【悪霊とよばないで】
小野不由美
プロローグ
「では……」
ひそめられた低い声。ネイビーブルーの服を着た女が身を乗り出して、ソファーがきしみをあげる。では、と女はもう一度|繰《く》り返した。
「調査の内容を報告してください」
「はい。――氏名、渋谷一也《しぶやかずや》。職業、『渋谷サイキック・リサーチ』の所長。本調査員の懸命《けんめい》の努力によって判明したところによりますと、誕生日は九月十九日。現在、満十七歳です」
「『懸命の努力』うんぬんは言わなくてもよろしい。調査員は事実だけを報告しなさい。――十七というと学生のはずですが?」
「学校に行っているようすはありません」
女は足を組む。天井《てんじょう》をあおいで少し考えこんだあと、
「乙女《おとめ》座ね。性格の悪いほうの乙女座だわ」
妙《みょう》にきっぱりと断言した。
「そうですね。私の観察によりますと、血液型はA型かO型だと思われます」
「ありそうね」
女がうなずいたとき、黙《だま》って会話を聞いていた男が急に口をはさんだ。
「Aって聞いたぜ。でも、そういうのはさー、関係ねぇだろ?」
女は男をにらみつける。
「オブザーバーは発言しないように。――調査員、続けてください」
「はい。住所は不明、自宅の電話番号も不明です」
「徹底した秘密主義ね。家族は?」
「不明です。ただ両親がいるのはまちがいないようですね。父親は大学の教授とか」
「出身地は?」
「それも不明です。ただ、東京の地理にあまり詳《くわ》しくありませんので、東京で生まれ育ったのではないようです」
「そう……。事務所の経営状態はどうかしら?」
「よくはわかりませんが……もうかってはいないと思います。仕事の量も多くありませんし、依頼料も多額ではないので」
「仕事をしていないわりには、スタッフは多いわね。助手と……アルバイトがふたり。いったい、それだけのお金がどこから出てるわけ?」
「わかりません。不思議《ふしぎ》ですね。……いわゆる、アレじゃないでしょうか。『あるところにはある』」
おもしろくなさそうに会話を聞いていた男が軽く笑いをもらした。女がふたたび男をにらむ。それから、もう一度身を乗り出した。
「――仕事の量は多くないのね? 彼は毎日なにをしてるの?」
「本を読んだり、地図を眺《なが》めたりしています。現在のように旅行に行くこともあります」
「ああ。今は旅行中だったわね。どこへ行ったの?」
「たしか、東北だとか」
「温泉……なんてことはないわよね」
「そんな。ぜったいに、ありえません」
「それで? 助手のほうは? 本名はわかった?」
「林興除《りんこうじょ》、というのが本名のようですね。出身は香港《ほんこん》。それ以外のプロフィールは不明。住所も不明ですが、渋谷一也とは壁《かべ》を叩《たた》けば聞こえる距離に住んでいるようです」
女は沈黙を作る。やがて、すっとんきょうな声をあげた。
「じゃあ、なに!? 結局、なーんにもわかんない、ってことじゃない!」
「そんなこと言ったって……」
「この甲斐性《かいしょう》なし」
「しょうがないでしょっ! あたしのせいじゃない! みんな……」
あたしは思わず本気で怒鳴《どな》った。
「みんなナルの秘密主義が悪いーっっ!」
東京、渋谷、道玄坂《どうげんざか》。『渋谷サイキック・リサーチ』。
おシャレなオフィスの真ん中で、谷山麻衣《たにやままい》こと、あたしは足をふんばって肩で息をしてる。女(松崎綾子《まつざきあやこ》、巫女《みこ》)と男(滝川法生《たきがわほうしょう》、もと高野山《こうやさん》の坊主)の冷たい視線を浴《あ》びて花も恥《は》じらう十六歳だってのーに、もー。
そうよ、みんなナルが悪い。
『渋谷サイキック・リサーチ』の所長、渋谷一也。容姿がとびきりいいかわりに、性格がとびきり悪いやつ。傍若無人《ぼうじゃくぶじん》、傲岸不遜《ごうがんふそん》、問答無用。限りなくおナルな性格から「ナル」と呼ばれる。
どーして、そう何もかも秘密にしたがるのーっっ!
怒りのあまり肩を震わすあたしの背中を、遠巻きに見ていたタカ(高橋優子《たかはしゆうこ》、職場の同僚)がぽくぽくと叩《たた》いた。
「どうどう。所長の秘密主義は今に始まったことじゃないでしょーが」
「だってー」
ああ、思い出しただけでハラがたつ。
そもそも、ことの起こりは春にやってきたひとりの女の人だった。森まどかというその人は、ナルやリンさんの知り合いだった。知り合いということは、だ。彼女はつまり、あたしたちが知らないことをぜーんぶ知ってるってことでない? 質問したい気持ちはやまやまだったのに、彼女はほとんど何も語らないままどこかへ帰ってしまったのだ。
これがあたしの好奇心に火をつけてしまったわけ。森さんが来るまでは誰《だれ》もがナルについては何も知らなかった。ところがそこになんでも知ってる人がやってきて、なにひとつ聞き出せないまま帰してしまったこの悔《くや》しさ。
――かくしてあたしは、好奇心を満たすべく情報収集につとめ始めた、というわけ。情報収集の過程で綾子も同じことをもくろんでいるのを知り、梅雨《つゆ》の頃からはふたりで協力体制をとってきたのに夏がきても何ひとつわからない。
質問をすれば回答を拒絶され、尾行《びこう》をすれば発見され、あげくのはてに言われた一言。
「僕《ぼく》に気でもあるのか?」
あーいーつーはーっっ!
ええい、どうしてくれよう。あたしはね、あたしは、単にナルがなんでもかんでも隠《かく》したがるからそこにどんな秘密が隠されているのかと純粋に知的探究心をおぼえただけで、別に恋愛感情とか特別な感情にもとづく興味でもって調べてたわけじゃないんだから。「気がある」? じょーだんじゃない。自惚《うぬぼ》れんのもたいがいにしろよ、てめー。
……いえ、本当を言うとちょっとは気があったんですけどね(赤面)、こうなったら意地でも認めてやるもんかい。「気でもあるのか?」なんて聞かれて「はいそうです」なんて認めるほど、谷山麻衣さんは素直じゃないのさっ。
「でもさ、麻衣も悪いと思うのよ」
タカに言われてあたしは顔を見返した。
「なんでよー」
「あの所長が、かくしていることを簡単に教えてくれると思う?」
……う。
「それをムリに調べようとしたわけじゃない? 普通《ふつう》の人が相手でもモンクのひとつぐらい言うよねぇ。ましてや相手は所長だから、モンクの百に皮肉の百くらい言われるのはあたりまえだと思うけどぉ?」
「……それは、そうだけど……」
しゅーん。
「まぁ、麻衣と松崎さんの気持ちもわかるけど。でも、ホドホドにしとかないと後悔《こうかい》する結果になるかもよ」
「後悔、って」
タカはセンパイのほうを見る。センパイ(笠井千秋《かさいちあき》、スランプ中の超能力少女)は軽く肩をすくめて、
「隠してる、ってことは、見るなってことでしょ?」
「……うん」
「見るな、と言われたものを無理に見るとお山に帰っちゃうかもしれない、って話」
「なに、それ」
「夕鶴《ゆうづる》。正体《しょうたい》を見られた以上もうここにはいられません、っての。あると思わない?」
「まさかぁ……」
「でも、ないとは言いきれないでしょ? たとえば所長はお金持ちの御曹司《おんぞうし》で、両親が反対するんでこっそり隠れてこの事務所をやってるとするじゃない。それが、家をつきとめた麻衣がうかつに訪ねていった結果、両親に全部バレちゃって、それで事務所を閉めなきゃなんない、なんてけっこうありうることだと思う」
「別に反対してないってまどかさんが言ってたもん」
千秋センパイは軽く溜《た》め息《いき》をつく。
「たとえば、の話。所長がいなくなってもいいわけ?」
「ふーんだ。望むところよ」
あたしが言うと、センパイはびしっと指をつきつける。
「少なくとも、こんなワリのいいバイトは二度とない」
……うっ。
「困《こま》るでしょ?」
「……困る」
なんたってあたし、苦学生だもんな。常識はずれのバイト料がなくなると、ものすごく痛い。
おもしろそうにあたしたちのやりとりを聞いていたぼーさんが口をはさんだ。
「ここのバイト代っていいのか?」
タカはうなずく。
「うん。事務のあたしでも世間《せけん》一般よりいいもん。麻衣は一応調査員だからもっといいし。平均して安いOLくらいもらってるよね」
うん。調査に行くと二十四時間時給がついて、おまけに危険手当までつくもんな。
ぼーさんは首をかしげた。
「どーしたの?」
「いや。前になんで麻衣を雇《やと》ったんだ、って聞いたときに、ナル坊が『安くてこきつかえそうだから』って言ってたんでな」
タカも首をかしげる。
「安くないよねぇ」
「うん。バイト時間を増《ふ》やすぶんには自由だし。お給料は時給制だから、お金が足《た》りないときはバイト時間を増やせばいいだけだもんな」
げんに調査のないときは可能なかぎり事務所につめて、増収をはかってるもんね。
綾子が不満げな声をあげた。
「なによ、それ。そんなおいしいバイトってあり? こうやってバカ話している間もバイト料が出てるんでしょ?」
「だって、今はしたくたって仕事がないもん」
そう言ってタカを見ると、タカもうなずく。
ぼーさんんはますます首をかしげる。
「そんなにたいへんな仕事のようにも見えないがなー」
「調査に行けばたいへんだよ」
へたをするとイノチがけだしー。
「普段は」
ぼーさんに聞かれてあたしとタカは顔を見合わせる。タカがあたしを指さした。
「麻衣はー、オフィスにつめて依頼の人が来たら相手をするの」
あたしもタカを指さす。
「タカは事務だよ。購入した本の整理して、雑用して、お茶をいれる」
「今は」
「麻衣はリンさんがお昼休みなんで、留守番《るすばん》してる。今は依頼の人がいないから相手をしたくってできないしー」
「タカは朝オフィスの掃除《そうじ》したよね。今日は購入の図書もないし、リンさんもナルもいないから雑用も頼まれてないし。仕事仲間の霊能者が遊びに来てるんでお茶をいれてる」
ぼーさんは険悪な表情で頬杖《ほおづえ》をついた。
「さっきから何度も電話が鳴ってるぞ」
「でも留守電になってるでしょ?」
「留守番が仕事なんだろーが。電話の応対もしちゃどうだ?」
「だってー」
「ねー」
あたしとタカはうなずきあった。
「あたしたちは、電話に出ちゃいけないの。そう言われてるし」
「そうそう。郵便もさわっちゃいけないの。下のメイル・ボックスは鍵《かぎ》がかかってて、鍵は所長とリンさんしか持ってないし」
「ついでに言うなら、所長室の掃除もしちゃいけない。勝手に入っちゃいけないし」
「さらに言うなら、お金関係もノータッチ」
ぼーさんと綾子は仲よく頭を抱《かか》えた。
「どういう金銭感覚をしてるんだ、ナルは」
「よねぇ。あたしだったら、そんなバイトにお金なんて出さないわよ」
「なんだよー」
「当然でしょ。要はあんたたち、今はクーラーのきいたオフィスで備品のお茶を飲んで遊んでるだけじゃない」
それはまー、そーなんですけど。
タカはぷくんと頬《ほお》をふくらます。
「だって所長がそれでいいって言ったもん」
「そー。言ったもん」
「仕事は楽なかわりに、人間関係で苦労してるもんね」
「だよね。あたしの前の子だって、きっとそれで続かなかったんだよ」
あたしがそう言うと、タカと千秋センパイがキョトンとあたしを見た。
「? なに?」
「前の子?」
「うん。ナルがあたしをバイトに誘《さそ》ったとき言ってた。『前の子がやめたんで』って」
「でも、まどかさんが言ってたじゃない。『あのふたりが人を雇うだけでも意外』って」 あれ? そういえば、そういうことを言っていたような……。
綾子は首をかしげる。
「その『前の子』って本当にいたの? ふつーやめないわよ、こんな楽でおいしいバイト。いくらふたりの性格が悪くたって、それぞれ所長室と資料室に閉じこもってほとんど出てこないじゃない」
「それは……そうだよね」
ぼーさんは腕を組んだ。
「そのうえ、この金の使い方。依頼人だってそんなに多いわけじゃないし、そのほとんども断《ことわ》っちまう。こんな一等地にこーんな豪勢なオフィスを構えるような仕事ぶりか? おまけにろくに仕事もないのにバイトが二名。それもバイト料はいいときてる」
「でも、ナルは安くてこきつかってるつもりなんでしょ? やっぱおうちがよっぽどのお金持ちなんだよ。それで金銭感覚があたしたちとは違《ちが》うんじゃない?」
「大学教授というのは金持ちもいるが、それでも『よっぽど』がつくほど実入りのいい商売じゃない」
「じゃ、もともとおうちが財産家なんだ。きっとお坊ちゃん育ちだから、性格があんなに傲慢《ごうまん》なんだよ。うんうん」
「本当の金持ちってのはおっとりしてるもんだぞ」
「そこはホレ、人それぞれというやつで……」
てなことを言ってるとドアが開いてリンさんが帰ってきた。無口、無表情がトレードマークの彼は限りなく縦《たて》に長い。ドアをくぐるときにも必ず少しだけ頭を下げたりする。
リンさんはオフィスの中を見渡して、ぼーさんと綾子にごく軽く会釈《えしゃく》するふうをする。
「お邪魔《じゃま》してるわよ」
綾子はそう言うと身を乗り出す。
「ねぇ、リンさん。麻衣の前にバイトっていたの?」
「いませんが」
リンさんはそう言って、腕に抱《かか》えた郵便物の中から雑誌でも入ってそうな封筒をふたつ抜き出してタカに渡した。雑誌の目次を抜き出してカードにまとめるのはタカの仕事だ。
……しかし、いない、だぁ?
「いない?」
「ええ」
無表情に言ってリンさんは資料室に向かう。途中、千秋センパイに目配《めくば》せをした。センパイはこれからリンさんとPKのトレーニング。長いこと通っているかいあって、最近ではスプーン曲《ま》げも復活のきざしが見える。
ぼーさんが小声で呟《つぶや》いた。
「何を考えてんだ、ナル坊は」
んだんだ。
タカが自信なげに言う。
「ひょっとしてアレかな。悪ぶってるけど根はいい奴《やつ》という……」
「ま、まさか」
いや、実はそう思わないこともないんだけどさー。
いずれにしても、と渋《しぶ》い声を出したのは綾子だった。
「麻衣ぃ。あんたって実は結構|親切《しんせつ》にされてるんじゃない?」
ちろりん、と冷たい視線。
「まさかー……」
……まさかなー。
うーむ。事態は混迷《こんめい》を深めるばかりでございます……。
一章 入り江の家
1
その混迷の中心であるナルが戻ってきたのは、それから一時間くらいしてからだった。顔だけはやたらいい彼は相変わらずの黒ずくめ。夏に黒は暑苦《あつくる》しいもんだが、ナルが着てると涼《すず》しげに見えるから不思議《ふしぎ》だ。
目的不明の旅行から帰ってきたときはいつもそうなんだけど、ナルはめっきり不機嫌《ふきげん》そうだった。オフィスの中でふたりの部外者が手を振っているのを見て、露骨《ころつ》に顔をしかめる。
「今日はどんなご用件ですか?」
どこまでも邪険《じゃけん》な声だったのに、ぼーさんも綾子《あやこ》もこたえたようすがない。
「いや、近くまで来たもんだからさ」
「そうなのー。ちょっと買い物にねー」
ナルの冷たい一瞥《いちべつ》。
「毎度同じ言《い》い訳《わけ》をして、よく飽《あ》きませんね」
「あはははー」
……あやや。今日はとみに低気圧。
あたしとタカは、触《さわ》らぬ神に崇《たた》りなし、とばかりにすでに敵前逃亡を決めこもうとしていたけど、綾子は相変わらず強いのだった。
「ちょっと、ナル。楽しい話を聞いたんだけど」
「僕《ぼく》に聞いてほしいわけですか?」
ソファーに身を沈《しず》めるナルに、綾子は顔を突き出す。
「そう。『前の子』なんていないんですって?」
ナルは怪訝《けげん》そうに綾子を見た。
「麻衣には『前の子がやめたんで』なんて言っておきながら、実は『前の子』なんていなかった、というのはどういうわけ? ずいぶん麻衣には親切なのねぇ?」
ナルは澄《す》ました顔だ。冷たい視線を向けたまま、さらりと一言。
「嫉妬《しっと》ですか?」
とたんに綾子が顔を真っ赤にした。
「ちょ……っ! 誰《だれ》がっ!」
だーかーらー。綾子じゃナルにはかなわないってば。
「僕は根が親切なもので」
「誰がよっ」
「おや、そう見えませんか? いつも松崎《まつざき》さんのくだらない話に、親切にもつきあってさしあげてるじゃないですか」
綾子はひきつった笑顔を浮かべる。
「あんた実は麻衣に気があるんじゃないの」
……あのー。
対するナルはニッコリ笑ってみせる。花のような、と言いたいところだが、眼が笑ってないので不穏《ふおん》なだけ。
「否定してさしあげますね。ショックのあまり松崎さんが病気にでもなるとかわいそうですから。親切でしょう?」
こ、このナルシストっ。
さすがに開いた口がふさがらない綾子を見やって、それからナルは、
「麻衣」
「は、……はいっ!」
「お客さまのようだ。お迎《むか》えしなさい」
あわてて振り返ると、ドアの向こうから中をのぞきこんでいる人影が見えた。あたしは内心冷や汗をかきつつ小走りにドアに向かった。
入り口に立ったのは二十歳《はたち》前くらいの男の人と、幼稚園児《ようちえんじ》くらいの女の子だった。
「はい?」
あたしは営業用の笑顔にきりかえてドアを開ける。
「あの、なんと言ったらいいのかよくわからないんですけど……こちらは一種の、霊能者さんですよね」
女の子の手を引いてオフィスに入ってきた彼は、とても静かな声をしていた。
「霊能者とは少し違《ちが》うんですけど。ご依頼ですか?」
彼はうなずいてから、女の子を見おろした。
「この子を診《み》ていただきたいんです」
女の子はセーラーカラーの服を着て、首には包帯《ほうたい》を巻いていた。
「はぁ……」
あたしはナルを振り返った。霊能者の中には病気の治療をする人もいるけど、『渋谷サイキック・リサーチ』の場合、そういうのは専門外。しかもうちの場合、いわゆる霊能者とはずいぶん違うんだよねぇ。
てなことを思っていると、ナルがあっさり、
「病気の治療なら病院に行くべきだと思いますが」
そう言われて男の人は少しだけ驚《おどろ》いたように眼を見開く。それから、おっとりした笑みを浮かべた。
「そうですね。……でも、ただの病気だとは思えないので」
ナルは立ち上がる。
「もう病院には?」
「いえ」
「まず医師に診せるべきですね」
ナルの声は露骨にうっとおしそうだった。女の子はその声に弾《はじ》かれたように男の人を見上げる。
「びょういん、きらい」
彼は微笑《わら》った。
「だいじょうぶ。病院には行かないからね」
「ここ、びょういん?」
「違うよ、葉月《はづき》。お薬の臭《にお》いがしないでしょう?」
女の子はうなずいたけど、それでも不安そうだった。しっかりと彼の腕にしがみついてオフィスを見回す。
「ナルちゃんよぉ」
口をはさんだのはぼーさんだった。
「診《み》るぐらい診てやればどーだ? 別にたいした手間じゃねぇんだし、そう邪険《じゃけん》にすることもねぇだろ?」
ナルはぼーさんをチラリと診てから軽く息をつく。ふたりにソファーを勧《すす》めた。
「どうぞ。――高橋《たかはし》さん、お茶をお出ししなさい」
男の人は吉見彰文《よしみあきふみ》さんといった。女の子は吉見葉月ちゃん。姪《めい》なんです、と自己紹介してから彼は葉月ちゃんの首に巻かれた包帯をほどき始めた。喉《のど》に当てたガーゼの下から現れたのは赤い湿疹《しっしん》のようなものだった。ちょうど喉の真ん中を真一文字に横切って赤い線になっている。肌《はだ》がただれてうっすらと血がにじんでいた。
「皮膚《ひふ》病のように見えますが」
ナルが言うと彰文さんは葉月ちゃんに横を向かせる。
「首全体にあるんです」
言葉のとおり、その線は首を一周していた。一センチほどの幅《はば》をした帯状の湿疹が、くるりと首を一周している。なんだか気味が悪かった。それは傷のように見えた。まるで首を真横に切断したような。
「少しも痛くないらしいんです。痒《かゆ》くもないようだし」
「何かにかぶれたのではないんですか?」
いえ、と彰文さんは首を振る。
「これだけなら病院に連れていったんですけど。背中にもあるんです」
そう言って彰文さんは葉月ちゃんの顔をのぞきこむ。
「葉月、ちょっとごめんね」
声をかけてから葉月ちゃんの服の前を開けて肩から落とした。白い小さな背中を見てあたしは思わず声を上げてしまった。
「なに、これ」
首にあるのと同じような湿疹が背中で線を描いていた。こんなの、皮膚病なんかじゃありえない。それは文字にしか見えなかった。筆で書いたような字で、『喘月院落獄童女《ぜんげついんらくごどうにょ》』と。
「……ひでぇ」
低い声を落としたのはぼーさんだった。
「なに?」
「こりゃあ、戒名《かいみょう》じゃねぇか」
「戒名って、死んだ人につけるアレ?」
ぼーさんはいつになく深刻な顔をした。
「ああ。……こいつは悪質だ」
「悪質って」
「『喘月』てぇのは何かを恐れるのがバカなくらい度を超していることだ。『落獄』は、地獄に落ちるって意味だろうな。――吉見さん、嬢ちゃんに服を着せてください」
地獄に落ちる? そういう戒名《かいみょう》って、あり?
「『童女』は女の子につける。誰《だれ》かが悪意でもって作った戒名だよ。――このバカな子供は地獄に落ちるだろう、ってさ」
……このバカな子供……。
「『喘月』の『月』は『葉月』から取ったんだろう。こりゃあ、この子の戒名だ」
2
あたしたちが能登《のと》にある吉見《よしみ》家に着いたのは、翌日の夕方だった。
結局|綾子《あやこ》とぼーさんが同行することになって、例によって二台の車でとろとろと日本列島を横断したわけ。もー、吐《は》き気《け》がするような長道中。
吉見家は日本海を臨《のぞ》む岬《みさき》の上にあった。海岸沿いの道路から細いわき道が林の中を海岸の方へのびていて、道を入ってすぐに立派《りっぱ》な日本建築が見えた。それが吉見家、彰文《あきふみ》さんちがやっている料亭の建物だった。
前日の飛行機で戻ってきていた彰文さんが迎《むか》えてくれて、あたしたちはまず家族が住んでいる母屋《おもや》に案内された。料亭の建物とは渡り廊下《ろうか》でつながっている母屋の、いちばん奥にある座敷へと向かう。
そこでは布団《ふとん》の上に身を起こしておばあさんが待っていた。
「お祖母《ばあ》さん、お着きになりました」
そう言って彰文さんはあたしたちを座敷の中へ招《まね》く。
「祖母《そぼ》です」
小さなお地蔵さまのようなおばあさんだった。おばあさんはきちんと両手を布団の上において深々と頭を下げる。
「吉見やえともうします。なにとぞ、よろしくお願いいたします」
このおばあさんが本当の依頼者――彰文さんと葉月《はづき》ちゃんを『渋谷サイキック・リサーチ』のオフィスに来させた人だった。
「本当ならわたくしがお願いにあがらねばならないところ、ご覧のとおりいささか身体《からだ》を不自由にしておりまして、孫《まご》を代理にやりました。失礼もあったことと思いますけれど、どうがご勘弁《かんべん》くださいまし」
彰文さんがあたしたちをおばあさんに紹介していると、落ち着いた感じのおじさんとお茶を持った和服のおばさんがやってきた。このおじさんが彰文さんのお父さんで吉見|泰造《たいぞう》さん、おばさんがお母さんの吉見|裕恵《ひろえ》さんだった。
丁寧《ていねい》に挨拶《あいさつ》をするふたりに、ナルは軽く会釈《えしゃく》を返して、
「――ご依頼の内容をもう一度おばあさんからうかがいたいのですが」
おばあさんはうなずいて、口をすぼめる。
「何からお話したらいいのか……」
軽く首をかしげるようにして話を始めた。
「馬鹿《ばか》な、とお思いでしょうが、この家は呪《のろ》われているんでございます。先日、わたくしの連れあいが亡《な》くなりまして……」
「それはお悔《く》やみをもうしあげます」
「いいえ。もう寿命《じゅみょう》でございましたから。……それはともかく、吉見の家には気味の悪い言い伝えがあるんでございます。代替わりのときに必ず変事が起こるという……」
おばあさんはそう言って眉《まゆ》をひそめた。
「先代――わたくしの父が亡くなって、連れ合いが家を継《つ》いだ時もそうでした。先代の死後にばたばたと家族から死人が出まして、大きな家に親戚《しんせき》が集まってにぎやかに暮らしておりましたのが、あっという間に人が減《へ》ってガランとしてしまったのでございます」
「今度もまたそういうことが起こるのではないかと……?」
ナルが聞くとおばあさんはうなずいた。
「ええ。先代が先々代から家を譲《ゆず》られた時にも同じことがございました。その時のことはわたくしも小さくて、もう覚えておりませんが。ただ、六人おりました兄弟の仲でわたくしひとりが生き残ったのでございます。それもございまして、わたくしには不安でなりまんせでした。げんに連れ合いが死んですぐ葉月にあの湿疹《しっしん》ができ始めて、一週間もしないうちにあんなふうになってしまっのたでございます。どう考えてもただ事とは思えません。首の痣《あざ》といい背中の戒名《かいみょう》といい、まるで葉月の首を切ってやると誰《だれ》かが言っているようで」
そう言っておばあさんはナルをひたと見る。
「これはもうその道の方におすがりするしかないと、そう思っておりましたところに、大橋《おおはし》さまとおっしゃるお客さまにそちらさまをご紹介いただいたのでございます」
大橋さんというのは前回の事件を依頼に来た人だ。
ナルはメモを取りながら、
「先代さんが亡《な》くなったときの話をうかがいたいのですが、いつ頃のことですか?」
「今から三十二年前でございます」
「何人かの方が亡くなられたようですが、数と死因を覚えておいでですか?」
おばあさんはうなずく。
「家からは八人でございました。七人おりました子供のうち下の五人、いちばん上の孫とわたくしの従兄弟《いとこ》と叔父《おじ》と。半分ぐらいが事故で、残りが原因のよくわからない病気でございます」
あたしは陰《かげ》り始めた座敷の中を見渡した。おばあさんの枕元には大きな仏壇がある。家族の中から、八人。八人という数字の重さ。
「家から――ということは、家族以外にも亡くなった方があるんですね?」
ナルが聞くと、おばあさんはうなずく。
「店のお客さまがふたり、事故で……」
ナルが考え込むようにノートに視線を落としたとき、黙《だま》って布団《ふとん》の脇に座っていた彰文さんのお母さん――裕恵おばさんが口をはさんだ。
「お母さん、きちんとお話したほうがいいのじゃないでしょうか」
おばあさんはうつむく。ナルは裕恵さんを見返した。
「母は皆さんが帰ってしまわれるのじゃないかと……不安なんです」
「と、おっしゃいますと?」
「霊能者の方が三人亡くなりました」
なるほど、とぼーさんが小声で呟《つぶや》いた。
「お呼びしたふたり連れの霊能者の方が、祈祷《きとう》を始めてすぐに事故で亡くなられて……。そのあとさらにお呼びした方もやはり事故で」
裕恵おばんがそう言うと、おばあさんはうつむいたままうなずいた。
「助けていただきたいのやまやまですが、危険を承知でご無理は……」
ぼーさんが裕恵おばさんをさえぎった。
「危険なようなら引きとめられても帰りますよ。俺《おれ》たちは分てぇのを知ってますんでね。だからと言って相手を見ないうちに帰るほど臆病《おくびょう》じゃない」
「……ありがとうございます」
そろって頭を下げる裕恵おばさんたちにぼーさんは笑って、
「しかしナルちゃんや、客も危ないとなるとやっかいだ」
ナルはうなずいた。裕恵おばさんに、
「今、店に客は?」
「いらっしゃいません。父が亡《な》くなってから閉めてございます。母が……」
裕恵おばさんはおばあさんを見つめた。
「どうしてもと言い張って、従業員も葬儀の片付けが終わってから休みを取ってもらっています。いまこの建物にいるのは家族だけです」
「賢明《けんめい》な処置だと思います」
ナルは軽くうなずく。それから、
「何か異変のようなものを感じた、あるいは妙なものを見たというようなことは?」
これには彰文さんが答えた。
「祖父の葬儀の日に祖母が飼《か》っていた九官鳥が死んだのを始まりに、三日ほどの間に飼っていた鳥や犬が全部死んでいます。姪《めい》が飼っていたカナリアが二羽、犬が三匹です。鳥は鳥かごの中で死んでいましたが、犬はどれも岸に打ち上げられているのが見つかりました」
うわー……。
「ほかには?」
彰文さんはお母さんを見る。裕恵おばさんが、
「店のほうで幽霊《ゆうれい》を見た、と言う従業員が何人か。窓から部屋の中をのぞいていたとか」
「それは場所が決まっていますか?」
「いえ。たぶん入り江側の部屋だと思いますが……」
「入り江側の部屋?」
裕恵おばさんはうなずく。
「あとでご案内すればおわかりいただけると思うんですが……。外から人がのぞいて、それが不思議《ふしぎ》な場所というと入り江側しかございませんから……」
わかりました、と呟《つぶや》いてナルはノートを閉じる。
「取りあえず機材をおいてようすを見ます。部屋はご用意いただけたでしょうか」
彰文さんが立ち上がった。
「どうぞ。ご案内します」
3
あたしたちは彰文《あきふみ》さんの後について長い廊下《ろうか》をぞろぞろと歩いた。
お店の廊下を歩いて角をひとつ曲《ま》がるとまっすぐな廊下に出た。両側は白い壁《かべ》、ところどころに格子戸《こうしど》が並んでいる。
「こちらです」
彰文さんは立ち止まって格子戸を開ける。格子戸の奥は普通の玄関みたいになっていた。
「あいにく、洋間はないものですから」
彰文さんは玄関の襖《ふすま》を開けた。その部屋は三間続きになっている。入ってすぐが四畳の小さな部屋。その奥が八畳の部屋、さらにその左にもうひとつ八畳の部屋があるのが開け放した襖のせいでわかる。
「ひろーい」
綾子《あやこ》が歓声を上げた。ふたつ並んだ八畳の部屋の正面はどちらも障子《しょうじ》。彰文さんがそれを開けると、その向こうは広い縁側になっていた。旅館なんかでちょっとしたイスとテーブルがおいてあるところだけど、ここのはその三倍は広い。ちょっとした板の間の部屋という感じ。
「障子や襖ははずしていただいてけっこうです。お客様に泊《と》まっていただく部屋なんですが、ここでお役にたつでしょうか」
彰文さんに言われて、ナルは部屋を見渡した。機材をおくにはちょっともったいないような立派《りっぱ》な座卓が壁ぎわにいくつもおいてある。
「充分《じゅうぶん》すぎるほどですね」
「奥に小さいですけれど浴室なんかがついています。この部屋と、ほかに両隣の部屋を用意しましたのでお休みになるのはそちらをお使いください」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げるナルを横目で見ながら、あたしは縁側の窓に近づいてみる。こう広くて何もないと、無目的にうろうろしたくなっちゃうのよねぇ。でもって、窓から外をのぞいてあたしは声をあげた。これは、絶景。
「すごーい!」
窓の下は小さな丸い入り江だった。窓の正面には対岸の断崖《だんがい》が間近に見える。真下にある入り江はすごく深そうだった。海への入り口が狭《せま》くて波もない。とろりとした深い色の水が丸くたたえられている。
「なるほど、これが入り江側の部屋かぁ」
あたしは納得《なっとく》した。確かにこの窓の外から人がのぞいていたら異常だわ。この部屋は入り江に面した断崖に張り出すように建《た》っているんだ。窓の下は入り江の水面までなーんにもない。その距離、およそ四階ぶんほど。
「おわかりになったでしょう?」
いつのまにか隣《となり》に彰文さんがいた。彰文さんだけでなく、全員が窓から外を眺《なが》めている。
「はぁ、わかりました。外からのぞけるはずないですもんねぇ」
「そうなんです」
「この入り江、泳げます?」
「泳ぎが得意でしたら。すごく深いですよ」
「あ、やっぱり?」
「泳ぐのでしたら、反対側の海岸で泳げます」
彰文さんは背後を示した。
反対側……。うーん、いまいちよく把握《はあく》できない。
前回行った幽霊屋敷は本当にでかい家で、いつ迷子《まいご》になるかと怯《おび》えていた。この家はそれほどでもないにしろ、やっぱり迷子になりそうなほど広い。料亭だけあって部屋はいっぱいあるし、廊下はカクカク折れ曲がっているし、かろうじて自分が母屋《おもや》ではなく料亭の建物のほうにいるということは理解できているんだけど。まーた平面図を作ったりするのは嫌《いや》だなぁ……。
同じようなことを思ったのか、ナルが、
「吉見《よしみ》さん、建物の平面図はありますか?」
「あると思います。あとでお持ちしますね」
ぼーさんが苦笑する。
「そいつは助かるな」
彰文さんは微笑《わら》った。
「そんなに複雑な建物ではありませんから。すぐに慣《な》れてしまわれると思います」
「だといいけどねぇ。ついでに建物の周囲の地図なんかもあるとうれしいんだが」
ぼーさんが言うと、彰文さんは微笑って右手をあげる。
「右手の親指と人差し指で輪を作ってください」
「OKマーク?」
「そうです。その輪が入り江ですね。親指と人差し指の合わせ目が入り江の入口。人差し指の付け根あたりに店があります。親指が今向かいに見えてる対岸。あちらまで庭で、茶室があります」
ふむふむ。あたしは自分の手をじっと見る。
「手首のあたりが道路ですね。道路から人差し指のほうに入ったところが母屋、親指のほうに入ると神社があります」
「神社なんてあるんですか?」
「ええ、すぐ隣に。中指が海岸です。ずっと先のほうに小さな漁港があります」
「あ、なるほど。簡単じゃない」
「そして人差し指の爪《つめ》の部分に小さな洞窟《どうくつ》があります」
「洞窟?」
「ええ。海触洞《かいしょくどう》というやつです。波が崖《がけ》をえぐってできた洞窟ですね。ちょうど人差し指の爪の部分から、入り江に抜けています」
「すごーい。その洞窟見れます?」
「ええ。今日はもう遅《おそ》いですから、明日よろしければご案内します」
わーい。わくわく。
「しかし吉見さんや」
ぼーさんが声を上げた。
「建物が立派でロケーションもいいのはわかったが、こんなへんぴなところで料亭なんて、商売になるのかい」
確かに。通ってきた街は決して大きくなかったし、しかもここは街のはずれだ。
「うちは普通の料亭とは少し違うので。会員制の料亭と言ったらわかるでしょうか」
ほう、そういうものがあるのか。
「すごーい。よかったわねぇ、麻衣《まい》もぼーさんも」
綾子があたしの肩に手をかけてきた。
「あんだよ」
「あんたたちじゃ、こういうとこには一生来れるはずがなかったってこと。おいしい仕事でラッキーじゃない」
どーせあたしは貧乏人《びんぼうにん》。
「そういう綾子はどうなのかにゃーだ」
「あら、アタシには玉《たま》の輿《こし》というチャンスが残されてるもの。ほほほ」
こ、こいつっ。
「その性格で乗れる輿じゃタカがしれてらい」
「ふふーん。女子供《おんなこども》にはわからない魅力があるのょぉ」
「だったら急げば? イブを過ぎてからじゃ遅《おそ》いと思うよ」
「ま、だ! まだイブには間《ま》があるからねっ」
「みーんなそう言って高望みしてる間に通り過ぎてしまうんだよな」
「ふん、アタシならチョロいわよ」
「そーゆうことは恋人ができてから言えばぁ?」
「かわいくないっ」
「綾子にかわいがられても気味が悪いだけだい」
――てなことを言ってると。おっと、いかん、彰文さんの肩が震《ふる》えてる。視線が合うと、彰文さんはもうしわけなさそうな顔をした。
「……すいません」
「いーんです。無理しないでどんどん笑ってください」
どーせあたしらは漫才師《まんざいし》。
綾子が突然彰文さんに指を突《つ》きつけた。
「そうだ。吉見さんっておいくつ?」
彰文さんはキョトンとする。
「もうすぐ二十歳《はたち》ですけど」
へへっ、年下だ。綾子、残念だったな。
めいっぱい笑ってると、背後から冷酷無比《れいこくむひ》な声が飛んできた。
「麻衣! いつまで遊んでる!」
おっとぉ。大将がお怒りだ。お仕事、お仕事。
4
彰文《あきふみ》さんも手伝ってくれて、あたしたちは大量の機材をベースに運んだ。
「店を中心に機材をおく。ぼーさんと松崎《まつざき》さんは葉月《はづき》ちゃんのところへ。とりあえず護符《ごふ》を用意して、彼女の安全を確保する」
はいはい。カメラを運んでビデオを接続して。サーモグラフィーに振動計に赤外線レーダーにその他モロモロの測定器、っと。
「なんだか、あまり霊能者という感じじゃないですね」
空《あ》き部屋に機材を運んでくれながら、彰文さんが言う。
「はぁ。ごーすと・はんたーと呼んでください。すいませんけど、黄色いテープを貼《は》ったケーブルを取ってくださいませんか」
「谷山《たにやま》さんもこんな機材を扱《あつか》えるんですね。――ええと、ケーブル?」
「コードのことです。――接続だけなんとか。大半は今もちんぷんかんぷんです」
「接続だけでもすごい気がしますよ。僕《ぼく》は機械は苦手《にがて》なので」
「苦手なんですか?」
「むやみに触《さわ》ると壊《こわ》してしまいそうな気がして。機械を前にするとアガってしまうタイプなんです」
なーるほろ。
「あき……」
ふみさん、と言いかけてあたしはあわてて口を塞《ふさ》ぐ。
「かまいませんよ、彰文で」
彼は微笑《わら》ってくれたけど、さすがに知って間《ま》もない男の人を下の名前で呼ぶのはちょいと。
「す、すみません。全員『吉見《よしみ》さん』なんで、つい――」
「どうぞ、お気になさらず。それでなくても人数が多くてややこしいですから」
「じゃ失礼して、彰文さん。――二十歳ということは、大学生ですか?」
「ええ。東京の大学に行ってます」
「あ、じゃあ普段はここに住んでるわけじゃないんですね」
「そうなんです。できるだけ休みには帰ってくるようにしてるんですけど」
「やっぱりお店の手伝いが?」
彰文さんは微笑って首を振る。
「祖母が寂《さび》しがるんです。家の者は店があるからかまってやれないので」
「へぇぇ。おうちの人はみんなお店で働いてるんですか?」
「そうですね。下の兄は公務員ですけど」
「下の兄――ということはお兄さんがふたり以上いるわけだ。何人兄弟ですか?」
「兄がふたり。姉がふたり。僕は五人兄弟の末っ子です」
「五人……。それは大人数ですねぇ」
彰文さんはちょっと複雑そうに微笑《わら》った。
「たくさん死ぬのなら、たくさん人間がいなくては家が絶《た》えてしまいます。そういうことだと思いますよ」
「はぁ……。それとご両親とおばあさんと?」
「そのほかに上の兄と姉にはそれぞれ配偶者と子供がいます。子供は全部で三人。兄の子がふたり、姉の子がひとり。葉月は兄の末っ子なんです」
うげげ。
「そ、それだけの人間が全員ここに住んでるんですか?」
「僕《ぼく》を除いては」
あたしは指を折った。自分の手を見る。
「全員で十三人? 壮観でしょうねぇ」
彰文さんは陰のある微笑いを浮かべる。
「それでも八人死ねば、半分も残りません」
嫌《いや》な話だ。呪《のろ》われた家がある。そこでは大勢の家族が死ぬ。だからたくさんの被害が出ても家が絶えることのないように、子供をたくさん作っておく。あたしに家や家族がないせいかもしれないけれど、そういうのはとても気持ちが悪い。まるで子供が、家を残すための道具みたいで。子供に対して愛情を持っていない親はいないのだろうけど、愛情のうちの何パーセントがひとりの人間に対する愛情なんだろう。
彰文さんはちょっと頭を下げる。
「……すみません。暗い話をして」
「いえ、こ、こちらこそ」
「谷山《たにやま》さんは、ご家族は?」
「あ。あたし、ひとりぼっちなんです」
彰文さんは驚いたようにあたしを見る。
「……もうしわけありません。無神経なことを聞いて」
「やだなぁ。知らなかったら聞くのはあたりまえですよぉ」
なのに、みーんなあやまるんだよなー。
「でも……」
でもってみんな話題に詰《つ》まるんだよ。
「お気になさらず。人にはイロイロあるし、あたしにもイロイロあるってことですよ」
「はぁ……」
「それに両親がいたら、こんな妙なバイトさせてくれませんもんね。そうするとこういう豪華な料亭なんて来ることもなかったわけだしー」
「……そうでしょうか」
「そうですよ。気楽でよかったなーなんて、特に友達が家族とケンカしてたりすると思っちゃうんですよね。いや、べつに親が死んでよかったと思ってるわけじゃないんですが」
「それは、そうかもしれませんね」
「そそ。もちろん、寂《さび》しいこともあるんですけどね」
彰文さんは微笑《わら》う。
「僕《ぼく》と谷山さんと、足《た》して二で割ればちょうどよかったですね」
「七人かぁ……それでも世間《せけん》の常識からいうと、ちと多いような」
「あ、本当だ。僕の家って、本当に大人数なんだな」
いまさら気がついたように彰文さんは言った。
「あのー、ひとつ不思議《ふしぎ》なことがあるんですけどー」
「なんですか?」
「ご飯どうやって食べるんですか?」
やっぱ十三人、ずらーっと並んで食べるのかしらん。
「そうか。普通は一緒に食べるんですよね」
感心したように彰文さんは言う。
「違うんですか?」
「うちは料亭ですから。店を手伝ってる人間は店で妙な時間に食べますから」
「あっ、そういうおうちもあるんだ」
うーむ。世間は広い。
「ちょっと残念だなー。十三人並んでるところを見たかったなー」
あたしが言うと彰文さんは、ちょっと不思議そうな顔をした。
「どうかしましたか?」
「いえ。母が今夜は皆さんとご一緒に食事を、と言ってたんですが」
わお。ひょっとしてご馳走《ちそう》では(ハート)
「……いったいどうやって食べるんだろう」
うっ。
「総勢十八人ですよ」
「そ……それって食事ではなく、もはや宴会では」
「ですよね」
しばらく考えこんでしまったあたしと彰文さんだった。
5
ベースに戻って手前の部屋の縁側にラックを組み立てて。葉月《はづき》ちゃんのようすを見てきたぼーさんと綾子《あやこ》が帰ってくると、ふたりにも手伝わせて大量の機材を搬入《はんにゅう》する。無駄話《むだばなし》をしながらセッティングとチェックを終えた頃には、外はすっかり暗くなってしまっていた。
そのあと、あたしたちは彰文《あきふみ》さんに案内されて店の一角にあるお座敷に向かった。広い上品なお座敷に案内されると、長いテーブルに四人の男の人が座《すわ》っていた。ひとりはおばあさんのところで会ったお父さんの泰造《たいぞう》さんだ。泰造おじさんは、白い板前さんの服を着ている。ということは、お料理はおじさんが作るんだな。
「どうぞ、お楽に。この度《たび》はお呼びだてしてもうしわけありません。どうかよろしくお願いします」
丁寧《ていねい》に頭を下げられて、上座に案内されて。ありがたそうな掛《か》け軸《じく》とか優雅な生《い》け花だとか、あたしには落ち着かないことこのうえもない。これで正座しなきゃいけないんだったらウンザリしたところなんだけど、幸《さいわ》い堀りごたつみたいに腰掛けられるようになってて、一安心。
泰造おじさんはその場にいた男の人を紹介してくれた。スーツを着た太めのおじさんが長男の和泰《かずやす》さん。Tシャツにジーンズのがっしりとした人が次男の靖高《やすたか》さん。でもって泰造おじさんと同じように板前の服を着た人がお婿《むこ》さんの栄次郎《えいじろう》さん。どの人も三十をすぎたくらいだろう。なんだか暗い感じの人ばかりだったけど、大中小と順番にサイズが小さくなるところが笑える。
こんだけしかいないのかなー、つまらないなーと思っていたら、お料理を持って女の人が四人、入ってきた。しゃっきりした着物姿はお母さんの裕恵《ひろえ》おばさんだ。おっとりした感じの人が和泰さんの奥さんの陽子《ようこ》さん。いかにも気の強そうなのが上から三番目、長女の光可《てるか》さん。でもって冷たそうな若い女の人が四番目、侍女の奈央《なお》さん。
今回も関係者が多いなぁ。誰《だれ》が誰だかちゃんと覚えられるかしら、あたし……。(不安)
「渋谷《しぶや》さんはお酒は」
泰造おじさんはナルに聞く。
「いえ。僕《ぼく》もリンも飲みませんので」
おまけにあんたは未成年だ。
「滝川《たきがわ》さんと松崎《まつざき》さんはだいじょうぶですか?」
聞かれてぼーさんはニンマリする。
「ありがたく」
さてはあんた、ノンベだな。綾子もニコニコしてたんでいけるクチなんだろう。当然のことながら、いっしょにお酒をのんだ経験はいなもんなぁ。
「谷山《たにやま》さんは?」
「とんでもない」
だからあたし、未成年ですってば。
とりあえず仕事の話はヌキで、ということになって雑談なんかしながらお料理をいただく。きれいで凝《こ》ってておいしかったんだけど、陰気《いんき》なおじさんたちに囲まれてではいまいち……。女の人たちは料理を運んできたり下げたりで、一緒にご飯を食べたりしなかったし。
順番に出てくる料理の何番目かで、あたしはふと隣《となり》に座っているリンさんの器に目を留《と》めた。やや、リンさんだけ料理が違《ちが》うぞー。そう思ってテーブルを見渡すと、ナルも違う。どーやらナルとリンさんだけ別のお料理が出てるみたい。
「どしてリンさんはお料理が違うの?」
小声で聞くと、ちょうど器を下げにきた裕恵おばさんが、
「渋谷さんと林《りん》さんは肉類を召し上がらないとお聞きしたので、献立《こんだて》を変えさせていただいたのですけど……違いましたか?」
「えー? リンさんお肉は食べないの?」
これはびっくり。そういえばいつもいろんなものを残すから、リンさんもナルも偏食するなーとは思ってたんだけど。
「菜食主義ってやつ? ぜんぜん食べないの?」
リンさんは無表情にうなずく。
「ダメだよ、食べないと、だからリンさん、痩《や》せてるんだよ」
裕恵おばさんはやんわりと微笑《わら》って、
「何か少しお持ちしましょうか? せっかく海の側《そば》にいらしたんですから」
リンさんは軽く頭を下げる。
「調査の時には、精進潔斎《しょうじんけっさい》しておくことにしていますので」
げげ、すごい。ナルやリンさんが、そんな深い思慮あって食べ物を残していたとは。性格が性格だから単にわがままなだけだと思ってたのになー。
ほんと、世の中って奥が深いよな。
「霊能者の方もたいへんなんですね」
泰造おじさんが感心したように言ったとき、ぼーさんと綾子が気まずそうにお皿をにらんだのをあたしは見逃さなかった。……はっはっは。
男性陣と女性陣にいろいろと聞きこみをしたけど、何も収穫がないままあたしたちはベースに引き上げた。ベースではあちこちの機材から送られてくるデータが寂《さび》しくモニターに映《うつ》っている。
「異常は」
機材の前に座ったリンさんにナルが聞く。
「現在はありません。これまでの記録をチェックします」
モニターの画面に映っているのは母屋《おもや》の廊下《ろうか》、葉月ちゃんの部屋、店の廊下、入り江側の空《あ》き部屋、海岸側の空き部屋の五箇所。どの映像にも異常はない。
「今夜から動きがあると思う?」
あたしが聞くと、ナルは画面を見たまま、
「さてな。いったい何が起こるのか手がかりがなさすぎる。明日にでも地元の図書館へ行ってみるんだな。――ぼーさん」
「ほいよ」
「夜の間は葉月ちゃんの周囲に結界《けっかい》を――」
言いかけたところに彰文さんがお茶の道具を持ってきた。
「お疲れさまです」
電気ポットだの急須だのを揃《そろ》えておいてくれる。ついでにお茶をいれてくれて、
「谷山さん、残念でしたね」
ほにゃ?
「十三人。少人数でがっかりなさったでしょう?」
あはは、そのことか。
「そうでもないですけど。でも、もっとにぎやかなもんだとは思ってました」
「いつもは兄たちだけでも、もっとにぎやかなんですけど……。どうも最近は暗くて」
「やっぱり、心配ごとがあるとどうしても暗くなりますよね」
あたしが言うと、彰文さんはなんだか複雑な微笑《わら》いをする。
「お婿《むこ》さんでしたっけ、栄次郎さん? なんだか機嫌《きげん》悪そうでしたもんね」
なんだかイライラしてる感じで、ちょっとこわかったんだよなぁ。
「そうですね。どうしたんでしょうか、急に」
「急に?」
彰文さんはうなずいた。
「なんでもないことなのかもしれませんけど。和兄さんも栄次郎|義兄《にい》さんも店を手伝ってるので、もともと人あたりはいいんです。客商売は人あたりが肝心ですから。栄次郎義兄さんのあんな不機嫌な顔、初めて見ました」
ナルが眉《まゆ》をひそめる。
「つまり、栄次郎さんはもともと、人前で不機嫌な顔をするような人ではないわけですね?」
「ええ。今までは怒ってても顔に出なかっただけなのかもしれませんけど、少なくとも栄次郎義兄さんがあんな顔をするのは初めて見ました」
「和泰さんもですか?」
「はい。和兄さんもこの二、三日ピリピリしていて。靖兄さんもそうです。靖兄さんがいちばんひどいかな。人前に出れば少しはひかえますけど、もともとすごく明るい人間なんです。明るすぎて父母からたしなめられるくらいで」
……へぇぇ。
「靖高さんのようすが変わったのは、いつからですか?」
「祖父の葬儀の日からだと思います。理由を聞いても言わないし」
「ほかにようすの変わった人がいますか?」
彰文さんは少し考えこんだ。
「陽子|義姉《ねえ》さんですね」
んーと、どっちの女の人だっけ?
「気の強そうな人?」
「いえ、それは光可《てるか》です。光可姉さんはもともとうちでいちばん気が強くて」
「じゃああの、おっとりした感じの?」
「ええ。いえ、もともとおっとりした人なんですけど……」
「けど?」
ナルに聞かれたけど、彰文さんは、
「うちでいちばんようすが変わったといったら、なんといっても子供たちです。葉月のほかにあとふたりいるんですけど。和兄さんの子供が克己《かつき》と葉月。光可姉さんの子が和歌子《わかこ》。この克己と和歌子が妙なんです。最近ふたりでコソコソしているんですよね」
あたしが首をかしげると、彰文さんは困ったように微笑《わら》う。
「なんと言ったらいいのか……。もともとそうでもなかったのに、最近ベッタリくっついて離れないんです。おまけにふたりで始終コソコソ内緒話して。何を話してるのか聞くとふたりで目配《めくば》せして逃げていくし……」
ふぅん……。
「これも祖父の葬儀の前後からなんです。葬式でバタバタしてて、子供をかまってるヒマがなくって。一段落したら、もうそうなってたんです。それで、陽子義姉さんはすごく心配してたんです。この間まで。それがここ二、三日、急に気にしているようすがなくって」
「なるほど……」
ナルは考えこむ。
変化した家族。……この家で何が起こってるんだろう……。
そのすぐあと、海岸側の部屋においたカメラの角度をなおすように言われて、あたしはベースを出た。廊下《ろうか》に出ると、廊下は真っ暗だった。遠くに非常灯の灯《あか》りが見えるくらいで、全部の電気が消えてしまっている。
「あれ?」
電気代節約のために消されてしまったんだろうか。斜向《はすむ》かいの部屋まで行くだけだし、あたしは深く考えずに歩きだした。とりあえず歩けないほど暗いわけじゃないし。
半分歩いたときだった。暗くて長い廊下のどこかで微《かす》かな声がした。あたしは驚いて足を止める。ごく小さな息づかいほどの声だった気がした。周囲を見渡すけれど、暗くてよくわからない。気のせいかなと思ったところでもう一度、今度はごく小さく囁《ささや》くくらいの声がした。
心臓が鳴った。あたしはもう一度、注意深くあたりを見回す。そうして母屋《おもや》のほうへ少し行ったところの廊下にコブがあるのに気がついた。廊下の壁。あたしの腰くらいの高さにサッカーボールくらいの大きさのコブ。
「……さん」
密《ひそ》かな、密かな声が耳に届いた。
「誰《だれ》かいるの……?」
コブの脇から細いものが伸びて、それがちょいちょいと手招《てまね》きをした。
「……おねえさん」
子供? 子供だろうか? そんな感じの声だった。よく目をこらすとコブは子供の頭のように見える。ちょうど角から顔を出した子供みたいに。でも、この廊下はまっすぐで、あんなところに曲がり角なんてない。
「……おねえさん……」
囁《ささや》く声に怖《お》じ気《け》づいてベースに戻ろうとしたところで、あたしは壁に格子戸《こうしど》が並んでいるのを思い出した。格子戸の中から顔を出しているんだろう。
あたしはホッと息をついた。それからその子のほうへ歩きだした。
「誰?」
その子は手招きをする。すぐに廊下に出てきた。ひとり――ふたり。
近づいてみると、まちがいなく子供だった。夏物のパジャマを着た男の子と女の子。小学校の一年生かそれ以下か。するとこの子たちが克己くんと和歌子ちゃんなんだろう。和歌子ちゃんのほうが少しだけ大きかった。
「どうしたの? 克己くんと和歌子ちゃんでしょ?」
前に立ち止まってあたしが聞くと、ふたりは顔を見合わせた。何かをコソコソと耳打ちしあう。それから和歌子ちゃんが、
「……おねえさんたち、ぜんぶでなんにんいるの」
そう聞いてきた。
「え?」
和歌子ちゃんは噛《か》んでふくめるようにくりかえす。
「なんにん、いるの?」
「五人だよ」
こんな時間に起きてていいの、と聞こうとしたら、ふたりはまた耳打ちをする。
「……ごにん……」
「おおい……」
「……たいへん……」
ごく微《かす》かにそんな単語が聞き取れた。何かをひそひそと話しあう。それから、そろってくるりと背中を向けた。母屋《おもや》のほうに向かって歩きだす。
「ちょっと待って。どうしたの?」
和歌子ちゃんが振り返った。
「ごにん、なんでしょ」
「そうだよ。ねぇ、どうしたの?」
「おねえさんは、きにしなくていいの」
そう密《ひそ》かな声で笑って、ふたりは小走りに走っていく。
あたしは少しの間、ぽかんとしてふたりが消えた方向を見守っていた。
……なんだろう。嫌《いや》な感じ。別にどこがどう変だというわけじゃないんだけど……。あたしは彰文さんが言いにくそうにしていた理由がわかる気がした。この感じを他人に伝えるのはむずかしい。でも、何かがすごく妙で……。
ひとつ息を吐《は》いてカメラの角度を直しに行こうとした時だった。
……背後の廊下から悲鳴が聞こえた。
二章 不測の事態
1
声は母屋《おもや》のほうから聞こえた。ナルたちもベースから飛び出してきて、全員で母屋へ向かって走る間にどんどん騒ぎが大きくなる。何かを怒鳴《どな》る声、激《はげ》しい物音。そして駆《か》けつけたあたしたちが目にしたのは、包丁《ほうちょう》を握って暴《あば》れている栄次郎《えいじろう》さんの姿だった。
茶の間みたいな部屋だった。泰造《たいぞう》おじさんと和泰《かずやす》さんが栄次郎さんを背中から羽交《はが》い絞《じ》めにしている。部屋の隅《すみ》には真っ青な顔をした裕恵《ひろえ》おばさんと光可《てるか》さんが、抱き合うようにしてうずくまっていた。
栄次郎さんの顔は血で真っ赤だった。額《ひたい》に深い傷があってそこから流れ落ちた血が顔の半分を汚していたけれど、栄次郎さんは気にしているようすがない。握った包丁は先が折れていて、折れた先がTVのフレームに刺さっていた。口角に泡《あわ》をためて何かを怒鳴っていたけど、ロレツが回らなくて何を言っているのかは聞き取れない。静止を振り切ろうとして全身でもがく。泰造おじさんも和泰さんも、太った重そうな人なのに、ともすればしがみついているふたりを振り切りそうな勢いだった。
「リン」
ナルが小声で言うと、リンさんが無言で栄次郎さんに歩み寄った。別に気負ったようすも緊張したようすもないごく自然な動き。栄次郎さんがリンさんをにらむ。歯をむきだしにして威嚇《いかく》するような声を上げた。包丁を持った右腕を振り上げる。右肩にしがみついた泰造おじさんが、つんのめって転《ころ》んだ。
「リンさんっ」
思わず声を上げたあたしだったけど、実のところは声を上げた意味なんかぜんぜんなかった。突き出してきた右手をぽんと払って身体を入れ替える。勢いあまって前のめりになった栄次郎さんの首に腕をまきつけてそれでおしまい。気をつけて、と言いたかったのだけど、声にするより先に栄次郎さんは首をリンさんに抱きかかえられた格好でずるずると尻餅《しりもち》をついてしまった。
とっさのことに反応できないあたしたちを、リンさんは無表情に振り返る。
「何かで縛《しば》っておいたほうがいいと思いますが」
彰文《あきふみ》さんが飛び上がるように動いて、駆け出した。
「いったい何があったんですか?」
平然とした声を上げたのはナルだった。ようやく息を吐《は》いて裕恵おばさんと光可《てるか》おばさんが座り直す。光可さんは震える声で、
「何があったのかこっちこそ知りたいわ。いきなりなんですからね」
ナルを責《せ》めるような口調だった。
「いきなり暴れだした?」
「ええ。ここで話をしてたらふいと立ち上がって、……それはちょっとは言い争いをしましたけど」
「内容をお聞きしてもいいですか?」
光可さんは小さな切り傷だらけの腕を上げて髪をかきあげた。
「今日食事のときに不機嫌《ふきげん》だったので、理由を聞いただけです。なんでもないって言い張るんでこっちもカッとなって、なんでもないんだったらあんな顔をしないで、って言ったらいきなり立ち上がって部屋を出ていってしまったんです。すぐに戻ってきたと思ったら包丁を持ってて……。気が変になったとしか思えないわ」
栄次郎さんはのびたままだ。リンさんがネクタイを外《はず》して腕を後ろ手に括《くく》った。
「栄次郎さんが不機嫌だったことの原因に心当たりはありますか」
「わかりません。食事の前までは普通だったんです。板場でも……」
「板場?」
「調理場です。主人は調理人ですから。父とふたりで料理の用意をしているときも普通だったんです。一通り用意を終わって、ちょっと外の空気を吸ってくると言って出ていって、戻ったときにはああだったんです」
彰文さんが救急箱と荷紐《にひも》を持って戻ってきた。手当てをするのを見ながらぼーさんが、
「憑依霊《ひょういれい》かね」
ナルはうなずく。
「だろうな。ジョンを呼んだほうがよさそうだな。それとも――」
言ってナルは綾子《あやこ》を振り返る。
「松崎《まつざき》さん、落とせますか」
「できなくはないけど……あんまり得意じゃないのよね」
ほう。あんたに得意なことなんかあったのか?
「ぼーさんは?」
「やってもいいけどな。人間誰《だれ》しも初体験ということはあるしよ」
ちっ。頼りにならんやつ。
「成功の自信は?」
「失敗があって初めて人は上達するもんだ」
綾子が露骨にあざ笑った。
「ということは、今まで憑依霊を落としたことがないんだ。とんだ霊能者だこと」
「なんだったらお前に向かって九字を切ってやろうか? 何があっても俺《おれ》は責任とらねぇけど」
『九字』というのは退魔法の一種だ。九つの文字を唱《とな》えながら九回空《くう》を切るので『九字』という。あたしはぼーさんの腕をついた。
「どうゆうこと?」
「法力てぇのは、直接人に向けてはならない。危険なんだ」
「どういうふうに?」
「知らん。やった者がいない」
はぁ?
「だから俺も人間に憑依した霊を落としたことはない。壷《つぼ》に憑依した霊を落としたことはあるが」
言ってぼーさんは頭をかく。
「霊も落ちたが壷も粉々になったからな。やっぱ人間を粉々にしちゃ、寝覚めが悪いだろーが」
寝覚め以前の問題だってば。
「あ、でもあたしタカに向けて九字を切ったことがあるよ。やってみせてくれって言うんで」
ぼーさんが軽くあたしを小突《こづ》いた。
「二度とするな。麻衣《まい》程度だから何も起こらずにすんだんだぞ」
「あい」
うーん、いったいどうゆうメカニズムになってるんだろうなー?
ナルは綾子に視線を向ける。
「一応、やってみますか?」
「いいけど。とりあえず落とすだけならできると思うから。でも、また憑《つ》いたって知らないからね」
「このまま栄次郎さんに憑いてるよりましでしょう。ずいぶんと凶暴な霊のようだから」
……確かに、下手《へた》したら裕恵おばさんも光可《てるか》おばさんも殺されてたわけで。
内心うなずいて、それからあたしはふと考えた。過去に事故で死んだという人たち。その全員が本当に単なる事故で死んだのだろうか?
2
また暴《あば》れてもだいじょうぶなように、気を失った栄次郎さんを茶の間のすぐ近くにある納戸《なんど》に運《はこ》んだ。ナルがジョンに連絡を取っている間に綾子《あやこ》がお祓《はら》いの準備をする。実際に祈祷《きとう》が始まったのは十一時過ぎだった。
「ジョン、来れるって?」
ナルに聞くと、
「ああ。原《はら》さんと明日一番の飛行機で向こうを発《た》つと言ってた」
ほお。真砂子《まさこ》とねぇ。
ジョン(ジョン・ブラウン、エクソシスト)はともかくとして、真砂子(原真砂子、霊媒《れいばい》)まで呼び出すとは。
「真砂子も呼んだんだー」
「後手にまわりたくない。やっかいなことにならないように」
……ふうん。どうだか。
「つつしんでかんじょうたてまつる……」
綾子の祝詞《のりと》が始まった。
「みやしろなきこのところにこうりんちんざしたまいてしんぐのはらいかずかずかずかずたいらけくやすらけくきこしめしてねがうところをかんのうのじゅなさしめたまえ」
もっともらしい声を出しているが、本当に効果があるのかははなはだ疑問。何しろ今日まで誰《だれ》も綾子が役に立ったところを見た者がいない。
あたしたちは無言で綾子と栄次郎さんを見守っていた。部屋の隅には機材が置いてあって、ビデオ・カメラの無表情な目がじっと栄次郎さんを見つめている。
やがて綾子が指を弾《はじ》いたところで、それまでぐったりと横になっていた栄次郎さんが眼を開けた。弾かれたように起き上がろうとしたけど、残念ながら彼の身体《からだ》は荷紐《にひも》でぐるぐる巻きにされている。栄次郎さんは歯ぎしりし、芋虫《いもむし》みたいに転《ころ》がったままうなり声を上げ始めた。犬が敵を威嚇《いかく》するときに出す、喉《のど》の奥でゴロゴロいうような声。
「……だいじょうぶなの」
小声でナルに聞くと、無表情にさあな、と答える。
「やっぱ綾子じゃムリなんじゃないの」
「かもしれない。どうせ明日になればジョンが着く」
「リンさんはダメなわけ?」
リンさんは中国呪術《じゅじゅつ》の導士らしい。いろんなことがいっぱいできるのに。
「相手の正体がわからないからな」
……ふうん。
そう思ったとき、ナルが眼を見開いた。
「……麻衣《まい》。下がってろ」
あわてて栄次郎さんのほうを見ると、彼の姿にダブって何かの影が薄く見えた。何か――獣《けもの》のようなものの姿。
「なに、あれ」
ナルの返答はない。ふいに天井《てんじょう》を見上げた。あたしもつられて天井を見る。綾子の祝詞《のりと》に重なるようにしてキシキシ家鳴りがするのが聞こえた。
ナルは納戸の入り口から中をのぞいている彰文《あきふみ》さんたちのほうへ眼をやる。
「リン、麻衣を連れていけ。ギャラリーを頼む」
「はい」
うなずいてリンさんはあたしを促《うなが》す。彰文さんたちが驚いたように立ちすくんでいるところに、そろそろと歩いていった。栄次郎さんが突然笑い出した。あたしは驚いて振り返る。栄次郎さんは身もだえするようにして大笑いしていた。品性も何も感じられない嫌《いや》な声音の哄笑《こうしょう》。
そうしている間にもきしみは続いている。栄次郎さんの身体《からだ》にダブって見える獣の姿はじょじょに濃《こ》くなっていった。それは尾の長い獣に見えた。狐《きつね》に似ているけれど、人の背丈ほどもあるからすごく大きい。身を屈《かが》めてこちらをじっと見ている一対《いっつい》の眼――。
綾子は音をたてて手を合わせる。
「なむほんぞんかいまりしてん、らいりんえこうきこうしゅごしたまえ」
強く言って指を組む。それと同時に獣が跳《は》ねた。背後で声にならない悲鳴があがった。
そこからはスローモーションみたいだった。獣は高く跳躍して綾子の頭上を越える。綾子が驚いたようにそれを眼で追う。それはまっすぐこちらへ向かっていた。思わず眼を閉じようとしたときにリンさんとぼーさんが前へ出る。ふたりが何をするよりも早く獣は到着して方向を変えた。変えたその延長線上にはナルがいる。すっとナルが身構えるように見を低くした。その時だった。
「ナル! 止《や》めなさい」
ほっとナルが一瞬だけリンさんを見た。上げようとした両手が、ふと止まった。ナルが視線を戻すのと獣がナルに衝突するのがほとんど同時だった。
「ナルっ!」
誰《だれ》の声かはわからない。少なくともあたしは声なんか出なかった。ナルの身体《からだ》が吹き飛ぶ。すぐ背後の壁にたたきつけられ、そうして獣の姿は消えていった。まるでナルの身体ごと壁を通りぬけてしまったように。獣の頭がナルの胸にもぐりこみ、すり抜けるように尾の先までが消えていくのがコマ落としのように見えた。
「だいじょうぶか?」
ぼーさんたちが駆《か》け寄る。ナルは壁にもたれたまま膝《ひざ》をついた。咳《せ》きこむようにして手をつく。
「ケガは」
「……だいじょうぶだ」
あたしはなんだか金縛《かなしば》りにあったみたいに動けずにいた。背後から誰かが肩に手をおく。
「谷山《たにやま》さん?」
彰文さんが顔をのぞきこんできた。
「だいじょうぶですか?」
「あ……ええ……ちょっとびっくりして……」
ナルは軽くホコリを払って立ち上がる。
「栄次郎さんは」
言われて綾子があわてたように駆け寄った。いつの間にか栄次郎さんは首だけを上げてキョトンとしている。
「だいじょうぶですか」
綾子に聞かれて栄次郎さんはきょときょととあたりを見回して、
「いったいこれは、どうしたことです?」
3
栄次郎《えいじろう》さんは夕方に外へ出てからそれ以後のことを、まったく覚えていなかった。祈祷《きとう》中のビデオを再生してみても、問題の狐《きつね》らしき動物の姿が見えたあたりから、映像が途切れてしまっている。
「映ってないよ」
リンさんはうなずく。
「霊障でしょうね。テープは動いているようですから。ほかの計器類は全部針が振り切れています」
いつもはよくわかんない数字がいっぱい並んでいる画面は、「|ERROR《エラー》」という文字で埋《う》まっている。サーモグラフィーも映像がとんでしまっているし。これはどう考えてもただごとじゃない。
ぼーさんが低い声で、
「単なる狐に見えたが、そんな生やさしい相手じゃないかもしれんな……」
うん。あたしがうなずいたとき、リンさんが怪訝《けげん》そうに振り返った。
「ナル?」
ナルはテーブルの上に肘《ひじ》をついて、顔を伏せている。
「どうしたの!?」
「……いや、少し背中が痛むだけだ」
ああ、とんでもないぶつけ方をしたから。
「だいじょうぶ?」
「たいしたことはない。――リン、悪いが少し寝てくる」
リンさんはちょっとだけ眉《まゆ》をひそめてうなずいた。とくに顔色は悪いように見えない。ナルが立ち上がると綾子《あやこ》も立ち上がった。
「本当にだいじょうぶなの? 背中以外に痛いところは?」
なんて聞きながらナルのあとを追いかけていく。しょせん綾子って世話好きだからなぁ。ここは邪魔しないのが綾子に対する正しい対処法だろう。
「どうなのかねぇ……」
ぼーさんが呟《つぶや》く。
「何が」
「綾子さ。あいつは何者なんだろうと思ってさ」
ふにゃ?
「さっきの除霊も完全に失敗だろう。綾子が役にたったのを見たことがあるか?」
それはそーだけども。
「だいたい、『巫女《みこ》』ってことじたいがうさんくさい。ちゃんとした神社に所属する巫女さんが、ふらふら勝手に除霊をしてまわったりするもんか」
「え、そうなの?」
「そう。綾子の『巫女』ってぇ肩書きはあくまでも自称、ってことだろう。巫女のナリした霊能者はたしかに多いが、それかってぇとそれとも違う。そういう連中は宗教活動の一環として除霊をやってるもんだからさ。綾子にゃまったく宗教色がねぇし、だからといって神道についてシロウトってわけでもねぇようだ。一応両部神道にのっとってやってるからな。どっかでちゃんと修行《しゅぎょう》をしたのはまちがいねぇんだろうが……」
「ふうん」
「それに第一、本当に無能ならナル坊が連れてくるかよ」
「それは、言える」
こう考えるとけっこう綾子もナゾの女だなぁ。
てなことを考えながらモニターを見るともなく眺《なが》めていて、あたしは一瞬のうちに硬直した。
げっ、なんだありゃあ。
店の廊下《ろうか》の映像だった。画面の中央に遠く人影が見える。もちろんあれはナルと綾子だ。それはべつに不思議《ふしぎ》でもなんでもないんだけどさ、そのナルの両手が綾子の肩に置かれているように見えるのはどういうわけだぁ!?
「どうした?」
ぼーさんに声をかけられたけど、返事なんてできるかい。ナルが綾子を引き寄せる。あ、綾子の手がナルの身体《からだ》にまわった。こーれはどう見てもラブ・シーンでないの!?
ぼーさんもその映像を見つけたのか、
「げ」
と、短く一言。それから感心した(呆《あき》れた?)ように何やら言って、そうして突然立ち上がった。
邪魔すっと恨《にく》まれるぞ。……ええい、こんな伏兵がいたとは。真砂子《まさこ》だけを警戒していたというのにぃっ!
「リン! 来い!」
ぼーさんのせっぱつまった声。振り返ると血相《けっそう》を変えてベースを駆け出していく。リンさんまでが弾《はじ》かれたように立ち上がった。あたしは唖然《あぜん》とし――そうして画面に視線をもどして、血の気が引いた。
――ラブ・シーン? ……とんでもないっ!
あれは、ナルが綾子の首を絞《し》めているんだ。
あたしがあわてふためいて廊下《ろうか》に飛び出した時には、ナルは廊下に倒《たお》れていた。そのわきでは綾子が座りこんで激しく咳《せ》きこんでいる。綾子が無事でよかった。綾子のためにもナルのためにも。
「ぼーさん、ナルは」
「リンが手刀で一発」
そう言って掌《てのひら》の横で自分の首筋を叩《たた》くまねをする。
「いったい、どうしたの……!?」
ぜいぜいいっている綾子の背中をさする。綾子は何か言おうとして盛大に咳こんでしまった。
「どーしたもこーしたもねぇだろ。いくらナルの性格が悪くても他人の首を絞めるもんか」
……それはそうだけど。
「さっきの奴《やつ》だ。奴は壁を抜けたんじゃない。ナルの中に入りこんだんだ」
……あ。
「憑依《ひょうい》されてる。ナルに憑依するような根性のある霊がいたとはな」
言ってぼーさんは苦々《にがにが》しげな顔をする。
「こいつはやっかいなことになりやがった」
4
なんてこったい。こんなことが起こりうるとは。
とりあえずナルをベースの隣《となり》にある部屋に運《はこ》んで寝せて。あたしたちは呆然《ぼうぜん》と意識のないナルを見てたりする。
「なんなのよ、あれは」
綾子《あやこ》の声はかすれてしまっている。
「うるさい、って。いきなりアレよぉひどいんだからっ!」
「まぁまぁ。ナルが自分の意志でやったことじゃないんだし」
「それ、自分が襲われても言える? ナルの眼が据《す》わったらどんだけ怖《こわ》いと思うのよっ!」
……それはたしかに、怖かったろーな。
「ぜったい許さないからっ!」
はいはい。おざなりに綾子の背中をたたいて、あたしはぼーさんにこわごわと進言してみる。
「やっぱ栄次郎《えいじろう》さんみたいに縛《しば》っといたほうがいいんじゃないの?」
ぼーさんは顔をしかめた。
「ナル坊をか?」
いや、その気持ちはわかりますが。正気に戻ったとき何を言われるかわかったもんじゃねぇからな。んでもやはりこのまま寝かせとくのは危険では。
「無駄《むだ》だと思いますが」
冷静な声で言ったのはリンさんだった。
「なんで」
ぼーさんの問いに、リンさんはあくまでも無表情のまま。
「縛ったくらいでナルを止めることはできないということです」
ぼーさんは首をかしげる。
「……どういうことだ?」
「言葉どおりの意味です。松崎《まつざき》さんは運がよかったのだと思いますね」
言ってリンさんは綾子を見る。
「おそらくはナルに憑依《ひょうい》した者も、まだナルの使い方がよくわかっていないのだと思います。そうでなければ松崎さんはとっくに死んでいますよ」
「そりゃ、どういう意味だ?」
「ですから、言葉どおりの意味です。奴《やつ》が本格的にナルを使うことを覚えたら、我々に対抗手段はありません。縛り上げようと監禁しようと無駄です。我々も――ナル自身も生き残ることはできないでしょう」
あたしたちは思わず眠っているナルに視線を向ける。
?? どういう意味?
「どういうことなのか、聞いたら教えてもらえるかね」
「もうしわけありませんが、私の一存では」
ぼーさんはがっくり肩を落として溜《た》め息《いき》をひとつ。
「あのなぁ」
「ご不満はわかりますが、私にはもうしあげられません。ここは信じていただくしかないんです。ナルはあなた方が想像している以上に危険な人間だということを」
あたしと綾子は顔を見合わせる。さっぱり意味がわからん。
「ひとつ聞く。お前さん、喧嘩《けんか》は強いか?」
ぼーさんが聞くとリンさんはあっさり答える。
「おそらく」
「ナルとどっちが?」
リンさんは無表情に言ってのけた。
「殺し合いなら、ナルの圧勝でしょうね」
――なんだって?
ぼーさんはリンさんをまじまじと見て、それから深い深い溜め息をついた。
「……了解。つまり、すまきにして物置に放りこんでも無駄《むだ》なんだな? ナルは危険人物だ、と。となりゃあ、ジョンを待ってる余裕はない。今のうちに除霊してみるしかねぇわけだ」
リンさんはぼーさんを見る。
「たとえブラウンさんでも無理だと思いますが」
「どうして」
「ナルのようなタイプの人間は憑依《ひょうい》されにくいかわりに、いったん憑依されると手がつけられないものです」
「ナルのようなタイプ……」
「極めて意志が強く、自制心に優《すぐ》れているタイプ。言葉を返せば我が強い。そういうタイプの人間に憑依した霊を落とすのは容易ではないし、下手《へた》に手出しをして暴走させるとたいへんに危険です。――特にナルは」
「――じゃ、どうすりゃいいんだ?」
「わかりません」
……わかりません、って、そんな!
「憑依した霊の正体がつかめれば、有効な除霊方法が見つかるかもしれません。あるいは私にも落とせるかも」
ぼーさんは髪をかきあげる。
「やれやれ……」
「ねぇ、ぼーさん」
あたしはコワゴワ聞いてみた。
「憑依霊《ひょういれい》を落とすのってそんなにたいへんなものなの?」
TVとか見るかぎりじゃ霊能者の代表的なお仕事じゃん。なのに、リンさんと綾子とぼーさんと、三人も霊能者がいて誰《だれ》も除霊できないとは。
「ひとくちに憑依霊つってもいろいろあるからなー。――よく言うだろ。悪い霊でも憑《つ》いてるんじゃないか、って。どうもこのところ体調が優《すぐ》れない、不運続きで何をやってもうまくいかない」
「うん」
「そういうのは憑くと言っても横にくっついてるだけだ。霊は人の気力を喰《く》うから、体調も悪くなるし何をやってもうまくいかない」
「そーなの?」
「まぁな。そういうのはたいして落とすのに苦労がない。チンケな奴《やつ》になると霊能者が近づいただけで逃げたりもする」
「へぇぇ」
「もうちょっと手ごたえのある奴になると、がっちりしがみついてる状態になるな。よからぬことを囁《ささや》いたり、とんでもない欲望を吹きこんだりする。こういうのに憑かれると人は『魔がさした』状態になるわけさ。……だがこれもあまり苦労じゃねぇな。憑かれた人間のほうで意志を強くもってりゃ、霊能者なんて呼ばなくても落ちるからよ」
ふむふむ。
「いちばんおおごとなのは、ナル坊のようなやつさ。普通人間は自分のやりたくないことはしない生き物だ。たとえば強烈な催眠術《さいみんじゅつ》をかけたところで、望んでもいない人間に自殺や殺人をやらせることはできねぇ。心理的な抵抗が強すぎて覚醒《かくせい》しちまう」
「でも、ナルは」
「おおさ。だからたいへんなんだよ。本人の意志に反することをやらせるってことは、本人の意志なんかじゃ対抗できない状態になってるってことだ。いわば頭の奥に寄生しちまってる状態。こういうのを落とすのは並大抵《なみたいてい》のことじゃねーんだ」
「ふうん……」
「だいたい、憑依霊というやつは本人の意志の力……気力が弱まっていると憑いてくる。心配ごとがある、気分が滅入《めい》っている、体力が落ちてる、そういう状態の時だな。精神状態が前向きで気力が充実してるときには、そもそも霊が寄ってはこないもんさ。ナル坊なんてのはいちばん霊が嫌《きら》う相手だろう」
「我《が》は強いし、頑固《がんこ》だし、自分に絶対の自信があっておよそ落ちこむということを知らないタイプだもんね」
「そういうことだ。たぶん一種の虚《きょ》をついて力ずくで寄生したんだろうが、相手が相手だから生半可《なまはんか》な霊にできることじゃねぇ。……確かにジョンでも厳《きび》しいだろうな」
「でもナルはいわば人並みはずれて気力が充実しているわけで……」
「だからいっそうやっかいなんだ。憑依《ひょうい》した奴《やつ》はうまくナルの意識に食いこんで支配している。こうなると本当なら霊を退けるはずの気力が、悪用されて霊を守るために使われたりする。除霊だのなんだのってのはしょせんは気力のぶつけ合いだからよ、当然のことながら気力のあるほうが勝つ。ナルとジョンとどっちが強いと思う」
「……ナル」
「だろ? つまり除霊は難しい、と。調査を続行するしかねぇわけだ。しかし、その間ナル坊やをどうする」
縛っても監禁しても無駄《むだ》な相手を?
「私が禁じておきます。金縛《かなしば》りをかけて、このまま眠らせておくのが最善でしょう。意識があると危険ですので」
「ナル坊に危険はないのか」
ぼーさんは渋《しぶ》い顔だった。
「いわば、まったく無防備になるということじゃねぇのか」
「式を残しておきます」
式というのはリンさんの命令に従う使役霊《しえきれい》のことだ。
「アテになるのか?」
「全部を残せば」
「全部?」
ぼーさんが聞くと、
「私の持つ式は五つ。それぞれに得手《えて》があります。五つで互いに補い合うようになっているのです。全部を残せば完全に安全ですが、その代わり私にできることはいくらも残りません」
「つまり、お前さんがパワー・ダウンしちまうわけだ」
「そういうことになります」
ぼーさんは指を弾《はじ》いた。
「ナル坊にうろつかれちゃ、身動きがとれん。お前さんの言うとおりにナルが危険人物だというならなおさらだ。それでいこう」
「さて、どーする。綾子、麻衣《まい》」
意味がわからずに顔を見合わせるあたしと綾子に、ぼーさんは笑ってみせる。
「つまり俺《おれ》たちはナル抜きでやらなきゃならねぇ、ってことさ」
一瞬だけ間《ま》が空《あ》いた。
「あいつはまったく役にたたん。この状態では連れて逃げ出すわけにもいかんだろう。つまり俺《おれ》たちに選択の余地はあまりない。ナルを見捨てて逃げるか、それともやれるかぎりのことをやってみるか」
あたしは思わず叫んでいた。
「見捨てるなんて、できるわけないじゃない!」
ぼーさんがニンマリする。
「じゃ、麻衣は残るんだな。綾子は?」
あたしは背後を振り返る。短い沈黙が降りた綾子を見つめた。
「自信がなけりゃ引っこんでろ」
綾子が髪をかきあげる。
「あんたは自信があるようねぇ?」
「まぁ、なんとかなるんじゃねぇの」
「あんまりアテになりそうにないわね」
ぼーさんは頭をかく。
「ナル坊が使えんのは痛いわな。でも俺たちにはナルにねぇもんがあるからな」
「あぁら、それは初耳ね。なんなのか聞かせてもらってもいいかしら?」
ぼーさんは軽く片目をつぶった。
「謙虚《けんきょ》な姿勢と親切な性格」
……ぶ。
一拍おいて、綾子がふきだした。
「言えてるぅ」
まぁ、ナルに比《くら》べるとねぇ……。
綾子は大げさな溜《た》め息《いき》をつく。
「助けてやるか。ナルを見捨てるようじゃ人間おしまいだもんね」
「あたしらってば親切な人間だからー」
「そういうことだ」
よぉし、ここはあたしらがふんばって、ナルに貸しを作ってやろうじゃない。
5
――あたしは夜の道を走っていた。
結構切羽《せっぱ》つまって、必死で走っていたりする。心の中で、なんてことだ、と呟《つぶや》いている。(なんてことだ?)走っていくうちにどんどんせつない気分になってくる。こんなことになってしまって、と思う。(こんなこと?)いったいこれからどうすればいいんだろう。
林の中の道だった。走って走って林を抜けると、ぽんと小さな広場に出た。ごくわずか、木立の切れたそこは一面に夏草が生《お》い茂っている。そこには人影が見える。立っている誰《だれ》かと、横たわった誰か、あたしは縫《ぬ》い留められたように立ち止まり、なんてことだ、ともう一度思った。
立っているのはナル。月光をあびて顔色がこの世のものでないように白い。手には包丁《ほうちょう》を握っている。その刃物は真っ赤に濡《ぬ》れて、刃先から今もしずくを滴《したた》らせていた。
「殺してしまった」
ナルは言う。横たわっているのは彰文《あきふみ》さんだ。堅《かた》く眼を閉じて(なんてこったい)もう息をしているようすがない。あたしは顔をおおった。これでもう、おしまいだ(おしまい?)
「しかたなかったんだ」
言ってナルは包丁を捨てる。白いままの左手をさしだした。
「……どうして」
あたしはその手を取れないでいる。
「ここへ来たら、こいつがいて。麻衣《まい》が裏切ったんだと思った」
「あたしがそんなこと、するわけないでしょ」
「だけどこいつのほうが金持ちだし、地位もあるし」(はぁ?)
「そんなの、ぜんぜん関係なかったのに」
あたしはもう一度顔をおおう。
「麻衣が裏切ったんだと思った。やっぱりこいつのほうを選んだんだと」
「そんなはずないのに」(こ、これはいわゆる『三角関係の清算』では)
「……こんなことして、一緒に逃げよ、って言ったのに。どうして信じてくれなかったの」
「ここを知ってるのはお前だけのはずなのに」
「手紙をすり替えられたの。あたし、ぜんぜん別のところで待ってて……」
あたしはナルの手をとる。ナルがあたしを引き寄せた。(きゃーっきゃーっ)。
「……どうするの、これから」
「人を殺して逃げるわけにいかない」(そら、そーだ)
「……死ぬの」(へ?)
「うん。自首してもどうせ殺される」
「……一緒に、行く」
あたしが言うと、ナルは微笑《わら》った。黙《だま》ってあたしの手を引く。手を引かれるままあたしは走りだした。
――ちょっと、待て。
こりゃ、当然夢でないかい? あたし、なんつーあつかましい夢を見てるんだ。ナルと逃げようつって、それを誰《だれ》かが邪魔《じゃま》して彰文《あきふみ》さんと三角関係ってか? ……お、おいしいかも。いや、そうではなくて。でもってこれからナルと心中ってかぁ? 東京に戻ったらタカとセンパイに話して笑いをとってやろうっと。――ではなくて!(どうしてこの状況でギャグってしまうの、あたしってば)
あたしはナルと走る。振り返ると追っ手が見える。走って、走って、あたしたちは神社までたどりついた。
唐突《とうとつ》に思ったのは、どうして海じゃないの、ってこと。どうしてだかわからないけどあたしは海へ行くつもりだったのに。
神社までたどりついて、足がなえた。ナルは引っ張るけどもう走れない。どこから現れたのか、横にぼーさんが立ってた。
「これ以上は無理だ。包囲されてる」(包囲?)
ナルは周囲を見渡した。
「ここまでか」
「アタシたち、どうなるわけ?」
そう言ったのは綾子《あやこ》。横にはリンさんがいる。
「覚悟《かくご》をすることですね」(覚悟?)
どういう意味、と聞こうとしたときに周囲の林からどっと人が出てきた。数はわからない。全員が刀を持ってるのに、あたしたちに逃げ道はない。あたしはそいつらが駆け寄ってくるのを絶望的な気分で見ていた。
――この……裏切り。(裏切り?)
「必ず」
と、誰かが言った。あたしはうなずく。拳《こぶし》を握りしめる。
「必ず末世《まつせ》まで呪《のろ》ってやる……!」(末世? 呪う? それ、どういう意味!?)
刀を振り上げた栄次郎《えいじろう》さんが近づいてきた。その自刃がきらめいて降り降ろされるのをあたしはただにらみつけていた。
――あたしは突然、目を覚ました。
暗い部屋の中だった。広い八畳に布団がふたつ。眠っている綾子が見える。どういうわけか閉めておいたはずの障子《しょうじ》が開いてて、縁側の窓越しに冴《さ》えざえとした月光が入りこんでいた。
……なんちゅー夢だ。
考えこんだとき、コンと高い音が窓のほうからした。あたしは顔を上げる。窓ガラスがもう一度鳴る。誰かが小石を投げている。
あたしは立ち上がって窓を開けにいった。窓の下ははるか下に入り江の水面。真っ黒な水が鏡のように広がっている。その水面から雪の降る速度で舞い上がってくる無数の白い光。人魂《ひとだま》のようなそれは頼りない光を灯して、すうっと空へ消えていく。
……ああ、あたし目を覚ましてなかったのか。
水面に人の姿が見えた。……ナルだ。彼は顔を上げてあたしを振り仰《あお》ぎ、そして「おいで」と呼んだ。あたしは引かれたように窓枠《まどわく》を乗り越えて飛び下りる。どうということもない。これは夢なんだから。
ふんわりと下降してあたしは水面に降り立った。素足にガラスを踏んだような感触がした。いくつもの光が空へ舞い上がっていく。ナルが微笑《わら》った。暖かい、少しだけ困ったような笑顔だ。
「たいへんなことになっちゃったね」
あたしがいうとナルはうなずく。それから、
「……夢、見れた?」
そう聞いてきた。
「夢? ひょっとしてナルとあたしが心中するやつ?」
ナルは安心したように微笑《わら》ってうなずいた。それからちょっと首を傾ける。
「……怖《こわ》かった?」
「ううん。そうでもない」
「だったら、よかった」
ナルは微笑《わら》う。眼が和《なご》んでとびきりステキな表情になる。
「ひょっとしてあの夢、ナルが見せたの?」
「少し違《ちが》う。僕は夢に入る方向を示しただけ」
「方向を示す?」
聞き返したけど、ナルはうなずいただけだった。
入り江は完全に断崖《だんがい》に囲まれていた。細いV字形の亀裂《きれつ》のように、一方の断崖が切れていてそこから海へつながっている。その細い小路にはせめぎあうように岩が突き出ていて、水面を動かす波はほとんどない。背後を見上げると、清水寺《きよみずでら》の舞台みたいに木材を組み上げた上に張りだした建物が見えた。ちょっと圧巻な眺《なが》めだ。そこを横切ってふわふわと白い光が無数に昇っていく。亀裂の右に大きな黒い穴が見えた。あれが彰文さんが言っていた洞窟《どうくつ》なんだな。切り立った断崖《だんがい》はいかにも硬そうな岩でできている。その岩肌に洞窟の入り口からえぐったような窪《くほ》みが続いていた。自然にできたものじゃない。誰《だれ》かが通路としてけずったものだろう。人がかろうじて歩けるほどの幅があって、目線でたどっていくとやがて石段になってそれが断崖の上まで続いている。
周囲を眺《なが》めているあたしの目の前を小さな光が横切っていく。
本当に雪のようだ。
「これみんな、霊?」
「そう。吹きよせられた霊のようだね」
ナルはそう言って洞窟のほうへ歩き出す。入り口まで行ってあたしを呼んだ。
洞窟はそんなに大きくなかった。体育館の半分以下の大きさ。海から入り江までつながっていると聞いたのできっと水が通ってるんだろうと思っていたのに、そうではなかった。洞窟の地面は水面よりも一メートル以上高い。ゴロゴロとした石が一面に転《ころ》がっていた。洞窟は「く」の字形にカーブしていて、反対側に海が見える。大小の岩が突き出した海面に穏《おだ》やかな波が打ち寄せている。海側の地面のほうが少し低い。波は洞窟の入り口まで達していた。曲がった洞窟のいちばん奥には小さな祠《ほこら》が建っている。そうして白い小さな光は海側の入り口から波に乗ったようにして吹きこんでくる。洞窟の中を通りぬけて入り江に出ると、上に向かってふきあげていく。
「これ、どういう霊なの?」
「たぶんこのあたりの海で死んだ命。ここは魂《たましい》が吹き寄せてくる場所らしいから」
あたしは手を伸ばしてみる。小さな光が指先に触《ふ》れた。指の先に何かが跳《は》ねる感触がして、それは魚だとなんとなくわかった。
「それで祠があるんだね」
あたしは言って、祠を振り返る。古い小さな祠だった。なんだか少しだけ歪《ゆが》んで見える。
「なんか……変」
ナルはうなずいた。
「僕《ぼく》にもわからない。悪い場所ではないけど、よい場所でもないみたい。……そうだな、霊場の気配がする」
「ふうん……」
うなずいて、あたしはナルに聞いてみる。
「ナル、だいじょうぶ?」
「うん。ごめん、心配をかけて」
「ん。……だいじょうぶだったらいいの」
そう言うと、ナルは微笑《わら》った。とてもきれいな笑顔だった。その笑顔を見ながら、やっぱりあたしはナルが好きなんだな、とそう思った。
――そうしてあたしは本当に目が覚めた。
覚めた? ……うん、覚めた。
目を開けた瞬間、とっても惜しい気がした。もっと話していたかったのにな。そう思って寝ころんだまま首を動かす。障子《しょうじ》はきちんと閉めてある。白い紙越しに夜明け前の蒼《あお》い光が差し込んでいた。
三章 海から来るもの
1
翌日は昼過ぎに到着したジョンと真砂子《まさこ》の反応たるや見物《みもの》だった。
「ナルは尋常《じんじょう》でない根性の霊に憑依《ひょうい》されて身動きがとれないの」
あたしがそう言ったときのふたりのあの顔。真砂子は泣きそうな顔をした。
「……いまどうしてるんですの?」
「寝てるよ。リンさんが禁呪《きんじゅ》とかいうのをかけて、目が覚めないようにしてあるの」
「会えます?」
真砂子はリンさんを見る。リンさんはうなずいた。
「顔を見るだけでしたら。決して部屋には入らないでください」
真砂子は大真面目《おおまじめ》な顔でうなずく。本当に泣きそうな顔だった。やっぱりこいつもナルが本当に好きなんだなぁ、とあたしは思った。
「こっち」
あたしは襖《ふすま》を開ける。ベースとして使っている部屋の、奥のほうの八畳にゆうべナルを移した。隣《となり》の部屋にひとりでおいておくのはなんとなく不安だということで意見が一致したからだ。
真砂子は中をのぞきこんで息を吐《は》いた。辛《つら》そうな声に聞こえた。
部屋には布団《ふとん》がひとつだけ。その四方には呪符《じゅふ》が木の枝で畳に射してある。ナルは身動きひとつしない。よほど気をつけて見なければ、息をしてないのかと思うほど。白い額《ひたい》に小さく文字が描かれている。あれもリンさんが書いたのだけど、インドの女の人がしてる赤いのみたいでなんだかよく似合っている。
「どういう霊が憑《つ》いているのか、わかる?」
あたしが聞くと、真砂子は力なく首を振った。
「よく――見えません。霊が憑いているのは感じるのですけど……。空虚《くうきょ》な霊と呼ぶべきですかしら」
リンさんが聞きとがめたように振り返った。
「どういうことですか?」
「無色透明で、なんの感情も放射していないんですの。なのにとても存在感が強い……。ひょっとしたら、霊の正体をつかめないように、何かが邪魔《じゃま》しているのかもしれませんわ」
リンさんは考えこむように、うつむく。
「閉めていい?」
あたしが聞くと真砂子はこっくりうなずく。あんまりそのようすが殊勝《しゅしょう》なんで、あたしはちょっとかわいそうになってしまった。
「さてと」
ぼーさんは真砂子とジョンにひととおりの事情の説明をする。話の途中で彰文《あきふみ》さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「そ、それは松崎《まつざき》さん、タイヘンでしたですね」
ジョンに言われて綾子《あやこ》は高笑いする。
「いーの。これをネタに思いっきりゆすってやるわ。ほーほほ」
……まーたこいつはそんなことを。
ぼーさんはリンさんに視線を向けて、
「ゆうべなんか動きはあったのか?」
「母屋《おもや》と、入り江側の部屋に。ご覧になりますか?」
「なるともー」
……がっくり。どーも調子《ちょうし》が狂うんだよねぇ。やっぱリンさんが「ご覧になりますか?」と聞いたら、渋《しぶ》ーく「再生してくれ」とかなんとか言ってくんないと。ぶつぶつ。
モニターに映像が出る。奇妙な映像が撮影されていたのは葉月《はづき》ちゃんの部屋と母屋の廊下《ろうか》、それから入り江側の部屋だった。母屋の画面には両方とも妙な光が映りこんでいる。薄暗いぼんやりした光のようなもの。葉月ちゃんの部屋に現れた光は布団の周《まわ》りをゆらゆらと動いて消えてしまった。廊下に現れたほうはすっと画面を横切るだけ。
「音は」
「無音です。振動はありません。ほかの計器類も正常値の範囲内。ただし気温が五度ほど下がっています」
「入り江側の部屋は」
「モニターに出します」
入り江側の部屋においたカメラはまっすぐ窓のほうを向いている。その窓の向こうにときどき白い微《かす》かな光が見える。それは下から上へ動いていく。
……下から上。
「霊姿なのか、あれは?」
「わかりません。ここも温度以外には変化は見られません」
「温度差は」
「やはり五度ていどですね」
あたしはこそこそと彰文さんに声をかける。
「……下の洞窟《どうくつ》なんですけど……」
「どうかしましたか?」
「ひょっとして洞窟の脇に道があったりします? 崖《がけ》をえぐった道みたいな……でもって、石段があってお店の脇に昇ってるんですけど……」
彰文さんはきょとんとした。
「……行ってご覧になったんですか?」
やっぱりあるのか。
「でもって洞窟は『く』の字形に曲《ま》がってて、奥に祠《ほこら》があったりします?」
「下へ降りたんですか? だめですよ、あの石段は危ないんです」
ぼーさんがあたしを見た。
「どうした、嬢ちゃん」
「あたし……また抜け出しちゃったみたい」
「抜け出した、って……また幽体離脱か?」
「……らしいんだけど……」
もごもご。あたしはナルぬきで夢の後半部の話をする。前半はとうてい人に話せる内容じゃないしなー。彰文さんがぽかんとあたしを見ていた。
「でね、洞窟に海から人魂《ひとだま》が吹き寄せてくるの。魚とか、そういうのの霊まで」
「魚の霊だぁ?」
……いや、自分でも変だとは思うんですけど。でも、お魚だって生きてるんだし、化《ば》け猫がいるなら化け魚もいていいじゃない。
「あの洞窟はそうなんです」
真面目《まじめ》な口調で言ったのは彰文さんだった。
「潮《しお》の関係で死体が流れてくるんです」
――え?
「この近辺の海で死ぬと、あの洞窟に流れつきます。特に人やなんかの大きいものは。それで祠《ほこら》があるんです。うちの犬が流れ着いたのもあそこでした」
ぼーさんは眉《まゆ》をひそめる。
「見てみたい。案内してもらえますか」
彰文さんはうなずいて時計を見る。
「干潮《かんちょう》までは少し時間があるな……。あそこは石段を使わないかぎり、潮が引くまでは行けないので」
「ついでにその石段も見てみたいところだな」
「だったら、少しこのあたりをご案内します。そのうちに潮が引くでしょう」
2
リンさんだけを機材とナルの見張りに残し、あたしたちはぞろぞろと店を出て庭を入り江に添って歩いていった。入り江のちょうどいちばん奥に崩《くず》れかけた石段がある。段の途中は単なる急斜面になっていたりするので、人が使うことはほぼ不可能に近いだろう。
「なんだってこんなところに石段があるのかねぇ」
ぼーさんが聞くと彰文《あきふみ》さんは、
「よくわからないのですけどそうとう古いものらしいです。ここに店を建《た》てた時からあったそうですから。祖母なんかは小さい頃この石段を使って洞窟《どうくつ》に行ったようですよ。もっともその当時からすでに半分壊《こわ》れかけていたそうですが」
一応入り江にそっては手すりや低い塀《へい》が取りまいていて、石段の降り口にはちゃんと鉄柵《てっさく》の扉がついていた。扉から石段までは少し距離があって、柵のこちらからでは入り江の水面は見えない。
「ここに店ができたのはいつ頃なんです?」
「曽祖父《そうそふ》の代だと聞いています。もともと金沢《かなざわ》に店があったのを、ここへ移したらしいんです」
「じゃあそれまでは、ここに住んでいたわけじゃねぇんだ」
「ええ。でもここはもともとうちの本家があった場所らしいんです。曽祖父はそれでここへ何度か来ていて、ここに店を移すことにしたようですね」
「その本家がいつ頃この土地へ移ってきたのかわかりますか」
彰文さんは首をかしげた。
「さあ、それは――。菩提寺《ぼだいじ》の墓に入ってる人でいちばん古い人は安政《あんせい》年間の生まれですね。それ以前はちょっと僕では。なんでしたら祖母に聞いておきますけれど」
「頼みます。ときに安政年間というといつ頃でしたっけ?」
彰文さんは首をかしげる。
「江戸時代というのは確かですけど詳《くわ》しいことは。何しろ受験から遠ざかって長いもので……」
「現役高校生」
ぼーさんがいきなりあたしを振り返る。
「あたしの学校じゃまだ源氏と平家が戦ってんだい」
「真砂子《まさこ》は。いちおう学校に行ってんだろ?」
真砂子はつんとそっぽを向く。
「いちおう、はよけいですわ。うちではまだ源氏の君が活躍してますの」
「真砂子、高校行ってんの!?」
「勝手にひとを中卒にしないでいただけます? もちろん行ってますわよ」
ぼーさんがニンマリ笑った。
「芸能人で有名な某私立高校だよな」
はー、そうなのか。さすがにメジャー霊媒師《れいばいし》はたいへんだ。
「基本的に忙《いそが》しいんでしょ? よく来れたねぇ」
あたしが聞くと真砂子はちょっと赤くなった。
「忙しいんですの。まだ補習の途中でしたし。……言っておきますけれど出席日数を補うための補習ですわよ」
わーった、わーった。で、ナルに会えるってんで飛んできたわけだ。いじらしいのぉ。――ん? ちょっと待てよ。
「真砂子、学校には何着て行ってんの?」
あたしが聞くと真砂子は心底軽蔑《けいべつ》した顔をした。
「もちろん制服がございますわ。それともあたくしが着物で登校しているとでもお思いですの?」
そんなことは考えてないやいっ。まぁ、ハカマかな、ていどのことは考えたけどさ、むにゃむにゃ。
「あれが茶室です」
彰文さんが手をあげた。広い庭の歩道(というのだろーか)を歩いてきたあたしたちの目の前に小さな建物が見える。
「庭からはまったく入り江は見えないわけか?」
ぼーさんに聞かれて彰文さんは、
「茶室の向こうへ行くと雌鼻《めばな》――岬《みさき》の先まで行けます。そこからでしたら」
その言葉どおり、茶室をすぎてなおも歩いていくと、こぢんまりした庭に出て、そこからは入り江を見おろすことができた。低い垣根ごしに対岸の断崖《だんがい》と、その斜面に張りだした建物、建物を支える足組みが見える。そうしてその足組みの下に岩肌をえぐって細い道が通っていた。道の右は崩《くず》れかけた石段、左にはぽっかり口をあけた洞窟《どうくつ》。
「もう少し先まで行きますか」
彰文さんがそう言って、鍵を使って垣根にある小さな戸を開ける。そこから岬の突端までは低い松がまばらに生《は》えた草地になっている。
「ここから先は柵《さく》がないので気をつけてくださいね」
ちょっとだけおっかなびっくり歩いて、突端までは十五歩だった。突端と言っても切り立った断崖絶壁というわけではなくて、ゆるい斜面がいちおうあって、そこに潅木《かんぼく》が生えていたりする。斜面の先が断崖になっていてそこからが海だった。突端の右手に入り江の入り口になる亀裂《きれつ》が口を開けている。
「上から見るとそんなに崖《がけ》って感じでもないんだな」
ぼーさんが言うと彰文さんは微笑《わら》う。突然|綾子《あやこ》が、
「ちょっと若旦那《わかだんな》」
「若旦那……って、僕《ぼく》は別に家を継《つ》ぐわけでは」
「細かいことにはこだわらない。あれ、なんなの?」
綾子がさしたのは松の間に並んだ石だった。一抱《ひとかか》えくらいの石がきちんと横に五つ並んでいる。
「ああ、あれですか。あれは僕にもわかりません。祖母もなんだか知らないようです。墓石みたいなんで、いじらないでおくんだと言ってました」
「へぇぇ」
海には大小の岩が突き出している。波があたって白く砕《くだ》けていた。正面にはひときわ大きな岩がある。小山ほどの大きいのと少し小さいのと。そこにはそれぞれ注連縄《しめなわ》がかけてあった。ジョンが指をさす。
「吉見《よしみ》さん、あれはなんですか?」
「雄瘤《おこぶ》と雌瘤《めこぶ》です。大きいほうが雄瘤、小さいほうが雌瘤ですね」
「オコブとメコブ……。注連縄がかけてありますけど?」
「ええ。でも別にご神事とは関係ないんだと思うんですけど。あの注連縄もお正月に近郊の漁師さんがかけ直しているみたいなので」
言ってから、彰文さんはあたしに、
「あれはね、ここから海に飛び込んだ男の人と女の人がああなったんだ、って言われてるんです」
あたしは彰文さんを見上げた。
「土地の伝説ですけどね。詳《くわ》しい名前は忘れましたが、ずっと大昔、この土地になんとかいう姫君がいて。姫君は土地に住んでいる漁師《りょうし》の恋人がいたんですけど、そこに横恋慕《よこれんぼ》する男が現れるんですよね」
「へぇー」
「横恋慕してきた男は近くの貴族の息子で、姫を無理矢理お嫁《よめ》さんにしようとするんです。それを嫌《いや》がった姫は恋人と逃げようとする。――駆け落ちですよね。ところが駆け落ちの手はずを書いた手紙を貴族の息子にすり替えられてしまって、ふたりは出会えないんです」
あたしはぽかんと彰文さんを見上げた。
「姫がまちがいに気がついてあわてて恋人を捜《さが》すと、恋人のほうは貴族の息子を殺してしまっていた。姫が来ない代わりに貴族の息子が来たので裏切られたと思ったんです。ふたりは誤解をとくことができたけれどもう遅《おそ》い。それでこの岬から海に飛びこんでしまうんです。それを哀《あわ》れに思った神様が二度と引き裂《さ》かれることがないよう、恋人のほうを雄瘤《おこぶ》に姫のほうを雌瘤《めこぶ》に変えた、って話です」
あれはこの話だったのか……。そう思いながらあたしは内心赤面してしまった。あたしってなんちゅー大胆なオンナなの。あたしのどこが姫君だって? しかも彰文さんが陰険な貴族の息子でナルが漁師ってか? すっげーミス・キャスト。
「どうかしましたか?」
彰文さんに聞かれてあわてたのなんの。
「なななな、なんでもありませんです、はい」
3
茶室からてこてこ戻ると、正面にこんもり木が茂って、そこにちょこっとだけ何かの屋根がのぞいているのが見えた。
「彰文《あきふみ》さん、あれ、なんですか?」
「ああ、あれが神社です。神主さんもいないような小さな神社ですけどね」
言って腕時計に視線を落とす。
「まだちょっと早いかな。行ってみますか?」
完全に潮《しお》が引いてしまわないとパンプスの綾子《あやこ》や着物の真砂子《まさこ》が歩くのは無理だと言われて、あたしたちは神社に向かう。いったん庭を抜けて母屋《おもや》に出て、母屋の庭を通って道路に出る。吉見《よしみ》家の門から少し行ったところに鳥居《とりい》が建っていた。
神社はけっこうきちんとしていた。無人だというからきっとすごく荒れ果てているんだろうと思ったのに、ちょっとだけ嬉《うれ》しそうに綾子が、
「あらぁ、りっばな神社。ちゃんと掃除もされてるじゃない」
「りっぱですか? 掃除はうちの家の者が、代々世話役をしてるんです」
とうてい立派とは思えない本当に小さな神社だった。小さな舞台みたいのがあって、奥に格子戸《こうしど》があるだけ。
「りっぱ、りっぱ。氏神《うじがみ》さまでしょ、これ」
「氏神さまってにゃーに?」
「てっとり早く言っちゃうと土地の神様。村の鎮守《ちんじゅ》の神様よね。舞殿《まいどの》があるってことはお神楽《かぐら》があったりするんだ」
「ええ。秋に」
ふうん。
「若旦那《わかだんな》、若旦那」
今度はぼーさんに呼ばれて彰文さんは苦笑する。
ぼーさんは境内のすみにある三つ並んだ石碑を示して、
「ありゃあなんだ?」
「それはトハチ塚です」
「とはち塚?」
「十八、と書いて十八《とはち》塚。なんだかはよくわからないんですけど、別名を三六《さんろく》塚とも言うんで、十八というのは一種の地口《じぐち》だと思うんですけど」
「にゃ?」
彰文さんのシャツをひっぱって聞くと、
「さぶろく、じゅうはち、でしょ?」
「あ、なるほど」
「なんで三六塚と言うのかは誰《だれ》も知らないんです。でもこれが三つでしょ? そうして岬《みさき》の突端にあるのが」
「あ、五つだったよね」
彰文さんはうなずく。
「ええ。ですから岬の先のあれは本当は六つあって、一つが紛失してしまったんじゃないかと、祖母なんかはそう言うんですけど」
ぼーさんが考えこむ。
「紛失した塚、ねぇ」
ジョンがぼーさんに、
「塚ゆうのはこの場合お墓のことですよね」
「そういうことだな」
「それがひとつあらへんわけですね? それは吉見《よしみ》家の事件に関係ないのですやろか」
綾子が指を弾《はじ》いた。
「それよ。塚が狐《きつね》の墓なんだわ。でもって、店を建てたときに勝手に移動させちやったわけ。その時に六つの中のひとつを壊《こわ》すか見落とすかどうにかして、ちゃんと移動させなかった。その崇《たた》りで……」
「という想像もなりたつ、と」
ぼーさんに言われて綾子は頬《ほお》をふくらませる。
「なによぉ」
「先走るな、とナル坊なら言うだろうよ。――真砂子、どう思う?」
真砂子はお人形みたいな首をかしげる。
「狐、と言われて本当に狐だったことはないのですけど、動物の気配はしませんでしたわ。お店にも、塚にも。霊はよく嘘《うそ》をつきますし、人の目に映《うつ》るときには獣《けもの》の姿をして見えることが多いので」
「ふうん。ほかには」
聞かれて真砂子は難しい顔をする。
「霊の気配はたくさん感じます。どういう霊なのかはわかりませんわ。ただ、一種の浮遊霊なんじゃないですかしら」
「真砂子。それは今回もわからん、ってことか?」
ぼーさんの呆《あき》れた顔に、真砂子はそっぽを向く。それから、
「ここは変な場所ですわ。よい感じもしないけれど、かと言って悪い感じもしません」
……ちょっと、待てこのセリフは。
「家の中にも奇妙な力を感じましたけど、とても悪いものととてもよいものが混《ま》じりあってる感じでしたの。こんな感じは覚えがあるのですけど……」
「霊場?」
聞くと真砂子が目を見開いた。
「……そう。そうですわ。それも以前アメリカに行ったとき、インディアンの霊場に行ったことがあるのですけど、そこの感じにとてもよく似ています」
「真砂子、外国に行ったことあるの?」
おお、リッチマン。
「一度だけ。ASPRのお招《まね》きで降霊会をしたことがありますの」
「ASPR?」
「アメリカ心霊調査会のことですわ。その時にインディアンの聖地というか、そういう場所に行ったことがございますの。インディアンの霊魂が集《つど》う場所です。そこは精霊に守られた神聖な場所であり、汚《けが》す者には災厄《さいやく》をもたらす崇《たた》りの震源地でもありますの。たくさんの霊が浮遊していて……。あの場所の感じによく似ていますわ」
霊魂の集う場所……。
ぼーさんが背後の岬のほうを振り返った。
「やっぱりどうあっても洞窟《どうくつ》を見てみないとな」
お店の玄関の前はきれいな庭になっている。ここにも低い垣根が続いていて、その向こうは海岸。その垣根の一箇所に切れ目があって、そこから海岸に下りるコンクリート製の階段が延びていた。鋼鉄製の手すりにしがみついて長い階段を断崖《だんがい》にそって下りると、そこは小石と岩だらけの海岸だった。海岸から少し沖のほうには大小の岩が無数に海面に突き出した場所がある。それがちょうど海岸にそって平行に連なっていて、押し寄せる波はその岩にぶつかって勢いを消されるのか海岸ではとても穏《おだ》やかになっていた。
「きれいな水」
ガラスみたいに澄んだ海水だった。
「こちらです」
彰文さんが今下りてきた断崖の付け根を示す。崖《がけ》の下に岩や石が重なりあった小道のようなものができていた。滑《すべ》らないように気をつけて歩く。その小道は崖にそってぐるりとまわっていて、崖の突端までは簡単に行けた。突端からは岩伝いに歩いて、洞窟の入り口にたどり着く。潮はすっかり引いていて、水に落ちたからといってどうせ踝《くるぶし》ほどの深さしかないわけだけど、綾子はもう大騒ぎ。だから調査に気取った格好でくんなって言ってんのに。
洞窟はまさしくあたしが夢で見たものと同じだった。地面は河原《かわら》のような石だらけ。中ほどで折れ曲がっているのも同じなら、ちょうど折れ曲がったあたりの奥に小さな祠《ほこら》があるのも同じ。今、祠を見ても別に歪《ゆが》んだ感じはしない。小さいけれど、掃除がゆきとどいている。きれいなきちんとした祠だ。
「真砂子、どう?」
小声で聞くと、真砂子は高い天井を見上げる。
「同じですわ。あの山と――アメリカで見た霊場と同じ――」
つぶやいてから、洞窟の入り口を振り返る。
「今も霊が流れこんできています」
ぼーさんは祠の中をのぞきこんでいた。
「これの掃除も若旦那《わかだんな》んちでやってるわけか?」
「ええ。母屋《おもや》の仏壇と店にある神棚《かみだな》と……うちはそういうのうるさいですから。子供の頃はたいへんでした」
「ほぉ?」
「子供の手伝いっていうと、そういうのの掃除なんですよね。小さい頃は嫌《いや》だったな」
「わかるわかる。俺《おれ》んちも寺だったからさー」
「綾子は?」
あたしは聞いてみた。
「綾子の家も神社でしょ? たいへんだった?」
「残念でした。アタシのうちは別に神社じゃないもーん」
「違《ちが》うの!?」
だったらどーして巫女《みこ》なんだよ。
「アタシ、手伝いなんてしたことないのよねぇ。ホラ、お嬢育ちでそのうえひとりっ子で甘やかされてきたからー」
「……自分で言うな。じゃ綾子んちって何してんの?」
聞くと綾子は笑って髪をかきあげる。
「ああ、医者よ」
げげっ!
「あのお金持ちで有名なお医者さん?」
「そ。個人で総合病院をやってたから、まぁ金持ちだわね。なんでもお手伝いさんがやってくれたしなー」
そんな金持ちの令嬢がどーして巫女なんてやってるだ。聞こうとしたとき、ぼーさんが声をあげた。
「若旦那《わかだんな》、中に入ってるこりゃ、なんだ?」
ぼーさんは祠《ほこら》の小さな格子戸《こうしど》に鼻をくっつけるようにして中をのぞきこんでいる。ああ、と言って彰文さんが祠を開けた。
「流木ですよ。たぶんそうだと思うんですけど」
中に入っていたのは高さ三十センチくらいの木の棒だった。上のほうが丸くなって人の形のように見える。小さな出っ張りがふたつあって、ちょっと手みたいだ。
「『おこぶさま』って言うんです」
「『おこぶ』ってあの岩の?」
「さあ。あれとは別じゃないかな。頭と手があってなんだか人間みたいでしよ? しかもこの手ってこう見えませんか?」
彰文さんは片手を軽く上げ、もう一方の手を垂《た》らしたまま少し前へ出す。
「あ、見える」
「これって仏像によくあるポーズなんですよね。それで祀《まつ》ってあるんだと思います」
4
「えびす、か」
ベースに戻るなりぼーさんはつぶやいて、それからリンさんに声をかける。
「異常は」
「今のところありません」
「そっか。なぁ、リンさんや。下の洞窟に機材をおけねぇか?」
リンさんは洞窟のようすを聞いてから考えこむ。
「海水の心配さえなければなくはありませんが、電源が……」
「ああ、そうか」
「バッテリーは二時間しかもちませんし、ひとつしか用意していません。インターバルタイマーを使う手もありますが」
「インターバルタイマー?」
「一定時間ごとにスイッチのON・OFFをする装置です。たとえば、一時間ごとに十分だけ撮影をする、というような。これだと最高、なんとか半日もたせられますが」
「しかし、肝心|要《かなめ》のところでスイッチが切れる可能性もあるわけだ」
「はい。――ああ、崖《がけ》の高さはどれくらいありますか?」
彰文《あきふみ》さんが、十メートルちょっとです、と答える。
「それだったらなんとかここからケーブルを降ろせるでしょう。あとは機材を運《はこ》び込む労力さえ惜《お》しまなければ」
ううう。たいへんそう……。
――そういうわけであたしたちはそこから過酷《かこく》な重労働をした。潮《しお》が引いているうちにというわけで大急ぎで機材を運んで。岩場は担《かつ》いで渡れないから岩を迂回《うかい》しつつ、じゃぼじゃぼ水の中を歩いて。水に濡《ぬ》らしたらおおごとなんで冷や汗タラタラ。台車も使えないしさー。
彰文さんが入り江に飛び込んで、ベースの窓から降ろしたケーブルを受けとめて洞窟まで引っ張ってくれて。彰文さんがいなかったら、コネクターを濡らさずにケーブルを受け渡すのはけっこうたいへんな作業だったろう。機材が濡れないようビニールで巻いて簡単なテントを作って。……くらくら。そうしてやっとセッティングが終わったときには潮が満ちていて、あたしたちは腰《こし》まで水につかって戻らなければならなかったのだった。
「ねぇ、ぼーさん、『えびす』ってなに?」
セッティングを終えてからシャワーを浴《あ》びて、ベースに戻って。そこであたしは聞いてみた。
「えびす?」
セッティングに参加しなかった綾子《あやこ》と真砂子《まさこ》は、ジョンを連《つ》れて葉月《はづき》ちゃんのようすを見にいっている。
「さっきぼーさんが言ってたんだよ。『えびす』って」
「あー、そうか。『えびす』ってのはな、要は漂着物のことだ」
「漂着物……」
「海岸に流れ着いてきた珍《めずら》しいもの。海中の石や死体、鮫《さめ》や鯨《くじら》。とにかく、めったに見られないものが海岸にやってくると、これを豊漁のきざしだといって喜ぶ風習が漁村にはあったんだな。そういう漂着物をそもそも『えびす』と言うらしい。特に珍しい形の石、ありがたい形の流木、そういうものはよいことの前触れだとか言って後生大事に祀《まつ》ったりした。『おこぶさま』とかいうあの流木もそうだろう。実際に神社のご神体が漂着物だったりすることもあるしな」
「へぇぇ」
「反対に『えびす』が悪いことの前触れだったりすることもある。たとえば台風とか津波とかな。だからまー最初は『えびす』ってのは、『海からくるもの』を神格化したものだったんだろうな。もともとは『夷』という字を書くんだが。それがのちに商売繁盛の神様になって、文字もおめでたい『恵比寿』という字を書くようになった、と」
……海からくるもの……。
「もともと日本にゃ『常世《とこよ》』という信仰があってな。『常世』っつーのは平たく言や不老不死の国だ。それが海の彼方《かなた》にあると信じられてた。『海からくるもの』ってのは『常世』からくるもんだと思われてたんだな」
ほぇぇ。日本人って不思議《ふしぎ》だなー。
「えびす、おこぶさま、紛失した塚……」
つぶやいてぼーさんは立ち上がった。
「ちょっと電話、借りてくらぁ」
「どうしたの?」
「俺《おれ》たちだけじゃ心許《こころもと》ねぇ。援軍を呼ぶんだ」
ふに?
ぼーさんがいなくなってリンさんとふたりっきりになると会話もいまひとつ弾《はず》まないし、それであたしは少しの間外に出てぶらぶらすることにした。海岸に下りる階段までいって腰を下ろす。さっきよりもずいぶんと狭《せま》くなった海岸を見ていた。
……海からくるもの。
流れ着いた『おこぶさま』と吹き寄せてくる霊。洞窟と霊場。神社と塚。伝説のあるふたつの岩。海へ身を投げたふたり。
――あの霊場のせいなんだろうか。
あたしはそう考える。
――それとも、あの伝説に何か関係があるんだろうか。
あたしはさっき彰文さんに聞くまで、あの伝説を知らなかった。それがあんな夢を見たということは、きっと何か意味があるはずだ。ましてやナルが「夢の方向を示した」と言っていたんだから。あれはナルがあたしに知らせたかったことなんだろう。だとしたら伝説がこの事件に関係ないはずがない。
それとも関係があるのはあの夢の別の部分なんだろうか。あの、逃げて逃げきれずに包囲される夢。どうして海に飛び込まなかったんだろう。伝説では海に身投げしたことになっているのに。あたしも夢の中で思った。どうして海じゃないんだろう、って。そして、あの一言。
――末世《まつせ》まで呪《のろ》ってやる。
「あんた、何を知らせたかったわけ?」
それからふと思う。
――ひょっとして今まで見た夢も、全部ナルが「方向を示して」くれたんだろうか?
いくら考えてもよくわからなくて、頭がぐしゃぐしゃしたまま店に戻ると、玄関を入ったところにある帳場でぼーさんが電話をしていた。
「よう。豪勢なところにいるじゃねぇか」
……誰《だれ》を呼ぶつもりなのやら。
「お楽しみのところ悪いんだが、ちょっと難儀なことになってな。手を貸してもらいたいんだ。来れるか?」
ぼーさんは少しの間のあと、
「来てくれ。どうしても人手が必要なんだ。――明日? 今日の便がまだあるだろう。荷物なんかいらねぇから、何がなんでも今日の飛行機に乗れ」
飛行機ぃ?
「直通がなきゃ乗り継いで来い。ともかく一刻も早く着いてほしいんだ」
なんちゅー横着《おうちゃく》な呼び方だ。いったい誰に電話してるんだろう。これは親しい人間だとみたね。――ん? ひょっとして……かな?
ニンマリ笑ってベースに戻ろうとしたとき、バタバタとあわてたような足音が聞こえた。振り返ると彰文さんだった。顔色が真っ青になっている。
彼は帳場に飛び込み、そうして悲鳴に似た声をあげた。
「滝川《たきがわ》さん、兄が――」
四章 凶事
1
「兄」というのは次男の靖高《やすたか》さんのことだった。
本来はとても明るいのに、このところ何故《なぜ》だか暗かった、という人。
あたしたちが駆《か》けつけたとき、靖高さんの部屋は血糊《ちのり》で斑《まだら》に染まっていた。六畳ふた間の部屋の一方に布団《ふとん》が敷いてあって、靖高さんはそこで寝ている。その布団の周《まわ》りを家族が取りまいていた。布団の上には投げ出された両手と、その両手首についた無残なほど深い傷と。血糊を吸った布団。胸元に放り出されたカッターナイフ。
目眩《めまい》がした。血の臭《にお》いで吐き気がする。
ぼーさんが部屋に飛びこむ。泣いている裕恵《ひろえ》おばさんを押し退《の》けて靖高さんの枕元に屈《かが》みこむと、すぐに立ち上がってタンスを開けた。
「若旦那《わかだんな》、救急車は」
「呼びました」
タンスの中からネクタイを引っ張り出して、それで靖高さんの腕の付け根をきつく縛《しば》る。
まだだいじょうぶなんだ。まだ……息があるんだ。止血をするくらいなんだもの、きっと死んだりはしないんだ。
いつの間にかきつく指を組んでた。呆然《ぼうぜん》としたまま身動きできないあたしを、誰《だれ》かがつついた。和歌子《わかこ》ちゃんと克己《かつき》くんだった。
「靖おじちゃん、しんだ?」
和歌子ちゃんが無邪気な顔をして聞いてきた。
「ねぇ、しんだ?」
楽しいニュースをねだるみたいな顔だった。あたしにはなんて答えていいのかわからない。和歌子ちゃんはあたしを驚いたように見て、それから克己くんと顔を見合わせた。
「まだいきてるんだ」
「なぁんだ」
本当に無邪気につまらなそうな顔をするふたりが怖《こわ》かった。あなたたちは、叔父《おじ》さんが死んでしまったほうがいいの? 聞こうとしたけど、聞くのが怖い。声を出すことができないあたしを残して、ふたりはこそこそと耳打ちをしながら廊下を駆けていく。救急車のサイレンの音が響《ひび》いてきた。
靖高さんは近くの病院に運《はこ》ばれた。そこで彼は意識を取り戻し、俺《おれ》は気が狂《くる》ってるんだ、とそう言った。靖高さんに付き添って病院に行った彰文《あきふみ》さんは戻ってきてからあたしたちにそう話した。
「ひとりでいると声が聞こえるんだそうです。家族を殺せ、と命じるんだと」
彰文さんの表情には悲嘆の色が深い。
「眠ると夢を見るのだそうです。家族を殺す夢です。あまり続くので人を刺《さ》す手ごたえを覚えてしまったと言っていました。内容が内容なので兄は人に言えなかったんです。それでこのままではいつか本当に僕《ぼく》らを殺してしまうんじゃないか、と……」
難しい顔をして話を聞いていたぼーさんは頭を下げる。
「発見が遅《おく》れたら一人目の犠牲者になるところだった。俺たちの力が及ばずにもうしわけありません」
「……いえ、そちらも僕らのせいで渋谷《しぶや》さんがたいへんなのですから」
ぼーさんは軽く首を振ってから、立ちあがって、隣の襖《ふすま》を開いた。
部屋のようすに変化はない。ぽつんとしかれた布団と眠っているナル。ぼーさんは部屋の中を見渡してからリンさんを振り返った。
「ナル坊のまわりに式を残してあるな?」
「ええ」
「ナルの近くに霊が近寄ったらあんたにわかるか?」
「わかります」
「じゃあ、反対は? ナルから霊が出ていったらわかるか」
リンさんは軽く目を見開くようにする。
「もちろんわかります。だいいち禁呪《きんじゅ》をかけてある以上、霊が出ていくことはありえません」
「と、言うことは、だ」
ぼーさんはあたしたちを見渡した。
「この家に憑《つ》いている霊はひとつじゃない。そういうことだ」
「ちょっと待ってよ」
綾子《あやこ》が声をあげた。
「じゃ、靖高さんは憑依《ひょうい》されてるっていうわけ?」
「ほかに考えられんだろうが」
……確かに。
「ほかの家族にも注意が必要だ。霊が一体じゃない以上、三体やそれ以上である可能性もあるからな。――ジョン」
「ハイ」
「葉月《はづき》ちゃんのようすはどうだった」
「ボクにはわからへんかったのですけど、原《はら》さんがこれは悪質な憑《つ》き物の可能性があると言わはって。いちおう簡単な除霊をして部屋を封じておきました」
「手ごたえは」
「わかりませんです」
「真砂子《まさこ》。――その霊はどういう奴《やつ》だかわかるか?」
真砂子は首を振る。
「わかりませんわ。ただ、ナルに憑《つ》いているあの霊と同じ感じがしましたわ。強《し》いて言うなら空洞ですかしら」
「空洞?」
「ええ。恨《うら》みもなければ怨念《おんねん》も感じられませんの。もしも霊が憑いているとすれば、とても空虚な霊ですわ」
「麻衣《まい》は?」
いきなり声をかけられて、あたしはあせった。
「あ、あたし?」
「何か感じないか。なんでもいい。昨日の夢に出てきたことでひっかかることでも」
あたしは少しだけ迷《まよ》い、そうして言ってみる。
「真砂子の意見と対立しちゃうんだけど、恨みを呑《の》んで死んだ人がいると思うの」
……必ず末世《まつせ》まで呪《のろ》ってやる……。
「ひどい裏切られ方をした人なんだと思うんだけど。敵に包囲されて殺されてしまうの」
心中したふたりは岬《みさき》から海に身を投げた。だとしたら……。
「たぶん、このあたりで死んだ人だと思うんだけど。少なくとも土地に関係があるんじゃないかな」
真砂子がしかめっつらをする。
「まさか。そんな霊でしたらあたくしにもわかるはずですわ」
「まー、単なる夢かもしんないんだけどさ」
「夢ですわ」
ええい、やかましいっ。
ぼーさんは彰文さんを振り返る。
「どうです。なんか心あたりは?」
「……すいませんが……。そういう話を聞いたことはありません。もっとも僕《ぼく》が知らないだけなのかもしれませんけど」
「ふうん。吉見《よしみ》家がここに移って来たのはいつごろだかわかりましたか」
「もうしわけありません。祖母にもあれ以上のことはわからないそうです」
ぼーさんは少し考えこむ。それから、
「ジョン。病院に行って靖高さんの除霊をしてみてくれ。ついでに商売っけを出して少し話をしてくるんだな。二度と馬鹿《ばか》なマネをしないように」
「ハイ。やってみます」
「綾子は護符だ。家族と俺《おれ》たちの人数分」
「はいはい」
「俺はちょっと出てくる。彰文さん、悪いが菩提寺《ぼだいじ》に案内してもらえますか」
2
綾子《あやこ》に護符を書かせて、あたしと真砂子《まさこ》で手伝ってそれを吉見《よしみ》家の人たちに配《くば》って歩いた。決して身体《からだ》から離さないでください、とお願いしたのだけど。もらってすぐに気のないそぶりで放り出してしまったのは陽子《ようこ》さんだった。長男の和泰《かずやす》さんのお嫁さんで、克己《かつき》くんと葉月《はづき》ちゃんのお母さんであるひと。
「あの、身体から話さないでください。お守り袋かなにかの中に入れておくとか、どうにかして……」
あたしが言うと陽子さんはおっとりと微笑《わら》った。
「これをつけておくと何か効果があるんですの?」
「ええ、悪い霊を寄せつけない護符なんです。身体から離したら効果がないので……」
「でも、お風呂《ふろ》に入るときはどうしますの?」
え?
「お風呂には持って入れませんよね。紙ですもの。お風呂に入っている間に悪い霊が寄ってきたらどうしようもないじゃありません?」
「それはそうですけど……。でも危険ですから。ちょっとでも危険でなくするためにつけておいてください」
あたしが言うと陽子さんは微笑う。
「わかりましたわ。そうします」
そう言いながら護符を振り返りもしない。あたしはなんとなく釈然としないまま陽子さんの部屋を出た。
渡そうとすると逃げだしたのは克己くんと和歌子《わかこ》ちゃんだった。
「そんなの、いらない」
「ちょっと、待って。これは大事なものなの。お願いだから」
「いや」
「いらない」
逃げるふたりを追いかけながら、あたしは妙な気分になっていた。どうして逃げるんだろう? どうして嫌《いや》がるんだろう? 母屋《おもや》を抜けて店に出る。ふたりは玄関から外へ飛び降りてしまった。
「ねぇ、和歌子ちゃん!」
あたしは前庭を駆け出したふたりに呼びかける。
「叔父《おじ》さんが死んだの知ってる?」
大嘘《おおうそ》をついてみると、ぴた、とふたりの足が止まった。きょとんとした眼が振り返る。すぐにうれしそうな笑顔を浮かべた。
「ほんと?」
「びょういんにいったんでしょ? きゅうきゅうしゃにのって」
「そうよ。でも間《ま》に合わなかったの。叔父さんは病院で死んじゃったんだって」
克己くんが小さくつぶやいた。
「やった」
……この子たちは……まさか……。
あたしは意識的に小さな声で言ってみた。
「それと、彰文《あきふみ》さんもね……」
「彰にいさんも? どうかしたの?」
ふたりはそろって声を上げる。二、三歩こちらに戻ってきた。
「どうしよう。教えようかな」
「おしえて、おしえて」
「んー、でも。やっぱ内緒にしておこうかな」
ぐずぐずと口の中で言うと、ふたりが近づいてくる。
「ねぇ、おねえさん、おしえて」
「おしえてよー。彰にいさんもしんだの?」
「んーとねぇ……」
「しんだの? くるまにのった?」
「車……」
ふたりはあたしのスカートを引っ張る。あたしはすかさずふたりの手を捕《つか》まえた。
「車ってどういうこと?」
「はなしてっ」
「はなせよー」
「放さない。ねぇ、車ってどういうとなの!?」
ふたりは暴れる。あたしは必死でその手をつかんだ。
「麻衣《まい》? 何やってんの?」
綾子と真砂子、それから光可《てるか》さんが走ってきた。克己くんが手の中から逃げる。あたしは一緒に逃げだそうとする和歌子ちゃんを捕まえ直した。
克己くんは少しだけ離れたところで振り返る。
「和歌ちゃん、はなせよ」
「いや。車ってなんのことだか教えて」
「はなせってば」
あたしは側でおろおろしている綾子を振り返る。
「綾子、和歌子ちゃんに護符を持たせて」
「そんなことするなっ!」
あたしは克己くんをにらみつける。
「だったら車のこと、教えて。そうじゃなきゃ、和歌子ちゃんに護符を張り付けてとれないようにしてやるから」
「そんなことしたら、ぼく、うみにとびこむからなっ」
「……克己くん、何言ってるかわかってんの?」
前庭の海岸に下りる階段までは五メートルもない。
「わかってるよ。ぼくがしんだら、みーんなこまるんだから」
「死ぬの、苦しいと思うよ」
「しってるよ。くるしかったら、ざまぁみろだもん」
「誰《だれ》にざまぁみろなの?」
「みんな」
あたしは綾子に暴れている和歌子ちゃんを押しつけた。
「綾子、捕まえてて。――克己くん、君、本当は誰なの?」
あたしは玄関から外に出る。克己くんはあたしをにらんだまま一歩さがった。
「克己くんじゃないんでしょ? 本当の克己くんはそんなこと言わないもの。護符を怖がったりしないもんね」
「こわくないよ」
「うそよ。怖いんでしょ? だから護符を持つのもいやなんだよね」
克己くんは笑った。それはとても子供の笑顔には見えなかった。
「ころしてやる」
「誰を?」
「おまえも、おまえらも。この家の連中も」
あたしはそっと手を構える。(――人に向けてはいけない)
「この子供も」
克己くんは――彼の中にいる者はそう言って笑う。
「どうしてなの」
手が震える。(でもあたし、タカにやったことがある。あれは冗談だったのだけど)
「海に飛びこむくらいは慈悲《じひ》のうちだよ。楽なもんだ。首を切られるのに比べたら」
「首を……切られた?」
今度がだいじょうぶだという保証は?(――二度とするな。麻衣ていどだから何も起こらなかったんだぞ)
「同朋の裏切りに比べれば」
「この家の人たちが、あなたに何をしたの」
「さてな」
「……その子から離れなさい」
「子供が死ねば用はない。そうなったら離れてやる」
克己くんは笑って身を翻《ひるがえ》す。その場を駆け出した。たった五メートルの距離。
「ナウマクサンマンダバザラダンカン」
お願い、克己くんを止めてっ!
「臨兵闘者皆陳烈在前《りんぴょうとうしゃかいぢんれつざいぜん》っ!」
剣印を振り降ろすと克己くんが転《ころ》ぶ。階段までわずかに一メートルもない。それと同時に何かが風を巻いて、あたしの顔のわきをすさまじい勢いで背後へ向かって駆け抜けていった。
「……なに」
周囲を見渡しても何もない。突然和歌子ちゃんが火がついたように泣きだした。あたしはあわてて克己くんのところに駆けよる。転んだままの克己くんを抱き上げると、克己くんは悲鳴に似た声で泣き始めた。
「ごめんね。ごめんね……」
3
克己《かつき》くんと――不思議《ふしぎ》なことに和歌子《わかこ》ちゃんも、泣きやまないので調べてみると背中にひどい火傷《やけど》ができていた。ちょうどあたしが九字《くじ》を切った、そのとおりに格子縞《こうしじま》の水ぶくれができている。決して大きいものではなかったけれど、これは痛くてたまらないだろう。
茶の間で手当てをしてようやく落ち着いたふたりは、なにごともなかったかのようにきょとんとしていた。護符を持たせてもめずらしそうにいじるだけ。真砂子《まさこ》がハンカチで縫《ぬ》ったお守り袋の中にたたんで入れて、それを首にかけてやるとなんだかうれしそうにしていた。
ふたりにケガをさせてしまったあたしはもう平あやまり。薬箱を持ってきてくれた裕恵《ひろえ》おばさんに平身低頭であやまって。
「本当にもうしわけありませんでしたっ」
ちょうど現場を見ていた光可《てるか》さんがとりなしてくれて。
「おかげで克己も和歌子も無事だったんですから。どうぞ気にしないでください」
いえ、これを無事と言っていいのかどうか……。冷や汗をかいていると小さな手があたしの腕に触《さわ》る。
「おねえさん、しかられてるの?」
和歌子ちゃんだった。
「うん。そうなの」
「そういうときには、すなおにあやまらなきゃだめだよ」
「はは……。ごめんなさい」
頭を下げると、和歌子ちゃんはブラウスの下からお守り袋を引っ張り出す。
「えらいねー。ごほうびにおねえさんにも、これをかしてあげようか?」
うるうる。かわいいなぁ。
「ありがと。でもそれは和歌子ちゃんのだから。それはぜったいに外《はず》しちゃだめよ」
「きがえるときも?」
「着替えるときも」
うん、と大真面目《おおまじめ》にうなずいて、和歌子ちゃんは宝物でも隠《かく》すような手つきでお守りを服の中にしまいこむ。満足そうに笑ったところに泰造《たいぞう》おじさんが戻ってきた。
「車の……ブレーキオイルがもれていました」
車という言葉《ことば》が気になって、車を全部調べてもらったのだ。
「私用に使っている車でして……。気づかずに乗っていたら事故になるところでした」
あたしは大きく息をつく。……よかったぁ。
――ところがぜんぜんよくなかったのよね。暗くなってから戻ってきたぼーさんにガミガミしぼられて。
「あれほど人に向けるなと言っておいたのに、お前ってやつは」
「だってしかたなかったんだもん」
「問答無用っ!」
えーん、えーん。ぼーさんがいじめるー。
ぼーさんは溜《た》め息《いき》をついてから静かな声を出した。
「退魔法というのはな、誰《だれ》がやっても効果があるもんじゃない」
……はぁ。
「お前は才能があるよ、拝《おが》み屋のな。……だから、二度とするな。二度と九字《くじ》を人に向かって切らなきゃならないような状況を作るな」
「うん……ごめん」
ぽんとあたしの頭を叩《たた》いて、ぼーさんは綾子《あやこ》と真砂子のほうを見る。
「ほかは? 受け取りを拒否した人間がいるか?」
「奈央《なお》さんね」
奈央さんというと……彰文《あきふみ》さんのすぐ上のお姉さんだ。
「と言っても、奈央さんがいなかったからなんだけど。それと若旦那《わかだんな》よね。理由は同じく。――そういうわけで若旦那、護符をどうぞ」
綾子が差し出す護符を彰文さんは微笑《わら》って受け取る。よしよし、ちゃんと受け取ってくれたな。
「奈央姉さんはどこに行ったんだろうな?」
「さぁ。誰も行く先を聞いてないんで捜《さが》してるみたいだったけど」
……おやぁ?
「麻衣《まい》は、どうだった? 受け取らなかったのはチビさんたちだけか?」
聞かれてあたしは、陽子《ようこ》さんも妙な感じだった、と言いかけた。最後まで言えなかったのは当の陽子さんがその時部屋の中に入ってきたからだった。
「――?」
陽子さんは声もかけずにずかずかベースに入ってきて、あたしたちを見渡した。
「子供に怪我《けが》をさせたのは誰」
あ。……苦情かぁ……。ううう。
「克己にあんなことをしたのは誰《だれ》なの。おまけに変なものを持たせて」
変なもの――って。
「やくたいもない護符のことよ。さっさと外《はず》してちょうだい」
「あのう……でも」
「妙なことを吹きこんだでしょう。あの子は外せと言っても外さないのよ。外してちょうだい!」
陽子さんは怒鳴《どな》る。
「葉月《はづき》にも何かしたでしょう。和歌子にも靖高《やすたか》にも栄次郎《えいじろう》にも」
あたしたちはまくしたてる陽子さんをまじまじと見つめた。……この人は……。
「何から何までよけいなことを!」
ぼーさんが護符を取って立ち上がる。
「これは身を守るために必要なもんなんです。陽子さん、持ってますか」
陽子さんは笑った。
「そんなもの、役になんかたたないわ」
ぼーさんは護符をさしだす。
「そんなことはないですよ。……どうぞ」
陽子さんは黙《だま》ってそれを受け取り――そうしてそれが突然燃え上がった。護符が勝手に火を噴《ふ》いたように、陽子さんの手の上で燃えてしまう。
「……役になんかたたないわ」
陽子さんは笑う。不敵な色の笑い方。
「こんなもの。ぜんぜんなんでもないじゃないの」
あたしたちはじりじりと動いて陽子さんを取り囲むようにして身構えている。
「綾子、七縛《しちばく》」
「おーらい」
陽子さんは眉《まゆ》をひそめる。
「なに?」
「なんでもありませんって。俺《おれ》たちはちょいと陽子さんに用があるだけでして」
綾子は指を結ぶ。五横四縦の九字《くじ》を切る。小さく口の中で何かを唱《とな》える。
「なんなの……?」
「まぁまぁ。……ジョン」
呼ばれてジョンが聖水をまいた。顔をしかめて二、三歩さがる陽子さんをリンさんが背後から捕まえる。
「放しなさいよっ」
ジョンは軽く十時を切る。
「我は汝《なんじ》、呪《のろ》われた不純きわまる霊、悪意の元凶、犯罪の本質、罪の源、欺瞞《ぎまん》と神聖|冒涜《ぼうとく》と姦淫《かんいん》と殺人にふける汝に、言葉をかける者なり」
眼を見開いた陽子さんへジョンは手をのばす。指で陽子さんの胸元に十字をしるす。
「我はキリストの御名《みな》において汝に厳命いたす」
額《ひたい》に十字を描く。
「身体《からだ》のいかなる個所に身を潜《ひそ》めていようとその姿をあらわし、汝が占有する身体より逃げ去るべし」
右の耳に。
「離れるべし、いずこに潜みおろうと離れ、神に捧げられたる身体をもはや求めるなかれ」
左の耳に。
「父と子と聖霊の御名により、聖なる身体は汝に永遠に禁じられたものとなすべし」
口に。そうして指でそっと眼に触《ふ》れるようにして手をかざす。
「イン・プリンシビオ」
がくっと陽子さんの膝《ひざ》がくだけた。リンさんに支えられたままずるずるとその場に座りこむ。堅《かた》く眼閉じた眼が開いたときには陽子さんは驚いた表情をしていた。
「……え? なに?」
狼狽《ろうばい》する陽子さんにジョンは微笑《わら》いかけた。手に持っていた十字架に軽くキスしてそれを陽子さんの首にかける。
「もうだいじょうぶです。これを身につけて離さんといてください」
4
陽子《ようこ》さんはそもそも、あたしたちがこの家に来たところから何も覚えていなかったので、彰文《あきふみ》さんが一から事情を説明しなければならなかった。
「ねーねー、綾子《あやこ》。七縛《しちばく》ってなに?」
交代でとっている夕飯の時に聞くと、
「不動|金縛《かなしば》りってやつね」
「リンさんがナルにかけてるやつ?」
聞くと綾子は顔をしかめた。
「まさか。他人を眠らせておくような、そんなたいそうなもんじゃないわよ。ちょっと人を無気力にして、身動きしにくくするくらいかな」
ほぉー。それでも綾子にしちゃ、ちゃんと役にたっててすごいな。
「七縛のとき、九字《くじ》を切ってたでしょ? 陽子さんに向いてたけど、よかったの?」
ああ、と綾子は微笑《わら》う。
「九字《くじ》というのは、そもそも護身九字っていって、身を守るもんなのよね」
「あ、そうなんだ」
「あんたに教えたのは早九字《はやくじ》。本当はもっとのんびりやるもんなのよね。あたしが祈祷《きとう》のときにやってるけど。あれってつまり、祈祷とか修行とかそういうのをやるときに、悪霊なんかに邪魔されないようにするもんなの。だから、そもそもは護身法なのよね。それを最後に刀印で中央を払って気合をかけるじゃない? そうすると一種の攻撃にも使える、というわけ。気合をかけてるときに気力を発射してるのよね」
「なるほろ……。じゃ、除霊とかああいうのって、とどのつまりは気力を操《あやつ》って何かしてることになるわけだ」
「そ。呪文《じゅもん》を唱《とな》えるとか道具をつかうとかは、結局のところ気力を効率よく集めるための単なる儀式よね」
「じゃ意味がないわけ?」
綾子は頬杖《ほおづえ》をつく。
「んー、意味がないっていうか。なきゃできないってもんでもない、ってことよね。たとえば真言《しんごん》をまちがえて覚えている人がいても、まちがえてるからどうこうって問題じゃない。……と、アタシなんかは思ってるけど」
「へぇぇ」
「中国に気功法ってのがあってね、これなんかは気力を操る功夫《クンフー》なのよ。病気を治《なお》したりものを動かしたり、はては離れたところにいる人を手も触《ふ》れずに倒したり、儀式をとっぱらった気力かしら、と思ってるんだけど」
「それって、PKなんじゃないの?」
綾子はあたしを振り返る。
「あ、そうか。そうよねぇ。病気を治すなんてのはPK−LTだし、遠くの人をやっつけるのはPK−STか。じゃやっぱりPKって気力なんだ」
「よくわかってないわけ?」
「わかってることのほうが少ないの。あたしも気功法に詳《くわ》しくないしな。達人っていわれる人は本当にすごいらしいんだけど、見たことないしねぇ。触《さわ》りもしないで岩は砕《くだ》くし、鉄は曲《ま》げるし、ガンは治すし、人間を操ったりもできるらしいし。気功で除霊をする人もいるらしいしなぁ」
「ふぅん……」
「案外リンなんか、できたりして」
「あ、言えてる」
ふたりして笑ってから、あたしたちは顔を見合わせた。
「ナル!」
ナルが気功法の達人だって可能性はないだろうか?
「気功だったら縛《しば》っても意味ないよね」
「閉じこめたって意味がない。そりゃ、危険だわ」
「確かに眠らせとくしかないわけで」
「そうかぁ。そうだったのかぁ」
にゃるほど。疑問がひとつ解《と》けたぞー。
綾子は盛んにうなずいている。
「そうよねぇ。でなきゃ、ナルまで精進潔斎《しょうじんけっさい》する必要なんかないわけだしー」
「あ!」
あたしは手を叩《たた》いた。
「なによ」
「あたしー長らく疑問だったことがあるんだけどー」
「ふむふむ」
「ずーっと以前にタカの学校調査に行ったときに、あたしナルと穴《あな》の中に落ちたことがあったじゃない」
「あった、あった」
「マンホールがあってさー、穴の中は落ちこんだガレキでいっぱいだったわけ。それがさ、たまたま落ちたのがコンクリートの大きなかたまりとかないところで、そんでたいしたケガもなかったわけだど、それって変だなーと思ってたのよ」
「どうして」
「だって、マンホールからあたしたちは落ちたわけでしょ? ガレキだってマンホールから落ちたんだよね。そしたら、あたしたちもガレキも落ちる場所は似たりよったりなのが当然なんじゃないの?」
「そっか。麻衣《まい》たちが落ちるところってのは、ガレキなんかがゴロゴロしてるのが当然なわけだ」
「でしょ? それが、ガレキがなかったということはー」
「誰《だれ》かが砕《くだ》くか、のけるかしなきゃねー」
「だよねー」
「ふっふっふー」
ついに尻尾《しっぽ》をつかんだぜ。あたしと綾子はしばらくヘラヘラ笑い続けていた。
「ん? しかしちょっと待てよ」
綾子が唐突に首をひねった。
「でも、気功法が使えるなら、あの狐《きつね》みたいなのが飛びかかってきたときなんで撃退できなかったの?」
「んんん? それは確かに……」
そういえばリンさんが何か言ったんだ。「止《や》めろ」とかなんとか……。
「気功法を使っちゃいけない理由でもあるのかなぁ……」
結局頭を抱えてしまったあたしと綾子だった。
5
奈央《なお》さんが帰ってこない。それが問題になったのは十二時が近くなってきてからだった。
「無断でこんな時間まで帰ってこないなんてありえない」
裕恵《ひろえ》おばさんたちが騒ぎ出して、調べてみると誰《だれ》も奈央さんが出かけたのを見ていない。部屋を調べてみても財布やなんかが残っていたり、どう考えても出かけているとは考えられない、ということになった。ぼーさんとジョンが手伝って近所を捜したのだけど、奈央さんの姿は見つからなかった。ぼーさんとジョンがベースに戻って来たのは一時過ぎ。雲の厚い夜空には月も見えない。
「どうだった?」
あたしが聞くぼーさんとジョンは首を横に振る。
「明日、戻ってこなかったら捜索願を出すってさ」
ひどく重苦しい気分になった。
あたしがうなずいたところで、突然機材を見守っていたリンさんが声を上げた。
「滝川《たきがわ》さん。――これを」
そう言ってモニターを示す。洞窟《どうくつ》においたカメラの映像だった。画面の左に洞窟の入り口が見える。……別に異常はないみたいだけど。何かな?
ぼーさんは画面に見入り、それからあわてたように立ち上がった。
「リン、懐中電灯があるか」
「車に乗せてあります」
「ジョン、来い」
「どうしたの?」
「麻衣《まい》たちはここにいろ。若旦那《わかだんな》、この場を頼む」
血相を変えて出ていく三人を見送って、あたしは綾子《あやこ》と顔を見合わせる。
洞窟の映像に何か問題があるんだろうか? あたしはあらためて画面に見入ったけれど、洞窟の中には何の異常も見えない。ガランとした空間が高感度カメラ独特の妙《みょう》に白々としたトーンで映《うつ》っているだけだ。
「なんなのかしら」
綾子のセリフにあたしは首をひねる。
「……なんにもないよねぇ。変なものが映ってるわけでも、変なことが起こってるわけでもないし……」
言いかけて、あたしは洞窟の入り口に眼を留めた。入り口の外は岩場で、突き出した岩に白い波が打ち寄せている。そこに波に洗われるようにして引っかかっている何か。
「あれ、なんだろ」
眼を凝《こ》らしてみても、なんだかわからない。岩にぶつかって離れてを繰り返す。
必死で眼を凝らしているうちに、ぼーさんたちが駆けつけたのが映った。ぼーさんたちはまっすぐ岩場に引っかかったモノのほうへ向かう。やっぱりあれが……。
彰文《あきふみ》さんが腰を浮かせた。
あたしがスピーカーを切り替えた。ぼーさんたちはだまりこくっている。波の音よりほかにスピーカーから流れてくる音は聞こえない。
ぼーさんたちは波をかぶりながらそれを引き上げた。リンさんとふたりがかりで抱《かか》え上げる。
綾子が悲鳴をあげた。彰文さんが部屋を飛び出す。
映像は粗《あら》くてよくは見えない。それでもそれが人だということはわかった。あたしたちが眺《なが》めている間、無抵抗に波に洗われていた人の身体《からだ》。生きている人だとは思えない。
(――潮《しお》の関係で死体が流れてくるんです)
奈央さんは戻ってこない。出かけているとは考えられない。
あたしは眼を閉じた。どうか別人でありますように。ぜんぜん関係のない誰《だれ》かでありますように。
――それでも、そんな偶然があるはずのないことがあたしにもわかっていた。
それはまちがいなく奈央さんだった。彼女は潮に乗って、あの洞窟《どうくつ》までたどりついたのだった。警察が呼ばれて、奈央さんは運《はこ》ばれていった。検死解剖にふされるのだと聞いた。
「女の人なのに……解剖なんかされるの、嫌《いや》だろうな……」
ベースであたしは膝《ひざ》を抱えている。綾子が背中を慰《なぐさ》めるみたいに叩《たた》いてきた。
スピーカーからは相変わらず波の音が流れてきていた。波の音がじつは寂《さび》しい音だということにあたしは初めて気がついた。
着替えをすませたぼーさんたちが、暗い顔をして戻ってきたのはずいぶんと経《た》ってからだった。
「お疲れさま。……コーヒーいれるね」
「すまねぇな」
それっきり誰も何もしゃべらない。
コーヒーを配《くば》り終わって、みんなが口をつけたころに、やっとぼーさんが口を開いた。
「真砂子《まさこ》ちゃんや」
「はい?」
「奈央さんを降ろせるかい」
真砂子がハッとしたようにぼーさんを見返した。
「……できると思いますけれど」
「リンは日が悪いって言うんでな。悪いがお前さんがやってくれるか」
「やってみてもよろしゅうございますわ」
「麻衣、母屋《おもや》に行って、これだけのことを聞いてこい」
言ってぼーさんはメモを作り始める。奈央さんの生年月日、血液型、趣味、好きなアーティスト、財布の中の所持金、最近旅行に行った場所、などなど。
「……こんなこと聞いてどうするの」
「いいから行ってこい。降霊会のことは言うなよ。わからないことはわからないでいいから。――真砂子、何か準備するものはあるか?」
6
言われたとおりにえんえんと質問をして、あたしがベースに戻るともうちゃんと部屋の中は準備が整っていた。と、言ってもろうそくとお線香《せんこう》、あとは録画用の機材、それだけだったけど。
「聞いてきたか?」
「うん。でも半分くらいしか埋《う》まってないよ」
「それでいい」
あたしはぼーさんにメモを渡しながら、
「でもこんなこと聞いて本当にどうすんの?」
「降りてきたのが奈央《なお》さんかどうか、まちがいのないところを判定する必要があるんだ」
あ、なるほど。
「だったら彰文《あきふみ》さんに来てもらったら? 彰文さんに確かめてもらえば早いじゃない?」
「それは困る」
「どうして? きっと彰文さんだって会いたいと思うよ。ねぇ、せめて声をかけたら?」
「だめだ」
あたしはちょっとムッとしてしまった。
「どうしてよ。奈央さん、急にこんなことになって、これがわかってたらこれだけは言っておきたかったのに、ってことがきっとあると思うの。あたしもそうだったもん。……ね、呼んであげようよ」
ぼーさんはあたしを見る。とても真摯《しんし》な顔だった。
「奈央さんが事故で死んだとはかぎらない」
「……どういうこと?」
「平たく言ってやろう。この家の誰《だれ》かに殺された可能性がある」
「ぼーさんっ!」
「お前らで護符を配ったとき、すでに奈央さんはないかった。あの時点で、憑依《ひょうい》されていたと思われる人間が三人はいる。陽子《ようこ》さんと子供二人だ。事故や自殺とはかぎらない。もしも陽子さんが殺したんだとして、若旦那《わかだんな》がそれを聞きたいと思うか?」
「……そんな」
ぼーさんは溜《た》め息《いき》をついた。
「そうでなきゃいいと、俺《おれ》だって思うさ。だから、それを確かめるために真砂子《まさこ》に彼女を呼んでもらうんだ。家族は参加させない。了解?」
「……了解」
あたしたちは全員で座卓を囲んだ。ろうそくとお線香に火をつけて電灯を消す。座イスに深く座った真砂子は手を合わせて眼を閉じた。そうして口の中でお経《きょう》らしきものを唱《とな》え始める。
「観自……菩薩密多時……五……空」
すぐに真砂子の姿勢が崩れる。いつもきちんと背筋を伸ばしているのが、少し猫背になったかと思うと、座イスの背に深く背中を預《あず》けるようになって、言葉がますます不明瞭《ふめいりょう》になっていく。やがてそれも途切れて、しばらくのあいだ部屋の中にはなんの物音もしなくなった。聞こえるのは微《かす》かな波の音と、機材の動く低いモーター音だけ。
「奈央さん」
ぼーさんが低く呼びかける。
「奈央さん、そこにいますか」
真砂子は眼を閉じたまま、赤い唇《くちびる》を動かした。
「はい……」
ほっと誰かが息をつく。
「吉見《よしみ》、奈央さんですね?」
「はい。……これはなんですか」
「少し質問に答えてほしいんですが」
言ってぼーさんは細々とした質問を始める。真砂子はその質問にとまどいとまどいしながら答えていく。どれもあたしが母屋《おもや》で聞いてきた答えによく合った。真砂子はすっかり眠っているように見えるので、口だけを動かして話を続けるそのようすはかなりのところ異常な感じがした。真砂子――真砂子の口を借りた奈央さんは何度も「これはなんですか」と聞いていた。それがひどく印象に残った。
「あなたは亡《な》くなりました。……わかりますか」
ぼーさんの言葉に少しの間があった。
「……はい」
「何故《なぜ》亡くなったのか……わかりますか?」
これにも少しの間があく。
「海に……落ちました」
言ったとたん、真砂子の閉じた目元に光るものが浮かんだ。
「庭にいて……海を見ていて」
涙が頬《ほお》を伝う。
「それは庭のどこですか?」
「茶室の……むこうです……。考えごとをしたくて……」
「足をすべらせたわけですか?」
今度は長い間があった。
「……突き落とされました」
やっぱり。やはりそうだったのか。
「あなたを突き落としたのは誰《だれ》です?」
「わかりません。……誰かが背中を突き飛ばしたんです……」
言って彼女は長い息をついた。
「とても……こわかった……」
……聞いているのが辛《つら》い。あたしは顔を伏《ふ》せる。どんなに怖《こわ》かったろう。どんなに悲しいだろう。
「どんなことでもいい、あなたを突き落とした人のことを思い出せませんか?」
「……覚えてません。……でも、知らないですんでよかった」
「何故《なぜ》です」
「あそこへは家族しか行きません。わたしを突き飛ばしたのが家族なら……知りたくありません……」
そう言って彼女はもう一度深い溜《た》め息《いき》を落とした。
「わたしはもう……生きることができないんですね……」
ひどい。奈央さんが何をしたっていうんだろう。誰がなんの恨《うら》みがあって、こんなひどいことをしたんだろう。……させたんだろう。
「どうぞ安らかにお休みください」
ぼーさんが言うと、彼女は急に小さな声を上げた。
「どうしました」
「誰かが……引っ張るんです」
「引っ張る?」
「これは……なに? 誰なんですか? 怖い、わたし、行きたくない。引っ張るのをやめてください。そっちは怖くてわたしはいや……」
「奈央さん?」
「こんなの……いや。お願いだから、引っ張らないで。怖い、そっちには行きたくない。どうぞ、やめて……!」
悲鳴じみた声に全員が腰を動かす。
「いや……! 化け物……!」
「奈央さん!?」
「助けて!」
悲鳴といっしょに、真砂子の合掌《がっしょう》した手が離れて膝《ひざ》の上に落ちた。すぐに真砂子の眼が開く。真砂子は背筋を伸ばし、そうしてまぶしそうに瞬《まばた》きをする。
「あたくし……呼べたようですわね」
「やっぱり殺されたんだ……」
綾子《あやこ》の声に、身体《からだ》が震《ふる》えた。
「問題は、誰《だれ》が犯人なのかということだわね」
ジョンがうなずく。
「少なくとも靖高《やすたか》さんは違《ちが》いますです。病院に運《はこ》ばれたとき、奈央さんもいてましたから。おばあさんも出歩いたりはでけへんようですし」
「子供も違うでしょ」
綾子の声にぼーさんは苦《にが》い顔をした。
「そうとはかぎらねぇな」
「どうして? だって子供じゃムリよ」
「弾《はず》みをつければできんことじゃねぇぜ」
「それは、そうだけど……。でも、どっちかというと怪《あや》しいのはほかの人たちでしょ? まだ家の中に憑依《ひょうい》されてる人がいるんだわ」
「何故《なぜ》?」
「何故、って……」
言い淀《よど》む綾子にぼーさんは言い捨てる。
「すでに除霊はすんでるのかもしれん。自分がやったことを忘れている可能性がある。もしも陽子さんだったとしたら……」
こわいことだ。陽子さんには憑依されている間の記憶がない。その間にもしも奈央さんを突き落としたのだとしたら。陽子さんは自分の知らないうちに大罪を犯したことになる。それを知ったらどんなにショックを受けるか……。
十三人の家族。彰文さんとそのおばあさん、お父さん、お母さん、兄姉が四人、義理の兄姉がふたり、甥姪《おいめい》が三人、計十三人。奈央さんを除く十二人の中に、奈央さんを殺した犯人はいるはず。
おばあさんは動けない。靖高さんは入院したので犯人ではありえない。綾子の言葉を信じるなら、すでに除霊された子供三人と、義理の兄姉ふたりは犯人じゃない。印象だけで言うなら、彰文さんとお父さんお母さん、以前襲われた光可《てるか》さんも犯人とは思えない。残るのは……長男の和泰《かずやす》さん?
知りたくない、と言った奈央さんの気持ちがわかる。あたしだって知りたくない。もしも犯人の名前がわかって、それからあたしたちはどうすればいいんだろう。除霊して、正気にもどった相手に何をどう伝えればいい?
そして……と、あたしは窓のほうを見た。
いったい奈央さんの霊に何が起こったのだろうか?
五章 ユダ
1
あたしは洞窟《どうくつ》の中に立っていた。ボンヤリと入り口の岩場に波が打ち寄せるのを見ている。波と一緒に小さな光の玉も打ち寄せる。まるで雪みたいだ。
……ああ、また夢を見てるのか……。
波の間に人影が見えた。女の人だった。彼女は粛々《しゅくしゅく》と歩いてくる。うなだれて、肩を落として。
「奈央《なお》さん……」
洞窟にたどりついた奈央さんは、あたしになんか気がつかないようにしずしずと歩いて、入り江のほうに抜けていく。
「待って、奈央さん」
入り江に出ると、奈央さんは風にのって空へ向かって吹き上げられていった。
あたしはひとつ溜《た》め息《いき》をついて、背後を振り返る。小さな祠《ほこら》が見えた。祠はやはり歪《ゆが》んで見える。とても嫌《いや》な気配がする。近づいてみようかと思ったけれど、どうしてもそんな気にはなれなかった。
しばらくボンヤリ祠を見ている。そうして視線を海に戻すと、そこから再び奈央さんが入ってくるのが眼に入った。
「……奈央さん?」
彼女の返答はない。駆け寄るとゆるい風に押されたようにフラリと逃げてしまう。視線さえ動かさないまま彼女は入り江に出ていって、そうしてまた空へ向かって吹き上げられていく。しばらく待っていると、また海から現れる。それを何度も繰り返した。
「……なに?」
あれはいったいなんなんだろう。
「あれはなに? 教えて。――ナル! いないの!?」
「再生の儀式」
背後で突然声がした。振り返るとナルが微笑《わら》っている。
……なんだ、呼べば会えたのか……。そんなことを思った。
「再生の儀式?」
「たぶん、そうなんだと思う。暗い穴の中を通り抜けるのは、もう一度生まれ直すことを意味している。彼女は何度もああしてこの洞窟を通り抜けながら、別の何かに生まれ変わろうとしてるんだと思う」
……別の何か……。
「この洞窟は魂《たましい》を呼び寄せる。呼び寄せられた魂はああして、儀式を繰り返す。……そこまではわかるんだけど……」
「……あたし、今、魂なんじゃないの?」
げげげ、あたしもあの儀式に参加しなゃきいけないわけ?
「そう。だからここへはあまり近寄らないほうがいい。……行こう」
ナルは手を差し出す。あたしはちょっとドギマギしながらその手をとった。残念なことになんの手ごたえもしなかった。あたしは今身体《からだ》がないんだから当然なんだけど。手を引かれてフイと風に乗ると、水の中を浮上するみたいに入り江の上に舞い上がる。そしてそこから夜の庭に降り立った。
「ね、ナル?」
ん? と問いかけるような優《やさ》しい視線があたしに向く。
「夢の方向を示した、って前に言ったでしょ? 今までもずっとそうだったの?」
これには返答がない。ただやんわりと微笑《ほほえ》んだだけだった。
入り江からは細かな光が次々に吹き上げてくる。
「麻衣《まい》……」
「なに?」
呼ばれて振り返ると誰《だれ》の姿もなかった。
「ナル?」
「――麻衣」
どこ。どこから声がしてるの?
「麻衣っ!」
は、ははははいっ!
あたしはいきなり目を覚ました。目の前に呆《あき》れたような真砂子《まさこ》の顔。
「あ……」
あわててあたりを見回すと、ここはベース。あたしは壁《かべ》にもたれてウトウトしていたらしい。真砂子のほかに姿は見えない。窓からは朝の光が射《さ》しこんでいる。
「ご、ごめん。呼んだ?」
真砂子は冷たい目つきをする。
「呼ばなかったほうがよかったみたいですわね」
「べつに……」
「誰《だれ》かさんとデート中だったんでしょう?」
ななな……なにをいきなりっ!?
真砂子は意地悪《いじわる》っぽく笑って、
「あたくしのことを誰かとまちがえたみたいでしたわねぇ。……とかなんとか」
げっ!
「ち、ちがうっ! それは誤解でちがうの、本当はそうじゃなくて、誤解されるようなことじゃなく、あのっ……」
冷や汗がだーらだら。
真砂子はちょっとふくれっつらをして、それからあたしの顔をのぞきこむ。
「何か手がかりがありまして?」
あたしは夢を思い出し、すとんと気分が下降してしまった。
「……奈央さんが洞窟を何度も通ってた」
真砂子は怪訝《けげん》そうな顔をする。
「洞窟を?」
「うん。何度も海から入り江に通っていくの。再生の儀式……かな」
「ああ、暗い穴を通り抜けるわけですものね。胎内《たいない》めぐり」
「胎内めぐり?」
「神社やお寺にそういう場所がよくありますわ。暗いトンネルがあって、それをお母さんのお腹《なか》に見立てるんですの。トンネルを抜けて外に出ると、もう一度生まれたことになるんです」
へぇぇ。
「ですけど、どうして奈央さんがそんなことを。……転生の手続きですかしら」
「転生って、生まれ変わりのこと?」
「ええ。……よくわかりませんわね」
……うん。
「みんなは?」
「玄関に……。――戻ってきましたわ」
真砂子が部屋の入り口を示すと、廊下のほうからにぎやかな人声が近づいてきた。格子戸《こうしど》を開けて、みんなが戻ってくる。その人数がひとり多いのにあたしは気づいた。
「……安原《やすはら》さん!」
あたしが声をあげると、みんなに囲まれていた安原さん(安原修。もと依頼者)が笑顔を向ける。気ぬけするくらい明るい笑顔。安原さんの性格がそのまま表情になって表れたみたいな。
「あ、谷山さん、どうも!」
あたしはなんだかほっとしてしまった。こんな辛《つら》い気分のときに、明るい笑顔を見るのはうれしい。
「やっぱぼーさんが呼んだのって、安原さんだったんだー」
「そう、僕《ぼく》だったんです」
「今着いたとこ? たいへんだったでしょ?」
安原さんはコックリうなずく。
「本当、たいへんでしたよ。我ながら自分の手際《てぎわ》のよさにうっとりしちゃいましたね」
「どこから来たの?」
「沖縄《おきなわ》でして」
ひえぇぇ。
「よく着いたねぇ」
昨日の今日で。しかもこんな朝はやく。
「でしょう? 電話切って、すぐに荷物まめとて空港に行って、友人が危篤《きとく》だってことにして」
「友人が危篤?」
「はぁ。単に遊んでたわけじゃなくて、僕バイト中だったんです。リゾート・ホテルのボーイでして。友人の滝川《たきがわ》ってのが事故って危篤だって。そう言って抜けてきたんですよね」
ぼーさんが苦笑する。
「誰《だれ》が危篤だ、誰が」
「まぁまぁ。そんで、福岡《ふくおか》までの便をなんとか捕まえて。最終の新幹線に乗って大阪まで行って。そこからさらに夜行に飛び乗って。で、朝一番に着いたというわけです」
「えらい」
拍手《はくしゅ》しちゃうわ、あたし。
「でしょう?」
笑って安原さんはぼーさんを見た。
「それで? 僕は何をすればいいんですか?」
「俺《おれ》たちはここから動けない。少年は外で情報を集めてもらいたいんだ」
「はぁ、なるほど。探偵《たんてい》をやればいいんですね。でも、どういう性質の情報を?」
「詳《くわ》しいことは今から説明するが……」
言ってぼーさんは安原さんに聞く。
「そう言や、少年。安政年間ってのは何年ぐらいだ?」
「安政の大獄《たいごく》が一八五八年ですよね。そのくらいじゃないでしょうか」
えらい。さすがだ。
「ま、そういう種類の情報だ」
「了解しました」
2
安原《やすはら》さんはお茶を飲む暇《ひま》もなく出ていって、残されたあたしたちは昨夜のデータをチェックする。再生し始めてすぐに、あたしたちは全員顔をしかめざるをえなかった。
「なんだ……? この音は」
どのカメラにも入っている低い音。まるで海鳴りみたいな。ゆるやかに大きくなったり小さくなったりを繰り返して、何か巨大な獣《けもの》の息づかいのように聞こえる。
「恐竜の寝息みたいや……」
変な形容をしたのはジョンだった。
「言えてる……」
あたしたちはしばらくその気味の悪い音に聞き入っていた。
その日の午後も遅《おそ》くなってからだった。ベースでダラダラしていたあたしたちは、けたたまましいベルの音で立ち上がった。
「……なに!?」
「火災報知気じゃねぇのか」
廊下《ろうか》に出てみると、母屋《おもや》のほうに微《かす》かに煙《けむり》が流れている。走って行ってみると、母屋の奥のほうで煙が上がっているのが窓越しに見えた。
「……あれ、おばあさんの部屋じゃない!?」
「近そうだな」
走っていくと、おばあさんのいる座敷に通じた奥の廊下で火の手が上がっていた。
「滝川《たきがわ》さん!」
毛布で火を消していた彰文《あきふみ》さんが声を上げる。灯油か何かの臭《にお》いがした。
「だいじょうぶか!? おばあさんは」
「今、窓のほうから父たちが行ってます」
「チビさんたちは」
「もう外に出しました」
裕恵《ひろえ》おばさんが消火器を抱《かか》えて駆けつけてきた。あたしはそれを受け取る。
「もっとあります!?」
「あります。いま集めてきます」
言って裕恵おばさんは走り去っていく。ジョンが手を出すので消火器を渡して、あたしも裕恵おばさんの後をついていこうとした。その時だった。リンさんがふいに背後を振り返った。
「……ナル」
「え!?」
リンさんが身を翻《ひるがえ》して駆け出す。
「この場をお願いします!」
お願いって……。反射的にあたしも駆け出していた。
「麻衣《まい》!?」
「綾子《あやこ》、真砂子《まさこ》と消火器を集めて!」
ぽかんとした綾子に怒鳴《どな》って、あたしはリンさんの後を追う。
……みんな、ごめんっ。
リンさんはベースに駆けこむ。あたしもその後を追ってベースの中に飛びこんだ。
「あ……!?」
ベースの中にはリンさんと、そしてもうひとり――和泰《かずやす》さんがいた。
和泰さんはリンさのほうをうかがいながら、握った包丁《ほうちょう》で隣《となり》の部屋に通じる襖《ふすま》を引き裂いている。片手をかけて襖をゆすり、開かないのにじれて刃先を紙に突き刺す。ぴったりと閉められた襖はそのせいでズタズタだった。
「和泰さん……」
「まだ憑依《ひょうい》された者がいたというわけですね」
言ってリンさんは和泰さんを見る。
「やめなさい。それを開ければあなたが死ぬことになります」
和泰さんは吼《ほ》える。刺した包丁を大きく引く。襖に深い傷ができた。
「谷山《たにやま》さん、九字《くじ》を撃《う》ってみますか」
「そんな……!」
やっちゃいけないって、言われたもんっ。
「私だと大ケガをさせてしまいます」
「でも!」
「あの結界はそんなにはもちません。ナルを起こされたら終わりですよ」
でも……。とっさに目の前に浮かんだのは、克己《かつき》くんと和歌子《わかこ》ちゃんの背中にできた火傷《やけど》だった。人にケガをさせることは怖い。人を傷つけることは自分が傷つくことよりも怖い。
和泰さんがもう一度包丁を突き立てた。襖に長い穴が開く。裂け目から横たわったナルの白い横顔が見えた。弾《はじ》かれたように手をあげたけど、その手が動かない。あたし、やっぱり迷《まよ》ってる……。
リンさんが指笛を吹いた。和泰さんが襖《ふすま》にできた穴にさらに刃先を突き立てる。穴が広がって――。
その時に見てしまったモノはあたしを硬直させた。穴から外へ出てきた――赤い腕。なんだかねじれたような子供ほどの長さの腕。肌《はだ》はなめした革《かわ》のようで、しかも血に濡《ぬ》れたように赤い。コブのように節のたった指と、指ほども長い爪《つめ》と……。
それは空気をかき切る速度で動いて穴の中に消えた。一拍遅れて血糊《ちのり》が飛んで襖の表面に散る。和泰さんが包丁を取り落とした。その腕に刻《きざ》まれたえぐったように深い四筋の傷――。
呆然《ぼうぜん》としてしまったあたしをよそに、リンさんがするりと動く。あっという間に流れ出した血で真っ赤に染まった腕を抱いてうずくまった和泰さんに近づいた。もう一度血糊が飛んだ。飛沫《しぶき》が襖に斑《まだら》を描く。今度血を流したのはリンさんのほうだった。
「リンさんっ!」
ざっくり切れた腕を和泰さんに突き出す。それよりも速く和泰さんがさがる。猫のように飛びさがった。その動きは人間のものとは思えない。
「臨《りん》……」
「あたしは手をあげる。
「兵《ぴょう》……闘《とう》、者《しゃ》」
こんな……おそろしい戦いはさせられないっ!
「皆陳烈在前《かいぢんれつざいぜん》っ!」
和泰さんが吼《ほ》えた。転《ころ》がるように畳の上に倒《たお》れこむと、すぐさま起き上がってこちらへ向かって突進してくる。真正面から体当たりされてあたしは思わず悲鳴をあげた。弾《はじ》き飛ばされて背中をしたた柱にぶつける。瞬間、息が止まったけれど、すぐに大きく頭を振った。
……和泰さんは!?
部屋の中にはいない。ベースを飛び出していくリンさんの姿が見えた。足をもつれさせながら、その後を追う。廊下《ろうか》に出ると、和泰さんが廊下の突き当たりにある窓を突き破って外にとびだすところだった。
「谷山さん、滝川さんを呼んでください! ベースに誰《だれ》か人を!」
「はいっ!」
3
母屋《おもや》に向かって走ったところで、すぐに戻ってくるぼーさんたちに会った。
「どうした」
「和泰《かずやす》さんが……」
なんと言えばいいんだろう。
「ベースを襲ったの。リンさんと乱闘になって……庭に逃げて行った。ぼーさんに来てって」
「――ジョン、来い!」
「はいですっ」
駆け出していくぼーさんたち。彰文《あきふみ》さんがそれに続く。その後を追おうとした綾子《あやこ》をあたしは止めた。
「ベースにいて! また襲われないように」
「麻衣《まい》は」
「あたし、追いかける」
もう足は走り出してる。
「ちょ……! 止《や》めなさいよっ! あんたなんかが行ったって!」
「あたし非力だから、あたしにしかできないことがあるのっ!」
あたしは庭に飛び出す。周囲を見渡す。リンさんと和泰さんはどこへ行ったの!? 少し先でぼーさんたちもあたりを見回している。ふいに岬《みさき》のほうで指笛の音がした。
「ぼーさん、あっち!」
あたしたちは走る。広い庭を駆け抜けて、茶室を回りこむとリンさんの姿が見えた。
「リンさんっ」
ちら、と視線をこちらに向けたリンさんは傷が増えている。奥の植え込みに身を潜《ひそ》めた和泰さんが見える。
「滝川《たきがわ》さん、気をつけて。彼はカマタイチを使います」
「……あいよ」
和泰さんは追いつめられた獣《けもの》みたいに喉《のど》の奥でうなり声をあげている。リンさんとぼーさんがそれをじりじり包囲する。息が切れて、目眩《めまい》がして、あたしは垣根に手をついた。緊張と疲労で、吐《は》き気《け》がする――。
「麻衣《まい》さん、ダイジョウブ……」
ジョンの声は最後まで聞こえなかった。
突然ぐらりと景色が揺《ゆ》れる。ひずんで、ねじれて、垣根にすがったときに、背中を強く突き飛ばされた。
――落ちる!
身体《からだ》が硬直する。景色が揺れて、崖《がけ》の下の水面がいきなり視野に飛びこんできた。波に現れている岩場と真っ白に泡《あわ》だった波と……。墜落《ついらく》する。あれにたたきつけられたら生きていられない。
とっさに視線を動かした。足元に崖の縁が見えて、そしてそこで時間が止まった。あたしは宙に投げ出されている。あたしが離れてしまった崖の縁には垣根が見える。そして、そこに人影。垣根の縁をつかんで、あたしが落ちていくのを見ている無感動な顔……。
「麻衣さんっ!?」
ジョンに呼びれたあたしは我にかえった。
あたし、落ちてない。ちゃんと手は垣根をつかんでいる。足はちゃんと……膝《ひざ》が砕《くだ》けてその場に座りこんだ。
「谷山《たにやま》さん」
ぽろぽろ涙がこぼれた。
「……和泰さんがやったんだね」
植えこみの中から和泰さんが顔を出す。あたしのほうを見た。
「奈央《なお》さんをここで突き落としたんだね」
頭の中に浮かび上がる映像。夕暮れの部屋。そこには鳥篭《とりかご》があって和泰さんは籠の中に手を突っこんでいる。鳥のかんだかい悲鳴のような鳴き声がして……。
「鳥を殺したのも、犬を殺したのも和泰さんなんだね」
庭。車庫から出てくる彼。それを見ている克己《かつき》くんと和歌子《わかこ》ちゃん……。
「車に細工《さいく》をしたのも。……みんなあなたなんでしょ?」
涙が出て止まらなかった。それは和泰さんのしたことであって、したことじゃない。
すっとぼーさんが刀印を構えた。
「……お前さんは何者だ?」
植えこみからはうなり声だけが聞こえる。
「なんの恨《うら》みがあってこんなことをする」
バッと霧を吹いたように血煙があがった。ぼーさんの腕に赤い傷ができる。
「何者だ、言ってみろ!」
植えこみから低い笑い声が響《ひび》いた。
「ナルを解放してどうする」
返答はない。ただ含み笑うような声が植えこみから響いてくるだけ。
「何が目的だ」
やっと低い声がこたえた。
「死が」
突然身を潜めた植え込みから躍《おど》り出ると、身を低くして庭を駆け抜ける。眼で追うよりもずっと速かった。和泰さんの駆け抜けた方向に視線が追いついたときには和泰さんの姿はどこにもなかった。
突き倒された垣根と、いっぱいに光を含んだ空が広がっていただけだ。
あたしが入り江側の垣根にたどり着いたときには、入り江の水面に広がった真っ白な泡《あわ》の中に人影が浮かんでいた。我にかえったように駆け出そうとしたぼーさんを彰文さんが止めた。
「もう……間に合いませんから」
「しかし……!」
言ってからぼーさんも息を吐《は》いてうつむく。
泡の中にうつ伏せで浮かんだその人の、首はとても妙な角度に曲《ま》がってしまっていた。誰《だれ》が見ても、もう間に合うはずのないことがわかる。
「こんなの……」
前の事件でだって人が死んだ。でも、それはあたしの眼の前でじゃない。
「こんなの、ないっ!」
どんどん涙があふれてきて、眼を開けていることができなかった。
「あたしたち、なんのために来たの!? ぜんぜん何もできないでっ!!」
胸の中に辛《つら》い悲しいものがぎっしり詰まっていて、呑《の》みこむことも吐き出すこともできなかった。この苦いものが喉《のど》に詰まって、きっと窒息してしまうんだと思った。誰かが背中をなでてくれた。暖かい腕が肩にまわる。
「……誰のせいでもないですから」
彰文さんの声がした。
「谷山さんのせいでも、滝川さんのせいでも、誰のせいでもないんです」
返事ができない。眼を開けることもできない。あたしはうつむいて、彰文さんの肩口に額をこすりつけていた。
「できるかぎりのことをしてくださったと知っています」
それでも、人を死なせてしまっては意味がない。
「これでよかったんだと思います」
「……そんな……!」
顔をあげると、彰文さんが涙をこぼしていた。
「少なくとも兄は……自分のしたことを知らずにすんだのですから」
……自分のしたこと。妹を突き落として死なせてしまったこと……。
あたしはうなずいた。それでも涙が止まらなかった。
4
夜に戻ってきた安原《やすはら》さんは、和泰《かずやす》さんの話を聞いてひとつだけ溜《た》め息《いき》をついた。
「元気、出しましょう。まだ終わったわけじゃないんですから」
……うん。
「こんな犠牲《ぎせい》出して、負けて帰ったらそれこそなんのために来たんですか」
言って安原さんはとほうもない量のコピーをテーブルの上に投げ出す。
「さ、宿題をかたづけちゃいましょう」
「宿題?」
「そ。まず、これが滝川《たきがわ》さんのご要望の新聞です」
安原さんはとじたコピーをひとつずつ示す。
「これが先代のとき、先々代のときです」
「お疲れさん」
安原さんはぼーさんにコピーを渡して、
「要約するとこういうことです。先代――つまり彰文《あきふみ》さんのお祖父《じい》さんから家を譲《ゆず》られたとき、八人の人間が死んでいます。詳《くわ》しい内訳は新聞を見てもらうとわかりますが、四人は心中。残り四人のうち、ひとりが自殺、ひとりが事故、ほかのふたりが原因不明の急死です」
「心中……か」
「ええ。次男が妻と二人の子供を殺して死にました。無理心中というやつですね。客がふたり死んでますが、これは原因がはっきりしません。海岸に死体が上がったので一応事故ということになってますが、怪《あや》しいと僕《ぼく》なんかは思いますね。死んだ霊能者が三人、ふたりは自分たちで焚《た》いた護摩《ごま》の火が衣に燃え移って死んでます。のこりひとりは原因不明の急死。計十三人です」
「十三、ねぇ」
「その前、ひい祖父さんの時には新聞に載《の》っているだけで家族が六人です。ただ、戦前のことですので、本当に六人だったか怪《あや》しいと思いますね。死んだ六人というのは、井戸に入っていた毒物のせいで死んだんです。これは金沢《かなざわ》のお店を閉めてこちらへ移ってきてすぐのことです」
「じゃ、何か? 曽々祖父《ひいひいじい》さんが死んだのは、こっちに移ってきてからか」
「そのようですね。享年七十八歳ですから、ずいぶん高齢ですよね。もう息子に店を譲ってたんじゃないでしょうか。――それから、これが過去帳」
「ああ、コピーさせてもらえたか」
「ええ。朝一番にお寺へ行ってコピーさせてもらって。それから市立図書館に寄ってすぐに金沢に行ってきたんですが……」
「金沢まで行ったのか!?」
「行きましたとも。もー、走った走った。その電車の中でですね、コピーの束《たば》を見ていて、僕《ぼく》は妙なことに気がついたんですよね」
「妙なこと?」
「はい。お祖母《ばあ》さんは『代替わりのときに必ず変事が起こる』と言ったそうですが、実際にこの吉見《よしみ》家で代替わりの時に大量の死人が出ているのは、先代と先々代、このときだけなんです」
「見せてくれ」
ぼーさんは過去帳のコピーをひったくる。
「その前の代のときには、別に異常なほど死者が出たわけじゃないんですよね」
「確かにそうだ……」
「これは妙なんじゃないかと思いまして、帰りにもういちどお寺へ寄って、本家分家、全部の過去帳を見せてもらいました。そのコピーがこれです」
安原さんはコピーを突きつける。
「結論を言いますと、問題は吉見家にあるんじゃなくて、この場所にあるんですよ」
「……なに?」
「彰文さんたちの一族――金沢の分家と呼びます――は、ここに越してきてから変事にみまわれるようになりました。その前には本家筋の一家がここに住んでいたんですが、金沢の分家が戻ってくる五年ほど前に一家が絶《た》えてしまっているんです」
「ふう……ん」
「しかもですね。本家がここにやってきて、最初の死者が出たのが安政三年。それ以前は吉見家というのはこの土地にはいなかったようなんです。じゃ、その前にはここは誰《だれ》の所有だったかといいますと、藤迫《ふじさこ》家というおうちのものだったんですね。この藤迫家が、安政元年に途絶しています」
そう言って、安原さんは得意そうに別のコピーを引っ張り出す。
「これが、住職を拝《おが》み倒してコピーさせてもらった。藤迫家の過去帳です」
「えらい」
「でしょ? 藤迫家のぶんは二代しかないんですが、それ以前のものは過去帳が残ってなかったんです。つまりですね、ここでまとめますが」
言って安原さんは軽く咳払《せきばら》いをする。
「この場所はもともと藤迫家のものでした。それが変事のせいで絶えたあとに入ってきたのが吉見家。この吉見家はここに四代住んでいたんですが、四代目でこれも絶えたわけです。その後に入ってきたのが、その分家すじのこの一族、ということになるわけです」
ぼーさんは髪をかき回す。
「じゃあ、問題は家系じゃなくて、場所なのか……」
「そのようですね。それでですね、僕《ぼく》はこのあたりの歴史とか伝説を調べてみたわけです。その結果が、これ」
安原さんが積み上げたコピーの束《たば》は、ゆうに本二冊ぶんはある。
「これだけのもんを一日で調べたのか……? 金沢まで往復しつつ?」
呆《あき》れたようなぼーさんの声に安原さんはニッコリ笑う。
「ふっふっふ。僕《ぼく》は要領がいいですからね」
「要領がいいって……お前」
「お寺に行って過去帳をコピーしてもらったあと、市立図書館に行ってですね、新聞を閲覧《えつらん》するより先にしたことがあります。それはなんでしょう?」
「……なんだ?」
「ヒマそうな学生風の女の子をつかまえて、バイト持ちかけたことでーす」
頬杖《ほおづえ》をついていたぼーさんは、カクンと顎《あご》を落とした。
「バイトを雇《やと》ったのか」
「そうですとも。急ごうと思ったら人海戦術《じんかいせんじゅつ》しかないでしょう?」
……そら、そーだ。
「金沢でもコピー要員をひとり確保しまして。こっちに残した子と電話で連絡をとりつつ、これだけの資料を集めたわけです」
……す、すごい。
ニンマリ笑って胸を張った安原さんはリンさんを見る。
「そういうわけで、そのバイト代は『渋谷サイキック・リサーチ』から出ますよね」
リンさんがさすがに苦笑する。
「出しましょう」
「あー、よかった」
胸をなで下ろしたのが、妙におかしかった。
5
「えーとですね、それでこの場所に関することなんですが、調べていくうちにちょっと面白《おもしろ》い話を聞きこみまして」
「面白い話?」
「ええ。それが、よくある異人《いじん》殺しの民話なんですけどね」
「偉人? ……殺しぃ?」
なんだ、それはぁ?
あたしが声をあげると安原《やすはら》さんは笑う。
「言っときますが、偉《えら》い人の偉人じゃないですよ。『赤い靴』のほう。『異人さんに連れられて行っちゃった』って、知りませんか?」
「ああ、外国人のこと」
つまりはジョンだな。
「ええ。ただ『異人殺し』の『異人』は少し違《ちが》うんですけどね。どちらかというと『よそ者』みたいな意味でしょうね」
ふに?
「昔は村というのは閉鎖社会だったわけです。誰《だれ》も出ていかないし、誰も入ってこない。村人は地縁的にも血縁的にも深く結ばれてて――つまり、ご近所さんで親戚《しんせき》だったわけです」
「ふむふむ」
「ところがそこに諸国を歩きま回っている行商人がやってきたとするでしょう? 彼は村人とは地縁的にも血縁的にもなんの関係もない。村人とはまったく異なった人、すなわち『異人』です」
「あー、なるほど。広い意味でいうと、外人さんも『異人』なわけね」
「そうです。でもって、村に入ってきた『異人』を殺した、という昔話が各地に残ってるわけですが、これを『異人殺し』と分類するんです」
「ほほう」
「しかも『異人殺し』と呼ばれる昔話の場合はもっと『異人』の範囲が狭《せま》いんですよ。薬売りだとか行商人だとかいろいろといる中で、いわゆる『マレビト』が殺されるのが常なんです」
あたしは恨《うら》みがましく安原さんを見てしまう。
「またそうやって、あたしの知らない言葉を使って混乱させるぅ」
「これは失礼。つまり折口信夫《おりぐちしのぶ》という人が『マレビト』と言ってて、これはどういうものかというと『来訪神』と、神を背負って村から村へ渡り歩く人のことをいうんですね」
……あー、……わからん。
「来訪神というのは来訪する神ですね。どこからか村へやってきて村人を祝福したり訓戒《くんかい》を垂《た》れたりする。これが拡大されて、どこからか村へやってきて村人を祝福したり訓戒を垂れたりする神の代理人も『マレビト』と呼ぼうと」
「何がなんだか」
「神様や仏様や精霊や、そういう普通の人にはかかわり合いになることのできない超自然的な力とうまく付き合うことのできる人がですね、村へやってきて普通の人にはできないことをしていく。予言をしたり、雨を降らせたり、豊作を祈願したり、あるいは狐《きつね》を落としたり妖怪《ようかい》を退治したり怨霊《おんりょう》を除霊したりするわけです」
……んー。ということは。
「んじゃ、あたしたちも『マレビト』になるわけ? 東京から来たよそ者で、超自然的な力を使って悪霊《あくりょう》退治をするわけでしょ?」
安原さんは手を叩《たた》く。
「そう。そうなんですよ。『マレビト』というのはですね、あっちこっちを渡り歩く巫女《みこ》とか坊主とか、そういう人たちを言ったんですよね」
「だったら最初からそう言ってよぉ」
「まぁまぁ。そういう『マレビト』を殺す、という昔話のパターンが日本にはあるわけです。それを『異人殺し』の民話と呼ぶわけですね」
「ふむふむ」
「だいたい村へやってきた『マレビト』が、やな奴《やつ》だとかお金を持ってたとかいう理由で殺されて、その結果崇《たた》りが起こる、とそういう話です。『マレビト』というのは軽蔑《けいべつ》の対象であり、同時に畏怖《いふ》の対象だったんですよ。だから彼らの生命は軽視されてささいな理由で殺されてしまうわけですが、同時に畏怖される存在でもあったので殺したのちに崇りが起こったりするんです。本当に崇りがあったかはともかく、『マレビト』を殺してただですむわけがない、という恐れの表れがそういう伝説になって残ったんでしょうね」
「それはわかるなぁ。あたしたちだってバカにされたり、意味もなくありがたがられたりするもんね」
安原さんはうなずく。
「でしょう? ――それで、ここに残る『異人殺し』ですが」
そう言ってノートを開く。
「これにはふたつパターンがあります。どっちが本当にあったことなのか、それともどちらもあったことなのか、はたまたどちらもなかったことなのか、それはよくわかりまんせけどね。――まずタイプA」
安原さんはノートを読み上げた。
「昔、村に三人の修験者《しゅげんじゃ》がやってきた。彼らは『おこぶさま』を見て、これは崇りをなすものだから除霊をしようと言う。除霊をしてみると、『おこぶさま』はいつの間にか金の仏像に変わっていた。ありがたい仏像が波に洗われてこんな姿になったために祟るのであろう、と言って行者はその仏像を都へ持ち帰りお堂を建てて祀《まつ》ることにした。ところが村の長者がこれを見て、金の仏像欲しさに行者を海岸に連れていって殺してしまったが、行者を殺すと同時に金の仏像はもとの木の棒になってしまった。ほどなく長者の家は不幸が続いて絶えてしまったので行者の祟りといわれる。――これがタイプAです」
なるほど、なるほど。
「もうひとつ。昔、村に三人の座頭がやってきた。彼らは『おこぶさま』を見て、ありがたい神様であるから社《やしろ》を立てて祀るべきだ、と言う。しかし村人はこの年の凶作で年貢《ねんぐ》の払いにも困っており、そんな余裕がなかった。しかも村人のひとりが座頭たちが大金を持っているのを見てそれを伝える。村人は集まって座頭を殺してしまおうと相談をまとめ、座頭たちを長者の家に呼ぶ。食事に毒をまぜて座頭を殺し、お金を奪って死体を海に捨てた。それ以来嵐や高波が続いたので、村人は後悔して『おこぶさま』を祀《まつ》る社《やしろ》を建て座頭の塚を建てた。それで災害がやんで以来豊作に恵まれたという。――これがタイプBです」
「ひどい話……」
「まぁ、『異人殺し』というのはそういうものですから」
そう言って安原さんは身を乗り出した。
「これって単なる伝説とは思えないんですよ。『マレビト』が三人とか、『おこぶさま』とか共通する事項が多いでしょう? このふたつをまとめるとですね、こういうことになります。村に三人の『マレビト』がやってきて『おこぶさま』について何かを言ったと。しかし結局この『マレビト』は欲ボケした村の人間によって殺されてしまった。犯行には『長者』が関係していて、死んだ場所あるいは死体を捨てた場所は海です。この結果、村に悪いことが起こった、と。ふたつとも話の大筋は結局のところ同じなんですよ」
ぼーさんがパチクリする。
「すると、何か? 過去に実際、そういう事件があったんじゃねぇかという?」
「だと思うんです。実際にモデルになる事件があって、それが語り継《つ》がれていくうちにふたつのタイプに分裂してしまったんじゃないか、って」
「ふぅむ……」
「それでですね、実際に郷土史を調べてみると、出てきました。『御小仏様《おこぶつさま》のこと』という伝説が」
「御小仏さま? おこぶさまじゃなくて?」
「ええ。ですけどね、タイプAとよく似た話なんですよ。どこかこのへんの海岸に木の棒が打ち上げられて、これをお坊さんに見せたところ、ありがたい仏さまじゃ、って言われるんです。実際そのお坊さんがお経《きょう》を唱《とな》えると、木の棒がたちまち金の仏像に変わった。一夜明けるともとの木の棒に変わっていたけれど、以来それを『御小仏様』と呼んで祀ることにした、って話なんです」
「なるほど、たしかに似てるな。するとタイプAのほうが実話か」
「そう即断するのは危険だと思いますけどね。やっぱりもとになる実話があったんだと思うんですよ」
ぼーさんはうなずいて少し考えこんだ。
「三人の行者……もしくは座頭……」
「どうしました?」
「神社にあった塚だよ」
「ああ、『十八《とはち》塚』?」
「なんでそういう名前なのか、わかったか?」
「いえ。それについては手がかりなしです。また明日、調べに行きますが……」
「塚が三つあっただろう? 別名を『三六《さんろく》塚』。『三つの六塚』じゃねぇのか」
「――ああ、なるほど。ありえますね。でも『六塚』って?」
「『六部塚』ってのは?」
安原さんが手を叩《たた》いて大きくうなずいた。
「あ、そうか! 『三つの六部塚』、これが省略されて『三六塚』か。そうるすと、タイプBの最後の部分とぴったりあてはまるんだ。『社《やしろ》を建てて塚を建てた』っていう」
あたしはぼーさんに聞いてみる。
「ろくぶってなに?」
「全国六十六箇所の霊場をまわる行脚僧《あんぎゃそう》のことだ。写経した法華経《ほけきょう》ってえ経典を一部ずつ納めることから、『六十六部』とか略して『六部』とか言う。諸国をうろつく行脚僧のこともそう呼ぶようになった。つまりは『マレビト』だ」
「へぇぇ」
あたしが声を上げるのと同時に、安原さんが猛然とコピーの束をひっくり返し始めた。
「……どしたの?」
「『六部塚』ですよ。どっかに……これだ!」
安原さんは綴《と》じたコピーを引っ張り出す。
「このあたりにあったという『六部塚』についての伝承なんですけどね、『六部塚』がないんで見過ごしてました。ええと……」
コピーをめくって読み上げる。
「いつのことだかは書いてありませんが、昔このあたりに飢饉《ききん》が起こって、困った村人が一揆《いっき》を起こすんですね。けれどこれは結局|鎮圧《ちんあつ》されてしまうんです。その時に首謀者を差し出せば村人の命は助けてやる、って言われて、村人は首謀者を引き渡してしまうんです。首謀者は逃げ出すんですけど、『六部塚』まで逃げたところで追っ手に捕まって、その場で首を切られてしまう。それ以来、村に疫病《えきびょう》がはやったり変な地鳴りがしたりおかしなことが続いたので、これはその首謀者の祟《たた》りだってことになって、『六物塚』の隣《となり》にお墓を建てるんですけど少しもやまない。結局そこに寺を建て、手厚く墓を祀《まつ》るとようやく怪異が静まった、とあります」
ふいに、頭の中で声が響いた。
(――この……裏切り)
「『六部塚』の隣ぃ? それって、ここのことじゃないの」
綾子が言う。ぼーさんもうなずいて、
「社の左は海だし、道路を挟《はさ》んだ向かいに山があるが、向かいを隣たぁ言わねぇだろう」
「まだあります。――昔このあたりに一揆が起こったことがあって、その首謀者は『六部塚』の近くで首をはねられた。近くに墓を建てて手厚く葬《ほうむ》ったが、その墓に悪戯《いたずら》すると首に妙なできものができ、やがてそこから腐《くさ》って首が落ちるという」
綾子《あやこ》とジョンが声をそろえた。
「首に妙なできもの」
安原さんは猛烈《もうれつ》ない勢いでコピーの束をめくる。
「郷土史によると――。このあたりで一揆《いっき》が起こったのは一度だけですね。こういう記事があります。文久二年、つまり一八六二年にこのあたりで一揆が起こり、その首謀者五人が斬首された、と」
(首謀者……五人!?)
(誰《だれ》がいた? あたしとナルとぼーさんと綾子とリンさんと……五人)
「ちょっと待ってよ。『六部塚』に関係する一揆と、文久二年の一揆は、たぶん同じものよね? その一揆の首謀者が五人でしょ。でもってそのお墓を神社の隣に建てて――?」
綾子が言って、ジョンとぼーさんが顔を見合わせた。
「庭の石!」
(――必ず末世《まつせ》まで呪《のろ》ってやる)
あれは……このことだったんだ……。
4
「さあーて、ほんじゃ行ってみるか」
「ぼーさん?」
「一揆の五人と三人の六部。どっちがこの事件の犯人だと思う?」
ぼーさんがあたしたちを見渡す。あたしたちは困惑《こんわく》して顔を見合わせた。
安原《やすはら》さんが、
「どちらかを限定するには、手がかりが少なすぎますよ」
そう言うと、ぼーさんは軽く息をつく。
「となりゃ、――ジョン。五人と三人と手分けしよーぜ」
「ハイ」
「リンさんや、あんたはどーする」
聞かれてリンさんは、
「私はいけません。今日の騒《さわ》ぎで式をひとつ飛ばされたので、ここを離れられません」
「飛ばされた?」
あたしが聞くと、
「ええ。消えた気配はないのでしばらくすれば戻ってくるでしょうが、それまではここにいないと。ナルが無防備になりますから。――ひとつもうしあげてよろしいですか?」
「なんだえ?」
「力を分散しないほうがいいと思います。猛烈な抵抗があると思いますよ」
ぼーさんは眉《まゆ》をあげる。自分の腕に巻かれた包帯を嫌《いや》そうに見た。
「……ったく。――どちらにしようかな、と」
ぼーさんは指をあげる。岬《みさき》のほうを示して、
「数の多いほうから片づけるか。一揆の五人からだ。除霊してみる」
そう言ったときだった。突然横殴りにされたような衝撃が家の中を駆け抜けたのは。
「なんだ!?」
声をあげるまもなく、廊下《ろうか》を駆け抜ける激しい足音が聞こえた。
「滝川《たきがわ》さん、温度が下がります」
リンさんの声に振り返ると、六機あるサーモグラフィーの映像が染めていくみたいに青くなっていく。数字のデータだけが映っている画面の、その数字がどんどん変化していく。見ている間に「|ERROR《エラー》」の文字があちこちに増えて、あっという間に画面全体が「ERROR」の文字で埋《う》めつくされた。
「三号機、止まりました」
三号カメラの映像が途切れた。それを皮切りに次々にモニターの画面が消えていく。
「こいつは……」
ぼーさんの声に安原さんが、
「先手を打たれる、というやつですね」
「訪《たず》ねていこうと思ったのに、むこうから出向かれちまったよ」
「それって、もうけじゃないですか」
「美人が相手ならな」
「そうか、見苦しい女性が相手だと迷惑なだけか」
「そういうのにかぎってしつこいんだ」
「なるほど、経験者の言葉は重みがあるなぁ」
……ぼーさんと安原さんが組むと、緊張感も何もねぇな。
廊下では激しい足音が続いている。それにかぶって、低い音が聞こえ始めた。ジョンのいう「恐竜の足音」。地を這《は》うように低い音がじょじょに強くなって、それが人の声だとわかった。低い低い、人のうたうような声。
「へぇ、お経《きょう》の声ですね」
「相手が六部なら、さもありなん、ってとこだな。三人のほうが犯人か」
「押しかけてきたのはお坊さんかぁ。あまり有り難くないですね」
「せめて、尼《あま》さんならなぁ」
……いつまで不心得なマンザイをしてんだ。
「少年はここに残れ。リン、頼むぞ」
「はい」
「麻衣《まい》、綾子《あやこ》、真砂子《まさこ》。俺《おれ》たちがようすを見てくる。それまでここに残ってろ」
「あら、行くわよ」
綾子の強い声に、
「うかつに出るとカマイタチをくらって、とっても痛い」
「危険は承知のうえよ」
「その性格で傷モノになると、嫁《よめ》のもらい手がなくなるぜ。――と、いうわけでジョン。仲よく貧乏クジを引こうや」
「はいです」
ぼーさんとジョンがベースを飛び出していく。その後を追おうとした綾子をあたしは止める。
「待ってろって言われたでしょ」
「だからって、おとなしくしてられないじゃない」
「あたしらが行っても邪魔になるだけだよ。せめてようすを見よう?」
「あんたといっしょにしないでくれる? アタシはこれでもプロなんだからね」
怒鳴《どな》られてあたしはムッとしてしまった。
「そのわりには役にたったこと、ないじゃない」
「しかたないでしょ。こっちにだって都合《つごう》があるんだからっ。ここならできる」
……ここなら、できる?
問い返そうとしたとき、いきなり明かりが消えた。
「なに?」
「送電線が切れるか、ブレーカーが落ちるかしたようですね」
リンさんの冷静な声がする。窓から入る月明かりのせいで、すぐに闇《やみ》に目が慣《な》れた。
「とにかく、アタシは行くわ」
「ちょっと、綾子!」
そのとき、突然真砂子が声をあげた。
「……あれ!」
真砂子が指さしたのは、窓だった。窓の上の軒《のき》から、細長いものがぶらさがっている。それは人間の腕に見えた。腕が一本だけ、ぶらさがっている。
見ているうちに、その手が宙をかいた。もがくようにうごめいて、もう一本の腕がぶらさがってくる。二本の腕で軒をつかむ。そうして軒の端から逆さまに人の顔がのぞいた。 男の顔だった。男は部屋の中をのぞきこむようにして、それからそろそろと身を乗り出す。逆さになったまま両手を窓に伸ばして、ガラスに手をついた。そのまま男は墜落《ついらく》もせずに軒を這《は》いだしてくる。まるでヤモリか何かのように、ガラスを這って全身を現した。
男は窓の中央まで這い出してくる。すぐに次の手が軒から現れた。次に現れたのは女だった。窓の横にも下にもガラスに吸いつく手が見える。
無意識のうちに、反対側の壁《かべ》までさがっていた。男と女と子供と……。あっという間に窓は屋根から逆さまに這いだしてきてガラスにへばりついた人間で埋《う》まってしまう。その全員が無表情に中をのぞきこんでいる。
とん、とひとりがガラスを叩《たた》いた。ほかのひとりがそれをマネする。やがて全員がガラスを叩き始める。その無表情で機械的な動作。
「安原さん、こちらへ」
真砂子が安原さんをうながした。壁ぎわに彼を座らせて、自分もその脇へ座って手を合わせる。目を閉じて口だけを動かして何かを唱《とな》え始めた。
ガラスを叩くリズムが揃《そろ》い始めた。じょじょにガラスが震えるようになる。ひとつ拳《こぶし》がそろうごとに、ガラスが目に見えて波うつ。……割れる。もうじき割れてしまう。
リンさんが指笛を吹いた。同時に綾子が九字《くじ》を切る。間髪いれず、ガラスが内側に向かって砕《くだ》けちった。窓の外にこぼれ落ちていく人影と、中に飛びこんでくる人影と。
「麻衣っ、あれは死霊だから遠慮《えんりょ》はいらないからね!」
「うんっ」
答えて両手を構えて、――そしてあたしは悲鳴をあげた。
ガラスの割れた窓枠から、女が中に這いこんでこようとしていた。傷だらけの身体《からだ》と、半分が砕けて陥没した顔と。
それでも奈央《なお》さんにちがいなかった。
――どうして。どうして奈央さんが……。
「麻衣っ! ぼさっとしてんじゃないのっ!」
うなずいて手を構えても、気が殺《そ》がれる。だって、あれ、奈央さんだよ……?
小さな女の子が隣の部屋のほうへ這い寄った。
「臨兵闘者皆陳烈在前行《りんぴょうとうしゃかいぢんれつざいぜんぎょう》」
いっぷう変わった九字《くじ》はリンさんだった。弾《はじ》かれたように子供が窓の外に転《ころ》がり落ちる。無表情な顔が一瞬だけ苦痛をあらわにして、それであたしはますます身動きできなくなる。
窓から次々に入ってくる連中の狙《ねら》いはあたしたちではなく、隣の部屋だった。そこにいるナルを解放したいのか、それともナルに憑依《ひょうい》した何者かを解放したいのか……。窓の外に弾き飛ばしてもまた這い上がってくる。その執拗《しつよう》で飽《あ》くことのない不毛さ。
勇気を総動員して手をあげたとき、手首に鋭利《えいり》な痛みが走った。驚いて見ると、細い傷ができている。あとからにじむように血の色が浮かんだ。
綾子が悲鳴をあげた。白いシャツの肩口に赤い色が広がる。リンさんも細かな傷だらけになっている。
こんなの……あたしたちで対抗できるわけがない……。
ふっと顔の脇を何かがかすめた。鈍《にぶ》い音がして窓際の床に突きたつ。そばにいた死人がさっと場所を空《あ》けた。
「オンキリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ!」
あたしは部屋の中に飛び込んできた人影と、床に立った法具を一瞬の間だけ見比べる。
「オンサラサラバザラハラキャラウンハッタ、オンアミリトドハンバウンハッタ」
どっと死人の群れが窓の外に転がり落ちた。
「オンビソホラダラキシャバザラハンジャラウンハッタ、オンアサンマギニウンハッタ、オンシャウギャレイマカサンマエンソワカ!」
独鈷杵《とっこしょ》に駆け寄って、あらためてそれをつき立てなおすぼーさんも傷だらけだった。
「これで入れるもんなら入ってみやがれ、ってんだ」
窓の下から男が顔を出す。部屋に入ろうと手を伸ばして、何かに弾《はじ》かれたように窓の下に消える。次々に窓に近づいてるけれど、そこに何か強い痛みをもたらすものがあるようで、中に入ってくることができない。
あたしはペタンと座りこんだ。緊張がとけて、どっと冷や汗が出る。
「ブラウンさんは」
リンさんに聞かれてぼーさんは、
「若旦那《わかだんな》たちを先導してる。じきに来るぜ」
「あっちに何か出たの?」
綾子が聞くと、
「出たなんてもんかよ。土左衛門《どざえもん》のデモ隊に囲まれたぜ。ゾンビ映画かっつーの」
ぼーさんが苦い表情で言ったとき、廊下《ろうか》のほうから悲鳴が聞こえた。
廊下に飛び出すと、悲鳴は母屋《おもや》の方角から聞こえた。駆け出すぼーさんの後について綾子も駆け出す。あたしは迷って部屋の中と真っ暗な廊下を見比べた。真砂子がうなずく。
「いってらっしゃいませ」
うなずきかえして、あたしも綾子のあとを追った。
悲鳴がしているのは玄関を通り過ぎて少し行ったところの廊下だった。廊下に彰文《あきふみ》さんたちがうずくまっているのが見える。克己《かつき》くんか和歌子《わかこ》ちゃんか、誰《だれ》か子供の泣き声がしていた。そうしてそのまわりにまとわりつくように飛ぶ何かほのかに白いもの。そばに立ったジョンが聖水をまいてそれを追いはらっていた。
ジョンが叫ぶ。
「これに触《さわ》らんといてください! えらいめにあいます」
……えらいめ?
見返したところに白いものが角度を変えて飛んできた。
「ウンハッタ」
ぼーさんの声に溶《と》けるように消える。
「ジョン! こっちへ走れ! ベースまで行けば安全だから!」
うなずいてジョンがまわりの人に声をかける。克己くんを抱いた彰文さんが立ち上がったのを最初に、みんなが立ち上がってこちらへ向かって駆け出してくる。
触るな、なんて言ったわりにジョンはそれをよけるようすがない。ぶつかるのをかまわずによろけながらこちらへ向かって走ってくる。それを迎《むか》えようと、ついマネをして深く考えずに走りだしたあたしのお腹に、白いものがあたった。
感じたのは衝撃、だった。何か堅《かた》いものでお腹《なか》を刺し貫かれた衝撃。あたしはその場に膝《ひざ》をつく。激痛がお腹から頭へ足の先へ駆け抜けて息をすることもできない。悲鳴をあげることもできなかった。とっさにかばってお腹にまわした手にドッと温《あたた》かいものが流れ落ちてくる。血の臭いが鼻をついた。
……刺されたんだ……あたし……。
痛みに麻痺《まひ》した頭で呆然《ぼうぜん》とそう思った。おそるおそる確かめるとそこにはなんの傷跡もない。Tシャツの表面にはシミひとつなかった。
「麻衣っ! だいじょうぶ!?」
「なに……これ」
最初の衝撃が去るといつのまにか痛みもない。きょとんとしているあたしの肩口にまた白いものが飛んできた。今度はよけようとしたけれど、間に合わなかった。声にならない悲鳴が出る。焼けつくようないたみ。ばっと血糊《ちのり》がしぶいて顔にあたる感触。二の腕が付け根からねじれて外《はず》れる……そんな感じ。
……純然たる痛み。ただそれだけ。もちろん傷跡なんかどこにもない。
「麻衣っ!?」
「その白いものに触っちゃだめ!」
あたしに気をとられたのか、ぼーさんが白いのに襲われてがくっとよろけた。
「……てて」
「だいじょうぶ」
「ぜんぜんだいじょうぶじゃねぇ。……くそぉ」
ぼーさんは指を組む。
「キャタハンジャサハダヤソワカ!」
どっと赤い色が頭の中にあふれていった。紅い……透明な光。眼で見たのじゃなく、感覚が捕らえた光だ。光が消えたあとにはあの白いものはひとつも残っていなかった。
「今のうちだ……行け。チビさんたちを守ってやれ」
「うんっ」
あたしは走り、和歌子ちゃんの手を引いている光可《てるか》さんの側に駆け寄る。
「だいじょうぶですか」
「ええ……」
強《こわ》ばった顔で答えた光可さんも細かな傷だらけだ。和歌子ちゃんは放心したような顔をしていた。和歌子ちゃんを抱き上げてあたしは走る。暗い廊下を無我夢中でベースに向かって書け戻った。
7
ベースに戻って中に入るとき、産毛《うぶげ》をなでるような奇妙な感触がした。特に不快な感じじゃない。中に入るなり、和歌子《わかこ》ちゃんを降ろしてあたしは座りこんだ。息がきれて、もう身動きできない。手も足もガクガク震えていた。
すぐにぼーさんもかけこんできて、部屋に入ったところでばったり畳の上に転《ころ》がってしまう。
「だい……じょうぶ……?」
「死にそー」
声だけはノンキそうだったけど、ひどく苦しそうに息をしている。
「だいじょうぶですの?」
真砂子《まさこ》が小走りに寄ってきて、助け起こそうとする。ぼーさんは手の先だけを振ってそれを断《ことわ》った。
「ここで眠らせてもらえたら……一億円払ってもいい」
何を言ってるんだか。
あたしは戸口に眼をやる。暗い入り口の格子戸《こうしど》も襖《ふすま》も開いている。廊下《ろうか》から白いものがまた飛んできていたけど。入り口のところで弾《はじ》き返されているようだった。あたしは震える足をひきずって、襖を閉める。見ているのは心臓に悪い。
「少しお休みになったら。もうだいじょうぶのようですわよ」
「俺《おれ》がお休みになったら結界も解《と》けるでしょーが」
……あ、そうなのか。
いつのまにか縁側の窓にはぴったりカーテンが引かれて、そこに座卓が立てかけてある。簡易バリケードという感じだ。ろうそくが何本か灯《とも》してある。あんなか細い光をこれほど暖《あたた》かいと思ったこともない。
「ねぇ……これからどうなるの?」
「朝まで待つことだな。夜明けになればおさまるだろ」
あたしは思わず腕時計を見た。もう一時が近い。夏の夜明けは早いから、なんとかねばり通せるだろう。
「ナルは? だいじょうぶなの?」
あたしが聞くと、リンさんはうなずく。
「だいじょうぶです。起こされずにすみました」
綾子《あやこ》と真砂子と安原《やすはら》さんの三人はみんなの傷の手当てをしていた。
「谷山《たにやま》さんも。ケガは?」
真砂子に言われてあたしは切れた傷を見る。どれももう血が固まっている。そんなに深い傷じゃなかったようだ。
「あたしはたいしたことない。だいじょうぶ」
「じゃあ、消毒だけ」
……しみるからやだなぁ。そう思ったけど、あたしはおとなしく手当てをしてもらった。安原さんがぼーさんの脇に膝《ひざ》をつく。
「滝川《たきがわ》さん、ケガは?」
「いっぱい」
「ちょっと動かないでください」
ぼーさんのTシャツは血だらけになっている。安原さんがシャツを引き上げようとすると、
「えっち」
「頭からオキシフル、かけてあげましょうか?」
「ヘビメタになるからいや」
安原さんは笑って有無《うむ》を言わさずシャツをめくりあげる。背中は大小の傷だらけだった。特に深いのが肩甲骨《けんこうこつ》の下に見える。これじゃ血だらけになるはずだ。安原さんは一瞬だけ眉《まゆ》をひそめたけど、すぐになんでもなさそうな声を出す。
「しみますよ」
そう言って脱脂綿《だっしめん》を当てるとぼーさんが情けない声をあげた。
「いたーいたいたい」
「男の子でしょ。我慢するっ」
「俺、今日から女の子になることにする」
「気持ち悪いらか止《や》めときなさい」
なんのかんのと言いながら消毒して、シーツを裂《さ》いて包帯して。しばらくしたころ、リンさんがふとしたように顔を上げた。
「どうしたの?」
「戻ってきました」
「え?」
「式です。これで五つそろいました。滝川さん、眠ってもだいじょうぶですよ」
真砂子が眉をひそめる。
「それが式ですの?」
「ですが。気配をご覧になれますか」
真砂子はうなずく。
「わかりましたわ。この家にいた霊がとても空虚だったわけ」
なに?
「葉月《はづき》ちゃんやナルに憑《つ》いていたのも、家をさまよっていたものも、どの霊もあんなに空虚な感じがしたのは、あれが何者かの使役霊《しえきれい》だからですわ」
握り合わせた真砂子の手は震えている。
「あの霊は自分の意志で動いてません。誰《だれ》かが彼らを利用して式として使役しているのです。彼らの恨《うら》みを……成仏《じょうぶつ》できないほど深い苦しみを利用して」
……洞窟《どうくつ》をくぐる奈央《なお》さん。再生の儀式だとしたら、なんのための再生? どうして奈央さんが襲撃に参加していたの? ……あんな、……かわいそうな姿のままで。
まだ終わってない。……まだ何ひとつ終わってない。
あたしたちはこの怪異の根元を断《た》ち、捕らわれた霊を解放しなければならないんだ。
六章 寄り来る神
1
それから夜明けまで、部屋の外では低い読経《どきょう》の声と、何かを引っかくような音、叩《たた》くような音が続いていた。それがようやく静まって、カーテンの間から外を見ると、空がうっすらと明るくなっていた。
「さぁて、ちょっくらもうひと働きするか」
ぼーさんの声がして、あたしは驚く。
「まだ寝てたら?」
結局ぼーさんは結界を解《と》かず、結果としてほとんど寝なかったのを知ってる。やっとさっきうとうとしてたところだったのに。
「そういうわけにもいかんだろ。急がにゃな」
「どうして? 昼になってからでもいいでしょ?」
「そうも言ってられん。昼だから安全とはかぎらんし、早くカタをつけてしまわねぇと何が起こるかわからんだろ。今夜もう一度ゆうべみたいな襲撃を受けたら、こっちも持ちそうにないしな」
……うん。
「リンさんや。お前さんは残ってくれ。気力を殺《そ》ぐんで結界を解《と》いていく」
「わかりました」
「ほんじゃま、行くか」
「でも、行くってどこに?」
あたしが聞くと、ぼーさんは笑う。
「『三六《さんろく》塚』に決まってるだろーが。読経の声が聞こえてただろ?」
……あ。
「犯人は三人の六部だろう」
ぼーさんの声にジョンがうなずく。
「そして三人が、このあたりに吹き寄せられた霊を使役霊《しえきれい》として使《つこ》うていたわけですね」
「吹き寄せられた霊だけじゃない。おそらく一揆《いっき》で首を切られた五人も、伝説にいう姫とその恋人とやらも、およそこのあたりで死んだものの霊は、全部が式として使役されてていると考えていい」
「えらい数です」
ぼーさんは、うんざりしたように肩をすくめる。
「まあな」
「あんたは寝てれば」
いきなり強気なことを言ったのは綾子《あやこ》だった。
「そんでジョンひとりにまかせろってか? ジョンだって疲れてんだぞ」
「アタシがやる」
ぼーさんは溜《た》め息《いき》をついた。
「言いたかねぇけど、お前じゃ無理だ」
「あら、できるわよ」
「そういうことはもっと役に立ってから言え」
そら、そーだ。でも、ゆうべ何か言ってたな。都合《つごう》があるとかなんとか……。
「今までは事情があったのっ。今度はできる。あたしに任せて、あんたもジョンも寝てなさい。フラフラしてんだから」
「はいそうですか、と寝れると思うか?」
さらに何か言いかけたぼーさんをジョンが制した。
「お言葉に甘えて松崎《まつざき》さんに任《まか》せたらどうですやろ」
「ジョン、あのなぁ」
ジョンは笑って綾子を見る。
「けど、何が起こるかわかりませんし、用心のためについて行ってもよろしいですやろか。しんどいんで見るだけにさせてもらいますけど」
「信用できない、ってわけ?」
「信用することと、無責任に放り出すことはちがうんやないかと思いますです」
綾子はちょっと顔をしかめてから息をつく。
「親切で言ってあげてるのに……」
「すんません」
「謝《あやま》ってもらうようなことじゃないわよ。あー、バカバカし」
……なんだ? いきなりのこの自信は??
外には朝靄《あさもや》が流れていた。いちおう用心しながら出たのだけど、特に襲撃してくる気配はない。店の建物はひどいありさまだった。廊下《ろうか》の壁《かべ》はほとんどはげ落ちて、柱にも床にも天井にも斧《おの》でつけたような傷が残っている。
あたしたちはそれでも用心しながら、神社に向かった。神社の狭い境内《けいだい》にも霧が流れてる。遠くで鳥が鳴いているのが平和すぎて不思議《ふしぎ》な気がした。
『三六塚』も霧の中に沈んでいる。綾子が持っているのはお酒を一本と、鈴をつけた榊《さかき》の枝だけ。歩くたびにちりちりと澄んだ音がする。
「綾子、本当にできるの?」
あたしが聞くと綾子は自信ありげに笑う。
「任せときなさいって。こんないい場所はないわよ」
「場所?」
「……そ」
綾子は境内を見渡した。
「小さいけれどちゃんと信仰が残ってる。樹《き》も生きてるし」
「樹ぃ?」
綾子はうなずく。お酒を境内の樹の根元にまいていく。
「アタシの実家の前に大きな楠《くすのき》の樹があってね」
……ほう。
「注連縄《しめなわ》がかけてあるような、りっぱなやつよ。それが、小さい頃からいろんなことを教えてくれた」
言って綾子はちょっと顔をしかめる。
「病院に来る患者さんの死期まで教えてくれるんで、小さい頃は親に言うたびにしかられてたけどね」
「……へぇぇ」
「本当を言うと、アタシにはたいした力はないんだと思う。でもね、アタシは巫女《みこ》だから」
綾子は塚の前に榊を立てる。ちりり、と澄んだ音がした。
「始めます」
手を合わせる。
「謹《つつし》んで勧請《かんじょう》たてまつる……」
それはいつも綾子がやってる祈祷《きとう》には違《ちが》いないのに、いつもよりずっと簡略化されているのに、ぜんぜん違う重厚なものに見えた。たぶん綾子自身の雰囲気《ふんいき》が違うんだと思う。祝詞《のりと》を言うごとにどんどんあたりの空気が澄んでいく気がする。
綾子はなめらかに儀式を進めていって、合掌《がっしょう》し、
「なむらいりん、えこうきこうしゅごしたまえ」
唱《とな》えてから指を組んだ。早九字《はやくじ》でない。本式の九字の切り方だ。「臨《りん》……」
応えるように、どこかでちりん、と澄んだ音がした。あたしは周囲を見渡す。靄《もや》の濃い境内にはなんの人影もない。
「兵《ぴょう》……」
ちりん、とまた音がした。すぐ間近で何かが揺れた。綾子がひとつずつ九字を切っていくたびに澄んだ音が応える。
「あれ……」
ジョンが指さしたほうを見ると、大きな樹の幹から人影がすべり出てくるところだった。あたしはぽかんとそれを見守る。あちこちの樹から人影がすべり出てくる。薄い影だったけど、それが人であることはわかる。長いヒゲをたくわえたおじいさんが多かった。
しずしずと集まったその人たちは、静かに榊《さかき》へ向かってゆく。榊の側にたどりつくと、かき消すように見えなくなる。そのたびに榊の鈴が揺れて音をたてた。
最後のひとりが消えるのを見守ってから、綾子はていねいに刀印を結ぶ。五横四縦に空を切り始める。
それを奇妙に感動しながら見ていたあたしは、遠くにまだ人影があるのに気がついた。
「綾……」
声をかけようとすると、ぼーさんに止められる。
「でも……」
「しっ……」
だってまだ、いるのに。そう思って人影に眼をこらすと、それが樹のおじいさんなんかではないことがわかった。朝靄《あさもや》をかき分けて静かに歩み寄ってくる。その姿が揺れるたびに、ひたひたと濡《ぬ》れた音がした。気がつくとあたしたちの周囲全部でその音が続いている。
近づいてくるのが誰だか、あたしにはすぐにわかった。折れて曲がった首……。和泰《かずやす》さんに違いない。
綾子は深く頭を下げて榊《さかき》を手に取った。
「さあ、あなたたちも眠れるときがきました」
突然、物陰から人の姿が突進してきた。ぷんと潮《しお》の臭いが鼻をつく。とっさにぼーさんが印を構えるより速く、綾子が榊を振った。りん、と鈴が鳴って、突進してきた人影が靄の中に消える。
そこからあたしたちは、ただあんぐりと口を開けて見ているしかなかった。吸い寄せられるように死霊が綾子に近づいていって――あたしたちのことなんか眼中にないみいだった――榊が鳴るだけで消えてしまう。
和泰さんに向かっても榊を振る。消える一瞬、和泰さんの姿がもとに戻って、そうして靄に溶《と》けていった。
「確かに……俺《おれ》たちは必要ない……」
呆然《ぼうぜん》とぼーさんが言った。あたしはうなずく。見守るうちに気がついた。死霊は綾子を襲おうとして集まってきているんじゃない。彼らは……綾子に救われるために集まってきているんだ……。
危険なことなんてなにひとつなかった。最後に塚から黒い影がゆらめき出たけれど、それも榊が鳴るだけでうなだれるようにして消えていった。
近づいてくる人影が絶《た》えてから、綾子は最後の仕上げとばかりに塚に向かって榊を振る。りん、と音がすると同時に三つの塚が音をたてて割れた。
綾子はその前に榊をたてた。音をたてて手を合わすと鈴が勝手にほどけて落ちる。――それでまったく全部が終わりだった。
2
「あきれた……どうしてあんなすごい力があるのにに隠《かく》してたわけ?」
その帰り道、あたしが聞くと、
「別に隠してたわけじゃないわよ。だって今までは生きてる樹がなかったんだもん。いつも条件が悪いって言ってたでしょ」
「だって負けおしみと思うじゃない」
「事情を説明したって、負けおしみだと思ったでしょ?」
そら、そーだけども。
「生きてる樹があるきれいな場所でないとだめなのよ。べつに神社でなくてもいいんだけどね。それでも、都会の神社なんてカスみたいなもんだし、樹にいたってはどんな古い樹でもミイラみたいなもんだもんね。あれを見ると世も末だと思うわよぉ」
ぼーさんとジョンはまだ狐《きつね》につままれたような顔をしている。……その気持ちはわかるとも。
「今回はたまたま塚が境内《けいだい》にあったからいいけど、そうじゃなかったらどうするわけ?」
「近所にあればそこまで呼べる。一揆《いっき》で死んだ五人もいたでしょ?」
「いたの?」
「栄次郎《えいじろう》さんを除霊するとき、神社まで連れて行けばよかったのに」
「あれは人間にやっても意味がないの。単なる霊だったら浄霊《じょうれい》できない霊はないんだけどねぇ。それに、一度樹におすがりしたら、半年は休ませてあげないと。あの段階で樹に助けてもらったら、いざというときに役にたたないじゃない。ジョンがくれば落とせるのはわかってたんだし」
……ふぅん。なんだかよーわからんけど、かっこいいなぁ。もう完全に見る眼が変わっちゃいますぜ。これからは綾子《あやこ》さまと呼ぼう。うんうん。
「じゃ、これで片がついたんだ」
「まだよ」
綾子さまにあっさり言われて、あたしも、ぼーさんもジョンも思わず立ち止まってしまった。
「なにぃ……?」
前言撤回。綾子だ、こいつなんか。
「霊なら、って言ったでしょ。霊じゃないものがいるわよ、ここは」
「なんだって?」
ぼーさんが顔をしかめる。
「浄霊をしてるとき、どうしても近づいてこない力があったのよ。霊なら浄化を求めて来るはずだから、あれは霊じゃない。なんだかは知らないけど、もっと大きな力だわね。それが連中を式として使役してたんだと思うわよ」
「六部の霊じゃなくて、か?」
「違うわね。六部の三人も単なる式だと思う。真砂子《まさこ》だって『霊場』だって言ってたじゃない。霊がうようよ集まるなんて、特別な力がそこにあるからに決まってるでしょ? 奈央《なお》さんの霊だって、『化け物』って言ってたし」
……確かに。
「すると……その力ってえのはひとつしかない」
ぼーさんが言うと、ジョンもうなずく。
「さいですね」
えー? 何、それ?
「『おこぶさま』だよ。ほかにねぇだろうが」
「だって、『おこぶさま』って……」
「海から流れ着いた流木。形が仏像に似ているから祠《ほこら》を建ててこれを祀《まつ》る。――『えびす』だ。堂々たる『マレビト』だよ」
言ってぼーさんは苦《にが》い顔をする。
「綾子の忠告どおり寝てゃよかった。俺《おれ》たちは神サンを相手にしなきゃならんらしいぜ」
帰り道、念のために五人の塚のようすを見に行った。五つの塚も三六《さんろく》塚と同じように何かで切ったようにきれいに割れてしまっている。雄瘤《おこぶ》と雌瘤《めこぶ》の注連縄《しめなわ》も切れて、波間に漂《ただよ》っていた。
それからぞろぞろとベースに戻って、そうして最初に声をあげたのはぼーさんだった。
「……よう。久しぶりだな」
ぐったりと眠っている彰文《あきふみ》さんたちの中で、安原《やすはら》さんがコピーの束《たば》と格闘している。ビデオを再生しているリンさんと、さらにそれを監督している――ナル。
ぼーさんのほうを見返した漆黒《しっこく》の眼を見てあたしは妙に感動してしまった。
ナルに憑依《ひょうい》していたのは使役《しえき》霊のどれかのはずで、その使役霊はすべて浄化したわけだから、考えてみればナルが起きているのはなんの不思議《ふしぎ》もないことなのだけど。
「ああ、渋谷《しぶや》さん、無事でよろしおました」
ジョンが笑う。
ぼーさんとジョンが手を振るのを、そっけなく見てナルは画面に顔を戻す。
……感動の再会、――失敗。おやぁ?
ひょっとして何も覚えてないのかな? 可能性としてはありうるけど、リンさんがなんの説明もしなかったとは思えないんだけど。おまけに綾子の首を絞《し》めた件については、証拠のビデオまであるもんな。
「感謝してほしいわねぇ。あたしが過去の恨《うら》みも忘れて助けてあげたんですからね」
思いっきしイヤミな綾子の口調に、ナルは視線さえ向けず、
「それはどうも」
まったく気のない返事をする。安原さんが気まずそうに目配せをした。あたしたちがそっと側によると、小声で、
「機嫌《きげん》が最低」
そうつぶやく。
……なんちゅー勝手な奴《やつ》だ。これだからナルシストは困るのよ。
ゴホンとおぼーさんは咳払《せきばら》いをして、
「えーと、なんだ、どうも祟《たた》りの元凶は六部の霊じゃないみたいなんだな」
ぼーさんが言うと、ナルはそっけない声で、
「『おこぶさま』だろう」
あたしたちはポカンとナルを見る。
「……どーしてわかるのぉ?」
「お前たちとは頭のデキが違う」
……むっ。なんだよ、その言い方はよー。自分はずっと寝てたくせにさー。
モンクのひとつも言ってやろうかと思ったときに、安原さんが声をあげた。
「ありました!」
ナルは安原さんにチラリと視線を向ける。
「内容は」
「えーと、『氏神祟りをなすこと』とあって、とある神社のご神体である『御小法師様《おこぼしさま》』が祀《まつ》りを怠《おこた》ると祟るという内容です。『御小法師様』は『えびす』神だとありますから、『おこぶさま』のことでしょうね。『御小法師様』を祀っていらい、暴風雨や高波が絶えた、とあります。それでたいそう崇拝されたが、村人や祝《いわい》がこれを祀ることを怠ると、たちまち災いをなす。特に祝一家はたたりによって多くの死人を出した、と」
「松坂《まつざき》さん、祝というのは何ですか?」
「いわい……? ああ、ハフリのことね。神主みたいなものだけど」
ナルはうなずく。ぼーさんがおそるおそる、という感じで、
「どーいう……?」
ナルは冷酷無比な眼であたしたちを見渡す。
「神社があって、その裏手に洞窟《どうくつ》がある。そこは死体の流れ着く場所だ。小さな祠《ほこら》があってそこには『おこぶさま』という『えびす』が祀られている。洞窟から神社の方角へは岸壁をけずった道があり、古い石段がある。――なんのためにそんなたいへんな工事をするんだ。むろん意味があったからに決まっている。ただ面白《おもしろ》くもない洞窟のためにそんなたいへんな工事をしたりするものか。もちろん、あの神社のご神体があるからだ。そのためにやむを得ずやった」
……あ。
「しかもチャチな神ならそこまでしない。あの祠に祀られている者は、それをさせるほど大きな力を持った神だ」
「なるほど。それで今の伝説か?」
「そう。このあたりには、大きな力を持った神がいたという伝説があるはずだと思ったんだ。それで資料を見直してもらった。それがいま安原さんが読みあげたものだ」
言ってナルは、あたしたちを見渡す。
「『おこぶさま』は『えびす』神、しかも海の災害をよく鎮めた。しかし祀《まつ》りを怠《おこた》ると祟《たた》る凶悪な神でもあったわけだ。その『おこぶさま』を祀っていると思われる神社は今では祠《ほこら》と切り離されている。この家が切り離してしまっているんだ。おそらく、もともとここは神社の一部だった。境内が切り売りされてしまったと考えるのがスジだろう」
……たしかに。
「神社にハフリがいたなら、きっと神社のそばに住んでいただろう。ひょっとしたらそれは、ここじゃないのか」
「ありうる」
「ハフリが住んでいた場所が、一揆《いっき》の首謀者五人の墓を建てる際に分割された。――それが妥当《だとう》な線だろう。さらにそこが民家として転売されてしまったんだ」
――つまりここは昔、ハフリが住んでいた場所……?
「『おこぶさま』はここに住む者を自分を祀るべき祭祀だと信じている。祀るべき者が祀らないから祟る。今の伝承はその証拠だ。だからたたりの猛威をふるっていながら、除霊されたわけでもないのに一家は皆殺しになっていない。自分を祀らせるために、祭祀が必要だからあえて残した」
すごい、というよりあっけない。ナルにかかるとこんなに事態は明確になってしまうのか……。
ナルはあたしたちを見渡す。
「『おこぶさま』の除霊を行う」
口をはさんだのはぼーさんだった。
「ちょっと待て。除霊をする必要があるのか?」
「当然だろう」
「しかし、祀ってやればいいわけだろう?」
「祀りを怠ればまた同じことを繰り返す」
「それでも当面はだいじょうぶなんじゃねぇか。相手は『えびす』とはいえ神の一種だぞ。化け物よりもタチが悪い。化け物を狩る方法はないと言ったのはお前だろうが」
ナルは笑う。どこまでも不穏な壮絶な笑み。
「あいつを見過ごせって? 冗談じゃない」
「おい」
「これだけ愉快《ゆかい》な経験をさせてもらったんだ。きちんと返礼をするのが礼儀というものだろう」
……怒ってる。これは怒髪《どはつ》天を衝《つ》く、というやつではなかろうか。
「それとも、リタイアしたいか?」
ナルの視線を受けて綾子があわてて手を振った。
「ア……アタシはダメだからね。あそこには樹はないんだから」
ナルの冷たい視線がジョンに向く。
「ボクも……憑依霊《ひょういれい》やったらともかく、『えびす』なんて何がなにやら」
「リン?」
リンさんは首を横に振る。
「私には太刀打《たちう》ちできるとは思えません。――ナル、やめたほうがいい。あれは我々の手には負えません」
ナルはキッパリ、リンさんを無視した。
「ぼーさん?」
ぼーさんはおおいに苦々《にがにが》しい顔だ。
「やるだけはやってみるが。ナルちゃんよぉ、ここはリンの言うとおりに……」
「力量のない者は必要ない」
そういわれて引き下がるようなかわいい性格の人間が、この中にいるもんか(ジョンはのぞく。ただしジョンはその親切な性格ゆえに引き下がれない)。
けっきょくうなずいてしまうあたしたちだった。
3
あたしたちは打ち合わせをしながら干潮《かんちょう》を待った。
「あの……無理をなさらなくても、祟《たた》りの原因がわかったのなら、あとはうちで手厚く祀《まつ》ればすむことですから」
言ってくれたのは彰文《あきふみ》さんだった。ぼーさんは苦い顔で、
「ナル坊がぶっちぎれちまってる。とにかく行くだけ行ってみなきゃ、おさまらねぇ」
「でも……」
「まぁ、俺《おれ》としても奈央《なお》さんや和泰《かずやす》さんのこともある。一矢《いっし》を報《むく》いることができるんなら、やってやりたいって心境だからな」
彰文さんは深く頭を下げた。
そのあとでぼーさんが、
「少年と真砂子《まさこ》、綾子《あやこ》、麻衣《まい》は残れ。ジョンはどうする」
ナルのいないところでそう言ってきた。ジョンは、
「ボクでもお役にたつとも思えませんけど、とにかく行ってみます」
「あたしも、行く」
あたしが言うと、ぼーさんは軽くにらむ。
「邪魔《じゃま》だ、来るな。守ってやれるとは思えねぇ」
……そうすっぱり言われると、反論のしようが……。
うつむいたとき、口を挟《はさ》んだのは安原《やすはら》さんだった。
「自分の身ぐらい自分で守りますよね、谷山《たにやま》さん」
「……へ?」
「ちなみに、僕《ぼく》も行きます」
ぼーさんは呆《あき》れたように口を開く。
「少年っ!」
「止めてもムダですよ。もう決めましたから。ご心配なく、自分の身ぐらい自分で守るし、ヤバいと思ったら滝川《たきがわ》さんより先に逃げてみせます」
ぼーさんはさんざん説得をしたけど、安原さんにうんと言わせることはできなかった。
「俺《おれ》は知らんからな」
捨てゼリフを残して去っていくぼーさんの衣に手を振って、安原さんはあたしたちを見る。
「みなさんも、できるだけ来てください」
あたしも綾子も、真砂子もアングリしてしまった。
「あのねぇボウヤ、これは……」
安原さんは真剣な顔をする。
「遊びじゃないのはわかってます。救助要員が必要なんです」
「救助……要員?」
あたしが聞くと安原さんはうなずく。
「ゆうべ傷を見たでしょう?」
「……あ」
「滝川さんの背中のアレ、まだ出血してると思いますよ。そうとう深かったですから。たぶん縫《ぬ》わなきゃダメじゃないかな。包帯で押さえたくらいでなんとかなる傷じゃないですよ。ブラウンさんもね、腕に深い傷があります。滝川さんほどじゃないけど、あれも縫わなきゃふさがらないと思うな」
あたしは遠くで話を始めたジョンとぼーさんを見る。
ぼーさんは墨染めの衣、ジョンも神父の制服姿。ともに黒で多少出血してもよくわからない。
「呼べば救急車が横づけできる神社ならともかく、あんな洞窟《どうくつ》で倒れたらどうやって岸まで戻るんです。渋谷《しぶや》さんとリンさんとで連れて戻れるはずがないでしょう。僕たちが行かないのだったら、あのふたりにも行かせない。……そういうことにしませんか」
綾子は空を仰《あお》いだ。
「……まったく、男どもときたら……。ナルもぼーさんも、ジョンも、本っ当にしかたないんだからっ」
「ですよね」
のほほんとうなずく安原さんに、
「あんたもよっ。九字《くじ》のひとつも切れないくせにっ」
「あはははー」
真砂子が溜《た》め息《いき》をついた。
「滝川さんもブラウンさんも、ナルが行く以上行くと言うでしょうね。ナルが留《とど》まるとは思えませんし……。起きてきたときの顔をお見せしたかったですわ」
「そんなにひどかった……?」
プライド、こなごなだろーしなー。
「松崎《まつざき》さんの気持ちがよくわかりましたわ。あたくし、まだ憑依《ひょうい》されているのかと思いましたもの」
……そ、それはー。
「こうなったらしかたありませんわね。……麻衣」
ぎょっ「麻衣」?
「服を貸していただけます? こんなかっこうじゃ、いざというとき話になりませんわ」
「……お安いご用……」
あー、びっくりした……。
着替えを取りに真砂子と戻りながら、あたしはなんとなくニマニマしてた。真砂子がそれを見とがめる。
「あたくしが洋服を着るのがそんなに変ですかしら」
「いやー、それもあるけどー」
「あるけど? いったいなんですの」
「んー」
「麻衣っ」
あたしはニンマリする。
「ほらー、呼びすてにしたー」
真砂子がはっと口元を押さえる。あたしをすねたように見て、
「……ご不満? あなただって呼びすてにしてますでしょ」
「うん。だからもっと呼んで(ハート)」
真砂子が嫌《いや》そうな顔をした。
「あたし、呼びすてにされるの、好きなの。それだけ親しいんだって気がするでしょ?」
「……そうですかしら」
「真砂子はずーっとあたしを名字《みょうじ》で呼んでたでしょ? それを最近、時々呼びすてにするようになったじゃない? その気持ちの変化がうれしい」
真砂子はあたしを横目で見る
「なれ合ったわけじゃございませんわよ」
「はいはい」
「同病|相憐《あいあわ》れむ、というやつですわ」
同病?
真砂子は溜《た》め息《いき》を落とした。
「おたがい、たいへんな人を選びましたわね」
「……そ、それは」
えーと、もしもし、そのですね……。
真砂子は狼狽《ろうばい》するあたしにはかまわず、
「あたくし、起きてきたナルを見て、どうしてこの人なんだろうって、自分がかわいそうになりましたの。どう考えても中身から言えば滝川さんや安原さんや、ブラウンさんのほうが上ですわよ」
「……言えてる」
あたしたちは仲よく溜め息をつく。
「ずっと話も簡単ですのに。……しかたない、と言うべきなんですかしら」
「ナントカは異なもの、って言うしー」
「本当にそうですわね」
「だよね」
もう一度そろって溜め息をついて、そうしてそれから仲よくクスクス笑い出した。
――ヒョウタンからコマ、性格の悪いコイビトから友情ってかぁ?
4
干潮《かんちょう》を待って洞窟《どうくつ》へ渡った。『えびす』の寄り来る洞窟。祟《たた》る神のいる霊場。
ついて行くと言ったあたしたちを見て、ナルは思いっきり不愉快《ふゆかい》そうにした。本っ当、性格悪いっ。
洞窟はしんと静まりかえったままだった。潮《しお》のにおいと、空洞にこだまする波の音と。
「ね、綾子《あやこ》」
つい声をひそめてしまうのは、よく音が響《ひび》くからだ。
「……ん?」
「使役霊《しえきれい》はみんな浄霊してしまったんでしょ?」
「そのはずだけど……」
不安そうな口ぶりにちょっとあたしはひるんでしまう。
「まさか、あれで失敗したなんて言わないでよね」
「失敗したつもりはないわよ。でも、暴風雨や高波を本当に鎮《しず》められるなら、浄化した霊を引き戻すのも簡単かもね」
「ちょ、ちょっと……」
「油断はできないわよ。いちおう『神様』なんだから」
真砂子《まさこ》がつぶやく。
「だいじょうぶ、少なくとも今はいませんわ。あいかわらず霊場の気配はしますけど……。とても空虚な霊場……」
あたしたちが黙《だ》り込むと、波の音だけがする。本当に空虚な場所だ……。
ナルの遠慮会釈《えんりょえしゃく》のない声が響いた。
「始めよう」
ぼーさんが息をひとつ吐《は》いて祠《ほこら》の前に立つ。奇妙な形をした流木の姿が目《ま》の当たりだった。祠の前には簡単な祭壇が用意されている。ぼーさんは印を組み、真言《しんごん》を唱《とな》えてここに見えないお堂を作っていく。結界をしきお堂を建て、そこに仏様を呼ぶ。これがいつもぼーさんがやっている祈祷《きとう》なんだと聞いた。見えないお堂は気力でできている。だからぼーさんの意識がとだえれば、それはたちまち消えてしまう。
「オンバザラギニハラチハタヤソカワ」
どこかで何かの音がした。低い短いその音は、耳をそばだてる間もなく消えてしまう。今何か聞こえなかった、と綾子に聞く前にまたそれが聞こえた。今度は少しだけはっきり聞こえる。低い音が短く鳴って、そうしてまた消えていく。三度目が鳴ったとき、綾子や真砂子も周囲を見回した。
「……なんの音?」
「わかるわけないでしょ」
ささやき合ううちに、また聞こえる。少しずつはっきりとしてくる。短い等間隔の低い低いこもった音。
「これ……」
「心臓の音……?」
それはたしかに鼓動《こどう》だった。収縮し拡大する臓器の音。
「あれ……!」
真砂子に呼ばれてあたしは指の示した方を見る。そうして洞窟の壁が微《かす》かに動いているのを見つけた。鼓動に合わせて、あるかなしかで脈打つ岩肌。岩とは思えないなめらかな光沢《こうたく》……。あたりはずいぶんと暗い。あたしはおそるおそる壁にちかづいてみる。そっと手をのばした。
「やめて、麻衣《まい》」
だって、触れてみればわかる。これは幻《まぼろし》なのか、それとももっと別のことなのか……。指先が触れた。触れた先は荒い硬質な感触がする。まぎれもなく岩にちがいないのにとても暖《あたた》かかった。
「こんな……」
鼓動の音はさらに大きくなる。一拍鳴るごとに周囲の壁が息づいていく。鼓動に混《ま》じって低く息づかいの音までが聞こえた。巨大な生き物のお腹《なか》の中に入った気がした。
「滝川《たきがわ》さん!」
突然声を上げたのは安原《やすはら》さんだった。ぼーさんが振り返る。
「入り口が閉まっていきます!」
あたしはあわてて海岸側と入り江側の出入り口を見比べた。それはあたしたちが来たときに比べ、明らかに狭《せま》くなっている。入り江側の入り口なんて、もう人がひとり通りぬけられるほどの幅《はば》しか残ってない。
「キャタハンジャサハダヤソワカ!」
さっと視野に赤い光が流れた。それが洞窟の中を駆け抜けていったけれど、閉じた入り口のようすは変わらない。それでも目に見える速度でふさがりつつあった動きがぴたりと止まった。
「大本を断《た》てば自然に開く。あんなものにかまうな」
ナルの冷静な声がする。
海岸側も入り江側も、人が身体《からだ》を横にしてかろうじて通れるほどの隙間《すきま》しか残っていない。あたしはしばらくそれを見つめる。動いてないが、これ以上ふさがってここに閉じこめられはしないか、確認せずにいられなかった。
鼓動の音は続いている。息づかいの音も続いている。そうしてそこに高い音が混じった。それはどこか遠くで誰《だれ》かが何かを叫《さけ》んでいる声に似ている。悲鳴のような色で声を限りに叫ぶ大勢の人間の声。あたりを見回してもなんの姿もない。声はどこか厚いものでも隔《へだ》てられた場所で響いている。たぶん、洞窟の壁の向こう。壁の中の奥深いところ。……そしてそれは近づいてくる。
あたしは強く目を閉じた。壁の向こうに暗い穴があって、その奥から大勢の死人が叫びながら近づいてくる――そんな幻影を追い払った。声は近づいてくる。もう壁までそんなに距離がない。さらに近づいた。もう、すぐそこまで来ている……。
「初めに言があった」
ジョンの声がした。指を組んで目を閉じたジョン。
「言は神と共にあった。言は神であった。この言は始めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何ひとつなかった……」
壁の向こう側まできていた声がぴた、とやんだ。
ほっと息をついたところにナルの厳しい声がする。
「ぼーさん、祈祷《きとう》は」
「……ああ」
言われてぼーさんは真言《しんごん》を続ける。それと同時に壁面に蒼白《あおじろ》い光がともりはじめた。ぼうっと輝く淡い光が壁面ににじみだして、それが蒼《あお》ざめた人の顔をつくる。あちこちに次々と浮かびあがって、無数のお面を並べているように見える。人の顔ははっきりとした形を現すなり口を開けて叫び始める。さらにそれぞれの顔のその下から二本の腕が前に向かって静かに出てきた。洞窟の中が悲鳴に似た声で満たされた。
「ナウマクサンマンダバサラダンカン」
ぼーさんの近くの壁に浮かびあがっていた顔が消えた。それを皮切りにリンさんが指笛を吹く。九字《くじ》を切るあたしと、綾子と……。
あたしの頭の中は「逃げたほうがいい」という思考でいっぱいだった。ペースを襲われたときのことを覚えている。九字を切ればとりあえず顔は消えるけれど、少しすればまた浮かびあがってくる。それの繰り返し。こんなことをしていてもキリがない。必ずこちらが疲れてしまう……。
どっとまた洞窟の中に赤い光が流れた。驚いて目を見開くあたしの視野いっぱいに透明な赤い色が広がって、それが消えたときには壁面いっぱいに現れていた蒼白い顔はひとつも見えなくなっていた。
今のは、ぼーさんだ。そう思って振り返ると、ぼーさんは独鈷杵《とっこしょ》を構えたところだった。それを祠《ほこら》に投げる。流木に突き立った。
「ツリツタボリツハラボリツタキメイタキメイカラサンタンウエンビソワカ」
言い終わるのと、何かの力でぼーさんが吹き飛ばれるのが同時だった。
「ぼーさんっ!」
「滝川さんっ!」
あたしたちは駆け寄る。壁の下に転がったぼーさんを助け起こす。
「だ……だいじょうぶ!?」
「いてー……」
うん、そうでしょうとも。
「ジョン。悪いがあの独鈷杵《とっこしょ》……」
ぼーさんに言われてジョンが祠を見る。
「あれで流木を壊《こわ》せ」
「ハイっ!」
一声言って、ジョンが祠《ほこら》に駆け寄る。独鈷杵《とっこしょ》を引き抜き、それを振り上げる。突き刺す間もなく今度はジョンが弾《はじ》き飛ばされて、ぼーさんの脇に墜落する。
「ジョン! ――安原さんっ!?」
代わりに駆け出したのは安原さんだった。ジョンが落とした独鈷杵《とっこしょ》を拾い上げて祠に駆け寄る。今度は安原さんが壁にたたきつけられる。
……もうぜんぜんダメだ。あたしたちじゃ、どうしようもない。
「安原さん、だいじょうぶ?」
「……ててて。まぁ、なんとか……生きてます」
そこに響いたのが吐《は》き気のするような冷静な声だった。
「その程度か?」
ナルの視線はぼーさんに向いている。その冷静な眼。
……あ……あったまきたーっっ!
「いいかげんにしなさいよっ!!」
ナルがあたしに視線を走らせる。
「なにムキになってんの!? ぼーさんもみんなもあんたを助けんのでとっくに限界がきてんのよっ! たかがあんたのプライドのために、どーしてみんながそこまでしなきゃなんないわけ!?」
ナルは眉《まゆ》をひそめただけだ。
「プライドだなんだって、くだらないっ。馬鹿《ばか》じゃないのっっ!? そんなに自分のプライドが大事なら、人に頼らず自分でやれば!? 他人に守ってもらって、そんなプライドがなんぼのもんよっっ!!」
ああ、はらがたつっ。こんな奴《やつ》っっ!
ナルは無表情にあたしを見る。
「……正論だな」
ふんっ。勝ったぜ。
洞窟の中には鼓動の音と息づかいの音が今も響いている。そうして、遠くから聞こえる人の叫ぶ声。あたしは洞窟の入り口を見た。なんとか外に出られない幅じゃない。
「ぼーさん、だいじょうぶ?」
「あんまし、だいじょうぶじゃねぇみたい」
「帰ろ。もう……充分だから」
ぼーさんの手を引く。引かれるままぼーさんが身体《からだ》を起こした。
「ナルちゃん、悪いな。限界だ」
ナルの返答はない。リンさんがぼーさんを起こすのを手伝ってくれる。立ち上がったジョンがぼーさんの腕の下に肩を入れた。綾子と真砂子が安原さんを引き起こす。
「さ、帰るよ」
ぼーさんの腕をリンさんとジョンが支えて歩き出す。それには目もくれず、ナルは背中を向けた。視線を据《す》える。――祠《ほこら》のほうへ。
「ナル?」
呼んでも振り返らない。小走りに入り口へ向かい始めていたぼーさんたちが振り返った。
「ナル!?」
リンさんが怒鳴《どな》ってとっさに戻ろうとする。ジョンがバランスを崩してぼーさんを転《ころ》ばせそうになって、あわてたようにその場に踏みとどまる。
「ナル! やめなさい!!」
ナルは振り返らない。祠の方に踏み出した。ゆるい風にまかれたように髪がふわと舞い上がる。
――なに?
思ったところで耳鳴りがした。耳の奥で羽虫でも飛んでいるように低い音がする。とっさに手を伸ばした。ナルを引きとめようと腕に触れたとたん、指先で何かが弾《はじ》けた。
「たっ……!」
強い静電気に似ている。真冬に乾燥したところで金属にふれると起きるやつ。打ちすえたような激しい音がして、指の先に何か固《かた》いものが弾けたような痛み。
これ、なんなの?
ナルはまっすぐ祠に向かって立つ。
あれはなに?
空気が、歪《ゆが》んでいる。
ナルの身体《からだ》から陽炎《かげろう》でも昇ってるみたいに、身体の周りの空気が歪んでいるのがはっきり見える。それがどんどん濃くなる。歪みがみるみるうちに広がっていく。ナルはおろした右手を拳《こぶし》に握って左手でその手首を握っている。その姿は、まるで拳の先に何かをためようとしているように見える。そして、その拳の周りから目に見える速度で空気が歪んで折れ曲がっていく。
ふいに肌《はだ》に奇妙な感覚がした。さっと産毛《うぶげ》が逆立つのと同時に髪が浮き上がる。あれににてる。擦《こす》った下敷きを近づけた……静電気が起こったときのあの感じ。ゆるやかな風を感じる。風というより空気の流れ、みたいなもの。
もうあたしの周りの空気でさえ歪んでいた。水の中か、ひずんだガラスを通したみたいに何もかもが歪んで揺らいで見える。
「これ、なに」
声を出すより先に、ナルが手を上げた。歪みきってにごったような空気の塊《かたまり》が拳の中から滴《したた》っている。そんなふうに見える。リンさんの声がしたけど、耳鳴りが激しくて何を言っているのかわからなかった。
突然ナルが腕を振り下ろした。拳の先で空気がくだけた。――そんなふうに見えた。歪んだガラスにひびが入るみたいに空気に亀裂《きれつ》ができて、そこで風景が完全に食い違った。腕を振り下ろした方向へ亀裂が伸びて広がっていく。ガラス詰めにされた風景が真一文字に切り裂かれて砕《くだ》ける瞬間。空気が砕けて、歪んだ影が歪んだ祠《ほこら》ごととひび割れた。
そろり、と奇妙な感触のする空気が足元から這《は》い上がってきて、背筋をなで上げて消えていった。
ナルが腕を構えてからそこまでに、実際には十秒程度の時間しかかからなかったんだと思う。長い長い十秒がすぎると、あとには前と同じ光景が残された。潮の匂《にお》いのする洞窟、暗い岩肌と硬直したように立ちすくんだあたしたち。立ったままのナル。鼓動は聞こえない。息づかいも、人の声もない。代わりに聞こえるのは波の音。
扉を開いたままの祠まで変わらなかった。ただ、中にあった流木が砕《くだ》けていることをのぞけば。祠の中と周囲にはその破片が散乱していた。
「何が起こったんだ」
ぼーさんの弱い声に、ナルは黙って振り返る。皮肉っぽい笑みが浮かんでいた。
「気配が……」
真砂子は洞窟の中を見渡す。
「気配が消えました。ここはもう霊場ではありません」
……え?
真砂子は洞窟の入り口を見る。
「吹き寄せられる霊も、もうない……」
入り口はすっかりもとのままで、大きく口をあけたそこからは岩場に打ち寄せる波と、彼方《かなた》に見える水平線と、その上に広がる白い空が見えていた。
「ここはもう単なる洞窟にすぎません」
「消えたの……あいつ?」
真砂子はうなずく。
「だと思いますわ。きっと……」
ぼーさんが息を吐いた。
「今ぼーさんは除霊できるんなら最初からやってほしかったな、という気持ちでいっぱいです」
ナルは何も言わない。視線をあたしたちに向けて歩き出した。
「戻るぞ」
あたしたちは顔を見合わせ、そうしてあわててあとに続いた。
5
へたりこみそうになるぼーさんと安原《やすはら》さんを励《はげ》まして、あたしたちは岩場を抜けて海岸に戻る。いつのまにか潮《しお》が上がっていて、石の小道はくるぶしまでの深さに沈んでしまっていた。よろよろしながら海岸に戻って、波の来ない乾《かわ》いた日陰に座り込む。海岸の小石は温《あたた》かくて、触れるとすごくほっとした。
「ぼーさん、だいじょうぶ?」
あたしはのびてしまったぼーさんをつつく。
「……死ぬ」
「しっかりしなさい」
「……寝る」
はいはい。安原さんもうずくまってしまっている。こちらのほうは顔が真っ青になっている。
「安原さんは? だいじょうぶなの?」
「はぁ。……なんか、ひどいぶつけ方をしたみたいで……」
「痛い?」
安原さんはあたしをまっすぐに見る。
「ものすごぉ――――く、痛いです」
げげ。冗談かマジか。どっちにしても、これは大至急手当てが必要。
てなことを思って立ち上がろうとしたとき、綾子《あやこ》が突然声を上げた。
「ナルっ!」
悲鳴にあたしが振り返ったときには、ナルは海岸の上に倒《たお》れていた。
全員が駆け寄る。真っ先に飛びついたのはリンさんだった。
……ま、また貧血かぁ?
「ナル!?」
抱き起こそうとしてリンさんはハッと身体《からだ》をすくませる。すぐに顔をナルの胸の上に伏《ふ》せた。
ナルの蒼《あお》い顔。堅《かた》く閉じた瞼《まぶた》には薄く影が降りて見える。
「ねぇ、だいじょうぶなの!?」
綾子の悲鳴じみた問いかけを無視して、リンさんは身を起こす。両手をナルの胸にあてて体重を乗せて力いっぱい押した。
そ、そんなことをしたらナルのほっそいからだなんて壊れちゃうよぉ。
リンさんはそうやって二、三度胸を押し、じれたように手を離すといきなりナルの胸ぐらをつかみあげて片手を振り上げた。
……ちょっ、ちょっとリンさんっ!!
止める間もなくパシッという激しい音がする。遠慮会釈《えんりょえしゃく》のない張り手。
「ナル! 息をしなさい!!」
……今、なんて言った?
ジョンが駆け出した。
「救急車を呼んできます!」
ナルは近くの救急病院に運《はこ》ばれ、あたしたちの背筋を寒からしめたことに、すぐさま集中治療室に運ばれた。
あたしたちは病室からも追い出されて、呆然《ぼうぜん》と廊下《ろうか》に立っていた。うずくまってしまった安原さんと、ジョンとぼーさんが手当てのために連れて行かれてしまう。しばらくしても病室のドアは開かない。みんなのようすを見てくる、と言って綾子がどこかへ行ってしまい、結局あたしと真砂子《まさこ》とリンさんでじいっとそこに立っていた。
黙《だま》っていると悪いことばかり考える。暗い思考にウンザリしたころ、やっとお医者さまが出てきた。
「どなたか代表の方は」
言われてリンさんが前に出た。
「ショック症状だと思われますが、脈拍も弱いし、いちじるしい不整脈が見られます。血圧も非常に低い。心筋梗塞《しんきんこうそく》に似ていますが、心電図を見るかぎり心筋梗塞ではなさそうですね。以前にも同じような発作を起こされたことがありますか?」
「軽いものでしたら何度か。ここまで酷《ひど》いのは初めてです」
「何か病気をしておられて、熱があったというようなことは?」
「ありません」
「では過敏症ですかね。何か薬を飲んでおられましたか?」
「いえ」
「狭心症の発作は」
ありません。
ふうむ、とお医者さまはうなる。
「一応血圧上昇剤を投薬して、血圧のほうは徐々に戻りつつあります。ショック状態からは回復しつつあるとみてよいと思います。この後余病を併発《へいはつ》するおそれがありますので、とりあえずしばらくは入院していただいて経過を見守ることになります」
真砂子が顔をおおってその場にしゃがみこんだ。リンさんはそれを見やってからお医者さまに頭を下げる。
「……よろしくお願いします」
「あとのことは看護婦から説明がありますので」
会釈して離れていくお医者さまを見送って、あたしはリンさんの袖《そで》を引っ張る。
「ナルはどこか悪いの?」
「いえ。特に持病があるわけではありません」
「じゃ……ナルは気功《きこう》を使ったよね。それが原因?」
リンさんは驚いたように眼を見張る。
「前にも倒れたこと、あったよね。リンさんは貧血だって言ってたけど、あれも本当はそうだったんじゃないの?」
あたしのおかーさんは事故で死んでしまった。死因は出血からくるショック死だった。ショック症状って、本当にたいへんな状態なんだって、あたしは知ってる。
「こうなることがわかってたから、リンさんはナルをとめたの?」
リンさんは軽く息を吐《は》く。
「……そうです」
「気功ってそんなに危険な方法なの? 気功法で病気も治《なお》せるんでしょ? なのにナルはどうしてこういうことになっちゃうわけ?」
リンさんは落ち着け、と言うようにあたしの肩を叩《たた》く。
「人は誰《だれ》でも気を放出しています。気配というのがそれですね。それは普通ただ放出されるだけで、何かに使用することはできません。気功というのはそれをうまく増幅して、ある目的のために制御《せいぎょ》する方法です。スポーツと同じで誰でも修練を積めばある程度のことはできるようになります。ですが、ナルはそういうのとは桁《けた》が違うんです」
……桁が違う。
「あれは天賦《てんぷ》の才能です。ナルは小さい頃ポルターガイストを起こす子供でした」
……あ。
「本人の意識で制御できない気の放出を制御できるようにするために、私が気功法を教えました。ですから気功法にスタイルはよく似ています。けれども気功とは全然別のレベルのものなんです」
「そう……なの?」
「はい。ただナルの持つあの力は人間には大きすぎる。ですから、それを使うと身体《からだ》のほうがついてこれなくなる。そういうことです」
「……あたしのせいだ」
涙がこぼれた。ここで泣くのは卑怯《ひきょう》なことだと思うけれど。
「あたしが、挑発《ちょうはつ》するようなことを言ったから」
「挑発に乗るほうが悪いんです」
「でも……」
リンさんは微《かすか》に笑う。
「ナルにだって何が起こるかわかっていたことなんですから。冷静だったらあんなに挑発に乗るような人ではないですし、そもそも度を失うような人でもありません。よほど自分の失態が腹《はら》に据《す》えかねたのでしょう。自尊心を傷つけられてタガが吹き飛んだんですね。彼のプライドは途方《とほう》もなく高いですから」
……それはそうだけど。
「自尊心のために命をかけるのは愚《おろ》かなことです。目が覚めればそれに気づくでしょう。いい薬ですよ。――しばらくは機嫌《きげん》が悪いでしょうが」
「……そうかな」
「失態に逆上して抜いてはいけない剣を抜いたわけですから。いわば二重の失態ですからね、しばらくは荒れると思います。これで除霊にも失敗していたら、憤死しかねないことですが」
あたしはちょっと笑った。
「……そだね。――ちゃんと治る?」
リンさんもちょっとだけ微笑《わら》ってくれた。
「もちろんです」
エピローグ
――今日もいい天気だ。
空を見上げてからみんなと車に乗り込もうとしたら、声をかけられた。
「お出かけですか」
声のほうを見ると、裕恵《ひろえ》おばさんが左官屋さんにお茶を出しているところだった。
「はい。お見舞いに」
「お気をつけて」
あちこちが壊《こわ》れてしまったお店には左官屋さんが入って、今壁の塗《ぬ》り替《か》えをしている。当分は営業もできないし宿として使ってください、という吉見《よしみ》家の申し出をあたしたちはありがたく受けた。
吉見家の人たちはあたしたちを責《せ》めない。あの人たちも辛《つら》いことがいっぱいあったのに。あたしたちのせいにして、やつあたりしてしまいたいだろうに。
「いい人たちだなぁ……」
誰《だれ》にともなく言うと、ぼーさんがああ、とうなずいた。
病院の入り口でちょうど出てくる彰文《あきふみ》さんに会った。彰文さんと靖高《やすたか》さんと、そして陽子《ようこ》さん。
「お見舞いですか?」
聞かれてあたしたちはうなずく。
「靖高さんは退院ですか?」
あたしが聞くと靖高さんは丁寧《ていねい》に頭を下げる。
「ええ。おかげさまで。たった今、渋谷《しぶや》さんと安原《やすはら》さんにもごあいさつをしてきたところなんです」
「あ、そうなんですか。おばあさんはいかがです?」
小火《ぼや》の時に煙を吸って入院してしまったおばあさん。
「もう、よさそうです。今週には家に帰れるんじゃないでしょうか」
「よかったですね」
「安原さんも今日退院とか。おふたりとも大事にならなくてよかったですね」
「ありがとうございます」
「じゃ、先に戻ってますので」
頭を下げて駐車場のほうへ歩いていく三人をあたしたちは見送った。
いい人たちなのに、何も悪いことなんかしてないのに。この間、和泰《かずやす》さんと奈央《なお》さんのお葬式があった。みんな、とても辛そうにしていた。奈央さんが事故、和泰さんが自殺ということになったのだけが幸いだろう。克己《かつき》くんと和歌子《わかこ》ちゃんは泣いていた。小さいなりに哀しいことがわかったのにちがいない。葉月《はづき》ちゃんはまだお葬式の意味がわかっていないようだった。綾子《あやこ》の浄化以来、奇妙なおできも治って無邪気《むじゃき》に笑っていた。それが少し哀しかった。
「麻衣《まい》、行くぞ」
ぼーさんに声をかけられて、あたしは歩きだした。ジョンもぼーさんも結局傷をざくざく縫《ぬ》われてしまった(ぼーさんの言による)ジョンは一昨日《おととい》、ぼーさんは昨日抜糸がすんだばかりだ。
「あたし、ぼーさんに弟子《でし》入りしようかなぁ……」
「ふーん?」
「弟子入りしてちゃんと修行したら、もちょっとちゃんとした拝《おが》み屋になれると思う?」
ぼーさんは何も言わずにあたしの頭をかき混ぜた。
「おっはよー」
あたしたちがドアを開けると、ベッドの上に身体《からだ》を起こして本を読んでいたナルが顔を上げた。
「いいの、起きて」
「そうそう寝ていると身体がなまる」
つっけんどんな物言い。リンさんの予言どおり、意識を取り戻して以来ナルの機嫌《きげん》は最低に悪い。何を言ってもけんもほろろ。
綾子は紙袋をロッカーの上に降ろす。
「メロン買ってきたわよ。食べる?」
「欲しくない」
「食べなさいっ。それでなくても体力ないんだから」
ナルはめいっぱい嫌《いや》そうな顔をしたけど、特に何も言わなかった。切り札を握った綾子は強い。ナルが皮肉を言おうとすると、ワザとらしく首に手をあてて咳《せき》をすんだよな、こいつってば。
綾子がかいがいしくお茶をいれたりメロンを冷蔵庫に入れたりしていると、安原さんの病室に行っていたぼーさんとジョンが、当の安原さんを連れてやってきた。
「退院おめでとー」
「いやいや、どうも」
安原さんは診察室に連れて行かれて、実は肋骨《ろっこつ》が折れていたことが発覚した。翌日から高熱を出して寝こんでいて、ようやく復調して退院の運びになったわけだけど、退院といっても本当に完治したわけではない。当分コルセットで固定しておいて、お風呂もスポーツも禁止。
「先に帰るの?」
あたしが聞くと、安原さんは首を振る。
「せっかく来たのに、それじゃつまんないでしょ。今から沖縄《おきなわ》に戻っても、働けないし、せっかくの夏休みに家にいるのもつまんないし」
「とんだ夏休みになっちゃったね」
あたしたちが呼んだせいで。
「いやー。スリリングな夏休みで。有意義このうえないですよ」
「有意義ですかぁ?」
「そりゃ、もう。リゾート・ホテルのバイトなんて一回コンパで自慢したらおわりですからね。そのてん、悪霊払《あくりょうばら》いに参加して名誉の負傷なんて、じじいになっても自慢できる」
ま、それはそーですが。
「この武勲は末永く語り継《つ》がれることでしょう。うんうん」
ひとりでうなずいている安原さんをあたしたちは笑う。
「そういうわけで」
と安原さんは小さな本を引っ張り出した。
「なに?」
「観光マップ。ぜひ遊びに行きましょう」
「ムリは禁物だよ、安原さん」
肋骨折れてるんだからー。
「だいじょうぶですよ。疲れたら滝川《たきがわ》さんがおぶってくれますからね」
げっ、とぼーさんが声をあげる。
「こらこら。誰《だれ》がだ」
「いやー、沖縄から能登《のと》まで、たいへんだったなー」
「有意義だったんだろ?」
安原さんはよろり、とショックを受けたポーズ。
「ひどいっ。あたしノリオのために飛んできたのにっ」
「誰が、あたし、だっ」
「けなげな恋心をじゃけんにするなんてっ」
「お前はなー」
安原さんは両手を胸に当てる。
「恋だと思うの。ほら、こんなに胸が苦しい」
「こら」
「締めつけられるようで、しかもかゆくてたまんないの」
か、かゆい?
「おまけに汗くさくてー。……ってこれはコルセットのせいか」
コルセットのせいですっ。
バカ笑いしているあたしたちを、ナルは呆《あき》れた顔で見てたけど。
……顔はいいんだけどなぁ。
あたしは内心溜《た》め息《いき》をつく。麦茶でも沸《わ》かしに行こうと廊下に出ると、真砂子《まさこ》があとを追ってきた。
「手伝いますわよ」
「あ、ありがと」
あたしと真砂子はすっかりなれ合ってしまってるんだな、実は。ふたりして給湯室に行って、共同のヤカンを火にかけて。
「安原さんも人がいいんだから……」
真砂子が言う。
「だよね」
「滝川さんも、ブラウンさんも、ナルのせいで迷惑《めいわく》したんだから、少しは怒ればよろしいのに、少しも責《せ》めないんですものねぇ」
「まったくねぇ」
誰《だれ》ひとり、目を覚ましたナルを責めなかった。少なくともぼーさんとジョンは責める資格があるんじゃないかと思ったんだけど、やっぱり一言も責める言葉は口にしなかった。
「本当にあたくし、あのお三方の誰かにすればよかったと思いますわよ」
「ほんとに」
「あんなわがまま勝手に情けのない振る舞いをしておいて、ナルも少しはもうしわけなさそうにすればよろしいのに」
「だよねぇ。……でもさー、ナル、謝《あやま》ったらしいよ」
真砂子はあたしを見る。
「本当?」
「ホント。昨日ぼーさんに聞いて、目を覚まして、いちばんに謝ったらしいよ」
真砂子は手でもてあそんでいた茶碗を思いっきり乱暴に置く。
「あたくし、ナルのそういうところが嫌《いや》ですのっ」
「まー、謝らないよりはいいからさー」
「それですわよ。あれで謝らなければ単に性格の悪いヤツですみますわよ。あたくしだって、こんな人、と思って見捨てることもできますのっ。それを妙なところで潔《いさぎよ》いすんですものっっ」
あたしはしみじみうなずいた。
「それは、言えてる。単に性格が悪いよりも、手におえないよな」
「でしょう? あの洞窟《どうくつ》でだって、ナルはさんざんなことをするから、あたくし密《ひそ》かに見捨ててやるって決心してましたのよ。それをナルってば、倒《たお》れたりするんですものっ。それで本気で腹《はら》をたてるなんてできるとお思い?」
「……たしかに、あたしも、思った」
「卑怯《ひきょう》だと思いますの。好きでばっかりもいられないし、嫌《きら》いにもなれないし」
「うんうん。いい奴《やつ》か悪い奴か、はっきりしてほしいよな」
「ですわよ。好きになるのは馬鹿《ばか》みたいな気がしすまのに、嫌いになるのはもったいない気がしてしまうところが嫌《いや》ですのっ」
……うーむ。言えてる。
しかし、こうしてお湯が沸くのを見ながらボソボソ人に聞かれたくない話をするあたり、まるでOLのようだねぇ。
ヤカンを見ながらあたしと真砂子は仲よく溜《た》め息《いき》をついた。
「……よりによって、ナルでなくてもよろしいのに」
「……まったく」
毎日こうやって真砂子とナルの悪口を言って、それで最後に出る結論がつねに同じってのがちょっくら情けないものがあるよな。
「そう思うのに諦《あきら》めることはできないんですのよね。どうしても、期待してしまうし……」
「アレじゃない? ホレた弱み……。ああ、ナルの奥さんになるなんて人がいたら顔を見てみたいよね」
きっと神々《こうごう》しいばかりに温和《おんわ》な人にちがいない。
「あたくしの顔でよければいくらでもどうぞ」
「ほう。キミはナルと結婚したいなどという野心を抱いておるのかね」
「あら、麻衣はそう思ってませんの?」
「あたしはそんな先のことは考えてない。とりあえず、デートできるといいなぁ、なんて」
「あたくし、デートならいたしましたし」
こ、こいつっ。
「それを言うならあたしは、休み中ナルとオフィスで一緒だしー」
「リンさんがいますでしょ」
「常にいるとはかぎらない」
真砂子があたしをにらみつける。
「麻衣。……抜け駆けはなしですわよ」
「んじゃ、ナルの弱みを教えてくれる?」
「教えません」
「じゃ、あたしもそんな協定には応じられないなっ。そもそもレンアイに卑怯《ひきょう》な手管《てくだ》はつきものさっ」
「どうぞ。そうやって麻衣が卑怯な手を使っている間に、あたくしはいいこにしてますの。いびってくださってもいいんですのよ」
「王子さまが選ぶのはシンデレラってか?」
「普遍の真理ですわ」
「王子の性格に対する認識が甘い」
真砂子はちょっとひるむ。
「……そうですわね」
「でしょ?」
結局バカみたいに笑いころげてしまったあたしたちだった。
あとがき
まいどありがとうございます。小野《おの》でございます。
……なんてことをもうしますのも、本当に久しぶりですね。長らくお待たせいたしました。シリーズ六作目でございますです(……長いこと「あとがき」書いてないんで、調子が出ないなぁ……とほほ)。
前回はたくさんの、感想、激励、声援、請願、要求、哀願、脅迫、等のお便りをありがとうございました。いやぁ、あまりに大量なんで驚きました。
……ま、なんともうしますか。大多数がひらたく言えば「シリーズをやめるな」というお便りでして。「やめたら泣きます」から「やめたら家に火をつけます」まで文面はさまざまでしたが(笑)。ありがたいことです。気合を入れて読ませていただきましたです、はい。
皆さまのご要望におこたえして、シリーズをあと百本延長することにしました……なんて、言ってみたりして(あ、怒《おこ》った?)。冗談《じょうだん》ですってば。だってだって、せっかくネタを振ったのに、いいかげんオチをつけなきゃ悲しいじゃないですか。そういうわけで、非情にもやはり次の本で終わってしまうのです。……いったんは。「その、いったん、というのは何だ?」ですって?
とにかく一度オチをつけて、それから先のことはまぁ、先になったら考えよう、と。そういうことなわけですね。一度終わっても続きシリーズという手があるもんな。「悪霊2」「悪霊Z」「悪霊ZZ」「ポケットの中の悪霊」「悪霊完結編」「さらば悪霊」「悪霊よ永久に」……。
……冗談はさておき。こーんなにたくさんの「やめるな」コールをいただいて、シカトできるほど小野は心臓が強くないわけですね(家に火をつけられるのも、ワラ人形に五寸釘《くぎ》を打たれるのもイヤだしー)。「本当に終わっちゃうの?」とショックを受けたアナタ、とりあえず安心してね、とだけ言っておきましょう。くすくす。
そういうわけで、本格的に「あとがき」です。
今回も本が出るの、遅かったわね……(涙)。「六か月ごとのペースなんで、今月には必ず出てるはずだ!」と確信を持って八月五日に本屋へ行った皆さま、まことに申し訳ありませんでした。「あら、八月じゃなかったのね。ということは九月に違《ちが》いない」と確信を持って九月五日に本屋へ行った方にもごめんなさい(本当にいたんだ、そういう人が)。全部ノロマなわたしが悪いの……しくしく。
しくしく……と涙にかきくれながら、恒例の人気投票、行きます。
あいかわらずナルの独走態勢ですね。その後をぼーさん、麻衣《まい》、リンさん、安原《やすはら》少年がダンコ状になって追う(でも、ずいぶんナルとの差が縮《ちぢ》まったぞ、と)。次いで、ジョン、綾子《あやこ》、真砂子《まさこ》がさらにダンゴ状。ようやく真砂子にもポイントが入るようになってひと安心。まどかさんのポイントも高かったなぁ。ジョンたちと競《きそ》ってきました。……てなわけで、安原少年はすでにレギュラー化してますね(実を言うと安原君とぼーさんの漫才を書くのはすごく楽しいんだな)。こうして登場人物がどんどん増えていく……。
さて、お手紙に多かったご質問ですが、まず「どうやったら作家になれるの?」というやつ。作家になる方法はいろいろいありますが、そんなことを覚えるよりもっと大事なことがあります。何より第一に小説をいっぱい書くことです。たくさん小説を書いてみて、自分が小説を書くことにむいているかどうか、そこのところをよく考えてみてね。一時間も小説を書いているとなんだかムズムズしてきて、つい外に出かけたくなっちゃう人が作家になると辛《つら》いと思うんですよ。あと、自分が小説を書くのが好きかどうかよく考えてみてね。好きじゃないことをお仕事に持ってしまうと、これまた辛い。「作家になりたい」とか「マンガ家になりたい」とか、先に目標を決めないでとりあえず好きなことをがんばってやるのがいいと思います。みんな、まだ若いんだから。
「作家になるには大学に行く必要がありますか?」という質問も多いですけど、大学に行かなきゃ作家になれない、というようなことはありません。でも、行かないよりは行ったほうがいいんじゃないかな。少なくとも小野は大学でやったことがすごく役にたってます(……あ、いや、別に大学の専門が仏教学だから役にたってるわけじゃないのよ。実際に大学で勉強した内容は、今の職業とぜんぜん関係がありません)。
あと多いのは「ゴースト・ハンターまたは霊能者になりたいんだけど」というご質問。申し訳ありませんが、どうやったらそういう職業につけるのかよくわかりません。あしからず。
「霊や超能力について、どうやって調べればいいの?」というご質問もたくさんいただきます。小野は八十パーセントが本で得た知識です。図書館とか図書目録、本屋のデータベース等を駆使《くし》して本を探しています。参考資料についてはそのうちチャンスがあったら公開しようと思っていますが、超心理学、心理学関係の本はすごく高いんです(小野の手持ちの中には二万五千円なんて本もある)。本を探す人は気をつけてね。
あと、多かったのは、同人誌を作りたいけどいいですか、というお手紙。はっきり申し上げましょう。お好きなだけ、どうぞ。小野に許可を求める必要なんてありません。みなさまが本屋でお買い求めくださった本の作品関係、登場人物はすべてみなさまのものです。いわば、小野はン百円でみなさまのところにナルを養子《ようし》に出してるわけで、ですからお宅のナルをどうしようとみなさまのご自由でございます。煮《に》るなり焼くなり、お好きにどうぞ。ただ、本の本文を無断でそのまま大量に引き写したり、イラストをコピーしたりすると法律に触《ふ》れることがありますから注意してね。できあがった本は、小野にも見せてくれるとうれしいなぁ。
でもってあいかわらず来てますね、「各キャラの声はこの人なんてどうですか?」というやつ。だからぁ、ナルは塩沢兼人さんだってば。しくしく。さらに追加しておくと、安原少年は松本保典さんがいいなぁ(この意見はけっこう来てたぞ)。
そうそう、「イメージ・アルバムとかカセット・ブックとかアニメとかは作らないんですか」というご質問もたくさんいただきました。でも、そおゆうことはイメージ・アルバムとかカセット・ブックとかアニメを作ってる会社の人にゆってね。別にあれは作者が作るわけではないんですよ。
さてさて、今回もアニメの情報、アニメグッズ等、たくさんのものをいただきました。まことにありがとうございます。ほんとにほんとに、うれしいのー。でも、お返しできないから申し訳ないのー。めそめそ。
『トルーパー』も『グランゾート』も『ワタル』も『エクスカイザー』も未《いま》だに好きですが、今はなんといっても、『ファイバード』と『ライジンオー』さっ。『サイバーフォーミュラ』と『THE 八犬伝』も好きだよん。
ということで、今回はこれまで。
最後になりましたが、お名前を貸してくださった皆さま、どうもありがとうございました。
さて。残すところは、とりあえずあと一本。よろしくおつきあいくださいまし。
小野不由美