ROOM NO,1301 私と佳奈ちゃんと豪華なお風呂
新井輝
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)変態《へんたい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)色々|騙《だま》して
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]
-------------------------------------------------------
私、実は変態《へんたい》なんです。
体は女なんですけど、心は男で、双子《ふたご》の姉の佳奈《かな》ちゃんが大好きなんです。
佳奈ちゃんはアイドルが大好きで、だから私は夜《よ》な夜《よ》な謎《なぞ》のロックシンガー、シーナに扮《ふん》してストリートライブをしてるんです。
でもそのことは皆《みんな》には秘密《ひみつ》なんです。だから私、佳奈ちゃんを色々|騙《だま》してるんです。
って、ごめんね、佳奈ちゃん。でも正直《しょうじき》に話をしたら私のこと、嫌《きら》いになるよね?
「日奈《ひな》さんは明日|用事《ようじ》あります?」
とある金曜日のこと。佳奈ちゃんと一緒《いっしょ》に帰ろうと思って一年A組を訪《おとず》れたら、そんなことを尋《たず》ねられた。
「え? なんですか?」
私は聞き返しながら、その相手の顔を見る。
その娘は大海《おおうみ》千夜子《ちやこ》。私の友達の健一くんの彼女。でも付き合い始めて随分になるのにキスもしてない関係らしい。
「ツバメがスパリゾートのサービス券を四枚もらったから誰《だれ》か一緒に行く人はいないのかなって探《さが》してるんですよ」
つまり私を誘《さそ》ってくれてるらしい。でも隣《となり》の鍵原《かぎはら》さんは不満そうな顔をしていた。
「……でも鍵原さんは私には来ないで欲しいみたいな感じですけど」
だからそれを指摘《してき》してみる。
「日奈さんだけならむしろ歓迎《かんげい》するけど」
「……ということは佳奈ちゃんですか?」
鍵原さんは佳奈ちゃんのことがあまり好きではないらしい。理由は色々あるんだろうけど、私は二人が似《に》てるからじゃないかと思う。
「うん……ごめんね」
「でも私は佳奈さんが一緒でもいいですから」
なのに大海さんはそんなことを言い出す。意外《いがい》にマイペースな性格なのかもしれない。
「えー。なんでー」
そして当たり前だけど、鍵原さんは不満の声をあげた。
「私、佳奈さんのこと嫌いじゃないし」
「私は嫌いなの。そういう空気だったでしょ?」
「でも仲良《なかよ》くなれる機会になるかも」
「……そりゃそうだけど」
そして大海さんと鍵原さんの関係はなんだかんだ言っても大海さんがリーダーシップを握《にぎ》ってるようだった。どうやら鍵原さんには佳奈ちゃんを嫌う自由は与《あた》えられていないみたいだ。
「それで最初の質問に戻るんですけど、日奈さんは明日用事がありますか?」
「……ないと思いますけど」
実際《じっさい》のところ、用事らしい用事なんて私にはない。理由はすごくシンプルで私の人生は佳奈ちゃんのためにあるから。
佳奈ちゃんが一緒に出かけようと誘ってくれた時に私に用事があったら困《こま》る。だから、私は用事を作らない主義《しゅぎ》なのだ。
唯一《ゆいいつ》と言ってもいい例外というのが、私が夜、シーナという男の子に扮してライブ活動をしていること。でもあれも私の用事ではなくシーナの用事なんだと思う。自分の変装《へんそう》なのにそういう言い方も変なんだけど、そうなんだから仕方《しかた》ない。
「じゃあ後は佳奈さんの都合《つごう》ですね」
でも大海さんはそんな私の事情なんか全然興味がないらしい。そして私は気づくともう一緒に行くことにされてしまっていた。
「佳奈ちゃんを誘っちゃったら四人になっちゃいますよ?」
だから、一応《いちおう》、反論《はんろん》らしいものをしてみる。真《ま》っ向《こう》から反論できない自分が憎《にく》い。
「絹川君も一緒に行くんですよね?」
土曜日に出かけるのだから、当然、彼氏も一緒なのだろうと私は思う。
「健一さんは一緒じゃないですよ。今日も先に帰ってもらいましたし」
「そうなんですか?」
「だってスパリゾートなんですよ?」
「スパリゾート……ってなんですか?」
「えっと……大きな銭湯《せんとう》みたいなものです」
「銭湯……ですか」
ということはお風呂に入りにいくわけか。そこまで考えて私は大海さんの誘いがすごいことなんじゃないかと気づいた。
私は外見《がいけん》や体は女だけど、中身は男なのだ。そして絹川君が来ないということから推測《すいそく》するに、そこは銭湯で言えば女湯《おんなゆ》みたいなところなのだろう。そんなところに大海さんは私を誘っているのだ。しかも佳奈ちゃんも一緒にということは……佳奈ちゃんとお風呂に入るってことだ。
最近、私の方が胸が大きいからって一緒に入ってくれない佳奈ちゃんとまたお風呂に入れるなら私は犯罪《はんざい》にだって荷担《かわん》するかもしれない。そんなことを思っていたのを大海さんは別の意味にとったらしい。
「あ、水着|着用《ちゃくよう》ですから安心してください」
むしろ全然安心できないことを言ってぎた。まあそれでも佳奈ちゃんの水着姿を堂々《どうどう》と見れる機会《きかい》ということには違《ちが》いない。
「そういうことなら私は佳奈ちゃんが行くなら一緒に行きたいです」
だから私は前向きに検討《けんとう》することにした。
「……となるとやっぱり佳奈さんですよね」
そして大海さんは辺《あた》りを見渡《みわた》し始めた。佳奈ちゃんはどうやら教室にはいないらしい。とは言っても私をおいて勝手に帰っちゃったとも思えないし、どこに行っちゃったんだろう?
「どうしたの?」
そんなことを思っていたら、佳奈ちゃんが戻ってきた。日直《にっちょく》か何かで職員室《しょくいんしつ》にでも行っていたんだろうか。
それにしても佳奈ちゃんと私は双子の姉妹なのになんでこんなにも違うんだろうなと思う。顔の作りは同じはずなのに佳奈ちゃんの顔を見るとこんなにも幸せになるのは自分でも不思議《ふしぎ》だ。
「佳奈ちゃん、明日用事ある?」
でもその辺のことより先に確認するべきことがあった。
「明日の用事? とりあえず無いけど」
「だったら四人でスパリゾートに行かない?」
「……スパリゾートってプールと温泉が混《ま》ざったようなやつだっけ?」
佳奈ちゃんは私よりは少し詳《くわ》しかったみたいで、私は答えに困る。
「はい。粋道橋《すいどうばし》に『アール・アクア』っていうのがあるんですけどサービス券が四枚あるから一緒に行きませんか?」
それで大海さんが助け船を出してくれた。
「『アール・アクア』かあ」
そして佳奈ちゃんはその名前に聞き覚《おぽ》えがあったらしい。女の子の間では常識《じょうしき》なのだろうか?
「日奈さんは佳奈さんが行くならって話だったんですけど」
「ま、私も日奈ちゃんが行くならいいけど……約一名不満そうな人がいるのがね」
佳奈ちゃんは鍵原さんの方を見ながらそう言った。鍵原さんは私の時とは比《くら》べものにならないほど渋《しぶ》そうな顔をしている。
「その点に関してはさっき千夜子に説得《せっとく》されましたので文句《もんく》はありません」
文句はないけど不満はあるらしい。鍵原さんは佳奈ちゃんを睨《にら》んだが、すぐに力なく笑うと私の方を見た。
「ごめんね。一応、不満があるってことはアピールしておきたいと思ったけど、この辺にしておくわ。私もどうせ行くなら楽しみたいし」
「ですね」
私はそう言ってから睨み返してる佳奈ちゃんの方を見る。
「一緒に行こうよ、佳奈ちゃん」
しかもとびっきりの笑顔で。
「日奈ちゃんがそう言うなら行くけど……」
佳奈ちゃんはまだ鍵原さんには不満そうだったけど、私と大海さんの笑顔を無視《むし》することはできなかったらしい。
というか、こういう時の佳奈ちゃんは優《やさ》しい。だから私はそんな佳奈ちゃんが好きなのだ。
次の日、集合場所は粋道橋駅の西口だった。
行ったことのない場所だから比良井駅《ひらいえき》にでも集まって一緒に行けばいいよう校気もしたけど、電車の中って話しづらいから、それで佳奈ちゃんと鍵原さんが険悪《けんあく》になったりしたかもしれない。そう考えると現地集合の方がいい気もする。
「もう大海さんたちは来てるかな?」
それに何より佳奈ちゃんと二人の方がいいという私の素直《すなお》な気持ちだった。別に大海さんも鍵原さんも嫌いなわけじゃないけど、佳奈ちゃんとは比べものにならないんだから、そういう結論《けつろん》になってしまう。
「大海さんは来てるみたい」
改札口《かいさつぐち》を抜ける前に佳奈ちゃんは大海さんを見つけたみたいだった。
大海さんは誰かと一緒にいるみたいだけど、明《あき》らかにその人は鍵原さんじゃなかった。ずっと背が高くて、何よりずっと胸が大きい人だった。
「……あれ、誰かな?」
「わからないけど……格好《かっこう》いい人だよね」
「うん、そうだね」
私はそう言いながら実は初めてその人の顔を意識《いしき》した。確かにかなりの美人だった。年は私たちより一回り上という感じだ。そんな人と大海さんは仲がいいらしい。なんかあなどれない感じがしてきた。
「こんにちは」
大海さんの方が改札口を抜けた私たちを発見して挨拶してきた。
「こんにちは。それで、そちらの方は?」
私も挨拶を返して、さりげなく聞いてみる。
「健一さんのお姉さんで絹川蛍子さんです」
「……絹川君のお姉さんですか」
何度か話は聞いてた気がするけど会ったのは初めてのことだった。あの絹川君のお姉さんなのだから只者《ただもの》ではないんじゃないかと思っていたけど、こうして目の前にするとかなり想像とは違っていたなと感じる。
「私は絹川|蛍子《けいこ》。ホタルでいいよ」
そして私が不思議そうに見ていたのが気になったのか蛍子さんはそんな風に名乗《なの》ってきた。
「こんにちは。私は窪塚日奈です。こっちが私の姉の佳奈ちゃんです」
私はそれで自分と佳奈ちゃんのことを紹介《しょうかい》する。なんとなく迫力《はくりょく》のある人で緊張《きんちょう》してしまうなと思っていたら、それは佳奈ちゃんの方が上だったらしい。
「あ、こんにちは」
それだけ言ったところで佳奈ちゃんはもう何も言えなくなってしまったらしい。
「日奈ちゃんに佳奈ちゃんか。よろしくね」
それが伝わったのか蛍子さんは優しく笑ってくれた。でも私にはなんとなく健一に似てるなと思った。優しいけど、どこか悲しげな笑顔。
そう言えば蛍子さんは健一とは別に住んでるらしい。そんな蛍子さんがなんでこんなところにいるんだろう。
「そう言えば鍵原さんは? もしかして来れなかったから代わりに蛍子さんが来たんですか?」
だから私は大海さんにそう尋ねてみる。
「え? ツバメは単にまだ来てないだけで――」
大海さんがそこまで言ったところで、蛍子さんが割り込んできた。
「私は別の人と待ち合わせてたら、ここで千夜子ちゃんに会っただけ」
「そうなんですか」
「目的地も集合時間も同じらしいから、こういうことにもなるかな」
蛍子さんはそう言いながら、視線《しせん》を改札ロの方へと向けた。
「こっちの連れは来たみたいだ」
「……じゃあ後は鍵原さんだけですね」
私は返事をしながら蛍子さんの連れという人がどの人かと思ってそっちを見る。でも電車からはちょっとした人数が降りてきたみたいでぱっと見ではわからない。
「ごめーん。待ったー?」
でもすぐに向こうから教えてくれた。明らかに蛍子さんに向かって話しかけてきたその人は、蛍子さんとはかなりタイプの違う人だった。小さくてかわいらしいタイプだ。きっと同じくらいの年のはずなのに、私と同じ年と言われても信じてしまいそうな感じだった。
「別に」
「というか、この娘《こ》たちは?」
そしてその人は私たちが蛍子さんの側《そば》にいるのはなんとなくではないと気づいたらしい。
「えっと……ここで偶然《ぐうぜん》会ったんだけど、この娘たちも『アール・アクア』に行くんだってさ」
「それはいいけど、誰?」
「こっちが大海の妹で千夜子ちゃん。そっちが千夜子ちゃんの友達で窪塚《くぼづか》佳奈ちゃんと日奈ちゃん……でいいんだよね」
蛍子さんは一度聞いただけでちゃんと覚《おぼ》えてくれたようだった。でも蛍子さんの連れの人はそんなことよりも大海さんが気になったらしい。
「大海君の妹さんってこの娘なの? ってことは健一君の彼女もこの娘なんだよね?」
そんなことを蛍子さんに聞きながら、興味津々《きょうみしんしん》な様子で千夜子ちゃんの方を見る。
「……はい。そういうことになってます。というか、お兄ちゃんの知り合いなんでしょうか?」
そんなその人の態度《たいど》のせいなのか千夜子ちゃんはすごく困ったような表情を浮かべていた。
「あ、ごめんね。意外な出会いだったから、つい。私は三条宇美《さんじょううみ》です。千夜子ちゃんのお兄さんとは……なんだろ? 蛍子つながりかな」
三条さんの言葉に大海さんの顔はさらに困惑《こんわく》の度合いを強めたみたいだった。はっきりとはわからないけど大海さんのお兄ちゃんという人が少し変な人なのかもしれないという気がしてきた。
「は、はあ……ホタルさんつながりですか」
「あ、でも私は好意的《こういてき》な評価《ひょうか》をしてる方だから。というか大海君に評価|辛《から》いのは蛍子だけだから」
「……そうなんですか?」
「この間もちょっと頼《たの》み事《ごと》をしたら快《こころよ》く引き受けてくれたので、私の中ではかなり点数高いんだけどなあ」
そして三条さんは蛍子さんの方を見る。
「……なんで、そこで私を見るわけ?」
「蛍子も少しは見直《みなお》してくれると、大海君も喜ぶし、千夜子ちゃんもホッとするんじゃないかなって思ったからかな」
「……別にもう過《す》ぎたことだろ」
「ま、そっか。蛍子、結婚《けっこん》するんだもんね。もう大海君なんてどうでもいいんだ」
「なんだよ、その言い方は。まるで私と大海が昔はいい感じだったみたいに聞こえるぞ」
蛍子さんは三条さんの言葉を否定《ひてい》する。
「っていうかホタルさん、結婚するんですか?」
しかしそれよりも気になる部分を大海さんが尋ねていた。
「え? あ、うん」
「さっきまではそんな話、少しも……」
大海さんはひどく驚いてるようだった。まあ私だって蛍子さんみたいな人が結婚するなんて聞いたら驚く。健一のお姉さんというくらいなのだから、結婚するような年とも思えないし。
「……まあ、そのなんだ。あんまり自慢《じまん》するようなことじゃないからな」
蛍子さんはひどくばつの悪そうな顔をする。
「そんなことないでしょ。玉《たま》の輿《こし》なんだから」
なのに三条さんはひどく嬉《うれ》しそうにそんなことを言い出す。
「お見合いしたんだけど、その相手が社長さんなのよ、社長さん」
「社長さん……ですか」
「しかも若くて格好いい人でさ。知ってる? 荊木《いばらき》圭一郎《けいいちろう》って人で、IT関連の事業で今、登り調子の会社なんだけど」
「テレビで見たことあります。経営不振《けいえいふしん》な企業《きぎょう》を次々に買収《ばいしゅう》して立ち直らせてる人ですよね?」
「そうそう、その人、その人。なんだろうねえ、あの人と知り合いってだけでもすごいのに、見合いをして、今度は結婚ですよ、結婚」
「そうだったんですか。そんなことになってたんですね」
大海さんはそう言いながら、なんだか納得《なっとく》しかねるという様子だった。誰か別に好きな人がいるとでも思ってたのだろうか?
「しかも出来《でき》ちゃった結婚なんだって。見合いでそれってちょっと過激《かげき》じゃないかなあって思うんだけど、私」
でも三条さんは大海さんよりも蛍子さんの方を見ていた。
「……だから自慢するようなことじゃないって言ってるんだよ」
蛍子さんはため息をはくようにそう告げると、私たちとは別の方向を見た。それで三条さんはそっちに回り込むように歩いていく。
「ごめんね、ちょっと調子に乗っちゃったかも。大海君の妹さんが本当に可愛《かわい》かったからさ」
「……それって関係あるわけ?」
「あるある。だって大海君の妹なんだよ」
「さっぱりわからん」
そして蛍子さんは力なく笑うと、空気が悪くたったのを自分のせいだと思ったらしい。私たちの方を見て謝《あやま》ってくれた。
「ごめんね。妙《みょう》な話をしちゃって」
「いえ。全然」
私は素直にそう思った。というか変な話をしたのは三条さんの方だったわけだし。
「それにしても鍵原さん、遅いね」
そして佳奈ちゃんも別に気にしていないというか他に気にしていることがあったらしい。
「……でも集合時間はまだですから」
それに大海さんが申《もう》し訳《わけ》なさそうに反論する。実は私たちが早いだけで、鍵原さんが遅いというのとはちょっと違う。
「前もこんなことあったよね」
そして蛍子さんがそんなことを言い始めた。
「ですね。あの時も遅刻《ちこく》したわけじゃないのにツバメが最後でしたし」
大海さんはそう言って、他にもなんだか心当たりがあるらしく、何か思い出してるみたいな顔をする。
「あの時って?」
でもそれを佳奈ちゃんの質問が中断《ちゅうだん》する。
「ああ。夏に私とツバメと健一さんとホタルさんの四人で海に行ったんですよ。その時です」
「へえ。そんなことしてたんだ。思ってたより大海さんと絹川君って伸がいいのね」
「……そうですね」
大海さんは短く答えて黙《だま》ってしまった。さすがにその発言は大海さんが可哀相《かわいそう》だと思う。
でもそんなことまでしておいて、まだキスもしていないあたり、健一は大海さんと付き合ってるのだろうかと疑問《ぎもん》を感じてしまう。
「あれ? ホタルさんじゃないですか」
そしてそんな話をしているうちに、ちゃんと時間前に鍵原さんはやってきた。
「お久しぶり。鍵原さん」
「ホタルさんも、もしかして『アール・アクア』ですか?」
「うん。こっちの……宇美って言うんだけど、私の友達が常連《じょうれん》でさ。時々、一緒に行かないかって誘われてるんだ」
蛍子さんはそう答えながら、とりあえず自分との話よりもすることがあるんじゃないかと目で知らせてくれたみたいだった。
「ちょっと待たせちゃった?」
それに気づいて鍵原さんが私たちの方を見て尋ねてきた。
「別に。時間通《じかんどお》りだから待ったとしても私たちが早く来すぎたってだけでしょ?」
それで佳奈ちゃんはすねたような物言いをする。そういう佳奈ちゃんも可愛いのだけど、その辺に鍵原さんは賛同《さんどう》してくれそうにない。
「佳奈ちゃん。なんでそういう言い方するの? 今日はみんなで楽しむって言ってたでしょ?」
「……そうだけど」
でもなんだか無視されたみたいで楽しくはなかったんだろうなと私は思う。佳奈ちゃんは話題の中心にいたがる人なのだからしょうがない。
「ごめんね。私が最後だったんだから、まず待ったって話すべきだったよね」
鍵原さんはその辺りわかってくれてるみたいだった。昨日、大海さんとよほど話し合ったのかもしれないと私は思ったりもした。
「……遅れたわけじゃないし、いいんじゃないの? ホタルさんがいたら、それはそれで気になるだろうし」
そして佳奈ちゃんは鍵原さんのその態度《たいど》に怒ってるのが恥《は》ずかしいと思えてきたらしい。
「ま、そういうことで許《ゆる》してくれる?」
「……別に怒ってないし」
「じゃ、いいよね。さ、行こうか」
そして鍵原さんは機嫌良くみんなを引き連れて、『アール・アクア』に向かって歩き出す。蛍子さんと三条さんがそれに続き、私と佳奈ちゃん、そして最後は大海さんだった。
「どうかしたんですか?」
そしてなんだか元気のなさそうな大海さんが気になって私は話しかける。
「え? 別に大したことじゃないんですけど」
「でも何か気になってるんですよね?」
「いや、健一さんからは全然、蛍子さんの結婚の話を聞いてなかったのでびっくりしてるんだと思います」
「……まあ、そうですよね」
確かに大海さんに秘密にしてた理由というのは私にはわからなかった。
「……黙ってろって言われてたんですかね」
大海さんはそれでそんな可能性を口にした。健一と蛍子さんがどういう関係かはわからないけど、それはそれでありえる話だなと思う。
「そんなところですかねえ」
だから私はとりあえず同意しておいた。あまり詮索《せんさく》するような話でもないだろうし、答えがあれば大海さんも納得できると思ったからだ。
「ですよね?」
そしてそれは正解だったらしく、大海さんは急に元気になったみたいだった。
ゴクリ。
ついにその時がやってきたと私は思う。私たちは更衣室《こういしつ》にやってきたのだ。
いくら水着を着ると言っても、どうしたって着替《きが》えなければならない。そうなれば当然、ここでは全裸《ぜんら》……とまでは言えなくても、かなり近くなるはず。普段《ふだん》は一緒にお風呂に入るのも遠慮《えんりょ》している佳奈ちゃんの裸が――
「どうしたの、日奈ちゃん?」
どうやらそんな思いが顔に出てしまったらしい。佳奈ちゃんに不審《ふしん》がられてしまった。
「え? 別に。ちょっと恥ずかしいなって……」
だから私は慌《あわ》てて誤魔化《ごまか》す。今、あんまり佳奈ちゃんに警戒《けいかい》されてしまったら、今日、ここに来た意味がない。
「……日奈ちゃんはまだいいじゃない」
佳奈ちゃんはそう言ってちらっと他の人の方を見る。そしてそれは大海さんや蛍子さんのことなのだろうと私は思う。佳奈ちゃんは胸が小さいのを気にしてるのだ。
「そうでもない……けど」
佳奈ちゃんに言い訳しようとした私だったけど、上着を脱《ぬ》いだ大海さんの胸元《むなもと》を見て言葉を失ってしまった。イメージに反して大きいらしいというのは聞いていたけど……小さく見積《みつ》もってもFカップ以上ある。しかも、まだ服の上から見てるから実際《じっさい》にはもっと大きいかもしれない。大海さんみたいなタイプは無理して小さく見せようなんてしてる場合が多いから。
「……いいな、大海さん」
そしてその胸に注目していたのは佳奈ちゃんも一緒のようだった。
「え? なんですか?」
大海さんは自分の名前が呼ばれたのに気づいてこっちの方を見る。
「大海さんって胸が大きくて羨《うらや》ましいなって」
そして佳奈ちゃんは正直に自分が思っていたことを口にした。私には真似《まね》できそうにないことを佳奈ちゃんは平気《へいき》な顔してやってのける。
「……そう、ですか?」
「大海さんって男の子にモテそうだよねえ。背は小さくて顔も可愛いし、しかも性格もいいのに、胸は大きいんだもの」
佳奈ちゃんの意見は間違ってないかもしれないけど、ずっと可愛い佳奈ちゃんが言うと正直、嫌みなんじゃないかと思う。
「そ、そんなことないですよ。私、男の子から告白とかされたことないですから」
「そうなの? じゃあ絹川君には大海さんの方から告白したんだ」
「……はい。というか早く着替えてお風呂に入りましょうよ」
そして大海さんはその辺の話題にあまり触《ふ》れられたくなかったのか、そう言って話題を逸《そ》らしたみたいだった。
「そうだよね」
でも佳奈ちゃんは素直にそう納得すると着替えを続行《ぞっこう》する。私はその様子をさりげなく、あくまでさりげなく窺《うかが》っていた。
「あれ?」
なのに佳奈ちゃんは不審《ふしん》そうな顔をして、私の方を見た。
「ど、どうしたの?」
「……水着忘れたかも」
「え?」
私は佳奈ちゃんの言葉に絶望《ぜつぼう》の意味を知った気持ちだった。これだけが楽しみでやってきたというのに、なんでそういうボケを佳奈ちゃんばかますのだろうか……。
「ラウンジのところで売ってるよ」
でも誰かの声が無いなら買ってくればいいのだと教えてくれた。
「……じゃあ買ってきます」
声の主は蛍子さんだったらしい。佳奈ちゃんは礼儀正《れいぎただ》しくそう告げると、さっと更衣室を出て行ってしまう。
「………」
私はその展開《てんかい》の早さについていけず、その場に残されてしまった。
「日奈さんも忘れてたんですか?」
大海さんがそう尋ねてきた。
「いえ、そんなことないですけど」
そして私は素直にそう答えてから、ここは忘れたふりをした方が良かったかもしれないと気づく。でも時すでに遅《おそ》し。
「じゃあ、先に着替えてた方がいいんじゃないですか?」
「そうですよね」
でもそうしたら佳奈ちゃんの着替えをさりげなく、あくまでさりげなく見ることができなくなってしまう……。
「なんか鍵原さんも忘れたらしいけど」
そしてそんなことを言い出したので私はなんとなく蛍子さんの方を見てしまった。
「鍵原さんも、ですか」
私はそう答えながら、目ではしっかりと蛍子さんを見ていた。ちょうど蛍子さんは上を全部脱いだところで、つまりは上半身裸だった。
大きい……。私は蛍子さんの胸を見て素直にそう思った。大海さんのそれは意外性を持っていたが、蛍子さんの胸は想像通りというか実に似合《にあ》っていた。大きいのにつんとすましたような存在感は蛍子さんの胸に相応《ふさわ》しい。
「あの二人ってなんか似てるよな」
でも蛍子さんにとってはそれは当たり前のことらしく、普通《ふつう》に会話を続けていた。
「そうですね。本人たちは認《みと》めないと思いますけど、そっくりですよね」
私は話を合わせながらさりげなく、あくまでさりげなく蛍子さんの観察《かんさつ》を続ける。
「あ、私もそう思ってたんですよ」
でも大海さんがそう言ってきたので私の視線はそっちに移った。
「大海さんもですか?」
その時、大海さんはちょうどブラを外《はず》しにかかったところだった。
「顔は全然似てないですけど、性格はけっこう似てるかなって」
そして大海さんはブラを外した。それでぽろっと予想以上に大きな胸がこぼれた。もしかすると蛍子さん以上かもしれない。大海さんの背が低い分、余計《よけい》にそう思える。
これを前にしても何もしてないなんてと思うとなんだか健一に激《はげ》しい怒《いか》りが湧いてきた。
「……そう、ですよね」
でも私は会話を続けた。私が大海さんの方を見ているのは会話のためだとアピールしなければいけないからだ。
「千夜子ちゃん、また胸大きくなったんじゃないの?」
でも蛍子さんがそれをふいにしてしまう。そう言われて大海さんは胸を隠してしまった。
「そ、そんなことないですよぉ」
「夏の時より大きくなってるように見えたけど」
「……ちょ、ちょっとだけですよ?」
大海さんは蛍子さんにそんな風に言い訳したが、私はきっとちょっとどころではないんだろうなあと思った。本当にちょっとならもう少し堂々《どうどう》としてるんじゃないかと感じたからだ。
「あれ、日奈ちゃんは着替えないの?」
そうこうしてる間に気づくと三条さんは着替えを終えてお風呂へ向かう準備《じゅんび》を整《ととの》えていた。
「そ、そうですね」
それで私はこれ以上、のんびりしてるのも変なので急いで着替えることにした。佳奈ちゃんの着替えるとこを見れないのは残念だけど、予想外の収穫《しゅうかく》かあったからよしとしよう。
って、ごめんね、佳奈ちゃん……。
「ビキニにしたんだ」
先に着替えていた私を待っていたのは意外な佳奈ちゃんの水着姿だった。胸が小さいのを気にしていた佳奈ちゃんがビキニを着るなんてどういう風の吹き回しなんだろう。
「鍵原さんがそうするって言うから、私もね」
言われて気づいたけど、一緒に水着を買ってたらしい鍵原さんもビキニだった。二人で水着を選ぶうちに何か言《い》い争《あらそ》いになったらしい。でも私はその言い争いに感謝《かんしゃ》したい気持ちでいっぱいだ。
「……やっぱり変かな?」
でも佳奈ちゃんは勢《いきお》いで買ってしまったとはいえ不安はぬぐえなかったらしい。
「そんなことないよ。水着着用とはいえお風呂だしね。やっぱりビキニの方がこういうところでは自然じゃないかな」
そう言って私は自分の水着を見て苦笑《にがわら》いを浮かべる。というのも、なんのことはないスクール水着だったからだ。
「……うん、そうだね」
佳奈ちゃんは私の格好の方が変だと思ったのか煮《に》え切《き》らない返事をした。でも私はそんなことは大して気にならなかった。
佳奈ちゃんのビキニ姿の前にはどうでもいいことだからだ。蛍子さんもビキニだったけど……今はもう気にならない。
それに考えてみれば帰りは着替えるところが見れるし、ビキニ姿に驚けたのだからいいことばかりという気がしてきた。
「それじゃ、お風呂入ろうっか」
しかも佳奈ちゃんは私の手を掴む。
わお、佳奈ちゃん積極的《せっきょくてき》!なんてことを思ったけど、まあ、それは私だけの感覚《かんかく》らしい。
でもそれでいい。今日の佳奈ちゃんは大胆《だいたん》でそしてサービス満点なんだから。
「はあ、癖《くせ》になっちゃいそう」
ぶくぶくと噴き上がる泡のお風呂の中で佳奈ちゃんは恍惚《こうこつ》の表情を浮かべていた。その台詞と相まってなかなかに破壊力のある光景だ。きっと体も男だったら今頃、私は勃起《ぼっき》しちゃってるに違いないと思う。まあ、想像でしかないけど。
「じゃあ、また来ようか」
私はそう言いながらそっと佳奈ちゃんの側によった。大海さんたちは気づくともう別のお風呂に行ってしまったらしい。つまり二人きりということだ。
「うーん。でも自分のお金で来ると高いよね」
「それは……そうかな」
今日は鍵原さんのおかげでタダだったけど、本当は千八百円くらいするらしい。いつもお金が無くて困ってる佳奈ちゃんには気軽に払《はら》える金額《きんがく》じゃなさそうだなと思う。
「でもサービス券があるなら来たいかなあ」
佳奈ちゃんは気に入ってはいるようだった。そういうことなら私はどこかでなんとかサービス券を手に入れてやろうと思う。
「だよねえ」
そうすれば今度は二人だけでここに来れる。それは私にとってはかなり重要《じゅうよう》なことだ。
「あ、いたいた」
そしてそんなことを思っていると三条さんが私たちを探してたらしくやってきた。
「どうかしたんですか?」
「みんなで何か飲み物でも飲むかって話になってるんだけど。お姉さんが奢《おご》ってあげるから、一緒にどう?」
「そんなの悪いですよ」
私は遠慮するけど、三条さんはなんだか不満そうな顔をする。
「どうせなんたら牛乳くらいだから気にしないで。私、実家だし、ちゃんと働いてるし、臨時収入《りんじしゅうにゅう》もあるからお金持ちなのよ」
「……だったらご馳走《ちそう》になります。佳奈ちゃんも一度、上がるよね?」
どうやら三条さんは奢りたくてしょうがないらしい。だからお言葉に甘《あま》えさせてもらう。
「うん」
そして私は佳奈ちゃんの手を取って立ち上がる。その時だった。
「……佳奈ちゃん、とれてるよ?」
三条さんが申し訳なさそうにそう指摘した。私は何のことだろうと思って佳奈ちゃんの方を見てその理由を知ってしまった。
「え? 何がですか?」
でも佳奈ちゃんはしばらくそれに気づかなかった。だから私はばっちり見てしまった。
佳奈ちゃんの小さいけど形のいい胸を――。
「きゃ―――――――――――――――!」
そして状況《じょうきょう》を理解した佳奈ちゃんの悲鳴が響いた。私はそれにしびれるのを感じながら、でもそんな声も可愛いなあと思ったりした。
って、ごめんね、佳奈ちゃん……。
「三条さんっていい人だね」
帰りの電車で私は心の底からそう思っていた。
ビキニの紐《ひも》がほどけた件は明らかに佳奈ちゃんが悪いのに、お詫《わ》びと言って飲み物だけじゃなくケーキも奢ってくれただけでなく、近日中にサービス券を送ってくれると約束してくれたのだ。
「そうだね」
でも佳奈ちゃんは素直に喜べないみたいだった。少し暗い顔をしている。
「……そんなにショックだった?」
だから私は心配してそう尋ねる。
「そうでもないけど、やっぱりショックかなあ」
「でも男の入に見られたわけじゃないし」
とか言いつつ、私は中身は男だったりするのはもちろん黙っておく。
「ま、そうなんだけど。やっぱりビキニだとああいうことになるんだなあって」
「だったら今度は別の水着にすればいいよ」
もうビキニ姿を見れないのは残念だけど、 一緒にスパリゾートに行けるなら我慢《がまん》しよう。
「でもお金勿体《もったい》ないし」
「……それはそうだね」
せっかく新調《しんちょう》したのにもう着ないというのも佳奈ちゃん的には許《ゆる》せないらしい。
「それにね」
しかも理由はそれだけではないらしい。
「うん」
「やっぱりビキニはさ、蛍子さんみたいな人が着るものなんだなあって思った」
佳奈ちゃんのその言葉は私にはかなり意外なものだった。佳奈ちゃんのことならなんでもわかってると思っていた私には予想外の展開《てんかい》だ。
「……そうなの?」
「うん。蛍子さんって格好いいなって思った」
それを口にした佳奈ちゃんはなんだか恋する乙女《おとめ》のように見えた。好きな男の子の話をしてる時のようなそんな気恥《きは》ずかしさを感じる。
「それは……そうだよね」
そう答えながら考えてしまった。
私はアイドル好きの佳奈ちゃんの気を引くために男の子に扮して毎日ストリートライブをしていたんだけど、もしかしてそれは遠回りだったんだろうか。格好いい女の人を佳奈ちゃんが好きになるなら、そっちの路線《ろせん》の方がまだ無理《むり》が無かったかもしれない。
「そうだ、あれ、日奈ちゃんが着る?」
でも佳奈ちゃんは私とは全然違うことを考えていたらしい。
「え? あれって……ビキニのこと?」
「うん。見栄張《みえは》って大きめのサイズを買っちゃったから、日奈ちゃんならちょうどいいかも」
佳奈ちゃんはそして恐《おそ》ろしいことを提案《ていあん》し始める。でもそこで私と佳奈ちゃんの胸がどれだけ違うかなんて話をするわけにもいかない。
「……じゃあ私が代わりに佳奈ちゃんの分の水着を買ってあげようか。佳奈ちゃんの分は私がもらうんなら、その方がいいよね」
だから私はそんなことを提案してみる。
「もうビキニは嫌だから」
そして佳奈ちゃんは恥ずかしそうにそうは言ったけど、私の提案事態は受け入れてくれたみたいだった。
「じゃ、今度、行った時に買おうね」
私はその日のことを思って上機嫌になった。それでよく考えてみて気づいたんだけど……。
佳奈ちゃんの使用済み水着をもらえるってことだよね? 佳奈ちゃんの提案って。
「うん。でも本当、ビキニは嫌だからね」
だけど佳奈ちゃんの興味《きょうみ》は私とは全然違うことだった。それはちょっと悲しいけど、私はじゃあどんな水着なら佳奈ちゃんは納得してくれるのかなと色々と想像する。
「うん、わかってる」
そしてそう言いながら、私にはやっぱり今日のよりずっと過激《かげき》なデザインしか思いつかない。
って、ごめんね、佳奈ちゃん……。
いつもこんなことしか考えてない妹で、本当にごめんね……。
[#地付き]〈おしまい〉