【悪霊がいっぱいで眠れない】
小野不由美
プロローグ
東京、渋谷《しぶや》、道玄坂《どうげんざか》。
『渋谷サイキック・リサーチ』。
開いた窓からは秋の風が吹きこんでくる。その外では桜並木が、赤茶のはっぱを散らしていた。
あたし(谷山《たにやま》麻衣《まい》、十六歳、学生)がアルバイトしているこの『渋谷サイキック・リサーチ』は、心霊現象の調査事務所だ。
心霊現象――幽霊や超能力、そういう不可思議《ふかしぎ》な現象を、科学的に調査するための団体。団体といっても、所長とその助手、に加えてアルバイトがひとり、計三人の零細企業《れいさいきぎょう》だったりする。
わが『渋谷サイキック・リサーチ』は、従業員も少なく、仕事の内容もうさんくさげなわりには、都心の一等地に広いオフィスを構えている。ちょっと見には喫茶店か何かに見えるオシャレなオフィス。窓の外には、少しレトロな雰囲気《ふんいき》の道玄坂。色づいた並木、その向こうには『世にも不思議なお墓《はか》の物語』と書かれた大きな広告塔――という、いいのか悪いのかわからないロケーション。
本日は全国的に土曜日、あたしは学校からまっすぐこのオフィスにやってきて、自分の机に陣取《じんど》っている。昨日『日本PS学会』というところから送られてきた、『サイ科学』という雑誌のバックナンバーの整理が本日の仕事。
台帳に登録しながら目次を写してインデックスを作る。しょせんは悲しいアルバイト。あたしの仕事といったら、せいぜいこの程度のもんだ。まちがっても悪霊払《あくりょうばら》いをしたりはしない。しようったってできないのだから、しかたないけど。
毎度のことながら、多少ウンザリしつつ機械的な作業を続けていると、オフィスのドアが開く音がした。
やった。お客だ!
飛びこんできたお客は、高校生くらいの女の子の集団だった。
「すいません。こちらで心霊現象の調査をやっていると聞いたんですけど」
「はい。そうですけど」
彼女たちはあたしを見て、ちょっと眼を丸くする。同じ年ごろの子が御用聞きに出てきたら、そりゃ、おどろくよねぇ。
「どんなご用でしょう?」
あたしが聞くと、彼女たちは少しモジモジした。やっとリーダー格の女の子が、
「あの……キツネがとりついたのとか、なおせる?」
おや。いわゆる憑依霊《ひょういれい》というやつね。憑依霊はたしかに、わがオフィスの管轄《かんかつ》だけど。
「キツネツキですか?」
「うん。……あたしの友達がぁ、コックリさん見てて、霊に憑《つ》かれちゃったの」
……ふうむ。これってやっぱ、いちおう心霊現象のうちよねぇ。ここは所長にとりつぐか。
あたしは彼女たちにソファーをすすめた。
「おかけになってお待ちください。いま、所長を呼んでまいります」
あたしは所長室のドアをノックする。
「……所長?」
中からわずらわしげな声で応答があって、あたしはドアを開けた。
わが『渋谷サイキック・リサーチ』の所長は、デスクの上に地図を広げて頬《ほお》づえをついていた。少し険《けん》のある漆黒《しっこく》の視線をあたしにむける。どこかけだるげな声で、
「……依頼人?」
あたしが彼のことを「所長」なんていうのは、オフィスに来客がいるときだけだ。
「はい。憑依霊についてのご相談だそうです」
「所長」は少し顔をしかめた。彼はこの地図をながめて考えこむ作業を「瞑想《めいそう》」と称して、邪魔《じゃま》されるのを好まない。ましてや、憑依霊については専門をかする程度で、ほぼ専門外にひとしいのでよけいに嫌《いや》なんだろう。
それでも「所長」は渋々腰をあげた。今日は一日ヒマだったようなので、その気になったのにちがいない。
オフィスのソファーでは、女の子たちが落ちつかなげに肩をよせあって座《すわ》っていた。あたしが所長室から出てくると、さっと緊張の色を走らせて背筋をのばす。あたしの背後を見やって……そしてポカンと口をあけた。
「所長」はゆったりとした足どりでソファーに近づき、軽く頭を下げる。
「はじめまして、僕が所長の渋谷です」
スンナリと長い足を折って腰をおろした。
女の子たちはポカンとしたままだ。
……もっともであろう。あたしだって、驚くよ。渋谷のリッパなオフィスで、「所長」なんて言われて出てきたのが十七かそこらの男の子だったら。しかもその外見が芸能人もハダシで逃げ出すくらいよかったら。
彼女たちはワンテンポ遅れて声なき悲鳴をあげ、眼を輝かせておたがいをつつきあった。
「ご依頼の内容をうかがいます」
わが『渋谷サイキック・リサーチ』の所長、渋谷|一也《かずや》氏(通称ナルシストのナルちゃん。十七歳、ゴースト・ハンター)がそっけない声を出した。
同時に女の子たちが仲よくハモる。
「あの……!」
言ってから顔を見合わせた。
ナルはそれに、
「どなたか、おひとりでどうぞ」
と、さらにそっけない。
女の子はしばしつつきあっていたけど、けっきょく最初にあたしと話をした子が口を開いた。
「あのー。あたしたち、先月学校でクラスメイトがコックリさんをしてるのを見てたんですけどー。そのときいっしょに見てた友達が、キツネに憑《つ》かれたみたいなんです。それ以来すっごくようすがおかしくて」
「おかしいというと?」
「ときどき、変になっちゃうんです。変なことを言ったり、変なことをしたり」
ナルは軽くため息をつく。
「……もう少し具体的に」
その子は困ったように首を傾《かたむ》けた。
「ええと……授業中に机の上に飛び乗ったり、でもって笑ったり、先生をののしったり。あとー、体育のとき、幅跳びだったんだけどー、突然砂場の砂を食べたり……」
……え? 砂を食べた?
その子は本当に心配そうな表情をした。
「誰《だれ》かがいつ死ぬとか、誰かがじつはこんな人間だとか、ひどいことを口走るんです……」
ナルは長い指を膝《ひざ》で組んで、少し考えこむふうをする。
「それで、そのキツネを落としてほしいと?」
「はい」
彼女たちはいっせいにうなずいた。
ナルは眼をあげて、彼女たちをながめる。
「もうしわけありませんが――お役にたてそうにありません。ほかをあたるか……あるいは神経科の病院に行かれるようおすすめします」
言って立ち上がる。
「では」
彼女たちは非難するような叫びをあげたけど、ナルはかまわない。あたしの方に闇《やみ》色の眼をむけて、
「谷山さん、おひきとり願いなさい」
「でも」
……助けてあげたら? せめてほかの人を(憑依霊《ひょういれい》を落とす専門家だったら、知り合いがいるじゃない)紹介してあげたら?
ナルはあとも見ずに所長室にひきあげようとする。
「あの、所長!」
あたしが呼ぶと、ナルは問答無用という目つきでふりかえった。
「それから谷山さん、お茶を持ってきて」
……はーい。
ナルがこういう表情をしたら、ダメだ。あたしがなにを言おうと動く人間じゃない。
無情にも閉まった所長室のドアを見てから、あたしは彼女たちに、
「ごめんなさい……。ここ、少し管轄《かんかつ》が違うもんだから」
苦《にが》い笑いをつくった。
「……でも、ひどい。彼女に会ってくれたっていいのに!」
……あたしもそう思うけど。
「こういう事務所は、それぞれ微妙に専門分野の違いがあるみたいなの。うちは憑依霊《ひょういれい》は専門外なんです。本当にごめんなさい」
彼女たちは不満そうに眼を見かわしあう。
あたしは言葉を重ねた。
「それに、こういうとこ、依頼料がけっこうかかるの。うちは謝礼はあんまし必要ないけど、経費の請求が莫大《ばくだい》だから」
『渋谷サイキック・リサーチ』の場合、依頼料は謝礼と必要経費。必要経費というのは、調査のために必要だったお金のことね。同業者のようすを見ると、うちの場合、謝礼は決して高くない。とゆーか、「志納」……つまり好きなだけくださればけっこうです、ということになっている。だから、中高生のおこづかいでもなんとかなるんだけど。でも、必要経費がたいへんなのよね。機材とか山のように使うし、ふつう最低でもナルと助手のリンさんのふたりがかりで調査にあたるから、人件費だけでもバカにならない。
女の子たちは、顔を見あわせてからうつむいた。
あたしは少し心苦しくなる。それで、
「あの、あたしそういうことに詳《くわ》しいひとに心あたりあるの」
小さな声で言った。
「よかったら、連絡とってみる。この中の誰かの連絡先、教えて?」
とたんに、ぱっと彼女たちが顔色を明るくした。
「ホントですか?」
「うん。でも、あんましアテにはしないで」
あたしが依頼人用のメモをさしだすと、リーダー格の女の子がそこにペンを走らせた。 メモには欄が切ってある。その子はまるっこい字で、そこに必要事項を記入した。
『氏名……伊東清美《いとうきよみ》。職業……湯浅《ゆあさ》高校一年生。住所……』 彼女たちを見送って、あたしはしみじみ用紙をながめた。あたしと同い年。友達が変になって、心配で、わざわざ依頼に来たんだな。お金だってかかるのに。勇気だっているのに。
それであたしはその用紙をていねいに折りたたんで胸ポケットにしまった。
一章 学園
翌日の日曜日。秋晴れのいいお天気。空は高くて、しんとした風がふいて、エリもとがスカスカする。そろそろ暖房が恋しい季節。
あたしは窓の外にやってた視線を机の上にもどす。自分の机に広げた、三枚の依頼用紙を見てため息をついてしまった。
昨日《きのう》から集まってしまった、三枚のメモ。
一件はキツネ憑《つ》きを落としてほしいという依頼で、もう一件が幽霊《ゆうれい》が出るという依頼、もう一件がポルターガイストについての依頼。
「……どうなってんの?」
依頼用紙を見てあたしは首をかしげる。どの用紙にも書きこまれた『湯浅《ゆあさ》高校』の文字。
『湯浅高校』は東京周辺部にある私立の女子高校だ。あたしの中学からも進学する人がいたので、名前くらいは知っている。学風はわりと厳《きび》しいと聞いている。名門お嬢様《じょうさま》学校というほどではないが、まずまずの偏差値の学校だ。
その学校の学生から昨日、今日で三件もの依頼。
……どーなってんのよ、これ。
ひとりごちたときだ。
「なーる、ちゃーん」
オフィスのドアが開く音がして、ナンパな声が飛びこんできた。
その声は……出たな、破戒僧《はかいそう》。いっつも、他人《ひと》んちのオフィスを喫茶店《きっさてん》がわりにしおって。
「よっ! 麻衣《まい》ちゃんお元気?」
ぼーさん(滝川法生《たきがわほうしょう》、二十五歳、坊主《ぼうず》)は、あいもかわらず人をくった笑顔。あ・軽ーいノリで手をあげる。
もちろん元気だ、と答えようとして、あたしはアングリしてしまった。黒の帽子、黒のグラサン、黒い皮の上下。その下のTシャツは、目も覚《さ》めるようなショッキング・ピンク。
ぼーさん、自分がぼーずだってこと、忘れてない?
「アイスコーヒーが飲みたいなー」
どっかとソファーに腰をおろして。
「どーぞ。ビルを出たとこに自販機があるよ」
あたしが言ってやると、ナサケナイうめき声をあげた。
「いじめんなよー、今日は仕事の話だって」
ぼーさんも、堅苦《かたくる》しく言えば心霊現象の調査・解決――簡単《かんたん》に言えば、いわゆる霊能者をやっている。
「仕事ぉ? 本当にぃ?」
あたしは声に、めいっぱい疑惑をにじませてやった。
「ホント、ホント。だから、アイスコーヒー」
はいはい。しょーがねぇなー、もー。
キッチンに行って、つくりおきのアイスコーヒーをグラスに注いでやる。なんのかんの言いながら、ぼーさん専用のアイスコーヒー(ぼーさんはどんな寒い日でも、絶対アイスだ)が用意してあるところが、我ながらなんとも……。
「にしても、なにごと? そのカッコ」
グラスを置きながら、あたしはぼーさんのハデな格好を上から下までながめた。
「あー、俺《おれ》今日、バイトだったのよ」
「バイトなんてしてんの!」
そーか、本業だけでは食えないのか。だろーな。こいつ、霊能者のわりにはあんまし役にたたないもんなー。
「バイトって、なんの? ハデなカッコじゃない」
「んー」
ぼーさんはそのへんに上着や帽子を脱《ぬ》ぎ散らかす。(あのなー)
「バックバンド」
ほえ?
頭の中が空白になった。
『バック』は……『後ろ』よねぇ。『バンド』は……あの、いわゆる『楽団』の『バンド』? ……ということは……つまり……。
「えぇぇぇーっっっ!!」
バックバンド!
「イベントで急にかり出されたんだけどさー、これがへったくそなアイドルタレントで、まいったのなんの」
「あのぅ、もしもし?」
「あ?」
「バックバンドって……なにするの?」
「なにって……ふつー、新体操したりはしないと思うが?」
いや、まー、そーなんだけど。
「楽器を演奏しちゃうわけ?」
「そだよ」
「……わかった、パーカッションとか言って、木魚《もくぎょ》叩《たた》いたりするんでしょー」
「あのな」
「あ、尺八《しゃくはち》とか?」
ぼーさんは、ウンザリしたように床に置いた黒い大きなケースを指さす。
「ベース」
げげっ! なんだとーぉ!?
「あの……えれきてるで動く、ベース?」
「おまえ……いつの生まれだ? そうだよ、そのベース! 俺は、お嬢ちゃん」
「はい」
「言ったことはないような気がするから、知らなくても無理はないが、本業はベーシストなんだよ、わかる? みゅーじしゃん、とゆーやつだ」
…………。
「スタジオ・ミュージシャン。
自分のバンドも持ってるけどさ、ボーカルがいまいちでなー。ナルちゃんくらい顔のいいボーカルがいりゃ、もうちょっとメジャーなんだがなー」
…………。
ぼーさんが、わかったか? というようにあたしの顔をのぞきこむ。
「それがどーしてっ! 坊主のバイトなんて、やってんのよーっっ!!」
思わず叫んじゃったわよ。ぜいぜい。
「個人の自由だ」
「高野山《こうやさん》にいたんでしょーがっ」
「いたよ。俺んち、寺だから。親父《おやじ》は坊主にしたがったんだけどな。でもさー、お山はベースはモチロン、ウォークマンとか、いっさい持ちこみ不可なんだよ。まぁ、それでお山を降りたわけだな。なっとく?」
「……なっとく……。でも――」
ぼーさんはみなまで言うなと手をふる。
「この業界ってのは、意外に多いんだよ。タタリとか幽霊とか。なんかあるたびに、もと坊主だってんで担《かつ》ぎ出されて、それでなんとなく拝《おが》み屋が副業のようになってるだけ。
ほかに質問は?」
「……ありません」
どひゃー、おどろきー。
「聞いてみるもんだねぇ」
「職業に偏見をもってはいかんぞ。坊主だってロックも聞きゃあ、ディスコだって行く。俺の友達の中には、坊主のくせに産婦人科の医者をやってるやつだっているもんな。本人いわく、『ゆりかごから墓場まで』だとさ」
「……それって、シャレになんないと思う」
「だろ?」
そうやってぼーさんとヨタ話をしていたら、ナルが部屋から出てきた。
「……うるさいと思ったら……」
ロコツに顔をしかめてみせる。まぁ、面白くはないわな。霊能者といえば同業者。同業者といえばライバル。その商売敵《がたき》が自分のオフィスでのんきにお茶なんか飲んで、アルバイトの事務員と雑談なんかしてたら。
でも、ぼーさんはそんなの、ぜーんぜん気にしないのだった。俗に言う、蛙《かえる》の面《つら》に水。
「よー」
なんか言って、手をあげて、ノンキなもんだ。
「今日は仕事の話だそうですわ、所長」
「まさか」
ナルはニベもない。
「本当だって。ちょいとヤッカイな話でさ、ナルちゃんの知恵を借りたいんだが」
ナルがぼーさんの前に腰をおろしたので、あたしはお茶をいれに立った。
「やっかいな話?」
「うん。――麻衣ちゃん、おかわり」
へいへい。
「じつは――俺のバンドのおっかけに、都内の高校生がいるんだが……」
「バンド?」
キョトンとしたナルに、ぼーさんはあたしにしたのと同じ話をくりかえす。さすがのナルも、意外なぼーさんの素性《すじょう》に若干驚いたようすだったけど、まぁ、あたしほどマヌケな反応はしなかった。ぼーさんは、ひと通りの説明を終えてから、
「その……ファンの子に、タカっているんだ。高校生なんだが、その子の学校で変なことが起こっているらしいんだよな。詳《くわ》しく話を聞くと、どーも気味の悪い話でさ」
ナルが無言で話をうながす。
「その子が言うには、自分のクラスのある席はたたられているらしいと。
ある席に座《すわ》った者が、ここ三か月くらいの間に相次いで事故にあってるらしいんだな」
「……よくある話だね」
「それがそうとも言えないのさ。事故にあったのは四人なんだが、そのときの状況がまったく同じ」
「……今年日本は、史上最悪の事故数だそうだが?」
「そう来ると思った。
残念ながら、その言葉はあてはまらんぜ。なんせ、交通事故じゃない。ケガをしたのは四人なんだが、全員電車にひきずられたんだ。腕をドアにはさまれて。
九月以来、三回席替えがあって――つまり、その席に座った人間は四人いるんだが、その全員が事故にあってる。ひとりは軽傷ですんだが、三人は大ケガをした。まぁ、死んだ者がいないのがさいわいだが、変だとは思わんか?」
……げー。
ナルは考えこむようすを見せる。
「それだけじゃない。その子のクラスの担任が、自分の部屋……美術準備室を自室に使っていたんだが、そこに幽霊が出ると言って騒いでいるうちにバッタリ倒れて入院。大量の吐血《とけつ》をくりかえしているんだが、原因は不明」
あたしはたまらず声をはさむ。
「それって変だよ」
「だろう? そこの学校じゃ、そのほかにも変なことが起こっているらしくてさ。怪談だけじゃなくて原因不明の病気やら事故やらまでが山のようにあって、気味が悪いんで何とかならないだろうか、ってその子が言うんだ」
……ほかにも変なこと……。
あたしはふいにポケットの中のメモ用紙を思いだした。
「ね、ぼーさん。その子の学校って、まさか湯浅《ゆあさ》じゃないよね……?」
ぼーさんはキョトンとする。
「なんで……? 湯浅だ。知ってるのか?」
えーっっ!?
ポカンとしたぼーさんとナルに、あたしはあわててメモ用紙をひっぱりだして見せる。
「昨日から三件も依頼があったの! 湯浅高校!」
ぼーさんがメモ用紙をひったくる。
「この依頼は……」
「ナルは断《ことわ》っちゃった。でも、気になるからぼーさんかジョンに頼めないかと思って、連絡先だけ聞いといたの」
「この、伊東清美《いとうきよみ》って子は?」
「友達がコックリさんを見てて、キツネに憑《つ》かれちゃったんだって。次の三浦聡子《みうらさとこ》さんは、肝《きも》だめしをしてから幽霊がついてくるようになったって。もうひとつの、久我山《くがやま》みのりさんは、クラブの部室にポルターガイストが起こるって」
「……どうなってんだ?」
ぼーさんがうめく。
変だ。ひとつの学校にこんなに集中して。しかもこんな短期間に。
「こりゃあ、ただ事じゃないぜ」
ナルの返答はない。じっと宙をにらんでる。
「ナルちゃん、どうする? 無視するか?」
ナルは少し考えて、
「……その子たちに連絡を取ってみよう」
そうこなくっちゃ!
あたしは電話をかけようと立ち上がった。そのときだ。お客が入って来たのは、
「あのう……」
それは初老の紳士っぽい人だった。
とりつぎに立ったあたしに、オジサンは名刺を差しだした。
『私立|湯浅《ゆあさ》高校 校長 三上《みかみ》昇《のぼる》』
「じつはうちの学校で、どうも変なことが起こっているらしくて、その調査を依頼できないかと思いまして」
校長の言葉に、あたしたちは思わず顔を見あわせた。
私立湯浅高校。
ここでなにかが起こっている。なにかとても奇妙なことが。
翌日の月曜日、あたしたちは湯浅高校に向かった。本格的な調査の前に、ひととおり関係者の話を聞くために。
あたしとナルが学内へ。リンさんは(本名|不詳《ふしょう》、年齢不詳なるも二十代終わりと推定される、ナルの助手)は学校の周囲の住人に聞きこみを行う。――変なウワサはたってないか、変なことを目撃していないか。
別口で依頼を受けたぼーさんもいっしょで、だから今回は『渋谷サイキック・リサーチ』+ぼーさん、という、いわば変則チーム。
高校自体はごく普通の学校だった。古くもなく新しくもない校舎。狭《せま》すぎず、広すぎずの敷地。敷地に隣接して、学生会館と銘《めい》打った多目的ホールがあったらしいけど、それは老朽化《ろうきゅうか》のため、現在取り壊《こわ》して建《た》て直しの工事中。
あたしたちが学校に足を踏《ふ》み入れたのは、ちょうど授業終了直前で、グラウンドでは体育の授業中の学生がソフトボールをしていた。
学生を見ながら校長室に向かう。校長室では三上《みかみ》校長が待っていた。
ナルがあたしとぼーさんをあらためて校長に紹介する。と、いっても、あたしについては『助手です』で終わりだったけど。
「ご足労さまです。よろしくおねがいします」
言って、校長は室内にいた中年の先生を紹介してくれた。
「生活指導の吉野《よしの》くん。彼が学内を案内してくれます。ほかにも何かご用があれば、何でも言いつけてください」
吉野先生が軽く会釈《えしゃく》をする。顔色の悪い、神経質そうな先生だった。
「とにかく、病気や事故が多くて、教職員の五分の一近くが倒《たお》れまして、授業にもさしつかえるありさまです。生徒も同様で……。それでか、妙《みょう》なウワサも流れていまして、生徒ばかりでなく教師まで動揺しているようで、収拾がつきません。
――まあ、それは私などから申しあげるよりも、直接当事者からお聞きになったほうがいいでしょう。
部屋をひと部屋、用意してほしいとのことでしたので、小会議室を用意してあります。必要なものがありましたら、気軽に言ってください」
例によって調査拠点――ベースとして使われることになる部屋。
「生徒、教員たちには、相談のある者は本日の放課後以後、会議室まで出向くように言ってあります。どれほどの人数があつまるかは不明ですが。
学内は自由に調べていただいてけっこうです。できるだけの便宜《べんぎ》ははかりますので、早く学内が落ちつくよう、ひとつよろしくお願いします」
ナルが軽く頭を下げる。
「そうさせていただきます」
校長室を退出してから、まずは吉野先生に学内をざっと案内してもらって、建物の位置を確認する。それからベースとして用意してもらった小会議室に向かった。
「こっちです」
吉野先生が示す。先に建って歩きながら、ぼーさんに、
「あなたがリーダーですか?」
と聞いてきた。
「いやいや。リーダーはむしろこっち」
ぼーさんがナルを指さす。
ほほう、ぼーさん、ようやくわかってきたな。
吉野先生は値踏みするようにナルを見る。不安そうな表情を浮かべてから、
「じつは……わたしも、相談したいことがあるんですが……」
……い、いきなり。
ナルは静かな視線を先生にむけてから、うなずいた。
「お聞きします。……ここですか?」
ドアを示す。ドアの上には「小会議室−一」の札が下がっていた。
「……そうです」
言って吉野先生はドアを開いた。
わりと広めの室内に、大きなテーブルがひとつ。ホワイト・ボードと小さな棚《たな》。それで全部のガランとした部屋だ。(会議室だから当然なんだけどね)
ナルは室内を見渡してうなずく。
吉野先生にかけるようすすめてから、
「ご相談の内容をうかがいます」
言ってファイルを広げた。吉野先生は少し不安げにあたしたちを見くらべる。
「……あの、わたしが相談をしたことは……」
ナルがうなずいた。
「依頼人のプライバシーは守ります。先生がお望みでしたら、相談内容はもちろん、相談があったことも伏せておきます。
――どうぞ」
吉野先生はうなずく。額《ひたい》にうっすらと汗が浮かんだ。
「あの……ですね。夜、ノックの音が聞こえるんです」
「それはご自宅ですか?」
「はぁ、最初は自宅でした。
小さな音ですが、しつこいので眠っていても目を覚《さ》ましてしまうんです。だいたい、窓やドアを叩《たた》いていまして……。それで、開けると……」
吉野先生は言いよどむ。ナルは無言で先をうながした。
「誰《だれ》も……いないといいますか、そのう、ドアの枠《わく》の隅にですね、手があるだけなんです。女の手みたいな、白い細い手が、すっとひっこんで、それきりです。 最初は眼の錯覚《さっかく》かと思いまして。でも、翌日もまたノックが始まって……」
「ノックだけですか?」
ナルはメモをとりながら聞く。
「はい。ノックだけです。
気味が悪くてたまらなくて。あまりに続くので一時は家に帰る気がしなくて、夜は出歩くようにしていたんですが、どこにいても同じなんです。居酒屋《いざかや》にいても、やはり十二時を過ぎたころになると、近くでノックの音がするんです。
それは、ドアや窓をあけないと朝までえんえんノックを続けます。……最近は満足に眠ることもできなくて」
どうりで。吉野先生は眼の下に隈《くま》をつくっている。
ナルはうなずく。
「……なるほど。その音は、先生以外の人間にも聞こえますか?」
「はい。でも、わたしほど気にならないようです」
そうですか、とつぶやいて、ナルはぼーさんをちょっとふりかえって、
「ぼーさん、呪符《じゅふ》を作ってくれ」
声をかけてから、吉野先生に向き直る。
「悪霊封じの呪符をお渡ししておきます。これを窓とドアに張って、絶対にあけないように。夜の一人歩きはひかえてください。ノックは続くかもしれませんが、お気になさらず。……その間に調査します」
「……はい」
ぼーさんは硯《すずり》を出して、呪符を書く。それを受け取って吉野先生は、薄くなった頭を深々と下げると会議室を出て行った。
その背を見送って、ぼーさんが誰《だれ》にともなく、
「……いきなりだぜ、どうなってるんだ?」
ナルは肩をすくめただけだ。チラと腕時計に眼をやって、
「もう少ししたら、授業が終わる。依頼をしてきた子たちを集めて、彼女たちの話を聞いてみよう。……今日はそれで終わりだろうな」
最初に小会議室にやってきたのは、伊東《いとう》さんのグループだ。
友達がキツネに憑《つ》かれたと言ってきた子。全員がいちように緊張した表情だった。
ナルは六人ほどの女の子を座《すわ》らせて、テープレコーダーを用意する。
「もう一度、依頼の内容を確認したいのですが」
ナルが伊東さんに言うと、全員がピリッと緊張した。
「相談の内容は、友達にキツネが憑《つ》いたのじゃないか、そういうことでしたね?」
「……はい」
「その子は今日は?」
「もうずっと休んでます。本人は元気なんだけど、お母さんが家から出さないの」
伊東さんは確認するように周囲を見る。まわりにいた友達が首をうなずかせた。
「その子の状態をもう一度聞かせてください」
伊東さんは、オフィスで言ったのと同じ内容をくりかえす。まわりの子が途中で言葉を補足して、オフィスで聞いたのよりは具体的な事情が聞けた。
その子はある日急に、めだって奇妙な行動をとるようになった。変なことをしたり(机に飛び乗る、教室を走りまわる、大声で泣いたり笑ったりする)、変なことを口走ったり(人の悪口や、予言めいたこと。そのほとんどが意味をなさないものらしい)。果ては寒空の下で制服のままプールに飛びこんだり、砂や小石、チョークを飲みこんだり。
「他人に危害を加えたことは?」
「それは、ありません」
「そう。――キツネが憑いた、というふうに考えたのはなぜ?」
「それは……」
伊東さんはまわりの子と顔を見あわせる。誰《だれ》かが、
「だって、本人がそう言ってたもんねぇ」
「うん」
詳《くわ》しく話を聞くと、どうも本人が自分はキツネだと言っていたらしい。
ナルは指先で軽く机を叩《たた》く。
「普通、人がそういう状態になったときは、病気ではないかと疑うものだと思うけど、そうは考えなかった? 神経科の医者に見せたほうがいいのじゃないかとは?」
全員がザワザワとささやきかわす。答えたのは伊東さんだ。
「だって……自分で『わたしはお稲荷《いなり》さんの使いの白ギツネじゃ』って言ってたし。それに、あの子が変になったのって、先月コックリさんの見物をしてからなんです」
「コックリさん……。紙と……なんて言うんだっけ……グラス、杯《さかずき》? それを使うやつ?」
「ううん、あたしたちがやってるのは、エンピツを使うやつです。紙に『あいうえお』って五十音を書いて、エンピツを使うの」
「……なるほど、いちばん簡単なやつ。それを見てからおかしい?」
「はい」
伊東さんはうなずく。表情が曇《くも》った。
「べつに変なことはなかったけど……。コックリさんが帰らなかったとか、誰かがコックリさんを馬鹿《ばか》にしたとか、そういうことはなかったんです。でも、あたしたちが帰るとき」
横にいた子が先をつないで、
「そう。自分で、とり憑《つ》かれた気がするって言ってたんだよね」
「そんなはずないよって言ったのに、肩が重いとか言ってね」
「そうそう。次の日にはもう変だったんだ」
「うん」
口々に言う女の子たち。
「……そう。コックリさんをした場所は?」
「教室。一−三の」
ナルはホワイト・ボードに張った学校の見取り図を見上げる。なにやら考えこむ風情《ふぜい》を見せてから、
「その子の名前と連絡先を書いていってください。よく調べてみます」
伊東さんのグループの次にやってきたのは久我山《くがやま》みのりさんのグループだった。
会議室に入ってきた久我山さんは、大勢の人間を連《つ》れていた。久我山さんよりも年下っぽい子もいれば、年上っぽい子もいる。
「あなたの依頼は……部室でポルターガイストが起こる、ということだったんですが」
「はい……あの、そうです」
久我山さんは、緊張した顔つきでうなずいた。
彼女の所属する陸上部では、部室で奇妙なことが起こる。ロッカーが倒《たお》れていたり、きちんとしまったはずの備品が床に散乱していたり。
「スターティング・ブロックがバラバラになって散乱していたこともあるんです」
「イタズラだとは思わなかった?」
「思ったよね」
口をはさんだのは、久我山さんより年上っぽい女の子だ。
「ぜったい誰かのイタズラだって。
それで最初は部室の鍵《かぎ》を替えたりしたんだ。それでも鍵には異常はなし。で、現場を捕まえてやろうって、泊《と》まりこんだりもしたんだけど、ゼンゼンかすりもしない」
「そ。あれは絶対、変だって」
その隣《となり》にいた子もうなずく。
「だって、みんなが泊まりこんでさ、ふっと眼を離したスキに、箱の中にあった砲丸《ほうがん》が床に一列に並んでんだもん」
「……なるほど」
ナルは軽くうなずく。
たしかに、ポルターガイストっぽいね。ということは、またあの機材を運びこんで重労働するんでしょーか。やれやれ。
「ポルターガイストが起こるようになった原因に何か心あたりは?」
「べつに……」
久我山さんたちは首をひねる。けっきょく、思い当たることはないようだった。
久我山さんたちが帰って行ったあと、次にやってきたのは三浦聡子《みうらさとこ》さんのグループ。
早くもウンザリしたあたしとぼーさんをヨソに、ナルは根気よく質問を続ける。
「では、……三浦さん?」
「はい」
友達に囲まれて小さくなっていた三浦さんが首をあげた。
「話を聞かせてください。
霊《れい》に憑《つ》かれたらしい、という依頼でしたが」
「はい……あの」
彼女は先月キモダメシをして以来、怪現象に悩まされている。
「体育館に『開《あ》かずの倉庫』があるんです。何年か前に、そこで用務員さんが死んで以来、変なことが起るんで使ってない、っていうウワサの……。単なるうわさですけど、べつに鍵《かぎ》はかかってないんです。もう使ってないだけで。それで……」
隣の女の子が助け舟を出す。
「テストが終わったうちあげに、キモダメシをしようってことになったんだよね」
「うん」
「そこで百物語をして、変なことが起きないかなーとか言って……。そしたらこの子が」
彼女は三浦さんを指さした。
「途中で気分悪くなっちゃって」
「その日は途中でやめて帰ったんですけど、それ以来、変な影が見えるようになって……」
「それをもう少し詳しく」
ナルの声に、
「はい。あの、たとえばお手洗いで手を洗っているでしょ? そうしたら影が見えるんです。鏡がこう……あって、そこにうしろの壁《かべ》が映《うつ》ってて、その壁に変なものの影が見えるんです。変なものというのは、あの……首つりのロープみたいな形なんですけど……」
その影は、どこにでも現《あらわ》れる。気がつくとあたりの壁に映っている。
「もう、気味が悪くて……」
「そう言えばさ」
隣の丸い女の子が口をはさんだ。
「こないだ、エイちゃんが入院したでしょ? あれで気味悪い話聞いたよ」
言ってから、彼女はナルに、
「あ、エイちゃんていうのは、そのときいっしょにキモダメシをやった子なんだけど、いま入院してるんです。胃に穴があいて。
エイちゃん、次の日から元気なかったでしょ? あの日から彼女の机に幽霊が出るようになったんだって」
「うそ……」
「ホント。授業中、突然|金縛《かなしば》りにあって、それでどうしようとか思っていると、自分のお腹《なか》のあたりを誰《だれ》かがさわるんだって。で、こう……目線を下げて見ると、机の中から人間の手首が出てて、その手がお腹のあたりをなでまわしてるんだって」
人垣から悲鳴が起こる。
「たいがいすぐに消えるんだけど、あんまし何度も起こるんで気味悪くてたまんないとか思っていたら、胃に穴があいて。昨日お見舞いに行ったら、そう言ってた」
……う、うえー。
机を指先ではじきながら考えこむナル。腕組みをして苦《にが》い表情で天井《てんじょう》をにらんでいるぼーさん。あ、あたし、背筋がぞわっとしちゃったー。
三浦《みうら》さんのグループを帰らせて、あたしたちはタメイキをつく。グッタリしているところに、最後の依頼人、高橋優子《たかはしゆうこ》さんのグループがやってきた。
彼女のクラスには呪《のろ》われた席がある。そこに座《すわ》った者は、電車に引きずられてケガをする。
奇特なことにぼーさんのバンドのおっかけをしているという高橋さんは、ちっちゃい可愛い感じの人だった。おっかけという言葉から、意味もなく派手《はで》なおねーちゃんぽい人を想像していたあたしは、少しビックリ。
高橋さんはひとなつこい笑顔をあたしにむけて、それからぼーさんに手をふった。
「ほんとーに来てくれたんだー」
「まぁな」
ぼーさんは、あたしたちを紹介してくれる。
「こっちの顔のいいのが『渋谷サイキック・リサーチ』ってとこの所長で、渋谷。ヨコの嬢ちゃんが、その助手で谷山《たにやま》」
「ヨロシクね」
いたずらっぽい高橋さんの笑顔。
「こちらこそ」
「で、話を聞きたいんだが……」
ぼーさんがナルをふりかえる。ナルが言葉を引き取って、
「この中に問題の席に座って事故にあったひとがいるかな?」
言って八人ほどのグループを見わたした。
「いるよ」
高橋さんはうしろに立っている女の子を示す。
「二番目ですけどぉ……」
「そのときの話をしてほしいのだけど」
聞かれてその女の子が、口を開いた。
「んーとね、降りようとしたの、電車を。っつーか、降りたのね。で、ホームを歩き出したら、誰《だれ》かがアタシの腕をひっぱったんだ。すっごい力で。それでドアにはさまれちゃって、電車が動き出して、しばらくはいっしょに走ったのね。だって、しかたないでしょ?
でも、すぐに転《ころ》んじゃって、そのままホームを引きずられて、ホームを落ちて五メートルくらい行ったところで電車が止まったの。
肩脱臼《だっきゅう》して、足折って、先週ギプスがとれたとこ」
「誰がひっぱったのかわかりましたか?」
「それがー」
言って彼女は周囲の人間と顔を見あわせた。
「ちょうど電車はすいててあんまし乗客はいなかったのね。そんで、見たんだけど、ドアのちかくには誰もいなかったの」
ナルはメモをとりながら、
「それは何時ごろ?」
正確な日付は、ほかの被害者の状況は、と質問を重ねていく。ひと通りの質問を終えたあとで、
「問題の……その席で変なことが起こる原因について、何か心あたりがある?」
みんなは、おたがいに首をかしげあった。
「わかんないよね……ねぇ?」
ささやきあう。
「……そう。ありがとう」
バタンとバインダーを閉じてから、ナルは背後のぼーさんを振り向く。
「問題の席を見てみたい」
「あ、じゃあ、案内してあげる」
高橋さんが元気よく手をあげた。
彼女たちに先導されてあたしたちは高橋さんのクラス――二−五の教室に向かった。
南棟の二階にある教室。問題の呪《のろ》われた席は窓際の最後尾にあった。
「ここ」
言われて、ナルは机の脇に立つ。軽く手を置き闇《やみ》色の眼を細めた。
「いまはここには?」
高橋さんが首をふった。
「いないよ。こないだまでいた子はいま、病院」
「この机の位置は変わってない?」
「ずっとその位置だよ」
ナルはじっと考えこむ。
しばらくしてから、釈然としないようすで机を離れて、
「ところで……このクラスの担任のようすがおかしい、という話を聞いたんだけど」
ふたたび高橋さんがうなずいた。
「そーなの。準備室に幽霊が出るとか言って、気味悪いから学校に来るのいやだって。昔は幽霊なんかいないって言ってたのに。けっきょく入院しちゃったんだけど。病室にも出るとか言って、もう半分ノイローゼみたい」
……ふぅん。
「そう……。ありがとう」
ナルは軽く手をあげる。ひどく考えこんだ表情だった。
ふたたびあたしたちが会議室に戻ると、中ではふたりの先生が待っていた。
車のミラーごしに幽霊が見える、という先生と、姿の見えない誰《だれ》かに後をつけられていると訴える先生と。
さらに、ふたりの話を聞いているうちから、ひきもきらずの依頼人。
……ものすごい数。どうなってんの?
それでも、陽《ひ》が落ちる間までにはいちおうの質問を終えて、あたしたちはお茶にありつけた。
三上《みかみ》校長はあたしたちのために、ご自由にどうぞと言ってお茶のセットを用意してくれていた。それであたしはここまできてお茶くみをやったわけなんだけど。
ぼーさんはイスにふんぞりかえっておまけに足をテーブルの上に投げだしたりして、極《きわ》めてお行儀《ぎょうぎ》の悪い格好でタメイキをつく。
「こいつぁおおごとだー」
「たいへんそう?」
ぼーさんはウンザリしたようにうなずいた。
「この数をみてみろよ」
ながめていたメモの束《たば》を放《ほう》り出す。
「……とんでもねー。これをいちいち全部除霊するのかと思うと、俺はメマイがしちゃうよ、まったく」
大げさにため息をもひとつついたあとで、ナルをふりかえる。
「ナルちゃん、なんか一発除霊してすむような、うまいアイディアはねーのか?」
「学校を関係者ごと爆破するんだな」
ナルの声もウンザリしたようす。
「お、いいね、それ。でもってその跡地を末長く立ち入り禁止にするんだ。そーすりゃ一発で終わりだわ、確かに」
あのねー。
「まー、そーゆーわけにはイカンわなぁ。
……人数をかき集めて、全員で手分けして除霊する。人海戦術しかねぇんじゃねーの?」
ぼーさんが言うのにナルは、
「どうかな……」
「へ?」
ぼーさんは顔をしかめる。
「おまえ、まさか、また難しいことを考えてるんじゃねーだろーなー。たしかに数は多いが、大したことのない事件ばっかじゃねぇか」
ナルは首をかしげる。
「それはそうなんだが、この数は尋常《じんじょう》じゃないと思わないか?」
「……それは、まぁ……」
ナルは夜より暗い視線をさまよわす。
「これだけの数の相談がすべて事実だとしたら……なにか原因があるはずだ。ぜったい……」
……たしかに。足音がついてくるとかノックがするとか、ひとつひとつはありがちな怪談なんだけど、それがひとつの学校の内部でこうも起こるとなると絶対におかしい。
「ナルの言わんとしているところはわかるが、……んじゃ、どうする? 依頼人はおいといて、先に原因を調査するか?」
ぼーさんの言葉に、ナルはさらに複雑な表情を作る。
「……そのほうが絶対に確実なはずなんだが。
しかし、そうもいかないな。人海戦術もやむをえないだう」
ウンザリしたナルの台詞《せりふ》に、ぼーさんがイヤミな口調《くちょう》。
「真砂子《まさこ》も呼んで?」
とたんにナルがなんとも言えない表情を見せた。甘いと思って口にいれたものが苦《にが》かったような、そんな表情。
「どーして真砂子を嫌《いや》がるのかな?」
原《はら》真砂子(十六歳、霊媒《れいばい》、美人)をナルはどうもけむたがっているらしい。弱みを握《にぎ》られているのかなんなのか、妙に真砂子に関することだけ歯切れが悪い。
「場合によっては、相談に乗ってやってもいいぜ?」
ぼーさんがニンマリした笑顔をむけると、
「他人の相談に乗れるほど、余裕《よゆう》のある人生を生きているようにも見えないけど?」
サラリと受け流す。
ぼーさんの苦い顔。
「悪かったな」
「どういたしまして」
けっきょくその日は調査を終え、明日改めてメンバーを集めて学校に向かうことになった。
どういうわけかけっきょく集まることになるメンバー。ゴースト・ハンターたち。ナルとその助手のリンさん、ぼーさん、巫女《みこ》の綾子《あやこ》(松崎《まつざき》綾子、推定二十三歳)、霊媒の真砂子、そして神父のジョン(ジョン・ブラウン、十九歳、オーストラリア人)。
役にたつのか、たたないのか。
二章 サイキック
翌日、あたしたちは大挙して湯浅《ゆあさ》高校に向かった。大挙して、というのは言葉通りで、あたし、ナル、リンさん、ぼーさん、真砂子《まさこ》、綾子《あやこ》、ジョンの七人。
しかし、ナルの号令一発で、それぞれに仕事をしているはずの人間が全員そろうとは。こいつら、よほどヒマなのか、それとも……まさかとは思うけど、ナルの人望かね?
ナルはベースになる小会議室に入るなり、事情の説明にかかる。一通り、簡単に状況を整理して、
「とにかく数が多いので、ゆっくり調査をしていられない。手あたりしだい除霊してみるしかないと思う。効果がなければ、それはそのときに次の手を考えよう。
ジョンとぼーさんとでここへ行ってくれるか」
ナルは被害者が入院している病院を書きだしたメモをわたす。
「除霊すればよろしんでっか?」
ジョンの言葉にナルがうなずく。お陽《ひ》さま色の金髪と晴れた空みたいな青い眼。初対面のとき周囲をのけぞらせた関西なまり(それでも最初にころに比《くら》べれば、ずいぶん普通の日本語になってきたと思うのよ)。
「それから、原《はら》さん」
「真砂子と呼びすてにしてくださって、かまいませんのよ」
あいかわらず和服姿の真砂子は、日本人形みたいな小さな赤い口元に、笑みを浮かべる。
「いつもそう申してますのに」
……何者だ、こいつ。
どうやら真砂子はナルにご執心《しゅうしん》のようなのだ。楚々《そそ》とした外見のわりに、強烈なアタック。これが真砂子以外の人間が相手なら、ピシャリと皮肉が返ってくるはずなんだが……。
ナルは小さくため息をひとつ。
「……学内を見てみてください。とりあえず、霊が出るという机と美術準備室。それから事故の続く席と陸上部の部室を。
松崎《まつざき》さんもついて行ってくださいますか。もしも霊がいるようなら、除霊を」
綾子がニッコリ笑う。
「アタシも呼びすてにしてくれて、かまわないよ?」
ナルが冷たい眼をむける。
「冗談《じょうだん》をいうヒマがあったら、除霊の才能を発揮《はっき》していただきたいものですね。そろそろ松崎さんの活躍を拝見したいんですが?」
……そらな。どーして真砂子にはため息ひとつで、綾子には皮肉なんだ?
綾子も不服げに、
「なーんか、真砂子とアタシと差別してない?」
「実力に相応の敬意をはらっているだけですが?」
「そういう言われ方をすると、アタシが実力ないみたいなんだけど」
「残念ながら、敬意をはらうに見合うだけのものを見せていただいたことがないんですが」
……そりゃ、そうだ。綾子って、ほとんど役にたったためしがないもんなぁ。
綾子がふいにあたしをにらむ。
「いま、心の中でなんか言ったでしょ」
「よくわかったね」
「年上のモンに対する礼儀を教えてさしあげましょうか?」
「乗り物では席をゆずりましょう、とか?」
「あのねーっ」
「いいかげんにしないか」
ナルの冷酷無比《れいこくむひ》な声が飛んできた。
「遊びたいのなら帰ってくれたほうがありがたいが?」
「……すんません」
ナルはあたしと綾子をにらみつけたあと、
「それを」
と、テーブルの上に並べたレシーバーを示した。
「持って行ってください。
ここで麻衣《まい》が情報を受け取ります。学内にいるかぎりは通じるはず」
今回は暗視カメラもサーモ・グラフィーもなし。自称霊能者たちの霊感と、レシーバーだけが頼りのゴースト・ハンティング。
「わかった」
綾子が不承不承《ふしょうぶしょう》うなずいた。
「それで? ナルはなにをするわけ?」
「僕とリンは調査を継続する」
「そ。がんばって。ご活躍を期待してますわ」
思いっきり皮肉な口調。
「期待していただくまでもありません」
……いつだって活躍してるってか? そらまー、そーだけどよ。
キッパリ、自信の発言。ナルシストの面目躍如《めんもくやくじょ》というところ。
綾子はナルをにらみつけ、
「真砂子、行くわよ!」
乱暴に真砂子を引きずって出て行った。それをキッカケに全員が立ち上がる。
あたしは大きめの受信機の前に座《すわ》った。
うまくいくのかしらね。
そう思いながら、あたしは昨日あつめた情報のメモを整理にとりかかったのだった。
大量のメモを整理する。怪談とその場所。証言の内容。大きなカードにまとめながら、あたしは早くもウンザリしている。
霊能者ではないんだから当然とはいえ、あたしがやらされるのはいつもこういう雑用ばっかり。うーん、一回でいいから、カッコよく悪霊|祓《ばら》いがしてみたいもんだ。
……そしたらナルも、もうちょっとあたしを重く見てくれるかなー。ないだろうなぁ。所長とバイトの身分の差は痛い。
てなことを考えて、ひとりでぶつぶつ言ってたときだ。
会議室のドアが開いた。
「……!!」
驚いて腰を浮かすあたし。そのようすを見てさらに驚いたようすの高橋《たかはし》さん。
「……びっくりした……」
あたしが言うと、
「おたがいさまよぉ。……なにごとかと思ったじゃない。ノリオは?」
「はぁ?」
ノリオ……そんなひといたっけ?
「タキガワさん」
「ぼーさん? ぼーさん『のりお』って名前でしたっけ?」
「『法生』と書いて『ノリオ』と読むってのが正しいらしいよ。いないの? ひとり?」
「うん。ぼーさんは除霊に出かけたの。座ります?」
「座るー」
高橋さんはにぱっと笑ってチョコチョコ部屋に入ってきた。ひとなつこい人だ。
「お茶いれますね。授業は?」
「うん。……授業は自習。担任が入院してるから」
「へぇ」
あたしはお茶を入れに立った。
「入院してる先生とか多いから、自習ばっか。ありがたいやら、どうやら。
ところで、タニヤマさん、だっけー」
「麻衣《まい》、でいいですよ」
「じゃ、あたしもタカでいい。みんなそう呼ぶし」
「はあ」
タカさんのほうが年上なんだけどなー。
「麻衣、何でこんなことしてんの?」
「バイト」
「変なバイトしてるねー」
「話せば長いことなんですよ」
「ゼヒ話しなさい。聞いてあげる」
ふふふ。あたし、このひと好きだな。
「じつはねー」
あたしはナルの事務所でバイトをすることになったいきさつとか、そういうことをメモの整理をしながら話した。
タカさんも手伝ってくれながら、
「けっこう、ハードな人生、送ってるねー」
「でしょー」
「じゃ、このバイトって、けっこう危《あぶ》ないんじゃない、へいき?」
「あんまし平気じゃないかなー」
「とり憑《つ》かれたりしない?」
「いまのところは」
「そっかぁー」
妙に感心したようにうなずいて、タカさんは男の子のように腕組みをする。
「どうなってんのかね、この学校は。オカルト学校かっつーの。
タタリに幽霊に超能力。これでUFOがくれば……」
……え?
「タカさん、いまなんて?」
「タカ。――だから、オカルト大集合でしょ?
タタリのある席とか、幽霊がでるとか、超能力の……」
「ストップ!
その、超能力ってなに?」
「あれ聞いてない? カサイ・パニック」
「ううん」
タカは小首をかしげる。
「この学校の、三年生にいるの。超能力少女が」
「はぁー?」
「笠井千秋《かさいちあき》さんっていってね。最近テレビでよくやってるじゃない。スプーン曲《ま》げ。あれを見ててスプーンを曲げられるようになったんだって」
……どひゃー。
「夏休み終わってすぐだったかな。あっという間に評判になって。みんなで入れ替わり立ち替わり見に行って。かく言うあたしも行ったんだけど。なんせミーハーだからー」
タカはくったくなく笑う。
「スプーンの首がくにゃっと曲がるの。あれはスゴイよ。ウソだってきめつけてるひともいたけど、あたしは感動しちゃったな。それで、一時期、話題騒然。ウソだ、ホントだ、で学校がまっぷたつよ。で、一部では、ちょっとスプーン曲げがはやったんだけど……
「だけど?」
「うちはけっこう厳《きび》しくて。先生も妙に頭が堅《かた》いし、そんなのマヤカシに決まってるって、全校朝礼で笠井さんをつるしあげちゃって」
「……そりゃ、ひどい」
「でしょ? それで、笠井さんの友達で、沢口《さわぐち》さんってひとが、怒《おこ》っちゃったのね。スプーン曲げくらいあたしだってできるって大見得《みえ》きって。で、生活指導の吉野に曲げてみろって言われて……もちろんスプーンはなかったんで、カギだったんだけど、先生のカギを曲げちゃったのよね」
「みんなの見てる前で?」
「そう。全校朝礼の現場で」
「へぇぇ」
不思議《ふしぎ》……。
「それからってもんは、先生の一派がさー、笠井さんと沢口さんを攻撃して。超能力なんてないとか、現実逃避だとか、ペテンだとか、大変だったのよ、ホントに」
「……だろうねぇ」
普通ありうる反応だよね。
「で、沢口さんが登校拒否にかかっちゃったのね。それでー、笠井さんがおこって。『呪《のろ》い殺してやる』って先生に言っちゃって、もー大騒ぎ」
うわーぁ。おおごとだ、そりゃ。
「で、わざわざ授業をつぶして全校集合をやって、超能力なんてないとか、霊なんていないとか、えんえんお説教」
「御愁傷様《ごしゅうしょうさま》」
「わざわざのお悔やみ、ありがとー。
でも、それ以来なのよね。変なことが起こるって話が出始めたのは。ここだけの話だけどさ、あれは笠井さんの呪《のろ》いだってウワサもあるくらい」
「ふうん……」
なんだろう。喉《のど》の奥がチカチカする。超能力少女と呪いの言葉……。
あたしはマイクをとった。
「ナル、ナル。聞こえる?」
呼びかけに対して雑音といっしょに、おざなりな声。
『なんだ』
「戻って来て。気になることがあるの」
少しの雑音のあと。
『いまから戻る』
ナルはタカの説明を聞いて、ひどく考えこんでしまった。
「……これ以上|詳《くわ》しいことは、わかんないんだけど……」
「そのふたりは、いま?」
「うーん。知らないけどー、沢口《さわぐち》さんのほうはほとんど学校に来てないって言ってたな。ときどき、笠井《かさい》さんに誘われて、来ることもあったらしいんだけど、最近は全然……。
朝礼でつるし上げられて以来、笠井さんもほとんどまわりのひとと口きかないらしいし。まわりの人間も話しかけにくいみたいなんだよね。当然だけど」
「そう……」
「たしか、笠井さんと沢口さんって生物部だと思うから、ひょっとしたらまだ学校の中にいるかも。生物部は生物準備室にいるはずだよ」
「ありがとう。行ってみよう。――麻衣、来い」
「はぁい……」
ナルは他人をこき使うことに関しては超がつく名人だ。ちゃっかり機械の説明をするとあとをタカにまかせて、あたしを引き連《つ》れ会議室を後にした。
生物準備室はほかの理科系の特別教室が並んだあたりにある。生物実験室の隣《となり》で、準備室、という別の部屋になっていた。
ドアの外まで来ると、中から話し声が聞こえる。ナルがドアをノックすると、ぴたっと声がやんだ。
「はい?」
女の人の声。
ナルはドアをあけて、
「すいません、笠井さんはおられますか」
中はいくつかの机や棚《たな》が所せましとならんでいて、そこに女の先生と女子生徒がひとりいるだけだった。
ふたりは『笠井』という言葉をきいて、明らかに表情を変えた。
「……何のご用かしら?」
先生の方がナルをうかがう。まだ若い文学少女っぽい女の人だ。やんわりした声で、ナルに用件を聞いてきた。反対に女の子のほうは、ひどく神経質な感じだった。
「笠井さんに話を聞きたいんです。――あなたが笠井|千秋《ちあき》さん?」
ナルが女の子のほうを見ると、彼女はにらみかえすような眼つきで、
「……だけど? なに?」
明らかに敵意。最初からナルのことをこんな眼で見る女の子に初めて会った。
「校長からお聞きだと思いますが……。『渋谷サイキック・リサーチ』というところから来ました、渋谷と申します」
笠井さんはプイと横を向く。興味ないという表情だった。
先生は少し困ったように首をかしげて、
「……お座《すわ》りになってください。
わたしは生物を教えています。産砂恵《うぶすなけい》と申します」
「産砂……めずらしいお名前ですね」
産砂先生はやわらかな笑みを浮かべてから、
「笠井さんに……ということは、九月の事件をお聞きになっていらしたんですね」
「はい。彼女に事情をお聞きしたいのですが」
産砂先生は、どうする? というように笠井さんの方を見た。
「あたし、やだから」
笠井さんは顔をそむけたままだ。
「関係ない。ほっといて」
「でも、変な誤解をされないためにも、きちんとお話をしたほうがいいと思うわ」
「…………」
笠井さんは窓の外をながめる。
「あたし、やなの。ウソツキよばわりされんのは」
産砂《うぶすな》先生が笠井さんをさとすように、
「こちらは心霊現象の調査をしてらっしゃるのよ? 頭からあなたの言うことを否定したりはなさらないわ」
問いかけるように先生が笠井さんをのぞきこむ。彼女は小さくため息をついた。
「……で? 何がききたいわけ?」
「ある学生から、この学校で怪事件が頻繁《ひんぱん》しているのは、あなたがきっかけになったのじゃないかという話を聞いたんです。あなたと、お友達の沢口さんがきっかけを作ったと」
「学校で何が起ころうが、関係ないよ。べつにあたしがなにかしてるわけじゃないもん。ミズホもね」
「ミズホ? 沢口さん?」
「そ。沢口|瑞穂《みずほ》。いっとくけど、あの子、最近は学校に来てないし。電話かけても訪ねても部屋に閉じこもって出てこないし。会わせろなんて言わないでよね。あたしだってここひと月ぐらい会ってないんだから」
ナルが軽くうなずく。
「沢口さんが、不思議な力を全校朝礼で披露《ひろう》したというウワサを聞きました」
「……そうだよ。信じないだろうけど」
すごい人間不信。笠井さんは全身の毛をほかの人間にむけて逆立《さかだ》てているように見える。
「笠井さんもスプーンを曲《ま》げられるとか」
ナルの声に、彼女はキッとこちらをにらむ。
「そーだよ。信じようと信じまいと勝手だけどさ」
「周囲の雑音なんか気にする必要はないんじゃないですか」
笠井さんはほとんど自虐的《じぎゃくてき》な含み笑いをもらす。
「どうせ……信じてくれないでしょ、超能力なんて」
「なぜ? スプーンを曲げるくらい僕だってできます」
え?
産砂先生もあたしも、そうして笠井さんもビックリしてナルの顔をしみじみながめた。
「できるの?」
「できます。PKを信じない心霊研究者なんかいません。――気が楽になましたか?」
「……うん……」
それでも彼女は警戒を解《と》いていない。
「やってみせて」
立ち上がると、棚《たな》のコップにさしてあったスプーンをさしだした。
……ナル、大丈夫《だいじょうぶ》なの!?
ナルはそのスプーンを受け取る。複雑な顔色。なにか迷っている気配が微《かす》かに。
「できる? 本当に?」
もしナルができなかったら、笠井さんはあたしたちを二度と信用しない。話を聞けないくらいのことはなんでもないんだ。でも、そうなったらこのひとは、もう誰《だれ》も信用できなくなるにちがいない。
軽くスプーンを持った手にナルは視線を落とす。一度だけ笠井さんとスプーンを見比べた。
「しかたないかな」
小さくつぶやく。そっと指先でスプーンの先にふれると、ほとんど間髪いれずにスプーンの首が曲がって、ちぎれて落ちた。
カン! という金属が床に当たる音。
あたしたちはしんと息をのんだ。
首がなくなって単なる棒になったスプーンを笠井さんにさしだす。彼女はおそるおそるそれを受け取った。
「すご……」
「信用していただく気になれましたか?」
「……うん」
笠井さんはスプーンの柄《え》を握《にぎ》りしめた。
「最初は夏休みに見たTVだったんだ」
笠井《かさい》さんがポツポツ話を始める。
「たまたま見てた深夜番組でスプーン曲げをやってて、へーと思って、自分でもやってみたら曲がったの」
彼女はナルが落としたスプーンの首を自分が持っていた柄にくっつけた。五度くらいの角度をつくってみせて、
「たいしたことないけど。このくらい」
肩をすくめてから、折れたスプーンを産砂《うぶすな》先生の机に放り出す。
「次の日、スプーンをたくさん買ってきて、ミズホを呼んで、スプーン曲げをやったのね。そしたらどんどん深く曲がるようになって。あんたみたいに簡単にはいかないけど。一本を曲げるのに、十分以上かかったから。あんなふうに折ったりもできないし」
「ゲラリーニ現象だね」
「……?」
笠井さんがナルの言葉にキョトンとする。産砂《うぶすな》先生が、
「昔、ユリ・ゲラーという超能力者の放送を見たり聞いたりした人が、スプーンを曲げたり、超能力に目覚める現象が起きたの。そうして超能力にめざめた人のことを『ゲラリーニ』と呼んだのよ」
「……お詳《くわ》しいんですね」
産砂先生は微笑《ほほえ》む。
ナルは笠井さんに、
「いまでも曲げられる?」
と聞いた。笠井さんは少し険《けわ》しい表情をする。ナルの言葉を挑戦的に聞いたのかもしれない。
「できるよ!」
笠井さんは叫ぶように言って、スプーンをもう一本手にとる。右手に握《にぎ》ると顔の前にかかげ、左手をスプーンの首あたりにそえる。
「いい?」
ナルが無言でうながすと、彼女はスプーンをにらみつけた。そうっとこする。指先は軽く。でも肩のあたりに力をこめて。気持ちを集中して、身体《からだ》がだんだん前かがみになる。ほとんどイスに座ったままふたつ折りの状態になったときだ。
「そんなことをしてはいけない」
ナルが笠井さんの肩をつかんだ。
パッと彼女が顔をあげる。その顔が真っ青だ。
「……なによ」
「わかっているはずだ。そんなことをしていると、本当にゲラリーニたちの二の舞になる」
……なんのこと?
笠井さんが白い顔で産砂先生をふりむく。
「……ごめんなさい。でも、この子のはウソじゃないんです。ただいつも必ず曲がるというわけにはいかなくて」
産砂先生の言葉。
……話が見えないっ。
「……あのー」
あたしはおそるおそる口をはさんだ。ナルがうっとうしそうにふりかえる。
「いまのはトリックだ。身体をかがめたとき、イスを使って曲げようとした」
「えっっ」
「スプーンが身体《からだ》のかげに入ったところで、先を硬《かた》いもの――床やイスのフチにあてて曲げるんだ」
ほにゃ?
ナルは真剣な眼をした。
「ゲラリーニたちは、ほとんどが極めて短い時間の間に超能力を失った。力を失ったうえに、それをカバーしようとしてトリックにたよった。そのうちのいくつかが暴《あば》かれて、ゲラリーニたちはペテン師の烙印《らくいん》をおされたんだ。いま彼女がやろうとしたのは、そのときゲラリーニたちが使った典型的なトリックのひとつ」
…………
「でも、曲げたことがあるのは本当だから!」
笠井さんの叫び。
「そういうトリックを一度でも見つかってしまうと、何を言っても信用されない。わかるね?」
「……うん」
「ゲラリーニの能力が恐ろしく不安定なのは、研究者なら誰《だれ》でも知っている。できないときはできないと言っていいんだ。それで信用しない人物は、頭から超能力なんて信じる気がないんだから、無視していい」
「……わかった」
「スイスのシルビオ・メイヤーのように、ゲラリーニから出発して、世界的に公認のPKになった例もある。……二度としてはだめだ」
笠井さんは身体を小さくしてしまった。
「わたしが教えたんです」
産砂《うぶすな》先生が申し訳なさそうに口をはさんだ。
「ほかの教師からにらまれて、曲げろといわれたら何がなんでも曲げてみせなきゃならない状況だったんですわ。
笠井さんの力は不安定で……、まわりの不信感が強ければ強いほど、畏縮《いしゅく》してできなくなるものですから」
ナルがうなずく。
「先生はずいぶん理解がおありですね」
産砂先生は答えない。うっすらと微笑《ほほえ》んだだけだ。笠井さんが低い言葉をもらす。
「……最近、うまく曲げられなくて」
「無理もない状況だと思う」
「……うん。最初はみんなが曲げて、曲げてって言ってきて、なんとかできたんだけど、そのうちうまくいかなくなって」
笠井さんはうつむいたまま、
「恵《けい》先生に相談したら、じゃあ、ってあのやり方を教えてくれた。最近はほとんど曲げられない。できてもちょっとしか曲がらないんで、いつもあの方法」
「……そう」
「……ミズホはずっと、自分にもできたらいいのにって言ってた。恵先生から精神集中のしかたとか習ってトレーニングしてたんだ。それであたしもあわてていっしょにやってみたけど、もう全然ダメ」
「沢口さんは? それで本当にできるようになったわけ?」
「……んー、最初はダメだったの。何回やっても。それが……九月にあたしが全校朝礼でつるしあげられて――。生活指導の吉野が出てきて、超能力だなんだと騒いでる大馬鹿《ばか》者がいるがって、けっきょくあたしを前にひきずりだしてサラシモンよ。そのときミズホが怒っちゃって、あたしだってできる、とか言って」
「教師の鍵《かぎ》を曲げた……」
「うん。吉野《よしの》の車の鍵だったんだって。それが最初。でも、みんなの前で先生に逆らっちゃったでしょ? 以来先生の風当たりが厳しくて……あたしよかおとなしいからさ、学校に来るのがいやだとか言い出して」
ナルが考えこむ眼をする。
「恵先生にだって、けっこう厳しいんだよね。生物部は何をやってるんだ、とか言われてさ。部がにらまれたもんで、ほかの部員はやめるとか言って来なくなるし。あたしは……あいつらに負けるのくやしいじゃん。だから意地でも学校をサボったりするもんか、とか思って」
「それで、例の発言?」
ナルが聞くと笠井さんは舌《した》を出した。
「そ。『呪い殺してやる』ってやつでしょ?
あんまし先生がやなこと言うからさ、かっとなって。思わず言っちゃった」
「言っただけ?」
ナルの声に笠井さんと産砂《うぶすな》先生は顔を見あわせる。
「まさか……、本当に呪い殺すなんて、できるわけないじゃん」
「……そうだね」
ナルの声は暗い。
あたしとナルが会議室に戻ると、中からにぎやかな声が聞こえてきた。みんなが戻ってきているようだ。
「ちゃんと除霊できたかな」
あたしの声にふと、
「麻衣《まい》」
「なぁに」
「頼みがあるんだが」
……た、たたたた、頼み!? ナルがあたしにぃぃぃぃ!?
「……ゆ、ゆってごらん」
「さっきの……スプーン曲げだが……」
「うん」
「みんなには秘密、ということで」
「どうして? すごいのに」
「頼む。とくにリンには」
……はぁ。い、いいけど。なぜゆえ?
問いつめてやろうかと思ったけど。ナルが心底困っているようすなので、やさしい麻衣ちゃんはやめておいてあげた。
「いいともー」
一点貸しておくのも悪くない。感謝しろよ、ナル。
軽く頭を下げるようにして、ナルが会議室のドアを開く。一瞬、年相応のコドモの顔。すぐにいつものキレイな無表情に戻ったけど。
中では綾子《あやこ》とぼーさんがいつものチワゲンカの最中。
「無能なら無能で役にたてませんと素直に言ったらどうだ?」
「アタシのどこが無能なのよっ!」
あいかわらず仲いいねぇ。
「何の騒ぎだ?」
ナルの問いかけに綾子がそっぽをむく。
「……どしたの?」
あたしが眼を丸くしてぽかんとしていたタカに聞くと、かわりにぼーさんが、
「この馬鹿《ばか》は、なにもせずに見物だけして逃げてきたんだ」
「? どこから」
「ポルターガイストの部室」
ほえー。
「ちょっと綾子、あんたってあいかわらず怖《こわ》がりなのな」
あたしが言うと、綾子は眼をつりあげる。
「冗談じゃないわよっ! どこが怖《こわ》がりよっ! あたしはねぇ、真砂子《まさこ》がなにもいないって言うから……」
「いちおう念のために除霊しておこうとか、思わなかったわけ?」
「なんでそんなことしなきゃならないのよ。
とにかく、真砂子はなにもいないって言ったんだからっ」
綾子の声に首をかしげたのはジョンだ。
「せやけど、……そんなはずないです」
お陽《ひ》さま色の髪に白い包帯。
「ジョン! どうしたの!?」
「あ、コレですか? たいしたことないんです。ちょっとかすっただけで」
ジョンが笑うと横からぼーさんが、
「ヤリが飛んできたんだ」
……ヤリ。
「ヤリって、ヤリ投げのヤリ!?」
「……そうだ」
「けど、ほんまにかすっただけですし」
……だって、そんなの、ひょっとしなくてもメチャメチャ危ないんじゃないの!?
ナルが冷静な声をはさんだ。
「飛んできたというのは?」
ジョンは困ったような表情をする。かわりにぼーさんが、
「外から帰ってきて、綾子たちのようすを見ようと陸上部の部室をのぞいたら、ドアをあけるなりヤリが飛んできたんだ。もちろん、部屋の中には誰《だれ》もいなかった」
……そんな危険な……。しかも頭に包帯ということは、顔をめがけて飛んできたわけでしょ? 考えただけでもゾッとする……。
ナルは冷たい声を出す。
「で? けっきょくいくつ除霊できたんです?」
綾子はきまりわるげに、
「……真砂子は霊がいる場所は、ひとつもないっていうんだもの……」
ナルは真砂子をふりかえった。
「……本当ですか?」
「ええ」
真砂子はまっすぐ顔をあげてうなずく。自信に満ちた表情。
「……そんなはずはない」
「でも、いませんでしたわ。学校じゅうを見てまわりましたけど、ほかの場所にも霊はいませんし、霊をつけているひともおりませんわ」
ぼーさんが口をはさむ。
「そんなはず、ねーだろ。全然いないわけがない。少なくとも、たたりの席にはいて当然だ。四件も事故が続いてるんだからな」
「あたくしたちはだまされているんですわ」
「学校の連中全部に!? 冗談じゃねぇぞ」
「それが事実ですもの」
ツンと真砂子はそっぽを向く。
ナルはそんな真砂子を見やってから軽くため息をひとつ。そうしてぼーさんとジョンに、
「そっちは? どうだった?」
「たぶん落ちたんじゃねぇの。みなさんハレバレした顔してたぜ」
……たぶん? まったく、もー。信用していいのかね。
ジョンは少しすまなさそうに、
「けど、あのキツネツキの子はダメでした。
なんの効果もありません。滝川《たきがわ》さんと交代で何度も除霊してみたんやけど、最後には暴《あば》れだしたんで、とりあえず帰ってきましたんです」
「そう……」
ナルは考える風情《ふぜい》。
「よほど強い霊が、ついてるのとちがいますか。明日にでも、あの子が落ちついたら、またお宅をたずねてみますけど」
「いや、いい」
ナルは手をあげる。
「あの子は病院に行ってもらう」
ぼーさんはキョトンとした。
「病院って……。まさか神経科?」
「だけど?」
「おいおい」
「そういう気はしてたんだ。霊のせいではないんじゃないかと」
気のない声で言ったあと、
「憑《つ》き物というのは、一般に神経症の一種として処理されることが多いし、実際、神経科の医者にかかると治《なお》ることが多いんだ。もちろん、霊による憑依《ひょうい》現象というのは否定しないが、彼女の場合も行くべきなのは拝み屋のところではなくて、カウンセラーのところだろう。ヒステリー性の憑依現象だと思うな」
「はぁ……」
……なんなの、その難しい言葉の大群は。あたしだけでなく、綾子もタカもキョトンとしている。
「ヒステリーの発作《ほっさ》の中にはあたかも憑依されたかのようにふるまう例がある。彼女もそれだろうな」
「ひすてりーって、あれか? よく女が起こす……」
ナルがうなずく。
「そんなものだ。少し誤解があるけど」
「は……?」
ナルは、よくのみこめないでいるあたしたちに向き直る。
「ヒステリーという言葉は、女性がヒスを起こす、というようなときに気安く使われるので、深刻なムードがないが、じつは逆だ。
『ヒステリー』はもともと神経医学上の言葉。一般に使われる『ヒステリー』……『ヒス』という言葉は、そこからきているんだ。まるで『ヒステリー』の発作を起こしたような、と言う意味で『ヒス』と言う言葉が使われる」
「ほー。聞いてみるもんだなぁ」
「ヒステリーはだいたい、極端に欲望を抑圧《よくあつ》された者が、その爆発として、考えられないほど奇妙な行動を取る状態を言うんだが」
……あたし、あたま悪い、よくわかんない。
ぼーさんが、
「すると、こういうことか?
たとえば、すごく女好きな男がいて、でも世間《せけん》の眼があるし、スケベだとは思われたくないってんで、スケベするのをずっと我慢してるんだが、ついに限界がきて突然変異じみたチカン行為に走ってしまうとか」
……こらこらぼーさん、どんなたとえだよ。
ナルは肩をすくめる。
「近いが、少し違う。そういうのは、むしろ分裂症に多いね。
まぁ、むずかしいことを言っても麻衣がわからないだろうから、はしょるが……」
……よけいなおせわ。あんましそうやって抑圧すると、あたしもヒステリーを起こすからねっ。
「超自我《スーパーエゴ》というやつの影響を受けて、極めて屈折した形で発作が起こる。『ひきつけ』なんて言うのはその典型的なものだな。暴力をふるいたい、しかしそれはしてはならない、そういうふうに抑圧されたとき、暴力という形で爆発しない。『ひきつけ』という一見なんの関係もなさそうな症状になって出ることが多いんだ」
「ほぉぉ」
「キツネツキの彼女にしてもそうだろう。
日本の学生全般に言えることだが、彼女もやはり相当に抑圧されているんだね。それがコックリさんを見ていて、『たたられるのでは』という恐怖に捕らわれる。それが引き金になってヒステリーの発作を起こした、と考えるのがいいと思う。
本来なら親なり教師なりに向かって爆発すべきものが『キツネツキ』という形に歪《ゆが》んで現《あらわ》れているんだ。
それで彼女はあたかもキツネツキであるように振る舞う。無意識のうちに、彼女はキツネツキの役を演じているんだと、言えばわかりやすいかな」
ほえー……。
「するとなにかい?」
ぼーさんがナルに聞く。
「あの子はキツネツキでなく、ヒステリーの患者だと?」
「おそらくはね。病院に連《つ》れていけば、はっきりするだろう」
「じゃあ、ほかのは? 机から手が出るとか、ノックの音がするとか、そういうのはどうなるんだ? それも全部、病気だって言うのか?」
ぼさーんは真砂子をふりかえった。真砂子はなんだか満足したような顔つきだ。
「……ですから、霊はいないともうしあげましたでしょ」
ナルは肩をすくめる。
「僕が神経病医学者なら、この学校で起こっていることは、集団ヒステリーだという判断を下すところなんだがな……」
つぶやくように言って、険《けわ》しい視線を自分の足元に落とした。
「そうとは思えないの?」
あたしが思わず聞くと、
「おや、麻衣は知らなかったか? これでも僕はいちおう、超心理学者のつもりなんだが」
……わーるかったな、つまんねーこと聞いてよ。
「やっかいな事件だ……」
ナルは窓の外に眼をやってつぶやいた。
ジョンがうなずく。
「そのようですね」
「そうか?」
ぼーさんはあくまでもノンキだ。
ナルは軽蔑《けいべつ》するようにぼーさんを見返す。
「訴えられた証言のうち、いくつが実際に起こったことだと思う?」
「……まぁ、冷やかしとかカンチガイとかは、当然あるだろうが」
「そんなものですめばね。
この学校では奇妙なことが続いている。それで誰《だれ》もが不安にとらわれている」
ジョンがナルの言葉をつぐ。
「不安やから、それでいっそう幻覚やカンチガイを起こしやすくなるわけですね。キツネツキの彼女かて、そうなんやと思います。あっちでもこっちでも、たたりみたいなことが起こってる、そやから自分もたたられるのやないか――。そう思うたんですやろ。
この状態が続くと、どんどん同じ不安にとらわれるおひとが増えて、たたられたとかとり憑《つ》かれたとかいう声も増えますやろ。へたをすると、パニックになりかねません」
「そう。
実際に心霊現象が起こっているかどうかは、調べてみればいいわけだが、こうも数が多いとそれさえ満足にできない。
それに……。たとえ事実が一部だとしても、この数はやはり尋常《じんじょう》じゃない。こうまで学校関係者に連続するのには、なにか理由があるはずなんだ。その理由が皆目《かいもく》見当もつかない……」
全員が考えこんでしまう。
「今回は原《はら》さんの霊視が頼みの綱《つな》なんですが……」
ナルが淡々とつぶやいた。真砂子《まさこ》は眉《まゆ》をあげる。
「……霊はいませんわ。学校のどこにも」
真砂子の声にナルはため息をひとつ。
「……そうおっしゃるわけだ。はやくも、行き詰《づ》まってしまったな」
「真砂子が正しいとは限らないんじゃない?」
言ったのは綾子《あやこ》だ。真砂子がキッとふりむく。
「松崎《まつざき》さんよりは正しいつもりですわ」
「どぉだかねぇ。どう考えたって、いないわけないもん」
めいっぱい皮肉っぽい綾子の口調に、真砂子はナルをふりかえる。
「一也《かずや》さんは信じてくださいますわね?」
ぞわっ。
あーたーしーはーっ。あんたのその『一也さん』ってのがムシズが走るほどキライだっ!
それであたしは思わず言ってしまった。
「いるのが当然なんじゃない?」
全員の眼があたしに集中する。特に真砂子の眼は険《けわ》しい。
「……どうして、谷山《たにやま》さんがそんなことを言えるんですの? おまけの方《かた》は黙っていていただきたいわ」
おまけ!? おまけだとー!?
怒髪天《どはつてん》を衝《つ》いたね。ぷっつんキレた。それでついうっかり言ってしまったわけだ。
「霊はいる。真砂子には見えないだけ」
真砂子は笑いだした。
「谷山さんに霊能力があるとは存じませんでしたわ」
「だって、いるもの。あたしはそんな気がするな」
……ああ、売り言葉に買い言葉だ、これは。
「無意味な発言ですわね」
真砂子がクスと笑ったところで、綾子が声を張り上げた。
「麻衣《まい》に一票!」
……綾子?
「アタシもいるほうに賭《か》ける」
……賭けるって、あんたな……。
真砂子があたしたちをにらみつけた。
「いませんわ。あたくしも、賭《か》けてもよろしゅうございますわ」
「本当ね? もし霊がいたらどうする?」
「どうにでもしてくださってけっこうですわ」
「じゃ、今後ナルにちょっかいかけるの、やめるのよ?」
……なにを言い出すんだ、おまえは。
あたしたちは思わず状況を忘れて、ふたりをキョトンと見守ってしまった。
真砂子は薄笑いを浮かべる。
「あら、なぜ松崎さんに、そんなことを言われなくてはなりませんの?」
「チームワークの問題よ」
……チームワークぅ? そんなもの、最初からあったのか?
「けっこうですわ。受けてたちます。
そのかわりあたくしが勝ちましたら、一也さんはあたくしの……」
バンッとナルが机を叩《たた》いた。
「勝手にひとを賭けの対象にするな!」
……ほーら、怒られてやんの。
ナルは心底|不機嫌《ふきげん》な顔。
「原さんの言い分はわかったし、麻衣の言い分もわかったが、真偽《しんぎ》を判定できる人間はこの場にいないんだから、水かけ論だ。その件については話しあっても意味がない」
冷酷《れいこく》な口調。
……これは怒ってるなー。当然といえば当然だけど。
真砂子も綾子も、そっぽを向いてしまった。綾子はツカツカとジョンに近づき、
「ジョン、仕事に戻りましょ! 早く除霊をしなきゃ」
「は……? あの……」
「さっ! 行くわよっ!」
……ジョンってば不幸。綾子に引きずられて部屋を出ていった。
ぼーさんがポリポリ頭をかく。
「……俺も仕事に戻るわ……」
続いて出ていく。真砂子もナルにもの言いたげな視線をむけてから、あたしをキリッとにらんで出て行った。
残されたのは、キョトンとしているタカとあたし、ウンザリしたようすのナル、無表情のリンさん。
ナルは苦い表情で窓の外に眼をやっていたが、ふと、
「……がいたら」
と、つぶやきをもらした。
「え?」
あたしが聞き返すと、なんでもないと言いたげに首を振る。
「霊能者が……信頼できる霊視の能力者がいたら、と言っただけだ。
――リン、作業にもどろう」
「はい」
ナルとリンさんも出て行って。
硬直したように座って呆然《ぼうぜん》としたようすのタカが、長いため息をついた。
「いつもあんなふうなの?」
「……そだよ」
「麻衣も苦労が絶《た》えないねぇ」
「そう思ってくれる?」
「思うともさ。あたしだったら、頼まれたってこんな人間関係の中で奉公すんのやだ」
「……あたしもちょっと、そう思ってる」
「くじけるんじゃないよ」
タカに頭をなでなでしてもらって、束《つか》の間《ま》ココロを慰《なぐさ》めるあたしであった。
三章 鬼火《おにび》
放課後には雨が降りだした。
会議室ではちょっと遅《おそ》いティー・ブレイクをかねて、ミーティングの最中。
ナルが、さっきのバカさわぎで言いそびれた笠井《かさい》さんの件について説明をしている。あたしは聞くともなく耳を傾けながら、ぼーっと窓の外の雨を見ていた。
雨って単調で、ものうい気分になっちゃうなー。
――てなことを考えているうちに、アクビがひとつ。ひとつがふたつになり、ふたつがみっつになり。かみ殺すのに苦労するあたし。
しとしと降る雨。銀の糸。空は薄墨《うすずみ》をはいたようで、いっそ真っ暗なのよりも気が滅入《めい》る。
そうしてあたしはふと気がつくと、遊園地にいた。
なんで遊園地にいるんだ?
……もちろん、夢に決まっている。
あんましさえない、小さな遊園地だ。それでもあたしはワクワクしている。
夢を見ながらあたしは、ここはうんとちっちゃいころ、たった一度だけおかーさんに連《つ》れて来てもらった遊園地だと思い出す。
あたしはミラーハウスの前に立ってる。中が鏡《かがみ》とガラスで迷路になったやつよ。
そう。あたしは昔、ミラーハウスで泣いたんだ。自分の姿がいっぱいあって、とっても気味が悪かった。それで怖《こわ》くて泣いてしまった。
でも、いまはだいじょうぶ。もう大きくなったんだから。
それであたしは、腕まくりをしてミラーハウスに飛びこんだ。
鏡の続く迷路をあたしは走る。なにも走る必要はないんだけど、とにかく走る。まわりは鏡の洪水《こうずい》。走る、走る。あたしの影たち。迷路中をあたしが走っている。妙にあせってつまずいて、ガラスにぶちあたって転《ころ》がって。
なんでこの迷路、こんなに広いのよ!
迷路はだんだん暗くなる。ああ、そうだ。この迷路は時間がたつと暗くなるんだ。考えているうちに足元は真っ暗になる。鏡だけが、煌々《こうこう》と光を反射する。
どうしよう、出られない。やっぱりこんなとこ、来るんじゃなかった!
あたしは走る。鏡の中のあたしも走る。迷路の中をあたしの姿が幾百と走りまわって、その中心にひとつだけ動かない影。
あたしはそれをめざす。あれは、迷路を出るための手がかり。たったひとつ、動かない影にかけよる。
……ナル。
闇《やみ》の中、黒ずくめのナル。顔と手だけが月光のように白い。
「出られないの」
あたしはナルに訴える。
ナルはなにも言わず、ただ横を指さした。白い指が闇の中に軌跡を描く。
あたしはその指先を見る。
ここは……学校だ。写真のネガみたいに白黒逆になった学校の内部の風景。壁は黒く、黒板は白い。壁も床も、輪郭《りんかく》の白い線だけを残して透《す》けて見える。影の学校。
そしてそこに、蒼《あお》い鬼火《おにび》。
学校のあちこちに、青白い鬼火が見える。じっと闇にうずくまり、なにかをうかがっている気配。
「あれは……なに?」
あたしは、かたわらのナルを見上げる。
ナルは答える。
「わかっているはず」
……わかって? そうだ、もちろん、わかっている。あれは邪悪な意志。しかもこの世のものではない。
あたしはゾッとしてしまう。
数を数えられないくらいの、たくさんの鬼火《おにび》。あれはすべて、邪悪なもの。
憑《つ》かれたように見つめる。なんて底冷えのする色。
見つめているうちに、少しずつ光りがもどってきた。だんだん霞《かす》むように色彩が戻って、すうっと壁が見えてきた。
「……?」
壁。ごく薄いグリーンの。どこにでもある、なんのへんてつもない壁。
「麻衣《まい》!」
へっっ!?
顔をあげるとナル。険のある表情。
「おまえ、いま、眠ってなかったか?」
え? 眠って? もちろん……。
はっっ!?
あたしはあたりを見回す。みんなが冷たい眼であたしを見ている。
…………。
「すいません。寝てました」
ま、……まずい。
「眼をあけたまま眠るとは、つくづく寝汚いやつだな」
「もうしわけ……」
ナルが冷たい眼をむける。
「おまえは手伝いをしたいのか? それとも邪魔《じゃま》をしたいのか?」
……こ、こいつっ。
「ちょっとウトウトしてただけでしょ!
眠いときはしょうがないじゃない。眠っちゃいけないと思ってとまるもんなら、居眠り運転なんかおきないよっ!」
さらに冷たいナルの眼。
「居直ったな」
「あたりまえさっ。一国の運命を担《にな》う国会でだって議員が寝てんだぜ。崇高《すうこう》な使命を背負ってるはずの総理だって、堂々と寝てる。一介の小市民にすぎないあたしがイネムリこいて、なにが悪い」
「……みごとに歪《ゆが》んでるな、おまえは」
「あぁら、所長ほどではございませんわ」
「僕はいいんだ」
……ほう。
「このうえ性格までよかったら長生きしない」
……こいつは、こいつは、こいつはっ!
あーそうかいっ。どーせあんたは有能でおまけに顔だっていいよっ! それで性格までよかったら、できすぎで早死にするだろーさっっ!
ナルはあたしの方をにらんでから、全員を見わたす。
「馬鹿《ばか》は放っておこう。本題に戻る」
イネムリしたら、馬鹿なのか? その台詞《せりふ》、国会議事堂に行って言ってみろよ。
ナルは指先でテーブルを軽く叩《たた》く。
「笠井《かさい》さんの件が事件に関係あるのか、それともないのかはわからないが……」
綾子《あやこ》が首をかしげた。
「そのさぁ、笠井っていう子、どの程度信用できるの?」
「僕は信用できると思っているけど?」
「へぇ」
綾子のいじわるっぽい眼。
「アタシはマユツバだと思うなー。スプーン曲げなんてさ、いかにもじゃない」
??
「スプーン曲げって、マユツバなの?」
あたしが聞くと、
「じゃない? スプーン曲げで、インチキだって言われなかったひと、いないじゃない」
それは知らなかった。
しかしここは、綾子に聞くよりもぼーさんかジョンに聞くほうが無難だろう。
「そうなの?」
ジョンはうなずく。
「さいです。スプーンを曲げるゆうのは、ユリ・ゲラーが始めたことです。ユリ・ゲラー二十世紀最高のサイキック……超能力者やと言われています。PK……日本語で念力ゆうのでしたか、から透視、予言、できないことはない感じです。そのゲラーがあちこちでスプーンを曲げて、それを見た子供らがマネをしてスプーンを曲げました」
「えーと、ゲラリーニね?」
「はい。さいです。
けど、ゲラリーニゆうのんは不安定な能力を持ってまして。途中で力をなくしたり、それで困ってマジックにたよる人もいて、それがあちこちでバレて、ゲラリーニゆうのんはインチキなんやないかと」
「ふむふむ」
「そうしたときに、ゲラー自身がインチキやゆうて叩かれたんです」
「ユリ・ゲラーが?」
「ハイ。一時はアメリカの超心理学会でも、ゲラーはインチキやゆう見解が公式発表になったくらいで。そやから、スプーン曲げゆうたらインチキやとゆう印象が強いんです」
そうなのか。
「でもさ、ジョン、実際のところ、ゲラーってどうなの?」
ジョンは困ったように笑う。
「ボクではなんとも……。ただ、ゲラーはハデすぎて、どうしてもイリュージョンを見てる気になるんですけど」
「イリュージョン?」
「ええと……大がかりなマジックです。飛行機を消したり、車を消したり」
「あ、ナルホド」
あたしとジョンの会話を聞いていたぼーさんが、首をかしげる。
「俺もゲラーはマユツバだという気がするけどな」
「なんで?」
「うーん。サイ能力……超能力が人間に隠された力なら、音を聞く能力、ものを見る能力、そういうのと同じに、できることとできないことがあって当然、という気がするんだよなぁ。ゲラーってのは、挑戦を受けるとなんでも受けて立つ。なんでもできるわけで、かえって妙な気がするんだよな」
「さいですね」
ジョンもうなずく。
「そもそも超能力ゆうのはESPとPKとふたつ種類があるんです。ESPは……超感覚ゆうたらいいのか、普通の人にはわからへんことを特別な能力で知ることです。透視とテレパシーにわかれますが」
「ふむふむ」
「PKゆうのは念力ですね。普通のひとにはない特別な能力で、実際にものを動かしたりする力……。
ふつうサイキックはどっちかに分類できるもんなんです。PKやったらPK。ESPやったらESP。たまにはクロスオーバーしてるひともいますけど、だいたいわかれます」
ぼーさんもうなずく。
「そうだよなぁ。エドガー・ケイシー、ジーン・ディクソンなんて、神をもビビらせるほどの予言者だが、スプーンを曲げたという話は聞かない。
反対に偉大なPKでも……ニーナ・クラギーナとか、オリヴァー・デイビスなんかはかなりのESPをやってのけるが、あとはESPの能力を持ってるなんて聞かないよな。クラギーナもデイビスも能力は限定されるみたいだし」
「さいですね。けど、ゲラーゆうたら、PKでも一流なら、ESPでも一流ですやろ? 制限なしになんでもできますもん。
ボクはかえってマユツバな気がしますのんです」
綾子は身を乗り出して、
「アタシさぁ、いつも不思議《ふしぎ》なんだけど、どうしてスプーンなの? 金属を曲げるんだったら、何もスプーンでなくてもいいわけでしょ? なのにPKが曲げると言ったら、必ずスプーンじゃない? そのへんが不思議なのよねぇ」
「――ということは、そもそもPKってマユツバっぽいの?」
あたしが聞くと、
「それは違う」
ぼーさんが断言する。
「PKつってもイロイロあってな、三つあるんだっけか。PK−MT、PK−ST、PK−LT」
……うわぁ、あたま痛いっ。
「スプーン曲げは、このうちのPK−STという力なんだ。静止した物体に影響を与える力なんだが、ハデな力だが誤解も多い。インチキだって報告もいちばん多いな。
ところが実際は、PK−MTの力を持っている念力能力者がいちばん多いんだ。これは動いているものに影響を与える力で、たとえば、サイコロの目を変えたりする。『二よ出ろ』と念じて本当に二を出す能力だな」
「へぇぇ」
「PK−MTは、インチキなんだというよりも、ほとんどの人間が持っている力だと言われている。能力の大小はあれ、潜在的に持っている力なんだとさ」
「……あたしにもできる?」
「かもな。
PK−STにしても、必ずしもインチキばかりじゃない。
ゲラリーニあがりのPKにシルビオ・メイアーってのがいるけどね。彼は金属曲げが専門なんだが、あれはけっこう信憑《しんぴょう》性高いと思うぜ」
「へぇ?」
「だいたい超能力っていうと、……ゲラーの場合もそうだったんだが、手品師が出てきて、そんなことだったら手品でできるとか言って文句をたれるんだよな。手品でできるからって、必ずしもそいつが手品をやったとは限らないんだが、やっぱ、うさんくさい気がするだろ? たしかメイアーも手品師のロルフ・なんたらっていうやつに攻撃をうけたんだよな。
ところがこの手品師が最終的にはメイアー擁護《ようご》にまわっちまった。つまり、手品師がメイアーの能力を肯定したわけ」
「ほえー」
「あと、ソ連のニーナ・クラギーナ。彼女は強烈だぜ。PK−STのほかにPK−LTの能力もある。PK−LTってのは生物に影響を与える力なんだが。
ものを動かすなんてのは、おちゃのこさいさい。手を触《ふ》れるだけで病気は治《なお》すわ。カエルの心臓は止めるわ、人間の心臓は止めるわ」
「心臓を止めるーっ!?」
「そ。彼女の実験をしてた研究者が、妙な好奇心を起こしてさ。カエルの心臓を止められるなら、人間の心臓だって止められるだろうと。自分が実験の相手をかってでて、けっきょくあやうく心臓が止まりかけてしまった。実験に立ち会った医者が止めたんで助かったけど」
どひゃー。
「……あと、PKの大物といったら、イギリスのオリヴァー・デイビスかな。彼もPK−STだ。普通、PKでものを動かすといったら、マッチ箱とかスプーン、そういう小物が多い。彼はちょっとケタはずれだな。デイビス博士はPKというよりも、非常に真面目《まじ》なサイ研究者で、あまり表舞台に登場しないんだが、確か、何年か前にビデオをとっている。そのときの実験で、五十キロもあるアルミの塊《かたまり》を壁にたたきつけたというからなー」
「どひゃー」
「そんなふうに、同じPKでも能力が限られてたりするもんなんだな。シルビオ・メイアーもオリヴァー・デイビスも、PK−LTはできないようだ。生き物をどうにかしたという話は聞かないからな。
ところが……ゲラーっていうのは、あらゆるPK、だろ? おまけにあらゆるESP。
俺《おれ》としちゃ、うさんくさいと言わざるをえんなー」
「ふうん……」
ナルが口をはさむ。
「それは……ともかく。笠井さんの能力については疑問もあるが、取りあえず重要なのは、彼女が自分の能力を信じていたということだ。
彼女は教師の攻撃を受けて非常に不当だと感じていた。その結果が……」
「『呪い殺してやる』?」
「そう」
「実際にできるかね。クラギーナぐらいのPK−LTならできなくはないだろうが」
……そりゃまー、人の心臓を止められればねぇ。
「……それは……そうなんだが」
ナルはしばらく考えてから、
「……こんな話をしていてもキリがない」
あきらめたように顔をあげた。
「とにかく、いまの状況を何とかするほうが先だ。除霊にとりかかる」
全員が立ち上がった。
みんなが除霊に散って行って、あたしは会議室に取り残される。ひとりでいると、とってもタイクツ……。夕暮れの気配が忍び寄ってきた会議室。たそがれたけ気配。さっきまで続いていたあちこちで掃除する物音もやんで、学生の気配も絶《た》えてきた。ひとのざわめきのしない学校は本当に寂《さび》しい。
あたしはふと、さっき見た夢を思い出した。あれは確かにこの学校だった。暗闇のラビリンス。そこにうずくまっていた鬼火《おにび》。あれが霊でなくてなんだってんだ?
「……?」
わかんねーな。でも、どーせ、夢だしなー。うん、あたしなんぞが考えてもしょーがないや。かといって、誰《だれ》かに相談もできないし、(夢の中にナルが出てきたなんて言ってごらん。末代までの笑い者だ)。こんど、夢判断の本でもかってこよう、そうしよう。
……てなことを考えながら、ダラダラ依頼のメモの整理をしていたら、軽いノックの音がした。
「はい?」
あたしの声に、ひょっこり顔をのぞかせたのは笠井《かさい》さんで、さっきまで話題にのぼっていたひとだけに、あたしはちょっとドギマギしてしまった。
「あれ? ひとり?」
「うん」
彼女は部屋の中を見まわす。
「入ってもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
「ありがと。……なにをしてんの?」
「あたしはみそっかすなんで、ここで資料を整理したり、受信機のお守りをしたりしてるの」
「ふうん」
笠井さんはそのへんのイスに座《すわ》って、あたりをもういちど見まわす。
「へぇ……」
妙に感心した口ぶり。
「どうかした?」
「――うん。こういうのってめずらしいから。渋谷《しぶや》さんとかあんたって、霊能者なんでしょ?」
「あたしはちがうよぉ。ナル――渋谷氏も、ちがうかな。本人はゴースト・ハンターだって」
「へぇ、カッコイイ」
あたしはキョトンとしてしまった。いままで、『ゴースト・ハンター』と言って、それはなんだと聞きかえさなかったひとはいない。
そうか、笠井さんは超能力少女だもんねぇ、と妙な納得をしてしまう。
「……でも、じつは陰陽師《おんみょうじ》なんじゃないかな。あ、あたしが言ったんじゃないけど、これは」
笠井さんは口笛をふいた。
「それって、もっとすごいじゃない。へぇぇーっ、陰陽師なのかぁ」
感動したように言ってから、
「で? 除霊はすすんでる?」
「うーん、難航してるかなぁ。
うちのグループの霊媒がね、霊はいないって言い出して。あやうくケンカになるところだったんだ」
笠井さんは眉《まゆ》をひそめた。
「いない? いないはずないじゃん。こんなにいっぱい事件が起こってるのに」
「うん。そうなんだけどね。
うちのグループは、霊が見えるひと、その霊媒《れいばい》しかいないのよ。その彼女がいないなんて言い出したもんだから、事態は混迷を極める一方。
――そうだ、笠井さんって、霊は見えないの?」
笠井さんは手を振った。
「だめ。あたしは霊能力はないんだ。ESPの能力はないもん」
「ESP?」
話の脈絡《みゃくらく》がつかめないぞ。
「なんだぁ、知らないの? 霊能力はESPの一種だって説があるんだって。
あたしはダメ。ぜんぜんなのよ。PKだけ。それもPK−STの能力しかないし。……最近はそれも怪《あや》しくなってきたけどね」
笠井さんは肩をすくめた。
「すご……笠井さんって詳《くわ》しい……」
「ああ。恵《けい》先生の受け売りよぉ。恵先生は詳しいからね。超心理学の研究家になれるくらい」
「産砂《うぶすな》先生? へぇ、そうなんだ」
「ん。それで、生物部はオカルト研究部だって説があるくらいで。実際、部活じゃそういうことしかやってなかったし」
笠井さんは過去形を使った。
「……生物部って、いまはどうなってるの?」
「事実上の解散じゃない? 部員は、あたししかいないようなもんだもん。ミズホも学校、やめるみたいだし」
「やめちゃうの?」
あたしが聞くと、笠井さんは寂《さび》しそうに笑った。
「なんだって。ずっと前にそう言ってた。働くって、
あたしがスプーンを曲げたせいで、あの子も人生変わっちゃったなぁ」
「そういう考え方は不毛だよ。人間みんなそれぞれ自分のために一生懸命生きてるんだし、他人の影響なんて言っても、けっきょく選ぶのは自分なんだから」
笠井さんはあたしを見つめる。
「……ありがと。
あたし、少し、責任感じてるんだ。ミズホのことも、恵先生のことも、連発してる事件だって……」
「そんな必要ないと思う」
笠井さんはまた寂しい笑顔をつくる。
「そっかな。でもね、恵先生も苦しい立場になっちゃって。あたしをかばってくれたせいで、教師からはつるしあげられるし、PTAからはつるしあげられるし。
一時期なんかさ、学校が信じる信じないでまっぷたつでさ。信じない派のひとたち、先生も生徒も石でも投げそうな雰囲気だったもん。皮肉とかバンバン言われちゃってさー。完全に村八分。
それでも、最近はちょっとマシだけどね。なにしろ、幽霊なんかいない、超能力なんてありえない、って言ってたひとたちのところに幽霊が出てるんだし。内緒《ないしょ》で恵先生のところに相談にくるひとも、いるみたいだけどね」
笠井さんは、今度は本当に笑った。
「産砂《うぶすな》先生っていいひとだよね」
「うん」
笠井さんはニッコリした。
「……あたしは後輩みたいなもんだからって。学校中から攻撃されてたときも、かばってくれたし。いくら学校の後輩で教え子だって言ったって、ふつう、あそこまではできないと思う」
「……うん。産砂先生、ここの出身なんだ」
「じゃない? ここの女の先生ってたいがいそうだもん」
あたしはちょっと考えてから、
「ね、内緒の話、しようか」
「え? なに?」
「あたしが言ったって内緒だよ。しかられちゃうし」
「うん」
笠井さんが耳をよせる。
「吉野《よしの》先生のところにも出るんだって」
ピクンと笠井さんがみじろぎした。
「全校朝礼で、笠井さんのことをつるしあげたの、吉野先生でしょ」
「そう……だけど」
彼女は会心の笑みをもらした。
「へぇぇ、そうなのかぁ。あいつ、ビビってた?」
「それは、もー。不眠症だって、眼の下に隈《くま》つくってた」
「いいきみ、……なんて言っちゃ、いけないか。でも、……ちょっとスッとした」
「ナイショよ、ナイショ」
あたしたちは額《ひたい》をよせあって、忍び笑いした。
笑いながらあたしは心にスプーンを思い描いた。先がちょっとだけ曲がったスプーン。
いろんな人の運命を変えたものがあるとすれば、最初に曲がった一本のスプーンがそれだ。
……あたしには、そう思えた。
あたしと笠井さんがしばらく話をしていると、下校の準備を終えたタカが会議室にやってきた。
「ありゃー、また法生《ノリオ》ってば、いないのね」
「残念でした。お茶のむ? いま、いれようと思ってたんだ」
「飲むともさっ。笠井先輩、こんにちは」
「うん」
笠井さんは警戒したのか、ちょっとブッキラボウな口調だ。でも、タカは気にしないのだ。もともと明るい性格なのか、気安く笠井さんに話しかけて、笠井さんのほうも少しずつ打ち解けたしゃべり方をするようになって、あたしとタカが霊能者の集団の性格の悪さをネタに、さんざん漫才をやると、そのうち笑顔さえ見せるようになった。
「……あたし、恵先生以外のひとと、こんなにしゃべったの、久しぶりだ」
笠井さんが帰りぎわ、しみじみとした口調で言った。
タカは、ちょっと胸をつかれた表情をする。
「……かわいそ……。あたしでよかったら、またあそびましょーね」
「うん。サンキュ。今日は楽しかった。谷山《たにやま》さんも、サンキュね」
「また、くる?」
「うん」
タカがピョコンと立ち上がる。
「あたしも帰るっ! 笠井センパイ、ごいっしょしてもいい?」
「モチロン」
ヒラヒラ手を振って帰って行くふたりを、あたしはちょっと暖かい想いで見送った。
その翌日、ちょうど霊能者の集団が、ひと休みしに会議室に集まっていたときだった。
その知らせを持ってきたのは、吉野《よしの》先生。昨日、先生のひとりが車で事故を起こし、さらに陸上部の部員のひとりが倒《たお》れてきたロッカーにはさまれて大ケガをしたと。
ナルは眉《まゆ》をひそめる。
事故を起こした先生は、おとといバック・ミラーに幽霊が見えると言ってきた先生。陸上部の部室もその先生の車も、もちろん本人も、ジョンとぼーさんが昨日の夕方除霊をした。
……つまり霊は落ちてなかったということ。
そのうえ、入院しているタカの担任の先生が、ふたたび具合が悪くなったという。あいかわらず病室にまで幽霊が出るといって騒いだあげく、血を吐《は》いたらしい。なんでも、その先生の主張によると、刃物を持った老人の幽霊が現れて、そいつがお腹《なか》を刺すのだそうだ。もちろん、刺されたお腹にキズはない。そのかわりに吐血《とけつ》するのだと。
この先生もちゃんと、除霊したはずなのに。
「……効果なし、か」
ナルは冷静な声をもらした。
霊能者の集団は押し黙ってしまう。
あたしはふと、昨日夢でみた学校の風景を思い出す。あちこちにともっていた鬼火《おにび》。あれは邪悪な霊。そう思えた。あの夢にさほど意味があるとは思えないけど。
やがて綾子《あやこ》が、皮肉っぽい眼で真砂子《まさこ》をにらんだ。
「霊はいない、ですって? これでもいないって言うわけ?」
真砂子は強情だ。
「いませんわ」
ガンとして動かない。それでも不安そうな眼をしていた。
「素直に認めたら? あんたには、少なくともここの霊は見えないのよ」
「そんなはずは、ありません!」
真砂子はほとんど叫ぶように言う。
「あたくしには見えないのだったら、いないということですわ!」
「じゃ、この学校の状況をどう説明するわけ? 全員がウソをついてるの? それとも集団ヒステリー?」
……綾子、楽しそうだな、おまえ。やめろよ。
真砂子は綾子をにらむ。あたしたちを見渡して、それからツイと会議室を出て行った。
それを無言で見送ったぼーさんは、
「なー、ナルちゃんよぉ」
ナルにうらみがましい眼をむける。
「真砂子のやつ、意地になってるぜ。
ちょこっと機嫌《きげん》とってやれよ。真砂子がああじゃ、話にならん」
「……そんなこと、しなくていいわよっ」
綾子の抗議、ぼーさんはそれを見やって、
「おまえは黙ってろ。この場は真砂子が必要なんだ。
真砂子が霊視してくれなきゃ、本当に霊が憑《つ》いてるのか、単にそういう気がしているだけなのか、あるいはヒステリーなのか見分けがつかん。おまけに除霊の効果があったのかどうかもわからんときてる。ちがうか、ナル?」
あたしたちは黙ってナルの反応をうかがった。それに対してナルは平然と、
「原《はら》さんが頼りにならないのなら、別の霊媒《れいばい》を雇《やと》うという手もあるが?」
……木で鼻をくくるような返事。
あたしは真砂子は嫌《きら》いだ。はっきり言ってこいつっ、と思うよ。でも、こういう言われ方をされちゃ、真砂子だって浮かばれない(べつに死んだわけじゃないが)と思うのよ。
この、冷血漢。
ぼーさんはあきれたようにナルを見やってから、肩をすくめて立ち上がった。
綾子までが鼻白んだようすで立ち上がる。つられたようにジョンも立ち上がり――そうして会議室を出て行った。
残ったのはあたしとナルと、いるのかいないのかわからないリンさん。
「ナル、いまの言い方はちょっとひどいよ」
「当然のことを言ったまでだ」
……ほぅ。当然のこと、ねぇ。
「あんた、それ、真砂子本人に向かって言える?」
なんでだか知らないけど、真砂子には頭があがらないくせに。
ナルはちょっとひるんだようす。
「いったい、真砂子になんの弱みを握《にぎ》られてるわけ?」
「そんなことはない」
「……ほう。じゃ、さっき言ったことば、真砂子に面と向かって言ってごらん」
言えるの? 言えるもんなら言ってみろよ。あたしは知ってるんだからね。ナルってば、イヤそうな顔をしつつも、あいかわらず真砂子とデートしてるでしょ。
ナルはちょっとあたしをにらんでから立ち上がる。
「リン、作業に戻ろう」
逃げたな、こいつっ!
あたしはそそくさと去っていくナルの背中をみて、しみじみ首をひねってしまった。
なんに対してでも悪口雑言の限りをつくし、一刀両断に斬《き》って捨てるナルが、あそこまで歯切れが悪いからにはなにか事情があるに違いない。やはり弱みを握られているとみたね。問題はその弱み。
一瞬、スプーン曲げのことを思い出したけど、あたしに対してはべつに下手に出たりはしないもんな。スプーン曲げのようなことではあるまい。
あいかわらず、ナゾの多いやつ……。
ナルもリンさんもいなくなって、あたしはふたたびひとりになる。
授業終了のチャイムがなって、学校の内部がひとしきり騒がしくなって、それも時間がたつと潮騒《しおさい》のようにひいていって。そうして、しんとした放課後がやってきた。
放課後はやだな。よそよそしくて、寂《さび》しくて。タカか笠井《かさい》さんか、こないかなー。
そう思っていたら、パタパタと足音が聞こえた。ノックもなしにドアをあける。ひょいと顔を出したのはタカ。そして、その後ろには笠井さん。
おっ。なんてタイムリー。
「やっほー」
「はぁい」
「あいかわらず、麻衣《まい》ってば、ひとりなんだー。笠井センパイに会ったから、引っ張ってきちゃった」
タカが笑う。
「待ってたのー。放課後ひとりでいるのって、気分までたそがれちゃって、たまんない」
「そうでしょうとも。そう思って来てみたのさっ。感謝する?」
「する、する。感謝の気持ちをこめて、お茶をいれてしんぜよう」
「やった」
タカは笑って、ほらね、と笠井さんをふりかえる。
む。ひょっとしてタカってば、会議室を喫茶店あつかいしてない?
あたしがそう言うと、
「オヤ、ばれちゃった?」
「ここは喫茶店じゃないんだからね。そういう考えで入りびたらないように」
「だってー、ママさんがいいひとなんで、いごこちいいんだもーん」
「それは言える」
と、笠井さんまで。
「……ひとのいいママさんというのは、あたしのことかなー?」
「ほかに該当する人物がいる?」
「どーぞ、座って。お茶でも飲んでってくださる?」
ひとしきり笑ったあと、三人でお茶を飲んで。一息ついてから、タカは内緒話でもするみたいに身を乗りだしてくる。
「法生《ノリオ》は?」
「除霊の作業中」
「うまくいってるみたい?」
「どうだかねぇ。なんか、今回の事件は手こずってるな」
……考えてみれば、いつもそれなりに手こずってるわけだけど。でもまぁ、今回は得体《えたい》がしれないからなぁ。なにが起こっているのかさぇ、よくわかってないカンジだし。
あたしがそう言うと、タカはさらに身を乗りだした。
「ね、法生《ノリオ》って、どうなの?」
「どうって?」
「だからー、霊能者なんでしょ? 頼りになる?」
「どうかなー」
あたしも最初は、この役たたず、とか思っていたけど、本当はどうなんだろうね。
「けっこう、マシかなー」
「へぇー」
「それよりさー、ぼーさんのバンドのほうこそどうなの?」
「ウン、バンドね」
タカは腕組みする。
「ヴォーカルはねぇ、いまいち」
「ぼーさんは?」
「うまいよー。作曲もするけど、メロディーラインきれいだし。あたしは好きだな」
「へぇぇ、うまいのかー」
「うまいとも。スタジオ・ミュージシャンだし」
「?? 論旨を五十字以内で説明せよ」
「あ、スタジオ・ミュージシャンってね、ハンパなうまさじゃなれないの」
「そうなの!?」
「そうだよ。とんでもなくうまくないと。
だから、法生《ノリオ》は問題ないのよ。ヴォーカルがね、歌もいまひとつでルックスもいまふたつ。作詞はヴォーカルの担当なんだけど、これがまたいまいち」
「へぇぇ」
タカは笠井さんをふりかえった。
「そうだ、笠井さん作詞しません?」
笠井さんはパチクリする。
「あたしが?」
「ウン。作詞できるひとがいないって、あたしにまでやってみないか、とか言われるんですよね。笠井さん、詩書くのうまいもん」
「あれ、そうなの?」
あたしが聞くと、
「超能力少女の隠された才能。天は二物を与えることもある、というやつだね。
文芸部の会誌で詩を書いてたでしょ? あれ、すごくよかったです」
笠井さんはちょっとはにかんだ顔をする。
「……ああ、あれ。あんなの……会員が少なくて、会誌が埋《う》まらないから穴埋めに書いただけだし……」
「笠井さんって、文芸部にも入ってるんだー」
生物部だけじゃなくて。
「うん……正課のクラブでね」
言った顔がちょっと赤い。
「そういう話はいいよ、もう。それより、バンドの話のほうが聞きたい」
「あれー、センパイったら、テレちゃってー」
「ちがうわよぉ」
「だって顔赤い」
ひとしきり笑ってからタカが、
「まー、作詞がいまいちで、ヴォーカルもいまいちであると。キーボードもいまいちかな。ギターもすごくうまいってホドじゃないし」
「……ベースだけいいバンド?」
「ドラムもいいよ」
「リズム・セッションだけがいいわけ? そういうバンドって、不毛じゃない?」
あたしがそう言うと、笠井さんも大きくうなずく。タカは小さく舌《した》を出して、
「まーね。あたしがそう思っているだけかもしれないけど。
あたしはホラ、ノリオ至上主義だからー」
「あ、そーなんだー。へぇぇーっっ」
なんてこったい。すごいじゃない。
「へへっ。そういう麻衣って、ひょっとして渋谷《しぶや》さん至上主義でしょ」
ぎくっ。
「……なんのことやら」
あたしはできるだけ平静を装ってみたのだが、タカはあたしの顔をマジッと見てからケラケラ笑って、
「ムダよぉ、麻衣。オンナのカンをなめてはいけない」
笠井さんまでからかう口調。
「へぇ、そうだったのかー」
……あーう、ぅぅぅ。
「……わかっちゃう?」
「わかるとも」
タカに続いて、笠井さんまでがしみじみと。
「あのひと、顔いいもんねぇ。けっこう優《やさ》しそうだし」
あたしは思わずお茶を吹いてしまった。
「な、なに? どうかした?」
「笠井さん。ナルのこと、完璧《かんぺき》に誤解してる」
「だって……けっこう優しいかなとか、思ったよ、あたし」
「冗談。ナルが優しかったら、この世は善人ばかり。天国みたいなもんだよぉ」
「そ……そうなの?」
「性格悪い、悪い。口は悪いし冷淡だし、おまけにナルシストで秘密主義」
笠井さんはあたしの顔をのぞきこむ。
「……でも好きなのね?」
……うっ。あーうぅぅ。わん。
「言ってごらんよ。怒らないから」
「……かもしんない」
「かもしんない? ひとごとみたいに」
あたしはふたりに顔をよせた。
「じぶんでも、ときどきわかんないだけどさー。夢の中にしばしば出てくるっていうのはー、やっぱりそうなんだと思う?」
「完璧。それは恋愛というやつだね」
笠井さんにキッパリ断言されてしまった。
……ううう。やっぱ、そうだよねぇ。
「――前途多難な恋かもね」
笠井さんにしみじみ言われてしまって、
「……なのよねぇ。ぼーさんはその点、いいよね」
どーやら硬派《こうは》のナルとちがって、基本的に軟派《なんぱ》だもんな。
あたしがちょっとうらめしそうに言うと、タカは大きく手を振った。
「ダメダメ。ぜーんぜん。妹みたいなもんよぉ。追っかけするようになって、楽屋とかも入れてくれるようになって、近づけてラッキーとか思ってたんだけど、妹分になるくらいなら、やめとけばよかったと思って」
「……ナルホド。タカも多難なのね」
「でも、あたし、負けないっ。
この試練に耐《た》えて栄光の星をつかむわっ」
握《にぎ》り拳《こぶし》に力をこめてのガッツポーズ。
「がんばってねっ。あたし、陰《かげ》ながら応援していますわ!」
あたしが叫ぶと、笠井さんまでが、
「麻衣もがんばるのよっ」
「まあっ。うれしいっ。あたしもふたりの幸せを願っていましてよ!」
「麻衣っ」
「センパイっ」
「タカっ」
しっかと手を握りあって、あたしたちは大笑いしてしまった。
涙を流して笑いころげていたところに、当のぼーさんとナルがもどってきた。
あたしとタカのあせること、あせること。
ぼーさんはあたしたちをながめて、
「楽しそうだな」
うらめしそうな口調。
「ははは。……どう?」
「さいてー」
「おやぁ?」
「真砂子《まさこ》があれじゃ、除霊ができたのかできてないのか。ザルで水をくんでる気がしちゃうね、俺は」
……それはおつかれさま。
ぼーさんはタカと、暗くなった窓の外を見比《くら》べた。
「タカ、そろそろ帰れ。君も――」
と言って、笠井《かさい》さんを見る。誰《だれ》だろうというように、ぼーさんが首をかしげたのであたしは、
「笠井さん」
名前を押してやる。ぼーさんは、ああ、あの、というようにうなずいた。あたしはついでに笠井さんにぼーさんを紹介する。
「こちらが、ぼーさん」
笠井さんがマジッとぼーさんを見た。
「……ああ、あの……」
微《かす》かに言ってそっとタカと見比べる。こころなし、タカが赤くなった。
「ふたりとも、帰ったほうがいい。駅まで送っていってやるから」
「もうすこし」
タカが上目づかいにぼーさんを見る。子犬みたいな目。
「夜はいないほうがいい」
「……あぶない?」
「やっぱり、昼間よりは夜のほうがな」
ぼーさんにうながされて、タカは複雑な表情で立ち上がる。送ってもらえるのはうれしいけど、もっとそばにいたいと顔にかいてある。それでも、素直にカバンを取ってぼーさんの背中をついて行った。笠井さんは、おじゃまかしら、という表情でそのあとに続く。
ふふ。がんばりなよ、タカ。
心の中でつぶやいた。おお、よく考えたらあたしもらっきー。ナルとふたりきりではないんでしょうか。
ナルはというと、部屋を出ていく三人を目線で見送ってから、資料に眼を通し始めた。なんかオハナシしようよー、ねー。
よぉし、ここらで一発ギャグでもかまして話の糸口をつくってやろうかな、と思って、あたしはさっきタカから聞いた、ぼーさんのバンドの話とかを意味もなくくっちゃべった。もちろん、タカのとある人物に関する至上主義は伏《ふ》せといて。
気のなさそうなナルに、えんえん話をしているときだった。
カタンと妙にカンにさわる音が、部屋のどこかでした。
ふっとあたしたちは音のした天井《てんじょう》の方を見上げる。
続いてふたたびコトンという音。まるで上の階で誰《だれ》かが堅いものを動かしているような。――だがしかし、ここは最上階で、もちろん上の階などというものはないのだ。
スゥと部屋の電灯が暗くなった。まるで切れかけているように暗くまたたく。
ナルが身構《みがま》えるように腰を浮かした。
ゴトンとまた天井で物音。いまにも切れそうな電灯がまたたく。窓の外はもう暗い。電灯がまたたくたび、天井がぼんやりと浮かびあがってはまた消える。何度目かにまたたいたとき、暗い光の中で、ひとつかみの髪の毛が天井から下がっているのに気がついた。まるで天井から生《は》えるように。十センチくらいのそれ。
「……ナル」
「落ちつけ。動くな」
ナルは闇よりも暗い視線を、天井から生えたそれにむける。薄暗い明かりがふっと消え、とまどうようにもう一度ついたとき、その髪はふたつかみほどに増えていた。長さも三十センチばかりになったようだ。
あたしはそれに眼をうばわれたまま、身動きできないでいた。一度またたくごとに、徐々に長く増えていくそれ。
いつの間にか、ナルがあたしの前に立っていた。あたしはナルの背中ごしに天井を見つめる。
さらにもう一度またたいたとき、天井に髪の毛の生え際が現れた。白い額《ひたい》の生え際。
……誰《だれ》かが天井から沈んでくる……!
思わず息を飲んだ。ナルはあたしに背中を向けてそれを見つめたまま、
「……動くな。だいじょうぶだ、じっとしていろ」
「……うん」
電灯がまたたく。その額が眉《まゆ》のあたりまで沈んでくる。ふたたびまたたく。閉じた眼が現れた。
またたくごとにそれは天井から降りてきて、いつしか頬《ほお》が、あごが現れ……やがては、女の首だけが天井からぶらさがる格好になった。
「ナル……」
あたしがたまらず呼んだときだ。
臘《ろう》のように白い顔の女が、カッと眼をあけた。なにかに飢《う》えたようなギラつく視線でナルを見すえる。薄い血の気のない唇《くちびる》がニッとあがった。
「ナル……!」
ナルは後ろ手に腕をまわして、あたしを背中に抱えこむようにする。
「あれがこの学校の霊なら、なにもできない。だいじょうぶだ」
言っている間にも電灯がまたたく。女の身体《からだ》が沈んでくる。白い着物の肩が、胸が。
気の遠くなりそうな時間の果てに、女は天井から上半身を乗りだした。逆さまにぶらさがったまま、口元に陰惨《いんさん》な笑みをふくんでナルを見つめる。その眼の残虐《ざんぎゃく》な色。
……このまま降りてきたら……。背筋がゾッとする。あたしたちはどうなるんだろう……?
そのとき、ふいに誰かが部屋のドアを開いた。
「ぼーさんっ!」
ドアを押し開いてノブに手をかけたまま、ぼーさんは硬直する。天井から下がってくる女をみつめ、そうしてさっと指を組んだ。
「ナウマク、サンマンダ、バサラダン、カン!」
ぼーさんの声とともに、女の身体がずるっと天井に引っこむ。髪の先が天井に消えると同時に、会議室の明かりがついた。
「なんだ……いまのは」
ぼーさんが呆然《ぼうぜん》と口を開く。
ナルはひどく冷静な声で、
「とうとう、ここにも現《あらわ》れるようになったらしいな」
……そんな、なんでもないことのように言わないでよぉ。
「……これで、原《はら》さんが今回はたよりにならないことがはっきりしてしまったな」
「のようだな」
あたしはふたりの会話を聞きながら、その場にへたりこんでしまった。
ぼーさんがあたしの頭を叩《たた》く。
「だいじょうぶか? 怖《こわ》かったか?」
「……うん……」
怖かったのはあの眼。残忍な邪悪な眼だ。女はとうとう一度もあたしを見なかった。それが血に飢《う》えた眼で見つめていたのはナル。
そう思って顔をおおったとき、頭の中をふっとイメージが通り過ぎた。
ナルとその足元で燃える鬼火《おにび》。
「あ……」
「どうした、麻衣《まい》?」
ぼーさんがあたしをのぞきこむ。
「あれは……ナルをねらってる」
「――なに?」
「この部屋じゃない。あれはナルに現《あらわ》れたんだ。あれは邪悪。ナルが危ない」
キョトンとあたしを見つめるぼーさんとナル。ナルがあたしのほうに身をかがめた。
「なんだって?」
「だから、あれは邪悪なの。学校中にいる鬼火。あれはその中のひとつなんだよ。ナルをねらっているの」
……あたし、どうしてしまったんだろう。なにを言っているんだ?
「……麻衣、起きてるか?」
自分でも自信ない、と思っているのにあたしの口は勝手に動く。
「起きてる。あたし錯乱したりしてない。
自分でもなぜだかわかんないけど、わかるんだもんっ!」
ぼーさんとナルが顔を見あわせた。
落ちつくように言われて、イスに座《すわ》らされて、ぼーさんとナルに聞かれるまま、あたしは前に見た夢の話をした。もちろん、ナルが出てきたのは言わない。
「どうしてだかわかんない。でも、鬼火を見た瞬間、あれは絶対に邪悪なものだってわかったの。霊なんてもんじゃない、むしろ鬼だよ。ぜったいに危険なものなの」
ナルは考えこむ。視線を床におとして。あたしにはその視線の先に、あの鬼火が見える気がした。
そこにドヤドヤと足音と人声。みんなが戻ってくる音がした。
ナルとぼーさんの説明を聞いて、みんなはいちようにキョトンとする。真砂子《まさこ》は顔色がなかった。このおそろしくプライドの高い霊媒《れいばい》は、いたく傷つけられてしまったようすだった。
「そんなはず、ありませんわ」
真砂子の抗議する声は震《ふる》えている。
「霊がいるはずがありません」
「じゃあ、僕らが見たものはなんだと?」
「……わかりません。でも、それは霊じゃありません。ぜったいにちがいます」
真砂子の眼に涙が浮かんだ。
「そうでなきゃ、あたくしは霊能力をなくしたことになります!」
綾子《あやこ》が真砂子の背中を叩いた。
「霊には相性があるのよ。ここの霊はあんたと相性が悪いんだわ」
「……そんなこと……」
真砂子は顔を両手でおおってしまう。
綾子はその肩を押した。
「とにかく、相手の得体《えたい》がしれないんだからさ、夜は学校にいないほうがいいと思う。真砂子、帰ろう」
真砂子はうつむいたまま、こっくりうなずく。
あたしはひどく居心地が悪かった。まるで自分が真砂子の大切なものを横取りした気がして。真砂子はプロだ。しかも一流といわれた。これはさぞかしショックだろうと思う。
ナルは立ち上がった。
「綾子の言う通りだ。今日はこれまでにしたほうがいい」
四章 呪詛《ずそ》
その翌日。昼間とはいえ、あたしはなんだか気味の悪い思いで会議室にいた。みんなはまだ来ない。あたしは全員がやってくるのを待っていた。
ドアがあいて、やっと来たかと思って振り向くと、顔をのぞかせていたのはタカと笠井《かさい》さんだった。
「あれ、今日もひとり?」
「みんなまだなの」
あたしは妙にホッとする。あれはこの部屋に出たんじゃない。ナルに現《あらわ》れたんだと自分で言っておきながら、やっぱり信じきれないでいたから。
「まだって、もうすぐお昼だよ?」
「……うん。みんな疲れてるんだよ。あたしみたく、デスクワークしてるわけじゃないもん」
「ふうん……。仕事、はかどった?」
あたしはあいまいに笑う。笠井さんは怪現象を自分のせいじゃないかと気にしてる。昨日の事件を話して、笠井さんに負担をかけたくなかった。
「お昼、食べた? よかったらいっしょに食べない?」
「……あ、あたしオベント持ってきてないの」
「だろうと思って」
タカがナプキンの包みを差し出す。
「麻衣《まい》のぶんも作ってきたー」
「えーっ、うそっ! うれしー」
……きゃー、うるうる。
「へっへ。笠井センパイが、麻衣ってお昼ちゃんと食べてるのかな、って言ってたの。そう言えば、食べてるようすがないね、って話になって。で、今日はいっちょあたしが手作りのオベントを刺し入れしてみようかな、とか思ったわけ」
う、うれしいよぉ。
「……いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束よっ(ハート)」
「明日は、あたしが作ってくるから」
笠井さんが笑う。
「……わるいよぉ、そんな……」
「いいって。それよかさ、昨日言い忘れてたんだけど」
笠井さんはオベントの包みを開きながら、
「恵《けい》先生がさ、手伝えることがあったら言ってくれって。あたしも手伝うしさ、なんでも言ってよね」
「わお」
「感動してたよぉ。渋谷《しぶや》さんが陰陽師《おんみょうじ》だって話したら。やっぱ、一種あこがれあるもんねぇ」
「そうなの?」
「そうよぉ」
タカが立ち上がっていきなり声をあげた。
「あたしはー、おぼーさんのほうがいいー」
ハシを握《にぎ》って宣言すんなって。
「わーってるって。じつはミュージシャンも好きなんだろ?」
あたしが突っこむと、
「うんっ」
「ベーシストだともっといいんだよね」
笠井さんに言われても、
「うんっ(ハート)」
はいはい。いいお返事だことで。
三人で楽しくオベント食べて、食後にお茶をすすりながらバカ話をしてたところに、やっとナルのお着き。背後にリンさんを従えている。
「……笠井さん?」
「あ、こんにちは」
彼女はナルに手をあげて、それからタカといっしょに立ち上がると、あたしに手を振った。
「じゃ、あたし行くわ。午後、体育だし」
「うん」
「本当に、手伝うことあったら言ってよね」
「ありがと、山のように仕事見つけとく」
「ばぁか」
笠井さんは笑う。タカも、
「じゃ、がんばってねー」
なんか言って、ふたりしてナルたちに頭をさげると出ていった。
「……へぇ。ずいぶん仲よくなったんだな」
ナルが不思議そうにふたりを見送る。
「まぁね。人徳よ」
言ってやったら、
「かもな」
……へ?
あのぅ……。あたしとしては、皮肉が返ってくるのを予想してたんですが、心の中で身構えて、お返しの言葉まで容易してたのに。
ナルはイスに身体《からだ》を沈める。その眼が少し赤い気がしてあたしは聞いてみた。
「眼、赤い。寝てないの?」
「ああ。朝まであいつとにらみ合ってた」
……あいつ……って。まさか……。
「……昨日のやつ?」
「うん。麻衣のカンは当たったな。ゆうべ、僕の部屋に出た」
リンさんが、初めて聞いたというふうにナルを見つめる。
「わたしをお呼びくだされば、よかったのに」
「ああ……そうは思ったんだけどね。視線をそらしたらヤバい気がして。それで朝までにらみあってた」
……どうして、ナルってばそうなんでもないことのように言うわけ?
「壁《かべ》を叩けば聞こえました。どうして呼ばないんです」
「うん。まあ、……なにが起こるかなと……ちょっとした好奇心で。せっかく眠っているのを、起こすのも悪いじゃないか」
「ナル。なにかあったらどうするつもりだったんです」
「いや、もちろんまずい状況になったら呼んださ。べつになんでもなかったし……」
……めずらしい。私的な会話をするナルとリンさん。ちょっくらナルがあせっている気がするのは心の迷いだろうか。
「ねぇ、ナル?」
「ん?」
「つかぬことを聞くけど、ナルってリンさんといっしょのとこに住んでるの?」
「……そんなものかな。それが?」
……いや、べつになんでもないんですけどね。そうかー、そうなのかー。
ナルってば、あたしに自宅の住所も電話番号も教えてくれないのよね(たいがいオフィスにいるから、知らなくても用は足りるんだけど)。どのへんに住んでいるのかさえ、さだかではない。へええ、一歩近づいた気分。
「あ、そーだ。笠井さんが、なにか手伝うことがあったら言ってって」
「彼女が?」
「うん。産砂《うぶすな》先生も」
「素人《しろうと》に手伝ってもらって、なんとかなる状況ならね……」
ナルはウンザリしたようにつぶやく。
「素人じゃないんじゃない? 笠井さん、すごくいろんなことに詳《くわ》しかったよ。産砂先生からの受け売りだって言ってたから、先生はもっと詳しいわけだ」
「ふうん……」
「話してみると、いいひとだなぁ。笠井さんって、最初に生物準備室であったときは、怖《こわ》いひとかなと思ってたけど。あのときは、よっぽど神経がとがってたんだな」
そう。先生相手に『呪《のろ》い殺してやる』だなんて。追いつめたのは教師たち。
「産砂先生も笠井さんも、モメてるときは本当に大変だったみたいよ。産砂先生ってえらいよねぇ。いまどきの教師って、自分の立場を悪くしてまで生徒のことかばったりしないじゃない? 先生は後輩だからって言うんだって。でも、それでも普通できないよねぇ」
「産砂《うぶすな》先生が湯浅《ゆあさ》の出身?」
「らしいよ。この学校にいる女の先生って、たいがいそうなんだって。でね……」
そこまで言ってから、あたしはふと、
「ねぇ、ナル?」
少し心にひっかかったことを言ってみた。
「まさか笠井さんが、本当に呪《のろ》いをかけてるなんてことはないよね?」
ナルはけげんな顔をする。
「ないだろうな。いくらPKでも、こんなに大人数の人間をどうにかしたりはできない。ましてや、被害者のところには霊が現れているわけだから……」
「呪いのワラ人形とかさ、そういうこともないよねぇ?」
あたしが聞くと、
「優秀な超能力者は優秀な呪術《じゅじゅつ》者になれるという話だが……、それはないだろうな。ワラ人形を使うと言ったら、人形に釘《くぎ》を打つものだし」
ふむふむ。そうだよね。
「人形に釘を打った場所が痛くなったりするんだもんね」
「……そう。ワラ人形のせいで霊が出没したりするなんてことは……」
ナルは言いかけてはっとした。リンさんをふりかえる。そのリンさんもなにか胸をつかれた表情だった。
「リン……」
「その可能性はあります」
え? なに?
あたしはふたりを見比《くら》べる。なにがどーしたって言うわけ?
「なぜいままで気がつかなったんだ?」
「あのう……もしもし?」
あたしが聞くと、ナルがふりかえった。なにかを言おうとしたとき、廊下《ろうか》からドヤドヤと足音が聞こえた。
霊能者さまご一行のお着きだ。
「ごめんねーっ」
綾子《あやこ》は入ってくるなり、言い訳を始める。
「この破戒僧《はかいそう》が遅れちゃってー」
綾子たちは、ぼーさんが車で拾って連《つ》れてきているのだ。ぼーさんが、苦《にが》い顔をする。
「俺だけのせいじゃねーぞ。真砂子《まさこ》が行きたくないなんて、ゴネるから……」
ぼーさんのとがめるような視線に真砂子は、
「あたくしは、ここに来たって役にはたちませんもの」
完全にまだすねているようす。
「そういう松崎さんだって、お化粧に時間をとられて……」
「女の身だしなみよっ」
「身だしなみなら、迎えが来るまでに済ませておくべきですわ」
「あんたはいいわよ。化粧なんていらないんだから。アタシは、小娘とはわけがちがうの」
「素材の差ですわ。一センチや二センチ塗《ぬ》ったくらいで、あなたのお顔がどうにかなるとでもお思いですの?」
「なーんですってー?」
にらみ合うふたりを、ナルが冷たい声で制す。
「いいかげんにしないか!」
凍《こお》りつくような冷酷《れいこく》な眼。
「事態の様相がはっきりした」
ナルが宣言すると、全員が眼を丸くする。
「……なんだって?」
ぼーさんが身をのりだすのに、
「ここで何が起こっているのか、わかったと言ったんだ」
全員がシンとしてしまった。
「これは呪詛《ずそ》だ」
……ずそ?
「ここでは人を呪《のろ》うための呪法《じゅほう》が行われている。それがすべての原因」
「ちょっと、待てよ」
ぼーさんがあわてたように口をはさむ。
「呪いって……じゃ、誰《だれ》かがワラ人形でも作っているってぇのか?」
「少しちがうが、近いな」
綾子も不審そうに声をあげる。
「だって、じゃあ、霊はどうなるの?」
「それについては問題はない」
「問題はないって……呪詛と霊と、どういう関係があるわけ?」
ナルは全員を見渡す。
「人形に釘《くぎ》を打って人を呪う呪法は、もともと陰陽道《おんみょうどう》からきたものだ。これが神道、仏教、修験道に影響を与え、さらに民間|呪術《じゅじゅつ》として確立した」
「……それは、そーだが」
「陰陽道《おんみょうどう》では、ひとを呪《のろ》う方法にふたつある。『厭魅《えんみ》』と『蟲毒《こどく》』だ。『厭魅』は人形や、呪う相手の持ち物を使った呪法。『蟲毒』は生き物を殺し、その恨みの魂魄《こんぱく》を使って相手を呪殺する。
ワラ人形は前者、『厭魅』の術だ。
陰陽道はもともと、中国にあった陰陽|八卦《はっけ》の思想に由来する。『厭魅』も『蟲毒』も、もともとは中国に伝わった古い呪法……『巫蟲道《ふこどう》』にあった方法なんだ。陰陽八卦の思想に、中国の古い呪法が混合したもの……これが日本における陰陽道」
「……ふむふむ。つまり、人形を使ってひとを呪うのは陰陽道から来ていて、それはさらに中国から来たものなのね? それで?」
「普通、人形に釘を打って人を呪うというと、釘を打った人間の恨みの念が、不思議《ふしぎ》な力で相手に伝わり、それによって害を行うと考えられがちだ」
「ちがうのか?」
「ちがうね。呪者《じゅしゃ》……呪いを行う人間は、人形に釘を打つことによって、神や精霊に呪殺をたのむんだ。それを受け入れて、神や精霊が相手を呪殺に向かう。これが『厭魅』のもともとの形。
つまり、呪者は『厭魅』の法を行うことによって、神や精霊、果ては悪霊を使役することになるんだ」
「……ちょっと、悪霊って……」
綾子が声をあげた。
「ということは、なに? 『厭魅』の呪法を行うと、不思議な力でなく、神様や悪霊が相手をひどい目にあわせに行っちゃうわけ?」
「そう」
ナルが全員を見渡す。
……悪霊が相手をひどい目にあわせに行く……。
「それって……」
あたしがつぶやくと、ナルがうなずいた。
「いま、学校で起こっているのは、まちがいなく『厭魅』だと思う。
事件の様相はこうだ。
誰《だれ》かがこの学校の関係者に対し、『厭魅』の呪法を行った。それによって、呪われた相手のもとに悪霊が訪れる。悪霊は一晩で相手を殺す力は持たない。相手を苦しめ徐々に死に導く。呪者の力量が足りなくて、相手を殺せるだけの霊を呼べないのかもしれないが。
とにかく、そのせいで学校の中に変なことが起こっているというウワサがたつ。これに影響された神経質な人間が、自分にも霊的なことが起こっているとカンちがいしはじめる。その極端な例があのキツネツキの女の子だ。
かくて、学校をあげての大騒動になってしまったというわけ」
「……なるほど」
ぼーさんがうめいた。それから身をのりだすようにして、
「いったい、誰《だれ》が?」
ナルに聞いたところで、真砂子が口を開いた。
「そんなもの、わかっていますわ。……笠井《かさい》さんでしょ」
……笠井さん?
綾子《あやこ》もうなずく。
「でしょうね。自分の超能力を否定されて、おまけにつるし上げられて。自分をかばってくれた人たちもひどい目にあって。それで『呪《のろ》い殺してやる』なんて言ったわけじゃない? 言葉通り呪詛《ずそ》をやってたわけだ」
「そんな、笠井さんじゃないよ!」
あたしは思わず叫んでしまってた。
「あらあ、なんで? ほかに誰かいるの?」
「笠井さんって、そんなひとじゃない。そんなこと、するわけない」
「ひとは見かけによらないってね」
「そんなの!」
笠井さんのこと、知らないくせにっ。
「ほかのひとかもしれないじゃない! 先生や学生を恨《うら》んでるひとなんて、たくさんいるよ、きっと」
「どうだかねぇ。……ま、笠井さんを呼んで、ちょっと問いつめてみればはっきりするんじゃない?」
綾子はあっさりと言う。
「そんなこと、させないからね」
「麻衣《まい》ぃ、なんなのよ、いったい」
「だって、ダメだよ、そんなの。笠井さんに動機があるってだけで、証拠もなしに逮捕《たいほ》しちゃうわけ? 笠井さん、それでなくても、超能力の件でつるしあげられて傷ついてるのに!」
最初に会ったとき、人間不信で全身の神経をとがらせてた笠井さん。せっかく少し落ちついているのに、またあんなふうになったら!
ナルがあたしを見つめる。
「いちばん怪《あや》しいのは笠井さんだ。
被害者のひとり、吉野《よしの》先生は、朝礼で彼女をつるしあげた張本人《ちょうほんにん》だからな」
「……でも、ちがうもん」
「絶対と言えるか? 放っておいたら、死人が出るかもしれないんだぞ?」
……そんな。
あたしはうつむいてしまう。そんなふうに言われたら絶対ちがうなんて言えな……。
そのとき、あたしの頭の中をイメージがよぎった。うまく言えない。色のついた影のようなもの。なんだかわからないそれは、はっきり『ノー』と告げている気がした。
あたしは顔をあげる。ナルをまっすぐ見返す。
霊はやっぱりいた。ナルはやっぱり狙《ねら》われてた。あたし、自分を信じてみる。
「笠井さんじゃないよ、絶対」
綾子と真砂子が皮肉な笑い声をあげる。
「ばっかみたい!」
あたしを見返すナルの漆黒《しっこく》の眼。
「……断言できるか?」
「できるよ」
「また、麻衣のカンか?」
「そうだよ」
……モンクある?
ナルがふと眼をなごませる。
「いいだろう、信じてみよう」
「……本当に!?」
「麻衣には今回、カリがたくさんある。ここは麻衣を信用してみよう。
笠井さんが犯人かもしれないという仮説は一旦おいといて、犯人を捜してみる」
……やった! ありがとう!
綾子や真砂子は不満そうだ。
「ナル、本気なのぉ?」
「むろん」
真砂子は綾子よりもさらに不満そうだ。
「犯人がわかるまで放っておくんですの?
このままでは、死人が出ても存じ上げませんことよ」
「わかっている。呪詛《ずそ》をそのまま放ってはおけない。僕らは犯人を探す。みんなには人形を捜してもらいたい」
全員がキョトンとした。
「なに?」
「かけられた厭魅《えんみ》を打ち砕く方法はふたつある。呪詛《ずそ》を呪者に返すか、あるいは厭魅に使った人形を捜して焼き捨てる。
厭魅の法では、人形を相手の家や勤め先など、相手にとって身近な場所に埋《う》めるんだ。犯人がこの学校の関係者なら、人形も学校のどこかにある可能性が高い」
「それを捜せって? 俺たちに?」
ぼーさんはウンザリしたようすだ。
「学校の敷地が、どんだけの広さとあると思うんだ? 隣接した学生会館の建設予定地まで含めると、とんでもない広さなんだぜ? それを全部掘り返せって言うのか!」
「少なくとも犯人が僕の人形を埋めたのは、この二、三日のはずだ。まだ埋めたあとがわかると思う」
ぼーさんのうらみがましい眼つき。ナルは冷たい視線を返す。
「やりたくなければ、帰るか?」
「……やるよ、やりゃーいーんだろ」
ぼーさんは肩をすくめる。
ナルはあたしとリンさんをふりかえった。
「とりかかろう。来てくれ」
先に立って歩くナルを、あたしとリンさんは追いかける。午後の授業が始まった校舎の中はシンとしている。
「ナル! どこに行くの?」
「調べたいことがある」
短く言って、ナルがむかったのは二−五の教室だった。
タカのいる二−五のクラスは、現在移動授業中だったようだ。教室はガランとして誰《だれ》もいなかった。無人の教室はよそよそしい。ひとがいるときとは、まるで別物のようだ。
呪《のろ》われた席。現在その席に座《すわ》っている子は、怪我《けが》をして入院中。
「どうするの?」
ナルはものも言わずに机の中にいれたままになっていた持ち物を引っ張り出す。机の中をのぞきこみ、それから机をひっくり返した。
「……あった」
……あたしとリンさんは、机の中をのぞきこんだ。
机の中の奥、正面に紙が張り付けてあった。ナルがその紙をはがす。そこにはさらにガムテープで人形の板が張り付けてあったのだ。
ナルはその人形を引きはがした。リンさんに差し出す。
リンさんはその人形をながめて、
「……よくできています。まちがいなく厭魅《えんみ》ですね。ただこれは……特定の個人を呪《のろ》ったものではなく、この席の所有者を呪うためのもののようです」
「だろうね」
ナルはうなずいた。キョトンとしているあたしに向かって、
「この席は、特定の誰《だれ》かではなく、ここに座った人間を事故にあわせる。それで、呪われているのは、人ではなく机だろうと思ったんだ」
……ナルホド。
「この例をみると……陸上部の部室も、特定の個人ではなく、陸上部全体をねらったと考えられる。……行ってみよう」
陸上部の部室のある長屋のような建物は、グラウンドの端にある。ナルは中をのぞいて、部室の床がコンクリート製なのに少し首をひねる。
「普通は床下の地中だな?」
「そうです。天井裏《てんじょううら》のこともありますが……」
ナルはリンさんに言われて天井を見上げた。四角い板が張ってあるだけの天井。ナルはその辺のイスを引きよせて、上に昇る。部屋の天井板を調べ始めた。
「どれか、動くやつがあるはずなんだが……」
ナルは天井板を叩く。ホコリが落ちてきて、あたしは眼をおおった。あわててうつむいてまたたく。そのとき、ロッカーの近くの床がひび割れて、少し持ち上がっているのに気がついた。
「……?」
よく見てみると、床にはったコンクリートが割れて、そこが少し持ち上がっているのだとわかる。あたしは試しに少し浮き上がったコンクリートに手をかけてみた。
――動く。
力をこめると三十センチ四方くらいのそのかたまりが持ち上がった。その下には地面が見える。
「ナル!」
呼ぶとナルがイスから飛び降りてくる。あたしの示した穴を見て、真っ白な手で掘り返しにかかる。あたしは妙にもったいない気がして、あわててそれを手伝った。
「……あった!」
すぐに指先が堅いものに当たった。あたしはそれを引っ張り出す。
板を削って作った人形。そこに墨《すみ》で文字。泥で汚れて読めないけれども。
ナルに渡すと、ナルはそれをリンさんに渡す。リンさんは何もいわずただうなずいた。
ナルはあたしをふりかえる。眼もとが微《かす》かに優しい。
「よくやった、麻衣《まい》」
……うわー、ほ、ほめられたぁ!
「やはり厭魅《えんみ》だ。まちがいない。あとは埋められた人形を回収しさえすればいい。今回麻衣は大活躍だな」
……えへへへー、ソレホドでも。
「回収がたいへんですよ」
リンさんに言われて、ナルは手を叩いて泥を落としながら立ち上がる。
「そうでもないさ。犯人に聞けばいい」
「どうやって犯人を見つけます?」
「できなくはないはずだ。あの魔の席と陸上部をつなぐものが見つかればいい。その線の延長線上に犯人はいるはずだ」
「……はい」
リンさんはナルに何事か命じられ、調べものをするために出かけていった。あたしたちはタカを探す。
授業中のところを、会議室にむりやり引っ張ってくると、キョトンとした彼女に簡単に事情を説明して、協力を求めた。
「いいけど……協力って、なにを?」
タカが不思議そうに聞くのに、ナルは、
「あの席が呪《のろ》われていることについて、なにかこころあたりはない?」
「そんなこと言ったって……」
「じゃあ、質問の角度を変えよう。犯人はあの席に座っている人物に恨《うら》みを持ってた。――最初にあの席に座《すわ》っていたのは誰《だれ》?」
「一学期はよく覚えてないや。二学期になってからは、村山《むらやま》さんっていう子」
「その子があの席に座っていたのは、いつからいつまでの期間?」
タカはちょっと考えこむ。
「えーっと、最初の席替えが九月の半《なか》ば。うち、毎月十五日に席替えするから。 だから、夏休みをはさんで、七月十五日から、九月の十四日までが村山さんのいた期間になるのかな」
ナルはうなずいてメモをとる。
「彼女は事故にあったんだね?」
「うん」
「村山さんが事故にあったのは?」
「えーと、何日か忘れたけど、席替えの二、三日前。だから、最初はみんななんとも思わなかったのよね」
「そう……。犯人は、夏休みをはさんで七月十五日から九月十四日まで……二、三日前だから、……十一、二日か。その間に机に呪符《じゅふ》を張ってるわけだな。
事故や病気が連続して起こり始めたのが九月の半《なか》ばだから、村山さんの前の人間は関係ないだろう。村山さんはこの間に、なにか犯人の恨《うら》みをかうようなことをしてしまったわけだ」
「……そんなこと言われてもねぇー」
タカは首をかしげた。
「ほかの事故にあった被害者はどう?」
「うーん……」
タカはますます首をひねってしまう。
「恨みを抱くくらいだ。犯人は村山さんを顔だけにしろ知っているはず。ということは、クラスの担当ではない教師やほかの学年の生徒は除外できる」
「それはちょっと……。だって担当でない先生だって連絡で来るし、他学年のひとだってクラブの関係で来ることもあるよ。げんに村山さんだって、文芸部のひとがけっこう出入りしてたもん」
ナルはペンで机を叩く。
「じゃあ、陸上部はどうだろう? 陸上部が恨みをかっているのは?」
「……陸上……。なんか、グラウンドの使用権でソフト部とは小競《こぜ》り合いが絶えないって聞いてるけど。あと、うちは陸上とバレーが強いのね。そのせいで、バレー部とも仲が悪いみたい。それと……」
タカはふと、
「陸上部は顧問《こもん》が現実主義者なのよね」
「……?」
「顧問の先生が、霊とか超能力とか、信じないひとみたいなの。そのせいか、部全体も否定的。沢口さんって、正課のクラブが陸上なのね。でもって、正課の陸上って、陸上部の人間はほとんどいるの。それで、ずいぶんいじめられてたらしいよ」
ナルは少し考えてから、顧問の先生の名前を聞く。顧問は最初の日、車に幽霊が出ると言ってきて、そのあと事故を起こして入院している先生だった。
……沢口《さわぐち》さん……。
「沢口さんは、高橋《たかはし》さんのクラスに出入りをしてた?」
「……うん。ホラ、カサイ・パニックのとき……つまり、笠井さんがスプーンを曲《ま》げられるっていうんで学校が騒然になってるとき、笠井さんってひっぱりだこだったのね。廊下《ろうか》とかで姿を見つけると、みんなでクラスに引っ張って行っちゃって。沢口さんって、いつも笠井さんといっしょにいたし、うちのクラスにも何度か来たことがあるよ」
「そう……」
ナルはつぶやいてから、
「最初に事故にあった村山さんは、超能力否定派? 肯定《こうてい》派?」
「……バリバリの否定派」
タカは不安そうにナルを見つめた。
「そういえば、あたしたちが笠井さんを教室に連《つ》れて来たときとか、聞こえよがしにすっごい皮肉言ってた。笠井さんたちだけじゃなくてね、ほかの生物部の子とか、産砂《うぶすな》先生とかにまで。笠井さんを呼んできたあたしたちにも、はっきりモンク言ってたし」
言ってから、あたしを見る。
「麻衣《まい》、……これが原因? 犯人は沢口さんなの? それとも……」
「……わかんない」
学校にこなくなった沢口さん。先生につるしあげられて、学生からはいじめられて、とうとう学校にこなくなったあげく退学するという。
自分を攻撃してきた人への恨みは強いだろう。あたしたちが学校にきた時にはすでに学校にいなかったので、あたしたちは沢口さんのこと、忘れてた。彼女だって鍵《かぎ》を曲げたのに……。ナルは言ってた。優秀な超能力者は優秀な呪者《じゅしゃ》になれるって。だとしたら、犯人は沢口さんでもいいんだ……。
ナルは、反笠井《かさい》派のひとたちの名前をタカに聞いて名簿に印をつけた。タカの知る限り、笠井さんを攻撃してたひとたち。
タカを授業に帰らせたあと、あたしとナルはその名簿を見つめる。印のついた人たちは、全員呪詛《ずそ》に悩まされて相談に来ていた。
「やはりこれか……」
ナルはつぶやく。
「……沢口さんが犯人?」
「わからない。麻衣には悪いが、笠井さんの可能性も高い」
「ねえ? 言いたくないけど産砂《うぶすな》先生だって動機はあるわけでしょ? 先生はどうなの?」
「なんとも言えないが……。しかし、呪詛《ずそ》というのは、誰《だれ》がやっても成功するというものではない。あらかじめ素養がないと」
「……超能力があるとか?」
「そう。霊能力があるとか。本格的な修行《しゅぎょう》をしたことがあるとか」
産砂先生はどうだろう?
超心理学にはくわしかったけど、本格的な修行をしたなんて話が出たことはない。
そのほかにこの学校に、本格的な修行をしたことのあるひとなんているだろうか。超能力のあるひとは? 霊能力のあるひとは?
……どう考えても、いちばんあやしいのは笠井さんと沢口さん……。
でもあたしは自分の直感を信じる。笠井さんは犯人じゃない。だとしたら残るのは沢口さんだけ……。
ナルは立ち上がる。
「沢口さんに会ってみよう」
「……うん」
あたしとナルは、先生に沢口さんの住所を聞きに行った。本人が学校に来ないのだから、家を訪ねてみるしかない。沢口さんの担任に住所を聞くと、先生は意外なことを言い出した。
「沢口は家出したらしいんです」
この担任は笠井さんたちを攻撃した一派で、やはり行く先々で大きなラップ音がするのに悩まされている。
「昨日家から連絡があって、身の回りのものや、お金が消えているんで、たぶん家出したんだろうと。たしか今日、警察に失踪《しっそう》届を出すと言ってました」
ナルは困惑したように黙りこむ。あたしは職員室を退出したあと、ナルとわかれて笠井さんを探した。
クラスの前で笠井さんを捕まえる。あたしは彼女をその辺の空《あ》いた教室に引っ張りこんだ。
「沢口さんが家出したって」
あたしが言うと笠井さんは少しキョトンとして、それからその場にしゃがみこんだ。
「……あたしのせいだ」
「ちがう。そうじゃないよ」
「そうだよ。……ミズホは学校をやめて、家を出て働くって言ってた。それじゃあの子は、最初から家出しちゃうつもりだったんだ……」
笠井さんは膝《ひざ》の間に顔を埋《う》める。
「そうだよね、学校ではいじめられるし、家では学校に行けって、しかられるって言ってたもん。……あたしのせいだ」
「ちがう。笠井さんのせいじゃない。
沢口さんはずるい!」
え? というように、笠井さんがあたしを見返した。
「だってそうでしょ? 笠井さんは周囲に負けないってがんばってるのに。友達だったらいっしょにがんばるべきだよ。笠井さん、ひとりで学校に残して、自分は勝手に家出なんかしちゃって、笠井さん泣くのに、自分のせいだって悩むのに。それ、わかってるはずなのに!」
ああっ、あたしムカムカする。どうして逃げちゃうわけ? 友達を残して勝手に逃げちゃうのよっ。
「笠井さんのせいじゃない。沢口さんが弱虫でずるいだけ。笠井さんだって攻撃されてるのに。でも、がんばってるのに。一蓮托生《いちれんたくしょう》の友達見捨てて逃げるひとのために、責任なんか感じる必要ないっ!」
笠井さんはしゃがみこんだまま、ボロボロ涙を落としてあたしを見上げる。
「……あたしも、そう思ってたみたい……。いま、ちょっとホッとしちゃった」
「あたりまえだよ、そんなの」
あたしが言うと、笠井さんは笑う。
「そうだよね。……すごい。麻衣《まい》ってば、すごく前向きなわがまま」
「うん。なんでもかんでも自分の責任だなんて思うような、おセンチ娘じゃないもん」
「……センチかぁ……。そうだよね」
「そうだよ」
あたしは笠井さんの隣《となり》にしゃがみこんだ。
「ミズホは……学校に来なくなって、あたし何度も行こうって誘ったんだけど、やだって。最近は電話しても、あたしはお説教ばっかだって、だからやだって電話にも出てくれなかった。
あたし、ミズホのこと心配だったけど、心のどっかで悲しかった。置き去りにされたみたいで、心細かった」
「うん」
……当然だよ、そう思って。
「最後に電話でしゃべったの、いつだったかなぁ。だいぶ前。そのとき、ミズホが学校やめて働くって言ってて、それで電話切ってから、あたし泣いたのね。
自分でもなんで泣けるのかわかんなくて、ミズホにすまなくて泣いたんだって思ってた。
でも、いまから思い返してみると違うな。あたし、ミズホに見捨てられた気がして、友達に裏切られた気がして、ひとりぼっちになった気がして泣いたんだ」
「うん」
「ミズホってば、ずるい」
「そのとおり」
「あたしは、負けないぞ」
「えらい」
「負けないでがんばって、ミズホが勇気を出して帰ってきたときの居場所をつくっとく」
「笠井さんって……」
「うん?」
「さいこー」
あたしが言うと笠井さんは笑った。
「こーんないい友達を見捨てるなんて、ミズホってば、馬鹿《ばか》だと思わない?」
「思う、思う。あたしがあとがまに立候補したいくらい」
「右側ならあいてるよ?」
「左は?」
「お馬鹿のミズホのためにあけとく」
「うん」
あたしは少しの間黙《だま》りこんで、自分の足元を見つめていた。
「あたし、授業に行かなきゃ」
笠井さんが立ち上がる。
「あんまし気にしちゃダメだよ」
「……ん。がんばる。麻衣もバイトがんばって」
あたしに笑ってから、
「あっちのほうもね」
「あっち?」
「シブヤさん」
……あーう。だからぁ、それは……。
「ミャクありそ?」
「ぜーんぜん。でもさー」
「でも? なに?」
えへへー。役にたってるってほめられちゃったー。
あたしがその話をすると、
「へー。まったく望みがないわけでもないじゃん」
「……かなー?」
「だいじょうぶ。ファイト」
「笠井さんもね」
「まかしといて」
あたしたちはクスクス笑いあった。
「んじゃ、本当に授業に行く」
笠井さんは手をあげる。あたしも手をあげて、それからふと、
「ね、笠井さん?」
「ん?」
「沢口さんと長いこと話してないって言ったよね?」
「だけど?」
「じゃ、沢口さん、いまの学校の状況とか、あたしたちが来たこととか知らないんじゃないの?」
笠井さんは少し首をかしげて、考えこんだ。
「……たぶん……知らないと思うな……
あたしは言うチャンスがなかったし、恵《けい》先生の電話にも出ないって言ってたから、たぶん知らないと思う。
教えてあげられればよかったな。あたしたちを攻撃してたひとがみんな幽霊に会って、ちょっと態度変わったのに。そんなに攻撃的じゃなくなったし、吉野《よしの》先生のこととかさ」
「うん……」
あたしは生《なま》返事をした。
……そんなことが言いたかったんじゃない。
ちょっと喉《のど》がつまる思いで、あたしはさらに聞いてみた。
「産砂《うぶすな》先生って……霊が見えたりする?」
笠井さんは首をふった。
「どうして? できたらとっくに麻衣たちを手伝ってるよ。
恵先生は、実践の才能はないんだって。理論だけで」
「本格的な修行とかしたことないのかな」
「聞いたことないな……」
あたしは、頭をはたかれた気分だった。産砂先生は呪詛《ずそ》をする才能がない。すると、残るのは沢口さんと笠井さん……。
でも、沢口さんはナルが学校に来たことを知らなかったんじゃないの? つまり、沢口さんは、ナルに呪詛をかけられないんじゃないの!?
かける理由がない。ナルの存在を知らないんだから。
じゃあ、ナルのところに幽霊が現れたのはなぜ? あれが単なる幽霊のはずがない。あれは厭魅《えんみ》だ。厭魅の法で呼ばれた悪霊。
では、沢口さんも、犯人ではありえない。
会議室に戻って、ナルにそのことを言うと、ナルはポカンとあたしを見つめた。
「麻衣《まい》、今回はどうしたんだ? えらく役にたってくれるじゃないか」
……悪かったな、いままで役にたたなくて。
「その通りだ。沢口さんは犯人ではない。
だいたい、なんで僕のところに呪詛《ずそ》が向かってきたんだ?」
「ナルが邪魔《じゃま》だからじゃない?」
「邪魔?」
「だって、ナルは学校の怪事件を解決にきたわけじゃない? 自分の邪魔になるんで、犯人はナルを排除しようとしてるわけ」
「……だったら、僕だけに呪詛をかける必要はない。僕ら全員にかけるべきだと思わないか? 呪詛をかける必要はない。僕ら全員にかけるべきだと思わないか? 呪詛をかけるんだったら、僕でなくせめてこの会議室にするべきだ」
「それは……」
ああ、そうか。あたし、わかった。うん、そうよ。きっとそう。
「つまり、この学校で起こっていることは、呪詛なわけでしょ? 呪詛って陰陽道《おんみょうどう》からきてるんだよね? と、言うことは、陰陽師は呪詛を打ち破ることができるってことじゃないの?」
「……そうだね」
「だからだよ。ナルは陰陽師だから特に自分にとって邪魔なんで……」
「僕が? なんだって?」
「陰陽師」
「なんでそうなるんだ?」
……ぱちくり。なんで……って。
「……ちがうの?」
「ちがう」
えーっっっ! そんなぁ!!
「だって、こないだの事件のとき、人形使ってたじゃない! あれは陰陽師《おんみょうじ》にしかできないことだって、ぼーさんが……」
「あれを作ったのはリンだ」
……リンさん……。
「……リンさんが、陰陽師《おんみょうじ》なの?」
「そういうことだな」
……なんだってぇ? じゃあ、ナルはやっぱり、単なる心霊研究家なわけ? なんとなく……がっかり……。
「そんな誤解を犯人がするはずがない。
もし、僕が実際に陰陽師だとしても、それを知る方法があるとは思えないし……」
「あたし、言っちゃった……」
「え?」
「ナルは陰陽師だって」
「……誰《だれ》に?」
どうしよう。
「……笠井さん……」
ナルはあたしの顔をマジマジと見つめてから、天井《てんじょう》を仰《あお》いでため息をついた。
「つまり……笠井さんは僕が陰陽師だと誤解しているわけか。麻衣、ということは……」
「うん。わかってる。笠井さんが犯人である可能性が高くなったってことよね」
「笠井さんは犯人ではないと言ったのは、おまえだ」
「うん」
「信念は変わらないか?」
「ひとつ聞きたい」
「なんだ?」
「ひとが自分も知らない間に呪詛《ずそ》を行ってしまうなんてこと、あると思う?」
たとえば無意識のうちに。たとえば夢うつつのうちに。
「ありえないだろうな。特に厭魅《えんみ》では……」
「じゃ……変わらない」
ナルは軽く指先で机を叩いた。
「いいだろう。もう一度だけ麻衣を信じてみよう。……ただし、次に笠井さんが犯人であることを暗示する証拠が出てきたら、承知しないぞ」
「……うん」
笠井さんじゃない。そんなはずがない。
ナルは立ち上がった。
「僕は調べものをしてくる。麻衣はみんなを手伝って、人形を探せ」
「ラジャー」
五章 ヒトガタ
あたしはまず、みんなを探した。霊能者の集団は、現在体育館のまわりを捜査中だった。あたしが綾子《あやこ》を見つけてかけよると、ちょうど、ジョンが体育館の床下から顔を出した。
「ジョン! 泥だらけじゃない!」
「はぁ……」
ジョンは四つんばいで狭《せま》い通気孔《つうきこう》からはいだしてくると、困りきった表情で起きあがる。
「ダメです。ここにもありません」
綾子と真砂子《まさこ》がため息をついた。
ジョンのあとから、ぼーさんもはいだして来る。
「本当にあるのぉ? 人形なんて」
疑わしそうな綾子に、あたしは魔の席と陸上部の部室から見つかった人形の話をしてやった。全員が考えこんでしまう。
「やっぱり、厭魅《えんみ》か……。しょーがねぇな」
ぼーさんはうなってあたしたちを見渡す。
「床下はこれで終わりだ。床下にないとなると、校庭のどっかだろう。手分けして、しらみつぶしにあたるしかねぇな」
綾子が悲鳴をあげる。
「もーっ、なんだってこんなカッコ悪いことしなきゃなんないのぉ!? 服だって汚《よご》れちゃうし。爪《つめ》だって折れちゃうわよぉ」
「そりゃ、おたがいさまだ」
「あら、いっしょにしてほしくないわね。
この服、いくらしたと思うの? インゲなんだからねっ。学校からクリーニング代、出るんでしょうねぇ」
「あら、たかがウールじゃございませんの」
真砂子が皮肉っぽく言う。
「あたくしなんか、絹なんですのよ」
真砂子は着物を見おろした。
「こんなとこに、そんなもんを着てくるほうが悪いのよ。身動きはとれないし、気は遣《つか》うし」
ボディコンにハイヒールの綾子に言われちゃ、真砂子も腹がたとうというもの。
女ふたりがお互いの着るものについてケンカを初めてしまったので、あたしは衝撃の事実というやつを投げこんでやることにした。
「ところでさー、ナルは陰陽師《おんみょうじ》じゃないってよ」
ぴた。
ほーら、騒ぎがしずまった。
「ナルが……ちがうって?」
「うん。陰陽師はリンさんのほうだって」
「うそ」
「本人が言ってたもん」
ぼーさんがあたしにかがみこむ。
「んじゃ、何か? ナルはなんの役にたつんだ?」
「知らない。でも、いつも役にはたってるじゃない?」
「そらそーだが。するとあれか?
やつが頭脳労働担当で、俺たちが肉体労働担当……」
「じゃないの?」
どっかのおめでたい漫才師みたいね。
「どーして俺が、自分で除霊もできないようなやつに使われなきゃ、ならないんだ?」
ナルのほうが頭いいからではないでせうか。
「あら、アタシだってそうよ!」
ま、綾子は惚れた弱みというやつやね。
「まぁまぁ」
例によって、その場の収拾にあたるのはジョンだ。
「渋谷《しぶや》さんは、超心理学者やから。
ひとりの本格的な研究者がいるから、ボクらバランスとれるのとちがいますか」
ぼーさんも綾子も不満そうだ。
あたしはポンとジョンの背中を叩《たた》いた。
「そのとーり。さ、ジョン人形捜しに行こう」
あたしが言うと、綾子が、
「そーいや、もうひとりいたわね、役たたずが」
「あら、あたしのこと? あたし、役たたずじゃないもーん」
「きっぱり言うじゃない?」
「ふっふっふ。あたしは第六感のオンナなのよぉ」
ナルにだってほめられたもん。今回は役にたってるって。
「さー、ジョン、行きましょー」
キョトンとしたジョンの背中を押して、あたしはその場をあとにした。
途中でジョンとわかれて、あたしはひとり校内を捜索する。
学校のどこかに、厭魅《えんみ》をおこなっている人形があるはず。あたしはていねいに校庭を見ていく。植木の陰、花壇まで。見ただけでもわかるはずだ。少なくとも、ナルの人形はつい最近|埋《う》められたはずだから。
あたしは西側のフェンスぞいに歩いて、グラウンドの反対がわにある空《あ》き地までやってきた。もとは学生会館があったらしいんだけど、それはいま取り壊《こわ》されて単なる空き地になっている。丈の高い雑草が枯《か》れていた。間に群生するセイタカアワダチソウ。そこにコンクリートのガレキが放置されてて、ボロボロになった鉄筋が突き出している。
ここらでちょっとひと休み。フェンスにもたれて、あたしはその風化したような風景をみつめる。風が吹いて、雑草の草むらからカラカラ乾《かわ》いた音がした。
ここだって校内の一部だよねぇ。この空き地を探すんでしょうか。それはあまりにたいへんだぁ。
いちおうフェンスで入れないようにしてあるからなぁ。ひととおり校庭を捜してからにしたほうがいいかな。
西日があたる。陽《ひ》のおちるのが早くなったな。そう思って空き地をながめていた。
「……?」
あたしはふと首をめぐらす。どこかで子供の泣く声がした。フェンスぞいに歩いてみる。セイタカアワダチソウの陰のあたりに、放り出された赤いランドセルが見えた。あたしは身を乗りだして声をあげる。
「誰《だれ》かいるの!?」
泣き声が微《かす》かに強くなった。
「どうしたの、ねぇ!?」
返事はなかった。あたしはあたりを見回した。フェンスに破れ目はない。えい。あたしは自分の背丈以上もある金網によじ登る。勢いよく飛び降りるとランドセルのところに走った。
「誰かいるの!? どこ!?」
大きな声で呼んだとき、近くで微《かす》かな声が聞こえた。あたしは立ち上がって、あたりを見回す。すぐ近くに、建物の残骸《ざんがい》らしいコンクリートの床が広がっているところを見つけた。
声はその方向から聞こえた気がする。あたしはそこまで走ってみた。
コンクリートの床の表面に大きなキレツがあった。幅五センチくらいのキレツが三メートルほど続いている。
あたりをもう一度見渡したときだ。
『……助けて……』
微かな声。あたしはキレツに耳をよせた。
「誰《だれ》かいるの!? 誰!?」
『…………』
細い声が何か言う。聞き取れない。でも中に人がいるのはたしかだ。この下に地下室でもあるんだろうか。
どうしたもんだろうとあたりを見回す。地下室へ降りる階段があるはずだ。
コンクリートにへばりつくようにして生《は》えている雑草の群《む》れをかき分ける。どこかに、階段が……。何気なく歩いていると、足が堅《かた》いものに触《ふ》れた。見ると、マンホールだ。
なんでこんなところに、マンホールがあるんだろう? 重そうな鉄の蓋《ふた》は半分くらいずれていた。
「……誰か、いる!?」
あたしはマンホールの中に向かって叫ぶ。なかから小さな声が返ってきた。
ここだ!
この中に人が落ちたんだ。たぶんあのランドセルの持ち主。小学生の女の子。
「だいじょうぶ!?」
呼びかけながら重い蓋《ふた》を押し退《の》けた。中に光が入る。
穴の中はあまり広くない空間だった。四畳半よりひとまわり大きいくらいの広さ。ただし、深い。明かりの加減で底は見えなかった。マンホールから鉄|梯子《ばしご》が降りていて、その空間の隅のほうに小さな影がうずくまっていた。薄暗くてよく見えない。でも、子供だ。
「だいじょうぶ!?」
もう一度声をかけると、その子が顔をあげた。助けて、と小さく叫ぶ。ケガでもしているのか、動けないようす。顔をあげるのも力のない仕草《しぐさ》だった。
「どうして、そんな所に……。待ってて、いま人を呼んでくる!」
あたしを呼び止めるように悲鳴がした。
「助けて、助けて、助けて!」
あたしはたたらを踏《ふ》む。梯子があるんだから、降りるのは簡単。でもあの子をおぶっては梯子を昇れない。
「待って! すぐに助けてあげるから!」
あたしの声に、女の子の悲鳴めいた泣き声が強まる。
どうしよう。あたしも下に降りてあげようか。穴の中は真っ暗で、こんなところにひとりで、しかも怪我《けが》してたひにゃ、たまらんだろう。下に降りて、はげまして落ちつかせてからまた上がってくればいい。
そう思って穴の縁《ふち》に腰掛けて中に足を降ろしたときだ。
「麻衣《まい》!?」
遠くから強い声で呼ばれた。
あたしはあたりを見回した。フェンスのむこうにナルの姿。
「さぼるな。何をしている」
「ここに子供が落ちてるの!」
ナルがすこし首をかたむけた。
「……子供?」
「そう! あの……」
あたしはランドセルを指さそうとして、ポカンとした。
……ない。
そんなバカな。さっきはたしかにあったもん。あの草むらのあたりに、赤いランドセルが……。
その瞬間、鉄|梯子《ばしご》にかけていた足を踏み外《はず》した。
「きゃぁぁっ!!}
とっさに両手をふんばる。マンホールの縁《ふち》に両ひじを突っ張って、あたしは落ちるのを耐えた。
ちょっと待ってよ、冗談じゃないっ! 穴の底に落ちたり、井戸《いど》のそこに落ちたりするのは人生に一回あれば十分だってばっ!!
「麻衣っ!」
いつの間にかフェンスを越えたナルがかけよってくる。あたしはとっさに助けを求めて手を伸ばした。
「……ナ……!!」
――大まぬけだ、あたしはっ!
片手をあげた瞬間、あたしの身体《からだ》を支える力は半分になったわけで。
ガクンと傾いて穴の縁に背中をぶつける。そののいたみに息をつめた瞬間、腕から力が抜けしまった。
フッと体重をささえていたものが消えた。
「……きゃあっ!」
必死にマンホールの縁をつかむ。コンクリートのささくれだった表面が掌《てのひら》を引っかく。パラッと手元から小石が降ってきて、あたしは思わず眼をつぶって顔そむけた。
すっとバランスの崩《くず》れる感覚。縁をつかんでいた手がたよるものを取り逃がす。
……うそ。
落ちる
自分のまわりだけスローモーション。すうっと血の気が引いた瞬間、壁《かべ》にたたきつけられた。ドンという鈍《にぶ》い音。
……なに。
腕に痛み。ギシッと肩が鳴る。
あたしは落ちてない。空中にいる。腕を引っ張る力。あたしの腕にかかった手。
「……ナル!」
「……この……馬鹿《ばか》……っ!」
穴からほとんど身を乗り出して、両手であたしの腕を引っ張っているナル。
ずるっとジャケットの袖《そで》がずれる。身体《からだ》が落ちる。腕に食いこんだナルの手の感触が強くなる。
「落ちついて足場を捜すんだ」
上《うわ》ずった声。
重そう。あたしは変に落ちついて思ってしまう。重いよね。あたし四十と、んキロあるもん。ナルはけっこうそのくらいの機材を担《かつ》いだりしてるけど、担ぐとぶら下げるじゃ大違い。どっちかというとやせぎすのナルの細腕じゃつらかろう。
冷静にそう考えたとき、サッとぶっとんだものが帰ってきた。瞬時に血の気が引いて、全身の毛が総毛立つ。
「落ちる、落ちる、落ちるーっっ!」
「落ちつけ……っ 足場を捜すんだ!」
足場? 足場?
あたしは足で空間を探る。コンクリートのザラザラした壁面をつま先でとらえる。
ナルに引っ張られたほうの肩が抜けそうだ。手首をかえしてナルの腕をつかみ、あたしは必死で足を伸ばす。ぐっと身体《からだ》をそらすと、つま先が堅いものに触《ふ》れた。確認する。鉄の棒のようなもの。
そうか、梯子《はしご》があるんだ。
「梯子がある」
あたしが言うとナルが伏せていた顔をあげた。
「昇れるか」
「……うん」
言って足を梯子にかける。自由なほうの片腕で梯子の縁をつかむ。ホッとして、体重を乗せた瞬間、梯子の段が落ちた。ふたたびスッと身体を宙に放り出されて、それからガクッと腕に衝撃。
ナル、重いもん持たせてごめんっ。
のんきなことを思った瞬間、あたしはナルの腕をつかんだまま、もののミゴトに落下を開始していた。
背中に激しい衝撃。その痛みであたしは我にかえった。すぐ真上にポカンと白く見えるのは……あれはマンホールの穴かなぁ。こうして見ると、あきれるほど近い。いさぎよく飛びおりればよかった。
ジャリジャリ音をたてて起きあがる。ずきずきするけど、身体に異常はない。と、同時にあたしのわきにあった影も身を起こした。
「……だいじょうぶか?」
げ。ナル。
「……うん。ナルも落ちちゃったわけ?」
「おまえが手を放してくれたら、落ちずにすんだんだがな」
……それは失礼をば。
「ナルこそ、だいじょうぶ?」
「……自分の体重を考えろ」
……すいません。
肩を押さえてうずくまったナル。
「痛い? どっか悪くした?」
「うるさい」
……どうも、あいすみません。
あたしはあたりを見回した。コンクリートでできた狭《せま》い部屋。そこら中に、穴から落ちてきたんだろうか、コンクリートのかたまりや折れ曲がった鉄筋が散乱してて針の山のようなありさま。あたしはしみじみゾッとする。あたしとナルはちょうどそういうガレキの間の、たまたま小石しかないわずかの空間の上に落ちたんだ。もし、あちこちに乱立しているガレキの上に落ちていたら。
闇《やみ》に眼がなれる。天井《てんじょう》の端にマンホールがあって、そこから梯子《はしご》の残骸《ざんがい》が降りている。穴から一メートルもないくらいのところで、ちぎれて切れてしまった梯子。下の方にこれまた一メートルくらい残った梯子に触れると、たいした力もかけてないのに、ボロリと折れた。天井までの高さは四メートル以上。梯子がこのありさまでは、昇ることは不可能だろう。
「ねぇ、ナル、すぐに誰《だれ》か助けがくるよね」
あたしはまだ肩を押さえてうずくまっているナルをふりかえる。
「来るんじゃないか……? いずれ」
やっとあげた顔。額に髪が張りついている。
「いずれ……って!」
「ここにくることを誰かに言ったか?」
「……言ってない」
「僕もだ」
……そ、それって……。
「ここに閉じこめられたわけ?」
「そういうことになるな」
「ねぇ」
あたしは頭上でちぎれた梯子を振り仰《あお》ぐ。
「あたしが踏み台になったら、ナル、昇れないことはないよね」
「あとでな」
「……そんなに腕、痛い?」
「うるさい」
しゅん……。
言いつつも、梯子《はしご》は腐食してて全然たよりにならないわけだし、たとえあたしの頭の上にナルが立ったとしても、穴までは手の届く高さじゃない。
ということは、なに? あたしたち、誰《だれ》かに見つけてもらえるまで、ずーっとここに閉じこめられるわけ?
どうしよう。グラウンドの端にある広い空き地。ここから叫んだところで声を聞くひとはいないだろう。
ためしに叫んでみた。ワァンと声が反射する。こだまが静まったあとには頭上で微《かす》かに鳴る風の音が聞こえるだけ。
……水、ない。
……食料、もちろん、ない。
ツンとまぶたが熱くなった。
あたしのせいだ、どうしよう。
「なんとかならないの?」
あたしの声にナルはぼーっと顔をあげる。
「なんとかなる状況に見えるか?」
「……見えない」
「なんだってこんなとこにいたんだ」
淡々としたナルの声。あたしはあわてて事情を説明する。
ナルは闇《やみ》みたいな眼を伏せてじっと聞いていた。そして、
「……ついに麻衣《まい》も狙われたわけか」
……あたし?
穴の中にうずくまっていた子。もはやこの中には誰の姿もない。
あれが人間のわけがない。暗くて底のようすが見えなかった。なのにあの子の姿だけ、なぜ見えたの?
あらためて、ぞおっと全身が総毛立った。
この学校で幽霊が出ると言ったら、もはや状況は決まっている。あれは悪霊。厭魅《えんみ》によって呼び出された。
どっと涙が出てきた。泣くようなことじゃない。でも、とまらない。
「泣いて事態が変わるのか?」
ナルの無表情な声。
「変わらない」
「だったら泣きやむんだな」
「冷たい」
「理性的と言ってくれ」
「冷たいよ! もし、このままここで死ぬことになったらどうしてくれるのよっ」
このまま夜になって、またあの子が現《あらわ》れたら! 今度こそはっきり害意を露《あらわ》にしてくるかもしれない。それどころか、ナルだって狙《ねら》われてるわけで。あの子にくわえて、あの女まで現れたら、どうしたらいいのよっ!
……ああ、これは八つ当たりだ。わかっちゃいるけど、やめられない。
ナルはうんざりしたように黙りこむ。
それきりあたしの方を振り向いてもくれない。ちきしょー、このやろー。かえして、もどして、あたしの青春。こんなところで死ぬためにアルバイトしてたんじゃなーいっ! そーよ、そもそもはナルのせいなのよ、ナルがいて、そばにいたくて、それでバイトをはじめて……ナルと心中するためにバイトをしたわけじゃ……ん? まてよ。
暗い密室にナルとふたりっきり、という言い方もできんじゃない、この状況。
あらら、ラッキーかもしんない。
ナルがふと忍び笑いをもらした。
「浮上したか?」
「……した」
ナルが笑う。あ、おしいな、そのまんまもうちょっと眼もとをなごませてくれたら、夢の中のナルそのままなのに。
「浮上したの、わかった?」
「わかる。麻衣は、まず落ちこむんだ。それから怒《おこ》る。そうすると気分が持ちなおして前向きになる」
「……そんなにはっきりわかっちゃう?」
「そのまま顔に出るから」
ナルの笑い。そ、そうか。あたしってそんなに顔に出ちゃうのか。はずかしーなー。
思わず顔をおおってしまう。
「麻衣」
ナルに呼ばれて顔をあげる。ナルが五百円玉を指先に掲げていた。
「??」
「ペットを紹介してやろうか」
「ペット?」
んなもん、いるの?
「ここに」
ナルの視線はコインに向く。……ペット? そのコインが? 暗いぞ、おまえ。
ナルはピコッとコインをお辞儀《じぎ》させる。
「……あのねー」
これは冗談の一種だろーか。だったら、やめたほうがいいぞ、ナル。あんたに冗談って似合わない。おそろしくはずしたギャグ。
「馬鹿《ばか》にしたな」
「したとも」
「これだから頭の悪い人間は困る」
「なによー」
ナルがコインを握《にぎ》りこむ。
「ほら、おいで」
呼ぶとすぐに、ピコッと握った指の間からコインが顔を出した。
……あのねぇ。あたしだって、できるよそんなこと。
コインはすぐに手の中に引っこんでしまう。
「おや、麻衣が嫌いなのかな」
「……なにをおっしゃるやら」
「隠《かく》れた」
「……手の中にいる」
そう? というふうにナルが右手を開く。いない。
「えーっ、そんなはず、なーい!」
「でも、いない。言い忘れたが、この子には特技があるんだ。テレポーテーション」
「ちがーう、ナルが隠《かく》したんだもんっ!」
「隠してない」
ナルが左右の手を綺麗《きれい》な手つきでひっくり返す。どこにもいない。
「そんなー」
「ほら、こい」
ナルが呼ぶと、ふたたび軽く握った拳《こぶし》の、親指のほうから出てきた。
「ええーっっ」
コインくんは、出てくるなりふたたび握り拳の中に隠れてしまう。ナルが話しかける。
「このおねーさんは、短気、短慮で言葉遣いも乱暴だがおまえを取って食べたりはしない」
言い聞かせると親指の間から顔を出す。
「あのねーっっ」
パッとひっこむ。
「麻衣が怖《こわ》い声を出すから、また隠れたじゃないか」
「ちがーうっっ、あたしのせいじゃないっ」
「出ておいで」
ナルが呼びかけながらそのへんをパタパタ叩《たた》いて捜す。
「いた」
ナルの腕の、ひじのあたり。ヨシヨシ、とナルが撫《な》でてやるとコインが顔を出す。
「どーしてぇ?」
「この子は、優《やさ》しい人がわかるんだ」
「うそだよっ」
あたしよりナルが優しいなんてありえないっ!
「そうか? よし、じゃあ、麻衣のとこに行きなさい」
コインくんに言い聞かせてポンと宙に放る。あたしはコインくんを受けとめようとして……いない。消えてしまった。
「ナルのいじわるっ! 投げなかった!」
そう? というようにナルが両手をひっくり返す。コインくんはいない。
「えー、どーしてーっっ!!」
「よほど麻衣が怖《こわ》いんだ」
そんなことはないっ。ん? ……あたし、マジになってないか? これって……手品なんじゃ……
ナルは今度はコインをえりの裏から引っ張り出す。
「……うまいねぇ」
あたしが言うと、
「おや、手品だとでも?」
「そうなんでしょ?」
どうかな? というようにナルがコインをふりかえる。と、
『ハロー』
げっ! ……コインがしゃべった!
「麻衣が怖いのかな?」
ナルが聞くとか細い、まるで内気な子供みたいな声で答える。
『……ウン』
「ほら、怖いって」
……あんぐり。
「怖がらなくてもいい。麻衣は見てくれほど怖い人間じゃないから」
『……ホント?』
「本当」
言いたい放題言ってくれるじゃない?
これって……ひょっとしなくても腹話術ってやつじゃないの? すごい! わかって見てても、コインがしゃべっているようにしか聞こえない! よくTVでやってるじゃない、人形を抱えてやってる腹話術師。こう言っちゃあ悪いけど、あんなのとは比《くら》べものにもならないっ!
ポンとナルがコインを放る。コインはストンとあたしの膝《ひざ》の上に落ちた。
「すごい……」
ナルの微《かす》かな笑い声。
「もっとやって、とか言ったらだめ?」
「ダメ」
「おねがいっ!」
ナルが壁《かべ》にもたれる。
「今日はこれ以上複雑なことはできない」
「腕……痛い?」
「道具を持ってない」
そう言った顔色が悪い。
いじっぱり。痛いときは痛いって言えばいいのに。
「ねぇ? もしあたしがナルを足げにしたら……やっぱりおこる?」
ナルを踏み台にしたりしたら。
「おこる」
ニベもない口調で言ってから、しようのないやつだな、と小さくつぶやいた。
「なんとかなる。心配するな。ほかの連中はともかく、リンならここを見つけられる」
「……ほんと?」
「ああ。もうすぐ陽《ひ》が落ちる。全員が集まって、それでも僕らが現れないということになれば、少なくともリンは不審に思う。だいじょうぶだ」
言ってナルは身体をガレキにあずける。眼を閉じかけて、すぐに眉《まゆ》をひそめて天井を振り仰《あお》いだ。
「……来た」
え?
あたしはつられて顔をあげる。ナルが凝視《ぎょうし》する天井《てんじょう》を見上げた。
「どうしたの? リンさん?」
言って、ナルがひどく緊張しているのに気づいた。天井を見つめたままあたしの方に手をのばす。
「麻衣《まい》、そばにいろ。なにがあっても、離れるんじゃない。落ちついて」
ドキンと心臓がなった。
まさか……来たというのは……。
天井でザワと何かが鳴った気がした。薄い闇《やみ》を切り裂《さ》いて、真っ暗なものが降りてくる。
……あいつだ!
「……ナル」
「だいじょうぶだ。まだ、一日や二日でそんなに成長するものじゃない。危害は加えられないはずだ。うろたえて自滅するなよ」
「……うん……」
天井に白いものがともった。わずかに燐光《りんこう》を放ってみえるのは、女の額《ひたい》。逆さに落ちてくるあの女の。
あたしたちが固唾《かたず》を飲む中で、女が天井から首を出した。光る眼。口元に何か太い棒をくわえている。木製の長さ三十センチくらいの棒。まるで縦笛でもくわえているように。
ズルズルと音を立てるような速度で、女は天井から降りてくる。だらんと手を垂《た》らしたまま逆さまに降りてくると、腰のあたりまで降りてきたところでふと笑みをつくった。
そうして女はくわえた棒に手をかける。棒をつかむとそれをゆっくり引き出しはじめた。
「……!!」
あたしは思わず立ち上がりそうになって、ナルにひきとめられる。
いやだ。女が口の中から引きずり出そうとしているあれは……鎌《かま》だ……。
女は喉《のど》の奥から黒光りする鎌を引きずり出す。鋭利《えいり》な刃が下の唇《くちびる》を切り裂いて、赤いものが臘《ろう》のような顔を汚す。頬《ほお》から眼へ、額に流れて、髪の先からぬっとりとした血がしたたり落ちた。
いやだ、いやだ、いやだ! こんなものは見たくない!
心で思うのに、まばたきさえできない。女がついに鎌を吐きだした。無残《むざん》に裂けた口で鬼女《きじょ》のような笑みをつくる。自分の血で汚れた鎌を握ってふたたびだらんと手を垂れる。
冷や汗が吹き出て、耳鳴りがした。自分の中でふくれあがった恐怖が、喉元まで突き上がってくる。叫んだら終わりだ。あたしはパニックを起こす。そう思って歯をくいしばった。
なのに……だめだ……めまいがする……。
思った瞬間、腕を強い力でつかまれた。
はっと我に返ると、眼に入るのは女を見つめたま小ゆるぎもしないナルの横顔。
「だいじょうぶだ」
ナルは繰り返す。不安も狼狽《ろうばい》もない、冷静な声。
「怖《こわ》いよ」
「だいじょうぶだ」
ナルはふたたび繰り返す。
「……うん」
答えたとき、ナルが少し眼を見開いた。
「ほら」
ナルのつぶやき。あたしは耳を澄ました。ザカザカ枯《か》れた草のふみしだかれる音。
女がビクと身じろぎして、ズッと天井に消えた。
……え?
ナルがホッと息を吐く。
天井の穴から降ってくるわずかの光。そこにさっと影がさした。
「ナル、いますか?」
「ここだ」
人影が穴の中をのぞきこむ。
「早かったな。ロープか梯子《はしご》がいる」
「いま、とってきます」
「それと、ハンドライトを」
「はい」
リンさんの影が消える。
すごい……。どうしてわかったんだろう、ここが……。
安堵《あんど》のあまり、あたしは座《すわ》ったまま腰がぬけそうになる。
……よかったぁ……。
リンさんはすぐに梯子とロープを持って戻ってきた。ほかにもぼーさんとジョンの声。 三人がかりで梯子をおろしてくれて、ロープを万一のときの命綱《いのちづな》に、あたしは穴の中からはいだした。
外へ出て深呼吸。心配そうなジョンに笑いかけて、それから穴の中をのぞく。
ナルは穴の中に光を灯《とも》した。黄色い光がさっとガレキの山をなぐ。チラと隅《すみ》の方で白いものが光った。ナルは近づき、そうしてそれを拾いあげる。
「ナル?」
あたしの声にナルが顔をあげて手をかざした。
「麻衣、ここだ。あった」
ナルがかざした手の中にあったのは、板を人形《ひとがた》に切った――人形だった。
その穴(ぼーさんは、受水|槽《そう》か汚水槽だろうと言っていた)の中には、ちょうど穴から投げこめるあたりに四十数個の人形が落ちていた。
すべてを引き上げて、会議室の明るい光のしたでひとつひとつ確認する。この汚れたやつは、『吉野広造《よしのこうぞう》』という名前が読める。まだ新しいひとつには『渋谷一也《しぶやかずや》』という字。ま新しいものには『谷山麻衣《たにやままい》』という字が読めた。
人形を確認しているうちに、綾子《あやこ》がどこからか救急箱を出してきて、あたしの身体《からだ》中にできたスリキズに薬をぬってくれた。
ぼーさんはテーブルのうえに小山のように積み上げた人形を見てしみじみと、
「すげえ情熱……。よくもこれだけ作ったもんだ」
……まったく。
「犯人は女だな。それだけは間違いねぇ」
綾子が口をとがらす。
「ちょっと、なによ、それ」
「女でなきゃ、やらねぇよ。こんな執念《しゅうねん》深いマネ」
「あら、近ごろは男だって、こういうことをコツコツやる根暗《ねくら》なやつはいるわよ」
「いるかねぇ」
「ぜったいよぉ」
綾子の宣言にぼーさんは首をすくめてから、
「それで? これで呪詛《ずそ》はパァになったわけか?」
ナルをふりかえった。ナルはうなずく。
「そう。あとは水に流すか……焼き捨てるだけ」
「しかしなぁ……犯人は?
ここにあるぶんは清めれば終わりだろう。だが、犯人がこれでやめるかね」
ナルがため息をついた。
「やめないだろうね。本人にあたってみるべきかな……」
犯人。この呪詛を行った。
やめさせなければならない。こんな邪悪で馬鹿《ばか》馬鹿しい遊びは。
ぼーさんはいまいましげに人形をにらんだ。
「けっきょく問題は、犯人が誰《だれ》かってことなんだよな」
「ああ……」
ナルはつぶやきながらイスに身体を沈める。
「ナルもケガしてるでしょ、見せなさい」
綾子が看護婦よろしく、救急箱をかついで行く。
「いや……必要ない」
「バイキンがはいったら困るでしょ」
ナルは、綾子がお姉さんぶって言うのにクスリと笑ってから、眼を閉じて深くイスに背中をあずける。
「あらー、いいこねー」
綾子はなんだかイソイソとナルの脇に立って薬を広げてたけど、ふいに、
「……ナル?」
上体を曲げてナルをのぞきこんだ。ちょっと手を伸ばしてナルの肩を揺《ゆ》する。
「ねぇ……?」
不審そうな声。あたしたちはナルに注目してしまう。
綾子が少し乱暴にナルの肩を揺する。ずるっとナルの身体《からだ》がイスに座《すわ》ったまま傾いた。
「ナルっ!」
リンさんが机を飛び越えてかけよる。ナルの身体が床に落下する寸前に受けとめた。
真砂子《まさこ》が悲鳴をあげた。
「ちょっと、ナルっ!」
綾子がうろたえきって手を伸ばす。その手をリンさんははじいて、
「動かさないでください。救急車を」
ジョンが部屋をかけだした。
――あたしたちは、ゴースト・ハンターのためにここ湯浅《ゆあさ》高校にやってきた。ナルが倒れようがあたしがケガをしようが、ビジネスは続行されねばならない。
ナルにはリンさんが付き添い、あたしたちは学校に残って人形の始末をすることになった。真砂子も綾子もついて行きたがったけど、誰《だれ》も行かないのが公平だと言ったぼーさんの台詞《せりふ》にふたりはしぶしぶ同意した。
あつめた人形を校庭の片隅に積み上げる。あたしはそれを手伝いながら、気持ちは半分どっかに行ったままだ。
どうしよう、ナルが。
ケガはないようすだった。でも、どこか……頭か背中でも強く打ったのかもしれない。それとも肩?
いずれにしてもあたしのせいだ。
あたしが軽はずみなマネをして、ナルを巻きこんだ。少なくとも落っこちたとき、ナルの手を放していれば。
これは、確実に、あたしのせいだ。
積み上げた人形にぼーさんが火をつける。湿気をすったそれはなかなか燃え上がらず、いつまでもくすぶって煙ばかりを盛大にあげた。
六章 呪者《じゅしゃ》
あたしたちは人形を燃やしたあと、オフィスに戻りリンさんからの連絡を待った。そのリンさんがオフィスに戻ってきたのは、翌日の朝になってからだった。
あたしたちは、リンさんの姿を見て彼にかけよる。
「ナルは?」
「しばらく、入院になります」
……入院!?
あたしは足元をすくわれた気がした。
「入院!? そんなに悪かったの!?
なんで? あたしのせい? やっぱりどこか打ったの!? 肩!?」
あたしが言うと、リンさんは完璧《かんぺき》な無表情で、
「単なる貧血です」
と、静かに答えた。そう言いつつも、リンさんがあたしを見る眼は暗い。
「ナルは食が細いので」
……そういえば、そうだけど。
「そのうえ、仕事となると寝食を忘れるひとですから」
はぁ……。
でも、やっぱり、あたしのせいだと思う……。
「お会いできますかしら」
真砂子《まさこ》が不安そうに聞く。リンさんは腕時計に眼をやった。
「もう起きているでしょう」
つぶやいて立ち上がった。
ナルが運《はこ》ばれたのは、学校の近くにあるかなり大きな緊急病院だった。その病院の内科病棟で、ナルはぜいたくなことに個室におさまっていた。病室のドアの脇にある名札に名前はなし。ドアには「面会謝絶」の札。その札を見て、真砂子が泣きそうな顔をすると、
「これは単にお願いしてかけてあるだけですから」
リンさんがぶっきらぼうに言う。
――あ。そうなのかぁ。
中ではナルがお仕着せの寝巻きなんか着せられて、点滴《てんてき》の最中だった。あたしは黒服でないナルというのに、初めてお目にかかった。
……うう。ごめんね、あたしのドジに巻きこんで。
ナルの左手にはファイルがあって、点滴の最中にも資料に眼を通していたらしい。
……本当に仕事の虫なんだから。だから、身体《からだ》をこわすんだよ。
「……ぐあいどう?」
あたしたちがベッドの脇に集まると、
「死なない程度には生きてる。――ぼーさん、人形は?」
と、あくまで仕事の話。
「言われたとおり、燃やした。灰は集めて川に流した。それでいいんだろう?」
ナルはうなずいてからファイルを閉じる。ぼーさんはそのへんのいすを引き寄せて、
「残る問題は、犯人が誰《だれ》かってことだけだ」
「……それについては想像がついている」
あまりにそっけないナルの声。
「おい! 本当か!?」
ぼーさんが降ろしかけた腰を浮かした。
「ああ」
ナルは真っ白なシーツの上に視線を落とす。
「犯人には僕が会って話をつける。
今回はこれで終了だ。……おつかれさま」
ぼーさんがナルの顔をのぞきこんだ。
「それは、俺たちには犯人を教えないって意味かな?」
「みんなには関係ない」
「そりゃ、ねーだろ? 少なくとも俺は、知る権利があるぜ。きっちり依頼をうけてるんだからな」
ぼーさんが言うと綾子《あやこ》も声をあげる。
「アタシだって! ここでつまはじきなんて許さないわ! 乗りかかった船だもん。苦労させられたんだから、犯人の顔くらいおがみたいわよ」
ナルは全員を見渡して考えこむ。
誰もがここでつまはじきにされたくないと無言で言っている。ジョンでさえ。
長い沈黙。
「……ぼーさんはともかく。あとの人間ははずれてくれ」
ナルがきっぱりとした声をあげた。完璧無比《かんぺきむひ》な『ノー』。
「ちょっと、ナル!」
綾子が抗議の声をあげたときだった。
病室のドアをノックする音。ナルがあたしに目配《めくば》せしたので、あたしがドアをあけに立った。
「はい?」
ドアを開く。立っていたのは、タカ。そして笠井《かさい》さん、産砂《うぶすな》先生。
……どうして、ここに?
「ナル……、タカと笠井さん……」
「入ってもらって。僕が呼んだんだ」
ナルはベッドの上から答える。
ナルが……呼んだ?
「それと産砂先生が」
あたしが言うとナルはちょっと眼を見開いた。
「産砂先生?」
……どうかしたの?
「あの」
産砂《うぶすな》先生は真っ白な花束を抱えていた。
「わたしが来てはいけなかったのなら、帰りますわ」
先生は微笑《ほほえ》んだ。
「ただ、渋谷《しぶや》さんが倒れたとお聞きしたものだから……お見舞いにと思って」
言ってから、ドアにぶらさがった『面会謝絶』の札に眼をやる。
「事情をよく知らなかったものですから。ごめんなさいね。とにかく、これを……」
先生は小さな胡蝶蘭《こちょうらん》の花束を差し出した。
……でも。せっかく来てくださったものを。
困ってあたしがナルをふりかえると、ナルはあたしにうなずいた。
「入っていただきなさい」
「……うん」
なんだろう、この空気。ナルの妙に緊張した気配は。
「どうぞ。おかけください」
ナルが、リンさんが用意したベッド・サイドのイスを示す。タカも笠井さんも、そして産砂先生も、なんだか釈然としない顔つきでそこに腰を降ろした。ナルはあたしたちに出て行けとは言わなかった。それであたしたちは、壁《かべ》にもたれるようにして立っていたのだった。
「ふたりに来てもらったのは……聞きたいことがあったから」
ナルは、タカと笠井さんを見比《くら》べる。
「……聞きたいことって?」
タカが首をかしげた。
「ふたりに聞くけれど……僕が陰陽師《おんみょうじ》だという話を聞いた?」
「聞いたような気も……」
タカがつぶやき、笠井さんははっきりうなずいた。
「笠井さん。それを誰《だれ》かに話した?」
「うん……いけなかった? 恵《けい》先生には言ったけど……」
「そう」
ナルはうなずく。そして、
「今回、麻衣《まい》は奇妙にさえたカンを発揮《はっき》してくれたんだが……そのことは?」
これもまた、タカは首をかしげ、笠井さんはうなずく。
……たしかに、あたしは笠井さんにしか言ってない。
「それを誰かに話した?」
ナルに聞かれた笠井さんはうなずく。
「恵先生に……どうして?」
笠井さんは眉《まゆ》をひそめた。居心地《いごこち》悪げにモゾモゾする。産砂先生が心配そうに口をはさんだ。
「わたしが聞いてはいけなかったかしら……? だったら失礼しましたわ。でも、わたしはほかの人には言ってませんから」
「……そうですか」
ナルはファイルに書きこみをしてから、今度は産砂《うぶすな》先生を見つめた。
「せっかくお越しいただいたので……ついでにひとつ確認させてください」
「……なんでしょう?」
先生がおっとり微笑《ほほえ》む。
「先生の母校はどちらですか?」
「母校……ですか?」
先生はキョトンとしてしまった。
「わたしでしたら、故郷の大学を卒業しましたが……」
「ご出身はたしか……、福島ですね」
……え? 東京じゃないの?
「はい、そうですけれど」
「東京へは教師になって初めて来られた?」
「そうです。湯浅《ゆあさ》の先の校長とわたしの父が知り合いなものですから、こちらに就職をお世話していただいて……」
……なぜ? 先生は湯浅の出身じゃないの?
ナルはメモをとったファイルを閉じる。
「それでわかりました。ありがとうございました。
現在学校で起こっている問題は、解決できると思います」
三人はとても奇妙な顔をした。壁ぎわに並んだあたしたちも。ナルの質問と、事件の解決とがどう結びつくのかわからない。
笠井《かさい》さんがおそるおそる口を開く。
「あの、……解決できるって……?」
ナルはうなずく。
「学校で起こっていた事件の様相はわかった。あれは呪詛《ずそ》だ。それも人形を使った『厭魅《えんみ》』。それが今度の事件の正体」
タカはひたすら首をひねるだけ。笠井さんもあいまいにうなずいた。
ナルはそんなふたりのようすを見やって、簡単に呪詛と厭魅について説明する。
「これは呪詛だから、人形を始末すれば終わり。あとは犯人に、呪詛をやめさせるだけ」
笠井さんが身じろぎした。
「……あたしをここへ呼んだのは、そういうこと? 犯人はあたしだっていうわけ?」
ナルをにらむ眼。
「……まさか」
ナルは苦《にが》わらいをつくった。
「笠井さんは犯人ではない。犯人は産砂《うぶすな》先生です」
微笑《ほほえ》みを浮かべて会話を見守っていた産砂先生の表情が凍《こお》りついた。
ビックリして眼を見開いたまま硬直してしまったタカと笠井さん。そして、あたしたち、視線だけがベッド・サイドにひっそりと座っている女性に集まる。
「人形は焼き捨てました」
ナルは産砂先生をふりかえる。
「先生ですね?」
「…………」
「あれを作ったのは、先生ですね?」
先生は凍りついたままの視線を宙にさまよわす。
「……なんのことですかしら……」
ナルは静かな声をつむぎだす。
「あなたが行った呪詛《ずそ》の道具は、集めて焼き捨てました。少なくとも、空《あ》き地にあったぶんは。それ以外にありますか?」
「意味がわからないのですけど」
先生はナルを見返す。どこかひきつった笑顔。
「あれの始末はつけました。あれ以外にもあるのだったら、その場所を教えてください。そして、今後二度としないと約束していただきたいのです」
産砂《うぶすな》先生はナルをやんわりにらむ。
「学校で呪詛が行われていて、その犯人がわたしだとおっしゃるのね?
でも、わたしは犯人ではありません」
「先生です」
「ちがいます」
ナルは深いため息をついた。
「先生以外に考えられないのです」
「あら? どうしてかしら。学校の人間に恨《うら》みを抱いている人間なら、たくさんいると思いますわ」
「呪詛を受けた人間は、笠井さんの超能力事件のとき、ことごとく否定派でした。少なくとも、犯人の動機はあの事件に関係があります」
先生はうっとりと微笑《ほほえ》む。
「でしたら、わたしよりも笠井さんか、沢口さんのほうがあやしいのでは?」
笠井さんがとっさに、驚いた視線を先生にむけた。あたしだって驚く。ずっと笠井さんたちをかばってきた先生が、こんなことを言うなんて。
ナルは首を振る。
「沢口さんは違います。僕も……麻衣《まい》も呪詛を受けましたが、僕らが学校に来たことを彼女は知らない」
そうだ。彼女は知らない。知るチャンスがなかった。
「では、笠井さんだわ」
産砂先生は微笑んだ。本人を眼の前にして。
このひとは、本当に産砂先生なんだろうか。
あたしには信じられなかった。笠井さんの表情だって信じられないと言っている。
ナルは断言する。
「笠井さんではありません。なぜなら、魔の席の最初の被害者である村山さんを、笠井さんは知っているからです」
……え?
あたしがナルを見つめると、
「あの席には呪詛《ずそ》がかかっていた。問題になるのは、なぜ机に呪詛がかかっていたのかということです。あの席に座っている人物が誰《だれ》だかわかっていれば、犯人はその当人に呪詛をかければよかった。ほかの被害者の場合のように。机の所有者に呪詛をかけるなどというまわりくどい方法をとる必要はなかったんです。
犯人は、あの席……おそらくは最初に呪詛の被害者になった村山さんに恨《うら》みを抱いたが、名前を知らなかったのです」
産砂《うぶすな》先生は、微《かす》かに微笑《ほほえ》む。不思議《ふしぎ》な微笑。
「正課のクラブで、笠井さんと村山さんはともに文芸部でした」
……え?
「笠井さんが文芸部の部員であることは、麻衣を通じて聞きました。そして村山さんも文芸部だと高橋《たかはし》さんが言っていた。
笠井さんは、文芸部は人数が少なく、会誌の寄稿者がいない、と言っていたそうです。実際の人数がどのくらいだかは知りませんが、少なくとも部員同士がお互いの名前を知らないわけがありません」
産砂先生は微笑む。
「わたしだって……調べればすむことですわ」
「どうやって調べます?」
「それは……」
ナルがタカをふりかえる。
「座席表のようなものはある?」
「ううん……べつにないけど」
座席表がないとするならば、ある席に座っているのが誰だか知ろうとする場合……。
「誰かに聞けばすむことでしょう?」
産砂先生が言うと、ナルはうなずく。
「しかし、あの時点で先生と笠井さんたちのグループはすでに孤立していた。これから呪詛をかけようとする相手の名前を聞くには、あまりに心理的な抵抗が大きかったのではありませんか?」
「そんなこと……」
「少なくとも、沢口さんも笠井さんも、犯人ではありません」
「では……ほかの人間なんだわ。わたしたちの誰かではなく」
「それもありえません。動機の点は置いておいても、僕と麻衣に呪詛をかけた意味がわからななくなる」
産砂《うぶすな》先生は小首をかしげる。
「……どういう意味ですの?」
「麻衣は僕のことを陰陽師《おんみょうじ》だと笠井さんに誤《あやま》って伝えた。彼女はそれを先生にも伝えている。笠井さんは麻衣とあなた以外の人間とは、ほとんどしゃべらないのだと言っていたし、事実そうでした。僕が陰陽師であると伝わったのは笠井さんと先生だけです」
陰陽師だと思っていたのでなければ、とナルは言う。会議室自体に呪詛《ずそ》をかければよかったのだ。わざわざナルだけに呪詛をかける必要はない。
「麻衣にしてもそうです。麻衣は今回妙に冴《さ》えたカンを発揮《はっき》してくれた。霊媒《れいばい》の原《はら》さんにも見えない霊を見た。これもまた、知りうるのは高橋さんをのぞいては……笠井さんだけです。これも先生にだけは伝わっているはず」
「聞いてませんわ」
産砂先生は微笑《ほほえ》む。その笑顔を見て、笠井さんが絶望的な眼をした。
「あたし、言ったよ、恵《けい》先生……」
先生はチラと笠井さんに眼をやって、それからうつむいてしまった。
「それだけでなく……僕は自分のフルネームをすべての人に言ったわけではない。おそらく知っているのは校長だけ。ほかに知っているのは……麻衣かぼーさんが言ったとしたら笠井さん、高橋さん、それだけです。そして校長は麻衣の名前を知らない。僕は麻衣をきちんと紹介しなかったんです。助手だとしか。笠井さんが知っていれば、先生にも知るチャンスがあります。
僕の知る範囲では、犯人は先生でしかありえません」
「動機がありませんでしょう?」
先生はふたたび微笑む。
「笠井さんの超能力が引き起こした。笠井さん、沢口さん、そして、先生自身への攻撃がその動機です。たかがそれだけのものが」
「あら、あれはあくまで笠井さんと沢口さんの問題ですわ。わたしはたしかにふたりをかばいましたけど、それは同情からで……そのために呪詛を行うほど馬鹿ではありません。第一……わたしなどが呪詛を行って、実際に何かが起こるとお思いですの?」
ナルが闇のような視線を向ける。
「先生自身の問題でもあったんです。
先生は笠井さんにこう言ったそうですが。『笠井さんたちは、後輩のようなものだから』。
調べてみましたが、先生と笠井さんの経歴の間には何の接点もない。そもそも先生は、東京の出身ではないんです。やはり、ちがうのですね、さっき先生はそうおっしゃった。ではいったい、笠井さんは何の後輩にあたるのか?
先生は超心理学に理解が深かった。知識も豊富で専門的なことに詳《くわ》しい。めずらしいなと思っていたんです。なのにあなたは笠井さんの超能力を、興味本位でおもしろがっているようには見えなかった。
それでひょっとしたら、と思いました。
古い資料をあたったら、先生を見つけることができました。簡単でしたよ」
「…………」
産砂先生の不思議な微笑《ほほえ》み。
「いまから十年以上前、来日したユリ・ゲラーは日本にゲラリーニを産み落としました。ゲラーのスプーン曲《ま》げを見てまねした子供たちが、本当にスプーンを曲げはじめたんです。その内の幾人かはマスコミの注目を集めました。
産砂恵《うぶすなけい》もそのひとりだった……」
笠井さんもタカも、あたしたちも、産砂先生の横顔を見つめた。微笑を浮かべたままの少女めいた横顔。
……笠井さんたちに理解があったはずだ。笠井さんは産砂先生のまさしく後輩だった。
「ゲラーの権威の失墜に合わせて、日本でもサイキック狩りが始まりました。子供のほとんどはインチキだと決めつけられ、中の何人かはそう告白し、あるいは告白を強制、ねつ造された」
産砂先生は答えない。不思議な微笑みを口元に張り付けたまま。
「産砂恵は、トリックを告白した子供の中のひとりだった」
しんとした間。
長い沈黙のあと、先生はやっと口を開いた。
「わたしは……ぜったいに、インチキなんてしなかった」
微笑が消える。先生が真剣な顔をあげた。
「わたしはちがうって言ったのに、雑誌の記者が勝手に……」
「あなたの……日本の不幸は、ESPの判定をマスコミに任せたことにあります。権威のある研究機関が日本にはなく、あなたがたの能力の真偽を測る方法がなかった」
ナルは視線を落とす。
「マスコミなんかに任せちゃ、いけなかったんです。彼らが欲しいのはセンセイションで、真実ではない」
「…………」
ナルは軽く息をつく。
「『エスパーのペテンを暴《あば》く』と題した雑誌の特集で、先生の写真を見つけました。まだセーラー服を着てましたが、あれは先生です。おもかげがあるし……名前も同じ。『産砂《うぶすな》』というのは変わった名字ですから」
「……わたしです」
「連続写真で、先生がイスを使ってスプーンを曲げるシーンがはっきり映っていました」
笠井さんが使おうとして、ナルに止められたあのトリック。
産砂《うぶすな》先生はホロ苦《にが》い笑いをつくる。
「……だんだんスプーンを曲げられなくなって……同じゲラリーニの友達からあの方法を習ったんです。それでも……一度しか使いませんでした。その一度をたまたま撮《と》られていて……」
先生はうつむく。
「わたしには、笠井さんのように、そんなことをしてはいけないと言ってくれるひとはいまんでした。誰《だれ》も……できないときはできないと言っていいのだと……教えてくれなかった……」
ナルがうなずく。
「そもそもの事の起こりは、笠井さんだったんですよね? 彼女が、TVでスプーン曲げを見てスプーンを曲げてしまった。笠井さんと沢口さんはそれを先生に相談し……」
産砂先生が首をうなずかせる。
「……ええ。わたしはできるだけ、笠井さんの才能を守ってあげようと思いました。ただ、いつの間にか周囲に騒がれて……」
「教師たちの攻撃がはじまった」
「はい。超能力なんてないんだと決めつけて。朝礼のときに笠井さんを攻撃したその前にも、何度も笠井さんをしかっているんです。ウソはいけない、そんなにまわりの注目をあびたいか……って。わたしにも、なんできちんと指導をしないんだと……」
ナルが声を落とす。
「攻撃に耐えかねて、沢口さんが登校拒否をはじめた」
「……はい。これでは沢口さんの将来はメチャクチャになると思いました」
「……それで、ですか?」
それであんな呪詛《ずそ》を始めたのですか。
先生は微笑《ほほえ》む。
「……ええ。ほんのイタズラだったんです。わたしはくやしくて……。
……魔がさしました」
いたずらを見とがめられた子供のような微笑み。決して笑えるはずのない、この場面で。
「イタズラですむのですか? 厭魅《えんみ》というのは人を積極的に害するための呪法です。人を狂わせ、殺すための。幸い死人は出ませんでしたが、それも時間の問題でした。少なくとも魔の席だけでも、次に座った学生こそは、電車に巻きこまれて死んだかもしれない」
ナルが冷たい声を投げた。
産砂先生はさも不思議そうにナルを見つめる。
「たしかに、それは不幸なことですけど……。
でも、そうなれば、みんな思い知るでしょう? この世には科学なんかじゃ割り切れないものがあるって」
……ああ。
あたしは絶望的な想いで、不思議そうに首をかしげている女性を見た。
うつむいてしまった笠井さんの肩にタカが手をまわす。
……このひとは、狂っているんだ……。
『超能力』『呪詛《ずそ》』『オカルト』『超心理』……名前はなんでもいい。そんな魔法にのみこまれて、人として守らなければいけない場所を見失ってしまったんだ。
ナルもまた、眉《まゆ》をひそめて自分の前で無邪気なほどキョトンとしている女性を見つめた。
ナルは産砂《うぶすな》先生をまじまじと見つめてから、深いため息をついた。
「ぼーさん」
視線を彼女からはずし、ぼーさんをふりかえる。
「校長に報告を。この女性にはカウンセラーの力が必要だ」
「……ああ」
ぼーさんはうなずき、病室を出て行く。産砂先生はそれを怪訝《けげん》そうに見送って、ナルにとがめるような視線をむけた。
「……失礼な。あなたは超心理学者のはしくれなのではないの? なのにわたしをノイローゼあつかいするつもり?」
「……先生は疲れていらっしゃる。休息が必要です」
ナルは産砂先生を見つめる。先生がなおも不服そうにしたので、言葉をつけ加えた。
「呪詛には……体力と気力を使いますから」
ナルに言われて、産砂先生はやっと微笑《ほほえ》みを浮かべる。
「そうね……そうかもしれないわ」
あたしはその、無垢《むく》な笑顔を忘れることができないだろう。
エピローグ
まいど、まいどの、東京、渋谷《しぶや》。道玄坂《どうげんざか》。
『渋谷サイキック・リサーチ』。そのオフィス。
今日も今日とて、オフィスの中は人でいっぱいなのである。霊能者の団体様のおなり、ってなもんだ。最近、来客のそれより、こいつらの出入りする回数のほうが多いような気がしてならない。
「茶店がわりにするなとゆーとろーが」
入って来るなり、当然の権利ように、「ダージリン、ストレート」などとほざく綾子《あやこ》を、あたしはおもいっきりねめつけてやる。
「冷たいんじゃない? 苦楽をともにしている仲だっていうのに」
「一方的に迷惑をこうむっている気がするんですが」
「けっこう言うわね」
「おや、いままでお気づきでなかった?」
「知ってたわよ」
「だったら問題はないじゃない。皮肉を覚悟《かくご》で来てるんでしょーが」
綾子は黙ってしまう。
け。ざまーみろ。
それでも、けっきょくはあたしって、お茶をいれに立つわけよね。ああ、けっこう、おひとよし。綾子にはダージリンのストレート。ぼーさんにはアイスコーヒーで、ジョンにはホット。真砂子《まさこ》には日本茶、とくらぁ。せめてオーダーを統一するとか、出されたものを黙って飲むとかせんか? こいつら(もっとも、ジョンは除外。いつも「おかまいなく」と言ってくれるので)。
あたしは心の中でブツブツ言いながら、飲み物を配《くば》ってまわった。
本日、例によってナルは瞑想中《めいそうちゅう》。リンさんは資料室で資料の整理。
……と思ったところで当のナルが出てきた。
「麻衣《まい》」
声をかけてから、事務所の中を見てウンザリした表情をする。
「はい、何でございましょう」
にこにこ。
あたしは思いっきり親切に笑ってしまう。なんせわが所長は一昨日、一週間におよぶ入院から退院なされたばかりなので。
所長はソファーを示した。
「そこに座《すわ》って」
「はぁい」
「リン」
ナルが資料室に声をかけると、リンさんが出てきた。
リンさんは小さな機械を手に持っている。英語の辞書みたいな無骨《ぶこつ》な形の機械だ。
「ちょっと実験に協力してもらう。いいか?」
ナルは機械の表面についた小さなLED(電球みたいなやつよ)を示す。横に四個並んだLED。それぞれに番号がついている。LEDの下にはスイッチの列。一から四まで番号がついている。
「これからこの機械が勝手に四個のうち、どれかを光らせる。どれが光るか、前もって予想して、光ると思う素子の下のスイッチを押すんだ。おまえでもできるな?」
「……できるけど……。なに、これ」
「サイ能力のテスト」
サイ能力というと……超能力。げーっ。
「ムダだよぉ。トランプ当てでも、あたし当たったためしがないもん」
「やるのか、やらないのか?」
しんねりした声。
「……やるよ。やりゃーいーんでしょ」
まったくもー。あたしにそういうシャレた能力があるわけないでしょーが。あったら、もっと生活の役にたててるわ。テストの答えを当てるとかさ。
ぶつぶつ。
機械が勝手に光をともす。あたしは予想するというよりも、てきとーにスイッチを押すという感じで実験とやらにつきあった。ギャラリーが面白そうにそれをながめている。
実験とやらはなんと二時間近くも続いた。もー、うんざり。でもって、結果は最悪。当然予想できたことだが、一個も当たらない。
「……だからぁ……ダメだって言ってるじゃない……」
あたしが言ってるそばから、綾子や真砂子が「やっぱりねー」とか、かまびすしい。
ちっ、また恥《はじ》かいちゃったぜ。
ナルは実験の結果を打ちだした紙をながめる。
「……やはりな……」
「なにが」
「麻衣は潜在的にセンシティブだ」
は?
綾子と真砂子が吹き出す。
「センシティブ? 麻衣が!? 『こまやかな』『感受性の強い』!?」
わぁーるかったな、ズ太くてよ。
ナルが大笑いするふたりを軽蔑《けいべつ》の目つきでながめる。
「センシティブ。サイ能力者。ESP。超能力者」
ごっ! ご冗談っ!!
「どうりで、馬鹿《ばか》のわりにはするどいと思った。今回、変なカンを発揮《はっき》したのも偶然じゃいなかもしれない」
えっえっぇっ。
あたしは思わずキョロキョロしてしまった。
「千回のランに対して、ヒットがゼロ」
「は?」
「千回やって、一度も当たらなかったということ」
「悪かったね」
ふてくされるあたしを、ナルが怪訝《けげん》そうに見る。
「なぜ?」
言ってプリントアウトを示し、
「千回ぐらいやると、ほぼ正解率は確率どおりになるはずだ。正解する確率は四分の一。二十五パーセントはあたって当然なんだ。これより多くても少なくても普通でないことになる」
……普通でないって……、ひとを変態みたく言わないでくれる?
「じゃあなに?」
綾子が身を乗りだした。
「麻衣は超能力者だって言うわけ?」
「……そういうことになるな」
……ほえー……。あたしが。
なんと言えばいいんだろう。まるで、いきなりスポットライトがあたった気分。
「なるほど。それで今回、見事な第六感を発揮してくれたわけか」
ぼーさんが言うと、綾子が、
「だったらー、なんでいままでなんの役にもたたなかったわけ? 今回が初めてじゃない」
「どうかな」
言ったのは、ぼーさんだ。
「なによ」
「麻衣は鋭《するど》いと思ってたぜ、俺は」
「またぁー。あんたって、すぐナルにヒヨルのね」
「べつにぃ。麻衣はめだたんけど、前回『森下事件』でけっこう役にたってたからな」
あら、ぼーさん、ありがとー(ハート)
「うそよ」
「うそじゃないさ。前回、麻衣は変な夢を見てるだろ」
……ぎくっ。ナルの夢の話は誰《だれ》にもしてないぞ。なんで知ってんのよぉ。さてはタカめ、バラしたなっ!
「ホラ、井戸の中におっこちたとき、変なことを言ったらしいじゃないか」
なんだ……あれか。ほっ(タカ、うたがってゴメン)。
「麻衣はどうやらあの家の過去を見たらしい。普通の人間にできることか? ありゃねポスト・コグニションに近い能力なんじゃないか?」
……あたってればねぇ。確かめる方法はないもんなー。
「それと、子供」
「はぁ?」
「だから、台所でガス管が火を吹いたとき、子供の姿を見てるだろ。あのとき、すぐにあの子……礼美《あやみ》ちゃんだっけか、あの子の部屋に行ったら、子供はちゃんと部屋にいた。
麻衣が見たのは霊なんじゃねぇの?」
……ぽかーん。そっか、そう言われてみれば……。
ナルがクスリと笑いをもらす。
「ぼーさん、見ていないようで見ているな。……その通り」
「……と、いうことはだ、ナルちゃんも」
「変だと思っていた」
みんなの視線が集中する。みそっかすのあたしに。
……あたしって、スゴイのかも……しんない。
やった、らっきー!
「でも」
不服そうなのは真砂子だ。
「言うほど大した能力ではありませんわ。
あの家の霊は強かったんですもの。たいして霊感のない人間にも見えるほど霊の力が強かっただけですわ」
「でも、今回はあんたに見えない霊を見てるわね」
綾子ってばいじわる。真砂子がキッと綾子をにらみつけた。
「こんなことは初めてですのよ。きっと特殊な例だからですわ」
「だといいけど? よくあるじゃない、ハタチすぎれば、ただのヒト」
「それでも、最初からまるで役にたたない誰《だれ》かよりはましですわ」
にらみあう女ふたり。ジョンがまぁまぁ、と間に入ってなだめる。
ナルはそれにはしらんぷりで、
「麻衣は害意のあるものに対して、異常なほど敏感だな」
へ? 異常……。
「強い邪悪を感じとる能力がある。霊でも、強い害意を抱いている霊を見るんだ。
自己防衛本能だな。動物といっしょだ。敵をかぎわける」
「あ、なるほどー」
綾子はサワヤカに笑う。
「動物って、そういう能力があるものねぇ。ふーん、ケダモノ並みなんだー」
「精神的な先祖返りだな。
ときどき、全身を体毛におおわれた子供や、尻尾《しっぽ》のある子供が生まれることがある。あれは先祖返りなんだが、それの精神的なやつ」
……あたしが、ケ・ダ・モ・ノだとぉー。
綾子はいかにも楽しげだ。
「つまり、カラダは人間でも、ココロは野生の動物なのねー。なるほどー」
……こいつらはーっっ。
「ナル」
おこったぞ、あたしは。
「言うからね」
ドスのきいた声で言って、ナルをにらむ。とたんにナルがハッとした。
「だーれが、ケダモノだって?
だーれが先祖返りだって? 異常だって? え?」
「いや……それはもののたとえで」
おお。めずらしい。ナルのあせった顔。
「んじゃ、ナルはなんなのよ?
スプーンを曲《ま》げるのは異常じゃないのか?」
とたんにしんとするオフィス。
「さわっただけでスプーンを曲げて、ちぎっちゃうのは、なーんなのかなー。正常な良識ある人間の、人間的な行為とは思えないんだけどーぉ」
みんながギョッとしてナルをふりかえる。
「ちょっと」
「ナル」
「まさか」
口々に言う中で、ひときわ大きな声。
「ナル!」
……リンさんかぁ?
リンさんは怒っていた。明らかに怒っていた。
「そんなことをしたんですか!」
ナルが首をすくめる。十七の子供みたいに。
「絶対にやらないと……」
「麻衣っ!」
へーん。怒鳴ったって遅いよぉ。もう言っちゃったもんねーだ。
「ナル、いいですか! あなたは」
「わかった、いや、わかってる」
「わかってません!」
世にもめずらしい。あたしたちは思わずその異常な風景に見入ってしまった。
怒鳴るリンさんと、あせるナル。
ぽくぽく、ぼーさんが手を叩《たた》いた。
「いやぁ、ナルにそんな隠し芸があったとは、ぜひ俺たちも拝見したい」
「あ、アタシもっ!」
ウンザリしたように、ナルがため息をついた。
「麻衣……覚えてろよ」
べー。
「見たい、見たい! 麻衣だけなんてずるい」
「そうですわ、ぜひ」
ふたたび、ナルの深いため息。そうして、自分のカップからティー・スプーンを取りあげる。
「ナル!」
リンさんの強い声。それになげやりに手を振って、
「まぁまぁ。こうなったら仕方ないだろう? ……いいか?」
ナルがスプーンを構える。右手に親指と人差し指だけでスプーンを持って、左手を添える。左手は人差し指を一本だけ。スプーンの頂上に軽く当てる。すっ、とスプーンが内向きに曲がった。
「ほら」
曲げたスプーンを綾子の方へ投げてやる。
「……すごいじゃない」
綾子は言いながら自分でも試してみる。あたしも思わず自分のティー・スプーンをとって試してみる。こう……でしょ。ナルのやったように構える。指二本で支えただけのスプーンは、力をかけて押すと傾いてしまって、曲げることはできない。
……すごいなぁ。
コホンと咳払《せきばら》いしたのは、ぼーんさだ。
「あのなぁ……」
「なにか?」
「おまえ、本当にいい性格、してるな」
え?
驚いてぼーさんを見る。ぼーさんは、
「おまえらも、簡単に感心してんじゃねぇっ!
いまのはナルが指の力で曲げたんだよっ!」
「えー? だって、曲がんないわよ、これ」
「曲げたの! 俺は横から見てたから一発でわかった」
「だって」
「ナルは、スプーンの柄《え》を掌《てのひら》で支えてた」
え? あわてて試す。スプーンを持って、柄の端を掌にあてて。これで押すと……。
確かに曲げられるわ。力さえあれば。げんにジョンが曲げた。
「仮にも超心理学研究者が、こういうことをして他人をたばかってもいいのかな? え?」
ナルは涼《すず》しい顔だ。
「サギの被害にあわないいちばんの方法は、サギの手際を知りつくすことだ」
……あぜん。
「……手品の趣味があると聞いてたが……それでか」
「もちろん」
……あくまで仕事がらみなのな。てめー。
リンさんの深いため息。ナルが声をかける。
「もうしない。約束する」
「守っていただきたいものですね」
「絶対」
「どうですか」
ふたたびリンさんが、深ーいため息をついた。
……それはもとかく。
先祖返りだろうがなんだろうが、あたしはみそっかすではないんだ!
一歩も二歩もみんなに近づいた感じ。
よぉーし、おぼえてろよ、てめーら。もう役たたずなんて言わせないからねっ!
あとがき
まいどありがとうございます。小野でございます。
この本をお買い上げくださったお客さま、立ち読み中のお客さま、友達からお借《か》りになっているお客さま。本を手にとっていただいて、まことにありがとうございます。(コレ、前にもやったなー(ナミダ))
お約束の第三弾でございます。
えー、またもたくさんの応援のお便り、本当にありがとうございました。大量のお便りに小野はウレシイ悲鳴をあげてしまいます。
……が。お返事をかくのが追いつかない……っ! 返事が遅《おそ》いとあとがきで何度も申し上げていますが、本当に遅い。最高半年以上遅れてしまう。なんとか状況の改善をはかりたいとは思っているのですが……。
そうそう、よく封筒に「読んでください!」って書いておられる方がいますが、ご心配なく。全部しっかり読んでますから。お手紙読むの、好きなんです。「この手紙を読むと不幸になります」と書いてあっても読んでしまうに違いない。お手紙を読んでる時は、もっといっぱいお便り来ないかなー、と思うんですけどね、……むにゃむにゃ。
あ、そうだ。神谷律子様、住所不明につきお返事できなかったのでこの場を借りてお礼申し上げます。それと、気仙沼《けせんぬま》のいずみ様、お名前不明につきやはりお返事できなかったので、この場を借りてお礼申し上げます。わざわざお便りありがとうございました。
いつも皆さん、いろんなものをいっぱいありがとうございます。怪談もたくさん教えてもらって、イラストなんかもたくさんいただいて、小野はとっても喜んでいます。最近はナルとか麻衣のイラストも多いんですよね。いろんなタイプのナルがいて楽しいです。あいかわらずトルーパー・グッズとかもいただいちゃって。皆さん本当にありがとう。
そうそう。前回書いたせいで「NG FIVE」関係の情報とか、コンサートのレポートとかをいただいて大喜びしてました。今度ねー、西村智博さんのシングルが出るんだー。ステキな声なの。チャンスがあったら聞いてみて(ハート)
「トルーパー」も「シュラト」も終わってしまいました。わたしは悲しい。もはや残された楽しみは「パトレイバー」と「桃伝」「ビックリマン」だけね。どうぞ皆さま、おすすめのアニメがあったら教えてください。
おっと、そうだ。皆さんの中に機械の好きな人っていません? ホラ、思わずラジカセを「この子」と呼んだり、名前をつけたりしちゃう人です。ハルとかアルフォンスとかキットとかバトルホッパーの好きな人。小野は典型的なそのタイプなんですけどね。そういいう方には映画「ガンヘッド」をおすすめします。ガンヘッドがかわいいんだー。
……なに言ってるんでしょーか。ちゃんとあとがきしないといけないなぁ。と、ゆーわけで、ご要望の多い人気投票の結果です。正確な票数はわかりませんが、今回もダントツでナルがトップです。三位を大きく離して、二位がジョン、次が麻衣《まい》で……四位は……たぶんぼーさんでしょう。でもって綾子《あやこ》、リンさんの順かな? うーん、さすが真砂子《まさこ》は嫌《きら》われてるなー。展開上、しょうがないでしょうねぇ。あわれな……。
でもって、リクエストの多かった各キャラの星座と血液型(みんな、こんなの聞いてどうすんのかなー)。麻衣は蟹座、B型。ナルは乙女座のA型です。リンさんとジョンが山羊座のA、ぼーさんが水瓶座のO。綾子は双子のB、真砂子は獅子座のBです。
それから非常に多かったご質問。「ナルと麻衣はどうなるの?」というやつ、これは今後の展開をお楽しみに。「ナルは何者なんですか」についても、いずれ明らかになる日もくるでしょう。約一名様、ほぼ正解に近い予想を出した方がおられます(誰かはナイショ。あなたかもね(ハート))。それと「麻衣の夢は何なんですか?」というのについては、今回回答の一部が出ましたね(すいません、まだ一部で、全部ではありません)。後藤優子ちゃんが今回分についてはホボ正解でした、おめでたう。いやー、皆さん鋭《するど》いわー。
……そして。恒例《こうれい》のありがとうコーナーです。
千秋ちゃん、優子ちゃん、お名前を使わせていただいてありがとう。ふたりがずーっと仲よしでいられるよう、小野から心をこめて(ハート)
そして小野の誕生日にプレゼントやカードをお送りくださったミナサマ。本当にありがとうございました。でも、そんな気をつかわないでくださいね。ホラ、お客さまは皆さまのほうなんですから。
そして、今回のラストは父上の小野治雄氏に。ごめんね、いっつもつまんない質問で騒《さわ》がせて。おまけに今回は資料まで調べさせて。不肖《ふしょう》の娘を持ったとあきらめて、今後もよろしく。
さてさて、そろそろ枚数も尽《つ》きてまいりました。最後に二点。
「私の名前を使ってください」と言ってくださった皆さまへ。おかげさまで名前のストックがいっぱいできました。リストはもはや長蛇の列で、これを全部使いきるのはいつの日なんでしょうか。どうもありがとう。でも……なんですよ。よく「あいての男の子の名前はこれにしてください」と言ってこられる方がいるんですが、それについてはゴメンナサイ。ご本人から直接「使って」と言っていただけたものでない限り、お名前は使えませんのでそこのところはご了承ください。
それと、小野は最近「うわさ」に興味を持っているんです。あなたのまわりでささやかれている奇妙なうわさを教えてください。もちろん、あいかわらず怪談も募集しています。体験談でなくても結構です。小耳にはさんだ怖《こわ》い話やうわさなどがありましたらどうぞ、よろしく。
それでは、これで、失礼します。
どうぞ、皆さま、お元気で(ハート)
小野不由美