小林信彦
怪物がめざめる夜
目 次
プロローグ
1 熱帯夜
2 フラッシュバック
3 イノセント
4 〈ミスターJ〉
5 教育とその効果
6 アクシデント
7 人形つかい
8 「ムーン・リヴァー」
9 ネットワーク
10 仕掛け
11 恐怖の核心
12 夢のつづき
エピローグ
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プロローグ
私たちが子供のころ、〈変な噂《うわさ》〉とか〈悪い冗談〉とか呼んでいたもの、そして、すぐに忘れ去ったものが、最近では学問の一つになっているようである。
たとえば、こんな噂だ。小学校一、二年のころ、青山通りのあるレストランの裏に置かれた大きなポリバケツには猫《ねこ》の首が詰まっている、と同級生に教えられた。当時、評判だったこの店が料理に猫の肉を使っているというのだ。私は一瞬ぞっとしたが、信用はしなかった。私の父に言わせると、こうした〈悪い冗談〉は太平洋戦争の末期、食肉がなかったころに、東京のあちこちのレストランについてささやかれたとのことである。
それでも、高名なレストランと猫の首という取り合わせが不気味で記憶していたのだが、〈悪い冗談〉は、はるかのちに再生する。すなわち、某ファストフード・チェーンのハンバーガーが〈猫の肉を使っている〉という噂である。やがて、こうした噂は民俗学者によって収集され、〈都市伝説〉〈新しいフォークロア〉となる。
ここ数年のもっともおそるべき噂は、バーや飲み屋での男たちの会話から始まった。――独身の男が六本木のディスコ(またはバー)で美しい女性に会い、ホテルで一夜を共にした。翌朝、男が目覚めると、女はいない。浴室をのぞくと、鏡に真赤な口紅で〈エイズの世界にようこそ!〉と書いてあった、というものである。
週刊誌までがとりあげた噂は、六、七年前に、アメリカやスエーデンで盛んであったことが、今では明らかになっている。〈都市伝説〉は国際化しているのだ。
こうなると、放送作家である私のまわりでささやかれている〈アイドル歌手が吐き出した毒入りヴァレンタイン・チョコレート〉や〈有名テーマ・パークでの事故死者の処理法〉も、にわかには信じられなくなってしまう。ひょっとしたら、それらのオリジナルは海外にあるのではないか。
しかしながら、決して活字化されることのない伝説も、私の近くに存在する。私が出入りしている西新宿の中央放送の地下のシャワー室では、深夜になると女の啜《すす》り泣きがきこえることがあるという。(二十年ぐらい前に、先輩にいじめられた新人アナウンサーが自殺した事実は確かにあるのだが。)また、六本木にある東都放送のもっとも古いスタジオは、夜中になると古めかしい音色のギターが響き渡ることが知られている。
こうした噂、都市伝説という名の怪談を私は信じてはいない。しかしながら、世の中に、ひとことでは話せない、ある種の超能力をもふくむ、奇妙で複雑な伝説が存在するのを否定するものではない。
たとえば――真夏の炎天下、放送局の駐車場で、一人の放送作家が見知らぬ男に鋭利なナイフで刺された事件だ。犯人は逃走し、事件は公《おおやけ》にならなかった。
それから数ヵ月後、別な放送作家が改造銃で狙撃《そげき》される事件が起った。事件は広く報じられたが、二つの事件、二人の被害者に共通する部分があり、関連があることは、私を含めて、ほんの数人しか知らない。
なぜ、私が知っているのか、と問われるだろうか? 答えは簡単だ。のちに多くの伝説を生んでゆくある事件の、私は当事者ともいうべき人物であるから。今は、それだけしか言えない。
1 熱帯夜
ニューヨークではバンコックと同じくらい暑い夜がある、という書き出しの小説があったが、東京ではシンガポールよりも暑い夜がある。東京湾から二十三区にかけての中心部が長い円筒状の熱気に包囲され、風が止ってしまう。
ベッドに入る前に、テレビの天気予報を見る習慣があるが、不自然な笑みを浮べた女性が「明日も残暑がきびしいでしょう」とひとごとのように言った。残暑かよ、これが、と心の中で言いかえさずにはいられない。熱波は半永久的につづく気がする。
寝室に入り、電子冷却|枕《まくら》のスイッチを入れる。数年前に売り出され、いまでは店頭で見かけることもない物だ。ラジオのスイッチを入れ、後頭部が触れるマットの部分が冷えてくるのを待つ。
夏が好きなのは、三十までだったろうか。三十を少し過ぎたころから夏が苦痛になった。六月になるとクーラーの除湿装置を作動させ、やがて冷房にきりかえる。十年近くそんな風にしてきた――クーラーは身体《からだ》によくないと医者に注意される――が、眠れないよりはましだ。そして、深夜にクーラーを切ってからの兵器が〈電子冷却枕〉なのだ。大げさで滑稽《こつけい》な名前だが、他に命名しようがないだろう。おそらく、日本以外の国には存在しない物で、日本でも使っている人に会ったことがない。製造停止になっているらしいから、VHDプレーヤーなどと同じ〈電化時代の骨董品《こつとうひん》〉かも知れない。だが、この骨董品は熱帯夜にはすばらしい効果を発揮する。マットの部分に封入された適量の水と塩化ビニールフォームが適度の冷たさを保証してくれる。
電話が鳴った。左手で受話器をひろいあげる。
――平川です。お仕事中でしたか?
いや、と答えて、私はラジオの音楽を切った。
――ビデオかなにか観《み》ているんじゃないですか?
相手は慎重に訊《き》いた。
――帰ってきたら、留守番電話にあなたの声が入っていたので……。
私は冷却枕のスイッチを切り、小型のクッションを枕にのせた。身体を俯《うつぶ》せにして、左|肘《ひじ》を突くためだ。
――こんな遅くに悪かった。話したいことがあって。
――どうしたんですか?
――話が長くなる。ぼくの方からかけ直そう。
――いいですよ。何かあったんですか?
平川の声が低くなる。
私はためらった。やや冷静さをとり戻した今では、どうでもよいことのようにも思われる。
――おとなげなかったかも知れない。ただ、留守電の言葉をとり消すのも変だしね……。
相手は答えない。私の言葉を待っているのだ。
――今日、不愉快なことがあった。ぼくがやってるラジオ番組のことで、副部長の土田に文句を言われた。番組のオープニングの赤羽明の挨拶《あいさつ》のところに、政治家の汚職についての皮肉を入れたのがいけないというのだ。いまの時期、あの問題を除いて、挨拶があるだろうか。
――番組が終ってからですか?
――ああ。
――赤羽明が番組の中で演説をぶったわけじゃないのでしょう?
――例のぼやくような口調で軽く皮肉を言ってさ。ぼくの台本に書いてあることしか言っていない。それも、ほんのひとこと。
――土田さん、なにを考えているんだろ。
――番組が終ったら、スタジオの外に立っていた。ロビーの隅《すみ》に行って、いきなりクレームだ。われわれは娯楽番組を作っているので、政治|諷刺《ふうし》は必要ない、だってさ。
――わからないなあ。
――あの番組は初めからぼくが書いている。もう四年以上だ。諷刺なんて考えたこともない。昼の一時から三時といえば、主婦とタクシーやトラックのドライヴァーが対象だろ。だからといって、赤羽の冗談だけじゃ駄目《だめ》なんだ。主婦といっても、二十代、三十代の女性で、今度の汚職事件には、みんな怒っている。抗議のファックスも多い。いやな言い方をすれば、商売としても、あの問題に触れた方がプラスなんだ。ひとことでいいから、ずばりといえば、大衆はすっきりする。
――それじゃまずいんですがね、本当は。汚職といっても、今度のは内閣がらみですから。ラジオでも特別番組を作らなければいけないんです。
平川は冷静に言った。
――土田さんは副部長になって変ったのかな。
――副部長なんて名前だけじゃないか。
――そうでもないらしいですよ。ずいぶんいいかげんな人だと思ってたけど、それなりに守りに入ったんじゃないですか。
私は答えなかった。
――矢部さんの怒りはわかります。赤羽は知ってるんですか?
――知っている。きこえないふりをしていた。
――ひどいな、それは。
――タレントなんて、そんなものさ。ぼくはそう思っている。
――そうでしょうか。
――悪い人間じゃないけどね。でも、台本作家を擁護はしない。
――でも……。
平川は不満そうだった。
――四年間、いっしょにやってきたのでしょう? あの番組が好評なのは、矢部さんの功績が大きいですよ。
――そう言ってくれるのはきみだけだ。ラジオの台本なんて誰でも書けると、みんな思っている。じじつ、構成《フオーマツト》があれだけしっかりしてしまえば、あとは、ぼく以外の誰か、新人でも書けるかも知れないし。
――本気でそう思っているわけじゃないでしょう。
付き合いが長いだけに、平川は私の自尊心を見抜いていた。台本作家の多くが局の便利屋になっている中で、彼は違っていた。洞察力《どうさつりよく》があり、ひそかに小説を書いていると私に打ち明けたこともある。
――それだけクールに割り切っていれば、ぼくに電話をかけてくることはないはずです。あなたが留守電に語りかけるのが嫌《きら》いなのを知っていますからね。よほどのことでしょう。
私は沈黙していた。
――赤羽明についても、あなたは無理をしていますよ。あいつが局アナを辞める時、相談に乗ったのはあなたでしょう。だいたい、あの番組は、赤羽とあなたの二人三脚でやってきた。それでなければ、才能が溢《あふ》れているとも思えない赤羽がパーソナリティとしてやってこられません。あなたは〈お仕事〉ではなく、|本気で赤羽にいれ込んでいた《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。少くとも、そういう時期があった。
――まあね。
――土田さんが莫迦《ばか》なことを言ったのは確かでしょう。あなたが反論できなかったのも仕方がないことです。なにか言えば口論になりますし、土田さんの立場が強いに決ってます。でも、赤羽はフリーの人間ですからね。メイン・パーソナリティとして、反論すべきです。そうじゃなかったら、番組なんて出来やしない。
沈黙したまま、私は左肘をずらせた。
――もっと言いましょうか。あなたは土田さんだけじゃなく、赤羽に対しても不満を持っている。しかし、それは他人に言えないし、理解されるはずがないのです。ぼくはともかく、他人は〈台本作家のわがまま〉とか〈思い上り〉と考えるでしょうからね。ちがいますか?
やや間《ま》をおいて私は答えた。
――さすが。小説家になろうという人はちがうものだ。
――冷やかさないでください。
――冷やかしじゃない。きみはとっくに見抜いているだろうが、ぼくは放送作家に向いていない。四十を過ぎて、こんなことでめげていたんじゃ、やっていけないよ。
――そんなこと言わないでください。あと二年でぼくも四十ですから。
――いまさら転業もできない。それで苛立《いらだ》っているんだ。
私の声は落ちついてきた。
――仕方がないさ。
――元気を出してください。
――だいたい、ぼくがこの世界に入ったころは、ラジオの方がテレビより自由にものが言えるという錯覚があったんだ。〈解放区〉なんて、今は死語だけど、ラジオがそうだという人もいた。ぼくはそこまで楽天的ではなかったけど。
――覚えてますよ。ぼくが中学か高校のころ、〈深夜の解放区〉って言葉がありました。
――じゃ、笑えるよ。あの言葉を叫んでいたのは、若手アナウンサー時代の土田なんだ。
――本当ですか?
――いまや、わずか三行の汚職批判にとび上ってる男にも、そういう時期があったというわけ。
――時代の風潮に乗り易《やす》いだけじゃないですか。
――放送用語の規制だって、いまや、ラジオの方がうるさいと言われている。特定の職業を差別してはいけないというけど、〈乞食《こじき》〉という言葉はなぜいけないのか、〈乞食〉は職業なのか、と赤羽明がぼやいていた。
――〈乞食〉は使えないんですね。〈レゲエの人〉とか〈レゲエのおじさん〉とか言いかえます。
――何年か前はそれでよかったけれど、日本でも、本物のレゲエのミュージシャンが増えてきたから、具合が悪くなった。
――|おこもさん《ヽヽヽヽヽ》と言いかえてたキャスターがいましたよ。「寒くなったので、地下道に|おこもさん《ヽヽヽヽヽ》の姿が多くなりました」てのは、なんか江戸時代みたいで変ですね。
私たちは笑いだした。
それだけで、息苦しさがわずかではあるが柔らいだ。専制政治下の民衆がジョークを好むという事実が感覚的にわかった。笑いは方法であり、欲しいのは心の安らぎだ。
――きみはユニークだよ、着眼点が。
笑いの残る声で私は言った。
――むかし、スターリンについてのジョーク集とか、ソ連のジョーク集といった本が出ていただろ。ああいう笑いは不幸なのだが、われわれにも必要なようだ。どうだろう、現代日本のタブーについてのジョークを一冊の本にしてみたら。
――さあ……。
――出版社が見つからないか。
――心当りはありますよ。
――向うが乗らないか。
――タブーについてのジョークじゃ駄目ですね。
――すれすれでも?
――まあ、無理でしょう。
電話のプラグを抜いた。冷却枕があるとはいえ、眠りに入るのは四時に近い。
目がさめた時、厚いカーテンの間から強烈な陽光がもれていた。リモコンでクーラーを入れ、さらに四十分ほど眠る。
西新宿にある中央放送のスタジオに入った時も頭がはっきりしていない。明らかに睡眠不足だった。赤羽明も眠そうな顔で煙草《たばこ》をくわえていた。
赤羽明の「文句あるか」は基本的には〈いいかげんな〉番組だ。そうでなければ、毎日はやれない。しかし、二時間の中に〈真面目《まじめ》な〉ポイントを三つは作っておく。その日は〈アフリカへの援助物資は本当に民衆の手に届いているか〉というもので、副部長からのクレームはなかった。遠い国のことだからだろう。
マンションに戻ると、郵便受けに小包みが入っていた。アメリカに住む友人が送ってくれたビデオ。袋と重さでわかる。
リヴィング・ルームのクーラーを入れ、胡座《あぐら》をかいた。袋を手にとると、税関が中身を調べた跡があった。開封し、ビデオを調べたあと、ホチキスで乱暴に閉じたのだ。あらゆるビデオをポルノグラフィと疑う男たち。
いつものこととはいえ、かすかな不快感を胃に感じる。それを押し殺した私は鋏《はさみ》でホチキスで閉じられた部分を切る。百二十分のビデオカセット二つと小さな本が出てくる。英語の本の題名は『コメディの新世代』。
キッチンに入り、氷を入れたオレンジ・ジュースを飲んだ。部屋はまだ冷えていないが、ビデオデッキにカセットを入れた。
すぐに、小さなクラブでのコメディアンのひとり喋《しやべ》りが始まった。いわゆるスタンダップ・コメディアンだ。日本にはないこの種のコメディを私に教えるために、友人はときどきビデオを送ってくれる。
最初に出てきたのはドイツ人のコメディアンだった。たどたどしい英語なので、私にもわかり易い。
――ぼくの父はハンブルグで生まれた。
と、やせたドイツ人は言った。
――母はフランクフルトだ。ぼくの言いたいことはもうわかるだろう。つまり、ぼくはハンバーグとフランクフルト・ソーセージの混合なんだ。
クラブの客はかすかに笑った。
ドイツ人はわずかな間をおいて、
――こんなジョークじゃ、いまどき、ドイツ人でも笑わない。
客はどっと笑った。
ようやく落ちついたドイツ人は、アメリカ人は実に奇妙だと言った。そして、いろいろな例をあげる。客たちの笑いはとまらなくなる。それらの例は、彼がアメリカの慣習についていかに無知かをならべているだけだからだ。
ドイツ人は十分ほどで引っ込み、私はジュースの残りを飲む。
次に出てきたのは髪の毛を長くした若い韓国人だった。
――誰も信じないでしょうけど、ぼくはミシシッピ川の西で生まれたんです。
ひとことで客は大いに笑った。
十分ほど観て、司会者が出てきたところで、私はビデオをとめた。
私は『コメディの新世代』を手にした。スタンダップ・コメディアンのカタログのようなもので、顔写真がならんでいるが、知っている顔は一つもなかった。
それでも、大きなムーヴメントが起りつつあることは感じられる。本の序文によれば、一九七〇年代半ばから始まったアンダーグラウンド・コメディの大衆化は、八〇年代になって新しい時代を作ったという。全米には約三百のコメディ・クラブがあり、無数のコメディアンたちがいる。彼らのジョークの多くは大ネットワークでは放送できないものだが、ケーブル・テレビ等の普及により若い大衆の熱狂的な支持を得るようになった……。
私は本を投げ出し、重い息を吐く。
すべては海の向うでの出来事であった。経済的に多くの問題をかかえているとはいえ、ポップ・カルチュアに関しては新しい才能が輩出している国の話である。
二十年若かったら、自分も西海岸の外れの小さなクラブでこの種のコメディアンを志していたかも知れない、と思った。たぶん、ジョークは作ることができる。問題は技術と英語だが、英語はそううまい必要はない。LとRが混乱した方が、アメリカ人は喜ぶ。つまり、〈一般アメリカ人から見た典型的な日本人〉を演じればよいのだ。おそらく、眼鏡をかけ、首からカメラをぶらさげ、片手にラジカセを持って登場するだろう。
私の夢想はそう非現実的なものではない。私の知る限りでも、この分野で活躍している日本女性がひとりいる。たしか関西の出身で、奇妙なキモノを着て、嘘《うそ》の原爆体験を語って、観客を笑わせる。彼女が一流のトーク番組に出演した時のビデオを観たが、司会者は「言葉のちがう国にきて、大胆に言葉で勝負する彼女に拍手を!」と暖かい声援を送っていた。たしかに、それはぞくっとするような〈勝負〉だった。
〈スタンダップ・コメディアンはまったく単独で大衆に立ち向う〉と、小さな本にあった。〈もっとも似ているのは闘牛士だろう。しかし、闘牛士は幾つかの武器を持っている。スタンダップ・コメディアンはそうした武器を持たない。彼の剣は彼のウイットだけだ。言葉、ゼスチュア、表情のニュアンスによって表現されたウイットだけなのだ。〉
武器を持たない闘牛士という比喩《ひゆ》は私の心に残った。私にできることではないが、そんな闘牛士を見たいと思った。
翌日も異常な暑さで、夢想とは縁のない仕事が私を待っていた。赤羽明は数すくない売り物の一つである奇声を発して番組を盛り上げ、機嫌《きげん》がよかった。
その日の小コーナーは、街に出た若い女性アナによる〈ラヴホテル前からの実況中継〉だった。カップルの出入りやためらいを細かく報告するもので、女性アナが表現に窮するたびに赤羽は「しっかりしろ」とサディスティックに怒鳴りつけ、面白いね、矢部さん、と私に言った。
私は面白くなかった。なによりも若い女性アナに対するセクシュアル・ハラスメントであり、彼女をひどく傷つけていると感じた。赤羽にとっては初めてかも知れないが、実は何度もくりかえした手だった。今のスタッフが知らない遠い昔に。才能が擦り切れた私は過去のストックだけで細々と仕事をつづけているのだ。
三つしか違わないのに平川はテレビ界にも進出している。自分の才能を確信しているのだろう。私はぼろぼろになり、そのせいか批評眼だけが鋭くなっている。
番組が終ると、赤羽明とカフェテラスへ行き、『コメディの新世代』の話をした。
「ひとりでやっても〈コメディ〉っていうのですか」
三十代前半の赤羽は不思議そうに言う。
「そうらしい」
「ふん」
あまり興味がないようだった。
「そういうの、日本じゃ駄目でしょう」
「駄目かね」
「観客を限定して、小ホールで放送禁止用語をばんばん使うトークをやると、マスコミに密告する奴《やつ》がいるそうです。やってられないすよ」
腕時計を見て、結婚|披露宴《ひろうえん》の司会がある、と立ち上った。
密告《ちくり》の話は私も耳にしていた。〈社会正義〉や〈ヒューマニズム〉を持ち出されたら、芸人には勝ち目がない。ムラ社会の陰惨な面が浮び上ってくる。
風土の問題か、と私はつぶやく。ユダヤ人の芸人はユダヤ人を嗤《わら》い、黒人の芸人は黒人を嗤う。そのウイットに共感することで国籍のちがう観客が一つになってゆく。そういう形でしか人々が結びつけない事情があるのかも知れないが。
コミックのゴッサム・シティの中心部にでもありそうな奇怪な建造物の脇《わき》を通って、向い側のシティ・ホテルに向う。都庁と呼ばれる醜悪な建物を見ると胃のあたりにしこりを感じ、しばらくは不快さから自由になれない。なぜこれほど悪趣味で巨大な建造物を作ったのか。なぜこれほど威圧的なのか。
ホテルのコーヒーショップに入る。緑の見える窓ぎわの席に東一彦《あずまかずひこ》がいた。髪の毛の一部が白くなり、顔色もよくない。
「暑くないですか、その席」
私は声をかけた。
「少し陽《ひ》が入るけど」
東は言い、向い側の椅子《いす》にのせた焦茶《こげちや》のショルダー・バッグを手にとった。
「きみはいやかね」
「いえ」
私は椅子にかけ、アイス・ティーを注文する。
「忙しいところをすまない」
「忙しくないですよ」
「そんなことはないだろう」
東は地味な開襟《かいきん》シャツの胸ポケットからメモ用紙を出した。
「早速だけど、〈笑いのニュー・ウェーヴ〉について話をききたいんだ。この方面は疎《うと》いのでね、ぼくは」
なるほど、そのために呼び出されたのか。
「現場の放送作家として、〈ニュー・ウェーヴ〉の連中をどう思いますか」
口調がていねいになる。
「せっかくのご質問ですが……日本には〈笑いのニュー・ウェーヴ〉なんてものはないのです」
身も蓋《ふた》もない答えだった。驚いた東は私を見つめた。
「……いや、そんなことはないだろう」
つぶやくように言う。そして、何人かのタレントの名をあげた。
「たしかに、そういう人たちは存在しています」と私はゆっくり言った。「テレビ局としては番組を作らなければならないですからね。一人一人ではとても売れないようなのを、まとめて、叩《たた》き売りするわけです。スーパーのバーゲンと同じですよ。バーゲンをやれば、一時的でも賑《にぎ》やかになるでしょう。そうやって、時間をつないでるんです。ご参考までに申しあげれば、ここ十年以上、これという才能は登場していませんよ」
「じゃ、〈ニュー・ウェーヴ〉というのは嘘か?」
「局やプロダクション、あるいは迂闊《うかつ》なジャーナリズムがでっちあげたものです。でっちあげなければ商売にならないから、仕方がない面もあります。ただ、われわれ現場はそういう|まやかし《ヽヽヽヽ》を信じていないというだけで……」
「困ったな、これは」
「今のはあくまで、ぼくの意見ですから。芸能評論家といった連中に訊《き》けば、とうとうと説明してくれますよ。連中はそれが商売ですから」
「ぼくは矢部さんを信用しているからな」
東は腕を組んだ。
「新聞記者なのに、|まやかし《ヽヽヽヽ》に驚くのはおかしいですよ。社会部のころは、政治家なんていっさい信用していなかったでしょう?」
「それはそうだが……」
「同じことですよ、文化方面だって……」
そう言いきって、アイス・ティーのストローをくわえた。
「きみにそう言われると、企画そのものが間違っているような気がしてくる。取材をするのが莫迦《ばか》らしくなってきた」
東はメモ用紙を胸ポケットに戻した。
「そういう世界なのです。政治がいかさまであるように、文化・芸能一般もいかさまです」と、ぼくはつけ加えた。「すべてとはいえないまでも、大半はいかさまです。釈迦《しやか》に説法でしょうが、人の発言や現象の裏に何があるかを疑ってみる必要があります。誰かがタレントを誉《ほ》めるにしても、七割は打算があるでしょう。純粋な気持で誉める人間は、まずいませんね」
「しかし……」
東はまだ納得できないようだ。
「きみは純粋な気持で誉める人だと思う。ちがいますか?」
「そりゃそうです、現場の人間ですから」
「変な言い方だが、きみは超能力者ではないかと思うことがある。歌手でも役者でも、きみがそっと教えてくれて、一年か二年たつと、わっと話題になる。一種の超能力じゃないか」
「かも知れません」
私は平然と答える。そう指摘されるのは初めてではない。
「しかし、放送作家としてはマイナスです。しがない台本書きがそう〈視《み》え〉てしまっては、まずいわけですから」
「惜しいな」
相手は首をひねった。
タブロイド判夕刊新聞の記者である東一彦は、社会部から文化部に移されて日が浅い。その新聞は政治や社会批判の鋭さにおいてはすぐれていたが、芸能記事となると、単なるスキャンダル紙になってしまう。なんらかの理由で、東は左遷《させん》されたのだろう。
「うちの新聞、といっても芸能欄になってしまうが、コラムを書いてみる気はないか」
「活字の文章が書けないんですよ、ぼくは」
「そりゃ、慣れの問題だから」
「何度か失敗しているのです、テストをされて」
「そうか。あの超能力を活用できないのはもったいないな」
「そんなことより、例の汚職をもっとやっつけてください。関係した奴らが議員バッジを外すまでやらなきゃ駄目ですよ」
私は話題を変えた。
「やってるよ、|うち《ヽヽ》は」
「知ってます。毎日、買ってますから。でも、同じ材料のくりかえしが多くなっている」
「夕刊紙の限界ってものだ。いわゆる大新聞が一紙でいいから本気で攻撃すれば、汚職の大物は追放され、検察上層部も崩れる。しかし、大新聞は駄目だ。記者クラブというものがあって、当局の代弁者に成り下がっている。大事な時には、当局の側に立つ。ロッキード事件でわかったじゃないか」
「絶望的ですね」
私はつぶやく。
「テレビも腰が引けている」
東は煙草をくわえて、
「古いタイプの進歩的文化人みたいなキャスターのうす笑いを見ると、腹が立たないか。ああいう連中がもっとも良くない」
文章で怒りを表現する才能があれば、と私は思う。テレビ、ラジオといったメディアは、こうした事態に弱い。
「思いきって、時事問題を書いてみないか。放送作家がこう考えているというのは面白いし、意味もあるよ」
「できれば、とっくにやってますよ」
私は自嘲《じちよう》的になる。
「そうか。芸能欄でも政治をあつかえるんだ!」
東は大声で言った。
「〈笑いのニュー・ウェーヴ〉より、その方が面白い。放送作家が汚職批判をユーモラスに書く手があるわけだ。|うち《ヽヽ》はアナーキーだから、そういうことをやった方がいいんだ」
やらないよりは、と私は思った。
「きみがやらないのなら……あの人はどうかな。一度、芝浦のバーで紹介された……」
「平川ですか」
「そう。活字の仕事をやりたいと言ってた」
「漫画週刊誌に匿名《とくめい》のコラムを書いてます。テレビ評あり書評ありで、器用なものですよ」
〈器用〉という言い方には批判がこもっているのだが、東は意に介さなかった。
私は沈黙した。ゆうべ、平川に訊きたいことがあったのに、やめたのを思い出した。
「忙しいかな」
「え?」
「平川君は忙しいだろうか」
東は元気になり、メモ用紙を出していた。
「忙しいことは忙しいでしょうが、活字の仕事は無理をしてもやります。そういう男です」
「文才があると考えていいかな」
「そうですね。いいんじゃないですか」
「いきなり電話をしてもいいんだけど、改めて、きみから紹介してもらえないか。ただし、急ぎの仕事になる」
「そこらは当人にきいてみてください」
メモ用紙を引き寄せて、平川の仕事場の電話番号を書いた。
2 フラッシュバック
私が子供のころ(というのは一九五〇年代だが)の表参道の眺《なが》めを若い人に語っても、信じてはもらえないだろう。
記憶に残っているのは人気《ひとけ》のほとんどない欅《けやき》の並木道である。生家のあった神宮前の交差点から青山通りの方を眺めると、欅並木をともなう舗道がゆるやかに高まりながら続いていた。アメリカの車が疾駆する広い道をはさんで、向い側にも欅並木の舗道があり、くすんだ色の同潤会アパートがあった。
こうした景色を私が美しく感じていたかどうかは疑問である。神宮前交差点から少し入った狭い道を遊び場にしていた子供からみれば、欅の並木道は〈ごくふつうのもの〉であり、〈ありふれた眺め〉でしかなかった。
私が羨《うらや》ましく感じたのは家主の家だった。当時、私が家賃をとどけに行くその家は、同潤会アパートの側の裏手、当時は〈穏田《おんでん》〉と呼ばれた地域の中にあった。広い敷地の中央を渋谷川が流れ、水車が重い音を立ててまわっていた。狭くて深い川には小さな橋がかけられ、私はいつも橋を渡った。
一度でいいから入ってみたいと思う建物がもう一つあった。神宮前交差点の角にある塔のようなマンションで、そこに住む人の多くはワシントン・ハイツ関係――米軍関係者といわれていた。名称は〈アパート〉だが、実質的には東京で唯一《ゆいいつ》のマンションだった。
十歳か十一歳のとき、私はこの聖域に招かれたことがある。一九六〇年代の初め、神宮前に日本の先端的な若者が車で集まり始めたころだ。私の友達の両親が基地内でのアイスクリーム業で成功し、塔の中の部屋に入れた祝いの席であった。途方もない量のバナナ・スプリットをもて余しながら、私は友達の寝室に案内された。想像していたほど広くはなかったが、友達は色鉛筆のようにカラフルな煙草《たばこ》を見せ、好きな色のを喫《す》ってみないかとすすめた。見栄《みえ》を張った私は気持を抑えながらグリーンの細巻きをえらんだ。その後、私はあのような色の煙草を見たことがない。
壁の厚い冷暖房の完備したこの塔から遠からぬところにある私の家はマッチ箱のようなものだった。私の家だけではなく、近隣の家はどれもマッチ箱かモルタル塗りのアパートで、表通りとはまるでちがっていた。
私は父親と二人暮しだった。母親は私が幼いころに病死したと聞かされた。
母親の写真が一枚もないことに私がこだわらなかったといえば嘘《うそ》になる。私なりの推測もあり、母親の実家を調べることもできた。なんといおうと、墓参りをしないのは不自然であり、異様でもあった。私がそれらを放棄したのは、次のような事情による。
近くの有名な製材所の職人だった父は、私が高二の夏、結核で死んだ。そのころ、結核はもう〈死病〉ではなかったが、父は私に高校を卒業させるため、病気を隠していたらしい。もっとも、職場の仲間には、軽い結核だが薬を飲んでいるから心配しないでくれと断わっていたという。
父は私には「夏風邪をこじらせた」と言っていた。私は私であまり家にいなかったので、病状がわからなかったのだが、言いわけにはならない。父の死後、私は自分に責任があると思いつめた。自分が父親を殺したという思いから自由になれなかった。
〈隠す〉という一点で、父は頑固《がんこ》な男だった。自分の病気に関しても、母親の不在に関しても。高校に入ってから、私はのべつ父と衝突していた。その私が父に義理立てして母親捜しを放棄したのは、高校生のセンチメンタリズムといわれても仕方がない。とにかく、父の骨を墓に納めた時、(|うち《ヽヽ》はおれの代で終りだな)と思った。なぜそう思ったか定かではないが、センチメンタリズムからではなかった。
高校二年の時、私はすでに放送作家の卵で、ラジオ局からラジオ局へと走っていた。
中学生のころ、アルバイトでトランジスタ・ラジオを買った私は、毎夜、ラジオをきいていた。家には白黒テレビがあり、学校へ行くとテレビ番組の噂《うわさ》ばかりだったが、流行に背を向ける性癖はそのころからだったらしい。
今にして思えば、それは日本における〈テレビの黄金時代〉であった。多くの番組がカラーで送り出されたが、一般家庭では白黒で観《み》ている時代でもあった。
私がラジオに固執したのは金の問題だった。自分が入り込めるかも知れない隙間《すきま》をラジオの世界に見出《みいだ》していたのだ。中学から高校にかけては、一投書マニアから放送作家の卵になる時間でもあった。用もないのに局のロビーの片隅《かたすみ》にいて、ディレクターに顔を覚えられるまでの時間といってもよい。「おい」が「矢部ちゃん」に変るまで、私は忍耐強かったと思う。年齢を三つほど多く偽っていたから、高三になって、あるオフィスに所属した時、戸籍抄本の生年との食い違いを説明するのが厄介《やつかい》だった。年齢を多く言うケースは初めてだ、と社長が言った。
私は大学も卒業したが、実際の大学は煙草の臭いがこびりついているラジオ局のロビーであった。
――言い落としたことがある。
父は腕の良い職人だったらしいが、生活者としての能力に欠けるところがあった。他人の借金の保証人になるとか、近県からたずねてきた妹に有り金をそっくり貸してしまうといったことだ。
早くから金を稼《かせ》ぐのに固執したのは、父とはちがう人間になりたいためだった。ひとりにもなりたかった。父が生きていたとしても、早晩、家を出ていただろう。
私の大学時代は最初の深夜放送ブームと重なっている。
このブームはラジオ作家にとっては迷惑なものだった。才能のあるパーソナリティは台本などなくても魅力的な喋《しやべ》りができた。台本と美声のタレントがいて成立するディスク・ジョッキーは過去のものになりつつあった。
先輩にすすめられて、テレビのホームドラマ、それもごく軽いものを手がけたことがある。テレビドラマが書ければ、放送作家としての格もギャラも上る。何度か試みてみたが、いずれも失敗に終った。
考えてみれば、私には〈幸福な家庭のイメージ〉がないのだった。幻想さえなかった。だから、〈いかにも幸せそうな家庭〉でおこる小さな出来事を書けないのは当然であった。フィクションにせよ、そういう家庭を想像することができない。お手本として見せられた数冊のホームドラマは、私には虚偽の寄せ集めとしか思えなかった。「おふくろの味」という、タイトルからして失笑してしまうものもあった。
〈家庭〉とは人間がばらばらになってゆくプロセスにすぎない、と私は信じており、平気で口にもした。複数の男性と遊び狂っているタレント志望の女の子に話したところ、相手はおそろしいものでも見るように私を見た。
大学を出るころ、私は平凡なマンションに住み、ごくふつうに、女性と付き合っていたが、〈家庭を持つ〉など考えたことがなかった。
私は自分の在り方にも才能にも自信が持てなかった。女性を〈愛〉したとして、生涯《しようがい》に責任をもつことなど、とても出来なかった。まして、あれらのホームドラマのように、複数の家族を養うなんて!
原田|由佳《ゆか》に会ったのは丁度十年前だった。――物語作家なら、こんな風に書くのではないか。
三十一歳の私は退屈していた。ラジオの仕事を十数年やっていれば、誰でもそんな風になる。ごく狭い範囲内ではあるが、私は一目《いちもく》おかれる存在になっており、だからといって、どうということもない。
〈面白い〉キャラクターの放送作家が深夜放送に出る時代でもあったが、私はオーディションで落とされた。おそらく私は下手なスタンダップ・コメディアンより話術に長《た》けていると思うが、相手が数人のときに限られた。そこを誤解したディレクターたちは私を話芸タレントに仕立てようとした。私の〈話術〉とか〈社交性〉は、奇妙な言い方になるが、私の孤独を守るために、長い時間をかけて練り上げてきたものである。
タレントには失格したが、局の人間はまだ私を必要としていた。無名の若者の中から才能を発見する能力を私が持っていたからだ。
おことわりしておくが、私がその〈能力〉を大層なものに思っているわけではない。他の多くの能力(たとえば天性の愛想のよさ、真の社交性)を欠いた代りに、1・5の視力をさずかったにすぎない。そして、さずかったからといって、私が幸せになれたわけでもない。
……私が十代のころはまだ旧日劇があり、ダンシング・ティームがあった。NYのラジオ・シティ・ミュージック・ホールを模したといわれる劇場では、華やかなライン・ダンスがくりひろげられたが、それら数十人の娘たちの中に才能を見出すのが私は好きだった。私がいう才能とは、必ずしもダンスの技術ではない。そうした技術はある程度の水準にはあるわけで、それ以外のもの、たとえば肢体《したい》の美しさもふくめた華やかさ、元気《ペツプ》、愛嬌《あいきよう》が重要なのだった。プログラムを買い、何十という顔写真の中から、私が認めた才能《タレント》の名を探し、記憶した。一つの公演に一人いるかどうかの確率だったが、記憶した娘は必ず(といってもよいだろう)序列が上り、スター・クラスになった。映画スターへの道がひらける時代が終っているのが残念だった。
同じことを寄席《よせ》や演芸場でもやっていた。ここでは、そう収穫がなかった。才能があるのも無いのも、テレビ局が芽のうちに摘んでしまうからだ。それでも、ふっと姿を消した芸人が、大阪で有名になり、東京に逆輸入されると嬉《うれ》しかった。私が二重丸をつけていた男だった。
ラジオ局でも、それなりのタレント・スカウトをやっており、激しい売り込みもあった。経済効率の点から、局は自前のアナウンサーのタレント化を試みたが、それだけでは数がたりない。
私は自分からすすんでアドヴァイスすることはなかった。〈才能〉の話をするのは気を許した友人に限られていた。あまりにも間違った選択がおこなわれそうな時だけ、遠まわしにではあるが注意をした。
〈才能〉の話をするのを好まなかったのは、他人に通じるはずがないと思い込んでいたからだ。1・5の視力の人間の視たものを0・3の人間に伝えることはできない。しかし、放送局には、1・0や0・8の人間がおり、彼らとは会話が通じた。私が〈ある種の能力〉をそなえているという噂は彼らによってひろめられた。
〈他人に通じるはずがない〉と思ったのは、必ずしも私の傲慢《ごうまん》からではない。二十代初めのころ、仕事がらみで、私は彼(または彼女)の才能をプロデューサーたちに熱っぽく話した。たえず新人を発掘しなければやっていけない世界なのだが、私の話に耳を貸してくれるプロデューサーはいなかった。私は説得をあきらめた。――それから二、三年たって、彼(または彼女)の名前が浮上してくる。プロデューサーは、彼(または彼女)を使いたいが各局で奪い合いになっている、と私にぼやく。私が強く推したことなど、とっくに忘れているのだ。そんなことがくりかえされれば、私でなくてもいやになるだろう。そして、私の視力は一向に落ちることがなく、次々に光るものが目に入ってくる。あえて不幸と呼ぶのは、そういうことである。
個人の仕事に関しても、事情は同じだった。平川純とは二度仕事をしただけで、〈できる〉ことがわかった。言語感覚の面白さが私などとはちがっていた。当時、私が属していたオフィスの社長を説得して、半ば強引に無名の平川をオフィスに入れたが、「きみの目つきに押し切られた」とのちに社長は言った。
冷静に考えれば、自分より若くて才能のある男を同じオフィスに入れるのは損である。私が若かったせいもあるが、〈光るもの〉を感じると、損得の計算など吹っとんでしまう。三歳下の平川は私を〈人情家〉と誤解したらしいが、それはちがう。自己中心的な狂気、ファナティシズムのたぐいと考えるべきだろう。
原田由佳の場合もそれに近かった。
番組が始まる前に副調整室に入るのは、社員である女性ディレクター、外部からくるAD(アシスタント・ディレクター)とミキサーの三人で、あとの二人も女性だった。彼女たちはダンシング・ティームがそうであるように、ある水準の技術を持っている。あと必要なのは、生まれつきの勘の良さ、すばやい動きである。
原田由佳は平川が台本を担当している番組のミキサーだった。小柄《こがら》で華奢《きやしや》で、動きが速い。まず気づいたのはそれだった。私が見とれていると、平川がそばにきて、「新人だけど、優秀な子ですよ」とささやいた。「これからは女だけで番組を作るようになります」
平川と私はフロアのちがう喫茶室へ行った。男のディレクターもまじえて、聴取率調査の結果かなにかを話し合った気がする。私たちが立とうとした時、原田由佳とADが入ってきた。平川は二人を手招きし、私を紹介した。
どんな話をしたか私は覚えていない。由佳がどんな服を着ていたのかも記憶から消えている。私は彼女の顔だけを観察していた。小柄で色が黒く、目が鋭かった。敏捷《びんしよう》な齧歯目《げつしもく》の小動物のようで、白目がわずかににごった印象をあたえた。
あとでわかったのだが、彼女は緊張していたのだった。私がタレントの失敗談を披露《ひろう》すると、彼女は大きな声をあげて笑った。鋭さが消え、親しみ易《やす》い顔になった。
局を出るとき、平川がつぶやいた。
「頭のいい子ですけど、そうは見えない。顔がファックしているからでしょう」
私にはできない表現だった。
〈家庭〉に幻想を抱いていないはずの私が、〈女性〉に幻想を抱いていたのは育った環境のせいだろう。家の中は男二人だったし、中高時代はアルバイトで忙しく、デートの記憶さえあまりない。たまにデートをしても、私はじれったいほど、ぎごちなかった。コンプレックスだらけで、あの時は誘われていたのだと、あとで気づいた。
由佳と寝るまでのプロセスを語る必要があるだろうか。いずれにせよ、それは〈東京の片隅のよくある風景〉にすぎないだろう。
最初のデートの時の会話はよく覚えている。優秀なミキサーだと私が誉《ほ》めると、「私、ミキサーには向いてないんです」と彼女は言いかえした。「マスコミ関係に就職するための手段です。毎日、同じことをくりかえすのは苦痛ですよ」
彼女の姿に〈プロの技術者〉を見出したのは、私の眼鏡ちがいだったらしい。
「じゃ、何が志望なの?」
「矢部さんみたいになりたいんです」
意外な答えだった。
「ぼくみたいって?」
私はまだわからなかった。
「ラジオドラマを書いて、DJの台本を書いて、タレントを育てて……。あと、ご自分でDJをやって、作詞をすれば、全部じゃありませんか」
私がDJテストに落第したのを彼女は知らないらしい。
「ラジオの作家はやめた方がいい」と私はまじめに言った。「短期間ためしてみるのなら別だけど、これ一本になるのはすすめられない」
「そうかしら」
由佳は納得できぬようだった。
地方に住む彼女の両親は彼女にそう狭くないマンションを買いあたえていた。大学を卒業したばかりの二十二歳の娘としては贅沢《ぜいたく》といえる。井の頭公園に近いマンションに私は通い、やがて、富ヶ谷にある私のマンションで暮すようになった。
自分が〈動物的〉なのは中学のころからわかっていた、と彼女は告白した。性的な人間であるだけに性に束縛されたくない、自分が相手を選び、気が向いたら寝る、という考え方だった。過去の男性関係を「健康な女の子が選びとっただけ」で、「大半は忘れた」と言う彼女は、セックスに関して表面は明るく、あっけらかんと語った。心の皮膚の弱さ、傷つき易さを隠すためだ。
彼女の肉体の都合で、私は背後から彼女を抱くことが多かった。顔が見えない、と彼女は不満をもらしたが、始まると情熱的になり、私の右手をつかんで、指をクリトリスに押しあて、ここよ、ここよ、と叫んだ。彼女の臀《しり》の皮下脂肪がクッションのように私の股《もも》にあたるのが快かった。
彼女は自分の肉体の特徴を知っていた。大学に入ったころ、占いの老女に、あなたは唇《くちびる》の両|脇《わき》が下っているから動物的だ、と言われたという。動物は四つん這《ば》いでセックスをするから、肉体もそういう具合にできている。だから、あなたの肉体もそう、〈うしろ付き〉なのです。
「若い娘にそんなことを言う占い師はおかしいんじゃないか」
私は言ったが、
「でも、本当だから仕方がない」
彼女は気にしなかった。
寝物語できいた彼女の性の目覚めの話は奇妙に印象的である。小学四年のころ、初潮の前だが、同じ年頃《としごろ》の男の子が軽い怪我《けが》をして泣き叫んでいた。その声にしだいに聞き惚《ほ》れるような気分になった瞬間、身体の奥の方で、びくびくと動くものがあった。それだけの話だが、サディズムの傾向があるのか、と私は思った。
私の考えはまちがっていた。彼女にはサディズムの気《け》はなかった。強《し》いていえば、心理的にマゾヒズムの要素がある気がしたが、あまりあてにはならない。
「あなたの顔を見ただけで眠くなっちゃう」と彼女は真顔で言った。「だから、局で顔を合わせたくないの」
きれい好きの私は暇があると、マンションの窓をあけ、掃除をした。セックスは好きだったが、残り香があると、自分がおかしくなってゆく気がした。
「空気を入れかえたでしょ」
遅く帰った彼女は言った。
「匂《にお》いがうすくなっている」
「匂い?」
私はわからなかった。
「匂いが強いのよ、あなたは。私のマンションでも、一時間居ただけで、強い匂いが残るもの」
「体臭はないと思うんだけど」
「体臭じゃないのよ」
彼女は言った。
「いやではないの。こんなに匂いの濃い人、知らないわ」
放送作家の多くは喫茶店で原稿を書くが、私には不可能だった。長年の習慣で、個室に閉じこもらないと一行も書けない。とくに根を詰めた仕事をする時は、人気《ひとけ》を感じただけで駄目《だめ》だった。
芸術祭用のドラマを書くあいだ、井の頭に帰っていてくれないか、と私は由佳に言った。共同生活に向かない男と思われても仕方がない。
私は追いつめられていた。ちょっとした才気で順調にこられたが、このままでは三十代の仕事をつづけられない。三十代の半ばまでにこの世界での大きな仕事をしなければ、並の作家で終ってしまう。
芸術祭用のドラマは失敗し、私はいらいらすることが多くなった。由佳との生活はつづいたが、〈家庭を持つ〉ことは考えなかった。由佳も――そのころの風潮でもあったが――結婚を急ぐ女性を嗤《わら》っていた。
おそらく彼女は私に失望していたと思う。私自身、おのれの才能の涸渇《こかつ》に呆然《ぼうぜん》としていた。完全にひとりになり、放送作家をつづけるかどうかを考えるべきだと思った。
私たちの生活は二年弱だった。正午近くに起きてキッチンに入ると、冷蔵庫にメモ用紙がとめてあった。「お互いに息苦しくなったと思います」と鉛筆で記されていた。
平川は同世代の放送作家の中では抜きんでていた。すでにテレビ番組の構成に名をつらね、目先のきく映画監督がシナリオを依頼するという噂《うわさ》もあった。私が動揺しなかったといえば嘘《うそ》になるが、才能がひとけたちがう気がした。
平川と私はもうオフィスから独立していたので、会うことはあまりなかった。せいぜい、どこかの局のエレヴェーターの中ぐらいだったが、おりると同時に左右に別れた。どちらもスケジュールに追われていた。
由佳はミキサーをやめ、大きな新聞社の出版部に入った。私は挨拶《あいさつ》状を貰《もら》い、お祝いの電話をかけた。
平川と由佳が同棲《どうせい》した噂をきいたのは、私たちが別れて三年後だった。
私は動転した。鈍感な推理小説読者のように、二人をつなぐ糸を予想していなかったのだ。由佳に執着しているのが改めて自覚され、ひどくせつなかった。彼女が出社したあと、精力を放出し尽して、窓の外を眺めていた日々を想《おも》い出した。
三十代後半の私の生活の滑稽《こつけい》さ、不器用さを象徴する出来事がある。
腰のあたりが重苦しくなり、強い欲望を覚えた夜があった。あいにく仕事に追われており、外出するわけにいかない。
友人に教えられた〈出張マッサージ・パーラー〉に電話して、予約を入れた。若い子を、というと、うちはみんな若いんです、と相手の女性は撥《は》ね付けるように答えた。
「現金ですか、カードですか?」
「カードが使えるんですか」
私は驚いた。
「はい。アメックス、JCB、VISAならけっこうです」
「じゃ、カードにしてください」
私は仕事に戻ったが、からかわれているような気がした。
一時間半後にドア・チャイムが鳴った。革のジャンパーにジーンズの小柄な女が入ってきて、私の名を確認し、マッサージです、と陰気な声を出した。
どう見ても三十に近い女は不機嫌《ふきげん》そうにジャンパーを脱いだ。本当のマッサージかも知れないと思った。
「前金でお願いします」
ピンクのモヘアのセーターを着た女は言った。
「カードでいいという話だったけど」
「はい」
私はデスクの引き出しから革のカード入れを出し、JCBのカードを抜いた。
「JCBですね」と女はカードを裏まで確かめて、「電話を借りていいですか」と訊《き》いた。私はテーブルの隅《すみ》を指さした。
女は椅子《いす》にすわり、ダイアルボタンを押した。相手が出ると、カードの番号を読みあげ、返事がくるのを待った。気分が萎《な》えた私は、夕刊の隅の天気図を眺めていた。
「あ、どうもすみません」
小声で答えた女は受話器を置き、ボックス型のバッグからインプリンターを取り出した。
もう一度カードの裏の署名を確かめ、カードをインプリンターに通して、私にサインを求めた。ボールペンでサインをすますと、私あてのコピーを引きはがして、カードと共に私に渡した。それから、インプリンターをバッグにしまう。
私はどうでもよくなっていた。そうした趣味がないにもかかわらず、女を呼び寄せた私が愚かなのだ。
「ベッドはどこ?」
女は訊いた。
「いいんだ」と私は言った。そして、さらに愚かなことを言ってしまった。「少し話をしないか」
女はピンクのセーターを脱いだ。貧弱な胸があらわれる。
「どうするの?」
私は立ちすくんだ。乳房の下に波型の影があるのが不気味だった。
「どうしたのよ?」
「きみ、病気じゃないか」
そうした影を見るのは初めてであった。エイズだとはいいきれないが、健康とは思えない。
「この皺《しわ》で怯《おび》えてるの?」
嘲笑《ちようしよう》的に言った。
「影が二重になっている」
「どうだっていうの、それが? 子供を産んで、皮膚が戻らなくなったのよ。わたしのせいじゃないよ」
半分しか信じられなかった。そうなることはあるとしても、なにか変だった。
「やらないのなら、帰るよ。おたく、インポじゃないの?」
彼女はセーターを着た。
「金をかえせといっても駄目よ」
腹を立てた女はバッグをふりまわすようにして歩き出し、ブーツをはいた。
「二度と呼ばないでね」
ドアが大きな音を立てて閉まった。靴音《くつおと》が遠ざかると、私はほっとして椅子にかけた。
次の瞬間、立ち上っていた。怒りのあまり、女はジャンパーを靴箱の上に置いていったのだ。
私はジャンパーを片手にドアを押し、廊下に出た。エレヴェーターの手前に女の姿はない。エレヴェーターのボタンを押しつづけ、私はようやく一階におりた。
女は道でタクシーを待っていた。私はジャンパーを渡して、エレヴェーター・ホールに戻った。
由佳が立っていた。頬《ほお》が痩《こ》け、目の鋭さがめだつ。
「どうしたの?」
そう言うしかなかった。どこにいたのか知らないが、私の姿を目撃したにちがいない。
「べつに……」
由佳は言った。
「だって、ここまできて……」
「いいの。近くまできたから、つい、なつかしくて」
部屋で話そう、とは言えなかった。恥知らずの私だが、そこまで厚かましくはない。
歩きながら話そうか、と言ったが、由佳は帰って行った。
あとで知ったのだが、平川との生活にゆきづまって、私に相談にきたのだった。やがて、三年にわたる二人の生活は解消された。
それらの経緯《いきさつ》を私は平川自身の口からきかされた。英国女性の奏《かな》でるハープの音がBGMで、私たちの間にはタルタル・ステーキと赤ワインがあった。昔の親しさが戻ってきていた。
共同生活解消の直接的な原因は話に出なかったし、出すまでもなかった。ただ由佳がすばらしい女性であることは暗黙のうちに認め合っていた。その場に由佳がいたとしても、私たちの態度は変らなかったと思う。
その夜以後、私たちはよく電話で話すようになった。少女のように私たちは二時間、三時間も喋《しやべ》った。平川の才気はあい変らずだが、私が予想したほどには伸びていなかった。そうしたバランスの変化が底にあるかも知れない。
さらに二年たった。
由佳の仲間だったミキサーの女性から、由佳が結婚するかも知れないという噂をきいたのは数日前である。
〈平川に訊きたいことがあったのに、やめた〉とは、これだ。彼女は三十二になるはずだった。
3 イノセント
エア・コンディショナーの吹き出し音が低くひびくキッチンで、私はオレンジを絞った。エア・コンに代表される現代文明を呪《のろ》った古典的自然人からみれば、嘆かわしい風景だろうが、東京ではこれなしでやっていけない。
絞りたてのジュースとチーズをはさんだベーグルが私のブランチだ。レースのカーテン越しの陽射《ひざ》しは今日も眩《まぶ》しい。極東の島国で〈大新聞〉と呼ばれるものをひろげながらコーヒーを飲むが、信用できるのは死亡記事だけだ。政治や汚職についての記事はスモッグがかかっていて、東一彦が在籍する夕刊紙の暴露的記事と好対照をなしている。両者はハワード・ジョンソンとベン・ジョンソンぐらいちがうのである。
電話が鳴った。私への連絡タイムは午前十一時からとなっているから仕方がない。コーヒーカップを置き、携帯電話を手にした。
「起こしたかい?」
東の声だった。
「起きてました」
そう答えて、私はカップの底に残っていたコーヒーを飲み込んだ。
「実は、急に会いたいことがあるんだが……」
「この間もそう言ってましたよ」
「別な件だ。そういえば、平川君の文章を読んでくれた?」
「読みました」
「どうかな?」
「お座敷を心得ていて、いいんじゃないですか」
一見、痛烈な批判をしているようで、最後は〈これはわれわれ日本人の内部の問題なのだ〉と結論を|あいまい《ヽヽヽヽ》にしてしまうたぐいの文章。
「そうか。……唐突で悪いのだが、今夜、どうだろう? 空いてないか?」
スケジュールは空いていた。いや、げんみつにいえば空いてはいない。一九四〇年代の映画のビデオを二本立てで観《み》るつもりなのだ。
「どういうご用件ですか」
私は訊《き》いた。
「会って説明したいんだ。きっと興味を持つと思う」
「わかりました。スケジュールをキャンセルします」
私は言った。
「そうだ。話の都合で平川君が同席するのだが……かまわないだろ?」
かまいます、とは言えなかった。
「いったい、何ですか?」
「同時に二人に話して驚かせたいのだ。七時でも八時でもいい」
「早い方がいいです」と私は言う。東は彼のオフィスの場所を説明した。
新宿東口の〈バーニーズ・ニューヨーク〉でネクタイを二本求めた。眼鏡をかけた柔和な感じの黒人の店員が「ありがとうございます」と日本語で言った。私は熱気の残る舗道を御苑《ぎよえん》に向って歩いた。
東のオフィスは御苑入口に近い小さなビルの二階で、狭い部屋に東と若い女の子がいた。東の著書『脱日本のすすめ』『東京の土地はどうなるか』が床に山積みされ、女の子は電話の応対をしている。いずれ社をやめて〈評論家〉になるつもりで、オフィスを構えたらしい。
「土地問題から競馬の予想までさ」
東は私に笑いかけ、応接室らしいドアをあけた。通りに面した二坪弱の部屋に本革の椅子《いす》とテーブルがあり、平川が右手をあげた。
私は平川の横にかけ、東と向き合った。東は女の子に、もう帰ってもよい、と声をかけた。
「きみの文章、よかったってさ」と東はいきなり平川に語りかけた。「点の辛い矢部先生がそう言ってる」
「どうも……」
平川は慎重に言った。
「毒がすくないと皆に言われて」
「ぼくもそうは思った」私は言った。「でも、そこまで要求するのは……」
「一行カットされたんです。いちばん凄《すご》みを利《き》かせたところですよ。はっきりいって東さんは狡《ずる》い。ぼくを煽《あお》るだけ煽っといて、原稿ができたら、『上の方から苦情が出て』という例の台詞《せりふ》なんだ。『一行カットして欲しいんですけど、よろしいでしょうか?』ときますからね。ぼくが黙っていると、もう一度、『よろしいでしょうか?』と、まるで自分が被害者みたいな口調になる。はい、と言わないと、ぼくが悪いみたいなんだ。冗談じゃない。被害者はこっちなんだ。実際、変なレトリックですよ」
「申しわけない」
東は丁重に頭をさげた。
「一言《いちごん》もないよ」
平川はさらに言葉をつづけた。東が本気で詫《わ》びていないというのだ。
私はどうでもよくなっていた。その日、局でこんな話をきかされたからだ。――ティーン向きの科学雑誌でチェルノブイリの近況を特集したところ、大口のスポンサーである電気事業連合会と電力会社が広告を引き揚げ、以後、原発関係の記事を〈差し控える〉方針になったという。活字の世界の方がいくらか自由ではないかと思っていたのは幻想にすぎなかったらしい。
「東さん、本題に入ってください」
私は言った。これなら、家で古いアメリカ映画を観ていた方が有意義だったと思う。
「実は新聞《うち》にコラムを作る。お二人に相談したいのはこのことです」
東は椅子から乗り出した。
「コラムといっても小さいものではない。新聞にしては長めです。政治、社会、文化――場合によっては下世話《げせわ》なゴシップもあつかう。このコラムは、月曜日から金曜日まで、週に五日間は載ります。注目度が高くなるだろうし、目玉にするつもりです。――と、ここまでは、よくある話です。コラムなんてものは、たいてい、こんな風に始められて、尻《しり》つぼみで終る……」
女の子が日本茶を運んできた。東は帰っていいと念を押した。
「この件に関してはぼくが一任されています。正直なところ、ぼくも戸惑った。五日間を五人の執筆者に任せるという常識的な線をまず考えた。それじゃ、面白くもなんともない。それに、ぼくとしては、社の内外をびっくりさせてやりたい気持があります。ぼくなりに知恵を絞った結果、|あること《ヽヽヽヽ》を思いついたのです」
東は悪戯《いたずら》っぽい目つきで私たちを見た。
「ひとことでいえば、日本で最強の評論家、最強のコラムニストを創《つく》りあげる。科学方面は別として、知らないことがない、しかも辛辣《しんらつ》きわまる人物です」
何を言っているのかわからなかった。平川もそうだろう。
「そんな人物が現実に存在するはずはない。もちろん、架空です。矢部さんのシニックな見方と雑学、ぼくの情報網、平川さんのしなやかな文章――三人が力を合わせれば、そういうコラムニストを現出させることができるんじゃないか。手続きや方法は別として、お二人が興味を持ってくださるかどうか、まず、それが先です」
私たちは沈黙していた。
あらゆる問題に発言できる強力なコラムニストを創造する――二十代だったら楽しい悪戯であり夢だった。私は率先して参加しただろう。しかし、今の私はもうそうした元気を失っている。
「さして過激でもない一行をカットされるようじゃ、辛辣なコラムなんて成立しないでしょう」
平川が発言した。
「それを持ち出されると弱い……」
東はややためらって、
「あなたを怒らせるのを承知であえて弁明すれば、筆者の知名度の問題があるのです。|上の方《ヽヽヽ》は、東大教授や、ヒューマニズムを売り物にしている〈良心的な〉作家に弱い。そういう人たちの文章を切ることはしません」
「充分です、それだけ言われれば」
と平川は投げるように言う。
「ぼくの文章も上から注意を受けるのです」と東はつづけた。「そのたびに、ぼくが強者なら、と思います。強者どころか、本当は超人でありたい。自己弁護ではありません。ぼくが創り出そうとしているコラムニストは超人なのです。正体不明の超人には誰も手が出せない。かりに批判されたとしても、相手を完膚なきまでにやっつける能力を持つ人物です。そういう存在だとわかれば、|上の方《ヽヽヽ》も沈黙するでしょう」
〈超人〉の一語に私の気持が動いた。
「本気なんですか?」
「本気ですとも」
「あなたのいう〈超人〉をどうやって作るのです? 手続きは?」
「材料はあなたとぼくが出すのです。今の生活の中で公《おおやけ》にできない怒り、違和感を抱く光景、すべてあり、です。ぼくの構想では、平川さんにまとめてもらうつもりだった。また、平川さんがひとりですべてをお書きになってもよいのです。ペンネームさえ同一であれば。……平川さんはワープロを使うから、筆跡の問題はおこらない。原稿の受けとり役はぼくですから、これも問題はないです」
「変なことを訊きますけど、東さんのいうコラムの狙《ねら》いは何ですか。社会批判だけとも思えないのですが……」
「見抜かれたか」
東は笑って、
「ぼくはもうすぐ五十三です。そういう男が戦後の日本をふりかえってみると、経済の成長とともに大衆の知的水準がひどく下がっている気がするのです。ぼくだけの感じ方かも知れませんが」
「そういう説をきかされたことがあった」
不意に平川が言葉をはさんだ。
「死んだ親父がそう言ってました。日本は、文明は進んだけど、文化は低下したって」
「じゃ、同意してくれる人が一人はいたわけだ。……あなた方は笑うかも知れないけど――それに、おこがましい言い方ですが――大衆の教育です。学校やマスコミが教えてくれないまっとうな意見を、オブラートで包んで、大衆に教えたいのです。本当の狙いはそれです」
気持はわかるけれど、そうはいかないだろうと私は心の中でつぶやく。とらえどころのない大衆、なにを考えているのかわからない大衆と、私は毎日、対峙《たいじ》している。鈍感かと思えば現実的、因循かと思えば容易《たやす》く変身し、まじめに対応すれば肩すかしをくらわされる相手だ。そこらの知識人なら〈砂のような大衆〉と片づけてしまうのだろうが、あいにく、私には飯の種である。彼らの好みを忖度《そんたく》せずにはやっていけない……。
「興味はあります」と私は言った。
「ありがたい」
「アイデアとしては面白いですよ。ただ、こういう計画はたいてい一人がしゃべってしまう。ここにいる三人がそうというのではなくて、誰か――たとえば、あのお嬢さんがつい口を滑らせてしまうとか」
「あの子なら大丈夫」
東は険しい表情になり、
「ぼくの姪《めい》で、口がかたい」
「しかし……」と私は粘る。「平川君がやらなければ、誰かをたのまなきゃならない。その男がバーででも口走ったら終りです」
「やらないとは言ってないよ」
平川は私を見た。
「興味はあるんです。問題は材料《ねた》がそんなにあるかどうかで」
「ぼくは怒ることがあまりないからな」
「こないだの夜中、あんなに怒ってたじゃないですか」
「つい、かっとなった。夜中とか夜明けには、妙に純粋な気持になるんだ。落ちつくと、エネルギーのロスなのにと反省する。きみに対してもすまないと思った」
平川は答えなかった。
「自分の都合ばかり言って申しわけない」
俯《うつむ》きかげんで東が口をひらく。
「あと五年ぐらいで、ぼくは社をやめるつもりだ」
私たちは呆気《あつけ》にとられた。
「言い出す前に、やめさせられるかも知れない。しかし、五年は頑張《がんば》れる。これはぼくにとって記者生活最後の仕事、記念花火になると思う。だから、という資格はぼくにはないのだが、ぜひとも承諾して欲しい。原稿料は失礼にならない額を切れると思う」
彼は取材費込みの原稿料を口にした。月額に直すと、中級の放送作家の収入をはるかに超えるものだった。
「この額は特例です。手間隙《てまひま》がかかることを計算した上での金額で……」
私は平川の発言を待った。活字の世界との縁を切りたくない平川は承知するのではないか。
「ぼくは可能です」と平川は小声で言った。「九月で二本終りますから、物理的には大丈夫です」
われわれが仕事を断わる時によく使う〈物理的〉という言葉は、なにか滑稽《こつけい》だ。
「ありがとう。矢部君はどうだろう?」
「もう少し話をきかせてください」
私は答える。子供っぽく、無邪気《イノセント》なプランは魅力的だが、穴だらけのようだ。
「まず、超人の名前を考える必要がある」
東はやや落ちついた。
「それから、この人物の写真は出さない。名前だけが存在する」
「むずかしい在り方ですね」と私は噛《か》みしめるように言う。「コラムが失敗すれば問題はゼロですが……少しでも話題になると、マスコミは顔写真を欲しがりますよ」
「ぼくが防戦する」
「次に考えられるのは、テレビ、ラジオの取材です」
「テレビは困る。ラジオは声だけだから……」
「声は、すぐ|ばれる《ヽヽヽ》んです」
「そう」と平川が同意した。「それに、ラジオは意外な人が聞いていますよ。声から辿《たど》られたら終りです」
「そうか」
東は苦笑を浮べて、
「とにかく、お二人の賛同が得られそうだな。ここらで夕食にしませんか。近くの中華料理屋に個室がとってある」
「待ってください」
よけいなことを言う、と自分で思った。
「え?」
「始めるとしたら、いつからですか?」
「できれば九月にスタートしたい」
「もし本当に、超人を活躍させるつもりなら、一紙だけでは駄目《だめ》ですね」
とうとう言ってしまった。
「どういうこと?」
「大変失礼ですが、おたくの新聞はサラリーマンが帰りの電車の中で読むものです。まあ、憂《う》さ晴らしの道具ですね。家庭のある男は駅ですててしまう。妖《あや》しい広告や小説が多いですから」
「このごろは、そうでもない」
「そういうケースが多いでしょう。コラムニストがもう一つ、連載を持つと、インパクトが強いと思うのです。できれば、新聞社系の週刊誌が――あまり売れていなくても――いいでしょう。硬派の感じが出ますからね」
東は沈黙した。
「悪くないな」と平川が言った。「少し時間を置いて、もう一つ始めた方が、効果はあります」
「東さんを信用しないわけじゃないけど、一紙だけだと、簡単に打ち切られるおそれがある。別に週刊誌をやっていると、おたくの上の方としても切りにくくなる」
「矢部さんらしい案だな」
東は腕組みをした。
「そこまでは考えなかった。いや、気を悪くしてはいないよ。……そういう週刊誌があるかな?」
「ありますよ」
「連載の話をもちかけるルートがあるだろうか」
平川の顔が緊張したのを感じた。やはり、同じことを考えているのだ。
「あるならば、反対はしない」
立ち上った東は中華料理屋に電話を入れた。
私は低い声で平川にたずねる。
「原田さんはいまでも週刊誌にいるの?」
わずかな間《ま》を置いて、平川は答える。
「と思いますが……」
「新聞社は異動が多いからな」
「半年前に電話をもらった時は週刊誌にいました」
由佳が〈仕事ができる〉という噂《うわさ》は何度か耳にしている。放送関係の情報が驚くべき早さで活字になる時、彼女が書いたにちがいないと囁《ささや》かれた。あちこちの局に情報源を持っているらしい。そのたびに、私は自分の目に狂いがなかったと自惚《うぬぼ》れることにしている。
「いちおう相談してみる必要があるんじゃないか」
私は言った。平川はうなずいた。
「たのむよ」
「ぼくが話すのですか」
「うん」
「あなたの方がいいですよ」
と平川は言う。
なにか事情があるのだろうか。それとも、平川と同棲《どうせい》していたころの由佳と私が何度か逢《あ》ったことを知っていて言うのだろうか。
「ものをたのみたくないのです、ぼくは」
平川ははっきり言った。
彼女は私の乳首をふくみ、わざと唇《くちびる》を外した。乳暈《にゆううん》のまわりの短い毛をくわえて、ひっぱり、やがて、かつてそうしたように、私の乳首を舐《な》め上げ始める。
駄目だよ、という言葉を私はこらえている。その言葉をひっぱり出すために、彼女の左手は私のペニスに触れ、微妙に動かした。
「やめてくれよ」
彼女を見上げながら私は降参する。
「きみに体力があることはわかった。もう少し、仕事の話をしよう」
「〈ファック・ファースト〉って言葉を私に教えたのはだれ?」
由佳は脅かすように言った。
「仕事を|とちる《ヽヽヽ》ぐらい私の頭を空《から》っぽにさせたのはだれ?」
私のペニスを指で弾《はじ》き、自由にした。
「嫌《きら》いとはいわないけど、これがなくても、私は生きていける」
私は黙って天井を見ている。何分かそうしていた。
「ねえ」と彼女は唐突に言う。「冷蔵庫にビールがあるかしら」
「見てごらん」
裸のままで彼女はキッチンへ行った。やがて、大きなグラスを手にして戻ってくる。うまそうに一|呑《の》みするのが〈句読点《くとうてん》〉ででもあるかのように、「答えるわ」と言った。「狂気の沙汰《さた》も金次第という造語があったでしょ。まず言えるのは、|うち《ヽヽ》じゃ、そんな原稿料は出せないってこと」
「それはいいんだ」
欲望を刺激された私の声はこころもち上ずっている。
「金の問題じゃない」
「超人さんのペンネームは何でしたっけ」
「〈ミスターJ〉。たぶん、これでゆく。Jはジョーカーと考えても、ジョークと考えてもいい。ぼくたちのプランそのものがビッグ・ジョークなんだ」
「ジョークに巻き込まれるのは嫌《いや》だな」
「わからないか、わざとそう言ってるのが。シリアス過ぎて恥ずかしいだろ」
「私はわからない。あなた方の軽蔑《けいべつ》している大衆のひとりだから」
「よく言うよ。わかってるくせに」
「煙草《たばこ》を喫《す》っていい?」
彼女は訊いた。
「ここでは勘弁してくれ」
私が禁煙したのを知らないのだ。ふん、と言って、彼女はビールを飲んだ。
「時期としては悪くないの、編集長が代ったから。誰でもそうだけど、自分が編集長になると、誌面をがらっと変えてみたくなるのね。以前《まえ》からの連載を打ち切ったり、隅《すみ》に追いやったりして、自分のカラーを押し出すってやつ。十一月からは色々なコラムを見開き二ページでならべていきたいんですって。だから、案を出す時期としてはよいと思う」
「ラッキーか」
私はつぶやいた。
「夕刊のほうはいつから?」
「われわれの協力がうまくいけば、九月にスタートする」
「見本が大事ね。面白ければ、乗るんじゃないかしら。あとは、私の持って行き方ね」
「きみが出した企画は、ほとんど通るときいた」
「まさか。でも、よそで売り出したものを嫌うというタイプじゃないな、編集長は」
「潔癖じゃないのか。いよいよ、きみしだいだな」
「話題のライターならなんでもOKじゃないかしら」
彼女は嗤《わら》うように言った。
「きみも仲間に入れる」と私は言った。「東一彦を知ってる?」
「一度、会った。息の臭そうな小父さん」
「〈ミスターJ〉は|四人だけ《ヽヽヽヽ》の秘密だ。外には絶対にOFF……」
「ちょっと面白いけど」と彼女が言う。「平川が入っているのが気になるな」
「無理に顔を合わす必要はない。ワープロの原稿がきみのマンションなり会社に送られてくる。ただ、平川が計画のポイントであるのは間違いない。あの男だけがコラムを書く才能に恵まれている」
「そうかしら」
「そう。短い文章にワサビを利《き》かせるこつを弁《わきま》えている。――きみが惚《ほ》れたのも、そういう才能に対してじゃないか」
「やめよう、そういう話」
と言いきってから、彼女は、
「あったのかしら、才能……」
「ちがうかい?」
私は言ってやった。
「わからないわ」
つぶやくように言う。
無意識のうちに彼女は|より輝かしい才能《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》に惹《ひ》かれていくように私には見える。人伝《ひとづて》に聞いたところでは、いま担当しているベストセラー作家にプロポーズされたとかで、社会的には今まで出会った男の中でベストというべきだろう。お決まりの話だが、作家には妻子があり、そこらがすっきりしないらしい。
〈わからない〉と彼女が言うのは、〈平川には才能がないと思った〉ということだろう。私のケースがそうであったように。
「で、きみは冷蔵庫にメモ用紙をとめて、平川のマンションを出た……」
「どうしてわかる?」
彼女は驚いた。私とのことは忘れてしまったらしい。
私が答えないので、彼女はじっと私を見ている。目の下に隈《くま》ができ、顔の輪郭から鋭さが失《う》せた。
私は窓の外を見た。
「また、マンションが増える」と私は言う。「どうせ商売にならないのに」
「ビルが建ったわね」
彼女は感慨深そうだった。
「代々木公園が見えなくなった。あんなに緑がきれいだったのに」
「このマンションだって、近所の人に嫌われてたんだ。代々木公園が見えなくなるというので」
「そうなの?」
「かなり激しい住民運動があったらしい。管理人にきいた」
「じゃ、今でも憎まれてるわね」
「と思う。しかし、ぼく以外のマンションの住人はまわりの商店で買い物をするから、憎しみがあいまいになっている。時間もたったしね。管理人の話じゃ、マンションもともかく、欅《けやき》の古木を切る切らないが反対運動の中心だったらしい」
「結局、切ったのね」
「そう。昔だから、かなり高圧的に進行させたらしい。きみは知ってたっけ? 廊下の奥の部屋の下は墓場なんだ」
「忘れたわ」
「あるミュージシャンがそこに入って、ピアノを運び込もうとした。ピアノってのは、専門の運搬業者がいて、吊《つ》り上げて、窓から入れるんだ。ところが、手違いがあって、ピアノが墓場に落下した。ピアノもこわれたけど、墓石を幾つか倒したらしい。何年かたって、ミュージシャンは窓から飛びおりて死んだ。家族あての遺書はあったけど、自殺の理由はわからない」
「いやだ」
「表向きは〈仕事の悩み〉とか〈錯乱〉とかなっていたけれど、本当のことはわからない」
創《つく》り話ではない。私は騒ぎをそばで目撃していた。
「よしましょ、そんな話」
ペニスをもてあそびながら彼女は言った。
「気が沈むもの」
「つい、よけいなことをしゃべった。おかげで、今夜にも、計画をスタートさせられる」
彼女は私のペニスを口にふくみ、少し舐めてから、音をたてて唇を引いた。
「ねえ」と彼女は語りかけた。「私に噛み切られると思ったこと、ない?」
ないとは言えなかった。悪意がなくても、なにかの間違いでそうなる恐れがあると私は思っていた。
「ないよ」
私は答えた。
「私の歯は鋭いんだから」
脅かすように言い、ペニスを撫《な》でた。積極的な態度は変っていないが、なにかしら荒荒しいものが加わっている。
これで〈ミスターJ〉計画が始まる、と私は確信した。成功率は七十から七十五パーセントだと思う。
私たちは激しく交わった。そして、身体《からだ》をくっつけたまま横になった。こうすると彼女は安心し、やがて眠るはずだ。
なおも私のペニスをまさぐりながら、彼女は低い嗄《しわが》れ気味の声で「三十代とそう変ってないよ」と言った。
「ありがとう、と言うべきかね」
彼女は私の唇を指で封じる。私はかまわず、
「きみは変った……」と言う。
「どこが?」
腰を突き上げながら、もっと沢山ちょうだい、と叫ばなくなったとは言いかねた。
「あなたも変った」
私はかすかに不安を感じる。
「なにが?」
「匂《にお》いがうすくなった。寝室に入って、少ししたら気づいた……」
4 〈ミスターJ〉
べつに誇るほどのものではないが――と前置きしたとしても、成功談ぐらい退屈なものはないだろう。できうれば、そうした話題は避けたいと思っている。
だが、完全に避けてしまったのでは、私が|本当に語りたいこと《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》まで辿《たど》りつけない事情がある。私が|語りたい《ヽヽヽヽ》のは、ささやかな成功のあとにくるものであり、子供じみた成功の喜びではない。そうお断わりした上で、私たちの計画の推移を手短かに語っておきたい。
すべり出すまで色々あったとはいえ、私たちの計画はうまくいったといえるだろう。
電子冷却|枕《まくら》がふつうの枕に代るころ、私は多忙をきわめた。昼間は例のラジオ番組や会議があり、夕方から自宅でコラムの材料の整理にとりかかる。新聞や雑誌の切り抜き、局や代理店で小耳にはさんだ話、じっさいにラジオで流れたリスナーの体験談(これがいちばん面白い)をジャンル別に分けて、平川の家に送る。本や雑誌は宅配便を使い、その他はファクシミリで送った。
ほかの番組の台本や企画書も書くのだから、これだけで夜中になってしまう。コンヴィニエンス・ストアに食事を買いに行く暇もなく、宅配ピザを五日つづけて食べたこともあった。
それでも、私はまだ楽だった。テレビとラジオの仕事をしながら、毎日六枚の原稿をまとめる平川は悲鳴をあげた。珍しく近くのファミリー・レストランでぼんやりしていた私のポケット・ベルが鳴り、平川が熱を出して原稿ができないという連絡が東から入った。
穴は私が埋めるしかない。私は、いまラジオの方がテレビより生き生きしているのではないか、ただしギャラには雲泥《うんでい》の差があるが、といった内容の原稿を書き、平川にファクシミリで送った。おり返し電話があり、「文章、少し直していいですか」と平川が小声で訊《き》いた。「いいよ」と私は答える。「熱は大丈夫なの?」「ふらふらしてますが、ちょっと直すぐらいはできますよ」。やがて、ワープロで打った原稿がファクシミリから出てきたが、数ヵ所を直しただけで、文章はひきしまり、ウイットが滲《にじ》んでいた。
その後、数回書く破目になったが、私は悪い気持がしなかった。長いあいだ抑制してきた私の内部にある〈力への意志〉が、わずかではあるが、満足させられた。時の権力者を呼びすてにし、愚者の集団のようにからかうのは気持が良かった。もっとも、あまりにも|どぎつい《ヽヽヽヽ》表現は平川によって直されてしまったが。
評論やコラムを志望する人たちは|これ《ヽヽ》を発散したいのか、と私はようやく気づいた。すべては権力意志の問題なのだ。
自分を権力志向の乏しい人間と思ってきたのだが、わからなくなった。大学時代、公共放送や大新聞社に入って出世するのだと公言するクラスメイトがいた。おおむね地方出身者だった。それらの人種を私は野暮で恥ずかしい存在と思っていた。しかし、ラジオ局を支配しているのは、やはり、この人種だった。
〈野暮な奴《やつ》ら〉と嗤《わら》うだけではすまなくなった。好むと好まざるとにかかわらず、彼らと競《せ》り合わねばならない。そうでなければ、私の父親のような負け犬になってしまう。――そんな気持で私は生きてきた。競り合うのは、正直いって、面倒くさいのだが、仕方がない。
だが、結局、私は摩擦のすくない、浮き草のような生き方を選んだ。周囲も、私を権力志向から遠い人間と見てきた。良くいえば職人|気質《かたぎ》、悪くいえば変人。きわめて狭い世界に閉じこもり、その世界の中だけを|完全にコントロールする《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》生き方。
初めの一ヵ月、これといった反応はなかった。私たちの当面の標的である汚職は、一大臣の辞任という形で|うやむや《ヽヽヽヽ》にされた。深追いはやめよう、と東が言った。社内的にも、〈ミスターJのコラム〉はお荷物になりかけているようだった。
私たちは〈テレビ局批判シリーズ〉を考えた。テレビ局と新聞社が系列化されているのは日本だけであり、そのために様々な弊害や歪《ゆが》みが生まれている。それらを具体的に、実名入りで批判するのだった。
評判になった、と東の声は明るかった。「どこから情報がもれたのかと、各局が犯人探しに躍起になっている」。平川と私は大笑いした。二人にとっては既知の事実であり、情報収集などする必要がなかった。局員たちのこぼし話を整理したにすぎないのだ。「様子を見てラジオ局の内情をやりたいのですが、どうしても地味になりますね」と平川は言った。
次の週、ある代理店の会議で、〈ミスターJ〉の噂《うわさ》が出た。
「あれは××だと思う」と、五十過ぎの男が真顔で言った。「××以外に各局にくわしい男はいない」
××じゃないでしょう、と反対する者がいた。あれは複数の人間の取材だと思います。
私は退屈そうにしていた。ほかにどんな顔ができるだろう?
あちこちで〈ミスターJ〉の噂をきいた。
莫迦《ばか》正直に、Jをイニシアルと信じている若者もいた。やり易《やす》くなった、と由佳は電話で私に言った。匿名《とくめい》の人物にどうやって連絡をとるのかって編集長が言ってたわ。確かに問題だな、それは、と私はうなずいた。予想しなかった問題が次々に出てくる。
まちがっても品があるとはいえない週刊誌に、〈ミスターJ〉とは何者かという記事が出た。現代の七つの謎《なぞ》という特集の中の小さな記事だが、〈政治から性事までを斬《き》る男〉と見出しが付いていた。まったくの憶測であるが、東の仕業と睨《にら》んだ。こんなに何でも知っている男が存在するはずはない、と筆者はいい、夕刊紙の複数の記者が書いているのではないかと推理していた。
〈政治〉は私たちの弱点だった。各政党の派閥の内幕などを暴《あば》くのは一面から三面の仕事で、十六面にあるコラムには出番がない。――試行錯誤のあげく、サラリーマンが酒を飲みながら口走るような、いわゆる床屋政談に徹することにした。そういう時だけ、数人の男の会話体にしたのは、平川のアイデアである。何をとりあげても、シニシズムと正義感が同質なのは平川の力量だった。
「週刊マンデー」への登場は十一月一週号からだが、〈テレビドラマ批判〉という、私たちとしては自信のある材料を一回目に選んだ。平川によれば、新宿の裏町から有楽町マリオンの前に出た思いだ、という。反響の大きさが彼の言葉を裏づけた。〈ミスターJ〉は面白いですよ、と私にすすめる若いディレクターがいた。
私は不安だった。いかになんでも順調すぎる。こんなことがあっていいものだろうか。平川が病気になったら、おしまいではないか。
じじつ、平川はしばしば発熱した。過労が扁桃腺《へんとうせん》に出るタイプなのだ。東と私は手分けして|平川の文体で《ヽヽヽヽヽヽ》原稿を書き、由佳が手を加えた。その気になりさえすれば、由佳は平川とそっくりな文章を書けることがわかった。平川より才気のある文章も書けるのだが、それでは〈ミスターJ〉でなくなってしまう。
初冬の午後、暖房と加湿器の音に守られながら私は日本映画界を批判するコラムを書いていた。私の背後ではロッキング・チェアに凭《もた》れた由佳がサラ・パレツキーの推理小説を読んでいる。
「もう少しだ」と私は言った。「データをきちんと押えておく必要があるから」
「ごゆっくり」と彼女は皮肉ではなく言う。「……こういう夢を見たわ、むかし」
「どういうこと?」
デスクに向ったまま、私は訊く。
「あなたは家に閉じこもって原稿を書いている。私はくる日もくる日も本を読んでいるの」
私は答えない。
「そんなこと、一度もなかった。あなたはいつも苛立《いらだ》ってた」
「あのころは、自分に幻想を抱いていたから」と私は言う。「まさか、架空の人物の代作で忙しくなるとは思わなかった」
「いやなら、やめれば? もう言いたいことは言ったんでしょう」
「どうかな」
私はわからなかった。
ラジオ局の批判もやったし、放送作家が冷遇されている事実も訴えた。しかし、一度ぐらいでは現実はびくともしない。
「今のところ、|言ってみただけ《ヽヽヽヽヽヽヽ》じゃないかな」
「批評はすべて、そうよ」と彼女は言った。「なんの力もないの。活字が日本の内閣を倒したなんて、この二十年間で一度しかない。批評はすべて〈言ってみるだけ〉。現実が変るとしたら、それじたいの力学の変化で、やむをえず、そうなるわけ。活字に力があるなんて幻想はすてたほうがよいと思う」
私は答えない。彼女の〈正論〉は反駁《はんばく》の余地がなかった。
「どうするの?」
「考えてみる」と私は言った。
「あなたが真っ先に飽きる。きっと、そうなる」
「待てよ。まだ、スタートしたばかりじゃないか」
私はふり向いた。
「私にはわかる。……でも、私はおりられないのよ。わかる?」
「わかるよ」
「予告の著者紹介に困ったわ。顔写真がないんだもの。仕方なく、平川に電話して、書いてもらった」
私は彼女の目を見た。
「なんとかごまかしたら、評判がいいもので、編集長が〈ミスターJ〉に挨拶《あいさつ》したいと言い出したの」
追いつめられたのは由佳だけではなかった。〈ミスターJ〉と連絡がとれる唯一《ゆいいつ》の人物、東一彦も危険な立場にあった。
東のオフィスには、グラフ雑誌から〈ミスターJ〉の素顔と生活を探る企画が持ち込まれていた。週刊誌のコメントや衛星放送の出演依頼は数えきれない。唯一の社員である東の姪《めい》は、すべてを拒否してきたが、オフィスまで出向いてくる人もあり、本人の意志だといっても疑わしそうな目つきをするという。まさか、いいかげんな顔写真を出すわけにもいかないしな、と東は途方に暮れた。
初めから考えておかなければならなかったのに、と私は思った。東のような男がそこを計算していないのは杜撰《ずさん》といわれても仕方がない。もっとも、これほど急速に〈ミスターJ〉が売れるとは、四人とも予想できなかったのだ。〈ミスターJ〉のような|真実の人《ヽヽヽヽ》を大衆は待っていた。――そこまでは間違いない。私たちはもっと喜び、乾杯してしかるべきだった。しかし、|真実の言葉《ヽヽヽヽヽ》もまた無限に消費される。そのために、私たちは消耗し、いがみ合っている。
「〈ミスターJ〉の連絡先を知らないか?」
私は耳を疑った。土田副部長が話しかけている相手は確かに私である。
絶句した。なにか気の利《き》いたことを言ってはぐらかそうとしたが、言葉が出てこない。
「どうした? 〈ミスターJ〉を知らないというのか?」
椅子《いす》に凭《もた》れた土田は私を睨《ね》め付けた。ロビーの喧騒《けんそう》が遠くなり、走りまわる人々は古フィルムの映像のようだ。
「ええ……」
ようやく、私はあいまいな返事をする。
「どうかしたんですか、それが?」
「〈ミスターJ〉というのは新人のコラムニストだ。知らないと時代に遅れるぞ」
「知ってます」
と私は言う。
「非常に痛いところを突いてくる。|うち《ヽヽ》も槍玉《やりだま》にあげられたが、内部の人間じゃなければわからないところまで抉《えぐ》っている。局内にスパイがいるらしい」
分厚いレンズの奥の土田の目は細い。
「誰が漏らしているか、耳にしたことはないか?」
時代遅れのKGBのようなことをやっていると思った。
「さあ……」
私は無理に笑ってみせる。
「今までも、局内の情報提供者って見つかったためしがないでしょう?」
「きみがそうではないかという者もいた。ぼくは否定したよ」
「ぼくが?」
「気にしないでくれ。きみと〈ミスターJ〉は関係がない」
猜疑心《さいぎしん》の塊のような男にそう言われるのは光栄だった。
「それはそれとして――きみは顔が広いから、〈ミスターJ〉の連絡先とか事務所を知ってるんじゃないかと思った」
「週刊誌の編集部に問い合わせてみたら?」
「週刊誌も夕刊も同じ返事だった。教えられないというのだ」
土田は自尊心を傷つけられた様子だ。もう一押しすれば、連絡先の電話番号をきけるのに。
「本当に知らないか?」
「知りませんよ」
ざまみろ、と私は思う。
「連絡をとって、どうするんですか」
「『文句あるか』に出てもらう」
どんな有名人でもラジオに出たがっているはずだ、と確信する土田は言った。
「〈ミスターJ〉が言いたい放題を言うコーナーを作りたい。だから、きみと話しているんだ。ぐずぐずしていると、他局に持っていかれる」
驚くよりも呆《あき》れた。〈ミスターJ〉を電波に乗せるなんて、地雷原でサッカーをやるに等しい。
「数字が落ちてきている。ご存じの通りだ」
土田は吐息をする。
「恥も外聞もない。何でもやらなきゃ」
ひとごとではない話になる。
――「文句あるか」の聴取率は十月から少しずつ落ちている。あいかわらず〈好評〉ではあるが、聴取率とは関係がない。裏番組が強化されたのが主たる理由だろう。
土田は柱になるコーナーを二つ作りたいと言うが、私はアイデアが尽きていた。昼間の私は亡霊のようなもので、〈ミスターJ〉計画に打ち込んでいた。しかし、番組にたずさわる限り、なんらかの手を打たなければならない。〈ミスターJ〉の件は「無理でしょう」と言っておいたが、そのままですまないのは明らかだった。
西新宿のホテルの小会議室に集まった四人は、ウェイターが出て行っても、すぐには口を開かなかった。
「〈ミスターJ〉の正体をつきとめてみせると、写真週刊誌がぼくに電話をかけてきた。ぼくが担当しているのを知ってるのだ」と東が口を切る。
「東さんの名前を出しましたよ、私」
顔色の悪い由佳が言った。きたくないという由佳を説得したのは私だった。
「きみから聞いたのではないらしい。少し調べればわかることだが」
「疲れました、とにかく」と平川が力なく笑う。「ただ、ここでやめるのも癪《しやく》ですね。やっと言いたいことが言えるようになって。ばれたらばれたでいいじゃないかという気もするんです」
そうなれば話題になり、平川はコラムニストに転じるだろう、と私は思った。いまでも少しずつ小説を書いているはずだ、と由佳は私に言った。
「ばれるのは困る」
東は暗い顔になり、
「矢部君にも言いたいことがあるはずだ」
私は副部長の奇妙な提案を話した。二人の男は、問題にもならないという顔できいている。
「そうだ。ラジオ向きの〈ミスターJ〉を作ったら?」
突然、由佳が言った。
「〈ミスターJ〉が出てくれば、みんな、悩みから解放されるでしょう」
「だれに演じさせる?」
私は反問した。
「そんな男がいれば、初めから苦労はしない」
「作るのよ。多少、手がかかっても」と彼女は強く言う。「だって、それが仕事でしょ、矢部さんの……」
十二月中旬に北海道へ行った。月末に「文句あるか」を札幌から放送する打ち合わせのためだが、できれば、ホテルにさらに一泊して、自分がこれからどうふるまうべきかを考えたかった。
〈ミスターJ〉の連絡先の件はペンディングになっていた。土田の再度の依頼に「努力してみます」と答えたが、信用していないようにみえた。新しいコーナーを思いつけない私は、遠からず、番組から下ろされるような気がした。
前日に二十センチの積雪があった札幌の街は予想したほど寒くはなく、ゴム底の靴《くつ》で歩けた。ひとりで、いくら丼《どん》をかきこみながら、四十を過ぎてこの仕事を続けるのは無理がある、と思った。局側の同世代者は昇進し、現場が若くなっている。三十代初めのディレクターは私に注文を出しにくそうである。
北一条通りに近い局を訪れると、ほぼ同世代のプロデューサーが出てきたので、私はほっとした。
応接室に通され、何人かと名刺交換を終えたところで、プロデューサーが言った。
「この土地で評判の毒舌パーソナリティをごらんになりますか」
「面白いのですか」
濃いコーヒーをすすりながら答える。
「受けています。夕方の時間帯なのが気の毒でね。若い人向きの深夜放送、それも全国ネットなら人気が出ると思うのですが」
私たちは立ち上り、エレヴェーターでスタジオのあるフロアにおりた。廊下で聞くだけでいいという私をプロデューサーは副調整室に入れた。
ガラスの向う側には、髪を短くカットした小肥《こぶと》りの男とアシスタントの女の子がいた。男は主婦からの相談電話を受け、下《しも》がかった答えを返す。アシスタントが笑い崩れる。
心の中が寒くなった。東京の各局でおこなわれている光景の戯画を見るようで耐えられなかった。そこにあるのは毒舌ではなく、古めかしい〈客いじり〉だった。
――東京の作家の先生が、わざわざ、われわれの放送を見にこられました!
――呆れてらっしゃるんじゃないかしら?
――われわれも誇りを持たなければいかん。文句あるか、ですよ。
そう言って男は私に頭を下げてみせた。
「意識している」とプロデューサーは笑った。「中央に進出したくて野心満満なのです」
軽く頭を下げた私は、お邪魔でしょうから、と言った。私たちは副調整室を出た。
「どうですか?」
「あれだけでは判《わか》らない」
私は答えをぼかした。
「ホテルで少しお休みください。打ち合わせは晩めしを食いながらということで」
プロデューサーは言った。
小料理屋での打ち合わせは九時前に終った。
ホテルに帰ってネクタイを外したかったが、「少し歩いてみますか」と言われると断わりきれない。プロデューサーは好意的で、ひとなつこかった。夜の街を案内しながら、ソープランドの値段まで教えてくれた。
「寒くないですか」
いえ、と私は言った。カシミアのマフラーと革コートで身を守っている。
「バーといってもありきたりで……なにか、変ったところはないかな」
彼はつぶやき、よし、と言った。タクシーをとめて、乗り込み、運転手に町名を告げた。
数分走って、車がとまる。辺りは高いビルがならび、ネオンがやたらに多い。料理屋とパブの詰め込まれたビルの入口を指さしたプロデューサーは、どうぞと言った。
小さなエレヴェーターで六階にあがる。おりたところはライヴ・ハウスの入口で、黒い服を着た男がプロデューサーに挨拶した。
「今日は彼女《ヽヽ》じゃないのか」
「すみません、風邪をひいてお休みなのです」
「代演は神保か」
入口|脇《わき》の写真を見て、彼は失望したように言った。
「スタンダード・ナンバーだけをうたう子がいるので、矢部さんにお見せしたかったのです」
「残念ですね」
私は話を合わせた。
「神保というのはパーソナリティ志望で、うちのオーディションに落ちたばかりなんです」と彼は苦笑した。「ちょっと覗《のぞ》いてみますか」
私はうなずいた。地方のライヴ・ハウスそのものに興味があった。
彼はドアを押した。
想像したよりは奥行きがあるが、広いとはいえなかった。少しでも広さを感じさせるように黒い壁のあちこちに鏡を嵌《は》め込み、テーブルとテーブルを離してある。だが、天井の低さはいかんともしがたく、小さなミラー・ボールが下がっているのを見ると、パーティ会場を兼ねているようでもある。
私たちはステージから遠い席をえらんだ。低いステージの上では、小柄《こがら》で平凡な男が物真似《ものまね》を演じていた。よく見ると、色が白く、二枚目といってもよい顔立ちなのだが、印象は平凡だった。
「幾つぐらいですか」
飲み物を受けとりながら、私は小声でプロデューサーに訊いた。
「二十代後半だと思います、たしか」
舞台を見つめながら答える。
「老《ふ》けてますね」
私は言った。
男が演じているのはテレビに出てくる文化人の真似であった。評論家はいかにもその人物の言いそうなことを言い、映画監督、作家も同じであった。似たような声を出すのが声帯模写であれば、これは思考模写である。こうした芸は男の独創ではないが、先行する人たちよりも〈微妙さ〉があった。
観客に受けていないことは問題ではなかった。かつて私が愛した芸人たちは、私が発見した時点ではほとんど大衆に受けていなかった。
「どう思います?」
プロデューサーの問いに、これだけでは分らない、と私は答えた。
「もう少しごらんになりますか」
「そうですね」
パフォーマンスは十分弱で終った。すくない客が立ち上る。
私は入口で待つことにした。テーブルに積まれた数種のパンフレットや|ちらし《ヽヽヽ》を読むうちに、色のうすいサングラスをかけた男が出てきた。
プロデューサーが私を紹介すると、男は何度も頭をさげた。芸人というよりもセールスマンのようで、何のご用でこちらへ、などと訊いた。
「あと、仕事がないようですから」とプロデューサーは言い、エレヴェーターのボタンを押した。
「例のところですか」
男が訊くと、プロデューサーはうなずく。
私たちはすぐ近くのスナックのような店に入った。暖房が強く、クリスマス・トゥリーの豆電球が点滅しているが、客は数人しかいない。
「どこも不景気だな」
プロデューサーは店内を見まわして、
「矢部さんはきみに興味を持たれたようだ。もう少し、見てみたいとおっしゃる」
「|ねた《ヽヽ》がすくなくて。あれで全部なのです」
男はサングラスを外し、落ちつきのない目で私を見た。
「途中で入ったから、後半しか見てないんだ」プロデューサーは強引だった。「こんな機会はめったにない。|さわり《ヽヽヽ》だけでもやりなさい」
「弱ったな」
男は目を伏せた。表情の暗さはサングラスを外しても変らない。
「じゃ、一つ二つ、やります」
男は夕刊を手にした。そして、テレビのニュースキャスター数人が、同じニュースをどのように報道するかを演じた。厳粛なのもいれば、はしゃぐのもいた。それほど似てはいないのだが、〈感じをつか〉んでいる。つづいて、天気予報官の真似を三人やって、三人目は土地の者ですから分らないでしょう、とつけ加えた。
この男の中には妙な意地悪さがあると私は見た。今までの日本の芸人にはないものだ。
私は他の客たちの様子をうかがう。神保の顔を知らないらしく自分たちで盛り上っている。
「札幌では誰も振り向いてくれませんよ」
男は私の気づかいを見抜いた。
「よその局のDJを半年やって、駄目《だめ》。|こちら《ヽヽヽ》のオーディションは落ちたし、そろそろ商売変えしないと……」
「あなた、この土地の人ですか?」
私は訊いた。
「札幌市内じゃないです」
「有名になれる保証はないのですが、東京に出てみる気はないですか?」
「出たいですよ。しばらく東京で暮してたこともありますし」
「本当か?」と、プロデューサーは驚いたように言う。「初めてきいたな、東京にいたなんて」
「いましたよ」と男はうすら笑いを浮べる。「ディズニーランドで働いたこともあります」
「履歴書には書いてなかったぞ」
「どうせ信じないでしょう?」
「いろいろ気になる点がある」と私は割って入った。「たとえば、あなた、照れるでしょう。サングラスは照れかくしじゃないかな」
「わかりますか」
「私生活はともかく、舞台で照れるってのは、芸人としてまずいと思う。それから――これは仕方がないんだけど――自意識が強くて、自分が莫迦《ばか》なことをやっていると思う。そう思うと、どんどん落ち込んでしまう。さっき、舞台でそうだったでしょう」
顔を伏せたまま、男はうなずいた。
「自信の問題だな」とプロデューサーは断言した。「オーディションの時もそうだった。テンションが高く始まって、すぐに落ち込んでしまう」
「舞台から出発した芸人は別として、いまや、大半がそうですよ」と私は擁護するように言う。「ラジオからテレビに進出した連中は全部そうです。百も承知で、ぼくたちはタレントを育てる。育てないと、番組が作れないからです」
男は蒼《あお》ざめてみえた。
「無理にとは言いません。気が向いたら、遊ぶつもりで東京にきてみませんか」
私は名刺を出した。
「お役に立てることがあるかも知れない」
「わかっているのか、おまえ」とプロデューサーが言った。「光栄なんだぞ」
「その気になれば簡単です、妻子がいないですから。生活費ぐらい、なにをやっても稼《かせ》げます……」
「おまえ、奥さんがいたはずじゃないか!」
「別れましたよ、このあいだ」
男は冷静に言った。
5 教育とその効果
神保の上京は私が計算したよりも早かった。
正月休み明けの正午近く、浴室で、ひげ剃《そ》りあとにサンダース・ペリーのマシュマロ・スキントニックをすり込んでいると、電話が鳴った。私はリヴィング・ルームの受話器を外した。
――……ご記憶でしょうか……札幌でお目にかかった者ですが……。
地の底から響くような声だった。
――覚えている。
私は明るく答えた。
――あの……いま、ほんの少し、お話ししてよろしいでしょうか。
――いいよ。
相手を励ますように言った。暗い語調がやりきれない。
――ゆうべ上京しまして、練馬の友達の家に転がり込んだのです。
緊張した時の空咳《からせき》がきこえた。
――さっそく、先生にお目にかかりたいと思いまして、お名刺の電話番号にかけたのです。……ご迷惑でしょうか?
迷惑ではない、と私は答えた。|私は待っていたのだった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
わかり易《やす》い場所として、私は西新宿の大きな喫茶店を教えた。だいたいの見当はつきます、と神保は答えた。
午後の放送のあと、私は喫茶店に足を向けた。東京のあちこちにある待ち合わせのためのチェーン店の一つだ。さほど混んでいないにもかかわらず、男が立ち上るまで私は気づかなかった。地味な紺のスーツを着、紺のネクタイをしめた男は、周囲のビジネスマンに溶け込んでいた。あまりの平凡さに、私は一瞬、危惧《きぐ》を覚えた。
挨拶《あいさつ》をしながらも、男はやたらに空咳をした。無視して私は用件に入った。
「どのくらい、滞在できるの?」
「札幌は引き払ってきたのです。……仕事を探して……なにか見つかれば、しばらく東京にいたいと思って……」
改めて男を見た。七三に分けた髪型、汚れたネクタイ、茶色の古靴、色あせたコート、そして蒼白《あおじろ》いやせた顔。少くとも外見では、完全にタレントを失格している。
「ディズニーランドで働いてたと言ってましたね」と私は言った。「なにをやっていたのです?」
「……いろいろです。通路の掃除とか……」
本当だろうかと私は思う。
「友達の家にずっとはいられないでしょう?」
「狭いところですから……十日ぐらいたったら、出なければ……」
男は自分に言いきかせるように言う。
「でも……先生、よく私を覚えていらっしゃいましたね」
「まだ、一ヵ月たっていないでしょう。覚えてるよ」
「いえ……」と男はためらって、「失礼なことを申しあげるようですが、あの場限りの言葉じゃないかと疑っていたんです。東京からみえた作家の先生の何人かに声をかけられて、それっきりになったことが多いもので」
黙っていたが、男の空咳の意味がわかった。
「有名なドラマ作家に東京に出たらたずねてこいといわれて、真《ま》に受けて行ったら、門をあけてくれないのです。私も疑ぐり深くなってしまっていて」
「それはひどい」
私は同情した。
「先生はちがうことがわかりました」
「〈先生〉はやめてくれないか。さん付けで呼んでくれればいい」
誰に対しても言う言葉だった。
さらに三十分ほど話をきいた。年末に〈札幌で最後のライヴ〉をやったと言い、男はテープを私に渡した。
私は私のカードを出す時だと思った。
「実はひとつ、仕事の話があるのだが……飲み屋の店員だから、きみがどう思うか」
「飲み屋ですか」
男は私の顔を見る。
「下北沢の外れにあるスナックだ。おつまみはエスニック料理と称している。サラリーマンもくるが、三流ぐらいのお笑いタレントや役者の卵の溜《たま》り場になっている。月に一日、店をしめて、定連が芸をやるのが特徴かな」
男は興味を抱いた様子だった。
「よくいらっしゃるのですか、矢部さん?」
「ぼくは行かない。騒々しい店はたくさんだ。若いディレクターたちは行っているようだが……」
カードを提示し終えた私は相手の反応を見守った。
「そうですね……私のとりあえずの仕事としては、スナックでスパゲティを作るとか、中華料理とか、そんなところしかないでしょう。セールスマンは若くないと|きつい《ヽヽヽ》ですし」
「そうそう。きみの歳《とし》をきいてなかった」
「あ……二十七です」
一瞬のためらいを私は見落とさなかった。三十すぎではないかという気がした。
残ったコーヒーを啜《すす》りながら、私は相手の返事を待った。
「下北沢って場所がいいですね。私でお役に立てるかどうか」
「大丈夫じゃないかな」
元タレントのスナックの主人にはすでに根回しずみである。
「ご紹介いただけますか?」
私はうなずいた。
「一つだけ条件がある」私は声をひそめる。「さいきんまで北海道にいたことを隠すこと」
「どうしてですか?」
男は目を細めた。
「そのうち、説明する。人に訊《き》かれたら、千葉にいたとか、埼玉だとか、適当にしゃべっておけばいい。店の親父《おやじ》にはぼくから本当のことを話しておく」
「変だなあ」
「いずれ、きみにもわかる」
「でも、ぼくだって小さな舞台には立っていたわけですし、嘘《うそ》をついても|ばれる《ヽヽヽ》んじゃないかなあ」
「その時はその時だ。今は、ぼくのいう通りにしなさい」
私たちは店を出た。横断歩道を渡って、西口にあるデパートに入る。
私は男にネクタイとスニーカーを買いあたえた。それらを身につけただけでも、印象が少し変った。
小田急線で下北沢に出る。駅前の賑《にぎ》わいはいつもと同じだが、ウィーク・デイのせいか、道に屯《たむろ》する若者たちがすくない。のべつ店が入れ代るこの町は好きではなかった。
池ノ上寄りにあるスナックはドアをしめていた。簡単な食事と酒を供するこの種の店を正確になんと呼ぶべきか私は知らない。私の感覚でいえばスナックだが、店は当世風に〈南洋食堂〉と称している。
ベルを押すと、主人が出てきた。私は暗い店内に足を踏み入れ、男を紹介した。主人はもっともらしい顔でうなずいている。私の仕事はここまでだった。他人の芸が只《ただ》で観察できるし、自分の水準もわかるだろう、と男にささやいて外に出た。
帰宅した私は東に電話して、男が上京した、と告げた。ものになりそうかね、と東は訊き、私はわからないと答えた。
――〈ミスターJ〉はおれだと思われている。
東は小声で言う。
――当らずといえども、遠からずじゃありませんか。
と私はからかう。
――ひとごとだと思って! もっとも、「週刊マンデー」の副編集長という説もある。そいつは外部の原稿を書きすぎたんだな。〈ミスターJ〉の筆が冴《さ》えれば冴えるほど、おれの尻《しり》に火がつく。
――急ぐようにしますよ。
私は受話器を置いた。
ジャケットを脱ぐと、シャツのボタンを二つ外し、キッチンからバドワイザーとグラスを持ってきた。メモ用紙とボールペンをサイド・テーブルに置き、神保がくれたテープをセットした。すぐに――恐れを知らないというか――、ジョニー・カースンのテレビ・ショウの明るいテーマ曲が流れ出た。
果物|籠《かご》を下げた男が挨拶にきたのは数日後だった。
放送が休みの日なので、男をリヴィング・ルームに通した。男は髪型を変え、洒落《しやれ》たブルゾンを着ている。
「まだ慣れないだろう?」
私はソファをすすめながら言い、椅子《いす》にかけた。
「ああいう店は札幌にもありました」
男の口調はのびのびしている。意外に適応性があるのかも知れない。
「東京から有名なタレントさんがくると、夜明けまで莫迦騒ぎしました。基本的には同じタイプの店ですね」
「居心地は悪くないか」
「ゆうべ、お笑いの方の先生が見えました。夜中だったので、私も騒ぎに加えていただいて……うまく、はまったみたいで」
〈はまる〉とは〈気に入られる〉意味である。馴《な》れ馴れしすぎる気がした。
「どうしてわかる?」
「帰りにチップを下さいました。一度、局においで、と言って」
「行ってみるか」
「入口で止められます。あれだけ酔ってたら、覚えていませんよ」
神保の勤務ぶりは主人から電話できいていた。料理を作るのは手早いが、客が物真似《ものまね》や落語を始めると、冷ややかな目で見つめているという。
「店に集まる連中で伸びそうなのがいるかい」
「さあ……」
神保は首をかしげた。
「流行語がヒットしかけて浮かれているのはいます。ただ、こっちが売れていない僻《ひが》みかも知れませんが、〈飛ばし過ぎ〉だと思います。あれでは身体をこわすし、飽きられます。倒れるのは時間の問題でしょう。――ま、売れない芸人てのは、こうやって自分を慰めるんですがね」
にやっと笑った。とっさの自己批評に才気が感じられた。
「親父さんには、きみの過去を話したのだろう?」
「訊かれた範囲内では答えました」と神保は用心深く答える。「仕事がない時は、芸をやってもいいと言われたのですが、具合が悪いです。そう答えたら、月末の例会の日に、私に三十分、パフォーマンスの時間を下さるというのです」
「よかったな」
私は言った。主人との打ち合わせ通りだった。
「ぼくも観《み》にいくよ」
「えっ、困るな、矢部さんは……」
神保は当惑気味だった。
「あのテープをきいた。ひとことでいえば、面白かった。疑問の点もあるけど」
私はメモを手にした。
「正直な感想を言うから、気にしないで欲しい。あくまでも、ぼく個人の印象だ」
ドア・チャイムが鳴った。私は立ち上り、ドアのチェーン・ロックを外した。
茶色の霜降りニットのジップアップ・セーターを着て手袋をした由佳が入ってきた。神保の存在に気づき、いいかしら、という目つきをした。
「ごめん」と私は小声で言った。「突然、来客があった。あとで電話で話そう」
彼女の顔はひとまわり小さくなっていた。相談したいのが例の作家とのことであるのは分っているが、神保との話が長くなりそうだ。
「とりあえず、原稿だけ持っていってもらおうか」
ファクシミリで送ればすむのに、私たちは原稿を手で授受するようになっていた。作家との結婚が座礁《ざしよう》したのが私たちの関係を濃密にしていた。
「ごめんな」
私は小声でもう一度言い、細長い封筒を渡した。大きな黒のバッグに納めた彼女は私の目を見つめ、あとでね、と言った。彼女の腕をおさえたい衝動を抑制した私は、そっとドアをしめた。
私が椅子に戻ると、神保は興味のないふりをしていた。
「どこまで話したかな」と、私はメモに目をやって、「ぼくの意見を気にしないで欲しい」と繰りかえした。
神保は答えない。
「とにかく、面白かった。これが大前提。ぼくがひっかかったのは、身体障害者を差別する|ねた《ヽヽ》だな。ヘレン・ケラーのセックスとか、そういうやつ。それから、排泄物《はいせつぶつ》に関する、いわゆる下《しも》|ねた《ヽヽ》だ。ぼくはどうしても馴染《なじ》めないんだけど、きみにはそういうものに固執する理由があるのか」
「いや」
神保は驚いたようだった。真正面から質問されたことがないのだろう。
「札幌最後の夜だったので、内輪の人間が三十人ほど集まっていたんです。そいつらの好みに合わせただけです」
「あえて放送不可能な|ねた《ヽヽ》をえらんだ気持はわかる。よくわかるよ」と私はつけ加えた。少しでも、放送に関係した者なら、そういう気持に駆られるのは当然であった。――だからといって、極端な差別を材料とする笑いが良いことにはならない。それらは心の底から笑うことができないからだ。こうした私の判断は〈偽善〉や〈良識〉からではなく、笑いという微妙なものへのバランス感覚から発していることが理解されるかどうか?
「東京でも、ライヴ・ハウスなら、放送禁止用語を使ってもかまわない」
「大丈夫ですか」
「しかし、狭い集まりでさえ、小型のテープレコーダーを持ち込んで、あとで、あいつはこんなことを言ったと暴露するジャーナリストがいる。そうしたことがあり得るのは考慮に入れたほうがいい」
「札幌と同じですね」
神保は失望したようにみえた。東京を自由の天地とでも思っていたのだろうか。
「気になったことをもう少し言おうか」
「あ、どうぞ」
「方言で笑わせるのはやめた方がいい。きみの場合は東北弁だが、東京では東北弁は珍しくない。むしろ、陳腐だ。共通語がしゃべれるのなら、それで通すべきだと思う」
「ぼくの共通語、変じゃないですか。ごまかすために東北弁を使うのですが」
「変じゃない。訛《なま》りはあるけど、大して気にならない」
神保は笑った。
「元気が出ます」
さらに、物真似について、私は専門的な細かい注意をあたえた。納得できない神保は立ち上り、演じ直す。私はさらに駄目を出し、注文をつける。
こんな真似をするのは何年ぶりかだった。終るころ、私は彼に愛情を感じ始めていた。
多少なりとも、私の言葉が現場で力を持つようになってから、私は過度に芸人に惚《ほ》れ込まないようにつとめてきた。一般論として、〈芸〉は好きだが〈芸人〉は嫌《きら》い、と明言していた。それは、ともすると、彼らに吸い寄せられがちな自分を抑えるための言葉であり、建て前でもあった。〈芸人〉と〈芸〉を画然と分けるのはむずかしく、〈芸〉を認めた瞬間からその〈芸人〉に入れ込み始める自分を意識せざるをえない。
神保に関していえば、スナックでの三十分のパフォーマンスにそなえて、さらに二回、私のマンションで指導をした。相手がアマチュアであるのを考えると、指導のきびしさには、なにかしら逸脱したものがあったが、私の情熱に応《こた》える力を神保が持っていたのは確かである。中途|半端《はんぱ》なプロにありがちな、変な色に染まっていない事情もあるが、アマチュアとしては抜群の吸収力を持っているのが嬉《うれ》しかった。
〈南洋食堂〉での彼のパフォーマンスを局の若いディレクターたちに見せることにした。東、平川と由佳も呼んだ。
放送禁止用語の大半を使う神保のしゃべりは、アメリカのスタンダップ・コメディアンのそれに近かった。日常のタブーをからかう言葉は練習のときよりもはるかに力強く、〈本番に強い〉体質であるのがわかった。予備知識なしに接したディレクターたちは圧倒され、呆然《ぼうぜん》とした。
私は――とにかく、土田に話し易くなったと思った。
しつこく念を押すようだが、私はまだ、|本当に語りたいところ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》まで到達していない。
計画が順調に運びすぎるように見えるとすれば、前に述べたように、私が〈手短かに語〉ることに専念するためであり、こまかい手ちがいや感情的摩擦は省略している。〈ミスターJ〉探索は執念深くつづいていたが、比例するかのように私たちの収入は増加し、出入りするレストランやクラブの格が上った。ごく短期間ではあるが、平川と私はファースト・クラスの乗客としてフィジーへ旅をした。由佳も連れてゆきたかったが、平川がいっしょではそうもいかない。
土田副部長は疲れていた。昨秋からの新番組の聴取率が軒なみ悪く、「文句あるか」もぱっとしない。あとになって考えると、神保を番組の片隅《かたすみ》に押し込むには絶好の秋《とき》だった。だが、私はそれほど冷静ではなかった。〈南洋食堂〉での興奮の余韻が醒《さ》めぬうちに、ディレクターの一人に神保を売り込んだ。神保のパフォーマンスを観ているディレクターは、「〈外まわり〉なら可能ですがね」と気の毒そうに言った。あれだけの才能を〈外まわり〉に使うのはもったいないと言わんばかりだった。
赤羽明の「文句あるか」は、赤羽のしゃべり、ゲストの話、ニュース、交通情報などから成り立っており、中でも、もっとも下らないのが〈外まわり〉のコーナーである。――もう少し具体的に述べると、〈外まわり〉役の若いアナウンサーがいて、赤羽明の押しつける無理難題を実行する。例えば、やくざの服装で歌舞伎町《かぶきちよう》を歩き(それだけでも充分に危険であるが)、ちんぴらを背後から、わっとおどかして逃げる、といったたぐいの幼児的な悪戯《いたずら》だ。この時は、アナがちんぴら三人につかまり、袋叩《ふくろだた》きにされる事件になった。(ただし、その部分は放送されなかった。)困ったことに、このコーナーはリスナーに支持されているので、やめるわけにいかない。起用されるのは主として新人アナウンサーであるが、赤羽のサディスティックな命令に耐えられず、女性アナがセクシュアル・ハラスメントだとおりたりして、局内で問題になっている。彼女は八百屋の店頭で松茸《まつたけ》をくわえろと命じられたのだ。
「話はきいた」と土田は私に言った。〈外まわり〉を外部のタレントがやるのなら、とりあえず、局内での人権問題論議からは逃れられるのだ。「ディレクター連中はいけるんじゃないかと言っている」
「いま、あの男に唾《つば》をつけておくべきでしょうね」と私は答える。「中央放送《うち》はいつも出遅れるのですから」
「履歴書を出させてくれ。それはそうと、〈ミスターJ〉はどうした? 連絡がとれるかも知れないと言ってただろう」
「もう少し時間がかかります」と私は言った。「他局には抜かせませんよ」
神保の出演は二月の一週からだった。土田は赤羽に〈アマチュアに毛の生えた程度の奴《やつ》〉を使うと話したのだが、赤羽の嗅覚《きゆうかく》は鋭かった。
「ど素人《しろうと》とは思えないね」
神保が挨拶《あいさつ》にきたあとで、赤羽は私に言った。私が推したことを耳にしたらしい。
「二十代ってのも怪しい。おれ、三十四だけどさ、|どっこい《ヽヽヽヽ》じゃないの?」
「苛《いじ》めないでよ」
私は言った。
「まあ、いいけど」と赤羽は言った。「矢部さん、おれを裏切らないでね」
聴取率の低下とともに人々が距離を保ち始めたことに赤羽は気づいていた。
赤羽は初めて、〈外まわり〉のコーナーに自分のアイデアを出した。いずれも神保への憎悪《ぞうお》が感じられるものばかりで、ディレクターは心配したが、放送が始まってしまえば、赤羽の思うがままだった。生放送をストップさせることはできない。
一日目は、ライヴァルであるラジオ局に潜入させて、「文句あるか」万歳を叫ぶことだった。神保がなんとか成功すると、「赤羽明様万歳と言え!」と赤羽はマイクに向って叫んだ。神保は警備員に捕まった。
二日目は、寒風の中、ブリーフ一つで丸の内を歩き、若い女性たちに「お暑うございます」と頭を下げるのだった。しかも、マイクをつき出して、相手のリアクションをひろう。五分ほどで神保は絶句した。莫迦《ばか》野郎、臆病者《おくびようもの》、と赤羽は怒鳴った。「交番の前まで行って、ブリーフを脱ぐんだ。こんな初歩ができないのなら、番組をおろすぞ!」
神保が言われた通りにしたので、ディレクターは丸の内署に呼ばれた。
三日目はやや静かになった。それでも、新宿の公衆便所の人の出入りを実況中継させ、内部の落書きを読みあげさせるのだった。
五日目の夜、神保から電話があった。やめたい、というのだった。こんな屈辱に耐えるよりも北海道に帰ったほうがましだ、と言った。
翌週に入ると、土田が文句を言ってきた。つまらないし、暗いから、神保を切りたいというのだ。
その夜、私は神保のアパートに電話した。寝ていたのか、彼の返事は地の底からきこえるようだった。
――もうそろそろ、開き直れ。
と私は言った。
――莫迦なリスナーどもを罵倒《ばとう》してやれ。こんな放送が本当に面白いのかと言ってやれ。
――大丈夫でしょうか?
声はやや元気になった。
――おろされないでしょうか?
――プロデューサーはきみをおろしたいと言っている。こうなれば同じことだ。自分のスタイルでやれ。
私は異常な状態にあった。彼の悩みや怒りが自分の一部になった。受話器を置いたあと、私はソファにあった週刊誌を床に叩《たた》きつけた。
「同性愛じゃないの、あなたたち?」
神経を鎮《しず》めるためにカモミラを飲んでいた由佳が揶揄《やゆ》した。
「莫迦な」と私は言った。「あいつを〈ミスターJ〉に仕立てるために努力してるんだ。だいたい、〈ミスターJ〉を作ってみろといったのはきみじゃないか」
若いディレクターたちは私の味方だった。彼らは赤羽明の専横ぶりにうんざりしていた。今日の神保は少し長めになるから途中で切らないでくれ、と私はたのんだ。どうせ終るのだから、というニュアンスを感じたディレクターは、最後の挨拶ですか、と言った。矢部さんのキューを見て、やります。
「赤羽ががたがた言ったら、洒落《しやれ》だと答えよう」と私は小声で言った。「あいつ、自分に都合悪いことが起ると、芸人の洒落がわからねえのかと逃げるじゃないか」
「いいんじゃないですか、たまには」
ディレクターは笑った。たまにはお灸《きゆう》を据《す》えるのも、の意味だった。
これからあとで起ったことは〈神保登伝説〉の発端だから、あるいはご存じの方もいるかも知れない。原宿の雑踏の中でバリ島風の踊りを命じられた神保は、一分間で「やめた」と言い出したのだ。
「おれの命令に背くのか?」
赤羽は居丈高に叫んだ。そして、副調整室を見る。
神保は私の書いた台本通りに始めた。
――やってらんないよ、こんなの。今までだって好きでやってたんじゃない。
「いいのか、二度とおれの番組に出られなくなるんだぞ」
ディレクターは笑いをこらえている。私はスタジオ内部から見えない位置に隠れた。
――赤羽さんに反抗してるんじゃないですよ。おれが文句を言いたいのは、そこの小母《おば》さんや高校生、それから、ラジオの前にいるあんた方だ。毎日毎日、おれがひどい目に遭うのをきいて、げらげら笑ってる小市民野郎! 要するに、他人の不幸を楽しんでいるだけじゃないか! こんな放送がそんなに面白いか?
神保は台本を暗記しただけではなく、彼の内部にひそむ悪意を吐露していた。
――おれがひいひい言っているのを公共の電波に乗せていいのかってことが、まずあるわな。おれにだって手がある。放送禁止用語の尻取《しりと》りとか、放送禁止の歌のメドレーとか、そういう芸をやってみせようか。まず、尻取りからいこう。「ドレミの歌」みたいに、みんなで合唱するんだ。
私の台本にはないことだった。不安になった私はディレクターにキューを出した。彼は認めたが、中継を切らなかった。
蒼白《そうはく》になった赤羽がドアを押して出てきた。
「おい、切っちまえよ、なにを考えてるんだ」
「洒落ですよ、赤羽さん」とディレクターは言った。「数字を上げるためです。わからないんですか」
土田は留守だったが、局長が走ってきた。赤羽が局長に文句を言っているあいだに中継は終った。約十分。計算通りだった。
局には抗議の電話が殺到した。面白かった、もっとやらせろという電話とファクシミリも同じくらいきた。ラジオではテレビの視聴率のような刻々の動きはわからないのだが、口《くち》コミで聴取率がはね上ったのではないか。
翌日、土田はまず怒ってみせ、神保のコーナーを十分にしようかと言った。毎日、人が集まっている場所へ行き、人々を罵《ののし》るという企画だった。番組開始いらい、土田が企画を出したのは初めてであった。
都心にあるホテルの二十八階のバーの窓ぎわで、神保と私は乾杯した。
神保は珍しそうに辺りを見まわし、矢部さん、いつもこういう場所で飲んでるんですか、と訊いた。
「そうでもない。今夜は下界を見おろしたい気分だったから。……ほら、向うに黒く沈んでいるのが皇居だ」
「へえ……」
神保は窓ガラスの近くまでゆき、はるか下の車の流れを見た。
そして、さりげなく、
「赤羽さん、怒っていませんでしたか?」
と言う。
「怒っている。しかし、仕方がない。数字が悪いから」
「はあ」
「赤羽がきみと会話をすることは、もうない。きみを呼び出す役はアシスタントの女の子になった」
「ほっとしました。お世話になるばかりで……」
「きみは強運だ。才能もあるけれど、運が良い。ほんらいなら、番組からおろされて当然なんだ」
「矢部さんの台本通りにやっただけです」
あいかわらず暗い表情でつぶやくと、不意に顔をあげた。
「ここで棄《す》てないでくださいよ、矢部さん。私をずっと見ていて、叱《しか》ってください。おっしゃる通りにします」
私はぞっとした。ここらで私が身を引いても、この男はやっていける、という思いが頭をよぎったばかりだった。この男は人の心の一瞬の動きを読む能力を持っている。
土田が感情を抑制せざるをえない理由は明らかだった。二ヵ月に一度の聴取率調査の週間が迫っていた。瞬間風速《ヽヽヽヽ》でいいんだ、が彼の口癖である。
「神風《かみかぜ》を期待できないか」
彼は古風な言い方をした。
「アイドルの仕込みだけじゃ他局と変らない。大きな仕掛けが考えられないか」
「一つだけあります」
私は答えた。
ロビーは暖房がききすぎ、人いきれと煙草《たばこ》のけむりで、のどを潤《うるお》さずにはいられない。
「きみ、なにか飲まんか」
土田はアシスタント・ディレクターを呼んだ。
「カルピス・ウォーターを頂きます」
「カルピス・ウォーター一つ。おれはコーヒーだ」
珍しく親切である。
「とっておきのアイデアをきこうか」
「懸案になっていた〈ミスターJ〉です。あの男を出しましょう」
土田は私の目を見た。本気にしてはいなかった。
「誰かが〈ミスターJ〉に扮《ふん》するわけか」
「まあ、そうです」
「話題にはなるだろうな」
土田は煙草を咥《くわ》えた。
「しかし、本物の〈ミスターJ〉が怒るだろう。謝る役はぼくだからな」
カルピス・ウォーターがきた。一口飲んでから、私はおもむろに言った。
「神保がやるんです。今まで伏せておいたのは申しわけないのですが、実は、神保こそ、〈ミスターJ〉なのです」
土田のズボンのひざがコーヒーで汚れた。
「洒落がきつすぎる……」
ハンカチでズボンを拭《ぬぐ》った土田は私を睨《にら》んだ。眼鏡のレンズにも茶色い滴《しずく》が付着している。
「ぼくは真剣に話しているのだ」
「真剣ですよ、こちらも」と私は言い、とっさの思いつきを口にした。「〈ミスターJ〉のJは神保のJです」
「まさか……」
「本当です。忙しいコラムニストがなぜあんな仕事をしてるのかとお考えでしょう? 取材です。ずっとやる気なんかないんです」
「そういわれると、ああいう開き直り方もわかってくるが……しかし、信じられない」
「初めからお話しすればよかったのです。私にしてみれば、タイミングを計っていたので。だいたい、ぽっと出てきたタレントにあんな辛辣《しんらつ》な意見は吐けませんよ」
「それはそうだが……いや、驚いた。こんなに驚いたことはない」
土田は椅子の背に凭《もた》れた。煙草の袋が床に落ちる。
「血圧に良くないな、これは」
大きく吐息をした。
衝撃が強いのは当然だが、これほどの肉体的反応を示すとは予期していなかった。カルピス・ウォーターを少しずつ飲み、彼が落ちつくのを待った。
「きみを信用するしかない」
土田は深く息を吸い込む。
「もう少し、話してくれ」
「単純なことです。神保のコーナーを二十分にしてください。神保が自分はコラムニストの〈ミスターJ〉だと告白すればよいのです。それだけでは信用されませんから、翌日の夕刊のコラムの内容をしゃべるんです。〈ミスターJ〉じゃない限り、|翌日の《ヽヽヽ》コラムの内容はわかりません。それから告白する場所は、大学構内がいいでしょう。あとが騒ぎになりますから」
「番組宣伝に〈話題のコラムニスト、仮面を脱ぐ〉と出していいだろうか?」
土田はその気になってきた。
「いいと思います。ただし、〈ミスターJ〉が生出演することは、ぎりぎりまで、土田さんとぼくだけの秘密にしておきたいんです」
「わかっている」と土田はうなずく。「ぼくがショックを受けたのだから、世間もショックを受けるはずだ」
「局長賞ものです」私はさりげなく言った。「神保を特別な目で見ないようにしてください。無視してもらったほうがやり易《やす》いです」
「ぼくだけでも挨拶しておかなくていいか」
「不必要です。……問題は赤羽ですね。今でさえ苛苛《いらいら》してるんですから、神保のコーナーが二十分になるときいたら荒れるでしょうね」
「ぼくがなんとかする。それに、赤羽は――彼が悪いのではないが、問題が起っている。そっちの方でも頭が痛いのだ」
「瞬間風速《ヽヽヽヽ》にして、四十メートルぐらいは吹くでしょう」
土田との話が終ると、私は空いている打ち合わせ室に入り、三人に連絡をとった。由佳と平川は私に任せると言い、東だけが懸念《けねん》を表明した。
――あの男が失敗したらどうする?
――あれは贋《にせ》の〈ミスターJ〉で、コラムのゲラ刷りを読みあげただけだ、と本物の〈ミスターJ〉が批判すればよいのです。
いちおう、そう答えたが、私には勝算があった。局に戻った神保を近所の喫茶店につれてゆき、私が〈ミスターJ〉の一人であること、神保もその複合人格の一人になるのだと告げた。
神保は〈ミスターJ〉そのものにも、手伝うことにも、積極的な興味がないように見えた。ラジオでは、神保ひとりで〈ミスターJ〉を演じるのだ、と強調しても、驚かなかった。出演時間が倍になるのを喜んでいるだけに見えた。
このとき、もっとも苦労したのは台本だった。
内容は若者風俗批判に決めたが、問題はスタイルにあった。平川独特のシニックな文体と神保特有のつっかかってゆくような喋《しやべ》り方を融合させるのは容易ではない。神保はすでに彼流の大衆攻撃のスタイルを確立しつつあったので、それに反する台本を書くわけにはいかなかった。
本当は政治家を攻撃したかった。しかし、それは、私たちの番組に向いていなかったし、神保にも向いていない。日本の政治家は腐敗しているに決っており、一介の芸人が何か言っても無駄《むだ》だというのが神保の認識である。
神保が好むのは文化人批判であった。彼は文化人Aを攻撃しようとすると、Aそっくりに喋り、しかもAの発想をグロテスクなまでに誇張した。彼の物真似《ものまね》はそうしたものであった。
しかし、タレントとしての神保はほぼ無名に等しく、ラジオで文化人批判を演じるのは早すぎた。〈若者風俗批判〉は無難な線で、中年の多いリスナーの溜飲《りゆういん》を下げるにちがいないと私は計算した。
私とディレクターの計算は悪くなかった。中継の場所は神田にある大学構内で、「おれが〈ミスターJ〉だと言っても誰も信じないだろ?」が神保の第一声だった。学生たちはどっと笑った。しかし、彼が|翌日の《ヽヽヽ》コラムを喋り始めると、静かになった。〈カリフォルニアでやることを日本でやるなキャンペーン〉という|ねた《ヽヽ》は私が考えたもので、空《から》っ風《かぜ》の強い日にフリスビーを飛ばすなとか、波もないのにお台場でサーフィンをやって溺死《できし》する莫迦《ばか》などを列挙してゆくのだが、学生たちの笑い声が変ってゆくのがわかった。好意と尊敬のこもった笑いであり、神保は〈ミスターJ〉になりつつあった。二十分の中継はあっという間に終った。
すぐに局への電話が殺到した。神保が〈ミスターJ〉であるのは本当かという問い合わせと、取材申し込みだった。取材申し込みは土田が捌《さば》くことになっており、彼は久しぶりで生き生きと応対した。始末書を書くつもりで蒼《あお》ざめていたのが嘘《うそ》のようだった。聴取率も良く、〈ミスターJ〉のコーナーは二十分と決められた。
肩の荷をおろして、私はほっとした。力が抜ける思いだったが、本当にこれでよかったのだろうか?
翌日のテレビのワイド・ショウはいっせいに〈ミスターJ〉の素顔をとり上げた。過去の資料がないので、土田副部長が登場し、神保登が好青年であることを強調した。「悪口は芸であって、私生活では優しい」という型通りの説明をきいて、私たちは大笑いした。
私たち四人は青山通り裏のドイツ料理屋の個室にいて、小型のテレビを観《み》ていた。テレビは平川が持ってきたものだ。遅れて入ってきた神保に三人を紹介すると、神保は「どうも、お世話になって」と叩頭《こうとう》し、ビールを注《つ》いでまわった。由佳の顔は覚えていたらしく、「や、どうも」と深深と頭を下げた。
「これで〈ミスターJ〉は五人になった。五人で社会を斬《き》りまくろう」と東は大声で言った。「活字とトーク、お互いに面白くやっていこうや」
異論はなかったし、なによりも〈ミスターJ〉の正体|云々《うんぬん》が、ひとまず解決したのがありがたかった。
帰りぎわに由佳が私にささやいた。
「あの人、こわいわ。愛想をふりまいても、目がぜんぜん笑ってないもの」
6 アクシデント
私たちに計算ちがいがあったとすれば、テレビのワイド・ショウを一過性のものと考えていたことである。四人とも朝や午後のテレビを観ていないのだった。
ほかに事件がなかったからだろうが、〈ミスターJ〉の正体と素顔の映像は翌日も翌々日も流された。映像は同じもので、コメンテーターが毎日変った。
退屈な映像を眺《なが》めながら、自分はテレビ・タレントにはならないという神保の言葉はおのれを知るものだと思った。野球帽を深くかぶり、濃いサングラスをかけた神保は、半ば変装しているとはいえ、暗すぎた。私の台本通りの言葉をぼそぼそ呟《つぶや》くのだが、コメンテーターは「世を拗《す》ねた辛口コラムニストらしい」と好意的に評した。コメンテーターたちの興味は、貧相な冴《さ》えない男がなぜテレビ局の内幕にくわしいのかの一点に集中していた。
脅威を感じたのは、〈まじめな〉報道番組が神保の過去を追い始めたことである。鋭いキャスターが現在の協力者である私の話をききにきた。あたりさわりのないことを述べた私は、逆に彼らの取材がどこまで進んでいるかを探った。
「〈南洋食堂〉でとまっていたんです」
若いキャスターは答えた。
「主人は、|とび込みで《ヽヽヽヽヽ》雇ってくれと言ってきたと答えました。ずいぶん変な話ですが、神保さんは下北沢の若者風俗を知るためだと言ってますし、勤めていたのは短期間です。いちがいに嘘《うそ》とは言いきれない。そのあとで、彼が札幌のライヴ・ハウスに出ていたという情報がファックスで入ったのです。いま調べているところです」
「そんな話はきいたことがあります」
私の顔はこわばっていた。
「目立たないようにスタンダップ・コミックの練習をしていたとか……」
「そこらはもう調べがついているんです。しかし、たまにライヴ・ハウスに出ていたこと以外、何もわからないのです」
「へえ……」
たしか、〈別れた妻〉がいたはずだった。
「ライヴ・ハウスでのファンは少しいました。しかし、家族も友人も見当らないのです。テレビ局、ラジオ局をすべて当っても、そうなのです。奥さんがいたという人もいるのですが、突っ込んでみると、実体がない。遠くから見かけた人さえいないのです」
「あいつ、札幌近郊の人間じゃないのか」
思わず、そう言った。私自身、神保登についてなにも知らないのに気づいた。
「ご当人はコラム執筆のかたわら、たまに舌を動かしていたと言ってます。とにかく、札幌で切れてしまうのです、過去が」
ひと区切りついたところで、由佳と二泊ぐらいの旅に出たいと思った。いままでにないほど強く由佳に惹《ひ》かれているのがわかった。
若い時にはわからなかったのだが、性だってすべてではない。大切なのは好き嫌《きら》いが似ているかどうかだ。人間や事件に対するその都度の嫌悪感《けんおかん》が一致しているのがもっとも大切だと私は思うようになった。
娼婦《しようふ》にジャンパーを渡しに行った私の姿を見て、私が〈浮気をした〉と思い、すぐに日米混血のパイロットと寝た、と彼女は告白した。逢《あ》うたびに、アイ・ラヴ・ユウを百回も口にする男だったという。平川と同棲《どうせい》していた事実が無視されているのはおかしいのだが、私はなにも言わなかった。ただ娼婦を呼んだ経緯《いきさつ》と滑稽《こつけい》さを説明しただけだった。
信用するわ、と彼女は言った。私はいつも勘違いして、ばかなことをするの。そのパイロットとは一年ぐらい続いたけど、躰《からだ》が荒《すさ》んでくるようで、やめたわ。おまえはいつも他の男のことを考えているような気がするって言われたし。――恨むというよりも、自分を傷つけ、傷口を押しひろげるための告白だった。彼女にマゾヒズムの気があると思うのは、こんな時だ。
告白のあとで、彼女は「あなたに責められる材料が、一つふえちゃった」と言った。「責めないよ」と私は言った。「気になるかも知れないけど、責めない。そんな資格もないし」「ありがとう」「だけど、忘れることはないだろう。きみはよく告白したことを忘れるけど」
私の思いつきは実行されなかった。土田に三日間の休みを申し出る前に、彼の方から「ちょっと、いいかな?」と意味ありげに声をかけられたのだ。私たちは空いている会議室を探し、中に入った。
「厄介《やつかい》なことが起った」
土田はドアを気にしながら言う。
「きみを探していた。緊急の相談がある」
神保がなにか仕出かしたのだろうか。
「番組の存続に関する問題なのだ。赤羽の属するプロダクションが潰《つぶ》れそうになっている」
赤羽の件か、と思った。同時に疑問が湧《わ》いた。
「あのプロダクションは小さいけど堅実ときいてますが」
「そう。堅実だった」
土田はうなずいた。
「よせばいいのに、社長が西海岸の不動産に投資した。そんなもの、いまどき売れやしない。なんとか金繰りをしてきたものの、お手上げ寸前になった」
バブル経済後遺症の一つとして、よくある話だが、小さな芸能プロでは珍しい。
「はっきりいえば自業《じごう》自得だから」土田は眼鏡を外し、レンズの汚れを水色の薄い布でぬぐった。「ぼくの知ったことではない」
私は黙っていた。では、なぜ、私に話すのか。
「会社の状態を察知した赤羽はギャラを自分あてに振り込んでくれと言ってきた。どう思う?」
「仕方ないでしょうね。だって、あのプロの抱えてるスターは赤羽だけですから」
「そこだよ。赤羽は自分の会社を設立するつもりらしい」
どうしても取れない汚れに土田は息を吐きかける。
「タレントとしては当然なのだが、中央放送にしてみれば、向う側の争いに巻き込まれたくない。向うの社長、赤羽明、どちらの肩も持ちたくないのが本音だ。ギャラの支払い先の件で揉《も》めるなんて最悪だ」
私はうなずいた。赤羽明も|ついてないな《ヽヽヽヽヽヽ》と思う。
「われわれは何度も検討した。編成局長の肚《はら》は初めから決っていたと思うが、ぼくは迷っていたし、今でも迷っている。赤羽明抜きで番組を続けられるかどうかだが……」
「待ってください」と私は言う。「赤羽を外すつもりなのですか?」
土田は頭を軽く動かした。
「編成局長の気持は読める。数字の低迷と赤羽の人柄《ひとがら》の悪さで、春からのパーソナリティを代えたかったが、代るべき人が見つからなかった。ギャラの問題で踏ん切りがついたんだ。二月末で赤羽をおろすのは正式に決った。四月からの人選は急いで手を打つとして、問題は三月だ。神保登ひとりで二時間もつと思うか?」
矢継ぎ早の話だった。
「待ってください」
混乱した私は椅子《いす》にうずくまった。神保にとってはまたとないチャンスだが、二時間を支えきれるかどうか不安だった。二時間番組はヴェテランのやる仕事だ。
「ぼくはやれると答えてしまった」
「相談じゃないですね、それでは。命令です」
私は苦笑した。
「各コーナーの練り直しをしたい。赤羽がいなくなれば、若手のアナウンサーを使えるし、彼らも積極的に出たがっている。神保が中心になった場合の新コーナーを考えてくれないか。これが相談だよ」
土田はにこりともしない。
「わかりました」と私は答える。「その話に入る前に、なにか飲ませてくれませんか。ショックで喉《のど》が渇《かわ》いて……」
「カルピス・ウォーターだな」
土田は言った。
二時間の番組を構成するにあたって私が気をつかったのは、神保のしゃべりをいかに効果的に生かすかであった。
持ち時間が二十分間のときの神保は、〈ミスターJ〉として発言していればよいのだった。アドリブの才能があるのは間違いないが、基本的には私の台本があった。
二時間|枠《わく》のパーソナリティともなれば、言いっ放しは許されない。オープニングの挨拶《あいさつ》、世間話に始まり、こまかく入るCMも含めて、二時間を〈スムースに進行させる〉のが役目である。全体の台本はあるが、アドリブにたよる部分が大きくなる。
台本以前の進行表《キユー・シート》を見せると、神保は沈んだ口調で、赤羽さんの苦労がわかったと言った。いかに仕事とはいえ、毎週、月曜から金曜までこれをやるのは気が重いとも言った。ただ、重荷に感じている様子はなかった。その点、神保はタレントというよりも、感情を表面に出さない会社員のようだった。あたえられた仕事が辛《つら》くても、黙ってこなしていく会社員に似ていた。
ふつうのタレント、芸人のつもりで接する人は、神保があまりにも〈普通〉なので戸惑ってしまう。私が不安を覚えたのもそこであった。しかし、三月初めに、番組がスタートすると同時に、不安は消えた。進行をつとめる時は神保登として快適にしゃべり、二十分の〈ミスターJ〉のコーナーでは居丈高な調子になった。今までは、ともすると、二つの人格が混ったのだが、使い分けをするようになり、〈ミスターJ〉がさらに光った。
私は、このころの〈ミスターJ〉のしゃべりが、神保の話芸の頂点だったと思っている。社会の常識や習慣の虚偽を鋭く攻撃する彼のしゃべりは、台本を越えて、つまり豊かな体験にもとづくアドリブに肉付けされて、大衆の苛立《いらだ》ちや鬱屈《うつくつ》を代弁した。放送コードぎりぎりの線まで行き、ぱっと身を引くわざも心得ていた。人々が待っていたのはこれだ、と私は思った。残念ながら大学生・高校生の聴ける時間帯ではなかったが、〈ミスターJ〉のコーナーを録音したテープが中高生にもてはやされているときき、納得できた。私が待っていたのも|これ《ヽヽ》であった。
ストレスを発散するためか、神保は夜はほとんどアパートにいなかった。顔を合わせられなかった日には、彼のアパートにファクシミリで声をかけた。〈?〉の一文字《ひともじ》。〈調子はどうか〉の意味だった。調子の良いときには〈Q〉、悪いときには〈×〉が書斎のファクシミリから吐き出された。〈Q〉は〈〇〉の意味なのだが、神保の癖で、〇を書くとQに見える。〈Q、Q〉は万事OKのサインだった。
たしかに私は深入りし過ぎていた。由佳に同性愛とからかわれても文句はいえなかった。
活字の上での〈ミスターJ〉は元気そのもので、単行本出版の話まできていたが、私たちは困っていた。言いたいことがなくなったためではなく、タブーが多いからである。政治家を批判すれば、必ず大新聞のあり方が問題になってくるが、新聞社系の「週刊マンデー」では新聞批判は不可能だった。
出版社系の週刊誌からも連載の話がきたが、私たちの能力ではこれ以上はできなかった。夕刊紙を休んだらと平川が言ったが、それでは東の立つ瀬がない。〈ミスターJ〉への質問やコメント依頼を仕切っているのは東のオフィスであり、面子《メンツ》をつぶすわけにはいかなかった。
神保登が〈ミスターJ〉のすべてかどうかを疑っている者はまだ多かった。この時点でも、〈ミスターJ〉は複数の人間と考えられていたと私は思う。だが、神保の存在が大きくなるにつれて、そうした声は沈静化していった。
四月からの番組をどうするかが中央放送にとっては大きな課題だった。
今からビッグ・ネームのタレントを押えられるとは考えられない。とすれば、好調の神保に続投させるか、ヴェテランのタレントを起用するか、のどちらかである。局内の意見は二分されていた。
私にも判断がつかなかった。神保の個性は清新ではあるが、主婦向きとはいいかねるものがあった。進行はヴェテランに任せて、幾つかのコーナーで大胆な発言をしつづけたほうが長持ちするのではないか。それに、発声の訓練を経ていない神保は連日の大声に疲れ、声が嗄《か》れていた。
会議は夜中まで続いた。西麻布で飲んで帰ると、夜が明けかけていた。マンションの郵便受けの朝刊を抜きとり、部屋に入る。由佳がバスローブのままダブルベッドで寝ていた。
パジャマに着替えた私は彼女に毛布をかけ、自分用の毛布を出して、ソファに横になった。オイル・ヒーターが室温を保っているので寒くはない。鴉《からす》の声が気になったが、そのまま眠ってしまった。
……目が覚めたのは十時だった。硬くなったペニスが生暖かいぬるぬるしたものに包まれている。
どうしたんだ、と思ったが、声にならなかった。由佳の髪の毛が私の腹をくすぐっている。
おい、と私は言った。彼女は黙って私の左手を内腿《うちもも》の奥に導いた。
さして気のないままに(というのは完全に目覚めていなかったからだが)、私は左手の指を動かした。
「どうしたんだ」
ようやく、ふつうの声になった。
「なにか、あったの?」
「んなこと言って……」
髪の毛の間の目が潤《うる》んでいた。
「ゆうべ、いたずらをしたでしょ」
「いたずら?」
私は問いかえした。
「いたずら。癖の悪いこの指で」
「何時ごろ?」
「さあ。……神経が高ぶってたから、アロパノールを飲んだの。だから、二時以後のことはぜんぶ夢の中。あなたの指が入ってきたのはわかっても身動きができなかった……」
「それはおかしい」と私は言った。「ぼくが帰ってきたのは夜明けだ。いたずらどころか、すぐに寝てしまった」
「また、そんな……」
「冗談じゃないよ。……きみが寝ているのは確認した。俯《うつぶ》せになっていた。バスローブのままだから風邪をひくのじゃないかと心配した」
「そうよ」と彼女は自信ありげに言った。「俯せだったの。あなたはいつものように後ろから指を入れてきた」
「ぼくじゃない。夢だろう」
「夢じゃない。それくらいはわかる」
痴漢じゃないか、と言おうとしてやめた。痴漢だとしても、どうやって入ってきたのか。部屋の鍵《かぎ》を持っているのは私と由佳だけだ。
「じゃ、幽霊だ。ぼく以外の何者かだよ」
「いいのよ、誰でも。あなたじゃないかも知れないけど、ま、いいんじゃない」
彼女は私が照れていると思ったらしい。私は納得できなかった。
「夢だよ、それは。会社が忙しすぎるんだ」
「どっちでもいいの。でも、私は夢じゃないってことがわかる。夢だったら、私のはあんな風には動かないもの」
「ぼくの指だってことがどうして分る?」と私は言いにくい言葉を口にする。「俯せの姿勢で指を入れるからって、ぼくとは限らない。誰だか知らないが、その男の指とぼくの指との区別がつくのか?」
「……どうだかわかんない」
彼女はめんどくさそうに言う。
「どうしてこだわるの?」
「こだわったのはきみだ。ぼくは夜明けに帰ってきて、ソファで寝た。寝室に入ったのは毛布を取った時だけ。ふらふらなのに、そんな真似《まね》はしない」
「変ね」
ようやく真顔になった。
「じゃ、あなたの分身だわ」
「別な幽霊だよ。きみに気があるんだ。……これから、独りでいるときは必ずチェーン・ロックをかけてくれ。ひょっとしたら、幽霊じゃなくて、合鍵を持った男かも知れない」
新しく青山にできた小ホールで、赤羽明のライヴがおこなわれたのは数日後だった。局の決定とはいえ、赤羽を裏切ったような罪障感を覚えていた私は、トーク・ショウを観《み》た上で、楽屋に顔を出すという葉書を、赤羽に送った。
私も行ったほうがよいでしょうか、と神保が言った。夕方だから、可能なら行ったほうがいい、と私は答え、大きな花束を贈ることを勧めた。なんだか行きにくい、と呟《つぶや》いた神保は私といっしょに出かけることにした。
当日になって、急用ができた。四月からの番組についての会議に出席してくれといわれたのだ。赤羽君によろしく伝えてくれ、と私は神保にたのんだ。彼は傷ついているにちがいないからな。
その夜の会議で、番組はタイトルを変え、神保登で続けることに決った。不況でスポンサーが減り、予算不足でもあった。
翌日は土曜だった。目覚めてすぐ、赤羽から電話があった。
――どうだった、ゆうべ?
一瞬、なんの話かわからなかった。
――久しぶりのライヴで、少し|あが《ヽヽ》ったな。楽屋にきてくれればよかったのに。
私は言葉につまった。深呼吸をしてから、神保が私の言葉を伝えなかったかい、と訊《き》いた。
――あの野郎、きてなかったぜ。
私は私の事情を説明した。
――仕事じゃしようがない。気にはしてないよ。
赤羽は電話を切った。
それにしても、と私は考えた。神保はどうしたのだろう? ホールに行かなかったのか? いったい、なにを考えているのだろう?
7 人形つかい
私たちの世界では、情報が意外な方面から流れてくることがある。
ルーティーン・ワークを終えて帰宅すると、至急、連絡が欲しいという平川の声が留守番電話に入っていた。私はジャケットを脱ぎ、ダイアルボタンを押した。
――「週刊マンデー」は、毎回、チェックが入って、言葉を削られます。
平川は重苦しい声で言った。
――これじゃ、ラジオ以下ですよ。
――なにか、あったの?
私は低い声でたずねる。
――〈今の日本政府は五十年前の愚行をくりかえしている〉と書いたんです。太平洋戦争のことですよ。そうしたら、〈愚行〉を削ってくれ、と言ってきました。戦争で祖父や父親を失った読者が怒るだろうという判断らしいです。さすがに腹が立ったので、じゃ何も書けないじゃないか、と言ったら、ごめんなさい、と言うだけです。
怒りを抑えようとして言葉を止めた。
――どうなっているのかね、日本の新聞社は?
私は言った。
――結局、デスクとか、そこらの連中の保身でしょう。ひたすら、波風を立てたくない小役人根性ですよ。
――伝えてくるのは原田さんか。
――彼女です。ぼくが意地を張ると、あいだに立った彼女が困るので、我慢しているのです。
平川が由佳に未練を持っているのはわかっている。由佳と半同棲《はんどうせい》状態になって、私は平川に以前ほど電話をしなくなった。由佳の存在に触れずにはすまされない気がするのだ。
――用件はこれだね。
私は念を押した。
――ちがいます。原稿検閲の電話が十分ほど前にあったので、つい、かっとなって……。電話したのは別なことです。
平川は咳込《せきこ》む。私は受話器から耳を離した。
――本当かどうか疑わしいので、ためらったのですが……耳に入れておいたほうがいいと思います。週刊誌のラジオ・テレビ欄の記者がきいた噂《うわさ》だそうです。
――原田さん経由の情報だな。
――そうです。信じがたいことですけど、四月から神保が東都放送の深夜番組に出るというのです。それも、週に一度ならともかく、月曜から土曜までです。ご存じでしたか?
――いや……。
私はあいまいに答えた。信じられない話だ。
六本木の外れにある東都放送は徹底して〈若者向き〉の方針を貫き、成功していた。日本全国どこへ行っても、東都放送の深夜番組をきくことができる。人気歌手やこれから人気の出そうなタレントに日代りでしゃべらせ、日本の深夜を制覇《せいは》している。
――おかしいな、その噂は。
私はようやく口をひらく。
――あそこの深夜放送は月曜から土曜まで人気者が日代りで出ている。一週間、一人でやるというのが、まず、嘘《うそ》っぽい。
――ぼくもそう思ったので、ためらいました。
――神保に訊《き》いてみればすむことだ。しかし、原田さんはなぜぼくに言わないのだろう。
――あなたが疲れて、ナーヴァスになっているから、と言ってました。|こと《ヽヽ》が神保に関すると、もっとナーヴァスになるから、話すべきかどうか悩んでいるようです。
――変な遠慮をするなあ。
私は溜息《ためいき》をつく。
神保が足を向ける小料理屋やスナックはほぼ見当がついていた。
夜になると、それらの店に電話をかけ、代官山に近いイタリア料理屋にいるのを突きとめた。知り合いの店長に伝言をたのみ、ダスターコートを片手に私は部屋を出た。
タクシーの中で想《おも》い出したことがある。神保が〈外まわり〉で落ち込んでいたころ、私はこんな言葉で彼をはげました。――いま東都放送の深夜で大きな顔をしている連中だって、二、三年前には、こういう下らない仕事をしていたんだ。ラジオの仕事をしている人間なら、あの深夜放送を目指せ! 自分を高い次元に置いて、今の〈外まわり〉など、仮の姿と思った方がいい。
私の言葉を短絡的に受けとれば、目標は〈東都放送の深夜〉と思ったかも知れない。神保がそれほど幼稚な人間とは考えたくないが、しかし、他人の思考回路はわからない。また、そう思い込んで目標のありかを言いふらし、間違って伝えられることは大いにあり得る。この世界でのトラブルの八十パーセントは伝聞によって起ることを私は知っている。
薄暗い店の奥で神保はコーヒーを飲んでいた。私を認めると小さなカップを置き、腰を浮かせた。
彼の向い側にすわった私はビールとピザをたのんだ。
「スパゲティがうまいですよ」と彼は言った。「唐辛子とニンニクだけのやつ」
いいんだ、と私は言った。そして、ビールを飲みながら、伝聞に動かされ易《やす》い人間が多くて困るが、そういう時代であるらしい、と嘆いた。きみのことを色々いう人間がいるらしいけど、黙殺できなくなった証拠だと思うしかないね。
目を伏せ気味にして神保は黙っていた。
「さっき、耳にしたのだが、きみが東都放送の深夜番組に出る噂があるそうだ」と私は切り出した。「まさか、と言ってやった」
私は神保を見つめた。神保の目に不思議な笑みが浮んだ。
「われわれの番組は、四月からも、きみ中心で続ける。きみも知っているはずだ。……ぼくとしては、噂が嘘であることを、きみの口から聞いておきたい」
「お聞きになりましたか」
神保は笑みを絶やさずに言った。
「噂は本当です」
私は頬《ほお》を打たれたようだった。頭がふらつき、彼の笑みが現実離れして見えた。
「本当って……いつ、決ったんだ?」
「四、五日前です。中央放送の決定を伝えられた前日だったと思います。その時点では、ぼくは三月一杯で棄《す》てられる身でしたから、喜んで受けたのです」
「話は以前からあったわけか?」
「三月に入ってからです。赤羽さんのあと、私がひとりで頑張《がんば》っているのを聞いて、決めたようです」
私はまだ信じられなかった。
「でも、東都放送の深夜番組は、毎晩、ちがうパーソナリティがやっている。きみも、その一人になるのか?」
そうであって欲しかった。週に一晩の出演なら、問題は大きくならない。
「いえ」
「じゃ、どういう……?」
「毎晩です、月曜から土曜まで」
「番組の方針が変ったのか?」
「私がきかされた説明はこうです。――どのパーソナリティも偉くなりすぎて、録音が多くなった。すべて生放送という原則が乱れて、リスナーもうんざりしている。そこで、毎晩、一時から三時まで、一週間をひとりの生放送で通す実験をやってみたい……」
これは本当だ、と私は感じた。東都放送は、今までも、人気アイドル歌手を突然おろして、名も知れぬ人物をパーソナリティに抜擢《ばつてき》し、育てている。
「たしかに面白い」と私は言った。「生体実験みたいなものだが、若者には受けるだろう」
「私が倒れて入院したら、病室から中継をやると言ってました」
「東都放送らしい。しかし、面白くないと、すぐに切られるぞ」
「わかってます。〈旬《しゆん》のものだけの東都放送〉って言葉がありますからね。でも、若者相手と全国ネットの魅力には勝てません」
「そうなると」と、私は言葉をえらぶ。「中央放送のほうはどうなる? 〈ミスターJ〉のコーナーぐらいしかできないんじゃないか?」
われながら遠慮がちな物言いだった。
「肉体的にもできませんが」と神保は答える。「他局の仕事を一切やらないというのが東都放送の出した条件です。矢部さんには申しわけないのですけど」
神保の行為は一種の裏切りであるが、あまりにも堂々とやられたせいか、腹の底から怒る気にはなれなかった。
個人的に相談して欲しかった、と言ってやりたかったが、明らかに中央放送寄りの私に彼が〈相談〉できるはずはない。また、四月からの仕事が確定しないまま、彼に〈つなぎ〉の役を演じさせていた私たちに落ち度がないともいいきれない。
私はまず東都放送の若いディレクターに電話して、真偽を確かめた。上層部が決めたことだが、四月からスタートするのは間違いない、と相手は陽気な調子で言った。
明るいディレクターは上層部の悪口も平気で口にした。
――|うち《ヽヽ》の連中は矢部さんが育てたことを知ってますから。矢部さんが目をかけてるなら鉄板《ヽヽ》だ、と思ったみたいですよ。
〈鉄板〉とは〈かたい〉の意味である。
――まったく知らなかったよ。
私はまだ混乱していた。
――まずいや、それは。少くとも矢部さんには前もって挨拶《あいさつ》しなきゃ。神保は常識人だから、ぬかりなくやってると思ってました。
――今日、脇《わき》から教えられたんだ。
――そりゃまずい。いちばんまずいケースですね。
――言いにくかったのだろうか?
――自分が言いにくかったら、マネージャーが仁義を切るべきです。
――マネージャー? そんなの、いるのかい?
私の知らぬ事実が出てきた。
――しゃべりすぎたかな。
相手は反省してみせて、
――神保は事務所を作ったみたいですよ。同じ歳《とし》ぐらいのマネージャーが|うち《ヽヽ》に出入りしています。
私は礼を言って電話を切ろうとする。相手の話から逆算すると、事務所は二月の終りに設立されている。
――ここでは神保といってますが、なにしろ、〈ミスターJ〉ですからね。〈ミスターJ〉の登場じゃなかったら、一週間はもちませんよ。
相手は笑い声をあげた。
次に電話したのは土田の自宅だった。ずっと私に電話をしていたという土田は、キャッチフォンぐらい付けたらどうだと文句を言った。夜になって、神保の噂を耳にした彼は、独自のルートで事実の裏付けを得ていた。
――恩知らずの人間を罵《ののし》っても仕方がない。あとはヴェテランのパーソナリティをたのむことにした。
早い決断だった。〈ミスターJ〉のコーナーも駄目《だめ》ですよ、と言うと、土田はわかっていると答えた。
――数字はとれるかも知れないが、あのコーナーは嫌《きら》いだった。ところで、きみは本当に知らなかったのか?
土田の疑いは冗談ではなかった。私はむっとしたが、冷静に立ちかえると、仕方がない気もした。神保と私は二人三脚の形だったから、土田から見れば一体だったのだろう。
いや、土田だけではない。東、平川、由佳の三人にも同じ疑いを抱かれるかも知れなかった。噂を耳にした由佳が私に直接たずねなかったのは、神保の行動を私が諒承《りようしよう》していると考えたからではないか?
由佳は私がそれくらいやりかねない男であるのを知っている。――真にすぐれた才能は独占できないと考える私は、作家や演出家はエスカレーターにすぎないとも思っている。私たちにできるのは、彼または彼女を一階から二階へ運ぶだけである。二階から上へ運ぶのは他の誰かの仕事だ。私がこの〈エスカレーター説〉を語ると、由佳は「あなたは独占欲が強いから、そうやって自分に言いきかせているのよ」と言った。彼女の言葉は、おそらく、正しい。
しかし、今度のケースに関しては当っていない。神保に才能があるのは確かだが、〈商品〉としてはまだ不充分である。私が相談されたとしたら、少くとも、半年間は、中央放送の仕事をしてから自由になるのを勧めただろう。
神保が寝返った理由の一つには金があるはずだ。中央放送が仕払っていた金額はごくわずかである。しかし、金の問題だけでは納得できない部分もあった。
半ば呆然《ぼうぜん》としていた私のなかで不意に怒りが湧《わ》いた。私は舐《な》められているのだ。あの態度はなんだ!
それに、神保の場合は、一タレントが仕事先をかえるだけではすまされない。〈ミスターJ〉の名がからんでいるのだ。東都放送においては〈ミスターJ〉の名の使用を禁じる、とでもしなければ、示しがつかない。
私は平川に電話をして、由佳の言葉は正しかったと言った。直接、神保の釈明を訊くつもりだから、東に伝えてくれないか。
つづいて、ポケット・ベルを持っている由佳を呼び出した。きみのおかげでいくらか助かったと言い、決して神保を甘やかしたつもりはないが、こんなことになった、とつけ加えた。由佳はあまりしゃべらなかった。
折りかえし、東から電話がきた。きみを責めるつもりはないが厄介《やつかい》なことになったな、と言った。〈ミスターJ〉の名は取り上げなければいかん。
翌日の夜、全員が東のオフィスに集まることになった。
オフィスは昔の怪奇映画のセットのように安っぽく、荒涼としていた。女の子を帰して、私たちは神保を待った。
神保は二十分ほど遅れてきた。白いスタジアム・ジャンパーを着た神保は、どうも、と頭を下げて、空いている椅子《いす》に腰をおろした。
「だいたいの話はきいた」
東が重苦しい声を発した。
「きみは矢部さんの立場を考えたことがあるのか」
神保は答えない。
「矢部さんの顔に泥《どろ》を塗った程度ではないぞ。踏んづけてから蹴《け》とばしたんだ。わかっているか」
私は神保を観察していた。どんな言葉を浴びせられても応《こた》えないだろう。とりあえず、言葉の嵐《あらし》が過ぎ去るのを待っているだけに見える。
「今日、土田さんに叱《しか》られました。すべて私が悪いのです」
神保は頭を下げる。
「中央放送では二度と使わないと言われました」
「数すくないラジオ局と喧嘩《けんか》をして、得になることは何もない」と平川が言った。「ぼくが調べたところ、東都放送はきみに賭《か》けたわけじゃない。あるタレントのスケジュールが合わなくなったので、きみに話が行った。それだけのことだ。東都放送の仕事もやるが、中央放送もやる――それがタレントだろう。土田さんに謝って、少しでも仕事をしたほうがいい」
「ありがとうございます。でも、土田さんは私を許しませんよ」
「いいのか、それで?」
「仕方がないです」
あっさりと言った。
「中央放送とは契約を交したわけじゃないですし」
私は驚いた。神保クラスの新人が〈契約〉なんて言葉を口にするのを初めてきいたのだ。
「東都放送とは契約を交したんだね?」
平川が訊く。
神保はうなずいて、
「全国ネットと若い人向きということで、判を押したのです。正直にいって、私は主婦層に向かないと思います。若い人相手だと、のびのびできる。私の気持も察してください」
「言い方が厚かましいよ」
平川が鋭く言った。
「その気持を矢部さんになぜ言わなかったんだ。中央放送にだって、夜と深夜の時間帯がある。若い人相手にやれるんだ」
平川の言葉は表面的には正しいが、無理があった。中央放送の深夜は力が弱く、東北や関西の若者は聴くことができずにいる。
「きみの野心はよくわかった」
と私は言った。
「ぼくが思っていたよりも、ずっと野心家だったんだ。言いたいことはいろいろあるけど、まあ、今夜は言わない。東都放送への移籍は決定したことだし」
神保は私の目を見上げた。助けに入ったと思ったらしい。
「しかし、きみは、ぼくたちに内緒で、奇妙な動きをしている。どこかに事務所を作り、マネージャーをやとっている」
神保の顔が緊張した。
「正直にいって、意図的にぼくを侮辱する気だったとしか思えない。いったい、何があったのかね? こういうことは一切、口にしたくないし、しない方針なのだが、きみの面倒をほんの少し見た。しかし、そんなことをぼくは口にしていない。ぼくに取柄《とりえ》があるとすれば、そういう口の固さだけだ。いったい、何が憎いのだ?」
四人の注視のなかで神保は大きく息を吸い込んだ。
「お世話になったことには心から感謝しています。心から、なんて型通りの言い方ですが、ほかに言いようもないほどです。矢部さんには殺されても仕方がないんです」
私は黙っている。引きずり出したいのはこのあとの言葉だ。
「たぶん……矢部さんが強すぎて、私が追いついていけないのだと思います。きれいごとと言われるかも知れませんが、本音です。じっさい、矢部さんに指導された通りにふるまい、矢部さんの書いた台本をほんの少しアレンジしたら、万事うまくいったのです。私が優秀なのではなく、矢部さんが優秀なのです。他人がどう言おうと、私にはわかっています。……ただ、このまま続いていくかと考えると、私は不安になりました。おそらく、私の欠点を見抜いているにちがいない矢部さんが、ちょっとした気紛れから――いや、気紛れは失礼ですね、ちょっとした違和感から、私を見離したら、私は終ってしまいます。あやつり人形の弱みはそこです。……私なりに悩んではいたのです。憎むなんて、とんでもない。いかにして自立するかを考えていたのですが……」
「しかし、やり方がアンフェアだよ」と平川が言う。「いきなり、他局へ行かれたのでは、矢部さんの立つ瀬がない。自立の決心はけっこうだが、関係者を泥まみれにしたんじゃ、志に反するだろう」
「平川さんのおっしゃる通りです。でも、こうでもしなかったら、矢部さんの影から逃れることはできません。なにしろ、東都放送ははじめ、矢部さんも呼ぶつもりだったのです。つまり、私は矢部さんとペアで考えられていたので、それだけはご勘弁を、と言ったのです。たしかに乱暴で、血が流れる手術ですが、私としては|にっちもさっちも《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》で……指弾されるのは覚悟の上でした」
いかにも本音を吐いているようだが、きれいごとをならべていると私は見た。〈殺されても仕方がない〉とか〈指弾されるのは覚悟の上〉といった紋切り型の言葉は神保らしくもない。彼の言葉づかいはもっと微妙なはずだった。嘘《うそ》をついているわけではないが、そらぞらしい印象をあたえる。
ただし、考えさせられることはあった。――私はそれほど大きな〈影〉を投げかけていただろうか? 追いつめられていながらも、私を持ち上げて、良い気持にさせようという神保の計算はあるだろう。そのくらい|したたか《ヽヽヽヽ》なのは確かだが、一点に関しては、本当に近いことを言っていると私は感じた。
私の心の奥にひそむ、ねじれて内向した権力意志、すぐれた才能を思うがままに支配する喜びを、神保は察知したのだ。(おれは誰にも支配されない)と神保は言いたいのだろう。これまでにもあったことだった。そうしたエゴの葛藤《かつとう》を避けるために私は自己をエスカレーターと規定したのである。
「指弾されるのが神保登なら、われわれの知ったことではない」と東が言い放った。「しかし、きみは〈ミスターJ〉として移籍するのだろう? 〈ミスターJ〉が中央放送を裏切って、上り坂の東都放送に付いたと言われては、非常に迷惑だ。話題はひろがるにちがいないからな」
「たしかに問題です」
神保は平然とした態度で、
「今日、皆さんにお目にかかれたのは幸いです。なにか、うまい方法はないでしょうか? たとえば、〈ミスターJ〉の思想が土田副部長と合わないので、中央放送を追放されたという説を流すとか……」
「どこまで厚かましいんだ」
東はテーブルを叩《たた》いた。
「矢部さんの前で、よくそんなことが言えるな。たったいまから、きみは〈ミスターJ〉の一人ではなくなる」
「神保登でやればいいじゃない?」と由佳が冷ややかに言う。「矢部さんの台本があっての〈ミスターJ〉でしょう? ひとりになってしまえば、〈ミスターJ〉ではなくなるの。常識があればわかるはずよ」
「お嬢さん」
神保の口調が変った。
「私には常識なんてないんです。非常識だからやってこられたんでね。東都放送では、〈ミスターJ〉として仕事をします。万能の才人、時代の予言者〈ミスターJ〉だから、わざわざ呼ばれたんです。……どうも考え違いがあるようですから、ここではっきりさせておきます。|私が《ヽヽ》〈ミスターJ〉なのです。ほかに〈ミスターJ〉は存在しません。――といっても、ご不満がおありでしょうから、ビジネスとして解決したいと思います。〈ミスターJ〉の名を買いとらせてくれませんか」
私は唖然《あぜん》とした。〈厚かましい〉といったものではない。相手は精神構造が異なる、まるで違う世界の人間だった。
私以外の三人も呆然としていた。ややあって口を開いたのは、東である。
「きみは自分の言ってることがわかっているのか?」
「わかってます」
神保は声を低くした。
「常識がないといわれて、むきになったのは認めます。きれいな女性に指摘されて、売り言葉に買い言葉となりました。大人げないことです。心からお詫《わ》びします」
「詫びるなら、他のことで詫びて欲しいね。きみはわからないかも知らんが、〈ミスターJ〉はわれわれが苦労して育ててきた名前だ。今までも、また、これからも、大事にしてゆく」
「そちらの都合はそうでしょう」と神保は冷静につづける。「しかし、私の都合もあります。たとえば、〈ミスターJ〉の名で世相を斬《き》った本を出したいという依頼がきています。出版元は東都放送です。私としては断わりきれません。〈ミスターJ〉の番組が始まると、Tシャツとかトレイナーとか、関連グッズが売り出されるでしょう。私個人の好みを超えて、いろいろな関連商品が出てくると思います。〈ミスターJ〉の名は、もう、私とは別に動いているのです」
「もう、いい」
私は言った。
「勝手にしろ。見損なったと言いたいところだが、ぼくの目が曇っていたことにする。その代り、われわれはきみを攻撃する。――いいか。本物の〈ミスターJ〉が贋物《にせもの》を攻撃するのだ。ラジオ局が活字の弾丸に弱いのは知っているだろう」
神保は目をぱちぱちさせた。それから、からかうような視線を私に向けた。
「私を脅かすつもりですか?」
「舐めるなと言っただけだ」
「そんな風に出るだろうと思っていました。あなたは、いまだに、私を自分の分身だと思っているのです」
彼は煙草《たばこ》を咥《くわ》え、ホチキスをとりあげて先端を挟《はさ》んだ。ホチキスは宙に消え、煙草には火がついている。
「いいですか。生身の〈ミスターJ〉は私なのですよ。分身がいるとしたら、あなた方です。……たとえば、これ」
彼はポケットから原稿用紙を出した。私のものであり、私の文字があった。
「あなた方の主張する〈ミスターJ〉とはこんなものです。平川さん、東さん、原田さんから矢部さんにきたファックスも私は持っています」
この男は私の部屋に出入りしていたのだ。鍵《かぎ》の偽造など、この男にとっては簡単なことである。
私ははっとした。眠っていた由佳に|いたずら《ヽヽヽヽ》をしたのはこの男だ!
「あなた方が私を攻撃なさるのは自由です。もしもそうなれば、私はこの原稿やファックスの紙を公開します。私の分身の正体がばれたところで痛くも痒《かゆ》くもありません。……ただ、東さんや原田さんは迷惑なさるんじゃないでしょうか? 平川さんはフリーだから平気ですか?」
神保は挑戦《ちようせん》的に私を見据《みす》えた。
「あなたはどうですか? 困りませんか? 土田さんにどう言いわけをするつもりですか?」
「その前に、家宅侵入できみを訴える。書斎の屑籠《くずかご》から丸めた原稿やファックス用紙を持ち出した人間として」
「お宅の近くに捨ててあったのをひろってきただけです」
神保は煙草を灰皿でもみ消した。
「恩知らずどころか、泥棒だとお考えでしょう? 私だって、好きこのんで、こんな下品な言葉をならべるわけじゃありません。攻撃するぞと脅かしたのはあなたです。タレントなんて弱いものですからね。念を押しただけですよ」
三人が私を見ていた。これ以上の戦いはやめて欲しい表情だ。
「贋物攻撃はやめる」
私は言った。
「その代り、ぼくの原稿やファックスの記録紙を返してくれ。ぼくはともかく、他の人に迷惑がかかるといけない」
「〈ぼくはともかく〉ですか。恰好《かつこう》をつけますね」
神保は毒々しく笑った。これが神保の姿だと私は思う。
「お返ししますよ、矢部さんを信用してね。いままでの義理もあるし。ただし、私はまだ材料を持っていますから、安心しないでください。一つ殴られたら、七つ殴りかえすのが私の主義です」
私は答えない。口を開けば罵言《ばげん》しか出ないし、神保の正体を見るのが怖い気持もあった。ここで見たのは氷山の一角にすぎないのではないか。
「名前の買いとりの話はどなたとすればいいのかな? 東さんですか?」
「きみとは話したくない」
東は答えた。
「わかります。いずれ、マネージャーに電話を入れさせます」
「もういい。好きにしてくれ」
「でも……」
「東さんは〈ミスターJ〉の名をくれてやると言ってるんだ」
平川が声を荒げた。
「それでいいんだろ。帰ってくれ」
「すっかり嫌われましたね。ま、仕方がないか」
神保はゆっくり腰をあげた。
8 「ムーン・リヴァー」
神保が帰ったあとの一同の憤懣《ふんまん》は記すまでもあるまい。
怒りを発散できないために、私たちはいつまでもそこにいた。大切に育ててきた〈ミスターJ〉が、一瞬にして消滅した衝撃もさることながら、別な〈ミスターJ〉が跳梁《ちようりよう》し始めるのがやりきれなかった。
「ぼくが悪かった」
沈黙に耐えきれない私が口を開いた。
「自分の考え通りに他人が動くと考えたのが甘かった」
「そうじゃない。われわれも承知していた作戦だ。やり方は悪くなかった」と東が早口で言った。「玉が悪かったんだ」
「人間を見抜けなかったぼくのミスです」
私は言った。
よほどひどい過去があるにちがいない、とつけ加えたかった。
「なんらかの方法で息の根を止めてやりたいですね」
平川が、ぽつりと言う。
「あんな奴《やつ》を横行させてはいけない」
と東がうなずく。
「下手に手を出すと、奴の思う壺《つぼ》です」と私は言った。「非常にこまかく計算しているのがわかってきました。われわれがどう報復してくるか、奴はいろいろ考えていると思います。しばらく、放《ほう》っておきましょう。いずれ、尻尾《しつぽ》を出します」
あてのないことを言ったが、三人を宥《なだ》めるためには仕方がない。
四人がかりで神保のような人間の〈息の根を止め〉るのは、私の自尊心に反した。私はひとりで報復をするつもりだ。
どこの局とも表面的には仲よくしなければならない。東都放送の制作部長から電話があり、初夏の特別番組のために若いディレクターに話をしてやってくれと頼まれた。
ディレクターはいつか電話で話した陽気な男だったので、私は指定された日本料理屋に出かけた。三月末の雨の夜だった。
和食とはいえ、昔のカフェバー風の造りだった。こんな店が原宿で栄えた時代もあったと思いながら、私は若いディレクターの質問に答えた。
一通りのレクチュアが終ると、相手はテープレコーダーをとめ、雑談に入った。私は相手を知らないが、相手は私の過去を知っていて、妙に馴《な》れ馴れしい。
「もうお話ししてもいいと思うんですけど、神保がラジオに出てすぐ、外まわりをしてたころから、|うち《ヽヽ》は接触してたんですよ」
顔から血が退《ひ》くのを覚えた。そういうことだったのか。
「部長は、神保を天才といってます。ぼくは信用していませんがね。……実は、神保を呼ぶ前に、赤坂の料亭で何度か会っていて、ぼくも一度、末席にいたのです。〈ミスターJ〉の面白さは、矢部さん抜きでは成立しないんじゃないかという質問が出ました。矢部さん以外にもブレーンがいるという噂《うわさ》がありましたからね。神保の答えはこうです。『あの人たちは私のアイデアを盗んで活字にするので閉口しています。はっきりいえば、|たかり《ヽヽヽ》です』……こんな奴、信用できないと思いましたがね。周囲が天才だともてはやしているから、ぼくは何も言えません。四月からの番組を担当するので、うんざりします」
今でも大きな書店の片隅《かたすみ》には『神保登物語』『神保登伝説』といった本が残っているが、それらの本の記述の大半は、東都放送の新番組「ミスターJのミッドナイト」から始まっている。
四月からの新番組「ミスターJのミッドナイト」は全国の主として十代のリスナーにとって画期的な番組だったと、それらの本には記されており、私はそれを否定しない。ターゲットを十代に絞っている東都放送の方針と神保の個性・好みが一致した結果、局側の予想もしない反響が全国的に生じた。〈わずか二ヵ月ほどで神保はカルト的な人気を得た〉という記述も決して大げさではない。
彼がいかに画期的だったか、一例をあげれば、投書を読むときに、男女を問わず、名前をすべて呼びすてにした。そういう前例がなくはないが、神保は|意識的にやった《ヽヽヽヽヽヽヽ》。リスナーに媚《こ》びないキャラクターという点では中央放送のころと変らないが、あと一歩で傲慢《ごうまん》に感じられるしゃべり方をユーモアが救い、リスナーの〈お友達〉の立場には立たなかった。
抵抗を感じながらも、私はラジオのスイッチを入れていた。自分が断崖《だんがい》に立っていること、番組が失敗すれば自分が消滅することを意識したしゃべり方だった。技術的にうまくなっているわけではないが、気魄《きはく》が異《こと》なっている。
やはり、気になったらしい平川は、一度きいて、所詮《しよせん》はアマチュアだね、と言った。私はそうは思わなかった。アマチュアらしい弱さはしばしば感じられたが、今の十代のリスナーにとって〈プロの芸〉が果して必要なのかどうか? 自分たちにとって面白いかどうかしかないのではないか? さらに、私はまったく知らなかったのだが、神保はギターが弾けた。どの程度のうまさなのか見当がつかないが、それは一つの武器になった。
〈カルト・ヒーロー、神保を囲む雰囲気《ふんいき》は宗教に近くなり、リスナーたちは信者の立場になった〉という記述もほぼ正しい。深夜放送が新興宗教に似たケースになったのは、私の知る限り初めてである。
リスナーに媚びないどころか、上手《うわて》に出て、態度が大きい。時としてリスナーを莫迦《ばか》呼ばわりする。放送批評家は〈狂気の沙汰《さた》〉と憤《いきどお》り、十代のリスナーたちは熱狂的に支持した。少年少女たちが〈叱《しか》られたがっている〉のを神保は知っていた。
実をいえば、「ミスターJのミッドナイト」で神保が新たに開拓したものはあまりないのである。開き直って、莫迦なリスナーどもを罵倒《ばとう》してやれ、と教えたのは私である。新番組でも、彼はこの Insult Humor(侮辱芸とでも訳すのだろうか)路線を続けていた。ヒューマン・ウォッチングを試みる余裕がないせいか、侮蔑《ぶべつ》的なジョークはかつて中央放送で連発したもののリピートであり、新しいものはなかった。ただ、昼間の時間帯ではただの〈笑い〉にすぎなかったものが、深夜になると秘教的な世界を作り出し、十代のリスナーたちは感電したように興奮して、〈天才〉ともてはやした。〈ミスターJ〉はいまや別種の知的ブランドになった。
誤解されないうちにつけ加えておくが、神保にオリジナリティがないと言っているわけではない。〈侮辱芸〉の裏側にある、暗い、屈折したユーモアは神保の身体《からだ》からにじみ出るものであり、具体的にいえば、〈死刑囚の最後の望み〉コーナーがそうである。〈死刑囚が最後の一服の代りに望むもの〉をリスナーからの葉書で募集する。この場合、どういう葉書をとりあげるかで神保の才能が量られるのだが、彼は〈いかにも……〉という答えを外してしまい、〈TVの深夜のトーク・ショウでゲストが飲んでいる濃い水割りが飲みたい〉といった答えを評価する。そうでなければ、きわめて単純な答え、女の子の〈人前で思いっきり立ち小便がしてみたい〉が採用される。
桜が散るころ、東から電話が入った。
コラムの連載をやめるために由佳と苦心をした話のあとで、
「神保のラジオをきいてるそうだね」
と言った。由佳がしゃべったのだろう。
「ええ、ときどき」
私は答える。
「腹が立つからきかないつもりでいたが、娘がカセットにとっていた。教室できくらしい。始まったばかりなのに、評判らしいな」
「そうですか」
「気になるからきいてみた。〈ミスターJ〉らしい諷刺《ふうし》、とくに政治諷刺はまったくないな。それに、あの口調はなんだ? 増長するにも程がある」
東が〈増長〉という、その|もと《ヽヽ》を作り、煽《あお》りたてたのは私だった。
「〈ミスターJ〉の名を買いとりたいと言ってたな。その後、音沙汰がない」
「ぼくにもありません」
「どうしようか?」
「放っておきましょう」
私は答えた。
職業病とでもいうのか、私は神保の深夜放送をききつづけた。
初めのうちは、失敗すればいいと思っていた。二週目にはテープにとり始め、三週目は本気できいた。彼との日々がなつかしくなり、(ちがうだろう、それは)とか、(もう少し新聞を読めよ)とつぶやいた。彼の世界にまき込まれた証拠だった。たまにゲストが出ると、話に加わりたくなり、頭の中でなにかしゃべっていた。
「また、始まった……」
由佳は呆《あき》れ顔で言った。
「やっぱり、ホモセクシュアルね、あなたは」
彼女への〈いたずら〉の件は、依然として、心にひっかかっている。しかし、しだいに、彼女の夢ではなかったかと思えてきた。あるいは、そう思いたかった。
ヴェテランによる番組「文句あるか」は、つつがなく続いていた。
ロビーで打ち合わせをしていると電話が入った。私は壁ぎわへゆき、受話器を耳にあてる。
――わかりますか?
暗い、消え入りそうな声だった。
――わかるとも。
私は言った。涙がこぼれそうになる。自分がずっとこの声を待っていたのがわかった。
――電話なんかできる筋合いじゃないのはわかってるんです。……謝ってすむことじゃないんで……。
私は答えなかった。感情が錯綜《さくそう》して声にならない。
――いま、中央放送の玄関前にいるんです。十分か十五分、会っていただけませんか?
――玄関前?
私は意外だった。
――車の中からかけてるんです。たぶん、この時刻には局内にいらっしゃると思って……。
――じゃ、入ってきたらいいだろう。ロビーにいる。
――……まずいですよ。逃亡者みたいなものですから、ここでは。
私は沈黙した。追いかえすか、妥協するか。
――お願いすることじたい、厚かましいのは百も承知です。……でも……こればかりは、ご勘弁ください。
――出てこいと言うのか?
――すみません。もし会ってくださるのなら、角のフルーツ・パーラーでお待ちします。どこかに駐車してきますから、十分後はどうでしょう? 三十分でも、一時間でも、お待ちしますが……。
明るいフルーツ・パーラーには、ヘンリー・マンシーニ作曲の「ムーン・リヴァー」が流れていた。このメロディの凡庸さには私をがっくりさせるものがある。
入口から見えにくい壁の凹《へこ》みの部分に、神保の後ろ姿があった。地味なブルゾンを着て、黒ぶち眼鏡をかけている。
「お待たせ」
声をかけると、相手は反射的に立ち上った。
変装用の眼鏡を別にすれば、彼は変ってはいなかった。
「厚かましいお願いをしてすみません」
何度も叩頭《こうとう》しながら彼は私に椅子《いす》をすすめた。
こまかく詫《わ》びる男だ、と私はひそかに苦笑する。根本的な反省はしていないにちがいない。その都度、頭を下げておけばすむと思っている様子がやりきれなかった。
空になったメロン・ジュースのグラスを前にして神保は黙っている。禁煙していなければ、私は煙草を喫《す》うところだった。フレッシュ・オレンジ・ジュースを注文した私はテーブルの隅を眺める。
「実は……」
神保はゆっくり言い、急に早口になった。
「テレビの話がいろいろきてるんです。すべて、断わりました。テレビに出るなという矢部さんの言葉は肝に銘じておりますから」
テレビカメラは神保の貧相や暗さをあますところなく捉《とら》えると考えて、早い時期に忠告したのだった。ラジオでの人気が安定したとしても、テレビ出演は慎重にすべきである。二つのメディアはまったく違うものと考えるべきだろう。
「東都放送で始めてまだ一月《ひとつき》ですが、どういうわけか、映画の話がきたのです。DJが中心人物になる|きわもの《ヽヽヽヽ》みたいな映画です。若いブレーンに話すと、いまさら映画なんて、と嗤《わら》われるのですが、私は古いタイプだもので、心|惹《ひ》かれるものがあって……。勝手な話ですが、矢部さん以外に相談できる相手がいないのです。思いきってお願いにきたのは、そういうわけで……」
なにを言ってるんだ、と思った。テレビに向かない人間が、映画に向くはずはなかった。
「光栄だね」
と私は皮肉を言った。
「相談されるのは大いにけっこうだ。しかし、その前にやるべきことがあるんじゃないか?」
神保はわからないようだった。口をわずかにあけている。
「〈ミスターJ〉の件だよ。きみは忙しくて忘れたとしても、われわれは忘れていない」
「すみません」
すばやく頭を下げた。
「なんとお詫びすれば、許していただけるか。あの時は言葉が過ぎました」
「過ぎたなんてものじゃないだろう」と私は鋭く言った。「暴言、脅迫だけではない。きみは〈ミスターJ〉の名を買いとりたいとまで言った。これも〈言い過ぎ〉か?」
神保は答えない。
「だいたい、売り買いの問題ではないんだ。ぼくは耳にするのも汚《けが》らわしいと思っている。……まあ、ぼく個人はどうでもいい。ぼく以外の三人に対して、きみは謝罪したのか?」
相手は首を左右にふった。
「詫び状を書くべきだと思う。ちがうか?」
「はい……」
「強制する気はない。きみにその気があればの話だが」
「おっしゃる通りにいたします」
神保は言った。
「東都放送で成功したから、他局はどうでもいいというものでもない。平川さんはどの局とも付き合っているし……」
「怒っているそうです。若い社員からききました」
「当然だよ」
「私を抹殺《まつさつ》するとまでおっしゃってたそうで……つい、むっとして」
「それがおかしい。喧嘩《けんか》を売ったのはきみだ」
苦笑して、私はストローを咥《くわ》えた。
「きみは被害者意識が過剰なんだ。だから、とんでもない加害者になる」
言いながら、われながら好意的な見方だと思った。考えてみれば、追いつめられた小心者が罵言を吐きちらすのは、この男の〈芸風〉だった。
「相談相手がいないんです。みんな|おいしい《ヽヽヽヽ》ことを言うだけで」
神保の声は低くなる。
「映画の話だって、やるべきだという人の方が多くなって……判断できなくなっているのです」
私は映画監督の名前を訊《き》いた。かかわらない方がよさそうな人物だった。
「基本的なことだけ言おう。テレビに出ない人間が映画にだけ出るのはおかしい。それに、日本映画は興行的失敗を必ず出演者に押しつける……」
しばらく考えていたが、神保はかすかにうなずいた。
……そのまま別れたが、私は神保のことが気になった。
数日後、久々にファクシミリで〈?〉を送ると、〈Q〉が返ってきた。かつての日々が脳裡《のうり》によみがえった。神保はまだサインを忘れてはいないのだ。
翌朝のニュース・ショウのスポーツ紙の記事紹介で、神保が主演映画の話を断わったのを知った。しばらくはラジオ一筋で行きたいと〈ミスターJ〉は語っている、とアナウンサーが言った。CMもテレビも断わるなんて、〈ミスターJ〉らしい硬骨さですね……。
由佳は神保の手書きの詫び状を受けとったと言った。あまりにも丁寧なので、かえって莫迦にされた気がしたという。平川も東も同じような感想を述べた。
わざと文面を見ない私は、そんなものだろうと思った。神保はある種の才人ではあるが、人間として何かが欠落していた。〈狐《きつね》が落ち〉た私は彼の深夜放送をきかなくなった。
――神保登と私の関係がここで終ってしまえば、大した問題はない。異常に上昇志向の強いタレントと一作者の特別なケースというに尽きる。
東は〈ミスターJ〉の消滅にこだわっていたが、私はそうでもなかった。活字によるコラムに力がないのがわかったからだ。私たちが執拗《しつよう》に指摘した不合理はなにひとつ改善されなかった。平川にいわせると、私は活字の世界に〈過度の幻想〉を抱いているというのだが、まあ、そうかも知れない。いずれにせよ、私は失望した。
新聞もテレビも守りに入っているので、〈ミスターJのコラム〉の終りを惜しんでいる読者が多い、と東は言った。だが、読者の声なるものは私の耳には入ってこない。由佳に訊いてみると、惜しむ声もあるが、週刊誌の読者が好むのは、もっと軟らかいコラムで、女性向きのものだと答えた。
要するに、あっても無くてもよかったのだと私は思った。過激なコラムほど早く消費される。次々に過激さが急増しないと読者は不満を覚える。神保の登場によって〈芸能化〉したのもまずかった。
ある週刊誌が神保登の特集を企画したのは同じころだった。ゴールデンウィークを過ぎて、彼の深夜放送は内輪の話題を超え始めていた。週刊誌の狙《ねら》いは、十代の男女の信仰の対象になっている人物を大人の読者に紹介するもので、神保へのインタビューを申し込んだところ、取材を拒否されたという。悪性の風邪をひいたというのですが、と記者は苦笑して、神秘のヴェイルでおおってるんじゃないかと思います。
私が記者に会ったのは中央放送の打ち合わせ室であった。正直なところ、神保に関しては何もしゃべりたくない気持だったが、仕事場までこられて、ほんのひとことと言われると、拒むわけにはいかない。
「矢部さんは彼の育ての親だと土田さんが言ってました」
感じのよい記者はメモ用紙をひろげた。
「いろいろご存じだと思って、期待しているのです」
「会ったのが去年の十二月だから、半年にもなっていない」
独りごとのように私は言う。
「上京してきたのが正月です」
「そこらのことは、あとでゆっくりうかがうとして、北海道時代のことを訊きたいのですが」
「わからない、それは……」
即座に言った。そして、札幌の系列局のプロデューサーに訊くことをすすめた。
「あの方には会いました」
と記者はあっさり言う。
「神保さんが出ていたライヴ・ハウスも見ました」
「手まわしがいいな」
「土田さんに紹介していただいたのです。神保さんの友人だった人たちにも会いました。生まれたという町にも行ってきました」
「じゃ、あなたの方が詳しい……」
「札幌の中華料理屋で働いていたとか、車のセールスマンをやっていたことぐらいは、すぐにわかりました。そういう仕事を転々として、タレントの真似事《まねごと》をやっていた。しかし、私生活はまったくわかりません」
「女房がいて、別れた、とあのプロデューサーは言っていたけど」
「それも噂《うわさ》です。市内のアパートは突きとめましたが、ひとり暮しで、|ごみ《ヽヽ》を自分で出していた、近所の人とは口をきかない――わかったのはそれだけです」
「友達も何も知らないのですか?」
「友達といえるかどうか……薄い関係ですね、どの人も。ライヴ・ハウスで知り合った知人という程度です。友達のいない人なんじゃないかと思えてきました」
わからないではなかった。状況は現在でもそう変ってはいない。
「北海道時代のことはまったく知らない。今のことも知っているとはいえない」と私は言った。「そういえば、女性の噂もきかないな」
「札幌のラジオ局にあった履歴書をコピーしてもらって、生い立ちから調べたのです。高校までは道東のある町の育ちになっているんですが、小学校、中学校、高校と、すべて在籍した記録がないのです。それだけじゃない。戸籍も嘘《うそ》なのです」
記者は私を見つめた。
「芸能人の学歴はあてにならないとしても、これはめったにないケースです。ひとことでいえば、幽霊ですよ」
私は記者の目を見た。私の目の奥の恐怖を確認した記者はおもむろにつけ加えた。
「ちょっとした料理を作るのだけは器用だったそうです」
これだけきかされた上で、〈育てた人間のコメント〉を述べるのは苦しかった。|あの男《ヽヽヽ》にはかかわりたくないという気持が先走って、安全そうな言葉だけを選んだ。
別れぎわに、どぎつい表現だけは勘弁して欲しいとたのんだ。
「わかってますよ」
記者は無理に笑った。
「なにしろ、相手は幽霊ですからね」
平川から電話が入ったのはウィーク・デイの深夜だった。
――神保の放送をおききですか?
――いや。
私には必要のないことだ。
――不愉快な思いをさせることになるのですが、いま、友人から知らされましてね。神保がラジオであなたの悪口を言ってるんです。
――え?
私は意外だった。
――何だろう?
――週刊誌であなたに批判されたといって喚《わめ》いています。
思い当ることはなかった。週刊誌の特集は〈謎《なぞ》の天才〉といった表現の多い、ありきたりの刺《とげ》のないものだった。私のコメントは〈非常に才能のある人だから、あとは人間的成長を望みたいだけです〉の一行で、なんのために三十分もしゃべったのかわからなかった。
――とにかく、きいてみよう。
私は電話を切った。ベッドに戻ると、枕元《まくらもと》のラジオのスイッチを入れ、東都放送に合わせる。
――作家ったって、いろいろあるからな。
神保の声がひびいた。腕時計を見ると、一時二十二分。ずっと私の悪口を言っていたのだろうか。
――作家というと偉そうだけど、三島由紀夫や川端康成じゃないんだよ。放送作家。……このスタジオにも一匹いるから言いにくいけど、たかが放送作家だ。どうってことないのに、こいつらが偉そうにしている。このあいだも、東都放送の廊下で、ある放送作家がおれに向って――|このおれに《ヽヽヽヽヽ》だぜ――、「神保君も、もう少したつと、ギャグがわかるようになる」とのたまうんだ。おれに向ってギャグがどうのこうのなんて、釈迦《しやか》に説法じゃないか。
ついに始まったか、と私は思った。ラジオから出発した芸人は、ある期間を経ると、必ずといっていいくらい、リスナーに〈説教〉をしたくなるらしい。その地位につくまでの屈辱・忍耐・コンプレックスがなにかの拍子に爆発するのだ。
それにしても、神保は早すぎる。深夜放送を始めて、まだ二ヵ月である。独特の情緒不安定を週刊誌の記事が刺激したのか。
――矢部勉先生に戻ろう。
と神保は言う。
――この男はおれを育てたなんて、とんでもないことを言いふらしてるらしいな。このごろ、そういう奴《やつ》が増えて困っているんだけど、この男はたしかに面識がある。まったく知らないとはおれも言わない。……アドヴァイスも、一、二回はされたかな。だけど、見当ちがいもはなはだしい。下《しも》|ねた《ヽヽ》だけはやめろ、だとさ。ま、ライヴ・ハウスでのしゃべりについてだけど。この男に限らず、放送評論家なんて莫迦《ばか》どもは、すぐにそういうことを言う。しかしだ(と力をこめて)、それはあたりまえのことだろう。おれだって、下|ねた《ヽヽ》がいいなんて思っちゃいない。思っちゃいないけど、ライヴ・ハウスで、客がしーんとなって、くすりともしないとき、どうしたらいい? 下|ねた《ヽヽ》に走るんだ。みじめだと思うけどね。――そういう時の売れない芸人の心の痛みがわかって、おまえら、批評してるのかってことだ、おれが言いたいのは。そんな痛みを理解した上で発言しているのか?
詭弁《きべん》であった。〈下ねた〉云々《うんぬん》と芸人の内側の問題は別である。しかし、レトリックとしてはうまい。〈売れない芸人の心の痛み〉を持ち出されると、十代のリスナーだけではなく、大人もころっと参ってしまうのではないだろうか。
――こら、そこの放送作家、おれの主張はまちがっているか?
――いえ。
スタジオの中で声がきこえた。
――芸人の生きざまのきびしさが身にしみました。
こんな会話がリスナーにとって面白いのだろうか、と私は不思議だった。確かなのは、神保が東都放送に君臨していることだ。リスナーの支持がなければそれは不可能である。
永いあいだの観察から、私は芸人が〈説教〉を始めるのは、芸に行き詰まった時であることを知っている。神保のようなタイプの場合は、話芸に行き詰まり、自分でもどうしたらよいか判断できなくなっている。自分では新しい芸を開拓したと思っているのに、他人は認めてくれない。そんな時には、ちょっとした批評(〈あとは人間的成長を望みたい〉)にさえ、苛苛《いらいら》し、当り散らす。――神保が今までの芸人たちとちがうのは、自己弁護をも、おのれのレパートリーに加えてしまうところで、芸ごとに疎《うと》い〈インテリ〉が〈感動〉するような〈芸人のあり方〉を持ち出してみせる。
――週刊誌でおれについて語ってた奴らは、みんな、|いんちき《ヽヽヽヽ》だね。こいつらは人を持ち上げておいて、飽きたら放り出す。マスコミはそういうものだし、東都放送もそうかも知れない。あぶない連中ばかりだ。今は、神保さんは神様です、なんて言ってるけどね。ま、われわれ芸人はそんな風にあつかわれているんですよ、皆さん。……CMにいくか? いきなり、しゃべり通したので疲れた。
深い息をした神保は、次の瞬間、私を慄然《りつぜん》とさせた。
――矢部先生のことを長々としゃべったけど、考えてみれば、先生、きいてないかも知れないんだな。……ここで、先生の自宅の電話番号を言ってしまおうか。どんなことが起るかな?
9 ネットワーク
翌朝、ぼんやりした頭のまま、書斎に足を踏み入れた私は愕然《がくぜん》とした。ファクシミリの記録紙が散乱している。
ひろいあげてみると、私への罵言《ばげん》が殴り書きされていた。必ずしも十代とは限らず、二十《はたち》過ぎの男女らしいものもある。
〈……才能がない作家、自分で人を笑わせられない男って哀れですね。それでも、ミスターJに逆らえるつもり? シモネタでもいいからやってみたら?〉
明らかに女性と思われる細い筆蹟《ひつせき》。起きてすぐ、こういうものを目にするのは身体《からだ》に応《こた》える。私はファクシミリの電源スイッチを切り、記録紙をひろい集めようとした。
電話が鳴った。
ためらったのち、左手で受話器をとる。
――はい。
――矢部勉か?
少年の声だった。
――おまえなんか、死んじまえ、死んじまえ!
電話は切れた。受話器を持ったまま、私は呆然《ぼうぜん》としていた。
ゆうべ、神保は私を脅かしながらも、遂《つい》に電話番号を口にしなかった。東都放送の良識からしても、それはあり得べからざることである。――では、なぜ、電話がかかってくるのか?
受話器を置いた私はデスク前のチェアに腰をおろした。散歩の途中で、突然、男女の集団に石を投げられたようだ。
ふたたび電話が鳴った。いやな予感がしたが、受話器をとる。
――ツトムさんですね。
女の声だった。
――あいかわらず、ハラダさんとのセックスに|つとめ《ヽヽヽ》てるの? |つとめ《ヽヽヽ》ないと逃げられちゃうわよ。
激しい音とともに電話が切れる。鼓膜がしびれた。午前中からこんな言葉を口走る女がいるものだろうか?
なにかが起りつつある、と私は思った。
電話を留守電に切りかえようとして、やめた。時間的に早かったが、平川に電話を入れた。
私がまず詫《わ》びると、
――〈ミスターJ〉が消えたので、生活が健康になりました。
平川は笑った。
私はゆうべからの事態を話した。
――ひどいことを言ってくる。それも、私生活に及ぶんだ。ぼくの電話番号や住所は放送人名簿にはあるけど、一般人の目に触れるものじゃない。ファックスの番号なんてどこにも記載されていないはずだ。
――煽動《せんどう》したのは神保でしょう。番組の中でそこまで言ったのは、リスナーをけしかけてるわけです。
――じゃ、番号は?
――神保のファンクラブがあるはずです。そこのパソコン通信ネットワークで流されたら、一発ですよ。神保はあなたの電話番号を知ってるんでしょ?
――ああ。
――それに、だれかが中央放送に問い合わせれば、教えてもらえるでしょう。本気で調べれば、すぐわかりますよ。
――ネットワークで何を流しているか知れたもんじゃないな。
怒りが込み上げてきた。〈ハラダさんとのセックス〉を、どこの誰ともわからない者にあれこれ言われる筋合いはない。
――神保のやり口はふつうじゃない。見えないところで、やれ、やれ、と命令しているんです。
平川は低い声で注意した。
数分話して、私は受話器を置く。シルヴァー・グレイの電話機はいまにも鳴り出しそうだ。電話が凶器になり得るとはよく言われるが、ファクシミリがそうだとは気づかなかった。文明の利器と称されるこれらの|がらくた《ヽヽヽヽ》によって、私は首を絞められてゆく。
オレンジを絞る気力もない私はグレープフルーツ・ジュースを飲んだ。電話の番号を変えようかと考え、左手でコードに触れた。好んでさわるわけでもないのに、コードには汚れが付いていた。
不意に、電話が鳴った。コードに触れられたことに怒ったようだった。
――まいったよ。
受話器からは土田副部長の声が響いた。
――きみの方は異常がないか?
――異常だらけです。
私は声を抑制した。
――やはり、ファックスかい?
――ファックスは切ってしまいました。
――驚いた。出社したら、会社中のファックスがわが社への呪《のろ》いの言葉を吐き出している。ぼくへの誹謗《ひぼう》もあるが、大半は〈中央放送は落ち目だ〉といった幼稚な攻撃だ。中に、〈ミスターJを生かしきれなかった無能プロデューサー〉という言葉があったので、誰がやらせたか見当がついた。
私は無気力に笑う。
――ぼくの場合は個人攻撃ですから。
――神保だな、やはり。
――攻撃はまだ続いてますか?
――いや、一段落した。会社のファックスはスイッチを切るわけにいかないから困る。それに、この事件を外部に漏らしたくないし。
――変ですね。
と私は言った。
――中央放送のすべてのファックスの番号がわかっていないと、そんなこと、できませんよ。
――そうなんだ。ぼくも変だと思った。
土田の声が高くなる。
――どうも理解できない。
――でしょう?
言ってから、あ、と思った。神保の信者がひとり、中央放送の内部にいれば、可能だった。
新宿駅西口のトンネル状の悪臭のただよう通路を歩きながら、なにかが起りつつある、と私はくりかえした。土田と私は良い関係とはいえないが、この際、協力せざるをえないだろう。
「これを見てくれ」
土田のデスクに近づくと、二山ほどの電報を指さした。言われるまでもなく、私は気づいていた。
「すべて、ぼくあてのいやがらせだ。ぼくの名前がこれほどポピュラーだとは知らなかった」
自嘲《じちよう》的に言い、となりの椅子をすすめた。
「いったい、なんだろう。放送禁止用語を使ったって、こんなことはないぜ」
私は平川のパソコン通信ネットワーク説を話した。
「あり得るな」
土田は下唇《したくちびる》を突き出して、
「しかし、あの男はなぜ、われわれを憎むのだ? 育てた上に、熨斗《のし》をつけて他局に進呈したんだ。ふつうは、われわれに対して、忸怩《じくじ》たるものがあるんじゃないか。憎むのは筋違いだろうが……」
「〈ふつう〉じゃないんですよ、あの男は」
私は答える。
「おそらく、〈想《おも》い出し怒り〉でしょう」
「なんだ、それは」
「想い出し笑いの逆です。あの男は、いま、すべてがうまくいっていますからね。〈こんなに才能のあるおれが中央放送ではひどい使い方をされた〉と、過去を想い出して、かっとなるんです」
「異常だぜ、それは」
「異常です。まあ、火をつけたのは、週刊誌でのぼくの一言だったようですが」
「読んだよ」と土田は言う。「どうってことないじゃないか」
「〈人間的成長を望みたい……〉という部分に腹を立てたのでしょう」
「どこがいかんのだ?」
「〈人間的〉という言葉だと思います。……自分が性格的におかしいってことに気づいているんですよ。気がまわる男ですから」
「しかし、きみを恨むのは変だ。ふしぎなほど、肩入れしていたのに」
土田は首を横にふった。
「ついでだから、不愉快な話をしてしまおう。ついさっき、知り合いのスポーツ紙の記者から問い合わせがあった」
と、メモを見て、
「神保がやってたころの『文句あるか』だが、あの中に、数分のミニ・ドラマがあったろう。すべて、きみのオリジナルということは承知している。……で、あの中の一篇がヤッフェとかいう作家の盗作じゃないかという指摘が読者からあったというのだ」
やっぱり、と私は思う。
「そんなことはない、と私は言っておいた。一応調べる、とつけ加えたが、どうでもいいことだ。ぼくの勘では、これも神保の線だ。ミニ・ドラマの台本を書いたきみを傷つけて、番組から切り離そうとする中傷だ。きみとぼくを切り離す狙《ねら》いもあるのだろうが、幼稚すぎる」
「どうも……」
私は軽く頭を下げた。
「これだけですむとは思えない。充分に気をつけてくれ」
それは土田が私に向って発したもっとも暖かい言葉だった。
〈神保の線〉という彼の勘は当っている。――その日、私は時間的にも追い込まれ、アイデアに窮していた。私はジェームズ・ヤッフェのある短篇を想い出し、神保に話した。「それ、いいですよ。昼のラジオをきいてる一般ジャップには|ねた《ヽヽ》なんかわかりゃしません」と神保は言う。「では……」と原稿用紙をひろげながら私は笑った。「放送作家が苦しまぎれにどういうことをやるか、きみに見せてやろう」……。
私は立ち上りかけた。
電話が鳴り、受話器をとった土田は、きみにだ、と言った。
警戒気味の私は受話器を受けとり、小声で、はい、と言う。
――先日はどうも。
週刊誌の若い記者だった。
――お宅にかけたら、局に行ってるというメッセージだったので。
ええ、と私は答える。
――いかがでしたか。ご迷惑をかけるようなことは書かなかったつもりですが。
――ええ。
それ以上はしゃべる気がしない。
――よかった。うちの編集部にはいやがらせのファックスが入りましてね。
――ひどいですか?
私はおそるおそるたずねる。
――まあ、慣れてますから。
苦笑が見えるようだった。
――実はあの号が出たあとで、投書がきました。神保と中学でいっしょだったという人からです。東北の小さな村の中学で、卒業しないでいなくなった、と書いてありました。写真が同封してありましたから、まず間違いないでしょう。調べてみると、人口が八千ぐらいの村ですが、三年生のときに、なにか事件を起こしているのです。
――事件?
――村役場に電話してみると、その時の校長は病院に入っているというのです。記事にする気はないのですが、つい、電話をしました。
――話せましたか?
――電話には出ました。呆《ぼ》けてる気配はありませんが、神保のことを訊くと、ひどく怯《おび》えましてね。なにもしゃべりたくない、とくりかえすだけです。看護婦らしい女が出て、血圧が上るから、と切られてしまいました。
マンションに戻ると、郵便受けに速達が溢《あふ》れていた。
封書の一つを開いてみる。〈ミスターJとおまえでは勝負にならない。ミスターJが……なら、おまえはせいぜい……クラスだ〉という書き出しのワープロ文字が目に入った。……の部分は、プロレスラーの名前である。差出人の名はミスターXとあるだけだった。
私は管理人に大きな紙袋をもらい、速達の束を押し込んだ。差出人はほぼ仮名で、なにも書いてないのもある。棄《す》てて欲しいと頼むと、管理人は怪訝《けげん》な顔をした。
部屋に入り、ソファに横になる。一面識もない人々が不意に悪意をむき出しにしてきた。映画かテレビでこうしたケースを見たような気がするが、自分の身におこると、ひどく居心地が悪く、落ちつかなくなる。封筒の差出人の文字の大半は稚拙で、十代が多いと推定される。
あらためて、自分が相手にしてきた、リスナーという名の大衆について考えてみる。本当は考えたくないのだが、とりあえず、必要だろう。
神保の深夜放送に限定すれば、リスナーとしてイメージされるのは、ひどく肥《ふと》っているか痩《や》せているかは別として、眼鏡をかけた、エクセントリックな少年たちだ。服装までも含めたこの種のエクセントリシティは、いまや、二十代にまでひろがっている。彼らはおのおののごく狭い専門分野で〈通〉になろうとしている。……いや、神保の放送に熱狂している連中は、まだ自分の専門分野を発見できずにいるのだろう。自分が何であるかがわからず、疎外感だけは人一倍強い彼らは、ついさいきん、神保登というカルトを|発見した《ヽヽヽヽ》。そして、当然のことながら、自分こそ神保登の専門家だと思い込み、その第一人者になろうと決意する。初めは〈親しみ〉であった感情が、〈少しでも|あの人《ヽヽヽ》に近づきたい〉に変る。神保登に|指導され《ヽヽヽヽ》、神保登のように考え、行動したいと思う。少くとも、神保登に関する限り、理解度において自分に勝るものはない。神保登は自分であり、神保を批判する奴《やつ》はおれを批判するに等しい……。
もう一つ、幼児性の問題がある。現実に接触せずに暮すことが、〈豊か〉になった日本では不可能ではない。戦争も飢えも、とりあえずは遠くにある。|絶対に安全な立場にいて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》見られる流血の争いといえば、プロレスぐらいしかない、と彼らは思っている。だから、大人たちの争いも、|プロレスのようにしか見ることができない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。幼児の残酷さがプロレス好みに直結しているのだが、そう指摘されると彼らは猛反発する。プロレスを侮辱したといって、怒り出す。彼らにとって、プロレスは神聖なものだからだ。……彼らは神保への声援の代りに、幼児性むき出しの脅迫状を私に送りつける。
神保に接触する必要があった。
仕事|柄《がら》、ファクシミリを止めっ放しにし、電話を留守電にしたままではいられない。いやがらせの手紙はなおも続いている。
偶然のように会えるのが望ましいと思う私は代官山の料理屋に足を運んだ。店長はいまでも神保がきているという。
四度目の夜、軽い食事をして、帰ろうとすると、サングラスをかけた神保が取り巻きらしい男たちと入ってきた。私は神保と向い合う形になった。
「どうも……」
上昇しつつある芸人が古い知り合いに会った時の、どうふるまうべきか判断がつきかねる態度で、彼は無難な挨拶《あいさつ》をした。
「少し話ができるかい?」
私は小声で訊く。
「はい……」
と答えて、彼は四、五人の男たちに、ワインでも飲んでいてくれ、と言った。
近くの二人用のテーブルにつく。神保はワイン、私はエスプレッソを注文した。
「忙しそうだね」
相手が黙っているので私が口を開く。
「レコード会社の連中です。よせばいいのに、私の歌を出したいというので」
「きみは歌えたっけ?」
「歌えませんよ」
神保はつまらなそうに言う。
「断わったのですが、今は機械でどうにでもなるからと乗せられて、吹き込みの真似事《まねごと》をやる羽目になりました」
さすがは東都放送だった。系列にレコード会社があるので、いろいろな試みができる。
「このあいだ、きみの放送をきいた」
と私は本題に入る。
神保は目を上げた。
「どの分ですか?」
「ぼくを批判した分だ」
ああ、と彼は小さくうなずく。
「誤解があるようだが、あれこれ言っても仕方がない。ただ、ぼくに対して言いたいことがあったら、直接、言ってくれないか。ああいう形でやられると、リスナーが興奮する。煽動するに等しい」
「ご迷惑をおかけしましたか?」
「ご迷惑どころじゃない」と私は語気が荒くなる。「呪いの手紙、ファックス用紙の山だ。いやがらせの電話が多いので、電話機が使えない。えらい迷惑だ」
「正直に申しあげて、ファンの言動にまでは責任が持てません」と彼は言った。「各方面からお叱《しか》りを受けているのです。私のファンは暴走気味で……」
私が予期した答えだった。
「それではすまないだろう。ファンが悪いでは片づけられない」
「矢部さん」
彼は微笑を浮べた。
「電話やファックスの番号を変えたらいかがですか。それしかありませんよ」
七月に入っても、私は落ち込んでいた。
いやがらせのファクシミリの数は減ったが、三人ほど、しつこいのがいた。雨は降らず、曇天が続いて、湿度が高かった。私はクーラーを入れ、夜には電子冷却枕を使用した。
自分が父親のような人間になりつつあると気づいたのは、そうした一夜だった。|不機嫌な職人《ヽヽヽヽヽ》。――父とちがうのは、結婚というシステムに疑いを抱いていることだ。私は由佳を愛していたが、このシステムには向かなかった。そういう人間が女性を本気で愛した場合、どうしたらよいのか?
私たちは芦《あし》ノ湖《こ》に面した小さなホテルに泊った。シャワーを浴び、食事をすませると、殴られたように眠った。
気がついた時は午前二時をすぎていた。ルーム・サーヴィスが終っているので、冷蔵庫のビールを出し、ヴェランダに出た。湖畔の灯《ひ》は消えており、私は白い椅子《いす》にもたれてビールを飲んだ。
由佳が起きてきたのは十五分ほど経《た》ってからである。
「起こした?」
私は訊いた。
彼女は首をふって、ビール、飲んでいい? と掠《かす》れた声で言う。
「ミニ・ボトルがあるよ」
「ビールでいい」
私は黒い湖面を眺《なが》めていた。風が涼しく、また眠ってしまいそうだ。緊張が急に解《ほど》けたのだろうか。
「今まで言わなかったけれど」
彼女はビールを飲みながら言う。
「|うち《ヽヽ》で、神保に独占インタビューを申し込んだの」
「なるほど」
「編集長の趣味よ。若い人に買ってもらおうと焦《あせ》ってる」
彼女の声は冷笑的だった。
「神保の名前があちこちの雑誌に出てるでしょ」
「ブッキッシュな編集長なんだね」
私も冷笑的になる。
「で、申し込んだわけ。〈タックス・フリー〉ってオフィスに」
「〈タックス・フリー〉という名前か?」
「そう。笑っちゃうでしょ、〈免税〉なんて」
「まあね」
「そうしたら、インタビューする記者を指名してきたの」
「きみか」
彼女の横顔を見た。
「断わったわ。ひとを莫迦《ばか》にしてる」
私へのいやがらせの変形だった。どこまで執拗《しつよう》なのか。
「担当もちがうし、私が出て行ったら、おかしな目で見られちゃう」
「狙いなんだろう、それが」
彼女はうなずき、ビールを呷《あお》った。
「断わっても、すぐには引っ込まない。私に電話口に出て欲しいというの。拒むわけにいかないから、マネージャーと話したわ」
「どんな奴だった?」
「イエスマンだと思う。そばに神保がいて、指図してる感じだったけど、居丈高なの、とにかく。――週刊誌のインタビューには、いっさい応じない方針だけど、あなたがきてくれるなら、先生はお目にかかる、ですって……」
「それが条件だったのか」
「もう一つ、ある」
私が残したビールに彼女は手をのばした。
「とても、口にできないわよ。……私の全身をポラロイドで写させて欲しいですって。だいたい察したから、私、他人にヌードをお見せする趣味はないんですって言ってやったの。そうしたら、なんて答えたと思う? 水着でけっこうです、絶対に外には出しません、だって」
いかにも神保らしいと思った。全裸よりも、布で隠されている肉体に欲望を覚える男がいるものだ。
「あなたが口にした条件はセクシュアル・ハラスメントですよ、テープにとりましたから、と言ってやったの」
「で、どうなった?」
「それで終り。編集長にうまく説明できなくて困ったわ。ただ、編集長はかっとしてたから助かった。|うち《ヽヽ》の誌名をきいたら、総理大臣だってインタビューに応じるはずだ、という発想の人だから……」
「いつの話?」
「二週間ぐらい前かな。あなたが悩んでいたから、遠慮してたんだ」
「ありがとう。すっきりしたかい?」
「うん。話してしまえば、すっきりよ」
「それはよかった」
と言ったが、私の首に新しい荷物がぶら下がったのは確かだ。由佳への執着もあるのだろうが、搦《から》め手からの私へのいやがらせだと思った。
神保はなぜ私を憎むのだろうか、という疑問に私は戻ってゆく。
明らかなのは、私が彼の過去を見知っていることだ。成り上った人間は、現在の在り方に見合うように、過去を改竄《かいざん》したくなる。そのさい、自分の過去(神保の場合はついこの間なのだが)を目に焼きつけている人間が、すべて、邪魔に思えてくる。そういう人間の存在そのものが不快なのだ。
「終ったことだ」
由佳の耳たぶを唇《くちびる》ではさんだ。
「忘れよう」
本当に忘れてしまえれば、幸せだったかも知れない。困ったことに、私は些細《ささい》なことがらに拘泥《こうでい》しがちな人間だった。
東京に戻って考えたのは、神保の放送を虚心に聴いてみることだった。〈虚心に聴〉くのはむずかしいが、プロであれば、できるはずだった。
その夜の放送は、彼の得意な風俗批判であった。――銀座の灯《ひ》は不況で消えたようになっているのに、渋谷や下北沢の飲み屋の若者たちはなぜあんなに元気に盛り上っているのか、なぜ金を持っているのか、彼らがイタリア料理をイタめしと呼ぶのは不愉快ではないか、といった慷慨《こうがい》談である。
十代の男女にこれが面白いのかな、と、まず思った。神保の怒りは七割は本物で、中年のサラリーマンが〈近ごろの若者〉を批判する口調に近い。芸人の|ぼやき《ヽヽヽ》ではなく、ふつうの大人が世相に感じる違和感を話題にしていた。
十代の男女が惹《ひ》かれるとすれば、「これじゃ、ただの、小父さんの愚痴だな」といった自省の裏に見え隠れする孤独感、淋《さび》しさだろうと私は思った。淋しさが若者を惹きつける要素であるのは、チャップリンの昔から変らない。
神保の話術の才能を私は改めて認めざるをえなかった。|その才能は《ヽヽヽヽヽ》、|彼の人格とは別個に存在しているのだ《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
ひどく落ち込んだかと思うと、彼は不意に、自分は〈神〉だ、〈天才〉だ、と主張した。「深夜にひとりぼっちでいるおまえたちを慰めにおりてきた神様なんだ。ありがたく思え」――すぐあとで、「そんなこともないか」と笑いながら否定する。CMになる。このCMのあいだに、リスナーの何割かは、「いや、あなたは神様です」「天才です」と反論しているのだった。「天才なものか」と反発するリスナーは、反発したことによって神保の術中にはまってゆく。それは単純な技術の問題である。
神保は〈知的な〉話題をみごとに避けていた。深夜放送のパーソナリティが口にしたがる知的流行をみずから封じて、かえって知的に見えた。インテリ殺しだな、と私は思った。
数日後の昼に、平川から電話があった。
――会って、話したいことがあるんです。
声は怒気をふくんでいた。
――許せないことがありましてね。
うちにきたら、と私は言った。局やホテルのコーヒーショップでもよいが、内緒の話はしづらい。
――よろしいですか。
念を押して、受話器を置いた。パジェロを駆る彼は二十分後には姿を見せた。
怒りをこらえる平川を見るのは珍しい。リヴィング・ルームのソファをすすめ、私は黙っていた。
「やられましたよ」
ポロシャツが汗で濡《ぬ》れているのに気づかない彼は唇を曲げる。
「電話とファックスの集中攻撃です。狂信者の集団ですね、あれは」
「ネットワークだね」
冷たい煎茶《せんちや》を出しながら私は言った。
「なにか、あったの?」
「なにもないですよ」と平川は大きく吐息をした。「ぼくが噛《か》んでいる東都放送の夕方の番組に赤羽明が出演したんです。なにかの拍子に、神保の話が出たらしいんですね。ぼくは立ち会っていないし、オン・エアを聞いてもいないんです。要するに、赤羽が――これもおとなげないんですが――、神保登が二十代後半てのは嘘《うそ》だ、と言いきったんです。赤羽と同じ、三十四、五歳のはずだと言ったのです」
「赤羽は初めからそう言ってた」と私は言う。「間違いじゃないと思う。このあいだ、中学校のときの同級生から週刊誌に投書があった。神保は中三の時に事件を起こしているんだが、その年から逆算しても、三十五ぐらいになる」
「ほんらい、騒ぐようなことじゃないんです。ただ、東都放送の現場は|びびり《ヽヽヽ》ました。神保の番組は高聴取率表彰を局から受けているんです。局員が手をつけられないような権力を持ってますし、番組の中で東都放送の人間を名ざしで批判します。とたんに、リスナーの批難がその男の机に山積みになる仕組です」
「東都放送がよく我慢してるな」
「数字ですよ、結局。神保の番組への葉書は開局いらい最高の数なのです」
「で、どうした? 神保は赤羽を恨んだの?」
「ぼくを恨んだのです。ほんの少しぼくが噛んでいるのを、どこからかきいて、ぼくがやらせたと思ったのでしょう。異常ですよ。放送が昨日の夕方で、今朝はファックスの洪水《こうずい》ですから」
「あいつを問いつめると、一部のファンのやることに責任はとれない、と言うよ」
「でしょうね」
怒りの持って行き場がない平川は、〈ミスターJ〉の名で出るはずだった単行本が、神保の要求がきびしすぎて、とりやめになった話をした。本の宣伝をテレビCMでやれと命じたらしい。
ためらったのち、由佳が奇妙な申し出を受けたことを私は話した。
「あいつは、〈ミスターJ〉の関係者四人に復讐《ふくしゆう》をするつもりでいるんじゃないか」
「ぼくも、そう感じました」と平川はうなずく。「奴を決定的に痛めつける方法を考えたのです。間違っていないかどうか、相談に乗ってください」
10 仕掛け
どう応じたらよいのか戸惑った。平川が〈痛めつける〉といった言葉を口にするのは、私が知る限り初めてである。
「落ちついてくれ」と私は言った。「ぼくも被害者だから、気持はわかってる」
「すみません」
彼は煎茶《せんちや》のグラスを手にした。
「たいていのことは我慢するのですが、今度だけは……」
「|とばっちり《ヽヽヽヽヽ》だものな」
私はうなずく。赤羽の蔭《かげ》に平川がいると推定して攻撃するのは常軌を逸している。
「気持はわかるけど、今の神保は相手として良くない。東都放送のプロデューサーを通じて、注意するように言ったらどうだろう。神保だってオールマイティじゃないはずだ」
「神保を担当しているプロデューサーは奴《やつ》に批判的です。中央放送に気をつかったのでしょう、〈ミスターJ〉のグッズの発売企画をとめています」
「まともな大人なら、そう考える」
「社内にも、神保の信者と批判的な者の二派があります。担当プロデューサーは〈信者のふりをして批判的〉ってやつです。信者はどうしようもなくてね、神保がつまらない冗談を言っても笑い崩れるんですから」
「若い連中だろう?」
「まあ、二十代ですね」
「仕方がない」と私は言った。「あの連中には〈笑いの原体験〉がないと思う。ものごころついた時には、テレビしかなかった。劇場も寄席《よせ》もない。今どきのテレビ・タレントにくらべれば、神保はいくらか|まし《ヽヽ》だ。それだけのことさ」
「二十代がそうだから、十代の子供にとっては神様です。ご存じのように、深夜放送は送り手とリスナーが密室感覚でつながっています。ぼくはこの密室性をこわしたいんです」
「どうやって?」
平川は方法を打ち明けた。ラジオ関係者なら、一度は夢想するが、絶対に実行できないたぐいのものだった。
「どうでしょう?」
と平川は私を見つめる。
「そうだな……」
答えに窮した。怒りが消えていない平川の目を見ると、うかつなことは言えない。
「ぼくは賛成できない」と、まず、小声で言った。「しかし、きみは納まらないだろう」
平川は頷《うなず》く。
「どうしてもやるというのなら、東都放送でやるのは賛成しかねる。いわば、敵地だからね。やるなら、中央放送がやり易《やす》い」
「でも……神保が……」
「ふつうでは、中央放送にはこない。建物にも近寄らないぐらいだからね。……クーラーを弱くしようか」
「大丈夫です。で、どうします?」
「もうすぐ、聴取率週間がくる。局の上の方が話し合いをして、神保に中央放送に出てもらう。スペシャル・ゲストとか、名目はどうにでもなる。東都放送としても無下には断われまい」
「話の持っていき方ですね」
「それはいいとしよう。……問題は後始末だ。きみ自身を追いつめることにならないか」
「全員が〈しゃれ〉で逃げるしかないでしょうね」と答えたが、平川は深く考えてはいなかった。「〈しゃれ〉だと言ってやればいいですよ」
「いざとなると、芸人の〈しゃれ〉がわからないのか、で逃げるのは赤羽もそうだった。神保も人を傷つけておいて、抗議がくると、〈しゃれ、しゃれ〉と言って逃げる。しかし、局がそれでいいだろうか」
「問題ですね。考えてみます」
「すぐには思いつかないが、何か考えておいたほうがいい」
「中央放送でやるというアイデアはさすがです。相談してよかった」
私は答えない。神保への報復は投げていたし、かかわり合いたくなかった。
「そうなると、土田さんに仕切ってもらう形になると思いますが……矢部さんはどうですか」
「ぼく?」
「矢部さんが立ち会うといえば、神保も安心してくると思います」
「ぼくは勘弁してくれないか」
「そうですか……」
平川は失望したようである。
やめろという気はなかった。神保の人気が下がるのはよいと思うが、子供の喧嘩《けんか》じみた泥仕合《どろじあい》になるのを私は恐れた。
「矢部さんが入ってくださると、面白くなるのですがねえ」
「土田さんで充分だよ。ぼくはいろいろ雑用があってね。そのうち、きみにも話す」
由佳のことだった。私たちは〈結婚〉という形にこだわらず、いっしょに住むのを決めていた。お互いの中で、とっくに消えたはずの火が燃え上り、一日に何度も電話で話さずにはいられなかった。こんなことがあるのかと、もう一人の私は不思議そうに眺《なが》めている。
「土田さん、頼りになるかなあ」
平川は嘆息する。
神保に関するわずかなデータを私は由佳にしか話していなかった。
相手が質《たち》の悪い芸人なら問題はない。神保の場合、彼が何者で、どこからきたのかさえ判《わか》らないのだ。そんな者を相手に、きな臭い真似《まね》はしたくない。
そして、平川は計画を実行に移した……。
私は立ち会ってはいなかった。当日、私はある人の通夜《つや》で大阪にいたが、中央放送の夜の番組は関西にはネットされていない。
その夜、中央放送でおこった出来事を生々しく語ることは私にはできない。
たまたま、手元にある『神保登伝説』の中に、平川がみずから、当夜の行動を語った部分がある。この本は神保の信奉者が書いた本で、当然ながら、内容は極端に偏《かたよ》り、神保が保守的なマスコミ人種といかに戦ったかという記録になっている。(幸い、私の名は二ヵ所しか出てこない。)
そうした本であるから、平川の談話の内容も――平川が歪《ゆが》めたのか著者のせいか――事実と少々ちがうと思われるが、計画進行の大筋は間違っていないと、のちに土田からきかされている。とりあえず、その談話を引用してみる。
〈そう悪気はなかったんです。神保とぼくたちは友達だったし(まあ、喧嘩もしましたけどね)、あとで、あんな騒ぎになるなんて、考えもしませんでしたね。
とにかく、聴取率週間でもあり、神保が≪古巣に恩返しをする≫形になったのです。……ええ、彼はかなり神経質になっていて、異様に腰が低かったですね。成り行きからみて、当然でしょう。中央放送としては、夜十時から一時までの番組|枠《わく》内の早めの時間に≪ミスターJの人生相談≫というコーナーを設けました。この時間だったら、神保は東都放送の深夜番組にゆうゆう間に合うのです。
大変でしたよ。局の上の方の人たちはシャンパンなんか用意しちゃって。神保が酒にそう強くないことも、こちらは計算してました。悪戯《いたずら》をする以上、それくらいの計算はしますよ。
十時すぎにスタジオに入ったとき、神保はかなりリラックスしていたと思います。その前に、トイレに入っておいたら、と注意したのはぼくです。彼がスタジオにいるのは五十分間で、途中でトイレに立たれると困るわけです。……ええ、パーソナリティが、≪第二の神保登≫と呼ばれる、体育会系|のり《ヽヽ》の若い毒舌家だったのも、われわれにとってプラスでした。神保のコーナーに入ると、人生相談もなにも吹っとんでしまって、パーソナリティと神保の毒舌合戦になりました。神保は久しぶりに、自分より口の悪い人間にぶつかって、面くらったみたいだった。絶対に批判できない大物歌手の悪口とか、女性アイドルの裏の顔とか、局の上の人はひやひやしてました。ぼくも、どうなるんだろうと思ったけど、神保が盛り上ってるんで、まあいいだろうということです。スタジオ内で神保はビールを飲んでましたよ。
このフリー・トークが三十分です。三十分たったところで、CM・交通情報・ニュースが入ることに進行表《キユー・シート》ではなっていました。……ところが、実際はCMを入れただけで、オン・エアが続いていたのです。つまり、スタジオでの雑談を、そのまま、リスナーに聞かせたわけですね。
良《い》いか悪いかといえば、良くないに決ってますよ。ただ、われわれは、≪ミスターJ≫の素顔、気どらない喋《しやべ》りをリスナーにお聞かせしたかった。意図はそうでした。しかし、神保の側からみれば、騙《だま》された、一杯食わされたことになるわけで、|しこり《ヽヽヽ》が残ったのです。神保に気づかれないように、スタジオ内には、一時間前の交通情報やニュースが流れていました。ええ、そういうテープを準備していたからこそ、スタジオ慣れした神保もひっかかったのです。
パーソナリティも心得たもので、くつろぎながら、「今のリスナーをどう思います?」と小声で訊《き》きました。彼は小劇場の役者ですから、芝居はうまいです。それに対して、神保はつい本音を吐いてしまいました。よくある≪CM中の秘密《オフ》のトーク≫です。ま、酔っていたから、あそこまで喋ってしまったのでしょう。……そのトークが局内に響かなかったかって? 響きましたとも。館内放送《モニター》で会社中に響き渡りましたよ。……神保のマネージャーですか? もちろん、きていました。|ここ《ヽヽ》も考えてありましてね。プロデューサーの一人がマネージャーを打ち合わせ室に案内して、密談を始めたのです。将来、中央放送でレギュラー番組をもたないかという相談――嘘ですよ、こんなの。そういう相談を持ちかけて、CMに入る辺りで、オン・エアのモニターがうるさいと、プロデューサーは部屋の中のスイッチを切ってしまったのです。これでもう、マネージャーの耳には神保の声が届かないわけです。
パーソナリティの話の持ってゆき方がうまかったとはいえ、約十分、神保は早口ですさまじいリスナー論をやりました。論というより罵倒《ばとう》ですね。「どうやったら、リスナーを思うようにあつかえるんですか?」と訊いた瞬間から、リスナー罵倒の言葉の洪水《こうずい》です。「だいたい、奴らを人間と思うからいけないんだよ」ときましたからね。
プロデューサー、ディレクター、ぼく、その他、ずいぶん多くの人が、この悪戯に噛《か》んでいたのですが、何人かが真蒼《まつさお》になって飛んできました。こっちは、ガラスの向うの神保に気づかれないように押えるのに必死でした。三分ぐらい喋ったあたりから抗議の電話がき始めたっていうから、大騒ぎです。
その時の言葉はテープに残っていますが、要旨は次のようなものでした。
――リスナーを人間と思うからいけないんだよ。たとえば、猿《さる》とかカモシカとか、アフリカの草原にいる動物を想定してごらん。ほんのちょっとした刺激でさ、ものすごい勢いで走り出すだろ、|同じ方向に《ヽヽヽヽヽ》。ぶつかり合ったり、もつれ合ったりしながら。あれだって、動物たちにしてみれば、自分の中の本能に従っていることになると思う。しかし、|同じ方向に《ヽヽヽヽヽ》走ってる事実に変りはないんだ。おれがリスナーにあたえるのも、ちょっとした刺激や暗示だよ。刺激の|つぼ《ヽヽ》さえわかってれば、百人も千人も反応は同じさ。スタンピードというか、おれの予期しない速度でつっ走る。
――十代のリスナーと二十代とがちがうかって? 精神年齢は同じだよ、いまや。戦争や飢えや貧しさやストライキを知らないことじゃ、変りゃしない。だから、奸智《かんち》にたけた、強力な政治家が、こういう理由で戦争をおっ始めようと呼びかければ、戦場へ行っちまうよ。反対する論理が身体《からだ》の中にないんだから。新聞の投書欄を見たって、体験に裏づけられた論理で自衛隊の海外派兵反対を叫んでるのは、五十代から七十代の連中だろ。とにかく、おれが相手にしている十代、二十代は|ばか《ヽヽ》よ。|ばか《ヽヽ》を相手に商売してるんだ。おたくも、猿を相手にしてると思えば、成功するよ。…………
ジョークがほとんど入ってないけれど、CMの間の現場の話って、こんなものですよ。人にもよるけど、神保はオン・エアの時以外、ジョークを口にするようなサーヴィスはしないです。芸人ていうよりもビジネスマンですね。
ここでキューが出て、神保はマイクに向いました。雑談から|締め《ヽヽ》の言葉までが十分間です。神保は神妙に「半年まえには無名だった私が、リスナーの皆さんのおかげで、ここまでやってこられました」と挨拶《あいさつ》したのですが、リスナーは|ばか《ヽヽ》だ、猿だ、と言った直後ですから、怒りの電話が局に殺到しました。同時に、東都放送からも抗議の電話が入って……これはもう、「番組を盛り上げるためのしゃれです」と答えるしかないですね。本当は答えにも何もなっていないのだけど。
いくら仕組んだとはいえ、神保があそこまで極言するとは思ってないから、中央放送側もあわてましたよ。あわてて、真白な顔で、神保とマネージャーを見送りました。中央放送が用意したハイヤーで東都放送に着くまで、二人はなにが起ったか知らなかったのです。
三十分後からスポーツ紙の問い合わせが入り始めました。こちらは録音テープを用意してましたから、こっそり渡しました。≪神保登暴言事件≫の真相はこんなところです。〉
大阪に一泊した私は、翌日の午後、帰宅した。
郵便物をしばった紙紐《かみひも》をほどく力もなく、ソファに横になった。故人は大阪のラジオ局の制作部長で、私にとって数すくない理解者であった。そのうち、いっしょに仕事をしようと言いながら、そのままになった。遺体を見ていないので、喪失感さえも定かではない。夢の中を漂っているようだった。
電話のベルがひときわ大きく鼓膜に響いた。左手で受話器をとり、はい、と重く答えた。
――神保です。
低い、冷静な声だった。
――あ……。
私は起きあがった。
――なにか用かい。
――やりましたね。
神保は抑制した声でつづける。
――なにを?
――とぼけないでください。ゆうべのことですよ。
はっと気づいた。……そうだ。平川がやるといっていたのは、ゆうべだった。
――ゆうべ、どうした?
私は言ってやった。頭の中には死者のことしかない。
――おや、本当に知らないんですか?
からかうように相手は言う。
――ゆうべは大阪にいた。さっき、帰ってきたんだ。
――新幹線ですか?
相手はしつこい。
――そうだ。
――じゃ、東京駅のホームや出口のキヨスクにスポーツ紙がならんでいたはずです。夕刊紙ももう出てますよ。
――それがどうした?
――見出しが全部、私です。ひどいことをしますね。
成功したのか、と私は思った。だから、どうしたというのか。
――きみに言っても仕方がないが、ゆうべはお通夜があった。
――へえ、そうですか。
神保の嗤《わら》いが見えた。
――あなたはいなかったかも知れない。たぶん、本当でしょう。でも、あのアイデアはあなたのものです。邪悪さの質でわかります。あなたが考えて、他人にやらせた。そういう人です、あなたは。
電話が切れた。
心臓の鼓動が大きくなり、胸を突き破るのではないかとおもわれる。……人もあろうに、〈邪悪さの質〉などと、神保にいわれる筋合いはない。
何があったのか、由佳にたずねてみようと思った。勤務先の電話番号を探すうちに、ドア・チャイムが鳴った。速達で小さな包みがきた。
差出人は平川だった。封を切ると、カセット・テープが出てきた。私は棚《たな》のラジカセにテープを入れ、再生ボタンを押した。
いきなり、パーソナリティの太い声が響いた。二十四時間しゃべり通しても、声が掠《かす》れないタフな男だ。負けじと神保がしゃべり始める。「……奴らを人間と思うからいけないんだよ」。私は呆然《ぼうぜん》と聴いていた。
これだけでは、何が起ったのかわからない。わかっているのは、神保のタレント生命がほぼ終りかけたことだけだ。
近くのコンヴィニエンス・ストアへ行ってみた。冷房がきいた店内のスポーツ紙群はすでに片づけられ、夕刊紙が残っている。私は二紙を求めた。どちらも一面に神保の名があり、〈リスナーを猿呼ばわりする神保登《さるまわし》〉と〈暴言タレントに大衆の怒りの声〉が見出しだった。東が属する一紙の記事は特にすさまじく、〈これといった芸のない芸なし猿を処分できぬようではラジオ局もなめられたものだ〉と結んでいた。
夜になって、平川から電話が入った。
――こう、うまくいくとは思いませんでしたよ。
――神保から電話がきた。
憂鬱《ゆううつ》そうに私が言う。
――あいつはぼくが仕掛けたと思い込んでいる。
――今夜、奴は深夜放送を休みます。病気という名目で代打が出ますが、東都放送は神保をおろすのを検討中ですよ。内部の批判派が攻勢に出たのです。
――けっこうな話だけど、あいつはぼくを恨んでいる。厄介《やつかい》なことになりそうだ。
――大丈夫ですよ。いまの雰囲気《ふんいき》では、あいつも迂闊《うかつ》には動けないでしょう。
私は平川ほど楽観的にはなれなかった。
――そうだといいけれど。
と呟《つぶや》いて、受話器を置いた。
私の悪い予感は当る率が高い。
翌日の午後、冷やしたアール・グレイを飲みながら、テレビのチャンネルをリモコンで変えていた。左手をとめたのは、〈神保〉という名がきこえたからだ。
コラムニストと称する五十代の温顔の男が書架の前で低く語っていた。
――リスナーを猿呼ばわりするのはいけないことでしょう。反省が必要です。しかし、ときどき神保の放送をききますが、彼はリスナーのことをあまり考えてはいませんよ。自分の意見を述べるためにラジオを利用しているだけだと思います。だいたい、彼がしゃべったことは大衆社会批判でしょう? 荒っぽい言い方だけど、かなり当っているんじゃありませんか? リスナーは神様です、といえばマスコミ受けは良いかも知れませんが、ぼくは本音を口にする人の方が好きです。彼がなぜここまで叩《たた》かれるのか理解できませんね。
次に、白髪《しらが》の多い、Tシャツ姿の男が現れた。テレビでよくコメントをする〈作家〉だが、どういう作品を書いているのかは定かではない。
――夜中に、仕事に疲れると、ふっと彼の声をききたくなるんです。なんか、麻薬みたいな魅力がありますね。……べつに、熱心なファンではありません。でも、今度の発言は、いわば、楽屋でのインサイド・トークを電波に乗せてしまったのでしょう? そうだとすれば、乗せた方が卑劣ですよね。なんというか、局のモラルの問題みたいな気がします。
私はチャンネルを変えた。そこでは、生放送で神保が論じられていた。
――偽善が嫌《きら》いなんですよ、彼は。
よくテレビに出ている、職業不明の若い〈文化人〉が言った。
――ぼくも同世代だから、よくわかります。彼の発言の内容は、心ある人だったら、ひそかに同感できるはずです。神保登は芸人の仮面をかぶった予言者であり、思想家なのです。
不遇時代の神保だったら、〈似非《えせ》インテリ〉の一語で笑い飛ばした連中であった。そういった手合いが神保を擁護する側にまわったのは皮肉である。私はテレビのスイッチを切った。
神保をめぐる論議はテレビとスポーツ紙で数日つづいた。
風向きをみて、東都放送は、神保の放言を〈社会|諷刺《ふうし》〉と思わせる方向に持っていこうとした。テレビと新聞を系列に持っている東都放送は、〈諷刺漫画家〉や〈辛口コラムニスト〉を活用して、神保が復活できる方向へと世論操作をおこなった。放送局のどの部分が神保を復活させたがっているのか、私にはまったくわからなかったが。
平川が教えてくれた〈復活の日〉は、意外に早かった。神保が〈謹慎〉したのはわずか十日間だ、と平川は嘆いた。
第一回の放送を私は緊張して待った。また、電話やファクシミリによる攻撃が始まるのだろうか。
放送は交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」で始まった。
――おれを抹殺《まつさつ》しようとした陰謀は失敗に終った。
神保の第一声に、スタジオ内につめている男たちがどっと笑った。
――ごたごた説明する前に、この道化芝居の台本《ほん》を書いた放送作家の声をみんなに聞かせよう。名前は伏せるけどな。おれが問いつめると、しどろもどろになった。ま、聞いてくれ。
すぐに、録音テープになった。なにか用かい、と|私の声がした《ヽヽヽヽヽヽ》。
強い衝撃を受け、顔の血が退《ひ》くのを覚えた。奴は電話の会話をテープにとっていたのだ。
なにか用かい。
やりましたね。
なにを?
とぼけないでください。ゆうべのことですよ。
ゆうべ、どうした?
おや、本当に知らないんですか?
繰り返しに近くなるので、その後に起ったことは手短かに述べる。
夜明け近くに電報が一束《ひとたば》きた。電文の内容はいうまでもないだろう。
ファクシミリを止め、電話のプラグを抜いておいたから、この方面の攻撃はなかった。このまま終るはずはない、と私は気を弛《ゆる》めない。
攻撃は翌日の昼に始まった。鮨《すし》と鰻重《うなじゆう》が二十人前ずつ、ざるそばが五十人前、配達された。特大サイズのピザはあちこちの店からきた。私は注文した覚えがないと言い、口論の末、持ち帰らせた。そば屋は取り付けの店だけに、気の毒な気がした。
ケータリングを売り物にするフランス料理屋からは管理人経由で問い合わせがきた。百人前のディナーの注文を受けたが、再確認したいというのだ。私は電話で注文した覚えはないと答えた。
神保の指令は微妙に変化している。これで終るのだろうかと私は息苦しくなった。
平川の計画に私がただちに賛成しなかったのは、神保の幼児性と同じ次元におりるのを好まなかったからである。人は憎む相手に似てしまう、という名言があるが、案の定、〈計画〉の幼児性に応じて、相手は――勘違いしたとはいえ――少年の悪戯《いたずら》のような挙に出た。困ったことに、これは、抗議しようのない出来事である。
ピザ事件の翌日は晴れて、暑かった。私は西新宿の局に出かけて、生放送に立ち会い、途中で外に出た。とりあえず、冷たい物が飲みたかった。
駐車場の車の蔭《かげ》から、ふちなし眼鏡をかけた、やせた若い男が出てきた。
「矢部さんですか」
黒の革バッグをさげた中背の学生らしい男は弱々しい声で訊いた。私はうなずく。
「サインをして頂きたいのですが……」
男は放送台本を突き出した。数週間前に放送された私のラジオドラマの台本だ。
「どこで手に入れたのですか?」
怪訝《けげん》に思った。外部の人間が入手できるたぐいのものではない。
「この局に知人がいるもので……」
「そうですか」
納得できなかったが、早くサインをすませてしまおうと思った。火傷《やけど》しそうに熱いボンネットに台本を置き、サインペンを出す。強い反射光に目を細めながら。
お名前は、と言いながら、私は男を見た。男はバッグからナイフのようなものを出しかけていた。柄《え》が茶色のサヴァイヴァル・ナイフだ。
私は凍りついた。刃だけで十センチを越えるナイフがバッグから出てくるのを見るのは初めてである。
目を細めた男はなにか呟いていた。そして、いきなり突いてきた。台本を男の顔に投げつけ、逃げようとしたが、靴《くつ》が滑った。砂利の上に倒れながら、なにか叫び、急いで起き上った。
慣れぬ様子でナイフを構えた男は、依然としてなにか呟いている。助けてくれ、と私は祈る。誰でもいいから発見してくれ。が、男は私が予想したよりも深く踏み込んできた。サマー・ジャケットが斬《き》り裂かれ、右胸に刃先が当った。かなりのショックで私の身体は後退する。
私はまだ生きていた。その理由もわかった。しかし、もう一度突かれたら、おしまいだ。
男はナイフをふりかざした。光る刃をよけるために、ジャケットを脱いで左腕に巻こうとしたが、そんな時間はなかった。本能的に上げた左腕がナイフを止めた。やられた、と思った。生暖かいものが噴き出し始める。
わあっ、と男は叫んだ。血塗《ちまみ》れのナイフを片手に後退《あとずさ》りして、バッグをひろい、台本をひろった。それから、逃げ出した。
「動かないで!」
警備員の声がした。
初老の警備員は私の顔を見て、ジャケットを脱がせ、左腕を押えた。
「血の出てるここを押えて」
彼は制服の上着を脱ぎ、アンダーシャツを裂いた。そして、左前腕の傷口を布片《ぬのきれ》で縛った。
「いま、救急車を呼ぶ。下を見ない方がいい」
そう言われて下を見ない人間がいるだろうか。砂利に黒っぽい血溜《ちだま》りができ、白ズボンとコンビネーションの靴に夥《おびただ》しい鮮血が飛び散っていた。
「あいつを捕まえないと……」
「そんなことは後回しだ」
彼は携帯電話を出して救急車を呼んだ。
数歩下がって、私は尻餅《しりもち》をついた。血がとまらぬせいか、頭がふらふらした。
「車はすぐにくる。病院までは五、六分だ。警察には私から連絡しておく」
私は名前を口にした。わかってる、と警備員は言った。怪我《けが》ですむといいのだがな。
私はうしろに倒れた。そして、目をつむった。
11 恐怖の核心
結果から話してしまえば、私の命を救ったのは、ジャケットの右内ポケットにあった厚い革のカード入れと、重なり合った数枚のカードだった。左右に深い内ポケットのあるジャケットを着て出たのが幸いした。
ナイフを握るのに慣れていない男(と私は見る――)が、おそるおそる刃先を突き出したのも私を助けた。出血に大きなショックを受けたのをみても、犯人はプロではあるまい、と病院にきた刑事は言った。
左腕の切断された筋肉がつながるまで、私は一週間ほど入院した。〈筋肉切断をともなった左前腕部|切創《せつそう》〉で、十センチほどの傷跡が残るだろうといわれた。点滴を受けている私は、刑事以外では由佳にしか会わなかった。本能的にしろ、右腕を守ろうとしたのはさすがだ、と由佳は笑った。
犯人の心当りはないか、と若い刑事は私に訊《き》いた。
仕事がら、未知のリスナーの恨みを買うことがある、と私は答えた。由佳から|こと《ヽヽ》のあらましをきいたらしい刑事はうなずいた。
――神保登が特定の人間をけしかけることはあり得ますか?
わからない、と私は答えた。例のネットワークのほかに、ファンクラブがパンフレットを出しており、各地にファンの会があるのを平川から聞いている。神保は積極的にそうした会に顔を出しているらしい。だからといって、犯人がそれらの一人と推定するのはむずかしい。
刑事には言わなかったが、加害者はむしろ孤独で〈純粋な〉リスナーで、|神保のためにできること《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》はないかと思いつめたのではないだろうか。十八、九から二十二、三歳で、神保の放送を神の声のように聴いている男。
――サヴァイヴァル・ナイフというのは確かですか。
まず、間違いない。かつてドラマの取材でナイフの種類を調べたことがある。
右手でナイフの絵を描いてみせると、
――そうだな。
と刑事は言った。
――ふつう、ジャック・ナイフを使いますね。バッグからサヴァイヴァル・ナイフを出せば、いやでも人目につきますから。それも、放送局の入口近くでしょう。異常だし、珍しいですよ。
たしかに異常だった。ラジオドラマの台本を入手し――この経路も謎《なぞ》だが――、ナイフを入手しようとする。そのさいでも、東急ハンズあたりで律義《りちぎ》に物色しそうな気がした。
広い東京の空の下で、ふちなし眼鏡、やせて中背、黒の革バッグ、サヴァイヴァル・ナイフを手がかりに、加害者を探すのは不可能に近い気がした。それに、彼は東京の外からきたのかも知れない。
私は肉体的苦痛に弱いが、日が経《た》てば忘れることができる。手術後の数日が過ぎ、痛みが軽くなると、精神的苦痛――恐怖が大きくなった。個室のドアがあいて、大きなナイフをふりかざした男が近づいてくる幻影にしばしば悩まされた。
退院した私が由佳にたのんだのは、マンションのドアに閂錠《かんぬきじよう》をとり付けることだった。少くとも一週間は外出できない。私はキッチンにあった庖丁《ほうちよう》をデスクの引き出しに隠し、侵入者に備えた。恐怖は進行し、自己増殖していた。心がしずまらぬどころか、いつも息苦しく、夜は眠れない。
見舞いにきたいという平川を、私は遠まわしに拒んだ。
――病院に二度行ったのですが……。
彼は口ごもる。
――……とにかく、責任があります。どう考えても、|もと《ヽヽ》はぼくですから。
――仕方がない、相手が相手だから。
私はそう言った。
――新聞に出なかったのは土田さんの努力です。局の敷地内で起ったので……。
――東さんからも、そう聞いた。新聞記事になったらたまらなかった。いやがらせが、もっとひどくなる。
――東都放送の上の方は事件を知っています。神保の放送はずいぶんおとなしくなってます。電話での会話を流したのが社内で問題になってますし。
私は電話を切った。平川とは話したくない気分だった。
由佳のアロパノールを一包飲み、タオルに包まれた庖丁を確認した。ジャック・ナイフを買うべきかも知れない。
ドアの鍵《かぎ》を確かめた私はソファに横になった。信用できるのは由佳だけだが、校了日で遅くなると言っていた。
私は私の恐怖を分析し始めた。
――神保登は怖いだろうか?
イエスであり、ノーであった。
数ヵ月前、私は彼の才能が怖かった。しかし、いまはちがう。
神保という〈人間〉は怖くなっているが、〈危険な男〉と判明したいまでは、それなりの対策の立てようがある。ひどく怖い、というほどではない。
私が恐れるのは、遍在する〈神保の分身〉たちである。彼らはおそらくは平凡な日常生活を送る学生、サラリーマン、OLであろう。タクシー・ドライヴァー、若い主婦までも含めるべきかも知れない。彼らは、|ある瞬間だけ《ヽヽヽヽヽヽ》、神保その人になったと思い込む。そして、神保の敵と思われる私をこの世から抹殺《まつさつ》したいと真剣に念じる。ナイフを握る機会は無数に存在する……。
八月の終りごろ、私の恐怖心がやや薄らいだのを見透かしたかのように、神保のCDシングル「ダーク・ムーン」が発売された。
ききたくなくても、リクエストのある限り、歌は館内放送《モニター》で流され、私の耳に入ってくる。
暗い、面白くもない歌であるが、最初の一週間で十万枚売れたと伝えられた。自分の番組で前宣伝したとしても、良い数字だった。
ほかに強い曲がないからだろう、と土田は苦い顔をした。御詠歌《ごえいか》みたいじゃないか。
だが、「ダーク・ムーン」は全部で七十万枚の大ヒットとなった。アルバム製作が発表された。
この世に正義はないのか、と土田はぼやいた。現実的な土田がそう言うと、実感があった。「ダーク・ムーン」がなぜ売れたかは誰にもわからなかった。
歌のヒットによって神保の神話はほぼ完成した。大衆が神保について語るとき、すべては彼の〈神話〉から出発し、逆算される。これからあとの彼のドラマは『神保登伝説』に記されている通りといってよい。
その後一度だけ、彼を見かけた。十二月に仕事で名古屋へ行ったとき、局の人が神保のライヴのチケットを見せて、ごいっしょします、と言ったのだ。私を育ての親と誤解してのことだった。
拒むわけにいかなかった。夕食を共にする都合もあるので、前半だけを観《み》ることにした。幸い、席は二階である。
ずいぶん大きなホールだった。テレビに出ない神保が地方でのライヴ活動に力を入れているとはきいていたが、こんなホールとは思わなかった。「ダーク・ムーン」の調べとともに幕があがると、サングラスと派手なネクタイが妙に目立つ、グレイのスーツの神保が立っていた。
素直に楽しむのを阻《はば》むものが私のなかにあったとしても、その夜のステージは成功とはいえなかった。
観客がもっとも喜んだのは、テレビに出る文化人たちの真似《まね》、ニュース・キャスターたちの真似である。たぶん、ラジオではやらないからだろう。札幌で初めて彼を観た時の|ねた《ヽヽ》であった。――が、それはかつてのような〈微妙さ〉を欠き、誇張の仕方が通俗的だった。人気が全国区になるとは、こうしたものなのだろう。
スタンダップ・コメディアンについての〈武器を持たない闘牛士〉という比喩《ひゆ》が心によみがえった。彼はいまや、危険な武器を手にした闘牛士だった。
サングラスを外し、歌になるところで、私たちは席を立った。彼は私の夢見た芸人にはならなかった。勝手な夢想に耽《ふけ》った私が悪いのだろう。
短い旅から戻ると、ニュースが待っていた。平川が純文学雑誌の新人賞を得たのである。時間をやりくりしながら小説に固執していたのを知っている私は、彼に祝電を打った。
掲載誌の発売は一月初めのはずだが、年末は進行が早いらしく、雑誌の見本が東から送られてきた。クリスマス・ソングが街に流れるころである。
この種の雑誌を手にするのは、十数年ぶりであろうか。平川の小説は百三十枚ほどの長さで、題は「アーバン・ライフ」だった。
夜中にオーディオのスイッチを切り、ソファに横になって読み始めた。途中で、頭の下のクッションを一つ増やした。
『アーバン・ライフ』は決して読みにくい小説ではない。むしろ、漢字があまりにもすくないので不安になるほどである。私が戸惑ったのは、舞台が日本なのか、アメリカのどこかの都市なのか、ということだった。語り手である〈ぼく〉はテレビ局に勤めているらしいが、そのテレビ局は東京にあるのか西海岸のどこかにあるのか判然としない。すべてに霧がかかったようであり、飲み物や食べ物はカタカナのものばかりだ。
やがて、Kという女性が登場するに及んで、私は平川がこのような方法をえらびとった理由がわかった。Kは私がよく知っている女性に瓜《うり》二つであり、〈ぼく〉とKの関係は平川とその女性の関係|そのもの《ヽヽヽヽ》であった。私にはいやというほどわかるのだが、これは私小説である。しかし、私小説と見られるのを恐れた平川は、小説全体に〈アメリカ風味〉の衣を着せたのである。そうすれば、由佳にも私にも迷惑がかからないだろうと計算したにちがいない。(名前はないが、私らしい男もちらと登場する。)
私の感想は複雑であった。由佳の知らない部分が描かれているのは、奇妙にきこえるかも知れないが、|興味深く《ヽヽヽヽ》、また|辛くもあった《ヽヽヽヽヽヽ》。Kは〈ひどく傷つけられた〉女性として登場するが――その理由は小説には書かれていないけれども――、傷つけたのは明らかに私である。平川は意図しなかったことだが、小説は過去の私のみにくさや滑稽《こつけい》さ、エゴイズムを炙《あぶ》り出した。
目を通しておいた方が良いだろう、と東が言った意味もわかった。起り得るトラブルを恐れたのだ。
私は雑誌をデスクの最下段の引き出しにしまった。
由佳と私はまだ完全な共同生活に入ってはいない。本格的に暮すには、部屋がもう二つ必要だった。そうした広いマンションを探そうと言いながら、私たちはどちらも忙し過ぎた。夜明け近くの帰宅の多い由佳とゆっくり話し合えるのは、週刊誌編集部の休日だけだった。正月が過ぎたら、が今の合言葉だが、実際は春になるのではないかと思われる。
年を越せば、小説が彼女の目に触れるのは明らかだった。胸が内側から圧迫されるのを感じた私は、彼女にどう話したらよいか迷った。
だから、珍しく早目に帰った彼女が、「平川の小説、読んだわ」と言ったときは、正直なところ、ほっとした。
「編集部には早くくるの」
「どうだった?」
私が訊くと、
「読んだのじゃない、あなたも?」
彼女の勘は鋭かった。私はうなずいた。
「東さんが送ってくれた。心配になったのだろう」
「彼が心配することかしら」
彼女はキッチンへ行き、バドワイザーとグラスを持ってきた。
いつもだったら、腹を冷やすぞ、と注意するところだが、私は黙っていた。
「失礼な話よ」
彼女は唇《くちびる》をゆがめた。
「自分がいかに誠実で、傷つき易《やす》いかを証明するために、ひとをずたずたに傷つけているんだもの。純文学だかなんだか知らないけど、書いていいことと悪いことがあるはずでしょ」
子供をおろしにゆく場面だろう。私が衝撃を受けたのもそこだった。
「文学のことはわからないが」と私は言う。「私小説ってあんなものなのか」
「アナクロよ。そのくせ、初めのほうに、〈フィッシャーマンズ・ワーフ〉なんて言葉が出てきてさ。場所の名前かと思うと、店の名前だったりして、主人公はやたらにこれを飲むし」
彼女はバドワイザーを一息で飲んだ。
「会話にも、ヴィム・ヴェンダースとか小津とか出てきて、時代遅れと思われたくない焦《あせ》りの情けなさに笑ったわ」
私は答えない。怒りをすべて吐き出さない限り、彼女はおさまらないだろう。
「だいたい、フィクションが書けない人なのよ。フィクションを〈通俗的な作り話〉と信じているんだから」
「ラジオドラマでは、けっこう、作り話を書いてるけどね」
「妥協してるつもりなの。真実を、効果的に読者に伝えるために、フィクションという形をとるってことが平川にはわからない……」
「しかし、あの小説だって作り話さ。自分に都合の良いように作ってるのだろう? ぼくはそう思っている」
「うん」
「その話はやめよう。年末の買い物の予定をたてないか」
彼女は私の耳たぶにキスした。
「二度と顔を見たくないわ、あいつ」
雑誌が発売されるころ、由佳は韓国へ行った。映画事情の取材で、帰りに台湾にまわる予定だった。
中央放送の内部では雑誌がまわし読みされていたが、私は素知らぬ顔をしていた。
噂《うわさ》好きで知られるADの子が私に近づいてきた時、小説の話かな、と思った。第三者の卒直な感想をきいてみたい気もしないではない。
「神保登の深夜放送、お聴きになってますか?」と彼女は言った。
「いや……」
素っ気なく応じた。
「じゃ、ゆうべのも?」
「ずっと、聴いてない」
「今夜、お聴きになったほうがいいんじゃないかな」
思わせぶりな言葉だった。
「どうして?」
「ゆうべ、予告したのですよ。ある放送作家について爆弾発言をしてやるって」
耳のうしろあたりの皮膚が緊張した。奴《やつ》はまた、動き出したらしい。
「へえ……」
無関心を装った私は彼女に訊いた。
「きみは毎晩聴いているのか」
「ええ」
小声で答えた。
「ここだけの話ですけど」
「参考のために訊くけど、そんなに面白いのかい?」
「……面白いですよ」
秘密を打ち明けるように言った。
「どういうところが?」
「ライヴ感覚っていうのかな。毎日毎日、ノボルの息づかいを耳にして、ともに時代を生きているって感じがたまらないです。……それに、ノボルの深夜放送を聴いてないと、友達とお酒飲んだりしたとき、話が通じなくなります。大声では言えないんですけど」
「かまやしない」
私は言った。
「どこの深夜放送を聴こうと、自由さ」
ノボルという呼び方からして、神保が彼女たちの中に浸透しつつあるのは確かだった。恐怖がゆっくりと私を締めつけ、息苦しくさせる。
「彼のライヴへも行くのかい」
「一度行きましたけど、乗れませんでした。闇《やみ》の中で聴くから、いいんです」
「なるほど」
「麻薬みたいなもので、とまらなくなります。|はまる《ヽヽヽ》って感じです。番組の終りあたりになると、疲れるのか、投げやりな感じで、いかにも〈お仕事〉風になるんです。前半のマニアックなお喋《しやべ》りと〈投げやり〉の落差がまたいいって、みんな、言ってます」
怯《おび》えることはないと言いきかせているにもかかわらず、十二時を過ぎると、動悸《どうき》が激しくなった。首筋から背中にかけてはコルセットをはめられたようだ。寝室に大きなラジカセを持ち込み、テープをセットした。由佳の不在がありがたかった。
放送の内容しだいでは、私は問題を公《おおやけ》の場に持ち出すつもりだった。東都放送と交渉することもできるし、新聞や週刊誌で抗議するのも可能だろう。いままで我慢してきたのは、〈たかが毒舌を売り物にした芸人を相手におとなげない〉とわらわれるのを恐れたためである。いや、それだけではない。私が真面目《まじめ》に抗議すればするほど、大衆が面白がるのが目に見えていたからだ。退屈しきっている日本の大衆にとっては、旅客機の墜落も、タンカーの大事故による海洋汚染も、遠い国での戦争も、すべて、エンタテインメント、暇つぶしであり、〈天才〉パーソナリティの悪口に抗議する〈しゃれのわからない〉放送作家も、ささやかなエンタテインメントの一つになり得る。
やがて、一時の時報が鳴り、私は録音ボタンを押した。神保の声が高く響き、新しいテーマ曲「ダーク・ムーン」が流れる。
――ゆうべ予告した通り、放送作家大批判の始まりだ。
私は身体《からだ》をかたくする。
――前にも言ったけどさ、作家にもいろいろある。放送作家も、いろいろあるわけだな。テレビドラマの大家になると、大物の役者をがっちり押えてて、若手に「たまには、うちの台所で飯を食え」なんて言うわけだ。「顔の出し方が足りないぞ、おまえ」とくる。おれは言われた役者からきいたのだから間違いない。だけど、今夜はそういう人の話じゃない。おれも世渡りを考えてるから、大家の悪口は言わない。将来、使っていただくかも知れないからな。……これでも、けっこう気をつかってるのよ。だから、弱い者の悪口しか言わない。強きを助け、弱きを挫《くじ》く――これが家訓、わが家の|長い家風《ヽヽヽヽ》。わかるか、|ながいかふう《ヽヽヽヽヽヽ》ってしゃれが。いちいち、注釈をつけるのは疲れるな。え、なんのことか分らないって? ま、いいや、放送作家先生の話だ。この先生は他局の仕事が多いんだけど、この局にもきている。廊下をうろうろしてるよ。気をもたしても|なん《ヽヽ》だから、名前を言っちまおう。平川純先生だ。名前が純だからってわけでもないだろうが、今度、先生は純文学をお書きになった。ここだけの話だけど、おれは純文学が嫌《きら》いでね。なにがいけないって、暗い。暗いんだよ、純文学は。中島みゆきより暗い。山崎ハコと良い勝負だな。知らないか、山崎ハコ。そういう時代なんだな。ま、いいや、平川先生は『アーバン・ライフ』って小説で、新人賞をおとりになった。
そっちの話か、と私は息をゆっくり吐き出す。平川の存在が気に障っているのか。
――困るんだよな、こういうの。つい、こないだも、知り合いの放送作家が演劇の方で権威のある賞をとってさ。それで、演劇一筋になるかと思うと、食えないからラジオの仕事をしてるんだ。どう対応したらいいか困るぜ、おれなんか。打ち合わせのとき、思わず、敬語になってさ。「お願いできるでしょうか」なんて、声がふるえてる。われながら情けないよ、もう。こっちの注文があっても、のどの辺りで消えちまうんだ。純文学ときたら、もっと困る。かりに平川先生に台本をお願いするとしたら、どうしたらいい? 土下座しろってのか?
どこまでしつこいのか、と思った。いつかの赤羽の件を根に持っているにしろ、ふつうの神経ではない。
――純文学ってのは嫌いだけど、読んでみた。なにしろ、一面識ある先生が書いたものだから。『アーバン・ライフ』、正座して読んだね。で、まあ、おれなりの意見を述べると、こういう小説に賞を出した奴らの顔が見たいと思った。どう考えたって、アップダイクとかカーバー――〈カーバー〉ったって〈莫迦《ばか》〉のひっくりかえしじゃないぜ――そこらの小説を連想させる題名じゃない? 無学な芸人だって、そのくらいは考える。ところが、読んでみたら、日本の、古い古いタイプの私小説さ。男と女がくっついたり離れたりして、人間の業《ごう》でしたってやつ。おれの嫌いな〈暗い小説〉。……それだっていいんだ、おれが嫌いなだけなんだから。ただ、それだったら、もっと、|らしい《ヽヽヽ》題をつけろと言いたいね。暗そうな、日本的なやつをさ。「アーバン・ライフ」はないでしょうが。刺身にピーナッツ・バターをつけて食ったような味だった。誤解しないでくれよ。おれが批判してるのは、小説の内容じゃないんだ。古めかしい話に、パルメザン・チーズをふりかけて、オーヴンで焼いて、新しげに見せるのがインチキだと言ってるんだ。
彼の批評は私の感想とほぼ同じだった。やはり、〈ミスターJ〉は私のいびつな分身であり、私の中のある部分が生み落とした怪物だった。そして、神保が〈暗い小説〉や〈暗い映画〉に生理的な嫌悪《けんお》を示すのは、彼自身が芯《しん》から暗いせいだとも思った。
――おれは日本の文化に絶望してるから、たいがいのことじゃ驚かない。日々これ絶望だもの。しかし、文学なんてのは、もう少し|まし《ヽヽ》だろうという幻想があるじゃない? え、ないって。こりゃまた失礼いたしました。……おれは、幻想があった。|おじさん《ヽヽヽヽ》だもの。で、久しぶりに純文学雑誌、それも『アーバン・ライフ』読んでさ。まだ、この程度かと思ったら、どっと疲れが出た。おれとしては、こういう小説も、小説を書く男も、抹殺《まつさつ》したいと思うね。これじゃ、駄目《だめ》だもの。ちょっと本音を出しすぎたかな。じゃ、CM……。
自宅で仕事をしていると、電話が鳴った。息せききった東の声が受話器の奥から響く。
――平川君のこと、きいたか?
いえ、と私は答える。
――一時間ほど前、銃で狙撃《そげき》された。すぐに病院に運ばれたが、状態は不明だ。
――狙撃、ですか。
混乱した私は意味のない言葉をくりかえした。
――誰が撃ったのです?
――平川君は放送作家の会で講演していた。場所は南青山の……。
――知ってます、そこは。
――犯人は客席のいちばん後ろで発砲した。その場で取り押えられたが、十七、八の無職の青年ということしかわからない。
――でも、どうして?
――そこが謎《なぞ》だ。手元にきている情報では、〈ミスターJ〉の熱狂的なファンというか、信者らしい。くわしいことはまだわからない。
東の声は掠《かす》れている。
――病院はどこですか?
――大京町だ。**外科病院を知っているかい?
――わかります。
――|うち《ヽヽ》から記者が一人行っているが、手術が始まったはずだ。今の予定では、夕方に医師の会見があるそうだから、その時刻に落ち合わないか。
――はい。
――病院の前に喫茶店がある。一軒しかないから、すぐにわかる。
私が店に入っていった時、東はコーヒーを飲んでいた。
記者会見は少し前に終ったと言い、メモを開いた。〈左胸貫通〉。弾丸は肋骨《ろつこつ》にあたり、逸《そ》れて、外に出ていた。医師の話では、弾丸の入った口はすぐにくっつき、後ろの穴は火傷《やけど》のような跡が残るだろうとのことだった。
「不幸中の幸いだ」
東はコーヒーをお代りして、
「犯人は通信販売で買った銃を改造したらしい。神がかっていて、警察も困っている。〈お告げ〉をきいて、平川君をこの世から〈抹殺〉しようと決意したというのだ。わかるか、きみ」
そうか、と私は気づいた。そして、一昨日《おととい》の――げんみつにいえば昨日の早朝の――神保の言葉を話した。
「それだ。ようやく、意味がわかった」
「テープにとってありますから」
と私は念を押した。
「貸してくれないか」
「どうぞ。よければ、帰りにお渡ししますよ」
「そうしよう。これで神保のタレント生命は終るな」
世の大人たちにとって、深夜放送の世界は窺《うかが》い知れぬアンダーグラウンドであるから、テープから起こされた神保の言葉は、大きな反響を呼んだ。
〈こういう小説を書く男を抹殺したい!〉
屈折し、あちこちに逃げ口をもうけた喋りも、いったん活字になると、はるかにどぎついものになる。この活字に、サングラスをかけた神保の写真(もっとも犯罪者風のをえらんだのだろう)がならんでいれば、イメージとしては最悪である。
はじめ、神保は〈ノー・コメント〉だったが、犯人は「すべて、〈ミスターJ〉のお告げに従っただけで、平川さんに対する憎しみからではない」と強調していた。法的に殺人|教唆《きようさ》にあたる喋りではないが、若者に影響力をもつ者として不穏当な発言という点で、マスコミや識者たちの論調は一致した。神保を擁護する声はさすがに見られなかった。
東都放送は〈自粛〉の姿勢を見せた。事件の深夜には自局のアナウンサーを起用し、世論の様子をうかがった。やがて、神保は「私のファンが人に危害を加えたのは残念ですし、言葉の行き過ぎに反省しております」というコメントを発表した。
別な問題も発生した。犯人の使用した銃は|無改造でも《ヽヽヽヽヽ》実弾が発射できると、あるテレビ番組が告発したのだ。グアム島での実弾を使用した実験の映像がしばしば流された。モデル銃の業者組合は真っ向から反対し、映像は虚偽だと主張した。そのたびに、病院に運び込まれる平川の姿と、サングラスにマスクをした神保の顔が〈引用〉され、禍禍《まがまが》しい印象を強めた。
神保は姿を消した。どこへ行ったのかが、スポーツ紙とテレビのワイド・ショウの話題になった。
一週間後、私は病室の平川を見舞った。個室はちょっとしたホテルなみで、電話、浴室、手洗いがあり、窓からの眺めも良い。
「天罰だと思ってます」
ベッドの上の平川は先まわりして言った。
「あんな方面から弾《たま》が飛んでくるとは思わなかったけど」
「あと二週間で退院できると、看護婦さんが言ってた」
小説には触れぬように、私はありきたりの言葉を口にした。
「よかったよ。奇蹟《きせき》的に助かって」
「矢部さんに言われると、ほっとします。怒っていると思ってましたから」
私は答えなかった。それは別なことだ。
「一瞬、なにもわからなくなって、病院に担《かつ》ぎ込まれたときは、もう駄目だと思いました。手術の時間も長かったし……」
平川はしゃべりつづける。
12 夢のつづき
神保の消息は杳《よう》として知れなかった。国外逃避説も盛んだった。取材拒否や傲岸《ごうがん》さでマスコミと対峙《たいじ》していた|つけ《ヽヽ》が一挙にまわってきた観があった。
私の不安はうすれていた。神保の信者たちも息を殺しているようだ。
二月初めの正午近く、私はパジャマのまま、暖房がまだ効いていないリヴィング・ルームに入った。
由佳はスープを飲みながら、テレビの経済ニュースを観《み》ていた。テーブルにはワープロが置かれ、ソファから床まで、新聞、ちらし、数種の女性誌、クックブック、タオルが散らかっている。ひとことでも不満をもちだそうものなら、新しいマンションを探さないのは誰なの、という声がかえってくるに決っている。片づかないのは〈部屋が狭いから〉というのが彼女の論理だ。たとえ、タージ・マハールに住んでも、彼女は狭すぎて片づかないと苦情を言うにちがいない。
「スポーツ紙の見出しをテレビで観たわ」
リモコンで画面を消しながら由佳が言う。
「どのスポーツ紙も同じ。|神保が現れたの《ヽヽヽヽヽヽヽ》」
私は息をのむ。そして、ゆっくりとたずねる。
「どこに?」
「平川の病室よ」
私は衝撃を受ける。こうした不意打ちに慣れることができない。
「今日、退院ときいていたけど」
「退院直前に、すべり込みで見舞って、写真をとらせたのよ。やるじゃない?」
「和解したのか」
「病室に入れたんだもの。大きな花束をもらってたわ」
奥の手を出したな、と私は思う。神保のカムバックの方法があるとすれば、これしかなかった。もしも病人が拒絶すれば成立しない、綱渡りみたいなものだ。おそらく、入念な根まわしがおこなわれたにちがいない。
「二、三紙、読んでみたい。東さんにたのむか」
「電話を入れたわ。まだ、出社してなかったから、メッセージを残しといた」
私は書斎のファクシミリの電源スイッチを見た。いやがらせを受けていらい、寝る前には、必ず切るようにしている。
「スイッチ、入れたのか」
「そう。そろそろ、くるんじゃない」
私は深呼吸をする。
「スープを貰《もら》おうかな」
「もう、ないの。ジュースはどう?」
「ジュースなら自分で作る」
私はキッチンに入り、オレンジを切った。絞り器にのせ、捩《ね》じっていると、ファクシミリの音がきこえた。
オレンジ・ジュースのグラスを片手に書斎に入り、記録紙をひろいあげる。サングラスを外した神保が花束を抱えて平川の脇《わき》に立っている写真は各紙に共通している。
グラスをデスクの脇に置き、記事に目を通した。信じられないことが書いてある。
卓上の電話が鳴った。思った通り、東からだった。
――見たかい?
と彼は言った。
――ざっと読んだところです。
――ひどいものだろ? ぼくは怒りを禁じ得ない。
――そうですか。
――神保の行動は、まあ、わかる。いま、手を打たないと、春の番組編成に間に合わない。だから、非常手段に出た。東都放送の重役が間に立ったらしい。
――でしょうね。
私はオレンジ・ジュースに口をつけた。自尊心の強い平川が神保を許すのは納得がいかない。
――しかし、あとに付いている〈物語〉がひどいだろう。不遇時代の神保をはげまし、育てたのが平川君だったという〈美談〉。恩を仇《あだ》でかえす形になった神保が〈涙を浮べて〉自分の非を詫《わ》びた。平川君も握手をかえしたというのだ。
――こんなものじゃないですか、スポーツ新聞は。
――いや、〈作り〉じゃないらしい。本気かどうかは別として、平川君は手をさしのべたんだ。
――疲れますね。
私はわらった。かつての神保や平川なら、〈偽善〉として排斥した行為ではないか。
――大衆は信じるのでしょうか?
――信じるんじゃないか。
東は言う。
――なにしろ、〈心あたたまる〉記事が好きだからな。
――そういうものですか。
――スポーツ紙には出てないが、まだ、続きがある。文芸担当の記者にきいたのだが、これで『アーバン・ライフ』の単行本の売れゆきは保証された、と平川君は小声で記者に言ったそうだ。中篇二つを加えた作品集が三月に出るらしい。
電話は切れた。
私はダイアルボタンを見つめていた。不意打ちに慣れることができないのだ。
由佳の呼ぶ声でわれにかえる。
平川と口をきくことはもうないだろう。のろのろと立ち上りながら、そう思った。
神保の行為は一石二鳥だった。実に巧妙に平川と私を引き裂いた。私はさらに孤立した。
三月の声をきくと、神保の深夜放送復帰がささやかれた。
私の生活には変化がなかった。新居が見つからないので、由佳は週の半分は自分のマンションに帰っていた。夕食をともにするのは週に一、二回だが、この方が言い争いがすくなくて良いかも知れない、と彼女は言った。緊張感があっていいな、と私が答えると、あなたは皮肉が解《わか》らない、と突っかかってきた。
アメリカの喜劇役者が指摘した通り、男は「アイム・ソリー」のひとことだけで、女性と暮すことができる。私は「ごめん」とだけ言った。その後はたいてい、セックスになる。激しいセックスの翌日、彼女は優しかった。新居の問題はどこかに消えた。
昼間の私は、あいかわらず、土田とつき合っていた。もうすぐ部長になる土田は、人当りが柔かくなっている。停年が近づいたせいだろうか。酒を飲むと、私の目を見据《みす》えて、おれは神保を許してはいない、と言う。きみはどうだ?
土田が許さなくても、神保の復帰は決定した。世論はこの上なく寛容だった。四月の第一夜を前にして、神保は東京ドームでパフォーマンスをおこなうことになった。アルバム発売のPRを兼ねて、歌もうたい、構成者は平川純とポスターにあった。
平川の本はベストセラー・リストに入っていたから、神保登は〈格が上〉ったことになる。実際に平川が構成を担当したかどうかは問題ではない。パフォーマンスの録音の一部が、復帰第一夜に流されるのも、予想されたことであった。
私には関係のない出来事であった。私は以前よりも気むずかしくなり、まちがっても、他人の世話をやくまいと心に決めた。他人どころではない。私自身、放送作家としての停年が迫っている。
それでも、私を愕然《がくぜん》とさせる情報が耳に入ってくる。――神保が十月からテレビに進出する噂《うわさ》がそれだ。娯楽番組であれば、いまの神保をもってしても、成功率はきわめて低い。しかし、神保の狙《ねら》いはさすがだった。日本でもっとも観られている夜のニュース・ショウのキャスターの座である。現在の人気キャスターは過労気味であり、あとをつとめるというのだ。情報をもたらした由佳は、どんなに器用でも無理よ、と笑ったが、私はそうは思わなかった。俗にいう〈ひょっとすると、ひょっとなる〉というやつだ。いまだに神保から抜けきらない素人《しろうと》っぽさが、かえって武器になる怖さがあった。なんといおうと煽動力《せんどうりよく》においては抜群の男が、ニュース・キャスターになる危険性を、本気で考えた人がいるとは思えない。
CMも数社が決定したといわれ、神保は私にとって依然として不気味な存在だった。目に見えない部分が怖かった。
四月につきものの異動は、東の身にも起った。
大阪支局への転勤を東は受け入れた。家族を東京に置いての単身赴任である。
例のオフィスをたたむパーティに私は出席した。東の旧著の山は片づけられ、デスクもなくなっている。テーブル一つと折り畳み椅子が数脚あるだけで、女の子がビールとサンドイッチを準備している。
定刻より早く着いた私は、蝶《ちよう》ネクタイをしめた東にシャンパンを手渡した。かしこまって受けとった東は、なんとか冷やせるだろう、と言った。
「あなたは独立すると思ってました」
と私は言った。
「ぼくだってそうさ」
東は唇《くちびる》の端をかすかにゆがめて、
「もう少し、時間が欲しかった。結局は、あいつにやられた」
「あいつ?」
「きみの|これ《ヽヽ》と同じさ」
私の左腕を指さした。
「ゆうべ、ひとに教えられた。それで、やっと、納得できた」
「神保、ですか」
「執念深い男だ。いまのあいつにとって、ぼくなどゼロに等しい存在なのに」
そうは思わなかった。神保にとって、東と由佳はまだ〈片づいていない〉人間だった。あるいは、私もそうかも知れない。
「うちの編集長とどこかで接触したのだ。その時かどうかはわからないが、きみの部屋から持ち出したファックスの記録紙を見せたらしい。ぼくが〈ミスターJ〉の一人という証拠があったのだ」
「でも、編集長はあなたが噛《か》んでいるのを知っていたのでしょう?」
「うすうすはね。しかし、証拠をつきつけられると、問題は別だ。社の原稿料をぼくが受けとっていない証拠はない。それよりも、このオフィスだ。奴《やつ》はここにきたから、よく知っている。ここが〈ミスターJ〉のオフィスだったと指摘されたら、終りだよ」
私は返事のしようがない。
「放っておけないと編集長は思ったのだ。文句は言えないよ。ルール違反をやったのはぼくだ」
東は拳《こぶし》で軽くテーブルを叩《たた》き、
「気をつけた方がいい。あいつは政界に進出する野望を抱いている。ニュース・キャスターはそのためのステップだ。すでに声をかけた政党もあるらしい。若者の票が集められると見たのだ。要するに、あいつが考えているのは完全な大衆支配だ。ぼくなりに情報を分析すると、そういうことになる……」
そんな奴を世に出したのは誰だ、と私は叫びたくなる。だが、私には叫ぶ権利がない。激しい言葉は、そのまま、私にはねかえってくる。
私は旅に出た。なにもかも厭《いや》になったのだ。情けないことに、こんな形でしか私は現実を拒否することができない。
行き先は志摩半島だった。五月の連休まえなので、新幹線は空《す》いていた。東京を正午に出ても、賢島《かしこじま》に近づくと暗くなりかける。車窓に雨滴が当り、雲の動きが速かった。
名古屋辺りまで、神保が私の動きを意識し、レーダーで探っているのが感じられた。近鉄に乗りかえ、三十分ほど走ったところで、レーダーの感覚がなくなった。自由になれたと思った。
ホテルの部屋は小さな湾に面していた。深夜に風が荒れ狂い、軒下のライトのせいで、叩きつけられる雨が赤く見えた。
夢を見た。私は裁判にかけられている。左手に雑巾《ぞうきん》をつかんでいるのがいけないらしい。私は手をふったが、雑巾が掌《てのひら》から離れない。陪審員全員が有罪を叫んでいる。声はききとれないが私には分った。右手で雑巾をつかみ、左掌《ひだりて》から剥《は》がそうとする。そのとき、正面にいる裁判長――顔をヴェイルでおおっているが誰なのか見当はつく――が有罪《ヽヽ》とはっきり言った。絞首刑《ヽヽヽ》……。
ドア・チャイムの音で目覚めた時、胸まで汗で濡《ぬ》れていた。つづいて、ドアがノックされた。
はい、と私は答えた。
ルーム・サーヴィスです。マネージャーからのフルーツをお届けにまいりました。
こんな時間に、と私は思った。
また、ドアがノックされる。私はベッドを出た。チェーン・ロックを外し、ノブをひねった。
白い布をかけたトレイを持ったボーイが入ってきた。布の上にはマネージャーの名刺が載っている。ウェイターはトレイをテーブルに置き、名刺をつまみ上げて、布をめくった。刃渡り三十センチほどのサヴァイヴァル・ナイフが横たわっていた。
私は後退《あとずさ》りした。手元にある大理石のスタンドを抱え、ウェイターに投げた。
なにをなさるんです、と、ナイフを構えたウェイターは言った。わたしはルーム・サーヴィスです。あなたを苦しみから解放してあげるためにきたのです。
ウェイターはナイフをふりかざした。光る刃をよけるために、クッションを使おうとしたが、そんな時間はなかった。本能的に上げた左腕がナイフを止めた。やられた、と思った。生暖かいものが噴き出し始めた。耳の奥でけたたましくベルが鳴った。
……ベルは鳴りつづけた。私の意識が戻る。
目が覚めた時、首筋から胸まで汗で濡れていた。私は右手でまさぐり、受話器をつかんだ。
――寝てた?
由佳の声だった。
私は夜光時計を見た。二時近かった。
――まあね……。
――テレビを観てたら、臨時ニュースが入ったの。神保が刺されたんですって。
――どこで?
――零時ごろ、赤坂のコンビニの前で。それだけしかわかんない。
――コンビニの前?
神保がコンヴィニエンス・ストアへ行くだろうか。
――すぐ病院に運ばれたけど、重体ですって。……悪いけど、すぐ帰ってきてくれない? 私、気分が悪くて。
――わかった。なるべく早く帰るようにする。
受話器を置いた私は、テレビをつけてみた。ローカルなCMとホテルの内部案内しかやっていない。古いホテルなので、ラジオの受信装置はなかった。
翌朝のテレビはこぞって神保登の死を告げた。下腹部を刺された神保は出血多量のため、一時間後に息をひきとったという。
ふちなし眼鏡をかけた犯人の青年は、去年私を襲った男に似ていたが、テレビの映像では判定できないし、ナイフの種類も違っていた。ただ、熱狂的な神保フリークで、〈神保さんを救おうとして殺した〉という倒錯した言葉から、同一人物であってもおかしくない気がした。神保を独占するためにはどんなことでもするのだ。
名古屋に着いたのは正午過ぎで、キヨスクに一般紙の夕刊はまだないが、東の社の新聞がきていた。一部求め、新幹線の中で読む。私がナイフで追われる夢を見ていた時刻と神保が絶命した時刻はほぼ同じだった。犯人は興奮しながらも、神保を救済できた、と満足しているらしい。
記事は〈ストーカー〉という耳なれぬ言葉を紹介していた。〈ストーカー Stalker〉とは自分が関心を抱く人物に対して、特別な関係であるかのような妄想《もうそう》を抱き、つきまとう者であり、ニューヨーク州ではストーキング禁止法が施行されたという。神保を刺した青年も神保のマンションの周囲をうろうろすることで知られており、コンヴィニエンス・ストアへ行く神保を尾行して、外で待ち伏せしたらしい。
東京駅を出る時、私は自宅に電話を入れた。留守電になっていたので、新聞社にかけると、由佳が出た。ゆうべの心細さを忘れたような落ちついた声で、「まだ本当のような気がしないわ」と言った。
私もそうだった。すべて、夢のつづきのようだ。
部屋に入って間もなく、東都放送の若いディレクターから電話があった。上層部の悪口をたのしげに喋《しやべ》る例の男だ。
――お帰りですか。驚かれたでしょう?
あいかわらず明るかった。
――驚いたよ。
と私は答える。
――まだ信じられない。
――ゆうべ、私、神保さんのマンションにいたんです。
不意に、彼は言う。
――何時ごろ?
――九時ぐらいからです。作曲家と私を呼んでビールを飲んでました。ゆうべの放送は私の担当じゃなかったから、のんびりしたものです。神保さんは十二時に局に入ればよいのですし。
――じゃ、どうして、コンビニへ?
――十一時半ごろかな。突然、近くのコンビニへ行くと言い出しました。付き人が代りに行くというと、おれじゃなきゃ駄目だ、と声を荒げました。変な奴がうろついてるのは知ってましたから、私もとめましたよ。そうしたら、コンビニは口実で、電話をかけにゆくというのです。この連中にきかれたくないから、とも言いました。矢部さんに話さなきゃならないことがある、って……。
私は沈黙したままだった。
――彼は不安だったのです。最近、あまりにも好調すぎましたからね。強気の反面、あんな小心な人はいないです。小心というより恐怖心かな。で、歩いて、コンビニの横の青電話まで行ったのです。――この先は目撃者の談話ですが、電話を人が使っていたのだそうです。仕方なく、コンビニに入って、メモ用紙や筆ペンを買って、ガラス越しに見ると、電話の前に人がいなくなっている。出ようとして、自動ドアにぶつかったんです。焦《あせ》ったのですかね。店内の人は神保さんに気づいてましたから、どっと笑う。ご当人も片手をあげて挨拶《あいさつ》する。そして、外に踏み出して、ぶすり、です。ドアの前に倒れたのを見て、みんな、一瞬、冗談だと思ったそうです。
目に見えるようだった。少くとも、彼の恐怖心だけは信じられた。
――警察にいろいろ調べられましたが、この話はしませんでした。矢部さんにご迷惑がかかるといけませんから。
こうして、神保登は〈神〉になった。
青山斎場でおこなわれた追悼式に参列したファンは五万人を超えた。
各テレビ局は中継車を出し、参列者にコメントを求めた。黒いネクタイをしめた平川は、これで一つの時代が終った、と語った。若者の一人は「神保さんの肉体はあまりにも弱かった。私は彼の精神を継いで、大人の偽善と戦います」と涙にむせんだ。ほとんどが受験生、中高生のようで、泣いていない者はなかった。
午前十一時から始まった献花は六時間後に打ち切られたが、最後の約二千人は献花できなかった。
東都放送が深夜に一週間、追悼番組を流したのも異例だった。
呪縛《じゆばく》から解放された形の私は、しかし、安堵《あんど》とも喪失感ともことなる中途|半端《はんぱ》な気持でいた。神保の死にいくばくかの責任があるような気もしないではない。
神保の追悼式の光景をテレビの映像が何度もくりかえすので、由佳はヒステリックになった。
「どうして、こんなに騒ぐの? 神保なんて、ただの変質者じゃないの!」
「観なきゃいいだろう」
私はリモコンでテレビを消した。
「だって、私がつけると、やってるんだもの」
「視聴率のためだ。わかりきったことを言うな」
「いくらなんでも、平川があんな風になるなんて……」
「彼はあんな風に画面に出てみたかったんだ。趣味の問題だよ」
私はリモコンをソファに投げた。
「別の事件が起るまで、同じ映像をたれ流して、似たようなコメントをならべる。テレビを観なければいいんだ」
「神保が本当に死んだのかどうか、私は疑っているの。遺体を見たわけでもないし」
「奴は死んだんだ」
私は抑えた声で言う。
「まちがいなく死んでいる」
おれに電話しようとして死んだ、とは言えなかった。そんなことを言えば、同性愛と言いかえされる。
「あの男が死ぬなんて信じられない」
彼女は床にうずくまる。
「私にはわかるの。死ぬはずがないわ」
病的な状態だと思った。私は彼女の肩に手をかけた。
「死ぬさ。あいつも、人間だもの」
「どうかしら」
彼女は激しく泣き出した。抑制していた恐怖心が裂けたのだ。
私はソファにもたれて、嗚咽《おえつ》がしずまるのを待った。
「きみがそう思うのこそ、神保の思う壺《つぼ》じゃないか」
彼女は答えない。肩甲骨のあたりが痙攣《けいれん》している。
「聞いてるか」
かすかにうなずく。私はつづけた。
「奴は平川を別人にしてしまった。東さんを左遷《させん》させた。……残っているのは、ぼくたちだけだ。ぼくたちが言い合いをして、決裂したりすれば、奴は喜ぶ。やり残したのは、ぼくたちをばらばらにすることだけだ。ばらばらにして、憎み合わせたかったにちがいない。ぼくには奴の気持が手にとるようにわかる。……しかし、奴は死んでしまった。ぼくたちを引き裂くまえにだ。わかるか?」
彼女はうなずいた。
「奴のことは忘れろ。ぼくはきみの傍《そば》を離れない」
右の腿《もも》にひんやりする感覚があった。毛布がどこかへいってしまったらしい。右手でまさぐるうちに目が覚めた。裸のままだった。
目蓋《まぶた》がまだ重い。眠りが足りない証拠だ。もう少し寝た方がいい、と頭の中でささやく者がいる。わかった。だけど、左腕が痛いよ。私は左腕を彼女の首の下から抜き、眠りに落ちる。
次に目覚めたのは、くすぐったさからだった。目をうすく開ける。カーテンの隙間《すきま》から細い光が入っている。左前腕部の傷跡のあたりを彼女の舌がゆっくり舐《な》めており、私が身動《みじろ》ぐと、舌の動きは胸に移動した。
「起きるのか」
私の声は嗄《しわが》れていた。
「動けないわ」
彼女が答える。
「動いてるじゃないか」
「この程度よ」
胸毛を歯ではさんで引っ張った。
――私たちに必要だったのは、神保の亡霊から彼女を救い出すための秘儀だ。悪魔|祓《ばら》いの儀式といってもよいが、いささか大げさになる。亡霊は彼女の外部にいるのではない。肉体が丈夫なために、そして向うっ気が強いためにそうは見えないのだが、彼女の内部はきわめて脆《もろ》い。亡霊にとって棲《す》みつき易《やす》い場所だ。
肉体の丈夫さを私は逆用した。由佳が〈心臓がとび出すかと思った〉ことを試みた。奇妙な行為かも知れないが、今の私たちには必要だった。……ヴァギナよりはるかに締まりのよい|つぼみ《ヽヽヽ》の部分に人さし指を少しずつ入れ、間の薄く張りつめた愛らしい肉をヴァギナの中の親指で挟《はさ》み、こまかく揉《も》んでゆく。人さし指をさらに奥に入れ、彼女が驚かないようにしておく。……硬くなったペニスにベビー・オイルを塗るのはわれながら滑稽《こつけい》な気がした。途中で、「痛いか」と私は訊いた。「痛いけど……」。私は行為をつづけた。少しずつだ。彼女の臀《しり》を抱えながら、私はいままでにない愛《いと》しさを覚えた。もう、絶対に離さない。……完全に挿入《そうにゆう》できたが、肉に食い締められ、達しそうになる。「さわってごらん」。彼女の手をつかみ、ヴァギナに指を入れさせて、薄い肉をへだてて居直っているペニスを撫《な》でさせる。「せつないよ……」。彼女は身ぶるいし、臀を動かした。
……朝の挨拶の代りに、私は彼女を俯《うつぶ》せにし、|つぼみ《ヽヽヽ》に人さし指を入れる。昨夜よりスムースに入る気がする。親指の腹をクリトリスに転がし、そのまま、あたたかい奥に滑らせて、間の肉壁を引っ張ってみる。リズムを代えて、「これが、お早う。これが、お休み、だ」と言う。
「じゃ、休ませて」
彼女は笑った。
「ずっと、寝かせといて。今日は休むから」
私はまた目覚める。うっすらと汗をかいている。
腕時計を探して、光の方角に傾けると、十一時近かった。
かすかな音がした。
自閉症の人間はとても耳がよい、と由佳が言った。仕事で、そういうテレビ番組を観たらしい。それから、私は自分の耳が良いことを口にしなくなった。
由佳はしずかに眠っている。四十年以上かけて、私はこうした静けさを手に入れた。そして、すばらしい女性も。こうした生活がつづくとすれば、私は幸せだ。
また、音がした。書斎の方角らしい。
昨夜、私たちは電話のプラグを抜いてしまい、ファクシミリのスイッチを切った。外界との連絡を絶ち、自分たちを孤立させたのだ。
音がする。錯覚ではない。
私は由佳の肩にさわり、ゆすぶった。
「なに?」
完全には目覚めていない声だった。
「ファックスの音がする」
「え……」
「ゆうべ、電源スイッチを切ってくれとたのんだろ?」
「うん」
「たしかに切ったか?」
「と思うけど……」
「けど、なんだ?」
「覚えてない。頭のヒューズが飛んじゃったもの」
「音がするんだ」
「自分で確かめれば……」
彼女は向うを向き、毛布をかぶった。
私はベッドを抜け出し、トランクスを穿《は》いた。床に丸まっているTシャツをひろい上げようとして、よろける。首から背中にかけて甲羅《こうら》を背負ったように固い。
Tシャツを肌《はだ》につけ、書斎のドアをあけた。カーテンをしめ忘れたのか、陽光が目を射る。
一度とまっていたらしいファクシミリが動き始めた。
やはり、スイッチを切り忘れたのだろうか?
呟《つぶや》きながら、床に落ちている記録紙をひろおうとした。それは私の生活の中のありふれた風景だった。連絡タイムの午前十一時前後からファクシミリが動き始め、電話が鳴る。
記録紙をひろげた私は立ち竦《すく》む。どの紙にもQの文字が大きく書かれている。Q、Q、Q、Q、Q、Q、Q、Q……。さらに、記録紙はファクシミリからはみ出てくる……。
エピローグ
六月半ば、私たちは代沢のやや広いマンションに移った。湿気が気になる季節だったが、腕の傷跡をかくすために私は長袖《ながそで》のシャツを着ていた。
電話とファクシミリの番号は変えた。番号が変った時につきものの間違い電話がかかるたびに、私はびくっとする。
あの朝、書斎で目撃したものを、私は幻と考えようとしていた。由佳がファクシミリの電源スイッチを切り忘れ、誰かがいたずらで〈Q〉のサインを送ってきたのだ。(だが、神保と私以外のだれが〈Q〉の意味を知っているのだろう?)――そうした疑惑を強引にねじ伏せ、すべてを私の頭の中に留《とど》めようとする。由佳はなにも知らずにいる。
二部屋ふえた上に、井の頭のマンションをそのままにしている由佳は、以前よりは落ちついて見えた。私たちの日常は平凡で、カーテンやカーペットの色の選択で意見が分れることはあっても、口論にはならなかった。
三十以上の人間をまともなものと見なさない、ラジオの深夜番組では、〈ミスターJを見かけた〉噂《うわさ》が流行した。主として十代の少年少女の葉書によるのだが、その年齢特有の残酷さがテーマに合ったのだろう、〈ミスターJもの〉は新しい都市伝説になった。
神保は日本中に遍在した。新宿西口の地下通路にいるホームレスの一人が神保にそっくりだったという噂から始まり、府中駅でスポーツ紙を大声で読みあげていたとか、例のコンヴィニエンス・ストアで自動ドアに頭をぶつける練習をしていたのを見た、という風にひろがっていった。深夜にタクシーの後部座席でぼんやりしていると神保の生放送がきこえてきた、という噂が出ると、その放送がきけるエリアは青山斎場から東京タワーにかけてだ、という説が出た。
こうした伝説が盛んになる理由の見当がつかないわけでもない。――神保の遺体を見たのがごく少数の取り巻き連中だけだったこと、遺族が出てこなかったこと、である。神保登の死には〈リアリティが欠けて〉いたともいえる。
神保の死を無限にカリカチュアライズしてゆく風潮に対抗するかのように、神保を聖化する伝記や写真集が発売された。大半は|きわもの《ヽヽヽヽ》で、神保をシュヴァイツァー博士のように描いていた。何冊かの本で、矢部勉は神保を苛《いじ》める悪役として登場した。
それらの中で、比較的まともなのが、私がしばしば言及した『神保登伝説』である。信奉者の手によるものとはいえ、資料を参照しながら関係者の話を細かくきいて歩いた姿勢は好感がもてた。
十代を対象とする深夜放送の話題にマスコミのスポットがあてられ、商業主義と結びつくと、事態は滑稽なことになる。冗談めいた深夜の都市伝説から〈神保登生存説〉を作り出したのは、ビジネスマン相手の週刊誌である。
生存説の根拠は、神保が自分の在り方にいや気がさし、瓜《うり》二つの人間と入れかわろうとしていたという噂にもとづくという。だが、私の知る限り、そんな〈噂〉はないし、〈神保が自分の在り方にいや気がさし〉た事実もない。上昇志向の強い神保が、上り坂のときに、好んで姿を消すことはありえない。
たまたま二人が入れかわった瞬間に、ストーカーが現れて、|にせ《ヽヽ》の神保を刺した、というのが週刊誌の推論で、本物の神保はどこかで生きていることになる。あれほど明らかなエルヴィス・プレスリーの死の後でさえ、おびただしい生存説、目撃説があるのだから、神保の生存説があっても不思議ではないが、無理が多すぎる。
熱帯夜がつづく時期に、神保にまつわるすべてが静かになった。神保登の名は忘れられたかにみえた。
暑さに弱い私は昼間の仕事ができなかった。局に足を運ぶにせよ、この季節をやりすごすだけで精一杯だった。
そんなある日、郵便物を整理していると、北海道で世話になったプロデューサーからの絵葉書が目に入った。
〈お元気でお過しのことと拝察いたします。小生は相も変らぬ愚忙の中におります。
さて、早速ですが、当地のライヴ・ハウスに面白い才能の男がおります。故人を引き合いに出すのは具合が悪いのですが、神保君よりはずっと才能があると小生は睨《にら》んでいます。本音をいえば、矢部さんの鑑定を乞《こ》いたいところです。まったくの無名ですが、おそらく興味を持たれると思います。避暑をかねて、一度お出かけになりませんか?〉
文面を何度か読みかえした私は表情をひきしめ、絵葉書を二つに裂いた。さらにもう一度裂き、屑籠《くずかご》に投げた。おれには関係ないことだ、と呟いた。
さまざまな葉書やダイレクト・メイルに一通り目を通しただけで、肌が汗ばんだ。大半は無用のもので、私の心に残ったのは北海道からの便りだけだ。なぜか、落ちつかなくなる。
ほんの少し迷った私は、屑籠に手を入れ、裂けた紙片をひろいあげる。デスクにのせ、元の形に置きなおす。それでも落ちつかず、幅の広いセロテープで表裏を補貼《ほちよう》する。
絵葉書を左手に持った私は立ち上り、右壁のコルク・ボードにプッシュ・ピンで止める。関係ない、関係ない、と自分に言いきかせながら、頭の中のスケジュール表の空白を探そうとする…………。
この作品は『ドリーム・ハウス』(新潮社)につづく〈東京三部作〉の二である。ただし、小説の内容は『ドリーム・ハウス』とはまったく無関係で、「ムーン・リヴァー」という曲だけが両者をつないでいる。書き始めたのは一九九二年十月五日で、一九九三年三月八日に書き終えた。
[#地付き]作 者
この作品は平成五年九月新潮社より刊行され、平成九年三月新潮文庫版が刊行された。