【悪霊がホントにいっぱい!】
小野不由美
プロローグ
もしも、あなたの家に幽霊《ゆうれい》が出るとする。
やっぱりあなたは困《こま》るよねぇ。気味は悪いし、幽霊が出たりするといろいろと不都合《ふつごう》なこともあるもんね。
あなたは、とうぜん、なんとかしたいと思う。
どうする?
あたしに言わせるなら、あなたは山手線《やまのてせん》に乗るべき。もしもあなたが東京《とうきょう》の人間じゃないんだったら、まず東京駅だか上野《うえの》駅だかに行かなきゃならないけどね。
山手線に乗ったら渋谷《しぶや》で降りる。べつに半蔵門《はんぞうもん》線でも銀座《ぎんざ》線でも、東横《とうよこ》線でも、井《い》の頭《かしら》線でもかまわない。とにかく渋谷に行けばいい。着《つ》いたら、かの有名なハチ公前へ。そしてあたりの優《やさ》しそうな人をとっつかまえて、「道玄坂《どうげんざか》はどこですか」と聞こう。
道玄坂がわかったら、坂をのぼる。しばらく歩くとレンガ色のアンティークなビルが見えるはず。一階が広場みたいになったビルだよ。
――あったね?
ビルに着いたら、噴水《ふんすい》のわきのエスカレーターで二階へあがる。一階にある喫茶店やブティックに眼をくれてはいけない。なかなかオシャレなお店ばかりで、つい入りたい気分になっちゃうけど。
二階に着いたらあたりを見まわしてみよう。ブルーグレーのドアが見えたかな?
そのドアには上品な模様いりのすりガラスがはまってて、そこに金色の繊細な字体で「SPR」というロゴがはいっている。その下に同じく金色で、「Shibuya Psychic Research」とあるはず。
まっすぐドアをめざそう。
え、喫茶店じゃないのかって? とんでもない、喫茶店じゃないよ。喫茶店では、幽霊に困っているあなたの役にはたたないもんね。
それに、喫茶店とまちがえて飛びこむと、冷たい扱いを受けることになっている。場合によっては、「英語が読めないんですか?」とイヤミを言われることもある。
「Shibuya Psychic Research」。――すなわち、「渋谷サイキックリサーチ」。
わかる?
「サイキック・リサーチ」は「心霊現象の調査」。「渋谷サイキック・リサーチ」というのは、渋谷にある心霊現象の調査事務所、ということなのね。所長が渋谷という名字だから、ひょっとしたら、渋谷さんちの心霊現象調査事務所、という意味なのかもしんない。まぁ、どちらにしても、要はよく電柱に張ってあるやつよ。
『憑《つ》きもの、幽霊《ゆうれい》、よろず相談申し受けます』
幽霊を追い払ったり、憑きものを退治したりするやつ。
さて、あとは勇気を出してドアを開《あ》けるだけ。
中は、広い上品なオフィスになっている。ふつうは、あたしがお客を出迎えるんだけど、そうでない場合もあるよ。あたしはアルバイトだから、常にいるというわけじゃないの。
あたしがいないときは、背が高くて痩《や》せててアイソのない男の人が迎えてくれる。その彼さえいなくて、誰《だれ》も出迎えてくれないことも、たまにはある。そういう時はたいがい、正面の応接セットに、そーぜつに顔のいい男のコがふんぞりかえっている。年は十六、七。若いからといって、彼をアルバイトとまちがえることだけは、ぜったいにしちゃだめだぞ。彼はおそろしくプライドが高いので、そういうまちがいを犯した人間を断固として許さないのだ。
なんたって彼は、天上天下|唯我独尊《ゆいがどくそん》的ナルシスト。略してナルちゃん。
ナルの機嫌《きげん》そこなわなければ、あなたは安心して相談ができる。きっと彼は、あなたの悩みを解決してくれることだろう。
……気が向けば。
「渋谷サイなんとかというのは、ここでいいのよね?」
ドアを開けてはいってきたのは、みなりのいいお金持ちっぽいご婦人だった。
あたしはこの日バイトの日で、しかも休憩時間中でもなく、すなわちオフィスにいたので、オバサンはあたしに出迎えてもらえた。
「はい。ご相談ですか?」
あたしは営業用の笑顔をつくる。彼女の眼はしかし、立ち上がったあたしを素通りして、この日はたまたまソファーで本を読んでいたナルのほうに向いた。
「ちょっと、ぼうや」
……知らないということは危険なことだ。オバサン、そいつに向かって「ぼうや」なんて言うのはやめたほうがいいぞ、あぶないから。虎《とら》に向かって「タマ」と呼ぶがごとし。
あたしは、
「失礼ですが、どんなご用件ですか?」
ていねいな声とさわやかな笑顔で聞いてやったのに、オバサンはチラッと視線を投げただけであたしを無視した。
……ほほう。
あたしを無視したまま、ツカツカとナルによって、
「ちょっと、ぼうや、この事務所のひと?」
ナルは振り向かない。「ぼうや」と呼ばれて振り向くはずがない。
あたしはけなげにも、オバサンに優しく声をかける。
「あの、失礼ですけど」
オバサンは、またも無視。
……いいかげんにしろよっ! いい年をして礼儀も知らんのか、こいつっ!
「あの、ご用件でしたら、わたしがうけたまわりますが」
怒鳴《どな》ってやりたいが、そこはガマン。あたしは、丁寧《ていねい》な声で聞く。オバサンはあたしを振りかえって無遠慮《ぶえんりょ》な眼でジロジロ見た。そうしてフンと鼻で笑う。
……こ、こいつーっ。
それからナルに、
「ちょっと、ぼうや、わたしはお客なのよ!」
「お客……?」
ナルのどこか投げやりな冷たい声。視線を本に落としたまま。
「そうよ。返事くらいしたらどう? カンジ悪いわねぇ」
……どっちが?
ナルはそっけない声を出す。
「おひきとりを」
「――なによ、わたしは客だと言ってるでしょ?」
「最低限の礼儀も知らないような下品な客の依頼を受けるほど、仕事に困《こま》っていませんから」
……えらい。よく言った。
真っ赤になるオバサンの顔。
「失礼な……!! 責任者を出しなさい! ひとこと言ってやるからっ!」
……けっ。おろかものめ。
ナルがスラリと立ち上がって、オバサンのほうにむきなおる。冷たいまなざし。それだけでどんな人間をも黙らせる威圧感がある。漆黒《しっこく》の髪と漆黒の眼、上から下まで黒ずくめの彼は、美貌《びぼう》の悪魔か吸血鬼みたいで。
彼は静かな声で、
「僕《ぼく》が所長の渋谷《しぶや》ですが」
オバサンが、驚きあきれたように口をパクパクさせた。
所長は軽蔑《けいべつ》の眼。色の薄い唇《くちびる》に皮肉っぽい笑み。
「おひきとりを」
言うと同時に、隣にある資料室に声をかける。
「リン! お客様におひきとり願いなさい」
無礼なオバサンは、のっぽでかぎりなく無愛想《ぶあいそう》な助手のリンさんにムリヤリ送り出されてしまった。
「ナル、いいの?」
あたしは聞く。
「なにが」
彼はあたしのほうに眼をやって、よく通る静かな声で言う。
「いまのオバサン、お金持ちそうだったよ」
「関係ない」
ナルの言いぶんはあくまでもそっけない。
「それより、麻衣《まい》。お茶」
所長は目線を本にもどして、短くおっしゃる。
お茶ぐらい、てめーでいれろよなー。
思ったけど、口にするのは危険だ。今日はナルの機嫌《きげん》が悪い。本日はお客がひっきりなしで、しかもその全部がひどい客。
さっきのオバサンのように無礼なやつとか、何をカンちがいしたのか「浮気の調査をしてくれ」だの、「腰痛を直してくれ」だの、「結婚相手の運勢を見てくれ」だの。新興宗教とまちがえて人生相談をしていくやつもいて、唯一《ゆいいつ》まともな依頼が、「娘が最近不良になった。なかに憑《つ》かれたにちがいないから、落としてくれ」。
その度《たび》にあたしは、グチャグチャと説明しなきゃいけない。ここは心霊現象の調査事務所であること。幽霊《ゆうれい》やなにかが関係すると思われる不可解な事件を、科学的に調査するのが目的の団体なのだということ。
ええ、探偵事務所ではありません。
とんでもない、心霊治療はやっていません。
すいません、占いはやりません。
いえいえ、宗教団体ではありません。
……いいかげんにしてよね。ナルでなくたって怒るってば。
「どーぞ」
テーブルに紅茶を置く。
ちなみに、このオフィスで「お茶」と言ったら紅茶のことだ。緑茶はほとんど消費されない。
「ん……」
ナルは顔もあげない。「ありがと」くらい言ってくれてもいいんじゃない? あたしは、ちゃんと心をこめてお茶をいれてるんだからねっ。
そうなの(急に女の子らしい口調になっちゃうよ、あたしは)、心をこめてお茶をいれてるの。どうやらあたし、この所長さんに……らしいのよね。
あたしの仕事は雑用係。コピーをとったり、お茶をいれたり。たいして彼のために役立つことをしてるわけではない、という気がする。
だからこそ、お茶をいれるときには気合をいれてるのよ。その時々の状況を見て、今みたいに機嫌《きげん》が悪いときには、アッサムにしようとか、すごく気をつかってる。なのに、ぜーんぜんわかってくれないんだから。
あたしがナルに出会ったのは、この春のことだ。舞台はあたしの学校。――と言っても、べつに彼が転校してきたとか、そういうんじゃない。彼は――「渋谷サイキック・リサーチ」の所長さんは、不吉なウワサのある旧校舎を調査に来たのだ。
ひょんな縁で、あたしはこの事件のときナルの助手をつとめた。それで、今もこうして彼の事務所にアルバイトとして来てるわけなんだけど。
最初はヤなやつだと思ったのよね。顔はいいけど、とにかく性格が悪い。口は悪いしプライドは高いし、手におえない。でもさ……。
レンアイに理由なんていらないのよね。困《こま》ったもんだ。
もちろんナルは、あたしの気持ちなんかご存じでない。あたしのことも、単なるアルバイトとしてしか見ていない(たぶん)。
ひょとしたら、ナルは女の子に興味なんてないのかな。そんな気もする。
なにしろ普通の男の子とはちがうからなー。
まず、十六歳にして心霊調査事務所の所長でしょ。本来ならあたしよか一つ上、高校二年生のはずなんだけど、どう考えても学校に行ってるようすがない。そりゃ、ちゃんとした(?)仕事がすでにあるんだから、いまさら学歴なんか関係ないだろうとは思うけど。 しかもどうやら、仕事いちずの性格のようで。TVは見ない。映画は見ない。小説は読まないし、もちろんマンガだって読まない。音楽だって、ジャンルを問わずまったく聞かない。
んじゃ、仕事のないときは何をしてるかというと、まぁだいたい本を読んだり、分厚《ぶあつ》いコピーの束を読んだりしている。もちろん、心霊関係の、それも横文字の専門書よ。
趣味と言えば旅行と手品らしい。
これがまた変なんだ。旅行書やロードマップや、そんなものを山のように持ってる。ま、仕事であちこちを飛びまわるとはいえ、尋常《じんじょう》でない数だ。ときおり、地図やなんかを広げて指先でたどりながら、じいっと考えこんでいたりする。でもって、ときどきフラッと短い旅行に出るんだけど、観光などしているようすがない。なにしろ、京都に行っておきながら、清水寺《きよみずでら》も金閣寺《きんかくじ》も嵐山《あらしやま》も見てこないんだから。
手品だって、あたしたちに披露してくれるかと言えばそんなことはない。ときどきトランプなどをいじってるのは見かけるけど、他人に実演して見せているところにお眼にかかったことがない。
……ね、変でしょ?
なかなかに、ナゾめいた少年なのよ、ナルちゃんって。
そこがいいのかなぁ、なんて……。
……やだー、あたし、ちゃんと女の子してるじゃなーい(ハート)
我ながら感心、感心。
一章 悪霊の棲《す》む家
そのあとしばらくお客が途絶《とだ》えた。あたしは本の目録をつくる。大量の心霊関係の本。その整理もあたしの仕事だ。
あたしは、ゾウだって殴《なぐ》り倒せそうなほど分厚い本を持ち上げる。
「ナル、『サイの戦場』って、どこに分類すればいいの?」
ナルは本を受け取るとパラパラめくって、
「超心理学《パラサイコロジー》、論文」
「はーい」
カードを書こうとしたときだ。
「あのぅ……」
ドアが開《あ》いて、若い女の人が入ってきた。まだ二十くらい。シャキッとした麻の大人《おとな》っぽいスーツを着てるけど、なんとなく服に着られているかんじ。
みょうに戸惑っているようすなので、あたしは最初、喫茶店とまちがえて入って来たのかと思った。
「ご用ですか?」
あたしが前に立つと、彼女は不安そうにあたしを見上げる。
「あの……SPRというのは、こらちでいいんですよね?」
おっと、客だぁ。
あたしはおとっときの笑顔をつくつて、彼女にソファーを勧《すす》める。
ナルが立ちあがって彼女を迎えた。いつもより、こころなしぶっきらぼうなものごし。今日はひどいお客ばっかだもんねぇ。ちゃんとした依頼だといいね。
あたしは心の中でつぶやきながら、キッチンにお茶をいれに立った。
「……それで、どういうことでお困《こま》りですか」
どこかもの憂《う》い色のナルの口調。
その女の人……森下典子《もりしたのりこ》さんはうつむいたまま、チラチラと視線をナルに投げる。
「……あのう、家が変なんです」
「変、と言いますと?」
家を買った日に家族が事故にあったとか、引っ越して以来体調が悪いとかいうんじゃないだろうな、ナルの口調はひそかにそう言ってる。多いんだよなぁ、この手の依頼は。でもってお祓《はら》いをしてほしいと。たいがいナルは断ってしまうけど。
典子さんはオズオズと声を出す。
「あの、変な音がするんです」
――お?
「誰《だれ》もいない部屋で壁《かべ》をたたく音がしたり、床を踏《ふ》みならす音がしたり。開けたはずのないドアが勝手に開いてたり……」
ナルの眼が、かすかに輝きをはなつ。
「理由はわからないんですね?」
典子さんはうなずいた。不安の色。
「ものの位置が変わったり、そんなことがしょっちゅうあるんです。
部屋が揺《ゆ》れて、地震だと思ってたら、地震なんてなかった、てことも多くて……」
……本物のお客だぁ。
ナルの眼の色が深くなる。興味を持った証拠だ。
「ものの位置が変わるというのは?」
「はい……。花瓶《かびん》の位置が変わっていたり、たしかにしまったはずのものがなくなっていたり、反対にあるはずのないところにあったりするんです」
「地震、というのは?」
「ちょうど地震のときみたいに、ガタガタと家具なんかが揺れる音がするんです。たしかに揺れてるように感じることもあるし……」
ナルが、そばにひかえていたリンさんに目配《めくば》せする。彼は典子さんの話を録音し始めた。それを確認してからナルは口をひらく。
「まず、家族構成についてうかがいます」
森下さんが帰ったあと、すぐにナルはリンさんと仕事の打ち合わせを始める。森下さんの依頼を受ける気になったんだ。
ナルは仕事の選《え》り好《ごの》みが激しい。気が向かないと絶対に腰をあげない。あたしがこの事務所でバイトを始めてから三か月。なんとこれが、初めての本格的な仕事だったりするのだった。
あたしたち「渋谷サイキック・リサーチ」のメンバーが依頼人である森下邸に出かけたのは、典子さんがオフィスを訪ねて来て三日後、ちょうど全国の公立学校が夏休みに入った日のことだった。
東京から車で二時間。古い家並みの古い街。その高台の緑の多いあたりに、その家はある。森下邸の第一印象は、暗いということだった。本当に暗い家だ。古い洋館。庭の木は屋根をおおうほど。レンガ色の壁《かべ》はツタにおおわれていて、白い窓わくにまでツルがはいのぼっている。
まるで古いお墓のような家だと思った。なんの根拠もなかったけど。
あたしが玄関先につっ立ったまま黙って家を見上げていると、
「どうした?」
ナルが振りかえる。
「うん……」
出迎えに出てくれた典子さんの目の前で、暗い家だねとは、なんとなく言いにくかった。それでただ黙っていると、典子さんはあたしに向かってふわっとわらう。
「古い家でビックリしたんでしょう。戦前の家なんですって。
わたしは、ちょっとロマンチックかなと思っていたんだけど」
「……そうですね」
風が吹いて庭の樹《き》が鳴る。
「――さ、入ってください」
典子さんにうながされて、あたしは玄関のドアをくぐった。
家の中は、なかなかにステキだった。壁《かべ》は白くて、家具が濃い色の木製。調度はどれもアンティーク。
「ステキなお家……」
あたしが言うと、典子さんがニッコリする。
「ありがとう」
そしてすぐに不安そうな表情をつくって、
「変なことが、起こらなくなるといいんだけど……」
……そうだろうな。いくらステキな家でも、気味の悪いことが起きるんじゃぁねぇ。
「兄が今、いないからなんとなく心細くて」
だろうな。典子さんのお兄さん、すなわちこの家のご主人である森下|仁《ひとし》さんは、現在仕事で南米に出かけているのだそうだ。お兄さんがいない間の不可解な出来事。さぞかし気味が悪いだろう。今のところ家族は女ばかり三人。お兄さんの奥さんと娘さんと。
典子さんはかすかにわらって、
「義姉《あね》がまってます。どうぞ、こちらです」
あたしたちを応接間に招《まね》き入れた。
「あ!」
「げっ」
「え!?」
応接間に入るなり、あたしは思わず声をあげてしまった。意外な人物を部屋の中に見つけたからだ。
「……ひさしぶりじゃない」
「こりゃ、奇遇だねぇ」
二十代の男と女。
……なんであんたらが、こんなとこにいるんだよー。
「お知り合い?」
けげんそうな声がしたほうを見ると、勝ち気そうな女の人が立っていた。
「義姉《あね》の香奈《かな》です」
典子さんが紹介してくれる。
香奈さんは首をかしげて、あたしたちと応接間にすわっているふたりの男女を見くらべる。
彼女の問いに答えたのはナルだ。少しばかり不機嫌《ふきげん》な声。
「以前仕事で一緒だったことがありますから」
「そうでしたの……。じゃあ、ご紹介の必要はないかしら」
「結構です」
紹介の必要なんかあるもんか。とぼけた顔の男は滝川法生《たきがわほうしょう》、もと高野山《こうやさん》の坊主《ぼうず》。ハデな女は松崎綾子《まつざきあやこ》、巫女《みこ》。
あたしの学校の旧校舎には、呪《のろ》われているというウワサがあった。その調査に来た霊能者がこいつら。性格が悪くて無能で。
そのあんたらが、どうしてここにいるんだよー?
すぐに、典子さんがお茶と一緒に、小さな女の子を連《つ》れてきた。
……かわいいー……。
小さくてフワフワしてて、天使かお人形みたいな女の子。白いワンピース姿で、細い手にはアンティーク・ドールを抱いてて、まるで絵に描いた少女像みたいだ。
「姪《めい》の礼美《あやみ》です」
典子さんは紹介する。
典子さんのお兄さんである森下仁さんは、若いみそらで会社を経営する社長さんだ。その仁さんの娘さんが礼美ちゃん。と言っても、香奈さんの娘さんではない。礼美ちゃんのお母さんとは、ずいぶん前に離婚してて、一年近く前に再婚した相手が香奈さん、というわけ。
うーん、礼美《あやみ》ちゃんのお母さんって、さぞかし美人だったんだろうなー。
礼美ちゃんはコクンと頭を下げた。緊張した顔つき。いっしょうけんめいにおじぎをしてるみたいで、ホントにかわいい。八つになったばかりらしい。
あたしたちがボーッと見つめているのを、典子さんはクスとわらってから、かたわらの、トレイを持ったおばさんを示す。
「お勝手を手伝ってくださってる、柴田《しばた》さんです」
「ご家族はこれだけでしたね?」
冷静な声を出したのはナルだ。まー、ナルは鏡で、自分の顔を見慣れているから。
「はい。柴田さんは通《かよ》っていただいているんですけど」
ナルはうなずいて、
「あとで話をお聞かせ願います。
森下さん、部屋をご用意いただけたでしょうか」
あたしたちが調査に使う部屋。
「はい。こちらへ」
典子さんは手をあげて、あたしたちを部屋に案内してくれた。
大きな家だ。たくさんの部屋が並んでいる。
あたしたちが案内されたのは、一階、階段わきの広いガランとした部屋だった。
ナルは部屋を見まわすとうなずく。それから意味もなくあとをついてきた、ぼーさんと巫女《みこ》さんを振りかえって、
「……で? なぜおふたりがここにいるのか、お聞きしてもいいですか?」
冷たい声をかけた。
巫女の綾子《あやこ》が頬《ほお》をふくらます。
「ひさしぶりに会ったんだから、うれしそうなフリぐらいできないのぉ?」
「あいにくと」
ナルの表情はあくまでも冷たい。
「綺麗《きれい》な顔して、あいかわらずつれないねぇ」
ぼーさんがため息をついた。
ナルは無表情。ただ冷たい視線を投げるのみ。無口でふたりに答えをうながす。
「だからー」
綾子とぼーさんは、ちょっと顔を見合わせた。
「アタシはー」
綾子が自分を指さす。
「ここに通《かよ》ってる家政婦さんから相談を受けたの」
「俺《おれ》は旦那《だんな》の秘書とかいう人から」
「そんで、森下|香奈《かな》に会ったらばー」
「こういうことは人数が多いほうが解決も早いかもしれないわね、とか言われてな」
「今日、ここに来ることになったわけー」
「そしたら驚くじゃねぇか。このおつむの軽いイロケ巫女が」
「この軽薄な破戒《はかい》僧が」
仲よくハモって、ふたりはにらみ合った。
「ここにいたわけね」
あたしはふたりの言葉を継いでやった。
……やれやれ。
あたしはゲンナリしてしまった。典子さんも、ひとこと相談してくれればいいのに。したら、こいつらはうるさいだけで、役にたたないって教えてあげたのに。
「まー、そういうことなんで、よろしくな」
ぼーさんが、すっとぼけた顔でニンマリ笑った。
ナルは、もののみごとにそれを無視する。
あたしとリンさんを見わたし、
「作業を始めよう」
……きた。
ここからがたいへんなんだ。「渋谷サイキック・リサーチ」の場合は。
ナルはゴースト・ハンターである。
ゴースト・ハンター……なんというか、幽霊《ゆうれい》退治人。心霊現象の調査は霊能者でもやるけど、ナルは霊能者ではない。すくなくとも本人はそう主張している。高価な特注品のビデオカメラなんかをビシバシつかって、科学的に調査をおこなう。
そのカメラなんかを運ぶのが、重労働なわけ。
あたしたちは駐車場に止めたワゴン車に向かうと、荷台にギッシリ詰めこまれた機材の運びこみにかかった。部屋には棚《たな》を組み、そこに機械をセットしていく。部屋はあっという間にどこかの科学研究所のようなありさまになって、典子《のりこ》さんが眼を白黒させた。
「変なことが起きるのは、おもにどの部屋ですか?」
ナルが聞くと、典子さんは首を振る。
「特にどこということは……」
彼女の言葉にナルは少し考えこんで、
「じゃあ、二階と一階の廊下《ろうか》にカメラを二台ずつ。玄関ホールにひとつ。それでようすを見てみよう」
あたしたちは汗だくになって、カメラを言われた場所にセットした。
「あいかわらずだなぁ」
ぼーさんが、棚につめこまれたTVや機械の山を見て、しみじみため息をもらす。
たしかに、壮観なながめだ。小型のTVだけでも十二台あまり。そのほかに、門外漢《もんがいかん》には用途不明の機械が無数。
機械の前には助手のリンさんがすわる。ナルの指示でカメラのスイッチを入れる。TVの画面がいっせいに明るくなって、森下邸のあちこちを映し出した。
「事件の見通しはどうだい?」
ぼーさんがナルにたずねる。
「今のところはなんとも」
ナルはそっけない。これは……怒ってるなー。ナルはプライドが高いから。自分の仕事に他人が割りこむのを好まない。
綾子は皮肉っぽい声をあげる。
「ゴースト・ハントかなんだか知らないけど、あいかわらずおおげさねぇ。そんなたいした事件じゃないわよ」
「松崎さんのカンですか」
ナルに言われて綾子はつまった。
旧校舎の事件で、綾子のカンはあてにならないことがわかっている。
「何とでも言って。あのときは、特殊な例だったからよ。今度ははずさないわ。怪現象の犯人は地霊よ」
「前にもそうおっしゃいましたが、ちがいましたね」
軽蔑《けいべつ》の声。綾子が顔をしかめた。あいかわらずハデなメイクだ。何かカンちがいしたOLか女子大生みたい。
ぼーさんがバカ笑いする。綾子はそれをにんでから、
「そういうあんたはどうなのよ」
「俺《おれ》か? 俺は学習という言葉を知ってるからねぇ。今のところは意見を保留しておくさ」
……あいかわらずだなぁ、こいつら。
「お嬢ちゃんはどう思う?
たしか、麻衣《まい》だったな。ナルの助手だっけか」
「今は単なる雑用係です。
典子さんの話を聞くかぎりじゃ、ポルターガイストみたいだけど」
「ほう」
「へぇ」
ぼーさんと綾子が眼を丸くした。
「いっぱしの口をきくようになったじゃねぇか」
ふふん。人間は進歩する生き物なのよぉ。
ポルターガイスト。日本語で騒霊《そうれい》。文字どおり、騒《さわ》がしい幽霊《ゆうれい》という意味。ものが勝手に動いたり、騒がしい音がしたりする怪現象。
――フランスにE・ティザーヌという変わったおまわりさんがいた。このおまわりさんが、ポルターガイストの分類をしたのだそーだ。これが『ティザーヌの九項目』。
爆撃、ノック、ドアの開閉、物体の振動、移動、騒音、侵入、動いた物体が暖かくなる、物体の出現。以上の九つ。
「典子さんの話だと、この家で起こってるのは、ノックとドアの開閉、物体の振動と移動、騒音。五つよね。半分以上が該当するんだから、可能性は高いと思うな」
うーん、あたしって賢《かしこ》くなってるわ。これでも勉強してるのよ、ナルがあんまし馬鹿《ばか》だ馬鹿だって言うから。
ぼーさんがからかうように手をたたいた。
「へえぇ、こりゃ驚いた。
それじゃ、ポルターガイストなんだったら、犯人は誰《だれ》だい?」
へへー。よくぞ聞いてくれました。
「典子さんだと思うな」
「ほぉ?」
「ポルターガイストの原因の半分は、家の住人が犯人である場合よ。ストレスのたまった女性であることが多い。すると、だいたいの予想はつくじゃない。義理の姉とおりあいの悪い妹。ね?」
「なるほどねぇ」
綾子が感心したようにうなずく。
「香奈さんって、けっこうキツそうだと思わなかった? たしかに香奈さんと典子さん、うまくいってないのかもしれないわねぇ」
そーそー。
えらくなってるでしょ、あたし。
そう思ってナルを見たら、冷たいまなざし。
あり?
「うけうりにしても、よく覚えていた、と言いたいところだが」
ナルは冷たい声を出す。
「ポルターガイストの犯人であることが多いのは、ローティーンの子供だ。つまり、思春期の子供。典子さんは二十歳《はたち》。思春期というには成長しすぎている感じだな」
……う。
「霊感の強い女性が犯人である場合もあるが。――いずれにしても、それについては、今夜にでも実験をしてみる。それでターゲットが決まるだろう」
……ちぇ。
ぼーさんがリンさんを振りかえる。
「そっちのにーさんは? たしかナルの助手だったな?」
リンさんが、かすかにうなずく。リンさんは前の事件のとき、不慮《ふりょ》の事故でリタイアしてた(事故の原因については聞かないように)。それでぼーさんたちとは、あまり面識がない。
「どう思う、この家?」
ぼーさんに聞かれて、リンさんは低い声で短く答える。
「答える義務があるのですか?」
ぼーさんと綾子が眉《まゆ》をあげた。
「……さすがはナルの助手よね。いい性格してるじゃない」
ナルは肩をすくめるだけ。
リンさんはねー、こういうひとなの。そっけないというか、愛想《あいそ》がないというか、無礼というか。いまだにあたしとは、ほとんど口をきていくれないもん。おかげで、あたしは、いまだにリンさんの本名すら知らない。ましてや、笑顔や軽口《かるくち》など、見たことも聞いたこともない。
なんとなくその場が白けてしまって、ぼーさんと綾子はそれぞれ部屋を出て行った。
リンさんは何事もなかったかのように、TVの画面を見つめている。顔の片側をおおうほど長い前髪。極端に無口で無表情。このお方もナル同様、黒っぽい身なりをしていることが多いので、ナルとリンさんが並んでいるとまるでお葬式みたいで暗い気分になっちゃうんだよねぇ。
作業にひとくぎりついてから、典子《のりこ》さんがすごくりっぱな客用寝室に案内してくれた。
これが無人の幽霊《ゆうれい》屋敷の場合、ナルは安全が確認されるまで絶対に泊《と》まりこみはしない。今回は現在も人が住んでる――八つの女の子でさえ住んでる家だから、さすがにそう危険ではないと思ったのだろう。あたしたちは、今夜からこの家に泊まりこむことになっている。
「わぁ、ステキ!」
レースのカーテン。クローゼットとドレッサー、ベッドと小さいテーブル・セットが備えつけてある。
……すごいわ、すごいわ。でもあたし、この部屋で寝ること、あるのかしらん。なんと言っても心霊現象の調査といったら、夜が本番。徹夜続きなんだろうなー、きっと。
「気に入ってもらえたかしら」
典子さんが微笑《ほほえ》む。
「はい。ありがとうございます」
「うーん、できたら、そういう言葉づかいはやめてほしいな? だめ?」
「えっ、でも」
……典子さんはお客さんだしぃ。
「オネガイ」
「……ん」
あたしが答えると、典子さんはうれしそうにわらった。
部屋には西日がさしている。あたしは窓辺によってみて、少し驚いた。家の南側は池になってる。青緑色の深い色の池。
「いいながめ……」
典子さんもあたしの横にならんで、窓の外をながめる。
「……わたしもそう思っていたんだけど……。近ごろはなんだか、気味が悪くて……」
「気味が?」
「ホラ、よくあるでしょ?
池で溺《おぼ》れたひとが仲間を呼んで……」
水辺によくある怪談話。あたしは努めて明るい声を出す。
「だいじょうぶ。そんなんじゃないよ、きっと」
あたしが今考えていることは、典子さんには言えない。まさか、あなたが犯人かもよ、なんて。
「……よかった。お兄さん、仕事で家にいないことが多いから、本当は気味が悪くて」
あたしはわらった。
「すぐ平気になっちゃうよ。
ホラ、うちの所長のほかに、巫女《みこ》さんとぼーさんがいるでしょ? あの連中、すっごいやかましいから、にぎやかすぎて笑っちゃうくらい」
「そうなの?」
典子さんの顔が少し明るくなった。
それを見てあたしは、典子さんが犯人なんて思って悪かったなぁ……なんて思った。
「よかったら、お茶を飲まない? おやつの時間なの。礼美《あやみ》がいっしょでよかったら」
「うれしー(ハート)」
お茶のセットを持ってあたしと典子さんは、礼美ちゃんの部屋に向かった。
「礼美」
典子さんがドアを開ける。
礼美ちゃんは、カーペットの上にペタンとすわって、絵本を広げていた。こちらをパッと振りかえる。
すこしキョトンとした眼がウサギかなにかみたいだ。本当にかわいい。
「こんにちはー」
あたしがわらって手を振ると、うれしそうな笑顔をうかべる。そうして、絵本のそばにおいてあったお人形を抱き上げると、こちらへ駆《か》けて来た。
さっきも抱いていた、アンティーク・ドールだ。
フランス人形って、少しこわい顔をしてるものだけど、この人形はわりと愛らしい。
礼美ちゃんは、お人形の右手をあたしのほうに差しだした。
「コンニチハ」
あたしはお人形に向かってかがみこむ。
「はじめまして、お名前は?」
「ミニー」
お人形が小さな手を振った。
「ミニーちゃん、よろしくね。あたしは麻衣《まい》よ」
「ヨロシクネ、マイチャン」
人形をコックリさせて、礼美《あやみ》ちゃんがわらう。かわいいなぁー。
「礼美、おやつ食べよ?」
礼美ちゃんは典子さんの言葉に、一瞬うなずきかけたけど、すぐにまた首を振った。
れれ? 礼美ちゃんどうしたの? おやつだよ? かわいいピンクのケーキだぞー。
黙ってうつむいてる礼美ちゃん。
……変だ。礼美ちゃん、どうしたんだろう、急に……。
その夜、夕食のあと、ナルが全員を集めた。
香奈《かな》さん、典子さん、礼美ちゃん。そうして家政婦の柴田《しばた》さん。
ナルちゃんは全員を応接室のソファーにすわらせ、部屋の明かりを消した。真っ暗になる。
「少々お時間をいただきます」
彼はそう言うと、テーブルの上に置いたライトのスイッチを入れた。白い光がストロボのように光っては消える。
「光に注目してください」
部屋に明滅する白い光。
ナルが静かに語る。
「光にあわせて息をしてください。ゆっくりと……肩の力を抜いて……」
ナルは全員に、軽い催眠術をかけようとしている。催眠術とも言えないようなやつ。暗示。
白い光に明滅する全員の表情。ひとつまたたくごとに、表情が抜け落ちていくのが見える。
この家では、ポルターガイストが起こっている(たぶん)。
一般にポルターガイストという言葉でひとくくりにされてしまう現象には、いろいろな原因がある。ふつうは幽霊《ゆうれい》か悪魔のしわざ、と言われているけどね。
ポルターガイストの犯人は、じつは人間であることが多い。極端にストレスのたまった人間が無意識でおこなう。もちろん、イタズラとかそういうのじゃないの。あくまで超自然的な力で。犯人である人間はローティーンの子供か、あるいは霊感の強い女性の場合がほとんど。
この場にローティーンの人間はいない。残る可能性は、霊感の強い女性……。
「心の中で呼吸をかぞえてください……」
ナルは静かに言葉を重ねていく。
五分あまり言葉をつらねて、全員の緊張をといたところで、ナルは目的をきりだす。
「今夜、食堂にあった花瓶《かびん》が動きます。……ガラスの小さな花瓶です。
今夜は、この部屋のテーブルの上にあります」
静かな、静かな、抑揚《よくよう》のない声。声に色があるとするなら、まったく無色透明の声だ。
「――結構です」
パッと部屋の明かりがつく。全員がまぶしそうに眼をしばたたいた。
「あとは自由にお過ごしください。ただし、普段とあまりちがうことはしないように。
……森下さん」
「はい」
「この部屋の鍵《かぎ》を」
香奈さんが鍵を渡す。その鍵を受け取るナルの腕の中に、花瓶がある。
全員の眼がその花瓶に集まる。ほんの一瞬。暗示に成功した証拠。暗示にかかってない人間は、花瓶を見ない。そういうものらしい。
さて、この花瓶が今夜動くかどうか。
人間が犯人である場合、暗示によって花瓶が動く。つまり、花瓶が動けば犯人は人間。いまこの場にいた人間ということになるし、動かなければ……犯人は人間以外のものということになるわけ。
全員が不思議《ふしぎ》そうに出て行ったあと、あたしは、テーブルのまん中に花瓶を置いて、その輪郭《りんかく》どおりに、チョークで線をひいた。
ナルは、花瓶を見張るカメラの位置を決めている。高感度カメラ。暗い場所を撮影できるカメラだ。星明りの下でさえ、昼間のように映る。これにビデオデッキを接続する。機械をチェックしてあたしとナルは部屋の外に出る。
レーダーだ。ほら、飛行機なんかについてるじゃない。あれよ、あのレーダー。
ナルが部屋に鍵をかける。紙でドアに封をする。これで応接間には誰《だれ》も入れないし、入れば紙が破れるのでわかる。完全な密室。
壁の外からレーダーで花瓶の動きを見張る。もしも花瓶がわずかでも動けば、レーダーが確認して自動的に室内にあるビデオの録画スイッチが入る。
……すごいでしょ?
これがゴースト・ハントというものなの。霊能者とは全然違うんだー。
暗示実験の準備がすんで、調査室に使っている部屋――ナルはベースと呼ぶんだけど、あたしはつい科学研究所と呼んでしまう――にもどると、ぼーさんと綾子《あやこ》が
ムダ話をしていた。
「おヒマそうですね」
ナルの皮肉っぽい声。
そーだ、そーだ。地霊とか、イロイロ言ってたじゃないか。さっさとお祓《はら》いとかしないの?
ぼーさんがナルに、
「この実験の結果を見てからと思ってな。
ポルターガイストの犯人が、人間じゃないと確認されてから動くことにしたんだ」
……ほぉー。ぼーさん、ひとつリコウになったな。前の事件で先走って、赤恥《あかはじ》かいたからなー。
うんうん。けっこういい気分だ。つまりはこれって、ナルのやっていることにいちもくおいてるってことじゃない? 前のときは、ナルの調査なんか、意味も価値もないなんて顔してたもんな。へっへ。
ナルも同じことを感じたのか。
「それは、光栄のいたりですね」
皮肉な口調でわらう。
ナルさー、そのわらいかたやめなよ。眼がわらってないんだってば。すっげー、不穏《ふおん》な顔つきになるぞ。もっとこう、素直にわらえないのかねぇ。
その夜だった。最初の異変がおこったのは。
九時をまわった頃、科学研究所……もとい、ベースに香奈さんが飛びこんできた。
「ちょっと、来て!」
香奈さんは青い顔。パニック寸前。
「どうしました?」
落ちついた声で聞くナルの腕を乱暴につかんだ。
「いいから、来てよ!」
あたしたち――リンさんをのぞく四人――は顔を見合わせ、香奈さんのあとについて行った。
香奈《かな》さんがあたしたちを連《つ》れて行ったのは、礼美《あやみ》ちゃんの部屋だった。
礼美ちゃんの部屋も、あたしたちや綾子《あやこ》さんの部屋と同じく、二階にある。
「これを見て!」
香奈さんがヒステリックにドアを開ける。中を見て、あたしたちは眼を見張った。
壁《かべ》にピッタリつけて置いてあった机が斜めになっている。それだけじゃない。
斜めになったベッド、本棚《ほんだな》、タンス。
部屋のすみでは、パジャマに着替えた礼美ちゃんがポカンと立っていた。
「……なんてこった……」
ぼーさんのつぶやきに、香奈さんが厳しい顔を向ける。
「……礼美ちゃんを寝かしつけようと思って、ふたりで部屋にもどって来たらこうよ。
どうなってるの? こういうことがおさまるように来てくれたんじゃなかったの?」
ヒステリックな声を聞きながら、あたしはキョトンとして部屋のようすをながめている礼美ちゃんの体に手をまわす。
「礼美《あやみ》ちゃん?」
礼美ちゃんは不思議《ふしぎ》そうに眼をパチパチさせてから、あたしを見上げる。
「どうしてみんなナナメになってるの?」
本当にビックリしている。
「うん。どうしてだろうね」
答えながら気がついた。カーペットまでが斜めになってる……。
ふいに背筋が寒くなる。
こんな重いもの、いったい誰《だれ》が? カーペットなんて、上に家具がのってるのよ? あたしなんかの力じゃ、一センチだって動かない。
いったい、誰《だれ》が? どうやって?
ドアのところから部屋の中を見まわしていた綾子《あやこ》がボソッと、
「その子が、やったんじゃないでしょうねぇ」
あたしは思わずムッとする。
「こんなこと、礼美ちゃんにできるわけ、ないでしょーが」
「ムリだろうな」
あたしを応援してくれたのは、ぼーさんだ。
「上に家具がのったままだ。俺《おれ》でもできねぇな。――それとも、おまえさんならできるのか?」
言って綾子に軽蔑《けいべつ》の視線を向けてやるる
そーよ、そーよ。
ナルがそっけない声で香奈さんに、
「……とりあえず、部屋を調べてみたいのですが、いいですか?」
「ええ。どうぞ」
香奈さんはうなずいて、
「わたしたちは下にいますから」
そう言って、礼美ちゃんの手をひいた。礼美ちゃんは、うつむかせていた顔をふとあげてあたしを見上げる。
「礼美じゃないよ」
礼美ちゃんは泣きそうだった。
「わかってる。礼美ちゃんじゃないよねぇ」
あたしはあわてて身をのりだした。
……綾子の考えなしっ!
どーすんだよ、礼美ちゃん、キズついちゃったじゃないかーぁ。
ぼーさんまでが礼美《あやみ》ちゃんの頭をなでて、
「みーんなわかってるから、な?」
「うん」
礼美ちゃんが、やっと笑顔を作った。
香奈さんに手をひかれて下へ降りていく礼美ちゃんを見送ってから、あたしたちは顔を見合わせる。
「どう思う、ナルちゃん?」
「どう思う、もないだろう?」
こんなことができる人間がいたら、お目にかかりたい。
松崎さんの知り合いはどうだか知らないけど、僕《ぼく》の知り合いにはこんな怪力の持ち主はいないな」
……だよねぇ。
綾子がきまりわるげにそっぽを向く。
「ちょっと言ってみただけじゃない」
ナルは床にかがみこんで試しに引っ張ってみる。ぼーさんも手を貸す。カーペットはもちろん、ビクともしなかった。
ナルはさらにカーペットをめくってみる。
「なんの痕跡《こんせき》もない。人間にはムリだな」
つぶやくように言ったときだ。階下から悲鳴が聞こえたのは
あたしたちは顔を見合わせるすぐに、全員が下に駆《か》けおりた。
「どうしたの?」
悲鳴のした、居間のほうに走る。
居間に飛びこむと、真っ青な顔をした香奈さんが立ちすくんでいるのが眼に入った。そのそばにはポカンとした礼美ちゃん。典子さんがお勝手のほうから駆けて来て、居間をのぞくなり驚いたように立ち止まった。
「…………!!」
あたしたちも立ちつくす。
居間の家具、全部が裏返しになっていた。
テーブルやイスは足を上に、壁《かべ》ぎわの飾り棚《だな》は、ピッタリ壁についたまま背中を見せている。かかった絵も全部裏がえし。
さすがに誰《だれ》もが声も出なかった。
テーブルをひっくりかえすのはいい。すごく厚い木のテーブルで、かなり力がいりそうだけど、できないことじゃない気がする。たとえば、ナルとリンとぼーさんの三人がかでやれば、音もたてずにできるだろう。
でも棚《たな》は? さっきこの部屋でお茶をいただいたので覚えてる。あの棚の中には、香奈さんが集めている時計が入っていたのだ。
たくさんの置き時計。古いものや新しいもの。大理石のもの、真鍮《しんちゅう》のもの、ブロンズのもの、ガラスのもの。香奈さんが自慢そうに見せてくれたものなんか、純銀製だと言っていた。
そんな重いものが入った棚を……しかも棚じたいが厚い木を使ったもので重そうな……それをどうやって動かすわけ?
壁《かべ》から引き離して、裏返して、もいちど壁にくっつけて。
そうしてあたしは気がついた。
足元。
この部屋のカーペットは、家具をのせたままの状態で裏返しになっていた……。
あたしたちはあらためて、礼美《あやみ》ちゃんの部屋と居間とに機材を運んで設置した。
今夜は礼美ちゃんは、典子さんの部屋で寝ることにしたようだ。
廊下《ろうか》の映像のかわりにふたつの部屋のようすを映したTVを見守りながら、ナルが考えこむ。
そのわきからぼーさんが、
「ポルターガイストってわけだ。疑問の余地なし、だろ?」
ナルのかわりに綾子が割りこむ。
「そんなの、わかりきってるじゃない。
問題は、ポルターガイストを起こしている犯人よ」
「地自霊《じばくれい》じゃねぇのか」
「地霊だと思うわ」
……まーた、始まった。あんたら、いつも地縛霊と地霊なのな。前に大恥かいたの、忘れたのか?
ナルは答えない。
「どっちにしても簡単よ、簡単。
明日、いっぱつ祓《はら》ってみようかな」
軽く言って綾子が立ち上がった。
「ナルちゃんは、TVのおもり? 時間の無駄だと思うけど?」
ナルは無視。綾子は肩をすくめてから、ヒラヒラ手を振って出て行く。
「まー、好きなだけやってるのね。アタシは寝ようっと」
……あいかわらず、意味もなく自信に満ちたやつ。前の事件じゃ、全然役にたたなかったくせに。
綾子が出て行ってからぼーさんが、
「どうした? えらく考えこんでるじゃねぇか」
ナルは答えない。返事ぐらいしてやれよ、もー。
しかしぼーさんは、気にするようすもない。
「なんか、気になることでも?」
ナルはやっと口をひらく。
「反応が早いと思わないか?」
「はー?」
ナルの眼は暗い。深い深い闇《やみ》の色。
「心霊現象というのは、部外者を嫌《きら》う。無関係な人間が入ってくると、一時的にナリをひそめる」
「そういや、そうだが」
あたしはぼーさんに聞く。
「そうなの?」
こういう質問をナルにしたって、無知だって言われるだけだってわかってるもんね。
「まぁな。……TVでよくあるだろう。幽霊《ゆうれい》屋敷の番組が。有名な幽霊屋敷に取材に行っても、たいがい何も起こらない」
「そうだねー」
「幽霊でもポルターガイストでも、部外者がくれば、ナリをひそめる。
……たしかにそうだ」
ナルは眼をTVにやったまま、
「なのにいきなりあれだ。
典子さんに聞いてたやつよりも、反応が強い」
「……たしかにな。
お嬢さんの話じゃ、せいぜい家具が揺《ゆ》れる程度だってことだったが……」
「どう思う?」
ぼーさんは、めずらしくマジな顔で腕を組む。
「……ふつうは、反応が弱くなるもんだよな。すげえラップ音がすると聞いて行ってみると、きしみ程度とかさ。
それが反対に強くなるってことは……」
ちょっと言葉を切ってから、
「反発」
ナルがぼーさんを見かえす。
「ぼーさんも、そう思うか?」
「だろうな。この家、俺《おれ》たちが来たのにカンづいて、ハラをたててるぜ」
「しかも、いきなりあれだけの大業《おおわざ》を見せてくれたということは……」
「このポルターガイスト、ハンパじゃねぇ」
ナルがうなずいた。
「……てこずるかもしれないな」
つぶやきめいたナルの声に、あたしは不安になる。
……てこずるって……。
その夜はそのまま何の動きもなかった。あたしたちは明け方、やっと眠りについた。
テーブルの上には花瓶《かびん》。昨日のまま。まわりにひいた線からもはみ出していない。
「どうだ?」
暗視カメラに接続したビデオにかがみこんでいたナルが聞く。
「動いたようすはないよ」
「やっぱりな。こっちも、録画されていない。反応なしだ」
ベースにもどって、あたしはナルに聞く。
「花瓶が動いていないということは……。
この家のポルターガイストは、家の人間のしわざじゃないわけね?」
「おそらく」
「ねぇ、海外に行っている典子《のりこ》さんのお兄さんが犯人ってことはないの?」
「ないだろう。この場にいないんだから。中年の男が犯人だった例は僕《ぼく》も知らないが、もしそうだったとしても、彼が犯人ならポルターガイストはついて行く。今ごろは宿泊先のホテルで吹き荒れてるはずだ」
「じゃ、……霊?」
「さてね」
……おねがい、ちがうって言ってよぉ。
ナルはあたしを振りかえる。
「これだけじゃあ、判断のしようがない。
麻衣《まい》、各部屋に温度計を持って行って、気温の測定をやってくれ」
ナルは立ち上がってリンさんを振り向く。いつだって黙りこんで、いるかいないかわからないみたいにして機械の前にすわっている無愛想《ぶあいそう》なひと。
「リン、地盤調査をやってみる」
「はい」
彼は機械の前から立ち上がった。
午後、あたしが家中の温度を調べるためにかけずりまわっている間に、綾子《あやこ》のお祓《はら》いが始まった。
綾子は礼美《あやみ》ちゃんの部屋で祈祷《きとう》をおこなうことにしたようだ。あたしがベースに立ち寄った時には、綾子はTVの中で三角形の祭壇を組み立てて、その前に立っていた。その後ろには神妙な顔をした香奈《かな》さん、典子さん、柴田さん。
スピーカーからは単調な祝詞《のりと》――神道《しんとう》の呪文ね――が聞こえる。
『つつしんでかんじょうたてまつる、やしろなきこのところに、こうりんちんざしたまいて……』
機械の前にはぼーさんがすわって、ヒマそうにTVをながめている。リンさんは水脈調査に出かけ、ナルは家の状態を調べるためにあちこちをとびまわっている。
『しんぐうのはらいかずかずかずかず、たいらけくやすらけく、きこしめしてねがうところをかんのうのうじゅなさしめたまえ……』
「ぼーさんは、なんにもしないの?」
……ひとりだけヒマそうにしてるなんて、ズルイんじゃない?
「まーな」
「まさか、ナルの調査結果を待ってるとか?」
イヤミで言ってやったら、あっさり、
「そういうこと。楽できるのに、ムリに働くこたぁ、ねぇからな!」
……てめー。このちゃっかしものっ。
『ちはやふるここもたかまのはらなり、あつまりたまえよものかみがみ……』
スピカーから流れてくる綾子の声を背に、あたしは部屋を出る。後ろからぼーさんが追いかけてきた。
「おや、嬢ちゃん、ゆっくりしていかないのか?」
「あたし、いそがしいの。どっかのお坊さんとちがって」
……ふーんだ。
「おまえ……ナルに性格、似てきたんじゃないのか?」
「そらもー。所長と言えば親も同然、アルバイトと言えば子も同然」
「なんだ、そりゃ」
言ってから、
「まぁ、機材は俺《おれ》が見といてやるよ。がんばんな」
……えらそーに。ちょっとは働けよな、おまえー。
綾子は祈祷《きとう》を終えて、自信満々。香奈《かな》さんに、「今夜からはゆっくり眠れますわ」なんてことをのたまっていたが、はてさて、どうなるか。
「どう?」
あたしはナルに、ボードを渡す。各部屋の温度を一日じゅう調べたやつだ。すでに夜。十時をまわったる
「礼美《あやみ》ちゃんの部屋が少しだけ低い」
……霊の出る場所は、温度が低くなるものらしい。
ナルはボードから眼をあげて、この家の平面図をにらむ。
「家じたいには、ゆがみもひずみもないな。床もほぼ水平。地下に水脈が通っているが、水量が減っているようすもない」
ポルターガイストは、地盤|沈下《ちんか》や家じたいのひずみで起きることがある。一日がかりで調べたかぎり、そういうようすはないから、やはり……。
「犯人はじゃあ、やっぱり霊?」
「その可能性が増えてきたな」
……げ。
か……考えないようにしてきたのにぃ……。
あたしはじつは幽霊《ゆうれい》がこわい(当然だけどさ)。ポルターガイストは、犯人が人間のことがあるし、むしろそういう場合のほうが多いらしいのであまりこわくない。
あたしは幽霊を見たことがない。学校で友達が「このあたりに何かいる」と言っても、何も感じない。だからよけいにこわいって心理もあるわけで……。我ながら、とんでもないバイトをしてるなぁ……。
――そのとき、柴田さんの悲鳴が聞こえた。
悲鳴のした台所へ、あたしたちは走る。途中で駆《か》けよる典子さんの姿が見えた。
台所に走りこんで驚く。
ガス管が火を吹いている!
典子さんが悲鳴をあげる。柴田さんは立ちすくんで動けない。
あたしはとっさにあたりを見まわした。
消火器!! 消火器は!?
バーナのように伸びた炎が、今にも反対側の壁《かべ》に届きそうだ。
ナルとぼーさんが柴田さんに駆け寄って、炎から遠ざける。あたしは、冷蔵庫の隣にあった消火器をつかんだ。
「典子さん、消火器は他にないの!?」
叫びながら消火剤をぶちまける。あたりが一面、白い泡《あわ》でかすむ。すぐに典子さんが、消火器を抱えてもどってきた。
二本の消火器を使いきって、火はやっと消えた。典子さんが元栓《もとせん》を閉じる。
それきり、あたしも典子さんも床にへたりこんでしまった。
「あ……ありがとう」
柴田さんは、横から見てもわかるくらい震《ふる》えている。ぼーさんがその体をさすってやる。
「おばさん、だいじょうぶか?」
「ええ……。こんな……こんなこと……」
「とにかく、今日は帰りな。俺《おれ》が送ってやろうか?」
ガクガクとうなずく柴田さん。
ぼーさん、けっこうやさしいところあるじゃない、そう言いかけて、あたしはハッとした。
窓に人影……。
家の中のほうが明るいのでよくわからない。でも、子供なのはたしかだった。
子供が、ジッと窓の外から中をのぞきこんでいる。
その姿は、ふいに窓から離れて見えなくなった。
「ナル!」
「どうした?」
「いまの見た?」
ナルは首をかしげてあたしの視線の方向をうかがう。
「どうしたんだ?」
「人影が見えたの……」
あたしが言うと、ナルは窓に近寄ってあたりをうかがった。
「誰もいない。もう」
「いたの、確かに。中をのぞいていた。……子供だったよ」
全員がハッとする。
「礼美《あやみ》ちゃん?」
「わかんない。顔は見えなかったから」
「でも、礼美はもう寝てるはずよ」
典子さんが不安げな声をあげる。
ナルは少し闇《やみ》色の眼を床に落とす。
「ようすを見てこよう」
礼美《あやみ》ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。典子さんの部屋の明かりは消えていた。
光でかすかに中のようすが見てとれる。
……礼美ちゃんはベッドに入っていなかった。床にすわって人形……ミニーと遊んでいる。ミニーは、ハンカチのふとんをかけてもらっていた。
真っ暗な部屋で、人形と遊んでいる子供。それは、なんとなく胸の痛む風景だ。
礼美ちゃんは顔をあげる。
典子さんが明かりをつけて、礼美ちゃんの前にすわった。
「礼美、さっき、台所をのぞいてた?」
礼美ちゃんはまぶしそうに眼をパチパチしてから、不思議《ふしぎ》そうに首を振る。
典子さんのものいいが詰問《きつもん》調になる。礼美ちゃんが不安そうな顔をする。
「ううん」
少し腹だたしげに首を振る。
典子さんが小さくため息をついたとき、天井《てんじょう》の近くで激しい音がした。ドンッと天井になにか落ちたような音。
ハッとあたしたちは、天井を振りかえる。たて続けに天井が鳴った。
「礼美じゃない!」
突然、礼美ちゃんが叫ぶ。
「ちがうもんっ!」
今にも泣きだしそうな叫び。
それに答えるように、天井が鳴る。シャンデリアが揺《ゆ》れて、音をたてた。
ドンッと、音はしだいに大きくなる。
音のするたび、床が揺れた。ゴトンと家具が揺れる。
「典子さん、ここは危ない……」
ナルがそう話かけたとたん、激しく床が揺れる。そうして礼美ちゃんの本棚《ほんだな》が、大きく傾いた。
「典子……さん……っ!」
典子さんが振りかえる間もなかった。
本棚は絵本やぬいぐるみをこぼしながら、典子さんの上に倒れかかる。
思わず悲鳴がのどをついた。
礼美《あやみ》ちゃんの凍《こお》りつきそうな叫び。
その叫びを合図にしたように、部屋の明かりが消えた。
典子《のりこ》さんは強く体を打っただけで、さいわい、特にケガはなかった。部屋にもどして眠らせる。
あたしたちはベースに集まる。
チェス盤のように積み上げたTVのひとつに、礼美ちゃんの部屋が映っている。
礼美ちゃんは今夜も典子さんの部屋にいる。無人の部屋。画面がみょうにしらじらと明るいのは、高感度カメラを使っているせいだ。
画面の端には数字のられつ。刻々と変わっていく。これは時間のカウント。
他には居間がひとつ。台所がひとつ。一階と二階の廊下《ろうか》がひとつずつ。
あと、青や黄色のまだら模様のがいくつか。これはサーモ・グラフィーといって、温度を眼に見えるようにする機械の映像だ。黄色いところは温度が高い。反対に青いところは低い。
TVの画面には変化なし。
「また失敗しやがったな」
ぼーさんが綾子《あやこ》をにらみつける。綾子がスネたようにそっぽを向いた。
「えええ。どーせ、アタシは無能ですよぉ。悪かったわね」
……オロカもの。
「……でも、ちょっと危険な気がしない?」
綾子の声に不安の色。
「ガス管が火を吹くのよ?
……自動発火。ポルターガイストにしちゃ高級すぎない?」
「自動発火、ってなに?」
あたしが聞くと、
「なによ、ちょっとは利口《りこう》になったと思ったのに、あいかわらずねぇ、麻衣《まい》は」
「ごめんねー。あたし、誰《だれ》かさんみたいに有能なプロじゃないもんで」
あたしが皮肉たっぷりに言ってやると、さすがに居心地の悪そうな顔をする。
「……どうせアタシは、プロのくせに無能だわよぉ」
……いじけてやんの。
ぼーさんが楽しそうに、
「まー、まー。こいつが無能なのは、今に始まったことじゃない。
――自動発火ってのはな、読んで字のごとし。火の気のない場所で、勝手に火を吹くのを言う。こういうポルターガイストは、かなり高級」
……それって、危険なんじゃないの?
あたしの不安を見すかしたように、ナルが冷たい声をはさむ。
「こわいんだったら、帰っていいぞ」
……こわかねぇよ。
「ま、なんとかなるだろ」
ぼーさんは、のほほんとした声を出した。
「ガスは大元の栓《せん》を閉めた。これでもう、少なくともガス管が火を吹くようなことはないからさ」
……ずぶといな、こいつ。
「それより、ナル。気にならねぇか?」
「礼美《あやみ》ちゃん?」
「そう。さつきのポルターガイスト、ありゃ、まるであの子の叫び声に答えるみたいだったぞ。麻衣も台所で子供の影を見たというし……」
「礼美ちゃんがポルターガイストの犯人だと?」
ぼーさんが頬《ほお》をなでる。
「暗示実験の結果は、家の住人が犯人ではない、と出たんだっけか。
その結果にどの程度自信がある?」
「百パーセント」
ナルのキッパリした答え。
「家人に犯人はいない」
「おまえさんが、暗示に失敗した可能性だってあるんだぜ?」
「ありえない」
……あいかわらず、自信かだなー、ナルってば。
「絶対と言い……」
ぼーさんがくいさがったところで、低い声が割って入った。
「ナルは暗示の達人ですから」
……今の声……リンさんかぁ?
「へぇ、ずいぶん信頼したもんね?」
ここぞとばかりに、綾子がめいっぱい皮肉な声を出す。しかし、リンさんはTVから視線さえはずさない。
「事実を申しあげただけです」
感情の欠落した声。あたしは、ときどきリンさんがロボットかなんかに見える。
綾子がさらになにかを言おうとしたとき、
「ナル」
リンさんが再び声をあげた。
「温度が下がりはじめました」
ナルがTVに眼をやる。
「……何時だ?」
「二時四十二分です」
リンさんが答えたところで、礼美《あやみ》ちゃんの部屋の映像の隅《すみ》に、赤い光が現れた。
「なに?」
あたしが指さしてナルに聞くと、
「マイクに音が入ったんだ。――リン、スピーカー」
リンさんが機械をいじると、すぐにコトッという音がスピーカーから流れてきた。
「……?」
しばらくしてドンッという衝撃音。コツコツなにかをたたく音。パシッとなにかがはじける音。あっという間に騒がしくなって、まるで大勢の人間が、ものも言わずに大騒ぎしているみたいだ。
「すごい音……」
画面にはなにも映っていない。無人の部屋。なにひとつ動いていない。なんだかちぐはぐで、気味が悪い。
「これは……すごい……」
ナルが本当に感動したようにつぶやく。
「なにが?」
「温度。すごい勢いで下がっていく……」
あたしは画面に眼をやる。青いシミが映っているテレビ。
「サーモ・グラフィー?」
温度を眼に見えるようにする装置。暖色のところは高く、寒色のところは低い……。画面は、紺《こん》色に青のグラディエーション。
「強烈だな。まだ下がる……。ほとんどが氷点下……」
ナルは感動しきっているように見えた。
激しい音が続いている。
「礼美ちゃんのしわざではありえない。絶対に人間のしわざじゃない……」
……ま、まさか。
「幽霊《ゆうれい》?」
「確実。しかも、ものすごく強い……」
ナルが表情を引き締めた。
「これは、ぼーさんが正解だな」
「地縛霊《じばくれい》?」
「おそらくは」
ナルのオフィスでバイトをはじめて三か月。ついに来るべき時がき来た、という感じ。バイトを始めたときから、ひょっとしたら幽霊《ゆうれい》さんなんかにも会っちゃうかもしれないなー、なんて軽く考えてはいたけれど。
背筋がゾクゾクする。
ぼーさんがみょうにうれしそうにガッツ・ポーズをとった。
「言ったろ? 俺《おれ》は綾子とちがって、有能なんだってば」
「まぐれにしても上出来だ」
ナルのわらい、綾子がくやしそうにぼーさんをにらむ。
「ヒョウタンからコマ、ってやつよ。ねぇ、ナル?」
「……は?」
ナルが聞き返す。
ぼーさんがわらいを浮かべる。
「なんとでも言ってろ。
相手が死人の霊なら、坊主《ぼうず》の担当だ。俺がさっぱり追い払ってやるぜ」
「失敗しないといいわね」
綾子がわらう。
「まぁ、腕の差を見せてもらいましょ。あたしとちがって、有能だそうだから」
「もちろん、おまえほど無能じゃない」
「そのわりに、前の事件じゃ失敗したわね。アタシと同様に」
「あれはだなー」
……またはじまった。ぼーさんと綾子。ここまでくると、仲がいいんじゃないかと思っちゃうよ、あたしは。
その音は、一時間以上続いて徐々に静まっていった。
それであたしたちは、ようやく短い仮眠をとったのだった。
二章 少女
翌日、あたしが起きたときには、すでにナルはいなかった。調べものをすると言って、出かけたと言う。それであたしは、ベースをリンさんにまかせて、典子《のりこ》さんの部屋を尋ねた。
リンさんは扱いにくい。ふたりでいると気詰まりで。
部屋では礼美《あやみ》ちゃんがひとりでママゴトをしていた。
「礼美ちゃん、仲間にいれてー」
あたしが言うと、礼美ちゃんは黙って首を横に振る。見守っていた典子さんが肩をすくめる。
礼美ちゃんは、ミニーにお茶をいれてあげる。ケーキを食べさせてあげる。
「礼美ちゃんって、おとなしいなぁ」
あたしが典子さんに言うと、彼女は顔を曇《くも》らせた。
「こんな子じゃなかったんだけど……」
「そうなの?」
「ん。もっと明るかったんだけどね。ひとなつっこかったし。それが、お兄さんが結婚して、この家に引っ越してきた頃からああなの。あまりしゃべらなくなったし、笑わなくなったし……」
「……ねぇ、典子さん?」
あたしはちょっと勇気のいることを聞いてみる気になった。
「香奈《かな》さんって……どうなの?」
「え?」
典子さんはあたしを不思議《ふしぎ》そうに見てから、ああ、とわらった。
「兄と義姉《あね》はうまくいってるわ。わたしもうまくやってるつもりよ。短気だけど、いいひとだと思う。礼美はまだ緊張してるみたいだけど……」
「ふうん……」
そんな話をしていたら、三時、香奈さんが本物のおやつを持ってきた。
本当だったらこういうことは、家政婦の柴田さんの仕事かもしれない。でも、柴田さんはいない。ゆうべの事件がこわかったのか、おひまをください、と言ってきたそうだ。
テーブルの上におやつをのせたトレイを置いて、
「礼美《あやみ》ちゃん、遊んでもらってたの? よかったわねぇ。何をして遊んでたのかな?」
礼美ちゃんをのぞきこむ。
礼美ちゃんは人形のような無表情で、それを無視する。
「返事ぐらいしてほしいな」
香奈さんの声が、ちょっとカリカリする。
「さ、おやつよ」
彼女はすこし乱暴に、クッキーののったお皿をつきつけた。礼美ちゃんはイヤイヤをした。
「なに? ほしくないの?」
コックリする礼美ちゃん。
香奈さんは険のある視線を礼美ちゃんに投げてから、乱暴に部屋を出ていった。
典子さんがため息をつく。そうして、礼美ちゃんを振りかえった。
「礼美、おやつ、たべないの?」
コックリする礼美ちゃん。
「じゃ、おねえちゃんが食べちゃおうかな?」
とたん、礼美ちゃんが叫んだ。
「だめっ!」
「え?」
「どくがはいってるの!」
典子さんもあたしも、思わず礼美ちゃんを見つめる。
礼美ちゃんは必死だった。
「ミニーがおしえてくれたの!
おやつには、どくがはいってる、って! あのひとは、わるいマジョなの!」
……悪い魔女。毒……。
あたしは礼美ちゃんの前にかがみこむ。
「ミニーがそう教えてくれたの?」
「うん。
あのひとは、わるいマジョだから、しんようしちゃ、いけないの。
おとうさんにまほうをかけて、けらいにしたの。
それでもって、礼美とおねえちゃんがジャマだから、ころそうとおもってるの!」
……なんだって?
礼美ちゃんの眼はこれ以上にないくらい真剣だった。本気であたしたちに訴えているんだ。
「マジョは、いつか礼美とおねえちゃんをころすの!
礼美《あやみ》たちがジャマなの!」
「……ミニーがそう言ったの?
他のひとじゃないの?」
ひたすら訴える礼美ちゃんを、あたしたちは見つめる。
「ミニーが、おしえてくれたの。ミニーはウソつかないんだよ。だから、おねえちゃんも麻衣《まい》ちゃんも、きをつけなきゃ、いけないのよ!」
マジョは、おねえちゃんをころして、したいをバラバラにして、かくすの。そうしておとうさんには、イエデしたって、いうんだよ。
礼美はおいけに、つきおとすの。そうして、じこでしんだっていうんだよ!」
あたしはそっと典子さんを呼ぶ。
「……まさか、礼美ちゃんにあんなこと言ってませんよね?」
「……まさか!」
……どういうこと?
変だ。だって、これって、八つの子供の発想じゃないよ。「魔女」とか「魔法」とか、オブラートでくるんであるけれど……。
礼美ちゃんは真っ青な顔で、ミニーをしっかり抱きしめている。
あたしは少し背中が寒かった。礼美ちゃんの空想? これが八つの女の子の想像なの? 礼美ちゃんは、それきり口をつぐんでしまった。おびえるようにミニーを抱く。顔色はそうけだって、今にも倒れそうに見える。
礼美ちゃんは、あんなことを考えていたんだろうか。ひとりで、小さな胸の中で。それでしゃべらなくなったんだろうか。笑わなくなったんだろうか。
そのあと、あたしは自分の部屋にもどって、短い仮眠をとった。ぼーさんが祈祷《きとう》をすると言う。見てたってしょうがないので、そのスキにちょっとでも寝ておくことにした。どうせ今夜も寝られない。
ベッドに横になって、いろんなことを考えながら眠りにつく。夕暮れの光が窓から入ってきて、部屋が薄薔薇色《うすばらいろ》に染まっていた。
……なにか短い夢を見た気がする。
そう半分眠ったままで考えたとき、フウッと体が浮かぶ気がした。昇っていくのとは、少しちがう、ゆっくりと空の上に落ちていく感じ。……うまく言えないけど。
オヤと思って眼を開ける。
部屋の中はもう半分暗くなっていた。
あたしはベッドに身を起こした。頭がボーッとしている。
ふとあたしは、部屋のすみの薄暗がりに誰《だれ》かがいるのに気がついた。
……誰《だれ》?
ゆっくりと顔を向ける。
灰色の闇《やみ》の中に黒い影。そこだけ浮かんで見える。白い顔。
ナル?
なんであたしの部屋にナルがいるの? 思いながらナルと視線があう。
ナルがふわっとわらった。暖かい眼の色。やわらかに微笑をきざむ口元。
……どうしたの、そんなところで。
聞こうとしたら、ふいにナルが顔を曇《くも》らせた。心配そうな表情。
唇《くちびる》が動く。声が聞こえない。
……なに? なんて言ってるの?
あたしはナルの顔に眼をこらす。
……あ、や、み……?
礼美《あやみ》ちゃんがどうかしたの?
わからない。「危険」という単語がつむぎ出された気もした。
……礼美ちゃんが危険?
……礼美ちゃん!?
ハッとあたしは我にかえった。
……。
あたしはベッドに体を起こしている。あわてて部屋の中を見まわす。薄闇が降りた部屋の中、もちろん、ナルはいない。
いるわけ、ないよねぇ。
おあ?
……ひょっとして、寝ぼけてたのか、あたしはぁ?
――やでやで、疲れているのね、あたし。うんうん。若いみそらで重労働してるからなー。人間関係にも神経つかうし。
……礼美ちゃん……。
あたし、気にかかってる。小さな礼美ちゃん。ミニーだけが友達で、いつもポツンと、ひとりあそびをしている子。
そして、今日聞いた言葉。
『悪い魔女』、『お父さんは家来』。……『魔女はいつか、礼美とお姉ちゃんを殺すよ』。
この家で何が起こってるの?
礼美ちゃんに何が起こってるの?
……礼美《あやみ》ちゃんが危険……。
あたしはポツンと体を倒す。
あー、ねむい。
……どーしてナルなのかなぁ。ときどき自分でも不思議《ふしぎ》になっちゃうなー。あたしが夢の中で会うナルは、いつだって優しそうに微笑《ほほえ》んでる。あれはあたしの願望なのかなぁ。
うーん……。
「えいっ!」
気合をいれて、あたしは体を起こす。
考えたってしょうがないっ。
いまは、礼美ちゃんのほうが問題。
あたしはベッドを降りて、仕事にもどるために立ち上がった。
ナルが帰ってきたのは、夜になってからだった。
ベースはまたも、寄り合い所になっている。ナルが部屋に入って来るなり、ぼーさんが手を振る。
「よぉ、調べものは、進んだか?」
「まあ。……変化?」
ナルは気のない返事をして、リンさんを振りかえる。
「今のところ、ありません」
ぼーさんは自分を無視する横顔に向かって、
「俺《おれ》は今日、ちょっと祓《はら》ってみたぜ?」
「そう」
……ナルってばー、もうちょっとアイソよくしてやりなよ。
「成功した気がするんだがなー?」
「そりゃ、おめでとう」
ぼーさんは顔をしかめる。
「……おまえさんってやつは、どうして、そうかわいげがないんだ?」
「そのぶん才能に恵まれてるから。
――リン、礼美ちゃんの部屋の絵を出してくれ」
……やめなよ、ぼーさん、あんたじゃかなわねーって。
綾子《あやこ》がおかしそうにクツクツ笑いながら、
「まぁ、えらそうなことは、成功したって確証があってからにすることね」
「そうだな。綾子のように恥をかくかもしれんしなー」
「……なによ」
「なんだよ」
……いいかげんにしてくれる?
ナルは無表情に立ち上がる。
「麻衣《まい》、来い。カメラの角度を変えてみる」
「はーい」
……あんたってさー、本当に仕事のことしか頭にないのな。
あたしとナルは礼美《あやみ》ちゃんの部屋に行って、カメラの角度を変える。
その帰りに、
「そういえばさ、あたし、気になることがあるんだけど」
「聞いてやろうか?」
……おまえな。
んじゃ、いいわよーっ! と言ってやろうかと思ったけど、ここはグッと抑《おさ》えてビジネスをやろう。そう思って、あたしはミニーの話をした。
「……なんか、気味が悪くない?」
ナルは考えこんでいる。少ししてから、
「その人形を見てみたい。どこにある?」
「こっち」
「え? ミニーですか?」
典子《のりこ》さんがキョトンとした。
「これですけど……」
ナルが人形を手に取る。闇《やみ》色の眼を少し細める。
「いつ手にいれました?」
「この家に引越した直前です。
兄がヨーロッパに行って……そのおみやげ……パリで買ったって言ってました」
「礼美ちゃんの性格が変わったのは、それ以前? それ以後?」
典子さんが少し考えこむ。
「その後です……はっきりしないけど」
「そう……」
あたしはナルをのぞきこむ。
「それに、なにか原因あり?」
「……わからない」
「かえしてっ!」
突然、後ろから大きな声を出されて、あたしは飛びあがった。
礼美《あやみ》ちゃんが、ナルの黒いシャツを引っ張っている。
「ミニー、かえして! さわらないでっ!」
「礼美ちゃん、ミニーとお話ができるんだって?」
ナルが聞いたが答えない。精いっぱい伸びをすると、ナルの手からミニーをもぎ取った。
「だれもさわっちゃ、だめっ!!」
ミニーを抱きしめ、背をひるがえして駆《か》け出す。
「礼美!」
典子さんがあわてて追いかけていった。
その背を見送るナルの眼の色は深い。
あたしは今夜も寝られない。ベースでTVをにらみつける。
「あれはなに?」
あたしは、数字だけ出ているテレビを指さす。
「指をさすな。品のないやつだな」
……なんだよー。
「あれは空気中のオゾンの数値。
その隣は静電気量。さらに隣が空気中の成分。……他になにか質問は?」
……ねぇよ。
モンクのひとつも言ってやろうかと思ったら、ナルが身をのりだした。
「始まった」
「え?」
本当だ。礼美《あやみ》ちゃんの部屋の温度が下がり始めた。
ビデオの映像を見る。三番目のカメラが移動し始める。三号カメラはサーモ・グラフィーと連動していて、温度の低いところを追いかけていくようになってる。カメラの視野がジリジリと移動して、ベッドの上に来て止まった。
枕《まくら》のところに座っている、ミニーを中心に捕らえて。
礼美ちゃんが眠ってから、そーっと借りてきたものだ。
「ぼーさん、気温が下がり始めたってよ?」
綾子が皮肉る。
「隙間《すきま》風だろ?」
余裕の発言だけど、どうかしらね。
ナルはぼーさんたちの会話なんか、耳に入ってない風情《ふぜい》。じっとTVに視線を注ぐ。
カメラがミニーの無表情を映す。ガラスの眼。その空虚さ。
「人形って気味が悪いね」
あたしがそう言うと、背後でのほほんとあたしたちのようすをながめていた、ぼーさんが声をあげた。
「そりゃそうさ」
言って肩をすくめる。
「人形ってのは、もともと人の魂《たましい》を封じこめる器なんだ。『人形』と書いて『ひとがた』。昔はあれに呪《のろ》いをかけて、相手を苦しめる道具としても使った」
「へええ」
綾子もうなずく。
「呪《のろ》いワラ人形。
呪う相手の魂を、人形の中に封じこめるのよね。でもってそれに釘《くぎ》を打つ。魂が傷つくと体も傷ついちゃう、というわけ」
……へぇぇ。
……と、突然、ナルが立ち上がった。
全員が振りかえって、ナルがくいいるように見つめているTVの画面に眼をやる。
あたしは思わず腰を浮かす。綾子やぼーさん、果てはリンさんまでが身じろぎした。
……ミニーがうつ伏せになっている……。
いつの間に? さっきまで画面をまっすぐに見ていたのに!
金髪が枕《まくら》の上に散っている。
凝視《ぎょうし》するあたしたちの間で、ミニーの体がズルッと動いた。シーツごと引っ張られるように、ズル、と動いて、首と体が離れる。
……いやだ……!
離れた首が、ゴロンと転《ころ》がってベッドから落ちる。硬い音をたてて床を転がった。そのみょうに生々しい光景。
それを合図に、下がっていた礼美《あやみ》ちゃんの部屋の温度が、通常にもどり始めた。
あわててあたしたちは、礼美ちゃんの部屋に駆《か》けつけた。
そこではミニーが待っていた。
置いたときのまま。首なんてもげてない。ミニーにはなんの異常もなかった。置いた位置に、置いたときの状態のまま、ちゃんとすわっていたのだ。
そうして……ビデオもレコーダーも、機械自身には異常なんかないのに、再生してみたら、何も映ってなかったし、何も録音されてなかった。何も。真っ白。
その他の機械類は、ぜんぶ針が振り切れてしまった。つまりあの異様な風景は、なんの証拠も残さなかった、ということ。……まるで夢だったかのように。
あたしたちはキツネにつままれたように、キョトンとするばかりだった。ナルはよくあることだと言うけれども。
それでもただひとつだけ、あたしたちにも理解できたことがある。
ぼーさんも失敗したのだ。
翌朝(もうお昼が近かったけど)起きてベースに行くと、めずらしくぼーさんがすでに起きていた。
「ナルは?」
部屋にはリンさんと、ぼーさんだけ。
「また調べものだとさ」
「ふうん」
なにをそんなに調べているんだろう。
そのとき、あたしはふと、昨日見た夢を思いだした。
『礼美《あやみ》ちゃんが危険』
夢の中のナルが教えてくれた。
危険。
「……典子《のりこ》さんは? 姿を見かけなかったけど」
「彼女なら、香奈《かな》さんと買い物に行ったぜ?」
ぼーさんの声を聞きながら、あたしは部屋を出る。
「おや、どちらへ?」
「典子さんの部屋」
礼美ちゃんをミニーとふたりきりにしちゃ、いけない。
なんとなく、そんな気がする。
ひとりぼっちで、人形なんかと遊ばせちゃいけないんだ。
あたしは典子さんの部屋へ、小走りに向かった。
礼美ちゃんはなにをしてるだろう。遊んでいるんだろうか、いつものようにひとりで。 ……そう思って、ドアをノックしようとしたときだ。
『家の中は悪いマジョだらけだよ』
部屋の中から女の子の声が聞こえた。
……魔女?
誰《だれ》? 礼美ちゃんの声じゃない。
思わず、あたしはドアに耳をよせる。
『あたし、こわい……』
礼美ちゃんの声。
『だいじょうぶ。みーんなおいだしてあげるからね』
『おねえちゃんも? 麻衣《まい》ちゃんも?』
ふくみわらい。
『もちろん……』
『礼美、おねえちゃんは、いるほうがいい』
『だめだめ、いってるでしょう?
おねえちゃんはもう、わるいマジョのテサキなんだよ』
再びふくみわらい。
『だいじょうぶ。ちゃーんとシマツしてあげるから……。
そのかわり、あたしのいうことをきかなきゃだめよ』
「礼美ちゃん!」
耐えかねてあたしは大声をあげた。ドアを乱暴に開く。
部屋の中には礼美《あやみ》ちゃん。礼美ちゃんの前にはアンティーク・ドール――ミニー――。他には誰《だれ》もいない。礼美ちゃんが、キョトンとこちらを見上げていた。
「礼美ちゃん、今、誰かとお話していなかった!?」
「……ミニー」
礼美ちゃんは答える。あたしの口調が激しいので驚いている感じ。
あたしは無理に笑顔を作って礼美ちゃんの前にすわった。
「ミニー?」
「うん。べつのこもいるよ」
別の子……。
「ミニーの他にもお友達がるいんだー。
そのお友達は、どこに行ったのかな?」
あたしが聞くと、礼美ちゃんはキョトンとする、手をあげて、
「そこ」
あたしは、礼美ちゃんが指さしたほうを振りかえった。
誰もいない。なにひとつない。
礼美ちゃんは不思議《ふしぎ》そうだ。
「……おねえちゃんにも紹介してくれる?」
「うん……あれ、いっちゃった」
礼美ちゃんの視線が、なにかを追ってドアのほうへ動いていく。
背筋が寒い。あたしはムリにわらう。
「そっかー。嫌《きら》われちゃったかな?」
礼美ちゃんがうつむく。
「なんていうお友達?」
「しらない」
「知らないの? 学校のお友達?」
礼美ちゃんは黙って首を振った。
知らない、ということだろうか。それとも言えない、ということだろうか。
あたしには見えないお友達……。
礼美ちゃんに質問する声が震《ふる》える。
「そのお友達……いつから遊びに来るようになったの?」
「……よくおぼえてない」
「この家に来てからよね?」
「うん」
「ミニーもそのお友達となかよしなの?」
礼美《あやみ》ちゃんはすこし迷ってから、コックリした。
「ミニーがつれてきたの……」
ミニーが……連《つ》れて来た?
ナルがもどって来たのは、昨日よりもさらに遅くなってからだった。
「ごくろうさま」
部屋へもどってきたナルを、綾子《あやこ》の皮肉な声が迎える。
「何か収穫があった? いいかげん、ナルの活躍が見たいんだけど?」
いつも以上にいじわるな口調。
――食事を出してくれたとき、ついでに香奈さんがめいっぱい皮肉を言ってくれたのだ。無理もないけど。昨日おとといと、祈祷《きとう》だなんだと騒ぐばかりで効果があがらない。
ナルは綾子を無視する。
「リン、何か変化は」
「ありません。 今のところ変化なしです」
「そうか。……礼美ちゃんは?」
あたしを振りかえる。
「典子さんの部屋よ。典子さんといると思うけど。――どうかしたの?」
「いや、だったらいいんだ」
おや?
なんとなく考えこむようすのナル。
「何かあったの?」
「……べつに」
答える声にかすかなくもり。
「礼美ちゃんがどうかした?」
「何でもない」
……何でもないのに、聞くはずがないでしょ? 何かあったの? 今日調べたことに何か、礼美ちゃんに関係したことが。
「ナル、礼美ちゃんが変なの」
あたしが言うと、ナルがパッと眼をあげた。
あたしは礼美ちゃんについて話をする。不思議《ふしぎ》な声。礼美ちゃんの見えない友達。
ぼーさんと綾子はポカンとしている。
すぐに綾子が口を開いた。
「わけがわかんない。
どうなってるの、この家」
「どうも、事件の中心に、あのちっこい子がいる気がするな。……それと人形」
ぼーさんの声を聞きながら、ナルは視線を床にはわせる。禍禍《まがまが》しいくらい黒い眼。
綾子は、しかし、地霊の仕業《しわざ》、という意見を捨てきれないようだ。
「やっぱり、この家に何かあるんじゃない? ……おそらく地霊か何かがいて」
言いかけてから、
「そうだわ。近所の人間に聞けば、何かわかるんじゃない? この家には、出るってウワサがあるはずよ」
身をのりだすのをナルが制す。
「それなら、とうに調べた」
「へ?」
「当然だろう? この家には、そういうウワサはなかった」
「……なんだ……」
綾子が気抜けしたように、イスにもたれる。
「むしろ、ミニーになんかあるんじゃないか?」
ぼーさんが口をはさんだ。
「……礼美ちゃんの眼に見えない友達、それを連れて来たのがミニー。
そういう感じじゃないか?」
綾子が首をかしげる。
「幽霊《ゆうれい》の友達、それを連れて来たのがミニー……?」
「そう考えたくなるだろ?」
「まぁねぇ……」
「人形っていうのは、危険なんだよな」
ぼーさんがしみじみ言う。
「そうなの?」
えー、知らなかったよぉ。
「そうさ。人形ってのはいわば、魂のない人間だからな。魂のないカラッポの肉体。霊が憑依《ひょうい》しやすいんだ。
だからこそ、そこに魂《たましい》を吹きこんだりして、マジナイに使うわけさ」
「アタシ、だめなの、人形。なんとなくこわくて。
ああ、これは中に穴を持っているんだ。そこに魂を求めているんだ、それが人間の形をしてるんだ、って考えてしまうのよ」
……やめてよぉ……。
綾子はでも、
「アタシはてっきり地霊だと思ってたんだけど。そうか、問題はあの人形か。いいわ、今度は、あの人形を除霊してみる」
意気ごむ綾子に、ぼーさんが、
「おっと。相手が霊なら俺《おれ》の領分だって」
「勝手なことを言わないでよね。
あんたひとりで地縛霊《じばくれい》とやらを探してれば?」
「……そうか、わかった!」
ぼーさんが、いきなり手をたたく。
「地縛霊が、ミニーに乗り移ってるんだ!」
言ってナルを振りかえる。
「どうだい?」
「そのセンかもしれないな」
うんうん、と満足そうにうなずくぼーさん。
「よぉし、だったら話は簡単だ。人形に憑《つ》いた霊を落とせばいいんだから」
「待ってよ」
綾子がぼーさんをとどめる。
「それって、はっきりしないわけでしょ?
真砂子《まさこ》を読んでみたらどうかしら?」
全員の間に落ちる沈黙。
真砂子って……原真砂子? 今、あたしと同い年。美人で有名な霊媒《れいばい》。前の事件のとき一緒で、ナルは真砂子が美人だからか、いちもく置いてた。ナル自身は、有能だからだと主張してたけど。
「真砂子だったら、本当にその人形に霊が憑いているかどうか、わかるはずよ」
……名案かもしんない。
しかし、ナルは即座に却下した。
「その必要はない。
ぼーさん、除霊してみれば?」
ナルが言うと、綾子が不満そうにする。
「危険なんじゃない? もし人形に霊が憑いてたとしてよ、人形の除霊をしようとした瞬間、霊が綾子《あやこ》ちゃんに憑依《ひょうい》したりしないかしら」
「ありえるな。
……松崎さんが、礼美ちゃんを守っていれば?」
「あ、そうか。なにかあっても、すぐに落とせるもんねぇ。
……へぇ」
巫女《みこ》さんはナルをしみじみと見つめる。
「いいとこあるじゃない。その役、譲《ゆず》ってくれるの?」
「名誉挽回《めいよばんかい》のチャンスがほしいでしょう?」
「サンキュ。
ねぇ、これが終わったらデートしない?」
……何を考えてるんだ、このイロケ巫女はっ!
「お断りしておきます」
そっけない声で言ってから、ナルはぼーさんを振りかえる。
「ぼーさん、たのむ」
「まかせときな」
すでに十二時近く。眠っている礼美《あやみ》ちゃんの手元からミニーを借りてきて、ぼーさんが除霊をすることになった。
綾子が、典子さんの部屋で眠ってる礼美ちゃんの側にすわった。
枕元《まくらもと》の近くに神棚《かみだな》を設け、その前に二本の刀を置く。左手に数珠《じゅず》、右手に鈴。お札《ふだ》を礼美ちゃんの胸の上に。
「始めてもいいと伝えて」
綾子に言われてあたしは、ぼーさんのいる礼美《あやみ》ちゃんの部屋に走った。
「いいって」
部屋に行って伝える。ナルはベースで、このようすをカメラごしに見ているはずだ。ぼーさんがうなずくと、あたしは今度はベースに走る。
あたしがベースに飛びこむと、スピーカーからぼーさんの声が流れてきた。
『ナウマク、サンマンダ、バザラダン』
ぼーさんが、わげのわからない呪文《じゅもん》を唱える。密教の呪文。真言《マントラ》という
『センダマカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カン、マン』
ミニーに変化はない。サーモ・グラフィーも五度くらい下がったままで安定。急な低下は見られない。マイクにも不審な音はなし。
「反応があるはずなんだが……」
ナルが首をかしげたとき、どこからか悲鳴が起こった。
変動が起こったのは、典子さんの部屋のほうだった。
あたしたちが駆《か》けつけたとき、部屋は小型台風に襲われたような有り様だった。散乱した物。傾いた家具。
真っ青になった礼美ちゃんを、綾子が抱いている。典子さんは床にうずくまっていた。「典子さん! だいじょうぶ!?」
あたしは駆けよって助け起こした。
「典子さん!?」
青ざめた典子さんの眼から涙がこぼれる。
「どうしたの? どこか痛い!?」
「……足……」
「足をどうかしたの?」
ぼーさんが駆けよってきて典子さんの足に触《ふ》れる。
「……足首……脱臼《だっきゅう》してるぞ……」
典子さんの右足が左足より長い。右の足首の関節がはずれたんだ……。
「救急車を呼んでくる」
ナルが部屋を飛び出す。
典子さんはあたしの腕をつかむ。その手から震《ふる》えが伝わってくる。
「誰《だれ》かが……足を引っ張ったの……。ものすごい力で……」
「……誰《だれ》が……?」
「わからない……」
ぼーさんが、典子《のりこ》さんの足を示した。足首の下あたりには、クッキリ手のあとが残っていた。
……子供の手のあとが。
「いったい、何が起こったんだ!?」
香奈《かな》さんがタクシーを呼んで、典子さんを病院に連《つ》れて行った。そのあと、ぼーさんに怒鳴《どな》られて、綾子《あやこ》はほおをふくらます。
「こっちこそ聞きたいわ!
突然、直下型の地震みたいに揺《ゆ》れて、いきなりこうよ!」
「なんのために、おまえまさんがついていたんだ!?」
「あたしのせいじゃないわよ!
あんまり突然で、何をするひまもなかったんだから!」
ナルがふたりを制す。
「……とにかく、起こったことはしょうがない。それよりも……」
ナルに見つめられて、礼美《あやみ》ちゃんが体を小さくした。
「礼美ちゃん、何が起こったんだい?」
礼美ちゃんは首を振る。
「ミニーがやったの?」
礼美ちゃんは答えない。すぐにハッとして、
「ミニーはどこ!?」
と、叫んだ。
「ミニーは、僕《ぼく》があずかってる。それより、人形のことを話してくれないか?」
「かえして!」
「ミニーは、いつからしゃべるようになったんだい?」
「かえしてっ! 礼美のおともだちなんだからっ!」
「礼美ちゃん!」
ナルが厳しい声を出した。小さな礼美ちゃんがますます小さくなる。
「いいかい? 典子さんはケガをした。ミニーがやったんだ。そうだろう?」
礼美ちゃんの瞳《ひとみ》から涙がこぼれる。おびえた動物みたいな眼。
「みんな困《こま》ってるんだ。礼美ちゃんはそれでもいいのかい?」
礼美ちゃんが首を振る。どうしていいのかわからない、と体中で叫んでいる。
「礼美ちゃん!」
ナルの声に、礼美《あやみ》ちゃんがついに泣きだした。ダッとベッドを飛びおりると、あたしに飛びついてきた。
「麻衣《まい》……ちゃん!」
「だいじょうぶよ、ごめんね」
ナルがなおも厳しい声を出す。
「礼美ちゃん、ミニーが……」
あたしはナルをにらんだ。
「デリカシーのないやつねっ!
こんなに泣いてる子をいじめないでよっ!」
「麻衣! そういう問題じゃないだろう!」
「そういう問題よ、冷血漢!」
礼美ちゃんが泣きながら何かを叫ぶ。あたしは礼美ちゃんの髪をなでてやる。
「だいじょうぶよ、だいじょうぶ」
「……い!」
「ん? いいんだよ、礼美ちゃんのせいじゃないもんねぇ」
「……ごめん……なさい!」
「礼美ちゃん……」
礼美ちゃんが、しがみつく手に力をこめる。
「ミニーが、ほかのひとと、はなしをしちゃ、ダメっていうの!
はなしたら、ひどいめにあわせるって!」
「……ミニーが?」
礼美ちゃんはしゃくりあげながら、うなずく。
「だれともおはなししちゃ、ダメだって。なかよくしたら、いじめるって。
でも、礼美、ほんとはおねえちゃんと麻衣ちゃんと、あそびたか……ったの!」
ミニーは、礼美ちゃんをおどして言いなりにした。なんて卑怯《ひきょう》な。
「ミニーが、しゃべりはじめたのはいつ?」
ナルが、彼なりに精いっぱい優しげな声で礼美ちゃんに聞く。
「……おうちにきてから」
「最初はなんて言ったのかな?」
「おかあさんは、わるいマジョだって。
おとうさんももう、マジョのけらいだって。
ふたりで礼美をころすよって」
「そして?」
「おねえちゃんも、マジョのみかただって。
ミニーがまもってくれるから、そのかわり、だれともなかよくしちゃ、ダメだって……」
……かわいそうに……淋《さび》しかったでしょうに。
「礼美《あやみ》が、やくそくをわすれて、おねえちゃんとあそぶと、ミニーがイタズラをするの。いろんなものをかくしたり、おへやをちらかしたり」
「それでだまっていたんだね?」
礼美ちゃんがコックリうなずく。
なるほど、とあたしは思う。あたしたちがこの家に来て、すぐに起こったポルターガイスト。斜めになった家具。裏返しになった家具。
あれは礼美ちゃんを困《こま》らせるためのイタズラなんだ。あの日、礼美ちゃんはあたしに笑顔を見せてくれた。ミニーを紹介してくれた。それでミニーは怒ったんだ。子供っぽい嫉妬《しっと》。
「おしおきだよ、って、礼美をぶつの。それで……」
「――それからミニーが、他のお友達を連《つ》れてくるようになった?」
「ウン。……いっぱいいるの。礼美ぐらいの男の子とか女の子。
みーんなミニーのケライなのよ」
「ミニーをしかるべき所に納めよう」
まぶしいほどの朝。典子さんはいない。病院からまだ帰っていない。香奈さんはそのつきそい。礼美ちゃんはゆうべ、あたしといっしょに眠った。
あたしたちがベースに集まっているとき、宣言したのはぼーさんだった。
「ミニーには何か悪い因縁《いんねん》があるのに違いない」
「悪い因縁?」
「そう。以前の持ち主か死んだとか。
おそらく、すべての原因はミニーだろう。
俺《おれ》の知り合いの寺に人形|供養《くよう》している寺がある。そこにたのんで……」
ナルが口をはさむ。
「ムダだ。ミニーのせいではないと思う」
「いまさら、なにを言ってるんだ!?」
「言いかえようか? 人形のせいではない」
「なんで!?」
「カン」
綾子が笑う。
「カンですって? どうしてナルのカンにたよらなきゃいけないわけ?」
ナルは綾子を無視する。
「問題はミニーの正体なんだ……。
人形は器に使われてるに過ぎないと思う。誰《だれ》かこの家に捕らわれてる霊がいるんだ。そいつがミニーの体を借りている。それが誰なのか……」
そう言ってから眼をあげる。
「礼美《あやみ》ちゃんは、とても危険な立場にいるんだ。なんとかして敵の正体をつかみたい」
危険な立場?
「……うそでしょ?」
「だといいけどね……」
あたしがナルを問いつめようとしたときだ。
「麻衣ちゃん! 麻衣ちゃん!」
典子さんが飛びこんでくる。
「典子さん! 病院から帰ったの? もういいの?」
「それどころじゃないの!」
「どうしたの?」
「おねがい、来て。
渋谷さんたちも来てください。変なものがあるの」
「え?」
典子さんはあたしを玄関に引っ張っていく。
青い顔をした香奈さんが、玄関ホールの壁《かべ》を見上げている。
「ほら、あれ!」
典子さんが指さしたのは、玄関ホールの壁だ。ちょうどあたしたちの後ろ。
全員が振りかえる。そうして息を飲む。
誰がこんな……。
壁いっぱいの文字。
『わるい 子には ばつを あたえる』
子供の字だ……。でも、子供には書けない。壁いっぱいの字。高さ三メートルちかくある天井《てんじょう》までの壁画いっぱい……。イスの上に乗っても、ぜったいに届かない高さ。
「わるい子って、礼美ちゃんのこと……?」
あたしの声にナルがうなずく。
「礼美ちゃんは、話してはいけないと言われたことを話してしまった。それでミニーは、礼美ちゃんが裏切ったと思っている。
……麻衣」
「うん?」
「礼美《あやみ》ちゃんの側《そば》から離れるな」
「……ねぇ、ナル、礼美ちゃん、だいじょうぶだよね?」
「わからない」
「そんな!」
ナルは深い瞳《ひとみ》を一瞬さまよわせてから、さっぱりとあげる。
「僕《ぼく》では力が及ばないかもしれない。
専門家を呼ぼう」
「専門……家?」
「ミニーの霊は人形に憑依《ひょうい》している。
憑依霊を落とす専門家を」
「そんなのいるの!?」
「もちろん、いるさ。
――エクソシストが」
……あ!
ジョン? ジョンね!?
午後、あたしは典子《のりこ》さんと礼美《あやみ》ちゃんと、庭のテラスでピクニックのまねごとをした。
今ごろ玄関ではナルが、他のひとを手伝わせてあのラクガキを消している。礼美ちゃんに見せないために。
言い出したのはナルだ。あいつって、もしかしたら、ちょっとは優しいのかもしんない。
……そんなわけがないか。ナルにかぎってないだろーな。
ミニーはいない。箱に納めてぼーさんが護符《ごふ》を貼《は》った。それを今ごろ、ぼーさんが燃やしている。そんなことでは意味がないだろうと、ナルは言ったけど。
――そうして。あのあと、気がつくと香奈《かな》さんの姿が消えていた。居間のテーブルの上に一枚のメモ。
『こんな気味の悪い家にはいられない』
たった、ひとこと。典子さんはちょっとショックだったようだ。家政婦の柴田さんが辞《や》めて、香奈さんが出て行って、礼美ちゃんとこの家にふたりきり。
「麻衣《まい》ちゃん」
礼美ちゃんがあたしに紙コップを渡してくれる。
「おちゃをどうぞ」
「どうも」
おじぎをすると礼美《あやみ》ちゃんがわらった。本当に久しぶりに礼美ちゃんの笑顔を見た気がする。ミニーにおどされて、何も言えなくて淋しかったろうね。
「おねえちゃんも、どうぞ」
「ありがと」
「おねえちゃん、足いたい?」
礼美ちゃんがそっと聞く。典子さんが首を振る。
「もうヘイキ。
礼美が仲よくしてくれたら、痛いのなんかどっかに行っちゃうよ」
礼美ちゃんが微笑《ほほえ》む。天使みたいな笑み。
よかったね。胸のつっかえがとれたんだね。
「おねえちゃん、おはな、ほしい?」
「ほしいー」
典子さんが言うと礼美ちゃんが立ち上がる。
「つんできてあげる」
「じゃ、いっしょに行こうね」
「ダメよ、おねえちゃんはびょうきなんだから。おみまいのおはななの」
「ちょっとケガしただけよ?」
「いいの! 麻衣ちゃん、いこ」
「はーい」
あたしは礼美ちゃんと手をつないで、花壇《かだん》に行く。そこでは白粉花《おしろいばな》が咲いていた。
「ちょっとでいいよ、礼美」
典子さんの声。礼美ちゃんがうなずいて、花に手を伸ばす。茎《くき》の間に指を入れたとたん、礼美ちゃんが悲鳴をあげた。
「礼美ちゃん!?」
礼美ちゃんは手を花の間から抜こうと身をよじる。手は花の間から抜けない。あたしはとっさに礼美ちゃんの手をつかんだ。力をこめる。動かない。
「礼美!」
典子さんが片足跳《と》びで駆《か》けてくる。
あたしは花を小枝で手当たりしだいにむしった。なに? なにが手をつかんでるの!?
一群《ひとむ》れを抜いたとたん、礼美ちゃんの手が抜けた。礼美ちゃんは泣きだして、その場を逃げる。
庭の白粉花。なにもない単なる花の群れ。
「礼美《あやみ》! まって!?」
典子さんの叫び。振りかえると礼美ちゃんが泣きながら庭の奥に駆《か》けて行くところだった。
「麻衣ちゃん! とめて! そっちには池があるの!!」
……池? 池!?
家の南側には、深そうな池が広がっている。芙蓉《ふよう》の木が一本池の端にあって、はなびらを水面に落としていた。
「ミニー! ごめんなさい!」
礼美ちゃんが叫びながら、なにかから逃げるように、花を咲かせた芙蓉の木を回りこむ。
「礼美ちゃん!」
池のほとりに生えた芙蓉の木。
回りこもうとして、礼美ちゃんが足をすべらせた。
「礼美っ!!」
典子さんの悲鳴。礼美ちゃんが、とっさに腕を伸ばす。指が宙を切り裂《さ》く。そのまま礼美ちゃんの体は、声をあげる間もなく池に――
「礼美ーっ!」
「礼美ちゃん!」
あたしと典子さんが池に駆《か》けよる。
礼美《あやみ》ちゃんの体が水しぶきをあげて水面下に沈む。真っ白な泡《あわ》。
あたしと典子さんは先を争って池に飛びこんだ。
礼美ちゃん!
池は深い。水は首のあたりまであった。礼美ちゃんには深すぎる。
「礼美! どこ!?」
典子さんの悲鳴。それと同時に礼美ちゃんの体が、あたしの目の前に浮かんできた。
「礼美ちゃん!」
礼美ちゃんが苦しげに頭を出す。何か叫ぶが、声にならない。
あたしは腕を伸ばしてその体をつかんだ。
「だいじょうぶ! だいじょうぶよ!」
胸の上に抱き上げる。
典子さんが水を散らしながら、泳ぎ寄って来た。
「礼美!」
「おねえちゃん、おねえちゃん!」
やっと声になった悲鳴。
「もうだいじょうぶよ……! こわかったね」
典子さんが礼美ちゃんを抱きしめた。
駆けつけてきたナルたちに池から引き上げてもらって、ひきけつたように泣く礼美ちゃんを家に連れもどす。お風呂で体を洗ってから、新しい服に着替えさせてやる。ようやくその頃になって、あたしも典子さんも震《ふる》えが止まった。
髪をふいてあげながら典子さんが、
「よかった……、よかった」
何度も言う。
「おねえちゃん、ポタポタ……。おかぜひいちゃうよ」
「ん。ありがとね。でも、おねえちゃんはだいじょうぶ。
それより礼美、だいじょうぶ? どこかぐあい、悪くない?」
「だいじょうぶ。
麻衣ちゃんも……おみず」
「うん。あたしは平気」
わらってやる。
そうしながらあたしは考える。これは報復だろうか。裏切り者に対する。「悪い子には罰《ばつ》を」……。
これがその罰《ばつ》
典子《のりこ》さんは、湯上りの礼美《あやみ》ちゃんをベッドに休ませに行った。
あたしがひと息つきにベースにもどると、棚《たな》の上にミニーがすわっていた。……ぼーさんが焼き捨てたはずのミニーが。
思わず悲鳴がもれる。
「どうしたの……これ!」
ぼーさんが忌々《いまいま》しそうに首をふった。
「燃えなかった」
へっ?
「箱は燃えたのに、ミニーだけ無傷で残った」
背筋がぞっとする。
「ナルはああ言うけどな、俺《おれ》は人形に何かあると思うぜ。
前にも経験したことがある。人形をかわいがっていた女の子が死んで、その霊が人形をあやつったんだ。夜に家じゅうを歩いてそこらじゅうを水びたしにした」
ナルは表情を変えない。
「人形じたいには問題はないと思う。
問題はあくまでもこの家の地縛霊《じばくれい》。それがミニーに憑依《ひょうい》している。それだけ」
ナルとぼーさんを見くらべて、綾子《あやこ》がため息をつく。
「あーあ、サイコメトリストがいればねぇ。
話は早いのに」
さい……なんだって?
あたしがキョトンとすると、ヤレヤレというようにぼーさんや綾子が首をふる。
……なんだよぉ。
ナルがウンザリしたように口をひらく。
「サイコメトリーの能力者」
なんと不適切な解説。
「だからー、そのさいめとりって、なに?」
「サイコメトリー。
超能力……学術的には、サイ能力と言うのが正しいんだが、サイコメトリーはその一種。
アメリカの科学者ブキャナンが命名。別名オブジェクト・リーディング。訳すと……対象診断――だったかな。
物体を手にしたり、触《ふ》れることで、その物体の由来とか、まつわる人々の過去・現在・未来に対する知識を得ることができる能力。
オランダの故・ジェラルド・クロワゼや、アメリカのペーター・フルコス……なんかが有名だね」
ほえー。
「じゃあさ、この場にその……サイコメトリストがいたら、ミニーを作った人のこととか、ミニーを持ってた人のこととか、わかっちゃうわけ?」
「そういうことになるな」
「それは……すっごい、便利だねぇ」
あたしは正直な感想を述べたのに、なぜだかみんなの失笑をかってしまった。
「まぁ、たしかに便利は便利だろうけどな」
ぼーさんが苦笑する。
「サイコメトリストと言うと、死体捜索人というイメージがあるからなぁ」
「し、死体?」
「そう。行方《ゆくえ》不明者の残していった品物に触れて、現在の状況を知るわけだな。それで、えてして死体を発見してしまう……と」
げー、あたしだったらやだ、そんなの。
「クロワゼにしても、フルコスにしても――あと、有名なサイコメトリストと言ったら、イギリスのオリヴァー・デイビス、アメリカのアレックス・タウナス、みんな警察に協力して行方不明者の捜索をしている」
「へぇぇ。向こうの警察って、すすんでる」
「まぁな」
「いないものは、しょうがないわよね」
綾子がため息をつく。
「せめて真砂子《まさこ》なら、何かわかるかもしれない。真砂子を呼ばない?」
「その必要はないと言ってる」
ナルがみょうにきっぱりと言う。
そうしてフイと立ち上がると、
「礼美《あやみ》ちゃんのようすを見てこよう」
……なんか、ナルって、真砂子にこだわってない?
典子さんの部屋に行くと、礼美ちゃんはよく眠っていた。
典子さんはその寝顔を見ながら、
「わたし、お兄さんに連絡するわ。家を引っ越すことにします」
……それがいい! 綾子《あやこ》もぼーさんも、ほっとしたようにうなずく。
それを制したのはナルだった。
「ポルターガイストの中には、家を変わっても、ついてくるものがあります」
「じゃあ、どうしろって言うんですか!
いつになったら、静かになるの!? もうこの家にはわたしと礼美《あやみ》しかいないのに!」
ナルは、典子さんの問いには答えずに、
「典子さん……この家がどんな家だか知っていますか?」
「……どんな家って?」
「僕《ぼく》はこの家の所有者を、さかのぼってみました」
典子さんが、不安そうな眼を向ける。
見返すナルの眼の色は険しい。
「まず、森下邸が引っ越して来たのが、十か月前。
その前の所有者は、渡辺と言って、三年間住んでいました。手放したのは、仕事のつごう」
「変なことがあったわけじゃなくて?」
あたしの声にうなずいて、
「ちがうようだね。近所の人間もそんなうわさは聞いていない。
その前が野木という家族だったらしい。ここで、九歳になる女の子が死んでいる」
九歳……。
「礼美ちゃんより、ひとつ上。病死だったらしい。
その前は、大沼。この大沼家で、半年に三人の子供が全員死んだ」
「三人?」
「そう。十、八、七歳の男、男、女。
それぞれ事故や病気だが、大沼家はこれを期に家を手放した」
「…………」
なんだかイヤな気分だ……。
「さらに前が村上家だが、ここで子供が死んだという話はない。越して来た当時、十五になる娘がいたが、この子は無事だった。
……さらに前は谷口家。この一家には十八と十五、十四の子供がいたが、死人はいない。ただし、遊びに来た親戚《しんせき》の子供が死亡。十くらいの男の子。
その前が、池田家。ここでも死人はいないが、別の家に引っ越してすぐに、七つの末っ子が死んでいる。女の子。十五歳くらいの上の子は無事。
その前がこの家を建てた立花家。八歳の女の子が死亡。
……以上だ」
「ねぇ……」
胸がヒリヒリする。
「もしかしてこの家……八つ前後の子供があぶない……?」
「そうとしか考えられない」
……礼美《あやみ》ちゃん……!
「……どうすればいいんですか!」
典子さんが叫ぶ。
別の家に引っ越してから死んだ女の子。……絶望的な状況……。
「この家を出ると言うのなら止めません。しかし、少し待ってください。今のままでは、どこに移動しても危険です。
こういうことの専門家を呼びました。家を出るのでしたら、せめて彼が来るのを待ってください」
典子さんがうなずいた。
待望のエクソシストが到着したのは、陽《ひ》が落ちる頃だった。
タクシーで森下邸に乗りつけたジョンは、すでに祈祷《きとう》服を着て準備をすませていた。
ジョン・ブラウン。カトリックの神父。エクソシスト。
ジョンはあたしたちの顔を見るなり、真っ青な瞳《ひとみ》をなごませる。十九なのに十六、七にしか見えないオーストラリア人。
「ごぶさたしてますー」
なつかしい関西なまり。
彼は駆《か》け寄ってくると、
「で、渋谷さん、その人形とお子は、どちらですか?」
いきなり本題に入る。
「礼美《あやみ》ちゃんは、二階。部屋で眠っている。人形は、ぼーさんがあずかってる」
「先に礼美ちゃんに会いたいでおます。案内しておくれやす」
……あいかわらず、ちょっと言葉がへんね、ジョン。
あたしたちは礼美ちゃんが眠っている、典子《のりこ》さんの部屋に向かう。
ジョンは典子さんにあいさつをしてから、礼美ちゃんの寝顔をじっと見おろす。
「ボクで役にたてるかどうか、わかりまへんけど、できるだけのことはさせてもらいます」
ジョンは聖書を読み上げながら、聖水で壁《かべ》やドアに十字を描く。眠っている礼美《あやみ》ちゃんの額《ひたい》に十字を描いたとき、礼美ちゃんがかすかに身じろぎをした。
そうして銀の十字架を出して、礼美ちゃんにかけてやる。
「こんなんできくかどうか、わかりませんけど、少しはましやろうと思います」
「ありがとうございます」
典子さんが深く頭を下げる。
それに微笑《ほほえ》んでから、ジョンはナルを振りかえる。
「そやったら、渋谷さん、人形を」
ジョンをつれてベースに帰ると、あたしたちを驚かせることが待っていた。
ナルが機械の前にすわってTVを見つめているリンさんに、厳しい声をかける。
「リン! ミニーは!?」
リンさんは不思議《ふしぎ》そうにナルを振りかえって、
「ミニーでしたら、そこに……」
指さした手が凍《こお》りついた。
ミニーはいない。いたはずの棚《たな》の上にはいなかった。
「……逃げたか」
「申し訳ありません」
リンさんが頭を下げる。ナルはちょっと唇《くちびる》をかむ。すぐにいつもの無表情にかえって、
「じきに現れる……きっと」
その夜、二時すぎ。
突然振動が起きて、ポルターガイストが始まった。それは、何かを探して家中をひっくりかえしているようだった。
全ての家具が位置を変える。激しいラップ音と、足音と。
「こんな……ごっつい」
ジョンが半分不安そうな声を出した。
「イラついてるみたいだな」
ぼーさんがTV画面を見つめて言う。
「ジョンがあの子にしたことが、効果あったんじゃないか?」
……そう見える。まるで礼美ちゃんを探しているみたい。
「とすると……結界が役にたつかもしれんな」
「結界?」
「オマジナイで、悪い霊が入れないようにしてやるのさ」
ぼーさんが方頬《かたほお》をあげてわらう。
……へぇ。ウヤムヤにうなずいてTVに眼をやる。TVの一台に赤い小さな光がともっている。マイクに音が入った印だ。
「ナル! 六番のマイクにも音が入ってるよ」
「切り替えて」
「うん」
スピーカーに音を出す。
――それは子供の声だった。
床や壁を叩《たた》く音にかき消されてよく聞こえない。でもそれは確かに子供の声で、しかも何かを叫んでいるように聞こえた。
「これが……礼美《あやみ》ちゃんの見えない友達……」
あたしがつぶやくとナルがうなずく。
「だろうな。すごい声だ。いったい、何人いるんだ?」
声はいつもよりずっと早くに消えていった。あとはしんとした闇《やみ》。なんの変化もない。
「消えた……どうして?」
「さあ、でも……」
ナルが口をつぐんだ。
その原因は、すぐにわかった。
典子さんの部屋で礼美ちゃんについていた、綾子が走りこんで来たのだ。
「ナル!」
「どうした?」
「ミニーが追いかけてきたのよ!」
なんですって?
綾子が、シーツでぐるぐる巻きにした包みを差し出す。
「これよ。アタシ、気味が悪くて」
ジョンが受け取ってそっと包みを開く。人形が眼を閉じていた。
「いつ?」
「たったいま。
典子さんが、礼美ちゃんのふとんの足元のほうがふくらんでいるのに気がついて……めくってみたらこれが」
「礼美ちゃんはだいじょうぶか?」
「……ええ……」
さっき、突然消えた声。あんなにイラだって暴《あば》れていたのに。なぜ消えたのか?
――礼美《あやみ》ちゃんを見つけたんだ。
午前四時。
ジョンが祭壇をもうけ、ミニーを小さな銀のキリスト像の下に横たえる。
小さなガラスびんを取り出して、祈りを捧げる。
「天にましますわれらの父よ……」
サファイア・ブルーのドレスを着たミニー。真っ白な陶器みたいな肌《はだ》。堅いまぶたをとざして、輪郭《りんかく》のはげかけた小さな唇《くちびる》から、白い歯列をのぞかせて、まるで悪い夢を見ながら、眠っているように見える。
ミニーのからっぽの体の中には、さまよう霊が宿っている。
そうして、それは礼美ちゃんをさそう。
なぜ?
「ねがわくは神、われらをあわれみ、われらをさきわいて、その御顔を、われらの上に照らしたまわんことを」
ジョンがつぶやきながら、小さな十字架をミニーの額《ひたい》にのせた。
その瞬間だった。
カタ。
かすかに硬質の音をたてて、ミニーの眼が開いた。
綾子があたしの後ろで息をのむ。
眼が開くはずがない。これは横にすると眼をとじる人形だから。
ジョンがかすかに身じろぎをして、そうして再び祈祷《きとう》を続ける。
ミニーは動かない。硬直した手、硬直した足。どこも見てない。
「かくて地のもろもろの果て、ことごとく神をおそれん」
ジョンは厚い聖書を開く。ガラスびんをかざす。
「初めに言《ことば》があった」
聖書を読み上げながら、びんを振る。透明なしずくが、ミニーの上に落ちる。
そのとたんカタカタと小刻みの音が、ミニーの体からした。
「言《ことば》は神であった。この言は、初めに神とともにあった」
ジョンは言葉とともに、聖水のしずくを散らす。
やがてミニーの額から、ごく細い薄煙があがり始める。カタカタという細かな音。ドレスのひだが、かすかに揺《ゆ》れているように見える。
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」
言葉と同時にミニーのまぶたが、カタンと落ちた。それとともに額の十字架がすべり落ちる。あとには焼きつけたように、十字架のあとが残った。
「霊は落ちたと思います」
祈祷《きとう》を終えて、ジョンがあたしたちを振りかえる。
「けど、滅《ほろ》ぼしたわけとちがいます。
二度と悪用されへんように、焼いてしまうのがええと思いますです」
ナルがうなずく。ミニーを取りあげて、ぼーさんに渡す。
ぼーさんは庭の一角で、ミニーに火をかけた。
人形は今度は、たやすく燃え上がり、黒いかたまりになって崩《くず》れ落ちていった。
三章 その子たちとは遊べない
夜があけてから、短い仮眠をとったあと、ベースでビデオを再生しながら、あたしたちは額《ひたい》を寄せあう。
「この子供の声はなんなんだ」
と、ぼーさん。
「ずいぶんいる。ひとりやふたりじゃないぜ?
ミニーに乗り移っていた霊の声だけじゃねぇ」
綾子《あやこ》がそれを受けて、
「この家にはミニーの他にも霊がいるってわけよね。それが礼美《あやみ》ちゃんの見えない友達なんだわ」
「ミニーが連《つ》れてきた友達……か。ミニーが連れてきた子供の霊」
「そういうことなんじゃないの?」
言って綾子はナルのほうに身を乗り出す。
「あたしたちが想像してても、ラチがあかないわ。真砂子《まさこ》を呼んじゃどう?」
ナルはやはり嫌《いや》そうな顔をする。
ぼーさんが、
「ナルちゃんよー、なんでそこまで真砂子を呼ぶのを嫌がるのか聞いてもいいか?
べっぴんさんだし、おまえさん自身が有能だと言ってたじゃねぇか?」
「必要ないからだ」
ナルがピシャリという。
「ははん」
得意そうな声を出したのは綾子だ。
「ナルは真砂子が嫌《きら》いなんだ。
わかるわかる。真砂子って、性格悪いから」
……ひとのことが言えるのか?
ジョンが困《こま》ったように口をはさむ。
「……それは、まぁ、置いといて。
ミニーの正体は、この家に憑《つ》いている地縛霊《じばくれい》なんやと思います。それは、まちがいないのとちがいますか?
地縛霊になるほどこの家に強い因縁《いんねん》を持っている霊とゆうたら、この家で死んだ子供ですやろ?」
「そうだろうな」
ぼーさんはうなずく。
「この家に縛《しば》られている地縛霊。それがミニー。あの子はかつてこの家で死んで、さびしくてここを離れられないでいる。友達が欲しいんだ。それでこの家に来た子供を自分の友達として連《つ》れて行こうとしている。
かつてこの家で死んだの子供は、ミニーに連れて行かれた子供たちだ。その子たちも地縛霊となって……」
ナルが首をかしげる。
「たしかに……そう考えるのが、一番自然なんだ。しかし……」
「しかし?」
「納得がいかないのは、なぜ子供だけなのか、ということなんだよ。
子供が淋しがっているのなら、連れて行く相手は子供にかぎらないと思う。
母親になってくれそうなひと、姉になってくれそうなひと、自分の寂《さび》しさを慰《なぐさ》めてくれる人間なら、見境《みさかい》ないはずだよ」
「そりゃ、そうだ」
「礼美《あやみ》ちゃんだけ、というのが気になるんだ。典子《のりこ》さんも、そして麻衣《まい》も、というのならわかるけど。
ミニーは彼女たちを連れて行くというよりは、排除しようとしてるじゃないか」
「……ああ……」
ぼーさんも首をひねる。
「わからんな……。この家の騒霊《そうれい》は得体《えたい》が知れん……」
「そやけど、渋谷さん。地縛霊《じばくれい》の中には、この家で死んだ子供がいてます。いないはず、おまへん。
ミニーは子供らの霊のボスですやろ。そやったら、子供の中で、一番最初に死んだ子がミニーの可能性が高いんとちがいますか?」
「だろうな……。リン」
ナルが言うと、リンさんが黙ってルーズリーフを差し出した。それを受け取って、ナルはパラパラとめくる。
「浄霊《じょうれい》をやってみよう」
「どうやってェ?」
綾子の半分バカにしたような声にも動じない。
「ここはぼーさんの出番だな」
「俺?」
ナルはぼーさんに、メモを差し出す。
「最初に死んだ子は立花ゆき。名前の下がその生没年。宗派は浄土《じょうど》宗、その下が戒名《かいみょう》」
メモをしみじみ見つめて、ぼーさんが目を丸くする。
「……よく調べたな……七十年前近くのことを……」
「簡単なことだ。あんたらとはちがう」
あっさり言ってのける。
……こいつってば、本当に自信家だ。
ぼーさんが礼美ちゃんの部屋で、浄霊を始めた。
ジョンと綾子は、典子《のりこ》さんの部屋で礼美ちゃんについている。
あたしとナル、リンさんは、例によってベースで機材にしがみつく。
ぼーさんは指を組む。
『ナウマク、サンマンダ、バザラダン、センダマカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カン、マン』
「麻衣、ぼーって見てないで、注意してろよ」
「わかってるよ」
ナルがおこたりなく、あちこちの画面に眼をやる。
『ナウマク、サンマンダ、ダナン、オン、ボロン』
「ナル、温度が下がってきました」
「マイクは」
「今のところ、異常ありません……いえ。みょうにノイズが少ないですね」
『オン、スンバ、ニスンバ、ウン、バザラ、ウン、ハッタ』
「下がっています……もう二度は下がりました。特にベッドのまわり。
マイクはノイズなし」
『ナウマク、シッチリヤジビキャナン、サラバタタァギャタナン、アン、ビラジビラジ』
「……ラップ音が始まりました。ノック音です……スピーカーに出しますか?」
「いや、今はいい」
『マカシャキャラ、バジリ、サタサタ、サラテイ、タイラタライ、ビダマニ、サンバンジャニ、タラマチ、シッダリヤ、タラン、ソワカ』
「急激に下がります……ベッドのまわりで、十度くらいです」
あたしは、サーモ・グラフィーの映像に眼をやる。まだらもよう。気をつけてみると、青い濃淡《のうたん》の形で、ベッドらしきものがわかる。
「ラップ音は?」
「ノック音が続いています……。他に変化はありません」
「うん……」
気がなさそうにナルが答えた。
あたしは、ぼーっとTVに眼をやっていて、ふいに変な映像があるのに気がついた。
「ナルっ! 居間!」
画面を示す。
部屋の中には白い霧のようなものが、音もなくかすかに流れている。
ナルが思わず腰を浮かせた。
「リン、居間の温度は」
リンさんがコンピュータを操作する。
「現在、マイナス二度です」
「マイナス……!?」
リンさんを振りかえるナル。
あたしは思わず声をあげてしまう。
「なんで居間なの!?」
「知るか!」
「なに、あの煙は?」
「わからない……温度が急激に下がったせいかも……」
「ナル、音を出します」
リンさんが、居間の音をスピーカーに出す。
部屋の中は完全な無音。
白い霧……煙にちかい……は、小さな円を描くようにゆらめいて動く。
小さな円……まるで子供の顔がいくつも群《むら》がっているように見える……。
「子供じゃない、あれ……?」
おそるおそる聞く。
「そう見える……。数が多いな。二十から三十……」
「うん……」
透《す》き通った煙状の子供の顔。
……気味が悪いというよりは、胸が悪くなるような風景。
そのとき、居間のドアが開いた。
「……ん?」
ドアの隙間《すきま》から、小さな体がすべりこむ。
「礼美《あやみ》ちゃん……!」
礼美ちゃんがなぜ!? ジョンはどうしたの、綾子は!?
礼美ちゃんは煙を見まわしながら、部屋のまん中に歩いて行く。眼は覚めているみたいだ。煙の動きが活発になった。
そうしてマイクから礼美ちゃんのわらい声。
『どうしたの? こんなところによんで』
礼美ちゃんが煙に話しかける。
『みんなは、ねむらないの? こんなじかんに、あそぶの? しかられちゃうよ』
……礼美ちゃん……!
あたしは立ち上がった。
「麻衣、おまえが行っても危険なだけだ!」
ナルの声を無視して、あたしは駆《か》け出した。だって、だって……!
背後で、ナルがレシーバーに怒鳴《どな》る声。
「ぼーさん、居間だ! ついでに典子さんの部屋の、間抜けどものようすを見てくれ!」
あたしは居間にかけつけ、ドアに飛びつく。その瞬間、パチッと静電気が起きて、あたしは手をはじきかえされた。
あたしの背後からナルの手が伸びる。手には上着を巻いている。ナルがドアを開けた。
「礼美ちゃん!」
部屋の中には煙のようなものが充満していた。そのまん中にポツンと礼美《あやみ》ちゃんが立っている。
「麻衣ちゃん……?」
気味が悪くて中に入れない。あたしは大声で礼美ちゃんを呼んだ。
「礼美ちゃん、お姉ちゃんのところに帰ろう!」
「おともだちが、あそぼ、っていうの」
「ダメよ、その子たちとは遊べないの」
「でも……」
煙が礼美ちゃんにまとわりつく。だんだん色が濃くなる。礼美ちゃんは立ちすくむ。
「礼美ちゃん!」
「みんながはなしてくれないの!」
礼美ちゃんが叫んだときだ。
礼美ちゃんの背後に黒い影が見えた。
煙のようなもののせいではっきりとはわからない。でも、かすかに目鼻だちが見て取れる。
……子供じゃない。大人《おとな》だ……女の?
影が手を伸ばした。礼美ちゃんのほうへ。
「礼美ちゃん! 後ろっ!」
とっさに中に飛びこもうとしたあたしを、誰《だれ》かが止めた。ぼーさんだ。あたしを後ろに引きずり下げて前に出る。
彼は指を組んだ。
「お嬢ちゃん、こっちにおいで」
「いけないの! 麻衣ちゃん、こわい!」
「だいじょうぶよ! おちついて、こっちに来るの!」
飛び出そうとするあたしをナルが止める。放して!
「できないの! 麻衣ちゃん!」
ぼーさんが組んだ手をあげた。
「カ」
鋭い声で言って指を組み替える。
「ナウマリ、サバ、タタキヤテイビヤリ、サラバモッケイビヤリ、サラバタ、タラク……」
礼美ちゃん……!
「センダ、ウンキキキキ、サラバヒサナンウン、タラタ、カンムン!」
言葉と同時に、風に押されるように煙が切れる。黒い影と共に、唐突になぎ払われる勢いで、あっという間にちぎれて消える。
礼美《あやみ》ちゃんが駆《か》け出した。あたしに向かって駆けてくる。
「麻衣ちゃん!」
「よかった……」
あたしは礼美ちゃんを抱き止める。体が氷のように冷たい。歯がカタカタ鳴っていた。
「消えた?」
ナルがぼーさんに聞く。
「いや。散らしただけだ……」
「大馬鹿《ばか》どもが! 何のためにあの子のそばについてたんだ!」
ぼーさんが吐《は》き捨てる。
「すんません。面目《めんぼく》もおまへん……」
ジョンが首を垂《た》れる。
ぼーさんが典子《のりこ》さんの部屋に行くと、典子さんもジョンも綾子《あやこ》も、死んだように眠りこけていたのだ。
綾子が口をとがらす。
「だって、突然フウッと眠くなって、気がついたら眠っていたんだもん。
あれって、あいつらのしわざよ。
まえぶれもなんにもなしでさ、いきなりよ。……しょうがないじゃない」
ナルは、居間の映像を再生している。片耳にヘッドフォンをあてたまま。
「ぼーさん、見たか? あの影」
「見たさ。女だ。子供じゃない」
「あの居間には、なにかあるな」
「女がいる」
「結論に飛びつかないほうがいい。
でも、なにかいるのは確かだな。しかも、礼美《あやみ》ちゃんの部屋とはケタちがいのヤツだ。
最低気温、マイナス十二度。――これが他人の報告なら、笑うところだよ」
「何者だ?」
「わからない」
言いながら、ふとビデオを止める。
「どうした?」
ナルがテープを巻きもどす。
「なんだ?」
「いいから、聞いてみろよ」
画面が出たとたん音声が切りかえられて、スピーカーから泣き叫ぶ大勢の子供の声が部屋いっぱいに流れてきた。
ぼーさんが腰をうかす。
居間に流れる煙のようなもの。煙はのたうちながら、悲鳴をあげる。声どうしが重なって、なにを言ってるのかわからない。ただ、これだけはわかる。この子たちは……みんな苦しいと訴えてる。
聞くのがつらい。なんてたくさんの悲しみの声。
画面では、礼美《あやみ》ちゃんが入ってきた。
声はいっそう高くなる。
みんな礼美ちゃんを呼んでいる。淋《さび》しいって、悲しいって、苦しいって。だから一緒においでって。
礼美ちゃんの無邪気《むじゃき》な受け答え。
ドタドタと激しい足音。あたしが駆《か》けつけた音だ。ドアの外での大騒ぎ。そして、礼美ちゃんの悲鳴。
『みんながはなしてくれないの!』
そして黒い影。あたしの叫び。ぼーさんと綾子が駆けつけた音。
そのとき声が響いた。女の声。
『わたしの子……』
ぼーさんの真言《マントラ》の声。
『……わたしの娘……』
ぼーさんの真言と同時に、部屋中に満ちる激しい子供たちの悲鳴。真言の力に切り裂《さ》かれて、苦しみのあまりあげる悲鳴。
「今の声……!」
綾子が自分の肩を抱く。
「あいつが居間のヌシ!? あの女が!?」
「のようだな」
ナルの眼の色が深い。
綾子が立ち上がる。
「こうなったら真砂子《まさこ》を呼ぶわ。女の正体を知らないわけにはいかないもの」
今度はナルも、必要ない、とは言わなかった。
「やむを得ないだろうな」
真砂子は綾子の電話を受けて、とるものもとりあえず、という感じでやってきた。夕暮れ間近のころ。
ベルを鳴らした真砂子を、あたしとジョンとで出迎える。
ドアを開けたとたん、日本人形のような真砂子が、あたしにしがみついてきた。
「……真砂子、どうしたの?」
あいかわらずの、着物姿。その肩が震《ふる》えている。
「原さん? どっかご気分でも……」
ジョンの声を真砂子の声がさえぎる。
「なんですの、これは……」
「え?」
「こんなひどい……こんなにひどい幽霊《ゆうれい》屋敷を見たのは、初めてですわ……」
え?
とりあえず、あたしとジョンとで、真っ青になった真砂子をベースに連《つ》れて行く。
部屋に入ってナルの顔を見るなり、真砂子はナルにしがみついた。
……ちょっと、やめてよね……。
「原さん?」
ナルは無表情。べつに押しのけるわけでもなく、真砂子を見おろす。
「こんなの……ひどい……胸がわるくなりますわ」
綾子がツカツカと真砂子によって、ナルからひきはがすとイスにすわらせる。
「どう? 何か見える?」
「見えるなんて……」
真砂子は青い顔を振った。本当に気分がわるそうだ。
「……そんなものではありませんわ。
この家は墓場よりひどい……霊の巣ですわよ」
……え。
真砂子は深く息をつく。
「……子供の霊です。いたるところにいますわ。みんな、とても苦しんでいる……、家に、お母さんのところに帰りたいといって、泣いていますの」
「子供だけ?」
「ええ、いま、感じるのは子供だけ。それに……この家、霊を集めていますわ。全部子供の霊です。ここに来る道すがら、三人もの子供に追い越されましたわ。さまよってる子供の浮遊霊《ふゆうれい》を、どんどん集めているんです」
ナルが真砂子に問いかける。
「呼び出せますか?」
「呼び出す必要なんてないくらいですわ。耳をふさぎたいくらい。
何をお聞きになりたいの? いくらでも答えてさしあげますわ」
「ミニーの……立花《たちばな》ゆきという女の子がいるはずなんだ。この家で最初に死んだ子。なんとか呼び出したい」
「ここで降霊術《こうれいじゅつ》なんて始めたら、あたくし、憑依《ひょうい》されてしまいます。
まってくださいな。立花……ゆきね?」
真砂子は立ち上がって、手を差し出す。
「ホールに連《つ》れて行ってくださる?」
ナルが少し眉《まゆ》をひそめてから、真砂子の手をとった。
……真砂子のちゃっかり者っ。
ベースを出て、階段の下に広がるホールに連《つ》れて行く。
真砂子はナルの手をにぎったまま(ゴメンね、こだわって)、視線を宙にさまよわせる。
「立花ゆきさん、いますか」
宙に向かって呼びかける。
「……オネガイ、みなさん、少しだけ静かにしてくださいな」
これも宙に向かって。
あたしの耳には、何の物音も聞こえない。
スウッと冷たい空気が流れて、真砂子のまっすぐな髪を散らした。
「ゆきさん、あたくしの声が聞こえて? 返事をしてくださる?
……なあに? お願い、大きな声で……」
ふっと真砂子の眼の焦点があわなくなった。何も見ていない眼。表情が消える。赤い小さな口元が、つぶやくように動くだけ。
「……そう……そうなの?
……ええ、わかるわ……そうでしょうね」
ひとりごと。
なんだかこわい。真砂子の顔は何かにとり憑《つ》かれているようで。
「……それは……誰《だれ》なの?
いいえ……そんなはずはありませんわ。信じてはいけません……そう……だめよ」
ふいに、地鳴りがした。
「…………!」
全員が身構える。
なに? まだ陽《ひ》は落ちきっていないのに!?
家が身震いするように揺《ゆ》れた。次第に大きくなる家鳴り。天井《てんじょう》でシャンデリアがギシギシ鳴る。バン!と壁《かべ》をたたくような音がしたのを合図に、そこらじゅうで激しい騒音が鳴り始めた。
「ちょっと、なによ!」
綾子の悲鳴じみた声と同時に、ジョンが駆《か》け出す。
「ジョン!?」
ジョンは階段を駆け登りながら振りかえる。
「アヤミちゃんのところに、行ってます!」
ジョンの声をかき消すほどの騒音。床を踏みならす音。壁《かべ》をたたく音。大勢の足音。
床が小刻みに揺《ゆ》れる。そして、寒い。
突然、
「とみこぉ!!」
叫び声が騒音の中にひびいた。
とっさに声を振りかえる。
……真砂子!?
真砂子の顔つきが変わっている。なんて言えばいいのだろう。しいて言うなら、獰猛《どうもう》な表情。すましきった、いつもの真砂子の顔では、ぜったいにない。
真砂子はぎこちなく身をひるがえす。
アゼンとするあたしたちの眼の前で、いきなりナルにつかみかかった。
「真砂子!」
さしあげた両手がナルの首に伸びる。ナルがその指をかいくぐる。
「ぼーさん! とめてくれ、憑依《ひょうい》された!」
ぼーさんが手を組む。すばやくその手を動かして、
「オン、アサンモ、ギネイ、ウン、ハッタ!」
指を振りおろすと同時に、ガクッと真砂子の体から力が抜けた。
同時にピタリと騒音がやむ。
倒れた真砂子を、ぼーさんが抱き起こした。
意識のない真砂子《まさこ》を、ベースのカウチに寝かせる。
そうしていまの騒ぎの間のビデオを再生していると、真砂子が眼を覚《さ》ました。
「気分は?」
ナルが声をかけると、真砂子は青い顔を振る。
「だいじょうぶですわ……。
あたくし、憑依されたみたいですわね」
「こちらもうかつでした。すみません。
――ゆきはつかまりましたか?」
「ええ」
うなずいて真砂子は首をめぐらす。あたしたちの顔をひととおり見渡してから、
「ここには女の霊がいます」
真砂子がポツポツと話を始める。
「元凶は女の霊ですわ。奥深いところにひそんでいる……そんな感じで、どういう霊なのか、よくわかりませんの。でも、女です。それは、たしか」
真砂子は少し言葉を切る。
「子供たちはここに集められていますの。
どの子もみんな、もうこんな場所は嫌《いや》なのです。家に帰りたいのですけど、道にまよって出られないのですわ。
……こんな言い方でわかりますかしら」
「つまり、ここから出られなくなっているんでしょう?」
「そうですの。
子供を集めたのは女です。女は母親のふりをして、浮かばれずにいる子供たちの霊を呼んでいます。
ゆきさんはもう、気がついているようでしたわ。女の霊が、恋しい自分の母親などではないことに」
……母親のふりをして呼ぶ……。
「女は子供たちをだましただけでなく、子供たちを使って新たな霊を呼んでいます。
子供たちに友達のふりをさせて、生きた子供を呼び寄せるのですわ。
ゆきは子供たちのリーダーですけど、もういやがっています。苦しいばかりで、悲しいばかりで、たまらないと」
……ひどい。
ナルが真砂子に問いかける。
「とみこ、と叫んだのを覚えてますか?」
「とみこ……」
真砂子は瞳《ひとみ》をさまよわせる。そして、
「ええ、覚えてますわ……。
それは女の子供です。女の娘……。女は富子をさがしているんです。自分の娘を……それで子供を集めているのですわ」
「……そういうことか」
つぶやいて、ナルが立ち上がる。
「ナル?」
「あの女が娘を探す、その結果があの子供たちというわけか」
声にかすかな憤《いきどお》り。
「自分の子供恋しさに、無関係の子供たちを引きずりこみ、さらに集めた子供たちを使って、次の犠牲《ぎせい》を求めている」
なんどもマイクに入っていた、子供たちの悲鳴。苦しみを悲しみを訴える声。
「子供たちは成仏《じょうぶつ》できてない。あの女が魂《たましい》を自分の手元に引き寄せてる。
あの世とこの世の間……中有《ちゅうう》をさまよって、どこにも行けないでいるんだ」
「……ああ」
ぼーさんがうなずく。
「中有にさまっている者は、自分が死んだことがわからない。
あの子たちだってそうだ。あの子供たちにとっては、消えたのは自分でなくまわりのほうなんだ」
それでなんだね、『家に帰りたがっている』……。
「あの女はそこにつけこんで、母親ヅラして子供を操《あやつ》ってる。
中有にいても、苦しいだけなのに」
子供たちは気づいてる。自分が何かに捕まっていることに。でも抜け出せないでいるんだ。もういやだけど、苦しくていやだけど、女が放さない。
ナルは上着をとる。
「どこへ行くの?」
「出かけて来る。帰りはいつになるかわからない。
なんとか礼美《あやみ》ちゃんを死守してくれ」
「ナル!」
声をかける間もあらばこそ。
風のように部屋をすり抜けてナルが出て行く。あたしたちは、その背をあぜんと見送った。
「なーんなんだー、あいつはぁ!?」
ぼーさんが毒づく。
「……どうすんの、もう日が暮れるわよ」
綾子《あやこ》の声に、ぼーさんが苦々しいわらいを浮かべる。
「どーするも、こーするも。
とにかく、できるかぎりのことをするしかあるまい?」
言ってから宙をあおぐ。
「よし、こうしよう。
今夜、礼美《あやみ》ちゃんをホテルに移す」
「だいじょうぶなのぉ? そんなことして」
「この家にいるより危険なはずはないさ。
ホテルにはジョンにつめてもらう。おととい、ジョンがちょっとしたまじないをやったら、あいつは礼美ちゃんを見つけられずに苦労してた。距離が離れれば、もっときくかもしれん。
ごっそり護符《ごふ》を作ってやる。綾子もだ。それをホテルの壁一面に貼《は》ってやる。奴《やつ》らが入ってこれないように」
「うん」
「綾子、おまえも行け。ジョンを手伝うんだ。役にたったのを見たことがないが、おまえ退魔法はできるな?」
綾子は不服そうに答える。
「……いちおう、できるけど?」
「それでジョンのフォローをする。
真砂子《まさこ》ちゃん、あんたも行ってくれ」
ぼーさんは真砂子を振りかえった。
「あたくしも?」
「こいつらは、霊ににぶい。昨日みたいに、ねむりこけてもらっちゃ困《こま》る。あんたも行って、霊が近づいたようすがあったら知らせてやってくれ」
「……わかりましたわ」
綾子は立ち上がりながら、
「で? あんたは?」
「真言《マントラ》がきいてた。こっちが思っているより祈祷《きとう》は役にたっているのかもしれん。除霊《じょれい》の努力をしてみる」
ぼーさんが言ってあたしを振りかえる。
「嬢ちゃん、準備を手伝ってくれ」
もはや夕刻。夜が近い、準備を急がなければ。
典子《のりこ》さんが用意をしてやって、礼美《あやみ》ちゃんを家から連《つ》れ出す。
その前に、綾子がお守りを作った。紙に筆で、わけのわかんない漢字を書きつらねたお札を作って、礼美ちゃんにもたせる。
「これでやつらには、礼美ちゃんが見えないはず」
綾子が言ったとおり、家を出るとき真砂子に、
「やつらのようす、どう?」
と聞いたら、
「けっこうあのお札が、役にたっているようですわね。
――だいじょうぶ、霊たちは気づいていませんわ」
そっと家を抜け出す五人を見送ってから、祈祷の準備のために、あたしたちとぼーさんは悪戦苦闘して居間の家具を運び出した。
居間に祭壇を設けて夜に備えるためだ。
「ねぇ、ぼーさん、ちゅううってなに?」
あたしは、ぼーさんのカバンの中から、道具を出しながら聞いた。
「あの世とこの世の間」
「それがよくわかんないだなー」
ぼーさんはため息をつく。
「おまえ、本当になんにも知らないんだな。
――三鈷杵《さんこしょ》を取ってくれ、その両端が三つ又になったやつ」
「これ?」
「中有《ちゅうう》っていうのはな、仏教で、死んだ人間が四十九日の間、留まるところ。
つまり浄化してない世界。橋のこちら側。わかるか?」
「いまいち」
「よく死にかけた人間が、息を吹きかえして死後の世界を見てきたとか言うじゃないか。聞いたことはないか?」
「あ、それならある」
「そういうのをニア・デスって言うんだけどな。ニア・デスの経験者は、だいたい同じことを言うんだ。
ふと気がつくと自分は河原にいた。川があって、橋があって、大勢の人が、橋を渡って行ってとか。
そうしてたいがい、橋を渡らずにいて、こちらに帰ってくるのさ」
「ふんふん」
よく聞く話だ。
「つまり……死んだ人間は橋を渡ってあの世へ行くわけだな。
橋を渡ってしまえば、この世での苦しかったこととか、つらいこととか、全部忘れてしまえる。新しい生活が始まるんだ。
でも、橋に気がつかない人間もいる。何か心を残していて橋を渡る気になれないやつも」
「たとえば子供を探している……」
あの、富子《とみこ》を探している女のように。
「そう、中有っていうのは、いわば川のこちら側さ。
体は死んだのに、魂が死にきれない人間たちがさまよう場所。
橋を渡らないからこの世での悩みを忘れられない。死んだときの痛みや恐怖、そんなもの全部を忘れることができないんだ」
「それが幽霊……?」
「そういうことだ」
「あの女は、子供のことが忘れられずに、橋を渡れないでいるわけだな。それで子供を集めてる。
集めた子供の霊が自分を置いて行ってしまわないように、子供たちには橋が見えないようにしている」
「……それって、なんかハラがたたない?」
「たつな」
あたしはぼーさんと眼を見交わした。
ぼーさんが不敵な笑顔を作る。
「橋が見えるようにしてやろうじゃねぇか」
「賛成」
ぼーさんの手伝いを終えたあたしは、今度はリンさんを手伝って、礼美《あやみ》ちゃんの部屋に設置していた機材をできるかぎり居間に運んだ。
機材の準備ができると、リンさんとふたりで機械の前にスタンバって、レシーバーでぼーさんに合図を送る。ぼーさんが祈祷《きとう》を開始する。
がんばって。あいつをやっつけて、捕らわれている子供を解放してやって。
礼美ちゃんを助けてあげて。
ぼーさんが祈祷を始めるやいなや、その声に抵抗するように、部屋がキシミを発した。同時に、部屋の温度が下がり始める。
床の上を冷気がはう。サーモ・グラフィーの映像は、床全体があざやかなブルーになっている。
追尾カメラが移動する。サーモ・グラフィーと連動して、一番温度の低いところを自動的に追いかけるようにしてあるカメラ。
カメラは部屋の中央、少し窓よりの床のあたりを映している。
……今、あのへんの温度が一番低い……。
パシッと居間のどこかで音がする。部屋中の空気がざわめく。
ふいにドンッと衝撃波《しょうげきは》が駆《か》けぬける。床が揺《ゆ》れて、思わずぼーさんが身じろぎする。
一瞬、真言《マントラ》の声が途切れた。
それを待っていたように、部屋の中は轟音《ごうおん》のウズになる。
ダダダ……と部屋の中を誰《だれ》かが駆けぬける音。煙のようなものが漂《ただよ》い始める。サーモ・グラフィーの映像は、もう濃紺《のうこん》になっている。
床が揺れる祭壇の上の法具が振り落とされる。
「ぼーさん、ムリだよ! 居間から出て!」
あたしはレシーバーに怒鳴《どな》る。
ぼーさんの声。
『ばかやろー! 男に逃げろなんて言うもんじゃない!』
そんなことにこだわってる場合か?
煙が濃くなり、ぼーさんの姿がかすむ。部屋中に満ちる子供の悲鳴。
あたしはTVに身を乗り出した。
黒い影。部屋の中。ぼーさんのすぐ後ろ。形をなし始めている。
「ぼーさん、後ろ! ヤツっ!」
ぼーさんが振り向く。その視線は黒い影を素通りする。
いけない! ぼーさんには見えてないんだ!
あたしはイスをけって立ち上がった。
「谷山《たにやま》さん、やめなさい!」
リンさんの声。かまってられるか。
居間まで走ってドアを開けた。
ゆうべと同じだ。部屋の反対側が見えないほどの煙《けむり》……もや。
「ぼーさん、だいじょうぶ!?」
「馬鹿! 来るな!!」
だって……。
激しい横揺《ゆ》れが走った。あたしは足をとられてバランスを崩《くず》す。とっさにふんばった足の下で、メキッという音がした。
床がねじれているのがわかる。
いけない!
「ぼーさんっ! ねえっ、部屋を出て!」
あたしは中へ駆《か》けこむ。
その姿は……見えない……。どうしよう。カメラにしか映らないんだ。あたしは、かすかに見えたぼーさんの姿めがけて走る。
ぼーさんの背中に手が届きそうになったとき、あたしは何かを通りぬけた。
なにか。ゾクリとするほど冷たいもの。ねっとりした空気。
同時に飛びこんできた思念。
……ジャマヲ、
……スルモノハ、
……ユルサイ……。
突然体が凍《こお》りついた。ぼーさんの肩口まで伸ばした手。その手がもう動かない。
誰《だれ》かがあたしの首に手をまわした。……冷たい手。
あいつ? ……あいつなの?
あたしの首にまわった女の指に力がこもる。
ぼーさんが振りかえった。さっと金色の法具を突き出す。
「ナウマク、サマンダ、バザラダン、カン!」
すっと首にまわっていた手が消えて、かなしばりがとけた。
「だいじょうぶか?」
あたしはうなずき、ぼーさんの着物をつかむ。
「出よう! ムリだよ! ここは危ない!」
ぼーさんも今度は立ち上がった。
ドアに向かって走る。足がもつれる。床が揺れて転《ころ》びそうになる。
足元が揺《ゆ》れる。きしむ、ゆがむ。
バキッといやな音がした。ふいに足元が大きく沈む。
泳ぐようにあたしは前へつんのめる。倒れた足元の床がたわむ。
「麻衣《まい》っ!」
起き上がろうと、よつんばいになったところで再び上下に揺すられた。
ぼーさんがあたしの体をすくい上げて、乱暴に引きずる。猫《ねこ》か犬みたいにかかえあげて、放り出すようにドアの外に押し出した。
続いてぼーさんが飛び出して来たとたん、部屋の中の音がいっせいにやんだ。
しばらくは言葉も出なかった。あたしとぼーさんと、ふたりして廊下《ろうか》にすわりこむ。
部屋の中の煙みたいなものが、みるみる薄れて消える。
消えたあとに、床に穴があいているのが見えた。部屋の中央。窓より。床が裂《さ》けてできた、大きな穴。
サーモ・グラフィーが追いかけていた場所だ。冷気の中心。
ぼーさんが、いきなり身を起こして駆《か》け出す。
「ぼーさん?」
「綾子に電話だ。やつら、礼美ちゃんのところへ行った」
「礼美《あやみ》ちゃんのところ……って……」
「部屋を出るとき……なんてこった! 俺《おれ》はヤツの体の中を通りすぎたらしい」
……あ! あたしのあれも!
「ヤツの意志が飛びこんで来た。
礼美ちゃんの行方《ゆくえ》の見当をつけたらしい」
玄関ホールの電話に飛びついたとき、反対に電話がかかってきた。
……胸が痛い。嫌《いや》な予感がする。
ぼーさんが、少しためらって受話器をとる。
――やつらは礼美《あやみ》ちゃんのもとへ現れたのだった。
やつらのやったことは簡単明瞭《かんたんめいりょう》だった。
突風のように現れて、礼美ちゃんをホテルの窓から突き落とそうとした。十五階の窓から。
とっさにジョンが、礼美ちゃんをかばって抱きかかえた。そのままふたりは激しい勢いで窓にたたきつけられた。
ジョンと礼美《あやみ》ちゃんが助かったのは、綾子《あやこ》のせいでも、ましてや真砂子《まさこ》のせいでもない。
ホテルの窓は強化ガラスでできていて、ふたりがたたきつけられた衝撃《しょうげき》に耐えることができたのだ。
あたしたちは朝の光の中で、居間に開いた穴を見つめる。
昼間ならば、ということで、全員が昨夜の惨状を見るためにもどってきている。ナルをのぞいて。ナルからは連絡なし。
床の下には半分埋もれた穴があった。
直径、およそ一・五メートル。石造りの竪穴《たてあな》で、深さは三メートル近く。「こいつぁ、井戸を埋めた跡だな」
ぼーさんが綾子に言う。
「みたいね。しかもかなり古い井戸だわ」
穴の中には何もない。もちろん、水もなくて、ボコボコした土があるだけ。そこに落ちた祭壇や法具が散らばっている。
あたしはふたりの肩をつつく。
「ねぇ、まさか……」
「井戸の中に死体……ってか?」
「うん」
「わからん。そうかもしれん」
綾子が言う。
「だったら簡単よね。掘ってお骨を探せばいいんだもの」
「ああ……。
しかし、掘るとなったら、俺《おれ》たちじゃムリだな。専門の業者を呼ばないと」
真砂子は疲労でうるんだ眼を井戸にそそぐ。この世の外のものを見ている眼。そうしてふいに青くなって井戸から離れた。
「どうした?」
ぼーさんが声をかける。
「あたくしには……この井戸が地の底まで続いているように見えますわ」
え?
「はるか底に、霊が……子供たちの霊が淀《よど》んでいる……まるで無数の死体を投げこんだみたいに、折り重なって……」
……う……。
「出てくるようすはないか?」
「わかりませんわ……でもたぶん、いまはだいじょうぶ……」
綾子は軽く体を震《ふる》わせてから、特大のため息をついた。
「ナルはどこに行ってるの!」
……そんなこと、知るわけねーだろ。
「いつになったら帰ってくるのよっ!」
「オヤ、綾子はナルがいないと不安なのか?」
ぼーさんがわらう。綾子がにらみつけた。
「冗談、言わないでよね。あたしがまるで、あのコを頼《たよ》りにしてるみたいじゃない」
「そうじゃないのか?」
「ちがうわよっ! そんなはずないでしょ!」
……綾子、あんたムキになってないか?
「ないよなぁ。十近くも年下の子供だもんな」
ぼーさんがニヤッとわらう。
「六つしかちがわないわよ」
「どっちにしたって、年がつりあいませんわ」
言ったのは真砂子だ。
綾子が真砂子を振りかえる。
「あのくらいの年頃の男のコにはね、年上の女のほうがいいのよ? 知らないの」
「そんなはず、ございませんでしょう?」
「あら、いやにムキになるじゃない。
真砂子ちゃん、ナルに気でもあるの?」
「下世話《げせわ》な表現はやめていただきたいわ。
そういう松崎さんこそ、年がいもなく……」
「冗談、言わないでよね。
あんた、その根性の悪さじゃ、ナルをおとすのなんてムリよ」
「年上の性悪《しょうわる》女よりはましですわ」
……いいかげんにしろ。そういう話をしてる場合か?
ジョンが困《こま》ったような表情で割って入る。
「渋谷サンは、仕事一本やりのおひとやから、
そういうことには、興味ないのと違いますか?」
「言えてる」
ぼーさんがニンマリわらう。
「ありゃ、女の子とデートしたこともないぜ、きっと」
……だろうねー。
そう思ったのに。
「あら、そんなことございませんわ」
真砂子があっさり言ってのけた。
……なんで、あんたが知ってんの?
「あたくし、何度かおともいたしましたもの」
お人形のような整った顔でニッコリわらう。
「……ウソつき」
綾子がにらむ。
「失礼ですのね。じゃあ、一也さんにお聞きになったら?」
……一也……さん!?
一瞬あたしは、誰《だれ》だか考えこんでしまった。それがナルの名前だと気づいてめまいがする。
みんなが真砂子を、ジトッとながめる。
綾子がようよう、うわずった声を出した。
「どうせ、仕事がらみでしょ?」
……そーよ、そーよ。
「ま、映画やコンサートは、あまり仕事とは関係ございませんわね」
……映画にコンサート? あの仕事|馬鹿《ばか》で映画どころかTVも見ないナルが? それじゃ、まるっきりデートじゃないのぉ!
真砂子は、憎らしいくらいあでやかな微笑《ほほえ》みをうかべる。
驚きのあまり硬直したあたしたち。
いちばんに硬直からさめたのは、ジョンだった。
「まぁ、渋谷さんかて年頃なんやし、そういうことかてありますです。
それより、いつもどっておこしやすおつもりどすやろかいな」
……ジョン、言葉に動揺があらわれてるよ。
「とにかく」
ぼーさんがシビアな声を出した。
「この際、ナルがいつ帰ってくるかはどうでもいい」
言って全員を見渡す。
「ナルがいたって関係なかろう?
あいつは霊能者じゃないぜ。単なる心霊現象の調査員。
この場にいたところで、霊を吹き飛ばせるわけでも、礼美《あやみ》ちゃんを守りきれるわけでもない」
「……だって!」
「あいつがいたっていなくたって、状況は変わらないってことさ。
俺《おれ》たちには、ヤツを除霊《じょれい》するか、逃げるかどっちかしかない」
「…………」
全員が考えこんだ。
「もう一度チャレンジしてみようぜ。
綾子、ジョン、今度はおまえら、どっちがいい?
言っとくが、居間のほうは強烈だぜ」
綾子はチラリとぼーさんをにらむ。
「それとも帰るか?」
「あんた、礼美《あやみ》ちゃんのほうに行って。
あたしじゃ守りきれない。ジョンは礼美ちゃんのそばに必要だと思う」
「了解」
ぼーさんとあたしが、穴から祭壇を引き上げるかたわらで、綾子《あやこ》が祈祷《きとう》の準備をする。
「つかえそう?」
「まぁ、なんとかなるだろう」
祭壇を整えて、ぼーさんとジョンはホテルに向かう。あたしと綾子、そして、いるかいなのかわからないリンさんが家に残された。
綾子は、ベースで巫女《みこ》装束を整える。
「ねぇ、麻衣《まい》ちゃん」
ぎょっ。……麻衣……ちゃん?
「祈祷の間、居間にいない?」
綾子は背中を向けたまま言う。
「あ、こわいんだ、霊能者のくせに」
「そんなんじゃ、ないわよ!」
「強気な顔であたしを振りかえったけど、すぐにナサケナイ表情になる。
「そんなんじゃ、ないけど……ただ……」
「いいよ。いたげる」
「よかったら」
巫女さんが機械の山を振りかえる。
「リンさん、あなたも……」
「わたしはここで、データを集めなくてはいけませんから」
リンさんはあくまでも冷たい。
「……本当にいい性格よね。雇《やと》い主に似て。
あの猫被《ねこかぶ》りの女たらしっ」
「は……?」
さすがのリンさんも、言葉の意味をつかみきれずに、ちょっと眼を丸くする。
「なんでもないわっ。あんたのボスはスケベだって話よっ。――行こ、麻衣!」
綾子は、あたしの手を乱暴につかんで引っ張って行く。
……おい、綾子。あんたまさか、マジなんじゃないだろうなぁ……?
まだ夕陽《ゆうひ》の最後の明かりが残っているうちに、綾子が祈祷《きとう》を始めた。血のように赤い光が、暗い部屋の中に差しこむ。かえってなんだか不吉な効果。
「このおくとこをかりのさいじょうとはらいきよめ、ひもろきたて、おまつりしずめまつる」
祈祷の開始と同時に、部屋がかすかにきしみ出した。
床を冷気がはう。背筋がゾクゾクするあたしはドアの近くの床にすわっている。すぐに足が冷たくなってきた。
あたしはカメラを振りかえる。追尾カメラ。やはりカメラは、古井戸のほうを向いている。冷気は穴の中から来る……。
大きく横揺《ゆ》れが来る。床がきしむ。綾子の声が、とぎれがちになる。
「あきつみかみと……おおやしまのくに……に、しろしめす……」
寒い。これを覚悟してブラウスを三枚重ねているのに。
夕陽が庭の樹《き》の影に入った。部屋の中を闇《やみ》が侵食しはじめる。
「綾子! 続けて!」
「さしずしないでよっ!」
気を取り直すように姿勢を正した綾子。そのまわりで激しいノックの音がする。気温が下がる。息が白い。
「あきつみかみと、おおやしまのくにに、しろしめす、すめらみことがおおみかみどには、やとかわもより……」
綾子のノリトに送られて陽が落ちた。部屋には闇。綾子が灯《とも》したロウソクの火だけ。
部屋の中に煙のようなものが漂《ただよ》い始めた。息をするのがこわくなる……。
「きゃっ!」
綾子が叫んで、ふいに立ち上がった。
「綾子!」
「誰《だれ》かが背中をたたいたのよ!」
そんなことで動じてんじゃ、ねぇっ!
「しっかりしなよ! あんた巫女《みこ》でしょ!」
言ったあたしの腕を誰《だれ》かが引っ張る。
思わずあたしまで悲鳴をあげる。
ひとの気配。大勢の人間にとりまかれている気配。
部屋を揺《ゆ》する激しい音。
じりじりとあたしと綾子は歩み寄る。もう祈祷《きとう》どころじゃない。
「麻衣、やっぱりムリだわ! 出ましょう!」
「う……うん」
綾子が走り出した。
同時に激しい横揺れが走る。あたしは足元を救われる。膝《ひざ》から転《ころ》んで、床に転がった。
床がうねっている。
あたしは痛みに膝《ひざ》をかかえた。
「麻衣! 早く!」
ドアのところで綾子が叫ぶ。
「うん!」
立ち上がろうとした瞬間、激しい部屋が揺れた。起き上がることさえできない!
「麻衣っ!」
再び起き上がろうと、よつんばいになったところで誰かがあたしの足をつかんだ。
思わず悲鳴が喉《のど》をつく。
足元を振りかえる。煙のようなものがからみついている。
必死で足を振る。離れない。誰かが足を引っ張る感触。冷たい汗をかいた手。つかまれた足首から悪寒《おかん》がはいのぼってくる。
「綾子! 助けて!」
「麻衣っ!!」
ズルッと体を後ろへもっていかれる。
あたしは思わず振りかえる。後ろの床に穴がある。
前へはうあたしの足を、さらに誰かがつかむ。力まかせに引っ張られる。
「いや!」
叫んで床にしがみつく。それを難なくひきはがす強い力。
綾子はパニックを起こしている。
「谷山《たにやま》さん!」
部屋にリンさんが飛びこんで来た。
「助けて!」
リンさんが駆《か》けつけて来て長い腕を伸ばす。届かない。
あたしの足にからみつく手が増える。足がきしむほどの力で引っ張られる。ガクンと足が穴の中に落ちた。
「……リンさん! 落ちる!」
「谷山さん!」
さらに伸ばしたリンさんの手。手が届きそうになった瞬間。さらに引っ張られてあたしの腰が穴の縁《ふち》から落ちる。
早く助けて! 落ちてしまう!
あいつのすみか、冷気の中心。中有《ちゅうう》に続く穴。子供たちの霊が死体のように折り重なった。
激しい横揺《ゆ》れがきて、リンさんと綾子が転《ころ》ぶ。同時にあたしの体が穴へ沈む。胸まで落ちて、縁の床板にしがみつく。
だめだ、落ちる!
爪《つめ》も立たない堅い床。ギザギザの縁が腕を引っかく。絶望的な感触。
「麻衣っ!!」
ガクンと引っ張られて、胸が沈む。腕がきしんで床から離れた。
…………!
叫び声をあげる間もない。
とっさに伸ばした指が穴の縁を引っかいて、あたしの体は落下を始めた。
耳の奥にふたりの声。
言葉はききとれなかった……。
四章 おんな、汝《なんじ》に子を与う
……暗い部屋だった。
典子《のりこ》さんの家ではない。たたみとふすまの日本建築。
その縁側の外に、庭がある。庭には池。典子さんの家の池ににている……。
庭には子供がいる。ぼうっとかすんでよく見えない。それでもその子が、礼美《あやみ》ちゃんくらいの年齢の女の子だとわかる。着物を着ている。いつの時代だろう。
『富子《とみこ》! 富子ぉ!』
家のどこからか、女の人の悲痛な叫びが聞こえる。聞いた者の胸が痛くなるような声。
女の子は振り向かない。庭でマリをついている。そこに黒い影。男の影だ。
あたしは、いけない! と思う。その人について行ってはいけない!
男は女の子に話しかけて、やがて女の子の手をとる。
家の中では悲しげな叫びが続いている。
行ってはだめ! その人について行ってはいけない! そう思うのに声にならない。
男は女の子の手をひいて行ってしまう。池のほうへ。池の上へ。
女の子は手を引かれるままに、池の水面を歩いて遠くなる。
『富子ぉぉ!』
悲しい声。ああ、あたしの声だ。あたしが叫んでいたんだ。
あたしは駆《か》け出す。後を追う。池の上には深い霧が立ちこめて、もう何も見えない。
あたしは涙を落としながら、身をかがめる。うつむいたところに、深い井戸がある。 はるか下に、鏡のような水面《みなも》。
日本髪を結《ゆ》った、年かさの女が水面に映っている。
女は涙を落とす。水面に落ちて水がかき乱される。
いつのまにかあたしは、部屋の中から井戸をのぞきこんでいる女の姿を見ている。
あたしは女があわれで、思わず駆け寄りたくなる。立ち上がろうとしたところに、後ろから手が伸びて、あたしを押しとどめた。
振りかえるとナルが、じっとあたしを見ていた。さびしい色の瞳。黙って首を振る。心を痛めているようす。
あたしは眼を女にもどす。
井戸に身をかがめて、嗚咽《おえつ》している女。
女は泣いて、泣いて、一声叫ぶと井戸の中に身を投げた。
深い虚《うつ》ろな水音……。
……そこであたしは眼が覚《さ》めた。
今のはなに?
夢なのはわかってる。どうしてあんな夢を見たんだろう。
ハッと気がついて身を起こすと、全身が痛んだ。
ここは……あの穴の底だ。
思った瞬間、上から声が降ってくる。
「麻衣! だいじょうぶ!?」
穴の縁《ふち》に手をかけて、綾子《あやこ》がのぞきこんでいる。心配の色のにじんだ声。
ふいにあたしは夢の中で聞いた、女の声を思い出す。
「だいじょうぶだけど、登れないよ!」
「いま、リンが足場になるものを探しに行ってるわ! だいじょうぶ?」
「うんっ」
答えるのと同時に、走ってくる足音が聞こえた。すぐにリンさんが顔を出す。彼は、穴の縁に手をかけると、身軽に下へ降りてきた。
「けがは」
「ないよ」
ニコリともせずにうなずいて、彼は綾子を仰《あお》ぐ。
「イスを」
綾子が上からイスをおろした。
それを見ながらあたしはボーッと考える。
……埋《う》められた井戸。
あたしは突然わかってしまった。
この井戸は、女が身を投げた井戸だ。
女の子供はいなくなった。女はそれを悲しんで身を投げた。
女は亡霊となって、今も自分の子供を探している……。
リンさんがイスの上から手を伸ばす。
あたしは、その手に助けられて、穴の底から脱出した。
「今……何時?」
あたしは穴からはいでて、綾子に聞く。今度から、調査のときはスカートはやめよう、とつくづく思いながら。
「十時。まだまだこれからよ」
……すると穴の中には、大した時間はいなかったんだ……。あの夢も、一瞬の間にみたんだな。
「ひとさらい〜?」
綾子があたしの足のすり傷に薬をぬりたくりながら言う。
「うん。だと思うんだ。
それでね、富子ちゃんがいなくなって、そのお母さんが井戸に身を投げるの。
けっこう意味ありげな夢でしょ?」
「バカなんじゃないの?」
綾子がアザ笑う。
「霊能者でもないあんたの夢が、なんか意味があると思うの?」
こいつ、さっきまでオロオロしてたくせに。
リンさんは考えこむ風情《ふぜい》。
「……真偽のほどはわかりませんが……案外|的《まと》を得ているかもしれませんね」
「あ、やっぱし、そう思います?」
リンさんは、さらに考えこむ。
「ねぇ、どうしたらいいと思う?
アタシにはあいつを祈祷《きとう》で祓《はら》うなんてムリだわ」
「…………」
リンさんの答えはない。
「ねぇ!」
「……力技はムリだと思いますね」
彼はやっと口を開く。
「わたしの意見を言わせていただくなら、ナルがもどるまで祈祷はとりあえず待つべきです。
祈祷というのは、いわば力で相手を抑《おさ》えこむワザですから抵抗も大きい」
「……だって他にどうするのよ。
第一、ナルを待つって、あいつ、いつ帰ってくるの?」
「ナルだって、こちらの状況はわかっています。時間を無駄に使うはずがありません。すぐにもどって来ます」
「……ずいぶんボスには甘いのね」
リンさんは、冷ややかな視線を綾子に向ける。
「ナルがまわりの期待を裏切ったことは、一度だってありませんから」
そっけなく言って、あたしを振りかえる。
「少しここで休んだほうがいいでしょう。頭を打っていると、いけないので」
「うん」
じつはさっきからあちこちが痛い。体がギシギシ悲鳴をあげている。あたしはおとなしくカウチに横になった。
ふうっとした浮上感。
浮上感のままにあたしは眼を覚《さ》ます。
暗い部屋、勝手に作業を続けている機械の山。みなれたベース。
機械の前には、リンさんではなくナルがすわっている。
ナルのはずがない。ナルはまだもどってきてない。あたし、また寝ぼけてるんだ……。 そう思ったけど、ムリに眼を覚ます気にはなれなかった。
ナルと眼があう。ナルが微笑《ほほえ》む。
うん。その笑顔って好きだなぁ。現実のナルはぜったいにしない顔。
「ナル?」
あたしは声をかける。横になったままで。
ナルが首をかしげた。どうした? と言っている。
「礼美《あやみ》ちゃん、助けてあげられる?」
このままあたしたちが負けてしまったら、礼美ちゃんはあの女に連《つ》れて行かれてしまう。たくさんの、この家で死んでいった子供たちのように。
「だいじょうぶ」
ナルがわらう。
「……真砂子《まさこ》とデートしたでしょ」
……ああ、あたしは何を言ってるんだ。こんなときに。
ナルはクスリとわらう。
「誤解だよ」
優しい笑顔。あたしは満足する。
……だったら、いいんだ……。
突然、人声がして、ベースのドアが開いた。
あたしはそれで、本当に眼が覚めた。
あわてて身を起こす。入って来たのはナルだった。
……あれ? あたし、まだ寝ぼけてるのかな?
ナルはあたしに視線を向けるる
「眼が覚めたか?」
優しさのかけもない声。
げっ。本物のほうだ。
「もどって来たの!?」
「だからここにいるんだろうが」
……悪かったな、つまんねーこと聞いて。
ナルは後ろを振りかえる。
「リン、今までのぶんを再生してくれ」
「はい」
あとに続いて入って来たリンさんが、機械の前にすわる。誰《だれ》もいないイスの上に。
リンさんのあとに続いて、ぼーさんたちが入ってくる。礼美《あやみ》ちゃんについて、ホテルにいるはずなのに。ジョンも、真砂子もいる。
「礼美ちゃんは?」
あたしが聞くと、ぼーさんは肩をすくめる。
「典子《のりこ》さんとふたりで、残してきた。
ナルがそうしろとよ」
……え!?
「ナル! だいじょぅぶなの?」
「だいじょうぶだろう」
あっさり答える。
「だろう……って、そんな、無責任な」
「今夜中に決着をつける」
ナルが闇《やみ》色の瞳《ひとみ》をあげる。不安も躊躇《ちゅうちょ》もない眼。
「できるの!?」
「何のために、ひとがかけずりまわったと思ってるんだ?」
軽蔑《けいべつ》するように言ってから、
「まったく、これだけの人間がいて、このザマとはね」
……あんた、たいがいの性格してんなー。
綾子がヒステリックな声をあげる。
「勝算はあるんでしょうね!?
ナルは見てないらか知らないだろうけど、あいつ、ハンパじゃないわよ」
ナルの軽蔑の眼。
「やつがケタはずれの力を持ってることなんか、最初からわかってる。ポルターガイストのようすを見ていれば一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ」
言葉につまる綾子のわきから、ぼーさんが身を乗り出す。
「で? その勝算とやらを聞かせてもらおうか?」
ナルはTVから眼をはなして、腕を組む。
「原因ははっきりしている。あの女は子供を探しているんだ。取りもどしたいと思っている」
綾子が突っかかる。
「そんなことは、わかってるわよ。
問題は、どうやってその執着を解くかということなんでしょ?」
「子供を連《つ》れて来ればいい」
「え!?」
「その子がいれば、あの女は満足するはずなんだ」
「その子……って、今どこにいるの?
いくつになってると思うの?
もう死んでる可能性だってあるのよ」
「僕《ぼく》が、その程度のことも考えないとでも?
もちろん、富子《とみこ》自身を連れて来るのは不可能だし、無意味だ。
年をとった富子を見ても、あの女は納得しないだろう」
「……だったら……!」
ナルは綾子を無視する。
「原さん、家の中のようすは?」
真砂子が、何かに聞き入るように首をかしげる。
「居間に……たぶん居間にいますわ。
まだ、ホテルのほうには行ってない……」
綾子が割って入った。
「ねぇ、あたしたち、自分の身の安全を考えるべきじゃない!?」
ナルは冷たい視線を向ける。
「おや、プロの言葉とも思えませんね」
「いくら、プロだって力の限界ってもんがあるわ! 冗談じゃないわよ、この家、異常よ。
あたしもたくさん幽霊《ゆうれい》屋敷は見て来たけどね、こんなムチャクチャなのは初めてだわ」
……そんな、礼美《あやみ》ちゃんをどうするの? 見捨てるの、このまま!?
あたしはぼーさんを振りかえる。
ぼーさんも、のんびりとうなずいた。
「下手《へた》をすると、こっちまで地縛霊《じばくれい》にされそうだなー」
「……ちょっと!」
ぼーさんを怒鳴《どな》りつけようと思ったら、反対に綾子に怒鳴られた。
「ものには、引きぎわってもんがあるの!」
「あのねっ!」
あたしが怒鳴ったとたん、
「麻衣《まい》」
ナルが静かな声をはさんだ。
「帰りたい人間は帰ればいい。その程度の霊能者なら、必要ない」
ぐっ、と綾子がつまる。
ぼーさんがナルの顔をしみじみと見つめる。
「本当に勝算はあるのか?」
「信じる信じないは、御勝手に」
そっけなく言われて、ぼーさんと巫女《みこ》さんは顔を見交わす。
「よし……」
ぼーさんが立ち上がる。
「そいじゃあ、ナルちゃんを信じて、もう少し己《おのれ》を酷使《こくし》してみるか。
もう一度、除霊《じょれい》の努力をしてみよう」
「しょうがないわね……」
綾子もシブシブ立ち上がる。
「できるかぎりふんばってみる。
なんかあってブッ倒れたら、そこまでだ」
「骨ぐらいは拾ってあげるわよ」
綾子の声に、
「神道《しんとう》で葬式を出されちゃ、死ぬに死ねねぇよ」
……口の減らないやつ。でもよかった。アリガトウ。
「で、どうすりゃいいんだ?」
ぼーさんの声にナルが指示を始める。
「とにかく手下の数が多すぎる。問題はあの女だ。
女を引きずり出さなければ意味がない」
「どうやってぇ?」
綾子のやゆするような声に、
「子供たちを散らす」
鋭利な声で言ってから、
「巫女《みこ》さん、霊を通さない護符《ごふ》があるな?」
「あるわよ。ホテルに貼《は》ったやつが。たいして役にはたたなかったけど」
「それを大量に作って貼ってくれ」
「すぐに突破されるわよ」
「いいんだ。ジョンも手伝ってくれ」
「はい、そやけど……」
言いかけるジョンを手で制して、
「結界《けっかい》をはる。内側に向けて」
「なにぃ!?」
「霊が礼美《あやみ》ちゃんのそばに侵入できないようにするのではなく、この家から出られないようにする」
ぼーさんは眼をぱちくりさせたあと、
「できるかねぇ」
「効果はたいしてなくていいんだ。
家全体に結界をきずいて、鬼門《きもん》だけを解放する」
「鬼門って?」
あたしがついうっかり声をあげると、
「うるさいぞ、麻衣」
「だって」
「北東の方角。悪霊《あくりょう》が出入りする方向。
もともと通りやすい方角だ。しかも、鬼門以外は護符で守られていて通りにくいとなれば、連中は家を出てホテルに向かうのに必ず鬼門を使うだろう。
――そこで、鬼門の外で巫女《みこ》さんとぼーさんが構える」
「出てきた霊を散らすわけか?」
「そう。散らすだけでいい」
「それじゃ、問題の解決にならないわよ。散らしたところで、すぐにまたもどって来ちゃう」
綾子の抗議に、
「いいんだ。そうやって女のまわりに群がる霊を少しでも減らせれば。一時的にでも。ジョンは居間に来てくれ。いちおう、居間でも霊を散らせるかどうかやってみる」
「はい」
うなずいてナルが立ち上がる。それをぼーさんが制す。
「おい、子供らをおっぱらうてはずはわかったが、肝心《かんじん》の女の除霊は誰《だれ》がやるんだ?」
……そうか。ぼーさんと綾子が家の外。ジョンが中でも、ジョンひとりの手には負えないだろう。ましてやナルは、霊を散らすだけでいいと言う。
「まさか、ナル、おまえさんか?」
ナルの不敵なわらい。そうして軽く手をたたく。
「始めよう」
午前四時。
家の壁《かべ》は護符《ごふ》だらけになった。やつらが居間から外に出られないよう、ジョンが居間の壁に聖水で十字を書く。いつだか礼美《あやみ》ちゃんにほどこしてあげた、オマジナイ。やつらはしばらくの間礼美ちゃんを見つけられずに、家中をあばれまわった。結局突破されたけど。
そうしてその外。ぼーさんと綾子とで作った護符の山。壁一面に。礼美ちゃんが泊《と》まっているホテルと同じように。あれだって結局は突破されたけど。
護符の山は家の一角だけにない。鬼門《きもん》の方角はやつらに解放されている。
ぼーさんと綾子がそこに構える。
ジョンとナルは居間へ。リンさんが機械を守る。
あたしと真砂子はベースにいるようナルに言われたのだけど、肝心《かんじん》の真砂子が一緒に居間に行くと言ってきかない。
「麻衣、少し危険になるが、原さんのそばについててくれ。
万が一、いつかのように憑依《ひょうい》されて妨害されるとめんどうだ」
ナルに言われて、あたしも居間へ。真砂子のわきにしっかりひかえる。
もはや夜明けが近い。空にはまだ、光の色はないけれども。
ナルはどうするつもりなのだろう。女は子供を――富子を探している。富子がいなくなって、それが心に残って橋の向こうに行けないでいる。富子が見つかれば、女はよろこんでこの世を離れるだろう。――でも、どうやって?
富子はこの場にいない。この世のどこにもいないかもしれない。
「ジョン」
ナルにうながされて、ジョンがうなずく。
見なれた手順で静かに祈祷《きとう》を開始する。
間もなく、家自体が身震いするように、ギシッと家鳴《やな》りがした。
始まった……。
あたしは眼をさまよわす。何の影もない。何も見えない。ただ、ギッと床がゆがむ音。カタカタと床の上を震えが走る。壁をたたくノックの音。どこかで者をぶつけるような音。真砂子は青い顔をしている。こわいんだったら、ベースにいればいいのに。
「だいじょうぶ? ベースにもどらなくていい?」
あたしは小声で話しかける。真砂子は首を振る。
「いいえ……。ここにいますわ」
そんなにナルのそばにいたいわけ?
あたしは思わず、イヤミのひとつも言いたくなる。あたしだってこわいんだからね。井戸にひきずり落とされるような悲惨な経験は、一度でじゅうぶん。
「除霊《じょれい》にはふたつありますの……」
真砂子は、おびえた眼を周囲にやりながら口を開く。
「浄霊《じょうれい》と除霊。浄霊は霊に語りかけて、こだわりを解いてやるのですわ。橋のあちらに行けない原因を取り除いてあげますの。……でもこれは、霊媒《れいばい》にしかできない……。
ナルは霊媒じゃないのですもの、除霊をするつもりなのですわ」
「除霊って?」
「力で霊を吹き飛ばすの……。
悪い人間が……いたとしますでしょ? 説得して会心させるのが浄霊。ウムをいわさず殺してしまうのが除霊ですの。
除霊はしてほしくありませんわ。すくなくともあたしの前では――」
真砂子はこの世の外を見ている。霊媒である彼女には霊も人間も、同じような存在なんだ。人が死ぬのはいや。霊が滅《ほろ》びるのもいや。それは真砂子にとって同じこと。
……よくはわからないけど、そんなものかもしれない。
あたしと真砂子が小声で話し合っている間にも、部屋に満ちた騒音は大きくなる。
床がきしむ。そして足音。大勢の子供が走りまわる音。
冷気が床をはって、白いものがただよい始めた。煙のようなもの。部屋をおおう白いもや。かすかに人間の輪郭《りんかく》。
聞こえるはずのない悲鳴が、聞こえる気がする。苦しげな叫び。耳を打つ悲しみ。
ジョンの祈祷《きとう》に、逃げまどうように揺《ゆ》れて流れる。
「……!」
誰《だれ》かがあたしの肩をたたいた。振りかえっても誰《だれ》もいない。髪を引っ張る手。
ジョンも、何かに驚いたよう身じろぎをする。その度《たび》、聖水のびんを振って、しずくを降らす。近寄った霊を散らしているんだ。
ドンッと部屋が抵抗する。
床がしなって、体が揺れる。稲妻のように壁《かべ》に亀裂が走った。
そして激しい縦揺れ。
……大きい!
宙に投げ出されて、あたしは思わず声をあげる。ジョンたちまでもが放り出されて姿勢を崩《くず》す。
誰《だれ》かがあたしの腕をつかむ。あたしはそれにあらがう。有無を言わさず引き寄せる力。あたしは床に引き倒される。
「麻衣さん!」
ジョンが振りかえって、あたしのほうに向かって聖水をまく。体を押さえこんでいた強い力が途切れる。
部屋にたちこめた、煙とももやともつかないもの。
ジョンは祈祷《きとう》をゆるめない。しかし、煙のようなものが、切れてちぎれるだけ。
「原さん! どうです!?」
ナルが真砂子を振りかえる。
「逃げまどっていますわ。ずいぶん数が減りました……。居間の外へ逃げて行きます」
そのあと、泣きながら、という声はあたしにしか聞こえなかったろう。
部屋にうごめく子供たち。みんなこの家に捕らわれて。どこにも行けず、なつかしい自分の家に帰ることもできず、さびしくて悲しくて、耐えかねて仲間を呼んで。そのうえ祈祷に苦しめられる。
……真砂子の気持ちが少しだけわかる。子供たちがかわいそうだ。さびしいまま、悲しいままナルに吹き飛ばされてしまうんだろうか。
あの女だってそうだ。娘をなくして、悲しくて。いなくなった富子ちゃんを探して、探して、ここに悲しい檻《おり》を作った。
だからと言って、このままにはしておけない。生きている礼美《あやみ》ちゃんを渡すわけには、絶対にいかない。こんな悲しい子供たちの仲間にするわけには。
居間に満ちた煙が少し薄れた。子供たちが減っている証拠。ジョンとぼーさんと綾子。三人がかりで家からはじきとばされて。
「子供たちを浄霊《じょうれい》できないの?」
あたしの声に真砂子は首を振る。
「ムリですわ……あの女がいるかぎりは。子供たちをとらえてる女を浄霊しないことには……」
ハッと息を飲んで、真砂子は急に口をつぐんだ。おびえたように見開いた眼を、床に口を開けた穴に向ける。
「……出てくる……」
声と同時に、ふと音がやんだ。
薄い薄い煙《けむり》が無言でたゆたう。
あたしたちの息づかい。
突然、澄んだ音が聞こえた。
深い空洞の中に水滴が落ちる音だ。高い高い、澄んだ音。
穴の中から――
穴の中がかすかに光った。青い暗い光。
人の影がせり上がってくる。
あたしたちの眼は、それにくぎづけになる。うっすらと女の姿。髪を結《ゆ》った女。着物。細かいようすはわからない。いまにも消えそうなほど薄い影。
「富子さんはいません!」
真砂子が叫ぶ。
「地上を探しても、どこにもいませんのよ!」
青ざめた女の姿。首をたれて、深くうつむいたまま。
「どうぞ、わかって! 富子さんはどこにもいないのです!」
真砂子が悲痛な声をあげる。
「その子たちは富子さんではありません! どうぞもう自由にしてあげて! みんなほんとうのお母さんのもとに帰りたいのですわ!」
女をなんとか説得しようとして声をはりあげた真砂子の喉《のど》が、突然ヒッと鳴った。
女の姿は、今や腰のあたりまで穴の上に現れている。その穴の縁《ふち》に白いものがうごめく。虫のような白いもの。白い、小さな子供の……指。
子供の指が穴の縁にかかる。指で床を引っかいて手を差し出す。
のぼってこようとしている。
そのとなりにも子供の手。ひとつふえ、ふたつふえ……。やがていくつもの子供の手が、穴の上ににじりのぼろうとして、うごめきはじめる。床に爪《つめ》をたて、体を引き上げようとのたうつ。
「いや! こないで!」
真砂子の悲鳴。あたしはもう、声なんか出ない。
ジョンが、あたしたちの前に立ちふさがる。
聖水のびんを構えたとたん、部屋が揺《ゆ》れる。ジョンの体が何かに突き倒されて床にたたきつけられる。
「ジョン!」
そのとき、うつむいていた女がスゥと顔をあげた。
うらみをこめた眼。女は真砂子の声など聞く気がないのだ。富子ちゃんが恋しくて恋しくて。この世を離れる気にもなれない。
女は陰鬱《いんうつ》な目を部屋の中にさまよわす。その眼がふと止まった。ドアのところにある黒い影に。
闇《やみ》に溶け入るほど黒い影。ほのかに白い顔。
ナルが女を見据《みす》える。闇色の眼には自信の色。
ナルは白い右手をかざした。
「ナル、やめてください! 少し待って!」
真砂子の悲鳴。ナルは真砂子を振りかえりもしない。白い手をあげて、手の中にあるものを女に向かって突《つ》きつける。女の眼がナルの右手にくぎづけになる。
「おまえの子供はここにいる」
ナルの静かな声。かざしたのは板を人の形に切って、そこに札を貼《は》ったものだった。
女の眼が人形《ひとがた》の板を射抜《いぬ》く。
「集めた子供ともども……連《つ》れて行くがいい」
ナルが板を投げた。
女がなにか叫び声をあげた。
闇《やみ》の中にほの白く軌跡《きせき》を描いて、ゆっくりと回転しながら板が飛んでいく。まわるうちに輪郭《りんかく》が溶《と》けて、花が開くように広がるとやわらかな形を作った。――小さな子供の姿を――。
あたし知っている。あの子が富子ちゃんだ。
女は身をかがめて腕を伸ばした。白い白い富子ちゃんのほうへ。富子ちゃんは宙を駆《か》けて女のほうにすべり寄った。
部屋の空気が渦《うず》巻く。逆巻《さかま》く。
女の影がゆらいで、広げた腕が煙のように伸びる。薄れそうな指が富子ちゃんの体にかかったとたん、そこが白い光を放った。
「…………!」
なに? この光は?
女の手が富子ちゃんを抱きよせる。そこから白い光がにじんで広がる。
板を胸にかかえこむ。表情は見えない。でも女の肩の線、首の線……安堵《あんど》の気配。
白い光がにじむように広がって女の全身を包みこむ。女の影が光の中に溶《と》け落ちた。
光はそのまま部屋の中に満ちてゆく。
暖かい静かな光だった。まぶしくない。ただ暖かく白い。
その光は、部屋いっぱいに満ちて、それから徐々に薄れていく。
煙のような姿の子供たちが、ほんの一瞬、はっきりした姿を現して光の中に溶け入り流れて薄れていく。
あたしは確かに見た。光の中に溶け入っていく寸前、子供たちが安らぐように薄くわらうのを。
ゆっくりと光が消えると、後には薄藍《あい》色の闇《やみ》が残った。
真砂子が腰を浮かす。
「……消えましたわ……。浄化《じょうか》した……!」
……そして夜明けがやってきた。
あたしたちは居間に集まる。床に開いた穴を見つめる。
「真砂子《まさこ》、どう?」
綾子《あやこ》の声に真砂子が笑みをつくる。
「……もう誰《だれ》もいませんわ。この家には、もう霊はいない……」
ひとり、ふたり、床に腰をおろす。しばらくは全員でおし黙っていた。疲れきって口をひらく気にもなれない。そのまま、ボーッとすわっている。
「……なんで浄化したの?」
ポツンと綾子が聞くと、ナルは、
「望みが、かなったから」
「望みぃ?」
「子供を手に入れた」
……わかんない。
あたしはナルをつつく。
「ねぇ、さっきの板は、なに?」
「見たとおりだ。人形」
ぼーさんが口をはさむ。
「ヒトガタ。
別名、偶人《ぐうじん》。木人《もくじん》。桐人《とうじん》……か」
綾子《あやこ》も、
「人の形に切った桐の木を、呪《のろ》う相手に見たてるんでしょ。
あれは人を呪う方法だと思ってたわ。呪いのワラ人形の原型だもん」
ナルはウンザリしたふぜいだ。
へへん、わからないのは素人《しろうと》だけじゃないじゃないか。
「呪術《じゅじゅつ》には必ず、白と黒がある。
白は人を助け、黒は人を害する。同じ呪法が白と黒を兼ねることは多い」
「それはそうだな。密教の怨敵《おんてき》退散も、両方の意味に使うもんな」
ぼーさんがしみじみと言う。
……ふうん。
「でも、人形《ひとがた》がどうして浄霊《じょうれい》の役にたつの?」
あたしがナルに聞くと、
「ヒトガタというのは、魂《たましい》の依代《よりしろ》なんだ。依代、わかるか?」
「いまいち」
「魂が入る器。
あのヒトガタを麻衣《まい》に見立てれば、あれは麻衣のかわりになる。
麻衣に見立てた人形に、わざと病気や災厄《さいやく》を呼び寄せて、これを封じて川に流して清める。これが流し雛《びな》。今のひな祭りの原型」
「へー」
「あのヒトガタは、富子に見立てた。
女はあれを自分の子供だと思ったんだ。子供を手にいれたと思った。だから浄化した」
「ということは、だましたわけ?」
「こら」
「だって、しょせんはニセモノでしょ?」
「ニセモノとは少しちがう。
麻衣のヒトガタに釘を打てば、麻衣が死ぬ。そのていどには本物だよ。
それでいいんだ。一旦《いったん》浄化されれば、もどってこない。あの世界は、そういう場所なんだから。――わかったか?」
「うん……わかるような、わからないような……」
ぼーさんが、
「よくヒトガタが作れたな。そのために出て行ったのか?」
「そう。あの女の素性《すじょう》を調べに」
「ヒトガタができた、ということは、調べがついたんだな」
「もちろん。てこずったけどね。
古い街だからできたことだな。もっと中央のほうだったらアウトだった」
「……で?」
「女は大島ひろ。女の家が取り壊されて、建ったのがこの家なんだ。
富子は女のひとり娘。この子は、ある日消えてその半年後、池に死体が浮かんだ」
「……さらわれたのでしょうか」
言って、リンさんはあたしを見る。
ナルは軽く肩をすくめて、
「さぁ。そうかも。女は……」
「井戸に身を投げて自殺した」
綾子がわらう。
ナルがキョトンとする。
「……それはどうだか知らないけど。
女は、娘が消えて半年後に死んだ。
要は富子の生没年が、わかればよかったんだ。ヒトガタを作るのに必要だったから」
「ふうん……」
あたしがつぶやくと同時に、ナルが立ち上がった。黙って居間を出て行く。そのあとをリンさんが追う。ふたりの後ろ姿を見送って、
「ナルが陰陽師《おんみょうじ》だったとはねぇ」
ぼーさんが、ため息をもらした。
「おんみょうじ、って?」
「陰陽道の使い手。……わからんだろうな、これじゃ」
「わかるもんか」
ぼーさんが苦笑をひとつ。
「なんとゆーか、まぁ、中国から呪術。日本じゃ古くからあってな、平安時代には陰陽寮という役所まであった。
ヒトガタを使う呪術の本家は陰陽道。神道《しんとう》でも使うけどな。まぁ、ヒトガタを富子に見立てて、浄霊《じょうれい》するなんて高度なワザは、陰陽師《おんみょうじ》にしかできんだろ」
……へぇぇ。
「すごいじゃない。陰陽師なんて」
綾子のつぶやき。あたしは綾子を振りかえる。
「すごいの?」
「まーね。ちょっとカッコイイわよ、陰陽師って」
……ほえー。すごーい。
虚脱感《きょだつかん》。あたしたちは、長いこと黙ってボンヤリしていた。
やがてポツポツと立ち上がる。
「げにおそろしきは女の執念、というやつだな」
ぼーさんがため息まじりに言う。
「あら、それを言うなら、げに深きものは母の愛、よ」
「どうかね。……まあ、いいさ。
あー、疲れた! もうごめんだ、こんなしんどい事件は」
「言えてるわね」
そう言って、ひとりふたりとゆっくりと居間を出ていった。
あたしが玄関ホールに入ると、ナルが電話をしているところだった。
「……いつもどって来られても結構です。終了しました」
電話を切って、振りかえったナルと眼があった。夜よりも深い眼。
「これで終わったと思う?」
あたしはナルに聞いた。
ナルは眼を和《なご》ませる。
「もうだいじょうぶなんじゃない?」
「ふぅん」
ホールで電話のようすを見まもっていた、ぼーさんが背伸びをして、
「さて、ナルちゃん、引き揚《あ》げる準備をしようか」
「ああ」
「そうだ、ナル?」
ナルに声をかけたのは綾子だ。
「あんた、真砂子とつきあってるんだって?」
ナルが一瞬、眉《まゆ》をあげる。
「つきあう?」
「デートしてるんでしょ? 映画を見たり、コンサートに行ったり。
若いひとはいいわねぇ」
思いっきり皮肉な口調。
……やめなよ、綾子。そういう追及は墓穴《ぼけつ》を掘るだけだぞ。
ナルが冷たい眼で綾子をにらむ。
「なるほど、僕《ぼく》がいない間に、そういうくだらない話をしていたわけか。
除霊《じょれい》できなかったわけだ」
……ほらね。
「おんなたらし」
「おや、僕が原さんと出かけるのがそんなにショック?」
ナルは涼《すず》しい顔。
……あーあ、こいつはもー、綾子もやめなよ。口じゃナルにはかなわねーって。
「うぬぼれたこと言わないでよね。アタシは子供に興味ないの」
綾子の精いっぱいの反撃。
「それはよかった。僕もおばさんには興味ないから」
ニッコリ笑うナル。
綾子がツンとそっぽを向いて、二階へあがって行った。
玄関ホールにはいつのまにか、あたしとナルだけになった。
「ナルってば、隠してたんだー」
あたしはわらって言ってやる。できるだけ、冗談みたいに。
……あー、ダメだ。こういうことを言ったって、足元をすくわれるだけなのに。
でも、ナルはちょっと困《こま》った顔をして視線をそらした。
へぇぇ、ナルでも困った顔なんて、することあるのかぁ。これはびっくり。
「真砂子が何を言ったか知らないが」
ナルはそっぽをむいたまま言う。
「そんなのじゃない。――誤解だ」
そうして、ベースにしていた部屋のほうに歩き始めた。
……誤解だ。
その言葉が、夢の中のナルと重なって、あたしはなんだかおかしかった。
……誤解かぁ。
思わず顔がわらってしまう。
こういうのってうれしいね。深い意味はないんだろうけどさ。綾子が聞いたときには言い訳なんてしなかったのに、あたしが聞いたら言い訳してくれた。
うん。しばらくそういうことにしておこう。ナルは、綾子に誤解されるのはかまわないと思った。でも、あたしには誤解されたくなかった、と。
うーん、ないよなー、そんなこと。でも、いいや。とりあえず、そう思ってうぬぼれておこうっと。人間、明るくなれる材料は大切にしなきゃ。ねー?
あたしはしばらく、ひとりでクスクスわらっていた。
あたしたちが機材の整理をしていると、典子《のりこ》さんと礼美《あやみ》ちゃんがホテルから帰ってきた。
ナルが典子さんに事情を説明する。
「本当に、もうだいじょうぶなんでしょうか」
不安そうな典子さんに、
「心配ないでしょう。気になるのでしたら、家をかわってもかまいませんよ。
そのほうが安心できるかもしれませんね」
ナルの言葉に、典子さんが安心したように礼美ちゃんを抱き寄せる。
礼美ちゃんは、あたしと眼があうとニッコリわらった。
小さい子独特の、ぴかぴかした笑顔。
ああ、よかったなぁ……。
「よかったね」
なんとなく呼びかけた。礼美ちゃんの小さな胸の中で、この事件がどんなふうに整理されるのかはわからないけれど。
礼美ちゃんがあたしに駆《か》け寄ってきた。いつのまにか顔色が沈みこんでいる。
……どうしたの?
礼美ちゃんが、あたしの手にしがみつく。
「麻衣ちゃん、かえっちゃうの?」
「ん? うん」
「もっと、とまっていけばいいのに」
礼美ちゃんの子供らしい不満そうな表情。
……だいじょうぶだね。もうこんなに元気なんだもん。すぐにこんな事件なんて忘れてしまって、もとの礼美ちゃんにもどるよね。
「いつ、かえるの?」
聞かれてあたしは、ナルの顔を見る。
「明日《あす》」
「明日、だって」
「こんばんは、とまるの?」
「うん」
「じゃあね、麻衣ちゃん、礼美のおへやにとめてあげるね。
きにいったら、もっといてもいいのよ」
典子さんが、耐えかねたようにクスクス笑いだした。あたしもこらえきれずに、笑いだす。
礼美《あやみ》ちゃんはキョトンとしていた。
その夜、もう一晩、あたしたちはようすを見るために森下邸に泊《と》まった。あたしは礼美ちゃんのリクエストどおり、礼美ちゃんと典子さんの部屋で眠った。
ノックも騒音も、何もない、とても静かな夜だった。
エピローグ
東京、渋谷《しぶや》、道玄坂《どうげんざか》。
あたしは「渋谷サイキック・リサーチ」のオフィスで、ビデオテープの整理をしている。
『The Case of Morishita』――すなわち、『森下事件』と書いたラベルを、テープに貼《は》って、リンさんがつけたメモを清書していく。
これは何かなぁ。『Corridor of Ground Floor』……わかんねぇなー。いいや、このまんま写しちゃえ。
まったくもー。こいつらはどーして横文字を使いたがるのかねー。あたしはだいたい、何かというと横文字をつかいたがる、昨今《さっこん》の風潮には怒りをおぼえるぞ。横文字で書きゃ、かっこいいかと思って。
ふん。どーせ、あたしは英語が苦手《にがて》だよぉ。
せっせとビデオの整理をしていたら、ドアが開いた。
おっと客だ。あわてて笑顔をこさえて、立ち上がる。
……なんだ、あんたか。
「よっ」
ぼーさんが、のんきそうな顔で手をあげる。
このところ、ひんぱんにやって来るな、こいつ。
「暑いねぇ。麻衣《まい》ちゃん、俺《おれ》、アイスコーヒーがいいなー」
「なんでお客でもない人間に、お茶を出すわけ?
それともぼーさん、事件の依頼?」
ぼーさんが情けなさそうな表情をする。
「どーしてここの人間は、そうも冷たいわけなんだ?」
「営業方針」
「なんだ、そりゃ。
なー、たのむよ。コーヒー。今度、映画でもおごってやるから」
ごめんこうむり。
あたしはしかたなく立ち上がった。が。
「麻衣、アタシはアイスティーにして」
げ。綾子《あやこ》っ。
「なによ、ぼーさん。こんなとこでアブラ売ってていいの?」
「その言葉、そっくりかえしてやるよ」
あのなー。あんたら、ここを喫茶店がわりにするなよな。
「ナルは?」
綾子の問いに、あたしは丁寧《ていねい》に答えてやる。
「所長でしたら、所長室で、瞑想《めいそう》中でございますわ」
「あー?」
「なによ、それ」
「知らない、そう本人が言ってるもん。
なんだか知らないけど、地図を広げてじーっと考えこんでんの。あたしは、旅行の計画を練《ね》ってるだけだと見たね」
「へー」
「でも、あれやってるときにジャマすると大目玉をくらう。
だから、ナルはあきらめて、お茶飲んで帰れば?」
綾子はちょっと唇《くちびる》をとがらす。
「なーんだ。
あたし、アールグレイにしてよね」
……へいへい。
なんちゅー勝手な客だ。おっと、客じゃなかったか。
キッチンに入ろうとすると、再びドアの開く音。
……今度こそお客……なんてこったい。
「あ、こんにちは、です」
「あれー、ジョンじゃない」
「よぉ」
ま、いいけどね、ジョンなら。
でも、あたしはいちおう聞いたりする。
「どうしたの、ジョン?」
「近くまで来たんで、よらせてもろたんです」
……あー、さよーで。
「お茶いれるけど、何がいい?」
「……すんません。お手間のかからへんもんでかまいませんです」
……うんうん。いいねぇ。このひかえめな言い方。見習えよ、ぼーさんに綾子。
あたしはヤカンをかけて、お茶の準備をする。ポットの用意をしながら、いやーな予感。
ぼーさんが来て、綾子が来て、おまけにジョンが来た。と。すると、まさか……。
そこに、所長室のドアが開いて当のナルが出てきた。
「麻衣、お茶……」
いいかけて、オフィスを見て眼を見開く。
「……何のご用ですか?」
「いやー」
「ちょっとー」
各々《おのおの》が言い訳を口にするのを冷たくながめる。
「……麻衣、なんなんだ、この騒ぎは」
「存じません。ファンクラブなんじゃないの?
――お茶、何にする?」
「なんでもいい」
言って一同を見渡す。
「ここは喫茶店じゃないんだけど?」
「まぁまぁ」
ぼーさんがにこやかに手を振る。
「堅《かた》いことは言いなさんなって。――旅行に行くんだって?」
「誰《だれ》が?」
「地図をながめているんだろ?
まさか、本当に瞑想《めいそう》してたわけじゃないよなぁ?」
「そのつもりだったけど、これじゃ不可能だな」
ため息まじりに言いながらも、ジョンの隣に腰をおろす。
すぐに、最近出た本がどうとか、論文がどうとか、どこそこの霊能者がどうだとか、プロ同士の会話になってしまった。
やれやれ。
あたしは頭をひとつ振って、お茶をいれる。
まぁいいけど。これでまた仕事をサボれる。あいつらが来てるあいだは、仕事にならないからなぁ。
トレイにグラスを並べてキッチンを出たとたん、はかったようなタイミングで、再び(正確には四たび)ドアの開く音がした。
……まさか。
全員の視線がドアに集まる。
ドアをあけて、涼《すず》しげな着物姿の女のコが姿を現した。
……ウンザリ。
「なによ、真砂子《まさこ》、何の用?」
「あら、そういう松崎《まつざき》さんこそ」
「アタシは、ちょっと近くまで来たからー」
「あたくしもですわ。こんにちは」
真砂子がナルにわらいかける。
とたんにナルがそそくさと立ち上がった。
「……麻衣、僕《ぼく》はちょっと、出てくる」
……は?
「あら、お出かけですの?」
「ああ……。ちょっと」
「おともしますわ」
「いや、結構。ごゆっくり」
……ひょっとして、ナル、あんた真砂子を避けてない?
そう言えば……礼美《あやみ》ちゃんの事件でも、綾子が真砂子を呼ぼうと言うのに、ずいぶん反対していたな。
「あら、出るんだったら、アタシもご一緒するわよ」
「いや……」
ナルは真砂子と綾子を見くらべる。真沙子がちゃっかりナルの腕に手をかけた。
「あたくし、おともしたいわ」
ねっとりした口調。
……こいつはー……。ふん、ナルが他人の言うことなんか聞くもんか。ノーと言ったら絶対にノーの人間なのよ。
……が、しかし。
「…………」
声にならないつぶやきをもらして、ナルはそのまま歩きだした。真沙子の手を振りほどかずに。
……がーん。
真沙子が得意そうな眼であたしたちを振りかえる。
「ごめんあそばせ」
……しばらく、全員でぼーぜんとドアをにらんでしまった。
「……なによ、あいつっ!」
綾子のバ声は、どちらに向けられたものなのかわからない。
……なんでよぉ、誤解だって言ったじゃんよー。ナルのうそつきぃ!
ぼーさんが身を乗りだした。
「なぁ、麻衣? ナルは真沙子になんか弱みでも握《にぎ》られてるのか?」
「弱み? ナルにそんなもん、あると思う?」
「……しかし、弱みを握られてるんじゃなきゃ、いまのは何なんだよ」
……そんなこと聞かれてもわかんないよぉ。
「たしかに……」
ジョンまでが困《こま》ったように首をかしげる。
「麻衣。いつも聞こうと思ってたんだけどさ」
ぼーさんが声をひそめる。
「ナルって、本当にここの所長なのか?」
「……いまさら、なにを。当然そうだよ」
「オーナーとかいないのか?」
「いないよ」
……たぶん。
「なんで?」
あたしが聞くと、ぼーさんは、
「なんでって、おまえ……。この事務所の家賃、いくらすると思う?」
綾子もふと、
「そういえば、そうよね、仮にも渋谷でしょ? まだビルは新しいし事務所は広いし……」
「だろ? おまけにあの機材だ。高感度カメラ一台の値段は?」
……高い。とほーもなく高い。それは前に聞いて知ってる。
ジョンがサラッと言う。
「パトロンでもいるのとちがいますか?」
……おいっ、おいっ!
「ボク、なんぞ変なことでも言いましたか?」
「……パトロンって、おまえな……」
ぼーさんの声に、
「けど、欧米やったら、ようあることです。超心理学ゆうのは、まだ理解されてない学問ですから、どこの研究所も後援者がいるのがふつうやと思いますけど。大きな財団が後援してるところかてありますし、博士号や教授職を作ってる財団かて」
「ジョン、……あのな」
「ハイ」
「日本語は気をつけて使え。日本でパトロンつったら、意味が少し違うんだぞ」
「……はぁ?」
……あー、びっくりした。
「しかしねそのセンは悪くない」
ぼーさんが腕を組む。
「ひょっとして、後援者がいてさ、それが真沙子の父親とかな」
「あ、そやったら、原さんの誘《さそ》いは断れませんね」
「だろ?」
綾子も身を乗り出す。
「こういう可能性もあるんじゃない? ……ナルはじつはおぼっちゃま」
……うーむ。
しばし全員で考えこんだあと、ぼーさんがいきなり立ち上がった。
「ま、それはともかく。綾子はミゴトにふられたわけだ」
「……よけいなお世話よっ!」
「ハラいせにどう? 俺《おれ》とデートしない?」
……おちゃらけ坊主《ぼうず》。
「お断りっ。誰《だれ》があんたなんかと」
「オヤオヤ。んじゃ、麻衣? どう?」
……あたしーっ!?
「コーヒーのお礼に映画でも」
……コーヒーのお礼って、これは事務所のもんで、べつにあたしのものじゃ……。
ん? というように、ぼーさんにうながされて、
「……ぼーさんのおごり?」
「モチロン。森下事件で依頼料が入ったばかりだし、俺《おれ》いま、金持ちだぜ?」
「行く」
……行くとも。行ってやるーぅ! ナルのばかー!
あたしは十五の若いみそらで、青春したいさかりなんだからねっ。それをナルみたいなニブイやつ、待ってられるかぁー!
おどろいたようにあたしを見上げているジョンと綾子。
「あんたが、ロリコンだったとは知らなかったわ」
と、綾子。
「おや、女の子は若いほうがいいに決まってるじゃねぇか。なー、麻衣ちゃん」
「ねー、ぼーさん」
「若いコのほうがいいんだったら、あんたが真沙子にアタックすれば?
そしたらアタシが……」
……こいつっ。
「俺、見る眼あるから、真沙子より麻衣ちゃんのほうがいいー」
……え?
「真沙子より性格いいしー」
……うれしいこと言ってくれるじゃない。みどころのあるやつ。
「あー、あたしもぼーさん、けっこうハンサムかなーとか思ったのー」
「お、わかってるねー」
「うん(ハート)」
綾子はジトッとあたしたちをながめたあと、
「よしっ! ジョン、デートしよ!」
「え??? ボク……ですかぁ?」
「そ。おねーさんがおごったげるっ! さっ!」
ひきずるようにして綾子がジョンを立たせる。
……というわけで。
本日、以後ご来訪のお客様。もうしわけありませんが、あたしはいません。リンさんに相手をしてもらってくださいませ。なーに、そんなにこわいひとじゃありません。たぶん。
みょうに気があったりするかもしれません。
そーゆうことで、……よろしくっ。
あとがき
まいどありがとうございます。小野でございます。
この本をお買い上げくださったお客さま、立ち読み中のお客さま、友達からお借りになっているお客さま。本を手にとっていただいて、まことにありがとうございます。
えーっと、『悪霊がいっぱい!?』の続編をお届けいたします。
前作が出たとき、小野にしては画期的《かっきてき》なほど大量のお手紙をいただきました。ほんとうにありがとうございました。そのどれもが、「続きはないんですか?」というお便りで、小野はとてもうれしかったです。おかげさまで続編を書けました。性格のよろしくないゴースト・ハンターたちは全員元気です。前回、ケガをしていたリンさんも今回は元気です。
ほんとうにたくさんのお手紙で(くどいようですが、小野にしては、ですよ)、びっくりしました。全国津々浦々《つつうらうら》という感じで、お手紙の消印を見るのが楽しみでした。ほぼ日本を一周したんですが、唯一《ゆいいつ》お手紙のないのが京都府で、小野は現在京都に住んでいるので、ちょっと寂《さび》しい気がしてしまいます。京都の方、どうぞよろしく。
あ、お手紙の中に「誰《だれ》が一番人気がありますか?」というご質問が多々ありました。一番人気はナルです。二番が小野にとっても意外なことにジョンだったりします。次が……麻衣《まい》かな?
そうそう、お手紙といえば、前回のあとがきで『君を眠らせない』と書いたら、「トルーパーのファンなんですか?」というお手紙をたくさんいただきました。そーなんですよ、じつは。お手紙と一緒にイラストなんかをたくさんいただきまして、そのうえ、カセット・レーベルとか、ポスターとか、グッズもたくさんいただいちゃって、とってもうれしかったです。
ついでに言うなら、「シュラト」好きよ(ハート)
お手紙の中で意外に多いのは、「好きなタレントとか、アーチストとかは?」というやつです。ズバリ、「NG FIVE」です。塩沢兼人さんというのもあるんだけど、この方はもう特別な存在だからヨコにおいといて。とりあえず、「NG FIVE」。中でも、熱狂してるのが、西村智博さんです。(……え? そんな人たち聞いたことない? あれ? 声優さんってタレントじゃなかったっけ……?)
……それは、まー、ともかく。
今回のBGMは、ひきつづき『君を眠らせない』に加えて『BEST FRIENDS』と『天空伝』『i sing』『転生眩奏』『天山瞑楽』でした。
ほんとうにみなさま、いろいろとありがとうございました。なのに、あいも変わらずお返事が遅くてごめんなさい。毎度のことで恐縮ですが、心を広く持って気長に待っていてくださるとうれしいです。
それから、礼美《あやみ》ちゃん。ちゃっかり名前を使わせていただいてありがとう。気を悪くしてないといいなと思います。
(あ、そうだ、いただいたお手紙の中に、「わたしの名前を使ってください」というのがけっこうあるんです。小野はいつも名前を考えるのに苦労していますから、とってもありがたいんですが、なにしろ小野の書く話といったらこうですので、良い役が当るとは限りません。むしろ、幽霊の役とか死体の役とかが当る可能性のほうが高いんです。それでもいいですか?)
それでもって、高田さん。涙が出るほどくだらない質問をして申し訳ありませんでした。ありがとうございました。またお世話になるやもしれません。その節はなにとぞよろしくお願いします。
もうひとつ。桜井明子ちゃん、おめでとー! マンガ家デビューの日を楽しみにしてますわ(ハート)
……最後に。紙面をちょっと私信に使わせてくださいね。平ハミナちゃん、お元気ですか? 北京《ペキン》は大変でしたね。今はどちらにおられるんでしょうか。もしこれを見ていたら、連絡くださるとうれしいです。
そういうことで失礼します。
次もこの本の続き……の予定です。
がんばりますので、応援してくださいね(ハート)
小野不由美