考えるヒント 4 ランボオ・中原中也
小林秀雄
[#表紙(表紙4.jpg、横102×縦150)]
目 次
ラ ン ボ オ
ランボオ T
U
V
中 原 中 也
中原中也の思い出
中原中也の「骨」
中原中也の「山羊の歌」
死んだ中原―詩―
中原の遺稿
中 原 中 也
中 原 の 詩
付録・ランボオ詩抄
T 韻文詩
酩 酊 船
渇 の 喜 劇
堪  忍
U 散文詩
飾  画
地獄の季節
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ラ ン ボ オ
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ランボオ T
この孛星《はいせい》が、不思議な人間厭嫌の光を放ってフランス文学の大空を掠《かす》めたのは、一八七〇年より七三年まで、十六歳で、既に天才の表現を獲得してから、十九歳で、自らその美神を絞殺するに至るまで、僅かに三年の期間である。この間に、彼の怪物的早熟性が残した処(二五〇〇行の詩とほぼ同量の散文詩に過ぎない)が、今日、十九世紀フランスの詞華集に、無類の宝玉を与えている事を思う時、ランボオの出現と消失とは恐らくあらゆる国々、あらゆる世紀を通じて文学史上の奇蹟的現象である。
その過半が全く孤独な放浪に送られたランボオの生涯は、彼のみの秘密である幾多の暗面を残している。又、彼がその脳漿を斫断《しやくだん》しつつ、建築した眩暈《げんうん》定著の秘教は、少くとも私には晦渋《かいじゆう》なものである。この小論は勿論研究と称せらるべきものではない。ランボオ集一巻を愛した者の一報告書に過ぎないのである。
「偉大なる魂、疾《と》く来れ」、一八七一年十月「酩酊の船」の名調に感動したヴェルレエヌは、シャルルヴィルの一野生児を巴里に呼んだ。すばらしい駄々っ子を発見するものは、すばらしい駄々っ子でなければならない。「ラシイヌ、ふふんだ、ヴィクトル・ユウゴオ……堪らない」。ランボオの魁崛《かいくつ》な詩想に、而も既に詩歌|勦絶《そうぜつ》の理論の侵蝕し始めていたその脳髄に、サロンの饒舌が如何に映ったか。彼は、ファンタン・ラツウルが描いた様に机の一隅に不器用に肱をついて沈黙している他はなかった。「流竄《りゆうざん》の天使」は、忽《たちま》ち一大無意識の詩人ヴェルレエヌの心を捕えた。ヴェルレエヌは、腹を立てた細君を置き去りにした。二人はビスケットを齧《かじ》り乍ら放浪を始めた。
「実際、私は、心底からの誠をもつて、彼を、太陽の子の本然の姿に、かへしてやらうと請合つた。そして、私達は、間道に酒をのみ、街道にビスケットをかじり、さまよひ歩いた。私は、場所と形とを発見しようと急き込みながら」(Les Illuminations; Vagabonds.)
性急な絶対糺問者と人間性に酩酊する詩人との間に当然の破綻《はたん》が起らねばならない。終末は、一八七三年七月ブラッセルに於ける驚くべき喜劇に終る。
「これは貴様の為だ――俺の為だ――全世界の為だ」、離別の悲しみに胸を貫かれた酔漢ヴェルレエヌは、戸口に椅子を据えて、壁に凭《もた》れたランボオを狙った。この時、二人の魂は相擁して昇天しなければならなかった筈だ。然し、ピストルは放たれ、弾丸は、ランボオの左手に命中した。二人は絶縁した。恐らくそれは、彼等の心情が、不幸にもあまり純情過ぎたという事であった。各々その情熱の化学に忙しかった。
十二月、ランボオは、ロオシュにあって、手元の原稿を全部焼棄して、永遠に文学の世界を去った。一八九一年、アフリカで滑液膜炎に罹り、マルセイユの病院に送られた。其処で、この大歩行者の片足は切断され、十一月十日、三十七歳でこの天才は、一商人として死んだ。当時彼の唯一人の看取りであった妹イザベルは、「死に行くランボオ」の痛ましい姿を書いている。
文学に離別して以来、殆ど二十年に近い漂泊である。彼はナポレオンの如き神速を以って、その到る処の国語を征服しつつ転々した。英国、独逸《ドイツ》、伊太利《イタリヤ》、西班牙《スペイン》、ジャヴァ、スカンジナヴィヤ、エジプト、シプル島、アラビヤ、エチオピヤと。彼は、英国ではフランス語の教師であった。西班牙では、ドン・カルロス党員であった。ジャヴァでは和蘭陀《オランダ》の志願兵、スカンジナヴィヤでは曲馬団の通訳、アフリカ内地では、珈琲、香料、象牙、並びに黄金の商人、隊商の頭、探検家――長々しい、諸君は、彼の義弟パテルヌ・ベリションの手に成る、或は、ジャン・マリイ・カレのものする無類の奇譚を読まれんことを。
宿命というものは、石ころのように往来にころがっているものではない。人間がそれに対して挑戦するものでもなければ、それが人間に対して支配権をもつものでもない。吾々の灰白色の脳細胞が壊滅し再生すると共に吾々の脳髄中に壊滅し再生するあるものの様である。
あらゆる天才の作品に於けると同様ランボオの作品を、その豊富性より見る時は、吾々は唯眩暈するより他能がないが、その独創の本質を構成するものは、決して此処にないのである。例えば、「悪の華」を不朽にするものは、それが包含する近代人の理智、情熱の多様性ではない。其処に聞えるボオドレエルの純粋単一な宿命の主調低音だ。
創造というものが、常に批評の尖頂に据っているという理由から、芸術家は、最初に虚無を所有する必要がある。そこで、あらゆる天才は恐ろしい柔軟性をもって、世のあらゆる範型の理智を、情熱を、その生命の理論の中にたたき込む。勿論、彼の錬金の坩堝《るつぼ》に中世錬金術師の詐術はない。彼は正銘の金を得る。ところが、彼は、自身の坩堝から取出した黄金に、何物か未知の陰影を読む。この陰影こそ彼の宿命の表象なのだ。この時、彼の眼は、痴呆の如く、夢遊病者の如く見開かれていなければならない。或は、この時彼の眼は祈祷《きとう》者の眼でなければならない。何故なら、自分の宿命の顔を確認しようとする時、彼の美神は逃走して了うから。芸術家の脳中に、宿命が侵入するのは必ず頭蓋骨の背後よりだ。宿命の尖端が生命の理論と交錯するのは、必ず無意識に於てだ。この無意識を唯一の契点として、彼は「絶対」に参与するのである。見給え、あらゆる大芸術家が、「絶対」を遇するに如何に慇懃《いんぎん》であったか。「絶対」に譲歩するに如何に巧妙であったか。
蓋《けだ》し、ここにランボオの問題が在る。十九歳で文学的自殺を遂行したランボオは芸術家の魂を持っていなかった、彼の精神は実行家の精神であった、彼にとって詩作は象牙の取引と何等異る処はなかった、とも言えるであろう。然しかかる論理が彼の作品を前にして泡沫に過ぎない所以《ゆえん》は何か。吾々は彼の絶作「地獄の一季節」の魔力が、この作品後、彼が若し一行でも書く事をしたらこの作は諒解出来ないものとなると言う事実にある事を忘れてはならない。彼は、無礼にも禁制の扉を開け放って宿命を引摺り出した。然し彼は言う。「私は、絶え入ろうとして死刑執行人等を呼んだ、彼等の小銃の銃尾に噛み附く為に」と。彼は、逃走する美神を、自意識の背後から傍観したのではない。彼は美神を捕えて刺違えたのである。恐らく此処に極点の文学がある。
「酩酊の船」は、瑰麗《かいれい》な夢を満載して解纜《かいらん》する。
われ、非情の河より河を下りしが、
船曳《ふなひき》の綱のいざなひ、いつか覚えず、
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等《やつら》を標的《まと》にと引つ捕へ
彩色《いろ》とりどりに立ち並ぶ、杭に、赤裸《はだか》に釘附けぬ。
船員も船具も、今は何かせん、
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ。
わが船曳等の去りてより、騒擾《さわぎ》の声も、はやあらず、
流れ流れて、思ふまゝ、われは下りき。
[#地付き]〈Bateau Ivre〉
彼はこの船の水脈に、痛ましくも来るべき破船の予兆が揺曳するのを眺めなかったか。彼はこの時既に死につつある作家であった。
想へば、よくも泣きたるわれかな。来る曙は胸|抉《えぐ》り、
月はむごたらし、太陽《ひ》は苦《にが》し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れぬ。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
今、われ、欧洲の水を望むとも、
はや、冷え冷えと黒き瀦水《いけ》、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲つては、その上に、
五月の蝶にさながらの、笠舟を放つ瀦水かな。
あゝ、波よ、ひとたび汝れが倦怠に浴しては、
綿船の水脈《みを》曳くあとを奪ひもならず、
標旗《はた》と焔の驕慢を横切《よぎ》りもならず、
船橋の恐ろしき眼を掻潜《かいくぐ》り、泳ぎもならじ。
[#地付き]〈Bateau Ivre〉
ランボオの詩弦《リイル》は、最初から聊《いささ》かの感傷の痕も持たない。彼は、野人の恐ろしく劇的な触角をもって、触れるものすべてを斫断する事から始めた。それは不幸な事であった。その初期の作る処は、その煌《きらめ》く断面の羅列なのである。
人生研断は人生嫌厭の謂《いい》ではない。多く人生嫌厭の形式をとるというに過ぎない。ボオドレエルの眼がどんなに人生に対する嫌厭に満ちていようとも、彼は決して人生を斫《き》りきざみはしないのである。彼は、その|※[#「火+欣」、unicode712e]衝《きんしよう》を起した空虚《うつろ》な眼の底に一|眦《し》をもって全人生を眺めるもう一つの静かな眼を失いはしなかった。「俺の心よ、出しやばるな、獣物《けだもの》の蟄《ねむり》を眠つてゐろ」、虚無の味をかみしめて、彼の心臓は、人の世の流れと共に流れて行く。「獣物の蟄」――これこそランボオにとって最も了解し難い声であったのだ。
斫断とは人生から帰納することだ。芸術家にあって理智が情緒に先行する時、彼は人生を切り裂く。ここに犬儒主義《シニスム》が生れる(勿論、最も広い意味に於てだ)。ところが、人生斫断家ランボオには帰納なるものは存在しない。彼位犬儒主義から遠ざかった作家はないのである。犬儒主義とは彼にとって概念家の蒼ざめた一機能に過ぎなかった。理由は簡単だ。ランボオの斫断とは彼の発情そのものであったからだ。換言すれば彼は最も兇暴な犬儒派だったので、そしてその兇暴の故に全く犬儒主義から遠ざかって了った。彼は、あらゆる変貌をもって文明に挑戦した。然し、彼の文明に対する呪詛と自然に対する讃歌とは、二つの異った断面に過ぎないのである。彼にとって自然すらはや独立の表象ではなかった。或る時は狂信者に、或る時は虚無家に、或る時は諷刺家に、然しその終局の願望は常に、異る瞬時に於ける異る全宇宙の獲得にあった。定著にあった。見給え、彼は旋転する。
俺の心よ、一体俺達の知つた事か、奔流する血と燠《おき》が、
百千の殺人が、尾を曳く叫喚が、……
すべての復讐、――糞でも喰へだ……だが、それでも
喧嘩が買ひたけりや、望む処だ……
[#地付き]〈Vertige〉
彼は、全力をあげて人生から竊盗《せつとう》を行った。そして全く新しい金属の酒宴を開いたのだ。而もこの酒宴の背後には、何等人生の過去は揺曳していない。「自然に帰れ」とは、彼にとってあまりに自明な事であった。そこで彼は自然との交流を放棄して自然の奪掠を断行した。然しこの奇術師は、その燦然たる奇術を一体誰の面前で演じたらよいのか。彼は独語する。「吾れは墳塋《ふんえい》の彼方の人」と。
人生を寸断した時、彼が人類の過去を抹殺した事は不幸であった、然しこの断面が、彼の専制的な生命の盲動を絶対糺問者の姿として反映した事は、彼に二重の不幸を強いた。
「酩酊の船」は解纜する。彼は、はや自然から余す処なく奪っていたのである。彼は、奪掠品の堆積を眺めて吐息した。「おゝ波よ、吾れひと度汝れが倦怠に浮んでは……」、然し彼の倦怠は、「パイプを咬へて断頭台の階《きざはし》を夢みる」者の倦怠ではなかった。彼は人生に劇を見る事に離別したと信じた時、流絢たる新しい劇を建てていたのである。ここに奇妙な魂の一状態がある。
解体された世界は、金属の瀑布となって、彼の眼前を鎔流した。彼の見たものは、下り行く大伽藍であった、上り行く湖水であった。回教寺院は工場と連結し、無蓋四輪馬車は天の街道を疾走し、物語は海と衝突した。あらゆるものは彼の願望に従って変形され染色される。あらゆる発見が可能である。あらゆる発想が許された。
もはや、彼の詩弦《リイル》が外象に触れて鳴るのではない。彼は、神速純粋な精神の置換を行うのである。自転車の鋼鉄は、ペダルから彼の血管に流入して、彼の身体は鋼鉄となって疾走するのだ。
「かくて私は、言語の幻覚をもつて、私の数々の妖術的|詭弁《きべん》を説明した。私は遂に、私の魂の錯乱が祝聖されるのを見た」と。彼は、その陶酔を、人間の達し得られる極処に於て定著した。この一有性者の熾烈《しれつ》なる燃焼は、遂に、殆ど無機体の光芒を帯びるのである。「私は、架空のオペラとなつた」と。
ヴェルレエヌは恐ろしく無意識な生活者であった。ランボオは恐ろしく意識的な生活者であった。ヴェルレエヌが涸渇《こかつ》しなかった所以は、彼が生活から何物も学ばなかったからだ。彼の詩魂は最初から生活の上を飛翔していたのである。世のかりそめの荊棘《けいきよく》にも流血する心臓を、彼は悔恨をもって労《いたわ》った。労られた心臓は、歌われる為に彼にその悲痛の夢を捧げた。そこに永遠の歌があった。ランボオは最初から生活に膠着《こうちやく》していた。追うものは生活であり、追われるものも生活であった。彼の歌は生活の数学的飛躍そのものの律格である。
彼は生活を理論をもって規矩《きく》しようとした。然るに彼の理論は一教理という様なものではなかったのだ。極めて迅速に動く生活意識であった。生活を規定せんとする何物ももたないヴェルレエヌと生活を規定せんとするより他何物ももたぬランボオと、遂に外観上の対蹠《たいしよ》に過ぎないのか。ヴェルレエヌは、穢《けが》れを抱いて一切の存在に屈従する事によって無垢を守ったのか。ランボオには、無垢を抱いて全存在を蹂躪する事によって、無垢すら穢れと見えたのか。
彼は陶酔の間に、自らの肉を削ぐ如く、刻々にその魂を費消していた。
「私の健康は脅かされた。恐怖は来た。幾日もの睡りに落ちては、起き上り、私は世にも悲しい夢から夢を辿つた。臨終の時は熟した。私の羸弱《るいじやく》は、危難の途より、影と旋風の国、シムメリイの果て、世界の果てに私を駆つた」
「あゝ、私のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼の来て、……」、彼は疲れた。彼は倨傲《きよごう》の最も高い塔の尖頂に攀《よ》ぢて忍んだ。この時だ、而も恐らく唯一の時だ、彼が、自身の魂を労ったのは。このすばらしい自動機械の忍耐が、如何に不思議な美しさをもって歌われたか。
最高塔の歌
時よ、来い、
あゝ、陶酔の時よ、来い。
よくも忍んだ。
忘れてしまはう。
積る怖れも苦しみも
空を目指して旅立つた。
今、条理《わけ》もなく咽喉《のど》は涸れ
血の管《くだ》に暗い陰はさす。
あゝ、時よ、来い。
陶酔の時よ、来い。
穢らはしい蠅共の
むごたらしい翅音《うなり》を招き、
毒麦は香を焚きこめて、
誰|顧《かえり》みぬ牧場は、
花をひらいて膨れるか。
あゝ、時よ、来い。
陶酔の時よ、来い。
残された道は投身のみである。彼は最後の斫断を為なければならない。
「俺はありとある祭りを、勝利を、劇を創つた。俺は新しい花を、新しい星を、新しい肉を、新しい葉を発明しようとも努めた。俺はこの世を絶した力も獲得したと信じた。扨《さ》て、俺は俺の想像と追憶とを葬らねばならない。芸術家の、話し手の一つの美しい栄光が消えて無くなるのだ」(Une Saison en Enfer; Adieu.)
全生命を賭して築いた輪奐《りんかん》たる伽藍を、全生命を賭して破砕しなければならない。恐るべき愚行であるか。然しそれは、彼の生命の理論であった。
「地獄の一季節」――おのぞみなら諸君は、クウロンと共に一少年異端者の愚行を発見し給え。或はドラヘイと共に神の言葉を発見し給え。幸いなことには、この宝匣《ほうこう》は、諸君の好奇を満たすにあり余る宝石を蔵している。彼は錯乱の天使となって悪魔に挑戦した。毒盃を仰いだ異端者として神に挑戦した。然し、神も悪魔も等しく仮敵であったのだ。この地獄の手帳に於ては、一切が虚偽である。而も一切が真実だ。
マストの尖頂から海中に転落する水夫は、過去全生涯の夢が、恐ろしい神速をもって、彼の眼前を通過するのを見るという。「最高塔」の頂《いただき》から身を躍らせたランボオは、この水夫の夢を把握して、転落中|耳朶《じだ》を掠める飆風《はやて》の如き緊迫した律動をもってこれを再現したのである。そして転落中の叫喚が旋転する発想を与えた。最後の一叫喚そのものが、最後の一発想となった。
――今や、魂の裡にも、肉体の裡にも、真理を所有する事が、俺には許されよう。と。
詩弦《リイル》の駒はくだけて散った。ランボオはアフリカの沙漠に消えた。吾々は、はや沙漠の如く退屈な、沙漠の如く無味な、然し沙漠の如く純粋な彼の書簡集のみしか読む事が出来ない。
ランボオが破壊したものは芸術の一形式ではなかった。芸術そのものであった。この無類の冒険の遂行が無類の芸術を創った。私は、彼の邪悪の天才が芸術を冒涜したと言うまい。彼の生涯を聖化した彼の苦悩は、恐らく独特の形式で芸術を聖化したのである。
あらゆる世紀の文学は、常に非運の天才を押し流す傍流を生む。蓋し環境の問題ではないのである。或る天才の魂は、傍流たらざるを得ない秘密を持っている。後世如何に好奇に満ちた批評家が彼の芸術を詮表しようと、その声は救世軍の太鼓の様に消えて行くだろう。人々はランボオ集を読む。そして飽満した腹を抱えて永遠に繰返すであろう。「然し大詩人ではない」と。
[#地付き](大正十五年十月『仏蘭西文学研究』第一号)
[#地付き](原題「人生斫断家アルチュル・ランボオ」)
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ランボオ U
四年たった。
若年の年月を、人は速やかに夢みて過す。私も亦《また》そうであったに違いない。私は歪《ゆが》んだ。ランボオの姿も、昔の面影を映してはいまい。では私は、今は狷介《けんかい》とも愚劣ともみえるこの小論に、而も、聊《いささ》かの改竄《かいざん》の外、どうにも改変し難いこの小論に、何事を追加しようというのだろう。常に同じ振幅を繰返さなかった私の動き易かった心を、ここに計量しなければならないのか。
私はこの困難を抛棄する。人々を退屈させない為に、私を無益にいじめつけない為に。だが、私はもう、自分をいじめつける事には慣れ切った、どうやら自分を労る事と区別のつかぬこの頃だ。己れを傷つけない為に、己れを労る為に、――一体何んの意味がある。人々を退屈させない為に、恐らく其処には、覗《のぞ》かねばならぬ、辿らねばならぬ私の新しい愚行があるのかも知れない。
人々の真実の心というものは、自分が世の中で一番好きだと思っている人の事を一番上手に語りたいと希《ねが》っているものらしいが、そうは行かぬものらしい。
人々がいろいろな品物(勿論人間も人間の残した仕事もこの品物の中へ這入《はい》る)に惚れ込むと、自分達の心の裡に、他人にはわからぬ秘密を育て上げるものだ。この秘密は愚かしさと共に棲み乍《なが》ら最も正しい事情を掴んでいるのを常とする。冷眼には秘密はない、秘密を育てる力はない、理智はいつも衛生に止まる。人間の心の豊富とは、ただただこの秘密の量である。
だが、人々はめいめい秘密を、いやでも握り潰して了うのが世の定めであるらしい。歌とは、敗北を覚悟の上でのこの世の定め事への抗言に他ならぬ。ランボオ集一巻が、どんなに美しい象《かたち》に満ちていようとも、所詮、この比類のない人物の蛻《もぬけ》の殼だ。彼は死んだのだ。まさしく永久に。この蛻の殻を前にして、いろいろな場所で、いろいろな瞬間に、私の心がいろいろな恰好《かつこう》をしている時に、私が育てた私の秘密を、握り潰そう。
時として、私が街々を行く人々に見附ける、あの無意味な程悲し気な顔は、自分の秘密は秘密にして置きたいと希う無意味な程悲し気な心を語っているのであろうか。この街行く人々の心が、心の奥底までも歌い切りたいと希う世の最上詩人等の心から、そう隔ったものとも思われぬ。私は、手を拱《こまね》いて自分の強ばった横顔を思う。
私が人々に自分の横顔しか許さないのなら、人々が私に、人々の横顔だけしか許さない事を悲しむまい。こんな風にもの事を考えるのは、私を少しも幸福にはしないが、私はこの世に幸福なくらしをする為に生れて来たとは夢にも思ってはいない。私はただ芸もなく不幸であるに過ぎぬ、ただ芸もなく。
こうして文字を並べて行き乍ら、どうして、こう白々しい顔を拵《こしら》え上げて了うのかと私は訝《いぶか》る。きっと私はてれているに相違ない。併し、私はてれるという言葉が、世間の人達が信じている様に一種の高等語だとは思っていない。てれるという心は、天然自然の心から遠ざかった、人工のからくりの仕掛けられた心だとは思っていない。人間はよちよち歩ける様になれば、はや、てれる事は覚えるものだ。良心の藪にらみも亦|恂《まこと》に自然なのである。
ランボオ程、己れを語って吃らなかった作家はない。痛烈に告白し、告白はそのまま、朗々として歌となった。吐いた泥までが晃めく。彼の言葉は常に彼の見事な肉であった。如何にも優しい章句までが筋金入りの腕を蔵する。ランボオ程、読者を黙殺した作家はない。彼は選ばれた人々の為にすら、いや己れの為にすら歌いはしなかった。ただ歌から逃れる為に、湧き上ってくる歌をちぎりちぎってはうっちゃった。その歌声は無垢の風に乗り、無人の境に放たれた。彼程短い年月に、あらゆる詩歌の意匠を兇暴に圧縮した詩人はいない。人々は彼と共に、文学の、芸術の極限をさまよう。この秘教的一野生児のものした処には、その決然たる文学への離別と、アフリカの炎熱の下の、徒刑囚の様な黙々とした労働の半生が、伝説の衣を纏《まと》いつけ、彼の問題は日に新たであるらしい。
だが、もはや私には、彼に関するどんな分析も興味がない。彼は、人々の弱々しい、ふっ切れない讃嘆を呼び集めては、マラルメの所謂《いわゆる》「途轍《とてつ》もない通行者」である事を、いつまでも止めないであろう。
夢を織る事は人々の勝手だ。諸君は、幸いに、私の駄訳に、諸君の夢を惜しまない事を。私は自分の仕事を自慢もしまい、謙遜もしまい。
「繊維のくまぐま迄も、明晰な音の滲透した、乾燥した、柔軟な、ストラディヴァリウスの木の様な」とは、クロオデルがランボオの文体を評した言葉である。これは適確だ。私はどうやら、彼の乾燥、先ず眼をとらえる、苛立しい程、ど強《ぎつ》く、硬く、光り輝く彩色は、そのなかばを写し得たかも知れないが、これを貫く彼の柔軟、重厚なまた切ない迄に透明な息吹《いぶ》きに至っては、はや、私の指先きは徒《いたず》らに虚空を描く。
浅草公園の八卦やが、私は廿二歳の時から衰運に向ったと言った。私が初めてランボオを読みだしたのは廿三の春だから、ランボオは私の衰運と共に現れたわけになる。手に入れたのは「地獄の季節」のメルキュウル版の手帳のような安本であった。私は彼の白鳥の歌を、のっけに聞いて了った。「酩酊の船」の悲劇に陶酔する前に、詩との絶縁状の「身を引き裂かれる不幸」を見せられた。以来、私は口を噤《つぐ》んだ。いやいや、ただ、私の弱貧の為にも、私は口を噤んで来た筈だ。
その頃、私はただ、うつろな表情をして、一日おきに、吾妻橋からポンポン蒸気にのっかって、向島の銘酒屋の女のところに通っていただけだ。船は、私のお臍《へそ》のあたりまで機械の音をひびかせて、早いような、遅いような速力で、泥河をかき分けて行く。私の身体は舳先きに坐って、半分は屋根の蔭になり、半分は冷っこい様な陽に舐《な》められて、「地獄の季節」と一緒に懐中にした、女に買って行く穴子のお鮨が、潰れやしないかと時々気を配ったり、流れて来る炭俵を見送ったり、丸太が一本位は船と衝突してもよさそうなものだなどと、なるたけ考えても何んにもならない事を択《よ》って考える事にしようと思ったりする。この「地獄の季節」には一ぱい仮名がふってあった、どうしても、見当のつかない処は、エジプトの王様の名前みたいに、枠を書いて入れてある。この安本は大事にしていたが、友達の富永太郎が死んだ時、一緒に焼けた。思い出しては足の裏が痒《かゆ》くなるのをこらえる。ヴェルレエヌがパイプを咬え、ポケットに手を突込んで歩いている流竄天使の様なランボオを粗描している。富永はその絵によく似ていた。ちっとも金がない時でも滑々した紺碧の上に、鉄錆《かなさび》色の帯の貫いた、|「海 の 児」《アンフアン・ド・ラ・メエル》の包みは豊富にポケットに入れて、いいパイプが欲しいと言っていたっけ。肺を患って海辺に閉込められたが、「私には群集が必要であつた」と詩に歌いたいばっかりに、直ぐ逃げ帰って来た。人混みをのたくり歩く彼に、私はついて歩いた。想えば愚かにも、私は彼の夭折《ようせつ》をずい分と助けた。そして今、私の頭にはまだ詩人という余計者を信ずる幻があるのかしらん。私は知らぬ。
ランボオの三年間の詩作とは、彼の太陽の様な放浪性に対する、すばらしい智性の血戦に過ぎなかった。かなぐり捨てられた戦の残骸が彼の歌であった。芸術という愚かな過失を、未練気もなくふり捨てて旅立った彼の魂の無垢を私が今何んとしよう。彼の過失は、充分に私の心を攪拌《かくはん》した。そして、彼は私に何を明かしてくれたのか。ただ、夢をみるみじめさだ。だが、このみじめさは、如何にも鮮やかに明かしてくれた。私は、これ以上の事を彼に希いはしない。これ以上の教えに、私の心が堪えない事を私はよく知っている。以来、私は夢をにがい糧《かて》として僅かに生きて来たのかもしれないが、夢は、又、私を掠め、私を糧として逃げ去った。私は、私の衰運の初めから、私という人物が少しも発達していないとは思うのだが、又うつろな世の風景は、昔乍らにうつろには見えるのだが、ただ、今はその風景は、昔の様に静かに位置していない様だ。人々は其処此処の土を掘り、鼠の様に、自分等の穴から首を出し、あたりを見まわす。私もやがて自分の穴を撰ばねばなるまい。そしてどの穴も同じ様に小便臭からう。
「あゝ、この不幸には屈託がないやうに」
果てまで来た。私は少しも悲しまぬ。私は別れる。別れを告げる人は、確かにいる。
[#地付き](昭和五年十月『地獄の季節』白水社刊)
[#地付き](原題「アルチュル・ランボオU」)
[#改ページ]
ランボオ V
僕が、はじめてランボオに、出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何んの準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。而も、この爆弾の発火装置は、僕の覚束《おぼつか》ない語学の力なぞ殆ど問題ではないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様にも思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少くとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である。と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様に思われる。
僕は、このマラルメの所謂「途轍もない通行者」が、自分の弱年期の精神を、縦横に歩き廻るにまかせたが、彼の遺《のこ》した足跡を、今、明らかに判ずるよすがはない様である。恐らく僕は、影響という曖昧《あいまい》な事実の極限を経験したから。自分の眼にも他人の眼にも明瞭な影響の跡という様なものは、精神のほんの表面《うわべ》の取引を語るに過ぎまい。それに、もともと精神の深部は、欲するものを確かに手に入れたり、手に入れたものを確かに保存したりする様な仕組に出来上っているとも思えない。或る偶然な機会が、再びランボオについて、僕に筆をとらせる。事件は去って還らない。僕は、何に出会おうとするのか。
当時、ボオドレエルの「悪の華」が、僕の心を一杯にしていた。と言うよりも、この比類なく精巧に仕上げられた球体のなかに、僕は虫の様に閉じ込められていた、と言った方がいい。その頃、詩を発表し始めていた富永太郎から、カルマン=レヴィイ版のテキストを、貰ったのであるが、それをぼろぼろにする事が、当時の僕の読書の一切であった。僕は、自分に詩を書く能力があるとは少しも信じていなかったし、詩について何等明らかな観念を持っていたわけではない。ただ「悪の華」という辛辣《しんらつ》な憂鬱な世界には、裸にされたあらゆる人間劇が圧縮されている様に見え、それで僕には充分だったのである。
確かに、それは空前の見ものであったが、やがて、精緻な体系の俘囚となる息苦しさというものを思い知らねばならなかった。実際この不思議な球体には、入口も出口もなかった。――「猫つかぶりの読者よ、私の仲間よ、兄弟よ」――魔法の様な声で呼び込まれたのは、どんな隙間からだったかわからなかったが、作者に引摺られ、引廻されて、果てまで来ると、彼が「死」に呼び掛ける声がする。「船長、時刻だ。碇をあげよう」、しかし、老船長は、決して碇をあげはしなかった。その代り「猫つかぶりの読者よ」と又静かに始める様に思われた。僕は、ドオムの内面に、ぎっしりと張り詰められた色とりどりの壁画を仰ぎ、天井のあの辺りに、どうかして風穴を開けたいと希った。すると、丁度その辺りに、本物の空よりもっと美しい空が描かれているのに気付いた。「旅への誘い」の音楽が鳴り渡り、その出発禁止の美しい旋律は、詩の不信者の胸を抉《えぐ》った。そういう時だ、ランボオが現れたのは。球体は砕けて散った。僕は出発する事が出来た。何処へ――断って置くが、僕は、過去を努めて再建してみたまでだ。
「夜は明けて、眼の光は失せ、顔には生きた色もなく、行き合ふ人も、|恐らくこの俺に眼を呉れるものはなかつたのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
突然、俺の眼に、過ぎて行く街々の泥土は、赤く見え、黒く見えた。隣室の燈火の流れる窓硝子の様に、森に秘められた宝の様に。幸福だ、と俺は叫んだ、そして俺は、火の海と天の煙とを見た。左に右に、数限りもない霹靂《へきれき》の様に、燃え上る、ありとあらゆる豊麗を見た」
傍点を付したのはランボオである。――或る全く新しい名付け様もない眩暈が来た。その中で、社会も人間も観念も感情も見る見るうちに崩れて行き、言わば、形成の途にある自然の諸断面とでも言うべきものの影像が、無人の境に煌《きらめ》き出るのを、僕は認めた。而も、同時に、自ら創り出したこれらの宝を埋葬し、何処とも知れず、旅立つ人間の、殆ど人間の声とは思えぬ叫びを聞いた。生活は、突如として、決定的に不可解なものとなり、僕は自分の無力と周囲の文学の経験主義に対する侮蔑とを、当てどもない不幸の裡に痛感した。
僕は「地獄の季節」の最後の章を、その頃京都にいた富永に写して送った。やがて、彼の詩の衰弱と倦怠とが、ランボオの生気で染色されるのを、僕は見て取ったが、彼が、その為に肺患の肉体の刻々の破滅を賭けていた事は見えなかった。その種の視覚を、ランボオは僕から奪っていた様に思われる。或る夏の午後であった。僕は、富永の病床を訪れた。彼は、腹這いになって食事をしていたが、蓬髪を揺すって、こちらを振向いて笑った時、僕はぞっとした。熱で上気した子供の様な顔と凡そ異様な対照で、眼の周りに、眼鏡でもかけた様な黒い隈取りが見えた。死相、と僕は咄嗟《とつさ》に思った。だが、この強い印象は一瞬に過ぎ去って了った。何故だったろう。何故、僕は、死が、殆ど足音を立てて、彼に近寄っているのに、想いを致さなかったのだろう。今になって、僕は、それを訝るのである。彼は、鉛筆で走り書きをした枕元の紙片を、そら、落書、と言って、僕に渡した。"Au Rimbaud"と題した詩であった。今でも空で憶えているし、懐かしいので引いて置く。
1
Kiosque au Rimbaud,
"Manila" a la main,
Le ciel est beau,
Eh! tout le sang est Pain.
2
Ne voici le poete
Mille familles dans le meme toit.
Revoici le poete
On ne fait que le droit.
3
Que Dieu le luise et le pose!
Qu'il ne voie pas ouvrir
Les parasols bleus et roses.
Parmi les flots:1es martyrs!
僕は、不服を唱えた、これはランボオではない、寧ろ"Au Parnassien"とすべきだ。其他、何や彼や目下の苦衷めいた事を喋った様だが、記憶しない。僕の方が間違っていた事だけは確かである。何ものも、自分さえも信用出来ない有様だった当時の僕の言葉に、何んの意味があっただろうか。それに、僕は、富永が既にランボオの"Solde"(見切物)に倣《なら》って、美しい「遺産分配書」を書いていた事を知らなかった。間もなく彼は死んだが、僕はその時、病院にいて、手術の苦痛以外の事を考えていなかった。やがて、僕は、いろいろの事を思い知らねばならなかった。とりわけ自分が人生の入口に立っていた事について。――嘗《かつ》て、僕の頭を掠め通った彼の死相が、今、鮮かに蘇《よみがえ》り、持続する。
フランス近代詩人のなかで、ランボオは、普通、所謂サンボリストの列に加えられているのだが、これは殆ど無意味な分類である。彼とサンボリスト達との間の共通点を求めるなら、プロゾディイの扱い方という様な事に止まろう。それも、彼の初期の韻文詩に限られる。――尤も、彼の韻文詩が、完成の頂に達したのは、十七歳の秋であり、その詩作の魔物の様な早熟と二年後の突然の放棄を思えば、初期という様な言葉も殆ど意味をなさぬのであるが――それに、彼の韻文詩は、ついで、現れた散文詩ほどの重要さを持たぬ。彼の散文詩が、不完全な形ではあるが、はじめて世に紹介されたのは、ギュスタアヴ・カアンが主宰した「ヴォギュ」誌上であった(一八八六年)。つまり、既に十余年来生死不明となっていたこの奇怪な詩人の重要作品は、突然、サンボリストの運動の中心点で破裂したわけであるが、その影響という事になると、僕は、マラルメの言葉を信ぜざるを得ないのである。有名なロオム街の火曜日の夜の集りで、ふと誰か、煙の雲の中で、ランボオの名を仄《ほの》めかすものがあると、「人々は、謎をかけられた様に黙り込み、物思いに沈み、恰《あたか》も、多くの沈黙や夢や中途半端な讃嘆の念を、一時に押付けられる様な有様であった」(Mallarme Divagations.)。太陽に焦げ、海や風の匂いのする野人が、サロンを横切った。ルコント・ド・リイルの所謂「粉々に砕け散ったボオドレエルの断片達」は、手を拱《こまね》いて見送った。
前大戦の後、ダダイスムとかシュウルレアリスムとかいう運動が起った時、ランボオの名は一時に高くなった。そういう傾向の文学者達は、戦後の混乱の中にあって、詩の伝統に関するその極端な侮蔑と新しい詩への当てどのない渇望とを、ランボオの詩が啓示すると信じたものに賭けた。ランボオが、「言葉の錬金術」と呼んだ詩形の錯乱状態は、彼等に麻酔薬の様に作用し、彼等の不安な精神に怠惰な夢をみさせた。
然し、亜流というものは皆そういうものであるが、彼等には、ランボオがこの為に払った代価が解らなかった。彼等は、ランボオから詩形の異様な錯乱を受取り、その真の動機と内容とを置き忘れて来た。無論、要らないから忘れたのである。彼等は、ランボオとともに「物語としてのこの世に別れを告げた」が、その故に、いよいよ「性格は鋭く痩せて行き」「世の果て、シンメリイの果て、旋風と影との国」へ駆り立てられる理由は持たなかった。彼等の流行は、嘗て我が国にも及んだ。その頃、僕は、彼等のうちの理論家アンドレ・ブルトンの精神のオオトマティスムに関する衰弱した詩論を読み、彼等は、ランボオの破片とさえ言えないと思ったのを憶えている。強いて言うなら、寧ろラフォルグの破片であろうか。ここでも、ランボオの影響という事は、甚だ疑わしく、僕はやはりマラルメの言葉に還り度い様に思う。ランボオを、はじめて詩壇に紹介したのは、言うまでもなくヴェルレエヌであるが、ランボオの性格を、はじめて確かに見てとったのはマラルメだと言ってよい。そして、この「詩界のソクラテス」の炯眼《けいがん》は、今もなお動かぬ様に思われる。
「詩に許された自由というものも、更に言えば、奇蹟によって迸《ほとばし》ったとも見える自由詩も、自己証明の為に、この人物を引合いには出せまい。最近の一切の詩の片言と別れて、或は、まさしく片言が杜絶えた時に、彼は古代の戯れの厳密な観察者であった。彼が、精神上のエキゾティックとでも言うより他はない様な情熱の豪奢な無秩序を提《さ》げて、パルナス以前の、ロマンティスム以前の、いや極めてクラシックな世界に対抗して産みだしたその魔法の様な効果を、見積って見給え。彼は、ただただ彼が現存するという動機によって点火された流星の光輝であり、独りで現れて、消えて行く。凡てそういうものは、確かに、其処にどんな文学的環境の準備があったわけではなかったのだから、この途轍もない通行者がいなくても、以前から間違いなく存在していたであろう。人称格は、力ずくで居坐る」(Divagations;"Arthur Rimbaud")
これは、見|易《やす》い事にも係わらず、殆ど注意されていない事だが、マラルメが一番熱烈に又美しく語った詩人はランボオなのであって、ボオドレエルでもポオでもヴェルレエヌでもないのである。僕には、ランボオを主題とするこの驚くべき散文詩に、両者の深く強い交感が現れている様に思われてならぬ。複雑だが的確な和音が聞えて来て、詩作とは弱年期の束の間の愚行と考えた人と詩作を人生の唯一の目的と信じた人との間の越え難い溝が、その中で、消え失せる。僕は、もう、そういう常識がでっち上げたコントラストを信じなくなる。マラルメはランボオを語り、ランボオが詩にもヨオロッパにも別れを告げるところに来て、こんな事を言う。「ここに不思議な時期が来る。尤も、次の事を認めるなら、何も不思議ではないのだが。自分の方が間違っていたか、それとも夢の方に誤りがあったか、いずれにしても、夢を放棄して、生き乍ら、詩《ポエジイ》に手術されるこの人間には、以後、遠い処、非常に遠い処にしか、新しい状態を見付ける事がかなわぬ事を。忘却が沙漠と海との空間を包む」。ここで、マラルメが使っている詩《ポエジイ》という言葉が、あれこれの詩的作品を意味するものではなく、凡そ文学というものが目指す、或る到達する事の出来ぬ極限の観念を意味すると考えてよいならば、マラルメも亦、生き乍ら、詩《ポエジイ》に手術された人間ではなかったであろうか。マラルメがランボオに就《つ》いて書いていた時(一八九六年)、マラルメの心を占めていたものは、「骰子の一擲《いつてき》」の構想だったと推定しても差支えあるまい。彼も亦遠い、何んと遠い処に、新しい状態を見付けざるを得なかったか。彼は、この「脳髄の貪欲《どんよく》な冷い地域」を「星座」と呼んだが、この星座の空間を包んだものが、忘却であったか覚醒であったか、誰が知ろう。いずれにしても、それは読者のあらゆる理解を拒絶するのを目的としている様に見える。これは、彼が追いやられた「旋風と影との国」ではなかったか。成る程、彼は死ぬまで詩作を続けた。だが、周知の如く、それは、廿歳の時に既に到達していた己れの詩の完璧からの逃亡であった。三十幾年の彼の努力は、寧ろ書かない努力であったとさえ言えよう。僕は、夢から逃亡した人と夢の中で異様な逃亡を行った人とが共鳴する音を聞く。言語表現の極限の意識に苦しんだ者が強いられた、同じ孤立と純潔と狂気とを見る。
ここで、前に引用したマラルメの文章から、彼の炯眼が、当時の世評を無視して掴んだと思われる、ランボオの二つの性質を抽《ぬ》き出してみよう。第一に、彼の詩形の不安定は、主観の曖昧さから来ているのではない、それは或る物の厳密な観察に由来するという事。第二に、彼は英雄譚や伝説の中の人物ではない、ランボオという名さえ偶然と思われるほどの、或る普遍的な純潔な存在だという事。
「ただただ彼が現存するという動機によって点火された流星の光輝」というマラルメの言葉には、何んの誇張も飾りもない。彼の詩は、まさしくそういう人間の極印としてより他に解し様がない。ただ己れの為にのみ書いたマラルメさえ、当然選ばれた最小限度の読者を必要としたのであるが、ランボオは、文字通り誰の為にも書かなかった。彼には、彼自身の意志によって発表された作品は一つもないのである。作品とは、このヴェルレエヌの所謂「薄青い不安な眼をした下界に流された天使」が、野や森や街道にばら撒いて行ったきれぎれな衣の様なものであった。人々が、それを取り集めて驚嘆した時には、彼は、流刑地をアフリカの沙漠に選び、隊商の編成に余念がなかった。
何が彼を駆り立てたのか。恐らく彼自身、それを知らなかった。僕等も知らぬ。恐らく知ってはならぬ。
俺は、夏の夜明けを抱いた。
館の前には、まだ何一つ身じろぎするものはなかつた。水は死んでゐた。其処此処に屯《たむろ》した影は、森の径を離れてはゐなかつた。俺は歩いた、ほの暖く、瑞々《みずみず》しい息吹きを目覚まし乍《なが》ら。群れなす宝石の眼は開き、鳥達は、音も無く舞ひ上つた。
最初、俺に絡《から》んだ出来事は、もう爽やかな蒼白い光の満ちた小径で、一輪の花が、その名を俺に告げた事であつた。
俺は、樅の林を透かして、髪を振り乱す滝に笑ひかけ、銀色の山の頂に、女神の姿を認めた。
そこで、俺は、|面※[#「巾+白」、unicode5e15]《かづき》を一枚一枚とはがして行つた。両手を振つて道をぬけ、野原を過ぎて、彼女の事を※[#「奚+隹」、unicode96de]に言ひつけてやつた。街へ出ると、彼女は、鐘塔や円屋根の間に逃げ込んだ。
俺は、大理石の波止場の上を、乞食の様に息せき切つて、あとを追つた。
道を登りつめて、月桂樹の木立の近くまで来た時、たうとう俺は、掻き集めて来た面※[#「巾+白」、unicode5e15]を、彼女に纏ひ付けた。俺は、彼女の途轍もなく大きな肉体を、仄かに感じた。夜明けと子供とは、木立の下に落ちた。
目を覚ませ、もう真昼だ。
[#地付き](「飾画」―夜明け)
近代詩に於けるロマンティスムの運動は、既に終っていたが、この運動は客観世界の否定という暗い大きな傷口を残した。いつ夜明けが来るのか誰も知らなかった。あらゆる流派の詩人達が、この傷口を弄《もてあそ》んでいたから。突然、遠い空で一つの星が燃え、目を覚ませ、という声がした。夜明けと子供とが木立の下に落ちて来た。ランボオは、詩の為に、疑い様のない外部の具体世界を奪還した。そして、これは大事な事であるが、ただただ彼自身の現存という動機によってである。だが彼のこの唯一の動機は、あまり自明であり、詩作に関して様々な動機が必要だった人々には、却って不明と見えた。彼には何んの術策もなかった。彼の自然奪還は、例えばヴィニイの様に、厭世家の特殊な哲学によったのでもなければ、一般に流布された科学を援用した写実主義という様なものによって行われたのでもない。彼は、何んの苦もなく夏の夜明けを抱いた。自然は、子供の、野人の、殆ど動物の眼で見据えられた。
[#ここから2字下げ]
「大洪水」の記憶も漸《ようや》く落ち着いた頃、
一匹の兎が、岩あふぎと釣鐘草のゆらめく中に足を停め、蜘蛛《くも》の巣を透かして、虹の橋にお祈りをあげた。
あゝ、人目を避けた数々の宝石、――はや眼ある様々の花。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](「飾画」―大洪水後)
この「大洪水」直後の人間の記憶が、どういう見えない血統を辿ってか、ランボオという身体に棲みつく事に成功したらしい。彼は、詩を書き始めるや、もう、この唐突な事件に不安を感じていた様子である。それは、彼が抱いた自分ではどうにもならぬ「魔」の様なものであった。彼には、伝統も習慣も、一切の歴史が無意味に見える。僕等が共有する思想も心理も感覚も、社会生活の一切の条件が、不可解に思われる。初期の韻文詩は、一見、互に何んの脈絡もなく、各々が偶然に気紛れに雑然と歌い出された様に見えるが、もともと「一匹の兎の祈り」に発するのであって、それは、その受容するものと、その拒絶するものとに、はっきりと二分されている。彼の現存が理解するものと理解しないもの、自然への没入と歴史への拒絶、彼の裡にあるこの二つの運動は、あたかも自然界の元素の結合と反撥との様に力強く、何んの妥協もない。
僕は、後者に就いては語るまい。人間生活の愚劣と醜悪とを、彼の様に極端に無礼な言葉で罵《ののし》った詩人は恐らくいない。又、その憤りの調子にしても、辛辣で直接で、独特なものがあるが、結局この天才のあり余る精力の浪費に過ぎない様に思われる。何かが欠けている。彼は、どの様な立場も持たず、あんまり孤立していて、それがなければ皮肉にも諷刺にさえもならぬそういう或る人間的理由が欠けている様に見える。僕等は彼の当てどのない憤怒の彼方に虚無を見る。いずれにせよ、人間は、憎悪し拒絶するものの為には苦しまない。本当の苦しみは愛するものからやって来る。天才も亦決して例外ではないのである。
ランボオの自然詩が、空前の、――恐らく絶後であろうが、――開花に達したのは、上田敏の名訳で、わが国でも早くから知られている「酔どれ船」に於てである。
船は碇をあげ、大海原の精気に酔痴れる。読者は作者と酔どれ船に同乗して、「非情の河を降つて」行くが、最初のストロオフが終るかと思うと、船の姿は消えて、もう海に呑み込まれている。叙事とか抒情とかいう言葉は、もはや用をなさぬ。それは、突如として起る海という物質への突入の様である。人間の認識心理は雲散霧消して、海が眼を見開き、唸《うな》る。快い音楽なぞは人工の架空の幻に過ぎぬ。強い単調な永遠のリズムが鳴り、その上に、海は、壮麗なもの繊細なもの、醜悪なもの兇暴なもの、あらゆる色感と量感とを織って動いて行く。ところが、二十三節目にさしかかると、突然、妙な事が起る。
想へば、よくも泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉り、
月はむごたらし、陽はにがし。
切なる恋に酔ひしれし、わが心痺れぬ。
龍骨よ砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
今われ欧洲の水を望むとも、
はや、冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲《うずくま》つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
あゝ、波よ、ひとたび汝が倦怠に浴しては、
綿船の水脈《みを》ひく跡を奪ひもならず、
標旗《はた》の焔の驕慢を横切りもならず、
船橋の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
この最後の三節の調子は、前とまるで違うのである。どんな詩人も、この様に唐突な転調を試みたものはない。(長いので全詩の引用は出来ないが、拙訳を参照して戴ければ幸いである。)ランボオ自身さえ、この様なストロオフの出現を予期していたわけではあるまい。彼の詩は知的な構成を欠いている。何故あの潮の高鳴りが、突然この衰弱と沈黙とに連結しなければならなかったか。其処には、何か運命の指嗾《しそう》めいたものがある様に思われる。海は裂けたのか。海を呑む奈落があったのか。無論、そんな事ではない。が又、作者が突然我れに還った反省でもなければ感傷でもない。恐らくランボオは、ここで、海に見入り海を歌っているランボオという男を、あたかもあの奇怪な精神病者が己れの姿を何んの驚きもなく眺める様に、まざまざと見たのではあるまいか。彼の異様な視覚は、見たままを描いた。まるで運命を予見する様に。詩は、そういう印象を僕に与えるのである。彼の分身は、詩の陶酔に這入らず、詩の傍に立ち、その影を詩中に投影する。ランボオは、太陽の様な自作のうちに、黒点が現れるのを見る。光を吸収するものが、もう一人の自分である事を感じ、この夢魔が祓《はら》えぬ事を感ずるや、彼は、遅疑なく、自分の音楽に、不協和音を導入する。僕には、どうしても、そんな風に感じられる。彼は、一つの詩を完成しては、次の詩に移った詩人ではない。彼には、詩は、うつろい行く季節の様なものであった。彼が歌った様に、季節は流れて行くのだ。その中に、ふと一緒に流されるお城が見える、その中にいる自分も見える。――錯乱の種が熟するのには手間はかからなかった。
ランボオは、早くから、詩人に就いて異様な考えを抱いていた。それは、一八七一年五月十五日付の手紙に圧搾《あつさく》されているのだが、重要と思われる部分を引用する。(手紙は、イザンバアル宛とドムニイ宛と、殆ど同じ内容のものが二通あるが、後者に拠《よ》る。)
「千里眼《ヽヽヽ》でなければならぬ、千里眼《ヽヽヽ》にならなければならぬ、と僕は言ふのだ。詩人は、|あらゆる感覚の《ヽヽヽヽヽヽヽ》、長い、限りない、合理的な乱用《ヽヽ》によつて千里眼《ヽヽヽ》になる。恋愛や苦悩や狂気の一切の形式、つまり一切の毒物を、自分を探つて自分の裡で汲み尽し、たゞそれらの精髄だけを保存するのだ。言ふに言はれぬ苦しみの中で、彼は、凡ての信仰を、人間業を超えた力を必要とし、又、それ故に、誰にも増して偉大な病者、罪人、呪はれた人、――或は又最上の賢者となる。彼は、|未知のもの《ヽヽヽヽヽ》に達するからである。彼は、既に豊穣な自分の魂を、誰よりもよく耕した。彼は、未知のものに達する。そして、狂つて、遂には自分の見るものを理解する事が出来なくならうとも、彼はまさしく見たものは見たのである。彼が、数多の前代未聞の物事に跳ね飛ばされて、くたばらうとも、他の恐ろしい労働者達が、代りにやつて来るだらう。彼等は、前者が斃れた処から又仕事を始めるだらう」(傍点ランボオ)
これは、断乎とした又かなり明瞭な宣言である。この手紙が、発見されたのは、マラルメの死後であるが、やはり彼の眼は確かであった。ランボオにとって、詩とは、或る独立した階調ある心象の意識的な構成ではなかったし、又、無意識への屈従でもなかった。見た物を語る事であった。疑い様のない確かな或る外的実在に達する事であった。然し誰も見ない、既知の物しか見ない。見る事は知る事だから。見る事と知る事との間に、どんなに大きな隔りがあるかを、誰も思ってもみない。僕等は、そういう仕組に出来上っているから。何故か。ランボオは I'intelligence universelle(普遍的知性)という言葉を使っているが、僕等は、何時の頃からか、その俘囚となっているからである。僕等は大自然の直中にある事を知らない、知らされていない。歴史が僕等を水も洩さず取り囲んでいるからだ。そして歴史とは、普遍的知性の果実以外の何物であろうか。
人間は、手を持っているからこそ智慧を持つ、とアナクサゴラスが言ったが、恐らく、人間の知性の正しい解明は、原始人の石鏃《せきぞく》から近代人の機械に至る、人間が作り得たもの或は破壊し得たものの裡にしか求め得られまい。人間が種族保存上、有効に行動し生活する為に、自然は、人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、己れの謎を解いて貰う為に与えたとは到底考えられぬ事である。従って、知性は、行為の正確を期するに充分なものだけを正確に理解する。物と物との関係には、いよいよ通暁するが、決して物の裡には這入らない。その様なことは無用の業でなければ狂気の沙汰だ。恐らく、存在と認識との間のディアレクティックは、永遠に空しいであろう。
若し、手があるからこそ知慧がある。と言えるなら、同じ意味で、眼があるからこそ、耳があるからこそ、と言えるだろう。僕等の行為の有効性に協力しない眼や耳は、もはや眼とも耳とも言えまい。心理学者が、どんなに純粋な視覚とか聴覚とかを仮定してみた処で、無駄であろう。僕等の行為の功利性は、僕等の感覚の末端まで及んでいるだろう。人間は眼を持っているから見ると言ってはいけない、寧ろ眼なぞ持っているにも係わらずどうやら見るのだ、とベルグソンは言っている。僕等の感官は、自然を僕等の生存に巧妙に利用しようが為に、自然との直接な全的な取引を禁止する様な、或はそういう取引が非常に困難な様な、そういう構造に出来上っているらしい。僕等は、全力をあげて、人間という生物の裡に閉じこもっている。多くの神秘家が、肉体を侮蔑したのも故のない事ではない。
ランボオという奇怪なマテリアリストは、主観的なものに何んの信も置かなかった。彼には抒情詩というものは一向興味を惹《ひ》かなかった。彼の全注意力は、客観物とこれに触れる僕等の感覚の尖端にいつも注がれていた。どの様な思想の形式も感情の動きも、自律自存の根拠を、何処にも持たぬ。それらの動きは、客観世界から、何等かの影像を借用して来なければ、現れ出る事がかなわぬ。と、言うのは、それらの運動が、客観世界の運動に連続している証拠である。ただ、この外部の自然の運動は、知性の機能によって非常によく整調された神経組織という、特殊な物質を通過するに際して、或る著しい変化を受ける。ランボオに言わせれば、「毒物」と化する。問題は入口にある、と彼は考える。若し、僕等の感覚が、既に、自然の運動の確率的平均しか受付けない様に整備されているものならば、僕等の主観の奥の方を探ってみた処で何が得られよう。愛の観念、善の観念、等々、総じて僕等の心の内奥の囁きという様な考えは、ランボオには笑うべき空想と見えた。僕等は、ただ見なければならぬ、限度を超えて見なければならぬ。「あらゆる感覚の長い限りない、合理的な乱用」を試みねばならぬ。
僕は、彼の「千里眼の説」の勝手な演繹《えんえき》を、これ以上進める気はない。恐らく、彼の真意から遠ざかるばかりだろう。彼の兇暴な宣言は、少しも哲学ではない。若し、これに実行が伴わなかったら、薄弱な論理をさらすだけであろう。従って重点は、後の方にある。「狂つて、遂には、自分の見るものを理解することが出来なくならうとも、彼はまさしく見たものは見たのだ」と彼は言い切る。彼は、実行前の企図や宣言を書いたのではなかったかも知れぬ。既に実行していたところを苛立たしげに反省してみたのかも知れぬ。自身の現存が詩作の唯一の動機であった様な彼が、新しい詩作の動機の考案なぞに悩んだとも受取れぬ。彼は、「大洪水」の直後、「蜘蛛の網を透かして、虹の橋にお祈りをあげる一匹の兎」であった。何が彼の祈りを、こうまで兇暴なものにしたか。それは、彼自身の極端なあまりにも極端な人生に於ける孤立そのものだったであろうか。然し、そう解してみたところでさて何になろうか。
いずれにせよ、彼の宣言の徹底した実行の成果は、「イリュミナシオン」に現れた。空前の危地に追い込まれたこの天才の才能は、言語表現の驚くべき錯乱となって展開された。僕等は、「宗教の神秘を、自然の神秘を、死を、出生を、未来を、過去を、世の創成を、虚無を、発《あば》かう」として「自然の光の金色の火花を散らして生きる」或る存在に面接し、自分等の生活界の座標軸が突如として顛覆《てんぷく》するのを感じ、或る本質的な無秩序と混沌《こんとん》との裡に投げ込まれる。そこで、マラルメを除けば、ランボオほど晦渋《かいじゆう》な詩を書いたものはないという定評が、当然生れて来るのである。想えば向う見ずな事であったが、僕が、彼の作品の翻訳を手がけたのは未だ学生の頃であった。今では、そんな勇気はあるまい。だが、又想えば青春というものは、向う見ずとともに実に沢山な宝を抱いて逃げ去るものである。
僕は、自分の向う見ずが、多くの人々の向う見ずと同様に、一種の洞察力を含んでいたという事を疑わないが、それに就いて正当に書く事は難かしかろう。それよりも、僕から何かを要求し、僕にただ受身の立場をとる事を許さなかったランボオの晦渋さというものを考えてみた方がよかろう。誰が、平易な作品を前にして、向う見ずになれようか。
確かに、ランボオは晦渋である。然し、現代、ことに我が国に於て、晦渋な作家を求める事が、どんなに困難であるかを考えてみてはいけないか。習慣というものは恐ろしいものだ。何故、誰も彼もがわかり切った事しか書いていない事に愕然としないのか。進歩的と自称する政治思想、人間的と自称する小説形式、歴史や認識の運動の解明者と自称する講壇哲学、そういうものが寄ってたかって、真正な詩人の追放の為に協力している。言語表現は、あたかも搾木《しめぎ》にかけられた憐れな生物の様に吐血し、無味平板な符牒と化する。言葉というものが、元来、自然の存在や人間の生存の最も深い謎めいた所に根を下し、其処から栄養を吸って生きているという事実への信頼を失っては、凡そ詩人というものはあり得ない。
一方の端に或る概念を明瞭に理解した男が立っている。その概念が感覚の仮面を被っていようと、感情の色合いを帯びていようと構った事ではない。その男の概念をそのまま明瞭に受取る権利を持ったもう一人の男が、一方の端に立っている。言葉は、既に、はっきりと両者の間の通達器官そのものと化して了っているのだが、両者はその事には気が付いていない。一方の端から話しかける、文学というものは概念的なものではないぞ、――すると一方で答える、君の言う事はよく解った。併《しか》し僕の意見も聞いてくれ。詩人の言葉は、電線に引っかかった烏の様に、通話をさまたげる。言ってみれば、そういう仕儀になって了ったのである。自国語のエスペラント語化を理想とする様な文学者が現れる様な時、僕は、自分の言うところに誇張があるとは思わない。
自分自身に、あり余るほどの難題と要求とを課した人の表現が、読者の怠惰な理解力に挑戦しない謂《いわ》れがない。ランボオの難解さには、少しも巧んだ跡はない。狂言綺語を弄して、人を驚かそうとする様な女々しい虚栄心は、凡そ彼には縁がない。又、人情的なもの感傷的なもの或は形而上学的なもの、そういうものが織りなす雰囲気の曖昧さなぞに、彼は一顧も与えてはいない。更に又、彼の難解さは、彼の独特な個性とか性癖とかに由来するものとも考えられぬ。その様な人間性の弱点を尊重するロマンティスムの迷信から、彼は全く逃れていた。
僕等が立会うものは、或る兇暴な力によって、社会の連帯性から|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》ぎとられた純粋視覚の実験である。尤も、彼は立会人を期待していたわけではないが、僕等が立会ったなら、彼はこんな事を言ったかも知れない。推論は、自然に一指も触れる事は出来ない、と諸君は言う。だから、自然を直覚するのだとか愛するのだとかいう。信じられぬ。諸君は、そんな事を決して心の底から信じてはいない。諸君が、窒息しないで暮しているのを見ただけで充分だ。僕の報告が晦渋であるなどと文句をつけまい。僕は、「他界《ヽヽ》から取って来るものに形があれば形を与えるし、形のきまらぬものなら形のきまらぬ形を与える」(これは前に引用した手紙のうちの文句である)。それは実験の結果であって、僕の知った事ではない。実験の手続きに、ごまかしはない。せめて僕のサンタックスの明瞭と簡潔とに注意し給え。
言うまでもなく、彼が這入ろうとする世界は、認識自体の根拠が揺ぐ様な世界なのだから、彼の実験報告は、人々を一様に納得させる様には書かれていない。彼への敢然たる信頼と共鳴とに準じて、彼はその秘密の幾分《いくぶん》を僕等に分つ。元来が、詩人等がその思想を人に分つ方法だが、彼は、その方法を言わば灼熱する。彼は未知の国から火を盗んで来る。近寄るものは火傷する。僕等は傷口に或る意味が生ずるのを感ずる。だが、詮ずるところ凡そ本物の思想の誕生というものは、皆そういうものではあるまいか。論証だけで出来上った思想は、人々の雷同性を挑撥するより他に能があるまい。
扨《さ》て、ランボオは何を見たか。彼の見たものは、まさしく「他界」の風景であったか。僕には、何も言う事が出来ない。リヴィエールは、それについて聊かの疑いもないと言う。(J. Riviere; Rimbaud.)。ランボオが見たものは、読者には勿論、見た者自身にさえ無関係な或る外的存在を示す。ランボオの馳駆する言語影像の不連続と混乱とは、見られた存在の在りのままの姿であり、その不連続と混乱とは「他界」の干渉によるものとしか考えられぬ。事物は、天から降りて来る何物かの力による秩序の回復を期待する、そういう乱脈な状態に於て捕えられている、とリヴィエールは言う。その通りかも知れぬ。そうでないかも知れぬ。リヴィエールは、そういう意見を立証する為に、ランボオの未定稿を点検し、彼の文体の構成過程にまで分析の手を拡げているが、当然、立証に成功してはいない。「他界」を立証する前に、「他界」は信じられていなければならぬ。リヴィエールは、余儀なく自分のささやかな経験に立ち還る。彼は、「|飾 画《イリユミナシオン》」を読み進み、次の句に至って慄然《りつぜん》としたと言う。
[#この行2字下げ]妹ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムヘ、――『北国』の海に向いた彼女の青い尼僧帽《コルネツト》。――難破した人々の為に。
彼は言う、不意に何処からともなく伝えられる音信が、自分の知覚に小さな混乱を起したと思うと、魂の奥底で一種の事件が起った、ああ、諸君は分って呉れるであろうか、と。僕は、ランボオの誠実もリヴィエールの誠実も疑いはしない。だから、リヴィエールに倣って、僕の過去のささやかな類似の経験を附記する事を保留する。だが、疑わぬという事は信ずるという事であろうか。どうもそれは別々の心の動きの様に思われる。
「他界」というものが在るか無いかという様な奇怪な問題は暫《しばら》く置く(尤も、そういう問題にいっぺんも見舞われた事のない人の方が、一層奇怪に思われるが)。確かな事は、僕等の棲む「下界」が既に謎と神秘に充《み》ち充ちているという事だ。僕等が理解している処から得ているものは、理解していないところから得ているものに比べれば、物の数ではあるまい。而も、その事が、僕等の生存の殆ど本質をなすものではなかろうか。だが、脇道に迷い込むまい。僕は、問題を努めて極限したいと思っている。と言うのは、なるたけ巧みに自分に質問したいと思っているのだが、それは容易にうまくいかない事である。
ランボオは、「飾画」を書き終ると、直ちに「地獄の季節」を書いたのであるが、その中で、彼は、もはや「飾画」を、一時の錯乱の結果としか考えていないと断言している。それは「晦《ま》いて了わねばならぬ脳髄に集り寄った様々な呪縛」であった、と感ずる。彼は、嘗て宣言した処を逆に言う、「たとえ、見たものは、まさしく見たとしても、見たものを理解出来なくなり、遂に心が狂った」と。この問題は、意志と決断とによって作り上げた狂気は、又、意志と決断とによって乗り超えられるという事に帰する様である。ただ、彼が、嘗ての「千里眼の説」の実行を顧みて、「言葉の錬金術」と呼んでいる事は注意を要すると思う。彼が、サンボリストのナルシスムとは凡そ反対な「千里眼の説」を抱いた時、そして「あらゆる感覚の合理的乱用」を賭してまで、裸の事物に推参しようとした時、彼の知性の発作による知性の否定は、当然受けるべき復讐を受けた様に思われる。
彼が、見たものは、僕等からあまり遠くにあるので、どんな言葉を発明してみても伝える事が出来なかった。どんな感覚の助力を以ってしても僕等に知覚させる事は出来なかった。余儀なく、彼は独りで「架空のオペラ」を演じねばならなくなった。そういう愚行を、彼は悟ったのか。その様な事は考えられもしない。彼が苦しんだのは、自分が、「架空のオペラ」を演じた事であって、見物がいなかった事ではない。何故それは彼に「架空のオペラ」と思われ、確かな仕事とは思われなかったのか。彼自身確かに見たところを、確かに表現する術を知らなかったからか。その様な幼稚な心理学はこの表現の達人には用をなすまい。どうして、彼にとって、見たところを表現する事と表現したところを見る事との間に区別があり得ただろうか。すると、彼は、未知の事物の形を見ようとして、言葉の未知な組合せを得たという事になる。「あらゆる感覚の合理的乱用」とは即ち言葉の錬金術に他ならなかったという事になる。彼が衝突したのは、「他界」ではなく、彼という人間の謎の根元ではなかったか。この不思議な詩人は、人間には言葉より古い記憶はないという事に苛立ったのではなかったか。
然し、彼自身が否定しようがしまいが、彼の「言葉の錬金術」からは、正銘の金が得られた。その昔、未だ海や山や草や木に、めいめいの精霊が棲んでいた時、恐らく彼等の動きに則《のつと》って、古代人達は、美しい強い呪文を製作したであろうが、ランボオの言葉は、彼等の言葉の色彩や重量にまで到達し、若し見ようと努めさえするならば、僕等の世界の到る処に、原始性が持続している様を示す。僕等は、僕等の社会組織という文明の建築が、原始性という大海に浸っている様《さま》を見る。「古代の戯れの厳密な観察者」――厳密なという言葉のマラルメ的意味を思いみるがよい。
ランボオが「地獄の季節」を書き上げたのは、一八七三年の八月、ついで彼は、その出版を企図したが、忽ち厭気がさし、本屋に金も払わず、印刷の進行中、手元の原稿、見本刷などを焼却して、永久に文学の世界を去った。「飾画」の初版本(一八八六年)の序文の中で、ヴェルレエヌは、こう言っている。「ランボオは、今年卅二歳になっている筈だ。今、彼はアジアに旅行して、芸術の仕事に没頭している」と。彼が、ランボオから「地獄の季節」の見本刷を送られていた事実は判明しているから、彼はこの断乎たる文学への絶縁状は早くから読んでいた筈なのである。マラルメがランボオを論じたのは、ランボオの死後であるが、彼も亦、アフリカの僻地《へきち》に、未発表の宝が埋れていると想像するのも、あながち不当ではない、と書いている。それほど、驚くべき才能の突然の消滅は異様であり、考え難い事であった。
彼の生涯が明らかになるにつれて、眩《めくるめ》く様な詞藻の生活とこれに続く文字通り砂を噛む様な蛮地の労働と取引の生活とが、殆ど不可解な対照を呈して浮び上り、評家達の頭を悩まし、互に予盾する様々の解釈を生んだ。だが、それらの解釈は、様々の色彩の様に互に干渉して一条の白色光線を作り上げる様に見える。
実際は、僕等の分析が為すところを知らぬほど、それは自然な単純な成行きではなかったであろうか。「地獄の季節」執筆中の彼のドラヘイ宛書簡の一節、「しかし、なかなかこれで規則的に仕事はしてゐるんですよ。散文で幾つかの小話を書いてゐる。総題は異端の書、或は黒ん坊の書。馬鹿馬鹿しい無邪気なものだ。ああ無邪気とは、無邪気、無邪気、無邪……ええ、うるさい」。これが、恐らくランボオが自作について言い得た一切である。こういうところに、近代文人の皮肉を読もうとする事が、問題を紛糾させる元になる。世には極端な無邪気が在る事を、非凡な人間の裡で、無邪気が最高の理論や判断と結んでいる事を、遅疑なく認めれば足りるのである。非凡人の行為の複雑さとは、多くの場合凡人の発明品に過ぎない。天才の得手勝手な好き嫌いによる、極めて単純で自然な行為が、常識人の眼には、何んと沢山な可能な行為のうちから、複雑極まる分別の結果選ばれた一つの行為と映るか。自明で何んの苦もない行為が、何んと苦しい忍耐を要する実践と映るか。
ランボオは、ただ、俺はもう厭になった、と言ったのである。「地獄の季節」に明らかな論理や観念を捜しても無駄だ。彼は、自分で持て余した自分の無邪気さが齎《もたら》した嫌悪と渇望との渦を追う。嫌悪は何等批判の形をとらず、渇望は理想の明らかな姿を描かない。ここでも亦彼は彼の現存以外に何んの動機を持たぬ。クロオデルは、これをフランス散文の極致と呼んだ。そうかも知れぬ。だが、極致が、ランボオには出発であったとは。誰も、この様な「馬鹿馬鹿しい無邪気なもの」は書けなかった。誰も「馬鹿馬鹿しさ」と「無邪気さ」に、この様な絶対的な価値決定を与えたものはいなかった。
ランボオが、アフリカで撮った写真が、ベリションの手で遺されている。
彼は、散切《ざんぎ》り頭で、白い移民服の様なものを着て、跣足《はだし》で、石のごろごろした河原に立っている。背景には、太陽に焦げた灌木がある。黒い鞣皮《なめしがわ》の様な皮膚をして、眉をしかめ、眼は落ちくぼみ、頬はこけ、いかにも叩きのめされ、疲れ切った様子で立っている。――彼の手紙の一節、「枯れた木さへない、草つ葉一つない、一とかけらの土もない、一滴の清水もない。アデンは、死火山の噴火口で、底には海の砂が一杯詰つてゐる。見るもの、触れるもの、ただ僅かばかりの植物を辛うじて生やして置く熔岩と砂ばかりだ。附近一帯は、全然不毛な沙漠である。噴火口の内壁の御蔭で、此処は、風も這入らぬ。何んの事はない、穴の底で、僕等は石炭の窯の中にゐる様に焼ける。こんな地獄へまで使はれに来るとは、よくよくの宿命の犠牲者に違ひない」(一八八五年、九月廿八日、アデン)。――「嘗ては、自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思つた俺が、今、務めを捜さうと、この粗ら粗らしい現実を抱きしめようと、土に還る」と「地獄の季節」で書いた彼は、今、本当の地獄を抱いた様である。彼の渇望が、彼に垣間《かいま》見せたと思われた「勝利」も「真理」も遂に来なかった。嘗て、彼が、故郷のオアーズの流れを前にして歌った歌が、僕の心を横切る。彼は、そんなものを、思い出してもみなかったろうが、忘れる事が人を変えやしない。生涯に二つの生はないものだ。
鳥の群れ、羊の群れ、村の女達から遠く来て、
はしばみの若木の森に取りまかれ、
午後、生まぬるい緑の霞に籠められて、
ヒイスの生えたこの荒地に膝をつき、俺は何を飲んだのか。
この稚《おさな》いオアーズの流れを前にして、俺に何が飲めただらう。
――楡《にれ》の梢に声もなく、芝草は花をつけず、空は雲に覆はれた。――
この黄色い瓠《ひさご》に口つけて、さゝやかな棲家を遠く愛しみ、
俺に何が飲めただらう。あゝ、たゞ何やらやりきれぬ金色の酒。
俺は、剥げちよろけた旅籠屋の看板となつた。
――驟雨が来て空を過ぎた。
日は暮れて、森の水は清らかな砂上に消えた。
『神』の風は、氷塊をちぎりちぎつては、泥地にうつちやつた。
泣き乍ら、――俺は黄金を見たが、――飲む術はなかつた。
[#地付き](「地獄の季節」錯乱U―言葉の錬金術)
これが、いつも具体世界との直接の取引に終始した彼が生涯に歌う事の出来た唯一の抒情詩であった。何故かと言うと、彼が飢渇という唯一つの抒情の主題しか持っていなかったからである。感傷でもない、懐疑でもない、まさに抒情詩なのだが、あらゆる抒情詩の成立条件を廃棄した様に見えるその純粋さを前にしては、凡そ世上の所謂抒情詩は、贅肉《ぜいにく》と脂肪とで腐っている。何んの感情もないところから、一つの感情が現れて来る。殆ど虚無に似た自然の風景のなかから、一つの肉体が現れて来る。彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼は、ランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。
一八九一年の冬、ランボオは、ハラルで膝に癌腫を患い、五月、辛うじてマルセイユの病院まで辿りついたが、脚部切断の手術も効なく、十一月、信心深い妹のイザベルに看取られ、死んだ。
お前には、死ぬより他には、生に到る手段がなかつた。
あんな大きな欲望の為に取つて置かれたものが、パンではなくて、苦い盃だとは。
沙漠への道といふ道を歩き尽した歩行者よ、お前にはもう進めない時が来る。
両方そろつて歩いてゐた足も、神様が片つ方をお取上げになつた。
妹の手引きを求め、最期の港まで来た今となつて、
お前にはこんな声が聞えて来ないか――
ランボオよ、お前はいつも私から逃げたと考へてゐたか。
〈P. Claudel; "Consecration"―― La Messe La-bas.〉
僕は、クロオデルの信仰を持たぬ。然し、往時は拒絶した彼の独断が、今は、僕の心に染み渡る。僕には、恐らく再びランボオについて書く機は来まいが、僕の拙《つたな》い訳が、読者がランボオを知る機縁又は彼を読む幾分の参考になれば幸いだと思っている。
[#地付き](昭和二十二年三月『展望』)
[#地付き](原題「ランボオの問題」)
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中 原 中 也
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中原中也の思い出
鎌倉比企ケ谷妙本寺境内に、海棠《かいどう》の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎年のお花見を欠かした事がなかったが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切株を見に行くまで、何んだか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になく見事なものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目の様に細かく分れて行く梢《こずえ》の末々まで、極度の注意力を以って、とでも言い度げに、繊細な花を附けられるだけ附けていた。私はF君と家内と三人で弁当を開き、酒を呑み、今年は花が小ぶりの様だが、実によく附いたものだと話し合った。傍で、見知らぬ職人風の男が、やはり感嘆して見入っていたが、後の若木の海棠の方を振り返り、若いのは、やっぱり花を急ぐから駄目だ、と独り言のように言った。蝕《むしば》まれた切株を見て、成る程、あれが俗に言う死花というものであったかと思った。中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思い出された。今年も切株を見に行った。若木の海棠は満開であった。思い出は同じであった。途轍もない花籠が空中にゆらめき、消え、中原の憔悴《しようすい》した黄ばんだ顔を見た。
中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であった。前年、子供をなくし、発狂状態に陥った事を、私は知人から聞いていたが、どんな具合に恢復《かいふく》し、どんな事情で鎌倉に来るようになったか知らなかった。久しく殆ど絶交状態にあった彼は、突然現れたのである。私は、彼の気持ちなど忖度《そんたく》しなかった。私は、もうその頃心理学などに嫌気がさしていた。ただそういう成行きになったのだと思った。無論、私は自分の気持ちなど信用する気にはならなかった。嫌悪《けんお》と愛着との混淆《こんこう》、一体それは何んの事だ。私は中原との関係を一種の悪縁であったと思っている。大学時代、初めて中原と会った当時、私は何もかも予感していた様な気がしてならぬ。尤も、誰も、青年期の心に堪えた経験は、後になってからそんな風に思い出し度がるものだ。中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲した。この忌わしい出来事が、私と中原との間を目茶目茶にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。ただ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、私は、「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多過ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味の事を言い、そう固く信じていたにも拘《かかわ》らず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変った、と書いている。が、先きはない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗かったに相違ない。
それから八年経っていた。二人とも、二人の過去と何んの係わりもない女と結婚していた。忘れたい過去を具合よく忘れる為、めいめい勝手な努力を払って来た結果である。二人は、お互の心を探り合う様な馬鹿な真似はしなかったが、共通の過去の悪夢は、二人が会った時から、又別の生を享けた様な様子であった。彼の顔は言っていた。彼が歌った様に――「私は随分苦労して来た。それがどうした苦労であつたか、語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。またその苦労が、果して価値のあつたものかなかつたものか、そんな事なぞ考へてもみぬ。とにかく私は苦労して来た。苦労して来たことであつた!」。併《しか》し彼の顔は仮面に似て、平安の影さえなかった。
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹蔭の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度《きつと》順序も速度も決めているに違いない、何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来なくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。
二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いた。「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は眼を据え、悲し気な節を付けた。私は辛かった。詩人を理解するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何んと辛い想いだろう。彼に会った時から、私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来たが、どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつも新しく辛いものであるかを訝《いぶか》った。彼は、山盛りの海苔巻を二皿平げた。私は、彼が、既に、食欲の異常を来している事を知っていた。彼の千里眼は、いつも、その盲点を持っていた。彼は、私の顔をチロリと見て、「これで家で又食う。俺は家で腹をすかしているんだぜ。怒られるからな」、それから彼は、何んとかやって行くさ、だが実は生きて行く自信がないのだよ、いや、自信などというケチ臭いものはないんだよ、等々、これは彼の憲法である。食欲などと関係はない。やがて、二人は茶店を追い立てられた。
中原は、寿福寺境内の小さな陰気な家に住んでいた。彼の家庭の様子が余り淋し気なので、女同士でも仲よく往き来する様になればと思い、家内を連れて行った事がある。真夏の午後であった。彼の家がそのまま這入って了《しま》う様な凝灰岩の大きな洞窟が、彼の家とすれすれに口を開けていて、家の中には、夏とは思われぬ冷い風が吹いていた。四人は十銭玉を賭けてトランプの二十一をした。無邪気な中原の奥さんは勝ったり負けたりする毎に大声をあげて笑った。皆んなつられてよく笑った。今でも一番鮮やかに憶えているのはこの笑い声なのだが、思い出の中で笑い声が聞えると、私は笑いを止める。すると、彼の玄関脇にはみ出した凝灰岩の洞穴の縁が見える。滑らかな凸凹をしていて、それが冷い風の入口だ。昔ここが浜辺だった時に、浪が洗ったものなのか、それとも風だって何万年と吹いていれば、柔らかい岩をあんな具合にするものか。思い出の形はこれから先きも同じに決っている。それが何が作ったかわからぬ私の思い出の凸凹だ。
中原に最後に会ったのは、狂死する数日前であった。彼は黙って、庭から書斎の縁先きに這入って来た。黄ばんだ顔色と、子供っぽい身体に着た子供っぽいセルの鼠色、それから手首と足首に巻いた薄汚れた繃帯、それを私は忘れる事が出来ない。
汚れちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
中原の心の中には、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余るものであったと私は思っている。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なずけるに足りなかった。彼はそれを「三つの時に見た、稚厠《おかは》の浅瀬を動く蛔虫《むし》」と言ってみたり、「十二の冬に見た港の汽笛の湯気」と言ってみたり、果ては、「ホラホラ、これが僕の骨だ」と突き付けてみたりしたが駄目だった。言い様のない悲しみが果しなくあった。私はそんな風に思う。彼はこの不安をよく知っていた。それが彼の本質的な抒情詩の全骨格をなす。彼は、自己を防禦する術をまるで知らなかった。世間を渡るとは、一種の自己|隠蔽《いんぺい》術に他ならないのだが、彼には自分の一番秘密なものを人々に分ちたい欲求だけが強かった。その不可能と愚かさを聡明な彼はよく知っていたが、どうにもならぬ力が彼を押していたのだと思う。人々の談笑の中に、「悲しい男」が現れ、双方が傷ついた。善意ある人々の心に嫌悪が生れ、彼の優しい魂の中に怒りが生じた。彼は一人になり、救いを悔恨のうちに求める。汚れちまった悲しみに……これが、彼の変らぬ詩の動機だ、終りのない畳句《ルフラン》だ。
彼の詩は、彼の生活に密着していた、痛ましい程。笑おうとして彼の笑いが歪んだそのままの形で、歌おうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出した調和ではない。中原は、言わば人生に衝突する様に、詩にも衝突した詩人であった。彼は詩人というより寧ろ告白者だ。彼はヴェルレエヌを愛していたが、ヴェルレエヌが、何を置いても先ず音楽をと希うところを、告白を、と言っていた様に思われる。彼は、詩の音楽性にも造型性にも無関心であった。一つの言葉が、歴史的社会にあって、詩人の技術を以ってしても、容易にはどうともならぬどんな色彩や重量を得て勝手に生きるか、ここに自ら生れる詩人の言葉に関する知的構成の技術、彼は、そんなものに心を労しなかった。労する暇がなかった。大事なのは告白する事だ、詩を作る事ではない。そう思うと、言葉は、いくらでも内から湧いて来る様に彼には思われた。彼の詩学は全く倫理的なものであった。
この生れ乍らの詩人を、こんな風に分析する愚を、私はよく承知している。だが、何故だろう。中原の事を想う毎に、彼の人間の映像が鮮やかに浮び、彼の詩が薄れる。詩もとうとう救う事が出来なかった彼の悲しみを想うとは。それは確かに在ったのだ。彼を閉じ込めた得態の知れぬ悲しみが。彼は、それをひたすら告白によって汲み尽そうと悩んだが、告白するとは、新しい悲しみを作り出す事に他ならなかったのである。彼は自分の告白の中に閉じこめられ、どうしても出口を見附ける事が出来なかった。彼を本当に閉じ込めている外界という実在にめぐり遇う事が出来なかった。彼も亦叙事性の欠如という近代詩人の毒を充分に呑んでいた。彼の誠実が、彼を疲労させ、憔悴させる。彼は悲し気に放心の歌を歌う。川原が見える、蝶々が見える。だが、中原は首をふる。いや、いや、これは「一つのメルヘン」だと。私には、彼の最も美しい遺品に思われるのだが。
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
[#地付き](昭和二十四年八月『文藝』)
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中原中也の「骨」
「紀元」六月号に載っていた中原中也の「骨」という詩、近頃感服した詩であった。友達に聞いたが読んでいた人が一人もなかったのでここにうつして置こうと思う。
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌツクと出た、骨の尖《さき》。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷《ふるさと》の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
こういう詩は古いという人もあるかも知れないが、僕は中原君のいままでの仕事、そこでは所謂《いわゆる》新しい詩の技法というものが非常な才能をもって氾濫していた。その事を知っているので古いとは思わない。
心理映像の複雑な組合せや、色の強い形容詞や、個性的な感覚的な言葉の巧みな使用や、捕え難いものに狙いをつけようとする努力や、等々、そんなものを捨ててしまってやっぱり骨があった様に歌が残ったという様な詩である。今の詩人の詩を僕はたんと読んでいないので間違うかも知れないが、こういう詩の様に、歌う言葉ばかりで出来ている様な詩はずい分少いのではあるまいか。歌みた様で実は描写とか観察とかいうものの感覚的乃至は心理的な変形に過ぎぬ様な詩が多いのではあるまいか。そしてそういうのが新しい詩みた様に見える場合があるのである。
[#地付き](昭和九年八月『文學界』)
[#改ページ]
中原中也の「山羊の歌」
中原中也の詩集が、こんど文圃堂から出版されることに決った。何か広告文めいたものでも書けたら書けと彼が言った。言われなくても喜んで推薦の辞を書くのである。
中原はずい分ふるくからの友達で、廿歳前から誰の真似もしないいい詩を書いていたので、もういいかげん詩集も出ていて、有名になっていていい男なのだが、根が怠け者で人づき合いが並みはずれて不器用且つ無気味であったが為に、やっと今日その処女詩集が出るという始末である。やれやれと思って僕は大へん嬉しい。
彼の詩は見事である、というよりも彼の詩心は見事である。現代のように言葉が混乱した時に時代の感覚から逃亡せずに純粋な詩心を失わぬという事は至難な事だ。中原はそれをやっている詩人だ、努めてやっているというより、そうしなければ生きて行けない様に生れついたのでそうやっている。稀有《けう》な光景だと思っている。
近頃、詩の技法の動揺につれて、詩形とか詩の影像とかいうものの革新が叫ばれて、これに関する色々な議論がある様だ。僕はくわしい事を知らぬ。が、今日の小説に関する方法論が、奇怪な悪あがきをやらざるを得ない様な事情が、詩壇の議論にもあるに違いないと思っている。これも沢山読んだわけではないから強く主張はしないが、僕の眼にふれた限り、新しい詩人の書くものには歌というもの、本来の歌の面目というものが非常に薄弱になっている。歌っているのじゃない、書いているのだ。描写しているのだ。心を微妙に心理的に描写する、物を感覚的に絵画的に描写する、そういう描写が微妙になると一見歌の様に見える。又書いている当人も歌っている様な気持ちになる。そういう傾向が可成りあるのではないかと思う。そういう事ではとても堂々たる抒情を盛った短歌や俳句とは戦えまい。現代の日本の詩が西欧の近代詩なしには考えられないものである以上、西欧の近代詩人等がやって来た、心理像と抒情精神との残酷な精妙な戦を思い、僕は、今日の新しい詩人達の問題は自分の歌の息吹きが、今日どういう具合にどういう程度に傷ついているかを鋭敏に自省するところにある様に思う。そういう自省がなければ百千の技法論は空しいのではあるまいか。
ともあれ中原の詩は傷ついた抒情精神というものを大胆率直に歌っているという点で稀有なものである。
汚れちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
中原の詩はいつでもこういう場所から歌われている。彼はどこにも逃げない、理智にも、心理にも、感覚にも。逃げられなく生れついた苦しみがそのまま歌になっている。語法は乱れていて、屡々《しばしば》ぎごちない。併し影像は飽くまでも詩的である、又影像は屡々不純だが飽くまでも生活的である。僕はそういう詩を好むのだ。彼には殆ど審美的な何かが欠けているのではないかと思われるくらい、彼の詩は生ま生ましい生活感情にあふれている。彼は愛情から愛情ある風景を夢みない、悔恨から悔恨の表情を拵《こしら》え上げない。彼はそのままのめり込んで歌い出す。この時彼は言葉の秩序を全く軽蔑しながら、その表現は愛情或は悔恨そのものが元来精妙であるが如き精妙さに達している点、僕は驚嘆している。
まあこんな事をいくら書いたって実物を読まぬ人には通じようがない。嘘だと思ったら詩集を買って読んでごらん。彼が当代稀有の詩人である事がわかるだろう。
[#地付き](昭和十年一月『文學界』)
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死んだ中原
君の詩は自分の死に顔が
わかつて了つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言はれぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうとう最後の灰の塊りを竹箸の先きで積つてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただらう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄《みすぼ》らしい谷間《たにあ》ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊《おんぼう》の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確めるやうな様子であつた
あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉が言へようか
君に取返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた
あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗つて行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば
[#地付き](昭和十二年十二月『文學界』)
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中原の遺稿
中原中也の遺稿は、今僕のところに甚だ乱雑な形で一とまとめにしてある。だが実を言えばこれらの遺稿は既に彼が整理して捨てたものなのである。
死ぬ三週間ほど前、彼は「山羊の歌」以後の詩で詩集に纏《まと》めて遺そうとするものを全部清書し、「在りし日の歌」なる題を付し、目次を作り後記まで書いて僕に託した。彼は田舎に帰る積りでいたのである。来月の中旬気の向いた日にふと立てる様に今から荷物は片付けていると言って僕の処に来る毎に何かしら荷になる様な品物を持って来ていた。田舎にぼんやりしていて違った風な詩が湧いて来る様だったら又詩を書き出す、多分五十位になるまで東京には来まいよと言っていた。
彼は死ぬ前は、もういくら歌っても「在りし日の歌」しか歌えない様な気持ちになっていたらしい。そして「在りし日」にきっぱり別れを告げる決心がだんだんと出来て来ていたらしい。詩集の出版を託された時にも僕はそういう積りであろうと思った。
そういうわけで、彼が自分で撰んだ「在りし日の歌」以外の詩稿は、恐らく彼が発表するに及ばずと認めたものばかりなのである。「文學界」の中原中也追悼号に詩の遺稿を載せるに当って、遺された詩稿の堆積をかき廻し僕はとんと気が乗らなかった。彼の病気がもう少し後に起ったなら、彼はこれらを皆んな焼いて行ったかも知れぬと思うのである。
兎も角その中から四篇撰んだ。慎重に出来不出来なぞ考えている暇もなかったが、詩の出来不出来なぞ元来この詩人には大した意味はない。それほど、詩は彼の生ま身の様なものになっていた。どんな切れっぱしにも彼自身があった。
[#地付き](昭和十二年十二月『文學界』)
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中 原 中 也
先日、中原中也が死んだ。夭折《ようせつ》したが彼は一流の抒情詩人であった。字引き片手に横文字詩集の影響なぞ受けて、詩人面をした馬鹿野郎どもからいろいろな事を言われ乍ら、日本人らしい立派な詩を沢山書いた。事変の騒ぎの中で、世間からも文壇からも顧みられず、何処かで鼠でも死ぬ様に死んだ。時代病や政治病の患者等が充満しているなかで、孤独病を患って死ぬのには、どのくらいの抒情の深さが必要であったか、その見本を一つ掲げて置く。
六月の雨
またひとしきり 午前の雨が
菖蒲《しようぶ》のいろの みどりいろ
眼《まなこ》うるめる 面長《おもなが》き女《ひと》
たちあらはれて 消えてゆく
たちあらはれて 消えてゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠《はたけ》の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる
お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでゐれば 雨が降る
櫺子《れんじ》の外に 雨が降る
[#地付き](昭和十二年十二月『手帖』第十六号)
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中 原 の 詩
中原のいい全集が出ると言う。何か書けと言われて、詩集を読み返す。思い出が群がり起る。中原にも「思ひ出」という詩がある。いろいろ思い出を歌った末、「ぼんやり俯《うつむ》き、案じてゐれば、僕の胸さへ、波を打つのだ」と言ってお終いにしている。尤もな事だ、単純で真実な言葉だ、と私は思う。
中原は、詩人でありながら、言葉による装飾というものを、まるっきり知らなかった。生きて行く意味を感じようと希《ねが》い、その希いだけに圧倒され、圧倒されていろいろな形を取る心を、その都度《つど》率直に写生した。それは、お手本の上に、薄紙を乗せ、お手本の輪郭をなぞる無心な子供の手つきに似ている。不思議な事だ。それが、天賦としか言いようのない彼の詩才であったとは。私の中原の思い出のなかには見付からず、現に、眼の前に、私が、それを見ているとは。
例えば――
夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いてゐる、ねむげな色をして
風が吹くと揺れてゐる、
よわい枝をもつてゐる……
僕は睡らうか……
電線は空を走る
その電線からのやうに遠く蝉は鳴いてゐる
葉は乾いてゐる、
風が吹いてくると揺れてゐる
葉は葉で揺れ、枝としても揺れてゐる
僕は睡らうか……
[#地付き](昭和四十二年『中原中也全集』パンフレット)
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付録 ランボオ詩抄 小林秀雄 訳
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T 韻 文 詩
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酩 酊 船
われ、非情の河より河を下りしが、
船曳《ふなひき》の綱のいざなひ、いつか覚えず。
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等《やつら》を標的《まと》にと引つ捕へ、
彩色《いろ》とりどりに立ち並ぶ、杭《くひ》に赤裸《はだか》に釘付けぬ。
船員も船具も今は何かせん。
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船《わたぶね》よ。
わが船曳等《ふなひきら》の去りてより、騒擾《さわぎ》の声もはやあらず、
流れ流れて思ふまゝ、われは下りき。
怒り高鳴る潮騒《しほさゐ》を、小児等《こどもら》の脳髄ほどにもきゝ判《わ》けず、
われ流浪《さすら》ひしはいつの冬《ひ》か。
纜《ともづな》ときし半島も、この揚々《やうやう》たる混沌を、
忍びしためしはなしと聞く。
嵐来て、わが航海の眼醒めを祝ひてより、
人呼んで、永劫の犠《に》牲|者《へ》の運搬者《はこびて》といふ波の上。
身はコルクの栓よりなほ軽く、跳り狂ひて艫《とも》の灯の、
惚《ほほ》けたる眼を顧みず、われ漂流《ただよ》ひてより幾夜へし。
小児等《こどもら》の噛《かぶ》りつく酸き林檎の果《にく》よりなほ甘く、
緑の海水《みず》は樅材《もみ》の船身《ふないた》に滲み透り、
洗ひしものは安酒の汚点《しみ》、反吐《へど》の汚点《しみ》。
舵は流れぬ、錨も失せぬ。
さて、われらはこの日より、星を注ぎて乳汁色《ちちいろ》の、
海原の詩《うた》に浴しつゝ、緑なす瑠璃を啖《くら》ひ行けば、
こゝ吃水線《きつすい》は恍惚として蒼ぐもり、
折から水死人のたゞ一人、想ひに沈み降《くだ》り行く。
見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、
金紅色《きんこうしよく》の日の下《もと》に、われを忘れし揺蕩《たゆたい》は、
酒精よりもなほ強く、汝《なれ》が立琴《りいる》も歌ひえぬ。
愛執の苦き赤痣《あかあざ》を醸《かも》すなり。
われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、
また寄せ返す波頭《なみ》、走る潮流《みず》、夕送《ゆうべ》れば、
曙光《あけぼの》は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、
時に、この眼の視しものを、他人《ひと》は夢かと惑ふらむ。
不可思議の怖れに染みし落日に、
紫にたなびく凝結赫《こごりかがよ》うて、
沖津波、襞《ひだ》を顫《ふる》はせ揺れ動き、
古代の劇の俳優も、かくやとわれは眺めけり。
まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻《くちづけ》も眼《ま》のあたり。
未聞《みもん》の生気《せいき》はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色《あお》に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。
愚なり、われは幾月もまた幾月も、
ヒステリイの牛舎さながらの大波《たいは》暗礁を襲ふに従ひぬ。
知らず、若しマリヤそのまばゆき御足《みあし》のあらば、
いきだはしき大洋に猿轡《さるぐつわ》かませ給ふを。
船は衝突《あた》りぬ、君知るや、世に不思議なるフロリダ洲。
人間《ひと》の皮膚《はだへ》の豹の眼は、叢《むら》なす花に入り交り、
海路《うみじ》はるかの沖津方《おきつかた》、青緑色の羊群に、
太靱《たづな》の如き虹を掛く。
われは見ぬ、沼々は醗酵し、巨《おおい》なる魚梁《やな》のあるを。
燈心草《とうしんぐさ》は生《おい》茂り、腐爛《ふらん》せるレヴィンヤタンの一|眷族《けんぞく》。
大凪《おおなぎ》のうちに水は崩れ逆《さか》巻きて、
遠方《おちかた》は深淵《ふち》か滝津瀬か。
氷の河に白銀《しろがね》の太陽《ひ》、真珠の波や熾《おき》の空、
褐色《かちいろ》の入江の底深く、目も当てられぬ坐洲《ざす》のさま。
|※[#「虫+牙」、unicode869c]虫《くさむし》に食はれたゞれたる大蛇《おろち》のあまた群がりて、
黒き香をあげ、捩《ね》じ曲る樹々よりどうと墜《お》つるなり。
小児等《こどもら》のあらば見せまほし、
黄金《こがね》の魚《さかな》、歌うたふ魚《さかな》、青海波に浮ぶ鯛、
水泡《みなわ》がくれに花々は、わが漂流を賞《ほ》めそやし、
時に、得も言はれぬ風ありて、われに羽《はね》を貸しぬ。
また、ある時は殉教者、地極《ちきよく》に地帯《ちたい》に飽きはてゝ、
海すゝり泣く声きけば、僅か慰む千鳥足。
黄《き》の吸角《すひだま》ある影の花、海わが方《かた》にかざす時、
われは、膝つく女の如く動かざりき。
わが船舷《ふなべり》をおほひて、半島は金褐色《きんかつしよく》の眼をむきて、
哮《たけ》り、嘲《あざけ》り、海鳥《かいてう》の争ひと糞《くそ》とを打ち振ふ。
せん術《すべ》なくて漂へば、脆弱《もろ》き鎖を横切りて、
また水死者の幾人《いくたり》か、逆様《さかしま》に眠り降《くだ》りゆきぬ。
されど、われ船となりて浦々の乱れし髪に踏み迷ひ
嵐来て鳥棲まぬ気層《そら》に投げられては、
海防艦《もにとる》もハンザの帆《ふ》走|船《ね》も、
水に酔《ゑ》ひたるわが屍《むくろ》、いかで救はむ。
思ふがまゝに煙吹き、菫《すみれ》の色の靄《もや》にのり、
赤壁《あかかべ》の空に穴を穿《うが》てるわれなりき。
詩人|奴《め》が指を銜《くは》へる砂糖菓子、
太陽の瘡《かさ》、青空の鼻汁《はな》を何かせん。
身は狂ほしき板子《いたご》かな。
閃電《ひばな》を散らす衛星《ほし》に染み、黒き海馬《かいば》の供廻《ともまは》り。
それ、革命の七月は、丸太棒《まるたんぼう》の一とたゝき、
燃ゆる漏斗《ろうと》の形せる、紺青の空をぶちのめす。
五十海里の彼方《あなた》にて、ベヘモと巨《う》盤|渦《ず》の交尾する、
怨嗟《えんさ》のうめきに胸《とむね》つき、慄へしわれぞ。
永劫に蒼ざめし嗜眠《ねむり》を紡《つむ》ぐはわれぞ。
あゝ、昔ながらの胸墻《かべ》に拠《よ》る、欧羅巴《ヨーロツパ》を惜しむはわれか。
見ずや、天体の群島を、
島嶼《しまじま》、その錯乱の天を、渡海者《たびびと》に開放《はな》てるを。
そも、この底無しの夜《よ》を、汝《なれ》は眠りて流れしか。
あゝ、金色《こんじき》の鳥の幾百万、当来の生気《せいき》はいづこにありや。
想へば、よくも泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉《ゑぐ》り、
月はむごたらし、陽《ひ》は苦《にが》し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲《うずくま》つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
あゝ波よ、ひとたび汝《なれ》が倦怠に浴しては、
綿船《わたぶね》の水脈《みを》ひく跡を、奪ひもならず、
標旗《はた》の焔の驕慢を、横切《よぎ》りもならず、
船橋《せんけう》の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
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渇 の 喜 劇
T 親
俺達がお前の親なのだ、
お前の爺さん婆さんだ。
お月様と青草の
冷い汗にまみれてさ。
作つた地酒にや脈がうつ。
まつ正直な陽《ひ》を浴びて、
さて、人間に何が要る、飲む事さ。
俺――蛮地の河でくたばりたい。
俺達がお前の親なんだ、
この野つ原の御先祖様だ。
柳の奥には水が湧く、
湿つたお城を取巻いて、
見ろ、お堀の水の流れるのを。
さあ、酒倉に下りてみよう、
林檎酒《シイドル》もある、牛乳もある。
俺――飲むなら牝牛の飲むとこで。
生みの親なら遠慮はいらぬ。
さあ、飲んでくれ、
戸棚の酒はお好み次第、
なんならお茶か珈琲か、
飛切りのやつが湯沸かしで鳴つてらあ。
見たけりや絵もある花もある。
墓所は見納めとするこつた。
俺――いつそ甕《かめ》といふ甕が干したいものさ。
U 精神
永遠の水の精、
なめらかな水をたちわれ。
青空の妹、ヴィナス、
清らかな波を動かせ。
諾威《ノルエイ》のさまよへる猶太《ユダヤ》人、
雪の話をきかせてくれ。
恋しい昔の流刑者よ、
海の話をきかせてくれ。
俺――まつぴらだ、いづれ味のない飲みものさ。
コップに跳る水玉さ。
昔噺や絵姿で、
俺の渇《かわ》きが癒《い》えようか。
小唄作りよ、聞いてくれ、君が名附けの娘こそ、
気狂ひ染みたこの渇き。
親しい七頭陀《イドル》にや口がない、
お蔭で俺は身も世もない。
V 友達
来給へ、酒は海辺を乱れ走り、
幾百万の波の|※[#「ころもへん+責」、unicode8940]《ひだ》。
見給へ、野生の苦味酒《ビテエル》は、
山々の頂を切つておとす。
廻国の君子等、どうだ一つ手に入れては、
アブサンの作る緑の列柱……
俺――ふん、結構な景色《けいしよく》だ、
おい、酔つぱらふとはどういふこつた。
池の藻屑と腐るも同じさ、
どうして、よつぽどましかも知れぬ。
むかつくクリームの下敷で、
朽木がぶよぶよ浮いてるか。
W あはれな想ひ
どこか古風な村に行き、
心静かに飲むとしよう。
といふ具合な夜が待つてゐるかも知れないさ。
さうして愚図らず死ぬとしよう、
我慢は強い方なんだ。
若しも病ひが疼《うづ》いて来なけりや、
いくらか金があつたなら、
『北』にしようか、
『葡萄の国』か。
――やれ、やれ、夢みる柄かなあ。
いやさ、無駄さ、無駄事だ。
いづれはもとの黙阿弥の
旅人姿で帰つて来ても、
緑の旅籠《はたご》がこの俺に、
開いてゐよう筈はない。
X くゝり
牧場にふるへる鳩たちも、
夜が来るまで追ひまはされる鳥も獣も、
水に棲んでる生き物も、人に飼はれた生き物も、
それから秋の蝶々も……みんな喉は渇いてゐるのだ。
よし、当てどない浮雲の、とろける処でとろけよう。
――あゝ、爽やかな、爽やかなものの手よ。
露しいた菫のなかでこと切れよう。
明け方が、菫の色に野も山も、染めてくれぬと限るまい。
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堪  忍
ある夏
鹿を追ひ詰めた猟人《かりうど》の
病み耄《ほほ》けた合図の声は、
菩提樹の朗かな枝に消え、
霊《こころ》の歌は隈もなく
すぐりの実をひるがへす。
脈管の血よ、笑ふがいゝ、
山葡萄は蔓を交へて立ちはだかる。
空は天使の容姿に霽《は》れ渡り、
『紺碧』は『潮』と流れ合ふ。
俺は行く。光がこの身を破るなら、
青苔《あおごけ》を藉《し》いて死ぬもよい。
堪忍《かんにん》もした、退屈もした、
想へば何んとたわいもない、
糞いまいましい気苦労だ。
芝居がかつたこの夏の
運命の車に縛られて
あゝ、『自然』、どうぞお前の手にかゝり、
ちつたあましに賑やかに、死にたいものだ。
見たところ、羊飼奴らまでが、
浮世の故にくたばるとは、
珍妙なことぢやないか。
『季節』がこの身を使ひ果してはくれまいか。
『自然』よ、この身はお前に返す、
俺の|かつゑ《ヽヽヽ》も|ひもじさ《ヽヽヽヽ》も。
気が向いたなら食はしてやつてくれ、飲ましてやつてくれ。
何一つ俺を誑《たぶら》かすものはない、
御先祖様やお日様には
お笑草かもしれないが、
俺は何にも笑ふまい、
あゝこの不幸には屈託がないやうに。
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U 散 文 詩
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飾  画
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大洪水後/少年時/小話/道化/古代/Being Beauteous/生活/出発/王権/或る理性に/酩酊の午前/断章/労働者/橋/街/轍/街々/放浪者/街々/眠られぬ夜/神秘/夜明け/花々/平凡な夜曲/海景/冬の祭/煩悶/メトロポリタン/野蛮人/見切物/Fairy/戦/青年時/岬/場面/歴史の墓方/ボトム/H/運動/献身/デモクラシイ/天才
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大洪水後
『大洪水』の記憶も漸く落ち著いた頃、
一匹の兎が、岩あふぎとゆらめくつりがね草との中に足を停め、蜘蛛の網を透かして、虹の橋にお祈りをあげた。
あゝ、人目を避けた数々の宝石、――はや眼ある様々の花。
不潔な大道には肉屋の店々がそゝり立ち、人々は、とりどりな版画の面をみる様な、遥か高く、けぢめを附けて重なつた海を指して、めいめいの小舟を曳いたのだ。
『青鬚』の家では、血が流れた、――屠殺場にも、――曲馬場にも。窓はみな『神』の印璽《いんじ》に蒼ざめた。血と牛乳とが流れた。
胡散《うさん》な奴等が、家を建てた。「冷し珈琲」常連が、珈琲店で、煙草をふかした。
未だきらきらした硝子張りの大邸宅で、子供等は、喪服をまとひ不可思議な影を見詰めてゐた。
戸口が音をたてた、と、部落の広場で、子供は、沛然《はいぜん》たる驟雨の下で、四方の風見や鐘楼《しようろう》の※[#「奚+隹」、unicode96de]と一緒に、腕を振つた。
××夫人は、アルプス山中にピアノを据ゑた。寺院の幾拾万の祭壇で、彌撒《ミサ》や最初の聖体拝受が行はれた。
隊商等は旅立つた。そして、極地の氷と夜との混乱の裡に、『壮麗旅館』は建てられた。
以来、『月』は百里香の匂ふ沙漠に、金狼の鳴く声を聞いた、――また、果樹園で、見すぼらしい牧歌がこぼすのも。やがて菫色の大樹林に芽は萌《も》えて、ユーカリの樹が、俺に春だと告げた。
池よ、湧き出せ、――橋の上に、森の上に、泡立ち、逆巻け。――黒い敷布もオルガンも、――稲妻も雷も、――さあ立ち直つて鳴り出すんだ。――水よ、悲しみよ、又、『大洪水』を盛り上げてくれ。
と言ふのも、洪水も引いて了つてからは、――あゝ、隠れた宝石、ひらいた花、――これはもう退屈といふものだ。そして『女王』は、土の壺に燠《おき》かき立てる『魔法使ひ』は、自分は知つてるが俺達にはわからないお話を、どうしたつて聞かせたくはないだらう。
少年時
T
この偶像、眼は黒く、髪は黄に、親もなく、諂《へつら》ふ人もなく、物語よりも気高く、メキシコとフラマンの混血児、その住む処は、思ひ上つた紺碧の空、緑の野辺、船も通はぬ波濤を越えて、猛々しくも、ギリシア、スラヴ、ケルトの名をもつて呼ばれた浜辺から浜辺に亙《わた》る。
森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をもつた少女は、草原を溢れ流れる澄んだ泉の中に膝を組み、裸身を暈《くま》どり遮《さへぎ》り包む虹の橋、花と海。
海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人、小娘や大女、緑青の苔の中には、見事な黒人の女、草繁る雪解けの小園の粘土の上に、直立する宝石の装身具、――巡礼の想ひに溢れた眼の、年若の母と大きな娘、トルコの后《きさき》、傍若無人《ばうじやくぶじん》に著飾つて闊歩《かつぽ》する王女、背の低い異国の女、優しく不幸な女たち。
あゝ、懶惰《らんだ》、「親しい肉体」と「親しい心」の時よ。
U
薔薇の木立の蔭にかくれて、死んだ娘は、彼女《あのこ》だ。――年若くて身罷《みまか》つた母親が石階を降る。――従兄の乗つた幌無し四輪馬車は砂地を軋る。――弟は(印度に住んでゐる)彼地、石竹《せきちく》の花開く草原に、夕陽を浴びる。――丁字の香の漂ふ砦に、立ち乍らに埋められた老人達。
黄金の木の葉の群れは、将軍の家を取り巻く。家人は南方にゐる。――赤い街道を辿れば、空家になつた宿屋がある。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。――教会の鍵は、牧師が持ってつて了つてるだらう。――公園の周りの番小屋には、人が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。
草原を登り詰めれば、※[#「奚+隹」、unicode96de]も鳴かず、鉄砧《かなしき》の音も聞えぬ村落。閘門《かふもん》は揚げられた。あゝ、十字架の立ち並ぶ岡と沙漠の風車、島々と風車の挽臼《ひきうす》。
魔法の花々は呟《つぶや》いた。勾配が静かに宥《なだ》めた。物語の様に典雅な動物が輪を作つた。熱い涙の永遠の創り出した沖合に、雲はむらがり重なつた。
V
森に一羽の鳥がゐて、その歌が、あなたの足を止め、あなたの顔を赤くする。
時を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱へた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖。
輪伐林の中に、棄てられた小さな車、リボンを飾つて、小径をかけ下る車がある。
森の裾を貫く街道には、衣裳をつけた役者の一団がみえる。
扨て、最後には、餓ゑ渇《かつ》ゑた時に、あなたを追ひ立てるものがある。
W
俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも、草を食つて行く平和な動物の様だ。
俺は暗鬱な長椅子に靠《もた》れた学究、小枝と雨が書斎の硝子窓を打つ。
俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵《かかと》を覆ふ。夕陽の金の物悲しい洗浄を、いつまでも俺は眺めてゐる。
まことに、俺は、沖合を遥かに延びた突堤の上に棄てられた少年。行く手は空にうちつゞく、道を辿つて行く小僧。
辿る小道は起伏して、丘陵を、えにしだは覆ひ、大気は動かず。あゝ、はや遠い、小鳥の歌、泉の声。行き著くところは世の果てか。
X
終に人は、漆喰《しつくい》の条目の浮き上つた、石灰の様に真つ白なこの墓を、俺に貸してくれるのだ、――地の下の遥か彼方に。
俺は机に肘をつき、ランプは、新聞や雑誌を、あかあかと照してゐる。俺は、痴呆の様に、又とりあげて読むのだが、凡そ読みものには興がない。
俺の地下室の上、遥かに遠く、人々の家が並び立ち、霧は立ちこめ、泥は赤く或は黒く、化物の街、果しない夜。
やゝ低く、地下の下水道、四側は地球の厚みだけだ。藍色の淵或は火の井戸かも知れぬ、月と彗星、海の物語のめぐり会ふのもこの平面かもしれぬ。
懊悩の時の来る毎に、この身を、青玉《サフアイヤ》の球、金属の球と想ひなす。俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、見た処換気孔の様な一つの姿が、蒼ざめるのは何故か。
小話
或る『王子』が、かへりみれば、たゞたゞ何んの奇もない贅沢三昧《ぜいたくざんまい》に、日を暮して来た事を思つてむかむかした。彼は恋愛の驚く可き革命を予見してゐた、妻妾達には、お天気と装飾とに甘やかされた喜び以上のものは一体が無理ではないのかと考へてゐた。彼には真実が欲しかつた、ほんたうの願望と満足とが得たかつた。たとへ、これが信心の迷ひ事であつたにしろ、なかつたにしろ、兎も角彼は願つたのだ。少くとも、彼は充分に人間の力は持つてゐた。
彼を知つた女達は、すべて殺された。美の園の、何といふ掠奪だ。劍の下で、女等は彼を讃へた。それ以来、新しい女を命じなかつた。――が、女達は又現れた。
狩や、飲酒の後、彼は従ふものをすべて殺した。――だが、皆彼のあとを追つた。
高価な動物の喉を割つて楽しんだ。宮殿を焼いた。人々の頭上に跳りかゝつて、彼等を寸断した。――だが、群集も金色の屋根も美しい動物も、やつぱりなくならなかつた。
破壊の裡に酔ふ事が出来るのか、残虐によつて青春を取戻す事が出来るのか。誰一人文句を言ふものもない、誰一人同意を称へるものもないのだ。
ある夕方、彼は昂然として馬を駆つた。と、何とも言ひ様のない、いや、言ふも切ない程麗しい一人の『天才』が姿を現した。その面から、姿から、何とも定め難い、いや、支へ兼ねる程の幸福の、幾重にも錯雑した恋愛の約束が放たれた。『王子』と『天才』とは、恐らくは真の健康の裡に、互に刺違へた。この時、どうして生きながらへる事が出来ただらう。二人は一緒に死んで行つた。
だが、この『王子』は、その宮殿で、尋常の齢、天寿に由つて身罷《みまか》つた。『王子』は『天才』であつた。『天才』は『王子』であつた。
優れた音楽が、われわれの慾望には欠けてゐる。
道化
梃子《てこ》でも動かぬ道化もの。或るものは君達の世間を食ひものにして来た。彼等はその華々しい才能を、君達の心を験《ため》しては掴んだものを、あわてて活用しようとも思はない。そんな望みも持つてはゐない。なんと見上げた、大人ぢやないか。濁つた眼は、夏の夜にさながらの、赤に黒に三色に、又、金色の星に刺された鋼鉄にも似て、顔附きはくづれ、鉛色に、蒼ざめ、火と燃えて、巫山戯《ふざけ》たしやがれ声、擬《まが》ひ金襴のむごたらしい動き。――なにか年端《としは》もゆかぬ少年もゐるが、――天使《ケルビム》をどんな眼つきで眺めるか、――凄味な声も、怪しげなても心得てゐる。厭味な贅沢《ヽヽ》で、面白をかしく著飾つて、街中に追はれては、女に酒にと窶《やつ》れるのだ。
あゝ、兇暴な、激怒した渋面の『天国』か。君等が承知のファキルとか舞台の道化と較べようとはとんでもない。あり合はせの衣裳を纏ひ、悪夢の名残りを漂はせ、敬虔《けいけん》な半神やマランドランの哀歌や悲劇を、まるで歴史にも宗教にも無かつたものの様に、演じて見せる。支那人、ホッテントット、ジプシイや、白痴、人鬼、モロックの神、古風な物狂ひ、不吉のデモンを呼び集め、世間並みの、女親めいたやり方に獣の動作や愛情を織りまぜる。娘つ子の好きな小歌でも、新譜でも、見事にやつてくれるのだ。この手品の巨匠等は、処も人も変形して、磁性の喜劇を使ひ果す。眼は燃え、血は歌ひ、骨はふくれ、涙と赤い神経の網は晃《きら》めく。その嘲弄と恐怖とは、一瞬と思へば、又、幾月も幾月もうち続く。
この野性の道化の鍵は、唯、俺一人が握つてゐる。
古代
優しい『牧神《バーン》』の子。花々と漿果とに飾られたお前の額をめぐり、高価な球、お前の双眼はゆらめく。浅黒い酒糟の染みついた頬は窪をつくり、牙は光り、胸は六絃琴に似て、金属の音はブロンドの腕を流れ、両性の棲《す》む腹に、心臓は鼓動する。夜が来たら、さまよふがいゝ、物静かに、この股を、あの股を、左の脛《はぎ》を、動かして。
Being Beauteous
雪を前にして、丈高い、『美しい人』。死人の喘《あへ》ぎと鈍い楽の音の輪につれて、この尊い身体は、魔物の様に、拡り、慄へて、昇つて行く。黒く、深紅の傷口は、見事な肉と肉との間に顕《あら》はれる。――生命あるものだけが持つとりどりの色は、深く濃く、舞を舞ひ、台上に、『夢』をめぐつて、眼の追ふ方に放たれる。戦慄は立ち昇り、唸りを上げて、これらの効果に狂ひたつた味ひは、俺達の遥か背後から、俺達の美しい母親めがけてこの世が投げる、死人の喘ぎと嗄《しやが》れた楽の音に充たされる、――彼女は、あとに退つて、屹立《きつりつ》する。あゝ、俺達の骨は、恋しい新しい肉の衣をきた。
★ ★ ★
あゝ、灰色の顔、楯形の毛、水晶の腕。樹立と微風と交り合ふなかを掻い潜り、俺が、躍りかからねばならぬ大砲だ。
生活
T
あゝ、聖地の大道、寺院のテラス。嘗て、様々な『箴言《しんげん》』を明してくれた婆羅門《ばらもん》の僧はどうして了つたか。以来、今も猶《なほ》、俺の眼には、かの地のこと、その昔の老女等の姿さへ映るのだ。俺は思ひ起す、大河に懸つた月と日の下ですごした時を、肩に置かれた友の手を、ひりつき疼《うづ》く平原に立竦《たちすく》んだ俺達の愛撫を。――一群れの深紅の鳩は飛び立つて、俺の想ひを囲んで鳴り渡る。――こゝに、流竄の身となつて、俺はあらゆる文学の劇的傑作の演ずる一幕をわがものとした。君達に未聞の富をみせようか。俺には、君達の見附けた様々な宝の歴史が解つてゐる、次に来るものも見えてゐる。人は混沌をさげすむ様に、俺の叡智をさげすむのだ。君達を待つ昏睡に比べては、俺の虚無とはそも何か。
U
俺は、すべての先人達に比べては、凡そ筋違ひに貢献した一発明者だ。愛の鍵とでもいふ様な或るものを発見した音楽家だと言つてもいゝ。今は、つましい空をいたゞく瘠野の旦那と成り、物乞ひ歩いた少年時、木靴を履いて丁稚《でつち》奉公に来た事や、いろいろな諍《いさか》ひ、五度六度の鰥《やもめ》ぐらし、頑丈な頭の御蔭で、どうしても仲間並みの調子が出せなかつた結婚式のことなど、あれこれと想ひ起しては、心を動かさうと努めてもみる。俺のきよらかな快活の、過ぎた日の端くれを惜むまい。この瘠野のつましい風は、如何にも生き生きと、俺の兇暴な懐疑を養つてくれる。だが、はや、この懐疑をどうかうといふ事もかなはぬのなら、尚又、新たな懊悩に献げたこの身であつてみれば、――たゞたゞ意地の悪い狂人となるのを待つばかりだ。
V
俺は十二の時、閉ぢこめられた屋根裏の部屋で、世間を知つた、人間喜劇を図解した。酒倉で歴史を覚えた。『北国』の街の、ある夜の祭では、昔の絵にある、あらゆる女性に邂逅した。パリのとある古い通りで、人々が、古典の造詣を傾けてくれた。俺は、東洋全土をめぐらした、壮麗な住居で、自分の大業を完成して、赫々《かくかく》とした隠遁を過した。俺は、俺の血液を攪拌し、再び、務めはこの手に戻つた。これに就いては、夢みる事すら許されぬ。墓場の向うから来たこの俺に、なんの任務があるものか。
出発
見飽きた。夢は、どんな風《かぜ》にでも在る。
持ち飽きた。明けても暮れても、いつみても、街々の喧噪だ。
知り飽きた。差押へをくらつた命。――あゝ、『たは言』と『まぼろし』の群れ。
出発だ、新しい情と響とへ。
王権
ある美しい朝、如何にも優しげな人々の間にたち交つて、見事な男女が、広場で叫んでゐた、「皆さん、私は彼女《これ》を女王にしたいのだ」「妾は女王様になりたい」。女は笑い、身を顫《ふる》はした。男は黙示に就いて、既に了つた試練に就いて、人々に語つた。二人は抱き合つて気が遠くなつた。
ほんたうだつた、家々には、紅色の布が張りわたされ、二人は午前も王様だつた。棕櫚《しゆろ》の園を進む時、午後も二人は王様だつた。
或る理性に
お前の指先きが太鼓を一弾きすれば、音といふ音が放たれ、新しい諧調は始まる。
お前が一足すれば、新しい人々は蹶起《けつき》し、前進する。
頭を廻らせば、新しい愛だ、頭を復せば、――新しい愛だ。
「俺達の運勢を変へてくれ、俺達の災難を篩《ふる》つてくれ、先づ時間といふ奴をどうにかするんだ」、と子供等がお前に歌ふのだ。「俺達の運と望みとの中味を、何処でもかまはぬ、育ててくれ」、人々はお前にたのんでゐる。
お前は幾時でもやつて来て、何処へでも行くだらう。
酩酊の午前
あゝ、|俺の《ヽヽ》『善』、|俺の《ヽヽ》『美』。兇暴な軍楽の裡に、俺は決してよろめくまい。幻の台だ、さあ歓呼して迎へよう、先づ、未聞の事業と素晴しい肉体とを。これは子供達の笑ひで始まつたが、又、彼等の笑ひで終るだらう。軍楽が転調し、俺達が古代の不協和音に還る時が来ようとも、この毒は、俺達の血管の隅々までも残るだらう。あゝ、今こそ、かういふ苛責《かしやく》が、如何にもふさはしい俺達だ、俺達は熱狂して集めよう、創られたこの肉体と魂とに当てがはれた超人の約束を、この約束とこの痴酔とを、優雅と科学と暴力とを。俺達の最も清らかな愛をもたらす為に、善悪の樹を影の裡に埋葬し、暴虐な誠実を流刑にする事を、俺達は約束された。この仕事は、どうやら厭々ながら始まつたが、その終りは、――俺達に、この永遠を直ちに捕へる事が出来ぬとあれば、――それは芳香の潰乱の裡に終るのだ。
子供等の笑ひ声、奴隷共の慎み、乙女等の厳めしさ、此処に横はる様々な顔、様々な物象の醜怪、君達はこの夜を徹した思ひ出によつて神聖なものとなれ。あらゆる粗暴の裡に始まつたが、今、焔と氷との天使等となつて終るのだ。
酔ひ痴《し》れ明かしたさゝやかな夜よ、それが、どうやら、たゞお前が俺達に呉れた仮面の為のものだつたとしても、神聖な夜なのだ。方法よ、お前は正しい。俺達は、昨日、お前が俺達年頃の人々をあがめた事を忘れまい。俺達は毒薬を信じてゐる。いつの日にもこの命を洗ひざらひ投げ出す事を知つてゐる。
今こそ、『刺客達』の時である。
断章
この世が、俺達の見開いた四つの眼にとつて、たつた一つの黒い森となる時に、――二人のおとなしい子供にとつて、一つの浜辺となる時に、――俺達の朗かな交感にとつて、一つの音楽の家となる時に、――俺は、あなたを見附けるだらう。
「未聞の栄耀」に取巻かれ、静かな、美しい老人だけが、たつた一人、この下界に棲んでゐてくれたら。――俺はあなたの膝下にある。
あゝ、俺が、あなたのすべての思ひ出を実現した身ならば、――あなたを絞め殺す術を心得た女ならば、――俺はあなたを圧し殺さう。
★ ★ ★
俺達が、うんと強ければ、――尻込みする奴があるものか。うんと陽気なら、どぢを踏む奴があるものか。俺達が、うんと狡猾なら、――手出しをする奴があるものか。
おめかししろ、踊れ、笑へ。――俺には、『愛』を窓から、うつちやる事は出来まいよ。
★ ★ ★
――女乞食、子供の化物よ、お前は俺のお仲間だ。可哀想な女達も、人足共も、さてはこの俺の当惑も、お前にしてみりや、どつちだつていゝこつた。望みのないお前の声を張りあげて、俺達にすがり附いてゐるがいゝ、この性の悪い絶望の御機嫌を取つてくれるのは、お前の声ばかりだ。
★ ★ ★
七月、或る曇り日の午前。屍灰の臭ひは空を翔《か》け、――竈《かまど》に汗する木の臭ひ、――水漬けの花々、――散歩場の混雑、――野を貫く掘割の霧雨、――玩具と香とは何故もうないのか。
★ ★ ★
綱を鐘塔から鐘塔へ、花飾りを窓から窓へ、金の鎖を星から星へと張り渡し、俺は踊る。
★ ★ ★
深い池は、絶え間なく蒸発する。白い西空を負つて、どんな魔女が身を擡《もた》げようとするのだらう。どんな菫色の樹の葉のむらがりが降りて来ようとするだらう。
★ ★ ★
公衆の作る遠景が、友愛の祭となつて、流れて行く時、雲間には薔薇色の火の鐘が鳴る。
★ ★ ★
支那墨の心地よい匂ひをかき立てて、眠られぬ俺の夜を、黒色の粉末が、もの静かに降つて来る。――俺は釣燭台の芯を細くし、床の上に身を投げ出す、そして影の方に捩《ね》ぢ向くと、俺には君達の姿が見える。俺の娘達、女王達。
労働者
生暖い二月の午前の事だつけ。季節はづれの『南風《みなみ》』が吹いて、俺達貧乏人の愚かしい思ひ出が、俺達の若い頃の惨めさが、又かき立てられたんだ。
アンリカは、一昔前にはやつたらしい、茶と白との市松の、木綿の袴をつけてゐた。絹の襟巻、リボンのついたボンネット。喪服をつけたよりいつそ悲し気な様子であつた。俺達は郊外を一廻りした。雲は空をつゝんでゐた。荒れ果てた小さな畠や乾枯びた牧場の、忌まはしい臭ひを『南風《みなみ》』が煽つた。
さうして女も疲れたが、俺程疲れたとは思はれない。小高く細い路の上の、先月の出水の残つた岩の間に、あんな小つちやなお魚がゐると、女は俺に教へて呉れたつけ。
街は生業の音と煙と一緒になつて、道々、遠くの方から俺達をつけて来た。あゝ、別世界、空と樹蔭に恵まれた住家。『南風《みなみ》』が吹いて俺の心に甦《よみがへ》つたものは、幼い頃の痛ましい数々の出来事だつた、夏の日の絶望だつた。世の定めが、俺には一度も許しては呉れなかつた、あの途轍もなく嵩《かさ》張つた力と科学とであつた。いや、いや、俺達が、所詮、許嫁のみなし児なら、この貪慾《どんよく》な土地で、夏は過すまい。この強ばつた腕が、もうこの上、|恋しい面ざし《ヽヽヽヽヽヽ》を、曳き摺つて行かうとは希ふまい。
硝子の灰色の空。いくつかの橋の奇態なデッサン、手前のやつは真直に、向うのやつは背をまるくし、それに他のが、斜に、角《かく》を作つて降りて来る。これらの象《かたち》は、運河に照し出された又別の円周の裡につぎつぎに姿を現し、すべては、眼路はるか、長くかすかに棚曳いて、円屋根を負つた岸々が、次第に低く、小さくなつて行く。或る橋は、まだ家々の残骸を載せてゐる。或るものは、帆柱や信号柱や弱々しい欄干《らんかん》を支へてゐる。様々の短調和絃は錯交して、静かに流れ、様々な調は、堤防から立ち登る。赤い背広がはつきり見える。まだ色んな衣裳やら、楽器やら。一体、これは流行歌なのか、歴とした演奏の端くれか、民衆讃歌の残物か。水は灰色、蒼然として、入江の様に広い。
白い光線が、中空から落ちて、この喜劇を消した。
すべて人に知られた好尚は、家の形に、室内の家具に、さては街のプランのなかにまで、すつかり姿をひそめたし、このむき出しの近代首府の市民として、この俺が、どうせ束の間の命だ、大した不平家である筈もない。此処では、迷信の墓碑の跡形を、君達はたつた一つも見せてはくれまい。道徳も言葉も、たうとう、ほんの単純な表現に還元されて了つた。自分を識らうとする要求を持たぬ、この幾百万の人々は、すべて一列一体、教育を、職業を、老齢を曳いて行く。これでは人の生涯は、ある気違ひ染みた統計が、大陸の人々に就いてしらべた処より、幾層倍も短いものに違ひない。扨て、俺は窓越しに眺め入る、石炭の、分厚な、はてしない煙を透して揺れ動く、新しい亡霊の群れ、――俺達の森の影、俺達の夏の夜。――俺の祖国でもあり俺の心でもある俺の小屋の前に、新しいエリニイの群れ、これらは凡て、此の土地では、――俺達のまめやかな娘でもあり、下婢でもある、涙を知らぬ『死』に、絶望した『愛』に、或は、街路の泥の中で、しのび鳴く可愛らしい『罪』に似てゐる。
右手に、夏の曙は、この公園の片隅の木の葉や靄《もや》や物音を目覚まし、左手の斜面は、菫色の影の裡に、湿つた道路の上に、数知れぬ急勾配の轍《わだち》をみせてゐる。魔法の国の行列か。違ひない。どの車も金泥の木造りの動物を満載し、旗竿をかゝげ、色とりどりの幕を張り、幾頭もの曲馬のまだら馬、逸散《いつさん》に駆けるにつれ、子供も大人も、皆とんでもない動物の背にまたがり、――物語の車か、昔の四輪車か、打続く乗物は、索をわたし、花を積んで、旗を飾り立て、町はづれの野芝居にでも出掛けるかと、こてこて著飾つた子供の群れで溢れてゐる。――漆黒の羽飾りを立てた、闇の天蓋に被はれて、棺桶までが幾つも幾つも、蒼く黒い大きな牝馬の駆けるにつれて繰り出して来る。
街々
街々。夢に見るあのアレガニイ、リバンの山々に足場を組まれた民衆。玻璃《はり》と木の山荘は、眼に見えぬ軌道と滑車の上を動いて行く。巨像とあかゞねの棕櫚《しゆろ》の木の帯しめた古い噴火口は火の中に朗かに哮《うな》り、恋の祭は、山荘の背後に懸《かか》つた水路の上に声あげて、打続く鐘の音は峡道に叫び、見上げる様な歌ひ手等の集団は、眩《まば》ゆい様な緋色の旗を持ち、とりどりの衣裳を著て、峯々をわたる光の様に走つて行く。逆巻く渦のたゞ中に、物見台をしつらへて、剛勇を歌ふロオランの仲間。深潭《しんたん》と旅館の屋根屋根とをわたる歩橋の上に、空は|※[#「啗のつくり+炎」、unicode71c4]々《えんえん》として旗竿を飾る。讃歌の流れは昇り行き、高く、天使にも似た女性のサントオルが、雪崩《なだれ》の裡に機動する辺りに溶け込む。遥かに聳《そび》えた山々の頂を区切つてその上は、オルフェオンの舟々を浮べ、高貴の真珠、法螺貝のざわめきを孕《はら》み、『ヴィナス』の永遠の誕生に波立つ海だ、――海には、幾度か、命も消え入る許りの光が放たれては、暗い影がさす。山の斜面に、俺達の武器、俺達の盃の様に巨きな花々の収穫が唸る。『マブ』の行列は猫眼石の様に光る焦茶の衣を纏つて、谷間を登る。彼方、滝水と木苺を踏んで、牡鹿等は、『ダイアナ』の乳房をふくむ。『バッカスを祭る女等』は、町はづれに啜《すすり》泣き、焼けたゞれた月の遠吠え。ヴィナスの這入るのは、鍛冶屋の洞か、隠者のか。鐘楼の群れは、人々の想ひを歌ひ、骨で築いた城からは、聞いた事もない楽の音が洩れる。伝説は悉《ことごと》く動き出し、麋《おほしか》は町々に飛びかふ。嵐の楽園はくつがへり、野人等は夜の祭を踊りぬく。そして、ある時、バクダッドの大通りの雑沓に、俺は降つて来たのだが、人々は其処此処に寄り合つて、山々の物語に出る亡霊を逃れる術もわきまへず、重々しい軟風の下を往き来して、新しい仕事の歓びを歌つてゐた。俺は、又、山に帰らねばならなかつた。
一体、どんな見事な腕の御蔭で、どんな美しい時がきて、俺の眠りと僅かな身じろぎを伝へるこの国が、俺の手に戻るのだらうか。
放浪者
不憫《ふびん》な兄貴だ。奴の御蔭で、何とやり切れない、眠られぬ夜々を過したことか。「この目論《もくろみ》に、俺は心底打ちこんでゐたのではなかつた。俺は、意気地のない兄貴を瞞《だま》してゐた。俺の了見違ひで、二人が流浪の身に、奴隷の身に、成り果てようといふのか」。兄貴は、俺のことを、世にも不思議な、不運な男、無邪気な男と極め附ける、その上、色々と、落ち著かぬ理窟をならべる。
俺は、このつむじ曲りな先生を冷やかしては言ひ返し、挙句は、窓の方へ行つて了ふ。俺は、稀代の音楽を奏する楽隊の通る野原の彼方に、未来の夜の栄華の亡霊どもを創つてゐた。
この取り止めのない衛生的な気晴らしの後、俺は、藁蒲団の上に横になつた。かうして、殆ど毎夜の事だ、まどろんだかと思ふと、あはれな兄貴は起き上り、腐つた口、むき出した眼、――たしかに夢を見てゐたのだ、――俺を居間に引張つて行つて、痴呆の様な苦しい想ひを喚き立てた。
実際、俺は、心からの誠をもつて、『太陽』の子の本然の姿に、兄貴を返してやらうと請合つた、――そして、二人は、間道に酒をのみ、街道にビスケットを齧《かじ》り、俺は、場所と定式とを求めようとあせり乍ら、さまよつたのだ。
街々
近代の途方もない野蛮、と言つてもまだ言ひ足らぬ、堂々としたアクロポオル。動かぬ灰色の空をいたゞく曇り日の陽影、諸建築の皇帝的光彩、又、地にしく永遠の雪、これは一体どう言つたらいゝものか。古典建築のあらゆる壮麗を、また奇態に大がかりな好みで、再現してくれたものだ。俺は、ハンプトン宮の幾層倍もある様な会場で、絵画の陳列を眺めてゐる。驚いた画である。諾威人《ノルウエイ》で而もナプコドノゾル王族の一人といふ男が、各省の階段を築かせたものに相違ない。眼につく属官共でさへ、××共よりは遥かに忠実忠実《まめまめ》しい、俺は、巨像の番人や建物の警吏等の顔に顫へ上つた。四角な建物の集団からも、中庭と囲ひある露台からも、馭者《ぎよしや》共は追ひ払はれてゐる。公園は皆、すばらしい技術の手に成つた素朴を現し、高台の一郭には、其処此処に、何とも見当のつかぬ場所が見える。入江は、いかめしい燈柱の立ち並んだ波止場の間に、船も浮べず、蒼然とした霙《みぞれ》の水面を展《の》べている。短い橋は『聖堂』の円天井の真下の暗道につながる。この円蓋の骨は、精緻な鋼鉄で組まれ、径ほゞ一万五千尺に及ぶ。
銅の歩橋、物見台、会堂と列柱を取巻く階段、これら二三の状態からでも、俺はこの街の厚さが見当がついたと信ずる。俺には了解し難い奇蹟だ。アクロポオルの上下にある町々は、一体どういふ水準にあるのか。われわれ現代異邦人の認識の限りではない。商業区は、迫持《アーケード》の廻廊ある、単一な様式の円形区劃《サーカス》だ。店は見えない。たゞ、道路の雪は踏みしだかれ、金持らしいのが、ロンドンの日曜の朝の散歩者の様にちらほらと、ダイヤモンドの乗合馬車の方へ歩いてゆく。赤い天鵞絨《ビロード》を張つた長椅子が二つ三つ。極地の飲料の用意がある。値段は、八百から八千ルウピイまで色々ある。この円形区劃《サーカス》の中に、劇場でも捜して見ようと思つたが、店々のなかはそれぞれ陰鬱なお芝居に相違あるまい、と思ひ直した。警察があるだらうと考へてみたが、それこそ見ず知らずの法律だらうし、この国の冒険家に就いて想像してみる事も断念した。
街の郊外は、パリの美しい通りの様に典雅で、きらめく風に庇護されて、人口数百。人家はまばらに、郊外のはるか原野に、怪しげに消え入る辺りは、『伯爵領《コンテ》』につらなり、蒙昧《もうまい》の貴人等が、人の創つた光の下に、その年代記を狩る途方もない森林と農場との、永遠の西を占めてゐる。
眠られぬ夜
T
明るい休息だ、熱もなく、疲れもなく、寝台の上に、草原の上に。
友は、烈しくもなく、弱くもなく。友よ。
愛人は苦しめもせず、苦しめられもせず。愛人よ。
尋ね歩く仔細もない空気とこの世と。生活。
――では、やつぱりこれだつたのか。
――夢は清々しくなる。
U
照明が、再び大建築の心棒に立ち還る。客間の両端は、任意の装飾へ結び、諧調ある様々な正面図に溶けこむ。眠られぬ男の前にした壁は、絵様帯《フリーズ》の断面や、気象の帯や、地質学的諸偶然の心理的連続だ。――あらゆる面貌を備へ、あらゆる性格を持つた、様々な存在を孕む群れなす感情の、烈しく速やかな夢。
V
眠られぬ夜のランプと敷物は、夜半、船体に添ひ、下等船室をめぐつて、波の音を作り出す。
眠られぬ夜の海は、アメリイの乳房の様だ。
壁紙は、中程まで、碧玉《エメラルド》の色に染められた薄紗の輪伐樹林、眠られぬ夜に群れなす雉鳩が、林をめがけて身を躍らす。
………………………………………………………
黒々と炉の板金、幾つもの砂浜に、それぞれまことの太陽が昇り、あゝ、そここゝに幻術の穴。と、思へば曙の眺めが唯一つ。
神秘
斜面の勾配、鋼と碧玉《エメラルド》との草叢《くさむら》に、天使等は羊毛の衣をひるがへす。
燃え上る草原は円丘の頂まで躍り上る。左手に背をつくる肥料土は、殺人と戦《いくさ》とに踏みならされ、不吉なもの音の繰り出す曲線。右手の山の背の背後には、曙と進歩の直線。
そして、海の法螺貝と人間の夜とが跳り廻る不穏なもの音で、画面の上の方には、一つの地帯が出来上るのだが、
星や、空や、その他のもので飾られた優しさが、斜面をまともに、――俺達の顔の真向ひに、花籠の様に降りて来て、下の方には花さく蒼い淵をこしらへる。
夜明け
俺は夏の夜明けを抱いた。
館の前には、まだ何一つ身じろぎするものはなかつた。水は死んでゐた。其処此処に屯《たむろ》した影は、森の径を離れてはゐなかつた。俺は歩いた、ほの暖く、瑞々《みずみず》しい息吹きを目覚まし乍ら。群れなす宝石の眼は開き、鳥達は、音もなく舞ひ上つた。
最初、俺に絡んだ出来事は、もう爽やかな蒼白い光の満ちた小径で、一輪の花が、その名を俺に告げた事だつた。
俺は、樅の林を透かして髪を振り乱すブロンド色の滝に笑ひ掛け、銀色の山の頂に女神の姿を認めた。
そこで、俺は|面※[#「巾+白」、unicode5e15]《かづき》を一枚一枚とはいで行つた。両手を振つて道をぬけ、野原をすぎて、彼女の事を※[#「奚+隹」、unicode96de]にいひつけてやつた。街へ出ると、彼女は、鐘塔や円屋根の間に逃げ込んだ。俺は、大理石の波止場の上を、乞食の様に息せき切つて、あとを追つた。
道を登りつめて、月桂樹の木立の近くまで来た時、たうとう俺は、掻き集めて来た面※[#「巾+白」、unicode5e15]を彼女に纏ひ附けた。俺は彼女の途轍もなく大きな肉体を、仄かに感じた。夜明けと子供とは、木立の下に落ちた。
目を覚ませ、もう真昼だ。
花々
黄金の階段から、――絹の紐、鈍色のうす衣、緑の天鵞絨《ビロード》と青銅の陽に向いて黒ずんだ様な水晶の花盤が入り乱れる間に、――銀と眼と髪の毛との細線で、文《あや》に織られた掛布の上に、ぢぎたりすの花が開くのが見える。
瑪瑙《めなう》の上に、ばら撒かれた黄色い金貨、碧玉《エメラルド》の円天井を支へる桃花心木《アカジユ》の柱、白|繻子《じゆす》の花束と紅玉の細い鞭とは、水薔薇を取り囲む。
巨きな緑の眼、雪の肌した神の様に、海と空とは、この大理石台に、若々しく強い薔薇の群れをさし招く。
平凡な夜曲
風は、隔壁にオペラの様な孔をあけ、――腐つた屋根屋根の迫持《せりもち》台を混ぜかへし、――家々の境界を追ひ散らし、――硝子の窓々に月蝕を作る。――
立つたまゝ、水落に、身を靠《もた》せかけ、葡萄畑に添ふて、――俺は四輪馬車に乗つて降つて行つた。中高の窓硝子、膨《ふく》らんだ羽目、縁取りした椅子《ソフア》、見た処、先づ時代の見当がつく代物だ。俺の孤独な眠りの柩車か、俺の痴態の牧舎なのか、たゞ一人、行きかふものもなく、乗りものは、消え失せた街道の芝草をふんで、ころがつて行く。右の窓硝子の上の方に隙間《すきま》があつて、月の様に蒼ざめた様々な顔や、木の葉や、女の乳房がぐるぐる廻る。
――濃い緑と青とが影像を呑む。砂利が一塊り汚点をつけてゐる近く、乗物を捨てる。
――此処で、口笛を吹かうといふのか、嵐を呼ぶ為に、それともソドムの人々を、――ソリムの人々を、――そして野獣を、軍隊を、
――(馭者《ぎよしや》は、再び、夢の獣達と共に、車をかつて、息詰る大樹林をくゞり、絹の泉に、眼の辺りまで、この俺を沈めようといふのか。)
――かうして、ざわめく水を横切り、零《こぼ》れ流れる酒を渡り、俺達は、鞭打たれ、はこばれて行くのか、犬の吠声に乗り、ころがつて行くのか……
――風は家々の境界を追ひ散らす。
海景
銀《しろがね》と銅《あかがね》の車――
鋼《くろがね》と銀《しろがね》の船首《へさき》が――
泡を打ち、――
茨を根元から掘り起す。
曠野の潮流と
引潮の巨大な轍は、
ぐるぐる廻り、流れ去る、東の方へ、
森の列柱の方へ、――
波止場の幹材の方へ、
その角は光の旋風に衝突する。
冬の祭
お芝居の小屋掛けの背後で、滝の音がする。水煙は延びて、メアンドル河に添ふ果樹園に到り、次いで小径を辿り、――やがて、西空に群れなす緑色、赤い色。第一帝政時代の髪を結んだオラアスの水の精達。――シベリヤの輪舞曲、ブウシェ描く支那の女達。
煩悶
次々に砕かれて行く俺の野心を、『煩悶』の故に赦《ゆる》して貰へるだらうか、――安楽な終りが、窮迫の日々を贖《あがな》つてくれるのか、――成功の時は、俺達の因果な無能の恥に、眼をつぶらせてくれるのか。
(あゝ、棕櫚よ、金剛石よ。――愛よ、力よ。――あらゆる歓喜と栄光とより遥かに高く、――到る処、どんな意味に於てもだ、――悪魔よりも、神よりも、――この俺という存在の青春。)
科学の幻術の色々な事件や、社会友愛の様々な運動が、原始の率直を歩一歩取り戻す事に比べて、果して慕はしいものであるか……
だが、俺達を骨抜きにした『吸血鬼』は、命令する、俺達は彼女の呉れるものを喜んでゐればいゝ、でなけりや馬鹿をみるだけだ、と。
転々とさまよふのだ、疲れた風にのり、海にのり、傷口の上を。水の沈黙と殺人の風とに送られ、刑罰の上を。荒々しいうねりを上げる沈黙の裡に、嘲笑ふ苦悩の上を。
メトロポリタン
群青の海峡から、オシアンの海へ、葡萄酒色の空に洗はれた、薔薇色、柑子色の砂の上に、青物屋で腹ふくらす若く貧しい家族等が、放埒《ほうらつ》に軒を並べた水晶の大通りが、今、浮き上り重なり合つた。一片の富もない。――街。
凡そ喪の『大海』の齎《もたら》す、最も不吉な黒煙で築かれた、彎曲《わんきよく》し、後退し、又下降する大空の、醜怪な帯を重ねる、だんだらの濃霧の層を、きり崩し、瀝青の沙漠から、真直ぐに算を乱して逃げ出す、冑、車輪、舟、馬の臀《しり》、――戦。
頭をあげろ。この弓形の木橋、サマリヤの最後の野菜園、寒夜に打叩かれる角燈の下に、彩色した様々な顔《マスク》。川下にも、衣はためかし、愚かしい|女の水の精《オンデイーヌ》、豌豆《えんどう》の苗畠には、晃《きらめ》きわたる髑髏の群れ、――其他、様々な幻、――田舎。
街道は、柵と石垣に縁取られ、うちには樹立ある景色も見えず、人呼んで、まごころといひ、彼女《あれ》といふ、むごたらしい花々、呪はしいほど長いダマスクスの綾、――まだまだ古代人の音楽を迎へるには相応《ふさ》はしい、ラインの彼方の、日本の、ガラニイの、幻の貴族の領地、――もはや永劫に戸を開かない旅館がある、――王女等も棲んでゐる。若し、君が、あんまり疲れてゐないのなら、星の研究も御勝手だ。――空。
夜が明けて、この雪の輝き、緑の唇、氷、黒い旗、蒼白い光、極地の太陽の深紅の芳香、君等は、これらのなかに立ち交つて、『彼女』と一緒に、じたばたするのだ。――お前の力。
野蛮人
日々と諸季節、人間どもも国々も、遥かの彼方に後にして、
北極の花、海の絹(いづれこの世にないけれど)、その上に血を滴《したた》らす生肉の天幕。
古めかしい剛勇の軍楽に心躍り、――その音はまだまだ俺達の心臓と頭とをやつつける。――昔の刺客の手は遠く離れて来たけれど――
――あゝ、北極の花、海の絹(いづれこの世にないけれど)、その上に血を滴らす生肉の天幕。
優しさよ。
炭火は、突風に氷花を交へて雨と降る。――優しさよ。――俺達には永劫に炭化された地上の心が、投げ出した金剛石の風雨にまじる火のつぶて。――あゝ、世界よ。――
(人々の聞き、人々の感ずる古めかしい隠遁と古めかしい情火とを、離れて遠くは来たのだが。)
炭火と泡。音楽は、深淵の廻転と、氷塊が星への激突。
あゝ、優しさよ、この世よ、楽の音よ。こゝに漾《ただよ》ふものは、様々な像、様々な汗、とりどりの髪毛、とりどりの眼。沸騰する蒼白い涙までが、――あゝ優しさよ。――火山と北極の洞窟の奥底まで行きついた女の声。
天幕は……
見切物
売物。ユダヤ人でも売つた事のないものだ、貴族も罪人も味つた事のないもの、民衆の呪はれた愛も地獄の正直も知らなかつたもの、時も科学も認める処がなかつたもの。
構成を更《か》へた諸々の『声』。合唱、合奏のすべての力を集めた同胞の目覚めとその即時の実施、俺達の感覚を解放する無二の機会。
売物。凡そ種族の、階級の、性別の、血統の埓外《らちがい》にある価も量られぬ『肉体』。歩むにつれて、迸る様々な富。滅茶目茶のダイヤモンドの投売り。
売物。民衆には無政府を。卓越した好事家等には抑へ切れない満足を。信者、情人共にはむごたらしい死を。
売物。住居と移住。戸外の遊戯と仙境と完全な慰安。音楽と運動、猶、その齎す未来と。
売物。様々な計算の応用と未聞の諧調の飛躍と。人々の思ひも掛けなかつた言葉の数々と掘出しもの、即時の所有。
不可見の光彩、不可知の歓喜を目指す、狂気じみた、無際涯の飛躍。――その物狂ほしい様々な秘密は、各人の悪徳へ、――その恐ろしい喜悦は群集の手に。
売物。『肉体』と声、まさしく途轍もない豪奢。将来も断じて売手はないものだ。まだまだ品物には不足せぬ。旅人達は、あわてて手附《てつけ》を置くには当らない。
Fairy
清らかな樹蔭を飾る樹液と、星の様な沈黙の心ない光とが、エレエヌの為に、陰謀を企てた。夏の暑熱は、歌唄はぬ小鳥に託され、為《な》す事もない放心は、昔日の恋、褪《あ》せた匂ひの入江を横切り、価も知らぬ喪の舟を促した。
――朽《く》ち潰れた森をくゞり、早瀬の音は、杣人《そまびと》の吹く風にのり、谷間谷間に木霊《こだま》する牧獣を呼ぶ角笛の音、ステップに起る叫びも、はや、過ぎて後。――
エレエヌの幼年時の為に、毛皮や森の樹蔭は、身を慄はす、貧しい人々の胸も、空行く伝説も。
かうして、高貴な光彩も、冷い権威も、著飾つた無類の時の歓びも、今も猶、遥か、彼女の双眼と彼女の舞踏には及ばない。
少年時、何処の空とも知れず、俺の視力を磨き上げてくれた。あらゆる性格が、俺の顔に影をつけてくれた。様々な『現象』はざわめき立つた。――扨て今、様々な瞬間の永遠の屈折と数学的無限とが、俺をこの世に駆りたてる。そして其処に、俺は奇怪な少年時と途轍もない愛情とに敬《うやま》はれて、あらゆる市民の成功を追ふのだ。――俺は、正義の、力の、予見を許さぬ理論の『戦』を夢みる。
音楽の一楽章の様に埒もない。
青年時
T 日曜日
計算の手を休めれば、逃れられない空の落下、数々の追想のおとづれ、様々な韻律の参加、これらのものが、住居を、頭脳を、精神の世界を占領する。
――一匹の馬が、真黒なペストにやられ、近郊の馬場を、田畑、植林に沿うて逃げる。芝居に出てくる惨めな女が、思ひも掛けず、捨てられて、この世の何処かで溜息をつく。嵐も酔ひも痛手もをはり、兇漢等は憔悴する。いとけない子供等は、小川の辺りで、様々な呪詛《じゆそ》で息がつまる。
群集の裡に、集り昇つて行く、痛烈な事業の響きを耳にし乍ら、再び仕事に取りかゝらう。
U 小曲
『男《ヽ》』、骨組も尋常に、その肉は、果樹園に生つた果実ではなかつたか、――あゝ、少年の日よ、肉体とは使ひ果すべき宝なのか、――まことに、愛すとは、プシシェの危難であるか、力であるか。地球は、君主や芸術家の群れで肥えた、多くの斜面を持つてゐた、そして血縁とか家柄とかが、君等を罪に禍《わざはひ》に駆りたてた。この世は君達の宿命だ、君達の危難だ。だが、今さういふ仕事も行く処まで行つたとしてみれば、お前のその計算もお前のその焦燥も、――形もないこの宇宙があつてこそ、親しげに、分別ありげに構へた人間社会のなかでは、発見と成功といふ二重の出来事の御蔭で、一つの条理ともみえようが、すべてはや、強ひられる処もなく、定つた処もない、お前達の舞踏に過ぎぬ、お前達の声に過ぎぬ。――たゞ束の間の評価に堪《た》へる、この舞踏と声とに、力と権利とが反映するのだ。
V 廿歳
追放された教への声々……いたいたし気に落ち著いた肉体の純白……――アダヂオ。――あゝ、この夏、世界は花に満ち満ちて、青春の果しない利己と好学の楽天と。次々に、風と象《かたち》は死んで行き……――合唱だ、無力と欠乏とを鎮める為に。合唱だ、玻璃の盃を集め、夜の歌を集め……あゝ、神経は、身をひるがへして追ひ縋る。
W
お前は、まだまだアントワンヌの誘惑から脱《のが》れてはゐない。性急な激情の跳躍、子供染みた倨傲《きよがう》の痙攣、困憊《こんばい》や恐怖。だが、これからお前には仕事があるのだ。結構をもち、諧調をもつたあらゆる可能性は、お前の椅子の周りを動くだらう。予見を許さぬ、完璧な諸存在が、お前の様々な経験に、献げられるだらう。お前の身の周りには、古代群集の好奇と無為の栄耀とが、夢の様に溢れるだらう。お前の記憶と感覚とは、正しくお前の創造する衝動の糧となるだらう。扨て、この世は、お前の去つた後、どうなつて了ふのか。いづれにしても、何一つ今ある姿ではないだらう。
金色の曙か、そゞろに身も顫《ふる》ふ暮方か、俺達を乗せた、二本マストのさゝやかな帆船は、沖合からこの別墅と附属地とを、正面から見渡す。それは、エピイルやペロポネエズの半島の様に、日本の巨島や亜剌比亜《アラビア》の様に、拡つてゐる。神殿《フアノム》は、使節の還りを迎へて輝き、近代海防の素晴しい展望、砂丘は生き生きとした花と乱酔とに飾られて、カルタゴの大運河、模糊《もこ》たるヴェニスの堤防。エトナの噴煙のまどろみ、花と水との氷河の亀裂。独逸《ドイツ》の白楊樹に取巻かれた洗濯場、『日本の樹』の頂を傾ける奇妙な公園の斜面、スカアボロオとかブルックリンの『ロワイヤル』とか『グランド』とか名のつきさうな円形の門構へが立ち並び、鉄道は、この『ホテル』の結構に寄り添うて、穴を穿《うが》つて、傾斜する。これは、伊太利《イタリー》、亜米利加《アメリカ》、亜細亜《アジア》と歴史上の大建築の粋を集め、今、その窓や露台は、爽やかな風を受け、酒と燈火に満ち満ちて、旅人や高雅な人々の心に放たれ、――昼となれば、巧みを尽したタランテラの踊り、――谷間のリトゥルネルの曲を揃へ、『海角殿』の正面を、夢の様に装飾する。
場面
昔の『お芝居』が、その様々な和絃を続け、その様々な『牧歌』を小分けにして見せる。
大道芝居小屋の大通り。
小石だらけの野つ原の端から端へ、木製の長い突堤、裸になつた樹立の下で、未開人の大部隊が機動する。
黒紗の廊下を、さまよふ人々の足もとを辿れば、角燈があり、ビラ刷りがある。
見物の簇《むら》がる小舟に覆はれた群島で、揺れ動く石造りの船橋に、不可思議な鳥の群れは襲ひかかる。
抒情劇は、フリュウトや太鼓の音に伴はれ、当世|倶楽部《クラブ》のサロンや東洋古代の広間を周る、天井板の下に按排《あんばい》された、あばら屋の中でお辞儀をする。
輪伐林をいたゞいた円形劇場のてつぺんで、幻劇が踊る、――田畑の畝に添ふ、ゆらめく大樹林の影の中で、人々はベオチヤ人の為に声張り上げて転調する。
喜歌劇は、或る幕では、桟敷《さじき》から照明まで、設けられた十個の隔壁の交截稜できれぎれになる。
歴史の暮方
心やさしい旅人が、世の見苦しい銭金沙汰から身を引いて、一人立迷ふ夕まぐれ、巨匠の手は、草原の翼琴《クラヴサン》をかき鳴らし、人は、女王様や恋しい女を喚《よ》ぶといふ鏡の池の底深く、歌留多を遊び、西空には、聖女や|面※[#「巾+白」、unicode5e15]《かづき》や楽人や伝説の色を読むといふ。
旅人は、狩とさすらひの小径に佇《たたず》み身を顫はす。喜劇は芝原の小屋掛けの上に雫《しづく》する。あゝ、このほゝけた様な地図の上に、貧しく、か弱い人々の苦しみか。
彼の挫《くじ》けた夢の裡には、独逸は月を目指して足場を組み、韃靼《ダツタン》の沙漠は輝きわたり、古代の一揆は、支那帝国の真中に蠢《うごめ》き、岩の階段と椅子とを攀ぢて亜弗利加と西方諸国の、蒼ざめ、ひしやげた、さゝやかな国が建たうとする。やがて、変哲もない海と夜との舞曲、がらくた化学、方図もない旋律。
旅装を解く処、どこもかしこも、同じ凡俗の妖術だ。どんな原理的な物理学者も、検証がはや一つの懊悩であるこの肉体の嘆きの霧に、この個体の雰囲気に、身を委ね得ようとは思ふまい。
いやいや、時は来る、この世は火室となり、逆巻く海、地下の狂熱、激怒した遊星、やがては、ものもの必至の勦絶《さうぜつ》だ。恐らく、誠ある人々には、心構へよと明かされてゐた、聖書の中にも、ノルヌによつても、あれほど、悪意なく言はれてゐた定まり事だ。――なかなか伝説どころの話ではないのだ。
ボトム
俺の大きな、性格にとつては、この現実は、荊棘に満ち過ぎてゐるとは知りながら、――俺はやつぱり、天井の玉縁に飛びかひ、夜の影に翼を曳く青みがかつた灰色の巨鳥となつて、俺の女の家にゐた。
俺は、数々の熱愛の宝石と肉体の傑作とを支へた天蓋の下で、持送りの玻璃と白銀とに眼を据ゑて、身は苦悩の白髪に覆はれ、紫の歯齦《はぐき》を出した一匹の巨きな熊であつた。
すべては、影と燃え上る養魚器となつた。
朝、――好戦の六月の明け方、――何といふ馬鹿ものだ、俺は野に駆り、遣瀬《やるせ》ない想ひを、喇叭《ラツパ》に吹いて、打ち振ひ、遂には、町はづれの『サビンの木』が、俺の胸前《むなさき》に、身を投げ掛けてきたのであつた。
あらゆる非道が、オルタンスの残虐な姿態を発《あば》く。彼女の孤独は色情の機械学、その倦怠は恋愛の力学だ。幼年時の監視の下に、幾多の世紀を通じて、彼女は諸々の人種の熱烈な衛生学であつた。その扉は悲惨に向つて開かれ、其処に、この世の人間共の道徳は、彼女の情熱か行動の裡に解体を行ふ。――血だらけになつた土の上に、清澄な水素による、まだ穢れを知らぬ、様々な愛の恐ろしい戦慄。オルタンスを捜せ。
運動
堤防に落下する大河の震動、船尾に渦巻き、斜面を疾駆し、激流を通過し、不思議な光と化学の新しさとにより、谷の龍巻、流れの龍巻に囲まれて、旅行者等が運ばれる。
彼等は、めいめいの化学の富を求める、世界の征服者だ。遊戯と慰安とは、彼等とともに旅し、彼等は、民族の、階級の、動物の教育をこの船にもたらす。洪水の様な光に、研究の恐ろしい夜に、休息と眩暈《げんうん》とをもたらす。
何故なら、様々な装置、血や花や火や宝石の中の談笑、逃走するこの船で激論される計算――彼等の研究の元資《もとで》が、奇怪な姿で、限りなく輝き、――水力発電の水路の彼方の堤防の様に轟くのが見えるからだ。調和ある陶酔と発見のヒロイズムに追ひ込まれた彼等。
この最も驚くべき気圏の中の出来事の中で、年若い夫婦が、方舟に乗り孤立し、歌を歌ひ、身構へる。――人々の許す古代の野蛮であるか。
献身
妹ルイズ・ヴァナン・ド・ヴォランゲムへ、―『北国』の海に向いた彼女の青い尼僧帽《コルネツト》。――難破した人々の為に。
妹レオニイ・オオボア・ダッシュビイへ。やれやれ、――悪臭を放ち、唸りをあげる夏の草。――女親と子供達との発熱の為に。
ルルへ、――悪魔、――覚束ない教育の、『仲よし』と呼ばれた年頃の、おしやべり癖はまだ抜けぬ。――世の男達の為に。――××夫人へ。
嘗ての俺の青春へ。この年老いた聖者へ、草庵の或は布教の。
貧しい人々の心へ。至徳の僧へ。
扨て又、凡ての礼拝へ。聖地とされた場所に在るがまゝの礼拝へ。時々の憧憬或は俺達が持つて生れた真剣な悪徳に従つて、輸《はこ》ばれねばならなかつた有態の事件に絡まれた礼拝へ。
今宵、屹《そび》え立つ氷の上に、魚の様に脂ぎり、十月《とつき》の赤夜さながらに赤く染まつたシルセエトへ――(琥珀《こはく》の色に燃え立つ彼女の心)、――この極地の混乱よりも尚荒々しい、様々な武勇を忘れ、この常闇の国に倣つて口を噤《つぐ》んだ、俺のたゞ一つの祈願の為に。
何事を賭しても、どんな姿にならうとも、たとへ形而上学の旅にさまよはうとも。――いや、|さうなれば《ヽヽヽヽヽ》猶更の事だ。
デモクラシイ
「旗は、穢らはしい風景を目指して行き、俺達の訛《なまり》は、太鼓の息の根を止める」
「中心地には破廉恥極まる汚涜《おとく》を養はう、筋の通つた暴徒等は皆殺しにするんだ」
「焼け焦げる国へ、水漬けの国へ。――工業にしろ、軍事にしろ、一番言語道断な経営に従事しろ」
「この土地はおさらばだ、何処へでも構はぬ。志を立てた壮丁等、俺達は、猛悪な哲学を持たう。学識には文盲を、慰安には獄道を、歩み行くこの世には決裂を。これこそ真の発展だ。前進せよ、出発だ」
天才
泡立つ冬に、夏のざわめきに、家を開け放つた彼は愛情だ、現在だ。――飲料を清め、食物を清めた彼、――移り行く様々な地点の魅惑でもあり、様々な測点の不可思議な歓喜でもある彼。――俺達は、憤怒《ふんぬ》と倦怠との裡に佇んで、嵐の空を、陶酔のはためく旗の間を、愛情や未来や力や愛が過ぎて行くのを眺める、それはまさしく彼の姿だ。
彼こそ、愛であり、新たに制作された完全な尺度であり、予見を許さぬ、驚く可き理智であり、永遠であり、どうしやうもない資質に愛された機械である。俺達は皆、予《かね》てから、彼の許す処に驚き、又、自ら許す処に驚いてゐたのだ。思つてもみろ、俺達健康の喜び、俺達才能の躍進、俺達エゴイストの愛情と彼に対する情熱とを、――彼こそ己れの無限の命の為に俺達を愛した……
そして、俺達は彼の事を思ひ出し、彼は旅する……若し『崇拝』が姿をかくせば、鳴るのだ、彼の約定が鳴るのだ、「退れ、群がる迷信、昔ながらの肉体、世帯と年齢共。当代こそ正に潰滅したのだ」と。
彼は何処にも行きはしまい。空から下りても来まい。女共の憤怒、男共の上機嫌、このすべての罪業の贖《あがな》ひを遂げようともしまい、沢山ではないか、彼が存在し、愛されてゐるのなら。
彼の息、頭、足なみ。形と動きとの完成のおそろしい神速。
精神の豊富と万象の無限。
彼の肉体。熱望された開放、新しい暴力の貫く優雅の破砕。
彼の眼、彼の眼。古いものは悉く跪拝《きはい》し、その赴《おもむ》く処に随つて、又|明るみに出る《ヽヽヽヽヽヽ》様々な苦痛。
彼の日。あらゆる苦悩は張り切つた音楽のうちに鳴り動き消えて行く。
彼の足。古代人の侵寇よりも巨大な移住。
あゝ、『彼』と俺達、失はれた数々の心尽しより、遥かに優しい誇りなのだ。
世界よ、日に新たな不幸の澄んだ歌声よ。
彼は俺達すべてを知つた、俺達すべてを愛した。知らうではないか、この冬の夜、岬から岬へわたり行き、錯乱した極地から館に至るまで、群集から浜辺に至るまで、眼は眼に見入り、様々の力と疲れた心が、彼を呼び、彼を眺め、彼を送るのを。又、海の潮をくゞり、雪の曠野を飛び、彼の眼を、彼の息を、彼の肉体を、彼の日を追ふのを。
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地獄の季節
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★★★★★/悪胤/地獄の夜/錯乱 T/錯乱 U/不可能/光/朝/別れ
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★ ★ ★ ★ ★
嘗《かつ》ては、若し俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴《うたげ》であつた、誰の心も開き、酒といふ酒は悉く流れ出た宴であつた。
或る夜、俺は『美』を膝の上に坐らせた。――苦々しい奴だと思つた。――俺は思ひつ切り毒附いてやつた。
俺は正義に対して武装した。
俺は逃げた。あゝ、魔女よ、悲惨よ、憎しみよ、俺の宝が託されたのは貴様等だ。
俺はたうとう人間の望みといふ望みを、俺の精神の裡に、悶絶させて了つたのだ。あらゆる歓びを絞殺する為に、その上で猛獣の様に情|容赦《ようしや》もなく躍り上つたのだ。
俺は死刑執行人等を呼び、絶え入らうとして、奴等の銃の台尻に咬《か》みついた。連枷を呼び、血と砂とに塗《まみ》れて窒息した。不幸は俺の神であつた。泥の中に寝そべり、罪の風に喉は涸《か》れ、而も俺が演じたものは底抜けの御座興だつた。
かうして春はむごたらしい痴呆の笑を齎《もたら》した。
処が、つい此の間の事だ。いよいよ最後の|へま《ヽヽ》も仕出かさうとなつた時、俺は昔の宴《うたげ》の鍵はと思ひ迷つた、存外又|食気《くひけ》が起らぬものでもあるまい、と。
慈愛はその鍵だ。――こんな考へが閃《ひらめ》いた処をみれば、俺はたしかに夢を見てゐたのだ。
「お前はやつぱり鬣狗《ハイエナ》でゐるさ……」などと、いかにも可憐な罌粟《けし》の花で、俺を飾つてくれた悪魔が不服を言ふ。「死を手に入れる事だ、お前の慾念、利己心、七大罪のすべてを抱へて」
あゝ、そんなものは、もう、抱へ切れぬほど抱へ込んでゐるよ、――処で親愛なる悪魔、お願ひだ、そんな苛立たしい眼附をしないでくれ。愚図愚図してゐれば、いづれ、しみつたれた臆病風に見舞はれる、どうせ貴方には作家の描写教訓の才などといふものは御免だらう。俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、では、貴方に見て戴く事にしようか。
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悪胤
蒼白い眼と小さな脳味噌と喧嘩の拙さとを、俺は先祖のゴオル人達から承《う》け継いだ。この身なりにしたつて、彼等なみの野蛮さだ。まさか頭にバタをなすりはしないが。
野獣の皮を剥《は》ぎ、草を燎《や》き、ゴオル人とは当時最も無能な人種であつた。
お蔭でこの身に備はつたものは偶像の崇拝と涜聖《とくせい》への愛情、――それこそあらゆる悪徳だ、憤怒と淫乱、――淫乱も物々しい奴、――わけても嘘と無精である。
凡そ職業と名のつくものがやり切れない。親方、職工、百姓、穢《けが》らはしい。ペン持つ手だつて鋤《すき》とる手だつて同じ事だ。――なんと、手許り幅を利かせる世紀だらう。――こんな手などは誰にでも呉れてやる。と言つて、奴隷の身分といふ奴も永持ちし過ぎる代物《しろもの》だ。物乞ひの正直さを思へば、俺の心は痛むのだ。罪人も厭はしい、去勢者も厭はしい。この俺に何の拘りがある、どつちにしても同じ事だ。
あゝ、それにしても。俺の言葉がこの身の怠惰を今日の今日まで導き護つて来たとは。さう迄不実な言葉とならうとは。誰の仕業か。何の役にも立たず、身体さへも動かさず、それこそ蟇《がま》よりもまだのらくらと、俺は処かまはず生きて来た。凡そヨオロッパの家庭で、俺の知らないのは一つもない。――手に取る様に解るのだ。どれを眺めても、「人間諸権利」の宣言を後生大事と握つてゐる。――家庭の子等は、どいつもこいつも知つたのだ。
フランスの歴史を探つてみて、何処かにこの俺の身元が見附かつたならば。
いや、いや、そんなものは無い。
俺はいつも劣等人種だつた。解り切つた事だ。叛逆といふものが一たい解らない。俺の人種が立ち上つたのは掠奪の時と決つてゐた、死肉を漁《あさ》る狼の様に。
俺は『教会』の長女、フランスの歴史を想ひ起す。俺は賤民なりに聖地の旅をしたのかも知れない、俺の頭には、スワビヤの野を横切る諸街道、ビザンスの四方の眺めもジェルサレムの館もある。聖母への信心と救世主への感激とは、俗界百千の魔境を交へて、この身に目覚める。――太陽に蝕《むしば》まれた石垣の下に、破れた壺、いらくさの上に、俺は癩を病み坐つてゐる。――降つては中世紀、騎卒となつて、ドイツの夜々を、野営に明かしたかも知れない。
あゝ、まだある。老人子供と手に手をとつて、赤く染つた森の隅に魔法師の夜宴を踊つてゐる。
この下界と基督《キリスト》教、それより前は俺には覚えがない。この過去の裡に、俺の顔を見直してみても埒はあくまい。如何にもいつも一人であつた、家族もなかつた、俺の喋つた言葉さへ、一たい何処の言葉であつたか。基督の教へのなかにも、基督の様な顔をした『高貴な方々』の教へのなかにも、この俺は断じて見つからない。
前世紀には俺は誰だつたか。今在る俺が見えるだけだ。もはや放浪もなくなつた。当てどのない戦もなくなつた。劣等人種はすべてを覆つた、――所謂《いはゆる》民衆を、理性を、国家を、科学を。
そら、科学だ。どいつもこいつも又飛び附いた。肉体の為にも魂の為にも、――臨終の聖餐、――医学もあれば哲学もある、――たかが万病の妙薬と恰好を附けた俗謡さ。それに王子様等の慰みかそれとも御法度《ごはつと》の戯れか、やれ地理学、やれ天文学、機械学、化学……
科学。新貴族。進歩。世界は進む。何故逆戻りはいけないのだらう。
これが大衆の夢である。俺達の行手は『聖霊《ヽヽ》』だ。俺の言葉は神託だ、嘘も偽りもない。俺には解つてゐる。たゞ、解らせようにも外道《げだう》の言葉しか知らないのだ、あゝ、喋るまい。
邪教の血が戻つて来る。『聖霊』は間近かにある。何故基督は、この魂に高貴と自由とを与へて、俺を助けては呉れないのか。あゝ、『福音』は去ったのか。『福音』よ。『福音』。
俺はがつがつして『神』を待つてゐる。いつまで経つても劣等人種だ。
ゴオルの西岸、アルモリックのほとり。夜が来たら、街々に灯が点《とも》るのかしら。役は終つた、俺はヨオロッパを去る。海風は俺の肺臓を焼くだらう。未開地の天候は俺の肉を鞣《なめ》すだらう。泳いでは草を藉《し》き、狩しては煙草をふかし、滾《たぎ》り立つ金属の様な火酒をのむ事だ。――焚火を囲んで、あの親しい祖先の人々が為た様に。
俺は、浅黒い肌、金銭の四肢と兇暴な眼とをもつて還つて来るだらう。人々は俺の仮面を眺めて、強族の流れといふだらう。金も貯めよう、無為残忍の暮しもしよう。女達は、熱い国々から還つて来たかういふ非道な病人共を看取るのだ。俺は政治の渦中に捲き込まれる。救はれるのだ。
差当つては呪はれの身だ、俺は祖国を怖れてゐる。海辺の砂にごろりとなつて眠りこけるのが何よりだ。
出発は見合せだ。――又、足元の径《みち》を辿り直すとしようか、この身の悪徳を背負つて。物心がついてこの方、俺の脇腹に苦悩の根を下した悪徳を、――空にも翔《かけ》り、俺を叩きのめしては引き廻す悪徳を。
最後の無邪気と最後の臆病。解つてゐる。俺の嫌厭、叛逆の数々を世に吹聴した処で始まらない。
さあ。前進、行李《かうり》、沙漠、倦怠と憤怒と。
一体俺が誰に自讃しようといふのだ。どんな獣物を崇《あが》めなければならないのだ。どんな聖像に挑みかゝらうといふのか。どんな心臓を砕くのか。どんな嘘をついてはならないのか。――さてはどんな血に塗れて歩くのか。
いつそ、正義にとりつかれまいと用心する事だ。――辛い命を、てもなく愚かに生きようか、――萎《しな》びた拳を揚げ、棺の蓋を取除き、腰を下して、息絶えて。そして老いもなく、危さもなく。恐怖はフランス人に禁物だ。
――あゝ、何と寄る辺《べ》もない俺の身か。完成への燃え上る想ひの数々を、俺はもうどんな聖像に献げても構はない。
あゝ、俺の自己抛棄と見事な愛、だが、下界は下界だ。
|深きところより《ヽヽヽヽヽヽヽ》、|主よ《ヽヽ》、俺は阿呆だ。
未だ未だほんの幼い頃だ。徒刑場に、陽の目も見ない頑情無頼の囚人に、俺は眼を見張つたものだ。俺は、その男の滞在によつて祝聖されたと思《おぼ》しい数ある旅館を訪れた、下宿を訪れた。|その男の想ひをもつて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、青空を眺め、野天に彩なす労働を眺め、彼の宿命を街々に嗅いだ。彼は聖者を凌《しの》ぐ力を持ち、旅人も及ばぬ分別を備へてゐた、――而も、その光栄と理智との証しをするものは彼だつたとは、彼だけだつたとは。
冬の夜々、宿もなく、衣食もなく、諸街道を徒《わた》り行き、俺の冱《い》てついた心は一つの声に締められた。「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がさうしてゐる、それが貴様の強みぢやないか。貴様は何処に行くのか知りはしない、何故行くのかも知りはしない、処構はずしけ込め、誰にでも構はず返答しろ。貴様がもともと屍体なら、その上殺さうとする奴もあるまい」。夜は明けて、眼の光は失せ、顔には生きた色もなく、行き会ふ人にも、|この俺を見たものはなかつたらう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
突然、俺の眼に、過ぎて行く街々の泥土は赤く見え、黒く見えた、隣室の燈火の流れる窓硝子の様に、森に秘められた宝の様に。幸福だ、と俺は叫んだ、そして俺は火の海と天の煙とを見た。左に右に、数限りもない霹靂《へきれき》の様に、燃え上るありとある豊麗を見た。
だが、酒宴も女等との交友も、俺には禁じられてゐた。一人の仲間さへなかつた。銃刑執行班をまともに眺め、激怒した俗衆の面前に俺は立つてゐたのだ、彼等には解らない不幸に歔《すすりな》き乍ら、そして彼等を宥《ゆる》し乍ら。――まるでジャンヌ・ダルクだ。――「牧師や教授や先生方、俺を裁判所の手に渡したといふのが君等の誤りだ。俺はもともとさういふ手合ひぢやない。基督を信じた事はない。刑場で歌を歌つてゐた人種だ。法律などは解りはしない。良心も持ち合せてはゐやしない。生れた儘《まま》の人間なのだ。君達が間違つてゐる……」
さうだとも、俺は貴様等の光には眼を閉ぢて来た。如何にも俺は獣物だ、黒ん坊だ。だが、俺は救はれないとも限らない。貴様等こそいかさまの黒ん坊ぢやないか、気違ひ染みた残忍な貪慾《どんよく》な貴様等こそ。商人、貴様は黒ん坊だ。法官、貴様も黒ん坊だ。将軍、貴様も黒ん坊だ。皇帝、古臭い野望、貴様も黒ん坊だ。悪魔の工場から来た課税しない酒を喰つた貴様も亦。――熱病と癌腫とに眼眩んだ奴共だ。病人や老人が、進んで釜茹《かまゆで》にならうとは、見上げたものだ。――不憫な人々を人質に取らうと瘋癲《ふうてん》のうろつき廻るこの大陸を離れるのが悧巧である。俺はカムの本物の子供等の王国に這入る。
俺はまだ自然といふものを弁《わきま》へてゐたか、この俺を弁へてゐたか。――|駄言は沢山だ《ヽヽヽヽヽヽ》。俺は死人達を腹の中に埋葬した。叫びだ、太鼓だ、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。白人等は上陸し、俺は、何処ともしれず堕《お》ちて行く、何時の事か、それすら俺には解らない。
飢ゑ、渇き、叫び、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。
白人の上陸。号砲。洗礼を受け、著物を著て、働かねばならない。
止めの一刺しは俺の心臓を貫いた。あゝ、知らなかつた、知らなかつた。
俺は悪を犯した覚えはない。俺には、その日その日は爽かに過ぎて行く、先き先き後悔する事もあるまい。善に対しては死人同然な俺の魂に、悩みの時があつたとも思はれぬ、葬礼の燭影にも似た、厳しい光が浮びあがるこの魂に。家庭の子の宿命、清らかな涙の灑《そそ》がれた夭折。放蕩は正しく愚劣である、悪徳は愚劣である。腐肉は遠くへうつちやるがいゝ。だが、時計が、この純潔な苦悩の時を告げて、止つて了ふわけはなからう。俺は、小児の様に攫《さら》はれて、あらゆる不幸を忘れ、天国に戯れようとするのであるか。
急がう。他に生活があるとでもいふのか。――金持の居眠りは不可能だ。如何にも富とはいつも公衆のものだつた。聖浄な愛だけが知識の鍵を与へてくれる。自然は邪気のない見世物に過ぎぬ。妄想よ、理想よ、過失よ、おさらばだ。
天使等の正しい歌声が救助船から起る、聖浄な愛だ。――二つの愛だ、俺は地上の愛にも死ねる、献身の想ひにも死ねる。俺は多くの人を棄てて来た、俺が行つたら、彼等の苦痛は増す許りではないか。貴方は俺を難破人の仲間から選んで下さる。取り残された人々は俺の友ではないか。
彼等を救ひ給へ。
理性は俺に誕生した。この世は善だ。俺は生活を祝福しよう。同胞を愛さう。これは、もはや子供染みた望みではない。老衰と死とを逃れようとする希ひでもない。神は俺に力を与へ、俺は『神』を崇める。
倦怠はもはや俺の愛する処でない。忿怒と自堕落と無分別、――俺はその衝動も災禍も皆心得てゐる、――そんな重荷はすつかり下された。俺の無邪気の拡りを、心を据ゑて検《しら》べてみるとしよう。
俺にはもう鞭の助力を頼む事も出来まい、まさか基督を舅《しうと》に迎へて婚礼に船出するのだとも思へない。
俺は自分の理性の囚徒ではない。俺は言つた、神様と。俺には済度の裡の自由が欲しいのだ。あゝ、どうして求めたら。軽佻な嗜好《しかう》は俺を去つた。もう献身の想ひもいらない、聖浄な愛もいらない。多感な人々の過した世紀も惜しみはしない。誰も彼もが尤もだ、蔑《さげす》まうと愛《いと》しまうと。俺は思慮分別の、天使の姿にも似た梯子の頂に、俺の居場所を持ちこたへてゐる許りだ。
家庭のものであるにしろ、ないにしろ、安定した幸福は……真つ平だ、とてもいけない。俺はあんまり気まぐれ過ぎる。弱すぎる。労働によつて生活は花咲くとも今も変らぬ真実だ。処が俺の生活は一体目方が掛からない。世界の重点、行動といふものの遥か上層に飛び去り、漾《ただよ》つてゐるのだ。
死を愛する気力も失せたとは、まるで売れのこりの娘同然。
『神』が若し聖らかな天空の平穏を、祈りを、与へてくれたのなら、――古代の聖賢の様に。――聖人、強者か、ふん、遁世者、いかさま芸術家か。
道化がいつまで続くのだ。俺は自分の無邪気に泣き出したくなる。生活とは風来の道化である。
沢山だ、見ろ、罰は当つた。――進軍《ヽヽ》。
あゝ、肺臓は焼け、|顳※[#「需+頁」、unicode986c]《こめかみ》は鳴る。この陽盛りに、眼には闇夜がうねる。心臓が、……四肢が、……
何処へ行く。戦《いくさ》へか、あゝ、俺は弱い。皆んなは進んで行く。道具を、武器を……時をかせ。……
撃て。俺を撃つんだ。さあ、やつてくれ。いけなきや降参して了ふ。――意気地なしめ。――自殺だ。俺は馬の脚下に身を投げる。
あゝ……
――おれもやがては慣れるのか。
これがフランス人の生活といふものなのか、あゝ、名誉への道とは。
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地獄の夜
俺は毒盃を一盞見事に傾けた。――たまたま俺が受けた忠告には、くれぐれも礼を言つて置かう。―臓腑は焼けつく。劇毒に四肢は捩《よじ》れ、形相は変り、俺は地上をのた打つた。死にさうに喉は乾く、息はつまる、声も出ない。地獄だ、永劫の責苦だ、どうだ、この火の手の上り様は。俺は申し分なく燃え上つてゐる。悪魔め、ぐづぐづするんぢやない。
俺は、善と幸福とへの改宗を、救ひを予見してはゐた。俺にこの幻が描けるか。地獄の風は讃歌なぞご免だと言ふ。神の手になつた、麗はしい、数限りないものの群れ、求道の妙なる調べ、力と平和と高貴な大望の数々、あゝ、俺が何を知らう。
成る程、高貴な大望の数々か。
どつちにしても生活は生活だ。――地獄の責苦に終りはないとすれば。自ら不具を希ふとは、まさしく奈落の男ぢやないか。俺は自分が地獄にゐると信じてゐる、だから俺は地獄にゐる。カテシスムの実行だ。俺は自分の受けた洗礼の奴隷だ。両親よ、貴方が俺の不幸を作つたのだが、貴方も亦、御自分の不幸は作つたのだ。想へば不憫なお人よしだ。――相手が外道《げだう》では、地獄も手がつけられまい。――どつちみちこれも生活だ。行く行くは、計り知れない責苦の心地よさも覚える事だらう。兇行よ、急げ、人間法則の命により、俺が非情の境を墜ちて行く為に。
黙れ、黙るがいゝ、……喋るだけ面汚し、どころか詰問だ、悪魔の奴が言ふのである、「地獄の火など賤《いや》しいものだ、腹が立つとは、とんでもない大たはけだ」。――いやもう、沢山頂戴した。……誰に誑《たら》し込まれたのか知らないが、俺の犯した数々の不行跡、幻術とまやかしの芳香、たわいもない音楽、――又悪魔めに言はせれば、俺は真理を捕へて、正義を見てゐるのださうだ、俺には穏健確実な判断と、完成への心構へがあるのださうだ、……自惚《うぬぼ》れめ。――頭の皮は干乾びる。お情けだ、神様、俺は恐ろしい、喉が乾いて切ないのだ。あゝ、少年時、草よ、雨よ、小石の上の湖よ、|時計塔が十二時を告げた時の月の光《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》……この時刻、悪魔は時計塔に棲んでゐる。マリヤ様、聖母様。……――えゝ、己れの痴態に戦《おのの》くとは。
見下せば、この俺の身を思ふ律儀な魂の群れではないのか。……来るがいゝ……枕を口に当てがつた俺の言葉を聞く奴もない。幽霊どもだ。成る程、他人の身の上でくよくよする奴もないものだ。側へ寄つてはもらふまい。この俺が外道臭いのに間違ひない。
歴史を蔑み、諸原理を忘れ、数限りない幻は、常々俺の所有であつた。だが語るまい、詩人等、夢想家達に妬《ねた》まれよう。奴等より俺の方が、どれ程豊かか知れやしない、海の様に貪婪《どんらん》になる事だ。
さうだ、生活の時計は、先刻止つた許りであつた。俺ははやこの世にはゐないのだ。――神論に戯《ざ》れ言はない、地獄はいかにも|下に《ヽヽ》ある、――天は頭上に。――陶酔と悪夢、燃え上る塒《ねぐら》の眠り。
野良の配慮に、どれ程の悪意があることか。……悪魔フェルヂナンは野性の種をかゝへて走る、……基督は茜《あかね》色の茨を踏み、枝も撓《たわ》めず進んで行く、……基督は逆巻く水の上を歩いた。燈火に照され、その姿は、白衣を纏ひ、栗毛の組髪、碧玉の濤《なみ》の腹に立つてゐた……
俺は、凡ての神秘を発《あば》かう、宗教の神秘を、自然の神秘を、死を、出生を、未来を、過去を、世の創成を、虚無を。幻は俺の掌中にある。
聞き給へ……
俺はどんな能力でも持つてゐる。――此処には誰もゐない、而も誰かがゐるのだ、俺は俺の宝をばら撒きたくはない。――黒奴《くろんぼ》の歌が歌つて欲しいのか、天国の踊りが見たいのか。遁甲の術が見たいのか。それとも、指環《ヽヽ》の探索に潜水してくれとでもいふのか。どうだ、黄金が鋳《い》り出して欲しいのか、病が癒《いや》して欲しいのか。
では、俺を信ずる事だ、心を和《やわら》げ、導き、癒すものは信仰だ。皆んな来るがいゝ、――子供達も来るがいゝ、――俺は君達を慰めよう、君達の為に、人は、その驚く可き心を放つであらう。――哀れな人々、労働者達。俺は祈りなどを望みはしない、君達の信頼さへあれば、俺は幸福になれるのだ。
――扨て、俺一人の身を考へてみても、先づ此の世には未練はない。仕合せな事には、俺はもう苦しまないで済むのだ。たゞ、俺の生活といふものが、優しい愚行のつながりであつた事を悲しむ。
まあいゝ、思ひ附く限りの仮面はかぶつてやる。
明らかに、俺達はこの世にはゐない。何の音も聞えて来ない。俺の触感は消えた。あゝ、俺の城館、俺のサックスと柳の林。夕を重ね、朝を重ね、夜は明けて、昼が来て、……あゝ、俺は疲れた。
怒りの為に俺の地獄が、驕《おご》りの為に俺の地獄が、――さては愛撫の地獄が、俺には要つたのかも知れない。地獄の合奏。
疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫《うぢむし》共にくれてやる。あゝ、思つてもやり切れない。悪魔め、貴様も道化者だ、色々な妖力で、この俺が盪《とろか》したいとは。よし、俺は要求する、戟叉《げきさ》の一撃、火の雫《しづく》、いゝとも、結構だ。
あゝ、又、生活へ攀ぢて行くのか、俺達の醜さに眼を据ゑるのか。この毒、この口づけ、重ね重ねも呪はしい。この身の弱さと、この世の辛さ。あゝ神様、お情けだ、この身を匿《かくま》ひ給へ、俺にはどうにも扱へない。――俺は隠されてゐる、而も隠されてゐない。
火は亡者を捲いて立ち直る。
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錯乱 T
狂気の処女
地獄の夫
地獄の道連れの懺悔《ざんげ》をきかう、
「天に在すわが『夫《つま》』よ、わが『主』よ、あなた様の下部《しもべ》達のうちでも一番惨めな妾の懺悔です、何卒お容《い》れ下さいまし。妾はもう駄目です、何も彼も飽き飽きして了ひました。何も彼も穢れて了ひました。何といふ生恬でせう。
「お赦《ゆる》し下さい、天に在す『主』よ、お赦し下さい。お赦し下さいお願ひです。涙が出て仕方がありません。あゝこののちも、もつともつと涙を流す事が出来ます様に。
「行く行くは、妾も天に在す『夫』の事を悟らせて戴きます。妾は『あの人』に身を委《ゆだ》ねるやうに生れ落ちた。――今は夫《あれ》が妾をぶつても仕方がないのです。
「妾は今どん底にゐます、妾のお友達、……いえいえ、友達などありはしない……こんな気違ひ、こんな責苦が又とあるでせうか。……愚かな事です。
「あゝ、妾は苦しい、妾はわめきます、妾はほんとに苦しいのです。でも、世間で一番さもしい人達の侮蔑を、背負ひ切れぬ程背負つたこの妾に、もう何もこはがる事はない筈です。
「では私の打明け話です、と申しても、この先同じ様に意味もなく、悲しげな事を何遍も何遍も御耳に入れる事でせうが。
「妾は、狂気の処女達を傷つけたあの地獄の『夫』の奴隷です。確かにあの悪魔めなんです、幽霊でもありません、幻でもありません、思慮も失ひ、浮ぶ瀬もなく、生きながら死びととなつたのはこの妾なので御座います、――この上殺されようにも殺される気遣ひはありません。――あなた様にどうお話をしたらよいやら、妾にはもう話す術《すべ》さへわかりません。妾はさんざんな姿で泣いて居ります、慄へてゐます。あゝ、ほんの少しのすゞ風を、『主』よ、みこゝろにかなひますなら、みこゝろにかなひますならば。
「妾は寡婦です、……――妾は寡婦でした、……昔は妾も真面目でした。妾は髑髏《どくろ》になる為にこの世に生れて来たのではないのです、……――|あれ《ヽヽ》はほんの子供でした、……|あれ《ヽヽ》の何とも言へない品の好さが妾を惑はして了つたのです。妾は人の務めも忘れ果て、|あれ《ヽヽ》について行つたのです。何といふ生活でせう。まことに生活といふものがないのです。私達のゐるのはこの世ではありません。|あれ《ヽヽ》の行く処へ私も行くより仕方がないのです。それに、|あれ《ヽヽ》は何遍となく妾につらく当るのです。|この妾に《ヽヽヽヽ》、|この哀れな心に《ヽヽヽヽヽヽヽ》。『悪魔』ですとも。――あなた様も御承知です、あれは『悪魔』です、|人間ではありません《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
「|あれ《ヽヽ》は申します、『俺は女なんか愛してはゐない。恋愛といふものは、承知だらうが、でつち上げるものなんだ。身のきまりがつけ度いと思ふだけで女共には精々だ。きまりがつけば、美も心もあつたものぢやない。今日となつては、唯一つ残つた冷い侮蔑が、結婚の糧だといふわけだ。それがいやなら、俺は、この俺ならばいゝ友達にしてやる事が出来ただらうと思ひながら、それぞれ幸福さうな様子をした女共が、薪小屋みたいに燃え附き易い獣達に、先づ頭からぽりぽりやられる処を、拝見してゐる迄の事だ、……』
「汚辱も誇りと思ひ、冷酷も嬉しく思ひ、妾は|あれ《ヽヽ》の言葉に聞き入るのです。『俺は遠い国の部族の生れだ、俺の先祖はスカンヂナヴィヤの人々だ、奴等はお互の脇腹を刺違へては血を啜《すす》り合つたものだ。――俺は身体一面切傷だらけにしてやるんだ、文身《いれずみ》をするんだ、俺はモンゴルみたいに二目と見られぬ姿になりたいんだ、見てゐろ、今に往来を喚き歩いてやるから。怒りにわれを忘れたいのだ。俺に宝石などを見せてはならぬ、俺は敷物の上にはらばつてのたうち廻つてやる。俺の財貨は血だらけに染つてゐてほしいものだ。俺はどうあつても働かない、……』。幾夜となく|あれ《ヽヽ》の鬼は妾を捉へて、妾はころげ廻りながら、|あれ《ヽヽ》と掴み合つたものです。――泥酔した夜は夜で、|あれ《ヽヽ》は家の中や往来で妾を張つてゐては死ぬ程こはい目にあはせるのです。――『ほんとに、この首が、すつぱりやられちまふんだぜ、厭な事だらうよ』。あゝ、|あれ《ヽヽ》が罪の風にのつて歩かうとする日の事を思ひますと。
「時には|あれ《ヽヽ》は、聞くも切ない片言の様な言葉で、人々の悔悟をそゝる死の事や、何処かにきつと生きてゐる薄命な人々の事や、つらい稼ぎの事や、身を切られる様な別れの事を話します。私達が酔ひ痴《し》れて過したあばら屋で、|あれ《ヽヽ》は私達を取巻く惨めな家畜の群れの身を思つては泣きました。|あれ《ヽヽ》は幼い子供達を迎へる根性曲りの母親の情を持つてゐたのです。暗い街々に仆れた酔つぱらひ達を起してやつた事もありました。――|あれ《ヽヽ》はカテシスムを習ひに通ふ小娘の様な優しい心を持つて流れて行きました。――|あれ《ヽヽ》は何事にも明るいふりをして居りました。商売の事にも、芸術の事にも、医学の事にも。――妾は|あれ《ヽヽ》について行きました、外に道はないのです。
「|あれ《ヽヽ》の身の周りの飾り物は、みんな心の裡に描いてみました、著物だとか、敷物だとか、家具だとか。それは結句、|あれ《ヽヽ》に鎧《よろい》を著せてみた様なものでした、別の姿にしてみた様なものでした。|あれ《ヽヽ》の手に触れたものは何んでも|あれ《ヽヽ》が多分必要あつて創り出したものだらうと思つて妾は眺めてゐたのです。|あれ《ヽヽ》の気がめいつてゐる様な時は時で、善いにしろ悪いにしろ、わけもわからぬ、入りくんだ及びもつかない様な様々な行ひを、妾は進んで、|あれ《ヽヽ》と共にしたのです。妾は、たつた一度でも|あれ《ヽヽ》の世界に這入つた事はないと信じてゐます。どうしてこの人はあんなにこの世からさまよひ出ようとするのかと考へながら、妾は眠つてゐる|あれ《ヽヽ》の恋しい身体の傍で、幾度となく長い眠られぬ夜を過しました。こんな祈願をもつた男は今迄ありません。――|あれ《ヽヽ》の身にどうかうといふ事は別として、――兎も角、|あれ《ヽヽ》は社会にとつては大変な危険人物に違ひない、と考へました。――この人は多分|人の世を変へる《ヽヽヽヽヽヽヽ》秘密をいろいろ持つてゐるのぢやないのかしら、いやいやたゞそれを捜してゐるだけだ、と妾は考へ直しました。何と申しましても、|あれ《ヽヽ》の愛には魔法がかゝつてゐるのです。妾は俘虜《ふりよ》となつてゐるのです、――妾は、彼に愛され、守られて、ぢつとこらへてゐるのです。――誰もこんな力を、自暴自棄な力をもつてゐるものはありますまい。それに、妾は他人と一緒にゐる|あれ《ヽヽ》の姿を眼に描いてみた事はなかつたのです、妾には|あれ《ヽヽ》の『天使』が見えるのです、決して他人の『天使』ではありません、――と、妾は信じてゐるのです。妾が|あれ《ヽヽ》の心の中に居りますのは、まるで宮殿の中に、あなた様の様にあまり品のよくない人には誰にも出会ふ事がない様にと空つぽにして了つた宮殿の中にゐる様なものなのです、それだけの事でございます。あゝ、妾は全く|あれ《ヽヽ》の意の儘になつて居りました。と言つて|あれ《ヽヽ》は弱弱しい臆病な妾のいのちをどうしようといふのでせう。結句、妾が殺されずにゐたとすれば、|あれ《ヽヽ》は妾を少しでもましな女にして呉れたわけはないのです。悲しいやら口惜しいやらで、時々妾は|あれ《ヽヽ》に申します、『妾にはあなたが解ります』、すると、|あれ《ヽヽ》は冗談ぢやないつて身振りをするのです。
「かうして、妾の苦しみが休む間もなく繰返されるにつれて、自分の眼にもこの妾がだんだん気違ひ染みて映つて来ました。――誰からも永久に顧みられないのがこの身の定めだつたら別の事、妾を見ようとした人々の眼にも妾がまともに映つた筈はありません。――妾はだんだん|あれ《ヽヽ》の優しい情に飢ゑて来ました。|あれ《ヽヽ》に接吻されて優しい手に抱かれながら、妾の這入つて行つた処は空でした、悲しげな空でした。そして其処に、耳も聞えず目も見えず、口もきけない哀れな姿で、とり残されるならとり残されても構はない、と妾は思ひました。妾はもう慣れて了ひました。妾には、悲しみの『天国』を自由に歩き廻る優しい子供の様に私達が思はれました。二人は心を合せました。二人はひどく感動して一緒に働きました。でも、身に滲みる程優しくして呉れた後で、|あれ《ヽヽ》はこんな事を言ふのです。『俺がゐなくなつたら、こんな風に暮して来たお前はどんなに滑稽に見えるだらう、お前の頸《くび》に俺の手が、お前の休んでゐる俺の胸が、お前の眼の上のこの口が、みんな無くなつて了つたその時には。何故つて俺はいつかは遠い処に行つちまふんだからな。他の奴等だつて行かしてやらなくちやならない、それが俺の義務なんだ。あんまりぞつとしない仕事には違ひないんだが、……解ったな……』。忽ち、妾は|あれ《ヽヽ》がゐなくなつて、死といふ思つても恐ろしい影の中に投げ落されて立ちぐらみした、自分の姿を目に浮べました。妾は|あれ《ヽヽ》に妾を捨てない様にと約束させました。|あれ《ヽヽ》はこの情人の約束を幾度も幾度も誓つたのです。こんなものは妾が|あれ《ヽヽ》に『妾にはあなたが解ります』といふ言葉と同様あやふやなものでした。
「あゝ、妾は決してあの人を嫉妬した事などありません。|あれ《ヽヽ》は妾から離れはしません、妾は信じてゐます。どうなる事でせう。|あれ《ヽヽ》には、一人の知人もありません。決して働かうとはしますまい。夢遊病者の様に暮して行きたいのです。|あれ《ヽヽ》の気立てのよさと愛情だけで、世間に通るでせうか。時々妾はこの身の浅ましさを忘れて了ふのです、|あれ《ヽヽ》は妾を強くしてくれるのだ、二人は旅をしよう、無人の境に狩をしよう、見知らぬ街々の鋪石の上にも、なげやりに苦もなく寝てしまはう。眼が覚めてみれば、――|あれ《ヽヽ》の魔法の御蔭で、――世の掟《おきて》も習はしも、きつと変つてゐるだらう、この世は変つてゐなくても、妾の希ひや、歓びや、暢気さの邪魔するものはあるまい。あゝ、子供の本に書いてあるあの様々な冒険が、こんなに悩んだ御褒美に、妾のものにならないものでせうか。|あれ《ヽヽ》には出来ない事です。妾には|あれ《ヽヽ》の理想がわからないのです。|あれ《ヽヽ》は自分の悔恨や希望を妾に話してきかせました。妾の知つた事ではありません。|あれ《ヽヽ》は『神様』に話をしてゐるのでせうか。妾の方でも、『神様』にお話ししなければなりますまい。妾は奈落のどん底にゐます、もうお祈りする術も知りません。
「|あれ《ヽヽ》が自分の悲しみを、妾に明かしたとしてみましても、妾には|あれ《ヽヽ》の冗談以上には解らう筈はないのです。|あれ《ヽヽ》は妾を責めます、凡そこの世で妾の心を動かしたものはことごとに、長い間かゝつて責めるのです、泣けば腹を立てるのです。
『――扨て、こゝに優しい若者があつて、美しい静かな家に這入つて来るとする、そいつの名前がデュヴァルだらうが、デュフウルだらうが、アルマンだらうが、モオリスだらうが、俺の知つた事ぢやない。ある女が身も心も投げ出してこの根性曲りの馬鹿者を愛して了ふ、やがて女は死んで、今は確かに天上の聖女となる。この男がこの女を殺しちまつた様に、お前は俺を殺しちまふだらうよ。これが俺達の定めなのだ、俺達の様な情深い心を持つた者の定めなのだ……』。ああ、蠢《うごめ》いてゐるすべての人間達が、|あれ《ヽヽ》には奇怪な気違ひの玩具に見えたひと頃もあつたのです。|あれ《ヽヽ》は長い間恐ろしいくらゐ笑つて居りました。――さうしては又若い母親の様な、愛された姉の様ないつもの物ごしに返るのでした。|あれ《ヽヽ》の荒々しい性質がとれてゐてくれゝば、私達は救はれてゐたでせうに。と申しても|あれ《ヽヽ》の優しさもやつぱり妾には死ぬ思ひです。妾は、|あれ《ヽヽ》の思ひのまゝです。――あゝ、妾は気が違つて了ひます。
「何時かはきつと|あれ《ヽヽ》は奇蹟の様に姿を消して了ふ事でせう、だけど、若し|あれ《ヽヽ》が何処かの空へ帰つて行かなければならない身なのなら、妾は、妾の可愛い人の昇天の事をちらりと見るといふ事を知つてゐなくてはならないのです」
をかしな夫婦もあつたものだ。
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錯乱 U
言葉の錬金術
聞き給へ。この物語も数々の俺の狂気の一つなのだ。
俺は久しい以前から、世にありとある風景が己れの掌中にあるのが自慢だつた。近代の詩や絵の大家等は、俺の眼には馬鹿馬鹿しかつた。
俺は愛した、痴人の絵を、欄間《らんま》の飾りを、芝居の書割、辻芸人の絵びら、看板、絵草紙を。又、時代遅れの文学を、坊主のラテン語、誤字だらけの春本を、俺達祖先の物語と仙女の小噺、子供等の豆本、古めかしいオペラ、愚にもつかない畳句《ルフラン》や、あどけない呂律《リトム》やを。
俺は夢みた、十字軍、話にも聞かぬ探検旅行、歴史を持たぬ共和国、息詰る宗教戦争、風俗の革命、移動する種族と大陸。俺はあらゆる妖術を信じてゐた。
俺は母音の色を発明した。――Aは黒、Eは白、Iは赤、Oは青、Uは緑。――俺は子音それぞれの形態と運動とを整調した、而も、本然の律動によつて、幾時かはあらゆる感覚に通ずる詩的言辞も発明しようとひそかに希ふ処があつたのだ。俺は翻訳を保留した。
最初は試作だつた。俺は沈黙を書き、夜を書き、描き出す術もないものも控へた。俺は様々な眩暈《げんうん》を定著した。
∴[#★3つ]
鳥の群れ、羊の群れ、村の女達から遠く来て、
はしばみの若木の森に取りまかれ、
午後、生まぬるい緑の霞に籠《こ》められて、
ヒイスの生えたこの荒地に膝をつき、俺は何を飲んだのか。
この稚いオアーズの流れを前にして、俺に何が飲めただらう。
――楡《にれ》の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆はれた。――
この黄色い瓠《ひさご》に口つけて、さゝやかな棲家を遠く愛しみ、
俺に何が飲めただらう。あゝ、たゞ何やらやりきれぬ金色の酒。
俺は、剥げちよろけた旅籠屋の看板となつた。
――驟雨が来て空を過ぎた。
日は暮れて、森の水は清らかな砂上に消えた。
『神』の風は、氷塊をちぎりちぎつては、泥池にうつちやつた。
泣き乍ら、俺は黄金を見たが、――飲む術はなかつた。
∴[#★3つ]
夏、朝の四時、
愛の睡りはまださめぬ、
木立には、
祭りの夜の臭ひが立ちまよふ。
向うの、広い仕事場で、
エスペリイドの陽をうけて、
もう『大工等』は
肌著一枚で働いてゐる。
苔むした『無人の境』に、黙りこくつて、
勿体ぶつた邸宅を、大工等は組んでゐる、
街はやがてその上を、
偽の空で塗り潰さう。
ヴィナスよ、可愛い『職人共』の為に、
バビロンの王の家来達の為に、
暫くは心|驕《おご》つた『愛人達』を、
離れて来てはくれまいか。
あゝ、『牧人達の女王様』、
大工の強い腕節が、真昼の海の水浴を、
心静かに待つやうにと、
酒をはこんで来てはくれまいか。
俺の言葉の錬金術で、幅を利かせてゐたものは、凡そ詩作の廃《すた》れものだ。
素朴な幻覚には慣れてゐたのだ。何の遅疑なく俺は見た、工場のある処に回回教《フイフイけう》の寺を、太鼓を教へる天使等の学校を。無蓋の四輪馬車は天を織る街道を駆けたし、湖の底にはサロンが覗いたし、様々な妖術、様々な不可思議。ヴォドヴィルの一外題は、様々の吃驚を目前にうち立てた。
而も俺は、俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によつて説明したのだ。
この精神の乱脈も、所詮は神聖なものと俺は合点した。堪へ難い熱に憑《つ》かれて無為の日を過しては、俺はけもの等の至福を羨《うらや》んだ、――穢れをしらぬ土龍《もぐら》の睡りや、幽界の無垢《むく》にも似た青虫を。
俺の性格は鋭く痩せて行つた。物語の中にゐて、人の世には俺は別れを告げたのだ。
一番高い塔の歌
時よ、来い、
あゝ、陶酔の時よ、来い。
よくも忍んだ、
覚えもしない。
積る怖れも苦しみも
空を目指して旅立つた。
厭な気持ちに咽喉は涸れ
血の管に暗い蔭がさす。
あゝ、時よ、来い、
陶酔の時よ、来い。
穢らはしい蠅共の
むごたらしい翅音を招き、
毒麦は香を焚きこめて、
誰顧みぬ牧場が
花をひらいて膨れるやうに。
あゝ、時よ、来い、
陶酔の時よ、来い。
俺は、沙漠を、萎《しほ》れ枯れた果樹園を、色褪せた商店を、生まぬるい飲料を愛した。疲れた足を引摺り、臭い露次を過ぎ、瞑目してこの身を火の神太陽に献げた。
「将軍よ、君の崩れた堡塁に、古ぼけた大砲が残つてゐるならば、乾いた土の塊りをこめ、俺達を砲撃してはくれまいか。すばらしい商店の飾窓を狙ふんだ、サロンにぶち込むんだ。街にどろつ埃《ぽこり》を食はせてやれ。蛇口などは皆んな錆びつかせてやれ。閨房にはどいつも焼けつく様な紅玉の煙硝をつめ込んぢまへ……」
あゝ、羽虫は、瑠璃草に焦《こが》れ、旅籠屋の小便壺に酔ひ痴れて、一筋の光に姿を消すか。
俺に食ひけがあるならば
先づ石くれか土くれか。
毎朝 俺が食ふものは
空気に岩に炭に鉄。
俺の餓鬼奴等、横を向け、
糠の牧場で腹肥やせ。
昼顔の陽気な毒を吸へ。
出水の後の河原石、
踏み砕かれた砂利を食へ、
教会堂の朽ち石を、
みじめな窪地に播《ま》かれたパンを。
∴[#★3つ]
食事にとつた飼鳥の
きれいな羽を吐き出して、
樹蔭で鳴いた狼の
真似して俺も窶《やつ》れよう。
野菜のサラダや果物の
もがれる許りでゐるものを、
垣根の蜘蛛めの食ふものは
たゞ、紫の菫草。
あゝ、眠りたい、煮られたい、
ソロモン王の祭壇で。
スウプは錆《さび》の上を駆け、
セドロンの流れに注ぐのだ。
あゝ、遂に、幸福だ、理智だ、俺は天から青空を取除いた。青空などは暗いのだ。俺は自然《ヽヽ》の光の金色の火花を散らして生きた。歓喜の余り、俺は出来るだけ道化た、錯乱した表現を選んだ。
また見附かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。
独り居の夜も
燃える日も
心に掛けぬお前の祈念を、
永遠の俺の心よ、かたく守れ。
人間共の同意から
月並みな世の楽しみから
お前は、そんなら手を切つて、
飛んで行くんだ……。
――もとより希望があるものか
|立ち直る《ヽヽヽヽ》筋もあるものか、
学問しても忍耐しても、
いづれ苦痛は必定《ひつぢやう》だ。
明日といふ日があるものか、
深紅の燠《おき》の繻子《しゆす》の肌、
それ、そのあなたの灼熱が、
人の務めといふものだ。
また見附かつた、
――何が、――永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。
俺は架空のオペラとなつた。俺はすべての存在が、幸福の宿命を持つてゐるのを見た。行為は生活ではない、一種の力を、言はば、或る衰耗をでつち上げる方法なのだ。道徳とは脳髄の衰弱だ。
俺は、それぞれの存在が、様々な|別の《ヽヽ》生活を借りてゐる様な気がした。この男なんか為る事が当人にも解らない、奴さん天使である。この家族ときたら、乳離れもしない仔犬共の一団だ。俺は人々の眼の前で、奴等の別の生活中の或る生活の瞬間を、大きな声で喋つたものだ。――かうして、俺には豚が可愛くなつたのだ。
錯乱の、――秘められた錯乱の――数々の詭弁は、一つとして逃したものはない。ぶちまけとあれば残らずぶちまけもしよう、からくりの糸はしつかり握つてゐる。
健康は脅かされた。恐怖は来た。幾日もの睡りに堕ちては、起き上り、世にも悲しい夢から夢を辿つた。臨終の時は熟した、この世の果て、シンメリイの果て、旋風と影との国へと、怪しげな道を、俺の羸弱《るゐじやく》はこの身を駆つた。
俺は旅をして、この脳髄の上に集り寄つた様々な呪縛を、祓つて了はねばならなかつた。俺は海を愛した。この身の穢れを洗つてくれるものがあつたなら、海だつたに相違ない。俺は海上に慰安の十字架の昇るのを見た。俺は虹の橋に呪はれてゐたのだ。『幸福』は俺の宿命であつた、悔恨であつた、身中の虫であつた。幾時になつても、俺の命は、美や力に捧げられるには巨き過ぎるのかも知れない。
『幸福』だ。鶏鳴と共に、――|朝基督は来給へり《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》の声と共に、――見る影もなく悲し気な街々で、絶え入る様に優しい幸福の歯は俺に告げた。
あゝ、季節よ、城よ、
無疵なこゝろが何処にある。
俺の手懸けた幸福の
魔法を誰が逃れよう。
ゴオルの鶏の鳴くごとに、
幸福にはお辞儀しろ。
俺はもう何事も希ふまい、
命は幸福を食ひ過ぎた。
身も魂も奪はれて、
何をする根もなくなつた。
あゝ、季節よ、城よ。
この幸福が行く時は、
あゝ、おさらばの時だらう。
季節よ、城よ。
過ぎ去つた事だ。今、俺は美を前にして御辞儀の仕方を心得てゐる。
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不可能
季節もわかたず街道を行き、あの世の様に食も断ち、物乞ひ等の尤物《ゆうぶつ》よりも利慾を離れ、郷もなく友もないこの身を誇り、あゝ俺の少年時、想へば愚かな事であつた。――漸《やうや》く俺も合点した。
――今となつては、女等は俺達のお歯には合はないが、凡そ世の女等の清潔と健康との寄生虫となり、愛撫の機会は一つとしてのがさない、世のいゝ気な男達を、俺が侮蔑したのは正しかつた。
俺も逃亡ときめるからには、俺のあらゆる侮蔑にはそれぞれ理由は持つてゐた。
如何にも俺は逃げる。
理由はかうだ。
昨日も俺は溜息をついた、「おや、おや、俺達もこの下界でこの位呪はれてゐれば充分だ。俺も奴等と一座してからずゐ分長い。どいつもこいつも知つて了つた。どうせお互に認め合つては憎み合つてゐるんだ。俺達には慈愛といふものはわからない。だが礼儀には厚いのだ。俺達世間の交際といふものは如何にも御都合に出来てゐる」。一体何の変哲があるのだ、この世の中が、商人達がお目出度屋達が。――皆んな体面だけは保つてゐる。――処で世の選ばれた人々といふ奴は、俺達をどうあしらはうといふのだらう。俺達が奴等に近づくのに向う見ずになつたり、へり下《くだ》つたりしなければならない以上、世には突慳貪《つつけんどん》で上機嫌な人間、いかさま名士といふものはあるものだ。選ばれた人々とはこんな手合に限るので、他人の世話を焼きたがる人間ではない。
鐚銭《びたせん》同然の分別が又戻つて来て、――何、ちよつとの間だ。――俺の数々の煩悶は、俺達は西洋にゐるのだと早く悟らなかつた事に由来する、と俺は気附く。西洋の沼々よ。俺はその変性した光を、衰弱した形式を、錯乱した運動を信ずるとは言はないが……、よし、今、俺の心は、東洋の終焉《しゆうえん》この方、人間精神が辿つて来たありとある残虐な発展をあます処なく引き受けよう……、俺の心が望む処だ。
……扨て鐚銭分別はおしまひだ。――精神は権威だ、俺が西洋にある事を望むのだ。俺は、嘗て希つた通りの始末をつける為に、この精神を黙らせねばなるまい。
俺は殉教者の勝利を、芸術の光輝を、発明者の驕慢を、掠奪者の情熱をかなぐり捨てた。俺は再び東洋に帰つた、永遠の、当初の叡智に帰つた。――なんの事はない、御粗末な怠け者の夢か。
だが、俺は、近代の苦悩を逃れる喜びを想つたわけではない。コオランの二股かけた叡智を当てにしたわけでもない。――だが、あの科学の宣言以来、基督教が、人間が、わかりきつた事をお互に証明しては、|ふざけ合ひ《ヽヽヽヽヽ》、証明をくり返しては悦に入り、凡そ外に生きる術がなかつたといふ処にこそ、まことの罰があるのぢやないか。抜目のない、又馬鹿馬鹿しくもある責苦だ、俺の心があれこれと彷徨《さまよ》ひ歩いた所以《ゆえん》だ。これでは自然も愛想をつかすことだらう。『お悧巧な方々』は基督と一緒に生れなすつた。
それといふのも俺達が霧でも耕してゐるからではないのか。俺達は俺達の水気の多い野菜と一緒に熱を啖《くら》つてゐる。そして、酒びたりだ、煙草だ、無智だ、献身だ。――何も彼もが、原始の国、東洋の思想と叡智とからは結構遠くにあるではないか。こんなに毒物ばかりが製造されて何が近代だ。
『教会』の人々は言ふだらう、「解つてゐる。だが、あなたのおつしやるのはエデンの事だらう。東洋人達の歴史にはあなたのお為になるものはない」――違ひない、俺の夢みたものはエデンの園だ。一体俺の夢にとつて古代民族のあの純潔が何を意味する。
今度は哲学者だ、「世界は若くもなければ年寄でもない、人類が単に場所を変へるだけだ。あなたは西洋にゐるが、あなたがあなたの東洋に住むのは御自由だ、どんなに古いところを望まうと、――そこに手際よく住まうと、御自由だ。負けてはいけない」。哲学者、君等は君等で西洋種だ。
俺の精神よ、気をつけろ。過激な救ひにくみするな、鍛錬を積む事だ。――あゝ、科学は俺達の眼にはまだるつこい。
――だが、どうやら俺の心は眠つてゐる様だ。
俺の精神が、この瞬間から絶えずはつきりと目覚めてゐてくれるものとしたら、俺達はやがて真理に行き著くだらうに。真理は俺達を、泣いてゐる天使等をつれて取巻くであらう。……――若し俺の精神がこの瞬間まで目覚めてゐてくれたものなら、記憶にもないあの昔、俺は邪悪の本能に屈する事はなかつただらうに。……――絶えずはつきり目覚めてゐてくれたなら、俺は叡智を満身に浴びて泳いだらうに。……
あゝ、純潔よ、純潔よ。
俺に純潔の夢を与へたものはこの目覚めの時だ。――精神を通して、人は『神』に至る。
想へば身を裂かれる様な不幸。
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人間の事業、これが折々俺の深淵に光を放つ爆発だ。
「何一つ空しいものはない。科学へ、進め」、近代の『伝道之書』が、といふのはつまり|誰も彼もが《ヽヽヽヽヽ》喚いてゐる。だがやつぱり、根性曲りやのらくら者の死屍は、あとからあとから人々の胸の上に斃《たふ》れてくる、……あゝ、早く、早く見せて欲しいものだ、闇夜を越えて、彼方には、人々の未来永劫の酬《むく》いがある、……酬いをどうして逃れよう。……
――俺にこの世で何が出来る。俺は事業を知り抜いた、科学の足は遅すぎる。祈願は疾駆し、光は轟き、……それも俺には分つてゐる。あんまりたわいがない、暑苦しい。俺の手が要るわけでもあるまい。俺には俺の義務がある、そいつを誰かさんみたいに棚に上げといて自慢するとするか。
俺の命は擦り切れた。さあ、皆んなで誤魔化さう、のらくらしよう、何といふざまだ。戯れ乍ら暮して行かう、きつ怪な愛を夢みたり、幻の世を夢みたり、不平を言つたり、辻芸人とか乞食とか芸術家とか盗賊とか、――さては坊主とか、様々な世の外観と争つたりし乍ら暮して行かう。施療院の寝床の上で、香の薫りは又強く俺を襲つた。あゝ、聖香を護る人、懺悔者、殉教者、……
俺は、其処に、幼い日の汚れた教育を見た。それから何があつたか。……他人が廿歳の年をとり俺も廿歳の年をとり……
いや、いや、今、俺は死に反抗する。事業は、俺の誇りには、あんまり安手の代物らしい。俺がこの世に裏切るとも、結句、束の間の責苦だらう。いよいよとなつたら、手当り次第掴みかゝつてやる、……
処でだ、――やれ、やれ、可愛い、哀れな魂よ、俺達には永遠はまだ失はれてはゐないのだらうか。
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|一度は《ヽヽヽ》この俺にも、物語を想ひ、英雄を想ひ、幸運に満ち満ちて、黄金の紙に物書いた、――愛らしい少年の日がなかつたらうか。何の罪、何の過ちあつて、俺は今日の日の衰弱を手に入れたのか。諸君は、けものは苦しみに噎《むせ》び泣き、病人は絶望の声をあげ、死人は悪夢にうなされると語るのか、では俺の淪落と昏睡とを何と語つてくれるのか。あゝ、俺にどうして俺が語れよう、乞食等が|パアテルとアヴェ《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》・|マリア《ヽヽヽ》とをくり返す様なものだ。|俺にははや話す術すらわからない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
だが、今日となつては、俺も、俺の地獄とは手を切つたと信じてゐる。いかにも地獄だつた、人の子が扉を開けた、昔乍らのあの地獄だつた。
生命の『王達』、三人の道士、心と魂と霊とは、静まり返り、同じ沙漠から同じ夜へと、俺の疲れた眼は、いつも銀色の星の下で目覚めてゐる。砂浜を越え、山を越え、新しい仕事、新しい叡智、僭主と悪魔との退散、妄信の終焉を謳ふ為に、――最初の人々として、――地上の『降誕』を称へる為に、俺達の行く日は幾時だ。
天上の歌、人々の歩み。奴隷共、この世を呪ふまい。
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別れ
もう秋か。――それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、――季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。
秋だ。俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜《ともづな》を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥のしみついた空を負ふ巨きな街を目指して、舳先をまはす。あゝ、腐つた襤褸《らんる》、雨にうたれたパン、泥酔よ、俺を磔刑にした幾千の愛慾よ。さてこそ、|遂には審かれねばならぬ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》幾百万の魂と死屍とを啖ふこの女王|蝙蝠《かうもり》の死ぬ時はないだらう。皮膚は泥と鼠疫《ペスト》に蝕まれ、蛆虫は一面に頭髪や腋の下を這ひ、大きい奴は心臓に這ひ込み、年も情も弁へぬ、見知らぬ人の直中《ただなか》に、横はる俺の姿が又見える、……俺はさうして死んでゐたのかもしれない、……あゝ、むごたらしい事を考へる。俺は悲惨を憎悪する。
冬が慰安の季節なら、俺には冬がこはいのだ。
――時として、俺は歓喜する白色の民族等に蔽はれた、涯もない海浜を空に見る。黄金の巨船は、頭の上で、朝風に色とりどりの旗をひるがへす。俺はありとある祭を、勝利を、劇を創つた。新しい花を、新しい星を、新しい肉を、新しい言葉を発明しようとも努めた。この世を絶した力も得たと信じた。扨て今、俺の数々の想像と追憶とを葬らねばならない。芸術家の、話し手の、美しい栄光が消えて無くなるのだ。
この俺、嘗ては自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思つた俺が、今、務めを捜さうと、この粗々しい現実を抱きしめようと、土に還る。百姓だ。
俺は誑《たぶら》かされてゐるのだらうか。俺にとつて、慈愛とは死の姉妹であらうか。
最後に、俺は自ら虚偽を食ひものにしてゐた事を謝罪しよう。さて行くのだ。
だが、友の手などあらう筈はない、救ひを何処に求めよう。
如何にも、新しい時といふものは、何はともあれ、厳しいものだ。
俺も今は勝利はわがものと言ひ切れる。歯噛みも火の叫びも臭い溜息も鎮まり、不潔な追憶はみんな消え去る。俺の最後の未練は逃げる、――言はば乞食、盗賊、死の友、あらゆる落伍者の群れへの嫉妬だが、――復讐成つた以上は亡者共だ。
断じて近代人でなければならぬ。
頌歌はない、たゞ手に入れた地歩を守る事だ。辛い夜だ。乾いた血は、俺の面上に煙る、このいやらしい小さな木の外、俺の背後には何物もない。……霊の戦も人間の戦の様にむごたらしい、だが正義の夢はたゞ『神』の喜びだ。
まだまだ前夜だ。流れ入る生気とまことの温情とは、すべて受けよう。暁が来たら俺達は、燃え上る忍辱《にんにく》の鎧を著て、光り輝く街々に這入らう。
友の手が何だと俺は語つたか。有難い事には、俺は昔の偽りの愛情を嗤《わら》ふ事が出来るのだ、この番《つがい》になつた嘘吐き共に、思ひ切り恥を掻かせてやる事も出来るのだ、――俺は下の方に女共の地獄を見た、――扨て、俺には、|魂の裡にも肉体の裡にも《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|真実を所有する事《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》が許されよう。
[#地付き](一八七三年、四月―八月)
〈底 本〉文春文庫 昭和五十五年九月二十五日刊