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レヴィ=ストロース入門
小田 亮
目 次
第1章 人類学者になるということ[#「人類学者になるということ」はゴシック体]
――哲学の放棄
1 他者の理性へと自己を開くこと
2 人類学と「真正さの水準」
第2章 構造主義はどのように誤解されるか[#「構造主義はどのように誤解されるか」はゴシック体]
――変換と無意識
1 〈構造〉とは何か――鍵となる変換の概念
2 構造主義はいかに生まれたか
第3章 インセストと婚姻の謎解き[#「インセストと婚姻の謎解き」はゴシック体]
――『親族の基本構造』
1 自然から文化への移行と近親婚の禁止
2 交叉イトコ婚の謎解き
第4章 ブリコラージュvs 近代知[#「ブリコラージュvs 近代知」はゴシック体]
――『野生の思考』『今日のトーテミズム』
1 トーテム的分類と野生の思考
第5章 神話の大地は丸い[#「神話の大地は丸い」はゴシック体]
――『神話論理』
1 神話の描く薔薇模様
2 連続と不連続の調停不可能な調停
おわりに 歴史に抗する社会[#「歴史に抗する社会」はゴシック体]
――非同一性の思考
あとがき
[#改ページ]
Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【第1章】[#「【第1章】」はゴシック体]
人類学者になるということ[#「人類学者になるということ」はゴシック体]
哲学の放棄
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1他者の理性へと自己を開くこと[#「他者の理性へと自己を開くこと」はゴシック体]
†エピステーメーと思想の流行[#「†エピステーメーと思想の流行」はゴシック体]
ある学問分野の革新的な理論がその時代の考え方や思想に大きな影響を与えることはめずらしくない。ダーウィンの進化論やフロイトの精神分析、あるいはアインシュタインの相対性理論などは、特定の学問分野や学者たちの共同体をこえて、同時代の人びとの思想に影響をおよぼした。これらの科学理論は、さまざまな言説が不一致をも含みながら連関しあっているような思考の場において創られるとともに、その思考の場を作りだしてもいる。そのような意味において、それらの理論はそれぞれの時代の「現代思想」であった。
レヴィ=ストロースの構造主義(構造人類学)も、それと同じような意味で、現代思想と呼ばれるにふさわしい深い影響を現代の思想家や芸術家に与えるとともに、二〇世紀という時代の思考の場の風貌を左右するほどの大きな部分をしめてきた。
しかし、一般的に構造主義が現代思想とされるのは、時代の思考の場との関連においてではなく、哲学や思想の流行の変遷としてであろう。第二次大戦後の現代思想の特徴は、その流行が雑誌や新聞などのマスメディアによって作りだされるようになったということにある。それによる、実存主義から構造主義へ、そして構造主義からポスト構造主義へという思想の流行の変遷のストーリーは、さまざまな言説の交叉による思考の場とはほとんど無関係に、「いま何という主義が新しいのか」、「つぎにくるスターはだれか」という、流行の交替劇を演出しながら、「実存主義のつぎは構造主義だ」とか「構造主義はもう古い」といった決まり文句を生みだすだけになっている。
もちろん、それはマスメディアだけの責任ではないだろう。フランス現代思想を代表する哲学者たち自身が、マスメディアの作りだすストーリーと相互依存関係にあったことも否定できない。そのことは、たとえば、ポスト構造主義を代表するジャック・デリダが、その著書『グラマトロジーについて』(一九六七年)のなかで、当時の流行の主役だった構造主義を意識して、ほとんどレヴィ=ストロースの構造人類学とは無関係なかたちでレヴィ=ストロース批判を行なっていることにも表れている。それはまた、レヴィ=ストロースがその五年前に『野生の思考』(一九六二年)のなかで行なったサルトル批判の反復のようにみえる。これらの言及が「実存主義のつぎは構造主義だ」とか「構造主義はもう古い」といった内容のない言い方を流通させるのに一役かったことはたしかだろう。
けれども、実存主義から構造主義、そしてポスト構造主義へという流れを、流行の変遷ではなく、西洋哲学とそこからの離脱という視点からみると、実存主義とポスト構造主義はサルトルやデリダに代表される哲学者たちの思想なのに対して、レヴィ=ストロースに代表される構造主義はそうではないということが重要となる。つまり、哲学を放棄して文化人類学に転向したレヴィ=ストロースのサルトル批判が、西洋哲学という枠からの離別の表明であったということが浮かびあがってこよう。そして、それに対して、デリダのレヴィ=ストロース批判は、西洋哲学からの離脱をめざしたレヴィ=ストロースの思想をふたたび西洋哲学のなかに連れ戻すものであったようにみえる。
†たった一つの社会の思考の限界[#「†たった一つの社会の思考の限界」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、大学で哲学と法学を学んだのち、兵役をへて、一九三二年、二四歳のときに、南フランスのモン=ド=マルマンの高校《リセ》の哲学教師として赴任する。リセの哲学教師になるには哲学の教授資格試験《アグレガシオン》を通らなければならないが、レヴィ=ストロースも一九三一年にアグレガシオンに一回で合格している。同年に合格した者のなかには、のちにデカルト研究の重鎮となるフェルディナン・アルキエやシモーヌ・ヴェイユがおり、また、アグレガシオンの前の教育実習では、モーリス・メルロ=ポンティやシモーヌ・ド・ボーヴォワールと一緒だった。
しかし、レヴィ=ストロースは、これらの人たちのように哲学者としてのキャリアを歩むことを放棄して、一九三五年にブラジルのサン・パウロ大学の社会学講師に赴任してゆく。そして、その年末から翌年の正月にかけての休暇にはブラジルの奥地のカデュヴェオ民族とボロロ民族の現地調査を行ない、三六年には早くも最初の民族学的論文「ボロロ・インディアンの社会組織研究への寄与」を書いて、文化人類学者としてのキャリアをスタートさせている。レヴィ=ストロースを文化人類学へと導いたのは、一九三三〜三四年ころ読んだ、アメリカの文化人類学者ロバート・ローウィの『原始社会』(一九二四年)だったという。高校の哲学教師となった翌年のことである。高校の哲学教師になったばかりのレヴィ=ストロースに、哲学者としての道を捨てさせた理由は何だったのだろうか。
レヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』のなかで、ローウィの『原始社会』をはじめとする文化人類学がもたらしてくれた知的満足について、「ただひとつの文明のみに適合し、もしその文明の外に留まるとしたら自己崩壊を起してしまうような人々を除けば、すべての人間にとって意味をもっているあの差異や変化を、民族学は人間のうちにおいて検討する」ということにあったと述べているが、レヴィ=ストロースにとって、哲学は、「ただひとつの文明のみに適合」する営みとして映っていたのだろう。のちになっても、レヴィ=ストロースは、ディディエ・エリボンとの対談のなかで、フーコーの仕事との類似についてエリボンに指摘されたとき、つぎのように述べている。
[#2字下げ] 私は決して哲学的思考を基礎付けようと考えたことはありません。私の個人史ということから見れば、確かに、私が哲学をやめて民族学に志したのは、明らかに、人間というものを理解するためには内省に閉じ籠ってばかりいてはだめだと、たった一つの社会――というのは自分たちの社会のことですが――だけを考察するのでは不十分であると、あるいはさらに、西洋の数世紀の歴史を眺め渡してよしとすることはできないのだということが理由になっていたことは間違いありません。……フーコーのやり方が、たとえそこに自分の過去を含めているとしても、西欧文化にしか関心を持っていないというのは大違いです。
[#地付き](『遠近の回想』)
エリボンの指摘したフーコーの「知の考古学」との類似性についていえば、その「考古学」が、すでにあたりまえで自然なものとされている観念を、それがまだほかのさまざまな観念と競合関係にあり、異論が錯綜している時点の地層まで掘りさげて相対化する手法だとすれば、多様性を地層を掘りさげて得るか、あるいは他の諸社会をみることで得るかの違いはあっても、自分たちの社会の固定された観念や概念に多様性を対置するという点で、レヴィ=ストロースの民族学的手法と、たしかに類似している。
それはともかく、人間というものを理解するためにはたった一つの社会だけを考察するのでは不十分だという自覚こそ、レヴィ=ストロースに哲学を捨てさせたものだったといえよう。そして、それは、サルトルの『弁証法的理性批判』の議論を「パプア人を哲学的食欲を満たすためだけの手段の立場に」おとしめる「一種の食人」だと批判する、『野生の思考』のなかのつぎのような言葉と呼応している。
[#2字下げ] サルトルのもう一つのゆきかたは、譲歩して「発育不全で畸形」の人類をともかく人間の側に入れることである。しかしその場合にも、人間としてのその存在は、固有のものとしてその人びと自身に帰属するものではなく、歴史ある人類がどう扱ってくれるかによってきまるものであることをにおわせる。つまり、植民地の状況に置かれて歴史なき人類が歴史ある人類の歴史を自己のうちに取り込み始めるとか、もしくは、民族学そのもののおかげで、歴史ある人類が、意味を欠いていた歴史なき人類に意味の祝福を与える、ということによってきまるとするのである。しかし、どちらの場合にしても、風俗、信仰、慣習の驚くべき豊かさや多様性は捕捉されない。……それらの社会にせよわれわれの社会にせよ、歴史的地理的にさまざまな数多の存在様式のどれかただ一つだけに人間のすべてがひそんでいるのだと信ずるには、よほどの自己中心主義と素朴単純さが必要である。
[#地付き](『野生の思考』)
当時のレヴィ=ストロースが文化人類学にみいだしたものは、フィールドワークによる経験において得られた人間の多様なあり方を損なわずに保持するような知のあり方であった。そして、それとは反対に、西洋哲学にみいだしていたのは、たとえ自分の生きている文明の外に視線を向けたとしても、その多様性をただちに自分たち西洋哲学の概念に変形してしまうような知であったといえよう。レヴィ=ストロースがめざしていたのは、人間の理性の拡大であったが、それを、自己(西洋)の理性に他者(非西洋)が目覚めることによってではなく、他者の理性に自己を開くことによって実現しようとしたのである。
†デリダによる批判[#「†デリダによる批判」はゴシック体]
デリダは、『グラマトロジーについて』のなかで、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』には、音声言語中心主義という、ヨーロッパの自文化中心主義がみられると批判している。そこで取りあげられているのは、『悲しき熱帯』の「文字の教訓」という章に書かれたブラジル奥地のナンビクワラ人社会でのエピソードである。そのエピソードとは、ナンビクワラのある首長が、レヴィ=ストロースとのあいだで贈り物を交換するときに、曲がりくねった線を一面に描いたメモ用紙を人びとの前で取り出して、誰それは、きれいな飾り玉と引き換えに首飾りを出すこと……、というように、贈り物に対する返礼の品物の目録を自分で文字で書いたかのように読みあげるふりをしたというものである。
レヴィ=ストロースは、無文字社会に「文字」が出現したこのエピソードについて、記録することという文字のもつ実用性ぬきに、その象徴性が社会的目的のために借用されたのだという。つまり、首長という役割の特権や権威を増大させるために用いられたというわけである。レヴィ=ストロースは、それに続けて、文字は新石器革命の条件ではなく結果として出現したのであり、知識を強固にするためというより、支配と搾取を容易にするためのものであったという考察を繰り広げる。そして、文字が自分の権力にもたらしてくれる助力をただちにみてとり、文字という体制の根底に到達したこの首長の才能に驚きながら、大部分の従者たちが、結局、その首長をみすてて離れていったことを、「朧気《おぼろげ》ながら、文字と虚偽とが共謀して彼らのところに入り込んで来たことを理解したのだ」といい、「頑迷な連中はとどのつまり最も賢明な連中であった」と述べている。
ここでのレヴィ=ストロースの文字と権力の結びつけ方は、川田順造氏が指摘しているように(『無文字社会の歴史』)、単純すぎるし、他の歴史的・民族誌的事実によって退けられるようなものだろう。また、これが、レヴィ=ストロースの思想や構造主義的研究の中心に位置するものではなく、それがあろうとなかろうとその全体像にはかわりのない周辺的なものであることも確かだ。したがって、レヴィ=ストロースの思想を紹介するためにデリダの批判を検討する必要はあまりないのだが、この批判が「構造主義(あるいはレヴィ=ストロース)はもう古い」という印象を生んでおり、また、その後のレヴィ=ストロース批判の原型となっていること、そして、デリダの批判のなかにも、「たった一つの社会のみを考慮する」ことの弊害がみられることからも、すこし詳しくみていこう。
デリダは、レヴィ=ストロースの記述を、無垢で善良な小規模の共同体、そのあらゆる成員が直接に透明な音声言語で語りかけあっている平和で非暴力的なミクロ社会に、策略と背信によって外部から(すなわち西洋から)、文字が搾取の道具として暴力的にもたらされたということを語る物語として読んでいる。
そして、デリダは、『悲しき熱帯』において、そのような物語を用意しているのが、このエピソードが記される直前に描かれた、レヴィ=ストロースによるナンビクワラ人社会についての情景描写なのだという。
レヴィ=ストロースが生活をともにしたナンビクワラの群れは、彼が出会う五年前に、「毒」をもられたと誤解して宣教師たちを襲撃して殺すという事件を起こしていたのだが、レヴィ=ストロースは、そのような出来事も、自分が見聞したその他の暴力的な事件も、「ナンビクワラ族との長い親密な生活だけが生むことのできた友情から、何も奪い取りはしなかった」という。ところが、十年後に、もっと人数の減っていたその同じ群れと接触した別の文化人類学者による、「ナンビクワラ族は……野卑と言ってよいほど意地悪く不親切である。……宣教師たちが私に語ってくれたところでは、ナンビクワラは、しつこく物をくれとせがみ、断られると、それを奪い取ろうとするということだ」という記述を読み、レヴィ=ストロースは、デリダが無垢で善良な共同体の想定と決めつけている、つぎのような情景描写を記すのである。すこし長いが引用してみよう。
[#ここから2字下げ]
白人がもたらした数々の病気が、すでにナンビクワラ族の多くの者を殺してはいたが、それにもかかわらず、……誰ひとり彼らを服従させようとは考えなかった時代にナンビクワラたちを知った私としては、この胸を抉《えぐ》る記述を忘れてしまいたい。そして或る夜、懐中電燈の光で私がメモ帖に走り書きしたものから書き写した、次のような情景以外、私の記憶の中に留めて置きたくない。
「暗い草原の中に幾つもの宿営の火が輝いている。人々の上に降りて来ようとしている寒さから身を守る唯一の手立てである焚火の周りで、風や雨が吹き付けるかもしれない側に、間に合せに椰子の葉や木の枝を地面に突き立てただけの壊れやすい仮小屋の陰で、そして、この世の富のすべてである、貧しい物が一杯詰った負《お》い籠《かご》を脇に置き、彼らと同じように敵を意識し、不安に満ちた他の群れが散らばる大地に直かに横たわって、夫婦はしっかりと抱き合い、互いが互いにとって、日々の労苦や、時としてナンビクワラの心に忍び込む夢のような侘《わび》しさに対する支えであり、慰めであり、掛け替えのない救いであることを感じ取るのである。初めてインディオと共に荒野で野営する外来者は、これほどすべてを奪われた人間の有様を前にして、苦悩と憐みに捉えられるのを感じる。この人間たちは、何か恐ろしい大変動によって、敵意をもった大地の上に圧《お》し潰されたようである。……しかしこの惨めさにも、囁《ささや》きや笑いが生気を与えている。夫婦は、過ぎて行った結合の思い出に浸るかのように、抱き締め合う。愛撫は、外来者が通りかかっても中断されはしない。彼らみんなのうちに、限りない優しさ、深い無頓着《むとんじやく》、素朴で愛らしい、満たされた生き物の心があるのを、人は感じ取る。そして、これら様々な感情を合せてみる時、人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現である何かを、人はそこに感じ取るのである」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](『悲しき熱帯』)
自分が〈顔〉を知っている人びとについての「胸を抉る記述」を、その人びとの〈あいだ〉にいた自分の記憶で覆おうというこの記述は、たしかに感傷的にみえるかもしれない。しかし、デリダはこれが長い時間をかけたジェノサイド(民族大虐殺)の、最終段階に入ろうとしている状態についての記述だということを忘れているのではないか。レヴィ=ストロースが出会ったブラジルの先住諸民族は、ポルトガルによる民族大虐殺やヨーロッパ人のもたらした病気によって人口が激減し(二十分の一や五十分の一になったともいわれる)、社会の大変動をよぎなくされた後の姿であった。それを考えれば、牧歌的とはほど遠いこの記述を、デリダのように「無垢で善良な共同体」を想定した堕落の物語として読むには、かなりの恣意だけでなく、その人びとについての歴史の忘却が必要だろう。
しかも、レヴィ=ストロース自身が、そのような外部から暴力的にもたらされた大変動を経験する以前のブラジル諸民族の社会が、孤立した無垢で善良な共同体などではなく、階層の分化した複雑な政治組織と広範囲な交易や戦争を知っていた社会だったと推測していることを考えれば、なおさらである。
別の人類学者による十年後の「胸を抉る記述」は、自分のいたころの無垢で善良な共同体がその十年間に崩壊したことを意味しているわけではない。レヴィ=ストロースによれば、彼が出会ったころのアマゾン諸民族の遊動する小規模の群れという姿は、人口激減という大変動にもかかわらず、自ら移動する断片となることによって社会というものをなんとか再生させた成果だったのである。
けれども、最近のポストコロニアル論が楽天的に評価するように、自分の観察した再生の成果を文化の再創造として手放しで肯定することは、レヴィ=ストロースにはできなかった。デリダが「無垢で善良な共同体」についてのノスタルジーにあふれた牧歌的記述と読んでしまったこの記述には、その再生の営みが「人間の優しさの、最も感動的で最も真実な表現」ではあるが、やはり苦悩であることには変わりがなく、しかもそれが十年後に自分の記憶と記録のなかにしかなくなってしまおうとしている(その消滅は、最近の「開発」による第二の民族大虐殺で本当に現実となろうとしているのだが)ことへの深い絶望が、自分の哲学のために他者の歴史を忘却するのでなければ、読みとれるだろう。
†共同体についての幻想[#「†共同体についての幻想」はゴシック体]
レヴィ=ストロース自身は、ナンビクワラ人社会を「無垢で善良な共同体」とは一度も記述してはいないし、逆に、無垢であったどころか、暴力的な争いや人びとの離合集散をともなう外部との交通があったことを隠してはいない。そして、そのことは、実はデリダも認めている。すなわち、
[#2字下げ]「教え」[「文字の教訓」]を信ずべきであるならば、ナンビクワラ族は書くこと以前には暴力を知らなかった。また上下の階層化も知らなかったのであるが、それというのもこの階層化はただちに搾取と同一視されてしまうからである。ところで、「教え」の周辺の『悲しき熱帯』をひもとき『論文』[「ナンビクワラ・インディアンの社会的・家族的生活」]の頁を手当たり次第にめくってみるだけで、正反対のことがはっきりみてとれる。ここで問題なのは、たんに極端に階層化された社会であるだけではなく、自身の諸関係を華々しい暴力から借り受けている社会である。
[#地付き](『グラマトロジーについて』)
しかも、デリダが周囲の頁とは正反対のことを述べていると断定している、この「文字の教訓」の章においても、ナンビクワラ社会における争いや敵意と財の交換の関連についての考察があるし、文字をもたない階層社会の例も挙げられている。それなのになぜ、デリダはそこに、「無垢で善良な共同体」という書かれていないイメージを読みとってしまうのだろうか。それが、あらゆる著作家は自分の盲点に気づかないままテクストにその盲点を示してしまうということを前提とし、読み手としてのデリダが、その盲点を実際に書かれたこととは無関係にテキストのなかに恣意的に指し示すことができるとする、デリダ一流のやり方なのだといってしまえばそれまでだろう。
しかし、デリダの恣意的な読みは、レヴィ=ストロースの盲点というより、むしろ、「たった一つの社会」でしか思考しないデリダがもっている盲点(それは、他者の歴史の忘却に守られているのだが)を指し示しているように思う。
デリダが暴力を隠すものだと批判している、閉じられた無垢で善良な共同体のイメージは、一九世紀の西欧が、自分たちを暴力的で流動的だが「開かれた社会」だと規定するために、それとは正反対のイメージを過去や未開や田舎の小規模な共同体に投影することで創りだした観念である。ところが、デリダは、自分が批判しようとするその観念にこだわるあまりに、あらゆる小規模な共同体についての記述のなかに、無垢で善良な共同体のイメージを読みとってしまう。つまり、この無垢で善良な共同体というイメージを必要としているのは、それが社会内部の暴力を隠しているということを他者のテクストのなかで暴露したいデリダのほうなのである。
すでにみてきたように、デリダは、レヴィ=ストロースが、ナンビクワラ社会が文字の出現以前は暴力も階層化も知らない無垢な共同体だったという想定とは正反対のことを、『悲しき熱帯』や他の論文のいたるところで書いていると認めているが、デリダが、無垢な共同体とは正反対の描写の例としてレヴィ=ストロースから引用しているのは、「遊動的集団の統一性はもろいものである。首長の権威があまりにも押しつけがましかったり、首長が女性を独占しすぎたり、食糧の不足を解決できなかったりすれば、他の個人や家族は離れていき、もっと事情の良さそうな近隣の集団に集まっていく。……このようにナンビクワラの社会は絶えず生成変動している」という、人類学者の民族誌においてはめずらしくはない遊動する共同体(ノマド的集団)の離合集散の描写である。
デリダが、共同体の「現実」についてのそのような記述を、もともと共同体には暴力やいさかいがあったということを隠しきれていない、無垢な共同体とは正反対の記述と読んでしまうのは、レヴィ=ストロースにではなく、デリダの頭のなかに、「無垢で善良な共同体」の固定的なイメージが貼りついているからだろう。そして、その固定的な共同体像は、一九世紀の西欧で創られた社会/共同体の二元論に由来するものだ。
つまり、ここでデリダがおこなっていることは、「共同体とは、固い統一性を有しており、不満やあらそいによって変動したり離合集散することなどない閉じられたものだ」という、たった一つの社会、たった一つの時代で創られた観念を基準にして、もともとそれとはズレのあるノマド的共同体についての記述を、暴力やいさかいを隠す、無垢で善良な共同体のイメージにあてはまる(とデリダが読みとった)記述と、それにあてはまらない記述とに割り振る作業である。デリダの根源的と称する批判とは、自分たちの社会や時代が創り出した「閉じられた共同体」のイメージをいたるところにみいだしながら、それを内部の根源的な暴力を隠していると告発する一方で、当然出てくるそのイメージにあてはまらない記述は、驚くべき根源的な暴力の露呈と読んでみせるものなのである。
そのような議論は、自分たちが閉じられた不変の共同体とは違って開かれた社会だと自己規定するために、西欧近代が、そのようなイメージを他者に投影して遅れた社会だと断定するオリエンタリズムとたいして違わないだろう。
2人類学と「真正さの水準」[#「人類学と「真正さの水準」」はゴシック体]
†共同体の抑圧性の仮説[#「†共同体の抑圧性の仮説」はゴシック体]
ポストモダン論者は、デリダにかぎらず、その近代批判にもかかわらず、近代が創りだした「閉じられた共同体」という幻想を共同体主義者と共有しながら、共同体批判――すなわち、閉じられた「共同体」から外部との交通に開かれた「社会」への解放の物語――を繰り返しているようにみえる。その共同体批判は、前近代の共同体のロマン化を批判したり、あるいは国民国家という共同体の閉鎖性に反対するために、あらゆる共同体を解体していく資本主義の「交通」(レヴィ=ストロースにいわせれば、「非真正な交通」)を評価する。しかし、そのような批判は、資本主義によって解体されるべき共同体についてのイメージが当の資本主義によって創りだされた幻想であることを忘れている。
共同体からの解放という物語は、近代社会が自らを開かれた進歩する社会とみなすことを可能とすると同時に、共同体に縛られて停滞している非西洋の諸社会や西洋の内部の田舎や下層階級を文明化する使命があるという観念を作り、植民地支配を正当化するはたらきをしてきた。つまり、ポストモダン論者が共有している「共同体とは閉鎖的で均質で抑圧的なものだ」という仮説は、近代以前にもあった共同体間の交通や共同体の雑種性を見えないものにし、共同体内部のあらそいや流動性の記述は、共同体に反するものだという読みを生むとともに、交通や開放性や異種混淆性(雑種性)は、近代の資本主義や帝国主義によってのみ生じるものであるかのような思い込みを生んでしまう。問題なのは、その仮説が、近代の資本主義や帝国主義によって汚染される以前の共同体の原初的な姿を捉えそこなっているからではなく(それはレヴィ=ストロースのいうように幻想でしかない)、真正な社会のレベルにいまでも現に存在する、共同体の雑種性や複数性を、解放や進歩や発展(=開発)の名のもとに均してしまうことを正当化するところにある。レヴィ=ストロースが批判したのは、そのような仮説にもとづく発展や解放の物語だった。
『悲しき熱帯』という書物は、たしかに、西洋文明という単一的な文明が、他の地域を植民地にすることによってグローバル化していくことを、「エントロピーの増大」(均質化による無秩序の増大)として語るペシミズムに覆われている。けれども、レヴィ=ストロースによれば、エントロピーの増大に抗することに知性を費やしていた「未開」社会は、互いに他と対立・抗争しあうことで相互の距離と多様性を保ってきた世界とされている。レヴィ=ストロースは、それまでの民族学が陥りがちだった、それらが無垢な共同体であったという語りをむしろ批判していたのである。
†真正さの水準[#「†真正さの水準」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、「社会科学における人類学の位置および人類学の教育が提起する諸問題」という論文(『構造人類学』に収録)のなかで、将来、おそらく人類学から社会科学への最も重要な貢献は、彼が「真正さの水準」と呼ぶ、社会の二つの存在様式の区別だと述べている。その区別とは、〈顔〉のみえる関係からなる小規模な真正な(本物の)社会の様式と、近代社会になって出現した、印刷物や放送メディアによる大規模な「非真正な(まがいものの)」社会の様式との区別である。
デリダは、わざわざこの論文に触れて、この区別も文明社会と無垢な未開共同体との区別としてとらえているが、それは、デリダの頭のなかに、この種の区別といえば、社会と共同体の区別しかないからにほかならない。しかし、レヴィ=ストロースが線を引いているのは、デリダが批判しているような、害毒をばらまいている西欧文明と、汚染されていく無垢な小規模の共同体とのあいだではなく、国民国家のなかのネイション(国民あるいは民族)やエスニック・グループ(ネイションのなかの民族集団)などのように、間接的コミュニケーション(書物、写真、新聞、ラジオ、テレビなど)によって結ばれている大規模な共同体の非真正さと、個別の顔のみえる関係による小規模なローカル諸社会の真正さとのあいだである。
つまり、ここで非真正なまがいものの社会の存在様式と真正な本物の社会の存在様式とを区別するといっても、前者のみが虚構で、後者は実体だといっているのではないし、また、レヴィ=ストロースが真正な社会の様式と呼んでいるのは、純粋な民族文化や真正な不変の伝統をもつ無垢で非暴力的な共同体のことではない。ここでいわれている真正さの水準とは、法や貨幣やメディアに媒介された間接的で一元的なコミュニケーションと、身体的な相互性を含む〈顔〉のみえる関係における多元的なコミュニケーションの質の違いを指しているにすぎない。
レヴィ=ストロースのいう真正さの水準による区別は、五百人の社会と五十万人の社会とでは人びとの結びつき方が違うといっているだけのように聞こえるかもしれない。しかし、レヴィ=ストロースは明確には述べていないが、この区別は社会の規模からくるというより、社会の想像の仕方からくるといったほうがよい。つまり、あたかも神の眼から一望したように境界の明確な全体としての社会を、メディアの媒介によって想像する仕方と、全体を見とおす視座などもたずに、人と人との具体的なつながりを延ばしていって、境界のぼんやりとした社会の全体を想像するしかないという想像の仕方の違いである。
その想像の仕方の違いによって、人と人とのつながりのスタイルも、人びとのアイデンティティの作られ方も違ってくる。たとえば、非真正な想像の仕方では、他者との社会関係は、〈顔〉のみえる人と人の〈あいだ〉で作られる流動的な関係ではなく、国民国家や民族集団といった固定された全体に媒介された間接的なものとなり、アイデンティティも人と人の〈あいだ〉で作られる多様で複数的なものではなく、〈日本人〉というネイションの全体に自分が結びつけられて、自分が日本人というアイデンティティをもち、そこから他者との関係が意味づけられるというように、人と人の〈あいだ〉を抜きにして、全体と個人がいきなり結びつけられることによって創られるものとなっている。
しかし、ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』で明らかにしているように、そのような想像の仕方やアイデンティティの創られ方は、ネイションという「想像の共同体」に独特の想像の仕方であって、それ以前の「想像の共同体」は、明確に境界づけられた全体なしに、〈顔〉のみえる人と人の関係を「延長」していくことによって想像されていた。アンダーソンの議論を参考にすれば、真正さの水準の区別は、人口の規模できまるのではなく、国民国家のなかの民族集団のように、規模が比較的小さくても、レヴィ=ストロースのいう非真正な社会の様式(想像のスタイル)はあるし、国民国家以前の民族のまとまりのように、人と人の〈あいだ〉の関係を延長するという想像のスタイルによる、規模がある程度大きな真正な社会様式もあることが明確になるだろう。
レヴィ=ストロースは、国民国家を典型とするより大きなまがいものの社会のなかに包摂され、法や貨幣やメディアに媒介されたコミュニケーションの領域がどんどん拡大していっても、そして、その包摂によって不完全になりながらも、農村だけではなく、大都市のなかの近隣関係や仕事場やさまざまなサブ・グループなどに、真正な社会の様式が残っているという。そして、そのような現代の小規模の社会集団の真正な生活様式においても、〈顔〉のみえる関係に参与する人類学者のフィールドワークが有効にはたらくことを五〇年代にすでに示唆していた(同じ職場にはたらく人びとや学校など、現代社会の小規模な集団に対する人類学的調査が行なわれるようになったのは八〇年代になってからである)。
一方、レヴィ=ストロースは、同じく現代社会を対象とする人類学的研究でも、五〇年代のアメリカの文化人類学界で盛んだった「国民性」研究(日本における「日本人論」もその流れをくむものである)に対しては、「同じものとしてあつかうことのできない社会生活の二つの形態を、無意識のうちに一つにしてしまうことによって、最悪の偏見を正当化するか、あるいは空疎な抽象をあがめるかという二つの結果のどちらか一つに到達するだけだ」と、その誤りを批判している。
つまり、真正な伝統や民族文化にもとづくとされることの多い国民性や民族性といったアイデンティティは、むしろ〈顔〉のみえる関係や身体的な相互性を捨象した空虚な均質化にもとづく非真正なものであり、文化の真正さは、均質ではないが〈顔〉のみえる相互性にもとづく小規模な社会生活の形態にこそあるというわけである。
そう述べるとき、おそらくレヴィ=ストロースは、ナンビクワラで出会った小集団の人びとの〈顔〉を思い起こしていたのではないだろうか。そこでの〈顔〉のみえる関係は、「民族性」というアイデンティティなど刻印されず、場面によってさまざまに変わる融通|無碍《むげ》さをもっているけれども、触れることのできる具体的な関係として思い起こされていたにちがいない。そして、〈顔〉のみえる相互的関係に足場をおく人類学こそ、人間文化の真正さを拾いあげることができるというのが、レヴィ=ストロースの確信であった。
†エントロピックな語り[#「†エントロピックな語り」はゴシック体]
人類学こそが真正な社会における文化を解明できるというレヴィ=ストロースの確信は、人類学の危機がいろいろいわれている現在からみれば、楽観的すぎるように思われるかもしれない。けれども、この楽観は、現在の人類学者たちよりはるかに深いペシミズムのなかから生まれてきたものである。そのペシミズムには、二つの世界大戦による西欧文明の崩壊や断片化、そしてユダヤ系フランス人であるレヴィ=ストロースにとって他人事ではないはずの、第二次世界大戦後に明らかになったユダヤ人のホロコーストにみられる、自分たち西欧の悲惨さと野蛮さが反映されるといえるかもしれない。
しかし、レヴィ=ストロースの場合、西欧の同時代的なペシミズムに、植民地化による地球上の諸文化の崩壊や、南北アメリカ先住民に対するホロコースト以上の民族大虐殺などの「熱帯の悲惨さ」が重ね合わされている。地球上の諸文化の多様性・複数性が、人間文化の維持や生成にとって必要不可欠なものだと考えて、哲学を放棄し、西欧文明を出て「野生」の地へおもむいたレヴィ=ストロースがみたものは、結局、西欧文明の野蛮さだった。そこで目にしたものは、それらの文化の多様性・複数性が、西欧による植民地化を通して、西欧を中心とする近代世界システムに包摂されるなかで、破砕され、西欧文明と混じり合い、ブルドーザーで均されて消えていくようすだったのである。
そして、レヴィ=ストロースのなかでは、均質化によるエントロピーの増大のただなかで人間文化が死を迎えるだろうというペシミックな認識が、文化人類学によってもその多様性・複数性の把握はすでに不可能となっているのだという認識と結びついている。均質化によって文化の多様性・複数性が消滅していくというこの認識は、近年では、たとえばジェームズ・クリフォードによって、純粋な民族文化や本質的な伝統といったものがあることを前提とし、現代に生きる周辺地域の人びとがその混じり合いのなかで新しい文化を生成していることを無視して、西欧などの先進国に暮らす自分自身のエキゾチシズムを満足させてくれる純粋文化の消滅を嘆く、「エントロピックな語り(消滅の語り)」だとして批判されている。
このような批判は、レヴィ=ストロースが、近代世界システムに包摂され西欧文明に蹂躙《じゆうりん》される以前の純粋な文化を保存したり記録することによる救済こそ重要だと考える、文化の本質主義に立っていると想定しており、その意味ではデリダの批判にも通ずるところがある。しかし、そのような批判は、レヴィ=ストロースが純粋で不変の単一の文化という考え方を否定した最初の人類学者のひとりであったことを忘れている。レヴィ=ストロースは、「単一文化、というのは無意味です。そのような社会はかつて存在したことがないからです。すべての文化は攪拌《かくはん》と、借用と、混合から生まれたものです。そして、そのテンポは違っているでしょうが、有史以来そのことは変わりはありません」(『遠近の回想』)と述べている。
たしかに、レヴィ=ストロースはペシミズムに彩られた「エントロピックな語り」をあちこちでしている。けれども、彼が嘆いているのは、クリフォードが解釈しているような純粋な単一の始原的文化の消滅ではない。攪拌と借用と混合から生まれ、そのなかで変化しながら維持されてきた、ローカルな文化それぞれの独自性のあいだの距《へだ》たり、一言でいえば、人間の諸文化のあいだに保持されてきた多様性の消滅を嘆いているのである。
ただ、そのような批判にある程度の説得力をもたせているのが、よく(たいてい不正確に)引用される、「私は、空間の考古学者ともいうべき旅人としての自分を、微小な断片や残骸をつなぎ合せて異国情緒を復原しようと、虚しく骨を折っている旅人である自分を認めた。……私は『本当の』旅の時代に生まれ合せていればよかったと思う。旅人の前に展開する光景が、まだ台無しにされていず、汚されても呪われてもいず、その有丈《ありたけ》の輝かしさのうちに自己を示していたような時代に」といった、『悲しき熱帯』のなかの言葉である。それは、つぎのように続いている。
[#2字下げ] 五年ずつでも早ければ早いだけ、私は習俗一つを余分に掬《すく》い上げ、祭りを一つ多く記録し、俗信一つを余分に原住民と分ち合うことができたであろう。しかし、私から一世紀を取り去れば、同時に、私の考察を豊かにしてくれる資料や興味ある事実をも断念する結果になることを、私は文献資料の知識からよく知っている。このようにして、私の前に現われるのは脱け出すことのできない循環だ。人類の様々な文化が、相互に交渉をもつ度合いが少ければ、つまり接触によって互いに腐蝕し合うことが少ければ、それだけ、異なった文化がそれぞれ送り込む使者が、文化の多様性のもつ豊かさと意義を認め得る可能性も少かったわけである。このように考えて来ると、私は二者択一の隘路《あいろ》に追い込まれる。昔の旅人として、目を見張るような光景――しかし、彼はそのすべてもしくは大部分を把握できないだけでなく、なお悪いことに、嘲《あざけ》りと嫌悪を感じるのだ――に向い合うか、または現代の旅人として、すでに消滅してしまった現実の痕跡を追って走り回るか。……数百年後に、この同じ場所で、他の一人の旅人が、私が見ることができたはずの、だが私には見えなかったものが消滅してしまったことを、私と同じように絶望して嘆き悲しむことであろう。
[#地付き](『悲しき熱帯』)
ここまで読んだだけでも、レヴィ=ストロースの言葉が、汚染される以前の純粋な文化をみるには遅れてしまったと嘆く人類学者の「消滅の語り」であるという批判より、はるかに陰影に富む考察であることがわかるだろう。しかも、このあとに、レヴィ=ストロースは、このジレンマが、最初にアマゾンへ赴いた時の絶望から『悲しき熱帯』の執筆時までの、二十年の忘却をへて溶け去っていったと続けている。
[#2字下げ] 満ちて来る忘却の潮の中で私が思い出を転がしているあいだ、忘却は思い出をすり減らし、埋め隠す以上の働きをしたようだ。思い出の断片から忘却が築き上げた深い構築は、より堅固な平衡を私の歩みに与え、より明晰な下絵を私の視覚に示してくれる。一つの秩序が他の秩序に置き換えられた。私の視覚とその対象とを隔てていた二つの谷間の崖を、歳月は崩し、そこに残骸を詰め込み始めた。……時と場所がぶつかり合い、並置され、あるいは転換される。あたかも古い地殻の震動によって、沈殿物に断層が生じるように。最下層に埋もれていた古いあれこれの細部が、尖峰のように迸り出る。その一方で、私の過去の幾つもの地層全体が、何の痕跡も残さずに沈下して行く。種々様々な時代と地域から取って来た、一見何の関連もない出来事が、一方が他の上に重なり合い、……どこかの建築家が設計を考え抜いた、城に似たものの姿で、突然位置を定めてしまう。……古びた体験と私が差向いになれるのに、二十年の忘却が必要であった。地の果までこの体験を追い求めて行きながら、かつての私にはその意味が掴めず、それに親しみを覚えることもなかったのだ。
[#地付き](『悲しき熱帯』)
ここで語られているのは、まさしく、『悲しき熱帯』の訳者である川田順造氏の言葉を借りれば、「文化を、一つの単位をなした総体として経験的・実証的に満遍なく捉えるのでなく、文化の幾つかの徴候の吟味を通して隠れた意味を解読してゆこう」とし、「複数の異なる文化のあいだでの、徴候の対置や転換によって、あるいは、表面的にはかけ離れているように見える徴候同士を、思いがけない遣り方で重ね合せることによって意味を発見するという、……構造主義の一つの基本となった態度」の誕生にほかならない。つまり、それは、廃墟から拾い集めた断片の数々が、断片のまま、思いがけない重なり合いによって、モザイク状のパターンを、あるいはレヴィ=ストロースのお気に入りの比喩を使えば、万華鏡の模様を形成することに気づいたとき、生まれたのである。
†それでも多様性に賭ける[#「†それでも多様性に賭ける」はゴシック体]
レヴィ=ストロースの構造人類学は、始原の完全な姿ではなく断片と残骸しかみいだすことができず、また、それらの断片や残骸をつなぎ合わせて異国情緒を復原することもできないというジレンマを脱し、それらの断片や残骸にこそ、その多様性や複数性による新たな文化の生成の可能性があるという楽観的な信念が、あのペシミックな絶望から時を経て出てきたことによって誕生したものなのだ。いいかえれば、多様性と複数性を求めて哲学を放棄したはずのレヴィ=ストロースが陥った二者択一の罠から脱するための手段となり、また、このペシミズムのなかの楽観的な確信を支えているものこそ、構造主義という方法なのであった。
英語圏の文化人類学者のなかではめずらしく、レヴィ=ストロースの感性のよき理解者であるジェームズ・ブーンは、「あらゆる類いの旅行記の息の根をとめてしまう旅行記」である『悲しき熱帯』が「微小な断片や残骸をつなぎ合せて異国情緒を復原しようと、虚しく骨を折って」みる試みを放棄したのだという。そして、『悲しき熱帯』の先に紹介した部分を(他の批判者とは違って後段まで)引用しながら、つぎのように述べている。
[#2字下げ] もとの姿から堕落させられた状態こそ、理解を生みだす条件なのだ。『悲しき熱帯』は、朽ちゆくものの価値転換をおこなうラスキン流の偉大な伝統にたっている。壊れた廃墟から、それは、希望といわぬまでも、少なくとも意味か意義をひろい、貯えとしていくのだ。……始源そのものの純粋な姿が語ることはありえないのだ。認識論的にも、また方法論的にも、他との対比のない孤立状態で、あるいは、媒介なしに直接的に「知る」のではありえず、ただ対照をなす他のものの媒介があるがために「知る」のである。文化から文化へとめぐりそれらの歴史的移り変わりをたどっていくと、うかびあがるのは、範囲はいっぱいにひろがりながらも閉じている円環や循環のなかで、それらが繋がった姿なのである。
[#地付き](スキナー編『グランド・セオリーの復権』)
レヴィ=ストロースのペシミズムは、その深さゆえに、文化的な保守主義に向かう。たとえば、「もちろん、さまざまな文化が多様なままであることが望ましく、またその多様さのなかで、それぞれの文化が自己を変えてゆくことが望ましい、ということです。ただその場合にも……そのための代償は払わなければなりません。つまり、それぞれ独自の生活スタイルと独自の価値体系を有する文化が、それぞれに自分たちの独自性を守るように気を配っていなければならない、ということなのです。この異文化に対する対応は、よく言われるように病的なものではなく、まったく健全なものなのです」(『遠近の回想』)と、レヴィ=ストロースは述べる。けれども、その健全さを保証するのは、先に述べた真正さの水準である。非真正な社会様式にあっては、この文化の独自性の主張は「まがいもの」になるしかなく、そのレヴェルでそれを守ろうとする主張は「最悪の偏見を正当化する」悪しき人種主義でしかないことになる。
人類学(アントロポロジー)は「エントロピーの学(エントロポロジー)」でしかないというレヴィ=ストロースの語呂合わせに隠されたペシミズムに、いくらかの希望をもたらすのも、おそらく、非真正さの社会様式において文化の多様性が交流やコミュニケーションの増大によって消えていっても、真正な社会様式のレヴェルでは、かえって多様性が増大するはずだという確信である。そして、これから本書で述べていくように、真正な社会様式において、断片を思いもかけぬやり方でつないで多様性を増大していくときにはたらいている思考こそ、レヴィ=ストロースのいう「野生の思考」であり、その他の文化の断片との対照によって自己の姿を創り出したり変えていくということは、神話の構造分析によって明らかになる神話的思考としての野生の思考の特徴なのである。
レヴィ=ストロース自身、一九六八年に放送されたミッシェル・トレゲによるインタヴューで、そのような楽観的確信を、若者のサブ・カルチャーを例にして述べている。
[#ここから2字下げ]
民族学というのは多様性の学問です。もし諸集団や諸社会の間にもはや多様性が存在しなくなれば、事実上もはや民族学は存在しなくなるでしょう。しかし、私には状況がこれまで私ののべてきたほど暗くはないように思われるのです……。
第一の理由はコミュニケーションの新しい諸方式が、こんないい方をしていいのなら、「野生の」状態で生まれてきたり、発展してきたりしていることだといえましょう。……とくに理解しておかねばならないのは、マス・コミュニケーションの諸手段の出現が一方向にのみ働きかけるのではないということです。ある意味でそれらの手段が文化や諸モデルを均一化しようとする傾向をもつことはたしかにその通りでしょう。しかし他方では、そのおかげで、自分を目立たせようと望む人間の集団が、他の人間の集団に対して自分を目立たせることが非常に容易になるのです。……今日の若者が、自分自身の文化であり、その両親の文化とくらべてまったく異質のものを自分たちのために作りあげることができるとすれば、彼らにそれができるのはマス・コミュニケーションのおかげによるところが非常に大きいのです。……かつて諸民族間に存在していた差異が、未来の社会がたとえ非常に均質の文明に属するものになったとしても、今度はもはや垂直な断絶ではなくて、世代間の、あるいは社会の中の機能集団の間の水平な断絶によって未来の社会において再び現れるにちがいないということは、考えられないことではありません。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](バケス=クレマン『レヴィ=ストロース』)
前に述べた現代社会のなかの機能集団の文化の人類学的な調査の有効性への確信と合わせて読めば、ここで述べられていることは、マス・コミュニケーションによって均質化されグローバル化された文明と、それにもかかわらず(あるいはそれゆえに)、そのただなかに出現する多様性の可能性に賭けるという、深いペシミズムのなかから生まれた楽観的確信の表明であることがわかるだろう。
そして、この新たな多様性の出現の可能性もまた、真正さの水準の区別にかかわっている。均一化されるとともにグローバル化された文明の手段を用いて自分たちの文化を差異化する動きが、自分たちの均質なアイデンティティを守るために最悪の偏見を正当化することにならないためには、あるいは、その文化が、グローバル化された資本主義市場におけるエキゾチックな商品として、すなわち空疎な抽象としてあがめられるだけにならないためには、その差異化が、真正な社会のレヴェル、すなわち〈顔〉のみえる関係においてなされる必要があるということなのである。
[#改ページ]
[#3段階大きい文字]
Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【第2章】[#「【第2章】」はゴシック体]
構造主義はどのように誤解されるか[#「構造主義はどのように誤解されるか」はゴシック体]
変換と無意識
[#挿絵(img/fig2.jpg)]
1〈構造〉とは何か――鍵となる変換の概念[#「〈構造〉とは何か――鍵となる変換の概念」はゴシック体]
†構造という語のイメージ[#「†構造という語のイメージ」はゴシック体]
まず、すこし抽象的な話になるが、レヴィ=ストロースの構造主義において、〈構造〉とはなにを指しているのかということから始めたい。というのも、構造主義を理解するには、当然のことながら、その〈構造〉という概念を把握する必要があるが、にもかかわらず、これほど誤解されている概念もめずらしいからである。
誤解される原因の一つは、構造という言葉のもつ一般的なイメージにあるのかもしれない。構造というと、ビルなどの建造物の構造とか、会社などの社会組織の構造などのように、動かない固定されたもので、その全体を支配しているものとイメージされることが多いのではないか。たとえば、「それは日本文化の構造に根ざしている」というのは、ほとんど変革できないものだということを含んでいる。つまり、構造という語には、個々の要素や人間をなかに閉じ込め、なかにいる要素や人間の意志を拘束し支配しているものというイメージが強い。それは、英語やフランス語の structure でも同じことである。
そして、実際、レヴィ=ストロースの構造主義への批判やポスト構造主義の解説などにおいて、「閉じられた構造からの解放」といった言い方が登場してくるのも、そのような一般的なイメージが反映されているからだろう。そこでは、構造主義が構造のなかに閉じ込めてしまった人間や個や主体を救いだすことが目標であるかのように語られている。また、構造主義が、無意識的な構造という観念によって主体の意図や意識を考慮せずに除外することに成功した研究方法であったことから、よけいに構造を「無意識のうちに拘束するもの」として敵対視する傾向を生んだということもある。
だが、このような理解はあきらかに誤解といわなければならない。「構造からの解放」とか、あるいは「日本文化の構造に根ざしたもの」とかいった言い方は、レヴィ=ストロースのいう〈構造〉からは出てくるはずのないものなのである。さらに、「ある社会の親族の構造」とか「ある神話の構造」といった用法も、構造主義の〈構造〉という概念からはずれている。これらの用法では、構造という語は、体系《システム》とほとんど同じ意味に使われているが、レヴィ=ストロースの〈構造〉概念は、体系《システム》とはっきり区別されているものである。それは、建物の構造などというときのように、一つの体系だけを観察していたのではみえてこないものであって、ある一つの社会の構造とか、ある一つの神話の構造はこれだという言い方ができないような概念なのである。
では、レヴィ=ストロースのいう〈構造〉とはどのようなものであるのか、それを説明していくことにしよう。
†〈構造〉の定義――体系と構造の違い[#「†〈構造〉の定義――体系と構造の違い」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、構造主義の〈構造〉をつぎのように定義している。「『構造』とは、要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は、一連の変形[変換]過程を通じて不変の特性を保持する」。そして、つぎのような補足説明をしている。
[#ここから2字下げ]
この定義には、注目すべき三つの点というか、三つの側面があります。第一は、この定義が要素と要素間の関係とを同一平面に置いている点です。別の言い方をすると、ある観点からは形式と見えるものが、別の観点では内容としてあらわれるし、内容と見えるものもやはり形式としてあらわれうる。すべてはどのレヴェルに立つかによるわけでしょう。したがって、形式と内容の間には恒常的関係が存在する。……
第二は「不変」の概念で、これがすこぶる重要な概念なのです。というのも、わたしたちが探究しているのは、他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるものだからです。
第三は「変形(変換)」の概念であり、これによって「構造」と呼ばれるものと「体系」と呼ばれるものの違いが理解できるように思います。というのは、体系もやはり、要素と要素間の関係とからなる全体と定義できるのですが、体系には変形が可能でない。体系に手が加わると、ばらばらになり崩壊してしまう。これに対し、構造の特性は、その均衡状態になんらかの変化が加わった場合に、変形されて別の体系になる、そのような体系であることなのです。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](『構造・神話・労働』)
ここで述べられているように、レヴィ=ストロースの構造主義における〈構造〉概念を理解する鍵は〈構造〉と呼ばれるものと体系と呼ばれるものの違いを理解することにある。そして、その違いのポイントは、〈構造〉が変換 transformation という概念と一体であるということにあり、さらに、その変換と不変の概念との結びつきにある。というのも、構造と体系との相違点は、体系とは違って、構造は変換されるという点にあり、また、構造とは何かという問いの最もシンプルな答えは、一連の変換の過程をとおして「他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるもの」、つまり、ある体系が変換をとおして別の体系に変化したときに現れる不変性であるのだから。レヴィ=ストロースは、エリボンとの対話(『遠近の回想』)のなかでも、つぎのように述べて、変換という概念の重要性と、それによる体系(システム)との違いを強調している。
[#2字下げ] ところで変換概念は構造分析には必然のものなのです。構造概念に関するあらゆる誤解、構造概念のあらゆる濫用は、その人が構造概念は変換概念を離れては考えられないということを理解しなかったという事実に原因を求めることができるとさえ言ってもいいぐらいです。構造はシステム、つまり一定の要素とそれら要素を繋ぐ関係によって構成される全体集合というものに還元できるものではありません。構造というものを語り得るためには、いくつかの集合の要素と関係の間に、不変の関係が出現し、ある変換を通じて一つの集合から別の集合へ移れるのでなければなりません。
構造における不変性(「他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるもの」)とは、体系のなかに最初からみいだされ、いろいろ変換しても変換されずに残る固有のものという意味ではない。構造という見方においては、変換されえないものなどなく、体系を構成する要素も要素間関係も、一切のものが変換しうる。つまり、要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる「不変の関係」という不思議なものが〈構造〉ということになる。
けれども、それが不思議なものに思えるのは、一つの体系のみを考えるからである。レヴィ=ストロースの言葉にあるように、構造における不変の関係とは、一つの集合(体系)から別の集合(体系)へ移行する関係のことである。構造の探究(すなわち構造分析)とは、一つの体系と、それとは別の体系のあいだに変換の関係をみいだすことにほかならない。つまり、この変換の関係が不変の関係と呼ばれているものなのであり、変換のないところに不変なものもみいだせない――したがって構造もまたない――のである。
しかし、変換の関係が不変の関係だという説明は、まだ、変換と不変という矛盾した語を組み合わせた判じ物のように聞こえるかもしれない。レヴィ=ストロースも認めているように、変換の概念こそ、〈構造〉という概念の理解の鍵であるとともに、誤解の原因でもあった。変換によって現れる不変なものとは、具体的に何なのか――この問いは〈構造〉とは何なのかという問いでもあるのだが――をもうすこし説明してみよう。
†ジャンケンの体系の変換[#「†ジャンケンの体系の変換」はゴシック体]
変換によって現れる構造の不変性について、よくある誤解は、体系のなかの要素間の関係が不変だとみてしまうというものである。それは、変換ということを説明するときに、要素間の関係を変えずに要素だけを置き換えるという変換の例を挙げることが多いからかもしれない。
たとえば、日本での解説書でよく引かれるものにジャンケンの例がある。ジャンケンは、グー(石)、チョキ(ハサミ)、パー(紙)の三つの要素と、グーはチョキに勝ち(石>ハサミ)、チョキはパーに勝ち(ハサミ>紙)、パーはグーに勝つ(紙>石)という、要素相互のあいだの関係からなる一つの体系である。つまり、このジャンケンの体系での要素間の関係は、A>B>C>Aと書き表せるが、それを変えずに要素だけを置き換えて、「藤八拳」という別の拳ゲームに変換することができる。藤八拳というのは、庄屋(手をひざにあてる格好で表す)と、猟師(手を前に出して鉄砲を構える格好をして表す)と、キツネ(手を耳にあててキツネの格好をして表す)という三つの要素からなるもので、庄屋は猟師に勝ち、猟師はキツネに勝ち、キツネは庄屋に勝つという要素間の関係がある。
したがって、ジャンケンの体系のA>B>C>Aという要素間の関係を変えずに、たとえば、石を庄屋に、ハサミを猟師に、紙をキツネにそれぞれ要素を置き換えると、ジャンケンの体系が藤八拳の体系になる。このように、二つの体系のあいだに、ある変換の規則(石=庄屋、ハサミ=猟師、紙=キツネ)による変換の関係がみいだせるとき、ジャンケンと藤八拳は、一つの変換群をなし、同じ〈構造〉をもつというわけである。
この説明はもちろんまちがってはいない。けれども、このジャンケンの例のみで考えると、そこでの変換がたまたま、要素間の関係を変えずに要素だけを置き換えるという変換になっているだけなのに、構造における「変換を通じて不変なもの」とは要素間の関係のことだと誤解するおそれがある。そうなると、構造という見方は、複数の体系をならべて、それらの要素間関係を比較するということにすぎなくなり、体系《システム》という見方とほとんど同じになってしまう。
しかし、レヴィ=ストロースが述べているように、〈構造〉という見方の本領は、体系を支配する「一つの内的脈絡」が、「一つの切り離された体系の観察においては近づきえないものでありながら、変換の研究――それによって、一見異なった体系の間に類似性をみいだすことができる――において明らかになる」(「人類学の課題」)ようなときにこそ発揮される。いいかえれば、その内的脈絡とは、その一つの体系だけをみていたのではけっしてみいだすことのできないものであり、別の体系との変換の関係の探究によってはじめて現れるものなのである。したがって、その探究を、その体系のなかに「隠れていた内的脈絡」をみつけることだということは不正確となろう。その内的脈絡はたしかにその体系の内部にあるものだが、その体系の内部や奥や深層をいくら探ってもみつかるものではない。それがみつかる場は、いわば、体系と体系との〈あいだ〉なのである。
†トムソンによる変換の概念[#「†トムソンによる変換の概念」はゴシック体]
ところで、レヴィ=ストロースはエリボンとの対話のなかで、『野生の思考』での構造分析や『神話論理』での構造分析において重要な位置をしめている「変換」という概念はどこから借りてきたのかと聞かれて、つぎのように答えている。
[#2字下げ] 論理学でもなく、言語学でもありません。それは私に決定的な影響を与えた一冊の書物から来ています。戦争中アメリカにいた頃にはじめて読んだ本なのですが、ダーシー・ウェントワース・トムソンの『成長と形態』二巻です。初版は一九一七年に出ています。スコットランド(……)の自然学者で、動植物の同じ属のなかでの種相互の、あるいは器官相互の眼に見える差異を「変換」として解釈しています。これは一種の啓示でした。この考え方が長い伝統に根ざしていただけに余計にそうでした。トムソンの前にはゲーテの植物学[形態学]、ゲーテの前にはアルブレヒト・デューラーの『人体比例論』があります。
[#地付き](『遠近の回想』)
ダーシー・トムソンの『成長と形態』は、一九四二年に増補された第二版が出ており、レヴィ=ストロースが読んだのはそれらしいが、一九六二年にジョン・ボナーが初版の縮約版を編集して出しており、それは日本語にも翻訳されている(日本語版の題名は『生物のかたち』)。そのなかから、トムソンが魚のかたちの変換を座標変換として説明している部分と図を引用しておこう(図1[#「図1」はゴシック体])。
[#挿絵(img/fig3.jpg)]
[#ここから2字下げ]
(a)、(b)は単純な例であり、ムネエソ(a)のy軸を傾けると、属は異なる魚だが、テンガンムネエソ(b)のかたちとなる。(c)のベラを、(d)のような同心円に近い座標系に移すと、隣の科のポマカンタス属の魚となる。……(e)から(h)まではとげのある魚のシリーズで、ヘラやポマカンタスと親戚である。ポリプリオン(e)から始めて、三角形や放射状の網目にすることにより、クルマダイ(f)、カサゴ(g)を導くことができ、さらに特異な変形によってヒシダイ(h)になる。
(i)は、フグの仲間のハリセンボンである。その鉛直座標軸を同心円に、水平座標軸を双曲線に変形し、もとの輪郭を新しい網目に移すと、親戚ではあるが見かけの非常に異なるマンボウ(j)を得る。この例は、生体の変形や変換についてとくに示唆に富んでいるといえよう。変換された座標系は、もはや軸どうしが直交していないから、数学的な意味で基本的な変換とはいえないが、見た目には均整がとれていて美しい。この変換によって、二つの魚の骨格の関係を、小さな骨一つ一つにいたるまで示すことができると思われる。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](トムソン『生物のかたち』)
トムソンによって述べられているこの座標変換の例では、眼やエラやヒレや一つ一つの骨といった要素とその配列は変わらないが、それらの要素の配列の位置関係が、座標系の変換の規則に応じて変えられている。
そして、トムソン自身、ゲーテの形態学や画家デューラーの『幾何学』といった先行者を挙げながら、このような変換が数学的な変換であり、数学の用語で厳密に述べられるものだという。それを受けて、トムソン以後の数学の用語を使えば、トムソンが「数学的な意味で基本的な変換とはいえない」といっている例も数学の用語でいい表すことができる。たとえば、(a)から(b)への座標変換は射影変換であるのに対して、(c)から(d)への変換は、位相変換であるといえる。射影変換とは、紙などの平面上に描かれた図形を、視点を変えて斜めからみたりするときにみえるさまざまなかたちの変化を指しており、位相変換とは、自由にいくらでも伸びたり縮んだりするゴム膜の上に描かれた図形を、そのゴム膜を伸び縮みさせてできるさまざまなかたちの変化をいう。
レヴィ=ストロースは変換を通して不変のものを〈構造〉と呼んだが、変換の概念と同様に、この不変性の概念も数学的なものである。橋爪大三郎氏は、射影変換などの数学的な変換を例に、〈構造〉をつぎのように説明している。
[#ここから2字下げ]
[射影変換では]視点が移動すると、図形は別なかたちに変化する(射影変換される)。そのときでも変化しない性質(射影変換に関して不変な性質)を、その図形の一群に共通する『骨組み』のようなものといういみで、〈構造〉とよぶ。〈構造〉と変換とは、いつでも、裏腹の関係にある。……
いま[射影変換]の例でいうと、正方形と台形は同じ数学的対象(変換群)とみてかまわない。そこでこれを〈四角形〉と表そう。また、円と楕円も、同じ数学的対象(変換群)とみられる。そこでこれを、〈円〉と表そう。……ただし、射影幾何学の範囲では、〈四角形〉と〈円〉は、まだ異なった対象である。なぜなら、射影変換では、直線は直線にしか変換されないので、正方形が円になったりしないからである。
ところで、〈構造〉と変換とは、裏腹であった。だから、別の変換を考えてみると、別の〈構造〉が考えられるから、〈四角形〉と〈円〉を同一視できるかもしれない。実際、射影変換のかわりに、「位相変換」を考えると、〈四角形〉と〈円〉の区別はなくなって、〈閉曲線〉とでもいうもの(変換群)になる。
都合よくいくらでも伸びたり縮んだりするゴム膜の上に、図形を書いて、伸び縮みさせながら別の図形に重ねることができるかを、考えてみる。この変換が、位相変換である。位相変換に関して不変な性質を、位相的性質という。これもまた、〈構造〉である。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](『はじめての構造主義』)
このように、〈構造〉と変換とは裏腹であって、別の変換を考えれば、別の〈構造〉が現れる。〈構造〉とは、ある特定の変換によっても変わらない性質(内的脈絡)であるが、その性質の「変わる/変わらない」は、特定の変換に関してのみいえることなのである。たとえば、右の引用のなかの〈円〉や〈四角形〉という変換群の性質は、射影変換に関してのみ不変の性質であって、別の変換である位相変換に関しては変わらない性質ではなくなっている。このような数学的な〈構造〉の概念は、レヴィ=ストロースの構造主義にとって基本的なものである。
ただし、構造人類学における実際の〈構造〉の探究(すなわち構造分析)においては、右の数学的な説明とは逆の手順をとる。つまり、民族誌的事実がいわばさまざまな図形として与えられているところに、最初は与えられていない諸変換を探究していくことになるのである。
2構造主義はいかに生まれたか[#「構造主義はいかに生まれたか」はゴシック体]
†構造主義という名の由来[#「†構造主義という名の由来」はゴシック体]
ここまで、レヴィ=ストロースのいう〈構造〉が、ダーシー・トムソンによってもたらされた数学的な変換という概念と裏腹の関係にあることをみてきた。一見すると理解しがたく思える、変換の概念と不変の概念の結びつきもまた、数学的なものであった。最初にいったように、このような〈構造〉の概念は、この語のもつ一般的なイメージとはほど遠いものであり、また、それまでの人類学で用いられてきた「社会構造」といった概念ともまったく異なるものである。
では、レヴィ=ストロースは、なぜ自分の新しい研究方法を誤解のおそれのある〈構造〉という語を用いて、構造人類学とか構造主義と呼んだのかといえば、自分の研究方法を創りだすにあたって参考にした他の学問分野での方法がすでに〈構造〉という語を用いて呼ばれていたからだろう。その参考にした他の学問分野の方法とは、一つは、言語学におけるプラハ学派によってはじまる「構造言語学」であり、もう一つがフランスの現代数学者のグループであるブルバキ集団による「数学の構造主義」である。前者は、プラハ言語学派の一員でもあり、レヴィ=ストロースと生涯をとおして交友関係のあったローマン・ヤーコブソンから教わったものであり、後者は、ブルバキ集団の創始者の一人であり、シモーヌ・ヴェイユの兄であるアンドレ・ヴェイユによって直接もたらされたものだった。
レヴィ=ストロースがヤーコブソンとヴェイユに出会ったのは、三人とも第二次大戦中にニューヨークに亡命していたときのことだった。レヴィ=ストロースは、一九四〇年に所属していた部隊がたいした戦闘もせずにドイツ軍に降伏して武装解除されたのち、ヴィシー政権下で、九月から三週間南仏で高校の哲学教師をするが、ユダヤ人であるレヴィ=ストロースは人種法によって失職し、翌年にアメリカ合州国に亡命し、亡命フランス人学者が中心となって組織したニューヨークの高等学術自由学院に参加していた。
レヴィ=ストロースがヤーコブソンに出会ったのは一九四二年で、ヴェイユとの出会いは、一九四三年に『親族の基本構造』を執筆しはじめたレヴィ=ストロースが、そのなかであつかうオーストラリアの親族関係があまりにも込み入っているので、数学者の助けを借りる必要があると考えて、この亡命数学者をはじめて訪ねたというから、レヴィ=ストロースがヤーコブソンから構造言語学を知ったほうが、ブルバキの数学的構造主義を知るよりも先だったろう。しかし、どちらが先にしろ、ニューヨークでの亡命者のグループとの交際のなかで、ほぼ同時にレヴィ=ストロースにもたらされたのである。
†ニューヨーク生まれの構造主義[#「†ニューヨーク生まれの構造主義」はゴシック体]
そして、レヴィ=ストロースが変換の概念を学んだというダーシー・トムソンの本を読んだのもニューヨークだった。それが『成長と形態』の第二版だとしたら、もともと博物学(自然史)好きで、科学誌の『ネイチャー』を愛読していたというレヴィ=ストロースが読んだのは、一九四二年に第二版が刊行された直後だったかもしれない。トムソン自身は構造という用語を前面に押しだしていたわけではないが、そこでの変換(変形)のアイディアは、ヤーコブソン経由の構造言語学からの諸観念とヴェイユ経由の数学的構造主義の諸観念を目にみえるかたちで結びつける、重要な役目をはたしたように思われる。
そう考えられるのは、レヴィ=ストロース自身がダーシー・トムソンの本を自分の変換概念の源泉だと明言しているだけでなく、それが、一九四〇年五月のはじめに、ルクセンブルグ国境のマジノ線に動員されたレヴィ=ストロースが、近くの草原に寝そべって野生のタンポポの綿帽子を眺めていたときに得た夢想こそ、〈構造〉の直観をもたらしたというエピソードとも無関係ではないと思われるからである。
子どもの頃から、博物学ないし自然史が好きだったというレヴィ=ストロースは、一見、乱雑にみえる野生の草花を眺めながら、タンポポの綿帽子が幾何学的な規則正しさをもつことの意味(「いま目にしているものの実に整然とした構造が、いくつか別々の理由の積み重なってできたものであるわけがない、それを統御している原理があるにちがいない」)について夢想したのだが、それは、ゲーテが『形態学』で述べた植物のメタモルフォーゼの観念、すなわち葉が萼《がく》に、萼が花びらに変態し、あるいはある植物の種の各要素の独特のかたちは、別の種の要素の異なるかたちの幾何学的な規則正しさを変態=翻訳したものとみなしうるという観念とつながっていくものだっただろう。そして、その二、三年のちニューヨークでトムソンの本を読んだときによみがえってきたものこそ、その「夢想」だったのではないだろうか。その夢想が〈構造〉の直観と名づけられるには、ヤーコブソンによってもたらされた構造言語学の啓示が必要だったとしても。
このように〈構造〉の基本的な観念の源泉をみていくと、一九四三年のころを、レヴィ=ストロースの構造主義の誕生の時期としてよいだろう。さらに、第1章でも引用した川田順造氏のいう、「表面的にはかけ離れているようにみえる徴候同士を、思いがけない遣り方で重ね合せることによって意味を発見するという、……構造主義の一つの基本となった態度」は、どこかシュールレアリスムのやり方を思わせるが、アンドレ・ブルトンやマックス・エルンストらのシュールレアリストたちと交際をはじめたのも、亡命先のニューヨークにおいてであった。
ジェームズ・ブーンは、前章に引用した文章で、植民地という文化の破壊の跡から、とるに足らぬ屑や破片とされていたものの意味や意義を集めていくレヴィ=ストロースを、ラスキンなど、廃墟や朽ちゆくものの価値の転換をした一九世紀の象徴主義の作家たちの伝統につなげていたが、レヴィ=ストロースのもっと身近に、同じように、世界の廃墟の断片を断片のまま、思いがけぬかたちで繋ぐことで作品を生成しようとした作家や芸術家たち――つまり、シュールレアリストたち――がいたというわけである(ヤーコブソンを介して身近に感じられるようになったはずの、ロシア・アヴァンギャルドの作家や芸術家たちもそこに含めてよいかもしれない)。そして、そのようなやり方は、のちにレヴィ=ストロースが『野生の思考』のなかで「ブリコラージュ(器用仕事)」と呼んだ野生の思考ないし神話的思考の手法と重なってゆくものでもあった。レヴィ=ストロース自身も、ニューヨークでの出会い以後も交友関係の続いたエルンストについて書かれた「ある瞑想的画法」という文章のなかで、自分が『神話論理』などの著作のなかでしようとしたことは、エルンストが絵画やコラージュで行なったことと同じものだと述べている。
レヴィ=ストロースの構造主義に関するかぎり、それが誕生したのは戦後のパリではなく、さまざまな出自の人びとが亡命というかたちで集まり、異種|混淆《こんこう》の場となっていた第二次世界大戦中のニューヨークにおいてであったといえよう。後年になってレヴィ=ストロースは、つぎのように回想している。「ニューヨークは当時、すべてが可能であるかにみえる町だった――それがこの町の魅力の源泉であり、この町にある意味で幻惑されることの原因でもあった。市街の組織と同様に、社会や文化の組織にもあちこちに孔《あな》があいていた。そうした孔を適当に選択して入り込むだけで、アリスのように、鏡の向こう側の幻かと紛うほど魅力的な世界に行きつくことができた」(『はるかなる視線』)。そのような混沌とした多孔体のなかから〈構造〉というアイディアは生まれたのである。
つまり、当時のレヴィ=ストロースには、ヤーコブソンの構造言語学とトムソンを介してヴェイユにつながる数学的構造主義の二つの方法を結びつけた構造主義こそ、人間の文化現象の多様性や変異をあつかう文化人類学において有効であるだけではなく、さまざまな学問分野を横断する研究方法となっていくにちがいないという見通しがあったのだろう。だから、自分の研究方法を「構造主義」と呼ぶことにためらいはなかったはずだ。さらに、それがたんなる方法論というだけではなく、それまでの西欧の思考や哲学の根源的な批判となっており、思考の場のかたちを一新するものになることも意識していただろう。もっとも、一九六〇年代になって、基本的にはソシュールの読み返しを特徴とする構造主義が思想の流行となり、マス・メディアから、ミシェル・フーコーやロラン・バルトやジャック・ラカンらとも共通する新しい哲学や主義としてあつかわれるようになると、レヴィ=ストロースは、それがたんなる方法論であることを強調するようになっていくのだが。
†構造主義の複数の異なる源泉[#「†構造主義の複数の異なる源泉」はゴシック体]
まず、レヴィ=ストロースの〈構造〉概念における〈変換〉を数学的な変換の概念として理解することの重要性を述べてきたが、それは、レヴィ=ストロース自身も強調しているように、〈構造〉と〈変換〉との表裏一体の関係、いいかえれば〈変換〉と〈構造〉の不変性との関係こそ、その〈構造〉概念を理解するうえでの最も重要な鍵であり、それを理解していないことが、これまでの誤解のほとんどの原因であったからである。
そして、それがなかなか理解されてこなかったのは、レヴィ=ストロースの構造主義の解説書の多くが、数学的ないし形態学的な〈変換〉の概念の重要性を強調せずに、もっぱらソシュールの言語学から説明してきたせいだろう。もちろん、六〇年代のパリにおける構造主義の流行はソシュールの再評価の影響ぬきには語れないし、レヴィ=ストロース自身にも、ヤーコブソンの構造言語学を通じてソシュールからの影響は小さくはない。しかし、変換と表裏一体の関係にあるレヴィ=ストロースの〈構造〉の概念を、そもそも変換という視点のないソシュールの言語学から理解するのは無理だったのである。
とはいっても、トムソンを介してゲーテやデューラーにつながる数学的な変換の概念だけで、レヴィ=ストロースの〈構造〉の概念ができあがったわけではない。レヴィ=ストロースの構造概念は、この形態学的・数学的な変換の概念のほかにも、ヤーコブソンの構造言語学や文化人類学など、それとは異なる源泉から取りだされた諸観念が重なり合ってできたものであった。そして、それらの異なる観念は、どれか一つ欠けてもレヴィ=ストロースの構造主義はまったく違ったものとなっていただろうと思われるほど、それぞれが重要な位置を占めている。いいかえれば、レヴィ=ストロースの構造人類学を理解するには、これらのどれか一つを切り離してとらえてもうまくいかないということなのだ。
レヴィ=ストロース自身、自分の研究の方法論ないし構造主義の源泉としてさまざまなものを挙げている。たとえば、『悲しき熱帯』のなかでは、マルクス主義と地質学とフロイトの精神分析学の三つを自分の考えの源泉として挙げている。けれども、これなどは、若いころ夢中になったことに共通した思考の性向がのちの自分の仕事とも共通していることを述べているもので、すくなくとも、それらが構造主義の直接の源泉とはいいがたい。ほかにも、レヴィ=ストロースは自分の師や先行者として、「人類学の祖」であるルソー、デュルケームやモースのフランス社会学派、「最初の構造主義者たち」であるデ・ヨセリン・デ・ヨングを中心とするオランダのライデン学派の人類学者たち、フランツ・ボアズやアルフレッド・クローバーやローウィらのアメリカ文化人類学派などを挙げている。
とはいっても、レヴィ=ストロースの構造主義の直接の源泉として、変換というアイディアによる数学的な構造の観念とともに挙げなければならないのは、ヤーコブソンを介して学んだ構造言語学の諸概念であろう。それは、具体的な分析に用いられる概念ということでいえば、数学的な構造主義以上に重要な源泉であった。事実、『野生の思考』や『神話論理』における構造分析では、構造言語学から借用された諸観念が、数学からきている諸観念とともに、重要な位置を占めており、数からいえば数学的な諸観念を圧倒しているのである。
†構造言語学と「無意識」の観念[#「†構造言語学と「無意識」の観念」はゴシック体]
レヴィ=ストロースが、トムソンやヴェイユの数学的構造主義から取りだした中心的なアイディアが「変換」という観念だとすれば、ヤーコブソンの構造言語学から取りだされた中心的なアイディアのほうは、「無意識的な二項対立」という観念であったといえよう。もちろん、レヴィ=ストロースがヤーコブソンを通して構造言語学から借りてきている概念や用語の数は、重要な鍵概念を含めて非常に多い。しかも、モスクワ生まれのヤーコブソンは、プラハ言語学派の主要メンバーとしてニコライ・トゥルベツコイらとともに音韻論の創始に貢献したというだけではなく、そのまえにモスクワ言語学サークルを創始し、ロシア・フォルマリズムの伴走者として詩的言語の研究を発展させ、また、ナチスのチェコ侵略でプラハを離れてアメリカにわたるまえには、コペンハーゲンでルイ・イェルムスレウらのコペンハーゲン学派と議論するというように、ソシュール以後の二〇世紀言語学の歴史をそのまま体現しているような人物だった。長くて親密な交友関係をとおしてヤーコブソンがレヴィ=ストロースに伝えた言語学的な方法論には、ソシュール言語学、構造言語学の音韻論、詩的言語の分析、ロシア民俗学、比較印欧神話学、情報理論など、多くのものが含まれていたにちがいない。
けれども、レヴィ=ストロースがヤーコブソンから学んだことで、〈構造〉概念を形成するのに決定的な影響を与えたものといえば、構造言語学の音韻論から引きだされた「無意識のうちにはたらいている二項対立群」というアイディアということになるだろう。そのアイディアは、「ひとつの項を独立した実体として意識的に把握することから、項と項の差異関係がはたらく無意識の場の把握へ」という構造主義革命の中心に位置している。
そのようなアイディアの源泉となった音韻論は、ニューヨークの高等学術自由学院での一九四二〜四三年のヤーコブソンの講義の内容でもあり、ヤーコブソンとレヴィ=ストロースは互いの講義を聴講していたという。そのときの講義をまとめたヤーコブソンの『音と意味についての六章』という本に、レヴィ=ストロースは序文を書いているが、そのなかで、ヤーコブソンによる構造言語学的な音韻論の講義からえた教えは、圧倒的な数の変異(ヴァリエーション)に直面していた民族学(そしてレヴィ=ストロース)に、重要なことは、多数の多様な項それじたいの個性を考察して、なにかそれらの項の背後にあるものに還元しようとすることではなく、「その多様性《ヴアラエテイ》の全体を通して不変なものを見つけだす」ことなのだという教えだったと述べ、「重要なのは、……それぞれの音素をそれだけで切り離して見たときやそれ自体の本来的な実質としての音声的個性なのではない。ある……体系における音素相互の対立こそ重要なのだ」というヤーコブソンのことばを引用している。
プラハ言語学派による音韻論は、物理学=音響学的に記述される音(物理音)としての「音声」とは区別された、言語音としての「音素」を発見したことによって誕生したといってよい。音素は、物理音としての実質をもたず、音素相互の対立関係(差異)からなる体系に位置づけられてはじめて成り立つものである。
たとえば、英語の "rice"/rais/(コメ[以下、言語音を // で囲んで示す])という語と "lice"/lais/(複数のシラミ)という語は、/r/ と /l/ という音素の対立関係(差異)によって、異なる語として差異化されている。「日本人はお米を食べる」と英語でいうつもりで /l/ に類似した音声で「ライス」と発音すれば、/r/ との対立関係(差異)によって、/l/ の音素として現れてしまい、「日本人はシラミを食べる」ということになってしまう。つまり、英語の音素の体系においては、物理音としては連続したあいまいな音声が音素相互の対立関係によって不連続化されて、/r/ と /l/ とは異なる「音素」として現れている。しかし、日本語の音素の体系には、/r/ と /l/ のあいだの対立関係(差異)がなく、したがって、たとえ日本語を話すときに、物理音としては /r/ や /l/ に類似した音声を出していたとしても、それは、/r/ や /l/ とは別の「音素」として現れるのである。
レヴィ=ストロースは、「言語学と人類学における構造分析」のなかで、音韻論のもたらした革命的変化を、トゥルベツコイが音韻論の四つの基本的な方法論として述べた言葉を用いながら、@意識的[#「意識的」に傍点]な現象の研究から無意識的[#「無意識的」に傍点]なレベルの研究への移行、A分析の基盤を、独立した実体としての項から、項と項の関係[#「関係」に傍点]に移したこと、B体系の概念の導入、C一般的な法則の発見という目的の設定、の四つにまとめているが、これらの基本的な方法論は、ヤーコブソンもいうように、ソシュールによってもたらされたものだ。ソシュールは、言語活動は、無意識のうちに存在している「差異のみからなる体系」によっていることをみぬいていた。レヴィ=ストロースは、その意義をつぎのように述べている。
[#2字下げ] 他のあらゆる社会制度と同様、言語活動は、無意識のレベルでの精神的操作を前提としているということを認めてこそ、人ははじめて現象の連続性をこえて、話したり考えたりする主体の意識を逃れる、「言語の組織化する諸原理」の不連続性に到達することができるようになる。そうした諸原理の発見、とりわけそれらの不連続性の発見が、言語学と、それにならう他の人間科学の急速な進展に道を開いたのだ。
[#地付き](『音と意味についての六章』序文)
話す主体の意識のレベルをこえた言語の「無意識のレベル」は、主体の意識にとって明らかなものこそ確実なものとして捉えてきた近代の思考にとって根源的な批判となる。それだけに、現代思想にその重要性を導入したレヴィ=ストロースの影響は大きかった。
それを示しているジャック・ラカンの言葉を引用しておこう。レヴィ=ストロースと交友関係のあったラカンは、「レヴィ=ストロースは、言語活動の構造が、婚姻および親族を統制する社会的な掟(法)という側面と連関していることを示唆しているが、ここから明瞭に感じられるのは、フロイトが礎石を築いた無意識の領域を彼がすでに征服している、という点ではないだろうか」と述べているが、M・マリーニによれば、「ラカンの著作のなかに『無意識』という語が登場するようになるには、レヴィ=ストロースの理論的諸原則との出会いがどうしても必要だった」(『ラカン――思想・生涯・作品』)という。日本で書かれたラカンの解説書では、なぜかレヴィ=ストロースからラカンへの思想的な影響についてほとんど触れられていないが、ラカンによるフロイトの無意識の概念の構造主義的な捉えなおしには、レヴィ=ストロースからの影響が不可欠だったのである。
話をもどすと、音韻論の貢献は、「無意識のうちにはたらく、差異のみからなる体系」というソシュールの観念を具現化するのにうってつけの体系として、音素の体系をみいだしたことにある。ソシュールのあつかった語彙論や意味論では、このように具体的に全体を想定できる体系などなかったのである。具体的な体系なしに言語というものを差異の関係のみからなる体系だとみぬいたソシュールの予見を、音韻論は、音素の体系の発見によって具体的に証明してみせたのである。
†ヤーコブソンによる「二項対立」の導入[#「†ヤーコブソンによる「二項対立」の導入」はゴシック体]
ソシュールによる無意識のレベルの差異関係のみからなる体系という観念の生成の重要性は強調すべきものだし、ソシュールにおいてはまだアイディアにとどまっていた感のある、そのような体系を具体的に「音素の体系」として発見したトゥルベツコイの音韻論も、構造主義の誕生におおいに貢献したことはまちがいない。けれども、すでに述べたように、そこには、レヴィ=ストロースが構造概念に必然的なものだという変換のアイディア(観念)はなかった。つまり、ソシュールやトゥルベツコイらは「体系という見方」を進展させはしたが、〈構造〉という見方にはそのままではつながらないものだったのである。
ソシュールや構造言語学のアイディアを、変換と切り離すことのできない〈構造〉という見方につなぐための橋渡しとなったのは、ヤーコブソンが一九三八年に音韻論の音素の分類を整理するために出したアイディア、すなわち、多数の音素間の相互対立からなる複雑な音素体系を、二項対立(binary opposition) という考え方を用いて、パターン化して表すというアイディアだったといえよう。ヤーコブソンは、さまざまな言語の音素の体系を、集中/拡散(音の周波数のせまい範囲に出力エネルギーが集中しているか/拡散しているか)とか、低音調/高音調(山が周波数の低いところにあるか/高いところにあるか)といった二項対立の組み合わせによってつくられるパターンに音素間の対立を配列することによって、表現できるのではないかと考えた。
それまでの音韻論では、ある言語の音素相互の対立は、たとえば、/p/ と /b/ の対立であれば、無声/有声という対立によって弁別されるものと表されるが、それとは別の音素間の対立とは無関係なものとしかとらえることができなかったし、また、別の言語の音素の体系とはたんに異なる体系どうしであり、各体系はそれぞれ恣意的に構築されているというだけだった。けれども、ヤーコブソンの二項対立の組み合わせというアイディアによって、たとえば、/a/ と /u/ の対立と、/p/ と /k/ の対立が、母音と子音という違いをこえて、ともに、集中/拡散という二項対立による音素間対立として表すことができるようになり、さらにまた、特定の言語の音素体系をこえて、世界中の言語の多種多様な音素の体系を限られた数の二項対立群によって表せるという見とおしが生まれたのである。
[#挿絵(img/fig4.jpg)]
そして、このような二項対立による音素体系のパターンで最も原初的なもの(言語の違いをこえて、幼児が言語獲得の最も初期に獲得するもの)としてヤーコブソンが挙げるのが、音素の三角形である。それは、幼児が言語獲得の初期に発する /a/-/p/-/t/(拡散母音―低音調子音―高音調子音)からなる「基本三角形」が、子音の低音調/高音調の対立が母音パターンにも拡張されることによってできる、/a/-/u/-/i/ からなる母音三角形と、子音が母音の集中/拡散の対立をなぞることによってできる、/k/-/p/-/t/ からなる子音三角形の、二つの三角形へ分裂するというものである(図2[#「図2」はゴシック体])。
[#挿絵(img/fig5.jpg)]
ヤーコブソンのこの「音素の三角形」は、レヴィ=ストロースが料理の分類に適用して「料理の三角形」というエッセイを書いたことで有名になったものだが(図3[#「図3」はゴシック体])、そこには、母音パターンと子音パターンの相互の拡張による二項対立の組み合わせによって、子音三角形と子音三角形とのあいだの〈変換〉の関係が表され(ヤーコブソンはその「変換」を発生論的に基本三角形の分裂といい表しているが)、その二つの三角形のあいだの変換の関係において「不変なもの」(すなわち、一つの〈構造〉)が現れているという、それまでの音韻論にはなかった〈構造〉という見方が、たしかにみられる。つまり、このヤーコブソンの考え方によって、ソシュールに由来する構造言語学のアイディアと、ダーシー・トムソンに由来する数学的な変換のアイディアとが合流する道が開かれたのである。
†野生の構造主義へ[#「†野生の構造主義へ」はゴシック体]
ところで、レヴィ=ストロースの〈構造〉の概念は、数学的な構造主義や構造言語学などの先行者から学んだだけでできたわけではない。レヴィ=ストロースは、それらの学問領域から借りた〈構造〉のアイディアを、自分の抱えていた人類学的課題を解決するための重要な鍵としたが、それをそのまま適用したわけではなかった。
まえにもちょっと触れたように、レヴィ=ストロースは、オランダのライデン学派の人類学者たちを最初の構造主義者だとしていたが、同時に、それらの人類学者たちが構造主義者となったのは、研究対象であったインドネシアの人びとがすでにして構造主義者だったからだと述べている。しかし、そのことは、レヴィ=ストロースその人にもあてはまるのではないだろうか。第1章で述べたように、レヴィ=ストロースにとって、構造人類学は、他者の理性に自己を開く方法だった。ライデン学派の人類学者たちがインドネシアの人びとをまねて構造主義者となったのと同じように、レヴィ=ストロースもまた、他者の理性のなかに構造主義をみいだすことで自分の構造主義を形成していったのである。
つまり、レヴィ=ストロースの構造主義には、ヤーコブソンによる構造言語学とトムソンの本を介した数学的な構造主義のほかに、いわば「野生の構造主義」というもうひとつの重要な手本があったというわけである。では、レヴィ=ストロースが、その野生の構造主義をどのように記述しているのか、また、それが私たちに教えているものは何なのか。それらのことを、第3章以下で具体的にみていくことにしたい。
[#改ページ]
[#3段階大きい文字]
Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【第3章】[#「【第3章】」はゴシック体]
インセストと婚姻の謎解き[#「インセストと婚姻の謎解き」はゴシック体]
『親族の基本構造』
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[#挿絵(img/fig6.jpg)]
1自然から文化への移行と近親婚の禁止[#「自然から文化への移行と近親婚の禁止」はゴシック体]
†交叉イトコ婚の謎とインセスト・タブーの謎[#「†交叉イトコ婚の謎とインセスト・タブーの謎」はゴシック体]
さて、ここから、レヴィ=ストロースの巨大な業績の森に入ってゆこう。この章で取り上げるのは、レヴィ=ストロースの最初の著書『親族の基本構造』(一九四九年)である。この本は分厚い大著で、一般にはとっつきにくい親族理論をあつかっているにもかかわらず、人類学という分野をこえて、ボーヴォワールやバタイユに紹介・引用されるという恵まれた出生をむかえた。しかし、理解されるという幸運に恵まれたとはいいがたい。
この本を理解する鍵は題名にある。ここで「基本構造」と呼ばれているのは、「あるタイプの親族との婚姻を規定づける体系であって、社会のあらゆるメンバーを親族あつかいしながら、それらを配偶可能なる人びとと配偶を禁じられた人びととの二つのカテゴリーに分別する体系」である。それは、具体的には人類学の専門用語で「交叉イトコ婚」と呼ばれている、世界中に広く見られる婚姻の規則による諸体系を指している。それらは、見かけは多様で、それぞれの婚姻体系は個々ばらばらなものとして研究されていた。『親族の基本構造』の目的は、多様な交叉イトコ婚の諸体系を、互いに変換の関係にある変換群として捉え、一つの〈構造〉をなしていることを明らかにすることであり、それ以上のものではなかった。けれども、この「基本構造」という語が理解されなかったために、包括的な親族理論とか、歴史的な発展段階を指すものと誤解されたのであった。
ここでまず、用語説明からしておこう。「交叉イトコ」という聞き馴れない人類学用語は、自分の親の兄弟姉妹の子どもであるイトコのうち、兄弟姉妹関係にある互いの親の性別が異なるイトコ、すなわち「母の兄弟の子ども」および「父の姉妹の子ども」を指す。それに対して、「母の姉妹の子ども」や「父の兄弟の子ども」のように、兄弟姉妹関係にある双方の親の性別が同じであるイトコは、「平行イトコ」と呼ばれる。そして、交叉イトコ・平行イトコとも、「母の兄弟姉妹の子ども」なのか「父の兄弟姉妹の子ども」なのかによって、それぞれ「母方」と「父方」に分けられる。つまり、人類学では、イトコを、母方交叉イトコ(母の兄弟の子ども)、父方交叉イトコ、(父の姉妹の子ども)、母方平行イトコ(母の姉妹の子ども)、父方平行イトコ(父の兄弟の子ども)の四つのタイプに分けている。四つのタイプのイトコを人類学の親族図で描くと、図4[#「図4」はゴシック体]のようになる。
[#挿絵(img/fig7.jpg)]
そして、交叉イトコ婚という婚姻の規定には、三つの種類がある。一つは、男からみて母方交叉イトコ(母の兄弟の娘、英語の motherÕs brotherÕs daughter の頭文字をとる略号では、MBD)およびそれと同じカテゴリーに入る女性(たとえば、第二イトコ[又従姉妹]や第三イトコ[又々従姉妹]などの、より遠縁の女性)と結婚することが望ましいとされたり義務とされる「母方交叉イトコ婚(MBD婚)」、二つめは、男からみて父方交叉イトコ(父の姉妹の娘、FZD[sister の略号は son と区別するためにZで表す])のカテゴリーに入る女性との結婚が優先される「父方交叉イトコ婚(FZD婚)」、三つめが、母方交叉イトコと父方交叉イトコとを区別しないで、その両方のカテゴリーに入る女性との結婚を優先する「双方交叉イトコ婚」である。
注意すべきことは、母方交叉イトコ婚といっても、この婚姻を女性の側からみると、父の姉妹の息子(FZS)との結婚、すなわち父方交叉イトコとの結婚となるという点である。母方交叉イトコ婚やMBD婚という人類学の用語は男性中心に作られているのだ。
これらの交叉イトコ婚は、三種類とも、ある特定の親族カテゴリーに入る相手との結婚を規範とし、それ以外の親族カテゴリーに入る相手との結婚を禁止する体系となっている。たとえば、母方交叉イトコ婚という婚姻規定の体系は、男からみて母方交叉イトコ(母の兄弟の娘)に相当する女性との結婚を望ましいとするだけではなく、同時に、父方交叉イトコ(父の姉妹の娘)や、父方および母方の平行イトコにあたる女性との結婚を禁じている。同様に、父方交叉イトコ婚の婚姻規定では、母方交叉イトコにあたる女性との結婚や平行イトコにあたる女性との結婚は禁止されている。
また、これらのイトコ婚について、たいていの社会で平行イトコとの結婚は禁止されていること、そして、母方交叉イトコ婚と父方交叉イトコ婚とでは、父方交叉イトコ婚の婚姻規定のある社会が稀なのに対して、母方交叉イトコ婚の規定のある社会のほうは広くみられることが、レヴィ=ストロース以前にわかっていた。
『親族の基本構造』は、これまで人類学者たちを悩ませていた二つの謎をあつかっている。一つは、交叉イトコ婚についての謎、すなわち、どうして近親の距離としては同じイトコのなかのあるタイプのイトコとの結婚が優先され、別のタイプのイトコとの結婚は「インセスト」(近親婚/近親相姦)として禁止されるのかという謎である。そして、もう一つは、人間社会に普遍的にあるようにみえるインセスト・タブー(近親婚の禁止)は何のためにあるのかという謎である。
『親族の基本構造』の独創的なところは、この二つの謎にたった一つの答えを出したことにあった。その答えというのが「女性の交換」である。すなわち、インセスト・タブーという規則も交叉イトコ婚という規定婚の規則も、社会そのものを成り立たせている自集団と他集団との差異と対立の関係を、自と他のあいだの「女性の交換」による互酬的な関係として確立するための規則なのだという答えである。では、その答えはどのように導かれたのか、インセスト・タブーの謎についてのレヴィ=ストロースの説明からみていくことにしよう。
†普遍的な規則という奇妙な規則[#「†普遍的な規則という奇妙な規則」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、まず、すべての人間にとってかならずあるような普遍的なものは、人間の集団がそれによって相互に区別しあい対立しあう習慣や技術や制度の領域――すなわち文化の領域――から外れるものであるから、それは自然の領域に属しているという。いいかえれば、「すべて普遍的であるものは、人間にあっては、自然の秩序をあらわし、……ある規範にしばられているものはすべて文化に属し、相対的であり、特殊であるという属性をしめす」(『親族の基本構造』)。そして、レヴィ=ストロースは、このような文化の次元に属する規則と、自然の次元に属する普遍性という相互排斥的な定義に照らしてみると、躓《つまず》きの石となるような事実にぶつかってしまうと述べる。すなわち、それが、すべての人間社会に普遍的にみられる唯一の規則であるインセスト・タブーという規則の存在である。つまり、インセスト・タブーは、それぞれの文化によって恣意的で特殊な規則でありながら、普遍的なものという性質をもっているゆえに、自然と文化の相いれない二つの次元の両方に属する矛盾した規則であり、自然と文化を分けると同時につなぐ蝶番《ちようつがい》となっているような特異な規則だというのである。
インセスト・タブーが人類社会に普遍的に存在する唯一の規則だというレヴィ=ストロースの議論には、インセスト・タブーがどんな社会にも存在するわけではないという異論も出されている。よく持ち出されるのは、プトレマイオス朝古代エジプトで兄弟と姉妹の婚姻と父と娘の婚姻の記録が残されているという例である。けれども、レヴィ=ストロースがいっているのは、どんな型の結婚も禁じられていないような社会はみつかっていないということであり、プトレマイオス朝の例もそれを否定するものではない。
†自然から文化への移行をしるす規則[#「†自然から文化への移行をしるす規則」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、これまでインセスト・タブーについて出されてきた説明は的外れであったという。インセスト・タブーが自然と文化の二つの次元にまたがる特異な規則であるにもかかわらず、それらの説明は、自然と文化の次元の一方を消去して、自然の次元に原因をもとめるか、あるいは文化の次元に起源をみいだそうとしてきたために、この規則を捉えそこなってきたというのである。
まず、第一の型は、この規則の文化の次元を消去し、自然の次元に起源をもとめるような説明であり、インセスト・タブーの起源を血族結婚のもたらす優生学的・遺伝学的な弊害という自然の結果にもとめる説明がその例として挙げられる(レヴィ=ストロースは、この説明を自然の現象についての文化的反省として説明する、規則の自然的性格と社会的性格の二重性を認めている型としているが、最終的には自然の結果に起源を求めるものといえよう)。この説明は、規則の起源となったはずの血族結婚の遺伝学的な弊害という観念が古代の記録には出てこないことからみて、そのような観念が歴史的に最近になって創られたものだという批判に反論できない。また、この説明には、この遺伝学的弊害じたいがじつは証明されていないという弱みもある。
また、日常的に慣れ親しんだ者に対しては本能的に性的欲望が否定されるという説も、この第一の型に入る。たしかに、慣れ親しみと性的欲望の対象が両立しないということは、サルにもみられるのだが、この説では、もしインセスト・タブーが本能的な傾向によるのであれば、なぜわざわざ社会的規則を作る必要があるのかということが説明できない。
この第一の型に共通する欠陥は、まさに文化の次元を消去することから来ている。すなわち、インセスト・タブーには、中国や朝鮮の大クラン(氏族)の外婚やオーストラリア先住民諸社会の婚姻クラスのように、遺伝学的な近親者や日常的に慣れ親しむような近親者をはるかにこえて、互いに顔も知らないような範囲にまで禁止の対象が及んでいる例がある。また、交叉イトコ婚のような婚姻規定では、遺伝学的には同じ距離となるイトコのあいだで、結婚が優先されるイトコと禁止されるイトコの区別がなされている。この型の説明では、それらをまったく説明できないのである。
第二の説明の型は、逆に、自然の次元を消去し、純粋に文化的・社会的な起源によってこの規則を説明しようとするものである。社会的な性格を重視するこのタイプの説明は、第一の型とちがって、血縁関係を確定できないか、きわめて遠い関係にある者を禁止の対象に含んでいることに注意を向け、そのような外婚的な性質をインセスト・タブーと結びつけたり、あるいはインセスト・タブーが外婚制から派生したものと捉えている。
この型の例としてレヴィ=ストロースが挙げているのは、戦士部族の略奪婚の慣習(外部から女性を略奪して妻とする慣習)が固定化されて外婚制が成立したとみるマクレナンの説や、オーストラリアのトーテム制におけるトーテムと氏族との神秘的同一性からくるトーテム動物の血への恐れが、トーテム氏族内部の女性への恐れと転化してトーテム外婚制が成立し、そこからインセスト・タブーが派生したとするデュルケームの説である。しかし、略奪婚もトーテム制もあらゆる人間社会の原初から存在したといえないという難点がある。つまり、ある特定の社会の特殊で恣意的な規則(制度)から、インセスト・タブーという普遍的な規則を説明しようとしていることに無理があるというわけである。
ただし、レヴィ=ストロースは、インセスト・タブーを外婚の制度と関連づけて説明しようとする観点をデュルケームから引き継いでいる。レヴィ=ストロースが退けているのは、外婚制とインセスト・タブーを同一視したり、あるいは、文化の次元に属する特殊な社会的規則である外婚的な諸制度を、自然から文化への移行をしるすものであるインセスト・タブーの起源とする説明であった。
†互酬性の原理と女性の交換[#「†互酬性の原理と女性の交換」はゴシック体]
では、『親族の基本構造』は、インセスト・タブーをどのように説明しているのだろうか。レヴィ=ストロースは、マルセル・モースの『贈与論』にならって、人間社会の根底には、互酬性(相互性)の原理による他者との贈与交換があるとし、社会関係を生成するために最も重要な贈与こそ、他集団への女性の贈与であるという。
そして、レヴィ=ストロースは、インセスト・タブーとは、自集団の女性を他集団へ贈与せよという「交換の命令」なのだという。姉妹や娘といった自分たちの集団のなかの女性との生殖行為を禁止するこの規則は、それら近親の女性たちとの性行為による自集団の再生産を放棄する規則である。つまり、それは、わざわざ自集団に、生殖行為をする相手の女性の「欠如」を作りだして、自集団の再生産を他集団からの女性の贈与に依存せざるをえなくする規則なのである。しかし、自集団の女性たちを他集団に譲渡することを命令するこの規則は、同時に、他集団が譲渡せざるをえない女性たちを自分たちが獲得できるようにしてくれる。つまり、この規則は互酬性を生成する規則なのだ。
重要なのは、この社会にとって原初的な互酬的交換は、自律した主体に欠如があって、それを補うために主体が合理的に計算しながら他の主体と交換を行なうといった経済的な交換ではないということである。そのような経済的な交換では、同じものを交換しあうことなどありえない。それは何の経済的利益ももたらさない。しかし、インセスト・タブーによって生成されるこの互酬的贈与交換は、女性を譲渡し女性を獲得する、「同種のものの交換」である。そして、社会を生成する互酬的な交換は、このような同種のものの交換であり、「交換のための交換」(関係をつくるためだけの交換)なのである。そのことを理解しないために、他の人類学者たちは、それを女性と婚資(妻の貰い手から妻の与え手に支払う財)との交換、つまり牛などの財で女性を「購買」する交換と捉えてしまっているが、そのような交換では社会的連帯を作ることができないのである。
レヴィ=ストロースのこの見方の革命性は、個々の家族や親族集団というものが自足した集団であり、それらの集団を基点として社会体系が作られるという従来の社会人類学的な見方を転覆させて、それらはむしろ社会を生成する交換関係(連帯)のためのさまざまな様態として出てくるものであるとみなした点にある。自集団を再生産するために不可欠な女性の生殖力という、譲渡不可能なものを譲渡することによって生成される他者たちとの関係こそ、人間社会の親族体系の根底にあるというのである。
そして、さきに、レヴィ=ストロースがインセスト・タブーを外婚制と関連づけて捉えるという視点をデュルケームから受け継いだと述べたが、レヴィ=ストロースは、その二つを実体として同一視したり、一方をもう一方の起源としたりするわけではない。そうではなく、インセスト・タブーと外婚制とを実体としては異なっていながら、互酬性の規則として同一であると捉えるのである。レヴィ=ストロースは、そのことを、「インセスト・タブーと外婚制とは本質的に同一の規則であること、両者は二次的な性格だけが異なるということ……すなわち、互酬性は、両方の場合にあらわれるが、インセスト・タブーにおいてはまったく非組織的であり、外婚制においては組織化されている」(『親族の基本構造』)と述べている。このような、異なりながら同一だという不可解な見方を可能にしているのが、「構造」という考え方である。つまり、レヴィ=ストロースは、インセスト・タブーと外婚制とを、ある一つの構造の二つの異なる表現ないし現れとして捉える。そして、インセスト・タブーと外婚制が同じ構造の二つの異なる表現形態だということを示す最も単純なモデルこそ、交叉イトコ婚であった。
2交叉イトコ婚の謎解き[#「交叉イトコ婚の謎解き」はゴシック体]
†カリエラ型の婚姻規定[#「†カリエラ型の婚姻規定」はゴシック体]
人類学では、社会全体や共同体が明確に二つの集団に分けられているような社会組織を「双分組織」といい、その二分された各々の集団を「半族」と呼んでいる。自分の半族の成員とは結婚できず、もう一つの半族の者と結婚するという外婚制をともなう双分組織は、南北アメリカやメラネシアなどにもみられるが、とりわけオーストラリアの先住民(アボリジニ)諸社会の双分組織は、半族がさらに「婚姻クラス」に分かれている四クラス制や八クラス制など、より複雑なセクション体系をもつことで知られていた。『親族の基本構造』が最初に取り上げる地域も、そのオーストラリアであった。ここでは、オーストラリアの「古典的体系」の例として、比較的単純な四セクション体系を取り上げよう。
オーストラリアのカリエラ人社会の人びとは、バナカ、カリメラ、ブルン、パリエリという四つのセクション(婚姻クラス)のいずれかに属している。バナカとカリメラ、ブルンとパリエリはそれぞれ一つの母系半族をなしており、バナカの成員はかならずブルンの成員と結婚し、カリメラはパリエリと結婚するという婚姻の規則がある。そして、子の帰属は、バナカを父としブルンを母とする子はパリエリになり、ブルンを父、バナカを母とする子はカリメラとなり、同様に、カリメラを父、パリエリを母とする子はブルン、パリエリを父、カリメラを母とする子はバナカとなる。
[#挿絵(img/fig8.jpg)]
この四つのセクションをABCD(バナカをA、ブルンをB、カリメラをC、パリエリをD)で表せば、この双分組織は、ACが一つの母系半族で、BDがもう一つの母系半族となっていて、それぞれの母系半族が、母がAなら子はC、母がCなら子はAというように世代毎に交替する二つの婚姻クラスに分れていることがわかる(図5[#「図5」はゴシック体])。
レヴィ=ストロースは、このようなカリエラ型の四セクション体系を、フランスの読者向けにつぎのような仮定を用いて説明している。フランスの全住民がデュラン家とデュポン家という二つの家族に帰属し(半族)、すべてのデュランがデュポンと結婚し、すべてのデュポンがデュランと結婚するという規則があり(外婚制)、フランスや日本の慣習とは逆に、子どもは母親の姓を受け継ぐとする(母系)。つまり、デュラン家とデュポン家は、カリエラの双分組織と同じ、外婚的な母系半族となる。そして、さらにカリエラと同様に(そしてフランスの慣行通りに)、妻が夫の土地に居住して家族をつくるという慣行があったとする(夫方居住)。
そこに、パリとポルドーという二つの町が、互いの絆を強固に結ぶために、一方の町のデュランは他方の町のデュポンとのみ結婚するという規約を作ったとする。そうすると、パリのデュラン、ボルドーのデュラン、パリのデュポン、ボルドーのデュポンという四つの婚姻クラスができる。すなわち、パリのデュランの男はボルドーのデュポンの女とのみ結婚でき、そのあいだに生まれた子どもは母から姓(半族)を受け継ぎ、父から地名(居住集団)を受け継ぐことになるから、パリのデュポンとなる。同じように、ボルドーのデュランの男はパリのデュポンの女と結婚し、子どもはボルドーのデュポン、パリのデュポンの男はボルドーのデュランの女と結婚し、子どもはパリのデュラン、ボルドーのデュポンの男はパリのデュランの女と結婚し、子どもはボルドーのデュランとなる。
[#挿絵(img/fig9.jpg)]
母から受け継ぐ家族名のデュランとデュポンをそれぞれXとY(母系半族に相当する)、子どもの出生地となる父の居住地のパリとボルドーをそれぞれ1と2(父系居住集団に相当する)という記号で表し、パリのデュラン、ボルドーのデュポン、ボルドーのデュラン、パリのデュポンのそれぞれにX1、Y2、X2、Y1の記号をあてはめると、図6[#「図6」はゴシック体]となり、図5[#「図5」はゴシック体]のカリエラ型の婚姻規定が再現される。
†クラインの四元群[#「†クラインの四元群」はゴシック体]
このカリエラ型の婚姻規定は、数学でクラインの四元群と呼ばれるものとなっている。クラインの四元群のわかりやすい例として、図形の色を変えたり形を変えたりする変換によって得られる置換群を考えてみよう(図7[#「図7」はゴシック体]の上の図を参照)。まず□のような図形を、「色を変える」という変換αによって置換すれば■のような図形になり、「形を変える」という変換βによる置換では、〇となる。そして、変換αによって置換したものをさらに変換βによって置換すると、●となる。また、まず変換βをしてつぎに変換αをしても、同じく●となる。この二重の変換を変換γとしよう。すると、
[#数式(img/exp1.jpg、横20×縦83、上寄せ)]
という掛け算の演算での結合の法則が得られる。また、同じ変換を二回行なうと元に戻り、何も変換しないのと同じになる。そこで、何も変えないという変換をIとすると、
[#数式(img/exp2.jpg、横20×縦115、上寄せ)]
となる。そして、変換γにさらに変換αをすると、
[#数式(img/exp3.jpg、横20×縦166、上寄せ)]
となり、変換βと同じになる。同じように、
[#数式(img/exp4.jpg、横20×縦124、上寄せ)]
となる。これらの演算を表にすれば、表1[#「表1」はゴシック体]になる。
[#挿絵(img/fig10.jpg)]
[#挿絵(img/fig11.jpg)]
カリエラ型の出自と婚姻の関係は、これと同じ四元置換群となっている(図7[#「図7」はゴシック体]の下図)。つまり、母の婚姻クラスは、父系居住集団(1と2)を変えるという変換α(妻が夫の居住地に移るという現実に対応している)によって、子どもの婚姻クラスになり、父の婚姻クラスは、母系半族(XとY)を変えるという変換β(子どもが母親の半族に帰属するという現実に対応)によって、子どもの婚姻クラスになる。そして、婚姻可能な関係(すなわち母の婚姻クラスと父の婚姻クラスの関係)は、父系居住集団を換える変換αによって母の婚姻クラスを子どもの婚姻クラスに変え、さらにその婚姻クラスを、母系半族を変える変換βによって父の婚姻クラスに変えることによって得られる。つまり、二重の変換γによって結びつけられる二つの婚姻クラスのあいだが、婚姻可能な関係になる(婚姻相手は半族も居住集団も異なるという現実に対応)。
オーストラリア・アボリジニ諸社会は、物質的に最も原始的で単純な生活をしているとみられてきた社会であり、したがって、そのような原始的な社会にみられる双分組織についても、ただ原初的で単純な組織とみられてきた。そのような社会が、このようなじつに洗練された論理からなる婚姻体系(四セクション体系のカリエラ型より、八セクション体系のアランダ型はもっと複雑になる)をもっているとは、レヴィ=ストロース以前には考えられもしなかったのである。
†限定交換と双方交叉イトコ婚[#「†限定交換と双方交叉イトコ婚」はゴシック体]
外婚制をともなう双分組織での婚姻は、二つの半族のあいだで女性を交換しているということができる。レヴィ=ストロースは、このような半族と半族のあいだの女性の交換を「限定交換」と名づけている。そして、この限定交換は、これまでの説明のように、外婚的な半族という「婚姻クラス」によって表現できるだけでなく、個人間の親族関係による「交叉イトコ婚」という表現形によっても表すことができる。
すなわち、パリという父系半族の男とボルドーという父系半族の男がそれぞれ相手の姉妹と結婚する(つまり姉妹を交換する)とき、その婚姻関係を親族図で描くと図8[#「図8」はゴシック体]になる。その図で、各世代の男とその妻の関係をたどってみると、まず妻はかならず男の母方交叉イトコ(MBD)になり、その母方交叉イトコは、同時に父方交叉イトコ(FZD)でもあることがわかる。実際には、自分の属さないもう一つの半族の女性であれば結婚できるわけで、その女性が母方交叉イトコとはかぎらず、また、たとえ母方交叉イトコであっても、その女性が父方交叉イトコでないことも多いのだが、半族を異にする二人の男のあいだで姉妹を交換するというモデルでは、母方交叉イトコと父方交叉イトコはつねに一致する。このことは、限定交換の体系においては、母方交叉イトコと父方交叉イトコは区分されず、ともに結婚可能な女性のカテゴリーの核となっているということを意味している。つまり、限定交換は、双方交叉イトコ婚として表現できるのである。
[#挿絵(img/fig12.jpg)]
そのことは、カリエラ型の四つの婚姻クラスによる外婚制という全体的な体系が、インセスト・タブーと双方交叉イトコ婚の規則と、実体として同一であるということを意味するわけではない。両者が一つの同じ構造の異なる表現形となっているということなのである。そして、両者が一つの同じ構造をなしていることは、数学的にも表現できる。
[#挿絵(img/fig13.jpg)]
まず、カリエラ型の四つ「婚姻クラス」を、レヴィ=ストロースの挙げたパリとボルドーのデュラン家とデュポン家を使って表にしてみると、表2[#「表2」はゴシック体]のように四つの婚姻のタイプ(M1・M2・M3・M4)がえられる。その四つがカリエラ型における可能な婚姻のタイプのすべてである。そして、親の婚姻タイプによって子どもの帰属する婚姻クラスが一つに決まり、それによって結婚が可能な相手の婚姻クラスも一つに規定されるので、子どもの婚姻タイプは親の婚姻タイプの関数として表すことができる。
そこで、親の婚姻タイプを Mi とし、息子の婚姻タイプをその関数 f(Mi)、娘の婚姻タイプを関数 g(Mi) で示すと、表3[#「表3」はゴシック体]が得られる。たとえば、パリのデュランの男とボルドーのデュポンの女の結婚の婚姻タイプM1によって生まれた男の子はパリのデュポンとなり、その男の子の婚姻タイプは、表2[#「表2」はゴシック体]からM3であることがわかるので、
f(M1) = M3
となる。同様に、娘の場合は、
g(M1) = M4
と書きあらわせる。
[#挿絵(img/fig14.jpg)]
そして、子どもの次の世代(孫の世代)の婚姻タイプをこの関数によって表すと、いろいろおもしろいことがわかる。まず、M1という親の婚姻タイプから生まれた息子の婚姻タイプはM3であったが、その息子の息子の婚姻タイプは表3[#「表3」はゴシック体]でみると、M1となる。つまり、最初の親の婚姻タイプに戻ることがわかる。同様に娘の娘の婚姻タイプも最初に戻るから、
f(f(Mi)) = Mi, g(g(Mi)) = Mi
なる。また、表3[#「表3」はゴシック体]から、最初の世代の婚姻タイプM1による息子の娘の婚姻タイプと娘の息子の婚姻タイプがともにM2となって、同じになることもわかる。その関数をhとすると、
g(f(Mi)) = f(g(Mi)) = h(Mi)
と表すことができる。
[#挿絵(img/fig15.jpg)]
それらの世代毎の婚姻タイプの関係を関数の演算で書き表すと、やはりクラインの四元群の演算表になっている(表4[#「表4」はゴシック体])。それを、交叉イトコと平行イトコの親族図にあてはめて、自己と婚姻タイプが一致する(すなわち婚姻可能になっている)親族のカテゴリーが何になるのか、そして婚姻タイプが一致せず、婚姻が近親婚として禁止されているカテゴリーは何になっているかをみてみよう(図9[#「図9」はゴシック体])。まず、自分の父親の婚姻タイプはその親の婚姻タイプの関数 f(Mi) であり、母親の婚姻タイプは g(Mj) となる。そして父親と母親が結婚したわけだから、
f(Mi) = g(Mj) ………@
である。そのとき、自己と四人のイトコ(女性)の婚姻タイプはどうなるだろうか。自己の婚姻タイプは、
f(f(Mi)) = Mi (∴ff=I)
となることがわかる。では、イトコのうち、それと同じ婚姻タイプ(婚姻可能)となるのはどれなのかを順にみていこう。
[#挿絵(img/fig16.jpg)]
まず、父方交叉イトコ(FZD)の婚姻タイプは、
g(g(Mi)) = Mi (∴gg=I)
となり、自己と婚姻タイプが同じMiで婚姻可能なイトコであることがわかる。また、父方平行イトコ(FBD)は、
g(f(Mi)) = h (Mi)
となり、自己の婚姻タイプとは異なるから、婚姻は禁止されることがわかる。つぎに、母方平行イトコ(MZD)は、@の式により、
g(g(Mj) = g(f(Mi)) = h(Mi)
となり、やはり自己の婚姻タイプとは異なって婚姻は禁止される。そして、母方交叉イトコ(MBD)は、結合の法則 (gf=fg) および@の式により、
g(f(Mj)) = f(g(Mj)) = f(f(Mi)) = Mi
となって、自己と同じ婚姻タイプとなり、婚姻可能であることがわかる。
このように、父方交叉イトコ(FZD)および母方交叉イトコ(MBD)が婚姻の可能なイトコであり、父方平行イトコ(FBD)と母方平行イトコ(MZD)は、婚姻タイプが自己の姉妹と同じで、婚姻が近親婚として禁止されていることが、婚姻タイプの四元群の演算によって表せる。つまり、カリエラ型の「婚姻クラス」による全体的な婚姻規定が、個人のあいだの親族関係による表現である「双方交叉イトコ婚」と構造的に相同であり、同じ構造の異なる表現であることが、数学的に示せたというわけである。
†一般交換の発見[#「†一般交換の発見」はゴシック体]
右に記したような婚姻規定の数学的な表現は、数学者のアンドレ・ヴェイユがレヴィ=ストロースに依頼されて書いた『親族の基本構造』の付録の論文をもとにしている。しかし、ヴェイユがあつかっているのは(つまりレヴィ=ストロースが依頼したのは)、カリエラ体系のような比較的単純な婚姻規定の数学的表現ではなく、より複雑なムルンギン体系であった。ムルンギン体系は、カリエラ体系のような姉妹交換婚の古典的体系から逸脱しており、そのために、それまでの研究者を悩ませてきたものだった。
レヴィ=ストロースは、ムルンギン体系を、カリエラ体系のように双方交叉イトコを区別しない体系ではなく、母方交叉イトコと父方交叉イトコとを区別して、母方交叉イトコ(MBD)だけを婚姻可能な親族カテゴリーとする「母方交叉イトコ婚」と同型の体系として分析してみせた。いいかえれば、親族関係による表現では「双方交叉イトコ婚」となる古典的なカリエラ体系を、親族関係による表現では「母方交叉イトコ婚」となるような変換によって変換するとムルンギン体系となることを明らかにしたのである。このムルンギン体系の分析は、構造の変換という見方によって、いままで説明できなかった難問を解いてみせたという点で、『親族の基本構造』の前半部分のハイライトともいえよう。
[#挿絵(img/fig17.jpg)]
そのような変換によって現れるムルンギン体系では、女性の交換は、双方交叉イトコ婚のようにAとBの二つのクラスのあいだで直接に交換しあう限定交換ではなく、AからB、BからCへというように、一方向に女性が贈与されていくものとなる。レヴィ=ストロースは、それを「限定交換」と区別して「一般交換」と呼んでいる(図10[#「図10」はゴシック体])。
この一般交換は、二者関係からみれば、片方が他方へ一方的に与えるだけでお返しがないのだから、互酬的な交換ではないようにみえる。このようなやり取りを互酬的な交換に含めたのは、レヴィ=ストロースの独創であった。つまり、体系の全体からみれば、BからCへの女性の贈与は、AからBへの女性の贈与がなければなされない贈与であって、これを互酬的な交換と呼ぶことは、それほど無理なことではないし、むしろ、対等な関係で「同種の財」(この場合は女性だが)を贈与しあうという、互酬的な贈与交換のゲームのルールに従っているものとみなしたほうが、より深い理解に達するのである。
[#挿絵(img/fig18.jpg)]
話をムルンギン体系に戻そう。とはいっても、ムルンギン体系をくわしくみていくのは複雑すぎて繁雑になるので、ここでは、ABCDの四つの婚姻クラスのあいだの一般交換の体系として単純化して説明しよう。婚姻クラスAの男(男をそのままAで表そう)は婚姻クラスBの女(女を小文字のbで表そう)と結婚し、その子どもは婚姻クラスCと属する。そして、Bの男はCの女(c)と結婚し、子どもはDとなる。同様に、Cの男はDの女(d)と結婚し、子どもはAとなる。以上の関係を親族図に描くと、図11[#「図11」はゴシック体]のようになる。この親族図の第二世代の婚姻をみると、いずれも男が母方交叉イトコ(MBD)と結婚していることがわかる。逆にいうと、母方交叉イトコ婚という規定によって、ABCDの四つのクラスは、一方向に女性が贈与されていく一般交換を行なうようになるのである。
†母方交叉イトコ婚[#「†母方交叉イトコ婚」はゴシック体]
母方交叉イトコ婚による一般交換は、当然、ムルンギン体系のように双分組織をもたない社会にむしろ広くみられる(ムルンギン体系が複雑にみえるのは、限定交換にふさわしい双分組織において一般交換の体系をつくっているからだった)。ここでは、ビルマ(ミャンマー)とインドの国境地帯に住むプルム人社会の母方交叉イトコ婚を例に説明しよう。プルムには、五つの父系クランがあり、それがさらに十三ほどの父系リニッジ(クランの中の分節)に分かれている。同じクランの成員との結婚は禁止されるクラン外婚の規則があり、男は母方交叉イトコ(MBD)と結婚することが優先され、父方交叉イトコ(FZD)や平行イトコとの結婚は禁止されている。
[#挿絵(img/fig19.jpg)]
母方交叉イトコ婚(MBD婚)を行なうと、図12[#「図12」はゴシック体]のように、婚入する女性の流れは父系リニッジのあいだで一方向的になる。そのため、プルム社会では、ある父系リニッジから見て、他のリニッジは、@自分たちと同じ父系クランに属するリニッジ、A自分たちに女性(妻)を与えてくれるリニッジ(人類学の用語では「妻の与え手 wife-givers」[略号WG])、B自分たちが女性(妻)を与えるリニッジ(「妻の貰い手 wife-takers」[略号WT])の三種類に明確に分類できる。
このような母方交叉イトコ婚(MBD婚)という優先婚の規定で注意すべきことは、本当の母の兄弟の娘(MBD)と結婚する者が多いとはかぎらないという点である。『親族の基本構造』の出版以降に出されたいくつかの社会の統計的調査でも、男が実際のMBDと結婚する比率は、十数パーセントから三十パーセント位である。大半は自分のリニッジのWGとなるリニッジの成員である遠縁の女性と結婚するし、新たなリニッジを自分たちのWGとするような婚姻の絆を新しく開くような結婚をすることもある。
そして、母方交叉イトコ婚による一般交換は、長い交換のネットワークを持続的な社会的結合として作ることができるという利点をもつ。そこでは、生じた負い目が解消されることなく、非対称的で役割分化した関係(有機的な連帯)が持続し、その関係のネットワークも二者間関係に閉じることがない。そのため、リニッジが分裂してできた新しいリニッジや外部から移住してきたリニッジを新たに取り込んでネットワークを広げることもできる、開かれた体系となっているという利点もある。
しかし、それらの利点は同時に、母方交叉イトコ婚による一般交換の体系としての不安定要因ともなっている。まず、交換のネットワークが長くなればなるほど、交換の体系への信頼を保証する女性を与える行為と女性を貰う行為とのあいだの結びつきが弱くなり、レヴィ=ストロースの言い方を借りれば、交換における「投機性」を生みだす。つまり、一般交換のサイクルにおける与える行為と貰う行為とのずれを利用して、女性やその反対方向に流れる婚資を蓄積することが可能となるのである。逆にいえば、母方交叉イトコ婚による一般交換が、投機性を生ずることなく、対等な集団間の関係を維持していくためには、それが、第1章で触れた「真正さの水準」での意味においての真正な社会にとどまっている必要があるのである。
また、一般交換には、妻の与え手と妻の貰い手の非対称的な関係が固定されることにより、妻の貰い手のほうに妻の与え手に対する負い目が持続して、対等であるはずのクランやリニッジのあいだに地位の格差が生じるという不安定要因もある。一般交換のサイクルが短かければ、この格差も、ちょうどジャンケンの三すくみのように、AリニッジはBリニッジに対して妻の与え手として優位にたつが、Cリニッジに対しては妻の貰い手として劣位にたち、BリニッジはCリニッジに対して妻の与え手として優位にたつというように、三者はどれも卓越できずに対等であることがみやすくなっている。
しかし、サイクルが長くなり、新たなリニッジと婚姻結合を結んでいくような社会では、その全体がみえずに、局所的な地位の格差が階層の違いへと変換する可能性が出てくるのである。その階層の格差が固定されると、同じ階層に属するリニッジ間の一般交換は対等なものとされる一方、低い階層のリニッジから女性を高い階層のリニッジへ与えても、もはや対等な一般交換ではなくなっている(くわしく説明する余裕がないが、互酬的な贈与交換のゲームから再分配のゲームへと交換ゲームじたいが変換される)ため、低い階層のリニッジは高い階層のリニッジに対して妻の与え手として優位にたつことはなくなる。
†交叉イトコ婚の変換群[#「†交叉イトコ婚の変換群」はゴシック体]
[#挿絵(img/fig20.jpg)]
ところで、母方交叉イトコ婚は広くみられるのに、父方交叉イトコ婚(FZD婚)のほうは、母系社会をのぞいてほとんどみられない。それは、父方交叉イトコ婚が、母方交叉イトコ婚とまったく異なる性格をもっているからである。父方交叉イトコ婚は、一世代だけみると、女性の流れが一方向の一般交換になっており、母方交叉イトコ婚と変わらないようにみえる。しかし、つぎの世代でその流れの方向が逆転しており、二世代をみれば二者間の限定交換になっているのである(図13[#「図13」はゴシック体]を参照)。
そのため、父方交叉イトコ婚では、母方交叉イトコ婚と違って、妻の与え手と妻の貰い手との役割分化ができず、そのつど女性が「返済」されて完結してしまい、広範囲の社会的なネットワークや有機的連帯を持続させることができない。つまり、社会的結合を作り出すための「女性の交換」としては欠陥があるゆえに採用されないというわけである。
[#挿絵(img/fig21.jpg)]
では、なぜ母系社会で父方交叉イトコ婚がみられるのだろうか。母系社会で妻方居住、すなわち婿入りする場合には、女性が移動しないために婚姻における女性の交換は明示的には現れない。しかし代わって現れるのは、男たちによる子どもの交換である。母系社会においても、親族集団の実権を握っているのは男性成員である。図14[#「図14」はゴシック体]において、B1は、婿入り先のC家ではまったく財産権や地位をもたない婿であるが、実家であるB家では集団全体の財産管理を行なう家長という地位をもつ。しかし、そのB家での地位は、自分の息子のC2にはもちろん継承されず、姉妹の息子であるB2に継承される。
一般的に、母系社会では、父親は、父系社会での母親のように、自分の子どもに愛情をそそぐ。厳しく叱るのは、母親か、他の家に婿入りしている母方オジの役目である。つまり、母系社会の男たちには、愛情をそそいで育てた自分の子どもに自分の地位や財産権を相続させることができないというジレンマがある。子どもの交換としての父方交叉イトコ婚はそれをある程度解消してくれるのである。B1は自分の息子(C2)には地位を継承させることはできないが、C2の息子であるB3(B1の孫)が二世代たって自分の地位を継承することになるからである。子どもの交換という観点からみれば、B1は、自分の息子C2を妻の親族集団のC家に与えるが、父方交叉イトコ婚によって、そのつぎの世代では、C家はB家に息子の息子(孫)を返してくれるのである。
[#挿絵(img/fig22.jpg)]
本章の最初に、『親族の基本構造』の目的は交叉イトコ婚の諸体系が一つの変換群をなすことを示すことだと述べたが、レヴィ=ストロースが明らかにしたのは、限定交換となる双方交叉イトコ婚、一般交換となる母方交叉イトコ婚、そして一般交換と限定交換の中間となる父方交叉イトコ婚という、三つの交叉イトコ婚の体系が、互いに変換の関係にあり、一つの〈構造〉をなしているということであった(図15[#「図15」はゴシック体])。
†批判と誤解[#「†批判と誤解」はゴシック体]
みてきたように、レヴィ=ストロースは、インセスト・タブーの謎や交叉イトコ婚の謎といった難問をみごとに解いてみせた。しかし、称賛ばかりではなく批判も出されている。たとえば、レヴィ=ストロースの神話の構造主義的研究の賛同者である英国の社会人類学者エドマンド・リーチも、その親族研究についてはほとんど全面的に否定している。
リーチの批判は多岐にわたっているが、以下の四点ほどにまとめられよう。@レヴィ=ストロースは母方交叉イトコ婚による一般交換を「女性と女性の交換」としているから、お返しが直接ではなく間接的だという不安定さがあり、地位の格差を生むというが、実際には婚資によってお返しがされており、女性と財との交換となっているのだから不安定さなどない(リーチ『人類学再考』)、Aレヴィ=ストロースは性行為と婚姻を混同し、近親相姦の禁止という性行為の禁止にすぎないものを、外婚制という婚姻の禁止の原因としている、Bオーストラリアの婚姻クラス体系を「基本構造」としているが、オーストラリア先住民は未開社会の典型であるとはいえず、最も原始的な社会ともいえない、Cレヴィ=ストロースは、婚姻を単系(父系や母系)出自集団間の女性の交換とみなしているが、最も原始的な社会である採集狩猟民のクンサン諸民族[ブッシュマンやピグミーと呼ばれていた]は、単系出自集団の体系をもっていない(リーチ『レヴィ=ストロース』)。
これらの批判は、リーチが構造という視点を理解していないことを露呈したものだ。まず、@の批判は、同種のものを交換しあうという、経済的には何の利益もない「交換のための交換」こそが、社会なるものを生成することを捉えそこなっている。そのために、リーチは、レヴィ=ストロースによる一般交換の発見の意義を理解できず、二者関係からのみそれを捉えようとすることからくる無理を、体系全体によって規定されるはずの「地位」を無形の交換財に含めることでつじつまを合わせなくてはならないのである。
レヴィ=ストロースの捉えかたが体系全体の均衡のみをみているのに対して、リーチの二者関係における均衡の破れへの注目が交換の動態的な側面を捉えているという、誤解にもとづいた評価がよくなされている。しかし、親族体系を自足した親族集団や家族を基点として捉え、それらが自律した主体としてみるリーチの見方のほうが、すでにできあがった地位の体系や親族体系などの体系全体の均衡を前提としたものであり、そこには体系が変換される可能性など最初から排除されているといわなくてはならない。
AとBの批判は、レヴィ=ストロースのいう「基本構造」への誤解によるものだ。まず、Bでは、基本構造が、「社会のあらゆるメンバーを親族扱いしながら、それらを配偶可能なる人びとと配偶を禁じられた人びととの二つのカテゴリーに分別する体系」を指していることを理解せず、あらゆる社会が通過する原初的段階という意味に誤解している。そして、Aについては、すでに述べたようにレヴィ=ストロースは、外婚制とインセスト・タブーが同じものだとはいっておらず、基本構造においては[#「基本構造においては」に傍点]、それらが同じ[#「同じ」に傍点]〈構造〉の異なる[#「異なる」に傍点]表現形だといっていることがわかっていない。つまり、ABの批判とも、そのような体系(すなわち、交叉イトコ婚による婚姻体系)ではインセスト・タブーと外婚制とが裏表の関係になっているという意味で、「基本」構造と呼ばれていることを理解していないのである。
†なぜ女の交換なのか[#「†なぜ女の交換なのか」はゴシック体]
最後のCの批判も、基本構造が最も原初的ということを意味しないことに対する誤解というだけで片づけられないことはないが、ただ、遊動する採集狩猟民社会では「女の交換」が現れないということについては解説が必要だろう。というのも、女性が最も重要な交換物だから、社会的結合をつくる互酬性の規則としてインセスト・タブーが普遍的なのだというレヴィ=ストロースに対して、フランスのマルクス主義人類学者のクロード・メイヤスーも、『女性・穀倉・資本』(日本語版の題名は『家族制共同体の理論』)のなかで、個人の移動が集団への加入の基本になっていて出自集団のない採集狩猟民社会では、女性が集団間を移動することはないと述べており、それじたいは正当な指摘だからである。
そして、そのことは、なぜ婚姻が女性の交換であって、男の交換ではないのかという疑問とも関係している(一部のフェミニスト人類学者は、それがレヴィ=ストロースの男性中心主義を表しているというのだが)。つまり、男の交換にならずに女の交換になるのは、男ではなく女に稀少性が生じたからであり、女の稀少性は、人類社会が遊動生活から定住生活に移行したことにより、子どもに稀少性が生じたからなのである。
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遊動する採集狩猟社会から定住農耕社会への移行により、遊動社会では空気と同じ生産条件にすぎなかった土地が、農耕社会では、開墾し耕すという持続的な労働投下が必要な生産手段としての耕地となる。耕地は、放っておけば荒野にもどるか、他人に占有されてしまう。この生産手段は、投下できる労働力を確保し他人から防衛するために、それを占有しつづける集団が必要とされる。そこで、土地を占有する集団として、だれもがたった一つの集団に属するような離接的集団(図16[#「図16」はゴシック体])が成立する。それによって、ひとはどこかの集団に属さなければ生産手段である耕地を利用することができなくなると同時に、その離接的集団は、占有と労働投下を世代をこえて続けるために、その生産手段を相続する者、すなわち子どもたちが必要となる。それが、子どもに稀少性が生じる理由である。
定住農耕社会において、離接的集団を形成し、継承者を過不足なく配分する方法が、父系か母系かどちらか一つ(単系出自)によって生まれた子どもの帰属する集団を一つに決める方法であり、それによって離接的親族集団としての単系出自集団が誕生する。それに対して、遊動する採集狩猟民社会では、そもそも相続するような生産手段などないので継承者としての子どもを必要とするような集団もなく、子どもは成人後も親と同じ集団に属するとはかぎらず、自由に移動していくので、子どもに稀少性は生じない。
こうして離接的出自集団ができて、子どもに稀少性が生じると、それはただちに女性の稀少性となる。というのも、離接的集団内で生まれる子どもの期待数は、その集団内部で生殖活動可能な女性の数によって決まるのであり、男性の数によって決まるのではないからである。たとえば、集団内に生殖可能な男女がすでにいる離接的集団に女性が一人移ってくれば、期待できる子どもの数は増えるが、男性が一人移ってきても期待できる子どもの数はまったく増えない。つまり、定住農耕社会では、男性の交換ではなく女性の交換となる必然性があるのだ。ただし、それは、普遍的な生物学的必然性ではなく、耕地を占有する離接的集団の必要という特殊な条件の下での必然性である。
女性の稀少性が生じない遊動社会では、インセスト・タブーが女性の交換の命令となることはない。けれども、レヴィ=ストロースのインセスト・タブーの謎解きがそれで無効になるわけではない。遊動社会でも、インセスト・タブーが子どもや人びとの移動を促しており、人の移動による関係のネットワークこそが、集団間を自由に移動できる条件にもなっているのであり、インセスト・タブーが社会的結合(女性の交換によるものではないが)を生むという命題は当てはまるからである。
このようないくつかの修正を加えれば、レヴィ=ストロースによる親族研究の革命はいまでも十分検討に値するし、リーチも認めているように『親族の基本構造』でレヴィ=ストロースが用いた方法は、トーテミズムや神話の研究において用いている方法と同じである。ただし、親族の領域での構造主義革命が誤解された原因を、リーチら他の社会人類学者たちの誤読だけに帰することはできないだろう。レヴィ=ストロースが後に反省しているように、「基本構造」だけにかぎっても、それが、「無意識という形で、人間の精神に現存している」とまで確証できなかったことも要因になっていた。そこで、レヴィ=ストロースは、構造というものが無意識の形で人間の精神にたしかに現存していることを示すために、社会生活上の外的制約のより少ない神話研究へと向かうことになるのである。
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Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【第4章】[#「【第4章】」はゴシック体]
ブリコラージュvs[#「ブリコラージュvs」はゴシック体] 近代知
『野生の思考』『今日のトーテミズム』
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1トーテム的分類と野生の思考[#「トーテム的分類と野生の思考」はゴシック体]
†トーテム幻想とヒステリー幻想[#「†トーテム幻想とヒステリー幻想」はゴシック体]
神話研究をはじめてから十年ほどたった一九六二年に、レヴィ=ストロースは『今日のトーテミズム』と『野生の思考』の二冊の本を出した。『親族の基本構造』や全四巻からなる『神話論理』といった大著にはさまれると、この二冊はかなり小ぶりだが、親族研究と神話研究を結ぶ中継点に位置し、その両方を包括するような「分類」をテーマとしており、レヴィ=ストロースの人類学的研究の全体を集約しているともいえる。
まず先に刊行した『今日のトーテミズム』で、レヴィ=ストロースは、トーテミズムと呼ばれてきたものは、学者たちが、別々のことを混同したり同一のものを切り離したりして、一つの自立した現象として存在するかのように創りあげた「幻想」だという。トーテミズムとは、氏族などの人間集団が特定の動植物と特別な結びつきをもち(その動物が氏族の祖先であるとか、集団の成員とその動物は互いに殺さない親密な関係があるなど)、その動植物の名前を集団の名前としているような信仰や制度を指す用語で、その特定の自然種をトーテムと呼ぶ。トーテミズムは、それまで原初的な段階の宗教と位置づけられてきたが、レヴィ=ストロースは、人間集団間の関係からなる「文化の系列」と、動植物などの自然種間の関係からなる「自然の系列」とのあいだの照応関係による分類という、普遍的な現象のなかの特殊ケースとして捉えるべきものだと主張した。
レヴィ=ストロースは、『今日のトーテミズム』の冒頭で、一九世紀末の人類学におけるトーテミズム研究と同時代のヒステリー研究の類似性を指摘する。
[#2字下げ] トーテミズムはヒステリーに似ている。すなわち、いくつかの現象を恣意的に切り取り、それらをある一つの病気、あるいはある一つの客観的制度の徴候として一緒にしてしまうことがはたしてできるのだろうかという疑いをひとたび抱いたとたんに、それらの徴候じたいが消え去ってしまったり、それらを統合するいかなる解釈にも逆らうようになるという点で、両者は似ている。
[#地付き](『今日のトーテミズム』)
レヴィ=ストロースは、ヒステリー幻想とトーテミズム幻想が一九世紀末という同時期に同じ文化的環境において誕生したことは偶然ではなく、そこには、研究の対象となる人びと(精神病患者や「未開人」)よりも、研究する側の精神――「あたかも学問的客観性というかさをかぶって、学者たちが、意識的か無意識的か、これらの人々を実際以上に自分たちと異なっているとしているかのように」みせたがる精神――が強く反映されていたという。さらに、レヴィ=ストロースは、E・サイード(『オリエンタリズム』)の西洋による非西洋の表象への批判を先取りするかのように、ヒステリー幻想やトーテミズム幻想とは、正常な白人男性が、自分たちのなかにある望ましくない部分を異常者や未開人という他者に投影することによって、そのような部分が自分たちのなかにあることを否認し、自分たちの道徳的世界を正常で確固たるものにするためのものだとしている。
[#2字下げ] 正常な白人の成人男性の思考様式に確固たる根拠を与えると同時に、それを無疵のまま保持するためには、それらの慣習や信仰を自分自身から切り離し(実際にはそれらの慣習や信仰はまったく異質なもの同士であり、他の慣習や信仰から分離することも困難なのだが)、われわれの文化を含めたあらゆる文化のなかに存在し機能していることを認めねばならないとしたら有害となるような諸観念を、この慣習や信仰のまわりに無害な塊として結晶させることほど都合のよいことはなかった。トーテミズムという考えは、なによりも、キリスト教的思考が本質的なものと考える人間と自然とのあいだの非連続性という要求とは両立しない精神的態度を、いわば悪魔祓いをするように、われわれの宇宙の外に投影したものであった。
[#地付き](『今日のトーテミズム』)
このように、トーテミズムは、自分たちの世界を「未開」とは相容れない合理的な世界とするために創りだされた幻想であり、それと同じような観念が自分たちの文化にも存在することを否認するために必要な幻想だったというわけである。
†『今日のトーテミズム』から『野生の思考』へ[#「†『今日のトーテミズム』から『野生の思考』へ」はゴシック体]
『今日のトーテミズム』は、トーテミズムと呼ばれてきた現象を、現代の私たちの文化にもある、普遍的な思考としての「分類」の一部とみなすことによって、このトーテミズムという幻想の囲いを取りはずした。そして、トーテミズムと呼ばれてこなかった事象をも含めて、そのような分類に属する個々の現象に共通する知的な思考が、どのようなものであるのかを明らかにする仕事が、つぎの著作の『野生の思考』に残されていた。
レヴィ=ストロースは、『野生の思考』において、それまで「未開社会の思惟」として、文明の外部に囲い込まれていた野生の思考と近代科学の思考とが、同じように合理的な科学的思考であることを主張している。それによって、西洋近代の幻想を批判するという点では、『野生の思考』は『今日のトーテミズム』を継承している。しかし、同時に、この著作は、より普遍的な思考としての野生の思考のあり方を示すことによって、「栽培化された思考」としての西洋近代の思考の特殊性を露わにし、西洋近代が防衛しようとしていたその境界=限界を崩してしまう破壊力をもっていた。
まず、注意すべきは、レヴィ=ストロースのいう野生の思考は、けっして失われつつある過去の思考でも、近代的世界の外部にあるものでもないということである。私たちの世界にもあるという意味では、それは現代の思考である。レヴィ=ストロースも、現代の科学が感性と知性の再結合に向かっているということなどを挙げて、近代科学と野生の思考とが対立するものではないといっており、現代の科学においてそれが再認識されつつあると述べている。これまで近代科学と野生の思考の共存ということがみえてこなかったのは、近代の知の体系によってその連続性が否定されてきたからなのである。
『野生の思考』という著作が近代の知への根源的な批判の書となっているのは、それが、反近代の知として、失われた過去の知恵あるいは未開の思考を持ち出したからではない。そうではなく、具体の科学としての野生の思考と近代科学をともに広い意味での科学的な思考だと認めたうえで、共存する二つの思考のうち、野生の思考のほうを、より普遍的な思考だと主張したからであった。それまでも、呪術的思考と一括して呼ばれるもの――トーテミズムもその一例であった――が、文明以前に広く世界にあったとか、迷信が現代にも残存しているとはいわれていたが、それらは、個々の社会や文化に特殊なものであり、普遍的合理性をもたないゆえに、特定の未開社会にしか通用しない特殊なものであり、近代の科学的思考によって駆逐されるものとされていた。
それに対して、レヴィ=ストロースは、近代の思考が特定の時代と文化に特殊な思考であり、野生の思考こそ人類に普遍的な思考であることを、個々の諸事例に共通する論理的な構造を抽出することによって示した。それは、野生の思考を科学的思考とみなすことで、近代の知が自らの優位性を保つのがむずかしくなるというだけにとどまらず、その普遍的な思考を外に排除することで成立していた西洋近代の知の基盤を掘り崩してしまうことをも意味していたのである。
†トーテム的分類とヒダツァの鷲狩り[#「†トーテム的分類とヒダツァの鷲狩り」はゴシック体]
『野生の思考』でも、トーテミズムと呼ばれてきた現象が中心的にあつかわれているが、そこではトーテミズムと呼ばれてきた事象をこえて、感性と理性を切り離さない普遍的な人間の思考としての「具体の科学」における「トーテム的分類」の一部としてあつかわれている。この感性と理性の統合という主題は、『悲しき熱帯』から『神話論理』まで貫いているレヴィ=ストロースの中心的な主題となっているが、「トーテム的分類」が示している動植物などの自然種の多様性に対する細部への注意や差異への精緻な関心こそ、近代科学が切り離してしまう感性と理性がまだ切り離されていない思考の現れとされるのである。
レヴィ=ストロースは、この動植物などの自然種のあいだの習性や行動や外見などの差異への精緻な関心は、よくいわれるように、動植物の有用性から来ているのではなく、さまざまなレヴェルの差異の集合体である自然種というものが思考の「オペレーター」(操作媒体と訳されているが、異なるレヴェルのあいだを接合するものと捉えておけばよい)となることからきているという。『今日のトーテミズム』での有名な言葉を使えば、それらの動植物は「食べるのに適している」からではなく、「考えるのに適している」ことから選ばれているのである。
自然種を用いたトーテム的分類の具体例を、まず『今日のトーテミズム』から挙げてみよう。前章で述べたように、オーストラリア先住民社会には双分組織があり、社会が二つの半族と呼ばれる親族集団に分かれているが、その半族の名が二つの鳥の種になっている民族が多い。たとえば、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ地方のダーリング川流域のある社会では、二つの母系外婚半族はタカ(イーグルホーク)とカラス(クロウ)と呼ばれ、ニュー・サウス・ウェールズの北部の社会では二つの半族はキバシリとコウモリと呼ばれ、また別の社会ではフクロウとヨタカと呼ばれる二つの半族に区分されており、さらにヴィクトリア地方では白インコと黒インコに分かれているというように。そして、それらの二つの半族を示す種は男女の対としても表現される。
レヴィ=ストロースは、これら半族の名となっている鳥の種は、同じカテゴリーに含まれて隣接しており、しかも対称的に対立しているという。たとえば、タカとカラスは、ともに主要な肉食の鳥であるが、前者は猟をする鳥なのに対して、後者は腐肉を漁る鳥である点で異なっている。またフクロウとヨタカは、どちらも木の洞に棲んでいて肉食である点は共通しているが、そのような類似性の内部には、一方は≪猟をする≫鳥であるのに対して、他方は≪盗む≫鳥というように、対称的な対立が潜んでいる。インコという同一の種に属する場合も、色は白と黒とに対立している。
それらの自然種は、レヴィ=ストロースによれば、直接に経験される感覚的なもの(習性、色、形態など)の差異による「記号」として用いられている(この「記号」については後で述べよう)。ここでの例でいえば、二つの鳥の種は、同じカテゴリーのなかに属していながら(隣接しながら)も対称的に対立している記号となっており、同じ部族社会のなかで隣接しながらも対称的に対立する二つの社会集団(半族)の関係を表すのに用いられているというわけである。タカという名の半族が、タカと類似しているわけではない。しかし、タカとカラスのあいだにみられる対立ないし相違点は、二つの半族のあいだの対立や相違点と似ているのだ。ふたたび『今日のトーテミズム』のなかの表現を借りれば、「類似しているのは類似点ではなくて、相違点」なのである。
特定の自然種がオペレーター(操作媒体)として用いられている例をもうひとつ、今度は、『野生の思考』から引いてみよう。その例は、従来の研究者なら、トーテミズムと無関係なものとみなすような例である。
北米先住民のヒダツァ人の神話によれば、彼らに鷲狩りの仕方を教えたのは、姿を変えられるなどの超自然的な力をもつ動物である。その動物は、どうやら「熊」らしいのだが、それがクズリ(北米の北部やシベリアにいるイタチ科の大型の哺乳類、体長は七五センチほどになり、熊の子どもに似ている)なのか、小さい黒熊なのか、ヒダツァ文化の専門家も同定できないでいた。しかし、レヴィ=ストロースは、近隣諸民族において、クズリが特殊な位置を占めており、巧妙に罠を避けるだけでなく罠にかかった獲物を盗むような狡猾さをもつという伝承があることを挙げながら、ヒダツァの鷲狩りの特殊性を解釈するうえで、黒熊では何の解釈ももたらしてくれないが、クズリであれば、その儀礼での対立関係を説明できるという。
ヒダツァの鷲狩りは、狩人が、穴に隠れて、穴の上に置いた餌につられて鷲が地上に降りた瞬間に、素手で捕まえるという変わった狩りの方法をとる。レヴィ=ストロースは、この狩りのやり方を、狩人自身が罠となって穴の中に入り、罠にかかった動物のような姿勢をとることから、「人間は同時に狩人でもあり獲物でもある」というパラドックスめいた方法だという。そして、動物のなかで、このようなパラドックスめいた状況を克服できるのは、クズリだけだと述べる。すなわち、「クズリは、仕掛けられた罠を恐れないだけでなく、獲物を盗んだり、ときには罠まで奪ったりして、狩人と張り合う」というように、クズリもまた、獲物であると同時に獲物をとる側の狩人でもあるのだ。したがって、鷲狩りをヒダツァ人に教えた動物は、そのパラドックスを自ら引き受けることのできるクズリでなくてはならないというわけである。
ここにみられるのは、自然種の系列において、他の動物に対するクズリのもつ特別な位置と、人間が属する文化の系列において、鷲狩りの狩人が、通常の弓矢猟の狩人に対してもつ特別な位置とが類似しているということであるが、その論理は、レヴィ=ストロースのいうトーテム的分類の論理と同じだといえる。二つの半族をカラスとタカと名づけるトーテム的分類について、レヴィ=ストロースは、「類似しているのは類似点ではなくて、相違点」だと述べていたが、そこでは、半族の片方とカラスという種が似ているのではなく、カラスとタカとのあいだの相違が二つの半族相互の相違と似ていた。二つの項が類似性によって結びつくことを、「隠喩(メタファー)」の関係と呼べば、トーテミズムにおいて、自然種間の差異と、文化の系列に属する人間集団間の差異とが隠喩的関係にあるように、ヒダツァの鷲狩りの狩人とクズリとは、隠喩的関係にあるといえる。
このように、レヴィ=ストロースは、従来の研究者がトーテムとはみなさないような事例にも同じ構造をみいだし、研究者のトーテム幻想をこえた、より普遍的な論理を明らかにしていくのである。
†隠喩と換喩[#「†隠喩と換喩」はゴシック体]
ここで、『今日のトーテミズム』や『野生の思考』のなかでトーテム的分類の論理の説明において頻繁に使われている「隠喩」と「換喩」という一対の用語を解説しておこう。これは、レヴィ=ストロースがヤーコブソンの詩学から借りたものだが、レヴィ=ストロースの構造人類学では、トーテム的分類や神話や儀礼における「記号」同士の結びつきの二つのタイプを表す重要なキータームとして使われている。
すでに述べたように、隠喩が類似性による結びつきを意味するのに対して、換喩は、隣接性による結びつきを表している(この「隣接」には、現実に接触しているという物理的な「隣接」だけではなく、カラスとタカのように意味論的な「隣接」も含める)。佐藤信夫氏の説明を拝借すれば、肌の白い王女に「白雪」という名前をつけるのは、その王女と雪を「白さ」という類似性によって結びつける隠喩型の名づけであり、いつも赤いシャプロン(頭巾)をかぶっている女の子を「赤頭巾」と呼ぶのは、その女の子と赤い頭巾を物理的な隣接性によって結びつける換喩型の命名法である。後者において、少女と赤い頭巾は似ていないし、前者の隠喩の結びつきにおいて、その王女の頭上にいつも雪が降っていて、王女に雪が付きものとなっているわけではない。
トーテム的分類では、自然種のあいだの差異関係と人間集団相互の差異関係が、類似性による「隠喩」として結びついていた。第3章で紹介したレヴィ=ストロースによる構造の定義の説明に、「要素と要素間とを同一平面に置いている」とあったが、トーテム的分類は、カラスやタカといったひとつひとつの自然種(要素)が、ひとつの半族(要素)と類似しているのではなく、自然種のあいだの関係という要素間関係が、半族と半族のあいだの要素間関係と類似しているというように、要素間の関係をひとつの要素のようにあつかっていることがみてとれよう。
[#挿絵(img/fig25.jpg)]
このように、トーテム的分類という構造は、自然種のあいだの関係からなる自然の系列と、人間集団のあいだの関係からなる文化の系列の、二つの系列が対応することによって作られている。そして、そのとき、ひとつの系列のなかの結びつき、たとえば自然の系列内のカラスとタカの差異のある結びつきは、同じ鳥として意味論的に近接した、隣接性による換喩的な結びつきとなっている。つまり、トーテム的分類は、自然種のあいだの差異の連鎖における換喩と、人間集団間のあいだの差異の連鎖における換喩、そして自然種間関係と人間集団間関係とのあいだの隠喩からできあがっている(図17[#「図17」はゴシック体]を参照)。
ここで、話をふたたびヒダツァの鷲狩りに戻し、それを隠喩と換喩という用語を使って説明してみよう。ヒダツァ社会においては、鷲狩りが複雑な儀礼をともなうなど、他の通常の弓矢猟とくらべて特別な儀礼的意味をもっている。その理由は、鷲狩りがヒダツァの神話的な宇宙観において重要となっている「天と地」の対立を強調しているからだと、レヴィ=ストロースは示唆する。ヒダツァの狩人が通常行なう弓矢猟は、獲物と狩人とがともに地上ないし地面に近い空間で近接して行なわれる。それに対して、鷲狩りは、天空高く飛び、神話においても鳥のなかで最高位の、「最も高い」位置にいる鷲を、地下という物理的にも低く、罠にかかったあわれな獲物の姿をしている「最も低い」位置にいる狩人が捕らえるというように、獲物と狩人とが「最大距離」にあるのだ。
鷲狩りがもう一つ、通常の弓矢猟と変わっている点は、月経期間中の女性が鷲狩りに良い影響を及ぼすとされていることである。これは、他の弓矢猟にとって月経期間中の女性は不吉とされているのと対照的である。このことも、隠喩と換喩によるトーテム的論理によって解明できる。鷲狩りは、狩人と獲物のあいだの最大距離を、弓矢という媒介なしに直接素手で捕らえることによって縮めるものと考えられる一方で、狩人と獲物のあいだは餌によって媒介されている。餌は狩猟によって得た小動物の肉であるが、血にまみれていて腐敗しやすい。その餌を得るための第一次の狩猟は弓矢による血を流す狩りであるが、鷲を狩る第二次の狩猟では血を流さない(手で捕らえられた鷲は絞め殺される)。
レヴィ=ストロースは、この鷲狩りの体系では、女性の月経は、三重の肯定的意義を付与されるという。まず、形式的な面では、弓矢猟と鷲狩りという二つの狩りは互いに逆転の関係にあるのだから、月経の役割も逆転する。前者では、血を流すという過度の類似によって不吉とされたのが、鷲狩りでは、月経は、血と腐敗という点で餌の隠喩となり、吉に転ずるが、その隠喩は、餌が鷲狩りの体系の一部であるという点で換喩に転じている。また、技術的な面では、鷲を捕まえる手段である血にまみれた肉(餌)は一定の期間、狩人に隣接しているが、一方、現地のことばで、鷲が餌を捕捉することと恋人を抱擁することは同じ単語で表される(類似性による隠喩)。ここで示唆されているのは、月経期間中の血にまみれた女性の肉体と接するという換喩的関係が、その抱擁と鷲が餌をつかむこととのあいだの隠喩的な結びつきに重なり、狩人が鷲を捕えることにつながるという、換喩と隠喩のあいだの転換ないし反転なのである。
最後に、意味論的な面として、北米先住民の諸民族では、「穢れ」を、二つの項がそれぞれ「清浄」な状態にとどまるためのほど良い距離が失われて、過度に接近しすぎることから生じると考えているが、女性の月経はそのような過度の接近をもたらすのだとレヴィ=ストロースは、指摘している。近い距離で行なわれる通常の狩りでは、月経は近さの過剰を生じさせて、狩りに悪影響を及ぼすが、最大距離にある鷲狩りでは、それが逆になる。すなわち、その穢れは、過度の分離を中和して、ほどよい距離にしてくれるのである。なお、ここで使われている「過度の接近」「過度の分離」「ほどよい距離」という視点は、のちの『神話論理』における神話の構造分析においても用いられている。
2ブリコラージュと断片の思考[#「ブリコラージュと断片の思考」はゴシック体]
†ブリコラージュとは何か[#「†ブリコラージュとは何か」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、具体の科学としての神話的思考を「ブリコラージュ」にたとえている。ブリコラージュは、器用仕事とか寄せ集め細工などと訳されているが、限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合わせで使って、目下の状況で必要なものを作ることを指している。それらの材料や道具は、設計図にしたがって計画的に作られたものではなく、たいていは以前の仕事の残りものとか、そのうち何かの役にたつかもしれないと思って取って置いたものや、偶然に与えられたものなど、本来の目的や用途とは無関係に集められたものであるため、ブリコルール(ブリコラージュする人)は、それらの形や素材などのさまざまなレヴェルでの細かい差異を利用して、本来の目的や用途とは別の目的や用途のために流用することになる。
「野生の思考」を説明するのに、レヴィ=ストロースが用いたブリコラージュという比喩は、多くの人びとを魅了してきた。けれども、同時に、この比喩は一人歩きしているようにもみえる。そこでまず、ブリコラージュについて、『野生の思考』のなかではどのように説明されているかをすこし詳しくみておこう。
レヴィ=ストロースは、ブリコラージュという語のもとになったブリコレという動詞の古い意味が、球技やビリヤード、狩猟、馬術において、ボールがはね返るとか、犬が迷う、馬が障害物を避けるためにコースから外れるといった、非本来的な動きを指していたという。そして、現在でも、ブリコルール(ブリコラージュする人)という語が、専門家とは違って、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人を指すことを指摘して、神話的思考も、ありあわせの限られた材料を用いるという点で、一種の知的なブリコラージュであるという。
しかし、このブリコラージュの比喩の核心は、新石器時代から現代まで続いている具体の科学を、近代科学とは区別した形で表すことにある。レヴィ=ストロースは、具体の科学をブリコルールの仕事にたとえる一方で、近代科学(正確には西洋近代に特殊な思考)をエンジニア(技師)の仕事にたとえている。
[#2字下げ] ブリコルールは多種多様な仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。なぜなら、「もちあわせ」の内容構成は、目下の計画にも、またいかなる特定の計画にも無関係で、偶然の結果できたものだからである。すなわち、いろいろな機会にストックが更新され増加し、また前にものを作ったり壊したりしたときの残りもので維持されているのである。したがってブリコルールの使うものの集合は、ある一つの計画によって定義されるものではない。……ブリコルール自身の言い方を借りて言い換えるならば、「まだなにかの役に立つ」という原則によって集められ、保存された要素でできている。
[#地付き](『野生の思考』)
つまり、エンジニアが、全体的な計画としての設計図に即して考案された、機能や用途が一義的に決められている「部品」を用いるのに対して、ブリコルールは、もとの計画から引き剥がされて一義的に決められた機能を失い、「まだなにかの役に立つ」という原則によって集められた「断片」を、そのときどきの状況的な目的に応じて用いる。
「断片」も「部品」も、全体のなかの部分であることには変わりがないが、部品は、たとえたまたま全体から離れていても、つねに帰属すべき場所をもち、その本来的な場所に組み込まれると、ジグソー・パズルのピースのように、それを囲む境界は消えてほとんど透明になってしまう。それに対して、ブリコラージュに用いられる断片は、特定の機能によって決められる帰属すべき場所を失っており、明確な一定の用途に限定されることはなく、さまざまな潜在的用途を保持している。そして、それが本来的な用途とは異なるような用途に流用されて、たまたまある全体に組み込まれても、それを囲む境界線は、モザイクのように、消えることを拒んでいる。
ブリコラージュにおいては、ある材料を特定の用途に使用しても、その独自の感性的性質や来歴を隠さないため、その材料は、全体のなかでちぐはぐな異物として、その独自性や異質性を保持しつづける。たとえば、もとは樽の一部だったオーク材の木片は、長さの足りない板の埋め木にも使えるし、光沢や触感を活かして置物の台にも道具の柄にも使えるし、そうでなければ「まだなにかに使える」ものとして雑多なストックに付け加えられるだろう。それらの可能性は、「材料それぞれ独自の歴史によって、またそのもとの用途の名残りないしはその後の転用からくる変換によって限定されている」が、転用された木片は、もとは樽だったという独自の歴史を主張すると同時に、まだ別の用途にも使えることを主張しつづけるのである。
†記号と概念[#「†記号と概念」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、ブリコルールがまず行なう仕事は、雑多に集めておいた道具と材料のもちあわせの全体との一種の対話を交わして、感性的なものと理性的なものを切り離さずに、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答のすべてを並べ出すことだという(このブリコルールによる資材との対話は、神話の構造分析を行なうときに、レヴィ=ストロースが行なう「対話」を思い起こさずにはおかない)。そして、そのことを、「彼[ブリコルール]の『宝庫』を構成する雑多なものすべてに尋ねて、それぞれが何の『記号』となりうるかをつかむ」といい換えている。この「記号」という語は、「概念」と対比で用いられている。レヴィ=ストロースは、近代の知が用いるのは「概念」なのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」だというのである。
レヴィ=ストロースによれば、ブリコルールの用いる記号とエンジニアの用いる概念との違いの一つは、「概念が現実に対して全的に透明であろうとするのに対し、記号の方はこの現実の中に人間性のある厚味をもって入り込んでくることを容認し、さらにはそれを要求することさえあるという所にある」(『野生の思考』)。
つまり、エンジニアが用いる概念は、現実に対して透明であり、資材の集合そのものを更新することによって、事前の計画とでき上がりがつねに一致している。それに対して、ブリコラージュでは、「でき上がりはつねに、手段の集合の構造と計画の構造の妥協として成り立つ」ゆえに、「でき上がったとき、計画は当初の意図(もっとも単なるスケッチにすぎないが)とは不可避的にずれるのである。これはシュールレアリストたちがいみじくも『客観的偶然』と名づけた効果である。しかしそれだけではない。……計画をそのまま達成することはけっしてないが、ブリコルールはつねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこすのである」(『野生の思考』)。
ソシュールは、言語記号を、シニフィアン(意味するもの、その記号を形づくっている音声イメージ)とシニフィエ(意味されるもの、その記号が指示する概念の内容)の恣意的な結合と定義したが、その用語を使っていいかえれば、概念においては、シニフィアンとシニフィエとが完全に一致しており、シニフィアンはそれ自身の外(現実)にある何かを指すだけで、資材としてのシニフィアンじたいの特質(出来事性)は消されているのに対し、記号は透明ではなく、シニフィアンじたいの特質や出来事性が前面にでている。
そのような「記号」の不透明性を端的に示しているのは、『野生の思考』の表紙かもしれない。そこには、「|野生の思考《パンセ・ソバージユ》」という題名とともに、「|三色スミレ《パンセ・ソバージユ》」の絵が描かれている(本章の扉絵を参照)。つまり、その絵があることによって、シニフィアンとしてのパンセ・ソバージュという音声イメージが、その指示対象(「野生の思考」)に対する透明性をなくし、それ自身の感性的な特質(音声イメージ)を自己主張しはじめるのだ。
しかし、ここで重要なことは、ブリコルールがそのちぐはぐな作品のなかに、自分自身の歴史性や自分の体験の出来事性を残すことができるのは、ブリコラージュが真正なレヴェルにおいてなされる場合にかぎられるということである。真正な社会でなければ、ブリコラージュによる作品のちぐはぐさや、それに使われている断片が示す独自の〈顔〉や来歴や出来事は、その作品とは無関係なものとして、その外部に排除されるだろう。
レヴィ=ストロースは、「神話的思考の特性は、工作面でのブリコラージュと同様、構造体をつくるのに他の構造体を直接用いるのではなくて、いろいろな出来事の残片や破片、英語で odds and ends[がらくた]……と呼ぶものを用いることである。それらはある個人ないしある社会の歴史の化石化した証人である」(『野生の思考』)と述べているが、出来事の断片が「歴史の化石化した証人」となりうるのは、真正な社会においてのみなのである。
†記号のなかの不整合とゼロ記号[#「†記号のなかの不整合とゼロ記号」はゴシック体]
宮川淳は、ブリコラージュで用いられる記号において、シニフィアンとシニフィエのあいだに不整合があり、この不整合は、レヴィ=ストロースの構造という視点にとって本質的なものだと述べている。
[#2字下げ] レヴィ=ストロースがこの[ブリコラージュの]比喩で強調しているのは、なによりもブリコラージュを形づくるちぐはぐな[#「ちぐはぐな」に傍点]総体――いわばシニフィアンとシニフィエとの間の不整合な関係(この不整合はレヴィ=ストロースにとって構造の概念に本質的なものであり、それのみが構造の変換を可能にする)であり、それがある計画によって規定されるのではないこと、したがって全体化(分析と綜合)とは別の[#「別の」に傍点]原理の存在である。
[#地付き](宮川淳『引用の織物』)
レヴィ=ストロースは、「イメージ[シニフィアン]は記号の中に観念[シニフィエ]と同居することができるし、またもし観念がまだそこに来ていなければ、将来それが来るべき場所をあけておき、陰画的にその輪郭をうき出させる。……記号は、まだ内包をもつに至らないことがありうる。つまり、概念とは違って、同型の他の存在との間に同時的でかつ理論上無限の関係を作り出していないけれども、すでに置換可能である、すなわち、数は有限だが、他の存在との継起的関係の代理を務め得るのだ」(『野生の思考』)といっているが、ここで述べられているのは、レヴィ=ストロースが『マルセル・モース論文集』の序文で提示した「ゼロ記号」(レヴィ=ストロース自身は、ゼロ記号という語は使わず、「ゼロ象徴価値の記号」という言い方をしている)のことである。
レヴィ=ストロースは、ポリネシアの《マナ》などの、神秘的な作用を及ぼす何らかの未知の力を指す、マナ型の観念(小松和彦氏が指摘しているように、日本の例でいえば、「きょうはついている」、「ついていない」というときの《ツキ》がそれに相当しよう)は、「[未知数を指すxなどの]代数の記号と同じように意味の不定値を表すはたらきをし、自分自身は意味を欠いているゆえにどのような意味をも受け入れる」と述べて、「その独自の機能は、シニフィアンとシニフィエのあいだのずれを埋めること、あるいはより正確にいえば、ある特定の状況や場面、あるいはその観念の発現において、シニフィアンとシニフィエのあいだの相補的関係が損なわれて、両者のあいだに不整合な関係が生じていることを徴づけることである」と述べている。
レヴィ=ストロースのいうシニフィアンとシニフィエのあいだの不整合な関係は、その用語の発明者であるソシュールの定義からすれば、奇妙なものとしかいいようのないものだろう。記号はシニフィアンとシニフィエが表裏一体となってできるのだから。
しかし、レヴィ=ストロースは、人間の基本的条件のゆえに、構造においてシニフィアンの系列とシニフィエの系列とのあいだに不整合な関係が生ずるという。すなわち、構造としての言語においては、他の系列との関係や系列内の他の項との関係によってすべての項の位置が決まるために、その体系はすべてが一挙にしか生まれえなかったが、シニフィエにシニフィアンを割りあてる「認識」のほうは、時間のなかで徐々にしかなされない。そのため、その意味内容がまだ認識されずにシニフィエが欠けているシニフィアンが出てきて、シニフィアンとシニフィエのあいだに、神でなければ解消しえない不整合(「シニフィアンの過剰」)が生ずるのだという。マナ型の観念は、その不整合を埋めるために、「空白」の位置は与えられてはいるけれども認識されてはいないシニフィエに割りあてられる「浮動するシニフィアン」である。
つまり、シニフィアンとシニフィエとが相補的関係にありつづけるために、いかなる価値をも自由に処理できるシニフィアンによって不在という徴を与えられたシニフィエが必要となる。そのようなシニフィアンとシニフィエからなる記号を、レヴィ=ストロースは「ゼロ象徴価値の記号」(ゼロ記号)と呼んだのである。
したがって、レヴィ=ストロースにおいて、シニフィアンとシニフィエとの表裏一体の関係が忘れられているのではなく、そのあいだの表裏一体の関係を維持し、人間の基本的条件ゆえに必然的に生じる不整合性とその表裏一体の相補的関係とを両立させるのが、不整合性を徴づけながら埋める空白の記号としてのゼロ記号なのである。
レヴィ=ストロースは、人間の「認識」という行為について、「自己完結的な全体のただなかで、裁断しなおし、再群化を行ない、属性を決め、新たな可能性を発見することにおいてのみ進行する」と述べているが、これは、構造を組み立てて世界を理解するという、人間の基本的な営みにあてはまることであり、それらの営みが、与えられたものをなんとか現在の目的に合わせて、ちぐはぐな総体を裁断しなおす、ブリコラージュによっていることを示している。そして、ブリコラージュとしての野生の思考が人間の基本的な条件からきたものであることを考えれば、それが普遍的であるのは当然だといえよう。そして、近代の知は、あたかも人間が神の眼をもち、不整合を解消できるかのように思い込むために、その不整合性を排除し、自己完結的な体系を固定しようとする思考なのである(しかし、それはそもそも不可能なのだが)。
†ポストモダン・モダン・プレモダン[#「†ポストモダン・モダン・プレモダン」はゴシック体]
ところで、先に、レヴィ=ストロースの用いたブリコラージュという比喩は多くの人びとを魅了してきたといったが、この語は、人類学よりもむしろ、フランスのアナール学派などの「新しい歴史学」や、現代美術や現代建築についての芸術批評、ポストコロニアル文学批評やカルチュラル・スタディーズなどの分野で用いられてきた。
この語が広く使われるようになったのは、富山太佳夫氏の言い方を借りれば、「方法としての断片」(『ダーウィンの世紀末』)がポストモダン的な知の特徴の一つだからでもあろう。レヴィ=ストロースがブリコラージュの比喩によって示した、断片の思考というべき野生の思考の性格は、ポストモダンの芸術や文学、思想のひとつの特徴となっており、レヴィ=ストロース自身、現代でも存在しているブリコラージュ(野生の思考)の例として、シュールレアリズムなどの芸術を挙げている。そして、ベンヤミンの「モザイク」からドゥルーズの「横断性」まで、現代芸術に発想源を求めている現代思想のなかに、レヴィ=ストロースのブリコラージュの発想と類似する「断片の思想」をみつけるのはそれほど難しくない。
ポストモダンの知の特徴は、あらゆる全体化に対する拒絶であり、統合された全体(リオタールのいう「大きな物語」)に対して、統合されない断片や、それら断片のあいだの異種混淆に価値をおくことにある。そもそも、ポストモダニズムという語が最初に使われた建築のポストモダニズムは、過去のさまざまな建築様式の断片の引用ないし寄せ集めを意味していた。しかし、富山太佳夫氏が指摘しているように、方法としての断片は、なにも最近にはじまったことではない。近代こそあらゆるものを断片化し、全体的なプランにしたがってその諸断片に固定的な役割を与えて組み立てるという特徴をもっていた。
近代の知がそのはじめから断片の寄せ集めを特徴としていたことは、オリエンタリズムのテクストが先行するテクストからの引用の断片の集積であったという、サイードによる指摘からも明らかだろう。それに、近代の資本主義においては、どんなモノも、それが本来あった固有の文脈から切り離されて、商品化され、断片として、他のもともとあった場所の違う、異質な断片と一緒に並べられる。したがって、異質な断片の寄せ集めや異種混淆によってつくられた全体が、それだけで野生の思考によるブリコラージュの産物だとは限らないのである。
モダン(近代)とポストモダンの違いは、近代の知が、異質な断片を組み入れるときに、その混淆の境界線を透明にして滑らかな全体へと統合して、断片を調和的な部分(部品)とするのに対して、ポストモダンの知は、全体への統合を拒否するあまり、一切の関係性を拒絶する断片そのものに価値をみいだす営みだという点にあるといえるだろう。しかし、ブリコラージュは、それらの両方と異なっている(とはいっても、それは、すでに述べたように、プレモダンの知でもない)。
資本主義におけるモノが本来あった場所から切り離されて断片化=商品化されるとき、モダンにおいては全体的な計画から用途が固定されるし、ポストモダンにおいては、その固有の歴史性や多義的な固有性も剥ぎ取られてしまっている。それに対して、特定の時代に限定されない普遍的な思考としてのブリコラージュは、断片の固有の歴史や潜在的な多義性をそのままにしながら、ちぐはぐではあっても特定の役に立つような総体を作りだす。このようなブリコラージュは、レヴィ=ストロースのいう「真正な社会」においてのみ働くものである。断片個々の潜在的な多義性としての固有性を総体のなかで保つには、その営みが、歴史性や固有性のみえる真正な社会のレヴェルにおけるものでなくてはならないのである。真正な社会としての生活世界を離れて非真正のレヴェルにおいて広がる消費資本主義社会のポストモダンの知は、野生の思考と似て非なるものである。
そして、ブリコラージュという語を用いるときに重要なのは、それがたんに異種混淆をすることとは違っているという認識だろう。その点で、アナール学派などの「新しい歴史学」における民衆文化の歴史学的研究でのブリコラージュという語の用いられ方には、この語の新しい可能性と誤用とが両方みられて興味深い。
まず、誤用のほうからみていこう。最近の「新しい歴史学」におけるヨーロッパ民衆文化の研究は、それまでのエリート文化と民衆文化とに固定的にはっきり分けられた二層モデルを批判し、そのあいだの相互作用を強調するが、その相互作用による文化的な異種混淆を指すために、ブリコラージュという語が使われることがある。
そのさい、相互作用によって生ずるエリート文化の側の異種混淆もまた、ブリコラージュによるものとされることが多い。たとえば、アナール学派の代表的な歴史学者であるE・ル=ロワ=ラデュリは、一五世紀頃のヨーロッパの魔女集会(サバト)に関する神話が、エリートたちによって、民衆の信仰と学者の書物の両方からブリコラージュ的に創られたものだという(ル=ロワ=ラデュリ『ジャスミンの魔女』)。また、イギリスの「新しい歴史学」の旗手であるピーター・バークも、日本での講演で、貴族も民衆もみなブリコラージュをしているのだといい、低俗な茶碗を千利休が流用して高級文化の要素となったという例を挙げている(バーク「新しい歴史学と民衆文化」)。
しかし、このように、二つの文化があたかも対等の立場で互いに影響を与えあい、相手の文化の要素を取り入れて、おのおのの文化を混淆しているという見方は、このような相互作用がエリート文化によるヘゲモニーのもとで起こるということを隠してしまう。そして、それ以上に問題なのは、民衆文化において、エリート文化から与えられたものを流用して行なうブリコラージュと、エリート文化が、民衆文化をその異物性や多数性を除去しながら自分たちの体系のなかに組み込んで一義的に意味づけることとは、異なるものだということがみえなくなってしまうのである。
†抵抗としてのブリコラージュ[#「†抵抗としてのブリコラージュ」はゴシック体]
ブリコラージュという語の新しい用法の可能性に貢献をしたのも、アナール学派の歴史学者のミシェル・ド・セルトーであった。ド・セルトーは、エリート文化のヘゲモニーに服従せざるをえない民衆たちが、支配的文化のただなかで行なうブリコラージュというやり方にこそ、民衆的なるものを特徴づける独自性が現れているというのである。
ド・セルトーは、スペインの植民地化に服従するばかりか同意さえしたインディオたちが押しつけられた法や表象を流用していったという例を挙げ、現代社会でも、言語の生産者であるエリートが押しつける文化を民衆が使用するとき、「支配的文化のエコノミーのただなかで、そのエコノミーを相手に『ブリコラージュ』をおこない、その法則を、自分たちの利益にかない、自分たちだけの規則にしたがう法則に変えるべく、こまごまとした無数の変化をくわえている」(『日常的実践のポイエティーク』)と述べている。
このように、ブリコラージュという比喩を、ド・セルトーは、北米先住民の受動的であるが臨機応変の柔軟な「抵抗」のやり方を表すものとして読み替え、それをさらに現代消費社会の消費者が生産者たる支配的文化への抵抗の戦術と捉えなおした。そのようなド・セルトーの用法は、現代の消費社会における若者を中心にしたサブカルチャーなどに、支配的文化の転覆的なブリコラージュをみるカルチュラル・スタディーズや、植民地主義的支配下にあるネイティヴたちの抵抗をブリコラージュとして捉える人類学的な植民地文化の研究とも呼応している。
カルチュラル・スタディーズでの用例からは、ディック・ヘブディジの『サブカルチャー』(一九七九年)におけるブリコラージュの用例を紹介しておこう。ヘブディジは、ステュアート・ホールらが編集した『儀礼を通した抵抗』でのジョン・クラークのことば、「モノと意味は一緒になって記号を構成し、一つの文化のなかで、繰り返し、そのような記号を組み立てて、言説の特有の形がつくられる。けれども、ブリコルールたちが同じ記号の集積全体を使いながら、シニフィアンとなるモノをその言説のなかの別の場所に置き換えたり、あるいは別の総体のなかに置くとき、新しい言説が作り出され、別のメッセージが伝えられる」ということばを引用しながら、一九六〇年代にイギリスの労働者階級の若者たちのあいだで流行った「モッズ」というスタイルについて、つぎのように述べる。
[#2字下げ] 同様に、モッズが、ある一連の商品のまともな意味を消去したり転覆したりするような記号の総体のなかに置くことによって、それらの商品を流用するとき、モッズはブリコルールとして機能していると言うことができよう。つまり、医学的にはノイローゼの治療薬として処方された薬をただ飲むだけに使ったり、本来まったく品の良い輸送手段であったスクーターを、グループの団結の威嚇的なシンボルに転換したりした。同様の即興的なやり方で、金属製のくしは、カミソリの刃のように研がれることにより、その意味をナルシシズムから攻撃的な武器へと換えられた。ユニオンジャックは、きたないアノラックの背中に付けられたり、切られて、小ぎれいに仕立てられたジャケットに換えられた。さらに巧妙なことに、ビジネスマンの世界での型にはまったしるし――スーツ、カラーやネクタイ、短い髪など――は、それらの本来のコノテーション(含まれた意味)――機能性、野心、権威への従順――を奪い去られて、「空虚」なフェティシュ(呪物)、すなわち、それら自体の価値によって、欲望され、愛撫され、尊重される対象に変換されたのだった。
[#地付き](ヘブディジ『サブカルチャー』)
†サバルタンの戦術[#「†サバルタンの戦術」はゴシック体]
ミシェル・ド・セルトーによるブリコラージュという語の新しい用法について重要なことは、近代の支配的文化が「未開」文化や民衆文化の断片を取り込み、自分たちが分割した空間のなかにジグソー・パズルのピースのようにあてはめることと、そのように分割された空間のなかに押し込められた植民地のネイティヴ(原住民)や民衆たちが、押しつけられた法や制度や表象を受け入れながらも、その意味や機能の潜在的な多義性を引き出して流用していくブリコラージュとの違いを明らかにすることにある。
ド・セルトーは、「戦略」と「戦術」という用語を使ってその違いを明確にしていた。「戦略」とは、主体が、周囲の環境から超越することではじめて可能となるような力関係の計算のことである。言語生産者である支配者たちは、目標の相手に対するさまざまな関係を管理・統制できるようにそれらの全体を一望できる固定された固有の場所を確保することにより、「自分とは異質な諸力を観察し、測定し、コントロールし、したがって自分の視界のなかに『おさめ』うる対象に変える」という戦略を自分のものにする。それに対して、「戦術」とは、全体を見通すことのできる場所を所有するわけでもないのに、なんとかして計算をはかることである。この戦術という概念は、権力にいやおうなく従いながらも、その裏をかく民衆の身振りを問題にするためのものであり、「自分にとって疎遠な力が決定した法によって編成された土地、他から押しつけられた土地でなんとかやっていかざるをえない」ような行動であり、「所有者の権力の監視のもとにおかれながら、なにかの情況が隙をあたえてくれたら、ここぞとばかり、すかさず利用する」といったように、固定された固有の場所などもたず、真正な社会に生きるゆえに、融通の利く「弱者の技」としてのブリコラージュ的な機略を指している。
たしかに、ル=ロワ=ラデュリのいうように、性的放恣や尻に口づけをするといった魔女集会(サバト)の「さかしま」のイメージは、エリート文化が雑多な民衆文化的要素からつくり上げたものであろうが、支配者たちにとって意味のあるのは、悪魔学という全体的な計画によって、「悪魔との契約の徴」として一義的に意味づけられたサバトであって、悪魔との契約という意味が変わらないかぎり、どのようなイメージや表象が寄せ集められて混淆されても全体へと滑らかに統合されていく。いいかえれば、それが、いかに身体的な「さかしま」の表象の断片に満ちていても、全体からの単一の意味以外の多義性の排除された部品となっているのである。そのような混淆は、エンジニアの思考であり戦略に属するものであって、ブリコラージュではけっしてない。
抵抗としてのブリコラージュとは、近代の知と権力に包摂されたネイティヴや民衆たちが、真正な社会において行なう戦術だということを明確にいい表すために、それを「サバルタン」のとる戦術といい換えてもよい。サバルタンとは、「下位の」という意味の形容詞で、インドの「新しい歴史学」の運動ともいうべき「サバルタン研究」グループによって、イギリス植民地主義やポストコロニアル状況において、抑圧された被植民者をはじめとする、従属させられた人びと(他に人種的他者や、下層階級、女性)を指す雑種的な名称として用いられた語である。この用語の利点は、それが相対的関係を表す形容詞の名詞的用法であることからもわかるように、人種や社会的階級やジェンダーなどのある特定の実体的カテゴリーを特権化しないことにある。
サバルタン研究グループの一員であるディペシュ・チャクラバルティは、サバルタンの特有性を、暗黙の全体を前提とする部分とは区別された「断片性」にあるとし、国家の申し子たる自分たち中間層の知識人がサバルタンたちのもとにおもむくのは、「断片的であること」を学ぶためだという。そして、「根源的に『断片的』で『挿話風』であることを学ぶためにサバルタンのもとに出かけることは、すべての人にとってよいことをすでに知っているというふりをすることのうちにうごく、モノマニア的な想像から遠ざかることなのである」(「急進的歴史と啓蒙的合理主義」)と述べている。チャクラバルティのいう「モノマニア的な想像」は、いいかえれば、非真正なレヴェルの想像であり、また、具体的な〈顔〉のみえる他者たちとの多様な関係から自分を切り離し、全体をみとおすことのできる固定された固有の場所を所有しているかのように計算する、ド・セルトーのいう「戦略」と重なるだろう。とすれば、断片的であることを学ぶこととは、ブリコルールの戦術を学ぶということにほかならない。
このように、レヴィ=ストロースのブリコラージュという比喩は、カルチュラル・スタディーズや「新しい歴史学」やポストコロニアル論にとっても、キータームになっているが、重要なのは、それを、レヴィ=ストロースのいう記号と概念の区別や真正さの水準という観点と切り離さないことである。そうでないと、資本主義による商品化における混淆や支配文化の行なう異種混淆との混同を避けることができないだろう。
[#改ページ]
[#3段階大きい文字]
Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【第5章】[#「【第5章】」はゴシック体]
神話の大地は丸い[#「神話の大地は丸い」はゴシック体]
『神話論理』
[#挿絵(img/fig26.jpg)]
1神話の描く薔薇模様[#「神話の描く薔薇模様」はゴシック体]
†神話研究へ[#「†神話研究へ」はゴシック体]
この章では、いよいよ、レヴィ=ストロースの構造人類学のハイライトというべき神話研究をみていくことにしよう。その中心となるのは、南北アメリカ先住民諸社会の神話を扱った『神話論理』四部作で、第一巻『生のものと火にかけたもの』、第二巻『蜜から灰へ』、第三巻『テーブル・マナーの起源』、第四巻『裸の人』と題されて、一九六四年から七一年にかけて刊行された。しかし、レヴィ=ストロースが神話研究を開始したのは古く、五二年に社会科学高等研究院でアメリカの神話の講義を始め、五五年には古代ギリシアのオイディプス王の話を材料に構造分析のデモンストレーションをした論文「神話の構造」を出し、五八年と六〇年には、アメリカ先住民社会の神話を構造分析した論文「アスディワル武勲詩」と「ウィネバコの四つの神話」を発表している。
また『神話論理』刊行後も、七五年に『仮面の道』、八五年に『やきもち焼きの土器つくり』、九一年に『大山猫の物語』と、神話研究の本を刊行するなど、アメリカ先住民諸社会の神話研究は、文字どおりレヴィ=ストロースのライフワークとなっている。
レヴィ=ストロースは、『裸の人』が出版された直後のインタヴューで、「どうして神話に興味をもつようになったのか」という質問に対して、つぎのように答えている。
[#2字下げ] 根本的な問題は以前の研究にしても、神話の研究にしても同じだということに気がついたのです。私が婚姻の規則や親族関係の研究をするようになったのは、さまざまな集団で行なわれている習慣がみなまちまちで、一見して秩序立っていないように見えるからでした。……神話の研究に際しても私たちは同様な状況に出会います。個々の神話は全く語り手の気まぐれ次第で何でも起こりうるばかげた話にみえます。……私の分析は、こういった無秩序にみえる話に含まれる論理の図式を明るみに出すことを目指しており、その図式はほとんど代数の公式のような形さえ示します。
このように、レヴィ=ストロースの目的は、一見して無秩序にみえるもののあいだの論理的な関係を示すという親族研究の目的を継承している。そのための対象に神話を選んだのは、神話が社会的機能などと関連づけられる婚姻の規則や親族関係とはちがって、「はっきりした実用的機能が見当たらない」(『生のものと火にかけたもの』)だけに、個々の社会での社会的機能による制約がなく、内的な論理的関係の整合性によるものということが示しやすいという理由からであった。その神話研究は、新しい神話学をめざしたものではなく、あくまでも人類学的な探究の一環としてなされたものなのである。
†ブリコラージュによる神話の分析[#「†ブリコラージュによる神話の分析」はゴシック体]
本書の第1章で、哲学を放棄したレヴィ=ストロースが文化人類学にみいだしたのは、「他者の理性に自己を開くこと」による人間理性の拡大であったと述べたが、四部作全体で南北アメリカ先住民諸社会の八百以上の神話、それらの異伝(同じ内容の神話の異なるヴァージョン)も含めると千四百以上の神話があつかわれている『神話論理』は、それらの神話が作られる際の素材となる諸文化について調べあげながら、それら一つ一つに自己を空にして開いて、そこに隠れている他者の理性を自己の身体のなかで聞きとろうとした営みの成果であったといえよう。そのとき、分析者のはずのレヴィ=ストロースの主体は空虚になり、身体は神話と神話が交わる場と化す。エリボンとの対談で、レヴィ=ストロースはアメリカ先住民の神話を分析していた頃を振り返って、つぎのように語っている。
[#ここから2字下げ]
私の体に神話が染み込んでいました。……たとえば、ある集団のある神話が、少し違った形で近隣の集団にあることが判ったとしますね。そうすると、その近隣の部族に関係した民族学的論文著作を全部読んで、それを取りまく世界のなかで、その技術、その歴史、その社会組織といったような、神話の変異に関係するかもしれない要因をすべて調べなければならないのです。私はこれらの部族たちと一緒に、また彼らの神話とともに暮らしていました。……
実に刺激的な作品鑑賞でしたね。なにしろ、彼らの神話はまずは判じ絵みたいなものですから。彼らの話には頭も尻尾もなくて、ばかばかしいような挿話でいっぱいなのです。何日も、何週間も、時には何カ月もの間、それを温めていると、ある日突然に、火花が飛ぶように、一つの神話のある訳の判らない細部が、別の神話のやはり訳の判らない細部の変形したものであることが判って、そのつながりを伝って、二つの神話を一つに結び付けることができる、というような具合いなのですからね。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](『遠近の回想』)
レヴィ=ストロースは、アメリカ先住民諸社会の神話を分析しているとき、いくつかの神話について、紙で立体模型を作って、モビールのように部屋の天井からぶら下げていたという。そのエピソードは、彼が、ブリコラージュによって作られた神話を、ブリコラージュによって分析していたということを端的に示しているように思われる。レヴィ=ストロースは、ブリコラージュとは偶然に与えられた素材との対話だと述べていたが、神話の構造分析じたいも素材としての神話との対話といえよう。また、その神話を生んだ諸社会の技術や社会制度などについて調べあげなければならないのは、神話が環境から与えられたありあわせの材料をブリコラージュして作られているからにほかならない。
†神話を解体する[#「†神話を解体する」はゴシック体]
ブリコラージュによって作られた神話をブリコラージュによって分析するという、レヴィ=ストロースの神話分析の側面は、それが、神話の筋を「解体」するという特徴をもつことにも現れている。レヴィ=ストロースは、一つの神話を自己完結したものとはみずに、神話の意味は一つの神話だけではわからないということを前提とするが、それは二つの分析方法として現れている。
一つは、(1)神話の筋の前後関係を無視してばらばらな出来事に切り離し、それらの出来事相互の関連を探して並び替えて、いくつかのグループにして、そのグループのあいだの関係を考察するという手法である。そして、もう一つは、(2)どこか似ている他の神話や異伝をできるだけ多く集めてグループにして、その神話群全体について、いくつかのコード(親族関係のコード、天体のコード、動物学的コード、植物学的コードというように、思考の対象の範疇によって区別された解読のための断層面)にそって、神話と神話のあいだの論理的な諸関係を考察するという手法である。
二つの方法のうち、(1)の手法は、一九五五年の「神話の構造」において定式化されたものである。レヴィ=ストロースは、そのなかで、「神話の中では一切が起こりうる。みたところ、そこでは諸事件の継起はいかなる論理あるいは連続性の規則にも従わない。主体はどんな属性ももつことができるし、考えうるあらゆる関係が可能である」と述べ、神話の構造分析の手順を、つぎのように説明している。
まず、神話のストーリーを、「誰が誰に何した」というような出来事をできるだけ短い文で表したもの(神話のこの最小単位を「神話素」と呼ぶ)に分解し、それらの文(神話素)を、ストーリーのなかの順序に応じた番号のついたカードに書きとる。つぎに、神話的時間は「可逆的かつ不可逆的で、共時的でも通時的でもある」という二重性をもつことから、不可逆的時間の順序を表すカードの番号を無視してカードをシャッフルする。
[#挿絵(img/fig27.jpg)]
そして、それらのカード(神話素)を、たとえば、神話のなかではまったく異なる場面の異なる出来事である「主人公は祖母のいうことを聞かない」という神話素と「主人公は母と近親相姦する」という神話素を、≪親族関係の否定≫という関係の束にするというように、いくつかの「諸関係の束」に束ねる(この諸関係の束を、レヴィ=ストロースは神話の真の構成単位という)。最後に、神話的時間の通時的な軸(たとえば、≪過剰な接近≫→≪過剰な分離≫→≪媒介されたほどよい距離≫といった通時性)にそって区切られた欄に、それらの束を横に並べ、同じ束に入れたいくつかのカードをそれぞれの欄のなかに縦に並べる。それにより、通時的に横に読むと同時に、欄ごとに縦に共時的に読むことができるようになる(図18[#「図18」はゴシック体]を参照)。
神話や説話では、主人公の性格や属性が話の途中で正反対のように変わったりすることがよくあるが、それも、筋を解体して諸関係の束にしてみると、たいてい関係同士の対立を表すものであることがわかる。けれども、近代以降の批評家は、その変身に主人公の心理的な成長といった意味をみいだそうとしたり、語りの稚拙さをみてしまいがちである。そのような不可逆的な時間に即した目標への一貫した発展という読みは、神話的時間が通時的であると同時に共時的であることを理解していないことになる。
レヴィ=ストロースは、このような手法について、時間的に継起する物語をエピソードごとに切り離して同一平面上に並べなおし、それをあたかもカンバスに描かれた空間的な絵画のように読むという比喩で説明したり、あるいは、時間的芸術である音楽の楽譜を時間的な継起にしたがって横に読む(すなわち通時的にメロディーを読む)とともに、同時に鳴る音を縦にも読む(つまり共時的にハーモニーを読む)という比喩で語っている。
けれども、じつは『神話論理』のなかで、実際にこのような手順がとられることはない。レヴィ=ストロースが、『神話論理』第一巻の『生のものと火にかけたもの』の「序曲」で、「神話の構造」など、以前に発表した論考で提示した規則にしたがって分析すると述べているにもかかわらず、『神話論理』四部作には、「神話素」や「諸関係の束」や「欄に区切られた表」は、一度も出てこない。『神話論理』にみられるのは、もっぱら、(2)の手法であり、後でみるように、神話の筋も「骨組み」という形で使われている(ただし、この「骨組み」は意味内容のない空虚なものであり、やはり「筋」とは違っている)。
そのため、神話学者の吉田敦彦氏のように、レヴィ=ストロースは、「神話の構造」で提示した方法を以後の神話研究においては、完全に放棄しているのに、それを認めないという批判もある(吉田敦彦『神話の構造』)。
しかし、そう判断するのは性急すぎるだろう。というのも、いちいち神話素に分解し、それらを諸関係の束にまとめるという手順を忠実に踏まなくても、神話群を作り、いくつかのコードにそって、神話間の論理的な変換関係を考察するという(2)の手法には、(1)と同じ手法が含まれているからである。つまり、いくつかのコードによって複数の神話から対立関係が横断的に取り出されるとき、個々の神話の筋は、神話間を横断するそのコード化の断面によって解体されてしまっているのである。そして、『神話論理』で使われている、いくつかの神話の関係を特定のコードで分けた表は、(1)の手法の一つの神話の神話素を諸関係の束ごとに分けた表に相当している(コードによる表は諸関係の束と呼ばれていたものよりも細かく分けられているが)。つまり、(1)の手法と(2)の手法は別々の手法ではなく、神話の構造分析には、両方の手法が使われているといったほうがよい。
それら二つの手法が別々のものにみえるのは、それらが異なるタイプの神話にそれぞれ適用される手法として定式化されているからである。神話の構造分析は、一つの神話が自己完結していることを認めず、他の神話との変換関係によってはじめてその構造(内的脈絡)が明らかになるとしている。したがって、一つの神話だけを構造分析することは基本的にはできず、できるだけ多くの異伝や似た神話を一緒に分析しなければならない。けれども、(1)の手法を定式化した「神話の構造」では、一つの神話をひとまず単独で分析してみせている。それが可能なのは、そこであつかわれている神話のように、長く引き伸ばされた「挿話集成型の神話」には、そのなかに、いわば複数の異伝が、つぎつぎに起こるエピソードという形で含まれているからである。それに対して、『神話論理』であつかわれている神話の多くは、異伝が別の神話として語られているタイプの神話なのである。
しかし、重要なのは、いずれにしろ、構造分析では、一つの神話の完結した筋が解体されていることに違いはないということである。だが、このような手法の説明だけでは、神話の構造分析がどのようなものなのか、ピンとこないだろうから、『神話論理』から神話分析の実例をいくつか紹介してみよう。
†ボロロの「基準神話」[#「†ボロロの「基準神話」」はゴシック体]
『神話論理』第一巻『生のものと火にかけたもの』は、M1と番号を付けられたブラジルのボロロ社会の神話ではじまっている(『神話論理』では神話はあつかわれる順に四部作全体で通し番号をつけられている)。レヴィ=ストロースは、その神話M1を「基準神話」と呼んでいる。それは、要約するとつぎのような話である(本書で紹介する神話は、紙数のつごうから、原典から要約されたものをさらに短く要約したもので、神話の語りの豊かさや反復などは消えている)。
M1(基準神話)「金剛インコとその巣」[#「M1(基準神話)「金剛インコとその巣」」はゴシック体](ボロロ)
女たちが成人式で若者たちに与えられるペニス・ケースの材料を採りに森にでかけたとき、一人の若者が自分の母親のあとをつけていって森のなかで犯した。その女の夫は、妻の帯に若者が着ける羽飾りの羽根が付いているのに気づき、密通を疑った夫は、その羽飾りを誰が着けているのかを知るために踊りを開催し、息子が犯人であることを知った。男は、報復のために、息子に水に棲む死霊の巣から踊りに使う大きなマラカスを取ってくるように命じた。息子は、ハチドリの助けを借りるようにという祖母の助言にしたがい、それを取ってくると、こんどは父親は死霊たちから小さなマラカスを取ってくるようにいい、その次には足首に付けるベルを取りに行かせるが、息子はそれぞれ鳩とバッタに助けてもらって切り抜けた。
最後に父親は、息子を高い崖の上にある巣に金剛インコを取りに登らせ、梯子をはずして崖の上に置き去りにした。若者は祖母に貰った魔法の棒を岩に差し込み、落ちるのを免れ、手を伸ばしてつる植物をつかみ、それを伝って頂上まで登った。そこで一休みすると、若者は食べ物を捜し、弓矢を作ってトカゲをたくさん捕って食べ、余ったトカゲの肉を腰の帯に縛りつけておいた。しかし、トカゲの肉が腐った臭気によって、若者は気を失ってしまった。そこへ腐肉をあさるコンドルが来て、トカゲの肉とともに若者の尻の肉も食べた。満腹したコンドルは、若者を地上に降ろしてやった。我に返った若者は腹がすいて野生の果実を食べたが、尻をなくしていたため、食べ物が体に留まらず未消化のまま出てしまった。若者は困ったが、祖母から聞いたお話を思いだして、イモを潰して粘りを出したもので人工の尻を作って付けた。
そうして腹一杯になった若者は、村に帰るが、村は捨てられてしまっていた。放浪の末、若者はようやく祖母の家にもどった。その日、嵐があり、祖母の家の火を除いて村中の家の火が消えてしまった。翌朝みんなが祖母の家に火をもらいにやってきたが、父親の第二妻も来て、そこに死んだはずの息子がいるのを見て、息子の父親に知らせた。父親は何事もなかったかのように息子を迎えたが、息子は復讐をたくらみ、弟の助けを借りて父親を狩りに誘い、鹿の角を付けて父親に襲いかかり角で刺し、湖に沈めた。人喰い魚の霊がその死体をむさぼり食い、後には骨と、水面にただよう(葉の形が肺に似ているといわれる)水生植物と化した肺だけが残った。
ボロロの神話を「基準神話」としたのは、ボロロ社会が調査したことのあるよく知っている社会だったことによるという。そして、レヴィ=ストロースは、まず、同じくボロロの神話で、同じように近親相姦ではじまり、地上の水である湖や川の起源を語る神話M2を、「基準神話」であるM1と同一軸上に並べる。
M2「水、装身具、葬礼の起源」[#「M2「水、装身具、葬礼の起源」」はゴシック体](ボロロ)
ある日、村の首長のバイトゴゴの妻が野生の果実を拾いに森に出掛けるとき、幼い息子がついて行きたがったが拒まれたので、こっそりついて行き、森で母親が同じ一族の男[兄弟に相当する]に犯されるのをみた。息子からそのことを聞いたバイトゴゴは、男を矢で射殺して復讐したあと、妻も絞め殺して、その死体をアルマジロに手伝わせて家の床に埋めて隠した。それを知らない息子はやせ衰え、母親を捜し回って鳥に変身し、父親の肩に糞を落として飛び去った。するとその糞から芽が出てバイトゴゴの肩の上に大きなジャトバの木が生えた。奇怪な姿を恥じたバイトゴゴは、村を去って放浪した。彼が休息のために立ち止まるたびに、そこに湖や川ができた。それまで世界に水はなかった。水が出現するごとに肩の木は小さくなり、しまいに無くなった。(以下略)
M1とM2の二つの神話は、両方とも「水」の起源神話であり、同じ近親相姦という犯罪への報復によって、父と息子が空間的に上と下に分離してしまうという共通性をもつ。けれども、M1では「害を与える天の水」であるのに対して、M2では「恵みを与える地上の水」の起源となっているという対比がある。そして、M1での母と息子の近い距離の近親相姦が、M2では、もう少し距離の遠い同じ氏族に属する類別的な兄弟姉妹間の近親相姦へと変換しているのとは逆に、M1の崖の上に取り残された息子と地上の父親との分離は、M2では、鳥となって空を飛ぶ息子と、肩から木を生やして「大地」と化している父親との分離という隔たりの大きな分離となっている。
また、もっと細部に目を向けると、「植物学的コード」による対比もある。ボロロ人によれば、原初の植物は、天空の領域に属するつる植物と、地上の領域に属する森のジャトバ樹と、水の領域に属する沼の水生植物であった。天の水の起源を語るM1では、主人公はつる植物によって助けられ、復讐によって水生植物が生じているというように、天と水が結びつくのに対して、M2では、地上の領域を代表する森のジャトバの樹が、地上の水の出現と結びついているのである。
そして、レヴィ=ストロースは、M2と同一平面に別のボロロ神話(M5)を並べて、その二つの神話が同じ〈構造〉をもつことを示していく。
M5「病いの起源」[#「M5「病いの起源」」はゴシック体](ボロロ)
病気がまだこの世になかった頃、ある若者が男子小屋に移るのを拒み、母親の小屋に居続けた。怒った祖母は、毎晩寝ている孫の顔の上にしゃがみオナラをかけた。その毒で衰弱した若者は、ある晩寝たふりをして原因を知り、怒って矢を祖母の尻の穴から突き刺して殺し、死体をアルマジロに手伝わせて床に埋めた。その日、魚の毒漁に行った女たちは、翌日、取り残した魚を拾いに出かけた。若者の姉は、幼い息子のお守りを祖母に頼もうとしたが、祖母がいないので、子供を木の枝の上に置いていくと、子どもは蟻塚に変わった。川に着いた姉は、村と川のあいだを往復して魚を運ぶかわりに、魚を貪り食った。彼女の腹は膨れ、彼女が苦痛のために呻き声をあげるたびに、体から病気が飛び散り、村はあらゆる病気に汚染され、死がもたらされた。
このM5は、一見するとM2とずいぶんと異なっており、アルマジロに手伝わせて死者を家の床に埋めるという共通点を除けば、M1とM2のあいだのようにわかりやすい共通点はないようにみえる。
しかし、レヴィ=ストロースはそこに逆転による変換関係をみいだしていく。すなわち、M2では、
[#1字下げ]「昼間/森で/兄弟姉妹という水平関係で/男が能動的で女が受動的に/男の体からの液体(精液)を下の穴(膣)に受け入れる」
という近親相姦が行われるのに対して、M5では、
[#1字下げ]「夜に/家で/祖母と孫という垂直関係で/女が能動的で男が受動的に/女の体からの気体(オナラ)を上の穴(鼻)から受け入れる」
という、いわば「逆転した近親相姦」が行なわれる。つまり、従来なら、未開の神話にみられる、作り手の気まぐれによるばかげた挿話として片づけられたような、M5の祖母のわけのわからない奇妙な行為は、M2の奇妙ではない近親相姦の論理的な逆転によって作り出されたものだということを、レヴィ=ストロースは示しているのである。
しかし、これだけでは、「逆転した近親相姦」などといってもこじつけのように思われるかもしれない。そこで、レヴィ=ストロースは、そのような複数の神話のあいだにみられるある変換が、それらの神話のなかの他の細部にまでおよんでいて、そこに平行した変換が生じていることを示すことによって、神話変換の関係の検証を行なっている。
このM2とM5の神話のあいだでも、近親相姦の逆転という変換は、M1との変換のときに述べた、M2の幼い息子と父親の天と地への分離にもおよび、M5では、幼い息子と母親の分離に変換されている。すなわち、M5では、幼い息子が大地(蟻塚)と化していると同時に、その母親が体内に魚を大量に入れたことは、母親が水と化していることを示している。つまり、近親相姦の変換に平行して、M2の幼い息子と父親の垂直方向(天と地)への分離が、M5の幼い息子と母親の水平方向(地と水)への分離に変換されているのである。
そして、このような変換の関係がある二つの神話のあいだには、その変換を通して変わらない、つぎのような〈構造〉がみいだせる。すなわち、近親相姦のような不当で過剰な接近が、それとは逆に過剰な分離を起こし、さらに、その分離した対立項をふたたび結合させて媒介する新たな要素――M2では、天と地のあいだを循環して媒介する水や、バイトゴゴが後にもたらす装身具(死体を飾って死者を死の国に送ることにより生と死のあいだを媒介する)であり、M5では、生と死のあいだにあってそれを媒介する病気――が現れるという通時的軸、すなわち≪過剰な接近≫→≪過剰な分離≫→≪媒介されたほどよい距離≫という通時的軸に並べられる諸要素のあいだの関係の総体が、その不変の〈構造〉である。いいかえれば、その諸要素のあいだの関係すべてに逆転などの変換がみいだせれば、そこに〈構造〉があるということになる。
†ジェ諸民族の神話群へ[#「†ジェ諸民族の神話群へ」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、M1やM2やM5について、この他にもいくつかのコードを用いて精緻な分析をしているが、ここまでの紹介でも、「同一民族の複数の神話から取り出したいくつかのシークェンスのあいだにある関係を明らかする」ことで変換群を作るという分析方法は示すことができたと思う。
けれども、それらの分析において、まだわけのわからない部分はそのままに残っている。たとえば、M1でいえば、なぜ主人公は大量のトカゲを捕るのか、そこに現れて主人公を助けるのがなぜコンドルなのか、(一つの火を残して)すべての火が消えるということの意味は何なのか、等々の疑問は残されたままである。すでに述べたように、神話の意味や構造は単独では不明のままだというのが、構造分析の規則であり、その細部の意味に照明をあてるのも、他の神話との変換の関係である。とすれば、別の変換の関係をもつ別の神話を対比させれば、不明のままの細部にも照明をあてることができよう。
レヴィ=ストロースは、残された細部に照明をあてるために、同一民族の異なる神話から離れ、ボロロの近隣のジェ語族に属する諸民族の神話のなかから、ボロロの基準神話とどこか類似性のある神話をもってくる。それらは、M1と同じく「鳥の巣荒らし」の主人公がジャガーから火をもらうという、一群の神話群(M7〜M13)である。ここでは、そのうちのシェレンテの神話(M12)を紹介しよう。
M12「火の起源」[#「M12「火の起源」」はゴシック体](シェレンテ)
ある男が、木の洞にある金剛インコの巣のなかの雛鳥を捕らえるために、義弟(妻の弟)を連れて森にやってきた。男は義弟に梯子で木に登って巣のなかを捜すように命じた。しかし、若者は巣には卵しかないといった。男は雛がいることはわかっているというと、若者は、口から白い石を取り出して下に投げた。石は卵に変わり地面にぶつかって潰れた。男は怒って梯子をはずして立ち去った。
木の上に置き去りにされた若者は、五日間そこで過ごした。そこへ一頭のジャガーが通りかかり、金剛インコの雛鳥を要求した。若者が雛鳥を捕まえてジャガーに投げ与えると、ジャガーは若者に飛び降りるようにいい、前足で若者を受け止めてやり、若者を肩にのせて棲処に向かった。途中、二本の小川があり、喉が渇いていた若者は水を飲みたがったが、ジャガーは、それぞれの小川には持ち主がいるといって飲ませなかった。最後に、三本目の小川に来ると、若者は、その小川の持ち主であるワニの懇願を無視して、その小川の水を飲み干してしまった。ジャガーの家で、若者はジャガーの妻から冷淡にあつかわれ、唸り声によって脅かされた。若者がそのことを訴えると、ジャガーは、若者に弓矢と装身具を作って与え、火で焼いた肉を二つの籠に入れてもたせ、もし妻が追いかけてきたら射るように言って、村へ帰る道を教えた。
若者は、追いかけてきたジャガーの妻を射殺し、自分の村に戻った。村の人びとは、若者が持って帰った焼いた肉に驚き、どうやったのか若者に聞いた。最初は天日で炙ったのだと繰り返していたが、とうとう伯父に本当のことを話した。すると、人びとはジャガーから火を奪いに遠征し、火を持って帰ることに成功した。
シェレンテの「火の起源神話」(M12)とボロロの基準神話(M1)を、レヴィ=ストロースはつぎのように対比させる。まず、鳥(金剛インコ)を捕まえに行った若者が、姻族(母系社会のボロロでは父は婚姻関係によって結ばれる姻族である)との反目によって高いところに取り残されるという「骨組み」は、それらの神話のあいだで一致している。しかし、「内容」は細部においてまで逆転しているという。すなわち、レヴィ=ストロースによれば、M1は「天の水」である嵐の起源神話であり、火が(嵐によって)奪われる話であるのに対して、M12は火の起源神話であり、火がもたらされる話である。つまり、M1は「反‐火」の神話であり、内容が逆転している。また、M12では若者が小川の水を飲み干していることから、それが「反‐水」の神話であり、M1で地上の火が奪われるのに対して、M12では地上の水が奪われているという逆転もみられる。
そして、親族関係のコードについて、M1では、母親とは近親相姦を犯すほど「近しい」が、父親は主人公を殺そうとするほど「疎遠」である。一方、M12では明確には語られていないが、他のジェ諸民族の火の起源神話(M7〜13)では、ジャガーが若者を養子にするために家に連れて帰ると語られていることから、ジャガーは若者の父親(養父)であり、ジャガーの妻が母親(養母)に相当することがわかる(こういう欠落を埋めるためにも、他の異伝との対比が不可欠になる)。つまり、M1からM12への変換において、親族関係のコードも、父親であるジャガーは若者に親切で「近しい」が、母親であるジャガーの妻は敵対的で「疎遠」であるというように、対称的に変化していることが明らかになる。
†ボロロとシェレンテの神話変換[#「†ボロロとシェレンテの神話変換」はゴシック体]
このように、ボロロの「天の水」の起源神話であるM1と、ジェ諸民族の「地上の火」の起源神話(M12)とのあいだには、「『骨組み』は不変だが、コードは変わり、メッセージ[内容]は逆転している」という変換がある。その変換を関数fで表すと、
f(M1) = M12
となる。もし、この変換が実際になされているとすれば、同じ変換によってM1となるような第三の神話が、ジェ諸民族のあいだにみいだすことができるのではないか。つまり、方向を逆転させた対称的な変換によって、
f(Mx) = M1
となるような神話Mxがみつかれば、この変換はもはや偶然とはいえなくなるだろう。そして、実際に、Mxはシェレンテにあると、レヴィ=ストロースはいう。そのように「発見」された神話が、つぎに紹介する「アサレの物語」という神話である。
M124「アサレの物語」[#「M124「アサレの物語」」はゴシック体](シェレンテ)
昔、ある男に妻とたくさんの息子たちがいた。息子たちは末っ子のアサレを除いてみな成人していた。ある日、男が狩りに出かけたとき、息子たちは髪の手入れをさせるという口実で母親を男子小屋に呼び、皆で強姦した。アサレはそのことを父親に告げ、兄たちは父親にひどく鞭で打たれた。息子たちは両親の小屋に火をつけ、両親は煙りのなかを飛ぶのを好むハヤブサに変身して逃げた。
息子たちは旅に出た。途中で喉が渇いたアサレは、与えられたヤシの実では渇きを癒されず、喉の渇きを訴えたので、兄の一人が大地に杭をさすと、飲みきれないほどの水が湧き出てきて、やがて海になった。アサレは大事にしていた矢を向こう岸に置いてきたことを思い出し、泳いで取りに行き、その矢を持って戻る途中で、ワニに出会った。そのワニはアサレが殺したトカゲたちが増水した河に運ばれ一つになって生まれたものだった。アサレはワニに背中に乗せてくれるように頼んだが断られ、ワニに悪態をついた。ワニは追いかけてきた。そのあいだに兄たちは、水面を矢が流れているのをみて、アサレが死んだと思い、出発してしまった。アサレは岸に着き、森のなかに逃げ込んで、キツツキに助けてもらって、ようやくワニをまいた。アサレは、先に進み、別の河を渡るとき、また別のワニに出会い、今度は、ヤマウズラに助けられ、三番目の河を渡るときにまた同じことが起こったが、ホエザルに助けられた。アサレはとうとう伯父のスカンクのところに着いた。そこにワニがやってくると、スカンクは毒液をワニにかけて殺した。
アサレはそのまま伯父のところにとどまった。海ができたとき、兄たちはすぐに海水浴をしようとした。いまでも、雨季が終わろうとするころ、西の方角に彼らが水を打つ音が聞こえる。その後、彼らは天に昇って、七つのスバル星になった。
さて、このシェレンテの神話(M124)とボロロの基準神話(M1)のあいだには、かなりの数の厳密な変換が見られ、それらの変換はコードや内容にもおよんでいると、レヴィ=ストロースはいう。そこで、この神話変換の分析については、いままでより詳しく紹介しておこう。
まず、両方とも母親が息子あるいは息子たちに犯されるという近親相姦からはじまる点は同じだが、そこには二つの相違点ないし対称性がある。第一に、その母親の強姦は、
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M1では、≪母親が/女性の仕事をしているときに/森のなかで起きる≫が、
M124では、≪父親が/男性の仕事をしているときに/村のなかで起きる≫。
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第二の相違点は、強姦する息子(息子たち)が、
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M1では、≪これから成人式を迎える未成年≫であるが、
M124では、≪すでに成人式を終えて男子小屋に住む成人≫である。
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この強姦のすぐあとに第三の対称性が現れる。すなわち、父親が事の真相を知るのに、
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M1では、≪すぐに判明しないが/判明後は父親が息子を殺そうとする≫が、
M124では、≪すぐに判明し/判明後は息子たちが父親を殺そうとする≫。そして、
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M1では、≪父親が/復讐の手段に水を用いる(火は後で登場する)≫が、
M124では、≪息子たちが/復讐の手段に火を使う(水は後で登場する)≫。
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つぎに、鳥類学的コードについても、対称性がある。ボロロ神話では、腐肉と生肉(ともに焼いた肉と対立する)を食べるコンドルは料理の火とまったく合わないが、シェレンテ神話では、ハヤブサは炉の煙り、すなわち料理の火を好むと語られる。したがって、
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M1では、≪息子は/料理の火の敵であるコンドルに/下に降ろしてもらい助かる≫が、
M124では、≪両親は/料理の火の友であるハヤブサに変身して/上に飛んで助かる≫。
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また、空間のコードでは、垂直的な分離(下→上)は、ボロロの息子とシェレンテの両親に共通している(ともに鳥に変身して飛び去っている)が、その一方で、
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M1では、≪息子は両親たちと/空気によって/垂直方向に切り離される≫が、
M124では、≪末っ子は兄弟たちと/水によって/水平方向に切り離される≫。
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さらに、ボロロ神話の主人公とシェレンテ神話の主人公は、ともに村から離れたところで飢えや渇きに苦しみ、そのために、ともに二つの手立てを講じるが、そこには、細部にわたる対称性がみられる。すなわち、
[#ここから2字下げ]
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M1では、≪若者は村から高く(垂直的に)離れた岩壁の頂上で/飢えに苦しむ≫が、
M124では、≪若者は村から遠く(水平的に)離れた旅の途中で/渇きに苦しむ≫。
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[#ここで字下げ終わり]
そして、講じられた二つの手立ては、
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M1では、≪まず、生の動物性食物(トカゲ)をとるが/大量すぎて腐敗する。/つぎに、生の植物性食物をとるが/体内に留まらず、満足できない≫。
M124では、≪まず、植物性の飲料(果実)をとるが/少量すぎて満足できない。/つぎに、非植物性の地下水をとるが/大量すぎて体内に入り切らない≫。
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[#ここで字下げ終わり]
つまり、両方の神話のなかの手立てにおいて、量的に不十分で満足できないのは、ともに植物性で有益なもの(ヤシの実、新鮮な果実)であるが、量的に十分すぎる手立ては、非植物性で危険なものである(腐ったトカゲと海水はともに主人公を死に瀕させる)。
そして、ボロロの神話もシェレンテの神話も、ともに「水の起源」を語る神話であるが、M1では≪天の水≫、M124では≪地下の水≫となっており、さらに、ボロロ神話のM1では、主人公は、≪儀礼(踊り)用の楽器を取りに水を渡らなければならなかった≫が、シェレンテ神話のM124では、主人公は、≪狩猟用の武器を取りに水を渡らなければならなかった≫という対称性もみつけることができる。
†バラ模様型測量[#「†バラ模様型測量」はゴシック体]
レヴィ=ストロースによって明るみに出されていくボロロのM1とシェレンテのM124のあいだの相関関係は、まだまだ続き、より微小な細部にまでおよんでいく。
シェレンテの神話で、主人公はワニに出会うが、このワニは、主人公が殺したトカゲから生まれたとされている。一方、ボロロの神話の主人公も、飢えを癒すためにトカゲを殺している。レヴィ=ストロースは、もしボロロ神話のM1のテクストだけを分析の対象にしていたのでは、M1のこのエピソードの意味は理解できないままになってしまうと述べている。そして、まず、シェレンテの神話(M124)において明確に示されているように、トカゲは、水にいるワニの陸上における対応物なのだということを指摘し、つぎにM124とM1の相互の照らし合いによって、M1では、主人公は陸の上でトカゲを獲物にしているのに対して、M124では、主人公は水のなかでワニの獲物になるという対称性が明らかになると指摘している。
さらに、ジェ諸民族のなかのアピナイェ民族の、「男の子が産まれるとコンドルが喜ぶ、なぜなら、男は狩りをし、コンドルに死肉を荒野に残してくれるから。他方、女の子が産まれるとトカゲが喜ぶ、なぜなら、女は炊事をし、トカゲに食べ物の屑を落としてくれるから」という諺を参照することにより、第一に、M1の内部には、トカゲとコンドルのあいだに、女/男、火にかけたもの/生のもの、という二対の対立があり、また、M1とその外部のM124との対照において、トカゲとワニのあいだに、陸/水、火にかけたもの/生のもの、というやはり二対の対立が含まれていることがわかるという。
最後に、レヴィ=ストロースは、季節のコードについての対称性も指摘している。M1は、雨の始まりについて語られているが、これは乾季の終わりを意味する。それに対して、M124では、最後のほうで雨季の終わりに言及しているのである。
このように、天の水の起源神話であると同時に地上の火の消滅というテーマをもつM1と、地上の水の起源神話であるM124とのあいだにある相関関係は、最も細かい部分にまでおよんでいる。この神話変換が十分に説得力のあるものだとしたら、
[f(M1) → M12] = [f(M124) → M1]
という神話変換の相同性も認められよう。というのも、この神話変換fによって、≪天の水の起源≫を語る神話(M1)が、≪地上の火の起源≫を語る神話(M124)に変換されるとしたら、≪地上の火の消滅≫を語る神話(M1)へと変換される元の神話は、≪地上の水の起源≫を語る神話、すなわち、M124となるだろう。
以上、M1とM124とのあいだの神話変換の構造分析をみてきたわけだが、重要なのは、その神話変換によって、同一民族の神話であるM1とM2とM5との神話変換では、わけのわからないままだった神話の細部の意味が、他の神話の細部と思わぬ形でつながっていき、徐々に明らかになってくるということである。そして、ここまでくると、レヴィ=ストロース自身が行なっている自分の神話の構造分析についての以下のような説明や、そのときに用いているいくつかのたとえが、かなり具体的に理解できるだろう。
[#2字下げ] はじめの作業では民族を一つに限って、すべて明らかに異なる神話を取り上げて使ったが、こんどは近隣の諸民族から、はじめの神話といくらかの類似性をもつ神話をもってくる。これによってパターンは単純化されたり、複雑になったり、形を換えたりする。パターンの一つ一つが原点となって、これまでの軸と別の面上で直交する新しい面ができる。つぎにこれらの軸には……さらに遠方の民族の神話から取り出したシークェンスが結びついてくる。または、すでに検討した民族に属するものであるけれども解釈することが無益もしくは不可能であるとして無視してきた神話から取り出したシークェンスが繋がってくることもある。それゆえ星雲が拡散するとともに、そのコアは凝縮し、組織だってくるのである。バラバラだった繊維がくっつき合い、空隙が埋められ、連関ができ上がって、混沌のかげになんとか秩序に似たものが透いて見えるようになる。核になる分子を中心として結晶ができるように、いくつものシークェンスが変換群として整理されて、当初の一つの群の構造と既定の性質とを反復しつつつけ加わってゆく。こうして、中心部は組織がはっきりしているが、周辺部では不確実と無秩序がいまだに支配しているような多次元体が生まれる。
[#地付き](『生のものと火にかけたもの』序曲)
この多次元体には、多義的で多価的のままにとどまっている細部がつねに残っており、別の神話の細部とつながってまた別のパターンを生む可能性があるために、神話の構造分はけっして完結しないが、かといって無秩序に拡散することもない。神話変換の分析のそのような特徴について、レヴィ=ストロースは、大聖堂《カテドラル》や教会堂の正面を飾る薔薇窓の模様(本章扉絵を参照)にたとえた「バラ模様型測量」という美しい呼び方をしている。
[#2字下げ] 中心にどんな神話を選ぼうとも、その変異形がその周辺に広がっていて、バラ模様の形を作っているのです。それがだんだんと広がっていきながら複雑な形を作り上げる。またそのバラ模様の周辺に位置している変異形を一つ選んで、それを新しい中心に据えるとしますね。すると同じことが起きて、別のバラ模様が描き出されるのです。この新しいバラ模様は最初のバラ模様と部分的には重なり合っていますが、それからはみ出したところもある。以下同様なのですが、無際限に続くというのでもなくて、この湾曲した構造体は、結局、またもとの出発点に戻ってきます。その結果、最初は渾然として見分けの付かなかった場に、網の目のように広がった力線が現われ、この場が強固に組織されていたことが明らかにされるのです。
[#地付き](『遠近の回想』)
『神話論理』で描かれているのは、神話変換の軌跡が描くバラ模様であり、それじたいが、神話の描く一つの薔薇窓だったというわけである。その模様を神話が描くのか、構造分析によって現れる神話変換が描くのかは、もはや問題とはならない。構造分析にとって、神話とは、神話と神話の〈あいだ〉にある神話変換のことにほかならないからである。
2連続と不連続の調停不可能な調停[#「連続と不連続の調停不可能な調停」はゴシック体]
†『神話論理』の全体像[#「†『神話論理』の全体像」はゴシック体]
『神話論理』四部作全体は、料理のはじまりによる自然から文化への移行についてのひとつの物語が、螺旋状に進行していくにつれて、より複雑な形を描いてゆくように構成されている。ここで『神話論理』各巻の神話分析を紹介する余裕はないが、その全体像のラフな素描だけはしておこう。
レヴィ=ストロース自身は、『神話論理』全体の構成について、つぎのように述べる。まず、第一巻では、自然から文化への移行は、料理の起源によって語られている(紹介したボロロとジェ諸民族の神話群も、料理に欠かせない火と水の起源を語るものであった)。そこでは、神話的思考によって利用される対立は、生のものと火にかけたもの、新鮮なものと腐敗したもの、乾いたものと湿ったもの、高いものと低いものなどといった感覚的な事象同士の対立であった。第二巻の『蜜から灰へ』では、感覚の論理にもとづく対立から、空っぽのものと詰まったもの、容れるものと容れられるもの、内のものと外のものといった形態の論理に基づく対立という別の対立へと徐々に移行していく。そして、料理の起源というテーマは、生のもの以下のもので料理の下方にある≪蜜≫――食物だが火にかけることはなく、自然状態への下降を表す――と、火にかけた以上のもので料理の上方にある≪煙草≫――食物ではないが火を用いるもので、超自然への上昇を表す――という「反-料理」の起源へと変奏されている(表題の「灰」は煙草の灰を表している)。
そして、第三巻の『テーブルマナーの起源』で、「決定的な一歩」が踏み出される。そこであつかわれている神話群は、もはや項と項の対立ではなく、それらの項がとりうるさまざまな対立の仕方(マナー)をお互いに対立させるものとなる。それらの項同士の関係は、たとえば、接近しすぎたり分離しすぎたり、ほどよい距離にあったりするが、第三巻の神話群では、接近・分離・媒介といった空間的な対立関係の形態が、天体の旅の循環や季節の交替、昼夜の交替、そして女性の生理的周期などの時間的な周期性のなかに組み入れられることによって、相互に対立させられるのである。この論理面の進展にともない、神話的思考の素材は、いまだに自然から文化への移行をしるす料理に関連してはいるが、個々の食べ物ではなく、食べ物との関係の形態同士の対立関係である食卓での作法《マナー》へと進んでゆくのである。
第三巻での決定的な一歩は、地理的な移動においてもなされる。つまり、第二巻までは南アメリカに限定していた神話群の比較対象が、第三巻の途中で、北アメリカの先住民諸社会へと拡大されている。レヴィ=ストロースは、『神話論理』を南アメリカ大陸にのみ限定しなかった理由を、南アメリカの神話の資料集成が北アメリカの神話の資料集成よりはるかに少ないために(実質的に少ないのではなく、北アメリカでの調査研究のほうがずっと以前から行なわれていたせいだが)、いくつかの要素が欠けていたが、そうした要素を北アメリカの豊富な神話の資料集成が補足してくれるからだという。
最後の第四巻の『裸の人』では、それまでの、感覚の論理による対立、形態の論理による対立、関係同士の対立の、三つの論理的形式がともに現れるが、しかし、もはや料理のコードは隠れてしまっている。けれども、レヴィ=ストロースは、「生のもの(cru) という言葉が一連の表題の最初に現れるのなら、裸の(nu) という語が最後にこなくてはならないと、私の頭では初めからはっきりしていました」と語っている(『構造主義との対話』)。文化との関係でいえば、裸のものは生のものと同等であり、南米から北米への神話の旅は、出発点に戻るというわけである。しかし、南米から北米への移動は、自然と文化との境界線が、もはや南米の神話のように生のものと火にかけたものとのあいだを通るのではなく、古くから民族間の物品の交換が盛んだった北米先住民社会では、装身具の創出と欠如(「裸」)とのあいだ、そして財の交換の受容と拒否とを分ける線上を通るような神話への到達を必然的にともなっていたというのである(『遠近の回想』)。
ただ、この第四巻は、多くの人が指摘しているように、他の巻にくらべて非常に錯綜しており難解になっている。レヴィ=ストロースはそのことを、エリボンとの対談でつぎのように説明している。「三巻目を書き終えたときに、私はこの調子ではとても終りにすることができまいと思ったのです。なにしろ、全部を書き終えるにはまだ数巻は必要だったでしょうからね。そこで私は決心したのです。もうあと一巻で、つまり第四巻で打ち切りにしよう。そしてその第四巻に、私がまだ言い残していることを、たとえ暗示の形であれ、将来の研究に対する示唆という形であれ、全部書き込んでしまおう、とね。そういうわけで、この最後の巻はそれまでのものよりもいっそう頁数が増えてますし、構成も複雑です。そこには本にして二、三冊分の材料が含まれていますからね」(『遠近の回想』)。
その第四巻が刊行されたのは一九七一年のことで、レヴィ=ストロースが六三歳のときだった。この仕事をしているあいだに、数百冊の手書きのノートという形で未完のまま残されたソシュールのニーベルンゲン説話研究のことが頭に浮かんでいたという。
†螺旋状に進む神話分析[#「†螺旋状に進む神話分析」はゴシック体]
『神話論理』が巻を進むごとに異なる論理的形式へと移行していくとはいっても、巻によって異なる種類の神話をあつかっているわけではなく、新しい神話をあつかう場合でも、以前の神話に照明を当てるような神話が付け加わっていくのであり、以前の巻であつかわれた神話群に立ち戻ることも多い。それは、「飽くことなしに、繰り返し繰り返し同じ神話を分析しながら、あるいは新しい神話でも……以前の神話の変換となっているかぎりにおいて同じ集合に属する神話を組み入れながら、構造分析は螺旋《らせん》形を描くように進んでいく」(『テーブルマナーの起源』)のである。
そして、第一巻と第二巻のあいだの質の論理から形態の論理へという進展について、レヴィ=ストロースはつぎのようにいっている。「第二巻で導入した新しい資料によって、一つの論理から別の論理へと移行できたけれども、なにか異なる新しい貢献がそこにみいだされるような進歩があったわけではない。むしろ、その新しい素材が、以前に検討された神話に対して、潜在していたが隠されていた特質を浮かび上がらせる現像液のような作用をするといったほうが正しいだろう。新しく神話が導入されたことで、ますます増加した神話を包括するために視野を広げざるをえなくなって、ある論理的関係の体系が別の論理的関係の体系に置き換えられたが、はじめの体系は、廃棄されたわけでなく、逆の操作さえすれば再び現れるのである」(『蜜から灰へ』)。
では、新しい神話の資料がどのように導入されるかを、第二巻の『蜜から灰へ』を例にみておこう。レヴィ=ストロースは、第二巻の冒頭で、第一巻であつかったジェ語族の「火の起源神話」(M7〜12)と基準神話であるボロロの「嵐と雨の起源神話」(M1)のあいだにある反転関係を再び取り上げている。それらの神話はともに、婚姻関係で結ばれた姻族との争いの結果、樹や岩壁の上に取り残された「鳥の巣荒らし」を主人公とするが、前者では炉の火を消す雨によって罰を与えるのに対して、後者では主人公は火の支配者であるジャガーから火を親族たちにもたらすという逆転関係があった。それゆえに、M7〜12の火の起源神話群の体系をS1とすれば、M1は逆の体系S-1と呼ぶことができる。
ところで、S1群をもつジェ語族の集団に隣接するトゥピ語族には、文化英雄が、姻族に相当する人間たちの不当な行為に対し、火と煙草を用いて罰を与える神話があった(M15、M16)。同じく第一巻であつかわれたそれらの神話群から、ここでは、ムンドゥルク社会の神話(M16)を紹介しておこう。
M16「野豚の起源」[#「M16「野豚の起源」」はゴシック体](ムンドゥルク)
昔、森の獣はクビワペッカリーだけだった頃、文化英雄であるカルサカイベは、ナムブという鳥しか捕らず、姉妹たちの家に息子のコルムタウを毎日遣り、鳥を人びとが狩猟した獣と交換させた。その交換に怒っていたコルムタウの叔母たちは、ある日交換を拒んでコルムタウを泣かせた。息子から話を聞いたカルサカイベは、息子に鳥の羽根を集めさせて、人びとの小屋の周りを羽根で囲わせた。そして、カルサカイベは、煙草の煙りを小屋のなかに吹き込み、「お前たちの食べ物を食え」と叫んだ。濃い煙草の煙りのせいでもうろうとしていた人びとは、それを性交せよという命令だと思い、性交を始め、いつものようにうなり声をあげた。その声はしだいに野豚のうなり声に変わっていった。カルサカイベは小屋のなかに木の実の殻を投げ入れ、煙りで窒息していた人びとは、煙りを吸わないように、その殻を鼻にあてがうと殻は豚の鼻になり、人びとは野豚になった。(以下略)
レヴィ=ストロースは、この神話群(M15〜16)が、野豚という「肉」の起源を語る神話であり、料理の手段である「火」の起源神話とは別の、料理の目的である「肉」の起源神話であるとし、この肉の起源神話の体系をS2と呼び、それがS1(M7〜13)の変換になっていることを示してゆく。
すなわち、S1からS2に移るにともない、まず、前者における人間の主人公とその姻族に相当する動物(ジャガー)という登場人物の対立が、後者では、超人間的存在の主人公とその姻族に相当する人間たちとの対立となっている。そして、ジャガーは動物であるが、礼儀正しくふるまうのに対して、後者における狩猟者たちは人間であるが、交換を拒否して野蛮にふるまう。したがって、この神話変換は、つぎのように表せる(/は対立、⇒は変換、→は…に変わる、ということを表す)。
[#ここから1字下げ]
(a)[人間/動物の登場人物]⇒[超人間/人間の登場人物]
(b)[動物、礼儀正しい義理の兄弟→生のものを食べる存在]⇒[人間、野蛮な義理の兄弟→火にかけて食べられる存在]
(c)[(料理の手段である)火]⇒[(料理の目的である)肉]
[#ここで字下げ終わり]
このようにS2が与えられた。つぎはS1に関して、S2とは対称的な位置にある三番目の神話の体系が現れる。レヴィ=ストロースは、料理の手前にある「肉」の起源神話に対して、料理の彼方にある文化的な事物――装身具――の起源を語るボロロの神話(M20)がそれにあたるとし、それを、S2と逆の体系であることから、S-2と呼び、S2とS-2をS1の左右の対の対称的な位置におく。
そして、こんどは、S2が野豚の起源を説明するという目的のために煙草を手段として用いていることに注目し、そうなると、S2の右側には煙草が手段ではなく目的とする(煙草の起源を語る)神話S3があるはずで、そのS3はS2の変換になっており、しかも、これらの体系からなるこの変換群が閉じるためには、少なくとも一つの軸の上でS1を再現するのでなければならない(つまり、S1に戻らなければ、その右側にまたS3の変換としてのS4があり、そしてさらに……、というように際限がなくなる)という。そして、そのようなS3を、レヴィ=ストロースは以前にあつかった神話のなかにみいだしている。それが、チャコ語族の諸民族の煙草の起源神話群(M22〜24)である。ここでは、そのなかから、トバ=ピラガ民族の神話(M23)を紹介しよう。
†神話の大地は丸い[#「†神話の大地は丸い」はゴシック体]
M23「煙草の起源」[#「M23「煙草の起源」」はゴシック体](トバ=ピラガ)
ある日、ある女とその夫がインコを捕りにいった。男は樹に登り、たくさんの巣をみつけ、三十羽ほどの雛鳥を妻に投げ降ろすと、妻はそれらをむさぼり喰った。男は自分も食べられるのではないかと恐れをなし、もっと大きな鳥を投げ、女がその鳥を追っているあいだに、樹を降りて逃げ出した。けれども、女は男を追いかけ、捕まえて殺した。そして、女は、男の首を切って袋に入れ、残りの体を食べてしまった。
村に戻ると、女は喉が渇いたので、五人の子どもたちに袋に触れないようにいい、泉に出掛けた。しかし、末っ子は袋のなかをのぞき、父親をみつけた。母親が帰ってきたとき、村は空っぽになっていた。子どもたちは、村人たちが自分たちを侮辱してから、そのような悪意を恥じて出ていったと説明した。女は憤慨して、子どもたちの復讐をしようと村人たちを追いかけ、捕まえた人たちを殺してその場で食べた。それが繰り返され、子どもたちは惨劇の繰り返しに恐れおののき、逃げようとするが、母親に脅された。誰もジャガー女となった彼女を殺すことができなかった。
子どもたちは密かに穴を掘り、樹の枝で覆った。母親にこんどはお前たちを食う番だといわれた子どもたちは逃げ出し、それを追いかけた母親は罠に落ちた。子どもたちは文化英雄のカランチョ(ハヤブサの一種)に助けを求め、カランチョは樹の洞のなかに子どもたちをかくまった。ジャガー女は爪で樹に穴をあけようとしたが、爪が樹に刺さって抜けなくなった。カランチョは樹の洞から出てジャガーを殺した。その死体は薪のうえで焼かれたが、四、五日後に、灰のなかから植物が芽を出した。それが煙草のはじまりだった。
このS3のチャコ語族の神話群が、実際にジェ語族の神話群S1の再現となっていることを、確かめておこう。両方の神話とも、鳥の巣荒らしの男の物語であり、男が関係をもつのは、雄か雌か、友好的か敵対的かという対立を含むジャガーであり、義理の父親か妻か、つまり姻族であるという同一のパターンをもっている。また、S1の神話群は、肉を人間の消費に適したものにする「建設的」な火を媒介として、料理の起源を目的としている。それに対応して、S3の神話群では、破壊的な火(ジャガーを燃やす薪の火)が媒介となり、煙草がその目的となっている。このように、たしかにS3はS1を再現している。
一方、S1の左側には、装身具を目的とし蜜を手段とするS-2がすでにあるが、この変換群が閉じるためには、S-2の左側に、蜜の起源を語る神話の体系S-3が必要となる。そして、そのS-3は、S3とは対称的なやり方でS1を再現するものでなければならない。そのS-3に当たるトゥピ語族のテネテハラの蜜まつりの起源神話を、レヴィ=ストロースは、第二巻の『蜜から灰へ』の最初の神話として導入し、この神話群の体系の変換群(図19[#「図19」はゴシック体])を閉じる。つまり、新しく導入された神話群は、出発点であるジェ語族の火の起源神話を再現するものとして導入されるのである。このように、新しい神話資料が結局は出発点に戻ることを、レヴィ=ストロースは「神話の大地は丸い」といい表している(『蜜から灰へ』)。
[#挿絵(img/fig28.jpg)]
†北米の「鳥の巣荒らし」[#「†北米の「鳥の巣荒らし」」はゴシック体]
『神話論理』では、神話に内包される論理に押されるように、つぎからつぎへと神話をたどっていくが、ついに最終巻の『裸の人』で、出発点のボロロ社会から遠く隔たった北米の西海岸のクラマス社会に、ボロロの「基準神話」(M1)に最も類似した「鳥の巣荒らし」の神話に出会う。それが、つぎの神話(M530a)である。
M530a「鳥の巣荒らし(1)」[#「M530a「鳥の巣荒らし(1)」はゴシック体](クラマス)
昔、創造主のクムカムチュは、息子のアイシシュの妻たちのなかの一人を好きになり、息子をなきものにしてその妻を自分のものにしようと、樹の上にワシの巣があると偽って、息子のシャツやベルトや髪飾りをはぎ取って裸にしてから、樹に登ってワシを捕ってくるように命じた。アイシシュが樹に登ると、そこにワシの巣はなく、樹は高く伸びて降りられなくなってしまった。クムカムチュは息子の服を拾って着て息子になりすまし、気に入った息子の妻を手に入れた。樹の上に取り残されたアイシシュは痩せて骨だけになるが、それをみつけた二人の蝶女が、水と食物を与え、体をきれいにととのえ、籠に乗せて地上に降ろしてやった。アイシシュは妻たちに会いに行き、クムカムチュに騙されなかった残りの三人の妻と再会し、彼女たちに、捕らえたヤマアラシの刺で作った首飾りを贈った。クムカムチュは、息子の帰還を聞くと、迎えの支度をするが、出迎えられたアイシシュは、自分の幼い息子にクムカムチュのパイプを火に投げ入れさせる。パイプが燃え尽きるとクムカムチュは死んでしまった。その後、生き返ったクムカムチュは、息子に復讐しようとして、空一面に松脂を塗って火をつけた。燃える松脂は溶けて世界を覆う湖となるが、家をまもるすべを知っていたアイシシュの家だけは無事だった。
地理的には遠く隔たったM1とM530aの二つの「鳥の巣荒らし」の神話のあいだにも、厳密な変換の関係がみつかる。これら二つの神話は、「近親相姦が原因で父親と息子が対立し、父親が息子を鳥の巣のうえに置き去りにする。取り残された息子は衰弱するが、人間以外の存在によって助けられ、帰って父親に報復する。そのときに災害が起こるが、息子のいる家だけが無事である」という骨組みを共有しており、驚くほどよく似ているが、同時に、レヴィ=ストロースによれば、この二つの神話のあいだには、つぎのような変換の相関関係がみられる。
まず、主人公の息子は、M1では成人式を迎える前の未成年であるのに母親を強姦しているのに対して、M530aでは母親はいないが、結婚している成人で多くの妻をもつ。また、M1ではまだほとんど唯一の衣服であるペニス・ケースさえ身に着けていないが、M530aでは、いろいろな衣服を身に着けている。さらに、M1の母親の強姦は、主人公が女性と子どもの世界を離れて男子小屋という成人男性の世界に入るのを拒む態度を表しているのに対して、M530aの主人公は、成人男性の世界に属しているゆえに、父親に[衣服を取られ裸にされて]子どもと女性の世界に戻される。
こうした対照性は、神話のあらゆる細部にまで一貫していると、レヴィ=ストロースはいう。たとえば、M1の息子と母親(父親の妻)との近親相姦は、M530aでは、父親と息子の妻との近親相姦に置き換えられている。そして、いずれでも、父親は鳥の巣荒らしをしてこいという口実で息子を岩壁や樹に登らせて置き去りにするが、M1では、それは、復讐という正当な理由により、草食性の金剛インコの巣に登らせるのに対して、M530aでは、息子の妻を奪うための策略という不当な理由で、肉食性のワシの巣に登らせる(近親相姦と鳥の巣荒らしの出来事の順序も逆転している)。
また、置き去りにされた息子は、M1では、コンドルによって外部から身体を損なわれるのに対して、M530aでは飢えのために内部から衰弱する。そして、M1では、主人公は、雄の猛禽類(コンドル)に助けられるが、M530aでは、雌の無害な動物(蝶)に助けられる。さらに、生還した息子は、M1では、自分の兄弟の手を借りて復讐するのに対して、M530aでは、自分の息子の手を借りて復讐する。その復讐によって、父親は、M1では、水によって死ぬのに対し、M530aでは、火によって死ぬ。
最後に、宇宙論的なコードにおける火と水についても、二つの神話は顕著な対照性を見せている。M1では、天の水の雨が、主人公の祖母の炉の火一つを除いてすべての火を消すのに対して、M530aでは、空一面に塗られた松脂が燃え溶けて地表に降るという、いわば天の火の雨が、主人公の家一つを除いてすべての家を消してしまうのである。
ここにいたって、私たちは、「天の水の発生」についての神話(M1)と「地上の火の発生」についての神話(M12)と「地上の水の発生」についての神話(M124)の三つの神話群に残されていた空隙を埋める神話、すなわち、空一面を燃やす「天の火の発生」についての神話をみつけたことになる。ここでも、南北の両アメリカ大陸をまたいで、神話の大地がやはり丸いことを確かめたわけである。
†主体の解体[#「†主体の解体」はゴシック体]
ところで、ボロロのM1とクラマスのM530aのように遠く離れた地域の二つの神話のあいだにみられる類似性と全般にわたる変換の関係の「発見」は、いったい何を明らかにしたことになるのだろうか。これまでも何度となく引用してきたエリボンとの対談で、レヴィ=ストロースは、「不思議なパラドックスと言うべきかもしれないのですが、そしてそれを説明することが私の目標でもあるのですが、地理的にはもっとも隔たった新世界の両端において、神話の類似性がもっとも顕著に見出されるのです」(『遠近の回想』)と述べている。いいかえれば、遠くの神話に類似性がみられるというパラドックスこそ、レヴィ=ストロースにとって、神話というものの特徴をよく示してくれる現象なのである。そこで以下では、具体的な神話の構造分析を離れて、その前提であり、またその帰結でもある、レヴィ=ストロースの一般的な神話論をみていきたい。
まず、遠く離れた神話同士の一致ないし厳密な対称性を、レヴィ=ストロースは、神話が直接に歴史的な伝播をしたことを証明するものとはせず、神話変換の連鎖の果てにもとに戻ったものと捉える。そのような神話変換の連鎖は無際限に続くわけではなく、またもとに戻ることに特徴がある。「神話の大地は丸い」のだ。そして、それは、あとで述べるように、神話というものが、自然から文化への移行、いいかえれば連続から不連続への移行という、同じテーマの変奏であり、神話の役割はただ一つ――連続と不連続のあいだの調停――であることからくる。
もちろん、歴史的な伝播の結果とは捉えないといっても、近隣の民族同士の神話の伝達を否定しているわけではない。神話変換の連鎖は、明らかに近隣の民族が互いに相手の神話を知っていることを前提としている。けれども、神話の創作者が自分の知っている神話の影響のもとに、そこから要素やテーマをそっくりそのまま借用したり、あるいは自分たちのアイデンティティを他の集団に対して強調するために、対比的な神話を創り出すことにより、神話の変換が生じると考えるわけでもない。フランスの人類学者のダン・スペルベルは、『人類学における構造主義』において、そのように捉え、神話の変換は神話的思考の特徴を示しているのではなくて、その行使の仕方を示すものだと、レヴィ=ストロースを批判しているのだが(「人類学における構造主義」)。
レヴィ=ストロースにすれば、神話にはそもそも作者はいない。また、神話を、人びとが意識的にアイデンティティを確立するためのものとも考えない。レヴィ=ストロースは、神話分析の目的について、つぎのような驚くべきことを述べる。「神話分析の目的は、人間がいかに思考するかを示すことではないし、そうでありえない。本書であつかう特定の事例についても、中央ブラジルの原住民たちが、……私の取り出すような関係の体系についての理解をもっているかはいささか疑わしい。……私がここで示したいと思うのは、人間が神話のなかでいかに思考するかではなく、神話が人間のなかで、人間に知られることなく、いかに思考するかである」(『生のものと火にかけたもの』「序曲」)。
のちにレヴィ=ストロースは、この言い方が批判を受けたことに触れながら、けれども、それは自分にとって生きた体験そのままの表現であり、「私というものは、何かが起きる場所のように私自身には思えますが、『私が』どうするとか『私を』こうするとかいうことはありません。私たちの各自が、ものごとの起こる交叉点のようなものです」(『神話と意味』)と述べているが、それはそのまま、ベルールとの対談のなかで神話の構造分析について述べた「こうした操作は、あらかじめ考えられた計画どおりには運びません。私の仲介で、神話がそれ自体で再構成するからであって、私はただ神話群が通りすぎていく場であろうと努めるだけです」(『構造主義との対話』)ということばに通じている。
しかし、スペルベルには、この言い方はナンセンスにしか聞こえない。神話的思考を行使するのは人間であって、神話ではない。神話変換は、人間のあいだで神話が自らをいかに考えるかにかかわるのではなく、人間が自分たちの神話をいかに考えるかにかかわるものであって、レヴィ=ストロースのいうように、「神話は、神話同士が相互に考えあうもの」ではないと、スペルベルはまっとうで常識的な異議を唱えている。このような異議を予想してか、レヴィ=ストロースは、「オブジワ・インディアンは、神話を『意識をもち、思考と行動が可能な生きもの』と見なしている」という注をつけて、そのような常識が一つの社会に閉じられたものである可能性を示唆している。
その常識とは、同一性をもち、他者や周囲に意味を与え、計画的かつ意識的にものごとを作り出したり選択することのできる「主体」という考え方のことにほかならない。レヴィ=ストロースは、フロイトらによって開始されたこの常識に対する異議を推し進め、無意識という空虚な場での他者との交叉という考え方によって、この主体を捨象してしまう。スペルベルをはじめとする他の研究者ががまんできないのは、レヴィ=ストロースがこのように人間の主体を解体してしまうことなのである。
†連続と不連続のあいだの調停[#「†連続と不連続のあいだの調停」はゴシック体]
『裸の人』の本論の最後の章は「唯一の神話」と題されている。それについて、エリボンが、「『唯一の』ということは、つまり、あなたがそれまで四巻を費やして分析してきた神話はすべて、結局のところ、ただ一つの神話の変化形であった、ということなのですか」と聞くと、レヴィ=ストロースはつぎのように答えている。
[#2字下げ] 少なくとも、自然から文化への移行という大きなテーマをめぐっての変奏曲であった、とは言えるでしょう。それは、天上世界と地上世界の交感の決定的な断絶、という代償を払って獲られた移行でした。そこからこの神話の中心的問題が人類の問題となってくるのです。
[#地付き](『遠近の回想』)
ここには、神話とは自然から文化への移行を語るものだとするレヴィ=ストロースの神話論が端的に表明されている。そして、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続と不連続のあいだの調停であるという見解も、この神話観からでてくる。自然から文化への移行とは、連続から不連続への移行にほかならないからである。また、この自然から文化への移行というテーマが、『親族の基本構造』のインセスト・タブー論において述べられていたことを思い出せば、レヴィ=ストロースの構造人類学全体が、自然から文化への移行という大きなテーマをめぐっての変奏曲であったといえるかもしれない。
ところで、レヴィ=ストロースの「自然から文化への移行」や「自然と文化の対立」という言い方には、それが、ヨーロッパ文化に深く根差した概念であり、すべての文化に適用できるかどうか疑わしいという批判も出されている。しかし、その批判はやはり浅薄なものといえるだろう。レヴィ=ストロース自身は、「自然と文化の対立というものが、民族学者の発明であって、それを研究対象の思考体系に無理やり貼りつけるわけにはいかない」というような批判に対して、「民族学者たちは、自己の研究対象からそれを借りたからこそ、そうした対立を考えることができた」のであって、いつでも自然と文化の対立というように直接的に現れるわけでなく、「人間の住む村落と森林地域、森と開墾地、火を通した料理と通さないものといった形のこともありえる」が、「こうした対立は、研究対象の素材からもたらされたものである」と答えている(『構造主義との対話』)。
西欧の対立概念を無理やり貼りつけているという批判は、この対立が研究対象との対話によってもたらされたものだということ、いいかえれば他者の理性に自己を開くことによってもたらされたものだということを無視していよう。レヴィ=ストロースは『生のものと火にかけたもの』の「序曲」で、「本書において、南米インディアン[先住民]の思考過程が私の思考を媒介にして明確な形をとっているのか、あるいは私の思考が彼らの思考を媒介にして形になっているかは、究極的には同じことだ」と述べているが、レヴィ=ストロースにとって重要なのは、他者と自己とが交叉する場を作り出すことなのである。
話をもどそう。レヴィ=ストロースによれば、神話があつかう唯一の問題は、連続と不連続のあいだの一種の調停である。自然から文化への移行は、連続体としての自然に差異を導入して不連続化することによってなされるが、この不連続化は、『親族の基本構造』でも明らかにしたように、言語と交換(ことばと女と財の交換)による他者とのコミュニケーションという、人間社会の基本的条件をもたらすものである。
神話とは、その不連続化(差異の導入)を、天と地の分離や、料理、着衣、財の交換といったコードによる二項対立の形で語るものにほかならない。そして、重要なのは、レヴィ=ストロースが「天上世界と地上世界の交感の決定的な断絶という代償を払って獲られた移行」と述べているように、その不連続化あるいは差異の導入は、他者との交換=コミュニケーションのためのものであるはずにもかかわらず、それが、交換=コミュニケーションができないほどの断絶となってしまう危険性があるという矛盾を、必然的にともなっているということである。神話が「連続と不連続のあいだの一種の調停」のためのものというのは、神話が、そのような不連続化のパラドックスをなんとか宥めるための論理的な操作モデルを提供するということなのである。
ただし、連続と不連続との対立は、言語の獲得による認識論上の差異の世界への移行や、婚姻(女の交換)の規則の成立による社会的な差異の世界への移行などが取り返しのつかない移行であるように、根源的な対立であり、いかなる調停も不可能なものである。
つまり、神話による連続と不連続のあいだの調停は、もともと調停不可能なものの調停なのだ。そこには、弁証法的な「止揚」などありえない。では、その課題を神話はいかに果たすのだろうか。それは、その根源的な対立を、それと類似する対立だがそれより弱い(隔たりの小さい)調停=媒介可能な二項対立に置き換えるというやり方(縮約)や、対立する両端を離れたままにして、どちらとも異なるがどちらにも換喩的につながっている第三項をそのあいだに導入するというやり方(媒介)によってである。たとえば、神話のなかで、天と地の分離・対立は、崖や樹の上と地面との対立という、(上下の対立という点では)類似しているが、対立や隔たりの弱い相同的な対立と置き換えられたり、そのあいだを循環する第三項の水(雨)を、天と地の対立のあいだに導入するのである。
このような神話による調停は、現実的に対立の解消をもたらすわけではないが(それはもともと不可能だ)、その対立を理解し納得することができるようにはしてくれる。
†多重コードの使用[#「†多重コードの使用」はゴシック体]
この章で見てきたように、自然と文化の対立を語る神話が、さまざまなコードを用いてさまざまな二項対立を語るのは、この調停不可能な根源的対立の調停を行なうためである。そして、対立と対立を隠喩的に置き換えたり、対立のあいだに換喩的な中間項を挿入することが可能なのも、神話が、複数のコードを同時に用いながら、一つのコードから別のコードへと移っていくからである。
レヴィ=ストロースは、複数のコードまたは多重コードの使用を、神話の性格の特徴として繰り返し挙げているが、神話に登場してくる事物は、複数のコードのあいだを移ることによって、他の二項対立の隠喩にも換喩にもなりうる多価的な記号となる。たとえば、神話にでてくる蜜について、レヴィ=ストロースはつぎのようにいう。
[#2字下げ] アメリカ先住民の思考においては、蜜の観念は多数の両義性を含んでいる。それは、まず、蜜が自然によって「調理された」料理であること、ついで、甘かったり酸っぱかったり、あるいは健康に良かったり毒になったりという特性をもつこと、最後に、新鮮な状態でも発酵させた状態でも消費されることからきている。私たちはすでに、すべての面で両義性を放射しているこの物質が、同じように両義的な他の事物にどのように自分自身を反映させているかを見てきた。蜜は、男でも女でもあり、養育すると同時に死を与えるものとしてのスバル星であり、ひどい臭いのする母親としての雌フクロネズミ、そして、閉じ込められた処女という状態に置かないかぎり淫らで人喰い鬼になるおそれがあるゆえに、良い母親や貞淑な妻のままであることを当てにできない≪女性≫といった事物のなかに自らを映し出すのである。
[#地付き](『蜜から灰へ』)
蜜は、料理のコード、動物学的コード、家族のコードや性的コードといった複数のコードを結びつける。隠喩や換喩への変換は、項と項の置き換えではなく、コードのあいだの移動なのであり、調停不可能な根源的対立の調停を行なうための二項対立の隠喩的な置換や換喩的な中間項の挿入はコードのあいだの移動によってなされるのである。
こうして、神話というものは、同じテーマをめぐる変奏曲であり、同じ目的のために、同じ方法を用いながら、相互に変換されて生成されるものだというレヴィ=ストロースの神話観をみてきた。それからすれば、神話変換の連鎖において、遠く離れた地域で類似した神話がみいだされるのも、もはや不思議ではないはずだ。
[#改ページ]
[#3段階大きい文字]
Claude Levi−Strauss[#「Claude Levi−Strauss」はゴシック体]
【おわりに】[#「【おわりに】」はゴシック体]
歴史に抗する社会[#「歴史に抗する社会」はゴシック体]
『非同一性の思考』
[#挿絵(img/fig29.jpg)]
†西欧の歴史意識への批判[#「†西欧の歴史意識への批判」はゴシック体]
レヴィ=ストロースの構造主義への誤解の一つ、しかも根強い誤解に、構造主義は歴史を排斥するというものがある。しかし、これほど単純な捉え方もない。たしかに、レヴィ=ストロースは歴史へのある種の見方を批判しているが、それがどのようなものなのかをぬきにして、構造主義は歴史を排斥するといっても意味がないだろう。レヴィ=ストロースが退ける歴史とは、一言でいえば、近代のネイションやエスニック集団や階級などの非真正な社会様態の集団が、現在における自己の位置を計測するための単一のマクロな歴史である。それは、歴史に客観的な発展法則があるとしたり、歴史に「自由な意識の進歩」といった究極の目標があるとするような、西欧近代に生まれた歴史意識なのである。
そして、レヴィ=ストロースの批判は、西欧近代が単一のマクロな歴史の連続性によって、他の社会の発展段階を低い段階に位置づけるような――ヘーゲルからマルクス主義、そしてサルトルへとつながる――特殊な歴史意識を持っていることに向けられていた。
[#2字下げ] 人間の歴史のなかで、たった一度、たった一つの場所で、継起するもろもろの出来事を多分に恣意的に結びつけて、それらの出来事の継起の原因だとわれわれが見なすような発展図式がたまたまできあがったからといって、……そのような発展が今後もあらゆる場所で起こるべきものであるという証拠にする正当性が与えられるわけではない。もしそうなら、そのような進化が起こらなかったすべての場合に、それはその社会や個々人に能力がないか欠陥があるせいだと結論づけることが、いとも簡単にできてしまうだろう。
[#地付き](『蜜から灰へ』)
そして、レヴィ=ストロースは、トレゲによるインタヴューで、「われわれの文明は、いってみれば歴史を内在化してしまっている文明で、自分の過去との関係のもとに自己を考える文明なのです――その過去をたえず否定して、未来を築きあげようとするのですが、しかしこの未来はその過去とのある種の関係(弁証法的と呼ばれているものです)を保持せざるをえないのです」と語っている。レヴィ=ストロースにとって、自分たちの過去との関係のもとに現在の自己の意味を考えるという、ほとんど誰もが認めている歴史の意義こそ、歴史への特殊な信仰であり、普遍化できない歴史意識によるものなのである。
『裸の人』の「終曲」のなかで、レヴィ=ストロースは、そのような歴史認識によって創られる主体を、「いままであまりに長いあいだ哲学の舞台を独占してきた、鼻持ちならない甘やかされた子ども」と呼び、主体や同一性や意識を消去する構造主義的な方法論こそ求められているのだという。つまり、レヴィ=ストロース(あるいは彼の構造主義)が批判し排斥しているのは、歴史そのものというより、西欧近代の特殊な歴史意識であり、それによって作り上げられる主体や自己の同一性(アイデンティティ)なのである。
†純粋歴史[#「†純粋歴史」はゴシック体]
レヴィ=ストロースは、西欧近代の特殊な歴史意識を排斥する一方で、構造主義は歴史に対して敬意を払うものだとも言っている。
[#2字下げ] マルクス主義者やネオ=マルクス主義者が歴史を知らないと言って私を非難したとき、私は彼らにこう答えたのです――「歴史を知らないのは、あるいは歴史から眼をそむけているのはあなたたちだ」、とね。「現実の具体的な歴史を、あなたたちは、あなたたちの頭のなかにしかない歴史発展の大法則に置き換えているのだ」と言ってやりましたよ。歴史に対する私の敬意、歴史に対する私の愛着、それは、歴史の現実の歩みが示す予見不可能性に精神のどんな構成物も取って代わることができないという、歴史が私に与えてくれる感覚に由来しています。偶然性のなかにある出来事、これは何によっても置き換えることはできないものだと私は思います。構造論的分析は、この偶然性というやつと、こういう言い方を許してもらえるならば、「うまくやっていく」のでなければなりません。
[#地付き](『遠近の回想』)
そして、レヴィ=ストロースは、『野生の思考』のなかで、現実に起こった個々の出来事の独自性を表すような歴史を「純粋歴史」と呼んでいる。つまり、レヴィ=ストロースが敬意を払う歴史とは、出来事の独自性――何によっても置き換えることのできないという意味で、出来事の〈顔〉と呼んでもよい――を表している歴史なのである。それが出来事の独自性を語るためには、その出来事を何らかのかたちで体験できる範囲で語られるミクロな歴史でなければならない。
それに対して、西欧近代に生まれた特殊な歴史は、異質な出来事からなる不連続な歴史を、年代という特殊なコードによる連続性を用いて単一の全体にまとめあげたものであり、「日本国民」の発展の歴史といった連続性は、年代という特殊なコードを用いなければ創ることができない。年代のコードによるマクロな歴史は、ネイションや、階級(階級闘争史観)やジェンダー(女性の歴史)やエスニック集団といった、近代の非真正な社会のあり方ができてはじめて創られうる歴史であり、構造主義が退けるのは、そのようなマクロな連続性によって主体を確立する歴史意識である。たとえ、それが解放や自由の進歩や抵抗を語る歴史であっても、それは「栽培化された思考」に属すものであり、真正なレヴェルの歴史である「純粋歴史」から眼をそらしたものでしかないのである。
†サルトル vs チュリンガ[#「†サルトル vs チュリンガ」はゴシック体]
サルトルを批判していた『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」において、レヴィ=ストロースが標的にしていたのは、西欧近代社会が自分たちを「歴史のある人類」とするために、「未開」民族を歴史の主体としての人間から排除し、「発育不全で畸形」(サルトルのことば)の人類とみなすような他者認識であった。その認識は、「未開」民族が人間としての存在を獲得するかどうかは、植民地化されることによって、彼ら歴史なき人類が「歴史のある人類[西欧人]の歴史を自己のうちに取り込み始めるとか、もしくは民族学そのもののおかげで、歴史ある人類が、意味を欠いていた歴史なき人類に意味の祝福を与える、ということによってきまるとする」(『野生の思考』)ものであった。
レヴィ=ストロースは、その最終章の前の章の「再び見出された時」において、出来事の独自性ないし〈顔〉を語る歴史のみをもち、出来事としての歴史を「記憶」として構造に吸収するような、野生の思考の代表として、オーストラリア先住民の≪チュリンガ≫を挙げて、サルトルの代表する西欧の歴史意識に対抗させている。
チュリンガとは、表面に紋様を刻んだ木板や石板でできた楕円形の聖なる道具で、特定の神話的な祖先の生命力が宿るとされている(本章の扉絵を参照)。レヴィ=ストロースによれば、チュリンガには、われわれの社会において古文書がもつような効力、すなわち、人びとを「純粋歴史」に触れさせるという効力があるという。すなわち、「ヨハン=セバスチャン・バッハの三小節を聞いただけで心をときめかさずにはいられぬ人」にとってバッハのサイン(署名)がもつかけがえのない価値と同様に、チュリンガは、ただ祖先がそこにいたというような、出来事の独自性――ベンヤミンが「アウラ」と呼んだもの――の記憶を、触れることのできる形にしたものなのである。
チュリンガや古文書――そこに、たとえばヴァン・ゴッホの住んでいた部屋のベッドといった「遺品」を加えてもよい――が語る歴史は、過去と未来を弁証法的に関係づけて連続性をつくり、その連続性によって現在の自己を意味づけるような歴史ではなく、そのような連続性などなしに〈いま・ここ〉に現れる「純粋歴史」である。つまり、それらの純粋歴史の証人が語るのは、祖先がそこに行ったとかゴッホがそのベッドで寝ていたといった、マクロな歴史の連続性にとって何も意味をなさないような偶然的な出来事なのである。
それは、過ぎ去った過去ではあるが、その過去から現在までのあいだを連続的な経過によって埋めることなしに、出来事の独自性やアウラ、いいかえれば出来事の〈顔〉を保持したまま、現在のなかに生き生きとある。つまり、その出来事は、過去から未来へという連続性のなかにあるのではなく、弁証法的に否定された過去として現在を意味づけもしない。地表に隆起した地層の断面がみせるように、過去と現在の層が、そのあいだの長い時間を充填することなく、非連続のまま、現在のなかで直かに接しているのである。
その意味では、野生の思考の特性は、地質学的な非時間性にあるといえるかもしれない。レヴィ=ストロースは、『悲しき熱帯』のなかで、子どもの頃から興味をもっていた地質学をフロイトとマルクスとともに自分の「三人の師」の一つに挙げ、フランス南部のランドック地方において、石灰質高原の断面で二つの地層が接している線を追いかけたという思い出を語っていたが、地質学的な地層の断面は、「世界を同時に共時的通時的全体として把握しようとする」野生の思考の特徴をよく表している。つまり、構造人類学が共時態を重視するのは、歴史を排除しているのではなく、地層の断面におけるように、〈いま・ここ〉のただなかに過去が共時的に現れていることを重視しているのである。
真正なレヴェルにおける体験なしに、チュリンガや古文書によって、過去の出来事が非連続的に現在のただなかに現れることはありえない。チュリンガに神話時代の祖先の生命力を感じるという体験のない部外者にとって、それはただの木板であるのと同じように、ヨハン=セバスチャン・バッハの三小節に心ときめかしたという体験のない人にとっては、その署名のある古文書もただの紙切れにすぎない。両方の場合とも、その出来事の独自の特徴を直接に体験できていないという意味において、神話時代の祖先や大バッハとの直接的なつながりを〈顔〉のみえる関係のなかで想像できていないのである。あるいは、その想像は、マス・コミュニケーションのメディアを介した間接的な知識でしかなく、非真正のレヴェルにとどまっているといってもいいだろう。
『野生の思考』のなかでレヴィ=ストロースが、サルトルの前にチュリンガを置いたとき、チュリンガによって具体化される純粋歴史――出来事の体験や記憶からなるミクロな歴史――が、サルトル流の弁証法的な歴史認識のマクロな連続性を切断してくれることをねらっていたのかもしれない。
†歴史に抗する社会、国家に抗する社会[#「†歴史に抗する社会、国家に抗する社会」はゴシック体]
『野生の思考』は、「未開」の思考が前論理的だという見方を批判し、西欧近代の科学と同じように、それが科学的思考であることを強調することによって、西欧と「未開」とのあいだの境界線を消していくという方法を一面では採っていた。けれども、原住民(ネイティヴ)たちを、植民地主義に対する意識的な抵抗の主体となっていると捉えるといったように、「未開」社会にも科学的思考や歴史や主体があると指摘することによって、西欧と「未開」とのあいだの境界線を消していくやり方は、レヴィ=ストロースには、「歴史ある人類が、意味を欠いていた歴史なき人類に意味の祝福を与える」人類学と変わらないものにみえていたのではないか。事実、レヴィ=ストロースは、意味を欠いていた歴史なき人類に意味や主体を与えたりするのではなく、歴史や意味を自ら決める意識的な主体という考え方を解体する道を選んだのであった。
レヴィ=ストロースは、まず、野生の思考が西欧近代の科学的思考と同じように論理的な思考であること、そして、西欧近代においても、野生の思考がはたらいていることを指摘して、まったくの他者としての「未開」(自己のネガティヴな像の投影に過ぎないのであるが)とのあいだに引いた境界線を消してしまう。しかし、主体や歴史や意味が「未開」社会にもあると強調して西欧へ同化させることで、西欧と「未開」とのあいだの境界線をなくすというやり方とは異なっている。つまり、西欧近代の普遍性によって境界線を消して、結局、西欧近代の主体や意味や歴史意識への批判を放棄するのではなく、西欧近代においても、先端の現代科学や芸術では、感覚的なものやものごとの独自性を排除しないような野生の思考を用いていること、そして社会生活のなかでも真正なレヴェルでは野生の思考が働いていることを示唆することによって、それらを排除することで成立している西欧近代の主体や意識という観念を批判することができたのである。
ところで、本書の第4章で述べたように、植民地化された人びとがブリコラージュによって抵抗しているという議論も、ブリコラージュに抵抗という意味を与え、人びとを抵抗の主体として捉えることに思われるかもしれない。しかし、ブリコラージュを抵抗として捉えることは、ブリコルールとしてのサバルタンを解放の主体や抵抗の主体という同一性によって捉えることとは違う。臨機応変の戦術としてのブリコラージュはそもそも首尾一貫した同一性を保持する近代的な主体にはできないことなのだ。また、それは、自己の主体を歴史の頂点に置きながら、他者の実践としてのブリコラージュに抵抗や進歩といった意味の祝福を与えることでもない。
ブリコラージュが、西欧的な歴史への抵抗であるとともに、同一性の原理への抵抗であることを明らかにしたのは、レヴィ=ストロースのもとで文化人類学を学んだピエール・クラストルだった。師であるレヴィ=ストロースと同じように哲学から文化人類学へ転向したクラストルは、「国家に抗する社会」と「国家へと向かう社会」という社会の類型を提唱しているが、それは、師の「冷たい社会」と「熱い社会」という理念型に重なる。
レヴィ=ストロースによれば、「未開」社会の多くは、歴史的変化や偶然的な変動を発展の原動力として取り込むことをせずに、歴史的変化や偶然的な変動を無化しようとする社会だという。レヴィ=ストロースは、シャルボニエとの対談のなかで、そのような社会を、時計などの工学的機械のように始めの状態をたもとうとする「冷たい社会」と名づけ、西欧などのように、歴史的変化や偶然的な変動を社会じたいの発展の原動力とするような社会を、蒸気機関のような熱力学的機械にたとえて「熱い社会」と呼んで区別した。
ただし、レヴィ=ストロースが早くから「未開」社会に歴史がないという見方を批判していたことからわかるように、「冷たい社会」に歴史がないといっているのではない。そこにも、戦争や交易や移住や疫病があり、つねに変動はあった。ただ、そのような社会は、出来事を受動的にやりすごし、出来事の〈顔〉を記憶として構造に吸収することで、歴史を無くそうとしている社会なのだというのである。「未開」社会は、「まだ歴史がない社会」ではなく、歴史ある社会が経てきた歴史以前の姿なのでもない。それは歴史を原動力とする社会とは異なるタイプの社会なのである。つまり、冷たい社会は、歴史なき社会ではなく、歴史を嫌悪している社会であり、歴史に抗する社会だというわけである。
クラストルは、その著作『国家に抗する社会』において、南米のトピ‐グアラニ社会の文化人類学的調査を通じて、「未開」社会は、まだ国家や歴史や余剰生産物の欠如した社会、それらをまだ知らない社会なのではなく、国家や歴史や余剰生産物を知ってはいるが(つまりもとうと思えばもつことができるが)、それらが形成されないように「未開」に留まっていることを選択した社会であり、「国家に抗している社会」なのだという。そして、そのような「国家に抗する社会」と、国家を形成する社会――「熱い社会」ないし歴史に取り憑かれた社会――とは異なるタイプの社会なのだとしている。
歴史なき「未開」社会を「国家に抗する社会」と捉えるクラストルの視点は、あきらかにレヴィ=ストロースの歴史を嫌悪する「未開」社会という視点を受け継いでいる。しかし、クラストルの視点は、レヴィ=ストロースにおいてあいまいだった、「未開」社会が嫌悪する歴史とは何かを明確にしてくれる。つまり、歴史に抗する社会において、嫌悪されているのは、偶然的な出来事としての歴史そのものではない。それは、歴史による連続性によって社会に同一性を与えるような歴史意識であり、レヴィ=ストロースのいう「冷たい社会」は、そのような歴史意識をまだ知らない無垢な社会なのではなく、それに抗する社会なのだと捉えることができよう。
そこから帰結する重要なことは、植民地化に対する抵抗は、西欧の植民地主義によってはじめてもたらされたものではなく、植民地主義に内在する歴史意識に対する抵抗と同様に、それ以前から歴史に抵抗していた「未開」社会に組み込まれていたものだということである。そのことは、西欧の植民地主義に対する抵抗が、西欧の歴史意識(たとえば民族解放の思想)や主体の観念にもとづくものとは異なること、そして、植民地化への反応によって創られた「伝統」や「共同体」に依拠したものでもないということを示している。
†中間性の思考[#「†中間性の思考」はゴシック体]
非同一性の思考としての構造主義を特徴づけているのは、いわば「中間性の思考」である。第5章で、神話が連続と不連続のあいだを調停する方法として、根源的な対立にそれと隠喩的につながる、隔たりの小さな二項対立を重ねあわせる「縮約」と、対立のあいだに、その両端の性格を合わせもつ両義的な第三項(中間項)を入れる「媒介」というやり方があると述べたが、重要なのは、その二つともが弁証法における「止揚」(対立の〈一〉への統一化)とは異なるものだということである。中間性をもつ第三項によって、根源的な対立を媒介することは、弁証法の止揚に似ているが、しかし、神話的思考における中間項は、その内部に二項対立を保持しているか、あるいは縮約したより小さな二項対立の片方の項になっており、弁証法の止揚における超越的な第三項のように、二項対立を〈一〉へと統合することはない。隔たりの小さな二項対立を重ね合わせることは、対立を反復させることであって、対立をなくすことではないからである。
たとえば、第5章で、神話的思考(野生の思考)における両義的な中間項の例として、自然と文化(連続と不連続)のあいだを媒介する役割を果たしている≪蜜≫を挙げたが、それは、同時に、同じような両義的な項をそれじたいのなかに反射させて、その根源的な対立を止揚することはない。いいかえれば、≪蜜≫は、対立を統合するような超越的な第三項にはならずに、それ自身、≪煙草≫との対立関係や他の両義的な項との隠喩的なつながりによって、二項対立を増殖させている。つまり、二項対立の反復ないし重なりによって〈一〉という同一性を攪乱させることで、〈一〉へと向かう二元論に抗しているのである。いうなれば、野生の思考は、〈一〉に統合されない〈二〉の反復によって、栽培化された思考がめざす統合や同一性の原理を拒んでいるのだ。
そのことは、レヴィ=ストロースの「ゼロ記号」にもあてはまる。よく、ゼロ記号については、それが、神のように他のすべての項の一義的な価値を映し出す超越的な第三項と誤解されている。たとえば、日本の天皇がゼロ記号としてはたらいているといったように用いられることもある。しかし、レヴィ=ストロースのいうゼロ記号は、自身が〈二〉のまま中間にあって、あくまでも他の項との相互反射のなかでそのつどのズレを徴づけながら〈構造〉に吸収するものであり、超越的なレヴェルに位置して、つねに他のすべての項に意味を付与したり価値を照らし出すような超越的ゼロ記号とは異なるものだ。
そもそも、構造主義は、〈構造〉の変換によって、そのような超越的なレヴェルという論理階梯的・階層的な区別をたえず崩していくものである。つまり、超越的ゼロ記号という捉え方は、すでに、ブリコルールの用いる記号ではなくエンジニアが用いる概念になっており、野生の思考ではなく、栽培化された思考に属し、〈構造〉ではなく、変換を排した体系を支えるものであり、もはや二項対立の重なりではなく、〈一〉へと向かう二元論を形成しており、対立の止揚を目指す弁証法的思考によるものとなっている。
構造主義における中間性の思考を理解するポイントは、たとえば、右に述べた、野生の思考における記号としてのゼロ記号が、他の記号と、栽培化された思考による概念としての超越的ゼロ記号の「中間」に位置しながら、同一性の原理や「国家」へと向かう超越的ゼロ記号の手前で、それに抗う奮闘をしているということをみいだすことにある。
そのような視点からは、植民地化され、すでに国家に包摂されたサバルタンによる抵抗も、近代の歴史意識を受容した意識的・主体的な抵抗なのではなく、奪われた同一性(アイデンティティ)を回復する抵抗なのでもない。また、それは、国家や世界システムに包摂された結果、みいだされ創りだされた、閉じられた共同体のイメージやローカリティに閉じこもって抵抗することでもない。それは、真正な社会様態に依拠した抵抗ではあるが、すでに述べたように、真正な社会様態とは、すでに顔見知りの人びとからなる閉じられたローカリティとは異なる。それは、はじめて出会う人とのあいだの関係を〈顔〉のある関係として結ぶことであり、これからも出会うことのない人たちや死者との関係も〈顔〉のある関係として想像することを意味している。つまり、マスメディアや国家に媒介された非真正な社会様態への抵抗は、前近代にあったものとして創り出された「小さな共同体」に閉じこもることとは違っているのである。
そこではたらいている中間性の思考とは、近代の歴史意識や主体や二元論の生みだしたノスタルジックな共同体をロマン化して、そこに意味を付与してしまうことでもなく、また、ポストモダニストのように、近代の歴史意識や主体や二元論を解体して、その結果、独自性も「アウラ」も失った平板な断片の浮遊を称賛して、そこに意味を付与してしまうことでもない。それは、〈顔〉や独自性や「アウラ」をそのままに、断片と断片をつなぐやり方を習得したり、あるいはすでに外から押しつけられている同一性(アイデンティティ)を、人と人の〈あいだ〉――〈顔〉のある関係――のなかで断片化しつつ、相互反射の関係へと換えてしまう術を学ぶことを示しているのである。それは、最終的な解決ではなく、見方によっては保守的なものだ。しかし、解放などといった最終的な解決などなく、進歩の段階などもない(解放や保守と進歩の区別は連続性の歴史意識の産物である)なかで、アイデンティティなどなしに、自分たちを肯定するやり方なのである。
そして、国家に包摂される以前の「未開」社会が、同一性の原理としての国家へと向かうことを、二項対立の反復によって拒否していたやり方も、植民地化され、すでに国家に包摂された現代のポスト植民地の諸社会が、外から押しつけられた同一性(アイデンティティ)を、複数のコードを用いて、他のさまざまな記号とつなぐことによって二項対立の重なりへと換骨奪胎するやり方も、ともに、真正な社会状態におけるブリコラージュによる野生の思考であることに変わりはない。
†非同一性と空虚な場所[#「†非同一性と空虚な場所」はゴシック体]
第5章で、神話研究のねらいを「人間が神話のなかでいかに思考するかではなく、神話が人間のなかで、人間に知られることなく、いかに思考するか」にあるというレヴィ=ストロースのことばを、西欧近代の主体や意識、すなわち西欧近代の「人間」を解体してしまうものだと述べた。しかし、神話が「人間に知られることなく、いかに思考するか」を分析するレヴィ=ストロースは、主体の位置に立っているのではないかという疑問が生ずるかもしれない。実際、人びとの無意識的な神話的思考を明らかにする構造主義は、分析者という超越的な主体を隠し持っているという批判がなされることもある。けれども、レヴィ=ストロースにとって、分析者は超越的な主体の位置に立っているわけではない。
レヴィ=ストロースは、ベルールとの対話のなかで、神話の構造分析について、「こうした操作は、あらかじめ考えられた計画どおりには運びません。私の仲介で、神話がそれ自体で再構成するからであって、私はただ神話群が通りすぎていく場であろうと努めるだけです」(『構造主義との対話』)と述べている。神話の構造分析者の自己は、充実した主体というより、いわば空虚な場所となっているのである。そして、この空虚な場所は、レヴィ=ストロースが「象徴的効果」という一九四九年の論文で述べていた、無意識の特徴でもあった。レヴィ=ストロースは、無意識とは「集積された記憶と心像の貯蔵庫」や「各自をかけがえのない存在たらしめるいわく言いがたい個人的諸特性のかくれが」などではなく、一つの機能――象徴機能――を指し示すのだといい、つぎのように述べる。
[#2字下げ][前意識とは違って]無意識はいつも空虚である。あるいはもっと正確にいうと、胃が胃を通過する食物と異なったものであるように、それは心像と異なったものである。それは特定の機能をもつ器官であり、衝動、情動、表象、記憶といったよそからくる分節されぬ諸要素に、構造法則を課すだけであり、その実体はこれらの法則に尽きる。したがってつぎのようにもいうことができよう。前意識とは、われわれ各自がその個人的歴史の語彙を集めている個人的な辞典であるが、この語彙は、無意識がその諸法則にしたがってこれを構造化し、そうすることによって、それを言説にする限りにおいてのみ、われわれ自身および他人にとって意味をもつようになる、と。……語彙は構造に比べて重要性をもたない。
[#地付き](「象徴的効果」『構造人類学』)
このように、レヴィ=ストロースは、フロイトが、『夢判断』のなかで、夢の顕在的内容と潜在的な夢思想とを区別しながらも、夢の本質は、その潜在的内容にあるのではなく、変形を行なう夢の作業にあると述べていたように、無意識の本質を変換の構造的規則に求めている。その無意識の変換の規則は、神話や夢の作業といったブリコラージュの作業がブリコラージュによって明らかになるのと同様、自己を空虚な無意識とすることによって可能となるのである。けれども、分析者が超越的な主体ではなく空虚な場所となってそこを通りすぎる神話群の変換の規則を明らかにするといっても、自己を無とすることで神話の客観的な意味が明らかになるというのではない。
[#2字下げ] 神話について書いた著作のなかで私が示したいと思ったことは、決して最終的な意味に到達することはできない、ということでした。人生とその点では、同じことでしょうね。ある神話が私や、あるいは、ある決まった時代と状況のなかでそれを物語り、それを聞く者たちに提示する意味は、その神話が、他の状況、他の時代に提示するかもしれない意味との関係においてしか、存在しないのです。
[#地付き](『遠近の回想』)
つまり、分析者は、無意識においても同一性(アイデンティティ)に安住できない。というのも、分析によって明らかになる意味は、その者に所有される無意識によるものではなく、他の状況、他の時代に、他の者に対して提示される意味の〈あいだ〉にしかないからである。分析者は、超越的な主体でも固有の無意識の所有者でもない。
レヴィ=ストロースは、「神話学とは、一つの『|屈折学=反射学《アナクラステイツク》』である」ともいっている。「ここで問題になる反射《リフレクシヨン》には、その源に溯ろうとする哲学的な反省《リフレクシヨン》とは違って、虚の焦点のほかにいかなる源もない」(『生のものと火にかけたもの』)。つまり、神話同士が互いを反射しあう、そのつど異なる相互反射と屈折を研究するのが神話研究であり、分析者は、その相互反射と屈折の場となる空虚な場所でしかなく、しかも、その反射と屈折は同一性をもたずにそのつど異なっており、確定されないというのである。
〈構造〉や神話や意味が同一性をもたないという「非同一性の思考」は、たしかに、構造主義の論理的な帰結である。しかし、そこにレヴィ=ストロース自身の自己同一性(アイデンティティ)の希薄さが反映されているように思える。レヴィ=ストロースは、「私は以前から現在にいたるまで、自分の個人的アイデンティティの実感をもったことがありません。私というものは、何かが起きる場所のように私自身には思えますが、『私が』どうするとか『私を』こうするとかいうことはありません。私たち各自が、ものごとの起こる交叉点のようなものです」(『神話と意味』)と語っているが、それは、「私はただ神話群が通りすぎていく場であろうと努めるだけです」ということばと重なる。
レヴィ=ストロースの非同一性についての思考が、彼がユダヤ人であるということとどのくらい深く関連しているのかはわからない。ただ、人類学者として、自社会にも異文化にも同一化しないというポジションを選んだことは、ユダヤ共同体からもフランスという社会からも距離をおき、その〈あいだ〉で生きる「非ユダヤ的ユダヤ人」(I・ドイッチャー)の生き方と重なってみえてくる。
しかし、レヴィ=ストロースにおいては、自己の同一性を否認することは、自己と他者のさまざまな諸関係を否定することを意味しない。むしろ、それは、自己と他者の〈あいだ〉の諸関係を一つに統合したり主体に還元することを否定しつつ、ちょうどブリコラージュにおける断片が、その独自性と多価性を失うことなく他の断片と結びつけられているように、人と人との真正な結びつきとしての〈あいだ〉の諸関係の独自性ないし〈顔〉を、自己という場に反射させることを意味している。逆にいえば、そのような人と人の〈あいだ〉の真正な結びつきが保たれるならば、フランス人とかユダヤ人という非真正なレヴェルのアイデンティティをもたなくても、社会関係の否定につながることもなく、ばらばらに浮遊する断片になることもないということを、私たちに示してくれるのである。
[#改ページ]
あとがき[#「あとがき」はゴシック体]
本書は、レヴィ=ストロースの構造人類学への共感によって書かれています。とはいっても、私の「共感」による読解が唯一の正しい理解だと主張するつもりはありません。むしろ共感の分だけ偏っているといえるでしょう。けれども、そのことを、正しい理解などないのだとか、あらゆる読解は誤解なのだといって、正当化するつもりもありません。誤読は誤読であり、より正しい理解というものはあるのですから。そして、本書は、これまでレヴィ=ストロースについて書かれてきたことの多くが誤解だと主張していますし、本書を執筆した動機は、従来の読解を変え、より正しくしたいということでした。
本書では、従来あまり議論されることのなかったレヴィ=ストロースのいう「真正な社会」を鍵概念として扱い、そこで働く「野生の思考」こそ現代において重要なものなのだと唱えています。しかし、誤解のないように付記しておけば、それは、メンバーの変わらない顔見知りの範囲内だけが真正な社会であるとか、近代の達成を捨てて過去に存在した伝統に回帰することを意味しません。また、真正な社会は、けっして透明な無媒介の関係からなるものではなく、むしろナショナリストや小社会のユートピアを夢見る者が排除しようとする不透明な関係から想像されるものです。そして、近代を均質なものではなく多様なものにしてきたものこそ、近代になっても真正な社会において営まれてきた野生の思考による生活実践だったのです。真正な社会関係のネットワークにおいてこそ、直接に顔を知らない者も、不透明な固有性を失うことなく(匿名の者としてではなく)、ネットワークの一員として想像され、繋がっていくことができるのです。レヴィ=ストロースに倣って予言すれば、グローバリゼーションとそれに対抗する国民国家という、どっちも魅力的とは言いがたい二者択一を押しつけられている現代において、野生の思考によって想像された、もうひとつ別の「想像の共同体」こそますます重要になっていくでしょう。
最後に、本書の刊行に際して謝辞を記したいと思います。まず編集を担当してくださった山本克俊氏には、大方の研究者が承認していない解釈をするという点で通常の入門書から逸脱しているような書き方を許してくださったことにお礼を申し上げます。また、直接本書の刊行にあたってということではないのですが、本書で示したようなレヴィ=ストロースの解釈は、若い頃に読んだ故宮川淳氏の著書に多くを負っています。残念ながらご生前にお会いする機会はありませんでしたが、現在、宮川氏の勤めておられた成城大学文芸学部に私が勤めているのも何かの縁、いいかえれば〈顔〉のみえる関係性による繋がりではないかと勝手に思っています。ほかにも、一人一人のお名前を挙げることはできませんが、〈顔〉のみえる関係にある多くの方々に感謝いたします。
[#地付き](二〇〇〇年八月)
小田亮(おだ・まこと)
一九五四年新潟生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会人類学)。現在、成城大学文芸学部教授。沖縄およびケニアの文化人類学的な研究調査を行うとともに、構造人類学をポストコロニアル論に活用しながら、「文化の詩学」の復興を目指している。著書に『構造主義のパラドックス』『構造人類学のフィールド』『〈一語の辞典〉性』などがある。
本作品は二〇〇〇年十月、ちくま新書の一冊として刊行された。