま真《まっ》直《す》ぐ歩いていった。夕暮れの海が見たいという気持が、ふと頭に浮き上ったからである。海は故郷の浜坂に通じた。このごろはすっかり弱くなった父の姿や、兄夫婦の姿や、四年前に帰郷したときに、宇都《うづ》野《の》神社の石段で会った眼の美しい少女の顔など、断片的に彼の頭を通過していく。石段の途中で下駄の鼻緒を立ててやったあの少女のおもかげが、その後もなにかの折にふと思い出されるのはなぜであろうか。彼女のつぶらな澄んだ瞳《ひとみ》は、故郷の浜坂そのものの象徴でもあるかのように、彼のつかれた頭をなぐさめてくれる。
郷愁の起きるときは、多かれ少なかれ彼の心が沈黙したときであった。会社で疲労したときも、彼のやった仕事の評価があまりよくなかった場合も、山でつらい目に合わされたときも、彼の頭に浮びあがるのは、浜坂の海と山であった。
彼の足は海に向っていった。神戸の繁華街に出て電車の線路を踏みこえようとしたとき、映画館のポスターが眼についた。東京行進曲と書いた大きな幟《のぼり》が立っていた。彼はなんとなく、その映画館の前へ近よっていった。主演女優の入江たか子と夏川静江のスチール写真が貼《は》り出してあった。着物におさげ姿の夏川静江が、なにかを見上げている写真であった。その少女に扮《ふん》した夏川静江の眼が、故郷の宇都野神社の石段で会ったあの少女の眼に似ているなと思った。
彼は三十銭出して映画館へ入った。映画を見るのは何年かぶりのような気がした。ヒマラヤという目的のために、節約をつみかさねている彼にとって、映画などに金を払うのはばからしいことだった。ばからしいことを承知で入りこんだ加藤は、きょうの自分はよくよくどうかしているのだと思った。
映画は崖《がけ》の上に住む金持娘に扮した入江たか子と、崖下の貧しい庶民の娘に扮した夏川静江との対決であった。映画を見ながら加藤は、崖の上に住む金持娘の入江たか子が、どこか園子に似ているような気がしてならなかった。映画は終りの方をやっていた。結論を先に見て、またふり出しにもどって見るほどつまらないものはなかった。結局映画はつまらなかったが、昔恋しい銀座の柳という主題歌は気に入った。
映画館を出ると、もう日は暮れていた。疲労と、無駄《むだ》なことに金を使ったという悔恨とが彼を一層無残な気持にした。こういうときにこそ山へ登ればいいのだと考えたが、もう山へ登れる時刻ではなかった。
下宿に帰ると彼のための夕食が、茶の間の食卓の上に、蠅帳《はいちょう》をかけてあった。
多幡てつも、奥の方でしょっちゅうごほんごほんと咳《せき》をしている多幡新吉もいなかった。孫娘の美恵子が台所から、やかんをさげて来ると、だまって加藤の前に置いた。美恵子は病的なほど、痩《や》せ細っていた。青白く透きとおるようにさえ見える皮膚は、けっして彼女が健康体でないことを示していた。
加藤は食事をすませると二階へ上った。寝るまでの時間になんの本を読むかということをしばらく考えたあとで、彼は、彼のその夜の心境にもっともふさわしくないディーゼルエンジンの本のページを開いたのである。頭に入るはずがなかった。字はそこにあっても、彼の頭を占領しているものは、園子や入江たか子や夏川静江や、故郷の少女のことなどであった。彼は少々、自分自身にいや気がした。
(いったい俺《おれ》は、なんというばかものであろうか)
結局は園子の存在に彼の心はかきまわされているのだと思った。結婚できる相手でもない女に、対象としての女を意識するところに誤算がありはしないかと考えたり、結婚を前提に考える以外に女性との交渉があり得ないなどという、旧《ふる》い認識にさいなまれている古風な自分を軽蔑《けいべつ》したりしながら、彼はとうとう、ディーゼル機関の本を閉じて寝床に入って電気を消した。暗くなった途端に頭の中いっぱいに霧化促進ということばがひろがった。眼をつぶるとすぐ眠れるという訓練ができている加藤も、その夜は眠りつけなかった。彼は人声を聞いた。枕元《まくらもと》でひそひそと囁《ささや》き合う声だった。その声が気になり出したのは、そういうことが、いままで一度もなかったことであり、それに、その囁きが、通常の囁きではなかったことが、加藤に警戒心を呼び起させたのである。彼は模糊《もこ》とした不安を感じた。その囁きのなかに、かなりの分量の秘密性が予想されたからでもあった。
囁きは隣室からだった。二人の男と二人の女の囁きだった。二人の女のうち一人は多幡てつであった。話の内容は不明だった。多幡てつが忍び足で前の廊下を通り、梯《はし》子《ご》段《だん》をおりていったあとでも、隣室の三人の囁きは続いていた。
(この家へ来てからもう四年にもなる)
加藤は寝床の中で考えていた。洋室まがいの隣室はいつも鍵《かぎ》がおろされていた。外国へ行っているこの家の息子の部屋だと多幡てつはいっていたが、その息子が外国からいつ帰って来るかということを聞かないし、なぜ閉め切ったままにしてあるかを彼女はいわなかった。時折その部屋へ東京から客が来て泊った。客の顔は一度も見たことはなかった。加藤の眠っているうちに出ていくか、加藤が出勤したあとで、起き出していくようだった。しかし、その客は通常ひとりであり、今夜のように三人も一度に来ることはめずらしかった。
加藤は、だいぶ前のこと、玄関で無産者新聞を拾ったことがあった。その日も隣室に客がいた。無産者新聞と、隣室へ来る客とを無理矢理関係づけようとする必要はないのだけれど、関係がないというよりも、あるというほうが考えられることだった。加藤は若い労働者であった。労働運動に興味を持たないというよりも持っているといった方がほんとうであり、ことしの一月に結成された労働大衆党の成り行きにも注目していたし、三月に暗殺された山本宣治に対しても同情をおしまなかった。
暗い方へ暗い方へと歩んでいく世相に、押し流されまいとしてすがりついているものは、彼にとって技術と山だった。その二つがなかったならば、彼の青春は労働運動に走ったかも知れない。彼はよくそんなことを考えることがあった。
加藤自身は労働運動の、少なくとも精神的なシンパだという意識を持っているにもかかわらず、彼の隣室で囁かれていることがそういう内容のものであり、男女三人がいわゆる主義者であったと仮定した場合は、なにか加藤のなかにそれに抵抗するものがあった。囁きは陰険であり、不明朗だと彼は思った。そうしなければならないとしても、そうしていることを見聞するのはいやだった。囁きは時折高調した。そして断片的に人の名前や、組織ということばや、オルグなどということばが聞えた。
加藤の眼は冴《さ》えた。眼が冴え、耳が冴えて来ると、当分眠れそうもない自分がはっきりして来た。彼は尿意をもよおした。起きよう、起きようと思うけれど、なにか隣室の人たちに悪いようでがまんしていたが、とうとう我慢できなくなって、彼はそっと立上った。遠慮することはないが、隣室の囁きを不本意ながら盗聴していたという、軽微な罪の意識が、彼をそうさせたのである。そっと立上ったからには、そっと廊下に出て、そっと階段をおりて階下の便所へ行かねばならなかった。
加藤は小《こ》柄《がら》で身が軽かった。それに山できたえた加藤にとっては、しのび足は馴《な》れていた。今にも雪崩《なだれ》が起りそうな山の斜面を、雪に刺《し》戟《げき》を与えないように、猫《ねこ》のようにひっそりとおりていくときのことを思えば、音を立てずに階段をおりることぐらいなんでもないことだった。
加藤は下りて用を足すと、またもとのように、うす暗いはだか電球がともっている階段を登って来た。もう二段で登りつめるところで、隣室から出て来る人の足音を聞いたが、もう避けることはできなかった。
階段を登りつめたせまい踊場で加藤は、その男と顔を合わせた。
男は無言で頭を下げた。青白いとがった顔の男だった。加藤も無言で頭を下げて、すれちがいながら、どこかで会ったことのある男だなと思った。その男も、加藤と同じように、すれちがいながら身をひねってもう一度加藤の方を見た。
「おお加藤」
「おお金川」
ふたりは声を上げた。
研修所の卒業を間近にひかえて、退学させられた金川義助と会おうとは夢にも思っていなかった。
「ここに君がいるとは知らなんだ」
金川義助がいった。
「おれも、となりに君が来ているとは気がつかなかったよ」
ふたりは手を取り合ったまま、加藤の部屋へ入っていった。
「あれから何年になるかな」
ふたりは五年という時間の経過と、その間にふたりのたどった道をたしかめ合おうとした。
「いま、きみは……」
加藤がそういったとき金川義助の顔に、混乱が浮んだ。彼は隣室の方へちょっと眼をやって、
「追いつめられているのだ」
といった。悲痛な叫びに似た声だった。
金川義助は加藤よりも、見方によれば、十も上に見えた。二十四歳という盛りの年が、三十を二つも三つも越えて見えた。頬《ほお》がやつれ、眼が落ちくぼんでいて鋭く、頭は何カ月も床屋にいったことのないように伸びていた。生活の垢《あか》がしみ出した顔の中に、執着の眼だけが異様に輝いていた。
「一度、主義者だという焼印がおされると、どこへ行っても、その履歴がついて廻《まわ》って、失職をくりかえすのだ。いつも背後で警察の眼が光っているからなにもできないし、自分がやらなくても、お前がやったのだろうと検挙される。こういうふうな扱いを受けていると、主義者でなくても主義者になるだろう。日本の警察はこうしてわざと主義者をつくり、その主義者を追いかけ廻して手柄にしているのだ」
わかるかね、加藤、おそらく君にはこの気持は分らないだろうと金川義助はいった。
「いったい主義者ってなんだろう。おれはときどきそれを思うことがあるんだ。資本家だけが甘い汁《しる》を吸わずに、労働者にも人間らしい生活をさせろというのが、どこが悪いのだろうか。ごくあたり前のいい分じゃあないか。ところが、そういえばもう主義者になり、赤いといわれ、警察に眼をつけられるのだ」
金川義助は、だまって聞いている加藤文太郎に、一別以来の彼の歩いて来た道と、その間に受けたあらゆる屈辱と忿懣《ふんまん》をぶちまけながら、
「だがおれはこんどこそ疲れ果てた」
といった。
「大阪でどん底の生活をしていたとき、おれは、いまの家内の父親に厄介《やっかい》になった。ところが、その父親が三年前に亡《な》くなり、ふたりが結婚して、家内が身ごもったとたんに失職したのだ」
金川義助はひといきついた。追いつめられているのだといったのはこのことだと思った。
「それで新しい職を探してここへ来たのか」
「いやそうではない。おれはいま警察に追われているのだ。おれを首にした会社のストライキを指導した背後関係の大物、つまり主義者だとにらまれているのだ」
「主義者なのか」
「やはり主義者だろうね。その関係の組織の一員であることには間違いない。だが加藤、主義者だって飯を食わねばならないし、とりあえず女房《にょうぼう》にお産をさせてやらねばならないのだ。その金がない……」
金川義助はひといきついた。
「この下宿とはどういう関係があるのだ」
「この家の息子の多幡洋平さんと知り合いなのだ。多幡さんはかなり前から、その方の学問的指導者として尊敬されている人だ。何回となく投獄され、今は東京にいる」
隣の明かずの間の秘密も分ってみればたいしたことはなかった。そうだったのか。それだからああいうことがあったのだなと思われることが、つぎつぎと回顧されて来る。
「これからどうするのだ」
どうしようもないことは分り切っていたが、やはりそういわずにはおられなかった。
「あらゆる縁故関係をたよって雑草のように生きたいと思っている」
金川義助の答え方には、一種の殺気のようなものがこもっていた。哀願ではなくて、場合によっては援助を強請しかねないような顔つきだった。
「当分ここにかくまっていただけることにはなったが、それから先の見とおしがつかないのだ」
金川義助は突然、それまでと違った、ひどく低調な声でそういうと、いまにも、金のことをいい出しそうに口のあたりをもごもごさせていたが結局はそれをいえずに、
「女房に会ってくれるか」
といった。
その女はひどくやつれていた。やつれ果てたという感じだった。出産日の近いのに、安定した生活が得られないためにそうなったのだろうけれど、金川義助よりはさらに年上に見える。笑いを失って、こわい眼をした女だった。他人を疑いの眼で見なければならない経験が、そうさせた顔つきだった。ちゃんとした生活さえすれば、綺《き》麗《れい》な奥さんだといわれるほどの顔立ちだけれど、いまは挨拶《あいさつ》もやっとのように疲れ果て、加藤の部屋に、きちんとした格好でいることも苦しそうに見えた。
「加藤君、家内の出産費を貸してくれないか」
予期していたことだったが、明日にも生れそうな大きな腹をかかえた女をそばに置いての懇願は、加藤の拒絶の言葉を封じていた。
「な、加藤たのむ」
「いくら要《い》るのだ」
加藤は出産費がどのくらいかかるかは知らなかった。ひょっとすると百円も二百円もかかるかも知れなかった。もしそうだったら、それだけ、加藤のヒマラヤ貯金は減少し、ヒマラヤへの道が遠のいていくのである。
「ここで産ませて貰《もら》うことにすれば、とりあえず三十円もあればどうにかなる」
「三十円でいいのか」
加藤はいってしまってはっとした。実は、金川義助が追いつめられたといったときから、金の問題がでて来はしないかと思っていたのである。技手になって以来四年間にせっせとためこんだ五百円に近い貯金を、そっくり貸してくれといわれそうに思いこんでいたのに、三十円でいいとその額がはっきりすると、加藤はその出費が、ヒマラヤ山行にたいして影響するものではないと分ってほっとした。
「ありがたい、一生恩に着る」
金川義助がいった。金川義助の妻は、しばらくは加藤のことばが信じられないように、加藤の顔を覗《のぞ》きこんでいたが、やがて、三十円が彼女の出産のために、間違いなく用意されるということが分るとぽろぽろ涙をこぼした。
加藤には感動はなかった。旧友を助けてやっていいことをしたという気分もことさら起らないし、三十円貸してやるといい切ってからは、むしろさっぱりとした。ヒマラヤ貯金の減ることにさほどの抵抗も感じなかった。ただ、加藤は、金川義助の妻が、加藤の部屋の畳の上にぽたぽたと涙を落すことが、たえがたいほど不潔に見えた。彼女は涙をそでで拭《ふ》いた。
金川義助が隣室に去ってから、加藤はその涙のあとを避《よ》けるようにして布《ふ》団《とん》を敷いた。
翌朝早く加藤は隣室の騒ぎで眼を覚ました。金川義助の妻の陣痛が始まったのである。苦しみに苦しみ抜いたすえ、この家の二階に居を得、そして出産費の見とおしがついたという嬉《うれ》しい興奮が、出産を早めたもののようであった。
出産に男は不要だった。
加藤はまだ明けきれない神戸の町を駈足《かけあし》で走りぬいて、高取山のいただきめざして登っていった。人影はなく、石段は露にぬれていた。彼は高取山のいただきで御来光を迎えた。空と山との境界線に赤い日輪を見たとき加藤は、金川義助の次代をになって生れ出るのは、多分、男の子であり、その子は、やはり金川義助のように世の中を強靭《きょうじん》に生き抜いていくであろうと思った。
山をおりて下宿へ帰ると、下宿の娘の多幡美恵子が上気した顔で、
「加藤さん、お二階に男の子が生れました」
といった。加藤はそういう美恵子の顔をめずらしいものを見るような眼で見詰めていた。この痩《や》せこけた、青白い少女がこんな感激の表情を見せたことは未《いま》だかつてないことだった。加藤はその少女の顔を見てなにかほっとした。やはり加藤も、隣のお産が無事であってくれることを願っていたのである。
その日、加藤は、会社に依託してあったヒマラヤ貯金から、金三十円也《なり》を引き出した。一度も引き出したことのない彼の預金通帳に初めて書きこまれた三十円の払い出しの数字をちょっと横目で睨《にら》んでから、これでいいさ、金川義助には子供が生れたのだとつぶやいた。
隣室の赤ん坊はよく泣いた。昼と夜を間違えたように、昼は眠っていて、夜になると盛んに泣いた。そのたびに加藤は眼を覚まさねばならなかった。赤ん坊の泣き声もつらかったが、泣く赤ん坊のことで、加藤に気兼ねしている、金川夫妻のおろおろした態度の方が加藤には邪魔だった。
「おい金川、あんまり気にするな。赤ん坊は、泣くものに決っているのだ」
しかし、金川の気にしているのは、ほんとうは赤ん坊のことではなく、その赤ん坊に飲ませるミルクのことだった。金川の妻は乳が出なかった。だから、それだけ手数もかかるし、金もかかるのである。
「加藤、すまない。いくらか貸してくれ」
と金川にいわれると、加藤はことわるわけにはいかなくなった。一カ月たったころ、加藤は、その子を抱いた。乳くさい赤ん坊は加藤の腕の中に抱かれて、まだよく見えない眼を無心に開けていた。
金川義助は毎日のように大阪へでかけていった。どこへなにをしにいくのかは分らなかったが、ひどくつかれこんで帰って来ると、畜生めとか、あの野郎とかぶっそうなことばを断片的に吐いたり、暗い顔をして考えこんだりしていた。
なにか大きな仕事にぶっつかっていることは確かだったが、その仕事がどんな内容のものであるかは加藤には知らせなかった。わざとそうしているようでもあった。下宿の外で加藤と顔を合わせても、金川は知らん顔をしていた。お風呂屋《ふろや》で会っても他人のような顔でいた。金川がそういう技術を身につけたのは、長い間の防衛上の目的から体得したもののようでもあった。
「加藤、ひとこといって置くけれど、もしもの場合、警察になにか聞かれたら、なにも知らないといってくれよ」
もしもの場合がなにをさすのか加藤にはよく分っていたが、なにも知らないということが、どれだけの範囲を示しているのかは曖昧《あいまい》だった。
「きみとおれがもと神港造船所の研修所の同期生だということはむこうだって知っているだろう」
「そこまではいいさ。それから先は、なにも君は知ってはいないのだ。この下宿で顔を合わせたのも偶然のことなのだ。ただ隣にいるというだけで、なんの交際もないことにして置いてくれ。金のことも、口に出さないほうがいい。お産の費用をたてかえただけだと君がいっても、警察はそうは取らない」
金川義助は陰鬱《いんうつ》な表情で、
「警察は、証拠さえにぎれば、君をシンパとして検挙するだろう」
「お産の金を用立てても、シンパとして引張っていかれるのか」
加藤は、そう聞いただけで腹が立った。研修生の最後の年、加藤は金川義助とともに、警察に引っぱられたことがあった。あのとき、なんの理由もなく殴られた痛みと怒りと警察に対する不信感はけっして忘れられるものではなかった。
「とにかく、もしもの場合はなにもいわないでくれ。おれは君には迷惑をかけたくはない」
金川義助と彼の妻とは低い声で、夜おそくまでしゃべっていた。時折隣室に来客があることもあったが、そう長居はしないですぐ帰っていった。
秋になると、加藤の職場は急にいそがしくなった。小型ディーゼル機関の製作が、急ピッチですすめられていった。加藤の設計室はおそくまで灯《ひ》がついていて、九時過ぎて下宿へ帰ることもめずらしくはなかった。
加藤の足ははやかった。速足の文太郎とか、地下たびの加藤とうたわれたとおり、普通の人の倍のはやさで歩いていた。相変らずのナッパ服と、ズック靴《ぐつ》で起伏に富んでいる神戸の山手の住宅地を風を切ってかけあがっていくと、通行人が驚いてふりむくほどだった。加藤は、会社への往復路上においては、あきらかに山を意識して歩いていた。自分の力以上のものをたえず、出すように、努力をおしまなかった。冬山のために休暇のすべてを使ってしまったいまとなっては、来年の冬山のためのトレーニングは近傍の山歩きと常《つね》日《ひ》頃《ごろ》、身体《からだ》を鍛えておく以外にはなかったのである。
加藤は走るように歩いた。歩いても歩いても足は前に出た。息の切れることもなかった。三日に一度は石の入ったルックザックを背負って会社と下宿の間を往復した。その加藤の異様さが、しばらくは会社の話の種になったが、間もなく、それは、加藤ひとりの性癖であるかのごとく、人々の口の端《は》には登らなくなったころ、加藤は、夜勤を終って門を出ようとするところで海軍技師立木勲平に呼びとめられた。
「相変らずだね、加藤君」
立木技師は笑いながら近づいて来て、加藤の石の入ったルックザックをどっこいしょと、掛声もろとも持ち上げてみて、
「これはそうとうな重さだな。これだけのものを背負って、ちょんちょん駈けるように歩くのだから、訓練というものはおそろしいものだ。毎日毎日の訓練の結果を冬山へ持っていくというところは、いざ鎌倉《かまくら》というときに備えて、毎日訓練をつづけている軍隊の考え方と全く同じだ」
立木技師は加藤をほめておいて、
「いかなることがあっても、くじけずにつづけるがいい。その精神は、きみがいまやっている、ディーゼルエンジンの仕事にも必ず直結するはずだ」
立木技師はルックザックの上をたたいて、さあ遠慮なく突走れといった。
その夜は靄《もや》がかかっていた。うす靄がかかると神戸の町はなにかものうく、幻想的にかすんで見えた。
加藤は立木技師の激励に気をよくして歩いていた。会社で食べた夜食のうどんが腹の中で適当にこなれて、身も軽く、心も軽かった。彼は十五キログラムの石の入ったルックザックを背負って、彼の下宿へ向ってとっとと歩いていった。
村野孝吉から電話があったのは、昼食時間ちょっと前だった。ふたりは、研修所の食堂で落ち合うことにした。食堂は以前と少しも違ってはいなかった。早いところ食事をすませて、ピンポンをやっている生徒たちを見ながら、加藤は何年か前の自分を思った。加藤と同じように、防備専門にバットを動かしている生徒を見ると、おい、がんばれよといってやりたくなる。食堂にじっと坐《すわ》っていると、うすら寒さを感ずるようなころだった。
肩をたたかれたのでふりかえると、村野孝吉が立っていた。しばらく見ない間に、急におとなびたように見えた。
「同じ会社にいてもめったに会うことはないものだな」
村野がいった。村野は製造課のほうだし、加藤は設計課だから、顔を合わせる機会は少なかった。
「ちょっときみのことを聞いたので……」
村野孝吉は早耳の男だった。学生時代から、どこからとなく、いろいろのことを聞きこんで来て加藤に知らせてくれた。いい噂《うわさ》もわるい噂もあったが、いずれにしても、加藤のためを思って知らせてくれたのであるから、加藤はこの友人を大事にしていた。だが早耳の村野はめったなことでは、加藤の前には姿を見せなかった。しばらく前に来たときは、研修所出身の技手も、大学出と同じように技師になる道が開かれるらしいという情報を知らせて来た。それはかなり確かなものであった。研修所を出て五年以上経過して、会社にとって重要な功績をあげた場合、技師に昇進できるという内容のものであったが、公式の発表はまだなされていなかった。村野孝吉が、加藤の貯金についての噂を知らせて来たこともあった。その噂は、半年か一年の周期を持って加藤のところにいろいろの形になって聞えて来るが、ヒマラヤ貯金だと見破ったものはひとりもいなかった。
「加藤、きみはこのごろ外山技師のところに、ひんぱんにでかけるそうじゃあないか」
村野孝吉は笑いながらいった。なにかからかう気だなと思っていると、
「どこへ行くにも、ナッパ服だけで押しとおしていたきみが、和服を着て、外山さんのところへ訪問するってのはどういうことなんだね」
村野孝吉はさらにたたみかけるように、
「園子さんがいるからだろう。だからナッパ服じゃあまずいっていうんだろう。それならどうだ一丁、背広服を作らないか、いい洋服屋を紹介しよう、月《げっ》賦《ぷ》でいいんだぜ、やはりレディの前に出るにはきちんとしたほうがいい。女は見掛けを重んずる」
園子さんは見掛けだけで人を見るような女ではないぞと、村野にいってやろうとしていると、
「じゃあいいね、洋服屋は明日のいまごろここへ来ることにしておこう」
村野はさっさと決めて、
「ところで加藤、少々ばかり金を貸してくれないか」
といった。なにに使うのかと聞いても、村野はにやついていて答えないから、加藤は、それなら貸してやらないぞというと、実は結婚するのだと頭をかきながらいった。同期生で結婚したのはひとりいたが、それは結婚をいそがねばならない特別な理由があってのことだったが、村野が結婚するとなると、それは事実上同期生の結婚のはしりと思われた。加藤は彼自身の二十四歳の年齢をかえり見た。別に早過ぎるということもなかった。月給も七十円になっているからふたりで生活できないことはなかった。
「いつなんだ」
「来月に結婚式を挙げようかと思っている。相手は神戸のひとなんだ……」
村野は彼女とのロマンスを加藤に聞かせたいようだった。村野がのろけ出したら切りがないし、のろけられた上に金を貸すのもばからしい話だった。加藤は機先を制していった。
「いくら必要なんだ」
「三十円貸してくれ」
「結婚と出産とは同じくらいの費用がかかるのか」
加藤は、ひょいっと口に出た。妙な質問に、面《めん》喰《く》らった顔をしている村野に、金を貸してやることと、洋服を作ることとを同時に約束した。
加藤の貯金は急激に減少した。それにはそれぞれの理由があったが、貯金が減っただけ、ヒマラヤへの道が遠くなっていくのを思うと淋《さび》しくもあった。村野の結婚が、加藤には一種のショックだったことも事実だった。加藤は卒業以来、仕事と山にだけ青春を傾けつくしていた自分を、考え直して見る必要を感じた。加藤に結婚を考えさせるようにしたもうひとつの刺《し》戟《げき》材料は、隣室にいる金川義助夫婦の存在だった。その夫婦はけっして甘いところを加藤に見せつけたことはなかった。むしろ、結婚生活の苦しさをまざまざ見せつけられた点では、結婚へのブレーキになることが多かった。それにもかかわらず、金川夫婦は懸命に、人生を切り開こうとしていた。それが、一人の力でなく、二人の愛情の合力だということに、そろそろ気がついて来た加藤は、もし適当な相手があったならばと考えることがあった。園子の姿は、しばしば、加藤の前に立ちふさがった。おしのけても、おしのけても園子の婉然《えんぜん》とにおうような姿態は彼の前に現われた。園子を結婚の対象と考えてはいけないという理由はなにもないのに、園子に対して、はじめっから、自信を失っている自分自身を加藤は腑甲斐《ふがい》なく思うのである。
彼の背広はよく似合った。茶系統のその背広は八十五円という値段だけのことはあった。秋の日曜の午後、彼はその背広を念入りに着こんで、外山三郎の家を訪問した。いい洋服だと、外山も、外山の妻の松枝もほめてくれたが、ほめてもらいたい園子はさっぱり姿を見せなかった。二階にいる様子さえないのである。加藤は、なんとなくもじもじした。その加藤の気持を察したらしく、松枝が座をはずしたとき、
「園子さんは今日は音楽会へ行ったよ」
と、加藤の顔の動きを見ながら外山がいった。
「音楽会……」
ひとりで行ったんですかとは聞けなかった。が、その質問が加藤の顔にちゃんと書いてあった。
「佐倉さんと一緒だ。園子さんはどうやら佐倉君が好きらしい」
外山が言った。
加藤文太郎は常願寺川沿いの雪の道を東へ歩いていた。その道は坂にかかると、どこの山でもそうであるようにジグザグ道になるけれど、おおよその方向は立山を目ざして東西に延びていた。
藤橋《ふじばし》からスキーはずっと履いたままだった。すぐ先を誰《だれ》かが行ったばかりのようなスキーの踏みあとがあった。数人の踏みあとだったから、はっきりとした道になっていた。だから、道をさがしたり、迷ったりする心配はなかった。踏みあとさえついていったら、やがて弘法《こうぼう》小屋《ごや》へつくことは間違いなかった。それにこの道は、加藤にとってはじめてではなかった。夏の間にもう、三度も通った道だった。
東への道は退屈するほど長かった。ブナ坂を越したあたりから、雪は深くなり、台地に出たせいか風を感ずる。追い風だった。うしろから、飛雪をとばして来たり、ときには、彼の眼《め》の前で、粉雪の渦巻《うずまき》を見せたりする風が、日暮れとともに静まる風だということを加藤はよく知っていた。長くつづく風ではなく、ときどき強く吹くが、すぐやむ風だった。
空は曇っていて、遠望は効かなかった。疎《そ》林《りん》の背丈がずっと低くなったことは、雪の深くなったことを示していた。
「十二月三十日……」
彼は歩きながらいった。あす一日であさっては昭和五年になる。去年の十二月三十日は、八ヶ岳の山麓《さんろく》を歩いて、その前の年の十二月三十日は鉢伏《はちぶせ》山から氷《ひょう》ノ山《せん》に向っていた。そしてその前は、どこだったか、はっきりと記憶の中に浮んでは来なかった。十二月から一月にかけては必ずどこかの山へでかけているのだ。そしておそらく、来年の十二月三十日も、どこかの山の雪を踏んでいるだろうと思った。
(そうだ、去年のこの日の八ヶ岳訪問は、なにかもの淋しくこわいような気がしたものだ)
加藤は、ちょうど一年前のことを考えながら歩いていた。去年の今日はスキーの跡はなかった。たったひとり、夏沢鉱泉の小屋にこもって、凍った蒲鉾《かまぼこ》を食べた思い出は鮮烈だった。本格的な冬山に入ったはじめての経験だったせいもあるが、やはり、ひとりだということが、彼に精神的負担を負わせたのだ。しかし、いまはひとりではない。すぐ先を何人かの人が登っている。それは加藤にとって、前方にかかげられた灯火《ともしび》を見るように心強いものであった。それに、去年の一月の八ヶ岳訪問以来、二月には、常念岳、槍《やり》ヶ岳《たけ》、そして、三月には、立山へ入り、四月には奥穂高岳へ登っていた。去年の積雪期における山への執着は、さすがの外山三郎さえも首をひねるほどであった。四月までに、二週間の休暇は全部山で消費しつくしていた。冬山の魅力が加藤を、外部から見ると、山に憑《つ》かれたようにさせたのである。
それから、何カ月間経過して、いままた冬山に踏みこんで見ると、去年の経験が、年をへだてて生きていることがよくわかる。スキーは彼の足について動いた。
(おれは冬山をいくらかは知っている。ずぶの素人《しろうと》ではない)
加藤はわずかながら自信のようなものを持ちはじめていた。スキーの踏みあとは、真《まっ》直《す》ぐに延びていた。弘法小屋は、そう遠い距離ではなかった。天候も心配ないし、あと一時間もすれば小屋につくことができると思うと、加藤のスキーは、いままでの疲労を忘れたように、先へ先へと急ぐのである。
(加藤さん、あなたは山をひとりで歩きながらなにを考えているの)
園子の声が彼の耳元で聞えたような気がした。園子のことは、ずっと頭の中にあったが、あるというだけで、積極的に彼に話しかけるようなことはなかった。いくら加藤が園子を好きであっても、園子の気持が佐倉秀作の方に動いている以上どうにもならないことだった。
(あなたは歩きながらなにを考えてるの)
園子の声がまた聞えた。いつか園子に、そんなふうに聞かれたことがあった。
(山を歩いているときは、なにも考えてはいけない。なにも考えずに、足もとばっかり見て、歩いていなければいけない)
加藤は園子にそう答えたようにおぼえている。
(なにも考えずに、一日も二日も三日も?)
園子はちょっと小首をかしげたが、
(でも、ほんとうにそうかも知れないわね。なにも考えないで歩くことが楽しくて山へ行くのかもしれないわね)
園子は勝手に、そう決めこんでいたようだった。
(山を歩くとき、ほんとうになにも考えずに、いるだろうか)
あとで思いかえしてみると、なんにも考えずにいたように思うけれど、たえずなにかを考えつづけていたようにも思われる。加藤は、神戸を発《た》って、車中の人になってから、ほとんど園子のことばかり考えていた。芦峅《あしくら》寺《じ》から山支度をととのえていよいよ山道にかかっても、彼女のことが、彼の頭の隅《すみ》のどこかにあった。藤橋でスキーを穿《は》いたときも、園子が、わたしも、少しぐらいなら滑れるといったことを思い出していた。加藤は秋から暮にかけてのことを思いかえしてみた。
十一月のおわりころだった。加藤が外山三郎のところへ山の本をかえしに行ったとき、園子がふらりと現われた。飄然《ひょうぜん》と現われたといったふうだった。なにかいいながら入って来る園子が、その日はなにもいわずに、微笑さえ浮べずに入って来て、
「ね、加藤さん、佐倉さんのことあなたどう思う」
といったことがあった。ちょうどそのとき、外山三郎は、席をはずしていた。応接間には、園子とふたりきりだった。
「どう思うって、どういう意味ですか」
加藤は開き直ったようないい方をした。
「いやね、加藤さん、なにもかも知っているくせに。わたし、佐倉さんと結婚しようと思うの。でもいざとなると不安なのよ。どこがどうってことないけれど、なにかが不安なんです」
処女の敏感な触角が、あの佐倉秀作のまやかし者であることを探知したのだなと加藤は思った。
「結婚するとなったら、男だって、女だって、不安になるのはあたり前でしょう。特に女の人にとってはね。あなたの場合だって、佐倉さんという対象が決ったから不安になったのでしょう」
加藤の口をついて出たことばは、ぜんぜん彼の心の中とは違ったものだった。
「小父《おじ》さんも小母さんも、佐倉さんとの結婚にあまり乗気ではないのよ」
園子は、外山夫妻が乗気でない原因について、第三者の加藤の意見を聞きたいようであったが、
「あの人はときどき、すごくつめたい眼をすることがあるのよ。それが気になって……」
それは園子のひとりごとのようであった。園子はそれだけいうと、加藤のそばを離れていった。加藤が親身になって彼女の相談相手になってはくれないと見たようであった。
スキーの踏みあとが乱れた。気がつくとそこは弘法小屋であった。加藤は、山を歩きながらの考えごとが、ずいぶん長い間、つづいたのは、前の人のスキーのあとのおかげだと思った。人のあとをついていくことは容易である。園子のことを考えながら歩けるほどの余裕を持った山行は、とにかく幸運だと思った。
加藤は弘法小屋の戸をおした。
いくつかの眼が同時に加藤を見た。見られているという感じははっきりしているけれど、その小屋に誰がいるかは外から入って来た加藤にはわからなかった。眼が暗さに馴《な》れて来ると、小屋の中央に燃えているストーブがまず眼についた。ストーブを取りかこんでいる四人の男たちの姿が見えて来ると、ストーブのとなりの部屋の囲炉裏の赤い火が見えた。そこには二人の男がいた。夕食の支度でもしているらしかった。
小屋の中にいる六人の男たちは黙って入って来た加藤を凝視していた。ウィンドヤッケをかぶり、ルックザックを背負った登山者だということは間違いなかったが、ひとりでやって来たことに、六人はまず驚きの眼をあげ、つぎに加藤がものをいうのを待った。明るい雪のなかから家の中へ入って来れば、誰だって、しばらくは眼が見えないことはわかっていた。そんな場合、通常口を利《き》いた。こんちはとか、こんにちはとか、御《ご》厄介《やっかい》になりますとか、私はなんのなにがしですとか、一人で来たか二人で来たか、そんなことを――つまり、そこにいる先客が聞きたいことを真先に口にするのが当り前であった。だが加藤は黙って立っていた。加藤は先着の登山家たちに最大の敬意を表するために、微笑を浮べながら立っていた。
その加藤の微笑こそ、はじめての人には、あらゆる疑惑と不信感を植えつける不可解な微笑に見えるのだけれど、加藤自身の心では、その微笑にたくして、
「皆さん、こんにちは、皆さんのあとをついて来ましたから楽に来られましたよ。今夜はこの小屋に、私も一緒に泊めていただきます。よろしく願います」
そういったつもりだったが、六人には、加藤の微笑の話しかけは、無遠慮に投げかけられた冷笑としかうつらなかった。六人の眼がいっせいに警戒の色を示しだすと、加藤は、いそいで、かぶっているウィンドヤッケを脱いで、みんなの方に向ってぺこんとおじぎをした。六人のうちの三人は、加藤のおじぎに誘われるように頭をさげかけたけれど、他の三人はあいかわらず、疑いの眼を以《もっ》て加藤を見守っていた。
加藤の眼は暗さに馴れた。ストーブを取りかこんでいる男たちは、かなりの山の経験を持つ登山者らしかった。囲炉裏ばたにいる二人の男たちは案内人で、おそらく芦峅《あしくら》寺《じ》の人たちだと思われた。
加藤は多くの眼が見守るなかで、靴《くつ》を脱ぎながら、なぜ誰も話しかけて来てくれないのだろうかと思っていた。加藤は炉端へ行って、二人の男に、芦峅寺の佐伯さんのところに寄って、みなさんが先へ登ったと聞いていそいであとを追って来たといった。芦峅寺の佐伯さんと加藤がいうのは弘法小屋の持主のことであった。
加藤のことばで六人の警戒心は一応解けたようであった。小屋の持主のところによって小屋の状態を聞いて登って来たからには満更の素人ではないと思ったらしかった。ストーブを囲んでいた四人の男たちはまた話をはじめた。
「あなたは今年の三月、ここへ来ませんでしたか」
囲炉裏ばたにいた若い方の男がいった。
「三月にこの小屋へ泊めて貰《もら》いました」
加藤はそう答えて、すぐ、その男と、ことしの三月にこの小屋で落合ったことを思い出した。
「そうでしたね。あのときもあなたはひとりでした」
男はそういって、芦峅寺の松治ですと自己紹介した。加藤も自分の名をいった。今年の三月、会ったというだけで、加藤と松治はすぐうちとけたが、もうひとりの芦峅寺の男は、黙って加藤を見ていただけで、すすんで加藤と松治の会話に介入しようとはしなかった。囲炉裏をかこんで、男たちのにぎやかな夕食が始まった。彼《かれ》等《ら》は炊《た》き立ての飯と大鍋《おおなべ》いっぱいに作られた汁《しる》を食べていた。加藤は囲炉裏の片隅《かたすみ》で、今度の山行にあたって近所の菓子屋にはじめて作らせてみた、麦饅頭《むぎまんじゅう》を油で揚げたのを出して食べた。加藤のいままでの経験によると、冬山で飯を炊くことは時間がかかるし、面倒であり、そして荷物になった。軽くてうまくて、栄養価値があるものとして考えたのが、揚げ饅頭であり、乾《ほ》し小魚であり、バターであり、甘納豆であった。
加藤が、彼独特の食事を始めると、男たちはしばらく、好奇な眼で見ていたが、加藤の食物についてひとことも聞こうとはしなかった。松治が味噌《みそ》汁をいっぱい加藤にすすめた。加藤はなんどか礼をいってその好意を受けた。
食事が終ると四人の登山家たちは、囲炉裏ばたを去ってストーブのそばに集まった。なにか、加藤の存在に気兼ねしているふうでもあった。その夜加藤は囲炉裏の傍《そば》に、芦峅寺の男たちとともに寝た。静かな夜であった。
十二月三十一日は霧で明けた。とても動けるような天気ではなかった。雪がちらちらしていた。だが、午後になると、霧は霽《は》れて視界が効くようになった。
四人の登山家たちは、それぞれ支度をととのえて外へ出ていった。松尾峠までスキーで往復するという話であった。
加藤は四人の登山家たちのあとを追った。彼等の歩き方を見ていると、スキーの技術は、加藤より数段勝っているように思われた。それに、四人の呼吸があっていて四人の集団はまるで一人のように、動いたり止ったりした。四人のラッセルした踏みあとをついていくことは楽であり、そうして、四人と行動していると、加藤もまた、四人の登山家たちのグループに溶けこんでしまったような気にもなるのである。
松尾峠の頂上に立ったときには薄日が洩《も》れた。霧の去来は比較的緩慢で天気が好転するような気配さえあった。四人のうちのひとりが、携帯用の映画撮影機をルックザックから出して加藤にいった。
「ぼくらはここでスキーをやっているところを撮影することになっているから、すまないがあなたは先に帰ってくれませんか」
言葉は丁寧だったが、雪眼鏡の奥で光っている男の眼は、あきらかに、加藤の存在を嫌《きら》っていた。撮影したいから、撮影が終るまで、邪魔にならないようにここに待っていてくれというのではなかった。撮影しているところにうろちょろしていることすら眼ざわりだから、帰ってくれというふうに聞えた。つまはじきにあった気持だった。一瞬加藤の顔はこわばったが、加藤はなにもいわなかった。男のいったことは癪《しゃく》にさわったが、いいかえすことばが直《す》ぐにはでなかった。加藤は山をおりた。なぜあの男が、ああいういい方をしたのだろうかと考えながら弘法小屋に帰ると、松治が小屋の入口に立っていた。
「どうしたんです。早いじゃあないですか」
「写真を撮るのに、邪魔だから帰れっていうんだ」
加藤は仏頂面《ぶっちょうづら》をしていった。
「土田さんでしょう、そういったのは。しかし、土田さんがそういうのは当りまえですよ。だいたい、あなたは、土田さんたちに一度だって挨拶《あいさつ》しましたか。挨拶もせずに、人のパーティーに図々《ずうずう》しく割りこんで、ラッセルドロボウをつづけていたら、誰だって腹を立てますよ。もし相手が大学の山岳部だったらぶんなぐられますよ」
松治は加藤の顔につばでも吐きかけるようないきおいでいった。松治自身もそのことをいいたかったに違いなかった。松治にいわれてみれば、加藤はまだ彼等には挨拶をしてなかった。弘法の小屋で火を焚《た》いて暖めていたのは土田の一行である。小屋に入ったときしかるべき挨拶をして置くべきだったが、それはまだしてなかった。挨拶らしいものが済んでいるのは松治との間だけだった。加藤は頭をさげた。自分が悪いのだと思った。当然やるべきことをしなかったから悪いのだと、率直に自分を反省しながらも、松治のいったラッセルドロボウということばが気になった。加藤はそのわけを聞いた。
「わけもなにもないでしょう。人の踏みあとをついていきさえしたら、冬山登山なんて楽なものさ。あなたもひとのあとばかりついて歩かずに、たまには先に立って、ラッセルの苦労を味わって見たらいいでしょう」
松治にいわれなくても、加藤はラッセルの苦労は知っていた。知っていたが、でしゃばったことをするのは悪いと思って、遠慮してあとからついていったのである。加藤はそう弁解した。
「しかしね、加藤さん。黙って人のあとをついて歩くことはよくないですね。それは町の中だって、同じことじゃあないですか。知らない人が、黙ってどこまでもあとを跟《つ》けて来たら、いやな気持になるでしょう」
加藤はすべてを了解した。彼は小屋に入ると、ノートを裂いて、彼の名刺を作った。四人の男たちに名刺を渡しながら、いままでの非礼を詫《わ》びるつもりだった。
だが彼等が山から帰って来て、ストーブのまわりに集まったとき、加藤が出した名刺がわりのノートの切れはしは、たいした効果を発揮しなかった。彼等は、加藤が黙って出した紙片を黙って受取っただけだった。加藤と四人との間に流れているつめたいものは、にわかに払拭《ふっしょく》することはできなかった。
翌一月一日は終日霧と雪だった。
昭和五年一月二日は光とともに明けた。加藤は幾日かぶりに見るような気持で青空を仰いだ。神戸で見る、どこかに水蒸気の存在を感ずるような青さではなく、コバルトブリューのインクをぶちまいたような青さだった。空という感じより、空という超巨大なドームの下に立って、見あげているような空の色だった。どこを見ても一点のけがれもなかった。加藤は、何年か前に、はじめて、槍ヶ岳を訪れたとき、雷雨のあとの青空を見た。その時は、青空の美しさに感激して、泪《なみだ》がでそうになった。美しいものがあったということの喜びだった。その時の夏の空の色と、いま彼が見あげている冬の空の色とは、同じ青さでも違っていた。どこがと口で区別することはできなかったが、もし、なにかの機械が、この空の色と夏の空の色とを再現できたら、いつでも加藤は、冬の空と夏の空を間違わずにいい当てることができるだろうと思った。
天気快晴となると、小屋の中は出発準備のためににぎやかになった。先着の六人はその日のうちに剣沢小屋までいくのだから、一刻も早く出発しなければならなかった。出発のいそがしさにまぎれて、加藤の存在など頭にないようだった。加藤は厳冬期の剣沢小屋は知らなかった。彼等が話しているところを聞くと、剣沢小屋をベースキャンプとして、剣岳へ登攀《とうはん》する予定らしかった。加藤はそのメンバーに入れて貰いたかった。入れて貰いたかったが、入れて下さいという機会はなく、三日間を過してしまった。彼自身の腑甲斐《ふがい》なさをなさけなく思いながら、小屋の中のあとかたづけをやっていた。加藤は単独行であるから、特に準備らしいものはなかった。彼のルックザック一つを背負えばどこへでもでかけられる身軽さだった。
「じゃあ、あとをよくたのみましたよ」
六人組のリーダーの土田は、小屋の中を掃除している加藤にいった。加藤はそれに黙ってうなずいた。ついていきたいのだが、ついていっていいかどうかは聞けなかった。聞けば土田が首を横にふるような気がしたからであった。
六人組は弘法《こうぼう》小屋《ごや》を出ていった。あとをたのむといわれて、うなずいた以上、加藤はあとしまつをしなければならなかった。寝具を片づけ、囲炉裏の火を始末して、彼は、彼の荷物をまとめて小屋の外へ出ると、六人組のあとを追った。
スキーを履いた加藤の足は、つつっとよく動いていった。追分《おいわけ》小屋が見えるところまで来ると、加藤は前方に六人の姿をみとめた。六人の前にはラッセルのあとはなかった。まぶしいほどの輝きのなかを、六人が残していく踏みあとの陰影が一直線に続いていた。加藤が近づいていくのがわかったらしく、一行は雪の中に立止った。加藤の追いつくのを待っているようであった。加藤は希望を持った。しかし、リーダーの土田が、加藤にいったことは加藤の想像していたこととは違っていた。
「きみはどこへいくんですか」
それは、加藤に、行く先を聞いたというよりも、ついて来てはいけないという警告であることは間違いなかった。加藤はそう聞かれて黙った。ほんとうははっきりした行く先はなかったのである。神戸を出るときは、富山、千垣、芦峅《あしくら》寺《じ》、弘法小屋、室堂《むろどう》、雄山というスケジュールで来たけれど、弘法小屋に泊って、六人組が剣沢小屋をベースキャンプとして剣岳を狙《ねら》うのだと聞いたときには、加藤は彼の所期の目的を放擲《ほうてき》して、その魅力的な剣岳登山に参加したいと思った。だから、土田にどこへと聞かれても、加藤はすぐに返事ができなかったのである。
(あなたがたと一緒に剣岳をやりたいのですが)
といったところで、それではついて来るがいいと、即座にいってくれるような空気ではなかった。加藤が追従して来たことを土田が不愉快に思っていることは、きみはどこへ行くんですかといった語調の中に隠されていた。
「加藤さんは室堂へ行くのでしょうよ」
松治がいった。加藤にかわって松治が加藤の行く先を決めると、土田は、
「それなら、天《てん》狗《ぐ》小屋までは一緒だな」
といった。天狗小屋までは同行するが、それ以上ついて来ることはごめんだぞという、かなり強い拒絶の態度が見えていた。
加藤は思うことのひとこともいえなかった。そこでもう一度、同行をつよくたのみこみたかったが、彼の心と裏腹に彼は黙っていた。その加藤の沈黙と、照れかくしに浮べている加藤のいつもの微笑に、六人の男たちは、加藤の存在をそれまでになく、気味悪く感じた。松治でさえも、そっぽを向いていた。
追分小屋で彼等が一服しているときに、加藤は先頭に立って新雪をラッセルした。松治にラッセルドロボウといわれたから、その不名誉を挽回《ばんかい》するためにそうしたのである。そうすることによって、彼等の気持を幾分かやわらげるためでもあった。
(おれがもう少し口がうまかったら)
加藤はそう思った。こんな凍るような思いでラッセルをしないで、とうのむかしに、このパーティーのなかに吸収されていたに違いないと思った。加藤は懸命にラッセルした。深雪の先頭に立つことはたいへんな苦労だったが、行動によって、加藤の誠意が、向うに伝わればいいと思った。しかし加藤のラッセルもそう長くはつづかなかった。土田が、彼のパーティーの一員に、先頭のラッセルを命じたからであった。
飽くまで、加藤と六人組とは別のパーティーであることを、土田ははっきりさせると、それからは、加藤の方を見向きもしなくなった。一行は天狗小屋で小休止した。天狗小屋に立って下界を見ると、雲海が樹林地帯をかくしていた。東の方に向って見ると、足もとから立山連峰までは白一色でおおわれ、一本の木も見当らない雪の高原であった。加藤は、これと同じような雪の景色を、富士山麓《さんろく》の御殿場口の太郎坊で見たことを覚えていた。そのときの山は富士山一つだったが、いまは、びょうぶのように立山連峰がつらなっていた。剣沢小屋へいくには、雷鳥沢を登りつめて、あの稜線《りょうせん》から向うにおりるのだ。あの稜線に立てば、後立山がよく見えるだろうと眺《なが》めていると、加藤はふと急に、あたりがもの淋《さび》しくなったのを感じた。
六人組が、地獄谷の方へ向って、雪原を横切っていくのが見えた。いそいでいるように見えた。意識的にいそいでいるふうだった。時間的にいそぐ必要があったのかも知れないけれど、加藤には、彼を置き去りにして逃げていくおそろしく意地の悪い六人組のパーティーの姿として、映った。
さすがにそのあとを追う気は起らなかった。嫌《きら》われて、嫌われぬいたうえ、雪原におっぽり出されたわびしさは、たとえようもなく悲しいものであった。
加藤は、松治に室堂でしょうと行方を指示されたとおりに、室堂に向って登っていった。
室堂は雪に半ば埋もれていた。彼はそこに荷物を置くと、立ったままで、ばりばり甘納豆を食べ、水を飲んで、一ノ越を目ざして登っていった。しばしば彼は立止って、雷鳥沢の方へ眼をやったけれど、六人組の姿は、彼が一ノ越へつくまでは見えなかった。一ノ越に近くなるとともに風が強くなった。猛烈な連続性の風であった。日本海から立山に向って吹きつける風のすべてが、一ノ越の鞍《あん》部《ぶ》に収斂《しゅうれん》されたかのような強さだった。彼は、石《いし》塚《づか》の前で、見事に風に吹き倒された。
「風までが、おれに意地悪をするのか」
加藤は風に向っていった。
加藤の眼が光った。意地悪をするならしてみるがいい。おれは、雄山の頂上まで、きっと登ってみせる。彼は石垣《いしがき》のかげで、スキーを脱いで、アイゼンを履いた。アイゼンを履いている彼を、風が何度か、吹き倒そうとした。
一ノ越の鞍部から雄山の頂上への道は、かなり急な道であり、その稜線もまた、鉋《かんな》でけずるような風が吹いていた。風で雪が吹きとばされて、ところどころ岩が露出していた。とても立って歩ける状態ではなかった。彼は、稜線を這《は》った。這いながら、一歩一歩と雄山の頂上に近づいていった。一ノ越から雄山の頂上までは、なにも考えなかった。ただ、彼の頭の中には登るということだけがあった。頂上の雄山神社の前に立って、彼は、すぐそこまで襲《お》しよせて来ている霧を見た。もしその霧が濃霧となったら、帰路を失うことになるのだ。加藤は神社に一礼すると下山にかかった。風が強いので、呼吸をするのが困難だった。彼は数歩、歩いて、息を吸い、また数歩行っては風に顔をそむけて呼吸した。
一ノ越で、後立山の方へちょっとだけ眼を投げた。いやに三角形にとがった鹿《か》島槍《しまやり》が見えた。はて、あれが鹿島槍かなと、思っただけで、それ以上長く、そこに立ってはいられなかった。山々は白銀色に輝き、山と山との間には雲海がつまっていた。霧はそれほど濃くはならなかったけれど、雪が降りだした。帰途、彼はまともにその雪にたたかれた。
室堂についたが、手が凍えて、容易に戸を開けることができなかった。
暗く、湿っぽい、室堂の小屋の中には、夏の登山最盛期のころのにおいが残っていた。風は小屋の中までは入って来ないけれど、耐えがたい寒さであった。加藤はコッフェルで湯を沸かし、砂糖湯を作った。熱い砂糖湯が胃にしみこむと同時に、彼はしみじみひとりを味わった。一年前の今日あたりも、ひとりで夏沢鉱泉で湯を飲んでいた。そして、あの小屋で――加藤は一年前を思い出した。
彼は、夏沢小屋の外で一晩寒気と戦ったことを思い出していた。
(夏山と冬山の差は温度の差ではない。冬山に勝つことは、孤独に勝つことである)
彼が八ヶ岳の冬山山行で得たものは、いまもなお、いささかも変ってはいないはずである。
(わかり切ったことなのだ。それなのに、なぜおれはこれほど人を求めるのだろうか。孤独をおそれるのであろう)
加藤は、アルコールランプの赤い灯《ひ》を見つめながら、寒さよりも、なお一層身にしみて来る人恋しさに身ぶるいをした。
おそるべき孤独が加藤をしめつけた。室堂の小屋には彼ひとりしかいないのだと思っただけで呼吸が止りそうに苦しかった。ちょうど一年前の冬の八ヶ岳では、その孤独に耐え得たのになぜ、いまになってそれができないのか加藤にはわからなかった。
誰《だれ》でもいい、人さえ、近くにいたら、話をしないでいいとさえ思うのである。そんなに人が恋しいなら、山へなんか来なければいいのだと、彼は自分を叱《しか》った。ひとりで山へ入るのが淋しいなら、誰かとパーティーを組んで来ればよいではないか、と自分自身にいいきかせる。同行希望者はいくらでもある。同行者を求めるまでもなく、どこかの山岳会へ入りさえすれば、いくらでも山の友人はできるのだ。
それにもかかわらず、彼はいずれの山岳会にも属してはいない。いままではその必要がなかったからであった。登山とは汗を流すところであり、自分と語り合う場であると、定義づけて、山に入ってからもう何年になるだろうか、一度だって淋しいということを感じたことはない。一度だって同行者を求めたことはない。去年の八ヶ岳の冬季登山の初めての経験においてさえも、これほどではなかった。
(なぜ、人を求めるのか)
加藤文太郎は自分に問いかけた。回答はなかった。ただ、ひとりでいることに耐えられないということだった。
(生理的な要求であろうか)
冬山では、ひとりではおられない。必ず複数の人間の群れとしてのみ存在が許されるという、動物本能から来る生理的な要求であろうか。そうとも考えられない。もしそういう根本的なものがあったならば、それはもっと早期に――彼が登山をはじめた初期において、大きな壁となって、彼の前に立ちはだかったはずであった。単独行は淋しいものである。しかし、その淋しさ以上に自分と語り合う、山と語り合うという楽しみがあった。
(冬山では、山と語り合う場がないというのだろうか、冬山は死の山で、語り合うべきなにものも持っていないというのであろうか)
山が雪でおおわれているというだけで、山が唖《おし》になったとは思えないし、冬山が死の山であるとは思えなかった。冬山は夏山よりも、むしろ山としては生々としていた。喜怒哀楽の感情は冬山において、はっきりと、それぞれの山の個性を、ひろげて見せた。冬山が死の山であって、加藤との語り合いを拒絶するという事実はどこにもなかった。
(ではなぜ、おれは人を恋うのだろうか)
わからなかった。いくら考えてもわからないし、考えようとしたり、山と語り合おうとしていても、人に会いたいという欲求が加藤をおしつぶそうとした。
人はそう遠くないところにいた。いま、加藤の頭に存在している人は、土田をリーダーとする四人のパーティーと、その四人と同行している芦峅《あしくら》寺《じ》の二名の若者であった。
(六人はいま剣沢小屋にいる)
そのことだけが加藤の頭の中にあった。六人のところへ行きたいという気持が、加藤から離れなかった。はっきりと従《つ》いて来てはいけないとまではいわなかったけれど、それと同じようなことを行動で示した彼ら六人のあとをなぜ追いたいのか加藤にはわからなかった。
土田リーダーは加藤に対して、はっきりと嫌《けん》悪《お》の眼を向けたし、そのパーティーの中で、芦峅寺の松治以外は土田以上の、むしろ憎悪の眼を持って追従しようとする加藤をふり切っていったのである。
(彼らがそうするのは当り前である。親しい友人同士で、山を楽しもうとして来ているのに、全然未知の人が、そのグループにまぎれこめば、面白《おもしろ》くないのは当り前である。下手をすると、せっかくの山行がだめにされてしまう)
加藤はそのことは百も承知であった。彼自身が長いこと単独行をおしとおしたのも加藤と山との語り合いの中に、他人が割りこんで来てせっかくの山の気分をぶちこわされないためであった。下界においても、山においても、理由なくして人に近づくことはおたがいに不愉快なことであった。
なにもかもわかっていた。わかり切っているのに、六人のことが頭から離れないのがなぜであるか、加藤にはいぜんとしてわからなかった。忌《い》み嫌《きら》われている彼ら六人のところへ行けば、彼らは、今度は、感情と行動を表面に出して、おれたちは、きみと行動するのはいやなんだというかもしれない――つまり傷つけられるのだ。場合によっては、その疵《きず》は生涯《しょうがい》、快《かい》癒《ゆ》することのできないほどの深手となるかもしれないのだ。それなのに加藤は、六人のことを思っていた。
夜が明けきると、加藤は室堂の小屋から外へ出た。いい天気だった。山と雪と、彼とそして雪原の上に、立山連峰の黒い影が横たわっていた。太陽の姿は見えなかった。六人が一列になって、登っていった雷鳥沢も、別山《べっさん》乗越《のっこし》も、まだ夜の陰翳《いんえい》の中に眠っているようであった。
加藤は、立山連峰を越えて走る、輝きの平行線を仰ぎながら、山は朝の交響楽を始めたのだと思った。幽玄なメロデーが流れ始め、やがて、太陽という指揮者の金の指揮棒の振りようで、その交響楽は嵐《あらし》の交響楽にも、死の交響楽にもなるのである。空の模様から推測すると、今日中に嵐の交響楽にはならないように思われるけれど、ならないという確証もなかった。冬の立山である。嵐でないという日の方がめずらしいのである。日本海を渡って吹きつけて来る風が運んで来る水蒸気は、この立山連峰の壁にぶつかって、強制上昇して、雪の結晶体を作るのだ。それがこの冬の山のルールであった。山の交響楽は朝のうちは静かである。が、間もなく、吹雪のフリュートがどこからか鳴り出し、嵐のドラムが打ち鳴らされ、気が狂ったようにバイオリンがかき鳴らされるのである。加藤は、朝の交響楽の中に、その日一日の天気を予想しようとした。猟師が、朝の一瞬に、その日の獲物のありかを推察するように、加藤の眼は澄んで鋭かった。
あらゆる雑念が加藤の頭から去って、その朝の交響楽の中で、彼は山と語り合った。その日の天候やルートや、その夜、泊るべき宿についても、その朝の一瞬において、見とおしをつけるのである。
加藤は山々の頂を眼で追った。きのうは強風の中を雄山に登った。きょうは一ノ越から浄土山、竜王岳《りゅうおうだけ》、鬼岳、獅子《しし》岳《だけ》あたりまで行って見ようか。天気の具合によっては、引きかえせばいい。どっちみち、室堂が今夜の泊り場所である。
加藤は、一応その日のルートをそう決めて、眼を一ノ越へもどして、今度はきのう登った雄山から別山の方へやった。
(別山乗越の向う側にはあの六人がいる)
雪の中の剣沢小屋でストーブをかこんで談笑している六人のことを思うと、加藤は、獅子岳へ行こうとする気持が消えた。
「剣沢小屋へいこう」
彼は決心を口にした。あの六人にどんなに意地悪をされようが、嫌われようが、剣沢小屋へ行こうと決心した以上、いくのが彼に与えられたその日のきまりだと考えた。
それからは迷わなかった。加藤は、コッフェルで湯をわかし、お茶を入れた。食事はいつものとおりの揚げ饅頭《まんじゅう》と、乾《ほ》し小魚だった。
コッフェルで湯を沸かし始めてから、二十分後には、食事をすませて荷物をまとめた加藤は室堂小屋の外へ出ていた。
風が出ていた。やがて、雪炎が、この広い雪原をおおいつくすだろう。そのまえに、別山乗越を越えて剣沢小屋へいかねばならない。加藤はスキーを履いた。
加藤にはその日の予定があった。雷鳥沢をつめて、別山乗越をこえて、立山連峰の向う側におりるのだ。そこに剣沢小屋がある。彼は剣沢小屋まで午前中に行こうと思った。彼のいままでの体験から、それはそう無理なことだとは思わなかった。
室堂から雷鳥沢への下りは、平凡な雪原であった。霧が出たら、たいへんなことになるところだけれど、晴れてさえいたら、なんでもなかった。加藤は、見当をつけると、別山乗越への登り口に向って、ラッセルの一歩を踏みこんでいった。誰も前を歩いてはいないし、あとから誰も来ない。気楽なラッセルだった。時折、雪の深みにはまりこんで、声を出すと、その自分の声に驚くほど静かだった。吹き出した風が、加藤の行動開始とともに止《や》んだのは谷に入ったからであろうか。雪の深みもあったが、浅いところもあった。そういうところに来ると、加藤のスキーは面白いように、前へ、つつっと進むのである。
加藤は、とうとうラッセルのあとを発見した。六人が踏んだあとは一条の道となって、別山乗越へ延びていた。
加藤は、その雪の踏みあとに踏みこむ前に、彼が歩いて来た道をふりかえった。そこまでは、彼自身が開拓した道であったが、ここで、六人の踏み跡と接触すれば、もはや、彼自身のものはなくなるのである。
(ラッセルドロボウ)
ということばを、加藤はそこで想起した。この侮《ぶ》蔑《べつ》に満ちたことばを、頭から浴びせかけられたら、たいていの登山家は、腹を立てるだろうと思った。だが、彼の行くところが剣沢小屋であり、そこへ行く踏みあとがちゃんとついているのに、彼自らが、新しい踏み跡を開拓するということはばかばかしいことのように思われた。
加藤は六人の踏み跡へスキーを入れた。別山乗越へ登りにかかったころから風が出た。予期した風だった。しかしその風が風だけでいるうちは、なにもおそれることはなかった。日が高くなると、空は乳白色に濁った。加藤は、それを天気の下り坂の前兆と見た。
登りは急だったが、そのくらいの傾斜度は加藤にとって、ものの数ではなかった。スキーが使えなくなると、脱いでかついだ。風に追い上げられるように加藤は別山乗越をこえた。景観が変転した。そこには、黒部の渓谷《けいこく》が見えるはずだったが、そのかわりに見わたすかぎりの雲海の上に鹿《か》島槍《しまやり》と五竜《ごりゅう》が白く光っていた。
剣沢小屋は紫色の煙を上げていた。加藤の立っているところは、かなり風が強いのに、剣沢小屋の煙は、その煙の色がはっきり見えるだけの太さで、しばらくは垂直に立昇《たちのぼ》っているのを見ると、剣沢小屋そのものが安泰に満ちた住家に思われてならなかった。しかし、その煙も、眼でやっと計ることのできるぐらいの距離だけ立昇ったところで、強い力で、粉砕されたように霧散した。風の方向になびいて消えたのではなく、風の乱流《ターブレンツ》によってあとかたもなく消えうせたのであった。
加藤は、そこに動いている冬の立山のはげしい気象を思った。
小屋の中には六人の人たちがストーブをかこんで楽しそうに話し合っていた。
「またやって参りました。よろしく願います」
加藤は、彼の眼が小屋の暗さに馴《な》れない前に挨拶《あいさつ》だけはさきにやった。よろしくお願いしますという言葉のなかには、いろいろの意味を含めていた。みんなのパーティーに入れてくれという希望もあったし、この小屋に泊めてくれという願いもあった。返事がないまましばらく過ぎてから、
「そんなところに立っていないで、上ってストーブに当ったらどうです」
松治がいった。
そのことばに救われたように加藤は、荷物をそこにおろして、靴《くつ》を脱いだ。松治が、加藤のために、ストーブのそばに椅子《いす》がわりの空箱を用意してくれた。加藤は松治にお礼をいった。鞍部では風は強かったが、こらえられないほどの寒さではなかった。だが、やはり、ストーブの傍《そば》に坐《すわ》るとうれしかった。
沈黙が続いた。加藤に話しかけて来る者はなかった。きのう、天狗平《てんぐだいら》で別れたときと同じようなつめたい空気が流れていた。
「きのう、あなたは一ノ越へ登っていったでしょう。強い風でしたから心配しましたよ」
長い沈黙のあとで土田リーダーがいった。考えに考えた末に発見した話題のようだった。加藤は、ほっとした。少なくとも、土田リーダーが、加藤をストーブ談義の一員に加えようとしていることがわかったからである。
「一ノ越から雄山の神社までは、歩いたり、這《は》ったりしていきました。頂上近くでは、ずっと匍《ほ》匐《ふく》前進でした」
「ほう、匍匐前進ね。そんなに風の強いとき、ひとりで山へ登って、もしものことがあったらどうします」
土田の声は静かだったが、あきらかに、加藤の行動を暴挙として見た批判だった。
「でも登りました。登れないほど強い風ではありませんでしたから」
「それは登ったでしょう。しかしね、加藤さん。ただがむしゃらに山へ登ることだけが登山ではありませんよ。よく山を調べ、天候を調べたうえで、慎重に一歩一歩を頂上に向ってきざんでいくのが登山です。頂上に立つということより、その道程がどうであったかが、登山か登山でないかの分れ道になるのです」
加藤は黙って聞いていた。きのうの雄山登山は、登山ではないといおうとしているのだなと思った。
(あなたの登山の定義では、きのうぼくが雄山に登ったことは、登山ではないかも知れません。しかし、ぼく自身の登山の定義によれば、きのうの雄山登山は立派な登山です。ぼくにとっては、あれぐらいの風はたいしたことには思われないのです。危険とは感じないのです。山は立って登らねばならないという法則はないでしょう。時によれば、格好は悪いけれど這って登ることだってあり得るでしょう)
加藤は心の中でそういっていた。その加藤の心の中のつぶやきが、例の不可解な微笑となって現われた。
土田の顔が緊張した。土田は、加藤の顔に浮んだ微笑を冷笑と取ったのである。臆病者《おくびょうもの》め、あんな風がこわいのか、きみたちは、あんな風におそれをなしているのかと、加藤が土田たち六人に向って投げた嗤《わら》いと見たのである。
ストーブの周囲の空気は再び凍った。土田は二度と加藤と口をきくつもりはないぞというふうに、山日記のページを開いて、鉛筆を出した。他の男たちも、加藤の視線をさけるように、横を向いた。松治だけが、加藤と他の男たちの間をなんとかして取りなそうとするように、しきりに視線をあっちこっちと動かしていた。
加藤は、そのつめたい沈黙に耐えられなくなった。こっちで話しかけないかぎり、六人が永久に口をききそうにもないと見て取ると、
「どうです。これからみんなで剣へ登りませんか」
加藤のことばは、いかにも突《とっ》飛《ぴ》であった。六人のパーティーは六人で行動している。そのパーティーに、たったひとりの加藤が、誘いかけたのだから、突飛というよりも、奇妙であった。ぶしつけでもあり、非常識でもあり、非礼でもあった。
六人はいっせいに加藤の方を向いた。六人の眼は一様に加藤を責めていた。生意気なことをいうなという眼であった。いままでいくらかの親愛感を持って見ていた松治の眼さえも、加藤に対して、明らかに悪感情を抱いた眼に変っていた。
「あなたは別山乗越をこえて来たでしょう。あそこでさえあれだけの風が吹いている。剣岳の頂上付近では三十メートル以上の風は吹いているでしょう。とても登山できるような状態ではないですよ」
土田リーダーは、静かにいった。かなりきびしい眼つきをしていたが、言葉はていねいだった。加藤に対する感情をおし殺しているようだった。
「登れませんか。それなら、ぼくをここに泊めて下さいませんか」
加藤は六人と自分との間が、ますます悪い方向にむいていくことを自覚していた。それでも加藤は、そこにいたかった。どんなに嫌われても、その六人のそばにいたかった。
「泊めてやりたいが、天気が悪くなれば、あなたはひとりで帰れなくなるでしょう。冬の立山は、ひとりで来ることは、もともと無理なんですよ。天気のいいうちにおりた方がいいではないですか」
土田は、小屋の外の風でも気にするような顔をした。
帰る――ひとりで雪原の中を帰っていけというのか。今夜もまたあの陰鬱《いんうつ》な室堂でひとりで寝ろというのか。加藤は考えただけでぞっとした。
(どうしてもひとりでいることがいやなんです。みんなと一緒にいたいんです。ただ傍に置いて貰《もら》うだけでもいいんです)
加藤の眼は哀願にかわりつつあった。
「私をあなたがたのパーティーの一員に加えていただけませんか。けっして御迷惑はかけません」
加藤は土田に向って頭をさげた。
「それはできませんよ。ぼくらはすべてこの六人で行動するように準備して来ている。あなたは単独行をやっているから、パーティーの意味がよくわからないだろうが、パーティーは心のよく解け合ったものの集合体でなければならない。そうでなければ間違いが起る。ぼくらはあなたの名前を知っていてもあなたを知らない。あなたもぼくらを知らない。そんな曖昧《あいまい》な関係でパーティーを組むなどということはこのうえない危険なことですよ。あなたは、すでに、関西では名の通った登山家でしょう。そのあなたが、そんな無茶をいうとは、おかしいじゃあないですか」
そうだ、そのとおりだと加藤は思った。相手を知らない者どうしがパーティーを組んで遭難を起した例は、ウインパーのマッターホルン初登攀《とうはん》の惨劇以来無数にある。
山においては、自分以外になにものも信用のおけるものはないという、自信が、彼をここまで引き摺《ず》って来たのである。
(そのおれが、なぜ人をたよろうとするのだろうか)
雪の剣岳に登りたいのだが、ひとりでは自信がないから、他のパーティーと共に行きたいという打算のもとに、パーティーに加えて下さいといっているのではなかった。雪の剣に、ぜひとも登らねばならないという理由はなかった。どうしても、雪の剣をやりたいならば、そのつもりで、はじめっから準備してかかれば、やってやれないことはなかった。
だいたい神戸を出るとき、剣岳は、頭の中にはなかった。雪の立山訪問という漠然《ばくぜん》とした計画のまま出て来たのだから、目的はすでに充分達しているのである。帰ってもいい時期であった。
「加藤さん、冬山には冬山のルールがあることを御存知でしょう。剣沢小屋へ泊りたいなら、ちゃんと案内人をつれて来るべきです。案内人を雇う金がおしかったら、冬山へは来ないことですな」
土田のその一言は加藤をひどくみじめなものにさせた。貧乏人は冬山へは来るなといわれたような気がした。案内人を雇い、充分な日程で山へ出て来る裕福な登山家たちと違って、加藤は一介のサラリーマン登山家である。加藤にかぎらず、多くのサラリーマンは、金と日時が充分ではない。だからといって、冬山をあきらめろといういい方は、加藤の腹にこたえた。
(冬山は金持ちだけのものであろうか)
冬山が、永久に社会人登山家に開放されないことは堪えられないことであった。だが、現に土田が加藤の前でいっていることには、ひとかけらの誇張もないし、はったりもなかった。剣沢小屋は、その持主の私有財産であり、小屋の中のストーブも、燃料も、すべて営業用として運びこまれたものである。小屋を使うならば、その小屋の所有者の許可を得たうえ、案内人をつれて来るのがあたりまえのことであった。
出ていけといっているのだなと思った。もはや彼らとともにここに止《とど》まるのぞみは断ち切られたのだと思った。
「松治君、加藤さんに御飯をあたためて、ごちそうしてやってくれないか」
土田リーダーは加藤の沈黙を了解と見たようだった。土田は、加藤が米を持って来ていないことを知っているから、松治に飯をあたためてごちそうしろといったのである。しかし、加藤には、そのことばは素直に受入れられなかった。残飯があったら食べさせてやれと、土田が松治にいっているように聞えた。案内人もつれず、ろくな食糧も持たずにやって来た、貧乏人の登山者にめぐみを垂れてやれよといっているふうに聞えたのである。
加藤は眼をあげた。
「いえ、結構です。食糧はまだ充分持っております」
「では、お菓子でもどうです。松治君、菓子を出してくれ」
「いや、結構です。いろいろとありがとうございました」
涙が出そうだった。悪《あく》罵《ば》とともに小屋から追い出されるような気持だった。
靴を履いている加藤のところへ松治が来て耳もとでささやいた。
「加藤さん、すまないね」
すまないことがあるものか、悪いのは、もともとこっちなんだと加藤は自分にいい聞かせていた。悪いのはこっちなのだが、なぜこれほどまで、みじめな気持に追いこまれたのだろうか。こうなることはわかっていながら、ついここまで来てしまった自分が、虚仮《こけ》か阿《あ》呆《ほう》に思えた。
加藤はスキーを履いた。
剣沢小屋をあとにして、別山乗越《べつさんのっこし》をこえて、雷鳥沢へ。そして今夜はまたあの室堂に泊らなければならないと思うと、胸が凍る思いだった。剣沢小屋に泊りたいと思った。小屋の片隅《かたすみ》に、犬のように、丸くなっていてもいいから、残っていたいと思った。
加藤のスキーはいっこう進まなかった。彼は、まだ、剣沢小屋に引かれていた。彼の腰のあたりに、眼に見えないザイルが緊縛され、そのザイルの端が、剣沢小屋にしばりつけられているようだった。
(そのザイルはゴムだな)
と加藤は思った。歩けば歩いただけ、ゴムは伸びていき、それだけ、剣沢小屋へ吸引力は強くなっていった。加藤は、数歩進んではふりかえった。もし剣沢小屋から、誰《だれ》かが出て来て手でも振ったら、まわれ右して、小屋へ帰って、もう一度小屋に泊めてくれと頼もうと思っていた。
誰も剣沢小屋からは出て来なかった。腰に結びつけられたゴムはやがて切れる。切れたら最後、二度とふたたび剣沢小屋へは帰れないのである。
加藤は彼の腰につけられたゴム紐《ひも》の伸張力の限界点において立止った。そこまで来ると、風は強くなり、飛雪ばかりでなく、雲海からはね上げられた片雲が雪の斜面をよこぎっていた。
加藤は剣沢小屋に眼をやった。ストーブの紫色の煙は、来たときと同じように立昇っていた。彼はその紫色の煙に、いまもなお、去りがたい愛着の視線をそそいでいた。
煙突の煙の量が次第に多くなっていくようだった。神戸の港で、出港の間《ま》際《ぎわ》の船舶の煙突を見るように、その煙はたくましく太かった。へんだなと加藤は思った。ストーブに薪《まき》を燃しているだけであれほど多量の煙を出すはずがないと思った。なにか薪以外のものを多量に一度にストーブに投入したのかも知れない。そう思って見ていると、いままで立昇っていた煙突の煙が、煙突を出たところで、渦《うず》を巻き出したのである。乱流が剣沢小屋を取りかこんだのだと加藤は思った。だがその紫煙の渦のあり方は異常だった。煙自体が、意志を持ったもののように、ていねいに剣沢小屋を包みかくすと、さらに煙のひろがりを、雪原に敷《ふ》衍《えん》し、しかも、加藤が立っている斜面にそって、紫煙の舌を延ばしはじめたのである。
加藤の方に向って延びて来る紫煙の舌先は生き物を連想させた。
加藤は恐怖をおぼえた。その紫煙の舌先につかまったら、おしまいだという気がした。しかし彼は、しいて、そこを動こうとはしなかった。恐怖を感じながらも、彼はどうにもならないような力で、そこに釘《くぎ》づけになっていた。
風の音を聞いた。突風だなと思った瞬間、彼は背を低くして、風にこたえる体勢を取った。眼の前が混雑した。白くふわふわした、それでいてたとえようもないほどの多量の物体が、よこぎっていった。視界をおおいつくした。
(雪崩《なだれ》が起きたのだ)
彼はそう思った。音もなく雪崩が起って、眼の前が混雑したのだと思った。あらゆるものは、形容もないほどのスケールの大きい白いもののなかにのみこまれていった。剣沢小屋は消えうせていた。
風は止《や》んだ。
加藤は立上って、いま眼の前で起った、雪崩を確かめようとした。雪に埋もれた剣沢小屋から六人を助け出さねばならないと思った。
なにも変ったことは起っていなかった。剣沢小屋は前どおりで、細々と紫煙を上げていた。加藤は何度か眼をこすった。錯覚ではない。たしかに雪崩を見たのだ。が、現実には、そこにはなにも起ってはいないのである。
彼はその錯覚の原因を考えた。風とともに霧のひとかたまりが彼を襲い、彼の睫《まつげ》に付着して、しばらくの間彼をめくらにしたということは考えられる。彼が見た白いものは、霧粒の結晶だったと考えられないことはなかった。
加藤は、何回か眼をこすってから、もう一度剣沢小屋へ眼をやった。小屋には異状はなかったが、そのあたりに、いままでなかった暗いものを感じた。それが死の影というならば死の影かも知れない。なにか、いままでそこになかった暗いものが剣沢小屋を取りかこんでいた。
加藤は背筋につめたいものを感じた。そこにそうして長居は無用だという気がした。
加藤は剣沢小屋に背を向けた。彼と剣沢小屋とを結んでいたゴム紐はその瞬間に音を立てて切れた。
(一刻も早く室堂へ帰れ)
加藤の本能は、そう加藤に呼びかけていた。
加藤は別山乗越を越えて、ふたたび眼下に雷鳥沢を見た。弥陀《みだ》ヶ原《はら》までの雪原を西にかたむきかけたにぶい太陽の光が照らしていた。彼は、呼吸もできないほど強い西風をまともに受けながら、雷鳥沢へ向っておりていった。あとから、誰かに追われるような気持だった。六人の誰かが、剣沢小屋へ泊めてやるから、引きかえして来いと呼んでいるような気がした。とめてやるといっても引きかえすつもりはなかった。彼らの仕打が憎らしいから、意地を張って引返さないというのではなかった。あの雪崩の錯覚を見た直後に、加藤の心の中から剣沢小屋への執着が消えたのである。あれほど泊りたいと思っていた剣沢小屋から、いまはいっこくも早く遠ざかりたい気持が理解できなかった。
雷鳥沢に踏みこむと風は静かになった。
「ああ助かった」
加藤は太陽に向っていった。
死神に追われていて、やっとその手からのがれた気持だった。
(こんなことはいままでかつて一度もないことだ)
彼は室堂へ向う雪の谷へ踏みこんでからもそのことばかり考えていた。淋《さび》しいという気持も、六人の側《そば》にいたいという気持も消えていた。山はひとりでいることがもっとも自然であり、自分と語り合い、山と語り合うために山に来たので、人など、いないほうがいいのだと、いつもの加藤にかえった自分を見直すと、なぜあんな気持になったのかを、ふたたび思いかえして見るのである。
室堂は陰湿な寒い小屋だった。が、加藤にとっては、そんなことは平気だった。むしろ加藤は、室堂に帰って来て、安心して眠れると思ったくらいであった。
(あれほど剣沢小屋の六人を求めたのはなんであろうか)
彼は眠りにつくまえに、またそれを考えた。
(それは死ではなかろうか。彼らに死が約束されていて、その死へ自分は同行しようと願っていたのではなかろうか。求めていたのは、六人の人でも剣沢小屋でもなく、死ではなかったろうか。無意識に、死に牽《ひ》かれていたのではなかろうか)
六人にあれほど嫌《きら》われても、剣沢小屋に固執したのは死への道筋からはずされたくなかったのではないだろうか。
(帰りに見た白い幻覚は、やがて剣沢小屋を襲うであろう、雪崩そのものではなかろうか)
ばかな、と加藤はその想像を否定した。剣沢小屋は雪崩に埋まるような場所にはない。そして、雪も雪崩の起るような状態ではない。
(しかし、おれは剣沢小屋にただよう、死の影を見た)
死の影がどんなものかといわれても答えられないが、見たことは見たのだ。やがて、剣沢小屋は死ぬぞと、はっきり感じたのだ。これが、予感というのなら予感でもいい。直感というならば直感でもいい。とにかくおれは、剣沢小屋に死を見たのだ。
すべてが疲労から来るものかも知れない。年末近くになって会社は居残りが続いた。隣室の金川義助のこどもはよく泣いて、加藤の安眠をさまたげた。それから園子と佐倉秀作とが結婚しようとしていることも、加藤を平穏な気持では置かなかった。それらのあらゆる疲労が、いつもと変ったかたちとして現われたのかも知れないと思った。
(だが、もう、おれはもとのままの加藤文太郎に帰ったのだ)
加藤は翌日の旅程を考えた。天気が悪くなるのは確実だった。天気が悪くなるより先に安全地帯まで歩かねばならなかった。立山連峰を形成するだだっ広い雪原上で霧にまかれたら、それこそ死ぬ以外にない。藤橋まではなんとかしていきたかった。明後日は芦峅《あしくら》寺《じ》の佐伯氏のところへ立寄って、弘法《こうぼう》小屋《ごや》の泊り賃を払わないといけない。そうしないと、あの六人のパーティーに、加藤は冬山のルールを知らないと笑われるだろうと思った。
彼は、佐伯家の日当りのいい縁側で、彼のたどった雪の道のことを話しながら、泊り料を払っている自分を想像していた。
「で、土田さんたちは、いつごろ山をおりて来ますか」
佐伯氏にそう質問されるところまで想像して、加藤はまた、全身が震え出すほどの悪い予感に襲われた。
「彼らはふたたび芦峅寺へは帰らないかも知れない」
加藤は暗闇《くらやみ》の中でつぶやいた。小屋の外の風が、笛を吹くような音を立てて加藤に答えていた。
加藤は眼をつぶった。このことは、自分の頭の中にだけしまっておこうと思った。彼ら六人が死ぬなどということが、死なない前にわかってたまるものか。
加藤文太郎はしばしば、何故《なぜ》山へ行くのかという、きわめて平凡で、そして、きわめて解答のむずかしい問題を考える。何故山へ行くのだという質問に対して、それは、すなわち、山があるからだと答えたという、ある登山家のことばをもってしても、加藤には不充分であった。
山があるから山へ行くのだ。山がなければ行きたくてもいけないだろう。がしかし、山がない場合、彼はどこへもいかずにぼんやりしていられるだろうか。
(もしかりに、加藤文太郎がこのままの姿で蒙《もう》古《こ》の大平原へいっていたら、いったいなにをするだろう)
おそらく、彼は歩き廻《まわ》るだろう。大平原をぐるぐる歩き廻るに違いない。歩かずにはおられないのだ。それではなぜ歩きたいのかと、問いつめられればおそらく加藤は、歩きたいのだ、歩けば気持がいいのだと答えるに違いない。
山へ行っているあいだは御機《ごき》嫌《げん》なんだ。山気を吸い、谷川の清冽《せいれつ》な音を聞き、それを飲むと気がせいせいするから山へ行くのだ。要するに、山が好きなんだ。読書が好き、魚《うお》釣《つ》りが好き、競馬が好き、仕事が好き、金をためることが好き、人に慈善をほどこすことが好き……それらの人と同様におれは山が好きなのだ。それだけで、他《ほか》にはなにもない。
(ではなぜ山が好きになったのか)
特に動機となるものはなかったが、しいていえば彼に地図の見方と山歩きを教えた新納友明がいた。もし彼がいなくとも、おそらく加藤は山へ入っていったに違いない。
(山好きのことはわかった。だが、山好きのために身を危険にさらしてまで、なぜ山に行くのだ)
これもごくありふれた質問だった。魚釣りもときには危険な目に会うことがある。加藤が現在踏みこみつつある登山の段階は、すでに遠く趣味の階層をこえていた。極論すれば、それは生命を賭《か》けての遊びだった。
生命を賭けてまでなぜ山へ行くのかの問題に対しては、いかなる人も、ほとんど満足に答えることはできなかった。いわゆる探検とも違っていたし、未知へのあこがれでもなく、名誉欲でもない。ここまで問いつめられると、多くは言葉に窮して、そこに山があるからだという、古典的な逃げ口上を再び口にするしかないのである。
(そこに山があるからだと答える以外に、なにもいうことはないであろうか)
加藤文太郎は彼が歩みつつある方向が、いよいよ険峻《けんしゅん》であればあるほど、その到着点にあるものがなんであるかを考えないわけにはいかなかった。
加藤はその疑問の壁に衝突しては周囲を見廻す。ものを読む。やはり、彼と同じように、生命を賭ける登山家たちの群れはかなりの数に達していた。だが、加藤にしてみれば、彼らが山に生命を賭けるには、それだけのなにかの理由を持っているように思われた。
大学の山岳部の名誉のために、名のある山岳会員は、その山岳会の会員としての誇りのために、そして社会人の山岳会は、わがもの顔に山をのさばり歩く、山の紳士たちに挑戦《ちょうせん》するために、それから、単独かまたは少数グループで山に生命を賭ける者は、若い情熱の発散の場として、失恋の痛手の捨て場として、厭世《えんせい》の逃避場として、なんらかの劣等感の反対証明の場として、山に生命を賭けるのである。
加藤はそのいずれにも属さなかった。加藤には山に憂《うき》身《み》をやつさねばならないという能動的な理由は、なにひとつとしてないのである。
神戸の町の固いペーブメントを凍《い》てついた山の道を歩くような気持で踏みしめながら、加藤は、なにかの折に、それは多くの場合、なにか大きな、彼の一身上の変革が起る前に、突然彼を襲って来る、
(なぜ山へ行くのか)
の疑問に自問自答しながら歩いていた。
「神戸はいい町ですね。できることなら一生ここに住んでもいい。前に海、うしろに山、港町だから適当にモダーンで、適当にノスタルジアがただよっていて……」
佐倉秀作は歩きながら静かな声でものをいう。園子に話しかけるのでも、ひとりごとでもなく、なにかふと、そのときの情景の感動を述べたといったふうに、聞えて来る。
「神戸は町全体が詩情にあふれている。宵《よい》の霧にとけこむふたりの影さえも、それは永遠の約束ごとのように、ゆれて動く……」
園子は、佐倉秀作の意味のあるようなないような、つぶやきに似たそのことばを聞きながら、自分はいま幸福なのだろうかとふと考えた。
佐倉秀作の手が伸びて園子の手を握った。園子は電気を感じたように、手をひいたが、佐倉の握力は強く、彼女の手を決して放そうとはしなかった。
「このまま、あなたとふたりでどこまでも歩いていきたいのだけれど、そのまえに、ふたりは夕食を摂《と》らねばならない。ふたりはおなかが空《す》いている」
佐倉はそういうと、坂の途中から左側に折れて、明るい通りに出ると、植込みの奥に青く輝くガス灯の光に向って歩きだした。青いガス灯に向う歩道には御《み》影石《かげいし》が敷いてあって、歩くと、こつこつ音がした。
園子は、その青いガス灯がなにかおそろしいもののように見えてならなかった。その灯《ひ》の下をくぐったら最後、もとのままの姿で、そこを出ては来られないような気がした。
「そこはなんですの」
園子の処女の触角が、青い灯に対してぴくぴく動いていた。
「ホテルです。英国人が建てた古いホテルです。地下がレストランになっているのです。経営者は何度か変ったようですが、あのガス灯だけは前のままなんです。あのガス灯がこのホテルのシンボルなんです。美しいでしょう、ガス灯の光は霧をよくとおして見えるのです」
だが園子はためらっていた。いくべきではないと、彼女の触角が警告していた。
「どうしたんです園子さん、あの長い映画で、ぼくらはいい加減お腹《なか》が空いています。この地下室の料理はおいしいですよ」
さあといって、佐倉は、握っていた園子の手を離すと、腕を組んだ。あっという間のできごとだったし、ちょうどその時、地下室から腕を組んで出て来た外国人の男女があったから、園子は、佐倉に抵抗して、そのからんだ腕をはずすことをさしひかえた。妙な気持だった。
ガス灯の下をくぐるとき、園子は、佐倉秀作を見た。青くそまった彼の横顔には、ひどくつめたいものがあった。とがった高い鼻が、いままでになく、彼の野心の象徴に見えた。彼の野心とは園子と結婚することである。
彼女もまたそれを受け入れようとしていながら、その野心の鼻が青く濡《ぬ》れて光っているのを見ると、彼女は、そこから逃げ出したいようにさえ思うのである。
佐倉秀作の腕には力があった。地下室の降り口に来ると、もはやいかなることがあっても、彼女を彼の意志に従わせないではおかないような強引さを持って、いささか肩をはり、外国映画に出て来る伊達《だて》男《おとこ》のような格好で静かに階段をおりていった。
階段は途中で直角に曲った。その踊り場の壁にステンドグラス製の山があった。とがった山だった。日本の槍《やり》ヶ岳《たけ》のような形をしていた。園子は、多分それはマッターホルンを模したものだろうと思った。
「山がこんなところに……」
園子は、踊り場に立止ってそういった。彼女が彼女自身の心に、ある程度そむきながら、階段をおりていく行為に対するためらいが、そんなかたちでそこに現われたことは、彼女にも佐倉秀作にも思いもよらないことだった。
「英国人らしい趣味ですね。英国人という奴《やつ》は、意外に山が好きらしい。貴族崇拝主義というのかも知れない。登山家には貴族が多いという現実を横目で見ながら、貴族にゆかりのある者だというジェスチュアにこういうものを作りたがる。もっとも日本人にもそういうのがいる。登山は貴族階級だけのものにしておけばいいのに、貧乏人が貴族のまねをしたがる……」
佐倉秀作は園子の腕をぐっと引張ってむきをかえた。階下から流れて来る、肉を焼くにおいが園子の鼻をついた。
その食堂は気品があって落ちついていた。適度な採光度が、園子に安定感を与えた。
園子はナイフとフォークを持って、皿《さら》の上の肉に眼をやったとき、
(私は幸福になれるだろうか)
と考えた。そう考えることは、不幸を、頭の中で呼び出しそうで不安でもあった。
「どうしたんです、園子さん、さあ」
園子は焼いた肉にナイフを入れた。やわらかい肉だった。しんのほうに、うっすらと桜色の血がにじんでいる肉だった。園子はそれを見ると、やりどころのない淋しさが湧《わ》き上って来る。とにかく淋しいのだ。ここにこうして佐倉秀作といることが不思議に、かなしいことのように考えられて来るのである。
「いやなんですか、きらいなんですかこの肉が?」
佐倉はややけわしい眼でいった。
「いいえ、きらいではないわ」
「それなら、遠慮なく召しあがれ、レディが口をつけない先に、ぼくは食べたくても食べるわけにはいかないんです」
佐倉が笑った。園子は佐倉の笑いに助けられたように肉を口に入れた。うまかった。寒い霧の中をかなり歩かせられて来て空腹だったから、彼女の胃袋は、そのカロリーの高い肉を大いに歓迎していた。食べだすと、淋しさも、悲しさも消えた。
「ブドウ酒をめし上れ、肉にはこのブドウ酒がよく合うんです」
園子は嘗《な》めるようにそのブドウ酒を飲んで見た。甘かった。酒という感じではなかった。
「外国人の女の人は、そのコップに三ばいぐらいは飲むんですよ」
そのコップは小さかった。一口に飲めそうなコップだった。
「そして外国人は、そのコップのブドウ酒を飲むときには、こういうふうに……」
佐倉秀作は園子にコップを上げさせて、空間でコツンと音を立てて、それをぐっと飲みほした。
その軽快な音響を伴った乾杯は園子の気に入った。なにかそのレストラン全体が明るくなったようにも思われるのである。
「佐倉さん、さっきはなんだかおかしかったわ。妙に、ここへ入って来るのが厭《いや》だったのよ。もしここへ入ったら、二度とこのままの姿では帰れないような気がして」
佐倉の顔が一瞬緊張した。ぎょっとしたようだったが、園子はそれに気がつかなかった。
「へんだったわ。わたし、階段のところであのステンドグラスの山を見て立止ったりして」
「きっとそのとき、あなたは加藤君のことでも思い出したのでしょう」
佐倉のそのひとことで園子は、今日の午後佐倉に会って以来ずっと、長い時間、彼女の心の底でくすぶっていた淋《さび》しさの原動力は加藤の存在ではなかったろうかと思った。彼女の淋しさは、彼女をどこかで見詰めている加藤の淋しさにも通ずるものではないだろうか。彼女はその発見がいささかおそすぎたような気がした。ステンドグラスのマッターホルンを見て、ここに山がといったのは、ここに加藤がいるといったのと同じことだったのだ。階段をおりるなという、加藤の警告だったのかも知れない。
「加藤という奴はつまらぬ男だ。一介の製図工の癖に、貴族の真似《まね》ごとの登山なんかやって」
佐倉は驚くべきことをいった。それまで園子とつき合っていて一度だって、加藤に触れたことのない佐倉が、なぜ突然、加藤の悪口を園子の前で、いったのか彼女にはわからなかった。
「一介の製図工だなんてひどいわ……加藤さんは立派な技術者よ。正式な大学は卒業していないけれど、大学出と同等以上の実力は持っているんだって、小父《おじ》さんがいっていたわ。それに登山は、もう貴族だけのものではなくなっている。あなたの考えは古い……」
園子は胸苦しさを覚えた。胸苦しさをこらえていると身体《からだ》全体がだるくなる。思考力が遠のいていきそうになる。彼女は酔った経験がなかった。ブドウ酒と思って飲んだのが、味こそ甘いけれど、強烈なアルコール分を持っている洋酒だということを知らなかった。
眼が廻りそうだった。そのままじっとしていたら、倒れそうだった。
「くるしいの……」
園子はいった。佐倉に酒をすすめられて、酔わされたのだということが、はっきりと自覚され、そうさせた佐倉を憎みながらも、佐倉にたよらねばならない自分がみじめに思われた。
佐倉の顔に淫虐《いんぎゃく》な微笑が浮んだ。獲物を前にした動物の表情に似ていた。青い顔の中に、厚い、黒い唇《くちびる》が濡《ぬ》れて光っていた。
佐倉は手をあげてボーイを呼んで、紙片にサインをしてから、ゆっくり、園子の脇《わき》に立って助け起すと、
「さあ、ぼくにもたれかかってゆっくり歩くんです」
とささやいた。園子は、宙を歩くようだった。心臓の鼓動が頭に向って衝《つ》き上げていた。やがて心臓は、頭のところまで、浮きあがって、はげしく鳴った。
「一階まではどうしても歩かねばいけないんです。一階からはエレベーターがある」
「エレベーターがどこに……」
それには佐倉は答えなかった。エレベーターで四階へ登ると、そこに、佐倉は、彼の部屋を取っておいたのである。佐倉は右腕で彼女を抱きかかえながら、左手で、ポケットの鍵《かぎ》に触れた。
「静かにゆっくりと……やがて気分はよくなっていく」
佐倉は園子を助けながら、一段一段ゆっくりと階段を登っていた。
途中踊り場のところで彼女は、再びステンドグラスの山を見た。
「ここに山が……」
それはもう、彼女の心の中の声だった。ここに加藤がいてくれたらと願う心であった。彼女はせまりつつある身の危険を本能的に察知していた。逃げだしたいと思うけれど、知覚は正常なものではなくなっていた。雲の中を歩くような気持で、彼女は、大きなミスを認めかけていた。加藤こそ、彼女が選ぶべき男性であったのではなかろうか。あの無口な加藤は、彼女に、それらしい素振りはひとことも見せたことがなかった。だが、加藤の中に彼女が存在していることは疑いないことのように思われた。
(加藤さんはいったいどこに)
園子は眼をあいていたが、見てはいなかった。眼の前にエレベーターが止り、白い服が動いたのを見たが、そのときはもう、彼女は半ば、眠りかけていた。佐倉が左手で、ドアーの鍵をあけ、そして園子を部屋に入れたとき、園子は佐倉が彼女になにをしようとしているかを、未《いま》だに残っている知覚の隅《すみ》の方で感じた。彼女は佐倉をおしのけて逃げようとした。だが、それは、彼女の気持であって、行動としては、佐倉に倒れかかっていくようなかたちとなってしか現われなかった。彼女は完全に足を取られていた。
佐倉は、彼女を横抱きにして、ベッドの上におくと、スタンドにスイッチを入れてすぐ引返して、ドアーに鍵をかけた。
部屋は暖房が効いて暖かかった。雪のように白いダブルベッドの毛布の上に横たわった園子は、眼をつぶっていた。
佐倉秀作は洋服ダンスを開けると悠々《ゆうゆう》と洋服を脱いだ。脱ぎながら、ベッドの上に横たわっている獲《え》物《もの》に、貪婪《どんらん》な眼を投げていた。
用意ができても、佐倉はことを急激にいそごうとはしなかった。取った鼠《ねずみ》をネコがもて遊ぶように、彼は、時間をかけて、ゆっくりと、彼女を剥《は》いでいった。時々彼は唇のあたりから会心の声をあげた。そして彼は、いよいよ、彼の最終目的を遂行する段取りにかかったとき、
「ばかな女だ」
とひとこといった。
眠りの底にあった彼女は、その声をはっきり聞いた。それは死刑の宣告にも似ていた。彼女はあらゆる力をふりしぼって抵抗した。
佐倉はそれも予定行動にしていたようだった。佐倉は彼女の抵抗をできるだけ長くつづけさせるために、わざと彼女に反撃の機会を与えたりした。だがしかし、酒を飲まされている彼女の抵抗はそう長くはつづかなかった。彼女が必死にもがいたとき、彼女の爪《つめ》が、佐倉の頬《ほお》に一筋の条痕《じょうこん》を残すと、佐倉は、動物が咆《ほ》えるような声を上げて、彼女に襲いかかっていった。
同じ夜、加藤文太郎は、ガス灯のあるホテルのすぐ隣の海の見える館《やかた》の一階の会議室で、登山家たちを前にして、しゃべっていた。壁に剣岳一帯の地図が貼《は》ってあった。その会議室の入口に、加藤文太郎氏講演会後援KRC・神戸登山会・神港山岳会と書いた案内立札があった。
会議室はせいぜい五十人ぐらいがせいいっぱいのところだったが、そこに七十人ばかりの男たちが集まって加藤の話を熱心に聞いていた。
「私は冬山を始めて、まだ二年にしかなりませんので、冬山のことはほんとうにはよく知らないのです」
加藤は話の途中でときどきそれをいった。まだ二年しかならないといっても、去年の一月の八ヶ岳の単独行以来、会社の休暇はすべて冬山へ投げだしており、すでに八ヶ岳、伊吹山、妙見山、常念岳、槍ヶ岳などに登頂していた。立山は今年で二回目であった。
加藤は、八ヶ岳以来の冬山山行を朴訥《ぼくとつ》な話しぶりだが、正確なデータのもとに話していった。最後に、剣岳をめざしていったけれど、引きかえさねばならなかったのは、風が強いからだったと話した。土田たちと行動を共にしたことは話したけれど、土田たちとの感情問題についてはひとことも口にしなかった。話せば誤解を招くからだった。加藤の話が終りに近づいたころ、KRCの会長藤沢久造のところに電話があった。
「加藤君の話はこれで終ります。質問があればどうぞ」
司会役の志田虎《とら》之《の》助《すけ》が、そういったとき、藤沢久造がいそぎ足で会議室へ入って来て、大きな声でいった。
「剣沢小屋が雪崩《なだれ》にやられた。土田君たち六人が行方不明になった」
加藤は、身体中がふるえる気持でそれを聞いていた。あの白い幻想は事実となって現われたのだ。
10
坂を登りきって道を左に取ると、すぐ路地の奥に下宿の二階が見える。
加藤はそこに立止った。あかりが二つついているのは、隣室の金川義助の部屋と彼の部屋の両方に人がいることになる。金川義助の部屋のあかりはいいとして、なぜ加藤の部屋に電灯がついているのだろうか。
いやな予感がした。
玄関を開けると、すぐそこの茶の間に眼つきのよくない男が多幡てつと話していた。
「加藤文太郎か」
男がそういったとき、すぐ加藤は、刑事だなと思った。
「加藤文太郎かと聞いているのだ」
男は加藤の方に向きをかえて、前よりも、大きな声でいった。
「あなたはどなたです」
「なんだって、この野郎」
男は、まるで、ごろつきが、喧《けん》嘩《か》を売る理由もないのに喧嘩を売りつけようとするかのように、肩をふりながら加藤に近づこうとしたとき、二階から別の男がおりて来て、
「加藤さんですね、警察のものですが」
といった。その男の方は言葉は丁寧だったが、目つきは、茶の間に坐《すわ》っている男よりも悪かった。ふたりは眼で示し合せてから、加藤に二階へあがるようにいった。
茶の間の隣室で、多幡新吉の咳《せき》と赤ん坊の声とそれをあやす金川義助の妻しまの声が聞えた。
「かくさずになんでもいって貰《もら》いましょう。そうでないと、警察へ行って貰わなければならなくなる。場合によっては、しばらくここへは帰れない」
背の高い方の刑事がいった。
「おい加藤、貴様は金川義助にいままで、運動資金としてどれほどやった」
別の刑事がいった。
「運動資金なんかやったおぼえはない」
加藤文太郎は憮《ぶ》然《ぜん》としていった。
「だが、きさまが金川義助に金を貸してやったことは事実だ。それは、もうちゃんと調べがついているのだ。金川義助の女もそれを認めている」
「金川にお産の費用を貸してやったことはある」
加藤はぽつりとひとこといった。
「そのほかに毎月いくらと決めて金川に金をやっていたろう」
加藤は首をふった。
「意地をはるなら、こっちは証拠を出すぞ」
刑事はそういって、ポケットからノートを出して、加藤の貯金通帳の写しを見せた。
「金川義助がここへ来るようになってから、急に貯金が減り出したのは、いったいどういうわけなんだ」
「貯金の使途をいちいち説明するんですか」
加藤は突っかかるようにいった。
「ブタ箱がいやだったら、正直になにもかも吐き出すんだな」
刑事は気負いこんでそういったが、加藤が、村野孝吉の結婚のために貸し出した金額や、加藤自身背広を買うために引き出した金額などを正確にいうと、拍子《ひょうし》抜けしたような顔で、
「しかし、いい若い者が、なんだって、がつがつ金を貯《た》めこむのだ。こんなことをするから、主義者のシンパなんていわれるのだぞ」
彼《かれ》等《ら》は、そこへ来た目的とは違ったことをいった。
加藤の部屋はかなり荒されていた。山の本や、山日記のページの一枚一枚がめくられた形跡があった。
聞くことがなくなると刑事は、加藤が手に持っている本を見せろといった。
ドイツ語で書かれたディーゼルエンジンの本だった。刑事のひとりは、本の裏をひっくりかえして、そこに書いてある海軍技師立木勲平という署名に眼を光らせていった。
「貴様、この本どこから盗んで来たのだ」
「立木技師から借りて来たのです」
「なに借りて来た。貴様、嘘《うそ》をいっているな。だいたい、貴様にこの英語の本が読める筈《はず》がないじゃあないか」
「それは英語の本ではないドイツ語の本です。それからこの本のことは、うちの外山課長に電話で聞いて見て下さい。課長のいる前で、立木技師がこれを読めといって貸してくれたんです」
刑事たちはふたりで顔を見合せた。
「明日も立木技師は会社に来ます。この本について、なにか不審な点があるならば、会社へ電話をかけて立木技師に直接聞いて下さい」
「余計なことはいわないでもいい」
刑事は加藤の顔を睨《にら》みつけると、
「今後のこともある。主義者なんかと、つき合うんじゃあないぞ。それから、やたらに金を貸してやってもいけない。そうすると、貴様はシンパだということになる。まあ、今度のところは勘弁して置いてやる」
刑事たちは捨てぜりふを残して階段をおりていった。
海軍技師立木勲平の名前が出ると、刑事の態度が急にかわったのが、加藤にはおかしく感じられた。
階下におりると、多幡てつが青い顔をして立っていた。
「どうでした加藤さん」
多幡てつは声をひそめていった。
「どうもこうもないさ。いったい、なんでおれの部屋をあいつらがかき廻《まわ》したかも分らないんだ」
加藤は口をとがらせていった。
「金川さんが手入れの前に逃げたんです。うまく逃げたんですよ加藤さん」
多幡てつは、金川義助の逃亡に讃《さん》辞《じ》を送るような眼をしていた。
「どこへ逃げたんだ」
「それは、私たちにも、奥さんにも知らされていないんです。これからは奥さんがたいへんですわ」
多幡てつは奥の部屋へ眼をやっていった。赤ん坊をかかえて、金川義助の妻のしまが、どうやって生活を支えていくかをいっているようだった。多幡てつの孫娘の美恵子が赤ん坊をあやす声が聞えた。
(主義者は雑草のように強く生きていかねばならないんだ)
金川義助がいったことを、加藤はふと思い出していた。
翌朝、加藤は外山三郎に昨夜のことを報告した。
「そうか金川義助は逃げたのか」
外山三郎は一瞬、きびしい眼を窓の外へやったが、すぐ重荷をおろしたように、ほっとした顔で、
「実は金川義助のことで、きのう会社へ、刑事が来た。金川義助が、うちの会社の労働組合と連絡を取っているらしいという情報のもとにやって来たのだ」
「うちの会社の労働組合となにかあったんですか」
「いや、いまのところははっきりしたものは、つかめないが、連絡があることだけは事実らしい」
外山三郎はそれ以上金川義助のことはいわずに、突然話題をかえるように、加藤君と小さい声でいった。
「園子さんがきのう急に故郷へ帰った。きみによろしくいってくれということだった」
「突然ですね。なにかあったんですか、それにしても……」
ひとことぐらい帰るといってくれてもよさそうだと思った。加藤は山行から帰って来て、まだ一度も園子に会ってなかったことを悔いた。ひょっとすると、佐倉秀作との縁談がすすんで、その準備のために故郷へ帰ったのかも知れない。
「いよいよ佐倉さんと……」
結婚するのですかとはいえなかった。
「いや、それとは違うんだ。要するにあれは帰った。もう神戸へ来ることは当分あるまい」
「手紙を出したいのですが」
「住所か、君に知らせてやってもいいが、いまはその時機ではないような気がする」
外山三郎は眼を加藤から離して、机上の図面におとした。
加藤の頭には、その日一日中園子のことがひっかかっていた。彼女の身になにかがあったのだ。そのなにかが彼にはいくら考えても分らなかった。彼は、チャンスを作っては外山三郎のところへ何回かいった。昼休みの時間も、なんとなく外山三郎の近くに立っていて、外山からの話しかけを待っていた。園子が急に故郷へ帰ったというだけでは納得いかなかった。もう少しくわしい事情を聞きたいのだが、加藤には聞けなかった。
加藤はめずらしくポケットに手を突込んで神戸の町を歩いていた。ナッパ服のズボンのポケットに手を突込んで、なにか考えこみながら、のそのそ歩いている彼の姿が、大通りのショウウインドウのガラスに写っているのを見るまで彼は、彼自身の姿がそんなにみじめなものだとは気がついていなかった。加藤は、はじかれたようにショウウインドウのガラスからはなれると、ズボンのポケットから手を出して、胸を張り、手をふりながら坂道を登っていった。
玄関を開けると、茶の間に彼の下宿のものが全部集まっていた。
「とうとうやったわ、うちの人が指導したのよ」
金川義助の妻のしまが夕刊をゆびさしていった。
(東亜精機工業ストライキに突入)
三面のトップにでかでかと報ぜられていた。その記事をかこんで、多幡てつも、多幡新吉の孫娘の美恵子も、金川義助の妻のしまも酔ったような顔をしていた。加藤は新聞を二度読みかえした。東亜精機工業は佐倉がいる会社だった。金川義助の名も佐倉秀作の名もなかったが、ふたりが、別々のところで、この夕刊を手にしてどんな気持でいるかがよく分った。加藤はストライキの記事を読み終って、眼を紙面から離そうとした。そこに、彼にとっては東亜精機工業のストライキ以上に重大な記事を発見した。雪崩にやられた剣沢小屋あとから遺体が見つかったという記事であった。
雪崩のために生き埋めになった六人のうちのひとりは、発見されたとき、身体《からだ》にぬくもりを持っていたというところを読んで加藤は眼頭を拭《ぬぐ》った。
あれほど、辞を低くして同行を願ったにもかかわらず、冬山へ来るなら案内者を雇え、案内者を雇う金が惜しいなら冬山へ来るなといって、加藤の同行を拒否した六人が死に、同行を拒否された彼が生きているという、対照事実はあまりに悲劇に満ちていた。
加藤は自室に帰ると、電気を消したままで部屋の中央に坐った。
剣沢で見たあの白い幻影がふたたび、彼の頭の中によみがえって来る。
(異常なまでの執拗《しつよう》さで彼等に同行を求めたことは、とりも直さず死を求めたことであり、彼等に同行を拒絶されたとき、おれは死から見はなされていたのだ)
加藤は山の摂理のなかに、言葉にも筆にも、ましてや科学で証明されることのできないなにかがひそんでいるような気がした。山の神秘などと簡単に片づけられるものではなかった。超自然的な四次元の世界があの白いあらしの世界に存在するのかも知れない。
(ひょっとすると、おれはそこへ踏みこもうとしているのではなかろうか)
加藤の心の奥にともしびがついた。遠くてよくまだ見えないけれど、そのともしびは、なぜ山へ行くかの解答へ近づくための指導灯のようにも考えられた。
(貯金を始めたのは、ヒマラヤへ行くための旅費をつくることであり、山へ行くのはヒマラヤへ行くための訓練だと考えていた。だがその目的は、至上のものであろうか。ヒマラヤ以外に、なにもないのであろうか)
加藤は自分に問うた。
(ヒマラヤは一つの具体的目的である。しかし、今やヒマラヤのためだけにすべてがお膳《ぜん》立《だ》てされているのではないことは確かである)
加藤は冬山をはじめてから、急激に山というものの奥深い魅力にとらわれていた。
次の日の日曜日に、加藤は、好山荘の志田虎之助をたずねていった。
「志田さん、あなたはなんのために山へ行くのですか」
加藤は志田の顔を見ると、いきなり聞いた。
「山へ行くと、うるさい女房《にょうぼう》の顔を見ないですむからな」
志田虎之助は大きな声で笑ってから、中学生のような質問をするなと、かなりきつい言葉で加藤を叱《しか》った。
「理屈なんかじゃあない。その答えは山へ年期を入れていると自然に山が教えてくれるものだ。だが、山という奴《やつ》は、ひどくけちんぼうでな。一度にそれを教えてはくれないのだ。おそらく一生涯《いっしょうがい》かかっても、なぜ山へ登るかということが、ほんとうに分らないで死ぬ人が多いのじゃあないかと思う」
志田虎之助は加藤の眼をじっと見ていて、
「誰《だれ》だって、迷うことがある。迷ったときが危険なんだ」
「いいえ、ぼくは迷ってなんかいません」
加藤はくびをはげしくふった。
「いや、きみは迷っている。迷っていなければ、そんなくだらない質問をする筈《はず》がない。だいたい、冬山を一年か二年やっただけで迷うなぞとは加藤、貴様生意気だぞ。ほんとうの冬山はこれからだ。二月の穂高へでも登って頭をひやして来るがいい」
「生意気でしょうか、ぼくは」
加藤は志田虎之助の店を出ると、その足で、行きつけの菓子屋へ行った。頭の白い老人が笑顔で加藤を迎えて、また山ですかといった。
「いつもの甘納豆のほかに油であげた甘納豆を少々作って見てくれませんか」
「甘納豆を油で揚げるんですね」
老人はへんな顔をした。
「やってできないことはないけれど、あまり、おいしくはないですよ。やはり、甘納豆は甘納豆、揚げものは揚げもので別に持っていった方がいいじゃあないですか」
老人が揚げものは揚げものといった一言で、加藤は、乾《ほ》し小魚を油で揚げたらどうだろうかと思った。加藤は翌日、故郷の浜坂から取りよせてあった乾し小魚を菓子屋へ持っていって、おやじにたのんだ。
「やって見ましょう。味は甘口にしましょうか、辛口にしましょうか」
「そうだな、どちらかといえば塩気の効いた方がいいな。だからといって、咽喉《のど》が乾くようではこまる。歩きながらぼりぼり食うのだからな」
加藤はポケットから乾し小魚を出して食べる格好をして見せた。
上高地を出たとき加藤は吹雪を予期していた。空は高曇りであった。やがて時間の経過とともに、雲がおりて来て、山という山は雲におおわれ、そして吹雪になるのだ。
「どうも、天気がよくねえな。一日待った方がいいずらよ」
上高地の常さんが空を見ながらいったことばも気になったし、落葉樹林が風に鳴っているのも、けっして安易に聞き捨てにはできなかった。
「加藤君、単独行もいいが、途中であらしにでも襲われたらどうするつもりなんだ」
神戸を立つ前に外山三郎がいったことが思い出される。
「おれはきみに山へ行ってはいけないなどと、いままで一度もいったことはなかった。が、このごろの君の山行を見ていると、どうも気が気ではないんだ。去年の八ヶ岳の冬山山行以来、徹底的に冬山ばっかりやっている君を放っては置けないのだ。会社を休むことをいっているのではない。二週間の休暇を冬取ろうが夏取ろうがそれは君の勝手だ。問題はやはり、君の身にもしものことがあった場合のことなのだ」
外山三郎は加藤の休暇願に判こを押すときにそういった。
「誰かといっしょに行けとおっしゃるのですか」
「できるならそのほうが安全で楽しいだろう」
外山三郎のいった楽しいだろうということばは加藤の肺《はい》腑《ふ》をえぐった。そうだ、登山にも楽しみがあるのだ。剣沢小屋で死んだ六人のパーティーはいかにも楽しそうだった。その六人の楽しみを妨害されないために、彼等は加藤を拒否したのであった。
「いいえ、ぼくにとっては、ひとりでいることが最高に楽しいのです」
加藤はそう答えていながら、他人に煩《わずら》わされず、自分のペースで自分のいきたいところへ行くのがほんとうに楽しいことだろうかと考えていた。他人と山へ入ったことはなかったから、パーティーの楽しみを知らないといえば、知らなかったが、剣沢の経験によって得られた他人との交渉は、予想以上にむずかしいものであることを彼は知っていた。
それに加藤の山における力量は既に群を抜いていた。加藤とともに山を歩ける者はそうはいなかった。そのことも彼自身はある程度知っていた。
「ひとりの山は気軽でいい」
加藤は梓川《あずさがわ》の河原に出てからそうつぶやいた。ラッセルのあとはかなり古いものだった。ラッセルのあとを飛雪がかくして、ところどころ、足跡が不明瞭《ふめいりょう》だった。
しかし加藤にとっては、この辺は熟知したところだった。たとえ吹雪になっても、歩いていける自信のあるところだった。
(二月の穂高で頭をひやして来い)
といった志田虎《とら》之《の》助《すけ》の一言が、加藤をしてこの道を歩かせているのだと考えたくはなかった。一年の二週間の休暇は早いところ冬山に使ってしまいたいという性急な気持でもなかった。一月の立山をやって、また二月早々ここへやって来たのは、やはり加藤の前につぎつぎと起った大事件と有機的な関係があるように思われた。
(園子はなぜ、さよならもいわずに神戸を去ったのか。園子が神戸を去った背景として佐倉秀作の存在を考えないわけにはいかないだろう。あの佐倉が――)
風が強くなったが、空は高曇りのままその日一日を維持しようとしていた。飛雪がしばしば彼の前進をはばんだけれど、彼は着実な足取りで、深雪の中を横尾の岩小屋に向って歩いていった。
岩小屋といっても、そこは洞窟《どうくつ》ではなく、岩の横面《よこつら》をえぐり取ったような凹《おう》部《ぶ》に過ぎないから、寒いことにおいては外も同然だった。彼はそこで、しばしば彼が野宿の練習でこころみたように、ツェルトザックをかぶり、着れるものは全部着てルックザックの中へ足を突込んで背を丸くして眠った。夜明けの寒気で眼を覚ました彼はいそいでアルコールランプに火をつけて、湯を沸かして飲んだ。朝食は、甘納豆と、油で揚げた乾し小魚だけだ。いつものように、油で揚げた餡《あん》パンを今度は持って来なかった。油で揚げた餡パンは嵩《かさ》ばかり多くて、その割に有効な携行食糧とは思われなかった。やはり彼は甘納豆と乾し小魚に主力を置いた。比較的軽くて、携行に便利で、そして食べたいと思うときはいつでもポケットにあった。山に入った場合、加藤にははっきりとした食事どきはなかった。食べたいときに食べるのが食事だった。従って彼は出発しようと思えばいつだって出発できたし、それが別に不思議なことでもなかったのである。
油で揚げた乾し小魚はうまかった。乾し小魚をぱりぱり食べて、甘納豆をほおばっていると、腹はすぐくちくなる。
第二日目の予定は涸沢《からさわ》の岩小屋までであったが、横尾本谷から、屏風岩《びょうぶいわ》の下を廻《まわ》りこんだところで、彼は強烈な吹雪の出迎えを受けた。
眼を開いてはおられなかった。横尾の岩小屋に引きかえすにしても、そこまで歩けるという自信はなかった。加藤は完全にめくらにされた。
「とうとう吹雪になりゃあがった」
加藤はそうつぶやくと、ルックザックをおろして、ダケカンバの下で寝る準備をはじめた。そこは吹きさらしの雪の上だった。風をさえぎるものはなにひとつなかった。ツェルトザック一枚をかぶっただけで寒さに耐え得られるはずはなかった。そこで、寝ることは遭難であり行き倒れを意味した。
だが、加藤はたいしてあわてることもなく、吹雪のなかで悠々《ゆうゆう》と夜の準備にかかっていた。着れるものは全部着こんで、ルックザックの中に靴《くつ》ごと足を突込み、頭からツェルトザックをすっぽりかぶって背を丸めてから、両方のポケットから、油揚げの乾し小魚と甘納豆を交互に出してぼりぼり食べた。食べるだけ食べると、彼は両手をしっかりと股《また》の間にはさんで仮睡した。宵《よい》のうちに眠れるだけ眠っておかないと、明け方の寒さで眼が覚めることを彼は知っていた。彼は眠る時間を数時間と決めた。今四時だから、五時間眠ったとして、午後の九時になる。それから夜明けまでは、眠ってはならないのだと思った。
(寒さの中で寝ると死ぬ)
という定説を彼は全面的に信じてはいなかったが、いま彼が直面しようとしているそのことに、彼はあらゆる可能性ある準備をととのえようとした。
加藤は眠った。おそるべき寒さの中に彼は確かに眠り、そして、彼は、数時間後に自分に約束したとおりに眼を覚ましていた。胸にかけた懐中電灯で腕時計を見ると、十時を過ぎていた。
身体《からだ》全体が重かったから、おそるおそる身体を動かして見ると、彼の下半身は吹雪に埋まっていた。そして、吹雪はなお、雪の上に、突出している彼を埋めようとしているようであった。上半身に比較して下半身が暖かいのは、雪に埋もれたせいであった。
加藤はルックザックの中から、補助ザイルを引き出すと、まわりの雪をはらって立上って、ザイルの端をダケカンバの高いところにしっかりと結びつけてから、その端を腰に巻いた。ザイルがあるかないかの違いだけだった。一夜で彼の身が吹雪に埋まると考えたからそんなことをしたのではなかった。眠っている間に、剣沢小屋のような悲劇が起きてはならないからそうしたのでもなかった。
彼は、風雪の中に何十年となく生きながらえて来たダケカンバの生命力を信じて、それと一夜の同盟を結んだつもりだった。
(眠ってはならない、こういうときに眠ったら死ぬのだ)
加藤は彼自身にいった。事実、眠りを誘うほどの寒さは、あらゆる方向から彼を襲って来ていた。足ゆびの先と手のゆび先から、まず感覚が失われていくような気がした。彼は感覚を失いかけた手のゆびで感覚を失いかけた足ゆびの先をもんだ。もめば感覚はもとどおりになり、そこの部分が熱く感じられて来る。背中にやって来る広い面積の寒さは、おしつぶされそうにつらかった。もし寒さに負けるとすれば、背中から来るその寒さの重圧に違いないと加藤は思った。
夜半を過ぎたころ彼は空腹をおぼえた。加藤は、ポケットに入れてある甘納豆をぼりぼり食べた。口を動かしていると身体が暖まって来るように感ずる。食べたものが、胃のなかで、すぐ、いくばくかの熱量に還元されていくようにさえ思われるのである。
(寒いけれど、この寒さは死につながる寒さではない)
明け方近くなって吹雪がおさまって来てから、加藤はそう確信した。そして加藤はしばらく彼の身を睡魔にゆだねた。
苦しい眠りであった。吹雪の音が遠のいていく中で、彼は彼の体温を失うまいということだけを考えながら眠った。
「おい誰かあそこに死んでるぞ」
加藤はそれを遠くに聞いた。夢の中のことばだった。
「よっくその辺を探すんだ。ほかにもいるかも知れないぞ。昨夜《ゆうべ》はひどい吹雪だったからな」
その声はずっと近くに聞えた。
「おい、気をつけてピッケルを使えよ。おろく(山で死んだ人間)の顔に傷をつけちゃあいけないぞ」
その声で加藤は眼を覚ました。誰かが死んだのだなと思った。近づいて来る足音が聞える。加藤は、ザイルを引張った。ダケカンバの雪がばらばらとツェルトザックの上に落ちた。加藤はツェルトをはねあげた。
「ああもう朝が来たのか」
加藤は背伸びをしていった。
数人の登山者はその加藤のまわりを取りかこんでいた。口も利《き》けないほど驚いている顔つきだった。
「あなたひとりですか」
登山者が加藤に聞いた。
「そうだひとりだ」
加藤はそう応《こた》えてから、登山者の数をかぞえた。五人だった。下山して来た様子だった。
「ひとりで、この雪の中に寝ていたんですか」
一番年の若い男が聞いた。
「ほかに寝るところがないじゃないか」
加藤が答えると、その男はいかにも感心したように同僚たちにいった。
「すげえもんだ。おれたちはテントの中で一晩中ふるえていたのに」
そして五人は、加藤のところを離れると、なにかごそごそ小声で話し合ってから、その中のリーダーらしい男がいった。
「失礼ですが、あなたはどこの方でしょうか」
「山岳会? それともぼくの名前?」
加藤はそういいながらも、手早くねぐらをたたんで出発の用意をした。
「できたらその両方を聞かせていただきたいのですが。ぼくらの山行記録にあなたに会ったことを書きたいのです」
そして、その男は彼《かれ》等《ら》の属する山岳会の名前をいった。
「ぼくは神戸の加藤文太郎です」
「単独行の加藤文太郎さんて、あなたですか」
リーダーらしき男は、ある種の畏《い》敬《けい》をこめた声でいった。
加藤の名が、見ず知らずの人に知れていることが意外であった。彼はいささか照れた。
「ぼくの関西にいる友人であなたのことをよく知っている男がいるんです。そいつからあなたの単独行の話を聞きました。あなたにここで会うとは光栄ですな」
男は隊員たちを集めて、加藤文太郎についての概略を話した。
「加藤さんは地下たびの文太郎とも呼ばれているのだ。夏山は地下たびをはいて風のように歩く。燕岳《つばくろだけ》から大天井《おてんしょう》、槍《やり》ヶ岳《たけ》、中岳、南岳、北穂高、奥穂高、前穂高、上高地、これだけのコースをたった一日でやったこともあるのだ」
「冗談いっちゃあこまる。それじゃあ、天《てん》狗《ぐ》だ。ぼくには羽根はない」
加藤は、若い人たちに脇《わき》の下を見せていった。
「これからどうするんです、加藤さん」
パーティーのひとりが加藤にいった。
「奥穂へ登ろうと思っている」
「やはり、ずっとひとりですか」
「多分ずっとひとりでしょう」
多分ずっとひとりでしょう、といってから、加藤は、なにか外部の力で、好む好まざるにかかわらず、単独行の加藤というレッテルを貼《は》られていくような気がした。
加藤は新雪の中を奥穂に向って歩き出した。日が高く登ると、風が出るだろう。眼もくらむような飛雪が、涸沢《からさわ》の盆地を襲うだろう。その中を、彼は、稜線《りょうせん》に向って登り、奥穂への難所では、ピッケルをふるって氷盤にステップをきざまねばならないだろう。
(そして今《こ》宵《よい》はどこに寝ることになるのだろうか)
おそらく野宿だろう。
だが、加藤はその野宿をおそれてはいなかった。彼は今、一つの画期的な実験を終ったばかりであった。
(体力に充分な余裕を持たせた状態で野宿に入るならば、たとえ眠っても、寒さに負けて死ぬことはあり得ない)
眠ったら死ぬというのは、疲労困憊《こんぱい》している状態のことであって、疲れてもいないし、食糧も充分あるというときならば、ツェルトザック一枚で雪の中に寝ても死ぬことはないのだ。
しかし加藤はその実験の成功に有頂天ではいなかった。もし、みぞれにやられて身体が濡《ぬ》れていたら、昨夜《ゆうべ》は安全だったであろうか。そしてもし、烈風中にあのツェルトが吹きとばされたら、吹雪が二日三日と続いたら――仮定はいくらでもあった。
加藤は雪を踏みしめながら、昨夜の実験の成功は、やはり、神戸の下宿で、ほとんど、絶え間なくこころみていた野宿が、その基本をなすものだと思った。下宿の庭の野宿でおぼえた眠り方のこつが、役に立ったのだと思った。身体をちぢこめて、じっと寒さを我慢しながら眠る。その一種のこつを体得していたからこそ、厳寒の野営に成功したのだと思った。
「単独行の加藤文太郎か」
彼は自らの名を呼んだ。別人の名を聞くように、その名はすでに、彼自身と遊離したところを歩いているように感じた。
11
その年の有給休暇のほとんどを一月、二月の冬山に費やした加藤文太郎は、三月になって、故郷に近い但馬《たじま》の妙見山(一一四二メートル)の残雪を踏んだ。
「冬山は終った」
彼は帰途の車中でひとりごとをいった。この年における加藤の登山行為の一つの区切り点が打たれたのである。冬山は終ったということは、この年はもう山へはいかないという意味ではない。加藤にとっては冬山と同様に夏山も魅力あふれるものであったが、今の加藤は、夏山よりも冬山により以上の未知なるものを求めていたから、限られた日時は重点的に冬山へふりむけたのである。
妙見山から神戸へかえるとすぐ加藤は、下宿の多幡てつに向って、
「明日の朝から一週間、めしを食べませんから――」
といった。
「おや今夜帰って来て、また明日から一週間山ですか」
多幡てつは不思議そうな顔をしていった。
「いや、ずっと会社へ通います」
多幡てつは、いよいよもって分らないという顔をした。
会社に通っていながら、食事を摂《と》らないということは理解に苦しむことであった。加藤はこの下宿にもう五年いる。よほどのことのないかぎり外食することはなかった。
「どこかよそで食事をなさることにしたのですか」
金川義助の妻しまがいった。しまは、金川義助が行方不明になってからもずっとこの家にいた。いままで、金川夫婦がいた二階の部屋を下宿人に貸して、しまは赤ん坊をつれて階下へおりたのである。それには理由があった。多幡てつの孫娘の美恵子が入院したからである。美恵子は、加藤がこの下宿に来たときから、青白い顔をしていた。学校も休みがちだった。その美恵子もこの一、二年の間に急に背が伸びて、おとなびたことをいったり、神経質なほどの潔癖性を発揮したり、金川しまの生んだ赤ん坊を異常なまでに可愛《かわい》がったりした。金川義助が行方不明になって収入の道が断たれた母子《おやこ》が、東京に住んでいる遠い親戚《しんせき》をたよって上京するというと、美恵子は泣いてそれを止めた。坊やが可哀《かわい》そうだというのである。
金川しまとその子はずるずるべったりに、多幡家に居候《いそうろう》になり、それから一カ月たたないうちに美恵子は発熱したのである。肺結核であった。
美恵子が入院すると、美恵子がいた階下の三畳間に、二階から金川しまとその子が移り、二階の部屋は貸し間に出した。貸し間に出すことをすすめたのは金川しまであった。美恵子の入院費と、金川しま親子をかかえこんだ多幡家は、こうでもしなければやっていけなかった。
「わたしも年を取ったし、しまさんが手伝ってくださるなら」
多幡てつは承知した。
加藤の隣室には会社員が入った。
「加藤さん、一週間とかぎって外食なさるのは、なにかいわくがありそうね」
金川しまは、顔では笑っているが、加藤が飯を食わないということは直接、下宿の営業成績にも関係するので、不満のようであった。
「外食はしない。そうかといって全然食べないでもない。ぼくは、これから食べないでいられる訓練を始めるんです」
「どういうことだか私には分りませんわ」
「山を歩いていて食糧がなくなった場合のことを考えているんです。ほんの少しの食糧で、幾日も歩く練習をするのです」
金川しまは、かなり驚いた顔をして加藤を見詰めていたが、すぐ或《あ》る種の軽蔑《けいべつ》の眼で、
「なんとでもいうことはできますわ。でも、食べるものが眼の前にあって実際そんなことができるものでしょうか」
金川しまの声にはとげがあった。
「加藤さんはお腹《なか》がすいた経験がないから、そんなことおっしゃるのですわ。わたしたち夫婦は、お金がなくて、水ばかり飲んでいたことがあります。私は、盗んでも食べたいと思いました」
「盗みましたか」
「いいえ、盗めませんでした。死のうとしました」
「すると、死ぬ決心なら、絶食はできるということでしょうか」
しまはそれには答えず、ことばにならない、怒りをこめた眼で加藤を見ると勝手の方へ引込んでいった。
加藤文太郎は、雪の中のビバークで自信を得た。疲労しないうちに、腹一ぱい食べて、風をよけるなにものかをひっかぶって、丸くなって寝るならば、寒気に耐え得るものであるという実験に成功したのである。問題はその食べるものである。山のなかで悪天候に遭遇して、停滞が長びき食糧がなくなったときでも、寒気に耐えながらビバークをつづけ、或《ある》いは、山の中の彷徨《ほうこう》をつづけねばならないことがあるかも知れない。そのときのための用意はなにひとつとしてできていないことに気がついたのである。雪中ビバークに成功したのは、日《ひ》頃《ごろ》、屋外で寝る練習を積み重ねていたからである。その経験からすると、空腹に耐え得る練習も必要と思われた。彼は二月の山から帰る途中で、しきりにそのことを考えつづけていたのである。
次の朝、加藤は石の入ったルックザックを背負って神港造船所に向った。ここしばらく、石の入ったルックザックを背負わなかったのは、背広の服で通勤していたからだった。背広服を脱いで、ずっと前から着なれているナッパ服を身につけると、加藤は、やっと自分を取りもどしたような気になる。加藤が背広服を着て通勤するようになった遠因として園子の存在は否《いな》めない事実である。出勤の途中でもし園子に逢《あ》ったらという気持が、加藤に背広を着せたのだといってもそれは全くの嘘《うそ》ではなかった。
園子はもういなかった。園子に出会う心配はなかった。加藤は、窮屈な背広服にはいい加減飽きていた。
朝食を摂《と》っていない加藤にとって、石の入ったルックザックはやや重く感じられた。神港造船所の守衛が加藤を呼びとめていった。
「加藤さん、また石運びを始めましたね」
加藤がルックザックに石を入れて背負って歩くのを守衛はよく知っていた。その守衛に加藤はちょっと笑顔を見せただけで通り過ぎると、設計部第二課へゆっくり入っていった。加藤は、いつもきめられた出勤時刻より三十分早く出勤するので、彼の部屋には、庶務係員の田口みやのほかはいなかった。
加藤は、石の入ったルックザックを部屋の隅《すみ》におろすと、製図台に向って、昼食休みまで動かなかった。いつも加藤は、昼食は会社の食堂で摂ることになっていたが、その日は、食堂へは出ずに、彼の机の前で、ディーゼルエンジンの本を読んでいた。課では、食堂へ行かずに、弁当を持って来る人もいるから、昼食どきになると、田口みやが、そういう人たちのために茶を入れる。加藤は、彼の机の上に茶の入った湯呑《ゆの》みが置かれると、ポケットから紙に包んだ、ひとつかみほどの甘納豆と乾《ほ》し小魚を出して食べた。甘納豆は三十つぶほどあった。加藤のその日の最初の食事であり、最後の食事でもあった。
加藤は退社時刻になると、石の入ったルックザックを背負って下宿へ帰り、夜の十時ごろまでは、ことりとも音を立てずに二階にいたが、時計が十時を指すと山支度に着がえして階段をおり庭へ出て、ツェルトザックを頭からかぶり、ルックザックに足を突込んで、背を丸めて眼をつぶった。空腹でしばらくは眠れなかった。
飢えは三日目になって、臭覚の矢を使って加藤を責め立てた。石の入ったルックザックを背負って神戸の町を歩いていると、あらゆる種類の食物のにおいが彼を責めた。パンのにおい、肉のにおい、ラードのにおい、魚のにおい、調味料のにおい、住宅地に入ると、臭覚の矢は、彼の鼻《び》腔《こう》を通り、頭に突きささった。味噌《みそ》汁《しる》のにおい、肴《さかな》を焼くにおいなどを嗅《か》ぐと眼がくらむようだった。下宿はもっといけなかった。下宿の玄関を入ると、夕食のおかずとしてなにが用意されているかがにおいで分った。そしてそのにおいは、二階の彼の部屋にまでしみこんでいるのである。食べるものが、つぎから次と頭に浮んで来て、そこにじっとしてはおられなかった。庭に逃げても、においは彼を追って来た。近所のにおいが集まって来るから部屋の中よりも庭の方がかえってよくなかった。彼は、ルックザックの中から石を出して、そのかわりに、ビバーク用の道具と水筒を入れて、裏山へ逃げた。
食べる物のにおいはそこまでは彼を追っては来なかった。だが眼下にきらめく神戸の町の灯《ひ》は、その灯の下に、必ずなにか食べるものがあり、それは、いますぐおりていっても、容易に手に入れることのできるものであることを思うと、腹がぐうぐう鳴った。彼は、懐中電灯をたよりに、灯の見えない場所を探していった。稜線から神戸の町の反対側におりて、雑木林の中に、やっと灯の見えない場所を見つけると、彼はそこでツェルトザックをかぶって丸くなった。
四日目になると、空腹の影響は彼の思考力にまで及んだ。考えがまとまらないし、少し仕事をすると疲労した。午後になると居眠りが出た。
「加藤君、どこか身体《からだ》が悪いんじゃあないか」
外山三郎が声をかけてくれた。そのまえに、田口みやが加藤の身体の異常を発見したらしく、医務室にいって診《み》て貰《もら》ったらどうかといった。誰《だれ》も、加藤が極端な減食をしていることは知らなかった。
五日目になると、息が切れた。足が彼に従《つ》いて廻《まわ》ってくれなかった。においだけでなく眼に見えるものすべてから、食べものが連想された。雲がパンケーキに見え、製図用具が、箸《はし》やフォークを連想させ、ケシゴムが食べられそうに見えた。
「たしかに君はおかしい。医務室へ行って診て貰って来るんだな」
外山三郎がいった。加藤が嫌《いや》だというならば、引張ってでもいきそうな見幕だった。
「医務室へ行って来ます」
加藤は立上った。軽い眩暈《めまい》がした。加藤は医務室へはいかずに、食堂にいった。既に昼食時間は過ぎて、食堂は閉じられていた。加藤は従業員の出入り口から入った。
「なにしに来たんだ」
白い上っぱりを着た、肥満した調理人がいった。
「なんでもいいから、食べさせてくれ」
加藤がいった。
「昼食時間はもう過ぎているんだ。こんなところへ入って来ては困る」
「おれは今日で五日も絶食しているんだ。いまやっと食べてもいいことになったのだ」
「なに五日も絶食したんだって……それはつらかったろう……」
賄夫《まかないふ》は加藤の顔をじっと見ていった。加藤は黙って、一円札を出して、おつりは要らないといった。十五銭の昼食代に対して一円は過大だった。賄夫は、あたりを見廻した。ほかに数人の賄夫がいたが、誰もこっちを見てはいなかった。賄夫は一円札をポケットにねじこむと、
「待っていろ、今持って来てやる」
加藤は食堂の隅でがつがつ食べた。なにを食べたか覚えてはいなかった。腹にものがたまると、すべての色が違っていく。
「どうした。医務室ではなんといった」
「なんともいいませんでした」
加藤は外山三郎の眼を避けるようにして、仕事を始めた。
退社時刻が来て、加藤がルックザックに手を掛けたとき、外山三郎がちょっと来てくれと呼んだ。外山三郎が仕事のことで注意を与えるときは、いつも製図板のところでやるのだが、めずらしく外山は、加藤を彼の事務机の方へ呼んだ。
「君は医務室へはいかなかったな。どこへ行っていたんだ」
「食堂です」
加藤はゆっくりしゃべり出した。外山は予想もしていなかった加藤の減食訓練を聞くと、ひどくむずかしい顔をしていった。
「少々、行き過ぎじゃあないかな加藤君。きみは、山をやるために会社にいるのか、会社に勤めながら、趣味として山へ行くのかどっちなんだ。いいかね、加藤君、ぼくは君の所属課長としてはっきり君にいっておく。今後、君がいくら山をやろうとそれには干渉しないが、山をやるために、会社に迷惑をかけるようなことがあれば、君に会社を辞めて貰わねばならない。いいかね。公私の分別だけははっきりして置いてくれたまえ。君は、君の同期生の中でもっとも将来を嘱望されている。技師への昇格も考えねばならない。あんまり山に身を入れすぎて、ばかな真似《まね》をしたら、それが、君自身の足をひっぱることになる。この課には三人の技師と、十八人の技手と、十六人の工手がいる。十八人の中から技師がひとり出るということは、たいへんなことなのだ、実力、功績そして人格。そのどれがかけても、技師昇進の道は閉ざされるのだ」
外山三郎はそれだけいうと、立上って加藤の肩を叩《たた》いていった。
「あんまり、おれに世話をやかせるな」
加藤の下宿の部屋の壁に兵庫県地図が貼《は》りつけてある。その兵庫県の地図に斜め左上から右下にかけて、太い鉛筆で袈裟掛《けさが》けに一本直線が引かれている。浜坂と神戸を結んだ直線である。その直線にからまるように赤い線が神戸から、生《いく》野《の》町あたりまで延びていた。
加藤は時折その地図に向い合って、五分か、十分の時間をすごすことがある。赤線は神戸の町から、有馬道を北に向ってしばらくいったところから東の鍋蓋山《なべぶたやま》へそれて、またもとの道へかえり、水呑《みずのみ》、二軒茶屋、箕谷《みのたに》まで来て、そこから西に向きをかえ、原野、福地、中村、東下まで来て、北に向って帝釈山《たいしゃくさん》(五八六メートル)のいただきを越えて、帝釈山の北西側の淡河《おうご》町へ出ている。そのようにして赤線は、神戸と浜坂を結ぶ直線にからまるようにして、その付近の山頂を縫いながら北西へ進んでいった。
冬山山行にほとんどの休暇を取ってしまった加藤が、次の冬山のシーズンに入るまでの山行として考えついた、足で、神戸と故郷の浜坂を結ぼうという計画であった。それも、人の通る道だけを歩くのではなく、神戸と浜坂を結ぶ直線の近くにある山に登りながら浜坂へいこうという考えであった。彼は、土曜日になると山支度をして、汽車やバスを利用して、その前の週に到達したところまで行き、そこから、歩き出すのである。歩けるだけ歩いて、日曜日おそく神戸へ帰って来ることもあるし、月曜日の朝、神戸へついてそのまま会社へ出勤することもあった。
これは、十年近くも前に新納友明に教えて貰った地図遊びの再燃のようなものであった。そのころの地図遊びは、やたらに歩き廻って五万分の一を赤く染めていくのが楽しみだったが、いま加藤のやっている地図遊びは、山から山をたどりながら故郷の土を踏もうというはっきりした目標があった。それにもうひとつ、このこころみの中に、加藤が組みこんだのは、減食山行であった。木曜日までは食べられるだけ食べた。そして、金曜日に入ると、昼食にひとにぎりの甘納豆と乾し小魚を食べるだけで、土曜日、日曜日の山行に出かけるのである。土曜日、日曜日の山行中にも減食は続いた。
加藤は、六月、七月の梅雨期の雨の中でも、彼の故郷訪問の計画は中止しようとはしなかった。土曜日の夜はたいてい野宿した。彼にとって野宿はなんの心配もいらないことだったが、水にはしばしば悩まされた。食糧はなくなっても歩けたが、水がなくなると死ぬほど苦しい目に合わされることがあった。彼は水を食糧以上に大事にした。
夏は過ぎた。地図上の赤い線は、多可郡の笠形山《かさがたやま》(九三九メートル)、朝《あさ》来《ご》郡の段峰(一一〇三メートル)、笠杉《かさすぎ》山(一〇三二メートル)、養父《やぶ》郡の須《す》留峰《るがみね》(一〇五三メートル)等をへて、十月には彼の故郷浜坂のある美《み》方《かた》郡へ延びていったのである。
美方郡には妙見山(一一四二メートル)蘇《そ》武《ふ》岳《だけ》(一〇七五メートル)があるが、この二つは既に何回か登っていた。加藤は鉢伏《はちぶせ》山(一二二一メートル)瀞川山《とろかわやま》(一〇三九メートル)の二つを狙《ねら》った。
十一月の第一週目の金曜日が会社の創立記念日であった。加藤はつぎの土曜日を休暇にして貰うと、連続三日間の故郷訪問の山行に出発したのである。
加藤は木曜日の夜神戸を立った。大阪で福知山線に乗りかえ、福知山行きの最終列車に乗った。行けるところまで行って寝るのがいつもの彼のやり方だった。彼は福知山で下車して、駅の待合室で翌朝の一番列車を待った。下宿の庭や神戸の裏山で寝るより、駅の待合室の方がはるかに楽だった。
金曜日の朝早く八《よう》鹿《か》町についた加藤は、関宮に向って歩き出した。道は八木川に沿って上流へ続いていた。
八木川の流域に沿って帯状につづく、せまい畑地と、そこに連なる部落は、晩秋の朝靄《あさもや》に包まれていた。日が高く昇ったころには、彼は関宮につき、小憩した後、吉井、中瀬、小《お》路《じ》頃《ころ》と八木川の源流へさかのぼっていった。小路頃で北へ行く道と西へ行く道に分れている。北へ進めば浜坂へ行けるのだが、そっちへは行かず、西に道をとって、川原場、外野、梨原《なしはら》と、山と山の峡間《きょうかん》にできた小部落をつなぐ道を登っていった。この辺まで来ると、かなり傾斜は急であり、渓流《けいりゅう》の音だけが聞える静かな村だった。
加藤が歩いていくと、ものめずらしそうに、村の子供が見送っているのも、いかにも山の中へ来たという感じだった。その谷の一番奥に大久保という小村があった。
加藤はそこで地図を開いた。鉢伏山はそこの北方二キロ半のところにあったが、地図には頂上に向う道がなかった。彼は大久保で一泊することにした。人の眼がうるさいから、部落のはずれに出て、川のそばで野宿にかかった。コッフェルで湯をわかして、その中に茶の葉を入れた。茶を飲みながら暮れていく紅葉の山を眺《なが》めながら、彼はその日の行程を思い返した。彼が歩いた約三十数キロの道は、彼の一日行程としては、そうきついものではなかったが、減食は身体にこたえた。食糧の甘納豆と乾し小魚は、彼のルックザックの中に売るほどあった。腹一ぱい食べても、一週間は充分持つだけの量は用意していた。それにもかかわらず、彼は減食で自分自身を責めた。食べるものがあるのに、それに手をつけないというしつけを自分の身体にたたきこむためだった。彼は、減食山行を始めたころから、雄大な山行を漠然《ばくぜん》と考えていた。どこからどこまでという具体的な計画ではなく、そのうち誰もやったことのないような、スケールの大きな山行を、やって見たいという野心が燃えはじめていた。そのための訓練だと思えば、腹の減ることも、歩くつらさも我慢できた。
(だがいったい、おれはどんな山行をやろうとしているのだろうか)
彼は渓流の音を聞きながら眠りにつくまでそんなことを考えた。
翌朝、眼を覚ますと、彼は少量の甘納豆と乾し小魚を食べ、渓流の水を水筒に入れて出発した。大久保から鉢伏山へ直登する道はなかったが、大久保から隣村の秋岡に出る山道があった。その途中から鉢伏山に登れそうだった。地図の上からの判断だった。加藤は朝霧の霽《は》れるのを待って出発した。山道から北の草地に踏みこみ、たいした苦労もなく鉢伏山の三角点に立った。次の目的地は瀞川山だったが、一時はれた霧がまた張り出して視界を閉ざして動かないところを見ると、どうやら雨になりそうだった。
「雨だっておれは歩くんだ」
彼は鉢伏山から北東に延びている、やや幅ひろい濶葉樹林《かつようじゅりん》の尾根をおりていった。草刈場らしいところに出ると、そこから大笹《おおざさ》部落へおりる道があった。
大笹部落でその北にある瀞川山への登山路を聞いたがなかった。加藤は雨の中を、高坂部落まで迂《う》回《かい》していった。ここもはっきりした登山路はなかったが、途中まで木を切り出した杣道《そまみち》があった。
加藤が瀞川山の頂上についたときは、正午を過ぎていた。彼はそこで、昼食がわりにひとつかみの甘納豆と乾し小魚を食べた。減食山行といっても、一日一回では無理なことを彼は体験していたから、山行中は少しずつ三度に分けて食べた。
雨は瀞川山の山頂で本降りになった。その中を彼は、地図をたよりに更に北に向った。草尾根を二キロほど北に歩いたところで左側の谷へおりると、そこに小祠《しょうし》があり、そこから板仕野部落へ出る山道があるはずだった。だが、雨の中でのその行動は無茶だった。彼は尾根をひとつ間違え、深い谷間に入った。迷ったと気がついたら、彼は動かなかった。加藤はビバークを決心した。倒れたまま半ば朽ちかけている大木の陰に、ツェルトザックを張って、その中で眠った。夜半、彼は鳥の声を聞いて眼を覚ました。その鳥がなんの鳥だか、またなんで夜半に鳴いたのか加藤には分らなかった。鳥は二声、三声、叫ぶように鳴いただけだった。
それから加藤は眠れなかった。一年がかりでくわだてた故郷訪問が、いよいよその終局を迎えようとしているという興奮もあった。久しぶりで父や兄に逢《あ》える喜びもあった。故郷のことを考えると、思い出はつきない。彼は少年のころ、浜を飛びまわり、海で泳ぎ山で遊んだことを思い出した。少年のころ、この奥に瀞川山と鉢伏山という高い山があると聞かされ、一度でいいから登って見たいと思ったことがあった。その高い山は加藤にとってはあっけないほど低い山だったことも、遠い昔の思い出とつながってなつかしく考えられた。
眠ろうとしても眠れなかった。風雨が強くなったからでもあった。彼は、しいて眠ろうとはせず、頭に浮んで来るものを、だまって眺める気持で夜明けを待っていた。
夜が明けても風雨はおさまらなかった。加藤は、ねぐらから出ると、彼が歩いて来たとおりの道を瀞川山の頂上まで引返し、高坂部落に下山した。そして彼は湯舟川にそって香《か》住《すみ》へ通ずる道を真《まっ》直《す》ぐ北に進んで入江まで出ると、道を左に取って、春来川にそって温泉町へ出、そこから岸田川にそった道を浜坂の町へ向って、まっしぐらに歩いていった。
一分でも早く故郷へ行きつきたいという気持で加藤は歩きつづけた。その日彼が歩いた道のりは四十キロ近くもあった。だが加藤にとってはそのぐらいの距離はなんでもなかった。彼は午後の三時頃《ころ》には浜坂の町を歩いていた。
加藤が伯母に会ったのは、彼の生家に近いところだった。雨が止《や》んで日が当っていたが、あちこちに水たまりが光っていた。伯母は少女をつれていた。どこかで見たことのある少女だと思ったが、名を思い出せなかった。
「なんていう格好なの」
伯母は加藤のものものしい山支度に眼を向けていった。雨は上ったが、彼の服は濡《ぬ》れていた。地下足袋は泥《どろ》にまみれ、巻脚絆《まきぎゃはん》には草の実がついていた。
「山賊みたいじゃないか、どこへ行って来たの」
しかし伯母は、久しぶりで会った加藤に、にこやかに笑いかけていた。
「神戸から山を越えて歩いて来たのです」
「なんだって」
さすがの伯母もそれには驚いたようだった。
「文太郎はほんとう山が好きだからね」
伯母はその感慨をひとりだけでしまって置くのがもったいないのか、並んで立っている少女にいった。少女の眼は澄んで大きかった。黒曜石のように輝くその眼は、瞬《まばた》きもせずに加藤の顔を見詰めていた。
「花子さん、甥《おい》の文太郎です。山が好きで、山ばかり歩いている」
伯母は少女にそういったが、少女は、軽くうなずいただけで、加藤からは眼を放さなかった。少女の視線と加藤の視線がなにかを探り合うようにからまった。少女は加藤の中に、なにかをたしかめようとしている眼であった。加藤もその少女をどこかで見た記憶があった。どこかで見たことがあるだけでなく、その少女の眼の輝きは、加藤の奥深いところでじっと彼を見まもりつづけていたようにも思われるのである。だが加藤にはその少女が誰であるかは思い出せなかった。
少女はメリンスの袷《あわせ》を着ていた。紫地に大きな白い花と赤い花の飛んだ元禄《げんろく》そでの肩上げの着物は、少女によく似合っていた。黄色い三尺帯を胸高にしめていた。黒髪のおさげが背中にとどくほど長かった。白い丸い頬《ほお》をしたその美しい少女が、ちょっと伯母の方を見た。なにかいいたいような気配だったが、伯母はそれには気づかなかった。
「あとでゆくからね」
伯母は加藤にそういうと、少女をつれて去った。加藤はそこにしばらく立って、伯母たちのいったあとを見送っていた。伯母などはどうでもよかった。伯母と並んでいく、少女のことが気になったから見送ったのである。
少女の背は、伯母に、もう少しでとどきそうなくらいだった。少女は、伯母よりは一歩ほどおくれて歩いていた。少女は更に一歩おくれて、そして、加藤の期待どおり、ふりかえってくれた。
「あっそうだ」
加藤は思わず声を上げた。数年前に宇都野《うづの》神社の石の階段で、腰の手拭《てぬぐい》を引きさいて、下駄《げた》の緒をすげかえてやったあの時の少女だ。あの澄んだ綺《き》麗《れい》な眼は、あの少女以外にはない。身体は大きくなっているけれど、あの眼だけはあのときのままなんだ。石段の途中で、加藤をふりかえって、なにか小声でいったあのときの少女に違いないと思った。
加藤は、いままで少女の姿をうつしていた水溜《みずたま》りのそばに立って、昨夜《ゆうべ》夜半に眼を覚ましてから、狂ったように故郷を恋うたのは、あの少女が、この町のどこかに住んでいるという彼の心の片隅《かたすみ》の記憶が、彼を郷愁にかり立てていたのかも知れないと思った。
彼の生家は、彼がこの家を出たときと同じだった。道路に面した、格《こう》子《し》戸《ど》も、格子戸の奥の障子の立てつけも同じだったが、彼の父はしばらく来ない間に、おどろくほどのおとろえを見せていた。
加藤の父は奥の間に寝たままだった。父は彼を見て泣いた。
「文太郎、お前は山ばかりいっとるようだが、嫁を貰《もら》うことも本気になって考えたらどうだ。おれはお前が嫁貰わんうちは死ねないのだ」
加藤は黙って父のいうことを聞いていた。嫁を貰えと父がいうと、さっき、会った少女のことがすぐ頭に浮び上って来る。伯母は、彼女のことを花子と呼んだ。花子が着ていた花の模様の着物を思い出していた。
伯母がやって来ると、加藤の生家は急ににぎやかになる。
「驚いたよ。花子さんと文太郎さんは五年も前から知り合っていたそうだ。そういえば、なんかこうふたりとも妙に気張って、話したいのに、わざとがまんしているようだった」
伯母は加藤の顔を見るといきなりいった。
「知っている知っている。何年か前に、宇都野神社の石段で……」
加藤はそういいながら、自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
「誰《だれ》だい、その花子さんというのは」
加藤の父が話に割り込んだ。
「そら、網元の清さんとこの娘の花子さん……」
「ああ、清さんとこの娘さんか、おれは、その娘さんにまだ会うたことがないが、よい娘さんか」
「それは、ほんとうにいい娘さんですよ。浜坂小町って言われるほどの娘さんだからね」
「そうか、家柄《いえがら》は良し、娘さんが良ければ、文太郎の嫁に貰いたいものだな」
父はしみじみといった。
「そんなことを言っても、花子さんはまだ十五ですよ、昔ならともかく、今では、十五では少々早いんじゃないかしら」
ねえ、といって伯母は、からかうような眼を加藤に向けた。
「それなら、今から約束して置いて、年ごろになって貰ったら、どうだ。おれは生きているうちに文太郎の嫁をきめて置きたいのだ」
「よく分りました。私にまかして下さい。いいようにしますからね」
伯母は父をなだめながら、加藤に向って、それまでになく真剣な眼で、
「花子さんをどう思う」
と聞いた。
「どうもこうもない。相手はまだ子供だ」
加藤はそういうと、そこに居たたまれなくなったように、家を飛び出して海岸に走った。身体中が焼けるように熱かった。伯母の前で好きだとは答えられなかったが、あの少女の瞳《ひとみ》を永久に忘れることはできないと思った。
彼は海岸に立って日本海へ向って力いっぱい石を投げた。投げるたびに、石の落ちるところは延びていった。
加藤は浜坂の海と山を全部胸の中にかかえこんだように楽しかった。彼は砂浜を走りながら、神戸から故郷まで、太平洋から日本海へ歩き継いだ自分を思った。
「太平洋から日本海へ、日本海から太平洋へ……」
彼は、そんなことばを口にしながら走っているうち、突然立止っていった。
「そうだ、厳冬の立山連峰から後立山連峰を越えて見よう」
それは日本海側から太平洋側へ北アルプスを越えるたいへんな冒険だった。
「間もなく冬になる。そうしたらおれはきっとやる」
彼は日本海に向っていった。季節風はまだ吹き出してはいなかったが、日本海は荒波が立っていた。
12
「もう一度いってみるがいい」
好山荘運動具店主の志田虎《とら》之《の》助《すけ》は加藤の眼を見詰めていった。
「富山県の猪谷《いのたに》から大多和峠、真川峠を越えて、太郎平、上ノ岳、黒《くろ》部《べ》五郎岳、三俣蓮《みつまたれん》華《げ》岳、鷲《わし》羽《ば》岳《だけ》、黒岳、野口五郎岳、三ッ岳、烏《え》帽子《ぼし》岳、濁小屋、葛《くず》の湯《ゆ》、そして長野県の大町へ出る」
加藤は、冒頭の富山県というところと長野県というところに力を入れていった。結論だけいうと日本海側の富山県から日本中部の山脈を横断して信濃《しなの》へ出ることになるのである。これは加藤が、神戸から故郷の浜坂へ、山を越えて行きついた日に、浜坂の海辺で思いついたことであった。
「夏ならば、君のことだ、三日もあれば充分やってのけるだろう」
「冬にやろうと思っています」
加藤は、感情の涸《か》れた顔でいった。
「それをひとりでやろうっていうのか」
志田虎之助はいささかあきれ顔でいってから、
「もう一度口の中で、そのルートをいってみろ、眼をつむって、厳冬の景色を思い出しながら――とても、ひとりでやろうなんていってもできるものではないぞ。それをやるなら、数人のパーティーを組んで、秋の間に、要所、要所に食糧燃料をデポ(貯蔵)しておいてからでかけるんだな。それでも、かなり困難だぞ。冬になれば連日吹雪だ」
「わかっています」
「わかっているなら、そんな無茶はやめろ」
「いいえ、あのあたりが連日吹雪だということがわかっているといったのです」
加藤は平然とした顔でいった。
「どうしてもやるというのか」
「やるつもりです」
「死ぬぞ」
「たとえ二日や三日吹雪に閉じこめられたところで死ぬようなことはありません」
「四日、五日となったらどうする。一週間吹雪がつづいたらどうする」
加藤は答えなかった。彼は一週間吹雪が続いても生きていられる自信があったが、それを志田虎之助の前でいうのは、生意気に思われるからやめたのである。
ふたりが黙ると、さっきから店の入口の方で、ふたりの話を聞いていた身体《からだ》は大きいがまだ少年らしい面影《おもかげ》を残している男が近づいて来て、ふたりに頭をさげた。
「聞いたか、ばかなことをいう奴《やつ》だ。こいつは」
志田虎之助はその男に加藤のことをいってから、
「そうだ、きみは、加藤君とはじめてだな」
志田がその男を加藤に紹介しようとすると、男は、自ら一歩前に出て、
「宮村です、加藤さんの講演は聞いていますし、加藤さんの書かれたものは、全部読んでいます」
宮村健は、自分のいったことを自分で確認するように、
「だから、はじめてではないような気がします」
加藤は、彼に対して、ちょっと頭をさげただけだった。無《ぶ》愛想《あいそう》な顔に、しいてこしらえたような微笑を浮べると、そこに現われた宮村健という男を、てんからばかにしているふうにも見えた。だが、宮村はいっこう、そんなことには、おかまいなく、
「加藤さんの冬の八ヶ岳山行記録を、ぼくは数回読みました。あれには感動しました」
宮村が加藤と志田との会話を横取りしそうないきおいで話し出したのを見て志田虎之助がいった。
「加藤君、宮村君は君の崇拝者だよ。たんなる崇拝者であるばかりでなく、実践においてそれを示している。地図を手にして歩き廻《まわ》る遊びからはじめて、須磨《すま》の敦盛塚《あつもりづか》から高取山、摩耶《まや》山《さん》、六甲山、東六甲、宝塚《たからづか》と、五十キロの神戸アルプスを一日で縦走したり、このごろは、さかんに北アルプス方面にもでかけているようだ。それがね、いつもひとりなんだ。どうもおれには、宮村君は加藤君のあとを追っているように思えてならない」
宮村は志田にそういわれても、気にするようなことはなく、なにか、熱っぽい眼をして、加藤の顔を見詰めていた。
「つまらぬことはやめたらいい」
加藤はぽつんといった。つまらぬことというのは、宮村健のやっている単独行をさしているのではなかった。もし、宮村が加藤のやったとおりのことを真似《まね》しようというならば、それはつまらぬことだといったのである。
(単独行なんてけっして楽しいことではない)
加藤はそういってやりたかった。苦しいことの方が多いのだ。その苦しみに比較して得られるものはなにもないのだ。あの山を登ったという、自己満足以外にはなにもないのだと教えてやりたかった。
(なんのために山へ登るかという疑問のために、山へ登り、その疑問のほんの一部が分りかけたような気がして山をおりて来ては、そこには空虚以外のなにものもないのに気がついて、また山へ行く……この誰にも説明できない、深いかなしみが、お前にはわからないだろう)
加藤は宮村にそういってやりたかった。
(きみが、おれのあとを追うことは勝手だ。だが、おれと同じように、山という、得体の知れないものの捕虜《とりこ》になることをおれは決してすすめはしない)
「山はひとりで歩くものではない」
加藤は、宮村の眼に、いくらかやさしい言葉でいってやった。
「でも加藤さんは――」
「おれは、ひとりでしか、山を歩けない男なんだ。だからひとりで歩く。単独行なんか、いわば山における異端者のようなものだ。おれは、今だって、適当なひとがあれば一緒に山へ行きたいと思っている」
宮村はなにもいわなかった。彼の顔には加藤に会ったときよりも、はるかに大きな感動が現われていた。
「それで加藤君、おれになんの用があって来たのだ」
志田虎之助は、話を取り戻《もど》そうとした。
「オーバーズボンのいいものを欲しいんです。防水してあって、軽くて、あたたかで、延びが利《き》いて……」
「無茶をいっちゃあこまる。そんないいのがあったらおれが買いたい。まあいい、きみのことだから、探しておいてやろう」
志田虎之助は、加藤の注文をノートに書きこみながら、
「どうしてもやるっていうんだな」
と、きつい眼を向けた。
「やります、やると決めたんです。それに第二に欲しいのはこれです」
加藤はポケットから、紙を出して志田虎之助の前に置いた。
「なんだこれは……」
それは、一見、なにかの機械の設計図のようだったが、よく見ると、ウィンドヤッケの設計図であった。加藤は設計技手だから、彼の経験から生み出した、厳冬用のウィンドヤッケを図面にしたのである。
眼にあたるところは一枚の横に細長いセルロイドがあてがわれていた。袖《そで》の先と、上《うわ》衣《ぎ》のすその部分の密着用のゴムひもが凍ったりして、弾力を失《な》くした場合を考慮して、バンドをつけたり、防風衣《ウインドヤッケ》の内側に毛布を縫いつけたりする構造だった。
「こいつはひどく手のこんだものだ」
志田が図面を加藤にかえしていった。
「こういう特殊なものを作るとすれば、ひどく高価なものになる。どうだね加藤君、自分でやって見たら――。あり合せのウィンドヤッケを、きみの気に入ったように改造してみたらいい」
「できないんですか」
「できないのではない、時間がかかるし、きみの気に入ったようにできるかどうかわからない」
「じゃあ自分でつくろう」
加藤は図面をひっこめると、単独行者は登山用具でさえも単独で作らねばならないのかと思った。おかしかった。
「もう一度いっておくが、やめた方がいいと思うがね」
志田虎之助は、はじめにくらべると、ずっとしたでに出たいい方で加藤の反省をうながした。加藤はそれにはもう応《こた》えずに、
「では、どうも。ぼくは明日の夜行で発《た》ちます」
加藤は店を出ようとした。
「おいおい加藤君、あまりひとをからかうものではない。明日発つのか、冬だというからおれは、一月か二月と思っていた。十一月のなかばならば、それほど危険なこともあるまい」
「いや、行くのは一月です。今度のは、偵察《ていさつ》山行です。一応、厳冬期に通る道を、歩いて来るつもりです」
加藤は好山荘を出ると、いつもの速歩で歩きだした。ナッパ服に下駄《げた》ばき、中折帽子をかぶっていた。その帽子がひさしの出た作業帽なら、そういう格好をした人はめずらしくはなかったが、ナッパ服に中折帽は異様だった。そのあとを二十メートルほど置いて宮村健が従《つ》いていった。
追いついて加藤になにか話したいらしかった。
声をかけようとした。なんどかためらったあとで、宮村は、加藤の後を猛然と歩き出した。競歩でもするつもりのようだった。加藤が、どれほど足が速いかを見定めてやろうとするつもりのようだった。尾行であったが、目的は別のものにあったから、はたから見ると、おかしな男が二人、間を置いて歩いていくとしか見えなかった。加藤はうしろを意識していなかった。宮村が追尾して来ることは知らなかった。彼はいつものペースで、坂を登り、坂を下った。神戸の山手には起伏が多かった。そういうところを加藤は意識して歩いた。それも、日《ひ》頃《ごろ》の足と心臓の訓練だった。
加藤の足は下宿へ近づくに従って速くなった。やや急な坂を一気に登って、角を曲ると加藤の姿は消えた。宮村はそこに取り残されて、額の汗を拭《ふ》いた。
ひろびろとした雪の斜面がつづいていた。そこまで来ると、雪がしまっていて、それまでのように、雪の中にスキーがもぐって困るようなことはなかった。
視界はよく利いた。といっても、どこからどこまで見わたせるというふうではなかった。天気はよかったが、冬山につきものの風があって、飛雪が視界をせまくしていた。飛雪は幕のようにひろがり、ときには全山を包みかくすことがあった。
飛雪がおさまって、ほっとひといきついたとき、加藤は、そこが一月の北アルプスだということを忘れることがあった。雪は地形を平均化していた。低いところは雪で埋めつくして、そのうえを強風がブラッシュをかけていた。滑らかな白い美しい山脈はまぶしかった。その山脈のところどころに樅《もみ》の木が半ば雪に埋もれかかっていた。どの木を見ても同じように見えた。類型化された樅の木の点在が、その雪原の飾りとしてなくてはならないものであるかのよう、樅の木のあるところだけ、雪のつもりかたの平均化がみだされて、はっきりと風下に飛雪の流線を描き出しているところもあった。
加藤の荷は重かった。七日間の食糧と燃料と防寒具と、そのほか冬山に必要なものがいっさい、その大きなキスリングにつめこまれていた。彼は昭和六年の一月一日の雪を踏んでいることを喜んでいた。
昭和四年の一月に冬の八ヶ岳に入って以来、彼は休暇のほとんどを冬山に消費していた。行った先は、北アルプスに集中され、昭和四年以来、それまで、彼が体験した冬山の風雪の記録は四十日以上になっていた。
彼が短い期間に、驚異的な速度で冬山に入っていけたのは、それ以前の十年間の山における研《けん》磨《ま》がもたらしたものであることは疑う余地もなかったが、その速度が急激であり、常に単独行であるということが、加藤自身にも若干の不安を感じさせていた。
昭和五年の一月の立山行のときには彼は同行者を求めた。偶然、一緒になった土田リーダーにきらわれても、きらわれても彼は従《つ》いていった。そして、
(冬山へ来るなら案内人をつれて来い。案内人を雇う金がなければ冬山へ来るな)
といわれて、ひとり剣沢小屋をあとにしたのも、きのうのことのように思われる。
(そして、彼らはそのあとでなだれで死んだのだ)
彼は履いているスキーの重さを感じなかった。そういうときは、もっとも快調のときであり、いろいろのことが頭に浮び上るときでもあった。考えながら歩いていられるのは、彼が泊るべき上ノ岳小屋がすぐ近くにあるからだった。十一月の半ばの偵察山行のときとはかなり違っていたが、天気がよいかぎり道に迷う心配はなかった。
彼はあの白い幻影をいまさらのように思い出す。あの瞬間、彼は終生の単独行の契約書に署名して、山という偉大なる権力者の前に差出したように考えられてならない。
山はいう、
「加藤よ、お前は生涯《しょうがい》の単独行を誓うことができるか」
「誓います」
「では、山はお前の生命を保証する。だが加藤よ。もし、この契約を破った場合は、山はお前の生命について責任が持てない」
加藤は、そんなばかばかしいことを考えながら、いったい登山とはなんであろうか、なんのために山へ来るのだろうかという、あの難解な問題にふとつき当るのである。
上ノ岳小屋は風の中に立っていた。風当りが強いために小屋は雪に埋まってはいなかった。彼は戸を開けて、小屋の中へ荷物を入れてほっとした。小屋の中には雪が三十センチほど積っていた。
荷物を全部運びこんで、最後に入口を閉じようとして空を見上げると、いつの間にか曇っていた。
彼は寝る場所を探した。彼が寝るところだけ雪をかきのけることを考えた。
(雪をかきのけてそのうえに……)
なにか敷くものがないかと見廻すと、天井の梁《はり》の上によく乾いた這松《はいまつ》の束が並べてあった。彼はそれをおろして、その上に寝ようと考えた。
梁の上に登るには、ちょっとばかり猿《さる》の真《ま》似《ね》をしなければならなかった。彼は靴《くつ》を脱いで、引戸の桟《さん》に足をかけ、鴨《かも》居《い》につかまって、身体をひき上げた。天井の梁は三尺ばかりの間隔で二本並んでいて、その梁にまたがるように這松の枯れ枝の束が置かれ、その上に、山小屋で寝具を入れるのに使う布《ふ》団箱《とんばこ》が置いてあった。布団箱にかぶせてあるむしろに雪がつもっていた。
彼は寝る場所をそこにきめた。わざわざ這松の束を下へおろすことはなかった。おろしても、もとどおりにすることは、容易のことではない。
加藤は去年の冬、雪に埋もれた立山の室堂《むろどう》小屋へ入るとき、窓の一部をごく少しばかりこわした。そのことは、持主に通知して、弁償したが、ある山岳会誌の誌上で小屋を破壊したという理由で手痛い攻撃を受けた。小屋を破壊したということより、冬山へ案内人もつれずに入っていったということのほうが、問題にされたのである。
加藤の冬山単独行には、彼自身で作った原則がいくつかあった。その中に、
宿泊場所は既存の小屋を利用する。
その小屋の持主には事前に連絡を取って了解を得て置き、後で宿泊料金を払う。
という二項があった。単独行であればあるだけ、その宿泊地について慎重でなければならなかった。彼は小屋のある縦走路を狙《ねら》った。冬山においては、小屋から小屋までの歩行時間は夏山と違って、その何倍かを要することがある。その歩行時間は彼のそれまでの経験によってなんとか補うことのできる自信があった。彼は、それを実行していた。ビバークは、非常時のことである。やむを得ない場合、雪中ビバークをするために、日頃その練習を積み重ねているのであって、求めて雪中のビバークをするつもりはなかった。
加藤は足にたよっていた。速足の文太郎の特徴こそ、冬山で生かすべきだと考えていた。冬の無人小屋を使用することについて、既成登山家たちによって批判されるようになると、加藤はそのことをひどく気にした。もし案内人(その小屋を経営する人が許可した)をつれなければ、その小屋を使用できないということになれば、小屋の存在を勘定に入れた彼の単独行はできなくなるのであった。
彼は、去年剣沢からの帰途、弘法《こうぼう》小屋の持主の佐伯氏のところによってそのことを話した。
「前もってそういってくれたら、ひとりでいったっていいですよ。前にことわってなくても、どうしても泊らなければならなくなったら、あとで、泊ったといってくれればいい。山小屋の持主としては、だまって入って小屋をこわされるのが一番つらいことだということだけ、知っておいてくれたら、それでいいのですよ」
登山家たちが、加藤の単独行における無人小屋使用についていかに批判的であっても、その小屋の持主の多くは弘法小屋の主人と同じであった。
(ことわっておけば、不法侵入にはならないし、もし破損させたら、弁償すればいい)
加藤は、外部からの批判に対して、きちんとしたかった。彼の山行にけちをつけてもらいたくなかった。
加藤は這松の枯れ枝の束の上に寝ることにした。そうすれば、その小屋の物を動かさないですむことになる。
彼は、這松の枯れ枝の上に塒《ねぐら》を作った。布団箱をあけると、布団と毛布があった。彼は、その寝どこが、思いの外豪華なものであるので、ひどく満足した顔つきで、下におりて、食事の支度をした。炉もあるし、梁の上の這松の枯れ枝を一束燃せば、赤い炎はあがる。そこで、湯をわかし、濡《ぬ》れたものをかわかしたかったけれどやめた。小屋の燃料を使う許可は得てなかった。
彼はコッフェルで湯をわかし、その中へ甘納豆を入れた。即製のゆであずきを主食に、油であげた乾《ほ》し小魚を食べた。あとは寝るだけだった。外へ出て見ると、いつの間にか雪になっていた。小屋に入って、彼は頭上の塒を見上げた。梁上《りょうじょう》の君子≠ニいうことばを思い出した。文字どおり梁上の君子となろうとしている自分と、その語源とのかけ違いを考えると、おかしくてたまらなかった。加藤は声を立てて笑った。壁についている雪が音を立てて落ちた。
二日間山は荒れた。山だけでなく、小屋のなかまで雪が吹きこんで来た。風はほとんど一定速で、ときどき呼吸《いき》をつくことがあるけれど、そのあとにまた強い風が吹いた。突風性の風が吹くと、小屋が揺れた。どこからともなく吹きこんで来る粉雪が小屋の中を舞いあるいていた。
加藤は寝たままだった。空腹を感ずると起き上って、ポケットからひとつかみの甘納豆を出して食べ、魔法瓶《テルモス》の湯を飲んで寝た。雪の中を歩いているときは、その道が、もう安心だと思いこむと、あれこれとつまらぬことが思い浮ぶけれど、小屋の中の梁の上で眠っている彼は、不思議にものを思わなかった。眠って起きて、なにかいくらか食べると、また眠った。眠り疲れというのかもしれないと思った。それまでの疲労の蓄積が一度に解消していくような眠りでもあった。
暴風雪は二日間吹きまくって、夕方ごろからいくらかおさまった。なにか外が明るくなった感じだった。加藤は梁からおりて外へ出た。風景は以前と少しも変っていなかった。積雪がましたことは、眼で見ただけではわからなかった。白一色の世界は相変らず白一色でしかなかった。それから一時間ほどたって吹雪は一呼吸した。日は白山別山の方向に沈み、夕《ゆう》陽《ひ》が、新雪の山々を赤く染めていた。
その夕景は彼ひとりのものとしては美しすぎた。赤でも、桃色でも、他のいかなる色でもなかった。その色は、いま彼が見ているその瞬間だけのもので、過去においても将来においても再現できないと思われるような色だった。
太陽の光は、いま降りつもったばかりの雪の粒子の一つぶ一つぶのなかで燃えようとしていた。寒気と風圧で、凍り固められた雪面に反射する、あの非情な夕映えではなかった。むしろ、あたたか味があった。ふっくらとして厚みを感ずる、それはどこかに童女の頬《ほお》を思わせるものがあった。
音が無いのが不思議だった。あれほど吹きまくった風が嘘《うそ》のように止《や》んでいることは、またしばらく経《た》てば、猛然と吹き出す前の休息のように思えてならなかった。山のいただきのひとつひとつを、あれは何岳だというふうには見ていなかった。彼の眼にはすべての山も谷も一緒になってとびこんで来た。放心したような彼の眼には、めったに見ることのできない静けさがあった。
彼は自分を忘れて山の夕景に溶けこんでいた。ふと気がつくと、彼の手もまた赤くそまっていた。
彼ははっとしたように、眼を空に投げた。青空が夜を迎えようとしていた。日が山のかなたに消えると同時に山は冷酷な表情になった。彼は、薬師岳北尾根の上に月齢十四日の月を見た。太陽にかわったその月を見ていると、背筋が寒くなった。その月は、加藤にはただつめたい物体に思われた。
その夜夜半を過ぎてまた風が出た。飛雪が夜中、小屋の壁にブラッシュをかけていた。加藤は、風の音と、急激に冷えこんで来る温度から明日の晴天を予期した。夜が明けた。吹雪であったけれど、さほどひどいものではなかった。空から降る雪よりも、風で吹きとばされる雪の量の方がはるかに多かった。視界は、歩くのに不自由ないていどだった。
加藤は出発を決意した。吹雪の中の単独行は予定の行動だった。どのようにして、吹雪の呼吸の中をくぐり抜けるかが、この単独行を成功させるかどうかの境目だった。彼はアルコールランプで湯を沸かして、魔法瓶《テルモス》の中へ入れた。梁の上の塒を、もとどおりにして、小屋を閉めて、そこを出るのに三十分とはかからなかった。彼の食事は、常に懐中にあった。いちいち、飯を炊《た》き、味噌《みそ》汁《しる》をすするというふうな面倒な食事の必要はなかった。
加藤は、彼が試作した防風衣《ウインドヤッケ》を着用した。眼にあたる部分にセルロイドを縫いつけたものであった。たしかにそれは風に対して有効ではあったが、彼がおそれていたように、呼《い》吸《き》ぐるしかった。酸素の補給が、不足勝ちになった。彼はやむなく、口と、鼻に当る部分の窓を開いた。そうすれば、紫外線よけの眼鏡をかけるかわりに、セルロイドを縫いつけたというだけで、少なくとも顔面の部分については従来のウィンドヤッケとは違ってはいなかった。しかし、それ以外の点では、彼の試作品について、彼が満足し得るものは多かった。
彼のスキーは彼の足に密着していた。一歩一歩に損がなく、彼の身体《からだ》を前にすすめ、起伏を越えていった。下り坂になると、彼は勇敢に滑った。その辺には、致命傷になるような雪《せっ》庇《ぴ》はなかった。黒《くろ》部《べ》五郎岳の下でスキーをアイゼンにはきかえていると、吹雪が彼を閉じこめた。だが彼は、そのちょっとした瘤《こぶ》が、黒部五郎岳への登り口であることを疑わなかった。十一月の半ばすぎに、そこを歩いたとき確認しておいたところだった。
アイゼンを履いて、スキーを背負って歩くのは、強風の前に不安定な身体をさらけ出すことになるのだが、加藤には馴《な》れた姿勢だった。黒部五郎の小屋を吹雪の中に発見して、加藤は時計を見た。十二時だった。その小屋に泊るにはやや早い時間だったが、三俣蓮《みつまたれん》華《げ》小屋までいくのも気がかりだった。冬山の行動は三時までが限界である。三時までに、三俣蓮華小屋までいけるかどうかが問題だった。
加藤はしばらく、吹雪の中に立って、風の強さを身体でこたえていた。かなりの吹雪だったが、数十メートル先まで見えた。彼は地図を出した。黒部乗越《のっこし》の手前の二五一八高地までは、なだらかな下り坂の稜線《りょうせん》で、道に迷うようなところではなかった。黒部乗越から三俣蓮華岳までの道は、見透しの効かないかぎり困難のように思われた。
地図の上に、十一月の偵察《ていさつ》の時に記入した注意事項が書きこまれていた。
「よし、二五一八高地までいこう。もし天候が悪かったら、引きかえして黒部五郎小屋泊りだ」
加藤は進退両面作戦を立てた。稜線を少しおりたところで、彼はスキーを履いた。スキーを履いたついでに、ポケットから、甘納豆とから揚げの乾し小魚を交互に出してぼりぼり食べた。魔法瓶《テルモス》の湯を一口飲むと、生きかえったような勇気を感じた。
下り坂にスキーは有効だったが、黒部乗越を越えて、しばらく登ってからの、ふきさらしの雪の斜面ではもう使えなかった。加藤はアイゼンに履きかえた。
急にあたりが暗くなった。猛烈な吹雪に閉じこめられたのは、そこからだった。もしその天候悪化が、もう一時間早く来ていたならば、彼は黒部五郎小屋へ引きかえしたはずだったが、そこまで来れば、三俣蓮華小屋へいくより方法はなかった。
彼は吹雪の中でうずくまって、地図と磁石を出した。
「高い方へ高い方へと登るかぎりいつかは三俣蓮華の頂上に出るはずだ。そこで三角点を探し出すことだ。三角点が分れば、小屋の方向は分る」
それからは、高い方へ登るということ以外になにも考えなかった。
吹雪は彼を埋めつくそうとした。しばらくでも立止っていると、そこをめがけて、あらゆる方向から吹雪がおそいかかって来るように見えた。吹雪はしばしば、彼の前でうずを巻いた。雪炎が立ちはだかって行手をはばんだ。だが彼は、彼の手製のウィンドヤッケのセルロイドの窓から、冷静に風の動きを見守っていた。背後に風を負っているかぎり、彼の方向は間違えていないし、連続的に高所に足をすすめているかぎり、その上に三俣蓮華の頂上があることを信じて疑わなかった。
彼はピッケルをつきながら斜面を登っていくのだが、ときどき足が雪の中にもぐって、その足を引き出すのに思いのほか時間がかかった。
頂上の三角点は露出していた。三角点の石の標識のまわりを吹雪が舞い廻っているのを見詰めながら、加藤は、地図を開いて三俣蓮華小屋の方向をきめようとした。稜線をくの字におりていけばいいのだが、視界が全く効かない吹雪の中で方向を誤らずにおりていくことはむずかしいことであった。彼は地図と磁石を両手に持った。地図は四つに折りたたんであった。彼は、地図と磁石で歩こうとしたのである。彼は、進むべき方向を地図と磁石で求めて、その方向に現われる、なにかの目標物を待った。
吹雪が一呼吸すると、きっとなにかが見えた。それが岩である場合も、雪の堆積《たいせき》のちょっとした変形であることもあった。彼はそれに向って、歩数を数えて歩いた。一度に十メートル歩ければよい方だった。歩いた距離を鉛筆で、地図の余白にかきこみ、合計が百メートルになると地図にその行跡を二ミリの長さに記入した。吹雪になるとまた視界は消えた。だが彼は、地図と磁石と歩数で行跡図を書いていくことはやめなかった。
寒さで、手が凍った。地図を持っているゆびの感覚がなくなっていた。地図を風にとられるという心配もあった。彼は寒さで磁石が凍るということを聞いていた。磁石が凍るはずがないから、それは、磁石を動かす回転部分の油でも凍ることだと思っていた。彼はそのことを心配したが、その寒さでは磁石は凍らなかった。
加藤は、吹雪の中の単独行を、いままでになくつらいことに思った。ふたりだったらこういう場合、進行方向にひとりを立たせて、うしろから誘導していけば地図が正確であるかぎり、道を誤ることはなかった。
暗くなるまでに小屋につかなければ、雪中のビバークである。
「いよいよとなったら、稜線の風をさけて、雪洞《せつどう》を掘るさ」
加藤はひとりごとをいった。それが彼を元気づけた。彼には雪の中に寝られる自信があった。既に体験ずみのことでもあった。疲労はしていたが、まだまだ余力があった。歩きながら、ちょいちょい食べているから腹は空《す》いてはいなかった。
彼は魔法瓶《テルモス》の湯をいっぱい飲んでから、前よりも元気に吹雪にいどんでいった。
三俣蓮華小屋は屋根だけ残して雪に埋まっていた。加藤は、残光のなかに、小屋を発見すると、すぐ小屋の発掘にかかった。十一月に来たとき、その辺に窓があった記憶があった。だがそこには窓はなく、いくら掘っても板壁しかなかった。
山は夜を迎えて本格的な暴風雪となった。ピッケルとスキーで雪を掘っていると、それらの道具と一緒に、彼の身体が吹き飛ばされそうであった。
加藤は小屋の板壁をピッケルで破った。やむを得ない処置だと思った。謝罪と充分な弁償はしなければならないと思った。この行為が、彼を眼の仇《かたき》にしている一部の登山家たちの攻撃の的になることを自覚しながら、彼は小屋の一部に穴を明けた。
(おれは、雪の中のビバークをおそれてはいない。だがそれはいよいよのときのことである。小屋があれば、小屋に泊るのが正攻法である)
彼は自分にいいきかせていた。
13
吹雪が小屋を打つ音を聞きながら加藤は眠りつづけた。二日目の昼ごろになって吹雪の音が弱まると、それを待っていたように加藤は起き上ってすぐ地図を出して、懐中電灯を当てた。彼は次の行程を考えていた。三俣蓮《みつまたれん》華《げ》岳から鷲《わし》羽《ば》岳《だけ》、黒岳、野口五郎岳、三ッ岳、烏帽子《えぼし》岳《だけ》と眼をやった。三俣蓮華の小屋を出ると、烏帽子岳までは小屋がなかった。
それまで彼がたどって来た上ノ岳から三俣蓮華岳までの間には黒部五郎小屋があったのに、その距離の一倍半にもおよぶこのルートには小屋がなかった。しかも、三俣蓮華岳から烏帽子岳までの稜線は、いままで歩いて来たところよりはるかに困難な地形が予想された。天気がよくて見とおしさえきけば、加藤の足には、その十三キロの距離はむずかしいものではなかったが、もし吹雪になったら、枝尾根に迷いこんだり、稜線からはずれて沢におりたりする可能性は充分あった。
加藤はときどき眼をつぶって、十一月に歩いたときのことを思い出そうとした。地図と地形とを記憶の中で比較しながら、その困難なルートについて、あれこれと思いをめぐらせていた。
(途中で天候が悪化したらどうする)
第一の加藤がいった。
「雪洞を掘ってビバークするさ」
第二の加藤が答える。
(寒いぞ、ものすごく寒いぞ)
「寒いことには馴《な》れている。食糧はある」
(だが吹雪が、二日も三日も続いたらどうする)
「天候恢復《かいふく》まで待つさ」
(自信があるのか)
「…………」
雪洞を掘って、その中に二日も三日もいた経験はなかった。自信があるかと聞かれれば返答にこまるのである。完全な雪洞を掘れば、中はあたたかいから、二日でも三日でも入っていることはできるだろうが、いまの加藤は完全な雪洞を掘る道具を持っていない。スキーとピッケルで完全な雪洞を掘るわけにはいかない。不完全な雪洞だとすれば、吹雪の状況の如何《いかん》によっては、かなり面倒なことになると思われた。
(どうなんだ加藤、自信がないなら、この小屋に泊って、幾日でも天気の恢復するのを待て、それから引きかえせ)
その心の声に加藤は、相槌《あいづち》を打とうとした。だが、すぐ第二の加藤が、それにはっきりと答えたのである。
「自信はあるぞ。たとえ幾日、吹雪が続いても、どっちみちおれは死なないという自信がある。やってやれないことはないという自信があるのだ」
(ではやるがいい)
二人の加藤は一人になった。
加藤は地図をおさめて、外の風に耳をかたむけた。おとろえを見せていた風は、以前にも増して強くなった。だが風の方向は少々南に変ったように思われる。
(これ以上悪い天気というのはない。天気が変るとすれば、よくなるということだ)
加藤は翌日の出発にそなえた。
明け方の寒気とともに眼を覚ますと風は静かになっていた。外に顔を出してみると、いつしか雪はやんでいた。
「さあ出発だ」
加藤は、懐中コンロにベンジン液を注入した。シガレットケース大のそれを毛糸の胴巻に入れるとわずかばかりの重みを感ずる。
彼はいつものような簡単な食事を取り、あと片づけをきちんとしてから小屋を出た。
風は依然として強く、地吹雪が稜線の上に燃えていた。
風が南に廻《まわ》ったのは、低気圧が日本海に現われたのかも知れないと思った。すると、間もなく、風は西になり、ひどい吹雪になる可能性がある。
加藤は、このごくありふれた山の気象を知っていたからなんとしてでも、猛吹雪になる前に、危険な場所を通過して、少なくとも野口五郎岳まではいきたいと思っていた。
鷲羽岳の登りにかかると、風はさらにおとろえたが霧が出た。風よりも、始末の悪い霧に視界をさえ切られた加藤は、この日の行程が容易でないことを知った。鷲羽岳の登りも、雪がかたく、スキーを脱いで、アイゼンに履きかえねばならなかった。
鷲羽岳のいただきまではどうやら視界が効いたが、そこからはいよいよ濃い霧になった。氷の霧だった。どこにでも、触れれば氷の花をつくる霧だった。白い花は、加藤の身体中に咲いた。彼自身で作った奇妙なウィンドヤッケの呼吸をするための丸窓にも、氷の花が白く咲いた。セルロイドの覗《のぞ》き穴《あな》にもついた。ぬぐっても、ぬぐっても、しつっこく付着した。
風が強くなると、飛雪と霧がまじり合った。その気体とも固体ともつかない白い乱舞の中で、加藤はしばしば道を失って、長いこと立ちん棒しなければならなかった。
そのような悪天候の中でも、加藤は彼の歩くペースをわきまえていた。何分間歩いたから、地図上のどの位置あたりまで来ているはずだという計算が、つねに頭の中でなされていた。暗中摸《も》索《さく》はしなかった。たとえ、吹雪の中でも、彼は航法をつづけていた。歩速と磁石と地図とで、彼の進路は北へ北へと延びていった。
彼が、そのような悪条件の天候の中で、道を間違えずに行けるのは、別な見地に立って見れば、彼がひとりだからということにもなる。彼はたよるべき相手がいなかった。あらゆることを彼の責任においてなさねばならないから、ひとつひとつのことが慎重になされるのであった。
霧と飛雪の中の彼の航法は間違ってはいなかった。
加藤は見おぼえある黒岳の岩壁にぶっつかってほっとした。
彼はそこに荷物を置いた。そこから黒岳の頂上まで往復するつもりだった。烏帽子岳までの道程はまだ長い。黒岳の頂上を踏むことよりも、一刻も早く前進することの方が必要だったのに、彼はそれをしなかった。彼の時計は十二時を指していた。
彼は黒岳の頂上を目ざした。黒岳は標高二九七七メートルである。今度のルート中の最高峰であった。
(おれは山へ来たのだ)
登山の終局の目的は最高峰に立つことだった。彼のヒマラヤ貯金もヒマラヤの最高峰へ到着するためのものであった。歩くことは頂上へたどりつくための方便であった。彼は最高峰へ登る意義をそのように考えていた。
黒岳の頂上は眼《め》をあけられないほどの吹雪だった。風は西にまわりつつあった。気温が降下して、霧が雪にかわった。暴風雪の様相になりつつあった。黒岳から野口五郎岳までの稜線は、あらゆる苛《か》酷《こく》な条件をそろえて加藤を待ち受けていた。
風は三十メートルを越えた。
大きな荷物を背負っていては、風に吹きとばされる危険があった。雪《せっ》庇《ぴ》もいたるところにあった。風のために磨《みが》かれた氷盤もあった。雪の吹きだまりがあるかと思うと、アイゼンの爪《つめ》も立たないように固く凍った雪盤もあった。
滑落の心配も、雪崩《なだれ》を起す可能性も、風に吹きとばされる危険性も、ぐずぐずしていて夜になってしまうと、凍死のおそれもあった。それに、ぶっそうこの上もないことは視界がきかないために、道を失うことであった。
しかし、加藤は冷静に、歩速と磁石と地図による航法をつづけていた。危険な場所に来ると、スキーとルックザックを別々に運んだ。そういうところが、数えきれないほどあった。時間はどんどん過ぎていった。三時を過ぎると、冬山の行動は停止することが原則だったが、加藤は、それを無視して歩いた。安全な場所までいって、穴を掘るつもりだった。
(どうだ加藤、少しは参ったか)
「どういたしまして、おれは、このまま一晩中歩いたって平気なんだ。それにおれは二晩寝だめしているから眠くはない。歩きながら、甘納豆を食べているから腹は減ってはいない、魔法瓶《テルモス》には湯があるしな」
(だが加藤、疲労は突然襲って来るものだぞ、そのときになってあわてるな)
「おれは素人《しろうと》じゃあない。疲労困憊《こんぱい》にいたるまで歩くようなばかな真似《まね》はしない、体力に充分余裕があるうちに、ビバークする。そうすれば大丈夫だ」
(じゃあ、そろそろ、休んだら?)
「いやここはいけない。野口五郎岳を越えたところにいい休み場所があるのだ」
加藤は、自問自答しながら歩いていった。
薄暗くなっていた。
加藤は野口五郎岳を越えた。彼はまだ疲労を見せていなかった。頂上の三角点標石を懐中電灯で探すだけの余裕さえあった。
野口五郎岳を越えて、少々おりたところに窪《くぼ》地《ち》があった。そこは雪の吹きだまりになっていた。
加藤はスキーで、竪穴《たてあな》を掘った。彼の身体《からだ》がようやく入れるだけの穴ができると、雨合羽で穴にふたをして、その下にもぐりこんだ。彼はその穴の中で、充分に食べ、湯を飲み、両方の手をズボンの下に入れて眼をつぶった。懐中コンロは、その小さな熱源から、無限のエネルギーを放射しているようにあたたかかった。
頭上に荒れ狂っている吹雪の音を聞きながら加藤は眠った。穴のふたは完全ではないから多少の吹きこみはあったが、寒くて眠れないほどではなかった。雪が吹きこむことより、雪によって、入口がふさがれてしまうことのほうが心配だった。
仮眠であった。二時間ほど眠って彼は眼を覚ました。ひどく寒かった。穴の中にいるのに、外にいるように寒かった。
懐中電灯をつけてみると、雪洞《せつどう》のふたをした雨合羽の破れ穴から雪が吹きこんでいた。それだけではなかった。吹きこんだ雪はせまい雪洞を舞い廻っていた。そのまわりようが加藤には異常に感じられた。
懐中電灯で、吹きこんで来る粉雪の行方を調べてみると、雨合羽の破れ穴から吹きこんで来た粉雪は、彼の上半身に当って吹き散らされていた。一部は彼の身体の上部に舞いあがり、雪洞の上を廻って、また彼の膝元《ひざもと》に帰って来た。雨合羽の破れ穴から吹きこんだ粉雪は、彼という障害物に衝突して、その流線がはなはだしく変えられていたのである。
「吹雪はやんだのだな」
と彼はいった。粉雪が吹きこんで来るところをみると、雪はやんで、地吹雪に変ったのだと思った。風と地物によって、たたかれ、摩擦された乾いた粉雪が、小さい穴から吹きこんで来て、雪洞の中を舞いあるくということは別にめずらしいことではなかったが、加藤は、雪洞の中の粉雪の動きに懐中電灯を当てながら、じっと考えこんでいた。
(気体というものは面白《おもしろ》い動き方をするものだ)
彼はそう思った。
彼がそこで気体と仮に定義したのは、粉雪を雪洞に運びこんで来る風のことであった。
(あの破れ穴が、ディーゼルエンジンの燃料噴射弁だとすれば、粉雪は噴射される重油の微粒子ということになる)
加藤はその着想に思わず、ほほえんだ。山を歩いていて、仕事のことを考えることも時にはあった。同僚たちとの感情問題や、仕事の上での、小さいトラブルが突然頭に思い浮ぶことがあったが、それらの多くは人と人との問題であった。技術そのものについて考えるということは、いままで一度もなかったことだった。
(雨合羽の破れ穴が噴射ノッズルで、あそこから、霧化された重油が吹き出されるとすれば、この雪洞は、いわば燃焼室である。そうすると、おれはピストンのヘッドに坐《すわ》りこんでいることになり、雨合羽は、シリンダーヘッドということになる)
加藤は、シリンダーの中でピストンの動く行程を頭の中で順を追って考えた。
排気↓吸気↓圧縮↓着火↓爆発↓膨脹《ぼうちょう》↓排気
(この行程の中でいま自分が置かれている状態は――圧縮行程が終り、まさに着火の瞬間である)
ピストンがシリンダー内の燃焼室内の空気の体積を限界まで圧縮したところに、噴射弁から、霧化された重油が送りこまれて来て、そこで着火爆発を起す。その寸前の状態のピストンのヘッドに坐りこんでいる自分を想像して、加藤は少々滑稽《こっけい》な気がした。
ディーゼルエンジンの技術の中でいま問題にされているのは、この瞬間における燃料の霧化促進である。霧化された燃料が、燃焼室全体にまんべんなく分布された瞬間――つまり、燃料と空気の完全混合がなされた瞬間に着火することが、エンジンの効率を高めることであった。
このために、従来、噴射弁にいろいろの工夫がなされた。噴射弁の取りつけ位置や、燃焼室の大きさ、形状などいろいろと工夫されていたが、まだまだ改良の余地は充分にあった。
(ディーゼルエンジンの技術上の重要点は、いかにして霧化促進をやるかということにある)
加藤は海軍技師立木勲平のことばを思い出した。
「霧化促進、霧化促進……」
加藤は雪洞の中で、吹きこんで来る粉雪の流線を眺《なが》めながら、彼の頭が異常に冴《さ》えていくのを感じていた。
(粉雪はおれの身体にぶっつかって、舞い上り、天井に当ってまたもどってくる。粉雪はぐるぐる廻る)
加藤の眼が光った。
加藤は彼の身体を、ピストンのヘッドに坐っているそれではなく、ピストンのヘッドの一部として考えてみた。ピストンヘッドの奇形ができた。
「そうだ、ピストンのヘッドの形状を考えたらどうだろうか」
それまでピストンのヘッドの形状はあまり考えられなかったが、ピストンのヘッドの形状を、燃料の噴射方向に対してある傾斜を持たせたらどうであろうか。噴射されて来る噴霧状の燃料は、そのピストンヘッドの傾斜角度に助けられて、竪《たて》の渦巻《うずまき》を作る。そうすれば燃料と空気との混合はよくなる。
加藤はその考えを実験に移すつもりででもあるかのように、自らの身体の位置をかえたり、胸をそらせたりしてみた。粉雪の流線は、彼の身体の動かしようによって変った。
(ピストンヘッドの形状をかえると、圧縮比の低下が考えられる。だから、ピストンヘッドの形状を変えると同時にシリンダーヘッドの形状も考慮せねばなるまい)
加藤の頭の中にシリンダーの概略設計図が書きあげられたころになって、外が明るくなった。夜が明けるには早い時間だった。加藤が穴から顔を出すと、丸い月が出ていた。
加藤は雪洞の中で考えついた霧化促進の原理を、もう一度まとめようとした。どこかに、考え方の上で大きなミスがありはしないかと思ってみた。機械学的に無理はどこにもなかった。ただこの案を持って帰って同僚たちに話したら、一笑に付されそうに思われてならなかった。彼は同室の人の顔をつぎつぎと思い浮べた。
「ばかな、そんな、かたわのようなピストンができてたまるものか」
そういって笑う顔とは別に、外山三郎と立木勲平の真剣な顔があった。
(よし帰ってから、設計してみよう。笑われないようにしっかりしたものを設計するのだ)
加藤は穴から外へ出た。
月が彼を待っていた。山々は、月の光を反射して輝いていた。懐中電灯をつけないでも歩けるほどの明るい雪の稜線《りょうせん》を、彼は烏帽子《えぼし》岳《だけ》へ向って歩いていた。
彼が動くと、彼の影も動いた。動くものといったら、その二つだけであるような、月の山稜にいることを、彼はしみじみとすばらしいことだと思った。おそらく、月の光をたよりに雪氷に凍《い》てつく山巓《さんてん》を歩いている者は、彼以外にはいないだろうと思った。
彼は、月が作り出す明暗に眼をやった。怪奇な表現もあり、優美な形もあった。そのような景観を、ことばや筆にできないことが残念だと彼は思った。
風はあったが、身に危険を感じさせるほどのものではなかった。アイゼンはよくきいた。アイゼンの立てる、悲しい音は、その夜は喜びの声に聞えた。あらゆるものが凍っているのに、どこからか山のにおいが感じられるほど、加藤の感覚は豊かであった。
疲労もなく、あせりもなく、彼は、淡い月の光の中につぎつぎと形をかえていく稜線の美しさに導かれながら、ゆっくり歩いていた。
明け方までには、烏帽子小屋につくことができるだろう。そこでひとねむりして、うまくいけば、明日のうちに濁小屋までいきつくことができるだろうと思った。
烏帽子小屋は雪に埋もれてはいなかった。強風のために雪は吹きとばされ、秋来たときと同じように月の光の中に佇立《ちょりつ》していた。小屋の中は暗かったが、誰《だれ》かが中にいるような気配が感じられた。
加藤文太郎は小屋の戸を叩《たた》いた。厳冬期に、こんな小屋に人がいるはずがないと思いながら入口を探した。窓が簡単に開いた。小屋の中には雪の堆積《たいせき》がなく、意外に乾いていた。どこかに人のにおいがした。懐中電灯で部屋の中を照らすと、三俣蓮《みつまたれん》華《げ》の小屋と同じように、ふとんが、梁《はり》にかけ渡してあった。
炉には、火が消えてまだそう時間が経過していない証拠に焼け残りの榾《ほた》があった。
加藤は、その小屋にごく最近まで人がいたということを考えるだけで楽しかった。十二月三十一日の朝、大多和峠を越えてから、八日間、人には一度も会ってはいなかった。
ひとりで山を歩いた経験は多かったし、二、三日の間、まったく人に会わなかったことはあった。だが一週間以上も人に会わなかったのは、生れてはじめての経験であった。
人間以外の動物とも会わなかった。たいてい山小屋ではネズミの姿を見かけるものだが、今度の山行にはネズミの姿さえも見かけなかった。兎《うさぎ》のあしあとも羚羊《かもしか》のあしあともなかった。
加藤は死の世界について考えたことがなかったけれど、彼がこころみた山行は、いわば死の世界を訪問したようなものだった。だから、烏帽子の小屋で人のにおいを感じたとき、加藤は、現世へひきもどされたような気がした。
(誰が、この小屋へ泊ったのだろうか)
彼は懐中電灯で泊った人のあとを探した。登山家ならば、缶詰《かんづめ》のあきかんとか、包み紙の端切れとか、なにか、そういったものの片《へん》鱗《りん》を残しているはずであったが、そういうものはなく、囲炉裏のそばに、獣類の毛が落ちていた。犬のものらしかった。猟犬が落していった毛か、猟師が身につけている毛皮の毛かわからなかったが、どうやら小屋にいたのは、猟師のように思われた。
加藤はひとねむりして起きたら、その猟師に会えるのではないかと思った。人に会って話ができるということが、いまの加藤にとって最大の楽しみだった。
眼を覚まして時計を見ると十時を過ぎていた。日は高く上っていた。吹雪はやみ、青空の下に、彼が踏破して来た白銀の峰々が静まりかえっていた。だが伏角《ふっかく》の視界に入って来る谷という谷には、霧がつまっていた。
彼はこういう場合、あとどうなるかよく知っていた。おそらく、二時間もすると、谷におしこめられていた霧は、山肌《やまはだ》に沿って動き出し、やがて山全体は吹雪の中に閉じこめられてしまうのである。
彼は出発の準備をした。
彼の山行計画はその終末に達しようとしていた。黒《くろ》部《べ》川の上流を左に眺めながら、Uの字型に歩いて富山県から長野県側に越えようとしていた。
加藤は小屋を出るとすぐ足跡を探した。犬をつれた藁靴《わらぐつ》の足跡があった。足跡から見て、一日か二日前のもののようだった。
加藤はその足跡についていった。おそらく猟師は猟を終って帰途についたものと思われる。猟師の跡をつけていけば、間違いなく濁小屋にいきつくことができるだろうと思った。
間もなく彼の身体は濃い霧の中に入った。猟師の足跡に乱れがあった。そこまで下降して来た猟師の足跡は、そこから急に、斜面をふたたび登りだしたのである。どうやら獲物の足跡を発見してそのあとを追ったもののようだった。そうとしか考えられなかった。そうだとすれば、これ以上猟師の足跡を追うことはばかげているし、そんなことをしていると日が暮れてしまうおそれがあった。
加藤は烏帽子小屋へ引きかえそうかと思った。烏帽子小屋へ引きかえして、夏道を、濁小屋までおりるのがもっとも安全だと思ったが、ここまでおりてしまうと、深雪のなかを烏帽子小屋まで引きかえすことはかなり困難だった。
迷ったと気がつくと、悪い条件が一度に、前にずらりと並んだ。深雪、やぶ、雪崩《なだれ》の危険などであった。
スキーと輪かんじきとアイゼンを交互に使っていると、ひどく面倒くさく、時間がかかった。
雪崩のあとはいたるところに口をあけていた。雪崩をさけるために尾根伝いにおりていっても、やがては、どこかで、雪崩の可能性がある斜面を通過しなければならなかった。
彼は、自分自身を叱《しか》った。人恋しさのあまり、猟師の足跡を追ったことが失敗のもとだった。
地図と磁石と、彼が歩いた時間を考えに入れると彼の位置は夏道より一つか二つ隣の尾根をたどっているように思われた。
「そうだとすれば、間もなく高瀬川にぶっつかるはずだ」
夜になって、霧が薄らぎ、やがて、月の光で、どうやら、おおざっぱな地形が観望できるようになると、加藤はそれまでよりも大胆に雪面を歩いた。遠くに滝の音を聞いた。それから間もなく彼は高瀬川の川原に行きついたのである。
川原の上に猟師と犬の足跡があった。猟師と犬に翻弄《ほんろう》されたような気持だった。
加藤は疲労をおぼえた。腕時計を見ると夜の十時を過ぎていた。濁小屋には筵《むしろ》がたった三枚しかなかった。八日間にわたる吹雪の山行の終着駅としては、あまりにも寒々としていた。猟師が立寄った気配もなかった。
加藤は小屋を出て、すぐ対岸に見える電力会社の社宅に眼をやった。そこには明りが見えた。
人が住んでいると思うと矢も楯《たて》もたまらなかった。
加藤は戸を叩いて一夜の宿を乞《こ》うた。電力会社の駐在員は、加藤の異様な姿を見つめたままで、しばらくは決心がつかないようだった。
「どこから来たのですか」
電力会社の駐在員は、きびしい眼を加藤に向けた。
「真川から山へ入って……」
「真川? というと富山県の真川ですか」
電力会社の駐在員はひどく驚いたようだった。真川から山を越えて来たことが嘘《うそ》のように思われたらしかった。
「真川を十二月三十一日に出て……」
加藤の口の動きは寒さのために重かった。途中で言葉を切ってから、
「今日は何日ですか」
加藤は日を聞いた。山日記を見れば、日はわかるのだが、すぐ今日が何日かといえるだけの自覚に欠けていた。
「まあ、お入りなさい」
駐在員は加藤を家の中へ入れて、
「今日は一月の八日です」
といった。
加藤は、風呂《ふろ》に入れられ、暖かい飯を出された。味噌《みそ》汁《しる》もあった。菜のつけものもあったし、干し鱈《だら》もあった。甘納豆とから揚げの乾《ほ》し小魚だけを食べつづけていた加藤にとって、この夕食は豪華に過ぎるものだった。
「山はひどかったでしょう」
食事のかたがついたころ、駐在員がいった。
「ずっと吹雪でした」
「そうでしょう。そんな山の中を、でっかい荷物を背負って、十日も……」
駐在員はわからないという顔だった。
「だが、無事に山を越えて来ました」
加藤はいった。
「そうですね。だが、それでいいのですかね」
駐在員はそれ以上のことはいわなかったが、加藤がやりとげたことが、想像を絶して、困難なことだということは充分理解しているようだった。
翌朝は雪が降っていた。
雪の中を十時に出発して、大町の駅についたのは午後の二時だった。松本で中央線に乗りかえ、さらに彼は塩尻《しおじり》、名古屋と二度乗りかえた。彼は乗りかえ以外の時間は汽車の中で眠りつづけていた。翌日の朝、名古屋で新聞を買った。
「関西山岳界の麒《き》麟《りん》児《じ》加藤文太郎北アルプスで遭難か」
偶然に開いた三面に、加藤自身の名を見たときの加藤の驚きはたいへんだった。加藤はつぎつぎと新聞を買った。
「単独登山行の第一人者、加藤文太郎雪の北アルプスに消息を断つ」
という見出しもあった。
記事によると、十二月三十一日、大多和を出発して以来、九日にもなるのに音《おと》沙汰《さた》がないから、あるいは遭難したのではないかと書かれてあった。外山三郎の談話が載せてあった。
(加藤にかぎって遭難するようなことは絶対にありません)
加藤は、会社の外山三郎あて電報を打った。無事に下山したことと、神戸に到着する予定を知らせた。
加藤が神戸の駅におりると、十数人の新聞記者が彼をかこんだ。写真のフラッシュがきらめいた。矢継早の質問も受けた。
彼は、なぜ新聞記者がおおぜいでおしかけて来たのか判断に苦しんだ。新聞記者に騒がれるようないいことも、勿論《もちろん》悪いこともしていないのに、これほど多くの人間が、彼を取り巻くことが不思議でならなかった。
「連日吹雪だったそうですね」
「食糧はどうしました」
「燃料は」
「なだれにはやられませんでしたか」
「たったひとりで十日間も吹雪の中を歩いて、越中から信濃《しなの》へ越えたなどということは常識では考えられないことです。なにかそれを証明するものがありますか」
「あなたは登山予定を誰《だれ》にもいわないで、山へ行ったというがほんとうですか」
「あなたが遭難するのは、あなたが好きでやったからしょうがないとして、はたの人にかける迷惑をどう考えていますか」
加藤は突立っていた。答えようがなかった。みんなが、自分を責めていることははっきりしているが、なぜみんなが自分を責めるか、それがわからなかった。
いちいち答えられなかった。黙っていると、それが肯定に取られるようにも見えたが、加藤は頑強《がんきょう》に沈黙していた。その加藤の態度が新聞記者を刺《し》戟《げき》したようだった。
外山三郎が加藤にかわって新聞記者に応対していた。加藤を弁護する外山三郎の口のあたりを眺めながら、加藤は、いったい、なぜこんなことになったかをもう一度考えようとした。
加藤の腕を誰かががっちりと握った。
「こっちへ来い」
強い力は加藤を新聞記者の囲みからひっぱり出すと、駅の前に待たせてある自動車におしこんだ。
自動車に乗ってから、加藤は相手が藤沢久造であることを知った。
「えらいことをやったものだ」
藤沢久造は加藤にひとこといっただけだった。自動車は海の見える館《やかた》の前で止った。藤沢久造は、加藤の荷物を、神戸登山会の事務室へ運びこんでから、彼をつれて、すぐ隣のホテルの地下室につれていった。
「ここのビフテキは旨《うま》いぞ」
藤沢久造は、地下室へおりる途中の壁のステンドグラス製のマッターホルンを見上げながらいった。
ふたりは、ずっと前に、佐倉と園子が坐《すわ》ったと同じところに腰かけた。
加藤はナイフとフォークを持ったまま考えこんでいた。
「加藤君、いっぱいやるかね」
加藤は首をよこにふって、
「藤沢さん、ぼくはいったいどうしたっていうんです」
「どうもしないさ、きみはおれと一緒にビフテキを食っているだけのことだ。飯を食ったら下宿へ帰って寝るんだな。新聞のことなんかあまり気にするな。とにかくきみは、誰にもできなかったことをやったのだ。単独行の加藤文太郎が完成したのだ」
そういって藤沢久造はコップのビールを飲みほした。
第三章 風雪
新聞記者たちは追及の手をゆるめなかった。いったん新聞紙上で取りあげた英雄をそのまま放ってはおけなかった。
吹雪の中の十一日間の手記を新聞に発表しろという要求があった。ことわると、それでは談話のかたちで発表したいから、インタービューに応じてもらいたいといって来る。電話で、そういって来るほうはまだよかった。直接会社へ面会を要求して来るものは二人や三人ではなかった。
加藤は、本来、そのように人にさわがれることは好きでなかった。まして、彼の顔が彼の許可なくして新聞に出たことは、暗闇《くらやみ》で水を掛けられたように不愉快なことに思われた。
「加藤さんのことが新聞に出ていますよ」
と下宿でいわれると、彼はそっぽを向いた。
「加藤さんはえらいんですね」
金川義助の妻のしまにいわれたときは、
「新聞に出るのが偉いんなら、金川義助の方がおれよりはるかに偉いだろう」
といってかえしたほどだった。
「でも、うちの人の名は、小さいでしょう。加藤さんのように写真入りで大きくでたためしはないわ」
しまが、彼女の夫と加藤とを新聞に出る大きさで比較しているのは意外であった。しまがそういう見方をしていることも、加藤にとって快いことではなかった。
加藤は怒った顔のままで二階の階段を登った。隣室の下宿人の油谷常行が新聞を片手にやって来ていった。
「加藤さんを見直しましたよ。あなたはどこか偉いところがあると思っていたがやっぱりね――」
ひどく感心した面持《おももち》で、新聞の顔と、実物とを見くらべながら、
「加藤さん、この新聞を持ってカフェーへいきましょう。持てますよ」
といった。
加藤は返事をしなかった。彼には、彼に関する新聞記事についての話は、いっさいが、揶揄《やゆ》に思われた。
会社で新聞記者の訪問を受けると、彼は顔色をかえた。
「加藤さん、御面会です」
庶務係の田口みやが呼びに来ると、加藤はどこかに隠れ場所でもさがすようにまわりを見《み》廻《まわ》した。隠れ場所がないとなると、加藤は、思いあまった顔で、課長の外山三郎に救いを求めた。外山三郎は、その加藤のおずおずした態度を見ると、思わず微笑しながら、加藤の介添役として、新聞記者の前に立たねばならなかった。
「関西の山岳界は、とかく、関東の山岳界におされ気味だった。ところが、関西の山岳界に加藤文太郎ありということになってから、関東の連中のわれわれを見る眼《め》が違って来たのだ。こんどのことを、関西の新聞が大きく取りあげるのは、やはり、関東に対するそういった対立意識がないでもない」
外山三郎は加藤にそう説明した。
「しかし、あれだけのことを、なぜ、これほど騒ぐのでしょう。ぼくにはわからない」
「記事がないからだよ加藤君、新聞を開いてみたまえ。暗い事件しかでていないだろう。去年の十一月には浜口《はまぐち》雄《お》幸《さち》が狙《そ》撃《げき》された。会社の倒産はあとを断たない。首切り記事、ストライキの記事、ストライキ弾圧の記事、それから一家心中の記事は、今朝二件もあった。新聞記者たちは、暗い記事にあきあきしている。読むほうも、なにか明るいものはないかと探している。そこに君の遭難未遂事件だ……」
外山三郎は加藤の顔色を見ながらいった。
「遭難はけっして明るい記事ではないでしょう」
「しかしね、同じ記事でも、山の遭難となると、ストライキや親子心中の記事とは違ってくる。なにか大自然と戦っている、力づよい人間像が浮び上って来るだろう。その加藤という人間像が遭難ではなく、偉大なる記録とともに生還したとなると新聞は書いてみたくなる」
「あれが偉大なる記録ならば、偉大でない記録はなくなるでしょう」
加藤はなんといわれても不機《ふき》嫌《げん》だった。社会が暗いどんぞこにあえいでいることは、加藤にもよくわかっていた。しかし、そのことと、加藤の山行がたとえ間接的にでも結びつくという、外山三郎の説に、加藤は賛成できなかった。
「ところで、加藤君、君のことが新聞記事に大きくでたので、重役たちの眼にとまったらしい。部長に呼ばれて、君のことを聞かれた」
外山三郎は、そのあとはいわなかったが、それだけで加藤には充分だった。山に行ってはならないとはいわないが、会社の仕事にさしつかえがないように、管理職にあるものは注意しろといわれたのに違いなかった。
「どうもすみませんでした」
加藤はあやまった。その席上で、外山三郎が、加藤のために、あれこれと弁解してくれているのが見えるようだった。
「別にあやまることはあるまい。予定より三日ばかり遅れただけのことだ。山だから、そういうことだってある。それに、君の平常の勤務ぶりがいかに立派なものであるかを、影村君が説明してくれた。部長は影村君のはなしを、そのまま重役に伝えたらしい。重役のひとりが、最後にこういったそうだ。加藤君が神港造船所の名前を宣伝してくれたと思えばそれでよいではないかとね。きみのことについてはそれ以上なにもでなかったそうだ」
加藤は外山三郎の話の中で、ひとつだけ腑《ふ》に落ちないものを感じた。影村技師が、加藤のために弁護したということであった。
(あの影村が――)
加藤は研修所時代、同期生の北村安春をスパイに使ったあの陰険な影村のことを、けっして忘れることはできなかった。
影村は加藤に親切だった。ディーゼルエンジンの本を貸してくれたり、加藤の設計図に、好意的な提案を与えてくれることもあった。加藤は、それを影村の御機嫌取りだと思っていた。やがて影村が課長になった場合は、彼の周囲に置かねばならない部下のひとりの中に加藤を見こんでいるのだろうと思っていた。いままではそれでよかった。しかし、今度の山の遭難事件について、影村が、部長のところにまでいって、加藤のかばい立てをしたということは、なんとしても加藤には了解できなかった。
「いまにわかるだろう」
加藤はひとりごとをいった。
「なにがいまにわかるのだ」
「いいえ、なんでもありません」
加藤は外山三郎の前を誤魔化して、さっさと、彼の製図板の方へ歩いていった。製図板の前に坐《すわ》ると、吹雪の中の雪洞《せつどう》で思いついたディーゼルエンジンの霧化促進のあの機構が頭に浮んで来る。彼はそれを一日も早く図面に書いてみたかった。設計する前にその着想を外山三郎に話そうと思ったが、恥ずかしくていえなかった。
彼は下宿の二階で、その仕事をやることにした。
製図板に向って、夜おそくまで、設計図を書いていると、手がかじかんでしまいそうにつめたかった。彼はときおり眼をつぶって、吹雪の稜線《りょうせん》の雪洞を思った。雪洞の中を粉雪がぐるぐる廻った。
「霧化促進、霧化促進」
彼はひとりごとをいいながら、例のとおり、石の入ったルックザックを背負って会社へ通った。
一月のおわりごろになって、彼はディーゼルエンジンの新設計案を書きあげた。圧縮比低下を防止するための、シリンダーヘッドの設計もできた。彼はそれらのデータと設計図を石とともに背負って会社へ通った。なにかの折に、外山三郎の前に出そうと思ったが、その勇気がでないでいた。
立木勲平海軍技師が設計室をおとずれたのは、ちょうどそのころだった。
「加藤君、たいしたことをやったじゃあないか。君が軍人であったら、金鵄勲章《きんしくんしょう》にも匹敵する手《て》柄《がら》だろうな」
立木勲平は加藤の肩をたたいて、
「その後どうだ。ディーゼル機関についてなにか、新しいアイディアでも思いついたかね」
といった。
立木勲平海軍技師は奇妙なくらい加藤を可《か》愛《わい》がった。設計室に来れば、必ず加藤に声をかけた。立木海軍技師は山が好きだった。しかし彼が加藤を可愛がるのは、それだけの理由ではなかった。立木海軍技師には、加藤の変り方が、希望の持てる変り方に見えたのである。一般社員と違った加藤の行動の中に、なにかしら、非凡なものがかくされているように思われた。
(ディーゼル機関の改良についてアイディアが浮んだら遠慮なく、おれのところに持って来い)
そういってくれたのも立木勲平だった。もし、そういうふうにいわれてなかったら、加藤の吹雪の中のアイディアは浮ばなかったであろう。加藤はそう思った。
「どうだね加藤君」
立木勲平の厚い手が加藤の肩に置かれると、加藤は胸がわくわくした。もうあのことを黙ってはいられなかった。
「実は、ちょっと思いついたことがあります」
加藤はそういうと、机の下におしこんであるルックザックの中から、大型封筒を取り出して、がさがさ紙の音をさせながら、彼の設計図を立木技師の前にひろげた。設計図の下に計算書を置いた。
立木技師の眼が飛び出すように見えた。こわい顔だった。そのうち、大きな声で一喝《いっかつ》されそうにも見えた。表情はしばらくくずれなかった。ときおり瞬《まばた》きをしたり、ごくわずかに首をひねったりするところから見ると、立木技師が設計図を読んでいることだけは確かであった。立木技師のうしろに影村技師が立った。外山課長が来て覗《のぞ》きこんだ。加藤のまわりには、第二課の主《おも》なる者がほとんど集まった。
「このアイディアのヒントは?」
加藤には立木技師の顔がおこっているように見えた。怒鳴りつけられるか、さもなければ、永遠に立上れないような侮《ぶ》蔑《べつ》の言葉の前提に思われた。
「吹雪の雪洞の中で思いつきました」
加藤は、追いつめられた動物を意識した。どうにでもなれという気持でもあった。居すわった者のように、彼の気持は意外なほど落ちついていた。加藤は、鉛筆で雪洞の絵を書いて、そのときのことを説明した。
「いつしか吹雪がやんで、外に出ると丸い月がでていました」
加藤は、そんな修飾語がいえる自分が不思議だった。
「加藤君、君のアイディアはすばらしい。天才的着想といってもいい。しかも実現性のある考えだ。ディーゼル機関の将来に新機軸を与えるものであるといってもいい。しかし……」
立木海軍技師はそこで言葉を切って、
「これを実用化するには、さらに綿密な設計と実験がいる」
そして立木技師は加藤の書いた図を外山三郎に渡しながら、
「この着想の実用化にかかるがいい。研究実験費についてはぼくから重役の方に話してやる」
加藤は頭のてっぺんがいたかった。頭のてっぺんに血が登りつめて、そのあたりが破裂でもしそうに痛かった。彼は、机にかじりついたまま、こきざみに身体《からだ》を震わせていた。
「加藤君、これからも君はちょいちょい山へひとりででかけるがいい。誰《だれ》もいない山の中での考えは、純粋であり、しかも飛躍的なのだ。な、加藤君、会社の休暇が許される範囲で、これからは堂々と山へ行くがいい」
加藤は、そのことばに何度かおじぎをして、顔を上げた。自分のことのように喜んでいる外山三郎の背後に、影村の赤く濁った眼が光っていた。
二月になると加藤は八日間を費やして鹿島《かしま》槍《やり》から後立山《うしろたてやま》縦走に入っていった。そして加藤は、それだけでは満足できず、その足で富山へ行き藤橋《ふじばし》から剣岳、立山をめざしての十日間の単独行をした。有給休暇を超過して山へでかけられたのは、立木勲平海軍技師の口添えがあったからである。
「思う存分冬山を歩きました。今年はもう山へはいきません」
加藤は山から帰って来るとそういった。加藤が山から帰って来ると、新聞記者が待っていた。
(加藤文太郎、またまた冬山単独行の記録樹立か)
というようなセンセーショナルな見出しで、彼の山行の概要を報じた新聞があった。新聞記者嫌《ぎら》いの加藤が逃げ廻れば、逃げ廻るほど、新聞は彼を追った。
新聞ばかりではなく、彼の単独山行について、あらゆる山岳会が注目した。加藤の山行記録が掲載された山岳雑誌は、若い社会人登山家たちに愛読された。加藤の名声と反比例して加藤の陰口も多かった。
(加藤文太郎はラッセルドロボウである。ああいう登山ならだれにでもできる)
文章にこそ書かないが、そういうことをいいふらすものがあった。彼の山行記録のなかには、他人のラッセルの跡を踏んだことは何回かあった。しかし、それは彼の記録のなかのほんの一部であった。ラッセルドロボウとは悪意に満ちた中傷だった。
なにもいわず、たったひとりで、足音も立てずに、迫って来る、社会人登山家加藤文太郎の存在は、それまで日本の山を特権階級の私物として考え、山小屋も、案内人も、すべてこれらの山の貴族たちの従属物であるかのごとき誤った考えを持っていた、一部の登山家たちにとっては、眼《め》障《ざわ》りだった。
山の特権階級は加藤文太郎のあら探しを始めた。加藤文太郎の山行記録にいつわりがあるなどと、ある山岳会の席上で発言した者もあった。加藤が真川から大町までの厳冬期単独行の中で、ひとつひとつの山の頂上を意識して踏んでいき、この記録を書き残したのはこのような中傷に応《こた》えるためであった。
加藤文太郎は、山の特権階級に挑戦《ちょうせん》するために山へ行くのではなかった。記録を作るためでもなかった。彼はいまや山そのものの中に自分を再発見しようとしていたのである。ヒマラヤという実質的な目標があったが、ヒマラヤだけが加藤のすべてではなかった。
加藤は山に恋していた。山に敬服していた。そして彼は、その山を、時としては敵として戦った。
加藤はつねにひとりであった。
(加藤は人間ではない。およそ人間としては考えられない行動を取っている。野獣が、雪の中に平気でいられるように彼自身もまた野獣に近い人間である)
といったふうなことをいう者もあった。
加藤に山の中で会ったという話はいくつか語られた。大《おお》雪崩《なだれ》のあとから、悠々《ゆうゆう》と這《は》い出して、雪をはらって、そのまま山へ登っていったとか、厳冬期の真夜中に、前穂稜線を歌を歌いながら歩いていたというふうな伝説に近い話がまことしやかに喧伝《けんでん》された。
加藤に対する評価がなんであっても、加藤は黙っていた。
(加藤という男は神戸のある造船所の一介の製図工である。冬山へいきたくとも、案内人を雇うだけの金がないから単独行をするのである。登山用具も買えないからすべて手製である)
というふうな筆法で加藤を評した登山家があった。そう書いた人が山岳界において、かなりの位置にいる者であったから、そのことは真実として伝えられた。
「一介の製図工とはなんだ。加藤文太郎は、たしかに研修所時代には製図工としての訓練を受けた。だが彼は、技手となり、設計を担当している。加藤は優秀な技術者だ。加藤が考案したディーゼルエンジンのシリンダーの改良案が製作会議を通過すれば、おそらく彼は技師になるだろう。伝統ある神港造船所の技師といえば、機械設計技術者にとっては最高に近い地位である――それを一介の製図工とは……」
外山三郎は、その山岳雑誌を手にして怒った。
「一介の製図工で結構ですよ。貧乏人で結構ですよ」
加藤は、そういうことは一向気にしなかった。
「しかしな加藤君、君もそろそろ結婚してもいい年だ。もう少し服装のことを考えたらどうかな」
外山三郎は加藤が貯金していることを知っていた。その貯金がかなりの額になっていることも想像できたが、それがヒマラヤへ行くための貯金だとは知らなかった。
「貯金をすることはいいことだ。しかしね加藤君、そのために若い時代の生活を犠牲にすることはないだろう」
外山三郎は、加藤がケチだとは思いたくなかった。守銭《しゅせん》奴《ど》ではないことがわかっていた。それなのに、加藤が、なぜ貯金に熱を入れているかわからなかった。それだけが、加藤の中の未知の世界だった。
「きみは、いまだに、ナッパ服しか着ていない。そういうところが、一介の製図工というふうに誤解されるもとになるのだ」
それでも加藤は、いっこう平気な顔でいた。外山三郎のいうことを聞きながら、おれだって背広ぐらいあるんだと思っていた。園子と会うために買った背広があるが、着ないで押入れにしまってあった。
園子のことは、ときどき加藤の頭の中に浮び上って来ることがあった。なぜ園子は突然、神戸を去ったか、彼女を神戸から追出した原因が佐倉秀作にあることはわかっていても、その真相は知らなかった。
園子から電話があったのは、八月の終りだった。電話がかかって来たのは、昼食時間で、加藤は、いつものように、彼の仕事場でディーゼル機関の本を読んでいた。
「加藤さん、あなたのお名前、新聞で拝見しましたわ。一度御連絡しようと思っていましたけれど――」
園子は以前と同じような明るい声をしていた。
「神戸にいるのよ。三宮《さんのみや》の駅の近くに働いているのよ」
働いているということばが、その後の園子のあり方を示しているように思われた。園子は、彼女が働いている喫茶店の名前を教えたあとで、
「小父《おじ》様にはだまっていてね」
と念をおした。
加藤は躊躇《ちゅうちょ》しなかった。その日仕事が終ると、いつものようにルックザックは背負わずに、走るようにして下宿に帰ると、背広服に着替えて、夜の町に出ていった。
ベルボーという喫茶店はすぐわかった。園子はそこのカウンターにいた。彼女は変っていた。髪の形も、化粧の仕方も、服装も変っていた。そこにいるのは前の園子ではなく、飾り立てた園子だった。美しく見えたが、それは、装ったものであって、本来の彼女の美しさが失われたものであることに気がつくまでには、そう時間はかからなかった。加藤はややたじろいだ。彼女の変り方よりも、一年の間に彼女が歩いた道を覗《のぞ》こうとして、彼は声をひそめていった。
「どこにいっていたんです」
「案外、近いところにいたかも知れないことよ」
園子は笑った。笑うと、白い糸切り歯が見えた。それだけは昔のままだった。
「店が終るのは十一時、それからあとしまつをして帰るのが十二時ごろ、だから――」
園子はあたりを気にするように見廻してから、
「あさっての日曜日の朝、お会いしましょうね、場所は……」
客が来たので加藤はそこに突立っているのもおかしいから、奥へいって席に坐《すわ》った。加藤は飲みたくもないコーヒーを飲みながら、喫茶店というものをしみじみと観察した。客は二十人ほどいた。サービスのための女の子が三人いたが、多くは部屋の隅《すみ》に壁の花のように突立っていた。時には客のところにいって、ふたことみことしゃべっては引きかえすといったようなことを繰りかえしていた。客は若い男だけで、坐ったら、そう簡単には動かず、飲みかけのコーヒーを前にして、やたらに煙草《たばこ》をふかしていた。男が新しい煙草を口にくわえると、立っている女はそこへ直行してマッチをすった。そのときを狙《ねら》って、男は、短いことばを吐いた。女の眼《め》がそのたびに光った。
その喫茶店へやって来る男たちは、三人の喫茶ガールを張りに来ていることは明らかであった。二十人ほどの客の中には、明らかに、やくざ風の男もいた。
一時間も坐っていると、その喫茶店へやって来る客の中の幾人かは、カウンターに坐っている園子を目当てにしていることがわかるようになった。彼らは、チャンスを作るのがうまかった。園子の坐っているカウンターのそばには電話機と電話帳があった。園子に近づこうとする男は、電話をかけるようなふりをしながら園子と話した。やはり短い、要領のよいやりとりだった。それらの男に園子がいちいち微笑を持って答えているのを見て、加藤は、つきとばされたような思いにさせられた。
加藤はそれ以上喫茶店にいることができなかった。居るべきところでもないと思った。彼はカウンターへ行って黙って財布を出した。園子は笑顔で、またいらっしゃいといいながら、マッチをくれた。そのマッチの上に鉛筆で、今度の日曜日、九時、高取山神社前と書いてあった。
高取山の石段を加藤は走って登った。園子は来ていなかった。加藤は石段を二往復した。
園子は約束の時間よりも三十分おくれてやって来た。待たせて悪かったとはいわなかった。遅刻の三十分は予定のなかに繰りこんでいたような顔だった。園子はまず化粧を直した。そして、眼を海に投げて、
「船がたくさん出ていくわ」
といった。外国航路の船が三隻《せき》、煙を吐いて港を出ていくところだった。
「加藤さん、外国へ行ってみたくない?」
園子は、いささか気になるほどの短いスカートを穿《は》いていた。
「それは行ってみたいさ」
ヒマラヤへ出かけるときには、ああいう豪華船に乗ってでかけるのだと加藤は考えていた。
「行ってみたいだけではなく、私は行くつもりよ」
園子は加藤を誘ってベンチに腰かけると、
「変ったでしょう」
と自分のことをいった。
「べつに……」
変ったというのが悪いような気がしたからだった。
「なぜ変ったか聞きたくないの加藤さん」
園子はからかうような眼で加藤を見ると、
「要するに私はしたいことをしたくなったのよ。それが私の運命なのよ」
園子はそういって笑った。笑いの中に、暗い翳《かげ》が走ったが、さりげなくやり過すと、
「私というものを、ほんとうに理解していただくには、私の出生の秘密を話さなければならないわ。つまり私は、正当でない結婚の中に生れた子供というわけ。よしましょうね、こんな話」
加藤はその先が聞きたかったけれど、
「神戸にはいつ来たの」
ありふれたいい方をした。
「そう、去年の夏ごろからかしら、――舞い戻《もど》って来たのよ。神戸は私にとって、執着に値するところだからよ」
園子は真《まっ》直《す》ぐ前を向いたまま、
「私は過去のことは過去のことだと、簡単にあきらめることができないのよ。だから神戸に帰って来たのかも知れないわ」
あきらめられないそれが、なんであるかは加藤にはわからなかった。だが、加藤には、園子の口ぶりで、あきらめ切れないものが、彼女の愛情問題と関係あることだけは想像できた。
「あの喫茶店に勤め出して長いんですか」
「そうね、三つきかしら四つきかしら。はじめは手伝いということだったけれど、もう手伝いではなくなってしまったわ」
「たいへんでしょうね、夜おそくて」
「ちっともたいへんなことなんかないわ。ばかな男たちを相手に、コーヒーを売っていればそれでいいのですから」
「ばかな男たちのなかには、ばかでない男もいるでしょう」
「おりますわ。十一時までねばって、私をアパートに送るんだときかない男や、しつっこく手紙をよこしたり、おつりを受取るふうをして、私の手を握ったり」
「やめたらいいでしょう、そんな不潔なところ」
加藤は怒りを顔に出していった。
「不潔なところかしら。それなら、うちの店へ来る客はみんな不潔ということになるわけね」
園子は声を上げて笑った。園子の笑い方がおおげさだから、となりのベンチにいた家族づれが、こっちを向いた。
「なにがおかしいんです」
「そういうことだと、あなたの友人も不潔になるからなんですわ」
「ぼくの友人?」
友人の誰《だれ》かが、ベルボーへ行くのだなと思った。誰だろうと考えてみても、わからなかった。
「名前はその友人の名誉のために伏せておくことにしましょうね」
園子は、そこで大きな欠伸《あくび》をした。加藤と高取山で落ち合ってはみたが、一時間もしないうちに退屈してしまっているような仕《し》種《ぐさ》だったが、加藤は、その園子を退屈でないようにしてやる方法を知らなかった。
「歩きましょうか」
と加藤が誘っても、園子は気乗りがしない顔をして、
「加藤さんは、まだもとの下宿にいらっしゃるの」
と話をはぐらかした。
「そうです。ずっとあの下宿です」
「一度行ってみたいわ」
「きたないところだけれど、よかったら――」
「そう、じゃあこれからお伺いしようかしら」
園子は椅子《いす》から立上った。
加藤は、意外な結果になったことを、半ば悔いていた。女性を彼の下宿に伴っていくなどということは考えてもみなかった。園子の方からいいだしたことであっても、なにか、その裏にあるようにも思われた。加藤の下宿を見たいということは、加藤の生活にふれたいということであろうか。園子が加藤をいまもなお、結婚の対象として、見ているのだとは考えられなかった。
(園子の気まぐれかも知れない)
そう思えば気楽だった。
加藤は園子と肩を並べて高取山をおりた。園子がタクシーを拾った。あっという間にタクシーを拾って、さっさと乗り込んでから加藤を招いた。
加藤は神戸市内をタクシーで通るなどということをしたためしはなかったし、隣に坐っているのが女性だということも、加藤にとって薄気味悪いほど、おかしなことに思えてならなかった。
タクシーは加藤の下宿の近くで止った。
玄関を開けると、子供を背に負った、金川しまが立っていた。どこかに、買物にでも出ていきそうな格好だった。
しまは加藤とともに入って来た園子に、無意識に軽く頭をさげた。園子はやや尊大にかまえていて、ちょっと顎《あご》を引いただけだった。
しまは園子になにかいいたげだったが、なにもいわずに、園子のすべてを見て取ろうとするように鋭い視線を注いでいた。そばにいる加藤の存在は無視していた。しまは、いきなり、そこを訪れた、この家にふさわしからぬ派手な洋装をした女に、本能的な反発を感じているようだった。園子はしまの眼を平然と受けとめていた。挑戦に応じて動かない眼であった。視線は四つにからまって、ほどけなかった。どちらかが、眼をそらせないかぎり、永久に、眼と眼のたたかいは続くように思われた。戦う理由はなかった。ただそこで偶然会っただけのことなのだが、そのとき二人の女は敵視し合っていた。
しまが背負っている子供が、むずかり出した。しまは、首をうしろにひねって、いい子だねといった。つめたい眼と眼の睨《にら》み合いのバランスがくずれた。
「お客様?」
と、しまは加藤にいうと、手に持っていた買物籠《かご》をそこに置いて奥へ入っていった。
多幡新吉老人の咳《せき》の音がつづけて聞えた。
「どうぞ」
加藤は園子を誘ったが、園子は、そこからすぐ二階へつづく階段へちょっと眼をやったままで、すぐその眼を、しまの入っていった奥の方へ投げた。
しまの出て来るのを待っているようだったが、しまは二度とは出て来なかった。
「私帰るわ」
園子がいった。
「どうしたんです、園子さん」
「私はしたいことをするために神戸へ帰って来たんだって、さっきいったでしょう――私は帰りたくなったのよ。さよなら」
園子は身をひるがえして外へ出ていった。園子の靴《くつ》の音がしばらく聞えていた。
加藤の部屋には鏡がなかった。鏡が必要なときは階下におりていって洗面所の鏡に向えばいい。そこには古ぼけた鏡が置いてあった。鏡の面の数分の一は、硝子《ガラス》の裏に塗ってある水銀がはげて、鏡の役はなさなくなっていた。そういう鏡なのに、水島商店という字だけがはっきりと残っていた。水島商店などという名は、この近所では聞かない名前であった。おそらく、その鏡は、この家が建てられた当初に、どこからかもらい受けたもののように思われた。
加藤は、剥《は》げちょろけの鏡の前に立って、ネクタイを結んでいた。加藤にとって、苦手のひとつは、このネクタイというしろものだった。紐《ひも》を首にひっかけて、喉《のど》のところで結ぶなどという西洋の風習を呪《のろ》いながら、彼はネクタイを結んだ。自分自身で首をしめるような行為が、人間の作法につらなっていることに彼は疑問を感じた。ネクタイはうまく結べなかった。どうやら結べても、両端の長さが合わなかったり、結び目が大きすぎたり、小さすぎたりした。ネクタイ結びに苦心していると汗が流れ出てくる。汗はワイシャツの襟《えり》を濡《ぬ》らした。
「加藤さん、おめかしね」
金川義助の妻のしまが鏡を覗《のぞ》きこんでいった。
「男にもおめかしがあるのですね」
「それはありますよ。男の人だって、俳優さんなんかは、舞台以外でもお化粧しているっていうでしょう」
「そうですか」
加藤は鏡に写るしまの顔が、病的にまで世帯《しょたい》やつれしているのを眺《なが》めながら、女房《にょうぼう》子供をほったらかして、行方をくらましている金川義助のことをふと思った。
「あのひとに会いにいくのでしょう」
としまがいった。
あのひとといわれても加藤には誰のことをいっているのかすぐにはわからなかったが、
「でも、きれいなひとね」
としまがつけ加えたので、彼女がいっているあのひとというのは、園子に違いないと思った。しかし、讃《ほ》めるなら、きれいなひと≠ナいいのに、でも≠ニいったのは、しまが決して園子を率直に美しいと讃めているのではない証拠のように思われた。
「そうではない」
加藤はふりかえっていった。ネクタイはどうやら結ばれていた。
「いいのよ弁解しないでも。加藤さんだって、ひとりやふたり、女のお友だちがあったって少しもおかしくはないことよ」
そして、しまはつめよるような眼をして、
「なんていうひと」
と名前を聞いた。失礼ないい方だったが、その失礼さを少しも意にかけていないようだった。当然聞く権利があって聞くのだというふうないい方だった。
「先月、ちょっとだけ、ここへ顔を出したことのある園子さんのことをいっているのですか」
「園子さんというのね」
園子さんとしまは、覚えこむように、二、三度口の中でつぶやいてから、
「あのひとの眼は、わたしきらいだわ」
といった。おかしなことをいう女だと思った。しまがなぜ、園子に関心を持つか加藤にはわからなかった。女性同士の反発感情として簡単に割り切れるものではなかった。
「あの女の眼は陰険だわ。なにかたくらんでいる眼だわ」
「園子さんの眼がどうだって、あなたに関係はないでしょう。それこそ余計なことだ」
加藤は不満を顔に出した。
「余計のことかも知れませんけれど、私は加藤さんに忠告したいのよ。あの女はよくない女よ」
加藤はそれ以上、しまと話しているのがいやになった。しまはどうかしているのだ。偶然のように現われた園子に敵対感情を持つ理由はなにもなかった。しまは生活に行き暮れて、いささか神経過敏になっているのだ。
「金川君からその後なにか連絡がありましたか」
加藤は話題をかえた。
「ぜんぜんありません。生きているぐらいのことを知らせてくれたってよさそうなのに、なにひとついってはこないんです。あのひとはもうここへは帰らないかも知れません」
金川のことを聞かれると、しまは急に全身から力が抜けたように肩をおとして、ほとんど、反射的と思われるほどの速さで眼に泪《なみだ》を浮べた。
「私のことはどうだっていいんですけど、坊やのことが……」
しまは、エプロンの端を眼に当てた。
玄関を開ける音がして、加藤さんいらっしゃいますかという若い男の声が聞えた。加藤はほっとした。しまに泣きつかれたらどうしようと思っていた矢先だった。
宮村健《たけし》が玄関に姿勢を正して立っていた。
「お迎えにあがりました」
宮村がいった。
「お迎えに?」
加藤は耳馴《な》れないことばを聞くような顔をした。
「今日の講演の図表類でもあるかも知れないから、迎えに行けと志田さんにいわれました」
志田虎《とら》之《の》助《すけ》がいったにしても、お迎えにあがりましたというのはおおげさだった。
「図表はあるが、たたんで持っていけるものばかりだ。わざわざ迎えに来てもらうほどのことはなかったのに」
「しかし、私は迎えに来てしまったんです」
宮村健は子供っぽい風貌《ふうぼう》を持っていた。声までが、少年のようだった。迎えに来てしまったんです、といって毬栗頭《いがぐりあたま》に手をあげる格好も少年だった。宮村はナッパ服ではないが、ナッパ服に似たようなものを着ていた。おそらく、どこかの古着屋からでも探しだしたような、上下の色が、いくらか違った作業服だった。
「工場に勤めているのですか」
歩き出してすぐ加藤は宮村に聞いた。
「会社の事務所の方をやっています。ぼくは商業学校出ですから工場の方はだめなんです」
宮村健は大型封筒に入れた加藤の図表類を、しっかりとかかえこんでいた。
「さっき、講演といったが、きょうの会は講演というほど大げさのものではない。集まる者だって、せいぜい二十名ぐらいだろう」
「でも、講演には違いないのです。講演が一時間、座談会が一時間か二時間、みんなは、その座談会のほうに、期待をかけているようです」
そういってから、宮村は、ああそうだ、座談会のお茶菓子を買って帰るように志田さんからたのまれた、とひとりごとをいった。
日が頭上から照りつけていた。加藤は、カンカン帽子を取って、額の汗を拭《ぬぐ》いながら、
「この暑さにお茶菓子でもないだろう」
「はい私もそう思います。だが志田さんはお茶菓子を買ってこいといいました」
「西瓜《すいか》を買っていこう」
「西瓜ですか」
宮村健が、それにしては、志田虎之助にもらった予算がたりないというふうな顔をするのに、
「おれが金を出す。でっかいのを四つばかり買っていって、冷やして置いたらいいだろう」
そのとき加藤は、しばらく前に外山三郎に、金を貯《た》めるのはいいが、他人にケチだといわれるようなことはするなといわれたことを思い出していた。ヒマラヤ貯金のことを外山三郎さえも知っていないということは愉快でたまらなかったが、ケチだといわれるのはいやだった。加藤は八百屋を見つけて入っていった。四個の西瓜をふたりでひとつずつ両手にさげていこうという加藤の主張をはねのけて、宮村健は二つずつ別々に包んだ西瓜を両手に携《さ》げてふうふういいながら歩いていた。加藤は、いまさらのように宮村健という男を見直した。
「ねえ加藤さん」
宮村は坂道を登りつめたところでひといき入れながら加藤にいった。
「今年の冬にはひとりで八ヶ岳へ入ろうと思っています」
「ひとりで八ヶ岳へ」
「はいそうです。地図遊びは、終りました。夏山もほとんど歩きました。須磨《すま》から宝塚《たからづか》まで縦走して、その日のうちに、神戸まで歩いて帰るのも、そうむずかしいことではなくなりました。一応、歩く基礎はできましたから、今度は冬山に入ろうと思います」
加藤は驚いて、宮村健の顔を見た。いつか志田虎之助が、宮村という男が、加藤の真似《まね》をして、地図遊びをやっているといったことがあったが、その地図遊びが、冬山単独行にまで延長されているとは知らなかった。
「ぼくは加藤さんの歩いたあとを一生懸命歩いているのです。いつかは追いつけると思っているのですが、加藤さんは私を待っていてはくれずに、どんどん先へいってしまいます」
宮村が笑った。
加藤はその話をけっして快く聞いてはいなかった。他人に尾行されているようで、いやな気持だった。宮村がなぜ、加藤のあとを追うつもりになったのかも、理解に苦しむことだった。
「ほんとうに加藤さんは偉い人だと思っています」
「偉い人だって」
加藤は不思議なことばを聞くような顔をした。
「なぜおれが偉いのだ」
「加藤さんは、日本における単独行の第一人者です。日本の山岳界に活を入れた登山家なんです。関東の山岳会の奴《やつ》らに頭をさげさせようとしている偉大なる実践者なんです。山はおれたちだけのものだと思っている特権階級から山を取りもどそうとしているわれわれ庶民の英雄です」
宮村はその英雄のためにひと働きしている光栄に胸をわくわくさせているようだった。加藤はあきれた。宮村の心情を疑った。そして彼は宮村のいった英雄ということばに焦点を当てた。宮村がしゃべったことも、いまげんに、しゃべりつづけていることも耳に入らなかった。英雄という字が頭の中で膨張《ぼうちょう》していき、その字が支え切れないほど重くなって、雪崩《なだれ》のように彼におおいかぶさって来た。
「きみはなにか、たいへんな思い違いをしているようだ。きみの心の中には自分勝手な英雄像がつくり上げられているようだ。そういうふうな眼でおれを見ているかぎり、きみはいっぱしの登山家にはなれないぞ。英雄の存在するかぎり、その英雄の踏み台になるものが必ずある。だからおれは英雄というものが好きではない。おれはひとりが好きだから、ひとりで山へでかけていくだけの話なんだ。おそらくきみには、おれの気持がわかるまい。おれが山へいくほんとうの気持もわからないで、おれの真似をすることはきわめて危険なことなのだ。やめたまえ、ひとりで冬山へ入るなどというばかげたことは、やるものではない」
加藤はかぶさりかかって来た英雄をはねのけると、それ以上、宮村健にいってやるべき言葉を見失ったように、しばらく、宮村健の顔を見ていたが、彼が宮村健にいってやったことがもしかすると、自らを英雄の座に置いての上の発言のように思われはしないかと心配になった。偉いといわれたいために偉くないのだと、見せかけだけの謙虚さを、示しているのだと思われたくはなかった。
加藤は内省した。言葉に出さずに、彼の困惑と自嘲《じちょう》が、彼の表情に、彼らしい皮肉と哀愁をこめた微笑となって動いていった。
「すみませんでした」
宮村健は率直に謝った。両方の手に、重い西瓜を携《さ》げたままで、すみませんとおじぎをする宮村の格好はふきだしたくなるほどおかしかった。
加藤は宮村健を心の中で許していた。
黙って歩いていると、汗が気になった。山を歩いているときはちっとも汗が気にならないのに、町を歩いていると汗が邪魔になるのはネクタイのせいだと思った。彼はこのわずらわしいネクタイを取りたかった。山の話だから、登山姿で会場に出ても、さしつかえがないことだし、むしろその方が喜ばれるだろうと思っていながら、窮屈な背広にネクタイをつけて来たのは、やはり世間の噂《うわさ》を気にしだしたのだろうか。
一介の製図工というふうな中傷と侮《ぶ》蔑《べつ》に満ちた言葉を登山家の一部が彼に投げつけていることに対するレジスタンスがこういう、窮屈きわまる格好となって表面に出たのだと思うとばかばかしくもなる。
そんなとき加藤は自分を投げ出したくなるほどいやだと思った。ほんとうはそっとして置いてもらいたかった自分が、いつの間にか、そうしてはおられなくなったことがいやでたまらなかった。
(ひとりで山を歩くことが、なぜそれほど問題になるのであろう)
海の見える館《やかた》の前には神戸登山会の会長の梅島七郎が立っていた。
「いやあ、ごくろうさんだね加藤君」
梅島七郎はそういってから、ごくろうさんということばを、四つの西瓜を、汗みどろになって携げて来た宮村健の方にかけてやるべきだったというふうな顔をした。梅島七郎は、背中まで汗が通っている宮村健のナッパ服に眼をやって、
「たいへんだったろう」
とひとこというと、かえす眼で加藤のカンカン帽子から背広服姿をじろりと眺めおろして、ピカピカに磨《みが》いた靴先《くつさき》に止めた。
梅島七郎の眼の中には、明らかに批難の色が浮んでいた。重い西瓜を宮村健ひとりに持たせた、加藤の非常識と冷酷さをなじっているようだった。
加藤はその眼に眼で応《こた》えただけで、口ではなにもいわなかった。いっても無駄《むだ》だと思った。
「加藤君もこのごろはすっかり偉くなってしまったな」
梅島七郎は加藤と肩をならべて階段を登りながらいった。
「ちっとも偉くなったとは思いませんが」
「君はそう思わなくても、世間では、そう思っている。今日だって、二十人の予定が、四十人になった。西瓜は四つでは足りそうもないな」
梅島七郎は西瓜にこだわっていた。
「足りなければ、あなたがお買いになったらいかがですか。ぼくは二十人だというから四つもあればいいと思ったんです」
「すると、あの四つの西瓜はきみが買ったというのか。君が買って宮村に持たせたというのかね」
「ぼくが買いました。ふたりで持とうというのに、彼はどうしても、自分で持っていくといって聞かないから、彼に持ってもらったんです」
「彼は君の崇拝者の一人だからな、そうもしよう。山の英雄ともなれば、黙っていても、子分のひとりやふたりは向うからやって来る」
加藤は階段の途中で立ち止った。加藤が怒ると口をとがらせる。なにか、はげしいことばをいおうとして、がまんしていると、顎《あご》を少々前に出すくせがでる。梅島七郎がいった英雄ということばが癪《しゃく》だった。
「帰らしてもらいます」
「なに、帰る。どうしたんだね加藤君」
加藤が帰るといってから、梅島七郎は、加藤が怒っていることに気がついた。
「あなたが、この会の司会者だから帰るんです。不愉快なんです、ぼくは」
しかし加藤は、雄弁ではなかった。不愉快だという彼の気持を、梅島七郎に伝えることはできなかった。
志田虎之助がふたりの間に入った。加藤は志田虎之助のあとについて、会場から少し離れた廊下のすみに立って、海に眼をやった。
「海の見える館《やかた》とはよくいったものだ。ここからは神戸の海が一目で見わたすことができる」
志田虎之助は海にやった眼を下へおとした。加藤の話を聞きに来たらしい人の姿が見えた。
「予定数をはるかに超過した。五十名は来るだろう。みんな君の話があるということを伝え聞いてやって来た者ばかりなんだ。どうだね。気分を直して、やってくれないか、きみがしゃべらないとなると、みんなはがっかりするだろう。梅島さんは、別に悪気があっていったのではない」
加藤はそれには答えず、黙って立っていた。
加藤は海の見える館を出た。梅島七郎や志田虎之助が夕飯でも食べにいこうと誘ってくれたが、用があるからとことわった。日曜日だった。なんの用もなかった。下宿に帰って、飯を食べて、山の本を読むくらいが用といえば用であった。
加藤は計画的に生活を規制していた。それは、彼が山にいってつねにそうであるごとく、下界においても、自分で作った規律に自分をはめこむということに、彼自身の人生を見《み》出《いだ》そうとしていた。だから彼にはつねにスケジュールがあった。レールの上を走らない日はなかった。それにもかかわらず、その日の加藤は、山の会に出席したあとの予定が樹《た》ててなかった。山の会のあとの時間は漠然《ばくぜん》と空けて置きたかったからであった。
彼はなにかのきっかけを待っていた。きっかけによっては、きわめて無作意な、日曜日の後半を過してもいいと思っていた。朝から漠然とそんな考えを持っていた加藤は、山の会が終ると、まったく、勝手気《き》儘《まま》な方向に歩き出したのである。
彼はかなりの速足で海の見える館をあとにした。他人に話しかけられたくなかった。彼は窮屈きわまる午後の山の会のことを一刻もはやく忘れたかった。加藤はしばしば壇上で立往生したことを思い出した。答えられないのではなく、あまりばからしい質問だから答えなかったのである。
ばからしい質問は座談会になるともっと増えた。同じことを二度も三度も質問された。一対五十では均衡を欠いていた。加藤はつねに口を開いていなければならなかった。
加藤は、二度とこういう会には出席したくなかった。加藤が、つまらない質問を迷惑がったり、そういう質問には口をとがらしたままで答えなかったりするのが、そこに集まった山男たちに一種の感動を与えたようであった。加藤文太郎らしい風貌《ふうぼう》だと、いささか彼を知っている者たちは、愉快がっていた。
加藤は足の向くままに歩いていた。とにかく歩けば、頭の中のもやもやしたものが霽《は》れていくに違いないと思っていた。宮村健に呼びとめられたのは、かなり歩いてからだった。
「黙って従《つ》いて来たんです」
宮村健は笑いながら、実は前に一度、好山荘運動具店のかえりに加藤さんの下宿まであとをつけたことがあったといった。
「子供だよ君は」
「子供かも知れませんが、ぼくは加藤さんのあとを従いて歩きたいのです」
「おれが本気になったら、きみには従いて来られるものではない」
「それはそうでしょう。でもぼくは従いていきます。ぼくは勝手に従いていきますから加藤さんは行きたいところに、どうぞ勝手に行ってください。ただ黙ってついていくのは気がひけますから、ちょっとことわっただけなんです」
宮村健は加藤のあとを従いて歩くのが彼の仕事のように、数歩うしろにさがったところでにやりと笑った。
加藤の歩調は変らなかった。振子の等速運動のように正確に足を運びながら、起伏の多い山手の方へ向っていった。坂を上るときも下るときも同じ速度だった。うしろをふりむかなかった。迷路へも入らなかった。ただ彼は人通りの少ない道をえらんでせっせと歩いた。宮村健がどこまで追従して来るかが楽しみだったが、おそらく宮村健が、追従できないで、音《ね》をあげるのは、二、三時間後だろうと思っていた。
山王町から祇《ぎ》園《おん》町に出て楠谷町、再度筋町を通って諏訪《すわ》神社の近くまで来ると、加藤の足は急に速くなった。そして北野天神のあたりから南に折れると、そこからは三宮に向ってとっととくだっていった。北野天神まで来て加藤は三宮の喫茶店ベルボーにいる園子のことを思い出した。
目的がきまると加藤の足は速くなった。宮村健は追いつけなくなって走った。
喫茶店ベルボーに入ったとき、宮村健は苦しそうに呼吸をしていた。
「どうなさったの」
カウンターのそばに立っていた園子が加藤に聞いた。
「なあに、ちょっといきが切れたっていうだけのことさ」
園子は息を切らせている宮村健のために、コップに水をいっぱい汲《く》んで、ボックスへやって来ると、
「ずいぶん走ったの」
応える前に宮村健はコップの水を飲みほして、
「加藤さんのあとを追って来たんです。加藤さんの足の速いこと、そのはやいこと……」
宮村健は腰につりさげている手拭《てぬぐい》で汗を拭《ふ》いた。
「山をおやりになるの」
園子は加藤に宮村のことを聞いた。
「宮村君はすでに立派な登山家だ」
「立派な登山家? いいえ可愛《かわい》らしい登山家だわ」
園子はそういって笑った。宮村は照れた。園子の方が、二つ三つは年齢が上だったが、可愛らしいといわれると、なんだか、からかわれたような気がした。
「加藤さんにくらべたら、まだまだ僕《ぼく》の登山は可愛らしいみたようなものだ」
宮村の呼吸はやや整っていた。
「いいえ、あなたの登山のことをいっているのではないわ。私はあなたが可愛らしいといっているのですわ」
園子は真紅のワンピースを着ていた。左手を宮村健の坐《すわ》っているソファーに置いて、やや前かがみになって話す園子を見上げると、喉《のど》のあたりから、ふくよかな頬《ほお》のあたりにかけての白い線がまぶしかった。宮村健の胸が鳴った。
「いいんですか。こんなところで油を売っていて」
加藤が園子にいった。喫茶店はかなり混んでいた。
「カウンターの方に来た女の子が、どうやら間違いなくやれるようになったから、私はこうやって、なんとなくぶらぶらしていればいいのよ」
園子は笑いをたえず忘れなかった。
「マネージャーってわけですか」
「表面的にはそう見えるでしょう。事実は、女の子が注文を聞き違えたときに、おわびに行ったり、しつっこく女の子に話しかける客を適当にあしらったり、顔でコーヒーを飲もうという男をとっちめたり……」
「そんな男がいるんですか」
宮村はびっくりしたような顔であっちこっちを眺《なが》めまわした。
「ここは三宮よ。そういう人がいたって不思議はないでしょう」
園子は、ちょっと、と加藤にことわって、カウンターのところに行ったり、客の間を行ったり来たりしている女の子になにかいったりしてから戻《もど》って来ると、宮村健のとなりに坐った。
「この前、加藤さんの下宿におうかがいしたとき、玄関で会った女の方……ほら、赤ちゃんを背負っていた女《ひと》……」
園子は両手を組み合せていった。マニキュアした爪《つめ》が光っていた。
「ああ、金川君の奥さんでしょう。しまさんっていうんです。しまさんがどうしたんですか」
「こわい眼《め》つきで私を睨《にら》みつけていたわ」
「ついぞ見かけない女《ひと》が現われたからびっくりしたんでしょう。あの女《ひと》は緊張したときはあんな眼つきをするんです」
「なんで緊張する必要があるんでしょうか」
「さあね」
加藤は返事を宙にほうりあげておいて、今朝下宿をでがけに投げかけて来た、しまのことばと、いま園子がいったこととをいっしょにして考えた。ふたりの女のことばが空間でからまり合った。
「しまさんのことなんかどうだっていいんじゃあないですか」
「そう――どうだっていいことね。ただ、あのひとがへんにこわい眼で見たから、加藤さんのお部屋を拝見できずに帰ったのが残念だというわけ――おわかりになって」
園子はさっと立上った。園子が立上ると、香水のかおりがあとに残る。
「すごいんですね加藤さん」
園子が去ってから、宮村健が、ひどく感激したようにいった。
「なにがすごいんだ」
「あんなきれいな女《ひと》を知っている……しかも彼女は加藤さんの下宿にまで来る……」
加藤は宮村健に園子のことをどう説明してやったらいいかわからなかった。確かに、その喫茶店では、園子は圧倒的に美しかった。だがその美しさは、彼女が、外山三郎の家にいたころのういういしい美しさではなかった。彼女自ら、変ったでしょう、といったように、彼女のどこかには、くずれた美しさが見えていた。加藤はそのくずれたものにこだわった。外山三郎の二階にいて、よく歌っていたころの彼女でない彼女に、そのときと同じような気持で接するわけにはいかなかった。佐倉秀作との間になにかがあってから、彼女は変ったのだと加藤は思っていた。
「園子さんは、ぼくの上役の知合いなんだ。上役の家へ行ったとき紹介されたというわけさ」
加藤は上手に逃げた。それ以上のことを宮村にいう必要はなかった。
喫茶店を出るとき、園子はカウンターのところに立っていた。
「いいのよ、加藤さん」
園子は財布を出した加藤の手をおさえこむようにして、小さな声でいった。カウンターの女の子は知らん顔をしていた。
「宮村さん、またいらっしゃいね。可愛らしい登山家がこのつぎ来るまでに、山の写真を用意して置きますわ」
園子は宮村に愛嬌《あいきょう》をふりまいていた。
喫茶店から明るいところに出ると、宮村健は夢から覚めたような顔でいった。
「園子さんてすばらしいひとだ」
宮村は上気した顔をしていた。
加藤はその宮村を見ていると、園子について、間接的に教えられているような気がした。園子という女の外郭が掴《つか》まえられそうだった。掴まえても、どうにもならぬほど遠くにいってしまっている女だったが、加藤にとって、やはり、眼をそらすことのできない、ひとりの女性だった。
「おいしっかりしろ、可愛い登山家」
加藤は宮村健の背中をどやしつけることによって、彼自身の混乱を、追払おうとしていた。
山における加藤文太郎が社会と接するのは、山からおりてはじめて新聞を手にするときであった。それまでの加藤は社会と隔絶していた。山には社会を形成する片鱗《へんりん》もなかった。雪と氷と岩と風とそれから加藤だけしかいなかった。そこで加藤はしたい放題のことをした。なにをしても彼をとがめるものはなかったし、吹雪が彼を死地に追いこもうとしても、彼を助けるものもいなかった。加藤は、そのすばらしいひとりの山のなかで勝手に歌い、しゃべり、食べて、寝て、下界へおりた。
昭和七年一月二十九日、加藤は松本駅で新聞を買った。八方尾根から後立山へ入って以来十二日目であった。
汽車は既にホームで待っていた。彼は買った新聞を持って座席に落ちつくと、悠々《ゆうゆう》と開いた。新聞の活字がぷんとにおった。彼を社会へ引きもどすにおいだった。
彼が山へ入るとき――加藤が社会から一時的に離れるときもその門ににおいがただよっていた。山麓《さんろく》を歩いているときにおって来る、あのにおいだった。四季によって、少しずつ違ったけれど、一般的には山のにおいとして彼を迎えた、雪のにおいもあった。雪の結晶が彼の鼻《び》腔《こう》を衝《つ》くにおいであった。それは、所謂《いわゆる》においではなかったかもしれないが、加藤は、雪のにおいを嗅《か》ぎわけた。乾燥雪のにおいと湿潤雪のそれとははっきり違っていた。ひとたび大地に降りてから、風の誘惑に負けて飛び立つ浮《うわ》気《き》者《もの》の飛雪のにおいと、吹雪のにおいとはまた別種なにおいを持っていた。
彼は新聞紙のにおいを嗅いだとき、ふと、しめり雪のにおいを思い出した。やっかいな、始末におえない、取りついたら離れない、あの雪のにおいだった。彼は、鼻をひくひくさせた、しめり雪のにおいは去り、そこには純然たる社会のにおいが残った。加藤は新聞を開
いた。
「上海《シャンハイ》で遂《つい》に火《ひ》蓋《ぶた》切らる!
電光石火の我が陸戦隊一斉《いっせい》に支那《しな》街に進出
各所で市街戦展開」
彼は新聞を見つめたままでしばらく茫然《ぼうぜん》としていた。とうとう海軍も始めたなと思った。昨年の九月に柳条溝《りゅうじょうこう》で勃発《ぼっぱつ》した満州事変に引きつづいてなにかが起るだろうという懸《け》念《ねん》があった。それがいま上海に、現実となって現われたのであった。
加藤は新聞の全面をおおっている戦争の記事をあますところなく読んでいった。いつ発車したのか知らなかった。気がついたときには汽車は塩尻《しおじり》近くまで来ていた。
「えらいことになりましたね」
加藤の前に坐っている男が加藤の読んでいる新聞を覗《のぞ》きこんでいった。土地の人らしい服装をしていた。
「いよいよ戦争ですな、でっかい戦争になりますよ」
男はそういうと、背を丸くして、額をぶっつけそうに寄せて来ると、
「近いうちに召集があるってことですよ」
といった。召集ということばは、加藤には聞きなれないことばだったが、そのことばをとおして加藤は、いまだかつて一度も経験したことのない遠い不安を感じた。それは加藤を目ざして直接にふりかかって来るものではなかったが、ちょうど夕暮れどきに、どこからともなくしのび寄って来る暗さのように、彼の力ではどうにもならないほど必然的なおしの強さでじりじりとやって来る黒い運命のように思われてならなかった。
神戸に帰ると、会社は、それまでになく緊張していた。神港造船所は海軍の動きに敏感だった。上海事変が起ると同時に会社の幹部は、次に来るべき、もっと大きな戦争に対して、受注の用意をはじめているようにさえ見えた。
「加藤君、きみにちょっと話したいことがある」
影村技師が退社時刻二十分前に加藤の机のそばに来ていった。話があるといってすぐ話さないのは、会社の用事ではないらしかった。影村は加藤の眼に同意を求めてから、一緒に帰ろうといった。
その日は二時間ほど居残りをした。加藤には残らなければならないほどいそぎの仕事はなかったが、彼の課の人たちが残っているからなんとなく残っていたのである。海軍が戦争を起した。われわれもじっとしてはいられないといったふうな空気があった。その空気をそのまま受け入れるには抵抗を感じたけれど、彼ひとりの単独行動もできなかった。
七時過ぎころ、影村技師が加藤の机のそばに立った。
「間もなく、ディーゼル機関全盛の時代が来る」
そして影村は、小さい声で、一緒に飯を食いにいこう、会社の門を出たところで待っていてくれといって離れていった。影村の誘いかけは一方的だった。加藤の了承は求めず、影村だけの都合でおしつけて来る命令だった。加藤は、不審と不満のごっちゃになった眼を影村の背に投げた。その向うの方で、課長の外山三郎が、最近、取りかえたばかりの金縁の眼鏡をかけていた。いままでかけていた鼈《べっ》甲縁《こうぶち》の眼鏡の方が外山三郎には似合った。金縁の眼鏡を掛けて仕事をしている外山三郎は年よりもいくぶん老《ふ》けて見えた。
加藤は机の上を整理して立上った。部屋を出るとき、外山三郎の前で頭をさげた。そんなとき外山は、いつもなら、加藤の方を見て、ちょっと顎《あご》を引くだけだが、その夜にかぎって、外山は金縁の眼鏡をはずして机の上に置いていった。
「もう少し待て、おれもそろそろ帰るから一緒に帰ろう」
加藤は困った。影村と約束があるというのが悪いような気がした。
「ほかに約束がありますから」
外山はほう、と驚いたような顔をした。
「約束か、加藤君も、楽しい約束をする年ごろになったというわけかな」
外山は笑って、金縁の眼鏡をかけた。加藤は外へ出た。かなり寒かった。星が出ていた。神戸の星は冬でも、いくらか潤《うる》んで見えるのだなと、たいへん新しい事実を発見したようなつもりで空を見上げていると、影村に背中をたたかれた。
星を見てはいたが、足音には充分注意していたつもりだったのに、影村に肩をたたかれたのは、加藤にとってあまり、いい気持ではなかった。それは山で充分な注意をしていたのにもかかわらず、逆風の突風に足をさらわれて、尾根からころげ落ちたときの経験とよく似ていた。吹き飛ばされたと思った瞬間彼は心で身構えた。そして、彼の身体《からだ》が雪面を滑り出すやいなや、彼はピッケルのピックを雪面に打ちこんで、その上に体重をのせかけるようにして、スリップを食い止めた。
影村は忍び足で近づいたのだなと加藤は思った。忍び足で歩くような男は彼は嫌《きら》いだった。いつだって堂々と歩けばいいのだ。靴音《くつおと》を立てて歩けばいいのだ。靴音を立てないような歩き方をする男は気が許せない。そんな気がした。加藤は影村に肩を叩《たた》かれたとき、直観的にかまえていた。心のピッケルを雪面に打ちこんでいた。
「久しぶりだ、いっぱいやろうか」
と影村はいった。久しぶりにもなににも、影村といっぱい飲んだことはなかった。影村にかぎらず加藤は、課の人たちとは、課全体の忘年会、歓送迎会以外にはつき合ったことはなかった。加藤は本能的に酒を嫌《きら》っていた。
影村は足音を立てないようにすっすっと歩いた。けっして遅くはなかった。加藤は影村の歩き方が、いつか神戸のオリエンタルホテルで見たボーイの歩き方に似ていると思った。
影村はタクシーを呼びとめて、加藤を先におしこむと、
「今年は去年より寒いような気がするが山はどうだ」
山のことなど、めったに口に出したことのない影村がそんなことをいうのも奇妙だった。影村が加藤をつれこんだ小料理屋の二階には、銅の火《ひ》鉢《ばち》が置いてあった。炭火がちょっぴり顔を出していた。銅の火鉢が、その部屋の中でもっとも豪勢なものに見えた。
「ここは、立木さんのお気に入りのところでね」
影村は料理を注文してからそういった。珍しい料理ではなかった。どこでも見かける日本料理の見本のようなものがそこに並んだ。電灯の暗いせいか、さしみが紫色に見えた。加藤は固くなったままで、影村がなんのために加藤を、この小料理屋へ呼んだのか、その魂胆を見抜こうとしていた。
「酒を飲むかね」
加藤は首をふった。
「感心だね。今の若い者にしては珍しい。酒もたばこも飲まない。君はもう二十七だ、二十七にもなって、女を抱いたことがないというのは天然記念物みたいなものだ」
影村は、盃《さかずき》を女の前につきだしていった。女は笑った。三十をいくつか過ぎた、生活に疲れ果てたような顔をした女だった。
「勝手に飲むからいいんだ、加藤君は女が嫌いだし、ちょっと話があるんだ」
影村は女を遠ざけると、
「君が提案したディーゼルエンジンの改良案のことだがね、あれは会社で採用することになったぞ、立木勲平海軍技師の口添えもあった。もちろんあのままではいけないから、本格的設計は新しい課でやることになった」
「新しい課?」
加藤は内燃機関設計部第二課の課員である。第二課で考えたものを新しい課でやることはおかしいと思った。
「新しい課で製作図面を作るのですか」
「そうだ、第二課は、いまやっている仕事がいそがしいし、将来いそがしくなる可能性があるから新しい課へ廻《まわ》すことになるのだ。実はその新しい課――つまり第三課が近いうちできて、その課長におれがなることになったのだ。これは内密なことだから、他人にいっては困る。それで実は君に話があるのだ。加藤君第三課へ来ないか。来てくれたら、ぼくも助かるし、君もよくなる。おそらく君は技師になれる」
技師――それは加藤に取ってヒマラヤと同じぐらいに価値の高いものであった。神港造船株式会社には学閥があった。学閥コースに乗ったものは、大学を出た翌年には技師になれたが、学閥コースを外れたものは大学出であっても数年ないし十年かかった。影村がその例だった。会社の研修所卒業生は高専卒と見なされていたから、技師になれる道はあったが、技師になれた人はいなかった。退職するとき技師になるのがいいほうだった。
加藤の頭の中で一介の製図工という文字と技師という文字が結びついた。
技師はすばらしかった。会社に技師はそう幾人もいなかった。技師になれば、設計企画に参加できるし、課長の椅子《いす》も待っていた。技師は、彼《かれ》等《ら》若い技術者の夢の城であった。
「どうだね加藤君、きみが第三課の方へ来て、君が考え出した、あの霧化促進の新機構のエンジンを完成すれば確実に技師になれるのだ」
加藤は黙っていた。あまり話がうますぎた。彼はいささか紅潮した顔で、さしみを一度に二切れ食べた。ヌルリとした感触が彼の咽喉《いんこう》部《ぶ》を通過したとき加藤は、松本駅で、新聞を開いて、上海事変突発のニュースを見たときと同じような不安を感じた。
「どうかね加藤君」
影村は加藤の答えを待った。
「外山課長に相談して見ます」
「なに外山さんに」
一瞬影村の顔はこわばったが、その顔を無理におししずめるようにやわらげて、
「きみは外山さんと親しいからな、相談して見てもいい、だが加藤君、そうされた場合のおれの気持だって考えてくれないと困る。きみはもう立派なおとなだ、いちいち課長の意見を求めなくたっていい、自分のことは自分で決めていっこう差し支えがないのだ。それに、おれは間もなく第三課の課長だ、外山課長と同等な立場になるのだ。できたら、こういうことは他人には話さず、直接ぼくに返事して貰《もら》いたい、外山さんにきみが話せば外山さんは、賛成することに決っているが、外山さんに相談して、外山さんが、そうしろといいましたから、第三課へ行きますということになれば、ちょっと待ってくれと、おれもいわねばならなくなるかも知れない。おれにも男の意地がある。第三課を作るのはこのおれだ。どこの課から誰《だれ》を引張って来てもいいと、おれは部長の許可を得ているのだ」
影村はそこで話を切って、手をたたいて女を呼んで、熱い酒を持ってこさせた。
「少しぐらいはどうだ加藤君」
加藤は首をふった。
「だめか、酒は全然やらないというのか、しかしね加藤君もそのうち結婚式はやらねばならないだろう、そのときは酒を飲むだろう。そのときの用意にいっぱいだけつき合え、二はいとはすすめない」
影村は盃を加藤の手にわたした。むりにおしつけられたような格好で加藤は盃を持った。女が酒をついだ。加藤は水でも飲むように一気に酒を飲みほして、盃を膳《ぜん》の上にふせた。
「ところで加藤君、そろそろ結婚の話があるだろう、誰かきまったひとがいるのか」
影村はかなり赤い顔をしていた。
「いや全然そういう話はありませんし、結婚する気もありません」
加藤はそう答えたとき、いつか浜坂であった黒曜石のように輝く瞳《ひとみ》の花子の顔を思い出した。紫地に大きな白い花のとんだメリンスの元禄《げんろく》そでの着物に黄色い三尺帯を胸高くしめた美しい花子の顔を思い出した。
「女より山の方がいいというのか、しかし結婚すれば、山より女房《にょうぼう》の方がよくなる。そういうものだ、おれにまかせておけ、技師になって独身だというのもなんとなく格好がつかないからな」
加藤はつめたい夜風に当りながら歩いていた。
御馳《ごち》走《そう》になったという気分ではなかった。大きな容器に、少量の料理がつぎつぎと運ばれて来たところで、加藤にはそれが御馳走だとは思えなかった。加藤に取って御馳走は新鮮な魚を、思う存分食べることであり、山のにおいのぷんぷんする山菜で渋い茶を飲み、飯を食うことだった。浜坂の海辺に育ち、山を歩き廻っている加藤にとって、海と山に直結する料理こそほんとうの料理だと考えていた。
鮮度の落ちたさしみや焼き魚の味は、はっきりしたようでいて、なにかはっきりしないその夜の影村の招待そのものの味であった。噛《か》みしめても味のない、それでいて、妙に満腹感を強制されたような御馳走だった。
「じゃあいいね」
小料理屋を出るとき影村がいった。それは第三課へ移ることに異存がないねという駄目《だめ》おしだった。そう感じたが、加藤にはいいとも悪いとも、もう少し考えさせてくれともいえなかった。影村は加藤の沈黙をオーケーと取ったようだった。
加藤は外山三郎にその話はしなかった。影村が加藤に対して誠意を持っていってくれる以上、やはり外山三郎にいうべきではないと思った。加藤は、そのことだけを幾日か考えた。技師の話がほんとうならば第三課へ行ってもいいと思った。新しい課が新設されれば、少なくとも三名の技師の定員は取れる。その中のひとりとしての可能性を吟味した。どう考えても無理なような気がした。影村がしてやろうといっても人事課の方でうんというかどうか分らなかった。技師になれないなら、第三課へ行くことはない。外山三郎のところにいたほうがいいのだ。
二月になると加藤は五日間の予定で、槍《やり》ヶ岳《たけ》を目ざして出かけていった。一月と二月の厳冬期の山で一年の休暇を取ってしまって、あとは会社を休まないという、加藤個人の習慣を外山課長にみとめさせてからは、二月になってすぐ彼が上高地へでかけていっても誰も文句をいわなかった。
加藤は神戸に帰ると、下宿へは帰らず、ルックザックを背負ったまま、真《まっ》直《す》ぐ外山三郎の家へいった。一番の汽車でついて、駅から外山の家までルックザックを背負って歩いて来ると、ちょうど人が起き出る時刻になった。列車の中で、ちぢこまっていた加藤の身体のしこりはほどよく解けた。
「はやいじゃあないか」
外山三郎はねぼけまなこで起きて来て、加藤を迎えた。加藤は上高地の常さんから買って来た外山三郎の好物の岩《いわ》魚《な》の燻製《くんせい》を出してなんとなく頭を掻《か》いた。
「とにかくあがって朝食を一緒に食って会社へでかけよう」
外山は加藤を呼び入れた。
「久しぶりで山のにおいを嗅《か》いだ」
外山はそういって笑った。山から帰って来たばかりの加藤は汗臭かった。そのにおいを外山は山のにおいといったのである。
「どうだった山は」
「相変らずです、ただ……」
「ただどうしたのだ」
「ただ、なんとなく、ここへ真直ぐ来たかったのです」
「虫が知らせたというのかね」
外山三郎が妙なことをいった。
「虫がですか?」
「そうだ、技師という虫が君につくかも知れないという知らせがあったのだろう」
外山三郎はうれしそうに笑った。
「加藤君の考え出した霧化促進の新機構は会社の幹部に高く評価された。それに立木海軍技師の推薦もあって、いよいよ会社では、あのエンジンの製造に乗り出すことになった。製造図面は第三課でつくる……」
外山三郎の眼《め》が光った。加藤を見ている間ことばがとだえて、
「知っているだろう。既に影村君から聞いたはずだ」
加藤は頭をさげた。影村が外山に、あのことを話したのだなと思った。
「影村君が第三課の課長になることは内定している。そして君が第三課の技師になるのもまず確実だ。第二課には定員がないから、君にして見れば絶好のチャンスだ。影村君に引っぱられるまでもなく、こっちで推薦したいところだった」
「すみません、いおうと思っていましたが山へ行っちゃって」
加藤は逃げた。山へ逃げれば外山が許してくれるだろうと思った。
「いいんだ。なにもいちいち、おれのところに報告してくれなくても、きみ自身で、いいと思ってしたことならばそれでいい。だが加藤君、第三課へいくといままでのようにはいかなくなるかもしれない。技師になれば責任が生ずる、会社もいままでのように休むわけにはいかなくなる。それに影村君は……」
外山はそこで言葉をとめた。影村の、少しでも欠点になることはこのさいいうまいとおさえたのである。いわないほうがいいと、自分をおさえた外山は苦しそうな表情だった。
「山と技師とどっちが大事かね」
しばらくたってから外山は、急に思いついたようにいった。
「両方大事です」
「欲ばっているぞ」
「そうでしょうか、私はそうは思いません」
外山と加藤はしばらく顔を見合せていた。外山の顔の中に複雑な色が動いた。父親が子供を見るような、やさしさの中に、手放したくないジレンマが動いていた。
「きみがはじめて、ここへやって来たのはいつだったかな」
「大正十四年――そうです、あれからもう七年になります」
外山はうなずいた。七年間、彼の手元に置いた加藤文太郎を手放すことは外山にとってつらいことだった。それに外山は影村の性質を加藤以上に知っていた。影村という男は出世主義に徹した男だ。出世のためなら、なんでもやる男だ。上の人の御機《ごき》嫌《げん》を取り結ぶことに長《た》けた才能を持った男である。設計の腕より弁舌の腕を持った男であり、一席打《ぶ》つ前に賛成の手をあげる人間をちゃんと用意してかかる男である。強い者には低姿勢をつらぬき、弱い者には絶対に嵩《かさ》にかかっていく男である。あちらこちらに情報網を持っていて、会社の上層部の方針に敏感に応ずる用意をおこたらない男であった。
「だが、加藤君も二十七だ。一本だちしなければならない年だ」
外山三郎はつぶやくようにいった。
加藤は、同じようなことを影村がいったことをふと思い出しながら、二十七という年がなぜそれほど問題になるのかを考えていた。
「影村君は、技師として加藤君を迎えたいといっている。率直にいって君の学歴からすると早過ぎるけれど、君のディーゼルエンジン改良案の功績と影村君の熱心さが部長を動かしたらしい」
らしいというのは、あきらかに、外山三郎の持っている疑問だった。外山は眼で加藤に話しかけた。
(ね、加藤君、へんだと思わないかね。あの影村一夫が、なぜ君のためにだけ、それほど一生懸命になるのだ。技師になることはたいへんなことだ。研修所出のきみが二十七で技師になることは研修所卒業生にとって大いにはげみになることではあるが、きみより前に卒業した者にとっては、居ても立ってもおられないような苦渋を味わわされることになるのだ。会社は戦争期待の方針を打ち出そうとしている。第三課新設もそうだ。不景気のどん底で拡張をはかろうとしているのだ。だから、きみが技師になれるチャンスが巡って来たのだといってもいい。しかしそれは理屈だ。やはり、影村一夫が、異常なほどの熱心さで、きみを推薦したことが、きみを技師の地位におし上げようとしているのだ。おれは、影村がきみにかけようとしているその過分な愛情を不安に感ずる)
加藤は、外山三郎の眼の中に、外山がなにをいおうとしているか、おおよそ察知できた。
「影村さんて人がぼくにはよく分らない」
加藤は外山の眼に応《こた》えていった。足音を立てずに近よって来た影村のことが頭に浮んだ。そうっと近よって来て、ぽんと肩をたたかれたあのときの気味の悪さは、おそらく、影村のそばにいるかぎり続くだろうと思われた。
「やがて分るようになる。人にはそれぞれいいところと悪いところがある。悪いところは見ないようにするのだ。行け、加藤君、影村君のところへ行くのだ」
外山三郎の最後のことばで加藤はそこにふみとどまった。行っちゃいけないのだ。もし行ったら、なにかよくないことが起る。外山三郎のところにいさえすれば、平和に生きていくことができる。外山三郎は加藤の偉大なる庇護《ひご》者《しゃ》だった。第二の父であった。
「ぼくは、……やはり外山さんのところにいたい」
「ばかな、君は技師のチャンスを逃すのか。いま技師にならなかったら、金輪際《こんりんざい》チャンスは廻って来ないぞ。それに、きみの転課はすでに決ったのだ。もうおそい、きみが影村君にオーケーをいったときに決ったのだ」
加藤は首を垂れた。なぜあの翌日、すぐに外山に話さなかったのだろうか。加藤は背信を自覚した。外山三郎が加藤のそばから去っていく足音が聞えた。
「山のことは影村君にたのめ。たのんでもだめなら山をあきらめろ。君は技師になるのだ、きみのお父さんも喜ぶだろう」
浜坂の生家で寝たままの父が、加藤が技師になったと聞いて、喜ぶ顔が見えるようだった。
「技師になったらぜんぜん山へは行けませんか」
「いやそんなことはない。時と場合によってだ。技師だといっても年に二週間の休暇は認められているのだ。ただ、いままでのようにはいくまいといっているのだ」
加藤は外山の家を出た。
技師になれるという喜びよりも、外山と離れることの悲しみの方が大きかった。彼は重いルックザックを下宿へおくと、いそいで着がえて、会社に向って走った。
人生の変り目に来ているのだと思った。ここが大事だと思った。第三課へ行くのはいいが、ひとつだけ条件があった。山をやらせてくれということだ。それを影村にはっきり納得させないで、転課してしまったら、彼の雄大なる希望――ヒマラヤ遠征さえできなくなるかも知れない。
会社へつくと、田口みやが出勤して来ているだけで、ほかには誰もいなかった。
「今朝山からお帰りになったの、山は寒かったでしょう」
田口みやの方から笑いながら話しかけて来た。いつもならみんなが出《で》揃《そろ》ってから茶を入れて持って来るのに、その朝は加藤のために、誰よりも先に茶をついで持って来てくれた。加藤は、同じ部屋に何年もいて、田口みやの笑いかけた顔を見たのはその時がはじめてだった。加藤はだまったままでうなずいた。変り目に来ているのは、自分だけではなく、この田口みやも、何《なん》等《ら》かの変り目に来ているのだ。いやそれは、課全体、会社全体にいえることかも知れない。そうだ、日本全体が変り目に来ているのだ。
加藤は渋い茶を飲んだ。
昭和七年五月、神港造船所は会社の内部組織を一部改善した。内燃機関設計部に第三課が新設され、課長に影村一夫が決った。加藤文太郎は技師の辞令を貰《もら》った。加藤は貰った辞令を久しぶりに着こんだ背広服の内ポケットに入れて、時々押えて見てはその感触を楽しんだ。初任給を貰ったときもそうだった。
「加藤さんは偉いわ、ひとりで山の中を歩き廻《まわ》って少しも淋《さび》しくないように、もともと意志がしっかりしていて根性があるのよ」
金川しまがそういった。
山の中をひとりで歩いていて淋しくないというしまの表現が加藤には面白《おもしろ》く聞えた。他人には、淋しいのを我慢して歩いているように見えるのかと思うと、おかしかった。
「山を歩いていたってちっとも淋しいことなんかないですよ」
「だから、加藤さんは偉いっていうんです。でも加藤さん、人生のひとり歩きはつらいですよ。加藤さんと同じ同期生でありながら、うちの人は、私や坊やをほったらかしてどこへ行ったやら行方も知らせてくれない」
金川しまのそばでは、坊やが不思議そうな顔をして、眼にそでをあてている母親の顔を見上げていた。
「ほんとうだ。金川義助の奴《やつ》どこへ行ったのだろうな」
そこまでいって、加藤は、箸《はし》を動かす手を休めた。
「金川義助らしい男に会ったのがいますよ」
金川しまは濡《ぬ》れた眼を光らせて、
「どこで会ったのです。誰《だれ》です。会った方は」
喜びの声ではなく、憎《ぞう》悪《お》に近い声だった。
「やはり、ぼくらの同期生で、北村安春という男なんです。きのう、ぼくの同期生がぼくの昇進祝いの会を開いてくれた。その席上での話です。ぼくも気になったから、よく聞いて見たのだが、らしいというだけで、金川義助だかどうかは確かめ得なかったそうです。北村安春は、おい金川じゃあないかと声を掛けた――」
「どこなんです。いつですそれは」
「ひとつきほど前に三宮《さんのみや》の駅の近くらしい。結構な服装をしていたという話だ」
「やっぱり神戸にいるのね」
金川しまは歯をくいしばっていった。おそろしい顔だった。加藤は女がそんな顔をしたのを見たことはなかった。
「心当りがあるのですか奥さん」
金川しまはそれには答えず、しばらくしてからいった。
「あの人はなにもかも裏切ったのだわ。友人も、家族も、そして自らの思想さえも……そうでなかったら、私の前から完全にかくれて生きていられるはずがない」
加藤は、思いつめたような顔をして、考えこんでしまった金川しまにかけてやるべきことばがなかった。加藤は、勝手に飯を盛った。
「あの人には女がいるのよ」
金川しまがはっきりいった。
「女が、まさか」
「いいえ、加藤さんには分らないのよ。あのひとは女がそばにいないと生きてはいられない男なんです。あの男が生きているかぎりはどこかに女がいなければならないんです」
加藤はいそいで飯をすませると、立上った。金川しまのそばにいると毒気に当りそうだった。加藤は二階にあがって、浜坂の父に手紙を書きはじめた。技師昇進のことは、前もってそれとなく知らせて置いたのだが、技師になれたという通知はまだだった。
やっと一人前になりましたと加藤は書いた。一人前以上になったと思う心の下で、そのようにへりくだってみるのもうれしいことだった。
「おい加藤、出世頭の加藤。これで、おれは働く張り合いがでた。だが張り合いだけでは技師になれない。おれも、加藤に山へつれていって貰って雪穴の中へもぐりこんで、ディーゼルエンジンの新機構でも考えるかな」
嫉《しっ》妬《と》に満ちた同期生のことばが、手紙を書いていると加藤の頭に浮ぶ。
「影村技師がたいへん君を買っているそうじゃあないか。あの指導主任だった影村がきみを買っているとは想像もできないことだ。影村は研修所時代にきみを刑事に引きわたしたことがある。変ったもんだな」
そんなことをいうものもいた。
加藤はペンを置いた。素直な気持で、父親によろこびを伝えることはできなかった。彼はほんの数行書いて、そのうち故郷へ帰ると結んだ。
故郷に帰ると父は結婚のことをいうだろう。
「文太郎、お前が嫁を貰うまでは、おれは死ねない」
嫁の話が頭に浮ぶと加藤は、いつか浜坂で会った少女のことを思い出す。黄色い帯を胸高にしめた、まだ肩揚げをしていた花子の黒い瞳《ひとみ》が彼を見つめる。
加藤は、父あての手紙を書き終ると、押入れから山の道具を引きだした。庭で野宿するつもりだった。技師になったって、おれは山をやめないぞという決意のようなものが彼の中にあった。
技師になってから今日で五日目だ。だがおれは、毎日、石の入ったルックザックを背負って会社へいくことはやめてはいない。ナッパ服を背広服に着替えようともしないのだ。加藤は自分にいいきかせた。技師になれたことのもとを訊《ただ》せば、真川から大町に抜ける十日間の雪の中の苦闘だった。吹雪の中のビバークで、あのメカニズムの着想を得たのである。
(山はおれの心なんだ。山からはなれたらもはや加藤文太郎は存在しない)
彼は庭木の枝の下で自製の合《かっ》羽《ぱ》をかぶって犬のように丸くなった。
翌朝彼は、彼の下宿の庭のビバーク場所から玄関に入るとき、五・一五事件発生の新聞記事を読んだ。犬養《いぬかい》総理大臣が海軍将校および陸軍士官候補生等《ら》の兇弾《きょうだん》に斃《たお》れたのである。
加藤は、時局の変転が、彼に追従して来るような気がしてならなかった。
その朝、加藤は、いつもどおり、三十分も早く会社につくと、ノッズルの設計に取りかかった。ノッズルはディーゼルエンジンの心臓部である。ノッズルのでき不出来で、能率は左右される。それは他のいかなる部分にも増して、デリケートな役目を負わされている。
「加藤君、ノッズルの設計はよほど注意してやらないと女の子みたようなものができるぞ、気むらで、わがままで、おセンチで、どうにもしまつが悪いものができる。気をつけてくれよ」
加藤は、ずっと前に外山三郎が注意してくれたことばを思い出しながら鉛筆を走らせていた。
第三課は第二課の隣である。もともとそこは、会議室であったのをつぶして、建て増して第三課が作られたのである。
加藤が設計にかかると間もなく、第二課の田口みやがお茶を持って入って来た。第二課の田口みやが第三課の加藤のところまでお茶を持って来ることは、分を越していた。それは好意以上のものであった。
加藤は鉛筆を置いて礼をいった。田口みやは、加藤の知るかぎりにおいては和服に袴《はかま》をつけていた、これといって目立ったところのない平凡な女であった。特に美しいところもないし、そうかといって、醜い女でもなかった。無口で、真面目《まじめ》に、いわれたことをきちん、きちんと始末していく女だった。頭も悪くはなかった。ひとりで庶務係を担当しているのだが、事務を間違えたことはなかった。気が利《き》いて有能な第二課になくてはならないメンバーのひとりだった。
その朝、田口みやはめずらしく洋装だった。白いスーツを着ていて、清《せい》楚《そ》な感じがした。それよりも加藤が驚いたのは、田口みやが、口紅を塗っていたことだった。加藤は、それまで田口みやがそのようなことをしたのを見たことがなかった。
加藤がびっくりした眼《め》で田口みやを見詰めていると、彼女は、
「あら、いやよ、加藤さん。そんなに見つめちゃあ」
彼女は顔をおおうようにして、小走りで逃げ去った。一種の媚《び》態《たい》に見えた。あのおとなしい田口みやに、どうしてあのようなことができるのかと、加藤は不思議に思った。
田口みやは、その翌日は、加藤よりも早く出勤していた。その朝はお茶を持って来て、加藤の机のそばに坐《すわ》りこんで動かなかった。加藤には女のにおいは邪魔だった。香水の知識はなかったが、田口みやが、かなり高価な香水を使っているように思われてならなかった。濃い化粧もしていた。田口みやは変貌《へんぼう》した。やはり彼女はそういう年頃《としごろ》なのだ。加藤はそう思った。別に気にしなかった。そばへ彼女が来て坐りこんでも、いい加減に相槌《あいづち》を打っていた。加藤はけっして積極的に口はきかなかった。
田口みやが、加藤に縁《ふち》取《ど》りのしたハンカチをくれたのは六月に入ってからだった。ただの一枚のハンカチだったが、縁取りを彼女自らがやったのだとことわってくれたところに意味があった。加藤は無造作に、そのハンカチをポケットに入れた。
下宿で飯を食っているとき、加藤は、そのハンカチを出して額の汗を拭《ふ》いた。
「おや、加藤さん、それどなたに貰ったの」
金川しまがいった。金川しまは、彼の下宿に居なくてはならない人になっていた。多幡新吉はほとんど寝たっきりだし、婆《ばあ》さんは新吉の世話をするのがやっとだった。てつ婆さんが急速にふけこんだ理由のひとつは、孫娘の美恵子が病院で死んだことにもよる。下宿屋としての運営は金川しまが握っていた。
「会社のひとに貰ったのだ」
「そのひとは加藤さんに気があるわよ。黙って貰って置くと、あなたは、そのひとの好意を受けたことになるのよ」
「なんだって」
金川しまの一言は加藤にとって、霹靂《へきれき》の勢いにも感じられた。
「そのひとはどんな方、いい方なら結婚してもいいけれど、あなたのように真面目なひとは、えてして、女にだまされやすいからね。だいたい女の方からモーションかけるなんて、どうかと思うわ」
「ぼくはモーションをかけられたのか」
加藤は、緑色の絹糸でていねいに縁取りしたそのハンカチに眼をやった。
「年頃ね、その女《ひと》」
ああ、と加藤は答えながら、田口みやの年齢を考えた。彼が第二課に勤めるようになった年に女学校をおえて入社して来たように覚えている。そのとき加藤は二十《はたち》だったとして、彼女は十七か八。すると彼女の年齢は二十四か五ということになる。
「二十四か五ってところじゃあない」
金川しまはずばりと当てた。そのハンカチの縫い取りの針の運びを見れば分るのだと得意気にいってから、
「あせっているのね」
とつけ加えた。昭和七年ごろの女性の結婚の適齢期は数えどしで二十か二十一だった。
加藤は出勤時間をおそくした。いつも三十分前にいくのを十分前に出勤するようにした。田口みやを警戒する気持になったのである。
七月に入って急にむし暑くなった日であった。彼は石のルックザックを担《かつ》いで会社へつくと、課の隅《すみ》にある洗面器の前で、諸肌《もろはだ》を脱いで、汗をぬぐった。
「まあ、ひどい汗だこと」
田口みやの声と同時に、彼女の手拭《てぬぐい》を持った手が加藤の背中に延びた。加藤は反射的に田口みやからとびのこうとした。そのときちょうど課長の影村が顔を出した。びっくりしたような顔で立ち止ったが、わざと見ないようなふりをして椅子《いす》に坐って、加藤に背を向けた。
その夜、加藤は影村課長に、二月ごろ一度来たことのある小料理屋の二階に呼ばれた。
「どうだね、技師になった気持は」
影村はそれと同じことをもう数回加藤にいった。そのことばの裏には、おれがお前を技師にしてやったのだといいたい腹が見えすいていた。技師にして貰ったことはうれしいが、いつまでたっても、そういう眼で見られているのは加藤にとってあまりいいものではなかった。そういう場合加藤は、はあとか、どうもとか曖昧《あいまい》なことばを吐きながら頭を掻《か》いた。加藤の日ごろのくせを知っている影村にはそれでよかった。
「技師になったところで嫁を貰わないか。君の同期生は、半分以上は嫁を貰っているぞ」
影村は、なんとなく高《たか》飛《び》車《しゃ》だった。加藤に、酒はすすめなかったが、空の盃《さかずき》を加藤の前につき出して、彼に酌《しゃく》をさせた。料理屋の女は近づけなかった。
「実は、結婚の話で、おれは君をここに呼んだのだ。結論から先にいうと、相手は、君がよく知っている田口みやだ」
影村は加藤の眼をとらえてはなさずに先をつづけた。
「きみが田口みやとこのごろ親しくしているということは、会社では評判になっている。暁《あかつき》の逢引《あいびき》などということをいっているものも、いるそうだ。おたがいに好きなら結構なことだ。あまり噂《うわさ》がひどくならないうちにおれが媒酌人《ばいしゃくにん》になってやろう」
加藤は影村のことばに顔色をかえた。加藤が昂奮《こうふん》すると赤い顔になる。怒ったときも、感激したときも、苦しいときも彼は赤くなった。青い顔をした加藤を見たものはなかった。同じ赤い顔でも、その場合場合によって表情は違った。彼が赤い顔をして不可解な微笑を浮べたときは、それは照れかくしの許諾か、賛同か、感謝か、なにかそういったものであったが、いくらか眼を吊《つ》り上げ気味にして、唇《くちびる》を突き出したときは誰が見ても分るようにそれは彼の怒ったときであった。
「ぼくは田口さんと親しくなんかしていません。彼女の方から勝手にぼくのところへ来るだけのことです」
「これは驚いた。朝っぱらからぴったり身体《からだ》をくっつけ合って話しこんでいるのを見たという人もいるぞ。今朝だって、おれはこの眼で、きみが田口みやに背中の汗を拭かせているのを見た。娘に背中の汗を拭かせるということは、普通の仲ではない」
加藤はそれに抗議しようとした。ひどい誤解だといおうとした。すべてが田口みやの一方的な進出であって、加藤の知ったことではないといいたかった。だが、加藤はそういう前に、影村がすでに、その勝負において勝者の立場でものをいおうとしている態度を見てとると、沈黙した。
荒れ出した吹雪には抵抗しても勝てなかった。雪洞《せつどう》を掘って、その中で、吹雪のたわごとをいわせほうだいいわせて、吹雪の方でつかれたころ、雪洞を出ればよかった。影村は吹雪のようにすさまじい自信を持っていっているのだ。その自信の根拠となるものは課内の噂かも知れない。はやばやと技師になり過ぎた加藤に対する一種の中傷と見て取ってもいい。そういうものがいっしょくたになって、加藤の醜聞をばらまいているのだとしたら、それは時間をかけて、身を以《もっ》て潔白を証明するよりほかにないだろうと思った。
「どうかね加藤君。田口みやはいい娘さんだ。あの子の両親にぼくは結婚のことをたのまれているのだ。田口みやの気持は聞いた。彼女はきみが好きだといっている。きみだってまんざら彼女が嫌《きら》いではあるまい。それなら結婚したらどうだね」
「一方的すぎるように思いますが……」
加藤は吹雪がおさまるまで待てなかった。このへんでちゃんと呼吸《いき》ぬきの穴だけはこしらえて置かないと、吹雪はいい気になって、加藤を雪の中に埋没しかねない勢いであった。埋没されることは窒息死することだ。
「と、いうことは、おれの持ち出したこの話がいやだというのか」
影村はきっとなった。
「いやだというわけではありません」
加藤は、あやうく逃げた。それ以外にいうべきことばはなかった。
「そんなら田口みやと結婚してくれないかね。彼女の方も望んでいることだし、おれから見ると、似合いの夫婦ができると思うんだ」
影村はそこで急におだやかな口調になっていった。
「きみのために、おれはずいぶん努力して来た。技師にするにも、なみたいていのことではなかった。おれはきみにむりやり田口みやをおしつけようとしているのではない。きみが嫌《いや》だというならば、それはしょうがないことだが、きみとしても男としての責任を考えねばなるまい。少なくとも、きみは田口みやに気を持たせるようなことをしていたはずだ」
加藤にとって田口みやは結婚の対象として考えられるような女ではなかった。平凡な女だった。妻として暮そうという意《い》慾《よく》の湧《わ》かない女だった。ただ最近、田口みやが急に人が変ったようになって加藤に接近して来たことを不審に思っているだけのことだった。あの縁取りのハンカチは受取るべきではなかったと思った。
「どうだね加藤君、いますぐうんと返事して貰わなくてもいいのだ、だいたいのことでいいのだ。彼女に希望を与えてやれるていどの言葉で結構なのだ」
影村の声の調子は低音の一本調子になっていった。稜線《りょうせん》を吹く西寄りの季節風のように、一定風速と風向《かざむき》を堅持して、じわじわと稜線のふちに追いこんでいって、ついには谷底へ吹きおとす、あの執念のような力づよさが影村のことばの中にあった。加藤を技師にしてやったという恩顧と、課長という権力がその西寄りの風を吹かせているのだ。
「考えさせて、いただけませんか。それに結婚のことは父に任せてあるんです」
「お父さんに任せてあるのか。するとお父さんがいいといったらいいんだね、加藤君」
加藤は黙った。それが加藤の防衛線の最後だった。それ以上のことは嘘《うそ》になる。加藤には嘘がいえなかった。
「よし、それでは、おれがきみのお父さんに話をつけてやる。それでいいな」
加藤は悲しい気持になった。理詰めに押されて、とうとう承服せざるを得ない立場に追いこまれたような気持だった。
「でも、さいごは私の意志で、結婚の相手はきめねばならないでしょう。田口みやさんについては、考えさせて下さい。もう少し考えさせて下さい」
加藤は吹雪に抵抗して、やっと、彼が呼吸ができるだけの穴を掘ると、そこから影村の顔をじっと見てやった。
(なぜ影村は、田口みやをおれにおしつけようとするのであろうか)
吹雪は去った。青空の向うで声がした。
「考えて見てくれ。そうだ、なにもいますぐということはない、加藤君」
影村は加藤の肩をぽんと叩《たた》いていった。いつかの夜、足音をしのばせて近づいて来て、ぽんと肩を叩かれたときと同じように、加藤は、敏感に肩をひいた。薄気味の悪い感触だった。
その夜加藤はよく眠れなかった。どう考えても、田口みやと結婚するのは気が進まなかった。
翌朝加藤は、出勤時間ぎりぎりいっぱいに出社した。田口みやは来なかった。
彼はほっとして机に坐った。鉛筆を持つ手がときどき止った。田口みやとの結婚話をどうやってことわろうかと考えていると、浜坂で会った黄色い帯をしめた少女のことを思い出す。花子の姿が眼にちらつき出すと、田口みやの存在がはっきりと否定される。
(折を見てことわろう)
だが、それは容易にはできそうもないことであった。加藤もまた上役を気にする一サラリーマンであった。
影村課長に、ちょっと残ってくれといわれたとき、加藤はいよいよあの返事をしなければならないときが来たのだなと思った。
第三課員のほとんどが帰って、影村と加藤とふたりになると、影村は加藤を課長の机の前に呼んでいった。
「結婚の日取りはいつにするかね。そろそろ会場の方を予約しておかないと、いいところがなくなるからね」
「結婚の日取りですって?」
加藤はびっくりした。田口みやとの結婚について考えておけといわれた覚えはあったが、結婚すると返事をしたつもりはなかった。
「そうだ結婚の日取りだ。向うの方では、はやいところ決めてくれといっている」
影村一夫のいい方は高飛車だった。すでに加藤が田口みやとの結婚を承諾したものとしての前提に立ってのいいぶんだった。
「だって、課長、ぼくはまだ、結婚するともしないともいってはいません」
「そういうことは、はっきりいわないでも、おおよそのことが分れば、話はどんどん進んでいく。きみに田口みやの話を持ち出したのは七月だった。その後きみから、あの話はいやだとことわられた記憶はない。きみがことわらないかぎり、こっちは、君が承諾したものとして話をすすめていっている。いまから承知したのしないのという問題ではなかろう」
影村一夫の眼には険がある。怒りが眼に現われる、一種の威力を持って相手を圧倒しにかかる。影村のそういう眼に会ったのは、加藤にとってしばらくぶりだった。研修所時代、金川義助事件のとき、それと同じ眼で睨《にら》みつけられたことがあった。そのときも加藤は、加藤なりの反発感情を顔に現わして影村一夫を見たものだ。いまは課長と技師の間柄《あいだがら》であったが、影村が加藤に浴びせかけて来る眼は、十年前の眼といささかも違ってはいなかった。それは権力をかさ《・・》に着た恫喝《どうかつ》の眼だった。
「ぼくにとっては一生の問題です。そう簡単に結婚の相手はきめられません」
「田口みやにとっても、結婚は一生の問題だ。女にとっては、君以上に結婚は重大な問題なんだ、しかも、君との間に、いろいろと噂がでていることでもあるし、いまさら、この話がだめになれば、彼女は嫁に行けなくなるかもしれないぞ」
「ぼくとの間の噂っていったいなんなんです。朝早く出勤したとき、彼女がお茶を持って来たということだけじゃあないですか。彼女とは会社以外では一度も会ってはいません。話したこともありません」
「それは詭《き》弁《べん》というものだ。きみがなんといおうと他人はそうは思っていない。きみと田口みやができているという噂は、すでに固定的なものになっている」
「できている?」
加藤は思わず声をあげた。とんでもない話だと思った。そんな噂が会社の中にとんでいることは知らなかった。もしそうだったらたいへんなことだと思ったが、すぐ加藤は、そんなことはない、そんな噂がとぶはずがないと影村のことばを心の中で打ち消した。なにか、田口みやとの結婚について影村一夫が圧力をかけすぎているように感じた。好意以上のものが感じられた。
「おれはここで、きみと議論をするつもりはない。はたでいろいろと噂が立つようになったら、機先を制して、田口みやとの結婚を発表した方がいいではないかと思っているのだ。君も技師になったことだ。研修所出身者で技師になったのは君が第一号といってもいい。みんなが注目している。その君にへんな疵《きず》をおれはつけたくないと思っている。な、加藤君、きみを技師にするについては、おれは非常に苦労した。その君のためを思って、この話をきみにすすめているのだ。この前、君に田口みやの話をしたとき、きみは田口みやを嫌いではないといった。そのときにおれはもう、きみと田口みやを一緒にすることを考えていたのだ。早朝の密会などというへんなデマを打ち破るためにも、それが一番いいと考えたのだ」
影村は声をおとしていった。説いて聞かせてやるといったふうな話しぶりだった。
「とにかくぼくは、ここで御返事はできません。ぼくの結婚問題については、田舎の父にいっさいまかしてあるんです」
「それはこの前聞いた、だから、きみの父親には、おれが話してやるといったじゃあないか」
「それには及びません。こんどの土曜、日曜を利用して浜坂へ帰って父に会ってまいります」
加藤は父の名を出した。田口みやとの話をことわるには父を盾にするよりしようがないと思った。父の名を出したとき加藤の心の中では、はっきりと、田口みやとの話をことわるつもりでいた。
「そうか浜坂へ行って話をきめて来てくれるか。それならそれでけっこうだ。とにかく式場の方の予約だけは一応しておこう」
影村一夫はそれまでとは打ってかわった顔で、帰りにいっぱいつき合わないかといった。加藤はその影村から逃げるようにして、初秋の神戸の町を、池田上町の彼の下宿へ向って歩いていった。面白《おもしろ》くないときは、せっせと歩くにかぎる。彼はほとんど走ると同じぐらいの速さで歩いた。技師になっても、背中からおろそうとしない、石の入ったルックザックと、ナッパ服の加藤が、風を切って坂道を登っていくうしろ姿を眺《なが》めながら、
「なんでしょうね、あの人」
「きっと、これよ」
そんな会話をする女がいた。きっとこれよといったとき、その女が、頭のあたりで、くるくると輪をつくった。加藤はその会話を小耳にはさんだが、別に驚きもしなかった。馴《な》れ切ったことだった。
下宿に帰ると、金川しまが眼《め》を輝かせながら近づいて来て加藤の耳元でいった。
「女のお客様がもう一時間も待っているわ」
「誰《だれ》です」
「田口さんという方」
金川しまは加藤の顔色をうかがいながらいった。
「なぜ黙って二階へあげたんです」
加藤は金川しまにつっかかった。二階の下宿へ引越して以来、一度だって、その部屋に女の訪問者はなかった。はじめての女の訪問客が田口みやだということが、なにか加藤には腹がたった。
「では下へ来ていただきましょうか」
加藤はそれには答えず、口をとがらせて顔をしかめて、階段を登っていった。
「お留守中おうかがいしてすみませんでした」
田口みやがいった。いかにもすまなそうだった。すまないことが分っていたが、どうしても来られずにはおられなかったという態度だった。
「用件はなんでしょうか」
加藤の口からは意外なほど、そっけないことばが、とび出した。ことばと同じように、彼の表情は固かった。田口みやは、はっとしたように加藤の顔を見たが、すぐ、自分を取りもどしていった。
「影村さんを通じてのお話のことなんですが」
「ああ、あの話ですか。そのことでしたらいままで、影村さんと話して来ました。ぼくは、結婚問題はすべて田舎の父にまかしてありますから、今度の土曜、日曜に、浜坂へ帰って父と相談して来ようと思っています」
まるで、他人《ひと》ごとのようないい方だった。田口みやは、加藤が、田口みやの不意の来訪をけっして喜んでいないことを読みとっていた。浜坂へ帰って父に話すというのも、断わる口実を作るためだと思った。女の直感だった。
「私は加藤さんに私のほんとうの気持を……」
金川しまが茶を持って入って来た。それまでに見たこともないほど、鋭い眼つきで、田口みやと加藤文太郎を見くらべながら、未練たらしく、ゆっくりと階下へおりていった。
「あなたのほんとうの気持ですって」
「そうです。私のほんとうの気持をお話ししようと思って参りましたが、やめました」
「なぜ」
「話しても、おそらく加藤さんには分らないと思います」
そして、田口みやは、なにかこみあげて来る悲しみをおさえるようにハンカチを出して、顔に当てると、いきなり立上って階段をおりていった。
「あなたが悪いのよ加藤さん。可哀《かわい》そうに」
田口みやの姿が見えなくなるとすぐ、金川しまがいった。
「よほど、なにか大事なことを相談しに来たのに、あなたが、口をとがらせて、しかめっつらをして、けんもほろろの態度をするから、あのひとは出ていってしまったのよ」
だが、加藤には、それだけでは、田口みやが、いきなりとび出していった理由がわからなかった。
「あの田口さんというひと処女《むすめ》ではないわね。男を知っている体つきをしているわ」
金川しまが、へんなことをいった。
加藤にとってさらにわからないことだった。とにかく加藤は女というものはわからないことが多くて、おそろしいものだと思った。
加藤はその夜久しぶりに庭で野宿をしようと思った。
加藤は浜坂に近づくに従って妙な気持になっていた。加藤にはめずらしいことだった。じっとして坐《すわ》ってはおられない気持だった。なにか胸が浮き浮きした。楽しかった。苦心して登った山から無事下山したあの満足したたのしさでも、これから山へ登るときの楽しい気持でもなかった。およそ、その心の浮き浮きは、加藤の経験にない楽しさだった。春の陽光を浴びて芽を出す植物を見るときふと感ずるあの気持に似ていた。お花畑の近くを通るとき、突然芳香につつまれて立往生するあのときの気持とも共通していた。
加藤は、なぜ浮き浮きするか自分でもわからなかった。浜坂へ父を訪ねるのは、田口みやとの結婚をどうしてことわるかという相談だった。加藤を技師にしてくれた、直属課長の影村技師がすすめてくれる縁談をことわった場合、あとになにが起るかということも考えた上で、ことわらねばならない。そういうことを父に話しに来たのである。浜坂の父の言葉として、
(お話はまことに結構ですが、実はこちらにすでに文太郎の嫁ときめた娘がございまして……)
病床にいる父の言葉をそんな具合に兄に書かして影村に送るのもひとつの手であった。
(だが、それは一時逃れでしかない。一時逃れだとわかったとき、影村はもっと怒るだろう)
加藤はそこまで考えて、そこからひととびに浮き浮きした気持になるのである。三年前に神戸から山を越えて来たとき、ぱったり会った花子が眼の前に浮び上って来るのである。紫地のメリンスの元禄《げんろく》そでの着物に、黄色い帯を胸高にしめていたおさげ髪の黒い瞳《ひとみ》の少女の顔が浮びあがるのである。
あれからすでに三年たった。花子がそのままでいるはずはない。
(花子がもしあのとき伯母がいったように、結婚の対象として出て来るならば)
花子を考えると、なにか胸が鳴るのである。それまで一度だって感じたことのない妙な気持だった。郷愁が胸にあふれて、ついには涙ぐんでしまいたいほど、おかしな気持だった。
加藤は汽車が浜坂の近くになると、とうとう座席から離れた。彼は汽車が久谷を出ると、荷物をさげてデッキに出た。
浜坂は夜が明けたばかりだった。
こんな時間に家へ行ったら、兄たち夫婦はまだ寝ているだろうと思った加藤は、荷物を持って駅の裏から宇都野《うづの》神社の方へ歩いていった。石段の下へ荷物を置いて、ひょいひょいと石段をかけ登っていくと、十年ほど前に、この石段で花子と会ったときのことを思い出した。泣いていた少女の下駄《げた》の鼻緒を、腰の手拭《てぬぐい》をさいて、すげてやったときのことを思い出したのである。
宇都野神社の石段を三回ほど上下して時間をやりすごしてから、加藤は、荷物を持って生家の方へ歩いていった。
「文太郎、ほんとうに来たのか」
玄関で浜へ出ていこうとしている兄が文太郎にいった。
「ほんとうに来たって?」
「お父さんが、文太郎が来るような気がすると、きのうあたりからいっていたんだ。虫が知らせたというやつかもしれない」
兄は弟の来たことを、すぐ父に話しにいった。
「やっぱり来たんだな、文太郎」
病床に長いこと伏せている父は、文太郎の顔を見ただけで涙を浮べた。
「めったには帰って来ない文太郎さんが、来たということはなにかいいことがあったのでしょう」
兄嫁がいった。
「いいこと? そうだな、いいことといえばいいことになるかもしれないが、ほんとうは困ったことなのだ」
「困ったことだと」
父は心配そうな顔をした。
「いったいなにがあったのだ」
「課長に嫁をもらえといわれているんです」
「嫁をね、お前が嫁をか。願ってもないことじゃあないか。なにが困ったことなのだ」
「その相手が気に入らないのです」
「嫌《いや》なのか」
加藤はうなずいた。
「どうしても嫁に欲しいと思うような女ではないのです」
「つまり嫌《きら》いというのだな」
兄がいった。
「そのひとの写真は」
兄嫁がいった。
「持って来ませんでした」
それだけの言葉のやりとりで、加藤がなにしに浜坂へやって来たかは、おおよそ、見当がついたようだった。みんなは黙ったまま、加藤のつぎの言葉を待っていた。加藤は父と兄夫婦に田口みやとの縁談をくわしく話した。
「課長はものすごく強引にそのひとをぼくにおしつけようとするんです。はじめっからぼくが田口みやをもらうことにきめてかかっているのです。だからぼくは浜坂の父に相談するといって帰って来たのです。ほんとうは、ことわる口実をつくるつもりで来たんです」
「そうか」
父は眼をつぶって、なにか考えているようだった。
「その課長さんは、お前にとっては恩がある方だ。その恩にそむくことになっても、その課長さんのすすめるひとと結婚するのはいやだというのだな」
「はい」
「誰かほかに好きな女でもいるのか」
加藤は首をよこにふった。
「伯母さんを呼んでこい。こういうときには伯母さんの智恵《ちえ》をかりるのが一番いい」
父はかなりはっきりした声でいった。
「文太郎さん、伯母さんの来るまで、しばらく休んだらどう。夜行でつかれたでしょうから」
兄嫁が加藤に奥で寝るようにすすめてくれた。
加藤が眼をさましたときには、伯母を中心としての家族会議がどうやら済んだあとらしかった。伯母はいつものように加藤家を背負って立つような顔でいった。
「文太郎、課長さんのすすめてくれるひとをことわるには、ただではだめですよ。浜坂でちゃんと嫁さんを用意していて、そのひとと結婚しなけりゃあどうしてもいけないようになっていたというふうにいわねば、相手は承知しないだろう。ところでその浜坂の嫁さんの話だが、いつか、お前に話した網元の花子さんはどうかね。すっかり大人になってきれいになったよ。お前さえ、よかったら、話だけでも決めておいたっていいのだが」
話がうますぎると加藤は思った。とんとん拍子に、彼が考えている方向へ話がすすんでいくのを加藤はそらおそろしい気持で聞いていた。あまり話がうますぎてかえって、前途に大きな蹉《さ》跌《てつ》が起きはしないかとさえ思うのである。
「いいね、文太郎」
加藤は、伯母に向って黙ってうなずいた。
「ひょっとすると文太郎は、花子さんが欲しくなって帰って来たのじゃあないかな」
伯母がひやかすと、加藤は赤くなった。家中が笑った。寝ている父まで笑った。
「それじゃあ、私のうちで、すぐお見合いだ」
伯母はそういうと、加藤に、いそいでひげを剃《そ》れといった。
花子には花子の母親がついて来ていたが、加藤にふたこと三こと話しかけただけですぐ加藤の伯母とふたりで庭へ出ていった。八畳の部屋には、加藤と花子のふたりになった。
加藤はおそるおそる眼をあげて花子を見た。伯母のいったとおり、すっかり変っていた。もう肩揚げのついたメリンスを着てはいなかった。花子は矢羽根模様のお召《めし》の袷《あわせ》につづれ織りの臙《えん》脂《じ》の帯をしめていた。黒髪はうなじのところで止めてカールし、髪にピンクの花かざりをつけていた。花子はもう少女ではなかった。だが、花子の黒い瞳は三年前に会ったときと同じだった。十年前に宇都野神社で会ったときの眼と同じだった。ふたりはいつまでたっても黙って向い合っていた。なにかいわねばならないと加藤は思った。男の方からいわねば、相手がいえるはずがないと思ったが、話題がなかった。加藤は困り切った眼を花子へやった。その視線を包むように花子が受けた。
「今朝一番の汽車で浜坂へつくと、すぐ宇都野神社へお参りにいきました」
加藤は今朝のことを話し出した。
「石段を上ったりおりたりしているうちにあなたと十年前に会ったときのことを思い出しました」
「あのとき私、大きな声を上げて泣いたかしら」
「いや、しくしく泣いていました。赤い鼻緒の切れた下駄を片手にこう持って」
加藤はそのまねをした。
「あのとき、加藤さんは腰に手拭をぶらさげていましたわ。その手拭をぴりりっと引きさく音をいまでもはっきり覚えていますわ」
「あのとき春だったかな、秋だったかな」
加藤がいった。
「さあ、どっちだったかしら、季節のことは忘れてしまいましたわ」
ふたりは声を合わせて笑った。ふたりの心は通じていた。十年前に宇都野神社の石段で会ったときから、ふたりの心は結ばれていたようにさえ思われるのである。
「ずいぶん楽しそうじゃあないかね」
加藤の伯母が入って来ていった。伯母は、文太郎と花子との縁談成立を疑わなかった。
「どうだね文太郎、花子さんは」
あとで伯母は加藤に訊《き》いた。
「いいひとだ」
「好きだってなぜいわないのだね」
伯母は加藤をさんざんにからかってからいった。
「向うも異存はないが、花子さんはまだ十八だ。もう少し女としてのお稽《けい》古《こ》ごとをしたいといっている。もっともなことだ。昔とちがってこのごろの女は、なにか身についたものを持っていないと、世の中に出て、ばかにされる。お前も、技師だしね」
技師と花子のお稽古ごとと、なんの関係があるのか、伯母はそんなことをいった。
「どう、文太郎、待てるかね。待てなくなったら、伯母さんにいってくるがいい」
あけすけに、なんでもいう伯母には、文太郎は照れるばかりだった。
「いいですよ。ぼくはいますぐどうしても結婚したいという気持はないんです。ただ課長の縁談をことわることができればそれでいいのです」
「うまいことをいって、この前、浜坂へ来たときから、花子さんに眼《め》をつけていたくせに、わたしはちゃんと知っているから――ところで、文太郎、結婚すると、山なんかにあまりいってはいられなくなるがいいかね」
伯母が山を出したときは、それまでになくきつい顔になっていた。
「なぜ結婚したら山へ行っちゃあいけないのです」
「結婚すればひとりの身体《からだ》ではなくなる、もしものことがあったら、あとに残された者がたいへん困ることになる」
もしものこと、と伯母のいったことを加藤は汽車に乗ってからも考えつづけていた。もしものことというのは死ぬことを意味するのだ。それまで山で死ぬなどということは考えたことのない加藤が、山で死ぬことを考えたのはそのときがはじめてだった。
どんなひどい吹雪に会っても、道に迷っても、たとえ食糧がなくなっても、彼には生きつづけられる自信があった。
(そのおれにもしものことが起るということはどういうことなのだろうか)
加藤は、彼の経験と自信によって、もしものことが起るのはきわめてまれであることを、自分にいって聞かせながら、やはり相手が山である以上、もしものことが絶対に起らないと否定するまでにはかなりの時間がかかった。
もしものことが起るとすれば、それはいままでの彼の経験にないような非常に危険な山行を計画したときか、そうでなかったならば、彼自身によってすべての判断がきまらないような立場に追いこまれたとき――つまり単独行でなく、誰《だれ》かとパーティーを組んだ場合に伯母のいう、もしものことが生ずるのではないかと思った。
「他人《ひと》とパーティーを組む」
加藤はつぶやいた。
とてもそれはできそうもなかった。剣沢小屋で遭難した土田等《ら》と変則的な山行をつづけて以来、加藤は山における孤独を自分のものとしていた。ひとりで歩くということに意味があって、他人と山へ一緒に登るくらいなら山へ行かないほうがいいという気持になっていた。
(だから、他人と一緒に山へ入って、もしものことが起るということは、まずおれの場合は考えられない)
加藤は、もしものことについては、それ以上考えずに、神戸に帰ってから、影村に、浜坂でのことを伝えた場合、彼がどんな態度に出るかを考えはじめた。
影村一夫のつめたい眼を思い出すと、背筋が寒くなった。雪面を歩いていて、ぴしっと、雪面にひびの入る音を聞いたような気持だった。雪崩《なだれ》が起きたらどっちに逃げようかと、瞬間、八方へ気を配るあのときのように、冷たいものが、彼の身体を走りぬけて通った。
「だがいわねばなるまい」
加藤はひとりごとをいいつづけた。汽車はすいていて、加藤のひとりごとを聞いている者はいなかった。
「以前とは違うんだ、おれには――」
花子という約束のひとがいるのだと思うと、影村の前に立つことも、そうおそろしいとは思わなかった。花子のことを考えている間に、加藤はいつか眠った。
早朝、加藤は神戸についた。
汽車をおりて、プラットフォームで、ミルクコーヒーを飲んでいると声をかけられた。
北村安春が立っていた。北村もどこかへ行って来た帰りらしかった。
「どこかで朝食を食べようか」
北村がいった。
「いやいいんだ。おれはいま朝食がわりにミルクコーヒーを飲んだ」
加藤は北村安春が好きでなかった。
「ちょっときみに話したいこともあるのでね」
北村安春はそういって歩き出した。
「それなら歩きながら聞こうか、どうせきみも、これから会社へ行くんだろう」
「それが歩きながら話すような話ではないのだ。きみに取っては一生の問題になるような話なのだ」
ふたりはプラットフォームで突立って顔を見合せた。
「よし一緒に朝めしを食うことにしよう。朝食代はおれがおごる。いいな、北村」
加藤は、北村安春に釘《くぎ》をさした。そうしておかないと、北村になにかしてやられそうな気がした。北村安春は、加藤がいきなり朝食代のことなどいい出したので、ちょっと口をゆがめて笑ったが、そのままだまって先に立って、駅から十分ほど歩いたところの食堂へ加藤をつれていった。
「なんだ加藤、朝食がわりにミルクコーヒーを飲んだなどといったって、ちゃんと食べるじゃあないか」
北村安春は、加藤の食べっぷりを見ながらいった。
「食べようと思えば、三食分ぐらい一度に食べることもあるし、なんにも食べないで、三日、四日いることもある」
「山へ行くための訓練だってね、立木勲平海軍技師がいっていた。立木技師は、ひどく君を讃《ほ》めていた。だが立木技師がいっていたぞ、あの加藤も結婚するとがらりと変るってな」
「変ってどうなる」
「さあ、それはいわなかった。実は加藤、そのきみの結婚の話なんだ。噂《うわさ》によると、きみは影村技師が間に立って、田口みやと結婚するってことだがほんとうか」
北村安春が急にまじめな顔になった。
「影村さんから話はあったが、おれは田口みやと結婚するつもりはない。今度の旅行も故郷の方で決めてくれたひとと結婚するための下準備にいって来たのだ」
北村安春はほっとしたような顔をした。
「よかった。それなら、よかった。もうおれのいうことはなんにもない」
北村安春は肩から力を抜いた。
「おい北村、へんじゃあないか。ここまで、おれをひっぱり出しておいて、いやにもったいぶるじゃあないか。いったい、なにをおれにいいたいのだ」
「だから、もういう必要がなくなったといっているのじゃあないか。おれは田口みやときみとの結婚について反対してやろうと思ってきみを呼んだのだ」
「なんだと」
加藤は坐《すわ》り直した。北村安春が、いやだといっても、彼のなかにあるものを見てやろうという顔つきだった。
「影村って奴《やつ》がどんな男か、きみはだいたい知っているだろう」
北村安春は影村技師を影村と憎々しげに呼びすてにしてから話し出した。
「影村という奴は、自分のために他人を犠牲にするのはなんとも思わない男だ。研修所時代には、ぼくはあいつのスパイとなって使われたが、研修所を卒業すると、さっぱりおれのことは見てはくれない。日の当らないような、工場の片隅《かたすみ》に追払われたままだ。これでは一生かかっても技師になんかなれっこない。ほかの職場に移してくれるようにたのみにいっても、知らんふりをしている。話を聞いてもくれないのだ」
北村安春は茶を一口飲むと、
「田口みやだって犠牲者なんだ。あのひとは本来おとなしいひとだから、うまいこと影村一夫にだまされたのに違いない。おい加藤、田口みやは影村一夫の女なんだ。影村と田口みやが同じ旅館に泊っているのを同期生の田《た》窪《くぼ》が見ているんだ。影村は、誰にもわからないように上手にやっているつもりらしいが、そういう噂は、どこからともなく出て来るものだ。影村は田口みやとの情事が明るみに出そうになって来たから、田口みやをきみにおしつけようとしたのだ。よかった、きみがこの話をことわれば、きみは、技師とひきかえにおさがりを頂戴《ちょうだい》したといわれないですむ――」
加藤は真青な顔をして北村安春の話を聞いていた。くやしくて涙が出そうだった。しかも北村安春が最後にいった、技師とひきかえにおさがりを頂戴ということばは、聞き捨てできなかった。
「おれが技師になったことと田口みやとが関係あるというのか」
加藤は北村安春につっかかった。
「おこるな加藤。同期生たちは、君の破格の出世を喜んでいるというより、嫉《や》いている者の方が多い。おれもそのひとりだった。きみが田口みやをもらったら、技師とひきかえに、おさがりを頂戴したばかな奴だと、笑ってやろうと思っていた。だが、おれたちはそれをきみにだまってはおられなかった。なぜならば、きさまはやはり、同期生だ。誰が見ても、きさまは技師に一番先になる資格があった。同期生のレッテルのようなものだ。レッテルに疵《きず》をつけたくないから、おれが同期生を代表して、きみに、近いうちに真相を伝えようということになっていたのだ」
加藤はなにもいわなかった。頭の中で大砲が鳴っていた。眼の前にいる北村安春の顔さえよく見えなかった。なにもかも、腹が立った。会社にいることも、技師になったことも、北村安春が洩《も》らした真相、同期生も、すべてが加藤にとって人間不信のパノラマのようにしか映らなかった。
「いわなきゃあよかったかな」
北村安春がいった。
(そうだ聞かないでも済んだことだった。すでにおれは田口みやとは結婚しないつもりでいたのに――)
加藤は北村安春を軽蔑《けいべつ》の眼で睨《にら》みつけてから黙って立上って、食堂を出ていった。食堂を出たところで、加藤はくやし涙を片手でぬぐった。
加藤文太郎の無口は徹底した。本来無口な加藤がそうなると、唖《おし》のように見えた。自分から口を利《き》くということはほとんどなくなった。会社の上役からなにかいわれたときも、肯定か否定を僅《わず》かに動作で示すだけだった。技術的にややこみ入った問題を討議する必要があっても、彼は発言しなかった。相手のいうことが間違っていれば、首をはげしく振るか、その設計図を相手におしやるか、彼自身鉛筆を取って、彼が主張したい部分の略図を書いて示すといったふうであった。
加藤が極端なほど無口になったなと気づく者は、彼の周辺にいるごく少数の者で、平常無口で通している加藤を知っている者は、特にそのことについて関心は持たなかった。その加藤の変化について、もっとも深い関心を持ち、なぜ彼が頑《かたく》なに見えるほど、無口に徹しようとしているかを、或《あ》る意味では、彼よりもよく知っている人間がいた。影村一夫であった。
影村は加藤の帰りを待ち受けていて、その首尾を糺《ただ》した。
「浜坂には父が決めた娘がいました。この娘《ひと》です」
加藤は花子の写真を、影村につきつけるようにして言った。
「加藤君、それはあまり一方的ではないか、いったい、田口みやとの話はどうしてくれるのだ」
影村は顔色を変えた。
「私は、田口みやさんに対して、なんら、責任を感ずるようなことはしていません」
加藤は影村の顔を見つめていった。怒りが凝集された眼であった。これ以上騙《だま》されはしないぞという眼つきであった。加藤の眼を、影村は課長という権力で圧倒しようとした。技師にしてやったという恩義で組み伏せようとした。影村がなにを言っても加藤はそれには応《こた》えず、影村の眼から視線を放そうとはしなかった。自分が弄《もてあそ》んだ女を部下におさがりとしておしつけようとした、影村の卑劣なやり方を加藤は詰《なじ》っていた。
「なぜそんな眼で俺《おれ》を見るのだ」
そういったとき影村は加藤に負けていた。
「まあ、今日は帰ってもう一度考え直してみてくれ」
「考えてみる必要はありません」
加藤は言いきった。影村の顔がふくれ上ったように見えたが、すぐ青黒く沈んだ。テーブルに置いた影村の手がぶるぶる震えていた。影村は怒鳴りたいのを我慢していた。設計第三課には加藤と影村しかいなかったが、隣室の第二課にはまだ人が残っていた。電灯がついていた。
「分った」
影村はあらゆる憎《ぞう》悪《お》をこめた眼《め》を加藤に向けた。だが加藤はそれ以上の軽蔑と怒りをこめた眼で、影村の視線をはねかえすと、黙って影村の席の前を離れた。
加藤の極端な無口はその日から始まったのである。それは敏感な動物が、近い将来に、襲いかかって来る外敵に対する構えのようなものでもあり、人間不信への加藤独特の抗議のようでもあった。いずれにしても、加藤の沈黙の原因となる影村との対立は、そのままであり得るものとは思われなかった。
(影村はなんらかの報復手段を取って来るに違いない)
加藤はそう感じた。それが、どういうかたちで現われて来るか予想できなかったが、陰険きわまる影村が、このまま加藤を黙って放って置くものとは思われなかった。
加藤が田口みやとの縁談を正式にことわった数日後に田口みやが会社を辞めた。家事見習というのが名目のようであった。影村はすぐ手を打ったのだ。影村と田口みやとの関係を誰《だれ》かが知っていて、加藤に告げ口をしたと睨んだ影村はすぐ自己防衛にかかったのである。影村は、彼自身と田口みやとのスキャンダルが会社内に流布《るふ》されていることを探り出した。影村が田口みやを加藤文太郎にあてがおうとして失敗したことも、かなり尾《お》鰭《ひれ》がついて噂されていた。
影村は先手を打った。川村内燃機関設計部長と津野重役に田口みやとの間に関係があったことを告白した。
「たしかにあやまちを犯しました。が、今は田口とはもうなんの関係もありません。田口みやを加藤に押しつけようとしたなどというのは全くのデマです。加藤には浜坂にちゃんと許婚《いいなずけ》の娘がいます。加藤は根っからの山男ですから、他人にすすめられたからといって、簡単に自分の節を曲げるような男ではありません」
影村はある程度自分を裸にして見せて、火の手の上るのをおさえた。影村と田口みやとの間になにがあったにしても、それは私事であり、会社とはなんの関係もないことであった。川村部長も津野重役も、影村の告白を一笑に付した。影村のその行為は、別の面から見ると、上役に対する一種の媚《び》態《たい》であった。献身を表現するためのジェスチュアでもあった。影村が上役に、田口みやを加藤にすすめたことはないと言いきった裏には、加藤の無口を利用していた。加藤が無口になったことは、影村の重大な失態を加藤自ら口を緘《かん》して語らないと約束してくれたようなものであった。
(時を稼《かせ》ぐのだ)
影村はテーブル越しに設計机の向う側に坐っている加藤の方へ眼をやった。
(今は黙って見過してやろう、だが、その時が来れば仕返しをしてやるぞ)
見かけ上、影村の加藤に対する態度は変らなかった。ただ加藤の沈黙のみが、第三課において異常だったが、それも日が経《た》つにつれて、問題にされなくなっていた。
「会社でなにかあったのね、加藤さん」
下宿の金川しまだけは、加藤の沈黙の原因を会社にあると睨んだ。
「いつか、うちへ来た田口さんて方、その後どうしているの」
そんなことも訊《き》いた。加藤はなにを言われても黙りこくっていた。
加藤の山行が増した。土曜、日曜は雨が降っても、近くの山へ出かけて行った。山を歩いていれば幾分気が晴れた。できることなら人の居ない山を歩きたかったが、山にはどこへ行っても人がいた。山で話しかけられることも苦手だった。加藤が登っていくのを待っていて、こんにちはと呼びかける相手に、加藤は黙って頭をさげて、その人の前を風のように通りぬけていった。
(加藤は山で会っても碌《ろく》な挨拶《あいさつ》をしない、態度が悪い)
という評判が山仲間の間に取り沙汰《ざた》されていた。加藤がひどく無口になったことは確かだったが、別に態度が悪くなってもいないし、他人との交際をすべて断絶したのでもなかった。志田虎《とら》之《の》助《すけ》のところと、外山三郎のところへはちょいちょいでかけていったし、可愛《かわい》い登山家の宮村健に誘われると、園子の居る喫茶店ベルボーに行くこともあった。しかし、交際の範囲はそれ以上は拡大されなかった。それ以外の人間との交際は避けた。村野孝吉がその年の暮の忘年会に出席するように誘いに来た。加藤は黙って首を横にふった。
「おいおい加藤、同級会だぞ、義理ってものがあるだろう、きみが技師になったときは、同期生全員で、きみを呼んで祝ってやったんじゃあないか」
しかし加藤は首を横にふりつづけた。
「どうしても嫌《いや》なのか、会費はたったの二円なんだ。子供が二人あるおれだって出るんだぜ、きみは技師だからおれたちよりは月給だってボーナスだって多いだろう。だからといって、きみに余計だせとは言わない、酒を一升おごれなんて言わない、なあ加藤出ろよ」
それまで、黙って首をふっていた加藤が、突然口を開いた。
「おれは酒はきらいだ、それに同級会なんか面白《おもしろ》くない」
それからは、村野孝吉が、なんといっても加藤は口をきかなかった。
「そういう態度は、君自身がいよいよ孤立していくことなんだ……まあいいさ、どうしてもいやならいやでいいさ、そういう男を誘えば、こっちだって面白くなくなるからな」
村野孝吉はあきらめた。
年の瀬がせまって来ると、それまでの感情を殺した加藤の沈黙の表情がやや動きを見せて来る。暮から正月にかけての冬山山行が頭にあるからである。彼は山の準備を始めた。甘納豆を買い込んだり、乾《ほ》し小魚のカラ揚げを用意したり、着衣のほころびを縫ったりした。その年、志田虎之助の世話で、北海道から取りよせた、樺太犬《からふとけん》の毛皮のチョッキを着て、下宿の庭で野宿もやった。靴《くつ》の手入れも念入りにした。アイゼンの爪《つめ》も磨《みが》いた。キュッキュッという音が耳障りだと近所から文句が出ると、加藤は、アイゼンとやすりを持って、神戸の裏山へ登っていった。
昭和七年十二月三十一日午前九時、加藤文太郎は、御殿場口太郎坊スキー場で雪の富士山を見上げていた。
日を背にして見る富士山には陰影がなかった。そのせいか、富士山は平面的な巨大な白壁に見えた。一点の雲もなく晴れわたった青空の下の、白い置き物に似た富士山に対して、加藤は、それまで、彼が踏破して来た、冬山の印象を、なんとか当てはめようと考えたが、そこにはなにか根本的な相違がありそうだ、ということ以外に比較しようがなかった。
「富士山へ登るのかね」
スキー宿の半天を着た若い男が言った。
加藤は返事のかわりに頷《うなず》いた。
「今朝早く、観測所の人達《ひとたち》が登っていったから、そのあとをついていけばいい」
半天を着た男は、観測所の人が登っていったという方向を指していった。人影は見えなかった。加藤は、お礼のかわりに二、三度続けておじぎをしてから、スキーの先を富士山に向けた。加藤は今朝方登ったという観測所員の踏み跡を追った。数人で登っていった踏み跡はかなり緩慢な蛇《だ》行線《こうせん》を描いていた。早朝に出発したというから、五時か六時だろうと思った。三時間の差を縮めるのは容易ではないと考えていたが、加藤が観測所の一行の影を見かけたのは二合目を過ぎて間もなくだった。観測所員は二隊に別れて登っていた。加藤は正午少し前に一行に追いついた。観測所員ではなく、観測所員たちと共に頂上観測所へ荷物を運ぶ強力《ごうりき》たち三名だった。
「ひとりですか」
強力が加藤に訊いた。加藤は返事のかわりに笑顔を見せた。
「冬富士にひとりで登るなんて危険だとは思いませんか」
第二の強力は雪の斜面に荷をおろして言った。第三の強力は、ひとりで来たことを別にとがめようとせず、
「どうせ今夜は五合五勺《しゃく》泊りずら、先に観測所の人たちが行くから頼んでみたらいい」
と言った。
加藤は、それに頷きながら、どうせ今夜は五合五勺とあっさり決めてかかる強力の顔を不審なものを見る眼で見詰めた。登山道は二合目あたりから、右へ右へとトラバースするように延びていた。天気はいいし、スキーのシールは、よく効いた。五合五勺泊りと決めずに頂上まで行けそうだった。だが加藤は、三合目からのトラバースが終って、再び頂上へ向っての蛇行路にかかってから、宝永山の頭を越えて吹きおりて来る強風にさらされた。頂上の方を見ると飛雪の幕が張られていた。加藤にとって冬富士は始めてであった。どこにどんな悪場があるか知らなかった。ただ、登る前に加藤が調べたところによると、御殿場口登山道の五合五勺と七合八勺に気象台の避難小屋があり、頂上に観測所があるということだった。
雪の斜面は広く、それらの小屋がどこにあるかはよく分らなかった。もし彼の前に踏み跡がなかったならば、雪におおわれた石室小屋を目当てに夏山登山道を登っていくよりしようがなかった。この点、観測所員たちの踏み跡を従《つ》いていくのは気が楽だった。前方を行く人影は五人だった。五人はしばしば立ち止って、驚異的にも見える速度で追いついて来る加藤を見ていた。
観測所員が小さな小屋の前で止った。一人が雪にふさがれた入口を開けにかかっていた。あとの四人は、近づいて来る加藤を見詰めていた。五人が五人とも雪眼鏡をかけていた。
五合五勺の小屋の入口には一坪ほどの平らな部分があった。雪が吹きたまっていた。ここまで来ると山全体がかなりの傾斜角度を一様に持っており、どこにも身の置きどころがないから、ほんの僅《わず》かな平らでもたいへん安全な憩《いこ》いの場に思われた。
加藤は五人の男達の見ている前で、その平らな部分にルックザックをおろし、雪眼鏡を取って、笑いを浮べながら頭をさげた。
五人の男たちは、加藤に頭を下げられると、ひどくあわてたようだった。てんでに頭を下げたが、誰も加藤に声を掛けようとはしなかった。加藤の方からも声を掛けなかった。そんな対立が数分つづくと、五人の男たちは、戸が開いた五合五勺の小屋へひとりずつ入っていった。間もなく小屋の中から煙が出て来た。五人が小屋の中で火を焚《た》き出したことは明らかだった。
加藤は煙を見ると同時に、寒さと空腹を感じた。彼は、小屋の陰に風を避けながら、手早くコッフェルを出し、アルコールランプに火をつけた。小屋の前の吹きだまりの雪をコッフェルに掬《すく》いこんで、ひとつかみの甘納豆を入れた。腕時計を見ると一時を過ぎていた。
雪が溶けて、氷アズキができると、彼はその前に坐《すわ》って、スプーンでそれを口に入れた。疲れたときは、熱いものよりつめたい物のほうがうまかった。氷アズキがやがてゆでアズキになっていくころに彼の食事は終りかけていた。
避難小屋の中から二人の男が同時に顔を出して、コッフェルに湯を沸かして飲んでいる加藤をあやしい男でも見るような眼で見詰めた。
「冬の富士山は初めてですか」
ひとりが訊《たず》ねた。
「はじめてです」
加藤はそこで、彼がなし得る最大級の愛《あい》想《そ》笑いをした。
観測所交替要員の顔がこわばった。警戒の色が所員たちの顔に浮んだ。ふたりの所員は戸口から頭をひっこめて、再び姿を現わそうとしなかった。加藤は観測所員たちに突き放されたような気持で、しばらくそこに突立っていたが、すぐ荷物をまとめ、そこまで穿《は》いて来たスキーを避難小屋の陰の雪に突きさして、手早くアイゼンをつけると、頂上に向って登り出した。
五合五勺の避難小屋には電話があった。観測所交替要員のひとりが、頂上の観測所と電話で話していた。
「それがものすごく足が達者な奴《やつ》なんです。ずっと下の方にけしつぶほどに見えたのが、どんどんと追いついて来て、いま、この小屋の外で、コッフェルに湯をわかして飲んでいるんです。どうしましょうか」
「どうしましょうかって、泊めてくれといったのかね」
頂上の観測所の主任の窪沢《くぼさわ》技師がいった。
「いや、なんとも言いません。にやにやとうす気味悪い笑いを浮べているだけです」
「とにかく小屋の中へ入って貰《もら》って、これからどうするつもりか聞いて見たらどうかね。それから、名前を聞いてみてくれないか、ちょっと思い当ることがある……」
窪沢がいった。窪沢の指示を受けた交替要員は受話器を置くと、すぐ外に出てみた。加藤は六合目あたりを歩いていた。
「とても普通の人間とは考えられませんね。あの調子だと、今日中に頂上まで登りますよ」
所員は窪沢に報告した。
「六合目あたりだったら、もう声はとどかないだろう」
窪沢技師は電話を切って、風速計の記録装置を覗《のぞ》きこんだ。風速は四十メートルであった。風速は増加する傾向にあった。
窪沢主任は密生したあごひげを撫《な》でながら、おかしな男というのは、加藤文太郎ではないかと思った。窪沢は加藤を直接知らなかったが、単独行であること、無口で、微笑を浮べていたところから、かねて聞き及んでいる加藤文太郎ではないかと思ったのである。
窪沢は、次の通信連絡時間まで待って東京の気象台あて電報を打った。
「単独登山者あり、宿泊させてさしつかえなきや、現在富士山頂飛雪、風速四十三メートル」
それに対して折りかえし返事があった。
「なるべく、付近の小屋を利用するよう手配されたし、ただしその登山者が危険に瀕《ひん》していると判断されたる場合は、保護せられたし」
窪沢主任は中央気象台の指令電報をポケットにねじこんで、防寒具をつけ、アイゼンをはき、ピッケルを持って外に出た。当時、富士山頂観測所は御殿場口東賽《さい》の河《か》原《わら》(安の河原)にあった。観測所から三十メートルも歩いた岩頭に立つと、御殿場口登山道の一部が見えた。
双眼鏡で登山者の姿を探したが見えなかった。宝永山の頂上から八合目にかけて、飛雪が吹き上げていた。その状況から判断すると、七合目上は突風が激しく、登山できる状態ではないと観測された。
窪沢は観測所に引きかえすと、所員たちに、三十分置きぐらいに七合八勺の避難小屋に電話をかけて、もし登山者が七合八勺に逃げこんでいたら、今夜はそこに泊るように注意してやるようにいった。
五合五勺の小屋では観測所交替要員と強力《ごうりき》の間で、おかしな登山者についての話がつづいていた。
「あの薄気味悪い笑い顔を見たら、ぞっとしたよ」
窪沢主任に加藤のことを電話で知らせた所員がいった。所員や強力たちの加藤に対する観察は共通していた。並みたいていでない脚力を持っていること、なにか自信あり気に、薄気味悪い微笑を浮べていること、その二点であった。
「なんずらか、自殺登山者でもなさそうだしなあ」
強力の野木がいった。
「ありゃあ、ただ者じゃあねえずらよ」
強力の勝又がいった。
ただ者ではないように見せたのは加藤自身の責任だったが、加藤が好んでそうしたのではなかった。脚力の強いのは、長い間の積み上げであった。観測所員の誤解を招いた薄気味悪い微笑にしてさえも、加藤がなし得る親愛をこめた最大の挨拶だった。
(観測所のみなさま御苦労様です、私は神戸からやって来た加藤文太郎という者です。なにぶんにも、富士山ははじめてですので、同行願えませんでしょうか、そしてもし、お許しいただけるなら、避難小屋の片隅《かたすみ》に泊めていただけませんでしょうか、食糧は充分持っております)
加藤は心の中で、観測所交替要員たちにそういったが、彼らには加藤の心の声は聞えず、そのあとの微笑だけが見えた。
加藤は飛雪まじりの突風の中にあえいでいた。彼は雪と氷におおわれた夏小屋を目当てに夏山登山道を登っていた。五合五勺を出たとき、彼は頂上を目ざしていた。彼の経験による、目測と地図上の距離と傾斜角度、風、氷雪などの状況からみて、頂上まで、日の暮れないうちに到達できる自信はあった。頂上の観測所についたら、観測所員にていねいに頼んで泊めて貰おうと思った。加藤自身も五合五勺での妙につめたい別れ方が、彼自身の口不調法によるものであることをよく知っていた。重々それを知っていながらも、決して上手な言葉を使えないのだ。五合五勺を出て数分後には彼のあらゆる神経が頂上を目ざしていた。
宝永山の頂上と並び立つ位置にまで登ったときから、加藤はおそるべき突風の歓迎を受けた。突風は前ぶれなしにやって来て、彼を突きとばそうとした。突風は前から来ることも、背後から来ることも、横から来ることもあった。彼がアルプスの高嶺《こうれい》で、それまで体験した突風とはおもむきもかなり異にしていた。一般的にいって突風が起る前には前兆があった。突風の来る方向に風の気配があった。方向もおおよそ予想されているから、突風の起る方向にあらかじめ用意していることができた。ところが、富士山の突風は、どこからともなく出現した。氷雪面から衝《つ》き上げて来たような風だった。なんの予告も前兆もなく、闇《やみ》打《う》ち的に襲いかかって来る風を、身体《からだ》に受けると、土俵を投げつけられたような重みを感ずることがあった。最初の一撃の重圧をどうやら胸で受け止めたとしても、そのおかえしとして、逆の方向、つまり、今度は背中を同じ力でどやしつけられた場合は、どうにも身体を支えようがなかった。
ただひとつだけ突風をさける方法は、姿勢を低くすることと、突風地帯を、なんとかして、速く、通り抜けることであった。
加藤は大きなルックザックを背負ってピッケルを両手で持って、雪の上を這《は》った。雪というよりも氷に近い固さを持ったところが多く、明らかにつるつるの蒼氷《そうひょう》となって、夕映えの残光を反射しているところへ出ると、ピッケルのピックを打ちこむこともできないことがあった。突風性の風が強く、ステップを切っている余裕はなかった。加藤はしばしば蒼氷に張りついたまま冬富士の突風のすさまじさをいまさらのように痛感した。吹きとばされたら、その氷壁に身を止《とど》めることはできなかった。ピッケルを打ちこんだところで、はねかえされることは明らかだった。
彼は這ったまま地形を観察した。彼が現在いるところは、御殿場口夏山登山道であり、強《し》いていえば、七合目から頂上までのその登山道は左右の尾根にはさまれた沢だった。
突風が異常に乱れているのは、地形のせいに違いないと思った。富士山という独立巨体にまともにぶっつかって来る北西の季節風が、その風陰に作り出す渦流《かりゅう》そのものが、突風となって出現するのだろうと思った。もしそうだとすれば、沢を歩くよりも、風が強くとも、尾根を歩いた方が安全ではないだろうか。加藤は、それまでの経験から来る判断によって、夏山登山道をやめて、その右側の尾根(東寄りの尾根)を登ろうと思った。このルート変更は賢明なる処置だった。風速四十メートルという強風のなかで、七合目以上の夏山登山道を登ることも、下ることも、きわめて危険であった。冬季は御殿場口夏山登山道の東側の尾根(現在長田尾根と呼んでいるところ)が最も安全なルートであった。加藤は誰《だれ》にも訊《き》かずに、彼の経験と勘によって正しい道を探し出すと、そっちの方へ道をかえていった。いままで登って来た、夏山登山道はそろそろ暗くなりかけていた。
尾根は岩がしっかりしていた。尾根の氷雪は風にとばされて少なかった。突風性の強風だったけれど、方向はかなり固定していた。前後左右から無警告に襲って来る風とは違っていた。だが、寸刻の油断もできなかった。備えのない身体を強風の中にうっかりさらけ出せば吹き飛ばされることは間違いなかった。
加藤は、岩の上を這うようにして、徐々に頂上へ近づいていった。時間の経過が不思議に気にならなかったのは、頂上に観測所があり、そこに泊めて貰うことができるという期待があったからだった。日が暮れて星が出た。眼を下界に投げると、東海道線に沿って電灯の帯が続いていた。箱根山の航空灯台の、赤い灯《ひ》の明滅が眼にしみた。完全な防寒具をつけてはいたが寒かった。特に足や手の指先が痛かった。
(頂上には観測所がある、人もいる)
加藤はそこへ寄って、泊めて下さいとたのみこむ言葉をあれこれと考えていた。彼は、自分自身の口下手を認めていた。頂上観測所は営業用の山小屋ではない。泊めないと言われたらどうしようと考えた。彼は吹雪の北アルプスで、雪穴を掘って寝たことが何度かあった。その時は彼の体力に充分な余裕があった。体力に余力があり、時間的にもまだ明るいうちに、乾《ほ》し小魚と甘納豆を充分食べてから、穴の中に入って、ザイルの束の上に腰をおろし、着るものは全部着こんでルックザックの中に靴《くつ》ごと足を入れて、雨合《あまがっ》羽《ぱ》をすっぽりと頭からかぶって寝れば、外がどんなにはげしい吹雪になっても、凍えるようなことはなかった。だが、今度は、状況を異にしていた。体力はかなり消耗していた。それに、五合五勺を出てからほとんど食べていなかった。ポケットの中には乾し小魚と甘納豆がいっぱい入っているのに、それを食べなかったのは、食べる余裕がなかったからであった。
(いつもの俺《おれ》とは違っている)
加藤はそう思った。自分ながらあせりを感じた。いつもの彼なら、たとえ突風がどんなに強くあろうとも、食べることを忘れるようなことはなかったはずだし、まるで遭難者が救助を求めるような悲壮さで、頂上へ向って這い登っていくこともなかった。加藤は、その彼の行動が、一種の取りみだしであって、そのように彼を追いこんだのは、彼におさがりを押しつけようとした影村一夫の不信行為に対する怒りと、影村一夫を代表とする人間への抵抗であると考えた。しかし人間不信と人間逃避の中に求めた雪中富士登山が、結局は、富士山頂観測所の人間たちにたよらなければならないという矛盾について加藤はそれほど突きつめて考えてはいなかった。
加藤は強風の中をあえぎ続けた。ここまで来ると頂上に到着するしか生きる道はなかった。どこにも、身をかくすところはなく、強風の中にこのまま数時間も身をさらしたならば、身体中の体温は風に奪い取られて化石のようになって凍死しなければならなかった。
頭の中に熱いものが去来した。なんのためにこんな苦労をしなければならないのかとふと考えたり、富士山頂目ざして登っているということすら忘れようとした。強風と強風の合間に嘘《うそ》のような静寂がごく短い間続いた。そんなとき、彼は、睡魔に襲われた。それでも彼は、突風が彼をおし倒すまでには立派に立直りを見せていた。
岩尾根道の傾斜が緩慢になると、やや平らなスカイラインの向うに、星空をバックとして、明るさが見えた。月の昇る方向ではないが、月が山から出るときの感じとよく似ていた。
加藤は足元に空虚なものを感じた。それまで彼の前進をはばんでいた地形はもはやそこにはなかった。彼は富士山頂に踏みこむと同時に、眼の前にホテルのように煌々《こうこう》と光を放っている建物を見た。
「富士山頂観測所だ」
助かったと思った。もうこれ以上歩かないでもいいと思った途端に胸が苦しくなった。彼は吐いた。胃の中はからっぽだったから、吐こうとしてもなにも出ず、せきこむような嘔《おう》吐《と》は胃に激痛を覚えた。
加藤は光を求めて歩いていった。宙を歩くような気持だった。
観測所は霧氷に封じこめられていて、どこが入口だかよく分らなかった。彼は観測所のまわりをぐるぐる廻《まわ》りながら入口を求めた。雪と氷の間に、小さな溝《みぞ》のような道が作ってあった。そこが入口だった。
入口で案内を乞《こ》うたが人は現われなかった。風が強くて、外の声は中には聞えないだろうと考えられた。戸を引張ると、なんなく開いた。彼は暗い廊下に立って、後手で戸をしめた。嵐《あらし》の音が急に静かになった。
「ごめん下さい」
加藤はできるかぎりの大きな声をした。
廊下の突き当りのドアーが開くと、まぶしい電灯の光が加藤の顔に当った。加藤はよろめこうとする身体をやっと持ちこたえた。
「よくこの風の中を登って来られましたね」
窪沢は提電灯《さげでんとう》をふりながら廊下に出て来ると、加藤の立っているそばの柱に取りつけてあるスイッチをひねった。廊下に電灯がついた。加藤は髭《ひげ》の中に眼だけ光っている窪沢の顔を見た。すさまじい髭面《ひげづら》だったが、童顔だった。
「五合五勺《しゃく》を一時過ぎに出発したと聞いたっきりでしょう、心配しましたよ」
「はあ……」
加藤は観測所員が心配していてくれたということだけで胸がつまりそうだった。
「とにかく無事に着いてよかったですね」
「泊めていただけませんか」
加藤は短兵急にいった。いってから、まずかったかなと思った。
「食糧も防寒具も持っております」
加藤はつけ加えた。
窪沢の眼が加藤の全身をながめ廻した。しばらくの時間が経過した。
「ここは観測所ですので、泊めてあげるわけにはいきません。すぐ近くに小屋があります。そちらへ御案内しましょう」
窪沢は大きな声で梶《かじ》さんと呼んだ。色の黒い、縮れっ毛の小男が出て来て、廊下で靴を穿《は》き、アイゼンをつけ、防寒帽子をすっぽりかぶると、
「さあ、参りましょう」
といった。
加藤は言われるとおりに従っていた。小屋というのが、どんなところか知らなかったが、一夜の宿が得られることに感謝した。背後で声がした。
「もしもし、まことに失礼ですが、お名前は、私はここの責任者の窪沢です」
歩き出した加藤は、ふりかえっていった。
「神戸の加藤文太郎です」
加藤はそう答えながら、なぜ、名前をはじめに言わなかったかを後悔していた。
富士山頂浅間《せんげん》神社の前に雪に埋もれた石室があった。提電灯のもとに照らし出されるそれは、ただの雪の堆積《たいせき》でしかなかったが、その東側に掘られたトンネルの入口がはっきりと映し出されると、加藤文太郎は、そのトンネルの奥になにがあるかを了解した。加藤をそこまで案内して来た梶は、
「少し寒いかもしれませんが……」
と、気の毒そうにいって帰っていった。雪のトンネルを這っていって、戸を引くとわけなく開いた。加藤は懐中電灯を小屋の中へ向けた。二、三十人はゆうに泊れそうな面積の板の間と、立って歩けば頭がつかえそうな低い天井にはさまれた空洞《くうどう》があった。
加藤は靴を脱ごうとしたが、かちかちに凍っていてすぐには脱げなかった。彼は囲炉裏《いろり》を求めて土間を這っていった。炉はあったが、燃料となるものは、どこにも見当らなかった。彼は、ルックザックから、彼の七つ道具のひとつのアルコールランプを出して火をつけて、コッフェルの中に入口の雪をすくいこんで入れた。食慾《しょくよく》はないが、眠る前になにか食べねばならないとしきりに考えていた。いままで加藤は、いかに暴風雪の中でも、食べるものはちゃんと食べていた。しかし今日は違った。五合五勺を出てからその余裕がなかったのである。それほど冬富士の突風に悩まされたのである。食慾を失うほど歩いたということは、体力のぎりぎりまで使ったということだった。こういう場合、なにかがあったら、簡単に遭難するに違いないのだと、加藤は自分自身をいましめた。いまさらのように冬富士のおそろしさが身にしみた。冬富士は他に類を見ない異質なものに思われた。
入口は閉ざされてあったけれど、どこからか風が吹きこんで来るらしく、灯《ひ》がゆれた。彼は身震いをした。ひどく寒かった。外気温に比較したら、雪に埋もれた小屋はずっと暖かいはずであったが、彼には寒かった。それに小屋の中は湿っていた。水ができるとその中に彼はひとつかみの甘納豆を入れた。食慾はなくても食べねばならないと、しきりに自分をはげましながら、彼は、スプーンで、甘納豆を掬《すく》って口に入れた。石のような固形物が胃の壁につきささったように感ずると同時に、彼は口をおさえた。
食べたものはすべて嘔吐した。彼は食べることをあきらめて寝る支度にかかった。
床には氷が張っていた。氷の上に敷くものはないから、彼は、穴でビバークしたときと同じように、ルックザックの中の着るものはすべて身につけて、ザイルの束を腰掛けにして、頭からすっぽりと、合羽をかぶって眼をつぶった。
疲れていたが眠くはなかった。さっき見て来たばかりのホテルのように豪華な頂上観測所が瞼《まぶた》に浮んだ。廊下から、ちょっと中を覗《のぞ》いたとき、茶色の絨毯《じゅうたん》を敷きつめた広いサルーンの中央にはストーブが赤々と燃えていた。観測所には数名しかいなかった。泊めようと思えば、そのサルーンの隅《すみ》でもいいし、もしそこが都合悪かったら、廊下でもよかった。そこが国家の施設であり、一般人は泊めないことになっていたとしても、その規則のみを盾にして追い出した観測所員の態度は非情に思われた。
(人間というものはすべてあの観測所員のように冷酷なものだ)
そう考えると観測所員の他《ほか》に、冷酷な人間の顔がつぎつぎと浮んで出て来るのである。影村一夫もそうだ。佐倉秀作もそうだ。妻子を捨てた金川義助もそうだ。そして、加藤は、自分自身を、他人が見たらなんと思うだろうかと見返してみて、突然、昭和四年の冬の立山を思い出したのである。彼は土田の一行に何度か同行を願い出たが容《い》れられなかった。彼が従《つ》いていこうとすると彼らはそっぽを向いた。彼は追従をあきらめて、ひとりで室堂《むろどう》に泊り、翌日淋《さび》しさに耐えかねて、剣沢小屋にいる土田の一行を尋ねていって、そこで、みじめな拒絶に会った。その帰途加藤は白い幻覚を見た。雪崩《なだれ》が起きそうもないところに雪崩が起きたような白昼夢を見たのである。不幸にも、彼の白昼夢はそれから数日後に、現実となって、剣沢小屋を埋めた。加藤は、彼を拒絶した土田の顔と、観測所の主任技師窪沢とがどこか似ているような気がした。土田に拒絶されたことによって、加藤は生き長らえることができた。もしあのとき土田たちのパーティーに入っていたら、生きては帰れなかっただろう。
(もしかしたら、あの観測所に今夜のうちになにか不幸なことが……そうだ、観測所が火事になったとしたら――)
そのような突《とっ》飛《ぴ》な連想は疲労のせいだと思った。しかし観測所が火事にならないという可能性はなかった。雪に埋もれた石室の中にいても、外の風の音はよく聞えた。風速四十メートルを越える風の中で火が出たとしたら、おそらく所員は逃げ場を失うであろう。加藤は懐中電灯をつけて、入口に置いてあったアイゼンとピッケルの所在を確かめた。いざという時にはすぐ観測所員を助けにいくつもりだった。眠りは浅かった。夜中頭の中で風が鳴っていた。
トンネルの入口からさしこむ明りを見て、加藤は朝が来たなと思った。風は静かになったようだった。それから加藤は小一時間ほどぐっすり眠った。
ゆうべ食べ残しにしてあった甘納豆はコッフェルの中でこちこちに凍っていた。浅い眠りではあったが、一夜の休息で、加藤は体力を恢復《かいふく》していた。彼は空腹を感じた。彼は左右のポケットから交互に、乾し小魚と甘納豆を出して口に入れると、アイゼンをつけピッケルを持って外へ出た。
観測所のことがなんとなく心配だった。霧氷にかざられた鳥居をくぐり、御殿場口登山道の末端の小さい沢をひとつ越えると、朝日に輝く観測所が眼にとびこんで来た。夜見たときと朝見たときでは、観測所は全然別のものに見えた。観測所は家のかたちをした氷のかたまりであった。エスキモーが、氷を四角に切って積み上げた、氷の家ではなく、波状型をした乳白色の氷の皮膜には、どこにも継ぎ目がなく、一様に観測所を包んでいた。陽《ひ》が当ると、氷の一部は五色の光芒《こうぼう》を放って輝いた。
観測所の入口から防寒具をつけた小男が這《は》い出して来て、加藤を見かけるとすぐ声をかけた。梶だった。
「ちょうどよかった、あなたを迎えに行こうと思って出て来たところです」
「ぼくを迎えに」
加藤は、なぜそんな必要があるのかと思った。
「今朝は昭和八年一月元旦《がんたん》です、つまりお正月なんです」
さあどうぞと、梶が先に立った。中央ホールにあるテーブルの上に、食べ物が並べられてあった。
加藤は椅子《いす》にすすめられて坐《すわ》った。明るい外から入って来たので、食事が並べられてあることと、そのまわりにいる五人の所員の輪郭だけしか分らなかったが、
「加藤さん、昨夜《ゆうべ》はどうも失礼しました。寒かったでしょう」
という窪沢の顔が分るようになると、眼の前に並べてある食事が、正月の御《お》節《せち》料理であることに気がついた。雑煮の匂《にお》いが鼻をついた。迎えに来た梶が、つまりお正月なんですといったのは、この料理のことだなと加藤は思った。
「どうぞたくさん召し上って下さい」
窪沢は、加藤の前に、小《こ》皿《ざら》と箸《はし》を置いていった。加藤は妙な気持だった。騙《だま》されているようでへんだった。昨夜は追い出され、今朝は、御節料理にありつこうとは思っていなかった。加藤は、なんともいわず、黙りこんで、前の料理を眺《なが》めていた。
「さあどうぞ」
ひとりの所員が茶瓶《ちゃびん》のつるを持っていった。茶瓶には朝顔の花が咲いていた。
「茶碗《ちゃわん》を出して下さい」
所員は、茶瓶を重そうに前後に振っていった。加藤はあわてて前に置いてある茶呑《ちゃのみ》茶碗を取り上げた。お茶は湯気を立てて加藤の茶碗いっぱいにそそがれた。ひどく黄色の勝った茶だと思った。加藤は、おしいただくようにして一口飲んだ。それは茶ではなく燗《かん》の利《き》いた酒だった。
「お酒ですね」
加藤はびっくりしたような声を出した。
「すみません、こんなところだから、お屠蘇《とそ》がないんです、酒で我慢して下さい」
窪沢がすまなそうにいった。加藤は、なにか胸に熱いものを感じた。それが、顔に出るのをかくすように、いささかあわてた手つきで、茶碗いっぱいの酒を飲み乾《ほ》した。彼は酒が嫌《きら》いだった。少なくともそう思いこんでいたが、その酒はうまかった。それは、酒宴の酒ではなく、富士山頂の正月の酒であった。酒は、加藤の腹の中でぎゅうぎゅう鳴った。
「さあどんどん食べて下さいよ」
窪沢は、きんとんに手を出しながらいった。所員がいっせいに食べはじめた。加藤は、コブ巻きと、ゴマメを皿に取った。梶が雑煮を飯茶碗に盛りこんでくれた。
「なんとかしてあなたを泊めてあげようと、中央気象台とかけ合ったのですが……」
窪沢は電報のことを話し出した。
「ふたつきほど前に、登山者を泊めたことでまずいことが起きましてね。それからは予《あらかじ》め申し込んでない登山者は泊めないことになったのです」
どんなまずいことが起きたのか窪沢はいわなかった。登山者には悪いのもいるし、いいのもいる。おそらく、悪い部類の登山者がやって来て、観測所にひどく迷惑を掛けたに違いなかった。
「泊めないことになったといっても、実際ここに観測所があるのに、雪の中のあの寒い石室に泊れとはなかなかいえないものなんです。だから、ひとこと、御殿場からでも、太郎坊からでもいいから連絡していただくと、こっちでは、あらかじめ申込みがあったということにして泊めてさし上げることになっているのですが、加藤さんの場合は――」
窪沢は加藤の顔を見た。加藤の顔は酒が廻《まわ》って真赤になっていた。
「いや、ぼくがいけなかったんです。途中で観測所の交替の方々に会ったときも、泊めて下さいとはいいませんでした」
「どうするつもりでしたか」
所員のひとりがいった。
「頂上についてから、お願いしたら泊めていただけると思っていました」
加藤は頭を掻《か》いた。所員たちは笑った。所員たちの笑い声を聞いて、加藤も声を出して笑った。笑いが終ってから、加藤はふと、声を出して笑ったことなど、ここしばらくはなかったことのように思った。照れかくしに頭を掻く癖も、このごろはあまりやったことはなかった。加藤は、ひどく楽しくなった。浮き浮きした気持になったのはいっぱいの酒のせいかとも思った。雑煮はうまかったし、御節料理のなかのきんとんは特にすばらしかった。
加藤は満腹した腹をかかえて、ふと不安になった。いったい、この好遇に対していかなる形で謝恩すべきであろうか。解答はでなかった。
加藤はなにかしゃべるべきだと思った。こういうときに黙っていると、また誤解を招くに違いないと思った。
「単独行をやっていると、ずいぶんつらいことがあるでしょう」
観測所員のひとりがいった。
「つらいこともあるし、けっこう楽しいこともありますよ」
加藤は山の話を取りとめもなく始めた。不思議に口がよく滑った。酒のせいかもしれないと思った。所員たちの話の引き出し方もうまかったし、窪沢が髭《ひげ》だらけの相好《そうごう》を崩した笑い方もよかった。加藤は初対面の人たちの前で、なぜこんなに急速に打ちとけることができたかわからなかった。富士山頂という特異性が、自分を変えたのだと思った。加藤は観測所に二時間あまりいてからそこを出て剣ヶ峰の頂上に向った。
「加藤文太郎ってなかなか面白《おもしろ》い男じゃないですか、変人のように噂《うわさ》されていますが、そんなところはありませんね」
所員のひとりが加藤の後姿を見送りながら窪沢にいった。
「一応その道のベテランといわれる人には、どこか変ったところがあるものだ。変人というほどのことがなくても世間では変人にしてしまうのだ」
東賽《さい》の河《か》原《わら》から神社の方へおりようとしていた加藤が、急にくるりと方向をかえた。なにか忘れ物でもしたようだった。加藤は観測所の入口の雪の掘割のところに立っている所員たちのところに戻《もど》って来ると、
「火の元だけはよく気をつけて下さい。実は昨夜、観測所が火事になった夢を見たんです」
夢ではなく、そんなことを考えただけのことだったが、加藤にしては火気注意を、もう一度観測所の人たちに念を押して置きたかった。加藤はそれだけいうと、それでなにもかも満足した顔で、神社の方へとっととおりていった。
「やっぱり変っている」
所員のひとりがいった。
「だが、いいことをいってくれるじゃあないか。われわれは火気注意に対して、少々マンネリになっていたようだ」
別の所員がいった。
「とにかく、あのひとが、無事山をおりていくまでは眼《め》を離さないことだ、われわれは、一般登山者について、何《なん》等《ら》の責任がないようだが、実は大いにあるのだ。ここに住んでいるというだけで、登山者の人命についての道徳的責任は負わねばならない」
窪沢は防寒具に身をかためると、ピッケルと双眼鏡を持って外へ出ていった。
加藤は剣ヶ峰に立った。
そこには霧氷におおわれた一本の風向計が立っていた。太平洋側はよく晴れていたが、中部日本の山々は雲におおわれていた。北アルプス方面が見えないことが残念だった。加藤は同じ場所に何年か前の夏に立ったことがあったが、たいして感激はなかった。その時は高さも感じなかったが、今は高さを感じた。いままで彼が踏破したいかなる山よりも、確かに富士山は高いと感じた。剣ヶ峰には一定風速の西風が吹いていた。体感で、二十数メートルと思われた。突風性の風ではなく、ちょうど、水の流れにさからって立っているような風圧を受けているのだから不安感はなかった。昭和八年一月一日の富士山頂にひとりで立っていると考えただけで痛快だった。
頂上に立ってぐるぐる見《み》廻《まわ》していると、東賽の河原の観測所の塔の上に人影を見た。加藤がピッケルをあげると、観測所の塔の上の人も手をあげて応《こた》えた。
加藤は頂上をおりた。固い氷だったが、アイゼンの爪《つめ》はよく効いた。剣ヶ峰をおりた足で彼は氷におおわれた浅間《せんげん》神社に向い手を合わせると、昨夜泊った石室へ這いこんでいってルックザックを引張り出した。
加藤は剣ヶ峰の頂上を踏んだとき下山を考えていた。きのう彼を悩ました突風はおそらく今日も吹くに違いない。それは午前中よりも午後の方が確率は高い。加藤は下山道についてしばらく考えたが、結局は、きのう登って来た尾根道を下ることにした。相模《さがみ》湾《わん》の上に雲が広がりつつあった。
加藤は七合目付近で、登って来る観測所の交替員の一行と会った。
「頂上ではいろいろお世話になりました」
加藤の方から声をかけると観測所交替員の固い表情が解けた。交替員たちと別れて、ひとりでおりていく雪の斜面からの反射光線は、雪眼鏡をとおしてもなおかつ、まぶしかった。しかし、それもそう長いことはなく、下界の雲がだんだんと持ち上って来てやがて視界を一片の積雲が横切ると視界が閉鎖された。加藤は、きのう登って来たシュプールからはずれないように、ゆっくりおりていった。きのう、ここを登るときは必ずしも明るい気持ではなかった。神戸からずっと彼の後を追って来た人間不信の暗い重さが、彼の背にかかっていた。だが、いまの彼の心は軽かった。晴れやかであった。彼は太郎坊についてから頂上をふり仰いだ。頂上は雲の中にあった。
宮村健《たけし》は歌が上手だった。山の歌もよく歌ったが流行歌をすぐ覚えて来て、加藤の下宿で歌ってみせた。
「いままで宮村さんが、二階で歌を歌っていましたわ、二時間半もいたかしら、いま帰ったばかりよ」
会社から帰って来た加藤に金川しまがいった。加藤は宮村健が勝手に二階へあがることを許していた。山の本を勝手に読むことも許していた。宮村健は、ふらりと加藤の下宿に現われて、加藤が聞いていようがいまいがいいたい放題のことをいったり、なにもいわずに二時間も三時間もつづけて本ばかり読んでいたり、機《き》嫌《げん》がいいと、窓に腰かけて流行歌を歌った。
加藤はそういう宮村健を放ったらかしていた。いちいち相手にはなれないから、宮村健のことはかまわず、加藤は加藤で、会社から持ち帰った仕事の続きをやったり、山道具の手入れをしたりした。気が向けば宮村健の話の相手になったが、ふたりが話しているときよりも別々の行動をしているときのほうが多かった。
宮村健がやって来ると、加藤はだまって十銭玉を三個彼の前に突き出した。すると宮村は万々承知の顔で、階段をがたぴしおりて、鯛焼《たいやき》を買いにいった。宮村が帰って来ると、金川しまが気をきかして、お茶を運んで来た。加藤は鯛焼のいくつかを、紙に包んで、坊やにといってしまに渡した。
「あなたがたは、話もせずに、勝手に本を読み、勝手に歌を歌っていて、それでなにが面白いのでしょうね」
金川しまがあきれた顔でいったことがあった。面白いかといわれると、特に面白いこともないけれど、加藤は、そばに宮村健がいるとなんとなく楽しかった。加藤は末子だから弟を持ったことがない。寝ころんで本を読みながら鯛焼を食べている宮村健を見ると、ふと弟がいたら、多分こんな格好をするだろうと思った。
その日も加藤は、もしかしたら宮村が来ていないかと思って、いそぎ足で帰って来たのだが、宮村が帰ったあとだと聞いて、拍子《ひょうし》抜けしたような顔で、金川しまにいった。
「歌を歌いつづけていたんですか、宮村君は」
「そうなんですよ加藤さん、どこまでつづくぬかるみぞっていうあの歌を、悲しそうな声で、繰りかえし、繰りかえし歌っていたわ」
「悲しい声で?」
「そう、なにか泣きながら歌っているように聞えるときもあったわ」
金川しまはその歌を口ずさんだ。
どこまで続く泥濘《ぬかるみ》ぞ
三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄かぶと……
「討《とう》匪《ひ》行《こう》」という流行歌であった。奉天に端を発した日支事変は、その後、とどまるところのないように発展していった。満州全域に日の丸が立ち並び、戦火は華北へ延びつつあった。
加藤は山の歌を時々歌ったけれど、討匪行は歌ったことがなかった。人が歌っているのを聞くと、泥《どろ》にまみれた軍《ぐん》靴《か》の音が聞えるような気がした。どこまで続くという文句が、この戦争の行方を暗示しているようで不安だった。宮村健がこの歌を悲しい声で歌ったということは解《げ》せなかった。加藤は階段を登り切って、彼の部屋の障子を開けた。男の体臭がぷんと鼻をついた。そろそろ暑くなるというのに、宮村は部屋を閉め切って歌を歌っていたのに違いない。
隣の部屋から人の出て来る気配がした。
「加藤さん」
隣室の油谷常行は風呂《ふろ》へでもいくつもりなのか、手拭《てぬぐい》を肩にかけていた。
「あなたのお友達の宮村さんという方ね、最近恋をしているでしょう、たいへん熱烈な恋を」
加藤は油谷のぶしつけな話しかけに、驚いた顔をしたが、服は脱がずに、そのまま廊下へ出直して来て油谷と向い合った。
加藤の隣室は、入口がドアーで一見洋室風だったけれど、中は畳敷きだった。加藤がこの下宿に来たころは開かずの間であったが、その後、金川夫婦が住み、さらに会社員の油谷が住みつくようになってから畳替えがされた。加藤と油谷が言葉を交わしたのは、その畳替えの最中に一時的に油谷の荷物を加藤の部屋に持ち込んだ時ぐらいのものだった。朝は加藤の方が早く出勤するから、油谷と階下の茶の間で顔を合わせることはなかった。油谷は帰りがいつも遅いから、夕食は外で食べることにしていた。
「あの討匪行という軍歌は、腹の下に、力をこめて、一歩一歩ふみしめながら前進するような気持で歌うのがほんとでしょう。ところが宮村さんの歌い方は前進の軍歌ではなく嘆きの軍歌なんですね。たとえば、こんなふうに……」
油谷はその真似《まね》をしてみせた。
「なんだか、気になったので、通りがかりに障子の破れ穴から覗《のぞ》いて見ると、彼は畳の上に寝ころんで、涙を浮べながら歌っているのです。だから私は、すぐ目下恋愛中だなと思ったんです。私の友達にそういうのがいたから、そう思っただけのことなんですがね、ああいう顔の男――なんていったらいいかな、少年の面影《おもかげ》が残っていてどこかちょっと弱々しさがあって、それでいて情熱的な眼をしている男は、よく年上の女に可愛《かわい》がられるものなんです。そして、その年上の女にほんとうに惚《ほ》れて、惚れ抜いて、最後には棄《す》てられるってことになるものですよ。しかしね加藤さん、あの宮村さんて人はまだ女は知りませんね」
油谷はにやっと、ひとつ、猥雑《わいざつ》な笑いを残して階段をおりていった。
加藤は油谷のいったことが気になった。宮村健が恋をしているとすれば、相手は園子しかない。どこまで続く泥濘ぞというのは、宮村自身、恋の泥濘に踏みこもうとしているのではなかろうか。加藤は不安なものを感じた。園子が悪女であるという証拠はない。加藤も、かつては好意を寄せていた女である。が、いまの園子には男がついていることはほとんど確実に思われた。しかし、宮村のほうでは一方的に熱を上げて一日一度は、喫茶店ベルボーに顔を出しているらしい。園子の顔を見なければ眠れないなどということを加藤にいったこともあった。
(それにしても、悲しい軍歌ってのは……分らない)
加藤は、ナッパ服を脱ぎ、浴衣《ゆかた》に着かえて、風呂へ行く支度にかかった。安全かみそりの入った箱を探すために、机上のスタンドのスイッチをおすと、そこに置手紙があった。
「園子さんと六甲山へ登ることになりました。ただし、園子さんは加藤さんも一緒でなければ行かないといっています。ぜひ御同行下さい。次の日曜日です。明日の夜また来ます。万歳」
なにが万歳なんだと加藤は思った。加藤は女連れで、山を歩いたこともないし、歩きたいと思ったこともなかった。およそ、女や子供連れで、山を歩くなどということは考えたことはなかった。どんな低い山でも、一度山に入りこめば彼は、彼の出し得る力をフルに出して歩いた。他人が一時間で歩くところを彼は三十分で歩いた。他人が雨に負けて引返しても、彼は濡《ぬ》れたまま歩いた。山には、めったなことで頭をさげなかった。山と戦をしているつもりではなかったけれど、遊《ゆ》山《さん》でないことだけは確かだった。その彼に、園子を加えての山歩きの話を持ちこんで来た宮村に腹を立てた。
加藤はその手紙を破いて棄てた。
翌日、加藤が会社で仕事をしていると、園子から電話があった。
「可愛い登山家がね、どうしても私を山へつれていきたいんだって、だから私は、加藤さんが一緒でなければ嫌《いや》だといってやったのよ。どう加藤さん、行ってくださるわね。ね、加藤さん、ほんとはわたし、加藤さんとふたりだけで山へ行きたいのよ」
甘ったるい声だった。もともと園子はねばりつくような話しっぷりをする女だったが、近ごろは、商売がら甘ったるさに輪をかけて話すから、まともに、そのことばを浴びせかけられると、加藤でなくとも一瞬、どぎまぎして言葉に窮してしまうのである。加藤はすぐ返事ができずに、送話器に向ったまま、突立っていた。
「では、行って下さるわね。ありがとう加藤さん、うれしいわ」
うれしいわの最後が尻上《しりあが》りに延びて、そして、それでも彼女は、加藤がまだうんともすんともいわないのが気になったのか、ね、いいわねとつづけて念をおした。
「今度の日曜日ですか……まあね」
まあねとは皮肉な答え方だったが、明らかに否定ではなく肯定の部類に属していることばだった。園子は、弁当は私が用意します、といって電話を切った。加藤は額の汗を拭《ふ》いた。
「ひどくこみ入った電話のようだね」
電話機のそばを影村一夫がそういって通っていった。園子のせいいっぱいの声が受話器を通して影村に聞えたかも知れないと思った。電話の内容はわからないにしても加藤が女と話していることぐらい、そういうことには勘のいい影村のことだから、気がついたに違いなかった。
その週の金曜日の朝になって、加藤は影村に呼ばれた。
「加藤君、横《よこ》須賀《すか》まで出張して来てくれないか」
「横須賀ですって」
「そうだよ、海軍がドイツ製の内火艇を購入したんだ。そのエンジンを見て来てもらいたいのだ。見学は来週の月曜日の朝からということになっているから、土曜日の夜か、日曜日の朝ここを発《た》てばいいだろう」
「日曜日の朝ですか」
加藤は鸚《おう》鵡《む》がえしにいった。日曜日の朝発つということになると、園子との約束はだめになる。日曜日に山へ行って、その日の夜行でいったら間に合わないだろうかと考えていると、
「日曜日に山へ行く予定でもあるのかね。山はいい、立木海軍技師もそういっていた。しかし日曜日に山へ行って、夜行で出張に出かけるなんてことをしたら、向うについても仕事はできない。見学ってのは、短時間に頭を最大限に働かせなければならない仕事だ。前の夜はよく眠っておかねばならない」
影村は、加藤の心の中を見透したようにちゃんと釘《くぎ》をさした。
「どうだね加藤君、行ってくれるかね。いやなら他《ほか》の者をやるが――」
「参ります」
加藤は答えた。社用である。嫌だといっても、拒《こと》わることのできるものではないことを充分知っていながら、嫌なら他の者をやる、などという影村のいい方が憎らしかった。影村が、園子と加藤との約束を承知の上でわざと出張に出そうとしているようにも思われた。
加藤は横須賀の出張が嫌ではなかった。園子と六甲山へ登るより、横須賀へ行く方がよほど意義のあることだった。加藤が、横須賀の出張に対して、やや渋ったのは宮村健のことだった。加藤が行かないとなると園子は行かない。そうなったときの宮村健の失望の顔が見えるようだった。宮村が可哀《かわい》そうだなという気持が、加藤に、その出張をちょっぴり渋らせたのである。
その夜、彼の下宿へやって来た宮村健に加藤は出張の話をした。宮村は顔色を変えたが、すぐ明るい顔を取り戻《もど》していった。
「加藤さん、お願いですから、その話を園子さんに黙っていて下さいませんか。日曜日の朝になって、園子さんに、私からいいます。加藤さんは急用ができて、今朝横須賀へ行ったと、私が弁解します」
宮村健は案外な智恵《ちえ》者《しゃ》だなと加藤は思った。山へ登る支度をしてやって来た園子に急に加藤が来られないといえば、園子はがっかりするだろう。しかし、園子の性質として、それでは私は山へは登らないといって引きかえす女ではない。おそらく園子は宮村と六甲山へ登るだろう。
「考えたな――」
加藤はつぶやいた。
「お願いです。加藤さん、園子さんには黙っていて下さいませんか」
「向うから電話がかかって来ないかぎり、こっちからはいわないでおこう。だが問合せがあったら出張のことは話すよ。ぼくには嘘《うそ》はいえない」
加藤は、そうはいったものの、なにか心の中にわだかまりが残った。結果的に、加藤の出張が宮村と園子を接近させることになりはしないかと思ったのである。杞《き》憂《ゆう》かも知れないが、そんな予感が、加藤の頭の隅《すみ》の方を横切ると、
「なあ宮村君、園子さんは、君より年上なんだぜ。それにああいう商売をしている女は……」
あとがつかえた。
「年上だってかまいません。恋には年齢はありません。それに加藤さん、ああいう商売っていういい方自体がおかしいじゃあないですか。あなたは園子さんの職業を軽蔑《けいべつ》しているのですか。偏見というものです、それは」
突っかかるようにいう宮村健のことばを加藤ははじきかえすことはできなかった。加藤は、結局、宮村は行きつくところまで行かないと、眼は覚めないだろうと思った。
「とにかく、男としても、女としても、自分の行為には責任を持つことだ」
加藤は、その訓戒とも自戒ともつかないことばを吐くと、後頭部に手をやって、畳の上にひっくりかえった。天井に蛾《が》が一匹止っていた。青く輝く羽根をした蛾であった。蛾は死んだように動かなかった。
園子は宮村健のいいわけを黙って聞いていた。加藤文太郎に急に出張命令が出て、今朝早く横須賀へ出発したということは園子を納得させたが、宮村健が、そのことを、あたかも彼の責任でもあるかのごとく、何回も繰り返していうのは少々おかしかった。園子は苦笑しながら、加藤がいなくとも、その日の山行を実行しようといいたげな顔でいる、可愛い登山家宮村健にいった。
「加藤さんが来ないとなるとアベック登山ということね」
当時はアベックということばが濫用《らんよう》されていた時代だった。二人連れという意味のほかに、現在一般的に使用されている、デートの意味にも転用されていた。だからアベックといわれただけで宮村健は、なにかもうたいへん親密な関係を、園子によって暗示されたような驚きと期待を持った。園子は白ずくめの服装だった。帽子も、ブラウスもスラックスもズック靴《ぐつ》も白かった。ただ彼女の大きな手さげに浮き出して見えるバラの花模様だけが、彼女の服装と違和感を持っていた。その中には三人分の昼食が用意されていた。
「ちょっとこのピッケル見せてちょうだい」
園子は、宮村健が、彼女の手さげカバンを彼のルックザックにおさめるのを横眼で見ながらいった。六甲山に登るのに、ピッケルを持って来るのはおかしかった。宮村はそれを充分知っていたけれど、園子に見せるために持って来たのである。誰《だれ》が見てもいっぱしの登山家に見えるような服装、それこそ、宮村健が、園子に対してなし得る最大の虚飾であった。
ふたりは北土橋から六甲ケーブルに乗った。
「私、はじめてよ、このケーブル」
園子はそういって、両手をシートに突いて、スプリングを試すようにぴょんぴょんはねて見せた。
「ぼくだってはじめてです。たしか去年でしょう、このケーブルが完成したのは。ケーブルが完成したと同時に、六甲山は無くなったと同じだと加藤さんがいっていました」
宮村は窓外の景色に眼をやりながらいった。
「でも、ケーブルができたから、誰でも六甲山へ登れるようになったのじゃなくて」
「無いほうがいいな、山は足で登るものだ」
「ほんとうね、宮村さんのその服装も泣くし、このピッケルも泣くわね」
乗客がいっせいにふたりの方を見た。宮村健の登山姿も、少々こけおどしに見えたが、乗客の眼は、宮村よりむしろ園子の方へ向いた。当時、スラックス姿はごく稀《まれ》であった。宮村は、いささか得意そうに、暑いのに無理して着てきた、チョッキのポケットに両手を突込んでいった。
「西六甲から東六甲まではたいしたことはないけれど、水無山、大平山、岩原山、譲葉山《ゆずりばやま》、と縦走していくにしたがって、だんだん山らしい山になっていきます」
「ピッケルが必要なような山にですか」
「場所によってはね」
「それで結局はどこへ着くの」
「宝塚《たからづか》です」
「えっ宝塚?」
園子は宝塚という地名が二つあるかと思った。神戸から宝塚まで電車に乗っていく感じからすると、とても歩いて行けそうには思われなかった。
「宮村さん、冗談いっているんじゃなくて」
園子は、少々心配になって来たのか、声を落していった。
「充分に研究して来たのですから大丈夫です。園子さんの足でも、八時間あれば宝塚へつきます」
「八時間、ずっと歩きつづけるの?」
「途中で、無理のようだったら山をおります」
園子は頭で考えた。西六甲山に十時について、すぐ歩き出しても、八時間というと、午後の六時になる。彼女はそんな長い時間歩いたことはなかった。
「いいわ、歩けるだけ歩くけれど、歩けなくなったら」
「ぼくが背負って山をおります」
(この可愛い登山家は私に献身しようとしているのだわ)
園子は心の奥の方でくすぐったいものを感じながら、この可愛い登山家が、如何《いか》なる献身ぶりを示すかについて考えた。荷物は全部持つだろう。足元のよくないところは、手を取ってくれるだろう。へばったら背負って山をおりるという。
(そして……)
彼女はその先を考える。
(しかし、この可愛い登山家はそれだけしか、なにもできないに違いない)
彼女の直感を以《もっ》てすれば宮村健は童貞であり、しかも、女に手を出すことのできるような男ではないことがはっきりしていた。すると彼の園子に対する献身は、単なる家《か》僕《ぼく》的なもので終り、せいぜいその最後に、熱っぽい眼をして好きだとひとこということぐらいだろう。
「宝塚まで私をほんとうにつれていってくださるの」
西六甲山頂から東六甲山に向って歩き出したとき、園子はそれまでになく生真面目《きまじめ》な顔をしていった。
「全責任は私が負います。道ははっきりしているし、天気はいいし、なんの心配もありません」
「あなたと二人で誰もいない山の中にいるってこと自体が危険じゃないかしら」
「ぼくを信用しないんですか、ぼくはそんな男じゃありません」
真赤な顔をして否定する宮村健を見ていると、園子はどうにもならないほどのおかしさがこみ上げて来る。
「信用するわ。でも、私が、いやだといったら、いつでも山をおりるって約束していただきたいの」
「よくわかりました」
六甲山の尾根続きの道は暑かった。それでも眺望《ちょうぼう》のいいところに出て、海の方から吹いて来る風に当っていると、暑さは直《す》ぐ忘れてしまうし、なによりも園子にとって楽しいのは、宮村健が、すべて彼女のペースに合わせて行動してくれることだった。園子が休みたいといえば、宮村は、すぐその場所を見つけてくれるし、水を飲みたいといえば、すぐ水筒を出した。そのくせ宮村健は食事のとき以外ほとんど水は飲まなかった。
「あまりゆっくりしていると……」
宮村健が、時間について、やや心配そうな顔を示したのは、石の宝殿あたりへ来たときであった。園子を先に立てて、自由に歩かせていた宮村健がそこから先に立った。たえずうしろを気にしながら宮村健が園子を一定のペースに持ちこもうとしていることがわかって来たころから、園子は宝塚を意識するようになった。その辺まで来ると人はまばらだった。園子は、宮村の後からゆっくりと従《つ》いていった。宝塚まで行きたいけれど、疲れたらどこからでも山をおりられるというわがままな気持が園子のどこかにあった。登り下りの多い単調な道だった。
大平山まで来たころ園子は疲労を感じた。
「わたし疲れたわ。それになんだか天気がおかしいんじゃないかしら」
空は黒雲におおわれていた。夕立が来そうだった。彼女は山をおりたいといい出した。午後五時を過ぎていた。
「ここまで来たら、宝塚へ出るのが一番順当だと思いますけれど」
「それどういう意味ですの、宮村さん。あなたは、私が帰りたいといったら、いつでも山からおりるっていっていたでしょう」
「これからはずっと、おりる道なんです。途中から谷へおりる道もあるにはありますが、うっかりすると道を迷わないとも限りません。疲れたら、ゆっくり歩けば、いいんです。ゆっくり歩けば、間違いなく宝塚へつきます」
「もうどのくらいかかるの」
「そうですね。あと二時間……」
宮村は嘘をついた。園子の、その歩きっぷりでは四時間はかかるだろうと思ったがほんとうのことをいえば、彼女が元気を失ってしまうから二時間といったのである。
園子はやむなく歩き出した。
譲葉山あたりで日が暮れた。宮村は懐中電灯をつけて、園子のうしろに廻《まわ》った。
「わたしたち遭難したのかしら」
「とんでもない園子さん、登山って、少しおそくなると、こういうふうに懐中電灯をつけて歩くのが当り前のことなんです」
「あなたがたには当り前かもしれませんが、わたしにはちっとも当り前ではないわ。だいたい、全然山を知らない私をこんな目に会わせて失礼じゃないの」
園子が怒ると、宮村は、すみません、すみませんと謝るのだが、その謝り方がいまにも泣き出しそうに恐縮しきっているのがよくわかるから、園子はついそれ以上宮村を責めることはしなかった。夜になると歩調が固定した。疲労が固定したような気持だった。園子はときどき、深夜の山の中をたったひとりで歩いているような錯覚にとらわれた。そんなとき彼女はよくつまずいた。懐中電灯は彼女の足元を照らしていた。彼女は黙って、懐中電灯の明るい円の中を歩いていけばいいのだった。なにかの折にふと眼を足元からはずすと、その暗さはたとえようもなく深かった。時折稲光があったが、雷雨はほど遠いところにあるらしく、雷鳴は聞えなかった。しかし、ふたりが、いよいよ東六甲の縦走を終って、塩尾寺へついて、石の階段で休んでいるとき雨が来た。宮村は雨具を出して園子に着せた。
「たいした雨ではない、おそらく宝塚までいかないうちに止《や》むでしょう」
宮村はそういって、重い足をひきずるようにして歩く彼女をはげましながら雨の中へ出ていった。しかし雨は止まなかった。間もなくどしゃぶりになった。びしょ濡《ぬ》れになって宝塚へついた園子は寒さと疲労で、ろくろく口が利《き》けなかった。ふたりが旅館についたときは九時を過ぎていた。
「そのまますぐお風呂場《ふろば》にどうぞ」
女中が園子をささえるようにして湯殿へつれていくのを見ながら宮村は、これで園子とのことはすべておしまいになるのだと思った。宮村もすぐ湯につかった。園子が隣の浴槽《よくそう》にいるかどうかわからなかった。隣の浴槽から物音は聞えなかった。無理しなければよかったと思った。東六甲で引きかえせばよかったのだと悔いたが、もうおそかった。
園子に軽蔑《けいべつ》され憎まれるだろうと考えると涙が出そうだった。風呂から出た宮村は浴衣《ゆかた》に着かえ、女中に案内されて二階への階段をゆっくり登っていった。空腹を感じた。なにか食べたいと思うのと同時に、神戸へ帰るべき電車の時刻が心配になった。園子はなかなか湯から上って来なかった。あまり疲労したので、湯の中でどうにかなったのではないかと考えられるほど彼女の湯は長かった。
だから廊下を女中となにか話しながら歩いて来る園子の声を聞いたとき宮村は、ほっとした。救われたような気持だった。
「こんなすばらしいお風呂って生れてはじめてよ」
園子はうしろ手で襖《ふすま》を閉めると、宮村に艶《えん》然《ぜん》と笑いかけたのである。風呂上りに化粧した園子は見違えるほど美しかった。
「でも疲れたわ、ほんとうに疲れたわ……あらどうしたの、そんなに私の顔ばかり見て」
園子は、膝《ひざ》を崩して坐《すわ》りながらいった。宮村が風呂上りの彼女の美しさにうっとりしているのを承知の上でそういったのである。
「すみませんでした園子さん。まったくぼくの計画が悪かったんです」
宮村は園子の前に手をついて詫《わ》びた。彼女が風呂から上って来たら、そうしようと考えていたことだった。
「いいのよ。もう私の機《き》嫌《げん》は直ったわ。お風呂に入って、あったまって、元気が出て来ると、一日中、歩きつづけたことが、なにかこう楽しいことのように思われて来るのよ」
女中たちが食膳《しょくぜん》を持って来て、二人の前に置いてさがっていった。
「さあ食べるのよ、食べて、一晩寝れば明日には、疲労は消えるわ」
園子はそういいながら、椀《わん》のふたを取った。
「一晩寝ればって、今夜ここに泊るんですか」
「だって、私びしょ濡れよ。着替えだって持っていないでしょう。帰れったって無理よ」
園子はよく食べたし、よくしゃべった。宮村のおかげで、いかに今日一日ひどい目に会ったかという話をしながらも、少しも宮村を憎んでいる様子は見えなかった。宮村は、平常でない園子を見た。疲労が園子を一時的な昂奮《こうふん》状態におとし入れているのだと思った。そういうことは、山歩きをしているとよくあった。ひどくつらい山行をして小屋についたとき、むちゃくちゃにしゃべりたくなるのは疲労が刺《し》戟《げき》になった一時的な昂奮であった。時によると昂奮しすぎて、眠れないこともあった。だから宮村はいま園子が一種の昂奮状態を示しているのも、一時的な現象であって、やがて、なだれのようにおしよせて来る倦怠《けんたい》感《かん》と眠けが彼女を沈黙させるだろうと思っていた。
しかし食事が終り、女中たちがふとんを二つ並べて敷き、蚊帳《かや》を吊《つ》ってさがっていったあとも、園子のおしゃべりは止まなかった。
障子を明けると庭に面した縁側に、籐《とう》椅子《いす》が二つ置いてあった。庭の外灯が池に反射して、そこだけが妙にまぶしかった。籐椅子に向い合って坐っていながらときどき彼女は足を擦《す》り合せるようなことをした。宮村は、多分彼女は、足のだるさをそうしていたわっているのだろうと思った。しかしその格好は、なんとしても宮村の気になった。そういう動作をすると、浴衣の裾《すそ》が乱れるから、彼女は無意識にそこを合わせようとする。そしてすぐまた彼女は同じように、足と足とを浴衣の下でもみ合せるような格好をするのである。
「とてもおかしな気持なのよ」
と園子がいった。
「なにが?」
「なにがって、こまったわ、……さっき雨でびっしょり濡れちゃったでしょう。下着まですっかり濡れちゃったから、穿《は》いていないのよ」
園子はそういうと、そっと、浴衣の前を、かなり危険なところの手前まで開けて見せた。
宮村はその白いものに身体《からだ》を固くして耐えた。園子がなぜそのようなことをしたのか彼にはわからなかった。彼は自制することだけに懸命になっていた。宮村は、白いものを見た眼に罰を与えるために、両手を膝の上に置いて、眼を伏せた。園子が、なにかいっても、顔は上げないつもりだった。
園子が籐椅子から立上って蚊帳に入ったが宮村はじっとしていた。
「ちょっと、宮村さん、私の足揉《も》んでくれない。とてもだるくて、眠れそうもないわ」
宮村は黙っていた。なにか、そうすることはいけないことのように考えられた。園子は好きだった。そばへ行きたいけれど、そこにはなにか非常に重大な危険がひそんでいるような気がした。宮村の頭の中のどこかには、ほとんど一日中、園子がいた。頭の中の園子は、彼に話しかけたり笑ったりした。時によると、映画で見るキスと同じことを園子と演じている場面を想像することもあったし、園子を喫茶店ベルボーに訪ねた夜などは自慰行為の対象に園子を求めることもあった。しかしそれらはすべて観念上の園子であって、足を揉んでくれという園子ではなかった。
「ね、はやく宮村さん」
蚊帳の中で園子が寝がえりを打つ気配がした。今年になって初めて見る青蚊帳の波が眼の前を揺れて通っていった。同じ蚊帳にふたりが寝て、そのまま済むとは考えられなかった。さっき女中たちがふとんを敷いているとき、もし、彼女と寝ることが嫌《いや》なら、別の部屋にしてくれとたのめばよかったのだ。宮村は胸の鼓動がはっきりわかった。それほど、胸が鳴っているのに園子が平気でいられるのが不思議だった。
「じゃあ、そこにそうしていなさい。私はお先に眠ってしまいますから」
園子は上《うわ》目《め》遣《づか》いに蚊帳の外にいる宮村の方を睨《にら》んでから眼をつぶった。このひとことで彼が間違いなく、蚊帳をくぐって来ると思うとおかしかった。
宮村は蚊帳の外まで来たところで思い止ったように坐り直した。
「とにかく、男にしても女にしても自分の行為には責任を持つことだ」
加藤文太郎がいったことばを思い出した。そのときは、この言葉の意味がわからなかったのだが、今はよくわかった。加藤が責任を持つことだといったのは、この場合を指しているのだ。宮村は蚊帳の外から園子を見た。夏だから、掛けぶとんは、ほんのあるかなしかの薄ものであった。彼女は掛けぶとんを足元の方に三つ折りにして、その上に足を載せていた。桃色のリボンで、無造作にたばねた豊富な黒髪が枕《まくら》を掩《おお》っていた。彼女は眼をつぶっていた。眠ったように静かであった。ふと宮村は彼女はこのまま眠り死んでしまうのではないかと思った。そう思うと、彼はひどくせつないような気にもなるのである。胸の鼓動は前よりも高まった。蚊帳の中へ入って、心臓を爆発させてしまうか、そうでなければ外に出て寝るよりほかに心臓の動《どう》悸《き》を静める方法はなかった。宮村は加藤がよく野宿をする話を聞いていた。こういう夜こそ、野宿をやるのがいいのかも知れないと思った。野宿をしなくても、美しいものを守るために、蚊帳の外でごろ寝してもいいのである。
園子が動いた。彼女は片足の膝をくの字に立てた。彼女の足にまつわりついていた、朝顔模様の浴衣のすそが開いた。
「足がだるいわ」
彼女は低い声でいった。揉んでくれとはいわずに、足のだるさを自分自身にささやいているような口調だった。彼女は、蚊帳の外に手をつかえている忠僕の存在すら忘れたようであった。
「入ってもいいでしょうか」
宮村は蚊帳の外でそういった。なにもいわずに蚊帳の中へ入ることはひどく悪いことに思われた。
園子はおかしさを噛《か》みしめた。蚊帳の外で、入ろうか入るまいかと、自分自身と戦っている可愛《かわい》い登山家がいよいよ可愛くなった。なにをぐずぐずしているの、早く入りなさい、といえばそれまでだった。相手が男性である限り、童貞であろうがなかろうが、ここまで来て蚊帳の外にひざまずいて、入っていいでしょうかという者はまずあるまいと思われた。園子は古代を考えた。帳《とばり》の外で、許しを乞《こ》うている平安時代の若者の姿が浮んだ。園子の心の中に、ほんのわずかばかりの理性が働いた。
(この可愛い登山家は私に本気なのかも知れない)
それが少しばかり彼女にブレーキをかけた。誘い入れてしまって、あとで面倒なことが、という心配がないではなかった。しかし、心の中のことと、彼女の身体とは別な行動を取った。
彼女は、ひとこともいわずに、くるりと向きをかえて、蚊帳の裾をまくって宮村を蚊帳の中へ誘い入れると、枕元のスタンドを消した。ふたりの存在だけを照らす明るさを残して、豆ランプがともった。部屋は闇《やみ》に包まれた。
「足を揉みましょう」
宮村の声は震えていた。身も震えていた。彼女の足にかけた手も震えていた。宮村は足の揉み方は知らなかった。とにかく、足の踝《くるぶし》から脹脛《ふくらはぎ》のあたりを揉めばいいのだと思った。白いものは、さらに白く見えた。光量の不足は白いものをより以上白く見せ、黒いものをより以上黒く見せようとした。
彼女は足を宮村にまかせながら、宮村の動きをじっと見詰めていた。その可愛い登山家が、どういう経過をたどって、彼女のものになるかが待遠しくもあった。彼の荒々しい息遣いが聞えた。園子は、宮村に足をもませてやりやすくするために、身体の位置を少しずつ変えていくような自然さで、彼女の身体を接近させていった。動くたびに浴衣の裾は乱れたが、彼女はそれを直そうとはしなかった。その乱れが、彼女の足の先から腰の方へ向って拡《ひろ》がっていくのを、彼女は、身をよじりながらかくそうとした。それが結局は、乱れの拡がりを増すことを充分承知の上であった。宮村のゆび先が、彼女の足に食い入るように痛かった。必死に欲情をおさえようとしている宮村の表情がおかしかった。
宮村は懸命にこらえていた。見てはいけないものが見えようとしていた。豆ランプの光は白いものの奥にある陰影にまではとどかなかったが、見てはならないものは、すぐそこに見えかかっていた。
宮村は激しい呼吸をついた。今はもうどうにもならなくなった自分を、押えつける唯《ただ》ひとつの方法は眼をつぶることでしかなかった。彼は眼をつぶった。加藤が責任を持てといったことは、こういう場合のことをいったのだと思った。これ以上すすむには彼女との結婚を前提としなければならない。彼は心の中で理屈をいった。
眼をつぶっても、理屈を考えても、やはり白いものと、その奥にある神秘な陰影が見えた。彼は強風を背に受けたまま断崖《だんがい》に立たされている気持だった。宮村はそれでもなお、自分に勝とうと思っていた。自分の欲望を押えようとしていた。彼をそういう状態に追いこんだのは彼女の責任であり、そこで行われることについてはなんの責任も彼にはないのだとは考えなかった。ふたりは一つのパーティーとして山行に来たのである。今《こ》宵《よい》も山行の経路の延長であるとすれば、彼は今もなおそのリーダーであった。リーダーにすべての責任はあった。山男の考え方は単純だった。いかなる前提があったにしても、行動に現わした責任をリーダーが取らねばならないと思いこんでいた。眼をつぶった宮村の唇《くちびる》が動いた。
白馬七月残りの雪の
あいだに咲き出す
あいだに咲き出す
花のかず
花のかず
安曇《あずみ》節《ぶし》の一節であった。彼は歌を歌うことによってその危険を突破しようとした。
眼をつぶって、山の歌を歌いながら足を揉んでいる宮村の、もはやどうにもならないほど危うくなっている姿勢を眺《なが》めながら、園子自身も、こらえることの限界に近づいている自分を感じ出していた。
「もっと上を揉んで」
彼女は下《げ》僕《ぼく》に命ずるようにいってから、彼の手が、もっと上の、彼女の期待に触れる位置へ彼女の身体を持っていった。
その瞬間、宮村は断崖からつき落された。彼は、彼の手に触れた小《こ》猫《ねこ》の軟毛に発した電気に撃たれた。電気は全身を貫き、彼を自失させた。彼は、結婚して下さいと叫んだ。その行為に入る前のプロポーズだけは忘れなかった。山男としての責任は決して回避してはいないのだという自負が、電気に打たれた彼の頭のどこかに潜在していた。彼は愛しているともいった。好きだともいった。だが、それらの言葉は、すべてひっくるめて、奇妙な叫びとしか、園子には聞えなかった。
園子は、突然なんとも意味の通じないことを叫びながら、おおいかぶさって来る男を受け止めた。予期していたことだったが、彼の行為はあまりにも、無智《むち》であり、粗暴であり、見当違いであった。彼はあせっていた。気が狂ったように眼を輝かせて、いまにも死にそうなくらいの荒い息を立てて、入って来ようとする彼を、彼女はひどく新鮮なものに感じた。彼女はしかし、彼を上手に受け止めた。上手な馬丁が狂った馬の鼻面《はなづら》を器用に取り押えるように、彼女は、猛《たけ》り立って奔命に窮しようとしている男を、当然行きつくべきところへ導いていった。
彼は、なにか真赤に彩《いろど》られた密室に進入したように覚えた。自然に密室の戸が開けられ、中にともしびが見えたような気がした。彼は密室の中で、嗅《か》いだことのない芳香を持つ濛《もう》気《き》に取りかこまれた。あたたかく彼を押し包みながら、濛気はやがて濛気ではなく固体のようにつよく彼にまつわりついていった。もはや、その濛気を衝《つ》いてそれ以上密室の奥まで進入しきれなくなったとき、彼の背筋をつらぬく電気を感じた。電気は瞬間的に彼のあらゆる力を奪い去った。彼は虚脱していく自分の奥の方から脱出していくものを感じた。それは引き止めることのできない勢いを持って遠くに逃れ去っていった。
「すみませんでした」
彼は彼女の枕元に手をついていった。
園子は彼のあまりにもあっけない終末が不満であった。葉にたまった露が一陣の風とともに、その下に開いている花びらにこぼれ落ちるようにはかない終り方だった。その行為は彼女の身体に火をつけただけに過ぎなかった。火が燃えかけたときに一方的に、立ちさっていく男を、彼女は許すことはできなかった。
園子は涙をためた。
宮村は、その涙こそ、彼を責める涙だと思った。
「許して下さい。責任はすべてぼくが持ちます。ぼくはあなたをほんとうに愛しているのです。責任はぼくが持ちます」
宮村は彼女の枕元に坐《すわ》って、責任ということばを繰り返した。
「どういう形で責任を取るの」
彼女は宮村の手を取っていった。
「結婚しましょう。ぼくはあなたのためならなんだってします」
「ことばだけでは駄目《だめ》よ」
彼女は涙をためたまま冷たい口調でいった。
「いいえ、ほんとうです。あなたのためなら、なんでもします」
しかし、彼女はそのままの姿勢で泣くことを止《や》めようとしなかった。声を上げる泣き方ではなかった。悲しくって泣くのでもなかった。感情にせまられたというよりも、溺《おぼ》れようとして泣いているようだった。彼女は宮村を離さなかった。ことばにもそれをいった。そして、彼女の方がより積極的に宮村に求めていった。
「ことばだけでは駄目なのよ」
彼女は腕に力をこめていった。
それからの宮村は責任を口にすることはなかった。彼はただ追求した。追求しながら、実は要求されているのだということに、彼はまだ気がついていなかった。追求しながら、彼はふと、山行中に一時は倒れそうなくらいに疲労を見せた彼女が、そのことについていささかの疲労も見せないし、彼の追求に対して嫌《けん》悪《お》しないばかりでなく、明らかに彼女自身の反応を見せて来るのを不思議なことに感じていた。園子も彼女自身の欲求が異常であることを感じていた。彼女はそれを宮村健という可愛い登山家を相手にしていることによる昂奮《こうふん》だろうと思いこんではいたが、疲労から来る刺《し》戟《げき》が彼女に異常なほどの欲望を燃え上らせているのだという真の原因についてはほとんど思い当っていなかった。
翌朝、宮村健が蚊帳の中で眼を覚ましたときには、園子はもういなかった。彼はひどくあわてた。いそいで起き上って、障子を開けて見たが、庭を見おろす籐《とう》椅子《いす》にも彼女の姿は見られなかった。再び蚊帳《かや》のところへ戻《もど》って見ると、彼女の着ていた浴衣《ゆかた》が袖《そで》だたみにして、寝床の上に置いてあった。
園子は帰ったのだ。帰ったというよりも逃げられたという気持の方がつよかった。彼は女中を呼んで園子のことを聞いた。
「今朝ほどお帰りになりました」
「今朝ほど?」
「はい、七時ごろお発《た》ちになりました」
彼は時計を見た。九時を過ぎていた。
「それで、この宿の勘定は……」
すると女中は、半ばあわれむような微笑をたたえて、
「全部済んでおります。貴方《あなた》様の朝食の分もいただいておりますから御心配なく」
返すことばがなくて、黙っていると、その女中は、彼がきのう着て来て、濡《ぬ》れたままにしておいた、シャツや下着類をいつのまにか、きれいに洗濯《せんたく》して、アイロンまでかけて持って来て前に置いていった。
「ほんとうにあの方は、よく気がつく方ですわね。あれほど濡れていらっしたのに、今朝はもう、しゃんとして帰っていかれたわ」
園子が気がつく女だということは、要するに、女中たちにチップをはずんで、一夜のうちに、濡れたものを乾かすように手配したことを指しているらしかった。
宮村は洗面所に立っていった。帰って来ると、寝具は取り片づけられ、食膳《しょくぜん》が運ばれていた。食慾《しょくよく》はなかった。頭の中は園子とのことでいっぱいだった。その宮村を女中はなにもかも心得たような顔で眺めながら、
「いっこう召し上らないのね」
そういってから、ふところから宿の所番地と電話番号の印刷してある一通の封筒を出して宮村に渡した。宛《あて》名《な》も差出人も書いてなかった。
「あの方がお帰りになるときに……」
彼女はそれだけいってさがっていった。
宮村健はいそいで封筒を切った。
「ゆうべのことはなかったことにしてお忘れ下さい。私も忘れます」
その走り書きの手紙にも、彼女の署名も宮村健という宛名もなかった。
その恐るべき暑さはどうしようもなかった。シャツ一枚になって、製図板に向っていても、しぼれば水が出るほど汗に濡れた。
加藤文太郎は内火艇用の新しいディーゼルエンジンの設計に没頭していた。土曜日の午後だから帰ってもいいのだが、彼は設計室に残って仕事を続けていた。彼のほかに五人ほど居残っているものがいた。課長の影村は、このごろ急に肥満して来た身体《からだ》を持て余し気味に、回転椅子をあっちこっちと廻《まわ》しながら専門誌を読んでいた。影村が回転椅子を動かすたびに、キーキーいやな音を立てた。やり切れないむし暑さのなかに、その音は針となって、居残りの課員の頭を刺した。加藤は、影村の回転椅子が鳴ろうがきしもうがいっこう平気だった。暑さも平気だった。ただ暑さに抵抗しようと、しょっちゅう動き廻っている影村が急に静かになったときだけは気になるから眼を上げた。そんなとき影村は居眠りをはじめていた。
加藤は命令されて居残っているのではなかった。特に彼の仕事が急を要するというものでもなかった。彼はその仕事が面白《おもしろ》いから残っていたのである。横《よこ》須賀《すか》の海軍工廠《こうしょう》で見て来たドイツ製の上陸用舟艇のディーゼルエンジンの性能はあらゆる点で、日本のものより優秀であった。材料もよかった。工作技術もよかったが、なによりもその基本設計が勝《すぐ》れていることには誰《だれ》でも頭を下げた。
「ドイツ人にできて日本人にできないはずがない。要はその設計にある」
立木勲平海軍技師のいったひとことが加藤の頭の中にあった。性能は設計にかかっていた。機械は図上において誕生するものである。あとの製作工程はすべて、誕生した機械に着物を着せかけたようなものである。彼はそう考えていた。いま、彼の机上で創造がなされようとしている、と考えると暑くはなかった。加藤は鉢巻《はちまき》をしていた。汗止めであった。そうしていないと、顔の汗が図上に落ちてそれを汚した。額の汗はそれで防げたが腕の汗は防ぎようがなかった。彼は、タオルを傍《そば》に置いて汗を拭《ふ》きつづけた。習慣的にタオルに手がのびていった。
設計しながら、ふと山を思うことがあった。夏でも三千メートル級の山のいただきに立つと涼しいというよりも寒い。その山へ行きたいという気はあるが、年に二週間の休暇を冬山登山に集中している彼にとっては夏山は遠い存在になっていた。
「氷を食べないかね」
居残りをしている同僚のひとりが誘いに来た。
「氷? 食べたくないね」
加藤は、いつものとおりのぶっきら棒さで答えた。夏の暑いときの氷はうまかった。しかし、うまいと感ずるのは食べているときだけで、間もなく前にも増して激しい汗と暑さに苦しまねばならないことを知りながら、氷を食べる人達《ひとたち》の気持がよくわからなかった。それは、山行中に水を飲むのとよく似ていた。必要以上に水を飲むことは疲労を助長する以外のなにものでもないことをよく知っている加藤は、その登山哲学を下界に持ちおろしていた。それが下界の人たちにどう思われようが、彼の知ったことではなかった。
「しかし、暑いだろう加藤君」
氷をすすめた同僚は直《す》ぐには加藤の前を去らずにいた。
「暑いですよ。しかし、氷を飲んだからといって涼しくなるものではないでしょう」
「それはそうですな」
同僚は苦笑を残した。
(相変らずだな加藤の奴《やつ》)
同僚の顔には一瞬軽蔑《けいべつ》の表情が浮んだが、すぐ彼は、なにもかも暑くてやり切れない気候のせいにでもしたいように、靴《くつ》をひきずるようにして電話機に近づいていって氷屋へ電話をかけようとした。
「ちょっと待て、いくつ注文するんだ」
影村がいった。
「五つです」
「五つ? 六人いるじゃあないか六つにしろ、おれがおごる」
影村はそういうと、加藤の方へちらっと視線を投げた。加藤は知らん顔をしていた。影村の底意地の悪い魂胆はありありと見えていた。加藤をケチな男に仕立て上げるには、この際、彼にただの氷を食べさせるのが上策であった。
(その手には乗るものか)
加藤は内心せせら笑って、そろそろ氷の来そうな頃《ころ》合《あ》いを見計らって席を立った。便所にでもいく格好をして、一度は廊下に出たがすぐ隣室の内燃機関設計部第二課へ入っていった。第二課でも幾人かが居残りしていた。
課長の外山三郎は笑顔をもって加藤を迎えた。
「どうだね近ごろ」
外山三郎は加藤に椅子をすすめていった。
「暑くてね」
「加藤君が暑くてね、なんていったことは聞いたことがないね。君も近ごろようやく人並みになって来たようだ」
外山はそば屋からもらったうちわで風を送りながらいった。
「いや、いっこうに人並みにはなりません……」
実は今、氷のことでといおうとしたが止《や》めた。外山三郎の下で働いていたころにも、みんなで氷を食べたことがあった。そんなとき外山三郎は、課員が氷を食べようなどといい出す前に、彼自身で居残りの人数だけの氷を注文した。影村とは人間が違うのだ。加藤が彼がもといたところや、衝立《ついたて》の陰でひっそりとお茶を入れていた、不幸な女、田口みやがいた席のあたりに眼をやっていると、
「そうそう加藤君、きみに見せようと思って持って来た本があった」
外山三郎は机の引出しから一冊の山岳同人誌を取り出して彼の前においた。ページの中ほどに、紙片が挟《はさ》みこんであった。
単独行についてという論評だった。
「表題は単独行についてとなっているが、内容は加藤文太郎批判だ。いやむしろ個人的な攻撃だ」
外山三郎がその論文の内容について不満を持っていることはそれだけで明らかだった。
「総体的に山男らしくない論調だ。なぜある神戸の登山家といういい廻しをしなければならないのであろうか。誰が読んでも、相手が加藤だとわかることだ。好き嫌《きら》いはその人の自由だ。嫌いなら嫌いでいいから、堂々と相手の名前を掲げて攻撃すればいいのに、それができない。つまりこの男は単なる陰口を叩《たた》いているに過ぎないのだ。ある神戸の登山家といっておきながら彼は神戸の一造船所の製図工であるなどと書いているところはまったく腹が立つ」
外山三郎は、その部分をゆび指していった。
「とかく登山家の中には取るに足らないようなことを鼻にかけたがる奴がいる。山はエリート族にのみ与えられたものであるという、ヨーロッパの貴族連中の一部が持っていたあの思想だ。彼らはなにかにつけて特権を価値づけようとする。門閥、学閥、資産といったようなレッテルを見せびらかすと同時に、なんとかして相手を下に見ようとするのだ。この論文を書いた男だってそうだ。製図工と書いたことによって、加藤を下層階級に蹴《け》落《おと》したつもりでいるに違いない。あさはかな男だ。製図工がどんな立派な職業だか知らないで書いているのだ。それに加藤は製図工ではない技師である。神港造船のぱりぱりの技師だ。この論文を書いた男が如何《いか》なる理由によるエリートを主張したにしても、加藤文太郎は、こいつ以上のエリートを主張できるのだ。なぜならば加藤は、チャンスが与えられるならば、戦艦だって設計できる腕をもった技師である」
外山三郎がいつになく痛憤するのは、暑さのせいだろうと加藤は思った。製図工と書かれようが技師と書かれようが加藤にとっては、いささかの痛痒《つうよう》も感じなかった。加藤は、そんなことよりも、いつか書かれたことのあるもっとも不名誉なことば――ラッセルドロボウが、ひょっとすれば使われていはしないかと、それだけを気にしていた。
「いいじゃあないですか外山さん。誰がなにを書こうとも、時がそれに明解な回答を与えてくれるでしょう。団体を持たない登山は登山ではないと、いくら決めつけていても、私のような単独登山を好む人は、私のあとにも次々と出るでしょうし、エリート族を中心とした登山も、やがては社会人を中心とした登山に変っていくことは、間違いないことだと思うのです」
外山は、おやっといったような顔をした。加藤がいつもと違って多弁だったからである。
「このごろ君は極端に無口になったという話だが――」
「たしかにそうです。会社ではほとんど口をきいたことはありません。その必要がないからです」
「今日は特別に暑いから、よく口が滑るというのかね」
外山三郎は笑いながら立上って、電話機の方へ歩いていった。その外山を待っていたかのように電話のベルが鳴った。加藤へ掛って来た電話だった。加藤が第二課で外山と話していることを加藤の部屋の誰かが知っていて、廻して来てくれたのである。
「加藤さん、このごろちっともいらっしてくださらないのね」
いきなりそういったのは園子だった。
「なにかごようですか」
加藤は、あいかわらずの、ぶっきらぼうさでいった。
「あの可愛《かわい》い登山家のことでじつは困ったことができたのよ。そのことで至急あなたにお会いしたいんだけれど、今日は駄目かしら」
「困ったことというと」
「しつっこいのよ、つまり」
加藤は、しばらくじっと立っていた。しつっこいのよといっただけで、おおよそのことはわかるような気がした。
「聞いたことのあるような声だったが」
電話が済んでもとのところへ引返して来たとき外山がいった。
「園子さんです」
「道理で聞いたことのある声だと思った」
外山三郎はそれ以上はなにもいわなかった。園子については触れたくないという顔だった。
加藤が席に戻ると赤い水になった氷が彼の机の上に置いてあった。ひどくきたならしい水に見えた。加藤は、机上の仕事を片づけると、課長の影村のところへいって、ぴょこんとひとつ頭をさげた。帰りますという挨拶《あいさつ》だった。
「なにも隣へ逃げなくてもいいだろう。おれはきみに御馳《ごち》走《そう》さまといってもらいたくて、氷をおごったのではないぜ」
影村が皮肉をいった。加藤はそのいかりの顔に正対して黙っていた。相手がなにか激しい感情を顔に表わすと黙りこんでしまうのが加藤の癖であった。そうなると、彼の口は緘《ぬ》われたように開かなかった。口を開かないかわりに彼は、眼で物をいった。その眼が相手を威圧した。
「もういい、帰りたまえ」
影村がそういうのに合わせるように加藤は廻れ右をした。
夕刻になっても、ちっとも涼しくならなかった。夕凪《ゆうなぎ》の時刻に入ると、海陸風の交換が止んで、風は死んだように動かなくなり、かえってむし暑かった。
園子が指名したレストランは海が見える高台にあったが、海が見えるというだけで涼味は感じなかった。
「宮村さんてそれはもうたいへんなのよ。会社が終るとすぐ店へ来て、店のはねるまで私を待っていて、どうしても私の家まで送っていくといって聞かないのよ。他《ほか》にお客様もいるでしょう。それにね、加藤さん、私あの店やめて、満州へ行こうかと思っているのよ、その前にへんにごたごたを起したくないのよ。私、困ってしまったわ。加藤さんになんとかいっていただきたいのよ」
園子は要求だけを先にいって、宮村がなぜそれほど、しつっこく彼女を追うようになったかについては黙っていた。
「そのうち遊びに来たら、いってやろう」
加藤は憮《ぶ》然《ぜん》としていった。
「そのうちでは困るんです」
だが加藤は園子の眼の中にある秘めごとを見詰めたまま黙っていた。加藤が横須賀へ出張して帰って来てからの宮村健の態度は急変した。宮村はあれ以来ぴったり加藤の下宿へ来なくなった。加藤は宮村と園子の間になにかあったことを察知していた。
「ねえ、加藤さん。なんとか方法はないの、迷惑なのよ。ああしつっこくまつわりつかれては」
「ぼくには責任がない」
「わたしにその責任のすべてはあるというの」
いいわと彼女は口の中でつぶやいた。園子も加藤の沈黙が、いつもの加藤の沈黙ではないことを知っていた。いまとなって、迷惑な存在になった可愛い登山家を遠ざけるためには、ある程度の真相をいうのは止むを得ないだろうと思った。園子は天井に眼をやった。紙で作ったへちまの間に鈴が吊《つ》り下げてあった。
「実は東六甲山に登った帰りに宮村さんと宝塚で泊ったのよ。なにかそうならざるを得ないような成行きになってしまったのですけれど……わかっていただけるかしら」
園子はちょっと加藤の視線をよけるように下を見ていたが、意気込んだように顔を上げて、
「でも、そのときだけよ。あとは全然、宮村さんとは没交渉なのよ。だって、私にはちゃんと男がいるでしょう。その男の手前、へんなことはできないわ。だからといって、宮村さんに、私の口からそんなことはいえないし」
「ぼくにどうしろっていうんです」
加藤は開き直ったいい方をした。
「ほんとうは宮村さんに会う前に、私の男に会っていただきたいのよ。会って、宮村さんがどういう人だか話していただきたいの。しかしね、加藤さん、私と宮村さんと関係があったということだけは内緒にして置いていただきたいわ。彼には、加藤さんを含めて三人で山へ行って、途中で雷雨に襲われて、つい帰れなくなって、宝塚で泊ったということになっているのですから」
園子はそのことについて何度も念を押した。
「あなたの男っていうのは」
「あそこで待っています」
彼女がゆび指す方を見ると、その店で、海に一番近い席に場所を取って、こっちに背を向けて煙草《たばこ》を吸っている男がいた。後姿がどこかで見たような男だった。
「やあ加藤君、しばらくだったな」
煙草を右手の指の間に挟んだままふりかえった男は、やや白々しい態度でそういった。
「金川……きみだったのか、園子さんの男というのは」
「そうだ。まさに男だ、情夫と書く方の男だよおれは」
金川義助は不貞《ふて》腐《くさ》れたいい方をして、ぽいっと煙草を捨てると、ウエイトレスに向って、ビールとつまみものを注文した。
情夫《おとこ》と彼自身が自嘲《じちょう》的な言葉を使ったとおり、金川はどことなくにやけていた。麻のズボンに赤い靴《くつ》はいいとして、縞《しま》の上《うわ》衣《ぎ》に蝶《ちょう》ネクタイは気障《きざ》に見えた。
加藤の顔は怒りでふくれ上っていきそうだった。幼児をかかえて、金川しまがいかに苦労しているかを金川義助にいってやりたかった。彼の無責任さを糾弾してやりたかった。一発ぐらいぶんなぐってもいい相手だった。
「人間というものは、どこでどうぐれるかわからないものなんだ。今からおれをまともな人間に戻《もど》そうとしたところで、どうにもなりはしないぜ」
金川義助はいっぱしの与太者のいい方をした。かつて、マルクスに傾倒し、官憲に抵抗しながら、主義者という孤塁を守っていた男だとはどうしても思えなかった。加藤は徹底的に黙っていた。もともと園子の方で立てたスケジュールであった。金川義助が余計なことをいうなといった以上、口をきくまいと思った。
「ビールを飲めよ加藤、君だって、いい年齢《とし》だ。ビールぐらい飲めるようになっただろう」
「飲みたくないね」
「そうか、それなら見ているがいい」
金川義助はジョッキを取り上げると、泡《あわ》ばかりじゃねえか、といいながら口に当てた。
「宮村健っていう小僧を締め上げてやろうと思ったが、締め上げたところで一銭にもなる野郎じゃあねえ。それよりも、痛え目に合わせて、二度とベルボーの近くをうろつかねえようにしてやろうと思うがどうだ」
「勝手にするがいい」
加藤は取り合わなかった。
「おい加藤、あの小僧はてめえの乾分《こぶん》じゃあねえか、てめえは乾分を見捨てるつもりか」
「乾分でも親分でもない。ただの友人だ」
「なるほど、山男なんていうものは、からきし意気地《いくじ》のねえもんだな、いざとなったらただの友人といって逃げる――」
金川義助はせせら笑った。加藤はそれ以上そこにいるのが嫌《いや》になった。金川義助の変貌《へんぼう》ぶりに驚くよりも、金川をそのように変えていった社会の陰影を眼《ま》のあたりに見せられたような気持だった。加藤は立上った。
「帰るってえのか、帰るなら帰れ。だがなてめえが、そのまま帰りゃあ、あの小僧の指の二本や三本は消えて失《な》くなるこたあ承知だろうな」
その脅迫《おどかし》が加藤の足を止めた。
「まあ坐《すわ》りなってことよ。え、加藤、昔の同期生じゃねえか。なにも、そんな面《つら》をしないでもいいだろう。俺《おれ》だって、好きこのんで、あの小僧の指をつめようなんていってるのではない」
「いくらか金でも出せというのか」
加藤は立ったままでいった。
「おい加藤、人を嘗《な》めたことをいうもんじゃあねえ。これでも俺は、この辺りじゃあ少しは顔が知れている男だ。昔の同期生から金をせびろうなんて、さもしい根性は持っていやあしねえ。そこんところをよくわきまえて話を聞くんだな」
加藤はまた席に坐った。ごつごつ尻《しり》のいたい椅子《いす》だった。
「風が出たようだな、加藤」
金川義助が、天井を見上げた。風鈴《ふうりん》が、海から吹いて来る微風に鳴っていた。加藤は風鈴を見上げている金川義助の喉《のど》のあたりを眺《なが》めながら、この男は決して幸福ではないなと思った。
「どうすればいいのだね、金川」
「うん、まあ、そういうふうに話を持ちかけてくりゃあ、おれだって、別にいきり立って、ものをいうこともないのさ。実はな加藤、園子がいったと思うが、あの小僧につきまとわれると商売に影響するんだ。はっきりいって、今後いっさい近よってもらいたくない。年上の女に可愛がられたその味が忘れられねえで寄って来るあの小僧の気持がわからねえでもねえが、これ以上つきまとって来るなら、ほんとうに痛い目に会わしてやることになるだろう。ほんとうは、あの小僧が悪いのじゃあねえ、あの小僧を宝塚へ引きずり込んだ園子の奴《やつ》が悪いのだが、園子の方には、いまのところわざと知らんふりをしてやっているのさ。なあ、加藤、あの朝、宝塚から帰って来て、園子は、まずなんといったと思う。加藤さんに引張り廻されてひどい目に会わされたあげく、雷雨に濡《ぬ》れて、三人で宝塚へ泊ったとこういうんだ。ばかな奴だよ、あの女は。あいつが帰って来るちょっと前におれが、神港造船所に電話をかけて、加藤が横《よこ》須賀《すか》に出張していることを確かめたのも知らないで、そんな嘘《うそ》をいうんだ」
金川はジョッキのビールを飲み干して、先をつづけた。
「こいつ嘘をいっているなと思った途端、あの女が不貞を働いたことを直感したのだ。それでおれは、すぐその不貞を検査してやったのだ」
「検査?」
「独身者にはわからないことさ、俺みたように女についての達人になると、その女の身体にちょっと触れて見りゃ、その女が前夜に不貞を働いたかどうかがわかるのだ。おれは園子とあの小僧との関係を見破ったのだが、それは別にとがめずに置いたのさ。おれはな加藤、園子の他《ほか》にも女があるのだ。園子のことを知らんことにしてやれば、園子だって、おれの浮《うわ》気《き》に口出しはできねえってことさ」
金川義助は、不健康なほど青白い顔をゆがめて笑うと、
「園子の奴が、ほんとに浮気をしたい相手は加藤なんだ。そのこともおれはちゃんと知っている。ところであの小僧のことだが、君からはっきりいってやったらどうかね。この俺っていう男がいることを……それであきらめればよし、あきらめないとなれば、こっちにも考えがある」
「わかった。宮村君にあきらめるようにいってやろう……だが彼はあきらめるだろうかな」
「だからさ、だめなら、おれが乗り出すといっているじゃあねえか。じゃあいいね。一応期限は一週間以内っていうことにして置いてやろう。ところで加藤、きさまなにか食べないか、黙って、ひとのビールを飲むのを見ていたってつまらない」
「俺は下宿に帰って食べるからいい」
金川義助は運ばれて来たジョッキを口に持っていく手を止めた。加藤のひとことを通じて、池田上町の、かつて彼が下宿していたところを思い出した。別れてもう四年にもなる妻子のことが頭に浮んだ。
「そうか下宿に帰って食べるか。だが、加藤、おれのことを、しまに話してくれるな。話しても、いまさら、どうにもならねえことだからな」
「話すなというなら話さないが、一度、坊やに会ってやるがいい。すっかり大きくなってな、ちょこちょことび歩いている。そうだ、きのう梯《はし》子《ご》段《だん》からころげ落ちて、大きなこぶをこしらえた」
金川義助の眼が輝いた。なにかいおうとしたが、すぐその輝きを、濁ったものが消すと、近くにいるウエイトレスが驚いて振りかえるほどの大声で、
「うるせえなあ。そういう話は聞きたくねえ」
金川義助は、危うく失いかけた自分を、叫び声を上げて取り戻すと、やけにがぶがぶビールを飲んだ。
加藤はその足で宮村健の家を訪ねるつもりだった。
「たしか彼の家は上祇《ぎ》園《おん》町の乾物屋だといっていたが」
加藤はひとりごとをいった。加藤の頭の中の神戸市の地図ではそこから上祇園町までは四キロ近くあったが、加藤に関する限り歩くことは問題ではなかった。上祇園町に入って、乾物店を見かけては宮村乾物店のことを聞いた。三軒目の店で、遠州屋という屋号と場所とを教えてくれた。
遠州屋は、その辺のどこにでも見掛けることのできる代表的な町の商店だった。店員はおらず、宮村健とよく似た母親らしい人が店をまもっていた。
宮村君、いますかときくと、ちょっとびっくりしたような顔で加藤の顔を見上げたその女は、
「健《たけし》ですか、健は出掛けておりませんが――」
電灯はそう明るくはなかった。前掛け姿の女は、そういいながら加藤の方へ近づいて来ると、
「あなたは、もしや加藤さんでは……」
そのときはもう、加藤だと確かめた顔だった。加藤が、そうだというと、女は急に相好《そうごう》を崩して、
「まあまあ、それは、きっと途中で行き違いになったのだと思います。健はずっと前にお宅様へ行くといって……」
そこまでいうと、ちょっと待ってといって、奥へ走りこんでいった。宮村健の父親らしい男が、物置かなにかで仕事でもしていたらしく、身体中に埃《ほこり》をかぶって出て来ると、鉢巻《はちまき》を取って、額の汗を拭《ふ》きながら、健がいつもお世話にばかりなっておりましてといって深く頭を下げた。
「さあ、加藤さん、お上り下さい。そのうち健も帰って来るでしょうから。あの子は、ひとりっ子ですから、なにかにつけてわがままで親のいうことは聞かない子なんですけれど、加藤さんのことだけは、よく聞くとみえまして、このごろは、加藤さん加藤さんといって毎晩のように出掛けていって、ご迷惑ばかりお掛けして、ほんとうにすみませんです」
宮村健の母がいった。
宮村健の健をたけしと呼ぶことや、彼がひとり息子だったことや、彼の両親が如何《いか》にも人が良さそうな夫婦だということなど加藤にとって、初めてのことばかりであった。宮村に聞けばわかることだったが、無口な加藤は、宮村の一身上のことについては、ひとつも聞いてはいなかったのだ。加藤は、宮村の両親の話を聞きながら、宮村が加藤のところへ行くと出かけていった先のことを考えていた。ベルボーへ行っていることは明らかだった。恋が、宮村を盲目にしているのだと思った。
「帰ります」
と加藤はいった。
「もう少し待ってみたらいかがでしょう」
「いえ、宮村君は、多分ぼくの下宿の二階の部屋で、山の本を読みながら僕《ぼく》を待っているに違いありません。だから帰ります」
「そうですか、それでは」
と宮村の母親がいって、彼女の亭主《ていしゅ》になにかいってもらいたげに顔を向けると、宮村健の父親は節くれ立った手をもみ合せながら、ひとつお願いがあるのです、加藤さんといった。
「とにかく、あれがひとりっきりですので、あれが山へ出かけると、うちのやつは一晩中寝ないでいるんです。どうしてまあ、健はあんなに山が好きになったのでしょうか。それにあんまり、山ばかり行っていると会社の方だっておろそかになりはしないかと心配したり、いやどうも親というものは、いらざる気苦労ばかりしておりますんで。それに、また、加藤さんと、今年の冬、北アルプスへ登るので、その打合せ準備のためとか申して、このごろは毎晩……好きなことはやらせたいのですが、相手が山ですし、あの子はひとりむすこですのでそこのところをなんとか……」
あとはその繰り返しになった。
加藤は宮村健の両親に責められているようであった。宮村を山へやるのは、加藤が悪いのだといわれているような気がした。宮村健の両親だから、その程度で済むけれど、他の家庭だったら、頭から罪人呼ばわりをされないとも限らないと考えた。加藤は、すべて迷惑に感じた。宮村健は加藤の下宿へ出入りしているし、加藤の山行を真似《まね》て単独登山をやっていることも事実であるが、それは宮村健が勝手にやっていることで、加藤の知ったことではなかった。が宮村健の父親にいわれてみると、加藤はやはり責任を感じないでもなかった。加藤は、三宮《さんのみや》へ向って宵《よい》の町を歩き出した。
テイールーム・ベルボーのドアーを押して入ると、レジの女の子と並んで、珍しく、和服姿の園子が立っていた。
加藤は園子を無視して、奥へ眼をやった。宮村健はいなかった。はてな、そんなはずはないがと、もう一度眼を出発点へもどすと、園子に一番近いテーブル、入ってすぐ左のテーブルに宮村健が、思案顔に頬杖《ほおづえ》をついて坐っていた。
加藤は宮村健のテーブルの前に立った。宮村は加藤の眼を見ると、悪いことでもした子供のように、いそいで眼を伏せた。
「宮村君、外へ出よう、歩きながら話をしよう」
加藤がいった。宮村は返事をしなかった。動こうともしなかった。加藤がなにしに、そこへ来て、なにをいおうとしているか、すべてわかっているようだった。女の子が、水をついだコップを持って来て、加藤の前へ置くと、加藤と宮村を見《み》較《くら》べて、引きさがっていった。
「宮村君、重大な話があるのだ。さあ、ここを出よう」
宮村健は、その時やっと顔を上げた。悲しげな顔をしていた。さけ得られないものをなんとかおしのけようとしている苦《く》悶《もん》の顔だった。
「すみません」
宮村健は立上った。
10
昭和八年十二月三十一日、加藤文太郎は氷《ひょう》ノ山越《せんごえ》(一二五二メートル)より四百メートルほど東側に下った杉林《すぎばやし》の中の地蔵堂で眠っていた。寒くはなかった。神戸の下宿の庭でビバークしているよりもはるかに楽な気持だった。ルックザックに腰をかけ、頭からすっぽりと合《かっ》羽《ぱ》をかぶって背を丸くして眠っている加藤は、ときどきびっくりしたように身体を動かす。
雪が降りつづいていたが風がなく、時折枝に積った雪が滑り落ちる音が聞えるだけで、そのほかには物音はなかった。そこには除夜の鐘の音《ね》も、二年参りの喧騒《けんそう》もなかった。
加藤は四時ごろ一度眼を覚まして、懐中電灯をつけて時刻を確かめ、まだ雪が降りつづいていることを確かめてからまた眠った。眼を覚ましたときはもう明るくなっていた。
加藤はアルコールランプに火をつけコッフェルで湯を沸かして、その中へ特別注文して作らせた餅《もち》とひとつかみの甘納豆をいれた。普通の餅の三分の一ほどの大きさの薄い餅だった。焼く必要はなく、湯に入れるとすぐ食べられた。おしるこによく似ていたがおしるこほど甘くはなく、勿論《もちろん》雑煮でもなかった。加藤が考え出した彼独特のお正月料理であった。彼は餅を食べながら時々ポケットから乾《ほ》し小魚を出してぼりぼり噛《か》んだ。身体に熱い物が入ると力を感じた。
夜が明けると風が出た。吹雪の中を、数人のパーティーが地蔵堂の前を通っていった。加藤はいそいで出発の用意をして登山者たちのスキーの跡を追った。加藤の履いているスキーにつけたシールが具合が悪く、シールとスキーの間に雪が入って団子になったり、よじれたりした。それを直しながら氷ノ山越まで来ると、先行者のスキーの跡は、そこから須賀山(一五一〇メートル、通称氷ノ山)に向って延びていた。
加藤は躊躇《ちゅうちょ》することなく、そのシュプールの跡を追ったが、数歩行ったところで、かつて、ラッセルドロボウといわれたことを思い出して嫌《いや》な気がした。止《や》めようかと思ったが、ここまで来て、この付近の山の代表である氷ノ山に登らないのも癪《しゃく》だから、彼《かれ》等《ら》のあとを追った。氷ノ山の頂上は吹雪でなにも見えなかった。時計を見ると十一時であった。引きかえして、もとの氷ノ山越に出てから、加藤は、誰《だれ》も踏んでない新雪の中を陣鉢《じんぱち》山へ向って歩き出した。ブナ林の尾根道であった。吹雪もさほどのことはなかった。
「予定どおりやろう」
加藤は吹雪に向って、そう宣言して、すぐスキーのシールの予備を持って来なかったことを悔いた。そのことがちょっと心配だったが予定を変更することはあるまいと思った。彼は陣鉢山へいく途中から道を尾根伝いに真《まっ》直《す》ぐに北に取り、三ツヶ谷山(一二三九メートル)を経由して、彼の故郷の浜坂を流れる岸田川の上流美《み》方郡《かたぐん》菅原村にたどりつく予定であった。地蔵堂から十四キロメートルの距離であった。彼はここを夏の間に二度ほど通ったことがあった。
地蔵堂を出てから途中で一泊しなければならないと思っていた。雪の中でのビバークには自信があった。
(今日は元日だから途中ビバークをしても二日の午後には菅原村へつくことができるだろう。浜坂へつくのはその日の夜になる)
加藤は山をおりて浜坂へ行ったその足で花子を訪ねてやろうと思っていた。花子に登山姿を見せてやりたいという気持ではなく、そこに花子がいるから、より困難な、冬の山を越えて来たのだという気持を伝えてやりたかった。花子はなんの説明もなくわかってくれるだろうと思った。花子には正月に浜坂へ帰るとは通知してなかった。おどかしてやろうという気持はなかった。加藤は照れ屋であった。筆不精の方ではなかったが、相手が花子だと妙に筆を持つ手がこわばった。彼は字が上手の方ではなかった。彼は字を書きながら、ふと、小学生のころから字は少しもうまくなっていないと思うことがあった。加藤の字が下手なのに比較して花子は達筆だった。文章も上手だった。花子の手紙を読むと、加藤は圧倒され、一種のコンプレックスを感じた。それでも加藤は今度の山行だけは花子に知らせて置こうと思って葉書を書いたが、花子が長い睫毛《まつげ》の黒い眼で、彼の下手な字で書いた葉書をじっと見詰めている姿を想像すると、それをポストに投げこむ気がしなくなった。
吹雪は時々止んで視界を彼のために拡《ひろ》げてくれた。雪の尾根筋はもともとそこに道があるわけではなかった。しかも冬だから踏みあとがあるわけがなかった。新雪は加藤のスキーを飲みこんだ。全体的に湿雪であったから、やたらに雪がスキーにくっついて歩行の邪魔になった。シールはやはりうまくなかった。信用できないと思った。しかし加藤は、シールがなくとも歩いていける自信はあった。登りはところどころあったけれど、総体的には、ほぼ同高度の尾根筋であった。心配されるのは三ツヶ谷山への登りだったが、シールがだめになったら、横向きになってスキーで階段をつけて登る手があった。
霧がはれて陣鉢山がよく見えたので、彼は地図を出して、彼の前進すべき尾根筋を、ブナ林の中に求めた。今までは西に向って進んで来たのだが、それからは真北へ向っての前進だった。西から北へほぼ直角に向きを変える分岐点あたりがちょっとした雪の広場になっていた。付近の地形と地図から判断して、そこが正当な分岐点であることを確認してから、加藤はブナの大木のかげに風を避けて、夕食の支度にかかった。コッフェルの中で雪が水になり湯になり、餅と甘納豆をやわらかく溶かしていくのを見ながら、加藤は、ひとりで山の中にいることの楽しさをしみじみと感じていた。
夕食を取ってからも、彼はまだ歩きつづけていた。ビバークすべき適当な場所がなかったからである。しめり気の多い雪だから、下手なビバークをすると、濡《ぬ》れてしまって、休養どころか、かえってあとの行動に差支《さしつか》えが生ずることが考えられた。加藤は夜歩きには馴《な》れていた。体力に充分余裕があるうちならば、どこに寝ても凍死するようなことがあろうはずがない。だが、このしめり雪には自信がなかった。彼が体験した冬山ビバークはすべて北アルプスの乾いた雪の中であった。しめり気をとおして身体に感じて来る寒さからおし計って、彼は徹夜縦走の方がむしろ安全と考えたのである。
(なあに一晩歩けば、翌朝には三ツヶ谷山の頂に達するだろう。そこから菅原村まではすぐだ)
そうなると花子のいる浜坂へ着くのは、予定より早くなる。決心したら疑わなかった。
加藤は首にかけた懐中電灯をたよりに、ゆっくりと歩いていった。だが彼の考えはすこぶる甘かった。夏の山と冬の山では様相が全然違っていた。しかも、尾根通しに木があることと、尾根は、痩《や》せ尾根というほどではないから、なにも考えずに、ただ歩くといったふうな山歩きではなく、地図と磁石とをたよりに、一歩一歩を慎重に進まねばならない。ひどく神経の疲れる夜歩きであった。夜半になって吹雪が強くなって来ると、地図も磁石も雪におおわれてしまって、進むことも引くこともできずに立往生してしまうことがあった。だが彼は歩いた。歩いているというより眠っていなかったというほうが彼の場合には当っていた。眠れるような状態でないときは起きていたほうがいいというのが彼の考え方だった。
夜が明けた。明け方にゆるい登りにかかった。そこが五万分の一の地図に示されている一〇五七メートルのピークであるらしかったが、そこだと確かめるためには、なおしばらくの時間がかかった。彼はそこで、例のとおりに湯を沸かして、餅と甘納豆を食べた。二食分ほどの食糧がまだあった。どっちみち今日中に菅原村へ下山できるのだからそれだけあれば充分だと思った。道を迷ってはいないという自信があった。地図と磁石があれば暗夜の山行も可能だというのは彼の体験が生んだ自信だった。雪が小止みになって、木の間がくれに陣鉢山とその下の諸鹿村が見えた。その方向を地図と合わせて見ると、彼のいる位置が一〇五七高地であることに間違いがなかった。一晩中かかっても二キロメートルしか前進できなかったことはいささか腑甲斐《ふがい》ないことであったが、道を迷っていないことは加藤をさらに自信づけていった。
そこはもう日本海気候の支配下にあった。晴れたと思うつかの間にまた吹雪となった。濃い霧が彼を包んだ。
そこから三ツヶ谷山の登り口まではほぼ平《へい》坦《たん》だった。シールがめくれかえって役に立たなかった。彼はシールを取り除いた。そのころから彼は疲労を感じ出した。一晩中眠らなかったせいだった。三ツヶ谷山の登り口にかかったところで、昼食を摂《と》った。腹に暖かいものが入ると元気になった。一気に三ツヶ谷山へ登ろうと思ったが、シールのないスキーは思うように進まなかった。そうなると、両手に持っているストックに力が加わることになる。右手のストックが折れた。
いやな予感がした。彼は折れたストックを捨てて、横向きになって高度を稼《かせ》ぎ取っていった。宮村健が八ヶ岳登山の際にストックを折ってひどい目にあったという話を思い出した。宮村健は、まるで加藤の記録を追っているかのごとくに加藤のあとをつぎつぎと歩いていた。宮村健が、スキーで八ヶ岳に向ったのも、加藤が昭和三年から四年の正月にかけて、はじめて冬山を単独でやったときの記録をそのまま踏襲したに過ぎなかった。宮村健は加藤に取って薄気味の悪い追従者であるとともに、愛すべき友人であった。宮村健のことを思い出すと加藤の頭の中は宮村のことでいっぱいになった。
半年前のあの夜、喫茶店ベルボーを出た宮村と加藤は山の手へ向って歩いていった。ふたりとも無言だった。どっちが先でもあとでもなく、並んだり前後したりしながらふたりの足は、山へ山へと近づいていった。
諏訪《すわ》神社の鳥居を見て、ふたりははじめてかなり遠いところまで歩いて来たことを知った。諏訪神社は真夜中のように静まりかえっていた。そこまで来たが、ふたりはまだ歩くのをやめようとはしなかった。神社の裏から公園につづく道があった。そこにベンチがあったがそこにも坐《すわ》らずに、ふたりは歩きつづけていた。
突然、宮村が走り出した。道はあったが、暗くてよく見えなかった。それでも彼は走った。加藤が追っても追いつけないほどの速さだった。加藤も走った。宮村、ばかなことをやめろといいたかったがいわなかった。宮村が一晩中走るなら、加藤もまた一晩走ってもいいと思った。二晩だって三晩だって走れるぞと思った。しかし宮村はそう長くは走らなかった。なにかにつまずいて草叢《くさむら》の中にばったり倒れると、それ以上は走ろうとしなかった。
ふたりは夜露のおりた草の上に腰をおろして神戸の夜景を見ていた。宮村が泣き出した。はじめはすすり泣きだったが、やがて堰《せき》を切ったような激しい泣き方になり、しばらく静かになるとまた思い出したように慟哭《どうこく》した。膝《ひざ》の上に両腕を組んで、その上に顔を埋めて泣く宮村の姿を、園子に見せてやりたかった。加藤は、このような純情な青年を疵《きず》つけた園子を憎んだ。
園子を、短いひとことでやっつけてやりたかった。あんな、すれっからしの女なんかあきらめろといったふうな表現で園子をこきおろしてやりたかった。だがうまいことばはでなかった。
「園子さんには男がいるんだ」
加藤は宮村の泣き声がややおさまったところを見計らっていった。
「知っています。なにもかも知っています。だがぼくは園子さんをあきらめられない」
宮村はそういってまた泣いた。
「あきらめられなくとも、あきらめるのが山男というものだ」
加藤はそういって、すぐ、その言葉がなんと平凡で空虚なものだろうと思った。
「加藤さん、あなただってヒマラヤに惚《ほ》れているでしょう。しかし、ヒマラヤはいくら加藤さんだって、どうこうできるという山ではないでしょう。それでも加藤さんはヒマラヤをあきらめてはいない。なぜかって、あなたは山男だからなんです」
宮村が、こんなところでヒマラヤを出して逆襲して来るとは思いもよらぬことだった。
ヒマラヤは加藤の胸の中にだけあった。ヒマラヤ貯金は既に千円を越していた。土地付の立派な家を一軒買える金だった。多くの人はその彼を守銭《しゅせん》奴《ど》と見ていた。なんと見られ、なんといわれようとも彼はヒマラヤ貯金をつづけていた。それは信念を越して信仰に近いものであった。いつか必ず、ヒマラヤに足をつけるぞという意志が、せっせと金をためていたのである。その大きな希望は親にも兄弟にも、外山三郎にさえもいってなかった。花子と結婚しても、このことだけは黙っていようと思っていた。加藤にとって神聖なその秘密を、宮村健がいかにして覗《のぞ》いたのか、加藤にはわからなかった。
宮村健は、加藤の下宿に自由に出入りできる唯《ただ》一人の友人であった。加藤が不在のときでも、勝手に本を読むことを許されていた。加藤の下宿の本棚《ほんだな》にはヒマラヤに関する本で、日本で手に入ることのできる本はことごとく集めてあったし、洋書も二冊ほどあった。だが、それだけで、宮村が、加藤さんはヒマラヤに惚れているといえるはずがなかった。
(まさか机の引出しをあけて日記帳を読んだのではあるまい。たとえ読んだとしても、ヒマラヤのことなど一言半句も書いてはない。宮村は直観したのだ)
「そうだ、君こそあんな女はあきらめて、ヒマラヤに惚れるがいい」
「ぼくはだめなんです。加藤さんのように、ほんとうに山に惚れることはいまになってはもうできないかも知れません」
「それなら山をやめろ」
「いいえ、山はやめません。これからのぼくは、ほんとうに山が必要になってくるのです」
ふたりはまたおしだまった。
宮村健が立上った。それからは、急にさとりでも開いたような足取りで坂をおりると、彼の家の方へ向ってさっさと歩いていった。
二、三日してから、園子から加藤のところへ電話があった。
「かわいい登山家ね、相変らず店へ来るわ。でも、私の後はつけ廻《まわ》さないし、静かにコーヒーをいっぱい飲んで黙って帰っていくわ、薄気味悪いような変り方よ。どうも加藤さんいろいろとありがとうございました。それからね加藤さん、私たちの満州行きの話きまりそうよ」
加藤はそれにはろくろく返事をせずに電話を切った。
「かわいい登山家はいまごろ……」
加藤は現実に戻《もど》っていった。宮村は北アルプスへ出かけている。それも単独行である。
「ばかな奴《やつ》だ。下手をするとやられるぞ」
加藤はそうつぶやいて、はっと吾《われ》にかえった。階段登りはその終点に達していた。三ツヶ谷山の頂上についたのである。深い霧だった。風はかなりあった。問題はそこからの下り道であった。地図を見ると、頂上から菅原村へ下るコルまでは約三キロメートルしかないが、そこへ行くまでの尾根筋が広々としていて迷いやすい。霧の中をすすむことはむずかしかった。
彼は注意深く、三ツヶ谷山の頂上の地形を偵察《ていさつ》することにした。霧が深くても、シュプールの跡をたどれば、もとのところへ帰ることができる。それに磁石もあるし迷うことはないと思った。
ふわっと身体《からだ》が宙に浮いたような気がした。雪《せっ》庇《ぴ》を踏んだなと思ったとき、彼は雪煙りとともに流されていた。なだれにはならずに、彼は深雪の中にすっぽり飲みこまれたままで止った。身体のあちこちが痛かったが、どこが痛むのかしばらくははっきりしなかった。スキーは履いたままだし、片方のストックは握っていた。
雪の中からやっと這《は》い出して、頂上に戻ろうと思った。霧をとおして見える地形から判断して、流された距離は、十メートルか、せいぜい十五メートルぐらいの感じだった。彼は立上った。一歩二歩三歩と階段をつけたところで、全身に疲労が襲って来た。
「こういうときには食べなければいけない」
と思った。彼は湯を沸かして、持っているだけの甘納豆と餅《もち》をコッフェルの中に入れた。それで食糧はなくなることは知っていたが、節約しなければならないという気はなかった。彼の故郷はすぐそこだった。ここまで来たらもう大丈夫という気があった。空腹はいやされたが、そのころになって眠気が彼を襲った。
眠ってはいられない時間だった。霧が晴れたら、菅原村目がけておりなければならない。そう思っていても眠くてしようがなかった。霧はいっこうに晴れそうもなかった。
ままよ霧が晴れるまでと眼《め》をつぶって加藤は膝をかかえた。寒さで眼が覚めた。一時間とは眠ってはいなかったが、身体中が冷えた。湿雪が彼の体温を奪ったからであった。手袋も、ヤッケも、ズボンもなにもかもぐしょぐしょに濡れていた。山は夜を迎えようとしていた。
(このままで夜を迎えたら危険である)
彼はそのときになって、彼が思いもかけなかったような危機にさらされていることを知った。
(故郷の山を甘く見すぎていたのだ。湿雪にたいする研究が足りなかったのだ)
そう反省してもどうにもならなかった。真冬の北アルプスの吹雪の中を十日もかけて縦走した加藤の乾雪に対する経験はここでは役に立たなかった。
彼はスキーで雪洞《せつどう》を掘りにかかった。やっと彼の身をかくすていどのものはできたが、その中で一夜を明かすことはできそうになかった。うとうとすると寒さで眼がさめた。全身をしめつける寒さだった。身体中をおおっている濡れたものが、氷に化していく寒さだった。素《す》肌《はだ》で氷の着物を着たと同じ状態になろうとする寒さだった。
加藤は寒さに馴《な》れていた。あらゆる寒さという寒さを経験して来たが、それらの寒さの中には必ず救いがあった。風による寒さなら、ものかげにかくれると暖かくなった。ひしひしとしめつけてくる寒さでも、雪洞の中に入って、ルックザックに腰かけて、合《かっ》羽《ぱ》をかぶってじっとしているとがまんできた。我慢できる寒さならば、眠っても凍傷にかかる心配はなかった。我慢できないような寒さに襲われたときは眠ってはならないのだということも、彼が体得したビバークの法則だった。
彼は眠ったらそのまま死ぬかも知れないと思ったが、心とは裏腹にまぶたは自然に重くなっていった。そしてより以上の寒さに、はっとして眼を覚ますのである。
腰から下の感覚が麻痺《まひ》していくような感じだった。それ以上、そこにそうしていることはできなかった。彼ははっきりと生と死の境目に来ていることを知った。生きるためには眠ってはならないと思った。彼は穴を出て、歩き出した。そっちが菅原村の方向かどうか確たる自信はなかった。菅原村の方へ歩くというより、寒さに打ち勝つために歩くことの方が彼にとって今は大事なことだった。歩いているうちにふと霧が晴れて、菅原村の灯《ひ》が見えるかも知れないと思った。
「そうだ灯が見えるはずだ」
そう思ったとき、彼はおびただしい灯の海を見た。
「ああ、あっちが菅原村だ」
しかし彼はすぐその灯が異常に多すぎることに気がついた。
「なんだ神戸の灯じゃあないか」
そう思った途端灯は消えた。霧の暗夜であった。幻視を見たのだ。死の前兆をおれは確かにこの眼で見たのだと思って、加藤はぞっとした。しかし、その幻視はまたなんとはっきりしていたことであろうか。
「おれは幻視を見ていたのだ」
彼は自分にいい聞かせた。
「いやな加藤さん。幻視だなんて、私はちゃんとこうしてあなたの前に立っているでしょう」
花子が見合いをしたときと同じ、矢羽根模様のお召の袷《あわせ》に、つづれ織の臙《えん》脂《じ》の帯をしめて立っていた。髪にさした桃色の髪飾りが彼女の頬《ほお》の色とうつり合っていた。
花子は加藤の生家の前に立っていた。生家の格《こう》子戸《しど》はしっかりしまって、中には誰《だれ》もいないようだった。道が凍《い》てついていた。道の横にかきよせた泥《どろ》まじりの雪の上にミカンの皮が見えた。
「おれは夢でも見ていたのか」
「山ばっかり行くから、山の夢を見るのだわ」
「花子さんは山が嫌《きら》いなんですか」
「好きだか嫌いだかわからないわ。だって山へ行ったこと、ないんですもの」
花子がそういって、眼を山の方へやった。加藤は花子の視線の延びていく方を見た。一寸先も見えない暗夜だった。霧と風の夜だった。花子の姿はなかった。
山で遭難して幻視幻聴を体験した話は聞いたことがあった。だがそれは飽くまでも話であって、その実在について加藤は疑問を持っていた。だがその幻視と幻聴が、予告なしに彼の前に現われたことで彼は驚愕《きょうがく》した。恐怖した。死にたくないと思った。この危機を脱出するにはいかなる方法を取るべきかを、彼の中にまだ残っている思考力を凝集して考えた。
「地蔵堂でも仮眠のていどだし、昨夜《ゆうべ》は全然眠っていない。疲労しているのだ。これ以上歩き廻って消耗することは危険だ。眠るがいい、二、三時間眠れば、体力が恢復《かいふく》する。な、加藤、雪洞にかえって眠れ」
加藤はそういう自分の声を聞いた。
「いや加藤、眠ることは死を意味する。きさまの下半身はすでに凍傷になりかかっている。歩くことだ。動いているうちは、お前の身体に血が流れる。だが休んだら凍る。一度停止したエンジンを動かすことは困難だ」
そういうもう一人の加藤がいた。動かないで雪洞に入って眠れという加藤と、歩けという加藤と、その何《いず》れかに決しかねている加藤と、三人のまったく同形な加藤がそこにいた。三人の加藤は同じ声色でしゃべりまくっていた。
「加藤はおれだ。おれにまかしてくれ」
加藤はその自分の声をつぶやきのように細いものに聞いた。雪洞に引きかえすにも、引き返す道がわからなかった。懐中電灯をつけて、足跡をたどればいいが、その考えも努力する力もなかった。ただ加藤は、死に抵抗していた。睡魔に勝つことが死に勝つことだと思った。やがて明け方の最低気温の時刻が来る。その明け方の寒さを乗り越えて朝を迎えさえすれば、生きられるような気がした。理屈ではなく、彼の体験からする本能的な計算だった。
「こんなところで死んじゃあいけない。こんなけちな山では死にたくはない」
「加藤さん、あなたはなぜ死ぬことばっかりいっているの。こんなすばらしい天気の日に、なぜあなたが死なねばならないのかしら」
花子がスキーを履いて立っていた。花子がスキーをやることは知らなかった。ブリューのスキーズボンに手編みの白のセーターはよく似合った。頭にはなにもかぶっていなかった。見合いのときにつけていた桃色の花の髪飾りが、朝日にきらきらと輝いていた。
「加藤さんは、あまりスキーがお上手ではないのね」
花子がいった。
「スキーはからっきしだめなんです」
「じゃあ私がリーダーってわけかしら」
花子が加藤の先に立って滑り出した。加藤は遅れてはならないと思ったが、遅れた。待ってくれといおうと思ったがいえなかった。彼は花子のシュプールの跡を歩いた。ときどき遠くから加藤を呼ぶ花子の声が聞えた。花子の声の導くままに牽《ひ》かれていくのは、それほど疲れることではなかった。寒くはなかった。一点の雲もなく空は晴れていた。そこがどこのスキー場なのかわからなかった。加藤はなにかにつまずいて倒れたとき、横腹をひどく打った。息も止るほどの痛さだった。その痛撃で加藤はわれにかえった。
彼がぶっつかったのは棒くいであった。それが、ただの棒くいではなく、人工を加えたものらしかった。彼は棒くいのまわりの雪をかきわけて見た。そこに指導標があった。それは菅原から諸鹿へ越える峠のコルにあった指導標であった。霧は相変らず深かったが、風は止《や》んでいた。いつの間にか朝になっていた。花子の幻視と幻聴に導かれながら、いつかそこまで来ていたのであった。幻視でも幻聴でもなく、歩きながら眠っていたときに見た夢だったかもしれなかった。
加藤は霧の中を菅原村に向っておりていった。スキーはほとんど使えなかった。滑るとすぐ転んだ。転ぶと眠くなった。犬の声が聞えた。猟犬を先頭にした猟師が二人登って来た。
「菅原村はここをおりればいいのですね」
二人はそういう加藤の異様な姿を見たまま顔を見合せてから、
「菅原村はすぐそこだが、どうしたのだね」
といった。幻覚でもなく幻視でもなく、二人はまさしく猟師であることに間違いないと加藤は思った。どうしたと聞かれても、答えるのが面倒だった。加藤は黙って頭をさげるとふらつく足を踏みしめながら菅原村に向って最後の努力をこころみた。
菅原村には、以前夏来たときに泊った家があった。彼はその家についたとき、水を飲む格好をして見せた。その家の主人は、山でひどい目に会ったとき、どうすればいいかをよく知っていた。加藤は濡《ぬ》れたものを脱がされ、囲炉裏《いろり》端《ばた》に坐《すわ》らされた。熱い粥《かゆ》が与えられた。
囲炉裏で音を立てて燃える火がなぜこんなに美しいものだろうかと加藤は思った。加藤は死んだようにそこに眠りこんだ。
目が覚めると、日はもう山の陰に沈んでいた。加藤は、熱い飯を腹いっぱいつめこむと、すっかり乾いた衣服を身につけて、浜坂へ下っていった。体力はすっかり恢復していた。田中まで来ると真暗になった。湯村まで来たとき加藤は浜坂の生家に寄ってはおられないと思った。
明日は一月四日である。会社の始まる日であった。新年の顔合せで、事実上の仕事はしないけれど、休めば欠勤になる。外山三郎が課長だったときは、一月四日の日は大目に見てくれたけれど、影村課長はそんな男ではなかった。もし遅れたら、影村がなにをいうか加藤はよく知っていた。どうしても今夜中に神戸に帰らねばならないと思った。
湯村で彼はハイヤーをたのんだ。そうしないと最終列車に間に合わなかった。雪の道を自動車は浜坂へ走った。
「駅へ真《まっ》直《す》ぐですか」
「そうだね」
加藤は腕時計を見た。まだ二十分あった。
「浜の方へやってくれないか」
「浜?」
「いいんだ俺《おれ》が口で教える」
加藤は運転手に行く先を指示した。加藤は生家へちょっと顔を出して父親に顔だけ見せてやろうかと思ったが、途中でその考えを変更した。父がそのまま加藤を帰すはずがないし、その父をふり切って帰れば父は悲しむだろうと思った。病床の父に心配させたくはなかった。
「右へ曲ってくれ」
加藤の乗った自動車は生家の前を通って右に曲って、なおしばらく走ったところで、
「その電柱のところで止めてくれ」
「おりるんですか」
「いや、ちょっとばかり用を足して来るのだ」
加藤は止った自動車の中で、懐中ノートの一枚に走り書きした。
「山を越えて来たが、時間がないので終列車で神戸へ帰ります。ありがとう。文太郎」
二行に書くと、その紙を二つに折って、表に花子の名前を書いた。加藤は自動車をそこに止めて置いて、花子の家の方へ走っていた。まだ灯《あか》りがついていた。花子は起きているような気がした。花子に会いたかった。彼は二つに折った紙片を格子戸の隙《すき》間《ま》から落しこんで、自動車へ走り帰った。
「駅へ大至急だ」
加藤はほっとした。その奇妙な手紙を読む花子を想像した。最後に書いたありがとうという意味がおそらく花子はわからないだろうと思った。筆のいきおいで、そう書いてしまったのだが、実は、加藤を導いてくれた花子の幻視と幻聴にありがとうというつもりだった。
浜坂へ自動車がつくのと汽車が入るのとほとんど同じだった。列車は満員であった。彼は通路にルックザックをおろして腰かけた。
花子の幻視と幻聴に導かれて生きて下山することのできたのをそこでゆっくり考えた。
花子の幻視と幻聴はたしかに彼を導いた。そして彼は救われた。だが、そうだと考える前に、彼はその道を夏の間に二度も歩いたことを考えねばならなかった。その経験に併せて、彼の冬山に関する一般的常識が無意識の中にも彼をして正しい道を歩ませたと考えるのが妥当のように思われた。だが彼は、そういう理屈よりも、花子にありがとうといってやって、ほんとうによかったと思った。すぐ彼女から達筆の手紙が来て、ありがとうについて説明を求められるだろうが、そのときはそのときで考えればいい。彼は腕を組み、背を丸め、眼をつぶった。
11
その挨拶状《あいさつじょう》には、いやに堅くるしい文句が印刷されてあった。いろいろと御世話になりましたが、今回満州へ行くことになりました。今後ともよろしくという内容であった。差出人は、園子になっていた。
挨拶状の余白に、
(六月三日午後六時神戸出港の大連丸で発《た》ちます。K)
と書いてあった。
その字は金川義助の字であった。Kとしたのは加藤の下宿の、金川しまのことを考慮した上のことだと思った。
加藤はその挨拶状を長いことじっと眺《なが》めていた。金川義助が満州に去っても、金川義助の妻しまとその子は残る。
「おじちゃん、なによんでるの」
義郎が階段を登って来て、加藤が読んでいる葉書を覗《のぞ》きこんだ。
「手紙を読んでいたのだよ、坊や――」
「ぼくにも読んでちょうだい」
智恵《ちえ》のつき出したばかりの義郎は、加藤がなにか読んでいると、すぐそばへ来て読んでくれとせがむのである。父親がいなくて不《ふ》憫《びん》だと思う加藤の気持に、幼児は率直に甘えていた。
加藤の留守中に二階へあがると、しまに叱《しか》られるから、義郎は加藤が帰るのを待っていて二階へやって来るのだった。
「ねえ、おじちゃん、よんでよ」
加藤はその挨拶状を読んで、その内容を説明してやった。
「これはなんて書いてあるの」
義郎は、余白に金川義助が書き添えた文字をゆびさしていった。加藤はどきっとした。親子の血のつながりが、本能的に、現われたのかもしれないとさえ思えるのである。加藤はそこをていねいに読んでやった。
「ケイってなに」
加藤はそれをうまく説明できなかった。
「ケイっていう名前なんだよ、この人は」
「大人でケイちゃんなんて名前あるかしら」
いつの間にか階段の登り口まで、義郎を迎えに来ていたしまがいった。しまは、加藤の不在中にその挨拶状を読み、その余白に書かれたKに、やはり疑問を持っていたのである。
「加藤さん、そのKって人だれなの、男の人のような筆つきだけれど……園子って人の旦《だん》那《な》さんなの」
「まあ、そんなものだ」
加藤は狼狽《ろうばい》した。狼狽をかくすために、挨拶状をナッパ服のポケットに入れると、がたがたその辺をかきまわして、手拭《てぬぐい》と石鹸《せっけん》を持つと、
「風呂《ふろ》へ行って来る」
と廊下に出た。
しまは、その加藤のあわてぶりを黙って見ていた。
「加藤さん、いつもあなたはお風呂はごはんのあとよ」
しまはそういって階段をおりていった。
金川義助と園子が神戸を去る日の朝、しまは茶の間で新聞を読んでいる加藤にいった。
「加藤さんのところに来た挨拶状に書いてあった園子さんて方ね。ずっと前うちへ来た方でしょう。お上りなさいといったけれど上らずに玄関で帰ってしまった方……」
「そうです。それで?」
「いよいよ今日の午後六時ね」
しまはそれだけしかいわずに、思いつめたような眼で考えこんでいた。
加藤は、もしかするとしまが、あの挨拶状に書いてあったKを、金川義助と読みとったかもしれないと思った。しまは自分の夫の字を知っているはずである。加藤は、しまに問い詰められたら本当のことを答えねばならないと思った。しかし、しまは、それ以上の詮《せん》索《さく》らしいことはひとこともいわずに、加藤が食べ終った食器を持って、勝手へ引込んでいった。
加藤は会社が終ると、すぐタクシーに乗って神戸の埠《ふ》頭《とう》にいった。金川義助と園子はすでに乗船していた。見送り人が、デッキで、ふたりを取りかこんでいた。見るからに一癖ありそうな男や女たちだった。その中にたったひとりの異分子のように加藤は割りこんでいっ
た。
「加藤、長いこと世話になったな。もうこれで君には一生会えないかもしれない。おれは満州に骨を埋めるつもりだ」
金川義助は、満州に渡っていく者が例外なしに使う言葉を、臆面《おくめん》もなく使っていた。大勢の前だからしきりに虚勢を張って大きな声でしゃべったり笑ったりしている彼の肩のあたりに、見逃すことのできない生活のやつれが見えていた。
園子も一団の女にかこまれて昂奮《こうふん》していた。加藤が挨拶にいくと、
「送りに来て下さったの、ありがとう。加藤さんも元気でね」
笑顔でいった。感情のこもっていない、ただの挨拶だった。送りに来た大勢の人の中では、それ以上の言葉は、金川にしても園子にしても出なかったのである。
加藤は、ふたりを見送る人たちとやや離れたところで、黙って立っていた。
ドラが鳴った。見送り人は船をおりていった。船と埠頭を結ぶ、橋がはずされると、デッキから埠頭にいる見送り人を目がけてテープが盛んに投げられていった。
加藤は金川義助から投げられた黄色いテープを偶然のように受け止めた。テープは風の方向に弧を画《えが》いていた。
「おじちゃん、それ持たして」
加藤はびっくりしてふりかえった。義郎がそこに立っていた。
「坊やも来たのか、お母さんは」
加藤はふりかえった。しまが加藤のうしろに立っていた。
「さあ坊や、しっかりこれを持つのだ。はなしちゃあいけないよ」
そして、加藤はしまにいった。
「あなたもここへ来て、坊やのテープをうまくほどいてやって下さい」
船が出ていくにつれてテープは延びるから、それに合わせて、巻紙を繰り出してやらないと、切れてしまう。加藤はそのことをいったのだ。しまは無表情だった。返事もしなかった。怒りの凝結した眼で、デッキにいる金川義助と園子を見詰めていた。
金川義助の顔に、はっきりと混乱が起った。彼はテープで義郎と結ばれたその時に、生長したわが子をはっきり見たのである。彼は、妻子も捨てた。だが、いま彼とわが子とをつないでいるテープを切ることはできなかった。
船は徐々に岸壁を離れていった。万歳の歓声が上った。テープは延びていく。加藤は義郎の手に持っているテープをほどいてやった。テープにつながれた金川義助が義郎を見詰めていた。気のせいか金川義助の眼に涙が光っているようであった。金川義助は他の乗客のように、やたらに手を振っていなかった。誰《だれ》の眼にも、金川義助が、今は一本のテープにつながる男の子と最後の別れを惜しんでいるとしか見えなかった。
加藤は、金川義助の隣にいる園子を見た。彼女も、金川義助のおかしな態度に気がついているらしかったが、彼女はわざとそっちは見ず、彼女が、その埠頭に群がっている人たちの送別を一身に受け取るかのような大仰な態度で、熱狂的にハンカチを振り、なにか叫んでいた。
テープはつぎつぎと切れていったが、義郎の持ったテープは奇《き》蹟《せき》的に切れず残っていた。それが埠頭と大連丸をつなぐ最後のテープとなった。
大連丸は埠頭から充分に離れたところで汽笛を鳴らした。そして前進した。巨体が動くと波が立った。義郎の持っていた黄色いテープはその瞬間に切れて、波の上に落ちた。金川義助は切れたテープの端を持ったまま、呆《ぼう》然《ぜん》と立ち竦《すく》んでいた。突然彼が手すりにすがって前に倒れこむように膝《ひざ》をついた。だが、そこから船はまた方向を変えたので、金川義助のそのあとの姿勢は見えなくなった。
加藤は金川義助が号泣しているのだと思った。泣くだけの良心をまだ持っていた金川義助を思うと、加藤もまた泣けそうだった。
船が遠のくと、埠頭の人は逃げるように去っていった。あとに、加藤と坊やとしまとそれから宮村健が残った。四人は長いことそこに立っていた。
義郎は船に乗っていったおじちゃんは誰だとしまに訊《き》いていた。義郎につづけて何度もそれを聞かれると、しまは、せきを切ったように泣いた。義郎は、声を上げて泣く母の姿を不思議そうに見守っていた。
「あのおじちゃんは坊やの知らない人だ。このおじちゃんのおともだちなんだ」
加藤はこのおじちゃんと、自分自身をさした。
「さあ帰ろう坊や、なにか好きなものを買ってやろう」
加藤は義郎の手を引いて、宮村健の方へ近づいていった。
「やっぱり来たのだね」
宮村健はうなずいた。ひどく青い顔をしていた。もうそろそろ暑いといってもいいほどの陽気なのに、宮村健は寒そうな顔をしていた。眼がうるんでいた。加藤はあわてて、宮村健から眼をそむけると、
「とうとう行ってしまった」
といった。
ふりかえると、船は夕《ゆう》陽《ひ》を受けて金波に輝く洋上に、気ままに流れていく浮遊物のように小さく見えた。
「電報」という呼び声を聞いたとき、加藤ははっとした。彼のところに来た電報ではないかと思った。ちょうどその時、加藤は寝間着に着かえたところだった。加藤は反射的に部屋を出て、階段の上までいって下を見た。しまが電報配達夫から電報を受取っていた。しまが電報の文面にちょっと眼をやり、うしろを向きかけたとき加藤は、父の死を思った。
階段を登りつめたところに電灯が一つあるだけだったし、玄関の照明灯を背にしているから、しまがどんな顔をしているかわからなかったが、電報を持つしまの手が気のせいかふるえているように見えた。しまは階段の上にいる加藤の方に黙って電報をさし出したままでなにもいわなかった。
加藤は階段を駈《か》けおりていって、しまの手からひったくるように電報を取ると、玄関の電灯をたよりに読んだ。
「チチキトクスグカエレ」
兄からの電報だった。頭の中に針が一本打ちこまれたような気がした。眼の前が一瞬霞《かす》んだ。そして病床にいる父の顔が浮び上った。死んだ顔ではなく生きた顔だった。
「死んだのではないキトクだ、まだ生きている」
加藤はそういって、階段を駈け登って彼の部屋へ行くと、すぐまた階段を駈けおりて来て、そこにまだぼんやり立っているしまにいった。
「浜坂へすぐ帰る」
しまは、大きく頷《うなず》いた。浜坂へ帰ることはわかっているが、彼はいったい彼女になにを要求しているのであろうか、汽車の時間を確かめてくれというのか、夜汽車の弁当を用意してくれというのか、あとで会社へこのことを連絡してくれというのか、しまにはわからなかった。
加藤は青い顔をしていた。二キロも三キロも走ったあとのような呼吸の乱れ方だった。加藤は二階へあがると、そこに敷いてある布《ふ》団《とん》をたたみにかかった。布団なんか、どうだっていいのに、ひどくあわてふためいて、布団をたたむと、ばたばた階段をおりて外へ出ようとした。
「どこへ行くのです、加藤さん」
しまがいった。
「外山さんに知らせて来る。会社を休まねばならない」
「冗談じゃあないですよ、加藤さん、寝間着姿で……」
そういわれて加藤は部屋へ戻《もど》ると、いつも会社へ着ていくナッパ服を着た。
あわただしい気配に、隣室にいる下宿人の油谷が出て来た。彼はまだ寝てはいなかった。油谷は加藤が手に持っている電文を読むと、
「加藤さん、とにかく故郷へ帰る支度をするんです。まず背広を着る、ありったけの金をふところに入れる。ボストンバッグひとつぐらい手に持って、神戸の駅へタクシーでかけつけるのです。どの汽車が間に合うか駅へ行って聞けばいい」
油谷にそういわれて、加藤は、やっとわれにかえったようだった。加藤はナッパ服を脱ぎ背広に着がえた。そばで油谷がいちいち注意を与えていた。
「会社の方へは、明日ぼくから電話をかけて置く。チチキトクの電報が来たのだから、会社だってあなたの立場を了解してくれるでしょう。なにも心配することはない」
加藤は油谷のいうことにしきりに相槌《あいづち》を打っているだけで、言葉は発しなかった。空のボストンバッグを携《さ》げて、夜の町へとび出していくあとを油谷が追った。油谷がタクシーを止めて、加藤を押しこむように乗せた。タクシーに乗って、彼ははじめて時計を見た。十時を十分すぎていた。加藤はきちんと十時に寝ることにしていたから、電報が来たのは、おそらく、十時一分か二分であった。ずい分あわてていたようだったが、電報を受取って八分後には下宿を飛び出して来たのである。早業《はやわざ》だったが、彼には、その間が一時間にも二時間にも思われてならなかった。
汽車の時間がうまくいったとしても、浜坂へつくのは明朝である。とにかく、行けるところまで今夜中に行っておこうと決心すると、やや気持は落ちついた。
夜汽車は憂鬱《ゆううつ》だった。
深夜の山陰本線は煙になやまされて眠れなかった。汽車がトンネルに入ると煙は窓の隙《すき》間《ま》から入って来て、客室に立ちこめる。汽車がトンネルを出ると乗客はいっせいに窓を開けて空気を入れ替えようとするのだが、煙が抜け切らないうちに、またトンネルに入るのであ
る。
加藤は窓を閉めたまま、父のことを考えつづけていた。ずっと病床についている父に、いったい自分はなにをしてやれたのだろうかと思うと気が重くなった。
(文太郎が嫁を貰《もら》うまでは死ねない)
といいつづけていた父が、文太郎と花子の結婚式も待たずに死んでいったとすれば、よほど自分は不孝者である。
加藤は時々電報を出してひろげた。チチキトク――それは従来の常識によると、死んだと同じ意味であった。キトクの電報を受取ったとき相手は死んだと解して大きな間違いはなかった。だが加藤は、その電報が例外であって欲しいと思っていた。進行方向の右側に時々海が見えた。月のない夜だったが、黒い海の向うに水平線が見えると、加藤は重苦しいほど暗い夜の中に、いよいよさけられない人生の区切点へ近づいていくような不安を感じた。
浜坂は山と海とに朝日を分断して文太郎を待っていた。新緑の山々は山雲と濃い霧におおわれているのに、海は朝日のもとに明るく輝いていた。
加藤はその海が美しいと思った。もし父の死が今朝であったら、生涯《しょうがい》を海にかけた父の死にふさわしい朝だと思った。涙が加藤の頬《ほお》を伝わった。
花子がプラットフォームに立っていた。
加藤は花子が出迎えてくれていることを期待していなかった。もしその時、朝日が花子にさしかかって来なかったならば、加藤は、うつむいて立っている花子を見逃したかも知れなかった。雲の間から一条の光の束が、プラットフォームに立っている花子に投げかけられた。それはちょうど舞台の上に現われた主演女優に向って、照明灯がそそがれたような効果があった。紫地にうす桃色の小花を散らせた、しののめ縮緬《ちりめん》の単衣《ひとえ》の着物を着た花子の姿がプラットフォームに浮び上った。加藤は足を止めた。花子と視線があった。加藤の顔が紅潮した。胸が鳴った。彼は、花子に対して微笑を用意した。だが花子の顔はあまりにも、もの淋《さび》しかった。悲痛に満ちた顔であった。気のせいか、彼女の眼はうるんでいた。毛先を内《うち》捲《ま》きに軽くカールした髪が肩のあたりでゆれていた。泣いているようにさえ見えた。
加藤はそのとき、はっきりと父の死を見た。父は間違いなく死んだのだと思った。花子がそれを知らせに来てくれたのだと思った。
加藤は花子の方へ真《まっ》直《す》ぐ歩いていって、ぴょこんと頭をさげた。花子が小さな声でなにかいったが、加藤にはよく聞き取れなかった。
「父は亡《な》くなったのですね」
加藤は、花子の大きなうるんだ眼にいった。
「はい……」
花子はハンカチを出して眼に当てた。
二人は肩を並べて、浜坂の町を歩いていった。加藤は片手に携げている、からっぽのボストンバッグのむなしさが、そのままいまの自分の気持だと思った。なんでこんなものを携げて来たのだろうかと思った。捨てたくなった。
「父は最《さい》期《ご》になにかいいましたか」
「はい――」
けれど、花子は父が最期になにをいったかはとうとういわなかった。いえないようだった。
加藤と花子とふたりだけで、浜坂の町を歩いたのははじめてだった。加藤は父の生前中にこういう姿をなぜ父に見せてやらなかったかを悔いた。そのつもりで浜坂へ帰ってくればいいのに、それをしなかったのは花子よりも、山の方により以上の魅力を感じていたからであろうか。
海から吹いて来る風が、路地を通り抜け、家並みを廻《まわ》りこみ、そして、ふたりにまつわりついた。加藤は、花子の移り香を嗅《か》いだ。さっきプラットフォームで花子を見たときの胸のときめきが、その匂《にお》いとともにまた加藤を戸惑わせた。加藤は、一歩ほどおくれてついて来る花子の顔を見たかったが、ふりかえって話しかけることが恥ずかしくてできなかった。二人はほとんど固定した距離を置いて加藤の生家へ歩いていった。
花子と歩いていると父を失ったという悲しみが、どこかにかくれて、美しい娘と歩いているという実感のみが加藤をとらえた。加藤は身体中がむずかゆいほど、花子の傍《そば》にいることを意識した。花子が比較的落ちついた顔でついて来るのが不思議でならなかった。加藤は、花子と歩いていて、ふと父の死から遠のくことが、父に悪いことをしているのだとは思いたくなかった。胸をしめつけるようにせまって来る、花子に対する愛《いと》しみの感情が、なぜこれほど強烈に湧《わ》いて来るのか、それは加藤に今まで一度もなかった心の動きであった。
加藤の生家の格《こう》子《し》戸《ど》が見えるところまで来ると、
「ではここで失礼します」
花子がいった。加藤はずっと彼女と一緒にいたかったのだが考えてみると、花子と彼はまだ他人だった。花子の家と加藤の家は、今のところ、縁戚《えんせき》関係はなかった。
加藤は、花子の姿が見えなくなるまで見送ってから、生家の門をくぐった。
加藤が考えていたほど悲《ひ》愴感《そうかん》はなかった。近所の人達《ひとたち》や親戚の者が、あわただしく出入りしていた。葬儀という当り前の行事の準備中だったのである。加藤の家族は、父の遺《い》骸《がい》の置かれている奥の間に坐《すわ》っていた。
父の死に顔は安らかであった。
加藤が合掌をおわると、兄が、父の顔に白布をかぶせた。
「一昨日あたりから、妙なことをいい出してな」
兄が話しだした。
「文太郎の祝言《しゅうげん》をすぐやってくれ」
病床の父は廻らぬ舌でそういった。そんなことをいったって、向う様には向う様の都合もあるし、文太郎の方にだって都合があるだろうと兄がいっても、父は聞かなかった。
「おれはあと三日は生きられない。だから生きているうちに文太郎と花子の祝言姿を見たい」
兄は困り果てて伯母を呼んだ。伯母はいつもと様子が変だから、花子さんだけでも呼んで、会わせて見ようか、そうすれば気が晴れるかも知れないと兄にいった。
花子が病床に呼ばれたのは昨日の昼過ぎだった。
「花子さん、文太郎のことをお願いします。山ばっかり行ってしょうがない文太郎をあなたの力で、人並みの人間にしてやってください」
文太郎の父はもつれる舌で同じことをなんべんもいった。舌はもつれているが、眼は生きていた。花子にすがりつくような眼であった。最後に花子に手を合わせて、
「文太郎のことをお願いします」
悲痛だった。異常な雰《ふん》囲気《いき》だったので伯母が心配して、父の傍に寄ってなにかいおうとしたとき父は眼をつぶった。
「それきり眠ったままだった。息を引きとったのは、昨夜《ゆうべ》の九時ごろだ」
兄は文太郎に語ると、新しいローソクに火をつけた。
加藤は父が死ぬ間《ま》際《ぎわ》に、文太郎を人並みの人間にしてくれと花子にたのんだという話を頭の中で反芻《はんすう》していた。父のいうとおりだった。山に執着している自分はたしかに人並みではないかもしれない。人並みの人間になれということは、山をやめろということである。
加藤は花子が、その父の遺言をどのような形で加藤に押しつけて来ようとも、それだけはむずかしいだろうと思った。山を除いたら、自分はない。なぜそうなのか加藤にはわからない。だが山以上に彼を引きつけるなにかが、花子との結婚によって生ずる以外、父が願っている人並みの人間になることはあり得ないと思った。
「お前、花子さんに会ったか」
兄がいった。加藤はうなずいた。加藤は、そのときしきりに、花子とふたりだけで山について語り合ってみたいと思っていた。
父の葬儀が済んで会社へ出勤すると、課長の影村が加藤を待っていた。
「黙って休んでは困るじゃあないか」
それが影村課長の第一声だった。
「同じ下宿の油谷さんから電話でお願いしたはずですが」
「電話はあったよ。だが君からのたよりはなにひとつとしてなかったぞ。葬儀が何日で、幾日間休暇をもらいたいなどということはいっては来ない。チチキトクという電報を持って帰郷したままだから、君のお父さんが死んだかどうかもわからない。まさか死んだかとも聞けない、勿論《もちろん》葬儀の日程を問合せるわけにもいかない――」
加藤は頭をさげた。そういえば、たしかにそうだった。故郷に帰ったまま会社には、なにも通知をしてなかった。
しかし、と加藤は考える。こっちは父の死で頭が動顛《どうてん》していて、会社へ父死去の電報を打つ智恵《ちえ》は出ない。もし影村に部下を思う気が少しでもあったら、その後の御父君の容態いかがぐらいの電報を寄こしてもいいじゃあないか。だが加藤は、そんなことをふと思っただけで口には出さなかった。こういうところが父のいう人並みでないところかも知れない。
「え、どうなんだ加藤君」
影村がいった。
「すみませんでした」
「おれは謝ってくれといっているのではない。君のお父さんはほんとうに死んだかどうかと聞いているのだ」
「ほんとうに死んだかどうかですって?」
「そうだ。チチキトクという電報が来たといって山へ行く手もあるからな」
「私は父の死をだしに使って山へ行くほど心の腐った人間ではありません」
「それならなぜ黙って故郷へ帰ったのだ。日《ひ》頃《ごろ》が日頃だから、そう考えられてもしょうがないだろう」
加藤は抗議の余地がなかった。明らかに、影村の言葉は、いいがかりであり、悪意に満ち満ちたものであった。それにしても課の中で、ひとりとして、加藤の肩を持とうとする者がなく、影村と加藤とのやり取りを知らん顔をして聞いている彼《かれ》等《ら》の顔を見ていると、課全体が加藤にそっぽをむき、加藤の行動に批判の眼を送っているように思われてならなかった。
加藤は孤独を味わった。課員とは仕事以外なんの交際もない。氷水を一緒に飲もうといったって彼だけは仲間に入らなかった。会社の帰りにいっぱいやろうというつき合いもしなかった。
そして彼は黙々として働き、仕事の上では実績を上げていた。
「わかったら、今からでもいいから休暇願の届けを出すがいい」
加藤は返すことばがなかった。
彼は下宿に帰っていろいろ考えた。いろいろ考えても、究極は、彼が人並みでないというところに問題があった。人並みになるには山を捨てることで、彼のたったひとつの秘密、ヒマラヤ貯金さえも断念しなければならなかった。
その夜、彼は外山三郎のところへ訪ねていって、そのなやみをうったえた。
「今さら、なにをいうのだ加藤、きみのお父さんはきみが人並みではないといっているのではない。より以上人間として進歩してくれと願っているのだ。きみは今のきみのままでいいのだ。なにもいまさら生活態度をかえることはない。加藤は加藤らしい生き方をすればいい。きみは少しは変っているさ、きみのようにいろいろと変った考え方を持った人が集まってこそ会社は成り立っていくのだ」
外山三郎はそこで話題をかえて、加藤の結婚話に持っていった。
「きみが花子さんと結婚して、どう変るかが見ものだな」
「変りませんよ。誰《だれ》がなんといったってぼくは山をやめません」
加藤は外山の前で花子さんというのは恥ずかしいから、誰がなんといったってと廻りくどいことをいった。
「花子さんというひとは、たいへん利口なひとのようだから、きみに山をやめてくれなどとはけっしていわないだろう。今までどおり、どうぞ山へお出掛け下さいなどともいわない。花子さんは黙っている。黙っていても、きみは自然に山から遠ざかっていく――」
外山三郎は予言者のような口をきいた。
加藤は外山三郎の家を出るとき、庭園灯の下に咲いている白と赤のアマリリスのひと群れに眼をやった。
ずっと前、園子がこの家にいたころ、やはり、庭にアマリリスが咲いていた。加藤は、満州へ行った園子と金川義助のことを思った。園子が頭に浮ぶと、その後、宮村健がどうしているのか気になった。
加藤は部屋の中を見廻した。押入れに古新聞紙が二枚ほど残っていた。それを丸めて屑《くず》籠《かご》に入れると、あとにはもうなにもなかった。加藤は、ゆっくり二階からおりて来て、階下の奥の部屋にいる多幡新吉とてつ婆《ばあ》さんに挨《あい》拶《さつ》した。新吉はほとんど寝たっきりだったし、てつ婆さんは新吉の世話をするのがやっとで、下宿人の方は、金川しまに任せっきりにしていた。
「長い間お世話になりました」
と加藤がいうと、新吉は頭をさげながら、聞えるか聞えないほどの声でなにかいった。てつ婆さんは、孫娘が死んで以来やたらに涙っぽくなっていて、加藤がこの下宿を出るというだけでもう泣いていた。
「加藤さんにはいつまでも居てもらいたいのですが奥さんをおもらいになって一軒持つには、うちの二階では不便でしょうねえ」
てつ婆さんは皮肉にも聞えるようなことをいった。
金川しまは、出て行く加藤になにかひとことふたこといいたそうな素振りだった。なにかいおうとするとき、しきりに後《おく》れ髪《がみ》をかき上げるしまの癖を知っている加藤は、大きな眼を開いて加藤を見上げている坊やの頭を撫《な》でながら、
「しまさん、坊やをつれて遊びに来て下さい」
といってやった。
「加藤さん、なにかあったらまたお世話になることと思いますが、よろしく願います」
しまは丁寧に頭を下げた。
なにかあったらというのは金川義助のことをいっているのだな、と加藤は思った。
「結局、金川はあなたのところへ帰って来ますよ。坊やがいる以上、それはもうわかり切った運命のようなものです」
いつもむっつりしていて、ろくろく口を利《き》かない加藤とすれば、それは最上級のお世辞だった。
「あてにしてはいませんわ、ただ坊やのことが――」
しまはそれ以上ものがいえなかった。父親のいないその子が、小父《おじ》ちゃん、小父ちゃんとしたっている加藤がいなくなったあとのことや、やがてその子が大きくなって、金川義助のことをいろいろと知りたがるようになったころのことを、しまが心配していることは明らかだった。
「坊やいい子でいろよ」
加藤は坊やの頭を撫でると、あがりがまちに坐って山靴《やまぐつ》をはいた。山支度をしたまま下宿を出て、荷物と一緒に、池田広町の新居へ行って、そこからすぐ山へ行くつもりだった。
引越し用の、小型トラックが外で待っていた。加藤がトラックの助手席へ乗りこもうとするところへ、二階にいる油谷が外出先から帰って来た。
「加藤さん、いよいよスイートホームへ滑り込みっていうわけですね。うらやましいですな」
油谷は加藤と引越し用の小型トラックとを見比べながらいった。スイートホームに入るにしては、荷物が少なすぎるなといった顔だった。そういう挨拶に対して加藤は、例によって例のとおりの微笑とも苦笑ともつかない笑いを浮べただけだった。
「ぼくも結婚したいですよ。だが今の月給じゃね。それに、今年は東北の飢《き》饉《きん》でしょう。うちへ金を送ってやらないと、親兄弟が、餓死してしまいますよ。台風(室《むろ》戸《と》台風)が来る、大火(函館《はこだて》)がある、三年つづきの飢饉――こういうことのつづいたあとはなにが起ると思いますか、戦争ですよ加藤さん、政府は苦しまぎれの末、国民の眼を外へ向けようとするのです」
油谷は、そこまでいうといい過ぎたかなといったふうな顔で、あたりを見廻して、
「とにかく元気で、生きられるだけ、生き延びましょう」
生きられるだけ生き延びようと油谷がいうのは、死を前提としての言葉であった。戦争はすでに大陸で始まっていた。戦争が拡大の一《いっ》途《と》をたどっていくことはもはや疑いのないことであり、間もなく大規模の徴兵が始まるだろうという噂《うわさ》もまことしやかに伝わっていた。
加藤は助手台へ乗り込む前に、もう一度下宿をふりかえった。二階の彼の部屋の窓が開いたままだった。窓の下に貸間の札がぶらさがっていた。大正十四年の四月に越して来たときもたしかこんなふうだった。加藤はふと、この下宿へ引越して来たような錯覚に陥る。
加藤は、十年間彼の住居《すみか》だった彼の部屋に向って手を上げた。そして、送りに出てくれた人たちに会釈《えしゃく》して、助手台に乗った。
「でっかい戦争が始まるってほんとうですか」
トラックの運転手がいった。
「さあわからないね」
「始まるなら、始まったっていいから、はやいところ願いたいものだ。このままじゃあ、なにか窒息しそうでやり切れない」
運転手はやけに警笛を鳴らした。
加藤の新居は、今までの下宿からそう遠いところではなかった。わざわざ小型トラックを頼むほどのことはなく、リヤカーかなにかで運んでもよさそうなところだったが、加藤が小型トラックを頼んだのは、引越しは綺《き》麗《れい》さっぱり一度にしてしまいたいという気があったからである。
新居は池田広町の長田神社の前にあった。外山三郎が探してくれた家であった。南向きに小さい庭があって、家は古いけれど、こぢんまりして、いかにも新婚夫婦にふさわしいおもむきのある家だった。
すぐ裏に家主がいて、加藤が引越して来るというので、家を開け放して中を掃除してあった。
加藤はトラックの運転手に手伝わせて荷物を運びこむと靴を脱いであがった。広すぎるなと思った。四畳半に六畳、それに四畳半ぐらいの応接間が玄関脇《わき》についていた。風呂場《ふろば》もあった。広いな、広いなと思いながら、自分ひとりではなく、そこに花子も来るのだと思うと苦笑した。彼が持って来た荷物は応接間へ運びこんだ。どこへどう置くかは花子に相談して決めようと思った。そう考えたとき、加藤はもうひとりではなかった。
彼は新居をぐるぐると歩き廻った。裏がえしたばかりの畳の匂《にお》いが新鮮だった。
彼は家の中をひとまわりしてから、雨戸を閉めた。山靴をはき、大きなルックザックを背負い、スキーを担《かつ》ぐと、家主のところに挨拶にいった。
「おや加藤さん、結婚式は延びたのですか」
家主の奥さんがいった。
「いいえ、予定どおりにやります」
「予定どおりに?」
それではなぜ山支度をしていくのかという顔に、
「山の帰りに結婚式をすませて来ます」
「まあ、まあ」
家主のおかみさんはあきれてものがいえないといった顔をした。そのいい方は、山が主題で結婚式が副題のように聞えたからであった。
加藤は独身における最後の冬山登山行を特に意義づけようとは考えていなかった。十二月末から正月にかけての十日間の冬山行は、ここ数年来の行事であった。天気の如何《いかん》にかかわらず、休んだことはなかった。一年のうちで、この十日間ほど楽しいときはなかった。これほど充実した人生を味わえるときもなかった。十日先に花子との結婚式を控えていたとしても、彼の冬山登山行を中止するわけにはいかなかった。
昭和十年一月二日、加藤は立山山麓《さんろく》の弘法《こうぼう》小屋に泊っていた。外は吹雪であった。昭和五年の同じ日にこの小屋で六人のパーティーと泊ったことがあった。その六人は剣沢小屋で雪崩《なだれ》に会って全員死んだ。加藤は、彼等六人が、その夜、この小屋のどこに座をしめてどんな話をしたかはっきりと覚えていた。六人のあとを追従しようとして、嫌《きら》われに嫌われたこともきのうのことのような気がした。
その六人の死が、加藤を徹底的な単独行に追い立てたのだという人があっても、加藤はそれを、否定も肯定もしなかった。加藤は終日吹雪の音を聞きながら追憶にふけっていた。
山ばっかり行っている文太郎を人並みの人間にしてくれと、花子に遺言して死んでいった父のことを思うと、彼が山が好きだということが、彼の周囲の者に異常な心配をかけていることになり、それが父のいうところの人並みでない人間としての評価を与えられるのではないかと思った。外山三郎は気にするなといっても、世間一般では、加藤のことを人並みでない人間としていることは間違いなかった。
人並みでないといわれても、山から離れることはできない自分を、加藤はいままで何回となく見直したものであった。
なぜ山にそれほど牽《ひ》かれるのか、山があるから山へ行くのだといったような逃げ口上では済まされないものがそこにある。
加藤はそれまで山に行くたびに、なんとなく何故《なぜ》山へ登るかについての理屈をつけていた。かつて彼は、汗を流すために山へ登るのだと、ほんとうに考えたことがあった。汗とともに、彼の体内の、むしろ精神的内面にいたるまでのあらゆる毒素が放出されたあとの爽快《そうかい》味《み》を満喫するために山へ登るのだと思ったことがあった。それは単純な考え方だったけれど、当を得たものであった。山から帰って来たときには、会社内での面白《おもしろ》くないことは、ある程度忘れていた。身体《からだ》がなんとなく軽く、身体中の細胞がすべて生れ変ったようなあの気持は山以外では得られないものだった。そのつぎに加藤がなぜ山へ行くかについて彼自身に答えたものは、
(人間は困難な立場に追込まれれば、追込まれるほど生長する)
その困難な場を山に求めているのではないかということであった。その考え方は、苦行によって悟りを開こうとするバラモン教の僧と一部通ずるものがあったが、彼は、その行動を苦行だとは思っていなかった。自らの身体に鞭《むち》を当てて苦しめることではなく、むしろ、自分の身を可愛《かわい》がりながら、より困難なものへ攀《よ》じ登っていく姿を見つめていたかった。
彼は過去十年の山歴を考えた。数限りなく困難な場に遭遇して、その度に、その壁をぶち破って、登山家として生長し、技術者としても生長して来たつもりでいた。だが、その生長の方法は、あまりにも孤独であり過ぎた。加藤の生長を生長と認めている者はごく少数でしかなかった。
(単独行の加藤文太郎)
という名称は今や岳界においては特異な存在として承認されている。だが、それは加藤の生長を認めたものでも、彼の人格を称《たた》えるものでもなく、飽くまで「変り者」という評価でしかなかった。
会社においても、彼は設計面で次々と新しいアイディアを生かした。完全霧化促進を狙《ねら》って彼が設計した新しいノッズル方式は、小型ディーゼルエンジンに一種の革命をもたらした。だが、それは会社の利益に直結しただけであって、彼の生長と認める者は、ごく少数の人でしかなかった。彼は会社においても、「変り者」であった。
加藤は吹雪の音を聞きながら、
(山という困難なる場に人間の生長を求めつつあった)
と少なくとも二、三年間は考えていた自分が、やはり変り者だったのではないかと考えた。
(それではなぜ山へ登るのだ)
加藤は自問自答には馴《な》れていた。山へなぜ登るかの自問自答を、雪洞《せつどう》の中で一晩やったこともあった。
(いささか逆説的ではあるが、おれが山へ来なくなったとしたら、おれを山から引きはなした者があったとしたら、そいつこそ山の変身だと考えればいい)
(つまり、山以上に君を引きつけるものがあったら、それを山と同一視してもいいのだな。仕事はどうだ。たとえば、神港造船に内燃機関設計部第四課ができて、君がその課長に就任したらどうだ)
(多分、山はやめないだろう)
(では聞くが、花子さんと結婚しても山は相変らずやるか)
(おそらく山はやめないだろう)
(もしきみが山をやめたとしたら、花子さんすなわち山と認めていいのか)
(認めていいだろうな、花子さんと結婚して、おれが山をやめたとしたら、なぜ山へ登るかの回答を花子さんが持って嫁に来たことになる)
粉雪が、小屋の壁をこする音が断続的になり、やがて遠のいた。
加藤は外に出て見た。寒い星空の下に雪原は無限にも見えるほど遠くつづいていた。山の陰影は見えたが、その形はさだかではなかった。
一度は晴れた空も、明け方になるとまたふぶき出した。このあたりの冬山の天気は変りやすいのではなく、連続して悪いのである。はれることが稀《まれ》であって、ふぶいているのが常識なのである。
午後になって、吹雪はひといきついた。太陽が久しぶりに雲の間から姿を見せた。
加藤は身仕度を整えるとスキーを穿《は》いて、雪の中へ出ていった。彼の前に広く、遠く続く白い斜面がやがて立山連峰に行きつくあたりになると雲があった。山は雲の中にあった。
スキーのシールはよく効いた。面白いように足がすいっすいっと前に出ていった。歩き出すと彼は、天狗平《てんぐだいら》の小屋のことだけを考えた。天狗平までは五時間はかかると思った。五時間の間に霧が出ることも考えられた。この広い雪原で霧に巻かれたら、どうしようもなかった。彼はシュプールの跡を、なるべく真直ぐにするように心がけていた。いよいよ駄目《だめ》だとわかったときにはシュプールの跡を追って引き返すのだ。付近の地形もよく観望していた。雪眼鏡を取ったりはずしたりした。霧が出たときの用意のためであった。地図の位置と、彼の歩行の速度もたしかめて置いた。霧が出たとして、地図と磁石と時計があれば霧中行進の自信があった。ときどき彼は、眼をつぶって、歩数を数えながら、天狗平小屋に向って行進した。相当歩いてふりかえって見ると、彼のシュプールの跡は目標に対してかなり左の方へ曲っていた。
(霧が出たとしたら、面倒のようだが、やはり磁石を使って、用心深く、目標に近よらねばならない)
彼は霧が出ることをけっして期待してはいなかった。できることなら、霧が出ないうちに、天狗平の小屋まで行きたかった。
霧は天狗平の台地がはっきりと見えるころになってからやって来た。そこまで来ていたが、彼は、立山連峰から滑るようにおりて来る霧が、天狗平を包みかくす前に、天狗平小屋の方向にはっきりと一条のシュプールをつけた。消えないように、何度か往復して踏みかためた。霧がいかに深くなっても、そのシュプールの延長方向に天狗平小屋はあるのだ。やがて彼の周囲を霧が取りかこんで、彼をめくらにすると、彼は、物《もの》憂《う》い顔つきで、地図を出し、彼が足下に記した一条の基線の延長の霧の中に目標を求めた。目標がきまると、一、二、三と口で歩数を数えながら前進していき、その地点に達すると、シュプールの延長方向と合っているかを磁石で確かめてから歩数を数えた。
地図上に鉛筆で彼の足跡が少しずつ延長されていった。彼はこの単純な霧中行進をつづけながら、吹雪の中では、おそらくこんなことはできないだろうと思った。事実吹雪の中でやったことはなかった。だから、今、にわかに暴風雪になったとしたら、シュプールをたどって急いで引返すほかはないのだと思った。
尾根は吹雪になっても、尾根という一つの筋道があるし、尾根の地形の一つひとつをよく知っていれば、ある程度前進できたが、目標のない広い雪原は海と同じように、地図と磁石と歩行距離にたよる以外に進む方法はなかった。
彼はこういうとき単独行であるということをつよく意識した。ひとりだから慎重になれるのだと思った。複数のパーティーがこういう場合、道を失うのは、おたがいに誰《だれ》かをたよっていて、絶対的な責任者の所在が不明確になるからだと思った。
彼の霧中行進も、それが、システマティックにくり返されるようになると、速度を増し、一般的な手探り的逡巡《しゅんじゅん》行進よりもはるかに速く着実に前進していった。
彼は足下の傾斜具合で天狗平の台地にかかったことを知った。小屋はまもなく霧の中に見えて来るだろうと思った。
霧の中に人の声が聞えた。
「ひどい霧だな、こんな霧の中に入ったら出られっこないぞ」
「まず、こういう霧の中を登って来る者はいないだろうな、いたとしたら、そいつはよほどのバカか生命《いのち》知らずだ」
二人の話し声はそれで切れて、霧の中で尿《しと》する音が聞えた。
天狗平の小屋の煙突が見えた。煙突の先とその上方数メートルの空間の霧の中に穴があいていた。煙突の煙は戸惑ったように霧の中に溶けこんでいた。
一月三日 快晴、七・〇〇天狗平の小屋 一〇・〇〇立山最高点 午後三・〇〇ザラ峠 午後五・三〇刈安峠 午後九・〇〇平《たいら》の日電小屋
一月四日 雪、平の日電小屋滞在
一月五日 小雪後晴、九・〇〇平の日電小屋 午後五・三〇針の木峠の小屋
加藤は山日記を閉じた。こまかいことはいま書かないでもいい、山をおりて、汽車の中で、道中のことを思い出しながらゆっくり書けばいい。彼の懐中電灯を針の木小屋の隅々《すみずみ》にまで当てる。針の木小屋の中には雪がうず高くつもっていた。天井に光を当てると梁《はり》の上に薦包《こもづつ》みの布《ふ》団《とん》が置いてある。無人山小屋はどこへ行っても布団はこうしてある。燃料も食糧もないようであった。
加藤は梁へ登って、布団をおろそうかと思った。おろしてもいいが、使ったあとでもとどおりの薦包みにして、縄《なわ》でしばって吊《つ》り上げることは、なかなかできそうには思えなかった。そうかといって布団を使って、そのままにして置けば、布団は一冬で使えなくなるだろう。そんな無責任なことはできなかった。
加藤は、小屋の中でそのまま眠ることにした。床の上の雪をかきのけて、小屋の隅にあったござを敷くとそこは立派な座敷になった。彼はその上に靴《くつ》を脱いで上った。湯を沸かして、二つかみほどの甘納豆を入れた。ゆであずきができ上るまでの間、彼は乾《ほ》し小魚をポケットから出してぼりぼり噛《か》んだ。彼は夕食を終ると、そのコッフェルで湯を沸かして、魔《ま》法瓶《ほうびん》に入れた。明日の朝、天気の具合で、至急、出発しなければならないときは、魔法瓶の湯で朝食をすませるつもりだった。冬の日は短いから、食事に時間を長くかけてはおられなかった。いっさいが終ると、彼はルックザックの中へ足を入れ、尻《しり》の下には樺太犬《からふとけん》の毛皮で作った敷皮を敷いた。そして彼はありとあらゆる防寒具を身につけて、最後に頭からすっぽりと合羽をかぶった。身体をできるだけ丸くして、深呼吸していると、眠気が全身を襲って来る。
彼は眠りにつくまでの間、彼が歩いて来た道を静かに回顧する。一月三日の朝、立山の頂上に立った時の風は強かった。とても長く立ってはおられないほど寒かった。立山から竜王岳《りゅうおうだけ》を経てザラ峠への起伏の多い尾根通しをスキーを背負っての三時間半は快適であった。五色ヶ原の小屋からスキーをはいた。
平の日電小屋を夜九時過ぎに探し当てるまでは苦しかった。一月四日は単調な一日だった。平の日電小屋のこの一日の休養があったからこそ、今日の針の木までの遠くけわしい道が成功したのだ。彼は針の木への急峻《きゅうしゅん》なラッセルを思い返していた。彼のいうことをよく聞いてくれたスキーは小屋の隅に立てかけてある。
(明日は大町へ下る。そして、浜坂の結婚式場へ)
加藤はそこまで考えてはっとした。
結婚ということが、同時に山と縁を切ることになりはしないだろうか。そのことが、恐怖という形態でない怖《おそ》れとなって彼に迫って来る。
(もし結婚を頂点として山から遠ざかるとすれば、こんどの山行はその最後となるのだ)
そう考えると、明日一日の山行がたいへん重大なことのように思われた。
結婚と同時に山をやめるなどということは、考えたこともなかった。花子の手紙の中にも、彼の登山についての批判がましいことはなにもなかった。しかし花子が山に関して沈黙を守っていることが加藤に取ってはかえって重荷でもあった。結婚生活と山行とがもし両立できなかったとしたら――そういうことはあり得ないことだが、もし仮にそうだとしたら。
加藤は完全に眼を覚ました。寒いからではなく、結婚というものを眼の前にひかえての一種の昂奮《こうふん》であった。山と結婚との両方を考えるから眠れないのだと彼は思った。加藤は六月末に帰郷したとき、浜坂のプラットフォームで会った花子のことを思い浮べようとした。紫地に小花をちらした、しののめ縮緬《ちりめん》の着物を着ていた花子は、もう少女ではなかった。美しく完成した女性であった。その美しいものが独占できることがなにか矛盾だらけのような気がした。幸福だと思った。あの美しい花子を、彼の胸の中に抱きしめることは、ヒマラヤ以上にすばらしいことのような気がした。
翌朝、彼は六時に眼を覚ました。快晴だった。天気悪化の兆候はどこにも見えなかった。外気に触れると加藤は、結婚のことも花子のことも忘れた。これから真直ぐ大町へ下山するのはおしいような気がした。ここまで来たついでにスバリ岳まで往復して来ようと思った。
彼はスバリ岳へ続く尾根道へ眼をやった。気のせいか最近誰か人が通ったようなにおいがする。飛雪で足跡はかくされているが、加藤にはそう思われた。そっちへおりていって確かめると、踏み跡らしきものが確かにあった。数日前のもののような気がした。最近誰か人がここへ来たかもしれないと思った。小屋の内部に、それらしい跡がいくつか残っていたことと思い合せて見た。数日来の吹雪で、小屋の隙《すき》間《ま》から吹きこんだ雪が、中をきれいにしてしまったけれど、黒《くろ》部《べ》側の南の窓から入ったとき、そこの吹きだまりの雪がかきのけてあったことから見ても、数日前に誰かがここへ来たことが想像された。その男がもしこの小屋へ泊ったとしたら、加藤と同じように、小屋の梁の上にある布団は使わず、小屋の中で寒いビバークをしたことになる。
(この真冬に単独行でここへやって来る登山者がおれ以外にもいるのだろうか)
そう思って、直《す》ぐ加藤は、平の日電小屋の社宅の人が、数日前にひとりの登山者が針の木峠の方からおりて来たという話をしたのを思い出した。
「なにも単独行がおれの専売特許でもあるまいし」
加藤はそうつぶやきながら出発の用意をした。日が出ると風が出た。風に吹きとばされて夏道の出ているところはよかったが、ふきだまりに入りこむと泳がねばならなかった。だが総じて尾根伝いの道は歩きよかった。雪《せっ》庇《ぴ》の危険から迂《う》回《かい》するのも困難ではなかった。
スバリという山は、山らしいピークではなかった。尾根の出っぱりだといえば、それでもすみそうな山だったが、やはりスバリ岳と名がついているだけあって、頂上にはいくつかのケルンがあった。
加藤はポケットから名刺を出して、こごえる手に鉛筆を持って、年月日を記入した。加藤が山行記録を発表すると、冬の真最中に、あんな人間業《わざ》とも思えない速さで歩けるはずはない。あれは加藤の嘘《うそ》である、創作登山行だなどという悪意に満ちた中傷が口から口へ伝えられるばかりでなく、山岳会誌に書く者さえいた。嘘つきだといわれても、それを証明するなにものも加藤にはなかった。だから加藤は厳寒の単独行中は、無理をしても要所要所へは名刺を入れて置くことにした。写真は嫌《きら》いだったが写真もつとめて撮ることにした。
加藤は名刺を二つに折って、ケルンの石の間にさしこもうとしたとき、すでにそこにさしこんである名刺を見た。同じようなことをする奴《やつ》もあるものだと、その名刺を引き出して見ると、それは宮村健《たけし》の名刺だった。
加藤はその名刺を加藤の名刺と重ね合せたままで考えていた。
宮村健が盛んに単独行をやっているというのは単なる噂《うわさ》ではなく、すでに、冬の針の木峠越えを計画するほどになっていたことは驚くべきことであった。しかも、シュラーフザックも持たず、小屋の布団もおろさず、着のみ着のままで雪の中に眠るところまで、加藤と同じだったとしたら――加藤はなにかくすぐったいものを感じた。
宮村健が全速力で加藤に追いつこうとしている姿がよく見えた。
(危ないことだ。単独行などということは危険この上もないことなのだ)
加藤は他人にはそういいたかった。単独行は決して他人にはすすめられないことだと思った。一年や二年でできることではなかった。長い間の、あらゆるチャンスを利用しての不断の努力があってできることなのだ。和《わ》田岬《だみさき》までの往復六キロの道を、毎日石の入ったルックザックを背負って通い、三日に一度ぐらいは下宿の庭でビバークし、食べ物に馴れ、寒さに馴れ、そのコースは夏の間に充分研究し、それでもなお、危険はあるのだ。
加藤は名刺を二枚重ねてケルンの石の間にはさみこむと、それまでになく不愉快な顔をして、針の木小屋へ引きかえしていった。
宮村健には、いうべきことはいわねばならないと思っていた。
第四章 山頂
加藤文太郎は列車の中でつぶやいた。
「結婚式は明日の午後三時からである。この汽車で行くと夜の八時に浜坂に着く。そうすると、まるまる半日は、ぼんやりと結婚式を待っていることになる」
そして、加藤は午後三時の結婚式までの半日間をどうして暮そうかと考えた。嫁と違って婿《むこ》には、なんの準備も用意も不要であった。
結婚式は生家ですることになっていた。田舎の結婚式だからさぞかし賑《にぎ》やかなことであろう。彼は生家の玄関を出たり入ったりする人のことを思い浮べた。いつもしまっている二階の窓が開け放されて、親戚《しんせき》の子供等《ら》が、格《こう》子戸《しど》にすがって、お嫁さんが来るよと叫んでいる姿が見えるような気がする。
加藤はその窓から、おおぜいの人にかこまれて兄嫁が、彼の家へ入って来るのを見ていたことを思い出した。たしか彼が、神港造船所の研修所に入る前の年だった。
兄嫁が敷居をまたいで家へ入ったのを見てから、彼は、なんとなくその眼《め》を前へ投げた。青空の下に観音山《かんのんやま》がそれまでに見たこともないように大きく美しく見えていた。秋のおわりころだった。忘れられないひとこまだった。
(そうだ観音山へ登ってみよう)
僅《わず》か二百数十メートルしかない山だったが、山には違いなかった。その観音山のいただきから生家へ向っておりていくのだ。
(お婿さんが山からおりて来たと人はいうだろう。いかにもおれらしいやり方ではないか)
加藤は香《か》住《すみ》で下車した。香住町は浜坂の三つとなりの町であった。翌日は、香住、鎧《よろい》、久谷と日本海ぞいの町を歩き抜けて、そして、和田、赤崎、田井の村を通って観音山へ登ろうと思った。ざっと道程を計算しても香住町から観音山までは二十五キロある。しかも雪の道であった。だが、加藤にとってはそのぐらいの道程はたいしたことはなかった。研修所時代には一日に百キロ歩いたことのある彼だった。速足の文太郎と異名を取った彼のことだった。常人の倍の速度で歩く彼に取っては、そのぐらいの距離はなんでもなかった。
彼は香住町の宿に泊るつもりはなかった。そこまで来て泊るくらいなら浜坂まで行ったほうがましだった。彼は、彼の独身の終止符を打つべき夜を野宿と決めた。
彼は懐中電灯をたよりに、日本海岸に出て、砂の浜辺を下浜まで歩いていった。空が曇っているので弁天島は見えず、日本海はただ黒く広く見えるばかりであった。
砂浜はかなり風が強くて寒かったが、ものかげに入ると暖かだった。海のかおりがなつかしかった。彼は、このなつかしい海のかおりを捨ててなぜ山に走ったのだろうかと思った。もし山に走らなかったら、自分は海へ向っただろうと思った。暗い海では波が歌いつづけていた。波頭が岩に当ってくだけて散るとき、わずかながら波の動きが見えた。
加藤は、浜に引きあげてある舟のかげで、眠る準備をした。舟のかげには雪があった。彼は、山で野宿をするときと同じように、着られるものは全部身につけ、ルックザックの中に靴《くつ》のまま足をつっこみ、頭から雨合《あまがっ》羽《ぱ》をかぶって海老《えび》のように背を丸くした。波の音が山の音に似て聞えた。波の音も、山の音も一定の周期があった。なぜ似ているのだろうかと考えているうちに眠くなった。
翌朝は、日本海沿岸のこのごろの天気としては、異常なほどよく晴れていた。空は真夏の空のように晴れあがり、燦々《さんさん》と太陽の光が降りそそいでいた。加藤の結婚の日を祝福するかのようであった。
「すばらしい天気だな」
彼はそうつぶやいて起き上って海に向って体操をして、甘納豆と乾《ほ》し小魚を食べて水を飲むと、こんな日に、観音山ひとつだけではもったいないと思った。彼は観音山へ登る前にもうひとつ山を稼《かせ》いでやろうと思った。彼は地図を開いた。
丸谷の北東方に檜《ひ》原《ばら》山(五五〇・七メートル)という山があった。彼の地図にはその山への赤い線が書いてなかった。経路に朱線を入れてないことは登ったことのない証拠であった。
「灯台もと暗しとはこういうことだ」
彼はしばらく地図と取り組んだ。檜原山へ登っても、午後の三時までには生家へ行きつける目算が立った。
だがしかし、彼の計画はいささか甘かった。檜原山は高度は低かったし雪もなかったが、登り道がなかった。道がなくても、雪が積っていれば、スキーで森林の間を行くという手があるけれど、その森林が、雑木林の密林であった。スキーで踏みこもうとしても踏みこみようがなかった。加藤は登り口をさがすために、檜原山の周囲を廻《まわ》らねばならなかった。海に面した方は松林だった。その松林と雑木林の境界に頂上へ続く道らしいものがあった。
加藤は檜原山の頂上に立った。頂上は樹林におおわれていたが、梢《こずえ》の間から冬の日本海が見えた。そこから見る日本海の海の色はみどりが勝った鮮やかな青色だった。生き生きと感じられた。同じ海でも神戸の海とは違って見えた。
加藤は檜原山をおりて、一度久谷に引き返すと、久谷川にそって少し西下し、すぐ方向を北に取って、和田村から赤崎村、田井村へと歩いていった。田井村は、田井浜を持った小さい漁村だった。村が小さいのに寺が三つにお宮が二つもあった。浜に出ると、奇《き》巌《がん》と松の対照が美しいところであった。加藤は少年のころ、ここまで遊びに来たことがあった。
田井村の隣の指杭《さしくい》の部落から観音山へ登る裏道があった。
加藤はここまで来て時計を見た。午後の二時半を過ぎていた。三時の結婚式に間に合わせるためには、観音山登山をせずに、生家へ帰るべきであった。しかし加藤はそこまで来て、彼が観音山に登らないのは、独身最後の山行のすべてが失敗に終ったことのように考えられてならなかった。観音山のいただきから彼の生家に向って一気に駈《か》けおりていくのが、彼の結婚にもっともふさわしい行事のように考えていた彼は、そこで計画を変更するつもりはなかった。ぎりぎり三時に生家につけばいいと思った。彼は、着がえなぞ考えていなかった。そのままの格好で結婚式場にのぞむつもりでいた。
彼は観音山に登りだした。スキーは邪魔だからかついで、雪の山道をごそごそ登っていった。
観音山のいただきには無人寺があった。そこから彼は、彼の故郷浜坂をしみじみと眺《なが》めおろした。
眼下に岸田川が流れていた。岸田川をへだてて向うに眼をやると、左から雪をいただいた三成山、空山、摺鉢山《すりばちやま》を背景として、古墳のように、こんもりと小さくて丸い秋葉山、愛宕《あたご》山、そして宇都野《うづの》神社の山が見えた。そして浜坂の町は、岸田川の流域にそって、上流側に頂点を置いた細長い三角形となって展《ひら》けており、その底辺の中間あたりに加藤の生家の赤い瓦屋《かわらや》根《ね》がはっきり見えた。
呼べばすぐ答えが来そうなくらい近くに見えた。彼は口に手を当てた。子供のころはここにこうして立って、声をかぎり呼んだものだった。
(花子さん、いま行くぞお)
と呼んでみたいと思った。実際にはそんなことは恥ずかしくていえなかったが、いってみたかった。そう呼べなくても、花子さんとひと声呼んでみたかった。彼はあたりを見廻した。人がいるはずはなかった。加藤は、海から吹き上げて来る空気を腹いっぱい吸いこんだ。海上に輝くまぶしいものを見た。そのまぶしさが、邪魔して、花子さんという声が出なかった。そのまぶしいものに眼をそむけると、生家に眼をそむけることになった。彼は思い切って眼をつむった。そして彼は、はっとした。まぶしいのは、海からの反射光線だった。太陽が西に傾いて、海が輝いているのだ。
彼は時計を見た。午後の三時は過ぎていた。
加藤は生家に向って山を走りおりた。
結婚式におくれることは花子を悲しませることになるのだと思った。急ぐと、かついでいるスキーが、木の枝にひっかかって思うように進まなかった。彼はいくどかころんだ。
加藤の生家では、昼を過ぎたころから加藤の到着を待ちわびていた。汽車がつくたびに駅へ迎えが出た。婿のいない結婚式なぞあり得ないことだった。文太郎の伯母はひどく機《き》嫌《げん》を悪くしていた。
「いったい文太郎はなにをしているのだろうね、こっちの気も知らずに」
その文太郎が山へ行ったことを知っている者はいなかった。いかに山が好きでも、結婚の日に山へ行くと想像する者はいなかった。
花子の家の方へは文太郎がまだ到着していないということはいいにくかったが、文太郎が一時の汽車に乗って来なかったことがわかってからは、かくしておくことはできなかった。使者として文太郎の伯母が花子の生家へ行った。
「もうしばらくお待ちください。文太郎は必ず来ます。文太郎に限って、約束をたがえるような男ではありません。きっとなにかあったのです。あの子は少々おっちょこちょいだから、汽車の時刻表を読み違えて一汽車おくれたのかもしれません……きっとそんなことだと思います」
苦しいいいわけだった。
三時になっても文太郎がまだ現われないと聞いたとき、花子はちょっと眼を上げて、彼女の母のさわの顔を見た。母がどんな顔をしているかを覗《のぞ》き上げる眼つきだった。花子自身の表情には、なにも起ってはいなかった。文太郎が遅れたことで、なにをそんなに大騒ぎしているのだろうかといったふうな、むしろけげんな顔だった。
さわの顔はひどく混迷していた。まるでさわが結婚式を上げる花嫁御寮のような動揺のしかただった。ね、花子、つぎの汽車で文太郎さんはきっとくるよ、といっているさわの声は半ば泣いていた。
彼女の母が文太郎が遅れたとひとこといったとき、花子は、文太郎からもらった最後の手紙の一節を思い出していた。
「明日新居に引越します。がらくたを全部運びこんで置いて、山道具だけ持って、結婚式前の数日を山で暮そうかと思っています。このことは伯母には内緒にして下さい。こわい伯母ですから……」
加藤がそのとおりのことをやったに違いないと思った。来ることがわかっているのだから、時間のことをそう神経質にいうことはあるまいと思った。しかし、花子は、その堅苦しいいで立ちで一時間も二時間も待つのはつらいなと思った。
三時半を過ぎてから、花子の家へ使いの者が来た。
「文太郎さんが来ましたよ。観音山から登山姿でおりて来ました」
その声は花子にもよく聞えた。花子は思わず微笑した。加藤らしいやり方だと思った。
使いのあとから、文太郎の伯母がやって来て、
「ほんとうに申しわけありません。とにかく、泥《どろ》だらけですから風呂《ふろ》へ入れて着替えをさせますからもうしばらく待って下さい。ほんとうに文太郎っていう子はなんていう子でしょう。結婚の日に山へ行くなんて、なんともはや申しわけがございません」
文太郎の伯母が雪と泥とを取りちがえて、雪だらけというところを泥だらけといっているのが花子にはよくわかった。
花子はとうとう小さい声を出して笑った。笑ってからその声が、文太郎の伯母や彼女の母に聞えなかったかどうかを気にした。ふたりの女は文太郎が無事結婚式に顔を出したということで、まるで死んだ人間が生き返ったように昂奮《こうふん》していた。花子のこまかい感情の変化など見てはいなかった。
「しかし、あの文太郎も花子さんをお嫁さんに迎えたら、もう山へは行けません。文太郎の首に縄《なわ》をつけて、その縄の先を花子さんにちゃんと持っていてもらいますから」
文太郎の伯母は花子の母にいった。
(なぜ、あの人はそれほど山が好きなのだろうか)
花子はふと考えた。ついぞ、そんなことを考えたこともなかったのだが、花子はそのときはじめて、彼女の夫となるべき男が、いかに山に深い関心を持っているかを知った。
花子は、文太郎に新しい認識を持った。結婚式の始まる寸前まで山に情熱を燃やしつづけようとしている加藤文太郎という男の、彼女の知らない面をはっきり見せられたような気がした。だが、それで、花子が加藤に対し抱いていた気持が変るというものではなかった。
花子が文太郎に抱いている淡い恋心に似たものの源泉は、彼女がまだ三尺帯をしめていたころ、宇都野神社の石段で、文太郎に下駄《げた》の鼻緒をすげかえてもらったときに始まっていた。花子にとっては文太郎と結ばれることは幼いその時からはっきり決められていることのように思われていた。
花子は加藤を信じていた。いかなることがあっても、加藤が一方的に婚礼の式を投げ出すようなことがありようはずがないと思った。しかし、婚礼が目前にせまった、いまになって、加藤文太郎と山というものを切り離しては考えられないのだと気がついたとき、花子はそれまで一度だって感じたことのない、なにか漠然《ばくぜん》と掴《つか》みどころのない靄《もや》につつまれたようなものを感じた。その靄に包まれたとき彼女の胸の中にごくわずかであったが、結婚に対する不安を持った。結婚に臨む前の処女の一般的なおそれではなかった。その靄は加藤とともに山からおりて来たものであった。花子は、結婚したらまず第一に、山とはどんなものかと文太郎に聞かねばならないと思った。
「自動車が来ましたから」
家人が花子にいった。
重々しい花嫁衣裳《いしょう》を着た花子は介添役《かいぞえやく》に支えられて立上った。そして、母のさわが坐《すわ》っている奥の間へ行って、改めて坐り直して挨《あい》拶《さつ》した。
「長い間お世話になりました。ありがとうございました。これから花子は加藤文太郎のところに嫁に参ります。どうぞ御母様お身体《からだ》に気をつけられていつまでもお元気でお暮しなさいますように」
母娘《おやこ》別れの儀式であった。そういいなさいと、婚礼儀式にくわしい村の古老から教えられたことをそのままいったのである。なにか堅ぐるしくて、いいにくかった。母親と再会できないような遠いところへ行ってしまうような気持がしていやだった。花子の家の前に自動車が何台か待っていた。歩いたところで十分もかからないところだけれど、婚礼には自動車を使うことが、このごろこの町の習慣になっていた。近所の者が花子の花嫁衣裳を見ようとして、彼女の家の前に立っていた。彼女の衣裳について囁《ささや》きあう声がした。きれいだきれいだと讃《ほ》める声がした。花嫁を見に来るのも、見せるのも、讃めるのも、讃められるのも、婚礼儀式のひとつであった。花子は自動車に乗った。
加藤の家の前では嫁迎えの火が赤々と燃えていた。そこにも多数の人々が出迎えていて、口々にきれいな嫁さんだと祝辞を送った。文太郎の従兄《いとこ》が出て来て、花子を抱きかかえるようにして敷居を越えた。これも遠く古代につながる婚礼儀式の風習であった。地方によっては、嫁を背負って入るところもあったし、若い衆が、花嫁の手を取り足を取って、よいしょよいしょと掛け声をかけながら担《かつ》ぎ込むところもあった。
花子に取って文太郎の生家は初めてではなかったが、初めてのように明るかった。
結婚式だから電灯の数が増え、びっくりするほどの人がいた。そこでも、花子は多勢の人の眼に迎えられた。庭に面した座敷が結婚式場に当てられていた。
花子は、ただ誘導されるままに歩いていけばよかった。坐ってから、彼女のとなりに、モーニング姿で坐っている加藤文太郎がいることに気がついた。顔を見たかったが、彼の顔を見ることはできなかった。二人の距離は近くて遠かった。
仲人《なこうど》役が堅ぐるしい挨拶をして婚礼の儀式が始まった。花子はそのおおよその筋書きを教えられていたから、別に驚きはしなかったが、予備知識のない加藤文太郎にとっては、その長たらしい儀式はひどく面倒に感じられた。夫婦の契《ちぎ》りの盃《さかずき》から始まって、親族のかための盃、それがまたいちいち、悠長《ゆうちょう》にことこまかに行われていった。
加藤は痺《しび》れをきらしていた。せまい雪洞《せつどう》に一晩中じっとしていても、こんなに足のしびれることはなかった。両足の先の感覚がなくなっていくのは凍傷にかかっていくときと同じようだった。彼は無意識に身体を動かした。すると、母がわりに坐っている文太郎の伯母が怖い眼でにらんだ。
文太郎は我慢しなければならなかった。婚礼とはばかばかしい行事だと思った。彼は花子の方を見ようとしたが、伯母の眼が怖くて、それもできなかった。
婚礼は長々とつづいて、そのあとが披《ひ》露《ろう》の宴になった。
伯母が加藤のところに来て、
「さあ、着替えして出掛けるのだよ」
といった。宴席では既に歌声が聞えていた。
「どこへ行くんです」
「どこへ、ばかだねお前は、新婚旅行に湯村へ行くのじゃないか」
そして伯母は、このごろの若い者は婚礼が済むと二人だけで、新婚旅行に行かれるからいい、昔は、そうもいかず、一晩中酒を飲んで騒いでいる酔っぱらいの声を聞きながら夜を明かしたものだといった。
文太郎と花子を送りに出たのは、ごく少数の者だった。
「よろしくお願いします」
花子の母が、自動車の窓ごしに加藤にいった。加藤は黙って頭をさげた。自動車が滑り出してからも、加藤の頭から、花子の母の声と、あの頼みこむような眼つきが消えなかった。よろしく願いますというのは、娘のこといっさいをお前に任せたぞということであった。加藤は結婚というものの実感をはじめて味わった。人間ひとりを任されたことはたいへんなことであった。
加藤は花子の方を見た。花子はうつむいていた。泣いているのかなと思って覗きこむと泣いてはいなかった。
自動車は雪の道を走りつづけていた。
湯村までは三十分もかからない距離であった。その間ふたりは黙ったままでいた。
ふたりが自動車をおりると、宿の女中たちがいらっしゃいませといっせいに声を掛けて来た。ふたりは照れた。まぶしいほどの視線を浴びながら長い廊下を突当ったところに、新築したばかりの離れがあった。ふたりの部屋はそこだった。
「どうぞお召しかえになって下さい」
と女中が宿のドテラを持って来て置いていった。
部屋は二部屋続きになっていた。加藤が着がえを始めると、花子は控えの間の方へいって、着がえをした。
「お風呂にご案内いたします」
女中が迎えに来ていった。そして、立上った加藤に、
「なにか食べる物を用意して置きましょうか」
と訊《き》いた。そういわれて加藤は空腹を感じた。婚礼にはつぎつぎと御馳《ごち》走《そう》が出たが、花《はな》婿《むこ》も花嫁もそれにはほとんど手を出してはいなかった。
「夕飯をまだ食べていないのだ」
加藤はいった。
「ではお風呂からお上りになるまでに用意しておきますからお風呂へどうぞ」
女中は加藤と花子の顔を等分に見くらべて、御一緒にどうぞとつけ加えた。花子はちょっと困った顔をしたが、その年取った女中の半ば命令的な視線に引きずりこまれたように、洗面用具を持って加藤の後に従った。
お家族風呂と風呂の入口に書いてあった。女中はごゆっくりといって立ち去った。加藤が先にその引戸を開けて中へ入った。花子は廊下に立ったまま、もし加藤が入れといえば、一緒に風呂へ入らねばならないだろうと思っていた。加藤からは声がかかって来なかった。
脱衣所から湯舟へ通ずる引戸が開く音がしてすぐ閉る音がした。廊下から脱衣場へ入る引戸は加藤が入るとき開けたままになっていた。花子はしばらくそこに立っていた。とても加藤が入っている湯舟へ裸になって入っていける自信はなかった。花子は部屋へ帰って、テーブルの上に置いてあった冷えたお茶を飲んだ。淋《さび》しい気持だった。
間もなく料理が運ばれて来た。加藤が、風呂から上って来た。
「腹がへったぞ。花子さんもお腹《なか》がすいたろう」
結婚してはじめて加藤が花子に掛けた言葉だった。
花子はだまってうなずいた。朝、食べただけで、その後食べものらしいものは、ろくろく口に入れてはいなかった。
「花嫁さんてたいへんなんだね」
加藤は花子に慰めの言葉を掛けてから、花子のよそった飯に一口箸《はし》をつけてから、
「花子さんもいっしょに食べたら……」
といった。花子にはそれがいたわりの言葉に聞えた。花子は箸を手にして、これが、加藤との家庭の第一歩だなと思った。加藤はよく食べたが花子は空腹であるにもかかわらず、まだ胸の奥につかえているものがあった。加藤とそこにふたりだけでいることが恥ずかしかった。それに、食事が済んだそのあとのことが、大きな恐怖となって頭をもち上げはじめていた。本当の意味の結婚式が迫っているのに、平然として飯を食べている加藤を見ながら、男というものはこういうものかと思った。
花子はその食事の半ばを残した。
「花子さんお風呂に入って来たらどう、いい風呂だったよ」
加藤は食事が終ったとき花子にいった。花子は、なにかほっとした。そのひとことで、緊張感がほぐれたような気がした。
家族風呂は内側から鍵《かぎ》がかかるようになっていた。花子は鍵をしっかりしめてから、着物を脱いだ。
湯は、いささか熱かった。かなり水をうめても、彼女が入るのにちょうどいい温度にはならなかった。花子は湯の温度を調整しながら、部屋で彼女を待っているだろう加藤のことを思った。旅館は静かだった。彼女ひとりだけがこの旅館の客のような気がした。あまり長湯してはいけないと思った。彼女は湯から出て、鏡に自分の姿をうつした。処女としての最後の自分を確かめるように鏡に覗き入った。
娘時代との訣別《けつべつ》が、花子の顔をいくぶんか曇らせたようだった。花子はその顔に薄化粧してから鏡の前を去った。
食事のあとは取り片づけられていて、奥の部屋にふとんが二つ並べて敷いてあった。その一つに加藤は既に入っていた。眼を閉じていた。おそらく加藤は、花子が寝床に入るまで、見ないようにしていてくれるのだろうと思った。加藤の頭のところに、スタンドのスイッチがあった。ちょっと手を伸ばしてそのスイッチを押せば部屋は暗くなるのだ。花子は加藤に声を掛けるべきかどうかに迷っていたが、加藤が寝ているふりをしているのだから彼女の方も黙って寝床に入ればいいのだと思った。
彼女は音を立てないように寝床に入った。胸の動《どう》悸《き》が自分でもわかるような気がした。おそらく加藤がなにかいうか、加藤の手が伸びて来るか、それによってすべて、彼女にとって未知の世界のできごとが始まるのだ。彼女は身を固くして待った。だが、加藤は天井を向いて眼をつぶったままだった。眠ったふりをしているには長すぎる時間だった。
彼女はごくかすかな咳払《せきばら》いをした。なにかひとりにさせられて淋しいから彼の気を引くためにそうしたのであった。反応はなかった。加藤はびくりとも動かなかった。
声をかけて見ようかと思った。そう思っただけで、前よりも激しく花子の胸の動悸がした。そんなはしたないことはしてはならないと思い止《とど》まったが、やはり、なんともいって来ない加藤のことが気になった。結婚式は完了してはいなかった。もっとも大事なその儀式を済まさずに眠るわけはない。世界中探しても、そんな婿さんがいるはずがなかった。
花子の胸の動悸は相変らず高く鳴りつづけていた。その動悸を静めるには、やはり彼に声を掛けてみるべきだと思った。
「加藤さん……」
小さい声で花子は呼んだ。呼んでから恥ずかしさのあまり、いそいで、ふとんの中へ顔をかくした。加藤は眠っていた。
「加藤さん、お休みになったの」
花子は前よりも大きな声で彼を呼んだ。返事がないので起き上って覗きこむと、加藤は軽い寝息を立てて眠っていた。健康な顔だった。いかにも幸福そうなつやつやと若さに輝く顔だった。
加藤文太郎は結婚によって人が変ったように見えた。それまでは退社時刻が来ようが来まいが、おかまいなしで仕事をしていた彼が、退社時刻がせまって来ると時計ばかり見ていて落ちつかなかった。そして退社時刻になると、真先に帰っていった。
「奥さんが待っているから無理ないね」
と同僚にひやかされると頭を掻《か》いた。
「きれいな奥さんだそうじゃあないか」
といわれると赤い顔をした。
「加藤さん、奥さんを家の中へかくしておかずに僕《ぼく》等《ら》にも紹介して下さいよ」
後輩にいわれると、
「困った、困った」
と本気になって頭をかかえこんだ。そういう加藤はいままでの加藤ではなかった。いままでの加藤からはとうてい想像されない加藤だった。後輩の三人が相談して、加藤の家へ行くことにした。はじめっから加藤を困らせるつもりでいた。
「加藤さん、これからぼくら三人でお宅へうかがっていいでしょうね」
まったくの突然だった。
「来て悪いってことはないが……」
「それでは御一緒にお宅までお伴《とも》させていただきます」
ばかていねいなことばをつかって三人は声を上げて笑った。加藤は別にいやな顔をしなかった。加藤には花子が自慢だった。加藤は、妻の花子をなるべく多くの人に見せたかった。美しい妻をつれて、会社の中をぐるぐる歩き廻《まわ》りたいほどだった。同僚たちが来てくれることは嬉《うれ》しかった。
「じゃあ、ひとあし先にぼくが帰って……」
加藤は途中からタクシーで帰ろうとしたが、三人は、そうはさせずに、自動車の中に一緒に乗り込んだ。三人の独身者たちは加藤が、彼の新妻にどんな態度をするかを、初めっから見たかったのである。
「花子さん、いま帰ったよ」
加藤はそういって新居の敷居をまたいだ。三人の後輩は顔を見合せた。三人の客を迎えて加藤はどうしたらいいかわからないようだった。むしろ花子の方が落ちついていた。加藤は長田神社の前の菓子屋から力餅《ちからもち》をたくさん買って来たり、そば屋へ天丼《てんどん》を注文に走ったりした。
三人はその夜のことを会社の同僚たちに披《ひ》露《ろう》した。加藤が、花子さんいま帰ったよといったということが、会社内で評判になった。それまでの加藤を知っている者にとっては、とても、想像もつかないことであった。
加藤は同僚たちに彼の新婚生活をからかわれることを決していやがってはいなかった。からかいに馴《な》れて来ると、からかいに笑顔で応ずるようにさえなった。いままで、いつも怒ったような顔で仕事ばっかりしていた彼が、同僚と無駄《むだ》口《ぐち》をきくようになった。以前は廊下で人と会ってもめったなことで言葉を交わすことはなかったが、結婚してからは他人に寒い暑いの時候の挨拶《あいさつ》をするようになった。おはようをいうようになった。
「たいへんな変りようだな」
同僚たちは、加藤の変り方は結婚によるものであり、彼の新妻の花子の感化によるものだと思っていた。
「花子さんという奥さんはよほど偉いのだな」
彼等はそういって花子を讃《ほ》めた。
花子は偉いとか偉くないとかいわれる年ごろではなかった。満でいえば二十《はたち》、数え年で二十一歳になったばかりであった。まだまだ少女のおもかげが残っていた。一家をまかされてどうやっていっていいやら、まず加藤に聞く年ごろであった。
加藤は結婚によって人生の楽しさというものをはじめて知った。それまで加藤にとって女性は異国人のように遠い存在でしかなかった。女性がいなくとも、そこに彼だけの人生があるのだと考えていた。だが花子と結婚してからの加藤は、花子なくしての人生は考えられなかった。なぜ突然そのような革命が彼の中に起ったのか彼自身にもよくわからなかったが、一日一日と彼の中に存在を高めていく花子のために、彼は献身を惜しまなかった。
花子は素直で利口で、そしてやさしい女であった。だが、彼女はあまりにも若くして両親兄妹のもとを離れていた。彼女はときどき放心したような眼を故郷の空へ投げることがあった。
加藤は花子のその眼つきだけが心配だった。ひょっとしたら、彼女が、黙って、この家からどこかに飛び立っていってしまいはしないかという杞《き》憂《ゆう》があった。
「花子さん、どうしてそんな淋しそうな眼をするの」
だが花子は故郷が恋しいのだとは決していわなかった。いってはならないものだと思っていた。
加藤は、外山三郎のところへ相談にいった。外山三郎の妻の松枝は、
「あまり家の中ばっかりに閉じこめて置いてはいけませんよ。そうそうたまには二人だけで、どっか遠くへ出かけるといいわ。例えばスキーかなんかに」
加藤はその言葉に従って、花子を連れてスキーにでかけることにした。
「山をやめるかわり、奥さん孝行というわけか、どっちみち君が会社を休みたがることにおいては変りがない」
課長の影村は皮肉をいいながら休暇願にハンコを押した。
二月の末、ふたりは赤倉にスキーにでかけていった。
花子は生れてはじめてスキーを履いた。履き方も滑り方も知らない彼女に、加藤はいちいち手を取って教えてやった。当時、女性でスキーをやるのはよほどのお転《てん》婆《ば》とされていた。彼女は雪を知ってはいたがスキーの経験はなかった。彼女は雪まみれになった。二日目の夕刻、宿へ帰るとき、花子は加藤の前をあぶなっかしい格好で滑っていた。彼女にも滑れそうな傾斜だから加藤も気を許したのである。雪の道の両側に旅館が並んでいた。道の方が雪で高くなっていた。花子は自然の勢いで道の方から一軒の旅館の方へ滑りおりていった。その旅館の前には番頭と女中が客でも迎えるのか、顔をそろえて立っていた。花子はその前へ滑っていって尻《しり》もちをついた。
「いらっしゃいませ」
番頭が冗談をいったので女中たちがいっせいに笑った。後から滑って来た加藤が花子を助け起した。体裁の悪い顔をしていた。
赤倉の三日間のスキーは花子にも加藤にも忘れることのできない思い出となった。
加藤はこの三日間、ずっと花子のそばにいた。それまでの加藤なら、雪と山を見ながら同じところで三日間もすごすということは考えられないことであった。おそらく眼に触れる雪山のいただきに向って、我武《がむ》者《しゃ》羅《ら》に登っていったに違いない。だが加藤にはそうしたいという欲望は起らなかった。山へ来ると、ひっきりなしに地図を開き、磁石を眺《なが》める彼が、地図さえろくろく見なかった。たまたま花子から地形について説明を求められたときだけしか地図は見なかった。
山に入ったら、すぐその山の地形を頭の中に入れようとする、加藤文太郎の登山家としての本能までにぶってしまったようにさえ見えた。
加藤には花子以外はなにものも見えなかった。それまでの加藤には、仕事と山以外なにものも見えなかったとおり、今の加藤には仕事以外で見えるものは花子だけだった。花子が加藤の中にある山と入れ替ったのであった。
三十歳まで童貞を通した加藤にとって、花子との結婚生活の一日一日が未知の世界の開拓であった。下宿住いをしていたころ、彼は一週間に一度は下宿の庭で野営をした。裏山に登って野宿したこともあった。そのとき彼は、肌《はだ》を刺して来る明け方の寒さをこらえながら、生きる喜びを感じていた。花子と結婚して加藤は、独身時代のその喜びはいつわりのものであることをはっきり知った。今はそこにあたたかい花子の白い肌があった。その肌から伝わって来る体温こそほんとうの喜びであった。もはや野宿は遠い過去のものであった。
加藤文太郎はそれまで毎朝毎晩、石の入ったルックザックを背負って、下宿と和《わ》田岬《だみさき》との間を往復した。だが彼は結婚すると同時にそれをやめた。
「なぜ石を背負って会社へ行くの」
花子と結婚して、はじめて出勤する日の朝、花子にそういわれたとき、加藤はそれに答えられなかった。簡単に答えられる問題ではなかった。下手に答えて花子に心配をかけてはならないといういたわりの心もあった。加藤は石の入ったルックザックはそのままそこに置いて会社へ出かけていった。その日、十年間に渡ってつづけられた加藤の習慣の一つは、終止した。淋しいとも悲しいとも思わなかった。そのことに抵抗する気はなにひとつ起らなかった。加藤は歩きながら、身が軽すぎるなと思っただけであった。結婚するまでは、毎日ナッパ服を着て会社と下宿の間を往復した。その習慣も花子と結婚したと同時に終りを告げた。花子にいわれたのではなく、加藤がそうしたのである。毎朝花子は、加藤を送って家の外へ出た。その花子に恥ずかしい思いをさせたくないという思いやりであった。
それまでの加藤は頑《がん》固《こ》に過ぎた。孤独に過ぎた。他人に対する思いやりよりも、自己を築くことに重きを置いていた。自我が強すぎて狭量だと他人にいわれた。だが加藤は花子との結婚によって、他人に対する眼が大きく開かれた。他人との交際についてもいままでと違っていた。ただひとつ、独身時代からの習慣で変らぬものがあった。それは、歩くことであった。結婚しても自宅と会社間往復六キロの道は歩いて通った。乗物を利用した方がはやく家へ帰れるけれど、彼はこの習慣だけは止《や》めなかった。花子も別にそのことをへんだとは思っていなかった。
加藤と花子との共通の話題は故郷の浜坂のことであった。浜坂の話になると妙に熱が入った。浜坂の話に飽きると、神戸の話になった。加藤にとっては浜坂より神戸の生活の方が長かった。加藤は神戸を語り、会社のことを話した。だが加藤は、彼の半生を支配する山のことは不思議に花子に話さなかった。花子が聞けば断片的には話したが、山の話をすることを加藤はあまり好まないように見えた。
「加藤君、結婚したら俸給袋《ほうきゅうぶくろ》をそっくり奥さんに渡すんだな。それが家庭平和の基礎となるもっとも大事なことなのだ」
結婚する前に外山三郎にいわれた。加藤はそのつもりでいた。だが加藤は、結婚して、はじめての俸給をもらったとき、月給の中から二十円をさいて社内貯金に廻した。ひとまずそうして置いて、あとのことは花子と相談して決めようと思った。
「社内貯金として二十円引いてあるよ」
加藤はそういって俸給袋を花子に渡した。花子が社内貯金ってなにかと聞いたら、それがヒマラヤ貯金であることを話そうと思った。だが、花子はそれだけの説明で充分だった。社内貯金というのは、社員が、自主的に、あるいはなかば強制的に俸給から天引き貯金することであろうと思った。いずれいつかは、自分たちのために戻《もど》って来るのだから、かえって、そうして置いてもらった方がいいと思った。
花子は八十円の俸給を大事そうに受取って、ありがとうございますと加藤にお礼をいった。家賃は八円五十銭であった。二人の食費は、一カ月三十円もあればやっていける自信があった。その他必要なものを買ったとしても、八十円あれば充分だった。
社内貯金について花子から質問を受けなかったことは、ヒマラヤ貯金のことが秘密として残ったことであった。ヒマラヤ貯金は、加藤の心の中の秘密であった。彼が貯金をしていて、その額がかなりの額に達しているらしいことを知っている者はいたが、その貯金の目的がヒマラヤ遠征にあることは、外山三郎さえ知らないことであった。
加藤はヒマラヤ貯金について、たったひとつの秘密を花子との間に持った。いおうかと何度か思ったが、それをいったら花子は心配するだろうと思った。余計なことはいわずにもう少したってから話そうと思っていた。加藤はヒマラヤ以上に花子を愛していたが、ヒマラヤが加藤から消えて失《な》くなったのではなかった。長い間考えつづけていたことがそう簡単に消えるものではなかった。
加藤が花子にヒマラヤ貯金の秘密を持ったことは、同時に、加藤の心の中にある山に対して花子に秘密を持とうとしていることであったが、加藤はそれに気がついていなかった。加藤が、山のことを花子に積極的に話さないわけは、花子に余計なことを心配させまいという思いやりだけではなかった。やはり加藤のどこかで、山に執着するものがあった。彼はその山を花子と比較することがおそろしかったのである。
「山と私とどっちが好き?」
などと、花子はけっしていう女ではなかったが、加藤はいつか花子にそういわれはしないかと心配していた。山は依然として加藤の中に潜在していた。だが、表面的には、そのころ加藤には山はなかった。花子のことだけで彼はいっぱいだった。
花子は身体《からだ》に異常を感じた。妊娠ではないかと思ったが、恥ずかしくて誰《だれ》にもいえなかった。三月になってから、それはもう疑う余地のないことに思われた。花子は加藤に告げた。加藤はひどく喜んで、医師の診断を受けるように花子にすすめた。花子が躊躇《ちゅうちょ》していると、それまで一度も見せたことのないようなきびしい眼つきをして、診てもらわねばならないのだといった。半ば命令的であった。
花子は医師の診断を受けた。妊娠三カ月であった。結婚してすぐ身ごもった勘定になった。花子はそのことを、ひどく恥ずかしがった。時折たずねて来る外山三郎の妻松枝にもいわなかった。故郷の母にも知らせなかった。加藤にも、会社の人に話してくれるなといったほどであった。
加藤は嬉《うれ》しかった。子供が生れるということは、前途に思いもよらなかったほどひろびろとした新しい天地が開かれるようであった。花子が妊娠したことによって、加藤はいままでより更に陽気になった。社員の送別会に出て山の歌を歌ってみんなを驚かせた。
四月になってから加藤は花子に浜坂へ帰って来るようにいった。彼女の母に出産までに注意すべきことや帯祝いのことを訊《き》いて来るようにいったのである。花子にとって帰郷は嬉しいことであった。彼女は加藤の好意にせき立てられるようにして神戸を発《た》った。
花子は浜坂に四日間いた。ずっと母のそばにいたが、妊娠のことはひとこともいわなかった。恥ずかしくていえなかったのである。さわもまたそのことについて訊こうとはしなかった。夫婦仲がいいことは花子の話のはしはしに出ていた。花子が帰郷したのは、花子がいう浜坂が恋しいだろうから行ってお出《い》でという加藤の好意に甘えたのだと思いこんでいた。ついに花子は妊娠のことは母にも、勿《もち》論《ろん》加藤の実家にもいえずに神戸に帰った。
「お母さんはなんていった」
加藤にいわれると花子はどう答えていいかわからなかった。花子は先生に叱《しか》られた生徒のように赤い顔をしてうつむいていった。
「恥ずかしくて、よう話せませんでした」
加藤は笑った。実母にもそのことがいえなかった妻のいじらしさがたまらなく愛らしかった。母にはいえなくとも、夫である自分にはそのことがいえたのだと思うと、彼女の母よりも加藤の存在の方が大きくなっていることをはっきり見せつけられたような気がした。加藤はいかなることがあっても、この花子を不幸にしてはならないと思った。
長田神社は毎月の一日に参詣《さんけい》すると御利《ごり》益《やく》があるとされていた。
昭和十年五月一日、その日は朝から寒い日であった。
午後になって季節はずれの雪が降って、地面が真白になった。その雪の中を走るようにして、外山三郎の妻の松枝が加藤の家へ来た。松枝は毎月の一日は必ず長田神社に参詣することにしていた。
「めずらしいことね。いまごろ雪が降るなんて」
松枝は着物についた雪を払いながらいった。
花子は松枝を迎え入れると、そのもてなしに迷った。
「いいのよ花子さん気を使わないでも」
そういわれても花子は客をもてなさないわけにはいかなかった。松枝は花子の立居振舞を見ていて、花子が坐《すわ》ってからいった。
「花子さん、おめでたでしょう」
花子は顔をかくした。穴があったら入りたいように身体を小さくした。
「それで予定はいつなの」
松枝は事務的にも思われるほど、いろいろと聞いた。近くで評判のいい産《さん》婆《ば》さんを紹介しようといった。妊娠や育児についての本も届けてくれることを約束した。
花子もそれまで、婦人雑誌の「妊娠と育児」という付録を読んではいたが、しっかりした本があれば、それにこしたことはなかった。
「よかった、よかった」
と松枝は自分のことのようにいった。松枝の口から外山三郎、外山三郎から、会社にこのことが知れた。加藤はまた同僚たちにからかわれる材料をひとつ作った。
「なかなか効率がいいじゃないか」
技術屋らしいからかい方をする者もいたし、
「夫婦の味なんていうものは子供ができてからでないとわからない」
などというものもあった。
加藤は男をほしいといった。なんでもかでも最初は男でなければならないようなことをいった。
暑い夏が来た。花子のお腹《なか》が眼立《めだ》つようになった。なにか仕事をするのが苦しそうに見えた。加藤は手伝おうといったが、花子はさせなかった。加藤の台所では、ガスと薪《まき》と両方を使っていた。飯はガスでたくより薪でたいたほうがうまいというので、こうする家が多かった。風呂《ふろ》は薪を使った。家のことで加藤が手伝うとすれば、その薪割りぐらいのものであった。もっとも、その薪もかなりこまかく割ってあったから、たきつけに使う薪を少々こしらえるぐらいのことが、加藤にでき得る花子への最大の奉仕であった。
花子はつわりに苦しむということがなかったが、時折、とんでもないものを食べたいということがあった。夏の盛りに柚子《ゆず》を食べたいといったり、浜坂のかにせんべいを食べたいなどと突然いい出すこともあった。
赤飯を食べたいから小豆《あずき》を買って来てくれと、花子が珍しく加藤に用をたのんだのは八月の終りの日曜日だった。
加藤は小豆を買いに外へ出た。そこで彼は久しぶりで宮村健《たけし》に会ったのである。
宮村健はポケットに手を突込んでうつ向き加減になって歩いていた。
「おお、宮村君」
加藤が声を掛けると宮村は夢から覚めたような顔をした。
「その後どうしたのだね」
「あいかわらずやっていますよ。あれからずっとひとりで歩いています」
宮村のひとりで歩いているということばが加藤には気になることであった。
「近くだから寄っていかないか」
加藤は宮村健を誘った。宮村ははじめのうちは躊躇していたが、加藤が、すすめると、それではといって加藤のあとに従って来た。
加藤の新居の応接間は四畳半の広さだった。加藤の同僚が結婚祝いにくれた油絵が壁に一枚かかっているだけの質素な応接間だったが、テーブルの上に、花子が活《い》けこんだダリヤの大輪が薫《かお》っていた。隣家の家主からもらったものであった。
「ずっと歩いているのか」
「はい」
「会社の方は」
「やめました」
その短い会話で加藤は、宮村健の変り方を見て取った。山に凝ったがために、おそらく会社はやめさせられたのだろうと思った。
「その後、どんな山を歩いているのだね」
「はあ、――」
宮村はいいたくないようだったが、真《まっ》直《すぐ》に向けられた加藤の眼からはとても逃れられないとあきらめたように、
「加藤さんの歩いたあとをずっと歩きつづけています」
といった。
「ぼくの歩いたあと? なぜそんなことをするのかね」
「なぜだかぼくにもわからないんですが、ただそうやっているのです。ただ加藤さんは何年もかけてそれをやっていますから、すぐ追いつくわけにはいきません。特に冬加藤さんが歩いたコースをそのとおり全部やるのはむずかしいから、それはまだやってはいません。加藤さんが夏歩いたところはほとんど全部歩きました」
宮村は加藤になにか済まなそうな顔でいった。
「山へ行くのはいいとして、会社はなぜやめたんだね」
「休んでばかりいて会社に悪いからなんです。それに、こんなことをしていると万一ということもあろうかと思いましてね。そういうときに会社に迷惑をかけたくなかったんです」
宮村健が万一といっているのは死を意味しているように思われた。
「宮村君、そんな登山ってないぞ。それでは登山ではなく自殺山行じゃあないか」
「わかっています。よくわかっていますが、忘れるためにはそれしか方法はなかったのです」
さすがに園子という名を口には出さなかったが、宮村が園子を忘れようとしていまだに苦しんでいるのを見ると、気の毒という感情を越えて、加藤自身みじめな気持になった。園子を宮村に紹介したのは加藤であった。
「でも加藤さん、峠はどうやら越えたらしいんです。このごろになって、明るさが見えて来るようになって来ました。あのひとのことは絶対に忘れることはできないけれど、ほかにも人生があるってことがわかって来たのです。加藤さんの歩いた道を歩いていて、そのことがはっきりとわかるのです。もう少しだと思います。もう少し経《た》てばぼくは立直ることができます。そうしたら、いまのような山歩きはやめて、会社勤めをやるか、店の方をやるかどっちかにします」
「もう少し経てばというのは時間的な問題かね」
「そうです、時間的な問題ともうひとつ、私のいままでの生活に区切りをつけるような、ぴりっとした山行をひとつやりたいと思っています」
花子がつめたい飲みものを持って来て、黙って宮村に頭を下げると部屋を出ていった。
「きれいな奥さんですね。加藤さんが結婚したということは聞きました。結婚して山をやめたということも、なにかで読みました。やはり、ああいうきれいな奥さんと結婚すると山なんかどうでもよくなるのでしょうね。これは皮肉ではなく、ぼくはそれでいいんだとほんとうに思うんです」
「結婚をしたからぼくが山をやめたと、誰がそんなことを書いたのだ」
加藤はやや気色ばんだ口調で問い訊《ただ》した。
「山の雑誌のゴシップ欄です。取るにたらないことですが、案外ああいうところは人が読むんです。だから」
「だから君も読んだし、そう思ったというのかね」
「そうです。そしてまたそれでいいんじゃあないかと思ったんです」
宮村はコップのカルピスを一気に飲み乾《ほ》すと立上ろうとした。
「それでいいというわけは」
加藤は立ち掛けた宮村を押えつけるようにしていった。
「つまり、なんでもいいから一生懸命になれるものがあればいいってことではないでしょうか。自分の全身全霊をぶっつけていけるものがあれば、なにも山へなんか登らないでもいいってことでしょう」
「ちょっとちがうな。いやだいぶ違うな。君の山に対する解釈には偏見がありすぎる。山は、なにかの対象との比較の上に出されるものでは決してないんだ。山は山なんだ。山以外のなにものとも関連はないのだ。おれが結婚したから山をやめるとか、山へ行く必要がなくなったなどという考え方は邪道だ」
しかし宮村は加藤の顔を、なかば冷笑に似た顔で見つめていた。
「だって、加藤さん、山へは行かないでしょう。一月に結婚してから、一度だって山へはいかないでしょう。だから、ぼくがいったことに対して、反論する資格はないんです。あなたはもう山から去った人なんです――」
宮村はもういかにとめてもそこにいる気配はなかった。
「今年だけではない。去年も一昨年も夏の間には一度だって山へは行かなかったぞ。おれは夏の山には魅力を感じないのだ」
だが宮村はだまって靴《くつ》をはいた。加藤は宮村のあとを追うように下駄《げた》を履いた。
「おい宮村君、勝手に他人のことをこうだああだときめつけるのはよくないぞ。おれは、山をやめたなどと、どこにも発表したことはない。たしかにここのところ山へは行っていないが、そのときが来ればまたピッケルを握り、アイゼンを履くさ」
加藤はうしろ手で硝子《ガラス》格《ごう》子戸《しど》をしめると外へ出ていった。花子のほうはふりむきもしなかったし、ちょっと出て来るともいわなかった。
花子はそこまで送りに来たが、外へ出てはいかなかった。加藤と宮村の話は断片的にしか聞かなかったけれど、花子は、加藤が未《いま》だに山に執着を持っていることをはっきり知った。加藤が山男であることを承知で結婚したのだから、加藤が、山をあきらめていないといったところで、彼女は別に驚くことはなかった。彼女が、加藤のうしろ姿になにかしら不安なものを感じたのは、そのことではなかった。彼女は宮村健そのものに不安を抱いた。彼女とそういくつも年が違わないその青年の、死を見つめたような眼つきが、彼女には不安だった。なぜ宮村があんな眼つきをしているのだろうか。なぜその宮村と加藤があんなに親しく口をきくのであろうか。
(宮村さんは悪い人ではないわ。山へ行く人に悪い人はいない。でも宮村さんと加藤は、交際してはならないのだわ。宮村さんは――)
花子は宮村のことを思うと背筋に寒気を感じた。
しばらく経って加藤が汗を拭《ふ》きながら帰って来た。加藤はあがり框《がまち》に腰かけて、じっと考えこんでいる花子の顔を見て驚いたようだった。花子がそんな暗い顔をしたのを見たのははじめてであった。
「どこか悪いの?」
加藤は花子を助け起そうとした。
「少し休んだらどうなんだね。働き過ぎたのではないのかね。お腹でもいたいの……」
花子は首をふった。首をふりながら、彼女の頭の中に持ち上りつつある不安がなんであるかを加藤に説明しようとした。だがその時にはもう、加藤はそこにはいなかった。奥の間で加藤が布《ふ》団《とん》を敷いている音がした。
「産婆さんを呼んで診てもらったほうがいいかな」
ひとりごとをいっている声がした。
花子が産気づいたのは昭和十年十一月十三日の夕刻であった。
浜坂から出産の手伝いに来ていた花子の母のさわに、
「文太郎さん、お産婆さんを呼んで来て下さい」
といわれたとき、加藤文太郎は、そこに新しい生命が誕生しようとしていることを知った。
「生れるんですか」
加藤は、大変な事件の予告でも聞いたような顔をした。
「まだまだですよ。初産《ういざん》ですしね」
さわは加藤を落着かせるためにそういったが、加藤のあまりに真剣な顔に、
「大丈夫よ心配しなくとも」
とつけ加えねばならなかった。
だが、加藤は心配せずにはおられなかった。彼は産婆のところに、まるで、短距離レースのようなすさまじい勢いで駈《か》けつけると、呼《よび》鈴《りん》をつづけさまに何度も押した。
花子の陣痛は十分置きぐらいの間隔でやって来た。産婆は、加藤が、いますぐにでも生れそうな剣幕で駈けつけたから、直ぐ来たものの、とてもまだ生れそうもないと見ると、一応出産の準備をたしかめてから帰宅した。
花子の陣痛がややせわしくなったのは、八時を過ぎたころからであった。
「そろそろ、お産婆さんが来てくれてもいいころだねえ」
さわのひとりごとを聞いた文太郎は、また産婆を迎えに走った。
産婆は苦笑しながら、迎えに来た文太郎とつれ立って家を出た。
「よく晴れた夜だこと、こういう夜には、きっと安産ですよ」
それを聞きながら、加藤は祈るような気持で夜空を仰いだ。
花子の陣痛は五分置きぐらいにやって来た。産婆の説明によるとその間隔が四分、三分、二分と短縮されていって、やがて連続的な陣痛状態になってから生れるのである。
「この様子だと夜中の一時頃《ごろ》には生れるでしょう」
産婆はそういった。
「文太郎さん、赤ちゃんが生れたら起すから、あなたは休んでいて下さい。お産には男の人はなんの役にもたちませんから」
さわにそういわれても文太郎は、とても寝る気にはなれなかったから、応接間に入って本を読んでいた。読むつもりでページを開いても、本の内容はひとつも彼の頭には入って来なかった。応接間からは花子の寝室のことはなにひとつとしてわからなかった。ときどき、さわの声や産婆の疳高《かんだか》い声が聞えるだけであったが、
「そのくらいのことでなんです」
とか、
「お産というものは誰《だれ》でもそうなんです」
とかいう声を断片的に耳にすると、加藤は花子の苦痛がそのまま彼に伝わって来るような気がした。
十二時を過ぎたころ、さわは、台所に出て来て湯を沸かし始めた。加藤はもうじっとしてはいられなかった。
「ぼくが湯を沸かします。そのくらいのことはやらせて下さい」
加藤はそういって、さわから強引に湯を沸かす仕事を奪い取ると、それでいくらか、花子の出産に対して、貢献できるような気持になった。
一時を過ぎ、二時を過ぎ、お湯は何度か沸かし替えたが生れる様子はなかった。
「初産というものは長びくのが当り前ですよ」
さわは台所と応接間の間をいったりきたりしている加藤にそうはいったものの、さわ自身の顔にも不安な色が流れていた。
五時になった。さわと産婆が、廊下でひそひそと立話をしているのを加藤は見た。花子が難産に苦しんでいるのだなと思った。医者ということばを加藤はちらっと耳にした。
「医者を迎えに行って来ましょうか」
まだ暗い外を見ながら加藤はいった。
「そうですね。夜が明けたら」
産婆の顔も心配そうだった。
六時になって、夜が白々と明けだすころ加藤は、医師を迎えに走った。走りながら加藤は、花子、頑《がん》張《ば》ってくれ、頑張ってくれと、口の中でいいつづけていた。できるならば、花子の苦痛の幾部分かを、分担してやりたい気持だった。
医師の家の戸はなかなか開かなかった。不快な表情を丸出しにして、女中が、
「先生はまだ眠っていますよ」
といった。
「大変なんです。花子は死ぬかもしれません」
「花子さんって?」
「妻です。お産で苦しんでいるんです。すぐ先生に来ていただかないと、母子ともあぶないって産《さん》婆《ば》さんがいっています」
産婆はそうはいわなかったが、加藤の頭の中では、そのように感じていた。
女中は、加藤の切《せっ》羽《ぱ》つまったような顔つきからどうやら、花子の状態を掴《つか》んだようであった。しばらくたって引返して来ると、
「先生は、これからすぐ用意してお出掛けになります」
といった。
加藤は玄関に腰かけて待った。そうしていれば医師は少しでもはやく来てくれるだろうと思った。
やがて、金縁眼鏡を光らせた医師が、玄関に姿を現わすと、加藤は救世主を仰ぐように何回となく頭をさげてから、その黒い鞄《かばん》を持って先に立った。
医師を自宅まで案内すると、また彼の仕事はなくなった。加藤は、すぐ近くの長田神社の神主の家の門を叩《たた》いた。
「安産のお札を下さい」
神主はねぼけまなこで加藤の顔を見ていたが、だまって奥に引っこむと、神棚《かみだな》に祭るような大きなお札を一枚持って来ると、
「これを枕元《まくらもと》に……」
といった。神官は、加藤が安産のお札といっただけで、加藤の妻がお産に苦しんでいることを察知したようであった。
加藤は、そのお札を懐《ふとこ》ろに抱いて帰ると、さわにいった。「これを花子の枕元に置いてやって下さい」
さわは、加藤と長田神社のお札を見《み》較《くら》べたが、それを持ってなにもいわずに奥へ入っていって花子の枕元に置いた。
医師が来てからも、まだすぐ出産する様子は見えなかった。
「しっかりしなさい」
と、さわが呼ぶ声が応接間に聞えて来ると、加藤は、その声に打たれたように、そこに跪《ひざまず》いて、手を合わせて、祈っていた。
奥の方がひとしきり騒がしくなり、やがて静かになった。
加藤はひょっとしたら、花子とその胎児が……と悪い方の想像をした。加藤の背筋を、つめたいものが走り、額に冷汗が流れた。
突然、妙な声がした。
低いが、力強い、リズミカルな声であった。それが新しい生命が上げた呱々《ここ》の声だと知ったとき、加藤は、全身から力が抜けた。眼頭《めがしら》が熱くなった。彼の子がこの世に生れ、彼は父となったのである。彼は、呱々の声に向って、近づこうとした。
「文太郎さん、立派な女の子が――」
加藤に、それを知らせに来たさわは涙ぐんでいた。一夜の苦闘に疲れ果てた顔をしていた。
「花子は、花子は大丈夫ですか」
加藤はさわに浴びせかけるようにきいた。
花子は、その加藤の声をはっきり聞いた。加藤が自分のことを心配していてくれているのだなと思ったとき、花子は、彼女が果した、妻としての最大の任務に満足した。疲労が花子の全身をおおった。
花子はなにも知らずにひたすら眠っていた。どのくらいの時間眠ったかも分らなかったが、眼を覚ますと、電灯がついていた。
花子は、あたりを見《み》廻《まわ》した。
彼女の布団と平行に、小さな布団が敷いてあり、そこに赤い顔をしたわが子が眠っていた。
加藤の人生は、彼が人の親となったその日からまた変った。彼は一晩中眠ってはいなかったが、花子の出産が済むと、一時間おくれて会社へ出勤した。彼は父となったことを同僚に発表したかった。
「残念だが、女だったよ」
などと、嬉《うれ》しさを、照れかくしの微笑でごまかしていた。
「残念なことなんかあるものか、一姫二太郎といって、はじめては女の子の方がいいのだ」
と同僚にいわれると、加藤は相好《そうごう》をくずして笑った。
「結婚して半人前、人の親になって、やっと一人前になったのだ。きょうはみんなにおごるんだな」
などとからかわれると、それを本気にして、食べきれないほどの茶菓子を買って来てみんなの前に出した。仕事は手につかなかった。立ったり坐《すわ》ったりしていた。隣室の外山三郎のところへは、一時間置きぐらいに顔を出していた。
影村課長はその加藤に時折なにかいいたげな鋭い視線を投げたが、結局なにもいわなかった。
その日加藤は、タクシーで家へ帰った。
赤い顔をして眠っている子は、まだどちらに似ているかよくわからなかった。加藤は、おそるおそるわが子の顔をのぞきこみながら、その子を通して深いところから湧《わ》き出て来る父という自覚にひたっていた。それは、花子に対する愛情とは違った新鮮な、なにか、むずがゆいような感懐であった。
新しい生命はよく泣いてよく乳を吸った。
「沢子って名前はどうかな」
三日目の夜、三人が名前をつける相談をしたとき加藤がいった。加藤は男なら岩男、女なら沢子という名前を用意していた。花子の母のさわから取ったのではなく加藤が好きな山から取った名前であった。男ならば岩のように強い男に、そして女の子なら、沢のようにうるおいのある女にしたいという意志からであった。もともと山は岩と沢によって形作られていると考えてもよかった。岩尾根と沢との、いわば、陽と陰の二つの地形が山を形成していた。だから、加藤は男なら岩男、女なら沢子とつけようと考えていたのであった。
「沢子ですって、とんでもない。そんないやな名前はつけないで下さい」
花子の母のさわがいった。
「なぜ、沢子がいやな名前なんですか」
加藤は意外だという顔で、さわの顔を見た。
「私の名前が、さわ、沢子の沢でしょう。私は亭主《ていしゅ》に早死された上、長男にも早死されました。名前が悪いからだとは思っていませんが、やはりいざ名前をつけるときはそういうことが気になります」
加藤は沢子に飽くまで拘泥《こうでい》しようとはせず、さわのいい分を納得すると、それでは花子の選んだ名前のどれかに決めようと、花子が書いた直子、邦子、登志子の三つの名前のうち登志子を指して、
「加藤登志子、……登志子さん、登志ちゃん、お登志……いい名前じゃあないか」
それで名前は決った。
登志子は貪婪《どんらん》なほど乳を吸った。花子の乳はよく出たが、それでも、足りないほどよく吸った。産婆さんに教えられた、乳の出のよくなる食物は、それがどんなに遠いところであっても、加藤は買いにいった。
鯉《こい》こくを食べると乳がよく出ると教えられると、加藤は鯉を買いにいった。さわと花子と加藤と三人で食卓をかこんで、食事をしているとき、加藤の味噌《みそ》汁《しる》の椀《わん》の中に鯉の身の大きなのがあると、箸《はし》でつまんで花子の椀にだまって移した。乳が出るようにという思いやりであった。出勤するときは必ずなにか食べたいものがないかと聞いた。
加藤のその日その日は光明に輝いた。会社に出ても仕事に張りが出た。廊下で人と会っても加藤の方から挨拶《あいさつ》することが稀《まれ》ではなかった。
研修生時代の北村安春と廊下で会ったときも、加藤の方からしばらくだったなと声を掛けた。
「このごろの加藤、少しおかしいんじゃあないのかな」
北村安春は、研修生時代の同期生の村野孝吉にそのことを話した。
「ああ、加藤か、加藤は結婚してからすっかり変った。それにこんどは子供ができたのだ」
「だが、しかし――」
北村はそれでも納得できなかった。無口で、人とのつき合いの悪い加藤が、結婚して子供ができただけで、それほど変るものかと思った。
「それで山の方はどうなんだ」
それに対して村野は首をひねった。
「よく知らないが以前ほど行かなくなったらしいよ」
「たいしたことだな、しかし、加藤にとってその変り方はよいことであろうか、悪いことであろうか」
北村のその質問には村野はなんと答えていいかわからなかった。人づき合いがよくなったということはいいことではあるが、加藤の変貌《へんぼう》が、あの傲慢《ごうまん》にも見えるほどの技術における自信と仕事への献身を減殺《げんさい》するものだったら困ると思った。
「いいことにきまっているさ、加藤が、誰とでも自由に口を利《き》き、笑顔を見せ、酒を飲み、冗談がいえるようになれば、彼の将来は益々《ますます》輝かしいものになるだろうさ」
村野のそのいい分は、友人としての希望であった。
「そうだ、今年の暮には久しぶりで同期会をやろうじゃないか。おそくなると、いいところがなくなるから、十二月になったらすぐやろうじゃあないか。加藤の奴《やつ》もきっとでて来るだろう」
十二月に入って間もなく、十四年会が海の見える館《やかた》の近くの中華料理店の二階で催された。十四年会というのは、彼《かれ》等《ら》が大正十四年に研修所を出たからであった。幹事は村野孝吉であった。
「昭和十年という年は、いろいろ事件の多い年であった。二月に美濃部《みのべ》達吉《たつきち》の天皇機関説問題が起り、三月、四月に三原山が飛び込み自殺で新記録を作り、八月には軍務局長の永田鉄山が相沢中佐に刺された。どうも、昭和十年という年はあまりいい年ではなかった。なにかこうモヤモヤと不安な気持がわれわれの頭上をおおっていた。だが、そのモヤモヤも、十一月になって、加藤文太郎が父親になったことによって解消された。いまや加藤文太郎は登志子さんという娘さんの父となり、名実共にわれわれ同期生のホープたる資格を獲《か》ち得たのである。ここで、われわれは、われわれ同期生のうちで、もっともおそく父となった加藤の所感を聞こうではないか」
村野の挨拶が終ると、拍手が起った。加藤は頭を掻《か》きながら立上ると、
「親《おや》父《じ》になった気持は悪くはないものです。これで、やっと一人前になって、みなさんとおつき合いができるようになりました。よろしくお願いします」
加藤はぺこんと頭をさげて坐った。
「加藤の奴、変ったなあ」
とひそかに囁《ささや》く者もあった。以前の加藤なら、所感を述べろなんていわれても立つ男ではなかったし、だいたいこういう席に出ることはなかった。座は間もなく賑《にぎ》やかになった。研修所時代の懐《なつ》かしい思い出が語られた。若くして死んでいった幾人かの友人の名前の中に、新納友明の名前が出た。
加藤は、彼に地図の見方を教え、歩き方を教えてくれた、痩《や》せた黒い顔をした新納友明のことを想《おも》い出した。
「そうそう金川義助が満州に行ったそうではないか」
誰《だれ》かが、そういっている声も聞えた。新納友明にしろ、金川義助にしろ、もし、そのままこの神港造船所に止《とど》まっていたら、加藤と同じように技師になれた男であった。加藤はそう思いながら昔をなつかしんだ。
加藤は、酒を注《つ》がれると、その盃《さかずき》に必ず口をつけた。飲めなかったが飲む格好はした。加藤は、その会が終ったあと、花子のために、シュウマイの包みを携《さ》げてその店を出た。神戸の海の灯《ひ》が美しかった。友人たちとがやがやと中華料理店を出たところで、加藤は、ふと、海の見える館を見上げた。二階の部屋は煌々《こうこう》と灯がともっていた。そこには神戸登山会の事務所があった。加藤は、どの山岳会にも属してはいなかったが、地元の神戸登山会とは親しくつき合っていた。そこへは何度も来たことがあった。話を聞きに来たこともあるし、講演を頼まれて来たこともあった。
加藤が、神戸登山会の事務室の灯《あか》りに眼をやっていると、加藤の視線に曳《ひ》き出されたように海の見える館から出て来た男があった。その男は、大きな声で騒いでいる酔っぱらいの一群をやりすごそうとするかのように、門を出たところに立っていた。暗い外灯の光を頭から浴びた彼の姿は、雨に濡《ぬ》れたように光って見え、ひどくみすぼらしく見えた。
その男が宮村健だとわかったとき、加藤は、はっとして足を止めた。友人たちと肩を組んで、そのまま行き過ぎてしまいたい心と、宮村健に声を掛けてやりたい気持とが、加藤の心の中でからみ合った。
「おい加藤、どうしたのだ」
村野孝吉が加藤に声をかけた。
村野が大きな声で加藤といったとき、下を向いていた宮村健がこっちを向いた。そして加藤と眼が会った。加藤は友人たちから抜け出ると、宮村健に声を掛けた。
「しばらくだったな、宮村君」
すると、宮村は、加藤の声の糸をたぐるように近づいて来ていった。
「加藤さん、実はぼく、これから加藤さんのところへ行こうと思っていたところなんです」
はずんだ声であった。夏ごろあったときにくらべて、宮村健はずっと明るくなったように感じた。
「おい加藤、二次会を逃げちゃあいけないぞ、あとできっとあそこへ来いよ」
村野孝吉は大声でそういったが、その二次会の行く先も告げずに行ってしまった。
「ぼくになんの用があるんだ」
「山なんです。冬の北鎌《きたかま》尾根《おね》をやろうと思っているんですが、あそこはひとりでは無理です。だから、ぼくは相手を探していたんです。結局加藤さん以外にはないということがわかったんです。つまり、ぼくの山というものが加藤さんを起点として始まった以上、その終末も加藤さんとともにあるべきだと思ったのです」
「終末?」
「そうです。ぼくは山をやめる決心をしました。今度の山行を限りに山を止《や》めて、満州へ行くことになりました。就職先も決っています」
満州と聞いたとき、加藤は、すぐ園子のことを思った。宮村健が園子のあとを追って行くつもりかもしれないと疑った。
「あの女《ひと》のことはもういいんです。ちゃんと整理がつきました。あの女《ひと》が満州のどこに住んでいようが、ぼくの知ったことではないんです。とにかくぼくは、ここで一つの結着をつけたいんです。そのために北鎌尾根をやりたいんです。加藤さんが、一緒に行くのがいやだとおっしゃるなら、ひとりでやります。力が尽きて倒れても悔いません。そのつもりなんです」
宮村健の心の傷はまだ直ってはいないと加藤は思った。冬の北鎌尾根をひとりでやるなどということは、自殺山行にひとしいことであった。単独行の加藤文太郎とうたわれた加藤自身も、それをやろうと考えたことはなかった。
「ぼくはこの冬のために、今年の夏から秋にかけて、北鎌尾根を二度縦走しました。加藤さんお願いです。ぼくとザイルを組んでくれませんか」
加藤は海上の漁火《いさりび》を眺《なが》めていた。漁火とはとてもつり合いが取れそうもないほどの星が輝いていた。
加藤は、まだ見えない眼でなにかを見ようとしている登志子を思い、その登志子を抱いている花子の横顔を想《おも》い浮べた。
加藤は登志子を抱きたがった。抱き癖がつくからいけないと花子にいわれても、泣くとすぐ抱いた。膝《ひざ》に登志子を抱いて揺すぶりながら、
白馬七月残りの雪の
あいだに咲き出す
花のかず
と安曇《あずみ》節《ぶし》を歌っていることがあった。花子にはそれがふだん機《き》嫌《げん》がいいとき加藤が歌う、いつもの安曇節とは違って、ひどく間合いが延びて聞えた。おそらく、加藤は登志子に子《こ》守唄《もりうた》でも聞かせてやるつもりでいるうちに別のことを考え出したのに違いないと思った。その別のこととは――
「あなた、なにを考えていらっしゃるの、山のこと?」
花子には、登志子を抱いて安曇節を歌っている夫の眼の中に、山があることがはっきり読み取れた。
「そうだ、山のことだ」
加藤は嘘《うそ》はいわなかった。
彼は、宮村健とともに冬の北鎌尾根へ行くべきかどうかを考えつづけていた。
加藤は山は信じたが、山において人は信じなかった。それが加藤文太郎の信条であった。山においては、結局は自分以外にたよるものはないという信念が、加藤を偉大なる登山家に仕立てあげた。加藤の長い山歴において、部分的には、他人と同行したことはあったが、完全に山行を共にしたことは一度もなかった。まして、ザイルを組もうなどといわれたことははじめてであった。おそらく独身時代の加藤だったならば、その場で宮村健の申出を拒絶したであろう。だが加藤はそれをことわらなかったのは、加藤が花子というすばらしい女性と家庭を持っていたからであった。加藤は花子を通じて、愛情というものを知った。人間は、ひとりでいるよりも複数でいるほうがより自然であり、より合理的であることを知った。彼の結婚生活と山とは比較すべきことではなかったが、加藤は、山においても、友情を持って結ばれるならば、ひとりでない方がいいのではないかというような気になりかけていた。
いつか、ヒマラヤに挑戦《ちょうせん》するときが来たとしても、おそらく絶対といっていいほど、単独行ではあり得ないと考えると、もし山から離れることのできない人生だったならば、自己だけに依存し過ぎる主義を捨てて、パーティーを組む登山に入っていくべきではないかと考えた。
いまや、加藤の登山家としての地位は不動のものであった。もし彼が希望するならば、どの山岳会でも、喜んで彼をその会に迎えるだろうと思った。どこの山岳会に入るにしても、まずその手始めとして、宮村健と同行することは決して無駄《むだ》なことではないように考えられた。
花子と結婚して一年、山らしい山へは行っていなかった。北鎌尾根冬季縦走という登山家としては眼もくらむような誘惑は、加藤の心を揺すぶった。ここ十年間、正月休みに山へ行かなかったことはなかった。天気がどうであろうが、彼は山へ出かけていって、雪の中で転《まろ》びころげて帰って来たものであった。彼にとっては正月休みの山行こそ、その一年間のもっとも恵まれた時であり、その日のために一年間、営々と働いているようなものであった。十二月に入ると、雪山のことで頭の中がいっぱいになり、なんとなく落着きがなくなった。それは加藤の一種の生理現象のようなものにさえなっていたのである。宮村が誘いをかけてもかけなくても、おそらく加藤は、その生理現象から逃れることはできなかったであろう。
その日、宮村から、会社の加藤に電話があって、好山荘運動具店で待っているといわれたとき、加藤は、いよいよ宮村に北鎌尾根縦走について、はっきりした回答をしなければならないと思った。
彼は退社時刻になると、いつものように机上を取り片づけて立上った。
「加藤君、ちょっと」
影村課長が加藤を呼んだ。
「きみは、もう結婚したし、子供さんもできたのだから今年の正月休みには山へは行かないだろうね」
加藤はなぜ影村がそんなことをいうのか不審に思った。山へ行こうが行くまいが、休暇中のことで課長の知ったことではなかった。加藤は、むっとした顔で影村を見ていた。久しぶりで、加藤らしい表情がそこに出ていた。
「正月休みだから、どこへ行こうが勝手だと思っているだろうが、きみの正月休みは長すぎる。一月四日に出勤したことはまずない。おそいときは十日を過ぎてから帰って来たこともあった。いままでは、独身だからということで大目に見ていたが、もう一人前になった君を特別待遇するわけにはいかない」
「だが課長、有給休暇はいつ取ってもいいことになっているでしょう。独身か独身でないかには関係がないはずです」
「それは君だけの理屈だ。実際はどうかね。この課で君のように、有給休暇をいっぱいに取っている者がほかにいるかね」
影村の陰険な眼は、加藤の心の中の山に向って、明らかに攻撃を開始したように見えた。加藤は有給休暇をいっぱいに取るかわり、会社の仕事の方は、人並み以上にやって来ていた。影村に文句をいわれる筋はいささかもないと自負していた。
「有給休暇を残したってたいした名誉なことではないと思います。やることだけをやれば、それでいいんじゃないかと思うんですが」
「すると今年も冬山へ行くというのだな」
「行きます。そういうことになっています」
加藤はいきがかり上、そういってしまった。有給休暇を残した方がいいなどという影村には負けたくない気持がそういってしまったのである。
影村は、横を向いて、ふんといった。それ以上なにもいわず、机の上をばたばた片づけると外へ出ていった。
好山荘運動具店主の志田虎《とら》之《の》助《すけ》は、加藤の顔を見ると、いきなりいった。
「珍しいじゃあないか加藤君、ここのところさっぱり見えなかったが、噂《うわさ》によると結婚して子供さんができたそうだね。おめでとう」
志田虎之助は笑顔を見せてそういうと、店の奥で、アイゼンの爪《つめ》をいじくっている宮村健の方へちょっと眼をやって、
「一月早々に北鎌尾根を宮村君とやるんだって? それは、きみたちだから、危険なことはないだろうが、子供さんが生れてそう間もないうちに、冬山なんかへ出かけるのはどうかと思うな。いままでは、きみひとりだったが、今度は家族がいる。登山家だからただ山へ登ればいいというものでもなかろう」
志田虎之助は宮村には聞えないように声を落していった。
「だが、ぼくがいかないと、彼ひとりでは無理でしょう。彼はぼくが行かなくともひとりでやるといっています」
「だから、君は、そういう宮村君の気負い方を、おさえつけてやればいいのだ。それが先輩じゃあないのかな」
志田虎之助は加藤の肩を押すようにして店の外へつれ出していって、
「加藤君、ことしの冬は山へ行くのはやめて、奥さん孝行をしてやりなさい。山へ行くチャンスはいくらだってある。宮村君には、よくぼくがいって聞かせる」
加藤は志田虎之助にそういわれると、さっき会社を出るとき影村課長に、反発《はんぱつ》して冬山へ行くといい切ったと同じように、どこからともなく、素直に引込めない気が持ち上ってきた。痩《やせ》我《が》慢《まん》ではなかった。なにか、山のことだけに関しては他人の干渉を受け入れることはできないような気持が、彼をかたくなにしていた。
「わかったな加藤君」
「いいえ、ぼくは宮村君と北鎌尾根をやります。加藤には山だけしかないといわれようとも、いいんですぼくは……」
加藤君――といったが志田虎之助はその先をつづけるのを止めた。宮村健がうしろへ来たからであった。
「とにかくもう一度よく考えることだな、外山さんと相談して見るがいい」
外山三郎の名をいわれたとき、加藤の顔に混乱が起った。外山に冬山はやめろといわれたら、その言葉を振り切ってまで北鎌尾根へは行けないだろうと思った。
登志子は日《ひ》毎《ごと》に体重を増していった。
花子の母のさわが、
「この子は干《ほし》飯《い》に湯をかけたようによく肥《ふと》る」
と表現したように、その生長ぶりは産《さん》婆《ば》も驚くほどであった。
「登志子よ、お前は干飯か」
加藤は登志子を膝に抱き上げて話しかけた。生れたばかりでまだ眼の見えない子に、なにをいってもわかるはずがないのに、加藤は、会社から帰って来て着がえをすませると、すぐ登志子を膝に抱いた。食事のときでも登志子を膝に置こうとするので、さわがややけわしい顔で、
「文太郎さん、もし熱いおつゆでも赤ちゃんの顔にこぼしたらたいへんなことになりますよ。赤ちゃんの皮膚は茹《ゆ》で卵の皮よりも薄いんですよ」
加藤はしぶしぶと、登志子を布《ふ》団《とん》にかえしたが、食事の際も、近くに置かないと承知できないようであった。彼は育児についてひどく興味を感じたらしく、本屋で育児についての本を見ると、かたっぱしから買って来た。そのなかには幼児の教育について≠ネどという本さえあった。もともと加藤は読書好きであるから、それらの本は、たいてい一晩か二晩で読んでしまった。
「赤ちゃんの健康のバロメーターは泣き声と表情である。きょうは、いつもより泣き声が弱い」
会社から帰って来て、そんなことをいって、なんでもない登志子を小児科医に見せるといってきかないこともあった。花子にとって、そうした加藤の盲愛は、ときとすればいささか滑稽《こっけい》に感じられるほどであった。
「どうも登志子は熱があるらしい。顔が赤い」
などと、赤ちゃんの顔に彼の額をくっつけている加藤を見て、さわは、
「文太郎さん、赤ちゃんは顔が赤いから赤ちゃんっていうんですよ」
とたしなめたことがあった。
文太郎にとって、登志子を抱き上げて、その乳くさい空気の中に包まれているときが、幸福の絶頂であった。
「登志子は、おれに似ている。誰《だれ》がなんといってもおれにそっくりだ」
たしかに登志子は文太郎によく似ていた。その子をはじめて見た人は誰でも加藤に似ているといった。みんながそうみとめているのに、さらに彼は誰がなんといっても、おれに似ているなどといわねば承知ができないほど、その幼い生命に耽溺《たんでき》していたのであった。
「花子、お前の身体《からだ》が丈夫になったら、この子をつれて赤倉へスキーに行こう。花子に背負わせたら危ないから、おれが登志子を背負って滑る」
加藤は真面目《まじめ》な顔をしていった。加藤は、登志子が生れるちょっと前から、妻の花子にさんをつけるのをやめていた。
「文太郎さん。なんぼなんでも、赤ちゃんが生れるっていうのに自分の女房《にょうぼう》にさんをつけて呼ぶのはおかしいからやめたらどうでしょう。花子だって、さんをつけられるより、呼び捨てにされたほうが気楽でいいにきまっています」
さわにそういわれても、加藤はしばらくの間、花子と呼び捨てにはできなかったが、さわが、花子、花子というのにつられて、いつのまにか花子と呼ぶようになっていた。
加藤にとって、そのころが絶頂であったように花子にとっても、その日、その日が喜びと希望に輝く日であった。登志子の誕生によって、家庭というものの、楽しさと明るさをしみじみと感じた。彼女は将来を想像した。期待した。夢みた。登志子の生長とともにふくらんでいくだろう家庭に対する彼女の抱負が、際限ないほどにひろがっていったところで、彼女は小さいころ、浜坂の海辺に立って、遠く水平線を眺めたときの寂寥感《せきりょうかん》に似たものにふと襲われるのである。それは現在幸福であるという一つの家庭現象に対する反作用のようなものであったのかも知れないが、花子に、そのような不安を起させるのは、登志子を抱いている加藤が、ときどき深刻な顔をして、なにかを考えているのを見るからであった。山のことを考えているのだなと花子は思った。そして、その深刻な加藤の顔が、夏ごろ一度来たことのある死を見つめているような眼つきをした宮村健とつながった。
だが花子は宮村と加藤の結びつきについて、加藤に問いただそうとはしなかった。結婚して一年足らずであった。あまり穿鑿《せんさく》がましいことを夫に訊《き》くのは、はばからねばならないという新妻のつつしみ深さであった。
加藤は、冬の北鎌《きたかま》尾根《おね》山行を宮村と共にすべきかどうかの決心をつけねばならないところに来ていた。宮村の方では加藤が八分どおり同行するものと思いこんでいるようであったが、加藤の方から、はっきりと同行の意思表示はしてなかった。だが、早晩そのことをはっきりしなければならないことになっていた。二人でパーティーを組む以上、二人で日程やコースを相談しなければならなかった。単独行しかやったことのない加藤にとって、それはわずらわしいことであったが、そこにパーティーを組む意味があるのだと考えれば、やはり共同でプランを立てねばならなかった。その日こそ、加藤がはっきりと自分の態度を決定すべき日であった。影村課長にも、志田虎之助にも、冬山へ行くという意志を伝えていたけれど、いよいよ決定の日が近づいて来るとなにかうしろ髪をひかれる思いがした。花子と登志子のことが気がかりになった。志田虎之助にいわれたことが、大きくクローズアップされて来た。
「家の方には赤ん坊が生れてなにかとごたついているし、会社の方も新年早々いそがしい仕事があるから、今度はやめにするよ」
宮村から電話が来たら、そのようにことわろうと思うこともあったが、さて、電話が来た場合、はっきりそういえる自信はなかった。
冬山について考える日が多くなった。昭和三年以来、一度も欠かしたことのない冬山山行を、今年に限って中止することが、へんなような気さえした。切れるような寒さ、眼も開けられないような強烈な吹雪、そして、すかっと晴れた雪原に長々と横たわる自分の影、そういう情景が断片的に浮んで来ると、会社ではコンパスを持った手が止り、家では抱いている登志子の重さを感じなくなるのである。
加藤には迷いの中にいる自分がよくわかっていた。その迷いを山まで持ちこむことは危険だということも知り切っていた。そういうときこそ外山三郎のところへ行くべきであったが、外山三郎に余計な心配をかけてはならないという気持が、それを止めた。外山三郎にだけは遠慮なく、なんでもいえた加藤が、それをいわなかったことも、加藤にとってすこぶる不幸なことであった。
彼は迷いを自分だけの力によって克服しようとした。ねじ伏せようとした。
その日は午後になって温度が急降して、神戸の十二月としては、例年になく寒い日であった。
加藤は五時少し過ぎに会社の門を出た。同僚と一緒に大きな声で話をしていたから、門のところで宮村健が彼を待っているのも気がつかなかった。
宮村健に呼びとめられた加藤は、はっとした。とうとうその日が来たなと思った。
「待っていたのか」
「はい。どうせ暇だから、ぶらぶらしながら待っていました」
宮村健はそういうと、先に立って、とっとと歩き出した。すべて加藤を見習っている宮村は、歩くことにおいても、加藤と同様に速かった。ともすれば加藤の方が置いていかれそうに速かった。
電車通りに出ると宮村健は、
「加藤さん、三宮へ行きましょう」
というと、ちょうどそこへ来た電車にとび乗った。宮村が強引に加藤をどこかへ引張っていこうとする意志が明瞭《めいりょう》であった。加藤はその宮村のうしろ姿を見ながら、あそこへ行こうとしているのではないかと思ったとおり、宮村が先に立って入ったところは、喫茶店ベルボーであった。経営者も従業員もすべてかわっていたが、中の構造は前と同じだった。
「加藤さん、もし、あなたが北鎌尾根をぼくとやるつもりなら、そろそろ用意をしなけりゃあいけないころだと思います。行くんだか、行かないんだかはっきりしてもらわないと、ぼくだって困ります」
宮村健は坐《すわ》るとすぐいった。そのまえにいうべきことはすべていってしまって、結論だけを加藤に求めたような話しぶりであった。その宮村は、いままでの宮村とは違って急にいくつか年齢《とし》をとったように見えた。
「いろいろ都合があってね。独身のころのようにはいかないんだ」
加藤は予防線を張った。
「というと、行かないっていうことですか。やはり噂のように、加藤文太郎は、家庭を持つと同時に山を捨てたってわけですね」
宮村の声は上《うわ》ずったように聞えた。
「行かないとはいってはいない。いろいろと都合があるといっているのだ」
「要するに行かないんですね。わかりました。これ以上あなたをたよりになんかしません」
宮村健の眼に光るものがあった。彼はその泪《なみだ》をかくすように彼の前に運ばれて来たコーヒーをがぶ飲みすると、さっさと立上って、カウンターへ行って二人分の料金を支払った。宮村はひどく昂奮《こうふん》していた。うっかりしたことをいうと、怒鳴りつけられそうだった。
「どうしたんだ、宮村君」
外へ出てから加藤がいった。
「どうもしません。ベルボーで加藤さんとぼくとはザイルで結ばれ、そして、今そのザイルが切られたのです」
宮村健は加藤を置いて闇《やみ》の中へ消えた。
その翌々日、加藤は会社で宮村健の父の訪問を受けた。
「思いあまって来ました」
いかにも実直な商人らしい態度で、宮村健の父親は話し出した。
「悪いこととは知りながら、あまり健のことが心配なので、健のいないとき、こっそり、健の日記を読んでいました。健にS子という女がいたことも、その女が健を捨てて、満州へ行ったことも知っています。その健の日記が、このごろ、なんとなく明るくなったと喜んでいたところが、一昨日の夜書いた日記を見るとへんなんです。Kとのザイルは切れた。ひとりで死の北鎌尾根をやる、などと書いてあるのです。このKというのが加藤さんだということは、ずっと前からわかっておりました。……つまり、今日私がここに来たのは、加藤さんになんとかして健のすさみきった気持を静めてやってはいただけないかというお願いなんです。健はあなたを神様のように思っています。あなたに捨てられたとなると、健はほんとうに死ぬかも知れません」
宮村健の父親は何度か涙をぬぐった。
「健はこんどの山行を最後に、山をやめて、満州へ行くことになっています。そこで立派に立直るつもりなんです。親としては、今度の山行だけはなんとか成功させてやりたいと願っております。ご迷惑でしょうが、ベテランのあなたが傍《そば》にいてくださったらと願うのも、親心というものでしょうか」
宮村健の父親は、彼の家の電話番号を印刷した名刺を加藤の前に置いた。
部屋に帰ると、影村課長が、課員の主だった者二人を机の前に呼んで、大きな声でしゃべっていた。
「きみたち二人は、来年一月六日から横《よこ》須賀《すか》の海軍工廠《こうしょう》で開かれる特殊ディーゼルエンジン研究会に出席することが許可されたのだ。いまからその準備をして置くように」
影村課長の前に立っていた二人の技手は、そろっておじぎをして彼らの席へさがった。
加藤はその研究会があるらしいということを薄々知っていたが、まさか新年早々とは思っていなかった。噂《うわさ》によると来年の春ということであった。そこに出席する者は神港造船所の中でも、特に優秀な技師または技師に昇格する予定の技手ということになっていた。そこに出席することは海軍にその技能を認められたことになり、将来の栄達にも影響があった。
「ぼくはどうなっているのでしょう」
加藤は影村課長のところにいっていった。
「きみはついこの間、今年も正月山行をやるといったろう。冬山山行をやるとすれば帰って来るのは一月十日ごろになる。たとえ六日に出席できるように帰って来たところで、疲れているから、むずかしいことは頭に入らないだろう。立木海軍技師にたのんで願いさげにしてもらったのだ」
影村技師はそういうと、顔色をかえて立っている加藤をよそに書類を開いた。
十日ほど前、たしかに加藤は、影村に冬山へ行くといった。それは売り言葉に買い言葉的なやりとりで決定的なものではなかった。そのことを根に持って、技術者としての晴れ舞台を拒否した影村課長のやり方に、加藤は激しい怒りを覚えた。
加藤は、白銀の山を思った。よし、影村が山へ行けというならいってやろう。だが加藤は、そのときすぐ宮村へ電話をかけるようなことはしなかった。
加藤はさらに幾日か考えつづけた。冬山へ行くとすれば従来どおりの単独行がよかった。すべての責任を自分ひとりで背負いこむ単独行こそ、彼の本領であったが、宮村健に同行を誘われ、彼の父からもそのことをたのまれているのに、敢《あ》えてその願いをしりぞけてまでひとりで山へでかけるのは気がひけた。
冬山へ行くか行かないかは、結局、宮村健と行動を共にするかどうかになった。
加藤は暮がせまって来ると無口になっていった。冬山への誘惑が、そのころになって急速に擡頭《たいとう》したのである。行くとすれば準備にかからねばならなかった。事前準備こそ山行の重要なる行程のひとつであった。
「健は十二月二十六日には神戸を発《た》つつもりのようです。ゆうべ、私に、今度の山行を最後にして山をやめるから、山へやらしてくれとはっきりいいました。いままでは黙って支度をして黙って出ていったのが、今度にかぎってそんなふうにいわれると、また心配になりましてね……。加藤さんどうしてもだめでしょうか」
宮村健の父親から電話があったのは、十二月二十日であった。
「よくわかりました。明日中に必ずお返事いたします」
加藤はそのとき、半ば心を決めていた。
(今度の山行を最後として山をやめる)
その宮村の言葉が、そのときの加藤にとって、すばらしい啓示になったのである。
家庭人となった以上、いつまでも従来どおりの山男であってはならないということを、加藤は百も承知していた。彼は今、その区切り点に来ているのだと思った。
(今度の山行を最後として危険な冬山山行はやめる。せいぜい夏山へでかけるくらいにする)
このように花子にいったら花子も納得するだろうし、彼自身も納得できた。加藤は宮村健のいい方を真似《まね》たのだとは思いたくなかった。結婚したときすでになんらかの形で、冬山からは離れなければならないと思った。そのときが来たのだ。
(宮村健のために冬山へ行くのではない。こんどの山行は冬山との訣別《けつべつ》山行である。たまたま宮村と同行するまでのことなんだ)
加藤はつぎの日の昼休み時間に、上祇《ぎ》園《おん》町の宮村乾物店に電話をかけた。
「加藤です。健《たけし》君いますか」
加藤は、宮村がもしいなかったら、会社がひけてから、もう一度電話をしようと思っていた。
「ちょっとお待ち下さい。すぐ呼んでまいりますから」
電話に出たのは宮村健の母親だった。
電話に出た宮村の声はなんとなくつめたかった。宮村です、とぶっきらぼうに答えた宮村の顔が加藤には見えるようだった。宮村はまだ怒っているのだなと思った。
「君と一緒に北鎌尾根をやることにしたよ」
「ほんとですか、加藤さん」
宮村の声はまだ疑っているようだった。
「打合せをしたいから今夜ぼくの家へ来てくれ。計画表は作ってあるだろう。食糧、燃料、用具などの表も作ってあるだろう。それを持って来てくれないか」
「加藤さん、ほんとうに行くんですね。ぼくのために……」
言葉がとぎれた。加藤は受話器の中に宮村健がすすり上げる音を聞いた。
その夜、加藤と宮村は、加藤の寒い応接間で、遅くまで北鎌尾根山行について打合せをしていた。
花子は応接間にお茶を運んでいったとき加藤と宮村が、ひどく熱心に山のことを話しているのを見た。加藤は地図を開いて、宮村になにか説明していた。花子の入って来たことにも気がつかないようだった。宮村もそうだった。火の気のない部屋で、上《うわ》衣《ぎ》もつけずにいて、しかも上気したように顔を赤くしているのは、冬山山行という、山男たちの情熱の場に浸りこんでいる証拠のように見えた。
「ここへ置いていきます」
花子は、茶菓子をそこに置いた。
「ああ――」
加藤は花子の方をふりむきもせずにいった。花子は応接間を出たとき、身ぶるいするような悪《お》寒《かん》に襲われた。
(加藤をあの宮村と一緒に山へやってはいけないのだ)
花子はしばらくそこにじっとしていた。
宮村は十一時を過ぎてから、帰っていった。玄関の鍵《かぎ》をしめて、引きかえして来る加藤を、花子は登志子の寝ている布《ふ》団《とん》の傍《そば》で待っていた。
「山へ行くのね」
花子は登志子に話しかけるようにいった。登志子はよく眠っていた。
「今度の山行を最後に冬山はやめようと思っている。いわば、その区切りをつけるようなものなんだ」
「宮村さんと一緒に山へ行ったことがあるの――」
花子は山のことは知らなかったが、宮村と加藤とが山へ行くことが不安でならなかった。
「今度がはじめてなんだ。だがあいつは大丈夫だ。おれと同じぐらい山をやっている」
花子はそれ以上なにもいうことはなかった。あるとすれば、彼女の心の中の不安をいうしかなかった。しかし旅に出る前にそのようなことを洩《も》らすべきではないと思った。
「心配しているのか花子。おれが山で死ぬとでも思っているのか」
加藤がそういって笑いかけたとき、それまで静かに寝ていた登志子が、突然、眼を覚まして、激しく泣き出した。乳の欲しい泣き方ではなく、肉体的苦痛をうったえる切実な泣き方であった。隣の部屋で寝ているさわが眼を覚まして起き出たほど、その泣き方は激しかった。
「どうしたのだ、登志子。夢でも見たのか」
加藤は登志子を抱き上げると、起き出て来たさわに、赤ん坊も夢を見ることがあるのかと訊《き》いた。
登志子は加藤に抱え上げられるとすぐ黙って、なにもなかったように、また眠りこんだ。だがその登志子を、布団に寝かせると、前にもまして激しく泣き出すのである。
「抱きぐせがついたのよ」
さわはそういって、ふすまをしめた。
加藤は登志子を膝《ひざ》に抱いてその寝顔を見つめながら、
「お父さんが山へ行くのがいやなのか、登志子。それで泣いたんだろう」
加藤は登志子を抱いてそうしていると、さっきまであれほど山行計画に夢中になっていた自分が、なにか重大な間違いをおかしているように思われて来るのである。
「登志子をこうして抱いていると、山へ行くのはいやになる――」
加藤はつぶやいた。
「では山へ行くのはやめていただけないかしら。お母さんはもうすぐ故郷へ帰るし、あとは私と登志子とふたりっきりでしょう」
花子は結婚してはじめての自己主張をした。冬山へ行くのはなんとかして思い留《とど》まってもらいたかった。彼を山へやらないためには、どんなことをしてもいいとさえ思ったが、花子は、彼女の不安をそのままそっくり加藤にぶつけていくことができなかった。
「約束してしまったので、いまさらどうにもならないのだ」
そのとき加藤は、ひどく大儀そうにいった。約束した以上、いまさら取りやめる気はなかったが、もし、万が一、宮村健の方で都合が悪いといったら、むしろ喜んで、その山行は取りやめにしようと思っていた。考えに考えたうえで決めたことだったが、それにもかかわらず、登志子という幼い生命が、しきりに彼を引き止めにかかっているように思われ、それが気懸りであった。
翌朝、加藤はさわに、山へ行くから正月中神戸にいてくれるようにたのんだ。
「それは、いてやってもいいけれど、赤ちゃんが生れたばかりだというのに、なにも好きこのんで、山へなんか行かなくてもいいのにねえ」
さわは皮肉をいった。
加藤の山へ行く準備がはじまった。いつものように、甘納豆を注文して作らせたり、乾《ほ》し小魚の油いためを用意したりした。内側に毛糸の手袋、外側はネルの布地の上に防水布を縫いつけて作った、肩までとどくほど長い自製の手袋を用意したり、眼《め》のところだけセルロイドにしてあとはすっぽりとかぶってしまう、加藤式ウィンドヤッケなどを点検した。樺太犬《からふとけん》の毛皮で作った胴着のほころびは慎重に補修した。
花子は裁縫が上手だったが、山の準備に関するかぎり、加藤は花子に手伝わせるようなことはしなかった。自分で針を持ち、糸をとおしていった。
花子は、意外に器用な手つきで針を動かしていく加藤の手元を見つめながら、山に関するかぎり、彼とは別なところに住んでいるのだと思った。夫婦という最小単位の集合体の中に、全然、夫婦とは別な山というものが介在していることがにくらしかった。その山というものが、いまや加藤にとって、花子よりも重きをなしつつあることは、彼が、無口になって来たことを見ても了解できた。あきらめる前に、彼女は少しでもいいから、加藤と山との間に身を置きたかった。
「なにか、私のお手伝いすることがないかしら」
花子は、アイゼンの紐《ひも》をたしかめている加藤にいった。
「なにもないんだ。山の支度はどんなこまかいことでも自分でやらないといけないんだ」
応接間いっぱいにひろげた山道具の中に坐《すわ》っている加藤は、アイゼンの紐を両手で力いっぱい引張りながらいった。花子が立ち入る余裕はなかった。
十二月二十七日、加藤は会社の廊下で外山三郎を見掛けた。加藤は外山の姿を見かけた途端、廊下を左の方へまがった。そっちには用がないのだが、外山に会って山のことでも訊かれたら答えねばならない。北鎌《きたかま》尾根《おね》を宮村とやるといえば、外山はきっと止めるだろう。いまさらやめろといってもやめられるものではなかった。
外山三郎は、加藤の姿が急に横にそれたことに不審を持った。どうも、外山をさけたように思われた。なぜ加藤が自分をさけたのだろうか。外山はそれが気懸りになったので、彼の部屋に帰ってしばらくたってから、隣の内燃機関設計部第三課を覗《のぞ》いたが、加藤はそこにはいなかった。
なにかと年末で、部屋中がごたごたしていた。人の出入りが多かった。まるで年末のいそがしいときを狙《ねら》っていたように面倒臭い図面を持って来て、いい気になってしゃべりまくっていた川村内燃機関部長が腰を上げたのが午後五時半であった。
外山三郎はまた隣の第三課を覗いてみた。加藤の態度がどうしても釈然としなかったからだ。とにかく加藤に会えば、なにかがわかるだろうと思った。
加藤はすでに席にいなかった。
影村と、二、三人の若い技手が帰り支度をしていた。
「加藤君は帰ったかね」
外山三郎は影村に呼びかけた。
「ああ、いま帰ったばかりです。赤ちゃんが生れてから帰宅時刻が早くなりましたよ」
影村は外山に笑顔を見せながらいった。いかにも加藤を理解してやっているような外交的な笑いを浮べながら、眼の隅《すみ》の方では外山三郎がなにしに来たかを探知しようとしていた。
「なにか、加藤に……」
「いや、別に用はないんだ。また明日の朝でも来よう」
外山三郎は、そういって、第三課を出ていった。影村は外山になにもいわなかった。加藤文太郎が明日から休暇を取っているとひとこといえば、外山はそれで、加藤が外山をさけた意味を洞察《どうさつ》して、その足で、加藤の家へ行って、山行をたしかめ、
(単独行しかやったことのないきみが、はじめてのパーティーを組んでの山行に、ところもあろうに北鎌尾根をやるとはいったいどういうことなのだ)
そしておそらく、外山はその山行をやめさせるか、少なくとも計画の変更をすすめたであろう。が、それはすべて、あとでの悔いごとであった。
その夜、外山三郎が自宅へ帰って夕刊に眼をとおしているころ、加藤は、ルックザックに山行の材料をつめこんでいた。
「このお餅《もち》を持っていって……」
花子が正月用に用意した切り餅を、二十個ほど油紙に包んで、それに五枚ほどの葉書を添えて出した。
「いいんだ。食糧は充分用意してある」
「でも、お腹《なか》がすくといけないから」
花子は、無理にでも、その餅を加藤のルックザックに入れようとした。
「要らないといったら要らないんだ」
加藤は、きつい眼をして花子を睨《にら》んだが、困った顔でいる花子を見ると、すぐ、
「その葉書はもらっていこう」
といって、ルックザックのポケットにしまいこんだ。
花子は、山へ行く夫にしてやれたことは、結局五枚の葉書を揃《そろ》えたにすぎないのだと思うと、捨てられたような淋《さび》しさを感じた。涙が出そうだった。
花子は加藤と一緒に玄関まで行ったが、すぐ引返して来て、母のさわにいった。
「登志子もつれていくわ」
「登志子を、……きょうはいつもより寒いのよ」
しかし、さわは、花子の眼の中に、いつになくはげしい彼女の主張をみとめると、強《し》いては引止めずに、布団の中で、すやすやと眠っている登志子を抱き起して、メリンスの牡《ぼ》丹《たん》の花模様のおくるみに包んで花子に抱かせた。それでも寒そうだったから、毛糸で編んだ白いショールで登志子の顔を包んでから、
「さあ登志子、お父さんの見送りにいっておいで」
生れてまだ一カ月半にしかならない登志子は、眠っているところを起されたが、別に泣き出すこともなく、花子に抱かれてじっとしていた。
大きなルックザックを背負った加藤は、花子とつれ立って外へ出ると、
「ではお願いします」
加藤はもう一度、さわに挨拶《あいさつ》してから、兎《うさぎ》の皮を裏に縫いつけてあるスキー帽をかぶり直して歩き出した。
「よく眠っているようだな」
加藤は花子に抱かれている登志子の顔を覗きこむようにしていった。
「起きているわ。でも、まぶしいから眼をふさいでいるのよ。眼が見えなくとも、明るさはわかるのよ」
「そうか、起きているのか」
加藤は、右の肩に担《かつ》いでいるスキーを左肩に担ぎかえると、ずっと花子の方へ寄って来て、右手の人差し指を登志子の頬《ほお》に軽くふれた。登志子はその刺《し》戟《げき》に応《こた》えるように眼を開いて、加藤の顔を見た。見たのではなく、偶然にそちらを向いたのだが、加藤には、その登志子の眼がまだ視力を充分備えていない嬰《みどり》子《ご》のうつろの瞳《ひとみ》ではなく、もう充分に物を識別できる眼に見えた。吾《わ》が子がはっきりと自分を見詰めているように思われてならなかった。登志子の眼は花子に似て大きかった。黒曜石のように黒く輝く眼は、いつものように、ただ開かれているのではなく、はっきり加藤の顔に焦点を合わせているように思われた。
「登志子はもう眼が見えるよ、じっとおれの顔を見ている」
「登志子もお父さんが山へ行くので、淋しがっているのよ」
「そうか登志子、お父さんがいなくて淋しいのか。一週間たてば、お父さんは帰って来るからな」
加藤は、登志子の頬にもう一度右手の指を出そうとしたが、そのとき登志子が眼をつぶったので、あわててひっこめて、
「登志子は眼をつぶったよ、やはりまぶしいのかな」
加藤は空を見上げた。薄曇りの空でまぶしいというほどのことはなかった。加藤は、花子と歩調を合わせるためにかなりゆっくり歩いていた。年の暮で人の往来がかなりはげしかったが、ものものしい山支度をして、スキーを担いでいく加藤の姿は目立つらしく、物珍しそうにじろじろ見ていく人がいた。加藤と花子のうしろから、男の子が大きな声でいい争いながらやって来たが、長田神社の前まで来ると少年たちはふたりを追い越し、そこでまた大声でやり合ってから、近づいて来る加藤と花子に向っていった。
「くれ《・・》っていう字はこうですねえ」
少年の一人が、小石を拾って土の上に、字を書こうとすると、もう一人の少年も負けないように土の上に字を書いた。加藤と花子は少年たちに行く先を邪魔されたかたちになったままで、少年たちの字ができ上るのを待っていた。
一人の少年は暮と書き、そして、一人の少年は墓と書いた。
「そっちがくれ《・・》だ。こっちははか《・・》という字だ」
加藤はそういって笑った。少年の一人は、胸をそらして、勝利を誇示し、墓と書いた少年は、手に持っていた石を、にくにくしげに大地にたたきつけると、
「どうでもいいやい」
といって、走り去った。
花子は少年たちが書いた暮と、墓という字を見詰めていた。暮という字のくさかんむりがひんまがり、墓という字の土が、大きすぎた。だが、その二つの字は暮と墓には間違いなかった。日と土の違いで、随分違った意味になるものだという、小さな発見ではなく、花子は、並んで書かれている暮と墓の字を、暮―墓と縦に並べて読んでいた。身がすくみそうな悪《お》寒《かん》に襲われた。暮―墓、それはこれから山へ行こうとする加藤の運命を暗示したもののような気がした。
「どうしたのだ」
加藤にも気がつくほど、花子の顔は青かった。
「寒いの……」
「寒い? それはいけない、風邪でも引いたらたいへんだ。さあお帰り」
「でもそこまで」
「いいんだ、それより、はやく帰って炬《こ》燵《たつ》に当りなさい」
花子は首をふった。夫は自分の気持がわかっていてはくれない。が、暮と墓の説明を、旅立つ夫にいうこともなかった。旅に出る夫は笑顔で送るべきである――誰《だれ》から教えられたのでもないが、彼女はそう思っていた。
加藤の足がやや速くなった。めったに乗物に乗らない夫のことだから、このまま神戸の駅まで歩いて行くつもりだろうと花子は思った。神戸の駅まで送ってはいけそうもないが、どこまで送っていくというあてもなかった。花子は夫とはなれたくないという気持だけでついていった。暮と墓のことは忘れて、笑顔で送られるように気持をかえるにも、時間が必要だった。
「花子、身体《からだ》に毒だ。はやく帰れ」
ややとがった加藤の声がしたと思うと、加藤が花子を追抜いて大通りに出て手を上げた。
タクシーがふたりの前に滑りこんで来て止った。寒いといいながらも、ついて来ようとする花子を帰宅させるためには、彼がタクシーに乗るのがいいと思ったのである。
加藤は、ルックザックをおし込み、スキーを助手台と客の席に斜めにわたしかけてから、乗り込んだ。
運転手がドアーをしめた。加藤が花子に話しかけようとして、こっちを向いたとき自動車はもう動き出した。
花子は一枚のガラス越しに加藤の顔を見た。加藤は笑いかけていたが、それは笑いではなく、笑いの化石のようにこわばって見えた。写真で見る笑いのようであった。いつも見馴《みな》れている彼女の夫の笑いではなく、夫の形をしている夫の影の笑いのような暗い笑い顔であった。
(いけない、夫を山へやってはいけない。絶対に山にやってはならない)
花子はそう思った。理由はなかった。それは愛している者の直感でしかなかったが、そのときの彼女は必死に、その直感の糸にすがろうとしていた。
花子は、待ってちょうだい、といいながら自動車を追った。気持の上では自動車に追いつけそうな気がした。夫を山へやっては、取りかえしのつかないことになる。引き止めねばならないという妻としての義務感のようなものが彼女を走らせた。
眼の前が暗くなったような気がした。呼吸《いき》がつまった。どうにもならないほど厚く高い壁にぶつかったと思ったとたんに、下駄《げた》の鼻緒が切れた。彼女は前にのめった。危うく倒れるところであった。
花子は登志子を抱きしめたまま、しばらくそこにしゃがみこんでいた。絶望感が彼女をおおった。つまずいたときの衝撃に驚いたのか、登志子が泣き出した。花子は鼻緒の切れた下駄を拾って立上った。彼女は登志子と一緒に、声を上げて泣きたいほど悲しかった。涙がとめどなく流れた。彼女はそれを拭《ぬぐ》おうともしなかった。もと来た道を長田神社のところまで引き返した。神社の鳥居が見えたとき、彼女はふと、夫の無事を祈ろうかと思った。涙は止ったが、鼻緒の切れた下駄をさげている自分の格好が、あまりにも、みじめに思われた。彼女は緒の切れた片方の下駄を地上に置いた。祈る気持より悲しみの方がつよく彼女を押えつけた。花子は幼いころ、郷里の宇都野《うづの》神社で、鼻緒を切らして泣いているところへ現われた加藤のことをふと思い出した。そのときの花子の下駄の鼻緒は赤だった。そして、いまさっき切れた鼻緒も赤であった。
加藤と宮村が蒲《がま》田《た》川《がわ》の橋を渡って栃《とち》尾《お》に入ったときにはもう日は沈んでいた。加藤は村の人に郵便局の所在を尋ねた。すぐそこだった。加藤はルックザックのポケットから、花子が油紙に包んで入れてくれた葉書を取り出すと、ルックザックを机がわりにして鉛筆を走らせた。
「信州側から乗鞍岳《のりくらだけ》へ登り、肩の小屋で宮村君と落合う。本日乗鞍頂上より平湯を通り、ただいま栃尾村到着(十二月三十一日午後四時四十三分)、今夜は槍《やり》見《み》温泉泊りの予定。雪が胸までのところもあったが快適だった」
小さな字でそこまで書いて、さらにそのあとに、なにかひとこと書こうとしたが、その文句が容易に出て来なかった。心配しないようにだとか、体調は絶好だとかそういうきまり文句より、ほんとうは、加藤を送りに出て来た花子が、その後風邪でも引きこんで寝てはいないかという心配を文字にしたかった。彼が乗ったタクシーが走り出した瞬間、花子が登志子を抱いたまま、なにか叫び声を上げて追いすがろうとしたが、スキーが邪魔になってふり向けなかった。その後味の悪い別れ方についても、なんとかひとこと書きたかったが、さて文句にしようとすると、なにも書くことはなかった。素手で握っている鉛筆が冷たかった。
宮村健が、加藤がしゃがみこんでいるまわりを歩き廻《まわ》っていた。じっとしていると足の先が冷たいのである。加藤は、二行ほどの余白を残したまま、その葉書を投函《とうかん》した。枯葉が一枚落ちたほどのかすかな音を感ずると同時に加藤は、
「花子、なにも心配することはない。天候もいいし、身体の調子も絶好だ。おそらく予定通りに、四日には家へ帰れるだろう」
そう書くべきであったと思った。
蒲田川ぞいの雪の道に、真新しい橇《そり》の跡がついていた。橇の跡にまじって、登《と》山靴《ざんぐつ》の跡がところどころにあった。一人や二人ではなく、七、八人の人が歩いた跡だった。
「これでは槍の肩の小屋は満員ですよ」
宮村健がちょっと心配そうな顔をしていった。
「さあ、これだけのうちで何人槍へ登れるかな」
加藤は、おそらくこの季節に槍へ行こうというものは、そう多くはないだろうと思っていた。
槍見温泉には日暮れと同時についた。ふたりはその日の終着点を確認するように顔を見合せてから、どちらからということもなく、焼岳の方へ眼をやった。煙は東になびいていた。上空は西風が強いのだ。
「明日も、風は強いが天気はよさそうだな」
加藤はひとりごとをいって、槍見温泉の方へ歩いていった。橇が旅館の前に置かれてあった。
「今晩は」
と玄関で、宮村が彼《かれ》等《ら》の到着をわざと顕示するような大きな声で家人を呼んだ。
宿の主人が顔を出し、つづいて、泊り客らしい男が顔を出した。加藤は玄関に脱いである靴を見て、七、八名の客がいるなと思った。
「宮村君じゃあないか」
露《ろ》天《てん》風呂《ぶろ》へでもいくらしい格好で廊下へ出て来た二人づれのひとりが宮村に声をかけた。
「ああ、市川さん、水野さんも一緒ですか」
そして、宮村は、すぐふりかえって加藤に神戸登山会の市川と水野を紹介した。市川も水野も、加藤のことはよく知っていた。加藤の講演を聞いたこともあった。
「槍ですか」
宮村が訊《き》くと、市川は、
「冬の槍ヶ岳などとがらにもないことをいうようですが、行けるところまで行って見ようと思いましてね」
市川は水野と顔を見合せて笑った。
「じゃあ、ちょうどいい。御一緒に願いましょうか」
宮村は、彼が所属している山岳会のメンバーと槍見温泉で会ったことで、かなりはしゃいでいた。
ふたりが通された二階の部屋の北側の窓から、いままさに夜を迎えようとしている槍の穂先が見えた。槍の穂先が空の暗さの中に溶けこもうとしている一瞬だった。槍の穂先がちょっぴり見えたというだけだったが、二人にとっては、それがたいへんな喜びだった。
「この宿には三組のパーティーがいます。一組は東京のパーティーで同行三人。もう一組はドイツ人のパーティーです。男が三人に女が一人、それぞれに案内人が一人ずつついていきます。やはり槍へ登るのだそうです。ドイツ人の一人は、日本語がかなり上手です。それにもう一組は市川さんと水野さんのパーティーです。なかなかどうして、正月の槍はたいへんな賑《にぎ》わいぶりを見せることになりますね」
夕食後、階下へおりていった宮村健は、部屋にもどって来て、地図を調べている加藤にいった。
「そうかね、どうせなら賑やかな方が正月らしくていいじゃあないか」
加藤は宮村の顔にちらっと眼をやった。宮村の顔は、酒でも飲んだように赤かった。山の知人や、外国人の登山家に会ったことなどで昂奮《こうふん》しているのだなと思った。夏のころ神戸で会ったとき、なにか思いつめたような憂《ゆう》鬱《うつ》な顔をしていた宮村が、こんどの山行を加藤と約束して以来、また以前のように明るい青年になったことは、加藤にとって嬉《うれ》しいことではあったが、槍見温泉についてから、宮村が、やや饒舌《じょうぜつ》になりすぎたのが心配だった。
加藤は宮村とのはじめての山行であった。ほとんど加藤に匹敵するほどの単独行をやっている宮村のことだから、登山技術も体力も勝《すぐ》れていることは間違いのないことであり、そして、冬の山への熟練度は、乗鞍岳登山によって充分窺知《きち》することはできたが、他のことについてはまだ加藤はなにも知ってはいなかった。
(そうだ、山からおりて来て他人に会うと、やたらに話しかけて見たい気になることがよくあるものだ)
加藤は、彼が単独行をはじめた当初、人恋しさのあまりに、わざわざ廻り道をして、人のいそうな小屋をたずねたり、他の登山者と同行しようとして嫌《きら》われたことを思い出した。
(宮村君は若いから無理はない。もう少しひとりで山をやっていると、他の登山者に対して関心を持たなくてすむようになるのだ)
加藤は宮村のために、心の中で弁解してやっていた。
「連中は、明日の朝七時にはここを発《た》つそうです」
「七時ね。いいだろう、ぼくらもそのころにしよう。ところで市川さんと水野さんはどうするのかね」
「話してみました。同じ神戸だし、同じ山岳会だし、ここで会って別行動というわけにもいかないでしょう。一緒ということにしました。いいでしょう加藤さん」
宮村は加藤の顔を窺《うかが》うように見た。
「ぼくはかまわないが、むこう様に迷惑にならないかな」
加藤は自分自身の力量をよく知っていた。宮村なら加藤のペースに追従できるけれど、他の人たちは無理ではないかと思った。加藤はうぬぼれていたのではなく、いままでの経験からそう判断したのである。
(おれのペースに合致する者はいなかった。だから自然の勢いで単独行に追いやられていったのだ)
「市川さんも水野さんも喜んでいますよ。加藤文太郎といえば、わが国登山界の第一人者ですよ。その加藤さんと一緒に歩けるなどということは光栄です」
「そういっていたのか」
「いや、彼等は遠慮していましたが、私がそういってすすめたのです」
宮村は得意顔でいった。
「そう決ったならそうしよう」
加藤は、顔に現われようとする不満をかくすために、いそいで眼を地図の上に落した。
昭和十一年元旦《がんたん》はダイヤモンドの粉をふりまいたように、きらきらと輝く薄い氷霧の中に明けた。ほとんど風はなく、氷霧は空中に浮いたようであった。
二階の窓から、磨《と》ぎすまされた白い槍の穂が見えた。飛雪は望見できない。頂上は風がないのだ。
七時ちょっと過ぎにドイツ人の一行が出発し、そのあとを、東京から来た三人組が追った。加藤、宮村、市川、水野の四人は、七時五十分に槍見温泉を出発した。
トップが宮村、ラストが加藤であった。四人はスキーを履いて、先行したシュプールのあとを追った。
槍見温泉から槍平までは急な道ではなかったが、樹林の中のおそるべく長い退屈な雪の道であった。白出沢で一行は先行していた二組のパーティーを追抜いた。そこからも、踏み跡はあったが、かなり古いものであった。
四人は滝谷で河《か》原《わら》におりた。河の上に氷が張り、その上を雪がおおっていた。樹林の中の道よりも、その方がはるかに歩きよかった。その辺まで来ると、二番目を歩いている市川の疲労が目立った。三番目の水野の足も遅くなった。加藤はしばしば先頭の宮村に声を掛けてゆっくり歩くようにいった。
加藤はパーティーを組むことのむずかしさを、山を始めて十数年も経《た》ってから、はじめて教えられたような気がした。
宮村はラストの加藤にゆっくり行けといわれると、しばらくはそのとおりにしたが、すぐまた二番との間の距離をはなした。
「市川さん、頑《がん》張《ば》って下さいよ。槍平小屋はすぐそこですよ。こんなところでもたついていて、東京の奴《やつ》等《ら》や、ドイツ人に追抜かれたら、どうしようもありませんからね」
言葉はおだやかだったが、宮村が市川と水野に激励の鞭《むち》をふっていることは明らかであった。
「ああ、……」
雪の上にルックザックを背負ったまま仰向けに倒れた市川は、そう答えただけで、たいした反応は示さなかった。水野も市川と並んで、なんといわれても、これ以上いそぐことはできませんという格好でいた。ふたりが黙りこむと、宮村もしょうがないとルックザックをおろして、からみで雪の上をせかせか歩き廻っていた。宮村は体力を持て余しているようだった。
「登山第一日目っていうのは疲れますね」
加藤は市川と水野にことばを掛けてやりながら、彼等と同じように、雪の上にひっくりかえって青空を見ていた。一点の雲もなくよく晴れた青空だった。このごろの季節としては奇《き》蹟《せき》のように晴れ渡った空を見つめていると、加藤は、その青空のどこかに吹雪の唸《うな》り声を聞いたような気がした。
「明日は吹雪だな」
加藤は空に向って低い声でつぶやくようにいったが、静かだったから、その声は、他の三人にもはっきり聞えた。
「吹雪ですか、明日は」
宮村がいった。なぜ、そんなことがわかるのか、なにか大気の中にその兆候でも認めたのかというふうな怪《け》訝《げん》な顔で、加藤の視線を追うように、腰に手を当てて、空を睨《にら》んだ。なんにもなかった。
「このごろの季節としては異常快晴だということが、明日は吹雪だというなによりも有力な手がかりさ」
加藤は自信あり気にいった。
「明日は吹雪か、なるほど」
宮村はいかにも感心したようにいうと、彼のルックザックに両手を通しながら、
「明日は吹雪か、どっこいしょ」
と懸声もろとも起き上って歩き出した。
「どれ、こんどはぼくがトップをやろう」
加藤は、自ら先頭に立った。市川と水野のペースに合わせるには、宮村より自分がトップに立った方がいいと思ってそうしたのだが、数十歩も行かないうちに、加藤は他人のペースに合わせることのむずかしさをしみじみと知った。
「明日は吹雪かそれいそげ」
最後尾の宮村が、その文句を歌うようにいいながら歩いていた。明日は吹雪か、まではよかったが、それいそげは、市川や水野にとってはひどく耳ざわりなことだろうと加藤は思った。別にいそぐことはなかった。この分でいくと、午後の二時には槍平小屋につく。はやいおつきである。
加藤はゆっくり歩いていた。眠いような一歩一歩の積み重ねであったが、どうやら、そのペースは市川と水野の体力にふさわしいものであるらしく、加藤がトップに立ってからの市川と水野はあまり休みたがらなかった。
午後の二時少し前に槍平の小屋についた。客はおらず、小屋番の清作がひとり戸口に立って一行の来るのを待っていた。
「おい飯だ、すぐ飯を炊《た》いてくれ」
宮村は小屋番の清作に怒鳴るようにいうと、小屋の入口で、精も根もつきはてたように坐《すわ》りこんでいる市川と水野に、
「なんです、このぐらいの山歩きでばてたんじゃあ、とても、槍ヶ岳まではいけませんよ」
といった。
市川と水野は小屋の中に入っても多くはしゃべらなかった。長々と寝そべって、荒けずりの天井板を眺《なが》めながら、呼吸を整えているようであった。
「飯はすぐできるかね。腹がへってしょうがないんだ」
宮村が清作にいった。
「一時間はかかるだろうね」
「一時間、そんなには待てないね。なにか、食べるものはないかね」
「残り飯ならあるけれど、凍っているし、とても食べられるものじゃあないね」
宮村は鍋《なべ》の底に残っている飯を覗《のぞ》きこむと、
「それでいい、それで雑炊《おじや》を作ってくれ、その中に、餅《もち》を焼いて入れれば、これ以上の御《ご》馳《ち》走《そう》はない」
清作は、宮村たちがよほど腹が減っていると見たらしく、返事のかわりに、大きくうなずくと、その鍋の中に、水を入れて火にかけた。
「二十分もすると熱い雑炊ができるで……」
清作はさてといった顔で、茶碗《ちゃわん》や箸《はし》や、おかずの用意に立上った。
「ついでに、これをぶちこんでくれないか」
宮村は彼のルックザックから鮭缶《さけかん》をひとつ出した。
加藤は囲炉裏端に坐って、薪《まき》をくべながら、宮村という男は思いのほかせっかちな男だなと思った。腹は減ってはいるが、二十分、三十分を争うようなことはあるまい。そしてふと加藤は市川と水野の方を見て、宮村が食事をいそぐのは、あのふたりのためなのかもしれないと気がつくと、あんまりのんびりはしていられない気持になって、鍋の中の飯をしゃもじでかき廻《まわ》したり、餅焼きの手伝いをしたりした。
「さあ、飯ができたぞ」
宮村が市川と水野に声を掛けたが、ふたりはちょっと身体《からだ》を動かしただけだった。ふたりは眠っていた。
「起きて下さいよ、飯を食べて、もうひとふんばりしてもらわないといけませんからね」
宮村はふたりを起した。
雑炊は上手にできていた。熱い雑炊が腹の中に入ると、そのまま力となって、四肢《しし》の先々まで応《こた》えて来そうな気がした。市川はやっと二杯食べただけで箸を置いた。
「どうしたのです市川さん、もういっぱい食べなさいよ。これから先がほんものの山ですよ。寒さに勝つには腹をこしらえて置くよりほかに手がないんです」
宮村は市川が置いた茶碗にもういっぱい雑炊をつぎこんだ。
「いまは、そう食べたくないんだ」
「そうかも知れませんが、今食べてもらわないと困るんです。夜になると寒さがこたえますからね」
その宮村の言葉で、加藤と市川と水野は同時に宮村の顔を見た。まさか宮村が、これから槍平を出て、槍《やり》ヶ岳《たけ》の肩の小屋へ行こうなどといい出すつもりはないだろうという顔だった。
「宮村君、まさかきみこれから登ろうっていうのではないだろうね」
加藤がいった。
「なにいっているんです加藤さん。明日は吹雪になるんですよ。そうと決ったら、どんなにおそくなっても、今日中に肩の小屋まで行くのが当り前じゃあないですか」
宮村は叱《しか》りつけるような眼を加藤に向けてから、
「荷を軽くしましょう。一人、二日分の食糧を持っていけばなんとかなるでしょう」
加藤はその宮村のいい分に対して文句があった。たしかに宮村のいうとおりだったが、彼のいうとおりにできるのは、ここには加藤しかいなかった。市川と水野にそんなきついことをいってもだめだといおうとしていると、外で人声がした。
囲炉裏の傍《そば》に突立ったままで、なにかいいたそうな顔をしていた小屋番の清作は、外へ出ていった。ドイツ人の一行が到着したのである。
「さあ、ここはあの人たちに譲って、おれたちは出発の準備だ」
宮村がいった。どこかに命令口調があった。
外人のパーティーが靴《くつ》を脱いであがりこむと、すぐそのあとから、東京からのパーティーが上りこんで来た。
「いやあ驚きました。あなた方の足のはやいこと……、一生懸命追っても追いつけませんでした」
リーダーの森本が、宮村にいった。
「別にいそぐつもりじゃあないんですが、われわれにはまだ先がありますから」
宮村は汗びっしょりになって、荒い呼吸を吐いている森本にいった。
「まだ先といいますと」
「これから、槍の肩の小屋へ登るんです」
「肩の小屋へですか」
森本は眼を丸くしてそういうと、反射的に腕時計を見た。三時十五分前であった。冬山における行動停止の時間であった。男は時計の針と宮村の顔とを見比べていたが、その眼をやや離れたところで、腕組みをして立っている加藤文太郎の方へやると、ひどく慌《あわ》てたように、視線をそむけた。
「さあ、出発の準備はいいですか」
宮村は市川と水野に向っていった。ふたりはまだ決心のつかないように、坐ったままだった。
槍平小屋の小屋番の清作は、この時間に槍ヶ岳へ出かけるという宮村のいい分が気に入らないらしく、なにかいいたそうな顔をして、宮村の方を見ていた。
宮村はルックザックの中の物を全部そこにひろげて、そのなかから、サブザックに一つ二つ拾いこむようにつまみこんでいた。
加藤は宮村と、そのとなりに、思案顔で坐っている二人を見比べながらしばらくは立ったままだったが、ふと思いついたように、靴をつっかけて外へ出ていった。槍平の小屋の前はちょっとした雪原になっていて、小屋を出て、自然に眼を前にあげ、やや右の方にずらしたところに滝谷が見えた。滝谷は西《にし》陽《び》を斜めに受けていた。光と影がまぶしく彼の眼を射た。滝谷の絶壁はところどころに黒い岩壁を見せてはいたが、全体として見れば、やはり滝谷は雪におおわれていた。
加藤の眼と滝谷とを結ぶ線上のあたりに、鷹《たか》が一羽《わ》翔回《しょうかい》していた。
その景色はなんとなく春のあたたかさを思わせた。
加藤は滝谷の上限、北穂のいただきのあたりにしばらく眼をとめてから、さらに青空に眼を上げた。青空の奥の方に、かげろうのように、うごめくものがあった。ほんの感じだけのものであったが、加藤の眼は、それが、ずっと上層を吹いている風による気流の乱れであることを見逃してはいなかった。見ようによっては、あるかなしかのうすい雲が、強い西風に流されていくようにも見えた。
上空に強い季節風が吹き出したのだ。もしそうだとすれば、風は間もなく高度を下げて来て、山岳に当り、降雪にかわるのである。
「やはり明日の天気は悪くなる」
加藤には、それこそ間違いのないことに思われた。明日暴風雪になるとわかっていれば、今日中に無理してでも頂上に登ったほうが、有利かもしれない。頂上で吹雪をやりすごしながら機会を見ていて、これぞという日に北《きた》鎌《かま》尾根《おね》をやって槍の肩の小屋に引き返すのも悪くはないと思った。だがそれをやるのは加藤と宮村の二人で、市川と水野は別だった。
加藤は槍平小屋に引き返した。
宮村健と清作が大きな声でやりあっていた。
「いくらなんでもいま時分に出発するということはねえだろう。いまごろ出て見ろ、直《す》ぐ暗くなる。月はねえし、とにかく寒くて、どうにもこうにも動きが取れなくなる。やめたほうがいいね」
清作がいった。
「月がなくたって、ちゃんと懐中電灯は持っている。寒いの、暗いのといちいち気にしていたら冬山歩きなんかできゃあしない」
宮村は、清作に向っていっているのだが、明らかに、他のパーティーを意識しての発言のようであった。
「あなたがどうしても行くというならしょうがねえが、まあ、みんなの身体のことも考えてやることだな」
そのいい方の中には多分に皮肉がこめられていた。いささかそれは清作のいい過ぎのようでもあったが、清作にしてみると、疲労を顔に現わしている市川と水野をその山行に追いやりたくないようであった。
清作はそういいながらもなんらかの反応を求めようとするかのように、市川と水野、そして東京から来たパーティーに眼をやっていた。市川と水野は沈黙をつづけていた。槍見小屋からパーティーを組んで来たものの、宮村のいうとおりにしなければならないということはなかった。市川にしても水野にしても、神戸登山会のメンバーとしては宮村より古顔であり年齢も上だった。一緒にいくのはいやだといえばそれまでのことであったが、彼《かれ》等《ら》はその結論をいうまでに、もう少しなんとか、なごやかにこの結着がつかないものかと思っていた。二人は同時に加藤の方へ眼をやった。加藤ならこの宮村を制することができるだろうと思った。加藤の貫禄《かんろく》を以《もっ》て、ひとこと、宮村君それは少々無理ではないかといえば、宮村もいうことを聞くだろうと思った。
だが、加藤はひとこともいわなかった。加藤はむしろ迷惑そうな顔をして立っていた。加藤は宮村と交際はしていたが、市川と水野とははじめてであった。神戸登山会の会員でもなかった。余計な口出しはすべきではないと思っていた。加藤がそういう態度を取ると、この四人のパーティーのリーダーは一番若い宮村であるかのような格好に見えてくるし、加藤が沈黙を守っていることが宮村には、加藤が内心では宮村の意見に賛成しているように思われるのである。
東京から来たパーティーのリーダーの森本が、囲炉裏《いろり》端《ばた》から立上って、宮村の方へやって来た。彼は、山男の一員として、こういう場合、ひとこというべき権利があるかのような顔つきであった。森本と宮村の視線があった。宮村は森本の視線を一瞬はねのけると、突然市川と水野の前に仁王立ちになっていった。
「明日から天気が悪くなるんですよ。登るとすれば今日のうちです。こんなところで愚図っていたら、結局ここまでということになるんです。なんです。冬の槍ヶ岳をやろうっていうほどの者が、あと四、五時間頑《がん》張《ば》ることができないのですか」
宮村は腹いっぱいの声で怒鳴った。
「さっさと荷物を整理して下さい。食糧は各自二日分、サブザックに入れてすぐ出発です」
宮村の声は威《い》嚇《かく》とも取れるほどの決定的な響きを持っていた。森本は、宮村の声に圧倒された。宮村が大声で怒鳴ったひとつの理由が、森本の口を封ずるためであることがはっきりした以上、森本は近づくことはできなかった。それでも森本は未練がましく、ちらっと加藤の方へ眼をやり、そして、どうにでもなれという顔で囲炉裏端の方へ引き返して行った。
宮村の怒鳴り声は市川と水野を動かした。その声を聞くと、まず、水野が彼のルックザックに手を掛けた。あきらめた顔でルックザックの中からサブザックを引張り出して、それになにやかやとつめこもうとするのを、市川は責めるような眼で見つめていた。市川は自分の体力の限界を知っていた。とても、これ以上従《つ》いていくことは無理だからこの小屋に残るつもりでいた。
水野の手つきは次第に軽快に動くようになった。宮村の一喝《いっかつ》に対して不満らしい態度を示していた彼も、いざ登る準備をはじめると、もう迷わなかった。心が決るとむしろ積極的に手が動いた。
市川はひどくせつない気持にさせられた。自分ひとりだけ槍平小屋に残ることに抵抗を感じた。水野のサブザックを見ながら、あのぐらいならなんとか、背負って歩けるだろうという気がした。自制するものより前進したいという気が勝ってくると、身体のだるさに入れかわって、思ってもいなかった闘争心が擡頭《たいとう》してくるのが自分ながらおかしかった。
市川はルックザックの前に坐り直してその緒を解いた。
加藤は、異様な雰《ふん》囲気《いき》に包まれたまま、どこかに運ばれていこうとする自分を見つめていた。ひとことも口を利《き》かず、なんの意思表示をすることもなく、四人のパーティーの一員として行動しなければならない自分が、自分ではないように思われた。
(二日分ばかりの食糧を持っていってどうしようというのだ。もし頂上で吹雪《ふぶ》かれたら枕《まくら》を並べて餓死ということになる)
加藤はまず食糧のことから先に考えた。加藤の単独行の基礎となるものはかなり余裕を持った食糧と、そして燃料であった。いくら吹雪いても、彼独特の食糧と、そして、ときどき湯を沸かして飲むことのできる燃料があれば、おそれることはなかった。
加藤の今までの冬山の経験によれば、この場合は少なくとも一週間分の食糧と燃料を必要とした。そのつもりで用意して来ていたし、そのぐらいの常識は、加藤でなくても誰《だれ》もが知っていることであり、宮村も市川も水野も、それぞれ大きなルックザックの中身のほとんどは十日分の食糧と燃料であった。
加藤は、なぜ宮村が、冬山登山の常識を破って二日分の食糧を持って出発すると言明したかについて考えた。もし彼が本気でそんなことをいったとすれば、正気の沙汰《さた》ではない。おそらく宮村はなにか、それについての対策があるに違いない。
(まさか、宮村が、秋の間に槍へ登って、どこかに食糧を貯蔵して置いたのでもあるまい)
そんなことを考えながら加藤は、ふと、宮村が洩《も》らした、
(なあに、いざとなったら、小屋の食糧をお借りするさ)
といったことを思い出した。
宮村は、十二月のはじめに、槍ヶ岳肩の小屋の持主の沖田氏に手紙を出しているから、その折、肩の小屋に食糧がかくしてあることを、沖田氏から聞いたのかもしれない。そうだとすれば二日分の食糧を持って登るということがあってもいいが、小屋にかくしてある食糧はあくまでも非常食であって、はじめっから、それを当てにして登ることは登山家として取るべきことではないように思われた。宮村がそんな男だとは思いたくなかった。
いったい、それまでしてなぜ登らなければならないのだろうか。加藤は宮村の気持をできるだけ理解してやろうと思った。
おそらく明日は吹雪になるだろう。そうすると、三、四日、あるいは五、六日待っても登れないかも知れない。そうなると、加藤は、神戸へ帰らねばならなくなる。宮村があくまでも加藤と二人で北鎌尾根を狙《ねら》うとするならば、今日中に肩の小屋に着いて、そこで天気の合間を見て北鎌尾根へ出かけるという手を使うしかない。もしそうだとすれば、それは加藤と宮村だけのことであって、市川と水野には関係がないことである。
(宮村はなぜ市川と水野を一緒につれていこうとするのだろうか。水野も市川も、それを希望してもいないのに――それはおそらく宮村が自分を誇示したいため……)
加藤の顔色が暗くなった。
「加藤さん、なにを突っ立っているんです。用意をしないんですか」
宮村にそういわれて、加藤は、はっとした。
(そうだ、おれは宮村のために山へ来たのだ。宮村の痛んだ心をなぐさめるためと、彼の山行の最後を飾ってやるために出て来たのではなかったか)
加藤は、いま眼の前で、すでに市川と水野を意に従わせて、この季節としては、むしろ常識外の行動をやって見せようとする宮村に、しばらくは、その場を、彼の檜舞台《ひのきぶたい》として置いてやろうと思い直した。
(宮村はおおぜいの前で、いいところを見せたいのだ)
加藤は宮村に対して、しばらくぶりで、あらゆる感情が浮き彫りされたような不可解な微笑を送ると、彼のルックザックの傍に坐《すわ》って、
「二日分の食糧だな」
と宮村に聞いた。そのとき加藤は、リーダーの権利を完全に宮村に委《ゆだ》ねていた。
三時五分に四人は槍平《やりだいら》の小屋を出た。清作も、森本も、ドイツ人の一行も、小屋から見送りに出ては来なかった。槍平の小屋に残っている人たちのすべては、宮村と宮村に従ってこの小屋を出て行った者に対して悪感情を抱いていた。日本語をいくらか理解する一人のドイツ人によって、その小屋に起きたあらましのことが知らされると、一人のドイツ人は、首を傾《かし》げ両手を大きくひろげて困ったことだという表情をした。一人のドイツ人は、いきなり腹を切る真似《まね》をした。宮村等《ら》の行動を日本独特の自殺行為として表現したのだが、誰も笑わなかった。四人のドイツ人の中のたった一人の女性は、なんの意思表示もせずに、四人が出て行った方を黙って見送っていた。
陽《ひ》が錫杖岳《しゃくじょうだけ》の向う側にかくれると、四人が踏んでいる踏み跡のない雪道は急に固さを増していくようであった。
スキーを履いた四人は一列に並んだ。トップの宮村は暮れていく白銀の世界に向って、
「昭和一一《いちいち》年一《いち》月一《いち》日は静かに暮れていく」
と、いかにも宮村らしい詠嘆《えいたん》をこめた口調でいった。ふりかえると槍平はすでに夜の幕の中に入っていた。
(一月一日の夕べ――神戸で花子たちはなにをしているだろう)
加藤は思いを彼の家に走らせた。登志子を抱いて送りに来た花子の姿が浮び上る。彼が乗ったタクシーが走り出したときに、なにか叫んでいた花子の顔が見えた。花子と登志子とさわとが、楽しく正月を迎えている姿はどうしても浮び出てはこないのである。
槍平と槍ヶ岳肩の小屋との標高差は約千百メートルあった。槍平を少し登って、お花畑あたりから胸を突くような傾斜になる。
市川と水野の遅れが目立った。二人の足は夜を迎えるとともに、さらに遅くなった。二人が胸にさげた懐中電灯がぶらぶらするのを気にして、先を歩いていた宮村が引き返して、固定してやった。
「加藤さん、ぼくは一足先に行って、小屋の方の準備をしていますから、あとからゆっくり来て下さい」
宮村は市川と水野を加藤にまかせると、口笛を吹きながら先へ登っていった。しばらく宮村の懐中電灯のあかりが見えたが、間もなく消えた。おそろしく星が冷たく光る夜であった。
市川は死にそうに苦しかった。履いているスキーが鉛の玉でも引きずっているように重かった。呼吸も苦しいし、心臓が破裂しそうに、ふくれ上っていく気持だった。とても肩の小屋までは無理だと思った。
市川は十歩行っては休み、また十歩を動いては立ち止るといったような歩き方をしていた。どこをどう歩いているかわからなかった。歩くことに責任はあっても、行く先には責任が持てないほど、頭の中が熱かった。市川のあとにつづいている水野も、市川とほとんど同じであった。水野は、ただ市川のあとに従って歩くことだけで精いっぱいだった。
最後尾にいる加藤が、うしろから懐中電灯をさし出すようにして、前を歩いていった宮村の踏み跡を追っていた。市川が、その足跡からそれると注意した。市川はいきなり雪の中に坐りこむことがあった。そんなとき彼はどうにでもなれという気になった。雪の上にサブザックを背負ったまま、仰向けにひっくりかえることもあった。そのまま滑り出しても知るものかというような捨てぜりふを、彼の中のもう一人の彼が囁《ささや》いていた。
(なんだってこんな苦しい目に合わねばならないのだ)
先へ行ってしまった宮村のことを考えると腹が立った。なにも宮村なんかのいうことを聞かないでもよかったのに、そんなことをふと思ったあとで、彼はここでほんとうに動けなくなったら、それこそ間違いなく凍死という結果になり、宮村の腹いっぱいの嘲笑《ちょうしょう》を受けることになるだろうと思った。
市川はときどき畜生めということばを吐いた。宮村に対していっているつもりだった。市川が畜生めといい出すと、水野もまた小さい声でそれをいった。畜生めが偶然のようにかち合ったりすると、疲労のなかに急に力を感ずることがあった。
十歩行っては休むのが、五歩行っては休むようになり、ついには、もう一歩も歩けそうもなくなって、雪の上にのたりこむと、加藤が、傍《そば》へ来て、
「だいぶ来たなあ、もうすぐそこが飛騨《ひだ》乗越《のっこし》だ」
などといった。市川や水野にいうのではなく、加藤のひとりごとのようであった。
もうすぐだといわれると、市川は、最後の力をふりしぼって登ろうという気にもなる。それにしても、加藤がひとことも、激励のことばを掛けないのが不思議だった。さあ、もう少しだ頑張ろうというようなこともいわずに、ふたりがぶっ倒れると、その二人の傍に腰をおろして、二人が立上るまで、じっとしているのは、二人にとって、なにか人間の形をした送り狼《おおかみ》にでもつけられているような奇妙な気持だった。
加藤はわざとそうしたのではなかった。彼はパーティーを組んで登山したことがないから、こういう場合どうしたらいいのか知らなかった。加藤は、付添いの義務以上のことはしようとしなかったのである。が、結果においては、加藤のこの放任主義がふたりにとってはよかったのである。もし加藤が先行して、宮村が、付添ったならば、頑張れ頑張れを連発して、かえって彼等を疲労困憊《こんぱい》させ、頂上へ達することができないばかりか、もっとたいへんなことになったのかもしれない。
市川がどうにも動けなくなって、ただもうしばらく、ここで眼をつぶっていたいという、危険な欲望を感じたとき、加藤は、仰向けに倒れている市川の口の中にレモンの汁《しる》をそそぎこんだ。それは強烈なにおいと酸味を持っているというだけで、彼の疲労を恢復《かいふく》させる働きはしなかったが、加藤が、積極的に介抱をしようとしている態度が市川に力を与えた。
「レモンの味さえわかれば、まだまだ歩ける」
加藤は市川と水野に等分にレモンの汁を飲ませてからいった。
不思議なほど風はなかったが、時折思い出したように風が起って、彼等の疲れ切った皮膚をむち打った。
「どのへんでしょうね、ここは」
市川は前に立ちふさがる黒い壁に向っていった。
いくら登っても地形の変化を感じないのが彼をいらだたせた。
「飛騨乗越のすぐ下だ」
加藤は前と同じことをいった。市川と水野は、ふらふらと立上って、また歩き出した。
雪の面が固くなり、スキーでは無理なような地形になったところまで来ると、加藤は二人にアイゼンに履きかえるようにいった。
「ひとりずつやらないとあぶない」
加藤は、まず市川にアイゼンを履かせ、彼のスキーを雪の中に突きさしてから、水野にアイゼンを履かせた。半ばは加藤が手伝ってやった。二人の履きかえが終ってから、加藤自身も手ばやくアイゼンに履きかえてから、
「これからは注意しないと危ないぞ」
と警告したが、二人は聞えないようであった。
加藤は二人に懐中電灯を当ててから、このまま二人を肩の小屋まで引張っていくことの困難を察したのか、ピッケルで雪をけずって、安全な場所に二人を坐らせると、すぐその傍で、サブザックの中からアルコールランプとコッフェルを出して、水筒の水を沸かしてその中に角砂糖を入れ、砂糖湯を作って二人に与えた。雪の急傾斜面をピッケルでけずり取った調理台で作られたその特効薬は、市川と水野に活力を与えた。
二人は加藤の手取り早いその処置に感謝していたが、別にありがとうとはいわなかった。なにかすばらしい手品でも見ているような気持で、アルコールランプの赤い炎を眺《なが》め、そして熱い砂糖湯が、胃の底を刺《し》戟《げき》したとき、おれはまだ死人ではないのだと思った。
それからの加藤は前と違った。
「足元に気をつけろ」
とか、ゆっくり歩けとか怒鳴った。雪が吹きとばされて、蒼氷《そうひょう》が顔を出しているところへ来ると、加藤が先に立って、ステップを切った。その辺まで来ると宮村のアイゼンの跡を見失ったが、雪の状態と、彼《かれ》等《ら》の前に立つ黒い壁の大きさで、稜線《りょうせん》に近づいていることは明らかであった。もうすぐそこだと加藤にいわれなくとも、彼等自身で位置を判定できるところまで来ていたのである。もし彼等が、しっかりしていたならば、立ち止って周囲を見《み》廻《まわ》し、星空が急に広くなったことに気がつき、彼等は暗い谷から、明るい稜線のすぐ下まで来ていることに気がつくはずだったが、彼等には周囲を見る余裕すらなかった。
風が出て来た。寒気が増した。二人は最後の気力をふりしぼって歩いていた。市川も水野も、苦しみはもう感じてはいなかった。無意識に足を出しているだけだったが、それでも、危険に対しての本能的な警戒まで捨ててしまってはいなかった。彼等は加藤の警戒の声を聞くたびに、ピッケルを持ち直した。
市川は、ふわりと軽い足の感覚に、ためらったように立ち止って、足元から上部に眼をやった。それまで、頑強に彼等の前をさえ切っていた黒い壁がなくなって、そこには星があった。手を伸ばせばいくらでも掴《つか》み取りできそうなところに輝いていた。
「稜線だ、稜線に出たのだ」
市川は叫んだが、声にはならなかった。つづいて、水野が稜線に立ち、水野もまた苦しい呼吸の下から、なにかわめき散らしていた。
そこからは加藤が先に立った。加藤は、懐中電灯を消してしばらく、星の下に立っていては、またゆっくり歩き出した。
一面に宝石をばらまいたような大空の中に槍ヶ岳の格好をした黒いものがあった。そのように大槍は星空の中にはっきりと突出して見えていた。おそらく、その限りない星がなければ大槍は発見できなかっただろうと思った。
大槍が見えると、地形ははっきりした。それに、いままでと違って稜線に出ると星明りでかなり地物を判定できた。稜線を踏みはずすということはなかった。
加藤は大槍の格好をしつっこいほど見ていたが、やがて大槍に背を向けて歩き出した。肩の小屋は、積雪の中に、ちょっとした隆起を作っていた。うっかりしているとそこに小屋があるかどうかわからなかった。雪の上にほんの少しばかり屋根を出しているに過ぎなかった。
ピッケルで雪を掘ったあとがあった。
槍ヶ岳寄りの二階の窓が掘り出されて、そこが開いていた。
小屋の中で懐中電灯が動いていた。宮村の声が聞えた。宮村が中から、市川の身体《からだ》を引きずりこむようにして、小屋の中に入れた。
市川は小屋の中にぶっ倒れた。小屋というよりも、氷室の中へ倒れこんだ感じだった。宮村の懐中電灯や加藤の懐中電灯の光のもとに照らし出されるその部屋は、雪と氷でいっぱいだった。加藤が一番最後に窓から入りこんだ。二階は氷室であったが、一階にはそれほど雪が入りこんではいなかった。
市川はもうなんの遠慮もなくそこに倒れこんだ。アイゼンを誰《だれ》が取ってくれているのか、誰が靴《くつ》をぬがしてくれているのかわからずに眼をつぶっていた。助かったということだけが、身に滲《し》みた。
水野は、自分でアイゼンを取り、靴を脱ぐだけの余裕をまだ持っていた。彼は水筒の水を飲んでからひっくりかえって、すぐエビのように丸くなった。
宮村は、肩の小屋を雪の中から掘り出すのに意外に時間がかかったことを加藤にしゃべっていた。
「スコップを持って来れば、こんな苦労をしないで済んだのに、……まったくばかばかしいほど時間がかかる仕事だった」
宮村が二階の窓からやっと入りこむことができたころ、あとの三人が到着したのであった。
「とにかく火を焚《た》いて飯にしなけりゃあ、腹がへってしょうがない」
宮村はそういってまわりを見廻した。部屋の中ほどにストーブがあった。煙突ははずしてあった。小屋の中を探すと、カンナくずや二束ほどの薪《まき》があった。
宮村が火を焚きつけたが、紙だけ燃えて薪には火はつかなかった。薪は雪に濡《ぬ》れていた。加藤がかわった。彼はサブザックの中から新聞紙を引張り出して丸めて中に入れ、そのまわりに細い木片を立てかけようとしたが、適当のものがないから、薪割を探した。どこを探しても薪割は見つからなかった。ピッケルを薪割がわりと一度は思ったが、そんな無法のことはできなかった。水野が、登山ナイフを持っていたから、それを使ってどうやらひとつかみほどの、たきつけを作って火をつけた。火は新聞紙に燃えうつり、たきつけの薪を半分ほどこがしたところで消えた。濛々《もうもう》と煙が上った。
宮村と加藤は一時間ほど煙と戦ったが、ついに火はつかなかった。煙が部屋に充満して、呼吸困難になった。彼等は、ストーブに火をたきつけることはあきらめて、床に這《は》って、煙の退散するのを待った。通気孔は二階の窓ひとつであった。
夜半になってから、ようやく煙がなくなったところで、宮村と加藤は携帯用石油コンロとアルコールバーナーを使って湯を沸かし粥《かゆ》を炊《た》いた。市川は死んだように眠っていて呼んでも起きなかった。布《ふ》団《とん》はむしろに包んで梁《はり》にぶらさげてあった。それをおろして、着て寝ると寒いことはなかった。
加藤はなかなか眠りつけなかった。肉体的疲労で眠れないのではなく、今日一日の不思議な山行に昂奮《こうふん》して眠れないのであった。単独行しかやったことのない加藤にとって、彼自身の他《ほか》に二人の同行者の責任を持ったことでひどく神経が疲れた。加藤は多くの山の本を読んでいた。山における友情については、ほとんど美化され、それはあたかも人生を山という世界に縮図したように、あざやかに書いたものばかりであった。パーティーを組むということは、美徳を山へ持ちこもうとする行為の前提であるかのごとく書いたものもあった。しかし、生死の境を歩かせるほど苦しめる者と苦しめられる者とが同居するパーティーが、美徳となんのかかわりがあるのであろうか。加藤は、宮村の取った態度がどうしても納得いかなかった。いいところを見せようとしたにしては、それはあまりにも常軌を逸した行為に思われた。いうなれば気狂《きちが》い沙《ざ》汰《た》であった。市川と水野が無事でいたことも、運がよかったという以外になかった。もし頂上近くになって風が出たら、――たとえ秒速十五メートルの風が出ても、市川と水野はそれに耐えられなかったと思われた。
小屋の中はまったく暗黒であって、寝息しか聞えなかったが、そのひとつの寝息を吐いている宮村について、加藤はさらに多くのことを考えねばならなかった。
(宮村は山へ来たら別人になった)
それは加藤に対して、第三者がいうことと同じであった。下界においては、むしろ華奢《きゃしゃ》に見える身体つきをしている加藤が、たったひとりで、吹雪の北アルプスを縦走するほどの男だとは誰も想像できないように、あれほど親しくしていたのにもかかわらず、加藤は、下界における宮村だけを知っていて、山における宮村を知らなかったのである。
(人間は下界と山では別な人間になるものであろうか)
加藤は、まず自分を分析した。少なくとも自分自身は山と下界では根本的には違ってはいないと思いたかった。
(宮村については注意しなければならない)
山へ入ってからの宮村には、園子に裏切られて、めそめそしていた宮村の暗い翳《かげ》はどこにもなかった。むしろ、王者のようにふるまっている宮村は加藤の上に君臨しようとさえしているように見えるのである。
加藤は、同行者の宮村に対して、そのときはじめて、ごくわずかな不信の念と、それ以上強く、この山行から早々と退却して、神戸の花子と登志子のところへ帰りたいと思った。
苦しそうに、うめく声が交互にした。市川と水野は、布団の中でまだ苦悩の登山をつづけていた。
昭和十一年一月二日は猛烈な吹雪に明けた。
雪に埋もれた肩の小屋の中にいても、外の吹雪の音で話ができないほどであった。きのうの夜、雪をかきわけてやっと開けた二階の窓の隙《すき》間《ま》から雪が吹きこんで階下に寝ている四人の顔にふりかかった。
加藤と宮村が交互に起きて階段を登って戸締りに行ったが、眼に見えないような隙間から吹きこむ雪を防ぐことはできなかった。
「なあにすぐ吹きこまなくなるさ」
宮村は間もなく雪の中に小屋全体が埋没してしまうことを予想しているようであった。
市川と水野は布団の中にもぐりこんだままだった。時々眼を開けてまわりを見ては、すぐまた眠りこんだ。ゆうべの疲労がまだ恢復《かいふく》していないのである。
市川は明るみの方へ薄眼を開けて見て、たしかに肩の小屋に寝ているのだと自分にいい聞かせてまた眼をつぶった。それからしばらく、彼は、底なし沼に足を取られてもがき苦しみつづけているような眠りをつづけた。安らかにふかくゆっくりと呼吸をしながら眠っているのではなく、苦しみながらも、ゆうべからの惰性で眠っているような気持だった。
加藤と宮村が、雪の吹きこむ窓のあたりでなにやらやっていることはうすうす知っていたが、手伝わねばならないという気は起らなかった。市川の心の底には、宮村に対して未《いま》だに怒りに近いものを持ちつづけていた。
なにも、あれほどひどい目に合わせないでもよかったのに、生きてこの小屋にたどりつけたからいいものの、ゆうべのあの状態においては、生と死の確率は半々だった。あれほどの危険をおかして山に登ることがどこにあるだろうか、ああいうことがアルピニズムなら、おれはいますぐそれを捨ててもいいのだ――眠りから、覚めかけた市川の頭の中ではそんな理屈がこねられていた。
感じでは朝だったが、小屋の中は真暗だった。二階の方からさしこんで来る明るさも、階下にいる四人の顔を見分けることはできなかった。
「もう十時だ」
宮村が加藤にいう声が聞えた。それで市川は、少なくとも十時間以上は眠ったのだなと思った。空腹を感じた。起きて、その用意をしなければと思いながら、起きるほどの元気もなかった。空腹より疲労の方が勝っていたし、こんなひどい目に合わせた宮村に、食事の世話ぐらいやらせてもいいのだと考えていた。
「雪の吹きこみは少なくなったが、なにか呼《い》吸《き》がつまりそうな気がする。やはりいくらか窓はあけて置いた方がいいだろうな」
加藤のひとりごとが聞えた。彼がごとごとと階段を登っていって、吹きこんだ雪をなにかでさらって、窓からほうり出しているらしい音がした。
二階の窓を開けるとまた雪が階下まで吹きこんで来て、寝ている市川と水野の顔に降りかかった。ふたりは起き上った。
「飯にしようかな」
ふたりが眼を覚ましたのを見て、宮村はそういうと、いいんです、飯のできるまで寝ていてもいいのですよと、ふたりをいたわった。ふたりはまた布団の中にもぐった。いままで気がつかなかった布団のかびの臭《にお》いが鼻孔をついた。
宮村が携帯用石油コンロで粥を炊いた。
「餅《もち》を持ってくればよかったな」
宮村がそんなことをいった。市川は布団の中で、食糧は軽く二日分しかないのだと思った。この吹雪が一週間もつづいたらいったいどうしたらいいだろうと考えていた。
「さあ、飯ができたから起きて下さい」
宮村は市川と水野にそれまでになく丁寧な言葉をかけた。等分に盛り分けた味噌《みそ》粥《がゆ》の中にネギが一片ずつ浮いていた。
市川と水野は、重病人が床から起き上るように、大儀そうに身を起してコッフェルをかこんだ。粥を盛り分けて、からになったコッフェルの中には雪が入れられていた。アルコールランプの火がコッフェルの下から、四人の膝《ひざ》のあたりまで照らし出していた。四人の顔つきまでは見えないけれど、誰が誰だかわかる程度の明るさだった。
市川はネギを噛《か》んだとき、ひどくわびしい気がした。別にどうということはないのだが、ここでこうして、味噌粥の上に乗った一片のネギを口に入れることが、けっして楽しいことには感じられなかったのだ。
市川はとまどったようにネギを口に入れたままで、彼の横にいる加藤の横顔を見た。加藤も、やはりホークの先にネギをつきさしたまま、なにか考えこんでいたのである。二階からさしこんで来る光が、加藤のホークの先にあるネギの白さをうつし出したのであって、加藤の表情は見えなかったが、市川は、加藤がひどく淋《さび》しそうな顔で、その一片のネギを見つめているように思えてならなかった。
「一人前、一杯の粥じゃあ、腹のたしにはなりゃあしない」
宮村はさっさと粥を始末してしまうと、各自の持って来た食糧を集めて入れたサブザックを猫《ねこ》の子の首玉をつかまえるように吊《つ》り下げて、他の三人の前でぶらぶらふりながらいった。
「これだけじゃあしょうがないから、菓子を食べることにしようじゃあないか」
誰にも異存はなかったが、菓子を食べればそれだけ後の食糧が苦しくなることを心配していた。
宮村はサブザックの中を手で探って、茶筒をひとつ引張り出した。彼はそのふたを取って懐中電灯を当てて、
「この甘納豆いただきますよ、加藤さん」
と一応それを持って来た加藤に許可を得ると、手づかみで分配をはじめた。
加藤は両手を出して、その配給を受けたとき、ひどく倒錯した気持におそわれた。甘納豆は彼の常備食糧であった。茶筒に入れて来たのは便宜上そうしたまでのことで、その甘納豆は、彼が一歩山へ踏み出すときには必ず彼の両方のポケットにおさまっているはずであった。ポケットに手を入れればいつだって甘納豆はあった。そうするために持って来たその甘納豆が、こんなふうにして分配されていくのを見ることは、なんともおかしなことに思われた。
(われわれはパーティーを組んでいるのだ)
加藤は自分の心にそういいきかせた。パーティーを組んだのだから食糧は出し合って共同管理するのは当り前である。彼はこういうことを本で読んだし、話にも聞いていた。だが彼の経験にはないことだった。
自分の食べる食糧は自分で持って歩くことに徹していた彼にとっては、この小屋で、誰かが持って来た材料で作った味噌粥を食べ、一片のネギをかじったときの妙にちぐはぐな気持より、さらにおかしな気持で、分配された甘納豆をひとつぶずつ口に入れていた。
「加藤さん、ちょっとそこまで偵察《ていさつ》に行って来ましょうか」
宮村は甘納豆を食べ終るとすぐいった。
「ちょっとそこまで?」
加藤は、宮村のいおうとしている真意が理解できなかった。外は吹雪である。歩ける状態ではない。冗談をいっているのだろうと思った。
「大槍《おおやり》の穂を越えて、北鎌《きたかま》尾根《おね》のおり口まで行って来ましょう。腹へらしにちょうどいいですよ」
冗談をいっているのだと思ったから加藤は、別に答える必要もないように、微笑を浮べたままで、最後の甘納豆のひとつぶを噛んでいた。
宮村の懐中電灯の光がさっと加藤の顔を撫《な》でた。
「なぜ笑うんです加藤さん。ぼくとふたりで行くのはいやだっていうんですか」
宮村はいくらか怒りを含んだ声でいった。加藤の微笑を宮村は誤解したのである。多くの上役や同僚や友人や未知の人がその不可解な微笑について誤解したように宮村もまたそれを誤解したのであった。
加藤は真顔になった。こうしてももう遅いのだということを加藤はよく知っていた。なんの気もなく洩《も》らす彼の微笑が、多くの誤解を招くものであることを知っていた加藤は、つとめて、そのような曖昧《あいまい》な笑い方はしないことにしていたのだが、なにかの拍子《ひょうし》にふと出てしまったのだ。
(この微笑が、たいして意味のないもので、いうならば、照れかくしの微笑であることを知っているのは花子と外山三郎だけである。その花子も、結婚した当時はこの微笑をひどく気にかけたものだ)
加藤はそんなことを考えていた。
「行くんですか、行かないんですか」
宮村がいった。
市川と水野が、宮村と加藤のやり取りを、興味を持って見ていることを宮村は充分に意識しているようであった。
「まさか、加藤さん、このぐらいの吹雪をおそれているのではないでしょうね」
「おそれているよ。吹雪を衝《つ》いて槍へ登るなどということはあまり讃《ほ》められたことではない」
「そうですか、それではぼくひとりで登ります。パーティーを組んでここまでやって来ておいて、いまさら加藤さんがそんなことをいうとは思ってもいませんでした」
「宮村君、風速は三十メートル近くあるぞ」
「こわいんですね、加藤さん。単独行の加藤文太郎といわれたあなたが、不死身の加藤といわれたあなたが、吹雪をおそれているんですね」
宮村は笑い出した。ひどく空虚な笑いであるとともに、いささか悲壮がかった笑いでもあった。
「宮村君、無理じゃあないかね。なにもそうあわてずとも、山は逃げはしない」
市川が口を出した。市川は神戸登山会の幹部級であり、宮村にそのぐらいのことはいえる立場にあった。
「あなたには関係のないことです。リーダーでもないあなたが、そんな出しゃばったことはいってもらいたくありませんね」
宮村は市川をぴしゃりとやりこめると、
「加藤さん、吹雪はそれほどではないと思いますから、とにかくそこまで、出て見ませんか、なにもここまで来て喧《けん》嘩《か》をすることはないでしょう」
宮村はいくらかおだやかな声でいった。宮村自身で、喧嘩をふっかけるようなことをいっておきながら、喧嘩をすることはないでしょうというのは、おかしかった。加藤は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
宮村はリーダーシップを取って見せたいのだなと加藤は思った。市川や水野のいる前で、加藤文太郎でさえ、こわがるような暴風雪の槍ヶ岳へ自らリーダーとなって、加藤を引張って登るところを彼《かれ》等《ら》に見せてやりたいのだ。
宮村は答えのない加藤をそのままにして、支度をはじめた。加藤が同行しないのが不平らしく、なにかぶつぶついっていた。宮村は完全な装備を身につけてピッケルを握った。
「宮村君、ほんとうに行くつもりなのか」
加藤は、きつい言葉で出ていこうとする宮村をおさえつけた。宮村がふりかえって、加藤になにかいおうとしたのを、さえ切って、加藤はさらに大声でいった。
「待て、おれも一緒に行く」
加藤は吹雪の中に、宮村をひとりで出してやるわけにはいかなかった。ひとりで出してやったら、宮村は二度とこの小屋へは帰って来ないのではないかと思われた。
(宮村は昂奮《こうふん》している。誰《だれ》でも山へ来ると、多少なりとも昂奮するものだが、彼の場合、それがいささか強すぎるまでのことだ)
加藤は身支度をととのえた。
二階の窓のところまで、市川と水野がふたりを送りに出て来た。
窓をあけると雪が吹きこんで来て、四人の顔を打った。
宮村は雪眼鏡《ゴーグル》を眼《め》に当てると、足の方を先にして窓から出ていった。加藤はその宮村にザイルの束をわたしてやってから雪眼鏡《ゴーグル》をつけた。白い世界が茶褐色《ちゃかっしょく》に変った。吹雪の流れが川の流れのように見えた。
加藤は窓を出たところで、市川と水野に向って手をふった。ふたりの顔は、吹雪をまともに受けて、くしゃくしゃにゆがんで見えていた。
外へ出て見ると風速はそれほど強くはなかった。三十メートルはなかった。背を低くして歩けそうな風速であった。突風性の風ではないことが、ふたりにとっては幸いなことであった。風は斜め左うしろからだった。二十メートルと加藤は判断した。
吹雪でまったく視界がとざされたなかでふたりはザイルを組んだ。
宮村はトップを歩いていた。いかにも自信に満ちた歩き方であった。ときどき吹雪の渦《うず》がふたりをめくらにしても、宮村は前進を停止しようとしなかった。
肩の小屋から大槍の取付点までは、百メートルあるかなしかの距離であったが、吹雪の中では、二、三百メートルもあるように思われた。槍の穂の取付点のあたりに来て、宮村は、アイゼンの爪《つめ》にはさまっている雪をピッケルの先で落した。加藤もそれにならった。
「夏山ルートを登りますよ」
宮村が加藤の耳もとでいった。ルートを指定したときに、このふたりのパーティーの主導権は、宮村が握ったも同然であった。
槍の穂は雪と氷におおわれていたが、夏山登山ルートははっきりしていた。槍の穂の根元の吹きだまりの部分を越えて、いよいよ槍の穂にかかると、岩壁を掩《おお》っている氷雪の被《ひ》膜《まく》が、アイゼンを受止めた。
加藤にとって厳寒の槍の穂の経験ははじめてではなかったが、ザイルを組んで登ることは今度がはじめてであった。加藤の前に延びているザイルと、そこにいる宮村の存在がなにかわずらわしく感じられた。傾斜が急になると、宮村は加藤をその場にとどめて、ステップを切りながら先行して、適当なところに、ハーケンを打ちこみ、カラビナをかけザイルを通して、自己確保してから、ザイルを肩がらみの姿勢でかまえて加藤が登って来るのを待った。
ザイルを使ってのこういう登山を、加藤が知らないことはなかった。何年か前、六甲山の岩場で、藤沢久造等《ら》がロッククライミングをやっているのを見たことがあったが、その後単独行しかやったことのない彼にとっては、はじめてと同様であった。
ザイルが無くても登れる自信があるのに、ザイルを組むことは、なにかにつけて面倒だった。相手が登っている間、待っているとき、手足の先が凍傷でも起しそうに冷たかった。頂上に近くなるほど風が強くなった。突風性の風も混っていた。
加藤は、そこまで来る間に宮村の岩壁における身のこなし方が、思いの他《ほか》しっかりしていることで安心した。力量不明な男とザイルを結んだという不安は消えた。ザイルの扱い方も、ハーケンの打ち方も、ピッケルで氷をカッティングするやり方も上手だった。ただひとつ加藤にとって心配なのは、宮村が、それらの技術を加藤に見せよう、見せようとしていることであった。
宮村にとって、加藤のような登山家になることが目標であったとして、今その目標の前で、見事にそれを乗り越えたところを見せようとしているのだとすれば、それこそおろかな限りだと思った。
加藤は黙ってついていった。宮村が、優位を誇示したいならば、そうさせておこうと思った。加藤は宮村には逆らわなかった。それで、宮村が満足するならば、それでよかった。宮村が今日を境にさっぱりした気持で第二の人生に出発してくれるならば、それでいいではないかと思っていた。
加藤はけっして宮村の尻《けつ》を押すような登り方はしなかった。宮村の合図通りに従順に身《から》体《だ》を動かしていった。ふたりは頂上に到着した。
槍ヶ岳の頂上には立ってはおられないほどの強風が吹いていた。ふたりは這《は》ったままだった。岩と岩の間に氷がはりつめていた。
「北鎌尾根へおりるルートを偵察して帰ろう」
宮村が加藤の耳元でいった。
「風が強いから今日はやめろ」
だが、加藤の忠告に宮村は首をふった。槍ヶ岳頂上の祠《ほこら》に風が当って鳴っていた。その裏を廻《まわ》るようにして、宮村は北鎌尾根へおりていった。加藤が、ザイルで確保した。予想以上に悪い場所であった。岩壁に密着した氷が北鎌尾根への下山をこばんでいるようであった。風のない日に、一歩一歩、ステップを切っておりて行くべきところであった。
二十メートルのザイルいっぱいおりたところで、さすがの宮村もそれ以上おりることをあきらめた。
「風さえなけりゃあたいしたことはない」
引きかえして来た宮村は、加藤の耳元でいった。
槍の穂の下山は、登山よりもはるかに危険だったが、宮村はこの下山においてもうまくザイルを使った。
加藤は、宮村のザイルの先にあやつられている猿《さる》を想像して苦笑した。たしかにザイルに結ばれて、一人が行動中、一人が相手の身の安全を守るという方法は合理的であり、単独登攀《とうはん》よりも安全性があることを加藤は認めた。
(だがしかし、それはあくまでも、他人の力を頼っての登山であり、ひとりの登山ではない)
単独行に徹して来た加藤にとっては、そこになにか割り切れないものを感ぜずにはいられなかった。
「登山とはなんだ」
彼は槍の穂の根元についたとき、そのようにつぶやいた。
市川と水野は吹雪の中を槍《やり》ヶ岳《たけ》登頂ばかりではなく、北鎌尾根のおり口の偵察までやって来た二人の山男を小屋の中へ迎え入れると、魔法瓶《テルモス》の中に入れてあった湯をすすめた。
「大変だったでしょう」
と水野が宮村に話しかけた。
「なあにたいしたことはないさ。おれたちにとっては、今日の吹雪なんて吹雪の中には入らないんだ」
おれたちといったとき、宮村はちらっと加藤の方を見た。おれたちとはいったが、おれにとってはといいたいような顔であった。そして宮村は、いささか饒舌《じょうぜつ》にも聞えるように、市川と水野に向って、厳冬の槍の穂がどうであったかを話した。たいしたことはないという言葉がやたらに出た。ザイルさえ組んでいれば大丈夫だとか、トップをやったと自慢できるほどのところではないなどと、自らがトップをやったことを言外にほのめかしていた。たしかに宮村は自己を顕示しようとしていたが、それが、さほどにいやらしく感じないのは、宮村がその日の山行の成功を、いかにもうれしそうに話すところにあった。加藤とザイルを組み、しかも宮村がリードしていたということが話の中にちらちらして、それに対して、市川と水野のごく簡単な讃《さん》辞《じ》に対しても大げさに、いやそれほどでもないですよと否定するあたりは、なんとなく子供っぽく見えないでもなかった。
加藤はあまり発言しなかった。ときどき、宮村の話に合わせてやるだけで、積極的になにか話そうという様子は見せなかった。
加藤は膝《ひざ》をかかえて、外の風の音を気にしているようであった。
夕食は昼食と同じように、また粥《かゆ》であった。食事のあとに甘納豆が均等に配分された。ローソクの火が部屋の中を明るくした。
「あすになると吹雪は止《や》むさ」
と宮村は、粥を食べているときも、甘納豆を食べているときも同じことをいった。
「明日の朝、ぼくが市川さんと水野さんを案内して槍の頂上をやろう。充分に余裕を取っても三時間もあればいいだろう。市川さんと水野さんはその足で槍平小屋へおりる。ぼくと加藤さんは、それから、北鎌尾根まで行って来る。明日中に下山するのが無理だったら、明後日の朝早く槍平小屋へおりる。どっちみち食糧がないのだから、そうするよりしょうがないだろう」
宮村がいった。
市川と水野は顔を見合せた。きのうと同じように、しごかれるならばごめんだという顔だった。宮村はその顔色を察すると、
「大丈夫ですよ。岩場ではけっして無理はしません。ぼくだって死ぬのはいやですからね」
といって笑った。
加藤は別に口出しをすることはないから黙っていた。市川も水野も宮村と同じ山岳会であるし、市川と水野をつれて槍の頂上に登るには、ザイルの使い方に馴《な》れている宮村の方がいいに決っていた。そこまではいいが、気になるのは、その後の北鎌尾根往復だった。それは時間的にかなり苦しいことになるし、問題は天候だった。風が強ければ、非常にむずかしいことになる。
それに食糧のことが心配だった。この小屋に宮村が食糧を置いてもないし、そのことで小屋の主人との交渉がなかったことがはっきりしたいまとなっては、登山より下山のことを先に考えるべきである。
加藤は、おそらく明日の昼食には、底をついてしまうだろう、彼等の食糧のことを思いながら、それまでにない暗い気持で、風の吹きこむ隙《すき》間《ま》もないのに、揺れつづけるローソクの灯《ひ》を見詰めていた。
布《ふ》団《とん》の中に入っても、すぐには寝つかれなかった。充分に着ているから寒いことはないし、腹が減っているわけでもない。
加藤が眠られないのは、そのようなことではなかった。なにかつかみどころのない大きな不安が彼をとらえて眠らせないのであった。
それがパーティーを組んでいることの不安であることは明らかだった。しかも、いよいよ明日、宮村とふたりで北鎌《きたかま》尾根《おね》をやるということの不安が、加藤の神経を刺《し》戟《げき》しているのである。
そのことは、なにも今さらあらためて苦にすることではなかった。単独行しかやったことのない彼が、はじめて選んだパーティーの相手の宮村の実力は、今日の山行においてためされ、不安を感じさせる相手でないことは立証されていた。岩場においては宮村の方がむしろ加藤よりすぐれた技術を持っていた。
それではいったいなにが不安なのであろうか。
まず第一に考えられるのは、宮村の変り方であった。宮村を誘惑し、宮村を棄《す》てて満州に去った園子は、宮村のことを可愛《かわい》い登山家といった。それは宮村に匹敵する表現であった。加藤から見ても、宮村はまさしく可愛い登山家であった。失恋の傷跡を登山によって癒《いや》そうとしたり、登山家加藤文太郎に追いつくために、加藤の山歴を丹念に踏みつづけるあたりは子供じみていた。登山だけではなく、神戸の町で会ったときの話のやり取りにしても、宮村は可愛い登山家の域を脱してはいなかった。
加藤が宮村と山に来たのは、宮村の山における技術を信頼して来たのではなかった。宮村を山に狂奔させた原因が園子にあり、宮村に園子を紹介したのが加藤であるという責任感と、いつまで経《た》っても、園子を忘れることのできない宮村の弱さに同情したのである。
加藤は頭の中で適当な言葉を探した。慰撫《いぶ》登山、送別登山、そんな言葉はないけれど、つきつめてみれば、宮村とパーティーを組んだ時の心の底には、そんな気持があった。
が、宮村は山に来て変貌《へんぼう》した。彼の傍《そば》でいびきを立てて寝ている宮村は、可愛い登山家どころか、恐ろしい登山家になっていた。弱々しい宮村健のひとかけらもそこにはなかった。
宮村は、すべてにおいて加藤の上に立とうとしている。市川や水野にいいところを見せようというだけではなく、それはなにか、加藤という、彼の頭の中の仮想敵国に挑戦《ちょうせん》しているようなすさまじさを感じさせるものであった。
そのような宮村とザイルを組んで、槍の北壁を北鎌尾根へおりていくことの危険を加藤は考えていたのであった。
独身のときと違って、神戸には花子も登志子も待っているのである。間違いがあってはならないのだ。とにかく、すべては明日の天候次第だ。天候さえよければ、北鎌尾根往復はむずかしいことではない。天候が悪かったらやめよう。宮村を説得するのだ。
加藤は眼をつぶった。気を外の吹雪の音に向けると眠れそうだった。風速は落ちたが雪はあいかわらず降りつづいているようであった。
加藤は花子の夢を見た。心配そうな顔で加藤を見詰めている花子は、なにかいいそうな顔をしていながら、なにもいわなかった。
「花子どうして黙っているのだ」
加藤はものをいわない花子に話しかけた。
「文太郎さんだってなにもいわないもの」
うしろで声がした。
ふりかえると、メリンスの紫地に、白い花模様をちらした肩揚げのついた元禄袖《げんろくそで》の着物に、黄色い帯を胸高にしめた、黒い瞳《ひとみ》の少女が立っていた。十五歳のころの花子の姿だった。
「花子と呼んでちょうだい」
と少女はいくらか首をかしげていった。黒いおさげ髪が揺れた。
「花子さん、あなたはなにしているの」
「あらいやだ。私は文太郎さんのお嫁にいくところよ。ね、きれいなお嫁さんでしょう」
花子は元禄袖の両手をつんと伸ばして加藤の前を奴凧《やっこだこ》のようにくるくると舞い踊りながら遠ざかっていった。
「花子さんどこへ行くのです」
「文太郎さんところにお嫁さんに行くのよ」
「おれはここにいる」
「だから文太郎さんは、私をお嫁さんに迎えてくれたらいいのよ」
加藤はその花子を追っていこうとしたが足が動かなかった。
全身が縛られたように苦しかった。加藤は声を上げた。男の声が近くで彼を呼んでいた。
市川が加藤を起したのである。
「夢にでもうなされたようですね」
市川がいった。明るくなっていた。外は静かである。吹雪はおさまったのだと、加藤は思った。水野がコッフェルの前に坐《すわ》っていた。
「夢には色彩がないってのは嘘《うそ》だね」
加藤の頭の中には、夢で見た少女のころの花子の姿がそのまま残っていた。胸高々としめた黄色い帯の印象があざやかだった。
「色のついた夢なんて見たことはありませんね。でも、そういうこともあるでしょ。色のついた夢はまさ夢だっていいますからね。しかし、ぼくが見る夢の中の景色って、全体的に暗いものですね。夕暮れのような景色が多いですねえ」
市川がいった。
「いや、美しい色のついた夢を見ていたのだ……だが、なぜいってしまったのだ」
「なにがです? なにがいってしまったんです。夢が逃げたのですか」
「いやなんでもない。どうやら風はおさまったようだ」
加藤は二階の窓の方を見上げた。雪にまみれた宮村が、窓から入って来るのが見えた。宮村は雪を払いながら、
「天気はよくなるぞ、早いところ出発だ」
その声の方に加藤は眼を向けたまま動かなかった。
昭和十一年一月三日。その朝も吹雪であった。肩の小屋の二階の窓の隙間から吹きこんだ雪をはらい除《の》けて外へ出て見ると、かなりの風速を伴った降雪がつづいていた。吹雪ではあったが、この時期の槍ヶ岳山頂としては静かな部類の吹雪であり、暴風雪というほどのものではなかった。階下にまで、外の吹雪の音は聞えず、宮村健にいわせると、いまごろこんな静かな日はめったにないような日であった。
「食事のあと片づけはぼくがやって置くから、風が強くならないうちに行って来たほうがいい」
加藤は三人をいそがせた。気まぐれな山の天気のことだからいつ急変するかわからなかった。上手にチャンスを掴《つか》んで行動しなければならないことを加藤は知っていた。
宮村も加藤と同意見だった。
「そうだ、雪中の行動は細心と機敏の両面を備えていなければならない」
宮村は彼よりも五つも六つも年上の市川や水野の前で自分自身がリーダーであることを確認しなければならない必要にせまられたように、その言葉を、大きな声で二度もつぶやいた。
宮村は市川と水野の服装についても、鋭い視線を配った。市川は、アイゼンの紐《ひも》の結び方について文句をいわれたし、水野は、ほころびかかったオーバーズボンをその場でつくろうようにいわれた。加藤がルックザックから糸と針を出して、その小さいほころびを縫ってやった。
「じゃあ行って来ます」
三人はそれぞれ加藤に挨拶《あいさつ》して吹雪の中へ出ていった。加藤も三人を追って窓から外へ出た。
ザイルを背負った宮村を先頭にしたパーティーは、間もなく吹雪の中に消えた。槍の穂ははっきりとは見えなかったが、しばらくそこに立っていると見えて来そうな気がした。吹雪にしては見とおしは利《き》いた。
加藤は小屋に戻《もど》って、朝食のあと片づけをやった。四人の食器を小屋の隅《すみ》につもっている雪の中へさかさまにおしこんでぐるぐる廻《まわ》すと、食器はすぐきれいになった。あとはもうなにもすることはなかった。ゆうべは夢ばかり見ていてよく眠れなかったから、彼《かれ》等《ら》が帰って来るまでの間、ひと眠りしようかと思って、部屋の隅に畳んで置いた布団を敷こうとすると、さっき水野のオーバーズボンのほころびを縫ってやったとき使った裁縫道具の入った袋が眼についた。
その袋は、花子が縫ったものであった。加藤が山支度を始めると、花子がそばに来て、なにか手伝わせてくれといった。山支度というものは自分でするもので、他人に手伝わせてはならないのだといくら加藤がいい聞かせても、花子は、なんでもいいから手伝わせてくれといった。手伝わせてやりたくても、なにもなかった。それでも花子は加藤が山支度をしている間はそばについていた。ずいぶんいろいろなものを持っていくのですねとか、それはなにに使うのですかと訊《き》いた。
加藤が、針と糸と小さい鋏《はさみ》とボタンと、そして若干の布切れの入った袋の点検をはじめると、花子の眼が輝いた。
「なぜお裁縫道具を山へ持っていくの」
「山を歩いていると、意外なところにほころびを作ったり、ボタンを失《な》くしたりするんだよ。この道具はなくてはならないものなんだ」
「では、それ、私に準備させて」
花子は乞《こ》うような眼を加藤に向けると、おしいただくように、カーキ色の布切れで作られた裁縫袋を受取ると、
「これよりはいい物ができるわ」
といった。加藤は花子の好意を拒絶できなかった。
花子が薬玉《くすだま》模《も》様《よう》の羽二重の帯の残り布で作ってくれた裁縫袋は、加藤の山の持物の中で、もっとも華やかな色彩に富んだものであった。裁縫袋は、幾つかに折り畳むようにできていて、大袋には丈夫なつぎ布、五つの小袋には、それぞれ、糸だとか針だとか鋏などが、油紙に包んでいれてあった。加藤が感激したのは、幾本かの針に、すべて糸が通してあったことだった。いつでも使えるようにしてあったのである。
二階の窓からさしこむ明るさは、かろうじて針を動かせるていどであった。加藤は花子の準備してくれた針と糸を手に持つと、自分自身の持物のなにかに、彼女の好意をためしてみたくなったのだ。彼は自分の身のまわりをふりかえった。毛糸のパンツの上に毛糸のズボン下二枚、毛糸シャツ二枚、その上に毛糸ジャケツ一枚。すべて毛糸類であって、補修を要するものはなかった。
「ではその上に着るものはどうだ」
彼はウィンドヤッケとオーバーズボンをつぎ合せて作った彼独特の防寒用外衣を点検した。別にほころびたところはなかった。
「足のほうはどうかな」
彼はこんなふうに自分の着衣のあらさがしをしたことははじめてであった。彼は靴《くつ》を脱いだ。左側の靴の紐《ひも》が弱そうだった。行動中に切れると面倒だから、予備の紐と取りかえた。二足の厚手の毛糸の靴下と二足の薄手の毛糸靴下には異常はなかった。毛糸の手袋と、その上にはめる二股《ふたまた》の防水手袋(裏に毛皮を縫いつけたもの)にもほころびはなかった。予備の靴下、手袋も完全だった。あとに残ったものは帽子だけだった。彼はスキー帽の上に兎《うさぎ》の皮を裏打ちした防寒帽をかぶることにしていた。その兎の皮を裏打ちした防寒帽の一部にわずかながらほころびがあった。
加藤は糸のついた針を持った。そのほころびを縫いながら花子を思った。いま時分花子はなにをしているだろうか。神戸の彼の家の茶の間が眼に浮んだ。登志子の泣き声もするし、おうよしよしといいながら登志子を抱き上げるさわの顔もよく見える。
加藤は針を動かす手を休めた。花子の心配そうな顔を思い浮べたからであった。
「大丈夫だ、予定の日までにはきっと帰るから」
加藤は針と糸に向ってそういった。いわずにはおられない気持だった。加藤は針と糸を片づけた。突然彼は、このまま、花子と二度と会えないのではないかと思った。そんなばかなことが。風が強くなったのだ。吹雪がはげしくなったから、二階の明り取りの窓が雪に閉じこめられて暗くなった。そのせいなのだと心にいいわけをしながら、突然襲いかかって来た不安からのがれようとした。
不安の原因は明らかであった。そこに宮村健がいるということが、加藤にとって不安なのだ。三時間余り経《た》つと、彼は帰って来る。そして、市川と水野を槍平小屋へおろし、宮村と加藤は北鎌尾根へ行かねばならないのである。
(無理して行かないでもいいのだよ)
ひとりで山を歩いているとき、加藤はもうひとりの加藤と対話をすることがある。対話が議論になり、やがてはげしい口喧《くちげん》嘩《か》になっても、結論はつく。もともと加藤はひとりであるからであった。加藤はいまここで、もうひとりの加藤と、眼の前にぶらさがっている不安について論争を試みようとは思っていなかった。それはおそろしいことに思われた。負けるおそれがあるからだった。自分が自分に負ける可能性とはなんであろうか――加藤は時計を見た。三人が出てから二時間は経っていた。
加藤は食糧を調べた。主食は若干の米と味《み》噌《そ》とそして、牛肉の缶詰《かんづめ》が一個あるだけであった。それは四人の一食分としては過少であった。もし、宮村と二人で北鎌尾根へ出かけるとするならば、非常食を持っていく必要がある。それに相当するものは、
小豆の甘納豆  一缶
板チョコレート  二枚
クリームチョコレート  十三個
林《りん》檎《ご》  二個
これだけだった。この中で、頼みとするものは、小さな茶筒に入った甘納豆一缶であった。
こればっかりの非常食を持ってとても北鎌《きたかま》尾根《おね》へ出かけられたものではなかった。
「それにこの吹雪だ。北鎌尾根は無理だ」
加藤は二階へ行って、窓から外へ出て、雪の降り方を観察した。雪片が大きくなっていた。本格的な雪降りになる可能性があった。槍平へおりるとすれば急ぐ必要があった。あるていど積ると、新雪なだれが起きやすくなる。
「結局食糧があと一食しかないということは、下山するしかないということではないか」
彼は大きな声でいった。これほどわかり切ったことはなかった。宮村健がこのことに反対するとは思われなかった。
「その最後の一食を食べる用意でもするか」
今朝四人は粥《かゆ》をすすった。粥腹で厳冬の槍の穂へ出かけたのだから、彼等三人はぺこぺこに腹をへらして帰って来るに違いない。あるいは凍傷寸前の状態で帰って来るかもしれない。
加藤は階下におりて食事の用意を始めた。燃料の石油はそう豊富ではなかった。おそらく、この食事が終ると、あとは一度湯を沸かして飲むことのできるていどの石油しか残らないものと推測された。
「食糧も燃料も尽きたのだ。下山するしかしょうがない」
今日は三日である。三日の夜は槍平小屋、四日の朝早く槍平小屋を出発すると遅くとも五日の夜までには神戸へ帰ることができるのだ。花子と登志子のいる、暖かいわが家へ帰ることができるのだ。
石油コンロはよく燃えた。粥がいいにおいを立てはじめた。
十一時半になって、三人は槍《やり》ヶ岳《たけ》から帰って来た。市川と水野は寒さでろくろく口がきけなかった。彼等は小屋へ入ると、そのままぶっ倒れてはげしい呼吸を吐きつづけた。
「きのうにくらべたら、今日の方がずっといい」
宮村は防寒帽を取りながら、たいしたことはなかったように加藤に話しかけたが、加藤には、市川と水野とザイルを組んで槍ヶ岳へ登った宮村が相当、疲労していることがよくわかった。宮村の膝《ひざ》がこきざみにふるえていた。
「さあ粥ができた。温かいものを腹へつめこめば元気が出る。大荒れにならないうちに槍平へおりよう」
加藤は、みんなに聞えるように大声でそういうと、それぞれの食器に粥を盛り分けてやりながら、
「食糧はこれでおしまいだ。食糧がなくなったからには下山するより手はないだろう」
念をおすようにいった。
「なに下山する?」
宮村は、もう一度いってみろというような顔で加藤を睨《にら》んだが、なにもいわずに、粥をすすり出した。市川と水野は、食べながら、加藤さんすみませんとか、これで生き返ったとか、槍ヶ岳の頂上の風は気が遠くなるほど冷たかったなどと話し合っていた。
食事はまたたく間に終った。誰《だれ》もが腹六分目の感じだったが、もう米は一つぶもなかった。残った食糧は、甘納豆一缶と林檎二個と、板チョコ二枚とクリームチョコレート十三個であった。食い足りない眼が、そこに残っている食糧の方へちらちらと動き出したとき、宮村健がつと立上って、彼のルックザックの中からサブザックを引張り出すと、
「これは非常食として、ぼくらが貰《もら》います。いいでしょうね」
宮村は市川と水野に了解を求めると、サブザックの中にそれらの食糧をさっさと詰めこんだ。サブザックはまだがらあきであった。宮村はその中へアルコールバーナーを入れた。
「宮村君、下山しよう。とてもこの吹雪では無理だ。非常食もそれだけでは心もとない。それに燃料がほとんどなくなっている。今度はひとまず下山しよう」
加藤は宮村の感情を害さないように静かにいった。
「下山ですって、加藤さん。冬の北鎌尾根をやるといって出て来た加藤さんが、これくらいの吹雪で退散ですか、これは驚いた」
「君は驚くかもしれないが、ぼくには、この状態なら下山以外に手はないと考えられるのだ、おりよう」
「いやだといったら」
「それは困る」
「困るでしょう。加藤文太郎ともあろうものが、パーティーを見棄《みす》てて、ひとりで帰ることはできないはずです」
「見棄てるのではない。君との了解の上で、ぼくはこの人たちと山をおりたい」
「できたらやってごらんなさい。え、加藤さん、そんなことが許されると思いますか。不世出の登山家とうたわれたあなたがですよ、自分の都合で、勝手にパーティーを解消するなんてことができるはずがないじゃあありませんか。パーティーを組んだ以上死ぬも生きるも一緒でなければならない。それがアルピニズムっていうものじゃあないんですか」
加藤は黙った。いっても無駄《むだ》だと思った。宮村はいつもの宮村ではない。加藤は槍平小屋へ下山の決心を顔に現わしたまま出発の用意をはじめた。布《ふ》団《とん》はもとあったところに片づけられた。加藤は小屋の壁の釘《くぎ》にかかっていた先のすり切れた箒《ほうき》を使って床の上を掃除した。ほこりの中で彼はつづけてくしゃみした。くしゃみしながら彼は、彼の傍《そば》で心配そうに彼を見つめている花子を思った。妻子がある身体《からだ》だ。決して無理をしてはならないのだ。
加藤は、ルックザックを背負って、真先《まっさき》に二階の窓から外へ出た。意外に外は明るかった。吹雪はおさまっていた。風もほとんどなく、ままごとあそびのような雪が、きらきら舞っていた。薄日がさしかけていた。
「いい天気になったじゃあないか」
宮村健は雪眼鏡《ゴーグル》をかけ、サブザックの中に懐中電灯とローソクを入れながら、
「加藤さんの負けですね」
といって笑った。加藤が下山を主張する理由は食糧がないことと、天候が悪いことの二つであった。そのひとつの理由がものの見事に解消したことを宮村は加藤の負けだといったのであった。
「これは偽《にせ》の晴れ間なんだ。日本海の中ほどに低気圧が来た場合、季節風と低気圧の勢力が均衡して、ごく短時間に晴れ間を見せることがある。その晴れ間は二時間つづくこともあるし三時間の場合もある。すぐそのあとですごい暴風雪になる場合が多い。冬の北アルプスでの一時的晴れ間はむしろ悪い前兆なのだ。今朝がたからの雪の降り方を見ていても、そのことはわかるはずだ」
加藤は眼の前にひろがっていく青空に眼をやりながらいった。
「加藤さん、ぼくにだって、そんなことはわかっています。偽の晴れ間なら、尚更《なおさら》のこと、そのチャンスを掴《つか》もうじゃあありませんか。われわれの実力を持ってすれば、二時間あれば北鎌尾根を踏むことができるのですよ。北鎌尾根を最終目的地と決めた以上、ぼくはどうしてもそこまで行きたいんです。ぼくの記念すべき最後の山行には心残りのないようにしたいんです。北鎌尾根まで行かないうちに天気がおかしくなったら、引きかえして来て、このまま槍平へおりましょう……ね、加藤さん、ぼくは加藤さんと喧《けん》嘩《か》別《わか》れなんかしたくないんです」
加藤は宮村の顔を見た。雪眼鏡《ゴーグル》が邪魔して彼の真の表情はそこにはなかったが、久しぶりで宮村らしいもののいい方に加藤はかえって一種の感動をおぼえた。ここ数日来仮の姿の宮村であった彼が、今こそ正真正銘の宮村の姿を見せたのだと思った。園子に裏切られ、失意の中に山に走り、加藤文太郎の足跡をひたすらに追うことによって、自己満足していた、宮村健という弱い人間の姿がここに立っているのだ。
市川や水野に言葉の鞭《むち》をふるってここまで引張り上げたのは、弱い自分をかくすためにやった宮村の演技であった。だが、なにもかも知っている加藤の前で演技をつづけることはこれ以上できなかった。宮村は本来の宮村にかえって、加藤に同行を乞《こ》うたのである。
眼前の薄い雲のベールが消えると、濃紺色の青空の中に巨大な白い尖峰《せんぽう》が姿を見せた。白い尖塔はまぶしく輝いていた。ただ一様に白く輝く物体ではなく、氷の被膜におおわれながらも、岩峰としての特色を、ところどころに露呈する岩にとどめながら、やはり、北アルプスの象徴としての、非情と絶美との交錯した荒々しい冷たい肌《はだ》に、光と死のように暗い翳《かげ》を浮ばせていた。
それは、かつて幾度となくこの地を訪れたときの加藤が見た槍ヶ岳とは違ったものであった。荘厳《そうごん》でもあった。優美でもあった。あらゆる形容詞を以《もっ》てしても、尚かつ表現できないものを槍ヶ岳は持っていた。加藤は、その槍ヶ岳が巨大な電磁体に見えた。そこから眼に見えない磁力線が投げかけられて、それにからめ取られて牽《ひ》きつけられていこうとする自分を見つめた。なにか呼吸の乱れさえ感じられるようであった。
「すばらしい、実にすばらしい山だ」
加藤の唇《くちびる》から言葉が洩《も》れた。それ以上のはげしい感動をこめた言葉を、眼の前の美しいものに投げてやりたかったが、適当な言葉が見つからなかった。もどかしかった。いったいこれほど美しいものが世の中にあるだろうか、それは静視するだけで去ろうとする者に対して制止力を持っていた。絶頂に立ってこの千載一遇の輝きの中に全身を浸したいと思うと、もう矢も楯《たて》もたまらない気持だった。いま加藤の頭の中には北鎌尾根も宮村もなかった。それまで、加藤と共に歩みつづけていた花子さえいなかった。花子の座に、槍の穂が坐《すわ》って動かなくなったとき、加藤は宿命的とも思われるほどの誘惑を、その白い尖塔に感じた。理屈はなかった。ただ登ってみたかった。水銀のようにきらきら輝き、大理石のように堅いその氷壁を、彼のアイゼンで踏みしめたかった。
「やろう――」
と加藤は自分自身にいった。その声で彼ははっとした。やろうといったのは、眼の前の美しい物に対する話しかけであり、宮村と同行を承知したのではなかった。槍の穂に立とうといったまでであった。
「加藤さん、ぼくと一緒に行ってくれるんですね」
宮村が加藤の手を握っていった。
加藤の顔に一瞬混乱が起きた。違う、北鎌尾根まで行くのではない。槍ヶ岳の穂に立ちたいのだ。そう訂正することが加藤には今さらできなかった。加藤は空を見た。たのむは天候である。偽りの晴れ間であればあるほど、時間は貴重だった。加藤は、それまでの加藤らしからぬあわてぶりで、彼のサブザックの中に予備の手袋と靴下と懐中電灯と地図を入れた。
なにか大事なものを持っていくのを忘れたような気がしたが、思い出せなかった。加藤はサブザックを背負った。空気を背負ったようにむなしかった。
加藤は一歩を踏み出したところで、背後に花子の声を聞いたような気がした。彼は、さらに数歩を歩んだ。重大な誤算をしているのではないかと思った。だが、立ち止らなかった。眼の前に聳立《しょうりつ》している絶美なものの前に近づいていく自分をはっきりと意識した。宮村に対する同情や、皮相的なアルピニズムのために宮村と同行するのではないと、自分にいい聞かせていた。
「じゃあ行っていらっしゃい。槍平の小屋で待っていますから」
市川と水野がピッケルをふった。
パーティーは二つに分れた。
「加藤さんは、どうして急に気持を変えたのだろう」
市川がいった。
「山が呼んだんだよ、あの山が」
水野は槍ヶ岳をふり仰いでいった。
槍ヶ岳の氷壁には、加藤がトップに立った。二人はザイルで結ばれた。天気はいいし、宮村等三人が登るときカッティングした跡がはっきりしているから、頂上にいくにはそれほどの苦労は要らなかった。一時間後に二人は槍ヶ岳の頂上に立っていた。天候はにわかに変る様子はなかった。南につづく穂高連峰、東に白い山塊として横たわる常念岳と蝶《ちょう》ヶ岳、西に笠《かさ》ヶ岳、北に野口五郎岳を越えて皚々《がいがい》とつづく立山連峰の山々を眺《なが》めながら、加藤は、冬の最《さ》中《なか》に出会したこの奇《き》蹟《せき》的な快晴は、やはり偽りのものだと思った。
北鎌尾根へおりて、また登って来るとすると、その往復にどんなに急いでも二時間はかかる。加藤は太陽を見た。太陽は南西の空に輝いていた。
「さて、ぼつぼつ北鎌へおりましょうか。これからがほんとうの冬山の醍《だい》醐味《ごみ》を味わえるところでしょうね」
宮村はザイルについた雪を払い落しながら、北鎌尾根の降り口に近づいていった。加藤はもう一度太陽を見た。そして決意した。
北鎌尾根への下りはきわめて危険なところが多かった。夏でさえも、この岩壁は一般ルートとして認められてはいないところであった。北斜面であるがために、氷のつき方も多く、露呈した岩も少なかった。ザイルの使い方がうまい宮村が、先におりていく加藤を確保した。ザイルがものをいった。ザイルなしでは、とてもおりられるところではなかった。
北鎌尾根は足下に平たく延びて見えた。なんの変哲もない素直に延びた雪の尾根としか見えなかった。あまりにも明るいために、尾根の起伏がはっきりしなかった。雪がついているせいもあって瘠《や》せ尾根《おね》には見えなかった。むしろ肉づきのいいしっかりした尾根に見えた。
ザイルに結ばれた二人は、互いに相手を確保し合いながら、氷壁をおりて行った。アイゼンの爪《つめ》が立たないような氷が張りつめた悪場がつづいた。二人を結んでいるザイルが延びたり縮んだりした。二人は岩峰の基部に立った。北鎌尾根に踏みこんで槍の穂を見上げると、肩の小屋で眺める槍の穂以上に峻険《しゅんけん》な岩壁に思われた。ルートを取り違えたら、容易に頂上に達することはできないだろうと思われた。加藤は異常に澄み渡った空に眼をやった。天候が変って吹雪になったら、帰路を失うかもしれないという心配が出たのである。
北鎌尾根を境として空間は二様に分けられていた。槍ヶ岳頂上で眺めたときと違っていた。東部の諸方の山には積雲がかかっていたが、西方の諸方の山の上空は例外なく晴れていた。だが、その空の色は、西と東では違っていた。太陽光度の関係もあったが、西方の空は全体に白濁していた。
加藤は太郎山の上空に眼を止めた。そこにレンズ雲が、ひとつぽっかりと浮いていた。レンズ雲は、やや南向きに傾いていた。傾いている側のレンズの縁辺に一条の糸のような雲がからみついていた。レンズ雲は透明ではなかった。型はレンズに見えたが、よく見ると、水平に渦《うず》を巻く一つの雲のかたまりであった。
「まずいな」
と加藤がいった。宮村も、加藤が天気悪化の兆候を掴んだのを認めていた。
「急ぎましょう。あそこまで行ったらすぐ引きかえしましょう」
あそこまでと、宮村が指さした二九〇七高地を加藤は眼でおさえて腕時計を見た。二時十五分前であった。加藤は静かに首をふった。雪中の行動は原則として三時までに終らせねばならない。肩の小屋までの帰途二時間を頭に入れると、とてもそこまでは行けなかった。
「じゃあ時間で決めましょう。三十分だけ北鎌尾根を歩いて引きかえすことにしましょう。そうでないと少なくとも北鎌をやったことにはなりませんからね」
三十分間北鎌尾根を前進するということは、往復一時間北鎌尾根に滞在することになる。それでは少し時間を食いすぎるではないかと加藤はいおうとした。そのときはもう宮村は雪の中を歩き出していた。
加藤は太郎山に浮んでいたレンズ雲にずっと注意を向けていた。もし天気が悪くなるとすれば、その前兆はレンズ雲に現われるのではないかと思っていた。そのレンズ雲は三十分経《た》たないうちに消えた。
「おい宮村君、レンズ雲が消えたぞ」
その呼びかけに応じて宮村がそっちを見たとき、二人は危うく、吹きとばされそうな突風に襲われた。重量感を持った風だった。その突風の一撃を合図に、山の相貌《そうぼう》は変った。明らかに北西寄りの季節風の吹き出しと判断される風が連続的に吹き出したのである。飛雪が舞い狂って視界をさえ切り、そして当然予測されていた降雪が始まったのであった。
加藤は彼の袖《そで》に吹きつける湿り気の多い大きな雪片に眼をやったとき、やはり来るものが来たのだと思った。その雪は、今朝方三人が槍ヶ岳へ登っているとき降った雪だった。天は二時間と少々中休みをして、その間蓄えこんだエネルギーを一挙に放出しようとしているように見えた。
あらゆるものは視界から消えた。もはや前進すべきではなかった。
二人は帰路についた。雪に足跡を消されないうちに、槍の穂の取付点まで引きかえさねばならなかった。
だが、吹雪と飛雪は、ものの十分とは経たないうちに彼等の足跡を消した。足跡を見失ったことは方向を失ったことになる。彼等は強風の中を這《は》うように槍の穂を探した。風の方向が一定せず、乱れていることは、すぐ近くに槍の穂があることを意味しているのだが、その槍の穂が見えなかった。どうやら槍の穂の根元にたどりついたことがわかっても、取付点を探し出せなかった。
宮村はその天候の急変を彼の責任として感じているようであった。彼はしゃにむに帰路を見つけようとして、ザイルのトップに立った。二人は雪の斜面を登っていった。その傾斜が急になっていることから察して、槍の穂に取付いていることは明らかだったが、ルートからはずれていることもまた明らかだった。加藤は宮村の耳に口を当てて叫んだ。
「天上沢の方へ寄りすぎると危険だし、千丈沢の方へ寄り過ぎると、もっと危険なんだ。戻《もど》って、もう一度登り口を探そう」
「そんなことをしていたら日が暮れる」
宮村はそういって、加藤をふり切るようにして吹雪の氷壁をよじ登っていった。吹雪の幕の中に黒い物が急速に加藤に向って滑りおりて来るのを見たのは、その直後であった。加藤はザイルをかまえた。身が不安定だと思ったが、それ以上安定な場所は見当らなかった。手袋が焼け切れるのではないかと思われるほどの摩擦にこらえながら、加藤は歯をくいしばった。宮村は止った。しばらくは動かなかった。
二人は吹雪の中でごく短い会話をした。午後四時を過ぎていた。天候恢復《かいふく》の見通しのないかぎり、帰路をいそぐことは危険であった。二人はビバーク地点を探した。どこも吹きさらしであった。二人のできることは縦穴を掘って、その中にうずくまって朝を待つことであった。
二人は交替で穴を掘った。掘るはじから風が埋めにかかった。どうやら二人がしゃがむことのできるていどの穴ができたときは暗くなりかけていた。
穴の底にはザイルを敷いた。その上にルックザックを敷きたいのだが、二人はそれを持って来てはいなかった。穴にふたをするなにものもなかった。
加藤は、ルックザックの中に入れたまま置いて来た雨合《あまがっ》羽《ぱ》を持って来なかったことを悔いた。それを穴の上にかぶせかけて屋根にすれば、寒気からのがれることはできるのだ。それは彼の幾たびかの経験によって明らかにされたことであった。
「とにかくなにか食べよう。食べてからどうすればよいか考えよう」
加藤は宮村にいった。宮村は返事をしなかった。宮村は雪眼鏡《ゴーグル》の内側に吹きこんだ雪を落そうともせず、うつむいていた。眠っているのではなかった。精も根もつき果てたといった顔であった。
寒気は加藤文太郎と宮村健《たけし》の頭に襲いかかった。風速およそ三十メートルの風が、彼等の頭上を吹きとおしていった。一月であるから槍ヶ岳の頂上は、少なくとも零下十度以下である。風速一メートルについて体感温度は約一度ずつ低下すると考えれば、そのとき彼等が感じた温度は零下四十度以下である。この計算はひかえ目であるから、実際は零下五十度、六十度近いものであったろう。
そのとき加藤文太郎は、スキー帽の上に兎《うさぎ》の毛皮を裏打ちした防寒帽をかぶっていた。これは、長い間の加藤の体験から考え出した独特のやり方であり、寒さに対して最も防備を厳重にしなければならないところは頭と足と腹であるという、多年にわたる経験から割出した結論であった。足には二足の薄手の毛糸の靴下《くつした》と、二足の厚手の靴下を重ねてはいていた。下着は毛糸のパンツの上に二枚の毛糸のズボン下、毛糸のシャツ二枚の上に厚手の毛糸のジャケツ、そして、その上にレザーコートとズボン、そして、それらの上下の毛糸ずくめの服装の継《つぎ》目《め》の弱点をおぎなうためにオーバーズボンとウィンドヤッケを継《つな》ぎ合せた格好のコンビネーション防風衣を着ていた。これは飛行服にヒントを得て、加藤が考案して洋服屋に作らせたものであった。そのほかの防寒具としては、毛糸の手袋二枚の他《ほか》に、防水布の二股《ふたまた》手袋(裏に毛皮を縫いつけたもの)であった。
宮村健の服装は加藤とほぼ同様であったが、違うところは、防寒帽は一つであったこと、コンビネーション防風衣は用いず、ウィンドヤッケとオーバーズボンは別々であったこと、そして、靴下は三足であったことである。
風は縦穴にうずくまっている二人を追い出そうとはしなかった。吹きとばす必要もなかった。ただ連続的に風を送りこんでさえいれば、彼等の身体から熱は奪い去られ、二人が凍死への道を歩むことは約束されていた。
二人はこの風の魂胆をよく知っていた。雪の縦穴の中で抱き合うように寄り添って、石のように身をひそめて朝を待とうとしていた。とても寒くて眠れるような状態ではなかった。寒さに勝つためには、体内に熱量を補給してやらねばならないが、彼等がその雪の穴の中で食べたものは、ひとつかみの甘納豆と板チョコ一枚ずつであった。
二人は言葉を交わさなかった。その余裕はなかった。彼等のできることは、お互いに身体をおし合って寒さに耐えるぐらいであった。
加藤はその暴風雪の中でも、それほどの不安は感じていなかった。むしろ、割引きなしの山の顔を見たとき、おやっ、いよいよお出《い》でなすったねという気がした。加藤のそれまでの体験から来る自信であった。山陰地方の湿り雪だったら危険を感じたかも知れないが、北アルプスの槍《やり》ヶ岳《たけ》の乾いた雪ならば、それほど恐ろしいとは思っていなかった。寒いには寒いが、それだけ着込んでいれば凍える心配はなかった。その感覚も彼の経験によるものであった。
(非常に疲れていないかぎり、充分に食べてさえいたら、雪洞《せつどう》の中で眠っても凍えるようなことはない)
加藤はそう信じており、その加藤の思想は、新鋭登山家の支持を受けていた。だがこの場合、心配なのは充分に食べていないということだった。夏山においても、冬山においても、加藤が山にいるかぎりは、彼の上《うわ》衣《ぎ》の二つのポケットは、甘納豆と乾《ほ》し小魚でふくらんでいた。歩きながら、ぼりぼり食べ、休んでは、ぼりぼり喰《く》った。ポケットがからっぽになると、ルックザックの中から補給した。小豆の甘納豆と乾し小魚は加藤の連続的エネルギー補給源であった。しかし今度は違っていた。乾し小魚の入った缶《かん》は槍平の小屋に置いて来てしまったし、いま残っている僅《わず》かばかりの甘納豆も、宮村健と加藤文太郎の命をつなぐ重要なる共通食糧であった。
加藤は空腹だったが、疲労はしていなかったから、まず眠っても大丈夫だろうと思った。夜がふけるとともに、彼の肉体は睡眠を要求した。
加藤は頭が膝《ひざ》につくほど背を丸めて眠った。ザイルの上に腰かけている尻《しり》のあたりが痛かったが、やがて、それも気にならなくなった。どのくらい寝たかわからないが、宮村が動く気配で眼を覚ますと、穴の中に吹きこんだ雪は、二人の膝のあたりにまで来ていた。尻のあたりがひどく冷たかった。手をやってみると、尻に敷いているザイルのあたりの雪が溶けていた。いかに体温の流出を防ごうとしても、どうにもならないのである。体温が流出することは、それだけ彼等は寒さを感ずることになるのである。
「寒い。どうにも寒くてやり切れないから、石油コンロで暖をとろう」
宮村がいった。いうだけであった。そこの状態は石油コンロで暖をとれる状態ではなかった。第一、風が吹きこんで来て火をつけることもできなかった。
「もうすぐ朝になる。それまで待て」
「朝になれば、風は止《や》みますか」
「止む。きっと止んで、いい天気になるぞ」
加藤は、宮村の耳元でそういった。しかし加藤はこの暴風雪は、そう簡単に止むものではないと思った。
(もし、この調子で、三日も吹いたら……)
食糧がなくなることが心配だった。それに、その場所はビバーク地点として、もっとも不都合なところであった。いかにもここは、鬼も近づかない北鎌《きたかま》尾根《おね》ではあるが、こんな吹きさらしのところばかりではなく、もう少しましなところだってあるだろう。吹雪が止まなければ肩の小屋へは帰れないから、それまではもう少しビバークのコンディションのいいところへ移動したい。加藤はそう思った。
その朝の寒気はものすごかった。二重に防寒帽をかぶっている加藤の頭も、鉄の輪でしめつけられているように痛かった。宮村は、寒さをこらえるために、しきりに身体《からだ》を動かしつづけていた。
吹雪はいささかも衰えようとする気配は見せなかったが、加藤は、夜から朝へ、または昼から夜への移り変りのとき、必ずごく僅かな時間だけ小康現象があることを知っていた。その気象現象が、この暴風雪に適用できるかどうかはわからないが、もしその現象が起きたとすれば、その間に行動を起して、もっと有利なところに移動すべきであると考えた。
「おい宮村君。夜が明けたらここを出よう。風の合間を見て、もう少しいい場所を探そう」
宮村はうなずいただけで返事をしなかった。宮村は一夜の寒さで、ひどく痛めつけられていた。朝の明るさの中で見る彼の顔には精気がなかった。きのうまでの、あの自信に満ちた顔はなく、ひどく物《もの》憂《う》げに見えた。顔についた雪も払おうともしなかった。
「ねむいなあ……」
と、宮村がいったとき、加藤は、宮村の頭が夜が明けても朦朧《もうろう》としているのは、きっと、寒さで頭がやられたのではないかと思った。加藤にもその経験があった。寒さはまず頭から来るものだということを知ってから以後、加藤は他の登山家たちがいかに笑っても、二重に防寒帽子をかぶっていたのである。
加藤は彼の内側にかぶっている、スキー帽を取って、宮村にかぶせてやった。宮村はその好意に対してありがとうもいわずに、ぼんやりと加藤を見ていた。そのとき、リーダーは、宮村から加藤にはっきりとバトン・タッチされていた。
二人は朝食のためのひとにぎりの甘納豆とクリームチョコレートを二個ずつ食べた。林《りん》檎《ご》は石のように固くなっていて食べられそうもなかった。水が欲しかったが、水筒の水は完全に凍っていた。
夜と朝との境目におこるべき小康現象はついに起らなかった。とても立っては歩けないほどの風速であった。二人は待つしかなかった。待つことはやがて雪によって生き埋めにされることにもなりかねないが、さし当ってどうすることもできなかった。かわきをいやすために雪をなめた。雪を食うことは、体内の熱を奪われることだったが、かわきには勝てなかった。その暴風雪はその日の四時過ぎになって小康を見た。昼から夜への境目に示した、ごくわずかばかりの山の好意であったが、それは槍の穂への帰路が発見できるほど見とおしの効くものではなく、それまでに比較して、どうやら立って歩けるほどの余裕が出たという程度であった。
「肩の小屋へ帰ろう」
と宮村健がいった。
「この風なら、頑《がん》張《ば》れば、やってやれないことはない」
宮村はそういって、雪の穴から立上った。一昼夜の間に宮村はすっかり弱っていて、とてもこの風では無理だし、時間的にも不可能に考えられた。
「槍の穂に登るのは無理だ。だが、ビバークの地点を変えないと、このままでは凍え死んでしまう」
加藤はそういって立上った。どこか岩のかげの吹きだまりにでも雪洞を掘って風をさけようと思った。二人はザイルを組んだ。加藤が先に立った。
加藤は、昨夜《ゆうべ》のビバークの間中、ずっと風の音を聞いていた。その風の音で、彼《かれ》等《ら》がビバークしている近くの地形をほぼ想像していた。雪洞を掘るとすれば、その位置は風下に見つけなければならない。しかしそこには雪《せっ》庇《ぴ》の危険がある。雪庇もなく風もさけられるという格好の岩陰があるかどうか自信はなかった。が、それを見つけねばならないのだ。そうしないと、二人は死ぬのだ。
加藤はなにか背後で起ったような気がした。ふりかえったとき彼は、吹雪ではない、雪煙りの中に、あおむけになって倒れこんでいく宮村の姿を見た。加藤はすぐザイルを肩がらみして確保する用意をした。ザイルの重さががくんと彼の肩にかかったとき、彼がふんばっている足元の雪がたわいなく崩れていくのを見た。
次の瞬間、加藤は雪煙りの中に巻きこまれていた。
どっちに向って滑っていくのかわからなかった。頭が先か足が先かも判断がつかなかった。滑っていく割に抵抗感は少なかった。ものすごく呼吸が苦しくなり、なにかのはずみにひといきついたとき、頭の隅《すみ》の方で、いま自分たちは雪崩《なだれ》の中に巻きこまれて流されていくのだと思った。自分の身体ではもうなくなっていて、なにか自然の大きな力の中に俘《とり》虜《こ》になっている感じだった。
音は聞えていなかった。妙に静かなところをまっしぐらに滑りおりていく気持だった。
加藤はふわりとしたものを感じた。雪の中からほうり出されたのだと感じた瞬間、どさりと雪の中に投げ出され、そこでぴたりと止った。
加藤の頭は下を向いていた。ピッケルの紐《ひも》はまだ彼の右手から離れずにいた。背負っていたサブザックもそのままだった。加藤は雪の中から這《は》い上ると、腰についているザイルをたよって宮村健のところにいった。宮村は雪の上に起き上って放心したような顔でいた。彼もまたどこにも怪我《けが》をしてはいなかった。
雪崩を起したのではなかった。新雪とともに押し流されたのであった。雪が深かったから怪我はしなかったのであった。
どのくらい流されたのかその距離はわからなかった。わかっていることは、彼等のいるところがきわめて急な斜面であった。そんなところにうろうろしていると、いつまた流されるかわからないということであった。
北鎌尾根へよじ登るか、それとも、そのままこの斜面をおりて、少なくとも雪崩の危険のないところへ退避するかどっちかであった。
加藤は、深雪の中を泳ぐようにして登った。三歩登ると二歩はおしもどされそうなところであった。そこは明らかに岩壁といってもいい傾斜角度を持っていた。新雪雪崩を起す可能性があった。
加藤は時計を見た。四時半に近かった。とても北鎌尾根に引きかえすことはできないし、それよりもなによりも恐ろしいのは、夜の到来であった。
加藤はそこに雪洞を掘ることにした。
急な斜面を利用して雪をかき出して、穴の中にもぐりこむしか方法はなかった。
加藤が雪洞を掘りにかかったのを見て、宮村もそれに協力した。雪洞を掘っていると、上部から、強風が吹きおりて来て雪煙りを上げ、しばしば二人をめくらにした。
「天上沢に落ちたのだ」
加藤は風の方向で、そう判断した。
どうやら二人が入れるだけの横穴ができて、その中に入った。そこは北鎌尾根の背の上ではなく、風の陰になっていたから、昨夜ほど風は強くなかった。二人にとって幸いなことには、どうやら、その穴の中で、石油コンロに火をつけることができたことだった。
いまは、まず水を作って飲むことだった。やはり気が狂うほど咽喉《のど》がかわいていた。凍った水筒をそのまま携帯用石油コンロにかけてとかしながら、二人は、火を見たことでなにか救われたような思いになった。
二人は水を飲み、そして、甘納豆を二十粒ほど数えながら食べた。もうあと甘納豆はいくらも残っていなかった。
石のようにかちかちになった林檎を、ピッケルでこまかにたたき割って、コッフェルに乗せた。林檎は音を立てて溶け、やがて煮えた。それにクリームチョコレートを二個ほど加えて味をつけた。二人はそれを分け合って食べた。熱いものが身体に入ると少しばかり元気が出た。
食事が終ると、加藤は石油コンロの火を消した。
いまは、この小さな石油コンロが、もっともたよりになる二人の財産であった。水は作ってもすぐ凍ってしまうから、食事のたびに、石油コンロを使わねばならなかった。その石油の量も、あと二回か、せいぜい三回分の水を作るだけの量しかなかった。
二人は、また寒さとの戦いの夜に入った。腹が減っているせいか、前夜より寒さが身にしみた。
加藤は、こういう状態のままで眠るのは、多分に危険だと思った。疲れてもいたし空腹でもあった。眠ればそのまま凍死するかも知れないと思った。だが、眠らないでいることが、生きられることだろうか。
その夜、宮村は寒さを連続的にうったえた。石油コンロに火をつけようといった。そうしないと、凍え死んでしまうに違いないといった。
石油コンロに火をつけたところで、雪洞の入口をおおいかくすものがないから、雪洞の中の温度の上昇は期待できなかった。
手先をあたためるか、足ゆびをあたためる程度のことしかできないのだが、宮村は石油コンロに火をつけることをしきりに望んだ。
「加藤さん、はやく石油コンロに火をつけて下さい。どうにもこうにも寒くてしょうがないんです」
しかし、その宮村も加藤が今、二人のパーティーの生死の鍵《かぎ》はこのちっちゃな石油コンロが握っているのだといい聞かせてやると、承知をするのだが、しばらく経《た》つとまた同じことを訴えた。きのうまでの宮村ならば、なにがなんでも、彼の意志を押しとおそうとしただろうが、そのときの宮村健はもうきのうまでの宮村健ではなくなっていた。宮村は加藤の下宿に遊びに来たころの宮村になっていた。加藤のいうことならなんでも聞き、加藤こそもっとも尊敬できる人間だと信じこんでいたころの宮村健の生真面目《きまじめ》な姿がそこに現われていた。
加藤には、宮村のその変り方が、むしろ危険信号に思えてならなかった。急におとなしくなったのは、彼の体力の消耗によるものであることは明らかであった。宮村はきのう、槍《やり》ヶ岳《たけ》との間を二往復した。その一往復だけ疲労は加藤より多いのだ。それに、宮村はゆうべの寒さで、頭を少なくとも加藤よりひどく痛めつけられている。コンビネーションの防風衣とそうでない防風衣の差も出ていた。加藤と宮村の年齢の差を考慮に入れても、これだけのハンディキャップがあれば、宮村の方の消耗が、加藤より早く現われるのは当然であった。
その夜は、加藤にとっても、昨夜よりつらい晩であった。昨夜は一晩中強風が頭の上を吹き通っていたが、今夜は風はそれほどではなかった。それにもかかわらず、寒さがきびしく感じられるのは、食べていないからであった。うとうとすると寒さで眼がさめた。
夜が明けたとき、加藤はいままでにない疲労をおぼえた。身体中がだるかった。
暴風雪はまだつづいていた。なぜこうも連続して吹くのか、加藤にはわからなかった。もうそろそろ晴れてもいいころだと思うのだが、新雪はさらに雪の層を厚くしていた。
明け方の寒さの中で、残った林檎一個をピッケルで粉々にくだいてコッフェルに入れ、その中に甘納豆二十粒ばかりを入れ、少量の雪を加えて妙な粥《かゆ》を作った。それが朝食であった。
吹雪はきのうよりいくらか落ちついて来たような気がした。
「よし頑張ろう。北鎌尾根まで戻《もど》り、なんとかして槍の穂へ登る道を探そう、肩の小屋へ逃げこみさえしたらなんとかなる」
加藤は宮村をはげました。
宮村は黙って顎《あご》を引いただけだった。宮村はさらに弱っていた。
数メートル登ったところで、宮村が滑って十メートルほど落ちた。
「足が利《き》かない、凍傷らしい」
雪だらけになって立上った宮村の顔は、幽鬼のように青白かった。宮村の両足指は凍傷にかかったのである。そこにも、宮村と加藤との装備の差があった。加藤は冬山山行のときには、幾分大きめの靴《くつ》を履くことにしていた。毛糸の靴下も四足はいていた。宮村は三足はいていた。四足と三足の差が、限界における凍傷となって現われたのである。
加藤は、北鎌尾根へ帰ることをあきらめた。到底無理な話であった。北鎌尾根をあきらめたとなると、肩の小屋をあきらめたことになる。すると、この場合、生きる道はただひとつ、天上沢にそって下山していって湯《ゆ》俣《また》へたどりつくことであった。
その距離は遠く、雪は深かった。だが、いまとなったらそれ以外に生還できる道はなかった。
「湯俣へ出よう」
加藤は宮村健にいった。
返事がなかった。宮村は吹雪の中にうつろの眼を投げていた。
二人は雪まみれになったままおりていった。滑ったり、転んだりの連続だった。一度に五メートルも十メートルも滑りおちることもあった。それでいて不思議に雪崩にはならなかった。雪の急傾斜面をおりて沢に出たところで、二人は方向を左に変えた。そこからは沢ぞいにどこまでもどこまでも歩いていくと、やがて高瀬川の上流の水俣川《みなまたがわ》に出る。そこには吊《つ》り橋《ばし》がある。その辺からは道があり、湯俣の小屋までは四キロほどである。湯俣には熱い湯がある。うまくいくと人が来ているかもしれない。小屋を探せば、どこかに食糧があるはずだ。
加藤の頭の中には天上沢からまっすぐ北に向って延びている高瀬川水系があった。
「北へ北へと進めば、われわれは湯俣の小屋に出るのだ。今日中には無理だろうが、明日中にはきっと行きつくことができるだろう」
加藤は宮村にいった。
そこまでは、磁石は要らなかったが、天上沢についてからは、磁石が必要だった。深雪の中で無駄《むだ》な労力を費やしてはいけない。加藤は磁石を出して北の方向に目標を定めて歩いた。そこまで来ると吹雪の様相も北鎌尾根とはだいぶ違っていた。風もひどくはなかったが、乱れがあった。視程も二十メートル先を見ることができたから、磁石の北の方向に、適当な地物の目標をとって、そこまで歩き、そこでまたその先に目標を求めて進むという方法をとった。
北へ進めばいいということは気が楽だった。北にさえ進んで行ったら、必ず湯俣へ行きつくことができるということも彼等の気持を明るくさせた。だが、最大の障害は深雪だった。彼等は輪《わ》かんを持っていなかった。たとえ持っていたとしても、それほど役にはたたないだろうと思われる新雪だった。股《もも》のあたりまであった。吹きだまりに出ると、海の中を泳ぐように雪をかきわけて進まねばならなかった。雪を踏むという形容は当らなかった。雪の中を漕《こ》いでいくというのも適切なことばではなかった。彼等は雪の中を半ば潜行していった。燃料のまさにつき果てようとする潜行艇のようであった。
深雪は多量なエネルギーの消耗を彼等に要求した。食べてもいないし、眠ってもいない彼等は、心はあせっても動くことはできなかった。
「加藤さん、人の声がする」
宮村がいった。眼が輝いていた。
「人の声が?」
加藤は念のために、防寒頭《ず》巾《きん》を取って耳をすませた。吹雪の音がするだけであった。
「人の声なんかしない。あれは吹雪の音だ」
「そうですか」
宮村はがっかりしたように肩を垂れた。加藤は、そのとき、ぞっとするような恐怖を感じた。今まで、ついぞ感じたことのない死を頭の中においての恐怖だった。加藤自らの頭上にふりかかって来たものではなく、それは、宮村にまつわりつきはじめた死の影であった。
(宮村は幻聴を聴いたのだ)
遭難の第一歩がはじまったのだ。加藤もかつて、厳寒の氷《ひょう》ノ山《せん》で、幻覚に襲われたことがあった。山陰地方の湿雪にやられて、たわいなくノックダウンされようとしたのだ。あのとき疲労と寒気の中から生還できたのは、食べていたからだった。腹が減ってはいなかったからなのだ。疲れ果てて倒れて眠ったが、それで一時的に元気を恢復《かいふく》して、そして危地を脱したのだ。
宮村の幻覚は危険な信号であった。これ以上歩かせてはならない。彼に休養を与えねばならないのだ。
「加藤さん、ほら聞えるでしょう。水野さんと市川さんの声がね」
「吹雪の音だ。しっかりしろ」
加藤は宮村を怒鳴りつけると、まだ暮れるには時間があったけれど、寝ぐらの用意をしなければならなかった。加藤は、ピッケルをたよりに雪洞《せつどう》を掘りにかかったが、息が切れた。眼が廻《まわ》りそうだった。空腹で力が出ないのである。
宮村に協力を求めることはもうできなかった。宮村は雪の上に坐《すわ》ったままだった。宮村は幻聴の次には、幻視を見るだろう。それはもうわかり切ったことのように思われた。
雪洞は不完全なものであったが、どうやら二人を収容することができた。
加藤は石油コンロに火をつけて、コッフェルで湯をわかした。ぱらぱらと少量の小豆の甘納豆がその上にばらまかれた。それが甘納豆の最後のものであった。
熱い湯は宮村の幻聴を消したようであった。
「今日は何日ですか、加藤さん」
「そうだな」
加藤は日を数えた。三日の夜は北鎌《きたかま》尾根《おね》、四日の夜は北鎌尾根下、そして、
「五日だよ今日は」
「もう間もなく日が暮れるでしょう。もし明日の朝、ぼくが眼を覚まさなかったら、ぼくは加藤さんに、たいへんな精神的借金を負って死ぬことになります。だからぼくはいま……」
突然、妙なことをいい出した宮村の顔を加藤が覗《のぞ》きこむと、宮村は、頭がぼけたのではないことを示すように、首を左右にふっていた。
「結局ぼくがいけなかったんです。あんな時間に北鎌尾根をやろうなどといって、加藤さんを引っぱり出したぼくが悪かったのです、すみません」
宮村は頭を下げた。
「誰《だれ》がいい出したにせよ、パーティーを組んで出発した以上、こうなったのは二人の共同責任だ。今はそんなことに気を使わずに、生きて帰ることだけ考えればいいのだ」
「さっきぼくは幻聴を聞きました。山で幻聴を聞くということは、死に向って一歩足を踏み出したということになるのではありませんか」
「ばかな、そんなことがあるものか、おれだって、今までに何回となく幻聴を聞いたことがあるが、ちゃんとこうして生きている」
それから二人は言葉を失《な》くしたように、黙りこんだ。
その夜はまた前夜に増して寒かった。どのようにしても、その寒さから逃れることのできない寒さであった。
加藤が両足のゆび先に激痛を感じ出したのは夜半を過ぎてからだった。彼はその痛さで眼を覚まして、懐中電灯をつけて靴の紐《ひも》を解きにかかったが、紐が凍りついていて、解くことができなかった。靴を脱ぐには、靴の紐を切らねばならなかった。靴の紐の予備は持っていなかった。足の指の凍傷を救うか、靴を救うかどちらかに決めねばならなかった。加藤は腰をおろしたままで、しきりに靴の足を動かした。あらゆる才覚をめぐらしても、靴の紐を作り出すことはできなかった。かちかちに凍った紐を切るには、ずたずたにしなければならなかった。それをつなぎ合せて使うというわけにはいかなかった。石油コンロであたためて解かすという法があったが、あと一回だけ湯を沸かす分しかない石油を、靴の紐を解くのに使うことはできなかった。靴の紐を切断して、靴から足を出してその指をもんで、一時的に凍傷からのがれることができたとしても、その足を入れるべき靴が、紐がないために靴としての役目を果さなくなったならば、この深雪から脱出はできなかった。
加藤は耐えた。足指の激痛に耐えながら、その激痛のあとに、間もなく訪れて来るだろう足指の凍傷を思った。靴下を四足はいても、五足はいても、彼の体内の熱量の補給がないかぎり、寒さには勝てないのだ。
明け方になると足指の感覚はまったくなくなっていた。凍傷になったのだ。だが彼の足はまだ健全であった。吹雪は止《や》んでいた。雲がかかっていて山は見えないけれど、彼《かれ》等《ら》の帰路は瞭然《りょうぜん》としていた。
二人は最後の石油を使って、湯を沸かし、その中にクリームチョコレートを三個入れて溶かして飲んだ。それが朝《あさ》餉《げ》であった。あとに四個のクリームチョコレートが残った。食糧はそれだけだった。
それまで彼等の生命の燃焼を支えて来た携帯用石油コンロは、もう不要であった。二人は疲れ果てていた。荷物はできるかぎり軽くしなければならない。
携帯用石油コンロは雪洞の中に置き去りにされた。吹雪ではないし、帰路もはっきりしていたから、ザイルも不要だった。加藤はザイルを輪にして石油コンロのそばに置いた。
「さあ、今日中に湯俣へ行こう。湯俣まであとわずか一里(四キロ)だ」
加藤は宮村にいった。
今日こそ生きるか死ぬかの最後の賭《かけ》の日だと思った。宮村は加藤の意を察して、大きくうなずいたが、その顔にはなんらの感動も認められなかった。ただぼんやりそこに突っ立っているような姿だった。
加藤は雪の中に一歩を踏みこんだ。一夜の間に新雪の表面が固くなっていた。ぼこんぼこんと靴を飲みこんで、引き上げるときに、固くなりかけた表面に靴が食われた。雪の状況はちっともよくはなってはいなかった。
加藤は十歩ほど歩いてふりかえった。
宮村は雪の中に坐りこんでいた。
10
宮村は、蹌踉《よろば》いながらもまだ歩くつもりはあった。深雪の中に腰をおろして、しばらく休むとまた歩いた。
「おい宮村君、どうした。われわれは今日中に湯俣まで行かねばならないのだ。湯俣につけば小屋もある。食べものもあるし、湯もあるのだぞ。さあ頑《がん》張《ば》ろう、あと一里だ」
加藤がそういうと、宮村はうなずいて歩き出すが、ものの二十歩か三十歩で、また雪の中に坐りこんでしまう。体力の限界点に来ているようであった。頭もすでに混迷しかけているらしく、
「いやに今日は暖かいんだね加藤さん」
などという。吹雪は止んでいたが太陽は出ていなかった。厚い雲の下には、ちらちらと雪が降っていた。暖かいどころか、加藤にしてみると、腹の底にしみる寒さだった。加藤は、宮村の腕をつかんで引きずるような格好で歩いていった。並んで歩くことはない。加藤が先をラッセルして、そのあとを宮村が歩けばいいのだが、宮村にはひとりで歩くだけの力はもうなかった。
「このくらいの雪に参ってしまうなんて、みっともないぞ。関東の奴《やつ》等《ら》に笑われるぞ」
加藤が宮村の背をどやしつけると、宮村はそれで幾分か正気を持ちかえして歩こうとするのである。このような状態になっても、宮村の中には関東の登山家たちに笑われまいとする関西人登山家としての魂が眼を覚ましていた。
加藤はしきりに宮村に言葉をかけた。彼の肩を叩《たた》いたり、背をどやしつけたりした。そのようにして知覚にうったえないかぎり、すぐ宮村は雪の中にのたりこんでしまうからであった。
宮村が幻視や幻聴になやまされていることは、彼がときどき、大きな声で返事をしたり、時には声を出して笑うことによって明らかであった。なにを見、なにを聞いているにしても、歩いてくれればよかったが、幻視や幻聴が起ると立ち止ってしまうから世話が焼けた。
「しっかりしろ、もう少しだ」
と声をかけたり、時によると、力いっぱい、宮村の尻《しり》を叩いてやると気がついて、
「加藤さん、すみません」
というのである。宮村は、あきらめてはいなかった。加藤に介抱されながらも死地から脱しようと努力しているのは悲《ひ》愴《そう》であった。宮村は身体《からだ》中からしぼり出すような勇気をふるって、しばらく進むとまた雪の中に坐りこんだ。言葉ではげましたり、肩を叩いたぐらいでは動かなかった。雪の中に坐りこむと、彼は眼をつぶった。それでも、そこにそうしたかたちでじっとしていると、いくらか疲労が恢復《かいふく》するらしく、また歩いた。この歩行と休養の時間比が、ずっと休養の方に重く傾いていって、ややもすると、加藤自らも、それに引きずりこまれて、宮村と共に雪の中に眠りこんでしまいそうになった。
午後になって再び雪になった。暴風雪とまではいかなかったが、あたりが暗くなり、森林が鳴り出した。
「海が見えなくなった」
と宮村健が突然叫んだ。はっきりした声だったが、こんな場合に宮村がなぜそんなことをいったのかわからなかった。あるいは宮村が幻視の中に神戸の海を見ていたかもしれない。彼は海を見ながら、神戸アルプスを歩いていたのかもしれない。
「宮村君、海がどうしたんだ。しっかりしろ、ここは高瀬川の上流の天上沢だ」
加藤は宮村の肩を揺さぶり、背を叩いたが、正気にはかえらなかった。宮村の眼はあらぬところを見詰めていた。狂った眼のようでもあった。声を掛けても、どやしつけても反応がなかった。宮村はそこにいる加藤の存在すら頭から消えたようであった。頬《ほお》を叩いても表情を変えなかった。耳に口をつけて叫んでも、ピッケルで尻をぶんなぐっても、遠くに逃げていく彼の魂を呼びもどすことはできなかった。
不思議なことに彼は雪の上に坐った姿勢だけは崩そうとはしなかった。宮村はまだ生きていることをそうすることによって示そうとしているようであった。だが、頑強《がんきょう》にも思われるほど、雪に根をおろした彼も、三十分ほど経《た》つと、突然崩れた。死んではいなかった。宮村の鼻孔から出る白いかすかな息が、彼がいま永遠の安息に向って旅立とうとしていることを示しているようであった。
加藤は時計を見た。午後二時であった。
深雪であったが、湯俣まで行こうとして行けないことはなかった。行けば自分は助かるにちがいない。だが加藤にはその決心がつかなかった。いまや宮村に一分の奇《き》蹟《せき》を求めることもできなかった。が、彼はまだ生きていた。死んだも同然であっても、彼はまだ生きているのである。生きている友を棄《す》てて自分だけ生きようとは思わなかった。
加藤はその場にピッケルで縦穴を掘って、その中に宮村をひきずりこんだ。夜のための用意であった。加藤はこれだけのことをするのに二時間あまりを費やした。気が遠くなるほど苦しい仕事だった。
加藤は宮村に付きそっていた。降る雪を払ってやるぐらいのことしか、してやれることはなかった。宮村はときどき身体を動かしたが、決して眼を覚まそうとはしなかった。ものもいわなかった。
「宮村はもう死んだも同然だ。死人につき添って、お前までが死ぬことはあるまい。いまのうちならまだお前は助かるチャンスがある。いまここを出れば第三吊橋《つりばし》あたりまでいける。その近くに岩小屋がある」
第二の加藤が第一の加藤に囁《ささや》きかけたが、加藤は首をふった。
「いまおれは単独行の加藤文太郎ではない、相手がいるのだ。パーティーを解消することはできない。なぜならば、宮村はまだ生きている。パーティーは存在しているのだ」
その夜、加藤は空腹と寒気と、幻視幻聴に悩まされ続けていた。下半身の感覚が薄れていくような気がした。足指の先から始まった凍傷は下半身をおかしていくようであった。
彼と並んでいる宮村の体重は、加藤に重くもたれかかっていた。生きている気配はもう感じられなかったが、死んだという確証もなかった。たとえ、宮村が死んでいたとしても、加藤はその死体と一夜を明かすことを決して嫌《きら》ってはいなかった。
夜明けのきびしい寒さで加藤は眼を覚ました。頭がはっきりしていた。
加藤は、隣の宮村を見た。白い息はもう見えなかった。顔は蒼白《そうはく》になり手足は棒のようになっていた。瞳孔《どうこう》は完全に開いていた。すべての表情が消えた安らかな顔だった。
宮村健は死んだ。
(宮村君、立派だったぞ)
加藤は宮村にそう声をかけてやりたかった。ここまで頑張ったのは宮村だったからできたのだと思った。死んだという現実を前にしても、加藤は不思議に悲しみというものが湧《わ》いて来なかった。それは、宮村の死体と一夜を共にしたことによって充分な訣別《けつべつ》を告げていたというのではなく、やれるかぎりの努力をつくして、もはやなんの心残りもないということであった。あるいは、その夜の寒さで加藤の中のあらゆる情緒の感覚が、すでに凍死していたのかもしれない。涙は出なかった。
加藤は静かな眼でしばらく宮村を見おろしていたが、やがて、宮村のサブザックの中に水筒を入れ、それを枕《まくら》にして宮村の頭を北に向け、ピッケルをその枕元に立てて置いた。遺体発見の目じるしにするためだった。彼の枕元にささげるべきものがなにひとつないのが淋《さび》しい気がした。
加藤は、四個のクリームチョコレートが残っていることを思い出した。最後の共同の食糧であった。
加藤は、宮村の分としての二つのクリームチョコレートを死者の枕元に供えた。銀色の包み紙は朝の光を反射して輝いた。
「おい宮村、食べろよ」
加藤は宮村にそういうと、加藤の分のチョコレートの包み紙を取ろうとしたが指先が利《き》かなかったから、歯でむきとった。二個のクリームチョコレートは石のように固くなっていた。口の中に入れて溶けるまで、しばらく時間がかかった。なにか口の中に氷のかたまりを入れたようであった。やがてチョコレートはやわらかになった。噛《か》んだ。チョコレートの味がしなかった。クリームの甘さもなかった。ざらざらと半分凍りかけた氷を食べているような気持だった。
(チョコレートは凍るとこうもまずくなるものであろうか)
加藤はそう思いながら、飲みこんだ。疲労と寒さで、加藤の舌の感覚が、おかしくなって来ているのだとは気がついていなかった。水が欲しかったが、水は一滴もなかった。水は湯《ゆ》俣《また》の小屋まで行かないと得られなかった。そこには湯がある。凍った彼の身体をあたためてくれる湯があるのだ。
加藤は生還への一歩を歩み出した。
(加藤文太郎に敗北はない。おれは不死身の加藤文太郎なのだ。これから、自分の思うとおりの単独行ができるのだ)
加藤の心は澄んでいた。
加藤は一歩一歩をたしかめるように歩いていた。湯俣まで行くにはそれに応じた歩き方をしなければならない。五日間ろくろく食べていない彼の涸《か》れ果てたエネルギーの総《すべ》てを上手に使わねばいけない。
加藤は深雪に挑戦《ちょうせん》していった。足が思うように動かなかった。ゆうべのビバークで両足の凍傷はさらに上部に侵蝕《しんしょく》していったもののように思われた。気はあせっても、動かない足は歯がゆいばかりだった。
日が出た。幾日かぶりで見る日ざしであった。そこにそんなに青い空があったかと思われるようによく澄んだ空があった。陽《ひ》に当り、身体が暖められるといくらか元気は出たように感じられるけれど、日が出ると雪の上層部がやわらかになって、かえって歩きにくかった。
「いい天気じゃあないか、地図遊びに出かけようじゃあないか」
新納友明が話しかけて来た。新納友明はナッパ服を着ていた。頭は坊《ぼう》主刈《ずが》りだった。
「おい新納どうしたんだ。この雪の中に、君は防寒帽もかぶっていないじゃあないか」
加藤がいった。そこには新納友明のかわりに、雪をかぶった木の根っ子があった。新納友明は、十数年前に、加藤がまだ研修所で勉強していたころ、彼に地図の見方を教えてくれた友人だった。十数年前に病死した新納友明の幻視を見たと気がついたとき、加藤は、自分が置かれている危うい位置に恐怖を感じた。宮村は幻視と幻聴の間をさまよいつづけて死んだ。一日おくれて、同じことが、自分の身に起り出したのだと思った。
「いや、おれは幻視幻聴なぞには負けないぞ、おれは他の人間とは違うのだ。単独行できたえ上げた、強靱《きょうじん》な肉体と精神力を持っているのだ。おれにはヒマラヤという目標があるのだ。ヒマラヤに向って、いまおれは歩きつづけているのだ。死んでたまるものか」
「そうだ加藤君、きみにはぜひヒマラヤに行ってもらわねばならない」
藤沢久造が加藤と並んで歩いていた。
「いつだって、行けといわれれば行きますよ。ヒマラヤ貯金は三千円になりました。これだけあれば充分でしょうね、藤沢さん」
「金はそんなには要らないだろう。実は、今度、君はヒマラヤ遠征隊員として選ばれたのだ。ヒマラヤの雪が君を待っているぞ、ヒマラヤの雪がな……」
藤沢久造の声が聞えなくなって、彼の足音だけが聞える。雪を踏む足音である。たしかに、その音はアイゼンで固い氷を踏む音であった。
「そうだ、おれはいまヒマラヤへ来ていたのだ。ヒマラヤの氷を踏んでいるのじゃあないか」
その加藤のアイゼンがヒマラヤの氷にはまりこんで抜けなかった。こんなはずはない。こんなばかなことがと、やっと、ヒマラヤの氷から足を引き抜いた反動で、彼は雪の中に倒れた。彼は現実にかえった。
そこには白い死の世界だけが彼を待っていた。
加藤はピッケルを握りしめた。ひどく暖かだった。足元から吹き上げて来る風の中には春のにおいがあった。加藤はその春風の源を追うように視線を延ばしていった。彼の足元から石段がずっと下に延びている。故郷の浜坂の宇都野《うづの》神社の石段だった。石段の下の方で少女が泣いていた。花子である。下駄《げた》の鼻緒を切らして泣いているのである。
「どれ、その下駄の鼻緒をすげかえてやろう」
「でも、加藤さん、あなたにそれができるの、あなたの手のゆびは凍傷しているのでしょう」
そして彼女は、青空を突きぬけていくような大きな声を上げて笑った。園子であった。
「園子さん、どうしてここへ」
「満州から来たのよ。宮村さんと、ここで落合う約束なのよ」
「宮村君と?」
「そうだわ、私たち結婚することになったのよ」
ほら、あそこに宮村さんがいるでしょうと、園子がいうのでふりかえると、宮村健は大きなルックザックを背負って、深雪を踏みしめながらやって来る。
「宮村君、お前生き返ったのか」
「なにをいっているんです加藤さん、ぼくは前からずっと元気なんですよ。さあ加藤さん、手を引いてあげますから歩きましょう。湯俣はすぐそこです。こんなところで愚図ついていたら、日が暮れる」
「そうだったな、君は死んではいなかったんだな」
加藤は宮村に手を取られながら雪の中を進んだ。なにかにつかえて転んで、雪の中に頭を突込んだ。呼吸が止りそうに苦しかった。
それからは、いろいろの人が次から次と彼に声をかけてきた。立木勲平海軍技師が現われたり、佐倉秀作が出てきたりした。
影村技師の冷酷な顔は間断なく現われたが、決して加藤に話しかけようとはしなかった。
「加藤さん、ごはんですよ」
と下宿の婆《ばあ》さんから声をかけてくることもあった。その下宿の手伝いをしていた金川義助の妻のしまが、幼児を背負って現われて、
「加藤さん、あなたは、うちの人の居どころを知っているはずです。さあこれから、そこへつれていって下さい」
などと血相をかえて加藤を責め立てたりした。
頭の中ががんがん鳴った。非常に多くの人が勝手放題なことを加藤の耳元でいっているのがうるさくてしようがなかった。両手で耳をおおっても、その声は聞えて来るのである。
加藤は雪の中に立ちすくんだ。
(そうだ。寒かったので、この数日間ほとんど眠っていない。幸い今日は日が出ている。仮眠したら、また元気が出るだろう)
加藤は、雪の上にサブザックを敷いて、膝《ひざ》を抱いた。夢の中でも、うるさいほどの囁《ささや》きがあったけれど、彼は眠った。どのくらいの時間だったかわからないが、彼が眼を覚ましたときには、日は北鎌《きたかま》尾根《おね》にかくれていた。腕時計は止っていた。
加藤は腰を上げた。左側に見える北鎌尾根の地形から見て、彼の位置は千丈沢と天上沢の出合に近いところらしかった。第三吊橋《つりばし》はもうすぐである。
日が山にかくれると、寒さがまた彼をしめつけてきた。いそがねばならないと思った。どんなことがあっても第三吊橋まで行かねばならない。そこに岩小屋がある。
加藤はまた歩き出した。おそらくあそこあたりが第三吊橋だろうと思うけれど、そのわずか五百メートルか六百メートルのところが歩けないのである。足が持ち上らないのである。自分の足ではないように重かった。
北鎌尾根の東斜面は暗かったが、右側の牛首山のあたりには陽が当っていた。そこから眼をずっとおろして、千天《せんてん》出《で》合《あい》の方へやると、そこのもう暗くなったあたりに、ひとかたまりの動くものが見えた。それはやがて縦に延びて、こっちをさしてやって来るのである。
(救助隊がきたのだ)
加藤はそう思った。
(救助隊が来るとすれば、その隊長は……)
外山三郎でなければならないような気がした。そして加藤は間もなく、救助隊の先頭に立っている外山三郎を見ると、思わず手を上げて叫んだ。外山がそれに応じた。外山の声が聞える。
「心配したぞ、まあ無事でよかった」
と外山三郎はいった。
「加藤文太郎のことだ、絶対大丈夫だとおれがいったとおりだろう」
志田虎《とら》之《の》助《すけ》が得意そうな顔でいった。あとの三人は知らない顔だった。
「加藤君、ぼくに黙って山へ出かけるとは、けしからんじゃあないか」
外山三郎に、たしなめられると加藤は頭を掻《か》いた。そうだ、出発する前日、外山三郎を会社の廊下で見かけたとき、加藤の方からわざとさけたのだ。
「単独行しかやったことのない君が、生れて初めてのパーティーを組んでの山行に失敗したということは、きわめて皮肉な証明方法によって、パーティー山行を否定したことになる」
外山三郎がいった。
「皮肉な証明方法といえば、そうかもしれません。いい経験でした。要するにパーティー山行で起り得る遭難は、そのパーティーを組んだ瞬間に約束されているってことでしょう」
加藤はそう答えた。
外山三郎の家の応接間に電灯が煌々《こうこう》と輝いていた。外山夫人が、長田神社前で売っている五色力餅《ちからもち》の入った大きな皿《さら》を持ってきて加藤の前に置いた。
加藤はそれに手を出した。手がとどこうとするところで、五色力餅はひとつずつ消えていった。
日暮れとともに天上沢にそって吹きおりて来る風が冷たかった。
加藤は、そのときほどはっきりと自分の孤独の姿を見詰めたことはなかった。
加藤は死に直面しつつある自分を感じた。死と生のきわどい境界を彷徨《ほうこう》しているのだと思った。前にもそういうことが何度かあったが、すべて自力で通りぬけてきた。今度も、死と戦って負けるとは思っていなかった。生きて帰らねばならない――神戸には花子と登志子が待っているのだ。
加藤は花子と登志子を見詰めた。花子と登志子以外になにごとも考えまいとした。そうすればいままでのように唐突な幻視幻聴になやまされないで済むだろう。
一月四日には神戸に帰るといったのに、まだ帰らない自分のことを、花子はどんなに心配しているだろう。おそらく花子は眠れないでいるだろう。彼の神戸の家の隅々《すみずみ》まではっきり見えるし、花子と母のさわとの会話も聞えてくる。
「花子、そんなに心配したってどうにもならないでしょう。お前がここで心配したからって、加藤さんが早く帰ってくるということはないでしょう。外山さんにお願いしてあることだから、あとはただ待つしか方法はないのですよ」
「ただ待つだけなの、お母さん――」
花子の大きな眼に涙がたまった。
「このまま、永遠に、彼の帰りをこの子と二人で待つことになったら?」
「ばかだねお前、ものごとは、悪い方に考えると悪い方にいくものさ。加藤さんはきっと帰ってくる。今夜にでも、どうもおそくなってすみませんといって帰ってきますよ。そう考えていれば、ほんとうに帰って来る」
さわは声を高めて花子にいったが、花子の眼から涙は引かなかった。その涙が溢《あふ》れ出して、花子の膝の上の登志子の頬《ほお》を濡《ぬ》らした。登志子が泣き出した。
「花子、不吉だわ、その涙、ごらんなさい。登志子が泣き出した……登志子が神経質になったのは、お前が神経質になったからよ。乳が出なくなったでしょう。心配しすぎるからだよ」
さわは花子をそう叱《しか》って、顔をそむけるのだが、さわの顔には花子以上に不安な翳《かげ》が刻みこまれていた。
「お母さん、あの人はなぜ、雪の山へなんか行ったのでしょう。私と登志子を残して」
「同じことを、いまごろ加藤さんは気にしているでしょうよ。なぜおれは花子や登志子を残して、こんな寒い、どこを見ても雪ばっかりの山へなんかきたのだろうかってね」
「だってあの人は、行きたくて行ったのよ」
「行きたくて行ってもね、男というものは、ほんとうは、行ってしまったことを悔いているものですよ」
「だから聞いているのよ、お母さん。なぜあの人はそんなに山へ牽《ひ》かれて行ったかって」
「私にもわからない――おそらく加藤さんにもわからないに違いない。わかっていても口にはいえないのだろうよ」
花子とさわの会話はそれで止った。二人の影が障子にうつったまま動かない。
加藤はその障子の影に向って話しかけた。
「なぜ、お前たちを残して山へ来たかって。そのわけは、家へ帰ってからゆっくり話してやろう。いまおれはいそがしいのだ。お前たちと話している暇はないのだ。暗くならないうちに、第三吊橋《つりばし》までどうしても行かねばならない。そこまで行けば、岩小屋がある。そこでもう一晩泊って、翌朝になると、今日の暖かさで溶けた雪の表面は、一夜の寒さでかちかちに凍る。そうなると、氷の上を歩くように楽に湯俣まで行ける。第三吊橋からは道もしっかりしていることだから、まず一時間だ。一時間歩けば湯俣の小屋へつくことができるのだ」
加藤は歩いた。第三吊橋まで行きつけたら、家へ帰ったも同然なような気がした。
今日は一月何日だろうかと考える。六日だったか七日だったか、あるいは八日だったのかわからなかった。北鎌尾根に出かけた日からのことをいちいち数えてみる気もなかった。とにかく数日は食べてもいないし、ろくろく眠ってもいない。そして今日一日は、水を一滴も飲んでいないのである。
(しかし、おれはまだ歩ける。もう一日歩く自信と体力はあるのだ)
沢がせまくなってきた。両側に森林が迫っていて、まだ夜にはならないが夜のように暗かった。第三吊橋に近くなったからだった。
足が重かった。なんとしても雪に喰《く》われた足を引き上げることができなくなって、そこにたたずむことが多くなった。夜が近くなり、目標が近くなると、不思議に頭がはっきりした。いよいよ動けなくなると、ピッケルにすがって息の乱れを調整した。
吹きだまりの雪の中に胸まで入って、そこを、ほとんど手の力で這《は》い出したところで、加藤は第三吊橋を見た。第三吊橋は雪におおわれていた。
「勝ったぞ、おれは生還できたのだぞ」
加藤は吊橋に向っていった。
北鎌尾根に入ってから今日まで、人工物にはなにひとつとして行き当ったことはなかった。そこに第三吊橋を見たことは、人の住む里への帰路を発見したことであった。
(よしあとは岩小屋を探すことだ。たしかにこの辺に岩小屋があるはずだ)
加藤は周囲に眼をやった。
景色が急速に暗転していった。太陽が雲に入ったときの推移のようではなく、突然日蝕《にっしょく》が起ったような暗くなり方だった。
眼の前にあった吊橋が消えて、そこに、長田神社の常夜灯が見えた。加藤の家は、その灯《ひ》を右に見て、通り過ぎたところを左に曲ればよかった。曲り角の家の犬が、加藤に吠《ほ》えついた。いつものことである。加藤がピッケルを上げると、その犬は尻尾《しっぽ》を巻いて塀《へい》の中へ逃げこんで、そこでまたうるさく吠え立てた。
加藤の家の門灯が見えた。障子も明るかった。花子は起きているのだ。加藤は花子に、最初にかけてやるべき言葉に迷った。あまり驚かすようなことをいってはいけない。さてなんていおうかと考えているうちに、家の門の前に立っていた。
格《こう》子戸《しど》の鈴が澄んだ音を立てて鳴った。
「花子さん、いま帰ったよ」
加藤はそういってから、そうだ、花子さんではなく、花子と呼ばねばならなかったのだなと思った。加藤の唇《くちびる》に微笑が浮んだ。
「疲れたよ、こんなに疲れたことはいままで一度もなかった」
加藤はつぶやいた。眼をつぶると、疲労が身体の隅々にまでゆきわたっていって、もう手を上げることも足を上げることもできないほどだった。
「だが、とうとうおれは家に帰ったのだ。ゆっくり眠ることのできるわが家に帰ったのだ」
加藤は雪の中に腰をおろして、二度と覚めることのない眠りに入っていった。
花子はそのとき、登志子と添《そい》寝《ね》しながら、まどろんでいた。予定の日を過ぎても帰らない加藤のことを心配して、この三日ばかりほとんど夜は寝ていなかった。その疲れが出て、ついうとうとと眠ってしまったのである。外はまだ薄明るかった。母のさわは台所で夕飯の支度をしていた。
花子は眠っていながら、加藤の足音を聞いていた。彼を送り出して行ったとき、彼女と共に歩いたあの登《と》山靴《ざんぐつ》の音が、力強く、正しい間隔をもって帰ってきた。まるで、時計の振子のように正確だと花子は思った。加藤の靴音は家の前で止った。
「花子さん、いま帰ったよ」
加藤の声が聞えた。
「はあい」
花子は大きな返事をして飛び起きた。登志子がびっくりして泣き出したが、かまってはいられなかった。
花子は玄関へ走った。加藤はいなかった。確かに靴音を聞き、彼の声を聞いたのにいないはずはなかった。彼女は下駄《げた》を突っかけて外へ飛び出して、家のまわりを探した。加藤らしき姿はなかった。花子は長田神社の前まで走った。常夜灯にはもう明りがついていた。そこにも加藤の姿はなかった。
「お母さん、あの人が帰ったでしょう。どこへ行ったの」
花子は、その加藤を、母のさわがかくしてしまったようないい方をした。
「加藤さんが帰ったの、いつ?」
母は怪《け》訝《げん》な顔をした。
「さっき、玄関で、花子さん、いま帰ったよ、と大きな声でいったでしょう」
母は、その花子の顔をびっくりしたような顔で見ていたが、その顔は次第に蒼《あお》ざめていった。
「もしや加藤さんは……」
その母の声をおそろしいことの宣告のように花子は聞いた。足がすくんでしまいそうだった。登志子の泣き声が激しくなった。ただの泣き声ではなく、泣きむせぶ声だった。花子は、奥の部屋へ行って登志子を抱いた。花子に抱かれた登志子はすぐ泣き止《や》んで、まだ見えない眼を、柱にかけてある掛時計にやった。掛時計が五時三分で止っていた。結婚記念として会社の同僚からもらった二週間巻きの掛時計だった。いままで一度も故障が起きたことはなかった。時計のネジを巻くのは加藤の役目だった。先月彼が家を出る前日にそのネジを巻いた。それからまだ二週間は経《た》ってはいなかった。止った時計の振子を見詰めていると、涙が湧《わ》いてきた。そのとき花子は加藤の死を確信した。
「登志子お前のお父さんは、いま亡《な》くなられたのよ。いま私たちにお別れに来てくれたのよ」
そして花子は声を上げて泣いた。
北鎌尾根に消えた加藤文太郎と宮村健《たけし》の消息は、数度にわたる捜索を以《もっ》てしても杳《よう》として不明であった。
加藤文太郎の遺体が天上沢第三吊橋付近で発見され、さらにその上流で宮村健の遺体が発見されたのは、その年の四月に入ってからであった。
加藤文太郎は実名である。未亡人の花子さんからぜひ実名にと言われたのでそのようにした。本人とは富士山観測所に勤務中に一度会ったことがある。参考文献としては加藤文太郎著「単独行」を使わせていただいた。
解説
尾崎秀樹
新田次郎の山岳小説を読んでいると、その裏に作者の人柄《ひとがら》がひそんでいるように思える。当然なことかもしれないが、時代小説からミステリアスなものまでを手がけている彼の仕事のなかで、山岳ものがしめる位置はいちばん作者に近く、またその実感をこめたものとして読まれる。
なぜ新田次郎は山岳小説を書くのだろうか。もちろんそれは彼が山をこよなく愛するからであろう。ではなぜ彼は好むのだろうか。山国に育ったことが理由の第一と考えられる。おそらく故郷から遠く離れて、都会の喧騒《けんそう》の中に身をおくと、郷愁に似たものが動くのだろう。山に関係の深い気象学の専門家だったことも深くかかわっているに違いない。直接訊《たず》ねたわけではないのではっきりしたことはいえないが、中央気象台(現在の気象庁)に就職したのも、彼のおじに藤原咲平というお天気博士がいたこととあわせて、山好きの彼が意識して選んだ道だったのではないだろうか。
昭和七年に二十一歳で気象庁に就職し、満州時代を間にはさんで昭和四十一年まで長くその分野で活躍した。しかしその業績は作家新田次郎ではなく、科学者藤原寛人の仕事であり、それをみごとにしわけてきたところに、この人の篤実《とくじつ》さがみられた。いつだったかある新聞のインタビューで、吉祥寺に住む彼が、自宅から駅への途中までくると、パチッと音をたてる感じで役所の方に頭が切り替り、夕刻気象庁を出てお茶の水駅までくる途中で、またパチッと小説のほうに切り替ると語っているのを読んだ記憶がある。談話だったか、インタビューアーの記事だったかはっきりおぼえていないが、そのくだりを読んだとき、彼の仕事へのきびしさを教えられる思いがした。
実際に気象庁の測器課長として、富士山頂のレーダー建設にしたがい、みごとその大任を果して文筆一本に転進したといわれることなども、いかにもこの人らしい態度だった。けじめの正しさだけでなく、それぞれの仕事にうちこんだ姿が、そこに象徴的にしめされているように思う。
話がそれてしまったが、なぜ山を愛するかについて、彼自身の言葉がある。新潮社刊の〈新田次郎山岳小説シリーズ〉の帯にある言葉だ。新田次郎の山岳小説観を知ることのできる内容をふくんでいるので、ここに引用させてもらおう。
「なぜ山が好きになったのか私には分らない。山がそこにあるから、などという簡単なものではない。私が信濃《しなの》の山深いところに育って、そして今は故郷を離れているという郷愁が私を山に牽《ひ》きつけたのかもしれない。しかし、これは私なりのこじつけで、私のように山国の生れでない人で、私より以上に山を愛する人がいるのだから、山が好きだということは、もっと人間の本質的なものなのかもしれない。私は山が好きだから山の小説を書く。山好きな男女には本能的な共感を持ち、彼《かれ》等《ら》との交際の中に、他の社会で見られない新鮮なものを見つけ出そうとする。のびのびとしたように見えていて、実は非情なほどきびしい山仲間の世界の中の真実が私には魅力なのである」
ここで大切なのは「山が好きだから山の小説を書く」という言葉のもうひとつ奥に、「非情なほどきびしい山仲間の世界の中の真実」が存在するということだ、彼はただ単に大自然の美しさにひかれるだけでなく、それに対決する人間の真情に共感をおぼえるのだ。
『孤高の人』は『山と渓谷《けいこく》』に連載され、昭和四十四年に新潮社から二冊本として出版された長編である。この本は不世出の登山家であった加藤文太郎の登山家としての生涯《しょうがい》をたどっている。加藤文太郎は日本海に面した兵庫県の浜坂に生れ、土地の高等小学校を卒業後、神戸へ出て神港造船所の技術研修生となった。この研修生のコースは、当時としては画期的な人材登用の道であり、加藤はそれを優秀な成績で卒《お》えて造船所に勤務することになる。加藤が山に開眼《かいげん》したのは研修生時代の級友の影響だった。さらに彼の才能に注目した外山技師のはげましもあずかっていた。彼の級友たちは前途を悲観したり、病気になったり、あるいは思想犯として捕えられたりして卒業までに落《らく》伍《ご》していったが、そうした人々への思いや、時代の暗鬱《あんうつ》な空気に対抗するために、彼は山へ登って心をまぎらしていたが、そのため彼の登山はいつも一人で、山岳会からの誘いにもいっさい加わらなかった。
加藤は夏山をひととおり踏破した後、昭和三年の暮にはじめて冬の八ヶ岳を征服し、以来冬山の魅力につかれるようになる。彼独自の訓練と装備によってつぎつぎと難コースにいどみ、自信をふかめてゆくが、その間彼自身山での人づきあいが下手であることに気づき単独行に徹底することを決心した。昭和五年大みそかから六年の正月にかけて決行した、富山県から長野県に抜ける立山《たてやま》連峰と後立山連峰の吹雪の中の十日にわたるコースは、そのひとつのピークであった。
加藤はその際雪山の中で雪洞《せつどう》にまいこむ粉雪をみて、ディーゼル・エンジンの性能をたかめる画期的なアイデアを得、それを実用化することで技師に昇進し、登山家としての名声がたかまると同時に職場でも重要な人間となってゆく。加藤を英雄視し、登山家として彼のあとを追う宮村青年があらわれたのもその頃《ころ》だ。加藤はやがて同郷の花子と結婚し、一児を得て、人が変ったように明るくなるが、宮村は失恋の傷《いた》手《で》を清算するために冬の北鎌《きたかま》尾根《おね》を志し、加藤にパーティを組んでくれとたのむ。家庭をもって山行をやめようと考えていた加藤は、最後の機会としてそれを諒承《りょうしょう》するが、彼ははじめて人と組んだこの登山で、宮村の無謀な計画にひきずられて遭難死してしまうのだ。
この作品の主人公である加藤文太郎は、生れながらの登山家だったようだ。地下足袋《じかたび》の文太郎≠ニか単独行の文太郎≠ニかよばれ、関西はもちろん、関東にもその名を知られた人物で、それまでは限られた裕福な人々だけのものであった登山に、社会人登山家としての道をひらいた草創《くさわ》けとして知られる。プロローグで神戸の脊梁《せきりょう》山脈にあたる高取山《たかとりやま》の頂上に立った若者が、一人の老人から加藤文太郎の話を聞く場面があるが、そこにも書かれているように、加藤は足が速く、他の追随を許さないだけでなく、人間としても立派な男だった。おそらくこの老人の加藤観は、作者自身のものでもあろう。「彼は孤独を愛した。山においても、彼の仕事においても、彼は独力で道を切り開いていった。仕事に対するときと同じ情熱を山にもそそいだ。昭和の初期における封建的登山界に、社会人登山家の道を開拓したのは彼であった。彼はその短い生涯において、他の登山家が一生かかってもできない記録をつぎつぎと樹立した」という評価は、加藤文太郎像をささえる軸ともなっている。
新田次郎は単行本の〈あとがき〉のなかで、「私は、加藤文太郎こそ社会人登山家の代表的人物であると思う。この偉大なる登山家を通して、『なぜ山へ登るか』という問題を解いてみたくてこの小説を書いた」と述べていた。これはこの作品をつらぬくつよいライト・モチーフだ。加藤文太郎の山にたいする考えかたは次第に深まってゆく。はじめはひとりで汗を流すために山へ行った。それは地図でみても、写真で眺《なが》めてもわからない山そのものを、みずからの足で登り、みずからの目でたしかめることだった。だが冬山のきびしさに接することによって、彼の認識はもう一歩深められた。なぜ身を危険にさらしてまで山へゆくのだ? 彼はこの自問自答をくり返しながら、さらにその経験をかさねていった。そして彼は、「山の特権階級に挑戦《ちょうせん》するために山へ行くのではなかった。記録をつくるためでもなかった。彼はいまや山そのものの中に自分を再発見しよう」とするのだ。それは苦行によって悟りをひらこうとするバラモン僧とあい通じるものがあった。困難な立場に追いこまれれば追いこまれるほど、加藤文太郎は人間的に成長していったのだ。
作者は富士山頂の観測所に勤務していたとき、この加藤文太郎に一度だけ会ったことがあるという。厳冬期の富士山をさながら平地を歩くような速さで登ってくるのに驚き、そのしぐさのひとつひとつが記憶にきざみつけられた。そして十数年前から加藤をモデルにした小説を書きたいと、構想を練ってきたそうである。こうして神戸に住む花子未亡人をたずね、その世話をしていたかつての上役にあたる遠山豊三郎(おそらく作中の外山技師であろう)とも会い、この二人から聞き出した回想を活《い》かしながら、『孤高の人』をまとめたのであった。作中の主要人物がかなり実名で記されているのは、未亡人の意向にもよるものらしいが、この長編は加藤文太郎を敬慕する作者の心からなる鎮魂碑でもあるのだ。
新田次郎はこの加藤文太郎を二つの面でたかく評価している。ひとつは登山家としてだけでなく、社会人としてもすぐれた仕事を誠意をもって遂行したその人柄についてであり、もうひとつは直輸入的な登山技法ではなく、日本の山にあった独自な方法を、みずからの創意によって編みだした点であると思われる。
私はこの長編を読みながら、処女作『強力《ごうりき》伝《でん》』以来、作者が山岳ものの中で追求してきた主題のひとつが、ここに結晶しているように思った。『槍《やり》ヶ岳《たけ》開山』の播隆上人《ばんりゅうしょうにん》や、『芙《ふ》蓉《よう》の人』の千代子にもみられるひたむきなものがここにはある。作者は『孤高の人』の山男の真情に、人間の尊厳をみたのであろう。
(昭和四十七年十二月、文芸評論家)